Fate/Advent Hero (絹ごし)
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第1話『引火点』

 靄がかっていた意識が少しずつ晴れてきた。

 じくじくと痛む真っ赤な背中の傷と、口から漏れる白い吐息が、まだ生きているということを証明してくれている。

 なぜ、自分はこんなところで横たわっているのか。そんな疑問の答えは顔を上げることによって得られた。

 未来、そう呼ばれた少女が母親らしき女性と抱きしめ合っている。

 それを見た城戸真司(きどしんじ)の頬は自然とつり上がる。

 嬉しかった。涙を流し抱きしめ合う親子が、自分の信じるものを肯定してくれているような気がして。

 

「やっと、ちっとは答えらしいものが見つかったかもしんない。…………でも、なんか俺、……駄目かもしんない」

 

 気力を振り絞り、鉛を流し込まれたかのように重い体を強引に動かして立ち上がろうとした。しかし、背中の痛みがそれを拒んだ。

 力の抜けた足が折れ曲がり、体を支えきれずに崩れ落ちる。もたれかかった白い車が、真司の赤い血で上塗りされた。

 眠っているかのように、人影のない閑静な大通りに、大きな足音が間断なく響き渡る。その足音はこちらへと近づいていた。

 

「城戸! しっかりしろ!城戸!」

 

 黒いロングコートを着た男性、秋山蓮(あきやまれん)が駆け寄ってきた。全くこいつは。と真司は思う。

 何度も自分を殺そうとしてきたくせに、いざ、死にそうになったら、こんなにも泣きそうな表情で自分の身を案じてくれるのだから。

 

「おい…どうした…?」

 

 目の焦点が合わない。意識が朦朧としてきた。だけど、一緒に戦ってきたこいつには、ようやく見出せた願いを聞いてほしい。真司は掠れた声で言葉を紡ぐ。

 

「俺さ………昨日からずっと、考えてて…それでも、わかんなくて…」

 

 信じるもの。明確な輪郭の無い、曖昧としたもの。どんなに探し求めても、強い風に吹かれ、やがて埋もれていく砂漠の中の針金。

 だが、確かにあの瞬間、真司は初めてそれを掌に掬い上げる事が出来たのだ。

 

「……でも、さっき思った。………やっぱり、ミラーワールドなんか閉じたい、戦いを止めたいって。………きっと、すげー辛い思いしたり、させたりすると思うけど…」

 

 これまで、戦ってきたライダー達の情景が、伸びきったビデオテープを巻き戻すように浮かんでは消えていく。

 自らの欲望の為だけに戦うライダー達がいた。誰かを想いながら戦うライダー達がいた。

 その願いに貴賤はあったのかもしれない。しかし、彼らにとって、その願いはすべからく命を懸けるに値するものだったのだ。

 

 ————それでも。

 

「………それでも、止めたい。それが、………正しいかどうかじゃなくて、俺の、ライダーの一人として叶えたい願いが、………それなんだ」

 

 これ以上、こんな戦いの為に誰かが涙を流すのを真司は許せなかった。

 恐らく、真司の願いはとても残酷なものだろう。なぜなら、この戦いを止めるということは、ほぼ全てのライダーの願いを分け隔てなく潰すことになるのだから。

 

 だというのに。

 

「ああ!だったら生きてその願いを叶えろよ!死んだら…終わりだぞ!」

 

 嗚咽を漏らしながらも蓮はこう言い放ったのだ。自分の願いも顧みずに。

 もし、そうなったら、蓮は恋人の命を諦めなければならない。そのことに気づいているのだろうか。

 人のことはあまり言えないが、その矛盾に真司は苦笑する。

 

「そうなんだよなぁ……蓮、お前は、なるべく、生きろ」

 

 恐らく、蓮は恋人を救う為、最後の一人になるまで戦い続ける。

 それを止めることはもうできない。真司は苦し紛れにこんなことしか言えないのが悔しくて、誤魔化すように蓮の手を握った。

 

「お前こそ生きろ!…城戸、死ぬな…死ぬな!」

 

「……お前が、俺に、そんな風に言ってくれるなんてな」

 

 あれほど痛みを訴えていた背中の傷からは、もう何も感じない。 肌を突き刺すような冬の風が体の熱と共に通り過ぎていく。

 自分は言いたいことを言えているだろうか。それすらも真司には分からなくなっていた。

 あと、少しだけ。ほとんど力の残っていない喉を酷使しようとする。……だが。

 

「おい?おい!」

 

「………ちょっと———」

 

 ————感動した。

 

 その一言が出せない。目蓋を開ける力とともに呼吸をする力がなくなる。

 蓮が耳元で何かを叫んでいるが、もう何も聞こえない。

 そういえば、借金の三万円は結局返すことが出来なかった。

 この期に及んでまた一つ、未練が増えてしまった。そう笑う真司の意識は醒めることのない眠りに呑まれていった。

 

 

 

 

○○○

 

 

 

 夕暮れが夜の到来を嫌でも感じさせる。遊具で遊んでいた子どもたちが親に手を引かれて帰っていく。

 その様子を間桐桜(まとうさくら)はブランコに座って無感動に眺めていた。

 やがて、騒々しい子どもたちの声が、風になびく木々のざわめきになり、公園に寂寥が充満する。

 眺めるものが無くなった桜は俯く。だが決してブランコから動こうとしなかった。

 たとえ帰っても、あの家には自分の居場所はないから。それはまだ幼い桜のとるにたらない些細な抵抗だった。

 

 しばらくして、鈴虫の輪唱のような優しい耳鳴りが、桜の頭を揺らす。顔を上げると、そこには自分より少し年上くらいの少女が立っていた。

 

「優衣ちゃん…!」

 

 まるで人形のようだった桜の表情に笑顔が灯る。それは年相応の明るい笑顔だった。

 すぐさま立ち上がり、赤いリボンと紫色の髪を揺らして、桜は優衣と呼ばれた少女に駆け寄る。

 

「桜ちゃん、今日も私を待ってたの?」

 

「うん…ちょっとだけ寂しかったけど、きっとくるって、思ってた」

 

 優衣はこうして桜が一人で公園にいると、決まってどこからか現れて、一緒に遊んでくれる不思議な少女だった。

 感情を表に出さない桜に、優衣は本当に根気よく接してくれた。

 不思議な人だ、と桜は思う。優衣は桜の短い人生の中でも、今まで会ったことのないタイプの人間だった。

 年不相応な大人びた雰囲気も理由の一つだが、優衣にはこれまで桜が接してきた人達とは決定的に違うところがある。

 姉も、両親も、雁夜おじさんも、義理の祖父も、みんな、桜をどこか上の方で見下ろしていた。憐憫や同情、嘲り。そこに高さの違いはあったのだろう。

 しかし、優衣は桜を見下ろすのではなく、桜と同じ目線の高さに合わせようとしてくれる。そんな優衣だったからこそ、桜は心を開くことができたのかもしれない。

 優衣が手招きをしてベンチに座る。桜も隣に座った。

 

「今日は桜ちゃんに見せたいものがあってね、これ、私の宝物なんだ。開いてみて」

 

「本当?」

 

 優衣はそう言って、持っていたスケッチブックを桜に手渡した。開いてみると、クレヨンで描かれた赤い龍や青い蝙蝠などの様々なモンスターの絵が何枚もあった。

 

「これ、なあに?」

 

「私を守ってくれてた存在、かな? でも、私はもういいから、今度は桜ちゃんを守ってくれるようにって思って」

 

 本当に大切なものなのだろう。それは絵を見つめている優衣の双眸が深い慈愛に満ちていることから窺い知れた。

 

「桜ちゃんはどれが好きかな?」

 

 桜はページをパラパラとめくりだした。龍や蝙蝠以外にも、緑の牛や紫の蛇などの沢山のモンスターがいて、桜はどれにしようかとても悩んだ。

 黄土色の蟹はがめつくて人を簡単に裏切りそうだ。銀色の虎は強そうだがどこかに危うさを感じる。黄緑のカメレオンは本性を隠すような悪い顔をしていた。…どれも特に根拠はないが。

 

「じゃあ…これ」

 

 ひとしきりページをめくり終えた桜は最初のページに戻り、赤い龍を指差した。大した理由は無い。戸籍上はただの他人になってしまった姉の好きな色が赤だったからだ。

 桜の指差したものを見た優衣のまなじりは緩やかな弧を描いた。望んでいた答えが得られたかのように。

 

「そっか…この子なら、大丈夫かな」

 

 そして赤い龍の絵に触れて、ここにはいない誰かに、申し訳なさそうに呼びかけた。

 

 ———ごめんね、◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎。桜ちゃんが本当に笑えるようになるまで、力を貸してあげて。私には、もう時間がないから…。

 

 優衣がそう言うと、先ほどの比ではない耳鳴りが桜の頭を劈く。耳鳴りに混じって、龍の雄叫びが聞こえた気がした。まるで、優衣の呼びかけに応じたかのように。

 桜は思わず耳を塞いでしまった。だが、なぜか怖いとは思わなかった。

 

 ———優衣ちゃんを守ってくれてたなら、きっとそこまで悪い子ではないのだろう。

 

 そんな気がしていたからだ。

 

 不意にスケッチブックから眩い光が溢れだした。その光は、夜の帳が下りはじめた公園を、桜の意識ごと包んでいく。

 

 それからのことを桜は覚えていない。

 

 

 

 龍の雄叫びが近づいてくる。だが、その雄叫びは優衣の意図していないものを1つだけ呼び寄せていた。

 

 

 

 

○○○

 

 

 

 微睡む意識を、尋常じゃない轟音と大きな振動が容赦なく叩き起こす。

 

「うおわぁ!?」

 

 そんな間抜けな悲鳴が機内に響き渡った。怪訝な目でこちらを見る乗客の視線に気づかず、真司が周囲を見回すと、飛行機の中だった。

 なぜ、飛行機などに乗っているのか。未だに醒めないこの頭では、現在の状況に至った経緯が導き出せなかった。

 確か、自分はミラーモンスターから少女を庇い背中に傷を負って、それが原因で死んだはずだ。だとすればここはあの世で、この飛行機は天国か地獄に向かっているのだろうか?

 そんな馬鹿げた考えが真司の頭の中を支配する。これでも本人は大真面目である。

 

 ——はたして自分は天国に行けるだろうか?こんなことならもっといい事しとくべきだった!

 

 真司があの世についてくだらない思いを巡らせているうちに、飛行機は既に着陸をして止まったようで、乗客は次々と降りていく。

 

「どうぞ」

 

「あっ、ありがとうございます…?」

 

 真司がまごついていると、機内に残っていたスチュワーデスが真司の座席の上の荷物入れからキャリーバッグを取ってくれた。 気がきくようによく訓練されている。

 

 ——あの世のスチュワーデスって、身長高いんだな。2メートル超えているんじゃないか?北岡さんよりデカいじゃん。

 

 そんなことを思いながら、真司はキャリーバッグを受け取り、飛行機を降りた。

 

 

 

 ———待て、なにかがおかしい。

 

 違和感に気づいたのは飛行機を降りてすぐのことだった。

 飛行機を降りた先は空港のロビーだった。天国も地獄もありはしない。まあ当たり前なことなので、それはひとまず置いておこう。

 まず、周りの物がなにもかも大きすぎる。あの世にバリアフリーという言葉は存在しないのだろうか。

 そして、道行く人たちの平均身長も高すぎる。誰も彼もが真司を見下ろせる高さに居た。

 真司と同じくらいの身長の人間など、腰の曲がった老人か、子どもくらいしかいない。それも、小学校低学年くらいの幼い子どもだ。

 

 ——あの世とは巨人の国だったのか?

 

 真司の出来が悪い頭では、そんなことしか考えられない。

 真司は一旦落ち着くために。ついでに催してきたものを沈静化させるためにトイレに行くことにした。そそくさとキャリーバッグを引いて歩く。

 

「————は?」

 

 トイレに着いて、なんとなく鏡が目に入った。その瞬間、真司の粗末な思考回路は完全に停止した。鏡自体に問題はない。なんて事のない只の鏡だ。ライダーもミラーモンスターも映っていない。問題は、映っている幼い子どもの顔だった。

 癖のある青い髪、だらしなく開かれた口と連動して見開かれた青い瞳が、真司を見ている。

 恐る恐る顔に手を伸ばすと鏡に映った子どもはそれを真似した。じゃんけんをしてみる。全て引き分けだった。左右に高速で動いてみても、にらめっこをしてみても、無駄な抵抗は止めろと言わんばかりに、鏡に映った子どもは真司の動きを完璧に模倣した。

 

「————はっ、はっはっ、はは」

 

 無意識に声が漏れる。突きつけられている真実を直視できない。だがどう足掻いても、鏡は真司の望まない真実を映し出していた。

 

「——————はああぁぁぁぁぁぁ!?」

 

 一人の間抜けが便所の鏡に吠えた。これは悪い夢だ。だからはやく醒めよう。と頬を引っ張って未だに無駄な抵抗を続けている。

 しかし、現実から醒めることなどはできるはずもない。頬の痛みや激しい動悸と呼吸が、夢ではないことを証明していた。

 

 だが、そんな衝撃も。

 

「………とりあえず小便しよう。考えるのはそっからだ」

 

 ……………尿意には勝てなかったようだ。

 

 

 

 仮面ライダー龍騎こと城戸真司。彼は、自らの願いを成就させようと殺し合うライダーたちを止めるために、その殺し合いに巻き込まれる人々を守るためにライダーになり、戦いの果てに命を落とした。

 迷いながらも、自分が叶えたい願いをようやく見いだして。

 

「なんで…こんなことになったんだ?」

 

 真司は本来の自分の手ではない小さな手を、憂いを帯びた目で見つめて握りしめる。

 確かに戦いを止めることができなかった未練は強い。だが、見知らぬ他人、しかも子どもに乗り移ってまで叶えたい願いではなかったはずだ。

 否、たとえどんなに叶えたい願いがあったとしても、未来ある子どもの体を奪うことなど、真司にはできない。

 人の体を、命を奪うことの意味を、真司はとある悪徳弁護士に教えられたのだから。

 

「とにかく、この子がどんな子だったのかを調べなきゃな」

 

 パスポートか何か、身分を証明するものがキャリーバッグに入っているはずだ。そう思った真司は荷物を探ることにした。

 予想通り、子どもらしくないちょっと背伸びした雰囲気の長財布の中にパスポートが入っていた。

 

「ええ〜っと間桐………慎二君、か」

 

 この少年の名前は間桐慎二(まとうしんじ)というらしい。顔写真とも一致しているから間違いはないだろう。

 シンジ。奇しくも自分と漢字は違えど同じ名前だった。これは偶然なのだろうか。

 パスポートに記載された名前に見入っていると、ロビーに館内放送が流れる。真司は放送の内容に耳を傾けた。内容から察するに、どうやら間桐少年を迎えに来た人が探しているようだ。

 きっと心配しているはずだ。散らかした荷物をキャリーバッグに詰め込み、真司は空港の案内所を目指して歩く。しかし、その足取りはとても重いものだった。

 それも当然だ。久しぶりに会うであろう息子が、文字通り別人になって帰って来ることになるのだから。

 もし、彼の家族が真実を知ったら。今はあるはずのない背中の傷に罪悪感が染み渡る。

 

 窓から見える空は、腹立たしいくらいに雲のひとつもない澄みきった青空だった。

 

 

 

 これより始まるは、運命に紛れ込んだイレギュラーの物語。正義のない戦いの果てに散ったはずの男、城戸真司。彼の2度目の物語が始まろうとしていた。

 




3日前に投稿できていれば完璧だった…
初投稿なので、読みづらい部分や納得のいかない点が多く見つかると思います。その時はお手柔らかに指摘していただければ幸いです。


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第2話『間桐家』

早速感想をいただき小躍りしております。
スラスラと進めたいのに遅筆が恨めしいなぁ。

それではどうぞ。


 結論から言おう。真司の正体がバレることは無かった。

 いや、この言い方では語弊があるので言い直すと、バレているかの判断が難しいと言うべきか。

 

「………………」

 

 溜息をつくようなエンジン音が車内に響く。

 真司にとって、重苦しい沈黙がこの密室を支配していた。

 真司はそれを紛らわせるために車窓から見える景色を眺めるが、何の変哲も無い街並みが広がっているだけで、特に目を惹くものは無かった。

 強いて気になることを挙げるなら、広告の看板に写っている芸能人が生前と比べて古いことぐらいか。

 

「ぶぇっきしょい!…あっ、ありがとうございます」

 

 運転席の人物からティッシュを受け取り、鼻をかむ。プーンと情けない音を出しながら、役目を終えたティッシュをゴミ箱に捨てた。

 真司はこの沈黙から逃げるように思考に耽る。その手は前に組まれていて、膝に至っては車のエンジンに負けないくらいにガタガタと震えていた。これでも真司は平静を装っているつもりである。

 

 

 間桐少年を迎えに来ていた人物は、家族ではなく使用人だった。確証は無いが、真司に対する恭しい態度や接する際の距離感がそう感じさせた。

 間桐少年の身なりから、裕福な家庭であることは真司にも察することはできたが、まさか使用人を雇っているとは思わなかった。

 しかし、流石に使用人といっても、執事やメイドではなく、家政婦のような雰囲気だったが。

 だが、なぜ間桐少年の家族は迎えに来ていないんだろうか。そんな疑問が真司の脳裏をよぎる。

 旅行か帰省か、事情は何一つわからないが、真司は先程パスポートを探していた際に、長財布から海外の紙幣も見つけていた。

 つまり、間桐少年は海外から帰ってきたということになる。父親が仕事で忙しいのだとしても、母親ならば迎えに来れるのではないか。

 そして、その使用人に車へ案内され、今に至る。

 

 かれこれ一時間ほど経って、ようやく車は停車した。

 車に乗ってから、使用人との会話は一言もない。きっと寡黙な人なのだと、真司はそう考えることにした。

 車から降りて、使用人がキャリーバッグを引き前を歩く。慌てて真司はそれに続いた。

 間桐少年の家はどれほどの豪邸なのか。そんなことを考えながら。

 

「うっわぁ〜………」

 

 屋敷を見上げる真司の口から、思わずそんな声が漏れた。だが、それは感嘆からではない。

 

 荒れ放題の生垣や雑草混じりの庭、壁を覆い尽くすほどに伸びきった蔦、割れたまま放置されている窓。どう控えめに言っても、お化け屋敷だった。

 手入れがされていないところを除けば、真司の生前の居候先だった、花鶏に雰囲気が似ている。

 しかし、こんな惨状でなければ確かに立派な洋館だ。神崎邸と同じか、それ以上の大きさである。

 

「………ん?」

 

 木の葉っぱからカラフルな芋虫が、放心している真司の肩に落ちてきた。まるで初めて来た客人に挨拶するかのように。

 どうも払い落とす気になれなかったので、真司は芋虫を優しく摘んで、別の葉っぱに帰しておいた。

 昔、似たような芋虫を枝でつついて遊んでいた時に、生き物は大切にしろと祖父に咎められたからだ。

 だが、その祖父は翌日、リビングに出没した"黒光りするアレ"を絶叫しながら掃除機で吸い込んでいた。何事にも例外はあるのだと、子どもながら察することができた。

 

「——あっ、ちょっと待ってくださいよ!」

 

 どうでもいいことを思い出している内に、使用人が玄関に向かっていく。声ぐらいかけてくれてもいいのに。本当に最低限のことでしか口を開かない人だと真司は思った。

 幽霊が住んでいても違和感がない外観の惨状に辟易しながらも、真司は後に続いた。

 

「おっ、おお…」

 

 玄関をくぐった真司の口から、思わずそんな声が漏れた。今度はちゃんと感嘆からである。

 悲惨な外観に比べて、内装は案外普通の豪邸をしていた。高価そうな調度品の数々が真司を出迎える。

 一つ一つが自分の生前の年収を余裕で越える値段になるだろう。絶対に触れてはいけない。

 恐ろしいことを真司が想像していると、廊下の奥の曲がり角から、男性がおぼつかない足取りで出迎えてきた。

 使用人はその男性に一礼した後に、入れ替わりで廊下の奥に消えて行く。

 

「帰ってきたか、慎二」

 

「あっはい…、ただいま帰りました…えっと、お父さん」

 

 青い髪に青い瞳。この男性が間桐少年の父親なのだろう。もし、間違っていたら大惨事だったが…。

 男性が真司を見ている様子からして外れてはいなかった。

 

「ああ、…そうだ留学はどうだった?」

 

「———あっはい、えっと、とても得難い経験ができました。具体的には自分が自分でなくなったようなぐらいで……」

 

 間桐少年は海外に留学していた。ということは最低でも二週間から三週間、長ければ一年以上、間桐少年は海外にいたことになる。

 そんなに長い期間、家から離れて暮らしていた息子がようやく帰ってきたなら、家族総出で出迎えるのが普通なのではないかと真司は思う。

 まさか、こんな大きな屋敷に父親と二人で住んでいるわけではないのだから。

 

「そうか……少し出掛けてくる。明日には帰ってくるから、くれぐれも夜更かしはしないようにな。」

 

「………へ? あっはい、行ってらっしゃい」

 

 間桐少年の父は、そう言いながら片手で器用に上着を羽織り、玄関へ向かって歩く。留学から帰ってきたばかりの息子との会話を早々に打ち切って。

 真司はすれ違った際に間桐少年の父の顔を見た。酷くやつれていて、まるで長い間、監獄に収容されている囚人だった。相当ストレスが溜まっているのだろう。

 

 玄関のドアが閉まる音が聞こえる。一人で取り残された真司は、勝手に感じていた重圧から解放され、安堵から溜息をついた。

 そして、一つ大事なことを思い出し、再び溜息をつく。

 

「この子の部屋ってどこだよ……」

 

 

 

 

○○○

 

 

 

 この屋敷に初めて来た真司には、間桐少年の部屋が分からない。

 作業をしている使用人たちに場所を聞けばすぐに済む問題なのだが、真司としては少しでも怪しまれる要素を減らしたかった。

 それに、この巨大な屋敷を少し探索してみたい。そんな好奇心が真司の足を動かした。やはりバカである。

 一階は使用人たちが清掃をしていて、慌ただしい足音が聞こえる。邪魔をしてはいけないので、そこは後回しにして真司は階段を登った。

 

 閑静な二階の廊下に真司の足音だけが響く。

 二階は、ほとんどが物置か、空き部屋になっていた。掃除は一応行き届いている。

 いくつか鍵のかかった部屋もあったが、そこは外出している家族の部屋などだろう。

 まだ開けていない部屋はあと二つ残っていて、どちらかが間桐少年の部屋に違いない。

 そう思った真司は手前の扉に耳を当てて物音がしないかを確認する。…気分はすっかり空き巣だった。

 恐る恐るドアノブに手をかけて、真司は扉を開いた。

 

「………うーん」

 

 視界に広がったその部屋は、まるでモデルルームのようだった。必要なものは全て揃っているし、清潔で家具にも統一感がある。だが、そこには生活感というものがまるで感じられなかった。

 よそよそしい、辛うじて部屋としての体裁を保っているはりぼて。そんな雰囲気を真司は感じた。

 

「ここがこの子の部屋なのか?なんか殺風景っつーか…、子どもらしくないっつーか……お?」

 

 改めて真司が部屋を見回すと、棚の上に立てかけられているスケッチブックが目に入った。

 この部屋の主は絵を描くのが唯一の趣味なのか。

 そう思い、スケッチブックに手を伸ばす。

 

 ————ぁ。

 

 そんな少女の声が部屋の扉の隙間から聞こえてきた。

 

「ちょっ、どわぁ!?」

 

 蚊の鳴くようなか細い声だったが、真司を驚かせるには充分過ぎた。両足が、兎とバネを合体させたかのように伸びて跳ね上がる。

 当然、着地の際にバランスを崩して、真司は尻餅をついた。

 

「痛ってぇ……」

 

 真司が大袈裟な動作で尻をさすっていると、少女が遠慮がちに部屋に入ってきた。大慌てで弁明の言葉を、頭の中で組み立てる。

 

「あっ、あのこれは違———」

 

「———ご、ごめんなさい」

 

 真司の苦しい言い訳を遮って、少女が謝罪してきた。なぜ勝手に部屋に侵入した自分が謝罪されているのか、全く理解できない。

 真司はゆっくりと少女の顔を見上げる。紫色の瞳が焦燥に揺れていた。

 

「お、お義父様に、兄さんが今日帰ってくるから、自己紹介は済ませるようにって言われたのに、私……」

 

 少女は、先程から真司に声をかけようとしていたが、それが出来ずに隠れて後を追っていたらしい。

 まあ、あんな空き巣のような足取りで真司がさまよっていたらそうなるのも無理はない。

 "兄さん"、"自己紹介"。それらの単語から、真司はこの少女が間桐少年の妹で、しかも初対面であることを咄嗟に導き出す。

 ……事情が複雑すぎて真司の頭はこんがらがりそうだった。

 

「と、とりあえず、こっちこそごめんね。部屋、間違えちゃったみたいでさ」

 

 真司は尻をはたきながら立ち上がって、改めて少女に向き直る。すると少女は体の軸をこちらから少し逸らした。…やはり第一印象は良くなかったようだ。

 

「「…………………………」」

 

 気まずい沈黙が無機質な部屋に流れる。

 少女はチラチラと真司の顔色を伺っていて、微かに震えている唇は何かを言いたげだった。

 

 ———あっ、自己紹介したいのか。

 

 それに気づいた真司は、この内気な少女をこれ以上怖がらせないために、そして少女に怪しまれないために笑顔で口を開いた。

 

「俺は城戸…ゴホン、間桐慎二。えっと…君の名前は?」

 

「あっ、私は……間桐、桜です」

 

 間桐桜。名は体を表すのだとよく言うが、吹けば簡単に散ってしまう花弁のような儚げな雰囲気を、桜は身に纏っている。

 せっかく親から与えられた綺麗な名前だというのに、真司は勿体無いと感じた。

 

「桜ちゃんか、これからよろしくね」

 

「はい…兄さん」

 

 真司が親睦を深める意味合いで手を差し出す。それにつられて、桜もおずおずと手を差し出した。やがて、互いの手が触れ合う。

 桜の手は深海の石のように冷えていた。自然と真司の手の熱が移っていく。

 

「手…あったかい」

 

 桜は真逆の感想を抱いたようで何度も真司の手を握っては、感触を確かめている。まるで、忘れていた温もりを思い出すかのように。

 

「うーん、逆に桜ちゃんの手はとっても冷たいね。具合でも悪いの?なんか下から温まるもの貰ってこようか?」

 

 真司はそう言い、繋いでいた手を離して部屋から出ようとした。ちなみにこの時点で本来の目的は頭から消えている。

 だが、真司が一歩踏み出したところで、服の裾を桜が控えめに引っ張った。

 

「ん、どうした?」

 

「…………………」

 

 真司がそう質問しても、桜は俯いたまま首を横に振って返事をしない。

 埒があかないので、もう一歩踏み出してみると、引っ張る力が少し強くなった。

 

「さ、桜ちゃん?服破れちゃうからさ、離してくれないかな?」

 

「…………………」

 

「あのー、桜ちゃん?」

 

 再び沈黙。今度は気まずいものではないが、ただただ訳がわからなかった。

 仕方がないので二歩下がると、ようやく桜は手を離してくれた。

 また一歩踏み出したら裾を掴まれるのか。試してみたい気持ちを堪えて、真司は振り返る。

 桜は心細そうに俯いて、行き場の無くした指先を組んでいた。

 今ひとつ桜の考えていることが読めなかった真司だったが、その様子を見て、なんとなく放っておけないと思う。

 ちょうどいい位置にソファがあったので座り込んで隣をポンポンと叩いた。

 

「桜ちゃんも座りなよ。俺、久しぶりに家に帰ってきたみたいだからさ、俺が居ない間の家の事とか、桜ちゃんの事とか、色々聞かせてくれないかな?」

 

 真司の打算も多分に含まれた提案に、桜はコクリと頷いた。

 

 

 

 

○○○

 

 

 

 桜から間桐家について詳しく聞いた真司は、その複雑な家庭環境に頭を抱えた。

 まず、この家に住んでいる家族は、父と祖父、妹の桜、そして帰ってきた間桐少年の四人だけだった。母親は既に亡くなっていた。

 そして、間桐少年と桜の顔立ちの違いから、真司にはなんとなく察しがついていたが、桜には間桐家との血の繋がりは無く、父と祖父が養子として引き取った、いわゆる義理の妹らしい。

 父と祖父は放任主義で、よく家を空けていて、桜はこの大きな屋敷でずっと独りぼっちだったようだ。

 桜が内気な性格である理由はそれが原因なのだと真司は納得する。

 

「ありゃ…。随分と話し込んじゃったな」

 

 真司がふと窓を見やると、夕焼けの日差しが部屋を茜色に染めていた。あれから随分と時間が経っていたことに真司は今更気がつく。

 そして、話に一段落ついたところで、扉がノックされ、声をかけられる。どうやら使用人が夕食を持ってきてくれたようだ。

 真司が扉を開けてトレイに乗せられた夕食を受け取る。意外なことに真司の分も用意されていた。

 無愛想だが、とても気が利く使用人だと真司は感服する。

 献立は、豆腐の味噌汁にご飯、青菜のおひたし、そして秋刀魚の塩焼きだった。洋館には似合わない超和風な献立である。

 

「桜ちゃん、晩御飯もらってきたから一緒に食べようよ」

 

 真司はそう言いながら夕食のトレイを机に置いて、ソファに座っていたままの桜に声をかける。

 だが、桜は夕食を見つめたままで動かない。嫌いな物でも入っているのだろうか。

 

「どうした? ご飯冷めちゃうよ?」

 

「……ご飯、家で誰かと一緒に食べるの、久しぶり……」

 

 桜にとって、それは無意識の言葉だったのか。そう呟いてから桜は席に着く。

 

 ———放任主義にも限度というものがあるだろう。

 

 今は家を空けている父と、まだ会ってもいない祖父に真司は内心呆れ果てた。

 同時に、自分がこの内気な少女を構い倒してやろうという気持ちが湧いてくる。

 

「そっか…でも、明日からは嫌だって言っても俺が一緒だからね! …っていうか椅子足りないじゃん!隣の部屋から取ってくるからちょっと待ってて!」

 

 真司が慌てて椅子を取りに部屋を出て行く。その背中を見送る桜のまなじりは、自分でも気づかない程に、ほんの僅かだけつり上がっていた。

 

 間桐桜の灰色の風景は、この日を境にカラフルに色づいていく。窓から差し込む茜色の光がやけに眩しかった。

 




真司が変身できるようになるのはいつになるだろうか…

感想、アドバイス、お待ちしております。


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第3話『深山町』

「なんでタイムスリップまでしてんだよ……、もう訳わかんねぇ…」

 

 真司はそう口に出さずにはいられなかった。その手には新聞紙が握られている。

 冷えた麦茶を啜りながら、眉間に皺を寄せて新聞紙を睨みつける。しかし、新聞紙に記されている日付が変わることはない。

 1992年8月11日。それが現在の日付だった。西暦に目を瞑れば、学生は夏休み真っ最中である。

 

 

 

 真司がこの家に来てから、一日が過ぎた。

 ちゃんと眠れるかどうか、真司としては不安だったが、ベッドの寝心地が良すぎて、きっちりと七時間の快眠を成し遂げた。

 寝て目を覚ましたらやはり夢だった。ということはなく、当然の如く二日目がやってくる。

 リビングで桜と朝食を食べ終え、お茶を飲んで一服していたところ、テーブルの横のラックに収納された新聞紙が真司の目に入った。

 真司は今日の朝刊だろうと思い手に取る。内容はなんの変哲も無いものだったが、ページの右上に記載された日付が真司を動揺させた。

 1992年。真司が命を落としてから約十一年前、真司がライダーになってから約十年前にまで日付が遡っていたのだから。

 

 ————オーディンのタイムベントか?

 

 ————いいや、ここまでの時間を遡れるはずがない。それに、この子に乗り移っている説明にもならない。

 

 ————ライダーの誰かが願いを叶えた後の世界か?

 

 ————最後まで残っていたライダー達にそんな願いを持っていた奴はいないだろ。

 

 疑問が疑問を呼び、真司の思考は鞄に入れたイヤホンのようにごちゃごちゃに絡まっていく。

 他者への憑依に加えて大規模な時間遡行。その問題の重さに押し潰されるように、真司は机にうなだれた。

 

 ——阿呆らしい、もう何にも考えたくねぇや。

 

 真司は思考を放棄してぼんやりと虚空を眺めることにした。

 

 

 

「あの、に、兄さん…?」

 

 しばらくして、真司のぼやけた視界の端に紫色の動く物体が映る。目のピントを合わせると、桜が心配そうにこちらの様子を伺っていた。

 真司は口を開くのも億劫だったが、幼い妹を無視してはいけないと思い、働かない頭で返事を返す。

 

「あ〜桜ちゃん、心配ないって。あれだよ、あれ。俺って低血圧だからさぁ。朝、駄目なんだよねぇ。あはは…」

 

「で、でも…」

 

 桜が視線を時計に向ける。真司が釣られてそちらを見ると、時計の時針は九時を指していた。

 真司はかれこれ一時間以上もの間、ぼんやりしていたことになる。ずっと真司を見守っていた桜は流石に心配になって声をかけてきたのだ。

 

「うわわっ、もうこんな時間かよ!…あっ、ごめんね桜ちゃん。ずっと放ったらかしにしちゃって」

 

「だ、大丈夫、です」

 

 桜はそう言って所在なげに俯いてしまった。自分が真司の微睡みを邪魔してしまったと勘違いしているのだ。

 一時間以上、自分に声をかけなかったあたり、桜は本当に控えめな少女だ。我慢強いとも言うべきか。

 このぐらいの歳の子どもなら、構ってもらえなければ、機嫌を損ねて癇癪を起こすか、拗ねて口を利かなくなるはずだろう。

 …真司自身が、かつてそうだったのだから。

 

「………よっし」

 

 このまま座って考えていても仕方がない。真司はカビでも生えそうな気分を転換させる方法を思いついた。

 椅子から立ち上がり、伸びをする。そして、俯いていた桜に声をかけた。

 

「桜ちゃん、ちょっと散歩に行かない?多分、俺も桜ちゃんと同じ小学校に通うことになるだろうからさ、案内してくれないかな?」

 

 

 

 

○○○

 

 

 

 うんざりするほど喧しい蝉時雨が、現在の日付を証明していた。

 だが、その鳴き声は、東京で聞き慣れた、アブラゼミ特有の油を焦がすような鳴き声ではない。

 かつて、"セミ捕りの真ちゃん"として名を馳せた真司の勘がそう告げていた。肝心のセミの判別はできていないのだが。

 並木道で、こんがりときつね色に日焼けした少年たちが虫網を持って走り回っている。

正直、童心に帰って混ざりたい気分に駆られたが、真司はその誘惑を断ち切って前を向いた。

 

 桜に小学校までの道を案内してもらった後に、 真司はこのまま帰るのもなんだからと、迷子にならない程度にこの街を散策することにした。

 この蒸し暑い中、桜を付き合わせるのも悪いと思い、無理に着いてこなくてもいいと言ったのだが…。

 現在、その桜はカルガモの雛のようにぴったりと真司の後ろを歩いている。

 

 通りすがった道路の標識から分かったことだが、ここは冬木市の深山町という場所らしい。真司の知らない地名だった。

 街並みも少し変わっていて、間桐邸の周辺は洋風の建物ばかりだったが、とある坂道の境界線を超えると和風の建物ばかりになる。

 何か昔の名残なのか、図書館で郷土史でも読めばわかることだろう。

 

「それにしても、暑っちいなぁー。桜ちゃん、喉渇いてない?この辺に自販機でもあればいいんだけどなぁ」

 

 夏の日差しが真司の頭を照りつける。

 Tシャツの襟元をバサバサとさせて、暑さを誤魔化しながら、真司は桜を気遣う。熱中症にでもなられたら大変だからだ。

 お金については、真司たちが家を出る前に、使用人からやけに重たい小銭入れを渡されたので問題はない。後で気づいたことだが、重さの正体は大量の五百円玉だった。

 おそらく、子どもが会計の際にお札を出してしまったら、あらぬ疑いをかけられるからだろう。配慮が行き届いている。

 

「は、はい…あ、あの…」

 

 桜は遠慮がちに頷いた後に右手側を指差した。

 そこにはまだ、太陽が昇りきっていない時間帯だからか、絶妙な位置に日陰ができていた。

 おまけに自販機とベンチが置かれていて、これ以上のベストマッチな条件で休憩できる場所はない。

 

「おお〜!桜ちゃん、お手柄じゃないか!」

 

「わっ、わわ…」

 

 桜の頭を真司がわしゃわしゃと雑に撫でる。すると、初めて照れたような、驚いたような声を桜はあげた。

 

「早く行こ行こ!」

 

 真司はそれに気づかず、桜の背中を押して自販機に向かう。日陰はやはり違った。涼しい風が二人を出迎える。

 

「俺ポカリにしよっかなー…桜ちゃんはどれにする?」

 

「…兄さんと同じのがいいです」

 

「オッケー。……手が微妙に届かないじゃん」

 

 こういう所で、自身の身長の低さに違和感を感じる。

 真司が小銭を入れてから背伸びしてボタンを二回押すと、自販機がジュースを二つ落とした。真司はお釣りを忘れないように取り、ジュースを桜に手渡す。

 そして、ベンチに座りジュースを一気に喉に流し込んだ。清涼感が身体中に染み渡るような感覚が堪らない。

 

「ぼっはぁああ!生き返ったぁああ!」

 

 意図していない現状の再確認である。真司は一度本当に死んでいるので間違ってはいない。洒落にならない冗談だが。

 隣を見やると、桜もチビチビとジュースを飲んでいた。顔には出ていなかったが、やはり暑かったのだろう。

 結局、真司と桜は太陽が昇りきるまでここで休憩をすることにした。

 

 

 

「しっかし、うちもそうだけど立派な屋敷が多いよなぁ。この辺って」

 

 昇りきった太陽に日陰を掻き消され、避暑地を追い出された二人は、再び深山町を歩き回っていた。

 ここまで来る間にも、二件も並んでいる立派な武家屋敷や、間桐邸に見劣りしない大きさの洋館をいくつか通り過ぎている。

 

「———!」

 

 この街には金持ちが多いのか。真司が顎に手を当てて考えていると、唐突に桜が腰にしがみついてきた。

 

「ちょっ、何だよ桜ちゃん!?…犬?……犬かッ!?」

 

 即座に自分が怖いものを連想した真司は、身を強張らせて前方に目を凝らす。しかし、犬はいなかった。

 代わりにツインテールの少女が立っていて、真司を、いや、真司の後ろにいる桜を複雑そうに見つめていた。

 

「さ、桜…」

 

 少女が妹の名を呼んでこちらへ一歩踏み出してきた。心なしか、腰を締め付ける力が強くなった気がする。

 あの少女に何かひどいことをされたのか。そう思った真司は身構えて少女を威嚇した。

 

「や、やい! ()()()()になんか用かよ!変なちょっかい掛けて泣かしたら、俺が承知しないからな!」

 

「———っ!」

 

 その言葉を聞いて、少女は何かに耐えるように唇を噛み締めて真司を睨みつけた。

 

「し、知らないわよ!」

 

  しかし、すぐに耐えきれなくなったのか、火を点けられたかのように来た道を逃げて行ってしまった。

 反対を向く寸前に見えた少女の碧眼には、涙が少しだけ目元で盛り上がっていたような気がする。

 

「あれー?…さ、桜ちゃん…。お、俺なんか悪いことしちゃったかな…?」

 

 予想外の展開に居たたまれない気分になった真司は、未だにアサガオの茎のようにしがみついている桜に声をかける。

 

「………」

 

 しかし、桜はそれに答えず、小さくなっていく少女の背中をぼんやりと眺めていた。

 

 

 

 

○○○

 

 

 

 既に昼食の時間だからか、遊んでいる子どもたちはおらず、公園は閑散としていた。

 順番待ちの必要がないブランコに桜が乗り、その背中を真司が一定のリズムで押している。

 キシ…キシ…と錆びた金属が擦れ合うことによって生じる軋みは誰かの歯ぎしりのようにも聞こえた。

 

「あのさ…さっきの子ってひょっとして桜ちゃんのお友達だったのかな?…だとしたら俺、悪い事したからあの子に謝んないと….」

 

「……違います」

 

「そ、そっか」

 

「…兄さんは悪くないです。私が、悪い子だったからいけないんです」

 

 桜のそれは余りにも自罰的な思考だった。自分を尊ぶという感情が、桜からは見受けられない。

 それが真司には少し癪だった。桜の背中を押す手を止めて抗議する。

 

「はあ?なんで桜ちゃんが悪いことになるんだよ?もし桜ちゃんが悪い子だったら、俺なんか凶悪な犯罪者になっちゃうっての!」

 

 それどころか道行く人全員が浅倉レベルの極悪人になるだろう。地獄だ。

 嫌な想像をしてしまったと真司が身震いしていると、桜が唐突に口を開いた。

 

「……じゃあ、私が…、私が悪い子じゃないんだったら、………どうしてお父様とお母様は、姉さんは———」

 

 ————私を捨てたの?

 

 確かに、桜はそう呟いた。

 

「——っ」

 

 真司は、なんとなく予想していた。複雑な事情がある子なのだと。

 ただ、血の繋がった家族と一緒に過ごす。そんな当たり前の権利がこの子には与えられなかったのだ。

 真司には桜の疑問に対する答えも、それを言う権利も持ち合わせていなかった。なぜなら、彼は両親から無償の愛を受けて育ってきた、ありふれた子どもの一人だったからだ。

 

「……ごめんね、桜ちゃん」

 

「……?」

 

 真司はそう言って隣のブランコに座る。

 

「その質問には答えられないや。だって俺、桜ちゃんのお父さんやお母さんに会ったことすらないし」

 

「そう…ですよね…」

 

 至極真っ当な返答だ。桜の両親に何も思うところがないわけではないが、向こうの事情も知らずに好き勝手なことを言うなど、今の真司にはできない。

 

「でも、一つだけ胸を張って言えることがあるよ」

 

 しかし、寂しそうに俯いているこの少女を放っておくことなど、もっとできなかった。

 

「やっぱり桜ちゃんは悪い子なんかじゃない、誰かを思いやれる優しい子だよ」

 

「そんなの——」

 

「——嘘じゃないって。…それに、俺さ、本当はちょっと心細かったんだ。桜ちゃんに会うまでは」

 

 真司は恥ずかしそうに頬を掻きながら苦笑いした。

 事実、以前の間桐慎二を殆ど知らないという桜は、現在の真司にとって、臆せずに素の自分を出せる有難い存在だった。

 

「兄さんが…?」

 

「うん…。あと、こっちに来てから桜ちゃんが初めてなんだよね。俺としっかり話をしてくれた人って」

 

 間桐少年の父も家の使用人も、一言二言、言葉を交わしただけで真司に見向きもしなくなった。以前は違ったのだろうか。それを知るすべは分からない。

 そんな中、桜は昨日、いかにも怪しそうな動きをしている自分に声をかけようとしてくれた。今日だって自分なんかの為に小学校を案内してくれた。

 そのちょっとした優しさが、真司にはとても嬉しいことだったのだ。

 

「だから、その…なんというか、桜ちゃんには割と感謝してるっていうか…。だから、その…そんなに悲しい顔して欲しくないっていうか…。あ〜もう…」

 

 良さげな言葉が思い浮かばない。悪辣弁護士の北岡辺りならこの内気な少女をお得意の弁舌で宥められるだろうに。無い物ねだりをする真司は、思わず頭を掻いて空を仰ぐ。

 

「とにかく、俺が言いたいのは!———んん?」

 

 真司はブランコから勢いよく立ち上がり、桜の方を向く。

 桜はブランコに座ったまま蹲っていた。

 

「どうした?桜ちゃん」

 

 返事はない。お腹を押さえているので、そこが痛いのだろうか。そう思い、肩に触れようと手を伸ばした瞬間。

 

 くぅーっという可愛らしい腹鳴が真司の耳に侵入して来た。

 

「………………」

 

 真司は、瞬く間に耳まで真っ赤になっていく桜から目を逸らし、無言で公園の時計を確認すると、納得するように頷いた。

 時計の時針が午後1時を指していたからだ。

 口元を押さえて笑いを堪えながら、桜の肩を軽く叩く。

 

「はっはふっ…、お、お腹減ってたんだね…ぷくくっ…、そうなら言ってくれれば…くふふっ」

 

「わ、笑わないでください……」

 

 桜は真っ赤な顔を上げて、真司を上目遣いで睨みつける。女の子の心の機微など、恐竜の痛覚並みに鈍い真司でも、桜が恥ずかしがっているということだけは理解できた。

 いつのまにか、二人の間の沈鬱な空気は霧散していた。

 代わりに、むず痒いような、それでいて不愉快ではない空気が充満する。

 

「ご、ごめんごめん。でも今から帰っても、ご飯食べるまでに時間かかっちゃうよな」

 

 この公園から間桐邸までの距離は子どもの足で30分ほどだ。そこに料理をする時間を加味すると相当時間がかかるだろう。

 

「あっそうだ!……ねぇ、桜ちゃん、さっきの言葉を取り消すつもりじゃないんだけど…」

 

「………?」

 

 真司は名案を思いついた。ポケットから小銭入れを取り出し、ジャラジャラと揺らす。

 

「一緒にちょっとだけ悪いことしてみない?」

 

 

 

 

○○○

 

 

 

 食べ物の匂いがする商店が肩を寄せ合うように立ち並んでいる。

 

「ふぅ、食った食った。桜ちゃんもお腹いっぱいになった?」

 

「…………」

 

 真司がお腹をさすりながら後ろを振り返ると、桜は未だに大判焼きを頬張っていた。おそらく、一番のお気に入りなのだろう。

 

 二人はその後、公園のすぐ近くの脇道を抜けて、マウント深山という商店街で食べ歩きを済ませていた。

 行儀は悪いが、子どもだけで飲食店に入っても、追い返されてしまうのが関の山だからだ。苦肉の策である。

 食べ歩きながらこの商店街を一通り回り終えた感想は、食事関係はとても充実していて、今後もお世話になりそうだった。

 しかし、ゲームセンターなどの娯楽施設は皆無だったのが、真司としては残念である。

 

「さーて、次はどこに行こっかなー。やっぱり見知らぬ所を散歩するのって楽しいよなぁ。なんか自分の世界が広がるって感じがするっつーか」

 

「自分の世界が…広がる…?」

 

 大判焼きをようやく食べ終えた桜が、真司の独り言に反応した。

 

「うん、そんなに不思議なことかな?」

 

「いえ…きっと素敵なことだと思います」

 

 ———昨日から話をしていて分かった。この人は、多分間桐の魔術について、何も知らされていないんだ。そうでなければ、こんなにも明るい笑顔ができるはずがない。

 

 何も知らずに笑っていられる真司を、桜は少しだけ妬ましく思った。だが、同時に、この陽だまりのような笑顔を曇らせたくないとも思った。

 あのような地獄は、絶対に知るべきものではない。自分だけが耐えればいいことなのだから。

 

「でしょでしょ。まだ結構時間あるし、俺、深山町を知り尽くしちゃおうかな!」

 

 真司は桜の小さな手を取って、再び当てもなく歩き出す。なんだか、二人ならどこへでも行けそうな気がした。

 

 

 

 

 だが、真司は一つ重要な事を忘れている。自分は道を覚えるのが苦手だということを。

 結局のところ、帰り道は自分の半分も生きていない子どもの桜に先導してもらい、なんとか家に着くことができた。

 年長者としての面目は丸つぶれである。

 

 




最後のほう結構駆け足気味になってしまった…

感想、アドバイス、お待ちしてます。

2/19
最後の方が物足りなかったので、少しだけ書き足しました。


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第4話「薄明光」

1.登場人物が、ほぼ真司と桜しか出てきていない。
2.原作に突入していない。
3.そもそも龍騎に変身していない。

だというのにお気に入り件数が90を突破するとは…。
やっぱりみんな真司くんが好きなんですねぇ…(感涙)

それでは、どうぞ。


「糞が…糞が…」

 

 悪態をついてグラスを一気に呷る。喉を焼きながら流れ込んでくるウィスキーが、心にどっぷりと浸かっている淀みを溶かしてくれるようだ。

 だが、そんな感覚も一時凌ぎのようなものだ。

 間桐慎二の父親である男性……間桐鶴野(まとうびゃくや)は、息子には酒に溺れている姿を見られたくないことから、新都の歓楽街にある行きつけの店で時間を過ごしていた。

 

「慎二も帰ってきた…。いつまで、あんなこと続けなきゃいけないんだよ…」

 

 鶴野は顔を手で覆い、自らの視界を塞ぐ。しかし、忌々しい蟲共に嬲られる少女の虚ろな瞳が、脳裏に焼き付いて離れることはなかった。

 

「俺は悪くない…。あの爺がやれって言うから仕方ないんだ………ん?」

 

 不意に鶴野のポケットの中の携帯が振動する。

 相手は…あの蟲共以上に忌々しい妖怪爺だった。出なければ後で何を言われるかわからない。

 鶴野は重い溜息をついて席を外し、携帯を取り出した。

 

「もしもし…」

 

『儂じゃ、鶴野よ…。霊地の外回りが済んだ…。今日の夜には家に着くじゃろう。桜の"鍛錬"については…わかっておるな?』

 

 カラスの首を絞めれば、こんな声が出るのだろうか。

 鶴野が生まれた時から変わらない、嗄れた声を携帯が再現した。

 

「そうかよ、…昨日、慎二が帰ってきた。あんたにはどうでもいい事だろうがな。そのことについて、一つ言いたいことがある」

 

『おったのう、そんなのも…。それがどうした?』

 

「慎二には、蟲蔵のことは絶対に教えるなよ。今のあいつには刺激が強すぎる」

 

 既に蟲の苗床にさせられた妻や弟のこと。そして現在、義理の娘がされている拷問さながらな魔術の修行の実態。

 鶴野は、唯一残った肉親とも呼べる息子に、あの地獄のような景色を見せたくはなかった。そして、自分と同じ思いなどさせたくはなかった。

 

『くかかかっ…。何を言うかと思えば、そんなことか。そのことに関して、儂が彼奴に言うことなど何もあらんよ。教えたとて、才能のない彼奴にできることなど、それこそ蟲たちの餌ぐらいか————』

 

「————おい」

 

 鶴野は電話越しにこちらを嘲笑う老人……間桐臓硯(まとうぞうけん)の言葉を遮った。

 

『おおっ必死じゃのう…鶴野、そんな怖い声を出さないでくれい。くくっ…身震いが老骨に堪えるわい。慎二に向けるその優しさを、桜にも分けてやればよいのにのう』

 

「……どの口が言いやがる」

 

 この妖怪にそんなものは存在しない。そもそも、人並みの感情など持ち合わせてはいないだろう。

 誰かの苦しみを愉悦として貪り喰らう。そうして生きながらえている妖怪、それが間桐臓硯という存在なのだから。

 

『まあ、せいぜい隠し通してみせるがよい。お主の拙い魔術でな……。どのみち、時間の問題だとは思うがの』

 

 臓硯はそう言い残し、電話を切った。強張っていた四肢が次第に緩んでいく。

 しかし、耳に蛆を詰め込まれたような余韻が鶴野を苛む。それを紛らわせるために、鶴野は再び席についてグラスに手をつけた。

 

「くたばっちまえ。化け物が……」

 

 届くことのない呪詛を言葉にして。

 

 

 

 

○○○

 

 

 

 夕方、鶴野が帰宅すると、水が流れる音とともにカチャ、カチャと食器が軽くぶつかり合う音が台所から聞こえてきた。

 使用人がいる時間にしては少し遅い。そう思った鶴野は台所を覗いた。

 

「おっ、桜ちゃんなかなか手際良いねぇ。将来有望なお嫁さんになれるぞ〜」

 

「あ、ありがとうございます…」

 

 そこでは、慎二と桜が仲睦まじく同じ台に乗って食器洗いをしていた。

 桜には慎二に自己紹介を済ませておくようにとは言っておいた。

 だが、わずか一日で慎二が桜とあそこまで打ち解けると鶴野は想像していなかった。

 互いの性格からして、慎二が桜を苛め、桜は黙ってそれを受け入れる。二人はそんな関係になると鶴野は考えていたのだ。

 

「……慎二」

 

「ちょっ!?まっ、おっおお…」

 

 思わず鶴野が慎二に声をかけると、慎二は驚いて、食器を取りこぼしそうになっていた。どうにか持ち直し、蛇口を閉めて、挨拶を返してくる。

 

「お、おかえりなさい。お父さん!」

 

 何故か緊張しているようで、しきりに視線を左右に振っていた。

 鶴野はそんな慎二に疑問を抱きながらも、慎二の背中に半身を隠している桜に自分の用件を伝えることにした。

 

「桜。臓硯が今夜帰ってくる。準備して待っていろとのお達しだ。………行くぞ」

 

「……はい。お義父様」

 

 桜の表情の色彩が、乾いた絵の具のようにひび割れ、剥がれ落ちていく。

 

「あっ、桜ちゃん…。じゃあ、俺も…」

 

 慎二は桜が心配なのか、作業を中断してついてこようとしてきた。やはり、自分がいない間に、誰かを思いやれる子に育ったのだろう。

 鶴野はそれを嬉しく思った。同時に、決してあのような地獄をこの優しい息子に見せてはならない。そんな決意が自分の中でさらに固くなるのを感じた。

 

「慎二。まだ食器洗いが終わってないだろ?まずはそれを済ませろよ」

 

「で、でも…」

 

 尚もついてこようとする慎二に、鶴野は内心困り果てた。

 鶴野が魔術の行使を念頭に入れ始めた直後に意外なことが起きた。

 

「兄さん…。私、大丈夫だから。あんまりお義父様を困らせないであげて」

 

 桜が慎二を心配させまいと、気丈に振る舞ったのだ。あれを慎二に知られたくないのは桜も同じらしい。

 

「桜ちゃんがそう言うなら…わかったよ」

 

 これ以上は平行線になる。そのことを察した慎二は渋々納得した様子で、食器洗いの作業を再開した。

 

 

 

 

○○○

 

 

 

 間桐邸の地下に続く隠された階段。太陽の光も、月の光も届かないこの場所は、時計の秒針が壊れたかのように、時間の感覚が希釈だった。

 蟲蔵。この場所を知る者はそう呼んでいる。鶴野はこの地下室を、何か巨大な生物の体内なのだと錯覚することがある。

 その原因は鶴野の視線の先にあった。松明の明かりが蟲蔵の底を照らしだす。

 床の石畳が見えない程に蠢く蟲たちが、寄ってたかって少女の肢体を存分に貪っていた。

 

「うっ…ゔぉえぇ…」

 

 何度見ても、慣れるものではない。

 石造りの階段の踊り場でそれを見下ろす鶴野は、胃から込み上げる吐き気に逆らわずに、えずく。

 この光景に慣れてしまえば、人として大切なものを失ってしまうような気がしたからだ。

 …だというのに、その渦中にいる少女は一切の感情を動かさずにあるがままを受け入れている。

 事情を知らぬ者が見れば、そこにあるのは人ではなく人形なのだと見紛うことだろう。

 

 最初は助けを求めて泣き叫んでいた。次は苦悶の表情を浮かべ、もがいていた。その次は僅かに身じろぎだけをしていた。……それ以降はこの有様である。

 こつ、こつ、こつ、と石段を降りる足音が、地下室に反響した。こんな場所に自ら来る者など一人しかいない。

 

「情けないのう…、鶴野よ。まだ幼い桜が耐えておるというのに、見ているだけのお主がその体たらくでは親として示しが付かんのではないか?……くかかかっ」

 

「はぁっ…はぁっ…、黙り…やがれ…。げほっげほっ」

 

 鶴野は息を荒げて、声の主を睨みつける。

 萎びたミイラのような痩躯。皺まみれの顔に落ち窪んだ瞳。

 間桐臓硯。五百年の時を生きる妖怪。鶴野にとっての恐怖の権化が、そこに居た。

 

「俺はっ、…お前らみたいな蟲とは違う…。れっきとした人間なんだよっ…!」

 

 あのような醜悪な蟲を受け入れられる者など、それこそ同じような存在しか有り得ない。自分と同じ存在を嫌悪する理由など無いのだから。

 あそこで奴らに嬲られている義理の娘も、既に蟲の仲間入りを果たしているのだろう。少なくとも、鶴野にはそのようにしか見えなかった。

 

「まあよいわ。………ふむ、どうやら"アレ"は予想以上に馴染んでおるようじゃのう……」

 

 ぐったりと項垂れている鶴野には一瞥もせずに、臓硯は顎を摩りながら桜を見下ろしている。

 臓硯の指す"アレ"とは何なのか、鶴野には理解出来なかった。理解したいとも思わなかったが。

 どうせ碌なことではない。愉悦に歪む臓硯のまなじりがそれを物語っていた。

 

「もう少し経過を見たいところじゃが…。もうよいわい」

 

 臓硯が踵を返すと、その動きに連動するように桜を陵辱していた蟲たちが、一斉に石の壁に掘られた巣穴に流れ込んでいく。まるで一匹一匹が臓硯の意思で動く細胞だ。

 いつも通り、後始末は任せたぞ。そう言い残して臓硯は蟲蔵を去った。

 

「………………」

 

 取り残された鶴野は汚物を見るような眼差しで、横たわっている桜を見下ろす。そして厚手のゴム手袋をはめた。

 決して素手で触れるような真似はしない。蟲の体液が少しでも肌に触れてしまえば、自分も蟲になってしまうような強迫観念が鶴野にはあった。

 だが、憐憫か、罪悪感か、打算か、胸の内に浸かっていた感情が、鶴野の口を滑らせた。

 

「……俺には、お前を娘として見てやることも、人として見てやる事も出来ない」

 

「……?」

 

 桜は不思議そうに鶴野の顔を見上げる。これまで、鶴野がこちらに話しかけることなど、臓硯からの伝言以外には無かったからだ。

 

「だけど、お前が慎二を…、最後の心の拠り所を失くしたくないなら、あいつには絶対に此処の事は話すなよ。……お前は分かっているかもしれないがな。……知らなけりゃ無いのと同じだ」

 

 鶴野はそう言いながら、体液に塗れた義理の娘の体をタオルで拭ってやった。

 その双眸は様々な感情に渦巻いていた。

 

 

 

 

○○○

 

 

 

「うーん………お〜〜〜っ、おお!」

 

 手慰みに鉛筆を回す。なんと13回転もした。最高記録更新である。

 だが、鉛筆とは正反対に真司の頭はそれほど回らなかった。

 何かシミを一つ残しているような感覚が拭えない。

 現在、真司は自分の生前にライダーバトルで起きた事柄を確認するため、自分の覚えている限りのことをキャンパスノートに書き記したところだった。それ自体は暇つぶしのような物なので、問題はない。ないのだが…。

 

「なんで俺は連れてってくれなかったんだろ」

 

 真司と桜は散歩から帰宅し、夕食を済ませた後に食器洗いを一緒にしていた。桜の手際は、もしかすると自分より良かったかもしれない。

 しかし、途中で桜は間桐少年の父……鶴野に連れられてどこかへ行ってしまった。

 真司も桜についていこうとしたのだが、鶴野に止められてしまい、洗い物を済ませ、シャワーを浴びた後にこうして自分の部屋で記憶の点検作業をしていたのであった。

 

「それに、さっきのって…」

 

 しかし、真司は桜と鶴野の間に妙な雰囲気を感じて、こっそりと二人の後をつけた。だが、ある起点を境に二人は忽然と消えてしまったのだ。まるであの鏡の世界(ミラーワールド)に入ったかのように。

 だが、そこにはミラーワールドの入り口。つまり光を反射するものは無かった。

 

「俺の気のせいだったのか…?」

 

 真司の乱れた思考を表現するように、キャンパスノートの内容も支離滅裂になっていく。

 やがて、ライダーバトルの記録が、龍騎とドラグレッダーの落書きになった。なかなかの出来栄えである。

 

「ふふっ、かっこよく描けてるじゃん。やっぱり元がかっこいいからだよなぁ。…あっ、そういえば、冷蔵庫に豚の挽肉とキャベツあったよな…。あとはニラさえあれば…」

 

 そこから真司の思考は逸れに逸れる。キャンパスノートは様々な紆余曲折を経て、明日の夕食の献立表に変貌した。

 真司の得意料理、餃子のレシピが、イラストを添えて特に細かく記載されている。

 

「明日はきっと桜ちゃんも喜ぶぞ〜。…それにしても、遅いなぁ…」

 

 気がつけば、部屋の時計は夜の10時を指していた。良い子はもう寝る時間である。桜が鶴野に連れられてから、既に4時間近く経っていた。

 何度か隣の部屋を確認したが、桜は戻ってきてはいなかった。

 

「ふわぁああぉぉぉぁ…」

 

 眠気が、時雨空の薄日のように差し込んでは消えてゆく。

 真司は眠気に身を委ねて、思い切り足を伸ばし欠伸をした。

 桜が戻ってくるまで起きているつもりだったが、寝てしまおう、もう限界だ。真司はそう思いながら、立ち上がった。

 直後に、部屋の扉が控えめにノックされた。

 

「………兄さん」

 

 真司が扉を開けると、桜が立っていた。シャワーを浴びた直後なのかタオルを肩に羽織っている。

 部屋の明かりが紫色の髪をきらきらと艶やかに照らし出す。その髪からは水が滴っていた。

 

「あーもう、桜ちゃん。湯冷めして風邪ひいちゃうから髪の毛もちゃんと乾かしなよ。仕方ないなぁ…ほらほらこっち来て来て!」

 

「あっ…」

 

 真司は肩に羽織っているタオルを桜から引ったくり、わしゃわしゃと桜の髪を拭いてやった。

 不器用な手つきだったが、その手には思いやりが込められていた。

 桜は頬を微かに吊り上げて、真司に身を委ねる。

 

「しっかし随分と長引いてたね。ずっと何やってたの?」

 

 真司は桜の髪を乾かしながら、先程まで何をしていたのかを桜に尋ねた。

 

「………内緒です」

 

「…そう?気になるんだけどなぁ。桜ちゃんが言いたくないなら別にいいや」

 

 正直に言うと、真司は首を突っ込みたくて仕方がなかった。

 けれど、誰にだって知られたくないことの一つや二つはある。桜だって例外ではないのだろうと思い、なんとか踏み留まった。

 

「よっし、大体こんなもんでいいかな……。だあぁ〜」

 

 桜の頭を撫でて水気がなくなったことを確認した真司は、やる気のない掛け声をあげ、ベッドに向けて背面跳びをした。

 柔らかいマットレスの感触が眠気に満ちたこの身を優しく抱擁してくれる。あまりの心地よさに声が漏れた。

 

「おおぁ〜、…桜ちゃん。俺さ、もう眠たくて限界なんだよね。だから申し訳ないんだけど部屋の電気を消しといてくれない?」

 

「…はい」

 

 真司が寝る体勢に入り、桜に部屋の電気を消すように頼んだ。部屋の明かりが消え、暗闇が真司を眠りへと誘う。

 だが、桜は部屋から一歩も踏み出さなかった。

 

「どうした、桜ちゃん?俺と一緒に寝たいなら隣に来る?……ははっ、そんな訳———」

 

「———いいんですか?」

 

 真司は冗談のつもりだったが、桜は本気にしてしまったようだ。おずおずと布団に入り込んで来た。

 

「あー、桜ちゃん。あの、俺、いびきがうるさいらしくてさ。それに寝相も悪いから隣に寝たら大変だよ?ねえ、ちょっと。……聞いてねぇや」

 

 桜は真司の腕を抱きしめて狸寝入りを決め込んでいる。こうなったらテコでも動かないだろう。なんとなくそんな気がした。

 

「途中で怒って叩き起こしたりしないでよ?……おやすみ」

 

 

 

 程なくして、部屋に真司のいびきが響き渡る。先ほどの言葉は嘘ではなかったようだ。

 桜は静かな夜が、たった一人の夜が大嫌いだった。眠りに落ちて意識を失えば、次に目を覚ました時に、自分が本当の蟲になってしまうような、そんな不安が騒ぐから。

 だが今は、真司の腕から伝わる温もりが、その不安を追い払ってくれている気がして、安心できた。

 

「むぅ……。俺たちは……仮面ライダーだぁ……ぬふぅ」

 

 幸せそうな笑顔で真司はそんな寝言を呟いていた。どんな夢を見ているのだろう。

 その横顔を見ると、名前のわからない感情が込み上げてくる。

 

「兄さん…」

 

 思わず桜は、夢の中にいる真司に届くはずのない胸の内を囁いた。

 

「…兄さんが私と一緒に居てくれるなら、私は———」

 

 ———私は不幸でも、いい。

 

 偽りのない本心を囁きながら、桜も瞼を閉じる。

 久しぶりだった。明日を楽しみに思うのは。

 




早期に真司という心の支えを得た桜は、原作よりもやや精神的に強くなりそうですねぇ。
しかし、その支えを失くすと……?

