二郎になりました…真君って何? (ネコガミ)
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紀元前2800年代 ~古代中華編~
プロローグ


本日投稿1話目です


紀元前2800年代。

 

中華の地が、黄帝により統一されるより前の時代。

 

道教の最高神である天帝の妹が、楊という男に嫁いで1人の男子を産んだ。

 

その男子は天帝により、長男でありながら『二郎』と名付けられた。

 

そして、二郎がこの中華の地に生を受けて、7年の月日が流れたのだった…。

 

 

 

 

俺は姓を楊(よう)、名を二郎(じろう)、字(あざな)をゼンという。

 

今年7歳の男だ。

 

いきなり何を言うんだと思うかもしれないが、俺は所謂転生者だ。

 

前世ではどこにでもいる普通の日本人だった。

 

西暦2010年代までは間違いなく、日本で生きていた。

 

そんな俺が、何故か中華と呼ばれる地に転生してしまっている。

 

中国じゃないの?

 

俺の記憶が確かなら、転生前に神様に会った覚えはない。

 

もっとも、転生後には神様に何度も会っているけどな。

 

なんでかって?

 

俺の母上と伯父上が神様なんだよ!

 

「二郎、母が参りましたよ。」

「母上、よくぞお越しくださいました。」

 

灌江口という地にある、俺の廓にやってきた母上に、俺は頭を下げる。

 

「二郎、親子なのですから、その様な礼などいりませんよ。」

「うん、ありがとう母上。」

 

口元を抑えてクスクスと笑う母上に、俺は笑顔でそう言う。

 

「それで、今日はどうしたの、母上?」

「兄上…天帝が二郎をお呼びです。急いで支度をしなさい。」

「うん、ちょっと待ってて!」

 

伯父上が呼んでいるのか…急いで支度をしなくちゃ!

 

俺は母上が見ている前で、ドタバタと着替えを始めるのだった。

 

 

 

 

我が子、二郎が慌ただしく着替えている姿が、とても愛しい。

 

二郎は産まれた時から、大変な運気に振り回されてきました。

 

まるで、『世界』が二郎を否定する様に病を背負った小鬼達が、

夜毎に二郎の寝所にやって来て、二郎を病にさせようとしてきました。

 

その為、私は二郎と一緒に住むことが出来ずに、こうして二郎を

専用の廓に住ませないといけない…。

 

そんな二郎を守る為に廓の入口には、常に鍾馗を立たせています。

 

鍾馗は小鬼を食べるので、二郎を守るのに最適な護衛です。

 

しかし、二郎が3つの頃、小鬼を食らう鍾馗を見た二郎が泣き出してしまいました。

 

あの時は兄上に頼んで宝具(パオペイ)を借りようとしましたが、その時に道教の神々が

大慌てになりましたね。

 

あれも我が子を愛するが故の行動。

 

元始天尊も太上老君も騒ぎ過ぎというものです。

 

…コホン。

 

そんな二郎も健やかに育ち、7歳を迎え、いよいよ道士になる時が来ました。

 

二郎がこれから小鬼の存在に煩わされずに、生きていくには必要な事ですが、母としてはもう少し側にいてあげたかったですね…。

母としてはもう少し側にいてあげたかったですね…。

 

「着替え終わったよ、母上!」

 

そう言いながら、小さな身体で胸を張る我が子の姿に、思わず鼻から愛が漏れそうになってしまいます。

 

 

道教の最高神である天帝が兄上、そしてその妹である私の血と、人である夫の血を引く我が子は、人の成長力と神の才を併せ持つ稀有な存在です。

 

 

この愛らしさも当然の事ですね。

 

「では、二郎。参りましょうか。」

「うん!」

 

元気良く返事をする二郎を抱き上げて、兄上の元に向かうために神獣に乗って空を飛ぶと、

二郎がとても楽しそうに大きな声をあげました。

 

「おぉ!?凄い!この犬、何で飛べるの!?」

 

はしゃぐ二郎の姿に、私の鼻の奥が熱くなりますがグッと堪えます。

 

…しばらくは二郎に楽しんでもらうのも、悪くありませんね。

 

私や兄上は神仙ですので、時間は幾らでもあります。

 

少しぐらい兄上を待たせても問題無いでしょう。

 

私の心を察したのか、神獣が飛ぶ速度を遅くしました。

 

素晴らしい…後でこの神獣には名を付けてあげましょう。

 

その後、二郎と私はゆっくりと兄上の所に向かいました。

 

その間に二郎は疲れてしまったのか、私の腕の中で眠ってしまったのでした。

 

二郎…母はあなたの寝姿だけで、後1000年は戦えます!




本日は4話投稿します

次の投稿は9:00の予定です


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第1話

本日投稿2話目です


「よく来たな、二郎。久し振りに会えて嬉しいぞ。」

 

空飛ぶ犬というファンタジー生物に乗ってはしゃいでいたら、

いつの間にか寝てしまっていた。

 

そして、寝ている間に伯父上のいる場所についていたようで、

こうして伯父上と謁見している所だ。

 

伯父上の容姿は整えられた顎髭を生やした、三十代半ばぐらいの黒髪、赤目のイケメンである。

 

「はい。俺も会えて嬉しいです、伯父上。」

「そう固くならんでよいぞ、二郎。お前は我の外甥故な。」

 

そう言いながら、伯父上はニッと笑顔を見せた。

 

「さて、呼び出した理由なのだが。二郎よ、お前には道士になってもらう。」

「道士ですか?」

 

知らない言葉に首を傾げると、伯父上が説明をしてくれた。

 

伯父上の説明を俺なりに解釈していく。

 

道士を簡単に言うと、道教という宗教の信者の事だ。

 

では、道教ってどういう教えなのかというと、『宇宙と人生の真理の探究』となる。

 

宇宙と人生の真理の事は置いておいて、道(タオ)とはなんぞやというと、

始まりと終わりを示すもの…とでも言えばいいのかな?

 

道という字の『首』は始まりを意味するらしい。

 

そして残りの部分が終わりを意味するようだ。

 

そういった事を踏まえて、道教の教えの根幹となる道(タオ)の意味を解釈すると、

命の答えを探究するといった感じになる。

 

うん、哲学的過ぎて俺には意味がわからない。

 

それこそ前世の記憶を頼りにするなら、俺には『悟りを開け』とも聞こえてしまう。

 

正直いって無理難題過ぎるだろうと思うのだが、この道教には救済処置的な考えがあるのだ。

 

それは…『答えが出るまで生き続ければいいじゃん』といった考えだ。

 

そう、道教は不老不死を推奨している宗教なのである。

 

不老不死を推奨しているおかげなのか、中華の地に生きる民には、

道教を信仰する者が多いみたいだ。

 

伯父上の話には続きがあって、道教の修行をしている道士が一定以上の修行を身に付けると、

額に第三の目と呼ばれる紋様が浮かぶ様になって『仙人』と名乗る事が許されるらしい。

 

『仙人』かぁ…俺の記憶だと、忍ばない忍者漫画で見た気がするな。

 

それで伯父上は、毎日の様に俺の寝所に侵入を試みている小鬼に、

自分で対処出来る様になるために『仙人』になれだとさ。

 

「お話はわかりました。伯父上、そういう事でしたら喜んで道士になります。

 なにより、面白そうですからね。」

「宇宙と人生の真理の探究を面白いと感じるか。流石は二度目の生を生きる者だな、二郎。」

 

うん、伯父上には俺が転生者だって事がバッチリとバレているんだよね。

 

俺が母上から産まれたばかりで意識が無い頃、俺を転生者と見抜いた伯父上が、

『二度目の人生を生きる男』という意味で『二郎』と名付けたと、

3歳の頃に記憶が戻った俺が、初めて伯父上と会った時に教えてもらった。

 

それを聞いた時は本気で焦ったんだけど、伯父上に

『二郎がどの様な存在であろうと、我の外甥であり、家族である』って言ってもらえて、

俺はガチ泣きしてしまった。

 

その事があったから、俺は転生した事を受け入れて、今生の家族と本当の家族になれたんだ。

 

まぁ、俺がガチ泣きしているのを見た母上が、伯父上を全力で殴り飛ばしたんだけど、

今では伯父上が酒の席で話す笑い話となっている。

 

「さて、二郎よ。お前を導く師を紹介しよう…。太上老君、ここへ。」

「初めまして、僕は太上老君と名乗っている仙人だ。」

 

伯父上に呼ばれて謁見の間に入ってきた人を見ると、緑髪、赤目の年若い青年だった。

 

「二郎よ。太上老君は道教の根幹を造り上げた神であり、その教えを実践する仙人だ。」

 

ファッ!?そんな偉い人が俺の師匠になるの!?

 

…あれ?

 

「伯父上、伯父上は道教の最高神ですよね?」

「太上老君は求道者故に、中華の神々のまとめ役を拒んだのだ。」

「ハッハッハッ!その節はご迷惑をお掛けしましたね、天帝。」

 

太上老君は頭を掻きながら大笑いしている。

 

「少しでも迷惑を掛けたと思うのなら、もう少し霊薬を融通せよ。」

「実はこれっぽっちも悪いと思っておりません。」

「太上老君の言う事よ。」

 

伯父上と太上老君が楽しそうに笑いあっている。

 

「二郎よ、太上老君は1000年以上生きている仙人だ。学べる事は多かろう。励めよ。」

「はい!」

 

こうして、俺の道士としての修行が始まった。

 

前世では憧れるだけだったファンタジーに触れる事が出来る新たな人生に、

俺は子供の様に目を輝かせるのだった。

 

あ、俺、まだ7歳の子供だったわ。




次の投稿は11:00の予定です


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第2話

本日投稿3話目です


太上老君に連れられて、俺は中華の西の果てにあるという崑崙山にやって来た。

 

どうやらここで、道士としての修行をしていくらしい。

 

「さて、ゼン。まずは基本となる『調息』からやっていこうか。」

「はい!老師!」

 

太上老君からは師匠ではなく、老師と呼ぶようにと言われた。

 

それと、俺の呼び方に関してなのだが、名はその者の本質を表すモノとの事で

簡単に呼んではいけないと母上から教わっている。

 

母上が言うには、家族か信頼する相手以外に、名を預けてはいけないらしい。

 

なので通常では、字を相手に呼んでもらうそうなのだ。

 

俺としては老師に教えを乞うので名を預けてもいいのだが、

老師曰く、母上から『崩拳』をくらいたく無いそうだ。

 

『崩拳』というのは、仙人達が磨き上げてきた拳法における攻撃の事で、

『拳による突き』の総称らしい。

 

拳法の基本にして、極めれば奥義にも至る攻撃との事。

 

そんな感じの事を、崑崙山に来るまでの間に、老師に教えてもらったのだ。

 

「それでは、『調息』のやり方を教えるよ。」

 

老師の説明を俺なりに解釈していく。

 

調息は分かりやすく言えば『深呼吸』の事だ。

 

それにより体内の気を整え、練り上げ、巡らせるのが『調息』の目的みたいだな。

 

「それじゃ、ゼン。さっそく調息をやってみようか。」

「はい!老師!」

 

俺は老師の説明通りに、調息をやっていく。

 

慣れない呼吸の仕方だからなのか、最初の内はなんか疲れを感じてしまった。

 

それでも、老師の指示通りに続けていって30分程経つと、なにやら臍の下辺りが

ポカポカと暖かくなってきた。

 

「老師?なんかこの辺が暖かくなってきたんですけど?」

「へぇ?流石は天帝の外甥とでも言うべきかな?もう、気を整えられてきたみたいだね。」

 

え?この暖かいのが気なの?

 

「僕がそれを感じられる様になるまで5年は掛かったんだけどね。お見事だよ、ゼン。」

「はい!ありがとうございます、老師!」

 

老師にお礼を言っていると、臍の下辺りの暖かいナニかが消えてしまった。

 

あれ?

 

「ゼンが調息を止めてしまったから、体内の気が散ってしまった様だね。」

「そうなんですか?」

 

俺の疑問の声に、老師は臍の下を指差しながら話をしていく。

 

「ゼンが暖かさを感じた場所は丹田というんだ。調息により、ここを通して身体の

 気を整えるのが、道士としての基本となる。覚えておくんだよ?」

「はい!」

 

俺の返事に、老師は満足そうに頷く。

 

「それじゃ、まずは3年ぐらい調息をやっていこうか。」

「3年ですか?」

「調息を意識せずとも出来る様にならないと、仙人にはなれないからね。」

 

そう言いながら、老師はニコニコと笑っている。

 

「意識して出来るのは当たり前。それこそ日常や、戦いの中、果ては寝ている時でも

 調息が出来る様になって、初めて身に付けたと言えるんだよ?」

 

マジですか?

 

その要求は厳し過ぎるんじゃない?

 

「なに、大丈夫さ。気を感じられるなら、このまま調息の修行を続けていけば、

 自然と身体の方が調息を求めていくようになるからね。」

 

ニコニコと笑う老師に促され、俺は調息の修行を続けていくのだった。

 

 

 

 

「はぁ…。」

 

我の目の前で妹が何度目かわからぬ、ため息を吐いている。

 

「妹よ、二郎が仙人になるのは二郎自身の為。お前も納得した事であろう?」

「そうですが…それでも、寂しいものは寂しいのですよ、兄上。」

 

そう言うと妹が、またため息を吐く。

 

やれやれ、世話の掛かる奴よ。

 

「時に妹よ。お前は次なる子を産まぬのか?」

 

我の言葉に、妹が瞬きをしながら我を見てくる。

 

「次なる子を産めば、その寂しさも紛れるのではないか?」

「そうかもしれませんが…。」

 

ふむ、感触は悪くない。

 

もう一息といったところか。

 

「今の二郎は庇護される者だ。故に、庇護すべき存在が出来れば、

 二郎の修行の励みになるのではないかな?」

「そうですね…二郎も弟か妹が出来れば喜ぶかもしれませんものね!」

 

寂しさに憂いていた妹の表情が、花も恥じらう程の華やかな笑みに変わった。

 

うむ、もう大丈夫だな。

 

「兄上、急で申し訳ありませんが、これで失礼しますね。」

「うむ、また会おうぞ、妹よ。」

 

神獣に飛び乗った妹は、音を置き去りにする程の速さで去っていった。

 

 

「やれやれ、あの様子では日が昇っている内から励みそうだな。」

 

 

そう言葉を溢しながら、我は頭を掻いた。

 

あの様子では、妹の夫が枯れ果ててしまうかもしれぬな。

 

ふむ…。

 

「楊氏には、我の秘蔵の霊薬を少し融通するとしようか。」

 

そう思い立った我は、手を叩いて配下の者を呼び出すのだった。




次の投稿は13:00の予定です


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第3話

本日投稿4話目です


調息の修行を始めて3年経つと、俺は老師に認めて貰える程に調息を身に付けていた。

 

そして修行が次の段階に進もうとしたその時、お腹がふっくらとした母上が、

俺達の所に姿を見せたのだった。

 

「二郎、貴方は兄になるのですよ。」

 

おおう?母上、ホントですか?

 

母上に促されて母上のお腹にさわると、調息を身に付けたおかげなのか、

母上のお腹に新たな命を感じ取る事が出来た。

 

「わかりますか、二郎?もう一度言いますが、貴方は兄になるのです。

 兄として守れる様に、修行に励みなさい。」

「はい、母上!」

 

3年もの間、ひたすら調息だけを続けて萎えかけていた気持ちが、一気に熱く燃え上がる。

 

「老師!」

 

俺は老師に向き直って片膝を着き、包拳礼の形を取って名乗りを上げる。

 

「姓は楊!名は二郎!字をゼンと申します!老師の元で、ますます修行に励んでいきます!

 その証として、老師には我が名を受け取っていただきたく思います!」

 

俺の誓いに、老師が1つ頷いてから答える。

 

「君の決意、受け取らせてもらうよ。二郎。」

「はい!」

 

こうして、俺は決意の証として老師に名を預けた。

 

なんか母上の方からパキパキと変な音が聞こえたけど、気にしない事にする。

 

老師…頑張れ!

 

 

 

 

腹を抱えて悶絶する老師を置いて、母上は大きな犬に乗って帰っていった。

 

30分程経つと老師は復活して、俺に新たな修行を教え始めた。

 

「調息を身に付けた次は、拳法を学んでもらうよ。」

「はい!」

 

拳法か…前世の封印した熱い心が沸々と蘇るぜ!

 

「それじゃ、拳法の基本を教えるよ。」

 

老師が教えてくれたのは『馬歩』と『崩拳』だ。

 

『馬歩』を簡単にいうと、馬等に騎乗するような形で地面に立つ歩法だ。脚を開いた空気椅子と言った方がわかりやすいかもしれない。

 

『崩拳』は拳法の基本となる、拳による突きだな。

 

「二郎、理解出来たかな?」

「はい!」

 

俺の返事に、老師は満足そうに頷く。

 

「それじゃ、馬歩からの崩拳を身に付けようか。取り合えず10年ってところかな?」

「じゅ、10年ですか?」

 

3年間ずっと調息をやったと思ったら、今度は10年ずっと馬歩からの崩拳をやるの?

 

「うん、取り合えず10年だね。」

「えっと…馬歩からの崩拳は、どうなったら身に付けた事になるんですか?」

 

俺の疑問に老師はニッコリと微笑むと、馬歩をした。

 

そして…。

 

パァン!

 

老師が馬歩から崩拳をすると、風船が破裂した時の様な音が聞こえたのだった。

 

「ここまで出来る様になれば、最低限身に付けたと認められるかな。」

「え?」

 

ちょ、え?

 

「老師…さっきの音は?」

「ん?ちょっと音の壁を超えただけだよ。たいした事じゃないね。」

 

いやいやいや!

 

何を言ってるの、老師!?

 

「調息をしながら馬歩をすると、自然に気を整え、練り上げる事が出来るからね。

 仙人になるには最適な修行なんだ。気を巡らせるにはコツがいるから、気を巡らせる事に

 関しては別の修行で身に付けてもらう。だから、今は気にしないでいいよ。」

 

そう言いながらニッコリと微笑む老師は、お腹を擦っている。

 

「そして馬歩から崩拳をしていけば拳法の修行にもなる…。至極効率的だよね?」

 

だからといって、10年もひたすらに馬歩からの崩拳だけって…。

 

「二郎、道士や仙人は100年、1000年と修行を続けていくんだよ?10年程度で

 怖じ気づくようじゃ、この先、仙人として悠久の時を生きるのは難しいだろうね。」

 

むむむ…。

 

えぇーい!俺も男だ!

 

やってやるさ!

 

10年がなんぼのもんじゃい!

 

俺は馬歩で立って、崩拳をしていく

 

「お?やる気があっていいね。それじゃ、1日最低でも一万回は崩拳をしようか。

 もちろん、1回1回を全力でね。」

「はい!」

 

俺は半ば自棄になりながら返事をする。

 

そして時折、老師から馬歩や崩拳の修正を受けながら、修行を続けていったのだった。




感謝の崩拳1万回!

これで本日の投稿は終わりです

また来週お会いしましょう


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第4話

本日投稿1話目です


10年で慣れしたしんだ馬歩をして、崩拳を放つ。

 

すると…。

 

パァン!

 

俺が放った崩拳は、風船が破裂した様な音を出したのだった。

 

「おぉ!?兄上、凄いのじゃ!」

 

俺が道士として修行をしている間に産まれた妹の『蓮』の称賛が素直に嬉しい。

 

蓮は母上に似ていて、青み掛かった黒髪に、ややつり目の赤い目が特徴の美幼女だ。

 

ちなみに俺は青い髪に、赤い目をしている。

 

自分で言うのもなんだが、イケメンであると言っても過言では無いぜ!

 

老師曰く、赤い目は神の血を持つものの証なのだとか。

 

さて、老師の指導で拳法の修行をしてきたのだが、まさか10年で崩拳が

音を超えるとは思わなかったな。

 

まさに人間を止めた気分である。

 

あ、俺、半分神だったわ。

 

「母上!妾も兄上の様に道士になるのじゃ!」

「ふふ、それじゃ父上と伯父上に相談しましょうね。」

 

そう言いながら、母上はニコニコと蓮の頭を撫でている。

 

家族団欒の微笑ましい光景に、俺の頬も緩むというものだ。

 

そんな感じで俺の修行を見学に来ていた母上と妹は、大きな犬…神獣に乗って帰っていった。

 

母上と妹が帰ると、老師は咳払いを1つしてから話し出した。

 

「さて、二郎。拳法の修行は1段落したから次の修行にいくけど、

 拳法の修行は終わりでは無いよ。功を積み続けなさい。」

「はい!」

 

俺の返事に老師は頷く。

 

「二郎は気付いているかな?君の額に第3の目が開いているのを。」

 

老師の言葉に俺は首を横に振る。

 

「本来なら、気を巡らせてから食事を制限したりして色々とやらないと、第3の目は

 開かないんだけど、二郎の才はとんでもないね。」

 

そう言いながら、老師はヤレヤレと言わんばかりに首を横に振っている。

 

そして、老師はどこからともなく銅鏡を取り出して、俺に渡してきた。

 

銅鏡を覗き込むと、確かに額に何かの紋様が浮かんでいるのがわかる。

 

「それが仙人の証である第3の目だね。まだ修行の最中だけど、二郎は仙人になったわけだ。」

「仙人になると、何か変わるんですか?」

 

俺の質問に老師は待ってましたとばかりに笑顔で答えていく。

 

「仙人になって変わる事は不老になる事だね。」

 

おぉ!?マジか!

 

…あれ?

 

「老師、確か不老不死の霊薬があるんですよね?」

「あるよ。でも、僕が作る霊薬は不老になるけど、不死にはならないね。」

 

ん?道教って不老不死を推奨してるんだよな?

 

「道士や仙人が不死になるのは、『反魂の術』を極めるからであって、基本的に霊薬で

 不老不死になる道士や仙人はいないね。」

「基本的にはって事は、いるにはいるんですか?」

 

俺の疑問に老師は頷きながら、話を続けていく。

 

「確かにいるけど、霊薬による不死はオススメしないね。」

「なんでですか?」

「知識や技術は成長しても、身体的な成長はしなくなってしまう不死があるからさ。」

 

少しおどける様にしながら言う老師の言葉に、俺は首を傾げた。

 

「どういう事ですか?」

「不死にも色々と種類があるんだよ、二郎。」

 

そう言うと、老師は指折り数えながら話をしていく。

 

「不死には特定の手段でしか傷付けられない頑強な身体になるものが1つ。魂の存在を

 固定してその魂の形通りに肉体を再生するのが1つ。魂を扱い、転生させるものが1つ。」

 

老師は3つ指を折ると、ニコリとした笑みを俺に見せてくる。

 

「この内の強靭な肉体が、不老不死の霊薬が与える不死になるね。魂の固定は主に、

 神々が与える加護によるものになるかな?」

 

老師は何かを思い出す様に顎を擦りながら、話をしている。

 

「これら2つの不死は、不安定なものだから僕はオススメしないね。特に魂を固定する

 ものは、死に方によっては折角復活しても余計に悲惨な事になりかねないからなぁ。」

 

そう言いながら、老師は苦笑いをしている。

 

「それに、神々に加護を与えられて不死になった場合、その加護を与えた神の気分次第で、

 あっさりと加護を剥奪される事もあるんだ。だから、道教では『反魂の術』による

 不死を推奨しているんだよ。」

 

ウインクをしながらそう言ってくる老師に、俺はなるほどと頷く。

 

「不死についてはある程度理解出来たかな?」

「はい!」

「じゃあ、そろそろ気を巡らせる修行に移ろうか。準備があるから、ちょっと待っててね。」

 

そう言うと、老師はどこかに行ってしまった。

 

拳法の修行をしながら待ってようかな。

 

俺は馬歩からの崩拳をしていく。

 

他にも一歩踏み込んで、踏み込んだ足で地面を強く踏む『震脚』をして放つ崩拳。

 

一歩踏み込んで、引き寄せた後ろ足で『震脚』をして放つ崩拳をしていく。

 

この2つは1年程前に老師に教わった新しい崩拳だ。

 

俺は一歩踏み込んで震脚をする崩拳を『一歩崩拳』、後ろ足で震脚をする崩拳を

『半歩崩拳』と呼ぶ事にした。

 

老師はわかりやすくていいね!と言っていたので、これからはそう呼称するらしい。

 

それら3種の崩拳を修行しながら待つこと1時間。老師は何故か美少女を伴って戻ってきた。

 

「待たせたね、二郎。それじゃ、この娘と『房中術』をしてもらうよ。」

「『房中術』ですか?」

 

俺の疑問の声に、老師は『房中術』を説明していく。

 

簡単に言うと、この美少女とナニを致すらしい。

 

…はい?

 

「いやいやいや!ちょ、老師!?」

「房中術は気を巡らせるのに最適な修行なんだ。それに、その娘は調息は出来るんだけど、

 まだ気を感じ取る事が出来ていないみたいでね。だから、二郎の修行にちょうどいいんだ。」

 

ニッコリと笑う老師の笑みが、俺には悪魔の微笑みに感じる。

 

「この竹簡に房中術のやり方を書いておいたから、2人で頑張って修行をしてね♪」

 

そう言うと、老師はパッと片手を上げて何処かに去っていった。

 

残されてしまった俺と美少女は顔を見合わせる。

 

すると、美少女は顔を真っ赤にして俯いてしまった。

 

…カワイイ!

 

え?この娘と致してしまうの?いいの?

 

「えっと…よろしくお願いします?」

「は、はい!よろしくお願いします!楊ゼン様!」

 

美少女はバッと顔を上げたと思ったら、深々と頭を下げた。

 

その後、2人でギクシャクとしながらも、竹簡を見ながら学んでいったのだった。




本日は5話投稿します

次の投稿は9:00の予定です


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第5話

本日投稿2話目です


昼には拳法の修行、そして夜には『美少女達』と修行をしていく日々が過ぎて5年経った。

 

うん、美少女達なんだ。

 

あの後、老師が気を感じられないっていう美女、美少女を2人連れて来て、

美少女達3人を相手に修行をしていったんだよね…。

 

年上、同年、年下と見事に揃ってさ。うん、最高の修行だったよ。

 

ただ、慣れるまでに俺の良心が悲鳴を上げていたから、老師に崩拳をお見舞いしようと

思ったんだけど、老師に『あれ?不満なら男を連れて来てもよかったんだよ?』

と言われたので、両膝をついて頭を下げた包拳礼をして感謝を捧げた。

 

老師曰く、知的好奇心から同性相手に修行をして、そっちに道(タオ)の

真理を見いだす道士がいるとか…。

 

俺と老師はなんとも言えない表情で目を合わせると、ガッチリと握手をした。

 

さて、そんなこんなで気を巡らせる事を身に付けた俺は、

いよいよ本格的に仙術の修行をしていく事になった。

 

最初に取り組んだのは『変化の術』だ。

 

これには適性があったのか、1ヶ月程で身に付いた。

 

ただ、老師が言うには本来の変化の術は、なんらかの触媒が必要なのだそうだが、

俺はその触媒を必要とせずに、己の身1つで変化が出来る。

 

さらに適当にそこら辺に落ちていた木の枝を剣に変化させてみせた時には、

老師が呆れた様にため息を吐いていた。

 

「弟子の才を喜ぶべきなんだろうけど、二郎の常識外れには苦笑いしか出来ないよ。」

 

何て事を老師に言われてしまった。

 

変化の術の修行が終わると『反魂の術』の修行が始まった。

 

これは俺にとって辛い修行だった。

 

何故かって?倫理観がガリガリと削られていったからだよ!

 

反魂の術は、その基礎としてキョンシーを作る。

 

キョンシーというのは、ゾンビの様なものだな。

 

でだ、そのキョンシーを作るには死体を使う必要があるわけで…。

 

まぁ、他人様の墓を掘り返したりなんだりしてな…。

 

そのおかげというか、なんというか…前世の記憶にある良心と倫理観が

見事にお亡くなりになったのさ。

 

そんな俺の戸惑いのせいなのか、反魂の術の修行は10年掛かってしまった。

 

もちろん、その間も拳法の修行はしている。

 

むしろ、気分転換の筈の拳法の修行の方にのめり込んでいたな。

 

この時期の拳法の修行で『瞬動』、『虚空瞬動』、『虚空立歩』を身に付けた。

 

『瞬動』は踏み込む際に足から気を放つ事で、瞬間的に大きく、速く踏み込める移動術だ。

 

『虚空瞬動』はそれを空中でやる事で、空中でも自由に方向転換出来る様になる移動術だな。

 

『虚空立歩』は簡単に言えば、空中に立つ事が出来る様になる虚空瞬動の応用だ。

 

気を放つ量を微細に制御する事で、空中で地面を踏み締める様に立つ事が出来るのだ。

 

この虚空立歩を身に付けたおかげで、空中でも崩拳が出来る様になったのは嬉しかった。

 

まぁ、虚空立歩を身に付けた時は、俺は半分神だけど本気で人間を止めた気分だったわ。

 

実はこの虚空立歩なんだが、これは俺が開発した技術だ。

 

道士や仙人は乗り物となる神獣や、空を飛ぶことが出来る宝具を持っている者もいるので、

自身の力で空を飛ぶという事をあまり考えなかったようだ。

 

そんな中で俺が虚空立歩を開発すると、拳法の修行に執心している道士や仙人は、

こぞって虚空立歩を身に付けようと修行をしだしていた。

 

まぁ、微細な気の制御技術が必要なので、みんな苦戦しているみたいだな。

 

それと、反魂の術の修行の最中に、老師のススメで俺の乗り物となる神獣を生み出す事になった。

 

これは母上がよく乗って移動している大きな犬を始めとした、仙人や道士のお供だな。

 

ちなみに、老師の乗り物は青い牛である。

 

そして俺の乗り物になったのが、犬の神獣だ。

 

老師曰く、神獣なんだけど精霊の一種の様だ。

 

名前は視察に来ていた伯父上が付けてくれて『哮天犬(コウテンケン)』となった。

 

まだ小さな子犬でとても可愛い。

 

前世は猫派だった俺が、この哮天犬のおかげで完全に犬派になったぜ!

 

とにかく、そんな感じで反魂の術の修行が終わると『練丹術』の修行を始めた。

 

『練丹術』を簡単に言うと、薬作りだな。

 

この練丹術で不老の霊薬を作ったりするんだ。

 

練丹術に関しては老師が仙人の中で最も熟達しているそうで、そのおかげなのか

俺の修行も捗って5年で終わった。

 

この練丹術の修行で作ったあらゆる病を直す霊薬を飲んだら、毎夜俺の寝所に侵入を

試みていた小鬼が来なくなった。

 

この霊薬は予防薬にもなっているので、それで小鬼も諦めたんだろうな。

 

ただ、俺の寝所の入り口を守ってくれていた鍾馗が悲しそうな目をしていた。

 

食い扶持を減らしてすまんな…。

 

でも、俺も病気になりたくないんだ。許してくれ。

 

そんなこんなで他の仙術の修行も一通り終わると俺は50歳となっていた。

 

妹の蓮も不老となり、道士として修行に励んでいるらしい。

 

そして、仙人として更なる研鑽を積もうとした頃、

俺は伯父上に用があると呼び出されたのだった。

 

 

 

 

「二郎よ。お前には(ミズチ)退治を頼みたい。」

「蛟ですか?」

 

『蛟』というのは蛇から龍に成りかけている奴の事で、まだ龍としての知性を

得てないせいか、よく力を持て余して暴れるんだそうな。

 

「既に仙人の修行を終えたのであろう?」

「はい。老師には、あとは研鑽を積むだけと言われました。」

 

俺の返事に伯父上は笑みを浮かべて頷く。

 

「なれば、蛟退治で実戦経験を積むのも悪くなかろう。」

 

確かに、伯父上の言う通りだ。

 

「それに、二郎は廓と崑崙山しか知らぬだろう?ならば、中華の地を旅して

 見聞を広げるのも良い経験となるだろう。」

「そうですね。伯父上!蛟退治の任、謹んでお受け致します!」

「うむ。二郎、励めよ。」

 

片膝をついて包拳礼を伯父上にした俺は、今生で初めて中華の地に足を踏み出したのだった。




次の投稿は11:00の予定です


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第6話

本日投稿3話目です


古代中華の大地を1人と1匹が歩いていく。

 

「いい天気だねぇ、哮天犬。」

「ワン!」

 

古代中華の大地を歩いていたのは、二郎と哮天犬だった。

 

ノンビリと歩く二郎は、40年以上の修行で腰の辺りまで伸びた髪を、うなじの所で紐を使って縛っている。

うなじの所で紐を使って縛っている。

 

哮天犬も生まれてから10年以上の歳月で、サラブレッド並みの大きさに成長していた。

 

そんな二郎と哮天犬は、蛟退治に向かう為に中華の地を旅していた。

 

哮天犬は空を飛べるので、哮天犬に乗っていけば直ぐに蛟の元に辿り着くのだが、

仙人としての時間感覚が身に付いてしまった二郎は、ノンビリと歩いているのだ。

 

だが、二郎達の姿は旅というよりも散歩をしているかの様な姿である。

 

二郎は仙人として修行を経た事で、非常に燃費が良く、

大抵の環境で生きていける能力を有している。

 

そして二郎のお供である哮天犬は神獣であり、精霊でもあるので食事等は必要ない。

 

もっとも、嗜好品として食事を求める事は多々あるのだが…。

 

「そういえば、なんで荒れていた川が静まったのかな?」

「ワフ?」

 

この時の二郎は知らないのだが、二郎の神としての権能は『治水』である。

 

その為、世界に存在するあらゆる水は、二郎に害を為さないのだ。

 

そして、二郎が触れれば死を齎す毒水であろうと、たちどころに清水へと変わる。

 

二郎が自身の権能に気付き、使いこなせばやがて聖水や神水にすら変えられるだろう。

 

「まぁ、いいか。時間は幾らでもあるからノンビリといこうか、哮天犬。」

「ワン!」

 

哮天犬が尻尾をブンブンと振りながら二郎にすり寄る。

 

二郎は哮天犬のモフモフとした毛並みを堪能しながら、ゆっくりと蛟退治に向かうのだった。

 

 

 

 

「哮天犬。なんだろうね、あれ?」

「ワフ?」

 

二郎達は蛟退治に向かう旅の途中、岩に刺さっているナニかを発見した。

 

「これって、剣の柄かな?」

 

気の扱いを身に付けた二郎は、岩に刺さっているナニかに嫌な気配を感じなかったので、

特に警戒する事もなく近づいていた。

 

「抜くのは面倒だし、岩を砕いちゃおうか。危ないから離れててね、哮天犬。」

「ワン!」

 

二郎は剣の柄らしきものにポンポンと触れると、剣の柄らしきものに馬歩から崩拳を放った。

 

柄から岩へと衝撃が浸透して、内部から岩を砕くと、

岩の中から3つの剣先を持つ剣が姿を現した。

 

「変わった形の剣だね、哮天犬。」

「ワン。」

 

二郎が地面に落ちている剣を拾い上げると、二郎の手にズシリと重さが伝わる。

 

「おっ?結構重い。修行前だったら絶対に持てなかったな。」

 

手に持った剣を、二郎は拳法の修行で身に付けた技術で振っていく。

 

「うん。慣れれば気にならない重さだし、頑丈そうだから持っていこうか。」

「ワン!」

 

哮天犬が相づちを打つ様に鳴くと、二郎は空いている手で哮天犬の頭をワシワシと撫でる。

 

哮天犬の尻尾はちぎれんばかりに振られていた。

 

「この剣の鞘は無いのかな?剣じゃなくて槍だったら、

 杖代わりにもなるし便利なんだけどなぁ。」

 

二郎がそう言うと剣の柄が伸び、剣は槍へと変化した。

 

「おおっ!?柄が伸びた!?もしかして、これって宝貝(パオペイ)なのかな?」

 

二郎は翳すようにして槍を見る。

 

「今回の旅が終わったら伯父上に聞いてみよっか。」

「ワン!」

 

この宝具はこの旅の後に二郎愛用の武器となる『三尖刀』である。

 

そんな事になるとは知らない1人と1匹は、三尖刀を携えて旅を再開したのだった。




次の投稿は13:00の予定です


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第7話

本日投稿4話目です


哮天犬との旅を続けて1ヶ月程経った頃、本能のままに暴れている蛟の元に辿り着いた。

 

「へぇ~、龍に成りかけているだけあって、蛟って結構大きいんだな。」

「ワン!」

 

俺と哮天犬の存在に気付いた蛟は、暴れるのを止めてとぐろを巻いて臨戦態勢に入った。

 

初めて蛟を見たが、かなり大きい。

 

牛でも一飲みに出来る程の大きさだ。

 

龍になったらどれだけ大きくなるんだろうな?

 

「哮天犬、ちょっとこれを持っててね。」

「ワン!」

 

哮天犬は一吠えしてから、槍(剣?)の宝貝を銜える。

 

「さて、俺の拳法はこの蛟に通じるかな?」

 

そう言ってみたものの、俺の心に不安は無い。

 

スタスタと散歩の様に近付いて行くと、とぐろを巻いていた蛟が身体を伸ばして、頭上から噛み付こうとしてきた。

頭上から噛み付こうとしてきた。

 

俺は瞬動で踏み込んで、地上に残っている蛟の身体に一歩崩拳を打ち込む。

 

ズシリとした手応えを感じると、蛟は吹っ飛んだ。

 

だけど、吹っ飛んだ先で蛟は鎌首を持ち上げて威嚇してくる。

 

「今の一撃で仕留められないのか。蛟が頑丈なのか、俺が未熟なのか、どっちにしても帰ったら老師に小言を言われるだろうなぁ。」

  

 

ため息を吐きながらそう言うと、俺は虚空瞬動で蛟の目の前に移動する。

 

そして、虚空立歩で空を踏み締めると、馬歩からの崩拳を蛟の頭部に打ち込んだ。

 

2秒程、蛟の身体が硬直すると、蛟はズシンと音を立てて地面に倒れた。

 

「よし!蛟退治完了!」

「ワン!」

 

哮天犬から宝貝を受け取りながらそう言うと、哮天犬は俺を祝福する様に鳴いた。

 

俺がお礼に哮天犬の頭を撫でてしばらくすると、哮天犬は蛟の所に向かった。

 

「どうした、哮天犬?」

「クゥ~ン。」

 

哮天犬は片方の前足を蛟に乗せると、その円らな瞳で俺を見てきた。

 

「もしかして、蛟を食べたいのかな?」

「ワン!」

 

哮天犬は俺の言葉を肯定する様に、尻尾を振りながら吠える。

 

「頭は退治した証拠として伯父上に持っていくからダメだけど、

 身体の方は俺と一緒にたべようか。」

「ワン!」

 

哮天犬は嬉しそうに俺にすり寄って来た。

 

その後、哮天犬と一緒に蛟を食って腹拵えをすると、哮天犬に乗って

蛟の頭部を退治の証拠として持ち帰り、伯父上に提出するのだった。

 

 

 

 

「二郎。蛟退治、大義であった。」

「はい、ありがとうございます。伯父上。」

 

俺は片膝をついて、伯父上に包拳礼をする。

 

「伯父上、この剣?槍?なのですが、何でしょうか?」

「ほう?それは『三尖刀』だな。」

「三尖刀ですか?」

「うむ、中華の宝貝の1つだ。」

 

へぇ~、やっぱり宝貝だったのか。

 

「それで、この三尖刀なのですが、どうしましょうか?」

「お前が使えばよい。」

「宜しいのですか?」

 

俺の言葉に、伯父上が頷いてから話し出す。

 

「その三尖刀は拾ったのであろう?」

「はい。なんであそこに宝貝があったのかわかりませんが…。」

「ならば、その三尖刀は拾った二郎の物だ。この我が認めよう。」

 

伯父上が許可してくれるなら、遠慮せずに貰っておくか。

 

「ありがとうございます、伯父上。一層精進します。」

「うむ、また今回の様に何かを頼む事もあるだろう。その時に力を

 存分に振るえる様に励むがよい。」

「はい!」

 

俺はそう返事をした後、荒れている川が静まった事を伯父上に話した。

 

「ほう?それはおそらく、二郎の『権能』であろうな。」

「『権能』ですか?」

「うむ。荒れていた川はどの様にして静まった?」

「えっと、俺が近付いたら勝手に静まりました。」

 

俺がそう答えると、伯父上は面白そうに笑みを浮かべて話し出した。

 

「なるほど。二郎の権能はおそらく『治水』であろう。」

「『治水』?」

「うむ、世界のあらゆる水は、二郎に害をなさない…。そういう権能だ。」

 

へぇ~、便利な権能なのかな?

 

「例え毒水だろうと、大雨だろうと、二郎には害をなさぬ。使いこなせばその権能は、

 泥水を清水や神水にすら変える事も出来るであろう。」

 

つまり、水分さえあれば飲み水には困らないって事か。

 

めっちゃ便利な権能やん。

 

「我の推測だが、その権能を使いこなせば酒もより上等な物に変えられるであろう。」

「絶対に権能を使いこなしてみせます!」

 

良い酒を飲めると聞いては黙ってられない。

 

なんせ、今生では娯楽が非常に少ないのだ。

 

そんな中で酒は貴重な嗜好品の1つだ。

 

全力を尽くす価値がある。

 

「うむ、なれば二郎には下界の治水を頼むとするか。」

「下界の治水ですか?」

 

俺の疑問の声に、伯父上が真剣な表情で頷く。

 

「下界では作物を育てる為に川などから水を引いているのだが、

 その際に川の流れを無理矢理変えたりするせいで、少し多く雨が降れば

 川が氾濫するといった事が日常的に起こっているのだ。」

 

へぇ~、それは知らなかったな。

 

「故に二郎よ。これからは時折、治水の任を与える事とする。」

「はい!その任、承ります!」

「うむ、大義である。」

 

伯父上は1つ頷くと、ニヤリと笑った。

 

「二郎よ、お前に褒美を授ける。」

「褒美ですか?」

「うむ。二郎よ、此度の蛟退治の功と、これから行う治水の任に先立ち、

 二郎に仙人としての名を与える事とする。」

 

仙人としての名?

 

「二郎よ、これからお前は『二郎真君』と名乗るがよい!」

「『二郎真君』?」

「昔、お前の前世がどうであろうと、我の家族であると言ったのを覚えているか?」

 

忘れるわけがない。

 

伯父上のその言葉があったから、俺は転生した事を受け入れられたんだから。

 

俺は伯父上の言葉に強く頷く。

 

「『二郎として生きた今こそが真の君の姿』…そういった思いを込めて考えた。」

 

そう言う伯父上の目は、家族としての暖かさを感じさせてくれる優しいものだった。

 

俺は両膝をついて頭を下げる。

 

そして、精一杯の感謝を込めて包拳礼をした。

 

「二郎真君の名!ありがたく頂きます!」

 

こうして俺は二郎真君と名乗り、時には下界の治水を、時には蛟や邪仙を退治しながら、

修行の日々を送っていった。

 

そんな日々を送って、そろそろ俺が生まれてから100年の歳月が経とうとした頃の事。

 

俺は伯父上から、中華の地の外へと向かう任を受けるのだった。




次の投稿は15:00の予定です


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紀元前2700年代 ~古代ウルク編~
第8話


本日投稿5話目です


「じ、二郎真君、頼む、見逃し…。」

 

男の言葉を遮る様に、三尖刀を突き刺す。

 

「伯父上から受けた任だからね。見逃すわけないでしょ。」

 

三尖刀を突き刺した男は邪仙であり、不死の霊薬を飲んだ者だ。

 

この程度では死なない。

 

なので、突き刺した三尖刀を通して反魂の術を応用して、男の魂を破壊する。

 

「い、嫌だ…私の道はまだ半ばなのに…。」

「お前が霊薬の実験に、キョンシーではなく中華の民を使ったのが悪い。」

 

神様なんかが当たり前にいる世界でも、所謂マッドサイエンティストはいるもので、

時折目の前の男の様な奴を退治、討伐する任を伯父上から受ける事があるのだ。

 

「いや…だ…。」

 

討伐対象の邪仙が事切れたのを見届けて、三尖刀を引き抜く。

 

こういった事にも慣れたもので、多少の嫌悪感はあれども戸惑う事は無くなった。

 

「ワン!」

 

俺とは別の邪仙を相手にしていた哮天犬が、喉笛を咬み千切った邪仙を引きずってくる。

 

「カヒュ…。」

 

俺は哮天犬の頭を撫でながら、まだ息のある邪仙に止めをさす。

 

「よし!帰ろうか、哮天犬。」

「ワン!」

 

討伐証拠として邪仙2人分の首を持ち、俺は哮天犬に乗って伯父上の宮へと向かうのだった。

 

 

 

 

「二郎真君!邪仙討伐の任、大義である!」

「はっ!」

 

伯父上からの労いの言葉に包拳礼をして返事をする。

 

面倒な事なんだけど、中華の地で二郎真君の名が有名になってきたから、

こういった形式も必要になってきたんだよね。

 

「さて、二郎よ。任を終えて早々なのだが、中華の外へと行ってくれぬか?」

「中華の外?一体、どこに行けばいいのですか?」

「都市国家ウルクだ。」

 

ウルク?

 

どこかで聞いた覚えがあるような…?

 

「知っているのか、二郎?」

「前世の記憶だと思うのですが、100年近く前ですからね。思い出せません。」

 

両手を拡げてそう言うと、伯父上は笑い声を上げた。

 

「はっはっはっ!不老になったばかりではよくある事よ!なに、慣れれば千年前の事も

 思い出せる様になる。」

「そうですか。なら、今生の事は忘れない様に早く慣れましょう。」

 

伯父上は俺の返事にまた笑い声を上げる。

 

「ところで伯父上、なぜウルクに行くのですか?」

「それは、ウルクに人の王となる者が誕生したからだ。」

 

ん?人の王って中華以外でも一杯いるよな?

 

「二郎よ。今の世で人々はどのように統べられているかわかるか?」

「王が統べているのではないのですか?」

「その通りだ。だが、それらの王達は全て神々に加護を授けられている者達よ。

 故に、人々は神々によって支配されていると言っても過言では無い。それはこの中華でもだ。」

 

俺は伯父上の言葉に頷く。

 

伯父上の任を受けて、50年近く中華の地を色々と巡って来たが、

人々には自然の猛威に抗う術がなく、神の庇護を求めているのが現状だ。

 

俺も川の氾濫を静めたり、蛟退治をしてきた結果、治水の神や武神として

中華の民に認識されてしまった。

 

だからなのか、先の邪仙討伐の時にも中華の民に治水を願われたりしている。

 

でも、いくら神々でも人々の願いの全てを聞いてはいられない。

 

そこで、神々は人々の意見をまとめる代表者として王を選び、王の証として加護を与える。

 

そして、加護を与えられた王だけが民の言葉を選別して神に陳情する事が出来る。

 

それ故に、王は特別な存在として民の上に立つ。

 

こういった形で現在の世界は廻っているのだ。

 

「だが、ウルクの王であるルガルバンダが、女神リマト・ニンスンとの間に子を作った。

 この子供はギルガメッシュと名付けられたそうだが、このギルガメッシュは神の血を

 引いている事で、神々の加護を与えられずとも王となる資格を持っている。

 つまり、生まれながらにして王となる者なのだ。」

 

全ての王は等しく神の加護を与えられた者だった筈が、

加護を持たずして王となりえる者が現れたのか。

 

なるほど、面白いな。

 

でも…。

 

「伯父上、なぜウルクではそのような事になったのでしょうか?」

「確かウルクに近い国が、ウルクへの侵攻を企んでいたと思うが、現王のルガルバンダは

 千年もの間、ウルクを統治した英傑だ。かの王が現役の間は侵攻されぬだろう。」

 

千年か…凄い男だな。

 

「その事からギルガメッシュが生まれた理由を考えると、

 おそらくは現地の神々の気紛れであろうな。」

 

伯父上はそう言うと、深くため息を吐いた。

 

「神々が人を支配する形になってから、初めて加護を持たぬ人の王が現れる…。

 これが人々、神々、そして『世界』や『星』にどの様な影響を与えるのか気になるのでな。

 二郎には、このギルガメッシュという者を見極めて来てもらいたい。」

 

うん、この任は随分と楽しくなりそうだな。

 

「それと二郎よ、気付いているか?」

「何をでしょうか?」

「ギルガメッシュがお前と同じ、半神半人であるという事だ。」

 

あ…そういえばそうだな。

 

「故に二郎よ、お前はギルガメッシュと友になってまいれ。」

 

はい?

 

「いや、伯父上?俺はギルガメッシュを見極めてくるのでは?」

「それは建前というやつよ。本当の理由はお前に友をと思ってな。」

 

伯父上はニヤニヤと笑いながら俺を見ている。

 

「二郎が生まれてからおよそ100年程経ったが、お前に友はおらぬであろう?」

 

伯父上の言う通りに、俺はボッチである。

 

俺と気軽に話せる知り合いは家族と老師ぐらいなのだ。

 

道教の最高神の外甥という立場だから、色々と遠慮されちゃうんだよね…。

 

「そういうわけで二郎よ、ギルガメッシュと友になってまいれ。」

 

伯父上はニヤニヤとした笑みから、ニコニコとした暖かい家族の笑みを向けてくる。

 

俺はため息を1つ吐いてから包拳礼をした。

 

「伯父上、ウルク視察の任、承りました!」

「うむ、楽しんでまいれ。」

 

ヒラヒラと手を振る伯父上に苦笑いをすると、俺は哮天犬に乗ってウルクを目指すのだった。




これで本日の投稿は終わりです

また来週お会いしましょう


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第9話

本日投稿1話目です


都市国家ウルクを千年もの時を越えて統治して来た偉大な王『ルガルバンダ』。

 

そのルガルバンダの前に1人の男がやって来ていた。

 

「初めまして、ルガルバンダ殿。俺は姓を楊、字をゼンと言います。中華の地の風習で

 名を名乗らぬ不敬を、どうかご容赦願いたい。」

 

ルガルバンダは見慣れぬ包拳礼をする二郎の姿に掲揚に頷く。

 

「遠き中華の地より、よくぞ参られたゼン殿。このルガルバンダが歓迎しよう。」

 

二郎はウルク訪問に際して、蛟退治や邪仙討伐で得た多くの財と、

自身の権能で作った神酒をルガルバンダに献上していた。

 

その事もありルガルバンダは、二郎に労いの言葉で応えたのだ。

 

二郎が包拳礼から顔を上げると、玉座に座るルガルバンダは千年の時を越えて衰えぬ、

覇者としての威容を身に纏っていた。

 

そんなルガルバンダの振るまいに、二郎は伯父に通ずるものを感じ取り、

ルガルバンダに敬意を持った。

 

「して、ゼン殿。我がウルクに何用があって参られたのだ?」

「風の噂で、このウルクの地に人の王となる者が生まれたと聞きました。」

 

二郎の言葉にルガルバンダは内心で警戒するが、そんな様子を見せずに話していく。

 

「確かに、我が子ギルガメッシュは人の王となる者だ。その我が子に何用かな?」

 

ルガルバンダとて、神々が世界を支配してから初めての事例となるのは認識している。

 

そして、その事で他の国の神々が何らかの行動を起こすであろう事も予測していた。

 

ルガルバンダは直ぐに行動に移れる様に、玉座から僅かに腰を浮かせて二郎の言葉を待つ。

 

そして…。

 

「俺はギルガメッシュの友になりに来ました。」

 

二郎の言葉に、ルガルバンダの思考は止まってしまった。

 

数秒の後に思考が戻ったルガルバンダは、二郎に再度問い質す。

 

「ゼン殿、今なんと言ったのかな?」

「ルガルバンダ殿。俺は貴方の子と友になりに来ました。」

 

再度同じ事を言われたルガルバンダは、驚きに目を見開いた。

 

ルガルバンダは二郎の紅い目を見て、二郎が神の血を引く者と認識していた。

 

ルガルバンダにとって神とは、救いと多くの加護を与えてくれた敬愛すべき存在だが、

気紛れで災害や災厄を引き起こす厄介な存在でもあると認識していた。

 

そんな神の血を引く者が、ギルガメッシュと友になりに来た?

 

ルガルバンダは何か裏があるのではと勘繰ってしまう。

 

そんなルガルバンダの様子に気付いた二郎は、苦笑いをしながら話し出す。

 

「俺は政なんかの駆け引きが苦手だから正直に話しますが、俺は中華の地の道教の

 最高神である天帝から指示を受けてウルクにやって来ました。その指示にはギルガメッシュが

 どの様な存在となるのかを、見極めてくるというのもあります。」

 

あまりに正直に話す二郎に、ルガルバンダは呆然としてしまう。

 

「それでその天帝というのが俺の伯父でして、俺はその外甥という立場なんですよ。」

 

頭を掻きながら話を続ける二郎に、ルガルバンダは警戒心が薄れていくのを感じていた。

 

「そんな立場なものですから俺は生まれてから百年程の間、友という者がいなかったのです。

 それで、伯父上が俺に友を作ってこいと言ってきたんですよねぇ…。」

 

そう恥ずかしそうに言う二郎の様子に、ルガルバンダは笑いを堪える。

 

「というわけでして、ギルガメッシュと友になりに来たのですが…、

 お許しいただけるでしょうか?」

 

最後に困ったような表情でそう言う二郎に、ルガルバンダは遂に吹き出してしまった。

 

「ハッハッハッ!随分と素直な物言いだな、ゼン殿!」

 

ルガルバンダはしばしの間、笑い続けた。

 

そして、素直に話した二郎に好感を持ったルガルバンダは、二郎を受け入れる事を決めた。

 

「我が子ギルガメッシュはまだ幼いが、それでも聡明と自慢できる息子だ。

 ゼン殿、ぜひとも会っていってくれるかな?」

「はい、喜んで。」

 

気を良くしたルガルバンダは玉座を立ち上がると、自ら二郎を案内したのだった。

 

 

 

 

ギルガメッシュ叙事詩の一節にはこう綴られている。

 

 

『先王ルガルバンダの時代。』

 

『治水の神ゼンが、幼き日のギルガメッシュを祝福しに現れた。』

 

『治水の神ゼンは、祝福の証として金銀の財宝と神酒をルガルバンダに贈った。』

 

『その贈り物に気を良くしたルガルバンダは、自らの手で治水の神ゼンを

 ギルガメッシュの元に案内したと…。』

 

 

古代オリエント界最大の英雄ギルガメッシュ。

 

その栄光の生涯を共に歩く事になる友との出会いが、間もなく訪れるのだった。




本日は5話投稿します

次の投稿は9:00の予定です


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第10話

本日投稿2話目です


「ギルガメッシュ、入るぞ。」

 

ウルクの王であるルガルバンダ殿に案内されて入った部屋には、

金髪、赤目の美少年が立っていた。

 

「父上、よくぞいらしてくれました。それと、そちらの御仁はどなたですか?」

 

ルガルバンダ殿を父と呼んだ事を考えても、この少年がギルガメッシュか。

 

ギルガメッシュは俺の事を興味深そうに見てくる。

 

その赤い瞳は、少年とは思えない程の知性を感じさせてくる。

 

「ギルガメッシュよ、ゼン殿はお前の友になりたいそうだ。」

「僕の友にですか?」

 

首を傾げながらギルガメッシュが俺を見てくる。

 

俺は一歩前に進み出て自己紹介をした。

 

「初めまして、ギルガメッシュ。俺は姓を楊、字をゼンという。名に関しては中華の地の

 風習で簡単に教えてはならないから、君と親友と呼べる程に仲良くなれた時に名乗るよ。」

 

俺が自己紹介をすると、ギルガメッシュはニコリと微笑んだ。

 

「僕はギルガメッシュです。ゼン、これからよろしくお願いしますね。」

 

そう言ってギルガメッシュは手を差し出してきたので握手をする。

 

うんうん。素直でいい少年だなぁ。

 

「ゼン、貴方は何か鍛練をしているのですか?」

「確かに俺は修行をしているよ。でも、どうしてわかったのかな?」

「父上や兵士もそうですが、ゼンの手は武器を振っている方と同じ手をしているので。」

 

ギルガメッシュ…、とんでもなく賢いな。

 

「よければゼンの腕前を見せてくれませんか?」

 

ギルガメッシュがそう言って来たので、俺はチラリと見てルガルバンダ殿に伺いを立てる。

 

「ふむ、中華の地の戦士がどういうものなのか、我も興味がある。

 ゼン殿、ぜひとも見せていただきたい。」

 

ルガルバンダ殿は随分あっさりと許可を出したな。

 

俺に武器を持たせても大丈夫と信頼してもらえるだけのものって、何かあったか?

 

…まぁ、いいか。

 

「それでは、ここではなんなので外に行きましょうか。」

 

 

 

 

俺達が外に移動すると、外で大人しく待っていた哮天犬が俺にすり寄ってきた。

 

「大きな獣ですね。この獣はゼンのものなのですか?」

 

ギルガメッシュは興味深そうに哮天犬を見ている。

 

「哮天犬は俺の乗り物であり、相棒だよ。」

「哮天犬?」

「中華の言葉で『天に哮える犬』って意味だね。」

「へぇ~。」

 

ギルガメッシュは哮天犬を見ながらソワソワとし始めた。

 

「ゼン、哮天犬を触ってもいいですか?」

「うん、いいよ。」

 

俺が了承するとギルガメッシュは哮天犬をモフモフして、目をキラキラとさせている。

 

モフモフされても尻尾を振って無い所を見ると、哮天犬はまだギルガメッシュを

認めてないみたいだな。

 

「さて、ゼン殿。そなたの力を見せていただけるかな?」

 

ルガルバンダ殿が俺にそう言ってくると、哮天犬をモフモフしていたギルガメッシュが、

ハッとした様に咳払いをしながら哮天犬から離れた。

 

「…ンンッ!ゼン、僕からもお願いします。力を見せてください。」

 

ギルガメッシュは間違いなく優秀で賢い少年だ。

 

でも哮天犬を触っていた様子を見ると、年相応に背伸びをしている少年に見えて微笑ましい。

 

「では、拳法の一端をご覧あれ。」

 

俺はそう言って右腕を軽く振るうと、右手に三尖刀を召喚する。

 

いきなり武器を手にした光景を目にしたルガルバンダ殿とギルガメッシュは、

驚いて目を見開いていた。

 

俺が蛟退治や邪仙討伐をする様になって50年程経ったが、その過程で三尖刀が変化していた。

 

伯父上が言うには内包する神秘が増した結果、三尖刀が成長したとの事だ。

 

そして成長した三尖刀は、俺の意思で俺の手元に戻ってくる様になったのだ。

 

そのおかげで、俺の修行には投槍の修行も加わった。

 

遠距離への攻撃手段が出来たので非常に助かっている。

 

ちなみに三尖刀は普段、灌江口にある俺の廓に置いてある。

 

送還すれば灌江口の廓に戻るので、非常に便利な宝具なのだ。

 

「これは三尖刀といって、俺が愛用している武器です。」

 

俺はそう言うと、三尖刀を剣として振るっていく。

 

そして次に三尖刀の柄を伸ばして槍として振るうと、ルガルバンダ殿とギルガメッシュは、俺に称賛の言葉をくれたのだった。

 

 

 

 

 

ギルガメッシュ叙事詩の一節にはこう綴られている。

 

 

『治水の神ゼンは幼少時のギルガメッシュと対面すると、信頼を示すために利き腕をギルガメッシュに預けた。』

  

 

『治水の神ゼンの利き腕を手に取ったギルガメッシュは、治水の神ゼンの戦士としての力に気付き、その力を示す事を望んだ。』

  

 

『治水の神ゼンはギルガメッシュの望みに応えてその力を振るう。』

 

『ギルガメッシュは治水の神ゼンの力を見ると、父ルガルバンダと共に治水の神ゼンに称賛の言葉を贈った。』

  

 

『治水の神ゼンの力を知ったルガルバンダは治水の神ゼンに、ギルガメッシュに戦士としての手解きを願う。』

  

 

『ルガルバンダの願いを聞き入れた治水の神ゼンは、師としてギルガメッシュを鍛え、友として友情を育んだのだった。』

  

 

 

後に数多の冒険で栄光を積み重ねるギルガメッシュだが、その根幹となるものはこの時の出来事がキッカケだったとされている。

  

 

古代オリエント界最大の英雄ギルガメッシュ。

 

世界の全てを見た者と称されるギルガメッシュのその慧眼が、

初めて発揮されたエピソードである。




次の投稿は11:00の予定です


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第11話

本日投稿3話目です


2人に拳法を見せた後、ルガルバンダ殿にギルガメッシュへの拳法の指南をお願いされた。

 

もっとも、ガッツリと修行をさせるのではなく、さわり程度でいいらしいけどね。

 

ルガルバンダ殿曰く、戦の際に王は兵を率いるが、蛮勇を振るう勇者である必要は無い。

 

この言葉にギルガメッシュは何度も頷いていた。

 

なるほど、ルガルバンダ殿はこうやって王とは何かという事を教えていっているのか。

 

そういう事なので、俺はギルガメッシュに拳法をさわり程度に教えた。

 

教えたのは素手ではなく、武器の扱い方だ。

 

武器の扱いの基本は3つだけである。

 

『突く』、『叩く』、『払う』、これだけだ。

 

そうギルガメッシュに教えると、「なるほど、理にかなってますね」と理解していた。

 

ギルガメッシュはほんとにお子様なのか?

 

賢過ぎると思うんだけど?

 

そして、この3つを剣と槍を使って教えていって1ヶ月程経つと、

ギルガメッシュは大人の兵士との手合わせで勝利をした。

 

勝利の要因をギルガメッシュに聞いてみると…。

 

「経験の無い僕では兵の動きは読めないので、兵の動きを誘導してみました。」との事。

 

いや、その理屈はおかしい。

 

俺も50年近く蛟退治や邪仙討伐をやって来たけど、

その領域に達するまで実戦を経験してから10年は掛かった。

 

俺はギルガメッシュは紛れもない天才だとハッキリ認識した。

 

ギルガメッシュがルガルバンダ殿が求める必要最低限の戦士としての力を手にしたので、

俺は1ヶ月毎に中華とウルクを往き来する様にして、ギルガメッシュと親交を深めていった。

 

そんな日々の中で、ギルガメッシュの才は戦い以外でも発揮された。

 

ルガルバンダ殿が千年かけて得た知識や経験を、ギルガメッシュは僅か数年で吸収していったのだ。

 

 

この結果に俺とルガルバンダ殿は、顔を見合わせて苦笑いした。

 

そして俺とギルガメッシュが出会ってから10年の月日が経った頃、ギルガメッシュが

ウルクの神により王に任命される日がやって来たのだった。

 

 

 

 

ウルクの神による王の任命が終わると、俺とルガルバンダ殿はささやかな酒宴を開いた。

 

「千年もの時を越えての統治ご苦労様でした、ルガルバンダ殿。」

「我も千年もの時を王として生きる事になるとは思わなかったよ、ゼン殿。」

 

俺とルガルバンダ殿は杯を打ち合わせると、中の神酒を飲み干す。

 

「ふぅ…。いつもながら、ゼン殿が用意する酒は美味いな。」

 

そう言うとルガルバンダ殿は手酌で酒を注ぐ。

 

既に王では無いからと、お付きの者をギルガメッシュの元へ送り出しているのだ。

 

「ゼン殿、これからも我が子、ギルガメッシュの事を頼む。」

「はい、お任せください、ルガルバンダ殿。」

 

俺の返事を聞いたルガルバンダ殿は、1つ頷くと再び杯を飲み干す。

 

「王の座を引いた我は、そう時をおかずに神の加護を失うであろう。

 そうなれば、元々病弱であった我は長くは生きられぬであろうな。」

「ルガルバンダ殿、貴方が望むのなら霊薬を融通しますよ?」

「ありがたい申し出だが、その霊薬はギルガメッシュに渡してもらいたい。」

 

ルガルバンダ殿は手酌で酒を注ぐと、ため息をついてから話し出す。

 

「生まれながらにして王たる者だったギルガメッシュが王となった時、

 世界がどう変わるのか我にもわからん。千年も生きているのに情けない限りだ。」

 

ルガルバンダ殿は自嘲する様に笑いながら杯を干すと、

顔を上げて虚空を見つめながら話し出す。

 

「我が願うのはただ1つ、ギルガメッシュが最後の時に1人では無い事だ。

 あれは心細く、何よりも怖い。」

 

ルガルバンダ殿は初陣の時に流行り病にかかった。

 

当時の王であるルガルバンダ殿の父は、流行り病が拡がらぬ様に

末子であるルガルバンダ殿を洞窟に捨てたそうだ。

 

病で衰弱していき死を迎えようとしていたルガルバンダ殿が神に祈ると、

ルガルバンダ殿を哀れに思った神々が、ルガルバンダ殿に加護を与えた。

 

そして加護を得たルガルバンダ殿は、頑強な身体を手に入れて生き延びる事が出来た。

 

生き延びたルガルバンダ殿は、多くの兄達よりも知恵や力を示した事で、

ウルクの神により王に任命されたのだ。

 

「ゼン殿、重ねて願う。ギルガメッシュの事を頼む。」

 

ルガルバンダ殿の目は千年の時を王として生きた英雄としてのものではなく、

己が子を思う父としての慈愛に満ちたものだった。

 

俺は席を立つと、床に片膝をついて包拳礼をする。

 

「姓は楊!名は二郎!字をゼンと申します!我が名に懸けて、

 ギルガメッシュの友である事を誓いましょう!」

 

俺の誓いにルガルバンダ殿は驚いて目を見開く。

 

だが直ぐに微笑むと、ルガルバンダ殿も床に膝をついて俺の手を取った。

 

「冥府への旅路の良き土産をいただいた。ありがとう、二郎殿。」

 

ルガルバンダ殿は俺を立ち上がらせると、杯を差し出してきた。

 

「さぁ、今日は新たな王が選ばれた目出度い日だ。改めて祝杯を上げよう。」

 

俺は笑顔で杯を受け取ると、ルガルバンダ殿と杯を打ち鳴らしたのだった。

 

 

 

 

ギルガメッシュ叙事詩の1節にはこう綴られている。

 

 

『ギルガメッシュが新たな王となった日に、前の王であったルガルバンダは治水の神ゼンと祝杯を上げた。』

  

 

『その祝杯の席でルガルバンダは、自身の経験からギルガメッシュが1人にならぬ様に治水の神ゼンに願った。』

  

 

『治水の神ゼンはこの願いを聞き入れて、ルガルバンダにギルガメッシュの友である事を誓った。』

  

 

 

千年もの時を王としてあり続けたウルクの伝説の英雄ルガルバンダ。

 

そのルガルバンダの人徳がわかる心暖まるエピソードである。




次の投稿は13:00の予定です


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第12話

本日投稿4話目です


ギルガメッシュが王になってから3年程の月日が経った。

 

王となったギルガメッシュの政務は、まさしく賢王と言える程に凄いものだった。

 

10日で100日分の政務をこなして時間を作れば、自らの足でウルクを見て回ったり、俺と一緒にウルクの外に冒険に行ったりしている。

 

冒険の理由は、ウルクの近隣には都市国家が幾つもあるのだが、その中でもウルクは小さい方なので何かあった時に対応出来る様にする為だ。

 

現在、大きな都市国家の代表と言える立場にあるのがキシュという国だ。

 

そのキシュという都市国家を治める王はアッガという男なのだが、俺とギルガメッシュは冒険の途中でアッガと出会っている。

 

アッガと出会った時に俺とギルガメッシュはアッガから水や食料を貰ったのだが、この時にギルガメッシュは後数年の内にアッガはウルクに攻めてくるだろうと予測した。

 

昔からアッガを知るルガルバンダ殿は、アッガを王としても戦士としても傑物だと評価している。

 

アッガが治めるキシュの国家としての規模はウルクよりもずっと大きく、そして栄えている。

 

では、何故そのキシュがウルクに攻め入ろうとしているのか?

 

それは今の時代背景が関係している。

 

人々は自然の猛威を生き抜く為に神の加護や慈悲を願っているのが今の時代なのだが、願ったからといって必ず加護や慈悲を得られるわけではない。

 

そんな人々にとって最も脅威となっているのが、冬の寒さと飢えである。

 

今の時代の戦争が起こる基本的な理由は、冬に自国の民が凍えず、飢えない様にする為に他国から食糧等を奪う事を目的に起こされている。

 

時には神々のワガママで戦争が起こる事もあるのだが、表向きな理由としては冬の寒さと飢えである。

 

ギルガメッシュはウルクがキシュと戦争をする事になっても勝てる様に、冒険をして多くの財を集め、ウルクの国力を上げようとしているのだ。

 

まぁ、ギルガメッシュが財を集めるのはギルガメッシュの趣味でもあるのだが…。

 

ウルクの近況はこんな感じだが、中華の地でも変化が起きようとしている。

 

伯父上を始めとした中華の神々が、中華の地でも人の王を作ってはどうかと話し合いをしているのだ。

 

 

伯父上はまだ答えを出すのは早いと、人の王であるギルガメッシュを観察する事を中華の神々に通達した。

 

 

しかし、中華の神々の多くは仙人である。

 

宇宙と人生の真理を求める者達であり、好奇心と探求心で悠久の時を生きる者達だ。

 

そんな中華の神々が、一度興味をもったら我慢出来る筈が無い。

 

なので中華の道士や仙人が独断で、中華に人の王となる者を作らない様に注意しないといけない。

 

 

俺が中華に戻ると、そういった行動をしている道士や仙人の討伐を伯父上に頼まれる事が増えてきた。

 

 

今も伯父上に頼まれてそんな道士と仙人を討伐して来たばかりなのだ。

 

今回の討伐相手は徒党を組んでいたので、討伐するのに3ヶ月程掛かってしまった。

 

早くウルクに行かないとギルガメッシュに文句を言われるだろうなぁ…。

 

よし!哮天犬!ウルクに急ぐぞ!

 

 

 

 

「遅いぞ、ゼン!我を待たせるとは何事だ!」

 

哮天犬と共にウルクに辿り着くと、開口一番にギルガメッシュが叱責してきた。

 

「ごめん、ギルガメッシュ。今回の相手は徒党を組んでいたから時間が掛かったんだ。」

「ワン!」

 

俺の言葉に同意する様に哮天犬が吠える。

 

「たわけ!貴様ともあろう者がそのような雑種共に手こずるなど怠慢が過ぎるわ!」

 

王になる前のギルガメッシュは丁寧な言葉で話す可愛い少年だったのだが、今のギルガメッシュは何故かこんな感じになっちゃったんだよなぁ…。

 

一体誰がこんな風にギルガメッシュを教育したんだ?

 

ギルガメッシュと一番一緒にいたのは俺だけど、断じて俺のせいでは無い!

 

…俺のせいでは無い!

 

「まぁ、よいだろう。こうして我の前に馳せ参じた功を持ってゼンを許す。我の寛容さに感謝するがいい!」

「はいはい、ありがとうギルガメッシュ。」

「ワン!」

 

俺の感謝の言葉に続いて哮天犬も吠えると、ギルガメッシュは満足気に頷く。

 

「さて、ゼンよ。冒険に行くぞ。」

「今回はどこに行くんだ、ギルガメッシュ?」

「先代文明の遺跡だ。」

 

先代文明?

 

俺が首を傾げると、ギルガメッシュは愉悦する様な笑みを浮かべて話し出す。

 

「先代文明とは神々が人類を支配する前の時代の事だ。その時代には月が落ちたという話がある様だが、その遺跡には落ちる月をも薙ぎ払った剣があるらしい。」

  

 

月を薙ぎ払った?

 

その剣が凄いのか、その剣の使い手が凄いのかわからないけど、スケールの大きな話だ。

 

「それほどの剣が世に出ずに埋もれているのは、それは担い手となる我を待っていただけの事。ゼンがその剣を手に入れて我に献じるのも悪くないが、我自ら足を運ぶのも一興よ。」

 

ギルガメッシュはそこまで話すと、演劇の様に手を振るって行き先を指し示す。

 

そんな姿も様になるのがギルガメッシュの凄いところだな。

 

「行くぞ、ゼン!愚者が我の財を盗み出す前にな!」

 

そう言って歩き出すギルガメッシュに並んで、俺と哮天犬も歩き出す。

 

そして辿り着いた遺跡で手に入れた宝具は、ギルガメッシュをも満足させるとてつもない逸品だったのだ。




次の投稿は15:00の予定です


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第13話

本日投稿5話目です


「フハハハハ!此度の冒険は良きものであった!ゼンよ!我に酒を献じよ!我が口にするにふさわしい酒をな!」

 

冒険からウルクに戻り玉座に座るギルガメッシュは、冒険で手に入れた歪な形をした剣を片手に、上機嫌に高笑いをしている。

 

「ギルガメッシュ。その剣を随分と気に入ったみたいだけど、それは何なんだ?」

 

俺は権能で神酒へと変化させた酒を、ギルガメッシュに渡しながら問う。

 

「ほう?この剣が気になるか?ゼンよ。」

 

俺から酒を受け取ったギルガメッシュは、手酌で酒を杯に注ぎながら剣を掲げる。

 

「この剣は宝具だ。そして、原初の力を内包している。」

「原初の力?」

 

俺はギルガメッシュが掲げる歪な形をした剣を見る。

 

原初の力なのかわからないが、俺は剣からもの凄い気配を感じている。

 

「そうだ。この剣は生命の記憶の原初であり、星の最古の姿にして、地獄を再現する。そういった宝貝だ。」

 

天地開闢。

 

俺が仙人として修行をしている中で老師に教わった事だ。

 

かつては世界の全てが混沌としており、天地は分かれておらずに1つだったらしい。

 

そして、とある出来事が起こった事で世界は天地開闢して今に至ると教わった。

 

「ほう?ゼンよ、貴様は原初の力を知っているようだな?」

「そう言うギルガメッシュも知っているみたいだけど?」

「我の目は全ての本質を見通す。故にこの剣の本質を見ればわかる事よ。」

 

ギルガメッシュが言う通りなら、この歪な剣は天地開闢の力を発揮出来るのだろう。

 

…とんでもない宝貝だな。

 

それとギルガメッシュの目も、宝貝に負けず劣らずに凄いものだ。

 

ギルガメッシュの目は所謂、千里眼と呼ばれるものなのだ。

 

伯父上に聞いた事なんだけど、千里眼を極めれば現在だけでなく、過去や未来も見通せる様になるそうだ。

 

ギルガメッシュも見ようと思えば過去や未来を見れるみたいだが、ギルガメッシュには見るつもりは無いそうだ。

 

「我と違いゼンにはこの目はなかろう?」

「先人が千年を超えて残してきた知識と、俺が百年生きて積み重ねてきた思考のおかげだろうね。」

  

「クハハ!神と違って仙人は随分と気が長い事よ。」

「仙人の中にも好奇心に負けて直ぐに動く奴が結構いるんだけどね。」

 

ギルガメッシュは杯の酒を飲み干すと、俺の目を見据えてくる。

 

「ゼンよ、我と友になり十数年経つが、まだ名を明かさぬつもりか?」

 

上機嫌に笑っていたギルガメッシュが、真剣な表情で俺を見てくる。

 

「ギルガメッシュ、君が友を作ったら名を明かすよ。」

「友ならば貴様がいるではないか!」

「それは俺がギルガメッシュの友になりに来たからだろう?だからギルガメッシュ自身の手で、他の誰かを友にして欲しいんだ。」

  

 

俺がそう言うと、ギルガメッシュは不機嫌だと言わんばかりにフンッ!と鼻を鳴らした。

 

このギルガメッシュに自分で友を作って欲しいというのは、俺とルガルバンダ殿の考えだ。

 

ギルガメッシュは生まれながらにして王である。

 

王とは人の上に立つ存在だ。

 

故に孤高であるのだが、孤独である必要は無い。

 

俺は中華の者だから、ずっとウルクにいるわけではない。

 

だからこそ常にギルガメッシュと一緒にいられる友を、ギルガメッシュに作って貰いたいのだ。

 

「友とは対等な者だ。ゼンよ、貴様は貴様以外に、この我に並び立てる者がいるとでも思うのか?」

  

 

ギルガメッシュは半神半人の王だ。

 

そのギルガメッシュに並び立つのは並大抵の事ではない。

 

でも…。

 

「世界は広いからね。もう1人ぐらいいてもいいんじゃないかな?」

「フンッ!」

 

ギルガメッシュは鼻を鳴らすと、手酌で杯に酒を注いでグイッと飲み干すのだった。




これで本日の投稿は終わりです

また来週お会いしましょう


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第14話

本日投稿1話目です


メソポタミアの天界にて、女神アルルは粘土を捏ねていた。

 

「うん、これでいいわ。後は軍神ニヌルタに頼んで力を与えて貰えば完成ね。」

 

創造の力を司る女神アルルはメソポタミアの最高神アヌの要請で、新たな命を創造していたのだ。

 

「天地開闢の力を手にしたギルガメッシュを危惧するのはわかるけど、本当にいいのかしら?」

 

女神アルルは、後は力を与えて命を吹き込むだけとなった粘土を見ながら首を傾げる。

 

「アヌ様もエンリル様も、もう少し『星』に目を向けて欲しいものなのだけど…。」

 

そう言うと女神アルルは、大きなため息を吐いたのだった。

 

 

 

 

ギルガメッシュが原初の力を持つ宝貝を手に入れてから数ヵ月程経った頃、政務を終えてウルクを見回るギルガメッシュの前に、狩人をしている民が訴え出て来た。

 

「ギルガメッシュ様、どうかお聞き入れをお願い致します。」

 

両膝を地について頭を下げる民に、ギルガメッシュが頷く。

 

「して、何があったか?」

「野で狩りをしておりました所、人の形をした獣に獲物を奪われました。

 このままでは狩りが出来ませぬ。」

 

狩人の訴えに、ギルガメッシュは面白そうに笑みを浮かべる。

 

「貴様の訴え、興をそそられたぞ。それに免じて我が歩みを止めた不敬を許そう。」

「はい!ありがとうございます!」

 

ギルガメッシュは伏して礼を言う狩人から俺に目を向けてくる。

 

「行くぞ、ゼン!我が庭に現れた人の形をした獣の見物にな!」

 

上機嫌に笑いながら歩き出すギルガメッシュの背に続いて、俺も歩き出すのだった。

 

 

 

 

「あれか。」

 

俺とギルガメッシュが野に辿り着くと、1人の獣がいた。

 

「随分と神の気配が強い獣もいたもんだね、ギルガメッシュ。」

「フンッ!どれほどの力があろうとも、理性も知性も無い獣では役にたたぬわ。」

 

そう言うとギルガメッシュは、興味を無くした様に背を向ける。

 

「ゼンよ、シャムハトを呼べ。」

 

聖娼婦シャムハト。

 

まぁ一言で言えば、神に仕える今の時代の王の相手を専門でする娼婦だ。

 

だけど王の相手をするだけあって、それ相応の教養と容姿を持った女性である。

 

そして、生まれながらにして王であるギルガメッシュに仕えるシャムハトは、ウルクを取り巻く都市国家の中でも一番の才女であり、美を司る女神にも負けない美人なのだ。

 

「どうするつもりかな、ギルガメッシュ?」

「アレの野性を取り除かさせる。まぁ、それに伴いアレの力も弱くなるだろうが、少しは我を楽しませるであろう。」

  

 

そう言うとギルガメッシュはウルクへと戻っていった。

 

 

 

 

シャムハトを獣の元に連れて行くと、シャムハトは獣と共に過ごして野性を抜いていった。

 

まぁ抜く方法がアレだったので、俺はシャムハトにそっと霊薬を渡しておいた。

 

シャムハトに野性を抜かれた獣は理性を得た事で、シャムハトから多くの知識を学んでいった。

 

そして僅か七日で獣は、神に作られたばかりとは思えない知性を得たのだった。

 

彼(彼女?)の名はエルキドゥと言うらしい

 

エルキドゥは女神アルルに創造された泥であり、性別がないそうだ。

 

そんなエルキドゥの見た目はもの凄い美少女なのだが、これは多くの事を教えてもらったシャムハトに敬意を表して、彼女の姿に似せているからだそうだ。

 

こうしてエルキドゥは理性と知性を得たのだが、代わりに野性と共に神に与えられた権能のほとんどを失った。

 

理性と知性を得たエルキドゥにギルガメッシュが会いに来たのだが、多くの権能を失ったと聞いたギルガメッシュは愉快そうに笑っていた。

 

 

そんな感じで対面したギルガメッシュとエルキドゥなのだが、その後のエルキドゥはギルガメッシュと行動を共にしている。

 

 

エルキドゥは俺やルガルバンダ殿の影響で神よりも人の事を考えた政をするギルガメッシュを、神の側に繋ぎ止める役割を与えられて地上に送られて来たと言っていた。

 

 

なのでその役割を果たす為にエルキドゥはギルガメッシュと一緒にいるのだが、俺の目にはギルガメッシュと一緒にいる事を楽しんでいる様に思える。

 

 

もちろんギルガメッシュも、エルキドゥと一緒に行動しているのを楽しんでいる。

 

これはそろそろギルガメッシュに名を名乗ってもよさそうだな。

 

そんな事を考えていた頃の事。

 

不意にエルキドゥがギルガメッシュに怒りを向けたのだった。




本日は5話投稿します

次の投稿は9:00の予定です


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第15話

本日投稿2話目です


「ギルガメッシュ、僕は君に失望したよ。」

 

ある日、俺が中華からウルクにやって来ると、エルキドゥが突然そんな事を言い出した。

 

「エンリル様がおっしゃっていたよ?ギルガメッシュは民を見捨てたって。」

 

エルキドゥの言葉を、ギルガメッシュは興味深そうに聞いている。

 

「ギルガメッシュは多くの財を持っている。なら、見捨てずに救う事も出来るんじゃないの?」

 

エルキドゥが話している間にシャムハトから聞いたのだが、ギルガメッシュは百人程の民を隔離したそうだ。

 

だがそれは先日、民が流行り病になったからとの事。

 

俺は以前にあらゆる病や毒を癒す霊薬をギルガメッシュに渡しているのだが、流行り病になった民の人数分には全く足りない。

 

なのでギルガメッシュはより多くの民を救う為に、その百人程の民を隔離したそうだ。

 

「エルキドゥよ、貴様ならどのようにして我の民を救う?」

「ゼンから貰った霊薬があるじゃないか!」

「確かに我の蔵にはゼンが献上した霊薬がある。だが、病になった民の数には

 とうてい足りぬ量しかない。」

「それでも!救える人がいるんじゃないか!」

 

エルキドゥが怒りに任せて声を張り上げる。

 

「エルキドゥよ、貴様は救える民がいるというが、霊薬を誰に与えるつもりだ?」

 

ギルガメッシュの言葉にエルキドゥは唇を噛み締める。

 

「それでも…、皆を見捨てるわけには…!」

「ほう?エルキドゥよ、どうするつもりだ?」

 

ギルガメッシュが問うと、エルキドゥは手を剣にしてギルガメッシュへと向ける。

 

「ギルガメッシュ、蔵の霊薬を僕に渡して。」

「フハハハハ!霊薬の数は足りぬと知りながら求めるか!」

 

ギルガメッシュは高笑いを収めると、玉座から立ち上がる。

 

「エルキドゥよ、欲しくば我から奪ってみせよ!」

「それでいいんだね、ギルガメッシュ?」

「我に二言は無い。エルキドゥよ、野にて待て。そこで我自ら貴様の相手をしてやろう。」

 

ギルガメッシュの言葉を聞いたエルキドゥは、直ぐに玉座の間を出ていった。

 

「ギルガメッシュ、いいのかな?」

「構わぬ。流行り病で気が沈んだウルクの民への良き余興となろう。」

 

俺が問うとギルガメッシュは僅かに唇を引き上げながら俺の問いに答える。

 

「しかし、エルキドゥは俺に霊薬を作らせるって発想は出なかったのかな?」

「エンリルの言葉に動揺してそこまで気が回らなかったのであろう。初な奴よ。」

 

考えてみればエルキドゥは、まだ生まれてからあまり時が経っていないのだ。

 

神に作られたとはいえ、まだ赤ん坊同然。

 

知性や理性を得ても、感情の整理の仕方を知らないのだろう。

 

「ところでゼンよ、哮天犬はどうした?」

「知っていて聞いてるよね?」

「フハハハハ!事を知った時のエルキドゥの顔が見物よ!」

 

今から霊薬を作っていては間に合わない。

 

なので哮天犬には、俺の廓に備蓄してある霊薬を取りに行ってもらったのだ。

 

「行くぞ、ゼン!エルキドゥに王とは何かを教えてやるのだ!」

 

上機嫌に高笑いしながら歩き出すギルガメッシュの姿にため息を吐くと、俺も野に向かって歩き出す。

 

「エンリル様がおっしゃっていた…か。」

 

そう呟くと俺は天を見上げる。

 

「何やら面倒な事になりそうだけど、それもまた面白そうだ。」

 

その後、ギルガメッシュと共にウルクの野に辿り着くと、既に臨戦態勢になっているエルキドゥの姿があった。

 

そして後に神話として語られる事になる、ギルガメッシュとエルキドゥの戦いが始まるのだった。




次の投稿は11:00の予定です


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第16話

本日投稿3話目です


ウルクにある野に辿り着くと、既に臨戦態勢のエルキドゥの姿があった。

 

そのエルキドゥの姿を見たギルガメッシュは口角をつり上げる。

 

「準備万端の様だな、エルキドゥ。良いぞ、先手は譲ってやろう。」

 

ギルガメッシュの言葉が合図となり、エルキドゥが仕掛ける。

 

エルキドゥは手にしていた剣でギルガメッシュに斬り掛かる。

 

ギルガメッシュは自身の背後に黄金の波紋を浮かべると、そこから剣を取り出す。

 

ギルガメッシュの背後に浮かんだ黄金の波紋は、ギルガメッシュが冒険で集めた財が納められている蔵に繋がっている。

納められている蔵に繋がっている。

 

そしてこの黄金の波紋を作り出しているのは、ギルガメッシュが冒険で手に入れた

鍵の形をした宝貝の力によるものだ。

 

手にした剣でギルガメッシュはエルキドゥの一太刀を払い飛ばす。

 

払い飛ばされたエルキドゥの剣は、砕けて土へと還った。

 

「武器の扱いの基本が成っていないな、エルキドゥ。」

「っ!?」

 

ギルガメッシュは幼少時に、俺から武器の扱い方を学んでいる。

 

もっともそれは基礎だけなのだが、その基礎も無いエルキドゥとの差は歴然だ。

 

「少しは我を楽しませろよ、エルキドゥ?」

 

そう言うと今度はギルガメッシュから仕掛ける。

 

エルキドゥは自身の権能で足下の土を盛り上がらせると、土を剣に変えて手に取る。

 

ギルガメッシュが頭上から叩く様に剣を振り下ろすのを、エルキドゥが受け止める。

 

「くっ!」

「どうした、エルキドゥ?我は王であり、戦士では無い。その我の一撃に苦戦している様では、

 貴様に霊薬を与えるわけにはいかんな。」

 

ギルガメッシュはそう言いながら、エルキドゥを力任せに弾き飛ばす。

 

エルキドゥは弾き飛ばされるままに後方に飛ぶと、また権能を使って土を盛り上がらせる。

 

だが、今度は剣を手に取るのではなく、剣をギルガメッシュに向けて飛ばした。

 

エルキドゥが飛ばした剣はギルガメッシュの頬を掠めて、ギルガメッシュに血を流させた。

 

「ギルガメッシュ、この力を君に向けたくなかったけど、僕は皆を救いたいんだ。」

 

そう言うとエルキドゥは周囲の土を剣や槍等の武器に変えて、自身の周囲に浮かべると、その刃をギルガメッシュに向けた。

その刃をギルガメッシュに向けた。

 

「ギルガメッシュ、降参して。僕はこれ以上、君を傷付けたく無い。」

 

エルキドゥの言葉に、ギルガメッシュは堪えきれないとばかりに高笑いをする。

 

「フハハハハ!」

 

ギルガメッシュの高笑いに、エルキドゥは眉を寄せる。

 

すると…。

 

ドンッ!

 

ギルガメッシュの背後に浮かんだ黄金の波紋から剣が撃ち出されて、エルキドゥの頬を斬り裂いた。

エルキドゥの頬を斬り裂いた。

 

「この程度の児技、我に出来ぬと思ったか?」

 

そう言うとギルガメッシュは、自身の背後に幾つもの黄金の波紋を浮かべて、その波紋から武器の刃をエルキドゥへと向けた。

その波紋から武器の刃をエルキドゥへと向けた。

 

「そんな非効率的な…。」

「凡百の雑種共にとっては非効率であろう。だが、王たる我にはこの程度の財は取るに足らぬ量でしかない。なぜなら、この世の財は全て我の物だからな!」

 取るに足らぬ量でしかない。なぜなら、この世の財は全て我の物だからな!」

 

そう言うとギルガメッシュは背後に浮かんだ黄金の波紋から、数多の武器を射出していく。

 

武器に銘は無いが、射出されている武器は全て宝貝だ。

 

「くっ!」

 

それに対する様にエルキドゥも土で作った武器を射出していく。

 

だが射出する物の質の差が響き、エルキドゥは徐々に追い詰められていく。

 

「フハハハハ!どうしたエルキドゥ!我に遠慮はいらぬぞ!」

 

ギルガメッシュの言葉でエルキドゥは一度目を瞑る。

 

そして目を開けたエルキドゥは、その目に覚悟を宿していた。

 

「どうなっても知らないよ…、ギルガメッシュ!」

 

エルキドゥの言葉と共に周囲の土だけでなく、草花もエルキドゥの支配下へと置かれた。

 

それを目にしたギルガメッシュは、これまで以上に上機嫌に高笑いをした。

 

「フハハハハ!それでいい!それでこそ我自らが力を振るう価値があるというものだ!」

 

その後、ギルガメッシュとエルキドゥの戦いは三日三晩続いていく。

 

そして2人の戦いが4日目を迎えた時、ギルガメッシュは遂に原初の力を持つ

あの宝貝を抜き放つのだった。




次の投稿は13:00の予定です


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第17話

本日投稿4話目です


ギルガメッシュとエルキドゥの戦いは野を荒野に変える程に激しく続いていた。

 

「フハハハハ!やるではないか、エルキドゥ!」

「ギルガメッシュこそね!」

 

双方共に武器を射出する事を戦いの主軸としているが、時折斬り込んでは

相手に傷を負わせていく。

 

そんな戦いが3日3晩も続くと、流石に2人共に満身創痍と言える程にボロボロになっている。

 

そして迎えた4日目の朝。

 

まるで示し合わせた様に2人の攻撃が止まった。

 

「認めよう。エルキドゥよ、貴様はこの我が本気を出すに相応しい相手だ。」

 

そう言うとギルガメッシュは、黄金の波紋から鍵の形をした宝貝を取り出した。

 

「我が唯一認めた我が担うに足る宝貝は、我の蔵の最奥にある。こうして取り出すのは初めての事よ。光栄に思うのだな、エルキドゥ!」

 初めての事よ。光栄に思うのだな、エルキドゥ!」

 

鍵の形をした宝貝を使うと、ギルガメッシュは黄金の波紋から現れた歪な形をした剣を手に取る。

 

「乖離剣エア。我はそう呼んでいる。」

 

ギルガメッシュが手に取った乖離剣エアの刀身が回転を始めて風を生み出していく。

 

それを見たエルキドゥは地に手をつける。

 

すると、エルキドゥを中心として地に何かの紋様が浮かび上がった。

 

「ほう?それが貴様の真の権能か、エルキドゥ。」

 

エルキドゥを中心とした紋様から、次々と黄金の武器が浮かび上がっていく。

 

浮かび上がる黄金の武器から感じる気配は、その1つ1つが宝貝に匹敵する程だ。

 

「僕は繋ぎ止める者…。それが僕の役割であり、僕が有する権能だ。」

 

そう言ってエルキドゥが手を振るう。

 

すると、浮かび上がった黄金の武器が寄り集い1つの鎖となる。

 

そして鎖は束ねられ形を変えると、巨大な黄金の槍となった。

 

エルキドゥが振るおうとする力を見て、ギルガメッシュは上機嫌に高笑いをする。

 

「フハハハハ!」

 

ギルガメッシュは高笑いをしながら乖離剣エアにありったけの力を注ぎ込んでいく。

 

それに呼応する様にエルキドゥも黄金の槍に力を注ぎ込んでいく。

 

「2人共、俺がいるのを絶対に忘れてるだろ。」

 

俺はため息を吐きながら、腰に括っていた竹筒を手に取る。

 

竹筒の蓋を外すと、中の神酒を宙に撒く。

 

そして治水の権能を使って、神酒を膜の様にして俺の全身を覆った。

 

「行くぞ、エルキドゥ!」

「行くよ、ギルガメッシュ!」

 

掛け声と共に、ギルガメッシュとエルキドゥが同時に力を振るう。

 

天地乖離す開闢の星(エヌマ・エリシュ)!」

人よ、神を繋ぎ止めよう(エヌマ・エリシュ)!」

 

天地開闢の力と星の力がぶつかりあうと、その力の奔流で2人の姿は見えなくなったのだった。




次の投稿は15:00の予定です


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第18話

本日投稿5話目です


ギルガメッシュとエルキドゥの力の余波で、辺りには土埃が舞い上がっていた。

 

「流石に天地開闢の力は凄いものだな。力の余波だけで俺の『水鏡の守護結界』が限界寸前なんだからなぁ…」

 限界寸前なんだからなぁ…」

 

『水鏡の守護結界』

 

これは二郎が使える最強の守護結界である。

 

二郎の権能である『治水』は『あらゆる水は二郎に害をなさない』という概念を持つが、二郎はその概念を修行で『あらゆる水は二郎を害から守護する』へと昇華させたのだ。

 

そして、その権能を用いて作り出すのが『水鏡の守護結界』である。

 

この水鏡の守護結界がある故に、二郎の守りを突破する事は非常に困難である。

 

だが、最高の触媒の1つである神酒を用いて作った水鏡の守護結界が、今回のギルガメッシュとエルキドゥの戦いの余波だけで突破されそうになったのだ。

 

「それにエルキドゥのあの力、もの凄い大きな気がエルキドゥに流れ込んでいた。あれは大地の…いや、『星』の力か?」

 

二郎がギルガメッシュとエルキドゥの戦いの考察をしていると、やがて土埃が晴れていく。

 

そして戦いの影響で大きなクレーターとなった場所に倒れるギルガメッシュとエルキドゥの姿を見つけると、二郎はため息を吐いた。

 

「2人で楽しそうに笑っているけど、この後始末は誰がするんだ?」

 

きっと自分がするんだろうなと思った二郎はまた1つため息を吐くとゆっくりと2人の元に歩み寄っていくのだった。

 

 

 

 

「フハハハハ!」

「あはははは!」

 

全力を出しきったギルガメッシュとエルキドゥは、地に倒れたまま爽やかに笑っていた。

 

笑いを収めたギルガメッシュは力を振り絞って身体を起こすとまだ倒れているエルキドゥを見て話し出す。

 

「見事だったぞ、エルキドゥ。褒美に霊薬を取らせる。」

 

そう言うとギルガメッシュは、黄金の波紋から霊薬が入った容器を取り出すが、身体を起こしたエルキドゥは首を横に振る。

 

「もういいよ、ギルガメッシュ。僕には誰を救うのか選べないから…。」

 

そう言うとエルキドゥは悲し気に笑う。

 

「選ぶ必要はないぞ、エルキドゥ。何故なら、我の民は既に救ってあるからな。」

「…え?」

 

ギルガメッシュの言葉にエルキドゥは呆然とする。

 

すると、エルキドゥのその反応を見たギルガメッシュが大声で笑い出す。

 

「ウルクの民は救ってあると言ったのだ!」

「はは…、僕の行動は無駄だったんだね…。」

「フハハハハ!中々の道化っぷりだったぞ、エルキドゥ!」

 

ギルガメッシュの言葉にエルキドゥは目に見えて落ち込んでしまう。

 

そのエルキドゥの様子を見て、ギルガメッシュはまた笑い出す。

 

「エルキドゥをからかうのもそこまでにしときなよ、ギルガメッシュ。」

 

そんなギルガメッシュに、二郎は制止の声を掛けた。

 

「それに、ウルクの民を救ったのはギルガメッシュじゃなくて俺なんだけど?」

「友である貴様が救ったのなら、我が救ったのも同然だ!」

「どんな理屈だよ…。まぁ、いいけどね。」

 

ギルガメッシュのワガママっぷりに、二郎は頭を掻きながら苦笑いをする。

 

「さて、エルキドゥよ。貴様は霊薬をいらぬと言ったな?」

「…うん、もういらないよ。」

 

落ち込んでいたエルキドゥは、大きくため息を吐いてからギルガメッシュの言葉に応えた。

 

「なれば代わりの褒美を与える。エルキドゥよ、我の友になれ!」

 

ギルガメッシュの言葉にエルキドゥは目を見開く。

 

「ギルガメッシュ、僕は君の監視役なんだよ?」

「たわけ!その程度の事はとうに知っておるわ!」

 

エルキドゥはギルガメッシュの言葉に戸惑ってしまう。

 

そんなエルキドゥの様子にギルガメッシュは苛立ちの様子を見せる。

 

「エルキドゥよ、貴様は我の友になるのは嫌と言うのか?」

「いや、違うよ!でも僕は…。」

「貴様が何者であろうと関係無い!我は貴様を認めたのだ!我の友になれ!」

 

ギルガメッシュはボロボロの身体でふらつきながらも立ち上がると、エルキドゥに手を差し伸ばした。

 

差し伸ばされたギルガメッシュの手を見たエルキドゥは、一度目を瞑ると微笑みながら目を開く。

 

そして…。

 

「うん、君が望むなら。」

 

そう言ってエルキドゥはギルガメッシュの手を取ったのだった。

 

 

 

 

ギルガメッシュ叙事詩の一節にはこう綴られている。

 

 

『エンリルの神託により、エルキドゥはウルクの財を奪うべくギルガメッシュに戦いを挑んだ。』

 

『野にて始まったギルガメッシュとエルキドゥの戦いは三日三晩に及ぶ激しいものだった。』

 

『戦いの後にお互いを認めあった2人は、治水の神ゼンの前で友となる事を誓った。』

 

 

この一節はギルガメッシュ叙事詩を代表する話として有名である。

 

そしてこの後にギルガメッシュは、多くの冒険をエルキドゥやゼンと共に

乗り越えていくのだった。




これで本日の投稿は終わりです

また来週お会いしましょう


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第19話

本日投稿1話目です


エルキドゥがギルガメッシュの友となってから数ヵ月が経った頃、ルガルバンダ殿が亡くなった。

 

元々病弱だったルガルバンダ殿は王位を退くと神の加護を失い、以前の病弱な

体質に戻ってしまっていた。

 

その為、これまでは俺が霊薬を融通して病にならない様にしていたのだが、千年を超える王としての激務で精魂が尽きていたルガルバンダ殿の身体は、少しずつ衰弱していってしまったのだ。

 

俺は体質を改善する霊薬をと提案したのだが、ルガルバンダ殿はその霊薬を飲むことを拒んだ。

 

「二郎殿、我に残された最後の役目はギルガメッシュに死を教える事だ。」

 

そう言ったルガルバンダ殿は、日々老いて衰えていく自分の姿を隠さずにギルガメッシュに見せていった。

 

そして先日、最後の時にギルガメッシュと少し話をすると、俺やギルガメッシュ達に見守られながら眠る様に逝った。

 

ルガルバンダ殿の魂は、魂の扱いの専門家である仙人の俺が、ウルクを始めとした近隣の者達が死後に旅立つ冥界に案内をした。

 

ルガルバンダ殿の名はウルクだけでなく、中華やギリシャ、ケルトの神々にも知られていた程だ。

 

彼の死を悼み、献杯をするのも当然の事だろう。

 

その献杯をしていた時の事。

 

不意にギルガメッシュが俺に問い掛けてきたのだった。

 

 

 

 

「二郎よ、死とは何だ?」

 

亡くなったルガルバンダ殿に献杯をしていると、ギルガメッシュは数ヵ月前に名乗った俺の名を呼んで問い掛けてくる。

 

「随分と難しい問いをしてくるね。」

「仙人は宇宙と人生の真理を探求していると言っていたであろう?」

 

俺はギルガメッシュの言葉に、手にしていた杯を置いて苦笑いをする。

 

「二郎よ、お前は少なくとも1回は死を経験しているであろう?答えよ、死とは何だ?」

 

あらゆるモノの本質を見抜くギルガメッシュの目は、俺が転生者である事も見抜いている。

 

「ギルガメッシュ、それは100年以上前の事だから忘れちゃったよ。

 それに俺にとって肉体的な死は、死で無くなっているからね。」

 

反魂の術を極めた仙人は自らの意思で転生する事が出来る。

 

なので一般的に考えられている死の概念は、仙人にとっては死では無いのだ。

 

もっともそのせいで多くの仙人は百年、千年と経っても宇宙と人生の真理に

辿り着けないのだが…。

 

「だから、俺にとっての死でいいのなら答えるよ。」

「ほう?構わん、話すがいい。」

 

今まで大人しく聞いていたエルキドゥも興味があるのか耳を傾けてきている。

 

「俺にとっての死とは、『俺が俺で無くなる事』だね。」

 

俺の答えを聞いたギルガメッシュは、杯を置いて腕を組むと目を瞑った。

 

そして少しの間沈黙をすると、不意にギルガメッシュは笑い出したのだった。

 

「フハハハハ!なるほど、確かにそれは死にも等しい事だ!」

 

俺の答えに満足したのか、ギルガメッシュは杯を手に取ると酒を飲み干した。

 

エルキドゥはまだ首を捻って考えている。

 

「これはあくまでも俺の答え。だからギルガメッシュやエルキドゥも同じ答えになるとは限らないよ。」

 同じ答えになるとは限らないよ。」

「そうであろうな。我が我以外になるなどありえんからな、フハハハハ!」

 

この日、ルガルバンダ殿が亡くなってから難しい顔で考え込む事が増えていたギルガメッシュの顔に笑顔が戻ったのだった。




本日は5話投稿します

次の投稿は9:00の予定です


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第20話

本日投稿2話目です


ルガルバンダ殿が亡くなってからウルクは1ヶ月程喪に服したが、それが明けるとギルガメッシュはエルキドゥと共に多くの冒険をしていった。

 

エルキドゥとの戦いで多くの財を使ったのも影響しているのだろう。

 

2人が冒険をしている間、俺は中華に帰っていた。

 

2人の戦いを見て思う所があり修行をしたかったのと、叔父上からの呼び出しが重なった結果だ。

 

叔父上の呼び出しは、妹の蓮が女仙のまとめ役となり『三聖母』と名乗る様になったとの報告だった。

 

あの可愛らしかった妹の蓮が、今では立派な仙人になったのか…。

 

時が経つのは早いものだ。

 

それで叔父上の用事は終わりではなかった。

 

叔父上は蓮…、三聖母の女仙まとめ役就任祝いに、宝貝を集めてくれと言ってきた。

 

俺は快く承諾して中華の地を中心に宝貝を集めていった。

 

時折、冒険をしていたギルガメッシュ達と鉢合わせる事があったが、その時はどちらが宝貝を手に入れるか競争をして楽しんでいった。

 

一見すると1対2で不利に見えるが、俺には空を自在に飛べる哮天犬がいるので問題無い。

 

むしろ、空を飛べる利が活きて俺が勝つ事が多かった。

 

ギルガメッシュは負けると地団駄を踏んで悔しがった。

 

俺とエルキドゥはその姿を見て大笑いだ。

 

その競争の中で空を飛べる船の宝貝を手に入れた時のギルガメッシュは、乖離剣エアを手に入れた時と同じぐらい喜んでいた。

 

そんな感じで時には一緒に、時には別行動をして1年が経った頃の事。

 

久し振りにウルクを訪れると、不機嫌に俺を待っていたギルガメッシュがいたのだった。

 

 

 

 

「遅いぞ、二郎!我を待たせるとは何事だ!」

 

久し振りにウルクに訪れて、開口一番に言われるのがそれなのか。

 

俺はギルガメッシュの言葉に苦笑いをする。

 

「それで、何があったのかなエルキドゥ?」

「キシュの王アッガから使者が来たんだよ、二郎。」

 

キシュの王アッガから?

 

俺が首を傾げていると、ギルガメッシュが上機嫌に高笑いをする。

 

「フハハハハ!その通りよ!」

「それで?使者は何の為にウルクに来たのかな?」

「宣戦布告だ。」

 

…はぁ?

 

宣戦布告という言葉に呆然としていると、ギルガメッシュがまた高笑いをする。

 

「キシュの国としての規模は我のウルクよりも大きい。キシュとの戦はさぞやよい眺めとなるであろうよ、フハハハハ!」

 

俺とエルキドゥは目を合わせると、ギルガメッシュの高笑いに苦笑いをする。

 

「財は十分に集まった。ならば、後は高みへと昇っていくだけの事だ。此度のキシュとの戦は丁度よい機会よ。」

 

そこまで言うと、ギルガメッシュは玉座から立ち上がった。

 

「二郎、エルキドゥ。よく見ておけ。この我が英雄の王となる第一歩をな、フハハハハ!」

 

ギルガメッシュは高笑いをしながら黄金の波紋から鎧を取り出す。

 

この鎧は、冒険で手に入れた呪いを拒絶する黄金の鎧だ。

 

その鎧を身に付けると、ギルガメッシュは威風堂々と歩き出したのだった。




次の投稿は11:00の予定です


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第21話

本日投稿3話目です


キシュの王アッガから宣戦布告の使者がやって来てから3ヶ月。

 

キシュの兵がウルクを取り囲んでいた。

 

「キシュの兵の数はウルクの5倍といったところか。」

 

キシュの兵達を一見したギルガメッシュが、相手の数を看破する。

 

「ギルガメッシュ、勝算は?」

「エルキドゥよ、我とお前がいて負けるとでも思うのか?」

 

ギルガメッシュの返答にエルキドゥは苦笑いをする。

 

「負けるとは思わないけど、民の犠牲は少ない方がいいでしょ?」

「フンッ!我の財である民を、我が無駄にする筈がなかろうが!」

 

胸を張ってそう言いきるギルガメッシュに、エルキドゥは微笑む。

 

「それで、どう戦うつもりなんだ。ギルガメッシュ?」

「簡単な事だ。エルキドゥが守り、我が雑種共を蹴散らす。」

 

俺の問いにギルガメッシュはそう答える。

 

「キシュの王アッガは、父ルガルバンダが認めた程の相手だ。我自ら試すのも一興であろう。」

 

そう言って笑みを見せるギルガメッシュの表情は、王としての威風に満ちていた。

 

「慢心して足元を掬われない様に。」

「フハハハハ!慢心せずして何が王か!」

 

圧倒的な自負を持つギルガメッシュは友である俺とエルキドゥ以外の者を、見下ろすどころか見下しているところがある。

 

それはギルガメッシュらしいと言えるのだが、友としては心配になる事が多いのだ。

 

「二郎よ、よく見ておけ!我が英雄となる戦いをな!」

 

そう言ってギルガメッシュは、まるで散歩でもする様にキシュの兵達の前に歩いていったのだった。

 

 

 

 

ギルガメッシュがキシュの兵達の前に進み出ると、キシュの兵達の間からアッガが進み出て来た。

 

ギルガメッシュとアッガが戦いが始まる前の口上を幾らか交わすと、いよいよ戦いが始まった。

 

キシュの兵数万人に対して、ウルクの戦力はギルガメッシュとエルキドゥの2人のみだ。

 

ウルクにも数千人の兵がいるのだが、ギルガメッシュは今回の戦いに兵を用いない事を決めた。

 

その理由はエルキドゥにあった。

 

エルキドゥは病が流行した時に一度ギルガメッシュと本気で戦っている。

 

エルキドゥは民を救う為にギルガメッシュと戦ったのだが、ギルガメッシュが既に民を救う手立てを立てていた事で民の目にはエルキドゥがギルガメッシュに剣を向けたとしか映らなかったのだ。

 

そのせいでエルキドゥはウルクの民に受け入れられていないところがある。

 

その為、今回の戦いを利用してエルキドゥをウルクの民に認めさせようというのが、ギルガメッシュの思惑なのだ。

 

戦いが始まるとエルキドゥは地に手をついてウルクの大地を掌握する。

 

そして、土を武器に変えて、ウルクに攻め入ろうとするキシュの兵を迎撃していった。

 

対してギルガメッシュは黄金の波紋から武器を撃ち出してキシュの兵を蹂躙していく。

 

時折、武器の雨を掻い潜ってギルガメッシュに肉薄する兵がいるのだが、その兵はギルガメッシュが手にする剣で斬り捨てられた。

 

ギルガメッシュが手にする剣は、冒険で手に入れた宝貝だ。

 

ギルガメッシュ曰く、選定の剣であるらしい。

 

選定の剣は力を解放すると光を放って敵を撃つ事が出来るんだとさ。

 

その光は天地開闢の力には遠く及ばないが使い勝手がよくギルガメッシュはあの選定の剣を気に入っているようだ。

 

戦いが始まって1時間程経つと、キシュの王アッガが戦斧を片手にギルガメッシュの前に出てきた。

 

どうやら一騎討ちをする様だ。

 

ギルガメッシュとアッガの一騎討ちが始まると、キシュの兵達はウルクに攻め入ろうとするのを止め、2人の戦いを見守った。

 

エルキドゥも攻撃を止めて2人の戦いを見守っていく。

 

ギルガメッシュとアッガの戦いは、俺の目にはアッガの方が戦士として優れている様に見える。

 

アッガの方が力、速さ共にギルガメッシュを上回っているのだ。

 

だが、ギルガメッシュは戦略的に相手を誘導してアッガと互角に渡り合っていく。

 

戦う者としての才はアッガが、戦いの才はギルガメッシュが優れている。

 

そんな2人の戦いは丸1日続いた。

 

2人の余力は十分だったのだが、戦いは唐突に終わりを告げた。

 

なんと、アッガの戦斧が砕けてしまったのだ。

 

宝貝を相手に人が作った戦斧で丸1日打ち合うアッガの技量は、この時代の戦士の中でも群を抜いて高いと言えるだろう。

 

だがそれ故に、アッガは戦斧無しでギルガメッシュに勝ち得ない事を悟ってしまった。

 

アッガは戦斧を放り捨てると、地に腰を下ろした。

 

そして、ギルガメッシュに己の首1つで兵の助命を願い出た。

 

だが、ギルガメッシュは…。

 

「此度の戦い、中々に楽しめたぞ。アッガよ、その褒美としてウルクを襲った不敬を許そう。」

 

ギルガメッシュの言葉に、アッガは眉を寄せる。

 

「ウルクの王ギルガメッシュよ、我に情けをかけるのか?」

「情けではない、借りを返しただけの事よ。」

 

ギルガメッシュの言葉にアッガは首を傾げる。

 

「借り?」

「我が冒険をしていた時、我は貴様に水と食料を与えられた。その借りを返しただけの事よ。」

 

アッガはギルガメッシュの顔をよく見ると、不意に笑いだした。

 

「ハッハッハッ!思い出したぞ!あの時の旅人か!」

「我は相手が何人であろうと借りを作ったままにはしておかぬ。疾く去るがいい。」

 

アッガは立ち上がると指示を出して兵に帰る準備をさせた。

 

「戦に敗れた我は王位を剥奪されるだろう。だが残ったこの命、楽しませて貰おう。」

 

去り際にアッガはそう言うと、何かから解放された様に笑みを見せた。

 

「アッガよ、此度は何故にウルクを狙った?キシュに何の益があった?」

「如何にルガルバンダの子でもそれはわからぬか。」

 

そう言ってアッガは愉快そうに笑う。

 

ギルガメッシュが不快そうに顔を歪めると、アッガは笑いを収めて問いに答えた。

 

「ウルクの王ギルガメッシュよ、ウルクを狙ったのは神託があったからだ。」

「神託?」

「そうだ。エンリル様からの神託だ。」

 

そう答えたアッガは軽く手を上げて合図を出すと、兵と共にキシュへと帰っていった。

 

その場に残されたギルガメッシュは、顎に手を当てて何かを考え続けたのだった。




次の投稿は13:00の予定です


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第22話

本日投稿4話目です


キシュの王アッガとの戦にギルガメッシュが勝ってから数年経った。

 

その数年の間にギルガメッシュは、エルキドゥと共に世界中を冒険して財を集めていった。

 

俺も時折冒険に参加していたのだが、ギルガメッシュが王として名を上げた事で、

中華でも人の王をと勝手に動き出す連中が増えたので、その連中の討伐で忙しくなっていた。

 

伯父上は中華で人の王とするべき者を慎重に選ぼうとしているのだが、他の連中が急かしたり、勝手に動いた奴の確認や討伐の指示をしたりしているので、中々選定の作業が進まないようだ。

 

そんな感じで伯父上と一緒に忙しい日々を中華で送っていた俺だが、それでも暇を見つけてはウルクに訪れてギルガメッシュやエルキドゥと友好を深めていった。

 

3人で共にギリシャやケルトと呼ばれる地も冒険して財を集めていったな。

 

そんな感じで冒険の日々を送ってウルクに戻った日の事。

 

ウルクの森にフンババという怪物が現れた。

 

ギルガメッシュはフンババの存在を精霊の一種だと言っていた。

 

フンババは咆哮で洪水を起こし、口から火を吐いて森を焼き、毒を撒き散らしてウルクの森の獣達を蹂躙していっているらしい。

 

ギルガメッシュはフンババの討伐を即断した。

 

空を飛ぶ船にエルキドゥと共に乗り込んだギルガメッシュは森に向かった。

 

俺?

 

俺は戦勝祝いの宴の準備をシャムハトと一緒にやってるよ。

 

フンババの討伐に向かったギルガメッシュとエルキドゥは翌日に帰ってきた。

 

戻って来たエルキドゥが言うには、フンババはその命をメソポタミアの至高神エンリルに受け、太陽神ウトゥに育てられたそうだ。

 

そのせいなのか、その力は強大で手強かった様だ。

 

そのフンババを討伐する際にギルガメッシュは、エルキドゥの権能の黄金の鎖でフンババを縛り上げてから天地開闢の力を使ったらしい。

 

それで天地開闢の力を使った結果、ウルクに新たな川が出来てしまったそうだ。

 

…流石は天地開闢の力というべきなのかな?

 

でもさ、急に水の流れが変わったりしたら川が荒れたりするぞ。

 

え?俺が治水すればいい?

 

友の使い方が荒い奴だ。

 

まぁ、いいけどね。

 

治水そのものはすぐに終わるので、治水のついでに新たに出来た川で宴をする事にした。

 

それも、ウルクの民も参加する盛大な宴にしてだ。

 

その宴で俺は治水をした後、中華の天界から持ってきていた『仙桃』を使って新たな川を酒に変えた。

 

この酒は翌日には身体の中で水になるので、子供でも酒毒にやられない素晴らしい酒なのだ。

 

そう説明すると、ウルクの民は文字通りに浴びる様にして酒を飲んでいった。

 

その様子を見てギルガメッシュは満足そうに高笑いをしていた。

 

この宴は無礼講という事で、ギルガメッシュも民と同じ様に川に入って酒を飲んでいる。

 

ギルガメッシュはエルキドゥも川に引き込んでとても楽しそうだ

 

だが、そんな楽しい宴で一悶着が起きてしまう。

 

美と豊穣と戦を司る女神イシュタルが、ギルガメッシュの元にやって来たのだった。

 

 

 

 

「ギルガメッシュ、貴方を私の夫にしてあげる。光栄に思いなさい。」

 

女神イシュタルが妖艶に微笑みながらそう言う。

 

女神イシュタルはフンババ討伐を祝いに来たわけでもなく、たまたまウルクの民が楽しんでいる姿を見つけて気紛れで来た様だ。

 

そんな女神イシュタルは酒に変わった川に上半身をはだけて入り、酒を飲んでいるギルガメッシュの姿に一目惚れをしてしまった。

 

そして女神イシュタルはギルガメッシュに求婚をしたのだ。

 

今の時代、男女の付き合いは結婚と同義である。

 

故に女神イシュタルはギルガメッシュに求婚をした。

 

そして人々が神の慈悲にすがっている今の時代、神からの求婚は断れるものではない。

 

だが…。

 

「断る!」

 

ギルガメッシュは女神イシュタルの求婚を即座に断った。

 

求婚を断られた女神イシュタルは口をパクパクさせている。

 

「何故我が凡百の王達の様に、己以外の誰かに伴侶を決められなければならぬのだ?」

 

求婚を断ったギルガメッシュの姿にウルクの民がざわついている。

 

「それに、貴様ごときの器量で我の妻になろうなど傲慢が過ぎるというものだ。我への不敬は許す故、宴から疾く去るがよい。」

 

神への物言いと考えればギルガメッシュの言葉は不敬と言えるものだ。

 

だが、ギルガメッシュは度重なるエンリルの行動で神に不信を抱いている。

 

宴の途中でエルキドゥに聞いた話では、フンババをウルクの森に送ったのもエンリルらしいのだ。

 

「ギルガメッシュ、私に恥をかかせるなんて…。ただではすませないわよ!」

 

そう言うと女神イシュタルは宴から去っていった。

 

ギルガメッシュは女神イシュタルの後ろ姿を見て鼻を鳴らすと、手にしていた杯で川の酒を掬い上げて飲み干したのだった。




次の投稿は15:00の予定です


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第23話

本日投稿5話目です


「エルキドゥ、君の髪の毛を一本くれないかな?」

「いきなりどうしたの、二郎?」

 

フンババ討伐を祝った宴の翌日、俺はエルキドゥにそう頼んだ。

 

「これから訪れるかもしれない、ろくでもない未来を回避する為の準備といったところかな。」

 準備といったところかな。」

「ろくでもない未来?」

「そう。エルキドゥ、確認するけど君はエンリルの眷属なんだよね?」

 

俺の言葉にエルキドゥは頷く。

 

「あぁ、そういう事か…。二郎、何とかなるの?」

「神の楔を一朝一夕に何とかする事はまだ出来ないから、ちょっと準備が必要だけどね。」

「それでも何とか出来るんだ。凄いね、二郎。」

「魂の扱いに関しては、仙人に勝る者はいないというのが中華の自負だからね。」

 

おどける様にしてそう言うと、エルキドゥはクスクスと笑う。

 

「ねぇ、二郎。ギルは気づいていないのかな?」

「気づかない振りをしているんだろうね。」

「気づかない振り?」

「うん、もしくは気づきたくないとも言えるかな。」

 

エルキドゥは俺の言葉に首を傾げる。

 

「二郎、なんでギルは気づきたくないの?」

「怖いんだろうね。」

「怖い?」

「そう、友を失うのが怖いのさ。もっとも、ギルガメッシュ自身はその感情に気づいてないかもしれないけどね。」

 

俺は側にいる哮天犬の頭を撫でる。

 

哮天犬は嬉しそうに尻尾を振る。

 

「ギルガメッシュは生まれながらにして王となる者。そんなギルガメッシュにとって、身内といえるのはルガルバンダ殿だけだった。」

 

エルキドゥは俺の話に耳を傾けている。

 

「そのルガルバンダ殿が亡くなった事で、ギルガメッシュは死について考える様になった。でも無意識にあまり深く考えない様にしているみたいだね。」

「それはなんで?」

「人にとって死は避けられないものだからさ。」

 

俺は腰に括っていた竹の水筒の神水を一口飲んでから話を続ける。

 

「ギルガメッシュは人の王だ。だからギルガメッシュは、神々の様に不老不死になって死を避けるのは人の理に反すると考えたんだろうね。そしてルガルバンダ殿から死を学んだ事で、失う事を怖れる様になったんだと思う。」

「怖いのに避けられない、だから考えない?」

「たぶんね。」

 

俺はまた一口神水を飲む。

 

哮天犬が「く~ん。」と鳴いて神水をねだるので、手を受け皿にして神水をあげる。

 

「それは問題の先送りだよね?」

「そうだね。」

「あのギルがそんな事を?」

 

エルキドゥは不思議そうに首を傾げている。

 

「確かにギルガメッシュは凄い優秀だけど、まだまだ若いからね。感情を制御、理解出来ない事だってあるさ。」

 

俺が肩をすくめながらそう言うと、エルキドゥはクスクスと笑う。

 

「なら、僕達がギルを支えてあげないとね。」

「それを本人に言ってみたらどうかな?」

「間違いなく拗ねるだろうね。まぁ、そんなギルも可愛いんだけど。」

 

そう言ったエルキドゥと目を合わせると、2人揃って笑いだした。

 

「さて、お喋りはここまでにして髪の毛を一本くれるかな?」

「うん。いいよ、二郎。」

 

俺はエルキドゥから髪の毛を受け取るとその髪の毛が土に還る前に、腰に括っていたもう一本の竹の水筒の神水に漬け込んだ。

 

「それじゃ、ろくでもない未来を回避する為の準備をするから、しばらく1人にしてくれるかな?」

 しばらく1人にしてくれるかな?」

「うん。行こう、哮天犬。」

「ワンッ!」

 

エルキドゥが哮天犬と共に出ていくのを見送ると、俺はとある仙術を使うための準備に取り掛かる。

 

その準備を始めてから1ヵ月後、ウルクの空に雷を纏った牡牛が現れたのだった。




これで本日の投稿は終わりです

また来週お会いしましょう


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第24話

本日投稿1話目です


ろくでもない未来を回避する為に準備を始めてから1ヶ月程経った頃、ウルクの空に雷を纏った2頭の牡牛が現れた。

 

「なるほど、あれがイシュタルの言っていた、ただではおかないという事か。」

 

そう言いながらギルガメッシュは忌々し気に牡牛を見ている。

 

すると、2頭の牡牛内の1頭が咆哮をした。

 

「雑種が!誰の許可を得て我の頭上を飛んでいる!」

 

そう言うとギルガメッシュは、黄金の波紋から宝貝を1つ撃ち出した。

 

だが、宝貝は牡牛の雷で迎撃されてしまった。

 

「ふん!メソポタミアの最高神アヌが造り出しただけの事はあるようだな。」

「ギル、このままあの牡牛と戦えばウルクの民に被害が出るよ?」

「エルキドゥ、言われずともわかっておるわ。」

 

そう言うとギルガメッシュは俺に目を向ける。

 

「二郎よ、あの雷を防ぐ結界をウルク全体に張るのにどれだけの時間が必要だ?」

「川から水を持ってくるから5分ってところかな。」

 

俺が応えるとギルガメッシュは黄金の波紋から空を飛ぶ船を取り出した。

 

「哮天犬、エルキドゥを乗せてあげて。」

「ワンッ!」

「二郎、いいの?」

「あれを2頭同時に相手するのに足場が1つだとキツいでしょ?」

 

俺がそう言うとギルガメッシュは不快そうに顔を歪めた。

 

「フンッ!早くせねば貴様の出番は無いぞ、二郎。」

 

そう言うとギルガメッシュは空を飛ぶ船に乗り込んで牡牛の元に向かった。

 

俺とエルキドゥは目を合わせて肩をすくめると、それぞれ行動を開始したのだった。

 

 

 

 

俺は瞬動を駆使して川にたどり着くと、権能を使って川の水を神水に変えた。

 

そして神水を操ってウルクに持ち帰ると、その神水を結界としてウルク全体を覆った。

 

その間にもギルガメッシュとエルキドゥは2頭の牡牛と戦っていたが、その様子は苦戦と表現出来るものだった。

 

牡牛の放つ雷をウルクに落とされぬ様に細心の注意をはらいながら戦っていた2人は、その動きを制限されて少なくない負傷をしていた。

 

空を蹴って2人の元にたどり着いた俺は、腰に括っていた竹の水筒から神水を取り出して2人の傷を癒す。

 

「お待たせ、2人共。」

「フンッ!待ってなどおらぬわ!」

 

ギルガメッシュは手にしていた剣の力を開放して光を2頭の牡牛に放つと、戦いに間を作って俺達に指示を出す。

 

「エルキドゥ、我と合流せよ。二郎、貴様は哮天犬と共に牡牛の1頭を相手せよ。」

 

ギルガメッシュの指示に従い、哮天犬に乗っていたエルキドゥは空を飛ぶ船の上に下りる。

 

「俺に1頭を任せてくれるのかな?」

「我とエルキドゥが1頭を倒すまで持ちこたえればいい。」

「わかったよ、ギルガメッシュ。でも、倒しても構わないよね?」

「フハハハハ!ならば我とエルキドゥ、そして二郎と哮天犬でどちらが早く狩るか競争だ!」

 

こうして俺達の反撃が始まった。

 

俺は三尖刀を片手に哮天犬に跨がり、空を駆けて牡牛を攻撃して少しずつ削っていった。

 

対してギルガメッシュとエルキドゥは、2人の戦いを再現する様に物量で牡牛を圧していった。

 

2頭の牡牛との戦いは一昼夜に及んだ。

 

朝日が昇り始めた頃、哮天犬が牡牛の喉元に噛み付き動きを止めた瞬間に、崩拳を頭に叩き込んで牡牛を倒した。

 

もう一方ではエルキドゥの権能で作り出した鎖で牡牛を拘束した所で、ギルガメッシュが天地開闢の力で牡牛を屠りさった。

 

牡牛との戦いが終わると、ウルクの民は俺達の栄光を称える声を上げた。

 

2頭の牡牛はウルクを襲った傍迷惑な存在だったが、物言わぬ骸になればその毛一本に至るまで貴重な宝となる。

 

毛皮や角はギルガメッシュが持つ数々の財にも劣らぬ逸品となり、その肉はこの世の何物にも勝る美味になるのだ。

 

そういう事で2頭の牡牛を解体していた時、今回の一件を引き起こした張本人である女神イシュタルが、再びギルガメッシュの前に姿を現したのだった。




本日は5話投稿します

次の投稿は9:00の予定です


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第25話

本日投稿2話目です


「あら?思ったよりもグガランナをあっさりと倒したわね。流石は私の

 夫になるべき男ってところかしら。」

 

そう言いながら女神イシュタルが現れると、ギルガメッシュは不快気に表情を歪める。

 

「イシュタルよ、何をしに来た?」

「言わなくてもわかるでしょう?貴方を私の夫にしにきたのよ。」

 

どこか勝ち誇った様に女神イシュタルが笑う。

 

「今回の一件でわかったでしょう?貴方が私の夫にならなければ、

 ウルクに災いが起こるって。」

「災いを起こすの間違いであろうが。」

「神と人の見解の相違ね。」

 

そう言いながら女神イシュタルは両手を軽く上げて肩をすくめる。

 

そんな女神イシュタルの姿にギルガメッシュは拳を握り締める。

 

「さて、返事を聞きましょうか?ギルガメッシュ、貴方は私の…ブッ!?」

 

女神イシュタルの言葉が途中で遮られる。

 

理由はエルキドゥがグラガンナという牡牛の腿を、女神イシュタルに投げつけたからだ。

 

「土人形の分際で、この私に何をするのよ!?」

「貴女こそ、振られた女の分際で僕の友に言い寄らないでくれないかな?」

 

そう言うエルキドゥはニコニコと笑っているが、妙な威圧感がある。

 

「本当ならこの牡牛の様に八つ裂きにしたいところだけど、貴女はウルクの土地神だから、八つ裂きにしたらギルに迷惑をかけちゃうから止めとくよ。」

 

エルキドゥの言葉に女神イシュタルは歯を食い縛りながら拳を握り締めている。

 

「土人形の分際で…神に対して不敬よ!」

「貴女は自分が敬意を持たれるような振る舞いをしているとでも思っているの?」

 

エルキドゥの言葉に、今度は女神イシュタルが涙目になる。

 

その様子を見たギルガメッシュは笑いを堪えている。

 

「今回は見逃してあげるから早く帰りなよ、ギルに振られた負け犬さん。」

 

エルキドゥがそう言うと、ギルガメッシュは堪えきれずに笑いだした。

 

「土人形の分際で女神の私を侮辱して…、無事に済むとは思わない事ね!」

 

そう言うと女神イシュタルは、投げつけられて足下にあったグガランナの腿を蹴り飛ばすと、メソポタミアの天界へと帰っていった。

 

「フハハハハ!よくぞ言ったぞ、エルキドゥ!」

「笑い過ぎじゃない、ギル?でも、僕も凄いスッキリしたよ。」

 

そして顔を見合わせたギルガメッシュとエルキドゥは、2人で一緒に笑いだした。

 

だが2人の笑いを遮る様に、不意に声が響き渡る。

 

「思い上がりが過ぎるな。」

 

その声にギルガメッシュの笑い声が止まると、エルキドゥが倒れていく。

 

「…っ!?エルキドゥ!」

 

倒れていくエルキドゥを抱き止めると、日頃のギルガメッシュからは考えられない悲壮な表情を浮かべる。

 

「楔としての役割を果たせぬ土人形になど用は無い。土へと還れ。」

 

まるでその言葉がキッカケの様に、エルキドゥの身体に罅が入っていく。

 

「エルキドゥ、エルキドゥ!」

 

ギルガメッシュが必死に呼び掛けるが、エルキドゥは反応を返さない。

 

「神への不敬を反省せよ、ギルガメッシュ。」

 

その言葉を最後に、声は聞こえなくなった。

 

「おのれ…おのれエンリル!」

 

ギルガメッシュは涙を流しながら悔しがる。

 

だが、ギルガメッシュの涙を拭う者がいた。

 

その涙を拭った者は、ギルガメッシュの腕の中にいるエルキドゥだ。

 

「ふふ、ギルも涙を流すんだね。」

「エルキドゥ、逝くな!友たるお前が先に逝くなど許さぬぞ!」

 

ギルガメッシュの言葉を聞いたエルキドゥは、またギルガメッシュの涙を拭う。

 

だが、ギルガメッシュの涙を拭っていたエルキドゥの手が崩れ落ちる。

 

「あぁ、これが死というものなんだね…。思ったよりも怖くは無いや。それでも、僕の為に泣いてくれる人がいると、残して逝くのは不安になっちゃうね。」

「エルキドゥ…。」

 

ギルガメッシュの涙がポタリ、ポタリとエルキドゥに幾粒も落ちていく。

 

「人の涙は暖かいね、ギル。」

 

そう言うとエルキドゥはギルガメッシュに微笑む。

 

そして、エルキドゥは俺に顔を向けた。

 

「頼んだよ、二郎。」

「うん、任された。」

 

俺の返事にエルキドゥは満足そうに微笑むと目を閉じた。

 

そしてエルキドゥはギルガメッシュの腕の中で土へと還った。

 

「エルキドゥ…。」

 

ギルガメッシュは手の中に残ったエルキドゥだった土をギュッと握り締める。

 

そして…。

 

「エルキドゥ―――!!」

 

ウルクの空にギルガメッシュの慟哭が響き渡ったのだった。




次の投稿は11:00の予定です


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第26話

本日投稿3話目です


エルキドゥが土に還った後、ギルガメッシュはエルキドゥだった土を握り締めて涙を流し続けている。

 

「ギルガメッシュ、その土を俺に渡してくれないか?」

「嫌だ!嫌だ嫌だ嫌だ!」

 

首を横に振りながらギルガメッシュが拒絶をする。

 

俺はそんなギルガメッシュを見て苦笑いをしながら話す。

 

「その土を渡してくれないと、エルキドゥを生き返らせられないんだけどな。」

「…生き返らせる?」

 

そう言ってギルガメッシュは顔を上げて俺を見てきた。

 

「ギルガメッシュ、忘れたのかな?俺は魂の扱いを専門とする仙人なんだけど?」

「…だが、エルキドゥは神に造られた存在だ。その楔はどう解き放つ?」

「その準備は1ヶ月前からやってあるよ。」

 

俺がそう答えると、ギルガメッシュは大きく目を見開いた。

 

「人として在る事をよしとするギルガメッシュの考えは尊重するよ。でも、今回は神の ワガママで勝手に命を奪われたからね。なら、俺が生き返らせても問題無いだろう?」

「…くっ、フハハハハ!」

 

俺がそう言うとギルガメッシュは笑いだした。

 

「二郎よ、この我を道化としたのか?不敬だぞ!」

「そういう割りには随分と嬉しそうだけどね。」

「フハハハハ!我以上に道化となったエンリルの事を考えれば、腹の虫も治まるというものよ!」

 

そう言ってギルガメッシュは俺にエルキドゥだった土を差し出した後、腕で涙を拭う。

 

「失敗は許さぬぞ。」

「安んじてお任せあれ。」

 

俺がおどける様にギルガメッシュに応えると、ギルガメッシュは上機嫌に笑ったのだった。

 

 

 

 

エルキドゥだった土を受け取った俺は、『反魂の術』の準備をしていった。

 

事前にある程度の準備はしてあったのだが、それでも色々と準備が必要で10日程掛かってしまった。

 

そして準備を終えた俺は、エルキドゥを生き返らせるべく反魂の術を実行するのだった。

 

 

 

 

「あれがエルキドゥの魂の器となる身体か?」

「そう。1ヶ月前にエルキドゥから貰った髪を元に造った身体だね。」

 

反魂の術を行うために設置した祭壇の上にあるモノを見て、ギルガメッシュが目を細める。

 

「半神半人の器か。」

「神造兵器として生まれたエルキドゥの魂を人の身体で受け入れるのは無理だ。

 だからエルキドゥの魂を受け入れるには神の血を与える必要があったんだ。」

 

俺の説明にギルガメッシュが頷く。

 

「エルキドゥだった土を使って神の血をあの器に与えたんだけど、神の血を濃くし過ぎるとエルキドゥを生き返らせた後にまたエンリルに干渉されるから、人の血と神の血の割合の調整にちょっと時間が掛かったんだけどね。」

「フハハハハ!エンリルが歯噛みをする様が目に浮かぶぞ!」

 

ギルガメッシュは腕を組んで上機嫌に笑う。

 

この調整は器の元にしたエルキドゥの身体に残っていた神の楔を取り除く為のものだ。

 

魂の方にまだ楔が残っているが、それは反魂の術でエルキドゥの魂を召喚する時にどうとでもなる。

 

なぜなら反魂の術は主に仙人の従者であるキョンシーを作る時に使う術だからだ。

 

せっかく作った従者に術者が襲われたら意味無いだろう?

 

反魂の術で魂に楔を付けたりするのは初歩の初歩だ。

 

あんな雑につけられた楔を外すのは鼻歌を歌いながらでも余裕である。

 

それぐらい出来なければ仙人にはなれないのだから。

 

「それじゃ始めるよ、ギルガメッシュ。」

「二郎よ、我の友を生き返らせて見せよ!」

 

ギルガメッシュの返事を聞いて反魂の術を実行する。

 

すると、エルキドゥの魂の器となる身体を中心に光が発される。

 

そして光は天に昇ると、器に降り注ぎ、器の中へと収まっていった。

 

その光景を見ていたギルガメッシュは、組んでいる腕に力が入っている。

 

光が器に収まって数秒経つと、器に変化が現れる。

 

真っ白だった顔に赤が差し始めたのだ。

 

そして…。

 

「…ただいま、ギル。」

 

目を開けたエルキドゥがそう呟くと、ギルガメッシュは歩み寄ってエルキドゥの身体を抱き締めたのだった。




次の投稿は13:00の予定です


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第27話

本日投稿4話目です


「エルキドゥ、調子はどうかな?」

「う~ん、まだ人になったばかりだからよくわからないよ。」

 

エルキドゥが生き返ってから7日が経った。

 

この7日の間、エルキドゥはシャムハトから人としての生き方を学んでいった。

 

以前のエルキドゥは神造兵器であった事もあり食事等は必要なかった。

 

だが、人となった今では食事が必要となり、食事をすれば出るものもある。

 

その為、エルキドゥは改めてシャムハトから色々と学んでいるのだ。

 

「それもそうか。ところで、女の子になった感想はどうかな?」

「それもよくわかんないかな。でも、嫌じゃないよ。」

 

神造兵器だった時のエルキドゥには性別が無かった。

 

しかし、人として生き返らせるには性別を定める必要があったので、俺の独断でエルキドゥを女の子にしたのだ。

 

「ねぇ二郎、1つ聞いてもいいかな?」

「ん?」

「えっとね、その…僕は子供を産めるの?」

 

俺はエルキドゥの質問に少し呆然としてしまうが、意味がわかるとニヤニヤとした

笑みを浮かべてエルキドゥを見る。

 

「それは意中の相手がいるって事かな?」

「もう…知ってて聞いてるでしょ?」

「ハッハッハッ!ごめんごめん。」

 

エルキドゥは顔を赤くしながら頬を膨れさせている。

 

エルキドゥは人になった事で以前には無かった感情を持つようになった。

 

そして人になった事で以前よりも感情表現が豊かになった様だ。

 

「質問の答えだけど、子供は産めるよ。」

「そうか…よかった。」

 

俺の答えにエルキドゥは嬉しそうに、そして安心した様にホッと息を吐いた。

 

「でも、エルキドゥが思っている相手と結婚しようとしたら、邪魔が入るだろうね。」

「うん、あの負け犬さんが邪魔をしてくるだろうね。」

 

俺の言葉に返事をしたエルキドゥの目は光が消えている。

 

容姿は以前と変わらない美少女だが、感情が豊かになった分だけ迫力が増している様に思える。

 

「それで?エルキドゥはどうするのかな?」

「邪魔をするんなら女神でも蹴散らすよ。シャムハトが恋は戦争だって言ってたからね。」

 

シャムハトは何て事を教えてるんだ…。

 

「ねぇ二郎、ギルはいつ動くと思う?」

「そうだなぁ…1年は先じゃないかな?」

 

俺の返答にエルキドゥは驚いて目を見開いている。

 

「1年も?何でそう思うの?」

「相手はエンリルだけじゃないからね。神々が相手なら、いくらギルガメッシュでも 相応に準備をしないと勝てないよ。」

「…それもそうか。」

 

エルキドゥは納得した様に頷いた。

 

「それに、エルキドゥが今の身体と残った権能を使いこなせる様になる時間も必要だからね。」

「ギルはそれに必要な時間を考えているんだね。」

「たぶんね。後はエルキドゥに泣き顔を見られたのが、まだ恥ずかしいんじゃないかな?」

「あっはっはっはっ!やっぱりギルは可愛いな。」

 

そう言ってエルキドゥは楽しそうに笑う。

 

「二郎、改めてありがとう。また一緒に笑う事が出来て本当に嬉しいよ。」

「どう致しまして。」

 

俺がエルキドゥのお礼の言葉に笑顔で応えると、部屋の扉が勢いよく開け放たれた。

 

「エルキドゥ!二郎!冒険に行くぞ!」

 

腕を組んで堂々と言い放つギルガメッシュの姿に、俺とエルキドゥは顔を見合わせると頷く。

 

「勝ちへの算段がついたのかな、ギルガメッシュ?」

「たわけ!我等が勝てぬ相手などおらぬわ!」

 

以前のギルガメッシュなら『我が勝てぬ相手など~』と言っていただろう。

 

だけど今のギルガメッシュは失う事の悲しみを考え、受け入れた事で以前に比べて少し素直になった。

 

「さぁ行くぞ!我等の友誼を奪おうとした不敬な輩を討伐する…。その準備の為にな!」

 

ギルガメッシュの宣言に俺とエルキドゥは頷く。

 

その後、俺達は幾多の冒険を越えて力を蓄えていった。

 

そして3人で冒険の旅に出てから1年後、ついにメソポタミアの神々との戦いが始まるのだった。




次の投稿は15:00の予定です


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第28話

本日投稿5話目です


「エルキドゥ、二郎、時は来た。エンリルを討つぞ!」

 

上半身をはだけて戦化粧を施したギルガメッシュがそう宣言する。

 

「いよいよだね、ギル。」

「エルキドゥよ、身体の調子はどうだ?」

「あれ?心配してくれるの?」

 

そう言ってエルキドゥが嬉しそうに微笑むと、ギルガメッシュは鼻を鳴らして目を逸らした。

 

「神々との戦の後に、お前は我の妻になるのだろう?我の妻になる程の者を、なぜ我が心配せねばならんのだ!」

「もう、照れなくてもいいのに。」

「たわけ!照れてなどおらん!確認をしただけだ!」

 

2人が醸し出す甘い空気を、俺はニヤニヤとしながら見物していく。

 

「二郎。」

 

しばらくの間、2人のイチャイチャを眺めていたのだが、不意にギルガメッシュが

表情を引き締めて俺に声を掛けてきた。

 

俺は頷くと神酒を用意する。

 

3つの杯に注がれた神酒をそれぞれが手にすると、3人で杯を打ち鳴らして一息で

神酒を飲み干した。

 

「行くぞ!」

 

空を飛ぶ黄金の船に乗り込んだ俺達は、メソポタミアの神々がいる天界に討ち入るのだった。

 

 

 

 

「待っていたぞ、英雄達よ。」

 

メソポタミアの天界に乗り込むと、軍神ニヌルタが神々を引き連れて待ち構えていた。

 

「そこを退け、ニヌルタ。今ならば我の眼前に立ちふさがった不敬を許そう。」

「ハッハッハッ!神々を前にしても変わらぬその覇気、見事なり!」

 

軍神ニヌルタは嬉しそうに笑う。

 

「ギルガメッシュ、ここは俺が引き受ける。」

「よかろう、この場は二郎に任せる。エンリルとイシュタルの首を持ってくる故、

 しばし神々と戯れているがいい。」

 

ギルガメッシュの返事に頷いた俺は1人でメソポタミアの神々の前に立つ。

 

「哮天犬、エルキドゥを頼んだよ。」

「ワンッ!」

 

半神半人になったエルキドゥは自然を操る事が出来なくなっている。

 

今のエルキドゥに残っている権能は、繋ぎ止める力を持つ黄金の鎖を扱う権能だけだ。

 

黄金の鎖は神の力が濃いほどその繋ぎ止める力が増すのだが、エルキドゥにはそれ以外に神に対して有効な攻撃方法が無い。

 

その為、『天に哮える犬』である哮天犬をエルキドゥに同行させるのだ。

 

空を飛ぶ黄金の船がエンリルとイシュタルがいる所へと進んでいく。

 

その間、軍神ニヌルタと神々は動かずに俺と対峙している。

 

「行かせてもよかったのですか?軍神ニヌルタ。」

「貴様は二郎真君だな?」

「はい。」

「構わぬ、元々我等はアヌ様に仕える神々だ。権力欲に溺れるエンリルに尽くす義理は無い。それに、イシュタルの乱行の数々には愛想が尽きたのでな。」

 

そう言って軍神ニヌルタはニヤリと笑う。

 

「だが、人に天界に乗り込まれて黙っていては他の国の神々に舐められてしまうのでな。 すまんが二郎真君には我等の相手をしてもらうぞ?」

「えぇ、構いませんよ。」

 

俺の返事を聞いた軍神ニヌルタは好戦的な笑みを浮かべる。

 

「音に聞こえし中華の武神と戦をする機会に恵まれるとは…エンリルの愚行に感謝をせねばなるまい。なぁ、皆の衆!」

「「「オォ―――!!」」」

 

軍神ニヌルタの問い掛けに、メソポタミアの神々が咆哮で応える。

 

咆哮が収まるとメソポタミアの神々はギラギラとした好戦的な視線で俺を見てくる。

 

俺は三尖刀を一振りすると、百を数えるメソポタミアの神々に立ち向かうのだった。




これで本日の投稿は終わりです

また来週お会いしましょう


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第29話

本日投稿1話目です


「第三隊、前へ!」

 

軍神ニヌルタの声が戦場に響き渡る。

 

すると、間髪を入れずに俺と戦っている連中と入れ替わる。

 

「第一隊は第二隊を魔術で治療せよ!第四隊は第三隊といつでも交代出来る様に待機!」

 

軍神ニヌルタの指示が矢継ぎ早に出されていく。

 

その指揮は軍神の名に恥じぬ見事なものだ。

 

俺は眼前にいる神の戦士達を三尖刀を使って蹴散らしていく。

 

俺と戦っている神の戦士達は武人としては二流だが、戦士としては一流だ。

 

その為、俺の攻撃を文字通りに首の皮1枚で致命傷を避けていく。

 

「第四隊、前へ!第二隊は第三隊の治療をせよ!第一隊は待機!」

 

神の戦士達1人1人は俺には及ばない。

 

だが、軍神ニヌルタは間断無く戦わせる事で俺を消耗させていくつもりの様だ。

 

こんな戦いが既に1時間は続いている。

 

時折、隙を見せた神の戦士を復帰出来ない様に仕留めようと俺は動く。

 

だが…。

 

ヒュッ!

 

風を切り裂く音と共に剣が俺に向けて射ち放たれる。

 

俺は三尖刀を一振りして剣を打ち払うが、その隙に神の戦士が退いてしまう。

 

剣を射ち放った者にチラリと目を向ける。

 

そこには白髪に褐色肌の赤い外套を着た男がいた。

 

「軍神ニヌルタ、あれは貴方の信徒かな?」

「我に冥府より死者を呼ぶ術は無いぞ、二郎真君。」

 

俺は神の戦士達と戦いながら軍神ニヌルタと会話をしていく。

 

その戦いと会話の間も白髪の男は、神の戦士達の合間を縫って俺に剣を射ち放ってくる。

 

何度も神の戦士を仕留める機会を阻むその腕前は見事なものだ。

 

だが、あの男が射ち放つ剣には違和感を感じている。

 

…この違和感はなんだ?

 

数十年に渡る道士や蛟との戦いで磨かれた直感が、俺にあの男の戦い方の違和感を感じさせる。

 

「あの男からは神の気配を感じないけど、精霊に近しい気配は感じるね。」

「ほう?なれば、あの男は世界の守護者やもしれぬな。」

「世界の守護者?」

 

俺の疑問の声に軍神ニヌルタが頷く。

 

「左様。我にもあまり覚えはないが、時折あの男の様に世界の守護者が干渉してくる事がある。それは決まって大きな戦いの時だ。」

「それは一方に味方をするのかな?」

「いや、時にはその場の者達を殲滅する事がある。だが、此度はこちらの味方の様だな。」

 

そう言うと軍神ニヌルタはニヤリと笑った。

 

「戦場では何が起こるかわからん。それはこの軍神ニヌルタでも同じ事よ。故に利用できるモノは何でも利用する、それが戦よ。」

 

戦っていた連中の半数近くを負傷させると、軍神ニヌルタは指揮をして隊を入れ替える。

 

その指揮を援護する様に白髪の男は剣を射ち放ってくる。

 

あの男が射ち放つ剣から感じる違和感のせいで受けに回らざるをえない。

 

「しかし、あの男は随分と変わった得物を使うのだな。軍神たる我でも見たことが無い。」

 

軍神ニヌルタは白髪の男が剣を射ち放つ際に使っている道具を見ながらそう言う。

 

確かに俺も今生では見たことが無い。

 

だが、あの道具の名は思い出せないが前世では見たことがある気がしている。

 

「ふむ、あの男が使う得物は数を揃える事が出来れば戦を変えるやもしれぬな。」

 

軍神ニヌルタが白髪の男が使う道具をそう称賛する。

 

白髪の男が放つ何本目かわからない剣を打ち払おうとすると、不意に直感が危険を知らせた。

 

俺はその刹那、瞬動でその場を離れる。

 

すると、剣が発光して大きな爆発を起こした。

 

「ほう?剣に内包されていた神秘を暴走させたか。あの男の様に自分で造れねば到底出来ぬ事よな。」

 

軍神ニヌルタの言葉を聞きながら、白髪の男が放って天界の地に無数に落ちた剣に目を向ける。

 

これら全てがあの白髪の男の意思1つで爆発するのか…。

 

ただ剣を射ち放つだけではない白髪の男の戦いの上手さに、俺は内心で称賛を送る。

 

それと同時に俺は感じていた違和感に得心が行った。

 

だが、神の戦士達から目を離したそれを隙と見た神の戦士の1人が俺に斬り掛かってくる。

 

俺は神の戦士の一太刀を打ち払うと、その神の戦士の首を三尖刀の一振りで斬り落とす。

 

すると、軍神ニヌルタに率いられている神の戦士達が激昂した。

 

「ハッハッハッ!流石は武神たる二郎真君よ!見事な武技なり!」

 

軍神ニヌルタの称賛の声に、神の戦士達の激昂は収まった。

 

「やれやれ、面倒な相手達だ。」

 

俺は白髪の男が射ち放ってくる剣を避けながらそう称賛を送る。

 

「悪いけど、そろそろこちらから仕掛けさせてもらおうか?」

「ハッハッハッ!消耗戦は飽いたか!ならば、これよりは総力戦だ!」

 

軍神ニヌルタの言葉に神の戦士達が雄叫びを上げる。

 

「剣を掲げよ!この戦の誉れは眼前の武神の首にあり!戦士達よ!我に続けぇ!」

「「「オォ―――!!」」」

 

軍神ニヌルタと共に神の戦士達が俺に向かって殺到してくる。

 

その合間を縫って剣を射ち放ってくる白髪の男にチラリと目を向けた俺は、三尖刀を一振りすると神の戦士達に向かって踏み込むのだった。




本日は5話投稿します

次の投稿は9:00の予定です


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第30話

本日投稿2話目です


軍神ニヌルタが二郎に総力戦を仕掛けた頃、ギルガメッシュとエルキドゥは道中に立ちはだかった神獣を蹴散らして、エンリルとイシュタルの元に辿り着いた。

 

「天界に人如きが入り込むとは傲慢が過ぎるな、ギルガメッシュ。」

「貴様こそ誰に断って我を見下ろしている、エンリル。」

 

玉座に座るエンリルとギルガメッシュがお互いを敵意を持って見据える。

 

「私の夫を連れてくるとは殊勝な心掛けね、土人形。」

「誰が貴女の夫なのかな?それに今の僕は人間だよ、負け犬さん。」

 

イシュタルが見下して話し掛けると、エルキドゥもそれに応える様にイシュタルに毒を吐く。

 

「エンリル、ギルガメッシュは私の夫にするのだから殺しちゃダメよ。」

「人如きが我と戦って形が残るとでも思っているのか、イシュタル?」

 

そう言うとエンリルはイシュタルを一瞥してからエルキドゥへと目を向ける。

 

「ほう?土人形が半神半人になったか。誰がやったか知らぬが造形は悪くないな。」

 

エンリルに見据えられたエルキドゥは不快気に眉を寄せる。

 

「イシュタルよ、ギルガメッシュは貴様にくれてやる。代わりにあれを我に献上せよ。」

「エンリル、忘れたのかしら?私は戦を司る女神よ?私と戦って土人形如きが

 生き残れるわけないじゃない。」

 

エンリルとイシュタルの会話を聞いていたギルガメッシュから表情が消える。

 

友であり、妻となるエルキドゥを侮辱されて怒りが限界を超えたのだ。

 

ギルガメッシュは黄金の波紋から宝貝をエンリルとイシュタルに撃ち出す。

 

エンリルは雷で、イシュタルは暴風で宝貝を迎撃した。

 

「熱烈な求愛ね、ギルガメッシュ。」

「目が腐ってるのかな?負け犬さん。」

「ワンッ!」

 

イシュタルの言葉にエルキドゥが応えると、哮天犬がエルキドゥに同意する様に哮える。

 

哮えた哮天犬にイシュタルは不快そうに眉を寄せる。

 

「獣如きが…誰に哮えたのかわかっているのかしら?」

「哮天犬はお利口だからわかっているよ。ねぇ、哮天犬。」

「ワンッ!」

 

エルキドゥと哮天犬の返答に、イシュタルは眉を吊り上げた。

 

「いいわ。貴女をボロボロにして地に這わせてあげる。そしてエンリルに貴女をギルガメッシュの前で犯させてあげるわ。」

「そんな風に品性が無いからギルにふられたのがわからないのかな?ねぇ、哮天犬?」

「ク~ン。」

 

エルキドゥと哮天犬のやり取りにイシュタルはコメカミに青筋を浮かべる。

 

「そう…誰を侮辱したのかわからせてあげるわ!」

 

イシュタルは暴風を纏って空に浮かび上がる。

 

それを見たエルキドゥは哮天犬に跨がって空に浮かぶ。

 

数瞬、エルキドゥとイシュタルの視線が交差すると、どちらともなく戦いを始めたのだった。

 

 

 

 

「ほう?あの獣も面白い。戦いが終わったら我の眷属にしてやろう。」

 

ギルガメッシュの宝貝の射出を玉座に座ったまま迎撃したエンリルは、エルキドゥとイシュタルの戦いを杯を掲げて楽しむ。

 

そしてエンリルが杯の中の酒を口にしようとした瞬間。

 

ドンッ!