感想、アドバイス、お待ちしてます。


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第5話「義兄と実姉」

………なんで、こんなにお気に入りと評価が増えているんですかね?(日間ランキングを見て)
鶴野お父さんは大人気キャラだった……?
何が読者の皆さんの心の琴線を揺らしたのか…

それでは、どうぞ


 

 あっという間に夏休みも終わり、真司としては2度目になる学生生活が始まろうとしていた。

 

「ちょっとここで待っててね。間桐くん」

 

「………あっはい」

 

 担任の先生に案内され、教室前の廊下に立つ。いわゆる転校初日の挨拶というやつだ。外れかけたシャツのボタンを弄りながら、真司は横開きの扉を見つめる。

 ランドセルを背負う感覚がとても懐かしい。初めて背負った時の感動は忘れられない。

 浮かれて鏡の前に立った時はランドセルが大きすぎて、どっちが背負っているのかわからないと祖母に笑われ、拗ねてしまった記憶がある。

 真司がそんな感傷に浸っていると、教室の扉が開かれ、先生がこちらを手招きしてきた。

 

「間桐くん、緊張してるの?みんないい子だから、大丈夫だよ。入ってきて」

 

「ああっ、すいませんすいません」

 

 どうやら先生は自分を呼んでくれたが、入ってこないので心配したらしい。

 真司には"間桐"という苗字が馴染みのないものだったので、反応が遅れてしまった。

 真司が慌てて教室に入ると、これからクラスメイトになる子どもたちの視線が一斉にこちらへ集まった。

 

「それじゃあ間桐くん。黒板に名前を書いて、みんなに自己紹介してもらえるかな」

 

 先生に自己紹介を促され、真司は黒板に向かいチョークを握る。

 

「わかりました!…………おっとっと。違う違う」

 

 城戸…と書きかけて、真司は手を止める。今の自分は間桐慎二なのだ。中身は城戸真司だが、別人の名前を書いてどうする。……自分で考えていて訳がわからない。

 間桐しんじ、と小学生らしさを忘れずに、名前は平仮名で書き、クラスメイトたちに向き直る。

 

「えっと…、今日からお世話になります。きどっ…間桐慎二です。よろしくお願いします」

 

 真司が無難な挨拶を終えると。先生が話を継いでくれた。

 

「間桐くんは、海外の留学から帰ってきたばっかりだから、色々と分からないことがあると思うんだ。だからみんな、間桐くんが困ってたら助けてあげてね」

 

 はーい、と返事をしながら、子どもたちは真司の頭のてっぺんから足のつま先を、好奇に満ちた眼差しで観察している。

 それも当然だろう。転校生とは自分たちの日常に波紋をもたらす存在だ。

 長年の親友になるかもしれないし、大袈裟だが不倶戴天の敵になるかもしれない。

 あくまでも、"かもしれない"という話なので、大半はそのどちらでもないのだろうが。

 真司としても、そのような深い間柄になる人物が、今この場所にいるとは思っていなかった。

 ………この時までは。

 

「じゃあ間桐くん。あそこの窓際の空いてる席が間桐くんの席だから」

 

 窓際の席と言われて、真司は内心喜んだ。なぜなら、窓際ならば授業の内容に飽きたら、グラウンドの風景を楽しめる。今の時期なら風も入ってきて快適だろう。最高のVIP席だ。

 よろしくね、と周囲に笑顔で挨拶しながら真司は席に着いた。

 

「……………あんた」

 

「な、なにさ、俺の顔になんか付いてる?」

 

 ふと背後から視線を感じて、真司が振り返ると、どこかで見覚えのあるツインテールの少女が、こちらを見ていた。

 碧色の大きな瞳を細めて真司を睨みつけている。

 この少女に見覚えはある。あるのだが、どうしても思い出せない。

 その疑問を解消するために、真司は質問を試みた。

 

「…俺、君とどっかで会ったっけ?」

 

「………は?」

 

 真司がそう言うと、少女は瞬きを忘れるほどに目を見開き、呆然とした。

 そして自分が何の質問をされたのかを理解し、牙を剥くように頬を吊り上げた。ちなみに目は笑っていない。

 互いに初対面に近いこの状態で、ここまでの顔をされる謂れは自分にあるのだろうか。真司には分からなかった。

 本来なら気まずくなり、目を逸らすのだろう。だが、その時、真司の心に妙な反骨心が芽生えた。

 ここで目を逸らしたら負けな気がする。そんな反骨心が。

 

「「……………………」」

 

 真司は少女の視線を真っ向から受け止める。側から見れば子ども同士の睨み合いだが、片方の中身は成人男性である。

 争いは同じレベルの者同士でしか成立しない。そんな格言は嘘だったのか。

 り、凛ちゃん、朝の会始まるよ。逆に居た堪れなくなった隣の席の女子が、こっそりと声をかける。

 すると、件の少女は何食わぬ顔で教卓の方を向いた。一体なにをしたかったのだろう。

 起立、礼、着席。日直が号令をかけ終えると、朝の会が始まる。

 その間、真司の背中は凛と呼ばれた少女の視線に灼かれることになるのだが…。

 

 ———あっ、ス○ミーじゃん!懐かしいなぁ…。

 

 …当の本人は最初の授業で使う国語の教科書に気を取られ、つい先程のことなど忘却の彼方なのだ…やはりバカである。

 

 

 

 

○○○

 

 

 

 すべからく転校生に与えられる洗礼…クラスメイトからの質問攻めを真司はどうにか乗り切り、学生生活の記念すべき一日目が終了した。

 

「早く桜ちゃん迎えに行かないと…。今朝も大変だったし…」

 

 今朝の出来事を思い出し、真司はため息をつく。

 朝、担任の先生との顔合わせもあるので、時間に余裕を持ち、手を繋いで登校したところまでは良かった。

 だが、真司と桜は学年が違う。必然的に教室も別々の場所になるので、どこかで手を離さなければいけない。そこからが長かった。

 職員室に向かおうとする真司の服の裾を、桜は俯きながら掴んで離さなかったのだ。華奢なその腕の何処にそんな力があるのかと思うくらいに強く。

 結局、見かねた先生が二人がかりで桜を引き剥がして、ことなきを得た。

 外れかけたシャツのボタンは、桜の抵抗の名残である。付け直さなければすぐに取れてしまいそうだった。

 

「ねぇ、間桐くん。ちょっと聞きたいことが——」

 

 すれ違いざまに声をかけられた気がしたが、馴染みのない苗字で呼ばれても、真司は現在、取れかけのボタンと桜の事で頭がいっぱいなので気づけない。早足で桜の元へと向かう。

 

「〜〜〜〜っ!無視してんじゃないわよ!この、()鹿()()()()!」

 

 今朝、睨み合った例の少女……遠坂凛(とおさかりん)が背後から勢いよく掴みかかってきた。振り乱れたツインテールが頬に当たって痛い。

 

「はぁっ?俺は馬鹿じゃ…。ちょっと!離せよおい!」

 

「黙ってこっち来なさいよ!」

 

 そして、凛は真司の襟を強引に引っ張って、別の場所に誘導する。今朝の桜に匹敵するほどの力だ。

 

「く、苦しいから離せって!………うわっボタンが取れたァ!?」

 

 外れかけたボタンが無常にも今生の別れを告げる。

 ……真司にとっての洗礼はまだ始まってすらいなかったのだ。

 抵抗は無意味であることを悟った真司は、首をつままれた猫のように大人しくなり、その強引な誘導に従った。

 上靴が廊下の床と擦りあって、悲鳴を上げる。

 

 ———許して、桜ちゃん。帰りに大判焼き…いや、クレープ買ってあげるから許して。

 

 教室で待っているであろう桜に、心の内で謝りながら、引きずられていった。

 

 

 

 屋上へ入るための施錠された扉の前。凛はこれから話す内容をあまり人に聞かれたくないらしい。人気のないこの場所はそういう話に最適だろう。

 

「……で?なにさ、聞きたいことって」

 

「………」

 

 先ほどの勢いはどこへ行ったのやら、凛は腕を組んで真司を見つめている。

 真司としては、桜を待たせているので、さっさと用件を済ませて欲しいのだが…。凛は一向に口を開かない。埒があかないので真司は話を促した。

 

「なあ、凛…だっけ?俺さ、妹を待たせてるんだよ。だから早く帰りたいんだけど」

 

「…私が聞きたいのは、桜…あんたの、その妹のことよ。…あの子は、元気にしてるの?」

 

 嘘は許さない。真剣な面持ちで真司を映しているその双眸がそう言っていた。

 

「…うん。最初こそ暗かったし、あんまり何を考えているのか分からなかったけど…。今はちゃんと笑ってくれるし、少しずつ、言いたいことを言ってくれるようになったよ」

 

「そう………よかった」

 

 凛は安心したのか、深い息を吐く。顔の緊張が緩み、年相応のあどけない表情が初めて露わになった。

 真司には、凛と桜の関係が分からないので、なぜ彼女が学年の違うあの子を心配するのかが不思議だった。

 

「つーか、そんなに心配なら本人に聞けばいいじゃん。教室、知らないわけじゃないんだろ?」

 

「———っ、そ、それは…」

 

 凛は言葉に詰まって、萎れた花のように俯く。表情が豊かな子だ。

 

「………うん?」

 

 真司はその表情に、桜の面影を見た。髪や瞳の色こそ違えど、俯く際の動作にいくつか共通点があったからだ。

 特に、何かに耐えるように唇を引き締めるところなど瓜二つだ。

 

 ———今朝の桜ちゃんも、こんな感じで俯いてたっけ。…なんか二人って、姉妹みたいだな……。そんな訳ないんだけど。

 

 ありもしない妄想を真司がしていると、凛が唐突に話を切り出した。自らの沈んだ気持ちを誤魔化すように早口で言葉をまくし立てる。

 心なしか、その声は上ずっていた。

 

「と、とにかく、あんたっ!自分の妹は絶対に大切にしなさいよね!泣かせたりしたら承知しないんだから!」

 

「う、うん、言われなくてもそのつもりだよ」

 

「そ、それと!明日から桜のこと、毎日私に教えなさい!どんなことして遊んだのか、どんなもの食べてるのか、……どんなことが好きになったのか!」

 

「はぁ!?無茶苦茶すぎる!大体———っ」

 

 真司は凛からの無茶な要求に反論しようとして、口を閉じた。

 人気のない閑静な空間に、少女の嗚咽が漏れる。凛は肩を震わせ、濡れた目を何度も擦りながら、言葉を続けようとする。

 

「あんたがっ、頷くまで、ひぐっ…帰さないんだから!」

 

「わかったから、わかったから。なんで急に泣くんだよ。…とりあえずこれで涙拭きな。あんまり擦り過ぎると、ものもらいになっちゃうからさ」

 

 真司はポケットから綺麗に折り畳まれたハンカチを取り出し、凛に手渡した。

 

「あ、ありがと…」

 

 凛は意外にも、お礼を言いながら真司のハンカチを受け取った。相手の純粋な厚意は断らない性格なのだろうか。

 自分に対する言動とは真逆なその態度に真司は思わず笑ってしまう。

 

 しばらくして、気持ちを落ち着けた凛が、涙で赤く腫らした瞳で睨んできた。

 

「な、何笑ってんのよ…」

 

「ああ、ごめんごめん。……なんなら一緒に桜ちゃんの教室に行く?喧嘩したのか知らないけど、仲直りならその時にすればいいんじゃないの?」

 

 真司の提案に対して、凛は僅かに逡巡した。しかし、首を横に振る。

 

「……駄目。桜は、私のこときっと…」

 

「…あ〜、桜ちゃん人見知りだからなぁ。俺の後ろに隠れちゃうか…、今はちょっと仲直りするのは難しいかもな」

 

 凛の煮えきれない様子に、真司は勝手に納得する。桜は他人に対する免疫がほとんど無い。今、無理に会わせたら余計に仲が拗れてしまうかもしれない。

 だが、真司は知っていた。分厚い、雨雲のような桜の心の壁に、微かな薄明光線が差し込み始めていることを。

 

「でもさ、いつになるか分からないけど、何とかなると思うよ」

 

「………なんでよ?」

 

 凛は真司の言葉の意味を汲み取れないのか、首を傾げている。その様子を見て、真司は話を続けた。

 

「さっき言ったじゃん。笑うようになったって」

 

「………で?」

 

 真司の要領を得ない言葉に、凛は眉間に皺を寄せ、結論を促す。

 

「だからぁ、桜ちゃんはちょっとずつ明るい性格になってきてるんだって!」

 

「………あっ」

 

 真司が言いたいことにようやく気づいた凛の表情に光が灯る。

 

「それに、あの子は優しい子なんだ。君が何をしたのかは知らないけど、いつまで経っても許さないなんてことはないよ。……多分」

 

「…私、桜と仲直りできるのかな」

 

 誰に向けられた言葉でもない内心を凛は呟いた。その言葉に、真司は頭を掻きながら返答する。

 

「それは…桜ちゃん次第だな…。でも、俺も力を貸すよ。桜ちゃんに友達が増えるのは大歓迎だから。……もういいでしょ?俺、帰るから」

 

 真司はさっさと凛との話を切り上げて、桜の教室へ向かおうとした。

 

「待って」

 

 しかし、凛が真司の裾を掴んで引き留める。先ほどと打って変わって、その手つきは遠慮がちだった。

 真司はうんざりとしながらも振り返る。

 

「なあ…今日のところはここまでに———」

 

「———ごめんなさい。私、間桐くんのこと勘違いしてた」

 

 真司の言葉を遮って凛は頭を下げてきた。まさか、謝られるとは思っていなかった真司は、そのしおらしい態度に困惑しながらも、軽く凛の肩を叩く。

 

「いいって、いいって。それと、間桐じゃなくて真司でいいよ。俺、苗字で呼ばれると咄嗟に反応できなくってさ」

 

「…わかった。慎二くん、…私が言うのもなんだけど、早く桜を迎えに行ってあげて」

 

「うん、じゃあね!」

 

 ———絶対桜ちゃん怒ってるよ…。

 

 真司は桜への言い訳を考えながら階段の手すりを使って器用に滑り降りて行った。

 

 

 

 

「…あいつになら桜を任せられるかも」

 

 凛は、嫉妬の感情から乱暴な態度をとってしまった自分に対し、気遣ってくれたあの少年について、複雑な思いを巡らせる。

 悔しかった。自分は本当の姉だというのに、桜の側に居てやれない。しかも、あの少年は自分よりも桜に頼られている。そんなことが。

 羨ましかった。あの聖杯戦争を経て、父は死に、母は脳に重い障害を負った。自分はあの大きな洋館に独りぼっち。だというのに、桜にはあの少年が側に居る。そんなことが。

 

「はぁ…。駄目よこんなの、全然優雅じゃないわ…」

 

 凛は深く息を吐いて、遠坂の家訓を心の中で唱えた。

 

 ———常に余裕を持って優雅たれ。

 

 今の自分に余裕はないし、優雅でもない。家訓から大きく外れた行為をしてしまった自身を深く恥じる。

 そして、大きくかぶりを振ることで、汚れを落とすように、頭の中をリセットした。

 

「ハンカチ、明日洗って返さないと……ん?」

 

 凛はなんとなく、先ほど渡されたハンカチを広げてみた。

 そのハンカチには真ん中に"闘魂"と真っ赤な糸で刺繍されている。夏休み中の暇つぶしに作った、真司お手製の一品だ。

 

「これ、なんて読むんだろ…」

 

 しかし、まだ凛には読めない漢字だった。家に帰ったら辞書で探してみよう。そんなことを考えながら、凛も帰路についた。

 

 

 

 

○○○

 

 

 

「桜ちゃん…。すぐに来れなかったのは謝るから、そろそろ機嫌なおしてよ…」

 

「…………」

 

 現在、二人はマウント深山で食べ歩きをしていた。あの日以来、商店の人たちに顔を覚えられるぐらいの恒例行事になっている。

 真司は晩御飯の時間を考慮して、腹四分目ぐらいに抑えていたが、桜の方は自棄になってクレープを頬張っている。もう三つ目だ。

 

「そ、そんなに食べたら晩御飯、食べられなくなっちゃうよ?」

 

「大丈夫です、晩御飯も全部食べますから」

 

 早急にクレープを食べ終えて、桜は返事をする。

 恐らく、その言葉に嘘はない。しばらくの間、共に生活していて判明したことだが、桜は相当の健啖家だった。

 まだ、子どもだというのに、真司が驚く程度には。大人になったらどうなってしまうのだろう。

 

「でも、食べ過ぎたら太る———。ああっ!ごめんごめん!今日は沢山食べても太らない献立考えるから、そんなに早く歩かないでって!」

 

 余計なことを言ってしまい、さらに桜の機嫌が悪くなった。それでも繋いだ手を離さないあたり、釈然としない気分になる。

 真司は転びそうになりながらも、桜の後に続いた。

 

 

 

 

「ど、どこまで歩くんだよ、桜ちゃん。俺、結構疲れたんだけど…」

 

「…食後の運動です」

 

 桜は、真司の失言をかなり気にしていたらしい。

 桜に手を引っ張られて、商店街から離れ、20分ほど歩き続けた。確か、この辺りは立派な武家屋敷が並んでいた場所だったはずだ。

 しばらくの間歩いていると、どこかから言い争うような声が聞こえてきた。

 

「…ん?ねぇ、桜ちゃん、なんか聞こえない?」

 

「……気のせいですよ、まだ歩き足りません。早く行きましょう、…兄さん?」

 

 桜の遠回しな制止を振り切って真司は歩き出す。あの曲がり角からだ。近づくほどにざわめきが怒声になっていく。

 真司は曲がり角に立っている電信柱に隠れてから様子を覗き込んだ。

 

「……まずいんじゃないか…あれ」

 

 真司の視線の先には、赤毛の少年を、見るからに年上の少年たちが取り囲んでいた。

 

「やい、衛宮!お前いい加減邪魔するのやめろよな!また俺たちに殴られたいのか!」

 

「間違ってることを、間違ってるって言って何がいけないんだよ!」

 

 互いに譲らない一触即発の空気だ。あのままでは赤毛の少年が一方的に殴られてしまう。真司はそれを見過ごせなかった。

 

「ごめん!桜ちゃん。ちょっと俺のランドセル持って隠れてて!」

 

「…あっ、危ないです!兄さん!」

 

 桜にランドセルを押し付けて、真司は彼らの元へと駆け出した。桜の必死の制止など、もう耳には入っていない。

 それも当然だ。困っている人を見かけたら放っておかない。自分に関係のないことでも、首を突っ込み巻き添えを食らう。

 

「おい!お前ら、ちょっとは落ち着けって!」

 

 城戸真司とは、そういう男なのだから。




まだまだ続く日常パート、もとい顔合わせパート。
早く戦闘パートも描きたいけれど、キャラの掛け合いを描くのが楽しくてつい進行が遅れてしまう…。

感想、アドバイス、お待ちしております。


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第6話「願いと正義」

 前方から振り上げられた拳が飛んでくる。真司は甘んじてそれを受け入れた。

 

「痛ってぇ!」

 

 …と言いつつ、真司は殴られるタイミングに合わせ、首を捻って頬に伝わる衝撃を受け流す。

 ライダーバトルの経験がこんなところで役立つとは思っていなかった。

 鬼蜻蜓のように速く鋭いライダーたちの拳に比べれば、目の前の大柄な少年の拳など、蝿が止まれる速度だ。

 

「っつぅ〜…」

 

「弱い奴がしゃしゃり出てくんな!」

 

 頬を押さえて、大袈裟に痛がっている振りをしている真司の演技には気付かず、大柄な少年とその取り巻きたちは下卑た笑い声を上げた。

 彼らを極力刺激しないように、真司も苦笑いをする。

 

「も、もう気は済んだろ?ここは俺に免じて———」

 

「———おいっ!こいつは関係無いだろ!どうして殴ったりなんかした!」

 

 …真司の演技に気づいていなかったのは、赤毛の少年も一緒だったようだ。

 せっかく自分が身を呈してこの場を収めようとしているのに、余計なことをしてくれる。…心配してくれているのは素直に嬉しいが。

 思い通りにならないこの状況に、内心で頭を掻き毟りながらも、真司は諦めない。腹に力を入れ、平静を装う。

 

「いやいや、俺のことは別にいいから。喧嘩は———」

 

「———生意気だな!やっぱりお前も一発ぶん殴ってやるよ!」

 

 収まりかけていた場の空気が、癇癪玉のように破裂する。真司の言葉など、もう誰も聞こえてはいない。

 大柄な少年が、赤毛の少年の胸ぐらを掴んで拳を振り上げた。

 

 ———くっそ!子どもの喧嘩も止められないとか話になんねぇ!

 

 真司が再び、赤毛の少年を庇おうと、一歩踏み出した瞬間に、何者かがこちらへ駆け寄る足音がした。

 

「ま〜た〜お〜ま〜え〜ら〜か〜っ!」

 

 竹刀を持った女子高生が、茶髪のポニーテールを揺らして瞬く間に近づいてくる。

 尋常な速さではなかった。まるで獲物を見つけた獣だ。

 

「ゲェッ!?タイガー!?逃げろ!逃げろ!」

 

「…タイガァ!?」

 

 真司は、兎のように怯えて逃げ出した少年たちの悲鳴に、銀色の虎を連想した。奴には何度も背後から不意打ちを受けた。トラウマがこの身に、いいや、魂に刻まれている。

 即座に身を翻し、警戒するが、真司の目に入ったのは、迷子の猫の張り紙だけだった。毛並みだけは虎のようである。

 

「…ねぇ、きみ」

 

「はい?」

 

 声をかけられて真司が振り返ると、鼻と鼻が触れ合うくらいに寄せられた女子高生の顔が、まさに眼前に広がっていた。その瞳が好奇心に輝いているのが、よく見える。

 

「うおわぁ!?」

 

「おっとっと、結構良いリアクションするねぇ!」

 

 驚いて尻餅をつきそうになった真司の手を、女子高生が掴んで引き留めてくれた。

 子どもの体とはいえ、片手で真司を支えても、女子高生は全くバランスを崩さない。

 華奢に見える体でも、体幹がしっかりと鍛えられているあたり、その手に持っている竹刀は飾りではないのだろう。

 真司の手を離して、女子高生は屈託のない笑顔でお礼を言ってきた。

 

「うちの愚弟を助けてくれてありがとね!…ほら、ぼさっとしてないで、あんたもお礼言いなよ!」

 

 女子高生はそう言いながら、赤毛の少年の頭をグイグイと手で押さえる。言葉とは裏腹に、姉弟という様子ではなさそうだが、親しい間柄のようだ。

 

「やめろよ藤ねえ!……ごめんな、喧嘩に巻き込んで。…あいつに殴られたとこ、大丈夫か?」

 

 女子高生の手を振りほどき、赤毛の少年は真司に向かって頭を下げた。関係のない真司を喧嘩に巻き込んでしまったことを気に病んでいる様子だ。お礼ではなく謝罪をしてきた。

 自ら進んで首を突っ込んだことだというのに、気配りのできる少年だと、真司は感心する。

 

「あ、うん平気平気。あれ実は———」

 

 演技だったんだよ。真司が赤毛の少年を安心させるために、そう言おうと口を開く。

 

「殴られたっ!?それ本当なの!?」

 

 しかし、それは女子高生のわざとらしい言葉と、腹部に受けた衝撃によって遮られる。遅れて両足が地面から離された。

 どうやら自分は女子高生に俵担ぎをされているらしい。

 若干高くなった視界のおかげか、電信柱に身を隠し、こちらの様子を伺っている桜が見えた。

 一文字に結ばれた唇には、決意の色が浮かんでいる。

 

「大変だ大変だ!早く怪我の手当してあげなくちゃ!」

 

「ちょっ…どこ連れてくんだよ!?」

 

「うふふ…内緒!じゃ、行こっか!」

 

 こんなにも軽々と担がれたことなどいつ以来か。

 真司は赤毛の少年に助けを求める意味合いで、視線を送るが…。首を横に振りながら、目を逸らされた。その動作が物語っている。…諦めろと。

 

「離せって!俺、妹を待たせて———」

 

 真司が甲羅を裏返された亀のように地面を求め、手足を宙に振り回していると、ようやく覚悟を決めた桜が助けに駆け寄って来てくれた。

 その表情には咎めと恐れが入り混じっている。

 

「———っ!に、兄さんを離してください!」

 

 見知らぬ人と接する緊張のせいなのか、二つも持っているランドセルのせいなのか、膝が笑っている。まるで生まれたばかりの子鹿だ。

 だが、確かに桜は僅かな勇気を限界まで振り絞って、自分を助けようとしてくれているのだ。初めて会った頃からでは想像ができないことである。

 

「さ、桜ちゃん!……ううっ…俺、今ちょっと感動してる…!」

 

 図らずも垣間見た愛しい義妹の成長に、思わず真司は涙ぐんで、嗚咽を漏らさぬように口元を押さえた。

 そんな幼い少女が見せた儚い勇気は、感動的ではあったのだが…。

 

「へぇ〜、ってことは、きみがこの子の妹さんなんだぁ〜。じゃ、一緒に行こっかぁ〜」

 

 …この恐ろしい猛虎には無意味なのであった。

 ひう、と息を呑む音がやけに鮮明に聞こえて、桜はそのまま固まってしまった。これ以上振り絞れる勇気は一滴も残っていないらしい。

 結局、兄妹共々、敢え無くこの女子高生に連行されるのであった。

 

 

 

○○○

 

 

 

「「………………」」

 

 以前、深山町を桜と散策した際に通りがかった二軒の武家屋敷。現在、真司と桜はその片割れの長屋門をくぐったところだ。

 

「まさか、此処にお邪魔することになるとは思わなかったなぁ…。めっちゃ広いじゃん」

 

 桜もコクリと頷きながら、興味深そうに周囲を見渡している。

 延々と続く板張りの塀からも窺い知れたことだが、実際に敷地の中に入ると驚嘆せざるを得ない。

 魚の鱗のように連なっている瓦屋根。木材と組み合わされた白漆喰の壁。まさに時代劇のロケーションに使われても違和感のない武家屋敷だった。

 

「ほらほら二人とも、見惚れちゃう気持ちはわかるけど、遠慮してないで早く入って来なよ。ふふん、私が許す!」

 

「藤ねぇの家は隣だろ…。今日は爺さんが出かけてるからいいものを…」

 

「細かいことはいいのよ!ほら早く早く!」

 

 赤毛の少年の小言など全く気にせずに、女子高生はこちらを手招きをしている。早く行かなければ再び俵担ぎをされてしまいそうだ。

 そのことを危惧した真司は、桜の手を引いて小走りで屋敷の玄関に向かった。

 

 

 

 女子高生に居間へ案内され、座布団に座る。赤毛の少年はお茶を出すために台所に向かった。

 そこまで気を遣わなくてもいいと真司は言ったのだが、強引に連れて来たのは自分たちだから。と話を聞かなかった。

 

「そういえば、まだ自己紹介済ませてなかったね。私は藤村大河(ふじむらたいが)、花の女子高生!藤ねぇって呼んでね!」

 

 そんな花の女子高生……大河はピースサインをしながら人当たりのいい笑顔を二人に見せる。

 タイガ。その名前には碌な思い出など無い。あいつには何度も殺されかけたし、あいつは何度も誰かの命を奪おうとした。

 

「………?」

 

 大河はにんまりとした表情で、真司たちの返事を待っている。

 だが、真司は名前の印象とは真逆な、この溌剌とした少女に、妙なシンパシーを覚えた。同じ波長を感じるというか、同類を見つけたというか…。

 

「俺は間桐慎二、えっと…花の小学生っす!……よろしく、藤ねぇ!」

 

 真司は先ほど、大河にされた拉致まがいの所業など、忘却の彼方へ蹴り飛ばして、元気に自己紹介を返した。

 本来であれば、自分より年下であるこの少女を"藤ねぇ"と呼ぶのは奇妙なことだが、不思議と違和感は感じなかった。

 

「……!やっぱりきみはノリがいいなぁ。慎二くん…いいえ、慎ちゃん…!」

 

「藤ねぇ…!」

 

 ピシッ、ガシッ、グッグッ。そんな擬音が聞こえてくるほどの息の合った珍妙なハイタッチを二人は決め込んだ。

 

「「イェーイ!」」

 

「……………」

 

 真司の服の裾が掴まれる。桜はどうやら自分と大河がこんなにも早く打ち解けていることが面白くないらしい。上目遣いで大河のことを睨んでいる。

 今朝になってようやく真司は確信を持てたが、桜は何か言いたいことがあるときは、言葉にせずに自分の服の裾を掴むのだ。

 …二人きりの時だけは、ちゃんと口に出してくれるのだが。

 

「あ〜、藤ねぇ。この子は妹の桜ちゃん。見ての通りちょっと人見知りでさ…」

 

「ふ〜ん…桜ちゃん、ねぇ」

 

 大河は不敵な笑みを浮かべながら、真司の後ろに隠れている桜に一歩一歩、にじり寄る。

 

「…………っ!」

 

 桜が声にならない悲鳴をあげて、真司の服を皮膚ごと掴んだ。細い指先が背中に食い込む。

 

「ちょっ!?痛い痛い!桜ちゃん!皮まで抓ってる抓ってる!」

 

 真司は背中の痛みを桜に訴える。だが、振り払おうという考えは微塵も浮かばない辺り、妹想いというべきか、甘すぎるというべきか。

 そんな、張りつめられた弦のように膠着した状況は、コトン、とテーブルに置かれたトレイの音によって断ち切られた。

 

「藤ねぇ、あんまりはしゃぐなよ。二人とも困ってるじゃないか」

 

 赤毛の少年は麦茶が入った四人分のコップをそれぞれに分配しながら、大河の行いを咎める。真司からすれば、それはまさしく福音だった。

 

「あっはっは…、ごめんね慎ちゃん、桜ちゃん。きみたちのリアクションが面白すぎて、ついつい意地悪しちゃった」

 

 大河は少しだけ申し訳なさそうに笑って、向かい側の座布団に着いた。同時に桜の拘束からも解放される。

 

「でも、やっぱり私の勘に間違いはないね!この子たちなら、きっとあんたの友達になってくれるよ!ねえ———」

 

 ———士郎!

 

 大河は間違いなく、赤毛の少年に向かってその名を呼んだ。

 

 

 

 

○○○

 

 

 

 ———優衣、お前は存在している、意識を持て!……大丈夫だ!俺が必ず助ける!

 

 ———まだだ…!まだ二日ある、優衣は助かる…!

 

 ———決着をつけろ!最後の一人になるまで……戦え!

 

 士郎。

 真司はその名前に、ある妄執に取り憑かれた男を想起せざるを得なかった。

 彼はたった一人の妹の命を諦めることが出来なかった。

 その泡沫のような儚い存在に、新しい命を与えるため、多くの人間を巻き込み、殺し合わせた。

 …神崎士郎(かんざきしろう)。ミラーワールドの亡霊。

 自分の、他のライダーたちの運命を狂わせた全ての元凶。

 

 ———もういいよ、お兄ちゃん…。

 

 だが、真司があの男を心の底から憎むのは無理なことだった。

 大切なものを掌から取り零さないために、どんな犠牲を払ってでも足掻き続ける。

 そんな妄執の根底にあったものは、…きっと———

 

 

 

「……おーい、慎ちゃーん?……もしかして、麦茶恐怖症…?」

 

「———そうそう。俺、麦茶を見たら頭の中が真っ白に…。って、そんなわけないっすよ」

 

 大河のくだらない冗談によって、現実に引き戻された真司は、それを証明するために、目の前の麦茶を豪快に飲み干した。

 

「えっと、慎二だっけ…?喉渇いてるんだったら、麦茶のお代わり用意するか?」

 

「ああ、別にいいよ。……士郎、士郎かぁ」

 

 赤毛の少年……衛宮士郎(えみやしろう)の名前を真司は反芻する。

 

「うん?別に珍しい名前でもないだろ?」

 

「ああ、そうなんだけどさ…。友達の、妹想いなお兄ちゃんと同じ名前だったから」

 

 色々と思うところがあるというか…。そんなことを呟きながら、真司は無意識に隣に置かれた桜の手に触れた。見知らぬ人たちと対面し続けている緊張からか、その手は汗で少し濡れていた。

 不意に、障子の隙間から5時になったことを告げるチャイムが聞こえてきた。チャイムの音楽と同時にグルル…、と猛獣の唸り声のような腹鳴が居間に響き渡る。

 

「…桜ちゃん?」

 

 桜の腹鳴は小動物のような、もっと可愛らしいものだ。本人も必死に首を横に振っている。なので、導き出される答えは士郎か大河なのだが…。

 

「士郎ぉ〜、私お腹減っちゃった〜。お姉ちゃんのために晩御飯作ってぇ〜」

 

 士郎、という部分を強調して、大河がなんの恥じらいもなく晩御飯の催促をしてきた。

 あの腹鳴の正体は彼女のものだったらしい。…花の女子高生とはなんだったのか。

 そして、この少女は自分よりも年下の少年に晩御飯を作らせるのかと、真司は内心困惑した。

 

「またうちで食べていくのかよ…。まだ慣れてないのにさぁ…。失敗しても怒んないでよな、藤ねぇ」

 

 そんな真司をよそに、士郎は自信なさげに、だが満更でもない態度で台所へと向かう。

 これ以上の長居は家主に迷惑になるだろう。そう思った真司はランドセルに手を伸ばそうとした。

 

「…あっそうだ!慎ちゃん、桜ちゃん。士郎を助けてくれたお礼も兼ねて、よかったら、うちで晩御飯食べてかない?」

 

 しかし、大河がそれを引き留めた。よかったら、などと言ってはいるが、いつでも飛びかかることができる体勢に移っている。…逃すつもりは毛頭ないようだ。

 幸い、鶴野は今日も家を空けている。多少門限を過ぎても問題はないだろう。

 

「あ〜…、じゃあ、ご馳走になろうかな、桜ちゃんもそれでいい?」

 

「……兄さんがそれでいいなら」

 

 桜も僅かに逡巡したものの、頷いた。あまり乗り気ではない様子だ。

 しかし、真司としては四人で食卓を囲むことなど、花鶏での居候生活以来のことだったので、内心、心が躍っていた。

 

「よっし、決まりね!士郎〜!慎ちゃんと桜ちゃんも晩御飯食べていくって〜!」

 

 わかった。そんな返事が台所から聞こえてきた。

 真司は士郎の料理の手際がどんなものなのか、少し気になった。まだ慣れていないと言っていたので、手こずっているようならば自分も手を貸そうかと思い、台所を覗き込む。

 

「お、おお…。け、結構やるじゃん」

 

 真司にそう言わしめる程度には、要領の良い手際だった。

 子どもの癖に、一つ一つの動作に無駄がない。

 

「………」

 

 ただ一つ、気になった点を指摘するのなら、コンロのつまみに伸ばす指が躊躇いがちなところだ。なかなか点火しようとしない。

 きっと火が怖いのだろう。自分も子どもの頃、調子に乗り始めた時期に軽い火傷を負ってしまい、しばらくの間、火が怖くて料理をすることができなかった経験がある。

 

「士郎、俺も晩御飯作るの手伝うよ。待ってるだけってのも、なんか申し訳ないしさ」

 

 ようやく見せた士郎の子どもらしさに、若干安心しながらも真司は台所に入った。

 

「あ、うん、ありがとな。じゃあ慎二には、ここを———」

 

 その後は、桜も加えたスリーマンセルチームで、調理に臨んだ。大河は居間でテーブルに突っ伏しながらテレビを見ている。…自分は参加する気はないらしい。

 

「……んふふ」

 

 だが、真司たちに気づかれないように、大河はこちらの様子を時々覗いていたようだ。微笑ましそうに、まなじりに曲線を描いて。

 

 

 

「よし、みんな早く座って座って!私、もう我慢できないよ!」

 

「藤ねぇ…。はぁ、もういいや」

 

 一時間後、テーブルには肉じゃが、かぼちゃの煮物、冷奴、ごはん、味噌汁が四人分並べられていた。なんの変哲も無い、一般家庭の料理だ。

 三人は大河に急かされて、座布団に着く。

 そんな大河の傍若無人な態度を士郎は咎めようとしたが、ため息をついて匙を投げた。お腹が減っているのは士郎も同じだからだろう。

 

「それじゃあ…」

 

 真司たちは晩御飯を前にして合掌をする。

 

「「「いただきます!」」」

 

「…きます」

 

 遅れて桜も合掌をした。一体何が来るというのだろうか。

 他愛のない会話とともに、料理に箸をつける。大河は自分のことや士郎のことについて沢山話してくれた。

 曰く、士郎は正義の味方に憧れていて、困っている人がいたら助けてやらないと気が済まない性分らしい。

 

 正義の味方。あの時、そのような存在がいてくれたのならば、どんなに良かったことだろう。誰も争わないで、傷つかないで、死なずに済んだかもしれない。

 だが、真司には分からなかった。もし、正義の味方があそこに居たとして、たった一つの犠牲も出さずに、どのような手段を用いてあの戦いを止めようとするのか。

 真司には分からなかった。正義とは、純粋な願いにも勝るものなのか。

 

 ———もう過ぎたことだろ。考えていても仕方がない。

 

 暗い思考を搔き消すために、真司はかぼちゃの煮物に箸をつけて口へと運んだ。

 

 口の中に広がるかぼちゃの甘さの中には、小さな、だが無視などできない苦さが、確かに存在していた。




士郎との絡みよりも藤ねぇとの絡みが多くなってしまったような気がしますね…。

感想、アドバイス、お待ちしております。


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第7話『別世界』

「わざわざ送ってもらって、ありがとうございました!」

 

「…ました」

 

 真司と桜は、運転手にお礼を言って黒塗りの高級車から降りた。外はすっかり暗くなっており、街灯の光が道路を照らしている。

 衛宮家で晩御飯をご馳走になった後に、小学生二人で暗い夜道を歩いて帰るのは危ないから。と大河が気を利かせて、帰りの車を用意してくれた。重要なのは大河が、ということである。

 

「いえいえ、お嬢からのお願いは断れませんって。よければまた今度、一緒に遊んであげてくださいね」

 

 運転手はそう言いながら車を出す。そのこめかみには痛々しい切り傷の痕が髪で見え隠れしていた。

 真司が車に向かって大きく手を振ってみると、返事をするかのように、クラクションが二回鳴らされた。ユーモアのある人だ。

 

「見た目はおっかないけど、話してみたら意外と優しい雰囲気だったよな…」

 

「は、はい」

 

 大河の実家はヤクザ屋さんであった。本人がそう言っていたわけでもないし、確証もない。

 だが、ジャーナリストとして培ってきた真司の勘が警鐘を鳴らしていた。あれは少なくとも堅気の人間ではないと。

 だからといって、早速彼女たちとの縁を切りたくなったというわけではないが。

 あんな男所帯の中で育ってきたのなら、大河の御転婆な性格にも納得がいく。

 

 間桐邸の門を開いて、相変わらずお化け屋敷の様相を晒している洋館を見上げる。もう見慣れてしまったものだ。

 …いや、訂正しよう。夜の間桐邸は外から見ると不気味すぎる。何か、妖に近しい者が潜んでいるようにしか見えない。ご近所さんが殆ど通りがからないのも納得だ。

 真司は、我が家の外観の惨状を再確認した。再確認した上で目を逸らす。

 

「鈴虫…?」

 

 視線の先の荒れ放題の庭では、鈴虫が求愛行動を表す輪唱を喚き散らしていた。

 本来ならば秋の到来を感じさせるものなのだが、いかんせん数が多すぎて、非常に喧しかった。

 なによりも、その鳴き声はミラーモンスターの出現を連想させた。真司からすれば、まったくもって縁起が悪い。

 

「もう、秋になるんですね…」

 

 いつのまにか、桜が隣に立っていた。どこか懐かしそうに鈴虫の輪唱を聴き入っている。

 

「確かにそっか、まだまだ暑いからわかんなかったよ…。あっそういえば、俺がこっちに来てからもう三週間くらいか、早いもんだなぁ」

 

「三週間、ですか」

 

 あっという間の日々だった。だが、三週間など感慨に耽るには短すぎる期間だろう。一生このままの状態かもしれないのだから。

 いつ、この体が本来の間桐慎二に返されるのか、真司には分からない。そもそも、どうやったら元通りになるかも分からない。

 だからこそ、間桐慎二の代わりに自分が幼い桜を隣で守ってやらねば。

 

「あ〜…」

 

 そんな決意をよそに門をくぐると、これまで忘れていた疲労が爪先からドッと押し寄せて来た。

 桜も同様らしく、口に手を添えて、小さな欠伸をしていた。漏れでた涙を擦りながらも、後をついて来ている。

 

「桜ちゃん。明日も早いし、さっさと風呂入って歯磨いて寝ようか。俺、なんかもうクタクタでさ…」

 

 真司はそう言いながら玄関へと、疲れ果てた足取りで向かう。普段は活力に溢れた真司がこうなる程度には、今日は濃密な一日であったらしい。

 暗闇の中、鍵を挿し込むのに四苦八苦しながらも、施錠された玄関の扉を開け、二人はようやく帰宅することができた。

 

「ただいま…。誰も居ないんだろうけど。えっと…暗くてなんも見えないや、電気電気っと」

 

 しばらくして、夜の暗闇に溶け込んでいた間桐邸の窓に明かりが漏れ出した。

 

 

 

 

○○○

 

 

 

 その世界では、ありとあらゆるものが右と左に反転していた。木や岩などの天然物を見ても、おそらく違和感には気がつかないだろう。分かりやすいのは街を飾る広告や看板、道路標識を見上げてみることだ。

 その世界では、ありとあらゆる生物の気配が感じられなかった。どんなに耳をすまそうが、人間の喧騒はおろか、鳥のさえずり、虫のさざめきさえも聞こえはしない。

 そこまで分かれば、どんなに勘の鈍い者だろうが否応なしに気づかされるはずだ。

 ここは、自分たちが居るべき世界ではないということに。自分たちが知る世界の法則は役に立たないということに。

 誰がこの世界を生み出したのかは不明だ。いつから在ったのかも不明だ。

 まともな方法では、認識することも叶わない。だが確かにそこに存在していた。鏡写しの、別の世界が。

 

 

 

 空を見上げると、赤い龍が高層ビルの谷間を縫うように回遊していた。闇夜に煌めく双眸は何かを探し求めている。

 龍…それは現代では失われた幻想の頂点に位置する存在。そんな幻想の存在が町の上空を飛んでいる。その光景自体がひどく非現実的なものだった。

 そして、赤い龍は大橋にある獲物を捉え、急降下した。

 

「ヴッヴ…」

 

 そこでは、幽鬼のように彷徨する人型の異形が、ぐちゃぐちゃに乱れた列を形成して赤い大橋を渡っていた。その緩慢な足取りに明確な目的や意思は感じ取れない。

 

「ヴッヴヴ…」

 

 静寂な世界に、異形たちの濁った足音と奇妙な吃音が響き渡る。まるで、ここは自分たちのみが存在を許された世界なのだと誇示するかのように。

 

「ヴヴッ———」

 

 だが、そんな異形たちの誇示は、上空からの轟音によって掻き消された。

 爆炎が隕石のごとく降り注ぎ、全てを焼き尽くす。

 運良く免れた一部の異形たちは蜘蛛の子を散らして、迫り来る炎から逃れようとした。だが、赤い龍はそれを逃すことはない。

 ある異形は巨大な顎に頭から噛みちぎられ、ある異形は青龍刀を象った尾に胴体を袈裟斬りにされた。

 

 そして、赤い龍の口から放たれる三度の轟音の後に、動くものは居なくなり、肉を焦がす火の音だけが残る。

 やがて燃え尽きた灰から、眩い光の集合体が浮かび上がった。その光は赤い龍に吸い寄せられていく。

 なんの感慨もなく赤い龍はそれを受け入れると、雄叫びをあげて、夜空へと消えて行った。

 その夜空に星は見えない。動きの止まった雲が道を塞ぐように浮かんでいる。

 月明かりに照らされたビルのガラスに、赤い龍の鏡像が映り込む。

 しかし、ガラスはその向こう側の世界を映すことはなかった。

 

 

 

 世界と世界の境界線は、未だ何の揺らめきも見せていない。

 

 

 

 

○○○

 

 

 

「………なんか、眠れないなぁ」

 

 横になったままの体勢で時計を見ると、時針は午前の二時を指していた。まだ寝ていられる時間だ。

 体は干された雑巾のようにくたびれている。だというのに、意識は水を浴びせられたかのように覚めている。

 この歳にして、不眠症を発症してしまったのか。

 いや、外の庭で未だに喚き散らしている鈴虫のせいだ。そうに違いない。

 不安を覚えながらも、真司は隣で自分の腕を抱いて寝ている桜を起こさないように、ゆっくりとその腕を解いて起き上がった。

 このまま横になっていても、おそらく眠ることは出来ないだろう。ただ朝になるのを待っていても暇すぎる。

 

「桜ちゃん、起きてない…よね?」

 

 隣を見やると、桜はあどけない寝顔を晒し、安らかな息を立てていた。髪が頬にかかっていて邪魔そうだったので、こっそりと手で整えておいてやる。

 桜が寝ていることを確認して、真司は部屋の扉へと忍び足で向かった。

 

「にい…さん」

 

 桜を起こしてしまったか。そう思い、真司はゆっくりと振り返る。

 だが、桜は寝言を呟いていただけのようで、布団を真司の腕と勘違いして抱きしめている。微笑ましいものだ。

 ドアノブに手をかけて、音を出さずに開ける。

 

 ———リビングに何か暇を潰せるものがあればいいな…。

 

 真司はそう考えながら部屋の外の廊下に出た。

 

 

 

「やっぱり戻ろうか…」

 

 薄暗い廊下が奥までトンネルのように続いている。窓の外から漏れる街灯の明かりが唯一の光源だ。

 深夜の廊下とは、なぜこんなにも怖気を駆り立てるものなのか。壁に立てかけられた絵画や、木彫りの像がいい雰囲気を醸し出していて、もはや家の中で肝試しができる。

 それとも、真司がこの屋敷に抱く印象が、そう感じさせているのだろうか。心なしか、背筋に這うような悪寒がする。

 電気を点けることができればいいのだが…。生憎、照明スイッチはもう少し歩いた先にある。

 

「いやいや、暗いのが怖いから戻るって…。子どもじゃあるまいし」

 

 実際に体は子どもなのだが、中身は大人なのだ。暗闇が怖いから戻るなど、まったくもって情けない。

 それに、ここで戻ったら今後しばらくは暗い道を一人で歩けなくなる。

 さらに、追い討ちをかけるように、とある感覚が真司の神経を刺激した。思わず内股になってしまう。

 

「ううっ、なんで急にトイレに行きたくなるんだよ…」

 

 このようなタイミングで尿意を催すとは、まるで怪談話ではないか。戻るに戻れない状況になってしまった。だが、幸いなことにトイレは二階にもある。

 そうこうしているうちに、どうにか照明スイッチの前にたどり着くことができた。眩しい世界が真司を待っている。

 

「…ふう、長かったぁ」

 

 安堵の息を漏らして真司はスイッチを押そうと、指を伸ばす。

 

「……………」

 

 しかし、スイッチを押そうとする寸前で、真司の指は止まった。

 

 ———なんか…俺は今、肝を試されている気がする。

 

 このまま電気を点けてしまっていいのか。

 確かに深夜の間桐邸は恐ろしい。もし、誰かに曰く付きの物件と言われたら騙されてしまうだろう。

 だが、この廊下の暗闇を乗り越えることができなければ、認めることになる気がした。自分が臆病者だということを。

 

「ふ…ふふっ、暗いからなんだっていうんだ」

 

 真司は自分の中の怖気を笑い飛ばし、電気を点けずに暗闇へと突き進むことを選んだ。ちなみに内股のままである。

 目的地のトイレは突き当りを曲がってすぐのところだ。子どもの歩数にして五十歩弱。その一歩目を真司は踏み出した。

 

 

 

「な、なんだよ。やっぱりなんともないじゃん」

 

 言葉とは裏腹に、真司はまだ警戒を緩めてはいない。

 すでに用は足した。あとは部屋に戻るだけだ。それなのに、真司はトイレの扉を開けることができずにいた。

 思い出してしまったのだ。現在の時刻は午前二時。つまり、丑三つ時だということを。

 お盆の時期に桜と一緒にテレビ番組の特集で見た記憶がある。丑三つ時とは、この世とは別の世界との繋がりができる時間帯なのだと。幽霊や妖怪と出会う確率が最も高い時間帯なのだと。

 素直な気持ちを述べると、このまま外が明るくなるまでトイレに篭っていたかった。

 

「…………出るか」

 

 それでも、廊下の電気を点けなかったのは自分自身の選択だ。今更引き篭もるなど、その選択を無かったことにするのと同義だ。

 真司は口の中に溜まった固唾を飲み込んで、ドアノブに手をかけた。時計回りに捻って、扉の隙間をゆっくりと広げてゆく。

 隙間が広がるにつれて、喉が叫び声を上げる準備を進める。

 

「あぁ〜、よかったぁ〜」

 

 トイレからの明かりが廊下を照らし出す。しかし、そこには何も居なかった。

 真司は先ほど以上に、安堵の吐息を漏らした。その吐息とともに身体中に張りつめられた緊張が緩んでいく。

 そもそも、幽霊が出たからなんだというのだ。自分はそれよりも危険な存在たちと約一年間戦ってきた実績がある。怖がる理由など、どこにも無いではないか。

 肝は既に十分試されたとみていい。真司はトイレから出て、意気揚々と自分の部屋へと歩き出した。

 …当初の目的は頭から完全に抜け落ちているようだ。

 

「…………………」

 

 だが、歩いている最中、真司は背後になにかの息遣いを、気配を感じた。そして、それは確実にこちらの後をついてきている。

 鶴野だろうか…いや、あり得ない。たしか、明日の夜に帰ってくると言っていた。

 未だ会ったことのない祖父だろうか…。それも違うだろう。祖父は普段から土地の管理に出かけていて、家を空けていると鶴野が教えてくれた。

 つまり、自分以外に廊下にいる者など居てはいけないのだ。

 真司に背後を振り返る勇気はなかった。早足で歩き、部屋へと向かう。

 いつも自分の腕を抱きしめて寝ている桜の温もりが恋しいと思ったのは初めてだ。

 閑静な屋敷の廊下に二人分の足音が響く。最後の方は駆け足になりながら、真司は部屋に辿り着いて勢いよく扉を開けた。

 

「…えっ」

 

 そこに真司が求めていた桜の姿は無かった。若干乱れているベッドの痕跡から先ほどまではそこで寝ていたのはみて取れる。

 まるで、煙のように消えてしまったとしか思えない。

 

「———っ!」

 

 いや、消えてしまったのは自分の方なのではないか。

 丑三つ時、それは別の世界との繋がりができる時間帯。

 廊下を歩いているうちに、真司は迷い込んでしまったのだ。別の世界に。

 あれほど喧しかった鈴虫の鳴き声も止んでいる。その事実が、真司の脳裏によぎった愚説に説得力を持たせていた。

 それと同時のタイミングだった。白く細い腕がゆっくりと真司の肩を抱きしめたのは。

 

「うひゃあああぁっ!?」

 

 真司の間抜けな叫び声が、間桐邸に響き渡った。

 

 

 

 

○○○

 

 

 

「………いってきま〜す」

 

「………」

 

 真司は玄関の鍵を閉めて、学校へと続く通学路を歩き始める。もちろん桜も一緒だ。

 真司を抱きしめたあの腕の正体は桜だった。自分が部屋を出た後に目を覚ましたらしい。

 そして、真司が隣に居ないことに気づき、心細くなって電気も点けずに廊下を彷徨っていたとのことだ。

 せめて声をかけて欲しかったが…。どのみち真司は驚いて飛び上がったことだろう。

 

「あ、あの…兄さん」

 

「うん?どうかしたの?」

 

 桜に声をかけられて、真司は振り返った。その目の下には倦怠の暗い陰がくっきりと見える。隈だ。

 結局、真司はあの後も眠ることができなかった。今度は妹の前で情けなく叫んでしまった恥ずかしさからである。

 一旦落ち着いて考えれば、桜が目を覚ましていることなど簡単に分かったというのに。自分の思い込みの激しさが恨めしい。

 

「その、手…繋いでもいいですか?」

 

「うんいいよ。別に」

 

 だが、あの恐怖体験を経て、分かったことがある。若干、自意識過剰とは思うが、まだ桜には自分が必要だということだ。

 それもそうだろう。少しずつ成長しているとはいえ、桜は自分と出会ってから三週間しか経ってないのだから。人の性格が根本から変わる期間にしては短すぎる。

 桜の方から差し出された手を取って真司は再び歩き始める。

 その動作が自然すぎて、気がつくことはなかったが、桜から手を差し出すのは初めてのことだった。

 

「あっ!…そういえばさ、今日から給食始まるよね。献立ってなんだっけ?」

 

「……ワンタンスープにあさりのクラムチャウダー、イカフライと揚げパン…だったと思います」

 

「やった!揚げパンとか随分久々に食べるなぁ。……っていうか、俺が聞いといてなんだけど、桜ちゃん給食の献立暗記してるんだ。……結構楽しみにしてるの?」

 

「……………内緒です」

 

 他愛のない会話を交わして二人は手を繋いで歩く。いつまでこうしていられるかは分からない。

 

 ———もし自分が居ない場所でも、この子が笑える日が来ますように。

 

 そんな願いを込めて真司は桜の手をそっと握った。その手はとっても暖かかった。

 

 

 

 しかし、真司は知らなかった。この少女の未来には、残酷な運命の夜が待ち構えていることを。

 




これにて少年時代終了になります…。
まだまだ書きたいネタはあったんですけどもね、いい加減、収集がつかなくなりそうで…。

感想、アドバイス、お待ちしております。


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第8話『過去へ告ぐ』

 スズメの囀りが日の出を告げる。

 相変わらず屋根の隙間にスズメが集まっているようだ。彼らにとって間桐邸の屋根は最高のベストプレイスらしい。

 だからといって巣を作られたら大変困るが。

 

「おーい、桜ちゃん。朝御飯できたよー」

 

 軽い拍子を刻むような足取りで階段を上る。

 廊下を少し歩いて、桜の部屋にたどり着いた。来たばかりの頃は迷うことも何度かあったが、今では慣れたものだ。

 真司は扉を二回ノックする。しかし、部屋の主からの応答はなかった。

 

「早く起きないと冷めちゃうし、弓道部の朝練に遅刻しちゃうんじゃないの?」

 

 桜が寝坊するのは珍しいことだった。大抵は自分よりも早起きをして、手際よく朝の支度を済ませる。

 そして、真司が寝惚け眼を擦りながらリビングに降りて来る頃には、テーブルに朝御飯が並べられている。

 最初の頃は料理は真司の役割だったのだが、気まぐれに料理を教えて以来、メキメキと上達され、今ではすっかり桜に役割を取って代わられてしまった。朝のキッチンは既に桜の支配下にあるのだ。

 真司も対抗して、桜が部活で忙しい日などは晩御飯を作ることはあるが、朝御飯を作るのは本当に久々だった。

 だから、普段の恩返しも兼ねて、今日は腕によりをかけて作ったのだが…。

 

「おーい、具合でも悪い?……入るからねー」

 

 いつまで経っても返事をしない桜が心配になった。もし熱でも出して倒れでもしていたら大変だ。

 真司はドアノブに手をかけて、扉を開く。散々声をかけたのだから文句は言わせない。

 

「あれっ…。どこにも居ないじゃん」

 

 部屋を見渡しても、桜の姿はどこにもなかった。布団もシーツも綺麗に畳まれている。既に起きているようだが…。

 

「どこ行ったんだろ」

 

 真司は改めて桜の部屋を見渡す。そこはもう無機質な部屋などではなかった。

 机には様々な様式の料理本が並べられていて、書きかけのルーズリーフの枚数から察するに、相当の試行錯誤を繰り返しているようだ。

 真司自身は悔しくて認めないが、桜が真司の胃袋を完全に掴んで離さない日は近いだろう。

 

 ———今後出てくる献立はどれになるんだろう。楽しみだ。

 

 …いや、もう既に手遅れかもしれない。

 

「?」

 

 不意にガタン、と何かが落ちる音がした。

 

「ありゃ…。写真、壁から落ちちゃってるよ」

 

 机から視線を下ろして、床を見ると壁に飾られていた写真が落ちてしまっている。真司はそれを手にとって眺めた。

 確かこの写真は、真司が藤ねえに剣道を強引に勧められ、渋々練習を重ねて挑んだ大会で、初参加、初優勝の快挙を成し遂げた記念に撮った写真だ。

 自分のこと以上に喜んでいる藤ねえ達に揉みくちゃにされている。

 優勝の興奮から覚めて我に返った瞬間、子どもたち相手に本気になってしまった自分を大人気ないと思ったものだ。

 

「この後、慎ちゃんが調子に乗るといけない。なんて藤ねえに言われて、エキシビションマッチさせられたんだよな…」

 

 試合の結果は、悪くない線までは行けた。とだけ言っておこう。当時はいかんせん体格差があり過ぎた。

 写真を掛け直しながら、他にも飾られている写真の数々を眺め、真司はこれまでの思い出に浸る。

 本当に穏やかな時間が過ぎていった。

 当たり前に過ぎていく日常とは、代わりの利かないほどに尊いものだということを、一度死んでから実感させられるとは思わなかった。

 

「これは…、初めて行ったお祭りの花火大会のやつだっけ。……なんか俺、すごい汗かいてるな。なんでだろ?」

 

「………その時、私の下駄の鼻緒が切れちゃったから、兄さんがおんぶしてくれたんですよ。どうしても良い場所で花火が見たいって」

 

「あ〜そうそう、思い出した。桜ちゃんは帰ろうって言ってたけど、俺が我が儘で譲らなかったから、人混みを強行突破したんだよね。まだ背が低かったから前が見えなくて大変だったんだ…」

 

「でも、兄さんのお陰でとっても綺麗に花火が見れましたよね。あの時、帰らなくて良かったです」

 

「でしょでしょ?…………うおおっ!あ、あのさ、いつからそこに居たの?」

 

 ———桜ちゃん。

 

 真司が横を見ると、桜が自分の肩越しから一緒に写真を眺めていた。

 自分の顔を見て、何が面白いのか口に手を当てて笑うのを堪えている。

 

「おーい、桜ちゃん、朝御飯できたよー。の辺りからです。後ろから兄さんの様子を見てました」

 

「……割と最初っからじゃん。起きてたんだったら返事してくれたっていいでしょ?」

 

「すみません。何度も私は同じことしてるのに、兄さんって毎回驚くから面白くって」

 

 桜が自分の背後に忍び寄るのは、子どもの頃からの悪癖だった。動機はなんであれ、心臓には非常に悪いのでいい加減やめてほしい。

 

「はぁ、桜ちゃんも、もう子どもじゃないんだから———」

 

 真司は抗議の言葉を途中で止めて、視線を上下させながら、桜の頭からつま先までを何度も見た。

 

「ど、どうかしたんですか、兄さん?」

 

 どこか恥ずかしげな、しかし、まんざらでもない様子で、桜は真司の言葉の続きを促した。

 真司は、そんな桜の様子を知ってか知らずか、顎に手を当てて何度も頷く。

 

「いや〜、桜ちゃん。随分と綺麗になったんだなって。ああ、そういえば、あと一ヶ月ちょっとで16歳か。そりゃそうだよなぁ」

 

 壁に飾られた写真の桜と目の前に立っている桜を見比べ、真司は改めて桜の顔をしみじみと見つめ直した。

 かつて、短く切り揃えられていた紫色の髪は、高校に入ってから、肩にかかるほど伸びている。

 まだ、あどけなさが残る顔つきだが、出会った頃と比べれば断然女性らしくなった。

 先ほどの言葉通り、桜はもう子どもではないのだ。

 

「……………本気に、しちゃいますよ?」

 

「あははっ、全然本気にしちゃって大丈夫だよ。桜ちゃん、俺とか士郎たちの前だったらそうでもないけど、学校だとまだ控えめなところがあるからさ。もっと自分に自信を持って欲しいっつーか」

 

「……………」

 

 真司の言葉の意味を理解するのに時間がかかったらしい。少しの間を置き、桜は俯きながら長い髪で表情を隠した。

 髪の隙間から見える頬は、窓から差す朝焼けのせいなのか、赤く染まっていた。

 

「な、なんか俺、変なこと言ったかな」

 

 真司は急にしおらしい態度をする桜に戸惑う。

 思春期の少女の心境など、真司からすれば未開拓の秘境だ。迂闊に踏み入れれば、手痛いしっぺ返しが待っているに違いない。

 

「……いえ、なんでもないです。……早く起きないと朝御飯冷めちゃうって言ってませんでしたか?兄さんの朝御飯、久々に食べるから楽しみなんですけど」

 

「ああっ、忘れてた。早く行こ行こ!まだ皿も並べてないんだった!」

 

 さりげなく話を逸らされていることに気づかず、真司は慌ただしい音を立てて部屋を出て行った。

 そんな真司を微笑ましく思いながら、桜も後に続こうとしたが、途中でその足を止めた。

 壁に飾られた愛しい思い出たちを撫でて、過去を想う。

 

「そう言う兄さんは、昔から全然変わってないです…。まるで、最初から大人の人だったみたい…」

 

 だというのに、子どもっぽさが抜けきっていない一面があるのだから不思議だ。

 そんな真司の不思議な雰囲気が桜は大好きなのだが。

 完成した看板を背にして、真司が士郎と肩を組んでピースをしている写真を手に取る。中学の学校祭で看板作りを押し付けられた士郎を見かねて、真司が手伝ったものらしい。

 真司だけが顔をペンキまみれにしているのが面白くて、桜のお気に入りの写真の一つだった。

 

「……兄さん」

 

 もうすぐ、長い夜が始まる。自らの欲望を叶えるために人間たちが、過去の妄執を叶えるために亡霊たちが、血を流して殺しあう。そんな夜が。

 

「私、頑張りますから。絶対に兄さん達の日常を守ってみせますから。絶対、絶対に———」

 

 ———私自身を、勝ち得てみせますから。

 

 左手を固く握り締めると、その甲に赤い花弁を象った紋章が浮かび上がった。

 

 

 

 

○○○

 

 

 

「行ってきます。兄さん」

 

「はいはーい、行ってらっしゃーい」

 

 朝練へ向かう桜の背中を見送って、真司はリビングに戻った。

 皿の後片付けも既に済ませた。新聞紙を片手にテレビを点け、ニュースとの内容を穴が空くほどに見比べる。すっかり二ヶ月前からの習慣になってしまった。

 

「…全然、それらしい手掛かり無いんだよな」

 

 真司の記憶が正しければ、2001年12月。その時期から東京では謎の行方不明事件が頻発していた。全国紙に記載されるほどの大事件になっていたはずだ。

 他でも無い、行方不明者たちはこことは別の世界、ミラーワールドに引きずり込まれたのだ。

 その世界の唯一の生命、ミラーモンスターによって。それが事件の真相だった。

 

「もう二月だってのに、どうして何事も無いんだ…?」

 

 だが、新聞の内容もニュースの内容も、なんの変哲も無いものだ。まるで、全てが嫌な夢だったかのように、ミラーワールドに関する事象が消え去っている。

 

「でも、違和感はそれだけってのがよく分かんない」

 

 携帯を手に取って、モバイルネットニュースのサイトを開く。真司が生前勤めていたOREジャーナルのサイトだ。社員紹介のページに飛んでみると、懐かしい名前と顔ぶれが画面に表示された。

 

「相変わらず編集長、酔っ払った画像のまんまだし、他の皆も変わってない。お、俺が気障ったらしいポーズしてるのがちょっと気になるけど、へ、編集長とか島田さん辺りに強要されたんだろうな」

 

 城戸真司と記載されている画像を見て、思わず笑ってしまう。右斜め四十五度でドヤ顔を決めている。自分をカッコいい奴とでも思っているのだろうか。だとしたら勘違いも甚だしい。

 OREジャーナルの面々は元気そうだ。賑やかな職場であることも変わらないようで安心した。

 

「………東京、行ってみようか。桜ちゃんも、いざという時は士郎の家で面倒見てもらえればいいし」

 

 以前から真司は思っていた。東京へ行きたいと。しかし、桜をこの家で一人にはさせるのは不安だった。時期が噛み合わなかったというのもある。

 だが、朝焼けに照らされた、あの豊かな表情を見て思った。もう、桜は大丈夫だと。

 万が一自分が居なくなっても桜には士郎たちが居る。

 やっと仲直りができたのか、凛と一緒に帰っていたところを見かけたこともある。

 子どもの頃とは違う。桜はもう一人ではないのだ。

 

「よっし、思い立った日が吉日…。今日の放課後にでも行こう。…土曜日の授業、サボることになっちゃうな…。まあ、授業は午前だけだしなんとかなるだろ」

 

 水面下では何が起こっているのか分からない。本当に何も起きていないのか、神崎が意図的にライダーバトルの時期をずらしたのか。

 あの戦いが引き起こした数々の悲劇を真司は知っている。知っていて、見過ごせるはずがなかった。

 

「おっ、もうこんな時間か」

 

 現在の時刻は七時半だ。考えごとは授業中でもできる。明日は学校をサボる予定が入ったので、なるべく遅刻は免れたい。

 テレビを消して、椅子から立ち上がり鞄を背負う。

 

「行ってきまーす」

 

 もう家に残っているのは自分だけなので、当然返事はない。

 床をつま先で叩いて、靴をしっかりと履く。そして、玄関の扉を開いた。

 また、幾度となく繰り返してきた、いつも通りの一日が始まる。

 

 

 

 

○○○

 

 

 

 ホームルームが終わり、クラスメートたちは着替えを持って教室を移動し始めている。今日の一時限目は体育だ。

 体育自体は嫌いではない。むしろ大好きだが、一時限目からと言われると、気怠さを覚えるのは何故だろう。

 体操を終える頃にはそんな気怠さも何処かに吹き飛んでいるが。

 

「なあ、慎二」

 

 後ろから声をかけられて、振り返ると士郎が立っていた。

 改めて見ると士郎も随分と男らしい、がっしりとした体格になった。

 真司もそれなりに鍛えている方だが、士郎には敵わない。

 …お互い身長は少し物足りないが、それは禁句だ。

 

「今朝の桜の様子、なんかおかしくなかったか?」

 

「うーん、別にいつもと変わらないと思うけど、なんかあったの?」

 

「いや、別になにもないんならいいんだ。ただ、朝練の時からずっと上の空だったというか…」

 

 そう言いながら士郎は左手でこめかみの辺りを掻いた。

 士郎は桜と同じ弓道部に所属している。

 バイト先で火傷を負ってから、他の部員の視線もあり、一度自主的に退部を申し出たらしいが、顧問や部長からの猛反発で考えを改めたとのことだ。

 現在の士郎は部活にバイト、さらに生徒会の手伝いと、二足の草鞋ならぬ三足の草鞋という状態だ。加えて学業もあるので、毎日が大わらわである。

 なので、折を見て真司も士郎の手伝いに参加してはいるが、手先が器用な士郎と違って出来ることは限られていた。

 

「ん?」

 

 ふと士郎の左手を見ると、手の甲にミミズ腫れのような痣が走っていた。

 さらに目を凝らすと紋章のようにも見える。奇妙な痣だ。

 

「あれっ、士郎。左手の甲なんか腫れてるぞ」

 

 真司が左手を指差すと、士郎は何かを思い出した様子で手の甲をさする。

 

「ああ、これな。なんでか知らないけど痛みはないんだよ。だから、ほったらかしにしてたんだが…。そういえば、この痣を見てからだ。桜の様子がおかしくなったのは」

 

「ふーん、よくわかんないな。まあ、保健室で湿布だけでも貰って行きなよ。急に痛みだすかもしれないしさ。体育の先生には俺が言っておくから」

 

「いや、大丈夫だ。別に、慎二が気にすることじゃない。ほっとけば腫れも引くだろ」

 

 士郎はよく自分のことを蔑ろにする。他人の世話はやたらと焼くくせに、自分の世話は焼かない。

 人助けをしたいという気持ちは真司にも理解できるが、士郎の行為は少々度が過ぎているものだと感じることがある。まるで、何かの強迫観念に駆られているかのようだ。

 

「はあ…」

 

 初めて会った頃は、まだ常識の範囲内だった。五年前、士郎の養父が亡くなってからだろうか。自分を顧みずに、無茶をするのが顕著になったのは。

 真司はそんな士郎が心配で、桜と一緒に遊びに行くという体で、週に何度も士郎の家にお邪魔している。最早、第二の我が家だ。

 …ご覧の通り、あまり結果は芳しくないが。

 

「あ〜もう、さっさと行きなって。行くまでここを動かないからな。そんなに俺を授業に遅刻させたいのかよ?」

 

「…わかった、わかったよ。行けばいいんだろ、行けば」

 

 ここまで真司が言って、士郎はようやく保健室へと向かった。その背中を見送って、真司も体育館へと向かう。

 

「正義の味方、ねぇ…」

 

 もし、これから冬木市に地震や台風などの災害が起こったら士郎は無事では済まないだろう。絶対に誰かを助けようとして自分が怪我をする。そんな確信が真司にはあった。

 未だに正義の味方に憧れているらしい少年の今後を、真司は憂う。

 

 

 

 

○○○

 

 

 

 放課後、真司はそそくさと下校して東京へ行く準備を進める。急がないと桜が部活から帰って来てしまう。そうなれば大惨事だ。

 

「置き手紙よし、ホテルの予約よし、荷物の整理よし。…心の準備、よし」

 

 声を出して、忘れていることがないかを最終確認する。問題はない。

 東京へ行くことは誰にも告げていない。

 もし、自分の身に何かが起こって、探しに来られたら二次災害になる恐れがあるからだ。

そもそも、これは自分のけじめの問題だ。誰も巻き込めるわけがない。

 手袋をはめてから水色のジャンパーを着込んで、なるべく軽めにした鞄を背負う。

 そして、真司は車庫へと歩き出した。

 

「よいしょっと」

 

 車庫のシャッターを押し上げて、フレームが剥き出しになった独特な原付きに跨る。真司のジャーナリスト生活を支え続けた相棒、ズーマーである。

 真司は高校生になるのと同時に原付きの免許を取った。そして、必死にバイトをして貯めたお金でようやくズーマーを買い戻したのだ。もちろん色は赤を選んだ。

 オレンジのヘルメットとゴーグルを装着してエンジンを掛ける。50cc特有のお淑やかなエンジン音が車庫に響いた。

 

「っしゃ!行くか!」

 

 目的地は駅だ。流石に原付きで東京まで行くのは時間もガソリンも足りない。無謀な行為だ。

 ハンドルを捻って、ゆっくり加速させると、向かい風が真司の体を通り過ぎる。

夏の風はまだ涼しく、心地よいものだが、冬の風は少し冷たい。防寒具が必要不可欠だ。

 

「……なるべく何事も起きませんように。それと、帰ってきても桜ちゃんがあんまり怒っていませんように」

 

 普段は大人しい桜だが、怒るとかなり怖い。というよりも、心に堪える行動をしてくる。

 何が原因で、いつの出来事だったかは忘れたが、三日もの間まともに口を利いてくれなかった時は辛かった。

 そのくせ、視線で胸に秘めた激情を伝えてくるのだからたちが悪い。

 幸い、用意した予算は潤沢だ。東京のお土産でも与えて、少しでも怒りを収めてくれることを祈るしかない。

 控えめなエギゾースト音は、真司の不安な気持ちをよく表していた。

 

 だが、車庫のシャッターを閉めることを真司は忘れていた。

 部活を終えて帰宅した桜が、いち早く異変に気づいたのは言うまでもない。




桜の部屋に飾られている写真たちが書きたいネタの一部だったりします。まあ、書くかどうかは決まってませんが…。

感想、アドバイス、お待ちしております。


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第9話『望郷の旅』

 

 漆を塗りたくったような暗闇を壁伝いに歩く。その靄がかった視界から読み取れる情報では、そこが何処なのか、自らの意思に反して歩き続ける体が何を目的としているのかは分からない。

 夢を見ている感覚。というのは正確ではないかもしれない。夢とは大抵、睡眠から目覚めた直後に気づくものだ。だというのに、自分には明確な意識がある。

 恐らく、これは自分自身の記憶を覗いている感覚と呼ぶのが正確だ。このような場所に心当たりは全くないが、そうに違いない。

 

 しばらく歩き続けたようだが、相変わらず視界は不明瞭だ。そもそも、そこは室内なのか、屋外なのかすらはっきりと分からない。

 いつまで、このままの状態でいればいいのか。いい加減、何かしらの変化があってもいいはずだ。

 そんな考えに呼応するように、壁を伝っていた手が、ひんやりとした冷たい金属に触れた。

 記憶の中の自分はそれを通り過ぎずに立ち止まって、ポケットから懐中電灯を取り出した。

 スイッチを探すのに手間取りながらも明かりを点ける。電池が切れかかっているのか、頼りの無い細々としたその光は、分厚い鉄の扉を照らし出した。

 その鉄の扉を一言で簡潔に表すのならば、排他的、という印象だ。何重にもかけられた南京錠が、その印象に拍車をかけている。

 この扉を設置した人物は相当な秘密主義なのだろう。それほどまでに見られたくないものが、この扉の向こうにはあるらしい。入ることはできそうにない。

 だが、自分はそれを見越していたようだ。鍵束を取り出して、南京錠を時間をかけながら取り外していく。

 

 やがて、鎖が床に落ちる音とともに、全ての南京錠が開けられた。

 恐る恐る、といった手つきで自分は扉の取っ手に触れた。心なしか、手から伝わる金属の感触が、氷柱のように突き刺さる冷たさに変貌した錯覚に陥る。

 扉自体が意思を持っていて、開かれることを拒んでいるかのようだ。

 肩を使って重い扉に体重を乗せて開く。錆びついた蝶番が悲鳴染みた軋みを上げた。

 ようやく開かれた扉の先を懐中電灯で照らす。その光の先には、地下へと続く石造りの階段があった。

 石で造られているというのに、まるで、巨大な生物の体内へと繋がる口腔のような階段が。

 何故かは分からない。しかし、ここから先を見てしまえば、取り返しがつかなくなる気がした。

 自分はそんな気配を敏感に感じ取ったのか、懐中電灯を持つ右手が震える。そんな右手を空いていた左手で押さえた。だが、そうしても震えが伝播するだけだった。

 

 不意に肩を掴まれる。咄嗟に振り向くのと同時のタイミングだった。意識が、紫色の瞳に刈り取られたのは。

 

 

 

 

○○○

 

 

 

「う、うう〜、桜ちゃん…。あと一時間だけ…。まだまだ寝れるって…」

 

 身じろぎをして布団を被る。真司が夜更かしをして、寝坊した日はいつも桜が起こしに来る。だが、それも無意味な抵抗だ。

 桜はどんな技術を持っているのか、いとも容易く真司の隙をついて、この温もりに満ちた布団を引き剥がすのだからなんとも不思議だ。

 そして、桜の優しい笑顔と外の冷たい空気に叩き起こされるまでが基本的な流れである。

 

「…………ん?」

 

 しかし、いつまで経っても布団を引き剥がされる事も無ければ、声をかけられる事も無い。

 一瞬、二度寝を決め込もうかという邪な考えがよぎったが、その誘惑を振り払って真司は体を起こした。

 

「……ああ、今俺が居るのは、家じゃないんだったっけ」

 

 そう呟きながら、真司は必要最低限の物が置かれたビジネスホテルの部屋を見渡す。時刻は朝の8時半を過ぎている。今頃は先生が出席を取っている時間帯だろう。かなりの寝坊だ。

 だが、本日は学校をサボタージュしたので、問題はない。小学生の時から続いた、連続登校記録が途絶えたのは少しだけ、ほんの少しだけ名残惜しいが。

 

「………そういえば、なんか夢みたいなの、見てたような」

 

 真司は未だに覚めない、朦朧とした頭を抱えて、その内容を思い出そうとした。

 しかし、紫色のなにかが、最後に自分の目の前に現れたこと以外なにも思い出せなかった。

 

「…まあ、よくあることか。忘れるってことはそれほど重要なことじゃなかったんだろう」

 

 眠気を覚ますためにカーテンを開いて、眩い日光を浴びる。

 窓の外には高層ビルが視界の果てまで立ち並ぶ風景が広がっていた。その山脈のような圧倒的な重量を、真司は懐かしいとすら思う。

 道行く人の量や車の交通量など、深山町の隣町、比較的都会である新都とも比べ物にならない。

 窓を開ければ、ここまで人々の起こす喧噪が聞こえてくることだろう。

 

「うん…。東京、着いたんだ」

 

 真司はその景色を見て、現状を再認識する。自分はミラーワールドの有無を判断するために、ライダーバトルが行われた場所である、この東京を訪れたのだ。

 昨夜は、訪ねる予定の人物や場所の確認のため、ノートパソコンで資料を夜遅くまで作成していた。中には会えるかどうかすら分からない人物もいる。寝坊するのも仕方がない。

 ちなみに自分自身。つまり、この世界の城戸真司はリストの中には入っていない。ミラーワールドの被害者の一人である、榊原の家には自分が先に行くので、どうせ時間の無駄だろうという安直な判断からだ。

 

「うわっ…。留守電すっげーよ…」

 

 ふと、ここまで来るのに電源が切れてしまい、朝まで充電をしていた携帯を開く。

 桜ちゃん、と登録された留守番電話の履歴がびっしりと並んでいた。

 夜中までそれが続いている辺り、相当自分を心配しているのだろう。なんだか、居た堪れない気分になってしまった。それでも、今は敢えて返信はしない。

 今返信してしまえば、万が一、桜が携帯の電源を落としていなかった場合、教室に桜の好きな曲の着メロが鳴り響くことだろう。そのことを配慮して、返信するならば午後だ。

 

「くおぉ〜っ…、よっし。さっさと出かける準備を進めるかな」

 

 ゆっくりと立ち上がり、大きく伸びをして、凝り固まった体を少しずつほぐしていく。

 予定よりも早く事が済めば、今日にでも帰るつもりだ。あくまでも明日は保険である。

 まず、真っ先に行くとすれば神崎邸だろう。あそこは全ての始まりの場所だ。ミラーワールドが開かれているかどうか、手っ取り早く確証を得られるかもしれない。それと引き換えに、当然リスクも高くなるが。

 肝心の住所はどこなのか、上手く思い出せる自信はないが、虱潰しに探して行けば、どうにでもなるだろう。

 最悪、最寄りの交番などで道を尋ねればいい。とても立派な豪邸なので、きっとすぐに分かる。

 手際よく準備を済ませて、部屋の鍵を預けるためにフロントへと向かう。

 

「ほんと、頼むから何も起こるなよ…。平和に終わらせてくれよ…」

 

 エレベーターが来るのを待ちながら指を組む。真司の呟いた祈りは届くのか。それは恐らく難しいだろう。

 なぜなら、真司の真後ろに置かれた姿鏡には、彼を監視するように虚ろな影が揺らめいていたのだから。

 

 

 

 

○○○

 

 

 

 黄色いクレーンが、その長い首をゆっくりと持ち上げて、先端のショベルを降ろしていく。すると、屋根が形を維持できる限界まで軋んだ。

 さらに降ろしていくと、上から掛かる負荷に耐えきれなくなった屋根に亀裂が走り、音を立てて崩れ落ちていった。

 砂埃が煙幕のように舞い上がり、作業員たちはそれを煩わしそうに手で払う。そして、生じた瓦礫の撤去を進め始める。

 

「……………」

 

 安全第一、と書かれた仕切りの向こうから、真司はその作業を眺めていた。

 神崎邸。両親から部屋に閉じ込められ、長い監禁生活の果てに、とある少女が力尽きた場所。それを受け入れる事ができなかった少女の兄が、鏡の世界と現実の世界の間に引かれた境界線を断ち切ってしまった場所。

 そこは今、まさに跡形もなく取り壊されようとしていた。

 時間をかけて漸くたどり着いた真司が近隣住民から聞いた話によれば、意固地な管理人が土地の権利をようやく明け渡したことによって、此処には新しくマンションが建つことになったらしい。

 

「神崎…。お前、もう居ないのか…?」

 

 曲がりなりにも、辛い記憶と幸せな記憶が混在しているあの家は神崎兄妹の思い出の場所だろう。

 彼が、神崎士郎がこの世界にまだ存在しているのなら、この状況を許すはずがない。

 

「……あっ」

 

 崩れた瓦礫の向こう側から、姿鏡と椅子だけが置かれている殺風景な部屋が真司の目に入った。

 自分が死ぬ二日前。あの日の出来事は、忘れられるはずもない。

 涙を流しながら、差し伸べられた救いの手を振り払い、肉体の消滅を、自らの死を受け入れた泡沫の存在…神崎優衣(かんざきゆい)のことを、真司はあの部屋から想起する。

 

「優衣、ちゃん……」

 

 体感時間では、十年前の出来事。本来の時間では一年後の出来事。

 あの情景を思い浮かべてしまうと、十年間もの間、目を逸らし続けてきた疑問に、真司は嫌でも向き合わされる。

 

 ———なんで、俺は此処で、他人の体で、未だに生き長らえているんだ?

 

 ずっと、考えても仕方のないことだと思ってきた。いくら考えても、答えなど返ってこない疑問なのだと。

 真司はすっかり大きくなってしまった掌を見つめて、強く握り締めた。

 新しい命。神崎士郎が幾度となく時間を遡行してまでも手を伸ばし続けたものを、今、死んだはずの自分がいつのまにか、あっさりと手にしている。

 その事実が真司にとって、どうしようもなく遣る瀬無かった。

 

「———っ!」

 

 そんな、思考の海に沈みかけていた意識は、鏡が砕ける音で現実に引き戻される。

 

「い、いけない、いけない。まだ確証は得てないんだ。さっさと次に行こう」

 

 大体、あの家が取り壊されているからなんだというのだ。くだらない感傷は路傍にでも放り投げてしまえ。

 音を立てながら、家としての形を失っていく神崎邸に背を向けて、真司は歩き出した。

 決して振り返りはしない。振り返れば、また意識が底のない海に沈んでしまうような気がした。

 

 

 

「やっぱり、手掛かり、見つからないか…」

 

 その後も真司は東京を駆けずり回った。都市伝説と称して、人伝てにミラーワールドの存在について調べたり、所在が判明しているライダーたちを直接訪ねたりもした。

 現在、真司は歩きながら、三つ空欄がある仮面ライダー名簿に斜線を引いているところだ。

 

「北岡さんは療養中…」

 

 仮面ライダーゾルダ。自称スーパー弁護士である北岡秀一(きたおかしゅういち)の法律事務所の扉には、弁護士療養中につき休業との張り紙があった。

 庭の掃除をしていた秘書兼ボディーガードの由良吾郎(ゆらごろう)曰く、先生は峠をようやく越えることができたのだと、近いうちに稼業を再開させるのだと、微かに涙を滲ませて語られた。

 つまり、その話が本当ならば、病を克服した北岡には戦う理由はもう無いということだ。

 

「清明院大学の人たちも、今のところは異常なし」

 

 仮面ライダータイガ。ミラーワールドを閉じようとした香川英行(かがわひでゆき)教授の研究室の生徒である東條悟(とうじょうさとる)は、真司が清明院大学に潜入調査した際に、香川教授や友人たちと談笑しながら食堂で昼食を食べていた。

 東條の言動からは、以前、滲み出ていた妄執のようなものは特に感じられず、ごく普通の大学院生といった印象に様変わりしていた。

 …全く関係のない余談になるが、清明院大学の食堂のカツカレーは中々に美味であった。また食べに行きたいと思う程度には。

 有意義な昼食を済ませた後に、大学構内を隅々まで調べた結果、どの研究室でもミラーワールドに関する研究は行われていないようだった。

 全ての研究室をこっそりと覗いてみても、怪しげな鏡の部屋は無かった。

 

「浅倉が普通に街を闊歩してたのはかなり驚いたけど…」

 

 仮面ライダー王蛇。凶悪な犯罪者である浅倉威(あさくらたけし)が目の前を通り過ぎた時は、驚きのあまり尻餅をついてしまった。

 本来、この時期ならば、浅倉は刑務所に収容されているはずだ。

 だが、誰にも通報されず、堂々と街を歩いている様子からして、脱獄したという雰囲気でも無い。

 真司は、自分が浅倉を通報してしまおうか逡巡したが、止めておいた。

 浅倉の名前が、明日のニュースで報道されないように祈るしかない。

 

「………お?」

 

 道路の端を見やると、対面になるように設置された椅子に占いと書かれた簡素な台がある。

 それだけならば、どこにでもある路上占いなのだが、その片方の椅子に座っている、朱色のジャケットが特徴的な男性に真司は見覚えがあった。彼は誰かを待つように目を閉じて指を合わせている。

 仮面ライダーライア。人の運命を、未来を視る占い師である手塚海之(てづかみゆき)は相変わらず、場所を選ばずに路上で誰かを占っているようだ。

 

「そうだ」

 

 占いという単語で、真司は名案を思いついた。

 自分の今後を手塚に占ってもらえばいいのだ。ライダーバトルがこれから先の未来で行われるならば、まず間違いなく自分は首を突っ込む。それが占いの結果で直ぐに分かることだろう。

 兎に角、善は急げだ。そう思い、真司は手塚の方へと歩き出した。

 

 

 

 

○○○

 

 

 

 手塚は真司が…。正確には、これから訪れる未来について知りたい人間が来ることを予見していたらしい。話が早く済むのはありがたいが、通り過ぎる道までお見通しとは流石に末恐ろしい。

 だが、手塚の占いの結果を端的に言うならば、余計に現在の状況が分からなくなっただけだった。

 

 ———お前の今後に、一つだけ言うべきことがあるとすれば、家に帰ってからはあまり夜遅くまで出歩かない方がいい。……それだけだ。

 

 その言葉だけを聞けば、占い師などでは無く、まるで少年の非行を防ぐ先生ではないか。確か、昨日のホームルームでも同じことを言われた。

 占いの結果に納得がいかなかった真司は、もっと話を追求したかったが、手塚は友人のピアノのコンクールに遅れてしまうと言って、そそくさと退散してしまった。

 

「夜遅くまで出歩くな。ねぇ…」

 

 夜遅く、それが真司にはしっくり来ない。ライダーバトルは基本的に、昼夜問わず行われる。

 闇討ちに注意しろということだろうか。そんなもの、鏡がある場所ならばどこでも出来る。

 家に帰ってから、というのも腑に落ちない。自分の家は冬木市にあるのだから、ライダーバトルとはなんの関係もない。

 

「あれ?この道って…」

 

 考え事をしながら歩いていた所為なのか、本来の目的地にまでの道から逸れてしまった。しかし、何度も通ったことがある道なので、問題はない。

 丁度、この交差点を右に曲がれば、とある喫茶店があるのだ。

 ふと、上を見上げると、綿に朱肉を滲ませたような夕焼け雲が、茜色の空に散りばめられていた。

 確か、昼からずっと歩き詰めだった。そろそろ休憩を挟めるのも悪くない。それに、その喫茶店の主人には聞きたいこともある。そう思い、真司は道を右に曲がった。

 

「ここも、相変わらずみたいだな」

 

 花鶏、と書かれた看板を真司は感慨深く見つめながら通り過ぎる。

 真司の言葉通り、花鶏は相変わらず草木が生え放題な外観だった。

 それでも、間桐邸と比べておどろおどろしい雰囲気が無いのが不思議だ。しっかりと手入れがされているからだろうか。

 店へと進む真司の足は、非常に既視感のある400ccのバイクがこれ見よがしに店の前に駐車されていることで止まった。

 

「…………」

 

 しばらくの間、店内に入るのを尻込みしていると、扉の開く音が真司の耳に入った。

 遅れて、不貞腐れたような荒っぽい足音が近づいて来る。

 そして、入り口から出てきた男は、真司が道を譲るのを待っているのか、威圧的に距離を詰めてきた。

 

「———な、なんだよ…」

 

 思わず後退りしてしまい、駐車されているバイクに手がぶつかる。

 目の前の持ち主に謝るのは癪なので、バイクに謝りながら真司は男を左に避けようとした。

 こいつと語るべきことは何も無い。どうせ、自分のことは分からないのだから。

 だが、男は右に避けようとしたのか、お互いに道を塞ぎ合うような構図になった。側から見れば息ぴったりである。

 三度、同じことを繰り返して、ようやく男が口を開いた。

 

「………どけ」

 

 そんな簡潔な一言を真司に言う。

 

「どけって、あんたこそ!」

 

 つくづく嫌味ったらしい奴だ。真司はそう思いながら目の前の男を見上げて、睨みつける。開いてしまった身長差がさらに嫌味ったらしい。

 仮面ライダーナイト。秋山蓮(あきやまれん)。今も昔も変わらない、無愛想な目つきが真司を見下ろしていた。

 




この話だけ見ると仮面ライダー龍騎の逆行ものみたいですね…。話が予想以上に長くなってしまった…。

感想、アドバイス、お待ちしております。


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第10話「空白のエンブレム」

 真司は蓮を見上げ、蓮は真司を見下ろす。

 そして、お互いに俯いて溜息をつく。ずっと睨み合っていても埒があかない。

 真司はこの鬱屈とした気分を、さっさと花鶏の美味しい紅茶で流し込みたくなった。目の前に立っている蓮を、また左に避けようとする。

 

「うおっ」

 

「ああっ」

 

 真司が俯いたままで動いたからか、今度はぶつかり合ってしまった。

 それでも、蓮は頑なで、道を譲る気が無いようだ。いつまでも動かない真司に焦れて、その胸ぐらを掴んできた。

 

「な、なにすんだよっ」

 

 その手を払いのけようとする前に、蓮は真司を後ろに退けた。

 たたらを踏みながら、真司は乱れた襟元を整えて、再び蓮を睨みつけた。他人がどうこう言おうが、あの性格は矯正されることは無いのだろう。

 しかし、気が変わった。相変わらずな態度を見て、真司は何か一言、蓮に言ってやりたくなった。

 

「ちょっと、蓮!不貞腐れて年下の子に八つ当たりするなんて大人気ないんじゃないの!」

 

 しかし、真司が口を開く前に、慌てたような足音とともに、背後から蓮を咎める声が聞こえてきた。どこかで聞き覚えのある女性の声だ。

 その言葉に対して、蓮はうんざりした表情で女性に返事をする

 

「元はと言えば、お前のせいだ———」

 

 ———恵理。

 

 その名前と蓮の視線に誘導されて、真司は後ろを振り返る。真司の覚えに間違いはなかった。

 小川恵理(おがわえり)。蓮の恋人の女性だ。

 かつて、真司が病院で見た彼女の血の気が無かった顔は、別人と見紛うほどに健康的になっている。

 恵理は清明院大学で行われた、ミラーワールドの実験の所為で植物状態になってしまった被害者の一人だ。

 現在、彼女が無事であるということは、清明院大学でミラーワールドの研究が行われなかった確証に繋がる。

 昼頃に真司が清明院大学へ潜入した際に怪しい研究室は見当たらなかったのだから、少し考えれば直ぐに気づけることだったが。

 

「もうっ、少しからかっただけじゃない!………ごめんね。君、大丈夫?この人、本当はそこまで悪い人じゃないんだけど…」

 

 真司が内心で納得していると、あろうことか、恵理は蓮の代わりに真司へ謝罪をしてきた。本当に蓮には勿体無いぐらいに、人格がよくできた女性だ。

 だが、逆に言うならば、後にも先にも、彼女ぐらいしか居ないのだろう。無愛想な蓮の恋人が務まる女性は。

 

「あっいえ、俺はそこまで気にしてないです。……そんなことより、あんた」

 

「……なんだ?」

 

 そう言いながら、真司は蓮の方に目を向ける。

 気にしてないならさっさと失せろ。そんな視線を蓮は返して来たが、真司はその視線を無視して、口を開いた。

 

()()()()、あんまり蔑ろにしない方がいいぞ。愛想尽かされたら、後悔するのはあんたなんだから」

 

「なっ!お前———」

 

 蓮の返答を待たずに、恵理に軽く一礼をしてから、真司は花鶏の出入り口へと軽い足取りで歩いて行った。美味しい紅茶が待っている。

 気に入らないあの男に一泡吹かせてやった後の紅茶は格別に違いない。

 

 

 

「あいつ、余計なことを」

 

 蓮は心の中で舌打ちをして、水色のジャンパーの少年を見送る。先ほどの道を譲らない様子からして生意気で、非常に気に入らなかった。

 

「蓮、あの子に諭されちゃったね」

 

 蓮の内心を知ってから知らずか、恵理は微笑を口角に浮かべながら蓮を再びからかってきた。

 

「…………」

 

 恵理の言葉に蓮はさらに不貞腐れて、荒っぽくバイクに跨ってヘルメットを被った。そして、ハンドルを握ってエンジンを掛ける。

 

「………恵理、乗るなら早くしてくれ」

 

 だが、蓮は恵理を置いていくような真似はしなかった。決してあの少年に言われたからではない。

 恋人だと見抜かれたのは癪だが、確かに蓮にとって恵理は命に代えても守りたいと思える大切な人だ。こんな自分に優しくしてくれるのは後にも先にも恵理だけだろう。

 

「……ふふっ、ありがと、蓮」

 

 蓮の素直ではない不器用な気遣いに、恵理の頬はさらに吊り上がる。

 恵理がバイクに跨り、二人分の体重がかかるのを確認した蓮はハンドルを捻ってゆっくりと発進した。

 しばらく走っていると、赤信号がバイクの進行を遮る。

 

「でも、珍しいよね、蓮に物怖じしない子って。もしかして知り合いだったりするの?」

 

 仕方なく速度を緩めて止まると恵理は、あの生意気な少年の話を蒸し返してきた。

 

「まさか。あんな見るからに頭の悪そうな奴は、相手にするだけでも真っ平御免だ」

 

 あの少年の印象を例えるならば、今まさに、自分の道を遮っている赤信号だ。

 蓮は赤信号に道を遮られるのが大嫌いだった。その図々しさすら感じる複眼のような赤いランプを見ていると、無性に腹が立つ。

 なので、なるべく信号の少ない道を走っているのだが、捕まる時は捕まる。無視することもできないのがもどかしい。

 

「そうなの?でも、ああいう性格の子の方が蓮とは気が合うと私は思うけどな」

 

 蓮って友達居ないし。

 お互い遠慮する必要が無い間柄ではあるが、恵理は時々忌憚の無い言葉の爆弾を投下することがある。

 

「一言余計だぞ。俺はそんなもの、欲しいとも思っていない。……だが」

 

「……だが?」

 

 恵理が話の続きを促してくる。だが、蓮はその返答の代わりにエギゾースト音を響かせた。タイミング良く信号が青に変わったのだ。

 バイクを急発進させると、後ろから小さな悲鳴が聞こえた。

 遅れて、恵理は抗議の声を上げる。しかし、蓮は聞こえないふりをして運転に集中した。

 

 ———だが、あいつと似たような雰囲気の馬鹿を知っているような気がする。

 

 その言葉を蓮は飲み込んだ。おそらく、あの少年とは二度と会うこともないだろう。

 

 

 

 

○○○

 

 

 

「紅茶ください!」

 

 扉を開けると、懐かしい紅茶の香りが鼻腔をくすぐる。

 居候したての頃は何度も転びかけた、少し危ない段差を降りて、真司はカウンターに立っている店主に対して注文をした。

 

「キーマンのストレートで!」

 

 元々、真司はコーヒー党であり、紅茶は飲まず嫌いだった。だが、花鶏に居候して、店の手伝いをしているうちに、紅茶の香りに興味を抱き始めた。

 そして、物は試しにと飲んで以来、すっかり紅茶の魅力に惹き込まれてしまったのだ。

 

「紅茶は無い。コーヒーだけ」

 

「えっ?」

 

 そんな筈はない。花鶏という喫茶店は、あまり見かけない紅茶専門の喫茶店だ。

 一見さんにはコーヒーを注文されることが多いが、現に紅茶の匂いが店内に香っている。

 

「でも、叔母さん、紅茶飲んでるじゃないですか」

 

 真司は、その香りの元であるティーカップを指差す。

 すると、カウンターに立っている中年の女性…神崎沙奈子(かんざきさなこ)は思い出したかのように手元を見下ろして、真司を見返した。

 

「………冗談よ、キーマンのストレートね。直ぐに淹れるから待ってなさい」

 

「お、お願いします」

 

 ぞんざいな沙奈子の接客態度に困惑しながらも、カウンター前の丸椅子に座って、さりげなく真司は店内を見渡した。

 自分以外に客の姿は無かった。もうすぐ閉店時間になるからだろうか。

 

「………?」

 

 花鶏の店内にはこれといった差異は見受けられない。

 しかし、自分から見て左側、アクリルのパネルに飾られた写真が気になった。

 真司の記憶に間違いがなければ、このパネルには神崎兄妹の写真が飾られていたはずだったが、見知らぬ子どもたちが仲睦まじく写っている写真に変わっている。

 

「ほら、キーマンのストレート。冷める前に早く飲みなさい」

 

「は、はい。いただきます」

 

 真司は、その疑問を一旦置いておくことにした。今は目の前の紅茶を楽しみたい。

 砂糖を一匙だけ紅茶に入れる。そのまま飲むのも悪くはないが、砂糖を入れることでさらに増すまろやかな風味が真司は大好きなのだ。

 飲んでいるだけで、なんだか自分が貴族にでもなったような、優雅な気分になる。

 真司が紅茶の香りを楽しんでいると、ビスケットが乗せられた小皿が隣に置かれた。

 

「さっきの冗談のお詫び。お茶菓子無いとつまらないでしょ」

 

「あっ、ありがとうございます」

 

 接客態度とは裏腹に、サービスが行き届いているのはなんとも言えない。

 そんな沙奈子のちぐはぐな厚意に感謝をしつつ、真司は紅茶に手をつけ始めた。

 

 

 

 真司は一頻り紅茶とビスケットを堪能してからお代を払った後に、あの写真についての話を切り出そうか迷っていた。

 

「………ん?」

 

 そんな中、ズボンのポケットに入れていた携帯が振動した。一抹の不安が脳裏をよぎるが、無視するわけにもいかない。

 

「うわっ、桜ちゃん…。そういえば返信するの忘れてたよ…」

 

 携帯を開くと桜からの電話だった。心なしか、無機質な着信音に桜の激情が込められているような気がする。

 出るのが非常に憚れる。憚れるが、出なければ帰宅後の説教が長引くことだろう。

 真司は重たい足取りで席を外して、電話に出た。

 

『……………………………』

 

「あの〜もしもし、桜ちゃん?」

 

 電話の向こうの桜は無言だ。

 気まずくなって真司が応答すると、安心したような、呆れたような、どちらとも捉えられる吐息が聞こえた。

 

『………兄さん、どうして返信してくれなかったんですか。私、とっても心配したんですよ』

 

「ご、ごめんなさい。朝には気がついたんだけど、その後に忘れちゃってさ…」

 

『勝手に学校も休んで…。まあ、説教は後にします。今居る場所はどこですか。直ぐに迎えに行きますから教えてください』

 

 心配してくれていたのは嬉しいが、最近の桜は少々お節介が過ぎる。これではまるで、自分が弟ではないか。

 さらに、精神的に言えばもっと年上であるというのに、こんな有様では面目が保てない。

 …桜が自分よりもしっかりしているというのは、認めざるを得ない真実だが。

 

「いや、わざわざ迎えに来なくても大丈夫だから!今、俺が居るの東京だし!」

 

『………東京。何の用があってそんなに遠くまで行ってるんですか?』

 

「あ、ああ…。ええっと、その…」

 

『?』

 

 ミラーワールドが有るのか無いのか。それが気がかりで仕方がなかったので調べて周っていました。などとは言えるはずがない。

 だが、いつまで口籠っていては桜に疑われてしまう。

 

「ちょっと古い知り合いを訪ねてただけだよ」

 

『古い知り合い?』

 

 咄嗟に出た言葉にしては上出来だろう。嘘自体はついていない。真司からすれば、蓮たちは十年前の知人なのだから。

 

「とにかく俺は大丈夫だから!なんかあったら連絡してね。それじゃあ桜ちゃん、俺まだ用事あるから切るよ!」

 

『えっ?に、兄さ———』

 

 真司は強引に話を切り上げて通話を終了させた。携帯をマナーモードにしておくことも忘れない。

 これ以上、痛い腹を探られたくはなかった。自分は隠し事が得意ではないということもある。

 だが、桜は電話越しでも内心を見抜いてくるに違いない。

 

「ねえ、坊ちゃん」

 

「……はい?」

 

 声をかけられて、真司が振り返ると、カウンターに肘をついて、沙奈子がこちらを見ていた。何が微笑ましいのか、少しだけ口の端が吊り上っている。

 

()()()()、あんまり蔑ろにしない方がいいわよ。愛想尽かされても、後悔するのはあんたなんだからね」

 

「………はぁ?」

 

 まさか、一時間も経たないうちに蓮に放った言葉をそっくりそのまま、しかも別人に返されるとは想像していなかった。思わず真司は素っ頓狂な声を漏らしてしまう。

 

「いや、そんな関係じゃないですよ。確かに愛想尽かされたら困りますけど」

 

 だが、蓮のように動揺する理由はない。大事な人だという意味では共通点はあるが、桜は断じて恋人などではないのだから。

 真司は沙奈子の勘違いを正してやろうとした。

 

「そもそも、あの子は俺のいも———」

 

「———まあまあ、私の勘に間違いはないわ。もう十分紅茶は飲んだでしょ?こんな所に居ないでさっさと家に帰って安心させてやりなさい」

 

「あっ、………はい」

 

 言葉を遮られ、渋々真司は引き下がった。思い出したのだ。この人は良くも悪くも、我が道を往く性格なのだと。

 彼女の中で一度定まってしまった勘違いを正すのは、簡単なことではない。

 

「ごちそうさまでした。紅茶、美味しかったです。また今度来ますから」

 

 名残惜しいと思いながらも、沙奈子に見送られ、真司は花鶏を後にした。

 あの子どもたちの写真のこと。優衣の姿が見られないこと。神崎邸が取り壊されていること。

 沙奈子に聞きたいことは沢山あったが、なんとなく、それを自分が聞いてしまうのは邪推を通り越して無粋になるような気がした。

 散々東京を歩き回って疑問が生まれた。蓮とすれ違って花鶏を訪ねてからは、それが確信になった。

 もう、この世界にミラーワールドは存在しない。ライダーバトルは行われていないのだと。

 

「……うん、もう帰るか」

 

 これ以上桜に心配をかけさせたくはない。ついでに機嫌を損ねたくもない。

 夜遅くになってしまうが、荷物をまとめて今日中にでも帰ることに決めた。

 

 

 

 

○○○

 

 

 

 瞑色の空が夜の到来を嫌でも感じさせる。

 念のため、左手の腕時計を確認すると、幸い発車時刻にはまだ余裕があった。しかし、真司は早歩きで駅へと向かう。

 少しだけでも長く、お土産を吟味する時間が欲しいのだ。どちらかといえば食べ物、それもお菓子が好ましいだろう。うまく桜の好みを引き当てることができれば、話を有耶無耶にできるかもしれない。

 

「………霧か?これ」

 

 なるべく近道をしようと、人気の無い道を歩いていた真司だったが、交差点に差し掛かったところでその足は止まった。

 方向感覚を失うほどの濃霧が、真司の歩く道を塞ぐように湧き上がり、周囲を浸していたのだ。

 冬霧、というやつだろうか。だが、霧とは雨が止んだ後や早朝に大抵発生するものだ。今日は雨も降っていない。さらに、現在は夕方なのでなんとも不可解な現象だ。

 霧の箱に閉じ込められたかのように動けない。しかし、もたもたしていると発車時刻に間に合わない。

 無謀な賭けになるが、真司は勘を頼りに駅へと向かうことに決めた。

 しかし、真司が一歩踏み出すと同時に、その脇を一陣の風が通り過ぎた。

 

「……………」

 

 その風は霧をかき分けるようにして、一本の道を切り開いていく。

 無意識のことだった。その道に、その先に誘われるように進み出したのは。

 やがて、奥へと進むにつれて霧が晴れてゆき、目の前に寂れた教会が姿を現し始める。

 上を見上げると、尖塔から伸びる十字架が、朧げな夜空に浮かぶ下弦の月に向かって屹立していた。

 

「———っ!」

 

 突如として、生前に聞き飽きた耳鳴りが、頭蓋を砕く勢いで真司の頭を揺らし始めた。

 まるで、来なければ殺す。とでも宣告しているかのようだ。

 

「………ああ、そうかよ。言われなくても、行ってやる」

 

 そんなことを呟きながら真司は右手で頭を押さえて、教会の扉へとおぼつかない足取りで向かう。

 背中に体重を乗せて、重たい扉を開いて室内に入ると、寂れた見た目に違わぬ荒れ放題の礼拝堂が視界に広がる。

 だが、そんなことよりも、真司は聖壇に置かれたある物に目を奪われた。

 カードデッキ。自らの願いのために戦う仮面ライダーである証明。遠目でも見間違えようの無い空白のエンブレムが、そこにはあった。

 

「安心した直後に、この仕打ちかよ……」

 

 聖壇の周囲に散らばったステンドグラスの破片が月明かりに照らされて、色とりどりの美しい光を反射している。

 その破片から虚ろな影が、光を飲み込むように現れた。それは徐々に増えて集まり、やがて人の形になってゆく。

 その影には顔がない。それでも、正体については考えるまでもなかった。

 

「…なんの事情で、そんな姿になってるのかは知らない。だけど、正体を隠してるつもりなら無駄だぞ」

 

『………………………』

 

 真司は影を睨みつけるが、影は微動だにしない。自分がこちらへ来るのを待っているようだ。

 その意図を汲んだ真司は躊躇うことなく聖壇へと歩き出した。

 

「なあ、返事ぐらいしろよ———」

 

 ———神崎士郎!

 

 そして、聖壇に立つ男の名前を叫んだ。

 




仮面ライダーものなのに変身をするのに二ヶ月かかっている作品があるらしいですよ。
ですが、ようやく念願の変身を、戦闘描写を書くことができる!
……次回になるんですけども。

感想、アドバイス、お待ちしております。


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第11話「空白の騎士」

 寂れた礼拝堂に真司の叫び声が反響する。

 真司が警戒を緩めずに、ゆっくり聖壇に近づくと、虚ろな影はようやく返事を返した。

 

『………もう気は済んだか、城戸真司』

 

「っ———!やっぱりお前なのか、神崎!」

 

 これまで会ったことのある人物ならば、誰も知らないはずだった、自分の本当の名前を影は…神崎は平然と呼んだ。

 もう、どこにも別人であることを疑う余地はないだろう。

 また、同じことを繰り返すつもりなのか。俺に、戦えと言うのか。真司はそれを神崎に問いただそうとする。

 

『今日を経て、お前が得た確信…。それは間違いではない』

 

「な、なんだって?」

 

 だが、その前に神崎は予想もしていない事を口にした。その言葉に聞き誤りがなければ、ミラーワールドは閉じられていて、ライダーバトルも行われていないことになる。

 つまり、神崎は自分の妹を…優衣の命を既に諦めたことになる。

 

「………心変わりしたってんなら、聞きたいことがある。…なんのつもりで、俺を呼び出したんだよ」

 

 真司の言葉には二つの意味が込められていた。

 一つ目は、単純にこの場所に自分を呼び出したこと。この男がなんの理由もなく呼び出すわけがない。然るべき理由があるだろう。そうでなければ、真司は今頃は駅に着いていて、冬木に帰っている。

 二つ目は、死んだはずの自分が他人の体で未だに生き長らえていること。それに関して、神崎の仕業である確信は真司にはなかったが、神崎以外にそのようなことが出来る人物に心当たりもなかった。

 

『お前が現在置かれている状況には、俺は一切関与していない。お前を此処に招いた理由は———』

 

 ———これだ。

 

 神崎はそう言いながら、聖壇に置かれたエンブレムを真司に投げ渡した。

 エンブレムは虚空を舞い、引き寄せられるかのように、真司の手に収められた。

 真司はエンブレムを食い入るように見つめる。見間違えようがない、未契約のカードデッキだった。

 

「な、なんで、俺にカードデッキなんか渡すんだよ。もう、戦いを繰り返すわけじゃないんだろ?」

 

『………そのことについて、全てを説明しきるのは不可能だ。俺には既に時間が残されていない』

 

「神崎……?」

 

 真司はカードデッキから視線を外し、神崎を見やる。

 その四肢からは砂のような粒子が、重力に逆らって流れている。それは、ミラーワールドの時間切れによる消滅の兆候と酷似していた。

 

『もうすぐ、長い夜が…新たな戦いが始まる。………その時にそれをどう扱うのかは、お前次第だ。好きに使うがいい』

 

「新たな戦い…?なんだよそれ、今度は何を企んでるんだ!優衣ちゃんのこと、お前はまだ諦めてないのかよ!」

 

 真司は板張りの床を踏み抜く勢いで、神崎に駆け寄る。しかし、真司が辿り着くよりも僅かに早く、神崎はこの世界から消滅した。

 

 ———俺の願いは、既に叶っている。

 

 そんな言葉を、最後に言い残して。

 消滅の寸前、漆黒によって形作られた虚ろな影の無貌に、真司は見える筈のない安堵の表情を見た。

 

「………………」

 

 外に繋がる隙間から漏れる風の音だけが、礼拝堂に虚しく響き渡る。

 先刻に、この世ならざる虚ろな影が聖壇に立っていたと言っても、誰一人として信じることは無いだろう。

 散らばったステンドグラスの破片を月明かりが照らし出す。

 色とりどりの、無邪気な色彩の欠片たちは、幼子が描く絵画のようにも見えた。

 

 

 

 

○○○

 

 

 

 車内のアナウンスが、間も無く冬木市に…正確には新都の駅に辿り着くことを告げる。終電間際の時間帯だからか、座席は閑散としていた。

 

「結局、それらしい気配もしなかった…か」

 

 真司はそう呟いて、膝に置かれたカードデッキを見つめる。

 真司にとって、これは縁起でもない曰く付きの代物だった。許されるならば、踏み砕いてしまいたくなる程度には。

 しかし、そうする訳にもいかず、ここまで持ち帰ってきたのだ。

 カードデッキの所有者は、此方の世界とは別の世界。鏡の向こうの世界の住人であるミラーモンスターの存在を認識することが出来る。

 真司は駅へと向かう道すがら、意識を集中させて気配を探ったが、結果は先ほど呟いた言葉通りだった。

 

「あ、やべっ」

 

 真司が考え事をしている内に、電車は止まっていた。早く降りなければ乗り過ごしてしまう。

 車内に忘れ物をしないように気をつけながら、真司は慌ただしく電車を降りた。ここから先は原付だ。

 階段を下って、改札を抜けて出口へと向かう。真司の帰りを促すように、駅の出口の自動ドアが開いた。

 

「………?」

 

 そして、隙間から入ってくる風が、真司の帰郷を出迎えるように流れ込んできた。

 しかし、その風はとても鋭い針が骨の髄に突き刺さる錯覚に陥るほど冷たい。だというのに、なにか自分の知らない生物の息遣いのようにも感じられた。

 

「夜の冬木ってこんな雰囲気だったっけ…?」

 

 恐る恐る、といった足取りで真司は駅を出て、原付を停めている駐車場へと歩き出す。

 粘り気を帯びているような、密度の濃い夜の闇とは対照的に輝く月の光が、真司の目には酷く不気味に映った。

 自然と歩幅も広くなり、急ぎ足になっていく。この不気味な空気がもたらす、押し潰すような圧迫感が嫌で、とにかく家に帰りたくなったのだ。

 しばらくして、真司はバイクに跨り大急ぎで帰路についた。

 

 

 

 眠っているかのように閑静な住宅街に、控えめなエンジン音が響く。道を疎らに照らしている街灯の明かりはどうにも頼りない。

 

「…ほんと、なんだってんだよ」

 

 無意識のうちに周囲を警戒していたおかげだろうか。ヘルメット越しから、屋根を突き抜けるような破砕音が真司の耳に入ったのは。

 確か、この辺りには衛宮邸がある。方角からしても間違いはない。

 

 ———あまり、()()()まで出歩かない方がいい。

 

 ———もうすぐ、()()()が…新たな戦いが始まる。

 

 ふと、手塚と神崎の言葉が脳裏をよぎる。どちらの言葉にも"夜"という単語が共通して存在した。

 その事実が、余計に真司の不安を駆り立てた。ハンドルを捻りスピードを上げて、道をまっすぐに進む。

 衛宮邸に近づくにつれて、金属がぶつかり合う音と、ガラスが割れる音が聞こえた。どう考えても只事ではない。

 そして、とどめと言わんばかりに真司の頭を耳鳴りが揺らした。

 

「くっそ!なんでよりにもよって———」

 

 ———あいつが、士郎が襲われてるんだよ!

 

 無理矢理に原付を路上に停めて、真司は衛宮邸へと走り出した。その右手にはカードデッキが握り締められている。

 一刻も早く駆けつけなければ、士郎がミラーモンスターの餌食になってしまう。

 士郎はずっと誰かのために生きてきた。自分のことなど御構い無しに。

 これからも、その生き方を貫いていくのだろう。なんせ未だに正義の味方に憧れているぐらいなのだから。

 もしかすれば、世界中を飛び回って不幸な人々を片っ端から救うような男になるかもしれない。

 そんな奴が、こんなところで、理不尽に死んでいい筈が無い。あんな戦いに巻き込まれて、命を失っていい筈が無い。

 気がつけば右手のカードデッキは、腰のバックルに収められていた。

 やがて、闇を切り裂くように、真司の体を光が包み込む。その光が消えると同時に、仮面の騎士が現れた。

 

「同じ事を繰り返すつもりだってんなら…。俺も同じ事を繰り返してやるだけだ…」

 

 そして、仮面の騎士はアスファルトを踏み砕いて、夜の闇へと飛び込んでいった。

 

 守る為に戦う。そんなものが戯言であることなど、とうの昔に分かっている。

 分かっていてなお、一度、壮絶に散ってなお、戦う以外に自分が取れる選択肢など無かった。

 

 

 

 

○○○

 

 

 

「ごほ———っ、あ………!」

 

 腹に風穴が開くのではないか。そう思う程の回し蹴りを受け、士郎は二十メートル以上先にある土蔵の壁に叩きつけられた。

 それが相手の意図されたものなのかは知らない。だが、どちらにせよ、距離は稼げた。士郎はどうにかして、土蔵へ入ろうと壁伝いに歩き、鉄扉へと手を掛けた。

 しかし、蹴られた腹部と壁に打ちつけた背中が訴える激痛に耐えきれず、膝から崩れ落ちる。

 

「—————」

 

 なんと悪運の強いことか。己の心臓を穿とうとした紅の槍は、頭上を雷のように通過して土蔵の鉄扉をこじ開けた。

 すかさず、士郎は軋む体に鞭打って土蔵へと滑り込んだ。強化の魔術を施したポスターは既に折れ曲り、武器としての役割を果たせない。何か、別の武器が必要だった。

 

「チィ…男だったらシャンと立ってろ」

 

 自分を蹴り飛ばした張本人である槍兵は、悪態をつきながら気怠そうに槍を構え直し、土蔵の中へと歩み寄る。

 緩慢な動作とは裏腹に、手に持つ槍と同質の殺意を込められた鋭い双眸が物語っていた。次など無いと。

 

【GUARD VENT】

 

 だが、どこかから無機質な機械音声が流れ、槍兵の歩みを遮る。

 そして、空気を切り裂く音とともに、上空から円盤状の物体が唸りを上げて蒼の槍兵へと迫った。

 

「———っとぉ!」

 

 それは、完全に意識の外からの、死角からの不意打ちだった。だというのに、槍兵は風切音だけで方角と速度を見抜き、獣の如き敏捷性でそれを避けて見せた。

 標的を外した円盤が地面を砕く。轟音が響き渡り、巻き上がった砂埃が晴れていく。突き刺さったまま、未だ緩やかに回転している円盤の正体は、一切装飾のないシンプルな円盾だった。

 

「危ねぇ危ねぇ、不意打ちとは随分なご挨拶だな?」

 

 士郎と槍兵の間を塞ぐように、何者かが降り立った。

 

「…………」

 

 仮面の騎士が、そこには居た。苛立ちを含む槍兵の問いかけには反応せずに、士郎を一瞥する。不思議と危険は感じなかった。

 剣道の面を模した仮面の隙間からは一対の赤い光が漏れていた。士郎はこちらを見る赤い瞳が、自分の身を案じているかのように思えた。

 

「おいおい、無視かよ。だが、魔術師って雰囲気でも、ましてやサーヴァントって雰囲気でもねぇ。………何者だ?テメェ」

 

「———っ!!」

 

 直接自分に向けられたものではない。だというのに、背筋を包丁で開かれ、剥き出しにされたような怖気が走る。

 改めて士郎は思い知った。先ほどの襲撃はあの槍兵にとって茶番だったのだと。

 その殺気を背中に受けて、仮面の騎士は腰に巻かれたエンブレムからカードを一枚引き抜いて、槍兵に向き直った。

 

「………そりゃこっちの台詞だよ。あんたこそ、見た目は人間だってのに、なんだか決定的な部分が違う」

 

 仮面の騎士はそう言いながら、左手のバイザーにカードを挿し込んだ。

 

「それよりも、……あんた、俺の後ろに居るあいつ、殺す気なのか?」

 

「ああ、つまらん雇い主の意向でな。目撃者には目障りだから死んでもらうんだとさ。その意味では、割り込んできたテメェも該当しちまうな」

 

「……そうかよ」

 

 聞くまでもない、分かりきったことだった。とでも言わんばかりに、仮面の騎士は慣れた手つきでバイザーを上にスライドさせる。

 

【SWORD VENT】

 

 無機質な機械音声が流れる。先ほどと同質のそれは左手のバイザーが発する音だった。

 その音と同時に、月の光に反射する鉄の扉から、剣が放たれ、仮面の騎士はそれに目も向けずに受け取った。

 そして、槍兵に向かって剣を正眼に構え、槍兵へと飛びかかった。

 

「………一つだけ、はっきりしたことがある。あんたは俺の敵ってことだ!」

 

 地面を踏み砕いたことによって生じた石飛礫が士郎の顔に飛来する。思わず両腕で顔を覆ってしまった。

 

「へっ、それもそうだなァ!」

 

 金属と金属が…剣と槍が互いを切り裂かんと、貫かんと衝突し合う。守るための、殺すための戦いが始まった。

 

 

 

 

○○○

 

 

 

 真司は仮面の奥で困惑していた。士郎を襲っていた者の正体。それはミラーモンスターではなく、謎の男だった。

 それだけならば、ただの暴漢ということで話は終わる。だが、返り血のように不気味な光沢を帯びている槍が、その槍を己の体の一部のように自在に操る男の気配が、真司に警鐘を鳴らしていた。

 

「そらそらそらァ!最初の威勢はどこに行ったァ!?」

 

 只者では無いと。

 

「———ぐ、うぅ!」

 

 狙撃銃のように正確無比な点の攻撃が、真司の体を穿とうと迫り来る。

 とても目で追える速度ではなかった。真司はその攻撃を己の直感を以ってして斬り払い、どうにか凌ぎ続ける。

 反撃の余地など一切無い。まさしく防戦一方だった。その状況を打開すべく、真司は槍兵へと踏み込み、肉薄しようとする。

 だが、足元を払うように振るわれた槍が、その踏み込みを許さない。真司は堪らず飛び退いて、歯噛みする。さらに距離を離されてしまった。

 

「くっそっ!」

 

 回数にして、およそ二十。真司は槍兵と切り結んだ。

 その間に自分が一太刀も反撃を返せていないという事実に、彼我の実力差を痛感してしまう。

 未契約のカードデッキ。それだけでも十分に人智を超えた力を齎す物だ。だというのに、現状、押されているのは自分の方だ。

 剣を構え直し、警戒を最大限に引き上げて、真司は槍兵へとにじり寄る。

 距離は十五メートル、決して短い距離ではない。だが、あの槍兵は一息でこちらへと踏み込み、攻撃を浴びせることができるだろう。有って無いようなものだ。

 

「どうした。来ないのか?」

 

 しかし、あちらから仕掛けて来ないのは、自分を侮っているからだろう。

 槍兵はこちらを誘うように手招きした。その吊り上げられた口角には挑発の意味が込められている。

 

「馬鹿にしやがって…!」

 

 言葉とは裏腹に、真司の頭は冷めきっている。その原因は、手に構える剣の重心の違和感だった。

 槍兵との一方的な打ち合いの果てに、刀身が歪み始めているらしい。折れるのは時間の問題だが、これでもよく保った方だろう。

 鈍らの剣であることを悟らせないように、わざと真司は槍兵の挑発に乗った。雄叫びを上げて槍兵へと疾駆する。

 

「待ってました…っと」

 

 構えた槍が空間を引き裂き、唸りを上げて迫る。狙いは顔面。あからさますぎるその攻撃を、真司は剣で受けずに屈んで避け———。

 

 ———反撃せずに、低い体勢のまま横に転がった。

 

 その直後、自分が元居た地面に槍が突き刺さる。あのまま反撃に移っていれば、真司は背中から串刺しにされていただろう。

 

「やっぱりな…!」

 

「ほう?逆上して突っ込んで来たと思ったんだが、冷静じゃねぇか」

 

「そんなフェイント、引っかかるかよ!」

 

 そうして、今度こそ大きく踏み込んで、上段に構えた剣を振り下ろした。

 槍は地面に突き刺さったまま。その槍を引き抜く前に、この剣は槍兵に届く。これが最初で最後のチャンスだった。

 

「———歯ぁ食いしばれ。仮面野郎」

 

「がっ———はぁっ!?」

 

 刹那、顎に伝わる衝撃とともに、真司の世界は縦に回転した。五度、宙を舞いながら地面に叩きつけられ、身体中の空気が吐き出される。

 目が回る。現状を理解できない。シェイクされた頭を押さえて、敵を…槍兵を見据える。

 

「顎、砕くつもりで蹴り飛ばしたんだがなぁ…随分と頑丈な仮面じゃねぇか———」

 

 ———この鈍らと違って。

 

 地面に転がる剣を槍兵が無造作に踏み折る。その甲高い音が、真司を現実に引き戻してくれた。

 頭を振ってどうにか体勢を立て直し、相手の攻撃に備える。

 

「なあ、次はどんな手品を使うんだ?盾に剣と来れば…今度は弓か?」

 

 槍兵は愉快そうに牙を剥いて、こちらが次に何を仕掛けてくるのかを期待して待ち構えている。

 デッキに収められているカードはあと二枚。封印のカードなど、ミラーモンスターではないこの男に通じるとは思えない。

 しかし、試してもいないことを無理だとは言い切れない。破れかぶれに、真司はデッキから封印のカードを引き抜こうとした。

 

「………!」

 

 だが、カードを引き抜こうとする手は、揺さぶられた頭に追い打ちを掛けるような耳鳴りによって止まった。

 真司は横を向いて、一人分の穴が空いたガラス戸を見つめる。

 

「………さっきの忠告の恩返しってわけでもないけど。あんた、後ろに避けた方がいいぞ」

 

「はぁ? 何言ってやが—————っ!?」

 

 そう言い終わらないうちに、槍兵は真司の言葉通りに後ろへと飛び退いた。

 その前を赤い影が雄叫びを上げながら高速で横切る。そして、赤い影は真司を守るように、その周囲で塒を巻いた。

 

「………居るなら居るって言えよな———」

 

 ———ドラグレッダー。

 

 真司は呆れたように、懐かしむように、仮面の下で苦々しい表情を作りながら、赤い影の…赤い龍の名前を呼んだ。

 




元主人の危機に颯爽と駆けつけたドラグレッダー君。
何気に49話にて、真司がミラーワールドで消滅せずに現実世界で死ねたのはドラグレッダー君が運んでくれたおかげなのだと解釈しております。

感想、アドバイス、お待ちしております。


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第12話「龍騎士、再臨」

 ———ドラグレッダー。

 

 思わず真司がその名を呼ぶと、低い唸り声が返ってきた。どうやら、よく似た別の個体というわけでもないらしい。自分と共に戦ってきたあのドラグレッダーであることに間違いは無いようだ。

 しかし、不可解な状況だった。ドラグレッダーはまだ自分とは契約していない。だというのに、こちらを即座に餌と見なして襲ってくる気配がなかった。

 剰え、真司を槍兵から庇うようにして、向かい合っている。

 

「……………」

 

 ドラグレッダーが槍兵に対して、自ら攻撃を仕掛けることはない。まるで、真司の行動を待っているかのようだ。

 

「俺に、力を貸してくれるのか…?」

 

 そう問いかけると、ドラグレッダーはその黄眼で真司を射殺すように、その内に秘めた覚悟を試すように見つめた。お前にその気はあるのかと。

 

 ———駄目。モンスターと契約したら、もう後戻りできない。

 

 あの日、あの瞬間の、彼女の言葉が、真司の胸を貫いていく。

 過去の自分は、彼女の言葉の意味を理解したつもりで、この龍と契約をしてしまった。その先に待っている運命の結末を知りもせずに。

 だが、今度は違う。真司は明確な意思を、願いを持ってこの場所に踏み込んだのだ。守るために戦う。そんな矛盾に塗れた、自分だけの正しさを抱きながら。

 

「ああ…そんなの、とっくに出来てるさ」

 

 真司はそう呟きながら、あるカードを思い浮かべ、デッキから引き抜く。

 CONTRACT(契約)。なんのモンスターも、なんの武器も描かれていない契約のカード。雲の隙間から漏れる光のようなそれを、真司はドラグレッダーにかざした。

 瞬間、カードから眩い光が溢れ出した。その光は周囲を、真司の意識ごと包み込んでいく。

 

「——————」

 

 自分は今、真っ暗な世界の中に居る。おそらく、これは刹那にも満たない一秒に詰められた時間の、夢にも似た錯覚なのだろう。だが、この錯覚は初めてのことではない。

 ふと、真司は視線を感じて正面を向くと、ドラグレッダーが自分を見据えていた。

 値踏みするような黄眼が放つ視線は、初めて契約したあの日となんら変わらない。

 

「…さっさとしてくれよ。どうせお前もこれが狙いだったんだろ?」

 

 視線が鬱陶しくなって、真司はドラグレッダーを急かす。その言葉に頷くように唸ると、ドラグレッダーは真司の周囲を回遊し始めた。

 間も無く、契約が結ばれる。流れ込む龍の力が、嫌でも真司にそう感じさせる。

 だが、その力を以ってしても、あの槍を携えた男に勝てる保証は無い。

 未契約の状態とはいえ、仮面ライダーである自分を圧倒してみせた膂力と技術。何よりも、あの返り血を浴びたかのような不気味な光沢を帯びた槍に、真司は嫌な予感を感じていた。

 ………だが。

 

 ———戦わなければ、生き残れない。

 

 それだけは、真司にとって紛れも無い真実だった。

 ずっと、目を逸らしてきた疑問だった。なぜ自分は見知らぬ他人の体で生き長らえてきたのか。

 きっと、この命は、今日という日のために有ったのだ。目の前で誰かの、理不尽に消し去られそうな命を、この手で守る為に。

 

 

 

 龍の影をその身に纏う。両手を強く握り締めると、赤い血が流れ、この体を焦がして熱く燃えた。

 真っ暗な世界が晴れていく。その、明るくなった視界とともに、止まっていた時間が動き出す。

 そして、真司は……仮面ライダー龍騎は、眼前の敵を見据えた。仮面の隙間から漏れる、真紅の激情を滾らせて。

 

 

 

 

○○○

 

 

 

「………あの龍は、お前のペットってわけか。仮面野郎」

 

 軽々しい口調とは裏腹に、槍兵は龍騎への警戒を最大限に引き上げたらしい。構えられた紅の槍は寸分狂わずこちらへ向けられている。一歩でも踏み出せば、その槍が龍騎の心臓に向けて穿たれることだろう。

 

「俺は、仮面野郎なんて名前じゃない」

 

「………なに?」

 

 いつまでも仮面野郎と呼ばれては些か腹が立つ。先程までは、言い返すことが出来なかったが、今の自分には名乗れる名前がある。

 

「仮面ライダー龍騎。それが、今の俺の名前だよ。それと、あいつはペットなんて生易しい存在じゃない」

 

 下手を打てば、自分を餌と見なしてくる奴を、どうしてペットなどと呼べるのか。

 大袈裟に言ってしまえば、飼い主はペットの命を掌握しているものだ。そのままの意味で捉えるならば、ドラグレッダーが飼い主で、ペットは自分の方になるではないか。そんなことは断じて認められない。

 

「仮面()()()()。ねえ」

 

 槍兵はその単語を反芻する。試しに名乗ってみたが、やはり仮面ライダーという存在に心当たりはないらしい。

 だが、ライダー。という部分に含みがあったのは気のせいだろうか。

 

「………名乗られたからには仕方がねえな。まあ、どうせお前らはすぐに消えるんだから、特に問題はねえだろ」

 

 仕掛けてくる。龍騎は両脚に力を込め、カードデッキに右手を添える。

 

「サーヴァント、ランサー。今宵、貴様らの命、貰い受ける!」

 

「———!」

 

【SWORD VENT】

 

 ランサーがこちらへ踏み込む寸前に、龍騎はカードをバイザーに差し込み、ベントインする。

 だが、剣が龍騎の掌に来る前に、地面を抉る音とともに、槍が繰り出された。狙いは心臓。紅の軌跡を、龍騎はギリギリまで引きつけ、跳躍して飛び越えた。

 

「あんたにくれてやる命なんか———」

 

 返しの一撃が水平の弧を描き、龍騎の背中を切り裂かんと空気を歪めて迫り来る、その瞬間、金属と金属が、火花を散らして衝突した。

 

「———何一つ無い!」

 

 拮抗する刃と穂先。龍騎は振り返っては間に合わないと判断し、背を向けたまま、手にした青龍刀でランサーの攻撃を凌いだのだ。

 龍騎はその体勢のまま、力任せに槍を弾き飛ばす。反撃と言わんばかりに、振り向きざまに青龍刀を振るうが、それは空を切った。

 

「チッ、今度のは鈍らじゃねぇみてぇだな」

 

 仕切り直し。ランサーは龍騎の間合いから即座に飛び退いて、左手を地面に突けて突撃の姿勢をとる。

 そして、自らの攻撃を阻んだ青龍刀を、ランサーは忌々しそうに睨みつけた。

 龍騎は手に馴染んだ青龍刀…ドラグセイバーの柄を固く握り締め、幅の広い刃をランサーへ向けて正眼に構える。

 それが、再開の合図だった。限界まで姿勢を低くして、放たれたランサーの一撃。龍騎は迫る穂先を、逆袈裟に切り払った。

 目紛しい龍騎の剣戟に、ランサーは一歩も退かない。それどころか、振るわれる槍の速度が徐々に上がってきている。

 

「ぐっ…。あんた、さっきまで本気じゃなかったってのかよ!」

 

「そりゃあ、お互い様だろうが———よっとぉ!」

 

 鉄槌と違える程に重い強撃。

 槍の柄による薙ぎ払いが龍騎を押し出し、再び間合いを開かせる。

 

「くっそ、ラチがあかない!」

 

 このまま打ち合っていても攻めきれない。そんな確信が龍騎にはあった。何か、現状を変える一手が欲しい。そう思い、カードデッキに手を掛けて引き抜いた。

 

「……!」

 

 そのカードは正に現状を変える一手だった。だが、本来ならばこのデッキに収められたカードではない。

 神崎の手による物なのか、もっと別の要因が齎した物なのかは分からない。

 しかし、どちらにせよ使わない手は無かった。

 

「気をつけろよ。これ、俺にも何が起こるか分からないから!」

 

「なんだと…?」

 

 龍騎の言葉に、ランサーは不穏なものを感じた。

 その感覚が間違いではない。そう言わんばかりに、龍騎は地面を思い切り蹴り上げて砂埃を巻き起こし、姿をくらませる。

 

【STRANGE VENT】

 

 紛れもなく、このカードは自らの数奇な運命を体現しているだろう。龍騎は仮面の下でその皮肉に笑う。

 変質したカードをバイザー越しで確認した龍騎は、それをベントインした。

 

【TRICK VENT】

 

 無機質な機械音声が発せられる。ランサーはその砂埃の奥で、何かの気配が増えたのを敏感に察知した。直後、三人の龍騎が砂埃を振り払って迫り来る。

 そして、三者三様にランサーへと斬りかかった。

 

 

 

 

○○○

 

 

 

「おいおいおい、三つ子かぁ!?」

 

 自らの実力と伯仲した存在が三人に増えた。反撃の余地すらない三人分の剣戟。そんな危機的な状況にもかかわらず、ランサーの立ち回りには、どこか余裕が感じられる。

 土蔵の中で、先程からその戦いを呆然と見ていた士郎には、その余裕の正体に心当たりがあった。

 ランサーは虎視眈々と窺っているのだ。己が隠し持っている切り札を、相手へ放つ致命的な隙を。

 

「駄目だ…、このままじゃ!」

 

 一抹の不安が士郎の脳裏をよぎる。

 しかし、士郎の言葉は衝突し合う金属の音によって掻き消された。

 相手の防御を引き剝がさんと、体重を乗せて振るわれた龍騎の青龍刀は、槍の銅金を捉える。

 だが、その一撃はランサーを堀の壁ギリギリへ吹き飛ばすのみに留まった。

 

「数の優位に現を抜かしたな。龍騎!」

 

「あの構えは———」

 

 ———不味い。

 

 槍の構えが、変わった。いや、構えだけではない。この空間に流れる空気もだ。

 大気中の魔力が、あの槍に流れ込むのと同時に、呼吸を忘れる程の圧迫感が槍から放たれる。

 並々ならぬ気配を感じた龍騎たちは、()()()にランサーへと疾駆した。

 

「誇りに思うがいい。英霊ですらない存在が、この槍の名を、俺に呼ばせることを!」

 

 ランサーが牙を剥く。それは、獲物を捉えた獣によく似たものだった。

 

刺し穿つ(ゲイ)———」

 

 地面を踏み砕き、ランサーは槍の間合いを詰める。

 

「———死棘の槍(ボルク)!」

 

 ゲイ・ボルク。その名を呼んだ瞬間、槍の形を成した死が、出鱈目な軌道を描いて、龍騎の腹を、胸を、心臓を穿った。

 それだけではない。槍そのものが蛇のように唸り、龍騎たちを持ち上げ、無慈悲に地面へと叩きつける。

 

「……存外、幕切れは呆気ないもんだな。まあ、そりゃ当然っちゃ当然か」

 

 巻き上げられた砂埃が晴れる。そこには粒子のような残滓しかなかった。急所を穿たれた龍騎は敗北し、なんの痕跡も残さずにこの世から消え去ったのだろう。

 

「あの野郎の奮闘に免じて、見逃してやりてぇところなんだが…」

 

「———っ!」

 

 そして、勝利の余韻に浸る間も無く、ランサーは淡々と予定通りの仕事をこなすために、土蔵へと退屈そうに歩み寄る。

 

「坊主。もう一回死んで———」

 

 

 

【STRIKE VENT】

 

 残心を怠った。その一瞬の判断が、明暗を分けた。

 雄叫びを上げるように空気を唸らせ、背後から迫る龍の顎。それは、ランサーに振り向く時間を与えない。

 

「———がっ!?」

 

 己の持ちうる全力速度で踏み込み、己の持ちうる全体重を右手に乗せて放たれた龍騎の拳は、寸分狂わずランサーの頬を完璧に捉えた。

 

「ここまでやって、やっと一発…」

 

 蹴り飛ばされた顎の借りはこれで返せただろう。その事に溜飲を下げて、ランサーを殴り飛ばし、叩きつけた堀の壁を龍騎は警戒する。

 ストレンジベントを使う寸前に砂埃を巻き起こした際に、龍騎は衛宮邸の窓ガラスに飛び込んでいたのだ。避けようのない反撃の隙を窺うために。

 

「隙を窺ってたのは、お前も一緒だったってわけか。…チッ、間抜けが」

 

「効いてないのかよ! あれ、俺の全力だったんだぞ!」

 

 首を鳴らしながら、ランサーはしっかりとした足取りで歩いてきた。まるで、何事も無かったかのように。

 これには龍騎も動揺した。右手に持つ龍の頭を象った籠手…ドラグクローによる一撃が通じないのであれば、いよいよ手段は一つしか無くなる。

 

「いいや、相当効いたね。これは俺の特技みたいなもんさ」

 

「………?」

 

 己の失態に歯噛みして、ランサーは再び槍を構える。だが、その構えにはどうにも敵意というものが削がれているように感じられた。

 怪訝そうに目を細める龍騎の心境を知ってか知らずか、ランサーは意外なことを口にした。

 

「一つ提案がある。ここらで分けって気はないか?」

 

「…どういう風の吹き回しだよ。あんた、俺たちを殺すつもりなんだろ」

 

「そりゃあ雇い主の意向つったろ。俺自身の目的は、純粋に強い奴との戦いを楽しむ事だ。その意味で、お前とはこんな所で早々に決着はつけたくない」

 

 ランサーはそう言いながら、痣になった頬をさする。その悪辣な笑みに、龍騎は既視感と眩暈を覚えた。

 

「俺としては、あんたみたいな危険な奴とはさっさと決着をつけたいんだけど……」

 

 避けようがない軌道を以ってして、自身の分身たちを仕留めた槍を龍騎は思い出す。

 もし、あれを今の状況でもう一度放たれたら、敗北するのは間違いなく自分だ。あれに対抗しうるカードはもう既に使ってしまっている。龍騎からしても、その提案は僥倖だった。

 

「わかった。でも、一つだけ約束しろよ。俺を倒すまでは、あいつには絶対に手を出すな」

 

「………まあ、そうしてやりたいのは山々なんだが———」

 

 ———時と場合によっては、その約束は守れねえかもな。

 

 ランサーの意味深な言葉と、自分の後方を見やる視線に促され、龍騎は正面を警戒しつつ背後を振り返る。

 

 

 

 殆ど条件反射のことだった。迫る不可視の刃を、右手の籠手で防いだのは。

 

 

 

 

○○○

 

 

 

 不可視の刃と龍の籠手が、火花を散らして拮抗する。

 右手に掛かる圧力がとにかく重たい。それが最初に抱いた印象だった。

 

「〜〜〜っ! 新手かよ!」

 

 だが、その印象は直ぐに覆されることになる。

 ランサーの槍を狙撃銃に例えるならば、目の前の敵の剣は散弾銃だ。

 そう錯覚するほどの、威力と密度を揃えた剣戟が、龍騎を八つ裂きにせんと振るわれる。

 

「まさか、あの坊主が七人目の、最後のマスターだったとはな。あいつは…太刀筋からして、クラスはセイバーか。……それにしても間が悪いっつーか、運が無いねぇ。お前も」

 

 まっ、せいぜい生き残れよ。そんな同情するような声が後方から聞こえてくるが、そんなことに意識を割いている余裕は龍騎には無かった。

 形の無い殺意が、あらゆる角度で迫り来る。加えて、現在の自分の得物は青龍刀ではなく籠手だ。不用意に拳を突き出せば、即座に上半身と下半身が泣き別れすることだろう。

 逆袈裟に叩きつけられた剣が、龍騎を木の葉のように軽々と堀の壁の外へと吹き飛ばす。道路で無様に転がりながらも、辛うじて受け身をとることができた。そして、金属同士が擦れる音とともに、龍騎は前を向く。

 そこで、龍騎は初めて自分を背後から襲った者を視界に捉えた。

 

「冗談、キツイぞ…」

 

 自分をあそこまで追い込んだ者の正体は、蒼銀の甲冑に身を包んだ、年端もいかない少女だった。

 月明かりに照らされる金色の髪。雪のように白い頬。そして、翡翠に輝く双眸が龍騎を鋭く見つめている。だが、その鋭い瞳の内に、微かな困惑が見える。

 

「………貴様は何者だ? 英霊でも無い存在が、私の剣を、剰えそのような得物で受けきるなど有り得ない」

 

「はぁ…その質問はさっき聞いたよ」

 

 容姿に違わない透き通った声が、龍騎に問いをかける。その問いは二度目だった。思わず、ため息が漏れる。

 それほどまでに、彼らにとって自身の存在は異質なのだろうか。こちらからすれば、異質なのはそちらの方だというのに。

 

「一ついいかな? 質問に質問で返すのは悪いと思うけど、見逃してくれたりとかは———」

 

「———正体も不確定な相手に、与える慈悲など無い。降参すると言うのならば、まずはその仮面を外すがいい」

 

 それはお互い様だ。などと言うのは無粋だろうか。

 突き放すように自分の提案を遮った少女の言葉には、どこか余裕の無い、ピリピリとしたものが感じられた。

 降参したところで、場合によっては殺されるような気がしてしまうほどに。

 

「…………ごめん、そりゃ無理だよ。そもそも、背後から襲ってくるような奴を、俺は信用できない」

 

「ならば、ここで倒れろ!」

 

 交渉決裂。少女の宣告とともに、手にした不可視の剣が、荒れ狂う暴風を束ねてその刀身に纏った。

 あのランサーのように、何か必殺に値する技を放つつもりなのだろう。

 大きく離れた間合い。一直線の道路。迎え撃つ方法は一つしか無い。

 右手の籠手に力を込める。すると、龍騎の呼びかけに応じて、ドラグレッダーが遥か上空から舞い降りる。

 その光景に、少女は僅かに目を見開いたが、直ぐに剣を構えた。

 

風王(ストライク)———」

 

 指向性を持った暴風が、今にも龍騎に襲い掛かろうと唸りを上げる。

 龍騎はドラグレッダーとの意識を同調させ、その暴風を迎え撃たんと籠手を脇の下まで引き寄せる。

 

「———鉄槌(エア)!」

 

 その言葉とともに突き出された暴風が、文字通り空気を切り裂いて龍騎に迫る。

 だが、それと全く同時のタイミングで、龍騎は籠手を前に突き出した。

 ドラグクロー。この籠手の用途は打撃武器というだけではない。遠距離武器としての用途も兼ね備えているのだ。

 極限まで濃縮された火炎をドラグレッダーが放つ。

 

 

 

 相手を切り裂かんと放たれた疾風の奔流。

 それを迎え撃たんと放たれた烈火の熱塊。

 相反するエネルギーを持った二つの衝撃は、火災旋風となって舞い上がり、夜の街を朝焼けのように照らし出した。

 

 聖杯戦争。その戦いの火蓋は今宵を以って切られた。




サーヴァントが七騎揃ったのは原作の描写からして、二月三日。仮面ライダー龍騎の放送が開始されたのも二月三日。…これは紛れもなく運命だな!