 

エンリルが手にしていた杯だけを、ギルガメッシュは宝貝を撃ち出して砕いた。

 

「エルキドゥは我の妻になる者だ。そして哮天犬は我の友より預かった神獣…。どちらも貴様如きにくれてやる程安くは無いわ!」

 

エンリルは無言でギルガメッシュに雷を落とす。

 

だが、ギルガメッシュは雷を宝貝を撃ち出して迎撃する。

 

「神の裁きを受けぬ不敬…最早救いようが無いな。」

「救う?フハハハハ!貴様が誰かを救った事があるのか?権力に固執し、権力を見せ付け、

 自己顕示欲を満たしていただけではないか!」

 

ギルガメッシュの言葉を遮る様にエンリルがまた雷を落とす。

 

雷を宝貝を撃ち出して迎撃したギルガメッシュは不敵に笑って話を続ける。

 

「エンリルよ、貴様は我を救いようが無いと言ったな?救いようが無いのは貴様の方だ! 貴様は『星』の声に耳を傾けず、『世界』に踊らされた道化なのだからな!」

「…何?」

 

エンリルは訝しげに首を傾げる。

 

「ギルガメッシュよ、今なんといった?」

「今の我の言葉を理解出来ぬとあれば貴様は道化ですらなく愚者だ。我と戦う価値すら無い。 我に首を献上して疾く消滅するがいい。」

 

エンリルは幾つもの雷をギルガメッシュに落とす。

 

その雷をギルガメッシュは高笑いをしながら迎撃する。

 

「最早、貴様の不敬は我の忍耐の許容を超えた。魂すら残さずに滅してくれよう。」

「フハハハハ!滅するのは貴様の方だ、エンリル!」

 

ギルガメッシュとエンリルを中心に周囲の空気が歪んでいく。

 

そして、エルキドゥとイシュタルの幾度目かの戦いの衝撃をキッカケとして、ギルガメッシュとエンリルの戦いが始まったのだった。




次の投稿は11:00の予定です


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第31話

本日投稿3話目です


「非才のこの身で武神に一太刀を浴びせた事を考えれば上出来と言ったところか。」

 

白髪の男が自嘲する様に皮肉気な笑みを浮かべている。

 

俺は神の戦士達と目の前の白髪の男から受けた傷を癒す為に、腰に括っていた竹の水筒を手に取って中の神酒を飲む。

 

「やれやれ、文字通りに命懸けだった一撃をそうもあっさりと治されるとこちらの立場が無いな。」

 

そう言いながら白髪の男は首を横に振って肩を竦めた。

 

「さて、話を出来る様になったみたいだし、少し話を聞かせて貰えるかな?」

「私などの話を聞く為にわざわざ一太刀を受けたのかね?随分と物好きだな。」

 

白髪の男はやれやれと言わんばかりにため息を溢すが、会話を拒否するつもりは無い様だ。

 

「む?二郎真君、それは酒か?我にも一口くれ。」

 

戦いが終わって隻腕になった軍神ニヌルタがそう要求してくる。

 

「それは構いませんが、生き残った神の戦士達全員分はありませんよ?」

「構わぬ。戦いの後は酒を飲んで濁った血を洗い流す。それが戦士の流儀よ。」

 

そう言って快活に笑う軍神ニヌルタに、俺は腰に括っていた数本の竹の水筒を投げ渡す。

 

「武神に一太刀浴びせる事が出来た勇者よ!褒美に酒を振る舞うぞ!」

「「「オォ―――!!」」」

 

神の戦士達は先程まで殺し合いをしていたとは思えない笑顔で喝采の声を上げている。

 

「それで、私に聞きたい事とは何かね?あまり時間は残されていないので早くするべきだと思うが?」

 

そう言って白髪の男は斜に構えて声を掛けてくる。

 

白髪の男の言う通りに、白髪の男にはあまり時間が無い。

 

この白髪の男は戦っている時には意識が無かったのだが、その意識を取り戻させる為に浅くない傷を負わせて、その魂に干渉する必要があったのだ。

 

「それじゃ、軍神ニヌルタが言っていたんだけど君は世界の守護者なのかな?」

「その通り、私は世界の守護者だ。」

 

そう答える白髪の男だが、その表情は自嘲する様に笑っている。

 

「ふ~ん。ところで、世界の守護者って何かな?」

「他の守護者の事は知らない。なので私の事で答えさせてもらおう。」

 

そう言うと白髪の男は眉を寄せながら俺を見据えてくる。

 

「私の知る世界の守護者は、死後の自分を代償に願いを叶えた者だ。」

「死後の自分を代償に?」

 

俺の疑問の声に白髪の男が頷く。

 

「既に記憶が摩耗しているのであまり思い出せないが、生前の私は英雄になろうとしていた。」

 

話をしている白髪の男は、過去の自分を不快そうに話していく。

 

「その過程で生前の私には救えない人々がいた。その人々の前で、私は救えない自分の無力を嘆いていた。その時に声が聞こえたのだ、『契約せよ』とな。」

 

白髪の男は自身の手に目を向けながら話を続けていく。

 

「その時の声は死後の自分を代償に願いを叶えると言った。私は藁にも縋る思いで契約した。そして私の願いは叶えられ、私に救えなかった人々は救われた。」

 

顔を上げた白髪の男は、俺の目を見据えて話を続けていく。

 

「死後の私は契約通りに世界の守護者になった。だが、それは地獄の日々の始まりだったのだ。」

 

竹の水筒を持った軍神ニヌルタが近くに腰を下ろす。

 

どうやら白髪の男の話に興味を持った様だ。

 

「世界の守護者という言葉に生前の私は希望を持っていた。それは世界の守護者になれば、より多くの人々を救えると思ったからだ。だが、実際の世界の守護者はそうでは無かった。」

 

白髪の男は手に血が滲む程に強く握り締めて話を続けていく。

 

「世界の守護者は一言で言えば掃除屋だったのだ。」

「掃除屋?」

「『世界』にとって都合の悪い存在を排除する掃除屋だ。私は『世界』に使役されて数えきれない程の人々をこの手で殺してきた。」

 

軍神ニヌルタが神酒をグビリと飲むと、失っていた腕が光と共に再生していく。

 

わかっていた現象だが、改めて見ると不思議な光景だな。

 

「白髪の男よ、後悔しているのか?」

「後悔?あぁ、しているさ!自分を殺したくなるほどにな!」

 

軍神ニヌルタの問い掛けに、白髪の男は声を荒げて答える。

 

「だからこそ、私は自分を殺す機会を待っている。」

「どういう事かな?」

「私が世界の守護者の役目から逃れる唯一の機会…それは過去の自分を殺す事だ。」

 

そう言うと白髪の男は口の端を吊り上げる。

 

「私が自身の手で過去の自分を殺せば矛盾が生じる。そうすれば私の存在は

 消える可能性があるのだ。」

「白髪の、汝は己を否定するのか?」

「あぁ、否定するさ!借り物の夢に縋った愚か者をな!」

 

激昂した白髪の男の身体から光の粒子が溢れていく。

 

「…どうやら時間の様だな。」

 

そう白髪の男が呟くと、少しずつ白髪の男の身体が消えていく。

 

「二郎真君よ、せいぜい気をつける事だ。私が何故ここに現れたのかをよく考えるのだな。」

 

白髪の男は最後に皮肉気な笑みを浮かべると、光の粒子になって消えた。

 

「やれやれ、不器用な男よ。素直に心配だと言えばいいものを。」

 

そう言って軍神ニヌルタは竹の水筒を呷った。

 

「それでどうするのだ、二郎真君?」

「どうするとは?」

「先程の白髪の男の事だ。哀れとは思わぬか?」

 

俺は返答の代わりに肩を竦めた。

 

「とりあえず、今の俺にはやる事がありますからね。何をするにしても、

 それを無事に終えてからですよ。」

「そうか…武運を祈る。軍神が祈るなどシャレにならんかもしれんがな、ハッハッハッ!」

 

俺は軍神ニヌルタの笑いに微笑むと踵を返す。

 

そしてギルガメッシュとエルキドゥの元に向かうために地を蹴ると、軍神ニヌルタが竹の水筒を掲げて見送ってくれたのだった。




次の投稿は13:00の予定です


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第32話

本日投稿4話目です


「キャアアアァァァアアア!!」

 

メソポタミアの天界にイシュタルの悲鳴が響き渡る。

 

「獣如きが…誰の腕を食い千切ったのかわかってるの!?」

 

激昂するイシュタルの様子をエルキドゥは涼しげな表情で受け流す。

 

「戦っているんだからそんな事は当たり前でしょ?ねぇ、哮天犬?」

「ワフッ!」

 

食い千切ったイシュタルの腕をくわえている為、哮天犬の返事の鳴き声はくぐもって聞こえた。

 

「あ、哮天犬。食べちゃダメだよ。お腹を壊しちゃうかもしれないからね。」

「クゥ~ン。」

 

残念と言わんばかりに哮天犬の尻尾が項垂れる。

 

「失礼ね!ちゃんと毎日水浴びしてるわよ!」

 

イシュタルはコメカミに青筋を浮かべながらそう言い放つ。

 

「もう!どうして再生しないのよ!?」

 

肘から先が無くなったイシュタルの左腕は、光を放ちながらも再生が始まらない。

 

「二郎が言ってたんだけど、哮天犬の牙は魂まで齧れるんだって。」

「ワンッ!」

 

哮天犬はエルキドゥの言葉に胸を張る様に哮えた。

 

「忌々しい獣ね…!」

 

殺意を込めた目で哮天犬を見るイシュタルは、権能を使って嵐を起こす。

 

その嵐に魔力を乗せると、暴風の刃としてエルキドゥ達に放った。

 

「哮天犬!」

 

エルキドゥの呼び掛けに哮天犬は鋭く反応して天を駆ける。

 

「逃げるんじゃないわよ!大人しく裁きを受けなさい!」

「戦を司る女神なのに馬鹿なの?わざわざ攻撃を受けるわけがないよ。」

 

エルキドゥの返事にイシュタルは歯軋りをする。

 

「…もういいわ。毛髪1本残さずに消し飛ばしてあげる!」

 

そう言うとイシュタルは幾つもの嵐を呼び起こす。

 

「腐っても戦を司る女神ってところかな?」

「ワンッ!」

 

ギルガメッシュとの死闘を経験しているエルキドゥは、緊張を感じさせない声色で

イシュタルの力をそう評する。

 

荒れ狂う天界の空でエルキドゥと哮天犬は、イシュタルに立ち向かい続けるのだった。

 

 

 

 

「雷よ!」

 

エンリルが指揮をする様に腕を振るうと、雷がギルガメッシュに振り注ぐ。

 

「芸が無いなエンリルよ。お前はそれしか出来ぬのか?」

 

黄金の波紋から宝貝を撃ち出して雷を迎撃するギルガメッシュは、つまらぬとばかりに嘆息する。

 

「人間如きが…調子に乗るな!」

 

激昂するエンリルをギルガメッシュは見下す様に見据える。

 

「メソポタミアの最高神アヌに多くの権能を分け与えられておきながらその体たらく…。お前如きが我の上に立とうなど片腹痛いわ!」

 

一喝したギルガメッシュは黄金の波紋から百を超える宝貝を撃ち出す。

 

エンリルは宝貝を雷で迎撃していくが、迎撃しそこなった宝貝の1つがエンリルの右肩を抉った。

 

「…人間如きが我に傷を負わせただと!?その不敬!万死に値する!」

 

エンリルは怒りのままに権能を行使すると、空を飛んで天界の空に雷雲を造り出す。

 

そして、その雷雲から所構わずに雷を落としていった。

 

「フンッ!まるで癇癪を起こした童だな。その程度の度量で神を統べるだと?笑わせるな!」

 

ギルガメッシュは権能で空を飛んでいるエンリルを鼻で笑う。

 

「もう!邪魔をするんじゃないわよ、エンリル!」

 

別の場所で戦っていたイシュタルがエンリルと合流して文句を言う。

 

「無様だな、イシュタルよ。」

 

左腕の肘から先が無くなっているイシュタルを見たエンリルは、イシュタルを見下す様に見据える。

 

「あら?貴方も私の夫に右肩を抉られているじゃない。」

「ふんっ!この程度、かすり傷でしかないわ!」

 

そう言うとエンリルは右肩に触れて傷を癒した。

 

「流石の権能ね。ついでに私の腕も頼むわ。」

 

イシュタルの頼みに、エンリルは眉を寄せながらも応じる。

 

「傷がなかなか治らぬ…魂が傷ついているな。何をされた?」

「ちょっと獣に齧られたのよ。」

「ほう?あの神獣か?ますます欲しくなったぞ。」

 

空にて態勢を整えているエンリルとイシュタルを見据えるギルガメッシュの元に、エルキドゥと哮天犬が合流した。

 

「ギル、大丈夫?」

「たわけ!我があのような愚物に後れをとるか!」

 

哮天犬の頭を撫でながら声を掛けるエルキドゥに、ギルガメッシュは斜に構えて答える。

 

「ギル、あの二柱の権能は面倒だけど、どうしようか?」

「簡単な事だ。エルキドゥの鎖で縛り上げ、我がエアで消し飛ばせばよかろう。」

「うん、それが一番楽だね。」

 

メソポタミアでも最上級の神々との戦いに、ギルガメッシュとエルキドゥは不安を欠片も見せない。

 

「ギル、二郎はどうなったかな?」

「…どうやら二郎は神の戦士達を降したようだ。」

「二郎は凄いね。僕達も負けてられないや。」

 

千里眼で見通したギルガメッシュが二郎の勝利を伝えると、友の勝利の報にエルキドゥは笑みを浮かべた。

 

ギルガメッシュも笑みを浮かべると、黄金の波紋から空を飛ぶ船を取り出し乗り込んだ。

 

「行くぞ、エルキドゥ!我に遅れるな!」

「うん。行こう、哮天犬。」

「ワンッ!」

 

ギルガメッシュ達が空に飛び立つと、傷を癒したエンリル達が起こした雷と嵐が襲い掛かる。

 

それらを避けたギルガメッシュ達は、エンリル達を屠りさるべく空を駆けるのだった。




次の投稿は15:00の予定です


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第33話

本日投稿5話目です


エンリルとイシュタルが振るう権能によりメソポタミアの天界の空は荒れ狂っている。

 

そんなメソポタミアの天界の空を、ギルガメッシュは空を飛ぶ船で進んでいく。

 

「無造作に振るう権能で我の動きを阻めるとでも思っているのか?度しがたい愚者だ。」

 

空を飛ぶ船の玉座で頬杖をつくギルガメッシュは、その赤い瞳で荒れ狂う空の進むべき道筋を見出だす。

 

「エルキドゥ、哮天犬!我に続け!」

 

ギルガメッシュは空を飛ぶ船を自在に操って、天界の荒れ狂う空を駆け抜けるのだった。

 

 

 

 

「哮天犬、お願いね。」

「ワンッ!」

 

哮天犬に跨がったエルキドゥは、ギルガメッシュが操る空を飛ぶ船に遅れぬ様に空を駆ける。

 

「さてと、そろそろ準備をしないとね。」

 

そう言うとエルキドゥは右手に魔力を込めていく。

 

エルキドゥの右手から黄金に輝く光が溢れ出すが、ギルガメッシュが操る空を飛ぶ船の影に隠れてエンリル達の目には写らない。

 

「哮天犬、エンリル達を拘束したら直ぐに下がるよ。天地開闢の力に巻き込まれちゃうからね。」

「ワンッ!」

 

溢れ出していた黄金の光が集束していくと、エルキドゥの右手に黄金の鎖が現れた。

 

「行くよ、哮天犬。人の恋路を邪魔する女神を倒すためにね。」

「ワンッ!」

 

エルキドゥの意思に従って哮天犬が天界の空を駆ける。

 

そして、エルキドゥが造り出した黄金の鎖が、エンリルとイシュタルを拘束したのだった。

 

 

 

 

「おのれ!我を誰と心得る!我はメソポタミアの神々を統べる天空神エンリルだぞ!」

 

黄金の鎖で四肢を拘束されたエンリルが、拘束から逃れようともがく。

 

だが、エルキドゥが造り出した黄金の鎖はびくともしない。

 

「ええい!何故だ!?神である我が何故この様な鎖1つで拘束されるのだ!?」

 

繋ぎ止める者であるエルキドゥが造り出す黄金の鎖は、神の血が濃い程その拘束力が上がり、拘束した相手の力を封じる。

 

神そのものであるエンリルが黄金の鎖に拘束された今、エンリルが持つ全ての権能は封じられてしまったのだ。

 

「フハハハハ!無様だな、エンリル。」

 

ギルガメッシュはエンリルを見下しながら黄金の波紋から鍵の宝貝を取り出す。

 

「ギルガメッシュ、そこの人形が第2夫人になるのを認めてあげるわ。だからこの拘束を解きなさい。」

 

エンリルと同じく四肢を拘束されたイシュタルがそう言うと、ギルガメッシュは蔑む様な目でイシュタルを見下して、黄金の波紋から歪な形の剣を取り出した。

 

「お前達は仮にもメソポタミアの神だ。故に最低限の敬意として我自らの手で滅ぼしてやろう。」

 

ギルガメッシュが歪な形の剣を手にすると、その刀身が回転を始める。

 

大気が剣に集束していき荒れ狂うと、エンリルとイシュタルが目を見開いた。

 

「人間如きが!」

「ギルガメッシュ!なんで私を受け入れないのよ!?」

 

ギルガメッシュは鼻を鳴らすと、歪な形の剣の力を解放した。

 

「天地乖離す開闢の星《エヌマ・エリシュ》!」

 

天地開闢の力を持つ暴風がエンリルとイシュタルを飲み込んでいく。

 

エンリルとイシュタルが暴風に飲み込まれたのを確認したエルキドゥは、天地開闢の力で天界が崩壊しない様に、黄金の鎖で天地開闢の力が拡がらない様に抑え込む。

 

だが…。

 

「人間如きがぁぁぁああああああ!!」

「ギルガメッシュゥゥゥウウウウ!!」

 

エンリルとイシュタルは身体が完全に崩れ去る寸前に、自身が持つ権能の全てを呪いの槍へと変えてギルガメッシュに撃ち放った。

 

「ギル!?」

 

その呪いの槍に気付いたエルキドゥだったが、黄金の鎖で天界が崩壊しない様に天地開闢の力を抑え込んでいた為に動くことが出来なかった。

 

ギルガメッシュは2つの呪いの槍を打ち払うが、呪いの槍は何度もギルガメッシュに襲い掛かっていく。

 

「フハハハハ!ギルガメッシュよ、貴様も滅ぶがいい!」

「ギルガメッシュ!私の物にならないのなら滅んでしまいなさい!」

 

呪いの槍がギルガメッシュに襲い掛かる光景を見て、エンリルとイシュタルは笑いながら崩れ去っていくのだった。




これで本日の投稿は終わりです

多機能フォームを使って真名解放時に太字を導入してみたのですがいかかでしょうか?

また来週お会いしましょう


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第34話

本日投稿1話目です


「おのれぇ!」

 

襲い掛かってくる2つの呪いの槍をギルガメッシュは何度も打ち払っていく。

 

「ギル!」

「来るな!エルキドゥ!」

 

天地開闢の力の余波が収まるとエルキドゥが駆け付けたが、ギルガメッシュは声で

エルキドゥの動きを制した。

 

エンリルとイシュタルが残した呪いの槍が絶え間なくギルガメッシュに襲い掛かっていく。

 

ギルガメッシュは手にした選定の剣の原典で呪いの槍を打ち払ったり、黄金の波紋から呪いに有効な宝貝を撃ち出したりして呪いの槍を迎撃するが、呪いの槍の勢いは衰える気配を微塵も見せない。

 

エルキドゥも黄金の鎖で呪いの槍を止めようとするが、呪いの槍の勢いは凄まじく、

捕らえる事が出来ない。

 

だが、幾度もギルガメッシュが呪いの槍を打ち払うと、ついにエルキドゥは黄金の鎖で呪いの槍を捕らえることが出来た。

 

しかし…。

 

「うそっ!?」

 

エンリルとイシュタルが造り出した呪いの槍は、エルキドゥの黄金の鎖の戒めを振り払い、再びギルガメッシュに襲い掛かっていった。

 

「そんな!?なんで神の力を繋ぎ止められないの!?」

 

エルキドゥが驚くのも無理は無い。

 

何故ならエルキドゥが造り出す黄金の鎖は、神の力が濃い程にその拘束力を増すのだ。

 

それなのにエンリルとイシュタルが造り出した呪いの槍を繋ぎ止められないのが、エルキドゥには信じられなかった。

 

そして、エルキドゥの力を信頼していたギルガメッシュも同じ思いを感じた。

 

それ故に、僅かに動きが鈍ってしまった。

 

「っ!?」

 

ギルガメッシュの戦略に長けた思考が、数手先のやり取りで呪いの槍を身体に受けてしまう未来を見通してしまった。

 

そのギルガメッシュの反応を理解してしまったエルキドゥの悲痛な叫びが天界に響き渡る。

 

「ギル―――!!」

 

選定の剣の原典で打ち払い、黄金の波紋から宝具を撃ち出して呪いの槍を迎撃するが、ついにギルガメッシュが見通した瞬間が訪れようとした。

 

その刹那…。

 

ギルガメッシュの眼前で、呪いの槍が水鏡の守護結界に弾かれた。

 

「遅いぞ、二郎!我を待たせるとは何事か!?」

 

そう言いながらもギルガメッシュは笑みを浮かべて振り向く。

 

そこには竹の水筒を片手に持った二郎の姿があった。

 

「ごめんごめん。でも、ギリギリ間に合ったんだから許してよ。」

 

そう言うと二郎は呪いの槍に目を向けた。

 

「随分と面倒な物を残していったみたいだね、あの神達は。」

 

二郎は頭を掻きながらそう言うと、ため息を吐いた。

 

「二郎、あの呪いの槍をどうにか出来そう?」

「出来なくは無いと思うけど、今すぐには無理そうかな。」

 

エルキドゥの声に二郎は苦笑いをして応える。

 

「ギルガメッシュ、呪いの槍に何かの力が流れ込んでいる様に感じるんだけど、それが何かわかるかい?」

「『世界』から魔力が流れ込んでいるな。」

 

二郎はギルガメッシュの言葉に首を傾げる。

 

「魔力というのは、確か魔術とかいうものに使う力の事だよね?」

「そうだ。」

 

ギルガメッシュの肯定に二郎は頭を掻きながらため息を吐いた。

 

二郎は『気』を扱う仙人であるのだが、その『気』は魔力と相性が悪いのだ。

 

正確に言えば魔力と『気』は反発する性質を持っている。

 

なので、仙人としての修練の日々により『気』を高めてきた二郎は魔力を扱うのを苦手としていた。

 

「呪いの槍に延々と魔力が注ぎ込まれているから、呪いの槍は勢いが衰えないと考えてもいいのかな?」

「あぁ、我の目にもその様に『観えて』いる。」

 

二郎は想像以上に厄介な状況にまたため息を吐く。

 

「随分とエンリルとイシュタルに気にいられていたみたいだね、ギルガメッシュ。」

「フンッ!」

 

二郎の皮肉にギルガメッシュは鼻を鳴らした。

 

「それで、どうするの?」

「あの呪いの槍と『世界』の繋がりを断つ。それしか無いだろうね。」

 

エルキドゥの疑問に二郎はそう答えると、二郎はエルキドゥに目を向けた。

 

「エルキドゥ、君の『繋ぎ止める』力が必要だ。手伝ってもらうよ?」

「うん、ギルを助ける為なら何でもするよ。」

 

その後、エルキドゥの力を借りた二郎は呪いの槍を消滅させる事に成功した。

 

だが、エルキドゥの返事を聞いていたギルガメッシュは、2人が呪いの槍に対処している間、赤に染まった顔をエルキドゥから逸らし続けたのだった。




本日は5話投稿します

次の投稿は9:00の予定です


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第35話

本日投稿2話目です


エンリルとイシュタルを倒し、その二柱が残した呪いの槍も対処した俺達はメソポタミアの最高神アヌの元に向かった。

 

「よくぞ来た、人の子よ。メソポタミアの神、アヌが汝等を歓迎しよう。」

 

アヌは腫れた目で俺達に歓迎の言葉を言う。

 

その腫れた目を見ると、エンリルとイシュタルの死に悲しんでいたようだ。

 

「アヌよ、詫びの言葉は言わんぞ。」

「ギルガメッシュよ、構わぬ。いつかはこうなるという予感はあったのだ。」

 

目を瞑り首を横に振るアヌがため息と共にそう言う。

 

「では、なぜあの二柱を諫めなかった?」

「儂は我が子であるエンリルとイシュタルがどうしようもなく可愛かった。それ故に苦言を言う事はあっても叱るという事が出来なんだ…。」

 

アヌはまるで後悔をしているようにそう言うと、深くため息を吐いた。

 

「愚かだな、アヌ。」

「…ギルガメッシュよ、その通りだ。儂は愚かだ。だが、儂にはあの子達を止める方法がわからなかったのだ。」

 

そう言って嘆くアヌの姿は疲れ果てている様に見える。

 

「アヌよ、メソポタミアの神々に戦を仕掛けた我等をどうする?」

「…どうもせんよ、儂はもう疲れた。」

 

そう言って肩を落としたアヌの姿は、老齢な見た目以上に老け込んで見える。

 

「そこにいるのは二郎真君であろう?」

「はい。」

「たしか汝はメソポタミアの冥界の主人である儂の娘と知己を得ていたな?」

 

メソポタミアの冥界の主人である女神エレシュキガルとは、ルガルバンダ殿を

冥界に案内した時に出会っている。

 

俺はアヌの言葉を肯定するために頷く。

 

「エレシュキガルに伝えてくれ、儂もエンリルとイシュタルの元に…。」

「その必要は無いのだわ、お父様。」

 

アヌの言葉を遮る様にして女性が言葉を挟む。

 

その女性を見たギルガメッシュとエルキドゥが一瞬だけ警戒する。

 

何故ならその女性はイシュタルと似ていたからだ。

 

「エレシュキガル…お前は冥界の外に出る事を禁じていた筈だ…。」

「いきなりメソポタミアの神々が大勢で冥界に来たら、流石に直接確認に来るのだわ。それよりもお父様?お父様がいなくなったら誰がメソポタミアの天界を統べるのですか?」

 

エレシュキガルの言葉にアヌは力無く首を横に振る。

 

「ニヌルタに任せればよかろう…、あれは強い神だ。皆が納得する。」

「ニヌルタは二郎真君に完敗しているわ。そのニヌルタをメソポタミアの最高神に据えたら、ギリシャの強欲な大神がメソポタミアの女達を狙ってくるかもしれないのだわ。」

 

エレシュキガルの言葉にアヌは言葉が詰まってしまう。

 

「うむぅ…なればシャマシュに…。」

「誰がメソポタミアの最高神になっても結果は一緒ね。そして、私の操はギリシャの大神に奪われてしまうのだわ。」

 

涙を拭くように目元を抑えるエレシュキガルの言葉にアヌの目に力が戻る。

 

「ならぬ!それはならぬ!」

「なら、お父様がメソポタミアの最高神を続けてください。今回の一件でメソポタミアの天界は色々と滅茶苦茶になってしまっているんですからね。」

 

エレシュキガルがチラリと俺を見てくる。

 

確かにギルガメッシュとエルキドゥはエンリルとイシュタルの二柱を倒したぐらいだけど、俺は50近くのメソポタミアの神を冥界に送っちゃってるからなぁ…。

 

「うむぅ…わかった。なれど、時折冥界にエンリルとイシュタルに会いにいくぐらいは…。」

「エンリルは今回の一件で冥界に来た神の戦士を配下にして冥界を乗っ取ろうとしているし、妹は既に冥界の男達を漁り始めているのだけど…責任を取ってくれるのかしら?」

 

エレシュキガルがニッコリと微笑むとアヌは目を逸らした。

 

「うむ、儂は忙しくなるし止めておこうかの。」

「そうしてほしいのだわ、お父様。」

 

アヌとエレシュキガルのやり取りを見てエルキドゥがクスクスと笑っている。

 

「フンッ!話は済んだか?ならば我は帰るぞ。エルキドゥとの婚姻の準備があるからな。」

 

そう言ってギルガメッシュは踵を返すとエルキドゥもそれに続く。

 

俺も続こうと思ったんだけど、俺の肩をガッシリと掴む者がいた。

 

「私も急に忙しくなっちゃったんだけど、手伝ってくれるわよね?二郎真君?」

 

そう言ってエレシュキガルが俺にニッコリと微笑んできた。

 

俺は助けを求める様にギルガメッシュとエルキドゥを見るが、2人は触らぬ神にと言わんばかりに振り向かずに去っていったのだった。




次の投稿は11:00の予定です


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第36話

本日投稿3話目です


エレシュキガルにメソポタミアの冥界に連行された俺は、しばらくの間エレシュキガルの手伝いをする事になった。

 

その手伝いの内容は主に冥界にいる神々から権能を剥奪する事だ。

 

権能は魂に刻み込まれている為、それを剥奪するのはそれなりに労力が必要だ。

 

ニヌルタの配下だった神の戦士は権能の剥奪に協力的だったが、エンリルとイシュタルはもの凄い反抗をした。

 

まぁ、エレシュキガルはこうなる事がわかっていたので俺に手伝わせたのだが…。

 

曲がりなりにもメソポタミアで最高級の神だったエンリルとイシュタルから、力付くで権能を剥奪するのは困難を極める。

 

なのでエレシュキガルは俺に手伝わせるのだ。

 

エンリルとイシュタルから権能を剥奪しようとすると、冥界の地形が変わる程の戦いとなった。

 

俺とエレシュキガル、そしてニヌルタの配下だった神の戦士達が協力をして、なんとかエンリルとイシュタルから権能を剥奪する事に成功した。

 

権能を剥奪されたエンリルは虚脱状態になったが、イシュタルはさほど変わらずに

冥界の男達を漁っていた。

 

ここまで来るとイシュタルに逞しさすら感じる。

 

手伝いを終えた俺はイシュタルの矛先が俺に向く前にメソポタミアの冥界を去る事にした。

 

去り際にニヌルタの配下だった神の戦士達から再戦を挑まれたが、ギルガメッシュとエルキドゥの婚姻の儀に参加する為に断った。

 

その後、ウルクに戻った俺はギルガメッシュとエルキドゥの婚姻の儀を見届けた。

 

2人の婚姻の儀はウルク全体で7日に渡って祝われた。

 

7日に渡ったお祝いが終わると、夫婦になったギルガメッシュとエルキドゥの邪魔をしない為に俺は中華に帰る事にした。

 

「二郎、いつでもウルクに来るがいい。友たるお前に対して閉ざす扉を我は持たぬ。」

 

俺はギルガメッシュと握手をすると、そっと霊薬を渡した。

 

もちろんこの霊薬は夫婦の営みに役立つ物である。

 

それを見通したギルガメッシュは鼻を鳴らしながらも、俺に感謝の言葉を言ってきたのだった。

 

 

 

 

中華に帰った俺だが、それからもギルガメッシュとエルキドゥとの友誼は変わらなかった。

 

時折俺がウルクに訪れると、3人で冒険の旅に出たりして以前と変わらぬ日々を過ごしていった。

 

ギルガメッシュとエルキドゥは夫婦になったが、しばらくの間は子供を作らずに夫婦としての時間を楽しむらしい。

 

そんな感じでギルガメッシュが王になってから200年程が経った頃、中華の地を統一した英雄が現れた。

 

その男は『黄帝』と名乗り、ギルガメッシュと同じく、初めて人の帝となったのだ。

 

黄帝は伯父上である天帝や、妹の三聖母から宝貝を貸し与えられて中華を統一した様だ。

 

それだけなら他の男でも中華を統一出来たかもしれないが、黄帝が成したのはそれだけでは無かった。

 

メソポタミアの神々との戦の際に出会った白髪の男が使っていた道具である『弓』を開発し、更に中華の人々に医術や教育を教えた上に、仙術の『練丹術』を元にして、道士ではない人々にも作れる様に簡素化した『漢方薬』を世に広めたのだ。

 

そんな黄帝を知ったギルガメッシュは、中華の地に訪れて黄帝に称賛の言葉を送った。

 

「我以外に王に相応しき者はおらぬが、お前以外に帝に相応しき者もおらぬだろう。」

 

この称賛の言葉に俺とエルキドゥは本当に驚いた。

 

ギルガメッシュもエルキドゥと夫婦として過ごした事で少し変わったのかもしれないな。

 

中華が統一されるという変化により忙しくなった俺だが、それでも暇を見つけては

ウルクに訪れてギルガメッシュ達と会っていった。

 

そんな日々を送っていたある日、ギルガメッシュとエルキドゥの間に息子が産まれた。

 

ギルガメッシュは息子を『ウル・ルガル』と名付けた。

 

会う度に成長を見せるウル・ルガルの姿に、俺もギルガメッシュやエルキドゥと同じく目を細めた。

 

そして更に時間が過ぎ、ギルガメッシュが王となってから300年程が経った頃の事。

 

ついにギルガメッシュの栄光の日々は終わりの時を迎えるのだった。




次の投稿は13:00の予定です


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第37話

本日投稿4話目です


「…来たか、二郎。」

 

メソポタミアの冥界の主人であるエレシュキガルの使いが中華を訪れて、ギルガメッシュの死期が間近であると俺に伝えてきた。

 

俺は哮天犬に乗って急いでウルクに向かうと、ギルガメッシュは寝台の上で横になっていた。

 

「ここ数ヵ月ウルクに来れなくて悪かったね、ギルガメッシュ。」

「…その通りだな。危うく友たるお前が我を看取る前に冥界に行くところだった。」

 

そう言ってギルガメッシュは皺が刻まれた顔で笑う。

 

俺は改めてギルガメッシュの姿を見ていく。

 

輝く太陽の様だった黄金の髪は色褪せて白髪になっている。

 

黄金比の無駄な部分が無い身体は、覇気を失い細くなっている。

 

だが、神の血を引く者の証である紅い瞳は若き日と変わりなく、強い意思を秘めていた。

 

「…エルキドゥよ、ウルを呼んでこい。」

「うん、わかったよ、ギル。」

 

ギルガメッシュと同じく白髪と皺が刻まれた顔のエルキドゥが、優しい声でギルガメッシュの声に応えた。

 

そして、ギルガメッシュの寝台の側にあった椅子から立ち上がると、エルキドゥはゆっくりと部屋を出ていった。

 

「300年か…過ぎてみればあっという間であったな、二郎。」

「あぁ、あっという間だったね、ギルガメッシュ。」

 

300年、ギルガメッシュが王になってから経った年月であり、俺とギルガメッシュが友として過ごしてきた年月でもある。

 

「二郎よ、1つ頼みがある。」

「らしくないな、ギルガメッシュ。いつも通りに命令しなって。」

「…確かに我らしくなかったな。先の言葉は戯れとして聞き流しておけ。」

「仰せのままに。」

 

ギルガメッシュは誤魔化す様に笑みを浮かべると、真剣な眼差しで俺を見てきた。

 

「二郎よ、ウルの隣に立つ者が現れるまでウルを見守れ。我にとっての二郎やエルキドゥの様な存在が現れるまでな。」

「わかったよ、ギルガメッシュ。二郎の名において誓おう。」

 

俺の返事に、ギルガメッシュは安心した様な安堵の息を吐いた。

 

でも次の瞬間には、若き日の様な王としての覇気のある瞳で俺を見てきた。

 

「だが、ウルがウルクの王たる器にあらずと感じたのならば見捨てよ。我やエルキドゥに遠慮することなくな。」

 

都市国家ウルクはギルガメッシュの治世により、周辺の都市国家を超えて一番繁栄してきた。

 

そんなウルクは世界中の神々や王から注目されている。

 

もしもウルが暴君となってウルクが荒れれば、たちまち周辺の都市国家にウルクは食い荒らされてしまうだろう。

 

「わかったよ、ウルが王に相応しくないと思ったら殴ってでも矯正させる。」

「フハハハハ!武神の拳はさぞ堪えるであろうな!」

 

俺の返事にギルガメッシュは若き頃の様に笑った。

 

その後、静かに2人でいる時間を惜しむ様に楽しむと、エルキドゥがウルを連れて戻ってきた。

 

「父上、ウル・ルガル、参りました。」

「ウルよ、我から最後の教えを伝える。」

 

ギルガメッシュの言葉にウルは背筋を正す。

 

「ウルよ、王とは孤高の存在だが孤独である必要は無い。共に歩む者を作れ。」

 

俺はギルガメッシュの言葉に驚いた。

 

ギルガメッシュの言葉は、300年以上前にギルガメッシュの父であるルガルバンダ殿が俺に言った言葉だったからだ。

 

「父上のお言葉、確と胸に刻みます。」

 

ウルの返事に満足した様に笑みを浮かべたギルガメッシュはエルキドゥに目を向ける。

 

「エルキドゥよ、先に行くぞ。」

「うん、僕がいないからって冥界で浮気したらダメだよ。」

「たわけ。お前以外に我に相応しい女はおらぬわ。」

 

ギルガメッシュの言葉を聞いたエルキドゥは優しく微笑みながら、寝台に横たわるギルガメッシュの額に唇を落とした。

 

ギルガメッシュは微笑みながら俺に目を向ける。

 

「さらばだ、二郎。」

「ギルガメッシュ、よい旅を。」

 

ギルガメッシュは満ち足りた様な表情を浮かべると、ゆっくりと目を閉じていったのだった。

 

 

 

 

この日、今生で初めての友であるギルガメッシュが亡くなった。

 

俺は仙人になってから初めて誰かの死に涙を流したのだった。




次の投稿は15:00の予定です


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第38話

本日投稿5話目です


ギルガメッシュが亡くなると、ギルガメッシュとエルキドゥの息子であるウル・ルガルがウルクの新しい王となった。

 

新しくウルクの王となったウル・ルガルは、若き日のギルガメッシュと同じ様に冒険をして世界中の財を集めていった。

 

しかしウルは集めた財を必要最小限を残して、生前のギルガメッシュが使っていた蔵に献上する形で納めていった。

 

「父上から受けた愛情と恩にはこの程度では足りない。私の生涯をかけて父上の蔵に世界中の財を献上していくつもりだ。」

 

ウルはギルガメッシュとエルキドゥにより見事な教養を身に付けたが、両親を敬愛し過ぎるのが玉に瑕だ。

 

エルキドゥはウルクの民から集めた税を蔵に納めようとしない限りは止めるつもりは無いようだ。

 

「民を飢えさせなければ王として最低限の義務は果たしているから、あのぐらいは個性としていいんじゃない?」

 

そう言ってエルキドゥはウルが冒険の旅で成長していくのを見守っていった。

 

ウルがウルクの王となってから3年の月日が経つと、周辺の都市国家の1つである

キシュから使者がやって来た。

 

その使者はキシュの女王となったイナンナという女傑から遣わされた使者の様だ。

 

使者の口上を一言で言えば、宣戦布告である。

 

キシュの女王イナンナの思惑を、ウルは次の様に読んだ。

 

「おそらくは、先代のキシュの王であったアッガが成せなかったウルクへの侵攻を成功させる事で、自身に箔をつけるつもりだろう。」

 

使者に宣戦布告を受けたウルは戦の準備に入った。

 

そして1ヵ月後、ウルクとキシュの中間となる場所でウルとイナンナの戦が始まった。

 

ギルガメッシュが作り上げたウルクの軍は精強で数も多かったが、イナンナはキシュの兵達を巧みに操って互角に渡り合った。

 

だが多勢に無勢であり、キシュの兵達はウルクの軍に次第に圧されていった。

 

ここでイナンナは形勢逆転の一手としてウルに一騎打ちを申し立てた。

 

ウルは冒険の旅で手に入れた剣を抜き放つと、イナンナと一騎打ちを始めた。

 

一騎打ちの結果はウルの圧勝だった。

 

ウルはギルガメッシュとエルキドゥの息子だ。

 

その才能はギルガメッシュには及ばないが、王として不足なくギルガメッシュの後を継げるだけのものを持っているのだ。

 

そんなウルはギルガメッシュに憧れて幼い頃から俺に戦士としての手解きを受けてきた。

 

戦士としての力量なら、ウルは既にギルガメッシュに劣らない程のものを身に付けているのだ。

 

そういうわけで今回の戦はウルクの勝利となったのだが、ここで戦場にいる一同が

驚く出来事が起こった。

 

なんと、一騎打ちに敗れたイナンナがウルに一目惚れをして求婚をしたのだ。

 

このイナンナの行動に俺と一緒に戦を見学していたエルキドゥは…。

 

「ギルの所に行く前に孫の顔を見れそうだね。」

 

と言って嬉しそうにニコニコしていた。

 

狼狽えたウルはイナンナに戦の賠償を求めずにキシュへと帰した。

 

だがキシュへと戻ったイナンナは、精力的に政務をこなして暇を作ると、僅かな供回りと共に

ウルクを訪れる様になった。

 

もちろん、イナンナの目的は惚れた相手であるウルに逢う事である。

 

そして、このイナンナの行動をエルキドゥが後押しするので、ウルはどうしていいか

わからずに俺に相談をしてくる様になった。

 

俺は友であるエルキドゥの味方なのでイナンナとの結婚を推した。

 

悩んだウルはイナンナと冒険をしてから結婚を決めると言った。

 

これはウルが幼い頃に聞いたギルガメッシュとエルキドゥの冒険話が要因の様だ。

 

半年後、数々の冒険を共に越えたウルとイナンナは結婚する事が決まった。

 

この結婚話にウルクとキシュの民は大いに盛り上がった。

 

ウルとイナンナの婚姻の儀が行われた頃からエルキドゥは少しずつ寝台の上で過ごす時が増えていった。

 

翌年、ウルとイナンナの間に子供が産まれた。

 

孫を腕に抱いたエルキドゥは嬉しそうに微笑んでいた。

 

そして、エルキドゥが孫を腕に抱いてから1ヵ月後。

 

ついに、エルキドゥがギルガメッシュの元に旅立つ時がやってきたのだった。

 

 

 

 

「二郎、長い間本当にありがとう。」

「こっちこそ楽しかったよ、エルキドゥ。」

 

寝台の上で横になっているエルキドゥが優しく微笑む。

 

「ギルを随分と待たせちゃったね、怒ってるかな?」

「遅いって文句は言うだろうけど、怒ってはいないんじゃないかな?」

「ふふ、そうだね。」

 

既にエルキドゥとの別れを済ませたウルとイナンナは部屋の外に出て、俺達に別れの挨拶をさせてくれている。

 

「それじゃ、ギルの所に行くよ。二郎、元気でね。」

「エルキドゥ、よい旅を。」

 

ニコリと微笑んだエルキドゥはそのままゆっくりと目を瞑り、ギルガメッシュの元へと旅立ったのだった。




これで本日の投稿は終わりです

また来週お会いしましょう


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第39話

本日投稿1話目です


ギルガメッシュに続きエルキドゥも亡くなった事で俺はウルクを離れる事にした。

 

ウルにもイナンナという伴侶が出来たのでギルガメッシュとの約束を果たしたからな。

 

俺は時折ギルガメッシュとエルキドゥの墓参りをする許可をウルに貰うと、哮天犬に乗って中華にある俺の廓に帰った。

 

それからはギルガメッシュに会う以前の生活に戻った。

 

仙人として修業をして、蛟や邪仙を退治して過ごしていった。

 

そんな日々を過ごしていた時に、ふと思い立ってメソポタミアの冥界にギルガメッシュとエルキドゥに会いにいく事にした。

 

だが…。

 

「ギルガメッシュとエルキドゥなら『座』に行ってしまったのだわ。」

 

と、メソポタミアの冥界の主人であるエレシュキガルが言う。

 

「『座』?」

「一言で言えば『世界』の外側にある、もう1つの世界なのだわ。『星』に生前の偉業を 認められたギルガメッシュとエルキドゥは『星の守護者』になって、その魂の在所を 自分達の『座』に移したのだわ。」

 

守護者?メソポタミアの神々との戦の時にあった白髪の男とは違うのかな?

 

俺はそれをエレシュキガルに聞くと、エレシュキガルは全くの別物だと答えた。

 

「二郎真君が会ったのは『世界の守護者』なのだわ。世界の守護者は一言で言えば『世界』の奴隷なのだわ。対して『星の守護者』は『星』の客人だから扱いは言葉通りに雲泥の差なのだわ。」

 

どうやらギルガメッシュ達はあの白髪の男の様にはならないようだ。

 

うん、安心した。

 

もしあの白髪の男の様になっているなら、可能な限りの手段を使ってギルガメッシュ達を解放しにいくつもりだからな。

 

しかし、エレシュキガルは詳しいな。

 

「私は冥界の主人よ。その役割上、多くのメソポタミアの英雄達と出会ってきたわ。 そして死後の英雄達が『英霊』となって座を作ったり、座に招かれたのを見てきたの。だから、少しだけ『座』について詳しいのだわ。」

 

なるほど、中華に『座』に関する知識がほとんど無いのは、仙人達は死んでも『座』に招かれる前に転生をしてしまうからか。

 

「それに、最近はギルガメッシュの『座』で面白い事が起きてるからよく見ているのだわ。」

 

ん?面白い事?

 

俺の疑問を察したエレシュキガルが笑みを浮かべながら答える。

 

「ギルガメッシュが天地開闢の力で『世界』に穴を開けて、並行世界の自分の『座』に 戦を仕掛けているのだわ。」

「並行世界の自分に?」

 

ギルガメッシュはなんでまたそんな事を?

 

「私も詳しくは知らないけど、並行世界の自分が気に入らないみたいだわ。なんか、並行世界のギルガメッシュは暴君になったりしたみたいね。」

 

賢君として世界中に名を知られるあのギルガメッシュが暴君?

 

並行世界のギルガメッシュは何をどうしてそうなったんだ?

 

「そう言うわけでギルガメッシュはエルキドゥと一緒に並行世界の自分を尽く滅して、 自分を『正史』にするつもりなのだわ。」

「よくわからないけど、ギルガメッシュがやろうとしているのなら出来るんだろうね。」

 

どうやらギルガメッシュは死後も色々とやって楽しんでいるみたいだ。

 

「そうそう、ギルガメッシュから伝言があったのだわ。」

 

ポンッと手を叩いてエレシュキガルが話を続ける。

 

「『友よ、また会おう。』って言っていたのだわ。」

 

あぁ、ギルガメッシュは変わらないな。

 

俺はなんか可笑しくなって笑った。

 

ギルガメッシュとエルキドゥが亡くなってから初めて腹の底から笑った。

 

俺は悠久の時を生きる仙人だ。

 

幾百、幾千の時の流れでまた2人と巡り会う機会もあるだろう。

 

「あぁ、友よ。また会おう。」

 

俺はそう呟くと、ギルガメッシュの『座』に届く様に大きな声で笑ったのだった。




本日は5話投稿します

次の投稿は9:00の予定です

これでウルク編は終了となります。次話からは封神演義編です。


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紀元前1600年代 ~封神演義編~
第40話


本日投稿2話目です


ギルガメッシュとエルキドゥが亡くなってから800年程が経った。

 

その月日の間にウルクの王もウルから6代ほど代替わりした。

 

今代のウルクの王は俺にギルガメッシュ達の墓参りをするのなら墓参りの税を納めろと

言ってきたので、金輪際ウルクには関わらない事に決めた。

 

そんな感じでウルクからの帰り道、気紛れでギリシャに立ち寄る事にした。

 

そこで俺はケンタウロスのケイローンという男と出会った。

 

ケイローンはギリシャの地で賢者と言われているらしい。

 

そんなケイローンは現在武術の開発に勤しんでいる様だ。

 

なんでもパンクラチオンと名付ける予定らしい。

 

俺はケイローンに字(あざな)を名乗ったのだが、ケイローンは俺の事を知っていた。

 

ケイローンが言うには俺は放浪の神として知られているらしい。

 

治水の神であり、放浪の神であり、武神でもある。

 

俺のゼンという字(あざな)はギリシャの地にそのように伝わっているようだ。

 

ケイローンは俺にパンクラチオンについて意見を求めてきた。

 

パンクラチオンは打撃、投げ、極めの総合武術を目標としているのだが、

今はまだ完成に至っていないらしい。

 

俺は少しの間ケイローンが行う演武を見ていた。

 

拳法とは違う動きだが、武術としての形になっていた。

 

俺は1代でここまで武術を作り上げたケイローンを称賛した。

 

ケイローンは謙遜していたが、ケイローンは賢者の名の通りに武の理を解した賢き者だった。

 

幾つか俺なりの助言をすると、ケイローンは喜んでくれた。

 

パンクラチオンを完成させるために集中するらしいので、俺はケイローンと別れて

ギリシャの地を去る事にした。

 

そのギリシャからの帰り道。

 

中華の地に入ると俺の頭上に雷が降ってきたのだった。

 

 

 

 

「おや?今のはかなり力を込めたんですけどね。流石は二郎真君といったところですか。」

 

俺はその声がする頭上に顔を向ける。

 

そこには猫のような霊獣に乗った奇抜な格好の道士がいた。

 

「私の宝貝『雷公鞭』が完璧に防がれたのは初めてです。お見事ですね。」

 

そう言いながら奇抜な格好の道士は俺に拍手をしてきた。

 

「あ、申し遅れましたが私は『申公豹』といいます。ちなみにこの霊獣は『黒点虎』です。」

「よろしく、二郎真君様。」

 

いきなり攻撃されてあれだが、名乗られた以上は俺も名乗らなければな。

 

「知っているみたいだけど、俺は二郎真君だよ。この子は相棒の哮天犬。」

「ワンッ!」

 

俺の名乗りを聞いた申公豹は手にしていた宝貝に力を込め始めた。

 

「それじゃ、続きをしましょうか。」

 

そう言って申公豹は宝貝から雷を放ってきた。

 

俺は最初の一撃を防いだのと同じ様に水鏡の守護結界で雷を防ぐ。

 

「お~、今のは小さな山1つは吹き飛ばす威力があった筈なんですけどね。」

 

申公豹は感情の起伏があまり感じられない表情で驚いた様な声を上げる。

 

「天帝様が自慢するだけはありますね。」

「伯父上を知っているのかい、申公豹?」

「先日、私の師である元始天尊様と天帝様が貴方の事を話していたのですよ。

 それで興味を持って貴方を待っていました。」

 

そう言いながらも申公豹は宝貝から雷を放ってくる。

 

「う~ん、効かないですねぇ。相性が悪いのでしょうか?」

 

申公豹は顎に手を当てて首を傾げるが、攻撃を止める様子は無い。

 

「やれやれ、伯父上と元始天尊様の話を聞く前に滅するわけにもいかないか。」

 

そう言ってため息を吐いた俺は瞬動で申公豹の側面に踏み込む。

 

「おや?」

 

俺が近付いたのに気付いた申公豹が宝貝を振るう前に、虚空立歩で空を踏み締めて崩拳を放つ。

 

「…ゴフッ!」

 

崩拳を食らわせてから離れると、申公豹は血を吐いた。

 

「これが吐血ですか。血を流したのは生まれてから初めての経験ですね。」

 

口周りの血を手で拭った申公豹は、その手についた血を興味深そうに見ている。

 

「それに、殴られたのも初めてです。殴られると眠くなるのですね。

 黒点虎、私は寝ますので後はお願いします。」

 

そう言うと申公豹は黒点虎に身を預けて気を失った。

 

「…二郎真君様、ごめんね。申公豹を見逃してくれないかな?」

「命は助けるけど、伯父上の所まで一緒に行ってもらうよ。」

「うん、わかった。」

 

中華に帰った早々に申公豹に襲撃を受けた俺は、その襲撃者である申公豹と、

霊獣である黒点虎と一緒に伯父上の所に向かうのだった。




次の投稿は11:00の予定です。

殷周革命は紀元前1100年代なので封神演義の舞台もそこからですが、
拙作では殷が興る1600年代から話を始めていきます。

まぁ、封神計画が始まるのは紂王がやらかしてからですが…。


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第41話

本日投稿3話目です


「二郎、よく帰った。」

「伯父上、二郎真君、ただいま戻りました。」

 

片膝をついて包拳礼をすると、伯父上に立ち上がる様に促されたので立ち上がる。

 

「二郎よ、しばし待て。配下の者に元始天尊を呼びに行かせているのでな。」

 

伯父上はそう言うと、黒点虎の背で気を失っている申公豹に目を向けた。

 

「して、いかがであった?」

「彼は実戦の経験が不足していますね。」

「そうか。」

 

俺の返答に伯父上は納得した様に頷いた。

 

その後、ギリシャのケイローンの事を伯父上に話していると、

元始天尊様が伯父上の宮にやって来た。

 

「待たせたのう、天帝殿。」

 

そう言って頭頂部が見事に磨きあげられた老人が部屋に入ってくる。

 

この老人が元始天尊様だ。

 

元始天尊様は黒点虎の背で気を失っている申公豹を一瞥すると、大きくため息を吐いた。

 

「賭けは我の勝ちだな、元始天尊。」

「はぁ…約定通りに宝具を融通いたそう。」

 

2人の会話に俺が首を傾げていると、伯父上が笑いながら話をした。

 

「我と元始天尊が二郎の事を話していると、その時に一緒にいた申公豹が姿を眩ましたのでな、

 二郎に興味を持って会いに行ったと察したのよ。そして申公豹の性格から二郎を試す

 だろうと思ってな、元始天尊とどちらが勝つのか賭けをしたのだ。」

「申公豹は儂の弟子の中でも一番の才を持つ者だが、武神である二郎真君には敵うまいと

 思ってはいたのじゃ。じゃが、師である以上は弟子を信じねばなるまいて。」

「ハッハッハッ!相も変わらず弟子思いだな、元始天尊。」

 

そんな感じで中華で最高峰の神である二柱が話をしている。

 

まぁ、この2人とは千年以上付き合いがあるから俺の前では普段通りに話すのだ。

 

いつもはもっと威厳がある2人なんだけどね。

 

「さて、二郎よ。1つ頼みがある。」

「何でしょうか、伯父上?」

「二郎には世界を巡って宝貝を集めてきてもらいたいのだ。」

 

宝貝を?

 

「また蓮に…三聖母に宝貝を渡すためですか?」

「ふむ…二郎には話した方がよかろうな。」

「うむ、話した方がよいじゃろうよ、天帝殿。」

 

何やら伯父上と元始天尊様が頷きあっている。

 

どうしたんだ?

 

「二郎よ、気づいておるか?『世界』から、『星』から少しずつ神秘が

 失われてきているのを。」

「神秘がですか?」

 

俺が首を傾げると伯父上は肯定する様に頷く。

 

「うむ、今はまだ『気』を扱う仙人である我らにしか気付かぬ変化だが、

 確実に神秘が失われてきているのだ。」

「伯父上、神秘が失われると『世界』や『星』はどうなるのですか?」

「人には大きな変化は起こるまい。英雄となれる者が減る程度であろう。」

 

腕を組んで話す伯父上の表情は真剣だ。

 

「だが、我等神々は『世界』の内側に存在出来なくなる。」

「神々がですか?」

「そうだ。故にその対策の為に二郎には神秘の塊である宝貝を集めてもらいたいのだ。」

 

対策?

 

「何をするのですか?」

「崑崙山などの仙人や道士が集う場所を『世界』の外側に移動させる。」

「『世界』の外側?」

「二郎は『座』と呼ばれる場所を知っておるか?アレと同じ様な場所を作るのだ。」

 

『座』というのは確か、ギルガメッシュとエルキドゥが行った場所のはずだ。

 

それを作る?

 

「『星』や『世界』が用意した理想郷には選ばれた者しか行けぬのでな。

 故に中華の天界を統べる者として、中華の天界の者達を救う為に成さねばならぬのだ。」

 

なるほど、納得した。

 

しかし…。

 

「地上に居られなくなるのですか…それは残念ですね。」

「いや、二郎は問題無く居られるであろう。」

 

え?

 

一応俺も神なんだけど?

 

「二郎は半神半人であるからな。純粋な神で無ければ神秘が失われても

 世界の内側に居られるはずだ。」

「そうですか、それを聞いて少し安心しました。退屈をせずに済みそうですからね。」

 

俺の言葉に伯父上と元始天尊様が大きな声で笑う。

 

「それで伯父上、時間はどれほど残されているのですか?」

「二千年は問題無かろうが、余裕を持って千年とする。」

「わかりました。千年は世界を巡って宝貝を集めてきましょう。」

 

伯父上が頷いたのを見た俺は、ふと疑問を持った。

 

「ところで伯父上、俺が世界を巡っている間、蛟や邪仙の退治はどうするのですか?」

「それは申公豹に任せる。実戦経験が不足している申公豹にはちょうどよかろう。

 名目は天帝たる我の外甥を襲撃した罰だな。」

 

そう言うと伯父上は元始天尊様に目を向ける。

 

「そういうわけで申公豹を借りるぞ、元始天尊。」

「今まで申公豹を色々と自由にさせ過ぎましたからのう。ちょうどよい罰でしょうな。」

 

そう言うと伯父上と元始天尊様は笑い出した。

 

話を聞いていた黒点虎はこれからの事を考えたのか、げんなりして項垂れたのだった。




次の投稿は13:00の予定です


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第42話

本日投稿4話目です


中華の要所を『世界』の外側に移動させるために宝貝を集め始めてから200年程経った。

 

申公豹は伯父上の言葉通りに最初の数回は素直に蛟退治等をしていったようだ。

 

だが元始天尊様曰く、自由を愛する申公豹を拘束し続けるのは無理なようだ。

 

その為、蛟退治等を怠ける申公豹に代わって伯父上の軍が蛟退治等をしている。

 

さて、宝貝集めのためにギルガメッシュ達と冒険をしていた時の様に世界中を巡っていたのだが、

その時にギリシャに立ち寄ると、なんとケイローンが毒で苦しんでいた。

 

なので解毒をしてケイローンに事情を聞いてみたのだが、

なんでも弟子に弓を誤射されたらしい。

 

その弟子の名はアルケイデスという様だ。

 

アルケイデスはギリシャの最高神である大神ゼウスの息子なのだが、

俺と同じ半神半人なのだそうだ。

 

そんなアルケイデスは大神ゼウスの妻である女神ヘラに色々と無茶ぶりをされているらしい。

 

なんでも女神ヘラにより狂わされたアルケイデスは妻と娘、そして友人の娘まで殺してしまい、

その罪深さに思い悩んでいたところを、女神ヘラが罪を償うためとして試練を与えたそうだ。

 

…これ、女神ヘラの自作自演だよな?

 

俺がそう言うとケイローンは苦笑いをしていた。

 

アルケイデスもそれはわかっているのだが、罪の意識に悩んでいた彼は

女神ヘラの試練に挑んでいったそうだ。

 

その試練の中で多頭の竜を倒したのだが、その多頭の竜を倒した時に手に入れた毒を

彼は矢に塗って使っているとのこと。

 

そして彼がその矢を使って弓の鍛練をしていてると、ケイローンに誤射してしまった様だ。

 

ケイローンは不老不死なのだが、アルケイデスが矢に塗った毒は触れただけで

皮膚が爛れる致死の毒らしく、ケイローンは不死故に死ねずに毒に

苦しめられてしまったそうだ。

 

そして不死をギリシャの神に返上しようとした時に俺が現れて救ってくれたと言った

ケイローンは、俺に深々と感謝の言葉を言ってきた。

 

致死の毒を塗った矢を使うなら周囲に気をつけろとアルケイデスに説教してやりたい。

 

俺はそう思ってアルケイデスの元に向かおうとしたのだが、

ケイローンにひき止められてしまった。

 

ケイローンが言うにはアルケイデスの誤射は大神ゼウスに仕組まれたものとの事。

 

俺はケイローンの言葉に首を傾げると、ケイローンが事の真相を教えてくれた。

 

「大神ゼウスは予言された戦争で生き残るために戦士を集めています。

 その戦士の1人として私を求めてアルケイデスが放った矢の軌道を変えて私に当てたのです。

 私は自身の死を予知していました。ですが、それが運命ならば受け入れようと、

 今日まで弟子達の成長を見守って生きてきたのです。」

 

ケイローンの言葉に俺は少し考える。

 

大神ゼウスがケイローンを求めているのなら、ここで生き残ってもまた狙われる可能性がある。

 

そう考えた俺はケイローンに中華で匿う事を提案した。

 

だが…。

 

「ゼン殿、お気持ちは大変ありがたい。ですが、私は自身の運命が変わった事で、

 この先に起こるギリシャの未来をこの目で確かめてみたいのです。

 それに私の運命が変わったのなら、弟子達の運命も変わるかもしれません。

 私は師として弟子達の行く末を見届けたい。」

 

そう言ってケイローンはギリシャに残る事を決意した。

 

俺はケイローンの気持ちを尊重してケイローンと別れて中華に戻る事にした。

 

ただ、ケイローン程の男を失うのは惜しいと感じるので、

また誤射されても大丈夫な様に霊薬を渡しておこう。

 

霊薬を差し出すとケイローンは「ゼン殿、それほど貴重な物は…。」と言ってきたが、

自分で作れるので構わずに受け取ってくれと言って渡しておいた。

 

霊薬を受け取ったケイローンは少し迷った後で笑顔になり礼を言ってきた。

 

そして哮天犬に乗っての中華への帰り道。

 

かつてウルクの神々との戦で出会った白髪の男が、同じく白髪に褐色肌の剣士と共に、

俺に襲い掛かってきたのだった。




次の投稿は15:00の予定です


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第43話

本日投稿5話目です


「やれやれ、また貴方か。今度はいったい何を仕出かしたのかね?」

 

白髪の剣士を倒した後に魂に干渉して白髪の男の意識を取り戻させると、

白髪の男が斜に構えてそう言ってきた。

 

「まるで俺が何か悪い事をしたような物言いだね。」

「私がここにいるということは、少なくとも『世界』にとっては

 認められない事をしたのだろう。」

 

そう言ってから白髪の男はため息を吐いた。

 

「随分と疲れている様だね?」

「誰かの友である黄金の王がその妻と共に、並行世界の己の『座』に乗り込んだのでね。

 私はその矛盾を解消するためにあらゆる時代を駆けずり回るはめになったのだよ。

 まぁ、私の努力は無駄になったがね。」

 

そう言うと白髪の男はまたため息を吐いた。

 

どうやら苦労性な男の様だ。

 

「そうか、それはお疲れ様。」

「問題を起こしたのは貴方の友人なのだが…。」

 

白髪の男は疲れを解す様に眉間を揉んだ。

 

「それで、今回も私の意識を取り戻したようだが…何を聞きたいのかね?」

 

そう聞いてくる白髪の男に俺は千年以上前に考えた事を話す。

 

「あぁ、君の名を教えて欲しくてね。」

「私の名を?英雄になり損ねた男の名など聞いてどうするのかね?」

「黄帝が弓を開発する前から弓を使っていた者だったからね。

 気になってもおかしくないだろう?」

 

俺がそう言うと、白髪の男は自嘲するように笑いながら話し出す。

 

「あいにく私の記憶は摩耗している。それにかつて言ったと思うが、私は自身を殺したいと

 思っているのだ。そんな私が自身の名をわざわざ思い出そうとは思わんよ。」

 

俺は白髪の男の返答に困って頭を掻く。

 

「う~ん、それは困るなぁ。」

「困る?私の名を聞けないことに何を困るのかね?」

「君を『世界の守護者』から解放出来ないからさ。分霊である君じゃなくて、君の本体をね。」

 

俺の言葉に白髪の男は驚いて目を見開いた。

 

「私を解放する…?バカな、そんなこと出来るはずが…。」

「出来るよ。条件が揃えばだけどね。」

 

白髪の男の言葉を遮る様に言うと、白髪の男は焦った様に話し出した。

 

「貴方は何を言っているのかわかっているのか?!『世界』を敵に回しかねんのだぞ?!」

 

自分が解放されるかもしれないというのに相手の心配か…。

 

うん、やっぱりこの男は苦労性だな。

 

「『世界』を敵に回す?それがどうかしたのかな?」

「なっ!?考え直せ、二郎真君!そんな無理な事は…。」

「無理は千年以上前にギルガメッシュやエルキドゥと一緒に散々やってきたからなぁ…。

 今更って感じだね。」

 

おどける様に肩を竦めると、白髪の男は睨む様に俺を見据えてくる。

 

「私は救われる価値の無い男だ。周囲の人達を切り捨て、理想の為に奔走し、多くの人々を

 救ったが、最後には救った人々に殺され、理想を抱いて溺死した男だ!」

 

そう言う白髪の男の目は、まるで泣き出す前の子供の様だ。

 

「後悔しているのかな?」

「言ったはずだ!私は自身を殺したいほどに…。」

「あぁ、そうじゃなくて、誰かを救ったことを後悔しているのかなってね。」

 

俺の言葉に白髪の男は言葉が出てこないのか、口をパクパクさせている。

 

「あ…いや…。」

 

白髪の男は困惑して目をキョロキョロさせている。

 

「いや…だが…。」

「どんな理由で君が英雄を目指したのかはわからない。でも、誰かを救った事は

 後悔していないんだろう?なら、それは間違いじゃないよ。」

「…間違いじゃない?」

 

白髪の男は顔を覆うように手を顔に当てる。

 

「だが、1人でも多く救いたかったのに救えなかった人達が…。」

「全ての人を救うなんて神でも無理だよ。まぁ、それを目指すのは個人の自由だけどね。」

 

俺がそう言うと、白髪の男は両膝を地についた。

 

「『俺』は…間違ってなかったのか?」

「辿り着いた結果は君にとって間違いなのかもしれないね。でも、そこに至るまでの思いは

 間違いじゃないと思うよ。」

 

俺がそう言うと、白髪の男の目からポタリと涙が地面に落ちる。

 

「す、すまん。涙が…。」

「気にしないでいいよ。俺は仙人だから時間は幾らでもあるし、君も1日ぐらいなら

 世界に留まれるだろうからね。」

 

その後、白髪の男は子供の様に声を上げて泣き続けたのだった。




これで本日の投稿は終わりです

また来週お会いしましょう


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第44話

本日投稿1話目です


「すまない、見苦しい所を見せてしまった。」

 

泣き終えた白髪の男は苦笑いをしながらそう言うが、その表情はどこか晴れやかだった。

 

「それで、協力してくれるのかな?」

「あぁ、それはこちらからお願いしたい。だが、その前に1ついいだろうか?」

 

俺は白髪の男の言葉に頷いて先を促す。

 

先を促された白髪の男は首を傾げながら話し出した。

 

「私を解放してくれるのはありがたいのだが、対価はなんだろうか?」

 

そう言った白髪の男の言葉に、今度は俺が首を傾げる。

 

「対価?」

「私は未熟者だが、これでも魔術師の端くれだ。故に等価交換の原理が基本だ。

 もっとも、生前の私は親切の押し売りをして対価を受け取らなかったが故に、

 誰にも理解されず最後は絞首台の上に上がってしまったのだがね。」

 

白髪の男は自嘲するようにそう言うが、今の彼は後悔していないようだ。

 

「う~ん、ギルガメッシュなら何も言わずに笑って受け取るんだけどなぁ。」

「生まれながら王である彼の者と、一般人である私を一緒にしないでくれ。」

 

白髪の男はため息を吐きながらそう言った。

 

さて、対価か…どうしよう?

 

俺は少し考えると、あることが思い浮かんだ。

 

「うん、ちょうどいいかな。」

「ふむ、それで何を対価として支払えばいいのかね?今の私は一文無しなので

 大したものは支払えないが…。」

 

そう自身を皮肉る白髪の男に、俺は思い浮かんだ事を話す。

 

「君、俺の弟子にならないかい?」

「…何?」

 

俺の言葉を聞いた白髪の男は驚いた表情を見せた。

 

「二郎真君。すまないが、もう一度聞かせてもらってもいいだろうか?」

「うん。だから、俺の弟子にならないかい?」

 

もう一度聞いた白髪の男は目を見開いた。

 

「…なんでさ。」

「俺の師である太上老君にそろそろ弟子を取ったらどうだって、少し前に言われたんだよね。」

 

俺が肩を竦めながらそう言うと、白髪の男は頭を抱えてため息を吐いた。

 

「弟子はついでのように取るものでは無いだろう…。ましてや私は非才の身だ。」

「君に戦う者としての才が無いのはわかってるよ。」

 

俺がそう言うと、白髪の男は目に見えて落ち込んで両手と両膝を地についた。

 

「それでも君の弓の腕前は本物だし、戦いの才は一流だと言えるものだね。」

「…武神に認められるのは素直に嬉しいが、誉めるのか貶すのか

 どちらかにしてくれないかね?」

 

そう言って白髪の男は立ち上がると、またため息を吐いた。

 

「あぁ、それともう1つ。」

「まだあるのかね?まぁ、救ってもらえるのだ。この際、何でも言ってくれ。」

 

そう言う白髪の男の顔には、どこか諦めの色がある。

 

他人事ながら苦労性だなと思うよ。

 

「もう1つは、家僕の代わりもやってくれないかな?」

「家僕?」

「俺は中華の天帝の外甥なんだけど、その立場上それなりの所に

 住まないといけないんだよね。」

 

灌江口に俺の廓があるのだが、その大きさは人が住む小さな村ぐらいの大きさがある。

 

「俺が中華に戻ると伯父上から俺の廓に家僕が送られてくるんだけど、彼等がいると

 数百年前に始めた料理を自分で作れないんだよね。」

「その者達の仕事が貴方の世話をすることなのだからそれも仕方ないと思うが?」

「まぁそうなんだけど、哮天犬も俺の料理を気に入ってくれているからね。

 結構面白いし自分で作りたいのさ。」

 

なんか白髪の男は弟子の話よりも興味を持っている様に見える。

 

料理とかが好きなんだろうか?

 

ちなみに俺が料理を始めた理由は黄帝が漢方薬を広めたからだ。

 

この漢方薬の材料に香辛料などがあることで、

料理の味が以前に比べて豊かになったんだよね。

 

「それで、貴方の廓はどのぐらいの大きさなのかね?」

「小さな村ぐらいの広さはあるかな?」

 

俺がそう言うと、白髪の男は表情を隠すように口に手を当てた。

 

「…そうか。」

「うん。それで、その2つが対価ということで構わないかな?

 もちろん、俺が中華にいない時とかは自由にしてくれていいからさ。」

「あぁ、その対価で契約しよう。」

 

そう答えた白髪の男はどこか嬉しそうだった。

 

「さて、それじゃ君を『座』から解放するのに必要なモノが3つほどある。」

「1つは私の名だろう?後は何かね?」

 

俺は指折りながら必要なモノを答えていく。

 

「1つは今君が言った通りに君の名だね。2つ目は君の髪を1本。3つ目は君に縁が深い

 何かを1つっていったところかな。」

 

俺の言葉に白髪の男は顎に手を当てて考えている。

 

「縁が深いとはどの程度の物かね?」

「出来れば君の代名詞と言える物があれば完璧だね。そうでなかったら

 長い間身に付けたものかな?」

 

俺がそう言うと、白髪の男は懐から赤い宝石を取り出した。

 

「これは生前の私が生涯身に付け続けた物だが…これで問題ないかね?」

「あぁ、大丈夫だよ。」

「英霊の私の物では、私が『座』に戻れば消えてしまう可能性があるが…。」

「問題無いよ。こういった事は初めてじゃないからね。」

 

その赤い宝石と共に彼の髪を受け取った俺は、それらを神酒に漬ける。

 

「それで名なんだけど、記憶が摩耗していて思い出せないかな?」

「いや、覚えている。何度も忘れようとした名だがね…。」

 

そう言って白髪の男は佇まいを正して、俺の目を見据えて答えた。

 

「私の名はエミヤ…『衛宮 士郎』だ。」

 

そう名乗った彼のその目には過去の自分への絶望の色は無く、これからの未来に向けた

希望の色に満ちていたのだった。




本日は5話投稿します

次の投稿は9:00の予定です


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第45話

本日投稿2話目です


「老師、わずか1日だがゆっくり出来た事に礼を言わせてくれ。」

「士郎、礼を言うのはまだ早いよ。」

 

士郎が名乗ってから翌日、士郎が『座』に戻る時がやってきた。

 

俺は転生した後に弟子になる彼を士郎と呼び、士郎は俺の事を老師と呼ぶようになった。

 

士郎が生まれた場所では字の習慣が無く、士郎自身が名で呼ぶことを希望したので、

俺は彼を士郎と呼ぶことにしたのだ。

 

ちなみに士郎が俺を師父と呼ばずに老師と呼ぶのは、俺が生前の士郎の師に

敬意を払ったからだ。

 

「老師、私のことは気にせずに例の件を優先してくれ。私の本体は時間の概念から外れた

 『世界』の『座』にある。数百年程度なら微睡んでいる間に過ぎるだろう。」

 

昨日、士郎には中華の要所を『世界』の外側に移動させるために俺が動いているのを話した。

 

その際に士郎の解放が遅れてしまうかもしれないことも話したのだ。

 

「士郎、いいのかい?」

「私が今しばらく『掃除屋』としての役目を我慢すれば、中華の多くの神々を救えるのだろう?

 ならば私に待たない理由は無いさ。」

 

士郎は晴々とした表情でそう言う。

 

「そうか、それじゃ士郎にはしばらく待ってもらうよ。」

 

俺の言葉に士郎は笑顔で頷く。

 

「ありがとう、老師。『俺』は貴方のおかげで答えを得た。」

 

そう言った士郎の身体は少しずつ光になって消えていったのだった。

 

 

 

 

士郎を解放する約束をしてから3年程が経った。

 

あれからも俺は哮天犬と共に世界中を巡って宝貝を集めている。

 

士郎を解放する準備はエルキドゥの時に比べると手間が掛かる。

 

なんせ『世界』から解放するわけだからね。

 

まぁ、千年経って俺も成長したので1ヶ月もあれば士郎を解放する準備は終わるのだが、

中華の神々の滅びが掛かっているとあっては宝貝集めを優先しなくてはならない。

 

士郎には悪いが、中華の要所の移動に目処が立つまで待ってもらう事になるだろう。

 

そんな感じで中華に戻った俺は、今回集めた宝貝を届けに伯父上の宮にまでやって来た。

 

だが、そこには軍の出撃準備をしている伯父上の姿があったのだった。

 

 

 

 

「おぉ!二郎、よくぞ戻った!」

 

物々しい雰囲気の中で、俺を見つけた伯父上は嬉しそうに笑顔で近付いてきた。

 

「伯父上、ただいま戻りました。それで、この状況はどうしたのですか?」

 

俺が周囲に目を向けながら問うと、伯父上は真剣な表情で答えた。

 

「うむ、中華の地に外から旅人がやって来たのだ。」

「旅人ですか?特に珍しい事では無いですよね?」

「そうなのだが、1日前からその旅人が申公豹と戦い続けているのだ。」

 

旅人が申公豹と戦っている?

 

200年程前に戦って以来、申公豹とは会っていないが、申公豹は『雷公鞭』という

強力な宝貝を持っていてるので、仙人の中でも上位の強さを誇る。

 

そんな申公豹と丸1日戦い続ける旅人は何者なんだ?

 

「二郎、すまぬが2人の戦いを止めてくれぬか?」

「それは構いませんが、なんで旅人と申公豹が戦うことになったのですか?」

「それは我にもわからぬ。だが、おそらくはその旅人に興味を持った申公豹が

 旅人に仕掛けたのが原因であろうな。」

 

伯父上はそう言うとため息を吐く。

 

なんというか、申公豹は変わってないなぁ…。

 

俺は集めた宝貝を伯父上に献上すると、哮天犬に乗って旅人と申公豹が

戦う場所に向かったのだった。




次の投稿は11:00の予定です


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第46話

本日投稿3話目です


哮天犬に乗って旅人と申公豹が戦っているという場所に向かうと、

晴天であるのに雷が荒れ狂っていた。

 

「申公豹は随分と派手に雷公鞭を使っているようだね、哮天犬。」

「ワンッ!」

 

荒れ狂う雷に巻き込まれない様にゆっくりと近付くと、驚きの光景が目に入った。

 

なんと、黒点虎に跨がる申公豹の左腕の肘から先と、右足の膝から先が無かったからだ。

 

そんな申公豹は本来の無表情と違い、険しい表情で雷公鞭を振るっている。

 

申公豹が振るった雷公鞭から雷が地上の野に降り注いでいくが、

その雷を切り裂く様に地上から1つの矢が放たれた。

 

地上から放たれた矢は、音の壁を超えて雷を切り裂いていく。

 

そして雷を超えると申公豹に向かっていくが、申公豹は黒点虎に指示して矢を大きく避けた。

 

俺は地上から矢を放った者に目を向ける。

 

地上の野には筋肉の鎧を全身に纏った大男が、その脚力だけで瞬動に匹敵する速度で

野を駆け回っている。

 

矢を弓につがえた大男が野を駆けながら申公豹に狙いを定める。

 

申公豹は黒点虎に指示して空中を縦横無尽に駆け回り、大男の狙いを外そうとする。

 

だが申公豹達の動きを読みきった大男が、その動きの先へと矢を放つ。

 

申公豹は危機を感じ取ったのか、一際大きな雷で矢を迎撃した。

 

「中々見応えがある戦いだね、哮天犬。」

「ワンッ!」

 

ギルガメッシュとエルキドゥの戦いには及ばないが、それでも彼等の戦いは

十分に俺の目を楽しませてくれるものだった。

 

しかし…。

 

「残念だけど、伯父上の頼みだから止めないとね。」

「クゥ~ン。」

 

哮天犬も残念と言わんばかりに鳴いたのを機に、俺は哮天犬から降りて空に立つ。

 

そして、雷と矢がぶつかり合う地点に踏み込むと、三尖刀を一振りして

雷と矢を打ち払ったのだった。

 

 

 

 

「ゼン殿、お初にお目にかかる。私はアルケイデス。師より貴方の事を聞いて

 礼の一言を言うべく、こうして中華の地へと旅をしてきました。」

 

大きな身体を折り曲げて俺に頭を下げた大男は、自らをアルケイデスと名乗った。

 

「アルケイデス、君の師とはケイローンのことかい?」

「その通りです、ゼン殿。貴方には師だけでなく、私も救われました。」

 

そう言ってアルケイデスはまた俺に頭を下げた。

 

とりあえず戦いの労いとしてアルケイデスに神酒を渡す。

 

「二郎真君、私にも神酒をください。」

「伯父上からの任を怠ける輩に渡す酒は無いよ、申公豹。」

 

多頭の竜の毒を塗った矢を手足に受けた申公豹は、毒が全身に回る前に雷で

手足を焼き切ったらしい。

 

そして隻腕隻肢になった申公豹が俺に神酒をねだるが、俺は渡すつもりは無い。

 

恨むなら自身の怠惰を恨んでくれ。

 

「ケチですねぇ、二郎真君。」

「その身体を治したかったら自分で霊薬を作るか、元始天尊様に霊薬を貰ったらどうかな?」

「どちらも面倒ですね。なので元始天尊様の蔵から頂戴するとしましょう。」

 

師から盗むという申公豹の自由さに、俺は元始天尊様に胃を整える霊薬を送ろうかと考える。

 

申公豹が黒点虎に乗って去ったのを見送ったアルケイデスは、

神酒を一息で飲み干した。

 

「…旨い。これほどの酒はギリシャにもそうはありませんぞ、ゼン殿。」

「お褒めいただきありがとうってところかな。」

 

アルケイデスは申公豹との戦いで3回殺されたそうだ。

 

だが、ギリシャの女神ヘラの試練を超えたアルケイデスは、

超えた試練の数だけ命を貰ったらしい。

 

なので今のアルケイデスを滅ぼすには最低でも13回は殺さなければならないのだ。

 

もっとも、反魂の術を極めた仙人なら直接魂を破壊出来るので、

アルケイデスの不死もそこまで厄介では無い。

 

だけど、それでアルケイデスに勝てるかというとそうでもないのは、

申公豹が苦戦した事でわかる。

 

「それで、アルケイデスも救われたって言っていたけど、どういうことかな?」

「それは…。」

 

アルケイデスと酒を酌み交わしながら話を聞いていく。

 

アルケイデスの話によると、アルケイデスもゼウスに戦士として求められて

その命を狙われたそうだ。

 

事の詳細はこうだ。

 

ゼウスの使者がアルケイデスの妻に接触をすると、その妻にある事を吹き込んだ。

 

それはアルケイデスの心を妻である自身の元に取り戻す方法だと騙った。

 

かつてアルケイデスは女神ヘラに狂わされて妻と娘を殺してしまっている。

 

その罪の意識もあって、アルケイデスは今もその殺してしまった妻と娘を

思い続けているのだが、今のアルケイデスの妻はそんなアルケイデスに

愛されていないと感じてしまっているようだ。

 

使者はアルケイデスの妻にとある薬と称した物を渡すと、

アルケイデスの妻は迷いながらもアルケイデスの衣服にその薬を塗った。

 

その薬は多頭の竜の毒だった。

 

その毒が衣服から身体についたアルケイデスは、皮膚が爛れて死の苦しみを味わった。

 

命の数が幾つもあるアルケイデスは毒で死んでも蘇生するが、

蘇生する度に毒で死の苦しみを味わい続けた。

 

この苦しみに屈強なアルケイデスも屈して不死をギリシャの神に返上しようとしたが、

そこに師であるケイローンが訪れて解毒してくれたそうだ。

 

そして解毒をした際に使った薬が、以前に俺が渡した霊薬だったんだとさ。

 

俺はアルケイデスの格好を見る。

 

その大柄な身体に余すことなく筋肉を纏った身体は、その見事な上体が

惜し気もなく晒されている。

 

そんなアルケイデスが纏う衣服は腰布のみである。

 

つまりアルケイデスが毒を塗られた衣服は腰布であり、毒で爛れた部位は…。

 

俺はアルケイデスが受けた死の苦しみを想像してしまい、身体の一部がヒュンとしたのだった。




次の投稿は13:00の予定です


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第47話

本日投稿4話目です


アルケイデスが俺に礼を言いに来てから200年程が経った。

 

宝貝集めの途中でギリシャに立ち寄った時にケイローンに会ったのだが、

あれからギリシャの天界で大きな出来事が起こったそうだ。

 

それは大神ゼウスと女神ヘラが滅ぼされた事だ。

 

二柱を滅ぼした下手人はアルケイデスだ。

 

そうケイローンに聞いた俺は、事の詳細を聞いてみた。

 

詳細はこうである。

 

俺に礼を言った後のアルケイデスは妻に愛を証明する為に、俺が別れの際に渡した

霊薬を使って妻と励んだそうだ。

 

そのおかげなのかアルケイデスと彼の妻は多くの子供に恵まれたらしい。

 

アルケイデスは亡くなった前妻と娘の分も家族に愛を注いだ。

 

そんな時にまたヘラがアルケイデスを狂わせて家族を殺させようとしたり、

ゼウスが使者を遣わせてアルケイデスの家族を利用しようとした。

 

これにアルケイデスは激怒した。

 

このままゼウスとヘラを放置しておけば家族が危ない。

 

だが、ギリシャの最高神ゼウスとその妻のヘラをどうにかする術は己には無い。

 

アルケイデスは師であるケイローンを頼った。

 

ケイローンは賢者の名に相応しく、その方法を示した。

 

だが、その方法はアルケイデスとその家族にとって残酷なものだった。

 

それはアルケイデスが死んで神の戦士となり、予言された神々の戦争の隙をついて

ゼウスとヘラを討つというものだったのだ。

 

愛するアルケイデスが犠牲となる事をアルケイデスの家族は拒んだ。

 

だが、アルケイデスは家族を守るために決断をした。

 

戦女神アテナに不死を返上したアルケイデスは、一夜の家族との別れの宴の後に

自らの手でその命を断った。

 

その後、ゼウスによってその魂をギリシャの天界に召し上げられたアルケイデスは、

予言されたギリシャの神々の戦で活躍してゼウス側に勝利をもたらした。

 

そしてその戦勝の宴の際にアルケイデスは油断をしたゼウスとヘラに矢を放った。

 

宴で浮かれていたゼウスとヘラは多頭の竜の毒が塗られた矢を避けられなかった。

 

不死故に死ねなかったゼウスとヘラは毒の苦しみにのたうち回った。

 

ゼウスとヘラは宴に参加した神々や神の戦士達に助けを求めた。

 

だがゼウスとヘラの行いに散々悩まされ、苦しみを味わってきた者達は、

アルケイデスの根回しもあって誰も手を差しのべなかった。

 

ゼウスとヘラは罵詈雑言を周囲の者達にわめき散らしながら三日三晩苦しんだ後に、

不死を捨て去って滅んだそうだ。

 

その後、アルケイデスはギリシャの天界に残って戦後の混乱を治める為に

奔走しているとの事だ。

 

アルケイデスはゼウスに天界に召し上げられた際に神になったのだが、

天界の混乱が治まったら『星』の招きに応じて『座』に行くつもりらしい。

 

そう話したケイローンもこの後に不老不死を女神アテナに返上すると話した。

 

弟子の行く末を見届けて色々と踏ん切りがついたらしく、神に与えられた不老不死を

捨て去る決心がついたとケイローンは笑顔で話した。

 

そしてケイローンはいつ会えるともわからない俺と会って別れを言うまでは

不老不死の返上を待っていたようだ。

 

俺はケイローンと別れの宴をした。

 

その宴には忙しい筈のアルケイデスも参加した。

 

まぁ、宴に参加した理由は地上に降りて孫の顔を一目見たかったのが大半みたいだけどね。

 

そんな感じでケイローンとの別れの宴をした俺は集めた宝貝を手に中華に戻ると、

伯父上の宮に向かったのだった。

 

 

 

 

「伯父上、ただいま戻りました。」

「二郎、ご苦労であった。」

 

俺が持ち帰った宝貝を持つ配下を一瞥した伯父上は、配下の者を下がらせた。

 

「二郎、戻って早々ですまぬが、1つ使いを頼まれてくれぬか?」

「宝貝集めが遅れてしまいますが、それでもよろしければ。」

 

俺の返事に頷いた伯父上が懐から霊薬を取り出した。

 

「この霊薬をある女仙に届けてほしい。」

「ある女仙ですか?」

「うむ、その者は『竜吉公主』という。」

 

竜吉公主?

 

「初めて聞く名ですね。」

「うむ。その者については色々とあるのだが、それは使いから戻ったら話そう。」

 

伯父上の表情はどこか気まずそうだ。

 

俺は伯父上から霊薬を受け取ると、片膝をついて包拳礼をした。

 

「二郎真君、使いの任を承ります!」

「うむ、頼んだぞ、二郎。」

 

立ち上がって踵を返した俺の耳に、伯父上のため息が聞こえてきたのだった。




次の投稿は15:00の予定です

ちなみにアルケイデスはヘラクレスと名を変えませんでした。


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第48話

本日投稿5話目です


中華のとある場所に女仙である『竜吉公主』の屋敷がある。

 

その屋敷の家僕が慌てた様子で主である竜吉公主の元に駆け寄った。

 

「主様!」

 

家僕の慌てた様子に興味を惹かれた竜吉公主は、面白そうに微笑んで家僕に言葉をかけた。

 

「これ、そのように慌てては妾に伝わらぬぞ?して、何があった?」

 

呼吸を整えようと家僕が深く息を吸ってから話し出す。

 

「…君様が当屋敷に参りました!」

 

言葉の始めが詰まってしまった家僕に竜吉公主は首を傾げて問い質す。

 

「慌てずともよい。もう一度申してみよ。」

「は、はい。二郎真君様が当屋敷に参りました!」

 

家僕の言葉に竜吉公主の動きが止まる。

 

そして肩をプルプルと振るわせると、花も恥じらう程の華やかな笑みを浮かべた。

 

「本当か?!嘘ではあるまいな?!」

 

そう言う竜吉公主は嬉しさを隠せない様子で椅子を立ち上がる。

 

「あぁ…この服ではいかぬな。妾は着替える!今しばし、二郎真君には

 待ってもらうように伝えるのじゃ!」

「は、はい!」

 

家僕の1人が走り出すと、竜吉公主は軽やかな足取りで着替えに向かったのだった。

 

 

 

 

「中々案内されないね、哮天犬。竜吉公主に何かあったのかな?」

「ワフゥ?」

 

伯父上から受け取った霊薬を持って竜吉公主の屋敷を訪ねたんだけど、

もう四半刻(30分)は待たされている。

 

天帝である伯父上の外甥という立場もあって、中華での俺の扱いはかなりのものだ。

 

その扱いは使いの者を出さなくても、中華の地を治める人の王や

忙しい伯父上に直ぐに会える程だ。

 

待っている間暇だったので、千年以上前にウルクで戦った天の牡牛の尾の毛で作った毛梳で

哮天犬の毛梳きをする事にした。

 

とても嬉しそうに尻尾を振る哮天犬の頭を撫でながら毛を梳いていく。

 

家僕が何度も頭を下げに来ながら更に待たされること四半刻。

 

案内をする者が漸く出てきた。

 

「待たせたのじゃ、二郎真君。」

 

案内に出てきた者は綺麗に着飾ったもの凄い美少女だった。

 

その美少女の容姿はシャムハトやエルキドゥにも劣らない。

 

「君は?」

「妾か?妾は竜吉公主!この屋敷の主なのじゃ!」

 

この美少女が竜吉公主?

 

胸に手を当てて名乗りを上げた竜吉公主は、花開く様な笑みを浮かべたのだった。

 

 

 

 

屋敷の主である竜吉公主に屋敷の中を案内されて広間に着くと、

そこには宴の準備がされていた。

 

「今日はお祝いなのじゃ!二郎真君、遠慮せずに楽しんでいくのじゃ!」

 

なんのお祝いなのかわからないけど宴は好きなので参加しよう。

 

でも、その前に…。

 

「竜吉公主、はいコレ。」

「おぉ!?二郎真君からの贈り物なのじゃ!妾は嬉しいのじゃ!」

 

竜吉公主は俺が出した霊薬を家僕に受け取らせずに自らの手で受け取った。

 

そして、その霊薬を胸に抱くと嬉しそうに笑った。

 

「竜吉公主、それは伯父上から頼まれた霊薬だよ。」

「伯父上?あぁ、父上の事じゃな?」

 

…ん?

 

「父上?」

「そうなのじゃ。妾の父上は天帝なのじゃ。」

 

そう言いながら竜吉公主は俺の杯に酒を注ごうと近くに寄ってくる。

 

「伯父上に新しく子が出来たとは聞いてなかったなぁ。」

 

頭を掻きながらそう言うと、俺は竜吉公主に注がれた酒を飲み干す。

 

…うん、次の一杯は権能で神酒に変えよう。

 

俺の舌もギルガメッシュみたいに肥えてしまったのかもしれないな。

 

「それで、竜吉公主の母は誰なんだい?」

「母上か?母上は三聖母なのじゃ!」

 

…え?

 

竜吉公主の答えに俺は思考が止まってしまう。

 

…この事を母上は知っているのか?

 

もし知らなかったら伯父上の腹が母上の崩拳で打ち抜かれるぞ。

 

「妾の事を知ろうとしてくれるのは凄く嬉しいのじゃ!でも、妾は二郎真君の事も

 知りたいのじゃ!」

 

そう言って竜吉公主は俺の杯に酒を注ぎながら、俺の肩にピタリと身体を寄せてきた。

 

どうしてこうなった…。

 

俺はため息を1つ吐くと、権能で神酒に変えた酒を一息で飲み干したのだった。




これで本日の投稿は終わりです

また来週お会いしましょう


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第49話

本日投稿1話目です


「二郎真君、もう行ってしまうのか?妾は寂しいのじゃ。」

 

そう言って竜吉公主は目元を手で覆う仕草をする。

 

「これでも忙しいからね。」

 

俺がそう言いながら肩を竦めると、竜吉公主は拗ねた様に顔を背けた。

 

「昨夜は痛かったのじゃ。もう少し優しくしてくれてもよかったのじゃ。」

「誤解を招くような言い回しは止めてくれないかな?」

「妾は誤解されても一向に構わんのじゃ!」

 

昨夜は竜吉公主の頼みで一晩泊まったのだが、その際に竜吉公主が夜這いをしてきた。

 

夜這いをすることそのものは今の時代の中華では普通のことだ。

 

だけど、夜這い相手が断れば諦めるのが暗黙の決まりなんだけど、

竜吉公主は宝貝を用いてでも俺に夜這いをしようとしてきた。

 

その際に使った宝具は霧露乾坤網(むろけんこんもう)というもので、

水を自在に生み出して使う事が出来る宝貝だ。

 

竜吉公主はその宝貝で生み出した水で俺を拘束しようしたんだけど、

俺には治水の権能があるので効果は全く無かったのだ。

 

宝貝で造り出した水すら無効化する俺の権能に驚いている竜吉公主の額を、

指で弾いて撃退したのが昨夜というわけだ。

 

「二郎真君、また来るのじゃ。」

「夜這いをしないのなら考えないでもないかな?」

「それじゃ妾がつまらないのじゃ。」

 

そう言って頬を膨らませる竜吉公主の姿は子供っぽく見える。

 

俺は竜吉公主の頭をポンポンと軽く叩いた。

 

「あ…。」

「気が向いたらまた来るよ。またね、竜吉公主。」

 

俺がそう言うと竜吉公主は花開いた様な笑みを浮かべた。

 

そして…。

 

「うむ!また来るのじゃ!」

 

哮天犬に跨がって飛び去る俺に、竜吉公主はいつまでも手を振り続けていた。

 

 

 

 

竜吉公主の屋敷を飛び去った俺は、その足で伯父上の宮に向かった。

 

「二郎、ご苦労であった。」

 

俺が伯父上の労いの言葉に包拳礼をすると、伯父上は一息間をおいてから話し出した。

 

「二郎よ、竜吉公主はどうであった?」

「体内の『気』が害を成すほどに乱れてましたね。帰り際に彼女の頭に触れたのですが、

 その際に少し『気』を巡らせて整えたのでしばらくは大丈夫でしょう。」

 

俺がそう答えると、伯父上は安堵した様にため息を吐いた。

 

「伯父上、1つ聞いてもいいですか?」

「あぁ、構わんぞ。」

「では…。伯父上、竜吉公主は自身を伯父上と蓮の子と言ったのですが、真ですか?」

 

俺がそう問い掛けると、伯父上は眉を寄せた。

 

「それに近しい存在…と、言えるであろうな。」

「どういうことですか?」

「二郎よ、黄帝が人の帝に選ばれる前に、仙人や道士が我の決定を待たずに

 中華の人の帝を選ぼうとしていたのを覚えておるか?」

 

俺は伯父上の言葉に肯定の意を示して頷く。

 

「その輩の中に、自らの手で人の帝を造り出そうとした者がいたのだ。」

「自らの手で造り出す?…まさか?」

「左様、竜吉公主は我と三聖母の髪を元に造られた存在なのだ。」

 

俺は伯父上の言葉に驚いて目を見開く。

 

「我と三聖母の一部を用いて造り出された竜吉公主は生まれながらに仙人であった。

 だが、それ故に1つ大きな問題を抱えていたのだ。」

「大きな問題?」

「うむ、それは神秘が薄れ始めた今の下界では長く生きられぬというものだ。」

 

長く生きられない?

 

「伯父上、なら竜吉公主は何故に下界に住んでいるのですか?」

「竜吉公主の存在を知った我は、あの者を保護して三聖母に預けた。最初の内は三聖母を

 母と呼んで慕って天界に住んでいたのだが、やがて竜吉公主は下界で生きる事を

 望むようになったのだ。」

「下界で生きる事を?それは何故ですか?」

「それは竜吉公主が二郎に憧れたからだ。」

 

俺に憧れた?

 

「竜吉公主は世界を巡り自由に生きる二郎に憧れたそうだ。それ故に竜吉公主は下界で

 生きる事を望んだのだ。二郎の話を聞く竜吉公主はそれは嬉しそうにしていたぞ。」

 

そう話す伯父上もどこか嬉しそうだ。

 

…暇が出来たらまた竜吉公主の屋敷に行ってみようかな。

 

「ところで伯父上、竜吉公主の事を母上はご存知なのですか?」

「…百年前に我の話を聞かずに無言で崩拳を腹に打ち込まれた。」

 

そう言って伯父上は片手で腹を擦った。

 

俺と伯父上は顔を見合わせると、お互いに苦笑いをしたのだった。




本日は4話投稿します

次の投稿は9:00の予定です


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第50話

本日投稿2話目です


竜吉公主と出会ってから十年程の月日が経った。

 

あれからも俺は世界を巡って宝貝を集めている。

 

宝貝集めは順調で、後百年もあれば終わるだろう。

 

今回の旅でも宝貝を手に入れて中華に戻ってきた。

 

伯父上に宝貝を献上した俺はその帰りに竜吉公主の屋敷に顔を出した。

 

竜吉公主は俺を招き入れて、また宴を行った。

 

家僕の料理の腕が上がっていたのは嬉しい誤算だ。

 

その日も十年前と同じ様に竜吉公主の屋敷で一夜を明かした。

 

だが、十年前と違う所が1つある。

 

それは…。

 

「二郎真君、おはようなのじゃ。」

 

隣に竜吉公主が寝ているところだな。

 

「おはよう、竜吉公主。身体の調子はどうだい?」

「下界で暮らす様になってから一番好調なのじゃ。二郎真君に気を巡らせて

 整えてもらったおかげじゃのう。」

 

そう言って竜吉公主が両手を上げて伸びをすると、掛け布団が落ちて竜吉公主の

美しい肢体が露になる。

 

そう、昨夜の俺は竜吉公主と房中術を行ったのだ。

 

彼女は生まれながらの仙人であるが故に濃い神秘の中でなければ生きられず、

地上では調息をして『気』を整えても直ぐに乱れてしまう。

 

なので彼女が少しでも長生き出来る様に房中術で『気』をしっかりと整えたのだ。

 

「なんじゃ?妾の身体に見惚れたのか?」

 

竜吉公主はそう言ってふふんっと鼻を鳴らす。

 

「やれやれ、昨夜は随分としおらしかったんだけどなぁ。」

「し、仕方なかろう。妾は房中術は初めてじゃったのだから。」

 

そう言って竜吉公主は顔を赤らめて頬を膨らませる。

 

昨夜、俺は彼女に霊薬や反魂の術で体質を変えたり、地上でも生きられる

新しい身体にしてはどうかと提案をしてみた。

 

だが、彼女はその提案を拒否した。

 

竜吉公主曰く…。

 

『天然自然に生まれていない妾にとって、この身体が父上と母上との絆なのじゃ。

 だから例え長生き出来ずともこの身体を変えるつもりはないのじゃ!』

 

そう彼女は笑顔で言いきった。

 

その時の笑顔で俺がなんと言おうと決意は変わらないとわかったので、

俺は彼女のその思いを尊重することにした。

 

そんな竜吉公主に俺が出来るのは少しでも長生き出来る様に、

彼女の『気』を整えてあげることぐらいだ。

 

「じゃが、これであやつに馬鹿にされずに済むのじゃ!」

「あやつ?」

「女狐じゃ。」

 

女狐?

 

「あやつは女媧様の下におる女仙なのじゃが、妾がまだ母上の所で暮らしておった時に、

 たまに女禍様の使いとして顔を見せていたのじゃ。」

 

女媧

 

下半身が蛇の女神で、伏犠という男神と番であり、中華の地を産んだ三柱のうちの一柱である。

 

「妾は母上に二郎真君の話をいっぱい聞いていたからその話をあやつに聞かせてやったのじゃ。

 そうしたらあやつは、『私は楊ゼン様と房中術をした仲なのよん♡』って

 妾に自慢しおったのじゃ!」

 

その話し方には覚えがある。

 

「もしかして、俺が房中術の修行をしていた時の相手の1人かい?」

 

俺の問い掛けに竜吉公主は不満気に頷く。

 

「そうか、彼女は女媧様の下にいるのか。」

 

俺は千年以上前の事を昨日の事の様に思い出す。

 

あの娘も竜吉公主に劣らないもの凄い美人だった。

 

俺がそう思い出していると、竜吉公主が話し出す。

 

「あやつはたまに妾の屋敷に遊びに来るのじゃ。今度来たら妾も二郎真君と

 気を交わしたと自慢してやるのじゃ!」

 

竜吉公主はそう言っていたずらをする子供の様な表情をしている。

 

「竜吉公主、彼女の仙人としての名はなんというんだい?」

「むぅ、二郎真君、目の前に妾がいるのに他の女の事を考えるのは失礼なのじゃ。」

 

そう言いながら竜吉公主は俺を睨んでくる。

 

「まぁよい、今はこれで許すのじゃ!」

 

そう言って竜吉公主はその身体を俺に預けてきた。

 

俺は竜吉公主の頭をポンポンと軽く叩く。

 

「子供扱いは止めるのじゃ!」

「はいはい。」

 

そう言いながらも竜吉公主は俺の手を振り払わない。

 

「まったく…。二郎真君、あやつの名は『妲己』なのじゃ。」

「『妲己』?」

「うむ、今では九本にまで尾が増えた狐の力を持つ女仙なのじゃ。武においては

 二郎真君の足元にも及ばぬが、幻術は仙人の中でも1、2を争う腕前なのじゃ。」

 

その後、竜吉公主の家僕が朝食の仕度が整ったと呼びにきたので寝台を抜け出す。

 

そして朝食を食べた俺は竜吉公主に見送られて彼女の屋敷を後にしたのだった。




次の投稿は11:00の予定です


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第51話

本日投稿3話目です


竜吉公主と初めて会ったあの日から百年程が経った。

 

今では一年に一度は彼女の屋敷を訪れて、彼女の『気』を整えるようにしている。

 

伯父上と蓮の身体の一部を使って造られた存在という事もあって、

なんとなく放っておけないのだ。

 

そしてこの百年で宝貝の数も十分に集める事が出来た。

 

やっと士郎の転生の準備に移れるな。

 

そう考えながら中華に戻ってきた俺は伯父上に宝貝を献上すると、

哮天犬に乗って竜吉公主の屋敷に向かったのだった。

 

 

 

 

「二郎真君、よくぞまい…。」

「楊ゼン様ぁ♡会いたかったわぁ~ん♡」

 

竜吉公主の屋敷を訪ねると、屋敷の主である竜吉公主を押し退けて

美女が俺に抱きついてきた。

 

「妲己!何をするのじゃ!二郎真君から離れるのじゃ!」

「もぅ、千年振りの再会を邪魔するなんて無粋よん、竜吉公主ちゃん♡」

 

竜吉公主が妲己と呼んだ美女に目を向ける。

 

その美女の顔には見覚えがある。

 

「久し振りだね。今は妲己と名乗っているんだったかな?」

「そうよん、楊ゼン様。妲己と呼んでねぇ♡」

 

そう言って妲己は俺の腕にその豊かな双丘を押し付ける様に腕を絡めてくる。

 

「ええい!妲己!屋敷の主である妾を差し置いて二郎真君と

 馴れ馴れしくするのはダメなのじゃ!」

「あらぁ~?なら竜吉公主ちゃんも楊ゼン様と腕を組んだらいいじゃな~い。」

「…妾だって弟子の目が無ければそうしたいのじゃ。」

「あらあら、お師匠様は大変ねぇ~。」

 

竜吉公主はこの百年で弟子を何人かとっている。

 

弟子をとった理由は竜吉公主の体質が関係している。

 

竜吉公主は中華の帝として考えられて邪仙達に造られた存在だ。

 

その邪仙達は一代で完成する帝を求めて竜吉公主を造った。

 

一代で完成する。

 

つまり、次代に繋ぐことなく完成した存在を求めて造られたのだ。

 

それ故に竜吉公主は子を産む事が出来ない。

 

そこで竜吉公主は自身が生きた証として何かを残そうと弟子をとったのだ。

 

生まれながらに仙人である竜吉公主は、数ある仙術の殆どで仙人の中でも上位の腕前を誇る。

 

そんな竜吉公主に憧れて弟子入りを希望する道士が、毎日の様に竜吉公主の

屋敷を訪れているのだ。

 

もっとも、憧れられているのは竜吉公主の仙術の腕前だけでなく、

中華でも屈指の容姿も含まれているんだけどね。

 

「さぁ、楊ゼン様行きましょう。宴の準備が出来ているわぁ♡」

「コラァ!屋敷の主は妾じゃぞ!」

 

妲己に腕を引かれて案内をされる俺の後を、怒りの声を上げながらも楽しそうな

竜吉公主がついてくるのだった。

 

 

 

 

竜吉公主の屋敷で一夜を明かした俺は、士郎の転生の準備をするべく

灌江口にある俺の廓へと戻った。

 

屋敷を去る際に妲己が俺に抱きついて口吸いをしてきたのだが、

それを見た竜吉公主が霧露乾坤網を用いて水球を造り出し、

水球を飛ばして妲己の頭にぶつけた。

 

それで竜吉公主と妲己の喧嘩になったのだが、お互いに本気ではなく

じゃれあう程度だったので程々にと言ってそのまま去った。

 

廓に戻った俺は、反魂の術をするための準備をしていく。

 

そして士郎の転生の準備を始めてから十日程経った頃、

俺は伯父上に宮へと呼ばれたのだった。

 

 

 

 

「伯父上、二郎真君、ただいま参りました。」

「うむ、よく来た。」

 

片膝をついて包拳礼をした後、立ち上がって周囲を見渡す。

 

そこには老師である太上老君と元始天尊様、そして太上道君と仙人の中でも最上位に

位置する『三清』が集まっていた。

 

「お三方までいる事を考えると、何か大事があったのですか?」

「うむ、その事なのだが…。」

 

伯父上の歯切れが悪い。

 

言いにくいことなのか?

 

「天帝、言いにくければ僕から話そう。」

「すまぬな、太上老君。」

 

老師は一歩進み出ると、俺に笑顔を向けてきた。

 

「百年振りだね、二郎。」

「はい、お久し振りです、老師。」

 

俺と老師はお互いに包拳礼をする。

 

「さて、二郎。今回君を僕達の所に呼び出したわけなんだけど、崑崙山等の『移動』に

 関して問題が発生したからなんだ。」

「問題?宝貝の数が不足していたのですか?」

「二郎が集めてくれた宝貝の数は十分だったよ。でも、宝貝が足りなくなってしまったんだ。」

 

数は十分なのに足りない?

 

どういうことだ?

 

俺が首を傾げていると、伯父上と三清の方々が揃ってため息を吐いた。

 

「一体、何があったのですか?」

 

俺の問いに他の方々と顔を見合わせて頷いてから老師が口を開いた。

 

「二郎、女媧様が天帝の蔵から宝貝を大量に盗みだしたんだ。」

 

老師が告げた言葉に、俺は驚いて目を見開いたのだった。




次の投稿は13:00の予定です

ハーレムタグは必要でしょうか?


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第52話

本日投稿4話目です


「事の始まりは殷の紂王が原因なんだ。」

 

老師の話を俺なりに解釈していくとこうなる。

 

現在の中華の大半は殷という国が支配しているのだが、その殷の王である

紂王がある時、酔っ払いながら女媧様の像が奉置されている神殿に訪れた。

 

そこで女媧様を象った像をみた紂王は、女媧様に一目惚れをしてこう言った。

 

『後宮に欲しい』

 

後宮というのは、要するに愛人を囲う場所のことだ。

 

国産みの神を愛人に欲しいというだけでも不敬極まることなのだが、

あろうことか紂王はその思いを神殿の壁に墨で書き残したのだ。

 

神殿を管理する者達は紂王が帰ると即座に落書きを消そうとしたが、

間が悪いことに女媧様が神殿に降臨してしまった。

 

女媧様は中華の大半を支配する殷の王が来訪したことで多くの貢ぎ物を期待していたのだ。

 

だが、そこには侮辱としか見えない落書きだけしか残されていなかった。

 

女媧様は激怒した。

 

そして女媧様は紂王に罰を与えようと思ったのだが、国産みの神である自分が直接手を

下せば、中華のみでは収まらない色々な問題が発生するかもしれないと考えた。

 

そこで女媧様は配下の道士や仙人を動かそうと思ったのだが、中華の大半を支配する

殷の紂王に手を出すには配下の者達では力が足りないかもしれないと危惧した。

 

そこで女媧様は『力が足りぬのなら宝貝で補えばよい。』と思い付いた。

 

だが、女媧様の手元には配下の者に行き渡らせるだけの宝貝は無かった。

 

そこで女媧様は『移動』の為に大量の宝貝を集めている伯父上の蔵に目をつけた。

 

『神々が生きられぬ程に神秘が薄まるまで後千年は猶予がある。

 ならば多少持ち出しても問題なかろうて。』

 

そう考えた女媧様は、蔵を守護する伯父上の配下に国産みの神としての

権威を持ち出して蔵を開けさせた。

 

そして宝貝を大量に持ち去った女媧様は配下の者に宝貝を配って、

殷の紂王に罰を与えるようにと指示を出したんだとさ。

 

「二郎が五百年掛けて集めた苦労を無にしてしまった。すまぬ。」

 

そう言って伯父上が俺に謝った。

 

「伯父上、気にしないでください。また集めればいいのですから。」

 

俺は笑顔でそう言ったのだが、伯父上達は渋い表情をしている。

 

「二郎よ、出来ればそうしたいのだが、そう出来ぬ事情があるのだ。」

 

俺が首を傾げると伯父上が腕を組んで話し出す。

 

「女媧様が宝貝を持ち出す前に『移動』の件を、世界の各天界に

 通達してしまったのだ。」

「うわぁ…間が悪いですね。」

 

もしここで俺がまた宝貝集めを再開したら、中華の外の天界から事情を聞かれるだろう。

 

そこで事の事情を話せば伯父上の面目丸潰れである。

 

しかもそれだけで済む問題では無い。

 

『移動』は中華の神々の生き残りが掛かっているのだ。

 

今回の一件を各所に知らせるにしても、せめて『移動』の準備を再度整えてからの

事後報告にしないと色々と面倒が起こってしまうのだ。

 

「伯父上、俺を呼び出したという事は何か対策を思い付かれたのですよね?」

「うむ、女媧様の配下の者達が起こす混乱に便乗する形にしようと思っている。」

「便乗?何をするのですか?」

「『封神計画』だ。」

 

封神計画?

 

俺が首を傾げると、伯父上に代わって元始天尊様が話し出した。

 

「女媧様の配下が殷の紂王に罰を与える。これは生半可な罰ではなく殷を滅ぼす

 規模になるじゃろうな。その時の混乱を利用するのが封神計画じゃ。」

 

元始天尊様の話を俺なりに解釈していくとこうなる。

 

女媧様の配下である道士や仙人が中華の人々の間に混乱を起こす。

 

その道士や仙人達が人々の間に混乱を起こした事を理由にその者達の討伐の指令を出す。

 

そして、討伐した道士や仙人達の魂を贄として『移動』の為の力とするそうだ。

 

だが表向きの話は混乱を起こした者達に反省を促す為に、

転生出来ぬようその魂を封印するという形にするらしい。

 

「その者達から宝貝を回収するのではダメなのですか?」

「それが出来れば一番いいのだが、その者達は宝貝を手放すと思うか?」

 

伯父上が懸念する通りに俺も宝貝を手放すとは思えない。

 

宝貝は神秘の塊であり、その力は神の権能にすら匹敵する物もある。

 

どんな理由であれ一度手にしたのなら己の意思で手放すのは難しいだろう。

 

「宝貝だけ奪っても恨みが残り面倒な事になるでしょうねぇ。」

「うむ。故に犠牲を少なくする為にも、討伐した者達の魂も利用せねばならぬ。」

 

なんというか、本当に面倒な事になってきたなぁ…。

 

俺が頭を掻きながらため息を吐くと、伯父上達も同じ様にため息を吐いたのだった。




これで本日の投稿は終わりです

体調を崩してしまい5話目を書けませんでした…

また来週お会いしましょう


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第53話

本日投稿1話目です


「それで、その封神計画を俺が実行すればよろしいのですか?」

「いや、二郎は封神計画を見守ってもらいたい。」

 

伯父上の返答が意外だったので俺は首を傾げてしまった。

 

「見守るのですか?」

「うむ、二郎が表立っては女媧様の配下の者達は隠れてしまうだろう。

 そうなっては封神計画の真の目的を果たす事はかなわぬからな。」

 

封神計画の表向きの理由は転生出来ない様に魂を封じるといったものだ。

 

しかし真の目的は『移動』の贄とする為に多くの魂を集める必要があるのだが…。

 

「俺が表立つと女媧様の配下の者達は隠れるのですか?」

「ふむ…。元始天尊よ、お主は二郎が敵対したらどうする?」

「すっ飛んで逃げるのぉ。」

 

そう言って元始天尊様が笑うと、俺以外の方々がつられるように笑った。

 

「二郎真君の名は今や武神として隠れる事なく中華に轟いておる。仙人どころか

 神仙であっても二郎真君と戦おうとする者はおるまいよ。」

 

元始天尊様のその言葉に伯父上達が首を何度も縦に振る。

 

俺は照れを誤魔化す様に頭を掻いた。

 

「では、誰に封神計画を任せるのですか?」

「真の目的の性質上、女媧様の配下に勝てる者であり、なおかつ逃げられぬ様な

 無名の道士でなければなるまい。それに加えて殷に深い憎しみを持つ者が望ましいな。

 封神計画の真の目的に気付いても封神計画を続けてもらわねばならぬからな。」

 

伯父上の言葉に俺と三清の方々が頷く。

 

その後、三清の方々がそれぞれの弟子から候補を探すことが決定して、

その場は解散となったのだった。

 

 

 

 

封神計画の準備が終わるまで暇が出来た俺は、士郎の転生の準備を再開した。

 

その準備の途中、伯父上の使いが候補者が決まったと報せてきた。

 

候補者は元始天尊様の弟子で、『姜子牙』という道士らしい。

 

姜子牙は道士としては非常に若く、まだ百年も生きていないそうだ。

 

そんな未熟な姜子牙を鍛えるため、そして封神計画の準備のために

十年は時間を掛けるそうだ。

 

その十年の間に女媧様の配下達に殷を滅ぼす為の準備を整えさせるみたいだな。

 

というわけで十年は暇になったので、細かい事は伯父上達に任せて

俺は士郎の転生の準備をしよう。

 

そんな感じで準備を進めていき後は反魂の術を実行するだけとなったその時、

俺の廓に妲己がやって来たのだった。

 

 

 

 

「楊ゼン様ぁ♡会いたかったわぁ~♡」

 

家僕が俺の廓の中に来客を招き入れると、その来客であった妲己が俺に抱きついてきた。

 

「いらっしゃい、妲己。それで、今日は何の用だい?」

「う~ん、もう少しこ・の・ま・ま♡」

 

そう言って妲己は俺に身体を預けてくる。

 

しばし妲己の思うままにさせていると、妲己は満足したのか俺から離れた。

 

そして、佇まいを正すと常の柔和な表情を引き締めて話し出した。

 

「楊ゼン様、今日はお別れを言いに参りました。」

 

そう言って妲己は俺に頭を下げる。

 

「女媧様の一件かい?」

「はい、その一件で私は殷の紂王の元に行くことが決まりました。」

 

俺は妲己の言葉に頷いて続きを促す。

 

「私は配下の者の手引きで紂王に目通りします。そこで紂王を幻術で誘惑し、

 彼の者の後宮に入り、殷を内から崩していく手筈になっています。」

 

妲己の幻術の腕前は仙人の中でも一、二を争うものだ。

 

紂王の誘惑はまず間違いなく成功するだろう。

 

しかし…。

 

「妲己、君はどこまで知っているんだい?」

「又聞きではありますが、竜吉公主から例の計画の事を聞いています。」

「後宮に入るという事は殷の中心人物として狙われる事になるけどいいのかい?」

「覚悟しております。」

 

そう言って妲己は微笑む。

 

「楊ゼン様、私は以前から考えていました。このまま数多くの仙人の中の一人として、

 中華の人々に名を知られぬまま過ごしていくのかと…。」

 

妲己は虚空を見詰めると、思いを吐露する様に話し出す。

 

「中華の人々が知る仙人はそう多くありません。天帝様を始めとして数える程度でしょう。」

 

一つ間を取ってその豊かな双丘に手を置いてから妲己は言葉を続ける。

 

「私は楊ゼン様を羨んでおりました。身に付けた拳法や仙術を使い、

 自由に生きているそのお姿を…。」

 

顔を上げた妲己は俺にニコリと微笑む。

 

「ですが、私はこれまでに培ってきた力を振るう機会を、中華の歴史に名を残す

 機会を得る事が出来ました。」

「名を残すとしても、おそらくは悪名となる可能性が高いだろうね。」

「望むところです。」

 

嬉しそうに微笑む妲己を見て、俺は彼女の決意は変わらない事を察した。

 

そんな彼女を思い止まらせようとするのは無粋だな…。

 

「そうなると妲己は『傾国の美女』と呼ばれる事になるのかな?」

「傾国の美女…。ふふ、最高の栄誉です。」

 

再び虚空を見詰めた妲己は熱に浮かされた様に頬を赤く染めた。

 

そして一歩俺に近付いた妲己は、正面から俺の背に手を回して抱き付いてきた。

 

「…配下の者達が準備を整えるまで十日程の時間があります。その間、楊ゼン様と

 一緒に過ごしてもよろしいですか?」

「この態勢でそれを聞くのは狡いと思うけど?」

「ふふ、いい女は強かなのよ~ん♡」

 

それまでの真面目な表情を崩した妲己は、茶目っ気たっぷりに片目を瞑ったのだった。




本日は5話投稿します

次の投稿は9:00の予定です


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第54話

本日投稿2話目です


あれから十日間、妲己は俺に甘え続けてきた。

 

俺も彼女を受け入れて日々を過ごしていった。

 

そして…。

 

「紂王ちゃんに会いに行く前に、竜吉公主ちゃんに自慢しに行くわん♡」

 

そう言って妲己は俺の廓を去っていった。

 

妲己が去った後は準備を終えていた士郎の転生を始める。

 

哮天犬が見守る中で反魂の術を使うと、天に昇った光が士郎の髪を元に作った器に降り注ぐ。

 

そして…。

 

「…どうやらこの身体の感覚は霊体ではないようだな。」

 

一言呟いた士郎がむくりと身体を起こしたのだった。

 

 

 

 

「くっ!この辛味の奥にある旨味はなんだ?!どうすればこの味を出せる?!」

 

無事に転生した士郎に料理を振る舞うと、一口食べたところで驚いて手が止まっていた。

 

「士郎、身体の調子はどうかな?」

「この味は…っ!すまない老師、身体の調子は問題ない。」

 

匙を置いた士郎が俺を見ながらしっかりと答える。

 

「だが、色々と聞きたい事があるのだが…構わないだろうか?」

「とりあえず、それを食べてからにしたらどうかな?」

「…どうやら転生したばかりで少々気が昂っていたようだ。」

 

そう言うと士郎は匙を手に取って食事を再開した。

 

だけど士郎は一口食べる毎に、何故か敗北をした様な表情をするのだった。

 

 

 

 

「老師、ご馳走さまでした。」

「口にあったようでよかったよ。」

 

俺がそう言うと、士郎は拳を握り締めて悔しそうにする。

 

…夕食は士郎に作ってみてもらおうかな?

 

そんな事を考えながら俺の隣で寝そべる哮天犬の頭を撫でていると、

気を取り直した士郎が口を開いた。

 

「老師、色々と聞かせてもらいたいのだが構わないだろうか?」

「あぁ、いいよ。」

 

俺が返事をすると、士郎は一つ頷いてから話し出す。

 

「ではまず一つ、前世に比べて私の『魔術回路』が大幅に増えているのだが、

 どういうことだろうか?」

「それについて答えるには士郎の魂について話さないといけないね。」

 

士郎は腕を組んで俺の話を聞く態勢をとった。

 

「士郎、君は死後に英霊になった。そうだね?」

「あぁ、そうだ。」

「君の器になる身体を君の髪から造ったんだけど、そのままでは英霊になった君の魂を

 受け入れるには神秘が薄かったんだ。」

 

士郎は俺の言葉に首を傾げる。

 

「神秘が薄かった?」

「そう、英霊になる程の人物とは思えない程に前世の君の身体は神秘が薄かった。

 それこそ、神秘が徐々に薄れている今の世でも考えられない程の薄さだったね。」

 

俺の言葉に心当たりがあるのか、士郎は一度首を縦に振った。

 

「そんな君の身体に今の君の魂を入れても、『世界の守護者』だった頃の力を半分も

 発揮出来ない。そこで、人の範囲で収まる程度に手を加えたのさ。」

 

エルキドゥの時の様に半神半人としなかったのは、士郎が前世で

純粋な人間だったからだ。

 

もし神の血を与えようと思ったら士郎の魂の方も手を加えないといけない。

 

その魂に手を加えるのに時間が掛かれば『世界』に士郎の転生を

邪魔される可能性が高かった。

 

なので確実に反魂の術を成功させるために、士郎の身体の調整は人の

範囲で収まる程度に抑えたのだ。

 

まぁ士郎が半神半人の身体になりたいのなら、転生をした後に

改めて反魂の術をすればいいんだけなんだけどね。

 

そんな感じで俺が説明すると、士郎は片手でコメカミを抑えたのだった。

 

 

 

 

「余計なことだったかな?」

「いや。老師、感謝する。」

 

私は世界の守護者として数多の世界や時代を巡って来たが、ここまで魔術師の常識に

正面から喧嘩を売るほどに仙人が非常識だとは思わなかった。

 

いや、老師が特別なのかもしれない。

 

なにせ老師は仙人であると同時に武神でもあるのだからな。

 

私は今一度自身に解析の魔術を使う。

 

そして魔術回路の本数を確認すると、活性化していないものを含めて百を数えた。

 

…なんでさ。

 

前世は少ない魔術回路を何度も焼きつかせながら魔術を行使し続けた。

 

あの意識が飛びかねない激痛に耐えながらだ。

 

それが、こうもアッサリと解決してしまうとはな…。

 

前世の我が師である彼女が知ったらどう思うだろうか?

 

何故か私に腹いせでガンドを撃ち込んでくる姿を幻視したのは気のせいだと思いたい。

 

他にも老師には聞きたい事がある。

 

だが今の私は壊されていく常識に混乱する自身を抑えるのに精一杯なのだった。




次の投稿は11:00の予定です


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第55話

本日投稿3話目です


混乱する私を見た老師は、少し休憩しようかと言って自ら食器の片付けを始めようとした。

 

そこで私は気分転換も兼ねて片付けの役割を願い出た。

 

その後は食器の片付けだけでなく、今日から寝泊まりする私の部屋や

老師の部屋等の掃除もしていった。

 

私の記録にあるバトラーの経験を存分に活かして埃一つ無い完璧な状態に仕上げてみせた。

 

ふっ、私を満足させたければこの三倍は持ってこい!

 

家事の達成感により落ち着きを取り戻した私は、広間で寛ぐ老師の元に戻り

話の続きを聞く事にした。

 

「老師、廓の一部だけだが掃除は完了した。」

「そうかい?士郎、ご苦労様。」

 

労いの意味も込められているのか、老師が私に杯を差し出してきた。

 

私は杯を受け取り中の水を飲む。

 

喉を流れ落ちていく水が、守護者をしていた時には無かった爽やかな汗と共に、

私に生きているという実感を与えてくれる。

 

「旨い…この水はどこの水なのかね?」

 

本当に旨いと感じた私は、老師に問いながらも水を口に含む。

 

そして…。

 

「ん?適当にそこら辺の川から汲んできた水だよ。神水だけどね。」

 

老師の一言で盛大にむせてしまった。

 

「…っ?!ゴホッ!ゴホッ!」

「おや?大丈夫かい?」

 

なんとか咳が止まった私は老師に物申した。

 

「老師、貴重な神水をさも当たり前の様に振る舞ってどうする!?」

「水さえあれば俺の権能で幾らでも造れるからなぁ。貴重でもなんでも無いよ。」

 

そう言って肩を竦める老師に私は頭を抱える。

 

呆れを超えて諦めの境地に達した私は、手にしていた杯の神水を飲み干した。

 

すると、身体の奥底から活力が沸き上がってきた。

 

「なんという理不尽…。」

「そうかい?俺にとっては当たり前なんだけどね。」

 

せめて他の仙人はもう少し常識的な存在であってほしいと心から願う。

 

「それで、士郎はまだ聞きたい事があるんじゃないかな?」

「あ、あぁ…。」

 

老師に手で促されたので椅子に座る。

 

「士郎は神水でいいかい?それとも神酒を飲むかい?」

「…神水でお願いする。」

 

私とて魔術師の端くれだ。

 

神酒に興味がないわけではない。

 

だが、頼むからそれほどの物をさも当然の様に提供しようとしないでくれ…。

 

私は自然に胃の辺りに手を置くが、神水により与えられる活力で

胃は荒れるどころか健康そのものだ。

 

私は度重なる非常識に盛大にため息を吐くのだった。

 

 

 

 

何故か大きなため息を吐いた士郎だったけど、神水を飲んで落ち着いたのか

背筋を正して口を開いた。

 

「老師、二つ目の問いだが、私の身体についてだ。」

「士郎の身体?」

「あぁ、私の身体は何故子供なのだ?」

 

士郎の言う通りに、士郎の身体は七歳程の少年に調整して造ってある。

 

「その理由は二つ程あるね。」

 

俺が指を一本立てると、士郎は腕を組んで話を聞く態勢をとった。

 

「一つは休憩前に話した士郎の魂が関係しているんだ。」

「私の魂?守護者の力に耐えられる様に調整したのではないのか?」

「耐えられる様には調整したよ。でも、身体と魂が馴染むかは別の問題になる。」

 

俺の言葉に士郎は頷いて続きを促してくる。

 

「士郎の身体を前世に比べて強化して守護者としての力に耐えられる様にした。

 けれど、それによって前世の士郎の身体の感覚とズレが生じてしまうんだ。」

 

士郎は何度も手を握ったり開いたりして感覚を確かめている。

 

「なるほど、掃除をしている時にも感じた違和感は身体が子供に

 なっただけが理由ではなかったのか。」

「今の士郎は魔力を半分以上封印してある状態なんだけど、それを身体の成長に合わせて

 段階的に解放していく事で、魂と身体を馴染ませていくというのが理由の一つだね。」

 

士郎は納得したのか頷くと、一口神水を飲んだ。

 

「老師、もう一つの理由はなんだろうか?」

「もう一つの理由は俺の興味かな。」

「興味?」

 

士郎は腕を組みながら首を傾げて眉を寄せた。

 

「士郎は『世界の守護者』として色々な世界や時代を巡ったんだよね?」

「あぁ。」

「その経験や知識、そして技術を持った状態で一から鍛え直したら、

 士郎がどれだけ成長出来るのか興味を持ったんだよね。」

 

俺の言葉を聞いた士郎は片手を顎に当てて何かを考え始める。

 

そして数秒経つと、士郎は口角をつりあげた。

 

「余計なことだったかな?」

「いや。老師、改めて感謝をする。」

 

そう言って士郎は俺に包拳礼をした。

 

それを見ていた哮天犬が士郎によかったねとでも言うように、尻尾を振りながら

大きな声で哮えたのだった。

 




次の投稿は13:00の予定です


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第56話

本日投稿4話目です


士郎が転生してから一ヶ月程が過ぎた。

 

あれから士郎はその小さな身体に早く慣れるべく自分なりの鍛練を続けている。

 

その鍛練は拳法のそれとは違ったが、中々見応えのあるものだった。

 

うん、そろそろいいかな。

 

頃合いと思った俺は、鍛練中の士郎に声を掛けてある事を話すのだった。

 

 

 

 

「老師、用は何だろうか?」

「うん、士郎はどの仙術を覚えたいのかなって思ってね。」

「仙術?」

 

士郎は俺が手渡した神水を飲みながら首を傾げた。

 

「士郎の戦いの形は既に出来上がっているから、それに手を加えるつもりは無いよ。

 でも士郎は俺の弟子であり、道士となるんだから仙術の一つも出来ないとって思ってね。」

 

納得をしたのか士郎が頷く。

 

「そこで、士郎は仙術の何を覚えたいのか聞いてみたのさ。」

「老師、私は魔術師だ。それ故に魔術にはそれなりに詳しいが、仙術は門外漢だ。

 出来れば仙術にどういったものがあるのかを教えて欲しいのだが…。」

 

その士郎の言葉に応えて俺は仙術を一通り説明していく。

 

すると、士郎は顎に手を当てながら思考を始めた。

 

「士郎が希望した仙術は教えてあげるけど、それでも向き不向きがあるからね。

 数ヵ月で使える様になるものもあれば、千年掛かっても使えないものもあるよ。」

 

俺の言葉に頷いた士郎は、考えが纏まったのか顔を上げてこちらを見た。

 

「老師、私は練丹術と反魂の術の習得を希望する。」

「練丹術と反魂の術だね。その理由は?」

 

俺の問い掛けに士郎は一度目を瞑ってから答えた。

 

「以前に私には救えなかった人々がいたと話した事があると思う。」

「うん、あるね。」

「もしまた同じ状況に遭遇した時、私は今度こそ、その人達を救いたい。」

 

強い意思を持った士郎の瞳に俺は笑顔で頷く。

 

「それじゃ、三日後から修行を始めようか。」

「老師、今日からではないのか?」

「この一ヶ月の鍛練の疲れを抜いてからだよ。士郎は休むという事も覚えないとね。」

 

俺がそう言うと士郎は困った様に苦笑いをしたのだった。

 

 

 

 

士郎の修行が始まってから五年程の月日が過ぎた。

 

正直に言って士郎の修行は順調とは言えない。

 

なぜなら士郎はまだ調息を身に付ける事が出来ていないからだ。

 

調息を身に付け『気』を扱える様にならないと仙術を身に付ける事は出来ない。

 

それ故に、士郎にはまだ練丹術も反魂の術も教えていないのだ。

 

士郎は自身の才の無さを皮肉っているが、これは士郎の才の無さのみが原因ではない。

 

一番の原因は士郎が魔術師である事だ。

 

『気』と魔力は反発する性質を持っている。

 

その為、魔力の扱いに長けた士郎は『気』の扱いに難儀しているのが現状だ。

 

ただ、悪いことばかりではなかった。

 

士郎の修行の過程で新たな発見があったのだ。

 

それは『気』と魔力が反発する過程で大きな力を生み出すのがわかったのだ。

 

だが、これが少し難しい。

 

『気』と魔力を反発させることで大きな力を生み出すのだが、それを感覚だけで全くの

同量をぶつけなくてはならないのだ。

 

しかも、『気』と魔力をある程度以上の力で反発させなければ大きな力を生み出さないので、

制御しやすい少量でやっても意味が無いのだ。

 

士郎の修行の傍らで俺もこの新しい技術に挑戦をした。

 

結果、この新しい技術は四半刻(30分)程で出来る様になった。

 

それを見ていた士郎はどこか遠いところを見詰める様な目をしていたな。

 

ちゃんと修行に集中しないとダメだぞ。

 

そんな感じで士郎に修行をさせたり、竜吉公主の屋敷に泊まりに行ったりして更に

五年が過ぎた頃、俺は伯父上に宮へと呼び出されたのだった。




次の投稿は15:00の予定です

『他作品の技有り』とタグをつけた方がいいでしょうかね?


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第57話

本日投稿5話目です


「それじゃ、行ってくるよ士郎。」

「あぁ、行ってらっしゃい、老師。」

 

哮天犬に乗った二郎は士郎へ挨拶をすると、天帝の宮へと向かった。

 

師とその使い魔である神獣を見送った士郎は軽く息を吐くと、

廓へと向き直った。

 

「さて、修行をする前に掃除をするとしようか。」

 

そう言うと士郎は両手に掃除道具を投影した。

 

「行くぞ、埃の量は十分か?」

 

そして士郎はノリノリで掃除をしていったのだった。

 

 

 

 

伯父上の宮へと到着した俺は、十年振りに伯父上と老師に会っていた。

 

「二郎真君、ただいま参りました。」

「うむ、よくぞ来たな。二郎。」

 

包拳礼をする俺を笑顔で迎えてくれた伯父上は、さっそくとばかりに話を始める。

 

「二郎よ、以前から進めていた封神計画の準備が整った。」

「そうですか。伯父上、詳細をお聞かせいただけますか?」

「うむ。」

 

伯父上の話を俺なりに解釈すると次の様になる。

 

・後日、元始天尊様が弟子の姜子牙に封神計画の実行を命じる。

・最初は姜子牙に封神計画を成し遂げられるかどうかを見極める為に見守る。

・折りを見て姜子牙を手助けする道士を派遣して、封神計画の実行を支えさせる。

 

だいたいこの様な内容だった。

 

「それで、俺はどうすればいいのですか?」

「二郎には姜子牙が封神計画を成し遂げられる器なのかを見極めてもらいたい。」

 

伯父上の言葉に俺は首を傾げる。

 

「それは構いませんが、見極める役は俺でいいのですか?」

「二郎は原初の王であるギルガメッシュを始めとして多くの英雄をその目で見てきた。

 その二郎が姜子牙に器を感じなければ、如何に元始天尊の推挙であろうと

 中華の命運を託すわけにはいかぬであろう。」

 

ギルガメッシュとエルキドゥなら殷はおろか、黄帝が統べていた中華ですら滅ぼせるだろうな。

 

そしてケイローンなら中華全土を計略で振り回せるだろうし、アルケイデスなら

単身で百を超える道士とも渡り合えるだろう。

 

さて…姜子牙はどうかな?

 

まだ見ぬ姜子牙を見るのを楽しみだと思った俺は、哮天犬に乗って

上機嫌で廓へと戻ったのだった。

 

 

 

 

崑崙山のとある岩の上に一人、腰を下ろしている道士がいた。

 

その道士は足を組んで調息をすると、気を整えながら思考を巡らせていた。

 

(ここ十年ばかり、急に元始天尊様の修行が厳しくなったのう…。何かあるのか?)

 

その若々しい青年の容姿にあわぬ老成した言葉で思考する道士の名は姜子牙という。

 

姜子牙の正式名は姓を姜、名を尚、字を子牙という。

 

数十年前の彼は中華の民であったのだが、彼の一族は殷の軍に滅ぼされてしまった。

 

一族を滅ぼされ焼け出された姜子牙はまだ火が燻る野原で一人涙を流していた。

 

そこにたまたま自身の蔵から酒を盗んだ申公豹を追い掛けていた元始天尊が現れて、

涙を流していた姜子牙に声を掛けて彼を弟子にしたのだ。

 

(情報が少なすぎてわからぬのぉ…。まぁよい、いつでも動ける様に適度に

 修行を怠けるとするかのぉ。)

 

もっともらしい理由で自分を納得させた姜子牙は鼻提灯を膨らませる。

 

そして姜子牙がコクリコクリと船をこぎ始めた頃、師である元始天尊が

姜子牙の頭を強かに張り飛ばしたのだった。




これで本日の投稿は終わりです

また来週お会いしましょう

拙作の『宝具』表記を『宝貝』へと修正しました。


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第58話

本日投稿1話目です。


廓に戻った俺と哮天犬を士郎が出迎えてくれた。

 

「お帰り、老師、哮天犬。」

 

士郎の言葉に哮天犬が哮えて返事をする。

 

「それで、天帝様の用とは一体何だったのかね?」

 

首を傾げながら疑問の声を上げる士郎に俺は哮天犬の頭を撫でながら答える。

 

「あぁ、封神計画の話だよ。」

「…封神計画?」

 

封神計画という言葉に士郎は驚いた様に反応した。

 

「知っているのかい?」

「あぁ…。いや、『この世界』では既に私の知るそれとは別物の可能性があるな…。」

 

顎に手を当てた士郎は少しの間思考を巡らせていく。

 

「老師、確認をさせてもらってもいいだろうか?」

「あぁ、いいよ。」

「封神計画とは、中華の国産みの神である女媧様の配下を退治する…

 これであっているかね?」

「表向きはそうだね。」

「表向き?」

 

俺は士郎に封神計画の真の目的を話していく。

 

すると、話を聞いた士郎はコメカミに手を当てながら項垂れた。

 

「これはまた…『世界』が守護者を派遣しそうな問題だな…。もっとも、この先に派遣される

『世界の守護者』はもういないのだろうがね。」

 

そう言って士郎は大きなため息を吐いた。

 

「士郎、『世界』が動く基準は何かな?」

「『世界』は矛盾を嫌う。」

「矛盾?」

「あぁ、まだこの言葉は産まれていないのか…。この場合は中華にあるべき場所が無くなる事を

 『世界』が嫌うとでも言えば理解出来るかね?」

 

俺は頷いて士郎に話の続きを促す。

 

「例えば、崑崙山という多くの人々が認識している場所が『世界』の内側から無くなる。

 こういった事を『世界』はひどく嫌い、それを修正しようとするのだ。」

「なんで修正しようとするんだい?」

「これも一例だが、数千年先の未来において『人理』が崩壊して

 『世界』が滅びる事があるんだ。」

 

人理?

 

俺が首を傾げると士郎が苦笑いをする。

 

「まぁ、今の一例は極端なものだ。それに、『この世界』ではそういった問題は

 もう起こらないだろう。」

「なんでだい?」

「原初の王とその妻が『この世界』そのものを正史に変えたからだ。」

「ギルガメッシュとエルキドゥが?」

 

俺の疑問の声に士郎が頷く。

 

「私があらゆる『世界』や時代に『世界の守護者』として送り込まれた事は

 老師も知っているだろう?」

「あぁ、そうだね。」

「その理由は、その二人が起こした『並行世界の歴史の修正』が原因なんだ。」

 

士郎は腕を組むと思い出すようにして話をしていく。

 

「『世界』には原典と呼ばれる『世界』が存在する。」

「原典?」

「無数に存在する並行世界の元になった『世界』…始まりの『世界』だ。」

 

俺は頷いて士郎に話の続きを促す。

 

「私も『世界の守護者』になって初めて知った事だが、数多の並行世界は原典と近い歴史を

 なぞる様に『世界』が修正を加えていく。その修正をする者が『世界の守護者』なのだ。」

 

俺は話をする士郎の喉を潤す為に神水を差し出す。

 

転生してからの十年で慣れた士郎は戸惑わずに神水を飲んだ。

 

「老師、私が守護者として老師と戦った時を覚えているかね?」

「最初はウルクの天界、次はケイローンを救って中華に帰った時だったね。」

「あぁ、その時が『原典』と歴史がずれた時なのだ。まぁ、今では『この世界』が原典と

 なっているので、この先の歴史がどう変わるのかは私にはわからないがね。」

 

俺は士郎の話で以前にエレシュキガルが言っていた話を思い出した。

 

「そう言えば以前にエレシュキガルが、ギルガメッシュとエルキドゥが並行世界の

 自分の『座』に戦を仕掛けたって言ってたね。」

「私が転生をする少し前に『この世界』のギルガメッシュが『原典』を含む全ての並行世界の

 自分を打倒した事で、原初から先の歴史が崩壊してしまった。それにより数多の『世界』は

 滅びてしまい、残ったのは『この世界』のみなのだ。後数百年転生をするのが遅ければ、

 緩やかに崩壊していく『世界の座』に巻き込まれて私の魂は消滅していただろう。」

 

士郎はため息を吐くと神水を一口飲んだ。

 

相変わらずギルガメッシュとエルキドゥがやる事は大きいなぁ。

 

変わらぬ二人の友の在り方に、俺は自然と笑顔になる。

 

だがそんな俺を見た士郎は、片手でコメカミを押さえながら大きなため息を吐いたのだった。




本日は5話投稿します。

次の投稿は9:00の予定です。

今話を簡単に書きますと、拙作のリア充ギル様が拙作世界が特異点になる前に
原典世界にエアをブッパした…といった感じになります。

ガチャで爆死するマスターなんていなかったんや!…いなかったんや!


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第59話

本日投稿2話目です


伯父上に封神計画の準備が整ったと聞いてから三日が経った。

 

そろそろ姜子牙に封神計画を始めさせる頃だと思って廓で報せを待っている。

 

まぁ、ただ待つのも退屈なので士郎に修行をさせているんだけどね。

 

「ハァ!」

 

士郎が双剣を手に俺に仕掛けてくる。

 

士郎はこの十年で守護者をしていた時と同じぐらい身体が大きくなった。

 

そして全ての魔術回路の活性化も成したので、修行に手合わせを追加したのだ。

 

踏み込んでくる士郎の双剣を掻い潜って俺が逆に踏み込む。

 

間合いを詰められ過ぎたと士郎は瞬時に察して飛び退こうとするが、

それよりも先に馬歩から崩拳を放つ。

 

「…ガハッ!?」

 

腹の前で双剣を交差させて俺の一撃を受けようとした士郎だが、

俺は双剣ごと士郎の腹を崩拳で撃ち抜いた。

 

地面に崩れ落ちた士郎がなんとか身体を起こそうとするが、

血を吐いて再び地面に崩れ落ちる。

 

そんな士郎に俺は神酒を飲ませる。

 

すると、士郎の身体から光が放たれて崩拳による傷が回復した。

 

「やれやれ、せめて一撃は持たせようと思ったのだがな…。」

 

そう言うと士郎は自嘲するような笑みを浮かべて起き上がった。

 

「おそらくだけど、士郎は守護者としての戦いに慣れ過ぎたんだろうね。」

「む?老師、どういう事だろうか?」

 

士郎は腕を組みながら首を傾げる。

 

「肉体を持たない守護者の時と肉体を持つ今では耐えられる痛みに

 差があると思うんだけど…違うかな?」

「ふむ、確かに内臓を損傷した先程の一撃は、守護者の時ならば問題なく

 起き上がれていただろう。」

 

両手を開いたり閉じたりしながら士郎は身体の感覚を確かめている。

 

「魔術師である士郎は痛みに強いみたいだけど、それでも限界はあるだろう?」

 

士郎は肯定する様に頷く。

 

「つまり老師は、私に認識を改めろと言いたいのだろう?」

「うん、そうだね。」

 

士郎はため息を吐くと、両手に双剣を造りだした。

 

「私は元来不器用な人間だ。生半可な手段では魂に刻まれた認識を改められないだろう。

 故に、少々荒っぽい手段を選ぶしかないだろうな。」

 

双剣を構えた士郎が鋭い視線で俺を見据える。

 

「老師、すまないがしばらく手合わせをお願いしたい。」

「あぁ、いいよ。もちろん、士郎が死なない程度に加減はするから安心してね。」

 

俺がそう言うと士郎は一瞬苦笑いをした。

 

しかし直ぐに表情を改めると、調息をしながら踏み込んで来たのだった。

 

 

 

 

士郎の修行に俺との手合わせを追加してから五日が経った。

 

あれから日に一刻(二時間)は士郎と手合わせをしている。

 

今日も手合わせを終えて士郎がボロボロになって地面に身を預けているんだけど、

士郎はどこか楽しそうに笑っていた。

 

そんな士郎の様子に何か手応えでも掴んだのかと思って士郎に聞いてみた。

 

「士郎、楽しそうに笑っているけど、何か手応えを掴んだのかい?」

「老師、非才の私では五日程度で手応えを掴むという芸当は出来んよ。

 これは前世を思い出して笑っていたのだ。」

 

前世?

 

首を傾げる俺を見た士郎は苦笑いをしながら身体を起こした。

 

「前世の私も師に何度も打ちのめされたのさ。私自身が体験した記憶なのか、並行世界の私が

 体験した記録なのかはわからないがね。だが、彼女との出会いだけは鮮明に覚えている。」

 

そう言うと士郎はどこか遠くを見詰めながら眩しそうに目を細める。

 

「月明かりに照らされていた彼女に私は見惚れた。今思えばその瞬間に、

 私は彼女に憧れたんだろう。」

 

そう言いながら目を瞑った士郎は笑みを浮かべている。

 

「その人を異性として好きになったってことかい?」

「そういった感情をもった私がいた記録があるのは否定しないがね。

 だが、どの世界の私も彼女を救うことは出来なかった。」

 

そう言うと士郎は自嘲するように笑った。

 

「それで、新たに生きる機会を得た士郎はどうするのかな?」

「私は老師のおかげで答えを得た。そして新たに得たこの機会、『俺』はもう迷わない。」

 

士郎は強い意思を持った目で俺を見てきた。

 

「老師、『俺』はもう一度英雄を目指すよ。一人でも多くの人を救う。

 そして、一人でも多くの人に笑顔になってもらいたいんだ。」

 

そう言った士郎はまるで子供の様な笑みを浮かべたのだった。




次の投稿は11:00の予定です


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第60話

本日投稿3話目です


私が老師と手合わせをする様になってから三十日が経った。

 

初日に一撃で沈められてからは、守護者をしていた時に刻まれた認識を改める為に

奮闘しているのだが、上手くいかずに苦戦している。

 

自身の才の無さに呆れる思いだが、こればかりは仕方ないと諦めて日々精進している。

 

そして今日も老師との手合わせでいつも通りに手も足も出ずに打ちのめされたのだが、

不意に気になって老師に問いを投げ掛けてみた。

 

「老師、封神計画はいつ始まるのだろうか?」

「うん?準備は整ったと聞いたからそのうち始まると思うよ。」

「いや、三十日前にもそのように言っていたと思うのだが…?」

 

老師は何か思い当たったのか、ポンッと手を叩いてから話し始めた。

 

「あぁ、そういえば忘れてた。士郎には道士や仙人の時間感覚を教えないとね。」

「時間感覚?」

 

私が腕を組んで首を傾げると、老師は右手の人指し指を立てて話し始めた。

 

「俺も含めて多くの道士や仙人は不老なんだ。だから、そうでない人とは時間の

 感覚が全く違うんだよね。」

「…なるほど、言われてみれば得心がいく。」

 

確かに有限と無限に限り無く近い人生の差を考えれば、同じ時間の経過でも

その意味は違ってくるだろう。

 

「ちなみに、士郎にとって後日っていつぐらいの感覚なのかな?」

「一日後、長くても三日後ぐらいだろうか。」

「道士や仙人にとっての後日は、冬から春になるぐらいの感覚だね。」

 

季節が変わるのが後日…だと?

 

私はあまりにも違う時間感覚に頭を抱える。

 

「まぁ、士郎も道士なんだから、これからはそういった感覚にも慣れていかないとね。」

「慣れるとは思えないのだが…。」

「大丈夫だよ、百年も生きれば慣れるさ。」

 

当たり前の様に百年と言う老師の感覚に、私は大きなため息を吐いたのだった。

 

 

 

 

時間感覚の話をする際に不老と言った事で、士郎にもいつぐらいに不老になるのか聞いてみた。

 

士郎は少しの間考えると、後十年程修行をしてから不老になるか考えたいと答えた。

 

なんでも、士郎は前世ではそのぐらいの年齢で死んだそうで、その年齢に至るまでの間に

どこまで成長出来るのか試してみたいそうだ。

 

十日後、そんな士郎を修行の気分転換として蛟退治に連れ出す事にした。

 

士郎は何故か「蛟退治が気分転換か…。」と言って頭を抱えていた。

 

邪仙討伐の方がよかったかな?

 

そういうわけで士郎と一緒に哮天犬に乗ると、哮天犬の鼻を頼りに蛟の元に向かったのだった。

 

 

 

 

「それじゃ頑張ってね、士郎。」

「ワンッ!」

 

背後から聞こえてくる老師達の声にため息を吐くと、私は眼前の蛟と対峙した。

 

大きい。

 

蛟の身体は象を遥かに超える程に巨大だ。

 

この巨大な蛟を退治するのが気分転換とはな…。

 

私は呆れる思いでもう一度ため息を吐く。

 

だが、武神である二郎真君の一番弟子としては、このぐらいはやってのけねばなるまい。

 

それに、如何に非才を自覚していようとも打ちのめされ続ければ心が傷付くというものだ。

 

私の心は硝子なのだからな。

 

ならば、この機会に少しぐらい憂さ晴らしをするのも悪くないだろう。

 

そう思い立ち両手に使い慣れた干将と莫邪を投影すると、

蛟が鎌首を持ち上げ威嚇をしてきた。

 

「悪いが憂さ晴らしに付き合ってもらうぞ。なに、精々油断をしろ。

 その間にこちらは全力で行かせてもらう。」

 

まるで私の言葉を理解しているが如く、蛟はその尾で近くの岩を叩き砕いた。

 

そして蛟が叩き砕いた岩の破片が地に落ちるのを機に、私は蛟へと向かって踏み込むのだった。




次の投稿は13:00の予定です


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第61話

本日投稿4話目です


ドォン…!

 

轟音を立てて巨大な身体を地に横たえた蛟を見届けた士郎が地に膝をつく。

 

「…終わったか。」

 

二の腕の途中から左腕を失った士郎は、残った右手で止血をしながら安堵の息を吐く。

 

「お疲れ様、士郎。」

 

俺はそんな士郎に神酒を差し出しながら労いの言葉を掛けた。

 

限界近くまで力を振り絞っていた士郎は、右手を震えさせながらも何とか神酒を飲み下す。

 

すると失っていた左腕だけでなく、蛟との戦いで傷付いていた全身の傷が瞬く間に癒えた。

 

「老師、すまないが後を頼んでもいいだろうか?」

「あぁ、いいよ。」

 

俺の返事を聞いた士郎はゆっくりと目を閉じた。

 

士郎の身体を哮天犬の背に乗せた俺は、散歩をする様な気軽さで地に倒れる蛟に歩み寄る。

 

すると…。

 

「シャー!」

 

死んだふりをしていた蛟が牙を剥いて俺に襲い掛かってきた。

 

「詰めが甘かったけど、初めての蛟退治なら上出来かな。」

 

そう言いながら三尖刀を一振りすると、蛟の首を斬り飛ばした。

 

討伐証拠として斬り飛ばした頭を持ち、今日の食料として蛟の身を

斬り分けて哮天犬の背に跨がる。

 

「士郎は英雄になりたいと言っていたね。なら、姜子牙の手伝いをさせても面白そうだ。」

「ワンッ!」

 

そう思い立った俺は廓の寝台に士郎を寝かせると、伯父上の宮へと向かったのだった。

 

 

 

 

「二郎、ちょうどよいところに来た。今、使者を二郎の廓に送ろうとしていたのだ。」

 

そう言いながら伯父上は俺を笑顔で迎えてくれた。

 

「何かご用でしたか?」

「うむ、下界も暖かくなってきたのでな。そろそろ姜子牙に

 封神計画を始めさせるつもりなのだ。」

「その事で伯父上に一つお願いがあるのですが。」

「うむ、申してみよ。」

 

俺は伯父上に士郎の事を話してみる。

 

「ふむ、二郎の一番弟子を姜子牙の手伝いにな…。」

「士郎の願いの一つは英雄になる事です。姜子牙がどの様な形で女媧様の配下の道士を

 討伐していくのかはわかりませんが、最終的には殷との戦になると思います。

 その戦に参加させれば、士郎の願いが叶う可能性があるのではと思いまして。」

 

俺の話を聞いた伯父上が顎に手を当てて思考を巡らせる。

 

「うむ、面白い。二郎よ、弟子を我の宮へと連れて参れ。その者を見てから決めよう。」

「わかりました。」

 

伯父上に包拳礼をして踵を返した俺は、廓で眠る士郎を連れてくるべく伯父上の

宮を後にしたのだった。

 

 

 

 

蛟退治を終えて気を失った私は、気が付けば哮天犬の背の上だった。

 

そして状況を認識しようと思考を巡らせていると、老師に中華の最高神である

天帝の前に連れ出されたのであった。

 

…なんでさ。

 

「その方が二郎の一番弟子である衛宮 士郎か?」

「はっ!」

 

威厳に満ちた声色に私は片膝をついた包拳礼をして答える。

 

…これで礼は合っているのだろうか?

 

「そう畏まらずともよい。面を上げよ。」

「…はっ!」

 

私は天帝の言葉に従い顔を上げる。

 

すると、そこには面白そうに私を見ている老師と天帝の姿があった。

 

一体、私をどうするつもりなのだ?

 

胃を押さえたい衝動を堪えて身を正す。

 

「二郎からの提案でな、その方に姜子牙の手伝いをさせようと思うのだ。」

「…はっ?」

 

突然の言葉に私の思考が止まってしまう。

 

「二郎に聞いたのだが、その方の願いは英雄になる事であろう?」

「はい、確かにそれは私の願いの一つです。」

 

私がそう答えると老師と天帝はいい笑顔を浮かべた。

 

…答えを早まったか?

 

「そこでだ。その方は姜子牙と同行し、封神計画を手助けしてもらいたい。」

「…なんでさ。」

 

天帝の言葉に思わず口癖が声として出てしまった。

 

「封神計画は最終的に殷との戦になる可能性が高い。ならばその戦に参加して名を上げれば、

 その方の英雄になるという願いに近付くのではないか?」

「確かにその通りですが…。」

 

戦争や紛争に参加した事が無いわけではない。

 

そういった事をしてきた『世界の守護者』の時の記憶や記録は残っている。

 

その時の『世界』に振り回されるままに人々を殺した光景を思い出した私は、

答えを返す事が出来ずに身を震わせてしまう。

 

「その方のもう一つの願いも二郎から聞いている。」

 

天帝のその言葉に私は身体を震わせながらもなんとか顔を上げる。

 

「殷の紂王は酒池肉林の日々を送り、中華の多くの民に重税を課して苦しめている。

 その紂王を、ひいては殷を滅ぼす事は多くの中華の民を救い、先の世を生きる

 中華の民を救う事に繋がるのではないか?」

 

この天帝の言葉で私の腹に力が戻った。

 

「此度の任、謹んで拝命致します。」

「うむ、励むがよい。」

 

こうして私は封神計画に深く関わる事になったのだった。

 

突然の出来事に振り回されるばかりだった私だが、その心は隠せない

高揚に満ちていたのだった。




次の投稿は15:00の予定です


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第62話

本日投稿5話目です


中華の空を一匹の霊獣とその霊獣に跨った一人の道士が飛んでいる。

 

「あぁ~、面倒だのう。」

「ご主人、やる気を出すっス。元始天尊様から受けた任なんすよ?」

 

道士の名は姜子牙、霊獣の名は四不象(スープーシャン)という。

 

「しかしのう…。スープー、この封神計画というのはどうにも胡散臭いのだ。」

「元始天尊様から宝貝を受け取った時はあんなに喜んでたじゃないっすか。」

 

姜子牙は腰帯に挿している宝貝に目を向ける。

 

この宝貝は『打神鞭』といい、風を自在に操る事が出来るものである。

 

封神計画の実行の助けとしてこの打神鞭を元始天尊から授かったのだが、姜子牙は攻防に

優れた力を発揮出来るだろうこの打神鞭を手にした時には子供の様に喜んだのだ。

 

ちなみに四不象は、封神計画を実行する際に広い中華を旅する事を考慮して、

元始天尊が姜子牙に引き合わせて主従の約を結んだのである。

 

「スープーよ、そもそもこう言った討伐の任は、今までは二郎真君様がされていたのだぞ?

 何かあると勘ぐってもおかしくはなかろう。」

「名を上げるいい機会じゃないっすか。これで僕も哮天犬の様に立派な神獣に

 なれるかもしれないっすよ!」

 

かの武神に仕える霊獣の様になるという四不象の言葉にため息を吐くと、

沸き起こる疑問を解消出来ない姜子牙は頭をガシガシと掻いた。

 

「さぁ、いつまでも愚痴を言ってないで討伐対象を調べるっすよ!」

「儂はスープーの主人なんだがのう…。」

 

ぶつぶつと言いながらも姜子牙は懐から竹簡を取り出す。

 

この竹簡は元始天尊から預かったもので、討伐対象の道士や仙人の名が書かれているのである。

 

竹簡を捲った姜子牙は一人目に記載されていた者の名を読み上げた。

 

「え~と、申公豹?」

「ギャー!?何でそのお方の名が載ってるんすかぁ?!」

「スープーよ、知っておるのか?」

 

四不象は器用に姜子牙を振り落とさぬ様に振り向いて、姜子牙をキッと睨む。

 

「申公豹様は元始天尊様の直弟子っス!というかご主人の兄弟子じゃないっすか!

 なんで知らないんすかぁ!?」

「儂は道士の中でも若輩者だからのう。まだ元始天尊様に他の道士に引き合わせて

 もらっておらんのだ。修行も居眠りをして怠けていたしのう。」

 

何故か胸を張って自慢をする姜子牙に四不象は大きなため息を吐く。

 

「それでスープーよ、申公豹はどの程度の強さなのだ?」

「元始天尊様の弟子の中では一番って噂っス。それと、二郎真君様に喧嘩を売って

 生きて帰って来たって噂もあるっすよ。」

「武神に喧嘩を売って生きて帰って来たじゃと?!」

 

それまで飄々としていた姜子牙が初めて慌てた様子を四不象に見せた。

 

「そんな奴と戦ってはおれん。他の奴を狙うぞ。」

「それが賢明っすね。」

 

姜子牙は竹簡に目を向けて、申公豹の次に記載されていた者の名を読み上げた。

 

「次に書かれているのは妲己だのう。」

「封神計画の最重要討伐対象じゃないっすか!?大物過ぎていきなりは無理っすよ!」

 

姜子牙が竹簡に記載されている者の名を次々と読み上げていくと、

その読み上げられる名に四不象の悲鳴が続いていった。

 

「むう…もしや大物の名から書いてあるのか?元始天尊様め…知らずに

 仕掛けていたら返り討ちにあっていたではないか。」

 

姜子牙は己が師への不満をぶつぶつと呟く。

 

そんな主の態度に先行きを不安に感じた四不象は大きくため息を吐いた。

 

そして姜子牙と四不象の行く手を遮る様に、一人の道士と霊獣が立ち塞がったのだった。




これで本日の投稿は終わりです。

また来週お会いしましょう。


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第63話

本日投稿1話目です。


「こんにちは、貴方は姜子牙ですね?」

 

姜子牙と四不象の前に奇抜な服を着た男と猫の様な霊獣が立ち塞がる。

 

「そうじゃが…お主は誰じゃ?」

「私は申公豹、貴方の兄弟子ですね。」

 

いきなり申公豹が現れた事で四不象は驚愕の表情をした。

 

「な、なんで申公豹様がこんなところにいるんすか!?たしか、貴方は天帝様の命で

 邪仙の討伐をしていた筈っすよね?!」

 

四不象の言葉を遮る様に申公豹が乗る霊獣である黒点虎が睨む。

 

黒点虎に睨まれた四不象は怯えて言葉を出せなくなった。

 

「黒点虎、睨んじゃダメじゃないですか。カバ君が怯えてますよ。」

「カバじゃないっす!四不象っス!」

 

怯えていた筈の四不象が素早くツッコミを入れる。

 

そんな中で姜子牙は目に映るあらゆる状況を元に思考を巡らせていたのだった。

 

 

 

 

「老師、姜子牙と思わしき道士の前に現れたあの奇抜な格好の者は何者だろうか?」

 

二郎と士郎は哮天犬に乗り隠行の術で姿を隠して姜子牙と変な姿形の霊獣を観察していたが、

姜子牙達の前に申公豹が現れたのだった。

 

「彼は申公豹。元始天尊様の弟子だね。」

「申公豹?」

「士郎、申公豹を知っているのかい?」

 

二郎の疑問の言葉に士郎は少し考えてから話し出す。

 

「老師、確認させて欲しいのだが、申公豹は姜子牙の弟弟子だろうか?」

「違うよ。申公豹は姜子牙の兄弟子だね。」

 

二郎の返答に士郎は右手で眉間を摘まむ。

 

「士郎、どうかしたのかい?」

「いや、何でもない。」

 

士郎はそう答えるが内心では頭を抱えたい思いだった。

 

士郎の知る申公豹は彼が言った通りに姜子牙の弟弟子であり、色々と姜子牙の行動を

邪魔するような存在だった。

 

だが、遠くに見える奇抜な格好の者が申公豹であり、しかも彼は姜子牙の兄弟子である。

 

これだけで士郎が知る封神演義とは別物になっているのだ。

 

(これも『この世界』が原典になった影響なのだろうか?)

 

士郎はそう考えたものの、ある事を思い出した。

 

(かの『騎士王』も女性であった事を考えれば、このぐらいの差違は許容範囲なのだろうか?)

 

士郎は姜子牙の前にいる申公豹に目を向ける。

 

(いや、『この世界』が原典であるならばどのような変化があっても不思議ではない。

 私の持つ記憶や記録に頼り過ぎるのは危険だ…。)

 

士郎は気を落ち着ける様に息を吐く。

 

(前世の常識を捨てろ。私は三千年以上先の世を生きた衛宮 士郎ではない。

 今は古代中華を…いや、今を生きる衛宮 士郎なのだ!)

 

目を瞑り調息をした士郎は、強い意思を持って目を開けた。

 

「すまない、老師。前世の影響で混乱したようだ。」

「そうかい?まぁ、それもその内慣れるさ。」

 

肩を竦めてそう言う二郎の姿に士郎は苦笑いをする。

 

(この器の大きさ…流石は武神だな。)

 

いつかは自身もこの様な動じぬ自信を持てる様になりたいと感じた士郎は、

思考を切り替える様に頭を振った。

 

「老師、申公豹とはどういった者なのだ?」

「残念ながら、俺も申公豹の事はあまり詳しくはないよ。」

 

そう言うと二郎は申公豹の事を話した。

 

「アルケイデスを三度殺した…だと?」

「まぁ申公豹の力というよりは、申公豹が持つ宝貝『雷公鞭』の力だと言えるけれどね。」

 

二郎はそう言うが、士郎はあのギリシャの大英雄と渡り合ったという事実に戦慄する。

 

士郎は驚愕しながらも目に強化の魔術を行使して申公豹を見る。

 

(あれが雷公鞭か…。『今の』私には投影出来んな…。)

 

そう考えた士郎は目を細める。

 

そして…。

 

(だが、私は老師の…二郎真君の一番弟子だ。いずれは『それ』も投影してみせるさ!)

 

そう考えた士郎は不敵な笑みを浮かべた。

 

その士郎の笑みを横目で見た二郎はニコリと微笑む。

 

そしてしばらくの間二人が姜子牙達を見守っていると、申公豹が雷公鞭を用いて

造り出した雷に、姜子牙と四不象が飲み込まれたのだった。




本日は5話投稿します。

次の投稿は9:00の予定です。


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第64話

本日投稿2話目です。


「老師、姜子牙は雷に飲み込まれてしまったが?」

「あの程度でやられるようなら、姜子牙もそこまでってところだね。」

「小山を破壊する程の一撃を凌げか…随分と厳しい査定な事だ。」

 

士郎は苦笑いをしながらそう言う。

 

「でも、姜子牙は結構しぶといみたいだね。」

「あぁ、そのようだな。」

 

俺と士郎が目を向けると、そこから風の刃が申公豹に向けて放たれる。

 

「それじゃ、俺は申公豹に挨拶にでも行くから、姜子牙の事は頼んだよ。」

「あぁ、行ってくるよ、老師。」

 

俺が虚空立歩で空に立つと、士郎を乗せた哮天犬は地に落ちた姜子牙の元に飛んでいく。

 

それを見送った俺は、虚空立歩で空を歩いて申公豹の元に向かうのだった。

 

 

 

 

「おや?この程度ですか?元始天尊様に封神計画の実行を命じられたにしてはあっけないですね。」

 

雷公鞭を用いて雷を姜子牙に放った申公豹は、手応えの無さに拍子抜けしてしまう。

 

だが…。

 

ザッ!