それと、ちょっと残念なお知らせになるかもしれませんが、今後の展開が自分にとって複雑になるので週刊ペースでの投稿が難しくなってしまいそうなんですよね…。
不定期更新にしようかとも思ったんですけども、あんまりそういう事は個人的にしたくはない…。
そこで、原作とプロットの確認を兼ねて書き溜めスタイルに移行したいと思います。
何話まで書き溜めるとかはまだ未定ですが、長くとも二ヶ月以内には投稿を再開できればなと。

感想、アドバイス、お待ちしております。


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番外編「送り火」

 

「時速760キロメートルのバイクが3420キロメートル進むまでの時間は……4.5時間、かなぁ?………バイクってこんなに速度出るのか?」

 

 問題を作った先生が、桁を一つ間違えたとしか考えられない。そのようなモンスターマシンが実在するのならば、是非とも乗ってみたい。

 そんなことを思いながら、真司は問題を解き進めていく。存外、算数というのは脳のトレーニングにもなって楽しいものだ。

 …これが数学になった途端苦行に変貌するのだが。

 

「………因数分解ってなんだよ。勝手に分解するなよ。自然のままにしておけよ」

 

 来年に想いを馳せて、真司はため息をついた。一応、真司は大学を出ている身だが、文系の男だ。真司としては簡単な計算がササッと暗算できれば満足なのである。

 将来は、ジャーナリスト以外の職業を選ぶつもりはない。作文ではその想いを何度も書き綴った。

 

「将来、ねぇ…」

 

 気がつけば、真司がここに来てから四年の月日が流れていた。小学生最後の夏である。

 最初の頃は、寝て起きてしまえば全て元通りになっているのだと楽観していた。

 しかし、いつまで経ってもその気配は無い。自分はすっかり間桐慎二として馴染んでしまった。

 

「とりあえず、算数の宿題終わらせるかぁ…」

 

 今はそんなことよりも宿題だ。そう思い、真司は手を動かす。期限までにはまだ余裕はあるが、今年の自由研究には力を込める計画なのだ。余分な事に時間をかけてはいられない。

 

「よっし、これで最後っと」

 

 そう言いながら、最後のページをめくった瞬間だった。

 

「兄さん? 入ってもいいですか?」

 

 ノックの音とともに、桜の声が聞こえてきたのは。

 

「ああ、うん。どうぞ〜」

 

 真司は特に気にしていないのだが、桜は毎回律儀に部屋の扉をノックをする。兄妹なのだから、そのような遠慮などしなくてもいいというのに。

 真司が返事をすると、桜はおずおずと部屋に入ってきた。

 

「…もうすぐ待ち合わせの時間ですよ?」

 

 …なぜか桜は浴衣姿である。文句なしに似合ってはいるが。真司はその姿を見て、とあることを思い出し、部屋の時計を見上げる。もうすぐ、時針が六の数字を指そうとしていた。

 

「………やべっ! もう時間かよ!」

 

 今日は祭りの日だということを、真司はすっかり忘れていた。士郎たちとの待ち合わせまで時間があったので、暇つぶしがてらに宿題をしていたのだ。

 大慌てでTシャツとズボンを脱ぎ捨て、ベッドの上に畳まれた浴衣に手を伸ばす。

 

「に、兄さん!? ……き、きき着替えるなら言ってください!」

 

 大きな驚愕と小さな歓喜が入り混じった悲鳴を上げて、桜は咄嗟に顔を手で覆う。だが、その言葉と動作とは裏腹に、指の隙間から半裸になった真司を目に焼き付けるように凝視していた。

 

「今更なに言ってんのさ! 桜ちゃんに裸くらい見られても俺は全然気にしないっての!」

 

「〜〜〜っ! 私が気にするんです!」

 

 そこまで言うのならば、自分の部屋から出てしまえばいいのではないか。しかし、桜は一歩も動こうとしない。

 ちぐはぐな様子の桜には目もくれず、真司は急いで浴衣に着替える。絶対に着なければならない決まりなどはないが、なんとなく、風情は大事にしたいというのが、真司の考えだった。

 

 

 

 下駄の歯がアスファルトと打ちつけ合い、独特な音を奏でる。真司は下駄の具合を確認しながら、待ち合わせの場所へと歩く。

 

「俺の下駄は大丈夫そうかな…。桜ちゃんのは大丈夫? 去年みたいな事になったら大変だからさ」

 

「はい。もし鼻緒が切れちゃっても、今年は結び方を調べたので心配ご無用です」

 

「…本当〜?」

 

 えっへん。と妙に胸を張っている桜に、真司は疑わしい視線を投げかける。昨年は下駄という履物に慣れていない所為からか、桜の下駄の鼻緒が切れてしまい、真司がおんぶをして祭りを歩き回ったのだ。

 汗だくの姿を士郎と大河にからかわれたのは、未だ記憶に新しい。

 他愛のない会話をしながら歩いていると、徐々に人々の起こす喧噪が近くなってくる。

 

「一応、時間には間に合ったか…。後は士郎たちを探すだけなんだけど…」

 

 腕時計の時間を確認して、真司は安堵する。しかし、冬木大橋の近くの広場を待ち合わせの場所に決めたのだが、考えることは他の人たちも同じだったらしい。人集りが多く、士郎たちの姿が探しづらかった。

 これならば、どちらかの家を待ち合わせ場所にしておけばよかった。

 

「……多分あっちの方です。ついてきてください」

 

「うん?」

 

 不意に、桜に手を引かれ、真司はそれに従う。人混みをかき分けながら進んでいると、こちらを呼ぶ声が聞こえた。

 

「おーい! 慎ちゃーん! 桜ちゃーん!」

 

 多くの人たちの喧噪にも引けを取らない大声が、真司の耳を劈く。

 わかりやすいなぁ。と思いながら、真司がそちらの方を向くと、器用に下駄で飛び跳ねながら、こちらに手を振っている大河が目に入った。確か、今年で二十歳になるというのに、その天真爛漫な性格は、なりを潜めない。

 

「藤ねえ、少しは落ち着けよなぁ…」

 

 呆れたように首を横に振りながら、隣に居た士郎が大河を宥める。だが、その程度の制止で収まるのならば、大河は冬木の虎などとは呼ばれていない。

 

「士郎、こっちは勉強に次ぐ勉強で鬱憤が溜まってるの! ここらで発散したいの!」

 

「ちょっ!? 離せっての!」

 

 大河は癇癪を起こした子どものように喚き散らして、士郎の肩を揺さぶる。助けを求めるように士郎はこちらを見てくるが、真司は目を逸らし、視線による救難信号を断ち切った。

 

「あ、あはは。…それにしても、すごいね桜ちゃん。どうして士郎たちの居る場所が分かったの?」

 

 振り子のように揺さぶられている士郎を尻目に、真司は先ほどの事を桜に尋ねる。どうにも迷いのない足取りで先導されたので、疑問に思ったのだ。

 

「ち、ちょっとした勘です。藤ねえさんに声をかけて貰わなかったら、私も直ぐには気づけませんでした…」

 

「ふーん。………藤ねえー。そろそろお腹減ったから屋台の方に行こうよ。もういい時間だしさぁ」

 

 流石に士郎が可哀想になってきたので、助け舟を出してやることにした。

 

「それもそうね! みんな。はぐれないように私についてきなさい!」

 

 意気揚々と歩き出した大河に遅れないように、真司たちも後に続く。脳みそごと揺さぶられたのか、おぼつかない足取りで歩こうとしていた士郎に肩を貸しながら。

 

 

 

 

○○○

 

 

 

「………はぐれた」

 

 などと、深刻そうに言いつつ、真司は綿菓子を頬張ることを止めようとはしない。偶々、綿菓子の屋台が通り道にあったので、気まぐれに買ってみたが、久々に食べるとなかなか美味しいのだ。

 

「うーん…。どっちに行けば合流できるんだろう」

 

 長時間、型抜きに挑戦していたのがいけなかったのか。チューリップの型を完成させて、賞金を貰ったのだが、振り返ると誰も居なかった。別の場所に移るのなら、何か一言だけでも声をかけてほしかった。

 

「………げっ」

 

 しばらくの間、途方にくれて周囲を見渡していると、視界の端に黒いツインテールが映る。真司は迷うことなく回り道をすることにした。

 桜たちとはぐれてしまったことを彼女に知られたら、確実に揶揄われるのが目に見えている。

 

「ここまで来れば安心———」

 

 そんな安堵の言葉は、ポンポンと肩を叩かれる感覚によって止まった。

 まじかよ。そう思いながらも、真司は咄嗟に振り返る。すると、細い指先が真司の頬に突き刺さった。

 

「………なんで逃げるのよ。別にとって食うつもりなんかないのに」

 

「………逆になんで追いかけて来るんだよ。俺は今急いでるんだ」

 

 刺された頬をさすり、真司は下手人に向き直る。そこには、不満げに口をへの字に曲げた凛が居た。

 赤い悪魔。密かに真司が命名した渾名に違わぬ赤い浴衣に身を包んで。

 

 

 

「あっはははっ! あんた、型抜きなんかに夢中になってはぐれたんだ!」

 

 真司が渋々事情を話すと、凛は快活な笑い声を上げる。これでも学校では優等生として認識されているという事実に、真司は世の中の理不尽を感じた。

 どんなに猫を被っていたのだとしても、周りの目は節穴すぎる。遠坂凛という少女の本性はとても恐ろしいものなのだ。

 

「うっさい、しっかり完成させたんだぞ。チューリップ。文句なしの出来だーって褒められたんだからな」

 

「…本当〜?」

 

 凛の疑わしい視線が癪に触った。既視感を感じるやりとりだが、真司は懐から証拠を取り出す。

 

「本当だっての。ほら、ピカピカの五百円玉。しかも記念硬貨だ」

 

 見せびらかすように、真司は凛に型抜きの戦利品を手渡す。凛はそれをまじまじと見つめると後ろの屋台へ振り返った。

 

「へぇー。……おじさん、ラムネ二本くださいな」

 

 愛想のいい笑顔で、凛はラムネとお釣りを受け取る。そして、片方のラムネとお釣りを自分に手渡してきた。

 あまりにも自然な動作だったことから、真司は反応がかなり遅れる。

 

「………あっ!? 俺の努力の結晶!?」

 

 気づいた頃にはもう遅い。三十分の激闘の対価は、ただの冷たい瓶に変わってしまった。

 真司は我が物顔でラムネを飲んでいる凛を呆然と眺める。

 

「結局はお金なんだから、使わないと損じゃない。……慎二くん、飲まないの? 温くなっちゃうわよ?」

 

「…………飲む」

 

 ラムネに罪はない。そう思うことで、真司は踏ん切りをつけた。キャップを外し、中のビー玉を押すと、炭酸の気が音を立てて抜ける。

 そして、ラムネを一息で流し込んだ。冷たい泡が喉を通過する。その清涼感が、真司の溜飲を若干下げてくれた。

 

 

 

 屋台の喧噪から離れ、比較的閑散とした川沿いの道を、真司は凛に先導されて歩く。あの後、それとなく逃げようとしたのだが、凛に襟元を掴まれてしまい、それは叶わなかった。

 

「なぁ〜、凛〜。いつまで付き合えばいいんだよ。いい加減、桜ちゃんたちと合流したいんだけど」

 

「まあまあ、黙って私についてきなさい。こうやって慎二くんを揶揄える機会も、もう残り少ないんだし」

 

「あ〜…。あの噂本当だったのか、別の中学に進学するってやつ」

 

 終業式の日に、小耳に挟んだことなのだが、廊下で凛と担任の先生が、進学先について話しているのを目撃したクラスメートの男子が居たのだ。

 その男子は、目元を潤ませて、卒業式の後に告白するのだと語っていた。

 おませさんだな。と思い返しつつ、その儚い憧憬に心を動かされた真司は、心の中でサムズアップをした。願わくば、その僅かな勇気が報われますようにと。

 

「あれ、知ってたんだ。…………ふーん」

 

 真司がノスタルジックな感傷に浸っていると、凛が口元を嫌味ったらしく歪ませて、こちらの顔を覗き込んできた。

 間違いない。あれは変なことを閃いた顔だ。

 

「慎二くん、寂しい?」

 

「そ、そんなわけないだろ。こっちは寧ろせいせいした気分だっつーの。今まで、散々馬鹿にしやがって」

 

 四年前、転校初日の衝撃的な出会いを経て以来、真司はこの少女に、毎日のように振り回されてきた。

 しかも、周囲には、優等生に張り合う面白い奴として認識される始末である。まったくもって心外なことだ。

 

「………ふふっ、なんだかんだでずっとクラスも一緒だったしね。私たち」

 

「ほんとだよ。凛の所為で一般的な小学生の三倍は疲れたね。まだ半年もあるってのが信じられないくらいだ」

 

「そうなの? 私は慎二くんのおかげで四倍は楽しめたんだけどなぁ。慎二くんのリアクションって面白すぎるんだもん。芸人とか向いてるんじゃない?」

 

「…あっそ」

 

 真司は不貞腐れて顔を逸らす。それを機に、会話は途切れてしまう。

 しかし、なぜか気まずいと感じることは無いのが不思議だった。お互い、自分を飾らずに接しているからだろうか。

 凛が前を歩き、真司はそれに続く。そうやってしばらくの間歩いていると、不意に凛が立ち止まった。

 

「いたいた。ほら、慎二くん。いつまでも不貞腐れてないで前向いてみなさい」

 

 そう言いながら、凛は前を指差す。目を凝らして、真司がその先を見ると、街灯の下に桜たちが居た。自分を探しているようで、しきりに辺りを見回している。

 

「うわっ、凛。このために俺を連れ回してたのかよ。でも、なんで桜ちゃんたちの居場所が分かったんだ?」

 

 先ほどの桜といい、訳がわからない。二人は実は超能力者だったのか。

 

「ちょっとした勘ね。私の勘はよく当たるのよ。………まあ、そんなことはどうでもいいでしょーっと!」

 

「危なっ!?」

 

 凛が突然背中を押してくる。たたらを踏みながら真司は振り返って、凛に抗議の視線を向けた。

 

「まだ全然桜とお祭り回れてないんでしょ? ………桜に悪いから、そろそろ解放してあげるわ」

 

「……なあ、別に凛も一緒に———」

 

「———じゃ、私まだ用事あるから!」

 

 真司の言葉を遮った凛は、取り繕うような表情で頷いた後に、来た道を戻ってしまう。その背中は、どこか寂しげだった。

 素直じゃないなぁ。と思いながら、真司は凛の背中に言葉を投げかける。

 

「凛! 凛が別の中学に進学するかもって桜ちゃんに言ったら、桜ちゃんは寂しくなるって言ってたぞ! ………ちなみに、俺もちょっと寂しい!」

 

 真司は口に手を添えて叫ぶ。すると、凛は言葉の意味を汲み取るように立ち止まった。そして、返事をすることもなく、駆け足で走り去ってしまった。

 凛の表情が見えないのは残念だったが、明らかに恥ずかしがっている。

 ガコガコと、下駄の歯を擦り減らさんばかりに荒っぽい音を立てているのは、それを誤魔化している証拠だ。

 カウンターが決まったことに満足した真司は、大手を振って桜たちに駆け寄った。

 

 

 

 

○○○

 

 

 

 夜の川を照らすように、数えきれない程の灯籠が水の流れに従って通り過ぎていく。その光景を、真司は河川敷の階段に座り、ぼんやりと眺めていた。

 丁度、真司がここに来た年の出来事だった。新都の方で大規模な火災が起こったというのは。その火災によって数百人以上の人々が犠牲になったらしい。

 それ以来、末遠川で行われる灯籠流しには、犠牲者の鎮魂の祈りも込められているのだと、過去に道徳の授業で教わった。

 

「…………」

 

 桜は大河に引っ張られて、どこかに行ってしまったようだ。真司がお手洗いから戻ってきた頃には、既にどこにも居なかった。

 真司は視線だけを、隣に座っている士郎に向ける。士郎は一つ一つの灯籠を見つめていた。まるで、自らの罪を数えているかのように。

 

「…士郎、俺ちょっと軽くつまめるもの買ってくるから、ここで待っててくれるか?」

 

「わかった」

 

 微動だにせず、士郎は返事をする。そんな士郎の様子にため息をつきながら、真司は屋台の方へと向かった。正直、一人にさせた方がいいと感じる程に、士郎の表情は尋常ではなかった。

 

「………あの人って…」

 

 道に沿って、ブラブラと歩いていると、その先に見覚えのある男性が川を眺めていた。

 

「………あ、あの、切嗣さん、ですよね? こんばんわ」

 

「…うん? …慎二くんか。こんばんわ」

 

 衛宮切嗣(えみやきりつぐ)。士郎の養父である男性がこちらを向く。随分と老け込んだ印象を感じさせるが、これでも三十代らしい。士郎に爺さんと呼ばれるのも納得だ。

 切嗣は少し前から体調を崩し、自宅で養生している筈だったのだが、こうして出歩けるぐらいには回復したのだろうか。

 

「慎二くん、士郎たちとは一緒じゃないのかな?」

 

「あ〜…、その〜…。士郎ならあっちに居るんですけど…」

 

 なんと言えばいいのか。返答に困った真司は、ちらりと背後を向く。相変わらず、士郎は流れていく灯籠を見ているらしい。

 

「…今年も、か」

 

 真司の視線に促され、切嗣も士郎を見つける。しかし、士郎を見る切嗣の瞳には、煤のように暗いものが漂っていた。

 

「…………慎二くん。ちょっと、長い話に付き合ってくれるかな?」

 

「はあ。全然いいですよ」

 

 まだまだ、流れていく灯籠が途絶える気配はない。桜たちも戻ってきていないので、真司は快く了承した。

 

「…ありがとう」

 

 そう言いながら、切嗣はある事について語り始めた。

 

 

 

「……ごめんね。せっかくの祭りの日なのに、暗い話をして」

 

「そんなことないです。………でも、よかったんですか? 俺に、その、士郎の事を話しても」

 

 士郎は、四年半前の大火災によって家族を亡くした。天涯孤独になってしまった士郎を、切嗣が養子として引き取ったらしい。

 それ以来、この季節になると、毎年のように末遠川の灯籠流しに訪れては、川に流れる灯籠を見ているようだ。

 きっと、士郎は忘れたくないのだろう。亡くなった家族たちとの日々を。少なくとも、切嗣の話を聞いた真司はそう思った。

 

「大丈夫さ。慎二くんは他人の秘密を易々と誰かにバラすような子じゃないって分かってるから」

 

「あ、あはは…」

 

 過去就いていた職業的に言うのならば、切嗣の認識は間違っているが、真司にその認識を訂正する手段は無い。苦笑いをすることしか出来なかった。

 

「それに、君なら———」

 

「———あぁーっ! 切嗣さんっ!」

 

 大河の大声が重なり、切嗣の言葉を最後まで聞き取れなかった。間が良いというべきか、悪いというべきか。

 その勢いのまま、切嗣を掻っ攫っていってしまった。仮にも病人である切嗣に対する扱いではない。もはや虎の嵐だ。

 

「切嗣さん。何言おうとしてたんだろ。…………ん?」

 

 大河たちを追いかけようと、真司が一歩踏み出そうとしたが、グイグイと、浴衣の裾が引っ張られる。振り返ると、疲れ切った表情でこちらを見上げている桜が居た。

 

「……と、とりあえずお疲れ様。藤ねえとどこに行ってたのさ?」

 

「……………」

 

 返事はない。自分が居ない間に一体どんな目にあったというのか。

 

「さ、桜ちゃん? 浴衣はだけるから離してくれない?」

 

 真司がそう言っても、桜は手を緩めない。言葉を発するのも億劫なのだろうか。熟考の末、真司はある結論に辿り着いた。

 

「そういえば、碌にお祭り一緒に回れてなかったね。藤ねえたちもどっか行っちゃったし。………行く?」

 

「……………」

 

 桜は無言でがっしりと自分の腕にしがみついてきた。それが返答なのだろう。奥の方で聞こえる士郎の悲鳴を背景音楽にしながら、二人は当てもなく歩きはじめた。

 

 

 

「………おっ! 桜ちゃん、花火始まるよ!」

 

 丁度いい位置に有ったベンチに座り、たこ焼きを頬張っていると、口笛じみた音を上げながら、花火玉が良く晴れた夜空へと飛んでいった。

 その音を敏感に聞き取った真司は、桜に呼びかけるように上を指差す。

 その瞬間、炸裂音とともに菊型の光が咲いた。手を伸ばせば届くのではないか。真司がそう錯覚するほどに巨大な光が。

 それを口火に、次々と花火が打ち上げられ、夜空を明るく照らしだす。

 もしも、この世界に魔法のような現象があるのなら、こういう綺麗なものの方がずっと良い。

 そんなことを思いながら、真司は明るい夜空を見上げ続けた。

 




捗らない書き溜めから逃げるように番外編投稿…。
基本的に番外編は7話と8話の間の出来事になりそうです。

感想、アドバイス、お待ちしております。


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第13話『秘奥』

 

「流石に、きっつい……」

 

 龍騎は、自分が生きていることを再確認するように、腹の底から息を大きく吐き出し、同じように空気を大きく吸い込んだ。

 そして、道路の真ん中で仰向けになり、大の字で寝っ転がる。その無防備な休息を邪魔する者は誰一人として居なかった。

 あの衝撃波に乗じて、龍騎はミラーワールドへ逃げ込んでいたのだ。おそらく、その姿は見られてはいないだろう。

 

「ミラーワールドの方が安全とか…。よく考えたら、すごい状況だよな…」

 

 先程のランサーとの戦いの際にも、龍騎はミラーワールドに潜伏していたが、ドラグレッダー以外のミラーモンスターの姿は一切見受けられなかった。

 粗方ドラグレッダーが他のモンスターたちを食べ尽くしたといったところだろうか。

 

「あの子……。確か、あいつにはセイバーって呼ばれてたっけ」

 

 龍騎は起き上がって、カーブミラーから現実世界の様子を覗き込む。

 不可視の剣を携えた少女…セイバーは未だに警戒を解いていないようだ。ジリジリと龍騎が元居た場所へとにじり寄っている。

 

「あっ」

 

 不意に鏡越しから、慌てたように駆け寄る音とセイバーを引き止める声が聞こえてきた。

 

「やっべ! 士郎忘れてた!」

 

 土蔵に篭って居ればいいものを、士郎は何を考えているのかセイバーに対して咎めるような言葉を叫んでいる。

 話せば分かる相手じゃないだろう。馬鹿かあいつは。

 龍騎は内心で罵倒しながらも、咄嗟にカードを引き抜いてバイザーに差し込み、再び鏡に飛び込もうとしたが、それは杞憂に終わった。

 

「…………ん?」

 

 なぜか士郎とセイバーは言い争っていた。少なくとも、士郎を襲う気はセイバーにはないらしい。ランサー以上に話が通じない印象をあの少女に抱いていた龍騎は、若干その光景が拍子抜けだった。

 心なしか、士郎の言葉の勢いに乗って、セイバーの反論も荒々しいものになっているような気がする。

 左手のバイザーに添えた手を降ろして、どうしたものかと思案していると、いつのまにか隣に居たドラグレッダーが注意を促すように唸りを上げた。

 

「なんだよ、ドラグレッダー。もう大丈夫そうじゃ———」

 

 その言葉は、途中で止まった。不快感を煽るような、耳障りな吃音が、濁った足音とともに龍騎の耳に入ってくる。

 シアゴースト。ヤゴを彷彿とさせる大顎に、中身が透き通って見える頭部。

 突如として湧き出てきた人型の異形は、地面に落ちた飴に群がる蟻のように路上に駐車された車に向かっている。

 だが、その動きは龍騎が知るものよりも、遥かに緩慢だった。その一歩一歩が、間違いなく自らの命を擦り減らしていると感じさせる程に。

 

「ヴッ…ヴヴ……」

 

 やがて、シアゴーストは車に辿り着くと、その窓ガラスに映っているセイバーと士郎に向かって飛び込もうとする。だが、その体が窓ガラスをすり抜ける事はなかった。

 そうして、硝子の割れる音が反転した世界に響き渡る。

 無様に窓ガラスを突き破ったシアゴーストは、しばらくの間、戸惑うように身じろぎをした後に、ようやく龍騎たちの存在に気がついたのか、緩やかな足取りで歩み寄ってきた。

 

「…よくわかんないけど、ドラグレッダー。頼んだ」

 

 龍騎がそう言うと、ドラグレッダーは先程よりも小規模な火炎をシアゴーストへ向けて吐き出した。

 その炎は瞬く間に燃え広がり、シアゴーストの体を焦がしてゆく。

 

「なんか、急に湧いてきたって感じだな……」

 

 燃え尽きてゆくシアゴーストを眺めながら、龍騎は頬に手を当てて考え込む。

 このミラーモンスターは、どうにも他のミラーモンスターとは雰囲気が違うような気がする。

 羽化と繁殖。その性質は他のミラーモンスターには無かったものだ。そして、極め付けにこの不可解な現象だ。

 

「っとと、追いかけなきゃな」

 

 気がつけば鏡に映る士郎たちが遠のいていた。目下の脅威はセイバーだ。

 突然、あの少女が心変わりをして、士郎に襲いかかるかもしれないのだから、目を離してはいけない。

 見た目で騙されてしまいそうになるが、仮面ライダーである自分と互角以上に渡り合った時点で、まともな人間ではないのだから。

 龍騎は急いで彼らの後を追った。もしかすれば、何か情報が聞き出せるかもしれないという打算も胸に抱えて。

 

「…………は?」

 

  そんな龍騎の足は、士郎たちの先に居る見慣れた知り合いの、見慣れない雰囲気を纏う姿によって止まった。

 赤いコートと左右に結んだ長い黒髪が特徴的な、学校では才色兼備の皮を被っている少女。その皮に騙されている全校男子の、ついでに士郎の憧憬の対象。

 遠坂凛が、そこに居た。赤い外套の男を側に伴って。

 

 

 

 

○○○

 

 

 

 現在、衛宮邸の居間では、士郎とセイバーが隣り合って座布団に座り、テーブルの向かいに凛が座っている。そして、なぜか凛は我が物顔で湯呑みに入った熱いお茶を啜っている。

 

「……………」

 

 怒涛の展開の連続で、龍騎の……真司の頭は破裂しそうになっていた。

 凛に襲いかかろうとするセイバー。そのセイバーを必死に止める士郎。そんな士郎の様子に呆れる凛。側から見ても奇妙な三竦みの関係が成立していた。

 そうこうしているうちに、凛がこの状況について説明すると士郎に言った。

 彼らは衛宮邸へと入っていくので、真司もミラーワールドを介して衛宮邸に上がり込み、居間の隣の部屋からこっそりと話を盗み聞きしているのだ。

 

 ———マスター、サーヴァント。……さっぱりわからない

 

 凛の話を聞いていた真司には、内容の半分も理解できているかすら自信が無い。馴染みのない単語が羅列され過ぎている。

 辛うじてわかったことだが、マスターというのは凛と士郎を。サーヴァントというのはセイバーとランサーを指す言葉らしい。

 

 ———魔術師ってのもだ。

 

 マスターになるには、魔術師に備わっている魔術カイロなる物が必要不可欠で、つまり、凛と士郎は魔術師であることになる。

 先ほど、居間に入った際も凛は割れたままのガラスや庭を元通りに直していたらしいので納得がいく。

 逆に士郎が驚いていたのは不自然だったが、凛曰く士郎は魔術師の中でも半端者なのだとか。

 

 ———魔術カイロ………。

 

 それにしても、魔術カイロという物はさぞかし温まるのだろう。真司は寒がりな方なので、二人が羨ましくなった。言えば分けて貰えないのだろうか。

 ………くだらない考えは頭の片隅に追いやって、真司は話に集中する。

 

 ———要は仮面ライダーとミラーモンスターの関係と似たような感じってことなのか。

 

 魔術というものに関する専門的な知識が無い真司には、マスターとサーヴァントの関係について、そのような結論しか下せない。

 だが、それらの事柄よりも、次に凛の口から告げられた言葉が真司を凍りつかせた。

 

「まだ解らない? ようするにね、貴方はあるゲームに巻き込まれたのよ。聖杯戦争っていう、七人のマスターの生存競争。他のマスターを一人残らず倒すまで終わらない、魔術師同士の殺し合いに」

 

 真司にとって、その宣告は悪夢のように残酷なものだった。

 

 

 

 聖杯戦争。七組のマスターとサーヴァントが命を懸けて殺し合う戦いに、図らずも自分が参加してしまっていることは理解できた。

 しかし、凛からの説明を聞き終えた士郎には、まだ疑問が残っていた。

 

「なあ、遠坂。最後に一つだけ聞きたいことがあるんだけど…」

 

「なに? 衛宮くん」

 

 凛は制服の上から赤いコートを羽織る。もう帰るつもりなのだろう。

 あまり話は長引かせない方がいいかもしれないが、自分を助けてくれたあの仮面の騎士について、士郎は少しでも情報が欲しかった。

 

「さっきの遠坂の言い方だと、サーヴァントはサーヴァントじゃなくても倒せるんだよな?」

 

 その言葉を聞くや否や、凛は士郎に対して咎めるような視線を向ける。自分がサーヴァントに挑むとでも考えているのだろうか。

 だが、それは凛の勘違いだ。三度も間近でサーヴァントの戦いを見てしまったのだから、逆立ちしても敵わない事など流石に分かる。

 

「…貴方、変なこと考えてないでしょうね。幾らかやりようはある。とは言ったけど、サーヴァントってのは基本的に魔術師の、それも貴方みたいなへっぽこの手に負える相手じゃ———」

 

「———違う。例外が居たんだよ。そいつはサーヴァントじゃないってのに、ランサーとまともに打ち合って、最後に一発、ランサーを殴り飛ばしたんだ」

 

 余計な一言を言う凛にむっとしながらも、士郎は話を続ける。ランサーに殺されかけた自分が無事である理由は、その例外が助けてくれたからなのだと。

 すると、凛はただでさえ大きい目を更に見開いた。…驚愕、しているのだろうか。

 

「シロウ。貴方は…」

 

 まだ、あの仮面の騎士を味方だと思っているのか。そんな視線を、セイバーは士郎に対して投げかける。

 

 ———やめろ、セイバー! あいつは俺を助けようとしてくれたんだぞ!

 

 ———敵の敵が、味方であるとは限りません。その油断に託けて、貴方を利用する可能性もあった筈だ!

 

 先ほど、龍騎に襲いかかったセイバーを止めようとした際の出来事を士郎は思い返す。

 自らの置かれている立場を知った今、その言葉の意味は痛いほど理解できた。

 だが、土蔵の扉の向こうから、自分を案じるように一瞥したあの赤い瞳を、士郎は勝手ながら信じたくなってしまったのだ。

 

「…たしか、そいつは龍騎って名前だったはずだ。遠坂、その名前に聞き覚えはないか?」

 

 

 

 

○○○

 

 

 

「……………」

 

 誰も居なくなったことを確認し、真司は居間の障子をピシャリと開けた。

 呆然としていたので、最後まで話を聞けなかったが、士郎たちは隣町の教会へ出かけたらしい。

 なので、数時間は戻って来ないだろう。念のため、ドラグレッダーに追跡を頼んでおいた。

 

「あ、靴履いたままだった…」

 

 真司は土足のまま上がり込んでいたことを思い出し、慌てて靴を脱いだ。そして、項垂れるように座り込む。

 

「…………痛ってえなぁ」

 

 先程、ランサーに蹴られたが傷が痛む。たとえ、仮面ライダーに変身したとしても、受けたダメージはある程度残るのだ。

 放っておく理由もないので、真司は怪我の手当てをすることにした。

 

「たしか、氷嚢と救急箱はっと………」

 

 台所の上の棚にあった筈だ。十年間、衛宮邸に通い詰めた年月は伊達じゃない。衛宮邸の何処に何があるのかは、物覚えの悪い真司の頭にも大体入ってしまっていた。

 無事に目的の物を発見した真司は、冷蔵庫にあった氷を氷嚢に入れて、打撲の部分に当てがった。

 

 

 

 ジクジクと熱く痛む傷の感覚を、冷え切った氷が鈍らせていく。

 

 「聖杯、戦争か……」

 

 嫌な予感はしていた。カードデッキ。理不尽に抗う力を神崎に与えられた時点で、自分たちの日常を脅かす何かが、迫っているのだと。

 しかし、凛が語った聖杯戦争というものは、作為的なものを感じる程に似すぎていた。かつて、自分が経験し、最期に命を落とした、あのライダーバトルに。

 

「…絶対、絶対、今度は止めてやるからな———」

 

 ———たとえ、もう一回死んだって。

 

 誰に向けた訳でもない言葉を真司は呟く。それは、ある種の決意表明だった。

 これは、あの戦いを止めることが出来なかった自分に対する罰なのか、再び与えられたチャンスなのか。そんなことは知ったことではない。

 契約をしたあの瞬間に、死ぬ覚悟など済ませている。どうせ、返し方も分からない拾った命だ。どこで使おうが、自分の勝手だろう。

 

 気がつけば、時刻は午前の二時過ぎになっていた。士郎たちが出かけてから、一時間以上は過ぎている。

 既に傷の痛みも引いた。後は冷湿布でも貼ってしまえば問題ないと、真司は判断した。

 そして、可能な限りここに誰かが居たという痕跡を残さずに後片付けをして、自分もミラーワールドから士郎たちの追跡をすることにした。

 

 

 

 

○○○

 

 

 

「◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎ーーーーッ!!!」

 

 聞く者の臓腑を震わせるほどの咆哮が、閑静な住宅街に響き渡る。その咆哮とともに、岩盤を削り出したかのように巨大な斧剣が、横薙ぎに振るわれ、セイバーを捉えた。

 ぐちゃり。とやけに湿った音がしたような気がしたが、その音は地面に叩きつけられる音によって掻き消された。

 

「———っ…」

 

 セイバーは不可視の剣を杖代わりにして、どうにか立ち上がる。その脇腹からは、壊れた蛇口のように鮮血が溢れ出し、アスファルトを赤く染めていた。

 だが、朦朧とした意識の中でも、その双眸は未だに眼前の敵を見据えていた。

 羆にも比肩する黒々とした巨躯が、詰るように緩慢な足取りで迫り来る。

 

「セイバー……!」

 

 士郎はその光景を、歯噛みして見ていることしかできない。そこに、凛の姿は無かった。

 教会に案内され、言峰綺礼(ことみねきれい)という聖杯戦争の監督役である男に話を聞いた後、彼女とは帰り道の途中で別れた。

 そうして、大橋を渡り深山町へ戻った直後に、士郎たちは遭遇してしまったのだ。敵対者である別のマスターに。

 

「一度でもバーサーカーを殺しちゃうなんて、随分と粘った方だと思うけれど、それももう終わりね。そいつに用はないわ、早く潰しちゃって。バーサーカー」

 

 その場にそぐわない、鈴の鳴るような声が、バーサーカーと呼ばれた巨躯に命令する。その言葉の内容は、可愛らしい声色とは裏腹に、残虐なものだった。

 

「くそっ!」

 

 どうして彼らは凛と別れる前に来てくれなかったのか。そんな後ろ向きな考えを振り払い、士郎は駆け出した。何かが出来るわけでもない。

 だとしても、自分の命を守ろうとしているあの少女を、このまま見捨てることが、士郎には出来なかった。

 

「…お馬鹿さんだなぁ。お兄ちゃんは」

 

「———ぐぁ!?」

 

 だが、駆け出した士郎の脚は、熱い激痛によって止まった。次の一歩を踏み出すことを脚が拒絶し、士郎は地面に倒れる。

 

「そんなに前に出たら、バーサーカーの攻撃に巻き込まれて死んじゃうよ? まだ全然お話しもしてないのに死なれちゃったら、私は悲しいな」

 

 士郎は倒れ伏したまま、声が聞こえた方向を見上げる。そこには十歳にも満たない容姿の少女が、愛おしそうにまなじりを緩めて自分を見下ろしていた。銀色に輝く糸で形作られた鳥を、傍で操りながら。

 イリヤ。イリヤスフィール・フォン・アインツベルン。それが少女の名前だった。親しげな態度からして、イリヤは自分のことを知っているのだろう。

 だが、士郎には二日前に声をかけられた事以外に、心当たりは無かった。

 

「……っ!」

 

 気づけば、バーサーカーはセイバーの目前にまで迫っていた。しかし、立ち上がるという行為までが、彼女の限界だったのだろう。抵抗らしい抵抗は一切ない。

 奥歯を砕かんばかりに噛み締める。セイバーと共に戦うと誓ってから、一時間も過ぎていない。

 情けなくて仕方がない。戦うことを選んでおきながら、こうして不甲斐なく地面に倒れ伏している自分自身が。

 

「◼︎◼︎◼︎ーーッ!!!」

 

 勝鬨のようにも聞こえる咆哮とともに斧剣が振り上げられる。その直後の無残な光景を士郎は想像して、思わず目を瞑ってしまった。

 

 

 

【ADVENT】

 

 だが、その斧剣が振り下ろされることは無かった。

 

「◼︎◼︎◼︎ッ!?」

 

 横合いから全速力で赤い龍がバーサーカーへと突進する。その衝撃はいとも容易く、バーサーカーの巨大な体を宙へと弾き飛ばした。

 

「……ど、う……して……」

 

 この状況が理解できなかった。セイバーは掠れた声を漏らす。その霞んだ視線の先には、自分を守るように立っている者が居た。

 …龍騎。サーヴァントに匹敵する程の力を持つ謎の存在。

 

「喋れる元気があるなら大丈夫…ってわけでもないか…。とにかく動けそうなら、なるべく早く逃げなよ。あいつは、俺が食い止めるから」

 

「……な、ぜ、私……を助け、る……」

 

【GUARD VENT】

 

【SWORD VENT】

 

 どこからともなく、召喚された盾と剣で龍騎は武装すると、前方を警戒したまま、初めてセイバーを一瞥した。その仮面の隙間から見える瞳には、敵意の欠片も無い。

 

「………士郎が、君を助けようとしてたから。………君も、士郎を助けようとしてたから」

 

 龍騎の返答が、セイバーをさらに困惑させる。サーヴァントでも、魔術師でもないこの仮面の騎士が、何を目的としているのかは知らない。

 どちらにせよ、サーヴァントの一騎が脱落するという千載一遇のチャンスを、自らの手でふいにした。それだけは事実だった。

 どうにか、龍騎の言葉の意味を汲み取ろうとしたが、セイバーの思考は、こちら側へと向けられた赫怒の叫びによって遮られる。

 

「◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎ーーーーッ!!!!!」

 

「………っ! とにかく、君と士郎が逃げられるまでの時間は稼ぐから!」

 

 人の形をした雪崩が、アスファルトを踏み砕きながら迫り来る。その圧倒的な重圧に物怖じもせず、龍騎は前へと踏み込んでいった。




大変お待たせいたしました。週刊更新再開です…。
今後は龍騎リスペクトで毎週日曜の朝の八時くらいに投稿する事にしました。
…書き溜め、二〜三ヶ月は保てばいいなあ。

感想、アドバイス、お待ちしております。


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第14話『導火線』

 

「◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎ーーーッッ!!!!」

 

 横に構えられた斧剣を、バーサーカーは突進の勢いのまま龍騎に叩きつける。

 龍騎は地面を滑るようにスライディングし、それを回避した。あれほどの巨躯だ。まともに打ち合ってはならないことなど簡単に分かる。

 そして、即座に大きく転回する。その直後、龍騎の側にあった街路樹が刃風によって両断された。

 

「◼︎◼︎◼︎◼︎………ッ」

 

 苛立ちを含んだ唸りを上げて、バーサーカーは振り向きざまに両断した街路樹を龍騎へ向けて投げ飛ばす。

 出鱈目な回転速度で迫り来る街路樹を、伏せることによって龍騎はやり過ごした。

 間髪入れずに、上段、下段と振るわれた斧剣を、青龍刀で滑り込ませるように受け流し、返しの刃でバーサーカーの右腕を狙う。

 しかし、龍騎の刃は、異様に発達し、突き出ていた前腕の骨によって弾き返された。そのまま、がら空きになった龍騎の胴を殴り潰さんと、バーサーカーの巨大な剛拳が放たれる。

 肩に装着した盾で咄嗟に防御するのが精一杯だった。

 龍騎は地面を転がりながら、どうにか受け身を取り、立ち上がる。だが、追撃の一撃をバーサーカーは既に振りかぶっていた。

 

「ドラグレッダー!」

 

「◼︎◼︎◼︎◼︎ッ!?」

 

 龍騎の声に呼応したドラグレッダーの火球が、鏡を透過し、バーサーカーへ轟音と共に炸裂する。

 そして、龍騎は、炎に焼かれ大きく仰け反った巨躯の顔面に跳び蹴りを叩き込んだ。

 

「———頑丈すぎるだろ、お前…」

 

 青龍刀を構えて、龍騎は蹴り飛ばした先を睨みつける。

 バーサーカーは身振るい一つで纏わりついていた炎を搔き消し、雄叫びを上げてこちらへと疾駆した。

 駆ける、止まる、受け流す。そうして龍騎は、この狂戦士が巻き起こす嵐を掻い潜っていく。

 極限まで研ぎ澄まされた集中力が、時間の感覚を希釈化させる。士郎たちは無事に逃げられたのか。それを確認する余裕すら、龍騎には無かった。

 

「腕が駄目なら———」

 

 ———脚だ。

 

 相手の斧剣が道路のガードレールを食い破る。龍騎は刹那にその身体を反転させ、斬りかかった。

 狙いは膝の裏。この巨体を支える脚さえ止めてしまえば、士郎たちが逃げ切れる可能性が高まる。

 だが、それを察知したバーサーカーの裏拳が青龍刀の一閃を阻んだ。堪らず龍騎は後方へ跳躍して距離を取る。

 

「◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎ーーーーッ!!!!」

 

 そのような距離など、有っても無くても同じだ。言語にもならない雄叫びを上げ、バーサーカーはアスファルトを踏み砕きながら跳躍し、龍騎へと飛来する。

 はち切れんばかりに筋肉が盛り上がった豪腕が振るう斧剣に、重力が加わった。その凶悪な一撃は、地面を飴細工のように割砕く。

 

「なんつー威力だ———っ!」

 

 辛うじて難を逃れた龍騎に、爆ぜたアスファルトの破片が、弾丸のように撒き散らされる。

 龍騎は即座に青龍刀を投げ捨て、両肩の盾を構えて身を守った。

 しかし、それは悪手だった。

 

「◼︎◼︎◼︎ッ!!」

 

「———づっ!?」

 

 龍騎の体が、ゴム鞠のように地面をバウンドし、叩きつけられる。相手が、何か特別な事をしたわけではない。

 バーサーカーはその巨躯と膂力を以った突進で、構えられた盾ごと龍騎を弾き飛ばした。ただ、それだけだった。

 直後、矢継ぎ早に龍騎へと振るわれる斧剣。絶え間無い連撃が、指先の感覚を麻痺させていく。慈悲の無い重撃が、踏み込むための足場を崩していく。

 このまま守っていても、叩き潰される。迅速に判断を下した龍騎は、相手の斧剣が振り上げられた瞬間、飛び退く動作と同時に盾を投擲した。

 

「◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎ッッ!!」

 

 煩わしい、そう言わんばかりに、バーサーカーは飛来した盾を斧剣で弾き、徒手空拳となった龍騎へと雪崩れる。

 その猛り狂った暴威に抗うように、龍騎は切り札の一つを切った。

 

【STRANGE VENT】

 

【ACCEL VENT】

 

 超加速。目視さえもできない人型の弾丸が、闇夜を駆ける。刹那、狂戦士の腹部に助走の勢いを込めた右足が深々とめり込んだ。

 遅れて響き渡った空気の破裂音と共に、巌の巨躯が壁に叩きつけられる。瓦礫が地面を転がり、暫しの静寂が充満する。

 だが、あの程度で倒せたなどと、都合のいいことは考えない。龍騎は足元に落ちていた青龍刀を拾い上げ、不断の警戒を表すように正眼に構えた。

 

「◼︎◼︎◼︎…ッ」

 

 予想通り、積み上げられた瓦礫の山が崩れる。そこからバーサーカーが体を起こし、唸り声を上げて立ち上がってきた。

 残された手札は少ない。手遅れになる前に撤退をすべきなのではないか。現状、この狂戦士を無力化する方法が思いつかない。

 躊躇う間も無く、バーサーカーは龍騎へとにじり寄って来る。その相貌には微かな警戒が滲んでいた。同じ轍を踏むつもりは無いらしい。

 

「———そこまでよ」

 

 互いが接敵する間合いに入ろうとした瞬間だった。小さな少女の声が聞こえてきたのは。

 その声は、バーサーカーの歩みをいとも容易く止めてしまった。

 

「お兄ちゃんを連れて行けなかったのは残念だけど。…………貴方の粘り勝ちね」

 

「…………は?」

 

 周囲の気配を探るような様子で目を閉じていたイリヤは白兎のような赤い瞳で龍騎を見やる。

 しかし、龍騎にはこの少女が何を言っているのかが分からなかった。

 

「帰りましょう、バーサーカー。何か、嫌なモノが近づいてきてる。このまま此処に居たら、貴方が飲み込まれてしまうわ」

 

「◼︎◼︎◼︎◼︎……」

 

「お、おい。待ってくれよ!」

 

 イリヤの呼びかけに応じて、バーサーカーは小柄な彼女を肩に乗せて立ち去っていく。思わず、龍騎はそれを引き止めてしまった。

 

「貴方が何者なのかは知らないけれど、早く逃げなさい。じゃないと、きっと死ぬより酷い目に遭うわよ」

 

 イリヤは振り返らずに、龍騎へ忠告する。バーサーカーの大きな背中と、対照的な小さな背中を、龍騎は見えなくなるまで呆然と眺めていた。

 

「一体、なんだってんだ………ん?」

 

 ふと、龍騎は背後に何かが蠢くような気配を感じた。

 

「————————」

 

 しかし、気のせいだったようだ。振り返っても誰も居ない。依然として粘り気を帯びた夜の静寂が充満していた。

 

「……………相当疲れてるな」

 

 放置してしまった原付を回収するついでに、それとなく士郎たちの無事を確認する。そうして、途轍もなく長かった今日という日を終えよう。

 そう思いながら、龍騎は疲れ切った足取りで路上駐車されている車へと飛び込んでいった。

 

 

 

 

○○○

 

 

 

「ほんと、長い夜だった…」

 

 喉から絞り出すような声を呟きながら原付を押す。未だに残る腕の痺れのせいで交通事故を起こすのも嫌なので、こうして地道に押して帰っているのだ。

 それにしても、坂道が辛いし原付が重たい。そんなことを思いつつも、真司はようやく間桐邸の前まで辿り着いた。

 

「…………はぁ〜っ」

 

 疲労困憊。という面持ちで、車庫に駐車した原付にもたれかかる。腕時計を確認してみると時刻は午前四時前を指していた。ここまで来ると、もはや朝だと呼べる。

 あの後、衛宮邸に寄り、こっそりと士郎たちの安否を確認してみたところ、特に問題はなかった。

 血溜まりができる程の大怪我を負ったセイバーが、平然と士郎に肩を貸していたのだから、本当にサーヴァントという存在は常人離れしている。

 

「……………」

 

 このまま眠ってしまいたい。そんな衝動を押し殺して、真司は玄関へ向かう。

 そして、なるべく、眠っている桜を起こさないように、ゆっくりと扉を開けた。

 空気と同化しそうなくらいに小さな声で、ただいま。と言いながら、靴を脱いで足音を立てずに部屋へと向かう。

 今の自分は忍者だ。もっと言うならばスパイだ。暗示するように自分に言い聞かせて、歩みを進める。

 

「…………おかえりなさい」

 

 二階に上がった直後だった。ご立腹な様子の桜の声が聞こえてきたのは。

 そして、忍者でもスパイでもないお間抜けの姿が廊下の照明によって露わになる。暗闇に紛れていただけでその気になっていた。

 

「お、おお、おお起きてたの、桜ちゃん…?」

 

「はい。兄さんのことが心配で心配で、夜も眠れませんでした。…何か事件に巻き込まれたのかもと思って」

 

「ご、ごめんなさい…」

 

 責めるような視線を向ける桜に居た堪れなくなって、真司は謝りながらも顔を逸らした。

 桜の勘はある意味で的中している。あれは、一歩間違えていれば死んでいた戦いだった。そして、真司自身も、死ぬ覚悟であの戦いに身を投げたのだ。

 

「…………! 兄さん、その怪我、どうしたんですか?」

 

「えっ、いや、これは…」

 

 顔を逸らしたからだろうか。あの槍兵に蹴り飛ばされた右顎の怪我を見られてしまった。真司は咄嗟に手を当てて隠そうとするが、もう遅い。

 

「だ、大丈夫だよ、軽い打撲だから。ちょっと電車に揺られてぶつけただけだって!」

 

「で、でも———」

 

「———いいっていいって! 桜ちゃん、明日も部活なんでしょ? 俺の心配なんかしなくてもいいから早く寝なよ!」

 

 桜の追及から、物憂げに伸ばされた手から、真司は逃れるように部屋へと駆け込んでいく。

 あんな危険な戦いに、この優しい少女を巻き込むことなどできない。きっと、無理をしてでも自分を止めようとするに違いない。

 

「それじゃ、おやすみ!」

 

「あっ……」

 

 無理に作った明るい笑顔で桜に挨拶した後に、真司は部屋の扉を閉めた。

 ジャンパーや上着を辺りに脱ぎ散らかして、ベッドに倒れ込む。どうにか取り繕えたが、もう体力の限界だった。

 少し寝苦しい。しかし、寝返りをするのも億劫だ。うつ伏せの状態のまま、真司は目を閉じる。

 想像以上に深く眠れた。まるで底のない泥沼に沈んでいくような深い眠りだった。

 

 

 

 

○○○

 

 

 

「……………」

 

 食器を洗う音を背景音楽に、真司はぼんやりとニュースを眺める。ガス漏れ、昏睡、通り魔、殺人。このところ物騒な事件が立て続けに起きていたことに合点がいった。

 これらの事件は、おそらくマスターとサーヴァントの仕業なのだろう。灯台下暗しとはこの事か。

 まだ真司の憶測に過ぎないが、サーヴァントという存在には、人間を餌にして自らの力に変えるような能力があるに違いない。ミラーモンスターと違い、殺さない程度の加減はできるようだが。

 

「あ」

 

 唐突にテレビの電源が消され、真っ暗な画面に真司の顔が映る。後ろを向くと洗い物を終えた桜が居た。

 

「……桜ちゃん? もうそろそろ部活行く準備したほうがいいんじゃないの?」

 

「先生には、今日は少し遅れるって連絡しておきました。だから大丈夫です」

 

 桜はエプロンの紐を解いて、真司の対面の椅子に座る。様子からして、何か自分に話があるようだった。

 

「そうなんだ。……も、もしかして、勝手に出掛けたこと、まだ怒ってる? だったら、反省してるから…」

 

「…それはもういいんです。兄さんが突飛な性格な人なのはずっと前から知ってますから」

 

 諦めたような、丸みを帯びた返答に、申し訳なくなった真司は思わず頭を掻く。しかし、怒っていないのならば、桜は一体自分に何の用事があるのか。

 困惑の混じった視線を送ると、桜は意を決したように口を開いた。

 

「私が、私が聞きたいのは、兄さんが昨日何をしていたかです」

 

「あ、あれ? 電話で言わなかったっけ? 知り合いに会いに東京まで行ってたって」

 

「………本当にそれだけですか? ………私、あんなに兄さんが疲れた顔してるの、初めて見ました」

 

「……………うっそぉ〜」

 

 本当に表情に出やすいな、俺…。そんなことを思いながら、真司は深刻そうに顔に手を当てて閉口した。

 その場凌ぎの嘘など、桜には簡単に見抜かれてしまう。真剣にこちらへと向ける紫色の瞳がそれを物語っていた。

 チクタクと、針を刻む音のみが、やけに大きくリビングに響く。

 嘘は言えない。だからといって本当の事などもっと言えない。真司は見事な板挟みに嵌ってしまった。

 

「「…………………」」

 

 どれくらいの時間が過ぎただろうか。桜がゆっくりと席を立った。僅かに肩を震わせて、真司は桜を見上げる。

 

「…どうしても、言えない事なんですね」

 

 そう言いながら、桜はブレザーに袖を通して、隣の椅子に置いてあった鞄を手に取った。そうしてリビングを出て行こうとする。

 

「さ、桜ちゃん。いいの? えっと、その………」

 

 戸惑いながらも、真司は桜を引き留めた。だからといって昨日の出来事を話す気になったわけではないが。

 

「私も、兄さんに言えない秘密くらいありますから」

 

「ご、ごめん。言えなくって…」

 

 所在なげに真司は俯く。少し不甲斐なかった。うまく誤魔化すようなことさえ出来ない自分が。現にこうして桜に余計な心配をかけさせている自分が。

 

「もう、そんな顔しないでください。…………でも、兄さんが少しでも反省しているんだったら、今度は急に居なくなったりしないでくださいね」

 

 桜は眉尻を下げた笑顔を真司に向ける。そして、真司の返答を待たずに、急ぎ足で玄関へと行ってしまった。

 赤いリボンと紫色の髪を揺らしながら駆ける桜の後ろ姿は、どこか儚げだった。

 

 

 

 

○○○

 

 

 

「…………庭も塀も、一応元通りになってるな」

 

 真司は衛宮邸の庭を見渡す。ランサーとの戦闘の痕跡は綺麗さっぱり消え去っている。魔術師様様だ。

 これで、真司が修理費用を請求される可能性は万が一にも無くなった。若干軽くなった足取りで、真司は扉の横の呼び鈴を鳴らす。

 

「おーい、士郎。居ないのかー?」

 

 真司が声をかける。途端にドタバタと、慌ただしい声と音が聞こえてきた。

 おそらく、士郎がセイバーを隠そうとしているのだろう。居留守を使うという考えには至らなかったらしい。真面目だ。

 しばらく待っていると、ガラガラと横開きの扉を開けて士郎が出てきた。

 

「よ、よう慎二。な、なんだってこんな時間に来たんだ? 藤ねえも桜も、まだ部活終わってないだろ?」

 

 士郎の言葉通り、毎日というわけではないが、真司と桜は夕食を衛宮邸でご馳走になることが多くある。一人暮らしでは食材が余ってしまうから。という大河の提案だった。

 

「今日はバイトも無いし、暇だったから遊びに来たってだけだよ。………どうした? なんか様子変だけど」

 

「い、いや、なんでもない。それより、外寒いから早く上がれよ」

 

 相当に慌てているのか、真司の方便にも気付かず、士郎は家へと招き入れる。真司は玄関で靴を脱ぐ際に、それとなく知らない靴が無いかを探してみたが、特に見つからなかった。

 廊下を歩きながら、どうやってセイバーを見つけようかと考え込む。一度、面と向かってあの少女と話をしたかった。

 無論、正体は明かさない。ただ、真司は見極めたいのだ。サーヴァントという存在が、自分の倒すべき相手なのかを。

 

 

 

「よっし、じゃあ後藤くんから借りたゲームでもやろうぜ。なんか、すっげー面白いらしいぞ」

 

 真司はそう言ってテレビ台の収納からゲーム機を引っ張り出し、配線を繋げる。

 この家には娯楽が無さすぎる。と真司自身がバイト代で買った代物だ。DVDプレイヤーにもなる優れ物である。

 

「へぇー。なんて題名のゲームなんだ?」

 

 隣の部屋に押し込んだセイバーの事など忘れて、士郎はゲームの題名を聞く。士郎は真司の影響で、本当に何の用事もない時間帯はゲームで暇を潰したりすることがあるのだ。

 

「まあ待てって。…………えーっとなになに…」

 

 士郎に急かされて、真司は鞄からゲームソフトを取り出す。湖に浮かぶ黄金の剣が印象的なパッケージだ。実に少年の心をくすぐられる。

 

「………ザ・レジェンドオブ・キングアーサー。………へえ、アーサー王って実は女の子だったん———」

 

 真司がゲームの題名を読み上げ、パッケージ裏の説明に目を通した瞬間、隣の部屋からガタン、と大きくよろけるような音が聞こえた。

 

「…………なあ士郎。俺たち以外に誰か居るのか?」

 

「…………さあ? 気のせいだろ」

 

 士郎は目を逸らして滝のような冷や汗をかいている。誰の目から見ようとも、隠し事をしているのは一目瞭然だった。

 ボロを出すのが早すぎる。そう思いながら、真司は音がした部屋へと困惑に満ちた歩みで向かう。

 さりげない動きで道を塞ぎに来る士郎を引き剥がし、ピシャリと襖を開いた。

 

「………………」

 

 予想通り、そこには、ばつの悪そうな表情をした少女が正座をしていた。

 衛宮、と刺繍されたダボダボのジャージに身を包んでいるが、間違いない。首から上のオーラが常人とは違う。

 しかし、いつまでも見つめていては彼女に失礼なので、真司は軽く会釈する。

 

「………お名前を聞いても?」

 

 真司は最低限の言葉で、すでに知っている名前を彼女に尋ねる。なんというか、仮面越しではないので、芋ジャーな彼女に若干気圧されたのだ。

 

「「「……………………」」」

 

 恐縮したまま、返答を待つ真司。俯いたまま、どう答えたものかと葛藤するセイバー。頭を抱えたまま、微動だにしない士郎。

 なんとも言えない三人分の沈黙が、六畳の和室に充満した。

 




セイバーとの邂逅のシーンには"冴えない真司"を流すと個人的にかなりしっくり来ますね…。冴えてないのは士郎たちの方ですけども。

それと、前回の感想にいくつかミラーワールドの滞在時間が長いとのご意見をいただいたのですが、そこまで長い時間居た描写をしたつもりは無かったんですよね。
こちらの技量不足が招いた齟齬であることは承知していますが、どの辺りの場面の描写でそう感じたのか、もう一度ご意見いただけると非常にありがたいです。
必要であれば、その辺りの訂正は行う所存であります。

感想、アドバイス、お待ちしております。


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第15話『仮称、冬木の龍』

 

「………………………セイバーです」

 

 長い沈黙の後に、セイバーは観念したかのように自らの名を名乗った。だが、はたしてそれは彼女の本名なのだろうか。どちらかというと、職業に近いのではないか。

 

「ど、どうも、俺は間桐慎二。一応、士郎の同級生なんだけど…」

 

 そんな疑問はさて置き、真司は士郎の方を向く。士郎は隠すことを諦めたかのように、顔を手で覆っていた。

 今、士郎は脳内で必死に考えているのだろう。彼女の偽りの身分を。彼らの事情はある程度知っているので、深く追求はしない。

 

「取り敢えず、正座なんかしてないで…えっと、セイバーちゃんも居間に来なよ」

 

「は、はあ…」

 

 このまま、こうしていてもラチがあかないので、真司はセイバーを居間へ手招きする。

 セイバーが正座を解いてこちらへ来た事を確認した真司は、二人を取り残したまま、廊下へ出ていった。

 ちょっと取ってくる物がある。と言って。

 

「………シロウ。彼は…シンジは、貴方のご友人ですか?」

 

「あ、ああ。………でも、ちょっと不思議だな。慎二の奴、セイバーを見たらもっと驚くと思ってたんだけど…」

 

 士郎は、もっと天地がひっくり返るようなリアクションを予想していたが、それとは裏腹に、真司の反応は落ち着いたものだった。

 

「驚く………。しかし、彼は………」

 

 セイバーは何故か考え込むように顎に手を当てている。真司の様子が気にかかっているのだろうか。

 

「どうかしたのか? 別に俺が知る限り、慎二は魔術師とは関係ない普通の奴だぞ」

 

「ええ。シロウの言う通り、彼には魔力は感じませんでした。…ですが、彼は私を、僅かに警戒していた」

 

「知らない奴が家に居たって気づいたなら当然じゃないか?」

 

「…………」

 

 士郎の指摘にも納得がいかない面持ちで、セイバーは黙り込む。特に会話を交わすこともなく待っていると、件の少年が戻ってきた。

 

「まっさか、これが役に立つ日が来るとはなぁ…」

 

 そんな言葉を呟き、真司は両手に抱えていた大きな収納ボックスをテーブルの上に置く。

 家に有るものは大抵把握していると自負していた士郎だったが、その黒い箱は自分の知らない物だった。

 

「…どこからこんなもの持ってきたんだ?」

 

「そ、そんなことは気にしなくていいから、開けてみなよ」

 

 士郎とセイバーは、不思議そうに顔を見合わせて、箱の蓋を外す。

 その中には、やけに仕立てのいい女性物の洋服が綺麗に折り畳まれて入っていた。ご丁寧に防虫剤も添えてある。

 これは少し前、決別の儀式だと宣う凛に押し付けられて、真司が扱いに困っていた洋服たちである。当然、桜にあてがってみたのだが、どうやらサイズが合わなかったらしい。

 この洋服たちを目にする度に、憂鬱の影を落とす桜を見ていられず、捨てるのも勿体ないので、衛宮邸の客間にこっそり封印しておいたのだ。

 

「取り敢えず、それに着替えて来なよ。そしたらさ、このゲーム一緒に遊ぼうぜ」

 

「あ、ありがとうございます。シンジ」

 

 セイバーは礼を言いながら、元居た部屋へ急ぎ足で着替えに行く。そんなセイバーを尻目に、真司は放置していたゲームを起動させた。

 

「俺はあんまりとやかく言わないけど、藤ねえへの言い訳はちゃんと考えておけよな? ……巻き込まれたくないし」

 

「……悪い」

 

 その後、いつものように夕食をたかりに来た大河は、当然困惑し、士郎に説明を求める。

 ちなみに、一緒に来ると思っていた桜は、用事があるのだと言って途中で別れたらしい。

 セイバーの身分に関して、士郎は以下のように詐称した。

 セイバーは留学の下見のために遠い親戚の切嗣を頼って来日したが、既に切嗣が亡くなっており、困り果てていた。

 そんな彼女に士郎は助け舟を出したのだと。そうして、どうにか大河を納得させた。

 

 

 

 

○○○

 

 

 

「………で、どうしてこうなったんだ?」

 

「お、俺に聞くなよ…」

 

 困惑のままに、真司は士郎に耳打ちして質問するが、士郎にもこの状況が理解できていないらしい。

 大河が竹刀を強く握りしめて、セイバーに少しずつ距離を詰めていく。対するセイバーは竹刀を正眼に構えたまま、微動だにしない。

 真司と士郎は道場の端にて正座をして、二人の手合わせを眺めていた。

 事の発端は、セイバーだったか大河だったか。渋々、セイバーの滞在を了承した大河だったが、尋問めいた面談で、セイバーの人柄を徹底的に探ろうとしたのだ。

 その際、セイバーのとある一言が、大河の心の琴線に触れた。

 

 ———私に出来ることは多くはありません。ですが、最近、この辺りは物騒だと聞きます。私がここに居る間だけは、シロウをありとあらゆる危険から、力の限りを尽くして守ってみせましょう。

 

 ———へえ、言ったわね。だったら腕前を見せてもらうんだから。………セイバーちゃんって名前なんだし竹刀一本勝負ってのはどう?

 

 その発言を自分への挑戦と捉えた大河が、全員を道場に連れ込んで、今に至る。

 おそらく、士郎にいいところを見せて自分が頼れる姉貴分であることを再認識させたいのだろう。

 

「どりゃあぁぁー!」

 

「———ほう」

 

 間合いに入った大河が、踏み込みと共に上段に構えた竹刀を振り下ろす。そこに一切の手加減はなかった。竹刀がぶつかり合い、室内に乾いた音を響かせる。

 

「ふん、ふんんっ、ふんんんっー!」

 

 面、面、胴。苛烈な打突で大河は仕掛け続ける。対するセイバーは反撃せずに、次々と大河の竹刀を受け流していく。

 その反応を見た大河は、相手の竹刀を払うような動作を打突に織り交ぜて、セイバーを攻め立てる。

 

「———獲ったぁ!」

 

 そして、下から上へ、セイバーの竹刀による防御を崩し、そのまま、鋭い動きで渾身の面を叩き込む。

 一層大きな風切り音、そして、竹刀の音が勝負の終わりを告げた。

 

「な、なぜ…………?」

 

 そう言って、大河は床に仰向けになって倒れた。しかし、最後の矜持だろうか。決して竹刀は手放さなかった。

 大河も卓越した剣道家なのだが、今回ばかりは相手が悪かったらしい。

 勝利の確信を得て、慢心した大河は竹刀を上段に振り上げた。その大河のがら空きの胴を、即座に竹刀を構え直したセイバーが薙ぎ払ったのだ。

 

「………藤ねえ、立てるか?」

 

「…………………」

 

 少し本気を出してしまった。と口に手を当てて呟くセイバーに、士郎は説教をしている。

 そんな士郎を見て見ぬ振りして、真司は倒れたままの大河を抱え起こした。大河は手に持ったままの竹刀を強く握りしめている。

 きっと悔しいのだろう。慰めの言葉をかけるべきなのか、何も言わないべきなのか、真司が少し迷っていると、大河が唐突に竹刀を手渡してきた。

 

「ん? なにさ、この竹刀」

 

「…………慎ちゃん。…………とって」

 

 なにをだ。震え声で訳の分からない事を言う大河に困惑し、なるべく刺激しないようにその真意を問おうとした瞬間。

 

「私の仇を、この竹刀で取ってえぇぇぇ!!!!」

 

 今年で二十五歳にもなる立派な女性が、見苦しい癇癪を起こした。

 

 

 

「はあ…………」

 

 溜息を零しながらも、正眼に構えた竹刀の切っ先は決して動かさない。その切っ先の向こうにはセイバーが居た。やけに乗り気な様子だが、それは大河のせいだった。そこに士郎も加わるのだから、尚更たちが悪い。

 いつまで経っても泣き止まない大河に折れた真司は、嫌々ながらも竹刀を受け取った。その直後、泣き腫らした目を喜悦に歪ませて、大河はセイバーにこう宣言したのだ。

 

 ———私に勝ったからって調子に乗らないでよね。私なんか、あくまで慎ちゃんの前座なんだから! 慎ちゃんは超天才剣道少年なのよ! 冬木の龍なのよ! ドラゴンなのよ!

 

 いくら悔しいからといって、虎の威を借る狐、もとい狐の威を借る虎のような真似は如何なものか。

 大河の言葉を受けて、翡翠の瞳に興味を浮かばせて真司を見やるセイバーだったが、そこに士郎の何気ない一言が決定打を与える。

 

 ———たしかに、慎二の方が藤ねえよりいい勝負するかもな。剣道でも喧嘩でも、慎二が負けてるところなんて殆ど見た事ないし。

 

 それは二人の度を過ぎた誇張だと真司は必死に否定したが、結局その場の空気に流されてしまった。

 

「……………」

 

 剣での勝負に於いて、彼女に勝てる気は全くしない。だが、あっさりと負けてしまうと手を抜いたのだと責められるかもしれない。

 

「シンジ。来ないのですか?」

 

 どうすれば僅差での敗北を演出できるか。足りない頭で考えていたところ、セイバーが一歩も動かない真司を怪訝に思い、声をかけてきた。

 大河を相手にした時と同様に、セイバーは先手を譲るつもりらしい。しかし、下手に攻め立てて大河の二の舞を踏むのは嫌だった。

 

「………来ないのであれば、こちらから行きましょう」

 

 真司の思考を汲んだのか、セイバーが床を踏み込んで一気に迫る。そして、真司の小手を狙って竹刀を振るった。

 真司はその一刀を難なく防ぎながら床を擦るように後退し、縦横に半円を描く追撃の竹刀を弾き返していく。

 

「慎ちゃん! 師匠の仇なんだから手加減なんか要らないわ! もっとガーッと攻めなさいガーッと!」

 

「うるさいな………っと!」

 

 幾度となく打ち合う竹刀の乾いた音が、板張りの床を踏み鳴らす足音が、道場に響く。

 膠着した状況に焦れた大河が野次を真司に飛ばしてくるが、それどころではない。

 こちらの腕前を試すような太刀筋は、こちらを仕留めるような太刀筋へと、徐々に気勢を上げているのだ。

 

「はっ!」

 

 気合一閃。横薙ぎに振るわれた剣閃を、真司は身を沈めて躱す。頭上を流れる鋭い風が、真司の髪を揺らした。

 直後、二の太刀の気配を察知した真司は、逆袈裟に振り上げた竹刀で迎え撃ち、大きく後ずさる。

 

「ここまで私の剣を防ぐとは…。ですが、慎重も度を超えると臆病になりますよ、シンジ」

 

「…全然隙なんか無いくせに」

 

 ゆっくりと、セイバーは真司へ、賞賛を織り交ぜた挑発をしながら間合いを詰めていく。

 対する真司は呼吸を整えることによって心を落ち着かせて、次に繰り出される攻撃に備える。

 

「…………士郎。もしかして、セイバーちゃんって物凄く強いの?」

 

「まあ……そう、だな」

 

 今更気がついたのか、大河は再開された打ち合いを呆然と眺め、セイバーの実力を問う。

 士郎は空返事をしながら、尚もセイバーに食い下がっている真司に驚愕する。

 当然、セイバーはサーヴァントとしての力を使ってはいない。仮に使っていたのならば、決着など一秒の間に着いているだろう。

 セイバーは純粋に己の剣技のみを用いて、この勝負に臨んでいるのだ。

 

「はああぁっ!」

 

 一気呵成にセイバーは竹刀を叩き込む。時に弾き、時に躱し、時に受け流して、真司はその剣戟をやり過ごしていく。

 一層大きな音と共に、竹刀と竹刀が鍔迫り合いをする。小刻みに震える竹刀と竹刀。その向こう側に見えるセイバーのつり上がった眼は、もはや真剣そのものになっていた。

 

 

 

 結局、決着が着いたのは、打ち付け合う竹刀の音が三桁に届くか届かないかといった頃合いだった。

 尻餅をついて、許しを乞うように降参宣言をする真司の肩を、すかさずセイバーが叩いたのだ。彼女のこめかみからは、一筋の汗が伝っていた。

 

 

 

 

○○○

 

 

 

 無駄な体力を消費してしまった。真司は気怠げな動作でジャンパーに袖を通す。

 先刻の諍いなど、どこ吹く風と言わんばかりにセイバーと談笑を交わしている大河の後ろを通り過ぎて、居間を出ようとする。

 

「あれ? 慎ちゃん、 晩御飯まだなのにもう帰っちゃうの? もうちょっとあの接戦の余韻に浸りましょうよー」

 

 しかし、襖に手をかけた瞬間、大河に呼び止められてしまった。

 

「ええ。シンジ、貴方がどこであのような体捌きを会得したのか、私も気になります。荒削りではあるが、あれは実戦での経験に裏打ちされたものでしょう」

 

 呼び止める大河に便乗し、セイバーはさりげなく真司へ詮索をしてくる。剣の英霊の名は伊達ではないという事らしい。実は、これが嫌だったのだ。

 

「………今日は疲れたから早く帰って寝たいんだよ。ほんっと、最後の方はずっと降参するって言ったのにセイバーちゃんは無視してさ」

 

 真司はそう言いながら、詮索を躱すように目を細めてセイバーを見やる。

 自分が塩梅を間違えて変に粘ったせいでもあるが、もう少し手心が欲しいものだった。サーヴァントとしての矜持がそれを許さなかったのだろうか。

 

「うっ…」

 

 セイバーの目は、真司の視線から逃げるように居間を泳いだ。熱くなってしまったという自覚はあったらしい。

 暫しの回遊の後に、セイバーは誤魔化すように咳払いをして黙り込んだ。

 

「あ〜…」

 

 大河も、真司を個人的な諍いに巻き込んだことに思うところがあったのか、これ以上引き止めるような真似はしなかった。

 

「じゃ、俺もう帰るよ。また明日」

 

「は、はーい。………士郎ーっ。慎ちゃんもう帰るってさー!」

 

 わかった。と台所から士郎の空返事が返ってきた。料理にかかりきりで手が離せないようだ。

 真司は今度こそ襖に手をかけて開き、居間を出て玄関に向かう。そして、外に停めてあった原付に跨り、衛宮邸を後にした。

 

 

 

「………うーん。セイバーちゃんも相当凄いけど、慎ちゃんの方はだいぶブランクあるはずなのに、あの竹刀捌き。………ほんっと、改めて見ても勿体ないわ〜」

 

「勿体ない? どういう意味ですか?」

 

 居間からも聞こえて来たエンジン音。それと共に大河はテーブルに突っ伏して言葉を零す。

 勿体ない。その単語に反応したセイバーは首を傾げて反芻した。

 

「慎ちゃんねー、大体二年ぶりぐらいになるのかな。まともに竹刀握るの」

 

「……なんと。ですが、彼には大きな怪我を抱えている様子もありませんでした。なにか有ったのですか?」

 

「…それがね〜、慎ちゃんは全然悪くないのに———」

 

「———ほら、藤ねえ。皿並べるから、さっさと起き上がってくれ」

 

 大河の言葉を遮るように、テーブルに夕食が素早い手際で配膳されていく。

 まったく間が悪いものだ。そう思いながら、大河は起き上がり、不服気に士郎を見上げる。

 その視線を受けた士郎は、口の端を下げて、逆に大河を見下ろした。

 

「…本人の居ないところであの事をベラベラ喋るのはどうかと思うぞ。どんなに言ったって、剣道を辞めたのは慎二自身が決めた事なんだから、いい加減あきらめろっての」

 

「…ふーんだ、まだ最後の夏があるもんねー。絶対諦めないもんねー。………あっ、今日は餃子にしたのね! 慎ちゃんの作る餃子にどこまで追いつけたか、採点してあげるわ!」

 

 目尻を吊り上げて鼻を鳴らす大河だったが、最後に並べられた餃子の皿を見て、即座に手のひらを返した。

 程なくして、衛宮邸の居間にてセイバーを混じえての普段とは違う夕餉が始まる。

 …ちなみに、大河の採点は十点満点中、七点であった。桜が現在位置している八点の壁は未だ果てしない。

 

 

 

「ぶぇーっくしょい! うー…。寒い寒い…」

 

 真司は原付を走らせて帰路につく。冷たい風がジャンパー越しに体の節々を冷やしていくのがやや辛い。

 空を照らす太陽は、地平線からその姿を消そうとしていた。もうすぐ夜が来る。それが意味することは、昨夜に散々思い知らされた。

 無意識の内にハンドルを捻って、速度を上げていく。少しでも長く、夜に備えて体を休めたかった。

 

「…ただいま〜」

 

 特に寄り道もせず、家に到着した真司は声をかけながら玄関を開ける。

 しかし、出迎える声は聞こえない。どの部屋にも電気が点いていない様子から分かっていたが、誰も居ないらしい。

 緩慢な歩みでリビングに辿り着き、電気を点ける。そして、真司はソファにだらしなく寝っ転がり、仮眠の体勢に入った。

 部屋のベッドで横になることも考えたが、寝心地が良過ぎて、起きるのが辛くなってしまうような気がしたのだ。

 万が一何かが起こった場合には、自分を叩き起こすようにドラグレッダーに言ってある。………通じているのかはわからないが。

 目を閉じて、視覚の情報を遮断する。リビングに真司のいびきが響き渡るまでの時間は、カップラーメンの完成よりも早かった。

 

 

 

 

○○○

 

 

 

「うー………う、うん?」

 

 背中から伝わる硬い地面の感触に不快感を覚えて、真司は瞼を開ける。

 赤、という名の暴力的な色彩が、目覚めたばかりの網膜を悪辣に刺激した。咄嗟に手で顔を覆い、目を保護する。

 

「すっげえ真っ赤だ」

 

 今度はゆっくりと瞼を開けて、その視界に目を慣らしていく。凝り固まった体をほぐしながら起き上がって周囲を見回すと、そこは新都の大通りの丁度真ん中だった。

 多くの人が行き交う道だというのに、真司以外の人の姿は無い。町中に避難警報が鳴ったというのに、自分だけ気づかずに逃げ遅れたのか。

 手持ち無沙汰に上を見上げる。赤い空から読み取れる情報は、辛うじて夜ではないということだけだった

 

「空襲とか…………じゃなくって、夢か。最近よく見るような気がするなあ」

 

 それも、明晰夢というやつだろう。真司はそんな結論を下す。そもそも、自分は家のソファで寝ていたのだ。

 この赤い世界といい、いつのまにか新都に居ることといい、現実であることは絶対にあり得ない。

 とりあえず、真司は家に帰って二度寝を決め込むことにした。目を開けているだけでも疲れるのだ。夢の中だというのに。案外、もう一回寝てみれば、夢から覚めることが出来るかもしれない。

 なるべくまばたきの回数を増やして、目に負担をかけないようにしながら、夢の世界を歩き始める。

 雲一つない空に浮かぶ真っ赤な太陽は、眼球のように真司を逃がすまいと見下ろしていた。

 

 

 

「ふう、妙に時間かかった」

 

 ようやく家へと辿り着いた真司は、土間と廊下を隔てる段差に座って靴を脱ぐ。

 あの場所から家に着くまでの時間は、およそ一時間程度の筈だったが、体感で倍以上の時間がかかった。

 だが、所詮夢などそんなものだろう。特に疑問に思わずにリビングへと向かい、扉を開き———。

 

 ———即座に閉じた。

 

 なぜか、リビングが桜の部屋になっていたのだ。見間違いかもしれないので、もう一度扉を開いてみるが、室内の景色は変わらない。

 

「……………んん!?」

 

 その後、真司は片っ端から家の扉を開けて回った。しかし、全て同じ部屋だった。間桐邸の間取りがおかしな事になっている。

 嫌な予感を感じて家を出ることも試みたが、玄関の扉でさえも桜の部屋に繋がっている。それを見た時は流石に怖気が走った。

 

「ま、まあ夢だし………」

 

 若干動揺したが、これは夢なのだ。何が起こっても不思議ではないし別にリビングに拘る必要もない。桜の部屋のソファで寝ればいい。

 そうやって自分に無理矢理言い聞かせ、部屋の中へ入り、ソファへと歩みを進める。

 だが、真司の歩みは、背後からの施錠音によって止まった。




次回、このままでは、真司が夢の中でなんかを誰かに搾り取られてしまいます。果たして無事に目を覚ますことができるのか。

前々回の描写はいつにするかは決めてませんが、ほんのり書き直そうかと思っております。まあ、些細な変化でしょう。今後も無言で添削は何度でも繰り返すでしょうしね。

感想、アドバイス、お待ちしております。


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第16話「赤き怪夢」

 

「ちょ、ちょちょちょっと!? 誰っ、 何っ!?」

 

 背後を振り向く間も無く、何者かが首元にしがみつくような形で抱きついてきた。

 背中越しに伝わる柔らかい感触が、やけに艶かしい吐息が、女性に免疫のない真司に、激しい狼狽と緊張からの硬直をもたらす。

 

「ようやく、捕まえました。………兄さん」

 

「……うん? その声は……?」

 

 だが、耳元で囁かれた声によって、自分にしがみついている人物を辛うじて看破することができた。

 安心したように平静を取り戻した真司は、無駄のない動作で背後の拘束をやんわりと引き剥がした。

 

「あっ……」

 

 切なげに彼女の喉から漏れた声は聞こえないふりをして素早く振り返る。よく似た声の別人であるかもしれないからだ。

 

「やっぱり、桜ちゃんか。いきなり抱きついてくるからびっくりしたよ」

 

「………………」

 

 真司の予想を裏切らず、そこには桜が立っていた。しかし、どこか普段と様子が違う。

 真司が知る限りでの桜は、まさに花も恥じらう乙女なのだ。目の前に居る桜は、自分の中の語彙では言い表せないぐらいに異質だった。

 

「さ、桜ちゃん?」

 

 特に目を引くのは、こちらを見つめる瞳である。赤く塗り潰された夢の世界の中で、桜の瞳の中の虹彩は、唯一異なった色彩を放っていた。

 

「………思っていたよりも、意識を強く保っていますね。………ですが、もう逃げられませんよ」

 

 その宝石のような瞳に見惚れていると、桜がゆったりとした足取りで歩み寄ってきた。唇の隙間に舌を滑り込ませながら。

 思わず、後退りをして桜から離れようとする。第六感が告げていた。今の桜に近寄られるのは危険だと。

 しかし、真司の脚は、その意思に反して微動だにしなかった。

 

「—————っ」

 

 否、脚だけではない。身体中が石膏像にでもなったかのように自由が利かない。

 心臓が萎縮して血液の流動を停止した。脊髄が凍結して神経の伝達を忘却した。

 そう錯覚する程に、真司の身体の全てが、桜の瞳に魅入られてしまった。

 桜の両手が伸びてくる。成す術もなく、絡みつく抱擁を受け入れると、真司はベッドに押し倒された。

 

「ぁ、ぁぁ……」

 

 真司はどうにか言葉を紡ごうと口を開く。だが、喉から発することができたのは掠れた声だけだった。

 

「ふふっ………兄さん、私が怖いんですか? でも、大丈夫ですよ。最初はちょっと痛いかもしれませんが、きっとすぐに気持ちよくなれますから」

 

 ねっとりと、蕩けた言葉が耳朶を打つ。細くしなやかな指先が、一つ一つ丁寧な手つきでシャツのボタンを外していく。

 やがて、露わになった真司の首筋に、垂れ下がった髪と熱のこもった吐息がかかった。

 

「いただきます……」

 

 これから、自分が彼女に何をされるのかは、想像を及ばせることしかできない。口ぶりや行動からして、吸血鬼のような感じで血を吸ってくるのだろうか。

 一体全体、何を思えばこのような夢を見てしまうのか。自分で自分の頭の中を覗いて見たいものだと、比較的冷静に自嘲する。

 

「ぅ、うぅ………」

 

 どちらにせよ、痛いのは嫌だから、夢ならば早く覚めてくれ。真司は諦めるように、祈るように目を閉じる。

 桜の唇が首筋に触れる寸前だった。どんな目覚ましよりも覚醒できる耳鳴りが、頭の中を劈いたのは。

 

 

 

 

○○○

 

 

 

「ぐ、ぐおおぉ……。起きたぁ! もう起きたからやめてくれ!」

 

 掛けられていた布団を引き剥がして、真司は起き上がった。そして、窓ガラスに映るドラグレッダーに、手のひらを突き出して制止を指示する。

 すると、ドラグレッダーは、指示された役目は終えたと言わんばかりに、早々に去って行った。

 

「う〜〜〜っ。………手加減無しかよ、あいつ」

 

 未だ、耳鳴りの余韻が消えないこめかみを押さえながらも、真司は凝った身体をほぐすために、大きく伸びをした。

 続けて、肩を回しつつ、改めて窓ガラスを見やる。空は既に明るくなり始めていた。

 

「うっわ、もう四時過ぎ……。どんだけ寝てたんだ、俺。……つーか桜ちゃん、起こしてくれてもいいじゃないか」

 

 もしかすると、桜は起こそうとしてくれていたが、自分は頑なに目を覚まさなかったという可能性の方が高い。

 足元に落ちている布団がその仮説の信憑性に拍車をかけていた。拾い上げ、綺麗に畳んで置いておく。

 眠りが深過ぎるという自らの性分に呆れながら、真司は洗面所に向かい顔を洗う。冷たい刺激が、僅かにこびりついた眠気ごと洗い流してくれた。

 ついでにシャワーを浴びて、汗も流したい気分になったが、自己主張の激しい腹鳴を鎮めるために、真司はかなり早めの朝食を済ませることにした。

 何を作ろうか、今ある食材を吟味するために冷蔵庫を開ける。綺麗に整頓された冷蔵庫の中にはなぜか鍋があった。

 なんとなく気になったので、真司は冷蔵庫から鍋を取り出す。

 

「おっ、カレーかあ」

 

 鍋の蓋を開けてみると、昨晩の夕食の余りと見受けられるカレーが入っていた。

 丁度いいので、これを朝食にすることに決める。それに、一晩寝かせたカレーは何故か美味しく感じるのだ。

 そうと決まれば話は早い。真司は手早く準備を進め始めた。

 

 

 

「ふう……。ごちそうさまでした」

 

 真司はカレーを残すことなく完食し、程良く満たされた腹をさすった。そして、今日の朝刊を取りに行こうとリビングを出て行く。

 結局のところ、昨夜に予定していた巡回はできなかったのだ。自分が眠りこけている間に、聖杯戦争による被害者が出ていないか、少しでも早く確認したかった。

 

「一応、大丈夫だったって感じか…」

 

 郵便受けから朝刊を取り出し、大まかに目を通しつつリビングへ戻る。その内容には、昏睡、殺人などの物騒な二文字は見られなかった。幸い、昨日は何事も無かったらしい。

 安堵の溜息をつこうと息を吸う。だが、それは即座に息を呑むものに変わった。条件反射で眼前の視覚情報を新聞紙によって塞ぐ。

 

「ふあぁ〜〜。…………えっ、あっ、……お、おはようございます、兄さん」

 

「……………おはよう」

 

 桜が眠たげな欠伸をしながら階段をゆっくりと降りてきた。微かに驚いたような声色で挨拶をしてくる。

 表情は見えないが、欠伸を聞かれたのが恥ずかしいのだろうか。

 

「……………」

 

「…兄さん。あの、具合でも悪いんですか?」

 

 真司の様子に気がついた桜の声色は、心配と怪訝が入り混じったものになっていく。大きく新聞紙を広げて、顔を覆い隠していることが気になるらしい。

 桜の気配を察知すると同時に、真司は思い出したのだ。先ほどまで自分を苛んでいた奇妙な夢を。

 あれは夢だったのだと分かってはいるが、どうにも桜の瞳を見るのが憚れた。真司は桜の質問には答えず、逆にあることを尋ねる。

 

「…………コンタクト」

 

「え?」

 

「桜ちゃん、今コンタクト、してる?」

 

「い、いえ。元々目は悪くないですし、コンタクトって少し怖いから……。したことなんてありませんけど……」

 

 我ながら意味不明な問いかけに、桜は戸惑いつつも返答してくれた。それを聞いた真司は半信半疑といった動作で、新聞紙に二箇所の穴を開ける。

 そして、その穴から限界まで細めた目で桜の瞳を見つめた。問題ない。いつも通りの優しげな紫色だ。

 

「は、はあぁぁ、良かったぁ。………やっぱり夢は夢だよな」

 

 今度こそ、真司は張りつめた胸から、魂まで洩れ出るような深い溜息を吐き出し、新聞紙を下ろした。

 そもそも、この目が現在映している視界は、赤いものではないのだ。自らのそそかっしさに思わず苦笑いしてしまう。

 

「………夢。どんな夢を、見たんですか?」

 

「それがさあ〜、聞いてよ〜。俺、今日初めて明晰夢ってやつを見たんだけどね」

 

 夢、という言葉に反応した桜がその内容を聞いてきた。特に隠す理由もないので、真司は廊下を歩きながら、赤裸々に夢での出来事を話し始めた。

 気がつけば、自分は新都の大通りで寝っ転がっていたこと。なぜか、視界が真っ赤になっていて、目を開けるのも辛かったこと。

 自分以外に人の姿は見当たらず、何か起こる様子もなかったので、二度寝をするために家へと向かったことを饒舌な口ぶりで順番に語っていく。

 

「………た、確かに、不思議な夢ですね。………そ、その、道の途中には、誰か居たりはしなかったんですか?」

 

「うん? いいや、別に誰とも会わなかったなあ」

 

 桜はなぜか動揺しながら、やけに具体的な質問をしてくるが、真司は特に気にせずに話を続けていく。これから先があの奇妙な夢の肝なのだから。

 

「でも、家に帰ってきてからが、これまた不思議でね。家中の部屋が全部桜ちゃんの部屋になっててさ」

 

「…………え?」

 

「でねでね。仕方がないから桜ちゃんの部屋のソファを借りて寝ようと思ったんだけど、なんか、突然後ろから桜ちゃんがさ———…………あれっ」

 

 最後まで言い切る前に、横に居たはずの桜の姿は忽然と消えていた。慌ただしく階段を駆け上がる音だけが耳に入る。

 トイレならば一階の方が近いだろうにと、首を傾げるが、考える必要もない疑問だろう。取り敢えず、新聞をもっと読み込むために、真司はリビングへと歩を進める。

 

「…………?」

 

 だが、歩いている最中、廊下の窓から何かの気配を感じた。真司はそちらへ身を翻し窓の外を覗き込むが、庭の景色が広がっているだけで誰も居ない。

 

「ミラーワールドの方か……?」

 

 だとしたら警戒しなければならない。まだ、未知のライダーやミラーモンスターが潜んでいる可能性も零ではないのだから。

 折り畳みの手鏡が丁度よく棚の上に置いてあったので、それを用いて、真司は再び窓の外を覗き込んだ。

 即座に変身できるように反対の手にはカードデッキを握りしめながら。

 

「うわぁ…………」

 

 鏡の向こうの世界の庭では、我が相棒であるドラグレッダーがシアゴーストと見受けられる異形を頭から踊り食いしていた。

 それはもう、バリバリと、煎餅のような小気味いい音を立てて。

 

「道理で餌の催促が来ないと思ったら……」

 

 いつ頃からあの龍が此処に存在していたのかは、真司の知る所ではないが、ああやって今まで生き長らえていたことは推測できる。

 ドラグレッダーは真司の視線に気づいたのか、僅かに一瞥をしてきた。だが、満足気な噯気を口から吐き出すと、地面に体を降ろし、塒を巻いて眠ってしまった。

 間桐邸の庭は、ドラグレッダーの長い体が丸々収まるぐらいには広い庭なので、寝床には合っているのだろう。

 

「…………はぁ」

 

 外敵ではないことに納得した真司は、これ以上ドラグレッダーの寝顔を拝むのも嫌なので、手鏡を畳んで元々の位置に戻しておいた。

 

 

 

 

○○○

 

 

 

 自らの胸の内を代弁するかのような、乱れた足音が廊下に響き渡る。だが、そんなことに気を配る余裕すらない。

 桜は自分の部屋へと雪崩れ込み、直帰した。そして、強く閉めた扉に倒れこむように寄りかかる。

 

「〜〜〜〜〜っ」

 

 どうにか気を紛らわせようと、桜は手元にあったクッションに向かって叫ぶが、飛び跳ねる動悸が収まる気配は一向にない。

 全ては、真司の恥ずかしがっている表情を見てみたい、という好奇心の趣くままに、彼が見たという夢について尋ねたのがいけなかった。

 まさか、なんの臆面も無しに話してくるとは思わなかったのだ。

 

「………ライダー。出て来て」

 

 深呼吸を幾度となく繰り返し、十分ほどの時間をかけて冷静さを取り戻した桜は、虚空に向かって呼び掛ける。

 一拍の間を置いて、光が硝子を透過するように、天井から砂粒のような淡い粒が降り注いだ。やがて、その砂粒は人の姿を形成していく。

 床に届くほどに長い桃色の髪。豊満な肢体を強調する黒衣。美貌の半面を覆い隠す眼帯。

 座り込んだままの体勢で、桜は自らの呼び掛けによって現れた女性を…ライダーを見上げる。

 

「………私が聞きたい事、わかってるよね?」

 

「………ええ」

 

 昨夜、桜はライダーにある事を頼んでいた。だが、その結果は、思い描いていたものと大きく異なっていた。

 何故、ああなったのか。それを問い詰めるために、桜は彼女を呼び出したのだ。桜の視線を感じ取り、質問の意図を理解したライダーは淡々と返答する。

 

「…シンジには、意中の女性は居ないようでしたから、彼と最も近しい女性が夢に現れました。それがサクラだった。ただ、それだけなのでしょう」

 

「——————?」

 

 否、彼女は理解していなかった。互いの思考の食い違いに気づかぬまま、ライダーは真司に見せた夢の内容を、事細やかに主人へと報告していく。

 

「———しかし、シンジは相当に純粋な少年なのですね。義理の妹とはいえ、異性が抱きついてきたというのに、邪な考えを一切感じられませんでした。彼はサクラを本当に大切に想っているらしい」

 

「〜〜〜〜〜っっ!!」

 

 とどめとばかりに、間髪入れずに紡がれたライダーの舌鋒が、桜の激しい動悸をぶり返させてしまった。喜べばいいのか、悲しめばいいのか、全くわからない。

 結局、まともに話が出来るようになるまでに所要した時間は、先ほどの倍だった。

 

 

 

「結論から言いましょう。シンジへの吸精は失敗しました。…寸前のことです。彼の意識が唐突に、夢から覚醒したのは」

 

「…………やっぱり、か」

 

 ライダーが淡々とした面持ちで告げる事実に、桜は俯く。本来ならば、真司は今も眠っている筈だった。ライダーの宝具の一つが創り出した夢の中で、生命力を吸い取るために。

 そして、生命力の欠乏に伴う風邪をひかせ、しばらくの間、彼を学校に行かせない予定だったのだ。

 だというのに、先ほど桜が見た真司は普段通りの元気そのものであった。ライダーの言葉を疑う余地はどこにも無い。

 

「学校に張った結界の魔法陣は、貴方のお陰で他の陣営に悟られた様子はまだありません。ですが、それも時間の問題でしょう。決断は早い方が良い」

 

「うん、分かってる。思い通りにいけば、私たちは聖杯にかなり近づける」

 

 現在、学校には自分を抜いたとしても、おそらく、三人ものマスターが居る。しかも、日中の戦闘を恐れて牽制し合っているのか、サーヴァントをすぐ側には連れていない。

 紛れもなく、一網打尽にするチャンスだ。そして、それは今日にでも実行できる。

 しかし、紡いだ言葉に反して、桜の表情には暗い影が差し込んでいた。

 

「あの日、私は貴方に誓いました。無関係の人死には決して出さないと。それでも、シンジだけは巻き込めませんか?」

 

「……………」

 

 ライダーの問いかけに対して、桜は俯いたまま返答をしない。頭では理解していても、恐ろしいのだ。一握りにも満たない、もしもの、万が一の可能性が。

 

「サクラ、躊躇ってしまえば、貴方は……」

 

 最後まで言い切る事はせずに、ライダーは口を噤み、顔を逸らした。桜はその言葉の続きを、促すような真似はしない。そんなもの、解りきっているからだ。

 不明瞭な輪郭のなにかが、自らの喉元に突きつけられたような気がした。口の中の唾液を、引き攣った喉で飲み込む。だが、潤うものは何一つ無い。

 

「………分かってる、………分かってる…から」

 

 消え入りそうな声では、言葉を最後まで紡ぐことができない。強く握りしめた両手は、微かな震えを隠しきれずにいた。

 

「……………」

 

 その様子を見たライダーは、何か言おうかと僅かに逡巡した後に口を開く。

 しかし、口下手な自分では、この優しい少女に更なる陰りを与えるだけだと考え直し、何も言わずに体を霧散させて外へと去っていった。




姦しい雰囲気から一転、自らの死活問題。随分と落差のありすぎる主従の会話になってしまいました。
本編初登場のライダーさんは何気に鏡にも所縁のある人ですね。

感想、アドバイス、お待ちしております。


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第17話「水面の影」

 

 疎らながらも、登校する生徒たちの姿が真司の視界に映る。なんて事のない、ありふれた日常風景だ。

 道の端々にあるひび割れたアスファルトや半ばで折れた電信柱などの戦闘の痕にさえ目を瞑ればだが。

 真司はポケットの中にあるカードデッキを弄び、緩やかな勾配の坂道を同じくらいに緩やかな足取りで下る。

 どうせ、すぐ先の横断歩道の信号は赤だ。しかも、青に切り替わるまでの時間が長い信号なので、考え事をしながら歩くには丁度いい。

 

 現状、七人のマスターの内、真司が把握しているのは二名だ。士郎と凛。そのどちらとも知り合いであるという事実が余計に頭を悩ませた。

 おそらく、士郎とは簡単に協力関係を結べるだろう。士郎の性格からして、聖杯に叶えて欲しい願いがあるとは思えない。

 自分で叶えなければ意味がないのだと一蹴するような奴だ。

 しかし、セイバーの存在が障害になる。巻き込まれただけの士郎とは対照的に、彼女は明確な願いを持って聖杯戦争に臨んでいるに違いない。

 自らの願いを叶えるための戦いに、水を差すような行為をする真司とは、決して相容れないのが明白だった。

 そして、それは凛も同様だろう。

 

「結局、孤軍奮闘って感じか」

 

 生前、自分が置かれていた立場と何ら変わらないことに気づいてしまった真司は、全身に苔でも生えたかのような湿気った感覚を覚える。

 

「……………」

 

 いや、以前よりも悪い立場だとも言えるかもしれない。真司はサーヴァントと違い生身の人間だ。

 変身という過程を経て、真司は初めて彼らと同等に渡り合える。相手がそれを律儀に待ってくれるとは思えない。

 聖杯戦争に於ける立ち回りは、慎重に行わなければならないだろう。

 信号が青に切り替わり、真司はのろのろと横断歩道を渡る。

 

「おはよう、慎二くん」

 

「…………うん?」

 

 しばらく、俯き加減で歩みを進めていると、誰かが自分の横を並んで歩いていることに気がついた。掛けられた挨拶に促されて、真司は隣を見やる。

 

「なーに朝から亀みたいに歩いてるのよ。もっとシャキッとしなさいシャキッと」

 

「………おおぅ。おはよう、凛」

 

 真司は下降気味だった肩を少し震わせつつも、素知らぬ顔で隣を歩いていた凛に挨拶を返す。

 凛とは家の方向が大体同じで、登下校を共にすることが割とよくあることなのだ。

 今でこそ、ただの腐れ縁の友人である彼女との関係について、あれこれ聞かれることは少なくなったが、最初の頃は本当に大変だった。

 遠坂凛という少女は、真司の通う学校では一番の才色兼備と呼ばれる有名人だ。欺瞞に満ちているが。

 そんな彼女と親しい関係にある唯一の男子。互いにその気はないというのに、交際を勘繰られるのは面倒で仕方がなかった。

 

「なによ、その反応。………ひょっとして、顔になんか付いてる?」

 

 慌てたように手鏡を取り出して身嗜みを確認している凛を尻目に、真司は内心で深い溜息を吐く。

 知らなかった。十年近く友人として接していた彼女が、才色兼備だけでない、もう一匹の猫を被っていたことを。

 魔術師というのが、どのような存在なのかは分からない。

 だが、あの夜、平然とした面持ちで人の生き死にに関わる言葉を言い放った凛に、真司はどうしようもない溝を感じた。

 

「…大丈夫だよ。いつも通りの完璧超人な遠坂凛だから」

 

「そ、そう? なら良いんだけど」

 

 その感覚を振り払うように、真司は軽口を叩く。そして、いつもの他愛ない会話を交わしながら、ポケットに突っ込んで、カードデッキに触れていた手を離した。

 余計な警戒はするべきではない。真司が何も知らない無関係の人間であることを装っている限り、凛も同様に魔術師としての振る舞いを、無闇にせずに済むのだから。

 

 

 

 合流地点が学校から近かったこともあり、さほど時間をかけずに、真司と凛は校門前まで辿り着いた。

 予鈴が鳴るまであと十分ほどある。ほどほどに余裕のある登校だ。

 クラスメイトたちと挨拶を交わしながら校門をくぐろうとすると、悩みの種の片割れが先に校門を通るのが見えた。

 

「———慎二くん。私、ちょっと衛宮くんと話があるから、じゃあね」

 

 真司が声を掛けようとする間も無く、凛が士郎へ駆け寄っていく。

 

「お、おう……」

 

 真司も凛の後に続こうと思ったのだが、横目に見えた彼女の眉間が小刻みに痙攣していたのでやめておいた。

 それに、以前まで、士郎と凛の間には、友達の友達といった以上の絡みは無かったのだから、考えるまでもなく、聖杯戦争の話なのだろう。

 今のところ、自分の出る幕ではない。歩幅を変える事なく進んでいく。

 

「………なんだ? ………うわっ」

 

 だが、校門をくぐる寸前、真司は立ち止まって、士郎が通った道を見返した。

 何度も後ろを振り返りながら歩いている生徒たちが気になったからだ。そして、ある一点に目を奪われる。

 

「シロウ………」

 

 なぜか、そこにはセイバーが居た。電信柱に身を隠しているつもりなのだろうが、道行く生徒たちの視線によって台無しになっている。

 このまま放置すると、不審者として通報されてしまうかもしれない。見兼ねた真司は、慌てて駆け寄り声を掛けた。

 

「セ、セイバーちゃん? あの、流石に学校まで来るのは不味いんじゃない?」

 

「———っ、…シンジ、なぜ私がここに居ると?」

 

 セイバーは、遠くなる士郎の背中に意識を傾注していたのか、真司の接近に不意を突かれ、微かに息を呑んだ。

 彼女は自分がどれだけ目立つのか、自覚が無かったらしい。

 セイバーの容姿はどれだけ贔屓目に見ても、美がつく少女だ。しかも、外国人というおまけ付きである。

 

「いやいや、周りよく見てみなよ」

 

「は、はあ……」

 

 真司が視線で周囲の確認を促すと、セイバーを見ていた生徒たちは、蜘蛛の子を散らすように一目散に校門へと駆けていった。

 

「………おかしい、シロウは全く気づいていませんでしたが」

 

「ま、まあ、士郎もまさか付いてきてるとは思ってなかったんじゃない? …あいつ自分の事には鈍感だし」

 

 気づかぬふりをしていたのかも。そんな喉から出かかった言葉は飲み込んでおく。

 顎に手を当てて困惑している彼女に、余計な軋轢を生むような言葉はかけるべきではない。

 

「とりあえず、士郎が心配なのは分かるけど、今日のところは帰りなって。このままじゃ怪しまれるからさ」

 

「ですが……」

 

 真司の諫言に、セイバーは尚も渋面を崩さず、一歩も動こうとしない。

 彼女は一度決めたことはなかなか曲げられない難儀な性分なのだろう。一緒に悩んでいても、このままでは平行線だった。

 

「うーん。……あっそうだ! セイバーちゃん、ちょっと手出して」

 

 名案を思いついた真司は、鞄の中をまさぐって、ある物をセイバーに手渡す。セイバーは物珍しそうな手つきで、それを受け取った。

 

「シンジ、これは?」

 

「俺の携帯だけど。ええっと、使い方わからないんだったら簡単に教えるよ」

 

 真司が手渡した物、それは携帯だった。この携帯は、最新機種への買い換えに伴い、来月にでも解約する予定だったものだ。

 契約期間がまだ残っていたので、非常用といった意味合いで鞄の中に入れていたが、少しの間くらい、セイバーに貸しても問題はないと真司は判断した。

 丁度よく、連絡先も必要最低限しか残していないのも理由の一つだ。

 

「い、いえ、それには及びませんが、なぜこれを私に?」

 

 困惑のままに質問をしてきたことを切っ掛けに、真司はとある折衷案を提示する。

 沢山の人が居る学校の中にまで、物騒な事が起こるとは思えないが、連絡手段を用意しておけば、一先ず安心できるだろうと。

 

「なるほど…」

 

 真司の提案に納得がいったのか、セイバーは頷いて携帯を見つめる。

 サーヴァントの身体能力ならば、衛宮邸から学校までの距離などあっという間だということも、セイバーは先程の追跡から理解したのだろう。

 真司自身は、その事を知らないように装っているが。

 

「……やっべ、もうこんな時間か。セイバーちゃん、俺、遅刻しそうだからもう行くね。一応、士郎にも携帯貸したこと言っとくから」

 

 腕時計を見ると、なかなかに際どい時間になっている。セイバーとの交渉は成立ということで、早々に話を切り上げ、真司は慌ただしく校門へと走った。

 ぺこりと頭を下げて感謝をしているセイバーに後ろ手で返事をしながら。

 

 

 

 

○○○

 

 

 

 やはりと言うべきか、クラスメイトたちは通学路に現れた謎の金髪美少女外国人の話題で盛り上がっていた。それは、昼休みになった現在も続いている。

 セイバーが学校にまで来てしまった原因である件の士郎は、表面上平静を装っていたが、内心は気が気じゃないだろう。

 動揺を悟られたくないからか、昼休みが始まった途端、早々にどこかへ行ってしまった。

 

「……………」

 

 だが、それらの些事よりも、真司には気にかかる事があった。じっとしていられずに、弁当を掻き込んだ後に席を立ち、校内を当てもなく彷徨うように教室を出る。

 今朝、校門をくぐった瞬間だった。得体の知れない、それでいて、初対面では無いような、矛盾した感覚。そんな違和感を覚えたのは。

 

「……大体、この辺りか?」

 

 ポケットの中にあるカードデッキを握りしめ、感覚を研ぎ澄まし、校内を巡回する。なるべく、怪訝に思われないように寄り道を交えながら。

 その結果、真司は違和感の強い場所が室内や外を問わずに何箇所も存在することを突き止めた。

 最後に、屋上からこの敷地を一望しようと階段を上り、その先にある扉を開ける。

 

「———寒っ!」

 

 真司が扉を開けると同時に、強い風が吹き荒んだ。顔を腕で覆いながら、強風に煽られた扉を閉める。

 そして、風が収まった後に真司は屋上を見回した。普段通りの事ではあるが、やはり誰も居なかった。

 凛はよくこの場所を昼食時に利用しているのだが、今日は風が強いので、流石にやめておいたのだろうか。

 特に気にも留めずに、視線を校庭に移す。一見、これといった異常は見受けられない。

 

「やっぱり見えない。……でも、在るのは間違いないんだよな」

 

 違和感の正体が見えないことには、どのような対策を講じれば良いのかも分からない。

 すっかり手持ち無沙汰になった真司はフェンスに肘をついて、ぼんやりと空を眺める。

 晴れているようにも、曇っているようにも見える、どっちつかずな空模様だ。

 少しの間そうしていると、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。

 取り敢えず、分からないということが分かったのだと、無理矢理にでも前向きに考えて、真司は教室へ戻ることにした。

 もっと詳しく調べるのならば、人が居ない夜に学校へ行くのも方法の一つだ。

 勢い良く食べた昼食が消化されないうちに、校内を動き回ったからか、やけに腹が痛い。

 胃腸を労うように、手のひらで腹を反時計回りに撫でながら、真司は階段を降りた。

 

 

 

「………行ったか。慎二、一体何の用事で屋上に来たんだか」

 

 扉の開閉音が聞こえると同時に、士郎は隠れていたボイラーからゆっくりと手を添えて顔を出す。

 突如として現れた侵入者が立ち去ったことを確認し、額の冷や汗を袖で拭いた。そして、このようにコソコソと隠れる羽目になった一因を見やる。

 

「なあ、遠坂。もう出てきていいと思うぞ」

 

 先ほどから士郎はこの屋上にて、凛に文句混じりの説教を食らっていたのだ。凛は自分が平然と学校に来たことが気に食わなかったらしい。

 一応、セイバーとの相互連絡は徹底していると反論してみると、案外すんなり納得されたが。我が友人の咄嗟の気遣いには、本当に頭が下がる思いだ。

 

「慎二くん、ねぇ………」

 

「…………遠坂?」

 

 凛は何かを考え込んでいるのか、頬に手を添えたまま、微動だにしない。

 やがて、思考を断ち切るように溜め息を吐くと、徐にスカートに着いた土埃を叩きながら立ち上がった。

 

「憶測で物事を考えるのは無粋ね…」

 

「何の事だよ。慎二となんかあったのか?」

 

「なんでもないわ、こっちの話だから。そんな事より、早く戻らないと授業に遅れるわよ」

 

 そう言って凛は急ぎ足で屋上の扉へと向かう。彼女が何を考えていたのかは気になる。

 しかし、話すつもりがないのならば、下手に詮索をしても余計な顰蹙を買うだけだろう。士郎も凛に続いて、屋上を後にした。

 

 

 

 

○○○

 

 

 

 下駄箱から外履きの靴を取り出して床に放り投げる。しっかりと靴を履き、つま先で床を叩きながら立ち上がる。

 授業中も、何かが起こるのではないかと真司は警戒をしていたが、杞憂に終わった。

 しかし、こうして日が傾いた放課後になっても尚、身の回りの違和感は依然として存在している。

 校舎全体に蔓延る得体の知れないものに後ろ髪を引かれながらも、真司は校門を出て下校しようとした。なるべく、誰にも捕まらないように。

 

「…あら、奇遇ね。慎二くん」

 

「おおぅ、またかよ」

 

 だが、校門の塀に寄り掛かっていた凛に呼び止められてしまった。急いで教室を出たというのにだ。

 奇遇などと言ってはいるが、その仕草からして凛は自分を待っていたようだ。

 こんな事なら反対側の校門から出て行くべきだった。沸き立つ悔恨の念を押し殺し、特に示し合わさずに二人は帰路につく。

 黙っているのもどうかと思い、真司は適当な話題を振るが、凛は適当な相槌を打つだけである。

 今朝とは打って変わり、その口数は少ない。

 

  「……なんか用事あったんじゃないのか? 何も無いなら、俺もう帰るぞ」

 

 そうこうしている内に、別れ道の交差点に差し掛かっていた。それでも、隣を歩く凛が話を切り出す様子は無い。

 仕方がないので、真司が急かすように話を促すと、凛は躊躇いがちに口を開き、突拍子のないことを聞いてきた。

 

「……慎二くん、今、家に臓硯さんは居るかしら?」

 

「う、うん? ………うちのお爺さんだよな?」

 

 なぜ、この場で我が家の祖父の名前が出て来るのか、さっぱりわからない。

 内心で困惑しつつも、真司は思い出した。我が祖父、臓硯は自分たちが通う高校のPTA会長であることを。一応、学校とは関係のある人物なのだ。

 だが、あの放蕩気味な老人が、今家に居る可能性は低いだろう。二週間ほど前から帰ってきているという話は聞いたが、一度も会っていないのだから。

 

「うーん。ごめん、わかんないや。あの爺ちゃん、よく外でブラブラしてるみたいだから」

 

 そもそも、十年間において真司が臓硯とまともに言葉を交わした回数は、両手の指で足りる程に少ない。

 まるで、何かに遠ざけられているかのように巡り合わせが悪いのだ。

 真司が彼について知っているのは、ミイラのような恐ろしい見た目に反して、会うたびにお小遣いをくれる、好々爺であることぐらいだ。

 

「そう、ならいいわ。……もし居たらでいいから、臓硯さんに伝えておいて。私が直接会って話をしたいって。それじゃ、また明日」

 

「おう、じゃあね」

 

 互いに軽く手を振って、真司と凛はそれぞれ別の道へ行く。何の話をしたいのかは知らないが、今の凛を臓硯に会わせてはならないような気がした。

 向こう側へと振り返る寸前、視界の端に見えた彼女の無機質な横顔が険しいものに感じたからだ。

 

 

 

「今日の晩飯は何を作ろうかなっと」

 

 坂道を登りながら、真司は脳内で今晩の献立を組み立てる。夜が来るまでに時間はたっぷりあるので、手の込んだ料理にするのも良い。

 何か、作業をしていれば眠くなるような事も無い。美味しい料理で英気も養える。きっと桜も喜んでくれる。まさに一石三鳥だ。

 

「久々に小籠包でも作って………あれっ?」

 

 坂を登りきった所で、真司は足を止めた。そして、目を細めて間桐邸の門の前に立っている人影を見つめる。

 モデルのようにスラリとした長身。遠目から見ても分かるほどの端整な顔立ち。夕日に照らされたブロンドの金髪。そんな見知らぬ風貌の外人男性がそこには居た。

 件の臓硯の知り合いだろうか。どちらにせよ、待たせてしまっているのが申し訳ない。

 ランサーやセイバーのせいで生じてしまった外国人への苦手意識を振り払い、真司は金髪の男性へ小走りで駆け寄っていった。




受難は続くよどこまでも。…真司だけに言える事ではありませんが。
感想、アドバイス、お待ちしております。


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第18話「執行猶予」

 

「あ〜、えっと、すみません。うちに何か御用ですか?」

 

 戦々恐々といった足取りで、真司は金髪の男性に近づき、声を掛ける。すると、細められた紅い瞳が向けられた。

 固唾を飲んで返事を待つが、返って来ない。言葉自体は聞こえている様子だというのに。

 やはり、日本語が通じないようだ。クラスメイト全員に満場一致で聞くに耐えないと太鼓判を押された英語が火を噴く時なのか。

 真司が頭の中で拙い英文を組み立てていると、男性が唐突に口を開いた。

 

「———ほう。よくないものに魅入られているな、お前」

 

「…………よくないもの?」

 

 日本語、喋れたのか。そんな疑問はさておき、妙に心当たりがある言葉を投げかけられた。

 真司は男性の言葉を反芻しながら、彼の背後を見やる。道の突き当たりのカーブミラーに、ドラグレッダーの顔が映り込んでいた。確かにあれはよくないものだ。

 

「くくっ、羽虫の如き愚昧ばかりかと思えば、存外、面白いものが紛れ込んでいるものだ」

 

「は、はあ………」

 

 しかし、彼には鏡の向こうのドラグレッダーが見えていない筈だ。何を言いたいのかは全く理解できなかった。

 一頻り笑い、真司を観察した後に、男性はこちらへ歩み寄って来た。

 身体を強張らせて、その動向を窺う。だが、何をするわけでも無く、男性は真司の真横を通り過ぎていった。

 

「あの娘を人間たらしめる唯一の楔が、貴様だったというわけか。それも時間の問題なのだろうが………」

 

「娘? 娘って誰———っ」

 

 すれ違う刹那、視界の端に映る男性の横顔に、真司は底冷えするほどに残虐な何かを見た。

 何故かはわからない。だが、彼をこのまま行かせてはならない気がした。言いようの無い不安が背筋を伝う。

 無意識に右手がポケットのカードデッキへ伸びていく。真司の指先がカードデッキに触れた瞬間、男性は唐突に立ち止まった。

 

「選択の時は近い。貴様が最後に選び取るものが何なのか。……足掻く猶予は与えてやろう。せいぜい励めよ、イレギュラー」

 

「———あんたっ」

 

 そんな、意味深長な言葉を残して、何も無かったかのように歩みを再開させる。

 その言葉を受けた真司は身を翻して、思わず男性に声を掛けようとした。

 だが、喉から出かかった言葉を、咄嗟に口を噤む事で抑える。藪をつつく真似はしたくなかった。

 ただ、何もせずに遠くなっていく背中を見送る。

 

「……なんだってんだよ、あの人」

 

 彼が完全にこの場から去ったのを確認した真司は、溜め息と共に小さな呟きを漏らした。

 今更になって、不安を感じた理由が分かった。あの全てを見透かすような紅い瞳だ。

 間桐慎二としての外見だけではない。城戸真司としての内面をあの瞳に見抜かれ、品定めでもされたような気がしたのだ。

 

「はあっ、はあっ…」

 

「……あれ、桜ちゃん?」

 

 どれほどの間、呆然としていたのか。彼が去っていった道を眺めていると、その道の奥から桜が駆け寄って来た。

 急いで走ったのか、膝に手を当てて、激しく肩を上下させながら呼吸を整えている。流れ出る汗の所為で額に張り付いた前髪が鬱陶しそうだ。

 一体全体どうしたのだ。そう桜に声を掛けようとした瞬間、蛇じみた瞬発力で肩を掴まれた。

 そして、鬼気迫る表情で、桜は真司に顔を寄せて来る。こちらを見据える目の光が揺れていることが、動揺を示していた。

 

「うおっ!? いきなり何———」

 

「———兄さんっ! あの人になにかされませんでしたかっ!?」

 

 驚きの声を上げて、真司は詰め寄る桜を引き離そうとするが、意外と肩を掴む力が強い。

 仕方がないので、桜が落ち着くのを待つために、真司は優しく肩を掴み返した。

 そして、なるべくゆっくりと聞こえやすい口調で言葉を紡ぐ。

 

「大丈夫、大丈夫だから。なんにもないって。…取り敢えず、顔にすんげー息当たってるから離れてくれない?」

 

「…あっ、ご、ごめんなさい!」

 

 実際、桜との距離は、鼻と鼻が触れ合いそうになるほど近い。そのことを指摘すると、桜は先ほどと同じ瞬発力で顔を引き離した。一応、平静さを取り戻したらしい。

 

「多分、桜ちゃんが言ってた人って、金髪で外国人の男の人だよね? もしかして、知り合いなの?」

 

「………いえ、ただ、さっきすれ違った時に、あの人に変なことを言われて、不安になったんです。………最近、何かと物騒ですから」

 

「そっか……」

 

 同感だ。きっと、誰に対しても、あの男性は人を食ったような言動を崩さないのだろう。寧ろ、相手の反応を愉しんでいる様子さえ窺える。

 

 ———選択の時は近い。

 

 先ほどの言葉は、念のために記憶に留めておく。だが、自分が選び取るものなど無いに等しい。一本筋だ。

 真司には、聖杯戦争を止める事。そして、その戦いの中で失われる誰かの命を守る事。それ以外に龍騎としての力を振るう理由など、存在しないのだから。

 

「まあ、そんなに気にする事ないって。それに、早く帰れたんなら丁度いいや。たまには一緒に晩御飯でも作らない?」

 

「………それもそうですね。兄さん、何を作るかは決まっているんですか?」

 

「うん、今日は久々に小籠包作ってみようかなって思ってさ。それに集中し過ぎて他が疎かになるのもなんだから手伝ってほしいんだよね」

 

「はい、わかりました」

 

 嬉々とした桜の声色に、若干沈降気味だった気分が浮き上がる。

 この笑顔に報いるためにも、今晩は存分に腕を振るおう。そう思いながら、真司は家の門を開いた。

 

 

 

 

○○○

 

 

 

「おーい、桜ちゃん。お風呂空いたよー。…それと俺、今日はちょっと早く寝るからー」

 

 真司は部屋に居る桜に声を掛ける。すると、わかりました。という返事が扉越しに返ってきた。

 それを聞いた真司は、足早に部屋へと戻り、鍵をかける。そして、机の三段目の引き出しの奥に隠しておいたカードデッキを取り出した。

 時刻は夜の九時過ぎ。もうすぐ、サーヴァントやマスターが行動を起こす時間帯になる。だが、その前に真司には済ませておきたい用事があった。

 それは、校内に蔓延した違和感を突き止めることだ。そうしなければ落ち着いて授業も受けられない。何故か、放っておけない嫌な予感もするのだ。

 

「うん、さっさと行こう」

 

 行動は早ければ早いほどいい。そう思い、真司は椅子から立ち上がる。そして、龍のエンブレムを窓ガラスへと突き翳した。

 

 

 

 乾いた風が、濡れそぼった髪を優しく撫でていく。水気が無くなった事を確かめ、桜はドライヤーのスイッチを切った。

 音を立てる物など存在しない。静寂にも似た静謐が、この空間に立ち込める。洗面所の鏡に映る自分を見つめながら、桜は間桐邸の前に再び現れたあの男性の事を思い返した。

 

 ———今のうちに死んでおけよ、娘。馴染んでしまえば死ぬこともできなくなるぞ。

 

 三日前の出来事だった。部活動を終え、家へと帰る折にそんな言葉を投げかけられたのは。

 魔術師の類、それも自分の正体を知っている者。桜は即座に警戒を露わにし、応戦しようとしたが、彼は何もせずに立ち去っていった。

 そして、今日。間桐邸へと続く坂道を下っていく彼を、呆然と立ち尽くしている兄を見て、桜は気が気ではなかった。

 

「………」

 

 左手を胸に添えて、心臓が脈打つ鼓動を確認する。手のひらが感じる秒針に似た規則的な響きは、どこか遠くで鳴り響く警鐘のようにも思えた。

 また、その警鐘は鼓動を繰り返す度に近づいて来る。錯覚では無い確信が、桜にはあった。

 

「……絶対に、死んでなんか、……死んでなんか、やるもんか」

 

 分かっている。このままでは、自分自身が多くの人々の、大事な人たちの日常を、完膚なきまで喰らい尽くす怪物に成り果てることなど。

 だからこそ、そうならない為に勝ち得なければならないのだ。聖杯を、自分自身を。

 

「…少し、休もう」

 

 勝負を仕掛けるのは明日。もし仕損じれば、その分だけ聖杯は遠のく。遠のけば、そこに辿り着くまでに時間がかかる。時間がかかれば、……きっと、耐えられなくなる。

 弱気な考えを搔き消すように、桜は小さくかぶりを振った。洗面所を出て、部屋へと歩みを進める。二階の階段に足を掛けた瞬間だった。

 

「———っ」

 

 左右が反転した世界、巨大な蜘蛛。蝙蝠と仮面の騎士、折れた剣。そして、赤い龍。刹那の速度で切り替わる映像が唐突に流れ込んで来たのは。

 容赦なく流れ込むその映像を処理し切れずに、桜は階段の手すりに寄り掛かる。

 学校に張り巡らせた結界の起点に、何者かが干渉している。そんなライダーからの報告が頭の中に響いたが、それどころではなかった。

 

 

 

 

○○○

 

 

 

「よっと」

 

 カーブミラーから勢いよく飛び出し、龍騎は綺麗に三点着地をする。乾いた音がアスファルトを踏み鳴らした。

 それとなく周囲を見回すが、問題ない。学校前の通学路は無人そのものだった。

 強く意識をすると、此処からでもあの奇妙な感覚が分かった。閉められていた校門を軽々と飛び越え、校庭を駆けていく。

 

「近いのは………こっちか」

 

 自らの感覚を頼りに、龍騎は足を進める。その向き先は弓道場だ。

 土足で神聖な射場に踏み入るのは非常に憚れるが、事態が事態。仕方なく玄関にあった手拭いで、せめて足の裏を拭き、龍騎は上がり込む。

 祀られている神棚に二礼、二拍手、一礼を欠かさずに行い、室内を見渡す。思えば、此処に入るのは随分と久しぶりだった。

 昨年、中学の頃と同様に、部活動に所属するつもりが無かった桜を、見かねた自分が強引に弓道部の見学に連れて行った時以来か。ついでに見ていけと、大河に誘われたのだ。

 当時の士郎が見せた完璧な射が決め手となったのか、やけにすんなりと入部届けを出したのが印象的だった。大河が顧問だったことも後押ししたのだろう。

 

「こっちの筈なんだけど…。的の方か…?」

 

 少し昔の事を思い出しながら、龍騎は板張りの床から降りて、砂利の矢道に足を踏み入れる。

 そして、的場の横にある看的所の扉の取っ手を掴み、手を引く。建て付けが悪くなっているようで、何度か引くことによって、ようやく扉は開いた。

 

「———なんだ、これ」

 

 ズルズルと、地面を擦る音が耳朶を打つ。それが、自身の後退りが起こした音なのだと気づいたのは、足元に転がっていた小石を踵で蹴り飛ばしてからだ。

 龍騎は仮面越しに、ある一点を見据える。開かれた看的所の扉。その扉の裏に凝着されたペースト状の真っ黒な影を。

 月明かりに照らされた影は、光を浴びているというのに微塵も薄れる気配がない。まるで、差し込んだ場所を間違えているかのように。

 

「…………よ、よし」

 

 口の中に含んだ固唾を飲み込み、龍騎は影へと歩み寄って観察する。これが今朝から続く違和感の正体に違いない。どう考えても有り得ない現象なのだから。

 おそらく、この影と似たようなものが校内の各所に点在しているのだろう。

 

「これも、魔術ってやつの一つなのかな」

 

 龍騎の推論が当たっているのならば、魔術師が此処で何かを行おうとしていることになる。どちらにせよ、この得体の知れないものを看過する理由など無い。

 

「……ちょっと触ってみるか」

 

 しかし、どのような方法を用いて、この影を取り除いたものか。物は試しと言わんばかりに、龍騎は影に左手を伸ばす。

 案外、不思議なことが起こって、簡単に引き剥がすことが出来るかもしれない。随分と愚直な判断だった。

 

「………っ!? ちょっ、なんでこうなるんだよっ!」

 

 その時、本当に不思議なことが起こった。龍騎は咄嗟に驚愕の叫び声を上げる。

 影へと伸ばした手の指先は、何にも突き当らずに飲み込まれた。そして、途轍もない引力で、影はこちらの身体さえも引き込もうとしている。

 

「ド、ドラグレッダーっ! やばい、早く助けろ!」

 

 最早、自分の力だけでは抜け出すことが出来ない。流石に危機感を覚え、龍騎はドラグレッダーに助けを求めた。既に、影は自分の手首まで飲み込んでいる。

 気怠げに現れたドラグレッダー。差し出された尻尾の付け根を、龍騎は空いている方の右手で強く掴んだ。

 

 

 

「はぁ〜、助かったぁ」

 

 尻餅をついたまま、大きく息を吐く。ドラグレッダーの助けが無ければ、今頃自分はあの影の中へ取り込まれていただろう。

 向こう側には、どんな世界が広がっているか気にはなったが、戻って来れる保証もないので、間違えても飛び込まないように留意しておく。

 

「……放っておいたら危ないよな、これ」

 

 だが、迂闊に手を出す行為も危険だという事が分かっている。捨て鉢気味に、足元の小石を影に向けて投げつけたものの、敢え無く飲み込まれたのが良い例だ。

 

「直接触れるのは駄目だろ…。ドラグレッダーの炎は絶対火事になるだろうし……。いっそのこと扉ごと……そうだ!」

 

 妙案を思いついた龍騎は指を弾いた後にデッキからカードを引き抜く。

 

【SWORD VENT】

 

 そして、手にした青龍刀によって扉を繋ぎ止める金具を縦に両断した。

 次に、音を立てて倒れた扉を慎重に拾い上げ、月明かりを反射している磨き抜かれた板張りの床に放り投げる。

 すると、影が纏わり付いた扉はミラーワールドへと消えていった。

 

「っしゃぁ! やっぱ冴えてるな〜、俺って」

 

 直接取り除く方法が無いのならば、別の場所に移せばいいのだ。大雑把な手段だったが、これ以上のやり方も無いだろう。

 龍騎は意気揚々と次の場所へと足を進める。しかし、その歩みは途中で止まった。ドラグレッダーが起こす耳鳴りが、警戒を促すように頭に響いたからだ。

 

「…………なあ、誰か居るのか?」

 

 雑木林に視線を向け、言葉を投げかける。返事は無い。代わりに、風にたなびく木々のざわめきが辺りに木霊する。

 出てくるつもりが無いのならば、こちらも用事を済ませよう。そう思い、龍騎は校舎へと向き直り歩みを再開し———。

 

 ———即座に身を翻させ、青龍刀を振るった。

 

 甲高い音と同時に火花が飛び散る。鎖を手繰り寄せる音に促され、龍騎は正面に青龍刀を構えた。だが、下手人は尚も姿を現さない。

 刃物の先端と思しき銀の煌めきが、雑木林へと消えていったのが見える。それが自身を誘き寄せるための罠であることは、火を見るよりも明らかだった。

 

「……………くそっ」

 

 悪態をつきながらも、龍騎は地を蹴り雑木林へと疾駆する。無視することなどは出来ない。

 あのまま、校舎へと進んだとしても更に苛烈な横槍が待ち受けている。迎撃へと赴くのは必然だった。草木を掻き分けて進み続け、やがて、拓けた場所に龍騎は出る。

 

「———っ!」

 

「……素直に来ましたか。余程、自らの実力に自信があるのか、思惑に気づかない愚か者なのか。……どちらにせよ、邪魔者であることに違いはない」

 

 そこには、地面につく程に長い桃色の髪を下ろした女性が立っていた。特に目を引くのは顔の反面を覆う眼帯だ。

 視界など封じられていないかのように、女性はこちらに真っ直ぐ顔を向けている。身に纏う気配からしても、彼女がサーヴァントだということは容易に看破できた。

 

「あんたが、この学校にあんな影を仕掛けたのかよ。一体、何が目的なんだ」

 

「……それを貴方に教える意味や義理もありません」

 

 青龍刀を構え、龍騎は女性にゆっくりと近づいていく。少しでも気を抜けば、彼女が手に持つ短剣の餌食になることだろう。

 だが、臨戦体勢をとり、歩みを進める龍騎に対し、女性は予想に反した言葉を口にした。

 

「……ですが、見たところ、貴方はサーヴァントでもマスターでも無い、完全な部外者でしょう。貴方を殺すことは私のマスターの本意ではない。……どうか、全てを見なかったことにして、立ち去ってはくれませんか」

 

「手出しさえしなかったら見逃すってのかよ。随分と良心的なんだな。あんたのマスター」

 

 街で無関係の人々を襲っている他の陣営とは大違いだ。マスターの中でも、殺しを厭う例外は士郎だけでは無かったらしい。それでも、構えた青龍刀を降ろすような真似はしないが。

 

「…………私は答えを聞いているのです」

 

 柄の先端にある鎖が、ジャラリと音を立てる。

 

「お断りだね。知ったからには、見て見ぬ振りなんか絶対にしてやるもんか」

 

 女性との会話からの推測だが、あの影はこの学校に通うマスター。つまり、士郎と凛を狙った魔術なのだろう。

 放っておけば、二人の友人の命が失われるかもしれない。頷く道理など無かった。

 

「……なるほど。ならば、やる事はただ一つです」

 

 淡々と紡がれた言葉を言い切らずに、落ち葉が舞い上がり、女性の姿が目の前から消える。

 鬱蒼とした雑木林が、夜風に揺らぎ、さざめきを奏でる。

 

「———!」

 

 木の葉に紛れるように、月明かりによって反射した刃。それが戦いの始まりの合図だった。




ついにライダーバトルが始まってしまいました。真司は無事に戦って生き残ることが出来るのか…。
同時に、これから燦然と輝き始める予定の独自設定、独自解釈のタグ。無謀な試みの中、無事に物語を成り立たせることが出来るのか…。

感想、アドバイス、お待ちしております。


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第19話『鉄鎖』

 風を切り裂き、迫る白刃の光。龍騎は身を捩って投擲を躱し、前方を睨む。だが、眼帯の女性の姿は搔き消えていた。

 鎖が手繰られる音、落ち葉が割れる乾いた音が背後から発せられる。首筋が燻るような感覚に身を委ね、素早く伏せる。

 直後、鋭い横薙ぎの蹴りが頭上を通過した。そして、息をつく間も無く振り下ろされる短剣の追撃。

 伏せた体勢のまま両脚に力を込め、横っ跳びに回避。すかさず距離を取り、龍騎は体勢を立て直す。

 

「……余計な手心は、必要無いようですね」

 

 ぼそり、と呟かれた言葉と共に、桃色の長い髪が揺らめいた。手にした青龍刀を中段に構え、攻撃に備える。

 右方から迫る短剣。迎撃の一刀によって火花が飛び散り、鬱蒼とした夜闇を一瞬だけ照らした。

 疾い。そう思う間も無く、視界の端に映り込む鎖。龍騎は即座に身を翻し、短剣を受け止めた。

 小刻みに震え、拮抗する刃。だが、その拮抗は直ぐに終わりを迎える。相手がなんの惜しげも無く身を引いたからだ。

 

「くっそ! やっぱりそういう事かよ!」

 

 悪態をつきながら、龍騎は感覚を研ぎ澄ませて気配を探る。彼女はこれまで戦ってきたサーヴァントとは違い、自分と真正面からの白兵戦を行うつもりは無いらしい。

 だからこそ、遮蔽物が多いこの雑木林を戦いの場に選んだのだろう。自らの敏捷性を遺憾なく発揮する為に。

 木の幹を足場に用い、四方八方から迫り来る絶え間ない乱撃。受け止め、逸らし、弾き返すように、一振りの青龍刀で捌き続ける。

 だが、龍騎は己を刺し穿たんと煌めく短剣にばかり気を取られていた。

 

「ぐ———っ!」

 

 相手の踏み込みに合わせ、青龍刀を上段に振り上げた。開いた胴を、鞭のようにしなる鎖が捉える。

 胸部の装甲を貫くような衝撃が体を強く打ち据え、たたらを踏ませた。間髪いれずに繰り出された蹴撃を、後方転回で躱しきり、距離を取る。

 このままでは不味い。一旦この場から離れ、仕切り直すべきだ。そう思い、後退りをしていく。だが、それは叶わなかった。

 

「無駄です。逃げ場など、もうどこにも有りはしない」

 

 その宣告を受け、龍騎は視線を改めて眼前の女性へと向ける。虚空を掴む右手が、微かに動いた瞬間。

 木々の間を縫うように、所狭しと鎖が張り巡らされ、龍騎の周囲を何重にも取り囲んだ。

 

「…………っ!」

 

 知らず識らず、冷たい汗がこめかみから滲み出た。汗が頬を伝うと同時に、落ち葉を踏みしめる音が耳朶を打つ。

 

「ご心配なく。先程述べた言葉通り、貴方の命は奪いません。……ただ、少しばかり味見はさせていただきますが」

 

 捉えた獲物を前に、女性は舌なめずりをする。自らの勝利を確信しているのだろう。

 ゆっくりと、こちらへにじり寄って来た。明らかな油断。手札を切る局面は、今をおいて他には無い。

 

「…なに勘違いしてんだよ。まだ俺は負けてないってのっ!」

 

「———!」

 

 流れるような動作で、龍騎はデッキからカードを引き抜き、バイザーに挿し込む。その瞬間、投擲された短剣が空気を唸らせ龍騎へと迫った。

 だが、もう遅い。体を捻って短剣の切っ先を寸前で回避し、バイザーを上へとスライドさせる。

 

【ADVENT】

 

 機械音声。そして、断続的に響く轟音。その轟音を生む衝撃が、聳え立つ木々を薙ぎ倒していく。それと共に張り巡らされた鎖が綻んだ。

 月の光を遮る程に鬱然とした木々は、もはや見る影も無い。幹の根元が辛うじて名残を残す拓けた場所に、ドラグレッダーが舞い降りた。

 

「お、おお……、サンキュー、ドラグレッダー。………取り敢えず、これで形成逆転だけど、どうすんだよ」

 

 言葉を発するまでもなく、こちらの意図を汲みとった相棒に、やや驚きながらも感謝を述べて、青龍刀を相手に構える。

 こちらに不利な形勢は覆せたと言っていいだろう。後は、あの女性が次になにを仕掛けてくるかだ。

 

「——————」

 

 しかし、構えた刃の向こうに映る女性は、茫然自失としてドラグレッダーを見上げていた。

 今更恐れをなしたなどとは思えない。だというのに、手にした短剣の向く先は、地面へと降ろされている。

 

「………わからない。貴方はあの子の味方だったのではないのですか?」

 

「………いきなりなに言ってるんだ、あんた。こいつは俺と契約してるからまだマシだけど、本当は人を食うようなおっかない奴なんだ。誰かの味方なんてするわけない」

 

「私は、貴方ではなく、そちらの龍に聞いているのです」

 

 顔を覆う眼帯越しからも窺える困惑。口から漏れるように発せられた問いは龍騎ではなく、ドラグレッダーに投げかけたものだったらしい。

 一体全体どうなっている。この龍は自分と契約する前になにをやらかしたのだ。言葉には出さないが、龍騎は内心気が気ではなかった。

 女性の問いかけに答えられる筈もなく、ドラグレッダーは低く声を唸らせ、鎌首をもたげる。

 

「…………ええ、わかりました、マスター。彼らはここで確実に捕らえましょう」

 

 暫しの膠着の間に、眼帯の女性はこの場には居ないマスターとやらの指示を受けたらしい。腕を交差させ、短剣を構えてきた。

 

「そんな事———」

 

 龍騎の言葉を遮るように投げ出された鎖。直線軌道を描いたそれは、こちらへと迫り来る。

 すかさず龍騎は迎撃の一刀を振り抜く。その瞬間、迫る鎖の先端に蛇の如き意思が宿った。

 予測した軌道から逸れた鎖が、空を切った青龍刀ごと両腕を捕縛し、自由を奪う。

 

「———!」

 

 だが、その直後、ドラグレッダーが龍騎の真横を横切った。遅れて、腐葉土を蹴散らす風圧が、激しい残響と共に流れる。

 戦いの終わりを予感した刹那。下げていた両腕が吊り上がった。龍騎の両足は地面から離れ、その体は荒荒と宙を舞う。まるで、ハンマー投げだ。

 

「うおおおおおっっっ!!??」

 

 長い桃色の髪。半ばで折れた切り株。星が瞬く綺麗な夜空。目紛しい残像を残して、世界が高速回転をする。

 龍騎の瞳は、ドラグレッダーの顔を最後に映し、全身が強かに叩きつけられた。

 

「う、うぐぐっ…」

 

 雁字搦めになった平衡感覚と、痛みに悶えそうになる身体に鞭を打ち、かぶりを振って立ち上がる。

 再び、龍騎を捕縛せんとばかりに頭上で反照する鎖。直接迎撃してはならない事は、先ほど理解した。

 膝を曲げ、後方へ大きく跳躍。ドラグレッダーの火球が眼前を横切り、迫る鎖を弾く。

 

「そっちか!」

 

 その甲高い音に紛れ込む間断のない跫音を、龍騎は聞き逃さなかった。

 着地の瞬間を狙い、振るわれる一対の短剣。迫る切っ先を素早いスウェイで躱し、隙だらけの脇に鋭い拳を捩じ込んだ。

 呼気が漏れる音が、地面に叩きつけられ、転がる音が、鮮明に耳に入る。

 振り抜いた拳の嫌な感触を搔き消すように、手首を小刻みに払い、龍騎は眼帯の女性を警戒した。

 

「なるほど。……あまり、使いたい手段ではなかったのですが、仕方がありませんね」

 

 そう言いながら、女性は伏せた体勢のまま、顔を覆う眼帯を取り外した。一連の動作に、龍騎は嫌なものを感じる。

 彼女が顔を上げた瞬間だった。眼帯の封印が解かれ、美しい相貌が露わになったのは。

 だが、彼女の相貌以上に目を奪われるものが龍騎にはあった。

 四角の瞳孔、色素の薄い虹彩を伴った異様な瞳が夜闇に妖しく光る。それは、昨夜の夢に出たものと同じだった。

 

 

 

 

○○○

 

 

 

 突き出された短剣を逆袈裟に切り払う。しかし、即座に繰り出された後ろ蹴りに対応することが出来なかった。

 腹部を起点に、身体中に響き渡る重い衝撃。龍騎は耐えきれずに、大きく弾き飛ばされ、勾配の強い坂を転がる。

 

「げほっ……、痛ってえ………」

 

 鉛のように動きが鈍った身体。考えるまでもなく、あの魔眼がもたらしたものだ。

 証拠に、こうして彼女の視線が外れた途端、それらの重みが一瞬にして消えた。

 口から咳を吐き出し、四肢に力を込めて起き上がる。そこは溝の深い窪地だった。辺りには不法投棄されたごみが転がっている。

 しかし、龍騎が周囲を見渡せたのは、ほんの束の間。全身にのしかかるような重圧が戻ってきた。身を翻して青龍刀を構える。

 

「うおわっ!?」

 

 だが、龍騎の鈍重な動作よりも速く、鋭敏に放たれた鎖が両脚の自由を奪った。体勢を崩され、再び龍騎は地面へと仰向けに倒れる。

 

「…()()()()()()()()()()()()注意はしましたが、私の眼を解放しても尚、抵抗を許す事になるとは。…貴方にはとても驚かされた」

 

 不断の戒心を示す、確実な足取り。しかし、ほんの僅かの安堵から漏れた言葉。

 その中に、か細い打開の道を、龍騎は見出す。

 

「………!」

 

 見た者を石にする眼。龍騎はそれに覚えがあった。まだ、桜が幼い頃に自分が読み聞かせた絵本。

 その絵本に登場する怪物の逸話は、あの女性の言葉と酷似していたのだ。朧げな記憶を、必死に手繰り寄せる。

 枯葉を踏み鳴らす足音が、刻一刻と近づいてくる。足音が耳元で止まった瞬間、龍騎は賭けに出た。

 手を伸ばし、掴み取ったある物を、女性の顔へと突き出すように翳す。

 

「これで、どうだっ!!」

 

 それは割れた鏡の破片だった。鏡面が光を反射し、鏡像を生み出す。鏡に映った魔眼が、女性を視界に捉えた。

 

「く———っ!?」

 

 予想的中。至近距離で自らの魔眼を見てしまった女性は、顔を手で覆い隠し大きく怯んだ。短剣が取り落とされ、両脚を縛る鎖が弛む。

 瞬時に拘束から抜け出した龍騎は、後方へ跳躍すると同時に、デッキからカードを引き抜いた。

 

【STRANGE VENT】

 

【CLEAR VENT】

 

 機械音声が流れる。その音声が追撃の合図である事を予知した眼帯の女は…ライダーは目を閉じたまま、前方へと神経を尖らせて回避を試みる。

 しかし、ライダーの予想に反して何も起こらなかった。すぐさま、回復した視力で、あの仮面の騎士を視界に捉えようと眼を見開くが、姿は見えない。

 

「………逃げられました、か」

 

 目を閉じて、自らの両目を再び眼帯で覆い隠す。まさか、魔眼の弱点を看破されるとは。

 そして、その機転に応えるように、手元に散らばっていた鏡の破片。偶然の一致が呼び起こした失態だった。

 

「………はい、マスター。念の為、この場に残り校内の監視を続けるべきでしょう。………ですが、よろしいのですか? シンジの事は。………わかりました。そうであれば、私には何も言うことはありません」

 

 自らの主人の意向に頷き、ライダーはその身を粒子へと変換させ、煙のように搔き消える。やがて、夜の静謐が、事も無しに周囲を浸していった。

 

 

 

 

○○○

 

 

 

「これで………よしっと」

 

 こっそりキッチンから拝借しておいた救急箱を、ベッドの下の奥底に隠し、包帯の巻き具合を確認する。

 多少窮屈だが、おそらく問題は無い。そう判断した真司は寝間着に袖を通した。

 

「痛つつ……。結局、駄目だったか」

 

 肺に籠もった息を強く吐いて、真司はベッドに座り込む。結局、あの影を全て取り除く事は出来なかった。

 カードの能力により透明化して、あの場から離れたまでは良かった。

 だが、影の場所まで辿り着いた途端、待ち受けていたのは、眼帯の女性の苛烈な妨害だった。

 こちらの姿は見えないというのに、的確に真司の居場所を探り当て、追い詰めて来たのだ。能力の制限時間もあり、真司は手を引かざるを得なかった。

 

「………まあ、眼帯してても戦えるんだから、俺が透明になっててもあんまり関係無いのかもな」

 

 昨夜の夢に出てきたものと同じ瞳を持つ眼帯の女性。無差別に狙われた対象が偶然にも自分だったのか。正体を知ったうえで、自分を狙ってきたのかは分からない。

 しかし、後者であった場合は、変身を解除したと同時に襲われる筈なので、そちらの可能性は低いと考えられるが、警戒するに越した事は無い。

 背中を倒して仰向けになり、真司は天井を見つめる。全身に染み渡る眠気に対抗するように、目頭を押さえた。

 

「あー、寝るのが嫌だとか幼稚園児の頃以来、…でもないか」

 

 寝てしまって、再びあの夢に囚われるのも嫌だが、明日になるのも少しだけ嫌だ。事態を先延ばしにしたことで、状況が悪化するかもしれないのだから。

 今からでも学校へ戻って、あの女性を倒すべきなのではないか。そんな考えが脳裏をよぎるが、かぶりを振って却下した。

 

「……………」

 

 そもそも、倒すべき相手が居るのかすら判断出来ない。

 

「……寝るか。ドラグレッダー、昨日みたいになんかあったら、起こしてくれよ」

 

 寸刻の葛藤の末に、真司は寝ることに決める。窓ガラスに向かって声を掛けると、鏡面越しに唸り声が返ってきた。

 四面楚歌に近しい現状に、唯一の救いがあるとすれば、ドラグレッダーがやけに自分に協力的な事だ。

 振り返ってみれば、ドラグレッダーに助けられた場面はかなり多い。

 どうにも以前と比べても、餌を求めるだけの本能とは違う、明確な意思のようなものを感じる瞬間が何度もあった。

 

「阿呆らしい……」

 

 しかし、それは自分の考え過ぎであると断じて、ゆっくりと瞼を閉じる。一度寝てしまえば、忘れてしまうような荒唐無稽な話だ。

 疲れた体に引き寄せられるかのように、眠りを拒んでいた意識は、いとも容易く沈んでいった。

 

 

 

 

○○○

 

 

 

「ふぅ〜、ご馳走さまでした」

 

 翌日、真っ赤な視界に目を灼かれる事も無く、頭を貫くような耳鳴りに目を覚まさせられる事も無く、真司は平穏無事な朝を迎えた。

 桜の作る朝食に舌鼓をうった後に、まったりと熱いお茶を飲みながら新聞紙を読み進める。こちらも、特に目を引く記事は無く、平和なものだ。

 

「…兄さん、行ってきます」

 

「うん、朝練頑張ってねー」

 

 支度を済ませ、玄関へ向かう桜を見届けた真司はリモコンに手を伸ばし、テレビの電源を点けようとする。

 だが、その指は背後からの視線で止まった。身を委ねていた背もたれから一旦離れて振り返る。

 

「どうした、なんか忘れ物? …っていうか、なんで人差し指なんか立ててるのさ。突き指でもした?」

 

「———い、いえっ、なんでもないですっ! い、行ってきます!」

 

 なぜか、開いたままの扉の向こうに桜が立っていた。足元には学生鞄が置かれている。

 唐突に振り返った真司に慌てたのか、桜は咄嗟に左手の人差し指を隠すように握って、扉を閉めてしまった。

 慌ただしい足音に続くように、玄関を開く音が聞こえる。今度こそ家を出たらしい。

 

「変なのー」

 

 桜の様子を怪訝に思い、首を傾げつつも、真司は肘をついてテレビの電源を点けた。

 情報番組の出演者たちの他愛の無い掛け合いと、時折、お茶を啜る音が、無音だったリビングに流れていく。

 

「うーん、ちょっと早い時間だけど、家出るか」

 

 暫しの間、食後の余韻を堪能した真司は、湯呑みに入ったお茶を飲み干し、台所の流しに置いておく。そして、テレビの電源を消した。

 あまり派手な行動は起こせないが、少しでも早くあの影の状態を確認をしに行きたい。

 そそくさと上着に袖を通し、鞄を持って玄関へと向かう。

 

「行ってきまーす。………って、うおおっ」

 

 つま先で床を叩いて、外履きの靴をしっかりと履き、玄関の扉を閉めて鍵をかける。

 その際に発せられた音に、突如反応したドラグレッダーが、塒を解いて起き上がる様子が、反射する窓ガラスから見えた。

 どうやら、今日は学校にも付いてくるつもりらしい。思わず、後退りをして窓から離れる。

 

「………あんまり変な騒ぎとか起こすなよ?」

 

 だが、その追従を止める事に意味は無い。

 小言を漏らしながらも、真司は門を出て学校へと早歩きで向かう。

 鏡やガラスを通りがかる度に、白昼堂々と視界に映り込む赤い龍の姿は、酷く非日常的だった。

 




fateの二次創作では、あまり見かけないライダーさん…もといメドゥーサさん対策の最適解、その名も鏡を翳す。
実際に魔眼対策になるのかは想像を及ばせる事しかできませんが。

感想、アドバイス、お待ちしております。


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第20話『赤き異界』

 

「…………」

 

 六限目の授業の終了を告げるチャイムが、教室に懇々と鳴り響いた。

 担当教諭への挨拶を済ませ、真司は空欄が目立つ板書用のノートと教科書を閉じて鞄に突っ込んだ。

 やがて、帰りのホームルームが終わりを締めくくり、生徒たちが各々の場所へ向かう為に教室を出て行く。

 

「……おかしい、変だ」

 

 徐々に閑散となっていく教室。だが、尚も席を立たずに、腕を組んだまま、真司は悩ましげに俯く。

 

「なにが変だと言うのだ、間桐」

 

 こちらに近づいてくる足音。続けて、掛けられた声に気づいた真司は、そちらへと振り向く。

 そこには、我が校の生徒会長、柳洞一成(りゅうどういっせい)が居た。なにか嫌な事でもあったのか、若干眉間に皺が寄っている。

 

「会長か。いいや、なんでもない。そっちこそ随分不機嫌そうだけど、なんかあったの?」

 

 真司の指摘によって、自らの強張った面差しに気づいた一成は、誤魔化すように咳払いをして表情を取り繕う。

 

「………顔に出ていたか。それがな———」

 

 そして、改めてこちらへ向き直ったことを皮切りに、愚痴をこぼし始めた。

 なんでも、昼休みに学校の備品の修理を士郎に頼んでいたのだが、横から唐突に凛が現れ、士郎を掻っ攫っていったらしい。

 しかも、そのまま二人は教室に戻らずに午後の授業をサボったのだとか。秘密の逢引がどうたらこうたらと、クラス中で話題にもなったようだ。

 

「ふーん、そんなことがあったなんて、俺全然気づかなかったよ」

 

「………やけに反応が薄いのだな。お前が手をこまねいているから、衛宮を遠坂に…ゴホンっ、遠坂を衛宮に取られたのだぞ」

 

「はいはい、そうですね、そうですね」

 

 やや、責めるように向けられた一成の視線を、真司はまともに取り合わずに受け流して、鞄を持って席を立つ。

 割と何時ものことなのだ。一成の凛に対する愚痴は。

 今日は愛しの士郎を、穂群原三大仏敵の一人である凛に奪われてしまったようなので、三割増しでご機嫌斜めだが。

 

「でも、あの二人、案外相性は悪くないと思うんだよなあ。アクセルとブレーキみたいな感じで」

 

 ちなみに、どちらがどちらの役目かは、時と場合によって変わる印象だ。

 普段は凛がアクセル役になるのだろうが、士郎も唐突に突っ走る癖がある。その時は、凛がブレーキ役になってくれるような気がするのだ。特に根拠は無いが。

 

「くそ、あの女狐め……。間桐の感覚を麻痺させおってからに。やはり毒婦か———」

 

「———待った、会長。今の言葉はちょっと聞き捨てならないぞ」

 

 これは参った。といった面持ちで発せられる一成の言葉に対して、真司は食い気味に物申した。

 

「あ、ああ。俺も少し熱くなりすぎた。幾ら遠坂と言えど、毒婦などとは、流石に度を越している。すまん」

 

「…………ドクフ? いや、毒を持ってそうなのは会長の言う通りだと思うけど」

 

 互いの思った事が食い違っているようだ。一成の解釈はそこまで間違っていない。

 凛は色鮮やかな赤い服をよく好んで着ている。とても似合うとは思うのだが、彼女の分厚い外面を横目で見るたびに思うのだ。

 あれは警告色なのではないかと。言うなればベニテングタケだ。

 

「では、何が言いたいのだ。間桐よ」

 

「うん」

 

 堪えきれずに、真司が物申した理由はたった一つだ。

 女狐、つまりメスのキツネ。最終的にキツネはイヌ科に含まれる。真司は犬という生き物が大の苦手だった。

 退路の無い一本道で、散歩中の犬と正面から出会ってしまった場合、形振り構わず隣に居る誰かを盾にするぐらいには。

 そんなイヌ科の動物と凛を同一視するのは、余計今後の関係に支障をもたらす。

 

「ただ、俺が言いたいのはさ、凛は女狐というよりは……」

 

「……というよりは?」

 

「女豹って感じだろ」

 

 あの強かさはキツネとは違う。ネコ科の動物の性質だ。彼女に告白をして撃沈していった男子生徒たちを、真司は何十人も知っている。

 そのくせ、凛は女としての武器を遺憾なく発揮して、上手く立ち回るのだから尚更たちが悪い。

 その印象を決定づけた出来事が過去にあるのだが、一成に口外すれば大惨事になるだろう。

 

「ふっ、ふくくくく……。め、女豹か。大して違いが無いではないか。く、くふふっ」

 

「ぷふっ…。いやいや、犬と猫とじゃ全然違うって。あいつ、絶っ対に男をあの貧相な尻に敷くタイプだろ———」

 

「———ふふふっ、面白い話してるのね。私も混ぜてくれないかしら?」

 

 他愛の無い談笑を切り裂くように、教室の半開きの扉が轟音を立てて開かれた。眼鏡のレンズ越しに見開かれた一成の目が、真司の視界に映る。

 それに促された真司は、錆びついたゼンマイ仕掛けのおもちゃの如く、首を回転させ、扉に視線を移した。

 そこには、能面じみた微笑みを浮かべる件の少女が立っていた。彼女の背後では、士郎が死者を悼むように合掌している。

 

「「…………………」」

 

 長い沈黙の後に、二人分の壮絶な悲鳴が、一生懸命部活動の準備をしている生徒たちの鼓膜を劈いた。

 

 

 

 

○○○

 

 

 

「はあっ、はあっ……。やべっ、会長置いて逃げちゃった……」

 

 膝に手を当てて呼吸を整える。真司は突如現れた赤い悪魔から逃れようと、彼女の居ない逆の扉から教室を飛び出して、校門前まで全力疾走して来たのだ。

 無論、出遅れた一成は放ったらかしであった。彼を助けるために来た道を戻ろうか、右往左往と足を動かす。

 だが、今戻れば碌な目に遭わないと判断して、素直に下校する事にした。

 

「思いのほか会長との話が盛り上がったり、凛が来たりして忘れてたけど……」

 

 真司は門を通る寸前で、その足を止めて、校舎へと振り返る。

 昨日、真司がこの場所で感じた違和感。それは、今日の午後に差し掛かった時点で、唐突に消え去ってしまったのだ。

 どれだけ意識を集中させても、何一つ感じ取れない。合間の空き時間を使って校舎内を練り歩きもしたが、結果は同じだった。

 

「諦めた………わけないよなぁ」

 

 脳裏に浮かんだ楽観的な考えを、真司は即座に排除する。あの眼帯の女性が、あれ程までに目を光らせ、防衛していた真っ黒な影。

 その影が音沙汰も無くなった事には、なにか理由があるはずだ。それを究明しなければ、安心して家に帰る事も出来ない。

 

「はぁ………」

 

 もう一度だけ、真司は校舎や校庭に視線を巡らせる。すると、精一杯に掛け声を上げて、駆けずり回っている運動部の生徒たちが目に映った。

 耳を澄ませば、掛け声に混じるかのように、吹奏楽部の演奏がここまで流れてきた。

 見ればわかる、聞けばもっとわかる。校内の敷地は、満遍なく人の気配に満ち溢れている。

 昨夜と同様に、下手に変身をしてあの影を探し回ったならば、瞬く間に大混乱になることは想像に難くない。

 

「うん、こっちで探すのは無理だな。…仕方がないからミラーワールドから探してみるか」

 

 現時点で打てる手は、それしか無いだろう。

 今朝、真司に追従して来たドラグレッダーは、学校に着いた途端にその姿を消した。

 ミラーワールドへ赴く理由は、ドラグレッダーを探す意味合いも兼ねている。

 万が一、あの龍が勝手にやられてしまえば、真司はブランク体でこの聖杯戦争を戦い抜かねばならない状況に陥る。ついでに様子を見に行くべきだ。

 そう判断した真司は、なるべく人気のない侵入経路を確保する為に学校を後にした。

 

 

 

「——————」

 

 その後ろ姿を確かに見届けた桃色の粒子は、微かに揺らめき、主人へと思念を送る。仕掛ける機会は、任せたと。

 どこかで誰かが、固唾を飲んで撃鉄を起こす。そして、遍く全てを溶解させる引き金に、震えた指をかけた。

 

 

 

 

○○○

 

 

 

 品行方正であるべき筈の、生徒会長らしからぬ狼狽っぷりを見せた一成は、掛け違えたボタンを直そうともせずに教室を飛び出して行った。

 その後に続いて、捲った袖を元に戻しながら、士郎が教室から顔を出し、一成の背中を安堵の面持ちで見送る。

 

「やっぱり一成はマスターじゃなかったみたいだぞ。遠坂」

 

 扉の横で壁によし掛かり、取り調べの終息を待っていた凛に、結果を報告した。

 一成の上着とシャツをひん剥いて、令呪の有無を確認したが、それらしい痕跡は無かったのだと。

 

「………あんた、案外大雑把なのね。私言わなかったっけ。令呪ってのは大抵、腕か手の甲に表れるものだって。それなのに、突然あいつの上着を剥ぎ取り始めるんだから、ドン引きしたわよ」

 

「……………そうだったか?」

 

 脱がせることに必死のあまり、士郎はその事をすっかり失念していた。これでは、自分が男色家のようではないか。

 自らの名誉の為に、士郎は弁明の言葉を頭の中で考えるが、それを口にする前に、凛は教室に入っていく。

 

「……………貧相じゃないっつーの」

 

 そして、意味ありげな言動で、廊下側にある真司の机に座った。先ほどの真司の辛辣な言葉を、凛はまだ根に持っているらしい。

 真司と一成の談話が教室から聞こえてきた際に、彼女の背後で笑いを堪えていた事実は、墓まで持っていく所存だ。

 

「衛宮くん。あのバカ慎二とメガネ坊主の言ってた事は永遠に忘れなさい。……それと、この教室にも無いか、探してくれる?」

 

「———あ、ああ」

 

 一成の取り調べは、あくまでも、偶々そこに居たついでだ。本命は別に有る。気を取り直して、士郎は壁に手を当て意識を集中させた。

 

 

 

「……………」

 

 士郎の様子を眺めながら、凛は昨夜の事を思い返す。

 昨夜、新都で頻発していた謎の昏倒事件の原因を、凛は残された魔術の痕跡からようやく探し当てた。

 使い魔とアーチャーの目を併用し、下手人の後ろ姿も目撃した。特徴は、長いローブに身を包んでいた事だけだが。

 そして、辿っていった先には、冬木の中でも最高峰の霊地である柳洞寺が有り、そこで、凛は山門を守る侍のサーヴァント、アサシンに接敵した。

 戦いの末に、互いのサーヴァントが決して浅くはない傷を負い、痛み分けという形で敢え無く撤退したのだ。

 だが、アサシンは只の門番に過ぎない。その背後には別のサーヴァント、恐らくは柳洞寺に工房を構えたキャスターが居るに違いない。

 そう判断した凛の行動は、実に迅速だった。

 

 ———いきなり家に来て、何の話だよ。………って同盟!?