 

申公豹の死角となる下方から放たれた風の刃が、申公豹の左頬を切り裂いた。

 

「なるほど、姜子牙も中々やりますね。血を流したのはギリシャの巨人と戦った時以来です。」

 

常の無表情に面白そうな笑みを浮かべた申公豹は、頬を流れる血を指で拭って舐めた。

 

「それじゃ、黒点虎、行きましょうか。」

「申公豹、あっちを見て。」

 

黒点虎が顔で指し示す方向を見た申公豹は、驚いて目を見開いた。

 

「久し振りだね、申公豹。」

「お久し振りですね、二郎真君。しかし、空を歩いてくるとは非常識ですね。」

「そうかい?」

 

そう言って首を傾げる二郎の姿に申公豹はため息を吐く。

 

「たしか虚空立歩でしたか?貴方が造り出した技法だと聞いていますが、それでも貴方の様に扱える者は私が知る限りでは貴方一人しかいませんよ。」

「そうなのかい?思い付いてやってみたら、結構簡単に出来たんだけどね。」

「拳法に執心している道士や仙人が聞いたら膝から崩れ落ちそうな言い分ですね。」

 

申公豹がため息を吐きながら肩を落とすと、黒点虎も同じ様に肩を落とした。

 

「それで、私に何の様ですか?」

「あぁ、姜子牙はどうだったかなと思ってね。」

「聡明ですね。それに、飄々とした振る舞いに反して私に一矢報いる強い心も持っています。」

 

申公豹の姜子牙に対する高評価に二郎は笑みを浮かべた。

 

「姜子牙は封神計画を成せそうかな?」

「それを見極めるのは貴方の役目でしょう?」

 

申公豹がそう言うと二郎は肩を竦めた。

 

「それじゃ、私は行きますね。」

「何か用事でもあるのかい?」

「帰って寝ます。もう少し面白そうな状況になったら、また姜子牙に会いに来ますけどね。」

 

そう言うと申公豹は黒点虎に指示をして帰っていった。

 

申公豹が去ったと同時に哮天犬が二郎の元にやってくる。

 

「それじゃ、俺達も行こうか。」

「ワンッ!」

 

哮天犬に跨がった二郎は、士郎を置いて何処かへと飛んでいったのであった。

 

 

 

 

「う…。」

 

気が付くと草の匂いと共に身体に怠さを感じる。

 

申公豹が放った雷を凌ぐのに打神鞭に力を注ぎ過ぎたようだのう。

 

だが…。

 

「どうやら、生き延びたようだのう。」

 

儂は安堵のため息を吐く。

 

顔を巡らせると、側にスープーの姿を見つけた。

 

気を失いながらも草を食んでおる…。

 

食い意地の張った奴だのう。

 

「気が付いた様だな。」

 

不意に掛けられた声に驚くが、儂はそれを表に出さぬようにして声の主に振り向く。

 

「大きな雷が鳴ったと思ったら、空から人とカバが降ってくるのだからな。

 中華というのはそういった事がよく起こるのかね?」

 

赤い外套を着た長身の男が腕を組みながら斜に構えてそう言ってくる。

 

この者の言葉と格好から察するに中華の民では無いようだのう。

 

「儂も空から落ちるのは初めてじゃよ。」

「ふむ、随分と年寄り染みた言葉を話すのだな。若いのに苦労したのかね?」

「儂は見た目通りの歳では無いぞ。儂は道士だからのう。」

 

少しの情報をこの男に与えてその反応を見る。

 

「道士?魔術師とは違うのかね?」

「生憎、魔術師というのは知らんのう。」

 

ふむ、この男はその魔術師というものなのかもしれぬな。

 

目の前の男を見ながら思考を巡らせていると、不意に儂の腹が鳴った。

 

「腹が空いているのかね?ならば、食事でも一緒にどうかな?」

「それは助かるが、儂は生臭は食えぬのでな。」

 

道士の修行の一環として、儂は生臭を口にするのを断っている。

 

これは儂が仙人に至るために必要な事なので仕方がないのう。

 

まぁ、酒は飲めるので文句はない。

 

だが、噂では二郎真君様は一切の制限が無く仙人に至ったとか…。

 

羨ましい限りだのう。

 

「生臭とはどういった物かね?」

「簡単に言えば獣や魚の肉だのう。」

「ふむ、穀物は大丈夫かね?」

「うむ、問題無い。だが、出来れば甘い物がいいのう。」

 

儂がそう言うと、赤い外套を着た男は笑った。

 

「失礼、年寄り染みた言葉を話すと思えば、子供の様な事も言うのでな。」

 

赤い外套を着た男は笑いを収めると、不意に名を名乗った。

 

「私は士郎、魔術師だ。」

「儂は姜子牙。姓が姜で字が子牙。中華の慣わしで名は親しき者にしか名乗らぬのでな、姜子牙と呼んでくれると助かるのう。」

「では、姜子牙。食事の準備をするのでゆっくりとしていてくれ。非才の身だが、君の舌を満足させる程度の物は作ってみせよう。」

 

 

 

 

封神演義の一節にはこう残されている。

 

『申公豹に軽くあしらわれた姜子牙は霊獣の四不象と共に草原にて気を失ってしまう。』

 

『そこに運良く旅をしていた士郎が通り姜子牙は介抱された。』

 

これが姜子牙と士郎の初めての出会いである。

 

後に中華の歴史に名を残す姜子牙もこの時はまだ未熟な道士であり、その名を中華に

轟かせるには今一時の時間を必要とするのだった。




次の投稿は11:00の予定です。


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第65話

本日投稿3話目です。


「ん~…?いい匂いがするっス。」

 

気を失いながらも草を食んでいた四不象が鼻をヒクヒクとさせながら目を覚ます。

 

「おぉ、目を覚ましたか、スープー。」

 

目を覚まし身体を起こした四不象が目にしたのは草原に腰を下ろし、椀と匙を手に

舌鼓を打つ姜子牙の姿だった。

 

「あ―――!?ご主人だけズルいっス!あれ?ご主人って料理出来たっすか?」

「目覚めて最初の言葉がそれか…。スープーは食い意地が張っておるのう。」

 

苦笑いをしながらも椀の中の汁を啜る姜子牙は、腹の中から暖まるそれとは

違う力が沸き起こる感覚に思考を巡らせていた。

 

(医食同源とは言うが、この汁は一口飲むごとに間違いなく活力が湧いてきおる。

 一体、何を用いて作っておるのだ?)

 

姜子牙がそう考えていると、料理の匂いにつられて四不象が近寄ってきていた。

 

「ご主人、僕にも一口欲しいっス。」

「汁が欲しくば、あやつに頼むがよい。」

「あやつっすか?」

 

姜子牙が行儀悪く匙で指し示した方向に四不象が振り向くと、

そこには赤い外套を着た長身の男がいた。

 

「カバ君、目が覚めたかね?」

「カバじゃないっス!僕は四不象っス!」

「そうか、私は士郎だ。四不象も飲むかね?」

「いただくっス!」

 

四不象の返事を聞いた士郎は首に掛けている鍵の宝貝に魔力を流し空間に波紋を造り出すと、

波紋から取り出した様に見せて椀と匙を投影した。

 

この光景に四不象は驚いて目を見開く。

 

「宝貝っすか?」

「む?あぁ、これは私の師からいただいた物でね。私の倉と空間を繋げてくれるのだ。」

「へ~、便利な宝貝っすね。」

 

士郎が使った宝貝は、二郎がギルガメッシュやエルキドゥと冒険をしていた時に

手に入れた宝貝である。

 

ギルガメッシュが使う鍵の宝貝の下位互換にあたる物だが、家一軒分の

収納能力を持つ貴重な宝貝である。

 

この鍵の宝貝を士郎が持っている理由は、二郎が士郎の魔術の特異性を考えたからだ。

 

宝貝級の物を魔力が続く限り幾らでも投影出来る。

 

これは神の権能にすら匹敵する特異性だ。

 

もしこの特異性を道士や仙人が知れば、例え武神の弟子と知っても士郎を狙う可能性が高い。

 

なので士郎が投影する際に、予め用意しておいた物を鍵の宝貝を使って

取り出した様に見せる事にしたのだ。

 

ちなみに鍵の宝貝を首に掛ける為の紐に使っているのは、

哮天犬の毛を結わえて作った物である。

 

神獣の毛で作った紐だけでも転生した直後の士郎ならば胃を痛める案件なのだが、

今では受け入れられている事を考えれば、彼も成長したという事なのだろう。

 

士郎が料理した汁を口にした四不象が舌鼓を打つ。

 

「美味しいっス!」

「そうか、口に合った様でなによりだ。」

 

本当に嬉しそうに微笑む士郎を、姜子牙は汁を啜りながら横目で盗み見る。

 

(士郎の反応を見るに、どうやら悪い者ではなさそうだのう。だが、何が目的で儂達に接触したのかがわからん。偶然と見るには出来すぎておるからのう。)

 

汁を飲み込んだ姜子牙は大きく息を吐いた。

 

(封神計画の監視役の可能性が高いのだが…疑いで視野を狭めるのはよくないからのう。

 決め付ける事はせずに、しばらくは様子見といこうかのう。)

 

汁を飲み干した姜子牙がお代わりを所望すると、競う様に四不象もお代わりをする。

 

士郎の料理は燃費の良い道士の食欲を刺激する程に見事な物なのだった。

 

 

 

 

「二郎真君、よく来たのじゃ!妾は歓迎するのじゃ!」

 

姜子牙一行が食事に舌鼓を打っていた頃、二郎は竜吉公主の屋敷にやって来ていた。

 

「お邪魔するよ、竜吉公主。」

「邪魔ではないぞ、二郎真君。お主ならば、いつまでも妾の屋敷にいてよいのじゃ!」

 

そう言って竜吉公主は弟子達の目がある中で二郎に抱きつく。

 

少し前に妲己に自慢された事がキッカケで、自重する事を止めたのだ。

 

「竜吉公主、封神計画が始まったよ。」

「ほう?確か実行者は元始天尊様の弟子の姜子牙という者だったと思うが…、

 どういった奴なのじゃ?」

「申公豹曰く、聡明で胆力もあるそうだよ。」

「あやつめにそう評価されるか…。一度あってみたいのじゃ。」

 

そう言った竜吉公主は二郎から一度離れると、今度は二郎の腕に抱きつく。

 

「今夜は泊まっていくのじゃろ?泊まると言わぬと離さぬからな。」

「はいはい、泊まっていくよ。」

「むー!子供扱いするでない!」

 

二郎に空いている手で頭をポンポンとされた竜吉公主が不満気に頬を膨らませる。

 

だが次の瞬間には笑顔になり、二郎を屋敷の奥へと案内するのだった。




次の投稿は13:00の予定です。


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第66話

本日投稿4話目です。


「ふぅ、士郎、馳走になったのう。」

「士郎さん、美味しかったっス!」

 

姜子牙と四不象の言葉に士郎は笑みを浮かべる。

 

「口に合った様でなによりだ。」

 

そう言った士郎は鍵の宝貝を使って波紋を造り出すと、その中に匙や椀を

収納する振りをして投影を解除した。

 

「腹も膨れた所で一つ聞きたいのだが、士郎よ、お主は何が目的で中華に来たのだ?」

 

姜子牙の質問につられて四不象が士郎に目を向ける。

 

「ふむ、姜子牙は放浪の神ゼンを知っているかね?」

「放浪の神ゼン?」

「あ、僕知ってるっス!中華の外で二郎真君様はそう呼ばれているっス!」

 

四不象の言葉に姜子牙は興味深そうに目を向ける。

 

「二郎真君様が?」

「そうっス!二郎真君様は千年以上前から世界中を巡って治水をしたり、冒険をしたりしていたそうっス!その時に二郎真君様は字のゼンを名乗っていたみたいっス。それで中華の外では放浪の神ゼンと呼ばれる様になったそうっすよ。」

「ほう、四不象は博識だな。」

 

士郎に誉められた四不象は嬉しそうに笑みを浮かべる。

 

「僕は哮天犬の様に立派な神獣になるために日々勉強していたっス!」

 

ふふんと鼻息荒く胸を張る四不象を見る士郎に、姜子牙は話の続きを促す。

 

「それで、士郎は二郎真君様に何用があるのかのう?」

「私は師のお墨付きを得る程の非才の身でな。生涯を賭しても魔術師の悲願を達成出来ぬと、師に宣告されてしまったのだ。」

「魔術師の悲願?」

「魔術師の悲願…それは、『根源』への到達だ。」

 

士郎の言葉に姜子牙と四不象が同時に首を捻る。

 

「「根源?」」

「そうだな、なんと説明すればいいのか…。世界の全てを知る事が出来る場所…、

 とでも言えばわかるだろうか?」

 

姜子牙と四不象は顔を見合わせて同時に首を傾げる。

 

「宇宙の真理とは違うんすかね?」

「どうかのう?」

 

主従は共に疑問を持ったまま士郎に目を向ける。

 

「それで、その根源とやらに到達するのに、何故に二郎真君様が関係するのかのう?」

「私も又聞きでしか知らぬのだが…放浪の神ゼンはかつて、ウルクの王であるギルガメッシュに不老不死の薬を与えたと聞いた。私は、私の一生涯で成せぬのなら、成せるまで生き続ければいいと考えたのだ。」

 

そう話す士郎の姿を姜子牙は余すことなく観察していく。

 

(士郎が魔術師である事は本当であろうが、果たして才が無いというのも本当かのう?

 四十年は道士として生きた儂よりも強そうなのだが…。まぁ、儂は怠けていたしのう。)

 

姜子牙がそう考えながら頭を掻くと、四不象が話し出す。

 

「それはおそらく『練丹術』で造った霊薬の事っすね。」

「ほう?本当にその薬はあるのかね?」

「仙人の二郎真君様なら不老不死の霊薬くらい簡単に造れるはずっすよ。」

 

ニコニコと笑顔で士郎と話す四不象の姿を見ながら姜子牙は思考を巡らせる。

 

(スープーは正直者過ぎるのう。まぁ、おかげで士郎の話も聞けるのだが…。)

 

和気藹々と士郎と四不象は話を続けていく。

 

「ところで姜子牙は道士だそうだが、仙人とはどう違うのかね?」

「簡単に言えば仙人の見習いが道士っス。」

「ほう?では、姜子牙も不老不死の薬を造れるのかね?」

「ご主人、どうなんすか?」

 

四不象に話を振られた事で姜子牙は思考を中断した。

 

「スープーよ、儂に造れると思うか?」

「居眠りして修行を怠けているご主人には無理っすね。」

「うむ、儂は如何に怠けるのかを考えて全力を尽くしていたからのう。」

「胸を張って言う事じゃないっス!」

 

そんな主従の会話に士郎は苦笑いをする。

 

「それで、放浪の神ゼンにはどうすれば会えるかわかるかね?」

「儂の様なまだまだ駆け出しの道士では会うどころか顔を見ることすら出来ぬだろうのう。」

 

姜子牙の言葉に士郎はため息を吐いて肩を落とした。

 

そんな士郎を見た四不象が助け舟を出すように話し出す。

 

「でもご主人、僕達の目的の途中で二郎真君様に会う可能性はあるんじゃないっすか?」

「君達の目的?」

「僕達は封神計画というのを成す為に旅をしているんすよ。」

 

顔を上げた士郎に四不象は笑顔で話を続ける。

 

「封神計画は悪い事をする道士や仙人を退治するのが目的っス!そして、それは二郎真君様がいつもされている事なんすよ!だから、僕達と一緒に来れば会えるかもしれないっス!」

 

この四不象の言葉に姜子牙は驚いた。

 

姜子牙は士郎へと目を向ける。

 

「それは本当かね、四不象?」

「当ての無い旅をするよりはいいと思うっス。それに、旅の仲間は多い方が楽しいっス!」

「そうか…。という事なのだが姜子牙、私も旅に同行しても構わないかね?」

 

姜子牙は一瞬の間を置いてしまうが、直ぐに返答をする。

 

「まぁ、よかろう。ついでに士郎に手伝ってもらえば儂も楽が出来るからのう。」

 

そう答えながらも姜子牙は思考を巡らせる。

 

(もし、士郎がこの話の流れを意図的に造り出したのだとしたら、相当な知恵者だのう…。まぁ、士郎が悪い者で無い事はわかっておる。ならば、これでよかろう。)

 

そう考えた姜子牙は旅の仲間が増えて無邪気に喜んでいる四不象を見ると、笑みを浮かべながら肩を竦めたのだった。

 

 

 

 

(やれやれ、どうにか同行する事には成功したな。)

 

士郎は無邪気に喜ぶ四不象を見る姜子牙に意識を向ける。

 

(おそらくだが…いや、姜子牙は確実に違和感を感じ取っている。流石は前世の世界において『大公に望まれた者』と言われる人物…といったところか。)

 

士郎は無邪気に喜ぶ四不象を見ると、自身もつられて笑顔になる。

 

(さて、非才のこの身でどこまでやれるか…。不謹慎ではあるが、楽しみだ。)

 

春風が草を舞い上げると、舞い上がった草が四不象の鼻先を撫で上げる。

 

そしてくしゃみをした四不象を見た士郎と姜子牙は、顔を見合わせてから揃って大きな笑い声を上げたのだった。




次の投稿は15:00の予定です。


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第67話

本日投稿5話目です。


「おはようなのじゃ、二郎真君。」

「うん、おはよう、竜吉公主。」

 

士郎を姜子牙の元に送り出した翌朝、二郎は竜吉公主の屋敷で目覚めた。

 

寝台の上で一糸纏わぬ身体で二郎に寄り添う竜吉公主は、心の底から嬉しそうに微笑んでいる。

 

「うむ、よい朝なのじゃ!…コホッ、コホッ!」

 

身体を起こして咳き込む竜吉公主の背中を二郎が優しく擦る。

 

「二郎真君、妾は後どのぐらい生きられるのじゃ?」

「俺の見立てでは五十年ってところかな。」

「そうか、封神計画を見届けられるといいのだがのう。」

 

咳きが落ち着いた竜吉公主は、二郎の胸に頭を預ける。

 

「うむ、やはりこうしているのが身体の調子が一番いいのじゃ。」

 

そう言う竜吉公主の頭を二郎は優しく撫でる。

 

「むう、また子供扱いをしおって。昨夜はちゃんと女の扱いをしたというに。」

「仕方ないよ、竜吉公主は可愛いからね。」

「二郎真君は女たらしなのじゃ…。」

 

そう言いつつも満更でもないと頬を朱に染める竜吉公主は、

二郎に口付けをしてから寝台を抜け出すのだった。

 

 

 

 

「二郎真君、また来るのじゃぞ。妲己に自慢せねばならんのじゃからな。」

「そうかい?なら、なるべく来るようにするよ。」

「む~!なるべくじゃダメなのじゃ!一杯来るのじゃ!」

「はいはい。」

 

二郎が頭をポンポンと叩くと、竜吉公主はプクッと頬を膨らませた。

 

「それじゃ、行ってくるよ、竜吉公主。」

「うむ、行ってらっしゃいなのじゃ、二郎真君!」

 

二郎の言葉に笑顔で返事をした竜吉公主は、哮天犬に乗って去っていく二郎が

見えなくなるまで手を振り続けたのだった。

 

 

 

 

姜子牙主従と士郎が同行を決めたその日、一行は姜子牙と四不象が申公豹に受けた

雷のダメージを癒す為にその場を動かずに野宿をした。

 

そして翌日、一行が封神計画遂行の為に動き出すと、不意に士郎が声を上げた。

 

「姜子牙、あちらに見える軍勢がどこのものかわかるかね?」

「む、どこにいるのだ?」

 

四不象に乗りゆっくりと飛ぶ姜子牙の隣を歩く士郎が指摘した方向を、

姜子牙は目を細めて見る。

 

「見えぬのう…スープー、上空からゆっくりと近付いてみるのだ。」

「了解っス!」

 

四不象は姜子牙の指示通りにゆっくりと飛んでいく。

 

「ほう、確かに軍勢がおるのう。しかし、これほど遠くが見えるとは…

 士郎はどんな目を持っているのかのう?」

「士郎さんはスゴイっすね。」

 

額に手を翳して軍勢を眺める姜子牙は、軍勢が掲げる旗指物を見つける。

 

「どうやら、あの軍勢は殷のものらしいのう。」

「またどこかの集落や部族を攻めるんすかね?」

「どうかのう…?」

 

この頃、殷の軍は紂王の命により頻繁に人狩りを行っていた。

 

理由は奴隷を集める為と、紂王が酒池肉林の贅沢をする財を集める為である。

 

「早く殷を操る妲己を倒さないといけないっすね。」

「…そうだのう。」

 

十年前に妲己が殷の紂王に見初められて後宮に入ってから、紂王はそれまで以上に

贅沢三昧の日々を送るようになった。

 

故に、中華の人々は妲己が紂王を唆したと噂している。

 

しばらく軍勢を観察していると、姜子牙は兵とは違う装いをしている者を見付けた。

 

「…スープー、戻るぞ。倒すべきは中華の民であるあやつらでは無い。

 邪仙として中華を乱す妲己達だからのう。」

「了解っス!頑張るっすよ、ご主人!」

 

姜子牙達が戻ると、士郎は姜子牙に話し掛ける。

 

「どうだったかね?」

「殷の軍勢だったのう。」

「そうか…それで、この後はどうするのかね?」

 

士郎の言葉に姜子牙はどこか試されているという感覚を受けた。

 

(殷の人狩りを率いる者の中に道士服を着ていた者がおった。あれは妲己の配下で間違いなかろう。だが、今仕掛ければ封神計画と無関係の兵まで巻き込んでしまうのう…。)

 

姜子牙は腕を組み思考を巡らせる。

 

(兵を巻き込まぬ為には一計を案じなければならぬが…さて、どうするかのう?)

 

しばらく姜子牙が考え込んでいると、不意に姜子牙の腹の虫が鳴る。

 

姜子牙は頭をガシガシと掻くと士郎に目を向けた。

 

「とりあえず今日の寝床を探すとするか。二日連続で野宿は避けたいからのう。」

「あぁ、了解した。」

 

士郎が何かを言ってくると予測していた姜子牙は、提案をあっさりと

受け入れた事に内心で驚く。

 

(士郎の歳は二十にも満たぬと思っておったが、それにしては落ち着いておる。

 魔術師にも容姿と年齢を違える術があるのやもしれぬのう…。)

 

そう考えながらも姜子牙は、打神鞭で行き先を指し示す。

 

「川沿いを進めば集落の一つや二つは見つかろう。そこで一夜の宿を借りるとしよう。」

「了解っス。士郎さん、行くっすよ。」

 

姜子牙主従が進みだすと、士郎は殷の軍勢の方向へと振り向く。

 

魔術で強化した視力で軍勢の進行方向を確認した士郎は、先を行く姜子牙達の後に続くのだった。




これで本日の投稿は終わりです。

また来週お会いしましょう。


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第68話

本日投稿1話目です。


「お主達には世話になったのう。故に礼をさせてもらうとしようか。」

 

あの後、私達が川沿いに進んでいくと一つの小さな集落がある場所に辿り着いた。

 

道教が広く浸透している中華において道士は尊敬の対象だ。

 

それ故に姜子牙を道士と知った集落の人達は私達を歓迎した。

 

殷の軍勢が近くにいる事を考えればこんな事をしている場合では無いのだが、姜子牙はそれを集落の人々に報せずに歓迎を受けている。

 

そんな姜子牙は集落の近くにある川に向かうと、懐から桃を一つ取り出した。

 

解析の魔術を使うと、あの桃は仙桃のようだ。

 

「ご主人、その仙桃はどうしたんすか?」

「元始天尊様の蔵からくすねておいたのよ。」

「何をやってるんすかぁ!?」

 

師からくすねたという姜子牙の行動に私は眉間を揉む。

 

(女媧様の事といい、どうにも中華ではついやうっかりで物事が起きるのが多いのではないだろうか?)

 

私の脳裏に前世の師である女傑の姿が浮かび上がる。

 

(彼女のうっかりも中華でならば普通の事になるのだろうか?)

 

ニッコリと笑いながらガンドを撃ち放ってくる姿を幻視したので、思考を振り払うように首を振る。

 

(うん、忘れよう。私は今を生きているのだからな。)

 

これは決して逃避では無い。

 

私がその様に自身を納得させていると、姜子牙は仙桃を用いて川の水を酒へと変えていた。

 

そして酒へと変えた川に集落の人達を老若男女問わずに招き入れると、自身も酒の川に飛び込んで文字通り浴びる様にして酒を飲んでいった。

 

「ご主人、何をしてるんすか!?すぐ近くに殷の…ガボォァ?!」

「ほれほれ、スープーも酒を飲めい!」

 

酒で頬を赤らめた姜子牙が四不象を酒の川へと引き摺り込む。

 

そして酒に酔った四不象を確認した姜子牙は、チラリと私に目配せをしてきた。

 

(集落の人達を酒に酔わせるのはわざとか?殷の軍勢が近くにいるのに何故?)

 

私が思考を巡らせていると、姜子牙はニヤリと不敵に笑った。

 

私は酒の川へと入り、集落の人達に気付かれぬ様に姜子牙に耳打ちをする。

 

「これは君の策かね?」

「さて、何のことかのう?」

「…そうか。では、今は私も中華の酒を楽しむとしよう。」

 

そう言って私は川の酒を口にする。

 

(私の舌も贅沢になったのだろうか?老師の造る神酒でなければ満足出来ないとはな…。)

 

浴びる様に酒を飲んでいく集落の人達は次々と酩酊して寝入っていく。

 

私と姜子牙も強かに酔った振りをして集落の人達と共に寝入ると、夜明けと共にやって来た殷の軍勢が、酒に酔って熟睡している集落の人達を無傷で捕らえていくのだった。

 

 

 

 

「士郎も姜子牙と一緒に捕まってしまったね。この後はどうするのかな?」

「く~ん。」

 

隠行の術で姿を隠して集落の上空にいる俺と哮天犬は、昨夜の宴から士郎達を観察し続けている。

 

「おや?そろそろ動く様だね。」

 

士郎と姜子牙は手を縛る縄を切ると、霊獣も助けて殷の軍勢から距離を取った。

 

姜子牙は士郎と共に霊獣に乗って空に飛び上がると、宝貝を使って風の刃を幾つも殷の軍勢に向けて放っていった。

 

「姜子牙はわざと風の刃を外しているね。自分を道士とわからせて妲己の配下を誘い出すつもりかな?」

「ワンッ!」

 

姜子牙が風の刃を放ち続けていると、慌てる殷の軍勢を抑えようと一人の道士が前に進み出てきた。

 

霊獣に乗って空を飛んでいる姜子牙に対して妲己の配下の道士は下りてこいと言う。

 

姜子牙は後ろに乗っている士郎に何かを話すと、士郎は霊獣から飛び下りた。

 

「士郎の力を推し測るつもりかな?あの道士では士郎の力を引き出せないと思うけどね。」

「ワンッ!」

 

士郎が愛用の双剣を造り出すと、妲己の配下の道士も両手に変わった形の剣の様な宝貝を持った。

 

奇しくも双剣同士の戦いだ。

 

だが、戦況は互角とはならなかった。

 

「やっぱり士郎の圧勝か。」

「ワンッ!」

 

士郎に討たれた妲己の配下である道士の魂が勢いよく上空に飛び上がっていく。

 

「へぇ、封神はこんな感じで行われるんだね。」

 

勢いよく上空に飛び上がった道士の魂は、崑崙山のある方角へと消えていった。

 

その後、道士を討たれた殷の軍勢は集落の人々を放置して逃げていった。

 

「終わってみれば封神された道士以外の犠牲は無し。結果としては最高だけど、相手の力量を察する前にこういった策を取る姜子牙をどう評するべきかな?」

 

集落の人々を束縛から解放した姜子牙達は集落を後にした。

 

「進んでいるのは殷の都の方角だね。さて、この先はどうなるかな?ギルガメッシュとエルキドゥの時はこんな心配をせずに見守れたんだけどなぁ…。」

 

俺はそう呟くと哮天犬と共に隠行の術で姿を隠して姜子牙達の後をついて行くのだった。

 

 

 

 

封神演義の一節にはこう綴られている。

 

『姜子牙は世話になった民に犠牲を出さぬ様にわざと酒で酔い潰し、殷の軍勢に捕らえさせた。』

 

『そして殷の軍勢を挑発して妲己の配下を誘い出すと、士郎と一騎討ちをさせて討ち果たした。』

 

大公に望まれたと言われる姜子牙と、古代中華の代表的な英雄の一人と言われる士郎が初めて表舞台に立ったのがこの時である。

 

後に二人は無二の友となるのだが、この時の二人はまだお互いの腹を探り合いながら旅をしていくのだった。




本日は5話投稿します。

次の投稿は9:00の予定です。

今回から文章の途中での改行を自重してみました。

見にくいようでしたら来週から戻します。


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第69話

本日投稿2話目です。


集落を後にした私達は、翌日には殷の都に程近い町に辿り着いた。

 

ここで腹ごしらえをしようとなったのだが、姜子牙は金銭を持ち合わせていなかった。

 

私は老師に鍵の宝貝の先に繋がっている蔵の財を譲られているので問題無いのだがな。

 

しかし…。

 

(廓にある蔵一つをそのまま私に譲ってくるとはな…。)

 

老師は千年以上前から世界中を旅して財を集めていた。

 

そのため老師は金銀や酒に宝石、宝貝等の財を所狭しと納めた蔵を多く持っている。

 

しかも蔵は灌江口にある廓だけでなく中華の天界にもあるので、その財の総量は個人で考えれば天帝様をも凌いで中華で最も多く財を持っているのだ。

 

だが老師曰く…。

 

『ギルガメッシュとエルキドゥが集めた財に比べれば微々たるものだよ。』との事だ。

 

かの英雄王夫妻は生前にどれだけの財を集めたのだろうか?

 

前世の師が宝石魔術を扱っていた影響でカツカツの生活を送っていた記録がある私には、想像もつかない程の量なのだろうな。

 

考えすぎると頭が痛くなりそうなので、私は頭を振って思考を打ち切る。

 

(前世の私の暮らしを考えれば、老師に貰った蔵の財は百年かかっても使いきれん。ならば、ここは姜子牙に奢って貸しを作っておくのも悪くないだろう。)

 

そう考えて私が口を開こうとしたら、不意に姜子牙が薪売りに声をかけた。

 

「これ、そこな薪売りよ。」

「はい、薪がご入り用ですか?」

「いや、その薪を一つ儂に貸さぬか?お主の先を占ってやろう。そして占いが当たったら幾ばくかの金銭を儂に払うがよい。」

 

姜子牙にそう言われた薪売りは訝しげに首を傾げながらも薪を姜子牙に差し出す。

 

薪を受け取った姜子牙は打神鞭で薪をポンポンと叩き始める。

 

「薪よ~先を示したまえ~。」

 

胡散臭い言葉を言いながら姜子牙が薪を打神鞭で叩き続けると、不意に薪に火がついた。

 

「むむっ?」

 

薪についた火を姜子牙がジッと見詰める。

 

「薪売りよ、あちらの通りに向かうがよい。そこにお主の薪を求める者がおると出た。」

 

私が感じた様に薪売りも胡散臭そうな表情をしていたが、薪売りは姜子牙が示した通りに向かう。

 

そして五分程の時間、薪売りが口上を述べて薪を売ろうとしていると…。

 

「おぉ、ちょうどよい。薪を売ってくれ。」

「はい、ありがとうございます。」

 

薪売りが薪を積んでいる背負子を下ろすと、薪を求めた客が騒ぎだした。

 

「おぉ?!それは蟷螂の卵じゃないか!」

 

薪売りが驚いて目を見開く。

 

「少し前に倅夫婦に子が出来たところなのだ。子沢山の蟷螂の卵は縁起が良い!是非ともその薪を売ってくれ!いや、君の薪を全部売ってくれ!」

 

薪を求めた客はただ薪を全部買うだけでなく、代金に色をつけて支払った。

 

トントン拍子に小金持ちになった薪売りは呆然としている。

 

そんな薪売りの肩を姜子牙が軽く叩いて振り向かせる。

 

「どうやら占いは当たったようだのう。」

 

そう言って姜子牙は手を差し出すと、薪売りから少しばかりの金銭を受け取った。

 

そして、それを見ていた町の人々は…。

 

「俺も占ってくれ!」

「私も占って!」

 

あっという間に姜子牙を取り囲む人だかりが出来上がると、ニヤリと悪い笑みを浮かべた姜子牙が、次々と人々を占って金を稼いでいった。

 

その様子を見ていた私と四不象は顔を見合わせると、同時に深いため息を吐いたのだった。




次の投稿は11:00の予定です。


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第70話

本日投稿3話目です。


私達が殷の都に程近い町に着いてから五日が経った。

 

その間、姜子牙は占いをして金を稼いでいる。

 

「ご主人、いつまでお金を稼ぐんすか?」

「ん?もうそろそろだと思うんだがのう。」

 

四不象に姜子牙が返事をすると、私達の前に楽器を背負った一人の美女が現れた。

 

「噂の凄腕占い師は貴方かしら?」

 

美女の言葉に姜子牙は笑顔を見せる。

 

「客かのう?」

「えぇ、流しの楽士なのだけど、占っていただけるかしら?」

「うむ、よかろう。」

 

姜子牙は立ち上がると、両手に鰯を持った。

 

そして…。

 

「イワシ―――!!」

 

奇声を上げて踊り始めた。

 

「…ふざけているのかしら?」

「すいませんっス。これがご主人の鰯占いなんすよ。」

 

四不象が美女にそう答えると、美女は眉間を揉み始めた。

 

気持ちはよくわかる。

 

私もなぜ鰯なのだとツッコミを入れたいのだからな。

 

それに料理を嗜む者の端くれとして食材を粗末にするなと説教をしてやりたい。

 

「むむ?これは難儀だのう。」

 

姜子牙の言葉に眉間を揉んでいた美女が顔を上げる。

 

「あら?占いはどうでたのかしら?」

「お主はこれから儂達を攻撃するとでておる。そうであろう?妲己の配下の道士よ。」

 

姜子牙の言葉に美女は驚いた表情をみせた。

 

「…なぜわかったのか聞かせて貰えるかしら?」

「お主の仲間が討たれたという情報が都に届けば、その下手人を確認に来るのは当然だからのう。それに、如何に町中とはいえ人狩りが行われている今の中華で女が一人で出歩くのは、余程腕に自信がなければ出来るものではない。そして女でそれほどに腕に自信がある者となれば道士と考えても不思議ではなかろう?」

 

美女が微笑みながら拍手をする。

 

「人狩りをされる筈だった民を無傷で救っただけはあるわね。」

「あっさりと認めたのう?鎌を掛けただけとわかっておったと思うが?」

「何も問題は無いわ。だって、貴方の様な無名の道士に負ける筈が無いもの。」

 

そう言うと美女は背負っていた楽器を手に取った。

 

「私の名は王貴人。少しの間だけでも覚えておきなさい。」

 

美女が楽器を奏で始めると、急に頭がクラクラとして身体の自由が利かなくなってきた。

 

「私の石琵琶の音は人に幻術をかける…いい悪夢(ゆめ)を見せてあげるわ。」

 

私達は直ぐに耳を塞ぐが、王貴人の幻術は解けない。

 

「ふふふ、私の石琵琶は宝貝なの。耳を塞いだ程度では防げないわよ。」

 

王貴人が一際強く石琵琶を鳴らすと、四不象が目を回して地に伏せてしまった。

 

「スープー?!」

 

姜子牙は膝を地に付きながらも歯を食い縛って打神鞭を手に取ると、風を巻き上げて王貴人を吹き飛ばした。

 

「風を操るとは面白い宝貝ね。でも、そんな微風で私は倒せないわ。」

 

王貴人はそう言うが、石琵琶の音が止まった事で身体が動くようになった。

 

私は鍵の宝貝で空中に波紋を造り出すと、そこから取り出した様に見せて両手に干将と莫邪を投影する。

 

そして王貴人に仕掛けようとするのだが…。

 

「待て、士郎!そやつは儂が相手をする!」

 

なんと、姜子牙に制止されてしまった。

 

「…大丈夫かね?」

「まだ打神鞭を実戦で使ったとは言い難いからのう。妲己の前に慣らしをしておかんとな。」

 

そう言う姜子牙に王貴人は眉を寄せる。

 

「まさか貴方はお姉様を倒すつもりなの?笑わせないでほしいわ。」

「姿を見せずに遠くからその宝貝を使われていたらどうしようもなかったのう。だが、こうしてこちらの攻撃が届く場所にいるならやりようはあるからのう。」

 

そう言うと姜子牙は風の刃を自身の足下に放ち、土埃を巻き上げた。

 

「何をするつもりかはわからないけれど、その程度で私の幻術を防げるのかしら?」

 

王貴人が石琵琶を鳴らすが、先程に比べると幻術が弱い。

 

耳を塞いでも防げなかった幻術が土埃で弱った…これはどういう事だ?

 

「なるほど、姜子牙は巧い戦い方をするね。」

 

不意に横から声が聞こえて振り向くが、そこには誰の姿も見えない。

 

だが、声の主が誰なのかはわかる。

 

「老師、姜子牙は土埃を巻き上げたが、それでなぜ石琵琶の宝貝の力が弱まったのだろうか?」

「相性とでも言えばいいのかな?」

「相性?」

「あの石琵琶の宝貝は音で相手を幻術にかけているわけじゃなくて、音に乗せた幻術を相手に届かせて幻術にかけているんだよね。」

 

私は老師の言葉で合点がいった。

 

「つまり私達が耳を塞いでも幻術を掛けられたのは幻術が身体に届いていたからで、今は土埃で多少なりとも音の波を遮断したから、音に乗った幻術を阻害出来ているのか。」

「だいたいそんなところかな。」

 

私の背中を冷や汗が流れる。

 

あの宝貝の凶悪さを理解したからだ。

 

「もし姜子牙の言う通りに遠方から仕掛けられていたら、私達は一方的にやられていたのか…。」

「あの石琵琶は幻術を遠方に届かせるだけの宝貝だけど、使い方次第では一人で軍を無力化出来るだろうね。」

 

私は王貴人が慢心していて助かったと心の底から思う。

 

「しかしあの程度の幻術で動きが鈍るなんて、士郎と姜子牙はまだまだ修行不足だね。」

「…耳が痛いな。」

 

私の今生の身体は前世に比べて魔力耐性が上がっているのだが、道士や仙人の幻術の前では前世と大して変わらない事を実感した。

 

もっと修行を重ねて成長をしていけば幻術にも耐えられるぐらいに魔力耐性が上がるだろうが、相手が私の未熟を察して手加減してくれるわけもない。

 

私はどこかで英雄になれる機会に浮かれていたのかもしれないな…。

 

気を引き締めなければ。

 

「それじゃ士郎、頑張ってね。」

 

どうやら老師はどこかに行ったようだ。

 

姿が見えず気配を全く感じさせない老師の隠行の術の見事さに、私はため息を吐いてしまう。

 

「前世や守護者の時の経験で英雄がどういった者なのか理解していたつもりだったが、どうやら私の認識はまだまだ甘かったようだな。王貴人とて、前世の世界では数千年先の未来まで名を残した英雄なのだ。その彼女の術が、高々十年修行した程度の私に耐えられる筈もない。老師が心配して私の近くに来たのも当然という事か。」

 

自身の非才と未熟を改めて痛感した私は自嘲の笑いが出てしまう。

 

「顔を上げろ、前を向け、そして余すことなく己の糧にしろ。出来ねばまた道半ばで果てるだけだぞ、衛宮 士郎!」

 

気持ちを新たにした私は姜子牙と王貴人の戦いの全てを糧にしようと目を見開く。

 

その後、隙を上手く突いた姜子牙が王貴人に勝利したのだが、姜子牙は王貴人を倒して封神せずに彼女を捕らえて戦いを終えたのだった。




次の投稿は13:00の予定です。


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第71話

本日投稿4話目です。


「ねぇ、少し縄を緩めてくださらない?食い込んで痛いの。」

 

私達は王貴人を捕らえた後、殷の都に向かっているのだが、その道中で王貴人がその様に四不象に話し掛けた。

 

「緩めてあげたいけどダメっス。後少しだから我慢してくださいっス。」

 

手足を拘束されて自身の背中に乗っている王貴人に、四不象はすまなそうな様子で答える。

 

「それで、殷の都に到着したらどうするのかね?」

「士郎よ、予測は出来ているのではないか?」

「私の予測通りならば、あまりオススメはしない策なのだがな。」

「儂とスープーの目的である封神計画を成すのならば、この策が一番早いからのう。」

 

王貴人を四不象の背中に乗せている関係で地を歩いている姜子牙がそう答える。

 

「労せずして相手の懐に飛び込めるのだ。そんな機会を逃すのは勿体無いからのう。」

 

姜子牙はそう言うと、王貴人と戦った町で購入した果物を懐から取り出してかじる。

 

「まぁ、逃げ出す算段さえ整えておけば問題なかろう。」

「…逃げ出す隙があればいいのだがな。」

 

前世では数千年先まで名が残る伝説の美女が妲己だ。

 

その妲己が道士ではなく老師と同じ仙人…不安が拭えない。

 

だが私の不安を他所に、私達一行は順調に殷の都へと辿り着いたのだった。

 

 

 

 

「さて、殷の都に到着したが、本当に彼女を差し出すのかね?」

「そうすれば妲己が出てくる可能性が高い。なにせ、王貴人が姉と呼ぶ関係なのだからのう。」

 

先の町を発ってから、どうも士郎は不安そうな雰囲気を持っておるのう。

 

確かに妲己は仙人だが、儂達が警戒される存在になってからでは面倒になる。

 

ならば、多少の危険は承知で挑んだ方が民の犠牲が少なくなるからのう。

 

道士や仙人が封神されるのは自業自得だが、それに民が巻き込まれるのは避けたい。

 

故に卑怯と謗られようと王貴人を利用するのだ。

 

しかし、士郎は中華の者では無い。

 

巻き込むのは避けたいのう。

 

「士郎よ、気が向かぬのなら儂に付き合う必要はないぞ。」

「君達と一緒にいるのが現時点で一番、放浪の神ゼンに会える可能性が高いのだろう?ならば私に行かぬという選択肢は無いさ。」

 

やれやれ、士郎もお人好しだのう。

 

二郎真君様に会うという理由だけで命を懸ける必要は無い。

 

巻き込みたくはなかったが、正直に言えば士郎の戦力があるのは助かるのう。

 

それに、士郎の人柄も好ましい。

 

まぁ、少々斜に構えて皮肉な言葉を吐くのが玉に瑕だがのう。

 

「さて、お手並み拝見といったところか。」

 

士郎の言葉で意識を前に向けると、王宮の門が見えていた。

 

「こちらには王貴人という一手があるのだから気楽にいけばよい。それに、失敗したらさっさと逃げればよいからのう。」

 

そう言って儂が笑うと、士郎とスープーがため息を吐いたのだった。

 

 

 

 

「初めまして、私が妲己よん♡」

 

これは驚いたのう…。

 

儂は女好きと噂の紂王に王貴人を差し出す形で王宮内に入ろうとしておったのだが、まさか妲己自ら出迎えにくるとは思わなかったのう。

 

「その娘は私が直々に後宮に入る為の教育をしてあげるわん。だから貴方達は下がっていいわよん♡」

「「「はっ!」」」

 

妲己の一言で妲己の警護をしていた兵達が下がっていきおった。

 

「今日は王貴人ちゃんを連れてきてくれたお礼に私自ら宴を開いてあげるわん。楽しんでいってねん♡」

 

妲己はそう言うと、王貴人の縄を解いて王宮の奥へと向かった。

 

「…よかったのかね?あのまま行かせて。」

「完全に機先を制されてしまったからのう。兵もまだ近くにおったし、ここは仕切り直して宴で隙を見付けるのがよかろう。」

 

士郎にそう言ったものの、どうもしっくりこないのう。

 

儂の中でどこか考えが噛み合わない気がしておる。

 

「ご主人、妲己ちゃん可愛かったっすねぇ。」

 

そう言ってスープーがだらしなく鼻の下を伸ばしておる。

 

そんなスープーの姿に儂は悩んでいるのが馬鹿らしくなってしまった。

 

「スープーよ、妲己自ら宴を開くと言っておったのだから、また会えるであろうよ。」

「ご主人、僕楽しみっス!」

 

この時の儂達は誰一人として気付いておらんかった。

 

儂達が既に妲己の術中に嵌まっておった事を…。




次の投稿は15:00の予定です。


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第72話

本日投稿5話目です。


あの後、王宮内の一室に通されて休憩した私達は、日が暮れた頃に中庭へと案内をされた。

 

宴が始まる前に紂王が中庭に姿を見せたが、既に酒に酔っておりフラフラとした足取りだった。

 

『愚王』

 

これが現在の中華での紂王の評価だ。

 

紂王は妲己の一言に二つ返事で頷くと宴から去っていった。

 

…あの様子では妲己を討っても殷の悪政は改善されないだろう。

 

その事を実感していると、妲己の一言で宴が始まった。

 

妲己と王貴人、そしてもう一人の少女の容姿をした胡喜媚という道士が酒を口にした所で姜子牙の目配せを受けた私は、姜子牙と共に妲己達に仕掛けるべく立ち上がった。

 

だが、私達の仕掛けは失敗した。

 

何故なら私達が立ち上がった瞬間、私達は四肢の自由を奪われてしまったからだ…。

 

 

 

 

「あらん?宴は始まったばかりだというのにもう酔ったのかしらん?」

 

儂と士郎は立ち上がった姿勢のまま動けなくなってしまった。

 

そんな儂達を見ながら妲己は妖艶に微笑んでおる。

 

「そこの霊獣ちゃんはこっちにいらっしゃい。」

「はいっス。」

 

妲己に手招きされたスープーがフラフラと飛んでいきおった。

 

その様子に衝撃を受けた儂は、頭の中にあった靄が晴れていった。

 

「幻術…いつの間にかけられておったのだ…?」

「最初からよん。」

「最初から?」

「そう、私が貴方達に会ったあの時にねん。」

 

妲己の言葉で儂は理解した。

 

儂達は妲己に思考すら誘導されていた事を…。

 

儂は隣で立ち上がった姿勢のまま固まっている士郎に目を向ける。

 

…どうやら士郎も四肢の自由を奪われただけで、意識はあるようだのう。

 

「士郎、すまぬのう。」

「謝る暇があるのなら打開策を考えてくれないかね?」

「手厳しいのう…。まぁ、無いわけではないが、一手足りぬ。」

 

隣にいる士郎に小声で話し掛けると、士郎が儂に目を向けてくる。

 

都合がいい事に妲己達はスープーと戯れておる。

 

「その一手とは?」

「妲己達をスープーから離す。それが出来れば、この場から逃げられる。」

 

儂は左手に持った打神鞭に目を向けて答える。

 

調息をして体内の気を整えたら、左手一本なら動かせる様になったのは不幸中の幸いだのう。

 

「そうか、ならばその一手は私が補おう。」

 

儂はその一言で士郎に目を向ける。

 

「無事に逃げ切ったら酒を奢らせてもらおうかのう。」

「ならば、私は酒に合う一品を作るさ。」

 

儂達は視線を合わせて微笑むと、同時に妲己達に目を向ける。

 

状況は妲己がスープーの背から下り、胡喜媚がスープーの背に乗るところだった。

 

「トレース・オン。」

 

耳慣れぬ言葉と共に士郎の周囲に三本の剣が現れたのが視界の端に映った。

 

鍵の宝貝による波紋が無いことへの疑問を抑え込み機を待つ。

 

士郎の周囲に現れた三本の剣が、矢の様な勢いで妲己達へと飛んでいく。

 

剣に気付いた妲己は身に纏っている羽衣で剣を払い、王貴人は地を転がる様にして剣を避け、胡喜媚は飛び退いてスープーから離れた。

 

その瞬間、儂は全ての力を打神鞭に注ぎ込んで風を操る。

 

そして風で儂と士郎をスープーの元に吹き飛ばすと、殷の都の外へと向かう様に風で儂達を空高く吹き飛ばしたのだった。

 

 

 

 

「逃げられちゃった☆」

「お姉様、追いますか?」

 

胡喜媚と王貴人に問われた妲己は姜子牙達が吹き飛んでいった方向を一瞥すると、胡喜媚達の方へと振り返る。

 

「放っておいて構わないわよん、胡喜媚ちゃん、王貴人ちゃん。」

「ですが…。」

「今まで私達に挑んできた道士達と違って、姜子牙ちゃん達は私の所まで辿り着いたのだもの。ご褒美に見逃してあげてもいいんじゃない?」

 

十年以上前から妲己達は殷を滅ぼすべく動いているのだが、それは道士の多くに知られている事である。

 

その為、姜子牙が封神計画を元始天尊に命じられる前に、年若い道士達が名を上げようと妲己達に挑んでいたのだが、その挑んだ全ての者が妲己の元に辿り着けずに討たれていた。

 

妲己の言葉に王貴人は頭を抱え、胡喜媚はニッコリと笑う。

 

二人の反応を見た妲己は不意に虚空を見詰める。

 

そして…。

 

「そうは思いませんか、楊ゼン様?」

 

妲己が虚空に言葉を投げ掛けると、虚空から二郎と哮天犬が姿を現す。

 

二郎と哮天犬を見て驚いた王貴人と胡喜媚を見た妲己は、クスクスと楽しそうに笑うのだった。




これで本日の投稿は終わりです。

また来週お会いしましょう。


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第73話

本日投稿1話目です。


俺が隠行の術を解いて姿を現すと、妲己以外の二人が目を見開いて驚いた。

 

妲己はそんな二人を見てクスクスと笑っている。

 

数秒後、ハッとした様な表情をした王貴人が妲己の前に立って戦闘態勢になった。

 

「お姉様、下がってください!」

 

王貴人の対応につられる様に、胡喜媚も妲己を庇う様に戦闘態勢になる。

 

「私と胡喜媚でなんとか時間を稼ぎます!その間に逃げてください!」

「妲己姉様は私達が守るもん!」

 

そんな二人の姿を見た哮天犬が、俺の前に出て二人を威嚇する。

 

哮天犬の威嚇を受けた二人は身体を震えさせた。

 

「二人共健気だね、妲己。」

「そうでしょう、楊ゼン様。自慢の養妹達なのよん♡」

 

決死の覚悟で俺と対峙した王貴人と胡喜媚が、様子を伺う様にゆっくりと妲己に振り返る。

 

「お姉様、二郎真君様とお知り合いなのですか?」

「そうよん、王貴人ちゃん♡」

「おぉ!妲己姉様スゴ~い☆」

 

そんな三人の姿を見た哮天犬は威嚇を止めて俺の後ろに戻る。

 

哮天犬が俺の後ろに戻ったのを見た王貴人はその場にへたりこみ、大きく安堵の息を吐く。

 

そして俺が自分達を討伐に来たのではないと知って安堵した王貴人と胡喜媚を見た妲己は、二人に詫びの一言を言った後に俺を宴に誘ったのだった。

 

 

 

 

「お姉様、もっと早く言ってください。心臓に悪過ぎます。」

「ふふふ、王貴人ちゃん、ごめんなさい♡」

 

顔の前で両手を合わせ片目を瞑る妲己の姿を見た王貴人はため息を吐くと、宴の料理をやけ食いし始めた。

 

「モフモフ~☆」

 

王貴人がやけ食いを始めると胡喜媚が哮天犬に抱きついて顔を埋める。

 

ちょうど酒を口に含んだ王貴人はそんな胡喜媚の姿を見て、盛大に噎せてしまった。

 

「ゴホッ、ゴホッ!胡、胡喜媚姉様!?何をしているのですか!?」

「モフモフを堪能中☆」

「じ、二郎真君様の神獣に何をしてるんですか?!不敬ですよ!」

「王貴人ちゃんは相変わらず真面目ねぇん。」

 

二郎にピッタリと寄り添って酌をしている妲己が養妹達を見て微笑む。

 

「お姉様も何をしているのですか!?そ、そんなに寄り添うなど…ふしだらです!」

「あらん?王貴人ちゃんは初なのねぇん。」

「王貴人ちゃんはウブ~☆」

 

二郎に寄り添う妲己を見て頬を紅く染める王貴人の反応を見て、妲己と胡喜媚はからかい始めた。

 

しばらく三姉妹が楽しんでいるのを眺めていた二郎は、一段落したのを見計らって口を開いた。

 

「妲己、君は姜子牙をどう見たかな?」

「一言で言えば未熟。けれど、将来性ありってところかしらん。」

 

王貴人と胡喜媚は二人の会話を黙して聞き入る。

 

武神である二郎真君と当たり前の様に会話をする妲己の姿に、改めて尊敬の念を抱いているのだ。

 

「それじゃ、士郎の方はどうだったかな?」

「それにお答する前に、あの子が何者か聞いてもいいかしらん?」

 

この妲己の言葉に王貴人と胡喜媚も反応した。

 

「お許しいただけるなら私も知りたく思います。あの者は、虚空にいきなり武器を出した様に見えました。宝貝を使った様子も感じられなかったのにです。」

「そうそう、胡喜媚、ビックリしちゃった☆」

 

まだ二郎に物怖じしている王貴人だが、今後の為に勇気を振り絞った。

 

胡喜媚も内心では冷や汗を流しているが、生来の好奇心の強さが勝り、王貴人程は緊張していなかった。

 

「彼の名は衛宮 士郎。俺の弟子だよ。」

 

二郎の言葉に三人は驚きの表情を浮かべる。

 

「楊ゼン様、いつの間に弟子をお取りになったのかしらん?」

「十年ぐらい前かな?妲己が俺の廓に十日程泊まり込んだ後だね。」

「と、泊まり込んだ…?」

 

王貴人が顔を真っ赤にしながら呟くと、それを見た妲己は微笑みながら二郎の肩に身体を預けた。

 

そして、それを見た王貴人は…。

 

「ふ、ふしだらです―――!!!」

 

妲己が結界を張っていなければ間違いなく衛兵が駆け付ける程の大きな声で叫ぶと、王貴人は顔を真っ赤にしたまま宴の場を走り去ったのだった。




本日は5話投稿します。

次の投稿は9:00の予定です。


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第74話

本日投稿2話目です。


王貴人が宴の場から走り去った頃、殷の都に程近い草原で姜子牙が目を覚ました。

 

「…どうやら生きておるようだのう。」

 

ムクリと身体を起こした姜子牙は安堵のため息を吐く。

 

「気が付いたかね?」

 

姜子牙が声の方に振り向くと、草原に横たわる士郎の姿があった。

 

「お互いに無事な様だのう。」

「生憎、こちらはまだ身体を起こせる状態ではないがね。」

「草原を狙って吹き飛ばしたのだが、着地まで考える余裕は無かったからのう。身体をどこか強かに打ってしまったのか?」

「いや、妲己が使った幻術とやらの効果がまだ抜けなくてな。指一本自由が利かんのだよ。」

 

自らを皮肉る様に笑う士郎の姿を見て姜子牙が吹き出す。

 

「プッ!それは災難だのう。」

「笑ってないで解決策を示してくれないかね?また寝たまま野犬を撃退するのは勘弁願いたいのだが?」

 

士郎の言葉で姜子牙は周囲に目を向ける。

 

姜子牙が闇夜に目を凝らすと、そこには十匹を超える野犬の骸があった。

 

「士郎、儂はどれほど気を失っていた?」

(一時間)程だ。」

「そうか、それはすまんかったのう。」

「礼はこの状態をなんとかする事を頼もうか。」

 

姜子牙はまだ怠い身体に力を入れて立ち上がると士郎の側に腰を下ろす。

 

「それを何とかするには調息をせねばならん。」

「調息?」

「うむ。儂と同じ拍子で呼吸をしてみよ。」

 

そう言うと姜子牙は調息をしていく。

 

士郎はそれに習うように息をしていくと、次第に身体に力が戻っていくのを実感した。

 

「ふむ、確かに自由が利く様になってきたな。」

「しばらくはその拍子で呼吸をしているがよい。儂はスープーの様子を見てくるからのう。」

 

そう言うと姜子牙はフラフラと立ち上がって四不象の元に歩いていったのだった。

 

 

 

 

調息をして右腕が動く様になってきた士郎はため息を吐きそうになるのを堪える。

 

(調息か…咄嗟の状況ではどうしても前世や守護者の時の癖が出てしまう…。老師に十年も鍛えられて、基本の調息を忘れるなど笑い話にもならん。)

 

調息をして体内の『気』が整っていくと、右腕だけでなく全身の自由が利く様になった。

 

(もし私一人だったならば、文字通りに手も足も出ずに敗北していたな…。流石は前世で傾国の美女の異名を持つ伝説の人物といったところか。)

 

士郎は身体を起こすと、四不象に水を飲ませている姜子牙に目を向ける。

 

(今の私達では何度挑もうと何も出来ずに返り討ちだろう。さて、姜子牙はこの後どうするつもりかな?)

 

そう考えた士郎は立ち上がって姜子牙達の所に歩いていったのだった。

 

 

 

 

「う~…まだ頭がフラフラするっス。」

「かなり深く幻術にかけられてしまったからのう。明日一杯はその状態が続くであろうよ。」

「仕方ないっすね。生きているだけ儲けものっス。」

 

四不象が竹の水筒に口をつけると、士郎が二人の側に腰を下ろした。

 

「姜子牙、この後はどうするのかね?」

 

士郎のこの問いに四不象は顔を姜子牙に向ける。

 

「今の儂達では妲己に勝てぬ。故に、先ずは修行と仲間集めだのう。」

「修行と仲間集めっすか?」

 

四不象が首を傾げると、士郎が腕を組んで話し出す。

 

「姜子牙、修行はわかるが仲間集めを行う理由は何かね?」

「士郎よ、紂王を覚えておるか?」

「あぁ、覚えている。」

「お酒に酔ってフラフラだったっすね。」

 

士郎と四不象の言葉に姜子牙は頷く。

 

「紂王を見た時、儂は妲己達を討っても殷の悪政は終わらぬと思った。」

「…確かに、紂王は噂に違わぬ愚かな王だと私も思った。」

「うむ。それ故に妲己達がいなくなっても、妲己達の代わりとなる道士や仙人が現れるだろうのう。」

 

姜子牙が一息ついて竹の水筒に口をつけると、四不象が疑問の声を上げた。

 

「ご主人、二郎真君様は何で動かないんすかね?」

「動かないのではなく、動けないのであろうよ。」

「動けないっすか?」

「うむ。今回の一件で実感したのだが、殷の腐敗があそこまで進んでおれば、妲己達は思うままに殷の中枢に入り込めるだろうのう。もし二郎真君様が動いたとわかれば直ぐにでも行方を眩まし、ほとぼりが冷めた頃にまた戻ればよい。如何に二郎真君様でも相手がおらねばどうしようもないからのう。」

 

そう言うと姜子牙はため息を吐いた。

 

「姜子牙、君達の目的が何なのか詳しく聞いても構わないかね?」

「士郎よ、すまんが儂にもよくわからんのだ。」

 

そう答える姜子牙に士郎は首を傾げる。

 

「儂達は封神計画というものを成そうとしておるのだが、どうもこの計画は胡散臭くてのう。」

「どのように胡散臭いのかね?」

「中華を乱す道士や仙人を討伐し、中華を乱した罰として転生出来ぬ様にその魂を封じる。これが封神計画なのだが、それを中華で無名の儂とスープーに任せられたのだ。それがどうも納得いかなくてのう。」

 

そう言いながら姜子牙は頭をガシガシと掻く。

 

「封神計画は儂の師である元始天尊様に任じられたのだが、おそらく元始天尊様は初めから殷や妲己達、そして二郎真君様の事を知っておったのだろうな。それ故に中華で無名の儂とスープーに任せたのだろうが、儂は封神計画にはまだ隠されている事があると思っておる。」

「隠されている事っすか?」

「それが何かは正直わからぬ。元始天尊様に問い質したところで、妲己達にあっさりとやられた儂達には話さぬであろうよ。」

 

姜子牙は竹の水筒に口を付けると、ボソリと呟く。

 

「おそらくは隠されている事を知られても辞退されぬ様に、殷に私怨を持つ儂を選んだのだろうのう…。」

 

魔術で強化した聴覚で姜子牙の呟きを聞いた士郎は、驚きを表情に出さぬ様に必死になったのだった。




次の投稿は11:00の予定です。


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第75話

本日投稿3話目です。


姜子牙の呟きの後、士郎達は殷の都から離れる為に動き出した。

 

士郎も姜子牙も万全の状態ではないため、もし追手に襲われたら危険だからだ。

 

「それで、どこまで行くのかね?」

「とりあえず、露を凌げる場所ならよいだろう。殷の都に近い町では待ち伏せの危険もあるからのう。」

 

そう言って地を歩く姜子牙の隣を四不象がフラフラと飛んでいる。

 

「スープーよ、大丈夫か?」

「ご主人こそ大丈夫っすか?僕に乗っても大丈夫っすよ?」

「今回の一件で修行不足が身に染みたからのう。少しでも鍛える為に歩かねばな。」

「了解っス!」

 

そんな主従のやり取りを士郎は微笑ましそうに見ている。

 

すると、不意に姜子牙が士郎の方に振り向いて口を開いた。

 

「士郎よ、一つ聞いてもいいかのう?もちろん、話したくなければ構わぬ。」

「何を聞きたいのかね?」

「妲己達に隙を作ったアレの事だ。」

 

姜子牙の言葉に四不象が首を傾げる。

 

「僕、あの時の事は全然覚えてないっすけど、何かあったっすか?」

「士郎よ、話しても構わぬか?」

「あぁ、構わんよ。」

 

士郎の返事を聞いた姜子牙が四不象にあの時の事話していく。

 

「へぇ~、士郎さんが剣を手も使わずに妲己達に放って隙を作ったんすね。」

「うむ、それが無ければ儂らはあの場を脱する事は出来なかったであろうのう。」

「士郎さん、ありがとうっス!」

 

素直に感謝を述べて頭を下げてくる四不象の姿に、士郎は表情が綻ばないように気を引き締めた。

 

「それで、聞きたい事とはあの剣の事かね?」

「うむ、儂の予測ではあれが士郎の魔術とやらだと思っておるのだが、違うかのう?」

「いや、正解だ。」

 

士郎は僅かな手掛かりからあっさりと正解に辿り着く姜子牙の才能に驚く。

 

「君の思考は一体どうなっているのかね?あの一瞬で私の魔術に当たりをつけるとはな。」

「偶然よ。あの時は生き延びる為に集中していたからのう。」

「そういう事にしておこうか。」

 

軽くため息を吐いた士郎は歩みを止めぬまま、慣れた様子で右手に飾り気の無い無骨な剣を投影する。

 

「あれ?波紋が無いって事は鍵の宝貝を使ってないんすか?」

「あぁ、これは私の魔術で造り出した物だ。」

「へぇ~。」

 

四不象はゆっくりと飛び続けながら感心の声を上げるが、士郎の魔術を見た姜子牙は驚きのあまりに歩みを止めてしまった。

 

「あれ、ご主人?」

「あ、あぁ、すまぬのう。」

 

足早に追い付いた姜子牙が興味深そうに士郎の剣に目を向ける。

 

「ご主人、随分と驚いているっすね?」

「スープーよ、士郎は己が身一つで無から有を造り出したのだぞ?つまり士郎は自身の力で宝貝と同等の事を成し遂げているのだ。」

「士郎さん、スゴいっス!」

「スープーは気楽だのう…。」

 

四不象の反応に姜子牙は頭を抱えるが、気を取り直すと士郎に目を向ける。

 

「士郎よ、それを儂とスープーに見せて構わぬのか?」

「君達は信頼出来ると踏んだのだが…違ったかね?」

「…では、その信頼に応えるとしようかのう。」

 

姜子牙は立ち止まると士郎に包拳礼をする。

 

そして…。

 

「儂は姓を姜、名を尚、字を子牙という。士郎の信頼に応える為に、儂の名を預けよう。」

 

姜子牙の名乗りに四不象が驚きの表情を浮かべる。

 

だが、四不象は直ぐに笑顔を浮かべて姜子牙と士郎に祝福の言葉を送ったのだった。

 

 

 

 

封神演義の一節にはこう綴られている。

 

『妲己に敗れた姜子牙は、その逃亡の途中に士郎に名を預けて真の友となった。』

 

当時の慣習では名を預ける事は命を預ける事と同義とされていた。

 

それ故に名を預ける事は最大の信頼を示す行為でもあるのだ。

 

後に姜子牙は大公に望まれた者と呼ばれるのだが、その多くの伝説の中でも最高の決断と評価されるのが、この士郎に名を預けた事なのだった。




次の投稿は13:00の予定です。


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第76話

本日投稿4話目です。


姜子牙一行が雨露を凌げる洞穴に辿り着いた頃、殷の都では二郎と妲己達が食事を終えていた。

 

「それじゃ胡喜媚ちゃん、王貴人ちゃんへの伝言をよろしくねん♡」

「はいは~い☆」

 

宴の場を走り去った王貴人なのだが、彼女は王宮に戻る際には姜子牙に敗れて人質となってしまっていた。

 

そこで妲己は彼女に一年間、紂王へ幻術を掛ける役割を罰として与えたのだ。

 

尤もこれは罰に加えて王貴人の幻術を鍛えるという目的もあるのだが…。

 

「それと胡喜媚ちゃんは王貴人ちゃんを助けてあげてねん♡」

「胡喜媚にお任せ☆」

 

胡喜媚は変化の術を得意とする道士である。

 

彼女は二郎と違い変化の術に触媒を必要とするのだが、女媧に与えられた宝貝が触媒の役割を果たすため、現在では触媒の用意を必要とせずに自在に変化の術を行える様になっているのだ。

 

「ところで、妲己姉様はどうするの?」

「もちろん、わ・た・し・は♡」

 

そう言いながら妲己は二郎にしなだれかかった。

 

「おぉ~、妲己姉様おっとなぁ~☆」

 

胡喜媚はキラキラとした瞳で妲己に尊敬の念を送る。

 

「それじゃ、よろしくねん♡」

「は~い☆」

 

片手を上げて元気よく返事をした胡喜媚は妲己と二郎の前から走り去っていった。

 

「それで、王貴人と胡喜媚を遠ざけたのはどういう理由なのかな?」

「ふふ、やっぱり楊ゼン様はわかっちゃうのですね。これも愛故でしょうか?」

 

先程までの間延びした言葉を止めた妲己が嬉しそうに二郎に抱きつく。

 

二郎が少しの間妲己の好きにさせていると、やがて妲己が話し始めた。

 

「楊ゼン様、貴方にお願いしたい事があります。」

「お願いかい?」

「はい、一人は武成王と呼ばれる黄飛虎…。この者は姜子牙達にかけたぐらいの幻術ならば意思のみではねのける程の胆力を持った男です。もう一人は西伯侯の姫昌…。今は幽閉されていますが西岐の地での民の信頼は厚く、為政者としても的確な判断を出来る優秀な男です。この二人を西岐の地に連れていっていただきたいのです。」

 

二郎が手にした杯に妲己が自然に酒を注ぐ。

 

「何故その二人なのかな?」

「殷の力を削ぎ、殷を滅ぼす力を属国に与える為ですわ。」

 

二郎は杯を干すと、酒を注いで妲己に渡す。

 

妲己は嬉しそうに微笑むと、杯を干してから続きを話始めた。

 

「殷の太師(軍師)に聞仲という道士がいるのですが、聞仲は三百年前に殷に忠誠を誓い殷に仕え続けてきました。私達の目的を果たすのに一番邪魔な存在です。なので私は聞仲を殷の中央から遠ざけようと動いてきました。」

「でも、妲己が十年掛けても上手くいかなかったみたいだね。」

「はい。紂王は間違いなく愚王ですが、三百年変わらずに一族を支えてきた聞仲への信頼は絶大で、幻術でいくら惑わそうとも紂王の聞仲に対する信頼が揺らぐ事はありませんでした。」

 

軽くため息を吐いた妲己は二郎の肩に頭を預ける。

 

「そこで私は聞仲を排除するのではなく、殷の力そのものを削ぐために動く事にしました。」

「その一手が黄飛虎と姫昌なんだね。その二人の事は大丈夫なのかな?」

「黄飛虎の方は紂王が彼の妻に横恋慕しているのでそれを利用します。姫昌の方は幽閉生活で体力が落ちており、彼の長男も幽閉されていますが特に問題ありません。おそらく聞仲は二人が殷の都から離れると知れば引き止めるか殺そうとするでしょう。なので楊ゼン様には二人が無事に殷の都から離れ、西岐の地に辿り着ける様に手助けしていただきたいのです。」

 

そう言うと妲己は妖艶に微笑む。

 

道士や仙人の多くは二郎と違って修行で身に付けた力を発揮する機会に中々恵まれない。

 

その為、妲己は全ての力を振るえる今を心の底から楽しんでいた。

 

「準備にはどれぐらいかかるのかな?」

「王貴人ちゃんの罰が終わる頃には…。」

「わかった。それじゃ、一年経ったらまた来るよ。帰る前に二人の顔を見ていくけどね。」

 

そう言って帰る為に立ち上がった二郎の袖を妲己がそっと掴む。

 

それを見た二郎は軽くため息を吐いてもう一度座る。

 

「うふふ、竜吉公主ちゃんばかりにいい思いはさせないわよん♡」

「やれやれ、文句を言われるのは俺なんだけどなぁ。」

 

妲己は苦笑いをする二郎の首に手を回すと、見惚れる様な笑みを浮かべて二郎と唇を重ねたのだった。




次の投稿は15:00の予定です。


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第77話

本日投稿5話目です。


殷の王宮の敷地内に一つの小さな家がある。

 

とある人物を王宮に幽閉する為に作られた家だ。

 

その家の住人が木格子を付けられた木戸を開け、部屋に朝日を取り入れる。

 

「今日は良い天気になりそうだ。妻達や子供達も西岐で同じ空を見上げているだろうか?」

 

朝日に眩しそうに目を細めながら豊かな顎髭を撫でるこの人物は姫昌という男である。

 

姫昌は西伯侯と呼ばれ、彼が治める西岐の地において民からの信頼が厚く、非常に優秀な為政者である。

 

更にこの男は為政者としてだけでなく、男としても非常に優秀である。

 

なんと妻が二十六人おり、子供は養子も含めて百人もいるのだ。

 

そんな男が何故に殷の王宮で幽閉されているのかというと、それは彼が優秀で民に人気があり過ぎたからである。

 

人狩りに始まり、贅沢三昧の日々を送る紂王は愚王と噂され民の心が離れていってしまっている。

 

そんな紂王に諫言をするべく姫昌は西岐から殷の都にやって来たのだが、そこで姫昌は聞仲により幽閉されてしまった。

 

殷に忠誠を誓って三百年、聞仲は殷の為にならぬと判断した者達を幾人も排除してきた。

 

だが、そんな聞仲でも軽々に排除出来ない者達がいる。

 

その者達とは妲己と姫昌である。

 

妲己は紂王のお気に入りである事に加え、妲己自身の実力も聞仲に勝るとも劣らぬので中々排除する事が出来ない。

 

対して姫昌は、現状では排除する方が殷の為にならないからである。

 

もし今、姫昌を排除すると西岐が蜂起する可能性が高い。

 

現在の殷は悪政で民を苦しめているので大義名分も成り立ってしまい、西岐に続いて他の属国までもが蜂起するだろうと聞仲は考えている。

 

だが、それは現在の状況においてである。

 

この状況を変え、姫昌を排除出来る様にする為に聞仲は色々と動こうとしているのだが、その度に妲己があれこれと動くため、聞仲は自由に動くことが出来ない。

 

殷を滅ぼす為に中華を乱す妲己と、殷を守る為に中華を乱す聞仲。

 

この二人が争っているからこそ、姫昌は今も生きているのである。

 

そして中華の政に精通している姫昌はこういった事情を漠然とだが察していた。

 

(私は…なんと無力なのだろうか…。)

 

己が生きていようが死のうが中華は乱れる。

 

この事が数年間の幽閉生活による体力低下と共に、姫昌に大きな無力感を与えていた。

 

そんな姫昌は嘆く様に大きくため息を吐くと、水を飲もうかと思い立って踵を返す。

 

すると、姫昌は驚いて目を見開いた。

 

木格子に囲われて余人が入れぬ筈の住処に、一人の男が音も気配も無く入り込んでいたからだ。

 

「初めまして、俺は楊ゼン。君が姫昌でいいのかな?」

 

姫昌は男の名乗りで更に驚く。

 

そして、言葉を返す事が出来ずに男の全身を確かめてしまった。

 

(腰まで伸びた青い髪に額の赤い紋様、そして楊ゼンの名…間違いない、このお方は二郎真君様!)

 

姫昌は先程までの鬱屈とした気分が吹き飛ぶのを自覚した。

 

「これはご無礼を…私は姫昌です。して、このような場所に幽閉されている男に何用ですかな?」

 

高揚する心を抑え、努めて平静を装った姫昌は二郎に包拳礼をする。

 

「何用かぁ…。君と会って一杯飲んでみたかった…これじゃダメかな?」

「それは嬉しいお誘いですな。なにせ幽閉されてから酒は一口も口にしていなかったもので。」

 

姫昌は二郎を何とか歓待しようと周囲に目を向けるが、幽閉されている身の上では何も出来ない。

 

「そう気を回さなくてもいいよ、姫昌。」

 

そう言うと二郎は床に腰を下ろし、腰に括っていた竹の水筒を手に取った。

 

「さぁ、飲もうか。まだ朝だけど、たまにはこんな日があってもいい。」

 

二郎が手に持った竹の水筒を掲げて姫昌を誘うと、姫昌は心からの笑みを浮かべた。

 

(なんという自然な振る舞い…。己が心のままに生きる姿がこれ程に晴れやかな気持ちにさせてくれるとは思わなんだ。)

 

二郎の誘いのままに床に腰を下ろした姫昌は、久方ぶりの酒に舌鼓を打つのだった。

 

 

 

 

封神演義の一節にはこう綴られている。

 

『姫昌が幽閉されてから久しいある日に、彼の元に二郎真君が訪ねて来た。』

 

『二郎真君が姫昌に酒を振る舞うと、姫昌は涙を流して喜びを表した。』

 

西伯侯と呼ばれる姫昌は為政者としてだけでなく、その人徳の高さでも現在に名を残している。

 

その人徳の高さは武神である二郎真君に酒を振る舞われる程であった事がわかるエピソードである。




これで本日の投稿は終わりです。

また来週お会いしましょう。


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第78話

本日投稿1話目です。


妲己から逃げ延びて二日後、体調が戻った四不象の背に乗って、姜子牙と士郎は中華の空を飛んでいた。

 

「尚、どこに向かっているのかね?」

「崑崙山だのう。」

「崑崙山?」

「うむ、道士や仙人の多くが修行をしておる霊地の一つだ。」

「ご主人の師匠である元始天尊様が管理する霊地っス!それと、僕達がやっている封神計画で討伐した道士や仙人の魂が封じられる場所でもあるっス!」

 

姜子牙と四不象の説明を士郎は腕を組みながら聞いている。

 

「私が行っても大丈夫なのかね?」

「何か言われた時には士郎は儂の弟子と言えばよい。なので口裏を合わせてくれるかのう?」

「やれやれ、私の師に知られたら何を言われることやら…。」

 

肩を竦めて首を横に振る士郎の姿を見て姜子牙が笑い声を上げる。

 

ゆっくりと進んでいた一行が崑崙山に辿り着くと、姜子牙達を元始天尊が出迎えたのだった。

 

 

 

 

「姜子牙よ、よく戻った。」

 

師自らの出迎えに内心で驚く姜子牙だが、それを表情に出さずに包拳礼をする。

 

「老師、姜子牙、ただいま戻りました。」

「随分と殊勝な挨拶をするようなったのう。妲己に負けたのがいい薬になったようだ。」

 

そう言って笑う元始天尊に姜子牙は眉を寄せる。

 

(腹黒め…。儂が負けるのを予測しておったな?)

 

ため息を堪えた姜子牙は崑崙山に来た本題を話し出す。

 

「老師、一つお願いがあります。」

「姜子牙よ、願いを聞く前にそちらの御仁を紹介してくれるかのう?」

 

元始天尊の言葉に姜子牙は内心で舌打ちをする。

 

「この者の名は士郎。儂の弟子で…。」

「怠け者のお前が弟子なぞ取るわけなかろうが、本当の事を話せい。」

 

ため息を吐きながらそう言う元始天尊に姜子牙は舌打ちをしてから事情を話す。

 

「なるほどのう…四不象よ、士郎殿を天帝様の宮へと連れていってくれぬか?」

「了解っス!」

「元始天尊様!士郎は信頼出来る男!儂の名も預けてます!」

 

元始天尊は姜子牙の訴えを手を上げて制する。

 

「姜子牙よ、封神計画に他の地の者を加えるには天帝様の許しを貰う必要があろう。」

「ですが!」

「なに、儂も一筆書いておく故、天帝様も士郎殿を悪い様にはせんだろうよ。」

 

そう言うと元始天尊は懐から竹簡と筆を取り出して何かを書いていく。

 

そしてそれを士郎に渡すと、四不象に乗せて送り出した。

 

「さて、これで話しが出来るのう。それで、崑崙山に戻った理由は何じゃ?」

「妲己の一件を『遠見の術』か何かで見ておったのなら見当はついておるだろうに…。」

 

姜子牙は先程までの態度を崩して気楽な感じで元始天尊に理由を話した。

 

「ふむ、仲間集めと修行をのう…。姜子牙にしては真面目な事じゃな。」

「仲間集めに関しては宛がなかったからのう。こうして元始天尊様を頼ってきたわけだのう。」

「姜子牙といい申公豹といい、もう少し師を敬わんか!」

 

そう言いながらも元始天尊は見事な顎髭を撫でながら笑う。

 

「姜子牙よ、李靖という男を訪ねるがよい。」

「李靖?」

「うむ。そやつの三男に哪吒という男がいるのだが、そやつは生まれながらの道士でのう。その者にお前の力を認めさせる事が出来れば、仲間になるやもしれぬ。」

 

姜子牙は元始天尊の言葉に首を捻る。

 

「生まれながらの道士?」

「李靖の妻の李氏の腹の中で哪吒は一度死んだ。その死した哪吒の身体に太乙真人が蓮の精の魂が込められた霊珠を用いて反魂の術を行ったのだ。その結果、哪吒の魂は蓮の精の力を宿し、生まれながらの道士として生を受けたのだ。」

 

元始天尊の説明に姜子牙は眉を寄せる。

 

「李氏はその事を知っているのかのう?」

「太乙真人が夢で哪吒を反魂させるか問うた故知っておる。常人ならざるを知っておりながら李氏は哪吒に愛を注いでおるわ。」

「母は強し…といったところかのう。」

 

姜子牙の言葉に元始天尊がため息を吐くと姜子牙が首を傾げる。

 

「元始天尊様?」

「李氏は母として立派なのだが、李靖の方がのう…。」

「李靖の方が?」

「うむ。李靖はかつて道士として修行をしておった男なのだが、その修行の厳しさに負けて逃げ出した男なのだ。」

 

姜子牙は李靖が逃げ出した事に一定の理解を示す。

 

道士の修行は食事制限等に加えて多くの修行をしていく。

 

それも人の感覚では非常に長い数十年、数百年と続くのだ。

 

しかも、それだけの期間修行をしても仙人になれるとは限らない。

 

故に李靖の様に逃げ出す者や、修行の半ばで心が壊れてしまう者もいるのだ。

 

「まぁ、逃げ出した道士は李靖だけではないからのう。」

「わかっておる。だがな、道士を知る故に李靖の哪吒に対する扱いが酷いのだ。」

「酷い?」

「うむ。およそ、父とは呼べぬ扱いを哪吒にしておるのだ。」

 

元始天尊は李靖が哪吒にした扱いを姜子牙に話していく。

 

話しを聞いた姜子牙は呆れてため息を吐いた。

 

「生まれたばかりの哪吒を妻に内緒で捨て去るだけで飽きたらず、七歳の幼子にまで成長した自身の子を腹を空かせた龍王の子の前に打ち捨てるとはのう…。」

「二度とも李氏が気付いて哪吒の元に行ったのだが、二度目の龍王の子の時に問題が起きてな…。」

「問題?」

「蓮の精の力を宿した哪吒は生まれながらに宝貝を幾つか所持しておるのだが、腹を空かせた龍王の子から母を守るために、宝貝を用いて龍王の子を殺してしまったのだ。」

 

何となく事情を察した姜子牙はため息を吐く。

 

「それで、龍王が出てきた際に李靖はどうしたので?」

「哪吒が悪いと龍王に言いきり逃げおったわ。」

「怠け者の儂でも呆れる男だのう…。それで、哪吒はどうなったのですか?」

「二郎真君が龍王に話をつけて事は収まった。」

 

元始天尊の言葉に姜子牙は驚いて目を見開く。

 

「二郎真君様が?」

「うむ。元々、龍王の子は色々と暴れておったので二郎真君が退治する予定だったのだ。それで哪吒が母を庇うために龍王の前で自裁しようとした時に二郎真君が止め、怒り狂う龍王に話をつけたのだ。」

「流石は二郎真君様だのう。」

 

数多の蛟を退治してきた二郎は龍王にとって天敵といえる存在である。

 

それ故に龍王は二郎の姿を見た瞬間に子を殺された怒りを忘れ、二郎の話を全面的に受け入れてその場を退いたのだ。

 

数多の蛟と同じく二郎に討伐されぬ様に…。

 

「それで、哪吒はその後どうなったのかのう?」

「数年間、宝貝を扱う術を学ぶ為に太乙真人の元で修行をした後に戻っておる。今は毎日の様に李靖を元気に追い回しておるようだのう。」

「李靖の自業自得だのう。」

 

師弟は李靖の扱いに納得を示す様に何度も頷く。

 

「哪吒の心根は優しいが幼子の時に龍王の子を倒す程の力も持っておる。哪吒を仲間に出来れば封神計画の大きな助けとなるであろう。」

 

元始天尊の話を聞いた姜子牙は哪吒に大きな興味を抱き、仲間にしようと心に決めたのだった。




本日は5話投稿します。

次の投稿は9:00の予定です。


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第79話

本日投稿2話目です。


「それじゃ士郎さん、僕はここで待ってるっス!」

「あぁ、ありがとう四不象。」

 

四不象に天帝の宮まで連れて来てもらった士郎はその後、衛兵に案内されて宮の奥へと向かう。

 

そして天帝が待つ玉座の間に辿り着くと、そこには二郎も待っていた。

 

士郎が膝をついて包拳礼をすると、天帝は衛兵を下がらせてから口を開いた。

 

「士郎よ、面を上げよ。」

「はっ!」

 

天帝の言葉に従い士郎が顔を上げる。

 

「話の前に元始天尊からのそれを受け取っておこう。」

 

天帝の言葉で士郎が懐から竹簡を取り出すと、二郎がそれを受け取って天帝に渡す。

 

天帝は竹簡を流し読むと鼻を鳴らした。

 

「フッ、元始天尊め、そう動くか。」

「伯父上、何が書いてあったのですか?」

「どうやら元始天尊は姜子牙に哪吒を紹介するらしいな。」

 

天帝の言葉に士郎は驚く。

 

(哪吒…確か前世の世界では7歳の時に一度死んでから蓮の化身として転生している筈だが…この世界ではどうなのだ?)

 

士郎は黙して話の続きを待つ。

 

「哪吒?…あぁ、あの子ですか。」

「うむ、二郎が助けたあの生まれながらの道士よ。」

 

驚きのあまり士郎は目を見開いてしまう。

 

(老師が助けた?生まれながらの道士?…もう、私の前世の記憶や記録は宛てにしない方がいいな。)

 

士郎は右手で無意識に胃を押さえながらため息を吐いた。

 

「天帝様、老師、一つ聞いてもいいでしょうか?」

「よいぞ、士郎。」

「哪吒は生まれながらの道士との事ですが、どういう事でしょうか?」

「事は太乙真人が動いたのがキッカケだ。」

 

天帝は士郎に哪吒の事を語っていく。

 

「…では、哪吒は本来産まれる筈だった赤子とは違う者なのですか?」

「いや、哪吒は蓮の精の力を加えられて反魂された子だよ。だから生まれながらの道士ではあるけれど、間違いなく李靖と李氏の子供だね。」

 

士郎は二郎の言葉にほっと一息吐く。

 

「もっとも、常人とは違うからか、父親の李靖に嫌われておるようだがな。」

「天帝様、それはどういう事でしょうか?」

「それは二郎が助けた事にも関わる故、二郎から聞くがよい。」

 

士郎が目を向けると二郎は哪吒の事を話していく。

 

話しを聞いていく内に士郎は眉を寄せ、表情を歪め、最後に大きなため息を吐いた。

 

「士郎、大丈夫かい?」

「…えぇ、大丈夫です。」

 

士郎は無意識に眉間を揉む。

 

(前世での李靖はたしか、軍神と称えられた唐の時代の名将李靖が基になった人物の筈だ…。そして、如来に宝塔を与えられた人物として托塔李天王という尊格を得ていた英雄だったのだが…。)

 

頭を抱えた士郎はもう一度大きくため息を吐いた。

 

「さて、あまりあの霊獣を待たせても悪かろう。士郎よ、謹むがよい。」

 

天帝の言葉を受けた士郎は、包拳礼をしながら顔を伏せる。

 

「士郎よ、汝に姜子牙と共に封神計画を成す許しを与える。」

「はっ!」

 

改めて天帝より許しを得た士郎は玉座の間を後にして、四不象と共に姜子牙の元に向かったのだった。

 

 

 

 

「伯父上、俺も行きますね。」

「二郎よ、哪吒の所か?」

「はい、士郎にとってもいい経験になるでしょうから。」

 

そう言うと二郎は玉座の間を去っていった。

 

「やれやれ、我が甥ながらなんと楽しそうに生きておることか。」

 

頭を掻きながらそう言った天帝は顔を上げて虚空を見詰める。

 

「黄帝より始まった中華の人類史…果たして、此度の一件でどれ程の英雄が中華に現れるか…楽しみな事よ。」

 

そう呟いた天帝は微笑みながら執務をこなしていくのだった。




次の投稿は11:00の予定です。


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第80話

本日投稿3話目です。


とある中華の町中を一人の男が必死の形相で走っていく。

 

その男の名は李靖。

 

李靖は現在、自身の息子である哪吒から逃げている真っ最中である。

 

だが、その李靖の逃げる姿を見る民達は既に慣れた様子だった。

 

「李靖様!左後方から哪吒坊っちゃんが回り込んで来てますよ!」

「あと四半刻は逃げてくださいね!俺、それに賭けているんですから!」

 

まるで親子の暖かな戯れを見る様に民達は笑顔で応援していく。

 

だが…。

 

「ひっ!?」

 

逃げる李靖のコメカミの直ぐ側を輪の形をした武器が通過する。

 

これは哪吒が投げ放った『乾坤圏』という宝貝である。

 

この乾坤圏は普段は哪吒の両腕に腕輪として在るのだが、有事には武器へと変ずる宝貝なのだ。

 

李靖のコメカミの直ぐ側を通過した乾坤圏は、李靖の前方で円の軌道を描くと哪吒の元に戻っていく。

 

戻ってきた乾坤圏を手に取った哪吒は二つの乾坤圏を同時に李靖に向けて投げる。

 

すると…。

 

「うおおぉぉぉぉぉおおお!!」

 

李靖は横っ飛びで地を転がり乾坤圏を回避すると、直ぐに立ち上がってまた逃げ出す。

 

「誰か、助けてくれぇぇぇええええええ!!」

 

李靖の叫びは今日も空しく町中に響き渡るのだった。

 

 

 

 

半刻後、李靖を追い回すのを止めた哪吒が家に戻ると李氏が笑顔で出迎えた。

 

「お帰り、哪吒。」

「ただいま、母さん。」

「哪吒、貴方にお客様が来てるわ。」

 

そう言って歩き出す李氏の後に哪吒はついていく。

 

そして客間に哪吒が到着すると、そこには二郎が待っていた。

 

二郎の姿を見た哪吒は直ぐに片膝を床について包拳礼をする。

 

「お邪魔してるよ、哪吒。」

「お邪魔などではありません、二郎真君様。」

「その通りです二郎真君様。貴方様は私達母子の命の恩人です。いつでも歓迎いたしますわ。」

 

数年前に二郎に助けられた哪吒と李氏は、その時の事を忘れぬ様に毎日二郎に感謝の祈りを捧げている。

 

「先程李氏に聞いたけれど、今日も李靖を追い回していたのかい?」

「…はい。」

 

昨年、太乙真人の所から戻った哪吒は、その時から李靖を追い回す様になった。

 

だが、これは李靖が憎いからでは無い。

 

では、何故哪吒が李靖を追い回しているのかというと、これは李靖を鍛える為である。

 

哪吒は太乙真人に封神計画の事を聞いており、その時に封神計画に李靖が治める領地も巻き込まれる可能性があると聞いていた。

 

なので哪吒は不器用ながらも父が生き延びられる様に鍛える事にしたのだ。

 

李靖は道士として仙人に弟子入り出来る程度には才能がある。

 

だが、修行を逃げ出した李靖には今一度修行をやる気が無い。

 

そこで自身が父に嫌われている事を利用し、追い回す事で李靖に強制的に修行をさせているのだ。

 

「ところで二郎真君様、何用があって我が家にいらしたのですか?」

「哪吒にちょっと頼みがあってね。」

 

李氏の問いに二郎が答える。

 

すると、哪吒はまた包拳礼をした。

 

「二郎真君様、何でも言ってください。俺は、貴方に受けた恩に応えます。」

「哪吒、そこまで畏まる必要は無いよ。」

「いえ、俺と母さんは貴方に救われました。だから、この命を使って恩に応えます。」

 

哪吒の言葉に二郎は苦笑いをする。

 

(蓮の精の力の影響かな?哪吒はまだ十代なのに随分と大人びているね。)

 

二郎は李氏に差し出された白湯を口にしてから口を開く。

 

「それじゃ、一つだけお願いしようかな。」

「なんなりと。」

 

二郎は哪吒の返事に頷いてから話し出す。

 

「後日、姜子牙と士郎という二人の男が君の事を訪ねてくる。その時、哪吒に士郎と戦ってもらいたいんだ。」

「二郎真君様、その男達は何者なのでしょうか?」

「姜子牙は元始天尊様の、そして士郎は俺の弟子だよ。」

 

李氏の問いに二郎がそう答えると、哪吒は驚きの表情を見せる。

 

「二郎真君様の弟子と戦うのですか?」

「二人は封神計画を成す為の仲間を集めていてね。その仲間として哪吒を誘いに来るんだ。」

「まぁ!それは光栄な事です!」

 

李氏と二郎の会話を哪吒は目を伏せて黙して聞いていた。

 

「どうしたの、哪吒?」

 

李氏が問い掛けると哪吒は目を開き、顔上げて話し出す。

 

「二郎真君様、士郎という男との戦いは承ります。ですが、俺は封神計画に加わるつもりはありません。」

「哪吒、とても光栄な事なのよ?何故参加しないのかしら?」

「俺がここを離れたら誰が母さんを守る?」

「貴方の父がいるじゃない。」

 

哪吒は李氏の言葉に首を横に振る。

 

そして…。

 

「あの男には任せられない。」

 

哪吒がそう言い切ると、李氏は頬に手を当ててため息を吐いたのだった。




次の投稿は13:00の予定です。


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第81話

本日投稿4話目です。


「哪吒、中華の歴史に名を残す好機なのよ?」

「…興味無いよ、母さん。」

 

李氏の言葉に哪吒は顔を逸らして返事をする。

 

「二郎真君様、士郎殿との戦い承りました。俺はこれで失礼します。」

 

そう言って哪吒は二郎に包拳礼をすると、客間から去っていった。

 

「もう、哪吒ったら…。申し訳ありません、二郎真君様。」

「気にしないでいいよ、李氏。それと、士郎と戦う口実は任せるけど、俺の名を出さない様にって哪吒に伝えてもらえるかな?」

「はい、承りました。」

 

そう言う二郎に李氏は包拳礼をしながら頭を下げる。

 

「今回の一件は士郎にとってだけでなく、哪吒にもいい経験になると思うよ。」

「はい。哪吒の成長を楽しんで見守ります。」

 

二郎の言葉に李氏はニコリと微笑んだ。

 

「それじゃ、そろそろ失礼するよ。」

「いつでもいらしてくださいませ、二郎真君様。哪吒と一緒に歓迎させていただきます。」

 

李氏の言葉に笑みを返した二郎は、周囲の景色に溶けるように姿を消したのだった。

 

 

 

 

二郎が哪吒に頼み事をしてから数日後、本日も李靖は哪吒に追い回されていた。

 

だが、1つだけ違う事があった。

 

それは…。

 

「哪吒!今攻撃すればこの旅の方達を巻き込むぞ!それでもいいのか!?」

 

自身の領地まで旅をして来た姜子牙と士郎、そして四不象を李靖が盾にした事だ。

 

盾にされた姜子牙と士郎は李靖の情けない姿にため息を吐き、四不象は苦笑いをする。

 

哪吒は李靖を姜子牙達から引き剥がす為に、乾坤圏を背後に回り込ませる様に投げた。

 

「うひぃ!?」

 

首筋を掠める様に乾坤圏が飛んできた事で、李靖は一度姜子牙達から離れたものの、直ぐにまた姜子牙の背中に張り付いた。

 

「た、旅の方!どうかお助けを!」

「士郎、こやつを離してくれぬかのう?」

「そんな薄情な!?」

 

背中に張り付いている李靖を心底嫌そうに指差しながらそう言う姜子牙に、李靖は両手両足も使って張り付いた。

 

「えぇい!離れぬか!そもそも、何故お主はあの者に追われているのだ?お主が盗みでも働いた悪者ならば、儂に助ける義理などないのだがのう。」

「私が悪者?冗談を言っていてはいけませんよ!私はこの地の領主ですぞ!」

 

姜子牙の背に張り付いたまま領主と名乗った李靖に、姜子牙と士郎は驚いて目を見開く。

 

「その領主殿が何故に追われているのかね?」

「あの者の名は哪吒!あの者は私を逆恨みして追って来ているのです!」

 

士郎の問いに対する李靖の答えを聞いた姜子牙は、片眉を上げて背の李靖に目を向ける。

 

「旅の途中でお主の噂は耳にしておる。なんでも息子に追い回されているそうだのう?」

「あんな化物は息子ではありません!」

 

その一言を聞いた姜子牙はため息を吐きながら、身体に回されている李靖の手を打神鞭で軽く叩いた。

 

「いたっ!?」

 

手を打たれた痛みで離れた李靖を、姜子牙は呆れた表情で見詰める。

 

「儂は姓を姜、字を子牙という。少し所用があってこの地に来た道士よ。」

「ど、道士?」

 

姜子牙の言葉を聞いた李靖は、足先から頭に向かって姜子牙の姿を見上げていく。

 

「あ!?その服は道士服!」

「やれやれ、そんな事にも気付かぬ程に慌てておったのか。」

 

そう言ってため息を吐く姜子牙の姿に、李靖の目がキラリと光る。

 

「これぞまさに天の配剤!私を哀れに思った天帝様が遣わしてくれた救いの使者!さぁ、中華の民に宝貝を振るうあの者を退治してください!」

 

哪吒を指差す李靖を見た姜子牙は頭をガシガシと掻く。

 

そして…。

 

「断る!」

 

胸を張って言った姜子牙の一言で、李靖は顎が外れるかと思える程に口を開いた。

 

そして、そんな李靖の姿を見た姜子牙は愉悦の表情を浮かべた。

 

「哪吒よ、そう言うわけで遠慮はいらぬ。気の済むまでこの者を追い回すがよい。」

 

事の成り行きを黙して見ていた哪吒は、姜子牙の言葉に頷くと両手に乾坤圏を構える。

 

そんな哪吒の姿を見た李靖は慌てて走り出す。

 

そして…。

 

「誰か、助けてくれぇぇぇぇええええええ!」

 

今日も町中にいつも通りの李靖の叫び声が響き渡ったのだった。




次の投稿は15:00の予定です。


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第82話

本日投稿5話目です。


「姜子牙さん、士郎さん、よくいらしてくれました。」

 

李靖が再び哪吒から逃げ出した後、姜子牙達は領主の住まいに向かうと李氏に歓迎を受けた。

 

「すまぬが、哪吒が戻るまで待たせてもらうぞ。」

「えぇ、どうぞゆっくりとしていってください。」

 

李氏は使用人に白湯を持ってこさせると、姜子牙達を案内した客間から去っていった。

 

「良妻賢母といったところか。」

「うむ、李靖には勿体無い女傑よのう。」

「李氏さん、カッコ良かったっス!」

 

姜子牙達は白湯を口にすると、その温かさにホッと一息吐いた。

 

「ところでご主人、どうやって哪吒くんを仲間に誘うんすか?」

「そうだのう…おそらくは一戦せねばなるまいな。」

「哪吒くんと手合わせをするんすか?」

 

四不象の疑問を姜子牙は頷いて肯定する。

 

「うむ、哪吒は儂が道士と名乗った時、ジッと儂達を観察してきおった。太乙真人の元で修行をしたと元始天尊様に聞いておるし、腕試しをしたいと思っても不思議ではなかろう。」

「若者らしくて微笑ましいっすね。」

 

そう話すと主従は白湯を口にする。

 

「士郎、もしかしたら哪吒はお主に挑むかもしれぬ。」

「構わんよ。」

「すまぬのう。」

「なに、修行をし直す必要性を感じていたからちょうどいいさ。」

 

士郎はそう言うと白湯を飲む。

 

そして半刻(一時間)後、姜子牙は帰ってきた哪吒と話をするのだった。

 

 

 

 

「断る。俺は俺より弱い奴に従うつもりは無い。」

 

帰ってきた哪吒に自己紹介をした後に仲間に誘ってみた姜子牙だったが、あっさりと断られてしまった。

 

「ふむ、ではどうすればよいかのう?」

 

姜子牙が哪吒に伺いをたてると、哪吒は士郎を指差した。

 

「お前、俺と戦え。」

「哪吒よ、何故に士郎を指名するのだ?」

「理由は…無い。」

 

姜子牙は哪吒の言葉に疑問を持った。

 

(今の間は何かのう?儂には士郎を選んだ理由がある様に感じたのだが…?)

 

士郎を指差したまま返事を待つ哪吒の姿に、姜子牙は頭を掻く。

 

(哪吒の持つ腕輪の宝貝…あれは確か乾坤圏だったかのう?あれを投げてくるだけならば儂の持つ打神鞭との相性で問題無く勝てたのだがのう…。)

 

そう考えながら姜子牙はチラリと哪吒の足下に目を向ける。

 

(あの足下にある宝貝はおそらく『風火輪』だろうのう。空を自在に飛べる宝貝となると、中華でも二つと無い貴重な宝貝…。剣士の士郎とは相性が悪いのう…。)

 

そこまで考えると、姜子牙は小さくため息を吐く。

 

(何かしらの理由があれば口先で誤魔化して儂が相手をしたのだが…こうなっては士郎に哪吒の相手をしてもらうしかないのう。…ふむ、空を飛ぶ哪吒の対策としてスープーに士郎を手伝ってもらうのも有りかのう?)

 

取り合えず哪吒との勝負を受けてもらうべく、姜子牙は士郎に目で合図を送る。

 

「わかった、私でよければ相手になろう。」

 

士郎が勝負を受けると、哪吒は無言で立ち上がり外へと向かって歩き出したのだった。

 

 

 

 

(やれやれ、尚の懸念が当たってしまったな。)

 

哪吒に続いて立ち上がった士郎は、哪吒の背に続きながら小さくため息を吐く。

 

(しかし、哪吒の生い立ちが幾分か私に似ていると感じるのは、私の感傷なのだろうか?)

 

士郎と哪吒はお互い幼少期に絶体絶命の危機を救われた経験を持つ者同士である。

 

それ故に、士郎は哪吒に既視感の様なものを感じていた。

 

(まぁ、私の様な非才と違い、哪吒は溢れんばかりの才を持っているのだろうがな…。)

 

そう考えた士郎は自嘲する様に笑う。

 

しばらく哪吒に続いて歩いて行くと、町の外の荒野へと辿り着く。

 

士郎から距離を取った哪吒は、腕輪となっている乾坤圏の大きさを変えて両手に取り、風火輪を用いて浮き上がる。

 

それに対応する様に士郎は空中に波紋を浮かべ、その波紋から取り出した様に見せて干将と莫邪を両手に取った。

 

「さて、少しばかり大人気無い気もするが、本気で行かせてもらおうか。」

 

そう呟いた士郎は哪吒の乾坤圏の投擲に合わせて踏み込んだのだった。




これで本日の投稿は終わりです。

また来週お会いしましょう。


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第83話

本日投稿1話目です。


士郎と哪吒の戦いは哪吒の乾坤圏の投擲から始まった。

 

その投擲に合わせて士郎が踏み込むと、哪吒は僅かに驚いた表情をしながら空に飛び上がる。

 

それに合わせて士郎が空に跳び上がって斬りかかると、哪吒は身を捩って避ける。

 

士郎の攻撃を避けた哪吒は手元に戻って来た乾坤圏を無防備に落下していく士郎に目掛けて投擲する。

 

すると、士郎もそれに合わせて干将と莫耶を投擲した。

 

乾坤圏と干将・莫耶がぶつかると互いに弾かれるが、乾坤圏は哪吒の手元に戻っていき、干将と莫耶は地へと落ちていく。

 

士郎は素早く移動して干将と莫耶を手に取り、空にいる哪吒を見据えた。

 

(やはり空を飛ばれると剣だけでは決め手に欠ける。手の内を見せなければならんか…。)

 

解析の魔術を使って哪吒の所持する宝貝を見た士郎は、僅かに感じる頭痛に表情を変えぬ様に苦心する。

 

(流石は神代の宝貝、宝貝の格が高い…。この干将と莫耶でどこまで…!?)

 

解析の魔術を使ったまま自身の手にある干将と莫邪に目を向けた士郎は、驚いて目を見開く。

 

(干将と莫耶の格が上がっている…。何故だ?)

 

動きが止まった士郎に哪吒が乾坤圏を投擲する。

 

士郎は干将と莫耶を振るって乾坤圏を打ち払う。

 

(手応えが違う。本来なら格上の筈の乾坤圏を打ち払っても折れる気配が無い…。)

 

手応えの違いを確認する様に士郎はもう一度解析の魔術を使って干将と莫耶を見る。

 

(…そうか!この世界が原典になっているという事は、干将と莫耶はまだ存在しない宝貝…つまり、私の使っているこれが原典となっているのか!)

 

三度哪吒が投擲してきた乾坤圏に、士郎は干将と莫耶を投擲して対応する。

 

すると、干将と莫邪は壊れる事なく乾坤圏と弾き合った。

 

士郎は弾かれた干将と莫耶の元に駆けて手に取る。

 

(だが、それだけでこの格の高さは…まさか、投影で格が落ちてないのか?)

 

士郎の投影魔術で造り出される物は、本来の物から劣化されて投影されるのが常であった。

 

だが、今投影している干将と莫耶は常のそれとは違っていた。

 

(何故そうなった?考えられるのは原典の世界、神代、そして老師が手を加えたこの身体…。だめだ、答えが出ない。)

 

戦いの最中だというのに士郎は頭を抱えたい衝動にかられていた。

 

士郎が悩んでいると、三度の投擲を防がれた哪吒が乾坤圏を手に近接戦を挑んでくる。

 

悩みながらも士郎は干将と莫耶を使って哪吒と打ち合っていく。

 

一合、二合と哪吒と打ち合っていくと、士郎は一度距離を取って大きく息を吐いた。

 

「もういいのか?」

「あぁ、すまなかった。」

 

哪吒の問い掛けに士郎は自嘲の笑みを浮かべながら答えた。

 

(愚か者め。もし相手が老師だったならば、一合目で地に叩き伏せられているぞ!)

 

気持ちを切り替えるために調息をして集中をした士郎は、自ら哪吒の間合いに踏み込んでいったのだった。

 

 

 

 

「士郎は漸く戦いに集中したみたいだね。何か気になる事があったのかな?」

「ワンッ!」

 

隠形の術で姿を隠しながら哮天犬と一緒に戦いを観戦している二郎は、士郎の動きの違和感を正確に読み取っていた。

 

「まぁ、何が気になっていたのかはわからないけど、これで少しは見応えがある戦いになるといいんだけどね。」

「ワンッ!」

 

二郎達の視線の先では哪吒が士郎の頭上を自在に飛び回りながら仕掛けていくが、士郎は哪吒の攻撃を誘導する様に立ち回っていく。

 

「現状は哪吒が空を飛ぶ利を活かしているから士郎は決定打に欠けるってところかな。」

 

士郎は基本的に受けに回っているのだが、その士郎が攻勢に転じようとすると哪吒は直ぐに間合いを取って機を与えない。

 

「さて、士郎はどうするつもりかな?楽しみだね、哮天犬。」

「ワンッ!」

 

二郎達と姜子牙達が見守る中で、士郎と哪吒は半刻(一時間)程打ち合い続けたのだった。




本日は5話投稿します。

次の投稿は9:00の予定です。


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第84話

本日投稿2話目です。


半刻程打ち合った後、士郎は不意に哪吒に仕掛けた。

 

近距離から一歩飛び退くと同時に士郎は右手に持っていた干将を哪吒に投擲した。

 

哪吒は首を曲げて干将を避けると、左手に持つ莫耶一本になった士郎に乾坤圏二つを使って打ち掛かっていく。

 

士郎は巧みに哪吒の攻撃を捌いていくと、不意に不敵な笑みを哪吒に向けた。

 

訝しんだ哪吒は眉を寄せたが、首筋に寒気を感じると同時に身体を大きく倒した。

 

すると、哪吒の背中があった場所を士郎が投擲した干将が戻って来た。

 

士郎は戻って来た干将を右手に掴むと、体勢を崩している哪吒に双剣で猛攻を仕掛けた。

 

追い詰められた哪吒は風火輪を吹かして空へと逃れようとする。

 

しかし、士郎はその逃れる先に干将を投擲して哪吒の退避を妨害すると、莫耶一本で打ち掛かっていく。

 

また戻って来た干将を避けようとする哪吒に士郎が蹴りを見舞う。

 

蹴りを受けて地に転がった哪吒との距離を素早く詰めると、士郎は哪吒の首筋に莫耶の刃を当てた。

 

「さて、私の勝ちでいいかね?」

「…あぁ。」

 

士郎の問いに哪吒は拗ねた様に顔を背けながら返事をしたのだった。

 

 

 

 

「今回は経験の差で士郎の勝利といったところかな。」

 

二郎は哮天犬の頭を撫でながらそう言うと、姜子牙へと目を向けた。

 

「さて、君は二人をどう評するのかな?」

 

ニコリと笑みを浮かべた二郎は腰に提げていた竹の水筒を手に取り、中の神酒を口にするのだった。

 

 

 

 

「白と黒の剣…太極図と同じ陽と陰だとすれば、あれは対の剣かのう?すると、士郎の剣は引き合う性質を持った宝貝となるのう。」

「なんて名前の宝貝なんすかね?」

 

姜子牙は懐から果物を二つ取り出すと、四不象に一つ差し出しながら齧った。

 

(戦いの序盤は自ら投擲した剣を取りに行くことで哪吒に誤解をさせた。そして不意をついて一気に勝負を決めるか…。士郎は中々の戦上手だのう。)

 

モシャモシャと果物を齧りながら姜子牙は思考を続けていく。

 

(哪吒を仲間に加えるための最低限の条件は満たした。後は李靖次第だのう。)

 

姜子牙は振り向くと、遠くで観戦をしていた李靖と李氏に目を向ける。

 

「少しは二人の戦いに感銘を受けているといいのだがのう…。」

 

そう呟いた姜子牙は哪吒に手を差し出す士郎の元へと歩いて行ったのだった。

 

 

 

 

「李氏。」

「はい、貴方。」

「すまないが、しばらく領地を頼む。」

 

そう言う李靖に李氏はクスクスと笑う。

 

「あらあら、どういう風の吹き回しかしら?」

「哪吒があれだけやったんだ。少しは意地を張らないと親として顔が立たないだろう?」

「ふふ、哪吒を息子と認めるのですね?」

 

李氏がそう問い掛けると、李靖は恥ずかしそうに顔を背ける。

 

「私とて哪吒が憎いわけじゃない。だが哪吒が子供心のままに力を振るった時、私には止めようが無かった。領主として捨て置くわけにはいかないだろう?」

「もう…少しぐらい哪吒を信じてもいいでしょうに。」

 

親として息子が暴走した時に止める力が無かった李靖は、これまで哪吒に対して親として接する事を自ら禁じていた。

 

哪吒は愛する妻との間に生まれた息子である。

 

可愛く無いわけがない。

 

道士として修行をし直し、哪吒を止められる力を身に付け親として接したい。

 

この事を李靖は何度も考えた。

 

だが、修行を逃げ出してから出来た色々なしがらみが李靖の決心を邪魔してきた。

 

しかし今回の哪吒の姿を見て、李靖は哪吒の親である事を誇りたいと思った。

 

故に、李靖は道士の修行をやり直す決心をしたのだ。

 

「私はダメな男だ。本当なら哪吒が生まれてきた時に決心しなければならないのに十年以上も掛かってしまった。」

 

そう言って項垂れる李靖に李氏が優しく声を掛ける。

 

「歴史に名を残す英雄達の様に勇ましく心を決める人よりも、私は人間味のある貴方の方が好きですよ。」

 

李氏がそっと背中を押すと、李靖はゆっくりと哪吒の所へと歩いて行ったのだった。




次の投稿は11:00の予定です。


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第85話

本日投稿3話目です。


「なるほどのう。それで、その後はどうなったのじゃ?」

「李靖が姜子牙達を家に案内をして話し合いをしたんだ。そこで李靖がもう一度道士として修行をし直すと宣言をしてね。哪吒と二人で崑崙山に修行に行くことが決まったんだ。」

 

士郎と哪吒の戦いとその後の話し合いも見届けた二郎は、竜吉公主の屋敷を訪れていた。

 

「李靖が一端の道士になれば哪吒と上手くいきそうじゃのう。良かったのじゃ。」

 

竜吉公主は自身と似た生い立ちの哪吒の存在を少し前に知ってからずっと気に掛けているのだ。

 

「それで、姜子牙達はこの後どうするのじゃ?」

「他に仲間の当てが無いからね。姜子牙達も哪吒達と一緒に崑崙山に行って、元始天尊様と話をしてみるそうだよ。もしかしたら、姜子牙達はここに来るかもね。」

「それは楽しみなのじゃ。」

 

竜吉公主は笑顔で二郎にしなだれかかる。

 

「二郎真君、妾も封神計画に参加出来るのかのう?」

「さて、どうかな?竜吉公主の弟子の参加を求めるかもしれないし、竜吉公主自身の参加を求めるかもしれない。どちらにしろ、答えが出るのは姜子牙達が崑崙山に行ってからだね。」

 

そんな二人のやり取りを見ていた哮天犬は欠伸をすると、丸くなって眠ったのだった。

 

 

 

 

「それじゃ士郎と哪吒はここで待っておってくれ。李靖、何をしておる。早く行くぞ。」

「うう…姜子牙殿、大丈夫だろうか?」

「そんな事はわからぬのう。まぁ、どちらにしろお主が元始天尊様に頭を下げねば始まるまい。」

「はぁ…不安だ…。」

 

士郎と哪吒の戦いの後、領主の屋敷にて話し合いをした姜子牙達一行は三日後に崑崙山を訪れた。

 

李靖の領地は李氏が代理として治める事になったのだが、姜子牙が女傑と評する李氏ならばなんら不足無く政をする事が出来るだろう。

 

唯一哪吒だけが李氏を一人にする事を不安に思っていたが、李氏に背中を押され、こうして崑崙山にやって来ていた。

 

「スープー、頼むぞ。」

「了解っス!」

「あぁ…行きたくない。」

「お主のあの覚悟は何だったのかのう?」

「それとこれとは別の話ですよ、姜子牙殿。」

 

そんな会話をしながら離れていく姜子牙達を見送った哪吒は、一緒に残っている士郎に話し掛けた。

 

「一つ聞いてもいいか?」

「あぁ、構わんよ。」

「あの時、お前は本気だったのか?」

 

そう問い掛けてくる哪吒に士郎は探る様な目を向ける。

 

「何故そう思ったのかね?」

「お前があの方の弟子だからだ。」

 

哪吒の言葉に士郎は驚きの表情を浮かべる。

 

「いつから知っていたのかね?」

「お前が領地に来る前に、あの方が俺と母さんの所に来て教えてくれた。」

「…そうか。」

 

士郎はため息を一つ吐くと、観念した様に話始める。

 

「正直に言えば、まだ余力は残していた。」

「そうか。」

 

士郎の答えに哪吒は納得した様に頷いた。

 

「お前から見て、俺はどうだった?」

「どれだけ低く見積もっても、私よりは才があるだろう。」

「だが、お前に勝てなかった。」

「経験の差だ。あの時に感じた事だが、君は手合わせの経験が殆ど無いだろう?」

 

哪吒は士郎の言葉に頷く。

 

頷いた哪吒を見た士郎は小さくため息を吐いた。

 

(殆ど実戦経験が無いのにあれだけ戦えるのか…呆れる程の才だな。もっとも、老師に比べればまだ常識の範囲なのだろうが。)

 

腕を組んでそう考えている士郎に、何かを考えていた哪吒が声を掛けた。

 

「士郎…だったな?一つ頼みがある。」

「何かね?」

「俺は強くなりたい。あの方の元で修行出来ないか?」

 

哪吒の頼みに士郎は驚きの表情を浮かべる。

 

「老師に弟子入りするのかね?君は太乙真人様の弟子だった筈だが?」

「あいつは宝貝造りは出来るが拳法は出来ない。」

 

太乙真人は仙人である。

 

なのである程度は拳法を修めているのだが、戦士としての才には恵まれていなかった。

 

その為、太乙真人は哪吒に戦い方を教えず宝貝の使い方しか教えなかったのだ。

 

「すまないが、老師がどこにいるのかわからないのでどうにも出来…。」

「いいよ、士郎と一緒に哪吒も修行をしようか。」

 

士郎の言葉を遮る様に二郎が虚空から姿を現す。

 

そんな二郎を見た士郎は頭を抱えながら大きくため息を吐いたのだった。




次の投稿は13:00の予定です。


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第86話

本日投稿4話目です。


「よう来たのう、姜子牙、李靖。」

 

崑崙山にある元始天尊の庵にて、姜子牙と李靖は元始天尊に会っていた。

 

姜子牙は常と変わらずに気楽な様子で包拳礼をするが、李靖はブルブルと全身を震えさせながら包拳礼をしている。

 

「して、姜子牙の方は見当がつくが、崑崙山から逃げ出した李靖は何用かのう?」

 

この元始天尊の問いに、李靖は顔を青くしながら冷や汗をダラダラと流す。

 

そんな李靖を姜子牙は肘でつつく。

 

「こ、この度参りましたのは、い、今一度崑崙山で修行をす、することをお許し願いたく…。」

「ほう?あの根性なしが随分と変わったのう。」

 

震えながら話す李靖を見た元始天尊は髭を撫でながら笑う。

 

元始天尊が焦らす様に時間を置くと、李靖は吐きそうな程の緊張感に気を失いそうになる。

 

そして、李靖が緊張から喉の渇きで唾を飲み込んだ時…。

 

「よかろう。今一度、崑崙山にて修行をする事を許す。」

 

この一言で、李靖は力が抜けて地にへたり込んでしまった。

 

そんな李靖は見て元始天尊は愉快そうに笑う。

 

「ほっほっほっ!中々に男を見せたな、李靖よ。」

「意地が悪いのう…。」

 

心底楽しそうに笑う元始天尊を姜子牙はジト目で見る。

 

「元始天尊様、そろそろいいかのう?」

「うむ、姜子牙よ、仲間の件か?」

「話が早くて助かるのう。」

「ふむ、その件だが、今しばらく待て。」

 

そう答える元始天尊に姜子牙は首を傾げる。

 

「次に紹介しようと思った相手なのだが、方々に話を通さなくてはならんのでな。今しばらく時が掛かる。なので修行でもして待っておれ。」

「方々に話を?一体、誰を紹介する気だったのかのう?」

「竜吉公主という仙女よ。」

 

元始天尊の言葉に姜子牙はまた首を傾げるが、李靖は驚いて目を見開く。

 

そんな李靖の反応に目敏く気付いた姜子牙は李靖に話を振る。

 

「李靖、知っておるのか?」

「天界などではなく中華の地に居をおいて多くの弟子を取る仙人…って、何で姜子牙殿は知らんのですか!?」

「儂は修行を怠けていたからのう。元始天尊様に他の道士や仙人に会わせてもらっておらんのだ。」

 

そう答える姜子牙に李靖はどこか親近感の様なものを感じた。

 

「修行を怠ける。うんうん、気持ちはわかりますぞ!」

「うむ、怠けて貪る惰眠は最高だからのう。」

「わかります!わかりますぞ!」

 

意気投合する二人を見て元始天尊は深いため息を吐く。

 

「まったく、お主達ときたら…。少しは成長したと喜んだ儂の気持ちを返さぬか!」

「それとこれとは話が別だのう。」

「えぇ、姜子牙殿の言う通りです。」

 

胸を張って言う姜子牙と李靖を見て、元始天尊はもう一度ため息を吐く。

 

「馬鹿弟子達め…もうよいからさっさと修行に行け。」

「む?元始天尊様が修行をつけてくれるのではないのかのう?」

 

そう言う姜子牙に元始天尊は意味ありげに笑みを浮かべる。

 

「今、崑崙山にお主達に修行をつける丁度よい相手が来ておってな。」

「丁度よい相手?」

「気になるのならば哪吒達の所に戻るがよい。ほれ、さっさと行かんか。」

 

元始天尊が庵から二人を追い払う様に手を振ると、姜子牙と李靖は四不象に乗って哪吒達の所に向かったのだった。




次の投稿は15:00の予定です。


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第87話

本日投稿5話目です。


「それじゃ始めようか。二人同時に掛かってきていいよ。」

 

二郎がそう言うと哪吒は乾坤圏を、士郎は干将と莫耶を構えた。

 

二郎は姜子牙達が戻ってくるまで暇なので、哪吒と士郎を手合わせに誘ったのだ。

 

哪吒と士郎が武器を構えても、二郎は無手のまま自然体である。

 

そんな二郎に哪吒は乾坤圏を投擲した。

 

加減などない全力の投擲である。

 

だが、哪吒が全力で投擲した乾坤圏を二郎はあっさりと掴み捕る。

 

「中々いい投擲だね。でも、ちょっと素直過ぎるかな。」

 

そう話す二郎の側面から士郎が斬り掛かる。

 

だが、二郎は乾坤圏の輪の形状を利用して斬り掛かってくる士郎の腕を通して引っかけると、士郎を地へと投げ落とした。

 

そして二郎は残っているもう一つの乾坤圏を哪吒へと投擲する。

 

哪吒は投擲された乾坤圏を横に飛んで避けようとするが、乾坤圏はまるで意思を持っているかの様に哪吒が避けた方向へと曲がり腹に直撃した。

 

投げ落とされた士郎は受け身を取る事が出来なかった為に、呼吸がままならず身体を起こすことが出来ないでいる。

 

哪吒も二郎が投擲した乾坤圏が腹に直撃したダメージで身体を地へと投げ出していた。

 

そんな二人を見て二郎が微笑みながら話し掛ける。

 

「さぁ、神水を飲んで傷を癒したら続きをしようか。大丈夫、死なない程度に加減はするから安心していいよ。」

 

二郎がそう言うと哪吒はなんとか立ち上がろうともがき、士郎は遠い目をしたのだった。

 

 

 

 

「あっ!?」

「どうしたのだ、スープー?」

「ご主人、あそこ!士郎さんと哪吒くんが誰かと戦っているっス!」

 

姜子牙と李靖は四不象に乗って元始天尊の庵から戻って来ていたのだが、士郎達の近くまで来ると、四不象が戦っている二人に気付いて大きな声を上げた。

 

そんな四不象の声で姜子牙は前方に目を凝らすと、そこには衣服をボロボロにして明らかに苦戦していると見える二人の姿があった。

 

姜子牙は驚いて目を見開くが、直ぐに腰に帯びていた打神鞭を手に取る。

 

しかし…。

 

「ちょ!?姜子牙殿!?何をするつもりですか!?」

「二人の助太刀をするに決まっておろうが。」

 

姜子牙の返答に李靖が顔を青ざめる。

 

「無理!無理無理!逃げましょう!」

「何が無理かわからぬが、三対一ならばやりようはあろう。」

「いやいやいや!絶対無理ですって!」

 

李靖の反応に姜子牙は疑問を持つが、名を預け友となった士郎が苦戦をしていたので先を急ぐ。

 

「スープー、李靖を下ろすぞ。」

「了解っス!」

 

姜子牙の指示に従って空高く飛んでいた四不象が高度を下げると、姜子牙は李靖を突き落とした。

 

「あいたっ!?」

 

地に強かに尻を打った李靖が声を上げると、姜子牙は四不象に指示をして直ぐに飛び上がる。

 

「すまんのう、文句ならば後で聞く!」

 

そう言って去っていく姜子牙達を見送った李靖は、両手で頭を抱える。

 

そして…。

 

「なんで二郎真君様と哪吒が戦っているんだよぉ…。李氏、どうしたらいいんだ?」

 

少しの間葛藤をしていた李靖は両手で頬を張ると、戦っている哪吒達の元へと駆けたのだった。




これで本日の投稿は終わりです。

今週はちょっと忙しかったので全体的に短めです。申し訳ございません。

また来週お会いしましょう。


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第88話

本日投稿1話目です。


疾っ(ちっ)!」

 

四不象に乗っている姜子牙が打神鞭を振るい風の刃を二郎に飛ばす。

 

二郎は士郎と哪吒を同時に相手にしながら、姜子牙が放った風の刃を目も向けずに拳で打ち払った。

 

「おや?飛び入り参加かな?三人相手でも俺は一向に構わないよ。」

 

士郎と哪吒の猛攻を捌きながら笑みを向けてくる二郎の姿に、姜子牙は驚愕する。

 

(あの髪の色に額の紋様…そして桁外れの強さ…まさか、二郎真君様!?)

 

ここに至って二郎の正体に察しがついた姜子牙は額に脂汗を浮かべる。

 

(まずい…妲己が相手どころではない。どうにかして隙を作って士郎達と共に逃げねば!)

 

姜子牙は士郎達と二郎を分断するべくもう一度風の刃を放つ。

 

すると、風の刃は三者の間の地にぶつかり土埃を舞い上げた。

 

「士郎!哪吒!」

 

姜子牙が声を掛けると士郎は直ぐに距離を取ったが、哪吒は乾坤圏を振り上げて二郎に仕掛けていく。

 

その哪吒の姿に姜子牙は舌打ちをした。

 

「士郎、退くぞ。」

「簡単に退ける相手でもないと思うがね。」

「それでもなんとかせねば、ここで全滅だ。」

「全滅?あぁ、この戦いは…。」

 

姜子牙が勘違いをしていると察した士郎が説明をしようとする。

 

だが…。

 

「話をしているとは余裕だね。それとも油断をしているのかな?」

 

土埃で視界が悪い中で哪吒をあっさりと叩き伏せた二郎が、姜子牙と士郎の正面に現れた。

 

姜子牙はもう一度土埃を作って視界を制限しようとするが、姜子牙が打神鞭を振るう手を二郎が掴み捕った。

 

「いい判断だね。でも、ちょっと遅いかな。」

 

二郎がそう言うと、姜子牙は四不象の上から吹き飛んで地を転がっていく。

 

姜子牙は腹の痛みで呼吸もままならず、身体を地へと横たえている。

 

(わ、儂は何を、された…?)

 

空気を求めて口を開閉する姜子牙は遠退きそうになる意識を必死に繋ぎ止める。

 

「あれ?ちょっと強かったかな?」

 

その言葉に姜子牙はなんとか目を向けると、そこには拳を突き出した二郎の姿があった。

 

(儂は、崩拳を、くらったのか…。一撃で、意識を失わなかっただけ、もうけものだのう…。)

 

辛うじて呼吸出来る様になってきた姜子牙であるが、身体の自由が利かずに倒れたままだ。

 

「ご主人!」

 

そんな姜子牙の元に四不象が急いで近寄る。

 

(こ、これは、本当にまずいのう…。)

 

動かぬ身体を四不象によって起こされた姜子牙は、二郎と戦う士郎に目を向ける。

 

姜子牙の脳裏には幾つもの策が浮かんでは消えていく。

 

(あまりにも力が違い過ぎて、策が意味を成さぬ…。士郎ですら相手になっておらぬとは…。)

 

妲己にあっさりと敗れた時以上の絶望感が姜子牙を包んでいく。

 

(一つだけ策はある…。だが、確実とは言えぬのう…。すべては士郎の魔術次第か…。)

 

姜子牙は動かぬ身体に鞭をいれて戦場全体を見渡す。

 

「ス、スープーよ、哪吒の所へ…。」

「了解っス!」

 

生き残る為の策を伝える為に、姜子牙は身体を起こそうとしている哪吒の所へ向かったのだった。

 

 

 

 

「老師、話を遮ったのはわざとか?」

「うん、その方が面白そうだったからね。」

 

士郎は全力で仕掛けながら二郎と話しているが、二郎は余裕たっぷりに捌きながら話している。

 

「何故と聞いても?」

「姜子牙の才は元始天尊様や申公豹が認める程のものだけど、戦う者としての自覚が足りないかなって思ってね。」

「戦う者としての自覚?殺す覚悟や殺される覚悟の事かね?」

「殺す覚悟はともかく、殺される覚悟は必要ないよ。」

 

二郎がそう言うと、驚いた士郎の動きが鈍くなる。

 

二郎は士郎を戒める為に、軽く崩拳を士郎の腹に打ち込む。

 

「ぐっ!?」

 

込み上げてくる胃の内容物を堪えながら、士郎は鈍ってしまった攻勢を強める。

 

「人に限らず、生き物にとって生きたいと思うのは自然な感情だよ。殺される覚悟を持つというのはそれを否定する事になる。」

「戦士が殺される覚悟を持つのは間違っていると?」

「悲劇を美化したいのなら殺される覚悟を持ってもいいんじゃないかな?もっとも、そんな事をしている暇があるのなら、今を精一杯生きた方が楽しいと思うけどね。」

 

会話をしながらも士郎は全力で斬りかかっていくが、二郎は士郎の攻撃を文字通りの紙一重で避けていく。

 

「さて、お喋りはここまでかな。どうやら、姜子牙が何かをするみたいだからね。」

 

そう言うと二郎は崩拳を放って士郎を姜子牙達の方向に飛ばす。

 

二郎の崩拳を士郎は辛うじて干将と莫耶を交差して受けたのだが、乾坤圏と打ち合っても砕けなかった干将と莫耶は二郎の崩拳の一撃で砕け散り、魔力へと還ったのだった。




本日は5話投稿します。

次の投稿は9:00の予定です。


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第89話

本日投稿2話目です。


「士郎!」

 

二郎の崩拳で殴り飛ばされてきた士郎に姜子牙が声を掛ける。

 

「くっ…尚、策は出来たかね?」

「正直に言えば、士郎の魔術頼みと言ったところだのう。」

「それは策と言えるのかね?」

 

姜子牙が二郎に目を向けると、二郎は動かずに微笑んでいた。

 

「儂達と二郎真君様では力の差があり過ぎて策が意味を成さぬ。となれば、未知に頼るしかなかろうて。」

「やれやれ、随分と期待されたものだ。」

 

そう言うと士郎はため息を吐いた。

 

「士郎よ、妲己の時の魔術…あの剣は同時に幾つまで造れる?」

「尚、あれは私が使える唯一の魔術の一端なのだ。」

「一端?」

 

二郎へと目を向けながら姜子牙が疑問の声を上げると、士郎も二郎へと目を向けながら頷く。

 

「すまないが、少しの間持ちこたえてくれ。」

「二郎真君様が手を抜いてくれる事に期待するしかないのう…。」

 

頭をガシガシと掻いた姜子牙が四不象の上で打神鞭を構える。

 

「哪吒よ、聞いていた通り、時間を稼ぐとするかのう。」

「俺に指図をするな。」

 

そう言いながらも、哪吒は乾坤圏を構える。

 

「相談は終わったかな?それじゃ、そろそろ再開しようか。」

 

二郎が瞬きの間に姜子牙達との距離を詰めると、それを見越していたかの様に姜子牙が打神鞭を使って巨大な風の渦を造り出し、二郎を風の渦に閉じ込める。

 

それと同時に士郎が詠唱を始める。

 

「哪吒!」

 

姜子牙の声で哪吒が二つの乾坤圏を風の渦へと投じる。

 

風の渦に乗った乾坤圏は十二分に加速してから二郎へと向かう。

 

しかし…。

 

「う~ん、もう一つってところかな?」

 

打神鞭の風で加速した二つの乾坤圏をあっさりと掴み取った二郎は、乾坤圏を哪吒と姜子牙に投じる。

 

風の渦を突き破った乾坤圏が姜子牙と哪吒に直撃し、両者の腕の骨を砕いた。

 

「ぐっ!?」

 

痛みで呻いた姜子牙だが、打神鞭にさらに力を注ぎ込み風の渦を強化する。

 

「中々の暴風だね、でも…。」

 

気楽な様子で話す二郎がこの戦いで初めての構えである馬歩を見せる。

 

そして…。

 

「天地開闢の力には程遠いかな。」

 

そう言って二郎が崩拳を放つと、風の渦は消し飛ばされてしまった。

 

その一撃を見た姜子牙は驚きながらも、もう一度打神鞭に力を注いで風の渦を造りだすが、力を使い過ぎた為に血を吐いてしまう。

 

「おや?大丈夫かい?」

 

二度風の渦に閉じ込められた二郎が姜子牙に声を掛けるが、姜子牙は力を注ぎ込み過ぎて薄れる意識を繋ぎ止めるのに精一杯だった。

 

そんな姜子牙を援護しようと、哪吒が砕けずに残った腕で自身の腕を砕いた乾坤圏を二郎の背後から投じる。

 

それでも、乾坤圏は二郎にあっさりと掴み取られてしまう。

 

だが、この一手が貴重な時間を稼いだ。

 

「So as I pray,」

 

戦いの場に士郎の詠唱が響き渡る。

 

そして…。

 

「unlimited blade works.」

 

士郎の詠唱と共に、戦いの場は剣に埋め尽くされたのだった。

 

 

 

 

儂は自分の目を疑った。

 

何故なら、見渡す限りの果てまでが剣で埋め尽くされていたからだ。

 

「これは…?」

 

儂は力を使い果たし、スープーの背に身体を預けながらも周囲に目を凝らす。

 

「固有結界。それが、私が使える唯一の魔術だ。」

 

士郎が手を頭上に上げると、それに呼応する様に数十の剣が浮かび上がる。

 

それを見た二郎真君様は虚空に手を翳すと、剣先が三つに分かれた剣を掴み取った。

 

おそらく、あれが音に聞く三尖刀だろうのう。

 

二郎真君様が掴み取った三尖刀を一振りすると、その柄が伸びて槍へと変わった。

 

「貴方に武器を取らせた事を、誇るべきだろうな。」

 

そう言いながら士郎が手を振り下ろすと、数十という剣が次々と二郎真君様に向かって飛んでいった。

 

だが…。

 

「うん、面白いね。でも、ギルガメッシュのあれと比べたらまだまだかな。」

 

二郎真君様が目に見えぬほどの速さで三尖刀を振るっていくと、士郎が放った数十という剣が次々と弾かれ、砕かれていく。

 

そして二郎真君様は剣の雨の中でも変わらずに、ゆっくりと儂達に向かって歩を進めてきた。

 

前後左右を問わずに士郎は剣を飛ばしていくが、それらは二郎真君様の歩みを一瞬たりとも止めることはかなわない。

 

その姿は…まさに武神だった。

 

あぁ…これはダメだのう…。

 

士郎は数十もの剣を放ち、時には剣を自壊させたりしながら自らも剣を取って二郎真君様に仕掛けていく。

 

だが、力の差は歴然としていた。

 

「すまんのう、士郎。儂に今少しの力があれば、お主を逃がすぐらいは出来たやもしれんのに…。」

 

全霊を持って立ち向かった士郎が二郎真君様に一蹴されたのを見て儂が完全に諦めたその時…。

 

「お待ちください!二郎真君様!」

 

戦いの場に一人の男の声が響き渡る。

 

「愚息が何をいたしたのかわかりませぬ!ですが!どうか私めの話をお聞きください!」

 

両膝を地につけて包拳礼をする李靖の訴えが、二郎真君様の動きを止めた。

 

それを見て僅かに気が緩んだ儂は、あっと思う間もなく気を失ったのだった。

 

 

 

 

封神演義の一節にはこう綴られている。

 

『二郎真君との手合わせを討伐と勘違いした姜子牙と李靖は慌てふためいた。』

 

『姜子牙は友である士郎のために直ぐに駆けつけたが、士郎と哪吒と共に二郎真君にあっさりとやられてしまった。』

 

『満身創痍の三人をまだ戦えると判断した二郎真君は手合わせを続けようとするが、懸命な李靖の訴えを聞き入れて手合わせを止めたのだった。』

 

戦う力を持たぬ李靖が戦いの場に姿を現し、武神である二郎真君に命懸けで訴えたこの一事は、後の時代に【李靖の包拳礼】と称されることになる。

 

これは命懸けで忠言、諫言をする勇士の事を指す故事となり、後の中華の歴史に名を残す多くの英雄達に影響を与えたのだった。




次の投稿は11:00の予定です。


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第90話

本日投稿3話目です。


「…うっ、ここは、どこかのう?」

「あっ、ご主人、気が付いたっすか?」

 

姜子牙は気怠い身体を寝台から無理矢理起こすと、目を覚ますために頭を振る。

 

「スープー、李靖が来た後はどうなった?生きておる事を見れば、最悪の事態にはならなかったようだがのう。」

「ご主人、話はご飯の後にするっすよ。」

 

そう言うと四不象が寝台の上にいる姜子牙の元に膳を持ってくる。

 

膳を見た姜子牙の腹の虫が盛大な大合唱を始める。

 

「では、馳走になろうかのう。」

 

膳の一つの粥を啜った姜子牙はあまりの上手さに舌鼓を打つ。

 

(これは本当に旨いのう。作ったのは士郎か?)

 

粥を一口啜った後に姜子牙は竹の器に入っている水を口にする。

 

(この水も凄く旨いのう。喉が渇いておったからか?)

 

そこからは思考が入り込む余地も無いぐらいに、姜子牙は一心不乱に食事に集中した。

 

膳に乗せられた料理を余すことなく平らげた姜子牙は、一気に水を飲み干す。

 

「ふぅ~、旨かったのう。」

「口にあった様でなによりだね。」

 

姜子牙は驚きながら声のした方に顔を向ける。

 

そこには二郎の姿があった。

 

動揺を表に出さぬ様に苦心しながら、姜子牙は二郎に包拳礼をする。

 

「二郎真君様とお見受けいたします。」

「うん、そうだよ。」

 

姜子牙は気を失う前の事を思い返しながら言葉を選んでいく。

 

「二郎真君様、何故に哪吒と士郎の二人と戦っておられたのでしょうか?」

「あの二人とは手合わせをしていただけだよ。」

「…手合わせ?」

 

二郎の言葉を聞いた姜子牙は、二郎の言葉の真意を探ろうと首を傾げて思考する。

 

(あれが手合わせ?士郎と哪吒は掛け値無しの全力だった筈だが…。)

 

腕を組んで悩む姜子牙に二郎が声を掛ける。

 

「あれ?元始天尊様に聞いていないのかい?君達には俺が修行をつける予定なんだけど。」

 

そこまで言われて姜子牙はようやく思い至った。

 

(あの腹黒め…。何がちょうどいい相手だ!二郎真君様が修行をつけてくださるのなら最初から言わぬか!おかげで肝が冷えるどころか潰れかけたぞ!)

 

内心で元始天尊に文句を言い続ける姜子牙に、二郎が声を掛ける。

 

「色々と聞きたい事はあるだろうけど、今はゆっくりと休んだ方がいいね。明日には士郎が君の疑問に答えてくれるからさ。」

 

そう言うと二郎は部屋から去っていき、姜子牙と四不象が残された。

 

姜子牙は一度大きくため息を吐いてから話し出す。

 

「スープーよ、士郎から何か話を聞いておらぬか?」

「僕も詳しくは聞いていないっス。でも一つだけわかるのは、僕達は勘違いをして二郎真君様の手合わせを邪魔したって事っス。」

 

そう言う四不象の顔は青醒めている。

 

「まぁ、二郎真君様も楽しんでおったようだし大丈夫だろう…多分のう。」

「多分ってなんすかぁ!?」

「もし討伐されるのなら、既に儂達は討伐されておるわ。さて、儂はまだ身体が怠いから寝るとするかのう。」

 

そう言うと姜子牙は寝台に身体を預けて早々と寝息をたて始めた。

 

そんな主人の姿を見た四不象は、大きくため息を吐いたのだった。




次の投稿は13:00の予定です。


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第91話

本日投稿4話目です。


「さて、士郎よ、それでは話を聞かせてくれるかのう?」

 

姜子牙が二郎達の手合わせで気絶した翌日、姜子牙と四不象は士郎に話を聞くことにした。

 

「そうだな…先ずは私の立場から話そう。私は老師…二郎真君の弟子だ。」

「二郎真君様の弟子になれたっすね?士郎さん、おめでとうっス!」

「いや、四不象。私は老師の弟子になれたのではない。既に弟子になっていたのだ。」

 

士郎の言葉に四不象が首を傾げると、姜子牙が口を開く。

 

「つまり、儂とスープーに会う前から士郎は二郎真君様の弟子だったという事かのう?」

「あぁ、それで合っている。」

「僕達と会う前から二郎真君様の弟子だったんすか?それじゃ、士郎さんの目的は何っすか?」

「おそらくは、儂達の手伝いと監視…といったところかのう?」

 

士郎は姜子牙の言葉を首を縦に振って肯定する。

 

「二郎真君様が弟子を取ったって聞くのは初耳っス!」

「そうだのう。士郎よ、どのような経緯で二郎真君様の弟子になれたのだ?」

「その事を話すと少し長くなるが?」

「構わんよ。」

 

士郎は『世界の守護者』だった頃の事を姜子牙に語っていく。

 

話を聞いていた姜子牙と四不象は何度も驚きの表情を見せた。

 

「正直、なんと言っていいかわからぬのう。」

「昔の私が愚かだったというだけの事さ。」

「そんな事ないっすよ!士郎さんは立派っス!」

「そうだのう。弱っている所に甘言を投げ掛けた『世界』がろくでもなかっただけだのう。」

 

そう言うと姜子牙と四不象は神水で作った白湯を口にする。

 

最初は二郎が作った神水と聞いて恐縮して口にしなかったのだが、士郎が慣れた様に口にするのを見ると好奇心に負けて口にするようになったのだ。

 

「さて、私は君達を騙していたのだが…尚、君に名を返した方がいいかね?」

「士郎が儂達に近付いたのは元始天尊様を始めとした仙人達の指示故であろう?ならばあの腹黒仙人に文句の一つも言いたくなるが、士郎の責任ではないのう。」

「そうっすよ!士郎さんは僕達の友達で仲間っス!」

 

そんな姜子牙達の言葉に、士郎は気恥ずかしさを誤魔化す様に苦笑いをする。

 

「さて話は変わるが、二郎真君様が修行をつけてくれるそうだが…どうなるのかのう?」

 

姜子牙の疑問に士郎は白湯を一口飲んでから答える。

 

「老師曰く、昨日の様な手合わせが基本となるそうだ。」

「あれが手合わせ?儂には命懸けの戦いにしか見えなかったがのう。」

「武神との戦いに勝る経験は無いと思うがね。」

「それは理解出来るが、あれでは身体が持たぬのう。」

 

ため息を吐きながら頭を掻く姜子牙に、士郎は意味ありげな笑みを見せる。

 

「安心しろ。どれ程の傷を負っても生きてさえいれば、老師の神酒で完治する。私はそうやって老師に鍛えられてきた。」

 

士郎はそう言うと虚空を見詰める。

 

そんな士郎の姿に姜子牙は苦笑いをすると、自身も味わうのだと理解して頭を抱える。

 

揃ってため息を吐いた士郎と姜子牙を見た四不象は、我関せずとばかりに白湯を味わっていったのだった。




次の投稿は15:00の予定です。


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第92話

本日投稿5話目です。


「無理無理無理無理―――!!」

 

全力で逃げながらそう叫ぶのは李靖である。

 

何故、李靖が全力で逃げているのかというと…。

 

「哪吒、ただ李靖に向けて投げるだけじゃいつまでたっても当たらないよ。李靖の癖…避ける方向の好みなんかを学びながら乾坤圏を投げていこうか。」

 

二郎の指導に哪吒が素直に頷く。

 

そう、李靖は現在修行の真っ最中なのである。

 

では、何故このような形で修行をしているのかというと…。

 

「李靖、調息が乱れてるよ。どんな状況下でも無意識に調息が出来ないと身に付けたとは言えないね。」

「無茶を言わんでください!」

 

哪吒が生まれる前に修行から逃げ出した李靖は、道士の基本である調息すら出来ていなかった。

 

そこで二郎は李靖の調息の修行と並行して、哪吒に戦いの経験を積ませていくことにしたのだ。

 

「さぁ、後四半刻(30分)は続けるよ。ケガをしても神酒で治せるから全力でやってね。」

「死んだらどうするんですかぁ―――!!」

 

二郎に笑顔で無慈悲な事を告げられた李靖は、崑崙山に響き渡ると思える程の声の大きさで叫んだのだった。

 

 

 

 

「李靖も大変だのう。」

「哪吒くん、李靖さんと一緒に修行が出来て楽しそうっス。」

 

李靖と哪吒の修行を見ながら姜子牙と四不象が会話をしている。

 

四不象は修行に参加していないが、姜子牙は一足先に士郎との手合わせを終えて休憩しているのだ。

 

「尚、ケガの方はどうかね?」

「二郎真君様の神酒のおかげでもう治ったから心配いらぬよ。」

 

軽食を作って持ってきた士郎に手に持っていた竹の水筒を掲げて返事をした姜子牙は、竹の水筒に入っている神酒を一口飲んで舌鼓を打つ。

 

「…はぁ~、旨いのう。この味を知ってしまったら他の酒では満足出来ぬかもしれぬ。」

「その経験は私にもある。」

 

自身も通った道だと苦笑いをする士郎は手際良く軽食を並べる。

 

「士郎さん、美味しいっス!」

「スープーよ、修行をしておらぬお主が真っ先に食ってどうする。」

 

バクバクと笑顔で士郎の料理を食べる四不象に、姜子牙はジト目を向ける。

 

「残念ながら、老師の料理には遠く及ばないがね。」

「二郎真君様の料理は凄く美味しいっすけど、僕は素朴な味な士郎さんの料理も好きっス。」

「確かに二郎真君様の料理は、まるで王が食べる様な最上の味の料理だのう。士郎の料理の味は二郎真君様の料理には及ばぬが、食べていて安心出来る良い料理だと思うぞ。」

「そう言ってもらえると作ったかいがあったというものだ。」

 

軽食で小腹を満たした姜子牙は休憩前の事を思い返して話し出す。

 

「士郎よ、儂との手合わせではどの様に思った?」

「そうだな…戦い難さを感じたが、同時に姜子牙の力不足も感じた。」

「力不足か…確かにそうだのう。」

「ご主人、ほとんど何も出来ずに士郎さんに負けたっすからね。」

 

二郎の指示で士郎と手合わせをした姜子牙だが、四不象の言う通りにほとんど何も出来ずに負けてしまった。

 

「士郎が戦上手だとは知っておったが、もう少しなんとかなると思ったんだがのう。」

「姜子牙は攻勢が主の相手には策を用いて上手く戦えるけど、士郎みたいに守勢が主の相手には策を活かす前に力負けしてしまう様だね。」

「あっ、二郎真君様、お疲れ様っス!」

 

姜子牙の言葉に答えたのは、李靖と哪吒を休憩させて姜子牙達の元にやって来た二郎だった。

 

ふと士郎が二郎がやって来た方に目を向けると、李靖が地にうつ伏せで倒れている。

 

士郎は地に倒れる李靖に黙祷を捧げた。

 

「ふむ、つかぬことを伺いますが、二郎真君様は守勢が主の相手にはどうするので?」

「その時の気分次第かな。」

「…気分次第で簡単に正面突破される私はどうしたらいいのかね?」

 

二郎の言葉に頭を抱えた士郎に姜子牙は苦笑いをする。

 

「二郎真君様、今回の修行はどのぐらい続くっすか?」

「およそ一年ってところかな。」

「竜吉公主の件の話し合いにそれほど掛かるとは…元始天尊様も真面目に仕事をして欲しいものだのう。」

 

そう言ってため息を吐いた姜子牙は竹の水筒に入っている神酒を口にする。

 

「元始天尊様というよりは伯父上の方かな。」

「天帝様っすか?」

「うん、俺の妹の蓮が竜吉公主の事を気に掛けていてね。伯父上が蓮に竜吉公主を封神計画に参加させる事を説得しているんだ。」

「二郎真君様の妹様というと、三聖母様っすね。」

 

姜子牙は中華でも最上級の神々が関わっているという竜吉公主の存在に思考を巡らせる。

 

(地上にいた李靖は竜吉公主の事を知っておったが、崑崙山におった儂の耳には噂すら入ってこなかったのう…。となると、元始天尊様が止めていたのかのう?)

 

姜子牙はあれこれと推測をたててみたが、情報不足のせいで確信には至らなかった。

 

(おそらくは表沙汰にしたくない事情があるのだろうのう…。さて、竜吉公主という女仙はどういった人物なのかのう?士郎の様に良い人柄であればいいのだが…。)

 

思考を打ち切る様に軽くため息を吐いた姜子牙は、竹の水筒に入っている神酒を飲み干したのだった。




これで本日の投稿は終わりです。

また来週お会いしましょう。


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第93話

本日投稿1話目です。


「姜子牙ちゃん達の修行は順調みたいねん♡」

 

姜子牙達の修行の合間に殷の都に訪れた二郎は、妲己の歓迎を受けつつ話をしていた。

 

「妲己、王貴人と胡喜媚の方はどうだい?」

「王貴人ちゃん達の修行も順調よん♡あの娘達には封神計画が終わっても無事に生き残ってもらいたいもの♡」

「君は生き残るつもりはないのかな?」

 

妲己は二郎の言葉に微笑んで答える。

 

「それでは天帝様のお顔を潰す事になってしまうわん。」

「確かに殷を滅ぼすために中華を乱した道士や仙人を指揮していた妲己を見逃したら、伯父上の顔を潰すことになるけどね。」

「うふん♡楊ゼン様にお気に掛けていただいただけで、私は満足よん♡」

 

そう言って二郎の首に腕を回した妲己は二郎と唇を重ねる。

 

「正直に言えば少し怖いです。でも、後の世に名を残す事を考えればそれ以上に嬉しいですわ。」

 

そう言って微笑む妲己に二郎は笑みを返す。

 

「妲己の生き様を見届けさせもらうよ。」

「大歓迎よん♡私の最後は楊ゼン様の腕の中でって決めてるのん♡」

 

茶目っ気たっぷりに片目を瞑った妲己は、もう一度二郎と唇を重ねたのだった。

 

 

 

 

「これは二郎真君様、ようこそいらしゃってくださいました。」

 

妲己との一夜を過ごした翌日、二郎は姫昌の元を訪れていた。

 

「やぁ姫昌、また一杯どうかな?」

「では、遠慮なくご相伴に預からせていただきましょう。」

 

二郎の誘いを笑顔で受けた姫昌は、二郎に続いて床に腰を下ろす。

 

「二郎真君様、一つ伺ってもよろしいでしょうか?」

 

二人は特に会話もなく静かな時間の流れを楽しみながら酒を飲んでいたが、不意に姫昌が二郎に問いを発した。

 

「なんだい?」

「私の長子、伯邑考の事です。我が子も殷の都に捕らわれているのですが無事なのでしょうか?」

 

そう言う姫昌の表情や言葉は、真に己が子の身を案じているのがわかる。

 

そんな姫昌に二郎は笑みを浮かべて答えた。

 

「無事だよ。聞仲が処刑しようと動いているみたいだけど、妲己が邪魔をしているみたいだね。」

「あの紂王様をたぶらかしている妲己が?」

 

二郎の言葉に姫昌は驚きの表情を見せる。

 

「二郎真君様、妲己は何者なのでしょうか?」

「姫昌、君は紂王が何をしたのか知っているかい?」

「はて?紂王様は色々とやらかしておりますからなぁ。」

 

見事な顎髭を撫でながら答える姫昌は、そう言いながら笑みを浮かべている。

 

「女媧様の一件と言えばわかるかい?」

「なるほど…妲己が紂王様に見初められたのもその一件の後でしたな。」

 

優秀な為政者である姫昌は十年間前から続く殷を中心とした一連の出来事に納得した。

 

「では、私と息子がまだ生きているのは妲己のおかげというわけですな?」

「うん、そうだね。」

「政に携わる者としては中華を乱す妲己の存在は頭痛の種ですが、個人としては感謝をしなければいけませんなぁ。」

 

姫昌が朗らかに笑うと、二郎は腰に括っていた竹の水筒を姫昌に差し出す。

 

「それで、私に求める役割はなんでしょうか?」

「時がくれば自ずとわかるよ。」

「やれやれ、軟禁されているからといって楽はさせてもらえませんなぁ。」

 

そう言ってまた朗らかに笑った姫昌は、二郎に差し出された酒に舌鼓を打つのだった。




本日は5話投稿します。

次の投稿は9:00の予定です。


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第94話

本日投稿2話目です。


「士郎、それじゃ咸卦法の修行を始めようか。」

「咸卦法?」

 

哪吒との手合わせを終えて休憩していた姜子牙が二郎の言葉に疑問を持つ。

 

「二郎真君様、咸卦法って何っすか?」

「咸卦法は士郎に調息の修行をさせていた時に偶然見つけたものなんだ。名付けたのは太上老君様だけどね。」

 

素直に疑問を投げ掛けてきた四不象に二郎が説明をしていく。

 

「咸卦法は道士や仙人が扱う『気』と士郎の様な魔術師が扱う魔力を用いて大きな力を手にする技法だね。」

「二郎真君様、魔力とは何かのう?」

 

二郎の言葉に今度は姜子牙が疑問を投げ掛ける。

 

「魔力を一言で言えば、姜子牙が打神鞭を扱う際に使っている力だよ。」

「なるほどのう。」

 

合点がいった姜子牙は何度も頷く。

 

その後半刻(一時間)程士郎は咸卦法の修行を続けたが、一度も咸卦法に成功しなかった。

 

その修行の様子を見ていた二郎が腕を組みながら首を傾げる。

 

「う~ん、やっぱり『気』を扱える様にならないと難しいかな?」

 

二郎がそう言うと、調息で息を整えていた士郎が二郎に顔を向ける。

 

「すまない、老師。」

「気にしないでいいよ、士郎。」

 

二郎がそう言うが士郎は自嘲する様に皮肉気な笑みを浮かべる。

 

(士郎が『気』を扱える様になるには『アレ』をさせるしかないかな?)

 

神水を飲んで一息ついている士郎を見ながら、二郎は更に考えを進めていく。

 

(うん、士郎は『気』を整えられる様になって身体も成長したし、そろそろ『アレ』をさせても問題無いか。)

 

そう考えて二郎が笑みを浮かべると、士郎は何故か首筋に寒気を感じ身を震わせたのだった。

 

 

 

 

士郎の咸卦法の修行が上手くいかなかった後日、二郎は殷の都の妲己の元を訪ねていた。

 

「楊ゼン様がまたいらしてくださるなんて…妲己、嬉しいわん♡」

 

そう言いながら両手を頬に当てた妲己が顔を朱に染める。

 

「それで、此度は何用でしょうか、楊ゼン様?」

「おや、察しがいいね、妲己。」

「ふふ、殿方の機微を察するのがいい女というものよん♡」

 

茶目っ気たっぷりに片目を瞑った妲己は二郎に身を寄せる。

 

「妲己、士郎のお相手を紹介してくれないかな?」

「士郎というと、楊ゼン様の弟子のあの男の事よねん?」

「うん、そうだよ。」

 

人差し指を顎に当てた妲己が首を傾げる。

 

「う~ん…そうね~ん…。」

 

少しの間悩んだ妲己はパッと笑顔になる。

 

「そうだわん♡王貴人ちゃんなんてどうかしらん♡」

「王貴人?彼女は『アレ』を知ってるのかい?」

「知識だけはあるわん。でも、王貴人ちゃんはまだ経験が無いのん♡」

 

そう答えた妲己は愉快そうにクスクスと笑いだす。

 

「これで真面目過ぎる王貴人ちゃんも少しは軟らかくなるといいわねん♡」

「うん、士郎もちょっと真面目過ぎるところがあるからちょうどいいかな。」

 

そう話して顔を見合わせた二郎と妲己は揃って愉快そうに笑うのだった。

 

 

 

 

「…クシュン!」

 

二郎と妲己が愉快そうに笑っていた頃、紂王に幻術を掛け終えた王貴人がくしゃみをしていた。

 

「あれれ~?王貴人ちゃん、疲れて体調を崩しちゃったのかな?」

「いえ、大丈夫です、胡喜媚姉様…クシュン!」

 

王貴人がくしゃみをする姿を心配そうに見詰める胡喜媚に、王貴人は笑顔を返す。

 

(妲己姉様の指示で紂王に幻術を掛け続けて私も成長をしてきた。次の機会、必ず姜子牙と士郎に勝ってみせる!)

 

そう意気込んだ王貴人だが、不意にまた鼻がムズムズとして可愛らしいくしゃみをしたのだった。




次の投稿は11:00の予定です。


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第95話

本日投稿3話目です。


殷の都の妲己の元を訪ね姫昌と酒を酌み交わした翌日、二郎は崑崙山に戻り、妲己との話し合いを実行する為に行動を開始した。

 

「士郎、出掛けるよ。」

「出掛ける?老師、どこに出掛けるのかね?」

「士郎の『気』の修行にいい場所だよ。」

 

そう言って微笑む二郎の姿に、士郎は何故か嫌な予感を感じてしまう。

 

(私も調息で『気』を整えられる様になってきたが、まだ自身の『気』を感じ取る事は出来ない。それを考えれば咸卦法を体得する為には『気』の修行は必要だが…。)

 

腕を組み思考をする士郎に姜子牙が声を掛ける。

 

「士郎よ、何を考えておる?」

「尚、どうにも嫌な予感がしてな。」

「武神たる二郎真君様の修行だからのう。それも仕方なかろう。」

 

姜子牙がそう言った事で、士郎は諦める様にため息を吐いたのだった。

 

 

 

 

哮天犬に乗って飛び立った二郎と士郎を見送った姜子牙はニヤニヤと笑っていた。

 

そんな姜子牙に四不象が話し掛ける。

 

「ご主人、どうしたっすか?」

「なに、士郎も大変だと思ってのう。」

 

姜子牙の言葉に四不象は首を傾げる。

 

「士郎さんの『気』の修行ってなんすかね?」

「士郎は調息で『気』を整える事は出来るが、まだ感じ取る事は出来ぬ。ならば、それが出来る様になる修行だろうのう。」

「『気』を感じ取る修行っすか?」

「うむ、もっとも手っ取り早いのは、他者と『気』を交わす事だのう。」

 

そう言ってニヤニヤと笑う姜子牙の表情を見て、四不象も士郎の修行に思い至った。

 

「士郎さんが帰ってきたらお祝いの言葉を言わなきゃいけないっすね。」

「そんな事をしたら士郎は臍を曲げるだろうのう…。激辛料理を食わされては堪らぬから止めよ。」

「僕は辛いのも好きっすから問題無いっス!」

 

甘党である姜子牙は士郎に激辛料理を食わされる事を想像すると、心底嫌そうな表情をしたのだった。

 

 

 

 

「妲己姉様、修行とは何をするのですか?」

「もう少し待ってねん♡王貴人ちゃん一人じゃ出来ない修行なのん♡」

 

妲己の言葉に従って王貴人がしばらく待っていると、不意に妲己が上空に目を向ける。

 

それにつられて王貴人も上空に目を向けると、そこには空を飛んで近付いて来る哮天犬の姿が見えた。

 

「妲己姉様、修行のお相手は二郎真君様なのですか?」

「残念ねぇん。お相手は楊ゼン様ではないわよん♡」

 

王貴人と妲己が会話をしている間に哮天犬が二人の近くに下りてくる。

 

すると…。

 

「老師、何故修行をするのに殷の都の宮殿に行く必要があるのかね?」

 

聞こえてきた士郎の声に王貴人は驚いて目を見開く。

 

そんな王貴人と目が合った士郎もまた、驚いて目を見開いた。

 

「妲己姉様!これはどういう事ですか!?あの者は敵ですよ!」

「老師、これはどういう事かね?何故敵である彼女が修行相手なのだ?」

 

修行相手に察しがついた王貴人と士郎が、それぞれの相手に問い質す。

 

そんな二人を見てから顔を見合わせた二郎と妲己は、揃って笑いだした。

 

「笑い事ではありません、妲己姉様!」

「老師、笑い事ではないぞ!」

 

一度場を仕切り直す様に二郎が柏手を打つと、王貴人と士郎が静まる。

 

「さて、二人にはお互いを相手に修行をしてもらうよ。」

「あの、二郎真君様、一つ聞いてもよろしいでしょうか?」

「なんだい、王貴人。」

「私はこの者と何を修行するのですか?手合わせでもするのでしょうか?」

 

真面目な表情でそう話す王貴人がコテンと首を傾げる。

 

その姿にどこか懐かしい光景を幻視した士郎は表情が緩んだ。

 

「手合わせじゃないよ。」

「では何でしょうか?」

「二人には房中術をしてもらおうと思ってね。」

「…はい?」

 

二郎の言葉に疑問の声を上げた王貴人だが、言葉の意味を理解すると一気に顔を真っ赤に染める。

 

「ぼ、ぼ、房中術ぅ!?」

 

顔を真っ赤に染めながら叫んだ王貴人は無意識に後ずさる。

 

そんな王貴人の姿を不思議に思った士郎が二郎に問いを投げる。

 

「老師、房中術とは何かね?」

「他者と『気』を交わす術の事だよ。」

「ふむ、それをすると私にも『気』を感じ取れる様になるのかね?」

「少なくとも、それで妲己は感じ取れる様になったね。」

 

二郎がそう言った事で士郎が妲己に目を向けると、妲己は頬に手を当てて恥ずかしそうに身体をくねらせる。

 

その妲己の姿と王貴人の反応を見て、士郎も何かがおかしいと気付いた。

 

士郎の背中を冷や汗が流れる。

 

「老師…房中術とは、具体的に何をするのかね?」

「ん?簡単に言うと、王貴人と『ナニ』をいたしてもらうだけだよ。」

 

二郎のこの言葉で士郎は顎が外れんばかりに口を開いてしまう。

 

「な、何を言っているのかわかっているのか!?王貴人は敵なのだぞ!」

「そ、その通りです妲己姉様!こ、この者は敵なのですよ!」

 

初々しい反応を見せる二人に二郎と妲己は暖かい目を向ける。

 

「老師!」

「士郎、君は咸卦法を使えずに、この先の戦いで生き残れると思うかい?」

「っ!?そ、それは…。」

 

士郎は返答が出来ずに言葉が詰まる。

 

「王貴人、君は油断したとはいえ、力の劣る姜子牙にあっさりと捕らわれて、この先の戦いでも妲己の役に立てるのかい?」

「そ、それは…。」

 

王貴人は二郎の指摘に肩を落とす。

 

「俺や妲己の目から見て、二人がこの先も封神計画に関わっていくには力不足だ。その二人が折角の成長の機会を捨てるのかい?」

 

二郎の言葉に二人は拳を握り締める。

 

そして…。

 

「わ、わかりました!この者と房中術をいたします!」

「封神計画に参加する機会を逃せば、私の夢を成せる機会が次にいつ訪れるかわからない。ならば、私も王貴人と房中術をする事に否やはない!」

 

そう言い切った二人に二郎と妲己がニッコリと笑みを向ける。

 

その笑みを向けられた王貴人と士郎は察した。

 

あ、はめられた…と。

 

「それじゃ、邪魔者は去ろうか、妲己。」

「はい、楊ゼン様。」

 

二郎と妲己は並んで歩き去っていく。

 

そんな二人の背中を呆然と見送った王貴人と士郎は、顔を見合わせると揃って顔を真っ赤に染めたのだった。




次の投稿は13:00の予定です。


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第96話

本日投稿4話目です。


「い、一夜を共にしたからといって、気を許すと思うな!私達は敵なのだからな!」

 

房中術をして士郎と一夜を共にした王貴人が、寝台の上にて薄い掛け布団で身体を隠しながら士郎を威嚇する様に睨んでいる。

 

もっとも、そんな王貴人の顔は真っ赤に染まっているのだが…。

 

「…わかっているさ。」

 

苦笑いをしながら答える士郎に王貴人は不満気な表情をする。

 

「貴様、房中術は初めてと言っておきながら、妙に行為になれてなかったか?」

「魔術にも似たようなものがあってな。それでだろう。」

「ふんっ!ふしだらな奴め。」

 

頬を少し膨らませながらそっぽを向いた王貴人の姿に、士郎はまた苦笑いをする。

 

「さて、水浴びでもして身体を清めるとしようか。もっとも、私はこのまま君と一緒に寝台にいても構わんのだがね。」

「だ、誰がこれ以上貴様と一緒になどいるか!」

 

そう言って薄い掛け布団で身体を隠したまま立ち上がった王貴人は、着替えを手に取って寝室を小走りで去っていった。

 

僅かなからかいに見事な反応を見せた王貴人を見た士郎は、口元を片手で押さえてクスリと笑ったのだった。

 

 

 

 

「あらん?おはよう二人共♡もう少しゆっくりしてもよかったのよん?」

 

そう言いながら妲己は二郎に寄り添って酌をしている。

 

「おはようございます、妲己姉様。」

「少し顔付きが変わったわねん、王貴人ちゃん♡」

「そうでしょうか?」

「ふふ、女の顔になったわん♡」

 

片手を頬に当てた王貴人は不思議そうに首を傾げる。

 

「おはよう、士郎。気を感じ取る事は出来る様になったかな?」

「魔力とは違うものがある事はなんとなくだがわかるようになった。だが、はっきりと感じ取れているわけではない。」

 

士郎の答えに、二郎は顎に手を当てて考えだす。

 

「士郎と王貴人は相性がいいのかな?」

「そうねん♡王貴人ちゃんの力も成長しているみたいだし素晴らしいわん♡」

 

顔から火が出るかと思う程に恥ずかしい思いをしただけはあると、王貴人はホッと息を吐く。

 

「それじゃ、しばらくは二人に修行を続けさせようか。」

「ええ、そうしましょ♡」

「「…え?」」

 

二郎と妲己の会話に士郎と王貴人が同時に反応する。

 

「ちょ、ちょっと待て老師!僅かにだが『気』を感じ取れる様になったのだ!咸卦法の修行に移行するべきだろう!?」

「わ、私も幻術の修行をするべきだと思います!」

 

そう訴える士郎と王貴人の二人に、二郎と妲己はニコニコと笑みを浮かべている。

 

「士郎、王貴人、二人はお互いを相手に房中術をするのは嫌かな?」

「ひ、必要とあれば否やはない。」

「わ、私も必要なれば…。」

 

士郎と王貴人はお互いにチラチラと目を向けるが、目が合うとサッと逸らしてしまう。

 

もっとも、顔を赤くしているので悪い反応ではない。

 

そんな二人の反応を見た二郎は笑顔で立ち上がる。

 

「妲己、一年ぐらいしたら迎えに来るから。その間、士郎を頼むよ。」

「了解よ~ん♡」

 

片目を瞑って二郎に返事をした妲己は、自分も立ち上がって二郎に口付けをする。

 

「士郎、房中術以外の修行も自分で続けなよ。王貴人と手合わせをするのもいいかもね。妲己に神酒と霊薬を渡しておくからさ。」

 

そう言いながら妲己に物を渡した二郎は哮天犬に乗って殷の都を去っていった。

 

一人敵地に残された士郎は、片手で頭を抱えて大きなため息を吐いたのだった。

 

 

 

 

封神演義の物語の中で妲己に敗れた姜子牙達が崑崙山にて修行をする場面があるのだが、その修行において士郎一人だけが二郎真君に別の場所につれて行かれている描写がある。

 

この士郎がつれて行かれた場所はハッキリとしないのだが、その修行の後に道教の基本である『気』の扱いを体得した事から良き修行であったのだろう。

 

一説によればこの修行の過程で士郎は王貴人と仲を深めたとあるのだが、この修行の少し前に敵対したばかりという事もあって真偽の程は定かではなかったのだった。




次の投稿は15:00の予定です。


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第97話

本日投稿5話目です。


「女狐め…紂王様に幻術を掛けて飛虎の奥方に懸想をさせるとは何を考えている…。」

 

杯を片手に眉間に皺を寄せてそう呟くのは殷の大師(軍師)である聞仲である。

 

「酔った上での戯れとして飛虎は誤魔化したが、生来の女好きである紂王様は幻術が解けても飛虎の奥方への懸想は変わらぬだろう。頭の痛い事だ…。」

 

紂王は中華の地に根付く人身御供の考えに疑問を持ち、その機会を減らした功績を少なからず評価されているのだが、それ以上に酒池肉林の贅沢三昧を楽しむ醜態が外聞を悪くしている。

 

一つ息を吐いた聞仲は顎に手を当てて思考を巡らせる。

 

(私の目がある内は紂王様も飛虎の奥方に手を出さぬだろうが、それでは姫昌と伯邑考の処刑の為に動く事が出来ぬ…。女狐の思惑通りというのは気に入らぬな。)

 

聞仲の脳裏に幾つもの案が浮かんでいく。

 

「後の殷の為にも、紂王様には多少の荒療治が必要かもしれぬな。例え、それで飛虎が犠牲になるのだとしてもだ…。」

 

虚空を鋭く睨む聞仲の目には、殷の為には友をも切り捨てる覚悟が宿っていた。

 

「女狐め…忠誠を誓い数百年仕えてきたこの殷を、貴様の好きにはさせぬ。」

 

杯の中の酒を飲み干した聞仲は、杯を握り砕いて立ち上がったのだった。

 

 

 

 

聞仲が杯を握り砕いた頃、崑崙山に戻った二郎は姜子牙達と手合わせをしていた。

 

「哪吒、正面からばかりでなく左右背後からも仕掛けよ!李靖!お主は石でも何でもいいから二郎真君様に投げて少しは注意を引かぬか!」

「姜子牙殿!無茶を言わんでください!」

 

二郎を相手に三人で挑んでいる姜子達は、姜子牙の指揮で立ち回っている。

 

もっとも、二郎の間合いに入ったら一蹴されるので、それぞれがなんとか距離を保とうとしながら戦っているのだが…。

 

しかし、そんな姜子牙達の立ち回りは二郎にあっさりと破られる。

 

「いたぁ!?」

 

一切の予備動作を察知させぬ瞬動で距離を詰めた二郎が、李靖の額を指で弾く。

 

痛みのあまりに地を転げ回る李靖の姿に、姜子牙は頭を抱えたい思いを堪えて哪吒に指示を出す。

 

「哪吒!空を飛び、二郎真君様の真上から仕掛けよ!」

「お前が指図をするな。」

 

士郎にあっさりと負けた姜子牙の実力を疑っている哪吒は、姜子牙の指示を無視して正面から二郎に仕掛けていく。

 

そんな哪吒に対して二郎は、李靖と同じ様に指で額を弾いた。

 

「うっ!?」

 

指で額を弾かれただけで脳を揺らされた哪吒は、フラフラとした足取りで歩いた後に地へと膝をついた。

 

「疾っ(ちっ)!」

 

李靖と哪吒が復帰する時間を稼ぐ為に打神鞭を振るって風の刃を放った姜子牙だったが、次の瞬間には驚いて目を見開く。

 

何故なら、瞬きをする間に二郎の姿が消えたからだ。

 

「まだまだ経験不足かな。想定外の事態にも素早く対処出来る様にならないとね。」

 

瞬動で姜子牙の直ぐ横に移動していた二郎が姜子牙の額を指で弾く。

 

すると、その一撃だけで目を回した姜子牙は地へと倒れたのだった。

 

 

 

 

「大丈夫っすか、ご主人?」

「う~ん、まだ地が揺れておるのう…。」

 

桶の水に浸した布を絞りながら四不象が地に横たわる姜子牙に話し掛けると、姜子牙は痛む額を左手で押さえながら呻く。

 

「ほら、これで冷やすといいっすよ。」

「それよりも神酒を飲みたいのう。」

「ダメっス!少しは痛みに慣れないといけないって二郎真君様がおっしゃっていたっス!」

 

そう言いながら四不象が額に布を乗せると、姜子牙はひんやりとした感触に大きく息を吐いた。

 

「これは心地良いのう。」

「李靖さんや哪吒くんも我慢してるんだから、ご主人も我慢するっすよ。」

 

そう言うと四不象は姜子牙と同じ様に横になっている哪吒達の元に向かった。

 

「はぁ…儂は成長出来ているのかのう…?」

「封神計画を始めたばかりの頃よりは、確実に成長出来ているよ。」

 

自身の一人言に二郎の返事を聞いた姜子牙は、地へと身体を横たえたまま二郎に目を向ける。

 

「でも、姜子牙には経験以上に覚悟が足りないかな。」

「儂は中華の民を犠牲にしたくは無いのだがのう…。」

「そういう我儘を言うには実力が圧倒的に足りないね。少なくとも今のままでは、他人だけでなく仲間にも犠牲が出てしまうよ。」

 

二郎の言葉に姜子牙は拳を握り締める。

 

「かつて戦や流行り病の際に、民に一人も犠牲を出さなかった偉大な王がいたよ。」

「二郎真君様、その王とは?」

「千年近く前の時代にウルクで賢王と呼ばれた男。その者の名はギルガメッシュ…俺の友だよ。」

 

柔らかな笑みを浮かべて虚空を見詰める二郎を見た姜子牙は内心で驚く。

 

(二郎真君様もこんな表情をするのだのう…。)

 

中華の地にて隠れなき武名を誇る二郎は、その在り方そのものが中華に生きる者達の憧れである。

 

そんな二郎に友と呼ばれる存在がいたことを、姜子牙は初めて知った。

 

(怠け者な儂にも、いつの日か士郎を友と誇る事が出来るであろうか…?)

 

額に乗せていた布で目を覆った姜子牙は思考を巡らせていく。

 

そして姜子牙は元始天尊の命で行っていた封神計画を、己の意思で行う事を決意したのだった。




これで本日の投稿は終わりです。

また来週お会いしましょう。


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第98話

本日投稿1話目です。


「士郎、一つ聞いてもいいだろうか?」

「何かね、王貴人。」

「お前は何が目的で封神計画に参加している?」

 

士郎が殷の都に置き去りにされてから半年程が経っていた。

 

その間に士郎は王貴人と房中術の後にこうして会話をするぐらいには仲を深めていた。

 

まぁ、そんな二人の仲を妲己がからかって楽しんでいるのだが…。

 

「そうだな…一言で言えば、英雄になるのが私の目的だ。」

「英雄に?」

「子供っぽいと笑うかね?」

「名を上げたい、残したいと思うのは不自然な事では無いだろう。」

 

寝台の上で横になり会話をする二人の姿はまるで恋人の様である。

 

もっとも、その事でからかった胡喜媚は二人に追い回されたのだが…。

 

「王貴人、君の方はどうなのかね?」

「…私は恩返しと復讐。」

「恩返しと復讐?」

「今の中華ではありふれた話だ…。」

 

寝台の横に置いてある水を一口飲んでから王貴人が話し出す。

 

「私の一族は殷に滅ぼされた。私一人が生き残ったけれど、力も無い女一人では無事に生き抜けるわけもなく、奴隷として男達の慰みものにされそうになった…。そこを竜吉公主様の屋敷に向かう途中だった妲己姉様に助けていただいたのだ。」

「…そうかね。」

「そんな顔をするな、私達は敵なのだぞ。」

 

そう言う王貴人だが、士郎の反応を嬉しく思っているのか笑顔である。

 

ちなみに、王貴人を助けた時の妲己が竜吉公主の屋敷に向かっていたのは二郎に会うのが目的だった。

 

そういった意味で言えば、王貴人が妲己の義妹になれたのは二郎が関わっているとも言えるだろう。

 

「さぁ、もう寝るぞ。寝不足の顔を見せたら、また妲己姉様にからかわれるからな。」

「…あぁ。」

 

目を閉じた王貴人の横顔をチラリと見た士郎は、寝入る前に思考していく。

 

(敵である彼女を救いたいと思うのは間違いだろうか…?)

 

房中術の修行とはいえ、こうして関係を持った王貴人の事を士郎は生き残らせたいと思った。

 

(生真面目な王貴人は、どこか憧れた『彼女』に似ている…。いや、少しうっかりな所を考えれば『彼女』だろうか?)

 

士郎の脳裏に浮かぶのは前世で出会った二人の女性である。

 

一人は金髪碧眼の美少女で、もう一人は黒髪の美少女であった。

 

その二人を師とした記憶もあれば、何気ない日常の微笑ましい記録もある。

 

(力も無く未熟だった『俺』ならば、救うという言葉だけで終わっただろうな…。)

 

士郎はもう一度王貴人の横顔を見ると笑みを浮かべる。

 

(心の贅肉か…英雄になるのならば、そのぐらいは背負ってみせるさ。)

 

 

 

 

「どうやら修行は順調にいったみたいだね。」

 

士郎が殷の都に置き去りにされてから一年近くが経ち、二郎が士郎を迎えに来ていた。

 

そんな二郎は今、士郎と王貴人の手合わせを見ている。

 

「そうよん♡王貴人ちゃんも並みの仙人相手なら問題無く幻術に掛けられる様になったわん♡」

「その王貴人の幻術に抗いつつ、ああして戦えるまでに士郎は成長したんだね。まぁ、二人共まだまだ甘い所がたくさんあるようだけど。」

「そうねん♡でも、最低限の準備は出来たってところかしらん?」

 

妲己と二郎が会話をしている間も、士郎と王貴人は手合わせを続けている。

 

二人の手合わせは始めてから既に四半刻(30分)は経過していた。

 

「妲己、姫昌と黄飛虎の方はどうだい?」

「後三十日ってところねん♡」

「わかった。それじゃ、その時に姜子牙達を迎えにやるよ。」

 

二郎の言葉に妲己が微笑む。

 

「姜子牙ちゃん達は聞仲ちゃんとどれだけ戦えるかしらん?」

「さてね、その時のお楽しみってところかな。」

 

二郎と妲己の会話が終わりとなった頃に士郎と王貴人の手合わせも終わりを迎える。

 

負けた王貴人が真面目な表情のまま拗ねた様に頬を膨らませると、それを見た士郎は困った様に頬を掻きながら苦笑いをしたのだった。




本日は5話投稿します。

次の投稿は9:00の予定です。


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第99話

本日投稿2話目です。


「士郎、私以外の者にやられるなど承知しないぞ。」

「ほう?心配してくれるのかね?」

「だ、誰がお前を心配するものか!」

 

房中術の修行を始めてから一年近くが経ち、士郎が崑崙山に戻る時がやって来た。

 

今、王貴人と士郎は別れの挨拶をしているのである。

 

「王貴人、君こそ気をつけるのだな。どうも君はうっかりなところがあるからな。」

「誰がうっかりだ!」

 

顔を赤くして叫ぶ王貴人の姿に士郎は笑いを堪える。

 

「さて、そろそろ行くよ。」

 

二郎の言葉で士郎と王貴人は見詰め合う。

 

そして…。

 

「また会おう、王貴人。」

「…ふんっ!士郎が生きていたらな。」

 

そんな王貴人の態度に笑みを浮かべた士郎は二郎と共に哮天犬に乗って去っていった。

 

士郎達が去っていった空を、王貴人は見続けている。

 

「王貴人ちゃん、寂しいのかしらん?」

「だ、妲己姉様!?」

 

瞬時に顔を真っ赤に染めた王貴人だったが、妲己の言葉を否定しない。

 

「もう少し素直になったらどうかしらん?」

「…私と士郎は敵ですから。」

「うふん、そんなのは関係ないわよん。私と楊ゼン様も敵と言えるのだものん。」

「二郎真君様は敵味方以前の問題だと思いますが…。」

 

そう言いながら王貴人は苦笑いをするが、不意に俯いて表情を暗くする。

 

「少なくとも、私と士郎にはワガママを押し通す力はありません。」

「確かに王貴人ちゃんと士郎ちゃんにはその力は無いわねん。」

「はい…でも、今はです。」

 

王貴人は顔を上げると笑みを浮かべた。

 

「今の私は戦いに私情を持ち込む余裕はありません。ですが、これから先もそうあり続けるつもりはありません。」

「ふふ、いい顔をする様になったわねん、王貴人ちゃん。」

 

王貴人の答えに満足した妲己は上機嫌に微笑みながら歩き出す。

 

歩き出した妲己を見た王貴人は一度士郎達が去っていった空に振り向いて微笑むと、妲己の背に追い付く為に走り出したのだった。

 

 

 

 

「士郎、肩肘の力が抜けている所を見ると、どうやら有意義な日々を送れた様だね。」

「…そう見えるかね?」

「少なくとも、俺にはそう見えるね。」

 

二郎に指摘されて自然体になっている事を自覚した士郎は苦笑いをする。

 

「夢が叶うと意気込み過ぎていたという事か…。」

「かもしれないね。さて、士郎は王貴人をどうしたいのかな?」

「察していて聞いてくるのは性質が悪いと思うが?」

「生憎、千年生きても人の心はわからないよ。」

 

微笑みながら振り返った二郎がそう言うと、士郎はため息を吐く。

 

「彼女を救いたい。」

「そうかい。」

「老師、否定しないのかね?」

「思うのは自由だよ。それを成せるかは別だけどね。」

 

確かにと納得した士郎はため息を一つ吐いてから話し出す。

 

「前世の私の師が言うには心の贅肉なのだそうだ。」

「心の贅肉?」

「効率良く目的を成す、それ以外の行動は心の贅肉と言っていた。」

「心の贅肉か…大いに結構だね。」

 

心の贅肉を肯定する二郎に士郎は驚く。

 

「士郎の前世の師の言葉を借りるなら、心の贅肉を余すことなく背負って生き抜いた男がいたよ。」

「人類史上最高の賢王、ギルガメッシュの事かね?」

「そう、俺の自慢の友だよ。」

「ワンッ!」

 

二郎の言葉に続く様に哮天犬が哮えると、二郎は哮天犬の頭を撫でる。

 

「ギルガメッシュの様に全てとはいかないだろうけど、士郎にも心の贅肉の一つや二つは背負える様に鍛えてあげるよ。」

「あぁ、よろしく頼むよ、老師。」

 

風が頬を撫でると士郎は風につられる様に振り向く。

 

そしてその振り向いた先が殷の都の方角だと気が付くと、士郎は見えぬ先にいる王貴人に微笑んだのだった。




次の投稿は11:00の予定です。


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第100話

本日投稿3話目です。


「姜子牙、一つ頼みを聞いてくれるかな?」

「何でしょうかのう?二郎真君様。」

「君と士郎、そして哪吒にある人物を護送してほしいんだ。」

 

士郎が殷の都から戻って三十日程が経った頃、二郎は修行を始める前に姜子牙達に頼み事をした。

 

これは以前から妲己と話し合っていた事なのだが、姜子牙はおろか直弟子である士郎も知らない事である。

 

「ある人物?」

「その者の名は姫昌、今の中華では珍しい優秀な為政者だよ。」

 

姜子牙は二郎の言葉で姫昌に興味を持つ。

 

(二郎真君様に優秀と称される為政者か…。これを機会に面識を得るべきだのう。)

 

顎に手を当ててそう考えた姜子牙は二郎に包拳礼をする。

 

「姫昌殿の護送の任、承ります!」

「そう固くならずに気楽にいきなよ。」

 

笑みを浮かべる二郎に姜子牙は苦笑いを堪える。

 

(二郎真君様にとっては気楽な事でも、儂達にとっては修羅場という事もあるからのう…。)

 

二郎による一年の修行でそれを嫌という程に思い知った姜子牙は警戒をする。

 

「それで二郎真君様、姫昌殿はどこに迎えにいけばいいのですかのう?」

「殷の都だよ。」

 

二郎の返答に姜子牙は顎が外れんばかりに大きく口を開けてしまう。

 

そして、自分の警戒は間違いでは無かったと頭を抱えてため息を吐いたのだった。

 

 

 

 

「ご主人、大丈夫っすかね?」

「さて…どうかのう?」

 

二郎の頼みで姫昌の護送の為に殷の都に向かっている姜子牙一行は、不安な気持ちを拭えない。

 

「士郎よ、何か聞いておらぬか?」

「生憎、私も何も聞いておらんよ。」

 

肩を竦める士郎に姜子牙はため息を吐く。

 

「お前達、不満なら帰れ。二郎真君様の命は俺が果たす。」

「それが出来たら楽なんだがのう…。」

 

哪吒の言葉に少し心が揺れた姜子牙だが、任を辞めるつもりは無い。

 

(儂達を指名したのは相応の事が起こるからだろうのう…。全員無事に戻れたらよいのだが…。)

 

そう考えながら頭を掻く姜子牙に、四不象が声を掛ける。

 

「ご主人、殷の都が見えてきたっすよ。」

 

四不象の言葉で前方に目を向けた姜子牙は頬を掻く。

 

(さて、何が起こる事やら…まぁ、今は事の成り行きに任せるしかないのう…。)

 

不安を誤魔化す様に打神鞭に触れた姜子牙は、また大きくため息を吐いたのだった。

 

 

 

 

「よし!お前達、準備は出来てるな?」

「はい、貴方。」

 

黄飛虎が問い掛けると彼の妻である賈氏が答える。

 

「ごめんなさい、貴方。」

「謝るな、賈氏。惚れた女の為に代々仕えた国を捨てる馬鹿が一人ぐらいいてもいいだろうさ。」

 

そう言って豪快に笑う黄飛虎の姿に賈氏は頬を赤く染めながら微笑む。

 

「しかし父上、どこに逃げるのでしょうか?」

 

黄飛虎の長子である黄天化が問い掛けると、黄飛虎は頬を掻く。

 

「それなんだが…姫昌殿を頼らせてもらおうと思ってる。」

「姫昌殿?という事は西岐に向かうのですか?」

「あぁ、そうだ。」

 

ニッと笑いながらそう言う黄飛虎は自身の背丈より長い金属製の棍で肩を叩きながら、空いている手で顎を擦る。

 

「俺達が逃げれば聞仲は間違いなく追手を出す。そうなると、追手が軽々に手を出せねぇ場所に逃げなきゃならねぇからな。」

「それで西岐に逃げると…ですが貴方、姫昌殿は都に幽閉されているのでは?」

「おうよ!だから、姫昌殿をつれだすのさ!」

 

そう言う黄飛虎に彼の黄一族の者達は揃ってため息を吐く。

 

「さて、お前達は先に都の門まで行っててくれ。それと姫昌殿と一緒に妹もつれてくる。紂王様の後宮に残して行っても聞仲に処刑されちまうだろうからな。天化、皆を頼んだぞ。」

 

黄一族の者達が荷を背負って歩き出すと、黄飛虎はこれから逃げるとは思えぬ程に堂々と歩き出したのだった。

 

その思考が妲己の幻術による誘導だと気が付かぬままに…。




次の投稿は13:00の予定です。


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第101話

本日投稿4話目です。


「…朝か。」

 

朝陽が目に入り目覚めた伯邑考は寝台から身体を起こして目を擦る。

 

すると…。

 

「おはよう、伯邑考。久しぶりだな。」

 

聞こえてきた声で伯邑考は一気に目覚める。

 

「父上!?」

 

聞こえてきた声の方向に伯邑考は勢いよく顔を向ける。

 

そこには父である姫昌の姿があった。

 

伯邑考は急ぎ寝台を下りて、姫昌に包拳礼をする。

 

「父上、お久しぶりでございます!」

「うむ、元気そうでなによりだ。」

「しかし父上、何故に私の幽閉されている屋敷にいるのでしょうか?」

 

伯邑考の疑問の声に、姫昌は笑みを浮かべながら顎髭を撫でる。

 

「伯邑考よ、よく周りを見てみるがよい。」

 

姫昌の言葉に頷き、伯邑考は周囲を観察する。

 

すると…。

 

「ここは…私の幽閉されている場所ではない?」

「その通り、ここは私が幽閉されている場所だ。」

 

伯邑考は驚いて目を見開く。

 

「な、何故に私は父上の幽閉されている場所に…?」

「その答えは簡単だ。そちらにいるお方がお前をつれてきてくださったのだ。」

 

姫昌が包拳礼をしながら頭を下げる方向に伯邑考は目を向ける。

 

そこには年若く見える一人の男がいた。

 

「父上…そちらの御仁は?」

「伯邑考、お前のその素直に人に聞く性分は好ましいものだ。だが、少しは自身で考える事も身に付けなくてはな。無礼にならぬ様に気を付けて、そちらのお方をよく見よ。」

 

伯邑考は姫昌の言葉に従い、自然体で立つ男を観察する。

 

(額に赤い紋様がある…ということは仙人だろうか?そして、背まで伸びた青い髪…まさか!?)

 

男の正体に察しがついた伯邑考は慌てて片膝をついて包拳礼をする。

 

「お初にお目にかかります。私は姫伯邑考と申し、そこな姫昌の息子です。」

「おはよう、伯邑考。俺は二郎真君だよ。」

 

男の名乗りに伯邑考は顔を紅潮させて身を振るわせる。

 

中華の者ならば誰もが知る武神にお目にかかれたからだ。

 

「勝手にここまで運んで悪かったね。」

「いえ、父上にお会い出来た事を考えれば些細な問題です。」

「私からも礼を言わせてもらいますぞ、二郎真君様。」

 

隣に並んで片膝をついて包拳礼をする姫昌を横目で見た伯邑考は、これは夢なのではないかと頬を引っ張りたい気持ちを堪える。

 

「さて、食事にしようか。君達の故郷への帰還の前祝いって感じでね。」

「私達の帰還…ですか?」

 

思わず顔を上げて疑問の声を出してしまった伯邑考は慌てて顔を伏せる。

 

「そう畏まらずともいいよ、伯邑考。」

「し、しかし…。」

「姫昌はもう食べる為に座っているよ。君も座ったらどうだい?」

 

二郎の言葉につられて顔を上げると、そこにはなに食わぬ顔で膳を前にした姫昌の姿があった。

 

「父上!?」

「伯邑考よ、真面目なのは美徳だが、固すぎるのはつまらぬだけだぞ。ホッホッホッ!」

 

そう言って笑った姫昌は竹の水筒を掲げ、二郎と共に酒を楽しんでいく。

 

その様子を見た伯邑考は、やはり夢だと頬を思いっきり引っ張ったのだった。

 

 

 

 

「いやはや、二郎真君様は拳法だけでなく、料理の腕も見事なのですなぁ。」

「満足してもらえた様でなによりだよ。」

 

食事を終えて竹の水筒に入っている神酒をちびちびと飲んでいる伯邑考は、まだ夢なのではないかと疑っていた。

 

「それで、私達はこの後どうすればよいので?」

「この後、黄飛虎が君達を迎えに来るから、一緒に行ってくれればいいよ。」

「黄将軍が?黄将軍は一族代々に渡って殷に仕えてきたお方ですが…?」

 

伯邑考の疑問に二郎は神酒を一口飲んでから答える。

 

「紂王が黄飛虎の奥方に懸想をしてね。」

「なるほど、それで黄将軍は殷を捨てて西岐に向かう為に私達を連れて行こうというわけですな。」

 

二郎と自然に会話をする姫昌の姿に、伯邑考は驚きを隠せない。

 

(父上は凄い人だとわかっていたが、まさか二郎真君様とお話を出来る程だとは思わなかった。)

 

姫昌への尊敬の念を改めた伯邑考はグイッと神酒を飲み干す。

 

「それと、都の外に君達を護送する者達が来ているから、それを黄飛虎に上手く伝えてくれるかい?」

「ふむ、やはり聞仲は追手を出しますか?」

「面子に関わる事だからね。間違いなく追手を出すよ。」

 

今の時代、神だけでなく人にとっても面子は何よりも大事なものだと考えられていた。

 

それこそ、面子の為に決闘にすら発展してしまう程に…。

 

「私にはあまり理解出来ない感覚ですな。」

「だからこそ、聞仲は君を警戒しているんだろうね。」

「面子で民を食わせる事は出来ませんからな、ホッホッホッ!」

 

姫昌が朗らかに笑うと、二郎が微笑みながら立ち上がる。

 

「君達を護送する者達は姜子牙、士郎、哪吒の三人と霊獣の四不象だよ。それじゃ、西岐までの旅を楽しんでね。」

 

二郎はそう言うと、姫昌と伯邑考が瞬きをする間に姿を消した。

 

「父上…。」

「さて、伯邑考よ。帰るとしようか。」

 

そう言って姫昌は立ち上がると、幽閉されている屋敷の入り口に向かって歩き出す。

 

すると…。

 

「姫昌殿が幽閉されているのはここか?」

 

一人の女性を伴った黄飛虎が堂々と歩いてやって来たのだった。




次の投稿は15:00の予定です。


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第102話

本日投稿5話目です。


「これはこれは黄将軍、お久しぶりですな。」

「おう!久しぶりだな、姫昌殿!」

「して、此度は如何用で?」

 

事情を知りながらも笑みを浮かべてしれっと用件を訊ねる父の姿に、伯邑考は苦笑いを堪える。

 

「姫昌殿、故郷に帰りたくないか?」

「もちろん帰りたいですとも。妻達や子供達にも会いたいですからな。」

「よし!それじゃ、俺と一緒に行こうぜ!」

 

姫昌は笑顔でそう言う黄飛虎から目を外して、黄飛虎の後ろに控える女性へと目を向ける。

 

「それは王妃様もご一緒にという事ですかな?」

 

姫昌の指摘に黄飛虎は頭を掻きながら苦笑いをする。

 

「実は殷にいられねぇ事情が出来ちまってな。話すと長いから聞きたいなら道々で話すぜ。」

「ふむ、ちょうど良かったと言うべきですかな?」

 

姫昌の言葉に黄飛虎が首を傾げると、姫昌は微笑みながら話し出す。

 

「実は私と息子の処刑の噂を聞いた私の手の者が、都の外に迎えを寄越しておりましてな。」

「確かに、それはちょうどいいな。正直な話、俺一人じゃあ聞仲が放つ追手を相手するのは厳しいかもしれねぇからな。」

「ホッホッホッ!正直なことですな!」

 

黄飛虎は姫昌と一緒に笑うと、姫昌と一緒に誰かが中にいる事に気付く。

 

「あん?…まさか、伯邑考殿か?」

「お久しぶりです、黄将軍。」

「ちょっと待て、確か、伯邑考殿は別の場所に幽閉されていた筈じゃねぇか?」

「それは…。」

 

まだ若く腹芸の出来ない伯邑考は答えに詰まる。

 

そんな伯邑考に姫昌が助け船を出す。

 

「事情はわかりませんが、今朝早くに伯邑考はつれてこられましたぞ。」

「つれてこられたぁ?」

「私はてっきり処刑の日取りが決まり、息子と別れをさせようとしたのだと思ったのですが…まぁ、それで私の手の者が都の外に迎えを寄越したのですがな。」

 

豪快が服を着て歩いている様な黄飛虎だが、あまりに都合がいい状況に頭を掻く。

 

(聞仲の謀か?…わかんねぇなぁ…。)

 

兵の先に立ち、敵に立ち向かう武人である黄飛虎は、あまり策を用いるのを得意としていない。

 

今の時代の戦は一人の英雄が兵の先に立って戦うのが普通であり、聞仲の様に後方から用兵をするのは珍しい部類なのだ。

 

(…まぁ、いいか。俺の勘じゃあ、悪い様にはなりそうにねぇからな。)

 

気持ちをきりかえる為にため息を吐いた黄飛虎はニッと笑う。

 

「姫昌殿、少し下がってくれ。俺が棍を一振りして柵を壊すからよ。」

「相変わらず豪快ですな、ホッホッホッ!」

 

朗らかに笑いながら姫昌が下がると、黄飛虎は片手に持っていた金属製の棍で柵を破壊する。

 

柵が破壊されたのを見た姫昌は外に出て陽の光を浴びると背伸びをする。

 

そんな父の姿を見た伯邑考は、黄飛虎に負けない豪胆さを持った父を改めて尊敬したのだった。

 

 

 

 

「ご主人、僕達は待っているだけでいいんすか?」

「二郎真君様は迎えに行けとしか言っておらんかったからのう。」

 

殷の都の外で隠れる様にして待機する姜子牙一行は、目的の人物が中々出てこない事に焦れていた。

 

「噂をすればといったところだな。尚、それらしき人物が出てきたぞ。」

 

士郎の言葉で姜子牙と四不象は都の方に目を凝らすが、砂粒程度の人影しか見えず、目を細めた。

 

「よく見えるのう…。」

「士郎さんは目がいいっすね。どこまで見えるんすか?」

「地の果てに隠れるところまでだな。」

「まるで仙人の千里眼の様だのう…。」

 

魔術による強化を用いてではあるが、その士郎の驚異的な視力に姜子牙は呆れた様に苦笑いをする。

 

「さてと、それじゃ行くとするかのう。もし人違いだったら逃げるつもりでのう。」

 

当然の様に逃げるという姜子牙に哪吒は不満を隠さずにジト目を向ける。

 

そんな自身の視線を気にせずに動き出した姜子牙達の背を見た哪吒は、鼻を一つ鳴らしてから姜子牙達の後を追ったのだった。




これで本日の投稿は終わりです。

また来週お会いしましょう。


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第103話

本日投稿1話目です。


姫昌達と合流した姜子牙達は、姫昌達に自分達の事をどのように説明するのか迷ったが、姫昌が黄飛虎に自身の手の者が手配した者達だと説明した。

 

この姫昌の言葉に姜子牙達は驚いたが、おそらくは二郎が手を回していたのだと納得をして状況を受け入れ、今は殷の都から西岐に向かって旅を始めていた。

 

「姫昌殿、大丈夫かのう?無理をせずにスープーに乗っても構わんのだが…。」

「姜子牙殿、心遣い感謝します。ですが、大丈夫ですぞ。」

 

そう答えた姫昌は淀みない足取りで歩き続けている。

 

(黄将軍の話では姫昌殿は何年も幽閉されていたとの事だが、足腰が達者だのう。)

 

姫昌の髪や髭は白んでいるが、その年齢を感じさせない足取りに姜子牙は内心で首を傾げる。

 

(まぁ、この事に二郎真君様が関わっているのなら、あまり深く考えない様にしようかのう。)

 

仙人の中でも飛び抜けた力を持つ二郎の行動は、姜子牙の常識では計れず度々頭を悩ませている。

 

その為、最近の姜子牙は二郎とはそういう者だと、ある意味で達観して考える様になっていた。

 

「私よりも、ご婦人方や子供達を乗せてはいかがですかな?」

「儂が言わずとも、もう乗っておるのう…。」

 

そう言って四不象の方に振り向くと、そこには四不象の背ではしゃぐ黄一族の子供達の姿があった。

 

「すまねぇな、姜子牙殿。」

「気にせんでよい、黄将軍。歩みが遅れれば、それだけ面倒が起きる可能性が高いからのう。」

「そうか、悪いな。それと、西岐に真っ直ぐ向かって大丈夫なのか?」

 

黄飛虎の疑問に姜子牙は人差し指を立てて答える。

 

「回り道をして戦力の補充をする宛があるのならそれも良いのだが、無いのなら食料補充の為に町に寄る程度にして最短距離を進むのが得策だのう。」

「しかし、それじゃあ聞仲の放つ追手に追いつかれるぜ?」

 

そう言う黄飛虎の疑問に姜子牙は淀みなく答える。

 

「どちらにしろ追いつかれるであろうのう。ならば、女子供の体力を考えて近道を行くのが一番であろうよ。」

「すまねぇな。」

「構わんよ、儂の仕事はお主達を護送する事だからのう。」

 

そう言うと姜子牙は一行の最後方で警戒をする士郎の元に向かう。

 

「士郎、追手は見えぬか?」

「天地の果てに人影は見えんよ…今のところはな。」

「やはり、士郎も追手はあると思うかのう?」

「追手がなければ老師は私達に護送をさせないだろうな。」

 

士郎の言葉に姜子牙はため息を吐く。

 

「どんな追手が来るのかのう…?」

「私達三人で相手をせねばならない…そんな相手だろうな。」

 

そう言って士郎がため息を吐くと、姜子牙もつられる様にもう一度ため息を吐いたのだった。

 

 

 

 

「報告ご苦労、後は予定通りに動け。」

 

配下の報告を聞いた聞仲は配下を下がらせると笑みを浮かべる。

 

「姫昌と伯邑考も連れ出すとはな…手間が省けたぞ、飛虎。」

 

聞仲は霊獣の黒麒麟を呼び出すと、その背に跨がり空へと飛び立つ。

 

「女狐の思惑通りに都を空けるのは癪だが、その為の準備は整えてある。全てが貴様の思惑通りにいくとは思わぬ事だ。」

 

周到に準備をして紂王の周囲に結界を張り、自身が戻るまでの間は幻術を抑えられるだろうと確信をする聞仲は不敵な笑みを浮かべる。

 

「女狐、姫昌を殺し西岐の力を削いだ後は貴様の番だ。首を洗って待っているのだな。」

 

跨がった聞仲が腹を軽く蹴ると、黒麒麟は風を切って空を駆ける。

 

聞仲が都を去るのを見ていた妲己は、誰もが見惚れる程の妖艶な笑みを浮かべたのだった。




本日は5話投稿します。

次の投稿は9:00の予定です。


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第104話

本日投稿2話目です。


姜子牙一行は順調に旅を続けていたが、黄一族の子供達に疲れが見え始めた。

 

「ふむ、そろそろ一休みといこうかのう。」

 

この姜子牙の提案に黄一族の子供達は喜びの声を上げる。

 

だが…。

 

「尚、どうやら一休みは出来なさそうだ。」

 

そう言いながら士郎は殷の都の方角の空を睨む。

 

そんな士郎の姿につられる様に一行は空へと目を向ける。

 

そして数秒程空を見ていると、黒い影の様なものが見えてきた。

 

その黒い影を見た黄飛虎は驚いて目を見開く。

 

「嘘だろ?なんであいつが直接来るんだ?」

 

冷や汗を流している黄飛虎を見た姜子牙が問いを投げる。

 

「黄将軍、あやつは何者なのかのう?」

「…あいつは聞仲。殷の大師(軍師)だ。」

「それは大物だのう…。」

 

黄飛虎から目を外して空に目を向けると、豆粒の様だった黒い影が姜子牙にも見えるくらいに近付いて来ていた。

 

(あれは霊獣?霊獣を持つのは仙人か師に認められた道士なのだが…どちらかのう?)

 

前者後者問わずに今の自分達では荷が重い相手だと認識して、姜子牙は思考を巡らせていく。

 

(儂達の目的は姫昌殿の護送…無理にあやつに勝つ必要は無い。さて、どう切り抜けようかのう?)

 

顎に手を当て聞仲を観察する姜子牙の頭には、幾つもの策が浮かび上がっていくのだった。

 

 

 

 

「聞仲、なんでお前が直接追ってきた?」

 

黒麒麟に跨がって空から下りてきた聞仲を、黄飛虎は冷や汗を流しながら睨む。

 

「罪人を確実に処刑する為だ。」

「罪人だと?家族を守ろうとするのが罪だってのか!?」

「…それに関しては私も口添えをするつもりだ。」

「はっ!お前が何度口酸っぱく言おうが、紂王が改めた事なんざねぇだろうが!」

 

黄飛虎が紂王に敬称をつけなかった事に一瞬眉を寄せた聞仲だが、それを流して黄飛虎に問い掛ける。

 

「その事は置いておこう。だが、幽閉していた姫昌を連れ出したのは間違いなく罪だ。」

「ほう?姫昌殿は何の罪を犯して幽閉されてたんだ?」

「飛虎がそれを知る必要は無い。」

「罪なんざねぇんだろ?お前にとって姫昌殿が邪魔だから幽閉してたんじゃねぇのか?」

 

直ぐに言葉を返さない聞仲に黄飛虎は苛立つ。

 

「答えろ、聞仲!」

「…その者の存在は殷の為にならない。」

「殷の為だぁ?姫昌殿は十分に民を安んじてるだろうが!」

「それが殷にとって邪魔なのだよ、飛虎。」

「ふざけんなぁ!」

 

戦場で万の兵に声を届ける為に鍛えられた黄飛虎の声が、怒気を伴ってこの場に響き渡る。

 

しかし、聞仲は微塵も怯まない。

 

「飛虎、姫昌の首を差し出し、殷に戻るのなら命は助けよう。」

「聞仲よぅ、曲がりなりにも、てめぇとは友だと思ってた。」

「私もそうだ。」

「ならよぅ、俺の答えもわかんだろう?」

 

そう言うと黄飛虎は肩に背負っていた金属製の棍を一振りする。

 

「残念だよ、飛虎。」

 

聞仲は黒麒麟から下りると、懐から鞭の様な宝貝を取り出す。

 

「天化!皆を連れて西岐まで出来るだけ走れ!」

「父上!俺も戦います!」

「毛も生えてねぇ子供はすっこんでろ!早く行け!」

 

黄一族と姫親子がこの場を離れようとすると、逃さぬとばかりに聞仲が鞭の宝貝を構える。

 

すると…。

 

「勝手に話を進めないでくれるかのう?」

 

緊迫した場に似つかわしく無い少々間の抜けた声が通る。

 

その声の主は姜子牙だった。

 

「儂は道士の姜子牙という者だが…聞仲よ、お主も道士であろう?」

「…それがどうした?貴様の名は聞いた事もない。そんな若僧は下がっていろ。」

「思考が凝り固まった老人よりはいいと思うがのう。」

 

黄飛虎との会話で気が昂っているのか、聞仲は姜子牙の挑発で眉間に皺を寄せる。

 

その聞仲の反応を見て、姜子牙は内心で笑みを浮かべた。

 

「さて、黄将軍も姫昌殿達と一緒に行くがよい。」

「姜子牙殿、聞仲は生半可な強さじゃねぇぞ。」

「仕方ないのう。だが、それが儂達の仕事だからのう。スープー、皆を頼むぞ。」

「了解っス!ご主人も頑張るっすよ!」

 

姜子牙が笑みを浮かべると黄飛虎は少々戸惑いながらも四不象と共に姫昌達の元に向かう。

 

「さて、そういうわけでお主は儂達三人で相手をする。卑怯等と言うでないぞ?」

 

姜子牙が聞仲を挑発する様に笑うと、姜子牙の後ろから呆れた様な表情で士郎と哪吒が姿を見せる。

 

三人を一瞥した黄飛虎が姫親子と黄一族を連れて去っていくと、姜子牙達と聞仲の戦いが始まったのだった。




次の投稿は11:00の予定です。


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第105話

本日投稿3話目です。


姜子牙達と聞仲の戦い、最初に仕掛けたのは哪吒だった。

 

哪吒が乾坤圏を両手に持って聞仲に向かって踏み込む。

 

だが聞仲は手に持っていた鞭の宝貝を振るうと、空気が爆ぜる音と共に哪吒が吹き飛ばされた。

 

「士郎、儂の目には哪吒はまだあの鞭の間合いの外にいた様に見えたが?」

「あぁ、私にもそう見えた。」

 

冷静に状況を分析する姜子牙と士郎にも聞仲が振るう鞭が襲い掛かる。

 

だが、その鞭の先端は士郎が干将で弾いた。

 

「ほう?」

 

一撃を防いだ士郎を見て聞仲が更に鞭を振るう。

 

二度、三度と士郎は聞仲の攻撃を防いでいく。

 

「見覚えの無い者だが、何者だ?」

「私は士郎。道士の見習いと言ったところか。」

 

会話の最中も聞仲は鞭の宝貝を振るっていくが、士郎はその全てを防ぐ。

 

「なるほど、では、これはどうかな?」

 

聞仲が鞭の宝貝に魔力を注ぐと、その攻撃の手数が増えた。

 

士郎は莫耶も投影して双剣で対応していく。

 

十、二十と聞仲の攻撃を士郎が防ぐと、その攻防を見ていた姜子牙は首を傾げた。

 

「気のせいかのう?鞭の数が増えた様に見えるのだがのう?」

「その通りだ。」

 

士郎に対する攻撃を止めた聞仲は手に持つ宝貝を姜子牙に見せる様に持ち上げる。

 

「私の『禁鞭』は力に応じてその数を増やし、攻撃範囲を伸ばす。」

「なるほどのう。もっとも、士郎には通じぬ様だがのう。」

 

姜子牙が挑発する様に言うと、聞仲は不敵な笑みを浮かべて禁鞭を振るう。

 

すると、禁鞭の数が三本に増えた。

 

三本の鞭が士郎に襲い掛かる。

 

だが、士郎はこの攻撃も干将と莫耶を振るって防いでいく。

 

「やるのう、士郎。」

「これぐらいの攻撃に反応出来ねば、老師に何を言われるかわからんからな。」

「確かにそうだのう。」

 

戦いの最中でも常と変わらぬ様子の姜子牙と士郎の様子に聞仲は不快そうに眉を寄せる。

 

「しかし、士郎だけを相手していていいのかのう?」

 

姜子牙が意味深に聞仲に声を掛けると、聞仲の背後から哪吒が乾坤圏を投じた。

 

その乾坤圏を聞仲は禁鞭の数を増やして対処する。

 

「これで四本目だのう。」

 

聞仲の手の内を見ていく中で姜子牙は策を考えていく。

 

だが…。

 

「…ふんっ。」

 

聞仲が鼻を鳴らすと、姜子牙達の周囲を取り囲む様に無数の鞭が現れた。

 

「…これは想像以上だのう。」

 

冷や汗を流す姜子牙は、打神鞭を手に取って臨戦態勢に入るのだった。

 

 

 

 

「今の所はいい勝負だね。もっとも、聞仲にはまだ余力があるみたいだけど。」

「ワンッ!」

 

隠形の術で姿を隠しながら姜子牙達の戦いを見物している二郎は笑みを浮かべている。

 

そんな二郎に問いを投げる者がいた。

 

「楊ゼン様、姜子牙ちゃん達は聞仲ちゃんに勝てるかしらん?」

 

そう問いを投げるのは妲己である。

 

妲己は聞仲が黒麒麟に乗って殷の都を飛び去った後、二郎と共に哮天犬に乗って姜子牙一行の旅を眺めていたのだ。

 

だが、そんな二人に頼み込んでついてきた者がいる。

 

「士郎、こんな所で負けるのは承知しないぞ。」

 

両手を握り締めてそう口にするのは王貴人だ。

 

王貴人は修行の途中に二郎と一緒に出掛けようとする妲己を見付けると、その行き先を聞いた。

 

何故その行き先を聞いたのかその時の王貴人には自身の行動を理解できなかったが、あえて言うのなら恋する乙女の勘であろう。

 

王貴人は妲己と二郎が聞仲と士郎達の戦いを見物すると聞くと、片膝を地についた包拳礼をして二人に自分も連れていって欲しいと頼み込んだ。

 

この王貴人の願いは快く受けいられて、こうしてこの場にいるのだ。

 

二郎は竹の水筒を妲己に差し出しながら妲己の問いに答える。

 

「今の姜子牙達では聞仲に勝つのは難しいだろうね。」

「そうねん。」

「二郎真君様、今の士郎ではどうやっても聞仲には勝てないのですか?」

 

心配そうな表情をしながらそう言う王貴人の姿に、二郎と妲己は笑みを浮かべる。

 

「ここで聞仲に勝つ必要は無いよ。士郎達の目的は姫昌達を西岐に連れていく事だからね。」

「そうねん。士郎ちゃん達はここで聞仲ちゃんに負けても、生き残れたら問題無いわん♡」

「ですが…。」

 

二郎と妲己の言葉に王貴人は納得がいかないとばかりに眉間に眉を寄せる。

 

そんな王貴人の姿を見て妲己はクスクスと笑う。

 

「そんなに士郎ちゃんが心配かしらん?」

「なっ!?…べ、別にいいじゃないですか。」

 

顔を赤くした王貴人が目を逸らすと、二郎と妲己は顔を見合わせて肩を竦めた。

 

「さて、姜子牙達は上手くやれるかな?」

「うふふ、楽しみだわん♡」

 

二郎達が見守る中で、姜子牙達と聞仲の戦いは続いていくのだった。




次の投稿は13:00の予定です。


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第106話

本日投稿4話目です。


「どうかしましたかな、黄将軍?」

「ん?あぁ、姜子牙殿達は大丈夫かと気になっちまってな。」

 

姜子牙達が聞仲と戦い始めてから半日程が経って陽が暮れ始めた頃、出来る限り西岐に向かって移動をした姫昌一行は雨露を凌げる場所で野宿の準備をしていた。

 

その野宿の準備をしている時に黄飛虎がしきりに何かを気にしていた様子に気付いた姫昌が、黄飛虎に話し掛けたのだ。

 

「ふむ、聞仲の大師(軍師)としての噂は聞いておりますが、武人としてはどうなのですかな?」

「強いぜ。俺が見てきた中で一番強い男だ。」

「ほう?」

 

殷の武人として中華の人々の間で名高い黄飛虎が聞仲を高く評価した事で、姫昌は驚いた様に声を上げた。

 

そんな姫昌に黄飛虎は聞仲の事を語り出す。

 

「聞仲に聞いた話だが、あいつは殷に仕える前は武人として己を鍛えていたそうだ。その時の修行は自身の身体が腐り落ちそうになる程に激しく、厳しいものだったんだとさ。」

「ふむ、今では冷酷といえる判断をする男が、元はどこまでも己に厳しい求道者だったのですな。」

「あぁ、俺がまだガキだった頃の聞仲は、公私に渡って真っ直ぐな男だったぜ。」

 

聞仲の事を語る黄飛虎は笑顔だった。

 

まるで友を自慢する様なその笑顔は話を聞いている姫昌も笑顔にした。

 

だが、そんな黄飛虎の笑顔が不意に曇りだす。

 

「十年以上前になるな。ある日に殷の都を出ていた紂王が酔っ払って戻ってくると、その紂王と同行していた文官から話を聞いた聞仲は顔を真っ青にした。」

「十年以上前ですか、私の知る噂では女媧様の神殿で粗相をしたとか…。」

「あぁ、聞仲は直ぐにその噂の事実確認に動いた。そしてしばらくしたら聞仲の様子が変わってた。まるで戦場にいるかの様な空気を常に纏う様になったんだ。」

 

黄飛虎は大きなため息を吐くと朱に染まった空を見上げる。

 

「それからさ、あいつが今の様に罪も無い奴等を処刑する様になったのは。」

「確かにその頃からですな。重税を課したり人狩りをしたりして中華の民を虐げる様になったのは。」

 

道士ではない黄飛虎と姫昌では想像が難しい事だが、道士である聞仲は紂王が粗相をしでかして女媧が激怒したと知って絶望した。

 

女媧は間違いなく殷を潰しにくる。

 

忠誠を誓って数百年に渡って仕え続け、自身の子供の様に思っている殷をだ。

 

聞仲は覚悟した。

 

外道に堕ちようと殷を守ると。

 

それからの聞仲は女媧の行動を必死に推測した。

 

国産みの神である女媧が直接殷を滅ぼすのは、中華の外の神々に対する面子もあって無い可能性が高い。

 

ならば、自身の配下に神罰として殷を滅ぼす為に行動させるだろうと聞仲は考えた。

 

その殷を滅ぼす為の行動として最も可能性が高いのが属国の反乱であると考えた聞仲は、殷を守る為に属国の力を削ぐ様に動いてきた。

 

それが姫昌や伯邑考の幽閉に繋がり、属国への重税や人狩りにも繋がっているのだ。

 

「父上、黄将軍、夕食の準備が整いました。」

 

朱に染まった空を見上げる黄飛虎の横顔を姫昌が横目で見ていると、伯邑考が二人を呼びに来た。

 

「さぁ黄将軍、夕食にしましょう。明日もたっぷりと歩かねばなりませんからな。」

「あぁ、そうだな。ガキ共が腹を減らして手を振ってるし、行くとするか。」

 

姫昌と共に立ち上がった黄飛虎は一度、殷の都の方角に振り返る。

 

一族代々に渡って仕えた殷への未練を捨てる為に大きくため息を吐いた黄飛虎は、常の堂々たる姿で皆の元に歩いていったのだった。




次の投稿は15:00の予定です。


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第107話

本日投稿5話目です。


「哪吒、下がれ!士郎、少しの間頼む!」

 

姜子牙達が聞仲と戦い始めてから半日が経っていた。

 

その間に姜子牙達の衣服は所々が破けてしまい、一見では満身創痍に見えるが、二郎に貰っていた神酒のおかげでまだ余力を残して聞仲と戦えていた。

 

「ほれ、哪吒、神酒を飲め。」

「いらん。」

「脇腹の骨を砕かれて何を言っておる。聞仲を相手に僅かにでも動きが鈍れば頭を砕かれるぞ。」

 

姜子牙の言葉に鼻を鳴らした哪吒は、士郎と聞仲の戦いを見ながら神酒を一口飲む。

 

すると、身体中にあった切り傷と、砕かれた肋骨が瞬く間に癒えた。

 

「傷は治った。士郎を下がらせろ。」

 

そう言って前に出た哪吒の背中を見て、姜子牙は頭を掻きながらため息を吐く。

 

哪吒と代わって下がってきた士郎は、ため息を吐く姜子牙を見て苦笑いをした。

 

「尚、この戦いをどう見るかね?」

「聞仲に勝つことは出来ぬだろうのう。」

「あぁ、私もそう思う。」

「儂達は幾度も禁鞭で打たれておるが、半日掛かっても聞仲には一撃も入れる事が出来ておらんからのう。」

 

乾坤圏を両手に持った哪吒が、前後左右を問わずに襲い掛かってくる禁鞭に懸命に対処していく。

 

その様子を姜子牙は瞬きもせずに観察している。

 

「士郎、儂達の周囲は無数の禁鞭に取り囲まれておるが、聞仲が意図して操れる本数には限界があると儂は予測しておる。」

「確かにこの全てを自在に操れるのならば、私達は既に敗北しているだろうな。」

 

士郎は自分達を取り囲んでいる無数の鞭が襲い掛かってこないか警戒をしながら、哪吒に向けられている攻撃を見て、聞仲の攻撃の癖を見抜こうと観察する。

 

「儂が確認出来た限りでは聞仲が意図して操れる本数は四つだが…どうかのう?」

「いや、四つではなく五つだな。先程、哪吒と入れ代わる際に丁度四つ目を弾いたのだが、私が下がる直前に五つ目の鞭に腕を砕かれた。」

 

そう言って士郎は折れ下がる左腕を掲げて姜子牙に見せる。

 

それを横目でチラリと見た姜子牙は、無言で竹の水筒に入っている神酒を士郎に渡した。

 

「士郎、お主は幾つまで防げる?」

「確実に防げるのは四つまでだ。五つ目を防ぐには『投影』をした武器をぶつけるしかない。」

「勝つつもりがないこの戦いでこちらの手の内は見せたくないのう。」

 

姜子牙と士郎が会話をしていると、哪吒が禁鞭で打たれて片腕が使えなくなってしまった。

 

「儂が風の刃で一瞬の間を作る。その間に哪吒と入れ代わってくれ。」

「あぁ。」

 

姜子牙が指示を出すと、士郎は素早く動き出す。

 

そして姜子牙が打神鞭を振るって放った風の刃を聞仲が防いで一瞬の間が出来ると、士郎は哪吒を下がらせて聞仲と戦い始めたのだった。

 

 

 

 

「うん、士郎達も結構頑張るね。」

「でも、楊ゼン様があげた神酒が無ければここまで戦えていないわねん。」

「まだ百年も生きていない士郎達に、数百年道士として生きた聞仲と戦わせるんだから、そのぐらいの後押しはしてあげないとね。」

 

妲己が片手を頬に当てながらため息を吐くと、二郎は笑みを浮かべながら肩を竦めた。

 

「士郎…。」

 

祈るように手を組んだ王貴人は目を逸らさずに士郎の戦いを見守る。

 

そんな王貴人が見守る中で士郎達の戦いは三日三晩に渡って続いたのだった。




これで本日の投稿は終わりです。

なんか王貴人が思った以上に乙女になった。

流石は原作主人公ですな!

また来週お会いしましょう。


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第108話

本日投稿1話目です。


「…四日目の朝だのう。」

 

聞仲と三日三晩戦い続けた姜子牙達は身体的には二郎の神酒のおかげで問題無いが、精神的にはひどく消耗していた。

 

聞仲に一撃も与えられないどころか、聞仲を一歩も動かす事が出来ていないからだ。

 

しかもどの様な理由かはわからないが、聞仲は間違いなく手加減をしている。

 

少しでも気を抜けば禁鞭で頭を砕かれる重圧の中で戦い続ける事は、戦いに慣れていない姜子牙と哪吒に極度の精神的疲労を与えていた。

 

「士郎がおらねば、儂と哪吒は死んでいたのう…。」

 

姜子牙が呟く通りに、聞仲との戦いでは士郎が大きな役割を果たしていた。

 

二人のミスとも言えない小さな隙をカバーし、聞仲の禁鞭による致命打を防いできたのだ。

 

だが、そんな士郎にも限界が近付いていた。

 

ここまで防げていた四本目の禁鞭の一撃を防ぎきれなくなってきたのだ。

 

「そろそろ退き時だのう。だが、姫昌殿達はまだ逃げきれておらぬだろう…。」

 

姜子牙達の目的は姫昌達を西岐まで逃がす事である。

 

それ故に聞仲に勝つ必要は無いのだが、逃げるにしても姜子牙達と聞仲の双方の移動方法に問題があった。

 

「あの霊獣がおらねばさっさと逃げるんだがのう…。」

 

姜子牙達が逃げた後、聞仲が黒麒麟に乗って姜子牙達の攻撃が届かぬ可能性のある空高くから姫昌を追われたら終わりである。

 

その為、姜子牙達は逃げるに逃げられない状況に陥っていた。

 

「戦いに巻き込むのは危険と判断したのは間違いではなかったが、今の状況でスープーがおらぬのは痛手だのう…。」

 

限界が近付く中でも戦い続けている士郎と哪吒の援護をするべく姜子牙は打神鞭で風の刃を放とうとしたが、その姜子牙の動きが止まる。

 

何故なら、姜子牙達の周囲を取り囲んでいた無数の禁鞭が消えたからだ。

 

「…ここまでだ。」

 

姜子牙達に比べてあまり疲労した様子を見せない聞仲がそう言うと、姜子牙は驚いた。

 

「…どういうことかのう?」

「殷の大師(軍師)である私は貴様等程に暇では無い。」

 

そう言うと聞仲は近くに黒麒麟を呼び寄せる。

 

姜子牙達は姫昌達の元に行かせぬ様に攻撃の準備をする。

 

しかし…。

 

「安心しろ、今回は見逃す。」

「姫昌殿を討つのではなかったかのう?」

 

姜子牙が問い掛けると、聞仲はギロリと姜子牙を睨む。

 

「言ったはずだ。私は貴様等の様に暇では無いと。」

 

この聞仲の言葉に姜子牙は疲労した頭をなんとか働かせようとする。

 

(なぜ退く?殷の都を放置出来ぬ理由が…妲己か?あやつがいるので都を空けるのにも限界があったのか?)

 

そう考えた姜子牙はこの戦いで聞仲が手加減した事にも合点がいった。

 

(儂達との戦いで消耗すれば妲己の暗躍を防げぬと考えたのなら、聞仲が力を温存したのにも納得がいく。だが、それならば何故に最初に全力で儂達を殺さなかった?)

 

新たな疑問が沸いてきた姜子牙は空いている右手で頭を掻いて悩む。

 

「貴様らが殷に仇なすならば、次は無い。」

 

そう言うと聞仲は殷の都の方角に去っていった。

 

それを見届けた姜子牙は地に腰を下ろして大きく息を吐いたのだった。

 

 

 

 

「あらん?聞仲ちゃんは帰っちゃったわねん。」

「誰かが殷の都で悪戯をすると思ったのかもね。」

「ふふふ、聞仲ちゃんは真面目ねぇん♡」

 

こうなるように色々と動いていた妲己と二郎であるが、その事は知らないとばかりに和やかに会話をしている。

 

そんな二人に向けて王貴人はジト目を向けていた。

 

「御二人共、人が悪いですよ。」

「戦いは相手が嫌がる事をするのが基本だからね、それは誉め言葉だよ。」

「大国である殷を滅ぼすのだもの、歴史に名を残す程の悪女にならないとねん♡」

 

少しも悪びれる様子が無い二郎と妲己を見た王貴人は、頭を抱えて大きなため息を吐いたのだった。




本日は5話投稿します。

次の投稿は9:00の予定です。


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第109話

本日投稿2話目です。


姜子牙達の戦いを二郎達が見物をしていたが、この戦いを見物していたのは彼等だけではなかった。

 

「姜子牙は結構やるようになったね、申公豹。」

「そうですね、黒点虎。面白い事が起こりそうな予感がして見にきたかいがありました。」

 

二郎達の他に姜子牙達の戦いを見物していたのは申公豹と黒点虎である。

 

彼等は数日前に予感に従って隠形の術で姿を隠して殷の都を見張っていたのだが、こうして最後まで戦いを見物していたのだ。

 

「申公豹、姜子牙達の戦いはどうだったかな?」

「面白かったですよ。それはそれとして、隠形の術で姿を隠しているのですから、当たり前の様に話し掛けないでくれませんか、二郎真君。」

 

申公豹が声のした方に振り向くと、そこには空に立つ二郎の姿があった。

 

「ところで、聞仲は力を温存し続けていましたが、貴方が何かをしたのですか?」

「さて、どうかな?」

「過保護ですね。まぁ、その方が面白いのでいいですけど。」

 

今回の戦いで聞仲は姜子牙達の周囲を無数の禁鞭で覆ったのだが、その瞬間に姜子牙以外の者達がこの場にいる事に気が付いた。

 

それは、姜子牙達を覆った禁鞭の一つが虚空で弾かれたからだ。

 

気配も姿も感じ取らせずに禁鞭を弾いた者がいる。

 

それ故に聞仲は禁鞭を弾いた何者かを警戒して、姜子牙達に力を使わずに温存したのだ。

 

「さて、面白そうなことも終わったので私は行きますよ。」

 

そう言うと申公豹は黒点虎と共に去っていく。

 

申公豹を見送った二郎は地にへたりこんでいる姜子牙達を一瞥すると、姫昌達の所に向かうのだった。

 

 

 

 

「私の禁鞭を弾いたのは何者だ?」

 

黒麒麟に空を駆けさせて殷の都に戻っている聞仲がそう呟く。

 

「可能性があるのは妲己…いや、申公豹か?」

 

聞仲は二郎が弾いた事に気がつかない。

 

何故なら二郎が動くのならば、既に殷の政を乱す妲己とその配下達を討っていると考えているからである。

 

だが、聞仲には数百年もの時を殷に仕えた事で忘れてしまった事がある。

 

それは、二郎は殷の為に動くのではなく、中華の為に動くのだという事だ。

 

聞仲にとって殷とは中華そのものである。

 

しかし、二郎や天帝等の中華の神々にとって殷とは中華の地にある国の一つである。

 

その認識の差が、聞仲の勘違いを引き起こしているのだ。

 

「ふんっ!何者であろうと、殷の為にならぬのなら滅ぼすだけだ。」

 

聞仲は黒麒麟の腹を軽く蹴ると、更なる速さで殷の都へと駆けさせる。

 

その聞仲の背中を、哮天犬に乗って隠形の術で姿を隠した妲己と王貴人が見送るのだった。

 

 

 

 

「なんとか生き残れたのう…。」

「あぁ…。」

 

聞仲との戦いを終えた姜子牙と士郎は安堵の言葉を溢す。

 

「これ哪吒、こんなところで寝るでない。」

 

死闘と言える戦いを終えて気が抜けた哪吒は、地に身体を横たえて眠ってしまっている。

 

哪吒はまだ少年なので無理もないだろう。

 

「私が哪吒を背負う。休むにしても場所を変えなければな。」

「士郎、すまんのう。」

「なに、まだ私には幾何かの余力がある。なければ尚に押し付けていたさ。」

 

士郎はそう言うが、姜子牙はなんだかんだいって士郎が哪吒を背負ったと思っている。

 

そんな姜子牙の思いに気づいた士郎は照れ隠しに苦笑いをした。

 

「では、せめて儂が先導しようかのう。」

「あぁ、頼む。」

 

姜子牙と士郎が歩き出す中で、哪吒は士郎の背で穏やかな寝息を立てていたのだった。




次の投稿は11:00の予定です。


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第110話

本日投稿3話目です。


「士郎さん、哪吒くん、ご主人~。」

 

姜子牙達が聞仲との戦いを切り抜けた翌日、姜子牙達の元に四不象がやってきた。

 

「スープー、何故ここに?姫昌殿達の護衛はどうしたのかのう?」

「昨日の夜、二郎真君様が来て、僕にご主人達を迎えに行くようにって言われたんすよ。」

「二郎真君様が?」

「そうっス。今は二郎真君様が、姫昌さん達の護衛をしてくれているっすよ。」

 

四不象の言葉に姜子牙は驚くが、直ぐに頭を掻きながらため息を吐いた。

 

(おそらくは儂達の戦いを見ていたんだろうのう…。もしや、聞仲が手加減していた事と何か関係があるのかのう?)

 

確証は無いが、姜子牙はそれがなんとなく正解だと思った。

 

(それはとにかく、これで姫昌殿達に追い付けるのう。野宿はもう勘弁願いたいから、スープーに乗って先を急ぐとするかのう。)

 

四不象の背に姜子牙と士郎が乗ると、宝貝で空を飛ぶナタクと共に姫昌達の元へと向かったのだった。

 

 

 

 

姜子牙達が姫昌達の所に向かった頃、殷の都に戻っていた聞仲は紂王に謁見していた。

 

「ねぇん、紂王ちゃん♡姫昌ちゃんを逃がしちゃった聞仲ちゃんは罰するべきじゃなぁい?」

 

妲己が肩にしなだれかかりながらそう言うと、紂王は鼻の下を伸ばした。

 

だが、直ぐに表情を引き締めて妲己に言葉を返す。

 

「妲己の言うことはわかる。だが、聞仲に成せぬのなら、殷の誰にも成せぬであろう。」

 

片膝をついて頭を垂れる聞仲は、黙して二人の話を聞いている。

 

(…本当によい成長をした。かつて、女媧の神殿で粗相をしでかした頃と同一人物とは思えない程に…。)

 

中華の人々に紂王は酒と女に溺れる愚王と認識されているが、十年以上前の若き日の紂王は正にその通りだった。

 

だが、現在の紂王は中華の人々の間に深く浸透する人身御供の文化を少しずつ撤廃させていき、油断なく飢饉に備える名君へと変わりつつあった。

 

では、何故に中華の人々に酒池肉林の日々を送る愚王と噂されているのかというと、それは妲己の配下が噂を広めただけでなく、紂王自身が噂を広めているからである。

 

現在の紂王は女媧の神殿にて粗相をした事を反省しており、女媧への償いの一つとして自身が名声を得ぬ様に愚者としての噂を広めているのだ。

 

もっとも、それでも国産みの神を侮辱した罪は消えず、妲己達が殷を滅ぼす為に動いているのだが…。

 

「もぉん、妲己、ふま~ん。」

 

そう言って頬を膨らませた妲己は部屋を出ていった。

 

妲己が部屋を出ていくと、紂王はため息を吐いてから聞仲に話し掛けた。

 

「聞仲よ、面を上げよ。」

「…御意。」

 

聞仲が片膝をついたまま顔を上げると、紂王は聞仲に微笑んだ。

 

「聞仲よ、御苦労であった。して、姫昌はこの後どう動くと思う?」

「…おそらくは国を起こし、殷に弓を引くでしょう。」

「そうか…これも、余の不徳の致すところよな。」

 

紂王の言葉に聞仲が口を開こうとするが、紂王は片手を前にだして聞仲を制した。

 

「姫昌の事はもうよかろう。それで、女媧様の神殿への供物は受け取ってもらえたか?」

「いえ…。」

「そうか…十年に渡り受け取ってもらえぬとあらば、覚悟せねばならぬな。」

「紂王様!」

 

聞仲の言葉の続きを、紂王はまた片手を前に出して制する。

 

「聞仲よ、よいのだ。若き日の余の愚行が招いた事なのだからな。」

「若き日に酒量を誤り、失敗をするのは誰にでもある事です。それを咎めるなど狭量というしかありません!」

「そう言うな。あの失敗があればこそ、余は政を省みる程度の事は出来る様になったのだから。」

 

聞仲は拳を握り締める。

 

何故、これほどの王へと成長した紂王が治める殷が滅ぼされねばならぬのかと。

 

「紂王様、妲己をお遠ざけください。」

「聞仲よ、余は妲己が女媧様の御使いだと気付いている。いや、気付いたというべきだな。」

 

聞仲は紂王の言葉に驚いて目を見開く。

 

「ハッハッハッ!聞仲もその様な顔をするのだな?これは驚いた、ハッハッハッ!」

「紂王様…。」

 

腹を抱えて笑った紂王は涙を拭いながら話し出す。

 

「姫昌と一緒に黄貴妃も逃げたと知った時、余の頭の中にあった霞の様な何かが晴れたのだ。そうすると、今まで何とも思わなかった事に色々と気が付いてな。それで妲己の事にも気付いたのだ。」

「では、なおさら妲己をお遠ざけください。奴に気付いたと知られたのなら危険です。」

「もう既に気が付かれている。余が妲己の事に気付いた事をな。」

 

聞仲は眉間に皺を寄せると、禁鞭を手に立ち上がる。

 

「あえて問うが、何をしにいくつもりだ?」

「妲己を討ちます。」

「ならぬ。」

「ですが!」

 

紂王は聞仲に対して首を横に振ると玉座を立ち上がる。

 

「余も妲己も滅びを定められた者。無様に滅びるのはご免被るが、あれ程の美女と共に華麗に滅びるのならば悪くない、ハッハッハッ!」

 

聞仲は身を震わせると、血が滴り落ちる程に手を握り締めたのだった。




次の投稿は13:00の予定です。


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第111話

本日投稿4話目です。


「ご主人、士郎さん、哪吒くん、姫昌さん達が見えてきたっすよ。」

 

四不象に乗って姫昌達の元に急いだ姜子牙達は、休んでいる姫昌達を見て唖然とした。

 

何故なら、西岐まで逃げている道中の筈なのに女子供まで酔っ払っていたからだ。

 

「おう!姜子牙殿!無事でなによりだぜ!」

 

杯を片手に酔って顔を赤くした黄飛虎が姜子牙達の無事を喜ぶが、姜子牙と士郎は頭を抱えながらため息を吐いた。

 

「黄将軍、これはどういった状況なのかのう?」

「あん?姫昌殿の知り合いだっていう楊ゼン殿が酒を馳走してくれてな。しかもそれが明日には腹の中で水になるからガキでも飲めるっていうじゃねぇか。だからこうして皆で飲んでるのさ!」

 

赤い顔で満面の笑みになった黄飛虎は、手にしていた杯の酒を一息で飲み干した。

 

「プハァー!うめぇ!こんなうめぇ酒は初めてだぜ!」

「…そうだろうのう。」

 

姜子牙が項垂れて肩を落とすと、それを慰める様に士郎が姜子牙の肩に手を置く。

 

乾いた笑いをしながら姜子牙が顔を巡らせると、姫昌と膝をつきあわせて酒を飲んでいる二郎の姿を見つけた。

 

姜子牙は身体の力が抜ける思いを感じながら二郎の元に行く。

 

「お疲れ様、姜子牙。」

「これはどういうことかのう…じ…。」

 

姜子牙が二郎真君と呼ぼうとしたのを二郎が人差し指を口に当てて制する。

 

「黄一族には楊ゼンと名乗っているからね。俺の仙人としての名は控えてくれるかな。」

「控えても気付かれると思うがのう…。」

「それがそうでもないんだ。楊ゼンを名乗る中華の者は結構いるらしくってね。黄飛虎は俺もその一人だと思ったみたいだよ。」

 

二郎の言う通りに楊の姓を持つ男は字をゼンとする者が多い。

 

これは武神である二郎に肖ろうとしての事だ。

 

その為、黄飛虎を始めとした黄一族は二郎の事を武神である二郎真君とは思わなかったのだ。

 

「黄将軍が気付かぬのは無理もないでしょう。なにせ中華の者なら皆が知り、男なら一度は憧れる存在なのですからな。お会いできる等とは夢にも思わぬでしょう。」

「二百年ぐらい前から龍神が川や湖を管理する様になったからね。そのおかげで最近は治水もしてないし、蛟退治や邪仙討伐も他の者がやる機会が増えてきて、中華の民と会う機会が減っているのも関係しているかな?」

「私個人としては残念な事ですな。もっとも、こうして貴方様と飲める機会があるだけで十分ですが、ホッホッホッ!」

 

姫昌と二郎の会話に姜子牙と士郎はため息を吐く。

 

「そんな所に立ってないで、姜子牙達も一杯どうだい?」

 

二郎の誘いに諦めた様にもう一度ため息を吐いた姜子牙と士郎は、黄飛虎に負けぬ程の飲みっぷりで杯を干していくのだった。

 

 

 

 

「父上!」

「うむ、ようやく見えてきたな。」

 

二郎が姫昌達に酒を振る舞ってから一ヶ月、二郎が去った後に旅を再開した姫昌達は無事に西岐の地に辿り着いた。

 

殷の都に負けぬ程の賑わいを見せる西岐の地に、黄一族の子供達が驚きの声を上げる。

 

「伯邑考、先に行って宴の準備をしなさい。私は黄家の皆さんを案内しよう。」

「はい!」

 

姫昌の指示に従って伯邑考が走り出すと、姫昌はにこやかに微笑みながら黄一族と姜子牙達の方に振り返る。

 

「皆さん、ようこそ西岐へ。領主として歓迎しますぞ。」

 

姫昌の言葉に旅の終わりを実感した黄一族は歓声を上げる。

 

そして護送の任を終えた姜子牙達は安堵の息を溢したのだった。




次の投稿は15:00の予定です。


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第112話

本日投稿5話目です。


姫昌達が西岐に辿り着いて宴をした翌日、姫昌は屋敷の一室に黄飛虎を誘った。

 

「黄将軍、疲れが抜けぬうちにお呼びして申し訳無い。」

「あのぐらいの期間の旅でどうこうなる程に柔な鍛え方はしてないさ。戦となれば百日は対峙するなんてざらだからな。」

 

そう言って黄飛虎は屋敷の使用人が置いていった白湯に口をつける。

 

「それで、俺に聞きてぇことはなんだ、姫昌殿?」

「そうですなぁ…黄将軍は殷をどう思いますかな?」

「一緒に逃げておいて今更な質問だな。」

「ホッホッホッ!確かに今更ですなぁ。」

 

姫昌も白湯を口にすると、黄飛虎は腕を組んで話し出す。

 

「正直に言えば、今の殷は腐ってる。賂は当たり前、文官は酒色に溺れ、武官は人浚いだからな。」

「私が見てきた殷の政も同じですな。それで、紂王はどうですかな?噂通りの愚王で?」

 

紂王の名を出すと、黄飛虎は眉間に皺を寄せながら話し出す。

 

「俺の女房に横恋慕したり、酒と女で何度も失敗をしでかしてるが、占術に使われる人身御供を廃止しようと動いたりするのを見たら愚王とは言いきれねぇ。」

「ふむ、腐っても中華一の大国の王ということですな。これは想像以上に難敵ですな。」

 

姫昌は一度顎髭を撫で付けると、使用人を呼んで新しい白湯を要求する。

 

使用人が白湯を置いて下がると、黄飛虎は真面目な表情で姫昌に問い掛ける。

 

「姫昌殿、立つつもりか?」

「立たねば潰されましょう。」

「その通りだが…勝算は?」

「はて?私は戦にはとんと疎いものでしてな、ホッホッホッ!」

 

姫昌が顎髭を撫でながら朗らかに笑うと、黄飛虎は椅子を立ち上がり床に片膝を付いて包拳礼をする。

 

「姫昌殿、俺を仕えさせてくれ。」

 

姫昌は椅子を立ち上がると、包拳礼をする黄飛虎の手を取る。

 

「長い付き合いになりそうですな。」

「余生の酒の肴に困らねぇぐらい武功をあげてやるさ。」

 

姫昌と黄飛虎は顔を見合わせると、声を上げて笑ったのだった。

 

 

 

 

黄飛虎が姫昌に仕えてから七日、旅の疲れを抜いた黄飛虎は西岐の兵の訓練を始めた。

 

この訓練には黄一族の長子である黄天化と、姫一族の長子である伯邑考も参加している。

 

黄飛虎は殷の将軍だった頃の経験を活かして西岐の兵の訓練をしていったが、西岐の兵の現状に愕然とした。

 

(温厚な姫昌殿の兵だからあまり期待してなかったが…こいつは戦どころじゃねぇなぁ…。)

 

人狩り等で年中軍を動かしていた殷の兵の練度は高く、将の指揮に迅速に反応する事が出来る。

 

だが、西岐の兵は殷の新兵にすら劣るのが現状だった。

 

(こいつらを一端の兵にするには相当掛かるぞ。)

 

如何に優秀な将であり武人でもある黄飛虎でも、これでは戦は出来ぬと頭を抱えた。

 

(聞仲の奴がいつ仕掛けてくるかわからねぇが…やれるだけやるしかねぇか。)

 

両手で自身の顔を張って気合いを入れた黄飛虎は、自身も混ざって兵の訓練をしていくのだった。

 

 

 

 

(ふむ、早くても十年といったところかのう。)

 

四不象に乗って空から黄飛虎が行っている兵の訓練を見ていた姜子牙は、西岐が殷と戦える様になるまでの期間を十年と読んだ。

 

(そこから殷を倒すのに更に十年…いや、二十年は必要だろうのう。)

 

中華は広く、行軍だけでも数ヵ月は掛かる。

 

さらに侵攻した地を攻める戦に数ヵ月、侵攻して手にした地を治めて安定させるのに数年と、姜子牙の頭の中で殷を打倒する絵図面が描かれていく。

 

だが、不意に姜子牙はため息を吐きながら頭を掻いた。

 

「ご主人、どうしたんすか?」

「いや、黄将軍達はよく頑張ると思ってのう。」

「ご主人も怠けてばかりいないで黄将軍達を見習うっすよ。」

 

四不象の物言いに姜子牙は頬を掻く。

 

そして背伸びをした姜子牙は、凝りを解す様に肩を揉む。

 

(名も実も無い儂が軍の指揮を任されるわけもないのう。封神計画を成す為にも、今は儂自身が成長せねばならぬ。)

 

怠けている姿を見せる様に四不象の頭に顎を乗せた姜子牙は、眼下の兵の訓練を眺めていく。

 

そして数日後、元始天尊の使者が西岐に来ると、姜子牙達は姫昌と黄飛虎に挨拶をしてから崑崙山に向かうのだった。




これで本日の投稿は終わりです。

また来週お会いしましょう。


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第113話

本日投稿1話目です。


「ご主人、竜吉公主様の屋敷が見えてきたっすよ。」

 

元始天尊の呼び出しで崑崙山に戻った姜子牙は、元始天尊の指示で竜吉公主の屋敷に向かっていた。

 

「さて、竜吉公主様は儂達の仲間になってくれるかのう?」

「話は通したけど御本人次第って言ってたっすからね。」

 

妲己や聞仲との戦いを経験して姜子牙は、以前よりも仲間の必要性を強く感じていた。

 

(殷との戦では妲己や聞仲の配下の道士とも戦う事になるだろうのう…。その際に、儂や士郎達だけでは手が足りぬ。竜吉公主様には是非とも仲間になってもらいたいのう…。)

 

前方に見える竜吉公主の屋敷を見ながらそう考える姜子牙は、どの様に仲間に引き込むかを思案していくのだった。

 

 

 

 

姜子牙が竜吉公主の屋敷に向かった一方で、士郎と哪吒は崑崙山に残っていた。

 

その理由は…。

 

「さぁ、どの宝貝でも好きなのを選んでいいよ。」

 

蔵の中に所狭しと転がる宝貝に士郎と哪吒が目を見開く。

 

士郎と哪吒は姫昌の護送の報酬として、二郎から宝貝を貰う話になっていたのだ。

 

「老師、これは全て老師が集めたものなのかね?」

「そうだよ。まぁ、他にも蔵はあるからこれでも一部だけどね。」

 

士郎は鍵の宝貝の先に繋がっている蔵の中の物の量にも驚いたが、それを遥かに上回る量の宝貝を目の前にして驚きを隠せない。

 

(この蔵の中を見るだけでも私には十分な価値がある。だが、実際にこの手に持ちたいと思うのは男の性なのだろうな。)

 

胸の高鳴りを誤魔化す様に士郎が苦笑いをしていると、哪吒が目を輝かせながら一歩前に進む。

 

(素直に感情を出せるのは若さの特権だな。さて、私も少しは見習うとするか。)

 

哪吒に続いて蔵の中に進んだ士郎は宝貝を一つ一つ手に取って解析の魔術を掛けていく。

 

(これだけの量を詳細に解析するには一日では足りんな。)

 

宝貝を手にした士郎が微笑みながら解析をしていると、哪吒が二郎に声を掛けた。

 

「二郎真君様、俺に宝貝を選んでくれませんか?」

「いいよ。何か希望の種類はあるかい?」

「乾坤圏よりも長い武器がいいです。」

 

哪吒の要望を受けて二郎が宝貝を物色していく。

 

(武神による選定か…。老師は何を選ぶのだ?)

 

興味を引かれた士郎は解析の魔術を掛けながらも横目で二郎を見ていく。

 

「うん、これがいいかな。」

 

三分程経つと、二郎はそう言いながら一つの槍を手に取った。

 

「二郎真君様、それは?」

「たしか『火尖槍』っていう槍の宝貝だね。」

 

士郎は二郎が手に持つ槍に解析の魔術を掛ける。

 

(魔力を注ぐと穂先に高熱の炎の刃を纏う槍か…。攻防の最中に間合いを変えられるのが利点だが、その反面として使い手を選ぶ槍だな。)

 

士郎の前世の世界では哪吒の師である太乙真人により授けられる筈だったものだが、この世界では二郎が蛟退治等で中華を旅していく中で火尖槍を手に入れて蔵に入れていた。

 

その事を士郎は知っているのだが、今生は過去の世界とは違うと既に割り切っており、参考程度にとどめてあまり気にしない事にしているのだ。

 

ふと自身の固有結界に火尖槍が登録されたのを感じ取った士郎は、火尖槍を右手に投影した。

 

「おや?士郎はこれを問題なく投影出来る様になったんだね。」

「以前の私なら、解析の魔術を掛けただけで頭痛に悩んだだろうがね。」

 

肩を竦めながらそう言う士郎だが、成長を実感したからなのか自然に笑顔になっていた。

 

「うん、丁度いいね。士郎にはその投影をした火尖槍を使って哪吒と手合わせをしてもらおうかな。」

「それは構わないが、老師が哪吒に槍を教えるのではないのかね?」

「槍の使い方の基本は教えるよ。士郎にもね。」

「私にも?」

 

士郎が驚いて目を見開くと、二郎は微笑みながら話を続けた。

 

「聞仲との戦いを見ていたけど、士郎も一度、武器の扱い方の基本をやり直した方がいいと思ってね。」

「たしか以前に、私の戦い方には手を加えないと言ったと思うが?」

「あの時の士郎には必要ない事だったからね。でも、今の士郎は『戦う者』としての殻を破る段階に来ているから必要なのさ。」

 

二郎の言葉の意味を理解した士郎はまたしても驚いて目を見開く。

 

そして、手にしていた火尖槍に目を落とした。

 

(殻を破る…私も、あの者達の領域にいけるのか?)

 

士郎の脳裏に前世で見た英雄達の戦いが甦る。

 

才の無い己では決して届かず、それでも諦めずにあの場所に手を伸ばし続けた…。

 

それが、あの場所に辿り着く事が出来るという二郎の言葉に、士郎は身を震わせた。

 

「さて、それじゃあ蔵の外に出て手合わせを始めようか。聞仲と一人で戦っても生き残れる程度には、二人を鍛えてあげないとね。」

 

そう言って二郎が微笑むと、士郎は違う意味で身を振るわせたのだった。




本日は5話投稿します。

次の投稿は9:00の予定です。


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第114話

本日投稿2話目です。


「お主が姜子牙か、よく来たのじゃ。」

 

竜吉公主の屋敷の中に案内された姜子牙は客間で竜吉公主に会っていた。

 

「初めましてだのう、竜吉公主様。」

「うむ、お主の事は二郎真君から聞いておる。」

「二郎真君様に?」

「うむ、妾と二郎真君は深い仲なのじゃ!」

 

自慢する様に胸を張った竜吉公主の姿に、姜子牙は内心でため息を吐く。

 

(儂はあと何回、二郎真君様に驚かされるのかのう…?)

 

そんな事を思っている姜子牙に竜吉公主が話を振る。

 

「それで?お主は何が目的で妾に会いに来たのじゃ?」

「…竜吉公主様に儂の仲間になってもらいたくてのう。」

 

僅かな会話をした程度だが、姜子牙は下手な駆け引きをせずに正直に話した方がいいと判断した。

 

「ほう?真っ直ぐに話してきたのう。」

「遠回しな言い回しは得策ではない、と思ってのう。」

「たしかに、妾はそういった輩を好まぬ。妾の見目を誉め称える輩は、必ずといっていい程に面倒な言い回しをするからじゃ。」

 

己の見立てと勘が当たった姜子牙は内心で胸を撫で下ろす。

 

「そんな輩と違い、二郎真君は素直に妾を可愛いと言ってくれるのじゃ。」

 

両手を頬に当てながら顔を赤らめる竜吉公主の姿は、恋する乙女そのものだった。

 

(二郎真君様は女たらしなのかのう?)

 

苦笑いをする姜子牙に気付いた竜吉公主は、誤魔化す様に咳払いをする。

 

「さて、仲間になるかどうかじゃが、その返事は保留じゃ。」

「保留?…どうしてかのう?」

「姜子牙よ、お主、妲己に勝つ算段はついておるのか?」

 

姜子牙はため息を吐いてから否と答えた。

 

「妾は妲己の事をよく知っておる。少なくとも、今のお主では命を懸けても勝てぬのじゃ。」

「では、どうしたら仲間になってくれるのかのう?」

「それは自分で考えるのじゃ。その程度も出来ぬ輩に妾は手を貸さぬのじゃ。」

 

そう言うと竜吉公主は立ち上がる。

 

「白湯ぐらいは馳走しよう。それを飲んだら今日の所は去るのじゃ。」

 

竜吉公主が客間を去ると姜子牙は頭を掻きながらため息を吐いたのだった。

 

 

 

 

「ご主人、お帰りっス!それで、どうだったっすか?」

「ダメだったのう。」

 

四不象の問いに姜子牙は肩を竦めながら答える。

 

「そうっすか。それで、この後はどうするんすか?」

「一度、西岐に寄って姫昌殿や黄将軍に挨拶をしてから崑崙山に戻って修行をするとしようかのう。何をするにしても、儂自身が成長せねばならぬからのう。」

「おぉ、ご主人がやる気を出してるっス!明日は雨が降るっすね。」

「ひどい言い草だのう…。」

 

四不象の背に乗った姜子牙は西岐に向かう中で思考をしていく。

 

(やはり名も実も無ければ信は得られぬのう…。崑崙山に戻って修行をするのは決まりだが、二郎真君様に蛟退治でも願い出てみようかのう?)

 

その後、西岐で姫昌に歓待を受けた姜子牙と四不象は、西岐で一夜を明かしてから崑崙山に戻ったのだった。

 

 

 

 

姜子牙が竜吉公主の屋敷を去った後に一人の女性が竜吉公主の前に姿を現す。

 

「姜子牙ちゃんはどうだったかしらん、竜吉公主ちゃん?」

 

独特の言い回しで竜吉公主にそう声を掛けたのは妲己だ。

 

妲己は紂王が幻術から覚めたのを確認するとそれを胡喜媚と王貴人に伝えて諸々の指示を出した後に、姜子牙の行動を読んで竜吉公主の屋敷に先回りしていたのだ。

 

竜吉公主は妲己に目を向けると、少し首を傾げながら話し出す。

 

「そうじゃのう…よくわからぬな。」

「あらん?どういうことかしらん?」

「掴み所が無いのじゃ、あやつは。ああいった者は初めてじゃからよくわからぬのじゃ。」

 

竜吉公主が姜子牙をそう評すると、妲己は面白そうに笑みを浮かべる。

 

「私に勝てそうかしらん?」

「勝てぬな。今の所はじゃがのう。」

「うふん、それは楽しみねぇん♡」

 

ニコニコと微笑む妲己に竜吉公主は一度肩を竦めると、今度は妲己にジト目を向ける。

 

「それで、いつまで妾の屋敷にいるつもりじゃ?」

「今夜は楊ゼン様がいらっしゃりそうだからねん。明日の陽が昇るまでいるわん♡」

 

妲己がそう答えると、竜吉公主は不満そうに頬を膨らませる。

 

「妲己、ここ最近はお主ばかり二郎真君と一緒にいるのじゃ。じゃから、今日は遠慮して妾と二郎真君の二人だけにするのじゃ!」

「い・や・よん♡」

 

妲己の返答を聞いた竜吉公主はニコニコと微笑みながらもコメカミに青筋浮かべ、宝貝を使って幾つもの水球を造り出す。

 

それを見た妲己がクスクスと笑いながら逃げ出すと、竜吉公主が水球を放ちながら追い掛け始める。

 

その後、二人の追いかけっこは二郎が屋敷に来るまで続いたのだった。




次の投稿は11:00の予定です。


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第115話

本日投稿3話目です。


「…大きいっすね、ご主人。」

「…大きいのう。」

 

崑崙山に戻った姜子牙が蛟退治を願い出ると、二郎は直ぐに天帝に話を通し、姜子牙達が蛟退治をすることが決まった。

 

そして三日後、蛟退治に向かった姜子牙達は初めて見る蛟の大きさに呆然としたのだ。

 

「怖じ気付いたのならお前はそこで見ていろ。」

 

そう言うと哪吒は火尖槍を手に一人で蛟へと向かう。

 

「尚、私は今回、君と哪吒の援護に回れとの事だ。」

「士郎は蛟退治の経験があるのかのう?」

「あぁ。といっても、死にかけたがね。」

 

苦笑いをしながらそう言う士郎の姿に姜子牙はため息を吐く。

 

「はぁ…やるしかないのう。」

 

姜子牙が打神鞭を手に取ると、士郎は弓を投影した。

 

「士郎さん、弓を扱えるんすか?」

「少なくとも、四不象達に誤射をしない程度には扱えると自負している。」

 

姜子牙は自己評価の低い士郎がそう言うのを驚いた。

 

(士郎がそう言うという事はかなりの腕前なのだろうのう。それならば、何故に今まで使わなかったのかのう?)

 

姜子牙は二郎に使用を禁じられていたのかと想像したが、それは勘違いである。

 

これは士郎の戦い方の問題だ。

 

それを知らない姜子牙は、士郎が弓を使わなかった事情が二郎にあると思い込んだ。

 

完全に濡れ衣である。

 

「それでは、士郎に背中を任せるとするかのう。」

「あぁ、任された。」

 

姜子牙が打神鞭を手に四不象と共に蛟に向かうと、士郎は投影した剣を矢の形に変えて弓につがえたのだった。

 

 

 

 

「士郎が弓を使うのは久しぶりに見たね。世界の守護者をしていた時以来かな?」

「ワンッ!」

 

隠形の術で姿を隠しながら姜子牙の蛟退治を見物している二郎は、弓を手にした士郎を面白そうに見ている。

 

「うん、やっぱり士郎の弓は見事だね。矢を魔力が続く限り造り続ける事が出来る分だけ俺よりも上かな?」

「ク~ン?」

 

士郎の戦い方は守勢が主である。

 

これは前世の士郎が身に付けた戦い方だが、その前提は戦う者としての才能が無かった事に起因している。

 

だが、今生の士郎の身体は二郎お手製であり、神の血を持たない人間としては最高峰の才能を与えられて造られていた。

 

その才能はかつてあった別の世界においてかの騎士王に最高の騎士と認められた男に比肩する程のものであるのだが、士郎の自身への認識が一流の領域への成長を阻んでいた。

 

「士郎に戦う者としての殻を破らせるのはちょっと手間がかかりそうだけど、弟子を育てるというのも面白いものだね、哮天犬。」

「ワンッ!」

 

何か嫌な予感を感じたのか士郎はその身を震わせたが弓の冴えには影響はなく、見事に姜子牙達を援護していった。

 

そして半日後、姜子牙達は見事に蛟退治を成し遂げ、修行により成長した事を実感したのだった。




次の投稿は13:00の予定です。


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第116話

本日投稿4話目です。


姜子牙達が蛟退治をする様になってから一年程の時間が経った。

 

姜子牙達の修行は順調にいっているが、仲間集めの方は順調ではなかった。

 

「ご主人、どうだったっすか?」

「ダメだのう。また断られたわ。」

「これで七十八人目っすね…。」

 

姜子牙は崑崙山での修行の合間に、崑崙山で修行をしている他の道士を仲間に誘おうと声を掛けていた。

 

だが、その全てが断られていた。

 

「妲己や聞仲には勝てぬというのはまだ仕方ないのだが、無名の儂についていくぐらいなら自分でいくと言われてはどうしようもないのう。」

 

そう言って姜子牙がため息を吐くと、四不象も揃ってため息を吐いた。

 

そんな姜子牙達に二郎が声を掛ける。

 

「その様子だとまたダメだったみたいだね。」

 

声の主に気付いた姜子牙は顔を上げて返答をした。

 

「蛟退治をしてそれなりに道士達の間で名が売れたと思ったのですがのう…。」

 

頭を掻きながら二郎の方に顔を向けると、姜子牙は二郎の後ろに誰かがいるのに気が付いた。

 

「二郎真君様、その子は誰っすか?」

 

四不象が二郎に問い掛けている間に、姜子牙は二郎の後ろにいる少年を観察する。

 

黒髪に褐色肌の少年は、哪吒と違って活発そうな雰囲気を持っていた。

 

「彼等はこれから一緒に修行をする仲間だよ。先ずは挨拶をしようか。」

「はい!二郎真君様!」

 

少年は一歩前に進み出ると、胸を張って自身を親指で指差しながら自己紹介を始めた。

 

「俺は雷震子!親父…姫昌の末っ子だ!」

 

雷震子の自己紹介に姜子牙と四不象が驚いた表情を見せると、それを見た二郎は愉快そうにクスクスと笑ったのだった。

 

 

 

 

時間は一ヶ月程前まで遡る。

 

ある日、姫昌と酒を酌み交わそうと二郎が西岐に訪れると、姫昌は酒の席で不意に二郎に包拳礼をした。

 

「急に改まってどうしたんだい、姫昌?」

「二郎真君様に一つお願いがございまして。」

「なんだい?」

「私の末子、雷震子に会っていただきたいのです。」

 

姫昌の願いに二郎が首を傾げると、姫昌は理由を話し始めた。

 

「雷震子はとてもよい子でしてな。国を興し、殷と戦おうとする私の役に立ちたいと、黄将軍に鍛えてもらっていたのです。」

 

二郎は酒を一口飲みながら目で姫昌に話の続きを促す。

 

「黄将軍は雷震子を『将の才は無いが、武の才はある』と評してくれました。」

「それで、俺に雷震子と会ってどうしてもらいたいんだい?」

「雷震子に道士の才があるのならば、崑崙山につれていっていただけないでしょうか?」

 

また酒を一口飲む二郎に姫昌は話を続ける。

 

「国を興し、私が王になれば、伯邑考は王の後継者として相応しいと他の者に示す為に戦場に出なければなりません。雷震子はそんな伯邑考を守る為に力を欲しているのです。」

 

かつて賢王ギルガメッシュが生きた時代は王が兵を率いるのが当たり前だった。

 

これは冬に民を飢えさせず、凍えさせない為には、時に他国から奪う事が当たり前だったからだ。

 

だが、今の時代は兵を率いる将がいるので必ずしも王が兵を率いる必要はない。

 

しかし弱い王が治める国が舐められるのは、賢王ギルガメッシュの時代から千年経った今でも当然のことだった。

 

仮に殷を滅ぼした国の王が弱いと他国に舐められたら、その他国の王達が野心を持って次々と立ち上がり、中華は戦国乱世へとなる可能性が高い。

 

それを避ける為にも伯邑考は戦場に出て武名を上げねばならず、そんな伯邑考を守ろうと雷震子は力を欲しているのだ。

 

「姫昌、君の子が道士になったら君と一緒に年老いる事が出来なくなるけど、それでもいいのかい?」

「正直に言えば寂しいですな。ですが、親より先に死ぬ親不孝者になられるよりはよいでしょう、ホッホッホッ!」

 

姫昌がそう言って朗らかに笑うと、二郎は雷震子と会ってみることにした。

 

そして雷震子と会った二郎は、彼を崑崙山へとつれて行くことを決めたのだった。

 

 

 

 

封神演義の一節には次の様に綴られている。

 

『姫昌が殷との戦いを決意し励んでいると、それを見た養子の雷震子は養父と養兄の役に立とうと黄飛虎に鍛えてもらい始めた。』

 

『雷震子を鍛え始めた黄飛虎は雷震子を武の才ありと評した。』

 

『ある日、雷震子の元に武神である二郎真君が訪れると彼を崑崙山へと誘ったのだった。』

 

これは後に武王と呼ばれる伯邑考の義弟にして片腕と呼ばれた雷震子の少年時代の出来事である。

 

『周に雷震子あり』と後の世にその名を残す雷震子だが、この時はまだ力を持たぬ一人の少年に過ぎなかったのだった。




次の投稿は15:00の予定です。


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第117話

本日投稿5話目です。


姜子牙達の修行に雷震子が合流してから三年程の月日が流れた。

 

この三年程の月日の修行で哪吒と雷震子は二郎に戦いの基礎を文字通りに叩き込まれていった。

 

その結果、三月に一度故郷に戻って十日は家族と過ごす雷震子と手合わせをした黄飛虎が、驚いて目を見開く程の成長を遂げていた。

 

そんな黄飛虎は『姫昌殿に頼んで天化の奴も崑崙山に行かせっかなぁ。』と言っていた。

 

この三年程の月日で成長をしたのは哪吒と雷震子だけではない。

 

士郎と姜子牙も成長をしていた。

 

士郎は咸卦法を体得し、蛟を相手に無傷で勝利出来る程に成長していた。

 

姜子牙の方は三年前に比べて遥かに魔力が増え、一刻の間なら全力で打神鞭を使い続けられるようになっていた。

 

だがそんな士郎や姜子牙でも二郎との手合わせでは、二郎に傷一つ付ける事が出来なかった。

 

そのせいなのか、姜子牙はいまいち自身の成長を実感出来なかったのだった。

 

 

 

 

「はぁ…。」

「どうしたんすか、ご主人?」

「スープー、儂は強くなっているのかのう…?」

「大丈夫っすよ。ご主人、元気を出すっス!」

 

四不象がそう言って励ますが、士郎、哪吒、雷震子の三人が二郎と手合わせをしているのを見ながら姜子牙は肩を落としていた。

 

「僕と出会った頃よりも、打神鞭を一杯使える様になったじゃないっすか。」

「確かに以前に比べれば儂の魔力は増えておるがのう…。」

 

そう言って姜子牙がため息を吐くと、姜子牙の視界に影が入り込む。

 

その影の主を確かめる為に姜子牙が顔を上げると、そこには元始天尊の姿があった。

 

「ホッホッホッ、姜子牙は随分と殊勝な悩みを持つようになったのう。」

「元始天尊様、今日はどうしたんすか?」

「なに、二郎真君ばかりに任せずに、たまには儂も弟子の修行を見ねばと思ってな。」

 

腹の辺りにまで伸びた見事な白髭を撫で付けながら元始天尊がそう言うが、姜子牙は士郎達の手合わせから目を離さなかった。

 

「姜子牙よ、お主の相手は二郎真君か?」

「…何を言いたいのですかのう?」

「相手を間違えるなと言っておるのだ。姜子牙が勝たねばならぬ相手は妲己や聞仲であろう?」

 

姜子牙は士郎達の手合わせから目を外すと、元始天尊と目を合わせた。

 

「相手を知り、己をも知らねば勝てる戦いも勝てぬ。相手を間違えるでないぞ。」

 

妲己や聞仲を相手に生き残る事しか考えられない程の差を感じ、その妲己や聞仲に勝つための仲間集めも上手くいっていない姜子牙は後ろ向きな思考に陥っていた。

 

そんな弟子の様子を遠見の宝貝で見て気付いた元始天尊は、姜子牙に発破をかけに来たのだ。

 

「相手を知り、己を知る…策の基本だのう。」

 

そう呟いた姜子牙は両手で己の頬を張った。

 

「スープー、心配をかけたのう。」

「ご主人が元気になってよかったっス!」

 

四不象と顔を見合せると姜子牙に笑みが戻った。

 

姜子牙は立ち上がって埃を払うと、打神鞭を手に取って元始天尊と向き合った。

 

「それでは、一つ手合わせをお願いしますかのう。」

「ホッホッホッ!二郎真君程ではないが、儂もまだまだ弟子には負けぬよ。」

 

そう言いながら元始天尊が懐から宝貝を取り出すと、姜子牙と元始天尊の手合わせが始まったのだった。

 

 

 

 

「おや?元始天尊様が手合わせをするのは久しぶりに見たなぁ。」

 

仙人の中で最も多くの弟子を持つ元始天尊だが、その弟子の育成方法は基本的に弟子の自主性に任せるといったものだった。

 

基本的に弟子の自主性に任せる元始天尊はめったに弟子と手合わせをする事がなく、そんな元始天尊が手合わせをした弟子は仙人に至る…といった噂が道士や仙人の間で広がっていた。

 

「たしか数百年ぐらい前に一度見たと思ったけど、あの時の道士は仙人になれたのかな?」

 

二郎が昔に遠目でチラリと見た元始天尊と手合わせをしていた弟子というのは、実は申公豹である。

 

その時の手合わせで申公豹の才を認めた元始天尊が申公豹に雷公鞭を与えたのだが、二郎が見た時には申公豹は雷公鞭を持っていなかったので、あの時の弟子が申公豹だと二郎は気付いていない。

 

「元始天尊様の手合わせを邪魔するわけにはいかないから、士郎達の動きを誘導していこうか。」

 

そう言って二郎は横目で姜子牙と元始天尊の手合わせを見ながら士郎達との手合わせを続けていく。

 

そんな二郎に士郎が咸卦法を用いて全力で仕掛けていったのだが、士郎は崩拳の一撃で吹き飛ばされてしまい、流れていく景色をどこか遠くを見詰める様な目で見ていたのだった。




これで本日の投稿は終わりです。

また来週お会いしましょう。


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第118話

本日投稿1話目です。


「ここまでにしましょう、紂王様。」

 

殷の都の宮殿にある中庭で二人の男が手合わせをしていた。

 

その二人とは紂王と聞仲である。

 

聞仲は紂王の幼少時から厳しく武芸を教えた師であったが、紂王はその幼少時の経験からどこか聞仲に苦手意識を持っていた。

 

だが滅びの運命を受け入れた紂王は、積極的に聞仲に武芸の教えを乞う様になっていた。

 

「うむ。聞仲よ、余は少しは腕を上げたか?」

「並みの武人ならば紂王様の前に膝をつくことになるでしょう。あるいは黄飛虎にも勝ちを得られるやもしれませぬ。」

「そうか、黄将軍にも勝ちを得られるか。」

 

笑みを浮かべた紂王は侍女が持ってきた桶に入った水に手拭いを潜らせて顔の汗を拭く。

 

(あの日から紂王様は見違える程に変わった…。昼夜を問わずに酒に酔っていた紂王様は、今ではたしなむ程度にしか酒を飲まず、健やかな身体へと変わっている。)

 

酒色に溺れ、政を疎かにしていた愚王の姿はどこにも無い。

 

そこには王として政に励み、一人の男として武に励む紂王の姿があった。

 

今の紂王の姿を見たならば、中華の者は誰もが紂王を賢王と讃えただろう。

 

それを誰よりも理解する聞仲は拳を握り締めた。

 

(滅ぼさせぬ…。たとえ殷が滅びても紂王様と一族の方々は…っ!?)

 

聞仲は自身の思考に驚いた。

 

(…いつからだ?私はいつから、人を見ていなかった?)

 

全ては殷の為。

 

この言葉を聞仲は何よりも優先してきた。

 

だが、ここに至って聞仲は気が付いた。

 

自分が守りたかったのは国そのものではなく、国と共に在る者達であった事を。

 

(そうか…殷が滅ぶのは…私のせいか…。)

 

数百年もの時を超えて殷に仕え続けてきた聞仲の行動、発言は殷の政に大きな影響を及ぼす。

 

殷の為にと多くの者を切り捨て、滅ぼしてきた。

 

その聞仲の行動が誰よりも殷を蔑ろにしてきたことに、聞仲は気が付いてしまった。

 

(こんな私が殷の大師だと?笑わせるな、聞仲!)

 

血が滴り落ちる程に手を強く握り締めた聞仲に、紂王が濯いだ手拭いを差し出す。

 

「聞仲よ、その様な手で戻れば文官が驚くぞ。」

「紂王様…。」

 

俯いた聞仲の肩を紂王が軽く叩く。

 

「自裁など許さぬぞ、聞仲。」

「紂王様…。」

「余は幼き頃より聞仲と生きてきたからな。顔色を見ればある程度は察する事が出来る。」

 

そう言って紂王が笑うが、聞仲は顔を上げる事が出来なかった。

 

そんな聞仲を見て肩を竦めた紂王は、雰囲気を変えようと話題を変える。

 

「姫昌が逃げてから四年程が経ったが、まだ国を興さぬな。」

「…はい。」

 

大師として責務を果たさねばと息を吐いてから聞仲が顔を上げると、紂王は笑みを浮かべた。

 

「それで、聞仲は後どれ程で姫昌が国を興すと思う?」

「姫昌の政の手腕ならば、周囲の属国への根回しは終えているでしょう。ですが、如何に黄飛虎が名将でも、戦が出来る軍を一朝一夕には作れませぬ。」

 

そこまで話した聞仲は一息間を入れてから続きを話す。

 

「今の西岐が殷と渡り合うには後十年は掛かります。」

「十年か、長いな。」

「はい。ですが、ある事が起これば、五、六年程で国を興すでしょう。」

「ほう?それは?」

「優秀な大師が姫昌に仕えることです。一人の英雄が先頭を駆けるだけでは戦術的な勝利しかもたらしません。軍を指揮する大師こそが、戦略、戦術で軍に勝利をもたらします。だからこそ、姫昌の元に優秀な大師がおらねば姫昌は動かぬでしょう。」

 

聞仲の言葉を聞いた紂王は、その優秀な大師の資質を持つ人物に思い当たる。

 

「たとえば妲己のような、か?」

「…その通りです。」

 

不満気に答えた聞仲の姿に、紂王は大声を上げて笑う。

 

そんな紂王に聞仲はジト目を向けた。

 

「はっはっはっ!すまぬすまぬ。聞仲の調子が戻ったのでついな、はっはっはっ!」

 

涙を浮かべて笑う紂王を見て、聞仲は諦めた様にため息を吐いた。

 

「西岐と存分に戦い、せいぜい華麗に滅びて千年は名を残したいものだ…だが。」

 

不敵に笑みを浮かべた紂王が踵を返して歩き出すと、聞仲がその後に続く。

 

「物足りぬ相手ならば逆に滅ぼす…そうであろう、聞仲?」

「御意。」

 

覚悟を決めた紂王の背中は、過去の英雄達にも劣らぬ堂々たるものだった。

 

そんな紂王の背中に聞仲は久しく感じていなかった心の滾りを感じたのだった。




本日は5話投稿します。

次の投稿は9:00の予定です。


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第119話

本日投稿2話目です。


雷震子が姜子牙達の修行に合流してから一年程の月日が流れた頃、崑崙山で修行をする姜子牙達の元に、二郎がまた少年を一人つれてきた。

 

「黄天化です!よろしくお願いします!」

 

黄天化は歳の近い哪吒と雷震子の二人と直ぐに打ち解けた。

 

そんな三人の少年を二郎が指導していく。

 

「哪吒、天化、槍は突くだけじゃなくて叩く、払うといった攻撃もあるんだよ。雷震子は剣で斬ることに拘り過ぎだね。三人共、もっと工夫をしないと士郎の守りを突破出来ないよ。」

 

三人の少年を同時に相手にしている士郎だが、その表情にはまだ余裕が伺えた。

 

「老師、私にも助言が欲しいのだが?」

「士郎は双剣以外を使ってみたらどうかな?」

「ふむ、では槍を使ってみよう。」

 

両手に持つ飾り気の無い武骨な双剣を消した士郎は、三尖刀を模した一本の槍を投影する。

 

突く、叩く、払うといった槍の基本を哪吒達に見せる様に士郎は槍を振るっていく。

 

「おらぁ!」

「ふっ!」

 

哪吒と天化の二人と正面から打ち合っているのを隙と見た雷震子が士郎の背後から仕掛け、剣を上段から降り下ろそうとしたが、士郎は槍の石突で雷震子の腹を突く。

 

息が詰まって地に倒れた雷震子を助けようと天化が果敢に士郎に仕掛けていく。

 

だが…。

 

「それは悪手だね。」

 

二郎の一言を肯定する様に、士郎は天化が持つ槍を巻き取る様にして弾き飛ばした。

 

石突で天化の肩を突いた士郎は、火尖槍を構える哪吒と対峙する。

 

「哪吒、火尖槍にばかり拘らずに乾坤圏も使っていこうか。」

「はい。」

 

二郎の指導に素直に従った哪吒を見て士郎は苦笑いをする。

 

「老師、一番弟子を蔑ろにしているのではないかな?」

「漸く過去の幻想の自分から逸脱出来たのだから、もう少しの間は自由に楽しませようかと思ってね。」

 

二郎の返答に士郎はため息を吐く。

 

修行の際に最強の自分を想像し、そこに至ろうと励んでいたのが以前の士郎だった。

 

だが、士郎が幻想していたのは前世の己を基準としたものであり、今生の自分ではなかったのだ。

 

そのため一時は伸び悩んでいたのだが、王貴人との出会いや二郎との修行でその認識を改め、士郎はぶつかっていた壁を越える事ができたのだ。

 

「士郎、彼女には感謝しないとね。」

「…あぁ。」

 

姜子牙達には王貴人と士郎の関係は伏せてある。

 

二郎がその方が面白いと思ったからだ。

 

士郎が苦笑いをしていると哪吒が乾坤圏を投じると同時に火尖槍を手に士郎へと仕掛けていく。

 

士郎は手にしていた槍を哪吒に投げると、続いて投影した双剣を乾坤圏へと向けて投げた。

 

哪吒が士郎が投げた槍を弾くと同時に、士郎は咸卦法の修行の過程で体得した瞬動を使って哪吒の側面に踏み込む。

 

「勝負ありだな、哪吒。」

 

士郎が左手に投影した剣を哪吒の首に添えると、哪吒は不満気に顔を逸らしたのだった。

 

 

 

 

「くっそー!また勝てなかった!」

「う~ん、もう少しはいけると思ったんだけどなぁ…。」

 

悔しげに天を仰ぐ雷震子に続く様に、黄天化も天を仰ぐ。

 

そんな二人を見て何かあるのかと哪吒が空を見上げると、士郎と三人の手合わせを見学していた四不象が微笑んだ。

 

「哪吒くんに友達が出来てよかったっすね、ご主人。」

「それは李靖が言うべき言葉だと思うがのう。」

 

姜子牙はそう言うが李靖は現在、元始天尊から仙術の指導を受けているためここにはいない。

 

今頃は師弟の心暖まる言葉の応酬が繰り広げられていることだろう。

 

その事を思い浮かべた姜子牙は苦笑いをした後に深くため息を吐いた。

 

「どうしたんすか、ご主人?」

「姫昌殿がまだ動かぬのはわかるのだが、殷が…聞仲がまだ動かない理由がわからなくてのう。」

「姫昌さんが殷から逃げてもう五年は経ったっすからね。」

 

四不象の言葉に頷いた姜子牙は頭を掻きながら思考する。

 

(妲己が都で暗躍しておるにしても、あの聞仲が西岐に一軍も出さぬのはおかしい…。都で何が起きているのかのう?)

 

姜子牙は紂王の王たる者への目覚めを知らない。

 

さらには聞仲がかつての己の志を取り戻した事も知らない為、姜子牙はここ数年の殷の動きを読む事が出来なかった。

 

(まるで姫昌殿が国を興すのを待っているかのようだのう。不穏分子を一斉に排除する為と考えればわからないでもないのだが…。)

 

為政者としては優秀な姫昌だが、その姫昌の武名は低い。

 

それ故に多くの属国は日和見を決め込むだろうと姜子牙は考える。

 

(最初は負けて不穏分子を燻し出すつもりか?消耗を考えぬならば悪い手では無いがのう。)

 

姜子牙は思考を打ち切る様に息を吐く。

 

(やはり崑崙山にいては得られる情報が少な過ぎる。二郎真君様に許可を貰って、西岐に行ってみるとするかのう。)

 

そう考えた姜子牙は立ち上がって埃を払うと、手合わせをしていた士郎を崩拳の一撃で吹き飛ばした二郎の元に向かったのだった。




次の投稿は11:00の予定です。


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第120話

本日投稿3話目です。


「黄将軍、どう思いましたかな?」

「…姜子牙殿は智者だな。」

 

二郎と話をして休暇を貰った姜子牙は、黄天化と雷震子の二人と一緒に西岐の地を訪れていた。

 

そして西岐を訪れた姜子牙が姫昌と黄飛虎の二人に会って中華の状況を尋ねると、そこで興味を持った姫昌が姜子牙に、これから先の中華がどう動いていくかを尋ねた。

 

そして一通りの話を終えた姜子牙は二人の元を去り、その場に残った姫昌と黄飛虎が話を続けているのだ。

 

「聞仲の奴が動かねぇのは俺も不思議に思ってた。けど、姫昌殿が国を興すのを待っている節があるってのは考えなかったぜ。」

「流石は大国たる殷…我々の動きを待つ余裕があるのですなぁ。」

 

そう言って姫昌が笑うと、黄飛虎は苦笑いをしながら頭を掻いた。

 

「さて、黄将軍。私は少し散歩にいってきますぞ。」

「口説けるか?」

「これでも多くの妻を持っておりますでな、ほっほっほっ!」

 

そう言って朗らかに笑うと、姫昌は黄飛虎を残して屋敷を出ていくのだった。

 

 

 

 

「平和っすねぇ、ご主人。」

「そうだのう…修行の日々が嘘だったようにのう。」

 

西岐に程近い川に四不象と共にやって来た姜子牙は釣糸を垂れていた。

 

「ところでご主人、ご主人は生臭を食べないのに釣りをするんすか?」

「針には餌も返しもついておらぬよ。ただこうして川に糸を垂らして時が過ぎていくのを楽しんでおるだけだ。」

 

そこで話が終わると四不象は昼寝をし、姜子牙はゆったりと過ぎる時を楽しんでいった。

 

そんな二人の元に一人の男が訪れる。

 

「釣れますかな?」

 

姜子牙が声の方に振り向くと、そこには微笑みを浮かべた姫昌の姿があった。

 

「うむ、大物が釣れたようだのう。」

「ほっほっほっ!それはようございました。」

 

姫昌はゆっくりと歩いて姜子牙の隣に腰を下ろす。

 

そのまましばらくの間、二人はゆったりと流れる時に身を任せた。

 

「勝てますかな?」

 

不意に、しかし不快にならぬ様に姫昌が問うと、姜子牙は川を見詰めたまま答える。

 

「さてのう…やってみねばわからぬ。」

「勝てるとも、負けぬとも言わぬのですな。」

「相手は数百年以上を生きた経験を持つ傑物だからのう。」

 

姜子牙がそう答えると二人の間に言葉はなくなり、またゆったりと時が流れる。

 

「私は国を興します。」

「うむ。」

「姜子牙殿、手伝ってくれませんかな?」

 

姜子牙は頭を掻くと、釣糸を引き上げて竹竿を横に置いた。

 

「随分と買い被られたものだのう。」

「姜子牙殿の蛟退治の噂は西岐にも聞こえて来ておりますからな、ほっほっほっ!」

 

朗らかに笑った姫昌が立ち上がって姜子牙に手を差し出すと、姜子牙は姫昌の手を取って立ち上がる。

 

「姜子牙殿とは殷を逃げた時からの付き合いですが、これからも長くなりそうですな。」

「うむ、長くせねばならぬのう。」

 

二人は強く握手を交わすと、爽やかに微笑んだのだった。

 

 

 

 

封神演義の一節には次の様に綴られている。

 

『釣りをしていた姜子牙の元に姫昌が訪れると、姫昌が釣れますかと問い掛けた。』

 

後に文王となる姫昌が姜子牙の元を訪れたこの一節は、勇士や名士の元に自ら足を運んで臣下へと招く故事となっている。

 

そしてこの一件が『太公に望まれた』として、周の軍師として名を上げた後に姜子牙は自らの名を『太公望』と改めるのだった。




次の投稿は13:00の予定です。


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第121話

本日投稿4話目です。


姫昌が姜子牙を西岐に招いてから五年程の月日が流れると、姫昌は中華の各地に書状を出した。

 

その書状の内容は建国宣言だった。

 

『昨今、殷の横暴に苦しめられる中華の民の為に、西岐は殷から独立して【周】と名乗る事を宣言する。我等と同じ様に殷の横暴に立ち向かう志を持つ者は周に来たれ。』

 

各地に書状だけでなく、姫昌の手の者が立札を出していった事で周の事は中華全域に知られていく。

 

姫昌が建国宣言をしてから三ヶ月後、殷は西岐に…いや、周に軍を出すのだった。

 

 

 

 

「姫昌様、大変です!」

 

慌てた様子の兵が西岐に造られた宮殿の王の間に駆け込んでくる。

 

「これ、慌てるでない。報告は正確に、簡潔にするのだぞ。」

「はっ!」

 

姫昌に招かれてからの五年程で軍師と認められた姜子牙が兵をたしなめると、兵は片膝を床について包拳礼をしながら報告を始める。

 

「殷が軍を出したと報告が来ました!」

 

兵の報告に王の間にいた姜子牙、姫昌、黄飛虎が顔を見合わせて頷く。

 

「いよいよだな。」

「そうだのう。」

「二人共、頼りにしてますぞ。」

 

三人は簡潔に会話を終えると、姜子牙が一歩前に進み出て兵に指示を出す。

 

「各将軍を集めよ!戦の準備だ!」

「はっ!」

 

こうして中華の歴史に残る殷周革命が始まるのだった。

 

 

 

 

姜子牙が周の将軍を集め出した頃、崑崙山では出立の準備を整えた士郎と李靖の姿があった。

 

「いよいよだね、士郎。今の気持ちはどうかな?」

「端的に言えば、高揚している。」

「そうかい。それじゃ、楽しんでくるといいよ。」

「はぁ…不安だ。」

 

包拳礼をして深々と二郎に頭を下げた士郎と李靖は、哮天犬に乗って崑崙山を旅立った。

 

そんな士郎の後ろ姿を見て、雷震子と黄天化が愚痴を溢す。

 

「俺も早く父上の役に立ちてぇなぁ。」

「うん、俺も早く父上と一緒に戦場を駆けたい。」

 

雷震子と黄天化の愚痴を聞いた二郎は笑い声を上げてから話をする。

 

「二人はまだ未熟だからね。一騎打ちならともかく、戦場では不覚を取るだろうね。もちろん、哪吒もね。」

 

二郎の言葉に雷震子と黄天化、そして哪吒が項垂れる。

 

「でも二郎真君様、それじゃ殷との戦が終わっちまうんじゃ…?」

「周と殷の戦は二十年はかかるよ。その間に一人前になればいいさ。」

 

戦を知らない三人は驚いて二十年と呟く。

 

「ただ殷に勝つだけなら十年で十分だろうね。でも、周が掲げる大義が足枷になるから二十年必要なのさ。」

「「「大義?」」」

 

揃って疑問の声を上げる三人に、二郎は人差し指を立てて話をしていく。

 

「殷の横暴に立ち向かう。これが周の大義というのはわかるかい?」

 

二郎の言葉に三人が頷くと、二郎は話を続けていく。

 

「この大義を体現しようとすると、周の戦はある程度制限される事になるんだ。」

「えっと…例えばどんな事があるんですか?」

「そうだね。わかりやすいところだと、飢えている民を見捨てないってところかな。」

 

雷震子の疑問に二郎が答えると、雷震子と黄天化と哪吒の三人は揃って首を傾げた。

 

「軍を動かすには多くの食糧が必要なのはわかるだろう?腹が減っては思う存分に力を出せないからね。じゃあ、周の軍が行軍をしている時に飢えた民を見付けたらどうすると思う?」

 

二郎の問い掛けに、雷震子と黄天化と哪吒の三人が顔を見合わせる。

 

「えっと、民に食糧を分け与えます。」

「うん、そうだね。じゃあ、ある周の軍の食糧が少なくなった時に、その周の軍に殷の軍が戦を仕掛けてきたらどうかな?」

 

黄天化の答えに二郎が更に問い掛けると三人は驚いて目を見開き、雷震子が大声を上げた。

 

「卑怯だ!」

「負けたら滅びるんだ。勝たなければ意味が無いよ。」

 

まだ戦を知らず若い三人は納得が出来ず、不満そうな表情をする。

 

「戦で武功を上げる、名を上げる。それは大いに結構な事だけど、戦は相手が嫌がる事をするのが基本だ。それが嫌なら、それをしなくても勝てるだけ強くならなきゃね。」

 

不満そうな表情をしていた三人は表情を改めて力強く頷く。

 

そんな三人に二郎が微笑む。

 

「それじゃ、修行を再開しようか。哪吒は五年、雷震子と天化は七年ってところかな?三人が殷との戦で生き残れる様にしっかりと鍛えてあげるよ。」

 

そう言って二郎が歩き出すと、三人は大きな声で返事をして二郎についていくのだった。




次の投稿は15:00の予定です。


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第122話

本日投稿5話目です。


「士郎、よく来てくれたのう。」

「友の為に馳せ参じた…とでも言えば格好がつくのだろうが、私自身の夢の為さ。」

「それでも士郎さんが来てくれたのは心強いっス!」

 

哮天犬に乗って周にやって来た士郎は姜子牙と四不象に歓迎されていた。

 

「それで尚、李靖はいつ周に味方すると宣言するんだ?」

「殷の軍との初戦で勝った後だのう。」

「なるほど、優柔不断な連中の尻を叩く為か。」

「話が早くて助かるのう。」

 

周の建国宣言がされてから三ヶ月程が経ったが、まだ周に味方すると表明した国は無いのが現状であった。

 

「それだけ殷を…聞仲を怖れているのだろうな。」

「周には黄将軍以外に中華で大きく名を知られた者がいないのもあるだろうのう。」

 

姜子牙と士郎、そして四不象が揃ってため息を吐いたが、その次の瞬間には姜子牙が悪い笑みを浮かべていた。

 

「ということで、士郎には名を売ってもらおうと思う。」

「私としては歓迎だが、周の将軍達でなくていいのかね?」

「日和見の者達の尻を叩かねばならんからのう。初戦は派手にいかねばならぬ。」

「一騎討ちか…。」

 

士郎がため息を吐くと姜子牙は笑い声を上げた。

 

そんな姜子牙に四不象がジト目を向ける。

 

「ご主人、どうやって一騎討ちに持ち込むんすか?」

「その答えは…『弓』だのう。」

 

姜子牙の返答に四不象が首を傾げると、姜子牙は四不象に戦の講義を始めたのだった。

 

 

 

 

人類の歴史と戦争は切っても切れぬ関係にある。

 

戦争が人類の技術を発展させた部分もあるからだ。

 

そんな戦争の転機点となるのが新たな兵器の開発である。

 

とりわけ新たな飛び道具が戦争の在り方を変えるのが常である。

 

そんな戦争の在り方が人類の歴史上で最初に変わったのは黄帝が弓を開発した時だ。

 

それまでの飛び道具は投石や投槍が主流だった。

 

投石や投槍の威力や飛距離は個人の身体能力で大きく変わる。

 

しかし極端な事を言えば、弓は引く事さえ出来れば誰もが同じ威力や飛距離で矢を放つことが出来るのだ。

 

その弓を開発して数を揃えた黄帝は広い中華の地を次々と平定し、人類史上初めて中華の地を統一した英雄として名を残した。

 

それからの人類の戦はこの弓を如何に使うかが重要視される様になる。

 

やがて戦の主役は戦場の中心で剣や槍を振るい無双をする英雄から、弓矢を射る者達に変わっていく。

 

弓を巧みに使う事が出来る武人は称賛され、一国の英雄として名声を得ていった。

 

そんな英雄の存在は兵の士気に大きく影響する。

 

味方ならば兵の士気を高揚させ、敵ならば兵の士気を挫く。

 

故に今の時代の戦は、弓に長けた英雄の存在が戦の勝敗を分けると言っても過言ではないのだ。

 

 

 

 

姜子牙の講義を聞いた四不象は首を傾げる。

 

「ご主人、弓が重要なのはわかったっすけど、それでどうやって士郎さんに一騎討ちをしてもらうんすか?」

「士郎が弓で次々に敵を倒していけば、向こうから勝手に一騎討ちを申し込んでくる。」

「えっと、味方の下がった士気を盛り返す為にっすか?」

「うむ、その通りよ。」

 

四不象が感心の声を上げると、士郎が話に割り込む。

 

「しかし、そう上手くいくのか?」

「上手く行かせる状況を作るのが儂の仕事だのう。まぁ、楽しみにしておるがよい。上手くいけば相手の将は最初に油断をし、後に慌て、最後に一騎討ちをするしかなくなるからのう。」

 

そう言ってニヤニヤと笑みを浮かべる姜子牙を見た士郎と四不象は、姜子牙がどんな策を考えているのかと不安になってため息を吐いたのだった。




これで本日の投稿は終わりです。

夏バテで体調を崩している為、来週の投稿はお休みさせていただきます。

また8月にお会いしましょう。


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第123話

本日投稿1話目です。


「…その報告は本当か?」

 

周の地へと一軍を率いて来た殷の将である魔礼青(ま れいせい)は、殷の軍の進軍先の荒野で待ち構えていた周の軍の布陣を物見に聞いて呆れた様な声を上げた。

 

魔礼青は魔家四将(まかししょう)と呼ばれる四兄弟の長兄で殷のとある地の守備についていたのだが、聞仲の命により別の将と守備を交代して、今回の西岐攻めの将として一軍を率いていた。

 

「周の軍師は戦を知らんのか?」

 

魔礼青がそう言うのも無理はないだろう。

 

何故なら周の陣の最前線となる位置には無数の矢筒が所狭しと立てられており、そこには兵を並べて陣形を作れるような有余などなかったのだから。

 

「こちらは十万、西岐の連中はこちらの半分にも満たぬ兵しかおらぬのか。しかも兵を率いているのは黄将軍ではなく、姜子牙などという蛟退治程度の噂しか無い道士…つまらん相手だ。こやつの出番が無いではないか。」

 

魔礼青は腰に帯びている青雲剣と呼ばれる剣の宝貝をポンッと叩くと高笑いをする。

 

大国たる殷は一軍であれども十万の兵がいるが、その十万の兵に対して周の軍は二万の兵しかいなかった。

 

その差は五倍。

 

魔礼青は既に今回の戦の勝利を確信した。

 

しかし夕刻であることもあり、万全を期して行軍で疲れた兵を休ませるかと思考した魔礼青が一喝する。

 

「兵に腹一杯食わせよ!明日の日の出と共に奴等を一息で飲み込んでくれるわ!」

 

魔礼青の一喝が殷の兵に届くと、殷の兵達から歓声が上がったのだった。

 

 

 

 

「尚、殷の軍は食事を始めるようだ。」

 

小高い丘に置いた本陣にて4km先にある殷の軍の動きを見た士郎が、その動きを姜子牙に告げた。

 

「うむ、思った通りに腹拵えを始めたのう。」

「士郎殿の目は凄いな。正に鷹の目。いや、それをも超えているか。」

 

士郎の言葉を聞いた姜子牙は腕を組みながら頷き、姜子牙の横にいた伯邑考は地平線にいる殷の軍を見ようと目を凝らしながら驚きの声を上げた。

 

「ところで尚、あれは策と言えるのかね?」

「相手を油断させているのだから立派な策よ。もっとも、士郎の弓の腕がなければ成り立たぬ策だがのう。」

 

姜子牙の策は至極単純だった。

 

無数に置いた矢筒に入っている矢を、士郎が迫りくる殷の兵に向けて射る。これだけである。

 

「周の兵は二万、殷の軍は十万はおるだろう。これだけ兵の数に差があれば、殷の将は小細工をせずに正面からの力押しでくるだろうのう。」

「その正面から来る十万の兵を一人で相手にする私の身になってもらいたいものだ。」

 

そう言って士郎がため息を吐くと姜子牙が笑う。

 

「姜子牙殿、本当に殷の将は力押しで来るのか?」

 

伯邑考が疑問の声を上げると、姜子牙は人差し指を立てて答える。

 

「うむ、まず間違いないであろう。」

「なぜだ?」

「力押しで蹴散らした方が外聞がいいからのう。それに、これだけ兵の数に差があって策を弄すれば殷の他の将に臆したと言われかねぬ。それ故に今回の戦で一軍を率いる殷の将は力押しを選ぶしかないのだ。」

 

姜子牙の答えに伯邑考は理解を示したが納得はいっていなかった。

 

「如何に外聞が悪かろうと兵の犠牲を少なくする為にも策を用いた方がよいのではないか?」

「伯邑考殿がその考えを忘れねば良い王になれるであろうのう。だが、兵の犠牲が多い方がよく戦ったと思われやすいのが現実だのう。」

 

今の時代、人々に正確な情報が伝わる事は少ない。

 

今回の戦を例にしてみよう。

 

もし殷の軍が勝った場合、殷は本来の数より多くの兵に勝ったと噂を広げるだろう。

 

その際に将はどの様に戦ったのかが話題に上がり、堂々と戦い勝ったとなれば、その将は名将や猛将として中華の人々の間で讃えられる事になる。

 

もちろん策を用いて勝っても讃えられるが、一般の人々にとって想像がしやすい力押しの方がより多くの称賛を得やすいのが今の世の常である。

 

「戦になれば犠牲は避けられぬ。だからこそ勝たねばならぬが、ただ勝てばよいというものでもない。先々を考えて勝ち方を、時には負け方も考えねばならぬ。」

 

伯邑考が真面目な表情で頷くと、姜子牙は固い雰囲気を解す様に肩を竦める。

 

「まぁ、それを考えるのが儂の仕事だのう。とりあえず伯邑考殿は戦の雰囲気に慣れねばな。」

「あぁ、頼んだぞ姜子牙殿、士郎殿。」

 

伯邑考が包拳礼をすると、姜子牙と士郎も包拳礼を返したのだった。




本日は5話投稿します。

次の投稿は9:00の予定です。


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第124話

本日投稿2話目です。


周の地へと進軍して周の軍と対陣した翌日、日の出と共に物見の報告を受けた魔礼青は呆れた様にため息を吐いた。

 

「西岐の連中は千年前から進歩していないのか?」

 

魔礼青がそう言うのも無理はないだろう。

 

何故なら最前線となる無数の矢筒を立てた場所に一人の男がいるだけで、周の兵はその1km後方にいるのだから。

 

「一人の英雄が戦陣を切り開く時代は終わったのだ。今は一軍を己が手足の様に自在に操る将の時代なのだ。それを西岐の連中に教えてやろうではないか。」

 

ニヤリと不敵に笑った魔礼青は将として鍛えられた大声で指示を出す。

 

「弓兵を下げよ!歩兵を前に!西岐の弱兵など踏み潰してくれるわ!」

 

 

 

 

「弓兵を下げて歩兵を前に出している。先ずは油断を…か、尚の予想通りの動きだな。」

 

黒塗りの洋弓を片手に一人最前線にいる士郎は、地平線にて動いている殷の軍を見て不敵な笑みを浮かべた。

 

今の時代の飛び道具の主役は弓である。

 

戦での弓の出番は、主に両軍がぶつかり合う前の遠距離戦においてだ。

 

これは矢の雨を降らせて相手の兵の士気を挫いたり、陣形に穴を開けるためである。

 

だが魔礼青は両軍の兵数差と、周の軍の陣を見て弓兵の必要無しと油断をしたのだ。

 

「せいぜい油断をしろ。その間に一万は貰う。」

 

足下にある矢筒から矢を引き抜いた士郎は、殷の軍へ向けて弓を構えるのだった。

 

 

 

 

後の時代に『士郎の戦』と呼ばれる戦が始まった。

 

殷の軍を率いていた魔礼青は弓兵を下げて歩兵を最前線に出すと、兵を横陣にして堂々と周の軍へ向けて歩ませた。

 

弓兵を下げたのは姜子牙の策による油断だったが、兵を歩ませたのは誤りではないだろう。

 

何故なら、周の軍はまだ地平線にいたからだ。

 

その距離はおよそ4km。

 

勢いをつけて兵を当てるにしても遠い距離であり、何よりもこの時代の一般常識的に遠距離武器が絶対に届かない距離である。

 

だが、その常識を士郎は覆した。

 

一人で周の軍の最前列に立つ士郎は黒塗りの弓に矢をつがえると、徐に天に向けて矢を放つ。

 

すると、その矢は殷の最前列にいる歩兵の額を射抜いた。

 

たった一本の矢に殷の軍にざわめきが起こる。

 

初めは近くに潜んでいた伏兵が矢を放ったのかと思われた。

 

だが、その思いは直ぐに消え去る事になる。

 

何故なら、天から士郎が放った矢の雨が降り注いだからだ。

 

士郎が放った矢の雨は、その一本一本が正確に殷の歩兵の致命傷となる部位を射抜いていった。

 

士郎の弓により殷の兵が百人倒れると殷の軍の歩みが止まり、千人倒れると恐慌し、万人が倒れると兵が四散していった。

 

この時代の兵の多くは民である。

 

ある者は立身出世を夢見て、ある者は敵地での乱取りに心を踊らせて戦に加わっていた。

 

彼等が求めるのは勝ち戦だ。

 

より少ないリスクでのリターンを求めている。

 

そんな彼等にとって士郎の矢は死を告げる死神の鎌に見えたのかもしれない。

 

だからこそ彼等は我先にと逃げ出した。

 

立身出世も乱取りも命あってこそのものである。

 

死んでは元も子もない。

 

そんな彼等を戦場に押し留めようと魔礼青の配下の者が武器を振るおうとした。

 

見せしめに幾人かの命を奪い、恐怖で民兵を支配して戦わせようとしたのだ。

 

だが士郎の矢がまるで神の審判の如く魔礼青の配下だけを射抜いていく。

 

民兵が四散すると、殷の軍は半数の五万しか残っていなかった。

 

その五万の兵もいつ降ってくるかわからない矢に恐怖している。

 

ここに至り魔礼青は己のしくじりを自覚した。

 

こうなってはもう戦どころではない。

 

だが魔礼青も一軍を率いる将である。

 

彼にはまだこの状況を打開する策が一つだけあった。

 

それは一騎討ちで士郎を討ち果たす事である。

 

魔礼青は腰に帯びていた宝貝の青雲剣を引き抜くと、一人で前へと進み出ていくのであった。

 

 

 

 

「先ずはお見事ってところかな。」

「ワンッ!」

 

周と殷の初戦を隠形の術で姿を隠し、空に立って観戦している二郎が笑みを浮かべながら頷く。

 

「うふふ、士郎ちゃんもやる様になったわねん♡」

「あのぐらい、士郎ならば当然です。」

 

哮天犬の背に腰掛けて観戦している妲己が士郎を誉めると、妲己の横で哮天犬の背に腰掛けている王貴人が誇らしげに胸を張る。

 

「ここまでは上手くいったけどん、士郎ちゃんは魔礼青ちゃんに勝てるかしらん?」

「妲己姉様、士郎なら勝ちます。」

「あらあら、王貴人ちゃんと士郎ちゃんは熱々ねぇん♡」

 

妲己のからかいに頬を紅に染めた王貴人は顔を逸らす。

 

そんな二人のやり取りに二郎が肩を竦めると、戦場の中央では士郎と魔礼青が一騎討ちを始めようとしていたのだった。




次の投稿は11:00の予定です。


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第125話

本日投稿3話目です。


青雲剣を片手に持った魔礼青が殷の軍と周の軍のちょうど中間に位置する場所へと歩み出る。

 

その間、魔礼青には一本の矢も放たれない。

 

ただ一人が歩み出る。

 

この状況が意味する所は二つ。

 

降伏か、一騎討ちか。

 

どちらにしろ、今の魔礼青を攻撃するのは義を欠くことに繋がる。

 

それ故に、周の軍…もとい、士郎は魔礼青に攻撃をしないのだ。

 

戦場の中央に辿り着いた魔礼青は息を大きく吸い込む。

 

そして…。

 

「我が名は魔礼青!魔家四将が長兄である!我が軍を瓦解させた武人との一騎討ちを所望するものなり!」

 

魔礼青の大喝が戦場に響き渡ると、周の兵達からざわめきが起こる。

 

魔礼青。

 

魔家四将の長兄として中華に名を広めている殷の将である。

 

曰く、四方の敵を剣の一振りで吹き飛ばした。

 

曰く、眼前の敵数人を一振りでまとめて斬り捨てた。

 

魔礼青の名声は将としてはともかく、武人としては周に亡命した黄飛虎をも上回るとされていた。

 

その魔礼青が一騎討ちを挑んできた。

 

周の兵達のざわめきが止まらない。

 

この時代の一騎討ちは剣や槍を持っての近接戦が基本である。

 

戦の華である一騎討ちにおいて飛び道具は卑怯とされ、近接戦のみでの決着が暗黙のルールとなっていた。

 

もちろん戦いに卑怯などないとして飛び道具を用いる者もいたが、飛び道具を用いて一騎討ちに勝利した者は卑怯者と蔑まれ出世が出来ず、汚名が広がるのが今の中華の常である。

 

それ故に士郎の弓の腕前を目の前で見た周の兵達であるが、士郎の近接戦の腕前を知らぬ為にざわめきが止まらないのだ。

 

弓の腕前を誇る武人が近接戦で不覚を取る事例は珍しくない。

 

しかし士郎はそんな周の兵達の心配を他所に、魔礼青の前に堂々と進み出た。

 

「貴様が我が軍をその弓で瓦解させた者か?」

「あぁ。」

「知らぬ顔だな。名乗るがよい!」

 

士郎は魔礼青の一喝に不敵に笑みを浮かべてから名乗りを上げる。

 

「私は士郎!道士の端くれであり、二郎真君の弟子だ!」

 

士郎の名乗りに殷、周の双方からざわめきが起こる。

 

もちろん魔礼青も驚いた者の一人だ。

 

二郎の名は中華において絶対的な力の象徴であり、法を司る正義の執行者としても認識されている。

 

だからこそ中華の人々の間で肖って字を名乗る事はあれども、騙る事は許されない風潮がある。

 

その為、士郎が二郎の弟子である事を名乗ったのは衝撃だった。

 

法を司り正義の執行者たる武神の弟子がここにいる。

 

殷の兵は自分達は悪なのかと疑いを持ち戦意を失い、周の兵達からは歓声が上がった。

 

魔礼青は内心で歯噛みをする。

 

例えこの一騎討ちに勝とうとも、最早今回の戦の勝利は望めないからだ。

 

周にとってはこれ以上ない完全勝利だ。

 

魔家四将の長兄である己が手も足も出ない完全敗北。

 

魔礼青はここに至って気付いた。

 

己が踏み台にされた事に。

 

青雲剣を持たぬ魔礼青の左手から血が滴り落ちる。

 

屈辱による怒りが痛みを忘れさせ、爪が食い込むのも構わずに強く手を握り締めたからだ。

 

だが、魔礼青も一軍を率いる一端の将である。

 

不意に戦場に笑い声が響き渡った。

 

「ははは!相手にとって不足無し!」

 

もしここで一騎討ちにも敗れれば、後の戦の勝敗にも影響が出てしまうであろう。

 

だからこそ相討ちであっても士郎はここで殺さねばならない。

 

魔礼青は死を覚悟した。

 

「酒を持てい!」

 

魔礼青の指示に従って副官が顔を青ざめさせながらも杯に酒を満たして持ってくる。

 

その様子をチラリと見た魔礼青は苦笑いを隠さなかった。

 

「将軍、申し訳ありません。」

「構わぬ…それよりも一兵でも多く、兵を殷へ連れ帰るのだ。奴等の力が増すのは癪だからな。」

 

魔礼青はそう言うが、自身でもそれは難しいだろうと思っている。

 

だが、殷の将としてそう言わねばならなかった。

 

魔礼青は杯を受け取る前に、後ろ髪を青雲剣で斬って懐剣と共に副官に差し出す。

 

「弟達に渡してくれ。」

「はっ!…魔礼青将軍、御武運を!」

 

副官が下がったのを見届けた魔礼青は酒を一息で飲み干すと、杯を地面へと叩きつけた。

 

「今一度名乗ろう!我が名は魔礼青!魔家四将が長兄なり!士郎よ!恐れぬのならかかってまいれ!」

 

 

 

 

『士郎の戦』

 

封神演義と殷周革命において語られる最初の戦だが、古今において地名が冠される事が多い中で、個人の名が冠された稀有な戦である。

 

士郎。

 

現在では王士郎として広く知られる古代中華の大英雄だが、武神である二郎真君の一番弟子である事以外の詳しい出自はわかっていない。

 

当時は奴隷が当たり前であったことから、奴隷だった士郎がその才を見出だされて二郎真君の弟子となったというのが有力な説である。

 

士郎は『士郎の戦』において個人の名が冠されるに相応しい目覚ましい活躍をする。

 

その弓の冴えは後に武王を名乗る姫伯邑考から『士郎が弓、正に万夫不当なり』と称された。

 

士郎がその弓で次々と殷の兵を射殺していくと、殷の兵の士気は挫かれ、殷の兵達は戦いが出来る状況では無くなってしまった。

 

そこで殷の軍を率いていた魔礼青は形勢逆転の為に士郎に一騎討ちを申し出た。

 

この一騎討ちを受けた士郎が魔礼青を掠り傷一つ負わずに討ち取ると、戦場に残っていた殷の兵五万の内の殆どが周に投降したと記述されている。

 

武神の弟子に恥じぬ力を示した士郎の名は、『士郎の戦』の後に中華の地に広く知れ渡っていったのだった。




次の投稿は13:00の予定です。


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第126話

本日投稿4話目です。


士郎が魔礼青を一騎討ちにて討ち取って初戦は周が完勝すると、姫昌は名を文王と改めた事を中華に告げた。

 

それに伴い姜子牙も名を太公望と改め、周の軍師として軍を指揮し、次々と殷との戦に勝利していった。

 

周を建国し殷との戦が始まって五年、李靖が初めに周に降る事を中華に告げると、李靖に続く様にして殷の属国の幾つかが周の下に降った事で中華の三割は周の統べる所となったが、統治等の問題により周の勢いが止まり始めた。

 

そんなある時の事、二郎の元での修行を終えた哪吒が周へとやって来たのだった。

 

 

 

 

「哪吒、よう来たのう。」

「…ふんっ。」

 

二郎の元で修行をして道士となった哪吒は不老となりその見た目は変わらないが、その身に纏う空気は一端の武人のものとなっていた。

 

「さて、先ずは士郎と手合わせをしてもらおうかのう。哪吒の力を知らねば策を立てられぬからのう。」

「『天弓士郎』との手合わせか。望むところだ。」

 

『天弓士郎』

 

士郎の弓の腕前を称賛し、畏れた殷の兵の誰かがそう呼んだ事で広まった士郎の異名である。

 

士郎が戦場にて放つ矢は天から降り注ぐだけでなく、正確に致命傷となる部位を射抜く。

 

それ故に中華の人々の間では『天弓士郎、地の果てまで射抜く。』と歌われ称賛されていた。

 

士郎は今では周で一番の武人として、そして黄飛虎に次ぐ将軍として中華に名を広めている。

 

しかし、中華に名が広まった事で士郎にとって困った事が起こる様になった。

 

それは婚姻政策である。

 

周と周に属する国の有力者達が次々と娘を士郎の妻にと話を持ってくるのだ。

 

士郎は太公望に相談したが、太公望には誰かを妻とせねば止まらぬと言われてしまった。

 

今の時代の血のつながりの重要性は士郎も理解している。

 

しかし士郎は全ての話を断っていった。

 

これにより士郎には男色家の噂が付き纏う様になったが、士郎は頭を抱えながらも甘んじて噂を受け入れた。

 

全てはある女性を救う為に…。

 

「それで、士郎はどこにいる、姜子牙。」

「今の儂は太公望と名乗っているんだがのう…。」

 

苦笑いをしながら頬を掻く太公望だが、哪吒はまだ太公望の事を認めていない為、彼を太公望と呼ぶ事はしていない。

 

二郎に鍛えられた事で人としても成長をした哪吒だが、その気質は武人であり、奇策を用いて戦う太公望の事を好んでいないのだ。

 

もちろん策の有用性は認めているが、これは哪吒個人の好みなので仕方ないだろう。

 

ため息を吐いた太公望は哪吒に士郎の居場所を告げる。

 

「士郎は今、弓兵の指導をしておる。練兵場に行ってみるがよい。」

 

太公望の言葉を聞いて哪吒が去ると、太公望はもう一度ため息を吐いたのだった。

 

 

 

 

哪吒が周で太公望と話していた頃、崑崙山では雷震子と黄天化が地に身体を横たえて空を見上げていた。

 

「あ~あ、哪吒だけずりぃよなぁ。」

「俺も早く父上の所に戻りたいなぁ。」

 

雷震子につられる様に黄天化も愚痴を溢す。

 

「俺だって蛟を退治出来る様になったんだけどなぁ。」

「それだけじゃあ足りないよ、雷震子。」

 

二郎がたしなめる様に声を掛けると、雷震子と黄天化が慌てて身体を起こす。

 

「蛟退治なんて武の道を歩む道士の基本だからね。それがなんとか出来た程度じゃあ、宝貝を持つ道士との戦いで不覚をとってしまうよ。」

「ですけど二郎真君様、親父達は五年で中華の三割を統べたんですよ?それに士郎が魔家四将の内二人を倒してますし、このままじゃあ俺達が行く前に殷が滅びてしまいます。」

「おや?雷震子は殷が滅びるのは嫌なのかい?」

「あ、いえ、そういうことでは…。」

 

二郎の指摘に雷震子と黄天化は畏縮してしまう。

 

「役に立ちたい、手柄を上げたい、大いに結構だけど、目的と手段を間違えてはいけないよ。」

「「…はい!」」

 

二郎の言葉に二人が素直に返事をすると、二郎は微笑む。

 

「さぁ、それじゃそろそろ修行を再開しようか。姫昌…文王や黄飛虎が驚く程に成長した姿を見せてあげないとね。」

「「はい!」」

 

二人は大きな声で返事をすると、二郎との手合わせを始めるのだった。




次の投稿は15:00の予定です。


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第127話

本日投稿5話目です。


修行を終えた哪吒が周に加わってから更に五年程の月日が経った。

 

初陣で見事に敵将を討った哪吒に続く様に、後に合流した雷震子と黄天化も手柄を上げ中華に武人としての名乗りを上げると、竜吉公主が自ら弟子を率いて周の地へとやって来た。

 

また常に戦場に立ち、太公望の策により勝ち続けた伯邑考は『常勝将軍』と呼ばれ、その名声は揺るがぬものになっていた。

 

周が建国されてから十年、殷の支配から中華の半分を手にした頃に、文王は王位を長子の伯邑考に譲り渡すのだった。

 

 

 

 

「皆、そのまま宴を続けなさい。これ以上の酒量は老人にはきついのでな、先に失礼するよ。」

 

そう言って先刻まで文王を名乗っていた姫昌は、長子である伯邑考の戴冠の宴を去る。

 

「あの伯邑考が『武王』か…時が過ぎるのは早いものだ。」

 

姫昌から王位を継いだ伯邑考は『武王』を名乗り、周の王としてこの先の中華の覇を争っていく。

 

これまでの日々を思い出しながらゆっくりと自室へと歩く姫昌の表情はとても穏やかなものだ。

 

やがて自室に辿り着いた姫昌は深くため息を吐く。

 

「王位は退いたものの、伯邑考がこれからも戦場に立ち続ける事を考えれば、まだまだ楽隠居は出来そうにないか…。」

「そうだね、楽隠居をして余生を楽しむにはまだ早いかな。」

「おや、来ていただけたのですな、二郎真君様。」

「妾も邪魔をするぞ、文王。」

「竜吉公主様もこられるとは、倅の宴よりも豪華ですな。」

 

不意に声を掛けられたのにもかかわらず、姫昌はにこやかに二郎と竜吉公主を歓迎する。

 

二郎は床に腰を下ろして竹の水筒を姫昌に差し出す。

 

姫昌は朗らかに微笑むと、自身も床に腰を下ろして竹の水筒を受け取った。

 

竹の水筒を掲げて神酒を一口飲んだ姫昌は舌鼓を打つ。

 

三人は多くを語らず、時の流れを楽しんだ。

 

その時の流れを、姫昌は戴冠の宴よりも心地好く感じている。

 

「…二郎真君様とお会いしてから、もう十数年の時が経ったのですなぁ。」

「王としての日々はどうだったかな?」

「民の笑顔、これに勝るやりがいはありませんでしたなぁ。」

「それを本心から言える王は多くない。文王よ、誇ってよいぞ。」

 

文王を名乗っていた頃の姫昌は周の地の政だけでなく、周の下につこうとしていた各地の有力者とのやり取りも自身で担当していた。

 

姫昌は少数の有力者を歓迎し、多くの有力者を滅ぼす様に太公望に命じた。

 

名君との呼び名が高い姫昌だが、決して清廉潔白ではない。

 

必要とあらば賄賂だって笑顔で受け取る。

 

しかしそこには民が飢えない程度という絶対に譲れない基準があった。

 

それを超えていた有力者を姫昌は許さなかった。

 

もしそういった有力者も受け入れていたら、既に中華の七割は周の統べる所となっていただろう。

 

これにより中華の統一が十年は遅れると太公望が姫昌に告げたが、姫昌は断固たる決意で民を虐げる有力者を滅ぼす覚悟を示した。

 

この姫昌の覚悟を太公望は笑顔で受け入れた。

 

太公望だけではない。黄飛虎や士郎を始めとした周の将兵全てが姫昌の言を胸を張って受け入れた。

 

その結果、中華の有力者の大半が殷についてしまったが、代わりに多くの民がその住処を周の地へと移した。

 

それにより統べる土地の広さは同じでも、将兵の数は殷の方が多く、民の数は周の方が多いという今の状況を作り上げているのだ。

 

「二郎真君様、私は後、どれだけ生きられますかな?」

「俺の見立てでは、姫昌の孫の戴冠の宴を楽しめるぐらいだね。」

「ほっほっほっ!まだまだ妻の尻を撫でて楽しめそうですなぁ。」

「人の身でそれだけ旺盛なのが、妾は不思議でならんのじゃ。」

 

 

 

 

『文王』

 

姓を姫、名を昌という人物で、封神演義及び殷周革命において周を建国した王である。

 

二十七人の妻を持ち、百人の子供(内一人は養子)に恵まれ、百歳を超えても為政者として、そして男としても現役であった彼は、現代では男性の理想像の一人として例えられる事が多い。

 

そんな姫昌の逸話で最も有名なのが武神である二郎真君と酒を酌み交わしたものだが、これは武功が少ない姫昌に箔をつけるために後の時代に創作されたのではという説が少なくない。

 

創作物のモデルとして用いられる事も多い姫昌は、現代において中華だけでなく、日本でも広く知られ愛されている大英雄なのであった。




これで本日の投稿は終わりです。

また来週お会いしましょう。


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第128話

本日投稿1話目です。


伯邑考が武王となってからも快進撃を続けていた周の軍であったが、中華の六割を統べた辺りでその快進撃が止まってしまった。

 

「厄介だのう…。」

 

軍師として宛がわれた執務室で一人言を溢すのは太公望である。

 

「厄介なのは認識していたのだが、こうして実際にやられると頭を抱えるしかないのう…。」

 

太公望を悩ませているのは王貴人の存在である。

 

王貴人は石琵琶の宝貝の音に乗せて幻術を使うのだが、その幻術により殷の軍の士気を高め、周の軍の士気を下げてくる。

 

戦略的に負けはしないものの、ここ半年程は王貴人一人の幻術によって戦術的な負けが続いていた。

 

「武功をわけようとしたのが裏目に出たのう…。」

 

太公望は大きなため息を吐く。

 

これまでの太公望の策を支えてきたのは士郎を始めとして、黄飛虎や哪吒といった周の外様の者が中心だった。

 

その結果、連戦連勝で周の地盤を広げるに伴い、元々西岐に仕えていた将の不満も溜まってしまった。

 

勝ち戦に便乗して武功を重ねたい。

 

そんな思いが周の将兵に蔓延る様になり、ここ最近の太公望の頭を悩ませる様になった。

 

そこで太公望は戦略的に重要ではない地での戦を、元々西岐に仕えていた将に任せる様にした。

 

しかしその戦線の戦は連戦連敗を続け、これ以上の敗戦は戦略的にも影響が出る様になり、元々西岐に仕えていた将に任せられない様になってしまったのだ。

 

「やれやれ、姫昌殿に説得を頼むしかないのう。」

 

頭を掻きながら立ち上がった太公望は、姫昌の元に向かうのだった。

 

 

 

 

「まったく…来るなら先触れの一つぐらい寄越してからにしないか。」

「文句なら老師に言ってくれ、私は被害者だ。」

 

これまで周の戦の中心にいた士郎は、元々西岐に仕えていた将が中心に戦をする様になった事に伴い、太公望からしばしの休暇を与えられた。

 

そんな休暇を与えられた士郎の元に二郎が訪れると、二郎は微笑みながら士郎を殷の都に放り込んだのだ。

 

「それはともかく、随分と活躍をしている様だな、王貴人。」

「ふんっ、士郎に負けていられないからな。」

 

士郎の言葉に王貴人は胸を張って応える。

 

「おそらくだが、次の戦で周の軍は本格的に君個人を狙うだろう。」

「望むところだ。」

 

そう答える王貴人に士郎は軽くため息を吐く。

 

(やれやれ、忙しくなりそうだな。)

 

周に戻ってからの行動を士郎が考えていると、不意に王貴人が斜に構える。

 

「…それで、今日はどうするんだ?」

 

頬を紅く染めながら顔を逸らしている王貴人の横顔に、士郎は自然と笑みが浮かぶ。

 

「老師が迎えにこなければ、私は帰れんよ。」

「…ふんっ!仕方ない、私の所に泊まっていけ。か、勘違いするなよ!仕方なくだからな!」

 

そんな王貴人の態度に士郎の悪戯心が首をもたげる。

 

「別に、私は野宿でも構わんのだが?」

「馬鹿者!天弓士郎ともあろうものが野宿をしては示しがつかんだろうが!」

「そうかね?」

「いいから、文句を言わずに私の所に来い!」

 

王貴人の言い分に士郎はクスクスと笑う。

 

「…なんだ、その笑いは?」

「いや、君の言い分がまるで求婚の様に聞こえたものでね。」

「きゅ、求婚!?」

 

顔を真っ赤にして口をパクパクとする王貴人の姿に、士郎は口を押さえて笑いを堪える。

 

「さて、それじゃ君の部屋に向かうとしようか。」

「へ、部屋に?明るい内から何を考えている!」

「このままここにいては殷の誰かに見つかるからそう言っただけだが…何を想像したのかね?」

「な、何も想像していない!早く行くぞ!」

 

王貴人が肩を怒らせ大股で歩き出すと、士郎は笑いを堪えながら後に続くのだった。




本日は5話投稿します。

次の投稿は9:00の予定です。


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第129話

本日投稿2話目です。


殷の都から周に戻った士郎はその足で太公望の所に向かった。

 

太公望の執務室には太公望と四不象がいた。

 

「あ、士郎さん。お帰りっス。」

「む?士郎、ちょうどよいところに来たのう。」

「何かあったのか?」

「あると言えばあるが…先に士郎の話を聞こうかのう。」

「話が早くて助かる。」

 

一呼吸間を置いて真剣な表情を見せる士郎に、太公望と四不象は何事かと心構えをする。

 

「尚、次の戦で王貴人は私に任せてくれないか?」

「…理由を聞こうかのう。」

「私は、彼女を救いたい。」

 

太公望は士郎の言葉を聞いて頭を掻きながら思考を巡らせる。

 

(王貴人を救う?士郎が優しい心根の持ち主だとは知っておるが、どういった経緯でそう思う様になったのかのう?)