 

 凛は帰りの足で衛宮邸に赴き、寝ぼけ眼をこする士郎に同盟を持ちかけたのだ。

 キャスターが新都で起こしている非道を、誇張気味に語ると、士郎は直ぐに食らいつき、同盟を了承した。

 そして、凛は今日の夜にでも柳洞寺に再び攻め込む予定だったのだ。

 

「……多分、この棚の裏だな。……よっと」

 

 重たい棚が床を擦る音で、凛は現実に引き戻された。真司の机から降りて、士郎の方へと歩み寄って膝を曲げる。

 視線の先には、赤い妖光を帯びた魔法陣。それを凝視した後に、凛は溜め息を吐いて目を逸らす。

 

「ほんと、やってらんないわよ。これからって時に余計な足止めが入るんだから」

 

 昼休みの屋上にて、どのような方法を用いて柳洞寺へ攻め込むか。その事について士郎と作戦会議をしていた途端の出来事だ。

 結界を張る為の起点である刻印が、二人の直ぐ傍に表れたのは。

 時間をかけて分析した結果は、最悪なものだった。結界が作動するまでの猶予は、僅かしか無いというのだから。

 

「早く消そうぜ。放ったらかしにしてたら危険なんだろ。それ」

 

「…わかってるわよ。気休め程度にしかならないでしょうけど」

 

 士郎に急かされるままに、凛は刻印へと手を翳し、容易く搔き消した。

 両手を叩き払いながら立ち上がり、凛は教室を後にする。その後も、二人は校内の結界の起点を取り除く為に、足早に奔走した。

 

「大体消し終えたと思うけど、……衛宮くん、どう?」

 

 そして、元居た屋上に戻り、違和感がある箇所が残っていないかを念入りに確認する。

 大まかに周囲を一望した凛は、士郎の解析を待つ。あとは、彼さえ頷けば、結界を無力化できた事になる。

 

「………ああ、大丈夫そう———」

 

 士郎の言葉は、最後まで凛の耳に入らなかった。

 つま先がめり込んだ腹部。地面を離れる両足。背中から全身に染み渡る衝撃。

 自分は何者かに蹴り飛ばされ、壁に叩きつけられた。アーチャーを呼ぶ猶予さえも与えず。

 明滅する意識の中、答えを導き出した凛は、自らの迂闊さを呪いながら倒れ伏した。

 

 

 

 

○○○

 

 

 

「遠坂———っ!?」

 

 力なく壁に横たわる凛。瞬きの間に赤く染まった視界。そして、突如現れた女性のサーヴァント。

 羅列された情報を、士郎は乱れきった思考で必死に処理する。咄嗟に理解できたのは、絶対的な劣勢である事だけだ。

 

同調(トレース)———」

 

 踏み込みと共に振り上げられた手刀。狙いは首筋。そんな眼前の光景が、スローモーションに映った。

 そのおかげかもしれない。回避の動作と同時に、強化の魔術を即座に行使出来たのは。

 

「———開始(オン)っ!」

 

 引き伸ばした巻尺の帯が蛍光性の光を放ち、即席の武器となる。

 続けざまに繰り出された回し蹴りをどうにか防ぎ、士郎はたたらを踏みながらも距離を取った。後に取る行動は、たった一つ。

 構えた左手の甲に浮かぶ赤き紋章。この戦いに於いて許された三回きりの切り札。

 この局面で温存などという選択肢は無い。深く、深く念じた言霊を、士郎は令呪に告げようとする。

 だが、後に続く声を発することは無かった。

 

「———」

 

 風切り音が耳に入る。それと同時に、左腕に冷たい違和感を覚えた。士郎は咄嗟に視線をそちらへ移す。

 見た。知覚してしまった。腕に深々と突き刺さった短剣を。

 刹那、熱い激痛が五感を支配する。相手の動作に反応することさえも出来なかった。

 

「———っっ!?」

 

「こちらにも、あまり時間が無いのです。引き延ばすような行為はやめていただきたい」

 

 そんな言葉と共に首の根が締められ、士郎は軽々と持ち上げられる。

 高くなった視界の所為からか、校庭に倒れ伏す数多くの生徒たちが見えた。この結界の仕業だろう。

 彼らを助けなければ。抗うように手を伸ばす。だが、掴めたものは虚空だけだった。

 

「かっ………はぁ……っ」

 

 首筋に込められた力が強まる。痛い、苦しい、もういいだろう。お前も早く楽になってしまえ。

 そんな心の内の弱気な叫びに流されるまま、意識が薄れ、視界が靄がかっていく。

 

 ———ほんと、士郎は手先が器用だなあ。いっそのこと、()()()()()()()()()()さ、使えそうな部品かき集めてさ、こう、バババっと()()()()()()()()()()()早いんじゃない?

 

 ———慎二、本末転倒じゃないか、それ。

 

 何の変哲も無い、昼休みの日常風景。弁当を美味しそうに頬張りながらこちらの作業を興味津々に眺める友人。

 何故、今そのような事を思い出すのか。どうやら、本格的に意識が飛びそうになっているらしい。

 ならばこそ、最後の最後まで抗ってやろう。士郎は散逸していく意識を無理矢理束ね、目を閉じる。

 

「………っ……っっ」

 

 夜の校庭。稲妻の如き槍戟を、鉄壁の如き剣戟を以って凌いでみせた赤き外套の男。瞼の裏に浮かんだ光景はそれだった。

 見せかけだけの張りぼてでも上等。あの男が右手に握り締めていたあの武器を、士郎は幻想する。

 声を発する必要は無い。幾度と無く繰り返した呪文は、身体に刻まれている。

 

「…っ………っっっ!!」

 

 ———投影開始(トレース・オン)

 

 強く握り締めた右手。その掌が柄の感触を確かに感じ取った。瞼を見開き、士郎は首を絞める腕へと白刃を振るった。




幸か不幸か、鮮血神殿の被害を免れた真司。
普通ならば結界の壁に阻まれ、士郎たちを助けに行けず歯軋りする場面。
ですが、彼には非常口を兼ねた侵入口があるのです。…………邪魔が捗りますねぇ。
感想、アドバイス、お待ちしております。


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第21話『同じ瞳、同じ覚悟』

 左右が反転した廊下を、龍騎は一人歩く。周りには自分以外に動く者の気配はしない。静穏そのものだ。

 忙しの無い足音だけが、途絶える事なく校舎に響き渡る。

 

「まあ、当たり前だけど、何も無いよなぁ」

 

 ミラーワールドに存在できる時間は限られている。なので、隅々まで探す事が出来たとは言い難いが、昨夜の黒い影はこちらの世界にも無かった。

 因みにドラグレッダーの所在については、アドベントを鏡に翳してしまえば解決すると後から気づき、放置している。そう簡単に倒される奴でもない。

 

「帰るかぁ…」

 

 やはり無駄足だったらしい。窓を開き、そこから飛び降りようと、龍騎は窓際に手を掛ける。入った時と同様に、出る時も校舎の敷地外からだ。

 

「………ん?」

 

 だが、ガラスが反射した向こう側の世界に、龍騎は妙な気配を感じた。視線をそちらへと流し、注視する。

 倒れたままの譜面台と、床で散り散りになった楽譜。そして、煌びやかな光沢を放つ金管楽器。

 吹奏楽部の物だろう。何故誰も拾おうとしないのか。そんな疑問の答えは、直ぐに得られた。

 力なく床に崩れ落ちた四肢、助けを求めるように伸ばされた指先。

 

「………!」

 

 その先に映り込んだ光景を、仮面の奥の瞳が捉えた瞬間、龍騎の両足は思考よりも先に地を蹴り、ガラスへと飛び込んでいた。

 現実世界に戻った龍騎は、名前も知らない少女へ駆け寄り、ゆっくりと抱え起こす。苦しげな呻き声が、辛うじて生きている事を証明していた。

 

「ねえ、大丈夫!? しっかり———」

 

 無理矢理に揺さぶってはいけない。投げ出されたままの手を握り、懸命に声を掛けようとした。

 だが、龍騎の声は、喉を引き攣らせた吐息に変わった。

 握った手の感触が恐ろしいくらい固い。人のものとは思えない程に、指の関節が、身体の節々さえも凝固している。

 まるで、生きたまま身体が蝋に作り変えられるかのようだ。少女から、唯々生気だけが失われていく。

 猶予は無い。それだけは理解できた。抱えていた少女をそっと降ろし、窓の外へと視線を移す。

 

「…………っっ」

 

 食いしばった歯から、抑えきれない唸り声が音を立てて漏れた。眼下に広がる光景に目が離せない。

 散らばっていた。先程まで部活動に励んでいたのだろう。今も元気に校庭を駆け回っていた筈の生徒たちが、叩き落とされた羽虫のように。

 真っ赤な世界が、腹の底に立ち込めた赫怒が、龍騎の視界を焦がしていく。

 最早、考えるまでも無く、あの眼帯の女性の仕業なのだろう。昨夜の言葉の真偽など、どうでもいい。

 この光景が彼女の返答なのだ。こうなる前に、倒してでも止めるべきだった。また、自分の迷いが、多くの人々を危険に巻き込んでしまった。

 

「探さなきゃ…絶対に…!」

 

 校舎を駆ける。駆け抜ける。しかし、居場所がわからない。空を覆う眼球のような膜の所為からか、上手く気配も感じ取れない。

 焼けるような焦燥が、駆ける脚を、心臓の鼓動を急かす。やがて、龍騎は階段の側に設置された公衆電話の前に、見覚えのある人影を見つけた。

 

「藤ねえ……!」

 

 助けを呼ぼうとしているのか、大河は受話器を掴んだまま、懸命に立ち上がろうと両足に力を込めていた。

 だが、糸が切られた人形のように、大河の足は崩れ落ちる。仰向けに倒れる背中を、龍騎は強く受け止めた。

 

「ひぐっ……死んじゃう……。みんな、私が助けなきゃ、死んじゃうよ………っ」

 

 意識を朦朧とさせながら、尚も大河は嗚咽混じりに譫言を呟いている。その頬には、大粒の涙が伝っていた。

 苦しかったに違いない。だというのに、大河はここまで歩いて来たのか。

 学校に取り残された生徒たちを、教員たちを助けるために。多くの人が倒れる最中を、たった一人で。

 

「助けるよ…っ。藤ねえも、学校の人たちも、みんな俺が助けるから……だから、ちょっとだけ休んでて…っ」

 

 この言葉が、最後に大河へ聞き届けられたのかはわからない。

 目を閉じ、意識を失った彼女を優しく壁に寄りかからせ、龍騎は立ち上がる。直後、甲高い音が耳朶を打った。

 誰かが戦っているのか。悠長に階段を登っている時間が惜しい。窓ガラスを突き破り、別棟へ続く連絡通路の上に飛び降りる。

 そして、龍騎は強く床を蹴り砕いて、一気に屋上へと飛び上がった。

 

 

 

 

○○○

 

 

 

 全霊を込めて振るった白刃は、相手の腕を捉えることなく、挟み込まれた短剣によって阻まれた。甲高い音と共に飛び散った火花が、熱を失い消えてゆく。

 起死回生の一撃は防がれた。刀身が半ばで砕かれ、重みを失った柄の感触。そして、頬を抉る拳の感触が、嫌でもそれを理解させた。

 

「がっ……づっうぅ……!」

 

 強かに叩きつけられた壁を支えに、士郎は立ち上がろうと足掻く。

 敗北など、認めてなるものか。ここで自分が斃れれば、誰が凛を、戦いに巻き込まれた彼らを助けるというのか。

 だが、駆け巡る思いとは裏腹に、身体中を循環する血潮が沸騰したかのような痛みが、それを許さない。

 

「アーチャーのマスター同様、早々に意識を絶って楽になってしまえばいいものを…。足掻けば足掻くほど、苦しむ時間が長引くだけでしょうに」

 

「ふざ……けるな……。ライダーの、サーヴァント……」

 

 こちらの身を案じているとでも言いたいのか。淡々とした靴音を立てて近づいて来るサーヴァント…ライダー。

 閉じてしまいそうになる瞼を無理矢理こじ開け、士郎は顔を上げる。そして、瞳に抗戦の意を滲ませ、彼女を見据えた。

 アサシンとキャスター。昨夜、凛が目撃したという二騎のサーヴァント。そのどちらとも彼女の容姿は一致しない。

 

「時間の問題でしたか。消去法での確信なのでしょうが、最早貴方には関係の無い事…」

 

 ライダーが歩調を早めてこちらへ迫り来る。猶予は無い。

 もう一度、もう一度だけでいい。あの投影魔術が使えられれば、自分は戦える。

 だが、激痛に震えた右手は、神経が切り離されたかのように、士郎の意思を反映しない。

 刻一刻と近づき、脳裏をよぎる終わりの予感。

 その刹那、窓ガラスの割れる音が辺りに響き渡った。

 

「———まさか」

 

 即座に足を止め、ライダーは周囲の気配を探る。頭上に現れた影に気づくと同時に、後ろへ大きく飛び退いた。

 彼女が立っていた場所を砕き割るように、赤い残影が落下する。飛散した細かい瓦礫が、霰の如く降り注いだ。

 

「龍…騎……っ」

 

 着地した体勢から身体を起こし、龍騎は立ち上がった。返事は無い。

 もう、大丈夫だ。確然とした意思を示すその背中に、士郎はずっと追い求めてきた答えを垣間見た。

 正義の味方。苦しみに喘ぐ人々の、声の無い叫びを受け止め、どんな危険にも立ち向かうヒーロー。

 動かなかった筈の右手を上げる。遠のく背中に、追い縋るように手を伸ばし、届かずに倒れ伏した。

 

 

 

 

○○○

 

 

 

 仮面の奥で、眼帯の奥で、龍騎とライダーは睨み合う。張り詰めた緊張が、彼我の間に充満する。

 互いが互いの間合いに一歩でも踏み出せば、その瞬間に戦いが始まるだろう。

 

「……私の結界を越えてまで邪魔をしに来たのですか。…リュウキ…龍騎。時間は限られていますが、丁度いい。貴方には聞きたいことが沢山ある。ここで倒れていただきましょう」

 

「……………」

 

 鎖の繋ぎ目が音を立てる。相手の足に重心が込められ、身体が沈む。地を蹴る音が、膠着を断ち切った。

 前傾姿勢からの突進。勢いを乗せた短剣の切っ先が迫る。その直線の軌道に左手のバイザーを滑り込ませた。

 軋むような金属同士の衝突音。残響が消えぬうちに、龍騎は右手でライダーの腕を掴み取る。

 そして、迅速な掃腿で相手の重心を崩し、身を翻した勢いのままに投げ飛ばす。屋上に設置された貯水槽が、叩きつけられた衝撃によって歪んだ。

 

【STRIKE VENT】

 

 即座に龍騎は追撃へ入る。唸りを上げて繰り出した龍の顎が、轟音を響かせて貯水槽を穿った。

 圧縮された水が、間欠泉のように溢れ出し、周囲を浸していく。そこに、手応えは感じない。

 痺れるような感覚が、こめかみを流れる。同時に、側面から横薙ぎの蹴りが放たれた。

 反射的に籠手で受け止めたものの、威力を殺しきれずに、龍騎は屋上から弾き出された。

 転がりながらも受け身を取って着地する。そして、追いかけるように校庭に降り立ったライダーに対し、龍騎は初めて口を開いた。

 

「みんな、あんたの所為で、こんな戦いの所為で苦しんでる。何も思わないのかよ」

 

「勝つ為に、必要な事です。これ以上苦しめたくないのならば、降参する事を推奨しましょう。昨夜の言葉を、嘘にしたくはありませんから」

 

 そう言いながら、ライダーは淡々とした動作で周囲を見やる。警戒は解かずに、龍騎は遠目で生徒たちの状態を確認した。

 依然として衰弱が進んでいる。早く、早く助けなければ、彼らは本当に死んでしまうだろう。

 

「………っ」

 

 想像してしまった。半刻にも満たない、少し先の未来に、生き絶えた生徒たちの屍が広がる光景を。

 重ねてしまった。大通りに乗り捨てられた数多くの車。血を流し倒れ伏す人々。自分が死んだあの日の光景を。

 あれは、あれだけは、繰り返す事は、絶対に認められない。

 

「…もし、俺が降参したとしてだ、屋上のあの二人はどうするつもりなんだよ。あいつらは、マスターってやつなんだろ」

 

 士郎と凛の命は、保証できるのか。微かな期待を込めて、龍騎はもしもの仮定を口にする。

 だが、ライダーは首を横に振った。踏み込みそうになる足を、拳を握ることで抑え込み、続く言葉を待つ。

 

「あの二人のマスターの行く末は、私が決める事ではありません。……ですが、彼らは戦う事を選んだ者たちだ。その意味は、貴方にも理解できる筈ですが」

 

「回りくどい言い方しやがって。要するに、見逃せないって言いたいんだろ。……あんたはっ!」

 

 たった今、足を抑えつける必要が無くなった。龍騎は地面を踏み砕き、ライダーへと全速力で疾駆する。

 赤き赫怒を湛えた仮面の奥の瞳が、一直線の軌跡を描いた。

 投擲された短剣がその軌跡を阻む。だが、その尖鋭が龍騎に突き刺さる事は無い。

 地面を抉り取るように、龍騎は籠手を逆手に振るう。即席の弾丸となった石飛礫が短剣を弾き、ライダーに向かって飛び交った。

 

「くっ」

 

 横に大きく飛び退く事で、直撃の危険をライダーは掻い潜った。生じた回避の隙を活かし、龍騎は距離を詰める。

 しかし、続けざまに繰り出した龍騎の迫撃は、素早い身のこなしで躱しきられた。

 反撃と言わんばかりに、鞭のように放たれた鎖を、龍騎は籠手で振り払う。

 その瞬間、ライダーの頬が微かに吊り上がった。放たれた鎖は、籠手を打ち据える事無く絡みつき、捕縛する。

 

「———その手は、もう食わないっ…!」

 

「なっ———」

 

 手繰った鎖の重みが、唐突に消え去った。眼前の龍騎は、自らの武器を手放していた。

 瞬息にも満たない僅かな驚愕。だとしても、充分過ぎた。

 強く、龍騎は右足を踏み込ませ、続く左足を軸に、全身を高速で回転させる。

 遠心力を乗せ、勢いを増した踵が、鈍い音を立ててライダーの脇腹に食い込んだ。

 

「ゔ……っ!」

 

 肋骨を砕いた感触。漏れ出た悲鳴と飛び散る血反吐。

 右足から伝う嫌悪感を押し殺し、龍騎はデッキからカードを引き抜いてバイザーに差し込む。

 その動作を、ライダーは隙と見た。無理矢理に体勢を立て直し、龍騎へと突貫する。

 だが、繰り出した攻撃は、その悉くが龍騎に凌がれ続けた。相手は武器を失くした徒手空拳だというのに。

 焦燥のままに突き出した短剣の切っ先が、龍騎の仮面を目掛けて唸る。

 

「——————」

 

 僅かに逸らされた上体。仮面の端を掠るように、小さく飛び散った火花。完全に見切られた。頬を穿つカウンターが、その事実を痛感させた。

 怯んだ間隙を縫うように繰り出されたボディーブローが、砕けた肋骨越しに再び激痛を捻じ込む。

 堪え切れずにたたらを踏むライダーの顎へと、容赦の無い裏拳が飛来する。

 咄嗟に首を捻る事で、どうにかその衝撃を受け流し、ライダーは後ろへと飛び退いた。

 

「…………っ」

 

 最早、正面からでは切り崩せない。眼帯の封印を解き放ったライダーは龍騎を鋭く睨み、強く地を蹴る。

 そして、縦横無尽に駆ける脚は、龍騎の背後を取った。これ以上の無い好機。両足に限界まで力を込め、最高速度で飛びかかる。

 赤い陽光に煌めく白刃が、龍騎の背中に深く突き刺さる———

 

【ADVENT】

 

 ———筈だった。

 

 屋上にて、破壊された貯水槽。そこから溢れ出た水が生み出した水溜り。

 その鏡面より現れた、赤き龍の顎が、ライダーの身体を万力の如く食い破らなければ。

 

 

 

 

○○○

 

 

 

 砕氷船のように、地表を割り砕く衝撃が止んだ。舞い上がった砂塵を突き抜け、ドラグレッダーが龍騎の周囲を回遊する。

 やがて、砂塵が晴れると同時に、ライダーの魔眼が龍騎を射抜くが、瞳には先程の力を感じられなかった。

 

「がっ…ふっ…、……怪物は、英雄に討たれる宿命、ですか」

 

 喀血と共に呟かれた声。腹部から止めどなく溢れた真っ赤な血。痙攣し、今にも崩れ落ちそうな四肢。それらが克明に示している。

 勝敗は決したのだと。だというのに、校内を取り囲む結界が消える予兆は無かった。

 

「もう終わりだ。今すぐこの結界ってのを消して、武器も捨てて、大人しく元居た場所に帰れよっ!」

 

 悲鳴じみた声を張り上げ、尚も戦いを止めようとしないライダーに向かって、喉がはち切れんばかりに叫ぶ。

 だが、返答は先程と同様にして横に振られた首だった。

 

「………龍騎。今、こうしているように、貴方は何人もの命を、危険を顧みずに、救おうとしてきたのでしょう。貴方のような方こそ、英雄と呼ぶに相応しい」

 

 英雄。そんなものになった覚えは無い。多くを助ける為に犠牲に出来るものなど、この身以外には何一つとして無い。

 

「俺が何者かなんて、今は関係ないだろっ! 早く———」

 

「———ですが、譲れない。私は、多くの人々の為に戦う貴方とは違う。貴方の掌から零れ落ちてしまう、()()()()()()()()、戦っている」

 

 龍騎の要求を遮ってまで、ライダーは掠れた言葉を紡ぎ続けた。

 その瞳を見た瞬間、龍騎は理解した。理解してしまった。

 どれだけ言葉を尽くしても、どれだけ行動で訴えても、最期の最期まで、彼女が戦いを止める事は無いのだと。

 知っている。たった一人の命を救う為に、込み上げる感情を仮面に閉じ込め、戦い続けてきた男を。

 

 ———戦え……。戦え……!

 

 呪詛のように呟かれた男の声が、頭蓋を揺らす。気づけば、龍騎の右手は一枚のカードを引き抜いていた。

 龍を象った黄金の紋章。立ち塞がる敵を、完膚無きまでに討ち滅ぼす最後の切り札。

 彼女には、一歩も踏み出す力が残っていない。繰り出せば、絶対に仕留められる。

 このカードの力を以って、龍騎は数多くの怪物を倒してきたのだから。

 指先の震えを抑え込み、緩慢と、カードを持つ右手をバイザーへ伸ばしていく。

 

「…理解して頂く、必要はありません。貴方は、貴方の成すべき事を、すれば良い」

 

 唐突に、前方から異様な圧力が発せられた。直ぐさま、龍騎は意識をそちらへ切り替える。

 滴っていた。裂かれた腹から溢れ出す血が、重力に逆らって。やがて、その血は虚空に真紅の陣を描いた。

 

「私も、同じ事を、するまで」

 

「あんたっ……何を!」

 

 言いようも無く禍々しい、有機的な紋様に、視線が釘付けになる。全身が粟立ち、本能が叫んだ。あれは、発動させてはならないものだと。

 反射的にカードを差し込む。だが、バイザーに添えた手は、見えない手枷を嵌められたかのように、微動だにしない。

 

「くそ……くそっ……!」

 

 この期に及んで、あの境界線を越える事が出来ない。自分には、目の前の相手を倒すという覚悟が決められない。

 多くの人たちの、大事な人たちの命が、この手に懸かっているというのに。

 ぎちり、と肉をこじ開ける音が響き渡る。仕上げられた魔法陣が、在る筈の無い瞳孔を龍騎へと向けた。

 轟音。そして眩い閃光が、魔法陣から発せられる。

 

「あぁっっ………っ!」

 

 言葉にさえならない声を上げ、手枷を引き千切るように、龍騎は右手に力を込めた。

 しかし、その手は、終ぞ切り札を切る事は無かった。

 

 

 

「———お互い、甘い主人を持ってしまったようですね」

 

 大きな皮肉と、微かな慈愛を帯びた声が、やけに鮮明に耳へと届く。

 その言葉と共に、眼前の魔法陣が、周囲を取り囲んでいた結界が、一瞬にして消え去った。

 そして、ライダーの姿も同様に、粒子へと還っていく。

 

「……………っ」

 

 一人、この場に取り残された龍騎は、膝から崩れ落ちた。地面に手をついて、土塊を握り締める。

 倒さずに、倒されずに済んだ。そうやって、安堵してしまっている自分が情け無い。

 暮れゆく冬の空。外界を隔てる壁が消え去り、冷ややかな疾風が通り過ぎていく。

 無様なこの身を責め立てる糾弾のように、鋭い音を奏でて。




真司、皆を助ける為にガチモードに移行する。尚、ファイナルベントを切れたとは言ってない。
見る人が見ればとてつもない甘ちゃんなんですけど、そんな甘さが彼の良さだと僕は思います。(戦闘場面に目を逸らしながら)
感想、アドバイス、お待ちしております。


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第22話「小さな幸せ」

 

 自販機のボタンを押し、下の取り口から温かい微糖の缶コーヒーを取り出す。そして、どこか座れる場所は無いかと、真司は辺りを見回した。

 しかし、待合室の椅子は、病院に搬送された生徒や教員たちの親族で満席だった。

 仕方がないので、人の少ない自動ドア付近の壁に寄りかかる。開閉の度に入り込む隙間風が鬱陶しいが、コーヒーの温みで相殺だ。

 

「……………」

 

 コーヒーに口を付けながら、真司はじっと待つ。

 それとなく、周囲の喧噪に聞き耳を立てるが、人死にが出たという話は一切無い。

 その事実が、真司にとって唯一の救いだった。

 ライダーとの戦いの後、見計らったかのようなタイミングで、救急車が大挙して押し寄せて来た。

 同時に、サーヴァントと思しき二つの影が、屋上から飛び立つのが見えたので、凛と士郎のどちらかが助けを呼んだのだろうか。それは真司の知るところでは無いのだが。

 

「おーい、慎二。あんたも来てたんだ」

 

「………?」

 

 しばらくの間、コーヒーを舌の上で味わいながら飲んでいると、真司の耳に聞き覚えのある少女の声が届いた。

 残りの少なくなったコーヒーを一気に飲み干して、ゴミ箱に投げ入れる。そして、声の方へ視線を向けた。

 美綴綾子(みつづりあやこ)。桜の所属する弓道部の部長で、真司の元クラスメイト。

 あの猫被りな凛が殆ど素面で接しているという、数少ない人物だ。

 凛曰く、一成とは違った意味で、ライバルなのだとか。なんでも、初対面で殺伐としたとんでもない事を言われたらしい。

 

「美綴。そうだけど……あんな事があった後なのに、大丈夫なのかよ。一人で歩いたりして」

 

「この程度、平気なもんよ。普段から鍛錬は怠ってませんから———うわっとと」

 

 そう言った矢先に、美綴は歩み寄る足をもつれさせ、前のめりに体勢を崩してしまう。

 このままでは硬い床に顔面着地だ。そうなる前に、真司は身を差し出し、美綴の支えになってやった。

 やはり、本調子では無いのだろう。遠目では判別出来なかったが、こうして近くで見ると、彼女の顔色は血の巡りが堰き止められたかのように青白い。

 

「ほーら、言わんこっちゃない。親父さんかお袋さん、来てるんだろ。そこまで肩貸してやるよ」

 

「あ、ありがと…。なんか、こういう時だけは頼りになるよな、慎二って。普段はバカっぽいくせに…」

 

「……惚れてくれるなよ。いくらお前が姉御肌っていってもな、俺、年下の女の子より、年上で包容力のあるお姉さんが好みなんだ」

 

 照れ隠しをしているのか、美綴は戸惑いながらも感謝と揶揄を混ぜ込んだ言葉を述べる。

 それに対して、真司がわざとらしく作り込んだキメ顔と共に言い返すと、美綴は数回の瞬きの後に、豪快な笑い声を上げた。

 

「なはははっ、そりゃないっての。あたしまで年下扱いされてるのはよくわかんないけど、初耳ねえ。慎二があたしと同じ年上趣味なんて。通りであの遠坂にそれらしい反応も示さないわけだ」

 

 くだらない冗句を交わしながら、真司と美綴は、入り口を出て、親の車が停められているらしい駐車場へとゆっくり向かう。

 

「しっかし、不思議な事があるもんよね。いきなり生徒教員一同、みんな一斉に貧血になって倒れるんだから」

 

「………そう、だなぁ。俺も、帰る最中で救急車の行列に出くわすもんだから、何事なのかとびっくりしたよ」

 

 朗らかに笑う美綴の横顔。その表情には不安や動揺といったものは一切含まれていない。不思議である以上に、有り得ない事が起こったというのに。

 美綴だけではない。病院に訪れた誰も彼もが、あの事件に対して疑問を抱いていないのだ。

 

「おっ、ここまでで大丈夫そうだわ、あたしの愚弟が来たみたいだから。あいつには、あんまり弱み晒したくないし」

 

「あ、おいっ。大丈夫なのかよ」

 

 美綴はそう言って、唐突に真司の肩から離れた。

 そして、真司が呼び止める間も無く、進行方向に居た見るからに無愛想な少年の方へと駆けてゆく。

 

「平気平気ー。ありがとね、慎二! 早く可愛い可愛い妹を迎えに行ってやんなさーい!」

 

 美綴は最後にこちらを振り返って手を振り、弟にしがみついて行ってしまった。

 嫌々文句を垂れる弟の声と、それを搔き消す美綴の笑い声がここまで聞こえてくる。

 全く雰囲気が似ていない姉弟だ。そんな事を思いながら、真司は踵を返して急ぎ足で病院へと戻った。

 

「あっ、桜ちゃんっ!」

 

「………………」

 

 真司が入り口前の階段に足をかけた途端。自動ドアが開き、待ち人の姿が現れた。

 人目を憚らず階段を駆け上り、無事を確認するために桜の肩に手を置く。掌が微かな震えを感じ取った。

 

「だ、大丈夫? まだ具合悪いんだったら無理しないでよ? それとも、倒れた時にどこかぶつけたの?」

 

「…………私は、平気です。平気ですから、早く帰りましょう」

 

 桜はかぶりを振って、肩に添えられた真司の手をそっと下ろした。

 周囲から、真司から目を逸らし、何かに追われるように歩みを進め始める。

 俯くことによって垂れ下がった前髪の隙間には、瞭然たる狼狽。それを見て放っておけるわけが無かった。

 すかさず、真司は通り過ぎて行く腕を掴み取り、桜を引き留めようとする。

 

「そんな顔されて騙されるかっての。ちょっと電話でタクシー呼ぶから待って———」

 

「———平気ですからっ! 離してくださいっ!」

 

 強い力で振り解かれた指先。拒絶の意を示す甲高い声。

 喫驚のあまり、喉が塞がった。真司は声を発する事も出来ずに、瞼を見開いたまま、呆然と桜を見つめる。

 やがて、伏せられた桜の視線が上がっていく。そうして、桜は眼前の真司の様子に初めて気づいた。

 

「ぁ………。ご、ごめんなさいっ、私、そんなつもりじゃ…」

 

 焦燥に揺れる紫の瞳は、意図的に起こした行動ではないのだと示している。

 理由は分からないが、気が立って反射的に起こしてしまった行動なのだろう。真っ白になった意識を再起させて、真司は口を開く。

 

「………い、いやいや、こっちの方こそごめん。鬱陶しかったんだよね。だってのに、俺がしつこく余計なお節介押し付けちゃってさ。あ、あははは…、行こっか」

 

 真司は、自らの性分を自嘲するように苦笑いを浮かべる。

 事実、真司のお節介が発端になって、多くの人と諍いを起こしたのは、生前を含めても数知れない。

 後悔する頃には、何もかもが終わっているばかり。だとしても性分である故に、なかなか改められないのだ。

 伸ばしたままの手を引き戻し、真司は前を歩こうとする。

 

「………う、鬱陶しくなんかないです!」

 

 だが、桜の横を通り過ぎる途中。先程の立場をひっくり返すかのように、大きな声で呼び止められ、それでいて、控えめに袖の裾が引っ張られた。

 

「兄さんは、慎二さんは、初めて会った時から———」

 

 けたたましい救急車のサイレン音が、後に続く言葉を刮ぎ取り、搔き消す。当然、桜が何を言ったのかは聞こえなかった。

 サイレンの残響が、赤と白の車体が、病院の搬入口に消えていく。そちらから視線を外し、真司は桜の方を見やる。

 桜は、前髪の隙間から目を上下させて、真司の反応を窺っていた。加えて、唇の震えが言い直そうかと逡巡している。

 

「……うん、ちょっと……いや、相当……いや、かなーり安心したよ。桜ちゃんにまで、疎ましいとか思われてたりしたら、多分立ち直れないし」

 

 迷っているのならば、胸の内に秘めておくといい。それを言葉にこそしなかったが、桜に上手く通じたようだ。

 一歩踏み出したのは、どちらが先だったか。一切示し合わせる事もなく、真司と桜は歩き始めた。

 

 

 

「———へぇ……あのお嬢さんが、ねぇ……」

 

 帰り道の途中。桜の様子が気懸りなあまりに、真司は気がつけなかった。人々の雑踏に紛れて尚、美しき異彩を放つ女性がいた事に。

 喜悦に歪む口角と対照的に、憎々しげに吊り上がった目尻。その中の蒼い瞳が、真っ直ぐに桜を射抜いていた事に。

 

「あの坊やで、意趣返しをしてみるのも面白そうかしら…」

 

 凍てついた氷水を、襟元から流し込まれた感覚。それを背筋に感じ取った真司は、即座に身を翻して背後を見やる。

 しかし、来た道を振り返ってみても、なにか異質なものが有る訳では無かった。

 精神的な疲労が引き起こした錯覚だったのだ。真司はそう結論を下す。そして、絡みつく倦怠に抗うように、目元を揉みながら立ち止まった足を動かした。

 

 

 

 

○○○

 

 

 

「はい…。はい、分かりました。それじゃあ」

 

 真司は受話器から耳を離し、フックに置いて通話を切る。昔ながらのアンティークな黒電話。

 停電などの非常事態に於いても、問題無く通話できるらしい優れ物である。まさに、シンプルイズベストだ。

 どれ程の間、間桐家で使われていた代物なのかは分からないが、十年近く使い続けて愛着も湧いている。

 不調になる度に士郎を家に呼びつけているのだから。

 それはさておき、早足気味に廊下を歩いて、真司はリビングへと戻る。朝食の直前に電話が来るのだから、なんとも間が悪い。

 

「ごめんごめん、待たせちゃって。学校からの電話だったよ。今日からしばらく臨時休校だってさ……いただきます」

 

 そう言いながら、真司はそそくさと席に着き、箸を取って合掌する。そして、手始めに麩とわかめの味噌汁に箸を付けた。

 今日は赤味噌の割合を増やしたのか、合わせ味噌の風味が濃くなっており、真司好みになっていた。頬を綻ばせて、次々と箸を進めていく。

 

「そう……ですか」

 

「うん?」

 

 だが、陰りを含んだ声色に促され、真司は対面の席を見やる。

 並べられた皿の上の朝食は、その殆どが手付かずの状態だった。

 あの健啖家な桜が、食欲を無くす異常事態。

 昨日の結界に巻き込まれた所為で病気にでもなったのかと、昨晩は大慌てで熱を測りもした。

 だが、身体的な異常は特に見受けられず、こうして翌日になってしまったのだ。

 

「やっぱり、まだ食欲湧かない? でも、少しでも食べなきゃ、もっと元気出なくなっちゃうよ?」

 

「…………はい」

 

 心ここに在らず。桜は作業じみた手つきで、淡々とご飯のみを口に運ぶ。精神的な問題なのだろう。

 どうにか解決出来ないかと、真司は考え込みながら、箸を伸ばして朝食を食べ進めていく。完食するまでには、そう時間はかからなかった。

 

「ご馳走さまでした。………食べれるところまででいいから、桜ちゃんはゆっくり食べてて」

 

「…………はい」

 

 ややぎこちない合掌をして席を立つ。そうして、食器を流しに置いた後に、真司はリビングを出た。

 新聞を取りに行こうと、鈍重な足取りで玄関に向かう。結局、何一つとして良い案は考え付かなかった。

 病は気から。このまま見過ごしてしまえば、桜は本当に体調を崩してしまうかもしれない。

 

「ううー……なんか、無いかなぁ……」

 

 悩ましい声を口の端で発する。あれ程までに元気が無い桜を見るのは、恐らく初めて会った頃以来だった。

 なにか、元気付ける些細な切っ掛けは無いものか。そう思いながら郵便受けへと手を伸ばし、新聞紙を取り出す。

 その瞬間、新聞紙の間から朝刊の折込み広告という名の、天啓が滑り落ちた。

 

「…………これは、ありだな!」

 

 ざっくりと広告に目を通した後に、新聞紙ごと靴棚の上に放り投げ、リビングに舞い戻る。一転して、真司の足取りは羽の如く軽快なものであった。

 

「………………」

 

 リビングの扉を通った矢先に、その軽やかな足は五寸釘で床に釘止めされるのだが。

 桜は真司が居ない間に、朝食の皿を片付けてしまったようだ。食べ物が喉を通らない程、何かに参っているらしい。

 何をするわけでもなく、項垂れるような姿勢で机にもたれ掛かり、虚空を見つめている。声を掛けるのは憚れた。

 しばらく、一人にさせた方が桜の為になるのではないか。無難そうな抜け道が脳裏に浮かぶ。

 

「あ、あのっ桜ちゃん!」

 

「は、はいっ!?」

 

 即座に、真司はその抜け道を突貫工事で跡形も無く埋め立てた。

 勢い任せに机を叩き、桜の視線をこちらへ釘付けにさせる。そのまま、真司は前のめりに身体を傾け、桜へと顔を寄せた。

 肩を大きく震わせ、散瞳した桜の瞳には、鬼気迫る表情の自分が映っている。

 

「げ、げふんっげふんっ……」

 

 がっつき過ぎだ。驚かせてどうする。気を取り直すように、真司は咳払いをした後に椅子に座る。

 対面の桜は、こちらを見開いた瞳で見つめたまま、微動だにしていない。

 

「んん……っ、桜ちゃんさ、今日は学校も部活も無いから、時間あるよね?」

 

「………大丈夫、ですけど」

 

「そりゃ良かった、じゃなくって。もし、もし、桜ちゃんが良ければなんだけどさ……」

 

 もしも、昨夜の言動が建前で、桜が本当に自分のお節介を疎ましいと思っていたのなら。続く言葉を発する口が、針で縫われているかのように開かない。

 だが、既に逃げ道は塞いだのだ。喉の奥から湧き出た不安を飲み下し、真司は意を決して本題を切り出した。

 

「……俺と一緒にさ、新都の方まで出掛けない?」

 

「…………………」

 

 声を発した直後、海の底に沈んだ貝にでもなった錯覚に真司は陥る。それほどまでに、深く重たい沈黙が間桐邸のリビングを浸した。

 等間隔の音を立てて時を刻む時計の秒針。その秒針が円を半周しても尚、桜の唇は水平に結ばれたままだ。

 

「っ…………」

 

 これ以上は堪え切れない。何か一言だけ断りを入れてリビングを後にしよう。

 長年共に暮らした家族の心の機微にさえも疎い自分が、恨めし過ぎて身悶えしそうだ。

 当然、そんな姿は見せられないので、真司は逃げるようにして席を立とうとする。しかし、それと同時のタイミングで桜が口を開いた。

 

「———兄さんは、本当に優しい人ですよね」

 

「……………うん?」

 

 予想外の言葉を受けた真司は、頭に疑問符を浮かべて桜を見やる。しかし、桜は真司から顔を隠すようにして俯き、足早にリビングを出て行ってしまった。

 少しだけ、支度のお時間いただきますね。そんな言葉を去り際に残して。

 

「オッケーってことでいいのか……なぁ?」

 

 その疑問に答える者は、少なくともこの場には居ない。

 困惑を眉間に表しつつも、真司は自分の方の支度を進める事にした。

 支度、といっても、着替えた後に財布とカードデッキを持ち出すだけの簡素なものである。

 

「取り敢えず、家の門の前で待ってるからねー」

 

 玄関で待っているのもいいが、一旦風に当たって精神統一をしておきたい。

 早々に支度を済ませ、階段の方に向かって声を掛けた後に、真司は家の外に出る。

 見上げた空模様。雲が点在して浮かんでいるものの、澄んだ青色が大半を占める、立派な冬晴れだ。

 素肌が感じ取った外の気温。心地の良い、暖かな陽気が真司を手招きをしているかのようだ。

 

「っしゃあ…、やってやるぞー」

 

 まさに、どこにも疑う余地の無い、絶好のお出掛け日和。天が真司に齎してくれたチャンスに違いない。俄然やる気が湧いてきた。

 真司は一念発起の意思を右手に込めて、小さく振り上げた直後に、後ろで玄関の扉が開く音がした。

 そのまま、真司は間桐邸の門へと歩き、よし掛かるような姿勢で手を掛ける。

 

「桜ちゃん、家の戸締まり忘れてるんじゃない?」

 

「………あっ、直ぐに閉めて来ます」

 

 念の為に聞いておいて良かった。慌てて家の方へと踵を返す桜を見守り、扉を施錠した事を確認する。

 そして、真司は改めて前へと向き直り、門の片側を開いて一足先に家の敷地の外へ出た。

 

「す、すみません、お待たせして。私ったら、そそっかしくて…」

 

「そんな事はいいからいいから。早く行こ行こ!」

 

 親鳥を追いかける雛鳥じみた足取りで、桜が忙し無く駆け寄って来た。

 急かすような手招きで、桜をこちらへ迎えた後に、真司は開いたままの門をゆっくりと閉める。

 暗い朝から心を入れ替えて外に出てしまえば、もう新しい始まりなのだ。そんな思いを胸に、真司は傍らに桜を伴って歩き始めた。




今回は、真司と桜のおっかなびっくりコミュニケーション回でありました。桜の方は特にいろんな意味で震え上がっているでしょうねえ。
………一体全体誰の所為なんでしょうか。酷い奴が居たものです(棒読み)
感想、アドバイス、お待ちしております。


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第23話「遠い夕暮れ」

 囀るような信号機の音響と共に、車のエンジン音が横を行き交う。新都は、相変わらず人の往来が盛んであった。

 様々な店舗が立ち並ぶ大通り。ガラス張りのショーウィンドウには、目を引くような晩冬の流行の衣服が飾られている。

 

「桜ちゃん。なんか気になる服とか、着てみたい服とか、この辺りに有ったりしない?」

 

「いえ、特には有りませんが…。それに、このお洋服とかお値段凄いですよ?」

 

「むぐぐっ…た、確かに…」

 

 何か、傍らを歩く少女が、興味を示している衣服は無いかと様子を窺うが、反応は芳しく無い。

 それどころか、此方の財布の中身を気遣われる始末だ。不甲斐のなさに、思わず珍妙な唸り声が出た。ショーウィンドウから後退り、歩みを再開する。

 

「「…………………」」

 

 しかし、真司は碌な計画も立てず、閃きの勢いのまま桜を連れ出してしまった。

 何をどうすれば、彼女を元気付けられるのか、皆目見当がつかない。見事にやる気が空回りしていた。

 

「あの、兄さん」

 

「うん、どうした?」

 

 暫しの間、当て所なく街を彷徨っていると、不意に桜が歩みを止めて呼びかけて来た。

 咄嗟に振り返り、真司は桜の足の向き先を目で追う。そこには、二階建ての大きな書店があった。

 

「随分でかい本屋さんだなぁ。そういえば、なんかの本探してるって言ってたっけか?」

 

「はい、少し前に雨に濡らして、読めなくなってしまった本を、このお店で探したいんですが……」

 

「よっし、決まりだね。俺も探すの手伝うよ」

 

 一旦の目的が決まり、真司は内心で安堵する。

 もしも、このまま闇雲に街を彷徨って、無為な時間を過ごしてしまったら、何故新都に来たのか分からなくなる。

 今日は絶対に楽しい一日にしなければならないのだ。決意を新たに、真司は意気揚々と書店へ入った。

 

 

 

 

○○○

 

 

 

 扉に取り付けられたベルが、風鈴のような涼やかな音を奏で、来客を告げる。

 ペンダントライトの照明と、濃い茶褐色が大半を占める木造の内装が、落ち着いた雰囲気を店内に醸し出している。ザ・純喫茶だ。

 店内を清掃していた店員に案内され、真司と桜は席に着いた。歩き続けた足を労わるように、真司は太腿を揉む。

 

「ふぃー、丁度いい場所に喫茶店あって助かったなー。ごめんね桜ちゃん、散々歩かせちゃって。疲れてない?」

 

「兄さん、私はこれでも運動部に所属してるんですよ。体力だって去年よりも相当ついたんですから」

 

「えっ………。弓道部って文化部だったんじゃないの!?」

 

「もう……部長や衛宮先輩に聞かれたら大変な事になりますよ。弓道も立派な武道なのに」

 

 書店での買い物を終えて、約二十分。こうして、他愛の無い会話を交わせる程度には、桜の調子も少しずつだが戻ってきた。

 

「ふーん……」

 

 注文したコーヒーが来るまでの待ち時間。

 真司は手持ち無沙汰に、桜と書店で探し当てた洋書を手に取り、パラパラとページをめくっていく。

 だが、何が書かれているのかさっぱり理解できない。綴られた文字は英語ですら無かった。

 本の邦題は、"変身"というらしい。奇しくも、真司が鏡の前で幾度と無く口にした言葉と同じであった。

 桜に本のあらすじを教えてもらったところ、変身といっても、その意味とは似ても似つかぬ程に、暗鬱としたものだったのだが。

 

「変身かあ………。桜ちゃん、どうする? もしも、この本のお兄さんみたいに、俺が虫に変身しちゃったら」

 

 自らの境遇と重ね、真司が何気なく口にした揶揄いの言葉。

 

「———大丈夫ですよ。そんな事、何があっても、私が絶対させませんから」

 

 直後、その語尾を打ち消すように、桜の言葉が覆い被さった。手にした本から目を離し、真司は怪訝混じりに顔を上げる。

 こちらを真っ直ぐに見据える桜の双眸。安らぎを覚える筈の彼女の眼の奥で、虚ろな影が蠢いた気がした。

 

「な、なーに真面目に答えてるのさ。本の中の出来事なんだから、もっとこう………おっ、コーヒー来たか」

 

 コトリ、と陶器が控えめに置かれる音。鼻孔をくすぐる独特な香り。それらが、ほんの一瞬だけ真司の意識を逸らす。

 再び真司が視線を戻す頃には、既に桜は好奇心で注文したというブラックコーヒーを冷まそうと、息を吹きかけていた。

 

「熱っ……苦っ……」

 

 恐る恐る、チビチビと、液体の極少量を啜っただけだというのに、桜は熱さと苦味の挟撃に遭い、その顔に可愛らしい渋面を浮かべる。

 先程の感覚は、気のせいだったのだろう。

 

「ありゃあ…。やっぱり、まだ桜ちゃんにブラックは早いって。こっちのカフェラテ飲みな、カフェラテ」

 

「あっ……、あのっそのっ……」

 

 見かねた真司は、自分が注文したコーヒーを桜に差し出した。代わりに桜のコーヒーを受け取り、容器の中の黒い水面を見つめる。

 何故か、あたふたとした手振りで、微かに頬を紅潮させている桜を尻目に、真司はカップを手に取り口をつけた。

 見た目は高校生であるものの、中身は立派な大人なのだ。ブラックの苦味だって楽しめる。

 

「熱っ! 苦っ! …………あっ」

 

 と、飲む寸前まで思っていた。予想外の熱さと苦味に、真司は舌を出して仰け反った。

 寸刻にも満たない静寂が、二人の間を揺蕩う。やってしまった。だが、時既に遅し。対面に座る桜は口元に手を当てて、必死に笑いを堪えていた。

 

「ふ、ふふふ……。に、兄さんにも、まだ早かったんじゃないんですか? カフェラテ飲みましょうよ、カフェラテ」

 

「う、うぐぐぐ……」

 

 悔しげに呻き声を上げ、差し出されたカップを押し返しながらも、真司は胸の内でホッと一息をつく。昨晩から暗い面持ちだった桜が、漸く笑顔になってくれたからだ。

 

「べ、別に心配しなくていいよ、飲んでやるって。今のはちょっと熱くて驚いただけだし。………ゔっぷ」

 

 それはそれとして、絶対に認めたくない。子供舌の癖が抜けきってない事実など。

 再び、ブラックコーヒーを味わおうと試みる。だが、無理なものは無理であった。

 真司が堪えきれずに渋みのある吐息を漏らすと、桜は眦をさらに緩ませた。

 

「す、すみませーん。追加で注文いいですかー?」

 

 自分で引き受けたというのに、すごすごと送り返すのは情けな過ぎる。

 甘味という援軍を添えて、真司はゆっくりと、苦い黒水を攻略していくのであった。

 

 

 

 

○○○

 

 

 

 陳列された水槽の中の明かりが、照明代わりの仄暗い空間。大小様々な熱帯魚たちが、透明なガラスに仕切られた水の中を回遊している。

 

「見るだけなら楽しいんだけど、飼うって話になるとなぁ……」

 

 真司は溜息交じりに、水槽の中を泳ぎ回る魚たちを眺める。

 子どもの頃は、よく外で捕まえてきた虫を飼育する事もあった。だが、今になって考えてみると、可哀想な事をしてしまったと思う時がある。

 元々居た居場所から無理矢理に連れ出して、狭い籠の中で一生を終えさせるのだから。

 天敵に捕食される危険から保護したという解釈も出来なくはないが、どうにも言い訳じみている。

 

「つーか、なんでこんなに辛気臭い事考えてるんだ」

 

 真司は眼前の水槽から目を離し、通路の突き当たりで屈んでいる桜に歩み寄って行く。そして、同様に隣に屈み、彼女が見ている水槽を覗き込んだ。

 薄い被膜状の寒天質。被膜の下に連なるように伸びた触手。実に典型的な形をしたクラゲだ。

 クラゲは水の中を、そのまま溶けて消えてしまいそうな儚さで漂っている。

 

「クラゲってさ、魚以上に何考えて生きてるのかわかんないよねー」

 

 真司は水槽の前で手を振りつつ、一定の間隔で同じ動作を繰り返しているクラゲに対して、率直な疑問を述べる。

 すると、桜が一息の間を置きながらも、真司の疑問に答えてくれた。

 

「………多分、本当になんにも考えてないんだと思います。クラゲには脳が無いらしいですから」

 

「へぇー、初耳だよそれ。確かに、身体の中なんか丸見えなのに、それらしいもの無いもんなぁ」

 

 納得の声を上げて、真司は透明な被膜の中身を凝視する。もしも、仮に、クラゲに脳味噌があったとしたら。

 相当にグロテスクな生き物になっていただろう。その見た目を想像してしまい、真司は内心で身震いする。

 

「…………」

 

「……もう飽きちゃった? 鳥とか兎の方とか見に行く?」

 

 そうして暫しの間、傍で一緒にクラゲの漂う姿を眺めていると、横から視線を感じた。

 ゆっくりと隣を見やり、別の場所へ移ろうかと提案する。しかし、桜はかぶりを振って水槽に視線を戻した。

 

「いえ、そうじゃなくって。…何も考えずに生きられるなんて、ちょっとだけ羨ましいなって思いませんか?」

 

「——————」

 

 ———考えるから駄目なんだ…。何も考えなければ…。

 

 コップから溢れた水のように、不意に桜の口から呟かれた言葉。その言葉に、真司は遠い夕暮れの中で、苦悩に塗れた自分自身を脳裏に浮かべた。

 

 ———私は、多くの人々の為に戦う貴方とは違う。貴方の掌から零れ落ちてしまう、たった一人の為に戦っている。

 

 それだけではない。自らの存在を怪物と蔑みながらも、命を尽くして戦おうとした彼女の、決意に満ちた眼光も。

 

「あ、あー…。桜ちゃんの言ってる事、わかるかも。考えれば考えるほど、……迷っちゃう時とかあるもんな」

 

 屈んだ姿勢を崩して、真司は桜の言葉に同意する。意図せず、発した声に暗い色を混ぜてしまった。

 それを敏感に感じ取ったのか、桜は僅かに瞑目した後に、茶目っ気のある微笑みを頬に滲ませて、こちらを茶化してきた。

 

「……意外です。単純な兄さんにも、迷う時があるんですね」

 

「い、いやいや桜ちゃん、少し訂正してもらおうか。俺は単純なんかじゃなくって………純粋。そう、純粋な男なんだよ」

 

 純粋。という単語をどうにか絞り出し、真司は桜に抗議を申し立てる。其処だけは譲歩出来ないのだ。

 すると、桜は朗らかな表情を一転させた。ひうっ、と喉を痙攣らせた後に両手で顔を覆い隠す。

 何か、恥ずかしい出来事を思い出した様子だ。左側の髪を結んだリボン。その下の左耳が、茹で上がった蛸のように紅く染まっていた。

 

「はっはーん」

 

 予期せぬ反撃の機会。逃す手は無い。歓喜の趣くままに口角を吊り上げた真司は、どんな事を思い出したのか追及してやろうと口を開く。

 

「どうしたのさ桜ちゃん、もしかして———」

 

「———に、ににに兄さんっ! ワンちゃん見に行きましょう、ワンちゃん!」

 

 しかし、それは叶わなかった。追求の言葉を言い終わらぬうちに、桜が機敏な動きで背後に回り込み、真司の背中をグイグイと押してきたからだ。

 しかも、よりにもよって犬のコーナーまで誘導しようとしているらしい。反撃の算段は、敢え無く犬への恐怖で砕け散った。

 

「ちょっ、桜ちゃん待って。俺、犬駄目なの知ってるよねっ!?」

 

「せ、せっかくペットショップまで来たんですから、この際克服しちゃいましょうよっ」

 

 羞恥から逃れようとする必死の誘導。恐怖から逃れようとする必死の抵抗。しばらくの間、拮抗した二つの感情は後者が折れる事によって収束した。

 

 

 

 

○○○

 

 

 

「この辺りに、こんなに広い公園なんてあったんだなぁ。知らなかったよ」

 

 冬枯れによって、やや茶色くなった芝生の広場。芝生を囲むようにして立ち並ぶ広葉樹の木々。

 新都での買い物を満喫し、帰路につく頃合いかと考え始めた真司に対して、桜は最後に寄りたい場所があるのだと頼んできた。

 それが、この広々とした森林公園だった。時刻は午後に差しかかって久しい。太陽が傾き始め、青い空に紅が掛けられている。

 下校途中の小学生たち。散歩をしている老人。デート中のカップルなど、各々が各々の時間を過ごしていた。

 

「私も、ここに来るのは十一年ぶりです。全然変わってないなぁ……」

 

 懐古の念を帯びた瞳で、桜は景色を見渡すと、灰色の石煉瓦の道を沿って歩く。

 そして、屋根の取り付けられたベンチに座り込み、さりげない所作で隣の空いた空間に手を置いた。

 流石に、広い公園を歩き回るつもりは無かったか。やや残念に思いながらも、桜の所作に促された真司は、彼女の隣に座る。

 

「十一年っていうと、俺が桜ちゃんに会う一年以上前か。どうして来なくなったの?」

 

「……丁度、その頃だったんです。私が、間桐の家に養子として貰われたのは」

 

 質問を口にしてから、真司は後悔する。少し想像を働かせれば、察することができただろう。最後の最後で落ち込ませてどうするのだ。

 十年前、深山町を一緒に散策したあの日以来、真司は養子に関する事は極力触れないようにしてきた。

 血の繋がった家族が居ない事など、引け目に思う必要はない。自分が居るのだから、もう孤独に思う必要は無いのだと安心させる為に。

 

「そ、そうだったんだ…。ごめん、無神経な事聞いちゃったか…」

 

 不安げな面持ちで、真司は謝罪を述べながら、傍に座る桜の様子を一瞥する。

 だが、真司の予想とは裏腹に、桜は柔和な表情を浮かべていた。

 

「無神経もなにも、私から話を振ったつもりなんですよ? ……十一年も経ったんですから。ある程度は踏ん切りもつきます」

 

「そ、そう…? じゃあさじゃあさ、この公園でどんな風に遊んでたのか覚えてる?」

 

 間桐の家に来る前の桜は、どのような子どもだったのか。とても気になる。

 真司は、遠慮と好奇を織り交ぜたどっちつかずな声色で、話の続きを促した。

 

「……………」

 

「桜ちゃん?」

 

 しかし、返事は無い。桜は真っ直ぐに芝生の広場を眺めていた。ほんの少しだけ見開かれた双眸の先に、一体なにがあるのか。真司は首だけを忙しなく回し、周囲を見渡す。

 あどけない笑い声。狭い歩幅ながらも、精一杯駆ける足音。そこでは、姉妹と見受けられる幼い少女たちが、追いかけっこをしていた。

 腕白そうな姉が前を走り、大人しそうな妹が後に続く。少し離れた所では、母親と思しき女性が二人を優しく見守っている。

 

「…………あんな感じ?」

 

 紫色の髪が、肯定を示すように縦に揺らめいた。やがて、遊び疲れた少女たちは、母親に連れられて家路へ向かう。

 母親を挟んで手を繋ぎ、今日の晩御飯はなんなのかを、明日はどんな事をして遊ぼうかを、期待に弾ませた声色で話し合いながら。

 

「……………?」

 

 ふとした拍子に、真司は自分の左手を見やる。いつのまにか、桜の右手が寄り添うようにして重なっていた。無意識なのだろう。桜自身も気づいていない様子だった。

 

「仲のよさそうな家族、でしたね」

 

「うん、そうだね」

 

 どこか心地の良い不思議な沈黙が、桜の優しげな声によって霧散してゆく。その声を皮切りにして、桜はこの場所での思い出を少しずつ語り始めた。

 仕事で忙しい父親の代わりに、母親がこの公園に自分たちを遊びに連れてきてくれた事。

 鈍臭い自分では、いつまで経っても足の速い姉に追いつけず、終始振り回されていた事。

 最後に、たまの休日には、母親の友人であるおじさんが遊びに来て、旅先での取材の話をしてくれた事を。

 

「……………」

 

 幼く、何も知らなかった桜には、そのおじさんの話が宝石のように得難く、貴重なものだったらしい。

 彼の話を聞くだけで、狭かった世界が広がったような気がしたのだと。

 

「そのおじさんってさ、記者か何かだったの?」

 

「はい、後になって分かった事なんですけど…。ルポライターという職業の人だったらしいです」

 

「へえー……」

 

 元ジャーナリストの真司としては、桜の話に出てきたおじさんという謎の人物が、自分と同じ職種だったのが非常に気になった。

 是非、一度会って取材のノウハウを教えて欲しいと思ったのだが、この十年間において、そのような人物の話を聞いた事は全く無い。

 おそらく、前の家族と同様に、間桐の家に来て以降は会っていないのだろう。詳しい話を聞くのは、それこそ無神経だ。

 

「あんまり長居してると夜になっちゃうからさ、…そろそろ、帰ろっか」

 

 真司はベンチから腰を上げ、立ち上がる。楽しい時間が終わるのは少しだけ名残惜しいと思う。だが、このように穏やかな締め括りも、偶には乙なものだ。

 

「………あっ」

 

 真司が立ち上がった事により、桜の右手が伸び上がる。そこで初めて、自分の手を握っていのだと気づいたようだ。

 大慌てで手を離し、胸元に引き寄せた。そして、所在無げに真司の後へと続いて来る。

 

「べっつに、手繋いだままでも良かったのにー。それこそ子どもの頃みたいで懐かしかったんだけどなー」

 

「あ、うぅ…。む、昔とは、もう色々と違うんですよ」

 

「まあ、桜ちゃんの言う通りかあ。俺も、そろそろ妹離れの時が来たのかも…。嬉しいような…悲しいような…、なんか複雑だ…」

 

 桜の言葉に何の疑いも抱かず納得し、真司は腕を組んで何度も頷く。感慨深い感情と、物寂しい感情が同時に込み上げて来る。

 しかし、感傷に浸る真司の後ろを歩く桜が、妹離れという言葉に対して酷く狼狽え、その認識を改めさせようと、再び手を握ってきた。

 

「今のはそう意味じゃなくって…。私にはまだまだ、兄さんが必要で…」

 

「本当ー? そこまで気遣ってくれなくてもいいんだよ?」

 

 戯けた仕草で、真司は振り返る。すると、桜はどこか真摯な面持ちで、真司の手にもう片方の手を重ねた。

 

「………本当です。もしも、兄さんが遊びに誘ってくれなかったら、私はずっと家で何もせずに過ごしてたんです。だから、その、今日はありがとうございました」

 

「あ、あははは。楽しんでくれたみたいで、良かった良かった」

 

 真司は気恥ずかしげに頬を掻き、感謝を述べる桜から目を逸らした。

 言えない。途中から本来の目的を忘れて、手前勝手に桜とのお出掛けを楽しんでいたなどとは。

 追及されては敵わない。真司は桜の手を誤魔化すように握り返す。そうして、足早に公園を後にすると決めた。




特に何事も無く、平和的に終わるかもしれない一日。
二人のお出掛けの内容は、HFの劇場版を見返して、なんとなーく思いついた感じであります。

感想、アドバイス、お待ちしております。


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第24話「果てなき希望」

「……………」

 

 本来ならば、仕事帰りの人々で混雑していた筈のバスの車内。しかし、予想に反して車内は未だ閑散としたままだった。

 桜はやや怪訝に思いながらも、背もたれを支えに、うたた寝をしている真司を微笑んで見やる。

 嬉しかった。此の所、疲れが溜まっている様子だったというのに、こんな自分の為に外へと連れ出してくれた事が。

 まだ、戦える。内なる願いは、まだ潰えていないのだと、再確認する事ができた。

 

 ———ああ、きっと会える。それはおじさんが約束してあげる。

 

 かつて、間桐の家から桜を連れ出すと、家族に会わせてくれると、約束してくれた人が居た。

 叶いもしない希望。それを決して手の届かない場所で仄めかされた。当時の桜が抱いた思いは、たったそれだけだったが。

 

 ———くかかかかっ、愚か者。彼奴をそう蔑んだお主自身が、彼奴と同様の道を辿るか。数奇な巡り合わせだのう。

 

 最期の姿を、今でも覚えている。色素を失った頭髪。光を失った左目。生気を失った相貌を。無様な譫言を呟きながら、蟲蔵に沈む彼の体を。

 何故、彼があのような姿になったのか。あのような目に遭わなければならなかったのか。

 その真実を、臓硯の愉悦に歪む口から告げられた時、桜は自分自身の首を絞めて殺したい衝動に駆られた。

 

「……………」

 

 焼きついた過去の光景から、目を逸らすように車窓の景色を眺める。街道を走るバスは末遠川の赤い大橋に差し掛かっていた。

 そろそろ、起こした方がいい。そう判断した桜は、最後に寝顔を拝もうと、首をそちらへ回す。

 だが、傍らの座席には、誰も居なかった。それだけではない。バックミラーに映る運転席さえも空席。

 桜一人を残して、車内の人間は痕跡も残さずに車内から消え去っていた。

 唐突に降り出した激しい雨が、間断の無い音を立ててバスの車体に滴る。

 

「慎二さん……っ」

 

 考えるまでも無い。敵サーヴァントの奇襲に巻き込まれた。唇を噛み締め、最悪な未来を幻視する。

 焦燥に立ち竦みそうになる両足を無理矢理に動かして、桜はバスの出口へと駆けた。

 しかし、横合いから溢れ出た激流が、その歩みを阻んだ。大きな車体が水の流れに耐え切れず横転する。

 

「………っ」

 

 這々の体で車内を抜け出した先には、異質な世界が広がっていた。

 歪な形で捩じ切れた骨組み。夥しい断層が生じた舗装路。末遠川を境界に、新都と深山町を繋ぐ大橋は、最早原型をとどめていない。

 雨雫と見紛う程、深く濃密な霧に閉ざされた空。渦巻く奔流の中心には本来の世界が映っている。

 

「ライダー………繋がらない」

 

 桜はこめかみに添えた左手を力なく降ろす。ライダーとのパスを通じた念話は、この異界が齎すジャミングのようなものによって完全に遮断されていた。

 降ろされた左手。その甲に刻まれた二画の令呪を見やる。昨日の戦いで、桜はライダーを無理矢理に撤退させる為に一画目の令呪を用いた。

 昨日の判断を後悔してはいない。致命傷一歩手前のライダーを、あのまま見過ごすのは分の悪過ぎる賭けだった。

 

「……………」

 

 彼女の傷は未だ癒えておらず、残りの限られた令呪を用いてまで呼び出す事は無謀だ。

 万が一、サーヴァントを喪い脱落してしまえば、その瞬間に桜の儚い命運は尽きたも同然となる。

 味方は居ない。この局面に於いて、自分の命を守れるのは自分だけだ。あの人の命を守れるのは自分だけだ。

 

「昨日、みんなを助けに来たみたいに、私も、兄さんも助けてくれないかな……」

 

 龍騎。多くの人々を守る為に、自分たちの前に立ちはだかった、赤き龍を従える仮面の騎士。

 二つの陣営を同時に潰す瞬間。その瞬間に現れた彼は、あまりにも圧倒的過ぎた。

 まるで、間違えているのは自分なのだと、倒されるべき悪は自分なのだと、そう思い知らされてしまう程に。

 

「ふふっ……あり得ないか」

 

 否。どんな事をしてでも、生きる為に足掻く事が間違いである筈が無い。大事な人をたった一人、たった一人を守る為に戦う事が悪になる筈が無い。

 無意識に漏れた冷たい嘲りが、口と胸の内から込み上げた二つの思いを一笑に付した。

 

「——————」

 

 とめどなく、空から降り注ぐ雨が、微かに窪んだ地面に水面を生じさせる。

 不意に、その水面の数々から、骨の異形が這い出て来た。水で形作られた骨格が、薄氷を踏み割るような音を立て、硬い物質へ変換されてゆく。

 桜を取り囲む位置に現れた異形たちは、一様にしてこちらへと詰り寄って来た。

 お前は、生きていてはならない。カタカタと鳴り揺れる上顎と下顎が、聞こえる筈のない言葉を桜へと発した。

 

「志は確かに———」

 

 邪魔だ。この異形たちを排除して、今すぐにあの人を助けに行かなければ。

 邪魔だ。自分が自分で無くなってしまう。今すぐにあの耳障りな雑音を掻き消さなければ。

 水が弾かれる音。桜の肩口、首元、頭蓋へと、振り下ろされた骨の鉈。

 

「———私の影は剣を振るう」

 

 刹那、左手の指先から放たれた黒い影。平面体の刃に、数体の異形が跡形も無く両断される。

 人としての何かを、具現化した負の側面に押し潰される不快感が桜を苛む。

 嘔吐きそうになる喉を右手で強引に抑えつけ、桜は猛禽の如き瞳を以って、骨の傀儡を睨みつけた。

 再び振り上げられた左手。桜の意思に呼応した深淵が影法師のように伸びる。

 そして、深淵より出芽した荊棘の尖鋭が、眼前の動く者全てを刺し穿った。

 

 

 

 

○○○

 

 

 

 骨の異形…竜牙兵たちが、少女の生み出した影へと引き摺り込まれてゆく。

 その光景を、朧げな輪郭の蝶の群れが見下ろしている。自らの魔術の行使に気を取られ、少女は此方に気づいてはいない。不意をついて仕留めるのは容易いだろう。

 しかし、蝶の群れ…キャスターは静観を貫く。そうしなければならない理由が、キャスターには有った。

 未だ、呼び出されないライダーのサーヴァント。そして、少女の特異な魔術属性は看過できぬ不確定要素だ。何か、切り札を隠し持っている可能性がある。

 この結界の中に於いて、此方の手駒は無尽蔵。少女が堪えきれずに切り札を切るか、そのまま力尽きるかのどちらかを待つのが最善策だ。

 

「……………」

 

 少女の兄である少年が結界の中に居ない。それも、キャスターの気掛かりの一つだったが、所詮は何の魔力も持たない一般人だ。

 人質として利用できれば、僥倖。その程度の価値しかない者に、意識を割く必要は無い。

 盲目的に少女へ群がる竜牙兵へと、キャスターは念を送る。飲み込まれてしまうのならば、その身を束ね、飲み込まれない程度の巨躯になれば良い。

 キャスターの念を読み取った竜牙兵たちは、己を形作る骨格を一斉に分解した。飛び散る欠片が、一箇所に結集してゆく。

 やがて、束ねられた屍の巨人が、地響きを鳴らして少女の眼前に降り立つ。そして、その巨腕を大きく振りかぶった。

 

 

 

 

○○○

 

 

 

 降り注ぐ雨の滴る音が、耳元で発せられた低い唸り声が、微睡む真司の意識を起こす。

 気怠げに起き上がり、薄眼を開ける。ぼやける視界の中、真っ先に目に入ったのは、左右に反転した道路標識だった。言わずもがな、ミラーワールドである。

 

「……はあっ!?」

 

 心臓が口から飛び出しかねない程の驚愕が、真司の意識を一秒にも満たない速度で覚醒へと導いた。

 何故、バスの車内で寝ていた筈の自分が、ミラーワールドに居るのか。隣に居た筈の桜はどうしたのか。

 疑問に次ぐ疑問が、真司の頭を支配しかけた。だが、それよりも深刻な問題が突きつけられる。

 生身の人間は、この世界に存在し続ける事を許されない。それを証明するかのように、真司の身体が分解され始めた。

 

「や、やばいやばいっ!」

 

 無数の黒い羽虫のような粒子が湧き上がる。このまま此処で棒立ちをしていれば、忽ち自分はミラーワールドに消滅させられる羽目になる。

 酷く狼狽しながらも、真司はジャンパーの左ポケットからカードデッキを取り出そうと中をまさぐった。

 しかし、ポケットの中には小さく丸められたレシートしか入っていなかった。

 

「〜〜〜っ!?」

 

 レシートが零れ落ちる事も厭わずに、真司は全身のポケットというポケットを探るが、何処にも見つからない。

 何かの拍子で落としたとでもいうのか。前と左右に首を回して周囲を見回す。

 この場所が冬木大橋だという事は分かった。だが、肝心のカードデッキは見当たらない。

 

「痛てっ………あっ」

 

 唐突に、頭頂部に向かって薄く四角い物体が降ってきた。視覚外からの痛みに怯み、真司は頭を摩りながらも視線を地面へ下ろす。

 足元には、まさに真司が探し求めていた物が落ちていた。間髪入れずに拾い取り、今度は視線を空へ上げる。

 