 

あれこれと可能性を考えるが、太公望は確信に至らなかった。

 

(仕方ない。直接聞くとするかのう。)

 

一つ咳払いをした太公望は士郎と目を合わせる。

 

「士郎よ、何故に王貴人を救いたいのかのう?」

 

太公望の問いに士郎は数秒程目を閉じた。

 

そして…。

 

「一言で言えば、彼女に惚れた。それが理由では駄目かね?」

 

士郎の言葉に太公望は驚いて口を大きく開いた。

 

そして数秒後、太公望は盛大に吹き出してしまった。

 

「ぷっ…くく、はーっはっはっは!士郎も色恋をするのだのう!」

「尚、君は私を何だと思っていたのだ?」

「はっはっはっ!いや、すまぬすまぬ。いかん、まだ笑いが…っ!」

「ご主人、笑い過ぎっス。」

 

士郎と四不象にジト目を向けられるが、太公望は腹を抱えて笑い転げた。

 

「四不象、私は尚との友人関係を考え直そうと思うのだが?」

「奇遇っすね。僕もご主人との主従関係を考え直そうと思ったところっス。」

「いや、ほんとにすまぬ。最近負けが続いて鬱憤が溜まっておったのでついな。」

 

涙を拭いながら太公望が笑みを向けると、士郎と四不象は顔を見合わせてから大きなため息を吐いた。

 

「それで、王貴人の事は任せてくれるのか?」

「任せるだけでなく、友として協力させてもらおうかのう。」

 

太公望が笑顔で手を差し出すと、士郎も笑みを浮かべて太公望の手を取る。

 

「士郎は王貴人との一騎討ちに勝ち、彼女を周に連れてくる事だけを考えればよい。笑った詫びとしてその他の雑事は儂が全て引き受けるからのう。」

「すまない、尚。」

「士郎よ、そこは礼を言うところだのう。」

 

太公望が人差し指を立てながら指摘をすると、その場に三人は揃って笑い声を上げるのだった。

 

 

 

 

「ご主人、それで王貴人の事は大丈夫なんすか?」

 

執務室から士郎が去った後、ふと疑問に思った四不象は太公望に問いを投げ掛けた。

 

「周に少なくない被害を出しておるからのう。生半可な理由では、例え王貴人を一騎討ちで下しても処刑は避けられぬだろうのう。」

「それじゃどうするんすか?」

「主な方法は二つだのう。」

 

太公望は指を一本立てて説明していく。

 

「一つは、士郎のこれまでの武功を代償に王貴人の罪を免じて救う方法だのう。」

「でも、それだと折角叶った士郎さんの英雄になるって夢が駄目になるっス。」

「その通りだのう。だからもう一つの方法を使うのだ。」

「もう一つの方法っすか?」

 

首を傾げた四不象に太公望が耳打ちをする。

 

その方法を聞いた四不象は満面の笑みを浮かべた。

 

「いいっすね!ご主人、それでいくっすよ!」

「うむ、スープーにも手伝ってもらうからのう。」

「任せて欲しいっス!士郎さんの為にも頑張るっすよ!」

 

主従が揃っていい笑顔をしていると、練兵場で鍛練をしていた士郎がくしゃみをしたのだった。




次の投稿は11:00の予定です。


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第130話

本日投稿3話目です。


「王貴人ちゃん。」

 

周との戦の為に殷の軍が出陣する準備をしていると、その準備の喧騒から離れて石琵琶を弾いていた王貴人の元に妲己がやってきた。

 

「妲己姉様、都の方はよろしいのですか?」

「もう私が都で動く必要はないわねん。後は各戦線でちょっと悪戯をするだけで事足りるわん。」

 

以前は中華の大半を支配していた殷だが、その支配地域も今では半分にまで減っている。

 

「ですが、幻術の解けた紂王は油断ならぬ人物と噂を聞いていますが…。」

「確かに、今の紂王ちゃんは名君ねぇん。」

「では…。」

「それでも問題は無いわん。もう、滅びへの流れは出来ちゃってるものん。」

 

如何に名君とそれを支える忠臣がいようとも、国の根幹は民である。

 

その民が次々と離れていく状況となってしまった今では、殷の国としての寿命は尽きかけているのだ。

 

道士としてまだ年若い王貴人では国の寿命というのが想像しにくいものだが、千年を超える時を生きてきた女仙の妲己は幾つもの国の興亡を見ているので、今の殷の状況を殷の誰よりも正確に把握しているのだ。

 

「そういうわけで、あまり殷の軍に肩入れし過ぎたら駄目よん。王貴人ちゃんまで巻き込まれちゃうからねん。」

「…私にも、幻術で兵を焚き付けた責任がありますから。」

「もぉん、真面目ねぇん。」

 

頬を膨らませて不満そうな表情をする妲己に、王貴人は困った様に苦笑いをする。

 

「それじゃ、これは命令よん。次の戦が終わったら、王貴人ちゃんは自分の意思で自由に生きなさい。」

「もし、生き残る事が出来たらそうします、妲己姉様。」

 

そう言って微笑んだ王貴人は、殷の軍と共に出陣していったのだった。

 

 

 

 

「寂しいかい、妲己?」

「そうですね…正直に言えば、少し寂しいです。そして、少しだけ羨ましいと思っていますわ。」

 

王貴人の出陣を見送った妲己に、隠形の術で姿を隠していた二郎が声を掛ける。

 

振り返った妲己は二郎の胸に顔を埋める。

 

「それでも妹分の幸せを考えれば、これが最善…。なら、私は笑顔で見送るだけです。」

 

そう言いながら妲己は二郎の背中に手を回して抱き締める。

 

数秒程抱き締めた後、妲己は顔を上げて二郎の目を見詰める。

 

そして妲己はゆっくりと背伸びをする。

 

だが…。

 

「そこまでなのじゃ!妾の目の前で二郎真君の唇を独占させないのじゃ!」

「あらん?竜吉公主ちゃんもいたのねん?」

 

竜吉公主が二人の間を割こうとするが、妲己は二郎にしなだれかかって離れる様子を見せない。

 

「ええい!早く離れるのじゃ!」

「い・や・よん。」

 

抗議を聞き入れない妲己に肩を怒らせる竜吉公主だが、妲己はそんな竜吉公主の姿を見て楽しんでいた。

 

「ところで楊ゼン様、周では王貴人ちゃんを迎え入れる準備は出来てるのかしらん?」

「うん、大丈夫だよ。俺も姫昌に口添えをしておいたからね。」

「うふん、それなら安心ねん。ありがとうございます、楊ゼン様。」

 

お礼の言葉と共にスッと背伸びをした妲己は二郎と唇を重ねる。

 

「コラァ!妲己!お主ばかりずるいのじゃ!」

「楊ゼン様ぁん、竜吉公主ちゃんが妹分がいなくなる事で傷心な私をいじめるのぉん。」

「どこが傷心なのじゃ!妾に見せ付けようとしておるだけではないか!」

「あらん?ばれちゃった。」

「ムキー!」

 

じゃれあう妲己と竜吉公主を宥めた二郎は、二人を伴って戦の見物に向かうのだった。




次の投稿は13:00の予定です。


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第131話

本日投稿4話目です。


周の軍と殷の軍が入り乱れる血生臭い戦場に、石琵琶の美しい音色が流れている。

 

怒号と悲鳴が飛び交う戦場には似つかわしくない物だ。

 

だが、この石琵琶の美しい音色が戦場の流れを支配していた。

 

「ぐっ!」

「父上!?」

 

黄飛虎の呻きと黄天化の叫びが響く。

 

石琵琶の音色に乗せられた幻術により動きが鈍った黄天化が雑兵に討たれそうになったところを、父親である黄飛虎が庇って左腕を負傷したのだ。

 

「大丈夫ですか、父上!?」

「俺の心配をしている暇があったら腹に力を入れろ!幻術なんざ気合いで吹っ飛ばせ!」

「はい!」

 

黄飛虎の指示で幻術に抵抗した黄天化が、二郎から授けられた槍の宝貝を振るって殷の兵を薙ぎ払う。

 

そこに出来た僅かな猶予の間に、黄飛虎は慣れた手付きで負傷した左腕を止血した。

 

「武成王を舐めるな!てめぇらなんざ片腕でも十分だぜ!」

 

黄飛虎が右腕一本で金属製の棍を振るうと、一振りで数人を吹っ飛ばした。

 

右腕一本で器用に棍を振いながら、黄飛虎は周囲の味方の状況を確認していく。

 

「戦線はもって二刻(四時間)ってところだな…。」

 

幻術に抵抗しながら戦う黄天化を援護しながら黄飛虎は最前線で戦い続ける。

 

四半刻(三十分)後、太公望の指揮により黄飛虎達の元に増援がやってきた。

 

「頼んだぜ、士郎殿。太公望殿に依頼されて、嫁さん達が張り切って用意した宴が無駄になっちまうからな。」

 

そう呟いた黄飛虎は増援に黄天化の援護を任せ、自らは前線を押し戻す為に兜首目掛けて突撃をするのだった。

 

 

 

 

血生臭い戦場から離れた場所にある殷の軍の本陣に、石琵琶を奏でる一人の美女がいる。

 

この美女の名は王貴人。

 

妲己三姉妹の末妹だ。

 

王貴人が奏でる石琵琶の音色は、王貴人の幻術を乗せて戦場の隅々にまで響き渡っている。

 

この石琵琶の音色が殷の兵の士気を上げその動きを活性化し、周の兵の士気を下げてその動きを鈍らせているのだ。

 

幻術一つで戦場の流れを支配している王貴人だが、その石琵琶を奏でる表情はまるで逢い引きの待ち合わせをしている乙女を幻想させるものだった。

 

そんな王貴人が不意に石琵琶の演奏を止めると一言呟く。

 

「来たか。」

 

殷の軍の本陣に赤い外套を纏った男が姿を現す。

 

その男を見た殷の本陣を守る将が大声を上げた。

 

「天弓士郎だ!討ち取って名を上げろ!」

 

将の指示で本陣にいる殷の将兵が余すことなく武器を手に取り士郎に向かっていく。

 

万を超える将兵が向かってくる中で、士郎は双剣を手にゆっくりと歩みを進めていた。

 

殷の兵が一人、士郎を討とうと渾身の一振りで剣を振るう。

 

だが、半身をずらして剣を避けた士郎は反撃の一振りでその兵の首を飛ばした。

 

「臆すな!天弓士郎は弓を持っていない!数で押しきれ!」

 

将の檄で次々と殷の兵が剣で、槍で士郎を討ち取ろうと仕掛けていく。

 

しかし、士郎はまるで舞うような動きで歩みを止めずに兵を返り討ちにする。

 

「弓だ!弓を持て!」

 

士郎のあまりの強さに恐慌した殷の将がそう指示を出す。

 

だが、それは悪手だった。

 

双剣を腰に差し、黒塗りの洋弓を手に取った士郎は、鍵の宝貝で作った虚空の穴から矢を取り出す様に見せて、投影した矢で次々と殷の兵を射抜いていく。

 

殷の兵の一人が弓に矢をつがえた時には十人を射抜き、矢を放った時には百人を射抜いていた。

 

そして殷の兵が放った矢すら自らが放つ矢で射落とし、無傷で殷の兵を射抜き続けていく。

 

士郎が殷の本陣を強襲してから半刻(一時間)が過ぎた頃、殷の本陣の軍は潰走し、その場には士郎と王貴人の二人だけが残った。

 

「待たせたか?」

「あぁ、待ったな。」

「そうか、それはすまない。」

 

敵とは思えない柔らかな雰囲気で二人の会話が続いていく。

 

「王貴人、私との一騎打ちを受けてほしい。」

「あぁ、いいぞ。」

 

「あぁ、その前に一騎打ちの報酬を決めよう。」

「報酬?」

 

「私が勝ったら、君を周に連れて帰る。」

「私は周の軍に散々痛手を与えたのだぞ?その私を連れて帰っても首を討たれるだけだ。」

「君を救う為に、私のこれまでの武功を代償に差し出す。」

 

士郎の言葉に王貴人は微笑んだままため息吐く。

 

「馬鹿だな。」

「馬鹿でいいさ。君を救えるのならな。」

「本当に…馬鹿だな。」

 

そう言うものの、王貴人の表情はどこか嬉しそうだった。

 

しかし、そんな王貴人が少しからかう様な笑みをしながら口を開く。

 

「それじゃ、私が勝ったら士郎を殷に連れて帰るぞ。」

「紂王や聞仲は私を受け入れるのか?君の戦功は十分かもしれないが…。」

 

「戦功を差し出す筈がないだろう。私には幻術があるんだからな。」

「やれやれ、君は悪い女だな。」

「馬鹿者、悪いではなく強かと言え。」

 

そこで会話を終えた二人は武器を構える。

 

そして同時に踏み込むと、士郎と王貴人の一騎打ちが始まったのだった。




次の投稿は15:00の予定です。


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第132話

本日投稿5話目です。


「…私の負けだな。」

「あぁ、私の勝ちだ。」

 

殷の本陣を強襲し王貴人と一騎打ちをした士郎は、互いに全力を尽くした勝負に勝利した。

 

「立てるか?」

「少し休めばな。」

 

王貴人の返答を聞いた士郎は、王貴人の隣に腰を下ろす。

 

「これで士郎との勝負は負け越しか…。だが、悪い気分じゃない。」

「あえて言うなら、戦場での経験の多さが今回の勝敗を分けたのだろう。」

「あぁ、そうだな。」

 

そう答えると王貴人は潰走を始めた殷の軍に目を向ける。

 

そこには一騎打ちに敗れた王貴人を救おうとする者は皆無だった。

 

「周の軍は追撃をしないのだな。」

「兵の多くは民だからな。」

「甘い…と言いたいところだが、その甘い連中に負けたのだから何も言えないな。」

 

小さく息を吐いた王貴人は士郎に目を向ける。

 

「もう大丈夫だ。約束通りに私を周に連れていけ。」

「あぁ、そうさせて貰おう。」

 

立ち上がった士郎は王貴人を抱き上げる。

 

所謂、お姫様抱っこの格好だ。

 

「ば、馬鹿者!何を考えている!下ろせ、士郎!」

「勝者は私だ。敗者は黙って従って貰おうか。」

「下ろせ―――!!」

 

頬を紅に染めた王貴人は、自身を抱き上げる士郎の胸をポカポカと叩き続けたのだった。

 

 

 

 

戦に勝利した士郎達が周に戻ると宴が始まった。

 

だが、この宴はただの宴ではない。

 

士郎と王貴人の婚姻の宴だった。

 

「なんでさ。」

 

宴の主役として上座に座らされた士郎が、項垂れながらそう呟く。

 

そんな士郎の元に杯を持った太公望がやって来た。

 

「主役がそんな状態ではいかんのう。」

「尚、これは君の仕込みか?」

「さぁ?なんの事かのう?」

 

わざとらしく笑う太公望の姿に、士郎は頭を抱えた。

 

「士郎の武功を代償に罪を減じても王貴人への恨みは残るだろうのう。士郎が王貴人を救う、守るというのならこれが一番だのう。」

 

太公望の言葉は理解出来る士郎だが、悪びれもせずにそう言う太公望の姿にため息を吐く。

 

「さて、儂は席に戻るとするかのう。もう一人の主役の準備が整ったようだからのう。」

 

そう言って太公望が席に戻ると、宴が行われている部屋の前に一人の美女が立った。

 

この時代の意匠で綺麗に着飾った美女の名は王貴人。

 

これから士郎の妻となる女性だ。

 

楽士が曲を奏で始めると、王貴人はゆっくりと歩みだす。

 

王貴人がゆっくりと歩むその姿は男女を問わず魅了し、視線を釘付けにした。

 

もちろん士郎も魅了された者の一人だ。

 

やがて王貴人が士郎の元に辿り着くと、王貴人は士郎に幸せそうな微笑みを向けた。

 

士郎は立ち上がると、王貴人の前に歩み出る。

 

「やれやれ、まさかこうなるとはな。」

「なんだ、私が妻では不満か?」

「まさか、不満など微塵もないさ。」

 

士郎は頬を紅に染めた王貴人の両手を手に取る。

 

そして…。

 

「ここまで御膳立てされておいてから言うのもなんだが…王貴人、私と結婚してくれ。」

「…あぁ、喜んで。」

 

返事を聞いた士郎が王貴人を抱き寄せると、宴に参加している者達が次々に祝福の声を送っていったのだった。

 

 

 

 

『王貴人』

 

中華の歴史に名を残す女性道士であり、中華の大英雄である王士郎の妻である。

 

王貴人は当時の名士である王氏の一族だったが、一族は殷に滅ぼされてしまい、一度は奴隷の身分にまで落ちてしまったとの記述が残されている。

 

そんな王貴人が辱しめを受けようとしていた所に、傾国の美女として名が残る妲己が現れ、王貴人を義妹として引き取る。

 

それからの王貴人は妲己に恩を返す為に道士として修行に励み、妲己が殷を滅ぼす手伝いをしていった。

 

殷周革命の資料には士郎に見初められた王貴人は一騎打ちに敗れた後に士郎に求婚されたとの記述が残されているが、封神演義では一騎打ちをする以前から二人は知り合っていたとされている。

 

士郎との結婚後の王貴人は士郎と共に戦場に立ち、士郎の偉業の後押しをしていった。

 

『王貴人』

 

類い稀な美女としても名を残す彼女は、後の時代に名を残す多くの女性達の目標とされ、現代にまで理想の女性像の一つとして語り継がれていくのであった。




これで本日の投稿は終わりです。

また来週お会いしましょう。


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第133話

本日投稿1話目です。


士郎と王貴人が夫婦となってから十年程の月日が流れた。

 

その十年程の月日の間に周は更に勢力図を広げ、中華の八割を統べている。

 

しかし、ここで完全に周の快進撃が止まってしまった。

 

それは殷の大師(軍師)である聞仲が殷の軍を指揮した事と、紂王が戦線に出て兵を鼓舞する様になったからだ。

 

聞仲は太公望の策を読み切って対応し、紂王が士気を高める事で殷の軍は周の軍を押し返す様になった。

 

しかし、この周の停滞は聞仲と紂王の活躍によるものだけではない。

 

殷の国土が狭まった事で、太公望が取れる策が制限される様になったからだ。

 

戦略的に圧倒的に優位に立ったことで戦術が制限される。

 

この現状に太公望は頭を抱えた。

 

士郎と王貴人を始めとして、周の名だたる将の活躍により負けはしていない周の軍だが、黄天化が雑兵に傷を負わされ士気が下がるなどといった状況が続いていた。

 

これ以上の引き延ばしは更なる状況悪化を招くと判断をした太公望は、聞仲の思惑に乗って決戦をする事に決めたのだった。

 

 

 

 

「皆、よく集まってくれたのう。」

 

玉座に座る武王を前に周の全ての将が片膝をついて包拳礼をしている。

 

「儂としては不本意な形だが、次の戦は殷との決戦となる。」

 

決戦の言葉に、周の達からざわめきが起こる。

 

「太公望、何故不本意なのだ?」

 

数多の戦を経験して王たる貫禄を備えた武王が問い質すと、太公望は小さくため息を吐きながら答える。

 

「次の決戦は聞仲が描いた決戦となるからだのう。」

「だが、今では兵数でも我等は殷を超えている。決戦をするに不足はなかろう?」

「普通ならそうだのう。だが小さいながら連勝を重ね士気を上げた殷が、死を覚悟して戦に臨む…。形勢をひっくり返されかねぬ条件が揃っておるのだ。」

 

そう言って太公望は頭を掻くが、太公望の懸念を武王が笑い飛ばした。

 

「相手にとって不足無し!そうであろう?」

 

武王が見渡すと、周の将達は烈迫の気合いを込めて返事をしたのだった。

 

 

 

 

「聞仲よ、首尾はどうだ?」

「次の戦は間違いなく決戦となるでしょう。」

「そうか、いよいよか。」

 

玉座を立った紂王は腰の後ろで手を組み、ゆっくりと歩き出す。

 

その紂王の後ろに聞仲が続く。

 

「余の宮も随分と静かになったものよ。」

「多くの者が逃げ出しておりますれば。」

「ハッハッハッ!日頃から余の為に、殷の為にと言っていた連中が真っ先に逃げるとは皮肉よな、ハッハッハッ!」

 

後宮の前に辿り着くと紂王の足が止まる。

 

「あらん?いらっしゃい、紂王ちゃん。」

 

そう言って妲己が出迎えるが、後宮には妲己の他に人の姿はなかった。

 

「妲己よ、余の妃や子達はどうか?」

「黄氏(黄飛虎の妹、紂王の元妃)の伝を使って周の都に逃がしてあるわん。これで紂王ちゃんと殷が滅びても、紂王ちゃんの血は残るわねん。」

「そうか、礼を言うぞ、妲己。」

 

既に紂王は妲己が女媧の遣いである事を認識している。

 

殷と自身を滅ぼす為に動いていた事も。

 

それらを知りながらも紂王は、妻や子供達がかつての己の愚行に巻き込まれて滅びぬ様にと妲己に頭を下げていたのだ。

 

もっとも、紂王の関係者がこの先に日の目を見る可能性は限り無く少なく、また政に利用される可能性が大きいだろう。

 

それでも紂王は妻や子供達が生きて先の世を見届ける事を望んだのだ。

 

「これで思い残す事は…いや、一つだけあったな。」

「あらん、何かしらん?」

「幻術ではない本当の妲己を一度も抱けなかった事だ。」

 

紂王がそう言うと妲己はクスクスと笑い、紂王の後ろに控えていた聞仲はため息を吐いた。

 

「妲己よ、情けとして余に抱かれぬか?」

「ごめんなさぁい、私には心に決めた人がいるのぉん。」

 

あっさりと断られた紂王は肩を竦めてから微笑むと踵を返した。

 

「妲己よ、お前と会ってからの数十年、楽しかったぞ。」

「この数十年で、紂王ちゃんはいい男になったわん。」

 

妲己の言葉に、紂王は満足そうに笑いながら去っていったのだった。




本日は5話投稿します。

次の投稿は9:00の予定です。


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第134話

本日投稿2話目です。


殷との決戦の準備をしている周の都である西岐の地にとある旅の一行が訪れた。

 

「西岐にとうちゃ~く☆」

 

幼さを感じさせる美少女が元気な声を上げると、その美少女と一緒に旅をしてきた女子供は安堵のため息を吐く。

 

そんな一行を見た西岐の門番二人が首を傾げると、元気な美少女が門番に声を掛けた。

 

「ねぇねぇ門番さん、王貴人ちゃんを呼んできて☆」

「王夫人を?君は何者だ?」

 

門番の二人は警戒して槍を持つ手に力を込める。

 

そんな門番の雰囲気に旅をしてきた女子供が僅かに怯えるが、元気な美少女は欠片も変わらずに門番に答えた。

 

「私は胡喜媚!王貴人ちゃんの養姉なのだ☆」

 

 

 

 

「胡喜媚姉様!?」

「あ、王貴人ちゃん、久し振り~☆」

 

門番の一人から報告を受けた王貴人が急いで駆け付けると、そこには子供達と遊んでいた胡喜媚の姿があった。

 

「胡喜媚姉様がなぜここに?いえ、それよりもその者達は確か紂王の…。」

「王貴人ちゃん、皆疲れちゃってるから休ませて欲しいな☆」

 

言葉を遮る様にして話してきた胡喜媚を見て、王貴人は今回の一件を何となく察した。

 

おそらくは妲己が関わっているのだろうと。

 

「わかりました。では、私の屋敷にご案内します。」

「あれれ~?夫婦水入らずの邪魔をしちゃわないのかなぁ~?」

「い、行きますよ、胡喜媚姉様!」

 

顔を赤らめながら歩き出す王貴人を見た胡喜媚は、結婚しても変わらぬ妹分の様子に笑みを浮かべたのだった。

 

 

 

 

「お~、広いお屋敷だね、王貴人ちゃん☆」

 

屋敷に入った王貴人は使用人を呼び、胡喜媚以外の者達の世話を指示する。

 

王貴人自らは胡喜媚をもてなして四半刻(三十分)程経つと、門番の報告を武王や太公望に伝えに行っていた士郎が屋敷に戻ってきた。

 

「ただいま、王貴人。」

「あぁ、お帰り、士郎。」

「お~、これが夫婦の会話かぁ~。胡喜媚、興味津々☆」

 

茶化してくる胡喜媚に王貴人は頬を赤らめ、士郎は苦笑いをする。

 

「さて、胡喜媚、少しいいかな?」

「ん?なにかな、王貴人ちゃんの旦那様?」

「三日後、武王様を始めとして主だった者達が集まる。そこで今回の一件の事を説明して欲しい。」

「はいは~い☆了解なりぃ☆」

 

ウインクをしながら敬礼のポーズをする胡喜媚の姿に士郎はまた苦笑いをする。

 

「胡喜媚姉様、先に私達に教えていただけませんか?何か必要ならば根回しをしなければなりませんので。」

「ん~、一言で言えば妲己姉様に頼まれたの☆」

「やはりそうですか…では、その経緯は?」

「妲己姉様は紂王に頼まれたって言ってたよ☆」

「「紂王に?」」

 

王貴人と士郎の言葉が重なる。

 

胡喜媚の話は次の様に続いていく。

 

自身の滅びは受け入れた紂王だが、かつての自身の愚行に後宮にいる者達まで巻き込むのはと考え、なんとか逃がす方法はないかと聞仲に相談をしていた。

 

その相談の最中に妲己が現れ、妲己が伝を使って後宮の者達を逃がしてもいいと持ち掛けた。

 

その提案を受け入れた紂王は改めて妲己に後宮の者達の事を依頼すると、妲己はその後宮の者達を胡喜媚に託して西岐へと旅立たせたのだ。

 

「というわけなの☆」

 

胡喜媚の話を聞いた士郎は少し考えてから話し掛ける。

 

「胡喜媚、今回の一件が終わったら君はどうするつもりだ?」

「私?…どうしようかな?」

 

顎に人差し指を当てて胡喜媚は悩み始める。

 

「胡喜媚姉様、妲己姉様は何か言ってなかったのですか?」

「妲己姉様は…一緒に滅んじゃダメって言ってた…。」

 

そう言って胡喜媚は涙目になる。

 

「胡喜媚、妲己姉様に助けてもらってからずっと妲己姉様に恩返しをしたくて一緒にいたのに、一番大事な時に何も出来ないの…。王貴人ちゃん、胡喜媚、どうしたらいいの?」

 

王貴人に問い掛けた胡喜媚の目から涙がこぼれ落ちる。

 

「胡喜媚姉様、妲己姉様は他に何か言ってなかったのですか?」

「幸せになりなさいって、恋も知らない子供が死に様を求めるなんて千年早いって…。」

 

胡喜媚が泣き始める。

 

その姿は、まるで迷子の子供の様だった。

 

「では幸せになりましょう、恋をしましょう、胡喜媚姉様。」

「胡喜媚、恋なんてわからないもん…。」

「今は知らなくても、生きていればいつかは知る事が出来ます…私の様に…。」

 

王貴人の言葉に胡喜媚は顔を上げる。

 

「うん、わかった。でもね王貴人ちゃん、胡喜媚、妲己姉様が死ぬのは嫌だよぉ…。」

「私も妲己姉様が死ぬのは悲しいです、胡喜媚姉様…。」

 

胡喜媚と王貴人は抱き合うと、共に涙を流すのだった。




次の投稿は11:00の予定です。


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第135話

本日投稿3話目です。


「話はわかった。武王の名の元に、その者達の保護を引き受けることを約束しよう。」

 

胡喜媚達が西岐にやって来てから三日後、謁見の間で胡喜媚の話を聞いた武王が、殷の後宮にいた女性達や紂王の子供達の保護を約束した。

 

これはなにも善意だけで引き受けたわけではない。

 

政治的な判断もあったからだ。

 

もしここで一行を放逐すると、殷が滅んだ後の治世において御輿として担ぎ上げられる可能性が高い。

 

そうであるのならば多少の危険性を飲み込んででも、件の者達を手の届く所に置いた方がよいと決めたのだ。

 

「ありがとね、武王ちゃん☆」

 

物怖じも遠慮もしない胡喜媚の態度に、数人の者達が顔をしかめる。

 

「それで胡喜媚よ、お前はこの後どうするつもりだ?」

「う~ん…まだ決めてないけど、とりあえず妲己姉様の最後は見届けたいな☆」

「決戦に参加したいと?」

 

武王の問い掛けに胡喜媚が頷くと、そんな胡喜媚に声を上げる者がいた。

 

「子供が戦場にくるな。」

 

声を上げた者に皆の視線が集まる。

 

その声を上げた者は…哪吒だった。

 

「胡喜媚は子供じゃないもん!君の方こそ子供じゃん!」

「俺は戦場を経験している。お前と違って大人だ。」

「胡喜媚だって、いっぱい戦った経験あるもん!」

 

胡喜媚と哪吒のやり取りで場に弛緩した空気が流れると、周の主だった者達のほとんどが顔を見合わせて苦笑いをする。

 

太公望はニヤニヤと笑って二人のやり取りを眺めており、武王と黄飛虎は大笑いをしている為、二人のやり取りを止めようとする者は一人もいなかった。

 

「王貴人。」

「なんだ、士郎?」

「胡喜媚が恋を知るのは、意外に早いかもしれないな。」

「…あぁ、そうだな。」

 

胡喜媚と哪吒のやり取りは、四半刻後に拗ねた胡喜媚が謁見の間を退出するまで続いたのだった。

 

 

 

 

『胡喜媚』

 

封神演義及び殷周革命に登場する女性道士である。

 

妲己三姉妹の次女だが、その幼い顔立ちから当時の中華では王貴人との姉妹関係を逆に見られる事が少なくなかったと記述されている。

 

道士として彼女が得意とするのは変化の術で、宝貝を用いればその変化の術は武神である二郎真君の変化の術に匹敵すると妲己が評した。

 

そんな胡喜媚は封神演義及び殷周革命の終盤に、紂王の妾や子供達と共に西岐へと亡命している。

 

この行動の理由は封神演義では妲己による命とされ、殷周革命では殷の滅びに巻き込まれない様に亡命の手土産にしたと記述され、彼女が亡命した理由はハッキリとはしていない。

 

また亡命をした時に胡喜媚は哪吒と知己を得るのだが、その当時は犬猿の仲と称される程に顔を合わせる度に言い争いが絶えなかったようである。

 

そんな二人は封神演義及び殷周革命が終わった後の時代には恋人となるのだが、お互いに素直になれなかった結果、その恋が実るには百年以上の月日を必要としたのだった




次の投稿は13:00の予定です。


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第136話

本日投稿4話目です。


胡喜媚達が西岐にやって来てから三ヶ月程が過ぎた頃、中華の覇者を決める周と殷の決戦が始まろうとしていた。

 

周の軍師である太公望は軍を決戦を想定した場所に進軍させると、各将軍に指示を出して布陣をさせ、自らは陣幕の中で物見に行った士郎の帰りを待っていた。

 

「ご主人、ようやくここまできたっすね。」

「…そうだのう。」

 

元始天尊に封神計画を命じられてから数十年、四不象の一言で太公望はこれまでの事を思い出す。

 

(申公豹に出会っていきなり死にかけた儂が、今では中華の八割を統べる国の軍師か…。人生というのはどう変わっていくのかわからぬものだのう。)

 

友との出会い、妲己に手酷く負けて力不足の実感、二郎による修行の日々、そして軍師としての戦いの日々が、次々と太公望の脳裏に思い浮かんでは消えていく。

 

(千年分の勤勉を使い果たした気分だのう…。)

 

かつての思い出が過ぎ去り、次に太公望の思考を占めるのは後の時代の事だ。

 

殷の世を壊す事よりも、新たに周の治世を造り出す事の方が難しい。

 

それは、軍師として周の政にも関わってきて実感した事だ。

 

(殷は滅ぼしたから後は頼むと放り出すわけにはいかんかのう…?)

 

数十年に渡って下界に関わった太公望には、色々なしがらみが絡み付いてしまっている。

 

友である士郎と王貴人をくっつけたのは己だが、戦後の後処理が片付いたら今度は自分の番だろうと思うと、太公望は無意識にため息を吐いた。

 

「ご主人、どうしたんすか?」

「なんでもない。ただ、今回の戦の後の事を考えると頭が痛くてのう。」

「ご主人には軍師としての立場があるから仕方ないっス。頑張るっすよ、ご主人。」

「スープーは気楽でいいのう…。」

 

数十年前から変わらぬ献身で仕えてきた四不象に、太公望は心から感謝を感じるのだった。

 

 

 

 

「士郎、ご苦労だったのう。」

 

物見から戻った士郎の報告を受けた太公望は、顎に手を当てて決戦の策を考えていく。

 

「やはり、紂王の周りを固めている道士達が厄介だのう…。」

 

殷の兵を鼓舞する為に戦場に顔を出すようになった紂王の周りには、常に十人の道士の姿がある。

 

この道士達は妲己の配下であり、殷にいる道士の中でも精鋭だ。

 

今の時代において殷の支配を完全に終わらせるには、王である紂王を討たねばならない。

 

だが、その紂王を討つには妲己の配下達に加えて聞仲も討たねばならない。

 

これだけならば太公望も直ぐに策を思い付いただろうが、士郎のとある報告が太公望を悩ませている。

 

それは、敵の本陣に妲己の姿もあったという報告だ。

 

(あやつの動きだけは読めん…。どうしたものかのう?)

 

開戦は翌日だが、それまでに決断をしなければならない。

 

太公望は日が変わるまで悩み続けたのだった。

 

 

 

 

「聞仲よ、首尾はどうだ?」

「全て整いました。」

「うむ、後は日が明けるまでゆるりとするだけか。」

「御意。」

 

紂王が手を叩くと、供回りの者が大きな酒壺を持ってくる。

 

豪快に酒壺から杯に酒を酌んだ紂王は、その杯を聞仲に差し出した。

 

「思えば、聞仲とゆっくりと飲んだ事はなかったな。まぁ、余が後宮に入り浸っていたせいだがな、ハッハッハッ!」

 

差し出された杯を受け取った聞仲は一息で杯を干す。

 

「ほう?堅物の聞仲もいける口とは初めて知ったな。」

「先代様達に鍛えられましたので。」

 

聞仲の返答に紂王は大声で笑う。

 

「あらん?随分と楽しそうねぇん。私もご相伴してもいいかしらん?」

「余は女の同席を断る意思の強さを持っておらぬからな。それも傾国の美女が相手ならばこちらから頼みたいほどだ。」

 

おどける紂王に聞仲はため息を吐き、妲己がクスクスと笑う。

 

三人はしばしの間、ゆっくりと酒を味わっていく。

 

元々は政敵であった聞仲と妲己だが、今この時に限っては同じ酒を味わう仲間だった。

 

夜も更けて最後の一杯となると、紂王は微笑みながら杯を上に掲げる。

 

聞仲と妲己も杯を掲げて紂王と杯を打ち鳴らすと、三人は一息で杯を干したのだった。




次の投稿は15:00の予定です。


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第137話

本日投稿5話目です。


周と殷の決戦が始まった。

 

両軍の兵数を合わせれば三百万を超える大戦だ。

 

最前線は既に接敵し、怒号と悲鳴が入り交じっている。

 

そんな大戦を周の本陣から俯瞰している太公望は隣にいる士郎に声を掛けた。

 

「士郎、すまぬ。」

「謝る必要はないさ。」

「だが、お主に一番の負担を掛けてしまう…。」

「安心してくれ。私は王貴人を未亡人にするつもりはないからな。」

 

今回の決戦で太公望を最も悩ませたのは、紂王を守る十人の道士の存在だった。

 

この道士は妲己の配下なのだが、この道士達は全員が宝貝を所持している。

 

宝貝を持った道士一人の戦力は、戦場で文字通りに一騎当千の力を発揮する事もある。

 

そんな宝貝を持った道士が十人。

 

一対一ならば士郎が苦戦する事はないだろう。

 

だが、十人を同時に相手をするならば命を賭ける必要が出てくる。

 

ならば誰かを士郎と共に行かせればという考えもあるだろうが、聞仲や妲己を相手にする戦力を考えれば、もう一人も戦力を出せない。

 

それ故に太公望は周の軍師として、士郎を一人で死地に行くことを命じたのだ。

 

「士郎、もしもの時は逃げても構わぬ。」

「尚、そう心配するな。老師との手合わせに比べれば、あの道士達を相手にする方が気が楽だ。」

 

士郎がそう言って戦いに向かうと、太公望は友の背を信じて見送るのだった。

 

 

 

 

「少し目を離している間に随分と面白い事になっていたようですね。」

「申公豹がのんびりし過ぎただけじゃない?」

「封神台の解析が面白過ぎたのがいけないのです。流石は三清が手掛けただけはあって、私でも完全に解析するのに数十年掛かってしまいましたよ。」

 

崑崙山に引き篭っていた申公豹が黒点虎に乗って数十年振りに下界に降りてみると、そこでは次代の覇者を争う決戦が行われていた。

 

数百年を生きてきた申公豹でも見たことがない大戦に、申公豹は大いに興味をそそられた。

 

「う~ん、今からお邪魔する事は出来ませんかね?」

「申公豹、止めておいた方がいいんじゃない?」

 

黒点虎の制止に申公豹はつまらなそうにため息を吐くが、虚空にチラリと目を向けると肩を竦めた。

 

「残念ですが黒点虎の言う通りに止めておきましょう。二郎真君に滅ぼされたくないですからね。」

「おや、気付いていたのかい?」

「確信はありませんでしたが、これ程の一大事を貴方が見逃す筈がありませんからね。」

 

申公豹と黒点虎の前に、哮天犬に乗った二郎が虚空から姿を現す。

 

「さて、二郎真君。邪魔をしない代わりと言ってはなんですが、状況を説明してくれませんか?」

「あぁ、いいよ。」

 

二郎は申公豹の求めに応じて、彼が崑崙山に引き篭っていた間に下界で起きた出来事を話していく。

 

申公豹は二郎の話を眼下の決戦を見ながら聞いていった。

 

「太公望ですか…かつては私に一蹴された姜子牙も、随分と大層な名を名乗る様になったものですね。」

「気に入らないかな?」

「いえ、そうでもありません。まぁ、私は元始天尊様達と一緒に『世界』の外に行くので、戦後の処理が落ち着いたら彼を訪ねてみましょうかね。」

 

封神計画の真の目的は崑崙山や蓬莱山等の中華の要所を『世界』の外に移すための力を集める事だ。

 

引き篭っている間にその真の目的に気付いた申公豹は、まだ見ぬ『世界』の外に興味をそそられ、下界に残らない事を決めていた。

 

「ところで、二郎真君はどうするつもりですか?」

「俺は『世界』の外に行かずに残るよ。」

「そうですか、物好きですね。」

「たまには友の墓に酒を献じに行かないと怒られそうだからね。」

 

二郎がそう答えると、哮天犬が自分も一緒だとばかりに一哮えしたのだった。




これで本日の投稿は終わりです。

また来週お会いしましょう。


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第138話

本日投稿1話目です。


周と殷の決戦は次の段階に進んだ。

 

前線の兵の合間を駆け抜け殷の本陣の前に士郎が辿り着く。

 

妲己の配下の道士達は、それぞれが持つ宝貝で殷の本陣の前に辿り着いた士郎に攻撃していくが、士郎はその尽くを防いでいく。

 

士郎の奮戦により殷の本陣の道士達が足止めされると、守りが薄くなった本陣に周の名だたる将達が押し寄せた。

 

しかし、紂王を守るべく聞仲が立ちはだかると、それを予め読んでいた太公望が戦力をわける。

 

「哪吒、雷震子、黄天化、胡喜媚、予定通りに聞仲の相手を任せる。」

 

周でも高名な三人に加えて胡喜媚の合わせて四人が聞仲と対峙するが、聞仲はただ一人で四人と互角以上に渡りあっていった。

 

その戦いを尻目に太公望達が更に殷の本陣深くに進んでいくと、今度は妲己が現れる。

 

「うふん、待っていたわよん、太公望ちゃん、王貴人ちゃん。」

 

妲己が現れると、太公望は目配せをして黄飛虎を先に行かせる。

 

黄飛虎が警戒をしながら先に進むが、妲己は黄飛虎に何も仕掛けなかった。

 

「よかったのかのう?」

「紂王ちゃんが負けるのならそこまでの事だものん。」

 

戦場に似つかわしくない笑みで答える妲己に太公望と王貴人が警戒する。

 

「妲己姉様…。」

「王貴人ちゃん、手心を加えようなんてことしたら…直ぐに倒しちゃうわよん。」

 

寒気を感じるほどの妖艶な笑みを浮かべた妲己が、太公望と王貴人の二人と戦いを始めた。

 

 

 

 

「…来たか。」

 

殷の本陣の最奥にいる紂王がそう呟くと、紂王の護衛を務める兵がにわかに殺気立つ。

 

「黄将軍だ!討ち取れ!紂王様の元に行かせるな!」

 

千に及ぶ兵が剣や槍を手に百人の兵を引き連れる黄飛虎に殺到していくが、黄飛虎は先頭に立って棍を振るって兵を薙ぎ倒していくと、紂王へと真っ直ぐに進んでいく。

 

やがて黄飛虎が紂王の前に辿り着くと、引き連れていた百人の兵が黄飛虎と紂王を取り囲む様に輪の陣形を取って、黄飛虎と紂王に一騎討ちの状況を作り出した。

 

「老けたな、黄将軍。」

「そいつはお互い様でしょうよ、紂王様。」

 

互いに棍を手に立つその姿は、まるで敵を前にしているとは思えない穏やかな雰囲気をしている。

 

「賈氏を口説いた一件だが謝らぬぞ。いい女を口説くのは男の義務だからな。」

「やれやれ、どうしてこう女好きになっちまったのかねぇ?」

「余は子を残すのが王の使命と教わったのでな、文句は聞仲に言うがよい。」

 

そう言って紂王が笑うと、黄飛虎はため息を吐く。

 

「昔と比べて随分と成長しているようですなぁ…惜しい、というのは不粋か。」

「若き日の余が愚かであったのは自覚しておる。今更言っても詮なき事よ。」

 

肩を竦める黄飛虎に紂王は不敵な笑みで応える。

 

「そんじゃ、始めるとしますかね。」

「うむ、次代を担う者を決めるに相応しい決戦としようか。」

 

二人は棍を一振りすると、同時に踏み込んで戦い始めるのだった。

 

 

 

 

「だ…妲己様…。」

 

士郎が妲己の配下達と戦いを始めてから二刻(四時間)後、十人の妲己の配下の最後の一人の魂が封神台へと飛んでいった。

 

死闘を終えた士郎は大きく息を吐く。

 

十人の道士を同時に相手取って勝ちを得た士郎だが無事に済んだわけではない。

 

片目と片腕を失い、全身に余すところなく傷を負っている姿は正に満身創痍だ。

 

しかし、士郎が鍵の宝貝を使って虚空から竹の水筒を取り出して中の神酒を一口飲むと、失った目と腕が再生し、全身の傷も瞬く間に癒えていった。

 

「王貴人、尚、無事でいてくれ。」

 

傷を癒した士郎は直ぐに妻と友の元に駆け出す。

 

周と殷の決戦はいよいよ終幕へと進もうとしていたのだった。




本日は5話投稿します。

次の投稿は9:00の予定です。


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第139話

本日投稿2話目です。


士郎が妲己の配下の道士達を封神した頃、黄飛虎と紂王の戦いにも決着がついた。

 

「余の負けだな。」

 

地面に身体を投げ出している紂王は血と土に汚れているが、その表情は爽やかなものだった。

 

「流石は武成王…最後の一踏ん張りが常人とは違うか。」

「その俺と最後の一合まで互角に渡り合ったのはどこのどなたですかね?」

「はっはっはっ!余の武も捨てたものではなかろう?…ゴフッ!」

 

血を吐いて口回りを赤に染めた紂王の姿を満身創痍の黄飛虎が見下ろす。

 

「さぁ、黄将軍…その手で決着をつけよ。」

「…紂王様、あんたはいい武人だったぜ。」

「その言葉、良き土産よ。」

 

黄飛虎は最後の力を振り絞って、横たわる紂王の頭に棍を振り下ろす。

 

(先に逝くぞ…聞仲。)

 

 

 

 

「っ!?紂王様!」

 

哪吒達との戦いの最中に崑崙山へと飛んでいく魂に気付いた聞仲が叫ぶ。

 

その叫びによって出来た一瞬の隙に、哪吒が火尖槍を突き入れる。

 

「ぐっ!?」

 

瞬時に身体を捩った聞仲だが、哪吒の一撃で腹を深く抉られてしまった。

 

「やっと一撃か…。」

「よくやったぜ哪吒!」

「これで漸く勝ちが見えてきた!」

「胡喜媚、もう疲れたから早く終わりにしたいなー☆」

 

哪吒達四人を相手取って二刻(四時間)もの間、ただの一撃もその身に受けずに圧倒していた聞仲が、紂王の死に動揺して初めて傷を負ってしまった。

 

しかもその傷の深さは間違いなく致命傷である。

 

だが、紂王が死んだ事とこの致命傷となる傷が、聞仲を大師(軍師)から一人の武人へと戻した。

 

「紂王様、私も直ぐにそちらに参ります…。」

 

致命傷を負った聞仲に止めを刺すべく、哪吒達が同時に仕掛ける。

 

しかし聞仲は禁鞭を一振りすると、八本の鞭を同時に操った。

 

「くっ!?」

「うおっ!?」

「いてっ!?」

「きゃっ!?」

 

哪吒、雷震子、黄天化、胡喜媚が追い込まれた筈の聞仲の攻撃を防ぎきれずに弾き飛ばされた。

 

「この傷の深さでは道士の身でも、もって四半刻(三十分)といったところだろう…。だが、その残された四半刻…我が主の魂に我が武の全てを捧げる!」

 

聞仲の烈迫の気合いに哪吒達は息を呑む。

 

禁鞭を頭上に掲げた聞仲は命をも削って、全ての魔力を禁鞭に注ぎ込むのだった。

 

 

 

 

「あらん?紂王ちゃんに続いて聞仲ちゃんまで封神されちゃったのねぇん。」

 

戦場に似つかわしくない緩やかな雰囲気で空を見上げる妲己が、崑崙山の方向へと消え行く聞仲の魂を見ながらそう話す。

 

「これで残るのは私だけねぇん。妲己、寂しい。」

 

そう言って目頭を押さえる妲己だが、その姿を見る太公望と王貴人には欠片も余裕がなかった。

 

「王貴人、まだ妲己の幻術は抑えられるかのう?」

「…正直に言えばそろそろ限界だ。妲己姉様と戦いながらではそう長くはもたないだろう。」

 

打ち傷、切り傷を全身に負っている太公望達に対して、妲己は傷を一つも負っていない。

 

「もう少しなんとかなると思っていたんだがのう…。」

「私も妲己姉様の力を甘く見ていた様だ。」

 

己の言葉に反応が返ってこない事に妲己は頬を膨らませる。

 

「もう、二人共いけずねぇん。そんな二人には…お仕置きよん♡」

 

その言葉と共に妲己が身に纏っている長い布の形をした宝貝の傾世元禳(けいせいげんじょう)を振るう。

 

傾世元禳は真っ直ぐに突き出て太公望に襲い掛かる。

 

身を投げ出して太公望が避けると、傾世元禳は太公望がいた所の地面を抉った。

 

「なんで布で地面が抉れるのかのう?」

「うふん♡私の『布槍』は中々のものでしょう?」

「妲己姉様がこれ程の武を身につけているとは知りませんでした…。」

「千年以上前に楊ゼン様に教えていただいたのよん♡手取り足取り…とても丁寧にねん♡」

 

両手を頬に当てて恥じらう妲己の姿は、まるで恋する乙女の様だった。

 

だが、太公望も王貴人もそんな妲己に反応出来る程の余裕はない。

 

「王貴人、楊ゼン様というのはもしや…?」

「…お前の想像通りだ。」

「武神直々の指導を受けておったとは…道理で幻術を封じても苦戦する筈だのう。」

 

頭を抱えたい衝動を堪えながら、太公望は思考を巡らせる。

 

(儂も王貴人も、最早限界は近い。神酒を一口飲む隙すらないのではどうしようもないのう…。)

 

体力も『気』も魔力も、持てる全てが限界に近い現状では、如何に太公望の知略を駆使しても打つ手がない。

 

そんな二人に妲己は妖艶な笑みを浮かべると両手を振るい、傾世元禳を布槍として太公望と王貴人に攻撃していく。

 

太公望と王貴人はその身を布槍で打たれ、弾かれ、少しずつ追い詰められていく。

 

「王貴人ちゃん、良く頑張ったわねん。でも…そろそろ終わりにしましょう♡」

 

妲己の言葉にこれまでかと王貴人が覚悟する。

 

しかし、一本の矢が飛来して妲己の動きを制した。

 

「王貴人、尚、遅くなってすまない。」

 

赤い外套を纏ったその男の背中に太公望は安堵の息を吐き、王貴人は柔らかく微笑むのだった。




次の投稿は11:00の予定です。


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第140話

本日投稿3話目です。


「思ったよりも遅かったわねん、士郎ちゃん。」

「聞仲がしぶとかったのでね。それで遅れてしまったのさ。」

 

自然体で話し掛けてくる妲己に対して、士郎は干将と莫耶を手に対峙する。

 

「天弓士郎が剣で戦うのかしらん?」

「可能ならば弓で戦いたいのだが、どうやらその傾世元禳との相性が良くないみたいなのでな。」

 

士郎の言葉に妲己は口を押さえてクスクスと笑う。

 

「私の傾世元禳は中華で楊ゼン様の水鏡の守護結界に次ぐ防御を誇るのよん。士郎ちゃんは超える事が出来るかしらん?」

「貴女を倒すのに必要とあらば超えてみせよう。しかし、それ程の宝貝をどうやって手に入れたのか気になるのだが?」

「ふふふ、楊ゼン様にいただいたのよぉん♡」

 

妲己が傾世元禳を抱き締めると、士郎は眉間を揉む。

 

「殷に入り込む前に楊ゼン様にお別れを言いに行ったのだけどん、その時にこれをいただいたのん。」

「なんであの人はそれ程の宝貝を当然の様に渡しているんだ…。」

 

ため息を堪えた士郎は気を取り直して妲己と対峙する。

 

「士郎、妲己の布槍には気をつけよ。」

「布槍?…なるほど、妲己は女仙としてだけでなく、武人としても一流なのか。」

「妲己が言うには二郎真君様に教えてもらったらしいのだがのう。」

「…自由過ぎる我が師には頭が痛くなるな。」

 

士郎が今度こそため息を吐いてしまうと、それを見た妲己がクスクスと笑う。

 

「そこが楊ゼン様の素敵なところの一つよん♡」

「否定はしないし憧れもある。だが、今に限っては困りものだな!」

 

そう言いながら士郎は瞬動で妲己の横に踏み込むが、妲己が傾世元禳を振るうと士郎は受けに回る。

 

「中々やるわねぇん、士郎ちゃん。」

「老師に散々鍛えられたのでね。この程度ならば身体が勝手に反応してくれる。」

「それじゃ、もっと強くするわよぉん♡」

 

妲己が傾世元禳を布槍として使い、叩き、払い、突いてくるのを、士郎は干将と莫耶を駆使して凌いでいく。

 

「太公望ちゃんと王貴人ちゃんの回復を待っているといったところかしらん?」

「察しが良すぎる女性は老師に嫌われるのではないか?」

「楊ゼン様は私の全てを受け入れてくださるわん♡そしてこの身も心も、私の全てを捧げるに足る素晴らしい殿方なのよぉん♡」

 

挑発のつもりが逆に惚気られた士郎は内心で舌打ちをする。

 

「ならば殷を滅ぼす為に尽力せずに、老師と共に添い遂げる道もあったのではないか?」

「確かにその道もあったわん。でもね…私は夢を追うことを選んだの。」

 

雰囲気が変わった妲己に士郎は警戒する。

 

「その夢とは?」

「楊ゼン様の様に、千年先にも名を残す事よ。」

「それが悪名だとしてもか?」

「えぇ、そうよ。」

 

妲己は一際強く傾世元禳を振るうと、士郎を王貴人達の元に弾き飛ばす。

 

「私は一人の女として楊ゼン様を愛しているけれど、それと同時に数多の武勇伝を残す英雄としての楊ゼン様に憧れてもいるの。」

 

そう言って妲己は虚空を見詰める。

 

「英雄としての楊ゼン様に憧れた私は、身に付けた力を存分に振るいたい、人々に語り継がれる様に名を残したいと思うようになったの…そんな時に私は女媧様から殷を滅ぼす様にと命じられたわ。」

「そして、その命を受けたと?」

「そうよ、太公望ちゃん。」

 

神酒を飲み回復した太公望と王貴人が士郎の隣に立つ。

 

「妲己姉様…後悔していないのですか?」

「後悔していないわ、王貴人ちゃん。私は傾国の美女と呼ばれる様になった今の私を誇りに思っているから。」

 

命のやり取りをしている相手に向けるとは思えない程に、妲己は優しく微笑む。

 

「だから同情なんてせずに全力で私と戦いなさい。もし手を抜いたら…逆に滅ぼしちゃうわよん♡」

 

妲己が茶目っ気を込めて片目を瞑ると、妲己の話で戦意を失っていた王貴人の目に覚悟が宿った。

 

「士郎、私に剣を。」

「…わかった。」

 

士郎は新たに投影した干将と莫耶を王貴人に渡す。

 

「それじゃ再開しましょうか。私達が千年先でも英雄として語り継がれる為にねん♡」




次の投稿は13:00の予定です。


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第141話

本日投稿4話目です。


「お見事よん、王貴人ちゃん。」

 

胸に干将を突き立てられた妲己が王貴人に微笑む。

 

「妲己姉様…なぜ最後に手を抜いたのですか!?」

「王貴人ちゃん達が頑張ったご褒美よん♡」

 

そう言って王貴人から離れると、妲己は士郎へと目を向ける。

 

「士郎ちゃん、王貴人ちゃんをよろしくねん。」

「…あぁ、任せてくれ。」

「妲己姉様!」

 

胸から血を止めどなく流し吐血をする妲己に王貴人が駆け寄ろうとするが、妲己は片手を前に出して王貴人の動きを制する。

 

「ごめんね、王貴人ちゃん。私の最後は決めてあるのん…楊ゼン様の腕の中でってねん♡」

 

ふらりとよろめいた妲己がゆっくりと後ろに倒れていくと、その妲己の身体を虚空から現れた二郎が優しく受け止めた。

 

「お疲れ様、妲己。楽しかったかい?」

「はい、楽しかったですわ、楊ゼン様。」

 

二郎の問い掛けに妲己は嬉しそうに微笑みながら答える。

 

「竜吉公主ちゃんも来てくれたのね。」

「お主とはそれなりに長い付き合いだからのう。最後ぐらい見送ってやらねばな。」

「ふふふ、ありがとう。」

 

竜吉公主の気配に気付いた妲己が声を掛けると、竜吉公主が虚空から現れる。

 

「妲己姉様!今ならまだ…!」

「…王貴人ちゃん、ありがとう。でもね、私は私を曲げてまで生きるつもりはないわ。それをしてしまったら、私は楊ゼン様に相応しい女じゃなくなってしまうもの。」

 

妲己の拒絶に、王貴人の目から涙がこぼれ落ちる。

 

「妲己姉様―――!!」

「あら、胡喜媚ちゃんも来てくれたのね。」

 

四不象に乗って空からやって来た胡喜媚は四不象から飛び下りると、転びそうになりながら妲己に駆け寄ろうとする。

 

しかしその胡喜媚を、王貴人が抱き止めた。

 

「ダメです、胡喜媚姉様。」

「離して、王貴人ちゃん!妲己姉様が!妲己姉様が…!」

 

泣き出す胡喜媚を王貴人が抱き締める。

 

「胡喜媚ちゃん、王貴人ちゃん、貴女達は私の自慢の養妹よ…。だから、これからも生きて幸せになりなさい。」

「妲己姉様がいなくなったら、幸せになんてなれないよぉ!」

「うふふ、貴女も王貴人ちゃんみたいに恋を知れば幸せになれるわよ、胡喜媚ちゃん。」

 

抱き合って涙を流す養妹達の姿を、妲己は暖かい眼差しで見る。

 

「…そろそろ時間みたいね。」

「「妲己姉様!」」

 

胡喜媚と王貴人に向けて微笑むと、妲己は二郎の胸に顔を埋める。

 

「お慕いしております、楊ゼン様。」

「ありがとう、妲己。」

「…最後にワガママを言ってもよろしいですか?」

「あぁ、いいよ。」

 

妲己は二郎の瞳を見詰めると、ゆっくりと目を瞑る。

 

そんな妲己に二郎は優しく口付けをした。

 

「悠久の時の果てに生まれ変わる事が出来たら、また御会いしましょう、楊ゼン様。」

 

見惚れる程に華やかな笑みを浮かべた妲己が眠る様に目を閉じると、妲己の身体から魂が抜け出て封神台へと飛んでいく。

 

妲己の魂を見送る二郎の目からは、千年振りの涙が流れていたのだった。

 

 

 

 

『妲己』

 

封神演義に登場する仙女であり、殷周革命に登場する紂王の寵姫である。

 

その類い稀な美貌と彼女の行動で、当時中華最大の大国である殷の滅びを招いた事から『傾国の美女』の異名を冠している。

 

彼女は幻術で紂王を誘惑して後宮に入り込んだのだが、その目的は国産みの神を侮辱した紂王に神罰を与える事だった。

 

後宮に入り込んだ後の妲己は神罰として殷を滅ぼす為に、聞仲と暗闘を繰り広げながらも中華を意のままに動かし、ついに殷を滅ぼす事に成功する。

 

しかし妲己は女媧の使命の果てに自身も太公望や士郎達によって封神されてしまったのだが、その封神される際に妲己の忠義に感心を抱いた二郎真君が現れ、妲己の最後を看取ったと記されている。

 

二郎真君が最後を看取った事以外にも妲己には二郎真君と関係する逸話が幾つもあり、その事から妲己は二郎真君と深い仲であったのではという説もあるのだが、その真偽は定かではない。

 

大国を滅ぼした事から現代では世界三大悪女の一人として数えられる妲己だが、その実は命を賭けて神の使命を遂行した忠義に厚い才色兼備の女傑なのであった。




次の投稿は15:00の予定です。


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第142話

本日投稿5話目です。


決戦に勝利した周は兵を休ませる為に一ヶ月の休養を挟んだ後に殷の都に軍を進める。

 

すると、周の軍は殷の都を無血占領した。

 

これは紂王の関係者を周が確保していた事と、決戦において殷の主要人物である紂王、聞仲、妲己の全員が倒れたからである。

 

だが都を無血占領したとはいえ色々ないざこざが起こってしまい、それに伴って多少の賊が現れる様になってしまったが、武王や姫昌に太公望といった者達が精力的に政務を行っていった事で、中華は徐々に殷の支配体制から周の支配体制へと移行していった。

 

そんな表舞台の水面下では、決戦で生き残った殷側の道士や仙人の幾人かが紂王や妲己の名を騙ったりして、再び中華に乱を起こし名を上げようとしていた。

 

しかしそういった行動をしていた道士や仙人達は弁明すら許されずに、二郎によって討伐(封神)された。

 

そして周と殷の決戦から三年の月日が流れると、中華は姫昌の優しい心根が反映された新たな時代を迎え、人々は平和を謳歌していくのだった。

 

 

 

 

「それで、お主は周を去るというのだな?哪吒。」

「あぁ。」

「胡喜媚も周を去るよー☆」

 

周の都にある宮殿に備えられた執務室にて、太公望は哪吒と胡喜媚の二人と対面していた。

 

「周の世となったとはいえ、まだ色々と問題は残っておるのだ。少しは政を手伝ってもらえぬかのう?」

「嫌だ。」

「やだー☆」

「普段はいがみあっておるくせに、こういう時は息が合うんだのう…。」

 

武人気質の哪吒と天真爛漫な胡喜媚は政に欠片も関心を持っていなかった。

 

それを知るからこそ太公望は戦後のいざこざで現れた賊の退治などといった仕事を二人に割り振っていたのだが、周の政が安定して賊が減ってきた今、哪吒と胡喜媚は周を去る事にしたのだ。

 

「それで、二人は周を去った後はどうするのだ?」

「一度故郷に帰り、両親に挨拶をする。その後は崑崙山に行って仙人になる為の修行をするつもりだ。」

「胡喜媚は哪吒のお守りだよ。まだまだ子供の哪吒じゃあ広い中華で迷子になっちゃうもん☆」

 

胸を張ってそう言う胡喜媚に、哪吒はジト目を向ける。

 

「迷子になんてならない。」

「え~?前の賊退治の後、帰り道がわからなかったじゃ~ん☆」

「あれはたまたまだ。」

 

目の前で痴話喧嘩を始めた二人に、太公望は苦笑いをする。

 

「ところで胡喜媚。お主は哪吒と共に行くそうだが、崑崙山への入山は大丈夫なのかのう?」

「前の賊退治の帰り道で二郎真君様にお会いしたんだけど、その時に胡喜媚は二郎真君様に崑崙山に入ってもいいか聞いてみたの。そしたら、崑崙山の偉い人達にお願いしてくれるって言ってたよ☆」

「それなら問題はなさそうだのう。」

 

武神相手に物怖じせずに頼み事をする胡喜媚に、太公望は内心で冷や汗を流す。

 

「話はわかった。しかし、お主達が周から去るのを認めるとしても、中華一の大国たる周としてはそれなりの形を取らねばならぬ。準備や根回し等の諸々の事は儂がやるので百日は待つように。」

「任せる。」

「太公望ちゃん、よろしく~☆スープーちゃん、またね~☆」

 

執務室から二人が去ると、太公望は大きく背伸びをした。

 

「ご主人、お疲れ様っス。」

「スープー、一服するので白湯をもらってきてくれぬか?」

「了解っス!…ところでご主人、ご主人は侍女を雇わないんすか?」

 

四不象の言葉に太公望は心底面倒そうにため息を吐く。

 

「儂が侍女を雇うと言うと、間違いなく周の有力者達が我先にと娘を押し付けようとするであろう…儂の嫁にする為にのう。」

「それはご主人が独り身でいるのが悪いっス。」

 

そう言うと四不象は白湯を取りに、執務室を出ていった。

 

「儂も立場上必要な事だとは理解しているんだがのう…。」

 

周の建国から関わり、殷との戦において軍師として活躍した太公望は今の中華で揺るぎない名声を得ている。

 

それ故に封神計画を終えた現在においても太公望は周を去って崑崙山に戻ることが出来ず、こうして執務室で政務に励まざるを得ないのだ。

 

「軍師を辞して周を去るにしても、儂の後釜を探さねばならぬし、頭の痛い事よ…。」

 

ガシガシと頭を掻いてため息を吐いた太公望は、執務室に備えられている机の上にある竹簡の一つを手に取って開く。

 

「また見合い話か。今度は黄将軍の孫娘に姫昌殿の孫娘?儂を後何年周に縛り付けるつもりなのかのう?」

 

太公望がぼやいていると、執務室の入口に人影が現れる。

 

その人影に向けて太公望が愚痴を言う。

 

「嫁を見繕うなど余計なお世話だと思わぬか、士郎?」

「私と王貴人をくっつけた君が言っていい言葉ではないな。」

 

そう言って肩を竦めると、士郎は執務室へと入っていくのだった。




これで本日の投稿は終わりです。

また来週お会いしましょう。


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第143話

本日投稿1話目です。


「竜吉公主様、天弓士郎殿と奥方の王貴人殿が訪ねてまいりました。」

「うむ、通すがよい。」

 

家僕に命じた竜吉公主が杯を口にする。

 

「士郎と王貴人は何用で妾の屋敷を訪ねてきたのかのう、二郎真君?」

「さてね?」

「まぁ、おそらくは妾を訪ねてきたのではなく、二郎真君を探してきたのだろうがな。」

 

殷が滅んで封神計画に必要な魂が集まると、二郎は監視の任を終えて竜吉公主の屋敷で過ごす様になっていた。

 

これは寿命が残り少ない竜吉公主が二郎と過ごす事を望んだからである。

 

「竜吉公主様、王夫妻をご案内しました。」

「うむ、ご苦労なのじゃ。」

 

竜吉公主が家僕を下がらせると、部屋に士郎と王貴人が入ってくる。

 

「二人は何用で妾の屋敷を訪ねてきたのじゃ?」

「二郎真君様に少しお話をしたい事がありまして。」

「やはりそうか。妾の事は気にせずに二郎真君と話すがよい。」

「ありがとうございます、竜吉公主様。」

 

王貴人が頭を下げるのに合わせて士郎も頭を下げる。

 

「それで、俺に何の用だい?」

「私達の今後の事についてです。」

 

二郎は目線で王貴人に続きを促す。

 

「私は生前の妲己姉様から封神計画の真の目的を聞いています。崑崙山を始めとした中華の要所を『世界』の外に移すそうですが…道士である私達は地上に残っていいのでしょうか?」

 

二郎は神酒を一口飲んでから王貴人と士郎に目を向ける。

 

「二人はどうしたいんだい?」

「老師、私達の意思で決めてもいいのか?」

「伯父上が地上に道士や仙人を残さないと決めても、中には勝手に地上に残ったりして好き勝手する者もいるだろうね。それなら、そういった者達を退治する役目を担う者がいても不思議じゃないだろう?」

 

二郎の言葉を聞いた士郎と王貴人は顔を見合わせて頷く。

 

「老師、私と王貴人は地上に残りたい。」

「あぁ、いいよ。でも、少し条件があるけどね。」

「二郎真君様、その条件とは何でしょうか?」

 

二郎は神酒を一口飲んでから話し出す。

 

「二人に出す条件は二つ。一つは基本的に同じ所に居続けない事。せいぜい百年ぐらいが限度かな?」

「老師、それは何故だ?」

「聞仲の一件があるからといえば、察しがつくかい?」

 

三百年以上に渡って一つの国に仕え続けた聞仲は、中華の天界よりも国を優先した。

 

これは中華の神々にとって反乱に等しい行為だ。

 

それ故に、中華の神々は同じ事が起きない様に、地上に残る道士や仙人に一所に留まり続ける事を、もしくは俗世に関わり続ける事を禁じる事にしたのだ。

 

もっとも、二郎に限ってはその限りではない。

 

二郎は千年以上に渡って世界中を回り人々の歴史に関わり続けてきたが、それでも二郎が中華の天界を蔑ろにした事は一度もなく、そんな二郎を中華の神々が信頼しているからだ。

 

…というのは建前で、二郎を抑えられる力を持つ者がいないのが本当のところだ。

 

天帝ならば二郎に命じる事も出来るのだが、その天帝は二郎が自由に生きる事を望んでいるのだから中華の神々にとっては頭の痛いことである。

 

「その条件はわかりました。それで、もう一つの条件は何でしょうか?」

「もう一つの条件は、二人が『世界』の外と内を自由に行き来する事が出来る様になる事だね。」

 

二郎の言葉に王貴人は首を傾げ、士郎は頭を抱えた。

 

「老師…貴方は私達に『第二魔法』の真似事を出来る様になれというのか?」

「その第二魔法というのが何かは知らないけど、俺の弟子とその妻ならそれぐらい出来る様になって貰わないとね。例えば宝貝を盗んだ道士が地上に逃げた時に地上に残った士郎達が盗まれた宝貝を取り返しても、『世界』の外と内を自由に行き来出来なかったら宝貝を天界に届ける事が出来ないだろう?」

 

そう言って二郎が肩を竦めると王貴人は納得した様に頷き、士郎はため息を吐いた。

 

「とは言っても簡単な事じゃないからね。だから代案を用意してあるんだ。出ておいで。」

 

二郎の言葉に従って虚空から一匹の霊獣が現れる。

 

「…黒麒麟?」

「うん、聞仲の霊獣だった黒麒麟だね。」

 

士郎の言葉に二郎が頷く。

 

「黒麒麟なら『世界』の外に移った中華の天界と『世界』の内の地上を自由に行き来が出来る。だから、二人のどちらかが黒麒麟の主人として認められればいい。」

 

顔を見合わせる士郎と王貴人に、二郎は茶目っ気を見せるように片目を瞑って話を続ける。

 

「もっとも、黒麒麟の前の主人である聞仲と同等かそれ以上の力を身に付けなければ、黒麒麟が二人を主人として認めないだろうけどね。」

 

この二郎の言葉に、士郎と王貴人は不敵な笑みを浮かべた。

 

「望むところです、二郎真君様。」

「あぁ、必ず身に付けてみせるさ。」

 

弟子とその妻の言葉に、二郎は笑みを浮かべる。

 

そんな三人のやり取りを、竜吉公主は楽しそうに聞いていたのであった。




本日は3話投稿します。

次の投稿は9:00の予定です。


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第144話

本日投稿2話目です。


士郎と王貴人が黒麒麟に主人と認めさせる修行を始めてから二十年程の月日が流れた。

 

だが、二人は今も黒麒麟に主人と認められていない。

 

聞仲は仙人達の間で『純粋な武力だけで仙人に匹敵する』と称された程の武人だったからだ。

 

しかし、士郎と王貴人はそんな修行の日々を楽しんでいた。

 

殷との決戦を終えて目標を失った二人にとって、聞仲と同等以上の力を目指す日々はとてもやりがいのある日々だったのだ。

 

そんな二人とは別に中華でも変化は起きている。

 

一つは周の王である武王が退位し、その王位を長子に譲った事だ。

 

武王の退位を惜しむ声が多くの有力者達から上がったが、武王は自身が存命の内に王位を譲る事を望んだ。

 

もちろん王位を退いたからといって楽隠居出来るわけではない。

 

次代の王の後見人を務め、末長く中華を安寧に導かねばならないからだ。

 

この武王退位に並ぶ程に話題になったのが、太公望の嫁取りだ。

 

王家である姫一族から一人、そして周でも随一の武家といっても過言ではない黄一族から一人、太公望は嫁をもらう事になった。

 

これには政治的な判断も大いにあるが、いつまでも周の軍師が独り身では格好がつかないといった表向きの諸事情もあったからだ。

 

実際には姫昌を始めとして黄飛虎や士郎、王貴人に四不象といった者達が結託して太公望を嵌めたのだが…。

 

実年齢が百歳を超える自分が、まだ十代の娘を嫁にするといった話が進んでいる事に太公望は大いに頭を抱えた。

 

しかも、崑崙山に帰るのならその前に子を残せと言われてしまってはたまったものではない。

 

太公望は全力で嫁取りから逃げようとしたが、大人気ない大人達に全力で阻まれてしまった。

 

流石の太公望もあまりの戦力差に策を用いる事も出来ず降服するしかなかった。

 

だが、この嫁取り話はここでは終わらなかった。

 

なんと、面白がった二郎が太公望の嫁二人に不老の霊薬を渡したのだ。

 

後日、懐妊した嫁二人に子供が成人したら自分達も崑崙山についていくと言われた太公望は、そこで嫁二人が不老となっていた事を知って顎が外れんばかりに大口を開けて驚いた。

 

ここで太公望は大人気なく不貞腐れたのだが、嫁二人に慰められてからは満更でもない様子で夫婦生活を送る様になっていった。

 

こうして周では目出度い事が続いたのだが、その逆の事も起こるのが世の常である。

 

その逆の事とは…竜吉公主の寿命が尽きる日がやって来たのだ。

 

 

 

 

「…いよいよのようじゃのう。」

 

屋敷にいる弟子や家僕との別れを済ませ、二郎真君の腕の中で最後の時を過ごしていた竜吉公主がそう言葉を溢した。

 

「二郎真君、お主と過ごせた数十年、妾は幸せだったのじゃ。」

「そうかい?それはよかったよ。」

「うむ、後で妲己に自慢してやるのじゃ。」

 

いよいよ身体に力が入らなくなってきた竜吉公主は、二郎の胸に身体を預ける。

 

「あぁ、暖かいのう…。」

 

そう言って目を瞑っていた竜吉公主は、顔に水気を感じて目を開ける。

 

すると、そこには一筋の涙の跡がある二郎の顔があった。

 

竜吉公主は手を伸ばして二郎の顔に愛しそうに触れる。

 

「妲己の二番煎じになってしまうが…二郎真君、悠久の時の果てに、また会おうなのじゃ。」

 

そう言ってゆっくりと竜吉公主が目を閉じると、彼女の身体から魂が抜けて封神台へと飛んでいく。

 

竜吉公主の魂を見送った二郎の目からまた一筋、涙が溢れ落ちたのだった。




次の投稿は11:00の予定です。


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第145話

本日投稿3話目です。


「そうですか…竜吉公主様が逝かれましたか…。」

 

姫昌は竜吉公主の為に献杯をする。

 

竜吉公主を看取った二郎は現在、周の都にある宮殿の一室にて姫昌と杯を酌み交わしていた。

 

「次は私の番ですかな?」

「俺の見立てでは伯邑考の方が先かな。」

「やれやれ、伯邑考は自慢の息子ですが、最後の最後に親不孝ですか。」

「こればかりは仕方ないだろうね。」

 

既に老人となって久しい姫昌だが、その心身は健康そのものだ。

 

しばし静かに酒を飲んでいた二人だが、不意に姫昌が二郎に話を振る。

 

「二郎真君様、お話に聞いていた封神計画はどんな状況ですかな?」

「後は黄飛虎、伯邑考、そして姫昌の魂を封神したら、中華の要所を『世界』の外に移して終わりだね。」

「道士や仙人の方々の多くが地上からいなくなるのですか…中華の民も寂しく感じるでしょうなぁ。」

 

周と殷との決戦で封神計画に必要な魂の量は十分以上に集まっているのだが、中華の神々は邪仙などに反魂の術で利用されたりしないように竜吉公主や姫昌達の魂を封神する事にしたのだ。

 

「ところで、私達は封神された後はどうなるのですかな?」

「中華の要所を『世界』の外に移す為に魂が持つ力を使われるからね。道士や仙人達でも多くは記憶や力を失って、悠久の時の果てに天然自然の転生を待つ事になるかな。」

「その限りではない者もいると?」

「その答えは封神されたらわかるよ。」

 

そう言ってほほ笑む二郎に姫昌は首を傾げた。

 

首を傾げる姫昌に二郎が杯を掲げると、姫昌は杯を打ち合わせて酒を飲み干したのだった。

 

 

 

 

時は流れ周を中華の覇者へと押し上げた功労者の一人である黄飛虎が亡くなった。

 

更に翌年には周の第二代王である武王こと伯邑考も亡くなった。

 

中華の民は英雄達の死を惜しみ、国を上げて彼等の冥福を祈った。

 

そして百歳を超えてなお衰えを知らなかった姫昌も、ついにその生涯に幕を閉じようとしていたのであった。

 

 

 

 

「ようやく、私の番のようですなぁ…。」

 

太公望を始め士郎や王貴人といった古い馴染みや、姫一族の子孫達に囲まれた姫昌が幸せそうに微笑む。

 

「姫昌殿、お疲れ様だったのう。」

「太公望殿も長年、周を見守っていただき、ありがとう。」

 

太公望の子供達も成人し周に仕えて根を張った今、太公望が周に残る理由はなかった。

 

だが太公望は姫昌を見送るまではと決め、こうして周に残っていたのだ。

 

「士郎殿と王貴人殿も、周を見守っていただきありがとう。」

「姫昌殿、貴方と共に在れた日々は私の誇りだ。」

「元は敵であった私を受け入れてくれた事を改めて感謝する。」

 

姫昌は雷震子を始め、姫一族の一人一人と別れの挨拶をしていく。

 

誰もが涙を流し別れを惜しむ。

 

人々の暖かさに包まれた姫昌は嬉しそうに微笑んだ。

 

「あぁ、私は果報者だ…そうは思いませんか、二郎真君様?」

 

姫昌の問い掛けに応じる様に、虚空から二郎が姿を現す。

 

姫昌の自慢話でしか聞いた事がなかった姫一族の子孫達は、二郎が現れた事に目を見開く。

 

「姫昌、よい旅を。」

「…その一言が、何よりの餞別です。」

 

多くの人々に見守られながら姫昌がゆっくりと目を閉じると姫昌の身体が光り、その魂が封神台へと飛んでいった。

 

彼の魂が飛んでいく光景を見た周の都の人々は、老若男女を問わずに誰もが涙を流したのだった。

 

 

 

 

不意に感じる暖かな風に少しずつ意識が目覚めていく。

 

意識が目覚めるにつれて身体の感覚が戻ると、姫昌は目を覚ました。

 

「はて、ここは?」

 

春の様な暖かな風が吹く草原で寝ていた事に気付いた姫昌が身体を起こして辺りを見回す。

 

すると、姫昌の目の前に淡い色合いをした一片の花弁が舞い降りてきた。

 

「これは…桃の花?」

 

桃の花の花弁は一片だけでなく次々と舞い降りてくる。

 

姫昌が見上げると、そこには桃の花の花吹雪が舞い散る鮮やかな光景が広がっていた。

 

「おぉ…なんと見事な。」

 

桃の花の花吹雪に姫昌は目を奪われた。

 

しばしの間、姫昌はここがどこかという疑問を忘れて桃の花の花吹雪を堪能していた。

 

すると…。

 

「あらん?皆、姫昌ちゃんが起きたわよん♡」

 

背後から聞こえたその声に驚きながら姫昌が振り返る。

 

「…これは夢なのだろうか?」

 

姫昌がそう言うのも無理はないだろう。

 

何故なら、姫昌が振り返った先には妲己を始めとして竜吉公主、伯邑考、黄飛虎、聞仲に紂王といった同じ時代を生きた英雄達の姿があったからだ。

 

「父上、またお会い出来て嬉しく思います!」

「は、伯邑考…これはいったい…。」

「全部、二郎真君のおかげなのじゃ。」

 

息子の挨拶に戸惑いながら問い掛ける姫昌に、竜吉公主が答える。

 

「竜吉公主様…二郎真君様のおかげとは?」

「封神計画の事は知っておるか?」

 

逆に問い返された姫昌だが、自身に起きている不思議に二郎が関わっていると知って落ち着くと、竜吉公主の問いに頷いて肯定する。

 

「贄となった魂は力を失って転生するのじゃが、そうすると英雄と呼ばれる者でも『星の守護者』とやらになれないそうでのう。そこで二郎真君が妾達の為に一計を案じてくれたのじゃ。」

 

竜吉公主の言葉に姫昌が首を傾げると、今度は妲己が姫昌の疑問に答える。

 

「私達と伯邑考ちゃん達の決戦は派手だったでしょう?そのせいで封神計画に必要以上の力が集まっちゃったみたいなのん。そこで楊ゼン様が余った力を使って常春の理想郷をお造りになったのよん♡」

「常春の理想郷…。」

「楊ゼン様はここを『桃源郷』と名付けられたわん♡」

 

舞い散る桃の花の花吹雪に姫昌が目を向ける。

 

そこには桃源郷の名に相応しい見事な光景が広がっていた。

 

「まぁ、簡単に言うと、ここは二郎真君が妾達の死後の安寧の為に『世界』の外に用意してくれた場所という事じゃな。」

 

竜吉公主のこの言葉に、姫昌から乾いた笑いが溢れる。

 

「姫昌よ、細かい事は抜きにして余達と飲もうぞ。聞仲の奴が姫昌が目覚めるまで二郎真君様が用意してくださった酒を飲んではならぬと言うて、余達に一滴も飲ませてくれなかったのでな。」

 

紂王が横目で聞仲を見ながらそう言うと、聞仲が咳払いをして誤魔化す。

 

そんな聞仲の姿を見た紂王や妲己達は笑い声を上げた。

 

(二郎真君様、貴方様は最初から最後まで私を驚かせてばかりですなぁ…。)

 

破顔した姫昌は皆につられる様に、大きな笑い声を上げたのだった。




これで本日の投稿は終わりです。

そして封神演義編これにて完結でございます。

来週に登場人物のまとめを投稿する予定ですが、それをもって9月一杯まで拙作をお休みさせていただきたく思います。

理由は封神演義編を書くのが楽し過ぎて次章の事を欠片も考えてなかったからですね…。

なので次章に書く神話や伝説の物色、及び妄想をするのでしばらくお待ちください。

それでは、また10月にお会いしましょう。


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幕間
封神演義編までの主な登場人物紹介


作者の独断と偏見で噛み砕いて紹介しております。

拙作をお読みいただいた際の印象と違う場合があります事を御了承ください。


【古代中華編登場人物】

 

 

○二郎真君(じろうしんくん)

 

本作の主人公。

 

姓は楊、名は二郎、字はゼン。

 

二郎真君は仙人としての名であり、本名は楊 二郎である。

 

中華の最高神である天帝の妹を母に、人である楊氏を父に持つ半神半人で実は転生者。

 

二郎は武神だが、他に治水の神や法を司る神としても多くの中華の民に慕われている。

 

また中華以外の地ではギルガメッシュやエルキドゥと世界中を冒険した際に、放浪の神ゼンとして多くの神話にその名を残している。

 

二郎は神としての権能に『治水』を持ち、世界のあらゆる水は二郎に害を与えない。

 

非常に多芸な二郎だが、こと武においては比肩する者がいない程の才を持ち、その才を傲ることなく磨き続け、武神の名に恥じぬ力を手にしている。

 

しかし二郎は『天地開闢の力には程遠い』として、自身の武に満足していない。

 

主な宝貝として『三尖刀』を有しているが、大抵の相手は無手で事足りてしまうので使うかどうかは二郎の気分次第である。

 

もし聖杯戦争に召喚されるとしたらセイバー、ランサー、ライダー、キャスター、アサシン、バーサーカーのクラス適正を持つ。

 

聖杯戦争召喚時の参考ステータス

 

クラス:ランサー

 

筋力:B+

 

耐久:B

 

敏捷:A+

 

魔力:B

 

運:B+

 

 

○天帝(てんてい)

 

中華の最高神であり、二郎の伯父。

 

二郎に自由に生きる事と世界を放浪する癖をつけた張本人。

 

血族に対する愛と依怙贔屓が凄いが、それ以外では優秀な裁定者である。

 

 

○瑶姫(ようき)

 

二郎と後述する三聖母の母。

 

地上に下りた際に楊氏に会って一目惚れした仙女。

 

実は仙女の中では一、二を争う拳法家。

 

夫と子供達を溺愛する二児の母である。

 

 

○三聖母(さんせいぼ)

 

姓は楊、名は蓮。

 

二郎の妹。

 

仙女を束ねる地位にあり、多くの中華の英雄に宝貝を渡した事から中華神話の中では二郎に次いで知名度が高い仙人である。

 

 

○太上老君(たいじょうろうくん)

 

『三清』の一人で道教の根幹を造った仙人である。

 

二郎の師匠。

 

不老不死の仙人らしく非常にのんびりした性格で、仕えている霊獣が草を食みに行ってから千年経って帰らずとも気にしていない。

 

仙人の中でも特に練丹術に長けており、霊薬造りでは右に出る者はいない。

 

 

○元始天尊(げんしてんそん)

 

『三清』の長。

 

中華で天帝の次に偉い仙人で崑崙山の道士や仙人を統括している。

 

仙人の中で最も多くの弟子を持ち、その人望においては天帝をも凌ぐ。

 

太公望や申公豹など中華の歴史に名を残した弟子を持っている事から、道教の神々の中では二郎に次いで信仰されている神である。

 

 

○哮天犬(こうてんけん)

 

二郎が修行時代に造り出した神獣である。

 

普段は二郎の廓で昼寝をしたりと大人しいが、一度牙を剥けば神をも噛み殺す力を持っている。

 

大気の魔力だけで生きられる非常に燃費の良い神獣だが、嗜好として食事をする。

 

最近では二郎が造る神水や神酒、料理しか口にしない程に舌が肥えてしまい、たまに士郎が食事を用意しても滅多に口にしない為、士郎に幾度も敗北感を味あわせているのだった。

 

 

【古代ウルク編登場人物】

 

 

○ギルガメッシュ

 

二郎が友となった事で本来の運命から変わった人類最古の王。

 

暴君にならなかった影響で人類の歴史上最高の賢王と称される事もある。

 

並行世界の暴君となった全ての自分を消滅させて、本作世界を原典にしちゃった張本人。

 

ズッ友チェーンは無いけど、基本性能と総合能力は原作の我様よりも高いリア充な我様である。

 

 

○エルキドゥ

 

二郎により本来の運命から変わった二人目の人物。

 

元は神造兵器で中性の存在だったが、反魂の術で復活する際に二郎の独断で半神半人の女性になった。

 

その結果、エンリル達を討伐した後にギルガメッシュと結婚して夫婦になったり子供を産んだりして幸せな人生を満喫した。

 

 

○ルガルバンダ

 

ギルガメッシュの父親

 

千年以上ウルクの王として人々を統治した、人の世が始まる前の大英雄。

 

二郎が敬意を抱く数少ない王の一人である。

 

 

○アヌ

 

メソポタミアの最高神であり、困った子供達に振り回された苦労人。

 

エンリル、イシュタル、エレシュキガルの父。

 

エンリルとイシュタルの死後は一時気力を失ったが、エレシュキガルに発破を掛けられて奮起。

 

その後は地上をギルガメッシュを始めとした人々に託し、人々の歩みを見守った。

 

 

○エンリル

 

メソポタミアの神々の中でイシュタルと並ぶ困ったちゃん。

 

妹を泣かせたギルガメッシュとエルキドゥに腹が立ってエルキドゥの命を奪った結果、二郎やギルガメッシュ達を怒らせて討伐されてしまった。

 

 

○イシュタル

 

メソポタミアの神々の中で一番恋多き女神様。

 

ギルガメッシュに求婚したが振られてしまう。

 

その腹いせにウルクに色々とやった結果、エンリル共々討伐されてしまった。

 

 

○エレシュキガル

 

メソポタミアの冥界を統べる女神様。

 

アヌに発破を掛けたり二郎をこきつかったりと強かな女性である。

 

 

〇ニヌルタ

 

メソポタミアの軍神。

 

ギルガメッシュ達がメソポタミアの天界に決戦に赴いた際に一軍を率いて立ちはだかった。

 

しかし神々の軍と『世界の守護者』だった士郎を合わせた戦力でも二郎一人に敗れてしまった。

 

決戦後はエレシュキガルの発破で奮起したアヌに仕え直し、エンリルとイシュタル亡き後のメソポタミアの天界のゴタゴタを鎮めていった。

 

 

○シャムハト

 

ウルクに仕える聖娼婦。

 

神造兵器で理性が無かった頃のエルキドゥにニャンニャンして理性を与えた女性。

 

また人としての教養や一般常識等を教えたりもしたので、エルキドゥにとって彼女は頭が上がらない存在である。

 

 

○ウル・ルガル

 

ギルガメッシュとエルキドゥの間に産まれた男の子で、ギルガメッシュの王位を継いだ古代ウルクの英雄。

 

両親を心から尊敬しており、ギルガメッシュの死後には手に入れた財のほとんどを、ギルガメッシュの蔵に献上していった。

 

 

○イナンナ

 

ウル・ルガルのお嫁さん。

 

元はキシュの女王だったが、ウルクとの戦争でウル・ルガルとの一騎打ちに敗れた際にウル・ルガルに一目惚れして求婚した。

 

一度は求婚を保留にされたが、押しの一手で見事ウル・ルガルの妻の座を手にした強かな女性である。

 

 

【封神演義編登場人物】

 

 

○王士郎(おうしろう)

 

『世界の守護者』としてこき使われていたところを、二郎に救われた衛宮 士郎である。

 

転生させられる際に、二郎に人として最高峰の才を持った肉体を与えられた。

 

封神計画に参加して英雄になったり、王貴人と結婚したりと充実した第二の人生を送っている。

 

姫昌の死後は黒麒麟に主と認めさせる為に、王貴人と共に中華を旅しながら修行を続けている。

 

 

○太公望(たいこうぼう)

 

姓は姜、名は尚、字は子牙という崑崙山に所属する道士。

 

元始天尊の弟子。

 

怠け者な気質だったが、二郎に振り回されてからは苦労を背負い込む苦労人な気質となる。

 

封神計画を成し遂げた結果、封神演義と史実の双方において中華の歴史上最高の軍師として名を残した。

 

ちなみに二郎の修行で大きく成長した結果、太極図をゲットするフラグが折れてしまった。

 

 

○四不象(すーぷーしゃん)

 

空を飛ぶカバである。

 

実は元始天尊から復活の玉を受け取っていたのだが、二郎が施した修行で太公望が成長したせいで出番が無かった。

 

 

○妲己(だっき)

 

中華の国産みの神の一柱である女媧の配下の仙女で、人類の歴史が始まってから最初に名を残した最古の九尾の狐の半妖。

 

二郎が房中術の修行をしていた時に相手をした三人の内の一人である。

 

妲己は心底から二郎に惚れていた為、紂王を幻術などで誘惑したりしても身体を許した事は一度もない。

 

聞仲や太公望達を相手にして、最後まで思惑通りに中華を動かした稀代の策士である。

 

 

○竜吉公主(りゅうきつこうしゅ)

 

仙人達によって天帝と三聖母の一部から造られた生まれながらの仙女。

 

三聖母と天帝を親として慕っている。

 

三聖母の自慢話で二郎の事を聞いた当初は二郎に憧れていただけだが、その思いはやがて恋心となる。

 

二郎と男女の仲となってからは、妲己と二郎を巡ってじゃれあうのが楽しみとなった。

 

封神計画には参加したがあまり表立った活躍がなかったので、英雄としての知名度は低い。

 

だが二郎と深い関係を持った事でその美貌は傾国の美女である妲己と並ぶと称され、中華の歴史上でも一、二を争う美女として名を残した。

 

 

○哪吒(なたく)

 

蓮の精の力を宿して産まれた生まれながらの道士。

 

太乙真人の弟子なのだが師以上に二郎に師事を受けているので、太乙真人の弟子であるという自覚は稀薄になっている。

 

封神計画の後は胡喜媚と共に崑崙山に行き、仙人になる為の修行を始めた。

 

 

○申公豹(しんこうひょう)

 

奇抜な格好を好む崑崙山に所属する道士で、元始天尊の弟子。

 

仙人を名乗れる技術と力を有しているが、弟子をとるのが嫌で道士を名乗っている自由人。

 

中華において最高峰の宝貝である『雷公鞭』を所持しており、その戦闘力は生前のアルケイデスを3回以上殺せる程である。

 

だが申公豹はどちらかというと武人ではなく研究者であり、戦闘そのものはあまり得意としていない。

 

封神計画の後は『世界』の外に移行した崑崙山にて『世界』や『太極』の事を調べる日々を送っている。

 

 

○王貴人(おうきじん)

 

妲己三姉妹の末妹。

 

幻術の達人であり、その腕前は道士でありながら仙女の妲己に次ぐ程である。

 

二郎と妲己の思惑により士郎と房中術をする事になってしまったが、その結果として両者はお互いを意識しあう関係となり、後に結婚をする。

 

王貴人と士郎の一騎打ちは歴史にも残り、後年の劇や創作物の題材にされる事もしばしば。

 

姫昌の死後は黒麒麟に主と認めさせる為に、士郎と共に中華を旅しながら修行を続けている。

 

 

○胡喜媚(こきび)

 

妲己三姉妹の二女。

 

変化の術を得意としており、宝貝を使った際の変化の術は二郎に次ぐ程である。

 

幼い容姿と言動から良く子供扱いされるが、王貴人よりも年上である。

 

封神計画の後は哪吒と共に崑崙山に行った。

 

哪吒と行動を共にするぐらいに彼を好いているがお互いに中々素直になれず、哪吒と恋人になるには百年の時を必要としたのだった。

 

 

○姫昌(きしょう)

 

元は西岐の領主で、周の初代王となった男。

 

二十七人の妻と百人の子供(内養子一人)を持つリアルハーレムを成した漢の中の漢。

 

周の建国後は文王を名乗り、民を大事にしたその政治的手腕は後の時代で名君と評された。

 

 

○伯邑考(はくゆうこう)

 

姫昌の長子で原作と違ってハンバーグにならなかった人。

 

姫昌の王位を次いで武王を名乗り、英雄として歴史に名を残した。

 

 

○雷震子(らいしんし)

 

姫昌の末子で養子。

 

姫昌の頼みで二郎に鍛えられた結果、武王の片腕として中華の歴史に名を残す。

 

周に三代に渡って仕えた後は崑崙山に行って、仙人になる為の修行を始めた。

 

 

○黄飛虎(こうひこ)

 

武成王と呼ばれる武人で元は殷の将軍。

 

妲己の幻術に惑わされた紂王が黄飛虎の奥さんである楊氏に懸想をした結果、殷に幽閉されていた姫親子を助けだし、黄一族と共に西岐へと移住した。

 

後の時代では代々仕えた国を捨てた行動には賛否両論あるが、英雄としては総じて評価が高く、殷周時代を代表する英雄の一人として名を残した。

 

 

○黄天化(こうてんか)

 

黄飛虎の息子で黄一族の長子。

 

雷震子と同じく二郎に鍛えられた結果、原作と違って最後まで生き延びた。

 

不老となっていた黄天化だが、封神計画の後は二郎に頼んで不老を捨てて黄一族の家督を継いでいる。

 

不老を捨てて姫一族から嫁を迎えて黄一族を継いだ彼の行動は、後の時代に孝行息子の故事として語られる事になったのだった。

 

 

○李靖(りせい)

 

哪吒の父親。

 

元々は元始天尊の弟子で崑崙山で修行をしていたのだが、修行がつらくて逃げ出した男。

 

逃げ出した先で李氏と出会って彼女に惚れると、彼女を振り向かせる為に一念発起して領主となる。

 

哪吒が生まれながらに道士であると知るとその力を恐れて捨てたり、哪吒が龍神の子を殺した際に見捨てたりした。

 

しかし紆余曲折あって再び道士としての修行を再開すると、二郎の戦いを止めて後の時代に故事として残るなど意外と活躍をする。

 

二郎の戦いを止めた功績で元始天尊から不老の霊薬を貰った李靖は夫婦で不老となり、封神計画の後は領主の座を他者に譲り、息子である哪吒の行く末を夫婦で末長く見守った。

 

 

○李氏(りし)

 

哪吒の母であり李靖の奥さん。

 

力を持たぬただの人であるが、肝が太く、息子の命を守る為ならば怒れる龍神の前にさえも立った女傑。

 

封神計画の後は哪吒と胡喜媚の恋の行方を夫と共に楽しみながら見守った。

 

 

○紂王(ちゅうおう)

 

酒と女にだらしないダメ人間で、女媧をぶちギレさせて封神計画を行う原因を作った張本人。

 

しかし滅びの運命を知ってからは賢君として覚醒。

 

周との決戦で堂々と戦い華麗に滅びた結果、国を滅ぼした原因を作ったとして愚王の謗りは免れなかったが、武人としては英雄に値するとして後世に名を残した。

 

 

○聞仲(ぶんちゅう)

 

武人としての力のみで仙人に匹敵すると評された道士。

 

三百年以上も殷に仕えた大師(軍師)で、紂王が頭の上がらない男。

 

千年以上も使い手が見つからなかった宝貝の『禁鞭』の使い手で、その武は殷と周の決戦において哪吒を始めとした道士四人を正面から圧倒した程である。

 

しかしそんな聞仲も紂王が封神された時に生じた油断から致命傷を負ってしまう。

 

致命傷を負った後に士郎も合流した道士五人を相手にしたが、事切れるその瞬間まで五人を圧倒し続けて武人としての満足感に包まれながら封神された。

 

 

【その他の登場人物】

 

 

○ケイローン

 

ギリシャ神話に登場するケンタウロス族の賢者。

 

放浪の神ゼン(二郎)がふらっとギリシャに立ち寄った際に知己を得る。

 

本来ならばゼウスの謀略で亡くなる筈だったが、放浪の神ゼンによって救われた。

 

また救われた際に放浪の神ゼンに貰った霊薬で弟子のアルケイデスを死の運命から救っている。

 

アルケイデスが大神ゼウスと女神ヘラを討伐した後に不死を女神アテナに返上すると、寿命を全うした後に天へと召された。

 

天に召された後はアルケイデスを助け、大神ゼウスと女神ヘラ亡き後のゴタゴタの解決に尽力する。

 

ゴタゴタが解決した後はギリシャの『座』へと移り、時代の移り変わりを楽しんでいった。

 

 

○アルケイデス

 

ギリシャ神話の大英雄であるヘラクレスその人。

 

本作では生前も死後もヘラクレスを名乗っていない。

 

本来の運命ではヒュドラの毒で男の尊厳が爛れる苦しみに耐えられずに不死を返上して死を選ぶのだが、そこにケイローンが現れて救われる。

 

この時に使われた霊薬が放浪の神ゼン(二郎)が造った物だと師より聞いたアルケイデスは、放浪の神ゼンに礼を言うために遥々中華まで旅をする。

 

その旅の途中で申公豹に不意討ちを受けたアルケイデスは、そこで申公豹と激闘を繰り広げる。

 

申公豹との激闘はアルケイデスの栄光の一つとして残り、後世においてアルケイデスの名声をさらに高める一助となった。

 

放浪の神ゼンと会い礼を言った後にギリシャへ帰還したアルケイデスは、大神ゼウスと女神ヘラの謀略で愛する家族の身に危険が迫ると知ると、不死を女神アテナに返上し自ら命を断って天界に赴く。

 

そして天界での戦争で生き残ったアルケイデスは大神ゼウスと女神ヘラを暗殺した。

 

その後のアルケイデスは地上に残した家族の行く末を見守った後に、神の座を辞してギリシャの『座』へと身を移したのだった。

 

 

○大神ゼウス

 

性欲に溺れ、老若男女どころか種族すら問わずに手を出す下半神。

 

色々と好き勝手にやった結果、最後は女神ヘラと共にアルケイデスに討伐された。

 

 

○女神ヘラ

 

大神ゼウスが大好きで嫉妬深い女神様。

 

困った事に夫に対する嫉妬を、夫が手を出した相手やその関係者に向けて迷惑を振り撒く。

 

そういった夫への愛が行き過ぎた結果、最後は夫と共にアルケイデスに討伐された。




黄飛虎の奥さんとか抜けている人物はいますが、だいたいこんなところかと…。

9:00に宝貝や技術の紹介も投稿する予定です。


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封神演義編までの主な宝貝と技術の紹介

作者の独断と偏見で噛み砕いて紹介しております。

原作設定や本作を読んだ時の印象と違うところもあるところを御了承ください。


【主な登場宝貝紹介】

 

 

○三尖刀(さんせんとう)

 

・所持者:二郎真君

 

初めての蛟退治に赴く道中で拾った二郎愛用の宝貝。

 

剣先が三つに分かれているのが特徴の剣だが、柄が伸縮自在で槍にもなる。

 

柄が伸縮自在の能力の他に不壊の概念や所持者の召喚に応じる等の能力も持つ。

 

人類最古の時代から存在し、多くの神秘を宿している事から宝貝ランクはA。

 

だが、真名解放が無いため聖剣や魔槍などに比べて瞬間火力は劣る。

 

しかし二郎が技術のみの一突きで山を穿ったり剣圧で衝撃波を放ったりするので、その逸話が後に宝貝に宿る可能性が…?

 

 

○干将・莫耶(かんしょう・ばくや)

 

・所持者:王士郎

 

本来ならばとある鍛冶職人夫婦によって造られる夫婦剣なのだが、原典となった本作世界では士郎の投影した物がオリジナルとなってしまった宝貝。

 

神秘がまだ色濃い封神演義の時代に使われた事もあり、宝貝ランクはB+に変化している。

 

また、『世界』や『星』に士郎の物がオリジナルと認識された為、士郎がこの宝貝を投影する時にはほとんど魔力を消費しなくなっている。

 

仙術の触媒としての相性も良く、王貴人も士郎との結婚後にこの宝貝を愛用している。

 

本作世界ではこの宝貝の引き合う能力と共に士郎と王貴人が夫婦揃って同じ宝貝を愛用した事から夫婦剣とされている。

 

 

○乖離剣エア(かいりけんえあ)

 

・所持者:ギルガメッシュ

 

言わずと知れたFate原作最強の宝貝。

 

宝貝ランクは評価規格外のEX。

 

その力は武神である二郎でも圧力を感じる程である。

 

原作の慢心我様と違い、本作のリア充我様は気分次第でぶっ放してくるのでご注意を。

 

 

○打神鞭(だしんべん)

 

・所持者:太公望

 

デザインはフジリュー版封神演義準拠の宝貝。

 

風を自在に操る攻防一体の万能宝貝で、時代の古さもあって宝貝ランクはA+。

 

ちなみに士郎は投影可能。

 

 

○雷公鞭(らいこうべん)

 

・所持者:申公豹

 

雷を自在に操る中華最高峰の宝貝。

 

宝貝ランクはA++。

 

山一つを吹き飛ばすぐらいは朝飯前だがその反面として燃費が非常に悪く、まともに運用出来る者は二郎を除けば申公豹のみとされている。

 

一応、士郎はこの宝貝を投影可能だが、申公豹の様に雷の規模を上手く制御出来ない。

 

 

○傾世元禳(けいせいげんじょう)

 

・所持者:妲己

 

元々は二郎が所持していたが妲己にプレゼントした布の宝貝で、中華最高峰の防御兵装。

 

妲己にプレゼントする際に二郎が造った神水に浸けてあるので、原作と違って火にも耐性があり、宝貝ランクがA++にまで上昇している。

 

不壊の概念と共に布の柔軟性も持つため、武神級の技量と相応の宝貝が無ければ破壊は不可能だが、その防御性能に反して使用時の燃費は非常に良い。

 

もし聖杯戦争時に宝具として使用した場合は、真名解放時に二郎の神水による結界が張られ、同ランク以下の宝貝の攻撃を防ぐ様になる。

 

 

〇霧露乾坤網(むろけんこんもう)

 

・所持者:竜吉公主

 

水を操る宝貝で、竜吉公主が下界に下りる際に三聖母から手渡された。

 

宝貝ランクはA。

 

打神鞭と同じく攻防一体の宝貝だが、周囲の環境次第で使用時の魔力や性能が変わる特殊な宝貝である。

 

竜吉公主は『二郎真君の権能に近いのじゃ。』と言って気に入っていた。

 

人に害をなす水を真水に変える能力も有しているが、二郎の治水の権能と違って霊水や神水に変える事は出来ない。

 

 

○玉石琵琶(ぎょくせきびわ)

 

・所持者:王貴人

 

音に乗せて広範囲に幻術を振り撒く事が出来る対軍宝貝。

 

宝貝ランクはB。

 

使用者次第では個人で一軍を無力化出来てしまう程の性能で、王貴人が使用した時は相手の弱体化と共に味方の強化までしていた。

 

 

○青雲剣(せいうんけん)

 

・所持者:魔礼青

 

一振りで複数の斬撃を放てる剣の宝貝。

 

宝貝ランクはC+。

 

魔礼青が士郎との一騎討ちで使用したが、双剣使いとの相性は悪くあっけなく敗れてしまった。

 

 

○乾坤圏(けんこんけん)

 

・所持者:哪吒

 

普段は腕輪になっている輪っかの形をした打撃武器の宝貝。

 

宝貝ランクはB。

 

不壊の概念と所持者の元に戻る能力を持っているが、本作ではあまり活躍していない。

 

 

○火尖槍(かせんそう)

 

・所持者:哪吒

 

二郎が哪吒にあげた槍の宝貝。

 

宝貝ランクはA。

 

穂先に火を纏うことでリーチを変える事が出来る。

 

纏う火の火力は注ぐ魔力によって変じる。

 

 

○禁鞭(きんべん)

 

・所持者:聞仲

 

使用者次第で先端が幾つにも分かれる鞭の宝貝。

 

単純な打撃系宝貝だが燃費が非常に悪く、聞仲が使い手になるまでは千年近く使い手がいなかった。

 

宝貝ランクは上記の様な使い勝手の悪さもあるのでB。

 

ちなみに聞仲亡き後は回収されて天帝の蔵に納められている。

 

 

〇太極図(たいきょくず)

 

・所持者:太上老君

 

対宝貝用宝貝。

 

宝貝ランクは評価規格外のEX。

 

あらゆる宝貝の能力を封じる事が出来る宝貝であるが、既に放たれた現象にまでは干渉出来ない。

 

非常に強力で切り札になりえるが、使用者には相手の動きを先読み出来る直感や戦術眼が必要になる。

 

ちなみに本作では二郎の修行で太公望が成長したせいで出番が無くなった。

 

 

【主な技術の紹介】

 

 

○調息(ちょうそく)

 

主な使用者:道士や仙人全般

 

気を整える呼吸法。

 

道士の基本である。

 

極稀に生まれながらにこの呼吸法が出来ている者がいるが、そういった者は気が整っているため優れた身体能力を発揮する。

 

 

○練丹術(れんたんじゅつ)

 

主な使用者:仙人

 

不老や不死の霊薬等を造る技術で、死者蘇生の霊薬は存在しない。

 

 

○反魂の術(はんごんのじゅつ)

 

主な使用者:仙人

 

死者を自在に転生させる事が出来る術。

 

士郎はこの術で転生した。

 

極めれば死後に自らを転生させる事も出来るので、実質的に仙人は不死である。

 

 

○房中術(ぼうちゅうじゅつ)

 

主な使用者:道士や仙人全般

 

他者と気を巡らせる術。

 

主に他者とのニャンニャンの際に用いられるが、極めれば相手に触れただけでも気を巡らせる事が可能。

 

この術を極めれば君も夜の帝王だ!

 

 

○瞬動(しゅんどう)

 

主な使用者:道士や仙人

 

出典元:魔法先生ネギま!

 

気を放出して瞬間的に移動する技術。

 

習得難度はかなり高い。

 

 

〇虚空瞬動(こくうしゅんどう)

 

主な使用者:道士や仙人

 

出典元:魔法先生ネギま!

 

空中で瞬動をして自在に空中を駆ける技術。

 

瞬動よりも難易度が高い。

 

 

○虚空立歩(こくうりっぽ)

 

主な使用者:二郎真君

 

出典元:作者の妄想

 

虚空瞬動と某忍者漫画の水上歩行を元に作者が妄想して生まれた技術。

 

本作内では二郎が空中でもしっかりと踏み込んで崩拳をしたいと思って造り出している。

 

実戦レベルで活用しようとすると難易度がとてつもない事になってしまい、技術が確立されて千年以上が経った今でも使い手は二郎ただ一人である。

 

具体的な習得難易度は、某農民が燕を斬る為に身に付けた剣技と同等以上。

 

後述する咸卦法を身に付ける方がまだ建設的と言えるだろう。

 

 

○咸卦法(かんかほう)

 

主な使用者:二郎真君、王士郎

 

出典元:魔法先生ネギま!

 

本作内では士郎の修行過程において、偶然魔力と『気』が反発する際に大きな力を産み出す事が発見された結果、二郎が技術として確立した。

 

非常に高難易度の技術なのだが、二郎はお手本が無いにもかかわらず三十分程で新技術として確立している。

 

こんな理不尽を目の前で見せられた士郎は泣いてもいい。

 

 

○水鏡の守護結界(みかがみのしゅごけっかい)

 

主な使用者:二郎真君

 

二郎が権能である治水を昇華して産み出した最高峰の結界術。

 

『あらゆる水は害を与えない』という概念を『あらゆる害から守護する』と昇華した結果、防御という概念においては最強に位置している。

 

この水鏡の守護結界を突破するには、天地開闢の力に匹敵する力が必要となるだろう。

 

 

○天の鎖(てんのくさり)

 

主な使用者:エルキドゥ

 

『繋ぎ止める者』としての権能を具現化した鎖。

 

神造兵器だった頃は『星』とリンクして使用していたが、半神半人になった後は権能を込めた魔力で鎖を編んで使用していた。

 

この鎖の特徴は使用相手に応じて性能が変化する事にある。

 

神の血を色濃く引く者相手程この鎖は頑丈になり、相手が使用する宝貝が強力である程それに応じて力が強くなる。

 

しかしそうでない時は魔力が込められた頑丈な鎖でしかなく、相手次第ではあっさりと千切られてしまう。

 

もっとも、エルキドゥは二郎製作の半神半人の肉体を持っているので、そういった相手でもエルキドゥから勝ちを得るのは困難である。




11:00にオマケを投稿します。


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幕間:英雄王夫妻の死後の冒険

登場人物紹介を考えている時にティンと思い付いたので書いてみました。


時は封神計画が始まる千年以上前にまで遡る。

 

『星』に英雄と認められたギルガメッシュとエルキドゥは、メソポタミアの冥界を離れて『星の守護者』として『座』へと招かれていた。

 

「ここが『座』か。」

「綺麗な場所だね、ギル。」

「常春の楽園か…『世界』の外だからこそ存在出来ている場所よな。」

「自然の摂理に反しているからね。『星』に英雄と認められた者へのご褒美ってところかな?」

 

ギルガメッシュとエルキドゥは『座』の中をしばし散歩をすると、久し振りに夫婦で二郎が造った神酒を口にした。

 

「やっぱり、二郎が造った神酒が一番美味しいね。」

「当然の事よ。我等の友が我等の為に献じた酒が、我等の口に合わぬ筈がない。」

 

ギルガメッシュは『蔵』から二郎が作って献じた料理を取り出して肴にする。

 

二人は楽園での日々を楽しんだ。

 

しかしある日に、ギルガメッシュは不意に不機嫌になったのだった。

 

 

 

 

「ギル、どうしたの?」

 

花を愛でていたエルキドゥは、不意に不機嫌な雰囲気を纏ったギルガメッシュに声を掛ける。

 

「…これを見よ。」

 

そう言ってギルガメッシュは『蔵』から水晶の宝貝を取り出し、とある光景を映し出す。

 

「ギル、これは?」

「並行世界のウルクよ。」

 

水晶の宝貝には、かつて住んでいたウルクに近いがどこか違うウルクが映し出されている。

 

その映し出されているウルクの様子にエルキドゥは首を傾げた。

 

「民の顔が暗いね。並行世界のウルクでは何があったの?」

 

エルキドゥの問いにギルガメッシュは顔を逸らす。

 

そんなギルガメッシュの様子を不思議に思いながらも、エルキドゥは水晶の宝貝を操作して並行世界のウルクの民の顔が暗い原因を探していく。

 

すると、そこにはエルキドゥが目を見開く光景があった。

 

「これ…並行世界のギルだよね?」

 

荒れている並行世界のギルガメッシュを見たエルキドゥの言葉に、ギルガメッシュは不満そうに鼻を鳴らす。

 

「暴君となった我だ。」

「暴君?ねぇ、ギル。本当に並行世界のウルクでは何があったの?」

 

ギルガメッシュは水晶の宝貝に触れると、エルキドゥが求める答えがある場面を映し出した。

 

「僕がエンリルに命を奪われたところだね。あれ、二郎がいない?」

 

エルキドゥは水晶の宝貝を操作して色々な場面を映し出す。

 

しかし、並行世界のウルクにはどこにも二郎の姿が無かった。

 

「戯れに『世界』には我等がどのように『記録』されているのか『観た』。だが、そこには正視に耐えぬ『記録』しか残されていなかったのだ。」

 

そう言うとギルガメッシュは平時の服から黄金の鎧姿へと変わった。

 

「当てはあるの、ギル?」

「『原典』を含む全ての並行世界の我を消滅させればいい。」

 

人類最古の王であるギルガメッシュの存在が消滅すれば後の歴史に矛盾が生じて『人理』が崩壊する。

 

本来なら『世界』が修正を図るのだが、『世界』の外にある『星の守護者』の『座』であるが故に手を出せないのだ。

 

そしてそれを繰り返し『原典』を含む全ての並行世界が崩壊すれば、必然的に残ったこの『世界』が『原典』となるのだ。

 

乖離剣エアを抜き放ったギルガメッシュに、エルキドゥがクスクスと笑う。

 

「久し振りの冒険だね。」

「楽しそうだな、エルキドゥ。」

「並行世界とはいえ、愛する夫の違う一面が見れたからね。もっとも、あのギルだったら僕は惚れなかっただろうけど。」

 

ギルガメッシュが天地開闢の力を解き放って『世界』に穴を開ける。

 

エルキドゥは阿吽の呼吸で天の鎖を用いて、その穴が塞がらぬ様に縛った。

 

「行くぞ、エルキドゥ!」

「うん。僕達と二郎が友宜を結んだこの『世界』を『原典』にする為にね。」

 

ギルガメッシュとエルキドゥは並んで『世界』の穴に入り、並行世界の『座』へと乗り込んだ。

 

 

 

 

「ほう?我が友を連れてくるとは殊勝な心掛けよ。我の『座』に土足で入り込んだ不敬は許すゆえ、エルキドゥを置いて疾くと去るがよい。」

 

エルキドゥを見た並行世界のギルガメッシュは上機嫌に笑う。

 

そんな並行世界の己を、ギルガメッシュは鼻で笑った。

 

「貴様ぁ!」

 

並行世界のギルガメッシュは『蔵』を開いて数多の宝貝をギルガメッシュに飛ばす。

 

「戯けが。」

 

ギルガメッシュは飛来する数多の宝貝を、手にしている乖離剣エアで弾きながら魔力を込めていく。

 

そして数多の宝貝を放ち続ける並行世界の己を、天地開闢の力で数多の宝貝ごと消滅させた。

 

「二郎と出会わなかった我があれほど愚かだとはな…。」

 

そう言って頭を抱えるギルガメッシュにエルキドゥが寄り添う。

 

大きなため息を吐いたギルガメッシュは顔を上げると、並行世界の己を消滅させた余波で空いた『世界』の穴に向かって歩き出す。

 

「ギル、次は僕がやるね。」

「ほう?並行世界の存在とはいえ、我に勝てるか?」

「並行世界のギルは戦士の基礎も出来てないみたいだからね。負けるわけがないよ。」

「フハハハハ!」

 

その後、ギルガメッシュとエルキドゥは数多存在する全ての並行世界のギルガメッシュを消滅させていく。

 

そして数百年掛けて『原典』を含む全ての並行世界のギルガメッシュを消滅させて自分達の『世界』を『原典』とすると、ギルガメッシュとエルキドゥは意気揚々と『座』へと凱旋し、二人で祝杯をあげたのだった。




これで今回の投稿は終わりです。

10月にまたお会いしましょう。


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紀元前600年代 ~苦行者との出会い編~
第146話


本日投稿1話目です。


姫昌が亡くなってから三百年程が経つと、平和だった中華の地に変化が訪れた。

 

それは周の支配に揺らぎが生じたのだ。

 

後に春秋時代と呼ばれる時代の始まりがこの時である。

 

姫一族の王位に変わりはないが、中華の各地で有力者が立ち上がった事で新たな時代への変動の臭いを醸し始める。

 

この臭いに敏感に反応した王夫妻だが、天帝自ら関わることを禁じた。

 

士郎も王貴人も姫昌が亡くなってからの数百年の修行で、黒麒麟に主と認められる程の力を身に付けている。

 

そんな二人が介入すれば揺らぎ始めた周の世は再び安定するだろうが、そうすれば中華の人々の歩みや変革まで止まってしまう。

 

それらが止まり続ければ中華の人々は他の地に比べ文明の進みが遅れてしまい、神秘の薄まりと共に生じる変化に着いていけず、いずれは滅びへと向かうだろう。

 

その事を天帝に告げられた王夫妻は悔しそうに歯噛みをした。

 

それが人の世の理。

 

それが英雄の王たるギルガメッシュが切り開いた人の世なのだ。

 

だが、ここで二郎が二人にある言葉を発した。

 

それは…。

 

「国が滅びれば時代は変わるけど、国と一緒に人まで滅ぶ必要はないかな。もっとも、妲己の様に上手く立ち回る必要があるけどね。」

 

この二郎の言葉を聞いた王夫妻は精力的に動き始める。

 

蛟や邪仙退治等を続けて中華の神々の心証を良くする傍らで、姫一族や姜一族に黄一族といった者達の血が、後の時代でも残る様に根回しをしていったのだ。

 

二人のこの動きを知った太公望もそれとなく助言をしている。

 

太公望曰く『嫁達の涙には逆らえんからのう。』との事だ。

 

また二郎も自身が請け負う筈だった天帝からの任を王夫妻に回して二人を後押しする。

 

だが、そうした事で二郎は暇になってしまった。

 

王夫妻が動き始めてから百年程が経ったある時、暇を持て余していた二郎は哮天犬に乗って中華の外にぶらりと足を運んだのだった。

 

 

 

 

「おや?哮天犬、彼等は何をしているんだろうね?」

「ク~ン?」

 

ぶらりと世界を回っていた二郎はとある地で奇怪な事をしている一団に目を止めた。

 

「茨に身を投げて身体を痛め付けたり、虫を身体に這わせて噛ませたりと、随分変わった事をしているんだね。」

 

二郎がそう評した彼等の行動は苦行と呼ばれる修行の一種である。

 

世界を巡って様々な光景を目にしてきた二郎だが、自ら進んで身体を傷付けている彼等の姿は非常に奇妙に見えた。

 

二郎はしばらく彼等を観察していると、彼等の中で周囲の者と違う様子の人物を見つけた。

 

「彼だけが周囲の者とは違う『モノ』を見ようとしている気がするね。何を求めているのかな?」

 

苦行とは肉体を激しく苦しめる行いによって精神を浄化する修行である。

 

だが二郎が興味を抱いた人物は、苦行による精神の浄化とは別の『モノ』を求めている様に見えた。

 

二郎が観察を続ける中で件の人物は苦行を続けていく。

 

身体の痛みにのたうち回りながらも苦行を続ける彼は何を欲しているのか?

 

数百年振りに訪れた新たな出会いの予感に、二郎は笑みを浮かべながら彼に近付いていくのだった。

 

 

 

 

「ギャァアアアア!」

 

茨に身を投げた一人の男が痛みに悲鳴を上げる。

 

そして全身に傷を負うと、這うようにして茨から抜け出した。

 

(人は何故に死ぬのだろうか?)

 

彼の名はガウタマ・シッダールタ。

 

かつてはとある国の王族だった者だ。

 

戦争や略奪、さらに病や飢餓など理由は様々だが人は必ず死を迎える。

 

そういった人々の姿を多く目にしてきた彼は死に恐怖した。

 

何故に人は死ぬのか。

 

わからない故に彼は生きる事に苦しんでいた。

 

(わからない…何故?…何故?)

 

答えを求める彼は、今度は虫を身に這わせる。

 

(痛い!痛い!痛い痛い痛い!)

 

痛みに苦しむ彼は本能的にそれから逃れようとのたうち回る。

 

(これほど苦しいのに、何故私は生きようとする?わからない…。)

 

のたうち回り続けて虫を払った彼は体力が尽き、地に身を投げ出して天を見詰めた。

 

「誰か…教えてくれ…。」

 

そんなシッダールタの声に応える様に、一人の見目麗しい男が大きな犬の神獣と共に姿を現したのだった。




本日は5話投稿します。

次の投稿は9:00の予定です。


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第147話

本日投稿2話目です。


ガウタマ・シッダールタは何者かが突如現れた事に驚いて身体を起こす。

 

「初めましてだね。俺はゼン。君の求めているものに興味を持ったから声を掛けさせてもらったよ。」

 

二郎が字を名乗るとシッダールタが目を見開いた。

 

「失礼ですが…貴方様は放浪の神ゼンでしょうか?」

「うん、そういう風に呼ばれる事もあるね。」

 

王族だった頃のシッダールタは、人々の間で語り継がれている放浪の神ゼンの事を耳にしていた。

 

曰く、ぶらりと現れた放浪の神ゼンは、人々が流行り病を患っているとそれを癒す薬を授けた。

 

曰く、ぶらりと放浪の神ゼンが現れると、荒れていた川が鎮まった。

 

曰く、獣が荒ぶって人々に対して悪さを続けていると、放浪の神ゼンがぶらりと現れて荒ぶる獣を退治し、その獣の肉を人々に与えた。

 

これらの話と二郎の容姿の特徴を知っていたシッダールタは、自然な動作で地に額をつける。

 

「私はガウタマ・シッダールタという者です。ゼン様、どうかお教えいただきたい事がございます。」

「なんだい?」

「私は生に苦しみを感じています…どうすればよいのでしょうか?」

 

シッダールタの問い掛けに二郎は首を傾げた。

 

「生に苦しみ?」

「はい。死への恐怖を感じて以来、私は生に苦しみを感じ続けています。とある予言者に、私は生の苦しみから抜け出す事が出来ると言われましたが、どれだけ苦行を重ねようとも抜け出す事が出来ません。どうすれば私は生の苦しみから抜け出せるのでしょうか?」

 

シッダールタの言葉に二郎は困った様に苦笑いをしながら頬を掻いた。

 

「シッダールタ、悪いけどその問いに答える事は出来ない。」

「…何故でしょうか?私が未熟者だからですか?」

「いや、君が考える死は俺にとって死ではないからだよ。」

 

仙人である二郎は不老の存在であり、反魂の術を用いれば自在に転生が出来る。

 

また、二千年以上の時を半神半人として生きてきた二郎は、前世の人だった頃の思考や価値観も完全に変わってしまっているのだ。

 

「そう…ですか…。」

 

五体を地に預けていたシッダールタは、得られぬ答えに天を仰いで心を悩ませる。

 

「代わりに、俺が生きてきた二千年の間に出会った人達の事を語ろうか?彼等の、彼女等の生き様を聞けば、君の求める『モノ』に至るきっかけとなるかもしれないよ?」

「おぉ!是非ともお願いします。」

 

再び地に額を付けたシッダールタに、二郎は酒を用意しながらかつて出会った者達の事を語り始めたのだった。

 

 

 

 

『覚者』ガウタマ・シッダールタ。

 

仏教の開祖である彼だが、彼の逸話にも放浪の神ゼンが登場している。

 

その逸話の一つは次の様に綴られている。

 

『解脱の境地に至る為に苦行を続けるガウタマ・シッダールタの元に、ぶらりと放浪の神ゼンが降臨した。』

 

『解脱の境地に至れずに悩むガウタマ・シッダールタは放浪の神ゼンに生の苦しみを問い掛けるが、放浪の神ゼンはガウタマ・シッダールタに答えを教えなかった。』

 

『答えの代わりに放浪の神ゼンは世界を放浪して出会った英雄達の事を語り、神酒をガウタマ・シッダールタに飲ませて彼の苦行で傷付いた身体を癒した。』

 

『放浪の神ゼンからかつての英雄達の生き様を聞いたガウタマ・シッダールタは、額を地に付けて放浪の神ゼンに全霊の感謝を示した。』

 

ギルガメッシュ叙事詩に始まり、ギリシャ神話など多くの神話に登場する放浪の神ゼンが『覚者』ガウタマ・シッダールタと出会ったのは偶然ではなく必然だったのかもしれない。

 

何故なら苦行を続けても『解脱』の境地に至れずに思い悩んでいたガウタマ・シッタールダが、放浪の神ゼンとの出会いの後には死の恐怖に怯えずに穏やかな表情で眠りにつくことが出来たのだから…。




次の投稿は11:00の予定です。


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第148話

本日投稿3話目です。


ガウタマ・シッダールタへかつての英雄達の事を語った二郎は、哮天犬に乗って中華に帰った。

 

シッダールタの事を天帝に話すと共に、彼と話して疑問に思った事を伯父上に聞いてみるためだ。

 

「今回の旅は早かったな二郎。また数年は戻らぬと思っていたのだがな。」

「ただいま戻りました伯父上。面白い苦行者と出会いましたものでその報告をと。」

「ほう?」

 

これまで二郎が興味を持った相手は、いずれも英雄と成りうる資質を持った者達だった。

 

そんな二郎が封神計画以来の興味を持った相手とあって、天帝は強く興味を惹かれた。

 

「彼の者の名はガウタマ・シッダールタ。詳しくはわかりませんが、予言者に生の苦しみから抜け出すと言われたそうです。」

「生の苦しみから抜け出す…か。」

 

天帝が神妙な雰囲気を醸し出すと、二郎は首を傾げる。

 

「伯父上、どうしたのですか?」

「いや、中華の長い歴史の中でも『解脱』出来た者は三清だけなのでな。人の一生でその境地に至る事が出来る資質を持つとは余程の傑物だと思ったのだ。」

「『解脱』ですか?」

「うむ、元始天尊と太上老君はその様に話しておった。」

 

『解脱』

 

一言で言えば人の持つ数多の欲から抜け出す事だ。

 

だが不老不死を始めとした人の願いがおおよそ叶ってしまう神秘の時代において、人が欲から抜け出す事は果てしなく難しい。

 

数千年以上前に『解脱』に興味を持った天帝も修行に励んだのだが、数百年の修行の後にその境地に至る事を諦めた経験があるので、人の一生でその境地に至ろうとするシッダールタに興味を持ったのだ。

 

「もし『解脱』の事を聞きたければ太上老君の所に行くとよかろう。」

「わかりました。士郎と王貴人に会ったら、老師の所に行ってみます。」

「ふむ…二郎よ、お前も『解脱』するつもりか?」

 

天帝の問い掛けに二郎は即座に首を横に振った。

 

「俺は俺の思うがままに生きますよ。その方が楽しそうですからね。」

「ハッハッハッ!それでよい!それでこそ我が外甥よ!」

 

二郎の返事に天帝が上機嫌に笑うと、また何かあるのかと部下達が身構えたのだった。

 

 

 

 

天帝に士郎達が蛟退治に向かった場所を聞いた二郎は、哮天犬に乗ってそこに向かった。

 

そしてその場所にたどり着くと、そこには完全に龍へと変じた三匹の蛟を相手に苦戦をしている王夫妻の姿があった。

 

「おや?士郎と王貴人は随分と苦戦しているみたいだね。」

「クゥ~ン。」

 

士郎と王貴人は見事な連携で三匹の龍と戦っていたが、龍達は不死性を前面に押し出して二人に息を付く暇も与えない猛攻を続けていた。

 

「う~ん、二人の成長の為には見守るのが一番なんだけど…士郎には聞きたい事があるからなぁ。」

 

頬を掻きながらそう言うと、二郎は少しだけ考えた後に笑みを浮かべた。

 

「うん、一匹ぐらいなら間引いても問題ないか。それに、久しぶりに龍の肉を使って料理を作りたいからね。」

「ワンッ!」

 

龍の肉を使った料理と聞いて、哮天犬は千切れんばかりに尻尾を振る。

 

「それじゃ、一匹だけ間引こうか。」

「ワンッ!」

 

何気無い日常の雰囲気を纏ったまま、二郎は殺伐とした戦場に向かうのだった。

 

 

 

 

「士郎!大丈夫か!?」

「あぁ!問題ない!」

 

黒麒麟に認められる程の力を身に付けた士郎と王貴人は一対一ならば龍が相手でも引けは取らない。

 

だが、三匹目が要所で戦いに介入してくる事で二人は苦戦を強いられているのだ。

 

「あの後ろに退いている一匹をなんとかしなければじり貧だな。」

「確かにそうだが、今は弓で近くの村に行かない様に牽制するのが精一杯だ。」

 

三匹の龍を相手にするのも大変だが、それ以上に人を喰らおうとする三匹目の龍を村に行かせないために意識を割いている事で、士郎と王貴人は力を存分に振るう事が出来ないのだ。

 

僅かな隙を見付ければ状況を打開する力を持つ二人だが、それを感じ取っている狡猾な龍達は決して無理をしない。

 

現状ではこのまま戦い続けるしかないかと士郎と王貴人が覚悟を決めたその時、三匹の龍達は恐怖の感情が込められた雄叫びを上げた。

 

龍達に警戒をしながらも士郎と王貴人は龍達の恐怖の原因を探る。

 

すると、虚空から一人の男と一匹の神獣が姿を現す。

 

二郎と哮天犬だ。

 

「士郎、王貴人、久しぶりに龍の肉を使った料理を作りたいから一匹貰うよ。」

 

涼やかな雰囲気すら感じさせる声色でそう言うと、二郎は哮天犬の背を下りて空を歩き、三匹目の龍の元へと向かう。

 

三匹目の龍は威嚇する様に雄叫びを上げたが、二郎は欠片も動揺しなかった。

 

そして士郎と王貴人が二郎の登場に驚いて瞬きをした刹那、二郎は一切の予備動作もなく瞬動で龍の懐に踏み込むと、崩拳の一撃で不死の力を持つ龍の命を刈り取ってしまった。

 

「それじゃ、こいつの肉を使った料理を作って待ってるから、終わったら俺の廓に来てね。」

 

討伐した龍を蔵にしまった二郎は哮天犬の背に乗ると、虚空へと姿を消す。

 

あっという間の出来事に、士郎と王貴人は唖然とした。

 

「二郎真君様の武は相も変わらず果てが見えないな…。」

「黒麒麟に認められて少しは近付けたと思ったが、逆にその遠さを明確に思い知っただけか…。」

 

顔を見合わせて苦笑いをした二人は、一つ息を吐いてから恐怖で混乱している龍へと目を向ける。

 

「士郎、急ぐぞ。二郎真君様が御自ら手料理を振る舞ってくださるのだからな。」

「王貴人、やはり君も老師の料理の方がいいのかね?」

「拗ねるな、バカ者。まぁ、そんな士郎も可愛いと思うがな。」

 

可愛いと言われて士郎が微妙な表情をすると、王貴人はクスッと笑いながら龍へと仕掛けるのだった。




次の投稿は13:00の予定です。


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第149話

本日投稿4話目です。


「いらっしゃい、二人とも。いや、お帰りが正しいかな?」

 

士郎と王貴人の実力を正確に読み取り、二人が廓に来る時間に合わせて料理をしていた二郎が歓迎の言葉を掛ける。

 

「ちょうど作り終えた所を見ると、私達が龍を討伐出来た時間は老師の予想通りという事か…。」

 

師の思惑を超える事が出来なかった事に士郎は肩を落とす。

 

そんな士郎の肩を王貴人が軽く叩いて慰めた。

 

「さぁ、早く席について食事を始めようか。哮天犬が待ちくたびれているからね。」

「ワンッ!」

 

行儀よくお座りをして待っていた哮天犬が一哮えすると、全員で食事を始めたのだった。

 

 

 

 

「士郎、一つ聞いてもいいかい?」

 

食事を終えた士郎と王貴人が二郎が造った神水で割った蜂蜜水を飲んで喉を潤していると、不意に二郎が士郎に問い掛けた。

 

「なんだろうか?」

「士郎は俺に反魂される前の事を覚えているかい?」

「あの時の事は数百年経とうとも忘れていないが…それがどうかしたのか?」

 

二郎は神酒を一口飲んでから話だす。

 

「中華の外で出会ったとある苦行者が生の苦しみに悩んでいてね。俺は生の苦しみを知らないからその問いに答えられなかったんだけど、士郎なら答えられるかと思ったんだ。」

「ふむ…生の苦しみか。」

 

二郎の問い掛けに士郎は顎に手を当てて考える。

 

「『世界の守護者』だった頃の私は自身を殺したい程に憎んでいたし、間違いなく生に苦しみを感じていた。だが、自力でその生の苦しみから解き放たれたわけではないからな。申し訳ないが、その苦行者の悩みを晴らす答えを私は持ち得てはいない。」

 

士郎がそう答えると、王貴人は心配そうに士郎を見詰めた。

 

「大丈夫だよ、王貴人。今の私は君と生きる事が何よりも嬉しく、何より楽しい。生の苦しみなど欠片も感じていないさ。」

「…そうか。」

 

微笑みながら答える士郎に、王貴人は安堵の笑みを浮かべる。

 

「ところで老師、その苦行者とはどこで出会ったのだ?」

「土地の名は知らないけど、たしかそこの天界の主神はヴィシュヌとブラフマーとシヴァっていったかな?」

 

封神演義が起こったとされる時代と今生を生きてきた年月、そして二郎が話した主神達の名を聞いた士郎は、前世においてとある宗教を造った偉大な人物の名が思い浮かんで冷や汗を流す。

 

「…老師、その苦行者の名は?」

「ん?ガウタマ・シッダールタだけど、それがどうかしたのかい?」

 

常と変わらず極自然に二郎が苦行者の名を告げると、士郎は乾いた笑いと共に遠くを見詰めたのだった。

 

 

 

 

二郎が中華に戻ってから数年の月日が流れた。

 

あれからも二郎は年に一度はシッダールタの元に足を運んでいる。

 

シッダールタは変わらずに苦行に励み悟りを開こうとしているが、まだ『解脱』へと至っていない。

 

しかし二郎から英雄達の話を聞いて生き様についても考える様になったシッダールタは、もし今この時に死が訪れても、苦行の日々を無駄だったと思うことなく死んでいけるだろうと感じていた。

 

それが死への恐怖から眠れぬ日々を送っていたシッダールタを救っていた。

 

そしていつの日からか、シッダールタは苦行で身体を痛め付ける事を止め、瞑想にて生の苦しみについて考える様になっていった。

 

苦行の日々と二郎から聞いた英雄達の死をも恐れぬ生き様を合わせて、シッダールタは生の苦しみについて考え続ける。

 

何故己は死を恐れ、英雄達は死を恐れなかったのか?

 

己と英雄達の違いは何か?

 

そうか…彼等は死を受け入れたのだ。

 

そう答えを得たシッダールタは、心が晴れていくのを感じた。

 

あぁ…なんと簡単で、なんと難しい事か…。

 

答えを得たシッダールタは菩提樹の下で瞑想に入る。

 

生も死も、己が在る『この世界の全て』をも在るがままに受け入れる。

 

その境地に至る為にシッダールタが瞑想を続けていたある日の事。

 

不意に緑色の御立派な姿をした神が現れ、シッダールタに全力で幻術を掛け始めたのだった。




次の投稿は15:00の予定です。


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第150話

本日投稿5話目です。


菩提樹の下で『解脱』の境地に至る為に瞑想を始めたシッダールタの元に、一柱の御立派な姿をした神が現れていた。

 

「くっ!去れ、マーラよ!」

「グワッハッハッハッ!シッダールタよ、汝が『解脱』を諦めぬ限り我は幻術を掛け続ける。何回戦連続だろうと構わぬわ!さぁ、イクぞ!」

 

シッダールタに淫猥な幻術を掛けているこの御立派な姿をした神の名は『マーラ』という。

 

男性の象徴を象った姿形を持ったこの神は『性欲』を司る神である。

 

そんなマーラが全力で淫猥な幻術を掛けているのに抗う事が出来るシッダールタの精神力たるや、正に彼が二郎から聞いた英雄達に匹敵すると言っても過言ではないだろう。

 

シッダールタとマーラの攻防は一昼夜を超えてもまだ続いていく。

 

「去れ!去るのだ、マーラよ!」

「グワッハッハッハッ!夜通しだろうと我は萎えはせぬわ!」

 

『解脱』の境地へ至ろうとするシッダールタと至らせぬと邪魔をするマーラ。

 

そんな一人と一柱の争いを止める者が虚空より現れる。

 

「シッダールタとマーラ、いったい何をしてるんだい?」

 

二郎にそう声を掛けられたシッダールタとマーラは、同時に二郎の方へと目を向けたのだった。

 

 

 

 

「グワッハッハッハッ!流石はゼンの造った神酒!一口でギンギンにみなぎってきおったわ!」

 

御立派な御体をそそり立たせたマーラが豪快に笑う。

 

「ゼン様、マーラをご存知なのですか?」

「うん、マーラとは二千年以上前からの知己だね。」

 

二郎が妲己を始めとした女性達との修行で房中術を極めた時に、マーラは二郎を祝福する為に雄々しく虚空を突き破って降臨したのだが、使い等を寄越さずにいきなり崑崙山に乱入したので一騒動になった事があるのだ。

 

「『これ』と知己ですか…。」

「シッダールタはマーラが『解脱』の境地へ至るのを邪魔するから毛嫌いしているみたいだけど、これでもマーラは世界中で信仰されている神なんだよ。」

「うむ!我にもゼンと同じく敬称をつけて崇めるがよい!」

 

『性欲』を司る神であるマーラは、子宝を授ける神として世界中の人に信仰されているのだ。

 

「ところで、なんでマーラはシッダールタの邪魔をしていたんだい?」

「ゼンよ、それは人が『解脱』すると我の存在意義に関わるからだ。」

 

『解脱』とは生の苦しみから解き放たれる事であり、人の持つ欲から解き放たれる事でもある。

 

人の欲…つまりそれにはマーラが司る『性欲』も含まれているのだ。

 

「かつて英雄の王が人の世を切り開いた様に、シッダールタが『解脱』をすれば人々がそれに続く可能性がある。我は人々の『性欲』で成り立っている存在であるからして、シッダールタが『解脱』をする事は死活問題になりかねんのだ!」

 

雄々しく反り立ちながら力説するマーラの姿に二郎は苦笑いをする。

 

「大袈裟と言いたいところだけど、ギルガメッシュを前例に出されると否定出来ないね。」

「であろう?かつての時代に、神々の中で人の世が来ると思っていた者などおらんかったからな。」

 

二郎とマーラの話を、シッダールタは神酒を口にしながら聞いていく。

 

マーラは忌むべき存在だが、二郎とする話は『解脱』の境地への助けになるかもしれないからだ。

 

「というわけでだ…ゼンよ、我とシッダールタの戦いの邪魔をしてくれるなよ?」

「邪魔はしないよ、見物はするけどね。」

 

『性欲』を司るマーラの権能による幻術を、シッダールタが抗えている事に二郎は感心していた。

 

それは妲己の幻術に抗う事に近いからだ。

 

「ゼンの邪魔が入らぬとあれば恐れる事はナニもない!シッダールタよ、神酒を味わい一夜が明けたら二回戦目とイこうか!」

「去れ、マーラよ!」

「グワッハッハッハッ!つれない事を言うではないか!」

 

一夜が明けるとマーラは言葉通りにシッダールタに幻術を掛けていく。

 

その幻術にシッダールタが瞑想をしながら耐えていくと、二郎は面白そうに微笑みながらシッダールタとマーラの戦いを見物していくのだった。




これで本日の投稿は終わりです。

また来週お会いしましょう。


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第151話

本日投稿1話目です。


マーラがシッダールタに幻術を掛け続けて三日が経った。

 

しかしシッダールタは瞑想の姿勢を崩さずに、マーラの淫猥な幻術に耐えていく。

 

「ぬぅ…我の幻術にここまで耐えるとは…シッダールタよ、汝は不能か?」

「去れ、マーラよ!」

「ふむ、非生産的ではあるが男好きな可能性も否定出来ぬか。かつて存在したギリシャの大神は老若男女どころか種族すら問わない漢だったゆえな!」

「私には故郷に妻と子がいる!去れ、マーラよ!」

 

数多の美女、美少女の幻想を見せても耐えてみせるシッダールタに業を煮やしたマーラは、趣向を変えて美男、美少年による濃厚な幻想を見せようとした。

 

だがシッダールタが妻と子がいると答えた事で鎌首を曲げた。

 

「うむぅ…性欲が無いわけではないか…。これはいよいよ『解脱』の危機だわい。」

「理解したのならばいい加減に諦めよ、マーラ!」

「グワッハッハッハッ!汝に性欲を含めた欲があるとわかればヤりようはあるわい!さぁ、イクぞ!」

 

その後マーラは淫猥な幻術だけでなく、人の持つあらゆる欲を刺激する幻術を掛けていく。

 

だがシッダールタはその全ての幻術に耐えていく。

 

そしてシッダールタとマーラの攻防は七日も続くと、シッダールタとマーラは一時休戦して、二郎が振る舞う神酒を口にするのだった。

 

 

 

 

シッダールタは神酒を一口飲むと人心地がついたのか、大きく息を吐いた。

 

「む?あと一息で堕ちていたのか、シッダールタよ?」

「たとえ断食でこの命が果てようとも、私は『解脱』の境地を諦めぬ。」

「ほう、流石は我の幻術に耐え抜いているだけはあるわい。」

 

なにやら様子の違うマーラにシッダールタは首を傾げる。

 

そんなシッダールタの疑問に二郎が答えた。

 

「シッダールタ、マーラは既に君の事を認めているよ。」

「ゼン様…ですが、マーラに諦める様子はないようですが?」

「それは神としての面子があるからだよ。」

 

二郎の言葉にシッダールタは二度首を傾げる。

 

「マーラは世界中で信仰されているって話はしただろう?それゆえに神々の中にはマーラを快く思っていない神も多いんだ。人々の信仰を奪われていると考えてね。」

 

二郎の言葉にマーラは雄々しい御神体を何度も縦に振るう。

 

「もしマーラがここで簡単に諦めたら、その神々はどうすると思う?」

 

二郎の問い掛けに、シッダールタは顎に手を当てて考え込む。

 

シッダールタとて元は王族の者である。

 

なので、ある程度の政治的な動きについては理解があった。

 

「マーラを信仰している人々に、マーラの力は信用ならないと吹聴する…でしょうか?」

「うん、その通りだね。」

「まったく…尻の穴の小さい連中よ!」

 

シッダールタの解答に二郎は頷き、マーラは御神体を震わせていきり立つ。

 

「そういうわけでマーラはシッダールタを認めても、自身の信仰を守る為にはそう簡単に諦めるわけにはいかないのさ。」

 

マーラは二郎の言葉に我が意を得たりとばかりに雄々しくそそり立つ。

 

「だからシッダールタはもう少しマーラに付き合ってあげてほしい。そうすれば他の神々もシッダールタの意思の強さを認めて、マーラの失敗を咎めにくいからね。」

「うむ、そういうわけだ!シッダールタよ、我と存分にツキ合ってもらうぞ!」

 

マーラの執拗さの理由を理解したシッダールタだが、それでもため息を吐くのを堪える事は出来なかったのだった。

 

 

 

 

『覚者』ガウタマ・シッダールタの逸話に登場したマーラは魔王と綴られているが、その正体は世界中で信仰されていた男根思想の神なのではと考えられている。

 

では何故にそのマーラがシッダールタの下に現れ、彼の者の『解脱』を邪魔したのかと疑問がわくが、その理由は定かにはなっていない。

 

マーラ。

 

ガウタマ・シッダールタの教えでは魔王と称される存在だが、神代の時代から現代に至るまで人々の間では『子宝を授ける神』として広く信仰されてきた善性の神でもあるのだった。




本日は4話投稿します。

次の投稿は9:00の予定です。


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第152話

本日投稿2話目です。


およそ三十日に渡りシッダールタに幻術を掛け続けたマーラは満足したのか、雄々しく虚空を突き破って高笑いをしながら去っていった。

 

そしてマーラが去ってから更に十日程が過ぎた頃、ついにシッダールタは『解脱』の境地へと至ったのだった。

 

 

 

 

額に毛が生え、さらに頭髪が螺髪へと変化したシッダールタを見た二郎は首を傾げている。

 

「『解脱』の境地に至るとそうなるのかな?」

「さて…私にはわかりかねます。気になるのでしたら、ゼン様も『解脱』なさってはいかがですか?」

「俺は『解脱』するつもりはないよ。生に苦しみを感じていないからね。」

「そうですか。それは残念です。」

 

『解脱』の境地へと至ったシッダールタの物腰は、至極自然に柔らかいものになっていた。

 

その変化にも二郎は興味を抱く。

 

「それで、『解脱』の境地に至ったシッダールタはこの後どうするんだい?」

「以前の私と同じく生の苦しみに悩む者達に教えを施し、救いに導きたいと思います。」

 

そう言って両手を合わせたシッダールタは、柔らかく微笑んだのだった。

 

 

 

 

『解脱』の境地へと至ったシッダールタの元に、先ず教えを乞いに来たのは小動物達だった。

 

菩提樹の下で瞑想をするシッダールタの元に種族を問わずに、小動物達が次々に集まってくる。

 

捕食者たる肉食獣に狙われ続ける日々の苦しみから、シッダールタに教えを乞いに来たのだ。

 

シッダールタは小動物に対して分け隔てなく教えを説いていく。

 

教えを乞う小動物の数は日に日に増えていき、その様子は噂となって近隣の苦行者達の耳に入る様になった。

 

苦行者達はそんなシッダールタを笑った。

 

あいつは苦行に耐えきれずに狂ったと腹を抱えて笑いものにした。

 

ああなりたくなければ己に教えを乞えと、シッダールタを利用していった。

 

そんな苦行者の弟子の中に邪な考えを持つ者がいた。

 

シッダールタが小動物達にしている話を笑いの種にしてやろうと。

 

だがシッダールタの教えを聞いたその弟子は、翌日に苦行者の師に暇乞いをした。

 

驚いた苦行者が理由を問うと、弟子だった者はシッダールタを師として仰ぐと答えた。

 

苦行者は弟子を奪われた事に激怒した。

 

俺が奴の嘘を暴いてやると息巻いた苦行者は、肩を怒らせてシッダールタの元に向かう。

 

しかしその苦行者も次の日にはシッダールタの弟子になっていた。

 

そして一人、また一人とシッダールタの弟子になっていく者が次々に増えていく。

 

中には頑なにシッダールタの教えを否定し命すら狙う者がいたが、その者は後に最も熱心なシッダールタの弟子となった。

 

そうして弟子達が増えていくと、シッダールタは幾人かを選抜して自身に代わって菩提樹の下で教えを説く役割を任せ、自身は幾人かの身の回りの世話をする弟子達と共に旅に出た。

 

シッダールタは旅先でも教えを説いていき、多くの人々の心に救いをもたらしていく。

 

その救われた者の中には王族もおり、シッダールタの教えを国教とする者もいた。

 

旅を終えて菩提樹の元に戻る頃には、シッダールタは人類の歴史が始まってから人として最も信仰を集めた者となっていた。

 

そしてシッダールタが『解脱』の境地へと至ってから数十年程の月日が流れる。

 

『解脱』の境地へと至ったシッダールタも老いと病には勝てず、身体を横たえながら教えを説く日々が増えていったのだった。




次の投稿は11:00の予定です。


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第153話

本日投稿3話目です。


「シッダールタ、霊薬はいらないのかい?」

「ゼン様、御心遣いありがとうございます。ですが私は存るがままを受け入れる姿を、弟子達に見せねばならないのです。」

 

二郎が姿を見せても身体を起こさずに横臥したままのシッダールタは、申し訳なさそうに苦笑いをする。

 

「このままだと、後一年ってところだよ。」

「弟子達に『解脱』の境地に至った者がいないのは未練ですが、私の教えは十分に理解してくれています。『涅槃』で弟子達の行く末を見守るには未練が残るぐらいが丁度良いのでしょう。」

 

病の苦しみに脂汗を流しながらも、シッダールタは柔らかな微笑みを浮かべる。

 

「そこまで覚悟を決めているのなら、これ以上は何も言わずに見守るよ。」

「ゼン様に見守って頂けるのが、何よりも心強いです。」

 

その後、シッダールタは命尽きるその日まで弟子達に教えを説き続けた。

 

そして二郎の見立てた通りの一年後、シッダールタの命が尽きる日がやって来たのだった。

 

 

 

 

「「「ブッダ様!」」」

 

『覚者』の意味合いを持つその呼び名に、横臥した姿勢のシッダールタは弟子達に微笑みを返す。

 

(思えば私が『解脱』の境地に至ってからガウタマ・シッダールタの名を呼んでくれたのはゼン様ぐらいだな…。)

 

『解脱』により生の苦しみから解き放たれたシッダールタだが、己の名を呼んでくれる友がいなくなった事にふと寂しさを感じた。

 

(『解脱』に至り欲に振り回されぬ様になっても、人であるが故に欲を感じぬわけではないか…。最後の最後にまた一つ学び得る事が出来た私は、なんと恵まれているのだろうか。)

 

弟子達に微笑みを向けていたシッダールタは、ゆっくりと目を閉じていく。

 

「皆、私の教えは絶対不変のものではない。何故なら、時代と共に人々は変わっていくからだ。」

 

シッダールタの弟子達は師の言葉を聞き逃さない様に嗚咽を堪える。

 

「人々が変われば、何に対して生の苦しみを感じるのかも変わるだろう…。ならば、人々の心を救う教えもまた、変わっていかねばならない。」

 

今の時代において最も信仰を集めた自らの教えを変えよという師に、弟子達は涙を流しながら驚きの表情を浮かべる。

 

信じ学んできたものを変える。

 

そこには未知への恐怖が生じるだろう。

 

だがシッダールタは自身が教え導いてきた弟子達が、己とは違う『解脱』の境地へと至るのを信じていた。

 

「…どうやらここまでの様だ。私は『涅槃』に入る。」

 

この一言を最後にシッダールタは『世界』の内を去る。

 

師の最後を見届けた弟子達からは、塞き止めていた嗚咽が漏れ始めたのだった。

 

 

 

 

『涅槃』へと入ったシッダールタは、そこで弟子達の行く末を瞑想をしながら見守っていった。

 

己の亡骸を骨の一片まで奪い合ったり、後継者を巡って派閥が分かれたりしたが、それでもシッダールタは弟子達の行く末を暖かく見守っていった。

 

何故なら…。

 

「おや?どうやら他国に行って教えを広める様ですね。」

 

そういった争いとは無縁に、精進を続ける弟子達もいたからだ。

 

「生前の私の命を狙ったりと手を焼いた弟子でしたが、貴方が最も真摯に精進する弟子となりましたね。」

 

古参の弟子を差し置いて、旅に出た際に身の回りの世話を任せた事を思い返し、シッダールタは微笑みを浮かべる。

 

シッダールタが『涅槃』に入ってから幾年月が流れると、シッダールタは『涅槃』に近付く気配を感じた。

 

「私以外の誰かが『解脱』の境地へと至ったのでしょうか?」

 

そう考えたシッダールタは嬉しそうに笑う。

 

しかし…。

 

「グワッハッハッハッ!我、参上!」

 

御立派な神が『涅槃』の虚空を雄々しく突き破って現れると、柔和な笑みを絶やさなかったシッダールタが真顔になった。

 

そして…。

 

「去れ、マーラよ!」

「つれない事を言うでない。我と汝の仲ではないか!」

 

御立派な身体をブルンブルンと振るいながらそう言い切るマーラの姿に、シッダールタは『解脱』をしてから初めて頭を抱えながらため息を吐いたのであった。




次の投稿は13:00の予定です。


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紀元100年代 ~西遊記&古代ケルト&三国志編~
第154話


本日投稿4話目です。


シッダールタが『涅槃』に入ってから三百年程の月日が流れた。

 

その間、王夫妻の頑張りのおかげで中華でやる事が無い二郎は、世界中を回っていた。

 

ある時は屈強な軍がいるという噂を聞いてスパルタと呼ばれる者達を見に行ったら、野太い声による狂宴が聞こえてきたので、噂を聞かなかった事にして中華に帰った。

 

またある時はスパルタを打ち破ったという神聖隊の噂を聞いて見に行けば、いつぞやの様に野太い声による狂宴が聞こえてきたので、たまたま近くの海で船を襲っていたクラーケンを狩って帰った。

 

そしてまたある時はマケドニアに戦の天才と噂される王がいると聞いて見に行ってみた。

 

噂の王であるイスカンダルは、その噂通りに戦に天賦の才を持つと二郎は評した。

 

イスカンダルに興味を持った二郎は会ってみるかと思ったのだが、イスカンダルが戦勝の宴の後に身の回りの世話をしていた中性的な顔立ちをした少年の肩を抱いて陣幕に連れ込んだので、二郎はげんなりしながら中華に帰っていった。

 

そんなイスカンダルの見物から二郎が中華に帰った時、二郎は天帝に宮へと呼び出されたのだった。

 

 

 

 

「伯父上、只今参りました。」

「おぉ、待っておったぞ、二郎。」

「使者からは、何やら中華の天界を騒がしている輩がいると聞いたのですが?」

「うむ、其奴の事を二郎に頼みたいのだ。」

 

頷いた天帝は神水を一口飲んでから話し出す。

 

「中華の天界を騒がしている者は『孫悟空』というのだが、こやつは我の軍だけでなく『梅山六兄弟』をも退ける程の力を持っているのだ。」

「伯父上の軍だけでなく彼等をも退ける程の力ですか?」

 

梅山六兄弟は康・張・姚・李・郭申・直健の六人で二郎と義兄弟となっている者達である。

 

武神である二郎の義兄弟であるだけあって拳法に傾倒した道士なのだが、その拳法の腕前は二郎の弟子になる前の士郎と同等ぐらいであろうか。

 

梅山六兄弟の一人だけならまだしも、六人全員を退ける力がある孫悟空に二郎は興味を持った。

 

二郎はニコニコと微笑ながら天帝の話の続きを待つ。

 

「ところで二郎よ、竜吉公主の事を覚えておるか?」

「はい、もちろん覚えていますよ。」

「うむ、孫悟空なのだが…こやつは竜吉公主に近い存在なのだ。」

「どういうことですか?」

 

首を傾げながら問う二郎に、天帝はため息を吐いてから答える。

 

「近年、周王朝が危ういのは知っているか?」

「士郎と王貴人から話だけは聞いています。」

「うむ。それで王夫妻は忙しくなって蛟や邪仙討伐まで手が回らなくなっていたのだが、その隙をついて邪仙の一人が孫悟空を造り出したのだ。」

 

竜吉公主を造り出した者の中で天帝の軍の追撃から逃げ延びた邪仙が、孫悟空を造り出したと天帝は話していく。

 

「孫悟空は生まれながらの仙人でありながら猿の精霊の力も宿しておる。それ故に生まれてから僅か十年程で並みの道士では歯が立たない力を有している。だが孫悟空はまだ子供だ。それ故に善悪の事が分からないので色々とヤンチャをしておるだけなのだ。」

 

孫悟空は宝貝である『如意金箍棒』を奪ったり、太上老君の蔵から不死の霊薬を盗んだりしている。

 

他にも孫悟空は花果山を拠点として方々で色々とヤンチャをしてきたので大きな騒ぎになっているのだが、天帝が言う通りに悪意を持って悪さをしているわけではない。

 

それを知るが故に天帝は孫悟空を討伐せずに捕らえようと軍と梅山六兄弟を動かしたのだが、肝心の軍と梅山六兄弟は孫悟空に負けて逃げて来てしまった。

 

そこで天帝は二郎を呼び出し、孫悟空捕獲の任を与える事にしたのだ。

 

「お話はわかりました。ところで、孫悟空を造り出した邪仙はどうなってるのですか?」

「そやつは既に捕らえて罰しておる。二郎は孫悟空の捕獲に専念してくれればよい。」

 

天帝から孫悟空捕獲の任を請け負った二郎は、中華の最高神である天帝の軍と義兄弟である梅山六兄弟を退けた孫悟空の力に思いを馳せて笑みを浮かべる。

 

まるで恋人との逢い引きに向かう様な二郎の様子に、天帝は苦笑いをしたのだった。




これで本日の投稿は終わりです。

紀元100年~と章題がなっていますが、話の始まりは春秋戦国時代辺りからです。

また来週お会いしましょう。


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第155話

本日投稿1話目です。


孫悟空捕獲の任を受けた二郎は花果山に向かう為に天帝の宮を後にしようとする。

 

だが…。

 

「待ってくれ、二郎真君!」

 

己を呼ぶ声に二郎は足を止めて目を向ける。

 

そこには梅山六兄弟の姿があった。

 

「俺達も孫悟空討伐…いや、捕獲に連れていってくれ!」

 

二郎は梅山六兄弟に返事をせずに、天帝へと振り返る。

 

「伯父上、彼等が孫悟空捕獲の任に参加しなければ問題があるのでしたら、参加した事にしておいてください。」

「うむ、細かい事は我の方でしておくゆえ、二郎は楽しんでくるがよい。」

 

天帝の言葉にニコリと笑みを浮かべた二郎は、梅山六兄弟には目もくれずに宮を去っていった。

 

しばし呆然とした梅山六兄弟はハッとして気を取り戻し、康が代表して天帝に物申す。

 

「天帝様!どうか我等に汚名を拭う機会をお与えください!」

「孫悟空に手も足も出ずに敗れて逃げたお主等に何が出来るのだ?」

「二郎真君と力を合わせれば、あの小僧など一捻りでございます!」

 

熱く語る康に対して、天帝は冷めた目で梅山六兄弟を見下す。

 

「酒色に溺れ拳法の修行を怠けていたお主等に、何故配慮せねばならぬのだ?」

「そ、それは…何かの見間違いにございます!」

「ほう?お主等が二郎の義兄弟を名乗り、方々で好き放題していたと聞いたのも我の聞き間違いか?三聖母からその様な訴えがきているのだぞ?」

 

梅山六兄弟は気まずそうに目を逸らす。

 

実は数百年前にシッダールタが『解脱』をした影響で、御立派な姿をした神が方々で張り切って人々の欲を刺激したのだ。

 

その結果、中華でも欲に溺れた者が少なくないのだが、二郎を始めとして王夫妻など影響ない者もいるので梅山六兄弟に言い訳は出来ないだろう。

 

「此度の孫悟空の一件、先ずお主等に任せたのは梅山の者達に配慮したが故だ。三聖母の訴えを無かった事にする為な。だが、お主等は失敗した。」

「何卒、何卒今一度の機会を!」

「今やまともに調息すら出来ておらぬお主等では、二郎の邪魔になるだけであろうよ。」

 

天帝の言葉に梅山六兄弟はぐうの音も出ない。

 

「お主等に先の孫悟空捕獲の任の失敗の罰を与える。向こう三百年は酒色を断って拳法の修行に励め。」

「そんな御無体な!?」

「嫌であれば二郎との義兄弟の関係を解消せよ。」

 

武神である二郎と義兄弟でなくなれば、これまでの様に好き放題には出来ない。

 

梅山六兄弟は罵詈雑言までは吐かぬものの、言葉を尽くして天帝に訴えた。

 

「お主等の武の才は二郎も認めたものだった。それ故に我もお主等が二郎と義兄弟となる事を認めたのだ。その才を腐らせているお主等に二郎の義兄弟たる資格など無いわ!」

 

天帝の一喝に、梅山六兄弟はただ項垂れる事しか出来なかった。

 

 

 

 

「へぇ、花果山は随分と猿が多いんだね、哮天犬。」

「ワンッ!」

 

哮天犬に乗って花果山へとやって来た二郎は、周囲の木々にいる猿達の姿に興味を持つ。

 

そんな猿達は二郎達を見つけると、威嚇の鳴き声を上げた。

 

しかし…。

 

「ワンッ!」

 

哮天犬が一哮えすると、恐れおののいた猿達は散り散りになって逃げ出した。

 

「花果山の猿達も伯父上の軍と戦ったって聞いたから、少し期待していたんだけどなぁ…。」

 

二郎はそう言うが、猿達が逃げ出したのも無理はないだろう。

 

何故なら、猿達と哮天犬では生物としての格が違うのだ。

 

花果山の猿達は孫悟空から鋼の様な肉体を得る不死の霊薬を与えられているが、それ以外は今の時代の猿とほとんど変わらない。

 

対して哮天犬は二千年以上前の神秘が色濃かった時代に二郎が造り出した神獣である。

 

しかも哮天犬はかつてのウルクで女神の腕を噛み千切った程の力を有しているのだ。

 

如何に不死の身体を持つ花果山の猿達でも、本能的に哮天犬に対して恐怖しても無理はないだろう。

 

そんな逃げ出した猿達だが、その内の一匹が山奥から一人の少年と共に戻ってくる。

 

「うわぁ、デカイ犬だなぁ。なぁ、この犬はあんたの犬か?」

「あぁ、そうだよ。」

「ほんとか!?なぁなぁ、触ってもいいか?!」

 

無垢さを感じさせる笑顔を見せる少年に、二郎はこの少年の名を察する。

 

「哮天犬が良ければ俺は構わないよ。」

「やった!なぁなぁ、哮天犬、触ってもいいか?」

「ワンッ!」

 

哮天犬が了承の意を込めて哮えると、少年は嬉しそうに触りだす。

 

「すっげぇ柔らかい!俺、犬を触ったのは初めてだ!」

 

二郎は心から喜びなから哮天犬を触る少年を、しばらくの間見守っていく。

 

しばらく経って満足したのか、少年は笑顔で二郎に振り向いた。

 

「ありがとな!あ、俺、まだあんたの名前知らなかった。」

「俺は二郎真君だよ。君は何て言うんだい?」

 

ニッと笑った少年は人差し指で鼻下を擦ると、胸を張って名を名乗る。

 

「俺は『悟空』!中華で一番偉い天帝から『斉天大聖』の名を貰った『孫悟空』だ!」




本日は5話投稿します。

拙作の悟空のイメージは最遊記似の美ショタです。

次の投稿は9:00の予定です。


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第156話

本日投稿2話目です。


「伯父上が君に名を与えていたとは知らなかったなぁ。」

「伯父上?ってことは、えっと…二郎真君は天帝の甥っ子なのか?」

「うん、そうだよ。」

 

直ぐに言葉が出てこなかった悟空に、二郎は微笑みながら言葉を返す。

 

「へ~、そうなんだ。あ、ところで二郎真君は俺の山に何をしに来たんだ?」

 

花果山を己のものと言って憚らない悟空を、二郎は面白そうに見る。

 

「伯父上の命でね、君を捕獲に来たんだ。」

「うえっ!?ほんとか?俺、何も悪いことしてないぞ!あれ?でも、二郎真君は俺を捕まえにきた奴等となんか違うな。」

 

二郎の言葉で後ずさる悟空だが、自然体の二郎に直ぐに警戒を解く。

 

「伯父上にも聞いていたんだけど、君と話して確信したよ。孫悟空、君は悪いことをしていないと思っているのかもしれないけど、他の人にとって良くない事をしていたんだよ。」

「…ほんとか?」

「うん、本当だよ。」

 

自身が悪いことをしていたと告げられた悟空は、肩を落として不安そうに二郎に真偽を問う。

 

そんな悟空の姿に、二郎は悟空がまだ本当に子供なのだと感じた。

 

「やってしまった事は仕方ないけど、これからも悪いことを続けるのはダメだよ。」

「でも、俺、何が悪いことなのかわかんない…。」

「知らなければ学べばいいよ。」

「うえっ!?学ぶ!?」

 

明らかに嫌がった様子で後ずさる悟空の姿に、二郎は苦笑いをする。

 

「俺、勉強は嫌だ!」

「でも知らなかったら、これからも悪いことをしてしまうんじゃないかい?」

「うぅ…そうだけどさぁ…。」

 

心底勉強は嫌だと言わんばかりに、悟空は肩を落としながら項垂れる。

 

「それならこういうのはどうだい?俺と手合わせをして悟空が勝ったら、悟空に何か好きな物を上げるよ。そして俺が勝ったら、悟空は悪いことを知る為に学ぶ。」

「好きな物って、何でもいいのか?」

「あぁ、いいよ。」

「それなら俺、哮天犬が欲しい!」

 