「な、なんだよ。ドラグレッダー」

 

 自分の不注意で落としたカードデッキを、届けてくれたのだと判断して感謝するべきなのか。

 逡巡する真司の視線の先には、ドラグレッダーが居た。

 此方を見下ろす黄色の眼差しが、何かを示すように注がれる。しかし、言葉にならなければ全く伝わらない。

 

「付いて来い……って言ってるのか?」

 

 辛うじて、真司が考え得る解答を発するや否や、ドラグレッダーは車道の窪みに生じた水面へと飛び込んで行った。

 消滅までに残された猶予は少ない。真司はすかさずに後を追って、水面の鏡面にカードデッキを突き翳す。

 揺らいだ水面に映る自分、その鏡面の層を透過して、映り込んだ異質な世界。

 

「——————」

 

 そこで初めて、あの龍が何を伝えようとしていたのかを真司は漸く理解できた。

 水面の大半を占める、骸骨の巨人。今にも振り下ろされる骨の拳。その足元には、膝をつき苦悶に歪む少女。

 

「———変身っ!」

 

 知らず、真司は雨の中で叫んでいた。絶大な力を此の身に齎す為の、制約の言葉を。

 識らず、龍騎は水面の中へ飛び込んでいた。掛け替えの無い少女を守る為に、彼女の側を目掛けて。

 

 

 

 

○○○

 

 

 

「っぐぐ……っ」

 

 痺れるような衝撃が、受け止めた腕を介して龍騎の全身を強く打ち据える。力を込めた両足がアスファルトに沈んだ。

 目障りな小虫を叩き潰すかの如く、骨の拳の上に重なる掌底。上下の拮抗が僅かに傾く。

 

「………なんで」

 

 後ろから聞こえた、桜のか細い声。拳を押し留める両腕と、身体を支える両脚に全ての力を割いている今、龍騎に振り返る余裕は無い。

 

「大、丈夫……っ。どんな事、あっても……君は、俺が絶対、守るから……っっ!」

 

 それでも、龍騎は絞り出すようにして、途切れ途切れに言葉を発した。上手く伝わったかどうかは問題外だ。

 この言葉は、躊躇いを捨てきれない自分自身に課した、固き誓いなのだから。

 奥歯を噛み締め、四肢が引き千切れんばかりに力を込めた。そして、龍騎は一気に拮抗を覆す。

 続け様に、腕を仰け反らせる異形に向かって、前蹴りを繰り出した。

 

【STRIKE VENT】

 

 背骨を逸らし後退りをする異形へと、龍騎は追撃の意を込めて籠手を突き出す。

 龍騎の意に応え、上空から現れたドラグレッダーが、その大口より火炎を放った。

 膨大な熱の塊を受けた異形は、跡形も無く飛散し、灰燼に帰す。

 

「…っと!」

 

 両側面から、龍騎を挟み撃つ刃風。自らの感覚の赴くままに、瞬時に地へ伏せる。

 背の上を通り過ぎた一対の大剣は、その勢いを殺しきれず、相討ちの形で互いの腰椎を両断した。

 矢継ぎ早に、水面を踏み鳴らす間断の無い音が、嫌でも龍騎の耳に入る。見据えた視界の先には、多種多様な骨格の群れ。

 

【GUARD VENT】

 

【SWORD VENT】

 

 龍騎は籠手を川へと投げ捨てた。手札を切って青竜刀と盾を召喚し、武装を重ねる。

 後ろに居るあの子の事は任せた。傍らのドラグレッダーへ目配せをした後に、脚を一歩前に踏み出す。

 

「……………」

 

 限界まで腰を落としての前傾姿勢。引き絞った脚を一気に解き放ち、龍騎は地を蹴った。

 接敵の直前。右手の盾を前方へ構え、龍騎の脚は更に加速する。

 全速力の勢いを乗せた突進は、鈍い破砕音と共に異形の群れの大半を轢き飛ばした。

 振り向きざまに、横薙ぎ一閃。青竜刀の白刃が空気を唸らせ、飛び掛かる異形たちを斬り払う。

 止め処なく湧き出る異形の群れは、絶え間無くその手の武器を龍騎へと振るう。

 しかし、数に物を言わせた槍衾の如き攻撃は、たった一人の龍騎を捉える事すら出来ない。

 右手の盾を以って弾かれ、左手の青竜刀を以って断ち切られ、全身の体捌きを以って躱される。

 やがて、龍騎の反撃を受け、不利を悟った異形の群れは、雪崩れるようにして橋の上から川へ飛び込み、姿を消した。

 

「………諦めた、のか?」

 

 龍騎は周囲を見回したが、歪んだままの橋の上には自分と桜以外に誰も居ない。

 桜に怪我は無いか。龍騎は後ろを振り返り、呆然と立ち竦んでいる桜の安否を確認しようとする。

 しかし、桜へと手を伸ばそうとする刹那、橋の下を流れる川に、沸き立つかのような不自然な音が紛れている事を勘付いた。

 

「っ———ごめんっ、ちょっと掴まってて!」

 

 咄嗟に龍騎は桜へと駆け込み、彼女を抱えて大きく跳躍する。その直後、橋の中腹が亀裂を走らせて崩れ落ちた。

 腹の底に響き渡るような轟音と同時に、在るべき形を失くした瓦礫が水飛沫を上げて川に沈む。

 無事に対岸へ降り立った龍騎は、桜を腕から落とさぬように身を翻し、背後を見上げて睨みつけた。

 

「今度は怪獣かよ………」

 

 最初に倒した骸骨の巨人など、比べ物にならない。最早、巨人では無く怪獣だ。

 あれが赤子に思えてしまうほど、弩級とも呼ぶべき骨の異形が、川面から大橋を食い破って這い出てきた。

 鮫に酷似した巨大な顎を固く噛み合わせ、異形は龍騎と桜を見下ろしている。

 

「…………!」

 

 橋に手を掛ける異形の指先に、龍騎は細かな骨格の継ぎ目を見た。あれは、先程逃した骸骨たちの集合体なのか。

 数多の屍で築かれた物の怪は更なる屍を求め、餓者のように龍騎へと、その腕の中の桜へと、腕を振るう。

 

「させるかって……のっ!」

 

 掛け声を上げ、後方へ跳躍する。薙ぎ払う掌から発せられた風圧を受けながらも、大きく距離を取った。

 異形は龍騎に追い縋るように姿勢を上げ、巨腕を上へと振りかぶる。

 だが、横合いから放たれたドラグレッダーの火炎が、それを許さなかった。

 爆炎の衝撃を、連続で肋骨に受けた異形は堪えきれずに姿勢を崩す。

 これで、僅かでも時間は稼げただろう。桜を抱き抱える腕をゆっくりと解き、龍騎は立ち上がる。

 

「ここで待ってて。すぐ、終わらせてくるから」

 

 放心したまま、桜は返事すら返せずに、青褪めた相貌で仮面の奥にあるこちらの瞳を見据えている。

 ようやく、この子は暗い過去と向き合えたのだ。これ以上、辛い思いを重ねる事は認めない。

 これから、この子には明るい未来が待っているのだ。何があっても、その未来を塞ぐ事は認めない。

 

 それを強いる何かが、目の前に有るのならば———

 

【FINAL VENT】

 

 ———それが何であろうと、撃ち砕く。

 

 無機質な機械音声が叫ぶ。仮面の奥に秘めた撃滅の意思を。最後の火蓋は、刻下を以って切られた。

 構えと共に身を低く沈める。深く呼気を吐き出し、自らの周縁を流れる龍と意識を完全に同調する。

 地面を強く踏み締め、飛翔。雄叫びを上げて追従する赤き螺旋が、この体を上空へと更に舞い昇らせる。

 眼下の異形へと突き翳した右足。そして、迸る烈火を背に受けた龍騎は、隕星の如き紅蓮をその身に纏い、一直線に堕下する。

 必殺を証明する炸裂音。異形の巨躯を起点に爆ぜた灼熱の炎が、橋を境に創られた偽りの世界を、その熱量を以って割り砕いた。

 

 

 

 

◎◎◎

 

 

 

 いつのまにか、雨は上がっていた。空に浮かぶ雲が風に流れ、暮れ行く太陽が姿を現わす。

 雲間に差し込んだ赤色の陽光が、こちらへ身を翻した彼を照らしあげる。

 そして、彼は腰のベルトに嵌め込まれた龍のエンブレムに手を掛けた。しかし、その指先は躊躇いを示すように震えている。

 

「——————」

 

 声が出ない。視覚以外の全ての感覚が、瞬く間に希釈になり、空の彼方へと霧散する。

 呼吸と同じ数だけ、常に意識を絶やさなかった、死への恐怖。それすらも忘却してしまうほど、目の前の相手は特別だった。

 交差する視線と視線。おそらく、一秒すらない瞬間が、永遠へと反転した。この身に流れる時間だけが止まったかのように。

 

「怪我とか、して無い?」

 

 やがて、こちらの身を案じる優しげな声が、凝結した時間を融解させた。

 憂慮を湛えた眼差しで自分を見据え、彼は問いかける。それに対して、塞がれた喉の代わりに、首を動かして頷く。

 すると、何故だろうか。無骨な仮面の隙間に見えた瞳が、安堵に揺れたかのように感じたのは。

 

「良かった………本当に」

 

 やがて、ゆっくりと地面に下ろした手先と、消え入りそうな声を皮切りに、彼は緩慢な足取りで自分の真横を通り過ぎた。微かな逡巡の後に、首を回して振り返る。

 それは、夢だったのか。それとも、現だったのか。彼は現れた瞬間と同様に、何処かへと消え去った後だった。視線を前へ戻し、空を見上げる。

 

「……ヒー……ロー」

 

 ヒーロー。ようやく声を取り戻した口から、無意識に漏れ出た言葉。

 幼い頃、その言葉の意味を知って以来、そんなものはくだらない絵空事だと忌み嫌ってきた。

 もし、本当に居たのだとしても、こんな自分を助けてくれる筈は無いのだと、思い続けてきた。

 本当に自分を守れるのは、自分だけなのだと、闇雲に信じ込んでいた。

 

「っ………っっ……」

 

 それは、髪の毛先から流れ落ちた雨の水滴なのか。それとも、別の何かなのか。

 冷たく、同時に温もりを帯びた雫が、頬を一筋に伝う。

 全くもって手前勝手だ。対峙する立場から、庇護される立場になった途端、嬉しいと。そう思ってしまう。

 これからも、彼に守られたい。彼に助けて欲しい。そんな都合の良い願いさえも抱いてしまう。

 自分は、彼に助けられた数多くの人々の一人に過ぎないというのに。何よりも、この戦いを続ける限り、衝突は必然だというのに。

 相反する胸の内の感情に、思考が追いつかない。しかし、たった一つだけ、確かな想いが有った。

 

 ———きっと、どんな地獄の底に落ちたとしても、私はあの光景を忘れる事は無いのだと。

 

 ———私を庇った、あの大きな背中を。私を穏やかに見つめた、あの赤き瞳を。私を偽りの世界から解き放った、あの暖かな炎を。

 

 ———私を守る為に現れた、ヒーローの存在を。




初ファイナルベント! 初勝利!
………結構展開が唐突な回でしたかね。ガッツリ手直し入れるかもしれません。
今回は色々語りたいこともありますが、長くなりそうなので、割愛しまして、続けて唐突なお知らせ。
24話のお話で書き溜めが尽きたので、次の更新まで、また二、三ヶ月か期間が空きます。なんか図らずもワンクール構成っぽい感じになってますね……。
合間になんか投稿できればな、とは思っていますが、どうなる事やら。

感想、アドバイス、お待ちしております。


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第25話『在りし日の言葉』

久々の更新と久々の前書き。今回から、唐突な過去編が始まります。大体、時系列的には二年半ほど前になります。

(龍騎要素は、割と無いです)





 身体中を弄る、粘り気を帯びた違和が無くなった。桜は固く閉じた瞼をゆっくりと開け、ぼやけた瞳の焦点を合わせていく。

 どうやら、鍛錬と言う名の拷問は終わったらしい。何故か、普段よりも早く終わった事が不可解だったが、考えても仕方がない。

 壁一面に掘られた巣穴に向かって、蟲たちが我先にと犇めき合って這いずり込んでいる。

 

「もう一回、身体、洗うの………面倒、だなぁ………」

 

 全身を浸す倦怠感を振り切るように上体を起こす。続いて、弛緩した手足に力を込め、倒れないように立ち上がった。

 そして、不安定な足取りで古びた立水栓へと歩く。少し前に風呂に入ったばかりだというのに、こんな有様になって仕舞えば二度手間だった。

 

「冷た………」

 

 桜は辿り着いた立水栓の蛇口を捻った。当然、このような場所でお湯が出る筈も無い。

 ホースを伝って溢れ出た冷たい水が、肌の温度を著しく下げてゆく。

 反射的に声を漏らしながらも特に気にする素振りを起こさず、桜は終始淡々とした面持ちで洗い終えた。

 しかし、冷えた身体をそのままにして風邪をひいてはいけない。階段へと早足で向かい、そこに放ったままのタオルで水滴を拭う。

 今夜は、布団を重ねて暖かくしてから寝ようか。そんな事を考えながら、桜は体を拭う手を早めた。

 

「………………?」

 

 そうして体を拭き終え、寝間着に袖を通して階段を登り始めた直後。

 聞き慣れながらも、耳障りな水音が耳に届いた。桜は怪訝に思い振り返る。

 桜の視線の先。数多く有る巣穴の内の一つから蟲たちが溢れ出てきていた。

 男性器を彷彿とさせる先端の口から粘液を飛び散らせて、蟲たちは喘鳴混じりの鳴き声を上げる。

 

「———、———、———」

 

 まだ喰らい足りない。もっと寄越せ。言語を介さない醜悪な渇望が、桜へと這い寄ってきた。

 主人たる臓硯の姿は既に在らず、目の前の蟲たちは明らかに他の蟲たちの行動とは逸脱している。このような事態は初めてだった。

 蟲たちにとって、桜という存在は魔力と言う名の金の卵を産むガチョウだ。

 生かすか殺すか。その線引きは臓硯によって植え付けられている筈だというのに、この蟲たちは引かれた線を越えるつもりらしい。

 この場から一旦離れて、臓硯の判断を仰ぐか。幸い、桜へと迫る蟲たちは節足も羽も持たず、地面を這いずるか、精々飛び跳ねる事しか出来ない。逃げ出すのは容易だった。

 

「それは、駄目…」

 

 しかし、桜は真っ先に浮かび上がった考えを却下した。蟲蔵の巣穴には間桐邸へと繋がる小さな穴が何箇所か有る。

 桜を見失えば、飢えた蟲たちは外に出て人を襲うかもしれない。

 何処に居るかも分からない臓硯を探している間に、死人が出る可能性も万に一つ存在する。

 

「…絶対に駄目」

 

 そして、最初に狙われる獲物が誰になるかを想像した時点で、桜の思考は蟲たちの駆除へと傾いた。

 元より、数える事も億劫になる程、夥しく存在する蟲たち。その内の数十匹が消えた所で気付かれはしない。

 仮に気付いたとしても、主人の意向に沿わぬ出来損ないを、あの悪辣な老人が残しておくとは思えなかった。

 自らの行いを正当化させる名目が、魔力と共に着々と頭の中で形成されてゆく。

 魔力の気配を察知した蟲たちが、大挙して桜へと飛び掛かった瞬間、桜は躊躇わずに自らの影を解き放った。

 

「——————」

 

 絶命を告げる断末魔の音も発さず、如何なる痕跡も残さず。桜の影に触れた蟲の群れは、幻影と見紛う程の儚さで、この世界から消え去った。

 そして、石造りの湿った空間に静寂が訪れる。胸に手を当てて僅かに乱れた動悸を整えた後に、桜は後続の群れが来るかどうかを警戒する。

 だが、それらしい気配は皆無だった。安堵の溜息を飲み込み、桜は階段に足をかける。真司が無事であるかどうかを確認するまでは、安心など出来ない。

 

「ふむ、やはり"水"には染まりきらなかったか。無理矢理に染め上げてしまうのも悪くはないのじゃが。………興味深い」

 

 その嗄れた声を耳が捉えた瞬間、呼吸が止まった。見上げたくなどない。聞こえなかった事にしたい。

 それらの衝動を抑えて、桜はゆっくりと階段の先を見上げる。案の定、そこには蠢く蟲の塊が有った。

 蟲の塊は瞬く間に人の形を象る。やがて、姿を現した臓硯が、硬直したままの桜を落ち窪んだ目で見下ろした。

 

「儂がこの家に居らぬ間に、何年間も書庫の本を読み漁っておったのは知っていたが、随分と面妖な魔術を使うのう。桜よ」

 

「………っ………っっ」

 

 ずっと昔からバレていた。バレた上で黙認されていた。恐らく、先程の蟲の群れを嗾けたのは臓硯だったのだろう。今の自分が、どの程度魔術を扱えるのかを試したのだ。

 値踏みするかのような視線が桜を射抜く。一体、自分はこれからどんな罰を受けるのか。果たして、その罰は自分だけに向けられる物なのか。

 臓硯の判決を、桜は震えを堪えて待ち続ける。すると、不意に臓硯は笑い声を上げた。

 

「くかかかっ、そう身構えるでない。お主が殊の外、鍛錬に積極的であった事が嬉しい誤算だっただけじゃ。咎める理由も、罰を与える理由も有りはせぬ」

 

「ぇ、ぁ………?」

 

 何故。湧き上がった疑問と共に、桜は臓硯の顔色を窺う。臓硯は普段通りに歪んだ弧を口元に浮かべている。

 その相貌から桜が読み取れる感情は、不可解な喜悦だけだった。この老人は己の定めた規格から外れた存在を、想定外の出来事を酷く嫌う。

 

「今後の計画を大きく変えなければならないのは些か面倒じゃが………。なに、猶予はまだ有る」

 

 誰かに向けた訳でもない言葉を呟き、臓硯はこちらへと歩み寄って来た。

 杖と下駄が石造りの床を打ち鳴らす。その硬質な音が近づく度に、桜の呼吸は早鐘を撞くかのように乱れてゆく。

 

「褒美じゃ。お主の枷を外してやろう」

 

 そして、臓硯が時間を掛けて階段の踊り場に辿り着き、空いた右手をこちらへ向けて翳した瞬間。

 身体中を駆け巡る神経という名の神経を、一斉に千切られるかのような激痛が、桜の意識を容易く抉り取った。

 

「………刻印虫も完全に癒着してはおらなんだか。しかし、此奴を聖杯戦争の駒として戦わせるのであれば、儂を此奴の中に留めてしまうのは危険過ぎるかのう」

 

 踊り場に倒れ伏す桜を見下ろしながら、臓硯は顎に手を当て一人呟く。その言葉を実行すれば、当然ではあるが桜自身を人質にする方法は使えなくなる。

 だが、幸いな事に、それよりも容易く桜の手綱を握る方法を臓硯は把握していた。

 どれだけの苦痛を与えようが、付け入る隙の無い城壁の如き精神性。そこに、亀裂を齎しうる存在が居る。

 

「魔術回路さえも持たぬ出来損ないの孫息子と思うていたが、意外な所で役に立つかもしれんのう。………くく、くかかかっ」

 

 意図せず最上の駒を得た喜悦は、臓硯の思考を僅かに鈍らせる。その僅かな鈍りが命取りになるとも知らずに。

 臓硯は嬉々として、大掛かりな作業に取り掛かり始めた。

 

 

 

 蟲蔵の底に備え付けられた立水栓。ホースの先端から溢れでた出た大粒の水滴が、小さな水面を創り出している。

 数秒にも満たない一瞬。風の吹かない密閉空間だというのに水面が独りでに大きな揺らめきを見せた。

 その鏡面に、赤い龍の影を映しながら。

 

 

 

 

○○○

 

 

 

「………」

 

 黙々と、息苦しい沈黙から逃避すべく、桜は籠の中から林檎を取り出して包丁を入れてゆく。

 小気味の良い音が間断なく響く度、胸の内の緊張が和らぐような感覚を桜は覚えた。

 林檎を八つになるよう均等に切り分けた後に、中の固い芯を綺麗に取り除く。

 

「………………」

 

 本来ならば、これで完成としてしまうのが手っ取り早いのだろう。だが、作業に没頭する桜の手は無意識に動き続けた。

 末端から先端に向かって浅くV字の切り込みを入れる。続けて、切り込みを入れた方向から、表面を傷つけぬようにやや厚めに皮を剥いた。

 切り分けた林檎の数だけ、この工程を丁寧に繰り返していく。すると、真っ赤な耳をした八匹の兎が出来上がった。

 

「案外、器用なもんだな」

 

 桜が飾り切りをした林檎を小皿の上に並べ終えた途端、やけに無遠慮な声を掛けられた。

 しかし、沈黙に慣れ始めた喉では咄嗟に返事を返すことも叶わず。

 誤魔化すように小皿の林檎に爪楊枝を刺し、桜は寝台に横たわる人物…鶴野へと手を添えて差し出そうとした。

 

「…今は、別に要らん」

 

「は、はい…。わかり、ました…」

 

 途切れ途切れの声で漸く返事を返しながら、桜は差し出した林檎を皿に戻し、鶴野の土気色の相貌から顔を僅かに逸らす。

 清潔感に満ちた真っ白な部屋を、カーテンの隙間から射し込む赤い陽光が更に明るく照らしている。

 窓際の棚には、商店街の花屋で真司と共に選んだ色とりどりの見舞いの花。

 花瓶に生けられた花々は、以前に来た時と然程変わらず瑞々しさを保っていた。

 

「………昨日の夜、臓硯がわざわざ此処に来やがったってのは、言ったよな? …久々に最悪な気分だったよ。わらわらと換気扇から這い出てくる蟲どもを見せつけられるのはな」

 

 魂まで抜け落ちてしまうのでは。そう危惧してしまう程に深い溜め息が、桜の耳を打つ。

 あの日の夜に起こした自らの愚行のせいで、病床に伏す鶴野に要らぬ心労を掛けさせてしまったのだろう。

 桜は改めて頭を下げる為に椅子を立とうとするが、鶴野は手で制してそれを引き止める。

 

「どの道、あの爺にバレるのは当然だったんだ。お前の謝罪なんかどうだっていい。あの妖怪爺、お前の変な魔術を使えると判断したらしいな。気持ち悪い笑顔で俺に礼を言いやがって」

 

 鶴野は胸の内の感情を隠そうともせず、苛立たしげに顔をしかめる。臓硯に危害を加えられた様子が見受けられないのは幸いだった。

 きっかけは互いの利害の一致だった筈だ。間桐という家の実態を、何も知らない真司から隠し通す為に、鶴野から魔術を学ぶだけの下地を桜は与えられた。

 己の身に火の粉が降りかかる事を嫌った鶴野が、桜に対して与えたものはそれだけだ。それすらも、臓硯には筒抜けだったようだが。

 しかし、桜は鶴野の予想以上に魔術の鍛錬に打ち込んだ。

 独学故に何度も危険な目に遭いながらも、桜は決して折れずに試行錯誤を繰り返し、襲い来る蟲達を歯牙にもかけない程の魔術を会得した。

 

「それよりも、大丈夫だったのか?」

 

 そんな要領を得ない質問が、不意に鶴野の口から発せられる。その面持ちから察するに、そちらが本題だというのに。

 桜は僅かに困惑するものの、時間を掛けずに得心した。考えるまでもなく、真司に関する心配事なのだろう。

 

「………はい。あの日の夜の事も蟲蔵の事も、兄さんにはバレて無い筈です。今頃だって剣道の大会に向けて猛特訓してるでしょうから」

 

 桜としても、魔術や臓硯の暗い話題が続くより真司の明るい話題に逸れて行く方がありがたい。

 先程までと比べ、目に見えて明るくなった桜は、饒舌に真司の近況を報告する。

 真司の剣道の師である大河曰く。今年こそ、個人であれば、尚且つ本来の実力を発揮できれば、全国大会出場も固いのだとか。

 事実、最近の他校との練習試合では無敗を誇り、冬木の龍という異名が徐々に広まっているらしい。真司自身は、大河や周囲の大言壮語だと否定しているのだが。

 

「そうか、そりゃよかった」

 

 簡単な相槌を打ちつつも、鶴野はまだ何かを言いたげにしている。その様子を桜は怪訝に思い、さりげなく聞き出そうとした。

 だが、桜が口を開いた瞬間に、面会時間が間もなく終了であるとの案内放送が流れる。

 現在が夏至に差し掛かる季節だったからか、時間の感覚がやや狂っていたらしい。カーテンの隙間から外を見やると、日の入り直前といった空模様だった。

 

「………………」

 

 寝台の軋む微かな音によって、桜の意識は窓の外から鶴野へと移る。鶴野は桜から体を背け、寝返りをうっていた。その背中に、桜は明らかな疲労を感じ取る。

 それも当然だった。鶴野からすれば、言葉を交わすのも憚れる相手と小一時間もの間会話せざるを得なかったのだから。

 

「じゃ、じゃあ、もう帰りますね」

 

 鶴野の為にも、早く部屋から出て行った方が良い。心の隅に滲んだ寂しさを紛らわせるように手早く荷物を纏め、桜は椅子から立ち上がる。

 

「………一応、最後に念押ししとくがな」

 

 だが、病室の扉へ足を向けると同時に、発せられた声が桜の動きを止めた。そして、鶴野は桜へと、これまでに再三繰り返した警告をする。

 

「何があっても絶対に、慎二には知られるなよ。間桐の忌々しい実態も、本当のお前の事も」

 

「わ、分かってます。私だって兄さんが一緒に居て欲しいんですから。あんな事を知られて、嫌われるなんて———」

 

「———違う」

 

 絶対に嫌だから。振り返りながら、いつものように続けようとした言葉は、鶴野の否定によって遮られる。それは、今までに無い遣り取りだった。

 鶴野は一旦仰向けになり、ゆっくりと体を起こす。続けて、桜へ向き直ったその瞳は、緩慢な動作とは裏腹に切迫した光を含んでいた。

 

「慎二はきっと、お前が思っている以上にお前を大事に思っている。それこそ、本当の家族みたいにな。もし、あいつが何もかも知っちまったら、お前を助け出そうとするだろ」

 

「そ、そんなの………」

 

 あり得ない。真っ先に自分から距離を置いて、居ない者のように扱うに決まっている。そして、いつの日か自分の前から去って行くのだ。

 もう一度、一人ぼっちになる。蟲蔵に突き落とされる事よりも、耐え難い未来を想像した桜は、二の句を継げずに閉口する。

 

「どちらにしろ、バレたら全部ご破算って事実は変わらない、か。………もう帰れ。日が沈んだら、臓硯の時間になる」

 

 そう言ったきり、鶴野は起こしていた体を気怠げに戻して黙り込んでしまった。

 今度こそ、話し残した事は無くなったらしい。鶴野の言葉に納得できぬまま、桜は無言で会釈した後に退室する。

 外来受付の時間が終了した病院の廊下は、物音一つのしない静かな空間だった。なるべく音を立てずに扉を閉め、桜は階下にある出口へと向かおうとする。

 

「………ぁ」

 

 だが、その途中で小さな吐息を漏らし、桜は足を止めた。

 要らぬ気遣いで勝手に切り分けてしまった林檎が、病室の机の上に置きっ放しである事を思い出したのだ。

 確か、鶴野は要らないと言っていた。取りに戻るべきかどうか、桜は病室の前で判断に迷う。

 やがて、時間をかけて一念発起し、扉の取っ手に手を伸ばした瞬間だった。

 

「———!」

 

 微かに。本当に微かにだが、扉越しから小気味の良い林檎を齧る音が聞こえた気がしたのは。

 桜は伸ばした手を戻し、踵を返して歩みを再開する。本当に食べてくれているのかどうか。確かめるのは野暮だろう。

 次に見舞いに来た時ならば、嫌がりながらでも自分の前で食べてくれるかもしれない。

 口の端が僅かに上昇すると共に、沈んでいた気分もやや浮き上がった。

 それを表すように、やや弾んだ足取りで階段を降りて病院の外に出る。

 そして、鶴野が居る病室を見上げた後に、最寄りのバス停へと向かった。

 

 

 

 しかし、桜は知り得なかった。病室が連なる廊下を、出口へと続くロビーを歩く際にすれ違った看護婦たち。

 彼女たちの視線に同情的なものが混ざっていた事を。次に鶴野に会う機会など、もう二度と訪れない事を。




最初の頃のプロットに殴り書きされていた、桜視点でのお話。何気に真司が初めての未登場回である。
当時は、一刻も早く龍騎を登場させたかったが故に、先送りになってしまいました。割と暗い展開が続くので、注意してね。

それと、週間更新を課しているわけでもありませんが、次回の更新は再来週にしようかと思っております。
プロットの方を練り直した関係で、書き溜めの進み具合がちょっと不安なんですよ。本当に申し訳ない。

感想、アドバイス、お待ちしております。


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第26話『蝶の羽ばたき』

 足を踏み鳴らす音が、広々とした体育館に絶えず響き渡る。約十メートル四方を白線テープによって囲んだ空間には、竹刀を正眼に構え、頑丈な防具を身に纏った少年たち。

 やがて、両者は鍔迫り合いによって距離を限りなくゼロにし、互いの動きを読み合う。

 決勝。それを証明するように、彼らの他に竹刀を構える者は居ない。体育館に居る人々は、皆一様に彼らの立ち会いを見守り続ける。

 白い襷を背中に結んだ少年が、僅かに歩調を変えた刹那。空気が破裂したかのような激しい音が甲走り、桜の鼓膜を揺らした。

 桜は思わず瞠目し、階上の座席から吹き抜けになった階下の光景を見下ろす。決着は瞬きの間に果たされた。

 横薙ぎに振り抜かれた竹刀。一切の迷いも無く赤い旗を揚げる三人の審判。堰き止められた栓を抜くかのように湧き上がる拍手と歓声。

 

「いぃぃぃやったあぁぁぁ!!! 慎ちゃんんんん!!!」

 

 隣に座っていた大河の絶叫が、歓声を上塗りする。その絶叫は、相手に一礼をして試合場から去ってゆく赤い襷を結んだ少年…真司に向けられたものであった。

 興奮しきった大河に気を取られた桜は、彼女を挟んで隣に座る士郎をふと見やる。

 

「……………」

 

 士郎は両者の健闘を讃える周囲に倣って、手を叩いていた。

 しかし、その琥珀色の瞳だけは、何処か無機質な光を帯びているように見えた。近い物に例えるのならば、カメラのレンズのように。

 

「桜ちゃん、桜ちゃん。やっぱり慎ちゃんが勝ったわよ! 流石、私の見込んだ男だわぁ〜〜!」

 

「うわわっ!?」

 

 そう思ったのも束の間、歓喜を抑えきれずにいた大河に組み付かれる。桜は素っ頓狂な声を上げながらも、再び士郎の様子を見やった。

 

「藤ねえ………。嬉しいのは分かるけど、はしゃぎ過ぎだって。褒めるべき相手はあっちに居るだろ。…桜、大丈夫か?」

 

「あ、はい…」

 

 士郎は眉を八の字に歪め、騒ぐ大河を言い咎めていた。続け様にこちらを気遣ってくれる。

 そこには先程の異様な表情は見受けられなかった。きっと、何かの見間違いだったのだろう。

 

「それもそうだったわ! …凄いわよおぉぉぉ慎ちゃん慎ちゃん慎ちゃんんんん!!!」

 

 やがて、士郎に諭された大河は真司へと意識を戻し、全力で手を振った。

 すると、真司は被っていた面を脱いで自分たちに手を振り返してくれた。藤ねえ興奮し過ぎだろ。そんな苦笑いが、遠目でも分かる。

 流石に、大河ほど全身全霊で喜びを表現する事は、桜には出来ない。その大きな影に隠れて小さく手を振るだけだ。

 それでも、心の内では飛び上がる程嬉しい事には変わり無い。真司がこの県大会に向けて、これまで以上に努力を重ねてきた事実を桜は知っている。

 

「…本当、凄いなぁ」

 

 鶴野が亡くなってから、まだ一ヶ月も過ぎていない。実の息子である真司からすれば、心に折り合いを付けるには足りないと言える期間だろう。

 だというのに、鶴野の葬儀を経てから、真司はすぐさま活力を取り戻した。こうして優勝してしまった。

 

「………………」

 

 しばらくの間、桜はこれまでの真司を想いながら感慨に耽っていると、気づいた頃には大会の閉会式が終わってしまった。

 士郎と大河に促された桜は、二人に続いて体育館を後にする。だが、体育館の入り口周辺は選手や部の教員などの人だかりでそれなりに混雑していた。

 

「うーん。まだ体育館の方に居るのかしら。ねぇ士郎、電話繋がった?」

 

「………いや、慎二の奴、絶対気づいてないな。きっと、あいつの事だから優勝に浮かれてるんだろ」

 

 流石に藤ねえ程じゃなさそうだけど。そう続けた士郎は、八方塞がりと言わんばかりに携帯をポケットにしまった。

 これでは、真司と合流するのに手間取ってしまう。わざわざ応援に来てくれた二人を、人が居なくなるまで待ちぼうけにするのは申し訳ない。

 猛虎と化した大河からアームロックを見舞われる士郎を尻目に、桜はこっそりと予め用意しておいた影の使い魔を起動した。

 足の踝にも及ばない程度の小さな使い魔は、地面に映る様々な影を伝って目当ての人物を探し当てる。真司は人混みを避けるように体育館の門の塀に寄り掛かっていた。

 桜は人混みの隙間を縫うようにして、真司の元へと駆け寄って行く。彼は誰かと話し込んでいる様子だった。

 

「———!」

 

 しかし、真司の傍らに立つ人物を視界に捉えた瞬間。桜の足は動きを止める。それと引き換えに、卑しい妬心が否応無しに立ち昇った。

 遠坂凛。現在は自分たちとは違う中学に通っている少女だ。戸籍上は赤の他人で通っている。

 しかし、血の繋がりという観点で見るのならば、桜と凛は誤魔化しようも無く姉妹だ。

 彼女の、自分の本当の両親が亡き今。最も濃い血の繋がりを持った唯一の存在とも呼べる。

 何故、彼女が此処にいるのか。桜の疑問を代弁するかのように、人垣の向こうの真司が口を開く。

 

「つーか凛、どうして来てるのさ。此処の体育館までお前の家からでも随分遠いだろ?」

 

「…うちの中学に居る友達の応援よ。結構良い線まで行ったみたいだけど」

 

 何故だ。友達の応援に来たのならば、終わりと同時にそちらの方へ行ってしまえばいいだろう。

 そもそも、朧げな記憶であるものの、凛が通う中学に剣道部は無かったような覚えがある。

 方便と思しき返答も特に気にしていない様子の真司は、気の置けない会話を続けてゆく。

 

「………っ」

 

 そんな二人の間にすぐさま割って入れない意気地の無さに、桜は無性に腹が立った。

 大きく息を吸って腹の奥底に力を込め、固まっていた足をようやく動かす。

 

「———ようやく見つけたわよ、慎ちゃん!………あら? あらあらあら!?」

 

 だが、桜は失念していた。愛弟子の快進撃に狂喜乱舞していた猛虎の存在を。その嗅覚の鋭さを。

 唐突に現れた大河の猛りは、桜が手を下すまでもなく見事にぶち壊してくれた。仲睦まじく見えた真司と凛の間を。

 貴女は慎ちゃんのガールフレンドなのか。彼女なのか。機関銃じみた舌鋒で追求する大河を、否定も肯定もせず言葉巧みに躱し続ける凛。

 

「……………」

 

 飛び込む機会をすっかり失った桜は、半ば呆然としたまま大河と凛の対極的なやり取りを眺める。

 こいつとはただの腐れ縁だから、変な勘繰りはやめてくれ。真司が辟易とした声色でやり取りに一石を投じるものの、効果は今ひとつであった。

 やがて、左腕を摩りながら現れた士郎が真司に加勢した事により、状況は収束し始める。

 どこか満足気な表情で真司の優勝を祝福し、凛は三人の前から去って行った。一瞬、ほんの一瞬。こちらに目配せをしてから。

 

「なんとなく、お前の側に付いたけどさ、………あの子、追い掛けなくていいのか? ちょっとぐらいなら待つけど」

 

「そうそう。私から仕掛けといてなんだけど、もしかしたら、もしかするかもしれないんじゃない?」

 

 士郎は、初対面の凛に何か思うところがあったのか、真司にそんな提案をしてくる。時間を経て鎮静化された大河も、同様の意見だ。

 癖っ毛のある髪に指を突っ込んで頭を掻く。そこに浮ついた感情は微塵も無い。

 

「違うって言ってるのにまだ言うのかよ。………っていうか、士郎と藤ねえ。さっきからずっと聞こうと思ってたんだけど、桜ちゃんはどこ行ったんだよ」

 

「「………あ」」

 

 真司の問い掛けに、士郎と大河は口を揃えて間の抜けた声を漏らす。どうやら桜は二人に忘れられていたらしい。

 だが、それも仕方がない。馴染みの無い。尚且つ見目麗しい少女が、真司と仲睦まじく会話していたのならば、それまでの事など吹き飛ぶだろう。

 それ以前に、二人の側から離れたのは桜の方からだ。いつまでも立ち尽くしてなどいられない。

 

「———ご、ごめんなさい。は、はぐれちゃって!」

 

 詰まり気味の謝罪の言葉。それとは真反対の軽やかな足取りで、桜は今度こそ真司に駆け寄って行った。

 

 

 

 

○○○

 

 

 

 膨らみに膨らみ、長ネギがはみ出たビニール袋を下げて、桜は自動ドアから外に出る。

 時刻は既に宵の口へと差し掛かっていた。日中とは打って変わる涼しい夜風を浴びて、溜め息を吐く。

 一時間程度、軽い仮眠を取ってから商店街のスーパーへ買い物に出かける予定だったのだが、大幅に寝過ごしてしまったのだ。

 現在、中学校は夏季休業に入っている。だからといって、気を抜き過ぎだろう。自戒の念を胸に、桜は早足で家路を急ぐ。

 真司は来週に控えた全国大会に向けて、朝から晩まで学校の道場で剣道三昧だ。きっと、今頃は腹を空かせて帰って来ているに違いない。

 

「生姜焼き、肉味噌炒め、酢豚も…」

 

 未だ完全な覚醒を果たしていない頭の中で、桜は今晩の献立を歩度と共に組み立てていく。

 因みに、主菜が豚肉である事は確定事項だ。丁度セールだったのだから当然である。

 やがて、桜の足は細い裏路地に辿り着く。普段から通り慣れた家への近道なのだ。

 だが、桜が裏路地へと一歩踏み出した瞬間。真っ黒な何かが正面を不意に横切った。無意識の内に、視線を横切った何かに合わせる。

 

「………黒い蝶々?」

 

 何故、揺らめきながら羽ばたくそれを、咄嗟に蝶々と認識したのか。蝶々が飛び回るのは日中だ。蛾か何かと見間違えたか。

 そう思い、目を凝らすものの、街灯の明かりに照らされるそれは、どうにも蛾には見えない。

 そのまま、黒い蝶々のようなものは、よろめいた軌道を描いて表通りへと行ってしまった。

 

「早く帰ろう。兄さん、きっと心配してるだろうし」

 

 追い掛けて確かめてみたい。そんな幼子じみた好奇心が少しだけ湧いてきたが、遠回りをしている時間は無い。意識を裏路地へと戻して、桜は再び歩き出した。

 

「………………」

 

 太陽の影響は思った以上に大きい。行きの時点で仄暗かった道は、油のように濃く重い闇に覆われていた。

 知らず識らず、桜の歩幅は狭まっていく。何が有るわけでも無いというのに。

 歩く度に、歩く度に。ただ暗いだけの裏路地に嫌な物を想起してしまう。

 ただ、酷く似ていたのだ。この道と同じだけ通り慣れた、蟲蔵へと続く冷たい通路に。

 

「………まさか、ね」

 

 己の感覚に否定的な言葉を呟きながらも、刺すような背筋の顫動は一向に消えない。

 あの日以来、臓硯は趣向を変え始めた。端的に言えば、桜は襲われるようになったのだ。蟲蔵の蟲たちの一部に。

 鍛錬と言う名の拷問は、桜という有望な駒の規格を測る実験に切り替わった。本能的な危機意識からか、鋭敏になった聴覚が微かな音を拾い取る。

 遂に、臓硯は外にまで仕掛ける範囲を広げたのか。警戒の意を込めて、桜は空いた左手を僅かに動かす。

 

「———ぇ」

 

 結果として、桜の経験則による直感は間違っていなかった。ただ、一つだけ問題が有るとするならば、嗾けられた存在だ。

 蟲では無い。酩酊したかのように不鮮明な足音を立てて近づいてくる影。随分と大柄で人相の悪い男だった。

 男の相貌は見るからに正気では無い。それでいて、蕩けきった瞳孔は真っ直ぐに桜を見据えている。

 

「こ、ここまで……っ」

 

 ここまでさせるのか。動揺が言葉の続きを奪い去った。

 先ず、疑う余地も無く、男は臓硯の蟲に寄生されている。首筋に浮かぶ歪な水疱。それこそが明確な証拠だ。察するに、蟲による支配は脳にまで及んでいるのだろう。

 自分では助けられない。そう判断した時点で、桜の中で立ち向かうという選択肢は消滅した。

 

「…………?」

 

 しかし、その場から逃げ出す事は叶わなかった。動こうとする意思に反して、震えるだけの両足を桜は見下ろす。

 思っていた以上に、自身には胆力というものが備わっていなかったらしい。この危機的な状況で、桜は他人事のように自己分析をする。

 蟲の無機質な複眼とは違う。蟲に操られた男の悍ましい形相は、見事に桜の足を竦ませていた。

 相手が人間というだけで、この有様。目も当てられない臆病者だ。思わず漏れた桜の自嘲に重なるように、男は奇怪な叫び声を上げて突進して来る。

 そうして、桜は為す術も無く押し倒され、後頭部をコンクリートに強く打ち付けた。

 

 

 

 

○○○

 

 

 

 明滅する桜の意識を、男が文字通りに叩き起こす。理性無き瞳の奥にある蟲の…臓硯の意思が克明に告げていた。

 戦えと。その為の力は有るのだろうと。

 

「………嫌………嫌………っ!」

 

 首を横に振り、桜は頑なに拒絶の意を示した。今の自分が使える魔術に加減という物は存在しない。もしも行使すれば、操られている男は絶対に死んでしまうだろう。

 どのような事をされても、人の命は奪えない。一つでも命を奪ったら、もう後戻り出来なくなる。

 それは、桜の数少ない譲れぬ一線だった。

 

「っ………っっ」

 

 焦れた男の拳が、桜の頬を強く打ち据える。予想以上に痛かった。人の手で殴られる感覚は。だが、我慢出来ぬ程ではない。

 幸い、桜にとって我慢は得意分野だった。我慢さえすれば、苦しみなど塵旋風のように巻き上げられ、認識の外へと消えて無くなる。

 そういえば初めてか。人間相手に痛めつけられる事は。この分では、陵辱される事もあり得る。

 

「…………………」

 

 そんなことを思いながら、桜は呼吸を止める要領で五感を鈍らせて行く。

 そうして、地面にぶち撒けられた今晩の食材を最後に見つめ、桜は目を閉じようとした。

 

「———おいっ! お前何やってんだよっ!」

 

 だが、桜が目蓋を閉じきる事は出来なかった。怒りに満ちた少年の声が桜の耳朶を打ち、続け様に間断のない足音が地面を揺らす。

 桜に馬乗りになった男は口角を歪に吊り上げ、緩慢な動作で立ち上がって声の方へと振り返った。

 釣られて、男の拘束から体の自由を取り戻した桜も、身体を起こして呆然と見つめる。もう既に家に帰っている筈の真司の姿を。

 やがて、桜の視線と真司の視線が重なる。すると、真司はその双眸に更なる赫怒を浮かべ、眼前の男を睨みつけた。

 

「ぇ、ぁ、あ…ぁ………」

 

 人が来るなど、先ずあり得ない。既にこの裏路地には臓硯による人払いが為されている筈だ。慎重な性質の臓硯に限って不手際など起こすまい。

 冷たい何かが頭の隅々にまで浸透し、桜の思考力を凍らせてゆく。自分に起こすべき行動が思い浮かばない。

 

「やる気か………!」

 

 哄笑じみた呼吸を発しながら、男は真司へと殴り掛かって行く。彼我の体格差は明白。幾ら真司が剣道部であっても、今の彼の手には何も握られていない。素手だ。

 勝ち目など殆ど無い。だというのに、真司は迎え撃つ姿勢に入っている。それを止める事も叶わず、桜は正面の光景から顔を背けた。

 

「っ———」

 

 衝突。僅かな静寂の後に、倒れ伏す音が聞こえた瞬間。桜は反射的に視線を前へと戻す。しかし、倒れていたのは男の方だった。

 やがて、つま先で男を小突き、完全に気絶している事を認めた真司は、焦燥に呼吸を乱して駆け寄って来る。

 

「桜ちゃんっ、もう大丈夫だからな………!」

 

 訳も分からぬまま、桜は抱き締められた。真司の掌の震えが桜の身体に伝播し、更に困惑を深めてゆく。

 何故、真司はこの場所に、この局面にやって来たのか。何故、真司はあの男を返り討ちに出来たのか。

 様々な疑問が喉元を刺激して、桜の口を開かせかける。だが、それは恐ろしくて出来なかった。要らぬ事を口走って、真実を知られる危険は冒せない。

 

「取り敢えず、警察と救急車呼ぶから、こっから早く離れよう。………頬っぺた、痛くない?」

 

「………は、はい」

 

 桜を安心させるように、己を安心させるように。真司は桜に目線を合わせて痛みの有無を問い掛ける。

 ぎこちなく頷きを返すと、真司は桜を立ち上がらせようと手を差し出してくれた。桜は遠慮がちにその手を掴む。

 

「———ぁ」

 

 しかし、その瞬間を男は…臓硯は待っていたらしい。脳の箍を外されたかのような、人外じみた速度で起き上がり、手元に有った鉄パイプを握り締めて飛び込んで来る。

 

「マジかっ———!」

 

 真司も背後の殺気を悟り、即座に身を翻そうとしたが、桜に取られた片手と重心が枷となる。躱す事は不可能。

 唐竹割りのように振り下ろされた鉄パイプが唸る。そして、何かを砕くような耳障りな音が、桜の耳に克明に刻まれた。

 




続け様の過去編第二弾。
前回から、視点という名のカメラを桜の背後に置いた途端、滅茶苦茶暗い描写ばかりで、精神がもう息苦しいですねぇ。
桜がマジカル大切断を発動させるかどうかは、次回をお待ちください。


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第27話『虚数の入り口』

 最早、嗅ぎ慣れた病院特有の薬品の匂い。最早、顔見知りになった看護婦たちに軽く会釈をしながら、桜は階段を登って病室へと向かう。

 やがて、桜はとある病室の名札に兄の名前を見つける。奇しくも、そこは鶴野が使っていた部屋と同じ病室だった。

 

「………………………」

 

 だが、桜は扉の取っ手に手を伸ばそうともせず、目を伏せて立ち尽くすのみ。

 気まずさ、後悔、罪悪感、不安。陰気な感情が大挙して押し寄せ、病室に入る事を躊躇わせた。

 既に見舞いに行くという連絡は入れてある。何時迄も足踏みなどしていられない。

 桜は息を整え、ゆっくりと扉に手を掛ける。そうして、一切の音も立てずに扉の開閉を終え、入室を果たした。

 視線を巡らせるまでもなく、真司の姿は真っ先に目に付いた。ベッドの上に座り込み、扉側に背を向け窓の縁に頬杖を突いている。

 

「すっげぇ暇だなぁ………。桜ちゃん、早く来ないかなぁ………」

 

 退屈の二文字がありありと貼り付けられた背中。今すぐにでも不貞寝してしまいそうな勢いだ。

 真司は、ここから見える入り口の周囲を遠望し、桜の姿を暇潰しがてらに探しているらしい。目当ての桜は、すぐ背後に来ているのだと知らずに。

 

「ふあぁ……。もしかしたら、もう後ろに居たり———うおおっ!?」

 

 何分かの間、窓の外を眺め続け、外の景色に飽きた真司は気怠げに欠伸を吐き出す。

 そして、なんの気もなしに振り返り、ようやく桜の存在に気づいた。呟いた言葉が現実となった衝撃に、真司の両肩が跳ねる。

 

「………っ。ちょ、ちょっと、桜ちゃん。来てたんなら少しは気配とか音とか出しなよ。忍者かっての」

 

「………」

 

 人差し指と中指を揃えて立てたジェスチャーを右手で示し、真司は桜を明るく迎えてくれる。

 しかし、桜は見逃さなかった。左側の肩が震えた瞬間、真司の顔に僅かな強張りが生じた事を。

 真司に向けた視線は、左肩から左腕にかけて移ってゆく。その左腕は白い三角巾で固定されていた。布の端から覗く硬質なギプスが、酷く痛々しい。

 

「なーに、いつまでもそんなとこで突っ立ってんのさ。早くこっち来て座りなって。いやぁ、ずっと暇で暇で仕方なかったんだよー」

 

「………………」

 

 桜から向けられた沈鬱な視線を跳ね除けるかのように、真司は快活に笑って手招きをしてくる。

 手招きに促されて椅子に座るものの、桜は所在無げに俯いたまま、何も言葉を発する事が出来ない。

 そんな桜に相反するかのごとく、真司は今までの入院生活を話の種にして、何気無い出来事を語ってゆく。

 桜へ向けた声色には、微かな気遣いこそ有っても、後悔や非難の色は何処にも有らず。普段通りそのものだった。

 

「それで、傑作だったのがさ…その女の人、只の貧血を不治の病か何かと勘違いしてて———」

 

「———兄さんは、どうしてあんな事があったのに、そんなに平気なんですか」

 

 心の内側を圧迫する罪悪感に耐え切れない。膨らんだ風船の口を解き放つかのように、疑問の言葉が吹き出した。

 明るい話題を遮ってまで、あの出来事を蒸し返す必要があったのか。だとしても、桜は聞かずにはいられなかった。

 

「私が、あんなに遅くに出掛けなかったら、あんなに暗い道を通らなかったら、しっかりと逃げてたら。兄さんがそんな怪我する事なんて無かったのに」

 

 真司の左腕を砕かんばかりに、強く打ち据えた鈍い音の残響が、桜にあの瞬間を思い出させる。

 しかし、真司はそこで倒れなかった。剰え、激痛に怯むことも無く、即座に反撃へと意識を切り替えて行く。

 それは、凄まじく的確な動きだった。少なくとも、臓硯に操られたあの男など、歯牙にも掛けぬ程度には。

 

「……兄さんだったら、きっと全国でも、最後まで勝ち残れた筈なのに」

 

 桜の呟きに、身内贔屓といったものは微塵も含まれていない。純粋な確信だ。

 だが、剣道の腕を磨き続けた努力は、その努力が報われる絶好の機会は、泡のように弾け飛んだ。全ては、桜の所為で。

 

「……私の所為で」

 

 いっそのこと、口汚く罵ってくれた方が楽だというのに。そんな思いとは裏腹に、真司は頬を掻いて閉口したまま何も言いはしない。

 暫しの沈黙の後に、ようやく口を開いたかと思えば、真司はそこから息を吸い始め、鼻から深い溜息を吐いた。

 

「やっぱ駄目だな。なーんにもいい言葉思いつかないや。………よっこらしょっと」

 

 諦観の言葉を皮切りに、真司は掛け声と共に起き上がってから寝台の上に胡座をかく。

 そして、左肩をなるべく動かさぬように、右手を支えにして慎重に桜の方へ身体を向けた。

 

「俺は別にさ、大会とか優勝とかにはあんまり興味無かったりするんだよね。元々は、感覚鈍らせないためっていうか、……ああいう時のために剣道始めたんだよ」

 

 藤ねえに滅茶苦茶勧められたっていうのもあるけど。真司は苦笑して話を続ける。動機としては、非常に納得の出来るものだった。

 

「そりゃあ、全国の強い人たちとも試合はしたかったけど。やっぱり、桜ちゃん助ける事には代えられないって」

 

「………っ」

 

 やや眉尻を下げながらも、真司は屈託のない意志を桜へと突き翳す。その真っ直ぐな瞳は、眼底が沁みる程に眩しかった。

 直視し続ける事が出来ずに、桜は顔を逸らして瞼を閉じる。その想いを嬉しいと思ってしまう自分が、どうしようもなく無様だった。

 

「あーもうっ、桜ちゃん! いつまでもそんな辛気臭い顔すんなって!」

 

「———わわっ!?」

 

 もう我慢ならぬ。そんな意味を込めた声を上げて、真司は桜の頭に手のひらを勢い良く置いた。

 真司の突飛な行動と、思いのほか硬い手の感触に、桜は不意を打たれる。そして、一切の身じろぎも許されずに、頭を雑然とした手つきで搔き撫でられた。

 

「桜ちゃんは、ほんっとに自尊心無さすぎだよ! 自覚してる? 最近の桜ちゃんはメキメキ料理上達してるからさ、自前の料理じゃ満足出来なくなってきてるんだよ俺!」

 

 掃除や洗濯に至っては、俺よりも手際が良くなってるし。年長者としての危機感とかあったりするんだからな。

 撫でる手も止める事なく、真司は息継ぎ無しでまくし立ててゆく。桜という存在の有り難みを。それも、変化球無しの直球勝負で。

 最早、褒め殺しとも呼ぶべき真司のそれは、血色が悪かった桜の頬を容易に染め上げた。

 

「はぁっ……はぁっ……わかった? それに、我慢強いのも、桜ちゃんの良いところだとは思うけど、もっと自分に正直になった方が良いって。……急に暑くなってきたぁ」

 

 そう言って、真司は息切れしながらも、ようやく撫でる手を止める。続けて、桜とは別の意味で真っ赤になった顔を、窓から吹き込む涼風で鎮め始めた。

 

「………………」

 

 真司が背を向けて涼んでいる間に、桜も複雑怪奇に乱され、鳥の巣のようになった髪を手櫛で整える。同時に、熱を帯びた頬も冷めてゆく。

 

「ふうっ、毎日沢山頑張ってる筈なのに、考え無しに受け身になったら幸せが逃げちゃうんじゃない? ……それじゃあ俺も困るよ」

 

 風を浴びたまま、真司は間を置いて話を繋げる。その声色は桜を小馬鹿にしている様子だ。

 考え無しなどではない。我慢し続けなければ、耐えられない事が多過ぎるのだ。たとえ、我慢と不幸が固く結びついていても。

 

「…………どうして、私だけじゃなくって兄さんが困るんですか?」

 

 微かに燻る反骨心の趣くままに、桜はようやく疑問混じりの拙い相槌を返す。すると、真司は窓から身を翻して顔を向けた。

 

「どうしてって、そりゃあ決まってるじゃん。俺が、桜ちゃんには幸せで居て欲しいって思ってるんだから」

 

「——————」

 

 真司の返答に、桜は今度こそ面食らった。さながら、真っ黒に塗られたキャンバスの帆布を、力任せに引き剥がされたかのように。

 幸せで居て欲しい。そんな、ありふれた願いが、冷たく凝り固まった心を溶かしてゆく。後ろめたさによって張り詰めた緊張の糸を切り離してゆく。

 

「………………」

 

 感極まった何かが、熱を伴って桜の目頭を滲ませた。そこから込み上げるものを溢すまいと、桜は目を固く閉じて顔を俯かせる。

 

「………うん? どうしたのさ。また俯いて」

 

 口を噤んで小刻みに震える桜を怪訝に思ったのか、真司は寝台から足を下ろして桜の肩に手を触れる。

 その時点で、桜は涙を堪え切れなくなった。堰を切ったように、真司の右手を握り返して嗚咽を漏らす。

 

「にいっ……さんっ……っっ」

 

「うおぉっ、本当にどうし………まあいっか。よーしよし、思う存分に泣いちゃえ泣いちゃえ」

 

 唐突に泣き出した桜に困惑したものの、憚る人目など無いのだと思い直した真司は、直ぐに桜を抱き寄せて背中を摩り始めた。

 激しく泣き噦りながら、桜は真司の首元に両手を回す。その温もりは、確かな願いを桜に抱かせた。

 ずっと、この人と一緒に生きて居たい。この人と一緒に幸せになりたい。そんな、ありふれた願いを。

 

 

 

 二度、季節が巡り、秋を超えて冬に至っても、己の全てを賭けた戦いを目前にしても。その願いは微塵も薄れる事無く。寧ろ、濃く深い物になっていった。

 

 

 

 

○○○

 

 

 

 蟲たちの体液によって描かれた魔法陣を桜は見つめる。既に酸化を終えて赤黒くなった液体は、人間の血のようにも見えた。

 魔法陣を挟んだ対角線上には、臓硯が用意した青銅の柄鏡が据え置かれている。あの柄鏡は、エトルリアという紀元前に存在した国家の出土品らしい。

 本来、大規模な美術館にでも展示されるべき筈のそれは、審美眼など無い桜にも歴史の荘厳さを感じさせた。

 

「……………っ」

 

 いつまでも見入られ続けては、何も始まらない。柄鏡は英霊を喚び召す為の触媒に過ぎないのだから。

 息を整えた後に、桜は頭の中で詠唱を何度も繰り返す。噛まぬように、間違えぬように。

 やがて、桜は魔術回路の励起と共に、知らず識らずの内に固く結んでいた口を解いた。

 

「———素に銀と鉄。礎に石と契約の大公。降り立つ風には壁を。四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ」

 

 桜は瞑目し、電源を入れる。全身に張り巡らされる神経を、魔力を伝わらせる為だけの回路に切り換える。

 

閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)。繰り返すつどに五度。ただ、満たされる刻を破却する」

 

 内なる魔力と外なる魔力が共鳴し、密閉された蟲蔵の中で所狭しと荒れ狂う。桜の声音が、向こう側へと届けられたかの如く。

 

「———告げる。汝の身は我が元に、我が命運は汝の剣に。聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ」

 

 言葉を紡ぐ度、迸る魔力は臨界点へと近づいて行く。意志を突き詰めるように、自身を抛つように、桜は己の魔力を詠唱と同時に解き放ち続ける。

 

「誓いを此処に。我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者。汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ。天秤の守り手よ———っ!」

 

 詠唱を言い終えた瞬間、眩い閃光が閉じた瞼を透過して桜の網膜に射し込む。その感覚に、確かな手応えを覚えた。

 だが、弛緩した両脚が身体を支える事を拒絶し、桜は膝から床へとへたり込む。

 そして、明滅する視界を仰向かせ、周囲と己の魔力とを引き換えに顕われた存在を見据えた。

 

「サーヴァント、ライダー。召喚に応じ参上しました。貴女が、私のマスターでしょうか?」

 

 落ち着きに。ともすれば、冷ややかとも取れる平坦な声が、一直線に投げ掛けられる。その声音は女性のものだった。

 

「ええ、間違いない。……早速で悪いけど、貴女は何処の誰なの」

 

 怯みそうになる意識を無理矢理に抑え付け、桜は肯首を返した。続けて、ライダーを名乗る女性に名を問いかける。

 それは、ある意味では主従の問答よりも大事な確認事項だった。

 

「………………」

 

 左手の甲に刻まれた赤き刻印を見せながら、桜は相手の反応を窺う。名乗らないのならば、令呪の行使も考慮するという意思表明だ。

 見えているのかいないのか。黒い眼帯に覆われたライダーの双眸は、ただ桜を見つめるのみだったが、意外にも返答は直ぐに戻ってきた。

 

「………私は、西の果て、形なき島に在った三姉妹が一柱———メドゥーサ」

 

「……メドゥーサ、ですか」

 

 それは、到底鵜呑みに出来る名前ではなかった。桜は思わずライダーの真名を反芻する。

 その名を想起させる判断材料など、それこそ瞳を覆い隠す眼帯のみだ。それだけではない。メドゥーサは悪名高き怪物だ。彼女を英雄と呼ぶ者など、断じて居ないだろう。

 

「どうして………」

 

 過去の英雄が召喚される筈の戦いに、英雄と相反する存在が召喚された。

 だが、桜が疑問を口にする前に、ライダーは虚空から鎖の付いた短剣を手に取った。続け様に腕を交差させ、投擲の姿勢へと入る。

 

「マスター。貴女の後ろに居る"アレ"は何ですか」

 

 臨戦一歩手前。冷たい殺意が、桜の後方に居る存在へと向けられた。弾かれるように振り返り、視線を巡らせる。

 薄暗い蟲蔵に射し込んだ真っ暗な影の空間。そこから、不愉快な粘り気混じりの水音が聞こえた。紛れもなく臓硯だ。

 

「かかかっ、そうなるのではないかと思うたが、儂の予想を裏切らんのう、桜よ。やはり真っ当な英雄などでは無く、反英雄の中でも指折りの者を喚び寄せたか」

 

 全くもってお主らしい。臓硯の吊り上がった口角は、明らかな嘲笑を示していた。

 反英雄。聞き慣れない言葉を使う臓硯の様子に、これが想定の範囲内である事を桜は理解する。そのような存在が顕われた原因が、己に有る事も。

 鎖の音と共に、ライダーの殺意が高まっていく。続けて、前傾姿勢になり両脚へと力を込めた。しかし、桜は左手でライダーを制止する。

 

「下がって、ライダー。その人には、お爺様には絶対に手を出さないで」

 

「………わかりました」

 

 歯痒い思いを口の端に滲ませながら、桜はライダーへと最初の命令を下す。数秒の間を置き、了解の言葉が返ってきた。

 おそらく、二人同時に臓硯へ攻撃を仕掛ければ、驚く程容易に仕留める事が出来るだろう。たとえ、蟲蔵の全ての蟲を敵に回しても。

 それを実行できない理由は、臓硯の手中に捕らえられた存在に有る。

 

「ほう……。儂を確実に殺せる力を得ても挑発には乗らんか。余程、己の自由よりも慎二の命が大事らしい。微笑ましいではないか」

 

「………………」

 

 何も言い返さない桜に対して、臓硯は更に喜悦を重ねる。二人の間に存在する力関係。その優位に立っているのは萎びた老人だった。

 だが、臓硯は不意に顔をしかめて、横に首を振る。どれだけ躾を施そうと試みても、一つだけ思い通りにならない事があった。

 

「しかし、何の心構えも出来ぬまま、遂にこの日が来てしまったのう。英霊の格も、依り代たる魔術師の実力も十全に備わっておるというのに、まったく嘆かわしい」

 

「……それでも、私にマスターは……。人は、殺せません。サーヴァントさえ倒してしまえば、戦いは終わるのに」

 

 マスターは確実に全員殺せ。それが、桜に課された方針だった。

 だが、出来ないのであれば、一人や二人は生かしてもいい。ただの口約束ではあったとしても、あの臓硯に譲歩をさせてなお、桜は首を縦に振らなかった。

 

「己の身に置かれた状況を、理解していないお主ではなかろう。……今代の遠坂の当主ならば、あの娘であれば、誰を殺す事も躊躇うまいて」

 

「私は、あの人とは違います」

 

 実姉に対する劣等感を刺激して、臓硯は桜の精神に揺さぶりを掛けてくる。だが、劣等感よりも人殺しに対する忌避感が勝る。桜は努めて毅然とした態度を貫いた。

 

「そうか………。であれば、仕方があるまい。半端な覚悟で戦いに臨まれては、勝てるものも勝てぬ。万が一、お主に死なれては、間桐の跡取りも居なくなってしまうしのう」

 

 桜の態度を受けた臓硯は、悩ましげな溜め息をつく。そして、暫しの逡巡の後に折衷案を提示した。

 

「慎二めに、間桐の秘奥を全て明かし、代わりにマスターとして戦わせるとしよう。彼奴には魔術の才能は無いものの、戦いの才能が有る。マスターが相手ならば、もしかすれば、もしかするかもしれん」

 

「そ、そんなのっ———」

 

 ———可愛い義妹の為じゃ。喜んで承諾するじゃろうて。たとえ、道半ばで命を落とすとしてもな。

 それは、まさしく悪夢のような提案だった。桜は、目の色を変えて臓硯を見据える。

 

「かかかっ、何を狼狽える。確かに望みは薄いが、戦う前から棄権をしてしまえば、御三家の面目がたたぬではないか。………なに、十年前にも似たような事を何処かの愚か者にさせたであろう?」

 

「………ぁ」

 

 臆して何もせずに、死に行く者を見殺しにした。その意味では、既に一人殺している。後戻りなど、とっくの昔から出来ないではないか。

 今更になって認知させられた罪の意識が、桜の胸の奥を雁字搦めに締め付けた。反論の言葉は何一つ湧いて出ない。

 臓硯は矢継ぎ早に言葉を繋げる。声高に、冷静な判断能力を失った桜へと、決断を突き付けた。

 

「桜よ。慎二を戦わせたくないのならば、隠してきた秘密を暴かれたくないのならば、覚悟を決めるのだ。それさえ出来れば、お主は凡百の魔術師とは比較にもならぬ存在に成れる。……なにもかも、力づくで得られるのだぞ」

 

 乗せられている。それだけは、桜の鈍った思考でも理解できた。

 だとしても、重圧に追い詰められた心は、拒絶という選択肢を取れない。

 だが、桜が臓硯の要求を是とする事はついに無かった。

 

「——————」

 

 けたたましい雄叫びが蟲蔵の中で反響し、そこに居た者全てを釘付けにさせる。背面に置かれた柄鏡が溢れるような波紋を描いていた。

 あり得るが、物質界にないもの(・・・・・・・・・・・・・・)。鏡の世界の怪物、ミラーモンスター。

 意図せずに呼び寄せた存在が、世界と世界の境界線を突き破って現れた。

 そして、誰の反応も許さぬ速度で、大口から灼熱の火炎を放つ。その矛先には臓硯が居た。

 今際の言葉を残す事も無く。半生以上の間、桜に苦渋を強いてきた悪夢の化身が燃えたぎる烈火に焼き尽くされる。

 

「———マスターっ、ここは危険です! 掴まって!」

 

 忘我のままに、桜は目の前の光景を見続ける。すると、後ろに控えて居たライダーに抱えられて、蟲蔵の出入り口へと連れ出された。

 炸裂音が轟く度に、蟲蔵の蟲たちが炎を持続させる燃料に変換させられてゆく。仄暗かった空間が、かつてない程の輝度で煌煌と照らされる。

 今の今まで、巨大な生物の体内とまで錯覚していた地下室は、部屋の全貌が露わになった途端。ちっぽけなほら穴へと姿を変えた。




架空元素、虚数。設定の文脈通りに無理矢理な解釈をしたら、ミラーワールドとの繋がりが成立するのでは。
そんな些細なひらめきが、このクロスオーバーを書こうと思い立った一番の原因であります。

感想、アドバイス、お待ちしております。


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第28話「対立」

唐突な過去編終了と共に、真司の方へと描写が戻ります。龍騎要素も元どおりですね。


 仰向けになってソファに寝っ転がり、天井のシミを数えようかと視線を張り巡らせるが、特に見当たらない。清潔そのものだ。

 湧き上がった疑念を紛らわせる手段が他に考えつかず、真司は溜め息を吐き出す。

 

「なんでこっちが心配されるんだっつーの……」

 

 異界と化した大橋の上で骸骨軍団を撃退した後に、すぐさま真司は変身を解除して桜を迎えに戻った。

 だが、桜は命の危険に瀕したにもかかわらず、第一にこちらの無事を確認してきたのだ。恐怖で泣いたのだろう。目元を泣き腫らしたままで。

 真司にも隠し事がある手前、下手に問い詰める事もできずに有耶無耶な状態で家に帰ってきた。

 

「………………」

 

 ズボンのポケットからカードデッキを取り出し、龍を象ったエンブレムを見つめる。

 助けた間際には出来なかったが、桜に正体を明かすべきなのかを思い詰める。

 ほんの少しの葛藤を経て、真司はかぶりを振った。きっと、止められるに違いない。出来る保証も無い己の愚行を。

 

「……そもそも、それ以前の話かもな」

 

 自分の正体は龍騎ではあるが、断じて間桐慎二ではない。本当の姿と呼べるものを定義するのなら、それは前者だろう。

 随分と笑えない冗談だった。堅牢な仮面を被った騎士が、本来の自分を証明する唯一の姿である事実が。

 

「うーん、やめやめ。意味ない意味ない。……それより、早く風呂に入って温まりたいなぁ。桜ちゃん、まだ上がんないのかなぁ」

 

 再度かぶりを振って、真司は暗い思考を追い出した。このまま続けていては、今後に支障をきたす。

 我が物顔で暖房の前に陣取ってはいるものの、真司の身体は熱い風呂を求めていた。それほどまでに、晩冬の通り雨は堪えた。

 桜を気遣って一番風呂を譲ったが、かれこれ入浴してから一時間は経過している。随分と長風呂を満喫中のようだった。

 

「うぅ………流石に催促しに行ってやろう」

 

 伸びをしてソファから起き上がり、真司は暖かなリビングを後にする。忙しない早歩きで寒い廊下を渡り、浴室へと続く脱衣所の扉の前に辿り着いた。

 

「桜ちゃーんっ、早く風呂空けてくれなーいっ? 俺もう凍えそうなんだけどーっ!」

 

 小刻みに。尚且つ、向こう側に響くように。手の甲で扉を叩いて呼び掛ける。驚かせてやろうという魂胆も若干含まれたノックであった。

 しかし、めぼしい反応が返ってこない。まさか、心地よさのあまり風呂の中で寝ているのか。一先ず起こさなければ、のぼせてしまう可能性がある。

 念のためにもう一度、真司は扉を叩いて桜の応答を待つが、人の動く気配すらしない。

 

「……仕方ない、悪いけど入るよーっ!」

 

 大きな声をかけながら、真司は勢いよく扉を開いた。しかし、その動作とは裏腹に、伏し目で脱衣所に入室をする。家族とはいえ、年頃の義妹への配慮は怠らない。

 案の定と言うべきか、時すでに遅しと言うべきか。床から視線を辿っていくと桜の裸足のつま先が目に入った。

 

「あっちゃあ……。桜ちゃん、大丈夫———」

 

 シャツ一枚という格好から察するに、着替える途中で貧血を起こしてしまったのだろう。真司は床に倒れた桜へと歩み寄り、肩を揺さぶろうと手を伸ばす。

 だが、桜の体に触れた瞬間。手の平が異様な熱を感じ取った。追い討ちをかけるように、苦しげな吐息が耳朶を打つ。

 

「———ちょ、ちょっと桜ちゃん。しっかりしてっ!」

 

 狼狽えぬように平静を心掛け、真司は桜を抱え起こす。語気を強めて耳元で声を上げると、桜はようやく反応を示した。

 緩慢とした動作で瞼を開き、朧げな瞳で焦点を向けてくる。赤く染まったその相貌は、明らかに熱によって浮かされていた。

 

「兄さん……? 今、入られたら、困りますよ。……私、着替えてる最中なのに」

 

「いやいや、有り得ないって。どこからどう見たって倒れてたじゃん。今だって、……かなり熱出てるみたいだし」

 

 意味の無い譫言を呟く桜を無視して、長い前髪を搔きあげて額に手の甲を当てたまま、真司は大まかな熱を測る。

 触れ続けていれば、忽ち低温火傷でもしてしまいそうな事しか分からない。

 

「熱……? 兄さんの方こそ、手がとっても、冷んやりしてますよ。なんだか……幽霊、みたいです」

 

 やだなぁ、兄さんが死んじゃうなんて。桜はそう言いながら、真司の首に腕を回してしがみ付いてきた。

 最早、言動からして完全に夢うつつに陥っている。兎に角、桜を部屋まで運ぶべきだろう。

 

「もういいや。取り敢えず、そのまま掴まってて。———よっこらせっと!」

 

「きゃっ……!?」

 

 互いの体勢が丁度良かった。真司は桜の身体を、掛け声と共に軽々と抱え上げる。膝の裏と脇の下を両腕でがっしりと固定する、俗に言うお姫様抱っこであった。

 我が身を揺さぶる振動に、ようやく目が覚めたのか。桜はか細い悲鳴を上げた。そして、現状を把握した途端に喚き始める。

 

「な、なななんで私抱っこされちゃってるんですか。お、おお降ろしてくださいっ!」

 

「うんうん、そのうちね。しっかし、改めてこうしてみて分かったんだけどさ、でっかくなったもんだねぇ。桜ちゃんも」

 

「〜〜〜〜っ!?」

 

 面白いくらいの混乱ぶりだった。真司は桜の必死の懇願を適当な相槌で受け流しながら、滞りの無い足取りで目的地へと邁進して行く。

 結局の所、桜の部屋に辿り着くまで、桜をベッドの上に降ろすまで、二人の騒々しい掛け合いは続いた。

 

 

 

「うーん……、やっぱり微熱のままか。大した事なさそうで良かった良かった」

 

「………………」

 

 渡された体温計の数字を見つめ、真司は安堵を覚えてしきりに頷く。迅速且つ献身的な介抱が功を奏したようだ。

 夕食にお粥も食べさせた。念の為に風邪薬も飲ませた。あとは、安静にさせて寝かし付けるだけだった。

 

「それじゃ、夜更かししないで明日までゆっくり寝るんだよ? ちゃんと寝なきゃ、治るものも治らないんだから。……おやすみー」

 

「………………」

 

 最後によく眠ることを桜に言い含めて、真司は部屋の照明を消した。先ほどから、一切の返事をしない桜を怪訝に思いながらも、ドアノブを捻って扉を開いた。

 

「……う、うん?」

 

 だが、どうにも背中にむず痒い視線を感じて、真司は居た堪れずに桜へと振り返った。

 桜は口元を布団で覆い、半分だけ顔を出したまま、真っ直ぐに真司を見据えている。寂しげに細められた紫色の瞳は、無意識に何かを訴えていた。

 

「……ちょっと待ってて」

 

 何故、直ぐに気づいてやれなかったのか。風邪をひいただけではない。桜は今日、本当に危険な目に遭ったのだ。そんな日に一人で寝るなど、心細いに決まっている。

 

「え? あ、あの……」

 

 桜が引き留める間も無く、真司は慌ただしく自分の部屋に行き、円柱状の物を押入れから持ち出した。

 そして、すぐさま桜の元へ舞い戻り、円柱状の物を見せびらかすように広げてゆく。その正体は寝袋だった。それも、冬に適した保温性の高い代物だ。

 

「桜ちゃん。今日だけさ、俺もこっちの部屋で寝ていいかな? ちゃんと寝てくれるかどうかも心配だし」

 

「……どうして、わかったんですか?」

 

 敢えて、真司は返事を返さない。得意満面な笑みを浮かべて、床に敷いた寝袋へと足から入っていく。特に止められはしなかった。

 布団を蹴飛ばす事も、ベッドから落下する事も起こりようが無い寝袋は、非常に快適だ。桜よりも先に寝入ってしまいそうになる程度には。

 

「……兄さん、ありがとう」

 

 感謝の言葉を皮切りに、取り留めのない会話が二人の間で交わされる。

 眠気を催す薄暗い部屋で、桜が安心して一日を締め括れるように、真司は明るい話題を話し続けた。

 やがて、桜からの相槌が途切れ途切れになっていく。それに併せて、真司は言葉数を少なくする。

 話に一区切りがついてから、桜の規則的な寝息が耳に届くまでに、然程時間はかからなかった。

 

「………………」

 

 暫しの沈黙の後に、真司は全身を覆う微睡みに抗って身体を起こした。寝袋から這い出て、ゆっくりと立ち上がる。

 今夜はまだ、やるべき事が残っているのだ。つい一昨日までドラグレッダーに任せきりだった夜の巡回が。

 ライダーバトルのように、聖杯戦争においても無関係の人間が襲われる事例が生じている以上。

 戦いを止める手段を早急に探さなければならない。真司にも心当たりは一つだけ有った。

 

「ごめん、桜ちゃん。すぐ帰ってくるから」

 

 最低限度まで押し殺した声で、桜へと確認を兼ねて呼び掛ける。真司の声に対して、反応は見受けられない。

 安らかな寝顔を見つめ、真司は小さく頷く。そして、窓ガラスへとカードデッキを翳した。

 

「……置いて、かないで」

 

 小さく、か細く。消え入りそうな声で呟かれた桜の寝言に、最後まで気づかぬふりをして。

 

 

 

 

○○○

 

 

 

「アーチャー、あいつの様子は見えてる?」

 

 冬木の地を一望する事ができる高台に建てられた洋館、遠坂邸。その屋根の上から、凛は自らのサーヴァント…アーチャーに尋ねる。目的の人物の出方を。

 

「……ああ、見事な食いつきようだ。余程、金品の類にがめついのか、君の使い魔が物珍しいのかは知らんが、無警戒そのものだな。龍騎とやらは」

 

「魔術に関しては門外漢、かしら。衛宮くんの話を聞く限り、相当強いって雰囲気だったけど。……本当、わけわかんない奴ね」

 

 仮面の裏に在る正体も、サーヴァントとマスターを助ける動機も分からない。そもそも、特定の陣営に属しているわけでもない。

 凛にとって、龍騎という謎の存在は下手なサーヴァントよりも難敵と呼べる存在だった。

 少なくとも、キャスターが待ち受ける柳洞寺へと出向く前に、その真意を問い詰める必要を凛は感じる。あわよくば、味方に引き込めれば重畳だ。

 

「……仕留めに掛かるか?」

 

「いいえ。一応、助けられた恩はあるから。一先ずは、どんな奴かを見極めたい。そのために、あんな場所まで誘き寄せたんだし」

 

 龍騎をあの場所で釘付けにする。だから、あそこまで連れてって。凛がそう言うと、アーチャーは真っ直ぐに番えた弓矢を解き、肯定の意を示した。

 

「……でも、ちょっとだけ待って。流石に一夜で三騎ものサーヴァントと連続で渡り合うような奴に、貴方一人じゃ不安だわ」

 

「セイバーを呼ぶ気か。仮に来たとして、彼女は義理堅い性分だろう。小僧共々、あの男に剣を向ける可能性は低い」

 

「別に、戦力としてはそこまで期待してないわ。居る事に意味があるのよ。二対一なら、迂闊にあっちから攻撃なんかしないでしょうし、逃げるのも難しいし」

 

 そう言いながら、凛は携帯を取り出して開く。それは、余程耄碌していなければ、老人でも扱える操作の簡単なシニア携帯だった。

 余談だが、第三者の協力を得ても尚、凛は携帯操作の修得に一ヶ月の時間を要した。初めて電話が出来た時の通話相手の感極まった声は、今でも耳に新しい。

 

「……凛。随分と手間取っているようだが、まだ時間はかかりそうか?」

 

「だ、黙ってなさい。今とっても集中してるんだから」

 

 慎重に、変なボタンを押さないように。凛は丁寧に人差し指を使って、電話帳へと辿り着く。

 やがて、必要最小限に抑えられた登録者の中から、士郎の名前を探し当てた。

 通話ボタンを押し、額に滲んだ汗を袖で拭って安堵する。さながら、無事に患部の手術を終えた執刀医のように。

 そこからは、通話を介して簡単に用件を伝え、士郎からの了承を得るだけだった。

 

「……うん、準備は一区切りついたわね。いいわよアーチャー、あいつの所まで連れてって」

 

 使い魔へと意識を向けた後に、凛は直ぐさまアーチャーに抱えられて洋館の屋根から飛び立つ。龍騎を逃さぬように、使い魔に施した仕掛けを起動させながら。

 暗闇に染まる事を拒むかのように、散り散りに光る街の明かり。その小さな光の群れの中で、より一層小さな、一瞬限りの閃光が人知れずに煌めいた。

 

 

 

 

○○○

 

 

 

「や、やられた……くそっ」

 

 真っ白に焦がされた視覚を、甲高い残響を拾い続ける聴覚を、必死に回復させようと頭を振りながら瞬きを繰り返す。

 新都方面を重点的に巡回していると、龍騎は新都の中央公園にて、鈍い光を放ちながら浮遊する宝石を見つけた。

 どうにかそれを掴み取り、調べようとした瞬間。宝石は閃光と怪音を存分に撒き散らして砕け散ったのだ。

 

「と、とにかく此処から———」

 

「———逃さないわよ」

 

 聞き覚えのある声が、感覚を取り戻し始めた龍騎の耳に届く。反射的に身を翻した。

 恩を売ったつもりは無いが、一日過ぎで仇となって返ってくるとは。己の迂闊さを呪いながら、龍騎は白みがかった視界から赤装束の主従を睨みつける。

 

「一応チャンスは伺ってたけど、こうも簡単に引っかかるなんてね。お金に困っているなら、条件付きで工面してあげようかしら?」

 

「気遣ってくれなくてもいいよ、俺の家って滅茶苦茶お金持ちだし。……そっちこそ、あんなに綺麗な宝石使い捨てちゃって大丈夫なのか?」

 

 魔術師って、随分と金食い虫なんだな。龍騎は普段の調子で軽口を言い返す。

 すると、悩みの種を掘り返されたのか、凛は綽々とした笑みの端を片側だけ歪めた。

 

「っ………。今すぐに退場させたい気分になったけど、まだやめとくわ。あんたには聞きたい事があるから」

 

 軽挙な言葉で弱点を刺激してはならない。龍騎は自戒の念を胸に、口を固く結んで凛の言葉を待つ。

 そのタイミングで、もう一騎のサーヴァントが現れた。セイバーだ。彼女の小さな肩には士郎が担がれている。男女の立場が逆転した、酷く不釣り合いな有り様だった。

 

「龍騎……」

 

 だが、龍騎を見つけた途端に目の色を変えて、セイバーの肩から降りた士郎は声を掛けてくる。

 滅私奉公を体現したかのような少年には珍しい、私情に塗れた感情が表に出ていた。

 

「衛宮くん、電話でも言ったけど、そっちの要件は後にして頂戴ね。話が進まないから。」

 

「分かってるさ……。でも、忘れるなよ。俺たちの命の恩人だって事は」

 

 凛の咎めを帯びた言葉に、士郎は要領を得ない頷きを返した。感謝してくれるのは嬉しいが、こちらの味方をしてくれる可能性は一握りにも満たないだろう。

 

「……龍騎。一先ず、一番大事な事を聞くわ。あんたの目的ってなんなの? どうして、戦いに割り込んでまで私たちを助けるの?」

 

「………………」

 

 私たち、あんたの目的次第で、もしかしたら協力出来るかもしれないわ。ほんの僅かな間を置いて、凛は龍騎へと単刀直入に問い掛けてくる。

 一切の虚偽を許さない。真摯に見据えられた碧眼が後押しをするように、龍騎の口を割らせた。

 

「……多分、それは無理だ。……俺の目的は、なんでも願いが叶うだなんて宣って、互いを殺し合わせる。そんな馬鹿げた戦いを止めるためなんだから」

 

 そんな馬鹿げた戦いの所為で、理不尽に死んでいく人たちを守るためなんだから。そこまで言い切り、龍騎は凛たちを見つめ返した。

 各々の双眸に各々の思念が宿っている。上澄みしか読み取れないが、敵対は確定したと言っても良いだろう。

 

「……成る程な。そこの小僧の言い草から予想してはいたが、場違いな偽善者か、正義の味方気取りが紛れ込んでしまったらしい。大人しく、自分と身近な人間だけを守ればいいものを」

 

「………………」

 

 先程から沈黙を保っていたアーチャーが、皮肉げな笑みを浮かべて口撃を飛ばしてきた。龍騎は努めて冷静に、彼の言葉を受け止める。

 何故かはわからないが、あまり強く言い返す気になれない。彼の背後に居る士郎が、今にもアーチャーに対して噛み付きそうな面持ちだからか。

 

「場違いなのは合ってるかもしれない。あんたらにだって、叶えたい願いとかあるのは分かるし、こんな戦いに乗ってる時点で簡単に止まれないんだろ」

 

 貴賎はあれど、その願いを踏み躙るような自分に、正義の味方など荷が勝ち過ぎだ。そんなものはライダーとの戦いで十分に再確認させられた。

 

「……解せんな。何故、お前はそれを分かっていながら割り込もうとする? 止める方法など、それこそ全ての陣営をたった一人で打ち倒すぐらいだろう」

 

 その方法は、無謀である以前に本末転倒だ。しかし、龍騎は確然とした態度を崩さず、アーチャーの指摘に返答する。

 

「いいや、まだ一つだけあるだろ。戦いを止める方法。聖杯ってのが何でも願いを叶えるんだったら———」

 

 万能の聖杯を巡る戦い、聖杯戦争。聖杯。そうと呼ばれるからには、器が何処かに存在する筈だ。

 恐らく、ライダーバトルに於けるミラーモンスターのように、命を取り込む悪趣味な器が。

 

「———貴方は、その聖杯を破壊するつもりなのか?」

 

 不可視の剣が、手に取られる気配を龍騎は感じた。続けようとした言葉を先取りして、士郎の側に控えていたセイバーが歩み寄ってくる。

 細められた翡翠の瞳。その眼差しは、初めて武器を交えた夜の時よりも険を帯びていた。

 

「貴方が、何を目的として私たちを助けたのかは分かりました。人として尊ぶべき、善良な在り方をした者である事も。……ですが、その行為は絶対に認められない」

 

「意外だな。君はもう少し躊躇うものだと思っていたのだが。私のマスターの判断は、結果的に最適解だったか。これで邪魔者が確実に排除できる」

 

 セイバーに触発されるかのように、アーチャーはどこからともなく洋弓を手に取った。

 番えてこそ無いものの、腕の一本でも動かした瞬間。龍騎の身体を射抜くべく、矢が打ち放たれるだろう。

 

「勘違いをするな、アーチャー。私はまだ彼と戦うとは決めたわけではない。……リュウキ。どうか、この戦いから手を引いてください。そもそも、貴方はきっと武器を手に取るべき人間ではない筈です」

 

 剣を真っ直ぐに構えながらも、セイバーは龍騎の身を案じて忠告をしてくれる。

 僅かに揺れる切っ先は、葛藤を表しているのか。その葛藤を切り捨ててでも、遂げなければならない使命があるのか。

 

「……悪いけど、それは出来ない。使命とか理想とか仕来りとか、俺には何一つ無いけど。何が正しいかなんて、未だに全然分かんないけど。こんな戦いを止める事が、俺の叶えたかった願いなんだ」

 

 揺るぎのない意志を、龍騎は静かに表明する。自分自身の思いに、嘘はつけなかった。

 凛にしてやられた視覚も聴覚も、会話をするうちに戻ってきた。戦いへ臨む準備は整っている。

 やがて、僅かな瞑目の後に、セイバーの面持ちが切り替わった。最早、言葉は不要だと断じたのだろう。

 

「あんたも損な性分ね。黙って頷いておけば、余計な怪我もしないで済むのに。……アーチャー。随分と物騒な事言ってたけど、分かってるわね?」

 

「ああ、分かっている、なるべく殺しはしないさ。どちらにせよ、その厚ぼったい仮面は剥がさせてもらうが……」

 

 今度こそ、アーチャーは矢を射る構えに入った。凛の念押しに適当な返事をしながら、悔しげに立ち尽くす士郎を一瞬だけ見やる。

 しかし、彼は士郎に対して何を言うわけでもなく、直ぐに視線を龍騎へと戻し、洋弓の弦を強く引き絞った。

 

【SWORD VENT】

 

 冷たい夜風が、草木をとめどなく揺らした。訪れる開戦の瞬間と共に、龍騎は予めバイザーに差し込んでおいたカードを切る。

 軽快な矢の射出音。轟然とした地を蹴る跫音。それらの音が、全く同時に耳朶を打った。

 

「やれるもんなら、やってみろよっ!」

 

 先んじて飛来した矢を横殴りに弾き返し、引いた拳をそのまま開いて飛来する青龍刀を手に取る。そして、龍騎は後に続くセイバーの上段斬りを、真っ向から受け止めた。

 逃げ道となる鏡は無い。長時間、弓兵に背を晒すなど自殺行為だ。この場で迎え撃つ以外の選択肢は、龍騎には無かった。




随分と久々な真司側の描写。からの、三騎士の内のサーヴァント二騎を一人で相手取るという超ピンチ。
割と慣れているとはいえ、助けた恩を仇で返された真司に、果たして救いの手は有るのでしょうか。

感想、アドバイス、お待ちしております。


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第29話「飼育箱の夢」

 甲高い金属音を上げ、頻りに揺れる青龍刀の刃と不可視の刃。上から加えられてゆく圧力に対抗して、龍騎は両腕に力を込める。

 だが、張り詰めた弦の音に背筋を刺衝され、瞬時に足を使ってセイバーを蹴り退けた。

 目前に迫る幾多もの矢を、左右に傾けた青龍刀で弾き返しながら、アーチャーへと駆け寄る。見切れる速度と軌道ならば、防御も最小限の動作でいい。

 

「行かせないっ!」

 

「だよなぁっ!」

 

 しかし、予想通りと言うべきか。龍騎の進行は、真横を並走するセイバーによって阻まれた。

 横薙ぎに振るわれた剣を寸前で飛び退いて躱し、二の太刀への迎撃に移る。

 袈裟、逆袈裟に互いの得物が衝突し、火花が飛沫のように弾けた。龍騎とセイバーは互いに一歩も引かずに、間隙の無い攻防を繰り広げる。

 

「貴方には、既に私の剣を把握されているようですね。……卓越した観察眼だ」

 

「褒めてくれるのは嬉しいけど、君と戦うのはこれが初めてじゃないし。結構、勘頼りなんだよな……っ!」

 

 小刻みな鍔迫り合いを生じさせながら、龍騎はセイバーの称賛に謙遜を返す。

 これで三度目なのだ。彼女との立ち合いは。風によって隠された得物に相反するかの如く、型の整った実直な太刀筋。

 脅威ではあるものの、意識を集中させれば互角に打ち合える。意識を集中させれば、であるが。

 

「———!」

 

 視界の端に映るアーチャーの姿に、龍騎は一瞬だけ気を取られた。その隙を見逃すセイバーではない。

 どうにか防げたが、大きく振りかぶって叩きつけられた剣の衝撃に、龍騎はたたらを踏まされる。

 そこに、容赦の無い弓矢の追撃が放たれた。空気を切り裂いて速度を増した矢が、龍騎の肩先を掠める。

 背後の直線上にあった落葉樹の何本かが、宙を舞って吹き飛んだ。直撃した獲物の姿を再現するかのように。

 

「あいつ、絶対殺す気だろ……」

 

【GUARD VENT】

 

 龍騎は即座に青龍刀を左手に持ち替え、カードを使用して盾を召喚する。

 あれ程の威力が込められた矢は、どうにか躱すか確実に防ぐしか無い。弾き返すのは危険だ。

 

「そうされたくないのならば、武器を捨てて命乞いでもしてもらおうか」

 

「嫌なこった!」

 

 続く第二射、第三射を堅実に防御。そして、地を蹴り抜いて疾駆する。再度、アーチャーへの突撃をセイバーが阻む。

 だが、龍騎の脚は回転を緩めず、寧ろ加速した。盾を構えた暴走特急さながらの突進は、不意を突かれたセイバーの華奢な身体を容易に撥ね飛ばす。

 

「———っ!? こんのっっ……」

 

 事は無かった。地面に擦った跡を刻みながら、盾と剣が拮抗する。青白く、目に見える程の濃密な力が、セイバーの身体から放出される。

 歯を食いしばって、龍騎は彼我の拮抗を崩そうとするが、瞬間的に強化された膂力を前に、その突進の勢いは完全に殺された。

 

「出鱈目、過ぎんだろ。その小さな身体の、一体何処にそんな力があるんだ」

 

「その質問には答えられませんね。いずれにせよ、この身を見くびった貴方の落ち度です」

 

 思わず漏れ出た龍騎の悪態を、セイバーは綺麗に切って落とした。一旦身を引いてから突き出された剣の切っ先を、龍騎は青龍刀で僅かに逸らす。

 そのまま、空いた隙間に捻じ込むようにして、盾の縁をセイバーの横腹へと叩きつけた。

 堅牢な鎧に阻まれるものの、衝撃を伝播する確かな手応えがあった。それを証明するように、セイバーは顔を苦悶に歪めて後ずさる。

 

「……っ、貴方は私を出鱈目だと言いましたが、私からしてみれば、十分に貴方も大概だ。そのような力を、一体何処で手に入れたのですか」

 

「そっちが答えなかったんだから、こっちも絶対答えないぞ。おあいこだ」

 

 意趣返しの機会は、随分と早々に訪れた。龍騎は盾と青龍刀を構えたまま、如何にしてセイバーの背に控えるアーチャーを捉えようか思案する。

 

「盾を持ち出された以上、ただの矢では効果が薄い。かといって、別の矢を持ち出して死なれては元も子もない……か」

 

 だが、アーチャーは何故か弓を下ろしていた。そのまま、取り出した時と同じように弓を虚空へと消し去り、龍騎へと歩み寄ってくる。

 鋭く据えられた眼差しに、諦念などは微塵も含まれていない。遂に、アーチャーは距離の優位を捨てて、セイバーの隣まで来てしまった。

 

「お、お前、良いのかよ。アーチャーなんて呼ばれるんだから、弓が得意なんだろ」

 

「なに、一本の剣でお前を直ぐに切り崩せないのなら、もう少しだけ剣を用意してやるべきだろう。……セイバー、前に出てくれ。君に合わせる」

 

「……分かりました」

 

 不穏なやり取りを終えて、不可視の刃が躍り掛かる。身を捩って回避した後に、龍騎は反撃の一刀を振るおうと腕を引く。

 その迅速な動作に、一対の分厚い刃が挟み込まれた。反射的に青龍刀を叩きつける。半円を描く黒と白の軌跡を堰き止める。

 

「そら、私などに呆けている暇があるのか?」

 

「っ———」

 

 口元を微かに吊り上げ、アーチャーが龍騎の横合いを見やる。考えるよりも、驚くよりも先に、盾をそちらへ突き動かしていた。

 水平に振り抜かれた剣の威力に怯みながらも、大きく飛び退く。だが、息を吐く猶予は無い。

 

「———はあぁぁっ!」

 

 大きな踏み込みと共に、空気を引き裂いて肩口へと迫り来る透明な刀身。それが無理矢理に剣戟を再開させる。

 そこに、弓兵から転じて二刀流の剣士となったアーチャーが加わった。仕切り直す時間など一秒たりとも無い。

 絶え間ない剣閃の乱舞を前に、龍騎は回避と防御に比重を傾けざるを得なかった。

 

「ぐっ———うああっ!?」

 

 だが、それにも限界というものが有った。セイバーとアーチャーによる阿吽の呼吸の攻勢は、龍騎の処理能力を越えて、とうとう体勢を叩き崩す。

 そして、逆袈裟の一撃が龍騎の胴を捉え、その身を木っ端のように軽々と弾き飛ばした。

 数秒間の空中浮遊。その後に固い地面が、衝撃を伴って龍騎を猛反発に出迎えて来る。

 

「っ……く、そっ。そっちが、二人掛かりで来るってんなら、俺にも考えがあるぞ」

 

 勢い良く転がりながら右手の盾を手放す。そのまま、龍騎はデッキからカードを引き抜いて起き上がった。

 二人を迎え撃つ為に、手速くカードをバイザーへと差し込む。しかし、彼等からの追撃の気配は無かった。

 

「………?」

 

 一体全体何事か。怪訝を込めた視線で、龍騎は正面のセイバーを、隣のアーチャーを睨み付ける。

 彼らの見開かれた双眸は、一様に全く別の方向を向いていた。その愕然とした面差しに流されて、唐突に沸いてきた違和感に触発されて、視線を横に逸らした瞬間。

 

「———」

 

 周囲の空気が凍てつくような錯覚を、龍騎は覚えた。夜の闇よりも更に深い暗黒が静寂を彩る。

 そこには、真っ黒な影が立って居た。景色を侵食するかの如く、異質な存在感を放ちながら。

 対面のセイバーとアーチャー。遠巻きの士郎と凛。この場に居る誰もが、胸の内の秒針を押し止められたかのように硬直する最中。

 黒い影だけが頻りに揺らめいて、二騎のサーヴァントと龍騎の間に割って入ってくる。

 

「——————」

 

 どちらを向いているのか、どちらも向いているのか。漆黒に塗り潰された相貌からは判別が出来ない。

 だが、何故か龍騎の目には、黒い影の止め処ない揺蕩が、堪え切れない激情を表しているように映った。

 

「———下がれっ、セイバーっ!」

 

 根拠の無い直感を裏付けるかのように、影が一直線に龍騎の対面へと伸ばされる。

 いち早く我を取り戻したアーチャーの怒号が、沈黙を破って響き渡った。

 

 

 

 

○○○

 

 

 

 何の予兆も見せずに、一瞬にして十数メートルの地面が影に覆われた。足を取られてはならないと、二騎のサーヴァント達は後方へ跳躍して難を逃れる。

 だが、相対する黒い影は彼等を逃すまいと、触手のような薄い影を矢継ぎ早に伸ばしていった。

 

「な、なんで、あいつら反撃しないんだよ。触るだけでも不味いのか」

 

 龍騎は半ば呆然としたまま、着実に追い詰められて行くセイバーとアーチャーを傍観する。

 それを戦いと称するには、まかり間違っても言えない。まるで、捕食者と被捕食者の間に生じる追走と逃走だ。

 黒い影は二人の逃げ道を塞ぐために、多数の触腕を枝分かれさせ、網に見立てて変形させて行く。

 

「ど、どうすればいいんだ。あのままじゃ……」

 

 セイバーとアーチャーは、忽ちの内に影に呑み込まれてしまう。敵対関係になったとはいえ、龍騎に彼等を見捨てる事など出来ない。

 がら空きの背後から、黒い影を攻撃するか。バイザーに入ったままのカードを切れば倒せるかもしれない。そう思い、龍騎は左手に嵌めた龍の手甲を見やる。

 

「………………っ」

 

 それは、違う気がした。生物かどうかも定かではない、不可解な形をしているが、あの影はこちらに一切危害を加えていないのだ。

 現れた瞬間からして、自分を庇おうとしているのか。都合のいい憶測が、龍騎に攻撃を躊躇させる。その僅かな逡巡の間に、黒い影は最後の詰めに入った。

 

「やめろっ! そいつらに手を出すなっ!」

 

 数秒先の未来を幻視した龍騎は、思わず影へと駆け寄って声を張り上げる。

 これで止まらなければ、如何に危険だろうが無謀だろうが直接しがみついてやろう。そんな無謀な画策をしながら。

 

「——————」

 

 だが、本当に止まった。これまでの勢いが嘘のように。黒一面に地表を遮断していた影が、潮引きの如き様相で本体へと収縮してゆく。

 そのまま、黒い影は身を翻して龍騎を見つめてくる。無貌であるが故に、見ているかは定かでは無いが。

 

「お、おお……。初めてかも、俺の言う事聞いてくれた奴」

 

 ライダーバトルを経てからでは考えられない。対峙した者たちの中で、自分の制止に聞く耳を持つ者は誰一人として居なかったというのに。

 言葉が通じるかも怪しい相手だったが、諦めないで良かった。龍騎は感慨深い思いで胸が一杯になる。

 

「———戯け! 次の標的がお前に変わっただけだ!」

 

 しかし、その思いも長くは続かなかった。アーチャーの警告と同時に、黒い影の本体が目前まで迫り来る。

 出来の悪い頭は狼狽しながらも、警戒を解かずにいた身体は危機の回避を選択した。

 横っ飛びで黒い影を躱し、龍騎は転がって受け身を取る。振り向きざまに触腕が突き出された。

 

「………………?」

 

 たった、二本だけ。先端から五つに浅く縦裂した二つのそれは、見方によっては人の手を彷彿とさせる。故に、逃れるのは容易だった。

 

「……なんで、急に動き鈍くなってんだ」

 

 何故か、影は殆ど伸びて来ない。黒い影自身が、態々龍騎へと這い寄って来るのみ。

 サーヴァントたちを追い詰めた先程迄の攻勢は、既に途絶えてしまった鈍間な追従。

 緩慢と低空を羽ばたく蝶を、素手で傷付けずに捕まえるかのような。そんな悠長さを感じた。

 

「あのような手合いに、加減の物差しなどあり得るのか……。だとしても……」

 

 この手の類と対峙した経験があるのか、喫驚したアーチャーの呟きが耳に入る。

 セイバー共々、龍騎と黒い影の間に手出しは出来ない様子だったが、寧ろそれは僥倖である事に龍騎は気づいた。

 

「…………そうだ」

 

 この影と付き過ぎず離れ過ぎずの距離を維持して、鏡がある場所まで行けば、安全な撤退が可能になるのだ。

 強く地面を蹴り抜いて、龍騎は大振りな触腕の交差を飛び越える。そのまま、遠巻きの二人の隣に降り立った。

 

「なあ。あいつ、俺に夢中みたいで丁度いいし、ちょっと引きつけておくからさ、早くあの二人連れて逃げろよ。……あんたら、あれに触るだけでも不味いんだろ」

 

 保身からの提案だったが、セイバーは異なった解釈をしたようだ。唇を小さく噛んで、苦しげに龍騎を見つめてくる。

 

「リュウキ。何故、貴方はそうまでして……」

 

 自らの願いを阻む邪魔者に心を砕くとは。武器を持つべきでないのは、彼女も同じではないのか。

 胸の内に浮かんだ反論を口の中に含んだまま、龍騎はアーチャーの様子を窺う。背中を射抜かれては意味が無い。

 

「……取るに足らん目的の次は、烏滸がましい自己犠牲か。見下げ果てた精神だな」

 

 口を開けば、当たり前のように皮肉が飛んでくる。だが、龍騎は平坦な心持ちで、淡々と視線を戻した。

 戦闘を続行する意思の有無。それだけを把握出来れば、問題ない。そのまま、前方の影を注視する。

 

「別に、こんなとこで犠牲になるつもりなんか無いよ。……一回死んだくらいじゃ受け入れられない事が有るってのは、まあ認めるけどっ!」

 

 去り際に否定と肯定を言い残し、この場から脱兎の如く逃走。龍騎の狙い通りに、黒い影は覚束ない動作で後に続いて来た。

 

「ほら、こっちだこっち。急がないと置いてくぞ! 早くついてこい!」

 

 諦めぬように、標的を移さぬように。絶えず声を掛けて気を引く。

 声を掛ける度に、執念じみた意思が増してゆく気配を背中に受けながら、龍騎は公園を後にした。

 

 

 

 

○○○

 

 

 

 様々な物音で満ち溢れていた昼間の光景が、白昼夢だったかのように静寂とした新都の大通り。その道を行く者は、龍騎と黒い影のみ。

 足に力を込め、塀の壁を蹴り登って飛び跳ねる。伸ばされた触腕は、何処も掠らずに空を切った。

 黒い影は依然として距離を縮める事が出来ずに、龍騎の背後に追い縋る。この有様では、捕まる可能性など万に一つも無い。

 

「———、———」

 

 路地を右に曲がって、龍騎は突き当たりのアンティーク店へと真っ直ぐ駆け寄る。後を追う影を突き離して。

 目当ての代物はショーウィンドウの中身ではなく、ショーウィンドウそのものだ。一面に貼られたガラスが、誘うようにして龍騎の姿を反射していた。

 

「………………」

 

 もう既に、それなり以上の距離と時間は稼いだ。撤退の頃合いだろう。

 龍騎の思考を汲み取ったのか、黒い影が目に見えた狼狽を示して追い掛けて来る。首だけを回して後ろを向いた。

 

「お前が、一体何なのかは分からないけど、お前のお陰で結構簡単に逃げられたよ」

 

 ミラーモンスターやサーヴァント以上に、龍騎の理解の範疇から外れた存在だったが、結果的に助けられた。

 セイバー達に見せた苛烈な凶暴性も、一切感じられない。随分と大人しいものだった。逃げている最中も、カードを使う必要すら無かったのだから。

 

「……じゃあな」

 

「———」

 

 黒い影へと手短な別れの挨拶を告げて、龍騎はショーウィンドウ越しの安全圏に飛び込む。

 鏡の中の世界は、現実の世界と同様に静寂に浸し尽くされていた。自らの発する呼吸だけが、唯一の音源だ。

 

「家、どっちだったっけ。結構適当に逃げてたからなぁ……」

 

 左右が反転した空間では、土地勘も上手く働かない。どこかに目立つ物が有れば。そう思いながら、龍騎は家路を探そうと歩き出した。

 

「……うん?」

 

 しかし、右手だけが前進を拒絶するかのように、後ろ手に吊り上がった。何事かと振り返り、龍騎は呑気にそちらを見やる。

 

「っ———!」

 

 右手を覆う違和感の元凶を知覚した途端。家への帰り道の心配は、己の身の安全への心配に成り代わった。

 手首から肘にかけて、幾重にも巻かれた真っ黒な帯。その帯の先に、ショーウィンドウから半身を透過させる黒い影が居た。

 

「う、嘘だろっ!? なんでお前までこっち来れんだよ……っ!?」

 

 この世界を行き交う者など、自分以外にはあり得ない。唐突に降りかかった理不尽に、龍騎は抗議を喚き立てる。

 だが、そんなものが聞き入れられる筈もなく、身体は黒い影へと引き寄せられて行った。

 途轍も無い引力に両足を踏ん張って抵抗するが、焼け石に水だ。少しずつ、確実に彼我の距離が縮まる。

 それに付随して、実体の存在しない何かが此処ではない何処かに接続される感覚が、龍騎を激しく苛む。

 

「———、———、———」

 

「意味、分かんねぇ……っ」

 

 瞳の中にある照明の電源が、断続的に連打されるかのように。視界が止め処無く明滅を繰り返す。

 置いてかないで、こっちに来て、一人にしないで。龍騎の頭蓋を直に揺さぶる、嗚咽混じりの少女の声音。

 幻聴などではない悲痛な嘆願は、龍騎から踏み堪えようとする気概を削いでゆく。

 

「………………!」

 

 間近まで迫る捕縛者。熱い抱擁の予備動作のように、影が大きく広げられる。

 露わになった深淵の奥底。現実世界でも、この鏡の世界でも無い、もう一つの未知の世界。虚ろな光景の中に、龍騎はそれを垣間見た。




龍騎のピンチに駆けつけたのは、ドラグレッダーではなく黒いタコさんウィンナーでした。ピンチに更なるピンチを重ねてたら世話無いですけども。
忘れていたり読んでいないだけかもしれませんが、他のFateの二次創作では殆ど見かけない気がしますね。

感想、アドバイス、お待ちしております。


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第30話「龍騎士の記憶」

 息が苦しい。酸素を取り込もうと、身体が空気を求め口を開く。だが、肺や胃袋に流れ込んで来るのは重たい水のみ。

 それでも、本能には抗えなかった。水を空気の代わりに吸えば吸うほど、身体も重さを増して沈んで行く。

 やがて、宙に浮いたままの足の裏が地面を捉えた。そこは、真っ暗な深海の底のようだった。

 内側から破裂しそうな胸の苦しさを堪え、自身の重さと水圧に軋んだ身体を両脚で支え。一寸先も見えない、凍てついた悪夢の中を彷徨う。

 

「———」

 

 歩き始めてから、どれだけの時間が過ぎたか。この場所に出口はあるのか。不安と諦観に足を止めた瞬間。

 微かな、本当に微かな熱を皮膚が感じ取った。弾かれるように、俯いた顔を上げる。

 

「———」

 

 暗闇の彼方に小さく煌めく何か。熱源と光源の性質を併せ持つそれは、まるで深海に迷い込んだ太陽だった。

 温かい方へ、明るい方へ。冷たく暗い水を掻き分けて闇雲に走り続ける。あの光が、この悪夢から解放してくれる存在なのだと信じて。

 

「——————」

 

 しかし、漸く近くまで辿り着いた先には、その光を攻撃する忌々しい蠅が二匹も居た。

 絶対に守らなければ。その為には、あの羽虫たちを捕まえて潰してしまう必要がある。

都合の良い事に、手足や指先を上手く使い分ければ、追い詰めるのは容易だった。

 

「——————」

 

 だが、寸前のところで、背後の光がこちらの気を引くように瞬く。確かに、このような虫を潰しても悪夢から醒める訳ではない。

 身を翻し、そちらへと歩み寄って触れようとするが、綺麗に躱されてしまった。誘われるように、後を追おうと駆け出す。

 

「———、———」

 

 どれだけ、どれだけの距離を追い縋ったのか。幾度と無く伸ばした手は、背中に届きそうで届かない。

 無理をして進み続けたからか、溺れそうな苦しみが無視できなくなる。駆ける足も、それに伴い緩慢となってゆく。

 こちらの限界を知ってか知らずか、前方の光が急速に遠退き始めた。その先には、この深海の底さえも抉り取るかのような、途方も無い隔たりがある。

 

「———」

 

 じゃあな。突き放すような別れの言葉が聞こえた気がした。狼狽に塗れた足取りで追い掛けるものの、光はその隔たりを難なく越えて行ってしまう。

 嫌だ、絶対に嫌だ。温もりや明るさの心地良さを知ってしまったのだ。それを喪うなど、何があっても受け入れられない。

 

「———、———、———」

 

 自分を此処で一人にするというのならば、この悪夢が醒めなくても良い。もう一度、此処まで引きずり込んで、もう二度と離さない。

 止め処無い欲望と絶望が、胸の中で溶けて混ざり合う。声にならぬ嘆願を叫び、隔たりの向こうの光へと飛び込む。そして、衝動のままに手を目一杯突き出した。

 

 

 

 

○○○

 

 

 

【SWORD VENT】

 

「…………?」

 

 何処かで聞き覚えのある機械音声が、暗闇の最中にあった意識を覚醒させた。

 閉じていた瞼を開けて、桜は周囲を見回す。そこは、看板や標識が左右に反転した不思議な場所だった。

 それだけではない。人々が行き交う筈の街の往来が、夜でもないというのに無人なのだ。

 動く者たちの気配を感じ、桜の意識は自然にそちらへと向けられる。その先では、龍の仮面の騎士……龍騎と蜘蛛の怪物が睨み合って対峙していた。

 

 ———はあぁっ!

 

 怪物の胸部から射出された棘を、機敏な体捌きと青龍刀によって難なく弾き返し、龍騎は蜘蛛の前足へと飛び乗る。そして、胸部にある三つの赤い結晶を切り砕く。

 

【FINAL VENT】

 

 怪物の腕に押し出されながらも、武器を左手に持ち替え、必殺の切り札を切る。

 固有の構えを取り、精神統一を果たした龍騎は周縁を舞う赤き龍と共に跳躍した。

 

 ———だああぁぁっ!!

 

 龍の口から放たれた火炎の奔流を背に受け、龍騎が蜘蛛の怪物へと繰り出す蹴撃。

 必殺の名に相応しい一撃は、絶大な威力を以って怪物を跡形も無く爆散させた。

 これまでに桜が目にして来た戦闘に違わぬ強さだ。思わず、その雄姿に見入ってしまう。

 すると、蝙蝠の仮面の騎士が龍騎の背後からやってきた。類似的な姿形からして、彼の仲間なのか。

 

 ———龍騎か。……今のうちに潰しておいた方が良さそうだな。

 

 だが、桜の予想を裏切るかのように、蝙蝠の騎士は龍騎の頬を殴りつけた。続け様に剣を振るい、容赦無く斬り掛かる。

 蝙蝠の騎士は敵だった。ならば、自衛の為にも龍騎は反撃をするのだろう。あの時の夜のように。

 龍騎は青龍刀を構え直し、蝙蝠の騎士へと突進する。その動作は、どこか拙いものが含まれていた。勢い任せのままに、龍騎は刃を大きく振り下ろす。

 

【TRICK VENT】

 

 対して、蝙蝠の騎士は分身のカードを駆使して刃を躱し、周囲を囲んで龍騎を翻弄した。背後の死角から、着実に攻撃を与えてゆく。

 そして、横合いからの跳び蹴りで顔面を蹴飛ばし、龍騎を円柱に強く叩きつけた。

 

【SWORD VENT】

 

 目を逸らしたくなる程の一方的な戦いは続いた。蝙蝠の騎士が召喚した突撃槍と青龍刀が打ちつけ合って拮抗する。

 しかし、龍騎の得物が槍の先端に打ち上げられた。驚愕の声に伴って、龍騎の視線も上がる。数秒の間隙に、痛烈な一撃が見舞われた。

 

「なんで、本気出さないの……?」

 

 桜が無意識に呟いた言葉は、龍騎には届かずに霧散する。顔を殴り抜かれ、腹を蹴り抜かれ。

 遂に、桜を守ったヒーローは地面に倒れ伏し、蝙蝠の騎士に足蹴にされた。

 ライダーとの戦いでも、幾多の竜牙兵との戦いでも。つい先ほどまでの、蜘蛛の怪物との戦いですら見せなかった不自然な弱さに、桜は困惑する。

 

 ———なんでだよ……っ。

 

 桜の心境を反映するかのように、龍騎は苦しげな呻き声を漏らした。口を閉ざしたまま、蝙蝠の騎士は足蹴を解かずにカードを引き抜く。

 とどめを刺そうとしているのは、火を見るよりも明らかだった。傍観者である桜に、蝙蝠の騎士を止める術は無い。

 

「……!」

 

 だが、カードがバイザーに差し込まれる寸前。桜の周囲の光景は突如として不明瞭になった。まるで、テレビのスノーノイズのように。

 

 ———やめろ! 俺は戦うつもりなんか無い!

 

 やがて、龍騎の必死な呼び掛けと共に、景色を覆うノイズが晴れてゆく。戦いの場面を寂れた廃工場に移しながら。

 対峙する相手も、蟹の仮面の騎士へと姿を変えていた。龍騎は盾を構えて、縦横に振るわれる蟹の騎士の鋏を唯々防ぎ続ける。

 

「………………」

 

 そこに、積極的な抗戦の意思は感じられない。まるで、見えない手枷と足枷を何重にも嵌められているかのように、龍騎は一方的に打ちのめされている。

 桜には分からなかった。自らを害する者を退ける力が、彼にはあるというのに、本気の力を仮面の騎士たちに振るわない理由が。

 明確な答えが示されぬまま、戦いの場面は蟹の騎士の最期の場面へと移ってゆく。その末路は、酷く惨たらしいものだった。

 

 ———カードデッキは全部で十三。倒すべきライダーは、あと十一人。…………お前を入れてな!

 

 砕け散った蟹のエンブレムを見やりながら、蝙蝠の騎士が龍騎へと生存の意志を叩きつける。戦わなければ、生き残れないのだと。

 その言葉が、真実である事を示すように。様々な姿形の、様々な思惑を持った仮面の騎士たちが、龍騎の前に立ちはだかった。

 

 ———お前たちの望み通り、もう二度と会う事は無い。

 

 馬鹿げた数の砲門から放たれる弾丸と光線の一斉射撃。雄牛の騎士が齎した爆発に次ぐ爆発が、あたり一面を焼け爛れた焦土へと変貌させる。

 

 ———ふははははは……っ。こういうもんなんだろう? 違うのか?

 

 聞く者の恐怖を駆り立てる悪辣な哄笑。仕留めた獲物の断末魔や手ごたえの余韻に浸る間もなく、蛇の騎士は次の獲物の品定めをする。

 

「…………っ」

 

 襲いくる仮面の騎士たちの悉くが、龍騎の制止を聞き入れずに戦い続けた。各々が、自らの力を思いの儘に振るい続けた。

 普遍的な倫理など存在し得ない、敵意の坩堝と化した殺し合い。それは、桜が良く知る聖杯戦争に酷似していた。

 

 ———人を守る為にライダーになったんだから、ライダーを守ったっていい!

 

 それでも、どんな危険に傷付く事があっても、龍騎は全力で戦いを拒絶し続ける。どれだけの敵意に曝されても、己の意思を曲げようとしない。

 その後ろ姿を見守る中で、桜は仮面の騎士たちと本気で戦わない理由を見出した。

 

「……あの人は、優しすぎるんだ」

 

 戦いの最中に於いても、人としての良心を失わない。誰よりも優しい強さを龍騎は持っている。

 しかし、その優しい強さは、意思を持つ者との戦いに於いて、致命傷とも呼ぶべき甘い弱さだった。

 桜の推察は場面が進む度に確信へと形を変えてゆく。逃げる事さえも知らない頑なな心は、代償として苦痛を自らの身体に積み重ねてゆく。

 

 ———うわあぁぁ!

 

 また場面が切り替わった。深き群青の鎧を身に纏い、更なる力を得た蝙蝠の騎士が、荒れ狂う暴風を巻き起こす。

 そして、龍騎へと旋風の如き剣戟を浴びせてゆく。歴然とした力の差を前に、龍騎は抵抗虚しく弾き飛ばされた。

 

 ———戦え……。戦え……!

 

 呪詛のように繰り返される呼び掛け。仮面の隙間から見える敵意と殺意に滾った青い双眸は、第三者に過ぎない桜にさえ怖気を走らせる。

 射殺すかのような鋭利な視線を、一身に受けた彼の戦慄はどれだけのものだったのか。桜には計り知れない。

 龍騎は力なく地面に座り込んだまま、緩慢と躙り寄る蝙蝠の騎士の重圧に一瞬だけ俯いた。

 

 ———でも、俺は……。俺は……っ!

 

 それでも、彼は痛む身体に鞭を打って立ち上がる。そして、押し寄せる敵意を跳ね除けるように一枚のカードを引き抜いた。

 そのカードに描かれていたものは、不死鳥を想起させる金色の翼だった。瞬間、龍騎の周囲が灼熱に包まれ、蝙蝠の騎士をも巻き込んで燃え広がる。

 

【■■■■■■■】

 

 燃え盛る炎に前を塞がれ、桜は龍騎の姿を見失ってしまった。留まる事を知らない火炎は、やがて桜の周囲にまで及ぶ。

 しかし、迫り来る熱の奔流は、桜の身体を焦がす事なく、その意識のみを包み込んだ。まるで、この場からの退去を告げるように。

 

 ———俺は、絶対に死ねない。一つでも命を奪ったら、お前はもう後戻り出来無くなる!

 

 ———俺はそれを望んでいる。

 

 最後に交わされた誓いの言葉と決意の言葉。揺らめき滾る烈火と吹き荒び逆巻く疾風が、反転した静謐の世界に、劈くような轟音を響かせて衝突した。

 

 

 

 

○○○

 

 

 

 カーテンの隙間から射し込む朝日が、閉じていた瞼を一点に照らした。眩い光に醒まされた桜の意識は、いの一番に龍騎の姿を幻視する。

 

「…………夢、だったのかな」

 

 瞼を薄く開けて、桜はぼんやりと天井を見つめる。呟いた言葉を心の中で反芻し、小さく首を横に振った。

 あれは、夢と呼んで片付けるには、あまりにも現実的なものだった。過去の記憶と呼ぶ方が相応しいだろう。

 彼が何の為に聖杯戦争に介入するのか。その理由が、後ろ姿を通して分かったのだから。

 

「でも……。どうして、あの人の記憶なんか———」

 

 己のサーヴァントと違い、桜と龍騎の間には何の契約も繋がりも無い筈だ。そう思うと同時に、壁に飾られた絵画の額縁の裏から、何かが落下した。

 

「———ぁ」

 

 それは、桜が幼い頃に出会った、不思議な少女から貰った宝物のスケッチブックだった。

 落ちた拍子に開かれたページには、拙いながらも、特徴的な赤い龍と青い蝙蝠が描かれている。

 布団から這い出てベッドを降り、桜は古ぼけたスケッチブックを手に取って無我夢中でページをめくった。

 

「……偶然、あの龍と似てただけじゃないの」

 

 赤い龍だけではない。クレヨンで描かれた絵のほぼ全てが、龍騎の記憶の中に現れた怪物に酷似していた。

 めくり切ったページを遡り、桜は赤い龍の絵を指でなぞる。どれが一番好きか。そう問われて選んだ時と同じように。

 

「………………」

 

 子どもの頃、桜は毎日のようにこの絵を眺めていた。初めての友達との暖かで幸せな思い出を、冷やかで辛い日々に塗り潰されないように。

 義理の兄という、どこか不思議な少年が長い留学からこの家に帰って来るまでは。

 自分の部屋に間違えて入ってゆく少年が、机の上のスケッチブックに手を伸ばすまでは。

 大事な思い出であるが故に、誰にも知られたくはないのだと。つまらない独占欲が働き、絶対に見つからない場所に隠しておいたのだ。

 

「優衣ちゃん……」

 

 このスケッチブックを桜に手渡した優衣という少女は、鏡の中から現れた赤い龍と関係が有るのか。

 仮面ライダーと呼ばれる者同士の戦いに、優衣は何らかの形で関わっていたのか。それは、龍騎に聞けば全て分かるのかもしれない。

 

「でも、今はとにかく…………?」

 

 答えの無い疑問に区切りをつけて、桜は膝の下に敷かれたままの寝袋を見やる。中身が空っぽのそれは、まるで蛹の抜け殻だった。

 

「っ……。に、兄さんったら、寝袋も片付けないで」

 

 昨晩、無茶な魔術行使の皺寄せで倒れた所を、最後まで付きっ切りで看病されてしまった事を思い出す。

 よく食べて、よく寝るだけで治る程度の体調不良だったが、側に居てくれるだけで心強かった。

 桜は照れ隠しに文句を呟きながら、スケッチブックを一旦机の上に置き、真司が寝ていた寝袋を綺麗に丸める。

 

「ちゃんとお礼、改めて言わなきゃな……」

 

 竜牙兵の襲撃から、桜が龍騎に助けられた直後。それらの不自然な出来事を詮索しないでくれた事も含めてのお礼だ。

 心なしか、普段よりも体調が優れている気さえする。日に日に胸の内を浸してゆく悪感情。それが、今日に限って一切止んでいるからだ。

 自分で思っていたよりも、自分の心は頑丈なのか。これならば、最後まで耐えられるかもしれない。

 欠伸混じりに大きく伸びをして立ち上がり、桜は真司を探そうと部屋を出た。

 

「兄さん……?」

 

 しかし、静まり返った廊下からは人の気配が感じられない。窓の外から聞こえる雀の小刻みな鳴き声が、やけにさざめいて聞こえた。

 妙な胸騒ぎを覚えた桜は、忙しのない足取りで階段を降りるが、それは杞憂に終わる。

 

「……もう、びっくりさせないでください」

 

 真司の姿は、階段を降りて直ぐに見つかった。廊下の道を塞ぐように、床に大の字になって寝そべっている。

 豪快な寝姿とは反対に、その寝顔はやや苦しげだった。冬の廊下は冷えて寒いからだろう。

 

「兄さん。そんなところで寝てたら、昨日の私みたいに風邪ひいちゃいますよ?」

 

「ぬ、う……看病……よろしく、お願いします……」

 

 病み上がりの人間に看病をさせる気なのか。夢現な意識の真司から、そんな素っ頓狂な返事が返ってきた。

 桜としては非常に大歓迎だったが、寒い思いをさせてまでこのような場所に放っておく理由は無い。

 普段通りの声音で、桜は真司に起床を促す。不可解な出来事の連続だったが、彼さえ無事ならば瑣末事だ。

 

「ほら、ちゃんと起きてください。私、昨日の晩御飯がお粥だけだったからお腹空いてるんですよ」

 

「あ、あと五……時間、だけ……。そしたら……朝飯に、しよう」

 

「あと五分だけだったら考えましたけど……。そんなに寝たらお昼御飯になっちゃいますって」

 

 時間の単位を一つ間違えている。流石に、そこまでの寝坊は許してやるものか。

 桜は床にへばり付いた両手をがっしりと掴み上げ、ゆっくりと起き上がらせる。そのまま、こちらの誘導に従順な真司をリビングまで牽引した。

 

「……今からすぐ朝御飯の支度しますから、それまでにしっかり起きててくださいね?」

 

「はーい……」

 

 今ひとつ呂律が回っておらず、頼りない返事を背に受け、桜はキッチンへと向かう。

 知らず識らずのうちに安心していたからだろうか。桜は気づけなかった。

 緩慢と左右に振られる真司の右手。その袖口から僅かに覗く、痛々しい痣の痕に。




ある意味で、桜と見る仮面ライダー龍騎。的な感じの話になりましたね。継続して視聴する機会が桜にあるのかは、今後の展開次第になりますが。
34話の龍騎の強化フォームお披露目の場面は、五指に入るぐらい展開が物理的にも熱くて大好きです。

感想、アドバイス、お待ちしております。


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第31話『姉弟の邂逅』

 車庫のシャッターを下から押し上げ、手前に駐車された原付へと真司は跨る。目的地は深山の商店街。

 昨日は骸骨たちの襲撃の所為で、帰り掛けに食材を買いに行く暇がなかった。それに加え、今朝は桜がよく食べたので、冷蔵庫の中は殆ど空っぽなのだ。

 だが、鍵を回してハンドルを握ろうとした瞬間。氷を直に当てられたような錯覚が、真司の右手を駆け巡った。

 違和感に顔を顰めた真司は、手袋を外した後に右腕の袖を捲り上げ、まじまじと素肌を見つめる。

 

「うっわぁ、やっぱりすんげー痣だな。痕残ったりとかしないよな、これ……?」

 

 手首から肘にかけてを覆う、痛々しい赤色に変色した痣。それは、昨夜の黒い影が真司を捉えた際に生じたものだった。

 深い執念を感じさせるその名残りに、薄ら寒い怖気を禁じ得なかった。捲った袖を元に戻して、真司は原付を発進させる。

 

「………………」

 

 黒い影の触腕に右手から引きずられ、呑み込まれる寸前。真司はバイザーの中のアドベントを無理矢理にでも切ろうとした。

 しかし、ドラグレッダーを召喚するまでも無く、黒い影は唐突に動きを止めたのだ。

 緩んだ拘束を力づくで引き剥がし、真司は家へと脇目も振らずに逃げ帰って来た。

 今朝まで廊下で寝ていたのは、精根尽き果てて部屋にまで戻る体力が無かったからである。

 

「っとと、通り過ぎるっての」

 

 昨夜の不可解な出来事を思い出している内に、商店街まで着いてしまった。

 原付の速度を落とし下車をして、ヘルメットをバックミラーに引っ掛けた後に、そのまま押して入ってゆく。

 平日の昼前の時間帯だからか、道行く人はほどほどに疎らだった。顔見知りの人々と、すれ違い様に挨拶を交わしながら、真司は昼食と夕食の献立を並列で組み立てる。

 

「そういえば、最後に来たのいつだっけ。……結構久々に感じるなぁ」

 

 一週間のうちの何度か、真司が足繁く通っている馴染みの商店街。此処は何も変わらず穏やかだ。

 確か、最後に来たのは東京へ行くと決めた前日だったか。此処が次の瞬間には戦場になっている可能性があるなどと、その時の真司は考えもしなかった。

 

「———うげっ」

 

 だが、その日常的な景色は、道を曲がって十数メートル先の非日常的な存在によって上塗りされた。

 進んできた足跡をもう一度踏み直し、真司は後ろも確認せずに後退して建物の陰に隠れる。

 そして、原付を一旦道の脇に停め、顔の半分を陰から出して向こう側を覗き込んだ。

 

「なんで、よりにもよってあいつらが居るんだよ……。通れないじゃん……」

 

 目当てとするスーパーまでの道のり。その道を阻むように姿を見せたのは、昨夜に刃を交えた敵対者たち。

 もとい、士郎とセイバーだ。両手に買い物袋を下げた士郎は、真司と同様に食材の買い出し。セイバーは彼の身辺警護といったところか。

 無事に生還出来たようで一安心しながらも、如何に上手く彼等をやり過ごすか。真司は迅速に思案する。

 下手に会話を交えて、こちらの正体を看破される事態になったら。明確に敵対した以上、それは非常に拙い。

 

「せめて士郎だけなら、まだなんとかなるってのに……」

 

「そうよ……。あいつさえ居なきゃ、お兄ちゃんとお話できるかもしれないのに……。わざわざ何度も来てあげてるのに、どうして一人で出歩かないの……」

 

 鈴を転がすような幼い声が、思いもよらぬ方向から聞こえてきた。真司は咄嗟に気づかずに適当な相槌を返す。

 

「そうだなぁ……。セイバーちゃんって、ああ見えて結構頑固だからなぁ。勘も鋭そうだし、士郎を一人で出歩かせるのは………うん?」

 

 だが、若干の間を置いてから、ようやく違和感を覚えた。生じた疑念を払拭すべく振り返る。

 先ほど、路傍に停めておいた原付。そのシートの上に、横座りになって休憩している少女が居た。

 鳥が羽休めする為の止まり木か何かか。そう思いながらも、真司は少女の風貌に既視感を覚える。

 

「ああっ……っ!」

 

 紫紺の装束に銀色の長髪と赤い瞳。忘れもしない。あの巌の巨人の主だ。

 無意識に口から飛び出た狼狽を手で塞ぎ、真司は警戒の念を込めて少女を正面に見据える。

 しかし、少女が身に纏う雰囲気と退屈げに俯いた相貌は、あの日の夜と違って何の脅威も感じない。見た目相応、年相応だ。

 

「ねえ、貴方って今覗いて見てたお兄ちゃんの知り合いなの?」

 

「えっ…………うん、あいつとは友達だよ」

 

 何故、彼女がこの商店街に居るのか。停めたままの原付に座られているのか。自分が話しかけられているのか。

 羅列された不可解によって、真司の頭の中の処理機能は堰き止められた。ただ単純に、投げ掛けられた質問を受け止め、肯定を投げ返す。

 

「ふーん、その割にさっきの貴方は避けてるみたいだったけど。……上辺だけの友達ってやつ?」

 

「い、いやいやいや、全然違うって。上辺だけだったら十年近くも友達やってないっての」

 

「十年、近く……」

 

 両手の指を全て立てて、真司は十年という数字を少女へと強調する。最早、大親友と呼んでも差し支えは無いのだ。

 すると、動揺したような素振りを暫しの間だけ見せ、少女は原付のシートから降りた。

 

「…………」

 

 そのまま、少女は真司に向き合うが、二の句を継がずに黙り込んでしまう。僅かに細められた赤い瞳だけが、微かな妬みを物語っていた。

 何か、気に触る事を言ってしまったか。そもそも、何の用事で彼女はこの商店街に赴いたのか。

 

「………あっ」

 

 少女との間の空気が完全に停滞し始めた頃合い。真司は頭の中の片隅に追いやっていた現状を思い出した。

 この場で立ち往生しては挟まれるかもしれない。断りを入れて、一旦ここから離れるべきだ。

 

「と、取り敢えず、俺これから用事あるからさ。もう行くね」

 

 次の瞬間、癇癪を起こした少女の命令によって、猛り狂った巨人が空から降下し、この身を踏み砕く。

 かもしれない。戦々恐々としながらも原付へと歩み寄り、真司はハンドルへと手を伸ばした。

 

「もう遅いと思うよ……ほら」

 

「……………?」

 

 だが、少女の指先が指し示す方向に誘導され、真司は身を翻す。翡翠色と琥珀色。計四つの瞳と、視線がこれ以上になく正面衝突した。

 そして、真司の脇から少女が顔を出し始める。最早、玉突きめいた連鎖衝突の様相だった。

 

「また会えたね。お兄ちゃん」

 

「き、君は、なんでここに。っていうか、なんで慎二と一緒に居るんだ」

 

 士郎だけに向けられた天真爛漫な笑顔と弾むような声音。少女のそれには、様々な感情が見え隠れしていた。

 少女への言葉とは別に、士郎の視線は真司へと困惑を向けている。思惑通りに嵌められたのか。そこまで考え至ったところで、状況は何も変わらない。

 

「イリヤスフィール」

 

 瞬く間に、剣呑な雰囲気がセイバーを起点にして立ち込めた。上手い具合に真司を挟んで。

 彼女の立ち位置からは視認出来ないが、イリヤスフィールと呼ばれた少女は、しっかりと真司のジャンパーの背を握り締めている。

 人質と言わんばかりに。そのため、逃げられない。

 

「あ、あのさ。なんだか状況がよくわかんないけど、士郎とセイバーちゃんはこの子と知り合いなんでしょ? こんな寒い外で立ち話もあれだし……」

 

 死なば諸共。そんな決意を胸に抱きながら、真司は彼らの関係など知らぬ存ぜぬ素振りでとある方向を見やる。そこには、こじんまりとした甘味処があった。

 

 

 

 

○○○

 

 

 

 真司の提案は、その場に居合わせた全員の合意を得た。商店街の中での殺し合いの勃発は、先延ばしであろうと避けられたのだ。

 逃げ場の無い奥の席に追いやられながら、真司は店内の窓ガラスに映り込むドラグレッダーへ目配せをする。お前の出番は訪れないのだと。

 

「………………」

 

 茶碗に入れられた抹茶に口を付け、真司は精神の安定を図る。だが、緊張に乾いた舌は、抹茶に含まれた旨味を素通りして苦味だけを敏感に感じ取った。

 現状に対する認識を切って貼ったように、苦渋を浮かべた後に甘い餡蜜で味覚をリセットする。

 小ぶりなお椀の上に盛り付けられた統一性の無い具材たちは、この状況を如実に表現しているのではないか。

 

「エミヤシロ? 不思議な発音するんだね」

 

「違う! それじゃあ笑み社だ」

 

 敵同士であるというのに、愉快な自己紹介を交わしている笑み社、改め士郎とイリヤスフィール、改めイリヤ。

 部外者を装っている真司に、それを指摘する事は出来ない。セイバーはどうだろうか。下げていた視線を、恐る恐る正面に上げる。

 

「………………」

 

 不服な表情は依然として変わらない。だが、遭遇した直後の威圧的な気配は、鳴りを潜めていた。

 いつかの夜、不覚を取った相手の主人といえど、年端もいかない子どもの上機嫌な様子に毒気を抜かれたのか。

 今現在も、手を止めずに頬張っている白玉ぜんざいが、予想以上に美味しかったのか。

 

「……ねえ、貴方の名前も教えてくれない?」

 

「うん?」

 

 セイバーの内心について、苦い抹茶をちびちびと飲みながら思案していると、隣のイリヤに名前を尋ねられた。

 自分の事など、既に興味を無くしたのだと思っていた真司は、やや驚きながらも名を名乗る。間桐(・・)慎二、と。

 

「……やっぱり。なんとなく察してはいたけれど、マキリ(・・・)は本当に零落したんだ」

 

「マ、キリ……? 確かに漢字じゃそうとも読めるけど。なんか、どっかの民族の刃物みたいなかっこいい名前だな」

 

 名前に対する反応にしては、イリヤの言葉には些か不可思議なものが込められていた。

 首を小さく傾げるものの、理解し難い言動は今に始まった事ではない。そういうお国柄で育った少女なのだろう。

 そう思った真司はイリヤを追及せずに、餡蜜のバニラアイスへとスプーンを差し込んで口にする。

 舌の上で溶けてゆく、冷たくも甘い食感。それは実に真司好みであった。

 

  「…………うん、分からないならいいわ。それより、シンジは十年もお兄ちゃんと友達やってるんでしょ。だったら、色々面白かった出来事とか沢山あるんだよね?」

 

 名前を教えてから、やけに念の篭った視線を放っていたが、イリヤは何かに納得したようだ。小さく頷いてから、真司も話の輪に入れようとしてくる。

 丁度いい機会だ。如何に士郎が真面目でいい奴なのか、殺意など削がれるぐらいイリヤに語ってやろう。少し恥ずかしいかもしれないが、友人の命には替えられない。

 打算的な思いを胸に、真司は頭の中で個人的思い出ランキングを組み立てながら返事をする。

 

「そりゃあ両手の指じゃ足りないぐらいあるさ。そうだなぁ……。イリヤちゃんに分かりやすいように、先ずはどういう風に知り合ったのか教えてあげようか」

 

「あんまり出鱈目な事とか言うなよ、慎二。変な奴だって勘違いされたら困るからな」

 

 あれは残暑が続く始業式の日の放課後だった。士郎の念押しを軽く聞き流しながら、真司は意気揚々と語り始める。

 山登りに虫捕り、海水浴に魚釣り。近所の子どもたちと一緒になって、思いつく限りのごっこ遊びの網羅。そんな日常的な事から。

 慢性的なストレスを発散させようと、自転車だけでどこまで行けるか二人で無謀な挑戦をした結果。

 急勾配の上り坂の連続で体力を使い果たして迷子に。そんな馬鹿げた事まで。

 

「お、お前なぁ。それは全部出鱈目じゃないけど、後のやつはここで持ち出すことじゃないだろ」

 

「いやいや、士郎だってあの時はノリノリだったじゃんか。冬木の方から見える海とは反対側の海目指すぞーって」

 

 途方に暮れた末に辿り着いた町外れの並木道。その端に置かれた自販機で買ったメロンソーダが、五臓六腑に染み渡るとも言っていた。真司はそう付け足す。

 

「あれを残り少ない小銭で買った所為で、公衆電話使えなくなったもんなぁ……」

 

「っ……っっ……」

 

「セイバー、お前まで……」

 

 すると、店に入って以降黙り込んでいたセイバーが、唐突にスプーンの手を止めて口元を押さえ始めた。

 途切れ途切れに漏れる声や小刻みに震える肩からして、明らかに彼女は笑いを堪えていた。

 敵の前であるが故に自重をしたかったようだが、殆ど意味を成していない。

 

「ねえねえシンジ、もっと他には無いの? 変なお兄ちゃんの変なお話!」

 

 真司の話の続きを、イリヤは爛々と目を輝かせてねだる。士郎は完全に変な奴と認定されたらしい。

 それからも、どこか拗ねた士郎の相槌に頷き、話に加わったセイバーの相槌にそっぽを向く。

 突飛ではあるものの、他に類を見ない珍しい話などではない。しかし、イリヤは話をする度に頬を綻ばせていた。

 

「お兄ちゃんは、とっても元気な子どもだったんだね。私とは全然違うなぁ」

 

「ここ数年ちょっと前からの士郎は、専ら人助けに偏ってるけどな。すっかり付き合い悪くなっちゃってさ……。俺が逆に付き合ってる感じだから、そこまで退屈はしてないけど」

 

「無茶言うなよ……」

 

 性分なのだから。言葉にせずとも、視線だけで士郎の言いたい事が真司には見て取れる。

 士郎は初めて会った頃から正義の味方に憧れていた。男の子ならば誰もが抱く当たり前の夢なのだが、士郎のそれは周りと少し違っていた。

 実際に困っている人を助けようと、飽きもせず懲りもせずに駆けずり回っていたのだ。その夢へと近付く為に。

 

「……人助け、かあ。私のお父さんも、世界を平和にするって言って家を出て、ずっと待ってても結局帰って来なかったな」

 

 だから、待ちきれなくなってこっちから探しに来たの。士郎の話を聞いたイリヤは冗談めかしてそう言い、冷めかけた和紅茶を飲み干す。

 付き合いが悪くなる以前の話だろう。独り身ならばともかく、家族を捨ててまで己の夢を追うなど。世界平和。それ自体は尊い夢ではあると思うが。

 規模は違えど、似たような話を知っているからか、真司にはその人物を悪く言う事は出来なかった。

 

「そりゃあ、なんとも言えないね……。でも、仮にも父親だってんなら、見渡せもしない世界の平和よりも側に居る家族の平和を優先すればいいのに」

 

「でしょでしょ? とっても狡い人で、でも、とっても優しい人だったんだ。……もしかしたら今でも、土下座して謝れば許してあげるかもしれないけど」

 

「………………」

 

 仄暗い感情が混在した声音に、翡翠の瞳が僅かに見開かれた。一連の言葉に深い得心を示すように呼吸が乱れる。

 しかし、イリヤに何を言う訳でも無く、セイバーの視線は所在無げに落ちてゆく。

 

「ねえ、シロウ」

 

「……どうした、イリヤ?」

 

「シロウはどうして人助けなんかするようになったの? いろんな面白そうな事、自分からほっぽり出そうとしちゃってまで」

 

「それは」

 

 自らの父親と士郎に重なる物を感じたのか、イリヤは真剣味を帯びた面持ちで問い掛ける。

 それに対して、士郎は口を開きかけるものの、返事を返さない。必死に答えを探そうとしているのは伝わったが、相応しい言葉が見つからないらしい。

 

「「………………」」

 

 そのまま、二人の会話は不自然な途切れ方をしてしまった。不穏な雲行きを察知した真司は、すかさず話題をすり替えようと試みる。

 

「亡くなった親父さんの影響で。ってだけじゃ無いもんな。あの人も……切嗣さんも、近所の人たちに結構頼りにされてて、知る人ぞ知る近所の味方みたいな存在だったんだけど」

 

「キリ、ツグ……。その、シンジは会ったことあるんだ。わ……シロウのお父さんに」

 

「う、うん……?」

 

 切嗣。その名前を真司が出した途端、イリヤは異様な食い付きを見せた。

 横合いから向けられた赤い眼差しに追いやられ、真司の身体の重心が壁側に傾く。

 興味の範疇を超えたイリヤの執心は、切嗣という人物について根掘り葉掘りに口述させた。

 

 

 

 

○○○

 

 

 

「ありがとね。沢山面白い話聞かせてくれて」

 

 大きく手を振って帰ってゆくイリヤを、士郎とセイバーの三人で見送る。ようやく台風の目は過ぎ去って行った。

 

「慎二、本当に良いのか? 家で飯食べてかなくって。桜も一緒に来たって足りそうなぐらい買い込んでるし」

 

 限界にまで膨らんだ二つの買い物袋を、軽々と持ち上げて見せびらかしながら、士郎は昼食の誘いをかけてくる。

 付いて行くだけで勝手に飯が出てくるのは、疲れ気味な真司としてはありがたかった。

 しかし、聖杯戦争が続く現状で、敵対者が居る現状で、衛宮邸に上がり込むのは憚れた。首を横に振って断りの意を示す。

 

「いや、今日はやめとくよ。桜ちゃんが風邪ひいて病み上がりでさ。あんまり一人にさせたくないっていうか……」

 

「そうか、なら仕方ないか」

 

 桜の容体を断る理由にしてしまったのが非常に申し訳ない。申し訳ないと思いながらも、真司の足はその場からの退散を開始する。

 

「……ほんっと、さっきはどうなるかと思ったなぁ。どうして丁度鉢合わせるんだよ。しかも、おっかない子が一人追加でさ」

 

 二人と別れた後に、真司は原付を押して今度こそスーパーへと向かう。

 腕時計の針が指す時刻は正午。思った以上に時間を取られてしまった事に気付き、歩調を早めた。

 そうして、ようやく本来の目的地へと辿り着き、駐輪場に原付を停めてから自動ドアを通り過ぎる。

 

「確かこれと、これと、これと……。あーもう適当でいっか」

 

 最初の道中に組み上がりかけた献立など、先程の出来事で吹き飛んだ。もう一度考える事を怠けた真司は、目に付いた無難な食材をカゴに放り込んでゆく。

 所要時間の短縮に努めた結果、真司は五分以内で買い物と会計を済ませた。

 店を出る片手間で帰宅のメールを桜に送り、買い物袋を原付の後部に増設したリアケースに詰め込む。後は帰るだけだった。

 

「…………うん?」

 

 だが、真司の手がハンドルに触れる直前。爆竹のような弾ける音が背後で発せられる。

 反射的に真司が振り返ると、小さなか細い煙がアスファルトから立ち上っていた。

 煙の発生源は蚊のような虫の死骸からだ。やがて、燻された死骸は灰となって散り散りになってしまう。

 

「さっさと帰ろ……」

 

 季節外れな羽虫の死骸に、真司は首筋を刺されるような不快な錯覚を覚える。防衛本能の赴くままに、足早となってその場を離れていった。

 

 ———あと一歩のところだったか……。忌々しい怪物めが、幾度と無く儂の邪魔をしおって。

 

 燦々と降り注ぐ光から、日中である外界から隔絶された暗い洞穴。

 その闇の中で、臓硯という名を持つ一匹の矮小な蟲が、意味の無い呪詛を呟く。

 蟲蔵の中に貯蔵された蟲たちは、一匹も残さずに焼き尽くされた。鏡面より現れた赤い龍によって。辛うじて難を逃れた外の蟲も、徐々にその数を減らしている。

 

 ———だが、これ以上の試行はこちらの身が危うい……。

 

 出来損ないの孫息子を人質に、桜とそのサーヴァントを操る。あの異質な存在が桜の魔術属性と関連しているのならば、それで封じられる。

 しかし、臓硯の計画は、予想を超えた怪物の執念深さによって何度も阻まれた。そして、その執念は此処にまで及び始めている。

 

 ———分の悪い賭けになるやもしれぬが、博打を打つとするかのう。

 

 この身を付け狙う赤い龍。その龍を従える仮面の騎士。そして、昨夜唐突に行動を起こし始めた黒い影。不確定要素は枚挙に暇が無い。

 

 ———幸い、抜け道は残っておる……。

 

 追い詰められた蟲は策謀を巡らせる。鬱屈とした現状を打破するために。己という個を存続させる為に。

 摂理を捻じ曲げてまで生き続ける意味など、永遠の命を求めた理由など、忘れた事すら忘れているというのに。




目に見える大きな危険から、目に見えない小さな危険まで。聖杯戦争が開催中の冬木市は昼夜問わずに命の危険がいっぱいです。
ライダーバトル開催中の東京とかも大概だと思いますが。下手すれば世界滅亡の爆心地になりますし。

感想、アドバイス、お待ちしております。



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