目を輝かせながら悟空がそう言うと、二郎は少し驚いた。

 

「なんで哮天犬が欲しいんだい?」

「俺、『金斗雲』って乗り物を持ってるんだけど、あれって足下がフワフワして落ち着かないんだ。だから乗っても安心出来そうな哮天犬が欲しい!」

 

悟空は『如意金箍棒』以外にも中華の各所で宝貝を盗んでいる。

 

その内の一つが『金斗雲』である。

 

これは人が乗る事が出来る雲で、中華の宝貝の中でも非常に価値が高いものだ。

 

それを乗り心地が悪いからと別の物を求める悟空に、二郎は悟空を大物と考えるべきか無知な子供と考えるべきか少し判断に迷った。

 

「哮天犬、この条件で孫悟空と手合わせをしてもいいかい?」

「ワンッ!」

 

哮天犬は微塵の迷いもなく返事をした。

 

己の主は誰にも負けないと信じているからだ。

 

「孫悟空、哮天犬も了承したから手合わせを始めようか。」

「よっしゃあ!あ、二郎真君。俺の事は悟空って呼んでいいぜ。」

 

悟空は耳の穴に仕舞っていた如意金箍棒を取りだしながらそう言うと、一振りして如意金箍棒を適度な大きさへと変える。

 

既に如意金箍棒の能力を扱えている悟空の姿を見た二郎は、嬉しそうに微笑んだ。

 

「それじゃあ行くぞ、二郎真君!」

 

悟空が全力で飛び掛かってくると、二郎は無手のまま応じるのだった。




次の投稿は11:00の予定です。


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第157話

本日投稿3話目です。


「でりゃぁぁあああ!」

 

悟空が如意金箍棒を全力で振り下ろす。

 

しかし二郎は振り下ろされる如意金箍棒の側面に手の甲を当てると、手の平を返す回転で力の向きを逸らす。

 

「うわっ!?」

 

ドガッと爆発した様な音と共に地面が爆ぜると、急に力の向きを逸らされた悟空が驚いた様な声を出した。

 

(膂力はアルケイデスに匹敵するかな?技術は未熟の一言に尽きるけど、これなら鈍りに鈍った梅山六兄弟では勝てなくても無理はないか。)

 

悟空の一撃を逸らす際に感じた圧力から、二郎は悟空の力量のおおよそを察した。

 

「今のはなんだぁ?」

「悟空の力の向きを逸らしただけだよ。」

「力の向き?」

「まぁ、拳法の技術ってところかな。」

 

二郎の返答に悟空は感心した様に声を上げる。

 

「へぇ~、二郎真君は強いんだな。」

「これでも中華では武神と呼ばれているからね。」

「そうなのか?へへっ、でも俺が勝てば、俺が武神だよな!」

 

武神の二つ名を聞いてやる気が増した悟空は、力任せにどんどん如意金箍棒を振り回していく。

 

その悟空の全ての攻撃を、二郎は危なげなく片手で捌いていった。

 

「凄いな、二郎真君!俺の攻撃がこんなに当たらないのは初めてだ!」

「そうかい?俺の弟子も悟空の攻撃を防ぐ程度なら出来ると思うよ。」

「へ~、そいつも強いんだな。」

 

封神計画からおよそ八百年程の月日が流れたが、その間も弛まずに鍛練を続けた士郎は、神代の時代においても一流の英雄と呼べる力量を身に付けている。

 

もっともそんな士郎すら軽くあしらってしまえる二郎は、正に武神と呼ばれるに相応しい存在だろう。

 

「さて、そろそろ俺も攻撃しようかな。」

 

三百を数える悟空の攻撃を掠り傷一つ負わずに捌いた二郎は、一切の予備動作無しで踏み込む。

 

そして一歩崩拳の一撃を見舞うと、悟空は地面と平行に飛んでいった。

 

「おっと、少し加減を間違えたかな?一撃で十度も殺してしまった。」

 

太上老君の蔵から不老の霊薬や不死の霊薬を盗んで大量に服用している悟空は、鋼の様な不死の肉体に加えて百を数える命を持っている。

 

それ故に二郎は深く考えずに崩拳を放ったのだが、二郎も士郎と同様に拳法の修行を続けて成長をしていたので、二郎自身が思ったよりも悟空を多く殺してしまったのだ。

 

飛んでいった悟空が地面を転がると、少しの間が空いてから身体が光る。

 

そして光が収まると、二郎の崩拳で死んでいた悟空が復活してガバリと勢い良く身体を起こした。

 

「うわっ!?あれ?痛くない?」

「おや?数多の命を持っているのに死んだのは初めてなのかい?」

「え?俺、死んだの?」

 

死んだと気付いた悟空は顔を青ざめる。

 

「い、嫌だ!死ぬのは嫌だ!」

 

二郎が己を殺せる者だと知った悟空からは戦意が完全に失われていた。

 

(もう少し楽しめると思っていたんだけどなぁ…。)

 

まさか崩拳の一撃で戦意を失うと思っていなかった二郎は、頬を掻いて苦笑いをする。

 

「さて、後は伯父上のところに連れていくだけなんだけど、悟空は服を汚しちゃったみたいだし、一度俺の廓に連れていって着替えさせようか。」

 

二郎は死を恐れて泣き喚く悟空を宥めながら、哮天犬と共に己の廓に向かうのだった。

 

 

 

 

『西遊記』

 

現代においても非常に知名度の高い中華の物語である。

 

この西遊記の主要人物の一人に孫悟空という者がいるのだが、その孫悟空の逸話の一つに中華の武神である二郎真君が登場している。

 

西遊記の物語の序盤、悟空は古代中華の方々で盗みを働いたりと悪さをしていたのだが、それを見咎めた天帝が孫悟空を懲らしめる為に、一軍と共に二郎真君の義兄弟であった梅山六兄弟を送り出している。

 

しかし天帝の軍と梅山六兄弟は孫悟空の怪力と、その怪力によって振るわれる如意金箍棒であっけなくあしらわれてしまった。

 

そこで天帝は孫悟空を懲らしめる為に中華最強の武神である二郎真君に孫悟空捕獲の任を与える。

 

孫悟空捕獲の任を受けた二郎真君が孫悟空の拠点である花果山に乗り込むと、二郎真君と孫悟空の戦いが始まった。

 

孫悟空は如意金箍棒を振るい良く戦ったが武神には及ばず、三百合の打ち合いの果てに捕らわれてしまったのだ。

 

以上の様な形で現代日本では知られている事が多い孫悟空の逸話だが、これは翻訳されたものを元にした創作である。

 

原本における孫悟空と二郎真君の戦いは孫悟空が手も足も出ずに二郎真君に敗れたとあるのだ。

 

『西遊記』

 

非常に魅力ある人物が多く登場する物語だが、その中でも孫悟空は後世における創作で活躍を望まれる程に高い人気を誇ったのだった。




次の投稿は13:00の予定です。


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第158話

本日投稿4話目です。


二郎は悟空を脇に抱えて廓に帰ってきたが、悟空はまだ泣き続けていた。

 

「嫌だぁ…死ぬのは嫌だぁ…。」

 

二郎はどうしたものかと困ってため息を吐きながら廓に入る。

 

すると、ちょうど良く士郎と王貴人の姿を見付けた。

 

「士郎、王貴人、ちょうど良かったよ。この子に合う着替えを持ってきてくれるかい。」

「この子というのは老師に抱えられながら泣いている少年の事だろうか?」

 

士郎は二郎に非難する様な目を向ける。

 

「伯父上の命でこの子を捕らえにいったんだけど、少し加減を間違えて崩拳をしてしまってね。」

「はぁ…それで履き物を汚しているのか…。」

 

おおよその事情を理解した士郎がため息を吐くと、王貴人が悟空の着替えを持ってきた。

 

「家僕達が湯を沸かしておりますので、その子を湯に入れてから着替えさせましょう。」

「あぁ、よろしく頼むよ。」

 

数百年前まで二郎の廓は士郎が管理をしていたが、今は士郎が忙しく動き回っているので、二郎の廓には士郎を反魂する前の様に家僕がいる。

 

二郎はそんな家僕達が悟空を湯に入れる為に連れていくのを見送ると、疲れているわけではないが一息つこうと虚空から神酒を取り出した。

 

「ところで老師、あの少年の名はなんていうのかね?」

「あの子は孫悟空。少し前から中華の天界を騒がせていた者だよ。」

 

二郎が悟空の名を答えると、士郎はため息を堪えて眉間を揉み始めたのだった。

 

 

 

 

(ガウタマ・シッダールタに続いて孫悟空か…。)

 

士郎が知る数多の英雄達と次々に縁を持つ二郎に、士郎は思わずため息を吐きそうになる。

 

(確か前世の世界では孫悟空と老師は互角に渡り合った筈なのだが、どうやらこの世界では老師が圧倒した様だな。まぁ、老師と真っ向から互角に渡り合える者など想像出来ないが…。)

 

この世界に転生をして数百年を生きてきた士郎は、この非常識な神代に慣れてしまったと気付いて今度こそため息を吐いてしまった。

 

「どうした、士郎?」

 

側に寄りそう最愛の妻である王貴人に、士郎は微笑む。

 

「なんでもないよ、王貴人。ただ、天帝様が老師に任せる程の相手と手合わせをしてみたかっだけさ。」

「それは私もだが、士郎は二郎真君様と手合わせをして泣いてしまう様な少年相手に全力を出せるのか?」

「老師が加減を間違える様な相手だからな。ならば、本気は出しても油断はしないさ。」

 

そう言って王貴人の肩を抱き寄せる士郎の姿を見ていた哮天犬は、欠伸を一つして昼寝を始めたのだった。

 

 

 

 

湯浴みに着替え、そして食事をさせて孫悟空を落ち着かせると、二郎は孫悟空を天帝の宮へと連れていった。

 

「また会ったな、斉天大聖。」

 

自由奔放、天真爛漫だった孫悟空が借りてきた猫の様に大人しくなっているのを見て、天帝は苦笑いをする。

 

「斉天大聖よ、二郎はそれほどに恐ろしかったか?」

「う、うん…。不死の霊薬を一杯飲んだのに、あっさりと殺されたから…。」

「二郎は中華最強の武神であるからな、その程度の事は朝飯前よ。それに、中華には二郎以外にも不死を殺せる者がおるのだぞ。」

 

天帝の言葉を聞いて悟空は震え出す。

 

「ふむ、この様子では罪を償わせても意味が無いな。」

 

まだ善悪の常識すら無い子供故に悟空の命は助けるが、それでも罰を与えて罪を償わせなければならない。

 

だが今の悟空に罪を償わせても、今度は死への恐怖から同じ事をしかねない。

 

どうしたものかと天帝がしばし思案をしていると、二郎が口を開いた。

 

「伯父上、悟空に死への恐怖を乗り越えさせる事が出来る者に当てがあります。」

「ほう?誰を悟空の師にするつもりだ。」

「あの者以上に死への恐怖について考えた者はおらぬでしょう。」

 

二郎の言葉を聞いた天帝は笑みを浮かべる。

 

「うむ、ではしばしかの者に悟空を預ける事とする。二郎、任せたぞ。」

「はい。悟空、行くよ。」

「い、行くって、どこに行くんだ?」

 

目尻に涙を浮かべた悟空を安心させる様に、二郎は微笑む。

 

「桃源郷だよ。悟空の師になる者を呼んでくるから、そこで桃でも食べながら待ってて。」

 

怖くて外に出たくないと座り込む悟空を桃源郷に送り届けると、二郎は哮天犬に乗って『涅槃』へと向かったのだった。




次の投稿は15:00の予定です。


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第159話

本日投稿5話目です。


「グワッハッハッハッ!ゼンよ、『涅槃』によくぞ参った!我は歓迎するぞ!」

 

二郎が哮天犬に乗って『涅槃』に赴くとそこにはシッダールタだけでなく、御立派な身体をそそり立たせたマーラの姿があった。

 

「マーラ、なんで君も『涅槃』にいるんだい?」

「数百年経とうとも誰一人として『解脱』をして『涅槃』に入った者がおらぬからな。シッダールタも寂しかろうと気遣ってやっておるのだ!」

「去れ、マーラよ!」

 

幾度繰り返したかわからない言葉に、シッダールタからは表情が抜け落ちていた。

 

「ところでゼン様、何用で『涅槃』にいらっしゃったのですか?」

 

もはや御立派な神をいないものとしてシッダールタが話出す。

 

「シッダールタに死への恐怖について話をしてもらいたい者がいてね。」

「ほう?詳しく聞かせていただけますか?」

 

合掌をして柔和な笑みを浮かべたシッダールタに、二郎は孫悟空の事を話した。

 

「なるほど…死を怖れて外にも出られない程ですか。」

「悟空に猿の精霊の力があるのも関係しているだろうね。」

 

孫悟空は邪仙に造られた存在である。

 

孫悟空が造られる際に猿の精霊の力を与えられたのだが、その猿の精霊の力の影響で孫悟空は人一倍本能が強い。

 

その人一倍強い本能は時に野生の獣の様な直感を発揮するのだが、その反面として人一倍死に恐怖する様になってしまったのだ。

 

「ゼン様、私はどこに向かえばよろしいのですか?」

「『桃源郷』だね。シッダールタが悟空に話を聞かせている時に、その話を崑崙山を始めとした場所にいる他の道士が聞いたらその道士が君の教えに鞍替えするかもしれない。俺は他の道士がどの『道』を歩もうが構わないけど、地上の人々の様に信仰の違いで中華の天界に戦を起こされたら伯父上が困るからね。」

 

まだ神が地上を支配していた時代から人々は信仰の違いで争いを起こしてきた。

 

それは元が同じ信仰でも宗派の違いで起こる事もある。

 

己の弟子達も同じ様に争いを起こしたが故に、シッダールタは二郎の言葉に五体投地で謝罪した。

 

「その節はご迷惑をおかけしました。」

「グワッハッハッハッ!我は許すぞ、シッダールタよ!」

「去れ、マーラよ!」

 

何故か割り込んできた御立派な神に、シッダールタは柔和な微笑みのままコメカミに青筋を浮かべた。

 

「それじゃ、桃源郷に向かおうか。」

「はい。」

「マーラ、君はどうするんだい?」

「常春の楽園は我の敏感な肌に合わんのでな。遠慮させてもらおう。」

 

『性欲』を司るマーラは人々の欲望が満たされる理想郷よりも、満たされぬ事で欲望が高まる地上を好んでいる。

 

それ故にマーラは桃源郷に行くことを断ったのだ。

 

桃源郷行きを断った御立派な神は『涅槃』の虚空を雄々しく突き破ると、高笑いをしながら地上に向かったのだった。

 

 

 

 

『桃源郷』

 

古代中華の物語に度々登場する常春の理想郷である。

 

いつから存在したのかは不確かだが少なくとも封神演義に登場している事から、かの時代よりも前から存在している事は確かだろう。

 

この桃源郷は『西遊記』にも登場しており、孫悟空を改心させる為に御釈迦様が訪れたと綴られている。

 

『桃源郷』

 

一説では中華の武神である二郎真君が造ったとされているが、真偽の程は定かではない。




これで本日の投稿は終わりです。

また来週お会いしましょう。


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第160話

本日投稿1話目です。


「楊ゼン様ぁ、お会いしたかったわぁん♡」

「二郎真君、妾も会いたかったのじゃ!」

 

桃源郷に二郎とシッダールタが訪れると、妲己と竜吉公主が二郎の胸に飛び込んだ。

 

「久しぶりだね、二人共。」

 

二郎が二人に微笑んでから周囲を見渡すと、姫昌を始めとしたかつての英雄達が片膝を地について包拳礼をしていた。

 

「姫昌と伯邑考も久しぶりだね。後、天化以外は初めてになるのかな?」

 

二郎の言葉を受けて紂王が声を上げる。

 

「二郎真君様、御目に掛かれて光栄でございます!そして女媧様に無礼を働いた私をこの桃源郷に招いていただいた事、深く感謝御礼を申し上げます!」

 

深く頭を下げる紂王と聞仲を見て二郎が微笑む。

 

「紂王と聞仲の二人共に愚かと言える時期はあったけど、その最後は英雄と評するに相応しいものだったからね。」

「…ありがたき御言葉。」

 

紂王と聞仲は身を震わせながら感涙に耐えた。

 

「天化も久しぶりだね。」

「桃源郷に来てから親父に二郎真君様に鍛えていただいたと自慢しました。」

「そうかい。少しは驚いて貰えたのかな?」

「驚いたなんてもんじゃありませんぜ、二郎真君様。」

 

ニッと笑顔の黄天化に対して黄飛虎は苦笑いだ。

 

「さて、皆ともう少し話をするのも悪くないんだけど、悟空はどこにいるのかな?」

「あちらの桃の木の下で仙桃を食べていますわん。」

 

妲己に腕を引かれて歩き出す二郎の後ろにシッダールタが続く。

 

「ところで二郎真君、後ろの男は誰じゃ?」

「彼はガウタマ・シッダールタ。人の一生で『解脱』を果たした『覚者』だよ。」

 

『解脱』を知る道士や仙人である妲己、竜吉公主、聞仲は驚きの表情を浮かべるが、その他の者達は首を傾げた。

 

「もし『解脱』が気になるのなら、悟空と一緒にシッダールタの話を聞いてみるといいよ。」

 

二郎を始めとした一行は、大きな桃の木の下で周囲に怯えながら仙桃を口にする悟空の元に辿り着く。

 

怯えながら仙桃を口にする悟空を見たシッダールタは、悟空を安心させる様に微笑みながら歩みよる。

 

そして悟空の近くで腰を下ろすと、柔らかに微笑みながら語り掛けた。

 

「私はガウタマ・シッダールタといいます。貴方の名を教えて貰えますか?」

「お、俺、孫、悟空…。」

「悟空と呼ばせてもらいますね。悟空、少し私の話を聞いていただけますか?」

 

怯えながらも悟空が頷くと、シッダールタは耳目を惹き付ける様な声で話し始めた。

 

「ある所に一人の男がいました。その男はとある国の王族だったのですが、大人になるまで世の汚いものから遠ざけられて生きていました。」

 

シッダールタが語り始めると、悟空から少しずつ怯えが消えていった。

 

そして悟空から完全に怯えが消えて夢中になってシッダールタの話を聞き始めた時、姫昌や紂王といった道士や仙人ではない者達も、悟空の様に夢中になってシッダールタの話を聞いていた。

 

「幻術…ではないわねぇん。」

「うむ、声と言葉だけで人を惹き付けておるのじゃ。もしこの者が王として在ったならば、中華全土を僅か十年足らずで統べてしまうやもしれぬな。」

 

妲己と竜吉公主はシッダールタのカリスマ性に気付くと、内心で畏怖と称賛を送った。

 

しばらくの間シッダールタの話を聞いていくと悟空の目に生気が宿り、そして輝き始める。

 

「それでそれで、そいつはどうなったんだ?」

「とある放浪の神と出会い、その放浪の神が出会った英雄達の話を聞きました。そこでその男は死だけでなく、生にも目を向ける様になったのです。」

「生にも?」

 

不思議そうに首を傾げる悟空に、シッダールタは生と死について説き始める。

 

その話を聞いていた姫昌や紂王、黄飛虎は感心の声を上げた。

 

「人を惹き付けるあの魅力…悪意がない分だけ性質が悪い。」

「そうじゃのう。あれは他者の人生観すら変えてしまう。」

「二人共真面目ねぇん、私は面白いと思うわよん♡。」

「妲己は中華を惑わして振り回したからそう言えるのじゃ。」

 

聞仲がシッダールタを危険視するとそれに竜吉公主が同意する。

 

しかし妲己は二郎が招いたシッダールタを面白そうに観察している。

 

各自色々な思いを抱きながら話を聞き続けていると、シッダールタの話は終わった。

 

シッダールタの話を聞き終えた悟空は感心のため息を溢す。

 

そして…。

 

「俺も、死ぬのを受け入れられるかな?生きるのを楽しめる様になるかな?」

「悟空、それは貴方次第です。」

 

悟空の問い掛けに、シッダールタは柔らかな笑みで答えていく。

 

「貴方が望むなら、私は貴方に教えを説きましょう。それで貴方が貴方の望むものを得られるかはわかりませんが、私は私の出来る限りで貴方に応えますよ。」

 

シッダールタが合掌をすると、悟空は自然に合掌をして頭を下げていたのだった。

 

 

 

 

『覚者と孫悟空』

 

西遊記には御釈迦様が孫悟空に説法をする場面がある。

 

この説法に感銘を受けた孫悟空は、この後に御釈迦様に弟子入りをして修行に励んでいる。

 

『覚者と孫悟空』

 

中華を騒がせた悪者であった孫悟空が改心をするこの一事は、当時の大小の戦乱が絶えなかった時代に蔓延っていた賊を揶揄するものなのではという一説があるが、その真偽は定かではない。




本日は5話投稿します。

次の投稿は9:00の予定です。


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第161話

本日投稿2話目です。


シッダールタを桃源郷に連れていってから十日後、二郎は中華の地に戻った。

 

十日も桃源郷で何をしていたのかは、地上に戻った二郎を御立派な神が祝福をしに現れた事から察しがつくだろう。

 

二郎が中華の地に戻ってから数十年後、周王朝が終わりを迎えた。

 

士郎と王貴人が周到に準備を重ねていた事で姫一族や姜一族、そして黄一族は滅びなかったが、八百年以上続いた王朝の終わりに士郎と王貴人は寂しさを感じていた。

 

八百年以上続いた周王朝を終わらせた秦の王は、自らを始皇帝と名乗った。

 

始皇帝の政で秦王朝が始まったが、秦王朝は長続きしなかった。

 

始皇帝が没すると、中華の各地にいる有力者達が次々に立ち上がったのだ。

 

有力者達が争い淘汰されていくと、中華の覇権を争う英雄は項羽と劉邦という男の二人に絞られた。

 

殷周革命時の英雄の様な圧倒的力を持つ項羽と人を惹き付ける魅力を持つ劉邦の争いは、項羽の連戦連勝で進んでいった。

 

度重なる連勝に中華の覇権を確信する項羽陣営と、度重なる敗戦に士気が下がっているかの様に見える劉邦陣営。

 

中華の争いを眺めていた多くの道士や仙人達が、次代の覇者は項羽だと予想した。

 

しかし、その予想は裏切られることになる。

 

何故なら、劉邦がたった一度の勝利で中華の覇権を掴み取ったからだ。

 

この結果に道士や仙人達だけでなく、天帝や三清までもが驚いた。

 

項羽を破り皇帝の座についた劉邦は新たな王朝を『漢』と名付けた。

 

人を惹き付ける魅力を持つ劉邦は良き皇帝となると中華の人々は思った。

 

しかし、劉邦の政は臣下の力を落とすところから始まった。

 

劉邦陣営の将軍であった韓信は、その能力と武名から劉邦以上に中華の民の人気があった。

 

これに嫉妬したとある者が、劉邦に韓信は謀叛を企んでいると囁いた。

 

誰よりも韓信の力を知る劉邦は、韓信を怖れて将軍の座を剥奪して地方の小役人に落とした。

 

突如栄光の日々から引き摺り落とされた韓信だが、彼は与えられた役割を全うして民からの支持を得ていった。

 

権力や兵を奪っても衰えぬ韓信の人気に、とある者がまた劉邦に囁いた。

 

劉邦はその者の囁きを真に受けて、直ぐに軍を韓信の元に向けた。

 

多勢の兵に囲まれた韓信は民の安全と引き換えに、無抵抗で兵に縄を打たれた。

 

この韓信の姿に感銘を受けた多くの兵や将から韓信の助命を嘆願されたが、兵や将の助命嘆願に更に嫉妬したとある者は劉邦に韓信の処刑を囁いた。

 

直ぐに処刑が実行されると韓信は粛々とした態度で処刑を受け入れた。

 

そんな韓信の姿に中華の多くの者が涙した。

 

大功ある韓信すら容赦なく蹴落とす劉邦の回りには、劉邦に胡麻すりをして出世を目論む者や御機嫌伺いをして甘い蜜を狙う者ばかりが集まっていった。

 

逆に見識を持った有能な者は劉邦から離れていった。

 

やがて漢王朝の中枢では付け届けや賄賂が横行するのが当たり前になっていく。

 

そして月日が流れ、劉邦にも終わりの時がやって来たのだった。

 

 

 

 

「皆、席を外してくれ…。」

 

寝台の上で力なく横たわる劉邦から、醜悪な笑みを浮かべる者達が離れていく。

 

劉邦は一心地ついた様に息を吐いた。

 

「項羽程の英雄でもたった一度の敗戦で全てを失う…。項羽や韓信の様に才の無いおいらが負けない為には、力を奪うしかなかった…。」

 

一代で皇帝へと成り上がった劉邦だが、その心は劣等感に占められていた。

 

古の時代の英雄の様に戦場の最前線を駆け回る項羽と、優秀な仲間達に担ぎ上げられているだけの自分。

 

その差に若き日の劉邦は、項羽に幾度となく羨望の眼差しを送っていた。

 

「すまねぇ韓信…あいつの言葉は嘘だってわかってた。でもよ、おいらはお前にびびっちまったんだ。」

 

幾度も敗戦を重ねたが、韓信は圧倒的な力で暴れまわる項羽を相手に、軍を縦横無尽に動かす戦術で真っ向から渡り合ってみせた。

 

そんな韓信の姿は劉邦の目に殷周時代の軍師である太公望の様に映ったのだ。

 

「おいらには韓信や項羽の様な才は一つもない…。ただ、ほんの少しだけ運が良かっただけさ。」

 

数多の人々を集める魅力も立派な英雄の才なのだが、劣等感に苛まれている劉邦は気付かない。

 

「おいらは桃源郷に行けねぇだろうな…。まぁ、それは構わねぇ。恩を忘れた外道だもんな。」

 

いつしか中華の人々の間で英雄に相応しき者は、二郎真君に桃源郷に招かれるという噂が広まっていた。

 

苦笑いをした劉邦は目に涙を浮かべた。

 

「二郎真君様よぉ…もし見ているなら韓信の奴を桃源郷に召し上げてやっちゃくれねぇか?あいつはいい奴なんだ。おいらなんかにはもったいねぇ程の英雄だったんだよぉ…。」

 

孤独な寝室に呟きが響き渡ると、劉邦の脳裏にかつて共に在った仲間達の姿が過る。

 

劉邦の目から留めなく涙が溢れだした。

 

「ふぐっ、うっ…すまねぇ、皆、おいら…馬鹿な王様になっちまったよ…。」

 

流せど流せど止まることのない涙が寝台を濡らしていく。

 

「もう一度…もう一度皆に会いてぇ…会って謝りてぇ…。」

 

嗚咽と共に溢された言葉が寝室に響き渡る。

 

すると…虚空から一人の男が姿を現した。

 

 

 

 

翌日、劉邦の親族によって冷たくなっていた劉邦の姿が発見された。

 

劉邦の顔には涙の後が残されていたが、その表情はとても安らかなものなのであった。




次の投稿は11:00の予定です。

うろ覚えの知識を妄想で補完しているので歴史捏造しまくっていると思いますが、生暖かい目でお楽しみください。


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第162話

本日投稿3話目です。


「韓信、張良、皆、すまなかった!」

 

桃源郷にてかつての仲間達と再会した劉邦は、地に額を擦り付けて謝罪をしている。

 

そんな劉邦の姿を見た悟空は首を傾げていた。

 

「なぁ、お師匠様、なんであいつはあんなに謝っているんだ?」

「彼の事情はわかりませんが、生前に悔やむ事があったのでしょう。」

「ふ~ん、あんなに後悔するならもっと早く謝ればよかったのにな。」

 

頭の後ろで両手を組みながらそう言う悟空の姿に、弟子の成長を感じたシッダールタが微笑む。

 

「悟空、人は生きていく上で色々なしがらみが生まれます。それによって素直に己を表す事が出来なくなる事もあるのですよ。」

「しがらみ?」

「えぇ、例えば王となった者は、外聞を気にして軽々に頭を下げられなくなるといった感じですね。」

「へ~。」

 

悟空とシッダールタの会話の間も、劉邦達のやり取りは続いていく。

 

「劉邦様、どうか顔をお上げください。」

「すまねぇ、韓信!」

「…劉邦様が私を怖れている事には気付いていました。大志の為に股を潜った私ですが、中華の覇権を掴んだ後はその功に傲り、己を曲げる事が出来なくなっていました。主の為に動けなくなってしまった私に、劉邦様の臣下たる資格はありません。」

 

地に額を擦り付けていた劉邦は、韓信の言葉に目を見開く。

 

そして勢いよく顔を上げた劉邦は、何度も首を横に振って韓信の言葉を否定しようとした。

 

「そんなことねぇ!韓信は一つも悪くねぇ!仲間を信じられなかったおいらが全部悪いんだ!」

 

劉邦の言葉に韓信は困った様に苦笑いをした。

 

劉邦と韓信のやり取りを見ていた殷周時代の英雄達がそれぞれ会話をしていく。

 

「次代に国を継いだあの者は王としては余よりもマシな王であるのだろうが、あの様に死後まで後悔を残さなかった余は、幸福な終わりかたを迎えられたのであろうな。」

「紂王様…。」

「よいのだ、聞仲。余は満足している。武人として二郎真君様に認められる様な武功を残せたのだからな。」

「御意。」

 

「道半ばでも後悔なく逝けた者と、大望を果たしたが後悔の中で逝った者…どちらが幸福なのじゃろうな?」

「本人次第だと思うわよん。もっとも、私は道半ばでも後悔なく逝ける方を選ぶけどねぇん♡」

 

「父上、父上はあの者をどう思いますか?」

「身の丈に合わぬ身分を手にしたのは私も同じ。ならば、あの者の境遇は他人事ではすまぬ事であろう。」

 

色々な会話を耳にした悟空は腕を組み首を傾げながら悩む。

 

「悟空、どうしましたか?」

「俺、難しい事はわからないけど、あの二人はどっちも悪くないと思うんだ。」

「そうですね。ですが人というのは善悪をはっきりとしたがるものです。それが、人が持つ欲の一つですから。」

 

己は正しいと声高に叫ぶ為に人は善である事を求め、時には悪である行いを覆して善に変える。

 

これは人の歴史で繰り返されてきた事だ。

 

そう語るシッダールタの言葉に、悟空は難しい顔をする。

 

「う~ん…やっぱり難しい事はわかんないや…でも!」

 

悟空はシッダールタに笑顔を向ける。

 

「俺、悪い事をしたらちゃんと謝れる様になるよ、お師匠様!」

 

悟空に微笑み返したシッダールタは、悟空の頭を優しく撫でたのだった。




次の投稿は13:00の予定です。


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第163話

本日投稿4話目です。


中華の王朝が漢王朝になってから幾年月が流れると、漢王朝に腐敗が蔓延し始めた。

 

重税により飢える民と贅を楽しむ役人の対比に、中華の人々の間に不満が積もっていく。

 

そういった時代に一人の仏僧が旅の準備を始めていた。

 

荒れる民心を救う為に、聖地に経典を取りに行こうと考えたのだ。

 

そんな仏僧の存在を知った天帝はシッダールタの元で修行をしていた孫悟空を呼び戻すと、罪を償う為と称して仏僧の旅の助けを命じたのだった。

 

 

 

 

「なぁ、二郎真君。俺はこの洞穴で待ってるだけでいいのか?」

「うん、そうだよ。」

「玄奘三蔵って奴は女なんだろ?ここまでこれるのか?」

「シッダールタが夢枕に立って導くらしいから、大丈夫だと思うよ。」

 

二郎がそう言うと、悟空は頭に嵌まっている輪っかが気になるのか手を触れる。

 

「仙術のほとんどが封印されているのは不安だなぁ。」

「対外的な名目は悟空の罪を償うことだからね。仙術を使って楽をしたら示しがつかないのさ。」

 

悟空の力を封じている頭の輪っかは『緊箍児(きんこじ)』という宝貝である。

 

この宝貝は力を封じるだけでなく、経を唱える事で縮まり身に付けている者の頭を締め付けるのである。

 

言うなれば、かつて罪を犯した悟空につけた枷といったところだ。

 

もっとも、シッダールタの弟子となって修行をした悟空は既に中華の天界における善悪について理解しており、かつて行った自身の行動を反省している。

 

そして死への恐怖も完全に克服したわけではないが、それでも戦える程度には成長したのだ。

 

「なぁ、二郎真君。俺はどれぐらいここで待ってればいいんだ?」

「二、三年ってところかな。」

「うわぁ、そんなに待ってたら腹が減っちゃうよ。」

「適当に差し入れは持ってくるよ。だからのんびりと待っていてくれ。」

 

そう言って二郎が虚空に姿を消すと、悟空はゴロンと寝転んだ。

 

「旅かぁ…そういえば中華の外に出るのは初めてだ。旨いもの一杯あるかな?」

 

まだ見ぬ異国の食べ物に思いを馳せた悟空は、静かに寝息をたて始めたのだった。

 

 

 

 

「御仏の御告げによればこの辺りの筈ですが…。」

 

とある岩山に一人の女性が訪れている。

 

この女性は玄奘三蔵という者で、仏教を信仰している僧である。

 

彼女は荒れる民心を治める為に経典を求めて天竺と呼ばれている所まで旅をしようとしているのだが、その旅を始めた夜にシッダールタが夢枕に立ったのだ。

 

「この辺りにある洞穴にかつて罪を犯した罪人が閉じ込められているので、その者を旅の共として連れていき罪を償わせよと告げられましたが…この様な場所に閉じ込められるとはどんな者なのでしょうか?」

 

三蔵の脳裏には筋骨隆々のごつい男の姿が思い浮かぶ。

 

「経を唱えればその者の動きを制する事が出来ると御仏に言われましたが、それでも不安を感じるのは私の修行不足なのでしょうね。」

 

合掌をして精神を整えると、三蔵は改めて周囲を見渡す。

 

「あっ、あそこに洞穴らしきものがありますね。行ってみましょう。」

 

洞穴に足を運んだ三蔵は木格子が取り付けられている洞穴の中に声を掛ける。

 

「もし、誰かいらっしゃいますか?」

 

三蔵の声に反応して洞穴の中で影が動き出す。

 

身構えた三蔵は影の正体を確かめようと目を凝らした。

 

「う~ん…誰?」

 

寝惚けた様な声色に三蔵が更に目を凝らす。

 

すると、三蔵は目を見開いた。

 

「何故、この様な少年がこんなところに…?」

 

三蔵が目にしたのは想像とは違う十代前半程に見える可愛らしい顔立ちをした美少年である。

 

木格子に近寄った三蔵は洞穴に閉じ込められている少年に声を掛けた。

 

「貴方は何故ここに閉じ込められているのですか?」

「う~ん?あんた誰?」

「私は玄奘三蔵。経典を求めて天竺へと旅をしている仏僧です。」

 

三蔵が名乗ると、少年は花開いた様な笑顔を見せた。

 

「あんたが玄奘三蔵か!俺、孫悟空!あんたをずっと待ってたんだ!」

 

悟空の笑顔に一瞬見惚れた三蔵だが、続く悟空の言葉に驚きの表情を浮かべたのだった。

 

 

 

 

『玄奘三蔵』

 

『西遊記』に登場する主要人物の一人である。

 

当時、荒れていた民心を治めるべく経典を求めて天竺への旅を始めた玄奘三蔵の夢枕に、御釈迦様が現れて御告げをしたというエピソードがある。

 

その御告げに導かれた玄奘三蔵は、天帝から受けた罰で洞穴に閉じ込められていた孫悟空と邂逅した。

 

『玄奘三蔵』

 

女性であったという一説があるが、当時の荒れていた中華の情勢を考えると女性の身で旅をするのは危険極まりない事なので、現代においてこの一説は否定的な意見が多いのであった。




次の投稿は15:00の予定です。


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第164話

本日投稿5話目です。


玄奘三蔵と孫悟空の天竺への旅が始まると、その旅の途中で一人、二人と仲間が増えていった。

 

先ずは猪八戒(ちょ はっかい)という猪の精霊の力を持った少年が仲間に入り、続いて沙悟浄(さ ごじょう)という河の精霊の力を持った少年が仲間に入った。

 

三蔵、悟空、八戒、悟浄の四人は遠い天竺へと向かって、広い中華を西へ西へと旅を続けていくのだった。

 

 

 

 

天竺への旅の途中、次の村まで後一日の距離といった所で、一行は野宿の準備をしていた。

 

「お師匠様!野兎を取ってきたぜ!」

 

ガキ大将の様な空気を持つヤンチャな美少年である八戒が、両手に野兎を持って一行が野宿をする場所に戻ってくる。

 

「八戒、君はお師匠様が生臭を食べないのを忘れたのですか?」

 

利発そうな雰囲気を持った美少年である悟浄は、八戒の行動に呆れた様にため息を吐く。

 

「あぁ?天竺までまだまだ遠いんだぞ!肉を食わなきゃ力が出ねぇだろうが!」

「僕達はただ天竺まで旅をしているのではありません。御仏の教えの元に修行をする身でもあるのです。その僕達が御仏の教えを忘れてどうするのですか?」

 

美少年二人が額を付き合わせて睨み合う。

 

その光景はとある嗜好を持つ淑女にとっては暖かい目で見守る様な光景だろう。

 

そんな二人が睨み合う中に、弾む様な声を出しながら悟空が戻ってきた。

 

「三蔵~!熊をとってきたぞ!一緒に食おうぜ!」

 

天真爛漫な雰囲気を持つ悟空もまた美少年である。

 

そんな悟空を指差して八戒が声を上げた。

 

「見ろよ!悟空だって肉を持ってきたじゃねぇか!」

「君達は御仏の教えを何だと思っているのですか?!」

「三蔵~、早く食おうぜ。俺、腹減っちゃったよ。」

 

見目麗しい美少年三人に囲まれたこの状況に三蔵は息を吐くと、合掌して目を瞑り精神統一を始めた。

 

そして…。

 

(これも御仏の与えし試練なのですね…。)

 

完全に濡れ衣である。

 

むしろこういった状況を造り出すのは御立派な神の方だ。

 

悟空を送り出して『涅槃』に戻ったシッダールタは苦笑いをしているだろう。

 

心を落ち着けた三蔵は目を開いて微笑みを浮かべる。

 

「悟浄、御仏は善意による施しを受け取る事を禁じていませんよ。貴方も悟空と八戒に悪意がない事はわかっているのでしょう?」

「はい…もうしわけありません、お師匠様。」

「謝る相手は私ではなく、悟空と八戒ですよ。」

 

三蔵の指摘に悟浄は気まずそうにするが、悟空と八戒に向き直る。

 

「…すいませんでした。」

「おう!わかればいいんだよ!」

「そんなことより、早く食おうぜぇ。」

 

頭を下げる悟浄の肩に八戒は腕を回し、そんな二人の間に入る様にして悟空は笑顔で後ろからじゃれついている。

 

とある嗜好を持つ淑女にとっては鼻に熱いものが込み上げてくる様な光景であろう。

 

しかし三蔵は合掌をして精神統一の為に経を唱えて煩悩を打ち払おうとする。

 

すると『金箍児』が締まってしまい悟空が悲鳴を上げる。

 

三蔵は悟空に平謝りをすると、四人で一緒に食事の準備を始めたのだった。




これで本日の投稿は終わりです。

拙作の法師様御一行は美ショタ三人の逆ハーレムとなりました。

FGOの方ではどうなのでしょうかね?

作者の八戒の容姿イメージは黄飛虎をショタ化した感じで、悟浄は赤ず〇んチャチャのしいねの様な感じですね。

それと法師様のキャラが違うと思いますが、まだ修行中という事でどうかご容赦を…。

また来週お会いしましょう。


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第165話

本日投稿1話目です。


「それじゃしばらく中華のことを頼んだよ、士郎、王貴人。」

 

そう言い残すと、老師は哮天犬の背に乗って旅立っていった。

 

老師を見送った私は小さくため息を吐く。

 

「どうした、士郎?」

「いや、何でもないよ、王貴人。」

 

そう言って微笑みを返すが、王貴人は私の心を見透かす様に見据えてくる。

 

「私に言えない様な事か?」

「いや、そうではない。」

 

やれやれ、付き合いが長くなると隠し事の一つも出来なくなる。

 

もっとも、欠片も嫌ではないがな。

 

「玄奘三蔵はわかるか?」

「悟空と一緒に天竺へと旅を始めた者だろう?」

「あぁ。その玄奘三蔵なのだが、私が知る『世界』では少なくと五百年以上先に生まれた人物なんだ。」

 

私がそう告げても、王貴人には欠片も動揺が見られない。

 

「そうか。」

「驚かないのか?」

「今この時に在る事が事実であり、これから紡がれていく歴史になる…そうだろう?」

 

確かに、王貴人の言う通りだ。

 

「まったく…士郎の心配性というか苦労性は変わらないな。」

「…あぁ、そうだな。」

 

私が生きている『この世界』が原典になっている以上、『この世界』の歴史は如何様にも変わる。

 

何百年経とうとも同じ事を繰り返してしまう辺り、これが私の性分なのだろう。

 

その事が可笑しくて私は失笑してしまう。

 

そんな私の両頬を、王貴人が引き伸ばす。

 

「バカ者。今の士郎は独りじゃないんだ。そんな皮肉な笑い方をするな。」

 

そう言って微笑んだ王貴人は、私に唇を重ねてきたのだった。

 

 

 

 

士郎と王貴人が唇を重ねていた頃、二郎は哮天犬に乗ってケルトの影の国を訪れていた。

 

「よう来たのう、ゼン。」

 

麗しい容貌の女性が姿に合わない老成した話し方をする。

 

この女性の名はスカサハ。

 

ケルトの影の国を統べる女王であり、二郎がギルガメッシュやエルキドゥと共に世界中を旅していた時に出会った知己の一人だ。

 

「わざわざ俺に使者を寄越してまで会いたい理由はなんだい、スカサハ?」

「御主が弟子をとったという風の噂を聞いてな。それで少し話を聞いてみたくなってのう。」

 

二郎が士郎を弟子にしたのは千年程前になるのだが、二郎は中華で二郎真君を、中華の外でゼンを名乗っている事もあり、二郎の情報が中華の外に伝わるのは百年単位で遅くなる事があるのだ。

 

二郎はスカサハの要望通りに士郎の話をしていく。

 

「ふむ、儂も弟子をとってみるか。ちょうど有望そうな若い奴の噂を聞いているからな。」

「へぇ、誰だい?」

「太陽神ルーが人の女を孕ませて産ませた子供だ。名をセタンタというのだが、其奴は『光の御子』などと呼ばれ、その才気を人々に称賛されておる。」

 

ケルトの太陽神ルーは、ケルトの神々の中で最も万能な存在だ。

 

その太陽神ルーの血を色濃く継いだセタンタは、まだ幼少の身ながらケルトの戦士達を驚かす程の才を持っている。

 

その話を聞いて幼少時のギルガメッシュの事を思い出した二郎は、セタンタに興味を持った。

 

「へぇ、その子を見てみたいな。」

「そう言うだろうと思っておった。ゼンよ、其奴が儂の弟子となりうる才を持っているか見極めてきてくれぬか?」

「あぁ、いいよ。」

 

二郎は微笑みながらスカサハの言葉を快諾する。

 

そしてスカサハからセタンタの居場所を聞いた二郎は、哮天犬に乗ってセタンタの見物に向かったのだった。




本日は5話投稿します。

次の投稿は9:00の予定です。


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第166話

本日投稿2話目です。


「ここか?竜よりも強ぇ猛犬がいるっていうのは。」

 

眉目秀麗ながら野性味を感じさせる容貌の美少年が、ニヤリと口角を引き上げる。

 

この少年の名はセタンタ。

 

ケルトの太陽神ルーの血を色濃く継いだ男の子である。

 

この少年はそれほどの身でありながら供も連れずに一人でケルトのとある家に訪れている。

 

少年の目的は彼の言葉通りに猛犬にあるのだが、猛犬を見る事が目的ではない。

 

猛犬と戦う事が目的なのだ。

 

「これは『光の御子』様、我が家になにようですかな?」

 

家の主たる男が現れると、セタンタは男に挑戦的な目を向ける。

 

「ここに竜より強ぇ猛犬がいると聞いた。」

「おっしゃる通りに我が家の猛犬は竜をも噛み殺しております。」

「へっ、そうか。なら、俺と戦わせろ!」

 

セタンタの言葉に猛犬の主は眉を寄せる。

 

「光の御子様、我が家の猛犬は手加減など出来ませんぞ?」

「上等じゃねぇか。」

「御身の命が危うくなるやもしれぬのですぞ?」

「はっ!ケルトの戦士に死を怖れて戦いを避けろってか?笑わせるぜ!」

 

ケルトの戦士にとって勇を示す事ことは誉れである。

 

セタンタはまだ幼少の身であるが、そのケルトの戦士としての心意気を身に付けていた。

 

猛犬の主は困ってしまった。

 

ケルトの流儀ではセタンタが望んだ戦い故に、猛犬がセタンタを噛み殺しても問題はない。

 

だがセタンタの父である太陽神ルーの逆鱗に触れる可能性はある。

 

退けばケルトの者として最大の屈辱である臆病者の謗りを受け、セタンタを殺してしまえば太陽神ルーの怒りによって一族が滅ぼされるかもしれない。

 

猛犬の主はセタンタに言葉を返せなかった。

 

しかし、猛犬が主に近付くとペロリとその顔を舐めた。

 

竜をも噛み殺した猛犬は人の心を理解する程に賢かった。

 

主が思い悩んでいるのを察した猛犬は、主の為に死ぬことを決意した。

 

「お、お前…。」

 

震える主の顔をもう一度舐めると、猛犬はセタンタの前に立ち天に向かって哮える。

 

セタンタはニヤリと笑うと、見上げる程の巨体を持つ猛犬に素手で立ち向かったのだった。

 

 

 

 

「おぉぉ…。」

 

横たわる猛犬の亡骸に、猛犬の主がすがり付いて涙を流している。

 

その主の姿を見てセタンタは動揺した。

 

ケルトの戦士にとって己の勇を示す事は誉れだ。

 

だが今の己の心を占めるのは誉れではない。

 

まだ幼い少年であるセタンタにはそのことが理解出来なかった。

 

「おい、なんで泣いてるんだ?戦って勇を示すのは誉れだろ?」

「…家族を失えば、嘆き悲しむのは、当然でございます。」

「家族?」

 

今の時代、冬に飢えれば犬を食らうのは当然であった。

 

食料である筈の犬を家族と呼ぶ。

 

この事は理解出来なかったが、それでもセタンタは猛犬の主の大事なものを奪ってしまった事は理解した。

 

「…すまねぇ。」

 

セタンタの謝罪の言葉に、猛犬の主は目を向ける。

 

「光の御子様…一つだけお聞きしてもよろしいですか?」

「…あぁ。」

「我が子は勇ましかったですか?強かったですか?」

 

猛犬の主の言葉に、セタンタの心を激しい後悔が支配したのだった。

 

 

 

 

『セタンタ』

 

ケルト神話にあるアルスター伝説の主要人物であり、最大の英雄であるクー・フーリンの幼少時の名である。

 

セタンタの伝説の一つに、竜よりも強い猛犬との戦いがある。

 

この戦いでセタンタは大人の男性をも優に超える巨体を持つ猛犬を素手で殴り殺しているのだが、その戦いの後に猛犬の主が嘆き悲しむ姿を見て激しく後悔したと綴られている。

 

『セタンタ』

 

アルスター伝説に登場する最大の英雄の栄光は後年の騎士達に多くの影響を与えたが、その栄光の影には成長の糧となった失敗も多く存在するのだった。




次の投稿は11:00の予定です。


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第167話

本日投稿3話目です。


「すまねぇ!」

 

涙を流し続けている猛犬の主にセタンタは頭を下げる。

 

「詫びにもならねぇがゲッシュを誓わせてくれ。俺は二度と犬を食わねぇと!」

 

ゲッシュとは一言で言えば『星』や『世界』に誓う制約だ。

 

この制約を厳守する限り『星』や『世界』から多大な恩恵を得られるが、一度破れば禍が訪れるのである。

 

それを聞いた猛犬の主はやんわりと首を横に振る。

 

「それでは冬に飢えた時に犬を食べるしかなければ、光の御子様は飢えてしまいます。」

「構わねぇ。俺はそれだけの事をしちまったんだ。」

「少しいいかい?」

 

猛犬の主とセタンタが互いに譲らずにいると、突如虚空から一人の男が姿を現した。

 

驚きながらもその男に目を向けると、セタンタの総身に鳥肌が立った。

 

(なにもんだ…こいつ。)

 

極自然体で立っているだけなのに虚空から現れた男は圧倒的な強さを感じさせる。

 

セタンタのケルトの戦士としての本能が騒ぎだす。

 

この男と戦いたいと。

 

猛犬を殺してしまった後悔を忘れたわけではない。

 

だが、挑みの血の沸き立ちを抑える事が出来ないのだ。

 

「おい、てめぇ!俺と戦え!」

 

男はセタンタに興味なさげに振り向く。

 

「そこの猛犬の主と話があるから、その後でもいいかい?」

「血が沸き立ってしょうがねぇんだ!待ってられるか!」

 

問答無用とばかりにセタンタは男に殴り掛かる。

 

しかし話の成り行きを黙して見ていた猛犬の主が瞬きをすると、次の瞬間には地に倒れているセタンタの姿があったのだった。

 

「これで静かになったね。君がそこの犬の主でいいのかな?」

「は、はい。」

 

猛犬の主は驚きを隠せない。

 

殺さぬ様に猛犬が加減をしたとはいえ、セタンタは竜をも噛み殺した猛犬を殴り殺している。

 

そのセタンタを目の前の男は瞬きの間に倒してのけたのだ。

 

猛犬の主でなくとも、ケルトの者ならば皆が驚くだろう。

 

「さて話なんだけど、そこの犬を生き返らせてもいいかな?」

「…はい?」

「あぁ、心配はいらないよ。ちゃんと生前の魂を喚び戻すから。」

 

そうではないと言いたいが、猛犬の主は驚きすぎて声がでない。

 

「返事がないけど、生き返らせてもいいのかな?」

 

猛犬の主は了承を示す為に何度も首を縦に振る。

 

「よし、それじゃ手早く反魂の術をしてしまおうか。」

 

なにやら準備を始めた男を、猛犬の主はしばし呆然と見詰める。

 

ハッと気を取り戻した猛犬の主は男に声を掛けた。

 

「あ、あの…失礼ですが、貴方様は?」

 

猛犬の主の問い掛けに、男は振り向いて微笑む。

 

そして…。

 

「俺はゼン。ケルトでは放浪の神なんて呼ばれる事もあるね。」

 

男が名乗ると、猛犬の主は慌てて地に膝をついて頭を垂れたのだった。

 

 

 

 

アルスター伝説の一節には次の様に綴られている。

 

『竜をも噛み殺した猛犬を殴り殺したセタンタだが、猛犬の主の嘆く姿を見て激しく後悔をした。』

 

『激しく後悔をしたセタンタは犬を食べないとゲッシュを誓おうとしたが、そこに放浪の神ゼンがぶらりと現れる。』

 

『放浪の神ゼンを見たセタンタはケルトの戦士として戦いを挑んだが、猛犬の主が瞬きをする間に気絶させられてしまう。』

 

『セタンタを気絶させた放浪の神ゼンは猛犬の忠義を称賛し、猛犬を生き返らせた。』

 

世界各地の伝承や神話に登場する放浪の神ゼンだが、その名はアルスター伝説にも残されている。

 

今回の一節で放浪の神ゼンは猛犬を生き返らせているのだが、放浪の神ゼンは犬の神獣に乗って世界を放浪していたという話もあるので、生き返らせた理由は単に犬好きだったからではという一説もある。

 

その一説の真偽は定かではないが、ケルト神話において犬は強さと忠義を併せ持つ存在として語られ、後の時代の騎士達に大切に扱われる様になるのだった。




次の投稿は13:00の予定です。


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第168話

本日投稿4話目です。


「戻ったか、ゼン。それで、セタンタはどうじゃった?」

 

猛犬を反魂の術で蘇らせた二郎はケルトの影の国に戻ってきていた。

 

「太陽神ルーの血を継いでいるだけあって、英雄になりえる才はあったよ。」

「その割りには興味なさそうじゃが?」

「考えられる知性があるにもかかわらず考えなかった結果、戦いの後に後悔を残していたからね。あれでは猛犬の気高き魂が浮かばれない。」

「随分と厳しいのう。セタンタはまだ子供ぞ。」

「俺は犬が好きだからね。食べるわけでもないのに戦い、更に後悔する様な奴は子供でも嫌いだよ。」

 

そう言った二郎は哮天犬の背に乗ってケルトを去っていった。

 

「やれやれ、セタンタが弟子になったら先ずは戦士としての在り方を教えねばな。誰彼構わず噛みつくだけの狂犬のままでは、たとえ太陽神ルーの血が流れていようともゼンに滅ぼされるであろうからな。」

 

かつてのスカサハは不老故に生に飽き、死を望んでいた。

 

そんな時にギルガメッシュやエルキドゥと旅をしていた二郎と出会ったスカサハは、二郎に戦いを申し込み死を体験していた。

 

それ以来スカサハは死を望まなくなったのだが、悠久の時を生きる為の暇潰しを求める様になったのだ。

 

「さて、セタンタは影の国まで辿り着けるかのう?楽しみじゃ。」

 

スカサハは妖艶な笑みを浮かべると、大声で笑い出したのだった。

 

 

 

 

「…っ!?」

 

腹部に鈍痛を感じたセタンタがゆっくりと身体を起こす。

 

「お目覚めになられたようですな、光の御子様。」

 

猛犬の主の声に振り向くとセタンタは驚いて目を見開く。

 

間違いなく己が殺した筈の猛犬が、元気な姿で主の側に控えていたからだ。

 

「お、おい…そいつは…。」

「ゼン様が生き返らせてくださったのです。」

「ゼン?」

「はい。放浪の神ゼン様…光の御子様が戦いを挑まれた御方です。」

 

猛犬の主の言葉にセタンタが反応する。

 

「あいつは放浪の神ゼンだったのか?!」

「はい。」

 

まだ少年のセタンタでも放浪の神ゼンの逸話は知っていた。

 

曰く、長腕のルーとの力比べで勝利した。

 

曰く、影の国の女王と戦い退けた。

 

曰く、猛犬を容易く喰らった竜を一人で討伐した。

 

ケルトに残る放浪の神ゼンの数多の武勇伝は、勇猛なケルトの戦士の尊敬を集めている。

 

セタンタも放浪の神ゼンに敬意を抱いているケルト人の一人だ。

 

「あれが…放浪の神ゼン…。」

 

腹部に残る鈍痛にセタンタの口角がつり上がる。

 

「光の御子様、放浪の神ゼン様より言伝てを預かっております。」

「なんだ?」

「『強くなりたくば影の国の女王を訪ねよ。』…そう言い残されました。」

「影の国…。」

 

ケルトの死者の魂が集まるのがスカサハが統べている影の国である。

 

その影の国はケルトの勇猛な戦士達でも怖れて近付かない様な危険な場所にあるのだ。

 

「へっ、その程度の困難は乗り越えてみせろってか?」

 

完全にセタンタの勘違いである。

 

二郎は既にセタンタから興味を失っている。

 

ただ知己のスカサハの頼みを果たしただけなのだ。

 

「そこの猛犬の件…改めて悪かった。」

「いえ、もう過ぎた事です。それにこうして生き返ったのですから、私に遺恨はございません。」

 

猛犬の頭を撫でる主の姿に、セタンタは笑みを浮かべる。

 

「あんたの猛犬、強かったぜ。それじゃ、俺は帰るわ。」

 

少年とは思えない速さでセタンタは走り去る。

 

そして家に帰りついたセタンタは、母に影の国への行き方を訪ねるのだった。




次の投稿は15:00の予定です。


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第169話

本日投稿5話目です。


「二郎よ、ちょうどよいところに戻ったな。」

 

ケルトから中華へと帰ってきた二郎は、その足で天帝に帰還の報告をしに宮へとやって来ていた。

 

「伯父上、どうかしたのですか?」

「うむ。玄奘三蔵達の旅先で少々面倒な事が起きてな。」

 

二郎が首を傾げると天帝は事の詳細を説明していく。

 

「玄奘三蔵一行の旅先で牛魔王と名乗る者が中華の民に悪戯をしているのだが、その者の配下に金角と銀角という道士がおるのだ。」

「金角と銀角とは、俺の老師である太上老君様の神獣を世話していた道士ですよね?」

「うむ。その二人が牛の精霊の力を持つ牛魔王の配下になっている…怪しいと思わぬか?」

 

事の経緯を察した二郎は頭を掻く。

 

「老師にあまり構ってもらえずに拗ねた結果、ちょっと変化をして中華の民に悪戯をしている…ってところですか。」

「大方、そんなところであろうな。」

 

悠久の時を生きる道士や仙人は総じて時の経過を気にしない者が多い。

 

それこそ太公望の様に百年単位で寝暮らす者もいるくらいだ。

 

「それで伯父上、俺はどうしたらいいのですか?」

「ふむ…二郎よ、悟空達で牛魔王達に勝てるか?」

「牛魔王が老師の神獣である『板角青牛』なら今の悟空達では無理ですね。『板角青牛』はかつてウルクで暴れた天の牡牛と同等以上の力を持っていますから。金角と銀角は俺が少しだけ拳法を教えていますから、仙術封印していない状態の悟空でも辛うじて退けるのが精一杯でしょう。」

 

二郎の評を聞いて天帝はしばし考え込む。

 

「少しは玄奘三蔵一行に困難を経験させねばならぬか…順調過ぎる旅路故にな。」

 

考えを纏めた天帝は二郎に命を下す。

 

「二郎よ、金角達に中華の民への悪戯を止めさせ、悟空達と戦う様に仕向けよ。それをあやつらが犯した悪戯の罰とする。」

「わかりました。」

「うむ。それと適当なところで金角達を止めて連れ帰ってくれ。あやつらがいないせいか、太上老君が好き放題にぐうたらと寝暮らしておるのでな。」

 

包拳礼をした二郎は、早速とばかりかに哮天犬に乗って金角達の元に向かったのだった。

 

 

 

 

「ねぇ、金角。」

「なに、銀角?」

「僕達、こんなことをしていていいのかな?」

「仕方ないよ、板角青牛様が拗ねちゃったんだから。少しは憂さ晴らしをして気を晴らしてもらわないと、僕達が板角青牛様の雷を受ける事になるんだもん。」

 

金髪と銀髪の見目麗しい双子の美少年がひそひそと会話をしている。

 

この二人が金角と銀角である。

 

金角と銀角は二郎の弟弟子となる道士なのだが、道士の修行の一環として太上老君の神獣である板角青牛の世話をしているのだ。

 

「でも、中華の人々に悪戯をしているのが二郎真君様に知られたら…。」

「もう知ってるよ。」

「「うわぁぁぁあああああ!!」

 

突如虚空から現れた二郎が背後から声を掛けると、金角と銀角は驚きながら飛び上がった。

 

「「じ、二郎真君様…。」」

「二人共、悪戯はもう終わりだよ。」

「「はい…」」

 

縮こまった弟弟子達の姿に、二郎は困った様に苦笑いをする。

 

「そう怖れずとも大丈夫だよ。大した罰は受けないから。」

「「本当ですか?」」

「うん、とある旅の一行と少し戦ってもらうだけだよ。」

 

二郎の言葉に金角と銀角は揃って首を傾げると銀角が疑問を口にする。

 

「二郎真君様、その旅の一行とは?」

「玄奘三蔵を知っているかい?」

「『覚者』ガウタマ・シッダールタの教えを信仰している僧だったと思います。」

「うん、その玄奘三蔵一行を成長させる為に、二人と板角青牛には殺さない程度に玄奘三蔵一行と戦ってもらうよ。それを悪戯をした罰にするからね。」

 

金角と銀角は顔を見合わせた後、金角が疑問を口にする。

 

「二郎真君様、成長させる為と言われましたが玄奘三蔵達は道教の者ではありません。よろしいのですか?」

「中華の者だからね。伯父上は教えの違いなど気にしないさ。」

 

信仰の違いが戦争にまで発展する事が当たり前の今の時代において、天帝の考えは異端と言えるだろう。

 

近年では儒教や仏教が中華に少しずつ広まり始めているが、それでも二郎や王夫妻の活動のおかげで道教の信仰者の数には遥か遠く及ばないのだ。

 

「それじゃ、俺は板角青牛の所に行ってくるから、二人は先に玄奘三蔵一行と戦いに行ってね。」

 

二郎が牛魔王の所に向かうと、金角と銀角は顔を見合わせてため息を吐いたのだった。




これで本日の投稿は終わりです。

ちなみに作者の金角、銀角の容姿イメージはナイ〇&マジックのエルくん似の美ショタです。

また来週お会いしましょう。


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第170話

本日投稿1話目です。


玄奘三蔵一行は立ち寄る村々の人々を救済しながら順調に中華を西へと旅を続けていた。

 

そんな玄奘三蔵一行の前に二人の美少年が姿を現す。

 

そして…。

 

「ちょっと待ってください!」

「僕達と戦ってください!」

 

二人の美少年の言葉に玄奘三蔵一行は首を傾げる。

 

シッダールタの教えの元に修行をしながら旅を続けている玄奘三蔵一行だが、立ち寄った村の民を救う為に賊と戦う事もあった。

 

だが、目の前の美少年二人はどう見ても賊には見えない。

 

それ故に三蔵は二人に問いを投げた。

 

「貴方達が私達と戦いたい理由はなんですか?」

 

三蔵の問いに二人の美少年は顔を見合わせる。

 

そして顔を寄せるとヒソヒソと相談を始めた。

 

「銀角、どうしようか?二郎真君様は何も言ってなかったよね?」

「うん。でも、僕達は罰として戦わなきゃいけないし…。」

 

腕を組んで悩む二人の美少年の姿に、玄奘三蔵一行は首を傾げる。

 

「なぁ、三蔵。あの二人はどうしたんだ?」

「悟空、私にもわかりません。ですが、何かしらの事情はあるようですね。」

 

話が纏まったのか、二人の美少年は玄奘三蔵一行に向き直った。

 

「僕達は最近名を上げて来ている貴方達と戦って腕試しをしたいんだ!」

「貴方達は一杯賊を倒していると聞いてますから!」

 

現在の中華は頭に黄色の頭巾を被った者達が『黄巾党』を名乗り、中華全土で打倒漢王朝の為に動き始めている。

 

その黄巾党の動きに乗じて中華の民に乱暴狼藉を働く賊が増えているのだが、その賊を討つことで武を示し、名を上げようとしている者も増えているのだ。

 

そういった中華の事情もあるので二人の美少年の言も一応は納得出来るのだが、その前の状況を考えた三蔵はいまいち納得がいっていなかった。

 

だが、二人の美少年の言葉を聞いた悟空、八戒、悟浄は戦う気満々になってしまった。

 

「面白そうじゃん!早くやろうぜ!」

「へっ、俺達も名が売れてきたか。」

「悟空、八戒、お師匠様の教えの素晴らしさを示す為にも負けられませんよ。」

 

悟空達の様子に困ってしまった三蔵だが、手合わせ程度ならばと静観を決めた。

 

決して美少年達を愛でるためではない。

 

…ためではない!

 

三蔵は合掌をして精神統一をする。

 

そして…。

 

(これも未熟な私に与えられた御仏の試練なのですね…。)

 

盛大に勘違いをしている三蔵を差し置き、悟空達と二人の美少年は戦いを始めたのだった。

 

 

 

 

「お久し振りですね、二郎真君様。」

 

短く整えられた青い髪と顎髭を持ち、額に見事な一本角を生やしたこの大柄な壮年の男が人に変じている板角青牛である。

 

「久し振りだね、板角青牛。牛魔王を名乗って悪戯をする日々は楽しかったかい?」

「腐敗した漢王朝の下では、民も中々笑福とはいきませんでしたね。」

 

そう言う板角青牛が行ってきた悪戯は邪仙に比べれば些細なものだ。

 

例えば、とある村の飲み水を仙桃で酒に変える。

 

例えば、とある男性二人に幻術を掛けてお互いを美女に見える様にして恋愛をさせる…といった具合だ。

 

前の悪戯は逆に感謝された事が多く、後の悪戯は…まぁ、新たな道に目覚めた者もいるので悪い事ばかりではないのだろう。

 

「それで、私は何をすればよろしいのですか、二郎真君様?」

「先に金角と銀角を行かせているんだけど、板角青牛達には玄奘三蔵一行と戦ってもらいたいんだ。」

「玄奘三蔵というと、近年流行りだした信仰に身を置くものだったと記憶していますが?」

 

板角青牛の言葉を二郎は首を縦に振って肯定する。

 

「うん、その玄奘三蔵だね。」

「何故にその者達と戦えと?」

「彼女達は天竺に向かって旅をしているんだけど、中華の外に出たら何かと手を出す輩が現れるかもしれないからね。少しは困難を経験して成長させようというのが伯父上の考えなんだ。」

「なるほど、信仰が違えども中華の民にかわりないと考えるとは、流石天帝様ですね。」

 

天帝の意図を理解した板角青牛はニコリと微笑む。

 

「太上老君様も、もう少し真面目になってくれたらよいのですが…。」

「道士や仙人は悠久の時を生きるからね。数百年ばかり怠けたって仕方ないさ。」

 

二郎がそう言って肩を竦めると、板角青牛はため息を吐いた。

 

「ところで二郎真君様。私達はどの程度、玄奘三蔵一行と戦えばよろしいので?」

「殺さない程度に加減をして何度か戦ってくれるかい。適当なところで俺が止めるからさ。」

「畏まりました。では、神獣の力の一端を若い者達にお見せするとしましょう。」

 

ニコリと微笑んだ板角青牛は二郎に包拳礼をしてから虚空へと姿を消したのだった。




本日は〇話投稿します。

次の投稿は9:00の予定です。


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第171話

本日投稿2話目です。


双子の美少年と戦い始めた玄奘三蔵一行は、天竺への旅を始めてから初めての苦戦を経験していた。

 

「八戒!大丈夫ですか!?」

「くっ!こいつら、強ぇ…」

 

双子の美少年が振るった棍に吹き飛ばされた八戒に悟浄が駆け寄る。

 

その光景を目にしていた三蔵は驚いて目を見開いていた。

 

(あの少年達…何者なの?)

 

驚きのあまり心の中で口調が砕けてしまっているが、三蔵がそうなるのも無理はないだろう。

 

何故なら八戒や悟浄だけでなく、悟空まで双子の美少年達に軽くあしらわれているのだから。

 

「おい、悟空!なにやってんだよ!腰がひけてるぞ!」

「だって…こいつらの動きが似てるんだよぉ。」

「似てるって誰にだよ!」

「二郎真君にだよぉ。」

 

悟空の言葉に三蔵達は驚いて身体を強張らせた。

 

「ご、悟空…二郎真君とは、あの二郎真君様ですか?」

「どの二郎真君かわからないけど、武神の二郎真君だよぉ。」

 

二郎真君。

 

中華の民なら赤子すら知ると言われる武神だ。

 

なぜ悟空が二郎真君の動きを知っているのかという疑問を三蔵は抱くが、それとは別に双子の美少年達の強さには納得がいった。

 

「へぇ、拳法は未熟だけど目はいいんだね。」

「うん、僕も驚いたよ。」

 

双子の美少年は左右対称の形で棍を地につくと、悟空を興味深そうに見ていた。

 

「もし、貴方達は二郎真君様とお関わりがあるのですか?」

 

三蔵の問い掛けに双子の美少年は顔を見合わせる。

 

そしてどちらともなく口を開こうとすると…。

 

「そこまでです。金角、銀角。」

 

突如虚空から額に見事な一本角を生やした壮年の男が姿を現し、双子の美少年の言葉を遮った。

 

「「牛魔王様!?」」

「金角、銀角、貴方達の目的を忘れてはいけませんよ。」

 

牛魔王と呼ばれた壮年の男の言葉に、双子の美少年達が俯く。

 

「そこの御方、その二人は名を上げる為に悟空達との手合わせを望んだと言っておりましたが…違うのですか?」

「さて、どうでしょうかね?」

 

壮年の男が惚けた様子を見せると、八戒が大声を出す。

 

「テメェ!ちゃんと答えやがれ!」

「答える義理はありません。さぁ、金角、銀角、今日のところは帰りますよ。」

「…今日のところは?」

 

三蔵の言葉に牛魔王は不敵な笑みを浮かべる。

 

「えぇ、今日のところはです。後日また来てお嬢さん達の旅路の足止めをさせていただきます。」

「足止め?僕達の旅を何故邪魔するのですか?」

 

悟浄が疑問の声を出すと、牛魔王は呆れた様にため息を吐く。

 

「貴方達は多くの村々を救ってきましたが、それで一つも恨みを買っていないと思っているのですか?」

「俺達はいい事をしてきたじゃねぇか!」

「そのいい事というのは何を基準にしているのですか?貴方達の価値観ですよね?」

 

牛魔王の言葉に八戒は意味がわからないと頭を掻きむしり、悟空と悟浄は首を傾げる。

 

「まぁ、未熟者に何を言っても無駄ですね。さぁ、金角、銀角、帰りますよ。」

 

牛魔王が金角と銀角の肩に手を乗せると、三人の姿が虚空に消える。

 

虚空に向かって八戒が叫ぶが、三蔵は牛魔王から受けた言葉を考え続けていたのだった。

 

 

 

 

「あのような形でよろしかったですか、二郎真君様?」

 

牛魔王として中華で悪戯をしていた時の根城に戻ると、板角青牛は二郎に問い掛ける。

 

「うん、問題ないよ。」

「金角と銀角の不始末は私の責任です。」

「俺の言葉が足らなかったのもあるからね。手合わせの形にしてしまったのも仕方ないよ。」

 

板角青牛達を玄奘三蔵一行と戦わせる目的は困難を経験させて成長させるためにある。

 

これは中華の外で他宗教の信仰者との争いになっても、玄奘三蔵一行が生き残れる様にと天帝が配慮したからだ。

 

「それじゃ、後は適当によろしくね。」

「お任せを。玄奘三蔵一行が中華の外に出ても生き残れる様に鍛えて差し上げます。」

 

二郎は板角青牛の言葉に微笑むと、虚空に姿を消したのだった。




次の投稿は11:00の予定です。


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第172話

本日投稿3話目です。


「くそっ!あいつら何なんだよ!」

 

金角と銀角との三度目の戦いを終えた後、全身に打撲を負った八戒が地に身体を投げ出しながらそう叫んだ。

 

「あの双子は金角と銀角だったっけ?」

「そう言っていましたね。」

「ふんっ!次はぶっ飛ばしてやらぁ!」

 

悟空の疑問に悟浄が答えると、八戒が苛立ち気に鼻を鳴らした。

 

「ですが八戒、あの二人は強いですよ。なにか策はあるのですか?」

「んなもんねぇよ。バッといってガッとやりゃなんとかなんだろ。」

「それでなんとかならなかったから、今の状態になっているんじゃないですか。」

「うっせぇ!悟浄だって大して変わんねぇだろ!」

 

天竺への旅を始めてから初めての苦戦に、まだ未熟な悟浄と八戒は苛立っていた。

 

「なぁ、三蔵。何をずっと考えているんだ?」

 

悟空の問い掛けを聞いた悟浄と八戒が三蔵に目を向ける。

 

「牛魔王の言葉を考えていました。」

「俺達が誰かに恨まれてるってやつか?」

「はい。私は御仏の教えの元、慈悲の心で人々を救ってきたつもりでした。ですが、私の行いが新たな恨みを造り出しているのならば、私の行いは間違っていたのではないかと…。」

 

シッダールタの教えに対する信仰は変わらないが、己は過ちを犯したのではないかと三蔵は悩む。

 

しかしそんな三蔵の言葉を聞いた悟空は首を傾げた。

 

「三蔵はなにも間違ってないだろ?だって、俺達が助けた人達は笑顔になってたじゃんか。」

「ですが、それで救われなかった人もいると考えたら…。」

「手の届かない人も助けるなんてお師匠様でも無理だよ。それにお師匠様は救われたいと願ってる人じゃないと救えないって言ってたぜ。」

 

悟空の言葉がストンと心に落ちたのを感じた三蔵は新たに疑問を感じる。

 

「悟空、気になったのですが…貴方のお師匠様とはどなたですか?」

「俺のお師匠様か?俺のお師匠様はガウタマ・シッダールタっていうんだ。桃源郷で一杯話をしてもらったんだぜ。」

 

笑顔の悟空の言葉を聞いた三蔵は、気が遠くなって身体を地に横たえたのだった。

 

 

 

 

「ふふ、悟空も少しずつ成長していっているようですね。」

 

『涅槃』から三蔵一行の旅を見守っていたシッダールタは、嬉しそうに微笑む。

 

「しかしシッダールタよ、金角や銀角達をけしかけられているのはよいのか?」

「去れ、マーラよ!」

 

気軽に問い掛けてくる御立派な神に、シッダールタはコメカミに青筋を浮かべる。

 

「はぁ…。ゼン様と天帝様の御配慮は大変ありがたいものですよ、マーラ。かつて私が生きたあの地は、今では私の教えを学ぶ者達と別の教えを学ぶ者達が争いを繰り広げています。そんなかの地に私の教えを学ぶ者が行けば、争いは避けられぬものになるでしょう。」

 

今の時代のインドでは幾つもの宗教が争いを繰り広げている。

 

信仰の違いが争いに発展するのは人の時代が始まる前から続いている事だが、自らの教えを学ぶ者達も同じ様に争っているのを見て、シッダールタは『涅槃』で心を痛めているのだ。

 

「救いをもたらす教えを学ぶ者達が人々を救わずに争うか…人の欲は果てのない事よ。」

「だからこそ私は弟子達を『解脱』に導こうとしたのですがね。」

「人の身で『解脱』を成せるのはシッダールタぐらいであろうよ。もっとも、少し前に人の身で『原罪』を背負った男もおったがな。」

 

百年程前にとある神の子がゴルゴダの丘で人の『原罪』を背負って天へと召されたのだが、御立派な神がその事を話すとシッダールタは興味を持った。

 

「『原罪』を背負ったですか…一度、その御仁に会ってみたいですね。」

「我が紹介してもよいぞ。」

「マーラよ、その御仁にお前はどう呼ばれているのですか?」

「『誘惑の悪魔』よ。」

「去れ、マーラよ!」

 

己と同じ様な苦労をしたであろう神の子を思うと、シッダールタは大きなため息を吐いたのだった。




次の投稿は13:00の予定です。

拙作の御立派様は世界三大宗教の二つに名を残す御立派な存在になりました。

流石御立派様ですな!


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第173話

本日投稿4話目です。


気を取り戻した三蔵は悟空からシッダールタの話を聞き出そうとする。

 

そんな三蔵に悟空は笑顔でシッダールタの事を語っていった。

 

「それでな、お師匠様が言うには『解脱』っていうのをしても欲を感じなくなるわけじゃないんだってさ。」

「では、何故に御仏は『解脱』をなさったのでしょうか?」

「お師匠様も死ぬのが怖かったって言ってたぞ。それで『解脱』をしようと思ったんだってさ。」

 

頭の後ろで両手を組みながら話す悟空の姿に八戒と悟浄、そして三蔵は引き込まれていく。

 

三蔵達は悟空からシッダールタの話を聞き続けていく。

 

シッダールタの教えを学ぶ三蔵達にとって、シッダールタの直弟子である悟空から聞く話はとても貴重なものなのだ。

 

悟空の話を聞き続けていると、気が付けば日が暮れ始めていた。

 

話を中断して夜営の準備を始めると、不意に八戒が悟空に問い掛けた。

 

「悟空、そういえばお前、金角と銀角の動きが二郎真君様に似てるっていってたけど…なんで知ってんだ?」

 

気になったのか、三蔵と悟浄も悟空に目を向ける。

 

すると…。

 

「あぁ、俺、二郎真君と戦ったことがあるんだ。」

 

この日、何度目になるかわからない驚きに目を見開くと、三蔵はまた気が遠退くのを感じたのだった。

 

 

 

 

悟空が二郎の事を語り始めた頃、話題の当人である二郎は『涅槃』に訪れていた。

 

「初めまして、僕はイエスっていいます。ゼンさんの事は父さんからよく聞いていますよ。」

「初めましてだね、イエス。知っているみたいだけど、俺はゼンだよ。」

 

『涅槃』にて神の子と出会った二郎は、一つの信仰を造り出した男とは思えない気さくな態度に興味を持った。

 

「ところでシッダールタ、イエスとはどういった経緯で縁を持ったんだい?」

 

二郎の問い掛けにシッダールタは『涅槃』の一角に目を向ける。

 

そこには神の子を守護する天使達と戦う御立派な神の姿があった。

 

「グワッハッハッハッ!その程度ではモノ足りぬわ!」

 

御立派な身体をブルンブルンと振るわせて天使達を弾き飛ばすその光景に、シッダールタは頭を抱える。

 

「一応、『あれ』のおかげでイエスと知己を得ました。」

「いやぁ、まさかシッダールタも誘惑の悪魔の試練を越えていたとは思いませんでしたよ。」

 

二人がそう話している間にも天使達は御立派な神の身体に弾き飛ばされたり、御立派な神から"たたり生唾"をかけられたりしている。

 

「怯むな!神の子を御守りするのだ!」

「なんで私にばかり、たたり生唾を使ってくるんですか!?」

「くっ!モノが違う…!」

 

彼等の戦いは混沌とした様相となってきたが、シッダールタは見なかった事にする。

 

「それでシッダールタ、俺に用というのはイエスと会わせたかったのかい?」

「それもあるのですが、私の教えを学ぶ者達にまでお心配りいただいた事に感謝の一言を述べたかったのです。ゼン様、ありがとうございます。」

「その言葉は伯父上に言ってほしいな。俺は伯父上の命に従っただけだから。」

「それでも私は、ゼン様にも感謝を述べたかったのです。」

 

合掌をして頭を下げるシッダールタの姿に、二郎は肩を竦めた。

 

「ところでイエス、一ついいかな?」

「なんですか、ゼンさん?」

「君の守護天使達はあのまま放っておいていいのかい?」

 

二郎の言葉でイエスとシッダールタがそちらに目を向ける。

 

そこには御立派な身体をそそり立たせて勝鬨を上げる御立派な神と、心折れかけている守護天使達の姿があったのだった。




次の投稿は15:00の予定です。


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第174話

本日投稿5話目です。


天竺を目指して中華を西へと旅している玄奘三蔵一行だが、金角と銀角と戦う様になってからはその歩みが遅々として進まなかった。

 

金角と銀角との戦いで傷付く度に旅を中断して身体を休める。

 

そして傷が癒えたら旅を再開しようとするが、それを見計らった様に金角と銀角が襲い掛かってくる。

 

その繰り返しをしていたら、いつの間にか一年が過ぎていたのだった。

 

 

 

 

「悟空、大丈夫ですか?」

「うん、俺は平気だよ。」

 

傷が癒える度に金角と銀角が襲い掛かってくる様になって既に一年、悟空は慣れたものだと笑顔を見せていた。

 

「くっそー…手応えはあるんだけどなぁ…。」

「今回は本当にあと一歩という感じでした。」

「次は絶対に勝ってやるぜ!」

 

八戒と悟浄も傷付きながらも元気な様子に、三蔵は安心したようにホッと息を吐く。

 

「あっ、三蔵。あっちに黄色の布を頭に巻いている奴がいるぞ。」

 

ここ最近の中華では黄巾党の活動が本格的に活発化し始めていた。

 

蒼天既に死す、黄天立つべし。

 

この言葉を声高に叫び、中華の到る所で彼等は漢王朝に反逆的な行動をしている。

 

それにより、力なき中華の民が泣くことになろうともだ。

 

「悟空、八戒、悟浄、動けますか?」

「おう!俺は大丈夫だぜ!」

「任せてくれよ、お師匠様!この八戒様が黄巾党の連中を懲らしめてやるさ!」

「彼等に太平道ではなく、御仏の教えの素晴らしさを知ってもらいましょう。」

 

三蔵達は立ち上がると、近場の村に向かっていた黄巾党の一団の元に向かうのだった。

 

 

 

 

「ふむ、今回は随分と手傷を負って帰ってきましたね。金角、銀角。」

「悟空達も結構強くなってきたんですよ、板角青牛様。」

「仙術を使わないと、僕達ではきつくなってきました。」

 

悟空、八戒、悟浄の三人は精霊の力を宿しているので元々の身体能力は高かった。

 

だが身体能力が高い故に、戦闘技術がおざなりだった。

 

しかし、その戦闘技術も金角と銀角との戦いを重ねて盗み、学んだ事で飛躍的な成長を遂げているのだ。

 

「では、そろそろ私が出るとしましょうか。」

「まだ早くないですか、板角青牛様?」

「僕達でもまだ大丈夫ですよ?」

 

金角と銀角の言葉に、板角青牛は不敵に笑う。

 

「二郎真君様に悟空達を鍛えると言ってしまいましたからね。それに中華の地も何やら騒がしくなってきました。玄奘三蔵達が戦に巻き込まれぬ様に、少し急ぐことにします。」

 

板角青牛の言葉に金角と銀角は頷く。

 

そして後日、悟空達と戦った板角青牛は、悟空達をまだ未熟と言わんばかりに圧倒したのだった。




これで本日の投稿は終わりです。

やる気充電の為に来週の投稿はお休みさせていただきます。

11月25日にまたお会いしましょう。


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第175話

本日投稿1話目です。


玄奘三蔵一行が牛魔王を名乗る板角青牛と戦う様になって一年が過ぎていた。

 

金角と銀角の二人とはそれなりに戦える様になって自信が付き始めた矢先に、板角青牛に圧倒された玄奘三蔵一行は天竺への旅の足を止め、強くなる為の修行を始めたのだった。

 

 

 

 

「うおぉぉぉりゃあぁぁぁああ!」

 

八戒が力任せに武器を振るうのを悟浄が正面から受け止める。

 

猪の精霊の力を持つ八戒の膂力は殷周革命時代の英雄にも匹敵するが、河の精霊の力を持つ悟浄も八戒に劣らぬ膂力を持っている。

 

「はっ!」

 

一息おいて八戒を押し返した悟浄は押し返した勢いのまま武器を振るうが、八戒は地を転がって攻撃を避けると、立ち上がる勢いを利用して武器を振るう。

 

お互いに膂力に任せた戦いだが、金角と銀角との戦いを経験した事で『戦い』の才は磨かれていた。

 

しかし『戦う者』としては少年の見た目相応に未熟としか言いようがなく、悟空と八戒と悟浄は強くなる為の修行を始めてから伸び悩みを感じていた。

 

「三蔵、俺、メシを取ってくるよ。」

「えぇ、悟空、気を付けていってきてください。」

 

八戒と悟浄の手合わせを見守っていた三蔵に見送られ、悟空は今日の獲物を探しに向かう。

 

その獲物探しの最中、悟空は伸び悩みの理由を考えていた。

 

「う~ん…俺達と牛魔王達との違いは何だろう?」

 

幾度も金角と銀角との戦いを経験した事で戦い慣れたという感覚はある。

 

しかし、それ故に牛魔王達との力の差も明確にわかる様になっていた。

 

ただ思うがままに攻撃をしている自分達と違い、金角と銀角の動きはどこか洗練されているのを悟空は本能で感じ取っていた。

 

「やっぱり二郎真君と動きが似ているのが関係しているのかな?」

「そうだね、それが悟空達の伸び悩みの一番の理由かな。」

 

突如虚空から声を掛けられた事で悟空は驚いて飛び退く。

 

「び、びっくりしたぁ~…。驚かさないでくれよ、二郎真君。」

「シッダールタなら驚かないんだけどね。」

「俺とお師匠様を一緒にしないでくれよ。俺は『解脱』をしてないんだからさぁ。」

 

心臓に手を当てながら息を整える悟空の姿に、二郎は肩を竦める。

 

「それで、二郎真君は何をしに来たんだ?」

「伸び悩んでいる悟空達を鍛えてあげようかと思ってね。」

「本当か!?ありがとう、二郎真君!」

 

満面の笑みを浮かべる悟空に、二郎も笑みを浮かべる。

 

「あっ、そうだ。金角と銀角の動きが二郎真君に似ていたんだけど、あいつらも二郎真君が鍛えたのか?」

「うん、そうだよ。あの二人は俺の弟弟子だからね。」

「へぇ、どうりで強いわけだ。」

 

金角と銀角が強い理由を知り悟空は納得の声を上げたが、同時に疑問を持った。

 

「なぁ、二郎真君。金角と銀角はなんで俺達と戦うんだ?」

「あぁ、それはね…。」

 

二郎は事の経緯を悟空に教える。

 

「へぇ、天帝が俺達の為に経験を積ませてくれてるんだ。」

「天竺では今、シッダールタの教えとは別の教えが広まり始めているんだ。そこにシッダールタの教えを学ぶ悟空達が行ったら、まず間違いなく争いに巻き込まれるだろうね。その争いで悟空達が生き残れる様にって伯父上が考えたんだよ。」

 

中華では信仰の鞍替えを強要すると天帝の命により二郎が動く事になるため、宗教の勧誘は他の地に比べて非常に緩やかなものになっている。

 

そういった事もあって悟空は信仰の違いによる争いに実感を持っていなかった。

 

「さぁ、そろそろ獲物を獲って玄奘三蔵達のところにいこうか。あまり修行にもたつくと、中華で乱世が始まって巻き込まれるかもしれないからね。」

「漢王朝は滅ぶのか?」

「さぁ、どうだろうね?でも、黄巾党なんてものが中華全土に広がった事を考えると、時代の変わり目が来たんだと思うよ。」

 

既に数百年を生きた悟空だが、三蔵と旅を始めるまで世俗と関わりなく生きてきた事もあり、二郎の時代の変わり目という言葉に興味を持った。

 

「あっ、悟空、悟空達を鍛える間は俺の事を楊ゼンと呼ぶようにしてくれるかい。事の経緯が玄奘三蔵達にばれて板角青牛達との戦いで真剣にならなくなったら、戦いの意味がなくなるからね。」

「おう、わかった!」

 

 

 

 

「はぁ…。」

 

中華のとある街で腹まで伸びた立派な髭をたくわえた青年が憂いのため息を溢す。

 

この青年は姓を関、名を羽、字を雲長という者で、この街で子供達に学問を教えて日々を過ごしている。

 

そんな彼が憂いのため息を溢している理由は、中華の各地で黄巾党を名乗る者達が暴れているからだ。

 

「高祖(劉邦)が造り、光武帝が建て直した漢王朝も再び腐敗し、黄巾党の様な者達が世に現れる様になってしまったか…。」

 

黄巾党も元は太平道の教えを元に人々の救済をしようとしていた者達だ。

 

しかし、漢王朝の腐敗に伴う重税や飢饉が元で教えだけでは人々を救えなくなると、教えを学ぶ者達を食わせる為に賊の様な行為をする様に変貌していった。

 

「中華は更に乱れるであろう。そう考えれば、師父に鍛えていただけたのは幸運だったのであろうな。」

 

まだ立派な髭をたくわえる前の少年時代の関羽が賊を相手に力を振るっていた時、気ままに中華の空を散歩していた二郎はたまたまその光景を目にして関羽に興味を持った。

 

二郎は関羽に声を掛けるが、少年時代の関羽は生まれながらに調息を身に付けており、人一倍の剛力を鼻に掛けた傲慢な少年だった。

 

二郎を賊の一味の者と決めつけた少年時代の関羽は問答無用で襲い掛かったのだが、崩拳の一撃で気絶をさせられた後に目を覚ますと、二郎に弟子入りを願ったのだ。

 

それから数年、二郎の指導の元で修行に励んだ関羽はメキメキとその才を伸ばすが、二郎は関羽に一言告げるとふらっとどこかに行ってしまったのだ。

 

ちなみに二郎が向かった先はケルトであり、ケルトに向かった理由はスカサハに呼ばれたからだ。

 

「我が師父、楊ゼン様は何処に行かれたのだろうか?」

 

関羽は己の師が武神である二郎真君だと気付いていない。

 

二郎の修行で心身共に成長した関羽は今でこそ学問も修めた立派な青年だが、かつての関羽は今程に聡明ではなかった。

 

今現在の関羽が二郎と再会したら間違いなく気付くのであろうが、残念ながらその機会はしばらくは訪れないだろう。

 

「お~い、雲長兄貴~。」

 

バンッ!と勢い良く戸が開けられると、そこには小柄ながら筋骨隆々な男の姿があった。

 

「翼徳、もう少し加減をしろ。お前の剛力でまた戸が壊れてしまったではないか。」

「おっと、いけねぇ。うっかりしてたぜ。」

 

関羽が呆れの目で見る男は姓を張、名を飛、字を翼徳という者である。

 

関羽と張飛の出会いはおよそ一年前の事で、大食漢の張飛が食う為に馬泥棒をしていたのを懲らしめたのがきっかけだ。

 

自身の剛力を誇っていた張飛は、己をあっさりと負かした関羽の武に惚れ込んで義弟にして欲しいと頼み込むと、関羽は張飛が心根の悪い者ではないと理解し義弟となる事を受け入れた。

 

それから関羽は張飛と共に暮らす様になって今に至る。

 

「それで翼徳、なにがあったのだ?」

「広場に高札が立って人が集まってるんだ。雲長兄貴、一緒に見に行こうぜ!」

「まったく…お前も子供達の様に早く文字を読める様にならんか。」

 

小言を言う関羽だが張飛と共に広場に向かう。

 

そこで二人は生涯の主君と仰ぐ男と運命的な出会いを果たすのだった。




本日は5話投稿します。

次の投稿は9:00の予定です。

章タイトルに三国志を追加しました。


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第176話

本日投稿2話目です。


「お帰りなさい、悟空。…ところで、そちらの御方は?」

 

身の丈よりも大きい猪を軽々と持ち上げながら戻ってきた悟空に気付いた三蔵だが、その悟空の隣にいる青髪の美青年に目が行った。

 

「初めましてだね。俺は姓を楊、字をゼンという者だよ。道教の習わしで名は親しい者か認めた者にしか預けないから、名は名乗らないよ。」

 

美青年の名乗りで三蔵は思わず彼の額に目を向けてしまう。

 

「へぇ、二郎真君様と同じ姓と字なんだな。額に紋様があったら完璧だったのに。」

「八戒、楊さんに失礼ですよ。二郎真君様の額の紋様は仙人の証です。それに、二郎真君様にあやかって楊を姓に持つ男子の多くはゼンの字を名乗っているじゃないですか。」

 

悟浄の言う通りに楊を姓に持つ男子の多くは、字をゼンとしているのが現在の中華だ。

 

これは二郎の人気の高さを物語っていると言えよう。

 

ちなみにこの美青年の正体はもちろん二郎である。

 

額の紋様は『変化の術』を応用して隠しているのだ。

 

額をジロジロと見てしまった事を誤魔化す様に咳払いをした三蔵は笑みを浮かべる。

 

「ここで出会ったのも何かの縁でしょう。楊さんも一緒に食事をいかがですか?」

「それじゃ、ご一緒させてもらおうかな。」

 

二郎が微笑むと、その微笑みを見た三蔵は顔を紅くしてしまったのだった。

 

 

 

 

(私もまだまだ修行不足ですね…。)

 

先程、顔を紅くしてしまったのを自覚した三蔵は、自身の修行不足を恥じて内心でため息を吐く。

 

(でも、仕方ないじゃない。楊さんって、すっごくカッコいいんだもん!)

 

内心で口調が崩れてしまっている三蔵だが、それも仕方ない事なのだろう。

 

何故なら二郎は中華の歴史の中で、三指に入る程の美女の内二人と恋仲になった程の色男である。

 

まだ修行不足の三蔵が心乱されてしまうのも無理はない。

 

「なぁ、楊はなんでこんなところにいるんだ?」

「気まぐれかな。」

「気まぐれ?」

「そう、気まぐれ。己が心のままに生きるのが俺の『道(タオ)』だからね。」

 

千年程前の殷周革命の後に崑崙山が『世界』の外側に移動してからは、『世界』の内側で仙術を学ぶ道士や仙人の姿を中華の民が見掛けるのは稀になってしまった。

 

なので三蔵と八戒と悟浄が道士(仙人)を見るのはこれが初めてなのだ。

 

「己が心のままに生きるですか…簡単な様で凄く難しいですね。」

「お師匠様、それって自分の思った様に生きるって事だろ?簡単じゃねぇか。」

「八戒、己を曲げないというのはとても大変な事なのですよ。例えば、貴方や悟浄が御仏の教えを学ぼうと思ったのも、見方を変えれば己を曲げたと言えるのですから。」

 

八戒や悟浄も三蔵と出会う前は中華の民にとって最も身近な道教を信仰していた。

 

しかし三蔵や悟空との出会いを得て、シッダールタの教えに鞍替えをしたのだ。

 

「ところで楊さん、楊さんは道教を学んでいるのですよね?」

「うん、そうだよ。」

「では、拳法も修めているのですか?」

「俺が一番修行をしているのは拳法だね。」

 

悟浄の問い掛けに二郎が答えると、八戒は興味深そうに目を向ける。

 

「楊って強いのか?」

「どうかな?中華の外にはまだ見ぬ強者がいるかもしれないからね。でも、今まで戦いで負けた事はないよ。」

「へぇ、そうは見えねぇなぁ。」

 

八戒の言葉に悟空は苦笑いをする。

 

知らぬというのは怖いことなのだ。

 

「それじゃ、メシを食ったら俺と手合わせをしようぜ!」

「うん、いいよ。」

「八戒、やり過ぎたらいけませんよ。」

 

三蔵がそれとなく八戒に釘を刺すのだが、悟空は乾いた笑いをするしかなかったのだった。




次の投稿は11:00の予定です。


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第177話

本日投稿3話目です。


「なぁ、楊。武器はいらねぇのか?」

 

食事を終えていざ手合わせとなった時、八戒は無手の二郎を心配して声を掛けた。

 

「うん、問題ないよ。」

「楊さん、八戒はとても力持ちなのです。素手では危ないですよ?」

「大丈夫だよ、三蔵。それに、武器を使う気分でもないからね。」

 

二郎の言葉に三蔵はそういうものではないのではと苦笑いをする。

 

仕方なく三蔵は八戒に目を向けた。

 

「八戒、十分に気をつけてくださいね。」

「おう!任せてくれ、お師匠様!」

 

そう言って力瘤を作る八戒の姿に心配が増す三蔵だが、そんな三蔵の肩を悟空が軽く叩いた。

 

「三蔵、楊ゼンなら大丈夫だよ。」

「悟空、楊さんは素手なのですよ?」

「う~ん…まぁ、見てたらわかるから。」

 

あいまいな事を言う悟空に首を傾げたが、三蔵は悟空と悟浄と一緒に手合わせを見学する事にした。

 

「おっしゃあ!楊、行くぜ!」

 

掛け声と共に八戒は手にしていた金属製の棍を思いっきり振りかぶる。

 

そして二郎に向かって飛び掛かると、飛び掛かった勢いを利用して棍を振り下ろした。

 

三蔵と悟浄、そして棍を振り下ろした当人である八戒が攻撃が当たると思ったその時。

 

「随分と素直な攻撃だね。」

 

欠片も慌てた様子を感じさせない二郎の声が聞こえると、八戒の攻撃は二郎から逸れてしまった。

 

ドガッ!

 

地を勢いよく叩いた金属製の棍の音が響き渡ると、三蔵達は驚いて目を見開いた。

 

「お師匠様、僕の見間違いでしょうか?八戒の攻撃は楊さんに当たったと思ったのですが…。」

「悟浄、私にもそう見えました。」

 

悟浄と三蔵の会話にチラリと目を向けた悟空だが、直ぐに二郎へと目を戻す。

 

(三蔵達は見えなかったんだな。二郎真君が八戒の棍に手を当てて回転させたのを…。)

 

二郎は八戒達が攻撃が当たると確信した意識の隙間に予備動作無しで動いた事で、八戒の攻撃を逸らした事を認識させなかった。

 

しかし悟空は以前に同じ形で攻撃を逸らされた経験があるのでなんとか見えたのだ。

 

「いってぇ~…。」

 

予想外に地を叩いてしまった八戒は手が痺れてしまい、棍を手放してしまった。

 

そんな八戒に二郎は一歩近付く。

 

そして…。

 

「まだ手合わせ中だよ。」

 

その言葉と共に二郎が崩拳を放つと八戒は吹っ飛び、三蔵達の目の前まで転がっていったのだった。

 

 

 

 

「やれやれ、老師も容赦がないな。」

 

黒麒麟の背に乗り、王貴人の幻術で虚空に身を隠している士郎が苦笑いをする。

 

「そうか?あのぐらいしなければあの子達は、中華の外に出た時に倒れてしまうと思うぞ。」

 

自身と同じく黒麒麟の背に乗る王貴人の言葉に士郎はため息を吐く。

 

「『それより急がなくてよいのか?以前と同じく姫一族、姜一族、黄一族を王朝の滅びに巻き込まれぬ様にするのだろう?』」

 

黒麒麟の言葉に士郎と王貴人は目を合わせて頷く。

 

「あぁ、また頼むぞ、黒麒麟。」

「『霊獣遣いの荒い主達だ。』」

「暇をもて余すよりはマシだろう?」

 

王夫妻と黒麒麟は慣れたやり取りに自然と笑い声が上がる。

 

「『それで、先ずはどこに行くのだ?』」

「そうだな…縁もある事だし、黄一族の所に行くとしようか。」

 

士郎の言葉を聞いた黒麒麟は、王夫妻を背に目的の場所に飛んでいくのだった。

 

 

 

 

「師より弓の手解きを受けて数十年…ようやく物に出来た…。」

 

感慨深く手にする弓を見詰めるこの若者は姓を黄、名を忠、字を漢升という者である。

 

「機会があれば我が師、『王士郎』様に今一度弓を見ていただきたいが…。」

 

黄忠は黄飛虎の血を引く黄一族の者である。

 

彼は賊討伐をする初陣で、賊を隠れ蓑にしていた邪仙に捕まった事がある。

 

その時に黄忠は王夫妻に助けられたのだが、黄忠が黄一族の者であると知った士郎は、黄忠に自衛の手段として弓を手解きしたのだ。

 

だが、それも数十年前の出来事である。

 

では何故に黄忠が今も若者の姿であるのか?

 

それは…。

 

「しかし、まさか二郎真君様に若返らせていただけるとは夢にも思わなかった。」

 

そう、二郎のせいである。

 

近年、黄巾党が中華を騒がせる様になると黄忠は乱世を予感していたのだが、既に高齢である己は中華の歴史に名を残せないだろうと嘆いていた。

 

そして数日前、そんな黄忠の前にふらりと二郎が現れると、二郎は黄忠に弓の腕前を見せて欲しいと言った。

 

黄忠は初対面の者の頼みを快く受け入れる程の聖人君子ではないが、本能的なところで二郎の頼みを受け入れるべきだと察して弓の腕前を見せた。

 

すると…。

 

「士郎の教えを守って、良く修行してきたみたいだね。褒美と言ってはなんだけど、一つだけ君の願いを叶えてあげるよ。」

 

この言葉で黄忠は、二郎が二郎真君である事に気が付いた。

 

そこで黄忠は…。

 

「二郎真君様にお願い致します。どうか、私を若返らせてください!」

「構わないけど、どうしてだい?」

「不敬ではありますが、私は近々中華に乱世が訪れると予感しております!この身は既に老い始め、若き日の様な力を発揮出来ませぬ。私は一人の武人として、乱世に己の武を問いたいのです!」

 

こうして黄忠の心意気を気に入った二郎は、若返りの霊薬を与えて今に至る。

 

ちなみに士郎は黄忠が若返った事を知らない。

 

今の若々しい黄忠を見たら、間違いなく頭を抱えるだろう。

 

「二郎真君様が言うには、近いうちに王士郎様がいらっしゃるとの事だ。今一度、弓を確認しておこう。」

 

そうして黄忠が弓を引いていると、程なくして王夫妻が虚空から姿を現す。

 

そして若返った黄忠の姿を見た士郎は頭を抱えたのだった。




次の投稿は13:00の予定です。


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第178話

本日投稿4話目です。


「うぅ…。」

 

八戒が腹に鈍痛を感じながら目を開けると、辺りは既に暗くなっていた。

 

「八戒、目が覚めたようですね。」

 

三蔵の声に反応して八戒は身体を起こそうとするが、腹に力が入らず身体を起こせなかった。

 

「無理をしなくていいですよ。今温かい汁を持ってきますからね。」

 

三蔵が離れると八戒は顔だけを動かして周囲を見る。

 

すると、隣には悟浄が寝かされていた。

 

(なんで悟浄が寝て…?あれ?俺はなんで寝て…!?)

 

腹の鈍痛で八戒の記憶が甦る。

 

「俺…楊に負けたんだ…。」

 

八戒の呟きは、椀を持って戻ってきた三蔵の耳に届いていたのだった。

 

 

 

 

自力で身体を起こせなかった八戒と悟浄に温かい汁を飲ませて寝かせた後、三蔵は二郎と悟空の二人と焚き火を囲んでいた。

 

「楊さんはお強いですね。悟空まで何も出来ずに負けたのを見たのは初めてでした。」

 

八戒の後に悟浄と悟空も二郎と手合わせをしたのだが、二人とも二郎の崩拳の一撃で敗れている。

 

「あの、楊さん。一つお願いがあるのですが…。」

「なんだい?」

 

三蔵は二郎に覚悟を秘めた目を向けたのだった。

 

 

 

 

翌日、二郎の造った神水を使って作られた汁を飲んだ事で全快した八戒と悟浄は、目を覚ますと驚きの光景を目にした。

 

「「お師匠様!?」」

「あ?おはようございます、八戒、悟浄。」

 

笑顔で朝の挨拶をする三蔵だが一つおかしなところがある。

 

それは…馬歩をしながら朝の挨拶をしたのだ。

 

「お、お師匠様、いったい何を?」

「これですか?これは馬歩といって拳法の基本ですよ。」

 

三蔵はニコリと微笑みながら言葉を続ける。

 

「以前から考えていたのです。私は貴方達に守られてばかりでいいのかと。」

「それが僕達の役目です!」

「そうだぜお師匠様!悟浄の言う通りだ!」

 

悟浄と八戒の言葉に、三蔵は少しだけ困った様に苦笑いをする。

 

「ありがとうございます、悟浄、八戒。でも、もう決めたのです。私も貴方達と一緒に鍛えていただこうと。」

「「僕(俺)達と一緒に?」」

 

同時に首を傾げた悟浄と八戒の目に、三蔵の隣で馬歩をしている悟空と、指導をしている二郎の姿が映った。

 

「じ…楊ゼン、これでいいのか?」

「うん、だいたい出来てるね。次は無意識にやっている調息を意識してやってみようか。」

「わかった、やってみる。」

 

悟浄と八戒は状況が理解出来ずに混乱する。

 

そんな二人に三蔵は笑顔で話す。

 

「昨晩、楊さんにお願いをしたのです。私達を鍛えてほしいと。楊さんは悟空も一撃で倒してしまう程の拳法の腕前をお持ちです。元々私達は牛魔王達に勝つ為に修行を始めたでしょう?ならば、見事な拳法の腕前を持つ楊さんに師事を受けるのは自然な事ではないですか?」

 

三蔵の言葉になんとか頷いた悟浄と八戒だが、三蔵まで修行をする事には理解が及ばなかった。

 

それでも強くなる為だと無理矢理自分を納得させた悟浄と八戒は、二郎の指導で馬歩を始めたのだった。

 

 

 

 

『西遊記』の一節には次の様に綴られている。

 

『牛魔王達に旅を阻まれた玄奘三蔵一行が修行を始めると、旅人の楊ゼンという男が孫悟空の前に姿を現す。』

 

『孫悟空と共に玄奘三蔵一行の元に足を運んだ楊ゼンは、八戒の申し出で手合わせを始めた。』

 

『意気揚々と飛び掛かって棍を振るった八戒だが、素手の楊ゼンに一撃で敗れてしまった。』

 

突如現れた旅人である楊ゼンになすすべもなく敗れてしまった八戒と悟浄と悟空だが、この後に楊ゼンに修行をつけてもらった事で牛魔王達と互角に渡り合える様になるほどの成長を遂げている。

 

さらに守られるだけだった玄奘三蔵も楊ゼンに修行をつけてもらうと、修行後の旅から玄奘三蔵も孫悟空達と共に戦う様になったのだった。




次の投稿は15:00の予定です。


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第179話

本日投稿5話目です。


二郎が玄奘三蔵一行を鍛え始めてから三ヶ月程の時が過ぎた頃、中華の地を騒がせていた黄巾党が滅んだ。

 

これで中華に安寧がと思った者は少ない。

 

何故なら官軍が幾度も黄巾党に敗戦を重ねて漢王朝の力の衰えを見せてしまった事で、中華の各地の有力者達の野心に火を付けてしまったからだ。

 

中華に覇を唱える為に力を蓄える者、情勢を見守る者、苦しむ民を救おうとする者など様々だが、中華にはハッキリとした乱世の兆しが見え始めていたのだった。

 

 

 

 

「ハッ!」

 

立派な髭を生やした偉丈夫が得物を振るう。

 

すると、偉丈夫と対峙していた数人の賊の身体が上下に分かれた。

 

偉丈夫は得物を振るった勢いを利用して背面から仕掛けてきていた賊も斬り捨てる。

 

戦いを始めてから四半刻(30分)程経った頃、賊の一団は壊滅していた。

 

「ヒュ~!流石は雲長兄貴だぜ!俺も踏ん張ったけどよ、雲長兄貴には及ばねぇや!」

 

大声で筋骨隆々の小柄な男が、立派な髭を生やした偉丈夫に声を掛ける。

 

偉丈夫は姓を関、名を羽、字を雲長という男である。

 

そして小柄な男は姓を張、名を飛、字を翼徳という男だ。

 

二人は義兄弟の契りを結んでおり、関羽が次兄、張飛が末弟となっている。

 

では長兄はどこにいるのか?

 

それは…。

 

「いや~、はっはっ!なんとか生き残れたぜ。」

 

関羽と張飛は声の主へと振り向く。

 

そこには大きな耳が特徴的な男の姿があった。

 

「おう!玄徳兄貴!無事だったか!」

「兄者、御無事でなによりです。」

 

大きな耳の男は張飛と関羽の言葉に笑顔を見せた。

 

この男は姓を劉、名を備、字を玄徳といい、関羽と張飛の二人と義兄弟の契りを交わし、三兄弟の長兄となった者である。

 

「やっぱ雲長も翼徳もすげぇや。おいらが逃げ回っている間に賊の一団を壊滅させちまうんだからなぁ。」

「玄徳兄貴、俺よりも雲長兄貴の方がすげぇんだぜ。手合わせでは一回も勝った事ねぇんだから。」

 

劉備と張飛の会話に、関羽は微笑みを浮かべている。

 

「ところで玄徳兄貴、役人を辞めちまってよかったのか?」

 

黄巾党と官軍の戦いは現在では『黄巾の乱』と呼ばれているのだが、その黄巾の乱で関羽と張飛と共に手柄を立てた劉備は、その報酬としてとある町の役人へと任命されていた。

 

しかし今ではその役人の座を辞して三兄弟で流浪の日々を送っている。

 

劉備が役人の座を辞したのは何故なのか?

 

その理由は…。

 

「しかたねぇだろ、中央のお偉いさんをぶん殴っちまったんだから。」

 

そう、劉備は所謂不祥事を起こして役人を辞めたのである。

 

「お偉いさんが賂を要求してきたんだろ?なら悪いのはお偉いさんの方じゃねぇか。」

「翼徳よぉ、おいらは別に賂が悪いとは思っちゃいないぜ。」

 

劉備の言葉に張飛は驚いて目を見開く。

 

「例えばだ。翼徳、お前さん、政は出来るか?」

「玄徳兄貴、まともに文字を読めねぇ俺に出来るわけねぇよ。」

「それじゃあ、目の前に背丈程に積み上げられた竹簡に目を通すのは?」

「無理無理!俺は文字を見たら身体が痒くなっちまうんだ!」

「はっはっはっ!翼徳らしいな!まぁ、おいらも似た様なもんだけどよ。」

 

義兄弟達の会話を聞いている関羽が眉間を揉む。

 

「さて、そんな面倒な政をやってるのがお偉いさん達なんだが…そのお偉いさん達が少しぐらい多く酒を飲んでもいいじゃねぇかって始まったのが賂さ。だからおいらは賂が悪いとは思わねぇ。けどよ、それでも限度ってもんがある。民が苦しまない程度にってな。」

 

劉備の話に引き込まれている張飛は感心しているのか、頻りに頷いている。

 

二人の会話を聞いている関羽は、髭を撫でながら劉備との出会いを思い出す。

 

(あの時も、私と翼徳は兄者の言葉に引き込まれた…。これは兄者が高祖の血を引くからだろうか?)

 

数ヵ月前、関羽が私塾を開いていた町に義勇兵を募集する高札が立ったのだが、それを見に関羽と張飛が足を運ぶと、そこには筵を売りに来ていた劉備の姿があった。

 

当時の劉備は質素な服を着ている中肉中背の男であり、大きな耳以外には目立った特徴のない男だった。

 

しかし関羽は張飛に高札を読んでくれと声を掛けられるまで何故か劉備から目を離せなかった。

 

そこで関羽は劉備に声を掛けると、筵を売る為の口上や荒れる中華の現状を嘆く劉備の話に引き込まれた。

 

関羽は劉備に話の礼にと酒を奢ると後日、劉備に彼の家に招かれた。

 

そして劉備の母から劉備が高祖の血を引く者だと教えられた関羽と張飛は、なんやかんやあって義兄弟の契りを交わし、義勇兵として黄巾の乱に参加したのだ。

 

(私達の大望…いや、大義も兄者とならば成せると思えてしまう…不思議なものだ。)

 

劉備三兄弟の大義。

 

それは…漢王朝中興の祖である光武帝の様に漢王朝を再興させる事だ。

 

光武帝とは簒奪された漢王朝を奪い返し、腐敗していた王朝を建て直した英雄なのだが、その名声は現在において高祖と同等かそれ以上のものになっている。

 

また、二郎が死後の光武帝を桃源郷に招いているので、それだけでも並大抵の英雄ではない事がわかるだろう。

 

つまり劉備三兄弟は、その英雄が成した難事に匹敵する事を成そうとしているのだ。

 

(今は影も形も見えぬ大義だが…我ら三人ならばいつの日か…!)

 

天を見上げた関羽は、雲一つ見えぬ青空に笑みを浮かべたのだった。




これで本日の投稿は終わりです。

また来週お会いしましょう。


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第180話

本日投稿1話目です。


タンッ!

 

地面を踏み締める乾いた音と共に賊が吹き飛ぶ。

 

「相手は女だぞ!何してやがる!」

 

賊の頭が苛立つのも無理はないだろう。

 

賊が襲った一行は女一人に子供三人という一見したら格好の獲物だ。

 

それが蓋を開けてみたら賊の一団は彼女達に傷一つ負わせる事が出来ずに蹴散らされているのだ。

 

「ハッ!」

 

女性が一歩踏み込んで掌を賊の腹に打ち込むと、賊は白目を向いて倒れたのだった。

 

 

 

 

「ふぅ…。」

 

賊との戦いを終えた女性…玄奘三蔵が安堵の息を吐く。

 

すると、何者かに横から竹の水筒を差し出された。

 

「三蔵、お疲れ様。」

「ありがとうございます、ゼンさん。」

 

竹の水筒を差し出したのは虚空に身を隠して戦いを見守っていた二郎である。

 

「ゼンさん、私の拳法はどうでした?」

「拳法の修行を始めて一年という事を考えれば上出来かな。」

 

二郎の言葉通りに、玄奘三蔵一行が二郎に鍛えられ始めてから一年の時が経っていた。

 

「ゼンさんにそう言ってもらえると、なんか自信が湧いてくるなぁ。」

「そうかい?」

 

この一年で三蔵の口調はかなり砕けたものになっていた。

 

いや、本来の口調に戻ったというのが正しい。

 

これは三蔵が悟空からシッダールタの話を聞いたのがきっかけだ。

 

『ありのままを受け入れる。』

 

解脱の境地に至る為の一端を聞いた三蔵は、手始めに口調を仏僧として修行を始める前のものに戻してみようと思い、今の様な形で二郎や悟空達と話す様になったのだ。

 

「あの、ゼンさん、一つ聞きたいんですけどぉ…?」

「なんだい?」

「いえ、そのぉ…ゼンさんって、恋人…。」

「おぉい、お師匠様ぁ!飯が出来たぜぇ!」

 

八戒に邪魔をされた三蔵は項垂れる。

 

何故に三蔵が項垂れているのかわからない八戒は首を傾げたのだった。

 

 

 

 

食事を終えて一行がそれぞれゆっくりとしていた時の事、不意に三蔵が大声を上げた。

 

「えぇ―――!?ゼンさん、行っちゃうんですかぁ?!」

 

三蔵の大声に悟空達が集まる。

 

「楊ゼン、どっかに行くのか?」

「うん、悟空達もそれなりに出来る様になったからね。」

「そっかぁ。」

 

驚いて固まっていた三蔵だが、顔を振るって気を取り戻すと二郎に話し掛ける。

 

「ゼ、ゼンさん、このまま一緒に天竺に行きませんか?」

「それも悪くないけど、今の中華を巡ってみる方が面白そうだからね。」

「そんなぁ~…。」

 

三蔵が二郎を引き止めるのは理由がある。

 

現在の三蔵の年齢は十代後半。

 

当時の時代の価値観で考えると行き遅れになりかけているのだ。

 

そんな年齢の三蔵の目の前に抜群の容姿で性格も良く、悟空達よりも強いという男がいるのだ。

 

更に身形を見ても金銭に困っている様子はない。

 

紛れもなく超優良物件である。

 

三蔵は仏僧である前に年頃の乙女なのだ。

 

少しばかり修行を忘れて懸想をするのも仕方ないだろう。

 

もっとも、三蔵が抱く感情は恋というよりは憧れに近いものなのだが…。

 

「それじゃ、俺は行くよ。牛魔王達との戦い、頑張ってね。」

 

そう言って歩き出す二郎の背中を、三蔵は力なく手を振って見送るのだった。

 

 

 

 

「玄奘三蔵の恋は叶わずか。」

「士郎、あれは恋ではなく憧れだ。」

 

黒麒麟の背に乗り虚空から見守っていた王夫妻は、項垂れている三蔵に目を向ける。

 

「女の勘か?」

「あぁ。」

 

王夫妻の眼下では頬を叩いて気を入れ直した三蔵が、悟空達と共に旅を再開していた。

 

「さて、私達も行くとしようか。」

「あぁ。黒麒麟、頼むぞ。」

「『承知した。』」

 

三蔵一行が旅を再開して数日後、一行の前に牛魔王達がやって来たのだった。




本日は3話投稿します。

次の投稿は9:00の予定です。


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第181話

本日投稿2話目です。


二郎が玄奘三蔵一行の元を去ってから一ヶ月程経った頃、玄奘三蔵一行は後一息で中華の外にという所まで歩を進めていた。

 

しかしそこで一行の歩みは完全に止まってしまう。

 

何故なら一行が中華の外に出るのを牛魔王達が止めているからだ。

 

「また来やがったな!牛魔王!」

「今日こそは決着をつけて、僕達は天竺に行きます!」

 

八戒と悟浄が二郎から貰った長柄の武器である宝貝を構える。

 

そんな二人の前に金角と銀角が対峙する。

 

「牛魔王、どうしても通してくれないのかしら?」

「通りたくば、私を倒せと何度も言っているであろう?」

「仕方ないわね…悟空、行くわよ!」

「おう!」

 

目の前に立ちはだかる牛魔王に、悟空と三蔵が立ち向かった。

 

八戒と悟浄は金角と銀角の二人と互角の戦いを繰り広げるが、悟空と三蔵は牛魔王一人に苦戦してしまう。

 

「お師匠様!?」

「八戒、早くお師匠様を助けに行きますよ!」

「「させないよ!」」

 

なんとか援護に向かおうとする八戒と悟浄を金角と銀角は足止めする。

 

「うわっ!?」

「悟空、大丈夫?!」

 

牛魔王が放つ雷から三蔵をかばった悟空の身体から焼け焦げた様な臭いが漂う。

 

「こ、このぐらいで!」

「ふむ、今ので死なぬ様になったか。では、今少し強くしてみるとしよう。」

 

悟空は歯を食い縛って如意金箍棒で雷を打ち払う。

 

隙を見て踏み込んだ三蔵が牛魔王に掌を放つ。

 

しかし…。

 

「効かぬ!」

 

腕で薙ぎ払われた三蔵が悟空の近くまで吹き飛ばされる。

 

「三蔵、大丈夫か?」

「大丈夫よ。ゼンさんに拳法を習っていて本当によかったわ。」

 

牛魔王に薙ぎ払われる寸前に自分から飛んだ事で、三蔵は受ける衝撃を最小限にしたのだ。

 

その後、三蔵一行と牛魔王達の戦いは一刻(二時間)程続いた。

 

精霊の力を持つ悟空達はまだ余力を残しているが、一年程前に本格的に鍛え始めたばかりの三蔵は体力、気力共に限界がきていた。

 

不意に足を縺れさせた三蔵が地に身体を投げ出してしまう。

 

「「お師匠様!?」」

 

八戒と悟浄が必死の形相で助けに向かおうとするが、金角と銀角に阻まれてしまう。

 

「人にしては良く戦ったほうだ。」

 

牛魔王が一際大きな雷を造り出す。

 

悟空が牛魔王を止めようと仕掛けるが、牛魔王が雷を放つ方が早かった。

 

「三蔵!」

「「お師匠様ぁ!!」」

 

悟空と八戒達の悲痛な叫びが戦場に響き渡る。

 

三蔵は襲いくる雷に目を瞑り歯を食い縛る。

 

そして雷が三蔵の身体を貫こうとしたその時…。

 

「うん、このぐらいで止めておこうか。」

 

緊迫した戦場に似合わぬ柔らかな声が響くと突如虚空から一人の男が姿を現し、牛魔王が放った雷を軽く打ち払った。

 

「…ゼンさん?」

「うん、そうだよ。」

 

微笑む二郎を見た三蔵は、安堵に包まれて気を失ったのだった。

 

 

 

 

「…いい匂い。」

 

鼻腔を擽る香りに誘われ、三蔵が身体を起こす。

 

「お?三蔵、目が覚めたか。」

「悟空?えっと…?」

「ちょっと待ってて、二郎真君が作った飯を持ってくるから。」

 

そう言って離れる悟空の背中を、目覚めたばかりで呆然としている三蔵が見送る。

 

「えっと…ご飯?二郎真君?」

 

悟空の言葉を反芻する様に三蔵が繰り返す。

 

「二郎真君?…二郎真君?!」

 

三蔵が驚きのあまりに大声を上げると、それを耳にした八戒と悟浄が駆け寄ってくるのだった。




次の投稿は11:00の予定です。


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第182話

本日投稿3話目です。


三蔵一行の内、三蔵、八戒、悟浄は緊張で身を固くしていた。

 

それもそのはず。

 

彼女達の目の前には、中華で名を知らぬ者はいないと謳われる武神がいるのだから。

 

「早く食べないと冷めるよ。」

「三蔵、早く食おうぜぇ。」

 

緊張で身を固くする三蔵一行の中で悟空だけは常と変わらぬ振る舞いをしている。

 

「ご、悟空!二郎真君様の御前で無礼ですよ!」

「そ、そうだぞ!二郎真君様だぞ!武神なんだぞ!」

 

悟浄と八戒の言葉に悟空は首を傾げた。

 

「なぁ、二郎真君。畏まった方がいいのか?」

「気にしないでいいよ。」

「だってさ。だから早く飯を食おうぜぇ。」

 

三蔵一行は冷や汗を流しながらも、二郎が作った汁を口にするのだった。

 

 

 

 

「あぁ~…もう食えねぇ。」

「八戒、だらしないですよ。」

「悟浄だって姿勢を崩してるじゃねぇか。」

 

二郎が作った汁を食べ過ぎてぽっこりと腹が膨らんだ八戒は、腹を擦りながら地に仰向けで寝ている。

 

悟浄もぽっこりと膨らんだ腹をやや苦しそう擦りながら天を仰いでいる。

 

さて、三蔵はというと…。

 

「三蔵、なんで腹の前で腕を組んでるんだ?」

「な、なんでもありませんよ、悟空。」

 

乙女として羞恥を感じながらも、頑張って平静を装おうとしていた。

 

「ゼンさん…いえ、二郎真君様。」

「ゼンでも構わないよ、三蔵。」

「そ、そういうわけには…。」

 

修行を受けていた時と変わらない柔らかな雰囲気を見せる二郎に、三蔵は逆に戸惑ってしまう。

 

天帝の外甥である二郎は中華の神々の中でも上位に位置する存在である。

 

更に中華最強の武神でもあるので、三蔵が接し方に戸惑うのも仕方ないだろう。

 

「…コホン。ゼンさん、幾つかお伺いしたい事があるのですがよろしいですか?」

「なんだい?」

「先ずは一つ…私達は道教を信仰する者ではありません。それなのに、何故に私達に拳法を教えていただけたのですか?」

 

三蔵の質問が気になったのか、八戒と悟浄が姿勢を正して耳を立てる。

 

「そうだね…一言で言えば、なんとなくかな。」

「へっ?えっと…なんとなく…ですか?」

「そう、なんとなくだね。俺がそうしたかったからそうしただけだよ。」

 

二郎の答えにしばし呆然としてしまった三蔵だが、気を取り直して質問を続ける。

 

「では次にですが…あちらに金角と銀角がいるのですが…あの子達が私達に戦いを仕掛けてきたのは…?」

「それは俺が金角と銀角に頼んだからだね。」

「何故に金角と銀角に私達と戦う様にと頼んだのですか?」

 

二郎は三蔵達に事の経緯を話していく。

 

「天帝様が…いえ、天帝様の御配慮は大変ありがたいものです。ですが…私達は御仏の教えを学ぶ者達でして…。」

「三蔵達がシッダールタの教えを学んでいるのは俺も伯父上も知っているよ。でも、中華の民である事に変わりはないからね。だから伯父上は三蔵達に経験を積ませようとしたのさ。」

 

二郎の言葉を聞いた三蔵は、合掌をして天帝に感謝の念を捧げる。

 

すると、悟空達も合掌をして天帝に感謝の念を捧げた。

 

「ゼンさんにも改めて感謝を…。」

「気にしないでいいよ。面白そうだからやっただけだからね。」

 

それでも自分達は二郎のおかげで格段に成長出来た。

 

心からそう思う三蔵は二郎にも感謝の念を捧げる。

 

「他にも色々とお伺いしたい事があるのですが…その前に確認したい事が…。」

「なんだい?」

 

三蔵は覚悟を決める様に大きく息をする。

 

そして姿勢を正して二郎に問いを投げる。

 

「ゼンさんは、その…シッダールタと言われましたが…御仏を御存知なのですか?」

「あぁ、知ってるよ。シッダールタが『解脱』の境地に至った時や、『涅槃』に入った時にも立ち会っているね。」

 

二郎の答えを聞いた三蔵は乾いた笑い声を上げる。

 

そして三蔵は二郎がシッダールタと縁が深い放浪の神ゼンだと気付いて気を失ってしまったのだった。




これで本日の投稿は終わりです。

風邪をひいてしまっていつもの執筆ペースを保てませんでした…。

また来週お会いしましょう。


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第183話

本日投稿1話目です。


目を覚ました三蔵の質問に答えた後、二郎は板角青牛達と共に三蔵一行の元を去っていった。

 

旅を再開した三蔵一行は中華を出て、一路天竺へ向かう。

 

その道中、三蔵一行は幾つもの困難に出会うが、二郎に鍛えられた三蔵一行はそれらの困難を越えていった。

 

そして中華を出ておよそ一年、三蔵一行はついに天竺へと辿り着いたのだった。

 

 

 

 

「よっしゃあ!ようやく辿り着いたぜ!」

 

拳を突き上げて喜ぶ八戒につられ、悟空と悟浄も喜びの声を上げる。

 

「ここが天竺…。」

 

感慨深く呟くと、三蔵は合掌をしてこれまでの事に祈りを捧げた。

 

(悟空、八戒、悟浄…ゼンさん。そして多くの人々との出会いが私を天竺まで導いてくれた。これまでの全てに感謝を…。)

 

祈りを捧げる三蔵に倣い、悟空達も合掌をして祈りを捧げる。

 

「さぁ、行くわよ。経典を中華に持って帰らないとね。」

 

満面の笑顔を浮かべる三蔵に、悟空達も笑顔でついていくのだった。

 

 

 

 

「ほう、見事に天竺まで辿り着きおったな。」

「去れ、マーラよ!」

 

当たり前の様に涅槃に居座っている御立派な神に、シッダールタは青筋を浮かべる。

 

「それはそうとシッダールタよ、宗派の争いに興味を示さずあれ程熱心に修行に励む者はダイバダッタ以来ではないか?」

「…えぇ、そうですね。残念な事ではありますが、人々の心が荒れているので仕方ない事でしょう。」

 

涅槃から見守るシッダールタの目には、経典を手にして皆と喜ぶ三蔵の姿が映っている。

 

「あやつは『解脱』の境地に至れるかのう?」

「例え至れずとも、彼女ならば多くの人々の心を救いますよ。」

 

そう言って微笑んだシッダールタは、三蔵に向けて合掌をしたのだった。

 

 

 

 

三蔵一行が経典を中華に持ち帰った頃、二郎はケルトの影の国に足を運んでいた。

 

「おぉ!ゼンよ、よくきた!」

「スカサハ、君の使いが顔を真っ青にしていたけど、何かあったのかい?」

 

二郎を歓迎したスカサハは笑みを浮かべているが、その心は殺意に満たされている。

 

「セタンタをオイフェに奪われたのだ。」

 

怒髪天を衝くと言わんばかりに濃密な殺意を振り撒くスカサハに、二郎は話の続きを促す。

 

スカサハは二郎が差し出した神酒を口にしながら事の経緯を語る。

 

数年前に二郎がケルトを去った後、セタンタは影の国にやってきた。

 

そこで影の国の女王であるスカサハと出会ったセタンタは、彼女に強くなる事を望む。

 

セタンタの才などを認めたスカサハは彼を弟子にした。

 

そして数年、スカサハに鍛えられたセタンタは多芸に秀でた優秀なケルトの戦士へと成長をしたのだが、そんな折に長年の好敵手であるオイフェが暇潰しにスカサハに仕合を挑んできた。

 

その時にセタンタが『師と戦いたきゃ俺を倒してからにしな。』と謳い、オイフェと戦い彼女から勝利を納めた。

 

そこまでは弟子の成長を喜ぶだけで済む話なのだが、そこから話が変わる。

 

なんとセタンタに敗れたオイフェは、彼に求婚したのだ。

 

今の時代、ケルトにおいて強い戦士である事こそが最高の男の条件である。

 

そういう意味で言えば、影の国の女王と互角の実力を持つオイフェに勝利したセタンタは、ケルトで最高の男の一人と言えるだろう。

 

更に多芸に秀でて野性味を持った美青年でありながら未婚のセタンタは、ケルト最高の優良物件なのだ。

 

オイフェが求婚をするのも仕方ないだろう。

 

当然、スカサハもセタンタがケルトで最高の優良物件である事には気付いていた。

 

適当なところでセタンタとの手合わせに負けて嫁に取らせようと考えた事もある。

 

だが、師としてそう簡単に弟子に負けるわけにもいかない。

 

そうこうしている内に、手塩にかけて育てたセタンタを好敵手にして姉妹であるオイフェにかっさらわれたというわけだ。

 

「セタンタを一人前のケルトの戦士に育てるまでどれだけ苦労をしたと思っとる!」

 

憤慨するスカサハは神酒を水の様に飲み干していく。

 

「そういう事なら桃源郷に来て気が済むまで宴でもするかい?」

「…配下の者達に後事を押し付けてくるのでしばし待っとれ。」

 

こうして配下の者達に影の国のあれこれを押し付けたスカサハは、傷心が癒えるまで桃源郷に入り浸るのだった。




本日は3話投稿します。

次の投稿は9:00の予定です。


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第184話

本日投稿2話目です。


スカサハが桃源郷でやけ酒を飲む日々を送る様になって数年、セタンタとオイフェの間に一人の男の子が産まれた。

 

コンラと名付けられた男の子は、セタンタの才を色濃く継いだ将来有望な赤ん坊だった。

 

セタンタはコンラが乳離れすると、師であるスカサハの元にコンラを預ける事にした。

 

この頃のケルトは以前にも増して戦乱が絶えず、セタンタも戦場を駆け回って子育てをする暇がなかったからだ。

 

折よくスカサハが桃源郷から影の国へ帰ってきていた事もあり、セタンタはコンラをスカサハに預ける事が出来た。

 

コンラをスカサハに預ける際にスカサハとオイフェの睨み合いが発生したが、それはご愛嬌といったところだろう。

 

コンラをスカサハに預けてからのセタンタは、一人で国を守り続けた。

 

身を潜め、敵軍に奇襲を仕掛け、一撃を与えた後に直ぐに退く。

 

飢えや孤独に耐え一人で国を守り続けるセタンタは、いつしかケルトに並ぶ者無き英雄となっていた。

 

そして七年が過ぎセタンタが国を守りきった頃、スカサハの元で幼児から少年へと成長したコンラは、一目父に会おうと影の国を旅立とうとしていたのだった。

 

 

 

 

「師匠、行って参ります。」

「うむ、気を付けて行くのだぞ。」

 

スカサハから与えられた無銘の槍の宝貝を手に、コンラが影の国から旅立つ。

 

そのコンラの背を見送るスカサハはそわそわと落ち着きがなかった。

 

「コンラは良き子に育った故に心配ないが、英雄と持て囃されて鼻っ柱が伸びた馬鹿弟子がどう動くかわからぬのが不安だ…。」

 

豊かな胸を寄せる様にして腕を組んだスカサハは、同じ所をいったりきたり歩き続ける。

 

「むぅ…ゼンよ…早く来ぬか!」

 

スカサハが不満を溢す様に独り言を呟くと、虚空から二郎が姿を現した。

 

「随分と苛立ってるね。何かあったのかい?」

「おぉ!待っておったぞ!早速だが頼みがあるのだ!」

 

常と違って余裕がないスカサハの様子に、二郎は疑問に思いながらも言葉の続きを待つ。

 

「ゼンよ、コンラを見守ってくれぬか?」

「コンラを?それはどうしてだい?」

 

二郎は以前にスカサハが新しい弟子を取ったと風の噂で聞いて、影の国を訪れてコンラに会った事がある。

 

「コンラはセタンタ…いや、クー・フーリンに会いに行ったのだが、コンラはクー・フーリンに『己から名乗ってはいけない』とゲッシュを誓わせられておるのだ。」

 

セタンタはケルトに並ぶ者無き英雄となると、太陽神ルーからクー・フーリンの名を与えられている。

 

「それがコンラを見守る事と何か関係があるのかい?」

「コンラの戦士としての才はクー・フーリンと並んでおる。いや、投擲に関してはコンラの方が上じゃな。そしてコンラは儂が心血を注いで育て上げた。それほどの戦士を見て、あの馬鹿弟子が戦わぬ筈がない。」

「コンラが名乗れば親子とわかって殺し合いにまではならないだろうけど、セタンタがコンラに誓わせたゲッシュが問題になるのか。でも、親子なら会えばわかるんじゃないかな?」

 

二郎の言葉にスカサハは大きなため息を吐く。

 

「あの馬鹿弟子は戦が終わって落ち着いてからも、一度もコンラに会いに来ずに戦で滾った血を治めるために女を抱いておったのじゃぞ?そんな馬鹿弟子が戦士の本能よりも親子の情を優先するとは思えぬ。」

 

憤慨するスカサハの姿に二郎が微笑む。

 

「なんじゃ、その笑みは?」

「スカサハの様子がただの弟子思いの師とは思えなくてね。」

「ふんっ、別によかろう。二度弟子に惚れようとも…。」

 

頬を染めて顔を逸らすスカサハの姿は、間違いなく恋する乙女のものだった。

 

「いつの間に少年趣味になったんだい?」

「少年趣味ではない!コンラだから惚れたのだ!」

 

からかわれている事を察しているスカサハだが、乙女としては反応せざるを得ないのだ。

 

「それで、俺はどこまでやっていいのかな?」

「好きにやって構わぬ。可愛い弟子の為なら、ケルトの神々程度黙らせてやるわ。」

 

スカサハの返答に微笑んだ二郎は虚空へと姿を消したのだった。




次の投稿は11:00の予定です。


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第185話

本日投稿3話目です。


クー・フーリンは槍に心臓を貫かれて地に横たわるコンラの横に腰を下ろす。

 

「あの鼻たれが一端の戦士になりやがって…。」

 

既に事切れているコンラの頭をかき混ぜる様に撫でるクー・フーリンだが、その顔には表情がなかった。

 

戦士として全力を出せた満足、父親として息子を手に掛けた後悔が入り交じり、どの様な顔をしていいかわからないのだ。

 

そんなクー・フーリンの後ろの虚空から二郎が姿を現した。

 

「…放浪の神ゼンか?」

「あぁ、そうだよ。」

「一つ、願いがある。」

「なんだい?」

「俺の息子を…コンラを生き返らせちゃくんねぇか?」

 

クシャクシャとコンラの頭を撫で続けるクー・フーリンを二郎は見下ろす。

 

「構わないけど、代価はもらうよ。」

「代価は何だ?」

「コンラを生き返らせる代価として、クー・フーリンの名をもらう。それでよければ、コンラを生き返らせるよ。」

 

クー・フーリンの名はセタンタの武功を称賛した太陽神ルーによって与えられたものだ。

 

これはケルトの戦士にとって最大の誉れである。

 

そしてその名を捨てるという事は太陽神ルーへの反逆に等しく、さらに誉れを失う事はケルトの戦士にとって最大の屈辱となる。

 

だが、クー・フーリンはニッと歯を見せて笑った。

 

「おう、持ってけ!」

「いいのかい?」

「俺は父親としてコンラに何もしてねぇ。ならよ、せめてコンラの為に何か一つぐらいしてやんなきゃ、俺はコンラの父親を名乗れねぇからな。」

 

そう言うクー・フーリンの表情はケルトの戦士としてのものではなく、一人の父親のものだった。

 

「やれやれ、それならコンラとの戦いを途中で止めればよかったんじゃないかい?コンラが息子だって気付いたんだからさ。」

「その通りなんだがな。俺はこういう不器用な生き方しか出来ねぇのさ。」

 

声を上げて笑うクー・フーリンを見て、二郎はため息を吐く。

 

「スカサハはコンラを殺されてかなり御立腹だろうからね。覚悟しておいた方がいいよ。」

「ちっ、師匠には何を言われる事やら。」

「多分、コンラを婿に寄越せって言うんじゃないかな?」

「なにぃ!?少しはてめぇの年を考えやがれ、若作りババァ!」

 

クー・フーリンの叫びが響き渡ると、どこからともなく槍が飛来してクー・フーリンの頬を掠めたのであった。

 

 

 

 

『セタンタとコンラ』

 

アルスター伝説の一節には次の様に綴られている。

 

『影の国から父に会いに行ったコンラだったが、自ら名乗れぬゲッシュのせいでケルトの戦士に敵と認識されてしまい、彼等と戦う事になってしまう。』

 

『ケルトの戦士達を石の投擲で次々と倒していったコンラだが、そのコンラの強さに興味を持ったクー・フーリンと戦う事になってしまった。』

 

『まだ9歳のコンラだが、彼は英雄として名高いクー・フーリンと互角に渡りあった。』

 

『しかし三日に渡る戦いの後に、コンラはクー・フーリンの呪いの魔槍で心臓を貫かれてしまったのだった。』

 

こうして一度は死んでしまったコンラだが、この後に現れた放浪の神ゼンにクー・フーリンが己の名を代価として願った事で生き返っている。

 

コンラが生き返るとクー・フーリンはゲッシュを誓い、以後二度と己の武功の証として太陽神ルーに与えられたクー・フーリンの名を名乗らず、セタンタを名乗る様になったのだった。




これで本日の投稿は終わりです。

執筆ペースが遅くなっていますが勘弁してくだしぁ…。

また来週お会いしましょう。


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第186話

本日投稿1話目です。


生き返ったコンラがセタンタとの再会を楽しんでから影の国に戻ったりとケルトでは色々とあったが、中華でも大きな動きがあった。

 

董卓。

 

この男は辺境の涼州にて役についていた者なのだが、漢王朝の中央にいた大将軍である何進が宦官に暗殺された後のどさくさで宮中から逃げ出した帝を運良く保護すると、あっという間に中華に名を轟かす時の人となった。

 

帝の信を得た董卓は武力を背景に都の政を掌握し、腐敗した中央の役人達を次々と粛清していった。

 

しかしその強引な手腕に危機感を抱いたとある役人が、袁紹や曹操といった有力者に繋ぎを取る。

 

とある役人は袁紹や曹操の野心、功名心、自尊心を巧妙に煽り、董卓と対立する様に誘導していく。

 

袁紹は董卓が中央に躍り出る前、知己であった何進と共に腐敗した十常侍ら宦官を掃除するべく兵を上げていたのだが、董卓が運良く皇帝を保護して美味しい所を全部持っていかれた事で完全に顔を潰されていた。

 

更に名族である己ではなく辺境の田舎者である董卓が帝の信を得ている事に大いに嫉妬していた袁紹は、とある役人の言葉に乗り董卓を引きずり落とすべく根回しを始める。

 

対して覇気に溢れる曹操は、己が手で直接董卓を討つべく都へと乗り込んだのだった。

 

 

 

 

「董卓様、この名剣『七星剣』をどうぞお納めください。」

 

声を発した者は姓を曹、名を操、字を孟徳という。

 

小柄な身ながら総身に覇気を感じさせるこの男は黄巾の乱でも活躍し、その名を中華に広めていた。

 

曹操が片膝をつき七星剣を献上しようとすると、董卓が無防備に歩み寄る。

 

そんな二人の様子を、見上げる様な巨体の大男が睨む様にして見ていた。

 

背中に冷や汗を感じる曹操は、内心で舌打ちをする。

 

(呂布め、なんと間が悪い。貴様がおらねば董卓を暗殺出来たものを!)

 

大男は姓を呂、名を布、字を奉先という者である。

 

呂布は武芸全般に秀で、一騎当千、万夫不当と謳われる無双の士だ。

 

感情を表に出さぬ様に努める曹操の手から七星剣を受け取った董卓が、曹操に労いの声を掛ける。

 

「曹操よ、大義である!」

「はっ!これにて失礼致します。」

 

無双の士である呂布に睨む様にして見られていた曹操は、駆けて逃げ出したい気持ちを抑え部屋をゆっくりと出ていった。

 

「と、董卓、いいのか?あ、あいつはお前の命を、ね、狙っていた。」

「構わぬ。」

 

椅子にどっかりと腰を下ろした董卓は、都での政務による苛立ちをまぎらわせる為に暴飲暴食して肥えてしまった腹を撫でる。

 

「如何様な理由があっても儂がやっている事は専横だからな。宦官だけでなく小役人にも儂を気に入らぬ輩はおるであろう。ならば、そ奴らが曹操の様な奴に頼るのも当然であろうよ。」

 

董卓は帝を保護して都に入ったのだが、そこで先ず目にしたのは涼州では考えられぬ程に腐敗した役人達であった。

 

辺境や地方には欠片も目を向けずに政争に明け暮れ、賂を要求し、私腹を肥やそうとする役人達。

 

これを目にした董卓はこのままでは中華の国力は衰え続け、中華の外の勢力により滅ぼされると感じた。

 

故に決意したのだ。

 

己が命を掛けてでも中華の為に大掃除をすると。

 

「お、俺は董卓に恩がある。だ、だから董卓を守る。」

 

呂布は所謂拾い子であった。

 

その呂布は幼少時から戦士の才を発揮していたのだが、その呂布の才を利用して、当時の呂布の養父は周囲の者達を脅して私腹を肥やしていたのだ。

 

そんな時、その養父の行いに痺れをきらした周囲の者達が、董家に救いを求めたのが董卓と呂布の出会いのきっかけである。

 

「馬鹿者が、儂を守るよりも嫁である貂蝉を守らんか。」

「ちょ、貂蝉は嫁だが、董卓も俺の養父で、か、家族だ。」

 

董卓は頭をガシガシと掻きながらため息を吐く。

 

「呂布よ、あとどれほど持つかわからんが、確実に儂は滅びる。」

「お、俺が董卓を守る。」

「無双の士のお前ならば中華の英傑達を相手取っても勝てるやもしれぬ。だが、勝ってはならぬのだ。中華の大掃除を成し遂げ、中華を次代に繋げるには悪を成した儂も滅びねばならぬのだからな。」

 

呂布は手に持つ武器を強く握り締めた。

 

「な、なんで董卓が、滅びなければならない。」

「儂以外にやる者がおらんかった。いや、もしかしたらいるのやもしれぬが、そいつを待っているだけの余裕が中華には無かった。だから、儂が中華の大掃除をやらねばならんかったのだ。」

 

微笑みながら話す董卓を見ていた呂布は、鼻の奥がつんとしたのを感じる。

 

「安心せい、儂もただでは滅びぬ。中華の次代を任せるに足る英傑を選抜せねばならんからな、がっはっはっはっ!」

 

快活に笑う董卓の姿に、呂布は董卓の養息となった事を誇りに思うのだった。




本日は3話投稿します。

次の投稿は9:00の予定です。


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第187話

本日投稿2話目です。


後の歴史に名を残す、董卓軍と諸侯連合の戦が始まった。

 

この戦は董卓と帝がいる都にまで通じる二つの関を巡る戦だ。

 

二つの関を諸侯連合が抑えねば都までの進軍で兵糧が続かず、諸侯連合は瓦解してしまう。

 

それ故に諸侯連合は二つの関を奪取するべく、関の前に陣を敷いたのだ。

 

董卓軍もそれをわかっている故に、二つの関に多くの戦力を割り振っていた。

 

一つ目の関を守る董卓軍の将は華雄と張遼。

 

共に董卓軍で名を馳せる将だ。

 

この二人が率いて関に籠れば、如何に董卓軍に比して圧倒的な兵数を誇る諸侯連合でも関を抜く事は困難であろう。

 

そして兵数が多いという事はそれだけ多くの兵糧を必要とする事でもある。

 

董卓軍の軍師は、春先に始まったこの戦は収穫の時期まで持たせれば勝ちの目が出てくると読んだ。

 

圧倒的な大軍を相手に勝機がある事と董卓への厚い忠義故に、関に駐留する董卓軍の兵達の士気は非常に高い。

 

そんな董卓軍が守る関をどう抜くのかを話し合うべく、諸侯連合の主だった将が一つの陣幕に集まるのだった。

 

 

 

 

「よくぞ我が檄文に応え集まってくれた。私は名族、袁家の袁紹である!」

 

纏う鎧の意匠から一目で裕福である事が読み取れそうな一人の男が、陣幕に集まった諸侯に向けて声を上げる。

 

「此度の戦は都を牛耳る暴君、董卓を征伐する為のものだ!各々方には我と共に董卓を討ち、帝をお救い致す栄光の機会を与えるものである!」

 

大仰な物言いを放つ袁紹は、己の言葉に酔いしれて顔を紅潮させている。

 

そんな袁紹を横目に曹操はため息を堪えた。

 

(よくも平然と嘘を並べ立てられるものだな。まぁ、野望の為にその嘘に乗っかった俺もそう大差はないか…。)

 

曹操は袁紹の演説を右から左へと聞き流しながら、集まった諸侯を値踏みしていく。

 

(もっとも注意を払うべきは、江東で名を上げている孫堅か。奴の軍は少ないが、黄巾の乱でも名を残している優秀な将だ。だが孫堅以外に一人、妙に気になる者がいる…。)

 

曹操がチラリと目を向けると、そこには他の諸侯と違って質素な鎧に身を包む大きな耳が特徴的な男がいる。

 

(奴は何者だ?己の言葉に酔っている阿呆は別として、他の諸侯は腹の探りあいをしているというのに、奴だけは自然体でそこに在る…。)

 

曹操の様に覇気に満ちているわけでもなく、孫堅の様に歴戦の勇士たる空気を纏っているわけでもない。

 

そんな大きな耳の男から曹操は目を離せなかった。

 

(まぁいい。此度の戦で推し測ってやろう。貴様が凡百の徒か、はたまた大器を有した英傑なのかをな…。)

 

四半刻(三十分)にも及ぶ袁紹の演説が終わると、この日の集まりは終わって諸侯はそれぞれの陣へと戻っていったのだった。

 

 

 

 

『曹操』

 

三国志を代表する英雄の一人である。

 

一代で魏を建国し中華の半分を統べた彼が最大の好敵手である劉備の存在をはっきりと認識したのは、董卓軍と諸侯連合の戦いの時だ。

 

この董卓軍と諸侯連合の戦いの前に行われた諸侯連合の軍議の後に、曹操は腹心の夏侯惇に次の様に語った。

 

『大耳の男を注視せよ。奴の器を見極めるのだ。』

 

乱世の奸雄と謳われた英傑の曹操だが、この時はまだ野望へ向けて牙を研ぐ一人の有力者に過ぎなかったのだった。




次の投稿は11:00の予定です。


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第188話

本日投稿3話目です。


諸侯連合が董卓軍と戦いを始めてから半月が経とうとしていた。

 

しかし諸侯連合は董卓軍と比して圧倒的な兵数を有していながら、まだ一つ目の関の攻略の足掛かりさえ掴めていない。

 

この現状を打開すべく、諸侯の代表者達が一つの陣幕に集まるのだった。

 

 

 

 

「ええい!誰か突破口を開こうという将はおらんのか!?」

 

苛立ちの感情が込められた袁紹の大声が陣幕に響く。

 

しかし袁紹と目を合わせる者はいなかった。

 

(ふんっ、何故に貴様の茶番に付き合って戦力を消耗せねばならん。)

 

神妙に諸侯を見渡す振りをしながら曹操は内心で鼻を鳴らす。

 

(しかし、このままでは兵糧が尽きてしまうのも確かだ。何か一手打たねばなるまい。)

 

自軍の戦力を可能な限り温存し、この戦に勝たねばならない。

 

では、誰を勝利への贄として捧げるかだ。

 

(公孫瓚は戦後の袁紹に対する壁として消耗は避けたい。となれば…袁術の下にいる江東の虎に役目を割り振るのがよかろう。)

 

江東の虎の異名を持つ孫堅は優秀な男なのだが、食糧事情等から現在では袁術の配下となっている。

 

孫堅もいつかは袁術の喉笛を噛み千切らんと牙を研いでいるのだが、部下達を食わせるには袁術に頼らなければならない。

 

いつの世も食糧事情、経済事情を握られた者の立場は弱いものなのだ。

 

そういった孫堅の情報を得ている曹操は袁術の背後に控える張勲に目配せをする。

 

張勲は袁術の信が厚い重臣で、智に長けた者である。

 

曹操の目配せの意味を察した張勲は微笑むと、袁術に耳打ちをする。

 

(やはり聡いな張勲。家柄と自尊心だけは一人前の其奴になど仕えずに、俺の下に来ればよいものを…。)

 

曹操には幾つか部下の悩みの種となっている悪癖がある。

 

その一つが『人材収集癖』だ。

 

才を有している士を見つけたら欲さずにはいられない。

 

それが例え他者の配下であろうとだ。

 

他にも人妻に懸想するといった悪癖もあるのだが、それは一先ず置いておこう。

 

張勲から耳打ちを受けた袁術が、顔を紅潮させて喚き散らしている袁紹に声を掛ける。

 

「従兄弟殿、ちょっとよろしいか?」

 

袁紹と袁術はお互いの立場上、家の仲が悪い。

 

その事があるので袁紹は複雑な表情をしながら袁術に顔を向ける。

 

「あの関を落とすのに、我が配下である江東の虎に一役買ってもらおうかと思うが如何か?」

 

袁術の言葉を受けて、袁紹は顎髭を撫でながら思考を巡らせる。

 

袁術に武功を上げられるのは面白くないが、中華にて名が売れている孫堅が己の檄に応えて陣に馳せ参じ、武を振るうのは己の面目が立つ。

 

しくじれば袁術に責を問い、成れば己の功とする。

 

そこまで考えてニヤリと笑みを浮かべた袁紹は、大仰な仕草で孫堅へと振り向く。

 

そして…。

 

「孫堅よ!この袁本初が貴様にあの忌々しき関の攻略の楔を打つ事を命ずる!」

「…はっ!」

 

やや間を置くと、孫堅は包拳礼をしながら袁紹に応える。

 

その孫堅の姿を見て曹操が不敵な笑みを浮かべると、孫堅は努めて表情を隠すのだった。

 

 

 

 

袁紹からの命を受けた孫堅は己が軍を率いると、地元の民に賂を渡して抜け道を聞き出した。

 

この抜け道は関を通る際の税を払いたくない者等が通る道だ。

 

孫堅はその抜け道を使って一つ目の関の裏手に抜けると、一つ目の関を本軍と挟み撃ちにする形で攻め立てていった。

 

昼夜を問わずに攻め立てる様子を見せる事で一つ目の関に籠る董卓軍の疲労を誘うと、それまでの戦場の硬直が嘘の様に攻略が進んでいった。

 

関の前面に仕掛けられていた馬防柵を取り払い、各所に掘られていた落とし穴や空堀を埋め立て、一つ目の関の壁にまで迫れる様になったのだ。

 

一つ目の関に立て籠る董卓軍は疲労し、更に一つ目の関の周囲に仕掛けられた防御陣も破壊した。

 

誰の目にも一つ目の関の攻略まであと一歩だった。

 

しかし、そのあと一歩というところで諸侯連合の動きが止まってしまう。

 

何故か?

 

それは…兵糧が尽きた孫堅軍が一つ目の関の裏手から撤退したからだった。

 

 

 

 

「張勲殿!」

 

戦場の埃にまみれ、肩を怒らせた孫堅が大股で歩み寄ってくる。

 

常人ならその姿を見ただけで腰を抜かしてしまう程の圧力があったが、その圧力を受ける当人である張勲は涼しげな表情で竹簡から目を上げた。

 

「おや?孫堅殿、如何いたしました?」

「如何いたしましたではない!何故に俺の軍に兵糧を送ってこない!?おかげで俺の軍は飢え、関の裏手から撤退するしかなかった!」

「はて?私は兵糧をしっかりと送りましたが?」

「その兵糧が来なかったから!俺はこうしてここにいるんだ!」

 

激昂して声を荒げる孫堅に対して、張勲は調子を崩さずに微笑んだまま地図を広げた。

 

「私は確かに、こちらの道を通って兵糧を届けさせています。予定では後七日で届く筈でしたが?」

 

声を上げそうになった孫堅は歯を食いしばって堪える。

 

そんな孫堅を見て張勲は冷笑を浮かべる。

 

「おや、どうかしましたか?もしかしてどこか他に裏手に抜ける道がありましたか?私はその様な報告は受けていませんが?」

 

怒りのあまりに孫堅は身を振るわせるが、拳を握り締めて耐える。

 

だが、この孫堅の怒りは張勲の嫌がらせの様な謀略に対してではない。

 

その嫌がらせ程度の謀略で立ち行かなくなってしまう程に弱い己に対して怒りが沸いているのだ。

 

一つ謝罪の言葉を述べた孫堅が張勲の元を去ると、張勲はやれやれとばかりに首を横に振る。

 

「孫家の方々は非常に好ましい気質の御仁が多いので少々心苦しいですね。彼等がかつて失った先祖伝来の土地への執着を捨てれば、袁家と共に歩み続ける事も出来るのでしょうが…。」

 

そう言って軽くため息を吐いた張勲は、視線を落として竹簡に目を通し始めるのだった。




これで本日の投稿は終わりです。

そして今年の投稿も終わらせていただきます。

また来年お会いしましょう。


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第189話

本日投稿1話目です。


「惇よ、俺は奴が…関羽が欲しいぞ!」

 

興奮する曹操の視線の先には呂布との一騎打ちで互角に渡り合う関羽の姿があった。

 

(孟徳の悪い癖と言いたいところだが…あの武を見たら仕方あるまい。)

 

夏侯惇はため息を吐きながら呂布と関羽の一騎打ちを眺めていく。

 

呂布は『人中の呂布』と謳われる程の無双の士として有名だが、対する関羽は先の一つ目の関の攻略で華雄を一騎打ちで降すまでは無名と言っていい存在だった。

 

無名だった筈の関羽が、此度の董卓軍と諸侯連合の戦で誰よりも名を上げている。

 

その事に嫉妬を感じながらも夏侯惇は関羽と呂布の一騎打ちに魅入っていた。

 

(個の英雄の時代は終わり兵法の時代だと言うのに、お前達は個の英雄足ろうとするのか?孟徳が魅せられるのはわかるが、覇道を歩まんとする孟徳の道には邪魔になりかねん。さて、孟徳をどう説得するかだが…。)

 

夏侯惇はちらりと曹操を横目で見るが、子供の様に目を輝かせる曹操の姿に頭を抱えそうになるのを堪える。

 

(駄目だなこれは。ならば、万が一奴等を配下に加えた時に御せる様に努めるしかあるまい…。)

 

気苦労を紛らわせる様に頭を掻いた夏侯惇は、呂布と関羽の一騎打ちを見物していくのだった。

 

 

 

 

「関羽か…中々出来るな。」

 

虚空に身を隠しながら戦の見物をしている王貴人が、呂布と関羽の一騎打ちを見てそう評する。

 

「兄弟子たる士郎はあの二人の一騎打ちをどう見る?」

「そうだな…呂布が弓を使えば、呂布に分があるだろうな。」

「弓?呂布は項羽の様な猛将ではないと言うのか?」

 

王貴人の問い掛けに士郎は頷く。

 

「確かに呂布は神秘の薄れた今の時代において、神秘が濃かった時代の英雄の様な圧倒的な膂力を持っているが、その本質は猛将ではなく弓を得手とした狩人だ。」

「なるほど、弓を得意とする士郎ならではの視点だな。」

 

一騎打ちの暗黙の了解として弓の使用は無い。

 

それ故に呂布は本来の力を発揮しきれていないと士郎は評する。

 

「得手としていない接近戦で武功を上げるか…まるで殷周革命の時の士郎の様だな。」

「私にあそこまでの天然の膂力は無いさ。尤も、弓の腕ならば負けないがね。」

 

かつて自信を持てなかった士郎とは思えないその自負に、王貴人は笑みを浮かべる。

 

「流石は『天弓士郎』と言ったところか。」

「重荷に感じていたその異名も、今では私の誇りだ。」

「私の夫なんだ。そのぐらいの自負は持って貰わねばな。」

 

微笑む王貴人に苦笑いをすると、士郎は意趣返しとばかりに王貴人を抱き寄せるのだった。

 

 

 

 

「三蔵~、次はどこに行くんだ?」

「そうねぇ…洛陽にでも行ってみようかしら?」

 

天竺から無事に中華へと経典を持ち帰った三蔵一行は、中華の地でシッダールタの教えを元に人々の救済を続けている。

 

そんな三蔵一行にとって今最も気になるのが董卓軍と諸侯連合の戦だ。

 

「御師匠様、戦は止めなくていいのか?」

 

八戒の言葉に三蔵は困った様に苦笑いをする。

 

天竺で見た泥々とした宗教争いを直に見た三蔵は、なるべく政への関与をしたくないのだ。

 

それ故に戦そのものには関わらず、その戦で心身を痛めている民の救済をしていっているのだ。

 

「御師匠様、荷の準備が出来ました。」

「悟浄、ありがとう。さぁ、皆行くわよ!洛陽の人々の元へ!」

 

笑顔で人々の救済を続ける三蔵一行の姿を、シッダールタは涅槃から微笑んで見守っていくのだった。

 

何故か隣にいる御立派な神に去れと言いながら…。




本日は3話投稿します。

次の投稿は9:00の予定です。


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第190話

本日投稿2話目です。


「ほう?一騎打ちで呂布と互角に渡り合う者がおったか?中華は広いものだ、ガッハッハッハッ!」

 

中華の都にある宮の執務室にて、董卓が豪快に笑い声を上げる。

 

その董卓の前には第二の関を落とされて都に戻って来た呂布と張遼が立っていた。

 

「まぁ、華雄が捕らえられたのは残念だが致し方あるまい。」

「その華雄殿を一騎打ちにて捕らえたのも、呂布殿と渡り合った御仁である関羽殿です。」

 

張遼の言に董卓の目に好奇の色が浮かぶ。

 

「関羽は誰に仕えておるのだ?」

「間者の報告によれば、公孫瓚の下にいる義勇軍を率いる劉備に仕えているとの話です。」

 

聞かぬ名に董卓は首を傾げる。

 

「劉備?」

「噂程度の話ですが、なんでも高祖の御血筋の方とか…。」

 

髭を撫で付けながら董卓が思考を巡らせる。

 

「ふむ…二人の目には他の諸侯はどう映った?」

 

董卓の言に呂布と張遼は少し考え込む。

 

「え、袁紹と袁術は数は多くても大したことなかった。」

「そりゃ呂布から見れば大抵の輩は大したことなかろうよ。」

 

呆れた様な董卓の言に張遼は吹き出してしまう。

 

「ぷっ!…失礼。私が見たところでは公孫瓚殿は精鋭を率いていましたが小数であり、中華に覇を唱えるには力不足です。孫堅殿も同様です。袁紹殿と袁術殿は中華を担うに足る財力と御血筋をお持ちですが、王足る威と才に欠けておる様に見えました。」

 

一区切りを置いてから張遼は言葉を続ける。

 

「そして曹操殿ですが…覇者足る威と才は満ちておりますが、天下を掴むにはまだ時期尚早かと。」

 

張遼の言に董卓が頷く。

 

「うむ。儂にも曹操は英傑足りうる者だが、若いせいか血気に逸るところがあると見える。あれでは大事な所で勝ちきれぬであろうよ。」

 

呂布と張遼は董卓の言に頷く。

 

(惜しい…董卓様こそ、真の英傑足る御仁であるというのに…。)

 

拳を握り締めた張遼は目を瞑って天を仰ぐ。

 

(才も胆力もある。そして無双の士である呂布殿もいる。なれど、天は掴めず…董卓様はなんと不運な御方なのだろうか…。)

 

帝から権力を簒奪すれば董卓が中華の覇権を牛耳る事は出来た。

 

しかし董卓はそれを良しとせず、民の為に地均しをする事を選んだのだ。

 

(せめて、董卓様には生きて貰いたい。この御方はここで死んでよい御仁ではない。なんとかお考えをお変えする事は出来ぬだろうか?)

 

張遼が思案を巡らせていると、洛陽の宮にとある一行が訪れたのだった。

 

 

 

 

「初めまして、董卓様。私は旅の仏僧をしております、玄奘三蔵と申す者でございます。」

 

合掌をして頭を下げる三蔵に、董卓は邪気の無い笑みを浮かべた。

 

「噂は聞いておりますぞ法師様。儂は董卓。この都にて政を担っておる田舎者です。」

 

董卓の返礼に三蔵は笑みを浮かべた。

 

「董卓様が噂とは違う御方で安心しました。」

「ほう?どの様に違うのですかな?」

「噂では董卓様は都で悪政を敷き、酒池肉林を貪る暴君であるとの事ですが、私の目には民への慈悲に溢れた名君の様に見えます。」

 

三蔵の言に董卓の傍に控える呂布と張遼が頷く。

 

「いやいや、強ち間違っているとは言えませんぞ。田舎者故に美食を楽しんで、これこの様に肥えてしまいましたからな、ガッハッハッハッ!」

 

そう言ってポンッと董卓が腹を叩くと、三蔵もクスクスと笑ってしまう。

 

「して、法師様は如何様な用向きで洛陽に来られたのですかな?漢の国教は道教ですので、洛陽にて仏教を広めたいとおっしゃられるのであれば、帝の許しを得ねばなりませぬが。」

 

とある世界線では光武帝が儒教を広めたのだが、この世界では二郎や王夫妻の影響で中華の国教は道教であり続けている。

 

「いえ、私は無理に御仏の教えを広めるつもりはございません。」

「ふむ?では、法師様は如何様な用向きでいらしたので?」

「涼州や洛陽の民は諸侯連合と戦う董卓様の事を心配しております。」

 

三蔵の言に董卓は表情を引き締め為政者の顔になる。

 

「ありがたい事ですなぁ…して?」

「私も信仰の道を歩む者として些か政争に巻き込まれた事がございます。此度の戦、董卓様の御首を諸侯連合が挙げるまで終わりにならないのではないですか?」

「如何にもその通りですな。」

 

頷く董卓に三蔵は合掌をして言葉を続ける。

 

「民の願いは董卓様が生き残る事です。私にそのお手伝いは出来ませんか?」

「それは無用に願いましょう。」

 

三蔵は真意を見定め様と董卓の目を見詰める。

 

「儂の首一つで次代の中華の民の安寧が買えるなら安いもの…無用に願いましょう。」

 

董卓の言に呂布と張遼は董卓の前に回り、片膝を着いて包拳礼をした。

 

「ち、養父上、ほ、法師様の願い通りに。」

「呂布殿の言う通りです董卓様!董卓様は此処で死んでよい御方ではございません!」

 

呂布と張遼の懇願に董卓は首を横に振る。

 

「袁紹が周到に根回しをしておる。どう足掻いても儂の首がなければ戦は終わらぬ。仮に儂が諸侯連合を討ったとすれば、諸侯連合を治める者達がいなくなり、中華には混乱が広がってしまうであろう。その混乱を治めるには何十年と掛かる。そうなれば多くの民が犠牲になる。」

 

張遼は鼻の奥に感じるツンッとしたものを堪えながら声を上げる。

 

「代わりの者ではいかぬでしょうか?」

 

張遼の言に董卓は眉を寄せる。

 

「儂の身代りになる者を用意すると言うのか?袁紹と曹操は儂の顔を知っておる。似ておる程度の者の首では納得すまい。」

 

万策尽きたかと張遼と呂布が項垂れる。

 

すると…。

 

「じゃあ、同じ顔を用意すればいいのかい?」

 

そう言いながら一人の青年が虚空から姿を現すと、董卓と呂布と張遼は驚いて目を見開く。

 

そして青年の姿を見た三蔵はただ苦笑いをするしかなかったのだった。




次の投稿は11:00の予定です。


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第191話

本日投稿3話目です。


「こうして改めて見ると、百万を超える軍勢というのは壮観ですな。」

 

中華の都の外周に建てられている城壁に立つ張遼は、地平線に見えた諸侯連合の軍を見て楽しんでいる。

 

「ちょ、張遼。」

 

己と同じく城壁の上にやって来た呂布に、張遼は笑みを浮かべる。

 

「奥方との挨拶は済んだ様ですな。」

「う、うむ、法師様が連れて行ってくれる。」

 

政略的に悪にされてしまった董卓軍の人々をなるべく多く救うべく、三蔵一行は洛陽から可能な限り人々を連れ出していた。

 

今の時代、敵地に侵攻すれば略奪や乱暴狼藉は当たり前である。

 

それ故に三蔵一行は洛陽の人々を逃がすことにしたのだ。

 

「ちょ、張遼、騎馬はお前が率いろ。お、俺は弓を使う。」

 

呂布の言葉に張遼は驚いた後、不敵な笑みを浮かべる。

 

「呂布殿が弓を使えば百万の軍勢が相手でも、諸々が整うまでの時間は十分に稼げますな。」

「め、飯と矢があれば幾らでも行ける。」

「ハッハッハッ!流石ですぞ、呂布殿!」

 

呂布の武は数人を一振りで吹き飛ばす圧倒的な膂力が注目される事が多い。

 

だが呂布の武の本質は人馬一体となる馬術と、目で捉えたものには必ず中てる弓術にこそある。

 

その馬術と弓術を呂布に教えた師は董卓である。

 

今ではたっぷりと肥えてしまった董卓だが、涼州を治めていた時は自ら軍を率い賊を討伐して名を上げていた武人だったのだ。

 

「さて、先ずは諸侯連合に軽く一当てしてまいります。」

 

不敵な笑みを浮かべた張遼が城壁を下りていくと、呂布は諸侯連合を見据えながら弓を手に取るのだった。

 

 

 

 

諸侯連合が洛陽に詰め寄ってから二十日後、呂布と張遼を始めとした董卓の配下は主である董卓の首を持って諸侯連合に降伏した。

 

その後、中華の都である洛陽は諸侯連合の兵達によって焼き討ち、略奪をされたのだが人的被害はほとんど無かったのだった。

 

 

 

 

『洛陽焼き討ち』

 

三国志の一節に書かれているこの出来事は、日本では二次創作である三国志演義に悪人として描かれている董卓が行った事だとして認識されている事が多い。

 

しかし本来は諸侯連合の兵達によって行われた事である。

 

敵地からの略奪が非道であるという倫理が出来たのは近代の事で、日本の戦国時代でも当然の様に行われていた事なのだ。

 

『洛陽焼き討ち』

 

三国志演義では道連れに都である洛陽を焼いた悪人の董卓だが、本来は涼州や洛陽の人々に支持されていた好漢であり、三国志の時代を代表する英雄の一人である呂布の師に当たる人物なのだ。

 

 

 

 

「法師様、改めて礼を言わせて貰いますぞ。」

「礼ならば二郎真君様に。私はこうして洛陽の人達の避難をお手伝いしているだけだもの。」

 

多くの人達と共に涼州に向けて歩く三蔵の隣に一人の男がいる。

 

何を隠そうこの男は、呂布と張遼が諸侯連合に降伏する際に首を討たれた筈の董卓である。

 

では何故に死んだ筈の董卓が此処にいるのか?

 

それは…。

 

「しかし、僅か数日で儂に瓜二つの人形(ひとがた)を造ってしまうとは…流石は二郎真君様ですなぁ。」

 

だいたい二郎のせいである。

 

エルキドゥや士郎の身体を造った二郎にしてみれば、神秘も魂も込める必要がない人形を造るなど朝飯前なのだ。

 

「痩せたら随分と印象が変わったわね。それに若返ったから、事を知らなかったら誰かわからないわ。」

「まさか丸薬一つで痩せた上に若返るとは思いませんでしたな。別れの挨拶をしに行った時に帝も目を見開いて驚いておりました、ガッハッハッハッ!」

 

曹操や袁紹は洛陽での政務によるストレスから暴食をして肥えてしまった董卓の姿しか知らない。

 

それ故に痩せて若返れば董卓の事がばれにくいだろうと、二郎が霊薬を渡したのだ。

 

「それで董…華佗さんはこれからどうするの?」

「そうですなぁ…。二郎真君様に医術の事を書いた竹簡をいただきましたので、これを学び、漢方薬等を使って中華の人々を救済していくとしましょうかな。」

 

ニッコリと笑った董卓…もとい華佗の笑顔は、まるで憑き物が落ちた様に爽やかなものなのであった。




これで本日の投稿は終わりです。

また来週お会いしましょう。


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第192話

本日投稿1話目です。

諸事情で投稿時間が遅くなり申し訳ございませんでした。


諸侯連合が董卓軍に勝利した後の帝との拝謁で、帝から最も多くの言葉を掛けられたのは劉備だった。

 

同じ血筋であった事もあるが、それ以上に関羽が呂布と互角に渡り合ったのが大きい。

 

これにより劉備は帝から直々に役を与えられるという名誉を得た。

 

それを面白く思わない諸侯もいたが帝の御前であった事もあり、その場は無事に解散となる。

 

さて、董卓軍との戦が終わって役を得た劉備であったが、義勇軍として戦ばかりをしてきたツケと言うべきなのか、役人として政が出来る者が劉備も含めてほとんどいなかった。

 

毎日の様に中央の役人との折衝やら民の陳情などを受け、戦とは違う役人として領地を治める大変さに劉備と張飛は毎日の様に頭を抱えていた。

 

まともに政務を行えていたのは私塾を開くぐらいに学がある関羽ぐらいだ。

 

かつて劉備は黄巾の乱の後も役を得ていたが、その時は一月持たずに中央から来た役人と揉めて一度役を投げ出している。

 

しかし、今回の役は帝直々に与えられたものなのでむやみに投げ出す事は出来ない。

 

困り果てていた劉備の元に、多くの部下を連れた呂布が訪れた。

 

呂布の部下には董卓の下で政務に携わっていた文官の姿もあり、劉備は諸手を上げて呂布一行を歓迎した。

 

呂布の部下にいた文官のおかげでなんとか領地の政が安定すると、劉備は領地内を荒らす賊の討伐に向かう事にした。

 

賊の討伐に向かう主な者は劉備、関羽、張遼だ。

 

張飛と呂布は領地の城で留守番である。

 

数日経って劉備達が無事に賊の討伐を終えて笑顔で領地の前まで戻ってくると、張飛が額を地に擦り付ける様にして劉備達に頭を下げてきたのだった。

 

 

 

 

「玄徳兄貴!雲長兄貴!すまねぇ!呂布に城を奪われちまった!」

 

額を地に擦り付ける様にして頭を下げる張飛の姿に、劉備は首を傾げる。

 

「呂布に城を奪われたぁ?翼徳ぅ、どういうこった?」

 

張飛は劉備達に身振り手振りを交えて説明していく。

 

張飛の話では政が安定した事と劉備達の賊討伐成功を祝して宴を開こうとしたそうだ。

 

それで昨日その宴の準備を終えて寝ると、張飛は身一つで外で寝ていたとの事だ。

 

「う~ん…雲長、張遼、おめぇさん達はどう思う?おいらは呂布が城を奪う様な奴とは思えねぇんだ。」

 

呂布達を受け入れてから半年程が経つのだが、その間に劉備達は張遼を始めとした元董卓軍の諸将から董卓軍と諸侯連合の戦の経緯を聞いていた。

 

その事もあって劉備は元董卓軍の者達を全面的に信じる事にしたのだが、賊討伐から戻ってみると張飛が呂布に城を奪われたと言うのだから面を食らっているのだ。

 

「呂布殿はその様な事をなさる御仁ではありませぬ!」

「兄者、私も呂布はその様な事をするとは思えません。一騎打ちの際に呂布は真っ直ぐな御仁だと感じました。」

 

張遼と関羽の言葉に劉備は頷く。

 

しかし現実に張飛は寝着で外に出されている。

 

どうしたものかと頭を掻いた劉備はため息を吐いてから顔を上げる。

 

「まぁ、呂布に会ってみるしかねぇやな。」

 

劉備の言葉に頷いた一行は、呂布がいる城へ向かって歩き始めたのだった。

 

 

 

 

「りゅ、劉備達は城に入っていい。でも、ちょ、張飛はダメだ。」

 

城に辿り着いた劉備一行を出迎えた呂布だが、張飛だけは入城を拒否した。

 

「やいやい!呂布!なんでこの張飛だけ入れねぇってんだ!俺が何をした!」

 

米神に青筋を浮かべて怒鳴り散らす張飛を呂布は無視する。

 

そんな呂布の態度に我慢の限界を超えた張飛が呂布に掴み掛かろうとするが、関羽と張遼が抑え込む。

 

「なぁ、呂布よぉ。なんで翼徳だけ入れねぇのか教えちゃくんねぇか?」

 

劉備の言葉に呂布はため息を吐いてから答える。

 

「ちょ、張飛は昨日、宴の為に用意した酒を一人で飲んで酔った。そ、そして暴れて皆を怪我させたから叩き出した。は、反省するまで中に入れない。」

 

呂布の言葉に心当たりがあるのか、張飛は気まずそうに顔を逸らす。

 

そんな張飛の頭に劉備は拳骨を落とした。

 

「いてぇ!?」

「いてぇじゃねぇ!な~にが呂布に城を奪われただぁ!翼徳!罰として向こう三月は酒禁止!そして反省の証として賊の討伐に行ってきやがれ!」

 

拳骨を落とされた頭が痛むのか頭を擦りながら張飛が劉備に問う。

 

「げ、玄徳兄貴、宴は?」

「あぁん?!翼徳の参加を許すわけねぇだろ!さっさと賊の討伐に行ってこい!嫌なら義兄弟の契りを解消して荒野に叩き出すからな!」

「そ、そんなぁ…。」

 

劉備の言葉に張飛が項垂れると、それを見た関羽と張遼が笑い声を上げたのだった。

 

 

 

 

『張飛 翼徳』

 

三国志の時代に生きた劉備三義兄弟の末弟である。

 

小柄ながら筋骨隆々のその身体は、『飛将』の異名を持つ呂布と互角の膂力を持つと謳われた。

 

そんな張飛だが極度の酒好き故に、酔った上での失敗の逸話が多々残されている。

 

しかしそれでも義兄弟を始めとした仲間達に見捨てられなかった辺り、張飛は憎めない人柄をしていたのだろう。

 

『張飛 翼徳』

 

若き日は酒での失敗が多かった彼だが、多くの経験を積んでいく事で後の時代に名を残す程の名将へと成長していったのだった。




本日は3話投稿します。

次の投稿11:00の予定です。


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第193話

本日投稿2話目です。


元董卓軍である呂布達が劉備の下に行ってから二年程の月日が流れた。

 

劉備は元董卓軍の文官から学ぶ事で役人としての力量を少しずつ高めていくと、治める領地の人々から人としてだけでなく為政者としても信頼される様になっていった。

 

治める者が民と共に笑い合う日々。

 

それは荒れていた人々の心を癒し、未来への希望を与えていった。

 

しかし、そんな日常に不意に影が落ちる。

 

それは劉備に送られてきた一枚の書状が原因なのだった。

 

 

 

 

「う~ん…。」

 

開かれた書状を前にして劉備が唸る。

 

何度も首を傾げる事を繰り返し、唸り声は止まらない。

 

そんな唸り声を上げ続ける劉備の執務室に、現在の劉備配下の主だった者達がやって来た。

 

「兄者、どうされた?文官達が心配していたぞ。」

 

執務室にやって来た者を代表して関羽が劉備に声を掛ける。

 

関羽の掛け声に劉備はため息を吐くと、一枚の書状を関羽に渡す。

 

「これは?」

「曹操からの書状。」

「曹操殿からの?」

 

関羽を囲む様にして張飛、呂布、張遼が曹操からの書状を覗き込む。

 

「あぁ、もう!なんでお偉いさんは、こう小難しい時節の挨拶を書きやがるんだ!」

 

心底嫌そうに悪態を吐きながら頭を掻き回す張飛に、呂布が同意する様に頷く。

 

「これは…!?」

 

書状を読んだ関羽が驚きの声を上げ、張遼が目を見開く。

 

「なんて書いてあんだ?」

「一言で言えば、呂布を差し出せだとさ。」

 

書状を持つ手を震わせる関羽に代わって劉備がそう答える。

 

「はぁ?」

 

訳がわからないと首を傾げる張飛に劉備が書状の内容を語る。

 

帝に弓を引いた元董卓軍の者達を配下にするとは何事だ。

 

貴様に無双の士である呂布を御せる器量があるのか?

 

また呂布達が中華を騒がせる前に、無双の士である呂布が仕えるに相応しい者が預かるべきだろう。

 

疚しい心無くば、一軍を寄越す故に潔く引き渡されたし。

 

劉備が曹操の書状の内容を語り終えると、張飛は顔を怒りで紅に染めた。

 

「あんのチビ野郎がぁぁぁあああああ!」

 

張飛の領地中に届くのでは思われる程の大音量の怒声が執務室に響き渡る。

 

しかし関羽や張遼は黙して腕を組み、思考を巡らせていた。

 

「どうするべきか…。」

「曹操殿…いや、曹操は実に巧妙な手を打ってきましたな。」

 

今回の謀略は劉備がどちらを選んでも曹操には好都合なところが肝である。

 

例えば呂布の身を曹操に差し出せばどうなるか?

 

曹操は劉備が治める領地の民に、劉備は保身の為に仲間を売ったと噂を広めるだろう。

 

そうなれば劉備は民の信を失ってしまう。

 

また民の信を得るにはこの二年の何倍もの労力と時間を必要とするだろう。

 

では呂布を差し出さなければどうなるか?

 

その時は劉備に漢への叛意有りとして噂が広められ、董卓の二の舞となってしまうだろう。

 

正に進退窮まる状況なのだ。

 

関羽達があれこれと意見を交わすが、劉備は目を瞑って思考を続けたままだ。

 

およそ半刻(一時間)程経った頃、劉備は大きく息を吐く。

 

それは覚悟を決める為のものだった。

 

いまだに議論を続ける場の注意を引く為に、劉備が柏手を一つ打つ。

 

皆の注目が集まると、劉備はニッと笑みを浮かべた。

 

そして…。

 

「よし!逃げるぞ!」

 

関羽達が呆然とする中で劉備は笑顔で言葉を続けていく。

 

「元々おいらには役も領地も無かったんだ。それを失ったって大した事じゃねぇや。またどこかで手柄を立てればいい話だからな。あ、でも逃げる前に帝に書状を送らなきゃいけねぇか。そうしねぇとまた難癖つけられて曹操に追われかねねぇかんなぁ。」

 

笑いながら話す劉備の姿に、呆然としていた皆が気を取り戻す。

 

「りゅ、劉備…。」

「呂布よぉ、おめぇさんが良くても奥方の貂蝉殿はどうなるんだい?曹操は他人の女が好きってのは皆が知ってるんだぜ?あれだけの器量良しだ。曹操が手を出さねぇ筈がねぇだろう?」

 

呂布の妻である貂蝉の容姿は、殷周時代の伝説の美女である妲己や竜吉公主に匹敵すると世の人々に謳われている程だ。

 

それだけの美女ならば曹操でなくとも手を出そうとするだろう。

 

「それにおいらは仲間を売ってまで出世したかねぇ。そんな事するぐれぇなら喜んで身分を捨てるさ。」

 

そう言ってニッと笑う劉備の姿に関羽と張飛は胸を張り、呂布と張遼は胸を打たれた。

 

呂布と張遼は顔を見合わせて一つ頷くと、劉備の前で片膝を着いて包拳礼をする。

 

「りょ、呂布 奉先。劉備に仕える。」

「私は姓を張、名を遼、字は文遠!どうか私を劉備様の旗下の末席にお加えください!」

 

劉備は呂布と張遼の元に歩み寄り、二人の肩に手を置く。

 

そして…。

 

「おう!二人共、よろしくな!」

 

満面の笑みを浮かべた劉備に、呂布と張遼は頭を垂れ続けたのだった。




次の投稿は13:00の予定です。


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第194話

本日投稿3話目です。


「それじゃ張遼、頼んだぜ。」

「はっ!お任せあれ!」

 

包拳礼をした張遼は颯爽と馬に跨がると、三百の騎兵を率いて駆け出す。

 

張遼は劉備が役を辞する旨を記した書状を帝に届ける役目を任されたのだ。

 

地平線へと駆けていった張遼を見送ると、劉備が笑みを浮かべながら皆に振り返る。

 

「うしっ!曹操が来るまで後一月ってところだ!しっかりと逃げる準備をしねぇとな!」

 

 

 

 

劉備達が曹操軍から逃げるにあたって問題が幾つかある。

 

一つは何処に逃げるかだ。

 

曹操は現在の中華でも指折りの有力者で、並みの諸侯では匿って貰うどころか御機嫌伺いのために差し出されてしまうだろう。

 

その為、劉備達が逃げる先は曹操に対抗出来るだけの力を持った有力者のところに限定される。

 

候補としては袁紹、袁術、劉表といったところだ。

 

劉表は現在の中華で非常に高名な為政者であるのだが、決断力に乏しいという噂がある。

 

その為、覇気溢れる曹操に抗する事が出来るのか少々心許ない。

 

袁術は中華でも一、二を争う金持ちだが、既に孫家を抱えている。

 

内憂がある状態で更に厄介者となる劉備達を受け入れる可能性は低い。

 

残る候補は袁紹なのだが、董卓軍と諸侯連合の戦いの後に劉備が帝に持ち上げられたのが懸念される。

 

嫉妬心から董卓を謀略に掛けた袁紹である。

 

果たして袁紹の顔を潰してしまった劉備を受け入れるのだろうか?

 

劉備達は何日も掛けて話し合った。

 

その末に劉備達は袁紹を頼る事にした。

 

帝に目を掛けられている劉備が真っ先に頼る事で、袁紹の顔を立てられるのではないかと気付いたからだ。

 

逃げ先という戦略目標が決まった事で本格的に準備が始まったが、事はそう簡単に終わらない。

 

中華は広い為、別の領地に行くにも時が掛かる。

 

更に賊などの危険もある為、旅程が順調に行くとは限らない。

 

それ故に、身を守る為の戦力と旅の間飢えない為の食糧がいる。

 

しかし身を守る為の戦力を多くし過ぎれば、曹操が劉備の領地を接収する前に領民が賊に襲われてしまう危険性がある。

 

そして食糧を多く持っていきすぎれば、領民が飢えてしまう。

 

これらの調整だけでも大変なのに劉備に着いていきたいという民も多かったので、その民の選抜も劉備を大いに悩ませた。

 

更に政が混乱しない様にしっかりと引き継ぎをせねばならない。

 

もし劉備が義勇軍を率いていた頃だったならば、曹操軍が来るまでに逃げる準備は終わらなかっただろう。

 

しかし帝から役を得てからの数年で人の上に立つ者として成長をした事と、関羽や文官達の献身のおかげで劉備はなんとか逃げる準備を終える事が出来た。

 

そして逃げる準備を終えた劉備達が領地に残る者達と別れの宴をした翌日、劉備達は袁紹が治める領地に向かって出発するのだった。

 

 

 

 

別れを惜しんだ多くの民が、劉備達が見えなくなるまで手を振っている。

 

その姿に劉備達の胸には込み上げてくる何かがあった。

 

「未練が残るな。」

 

関羽の一言に皆が頷く。

 

「しっかし、大所帯になったもんだなぁ。」

 

そう言いながら劉備は己に着いて来る者達を見渡す。

 

関羽が率いる騎兵五百、呂布が率いる弓騎兵五百、張飛が率いる歩兵五百、劉備を直衛する兵五百に荷駄を運ぶ兵五百を合わせて二千五百の軍。さらに兵達の家族を合わせると、劉備に着いて来る者達の総人数は一万を超えていた。

 

「雲長兄貴、もっと人数を減らせなかったのかぁ?」

「翼徳、そう思ったのならお前も手伝える様になれ。」

 

武人としては一流と言っていい張飛だが、政務や軍務は苦手としていた。

 

ちなみにすました顔をして名馬である赤兎馬に跨がっている呂布だが、彼も張飛に負けず劣らずに政務や軍務を苦手としている。

 

もっとも、兵の調練等は張飛と呂布が担ったので関羽も小言程度で済ませている。

 

もし酒を飲んで兵の調練をサボっていたらとんでもない事になっていただろう。

 

「まぁまぁ、そう気張らずに行こうぜ。先は長いんだ。やるべき時にちゃんとやればいいさ。」

 

そう言って笑顔で進む劉備に、皆が笑顔で続いていくのであった。




これで本日の投稿は終わりです。

また来週お会いしましょう。


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第195話

本日投稿1話目です。


「孟徳、劉備達はいないぞ。」

 

劉備が治めていた領地に兵を率いてきた曹操は、夏侯惇の言葉を聞いて目を細めた。

 

曹操がこれまで見てきた有力者の中で自ら成功を手放す様な者はほとんど…いや、皆無と言ってよかった。

 

そんな中で劉備は思惑と違って成功を手放し逃げ出したので、曹操は己の中で劉備の評価を上げると同時に警戒をする事にした。

 

(董卓軍との戦で諸侯が集まった折りに奴の事は気になっていたが、関羽や呂布に目を取られていた事で劉備の事を過小評価していたか…。)

 

謀が空振った曹操は次善の策を考える。

 

(領地はこのまま接収すればよいが…さて、劉備はどうしたものか?)

 

曹操は軍師である郭嘉に目を向ける。

 

「劉備達の逃げ先の候補は袁紹、袁術、劉表の三つですが、おそらくは袁紹の下に逃げたでしょう。劉備達を追うならば領地の抑えに一万を残し、残る二万を二つに分けて追うのがよろしいかと。」

 

打てば響くとばかりに己の求めを察した言葉を出した郭嘉に、曹操は笑みを浮かべる。

 

(郭嘉がいれば、俺の野望は必ず叶うだろう。)

 

郭嘉の進言を受け入れて曹操は指示を出す。

 

「惇よ、淵と共に一万の兵を率いて先に劉備達を追え。追いついたならば足止めに専念せよ。劉備の下には関羽と呂布がいる故に、無理をせぬ様にな。」

 

曹操は劉備達を追う先発の軍に、腹心の夏侯惇と彼の従弟の夏侯淵を選んだ。

 

夏侯淵は迅速な用兵を得意としているので、それ故に今回の追撃への抜擢だ。

 

包拳礼をした夏侯惇と夏侯淵だが、夏侯惇は一つ疑問を持ち曹操に問いを投げた。

 

「孟徳、劉備達に付いていった民はどうする?」

「帝への叛逆の疑いがある劉備に付いていったのだ。何を遠慮する必要がある?」

 

冷酷と呼べる言葉を出した曹操に、夏侯惇は目を細める。

 

(あの時から孟徳は変わった…。)

 

少し前なのだがとある男が諍いから曹操の叔父を殺してしまった。

 

曹操は叔父の仇である男を討つ為に、男を町一つごと滅ぼしてしまったのだ。

 

(覇者としての凄みは増したが…。)

 

味方には寛大だが敵には一切容赦をしなくなった曹操に、領地の民の一部は畏怖を持っている。

 

それが今後、曹操の足枷にならないかと夏侯惇は不安を感じているのだ。

 

(甘さで足下を掬われるよりは余程マシだが…。)

 

一軍を率いた夏侯惇は、夏侯淵と共に劉備達を追うのだった。

 

 

 

 

「亮、俺は孫家に行く事にした。」

 

とある地にて、一人の男が弟に仕官の旨を伝える。

 

この男は姓を諸葛、名を瑾という男だ。

 

「兄上、どの様な心で孫家に仕官を決めたのですか?孫家は袁術の下におり、更に孫家の長である孫堅殿は亡くなったばかりで混乱していると思いますが?」

 

諸葛瑾に問いを投げたのは弟の諸葛亮という少年である。

 

まだ幼い諸葛亮だが、そうとは思えぬ聡明さを感じさせる目をしている。

 

「だからこそ、今孫家に仕官すれば重用される可能性も高いだろう?」

「代わりに袁術やその配下に警戒されると思いますが?」

 

弟の言い分に諸葛瑾は苦笑いをする。

 

「それに、楊ゼン様にいただいた金子もまだまだ残っています。無理に仕官する必要はありませんが?」

「わかっている。だが、いつまでも無役では家長としての面目がな…。」

 

少し前に諸葛一族が住んでいた町は曹操に滅ぼされてしまった。

 

その時に父親も殺されてしまい、長男の諸葛瑾が母と兄弟を連れて逃げたのだが、その時に運悪く賊に捕まってしまった。

 

身ぐるみを剥がされ殺されようとした時、気紛れで散歩をしていた二郎に助けられたのだ。

 

さらに、生活をしていくのに困らないだけの物も与えられた諸葛一族は二郎に大きな恩を感じているのだ。

 

「そうですか。ならば、これ以上は言いません。ですが、孫家にて何か楊ゼン様の事がわかれば教えてください。」

「もちろんだ。恩人である楊ゼン様には恩返ししなければならぬからな。亮、水鏡塾でよく学ぶのだぞ。」

 

笑みを浮かべた諸葛瑾は手荷物を持つと、護衛を従えて待っている商人の所に向かった。

 

兄を見送った諸葛亮は息を一つ吐く。

 

「水鏡塾で学べる事は多く、友と呼べる者も出来たのですが…楊ゼン様からいただいた兵法書の方が、水鏡先生から学ぶよりも得心する事が多いのですよね。」

 

そう言って肩を竦めた諸葛亮が手に持つ竹簡は、実は太公望が書いた兵法書である。

 

現在、中華にて流行っている兵法書は孫武が記した物なのだが、それとは違う内容の太公望の兵法書に諸葛亮は強く惹かれた。

 

孫武が残した兵法を一言で言えば戦う前の準備…戦略を重視したものである。

 

これはとても理に添ったものなのだが、諸葛亮にはそれを出来るだけの持てる者…つまり強者の兵法の様に思えてしまったのだ。

 

孫武の兵法の有用性は理解しながらも、まだ若い諸葛亮にとってはあまり面白くないものであった。

 

しかし太公望が記した兵法は違った。

 

奇策等を用いて相手の心理を誘導するそれに、諸葛亮は大いに好奇心を刺激された。

 

それ以来、諸葛亮は水鏡塾で一般的な兵法や教養等を学びながらも、家では太公望の兵法書を読み耽っているのだ。

 

「亮、ごはんが出来ましたよ。」

 

不意に母に呼ばれた諸葛亮は、笑みを浮かべながら家へと戻るのだった。




本日は3話投稿します。

次の投稿は9:00の予定です。


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第196話

本日投稿2話目です。


劉備達は旅を続け袁紹の領地まで後一日の距離まで来ていた。

 

しかし…。

 

「玄徳兄貴!曹操の軍が来やがった!」

 

多くの民を連れていた事で行軍が遅れてしまい、後少しという所で曹操軍に追い付かれてしまった。

 

「ったく、雲長を前触れに出したばかりだってぇのに…。」

 

愚痴を溢しながら劉備は頭を掻く。

 

「翼徳、連中の数は?」

「ざっと見て一万ってとこだぜ。」

 

劉備はため息を吐きたいのを堪える。

 

(よくもまぁ、それだけの兵を出す余力があるもんだ…。)

 

劉備は政を経験した事で一万もの兵を動かす大変さを理解出来る様になった。

 

それだけの兵を養い、訓練するには多大な財力が必要になる。

 

「姿形(なり)は小さくても器はデケェ…かぁ。」

 

曹操の力は袁紹や袁術の様に生まれた時には既にあったものではない。

 

己の才覚で手にしたものだ。

 

劉備は自身と曹操との差に今度こそため息を吐いてしまった。

 

しかし曹操からしてみれば、劉備は一介の民と同じ身分から領地を得る程の運と才覚を持った男として見えている。

 

お互いがお互いを英雄として見ているのだ。

 

もっとも、曹操は己の才覚を自覚しているのに対して劉備は自覚していないのだが…。

 

「さ~て、どうしたもんかねぇ?」

 

曹操軍は自軍より圧倒的に数が多い。

 

いつもの劉備なら此処は迷いなく逃げの一手だ。

 

しかし今は兵では無い民を連れている。

 

ただ逃げるだけでは間違いなく犠牲が出るだろう。

 

(雲長も張遼もいねぇからおいらが考えるしかねぇんだがなぁ…。)

 

呂布も張飛も間違いなく優秀な戦士なのだが、あれこれと考えるのは苦手である。

 

なので劉備自身が頭を使うしかないのだが、いい策が浮かばない。

 

(ちくしょう!どうすればいいんだ?!)

 

迷っている間にも曹操軍は陣を整えている。

 

このままでは何も出来ずに民を巻き添えにして劉備軍は潰滅してしまうだろう。

 

「少しいいか?」

 

劉備が頭を悩ませていると、不意に声を掛けられた。

 

声の方に劉備が目を向けると、そこには白髪に褐色肌の男と短めの髪の女の姿があった。

 

近くにいた呂布と張飛が驚きながらも得物を構える。

 

何故ならその男と女は何も無い虚空から突如姿を現したからだ。

 

「あ~…あんたらは?」

 

劉備は手を上げて呂布と張飛に武器を下げさせながら問い掛ける。

 

「私達はこの先にある村で宿を借りている道士なのだが、何やら騒がしくなった様なのでね。様子を見にきたのさ。」

「道士?」

 

劉備は目の前にいる白髪の男を観察する。

 

道教は中華で最も広く信仰されているのだが、その教えを学んで道士となる者は少ない。

 

それは人々に余裕が無いというのも理由の一つなのだが、地上に弟子を取る仙人がほとんどいなくなったからだ。

 

だからこそ劉備は白髪の男に興味をそそられたが、今はそんな事をしている場合ではないと顔を振って気を取り直す。

 

「道士様、色々と話をしたいとこなんだが…今はあいにくとその暇が無くてな。」

「ふむ、察するにあちらにいる連中に追われているといったところか?」

「お察しの通りで。」

 

苦笑いをしながらそう言う劉備の姿に、白髪の男は肩を竦める。

 

「理由は問わないでおこう。世俗の事に関わり過ぎるのは好ましく思われないのでな。だが、世話になった村が連中に荒らされる可能性があるとなれば見過ごせない…そうだろう、王貴人?」

「…王貴人?」

 

聞き覚えのある名に、劉備が思わず声を出してしまう。

 

そんな劉備の姿がおかしかったのか、白髪の男はクスリと笑ってから名乗りを上げる。

 

「私は王士郎。かつて文王に仕えた道士だ。そしてこちらが…。」

「王貴人、士郎の妻だ。」

 

士郎と王貴人が名乗ると、劉備達は驚いて目を見開いたのだった。




次の投稿は11:00の予定です。


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第197話

本日投稿3話目です。


「まさか五百の弓騎兵で一万の兵を相手取ろうとするとはねぇ…。流石は『天弓』士郎といったところかぁ。」

 

士郎は王貴人と共に劉備達に名乗った後、一つの策を献じた。

 

それは…劉備の言う通りに僅か五百の弓騎兵で曹操軍一万を相手するといったものだ。

 

本来なら死兵で少しでも足止めをすると思われるこの策なのだが、士郎は劉備に向かってこう言い放った。

 

『私達で奴等の足止めをするが…別に倒してしまっても構わんのだろう?』

 

この言葉に劉備は身を震わせた。

 

これが『天弓』の異名を持つ男なのかと…。

 

「劉備、それは間違いだ。士郎がその気になれば、一人で一万を相手取れるぞ。」

「かぁ~、凄いねぇ…。おいらには想像も出来ねぇや。」

「ふふっ、自慢の夫だ。」

 

王貴人の惚気に劉備は苦笑いをする。

 

(なんかおいらも嫁さんが欲しくなってきたな。まぁ、どっかでしっかりと足場を固めねぇと嫁さんを貰う事も出来ねぇか。)

 

事ある度に逃げている様ではおちおち結婚も出来ないと、劉備はため息を吐いた。

 

「さぁ!おいら達は安心して逃げるぞ!なんせ頼りになり過ぎる奴等が殿になってくれてるんだからな!」

 

劉備の声に一万近い民が、追われているとは思えない明るい声で応えたのであった。

 

 

 

 

「呂布、矢の数は気にしなくていい。使った分だけ私が造り出すからな。」

 

呂布が頷くと、士郎は呂布が手に持つ弓に目を向けて『解析』する。

 

呂布が持つ弓は董卓を逃がす折りに二郎から与えられた宝貝である。

 

その名は『方天画弓』という。

 

形状としてはやや波打ち、和弓の様に下が短く上が長い弓だ。

 

更に長い方の先には槍の穂先が付いた特殊な物となっている。

 

宝貝としての力は『不壊』の概念しか付与されていないが、中華一の剛力である呂布にとっては壊れない武器というのは何よりも有難い。

 

生半可な者では引けない程に強い弓だが、槍としても使えるこの『方天画弓』は、今では呂布にとって赤兎馬と共に代えの効かない相棒となっているのだ。

 

(やれやれ、老師は相変わらずだな。)

 

少々依怙贔屓が過ぎると思うが、神とはそんなものだと理解する士郎は苦笑いをするしかない。

 

ちなみに張遼が持つ薙刀の様な武器も二郎に与えられた宝貝である。

 

一通り『解析』を終えた士郎は呂布に目を向ける。

 

「呂布、私が宿を借りていた村なのだが…今あの村には『華佗』がいる。」

 

士郎の言葉に呂布は目を見開く。

 

「劉備に言った私の言葉は冗談ではない。奴等を倒さなければあの村は蹂躙されてしまうからだ。もしあの村が蹂躙されれば…。」

 

士郎はそこで言葉を切ったが、呂布にはしっかりと意味が伝わっていた。

 

「て、徹底的に叩く。」

「あぁ、欲を出して乱取りなど出来ないぐらいに奴等を叩くぞ。」

 

 

 

 

『飛将の撤退戦』

 

三国志の時代に劉備達が袁紹の領地に逃げる際に起きた曹操軍との戦いである。

 

この戦いで呂布は弓騎兵五百を率いて一万の曹操軍を相手に一兵も損なう事無く圧倒的に勝利をした事で、後にその勇姿を称して『飛将』の異名で呼ばれる様になった。

 

また、この戦いの折りに曹操軍を率いていた将である夏侯惇は片目を、夏侯淵は片足を呂布に射抜かれて負傷してしまっている。

 

千にも満たない敗残兵を見た曹操は、呂布の武功を称して次の様に残した。

 

『呂布一人が敵に回れば、我が野望は十年遅れる事になるだろう。』

 

『飛将呂布』

 

現在でも三国志で最強の武将は誰かと語る時に欠かせないこの男は、戦略戦術が重要視される様になった時代に個人の武力で戦場を切り開く者として、多くの人々を魅了するのだった。




これで本日の投稿は終わりです。

また来週お会いしましょう。


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第198話

本日投稿1話目です。


呂布と士郎の活躍で曹操軍を撃退した劉備達は、民の一人も欠ける事なく袁紹の領地に辿り着いた。

 

そして袁紹に謁見した劉備は客将として遇される事になり、袁紹の領内にある町一つを任されたのであった。

 

 

 

 

「いきなり町一つかぁ…袁紹は思ったよりも剛毅な奴なのか?」

 

張飛は一行の無事を祝う宴の場で、今回の劉備への待遇を省みて袁紹への評価を変えるべきか考えていた。

 

「いや、袁紹殿が優柔不断な人物なのにはかわりないだろう。」

「でもよ雲長兄貴、袁紹はまだ自分の下で武功を上げたわけでもない玄徳兄貴に町一つをポンッと渡したんだぜ?これは優柔不断な野郎でもケチ臭ぇ野郎でも出来ねぇぜ。」

「確かに張飛殿の言う通りです。しかし、関羽殿は別な何かを感じているのですな?」

 

関羽は張飛と張遼の疑問に答える前に杯の酒を飲み干す。

 

「私は兄者を配下にした時の利益よりも、不利益を考えたのではと思っている。」

「不利益だぁ?雲長兄貴、玄徳兄貴を配下にした時の不利益ってなぁ何だ?」

 

関羽は答える前に手酌で酒を注ぐ。

 

「一つは今回、私達が曹操に追われる事になった建前だ。」

「呂布の事か?」

「あぁ。それと董卓殿が嵌められた事を考えてみろ。今度は誰かが袁紹を嵌めてもおかしくあるまい?」

 

関羽の言に張飛と張遼が唸る。

 

嫉妬心から董卓を謀略に掛けた袁紹を、誰かが謀略に掛けても不思議ではないのだ。

 

「それともう一つ…兄者が劉家の御血筋であられる事だ。」

 

関羽の言に張飛と張遼は二度唸る。

 

劉備の血筋は帝自身が認めている。

 

その劉備を配下にすれば、不敬として勅命を得る事も難しくないだろう。

 

「まぁ、そういった事を袁家に仕える旧臣が訴えた事で、袁紹殿は兄者を臣下としてでなく客将として迎えたのだろうな。」

「かぁ~…優柔不断な主に加えてみみっちぃ連中だぜ。」

「そういうな翼徳。誰しもが、兄者の様に成功を捨てられるものではないのだ。」

 

そう言って関羽は笑みを浮かべながら杯の酒を飲み干す。

 

「はぁ…それはいいとしてよぉ。俺も向こうで一緒に飲みたかったぜ。」

 

そう言いながら張飛が劉備の執務室に目を向けると、つられて関羽と張遼も目を向けたのだった。

 

 

 

 

「うめぇ!こんなうめぇ酒、おいら初めて飲んだぜ!」

 

上機嫌に酒を飲む劉備が口にしているのは、王夫妻に振る舞われた二郎が造った神酒である。

 

王夫妻は曹操軍が撤退したのを見届けると、民の護衛として劉備達についてきたのだ。

 

「奉先様、とても美味しいですわ。」

「だ、大丈夫か?」

 

妻である貂蝉が酒を口にするのを、呂布は心配そうに見詰める。

 

「呂布、安心しろ。この酒は明日になれば、身体の内で水に変わるので妊婦でも問題ない。」

「そ、そうか。」

 

呂布は膨らんでいる貂蝉の腹を愛しそう撫でながら安堵の息を吐く。

 

皆で神酒を楽しんで一刻(二時間)程が経った頃、劉備は士郎に問いを投げ掛けた。

 

「王士郎様、これから中華はどう動くと思いますかい?」

 

士郎は一口神酒を飲んでから答える。

 

「そうだな…群雄割拠と言えば聞こえはいいが、諸侯が生き残りを賭けた乱世になるだろう。」

 

多少は政に関わった劉備も、おそらくはそうなるだろうという思いはあった。

 

しかし、具体的にどう動くのかは皆目見当がつかなかった。

 

「世の流れが動くキッカケとなるのは曹操か袁術だろうな。」

「袁紹は違うんですかい?」

 

士郎はまた一口神酒を飲んでから答える。

 

「袁紹は良く言えば慎重、悪く言えば優柔不断な男だ。自身から事を動かす事はしないだろう。何よりも、受け身になっても堪えられるだけの力がある。」

 

士郎の言に劉備は頷く。

 

まだ任せられた町の政が記された竹簡にざっと目を通しただけだが、それでも劉備は袁紹が治める領内の裕福さには目が眩む思いがした。

 

名族を自称する袁紹だが、それは伊達ではなかったのだ。

 

「対して曹操は果断なのが特徴の男だ。慣習に囚われず行動するあの男は、旧い秩序を破壊する事に躊躇はしないだろう。」

 

劉備は董卓軍と諸侯連合の戦いの折りに見た曹操の顔を思い出す。

 

小柄な身体とは思えない程に覇気に満ちた曹操は、正に英傑と呼ぶに相応しかった。

 

「そして袁術だが…彼は孫家という内憂を抱えている。その内憂がキッカケとなって動く可能性も無くはない。それに袁紹との確執もあるからな。機会があれば確実に動く。」

 

士郎の話を聞いて劉備は確信した。

 

自分達に足りないものを。

 

しかし劉備がその足りないものを得るには、今少しの時間を必要とするのだった。




本日は3話投稿します。

次の投稿は9:00の予定です。


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第199話

本日投稿2話目です。


劉備が袁紹の客将となってから半年程が過ぎた。

 

町一つを任されてからまだ半年とあって目に見える成果はないが、劉備は客将としてしっかりと政をこなしていた。

 

劉備は中華の人々が明日に笑顔を持てる世にしたいという大望があるが、今の劉備達に先々を見通せる者はいない。

 

その為、袁紹の客将として庇護を受けて安定した日々を送りながらも、どこか心が晴れない日々を送っていた。

 

しかし、そんな劉備達も諸手を上げて喜ぶ慶事が起こる。

 

それは…呂布が一児の父親になった事だった。

 

 

 

 

「ほれ呂布よ、抱いてやれ。元気な女の子だぞ。」

 

産着の赤子を華佗が差し出すと、呂布は恐る恐る赤子を受け取る。

 

「これ、まだ首が据わっておらんのだ。ちゃんと支えてやらんか。」

 

呆れた様な華佗の声色に、呂布は慌てて赤子を抱き直す。

 

「まったく…一児の父になったというのに、相変わらず不器用な奴だ。」

 

華佗の物言いに貂蝉はクスクスと笑い、呂布は項垂れる。

 

「董…華佗、貂蝉は大丈夫なのか?」

「貂蝉に飲ませた薬は二郎真君様が造ってくださった霊薬じゃ。もう産後の肥立ちの心配はいらぬ。それでも念の為、二人目は明日からにするんじゃぞ。」

 

ニヤニヤと笑う華佗にそう言われると、呂布は赤子を抱きながらため息を吐き、貂蝉は頬を朱く染めた。

 

そんな二人を見て華佗は笑うと、不意に表情を引き締めた。

 

「呂布よ、あと数年もしたら世は動き出す。それが漢王朝の滅びなのか、再生なのかはわからぬがな。」

 

真剣な様子の華佗に、呂布も身を正す。

 

「己が成すべき事を間違えるなよ。武人としては敵に勝たねばならぬが、将としては一人でも多くの仲間を生きて連れ帰り、一人の男としては生きて家族の元に帰ってこい。これらを忘れなければ、どの様な謀略にかけられようとも、お前は道を間違えずに生きていける。」

 

呂布が力強く頷くと、華佗は笑みを浮かべて部屋を去って行ったのだった。

 

 

 

 

劉備が袁紹の客将となってから三年程の月日が流れた時、中華に激震が走る。

 

なんと、曹操が帝の身柄を手中に納めたのだ。

 

この報を聞いた中華の諸侯はそれぞれの反応を示す。

 

積極的に曹操に協力をしようとする者、自ら進んで曹操に下る者、事の成り行きを静観する者といった具合だ。

 

そういった諸侯の中で曹操に対して敵対的な態度を取ったのが袁術と袁紹だ。

 

名族としての誇りもあるが、それ以上に曹操に抗する事が出来るだけの力を有していたのが大きい。

 

しかし袁術は孫家という内憂を抱えており、袁紹は劉備という内憂を抱えている。

 

もっとも劉備自身には袁紹の下で事を起こそうという気は欠片も無いのだが、袁紹の家臣達は劉備に重臣の座を奪われるのではと危惧している。

 

その為、曹操に対して敵対的な態度をとった袁術と袁紹なのだが、曹操討伐の為の軍を起こす事はしなかった。

 

だがこのまま曹操を野放しにしておけば勅命を好き勝手に使い、その力はやがて袁家を上回るものになるだろう。

 

そうなってしまっては困ると動いたのは、袁術の下で虎視眈々と牙を研ぎ続けている孫家だった。

 

孫家の長である孫策は自らは袁術の説得に動き、そして親友にして腹心である男を袁紹の元に派遣したのだった。

 

 

 

 

「劉備殿、御初に御目に掛かります。私は周瑜。主である孫策の命を受け、袁紹殿の元に赴く道すがらこうして立ち寄らせていただきました。」

 

劉備は片膝を着き包拳礼をする男を興味深く観察する。

 

まだ年若いが才気を感じさせる利発さに加え、少し化粧をすれば女と見間違う程に優れた容貌を持つこの男が、果たして何用もなく自身を訪ねたりするだろうか?

 

劉備は己に先を見通す目が無いのは自覚しているが、それと同時に戦場で勘を養ってきたと自負している。

 

その勘が告げている。

 

この男は何かを持ってきていると…。

 

「周瑜殿、顔を上げてくれ。おいらはそういうのは苦手でな。もっと気楽にやってくれ。」

 

劉備の言に見惚れる様な笑みを浮かべた周瑜が立ち上がる。

 

「さて、おいらの勘じゃあ、周瑜殿は何か話を持ってきたんじゃあねぇかと思っているんだが…どうだい?」

 

劉備の言葉に、周瑜はニコリと微笑んだのだった。




次の投稿は11:00の予定です。


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第200話

本日投稿3話目です。


「周瑜殿、旅の疲れを癒し、英気を養ってくれ。乾杯!」

 

周瑜が劉備を訪ねたその日の夜、劉備は周瑜とその一行を労って宴を開いた。

 

酒や食がある程度進んだ頃合いに、周瑜は劉備の臣下達の元に話しに向かった。

 

顔繋ぎや情報収集が主な目的だが周瑜もまだ年若い為、呂布や関羽といった名高い武人の話を個人的な興味から聞きたかったのだ。

 

そんな周瑜の様子を、劉備は酒を口にしながらチラリと見る。

 

(さて…どうしたもんかねぇ?)

 

劉備の頭に浮かぶのは昼に聞いた周瑜の言葉だ。

 

『単刀直入に申します。劉備殿、孫家と組みませぬか?末長く両家の縁を結ぶかどうかはまた後日に決めるとして、少なくとも曹操との戦においては組んだ方がよろしいでしょう。』

 

『孫家は先代の孫堅様が健在の時から袁術の下で辛酸を舐めながらも励んできました。しかし先代様が亡くなり現当主の孫策様の代になっても、いまだに袁術の信を得られません。おそらくは当家の力を削ぐ為に、曹操との戦では先陣を申し付けられるでしょう。』

 

『失礼な言になりますが、これは劉備殿にも言える事ではありませぬか?袁紹に客将として招かれてからの数年、劉備殿は任されたこの地で善政を敷き、民の生活を豊かにするという功を成しました。されど、直臣にという話は噂すらありませぬでしょう?おそらくは旧臣が袁紹を唆しているのでしょうが、このままでは間違いなく曹操との戦で使い潰されるかと…。』

 

『袁紹への使いの帰りにまた寄らせていただきます。返事はその時に…。』

 

劉備は周瑜の言葉を思い返しながら考える。

 

(正直、呂布と雲長がいれば曹操が相手でも負ける気はしねぇ。でも、孫家と組んだ方がより多くの仲間を生き残らせられるだろうな。だけどよぉ…。)

 

酒を片手に呂布と関羽の二人と語らう周瑜の方をチラリと見た劉備は頭を掻く。

 

(なんというか…おいら達の旨味が少ねぇと思うんだよなぁ。)

 

周囲に気取られぬ様に小さくため息を吐いた劉備は、手にしていた杯を呷る。

 

(おいら達の事情を知ってたって事は、そいつを知れるだけの『耳』があるんだろうさ。孫家と組めばおいら達もその『耳』を使えんだろうが、おいら達はその『耳』から聞いたもんが正しいかわかんねぇし、それを利用出来るだけの頭もねぇ。)

 

手酌で酒を注いだ劉備は杯を見詰める。

 

(やっぱりおいら達には軍師が必要だ。御先祖様に天下を取らせた韓信や、文王様に仕えた太公望の様な軍師が!でもなぁ…。)

 

そこまで考えた劉備はため息を吐いてしまう。

 

(頭のいい奴は大抵、袁家の様な名家に仕えるか、曹操の様な勢いのある家に行っちまうからなぁ…。あ~あ、どこかにおいらみたいな奴に仕えてくれる物好きはいねぇかなぁ…?)

 

やるせなさを紛らわせる為に、劉備は一息で杯を飲み干したのだった。

 

 

 

 

とある地にて安寧を得た諸葛家は、俗世の喧騒を他所に順調な日々を送っていた。

 

家長である諸葛瑾も孫家にてそれなりの地位を得ており、諸葛家は順風満帆と言ってよいだろう。

 

そんな諸葛家の一員である諸葛亮なのだが、彼は高名な水鏡塾を若くして卒業しておりながらも仕官をせず、母やまだ幼い兄弟と共に晴耕雨読の日々を送っていた。

 

二郎が十分過ぎる程の財を与えているので暮らしには何も問題が無いのだが、水鏡塾の卒業者である諸葛亮が在野に在るとあって、多くの者が諸葛亮を訪ねた。

 

諸葛亮を訪ねた者達は優遇を約したりと様々な手で誘ったのだが、諸葛亮は頑なに首を縦に振らなかった。

 

最近では仕官の誘いを断るのも面倒になり、諸葛亮は居留守を使う様になっている。

 

今日も劉表の使いが居留守で諸葛亮に袖にされたばかりだ。

 

そんな諸葛亮の元に一人の旅人が訪れたのだった。

 

 

 

 

「亮、御客様ですよ。」

 

既に何度も読み返していた太公望の兵法書に目を向けながら、諸葛亮は口を開く。

 

「母上、御客様に私はいないと伝えてください。」

「なりません。今いらしてくださっている御客様は諸葛家の恩人なのですから。」

「恩人?」

 

母の言葉を聞いて、諸葛亮は兵法書から母に目を移す。

 

「そうです、恩人です。いらしてくださったのは楊ゼン様ですよ。」

「母上、それを早く言ってください!」

 

常の冷静な振る舞いと一転し、諸葛亮は慌ただしく身支度を始める。

 

それを見た諸葛亮の母親はクスクスと笑う。

 

「先に客間に案内しておきますからね。早く支度をして客間に来なさい。」

 

クスクスと笑いながら母親が去ると諸葛亮は一層慌てたのか、積み上げていた竹簡を崩してしまった。

 

(か、片付けは後で!今は早く身支度を整えて客間に行かなければ!)

 

今すぐに駆け出したい衝動を抑えて、諸葛亮は早足で客間に向かう。

 

そして諸葛亮が客間に辿り着くと、そこには出会った頃と変わらぬ二郎の姿があったのだった。




これで本日の投稿は終わりです。

また来週お会いしましょう。


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第201話

本日投稿1話目です。


「よくいらっしゃってくださいました、楊ゼン様。家長である兄に代わりまして、感謝御礼を申し上げます。」

 

片膝を着いて包拳礼をする諸葛亮に、二郎は笑みを浮かべる。

 

「亮、かなり背が伸びたね。元気に暮らせているようでよかったよ。」

「これも楊ゼン様のおかげです。あの時助けていただかなければ、今の暮らしはなかったでしょう。」

 

まだ包拳礼を続ける諸葛亮に、二郎は椅子に座る様に促す。

 

立ち上がった諸葛亮がもう一度包拳礼をしてから椅子に座ると、諸葛亮の母が麦湯を持って客間にやって来た。

 

「楊ゼン様、どうぞゆっくりとしていってください。」

「あぁ、ありがとう。」

 

母が客間を去ったのを確認すると、諸葛亮が口を開く。

 

「それで楊ゼン様、私に何用でしょうか?」

「そうだね…亮は何用だと思うんだい?」

「仕官を促しにきたと思っております。私は楊ゼン様がおっしゃるのならば、その方にお仕えいたしましょう。」

 

真剣な面持ちで話す諸葛亮に、二郎は微笑む。

 

「惜しい、と言っておこうか。」

「違うのですか?」

「世の流れを眺める楽しみは俺も知っているからね。その楽しみを奪おうとは思わないよ。」

 

二郎の言葉に諸葛亮は僅かに驚き、そして嬉しくなった。

 

諸葛亮はこれまで幾度も仕官の誘いを断ってきたが、仕官の気持ちが無いわけではない。

 

むしろ、乱世で己を試したいという気持ちが強いと言えるだろう。

 

しかし太公望の兵法書を読んだ諸葛亮は、世の流れから諸侯の心の動きを読み取る事に楽しさを見出だしていた。

 

その結果、これまで仕官を断り隠棲していたのだ。

 

「答えが欲しいかい?」

「いえ、少し考えさせてください。」

 

諸葛亮は二郎来訪の理由を考え始める。

 

仕官でなければ何だろうか?

 

惜しいと言った言葉の裏は?

 

自身のこれまでの行動は?

 

それらを組み合わせた諸葛亮は一つの答えに辿り着く。

 

「…居留守を使わずに会ってほしい御仁がおられるのですか?」

「うん、やはり亮は聡いね。」

 

二郎の称賛に諸葛亮は自然と笑みになってしまう。

 

「それで、その御仁とは?」

「今の中華で亮の様な者を最も必要としている者だよ。」

 

二郎の言葉を聞いた諸葛亮の頭には、数多くの諸侯とその臣下の名が浮かび上がっていく。

 

そして一人の人物に思い至った。

 

「楊ゼン様、水鏡塾で得た私の友の一人がその御仁の元に向かっております。私の友は政戦両略に優れておりますので、私の出番は無いかと…。」

「亮、人一人では国を動かせないよ。」

 

二郎の言葉に諸葛亮は首を傾げる。

 

「御言葉ですが、かつての大軍師である太公望と聞仲は一人で国を動かしておりましたが…。」

「太公望と聞仲は道士だからね。人よりもずっと身体が頑丈なのさ。もし人の身であの二人と同じだけ働いたら、十年で心身が壊れてしまうよ。」

 

諸葛亮は二郎の言葉に驚いて目を見開く。

 

「一年目は楽しさで疲れに気付かない。二年目には気付くだろうけど、意地で持たせる。そして三年目、亮の友が愚かでなければ、素直に人を求めるだろうね。亮、君の友は愚かなのかい?」

「いえ、素直に己を見詰める事が出来る自慢の友です。」

 

そう言った諸葛亮はため息を吐く。

 

「はぁ…私もまだまだですね。」

「時には一見が百聞を上回る事もあるからね。これから学んでいけばいいさ。」

「はい。楊ゼン様、御教授ありがとうございます。」

 

そう言って包拳礼をした諸葛亮に、二郎は柔らかく微笑んだのだった。




本日は4話投稿します。

次の投稿は9:00の予定です。


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第202話

本日投稿2話目です。


「ここに劉備殿がおられるのか。」

 

とある町の入り口に、頬を紅潮させた青年の姿があった。

 

この青年は姓を徐、名を庶、字を元直という水鏡塾を卒業した者だ。

 

彼は水鏡塾を卒業後、友である諸葛亮ともう一人の友と別れ中華の各地を放浪していた。

 

その放浪の目的は、己が仕えるにたる主を見付けるためだ。

 

徐庶は各地を放浪しながら諸侯の噂を集めていく。

 

しかし袁紹や曹操といった高名な諸侯の噂を聞いても、徐庶の心に響くものはなかった。

 

そんな中で徐庶は一つの噂を耳にした。

 

それは劉備の噂だった。

 

仲間の為に地位を捨てたという噂に、徐庶は心を惹かれた。

 

それからの徐庶は中華の各地で現地の諸侯の噂を聞きながらも、それとなく劉備の噂も聞いていく。

 

その度に徐庶は、劉備に仕えたいと強く思うようになっていった。

 

やがて決意をした徐庶は母に劉備に仕える事を伝えると、こうして劉備が治める町にやって来たのだ。

 

「水鏡先生の紹介状があるので門前払いはないだろう。」

 

懐から書状を取り出しながら徐庶は微笑む。

 

この紹介状は望めば都でも役につくことが叶う程の代物である。

 

早速とばかりに徐庶は劉備の住まう場所に向かうと、門兵に紹介状を見せる。

 

その紹介状を手にした門兵は驚いて目を見開くと、代わりの兵を呼んでから駆け出した。

 

(慌てて駆け出さないところを見るに、よく訓練されているようだ。)

 

緩む頬を隠す様に顔に手を当てた徐庶は、案内されるのを今か今かと待ち続けるのだった。

 

 

 

 

「水鏡塾の卒業者ねぇ…願ったり叶ったりだけどよぉ、なんだっておいらのとこにきたんだ?」

 

門兵が持ってきた紹介状に目を通した劉備は、疑問に思って首を傾げる。

 

「世に流れる兄者の噂を聞いてきたのではないですかな?」

「おいらの噂だぁ?雲長、どんな噂が流れてんだ?」

「一言で言えば、聖人君子といったところかと。」

「おいおい…おいらは聖人君子なんてガラじゃねぇぞぉ…。」

 

そう言って頭を抱えた劉備はため息を吐く。

 

「劉備様、如何なさいますか?」

「まぁ、おいらに会いに来たんなら会うのが礼儀だわなぁ。張遼、すまねぇが迎えに行ってくんな。」

「はっ!お任せあれ!」

 

そう言って包拳礼をした張遼が部屋を去ると、劉備は頭を掻く。

 

「なんつうか…張遼もおいらに対して随分と律儀な話し方をする様になっちまったなぁ。」

「それが仕えるという事です。兄者、ガラでないと避けてばかりでは諸侯に舐められてしまいます。兄者にも相応に振る舞える様になっていただかなければ。」

「勘弁してくれよぉ…。」

 

劉備が嘆く様にため息を吐くと、関羽や呂布、そして張飛は笑い声を上げたのだった。

 

 

 

 

『徐庶の仕官』

 

劉備配下の軍師として初めて名を残したのが徐庶である。

 

彼が劉備に仕官したのは袁紹の客将として曹操との戦に挑む前の事だ。

 

もしこのタイミングで徐庶が劉備に仕官していなければ、後の歴史が変わったであろうと言われる程に、彼は劉備にとって重要な存在となっていく。

 

しかし今の徐庶は、中華で知る者が少ない無名の青年でしかなかったのだった。




次の投稿は11:00の予定です。


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第203話

本日投稿3話目です。


「これで主君に良い報告が出来ます。それでは劉備殿、これで失礼いたします。」

 

見惚れる様な動きで包拳礼をした周瑜が去ると、劉備は安堵の息を吐いた。

 

「あれで良かったか、徐庶?」

「お見事でした、劉備様。どうやら演者の才をお持ちの様で。」

「よせやい、演じるのも見るのも柄じゃねぇよ。」

 

苦笑いをする劉備に徐庶が微笑む。

 

「徐庶よ、孫家と組んでよかったのか?御主の読みでは、奴等は『二虎競食の計』を狙っているのであろう?」

 

『二虎競食の計』を一言で言えば、強者同士を争わせて弱らせる事を狙ったものだ。

 

今回の場合では袁紹と袁術の連合と曹操を争わせる事で、双方を弱らせて利を得るのが孫家の狙いだ。

 

では、孫家の利とは何だろうか?

 

現在の孫家の大願は『先祖伝来の地を取り戻す』というものである。

 

そしてその地なのだが、今は袁術のものとなっている。

 

孫家と比べて袁術は強大だ。

 

少なくとも今の孫家が真っ向から刃向かったら、あっさりと踏み潰されてしまうだろう。

 

それ故に孫家は袁術の力を弱らせるという利を得る為に、今回の策を実行しようというのだ。

 

さて、ここで一番の問題となるのが曹操との戦では孫家が先鋒を任されるであろう事である。

 

如何に袁術を弱らせても、それ以上に自分達が弱ってしまっては意味が無い。

 

そこで孫家は劉備達と組む事で被害を抑えようと考えたのだ。

 

劉備達と組む事を決めたのには幾つか理由がある。

 

一つは先の自軍の被害を抑える為だが、もう一つは劉備軍が袁術軍に被害が出る前に曹操軍を撃退してしまわない様にする為だ。

 

劉備の下には『飛将』と呼ばれる呂布や、その呂布と一騎打ちで互角に渡り合える関羽がいる。

 

この二人がいれば劉備達が曹操軍を撃退してしまうと考えても無理はないだろう。

 

そこで周瑜は次の戦で組むという話とは別に『前線で力を合わせて曹操軍を受け流し、曹操軍を袁術や袁紹の軍にぶつける』といった策を劉備に提案したのだ。

 

そして劉備がその周瑜の提案を受け入れたのが、冒頭のやり取りなのである。

 

「おいおい雲長、おいら達の軍師を信じねぇでどうすんだよ。徐庶はおいら達が束になっても捻り出せねぇ知恵を出してくれる男なんだぜ?」

 

劉備はそう言うが、関羽の心配も無理はないだろう。

 

何故なら、徐庶が劉備に仕えたのはほんの一刻(二時間)前の事なのだから。

 

「劉備様、御心遣いありがとうございます。ですが、関羽殿の心配も無理はないでしょう。私は先刻、臣の末席に加えていただいたばかりなのですから。」

「いいや、徐庶。おいらは徐庶を信じるって決めたんだ。だから徐庶の策を疑う事は絶対にしねぇ。もし徐庶が読み誤っても『徐庶にもそういう事があるんだな。徐庶も失敗するってわかって安心したぜ。』って笑ってやるさ。」

 

劉備の言葉を聞いた徐庶は包拳礼をしながら深々と頭を下げる。

 

(劉備様にお仕えしたのは間違いではなかった…!)

 

感動に打ち震える徐庶を見た関羽が、非礼を詫びる為に頭を下げる。

 

その詫びを受け入れて徐庶も頭を下げると、劉備は場の空気を変える為に柏手を一つ打った。

 

「さて、徐庶は信じるが雲長みてぇに疑問を持つ事もあるわな。そんで疑問を持ったまま戦場に出て働かなかったらたまったもんじゃねぇ。だろ、翼徳?」

「玄徳兄貴、なんで俺に振るんだよ。」

「おめぇが一番やりそうだからだよ。」

 

劉備と張飛のやり取りに、場にいる一同が頷く。

 

「うむ、翼徳ならばありうる。」

「ちょ、張飛ならやる。」

「残念ながら、あるでしょうな。」

「ひでぇや!」

 

関羽、呂布、張遼の言葉に張飛が頭を抱えながら叫ぶと、徐庶は口を手で押さえて笑いを堪える。

 

空気が変わったのを感じ取った劉備は、話をする為に咳払いを一つする。

 

「んんっ!徐庶よぉ、孫家の策は上手くいくのか?上手くいったとしても、なんかおいら達のうまみは少ねぇ様に思うんだが?」

「半分は上手くいくでしょう。そして劉備様が懸念される通りに、我等に利はほとんどありません。」

 

半分と聞いて劉備達は首を傾げる。

 

「此度の袁家の連合ですが、どちらが盟主となると思いますか?」

「あ~…袁紹か?」

「経緯はどうであれ、おそらくそうなるでしょう。では、袁紹が盟主として顔を立てるにはどうなさいますか?」

 

徐庶の問いに劉備達は首を捻る。

 

「連合の兵糧を用意するのでないか?」

「関羽殿のおっしゃる通りに、袁紹は袁家連合の兵糧のほとんどを用意するでしょう。」

「おい徐庶、それの何が問題だってんでい。」

 

既に頭が痒くなっている張飛が、頭を掻きながら徐庶に問う。

 

「曹操は帝の御身を有して中華でも屈指の強者となりましたが、その力はまだ袁家には及びません。ですので、正面からの勝負は出来ません。では、曹操は勝つために何をしてくるでしょうか?」

 

教え子に問い掛けるかの様な徐庶の言葉に、張飛は音を上げて考えるのを止めた。

 

「ひょ、兵糧を狙う。」

「その通りです。呂布殿、お見事ですね。」

「ま、前に、董卓に教えてもらった。」

 

呂布が嬉しそうに微笑みながら答えると、張飛は裏切り者を見るように驚いた顔で呂布を見た。

 

「袁紹の兵糧が失われれば、戦後にその損失を埋める為に、我等の領地も税の負担が増えるかと。」

「おいおい、勘弁してくれよ。おいら達には兵が多く生き残る以外にうまみがねぇじゃねぇか。」

 

そう言って劉備が天を仰ぐと、関羽達はため息を吐く。

 

「徐庶、なんとかなんねぇのか?」

「もちろん、策は用意してございます。」

 

すがる様に問い掛けてくる劉備に、徐庶は笑顔で答える。

 

期待が込められた視線が徐庶に集まる。

 

「この策の要となるのは、張飛殿と張遼殿です。」

 

徐庶が策を語り始めると皆は驚き、やがて笑顔になっていったのだった。




次の投稿は13:00の予定です。


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第204話

本日投稿4話目です。


袁紹、袁術連合と曹操軍がそれぞれ陣を敷き対峙している。

 

そんな中で孫家と共に先陣に立つ劉備は、徐庶の言葉を思い出していた。

 

『我等の狙いを気取られるわけにはいきません。その為、袁紹に先陣を命じられた際には私達の最高戦力である呂布殿と関羽殿を配します。これで曹家だけでなく、袁家と孫家の耳目も御二人に集める事が出来るでしょう。呂布殿と関羽殿にはそれが出来るだけの実と名がありますからね。』

 

『呂布殿と関羽殿には先陣で戦場の耳目を集める為に御活躍していただきますが、活躍し過ぎてはいけません。孫家との約を違えてしまいますし、曹操が早々と手仕舞いしてしまうかもしれませんからね。』

 

『そこで呂布殿と関羽殿は、右翼から曹操軍を左に押し込む様に仕掛けてください。ただし御二人同時ではなく、円を描く様にして入れ替わりながらです。この動きには幾つかの理由があります。』

 

『一つ目の理由は御二人の内一人の手を空けておくことで、有事の際には直ぐに劉備様の元に駆け付けられる様にする為です。戦場では何が起きても不思議ではありませんから当然の配慮です。』

 

『二つ目の理由ですが、これは自分達だけおいしい思いをしようとした孫家への意趣返しですね。

曹操軍を左に押し込む事で、我等の左に位置する孫家に曹操軍を押し付けようというわけです。』

 

『我等に合わせ孫家が左翼から曹操軍を押し込む事が出来れば、陣が乱れた曹操軍の先陣を袁紹軍と袁術軍に流せます。まぁ、そうならなくてもそれは孫家が力不足だっただけなので、もし孫家が多くの被害が出たと戦後に我等を非難しても向こうの恥になるだけですね。』

 

『最後の理由ですが、御二人が同時に仕掛けると圧が強くなりすぎて、曹操軍の先陣が完全に崩壊してしまうからです。こうなると曹操は本隊に被害が出る前に別動隊と共に撤退してしまうでしょう。これは後々に我等にとって一番よろしくない事態となります。』

 

『曹操軍を撃退し面目を立てた袁家両家は無理に曹操軍と戦をしないでしょう。袁家にはそれだけの余力がありますからね。そして曹操は帝の権威を利用して更に力を高める為の時間を必要としています。』

 

『袁家と曹操が再び戦を行うのは…おそらく十年後となるでしょう。それだけの時間、袁家と曹家が力を蓄えたら、次代の覇者を争うのは袁紹、袁術、曹操の三人となってしまうでしょう。』

 

『それを防いで我等の大望を叶える為には、曹操軍に痛撃を与え、袁紹の客将という立場から堂々と独立出来るだけの功を上げねばなりません。我等は諸侯と比べてまだまだ小さな存在です。曹操が余力を残した状態で我等が袁紹から独立をしたら、簡単に曹操に潰されてしまうでしょう。それ故に、此度の戦では確実に曹操軍に痛撃を与える必要があります。』

 

『その為には呂布殿と関羽殿が活躍し過ぎてはいけないのです。これが呂布殿と関羽殿を分けて曹操軍に当てる最大の理由ですね。』

 

ここまで思い出したところで、劉備は頭を掻く。

 

「戦一つでこんなに考えるとはなぁ…。軍師になる奴ってのは、おいらとは頭の出来が違い過ぎるぜ。」

 

頼もしい軍師が仲間になったと、劉備は笑みを浮かべる。

 

「それでも徐庶は自分よりも頭がいいのがいるって言うんだからな。まったく、中華は広いもんだぜ。」

 

そう言いながら肩を竦めた劉備は、開戦の時を待ちながら曹操軍を眺めるのだった。




これで本日の投稿は終わりです。

また来週お会いしましょう。


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第205話

本日投稿1話目です。


袁家連合と曹操軍の戦は開始から一刻(二時間)が過ぎようとしていた。

 

「流石は呂布と関羽。二万の軍勢を僅か三千で押し込むか。」

 

曹操から見て先陣の左翼を呂布と関羽が内に押し込む形で攻めているのだが、その様子を見た曹操は呂布と関羽を改めて欲しいと思っていた。

 

「まぁ、あの先陣は所詮捨て駒よ。別動隊が事を成すまで持てばそれでよい。」

 

曹操が先陣に配したのは、帝の威光を手にした曹操にすりよってきた新参者達だ。

 

故に曹操は先陣が壊滅しようと構わない。

 

もし彼等が生き残れば、それはそれで使える者として重用すればよいと考えているので、先陣が圧されている現状を気楽に見物しているのだ。

 

「しかし孫家は思った程でもないな。呂布と関羽に倍する兵を用いながら支えるので精一杯ではないか。」

 

曹操はそう言うが、それは酷というものだろう。

 

呂布と関羽の動きの意味を周瑜が一早く察して対応したからこそ、今も崩れずに持ちこたえているのだ。

 

そうでなければ少数の孫家は、曹操軍の先陣に押し潰されていただろう。

 

そうして曹操が楽しみながら眺めていると、やがて先陣の状況に変化が起きた。

 

先陣の中央が少しずつ前に出る様にして形を変え、矢の様な陣形で袁家の軍とぶつかったのだ。

 

「ほう、袁紹と袁術の軍に届いたか。これは先陣の者達の奮闘か?それとも…。」

 

顎に手を当て思考を巡らせる曹操だが、不敵な笑みを浮かべると思考を打ち切る。

 

「まぁ、どちらでもよいか。そろそろ別動隊が事を成す時間だからな。」

 

開戦から二刻(四時間)が過ぎようとしていた頃、曹操の耳に喧騒が聞こえ始める。

 

そして…。

 

「て、敵襲―――!!!」

 

本陣から聞こえ始めた悲鳴に、曹操は目を見開いたのだった。

 

 

 

 

「うしっ!こんなもんだな。」

 

愛用の矛を肩に担いだ張飛が、打ち倒した曹操軍の別動隊を見ながら喜色の声を上げる。

 

「しっかし、別動隊が進軍してくる場所まで読んじまうとはなぁ…。」

 

曹操軍の別動隊が袁家連合の物資集積地を襲撃する事を読んだ徐庶は、張飛を別動隊が進軍してくる場所に伏せさせていた。

 

そして四半刻(三十分)前、張飛が伏せている場所に無防備に通り掛かった別動隊に、張飛が奇襲を仕掛けて殲滅したのだ。

 

「まぁ、俺は成す事を成したんだ。後は張遼に任せるとするか。」

 

そう言うと張飛は役得とばかりに、曹操軍の別動隊が持っていた酒を呷って舌鼓を打つのだった。

 

 

 

 

騎兵千を率いた張遼が、曹操軍の本陣に奇襲を仕掛けた。

 

奇襲を受けた曹操軍本陣は混乱し、少数である筈の張遼達に成す術もなく蹂躙されていく。

 

幾人かの者が張遼を止めようと動くが、その動きを鋭敏に察知した張遼は、率いる騎兵の勢いを殺さぬ様に侵攻方向を変えながら曹操軍本陣の中を駆け抜けていく。

 

すると、張遼の目に周囲とは意匠の違う鎧を纏った小男の姿が映った。

 

「あれは…曹操!」

 

曹操の首をと思った張遼の脳裏に、徐庶の言葉が浮かび上がる。

 

『張遼殿の役目は曹操軍本陣を適度に荒らして、関羽殿が曹操軍本陣に辿り着くまでの時間を稼ぐ事です。下手に被害を大きくし過ぎると、曹操は損切りをして無理矢理にでも撤退してしまうでしょう。なので、可能な限り将の首は取らないでください。』

 

張遼は曹操から目を切り馬を駆けさせる。

 

そして…。

 

「今はその首、見逃そう。だが関羽殿が合流したその時は、その首…貰い受ける!」

 

そう叫び駆け抜けていった張遼の背を、曹操は顔を青くしながら見送ったのだった。

 

 

 

 

『袁家連合と曹操軍の戦』

 

この戦は出陣した兵が二割しか帰還出来なかった程の曹操軍の大敗で終わったのだが、この戦の後に曹操は次の様に残している。

 

『奉孝さえいれば、この大敗は無かったであろう。』

 

この戦の前に曹操の軍師である郭嘉は、日々の不摂生が祟って床に臥せってしまった。

 

名医である華佗のおかげで郭嘉は一命をとりとめたのだが、もはや戦場に出れる身体では無く、この戦の敗戦の報を聞いた郭嘉は帰還した曹操に暇乞いをしている。

 

しかし曹操は…。

 

『奉孝無しにこれからの難局は乗り越えられぬ。戦場に出ずとも、奉孝ならば我を導けるであろう。』

 

この様に言って曹操は郭嘉を慰留し、戦場で指揮を採る軍師から軍政家へと転身させている。

 

大酒飲みであった郭嘉はこの後に猛省し、身を改めて曹操に終生仕えたのだった。




本日は4話投稿します。

次の投稿は9:00の予定です


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第206話

本日投稿2話目です。


袁家連合と曹操軍の戦は袁家連合の大勝で終わった。

 

帰還した兵が出陣時の二割という大敗をした曹操は、袁家との和睦の為に大いに出費を強いられる事となった。

 

しかし一時国力が下がっても帝の身を有していれば、時間は掛かっても回復可能である。

 

それ故に曹操は袁家の要求を大抵は受け入れると判断した。

 

そんな中で袁家と曹操の戦で第一の功を上げた劉備は、報酬として曹操に奪われた旧領を要求した。

 

この要求は劉備の事を面白く思わない袁紹の重臣が、早く劉備に出ていって貰いたいからと熱心に曹操と交渉した。

 

曹操としても袁紹の庇護下に劉備がいると色々と面倒であったので、相応に駆け引きをしてから領地を渡した。

 

そしてかつての領地を取り戻した劉備は、客将から一介の領主へと返り咲いたのだった。

 

 

 

 

「うめぇ!こんなうめぇ酒は初めてだぜ!」

 

劉備の領主復帰を祝う宴で酒に舌鼓を打っているのは孫策である。

 

孫策は論功交渉が終わり自領へと帰る途中に気紛れで劉備の領地に寄ったのだが、折良く宴が開かれるとあって参加させて貰ったのだ。

 

「孫策殿、いい飲みっぷりだなぁ。」

「独り身最後の酒だからな。たっぷりと味わわねぇと勿体ねぇだろ、劉備殿。」

 

孫策と杯を酌み交わしている劉備は、まだ二十歳そこそこの若者でありながら一家を率いる身の孫策に感心していた。

 

今でこそ領主としてそれなりにこなせる様になった劉備だが、昔の自分には孫策と同じ様に一家を纏める事は出来ないだろうと思っている。

 

さらに一家を背負っている気負いを感じさせない気っ風の良さを見せる孫策を、劉備は好ましく感じていた。

 

「独り身最後ってこたぁ、領地に帰ったら身を固めるのかい?」

「後継ぎをこさえるのも家長の仕事だとさ。老臣達が口を揃えて五月蝿くてな。」

「かぁ~羨ましいねぇ!おいらにはそんな浮いた話は欠片もねぇぞ!」

 

頭を抱えて悶える様におどける劉備を見て、孫策は笑い声を上げる。

 

孫策はこの気取らない劉備という男を好ましく感じた。

 

だからこそ孫策は次の言葉を言ったのだろう。

 

孫策が何を言ったか?

 

それは…。

 

「劉備殿、俺の妹をもらってくんねぇか?」

 

孫策のこの一言で、騒がしかった宴が一瞬で沈黙したのだった。

 

 

 

 

「伯符!宴の場とはいえ、冗談では済まぬ事もあるんだぞ!」

 

宴が終わると用意された宿場に移動した孫策は、親友にして片腕でもある周瑜に詰め寄られていた。

 

「公瑾、俺は尚香を劉備殿の嫁にする事は勢いで言ったが、冗談のつもりはねぇぜ。」

「だが尚香は孫家の女だ。政略的に意味のある婚姻でなければ、宿老達を納得させられんぞ。」

「そこをなんとかするのが、公瑾の仕事だろ?」

 

己が親友にして主でもある孫策の物言いに、周瑜はため息を吐きながら頭を抱える。

 

「俺の勘じゃあ、そう悪いもんじゃあねぇと思うんだがな。」

「はぁ…とりあえず宿老の説得に動くが、時間は掛かるぞ。」

「それでいいさ。頼んだぜ、公瑾。」

 

なにかと先走ったり無茶振りをする己の主に、周瑜はまた大きなため息を吐いたのだった。

 

 

 

 

「おいらが結婚かぁ…皆、どう思う?」

 

宴が終わった後、劉備は執務室に主だった者を集めて相談を始めた。

 

「け、結婚すればいい。守る者が出来れば、気も引き締まる。」

「呂布よ、それはお主が器量良しの嫁を持っているから言えるのだ。もしこれが、孫家が内から我等を崩そうとする策だったらどうする?」

 

呂布の言葉に反論したのは関羽だ。

 

関羽は先の戦で出し抜かれた孫家が、意趣返しを考えているのではないかと思ったのだ。

 

「玄徳兄貴が結婚するのは反対じゃねぇけどよ、政略やらは大丈夫なのか?」

「おぉ?翼徳からそんな言葉を聞けるたぁ思わなかったぜ。」

「へへっ、俺だってちっとは成長してるのさ。」

 

劉備が嬉しそうに笑うと、張飛は照れ臭そうに頭を掻く。

 

「徐庶殿、如何思われる?」

 

張遼が問い掛けると、皆の注目が徐庶に集まる。

 

「そうですね…あまり心配はいらないと思います。」

「へぇ、そうなのか?」

「袁術の下にいる孫家がその支配から抜け出すには、袁術が躓く等の何かしらのキッカケが必要です。そしてキッカケが訪れて事を起こす際には、自家以外に頼れる勢力が必要でしょう。」

「それがおいら達ってわけか。」

 

劉備は納得を示すが、関羽と張遼には少しの疑問が残る。

 

「徐庶殿、袁術は強大だが…そのキッカケは訪れるのか?」

「袁紹と袁術は同じ袁家ですが、どちらが上の立場なのかと常にいがみあっています。これまで両家は力に訴えた争いをしてきませんでしたが、曹操が大人しくなった今は争いが起きてもおかしくありません。おそらくは、曹操に代わる帝の後見人の座を賭けて争いが起きるでしょう。」

 

劉備達は一度顔を見合わせてから、徐庶へと目を向ける。

 

「徐庶、お前さんの読みではどのぐらいで袁家は争うんだい?」

「三年といったところかと。それ以上の時を掛けては、曹操から帝の御身を得る事は難事となります。袁紹と袁術がお互いに勝つ為の入念な準備をしつつ、曹操の飛躍を阻むにはこれが限界です。」

 

徐庶の話を聞き終えた劉備達は、劉備の婚姻についてどうするか本格的に話し合い始めたのだった。




次の投稿は11:00の予定です


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第207話

本日投稿3話目です。


劉備帰還の宴が終わった翌日、孫策達は自領に帰っていった。

 

そして孫家の末妹である孫尚香の嫁入り話については先送りされる事になった。

 

何故ならば、これから両家共に物凄く忙しくなるからだ。

 

かつての領地を治める劉備は内政に関しては然程大きな問題は無いが、一領主となった事で外交や軍政を一からやり直さなければならない。

 

対して孫家なのだが、先の戦の武功で新たに得た領地が大きな問題となっていた。

 

孫家が得た新たな領地は袁術から割譲されたものなのだが、この領地…元々は治安が悪すぎてかつての孫家では治めきれず、袁術に没収されたものなのだ。

 

袁術側の思惑はこうだ。

 

先の戦で武功を上げた以上は、それに適する褒美を与えねばならない。

 

しかし袁紹との戦に向けての準備に集中したいのに、内憂である孫家の力が上がるのは面白くない。

 

そこで袁術は張勲の進言を受け入れて、面倒な領地を孫家に割譲したのだ。

 

実入りはそれほどないのに治安維持で手間が掛かる…そんな場所を孫家に与えれば、自分達は袁紹との戦の準備に集中出来るし、褒美を与えた上で孫家の伸長を抑える事が出来る。

 

一石三鳥の妙案だった。

 

もっとも孫策達は、袁術達の狙いに気付いている。

 

だがこの領地は先祖伝来の地の一部なので、文句を言わずに受け入れたのだ。

 

そんなこんなで孫策達が自領に戻り、劉備が一領主となってから三ヶ月程が過ぎた頃、一人の男が劉備の元に仕官にやって来た。

 

その男は法正という者だ。

 

この法正という男は非常に優秀なのだが言動や行動に問題があり、仕官した先々で疎まれて放逐されてきた経歴を持つ。

 

しかし劉備はそんな法正の仕官を快く受け入れた。

 

劉備は法正に『仕事さえちゃんとやりゃあ、昼間っから酒を飲もうと構わねぇさ。』と言い、法正の言動や行動を一切咎めなかった。

 

この職場環境に法正は感心した。

 

そして仕官をしてから三ヶ月後、慇懃無礼な態度ではあったが、法正は劉備に忠誠を誓った。

 

この後に、軍師として政全般を担っていた徐庶は、法正に内政を全面的に任せる事にした。

 

法正は自身に劣らぬ能力を持つと認めたからだ。

 

こうして軍政に専念した徐庶なのだが、彼の仕事が楽にならなかった。

 

それは徐庶が優秀であったため、内政の分の手が空けばそれだけ他でやれる事が増えてしまったからだ。

 

そして劉備が一領主となってから一年程が過ぎた頃、徐庶はある事を決意して劉備に願い出たのであった。

 

 

 

 

「おいらに会って欲しい奴がいるって?」

 

劉備の執務室に、目に大きな隈をこさえた徐庶がやって来ていた。

 

「はい…お恥ずかしながら、私一人では軍政を担いきれませぬ。故に、私の他に軍政を任せられる者が欲しいのです。」

 

劉備は徐庶の目の隈を見て苦笑いをした。

 

(法正みたいに適当に力を抜きゃいいんだがなぁ…。)

 

色々なところに仕官をして経験を積んだ法正は、人を使うのがとても達者だった。

 

それ故に内政全般を担っても徐庶の様に疲弊していない。

 

対して徐庶はまだまだ経験が浅い若者で優秀であるが故に、他者に頼るのを良しとしないところがあった。

 

その徐庶が誰かを頼ろうとしているのだ。

 

劉備は徐庶が一杯一杯なのだろうと察した。

 

「それで徐庶が楽になるってんなら喜んで会うさ。で、誰と会えばいいんだい?」

「水鏡塾で出会った私の友で、諸葛亮という者です。」

「諸葛亮?噂は聞いた事があんなぁ。」

 

劉備が聞いた噂は名だたる諸侯の勧誘を、諸葛亮が断っているというものである。

 

「徐庶、おいらはどうすればいいんだ?」

「御手数ですが、劉備様から諸葛亮に会いに行っていただけませんか?」

「そいつは構わねぇが…おいらが行っても、諸葛亮に会って貰えるのか?」

「紹介状を書いておきました。これを渡せば諸葛亮も劉備様を無下にせぬかと…。」

 

徐庶から紹介状を受け取った劉備は、早速とばかりに動き出したのだった。




次の投稿は13:00の予定です


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第208話

本日投稿4話目です。


「よくいらしてくださいました。亮を呼んできますので、少々お待ちください。」

 

諸葛亮の母が客間から出ると、劉備は杯の水を口にする。

 

「兄者、私も入ってよろしかったのでしょうか?」

「いいんじゃねぇか?諸葛亮の母上殿が招いてくれたんだからよ。」

 

斜め後ろに立っている関羽の問いに劉備はそう答える。

 

「まぁ、そう肩肘張っても仕方ねぇさ。ゆっくりと諸葛亮殿を待とうぜ。」

 

そう言うと劉備は杯の水を飲み干したのだった。

 

 

 

 

劉備と関羽が客間にて諸葛亮を待っていた頃、供として二人と一緒に来ていた呂布は、外で馬の世話をしていた。

 

「う、うまいか?」

 

愛馬の赤兎馬だけでなく、劉備と関羽の馬にも塩を舐めさせ水を飲ませていく。

 

手慣れた様子で呂布は馬の世話を続けていくが、これはかつて董卓に厳しく仕込まれたからだ。

 

まだ戦場を駆け回っていた頃の董卓は人馬一体と謳われる程に馬術に優れていた。

 

その董卓に師事を受けたからこそ、今の呂布があると言えるだろう。

 

馬の毛漉きをしながら微笑む呂布は、そんな当時の事を思い返しているのだ。

 

「へぇ、毛漉きが上手いんだね、呂布。」

 

呂布は不意に掛けられた声の方に振り向く。

 

すると、虚空から二郎と哮天犬が姿を現した。

 

「じ、二郎真君様。」

 

身を正そうとした呂布を、二郎は片手を上げて制する。

 

「馬達の毛漉きを続けていいよ。俺も哮天犬の毛漉きをするからね。」

 

二郎がそう言うと、哮天犬は千切れんばかりに嬉しそうに尾を振る。

 

虚空から天の牡牛の毛を用いて造られた毛漉きを取り出した二郎は、哮天犬の毛を漉いていく。

 

しばしの間、二郎と呂布は無言で毛を漉いていた。

 

「あぁ、忘れる前に言っておかないとね。呂布、おめでとう。」

 

二郎の祝福に呂布は首を傾げる。

 

「貂蝉が二人目を懐妊したみたいだからね。今日はそれを祝いに来たのさ。」

 

二郎が告げた言葉に、呂布は驚いて目を見開く。

 

「ちょ、貂蝉!」

 

今にも愛馬に跨がって駆け出しそうな呂布を、二郎は片手を上げて制する。

 

「大丈夫、安心していいよ。士郎と王貴人に頼んで、華佗を連れていってもらっているからね。」

 

中華の大英雄二人を使い走りにする理不尽な武神がここにいる。

 

もっとも、産まれくる命を守る為とあって、士郎と王貴人は笑顔で二郎の頼みを引き受けていた。

 

呂布が安堵のため息を吐くと、二郎は微笑む。

 

「そう言えば呂布の長女…玲綺(れいき)が『弟妹は私が守る!』と言って弓を射っていたね。」

 

二郎の言葉を聞いた呂布が頭を抱える。

 

まだ幼女と言える年齢の呂布の長女である玲綺なのだが、ここ最近の彼女は張遼にせがんで馬に乗ったり、呂布に弓を習って野兎を狩ったりとお転婆に育っていた。

 

「お、王貴人様の話をしたのが、よくなかった…です。」

 

王貴人が残した数々の逸話は、今の世を生きる多くの女性の憧れとなっている。

 

その為、王貴人の様に強い女性になろうと、武芸に励む女性が少なくないのだ。

 

「王貴人は琵琶も達者なんだけどね。玲綺はどうもそっちには興味が無いみたいだ。」

 

このままでは嫁の貰い手がと心配した呂布は、帰ったら貂蝉と相談する事を決めたのだった。




これで本日の投稿は終わりです。

また来週お会いしましょう。


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第209話

本日投稿1話目です。


諸葛亮と会った劉備は幾度かの問答の後に、諸葛亮を仲間に迎える事が出来た。

 

これで徐庶の負担も軽くなると思った劉備は、帰り道では鼻歌を歌い出しそうな程に上機嫌だった。

 

そんな劉備一行の道中で、諸葛亮は関羽に声を掛けた。

 

「関羽殿、劉備様は随分と機嫌がいい様子ですね。」

「ここ最近、我々の軍師である徐庶殿は御疲れだったのでな。諸葛亮殿が我等の仲間になってくれたので、兄者はこれで徐庶殿も楽になると喜んでおられるのだろう。」

 

関羽の言葉に諸葛亮は意味深な笑みを浮かべる。

 

「楊ゼン様の読みよりも早かったですね。元直は余程一人で無理をしたのでしょうか?」

 

諸葛亮の言葉を聞いた関羽は、驚いて目を見開く。

 

「諸葛亮殿…今、楊ゼン様と…?」

「えぇ、言いましたよ。関羽殿の事は楊ゼン様から伺っております。」

 

関羽は諸葛亮の肩を掴む。

 

「諸葛亮殿!楊ゼン様は…我が師は何処に?!」

「それは私にも…何分、御自由な御方ですから…。」

 

諸葛亮の返答に関羽は肩を落とす。

 

「楊ゼン様が我等と共に戦ってくだされば百人力なのだが…。」

(桁が違いますよ、関羽殿。)

 

実は劉備達が訪ねてくる前に諸葛亮は二郎と会い、その正体を聞いていた。

 

半ば予想していた事だったが、それでも諸葛亮は大いに驚いた。

 

その後は諸葛一族で道教を信仰する事を二郎に誓ったのだが、諸葛亮は旅立ちの餞別として『無病息災の霊薬』を渡されている。

 

これで寿命と戦死以外で諸葛亮が死ぬことは無い。

 

士郎が聞いたら頭を抱えるであろう案件なのだが、二郎を含めた神々の依怙贔屓は今に始まった事ではないので仕方ない。

 

「関羽殿、楊ゼン様からお聞きしたのですが…攻城戦や籠城戦は不得手なのですか?」

「師からそれらに関しては凡才と言われた事がある。董卓軍と諸侯連合の戦で関の攻めに参加したが、思った以上に戦果は奮わなかった。それで私自身、攻城戦と籠城戦の才が無いのを自覚した…。」

 

そう言って関羽は大きなため息を吐いた。

 

(なるほど…二郎真君様がおっしゃられた通りに、関羽殿は実直な方だ。)

 

二郎の人物評が間違っているなど欠片も思っていないが、それでもこうして試してしまう己の性質に諸葛亮は苦笑いをしてしまう。

 

「その事は元直に伝えてありますか?」

「徐庶殿だけでなく、兄者達にも伝えてある。私の我儘で、皆を危うくするわけにはいかぬからな。」

 

己の弱さを認め受け入れられるその姿に、諸葛亮は関羽の強さを感じた。

 

「関羽殿はお強いのですね。」

「全ては我が師の教えだ。師の教えなくば私は増長して、いずれ道半ばで散っていただろう。」

 

そう言う関羽は胸を張っていた。

 

その関羽の姿に、諸葛亮はますます二郎へ敬意を抱いた。

 

当人はただ『面白そうだったから』という理由で関羽を鍛えただけなのだが、その事を関羽と諸葛亮の二人は知らぬのであった。

 

 

 

 

「急に呼び出してきてどうしたんだい、スカサハ?」

 

劉備達が諸葛亮を連れて領地に戻っていた頃、二郎はケルトに足を運んでいた。

 

「我が子に『無病息災の霊薬』を与えたくての。」

 

スカサハが腕に抱く赤子はコンラとの間に産まれた子である。

 

セタンタとの決闘を経て立派な青年に成長したコンラをスカサハが押し倒して夫にしたのだが、その話を耳にしたセタンタがスカサハと全力で殴り合いをした事はケルトで伝説になっている。

 

「それは構わないけど、君の夫になったコンラはどこに行ったんだい?」

「馬鹿弟子が食事に誘われてのこのこと敵国に行ったのでな。父を救いに行っておるわ。」

 

セタンタはゲッシュにより自身より下の者からの食事の誘いを断る事が出来ない。

 

例えそれが毒入りの食事であってもだ。

 

「前から思っていたけど、なんでケルトの戦士はそんな面倒な呪いをするのかなぁ?」

「不利な状況で勝つのが誉れという認識が広がっているからな。だが、これはゼンの影響でもあるのだぞ?」

 

スカサハの言葉に二郎は首を傾げる。

 

「かつてウルクの天界で、ゼンは単身で神の軍に勝っておるであろう?その話が巡り巡ってケルトの戦士の在り方に繋がっておるのだ。」

 

そう言われた二郎が頭を掻くと、スカサハは笑い声を上げた。

 

「さて、そろそろ帰るよ。あ、これが霊薬だよ。」

「うむ、確かに受け取った。ところでゼンよ、真っ直ぐ帰るのかのう?」

 

早速とばかりに赤子に霊薬を与えているスカサハは、そう二郎に問う。

 

「いや、ギルガメッシュの墓に寄って帰るよ。俺の弟子が新たな調味料を作ったから御裾分けしようと思ってね。」

「ほう?その新たな調味料とはなんじゃ?」

 

二郎は虚空から二つの壺を取り出す。

 

「豆から作られた物でね。士郎は『味噌』と『醤油』と言っていたよ。」

 

 

 

 

『味噌と醤油』

 

現代日本の食卓に欠かせない調味料である味噌と醤油だが、この二つの調味料の発祥には幾つか諸説がある。

 

その諸説の一つが、殷周革命時代に活躍した武将の王士郎が作ったという説だ。

 

王士郎は戦場で兵に料理を振る舞ったという逸話が幾つもあるのだが、その料理にも長けていた王士郎が作ったというのが、味噌と醤油発祥の地である中華で最も有力な説となっている。

 

しかし味噌と醤油の記述が歴史上初めて登場したのはいわゆる三国志の時代である事もあり、この説は日本では否定的に見ている。

 

だが中華では不老不死の道士である王士郎なのだから不思議では無いとして、この説を強く推しているのだ。

 

『味噌と醤油』

 

後に幾種も作られたこれらの調味料は古代の食事情を変えたとして讃えられ、今では世界中に愛好家を産み出す程に素晴らしい物となったのであった。




本日は3話投稿します。

次の投稿は9:00の予定です。

何気に歴史を変えてしまっている士郎さん。

第二の生を思いっきり満喫しております。


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第210話

本日投稿2話目です。


劉備に仕えた諸葛亮は領地に着くと早々にその能力を発揮していった。

 

慢性的に目に隈が出来ていた徐庶の目から隈が消えた事からも、諸葛亮の優秀さは明らかだろう。

 

徐庶、諸葛亮、法正の3人が中心となり劉備の領地を運営していくと、僅か2年で見違える程に力をつけていった。

 

そしてついに、袁紹と袁術が決戦に向けて動き始めたのだった。

 

 

 

 

「さて、それじゃおいら達もどう動くか決めるとするか。っと、その前に…法正、大丈夫なんだろうな?今お前さんに倒れられたら困るんだけどなぁ。」

 

諸将を集めて軍議を開いた劉備は、手始めに法正に問い掛ける。

 

実は数ヵ月前に一度、法正は喀血してしまったのだ。

 

普段の不摂生が祟ったといってしまえば自業自得なのだが、今や法正は劉備達にとって欠かせない存在になっている。

 

「問題ありませんぜ、劉備様。どうやら華佗殿の薬が効いたらしいですなぁ。今じゃあ血を吐く前と同じ様に酒を味わえてますからねぇ。」

 

喀血してから死相が現れていた法正を救ったのは華佗である。

 

この華佗が渡した薬はどこぞの英雄夫婦が善意で製作したものなのだが…まぁ、あの武神にしてこの英雄夫婦ありといったところであろう。

 

「そいつは一安心だ。ところで法正、お前さんは武功を上げたくねぇのかい?」

「人殺しをせずに給金を貰えるんですから文句はありませんよ。それに、劉備様はそういう国を創るんでしょう?だったら、誰かが戦いとは別の道も作っときませんとねぇ。」

 

法正のこの言葉に劉備は自然と頭を下げていた。

 

徐庶や諸葛亮にも負けない智謀を持ちながらも表舞台には立たず、裏方として真摯に国造りを担う法正の在り方は、正に能臣の鑑と言えるだろう。

 

この法正の在り方に徐庶と諸葛亮も大いに学んでいるのだ。

 

「徐庶と諸葛亮には悪いが…法正、おいらはお前さんが本物の智者だと思うぜ。」

「そんなもんは柄じゃありませんよ。それよりも私をおだてるんなら酒の一つでもくれる方がよっぽどありがたいですな。」

「おう!後で大壺で渡してやるぜ!」

 

酒を貰えるとあって張飛が羨ましそうにすると、その姿を見て皆が笑い声を上げる。

 

一通り笑いが収まったのを見て、劉備は場を仕切り直す為に柏手を一つ打つ。

 

「徐庶、頼むぜ。」

「はっ!」

 

軍事の戦略面を専門に担う様になった徐庶が説明を始める。

 

「商人達に聞きました物価の変化で、袁紹と袁術が本格的に動き出したのが明らかになりました。ここ数年で力を蓄えた我々は、二人の争いの隙をついて新たな領土を得る為に動きます。」

「具体的にはどこを得るのだ?」

 

関羽の質問に、徐庶は戦略地図を広げてから答える。

 

「この地です。」

「そこならば無理ではなかろうが…どういった狙いがあるのだ?」

「これはまだ先の話になりますが…最終的に蜀の地を得る為の一手です。」

 

徐庶の言葉に法正と諸葛亮を除いた皆が驚きの表情を浮かべる。

 

「なぁ、徐庶よぉ…蜀の地を治めている奴は劉焉殿じゃなかったか?」

「はい、その通りです。劉備様、同姓の方の地を得るのは反対ですか?」

「いや、反対はしねぇよ。徐庶が言うなら、それはおいら達にとって必要な事だからな。」

 

為政者として成長した劉備は、清濁合わせ飲む度量を身に付けている。

 

それを知る故に徐庶はこの戦略を練ったのだ。

 

「でもよぉ…蜀の地ってたしか中華でも屈指の肥沃な地だろう?おいら達で取れるのか?」

「今はまだ難しいですが、これから次第では可能になります。その為に、劉備様に一つお手伝いいただきたい事がございます。」

「おう!おいらに出来る事なら幾らでも手伝うぜ!」

 

劉備の言葉に、徐庶は包拳礼をしながら深々と頭を下げる。

 

「では早速ですが、一つお聞き入れいただき事がございます。」

「おう、なんだい?」

 

劉備は前のめりになって徐庶の言葉を待つ。

 

「以前にありました孫策殿の妹との婚姻…これをお受けいただけませぬか?」

「…はぁ?」

 

徐庶の言葉を理解するのに、劉備には今一時の時間が必要なのだった。




次の投稿は11:00の予定です。


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第211話

本日投稿3話目です。


袁家の動きを掴んで開いた軍議の後、諸葛亮は使者の任を申し使り、護衛の張遼と100人の兵と共に孫策の元に向かおうとしていた。

 

しかしそんな二人の元に予期せぬ者が現れた。

 

それは…。

 

「文遠様~。」

 

呂布の長女である玲綺だ。

 

「玲綺殿、どうなされました?」

「私も一緒に行きます!」

 

晴れやかな笑顔でそう告げてくる玲綺の姿に、張遼は小さくため息を吐く。

 

「玲綺殿、兎を狩りに行くのとは違うのですぞ?我等は劉備様から承った御役目を果たしに行くのです。」

「もちろんわかっています。だからちゃんと、御父様と劉備様から許可を貰ってきています。」

 

用意周到な玲綺の行動に張遼は頭を抱えた。

 

「わかりました。しかし、玲綺殿は馬に乗っておりませんがどうなさるのですか?」

「えっと…それは…。」

 

幼いと言える年齢の女子の玲綺には、まだ馬は与えられていない。

 

呂布譲りの弓術と馬術の才があっても、それを十全に活かせるだけの経験がまだ無いからだ。

 

「ふむ…では、玲綺殿は張遼殿の前に乗せて差し上げたら如何ですか?」

「諸葛亮殿?!」

 

諸葛亮の申し出に玲綺は華開いた様な笑顔を浮かべ、張遼は驚いて目を見開く。

 

「張遼殿は日常ではそうして玲綺殿に馬術を教えてらっしゃるのでしょう?ならば特に問題は無いのでは?」

「ですが、此度の任は我等の今後を決める大事な…。」

「私の兄が孫家に仕えているのですが、兄は孫家に重用されています。なので多少の事は融通が効きますよ。」

 

諸葛亮がそう言うと、張遼は大きくため息を吐いた。

 

「仕方ありませぬな。玲綺殿、御手を。」

 

一度下馬をした張遼は、愛馬に玲綺を乗せてから自らも騎乗する。

 

張遼の腕の中に収まった玲綺は、御満悦な表情を浮かべていた。

 

(張遼殿も鈍い御方ですね。まだ幼いからと油断しているのでしょうか?それはともかく、私もいつの間にか外堀を埋められてしまわぬ様に気をつけましょう。)

 

事の真相を知る諸葛亮は、張遼に気取られぬ様に小さくため息を吐いたのだった。

 

 

 

 

『呂玲綺』

 

呂布と愛妻の貂蝉の間に産まれた長女である。

 

幼くして弓を取れば一矢で野兎を仕止め、馬に乗れば大人顔負けの馬術を披露したと残されている。

 

更に成長した後の呂玲綺は男性達に交じって戦場に出向き、男性顔負けの武功を上げて、一人の将としても名を残している。

 

これらの事から呂玲綺は男勝りな女性と思われがちだが、そんな彼女には幼き頃から女性としての強かさを発揮していたエピソードが残されている。

 

劉備が後に妻となる孫尚香を娶る為の交渉に諸葛亮と張遼を送り出した際に、呂玲綺は父である呂布と主である劉備に直談判をして、この交渉に同行する許可を得ている。

 

当時まだ十に満たなかった玲綺の歳に見合わないこの行動力は、『流石は飛将の娘』と劉備を含めた諸将を大いに笑わせた。

 

既にこの頃から張遼は呂玲綺に外堀を埋められ始めていたのだが、後々までその事に気付かず、後年に呂玲綺を嫁に取る話が出た時には大いに頭を抱えたのであった。




これで本日の投稿は終わりです。

また来週お会いしましょう。


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第212話

本日投稿1話目です。


孫家が治める領地に辿り着いた諸葛亮と張遼は、諸葛亮の兄である諸葛謹の縁を頼って孫策と会う事に成功する。

 

そして交渉により劉備と孫尚香の婚姻の密約を結ぶと、諸葛亮と張遼の二人は自領へと戻っていった。

 

「諸葛亮殿、密約でよろしかったので?」

「えぇ、孫家が袁紹と袁術の戦の隙をつけるとは限りませんからね。もっとも、孫家側も我々が事を成せるかに疑問を持っているので御相子でしょう。」

 

この様な会話をしながら自領に戻った二人が劉備に報告を済ませると、やがて袁紹と袁術が軍を発したとの情報が中華を駆け巡ったのだった。

 

 

 

 

「そんじゃおいら達も動くとするかね。法正、留守は頼んだぜ。」

「安んじてお任せあれ。」

 

領地を法正に預けた劉備達は軍を進める。

 

そして徐庶の策通りに目的の地を接収する事に成功した。

 

「さぁて、孫家の方はどんな具合なんだろうな?」

 

劉備がぽつりと呟いた頃、孫家は死闘を繰り広げていた。

 

 

 

 

「掛かれ!掛かれ!掛かれ!」

 

孫家の宿将である黄蓋の蛮声が戦場に響き渡る。

 

その蛮声に感化されたのか孫策が身体を疼かせるが、周瑜が孫策の肩に手を置いて落ち着かせた。

 

「悪いな、公瑾。」

「まったく…少しは総大将らしく腰を据えられる様になれ。」

「仕方ねぇだろ?これが俺の性分だからな。」

 

周瑜は親友にして主君である孫策の言葉に呆れる様にため息を吐く。

 

「それで、首尾はどうだ?」

「予想よりも手こずっている。袁紹との戦に主戦力を注ぎ込んでなおこの戦力だからな。」

 

先祖伝来の地を取り戻す為に、孫策達は袁術の留守の間に袁術の領地を攻めている。

 

外から見れば立派な反逆だが、袁紹が勝利すると予測した孫家は迷う事なく行動に移していた。

 

「時間は掛かるだろうが、何とかなんだろ?」

「あぁ、皆張り切っているからな。」

 

孫家の悲願を果たさんと孫家の諸将は大いに奮戦を続けている。

 

この戦に勝利すれば、例え袁術が袁紹との戦に勝利しても何とか出来る算段があるからだ。

 

「それより伯符、尚香の説得は終わったのか?」

「おいおい、そいつは公瑾の仕事だろ?」

 

お互いに一番の難事が残っている事を知ると、周囲に気取られぬ様にため息を吐いたのであった。

 

 

 

 

「そうか、袁紹が勝ったか。」

 

袁紹と袁術の戦の結果を聞いた曹操は眉を寄せる。

 

(先の大敗の補填はまだ済んでおらぬ。さて…どうするか?)

 

今後の指針に悩む曹操の元に二つの情報がもたらされる。

 

それは劉備と孫策の情報だった。

 

「わかった。下がってよい。」

 

人を下がらせた曹操は椅子に深く腰を下ろして黙考する。

 

(孫策の動きは読めていた。孫家の悲願を果たさんとすれば、この機を逃す筈がないからな。だが、劉備の目的は何だ?あの方角には奴と同じ劉姓の劉焉がいるが…同族のよしみで同盟でも結ぶつもりか?)

 

顎髭を撫でながら、曹操は更なる黙考を続ける。

 

(いや、あるいは肥沃なあの地を手にするつもりかもしれんな。だが、劉備に同族を食らう気概があるのか?そうであるならば厄介な存在になるが…。)

 

そこまで考えた曹操は首を横に振る。

 

「まぁ、よい。それならそれで楽しみが増えるというものよ。我が覇道が容易く成ってしまってはつまらぬからな。」

 

背もたれに身体を預けた曹操は天を仰ぐ。

 

「先ずは袁紹、貴様からだ。呂布と関羽がおらぬのなら勝算は十分にある。そして奴をたいらげたのならば…やがて中華は俺の物となるのだ。」

 

込み上げてくる笑いを堪えた曹操は虚空を見詰める。

 

その曹操の姿は覇者の威厳に満ちていたのだった。




本日は3話投稿します。

次の投稿は9:00の予定です。


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第213話

本日投稿2話目です。


袁紹と袁術の戦の隙をついて領地を広げてから3ヶ月、密約を結んでいた孫家から劉備の元に孫尚香が数人の供を連れてやってきた。

 

「あなたが劉備 玄徳様ね。私は孫尚香。よろしくね、旦那様。」

 

劉備は孫尚香を見て驚いた。

 

何故なら孫尚香はまだ年若い少女だったからだ。

 

遠い未来ならば間違いなく国家公務員のお世話になる様な案件だが、今の時代ならば孫尚香ぐらいの年齢の少女が結婚するのは普通である。

 

だが劉備は仲間達にジト目を向けた。

 

「いくら家を結び付ける為とはいえ、これはねぇんじゃねぇのか?」

 

劉備がこう言うのには理由がある。

 

呂布の妻である貂蝉が出産する際に、王夫妻は女性の出産について幾つか助言を残している。

 

その助言の一つが、孫尚香の様な年若い少女に出産はまだ早いというのがあったのだ。

 

「なぁ、徐庶。孫尚香とは婚約じゃいけねぇのかい?」

「なによ、私じゃ不満だって言うの?」

「お前さんみたいな可愛い子ちゃんを嫁にもらうのに文句はねぇさ。でもよ、お前さんはどうなんだい?」

 

劉備の言葉に孫尚香は目を丸くした。

 

こんな言葉を言われるとは思ってなかったからだ。

 

「…正直に言えば、納得してここに来たわけじゃないわ。」

「じゃあ、今すぐに結婚しなくたっていいだろ?」

「でも、あなたと結婚しないと孫家が困るわ。」

 

家の為に己の意思を抑え込もうとする孫尚香の姿に、劉備は笑みを浮かべた。

 

「安心しな、孫家との同盟を解消したりしねぇよ。まぁ、色々と面倒な事情があるから今すぐに孫家に帰すわけにもいかねぇんだがな。」

 

そう言って頭を掻きながら困った様に苦笑いをする劉備を見て、孫尚香はくすくすと笑う。

 

「まぁ、悪い様にはしねぇからよ、しばらくはおいらの領地で気楽に遊んでいきな。」

「じゃあ、遠慮なくそうさせてもらうわ。」

 

 

 

 

劉備の領地にやって来てから1ヶ月、孫尚香は歳の近い呂玲綺とよく遊ぶ様になっていた。

 

時には馬に乗って早駆けをしたり、弓で狩りをしたりと孫家の領地で過ごしていた以上に自由に楽しんでいく内に驚く光景を目にする。

 

それは孫尚香達以外にも、女性の領民が馬に乗ったり狩りをする姿があったからだ。

 

孫家の領地にいた頃は、男勝りな孫尚香の行動は何かと小言を言われていたのに、劉備の領地ではそんな孫尚香の行動は周囲から浮いていない。

 

この事を不思議に思った孫尚香は、呂玲綺に問い掛けた。

 

「ねぇ、玲綺。劉備様の領地ではこれが当たり前なの?」

「私は産まれた時から劉備様が治める場所で育ってきたから、他の所がどうなのかわからないけど、ここでは女の人が馬に乗ったり弓を使ったりするのは当たり前よ。」

 

呂玲綺の言葉に孫尚香は驚くが、実は劉備の領地で女性が日常的にこの様な事をする様になったのには理由がある。

 

それは王貴人が劉備の領地に何度も姿を見せたからだ。

 

今では伝説の英雄の一人である王貴人だが、彼女は世の女性達に『強い女性としての理想像』の一つとして認識されている。

 

そんな王貴人の姿を何度も見た劉備の領地の女性達は『私達も王貴人様の様に強い女性になりたい。』と一念発起し、劉備に願い出たのだ。

 

その願いを劉備が笑って了承した結果、劉備の領地の女性達は家事や仕事の合間に馬に乗ったり、弓の修練をする様になったのだ。

 

当初はこの光景を懐疑的な目で見ていた男性達だが、呂玲綺を始めとして女性達が男性顔負けの腕前を身に付けだすと、やがて焦りだした。

 

日に日に武に明るくなっていく女性達。

 

このまま行けば、やがて宴の席で女性を口説く為に武功で見栄を張っても通じなくなるだろう。

 

例え口説きに成功したとしても、その後は強い女性の尻に敷かれる未来が待っている。

 

一部の男性諸兄はそれも悪くないと満更でもなかったが、多くの男性達は負けられないと奮起した。

 

そうした結果、劉備の軍は中華でも屈指の精強な兵を手に入れたのだ。

 

「へぇ、面白い所ね。」

「気に入った?」

「うん。私、劉備様に嫁ぐわ。」

 

そう心を決めた孫尚香は、徐庶達と今後の相談をしている劉備の元に突撃するのだった。




次の投稿は11:00の予定です。


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第214話

本日投稿3話目です。


孫尚香が劉備へ結婚を言い寄ると劉備は大いに慌て、なんとか孫尚香を宥めようとしたのだが、結局は押しきられて結婚する事になった。

 

しかし劉備は孫尚香に若い年齢での出産の危険性を王夫妻に教えられたと伝えて、なんとか夫婦の営みの回避に成功する事が出来た。

 

もっとも、代わりに王夫婦の事を根掘り葉掘り聞かれる羽目になったのだが…。

 

「ねぇ、玄徳様。王士郎様と王貴人様はどこにいらっしゃるの?」

「いや、おいらに聞かれてもわかんねぇって…。」

 

押しの強い孫尚香にたじたじな劉備の姿を見て、関羽を始めとした皆は大いに笑った。

 

そして劉備のこの姿を見た領民達の間では結婚への意欲が高まり、どんどん領地は豊かになっていった。

 

戦でも勝利を続ける劉備達は、今の中華で最も勢いのある勢力と言えるだろう。

 

また劉備へ孫尚香を嫁に出した孫家も着々と力をつけていっていた。

 

袁術はそんな孫家を咎めようとしたが、先の袁紹との戦の傷は大きく、孫家の伸長を止める事は出来なかった。

 

大事な局面では同盟を結んだ劉備の力を借り、袁術との戦で勝利を重ねて少しずつ領地を広げていく。

 

孫家の勢いは袁術の下で溜めた鬱憤を晴らす様に止まらない。

 

そんな劉備と孫家に対して曹操は伸び悩んでいた。

 

曹操が対する勢力は、名実共に中華筆頭の勢力となった袁紹である。

 

曹操は幾度も軍を発するが決定的な勝利を得られない。

 

これは袁紹の元にいる文醜と顔良が原因である。

 

猛将である文醜の武勇と良将である顔良の知勇は、曹操軍の名だたる諸将を尽く跳ね返した。

 

曹操は二人を調略しようとするが、二人の忠誠心は微塵も揺るがず失敗に終わった。

 

事ここに至り曹操は現段階での袁紹への勝利を諦め、負けぬ戦いに移行した。

 

そうして時間を稼いで帝を動かすと、曹操は袁紹と和睦したのだった。

 

 

 

 

(やはり、あそこで呂布を手に入れられなかったのが悔やまれるな…。)

 

袁紹との決着をつけられなかった曹操は、何故今の現状に至ったのかを思考していた。

 

(いや、あの決戦での失敗が今に響いているのだろう。たしか…徐庶だったな?)

 

戦場で指揮を取る軍師の不在。

 

それが今の己に足りぬものだと答えを出す。

 

「誰か在るか?」

 

曹操の言葉に、一人の配下が応える。

 

「劉備の元にいる軍師の徐庶を調べよ。可能であるならば調略し、俺の元に連れてくるのだ。」

 

命を受けた配下が下がると、曹操は天を見上げる。

 

「そう言えば…公孫瓚の所にも、優秀な客将がいると聞いた事があるな。」

 

曹操の悪癖である人材収集癖が鎌首をもたげる。

 

思いを巡らせる曹操の顔は、愉悦に満ちていたのだった。

 

 

 

 

曹操が徐庶への調略を命じた頃、劉備は己の領地にて孫尚香と共に狩りに出ていた。

 

「惜しい!劉備様、もう一射よ!」

「勘弁してくれよぉ。おいら、武はからっきしなんだぜぇ。」

 

逢い引きを楽しむ二人を、一時の休息を求めて領地に訪れていた王夫妻が微笑みながら見守っている。

 

そんな王夫妻に、たまには外に出るという名目で同行していた法正が話し掛けた。

 

「王士郎様、王貴人様、ちょっといいですかね?」

「あぁ、構わない。」

「今の御二人は何か役目がお有りで?」

「いや、特には無い。」

 

王貴人の了承を得て法正が問い掛けると、士郎はそう答えた。

 

「厚かましいのは承知ですが、一つ頼まれていただけませんか?」

「何を頼みたいのかね?」

「一人、うちの領地に連れてきてもらいたいのですよ。」

 

法正の言葉に士郎は思考を巡らせる。

 

そして一つの答えを出した。

 

「調略への対策…といったところか。」

「流石は『天弓士郎』様、御察しの通りで。」

「どこが仕掛けてくると?」

「曹操辺りでしょうねぇ。」

 

士郎と法正の会話を、王貴人は黙して聞いていく。

 

「なんせ奴さんは袁紹に勝ちきれませんでした。なら、奴さんは勝つ為に新たな人材を求めるでしょうよ。」

「そうなるだろうな。では、徐庶の御母堂を連れてくればいいかね?」

「えぇ、頼めますかい?」

「あぁ、引き受けよう。一時の休息をさせてもらった代価としてな。」

 

トントン拍子に話が進むと、法正は安堵の笑みを浮かべた。

 

「いやぁ、助かります。奴さんを刺激しない為にも表だって動けないもんでして。」

「しかし、よく気付いたものだ。」

「優秀な仲間が多くて暇なもんでしてね。考える時間はたっぷりあるんですよ。」

 

王貴人は法正に太公望と同じ気質を感じていた。

 

(なるほど、優秀な怠け者に面倒を押し付けられたのか。まったく…そういう所は変わらないな、士郎。)

 

かつての光景を思い出した王貴人は小さくため息を吐くが、その表情はどこか嬉しそうなものなのだった。




これで本日の投稿は終わりです。

また来週お会いしましょう。


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第215話

本日投稿1話目です。


蜀の地を目標として色々と準備を進めていた徐庶に、法正は来客があると告げた。

 

「法正殿、来客とはどなたで?」

「会えばわかりますよ。」

 

含み笑いをしながら歩き出す法正に首を傾げる徐庶だが、来客を待たせてはいけないと法正に続く。

 

そして来客を待たせている部屋に辿り着いた徐庶は、そこにいた人物を見て目を見開いた。

 

「母上?!」

 

驚きの声を上げながら徐庶は小走りで母に近付く。

 

「何故に母上がここ…。」

 

徐庶は最後まで言葉を発する事が出来なかった。

 

何故なら、母の拳骨が頭に落ちたからだ。

 

「な、何をなさるのですか、母上?」

「まだ私がここにいるわけがわかりませんか?」

 

母の言葉に徐庶は首を傾げてしまう。

 

「はぁ…昔から遠くはよく見える子でしたが、相変わらず足元が見えない様ですね。」

「足元?…!?」

 

事を察した徐庶は驚いて目を見開く。

 

「どうやら気付いた様ですね。法正様と王士郎様、そして王貴人様に感謝するのですよ。法正様が事を読み、王士郎様と王貴人様に頼んで私をここに連れてきてくだされたのですからね。」

 

徐庶は母の後ろにいる人物達に目を向ける。

 

そこには士郎と王貴人の姿があった。

 

徐庶は二人に包拳礼をする。

 

「母をお救いくださり、真に感謝御礼を申し上げます。」

「私達は法正に頼まれたから動いたに過ぎんよ。」

「感謝をするのなら、私達に臆せずに頼み事をした法正にするといい。」

 

士郎と王貴人の言葉に、徐庶は法正に振り返って包拳礼をする。

 

「礼なら言葉よりも酒がいいですな。」

 

法正の言葉で場は笑いに包まれたのであった。

 

 

 

 

曹操による徐庶の調略が失敗してから数年、劉備は順調に勢力を伸ばしていた。

 

この勢いならばそう遠くない内に蜀の地に手が届くだろう。

 

孫家は袁術との戦では連戦連勝だったが、戦で得た領地の統治に苦戦し、孫家の軍師である周瑜の思惑通りには勢力を伸ばせていない。

 

これは長年、袁術の勢力下に置かれていた事で、かつて孫家が支配していた元領地への影響力が無くなってしまっていたからだ。

 

一から関係を作り直していれば大きな問題は無かったのだが、かつての影響力を宛にしていた孫家とそんなものなど知らぬという元領地の有力者との認識の違いが、両者の関係を微妙なものにしてしまった。

 

この関係改善に足を引っ張られて孫家の勢いが止まってしまった事で、袁術は態勢を整えるための時間を得る事が出来た。

 

これにより孫家と袁術の戦は膠着状態に入る。

 

曹操と袁紹の戦は袁紹が優勢であった。

 

幾度も戦を仕掛けた曹操だが、強大な袁家は中々崩れない。

 

そこで曹操は帝の名を使って袁紹と休戦協定を結んだ。

 

袁家が内部争いで弱るのを待つのが狙いだ。

 

この狙いは嵌まり、袁家の各名家は各々が推す袁紹の後継者を立てて内部争いを始めた。

 

これは袁紹が後継者を指名すれば収まる事なのだが、優柔不断な袁紹は後継者を決めきれない。

 

日々の後継者争いで袁家の政は滞り、その力は徐々に弱まっていった。

 

後数年も経てば、曹操の力は袁紹の首に届くだろう。

 

その時を楽しみに、曹操は袁家以外の諸勢力へと手を伸ばすのだった。

 

 

 

 

「胃の調子は如何ですかな、公孫瓚殿?」

「華佗殿の薬のおかげで万全だ。趙雲殿との酒に付き合える程にな。」

「それは朗報ですな。」

 

とある地にて領主を務める公孫瓚と気楽な様子で会話をするのは、客将の趙雲である。

 

客将でありながら公孫瓚軍をまとめる趙雲は、それだけ公孫瓚に信頼されているのだ。

 

「して、曹操からはなんと?」

「降れ、と文を送ってきた。」

 

公孫瓚が片手に持つ文の送り主は曹操だった。

 

袁紹と休戦協定を結んだ曹操は、その野心を公孫瓚に向けてきたのだ。

 

「返答は?」

「否。」

「では、戦ですな。」

 

公孫瓚と曹操の勢力差を比べれば、公孫瓚が戦を考えるのは愚かしい程に差がある。

 

では何故に公孫瓚が曹操と戦う事を決意したのか?

 

それは異民族が関係している。

 

公孫瓚が治める領地の代々の領主は、この異民族と戦い続けてきた。

 

これは異民族が食うために中華の地に奪いにきていたのだが、公孫瓚が領主となってからのある日を境にピタリと止んだ。

 

この異民族の侵略が止んだのには、実は二郎と王夫妻が関係している。

 

二郎が農作に適さない異民族の地を肥沃な地に変え、王夫妻が農作の知識や技術を与えたのだ。

 

これにより奪う必要がなくなった異民族は、中華への侵略を止めたのだ。

 

異民族の侵略が止んだ当初、公孫瓚は異民族が滅んだのかと訝しんだが、とある日になると異民族の代表が公孫瓚に交易を申し出てきた。

 

これは両者の関係改善を考えて王夫妻が異民族に提示した策である。

 

異民族の申し出に驚いた公孫瓚だが中華の外との交易は益があると考え、配下の有力者達を説得し異民族の申し出を受け入れた。

 

それからは友好な関係を結んで異民族と共に歩んできた公孫瓚は、やがて異民族の族長の娘を娶り今日に至る。

 

ついでとばかりに趙雲も異民族の娘を娶る事になったが、趙雲はそれもよしと豪快に笑った。

 

では、何故に曹操の申し出を断る事に異民族が関係しているのか?

 

答えは公孫瓚が降る為の条件として、曹操が異民族の女を差し出す事を求めたからである。

 

妻となった者の部族の女を差し出す。

 

そんな事は公孫瓚には許容出来なかった。

 

もちろん義に厚い趙雲も同様である。

 

それ故に、事ここに至っては戦うしかないと公孫瓚は決意したのだ。

 

「失礼しますぞ。」

 

そんな覚悟を決めた公孫瓚の執務室に、不意に華佗が来訪した。

 

「おぉ、華佗殿、如何された?我等はそう遠くない内に曹操と戦をする事になる。出来るだけ早く立ち去られる方がいい。」

「その事なのですが、一ついいですかな?」

「何かな?」

 

華佗は笑みを浮かべながら言葉を発した。

 

「一緒に逃げませぬか?」

 

思わぬ華佗の誘いに、公孫瓚と趙雲は大いに驚いたのだった。




本日は3話投稿します。

次の投稿は9:00の予定です。


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第216話

本日投稿2話目です。


「やれやれ、劉備殿と同じ様な事をする羽目になるとはな。」

 

そう言って公孫瓚は苦笑いをする。

 

凡そ七千の兵に民を合わせると、総人数三万を超える人々で曹操から逃げるとあれば、如何に戦経験豊富な公孫瓚でも苦笑いをするしかないだろう。

 

「華佗殿は大丈夫ですかな?」

「信じるしかないな。それに産まれくる子の顔を見るためならば、こういう賭けも悪くない。」

 

公孫瓚と趙雲の妻はそれぞれ妊娠をしている。

 

身重の者を連れての逃避行は困難を極めるが、意地の張りがいもあると趙雲は楽しんでいた。

 

「さて、そろそろ逃げるとしますかな。」

「うむ。皆の者!出発だ!」

 

公孫瓚の号令で、総人数三万を超える人々の逃避行が始まったのだった。

 

 

 

 

「徐庶!急いで軍を編制してくれ!公孫瓚殿を助けに行くぞ!」

 

王夫妻に送られて公孫瓚の領地から劉備の領地にやってきた華佗は、劉備に公孫瓚の窮状を伝えた。

 

すると劉備は一切の躊躇なく、公孫瓚への救援を決断した。

 

「三日いただければ準備は整います。」

「よし!頼んだぜ!」

 

そして三日後、救援部隊として関羽と張遼が将として選ばれたのだが…。

 

「玲綺殿、狩りに行くのとは違うのですぞ。」

「わかってます、文遠様。」

 

呂布の娘である玲綺が同行を申し出て、張遼を困らせていた。

 

「呂布殿、貴方からもなんとか言ってくださらぬか?」

「ちょ、張遼、娘を頼む。」

 

呂布の一言に張遼は頭を抱えてしまった。

 

もちろん呂布の言葉には色々な意味が含まれているのだが、救援の任に気を取られている張遼は気付かない。

 

こうして外堀とは徐々に埋められていくのである。

 

「はぁ…わかりました。この張文遠!命を掛けて玲綺殿をお守りいたします!」

 

言質まで与えて人生の墓場の墓穴を自ら掘ってしまう張遼である。

 

既に孫尚香の尻に敷かれ始めている劉備は、仲間が出来ると嬉しそうだ。

 

「嬉しいです、文遠様!」

「玲綺殿、女人がそう簡単に男に抱きついてはいけませぬ!」

 

こうして玲綺が抱きつくのは張遼だけなのだが、何故か張遼は玲綺の想いに気付かない。

 

救援軍に選ばれた兵の中で独身の者達が、そんな張遼を見て舌打ちを堪える。

 

遠い未来ならば爆発しろの大合唱が起きていただろう。

 

「さぁ、二人共頼んだぜ!」

「「はっ!」」

 

劉備に包拳礼をした関羽と張遼は、公孫瓚の救援に向かったのだった。

 

 

 

 

「プハァ!く~、こいつはすげぇ美酒だ!」

 

二郎が造った神酒を口にしたセタンタが舌鼓を打つ。

 

「馬鹿弟子、コンラに王位を譲るのは早すぎるのではないか?」

 

愛息を胸に抱くスカサハの問いに、セタンタは肩を竦める。

 

「俺は王なんて柄じゃねぇからな。戦士として自由に戦場に行ける方が性に合う。」

 

セタンタに王としての資質が無いわけではない。

 

だが、この男は戦士である事をなによりも望んでいるのである。

 

「まったく…まぁ、私のコンラならば不足なく王をこなせるであろうがな。」

 

そう言ったスカサハはスッと立ち上がる。

 

「あん?どこに行くんだ?」

「決まってるであろう?妻が夫の側におらずにどうする?」

「はぁっ?!」

 

スカサハの言葉にセタンタは驚きの声を上げる。

 

「おい!影の国の女王としての役目はどうすんだ!?」

「配下の者達に任せる。なに、儂がおらぬ間はケルトの戦士の魂がティル・ナ・ノーグに行けずに迷うだけの事。それに、そろそろ二人目が欲しいのでな。」

「ふざけんな!色ボケも大概にしやがれ!」

 

こうしてまたしてもケルトに伝説として残る師弟喧嘩が始まる。

 

スカサハの愛息は二人の喧嘩を子守唄とし、哮天犬の毛皮に包まれながら安らかに眠る。

 

そしてスカサハとセタンタの喧嘩を、二郎は神酒を片手に微笑みながら見物するのであった。




次の投稿は11:00の予定です。


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第217話

本日投稿3話目です。


「どうやら間に合った様ですな。」

「うむ。」

 

無事な公孫瓚達を目にした張遼が安堵した様子で言うと、関羽も笑みを浮かべながら頷く。

 

「文遠様、この後はどうするんですか?」

「先ずは公孫瓚殿達と合流しましょう。その後は諸葛亮殿の策を伝え、どうするのかを考える事になるでしょうな。」

 

玲綺の問いに答えた張遼は、馬を駆けさせ公孫瓚達の所に向かったのだった。

 

 

 

 

「よく来てくだされた。この公孫瓚、歓迎しますぞ。」

 

救援に来た張遼達を、民と共に休息をとっていた公孫瓚が出迎える。

 

「水や食糧は大丈夫でしょうか?」

「すまんが少しわけてくれぬか?曹操から逃げる為に必要最低限しか持ち出しておらぬので、民達が腹一杯食えていないのだ。」

「直ぐに配りましょう。」

 

包拳礼をした張遼は指示を出すために即座に場を離れる。

 

「久し振りだな、関羽。」

「お久しゅうございます、公孫瓚殿。御無事でなによりです。」

 

お互いに包拳礼を交わした二人は笑みを浮かべる。

 

「すまぬが世話になる。」

「お気になさらず。我が主君は過日の恩を忘れておりません。それに公孫瓚殿が我等の領地に来てくだされば、兄者は楽が出来ると喜ぶでしょうからな。」

「ははは、劉備殿は変わらんな。」

 

旧知の友の変わらぬ様子に、公孫瓚は笑い声を上げた。

 

「劉備殿とまた酒を楽しみたいものだ。だが、その前にやらねばならぬ事がある」

「その事で策を預かってきております。」

 

そう言いながら関羽は公孫瓚に竹簡を渡す。

 

竹簡を受け取った公孫瓚は開いて目を通していく。

 

すると公孫瓚は驚いて目を見開いた後に、不敵な笑みを浮かべたのであった。

 

 

 

 

「追い付いたか。」

 

夏侯惇は地平線に見える人々の影を見て口角を引き上げる。

 

「惇兄、ほんとに公孫瓚達を襲うのか?」

「孟徳からの命令だ。仕方あるまい。」

「でもよ、異民族との戦がねぇってんなら、公孫瓚の領地だけで十分だろ?」

 

従弟である夏侯淵の言葉に頷きたくなる夏侯惇だったがグッと堪える。

 

「孟徳に小言を言うにしても、先ずはやる事をやってからだ。」

「孟徳のあの女好きはもう病気じゃねぇのか?」

「…男好きで血が絶えるよりはよかろう。」

「そりゃそうだけどよぉ…。」

 

なんとも言えぬ会話をしていた二人は顔を見合わせると、大きくため息を吐いたのだった。

 

 

 

 

『中華一の女好き』

 

一代で中華の半分を支配した覇者である曹操だが、その女好きは当時から広く知られていた。

 

側室だけで17人と当時としても非常に多くの女性を囲っていたが、曹家の家系図に正式に乗っていない女性も合わせれば70人近い女性と関係を持っていたという逸話が残されている。

 

そんな逸話が残されている曹操だが、次の様に言い残している。

 

『文王は27人の妻を持っていたという。ならば俺もそれに匹敵するだけ持っても構うまい。』

 

この言葉を伝え聞いた劉備と孫策は、曹操の事を『中華一の女好き』と呼ぶ様になったとか…。

 

多くの妻を娶り、そして多くの子を残した曹操だが一つ文王と違うところがある。

 

それは一族内の仲が良好とは言えない事だ。

 

これが響き曹操の死後、後継者争い等から魏はその力を急速に衰えさせてしまう。

 

一代で中華の半分を支配した覇者である曹操だが、一家の長としては文王に及ばなかったのであった。




これで本日の投稿は終わりです。

また来週お会いしましょう。


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幕間『哮天犬の散歩』

本日投稿1話目です。


「哮天犬、俺はしばらくケルトに行ってくるから、自由にしてていいよ。」

「ワンッ!」

 

哮天犬が一哮えして返事をすると、二郎は虚空瞬動で空を駆けていった。

 

一人(一匹)残された哮天犬はどうしようかと首を傾げて考える。

 

少しして考えがまとまったのか、目的のものの匂い嗅ぐと、一噛みして虚空に穴を開けてそこに飛び込んだのだった。

 

 

 

 

「哮天犬か、どうした?いや…くわえているものを見れば用件はわかるか。」

 

そう言って苦笑いをする者は士郎である。

 

「それで、蛟を使って料理を作ればいいかね?」

「ワンッ!」

 

哮天犬は蛟の身体の一部をくわえながら器用に哮える。

 

「味付けは醤油か?味噌か?」

「ワンッワンッ!」

 

二度哮えて後者である事を訴える。

 

「わかった。私と王貴人も食事はまだだ。一緒に食べるとしようか。」

「ワンッ!」

 

嬉しそうに哮天犬が尻尾を振ると、士郎は笑顔でエプロンを投影したのだった。

 

 

 

 

腹拵えを終えた哮天犬は気ままに散歩を始めた。

 

先ずは桃源郷に脚を運ぶ。

 

「あらぁん?哮天犬ちゃんじゃなぁい。楊ゼン様はいらっしゃらないのねぇん。ざんねぇん。」

 

妲己は心底残念そうにため息を吐いたが、哮天犬を可愛がる様に頭を撫でる。

 

「む?おぉ、哮天犬か。よくきたのじゃ。」

 

何者かが桃源郷に来たことに気付いた竜吉公主は素早くやって来ると、そこで妲己に撫でられている哮天犬の姿を発見した。

 

「遅かったわねぇん、竜吉公主ちゃん。」

「妾は妲己と違って鼻が利くわけじゃないからのう。」

 

軽い言葉のじゃれあいをしながら二人は哮天犬を愛でていくのであった。

 

 

 

 

しばし桃源郷でゆっくりとした哮天犬は次にウルクの理想郷に飛んだ。

 

「いらっしゃい、哮天犬。」

「ワンッ!」

 

エルキドゥに鼻筋を撫でられた哮天犬は嬉しそうに尻尾を振る。

 

「行こう、哮天犬。向こうでギルが待ってるよ。」

「ワンッ!」

 

エルキドゥが背に腰をかけると、哮天犬はギルガメッシュがいる所に向けてゆっくりと歩き出す。

 

「よく来たな哮天犬。我自ら歓迎してやろう。」

 

生前と変わらぬ王としての威を放つギルガメッシュは、不敵に微笑みながら哮天犬を出迎える。

 

そしてギルガメッシュが『蔵』から数多の美酒、美食を取り出すと、エルキドゥが阿吽の呼吸で並べていった。

 

その光景を見て哮天犬は千切れんばかりに尻尾を振る。

 

「さぁ、宴を始めるぞ!」

 

ギルガメッシュの号令で哮天犬は美酒、美食を貪っていく。

 

その勢いはいつかの時代に現れるであろう腹ペコ美少女にも負けぬものだ。

 

宴が始まりしばらく経つと、ギルガメッシュは酒を片手に鼻を鳴らす。

 

「フンッ!やはり二郎は来ぬか。」

「他所の理想郷には、たとえ神々でも気軽に足を運ぶわけにはいかないからね。仕方ないよ。」

 

『星』が用意する理想郷は、その土地の英雄達が行き着く魂の安らぎ場である。

 

故に『星』や『世界』によって神々でも越えられぬ程の強固な結界が張られており、第2魔法を行使出来る様な者でなければ、他所の理想郷に入る事は難しいのだ。

 

では何故に哮天犬がウルクの理想郷に入る事が出来ているかというと、ギルガメッシュやエルキドゥの臭いを辿って、空間を噛んで穴を開けて通り抜けているからだ。

 

こんな無茶が出来る神獣は、世界広しと言えども哮天犬ぐらいである。

 

「我の庭に友の来訪を拒む扉なぞ無い!」

「その通りだけど、二郎が来たらアヌが頭を抱えるはめになるだろうね。」

「抱えさせればよかろう。その様な些末な問題なぞ、奴等にやらせればよい。」

 

神を神とも思わぬギルガメッシュの発言に、エルキドゥはクスクスと笑う。

 

「それじゃ、哮天犬。次は二郎も連れてきてね。」

「ワンッ!」

 

ギルガメッシュ達が和やかに宴をしていたその時、ウルクの神々が頭を抱え始めたのだった。




本日は3話投稿します。

次の投稿は9:00の予定です。


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第218話

本日投稿2話目です。


「なに?関羽の旗があっただと?」

 

公孫瓚達に追い付いた追撃軍総大将の夏侯惇は、物見の報告を聞いて舌打ちをする。

 

「どうするのだ、夏侯惇殿?」

 

曹一族の曹仁の言葉に夏侯惇は思考を巡らせる。

 

(追撃軍の面目を考えれば一当てはせねばなるまい。だが相手に関羽がいるとなれば、こちらの被害もバカにならんものになるやもしれん…。)

 

面目を立てるというのは今の時代ではバカに出来ないものである。

 

数万を超える兵を率いるには、それに相応しい地位と将としての威が必要だからだ。

 

それに夏侯惇は劉備軍と関わった戦いでは連戦連敗を続けてしまっている。

 

曹操の贔屓により地位の失墜は免れているが、これ以上の敗戦は流石にまずいだろう。

 

負けるぐらいなら戦わずに退くべきだ。

 

そうわかっているのだが、面目との板挟みになってしまっている。

 

そういった夏侯惇の悩みを察したからこそ、曹仁はあえて退くことを告げた。

 

「夏侯惇殿、ここは退くことも考えるべきだ。」

「退く?一戦も交えずに退けというのか?」

「我等の任は公孫瓚への追撃であり、劉備と事を構える事ではない。袁紹への備えとして戦力を温存せねばならぬ以上、いたずらに戦線を広げかねぬ今回は退くべきだ。」

 

曹仁の言葉に夏侯惇は救われる思いがした。

 

だが、最低限やるべき事はやらねばならない。

 

「…直ぐに退ける様にして一当てする。」

「わかりもうした。では、某は退く準備をしておきましょう。」

 

そう言って兵に指示を出し始めた曹仁を見て、夏侯惇はため息を吐いたのだった。

 

 

 

 

「そちらの軍師殿の読み通りに、曹操軍は騎兵だけで仕掛けてきましたなぁ。」

 

騎兵を率いて仕掛けてきた夏侯惇を見て、趙雲は感心した様に声を上げる。

 

「趙雲殿、予定通りに頼むぞ。」

「安んじてお任せあれ。」

 

公孫瓚に一礼した趙雲は颯爽と愛馬に跨がると、公孫瓚軍が誇る騎兵の一軍を率いて夏侯惇が率いる一軍に向かう。

 

「上手くいくでしょうが、何もせずに見ているだけというのも歯痒いものですな。」

「関羽殿の名は今や中華では高名ですからな。そこに在るだけで戦術となるなど、武人としてはこれ以上ない程の誉れでしょう。」

「そういった役割は呂布殿のものかと思っていたのですがな。」

 

そんな会話をした関羽と公孫瓚は、顔を見合わせて笑ったのだった。

 

 

 

 

後に公孫瓚追撃戦と呼ばれる戦いが始まった。

 

戦いの始まりは追撃軍総大将の夏侯惇と、公孫瓚側の将である趙雲がお互いに騎兵を率いてぶつかったのだが、両軍がぶつかって互いに足が止まったところに、公孫瓚の援軍に来ていた劉備軍の将である張遼が横合いから奇襲を仕掛けた。

 

この奇襲で夏侯惇が率いていた一軍は隊列を崩してしまったのだが、そこに追撃軍側の将である曹仁が援護に入った事で夏侯惇は事なきを得る。

 

手痛い奇襲を受けた追撃軍だが戦列を整えるとそれ以上の戦いを止め、整然と退いたのであった。

 

 

 

 

『夏侯惇』

 

二次創作では猛将として描かれる事の多い夏侯惇だが、正史では総じて凡将である印象が強い。

 

もっともこれは曹操の贔屓で夏侯惇が大将として一軍を率いた際に、運悪く呂布や関羽といった当時の最高峰の名将達と戦う事が多かったからだ。

 

その為、夏侯惇は劉備軍との戦で連戦連敗をしてしまうのだが、その尽くを生き抜く彼の悪運の強さを曹操は最も信頼していた。

 

『夏侯惇』

 

曹操の従兄弟である彼はその功績以上の地位に就いた事で、当時や後世の人々に揶揄される事も多かったが、数多の敗戦で尽く生き残った彼の悪運の強さは曹操に数多くの戦訓をもたらし、曹操の覇業の一助となっていったのであった。




次の投稿は11:00の予定です。

拙作の夏侯惇のイメージは銀英伝のビッテ〇フェルトといったところですかね。


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第219話

本日投稿3話目です。


無事に曹操の追手を退けた公孫瓚達は、笑みを浮かべながら劉備の領地に向かう。

 

道中に旅の疲れから病になってしまった子供や老人がいたが、折よくとある道士夫婦が現れると病を癒して去っていった。

 

そうして旅を続けて劉備の領地に辿り着いた一行は、喜びの声を上げたのだった。

 

 

 

 

「久し振りだなぁ、公孫瓚殿、趙雲殿。」

「世話になる、劉備殿。いや、これからは主君と呼んだ方がいいか?」

「殿と呼ぶのもありですなぁ。」

「よせやい。人前じゃともかく、普段はこれまで通りでいこうぜ。」

 

公孫瓚と趙雲のからかいに劉備が心底面倒そうな顔をすると、場は笑いに包まれた。

 

そんな笑いの場に一人の兵が文を持って現れる。

 

「おっとすまねぇな、公孫瓚殿、趙雲殿、先に文に目を通してもいいかい?」

「あぁ、我等の事は後でいい。」

 

公孫瓚の返事を聞いて劉備は文に目を通す。

 

すると、驚いた表情を浮かべた。

 

「どうしたのだ、劉備殿?」

「いやぁ…今日は千客万来だと思ってな。」

「その言い様だと、我等以外にも客が来たようですな。」

 

公孫瓚の問い掛けに劉備が答えると、趙雲は面白そうだと感じて笑みを浮かべる。

 

「重ねてすまねぇが、客人を呼んでもいいかい?」

 

公孫瓚達が頷いたのを確認した劉備は、兵に来客を案内してくる様に命ずる。

 

少しの間を置いて、一人の男が場に姿を現した。

 

「招き入れていただき感謝致します、劉備殿。」

 

美しさを感じさせる所作で包拳礼をしたこの者は張郃という男である。

 

張郃は元は袁紹に仕えていたのだが、袁紹が文醜と顔良を贔屓して用いていた為に武功を上げる場を得る事が出来ていなかった。

 

更に袁家の醜い内部争いに嫌気がさした張郃は、一族郎党を率いて縁のある劉備の元にやって来たのだ。

 

「久し振りだな、張郃殿。ところで、文に書いてあった一族郎党を受け入れてもらいたいってのは本気かい?」

「もちろんです。」

「はぁ…なんだって皆しておいらの所にくるのかねぇ?」

 

劉備が頭を掻きながら愚痴を溢す様に言う。

 

「劉備殿の人徳ですかな。」

「趙雲、おだてたって酒ぐらいしか出さねぇぞ。」

「それはおだてがいがありますなぁ。」

 

趙雲と劉備の会話を聞いていた者達は、大きな声で笑ったのだった。

 

 

 

 

『十虎将』

 

三国志の時代の蜀漢に仕えた主な将達をさして、彼等は十虎将と呼ばれた。

 

十虎将には旗揚げ初期から劉備に仕えた関羽を始めとし、張飛、呂布、張遼、呂玲綺、公孫瓚、趙雲、張郃といった当時を代表する名将達が名を連ねている。

 

この十虎将の噂を聞いた曹操は己も同じ様に配下の将達に異名をつけようとしたのだが、どうしても十虎将と比べると見劣りをしてしまう為、苛立ちのあまりに机を叩き斬った。

 

そして曹操はこう言ったと伝えられている。

 

『劉備に過ぎ足る者達有り。何故に天は俺を彼の者達の主に選ばなかったのか?』

 

曹操と劉備の陣容の対比はかつての項羽と劉邦の様だと例える者もいる。

 

その例えが間違いではなかった事を証明する様に、曹操と劉備の戦いは中華の覇権を競う程に大きくなっていったのであった。




これで本日の投稿は終わりです。

また来週お会いしましょう。


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第220話

本日投稿1話目です。


張郃が劉備の配下となって数年経つと、袁紹は曹操に敗れて、袁術は孫策に敗れて勢力としての地盤を失った。

 

だが袁紹と袁術は命だけは拾い、その身を僅かな配下と共に劉備の元へと寄せた。

 

二人が劉備の元へと寄せた事で一悶着があったが、袁紹は内部争いに心底辟易して袁家の再興を拒み、袁術も暮らしに不自由せねば再興を望まないと言って誓詞を書いた事で、この騒動は一応の収まりをみせた。

 

袁紹を打倒した曹操は邪魔者がいなくなった事で、その勢力を急激に伸ばしていった。

 

袁紹を打倒してから僅か7年で、中華を南北に分割した際の北の部分ほぼ全てを勢力下に治めた。

 

残すところは涼州の馬家だけだが、それも時間の問題だろう。

 

孫策は袁術を打倒した事で念願の孫家の地の大半を取り戻したのだが、父の仇を討つべく劉表に戦いを挑んだ際に、一つの矢に射抜かれて帰らぬ人となってしまった。

 

その後は孫権が孫家を継ぎ、内政に勤しんでいる。

 

そして多くの優秀な仲間達に恵まれた劉備は、淀みなく蜀の地を完全に手中にした。

 

こうして中華は後の世で『三国時代』と呼ばれる状況となったのであった。

 

 

 

 

「さて…どうしたもんかねぇ?」

 

中華で三指に入る程の有力者となった劉備の言葉に、法正が答える。

 

「肥沃な蜀の地を手にしましたからなぁ。定石では内政に励んで力を蓄えるところでしょう。」

「孫権殿に頼まれてる戦の合力はどうすんだい?」

 

劉備が手にしている書状には、劉表との戦で力を貸して欲しいと孫権の直筆で書かれている。

 

愛する妻の兄直筆の書状とあって、劉備はどうしたものかと悩んでいるのだ。

 

「劉表の下には『名将厳顔』、『弓将黄忠』がおります。合力の戦といえど、片手間で出来る相手ではありませぬ。」

 

徐庶の言葉に皆が頷く。

 

『名将厳顔』は見事な用兵で孫家軍と渡り合った男であり、『弓将黄忠』は『小覇王』と呼ばれるまでに成長した孫策を一矢で仕止める弓の腕前を持った男だ。

 

油断をしたら孫策の様に逆に食われてしまうだろう。

 

「孫策殿の仇討ち戦となれば、おいら達に実入りはねぇよなぁ?」

「劉表の土地を手にするには孫家を出し抜く必要がありますが…。奥方様の御実家と懇意な関係を続けるおつもりならば、出し抜くのは止めた方がよろしいですね。」

「おいらは尚香と離縁する気は欠片もねぇぞ。孫家を出し抜くのは却下だ。」

 

諸葛亮をジト目で劉備が睨むと、皆が笑いを堪える。

 

「土地を貰えぬとあれば人を貰うとしますか。」

「人を?法正、いったい誰を貰うってんだい?」

「先に名が上がった厳顔殿と黄忠殿といったとこですかな。」

 

法正の言葉を受けて皆がそれぞれ思考を巡らせる中で、法正は言葉を続けていく。

 

「弓将黄忠殿の相手を呂布殿に、名将厳顔殿の相手を関羽殿に引き受けていただければ、相手を討ち取る事なく降す事も不可能ではないと愚考しますが?」

 

法正の言葉を受けて皆が行けるのではと思い始めたが、そこに関羽が待ったをかけた。

 

「お待ちを。願わくば弓将黄忠の相手を私にお任せいただきたく。」

「理由をお聞かせ願えますかな?」

「黄忠殿は王士郎様の弟子を公言していると聞く。楊ゼン様に武の手解きを受けたこの身としては、是非とも黄忠殿と武を競いたいのだ。」

 

関羽は数年前の宴で己の師が武神である事を知る機会があった。

 

それからというもの関羽はより一層鍛練に励み、その武の腕前は近接戦闘において、手合わせで呂布から一本奪う程にまで成長したのだ。

 

もっともその一本を奪われてからは呂布も近接戦闘の鍛練に励んで腕を上げ、関羽から手合わせで一本を奪い返しているので二人の実力は拮抗していると言えるだろう。

 

法正は関羽の目をジッと見詰める。

 

関羽も視線を逸らさずに法正を見返した。

 

「貸し一つといったとこですかな?」

「恩にきる。」

 

法正は微笑むと、徐庶と諸葛亮を交えて策を練り始めたのだった。




本日は4話投稿します。

次の投稿は9:00の予定です。


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第221話

本日投稿2話目です。


「遅いぞ、二郎!二千年も我を待たせるとは何事だ!」

 

哮天犬の背に乗って『世界』の外にあるギルガメッシュの『座』にやって来た二郎は、出迎えてくれた友に笑みを浮かべた。

 

「俺が来るってよくわかったね、ギルガメッシュ。」

「ここは我の庭ゆえ何者かがやって来ればすぐにわかる。それが二郎であるとわかった故、我自らこうして出迎えてやったのだ。」

 

およそ二千年前の記憶にある老いた姿ではなく、かつてエンリル討伐の際の若き日の姿のギルガメッシュを目にした二郎は、その日の事を鮮明に思い出す。

 

「さて、二千年振りの再会を祝して飲もうか。」

「ふんっ!我を二千年待たせたのだ。生半可な酒では許さぬぞ。」

 

そう言って背を向けて歩き出したギルガメッシュを見て、二郎はクスクスと笑ったのだった。

 

 

 

 

エルキドゥとも再会を果たした二郎は宴を楽しんでいった。

 

その宴の中でエルキドゥがこの『世界』を原典に変えた冒険を語っていく。

 

「並行世界のギルガメッシュが暴君だったとは、こうして当人から聞いても中々信じられないね。一度見てみたかったなぁ。」

「あのギルじゃあ、二郎も友にならなかったと思うよ。」

 

二郎とエルキドゥの会話をギルガメッシュは苦虫を噛み潰した様な表情で聞いている。

 

聡明なギルガメッシュは己も暴君となる可能性があった事を認識しているからだ。

 

「そうだ。ギルガメッシュとエルキドゥ、桃源郷に遊びにくるかい?年中、桃の花が咲き乱れて綺麗な所だよ。」

「へぇ、ギル、行ってみない?」

 

二人の問い掛けにギルガメッシュは手にしていた杯を干してから答える。

 

「二郎が選んだ英雄を見るのも一興か。」

 

ギルガメッシュがそう言うと、エルキドゥは嬉しそうに微笑みながらギルガメッシュの杯に酒を注ぐのだった。

 

 

 

 

二郎がギルガメッシュの『座』に訪れていた頃、中華では屈指の有力者であった劉表が滅んだ。

 

黄忠と厳顔という名将を有していた劉表でも、孫権と劉備の連合軍には抗しきれなかったのだ。

 

この戦で孫権は劉表が治めていた土地を手にし、劉備は黄忠と厳顔という名将を仲間に加える。

 

土地を手にした孫権と人を求めた劉備の選択が、この後の両家の行く末を決めたと後世の歴史家は語る。

 

こうして中華の南が劉備と孫権の二人によって治められる様になった頃、北の覇者である曹操は涼州を降し、中華の北方全てを己の支配下へと置いた。

 

名実共に中華の覇者となった曹操だが、彼の野心は終わらなかった。

 

中華を完全に己の物とするべく、曹操は次の一手を打った。

 

その次の一手とは、漢王朝の帝に帝位を禅譲させたのだ。

 

これは劉備や孫権の下にいる民の心を揺さぶる事を目的とした一手だ。

 

この曹操の動きに機敏に反応したのは周瑜だ。

 

周瑜は孫権を説得し、孫家の独立王朝を掲げる。

 

民の動揺を抑えると共に、勢力下にある有力者達の動揺も抑える為の一手だ。

 

中華の三大有力者の内の二人がそれぞれの王朝を築く中で、劉備は王朝を造らなかった。

 

元々は一介の民であった劉備にとって、今日を生きる為の飯と明日を生きる為の仕事を与えてくれるのならば、支配者など誰でもいいという考えがあるからだ。

 

曹操と孫権の動きは権力や権威の中で生きる有力者達には有効に働いた。

 

だが、立身出世を望む一部の民には受け入れられても、その他の多くの民には好意的には受けとめられなかった。

 

むしろ野心が透けて見え、怖れられてしまった。

 

これらの人々の心の機微を察した曹操は、動かなかった劉備に心の中で舌打ちをした。

 

漢王朝の帝から正式に帝位を禅譲させた己とはっきりと敵対したわけではないので、劉備討伐の大義名分を得る事が出来なかったからだ。

 

そこで曹操は孫家に宣戦布告をする。

 

これにより孫家から嫁をもらった劉備もはっきりと敵対すると予測したからだ。

 

曹操の宣戦布告より3ヶ月後、後の世で『赤壁の戦い』と呼ばれる大戦が始まったのだった。

 

 

 

 

「…くそっ!」

 

闇夜を照らし出す炎を背に、曹操は必死に馬を駆けさせる。

 

孫家を潰す為に用意した大船団は炎に燃え、混乱の中で側近や配下の将達は散り散りになってしまった。

 

「何故だ!何故天は俺を選ばぬ!?」

 

慣れぬ土地と慣れぬ水上での戦だったが、風上に陣取り敵の奇襲を防ぎ、さらに圧倒的な戦力差を用意した今回の戦は勝利は疑いない筈だった。

 

だが気紛れに吹いた逆風が全てを台無しにしてしまった。

 

曹操でなくとも理不尽を嘆くだろう。

 

「まだだ!まだ俺は終わらぬ!逃げ切って…中華を完全に俺の物にしてみせる!」

 

燃え盛る船上から陸上に上がった曹操は馬に乗って近衛の者達と逃走をしたのだが、その道中にまるで見計らったかの様に劉備に仕える将達が待ち構えていたのだ。

 

張飛、張遼に強襲された時は近衛を即座に殿にして逃げた。

 

関羽と目が合った時は死を幻想しながらも全力で逃げた。

 

もちろん曹操はただ逃げていたわけではない。

 

己の中の理を尽くして逃走経路を選択しながら逃げている。

 

だがその逃走先を尽く読まれてしまっているのだ。

 

「郭嘉が言い残した通りか…。」

 

涼州を統べて曹操が中華の覇者となったのを見届けた後に、郭嘉は満足そうに微笑みながら亡くなった。

 

その時に郭嘉は次の様に言い残している。

 

『殿、先ずは内を治めなされ。それを怠れば、曹家は滅びの憂き目に会うでしょう。』

 

曹操がこの言葉を思い出していると、逃走を続ける曹操の前に呂布が姿を現した。

 

曹操は笑った。

 

己の命運が尽きた事を理解したからだ。

 

馬の背から下りた曹操は地に腰を下ろす。

 

「呂布よ、最後に一杯やってもよいか?」

 

呂布が頷くと、曹操は腰に吊るしていた竹の水筒を手に取る。

 

ぐいっと喉を潤すと、曹操は水筒を天に掲げる。

 

「こうして最後を迎えてみれば、道半ばで終わるのも悪くない気分だ。」

 

己が全てを尽くして迎えた最後だ。

 

ならば笑って逝こうと曹操は竹の水筒を口にする。

 

そして水筒を干した曹操は満面の笑みを浮かべながら天を仰いだ。

 

「天よ、いい夢を見させてもらった。」

 

こうして稀代の英雄である曹操の人生は幕を閉じた。

 

後年、劉備は曹操こそが真の英雄であったと語っている。

 

稀代の英雄である曹操が舞台から去った事で、いよいよ乱世は終わりへと向かうのだった。




次の投稿は11:00の予定です。


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第222話

本日投稿3話目です。


赤壁の戦いで曹操が散った事で、曹家では後継者争いが起こった。

 

これは曹操が自身の後継者を明確に指名していなかった事に起因している。

 

正室、側室だけでなく、愛人に及ぶまで己が子を後継者にと参加すると、曹家の後継者争いは血で血を洗う骨肉の争いとなった。

 

この後継者争いは中華の歴史上でも屈指の大きな争いとなり、曹家の力を著しく落としてしまった。

 

そしてそれを見逃す程、劉備は甘くなかった。

 

劉備は可能な限り戦力を動員し、次々と曹操の領土を攻めとっていく。

 

孫権も動こうとしたが、軍師である周瑜が病で床に臥してしまった事で初動が遅れてしまった。

 

曹家軍も赤壁の戦いを生き残った夏侯惇を始めとした諸将が食い止めようと動こうとするが、曹操の後継者争いは過激化するばかりで、まともな戦力を用意する事が出来なかった。

 

すると、広大な曹家の領土は僅か5年で、残すは洛陽のみとなってしまった。

 

ここに至り曹家は漸くまとまったが時既に遅し。

 

曹操が赤壁の戦いで散ってから6年、中華の覇権は劉備の物となったのだった。

 

 

 

 

「はぁ…おいらが帝ねぇ?柄じゃねぇなぁ。」

 

中華の七割近くを統べた劉備は漢王朝の前帝に二度帝位に就くことを要請したのだが、前帝に帝位に就くことを固辞されてしまう。

 

そしてなんだかんだと法正を始めとした文官達に外堀を埋められてしまい、劉備自らが帝位に就くことになってしまったのだ。

 

「帝、そろそろ諦めてください。式典は三日後に迫っているのですぞ?」

「おい、法正。おいらを嵌めたお前さんがそれを言うのかい?」

「これは心外ですなぁ。私は劉備様が帝となればよいと言葉を溢しただけで、積極的に動いたのは徐庶と諸葛亮なんですがねぇ。」

 

すました顔でそう宣う法正を、劉備は苦虫を噛み潰した様な顔で睨む。

 

「もういいじゃない。私は旦那様が帝にまで出世して誇らしいわよ。」

 

劉備との間に3人の子を産んだ孫尚香は、以前にも増して艶やかな女となっている。

 

そんな妻に微笑まれた劉備は惚れた弱みなのか、帝になる覚悟を決めた。

 

「はぁ…仕方ねぇか。それで、法正。おいらはいつまで帝を続ければいいんだい?さっさと息子に帝位を禅譲して、尚香と二人でゆっくりとしてぇんだが?」

「劉禅様には十分に政を学んでいただかなければなりません。それに次代の者達の育成にも時間がかかるので、むこう10年は帝でいていただく必要がありますなぁ。」

「10年?!勘弁してくれよぉ…。」

 

ほとほとまいった様子で劉備が項垂れると、皆が笑った。

 

義勇軍だった頃から付き従ってきた関羽は誇らしげに胸を張り、張飛は嬉し涙を流す。

 

孫が乱世を生きる必要がなくなったと呂布と貂蝉は喜び、呂玲綺はそろそろ子供はどうかと夫の張遼に問い掛ける。

 

徐庶と諸葛亮は劉備が帝位に就いて生まれ変わる新たな漢王朝『蜀漢』の未来を語り合い、そんな二人を尻目に法正はどうやって自分だけ楽隠居しようかと思考を巡らせる。

 

公孫瓚と趙雲は式典の酒について話を咲かせ、以前は何かといがみあっていた袁紹と袁術が笑いあっている。

 

黄忠と厳顔は乱世が終わる事を少し寂しそうにしているが、それは御愛嬌だろう。

 

そんな皆の姿を見て劉備は声を発した。

 

「帝になった事よりも、おいらは皆で乱世を生き残った事の方が嬉しいぜ。」

 

 

 

 

劉備が蜀漢王朝の帝位に就いて3ヶ月後、孫権は孫呉の帝位を辞し、劉備に蜀漢への臣従を願った。

 

こうして後に三国時代と語られる乱世は終わりを迎え、中華に数百年に渡る平和な世が訪れたのだった。




次の投稿は13:00の予定です。

これで今章は終わりです。

次章の題材は決まっているのですが、まだ話の大筋を決めていません。

なので来週の本編投稿はお休みさせていただきます。

代わりに今章の主な登場人物紹介などを投稿しようと思います。


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三国志編の主な登場人物・蜀サイド

本日投稿4話目です。


【三国志編登場人物・蜀サイド】

 

 

・劉備

 

筋力:D

 

耐久:C

 

敏捷:D

 

魔力:E

 

幸運:A

 

宝貝:『我が友との絆(助けてくれ!○○!)』

 

宝貝説明:生前の仲間達との絆が宝貝化したもの。助けてくれ!をキーワードに生前の仲間の一人を召喚する。令呪を用いれば同時に二人召喚可。ただし、既に召喚対象が他マスターに召喚されている場合は召喚不可なので注意。

 

人物説明:一介の民から中華の帝まで成り上がった三国時代の英雄。劉備三義兄弟の長兄。戦士としては並以下、武将としては平凡、為政者としても平凡と能力は高くないが、人を惹き付ける魅力と有事の際の決断力に優れた人物である。後世の人々は劉備に習って誠実であれと言い、彼の成り上がり話に肖ろうとした。

 

 

・関羽

 

筋力:B

 

耐久:A

 

敏捷:C

 

魔力:E

 

幸運:D

 

宝貝:青龍偏月刀

 

宝貝説明:不壊の概念を持った薙刀。真名解放は無い。

 

人物説明:三国時代を代表する武将の一人。劉備三義兄弟の次男。接近戦においては『飛将』呂布と互角に渡り合う力量を持っている傑物。実直な人柄とその武勇は多くの人に慕われ、三国志時代の人物の中でも屈指の人気を誇る。『武神』二郎真君の弟子であるという逸話があるが真偽は定かではない。戦において不敗の逸話を持つ彼は、何故か後世で商売の神様として祭り上げられた。

 

 

・張飛

 

筋力:A

 

耐久:A

 

敏捷:D

 

魔力:E

 

幸運:C

 

宝貝:蛇矛

 

宝貝説明:波打つ刃を持った不壊の矛。真名解放は無い。

 

人物説明:劉備三義兄弟の末弟。小柄ながらその膂力は『飛将』呂布と互角と謡われる。攻勢、守勢に不得手はなく、後世の歴史家の中には張飛は将として関羽よりも優れていると評価する者が少なくない。酒による失敗の逸話が多いが、それによる致命的な失敗は無い辺り、人に好かれる愛嬌と悪運の強さがある人物なのだろう。

 

 

・呂布

 

筋力:A

 

耐久:A

 

敏捷:C

 

魔力:E

 

幸運:D

 

宝貝:方天画弓

 

宝貝説明:弓の先に穂先があり、槍としても使える不壊の宝貝。僅か数百の手勢で万を超える敵を撃退した逸話が昇華した結果、真名解放すると一度に百の矢を放つ事が出来る。

 

人物説明:三国時代最強の武将。戦略や戦術こそが戦の要となった時代に、一人だけ殷周時代の武将の様な逸話を数多く残したチート武将。同時代でも屈指の美女を嫁さんにしたりとリア充でもある。爆発しろ!

 

 

・張遼

 

筋力:B

 

耐久:B

 

敏捷:C

 

魔力:E

 

幸運:D

 

宝貝:無銘の偏月刀

 

宝貝説明:不壊の概念を持った無銘の薙刀。真名解放は無い。

 

人物説明:元は董卓配下の武将だったが、後に呂布と共に劉備に仕えた。奇襲を得意とした名将で、将としては劉備配下の将の中で一番だと評する歴史家が少なくない。後年、呂布の娘である呂玲綺を妻に迎え、公私共に充実した人生を送った。

 

 

・呂玲綺

 

筋力:C

 

耐久:B

 

敏捷:C

 

魔力:E

 

幸運:B

 

宝貝:無銘・弓

 

宝貝説明:不壊の概念を持った無銘の弓。真名解放は無い。

 

人物説明:呂布と貂蝉の間に産まれた娘。父親譲りの弓術と馬術を誇り、母親譲りの可憐な容姿を持った才女。幼少時から虎視眈々と外堀を埋めて、張遼に対する初恋を成就させた強かな女性。将としては張遼の副官として武功を重ねて、十虎将の一人となった。

 

 

・貂蝉

 

人物説明:呂布の妻。三国志時代を代表する美女の一人。呂布との間に二男一女を産んだ。

 

 

・趙雲

 

人物説明:元は公孫瓚の客将だったが、曹操に追われた後に劉備に仕える。攻勢、守勢に不得手が無い名将だが、逸話が少ないので後世ではあまり人気が無い。

 

 

・公孫瓚

 

人物説明:劉備がまだ義勇軍だった頃に世話をした人物。為政者、武将の双方で有能な人物なのだが、何故か後世の二次創作物語では器用貧乏に描かれる事が多い不遇な人。

 

 

・黄忠

 

筋力:C

 

耐久:B

 

敏捷:D

 

魔力:E

 

幸運:B

 

宝貝:無銘・弓

 

宝貝説明:不壊の無銘の弓。真名解放は無い。

 

人物説明:王士郎の弟子を公言していた人物で弓の名手。関羽との一騎打ちに敗れて劉備に仕える。弓の腕を語るものとして飛び回る燕を射落とした逸話がある。もしかしたらこの逸話が宝貝に昇華する…かも?劉備に仕えた後は呂布と共に弓騎兵隊を率いて活躍した。

 

 

・厳顔

 

人物説明:経験豊富な老将で、黄忠が孫策を射殺す為の舞台を整えた戦術家でもある。劉備に仕えた後は血気に逸る若者達を諌める重鎮として活躍し、後に劉備に仕える十虎将の一人として数えられた。

 

 

・法正

 

人物説明:主に内政官として活躍した人物。劉備が最も信頼した智者であり、徐庶、諸葛亮と並んで三賢の一人として数えられる。人を使うのが非常に上手く、徐庶や諸葛亮に師として慕われた。

 

 

・徐庶

 

人物説明:文献に残る人物として劉備に最初に仕えた軍師。三賢の一人であり、法正と共に劉備飛躍の礎を築いた。政戦両略に優れ、撃剣の腕も立つ才人。劉備が徐庶の献策に命を掛ける事に一度も躊躇しなかったという逸話が残っている。後世では『知勇兼備の才人』と称えられた。

 

 

・諸葛亮

 

人物説明:徐庶が『己より上』と語る程に優れた戦術家。三賢の一人。他者の心を操ると形容される程に優れた戦術指揮を取る。彼を知るとある人物は『戦術については太公望と比肩するかな。』と語る。後世の二次創作物語の影響で、現代では爆発的な人気を得ている。

 

 

・袁紹

 

人物説明:元は中華でも屈指の勢力を誇ったが、内部争いが原因で曹操に敗れて没落した。生き残った袁紹は劉備に仕え、名族としての知名度や経験を活かし、各地の名士や豪族との話し合いを担当する外交官として活躍した。袁術とは仇の様にいがみあっていたが、劉備に仕えた後に和解している。後年、再婚して出来た子供を御家争いをしない様に教育しながらも溺愛し、名族として肩肘を張っていた頃よりも幸せに暮らしていった。

 

 

・袁術

 

人物説明:袁紹に並ぶ中華屈指の勢力を誇っていたが、孫策に敗れて没落した。生き残った袁術は袁紹と同じく劉備に仕えている。劉備に仕えた後の役割は袁紹と同じで、劉備が帝となった後の蜀漢の世に大いに貢献した。

 

 

・孫尚香

 

人物説明:劉備の妻。孫堅の末娘。劉備に嫁入りした後は孫家にいた頃よりも自由に過ごし、友誼を結んだ呂玲綺と狩りに出掛けたりと日々を楽しんでいった。劉備との間に二男一女を産み、蜀漢の皇后となっても以前と変わらぬ快活さで劉備の良き妻として幸せに過ごしている。

 

 

・龐統

 

人物説明:本編で一切出番が無かったが、赤壁の戦いでは曹操軍壊滅の一助を担った。その功績を持って劉備に仕えようとしたが、三賢の姿を見た鳳統は己の居場所が無い事を察し、孫家に仕えて名を残した。




これで本日の投稿は終わりです。

また来週お会いしましょう。


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今章のその他主な登場人物紹介

抜けている人物がいるかもしれませんが『仕方ないね』という許容の心で許してください。


【三国志編主な登場人物・魏・呉】

 

 

・曹操

 

人物紹介:小柄な身体ながら覇気に溢れ、数多の人を魅了した三国時代の覇者であり、三国時代一番の女好き。才ある者を好み、敵であっても才ある者は己が物としようとする癖がある。一代で中華の半分を統べたその才覚は、蜀漢の帝となった劉備をして『曹操こそが真の英雄なり』と言わしめている。赤壁の戦いで敗れて逃走中、呂布に討ち取られた。

 

 

・夏侯惇

 

人物紹介:曹操に初期の頃から仕えた猛将にして、初期の頃から仕えた将の中で唯一乱世が終わっても生き残った人物。呂布を始めとして関羽等のあらゆる将と戦って手傷を負っても必ず生きて帰った夏侯惇は、曹操にその運の強さを最も信頼された。中華が蜀漢により統一された後は、曹家の生き残りの後見者として生を全うした。

 

 

・夏侯淵

 

人物紹介:曹操に仕えた将の一人。夏侯惇の従兄弟。高速の用兵に定評があり、曹操配下の将の中では最も武功を上げた人物。曹操の死後、蜀の攻勢に頑強に抵抗したが、黄忠の一矢で戦場に散った。

 

 

・郭嘉

 

人物紹介:曹操に仕えた軍師。郭嘉が健在であれば曹操は中華を統べたと言わしめる程の智者で、彼が戦場に出て指揮していた際の曹操軍は一度も負けた事がなかった。怠惰な日常で身体を壊してからは戦場に出ておらず、後方から戦略面で曹操を支えた。曹操が中華の半分を統べた後に亡くなっており、彼が生きていれば赤壁の戦いの結果は変わっただろうと言われている。

 

 

・孫策

 

人物紹介:孫家の悲願である先祖伝来の土地のほとんどを取り返した人物。非常に勘が鋭く、黄忠の一の矢を避けて二の矢を射たせたが、その二の矢で戦場に散った。孫家の総大将でありながら常に先陣を駆けた彼は、孫家に仕える者の多くに信奉されたが、幼馴染みの周瑜に慢性的な胃痛を与えたのだった。

 

 

・周瑜

 

人物紹介:孫策の幼馴染みにして孫家二代に渡って仕えた軍師。赤壁の戦いにて孫家に勝利をもたらした立役者だが、赤壁の戦いの後に彼は床に臥せってしまう。それが原因で赤壁の戦いの後の孫家の伸長が遅れてしまい、乱世が終わると孫家は蜀漢に臣従を申し出たのだった。

 

 

・孫権

 

人物紹介:孫策の弟。孫呉の帝。将として並だが、為政者としては優秀であったと残されている。また、孫呉が蜀漢に臣従する事を決めている事から、時勢を読む事にも長けている。曹操や劉備に比べられる事が多く、総じて評価が低くなってしまいがちである。だが蜀漢に臣従して平和な世になった後は水を得た魚の如く、為政者としての手腕を振るって後世に名を残した。

 

 

【西遊記編、ケルト編、その他の主な登場人物】

 

 

・孫 悟空

 

人物紹介:邪仙の手で造られた人造仙人。善悪の常識が無い状態で好き勝手に動いていたが、その時に二郎と出会う。その後、二郎の手引きでシッダールタと出会い弟子入りをする。そして改心後は玄弉三蔵と共に天竺へと旅をして、仏教の経典を中華に持ち帰った。

 

 

・玄弉三蔵

 

人物紹介:仏教を中華に広めるべく、経典を求めて天竺に旅をした仏教徒の女性。その旅の途中、夢に現れたシッダールタの導きで悟空と出会い、旅を共にした。経典を中華に持ち帰った後は、仲間達と共に中華の人々の救済をしていった。余談だが美少年な弟子達が無邪気に絡んでいるのを見ると、何故か鼻に熱いものが込み上げてきてしまう。

 

 

・猪八戒

 

人物紹介:猪の因子を生まれ持った天然道士。旅の途中の三蔵と出会い弟子入りをする。天竺への旅が終わると、仲間達と共に中華の人々の救済をしていった。

 

 

・沙悟浄

 

人物紹介:河の精の因子を持った天然道士。旅の途中の三蔵に出会うと心服して弟子入りをする。三人の弟子の中では一番真面目な性格で、何かと小言を言う事が多い。天竺への旅を終えて中華の人々の救済をしていた時に一時的に華陀が一行に加わると、彼から薬作りを学んだ。

 

 

・セタンタ

 

人物紹介:二郎と関わった事で本来の運命から変わったケルト神話で最強の大英雄。殺してしまった息子を二郎に生き返らせてもらった代償に、クー・フーリンの名を渡した為、ケルト神話にはセタンタとして名を残した。コンラに助けられた後は彼に王位を譲り、以後はケルトの戦士として自由に戦いを楽しんでいった。

 

 

・コンラ

 

人物紹介:本来なら父親に殺される運命だったが、二郎に生き返らせてもらった事で運命を乗り越えた。その代わりに、まだ幼気な年頃なのに師に押し倒されて父親にされたり、セタンタに王位を押し付けられて王にされたりと、何かと苦労を背負う羽目になってしまった苦労人。だが、そのおかげでケルト神話に賢王として名を残した。

 

 

・スカサハ

 

人物紹介:ケルトの影の国の女王。迸る熱いパトスを堪えられなかった結果、後世に淑女として名を残してしまった。まぁ、本人は大満足なので問題無いのだろう。

 

 

・イエス

 

人物紹介:とある事でシッダールタと知り合うと、涅槃に遊びに行く様になった神の子。彼が涅槃に遊びに行くともれなく守護天使達もついてくるのだが、その守護天使達は神の子を護る為に毎回誘惑の悪魔という御立派様と戦う羽目になるのだった。

 

 

・シッダールタ

 

人物紹介:涅槃に御立派様が入り浸っている事に慣れ始めている。「去れ、マーラよ!」

 

 

・マーラ

 

人物紹介:皆様御存知の御立派様。実は三大宗教に名を残している。流石は御立派様!

 

 

・華陀

 

人物紹介:三国志に登場する董卓その人。二郎の贔屓で生き残った結果、中華の歴史に残る名医となった。蜀漢により中華の乱世が終わったのを見届けると、崑崙山に赴いて練丹術を学び、道士となるべく修業を始める。修業を終えて不老の道士となると、王夫妻の救済の旅に加わったのだった。




これで本日の投稿は終わりです。

来週辺りに次章を始められれば…いいなぁ…。

また来週お会いしましょう。


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紀元500年代 ~古代ブリテン編~
第223話


本日投稿1話目です。


side:二郎

 

 

中華が蜀漢により統一されてから早百年が過ぎようかという頃、中華に新たな乱世の兆しが現れた。

 

それは中華の外からやって来た異民族が原因だ。

 

俺は異民族が住んでいた土地の神に、中華の神々と戦をするつもりなのかと問い掛けたが、異民族が住んでいた土地の神は平身低頭の態度でそのつもりは無いと言った。

 

神の意思が介在していないのであれば、軽々に中華の神々が介入するわけにもいかない。

 

伯父上がそう決めたので、俺も静観を続けた。

 

異民族に襲撃をうけた者達の中には領地を売り渡したりする者もいたので、中華は異民族により新たな国を造られるかもしれないと伯父上は嘆いた。

 

こういった異民族の侵攻により国の支配民族が代わるのは、世界を見渡せばそう珍しいものではない。

 

なので伯父上は覚悟をしていたのだが、そうはならなかった。

 

劉備の子孫が旗頭となって中華の民をまとめ、異民族を打ち払ってみせたのだ。

 

この劉備の子孫の武功に惜しみない称賛を送ると共に、伯父上は一つの権限を与えた。

 

それは、伯父上と直接話をする事が出来るというものだ。

 

天帝である伯父上と直接話を出来る機会は、道士はおろか仙人でもそうあるものではない。

 

故に、劉備の子孫は平伏しながらもこの権限を大いに喜んだ。

 

この後に伯父上と話を出来る権限は代々の中華の帝に受け継がれ、『天子』と呼ばれる様になった。

 

こうして異民族による危機を中華の民が乗り越えたのを見届けると、俺はいつも通りに中華の外へと旅に出掛けた。

 

その折りにケルトに寄ると、一人のケルトの戦士が死に瀕していたので神水を与えて助けた。

 

ついでに魅了の呪いが顔の黒子に掛けられていたので解呪すると、ケルトの戦士は名を名乗って感謝を捧げてきた。

 

ディルムッド・オディナと名乗った戦士は俺が放浪の神ゼンと知ると、生まれ変わってもこの恩を忘れないとゲッシュを立てた。

 

そう言えばコンラも同じゲッシュを立てていたのを思い出す。

 

そんな事を考えながらケルトから中華に帰ると、武術の鍛練をしながらのんびり過ごしていく。

 

そして数百年程経った頃、伯父上から呼び出しを受けたのだった。

 

 

 

 

side:二郎

 

 

「伯父上、御呼びですか?」

 

伯父上は常の柔らかな笑みではなく、真剣な表情をしている。

 

「二郎。いよいよ神秘が神が世界の内に居られぬ程に薄まってきた。」

「世界の神々が姿を見せなくなったのもそのせいなのですね。」

 

俺の言葉に伯父上が頷く。

 

「うむ。だが、その薄まりつつある神秘が思わぬ動きを見せておるのだ。」

「思わぬ動きですか?」

「そうだ。世界中の神秘はとある二つの地に集束しつつある。一つは中華の東より海を渡った地である『日出ずる国』。そしてもう1つは中華から西の果てに行き、北の海を渡った所にある地だ。」

 

西の果てから北の海を渡った所の地?

 

「たしかケルトの影響を受けた地ですよね?」

「うむ。小さな地なれど幾つもの国が混在しておるのだが、その中でも大きな影響を持つ国が『ブリテン』と呼ばれている。」

 

伯父上は神水を一口飲んでから話を続ける。

 

「そこで二郎よ、そのブリテンに行ってくれぬか?」

「それは構いませんが、日出ずる国は大丈夫なのですか?中華に程近いので影響があっても不思議ではありませんが?」

「日出ずる国には八百万の神々がおる故、それほど混乱は起こらぬだろう。だが、ブリテンには集束する神秘をどうにか出来る存在がおらぬ。混乱は酷いものになるであろう。」

 

俺は伯父上の言葉に頷く。

 

「わかりました。ブリテンに行きます。ところで伯父上、自由にやってよいのですよね?」

「構わぬ。だが出来れば、かの地に生きる神秘の存在を、かの地の約束の地である『アヴァロン』へと導いてやって欲しい。」

「承りました。」

 

こうして俺は神秘の集束する地であるブリテンへと向かうのだった。

 

 

 

 

side:ブリテンの少女

 

 

私はアルトリア・ペンドラゴン。

 

ブリテンの王であるウーサーの娘…らしい。

 

らしいというのは、私が父の顔を知らぬからだ。

 

私は物心つく前に養父のエクターの元に、花の魔術師マーリンによって預けられたそうだ。

 

その事も養父と、義兄であるケイから聞いただけなので本当なのかはわからない。

 

養父と義兄は家族でありながら、私を家族ではなく次代の王として扱う。

 

そんな日々に私は幼いながらもどこか疑問を感じていた。

 

ウーサーの後を継ぐべく、日々の勉強や剣の修練に追われて疲れ果て泥の様に眠る毎日。

 

時折だが息抜きの為に町に出る事もある。

 

だがそこで町娘の姿を目にするとマーリンから、『君は王となる人間だ』と町娘達の様に着飾る事を許されない。

 

そんな私が自由になれるのは剣を振っている時だけだった。

 

まるで呪詛の様に毎日言われるマーリンの『王』という言葉から感じる重圧。

 

それから逃れられるのはこの剣を振っている時だけ。

 

そうやって剣を振っていくと豆が潰れ、この手は騎士の手になっていく。

 

まだ10にも満たない私と同じ年頃の少女は服を着飾り、花を愛でて笑顔になっているというのに、私はそれを許されず剣を振るう日々。

 

気が付けば、私は剣を振るいながら涙を流していた。

 

「なんで剣を振りながら泣いているんだい?」

 

突如掛けられた優しげな声に、私は涙も拭わずに振り返る。

 

すると、先程まで誰もいなかった筈のそこに青髪の男性の姿があった。

 

私はその青髪の男性の暖かい笑顔に、涙を拭うのも忘れて見惚れてしまったのだった。




本日は3話投稿します。

次の投稿は9:00の予定です。


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第224話

本日投稿2話目です。


side:アルトリア

 

 

青髪の男性の暖かい笑顔から目が離せない。

 

思い返せば、私は誰かにこんな表情を向けられた事がなかった。

 

そのせいなのか、先程から涙が止まらない。

 

青髪の男性が暖かい笑顔を浮かべたまま、ゆっくりと私に歩み寄ってくる。

 

そして私の前まで歩み寄ってきた青髪の男性は、指で私の涙を拭う。

 

顔が熱い。

 

この気持ちは何なのだろうか?

 

わからない。

 

でも…嫌だとは思わない。

 

「手から血が出ているね。ちょっと手を見せてくれるかい?」

 

青髪の男性に促されるままに、私は彼に手を見せた。

 

「うん、よく剣の鍛練をしている手だね。」

 

そう言いながら彼は腰に吊るしていた何かを手に取る。

 

その何かの蓋を取ると中には水らしきものが入っているのが見えた。

 

革袋と同じ様な水入れだろうか?

 

彼は水入れに入っていた水を私の手に掛ける。

 

少し痛みを感じたが、その次の瞬間には目を見開く程の驚きの光景が目に入った。

 

水を掛けられた私の手は、淡い光を放ちながらあっという間に傷が治ってしまったのだ。

 

「あ、あの、これは?」

「ん?この水は『神水』だけど、それがどうかしたかい?」

 

神水!?

 

子供の私でもわかる貴重なものだ。

 

それ程に貴重なものを、私の手を治す為に使うなんて!

 

言葉にならない声を上げていると、彼は優しく微笑んだ。

 

「気にしないでいいよ。俺にとっては君の手を治す方が大事だったからね。」

 

彼はそう言った後に『それに神水なんて…』と言葉を続けていたが、その後の彼の言葉は私の耳に入ってこなかった。

 

何故なら私の胸がうるさいぐらいに鳴っていたからだ。

 

先程からよくわからない気持ちが、私の心を揺さぶってくる。

 

それはともかく、この人にお礼を言わなくては。

 

「あ、あの!」

 

そこまで言うと、私の腹から盛大に音が鳴る。

 

場を包む沈黙が痛い。

 

き、聞こえてしまっただろうか?

 

彼の顔をチラリと見る。

 

すると、彼はプッと息を吹き出したのだった。

 

 

 

 

side:アルトリア

 

 

私の腹の音を聞いた彼は大声で笑った後に、笑った詫びに食事を振る舞うと言った。

 

まだ未熟者ですが、私は王や騎士となるべく教育を受けているのだ。

 

食事程度で懐柔出来ると思わないでいただきたい!

 

そう彼に言ってみたものの、空きっ腹では戦は出来ない。

 

ここは素直に彼に食事を振る舞ってもらう事にしよう。

 

しかし彼は食事を振る舞うと言ったが、特に何か荷物を持っているわけでもない。

 

これから調達するのだろうか?

 

そう思っていたら、彼は虚空に浮かんだ波紋から肉塊を取りだした。

 

彼もマーリンと同じく魔術師なのだろうか?

 

私はしばらく彼が料理をする姿を眺めていた。

 

これは万が一にも毒を盛られないかを見張る為で、決して一早く食事にありつくためじゃない。

 

肉塊には何やら鱗の様な物が見える。

 

「それは何の肉だろうか?」

「これかい?これは『蛟』の肉だよ。」

 

彼が言うには、『蛟』とは蛇から竜へと成りかけた存在らしい。

 

その様な存在は初耳だ。

 

マーリンからも聞いた覚えがない。

 

マーリンも知らなかったのだろうか?

 

どこか胡散臭い笑みを浮かべ、何でも見通しているかの様に振る舞うあのマーリンが知らない存在。

 

そう考えると、なんか可笑しくなってしまった。

 

蛟の皮を剥いだ彼は、塩以外にも何かを肉に振り掛けている。

 

料理とは塩を使って焼くか煮るのではなかっただろうか?

 

そう思ったものの、彼が塩以外の何かを振り掛けて肉を焼き始めると魅惑的な香りが私の鼻に届く。

 

いや、魅惑的なんてものではない。

 

もはやこの香りは暴力的だ!

 

お腹が鳴るのを止められない!

 

それに気付いたのか、彼が私の方に目を向ける。

 

私は恥ずかしくて彼から目を逸らすが、それでも腹の音は鳴り止まない。

 

うぅ…どうしてこんな辱しめを受けねばならないのだろうか?

 

そう思っていたら彼が焼き上がった肉を皿に盛って、ナイフとフォークと共に差し出してきた。

 

見事に焼き上がった肉を目にしその香りを嗅いだ私は、辱しめなど忘れてナイフとフォークを手にした。

 

そして肉を口に運ぶと、今までに経験をした事のない多くの味が口に広がった。

 

最初に感じたのは辛い味。

 

だがその辛さは肉を噛み締めていくと、肉の脂の甘さと一体となり、経験した事のない美味しさへと変わる。

 

気が付けば、口の中の肉は無くなっていた。

 

私は養父に躾られた作法を守りながらも、可能な限りの早さで肉を食していった。

 

彼が焼き上げた蛟の肉を1枚、2枚と手と口を止める事なく食べ続ける。

 

この時、私は確かにアヴァロンは存在するのだと感じたのだった。




次の投稿は11:00の予定です。


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第225話

本日投稿3話目です。


side:アルトリア

 

 

あぁ…これが幸せというものなのだろうか?

 

腹が満たされるという初めての感覚に、私は身も心も委ねてしまっている。

 

はしたなくも足を投げ出してしまっているが、蛟の肉が美味しかったのがいけないのだ。

 

あれは私でなくともお腹一杯になるまで食べてしまうに決まっている。

 

「どうやら腹が膨れて落ちついた様だね。」

 

青髪の男性の言葉で私の意識はアヴァロンから現実へと戻ってきた。

 

この方にお礼を…そういえば、まだこの方のお名前を知らなかった。

 

なんとあるまじき失態。

 

これというのも蛟が美味し過ぎるのがいけない!

 

美味し過ぎるのがいけない!

 

…機会があれば、また食べさせてもらえないものでしょうか?

 

「私はアルトリアという者です。姓は故あって軽々に名乗るわけにはいかないので、どうかご容赦を。」

 

名を名乗って頭を下げる。

 

王となるべく教育されている私は軽々に頭を下げたりしてはいけないと教わっていますが、私の勘(胃)がこの方には礼を尽くすべきだと言っています。

 

なので言葉遣いも改めましょう。

 

「アルトリアか、よろしくね。俺はゼン。字だよ。俺の所では名を預けるのは魂を預けるのと同義という教えがあってね。故に己が認めた者にしか名を教えないんだ。まぁ、アルトリアも姓を名乗らなかったからお相子ってことで。」

「はい、よろしくお願いします、ゼン。」

 

改めて挨拶をすると、ゼンはニコリと笑顔を浮かべた。

 

むぅ…どうもゼンの笑顔を見ると調子が狂ってしまいます。

 

嫌ではないのですが、こう…何故か気持ちが浮わついてしまうのです。

 

「ところでアルトリア、一つ聞いていいかい?」

「はい、何でしょうか?」

「食事前にも聞いた事だけど、何故君は涙を流しながら剣を振っていたんだい?」

 

そういえば、その事を問われていましたね。

 

けして忘れていたわけではありません。

 

ただ、ちょっと蛟の肉の余韻に浸っていただけです。

 

「それは…。」

 

時がくるまで私がウーサーの子である事を言ってはならないと言い付けられています。

 

そしてウーサーの後を継いで王となる事もです。

 

ゼンにどう答えるべきか悩んでいると、ゼンが微笑みながら口を開く。

 

「もしかして、あそこで姿を隠している者のせいかい?」

 

ゼンが一本の大きな木を指差しながらそう言う。

 

そこには確かに誰もいなかった。

 

しかしそこの景色が歪んだ次の瞬間、そこにはマーリンの姿があった。

 

「マーリン!?」

 

驚きの声を上げながら違和感に気付く。

 

マーリンの何かがおかしい。

 

「アルトリア、そこの御仁から離れてこっちに来なさい。」

 

声に余裕がない?

 

そこではっきりと気付いた。

 

常に胡散臭い笑みを浮かべているあのマーリンが、笑みを浮かべずに真剣な表情をしている事に。

 

「へぇ、人と夢魔の子か。神秘が薄れたここ最近、あまり見かけなかったなぁ。」

 

ゼンの言葉であのマーリンが冷や汗を流している。

 

こんなマーリンの姿は初めて見ました。

 

「その子は私が面倒を見ている者だ。こちらに渡してくれ。」

「アルトリアは涙を流しながら剣を振っていた。その涙を流す何かを強要しているだろう君に、アルトリアを引き渡せというのかい?」

 

マーリンとゼンの間に剣呑な雰囲気が流れ始めました。

 

…いけない!

 

「ゼン!私なら大丈夫です!だから、ここは引いてください!」

「どうしてだい?アルトリアは彼に涙を流す様な事を押し付けられているんだろう?」

 

ゼンの言葉でマーリンが私に向けてくる視線が強くなります。

 

「アルトリア、君の使命は何か、忘れていないよね?」

 

ウーサーの後を継ぎ、ブリテンを救う。

 

それがブリテンの為になり、ブリテンに生きる人々の為になる。

 

そうマーリンや養父に言い付けられてきました。

 

そしてその為に日々研鑽を積み続けてきました。

 

感じる疑問を胸の奥にしまいこんで…。

 

ですがその疑問は、日常を生きる人々の姿を見た私の心を揺さぶり、涙となって溢れてしまいました。

 

そんな時です。

 

ゼンが私の前に現れたのは。

 

養父や義兄にも向けられた事がなかった暖かな笑顔を向けてくれた。

 

身も心も満たしてくれる美味しい料理を振る舞ってくれた。

 

日を追う毎に削られていった私の心を…ゼンは癒してくれた。

 

そんなゼンに迷惑は掛けられません。

 

「もちろん、忘れていません。ゼン、ありがとうございます。」

 

そう言ってマーリンの元に歩き出そうとすると、誰かの手が私の肩に置かれました。

 

振り返り手の主を確認すると、そこにはゼンの姿がありました。

 

「そんな泣きそうな顔をしてるのに、放ってはおけないよ。」

 

ゼンのその言葉がとても嬉しい。

 

ですが貴方に迷惑を掛けたくは…。

 

そう思ったその時、私の直感が危険を察知した。

 

「ゼン!」

 

彼を庇おうと一歩踏み出そうとしたのですが、逆に私が彼の腕の中に庇われてしまいました。

 

そしてゼンは私を抱えたままその場を飛び退くと、マーリンが放ったであろう魔術が通り過ぎました。

 

「いきなり攻撃してきて、どういうつもりだい?」

 

ゼンの問い掛けに答える様に、マーリンは彼に杖を向ける。

 

「マ、マーリン待ってください!今すぐそちらに…。」

「大丈夫だよ、アルトリア。」

 

そう言ってゼンは私の頭を撫でてから離れました。

 

「いけません!養父がマーリンの魔術は騎士の一軍に比すると言っていました!」

「騎士の一軍に?へぇ、少しは楽しめるかな?」

 

暖かな笑みを崩さずにゼンはマーリンと向き合います。

 

するとマーリンは数十にも及ぶ魔術をゼンに向けて同時に放ちました。

 

あっと思う間もなく、数十の魔術がゼンに殺到します。

 

数十の魔術がゼンの身を穿つ光景を幻視しました。

 

ですが、そうはなりませんでした。

 

なんとゼンは虫でも払う様に、マーリンの数十の魔術を片手で打ち払ったのです。

 

…え?

 

「これで騎士の一軍に比するのかい?だとすると、この地の騎士は『フィアナ騎士団』と比べて随分と劣るんだね。」

 

え?フィアナ騎士団?

 

ケルトの伝説に残る騎士団の事ですよね?

 

私が考えている間もマーリンは絶え間なく魔術を放ち続けていますが、ゼンはその場を一歩も動かずに魔術を打ち払っています。

 

えっと…魔術ってそういう風に打ち払えるものでしたっけ?

 

ふとマーリンに目を向けると、そこには見たことがないくらいに必死の形相のマーリンがいました。

 

その事が私の混乱に拍車をかけます。

 

「まぁ、いいか。そろそろ終わりにしよう。」

 

ゼンがその言葉を言った次の瞬間、ゼンの姿は消え、マーリンの懐に踏み込んでいました。

 

マーリンは驚きの表情を浮かべながら何かをしようとしますが、その次の瞬間にはマーリンの目から光が消え、地面に崩れ落ちました。

 

えっ?一体、何が…?

 

「彼は殺してないから安心していいよ、アルトリア。」

 

そう言ってゼンは私に笑顔を向けてくれたのでした。

 

…えっと、私はどうすればいいのでしょうか?




これで本日の投稿は終わりです。

原作をあまり知らないのでとりあえず腹ペコ女騎士を妄想しながら書いたのですが、こんな感じで大丈夫でしょうか?

また来週お会いしましょう。


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第226話

本日投稿1話目です。


side:アルトリア

 

 

マーリンが打ち倒された後、どうすればよいのかわからなかったのですが、とりあえずゼンを家に招く事にしました。

 

その際にマーリンをどうしようか迷いましたが、ゼンが一声掛けると虚空から見上げる程に大きな犬が姿を現してマーリンをくわえて運んでくれる事になりました。

 

犬の名前は『哮天犬』というそうです。

 

毛が長くてフワフワしています。

 

後で触らせてもらいましょう。

 

家に着くと養父と義兄がマーリンの姿を見て驚いた顔をしました。

 

騎士として凛とした表情が常な養父もあんな顔をするのですね。

 

マーリンには悪いかもしれませんが、養父のあんな顔を見れたのは面白かったです。

 

養父はゼンが名乗ると、何故か王に対してする筈の最敬礼で名乗りをしました。

 

ゼンも王族なのでしょうか?

 

そう思っていたらゼンが私の頭に軽く手を置きました。

 

その手の暖かさが私の心も暖かくしてくれます。

 

義兄も養父と同じ様に最敬礼で名乗ると、私達は丁重な扱いで家に入ったのでした。

 

 

 

 

side:アルトリア

 

 

家に入るとゼンに白湯が出されました。

 

薪を使って歓待するのはそれこそ特別な相手だけです。

 

やはりゼンは私の勘の通りにただ者ではないのでしょう。

 

「さて、ちょっと聞きたい事があるんだけど、いいかな?」

 

白湯を一口飲んでからゼンが声を上げました。

 

養父が「なんなりと」と答えます。

 

「アルトリアが泣きながら剣を振っていたんだけど、原因は『あれ』のせいでいいのかな?」

 

ゼンがマーリンを『あれ』扱いしました。

 

義兄はそれを聞いて苦笑いをしていますね。

 

「貴方様に虚言は出来ませぬ。少し長くなりますが、聞いていただけますか?アルトリア、これはお前に関係する事でもある。心を強く持って聞きなさい。」

 

そう言って養父は語りだしました。

 

マーリンがウーサーにとある計画を持ち掛けた事。

 

その計画に基づいて私が造られた事。

 

そして…後に行われる予定の私を王に選定するためのやらせの儀式の事。

 

これらを語り終えた養父は椅子から立ち上がると、地に膝を突いてゼンに頭を下げました。

 

「全てを知りつつアルトリアを引き取ったのは私の決断です。ブリテンを再生する為にはそれしかないとすがり、アルトリアに辛い思いをさせたのは全て私の罪。どうか、息子のケイには罰を与えぬ様にお願い致します。」

 

あまりにも驚き過ぎて私は何も考えられません。

 

私は造られた存在?

 

養父の罪?

 

では、私が王になる為にしてきたこれまでの事は何だったのでしょうか?

 

またゼンが私の頭に手を置きます。

 

そこで気付きました。

 

私はまた涙を流していると…。

 

 

 

 

side:二郎

 

 

床に膝を突くエクターを椅子に座らせ、涙を流すアルトリアの頭を撫でながら、哮天犬がくわえる者に目を向ける。

 

さて、『あれ』をどうしようかな?

 

ギルガメッシュが切り開いて始まった人の歴史…それは人々の命の輝きの証だ。

 

だからこそ、人々を見るのは楽しい。

 

時には手助けしたりするが、それはあくまで人々が己の『道』を歩む為のものだ。

 

『あれ』が傍観者なら捨て置いてもよかったけどね。

 

そう考えて小さくため息を吐く。

 

それにしても…。

 

「少し見てきたけど、俺の目にはブリテンの再生は無理に見えたんだけどなぁ。」

 

そう言うとアルトリアを始めとしてエクターとケイも驚いた顔をする。

 

そして…。

 

「その台詞は聞き捨てならない。」

 

そう言って『あれ』が目を覚まし、怒りを宿した目で俺を見据えてきたのだった。




本日は3話投稿します。

次の投稿は9:00の予定です。


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第227話

本日投稿2話目です。


side:二郎

 

 

「聞き捨てならない。ブリテンを救えないとはどういう事かな?」

 

『あれ』が目を覚まして問い掛けてくる。

 

「ブリテンは滅びに向かっている。それはわかるだろう?」

「当然だね。だからこそ私はアルトリアを、ブリテンの王の後継者に運命的な形でならせるんだ。数多の挑戦者が抜けない選定の剣を抜かせる事でね。そうすればアルトリアは誰もが認めるブリテンの王になる。正に理想の王さ。後は理想の王の元に騎士を集め、この地を力で統べていけばいい。」

 

誰もが認める。力で統べる…か。

 

「力で統べた後はどうするんだい?」

「ハッピーエンドじゃないか。理想の王が統べれば理想の国となる。だから後は私が手を出さずともどうとでもなるだろう。」

 

…なるほど、『これ』は人をわかっていないんだ。

 

そんな『これ』の考えでもブリテンを延命させる事は出来る。

 

だけど行き着く先は、内部争いによる滅びってところだろうね。

 

その事を伝えると『これ』は憤りを見せた。

 

「内部争いで滅ぶ?馬鹿な。理想の王が統べる最高のハッピーエンドを迎えて、何故争う必要がある?そんな事はありえないだろう。私には君の言う事が理解出来ない。」

 

『これ』の言葉を聞いたエクターとケイは愕然とした顔だ。

 

まぁ、そうだろうね。

 

なにせ一番大切な国を治める方法を何も考えていないんだ。

 

画竜点睛を欠くどころじゃない。

 

『これ』が語るブリテンの未来は、無知な子供が夢を語るのと変わらないのだから。

 

まぁ、それはそれとして…。

 

「理想の王…か。」

 

俺の言葉に『あれ』が嬉しそうに反応する。

 

「そう、理想の王さ。民が望み、騎士が望む理想の王。『僕』は理想の王が造り出すハッピーエンドが見たいんだ。」

 

あぁ、そうか。

 

アルトリアの事が気になる理由がわかった。

 

彼女はエルキドゥや竜吉公主と同じなんだ。

 

何者かの我儘を叶える為に造られ、自由を奪われながらも懸命に生きようとする姿が。

 

アルトリアに目を向ける。

 

彼女を見ると、まるで迷子になった様な顔をしている。

 

己の存在理由を見失っているんだ。

 

ブリテンの為と信じて今日まで積み重ねてきた努力が、全ては『あれ』の道楽の為だったのだから。

 

助けよう。

 

全力で。

 

例えそれでこの地に滅びを招こうとも構わない。

 

そうなると『あれ』とは相容れない形になるが…まぁ、いいか。

 

俺はハッキリと『あれ』が嫌いだ。

 

なにより『あれ』が王を語るのが気に入らない。

 

ギルガメッシュが侮辱されている様に感じるんだ。

 

うん、そうと決めたら先ずは…『あれ』の力を封じるとしようか。

 

 

 

 

side:アルトリア

 

 

ズンッとまるで地が揺れたかの様に感じた私は、呆然としていた気を取り戻しました。

 

そして音がした方に目を向けると、またもやマーリンが気を失っていました。

 

「えっと…ゼン?」

「あぁ、気にしなくていいよ。『これ』の力を封じただけだから。」

 

力を封じた?

 

「どういう事でしょうか?」

「魔術を使えない様に封じたのさ。これから邪魔になるし、なにより俺は『これ』が嫌いだからね。」

 

床に倒れているマーリンを指差しながら彼はそう言います。

 

私はどう反応を返したらいいのでしょうか?

 

「ゼン様、我々はどうすればいいのでしょうか?このままブリテンは滅びるしかないのでしょうか?」

 

養父の言葉で皆の目がゼンに向きます。

 

「この地の現状を詳しく見て回ったわけじゃないからなんとも言えないけど、少なくともブリテンが滅びるのは変えられないだろうね。」

 

その言葉で養父が気落ちしたのがわかります。

 

騎士として仕えた国が滅ぶのですから仕方ないでしょう。

 

「まぁ、滅ぶのが変えられないのなら、より良い滅び方を選ぶべきだろうね。」

「より良い滅び方ですか?」

 

首を傾げながら問うと、ゼンが頭を撫でてくれます。

 

それだけで先程までの沈んだ気持ちは上向いてきました。

 

「さっきも言ったけど、この地の現状を詳しく見てないからなんとも言えない。でもより良い形でこの地を次代に繋ぐ猶予は残っていると思うよ。上手くいけば、騎士の誇りも次代に残せるかもしれないね。」

 

騎士の誇りを次代に残す…。

 

私達は家族で顔を見合わせると、力強く頷いたのでした。




次の投稿は11:00の予定です。


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第228話

本日投稿3話目です。


side:アルトリア

 

 

私達がブリテンをより良い滅びに導くと決意をした次の日、私はゼンに連れられてこの地の見聞の旅に出掛けました。

 

この旅の目的はブリテンをより良い滅びに導く為にはどうすればよいのかを見極める事ですね。

 

ゼンの腕に包まれ、哮天犬に乗っての旅はとても素敵です。

 

まるで村や町の少女達が話す、『白馬の騎士』に抱かれる『お姫様』になった気分を味わえるのですから。

 

また道中ではゼンから剣の指導を受けています。

 

ゼンが言うには、私には『戦場の剣』が合っているそうです。

 

戦場の剣は敵を殺すだけでなく、生き残る事にも長けた剣だそうですね。

 

指導の一環としてゼンと手合わせをしました。

 

彼は凄く…いえ、もの凄く強いです。

 

剣を合わせた瞬間、しっかりと持っていた筈の剣を手放させられたり、地面に転がされたりしてしまいます。

 

どうなっているのでしょう?

 

ゼンが言うには、なんでも『武の理』だそうです。

 

才ある者ならば100年もあれば至れるそうですが、長生きでなければ人は50年程で寿命を迎えるので無理だと思います。

 

その事を言うと、『あぁ、漢方が無い中華の外の国では、人の寿命はそのぐらいだったね。忘れてたよ。』と言いました。

 

私も人の事は言えませんが、ゼンも世間に疎いところがあるようですね。

 

旅の道中では色んな事を知ることが出来ました。

 

その知った事の一つが、ブリテンを含めたこの地はとても貧しいという事です。

 

作物の実りが悪く、飢えてしまう民も多くいます。

 

その飢えた民を食べさせる為に近場の国に戦を仕掛けるのですが、戦をするにも食べ物が必要です。

 

そして戦をする為の食べ物を買うために借金をしているというのが、この地の多くの国の現状でした。

 

…どうやって治めればいいのでしょうか?

 

まだまだ浅学の身ではありますが、私にも治めるのは無理だと思います。

 

マーリンは力で統べればいいと言っていましたが、力で敵を降せば食べる為に奪うのですよね?

 

そんな事をして、民が従ってくれるとは思えないのですが…。

 

思わずため息が出てしまいます。

 

そうそう、旅の道中で立ち寄った国で姉であるモルガンと出会いました。

 

私は父と母の因子を使ってマーリンに造られた存在です。

 

母に産んでいただいたわけではないので、彼女を姉と呼んでいいのかわかりませんでした。

 

ですが彼女は私を妹と呼び、自身を姉と呼んでいいと言ってくれました。

 

とても嬉しかったです。

 

姉はロット王の妻です。

 

そんな姉はとある時に母と共に暴行されかけたのですが、そこをロット王に助けられて一目惚れしたそうです。

 

それから姉は母に手助けをしてもらいながら、ロット王の心を射止めたのだとか。

 

現在ではロット王の子を産んでおり、夫や子供と共に幸せに暮らしているとのこと。

 

母は残念ながら亡くなってしまっているそうですが、初孫の顔を見て満足して逝ったそうです。

 

しかし、私は成人してもいないのに甥っ子がいるのですか…。

 

なんだか複雑な気分ですね。

 

周囲の国と比較して裕福な姉の国でゼンと一緒に歓待を受けた私は、彼女達に別れを告げて卑王と呼ばれる王の元に向かったのでした。

 

 

 

 

side:アルトリア

 

 

「初めましてだね、白き竜の化身。俺はゼン。少し話したい事があったから寄らせてもらったよ。」

 

ゼンが名乗ると、卑王ヴォーティガーンは養父や義兄と同じ様に最敬礼をしました。

 

「我に何用でございましょうか?放浪の神ゼン様。」

 

放浪の神ゼン?

 

えっと…たしかケルトの伝説だけでなく、メソポタミアやギリシャの神話にも名を残している神ですよね?

 

えっ?ゼンは放浪の神ゼンだったのですか?

 

私が混乱している間も二人の会話は続いていきます。

 

「白き竜の化身となり、この地の意思を感じ取る事が出来る様になった君なら、この地に神秘が集束しているのは気付いているんじゃないかい?」

「おっしゃる通りでございます。故に我は、この地の神秘の存在を守る為に奔走してきました。ですが、それをあの憎き花の魔術師に邪魔されてしまったのです。しかも花の魔術師は在らぬ噂を流し、我は人々に卑王と呼ばれる様になってしまいました。」

 

…マーリンは何をやっているのでしょうか?

 

「花の魔術師?」

「えっと…ゼン、様?」

「今まで通りにゼンでいいよ、アルトリア。」

「はい、ありがとうございます。ゼン、花の魔術師とはマーリンの事です。」

 

花の魔術師が誰かわかると、ゼンは「あぁ、『あれ』の事か。」と納得しました。

 

「白き竜の化身、『あれ』は君の邪魔をした事を何か言っていたかい?」

「なんでも理想の王には敵が必要だとか。その為に奴めは魔術で約束の地に至る道を閉ざし、神秘の存在を約束の地に行かせずにこの地に残したのです。」

 

本当にマーリンは何をやっているのですか!

 

私は旅に出てから何度目になるかわからないため息が出てしまいます。

 

「事情はわかったよ。さて白き竜の化身よ、約束の地を解放するから案内してくれるかい?」

「喜んで承りましょう。」

 

こうして私達は卑王と呼ばれるヴォーティガーンと一緒に、アヴァロンの解放に向かうのでした。

 

…マーリンのせいでブリテンが滅ぶ様な気がするのですが、気のせいでしょうか?




これで本日の投稿は終わりです。

また来週お会いしましょう。


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第229話

本日投稿1話目です。


side:アルトリア

 

 

ヴォーティガーンに案内されると、虚空に違和感を感じる場所にたどり着きました。

 

どうやらここがアヴァロンへと至る道が封じられた場所のようですね。

 

どうやって解放するのかと思っていると、いつの間にか剣を持っていたゼンが横に一閃しました。

 

すると、マーリンが施した魔術が断ち斬られていました。

 

魔術ってこんな風に断ち斬れるものでしたっけ?

 

「これでいいかな?」

「ありがとうございます。放浪の神ゼン様。これでこの地に生きる神秘の存在が救われます。」

 

最敬礼するヴォーティガーンの姿に私は呆然としてしまいます。

 

こんなあっさりと解決していいのでしょうか?

 

「白き竜の化身、俺はブリテンをより良い滅びに導く為にこの地を見聞しているのだけど、誰か会っておいた方がいい者はいるかい?」

「それならば湖の乙女に会われるのがよいでしょう。以前はフランスにいた彼女が、花の魔術師が蠢動してからは何度かこの地に訪れています。彼女も花の魔術師に何かをされたと愚考します。」

 

こうして私とゼンはヴォーティガーンの助言に従い、湖の乙女に会いに行くのでした。

 

 

 

 

side:アルトリア

 

 

「初めましてだね、湖の精の化身。俺はゼン。白き竜の化身の薦めで会いに来たんだ。」

 

ゼンの挨拶を受けた湖の乙女と思わしき女性は最敬礼をしました。

 

「御会いできて光栄でございます、治水の神様。」

 

治水の神?

 

ゼンは放浪の神では?

 

そう思っているとゼンが話してくれました。

 

なんでもゼンは『治水の権能』を持っているので、本来は治水の神なのだそうです。

 

それが世界中を放浪している内に、放浪の神と呼ばれる様になったのだとか。

 

しかも治水の神だけでなく武神でもあるそうです。

 

武神とは軍神と似ている様なのですが、より個の力が優れた戦いの神だそうです。

 

なるほど、マーリンでも手も足も出なかったわけがわかりました。

 

私が一人で納得していると、ゼンが湖の乙女にマーリンの事を問い掛けていました。

 

すると湖の乙女が訴え出しました。

 

彼女の言葉を要約すると、マーリンは幾つもの宝具(ほうぐ)を彼女から盗んだそうです。

 

聖剣を始めとして空を飛べる盾や、幻想種すら滅ぼす槍も盗まれたとか。

 

彼女は自身が養育している少年に与えたいと思っていた物もあるので返して欲しいそうです。

 

「『あれ』が王の選定に使うつもりだった剣だけくれるかい?それ以外は返してあげるよ。」

 

そう言うとゼンは虚空から数多の武器を取り出しました。

 

一目見てそれらがただの武器ではない事がわかります。

 

湖の乙女は嬉しそうに微笑みながら武器を回収していました。

 

ゼンはいつの間にマーリンから取り返していたのでしょうか?

 

聞いてみると、なんでもちょっと特徴的な鳴き方をする獣と知り合った哮天犬が持って帰ってきたそうです。

 

どうもその獣はマーリンの事を嫌っていたようで、彼を打倒したゼンの為に嬉々としてマーリンが集めた物の所に哮天犬を案内したそうです。

 

獣にすら嫌われるマーリンですが、今では憐れみすら覚えませんね。

 

彼が犯した罪に対する罰が降ったのでしょう。

 

湖の乙女が武器を回収し終わると、フランスまで赴いて彼女が養育しているという少年と会う事になりました。

 

少年の名はランスロットと言うそうです。

 

彼女が言うには、彼は才能豊かで英雄になれる素質があるそうです。

 

ですが異性に対する敬意が強すぎる為、それによる失敗を起こさないか心配だそうです。

 

彼と挨拶をしたのですが、男装をしていた為か彼は私を異性と認識しませんでした。

 

…いいでしょう。

 

その喧嘩、買わせていただきます!

 

こうして私はランスロットと手合わせをしました。

 

三度の手合わせの内、二度引き分けて一度勝利しました。

 

ゼンの指導を受けていなければ負けていたと思います。

 

今後も指導を受けていきましょう。

 

 

 

 

side:ランスロット

 

 

私を引き取って養育している湖の乙女が見知らぬ客人を連れて帰ってきた。

 

一人の成人男性と…少年?から挨拶を受ける。

 

騎士として返礼をすると、何故か少年から怒りの気配を感じた。

 

何故だろうか?

 

疑問に思っていると、少年が手合わせを申し出てきた。

 

湖の乙女と男性が承諾したので、私は少年と剣で手合わせをした。

 

少年は強かった。

 

一合、二合と剣を交え、互いに勝利を掴み取るべく駆け引きをしていく。

 

楽しかった。

 

一度目の勝負は引き分け、二度目も引き分け。

 

そして三度目…紙一重で私は負けた。

 

あと一呼吸…いや半呼吸速く反応出来ればこの負けはなかった。

 

悔しかった。

 

だが、それ以上に楽しかった。

 

いつかの再戦を約束すると、少年は男性と共に去っていった。

 

湖の乙女に話を聞くと、あの少年はブリテンの者らしい。

 

ブリテンはフランスから北の海を渡った先にある国だ。

 

いいだろう。

 

敗者から訪ねるのが礼儀だ。

 

修行を重ね、湖の乙女が認める騎士になれたその時にはブリテンに行こう。

 

湖の乙女はかの地の動乱は増々深まると予想している。

 

ならば騎士として武勲を得る場には困らない。

 

さぁ、湖の乙女よ。私を鍛えてくれ。

 

騎士として恥じぬ様に、騎士として誇れる様に。

 

かの地からここフランスにまで武名を轟かせる事が出来る様に。

 

それが叶うのならば、如何様な修行にも耐えてみせよう。

 

少年よ、待っていてくれ。

 

いつの日か一端の騎士になったその時、私は胸を張って君に再戦を申し込もう。




本日は3話投稿します。

次の投稿は9:00の予定です。


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第230話

本日投稿2話目です。


side:アルトリア

 

 

フランスからブリテンに戻った私とゼンは、養父と義兄を交えて今後の事を話し合います。

 

「やはりこの地は貧しいね。神秘の影響も大きいけど、それと同時に農の技術も不足している。」

「私もそれは感じました。少し見ただけですが、フランスではこの地程に飢えはない様に思いました。」

 

私達の言葉に養父と義兄が唸り声を上げます。

 

二人ともこの地が裕福ではないと知っていた様ですが、海の外の事までは知らなかった様ですね。

 

「ゼン様、ブリテンをより良い滅びに導くにはどうすれば…?」

「俺の見立てでは問題は3つ。1つは農の技術の普及。神秘やこの地の動乱の影響があるから一朝一夕には終わらないだろうね。」

 

養父の問いにゼンはそう答えました。

 

ゼンがそう言うのならばかなりの難事なのでしょう。

 

ブリテンが滅びるまでに成せるのでしょうか?

 

「2つ目の問題はローマだ。これは特に大きな問題だね。今はこの地を取っても大した旨みがないから放置されているけど、ブリテンをより良い滅びに導く過程で旨みを見出だされたら、間違いなくローマはこの地に介入してくるだろうね。」

 

ゼンとの見聞の旅で知ったのですが、周辺諸国の中で最も大きな国がローマです。

 

技術、経済、兵力、文化のどれを取っても桁外れでした。

 

ローマを知った今では、この地の貧しさがより一層際立って見えてしまいます。

 

ブリテンがこの地を統べたとして、マーリンはローマをどうするつもりだったのでしょうか?

 

おそらくは何も考えてなかったのでしょうね。

 

今ならわかります。

 

マーリンの考える理想の王ではどうにもならなかったと。

 

…そういえば、マーリンはどうしたのでしょうか?

 

「養父上、義兄上、マーリンは?」

「出ていった。」

 

義兄が鼻息荒く一言で答えます。

 

そんな義兄をたしなめて、養父がしっかりと答えてくれました。

 

「アルトリア、お前がゼン様と見聞の旅に出た後にマーリンは目覚めたのだが、そこでマーリンは我々に今一度お前を理想の王にする様に話してきたのだ。」

 

それは…。

 

「もちろん断った。」

 

養父の言葉に安堵の息を吐きます。

 

「だが、我々が断るとマーリンは実力行使に出ようとした。」

「大丈夫だったのですか?いえ、今の御二人を見れば無事だとはわかるのですが…。」

 

養父が不敵に笑います。

 

「如何に戦場を離れて久しいといえど、ゼン様に魔術を封じられ身体強化すら出来ない魔術師に遅れを取る程、私は衰えたつもりはないぞ。まぁ、マーリンを打ち据えた時にどこからか変な獣の鳴き声が聞こえたがな。」

 

養父は誇らしげに胸を張っています。

 

義兄はそんな養父を見て苦笑いです。

 

「ゼン様、そういうわけでマーリンは捨て置いたのですが…よろしかったでしょうか?」

「封じた状態でも魔術を使う方法はあるからね。出来ればヴォーティガーンか湖の乙女に預けて、『あれ』を外界から隔離しておきたかったかな。」

 

ゼンの言葉を受けて、養父が謝罪の為に頭を下げました。

 

「申しわけありません。浅はかな行動でした。」

「いざとなれば哮天犬に捕まえてきてもらうから気にしないでいいよ。哮天犬の鼻からは、たとえ神でも逃げられないからね。」

 

ゼンに誉められた哮天犬が嬉しそうに尻尾を振っています。

 

撫でてあげましょう。

 

…むっ?

 

私が撫でると、哮天犬は尻尾を振るのを止めてしまいました。

 

残念ながら、私はまだ哮天犬に認められていないようですね。

 

いいでしょう。

 

いずれ必ず認めさせてみせます。

 

「さて、とりあえず『あれ』の事は置いておくとして、3つ目の問題は異民族がこの地に侵略してきている事だね。たしかピクト人とサクソン人だったかな?」

 

ゼンの言う通りに、この地はピクト人とサクソン人から侵略を受けています。

 

奴等は村や町を襲うと、食料を奪い女を攫います。

 

後に残るのはボロボロにされた村や町跡のみ。

 

故にこの地に在る各国は、借金をしてまで軍備を整え奴等を討とうとしているのです。

 

「これらの問題を解決するには、一度この地を統べる必要があるかな。この地を統べて農の問題と異民族の問題を解決する。そしてローマに目をつけられる前に統べた国を解体。これが理想的な形だろうね。」

 

国を統一し、農の問題を解決して、更に異民族を排すればこの地を豊かになるでしょう。

 

ですが、この地が豊かになればローマが黙っていません。

 

かの国は大国です。

 

如何にこの地が裕福になっても国力が違い過ぎます。

 

抗ってもあっという間に潰されてしまうでしょう。

 

そこで統一した国を解体し、現在の小国群に戻してしまうのです。

 

統一された国ならば王一人を降すか倒せば戦は終わります。

 

ですが小国群ならばどうでしょうか?

 

一国一国に調略や侵略をするのは非常に手間が掛かります。

 

更に海という大きな隔たりがある以上、例えこの地の支配者にローマ人を据えても反逆等に気を付けねばなりません。

 

労が多くその後が大変なのです。

 

なのでローマの脅威にならぬ小国ならば放っておくと考えても不思議ではありません。

 

ここまでして漸くこの地に平穏が訪れるのです。

 

もちろんその様な事は関係なく、この地はローマに支配されてしまうかもしれません。

 

ですが、これ以上の事は私達では考えられません。

 

これが最善なのでしょう。

 

それにマーリンの考えではたとえ内部争いで滅ばずとも、確実にブリテンはローマに滅ぼされてしまったでしょう。

 

理想の王などという救いのない役目を背負わずに済んで本当によかったです。

 

「ゼン様、神秘の影響とおっしゃられていましたが、それはどうなさるのでしょうか?」

「神秘は俺の方でなんとかするから気にしないでいいよ。元々この地に来た理由はそれだからね。」

 

養父の問いにゼンは気軽に答えました。

 

ゼンが言うなら本当になんとかするのでしょうね。

 

そうなると…。

 

「私達はこの地を統一する事を考えればいいのですか?」

「そうだね。ロット王や白き竜の化身の力を借りれば、この地の統一はさほど難しくはないと思う。俺の見立てでは10年もあれば終わるよ。それよりも農の技術の普及と異民族の排除の方が問題だ。これは色々と時間が掛かる。それこそ孫の代までかかる難事だろうね。」

 

ブリテンをより良い滅びに導くのは三代に渡る難事ですか…。

 

正直に言って、そこまでブリテンの状況が酷いとは思いませんでした。

 

ですが騎士の誇りを残す為ならば、それほど悪い苦労ではないと思います。

 

「さて、ここまではいいかい?それで君達に聞きたいんだけど、この地を統一する王は誰にするかな?」

 

その言葉を受けて、私達は首を傾げました。

 

「ゼンが決めるのではないのですか?」

「君達は騎士の誇りを残したいのだろう?ならば神の言葉であろうと流されずに、君達自身で決断するべきだ。まぁ、ここまで関わった以上は手助けするけどね。」

 

私達家族は顔を見合わせます。

 

ゼンの言う通りだと思いますが、王を誰にするかなど直ぐに決断出来るものではありません。

 

「ロット王に頼むもよし。モルガンの子…つまりアルトリアの甥に頼むもよし。ヴォーティガーンに頼むもよし。あるいは…。」

 

そう言ってゼンは私を見てきます。

 

後で思い返せばこの時に決めていたのかもしれません。

 

マーリンに言われるがまま誰かの為に王になるのではなく、私自身の意思で王になるのだと。

 

後世ではブリテンを滅ぼした愚かな王と蔑まれるかもしれません。

 

たとえそうだとしても、私は誰に憚ることなく堂々と胸を張ります。

 

何故ならこれは、私が自らの意思で踏み出した第一歩なのですから。




次の投稿は11:00の予定です。


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第231話

本日投稿3話目です。


side:アルトリア

 

 

自らの意思で王となると決めてからの日々は充実していました。

 

いえ、ゼンと出会ったあの瞬間から、私の生は充実し始めたのでしょう。

 

養父や義兄とよく話す様になりました。

 

以前の様に王と臣下ではなく、家族としてです。

 

ある時、養父が私と義兄に剣の指導をしてくれました。

 

その時に手合わせをしたのですが、義兄には勝てましたが養父には負けてしまいました。

 

私には竜の因子があるので呼吸をするだけで魔力を造り出せます。

 

それを利用した身体強化や魔力放出による踏み込みは、まだ成人していない女の私でも並みの騎士を優に超える事が出来ます。

 

この身体強化や魔力放出はゼンが教えてくれました。

 

まだ魔力放出が雑なのでゼンの『瞬動』の様にスムースに踏み込めませんが、それでも義兄は反応出来ずに私に剣を突き付けられていました。

 

ですが養父には通じませんでした。

 

魔力放出を使って踏み込んだら、剣の柄で軽く頭を叩かれてしまったのです。

 

あっさり対処されてしまって最初は呆然としましたが、マーリンが魔術を使えない状態だったとしても、あのマーリンを退けた騎士なのです。

 

これだけ強くても不思議ではありませんでした。

 

養父曰く『戦場を五つも越えれば誰でも出来る様になるものだ。』そうです。

 

サクソン人やピクト人との戦で五度も五体無事で生き残るのは並み大抵の事ではありません。

 

それを当たり前の様に言う養父は、ウーサーに仕えた騎士の中でも名うての使い手だったのでしょう。

 

その様な感じでその日は終わったのですが、翌日から義兄が以前よりも剣の鍛練に励みだしました。

 

元々、義兄は王となった私を政で支える予定だったのですが、義妹の私にあっさりと負けてしまった事が堪えた様です。

 

この義兄の発奮に養父は嬉しそうでした。

 

3日に一度程ですが、私は哮天犬に乗って姉のモルガンを訪ねています。

 

ロット王から王として必要な諸々の事を学ぶ為ですね。

 

甥とも遊んでいます。

 

とても楽しいです。

 

そんな充実した日々ですが、一つだけ足りないものがあります。

 

それは…ゼンがいない事です。

 

この地に集束する神秘をどうにかする為に動いているゼンはとても忙しい身です。

 

なので中々会えないのはわかっているのですが、もっと会いたいです。

 

…いえ、ずっと一緒にいたいと思います。

 

この気持ちが何なのかはわかります。

 

まだ成人していませんが、私も女ですからね。

 

ですが…許される事なのでしょうか?

 

相手は神です。

 

対して私は、人と言えるかどうかわからない造られた存在…。

 

最近はその事ばかり悩んでいます。

 

そんなある時、私は思いきって姉に相談したのでした。

 

 

 

 

side:アルトリア

 

 

「そう、アルトリアはゼン様に恋をしているのね。」

「…はい。」

 

姉にはっきり恋と言われ、顔が熱くなります。

 

一応、自覚はしていたのですが…こうして改めて言われると来るものがありますね。

 

「それで?アルトリアはどうしたいのかしら?」

 

姉が首を傾げると揺れます。

 

私には無いものが揺れます。

 

…くっ!

 

「…どうしたいと言われましても、許されるものなのでしょうか?」

「はぁ、そんな事で悩んでいたの?アルトリアは初心ね。可愛いわ。」

 

真剣に悩んでいるのにそんな事と言われ、少しムッとしてしまいます。

 

決してため息を吐いた姉の一部が揺れたからではありません。

 

「アルトリア、神話は知っているかしら?」

「幾つかなら。ケルトの伝説、メソポタミア神話、ギリシャ神話といったところでしょうか。」

 

この3つにはゼンが登場します。

 

だからというわけではないですが、以前から養父に聞いていました。

 

ゼンに出会ってからは更によく聞いていますが…。

 

「そう。なら知っているでしょ?人と人ならざる者が結ばれた話をね。」

「そ、それは知っていますが…。」

 

有名なところでは人の王であるギルガメッシュ王と、神の使いであったエルキドゥが結ばれた話でしょうか。

 

他にもケルトの伝説では影の国の女王であるスカサハと、太陽の御子と呼ばれるセタンタの息子のコンラが結ばれた話がありますね。

 

「なら戸惑う必要はないでしょう?」

「えっと、いいのでしょうか?」

「いいの!恋は戦争なのよ!勝者こそが正義なの!」

 

えっと、村娘がしていた恋の話は、もっと夢のあるものだったような…。

 

戸惑っていると姉がズイッと近付きました。

 

笑顔なのに何故か歴戦の騎士の様な迫力があります。

 

「アルトリア、想像してごらんなさい?ゼン様の隣に寄り添う自分を。」

 

…とてもいいですね。

 

「想像してごらんなさい?ゼン様に抱き締められる自分を。」

 

…素晴らしいです。

 

「うん、恋する乙女の顔だわ。」

 

えっ?私はどんな顔をしていたのでしょうか?

 

「アルトリア、遠慮していたらその幸せは掴めないわ。貴女には王となって成すべき事があるけれど、それと女の幸せは別の問題よ。誰に遠慮することなく幸せになりなさい。」

「はいっ!」

 

姉の言葉で迷いが吹っ切れました。

 

私はゼンが好きです。

 

もう迷いません。

 

この想い…遂げてみせます!

 

ところで姉上、どうしたらその様に成長するのでしょうか?

 

私は根掘り葉掘り聞き出します。

 

そしてこの後、私は王や騎士として成長するべく励むと共に、女としても自身を磨いていくのでした。




これで本日の投稿は終わりです。

また来週お会いしましょう。


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第232話

本日投稿1話目です。


side:アルトリア

 

 

王としての諸々を学び、甥達と遊び、家族と語らい、そして己を磨いていく日々はあっという間に過ぎていきました。

 

そんな日々で私は成長しました。

 

今では私も15歳の大人です。

 

姉上の様に背は伸びませんでしたが、男装をしていても男と間違われる事はなくなりました。

 

剣を振るうと揺れるのです!

 

重みを感じるのです!

 

これは正に勝者の重みというやつでしょう。

 

15歳となった私は今、ブリテンのとある丘に来ています。

 

この丘には王の選定の剣が突き刺さっているのです。

 

1年前、ウーサーは亡くなる前に後継者の事を言い残しました。

 

『選定の剣を抜いた者が次の王である』と。

 

私達がマーリンと決別したと知らぬ故に、ウーサーは事前に決められていた通りに言い残したのですが、少しだけ哀れに思います。

 

この選定の儀はブリテンをより良い滅びに導く為に利用されるのですから。

 

ブリテンに住むあらゆる者が選定の儀に挑戦しましたが、誰も選定の剣を抜けませんでした。

 

それもそうでしょう。

 

何故なら選定の剣にはマーリンの手で、『赤き竜の因子を持つ者のみが所持者となれる』という呪いがかけられているのですから。

 

赤き竜の因子を持つ者…それはブリテンだけでなく、この地全てを含めても私しかいません。

 

この事を知らねば選定の剣を抜いた者に人々が何かを感じるかもしれませんが、知る身としてはただのやらせでしかありませんね。

 

今も屈強な身体を誇る男性が選定の剣を抜こうと奮闘しています。

 

周囲には彼の挑戦を見届けようと人々が集まっていますね。

 

彼が選定の剣の引き抜きを諦めたのを見届けた私は、人々の囲みに向かって歩みを進めようとします。

 

すると…。

 

「アルトリア、本当にいいのかい?」

 

その言葉を耳にして振り返ります。

 

そこにはゼンとケイの姿がありました。

 

「あの剣を抜けば君は不老の存在になる。今ならその呪いも消すことが出来るよ。」

 

選定の剣『カリバーン』には3つの呪いがかけられていました。

 

1つ目は『赤き竜の因子を持つ者しか所持者になれぬ』というもの。

 

2つ目は『術者が任意で剣を自壊させられる』というもの。

 

そして3つ目が『所持者となった者を不老にする』というものです。

 

この3つの呪いの内、2つ目はゼンが消しています。

 

マーリンが2つ目の呪いをかけた理由はおそらく、私が彼の思惑とは違う行動をした時に戒めるためのものだったのでしょう。

 

…もしまた出会う機会があったら全力でカリバーンを叩き込みましょう。

 

3つ目の呪いもゼンが消そうかと言ったのですが、私はそれを拒みました。

 

理由は譲れぬ思いがあるからです。

 

「構いません。」

「不老の存在になれば、いずれは親しい者達と別れる事になる。それでもいいのかい?」

「…はい。」

 

姉上や養父、義兄に甥達と別れるのを想像すると本当に寂しいと思います。

 

ですが、それでも譲れぬ思いがあるのです。

 

「わかったよ。では、これを君に贈ろう。」

 

ゼンが何かを差し出してきます。

 

これは…。

 

「鞘ですか?」

「選定の剣はアルトリアの物になる。抜き身では格好がつかないだろう?だから鞘を造ったんだ。この地に集束している神秘を使ってね。真名は『アヴァロン』。この地に存在する約束の地の名を冠させてもらったよ。」

 

この鞘は所持者の魔力が尽きぬ限り不死に近い再生を与えるそうです。

 

「『真名』を解放すれば、その鞘は盾にもなる。以前に見た幻想種をも滅ぼす槍の一撃も防げるし、アルトリア次第では天地を乖離する一撃でも生き残れるだろうね。」

 

それほどの逸品を当然の様に造ったと言わないでもらいたいものです。

 

でも…それがゼンですからね。

 

「ゼン、ありがとうございます。」

「女の子に贈る物としては不粋かもしれないけどね。」

「ふふ、では1つ願いを聞いていただけますか?」

「なんだい?」

 

私の願い。

 

それは…。

 

「何十年、何百年掛かるかわかりません。ですが、ブリテンをより良い滅びに導いたら、私を貴方の女にしていただけますか?」

 

ゼンが驚いた表情をしています。

 

こんな表情の彼も愛しいですね。

 

「…あぁ、いいよ。」

 

暖かな笑みを浮かべながら、そう言ってくれます。

 

私の心を救ってくれたあの笑みです。

 

「もしかして、不老になる呪いを解くのを拒んだのはこれが狙いだったのかい?」

「えぇ、そうです。」

「出会った時はまだまだ子供だったのに、いつの間にか強かな女になっていたなんてね。」

 

少し困った様に笑うと、ゼンは右拳を左手で包み込みました。

 

「これは俺が住む地での礼でね。『包拳礼』って言うんだ。」

 

そう言ったゼンはこれまで見た事が無い真剣な表情になりました。

 

そして…。

 

「姓は楊、名は二郎、字はゼン。君の想いを受け入れる証しとして、俺の名を預けよう。」

 

胸が暖かい想いで包み込まれます。

 

彼に認められた。

 

想いを受け入れてくれた。

 

その嬉しさが、私に涙を流させます。

 

ゼンの…いえ、二郎の胸を借りてしばらく涙を流しました。

 

いつまでもこうして彼の胸に抱かれていたいですが、涙を拭って顔を上げました。

 

そして彼から一歩離れた私は胸に手を当て、彼の目を見て想いを告げます。

 

「二郎、貴方を愛しています。」

 

その後、丘を登り選定の剣を抜いた私は、ブリテンの後継者となったのでした。

 

 

 

 

『アーサー王伝説』

 

ブリテンに伝わる英雄の物語である。

 

アルトリア・ペンドラゴンことアーサー王は、動乱渦巻く当時では珍しい女性の王だった。

 

先代の王であるウーサーが亡くなり選定の儀が行われると、彼女は丘に刺さった剣を引き抜きブリテンの王の後継者たる証を手にした。

 

そして選定の儀を見守っていた民衆を前に高らかに宣言したのだ。

 

『私の名はアルトリア・ペンドラゴン!女である私に仕えるに値しないと思う者はブリテンを去るがいい!だが、ブリテンのみならずこの地を救いたいと思う者は私の下に馳せ参じよ!さすれば動乱渦巻くこの地に安寧をもたらす栄誉と共に、騎士の誇りは未来へと受け継がれるであろう!』




本日は3話投稿します。

次の投稿は9:00の予定です。


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第233話

本日投稿2話目です。


side:アルトリア

 

 

ウーサーの後継者の証しとなるカリバーンを腰に帯びた私は、二郎とケイを伴ってブリテンの城に入城しました。

 

城には苦虫を噛み潰した様な表情をした有力者達がいましたが、それも仕方ない事でしょう。

 

彼等は自身や己の息が掛かった者を、ブリテンの王とするべく動いていたみたいですからね。

 

王として玉座に座った私が先ずした事は私自身とケイ、そして二郎の紹介でした。

 

私は自身をウーサーの子であると紹介すると、有力者達は半信半疑の様子でした。

 

血の証明などそう簡単に出来るものではないので、こういったものはある意味で名乗った者勝ちのところがあります。

 

なので彼等の様子も仕方ない事でしょう。

 

ケイは私の義兄であり、ブリテンの政を仕切らせると紹介しました。

 

これには有力者達が露骨に嫌悪感を出していますね。

 

聞こえないと思っているのか『あんな若僧が』などと言っています。

 

政が出来る出来ない以前に、彼等よりも人として圧倒的に信頼出来るのです。

 

ケイに任せなければ安心して外征に出れませんので、これは決定事項ですね。

 

そして二郎の事は『魔術師ゼン』と紹介しました。

 

これはヴォーティガーンから『ゼン様が放浪の神であると知られたら、ブリテンだけでなく海の外からも良からぬ輩が現れるであろうな。』と言われたので、この様な形を取りました。

 

『魔術師ゼン』の主な役目は私達への助言です。

 

有力者達は二郎の事をケイに比べて好意的に受けとめています。

 

魔術師とは魔術だけでなく、常人とは比べ物にならない知識を有していると認識されています。

 

故にその知識は自分達にも利があると思ったのでしょう。

 

それは間違いではありません。

 

何故なら二郎がもたらす技術や知識を広めれば、この地は今とは比べ物にならない程に豊かになれるのですから。

 

民を飢えさせない為にも、これは必ず成し遂げねばなりません。

 

もちろん個人的事情の為にも成し遂げますが…。

 

さて、有力者達への挨拶を終えた私は、ケイに頼んで今のブリテンの状況を調べてもらいました。

 

調べてもらった結果なのですが…思った以上に酷いものでした。

 

各所からの借財をまとめると、今のブリテンの税収では返済に百年かかってしまいます。

 

何故こんなにあるのでしょうか?

 

ケイが詳しく調べたのですが、どうもウーサーが亡くなってから一気に増えた様です。

 

ウーサーが選定の儀を言い残して没すると、有力者達は次の王となるべく動き出しました。

 

自身や家の者で駄目なら、選定の剣を引き抜けそうな優秀な者を買収して養子にしたりしたそうです。

 

その買収をする為の財はブリテンの名を使って借りたとの事。

 

そうして借財は積もりに積もって、気付けばブリテンの税収の百年分になったと。

 

しかも後継者争いをしている間、ピクト人とサクソン人を野放しにしたので、ブリテンは今までに無いぐらい荒れてしまっているそうです。

 

…彼等を叩き斬っていいでしょうか?

 

ケイと本気で相談していると二郎に止められてしまいました。

 

二郎が言うには『あんな連中でもいなくなれば政が回らなくなるよ』だそうです。

 

残念ですが、そういう事ならば諦めましょう。

 

ですが可能な限り早く、彼等に代わって政を任せられる者を集めましょう。

 

まぁ、今のブリテンの状況を知って来てくれる者がいるかはわかりませんが…。

 

ケイと揃ってため息を吐いてしまいます。

 

二郎との約束がなければ、私は戸惑うことなく王の座を辞していたでしょう。

 

ですが、私は投げ出しません。

 

恋する乙女の覚悟はこんな程度で揺らぎません。

 

たとえ千年掛かろうとも、必ずブリテンをより良い滅びに導いてみせます!

 

 

 

 

side:アルトリア

 

 

ブリテンの王になってから半年が過ぎました。

 

多すぎる借財に頭を悩ませながらなんとか政をこなしていきました。

 

そしてロット王からの援助もあって、やっと形だけですが軍を整える事が出来ました。

 

千人程度の小さな一軍ですが、これが私が初めて率いる一軍になります。

 

軍馬も弓も無い一軍ですが不満は言いません。

 

何故ならブリテンにはお金が無いんです。

 

お金が無いんです!

 

軍馬を育てるのにどれだけお金が掛かるかわかりますか?

 

そんな軍馬を育てるお金があるなら、少しでも借財の返済や民に食料を与えなければならないのです。

 

それがブリテンの現状です。

 

ですが、これで漸くピクト人やサクソン人の対処に動く事が出来ます。

 

小さな一歩ですが、ブリテンをより良い滅びに導く為の大事な一歩ですね。

 

そう思っていた時期にとある人物がブリテンを訪ねて来ました。

 

その人物とは…。

 

「ブリテンの王に拝謁賜り光栄でございます。私はランスロット。フランスより参りました。」

 

そう、数年前にフランスで出会ったランスロットです。

 

形式的な挨拶ですが、彼は見事な所作でこなしています。

 

謁見の間にいる者達は彼の所作を見て感嘆のため息を溢していますね。

 

「面を上げよ。」

 

私自身違和感がありますが、王として言葉を発します。

 

顔を上げたランスロットは僅かに驚いた様な表情をしていますね。

 

どうやら私が女だと気付いたようです。

 

「数年振りですね、ランスロット。ブリテンを訪ねてくれて嬉しいですよ。」

 

ランスロットと知己であると周囲に報せるべく、あえて個人として話します。

 

それを受けてランスロットも不敵な笑みを見せました。

 

「えぇ、久しいですね、アーサー。」

「それで、如何様な理由でブリテンに?」

「この地で最も荒れている場を求めて参りました。ピクト人やサクソン人との戦いに事欠かず、己次第で武勲は思うままと愚考致しました故。」

 

彼の言葉は間違っていません。

 

今のこの地でブリテン以上に荒れている所は無いでしょう。

 

その理由が後継者争いのせいというのがなんとも情けないですが…。

 

「では、私の旗下に加わると?」

「末席を御貸し頂ければ…。」

「いいでしょう。ランスロット、貴方を騎士として我が旗下に加えます。」

 

私の言葉でランスロットは膝をつき、胸に手を当てて頭を垂れました。

 

いずれは甥っ子達も私の下に馳せ参じてくれますが、まだ先の話ですからね。

 

ランスロットが加わってくれるのは大歓迎です。

 

「我が王よ、一つお聞き届けいただけませぬか?」

「聞こう。」

「叶いますれば、いつぞやの再戦を願います。」

「聞き届けた。では、練兵場に行くとしよう。」

 

玉座から立ち上がると、カリバーンを手にして歩き出します。

 

ランスロットも少し遅れて後に続いていますね。

 

練兵場に辿り着いた私は腰の鞘からカリバーンを抜きます。

 

ランスロットも剣を抜きました。

 

一目見てただならぬ名剣だとわかります。

 

あれが湖の乙女が言っていた、彼に渡したかった物なのでしょう。

 

手合わせの見届け人として二郎が立ち会ってくれます。

 

これで万が一の憂いもありませんね。

 

「ランスロット、貴方は女性に敬意を抱くと聞いていますが?」

 

動きやすいので今も男装をしていますが、流石に男に間違われる事はありません。

 

それはもう、しっかりと育ちましたから。

 

育ちましたから!

 

「もちろん女性には敬意を持って接します。そして騎士としても王たる貴女に敬意を払いましょう。もし戦えるかを案じているのならば御安心を。手合わせで手を抜くは騎士の恥。たとえ貴女が女性であり、王であろうとも、私は騎士として全力で戦わせていただきましょう。」

 

その言葉を聞いて安心しました。

 

私は女ですが、それと同時に騎士です。

 

女だからと侮られるのは好みません。

 

彼の信義に敬意を表しましょう。

 

「それと…。」

 

むっ?何でしょうか?

 

「先程は女性に敬意を持って接すると言いましたが、私の好みは大人の女性です。一人の男として貴女に含むところはありません。そしてこの手合わせの結果に関係なく、騎士として王たる貴女に忠誠を誓いましょう。」

 

つまり私はまだ子供だと?

 

…いいでしょう。

 

その喧嘩、買わせていただきます!

 

 

 

 

『ランスロット卿』

 

アーサー王伝説に登場する英雄の一人である。

 

フランスの地で湖の乙女に養育された彼は、眉目秀麗にして才気溢れる男であると評されている。

 

そんな彼は少年時代に、魔術師ゼンに連れられた少女時代のアーサー王と手合わせをした。

 

青年となった彼はその時の縁を頼り、王に即位したアーサー王を訪ねている。

 

その時に彼はアーサー王に手合わせを申し出たのだが、晩年には次の様に言い残した。

 

『私は幾多の戦場を超えたが、王との手合わせ以上に死を身近に感じた戦場はなかった。』

 

後年、ランスロットはアーサー王に『騎士の中の騎士』と評されるのだが、その境地に至るにはまだ長い時を必要としていたのだった。




次の投稿は11:00の予定です。


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第234話

本日投稿3話目です。


side:二郎

 

 

「二郎、行ってきます。」

 

新しきブリテンの王であるアルトリアが初陣に向かった。

 

今の時代に王が馬にも輿にも乗らないのでは格好がつかないので、彼女は哮天犬に乗らせた。

 

哮天犬の鼻なら敵がいる場所まで最短で行けるので、これからも彼女を哮天犬に乗せるのはいいかもしれないな。

 

「さて、俺も動こうかな。ケイ、後は頼んだよ。」

 

ブリテンの留守をケイに任せ、俺はサクソン人が溜め込んだ財の回収に向かう。

 

天を駆け、サクソン人の財の集積地についた。

 

「へぇ、思ったよりも溜め込んでいるね。」

 

幾人か見張りがいたけど、立ち向かってきたので殺し、鍵の宝貝(パオペエ)を使って財を回収する。

 

「この財の量ではブリテンの借財の一年分にも満たないか。」

 

サクソン人が海を渡ってこの地に雪崩れ込んでいるのには、草原の民が関わっているんだけど、その草原の民がサクソン人を西に追い払う理由がどうも中華にあるみたいなんだ。

 

草原の民はその支配域を中華にまで伸ばそうとしたんだけど、侵攻してきた草原の民の王を士郎が弓で射殺したんだ。

 

一人だけじゃなく、復讐にきた二人目、三人目の草原の民の王も弓で射殺している。

 

天子が伯父上に頼んだから士郎が向かったんだけど、士郎自身が草原の民を危険と判断したみたいだ。

 

何人も王を討たれた草原の民は東を諦め、西に進み始めた。

 

その過程でサクソン人が追われたんだが、追われたサクソン人は今度は草原の民とローマの板挟みになった。

 

そこでサクソン人は命懸けで海を渡り、この地にやって来ているというわけだ。

 

「うん、少し色をつけて渡そう。色をつけて渡す分は、数千年前にこの地で集めた財にしようか。」

 

さて、アルトリアの初陣を見物に行こう。

 

 

 

 

side:アルトリア

 

 

「全軍、突撃!」

 

サクソン人の一団の元に辿り着くと哮天犬から下り、号令を降して先陣を駆けます。

 

隣ではランスロットが駆け、千人の兵が私の後に続く。

 

相手は同数近く。

 

出鼻を挫けば勝てる筈です。

 

サクソン人の一団とぶつかる直前、私とランスロットが一薙ぎし、数人のサクソン人を吹き飛ばしました。

 

吹き飛ばされたサクソン人が後方の者を巻き込んだので、サクソン人達の中央の勢いが緩みます。

 

そこに私とランスロットが切り込みました。

 

「私に続けぇ!」

「王に続けぇ!」

 

私とランスロットの檄で兵が高揚し、サクソン人達とぶつかっていく。

 

勢いを失い中央を崩されたサクソン人達は次々と討ち取られていく。

 

逃げ出そうとするサクソン人もいますが、逃がすわけにはいきません。

 

一人でも逃がせばブリテンの民が、この地の民がまた襲われるからです。

 

だから斬ります。

 

斬って、斬って、斬り捨てます。

 

そうして戦い続けて一時間、戦場には一人も生きているサクソン人がいなくなっていました。

 

「我等の勝ちだ!」

「「「オォォォォオオオ!」」」

 

兵達の咆哮が上がる

 

こうして私は初陣を勝利で飾ったのでした。

 

 

 

 

side:アルトリア

 

 

初陣の勝利から数年の時が流れました。

 

今ではブリテンにも多くの騎士がいます。

 

甥っ子達を始めとして、小国の王族であるトリスタンも騎士として私に仕えてくれています。

 

このトリスタンなのですが、どうもランスロットと嗜好が合うようで、ブリテンの女性達との浮いた話が絶えません。

 

困ったものです。

 

そんなある時、とある女性が赤子を抱いてブリテンを訪ねて来ました。

 

赤子の父はランスロットだそうです。

 

その話を聞いたランスロットは凄く慌てています。

 

身に覚えが無いそうです。

 

…叩き斬ってやりましょうか?

 

女性から詳しく話を聞いたのですが、彼女はランスロットに一目惚れをして身体を重ねたそうです。

 

そして赤子はその時に身籠ったのだとか。

 

その話を聞いたランスロットは、その腕に抱いている己が子を教会に預けるとか言い出しました。

 

…やっぱり叩き斬りましょう。

 

そう思ってカリバーンに手を掛けた時、二郎が声を掛けてきたのでした。

 

 

 

 

side:二郎

 

 

「ちょっといいかい?」

 

声を掛けると、明らかに不機嫌な様子のアルトリアが振り向く。

 

「二郎、少し待っていただけますか?そこにいる女の敵を叩き斬りますので。」

「王!?」

 

狼狽えているランスロットの姿は中々面白いけど、とりあえずアルトリアを止めないとね。

 

「ランスロットの手が早いのはわかっているけど、流石に子を孕ませて知らぬ振りはしないんじゃないかい?」

「ですが、今正にその証拠である赤子がいるのですよ?」

「その赤子が普通の子ならそうだろうね。でも、その赤子は魔術で弄られている。」

 

赤子が普通ではないと知ったアルトリアとランスロットは驚く。

 

「ゼン様、我が子は何をされたのですか!?」

「強い神の子の因子を感じるね。おそらくは聖遺物の一部を埋め込まれたのかな?」

「その通りですわ。」

 

赤子の母が陶酔した様子で話し出す。

 

そんな彼女からは『あれ』の魔力の気配を感じた。

 

「ランスロット様の御子に相応しい子となる様に、マーリン様が手を御貸しくださいました。」

「マーリンが!?」

 

アルトリアが驚きの声を上げる。

 

「そしてマーリン様はおっしゃられていました。ブリテン王の姉の子と結ばれ、その子はブリテンを継ぐ王になるのだと。」

 

彼女の言葉にアルトリアとランスロットは怒り心頭だ。

 

「おのれぇ!」

 

赤子を抱いたままランスロットが剣に手を掛ける。

 

その手を押さえると、ランスロットが驚く。

 

「止めないでいただきたい!」

「彼女も『あれ』に幻術を掛けられているだけだよ。」

「…くっ!」

 

悔しげに歯を噛むランスロットは、泣き出した赤子を何とかあやそうとする。

 

俺は赤子の母に触れて幻術を解いた。

 

「…ここは?あっ、ランスロット様!」

 

正気に戻った彼女はランスロットに駆け寄る。

 

ランスロットはそんな彼女を無下に出来ないようだ。

 

「関わってこなければ、捨て置いてもよかったのだけどね。」

「二郎、どうするのですか?」

「とりあえずその子とモルガンの子をどうにかしないとね。『あれ』は哮天犬に捕まえておいてもらうよ。処分するにしてもその後だね。」

 

哮天犬を行かせると、俺は女と赤子の板挟みになっているランスロットに近付く。

 

「ランスロット、その子を預けてくれるかい?」

「ゼン様、我が子はどうなるのですか?」

 

幻術に掛けられていた女もこの子を産んだのは覚えている様で、ランスロットと共に不安そうに目を向けてくる。

 

「その子はこのままだと30年も生きられない。強すぎる神の子の因子のせいでね。」

 

そう告げると、女は泣き崩れた。

 

ランスロットはそんな女を片手で抱き寄せている。

 

「心配しなくてもいいよ。なんとかするからさ。」

「二郎、どうやってその子を助けるのですか?」

「そうだね…。」

 

問い掛けてくるアルトリアに少し考えてから微笑む。

 

「神の子の因子が強すぎるのなら、神の子に頼んでみようか。」




これで本日の投稿は終わりです。

また来週お会いしましょう。


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第235話

本日投稿1話目です。


side:二郎

 

 

涅槃にランスロットの子であるギャラハッドを連れていく。

 

そこでシッダールタと談笑していた神の子にギャラハッドを見せた。

 

「あ~、これは確かに昔の僕が造った聖遺物の一部が影響しちゃってますね。」

「あぁ、だからこの子が健やかに生きられる様に『祝福』を与えてくれるかい?」

 

そう頼むと彼はニコリと微笑む。

 

「わかりました!『全力』で祝福させていただきますね!」

「ちょっ!?イエス!」

 

シッダールタが止めようとするが、神の子は止まらない。

 

「『汝に祝福あれ!』」

 

涅槃が純白の光に包み込まれる。

 

しかしその光は目を焼くような事はなく、むしろ暖かさを感じさせる優しいものだ。

 

やがて光が収まると、そこには聖人となったギャラハッドがいた。

 

「うん、これでこの子は人並みの寿命を得られたね。」

「いやぁ、よかったですね。僕も頑張ったかいがありました。」

「…イエス?」

 

呼び掛けに振り返ると、神の子の顔がひきつった。

 

シッダールタが笑顔のまま怒っているからだ。

 

「その子、聖人になっちゃったよね?ゼン様が関わっている子なんだけど、どうするの?死後は君の所で召し上げるの?」

「…あっ。」

 

神の子が顔を青くする。

 

「えっと、ゼンさん、どうしましょうか?」

「その子の魂はアヴァロンに行くと思うけど、聖人になってしまったからね。このままなら、君の所の守護天使達が連れて行こうとするんじゃないかい?」

「連れて来ない様に言ってきます!」

 

そう言うと神の子は新たな聖人の誕生を祝福している守護天使達の所に走っていった。

 

「ゼン様、ギャラハッド君は大丈夫でしょうか?」

「神の子の様に『うっかり』奇跡を起こさない様に修練させるよ。」

「お願いします。」

 

 

 

 

side:二郎

 

 

「そんな!?お腹の子がマーリンの手で!?」

 

モルガンの元を訪れ『あれ』のやった事を伝えると、彼女は悲壮な表情を浮かべた。

 

「一見したところ、アルトリアと同じ様に竜の因子を与えたみたいだね。ただ、アルトリアと違って後天的に与えられたから、因子に耐えられず命を削ってしまう。」

「ゼン様、何とかならないのですか?」

「とりあえず因子を封じておこうか。そして成長していくのに合わせて少しずつ解放し、その子の身体を因子に慣らしていけば問題ないよ。」

 

彼女に一言断って腹に触れる。

 

おや?どうやら双子の様だね。

 

『あれ』に因子を与えられた方の子に封印を施すと、彼女は安堵の表情を浮かべた。

 

「ありがとうございます、ゼン様。」

「今はまだ神秘が集束しているからこそ出来たと言えるね。後百年も遅かったら、別の身体を用意した方が楽だったよ。」

「ふふ、運が良かったのですね。」

「『あれ』に目をつけられて運が良かったと言えるのかな?」

 

そう言うと彼女は笑う。

 

「この子だけでなく、この地に生きる多くの者は運が良いでしょう。何故ならゼン様がおられなければ、マーリンに好き放題されていたのですから。」

 

さて、これで残るは『あれ』の事だけか。

 

 

 

 

side:二郎

 

 

哮天犬に捕らえさせておいた『あれ』を連れて、湖の精の化身の元に訪れる。

 

処分してしまいたかったんだけど、シッダールタと神の子に慈悲を求められてしまったからね。

 

さて、『これ』は改心出来るかな?

 

「それじゃ湖の精の化身、『それ』を預ける。魔力袋にでも使ってくれ。」

 

そう言うと彼女は微笑み、『あれ』は殺意を込めて睨みつけてきた。

 

「放浪の神よ、何故私の邪魔をする?」

「理由が必要かい?君が嫌いだからだよ。」

「神らしい自分勝手な理由だ。」

「君が言える言葉ではないね。」

 

『あれ』は暴れようとするが、現状ではどうにも出来ないだろうね。

 

以前は魔力を魔術回路に通せない様に封じていたから、体液に溶けている魔力を利用すれば魔術の行使は可能だった。

 

だが今回施した封印は、誰かが封を破らなければ二度と魔術は使えない程度には強くしておいた。

 

「人はハッピーエンドを求めている筈だ!それを造ろうとして何が悪い!」

「今の君が理想の王を造り出すのは不可能だよ。」

 

人の王は人であるが故に王足りえる。

 

だが『これ』が造ろうとする理想の王は『人形』でしかない。

 

己が意思無き人形では、人の王足り得ないんだ。

 

「ブリテンがより良い滅びに至ったらまた来るよ。それまでは己を省みているといい。」

 

怒声が飛んでくるが意に介さず、俺は湖の精の化身の元を去ったのだった。




本日は5話投稿します。

次の投稿は9:00の予定です。


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第236話

本日投稿2話目です。


side:アルトリア

 

 

二郎のおかげでギャラハッドと姉上のお腹の子が健やかに生きられる様になってから数年、ブリテンは以前に比べて豊かな暮らしが出来る様になりました。

 

何年も掛けて農業を改善していった結果、秋には実りに喜ぶ事が出来ています。

 

これも二郎のおかげですね。

 

代わりに…といってはなんですが、その実りを狙うサクソン人やピクト人が増えました。

 

私達が頑張って育てた小麦を奪おうとする賊共です。

 

情け容赦なく討伐しています。

 

この討伐にランスロットが特に張り切っていますね。

 

その張り切っている理由なのですが…これは身を固めたからでしょう。

 

そう、あのランスロットが身を固めたのです!

 

トリスタンと共に浮き名を流していたあのランスロットがです!

 

ブリテンに住む全ての人が驚きました!

 

相手はギャラハッドの母親であるエレインです。

 

子が出来た以上は責任を…と言えればまだよかったのでしょうが、そう上手くはいきませんでした。

 

経緯はこんな感じです。

 

二郎が対処をして連れて帰ってきたギャラハッドは聖人になっていました。

 

そんなギャラハッドを教会に預けたら大騒ぎです。

 

なので教会に預けずに養育する必要があるのですが、それでもランスロットは教会に預けようとしました。

 

理由は彼自身が湖の乙女に養育された身であるため、家庭というものを知らなかったからです。

 

なので己以上に親身になって養育してくれるであろう教会に預けようというのです。

 

そこで二郎はこう言いました。

 

『ランスロット、君は戦場で未知の敵に遭遇したら臆して逃げるのかい?』

 

これにランスロットは否と答えます。

 

そして…。

 

『なら同じく未知の家庭や子育てからも逃げるべきじゃない。未知の家庭や子育てにも挑んで、騎士として手にした栄光を自ら誇るのではなく、人々に誇られる様な人になりなよ。』

 

自ら誇るのではなく、誰かに誇られる。

 

正に騎士としての本懐です。

 

この言葉でランスロットも覚悟を決め、身を固めたのです。

 

それからの彼は人が変わった様でした。

 

愛妻家で子煩悩。

 

されど誰もが模範とする様な騎士となったのです。

 

今のランスロットは『騎士の中の騎士』と言えるでしょう。

 

元気に走り回る程に育ったギャラハッドも、そんな父を心から尊敬しています。

 

そんなギャラハッドはたまに井戸から汲んだ水をワインに変えてしまったりしますが、お酒はあっても困るものではないので、この程度の奇跡を起こしてしまうのは目を瞑りましょう。

 

なので二郎、あの子が軽々に奇跡を起こさぬ様にする修練をもっと緩めてもらえませんか?

 

騎士一同から懇願されているのです。

 

その…私もたまには飲みたいですし…ね?

 

そう頼むと二郎は川を酒に変えてくれました。

 

騎士だけでなく、民も全身に浴びる様にして飲みます。

 

ピクト人やサクソン人の警戒の為に幾人かの騎士や兵は飲めませんでしたが、ブリテンに生きるほとんどの人々が、その日は大いに楽しみました。

 

こんな風に人々が笑いあえる日々を作る為にも、もっと頑張らなければいけませんね。

 

 

 

 

side:アルトリア

 

 

ブリテンの王となって15年、国力が安定した事で漸くこの地の統一に動ける様になりました。

 

より良い滅びへと着実に歩を進めています。

 

一軍を率いて隣国を攻め落とすと、兼ねてからの予定通りにロット王とヴォーティガーンがブリテンへの従属を表明しました。

 

ロット王が治める国はこの地でも1、2を争う裕福な国です。

 

そしてヴォーティガーンが治める国はこの地でも1、2を争う武力を持っています。

 

そんな2つの国がブリテンに従属したと話が広まると、この地の統一はあっという間に進んでいきました。

 

動き出してから僅か5年でこの地の統一が成りました。

 

この5年の間に、成長したギャラハッドと双子の姪のガレスとモードレッドも私に仕えてくれています。

 

3人ともまだ若いので騎士として戦列に参加させるわけにはいきませんが、ブリテンをより良い滅びに導いた後のこの地を任せる為に、より多くの経験を積ませていきましょう。

 

他に変わった事と言えば、ロット王が隠居した事でしょうか。

 

ロット王も既に70を超える高齢です。

 

王位は私に仕えていた甥のガウェインに譲り、自身は姉上と共に悠々自適に暮らすそうですね。

 

羨ましいです。

 

なので姉上、ロット王との夫婦生活はまだまだ現役とか言ってこないでください。

 

さて、この地の統一が成った今、後はこの地全域に農の技術や知識を広め、ピクト人やサクソン人を根絶し、ローマに目をつけられる前にブリテンを解体するだけですね。

 

王となって20年…少しずつですが、終わりが見えてきました。




次の投稿は11:00の予定です


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第237話

本日投稿3話目です。


side:アルトリア

 

 

この地…『ブリテン島』を統一してから10年、私が王となってから30年が経ちました。

 

ピクト人やサクソン人の流入も極僅かとなり、ブリテン島全域に農の技術や知識が普及しました。

 

そろそろ潮時ですね。

 

「ケイ卿…いえ、義兄上。」

「どうした、アルトリア?」

 

齢50になろうとしている義兄の顔には深い皺が刻まれています。

 

覚悟していた事ですが、やはり寂しさを感じますね。

 

「『円卓』の皆と、各領地を治める者を呼び出してください。」

「…いよいよか。」

「はい。」

 

一拍間を置くと、私はブリテンの王としての最後の役目を口にする。

 

「ブリテンを解体します。」

 

 

 

 

side:アルトリア

 

 

1ヵ月後、ブリテンの王城に皆が集まりました。

 

「なぁ、叔母上、なんとかならないのか?」

「ローマの事は、今の貴女ならわかりますよね?モードレッド。」

 

小さい頃から男勝りな言葉遣いをしていたモードレッドも、今ではギャラハッドと結婚し、女らしさを身に付けています。

 

「モードレッド、その事は前から話し合っていたじゃないですか。」

「わかってるよ、ガレス姉。でも…やっぱり寂しいじゃねぇか。」

 

モードレッドの双子の姉であるガレスは、ギャラハッドの弟のガーラハッドと結婚しました。

 

ガーラハッドは兄の様に聖人ではありませんが、父のランスロットと同じく湖の乙女の加護を得ている優秀な者です。

 

姪の婿に相応しいと言えるでしょう。

 

「やっと役目を終えられるな。」

「老け込むのは早いですよ、義伯父上。」

 

大きく息を吐く義兄に、ガウェインが苦笑いをしていますね。

 

玉座から皆の顔を見渡す。

 

円卓の騎士達に各地を治める者達。

 

本当に色々ありました。

 

ベイリンの姿が無いのは残念ですが、彼は少し心のままに動き過ぎる人でしたので仕方ないでしょう。

 

もう一度皆の顔を見渡します。

 

ケイ卿。

 

私が王となる前から一緒に頑張ってきましたね。

 

ブリテン島全域の内政の基幹を築いた貴方の功績は、円卓の騎士達の武名にも劣りません。

 

本当にお疲れ様でした。

 

ランスロット。

 

女にだらしなかった貴方も、今では立派な騎士となり、立派な父となりましたね。

 

貴方こそ正に『騎士の中の騎士』でしょう。

 

トリスタン。

 

ランスロットがエレインと結婚してからの貴方は女性に対してより熱心になってしまい、それを諌める為に内政の仕事を任せたら『王は人の心がわからない』とかいう甘ちゃんでしたね。

 

そんな貴方も今では一人前の男です。

 

なので初恋は早く忘れて今の奥方を大切にしてくださいね。

 

ガウェイン。

 

戦場にて常に先を駆けた貴方はとても勇気のある騎士でした。

 

そんな貴方も今では誰もが認めるロット王の後継です。

 

これからもブリテン島の人々を頼みますね。

 

ギャラハッド。

 

小さな頃の貴方はたまに奇跡を起こしてしまっていましたが、それも今ではいい思い出です。

 

モードレッドと共にランスロットに負けない幸せな家庭を築いてください。

 

モードレッド。

 

小国に戻ったブリテンは貴女に託します。

 

今の貴女ならば、後世に名を残す立派な女王になれるでしょう。

 

期待していますよ。

 

目を瞑り一つ息を吐くと、私は玉座を軽く叩く。

 

すると場に集まっていた皆が畏まりました。

 

「1年後、ブリテン島全域にブリテンの解体を宣言する。皆は人々に混乱が起きぬ様に準備をせよ。」

「「「我等が王の仰せのままに!」」」

 

 

 

 

『アーサー王伝説』

 

貧困と動乱で荒れ果てたブリテン島を統一し、繁栄と平和をもたらした王の伝説である。

 

ブリテン島の人々が語り継ぐアーサー王の伝説の一つに、統一したブリテンの解体がある。

 

当時、近隣にはローマという同時代で最大の国家があった。

 

豊かになったブリテン島をローマに渡さぬ為にアーサー王は、統一したブリテンの解体を決意したのだ。

 

自らの栄光の証でもある国の解体という英断は、古今でも類を見ない。

 

この英断を持ってアーサー王は後のブリテン島の人々に『理想の王』、『騎士王』と称されるのである。

 

『アルトリア・ペンドラゴン』

 

女性でありながら伝説の王となった彼女は、現在に至ってもブリテン島の人々に称賛され、今日に至るまで語り継がれている騎士の誇りを残した偉大な英雄なのであった。




次の投稿は13:00の予定です


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第238話

本日投稿4話目です。


side:アルトリア

 

 

ブリテン解体から一夜が明けました。

 

今の私は王ではありません。

 

その事に少し寂しさを感じていますが、それ以上に幸せを感じています。

 

何故か?

 

それは…。

 

「おはよう、アルトリア。」

 

目を覚ませば隣に愛する人の姿があるからです。

 

「おはようございます、二郎。」

 

約束を果たした昨夜、私は二郎の女にしていただきました。

 

数十年越しの想いが叶った今、私は幸せで一杯です。

 

一人の女に戻った私ですが、まだ二郎と共にブリテン島を去るつもりはありません。

 

少なくとも円卓の皆がアヴァロンに旅立つまでは見守るつもりです。

 

ですが、その前にやっておきたい事があります。

 

それは…マーリンに会っておく事です。

 

「今日はマーリンに会いにいくのですよね?」

「うん、そうだね。でもその前に朝飯にしようか。」

 

そう言って彼が寝台から抜け出すと、一糸纏わぬ身体が目に入ります。

 

神の造形美に加えて鍛え上げられたその身体は、私の目を惹き付けて離しません。

 

思わず昨夜の事を思い出してしまいます。

 

「どうしたんだい、アルトリア?」

 

…ハッ!?

 

「な、なんでもありません!それより早く食事をしましょう!」

「相変わらず食べるのが好きだね。」

 

微笑む彼を見て顔が熱くなります。

 

うぅ…幸せですが、少し恥ずかしいです。

 

 

 

 

side:アルトリア

 

 

朝食を終えた私は二郎と共に湖の乙女を訪ねました。

 

彼女が確保しているマーリンと会う為に。

 

とある場所に通されると、そこには憔悴した様子のマーリンがいました。

 

む?どこからか変わった獣の鳴き声が聞こえた気が…。

 

私を見た彼は首を傾げます。

 

数十年振りですので私を忘れたのでしょうか?

 

「既に王でなくなった君に興味は無い。すまないが帰ってくれないか。」

 

目に大きな隈が出来ている彼の姿からは、かつての胡散臭さが欠片も感じられません。

 

あの日から寝る間も惜しんで考え続けていたのでしょう。

 

その答えは出たのでしょうか?

 

「では、帰る前に1つだけ聞かせてください。マーリン、貴方の考えていた理想の王とは、ブリテン島という『小さな世界』だけのものだったのではないですか?」

「…そうだね。」

 

昔の私には何故に彼がローマの事を思い付かなかったのかわかりませんでしたが、王としての経験を得た今の私ならばその理由が少しだけわかります。

 

命を失う危険を犯し、海の向こうにあるかどうかもわからない何かを求める筈がない。

 

利や理で考えれば当然の事なのでしょう。

 

ですが人は時に利や理が無くとも心で動く事があります。

 

ベイリンがそうでした。

 

破滅を招く呪いが掛けられていると湖の乙女に告げられても、彼はあの剣を求めました。

 

私や円卓の騎士達の忠告を一切聞かず、決してあの剣を手放そうとはしませんでした。

 

皆を巻き添えにするわけにはいかないのでブリテンを追放すると告げても、あの剣を手放さなかったのです。

 

そしてブリテンから追放された彼は、最後には湖の乙女が告げた通りに破滅を迎えてしまいました。

 

そういう利や理を無視した人の行動が、マーリンには理解出来なかったのでしょう。

 

二郎と出会えたのは本当に幸運でした。

 

もし出会えていなければ、今の様に綺麗にブリテンを解体する事は出来なかったでしょう。

 

私の言葉を聞きながらも、マーリンは私の目を見てきません。

 

ずっと虚空を見ています。

 

「…帰りましょう、二郎。」

「いいのかい?君が望めば『これ』は処分するよ。」

「構いません。彼のおかげと言っていいのかはわかりませんが、貴方と出会えたのですから。」

 

そう言って彼の前を去ります。

 

そしてその帰り道、二郎に1つ聞いてみました。

 

「二郎、マーリンの呪いは二度と解けないのですか?」

「魔術的に解くのは神でもなければ不可能だろうね。でも、ある一言を心から言えば解けるよ。」

「その一言とは?」

 

そう問うと、二郎は笑みを浮かべて答えました。

 

「悪いことをしたら何て言えばいいのか、教えてもらわなかったかい?」

 

後日、湖の乙女から呪いが解けたマーリンは何処かへ去ったと聞きました。

 

マーリン、貴方の謝罪の言葉…受け取りました。

 

 

 

 

『おや?ここに人が来るなんて珍しい。』

 

『君を元の場所に帰す事は出来るけど、その前に私の話を聞いてくれないかな?』

 

『では、王の話をしよう。』

 

『可憐で、気高く、偉大な王…アーサー王の話さ。』

 

『知っている?それは嬉しい事だ。』

 

『では代わりに悪の魔術師マーリンの話をしよう。』

 

『かの偉大な王にバッドエンドを迎えさせようとした、愚かな僕の話をね。』




次の投稿は15:00の予定です。


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第239話

本日投稿5話目です。


side:アルトリア

 

 

ブリテンの解体から100年、最後の一人だったギャラハッドもアヴァロンへと旅立ちました。

 

多くの家族に看取られて幸せそうでした。

 

ここまで彼が長生きしたのは聖人だからなのでしょう。

 

そのせいなのかこっそりと天使が迎えに来ていましたが、神の子が慌てた様子で二郎に謝りに来ていたので問題は無い筈です。

 

えぇ、神の子です。

 

神の子と会ったのです。

 

これからも驚く事は多いのでしょうが、二郎の女として慣れないといけません。

 

なので誘惑の悪魔と会っても驚きません。

 

えぇ、驚きませんとも。

 

むしろ誘惑の悪魔という名よりも、あの御立派な姿形に驚きましたよ。

 

神の子の守護天使達がべたつくなにかにまみれていたのは気のせいでしょう。

 

さぁ、気を取り直して二郎の生まれ故郷である中華へ旅立ちです。

 

どんな所なのか楽しみですね。

 

 

 

 

side:士郎

 

 

百数十年振りに老師が中華に帰ってきたと思ったら、思わぬ人物を連れて帰ってきた。

 

「初めまして、私はアルトリア・ペンドラゴン。二郎の恋人です。よろしくお願いしますね。」

 

記憶の中の姿よりも一部が豊かに成長しているが、間違いなく彼女だ。

 

少し混乱している頭を冷やそうと小さく息を吐く。

 

「士郎?」

「あぁ、何でもないさ、王貴人。」

 

ちゃんと後で事情を説明する。

 

だから脇腹をつねらないでくれ。

 

さて、それよりも…だ。

 

「老師、貴方はどこに行っていたのだ?」

「ブリテン島だね。集束する神秘を何とかするように、伯父上に頼まれたんだよ。」

「…そうか。」

 

いったいアーサー王伝説はどうなってしまったんだろうか?

 

「自己紹介はしていただけないのでしょうか?」

 

おっと、いかんな。

 

千年以上生きてきて老師の自由な行動には慣れたつもりだったが、私もまだまだ未熟だったようだ。

 

「失礼した。私は王士郎。老師…二郎真君の一番弟子だ。」

「一番弟子ですか?」

 

彼女は驚いた表情を見せた。

 

表情には前世で見た憂いが欠片も見当たらない。

 

その事に安心する。

 

前世の私は彼女を救う事が出来なかったからな。

 

それと名乗った事で己が何者なのかを自覚出来た。

 

私は衛宮 士郎ではなく王士郎なのだと。

 

「私は王貴人。士郎の妻だ。」

「私は華陀。王夫妻と共に行動させてもらっていますぞ。」

 

思えば華陀とも長い付き合いになったものだ。

 

そういえば華陀は生前の法師と男女の仲になった。

 

そしてそれが理由で法師を死後に桃源郷に招いたのだが…大丈夫なのだろうか?

 

まぁ、老師と覚者は知己であるので問題無いのだろう。

 

そう思っておこう。

 

私の心の平穏のためにも。

 

…後で華陀に胃薬を調合してもらおう。

 

「士郎、アルトリアと手合わせをしてくれるかい?」

「それは構わないが…何故だろうか?」

「特に理由は無いよ。でも、そうだね。強いて言えば、こうした方がいいと思ってね。」

 

やれやれ、どこまでお見通しなのやら。

 

「ではペンドラゴン卿、一手指南をお願いしようか。」

「アルトリアで構いませんよ、王士郎殿。」

「私も士郎で構わんさ。」

 

互いに得物を手にして向かい合う。

 

あれは…カリバーンか?

 

私の知るそれとは違っているが、間違いなくカリバーンだ。

 

あぁ…やはりその剣は君によく似合うな。

 

「では、こちらから行かせてもらいます!」

 

魔力放出による踏み込みで一瞬にして間合いを詰めてくる。

 

記憶にある彼女のそれよりも鋭い剣撃を干将・莫耶で全て防ぐ。

 

私が知る彼女よりも強いが…聞仲の禁鞭と比べれば問題無く対処出来る。

 

「流石は二郎の一番弟子ですね。ギャラハッドの守りよりも固く、崩せる気がしません。」

「これでも千年以上は研鑽を積んでいるのでね。無様にやられては老師と顔を合わせられんよ。」

 

これは皮肉でも冗談でもない。

 

もし今のを対処出来ていなかったら、私はまた老師の拳で吹き飛ぶ日々を送る事になっただろう。

 

「さて、今度はこちらから行かせてもらおうか!」

 

その後、結果として私はアルトリアとの手合わせに勝利した。

 

そこで一つ忘れていた事を思い出した。

 

彼女が負けず嫌いだった事だ。

 

この日、五回に及ぶ彼女との手合わせをこなす事になったのだが、私はその全てに勝利したのだった。

 

 

 

 

こうして神秘の時代は終わりを迎え、時代はやがて現代へ。

 

そして物語の舞台はzeroへと移り行く…。




これで本日の投稿は終わりです。

ブリテン編もこれで完結でございます。

それとお知らせです。

来週の拙作の投稿をお休みさせていただきます。

まだ次章の構想が固まっていないのですよね。

さて…どう引っ掻き回してやろうかな?


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第240話

本日投稿1話目です。

前回、ブリテン編完結と言ったな?

すまぬがもう少しだけ続くんじゃ。


二郎の恋人となり中華にやって来たアルトリアは1ヵ月程経つと、桃源郷に足を運んだ。

 

そこでアルトリアは生前に二郎と関係を持った妲己と竜吉公主の二人に出会う。

 

三人が仲良くなるのには時間が掛からなかった。

 

だが妲己のある発言がアルトリアと竜吉公主の心を刺激し、三人は一触即発の状況になったのだった。

 

 

 

 

side:士郎

 

 

「尚(太公望)、これはどういう状況なのだ?」

 

久し振りに会った四不象(スープーシャン)に呼ばれて王貴人と共に桃源郷に来てみれば、何故かそこには修羅場が存在していた。

 

そしてそこにいた友の尚に問い掛けてみれば、困った様に苦笑いを返された。

 

「原因は妲己の言葉よのう。」

「妲己の?」

「うむ。妲己が突然『一番最初に出会った私が楊ゼン様の正妻よねん♡』と言ってのう。」

 

思わず眉間を揉んでしまう。

 

「妲己姉様らしい言葉だが…。」

 

王貴人が苦笑いをしながらそう言う。

 

私も妲己らしいとは思うのだが、わざわざ二人に喧嘩を売る様な発言は勘弁願いたい。

 

「一応聞いておくが、私が呼ばれた理由は?」

「万が一の時は三人を止めてもらおうかと思ってのう。」

 

察してはいたが、聞きたくなかった。

 

華陀も連れてくればよかったと心から思う。

 

主に私の胃のために。

 

「努力はするが…止められるとは限らんぞ?」

「士郎が止められねば誰にも止められん。今はちょうど二郎真君様が居らぬからのう。まぁ、手合わせ程度ならば見物してればよいから気楽にな。」

 

尚の言う通りに老師はいない。

 

直ぐに戻ってくればいいのだが…。

 

もしもの時の覚悟を決めると、私は胃の辺りを撫でるのだった。

 

 

 

 

side:アルトリア

 

 

「妲己、先程の言葉は訂正していただきたい。」

「あらぁん?私は本当の事を言っただけよぉん♡」

 

妲己はどこか掴み所がない女性ですが、決して悪い人ではありません。

 

なので先程の言葉は私と竜吉公主をからかう為だとわかっているのですが、二郎の正妻と言われては黙っているわけにいきません。

 

なにせ私は『今の二郎の恋人』なのですから!

 

「新参者のアルトリアは引っ込んでおるとよい。妾が正妻だと妲己に認めさせるゆえにな。」

「二人は既に生を終えている身。ならばこれから長き時を共に生きる私こそが、二郎の正妻に相応しい。」

 

挑発に挑発を返し、私達の間に戦意が高まってきます。

 

…なるほど。

 

直感ですが、これが目的ですか。

 

「妲己、わざわざ挑発をして戦おうとするのは何故ですか?」

「もぉん、アルトリアちゃんは無粋ねぇん。」

「そうじゃな、戦ってみればわかる事よ。」

 

二人はそう言いながら得物を構えます。

 

私は小さくため息を吐きながらカリバーンを抜く。

 

「終わったら聞かせてもらいますよ。」

「ほう?アルトリアは妾達と戦って無事に終えるつもりらしい。」

「ふふ、楊ゼン様の恋人を名乗るのなら、最後まで立っていてほしいわねぇん。」

 

こうして私は中華の歴史に名を残す二人と、三つ巴の戦いを始めるのでした。

 

 

 

 

side:太公望

 

「アルトリア殿も中々やるのう。」

「神秘の薄い時代の英雄でもあのぐらいはやれるだろう。だが、少々相性が悪い。」

 

剣士のアルトリア殿は瞬動の様に魔力放出を使って間合いを詰めようとするが、妲己や竜吉公主にあしらわれておる。

 

そして幾度か攻撃を受けてしまっておるが致命傷だけは避け、驚異的な回復力で継戦しておるわ。

 

「カリバーン!」

 

局面を打開しようとアルトリア殿が宝貝(パオペエ)の真名解放をしたが、それでも二人の守りを突破出来ておらぬ。

 

これは士郎の言う通りに相性が悪いのう。

 

「はぁ~、綺麗な光っすねぇ~。」

 

スープーは相変わらずノンビリしとる。

 

そんな事で一家を支えていけるのかのう?

 

まぁ、嫁二人に甘やかされている儂が言えた立場ではないか。

 

「士郎、お主ならあの二人の守りを突破出来るか?」

「やってやれなくはない。だが、勝ち切れるかはわからんな。」

 

儂の様に怠けたりせず、千年以上鍛練を続けた士郎でも勝てるかわからんか。

 

流石は二郎真君様の寵愛を受ける仙女達だのう。

 

さて…。

 

「どうやって止めようかのう?」

「それを考えるのは君の役目だろう?」

 

三人の戦いはハッキリとアルトリア殿が劣勢だ。

 

だがアルトリア殿は一呼吸の間があれば、大抵の傷は直ぐに治ってしまう。

 

そして妲己と竜吉公主の二人はそもそも傷一つ負っておらぬ。

 

誰かが膝をついたところで止めればよいと思っておったのだがのう…。

 

儂はチラリと王貴人に目を向ける。

 

「王貴人、お主の幻術でなんとかならぬか?」

「アルトリアなら動きを鈍らせられるが、妲己姉様と竜吉公主は動きを一瞬鈍らせるのが精一杯だぞ。」

 

むう…。

 

頭を掻きながら周囲の面々を見る。

 

姫昌殿を始めとして、皆が酒を片手に三人の戦いを見物しておる。

 

これは…ダメだのう。

 

「士郎、やはりお主に頼むしかないわ。」

「下手に止めに入ったら、私が三人の相手をする事になるのだが…。」

 

まぁ、そうなるだろうのう。

 

だが、士郎の手を借りる必要はなかった。

 

何故ならば、戻ってきた二郎真君様があっさりと三人の戦いを止めてしまったからだ。

 

二郎真君様も相変わらずだのう…。

 

 

 

 

side:アルトリア

 

 

「まだまだ未熟だけれど、アルトリアちゃんは思ったよりもやるわねぇん。」

「うむ、よく頑張ったのじゃ。」

 

二郎が戻ってきて戦いは終わりましたが、正直に言って二人には歯が立ちませんでした。

 

士郎との手合わせでわかっていたつもりでしたが、これが神秘の濃い時代の英雄なのですね…。

 

「妲己と竜吉公主は仙女の中でも最高峰の実力者だからね。まだアルトリアが敵わなくても仕方ないよ。」

 

二郎はそう言いますが、悔しいものは悔しいです。

 

それはそれとして…。

 

「妲己、竜吉公主、二人が私との戦いを求めたのは何故ですか?」

「それはね、貴女に楊ゼン様を任せられるかを確認するためよぉん。」

 

二郎を?

 

「どういう事でしょうか?」

「妾と妲己は転生する事に決めたのじゃ。」

 

転生…!?

 

「生まれ変わるのですか!?」

「うむ、随分と長く桃源郷におったが転生する事に決めたのじゃ。アルトリアを見てのう。」

 

私を見て?

 

「楊ゼン様と共に生きるアルトリアちゃんを見て羨ましくなっちゃったのよん、私達はね。」

「うむ、だから妾達も転生して二郎と共に生きるのじゃ!」

 

私は二郎に目を向ける。

 

「可能なのですか?」

「『星の守護者』になった二人を転生させるのは少し手間が掛かるけど可能だよ。ただし、『この世界』に転生出来るとは限らないけどね。」

 

疑問に思っていると二郎が説明してくれます。

 

「『星の守護者』で在り続ける為には分霊を残さなければならない。そうしなければ『世界』が都合のいい様に造った存在が、彼女達の代わりになってしまうからね。でも分霊を残して転生すると、同一の存在が『この世界』に複数存在するという矛盾が発生してしまう。だから、二人が転生すると『異世界』に転生する可能性が高いんだ。」

「異世界とは並行世界と違うのですか?」

 

私も百年以上は生きているのでそれなりに知識はあります。

 

ですが…異世界とは何でしょうか?

 

「『世界』というのは本の様なものでね。『原典』である俺達の世界が一頁目、並行世界が二頁目という感じになる。頁は違えど同じ本というのはわかるかい?」

 

私だけでなく士郎や王貴人も頷いています。

 

二人も興味がある話なのでしょう。

 

「それで『異世界』というのは文字通りに異なる世界、異なる本の事になるんだ。」

 

異なる?

 

それでは…!?

 

「二人はこの世界からいなくなるかもしれないというのですか!?」

「そうだね。」

「妲己!竜吉公主!貴女達はそれでもいいのですか!?」

「構わないわよぉん。」

 

妲己は楽しそうに微笑んでいます。

 

「一度死んだ私達が楊ゼン様と共に生きようというのだもの。異世界に行く程度の覚悟は出来てるわん。」

「うむ、たとえ名や記憶を失おうとも構わぬ。そして千年、万年掛かろうとも、また二郎真君と出会い、共に生きるのじゃ!」

 

二人の覚悟は本物です。

 

止める事は出来ないでしょう。

 

それに…私が彼女達の立場ならば、必ず同じ事をする筈です。

 

止められません。

 

「…わかりました。またいつの日か、会える事を楽しみにしています。」

「ありがとう、アルトリアちゃん。というわけでぇん…私か竜吉公主ちゃんが楊ゼン様の正妻という事でいいわよねん?」

「どうしてそうなるのですか!?」

「千年以上会えぬやもしれぬのじゃ。その覚悟は汲み取ってもらわねばのう。」

 

私はカリバーンを抜き放ちます。

 

「それとこれとは話は別です…認めませんよ!」

「うふふ、私達に勝てるかしらん?」

「ふむ、ここでハッキリと格付けをしておくのも悪くないのじゃ。」

 

ここに…負けられない女の戦いがあります!

 

結局、私達の戦いはまた二郎に止められるまで続きました。

 

そして後日、二人は笑顔で転生して、桃源郷から姿を消したのでした。

 

妲己、竜吉公主…必ずまた会いましょう。

 

それまで腕を磨いておきます。

 

二郎の正妻の座は譲りませんからね!




本日は4話投稿します。

次の投稿は9:00の予定です。


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閑話『とある老齢の武術家』

本日投稿2話目です。


神秘の時代より千年以上の時が流れ、フランスで起きた革命を機に人類の間には徐々に民主主義が拡がっていった。

 

だが中華はその流れに乗らず天子を頂点に置く王政を続けており、国教は道教と定めている。

 

そんな中華だが国内には少しずつ現代文明の利器が広まりつつあった。

 

その文明の利器の1つである蒸気機関車が中華の大地を走っている。

 

とある高名な一人の老人を乗せて…。

 

 

 

 

「師父、今回の立ち合いはあっけなかったですね。」

 

青年の言葉に頷くこの老人は姓を李、名を書文、字を同臣という。

 

現代中華において数多存在する拳法の一流派である『八極拳』の達人だ。

 

先の言葉を発した青年は彼の愛弟子で、今回の旅において師の身の回りの世話をしているのだ。

 

「それにしても、まさかあれだけで相手が絶命するとは思いませんでした。」

 

今回の旅なのだがある一つの目的があって行われた。

 

それは現在の中華において屈指の拳法家である李書文と戦い、そして名を上げようという武術家に挑戦状を送り付けられたのだ。

 

そしてその挑戦を受けて立ち合った李書文なのだが、彼が相手の胸に牽制の拳を軽く当てただけで、相手は地に倒れて絶命してしまった。

 

ただ拳を胸に軽く当てただけで倒れてしまった事に相手の武術家の仲間達が混乱していると、李書文は色々な面倒を避けるべくこうして愛弟子と共にさっさと列車に乗って帰路についてしまったのだ。

 

「相手はそれなりに名が売れていると聞いていたので期待していたのだが…。近頃は紛い物が多すぎる。」

 

そう言ってため息を吐く李書文は『八極拳』の達人だが、『六合大槍』においても『神槍』と謳われる達人である。

 

されど近頃は槍を手にする事はなかった。

 

何故か?

 

それは…彼が強すぎたからである。

 

故に彼は求める。

 

強者との立ち合いを。

 

「今少し生まれる時代が早ければ、かの形意拳の達人と立ち合う事も出来たであろうに…。」

「見てみたい思いはありますが、もしそうなってしまえば私は師父に弟子入り出来ませんので困ります。」

「お前なら、八極拳でなくとも大成するであろう。」

「私は師父の拳を学びたいのです!」

 

愛弟子の言葉に李書文は笑ってしまう。

 

真摯に鍛錬に励む愛弟子はどこか若き日の己に似ていると思うからだ。

 

しばし笑い続けていると不意に声が詰まる。

 

笑う師に不貞腐れていた愛弟子だが、違和感を感じて師に目を向けた。

 

すると…顔一杯に脂汗を流す師の姿があった。

 

「師父!?」

「…どうやら列車に乗る前に民家に寄って飲んだ白湯に、毒が盛られていたようだ。」

「医者を探してきます!」

 

席を立って駆け出す愛弟子の背を見送ると、李書文は目を瞑る。

 

(…医者が来ても助かるまい。)

 

死毒であるのは己が身故によくわかる。

 

武の道を歩み、勝負を繰り返していけば、恨みを買うのは至極当然。

 

いずれはこうなるであろうと考えていたものの、いざそうなってみれば勝負の果てに終われぬのが口惜しい。

 

(もって十分といったところか…。)

 

今少し生きていれば、まだ見ぬ強者と立ち合えたやもしれぬ。

 

そう思うと死んでも死にきれない。

 

されど命の砂時計は一秒毎に減っていく。

 

(あぁ…残念だ…。)

 

李書文が諦めかけたその時。

 

「これが列車か…神秘が薄れた時代の人々が造り出した物としては上出来かな。」

「そうですね。のんびりと旅を楽しむのならば、これはこれで有りだと思います。」

 

そんな会話が耳に入ると、何故か李書文は気になった。

 

直感が告げている。

 

目を開けろと。

 

声の主を確認しろと。

 

本能に導かれるままに李書文は目を開けた。

 

そして声の主である青髪の青年と金髪の少女の姿を目にすると、彼の目から涙が溢れ出した。

 

二人を一見して強者とわかった。

 

それもただの強者ではない。

 

己が全てを尽くしても届くかわからぬ程の強者だ。

 

漸く出会えた。

 

しかし…遅かった。

 

武の神はなんと残酷な運命を与えるのだろうか。

 

そう嘆きつつも、李書文は二人から目を離せなかった。

 

「おや?どうして泣いているんだい?」

 

薄れつつある意識を何とか繋ぎ止めて答える。

 

「…お主達と立ち合えぬからだ。」

「あぁ、毒に侵されているみたいだね。その命が尽きるまで、三百を数えるぐらいかな?」

 

青年の読みは正しいと直感する。

 

せめて一合でもと思うが、既に身体は自由が利かない。

 

「アルトリア、彼と手合わせをしてみたいかい?」

「そうですね…二郎、お願い出来ますか?」

「うん、いいよ。」

 

二郎?

 

二人の会話に僅かに疑問を持った李書文だが、思考すら困難な状態に陥りつつあった。

 

「戦いを望むなら口を開けてくれるかい。」

 

青年の言葉が耳に届くと、李書文は反射的に口を開ける。

 

そして何かが流し込まれると、欠片も疑問を持たずに飲み下した。

 

「…これは!?」

 

李書文が驚くのも無理はない。

 

何故なら暖かな光に包まれると先程までの死に瀕した己はどこにもなく、全盛期かと思う程に身体が活力に満ちていたからだ。

 

李書文は改めて二人に目を向ける。

 

「…礼を言わせてもらう。」

「礼はいいよ。代わりに列車を下りたら彼女と手合わせをしてくれるかい?」

「わかった。それと一つ聞きたいが、お主とは手合わせ出来ぬのか?」

 

李書文の言葉に青年は微笑む。

 

「それは君次第かな。」

 

その答えに李書文は笑う。

 

彼が己を歯牙にもかけぬ程の強者とわかったからだ。

 

(列車よ、速く進め!我が武の研鑽は、今日この時の為にあったのだ!)

 

 

 

 

近代武術史に名を残す八極拳の達人である李書文は晩年に次の様に言い残している。

 

『神槍と謳われ武を極めたと言われたが、儂の武はその頂の影すらも踏めていなかった。』

 

『何故かだと?敗れたからだ。手も足も出ずに。』

 

『誰かだと?さてな…名は聞かなかった。それでもわかった事が一つだけある。』

 

『それはな、あの者が武の神様と言われても不思議ではない程に強かったという事よ。』

 

家族と多くの弟子に看取られて眠った李書文の顔は満ち足りていたと残されている。

 

そんな彼が残した武人としての功績は、今もなお色褪せることなく輝き続けているのであった。




次の投稿は11:00の予定です。


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ブリテン編の主な登場人物紹介

本日投稿3話目です。


【ブリテン編の主な登場人物】

 

 

◇アルトリア・ペンドラゴン

 

人物紹介:マーリンに造られた赤き竜の因子を持った少女。その因子のおかげで呼吸をするだけで魔力を造る事が出来る。二郎が介入した結果、原作と違って女性として後世に名を残している。その影響もあって後世における女性英雄としての知名度と人気は、聖女ジャンヌ・ダルクと比肩するものとなったのであった。

 

 

◇ケイ

 

人物紹介:アルトリアの義兄。当時のブリテン島の政治基板を造り上げた人物。武勲は少ないが、後世では『能臣』として評価されている。

 

 

◇ランスロット

 

人物紹介:二郎が介入した結果、原作と違ってとある女性と不倫関係にならなかった。そのおかげで、公私共に最高の騎士として後世に名を残している。また原作と違って家族仲もよく、ギャラハッドとのすれ違いもないのであった。

 

 

◇トリスタン

 

人物紹介:ランスロットに次ぐ実力者だが、女にだらしない話が影響して後世の評価が低い人。他にも『王は人の心がわからない』などの発言もしちゃったりしたので、武人としてはともかく、騎士としての評価は円卓の騎士の中で最低なのであった。

 

 

◇ガウェイン

 

人物紹介:ロット王の後を継いで王になった元円卓の騎士。常に戦場で先駆けた事から、その勇猛さは後世でも広く知られている。また原作と違ってランスロットと仲違いする事なく、終生友であり続けた。

 

 

◇ギャラハッド

 

人物紹介:神の子に祝福されて聖人になっちゃった人。そっち方面でも逸話を多く残した結果、後世で教会関係者に熱い視線を送られる事になったのだった。

 

 

◇モードレッド

 

人物紹介:原作と違って反逆する事なく良い子に育つ。アルトリアの事は叔母上と呼んで仲がいい。ブリテン解体後はアルトリアの後を継いで女王となり、夫のギャラハッドと共に小国となったブリテンを盛り立てていった。

 

 

◇アグラヴェイン

 

人物紹介:本作内では名前すら登場しなかった不憫な子。ケイの補佐として活躍した。壮年に至るまで結婚しなかった事から、後世では男色家だったのではと疑問を持たれ、一部女性の燃料となっているのであった。

 

 

◇ガレス

 

人物紹介:原作では末っ子だったが、拙作においてはモードレッドの双子の姉となった人物。男勝りなモードレッドの良いお姉ちゃんとして頑張り、円卓の皆に可愛がられた。

 

 

◇ガーラハッド

 

人物紹介:拙作のオリジナル登場人物。ランスロットとエレインの間に生まれた次男。ガレスと結ばれ、夫婦円満な家庭を築いた。

 

 

◇ロット王

 

人物紹介:暴漢に襲われていたモルガンを助けた後に、彼女を妻に迎えている。二郎謹製の薬を服用した結果、生涯現役でモルガンとの夫婦生活を送り、後世ではそっち方面で有名になった。

 

 

◇モルガン

 

人物紹介:ロット王の愛を勝ち取った女傑。原作と違ってアルトリアと仲が良い。五人の子を産んでもその美貌には一切の陰りなく、アーサー王伝説屈指の美女として名を残した。

 

 

◇マーリン

 

人物紹介:悪の魔術師として後世に名を残したが、現在では改心している。しかしアヴァロンに姿を現す事はなく、何処かでブリテン島の行く末を見守っているのであった。

 

 

◇ヴォーティガーン

 

人物紹介:卑王としての噂があったが、ブリテンに従った後は功臣として名を残している。ブリテン解体後に王を退位し、アヴァロンにて幻想種のまとめ役となった。

 

 

◇ウーサー・ペンドラゴン

 

人物紹介:アルトリアの前のブリテン王。軍事方面は優秀だったが、政治方面はマーリンの言葉に乗っかってしまう程度に疎い。そのせいなのか後世での王としての評価は低め。死後にヴォーティガーンと会うと意気投合。マーリンの事でお互いに愚痴を吐きながら酒を飲んでいるのであった。

 

 

◇エクター

 

人物紹介:ケイの父。アルトリアが王となった後は兵の教官として活躍した。

 

 

◇謎の獣

 

人物(?)紹介:マーリンの不幸に愉悦して「フォウ!」と歓喜の鳴き声を上げる獣。いったい何フォウくんなんだ…?

 

 

◇湖の乙女

 

人物紹介:ランスロットを養育した女性。カリバーンの元の持ち主。何かとマーリンに迷惑を掛けられ苦労をする事になったが、現在では彼と和解をしている。

 

 

◇ベイリン

 

人物紹介:元円卓の騎士。周囲の忠告を聞かなかった結果、ブリテンを追放されて破滅に至る。後世には『強欲の騎士』として名を残した。

 

 

【その他登場人物】

 

 

◇李書文

 

人物紹介:近代の武術家。『神槍』の異名を持つ八極拳と六合大槍の達人。老齢の時に二郎とアルトリア出会い、手合わせをして敗れている。その時に二郎に気に入られて、死後は桃源郷に招かれた。

 

 

◇王士郎

 

人物紹介:近代や現代でも中華の地で変わらずに英雄活動に励んでいる。大戦等で他国が中華に侵攻してきた時にも影で活躍した結果、近代戦争の謎の一つとして歴史に残ってしまった。

 

 

◇王貴人

 

人物紹介:士郎と共に近代や現代でも英雄活動を続けている。大戦等で他国が中華に侵攻してきた時には、他国の兵に幻術を掛けて混乱させている。こちらは士郎と違い戦場の緊張感から心を乱したと認識され、歴史の『表』には残らなかった。

 

 

◇太公望

 

人物紹介:実は既に仙人級の実力を身に付けているが、弟子を取るのが嫌で仙人を名乗っていない。

 

 

◇四不象

 

人物(?)紹介:今では嫁さんや子供もいる一家の大黒柱だが、昔と変わらずにのんびりとした性格である。時折、空を散歩している時に中華の子供達に『空を飛ぶカバ』と言われ落ち込んだりしている。

 

 

◇妲己

 

人物紹介:正妻争いではアルトリアを完封している。分霊を残し転生をしたが、その魂の行き先は不明である。

 

 

◇竜吉公主

 

人物紹介:正妻争いでは妲己と同じくアルトリアを完封している。分霊を残し転生したが、その魂の行き先は不明である。

 

 

◇天帝

 

人物紹介:二郎の伯父で中華の最高神。日ノ本に神秘を全否定する英雄が現れると、信仰の薄れた八百万の神々から色々と相談される様になった。

 

 

◇マーラ

 

珍物紹介:薄れた神秘もなんのその!以前にも増してギンギンな御姿で今日も悩める夫婦の元へ!流石は御立派様!

 

 

◇シッダールタ&イエス

 

人物紹介:覚者と神の子。二郎の影響を受けたのか、戦争等で民心が荒れると救済の為に現世に降臨したりと自由に動き始めている。現代になると日本に興味を持ち出した。




次の投稿は13:00の予定です。


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現代 ~zero編~
第241話


本日投稿4話目です。


神秘の時代の終焉から千年以上の時が経つと、神秘は世の表舞台から姿を消した。

 

だが世の裏では確かに存在しているのだ。

 

時は二十世紀。

 

極東の島国である日本の冬木の地にて、魔術師達によるとある魔術儀式が行われようとしていた。

 

 

 

 

side:二郎

 

 

「二郎よ、日ノ本に行ってくれ。」

「日ノ本ですか?」

「うむ、八百万の神々に頼まれてな。」

 

神秘の薄れた今の世では、神々は『世界』の内に存在する事はおろか、干渉する事すら難しい。

 

だけど俺は半神半人だから問題無く『世界』の内に在り続ける事が出来る。

 

だから時折、こうして他所の神々に何かを頼まれる事があるんだ。

 

「伯父上、俺は日ノ本に行って何をすればいいのですか?」

「日ノ本の冬木という地の龍脈が淀んでいるようなのだ。」

「龍脈が?」

「うむ、国一つが滅びかねない程にな。」

「それは穏やかではないですね。」

 

龍脈は土地の気の巡りを司る重要なものだ。

 

それが淀めば作物は実らず、木々は枯れてしまう。

 

だけど国一つが滅びかねない程に淀むなんて余程の事だ。

 

冬木という地で何が起こっているんだ?

 

「八百万の神々が言うには、冬木の龍脈に魔術師達が手を加えたそうだ。魔術儀式で聖杯を造る為にな。」

「それで龍脈が淀むとは、何か大きな失敗をしたのでしょうね。」

 

龍脈を巡る気は色を持たぬ故に何色にもなれる。

 

正しく用いれば、『世界』の内側に神の子の奇跡を再現する事も可能だ。

 

だが扱いを間違えれば、今回の八百万の神々が懸念する様に国一つを滅ぼす力にもなる。

 

「わかりました。日ノ本に行ってきます。」

「うむ、頼んだぞ。」

 

伯父上の命を受けた俺は、廓に戻ってアルトリアに事の詳細を話した。

 

「日ノ本ですか…初めて行きますね。」

「そうだね。そういえばアルトリアとは行った事がなかった。」

 

シッダールタとは一緒に出雲大社に行った事がある。

 

八百万の神々に宴に招かれてね。

 

「ところで、聖杯を造り出す魔術儀式とはどの様なものなのでしょうか?」

「俺も詳しくは知らないから、日ノ本に行く前に『魔法使い』に聞きにいこうか。」

 

その『魔法使い』と出会ったのは数百年前だ。

 

数百年前にその『魔法使い』が『真祖』に喧嘩を売っていたのだけど、面白そうだからアルトリアと見物に行ったんだ。

 

まぁ、『真祖』が『偽りの月』を落とそうとしたから、介入して『偽りの月』を崩拳で砕いたんだけど、あの時は何故か両者が呆けていたな。

 

その後は『真祖』の慢心をついて『魔法使い』が勝ったんだけど、『魔法使い』は最後に油断して滅びる寸前の『真祖』に噛まれて人ではなくなってしまった。

 

まぁ、そのおかげで彼は不老になったのだから、彼にとっても悪い事ではないだろう。

 

「では、ブリテンに行くのですね。」

「そうだね。今のブリテンには多くの魔術師が集まっているから、そこにあの『魔法使い』もいるだろう。さぁ、それじゃブリテンに行こうか。」

 

こうして俺とアルトリアは哮天犬に乗ってブリテンに向かったのだった。

 

 

 

 

二郎達がブリテンに向かった頃、ウルクの天界にて愛妻と語らっていた一人の英雄が腰を上げた。

 

「どうしたの?」

「今、我に宴の誘いがきた。」

 

愛する夫の言葉に妻は首を傾げる。

 

「宴?」

「古今の英雄が集う宴よ。始まりの英雄たる我を誘うとは、弁えている者のようだな。」

 

そう言って口角をつりあげる夫を見て妻は微笑む。

 

「行くの?」

「現世で我等が友と会うのも一興よ。」

 

夫の言葉に妻は笑みを深める。

 

「行ってらっしゃい、ギル。」

「行ってくるぞ、エルキドゥ。」

 

こうして一人の英雄は召喚に応え、現世に顕れたのだった。




これで本日の投稿は終わりです。

また来週お会いしましょう。


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第242話

本日投稿1話目です。

原作をよく知らない作者の独断と偏見でキャラ付けされています。

口調や性格が違うのは仕様だと思っていただければ幸いです。


side:ゼルレッチ

 

 

茶を楽しんでいると、不意に友のマーリンが立ち上がった。

 

「すまない、友よ。私はこれで失礼するよ。」

「どうした?」

「草花が知らせてくれた。ここに王がくる。」

 

マーリンの言う王とは、ブリテンが誇る英雄アーサー王の事だ。

 

「謝罪の言葉は受け取ったと聞いているが?」

「これが私の贖罪だ。それに、『僕』は『あの御方』が苦手でね。」

 

そう言って苦笑いをしたマーリンは見事な魔術行使で虚空へと姿を消した。

 

儂は恩人を出迎える為に立ち上がる。

 

すると…。

 

「久しいね、ゼルレッチ。」

「お久しぶりです、ゼルレッチ。」

 

哮天犬に乗ったゼン殿とアルトリア殿が姿を現した。

 

「お久しぶりですな、御二方。」

 

数百年前、若気の至りで『真祖』に喧嘩を売って以来の付き合いだが、御二人は相変わらずの様だ。

 

「して、今日は何用で?」

「日ノ本の冬木という地で行われる魔術儀式について聞きたくてね。」

「冬木というと『聖杯戦争』の事ですな。ささ、少し長くなるので座ってくだされ。」

 

御二方を丁重にもてなすべく対応する。

 

特にゼン殿には返しきれぬ恩があるからな。

 

『真祖』に噛まれ老いてしまったこの身を若返らせてもらった。

 

おかげで『姫様』の側仕えでも不自由を感じぬ。

 

アルトリア殿がテーブルの上にある別のカップに気付く。

 

…ぬかったな。

 

「ゼルレッチ、誰か来ていたのですか?」

「先程までマーリンがおりました。」

「そうですか…私はもう気にしていないのですが。」

「これが彼の贖罪なのだそうですぞ。」

 

そう伝えると彼女は困った様に苦笑いをした。

 

「さて、『あれ』の事は置いておいて、『聖杯戦争』とかいう魔術儀式の事を聞かせてくれるかい?」

 

いまだに『あれ』扱いされていてはマーリンが顔を出せぬのも仕方ないか。

 

消滅させられなかっただけでも儲けもの。

 

儂も『偽りの月』を拳で砕くような御仁と敵対はしたくないわい。

 

茶を御二方に出し終えると、儂は『聖杯戦争』について語っていく。

 

事の始まりは数百年前、アインツベルンとマキリが豊富な魔術基盤を求めて日本を訪れたのが始まりだ。

 

そして豊富な魔術基盤を有する冬木を治めていた当時の遠坂の一族と出会う。

 

そこでアインツベルンとマキリは、まだ駆け出しの魔術師だった遠坂にとある魔術儀式を持ち掛けた。

 

それが『聖杯戦争』だ。

 

今では既に三回行われたが、成功したとは聞いていない。

 

何らかの欠陥があるのだろう。

 

そう話すとゼン殿が頷いた。

 

「三度の失敗を経験しても改善出来ない程に、その儀式は複雑なのかい?」

「おそらくは『聖杯』の事のみが強調されて伝わっており、子孫達も欠陥を知らぬのでしょう。もっとも、マキリの当主は当時から存命しているので知っていて放置しているのかと。」

 

御二方が頷いたのを見て話を続ける。

 

「『時計塔』の魔術師の中に『令呪』が発現した者がいた筈です。興味があるのならば探してみては?」

「龍脈をなんとかするついでに、英雄達の宴に参加するのも悪くないね。」

「古の時代の英雄に会えるのですか?楽しみですね。」

 

御二方は立ち上がると、儂に一言の礼を言って去っていった。

 

去り際に遠坂は儂の弟子だと伝えたので無下にはされぬだろう。

 

見送りを終えると小さくため息を吐く。

 

あの『蟲』はおそらくゼン殿の癇に触るだろう。

 

「マキリ…いや、『間桐』も絶えるやもしれぬな。」

 

 

 

 

side:言峰 綺礼

 

 

「綺礼、勝ったぞ。」

 

英雄の召喚に手応えを感じる師の遠坂 時臣は、召喚による急激な魔力消耗で流れる脂汗を拭いながら歓喜の声を上げている。

 

師の手応えに呼応する様に召喚陣からは光の奔流が溢れだしている。

 

やがて一際光が強まってから収まると、そこには目を閉じた一人の男が立っていた。

 

金髪の青年。

 

一見するとそれだけだが、ただの立ち姿に威を感じる。

 

なるほど、これが原初の英雄ギルガメッシュか。

 

開眼したギルガメッシュの前で時臣氏が頭を垂れて膝をつく。

 

「ほう?我を喚ぶだけあって弁えている。」

 

頭を垂れ、膝をついたまま時臣氏が口を開く。

 

「呼び掛けに御応えいただき感謝致します、ギルガメッシュ王。」

「して、我を喚び何を望む?」

「聖杯戦争の勝利を。」

「たわけ、我を喚んだ貴様の勝利は確約されている。我が問うたのは貴様自身の望みよ。」

 

謝罪の一言を言ってから時臣氏が話す。

 

「『根源』への到達が我が望みでございます。」

「それは娘を捨ててでも叶えねばならぬ願いか?」

 

時臣氏は少し前に次女の桜を間桐に預けた。

 

魔術は一子相伝が基本。

 

次女の桜は長女の凛には及ばぬものの、豊富な魔力量と異質な魔力適性を持つ。

 

故に時臣氏は継承争いを避けつつ、他所の魔術師に狙われぬ様にする為に次女の桜を間桐に預けた。

 

間桐は後継ぎの魔術回路が枯渇したと聞く。

 

ならば娘は無下に扱われぬだろうとの判断だ。

 

だが、ギルガメッシュはそれを『捨てた』と断じた。

 

何故だ?

 

思考を巡らせていると不意にギルガメッシュが歩き出す。

 

「王よ、何処に行かれるのでしょうか?」

「たわけ!我の庭に奴隷一人とて不用な者はおらぬわ!」

 

そう一喝したギルガメッシュは姿を消す。

 

そして数分後には桜を抱えて戻ってきた。

 

そのギルガメッシュを見て驚愕する時臣氏の姿を見た私は、心の奥底から沸き上がる感情を抑え込むのに苦心するのだった。

 

 

 

 

side:遠坂 時臣

 

 

ギルガメッシュ王と共に綺礼も部屋を去ると、桜は恐る恐る声を出した。

 

「…お父さん?」

 

桜の頭を撫でながら、私は内心で頭を抱える。

 

どうしたものか?

 

口頭でのやり取りとは言え、互いの了承を以て桜は間桐の養子とした。

 

それを一方的に破棄した形なのだ。

 

あの怪物…間桐 臓硯を完全に敵に回しただろう。

 

…いや、あの老人なら見に回るか?

 

どちらにせよ、聖杯戦争が終わるまでに何らかの手を打たねばならない。

 

そこまで考えて気付く。

 

あの怪物が本当に桜に何もしないのか?

 

「お父さん…私、いらない子じゃないの?」

 

娘のその言葉に胸を突かれる。

 

遠坂の当主として行った事だったが…私は間違っていた。

 

愚か者め!

 

あの怪物が…桜に何もせぬ筈がないではないか!

 

私は娘を抱き締めながら話し掛ける。

 

「もちろんだ。桜は私と葵の娘なのだからな。それよりも、怖い思いはしなかったか?」

「えっと、凄いいっぱいの虫が私のところにこようとしていたんだけど、あの金髪の人が助けてくれたの。」

 

あぁ…王よ、感謝します。

 

貴方がいなければ、桜はあの怪物に心身共に壊されていたでしょう。

 

愚かな私の決断のせいで…。

 

己に怒りが沸く。

 

「痛いよ、お父さん。」

 

おっと、いかん。

 

強く抱き締め過ぎた。

 

慌てて力を緩めると、桜は少し恥じらいながら抱きついてきた。

 

「葵と凛はちょっと出掛けていていないんだ。だから今日はお父さんと一緒に寝ようか。」

「…うん!」

 

花開く様な笑顔の桜を、私はもう一度抱き締めたのだった。




本日は4話投稿します。

次の投稿は9:00の予定です。


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第243話

本日投稿2話目です。


side:ギルガメッシュ

 

 

「何故、桜を連れ帰った?」

 

酒を片手に言峰 綺礼という男を『観る』。

 

…なるほど。

 

難儀な性質の者だ。

 

「ただの戯れよ。」

「ならば時臣氏を一喝する理由はなかろう。」

「問答の果てに己が問いの答えも求めるか。」

 

言峰 綺礼がピクリと反応を示す。

 

「…何故?」

「たわけ、我に見通せぬものなどないわ。」

「ならば…。」

「そう急かずともよい。此度の宴の最中に、貴様は答えを得るだろう。我が示さずともな。」

 

時臣の娘を庇おうとしていた男が蟲に喰われ苦しんでいたが、あれは立ち向かう事をせずに逃げたが故の結果だ。

 

そんな軟弱な者には救うだけの興を感じなんだ故に捨て置いた。

 

必要とあらばあの醜悪な蟲共々、二郎がなんとかするだろう。

 

それまで生きていればだがな。

 

不満気に眉を寄せる言峰 綺礼を前に、我は杯を傾けたのだった。

 

 

 

 

side:ケイネス・エルメロイ・アーチボルト

 

 

それは突然やってきた。

 

魔術工房で許嫁のソラウと紅茶を楽しんでいた時、不意に虚空が歪むと二人の男女が姿を現した。

 

「初めましてだね、ブリテンにいる者には『ゼン』と名乗った方がいいかな?」

「お邪魔します。私はアルトリア・ペンドラゴンです。」

 

ゼン?

 

アルトリア・ペンドラゴン?

 

それらの名に、私は直ぐに『アーサー王伝説』が思い浮かぶ。

 

騙りか?

 

アーサー王伝説には二人は旅立ったと記されていて、死んだとは一言も記されていない。

 

ならば存命の可能性もないではないが…。

 

…少なくとも私の魔術工房に雑作もなく入り込める実力者だ。

 

それにこの者達から感じる魔力量は、現代の魔術師では考えられぬ程の量だ。

 

下手をすればあの『宝石翁』すらも上回るかもしれん。

 

ソラウを背に庇いつつも、とりあえずは敬意を払おう。

 

「…魔術師ゼン殿とアーサー王が、このロード・エルメロイに何用ですかな?」

「その呪いを譲ってくれないかい?」

 

呪いとは『令呪』の事だろう。

 

だが…。

 

「何故にこれをお求めなのですかな?」

「英雄達の宴に興味があってね。」

 

聖杯戦争を英雄達の宴と評する…か。

 

「聖杯には興味無いので?」

「無いね。君も興味があるようには見えないけど?」

「ありませんな。」

 

このロード・エルメロイは魔術師としての成功が既に約束されている。

 

聖杯など必要ない。

 

私にとって聖杯戦争など、せいぜい実戦経験を積んで箔をつける程度のものだ。

 

「では、譲ってくれるかい?」

「魔術師ゼン殿に言う必要はないかもしれませぬが、魔術は等価交換が基本。対価として何をいただけますかな?」

 

もしこの者が本物の魔術師ゼンならば、今の世では手に入らない様な神秘を宿した物が手に入るかもしれない。

 

それを得れば、アーチボルト家は更なる栄光の道を歩むだろう。

 

「何を望むんだい?不老の妙薬でも、神獣の毛でも好きな物で構わないよ。」

 

いざそう問われると悩むものなのだな。

 

少し時間をもらい考える。

 

「…不老の妙薬を二人分貰えますかな?」

「あぁ、いいよ。」

 

そう言って彼は笹に包まれた丸薬を渡してきた。

 

一見するとただの丸薬。

 

だが見る者が見れば、正気を失いかねない程の神秘が内包されていた。

 

…なるほど、彼等は『本物』だ。

 

腹に力を入れて背筋を正す。

 

そして改めて二人に敬意を払う。

 

「御二人を偽者と疑いし事を謝罪します。」

「構わないよ。神秘の薄い今の世では、疑われても不思議じゃないからね。」

 

悠久の時を生きし者故か、極自然で優雅な余裕を感じる。

 

私も斯く在りたいものだ。

 

さて、『本物』の不老の妙薬を貰ったとあっては対価として受け取り過ぎだ。

 

等価にせねばな。

 

「ゼン殿、謝罪の品として、英雄召喚の触媒を受け取っていただけませんかな?」

「それはありがたいね。」

 

不安気に緊張しているソラウに微笑み掛けながら、私は二つの触媒を手にする。

 

「一つは『征服王イスカンダル』の触媒で、もう一つは『輝く貌ディルムッド・オディナ』の触媒です。」

「ではディルムッドの物を貰おうか。彼とは顔見知りだからね。」

 

顔見知り?

 

確かケルト神話には…!?

 

「まさか、貴方は…。」

「その疑問には『是』と答えておこうか。さて、それじゃ呪いを貰うよ。」

 

そう言って彼は私の『令呪』に手を伸ばす。

 

そして次の瞬間には、彼の手の中に『令呪』があった。

 

注視していたにもかかわらず、どうやって『令呪』を取ったのかわからなかった。

 

このロード・エルメロイがだ。

 

半ば呆然としていると、ゼン殿がアーサー王へと振り返った。

 

「それじゃ、行こうか。」

「はい。」

 

返事をしながらも、アーサー王はソラウへと目を向けている。

 

…何だ?

 

「アーサー王?」

「今の私は王ではありませんよ、ロード・エルメロイ。」

「ではペンドラゴン卿と…して、いかがされましたか?」

「お節介かもしれませんが一言…口にしなければ伝わらぬ想いもありますよ、ロード・エルメロイ。」

 

伝わらぬ想い?

 

アーサー王はソラウを見ていた。

 

それで伝わらぬ想い?

 

…そんな馬鹿な!?

 

「ペンドラゴン卿!私は…!?」

「ロード・エルメロイ、女心は複雑なのです。ちゃんと言葉にしてあげてくださいね。」

 

…なんてことだ。

 

まさか、私の想いがソラウに伝わっていなかっただなんて…!

 

己に憤慨していると、何かが飛んできた。

 

咄嗟に手で受け止めると、それは何かの丸薬だった。

 

「それはオマケしとくよ。君が言葉だけでなく、行動でも想いを伝えたければ飲むといい。」

 

御二人は微笑みながら虚空に姿を消した。

 

私は即座に今渡された丸薬を飲み込む。

 

すると、身体が芯から熱くなってきた。

 

あぁ、なるほど。

 

これならば存分にソラウを愛せる。

 

私はいまだに困惑しているソラウの元に歩み寄る。

 

そして手を取り膝をつくと、想いを告げた。

 

「ソラウ、君を愛している。」

「…ケイネス?」

「君が疑うのも無理はない。私達の繋がりは家の都合が始まりだったのだから。」

 

ソラウの瞳が不安気に揺れ動いている。

 

あぁ…何故気付かなかったのだ。

 

思えば、彼女の心からの笑顔を見た覚えがない。

 

それを私は、アーチボルト家の女として相応しくなるべく、彼女が努力しているのだと思い込んでいた。

 

愚かだ。

 

私は本当に愚かだった。

 

だが、まだ遅くない筈だ。

 

私は立ち上がると彼女を抱き寄せる。

 

「言葉で信じてもらえぬのならば、次は行動で示そう。」

「えっ?ケイネス?」

 

この身を焦がす程に滾る想いを…全て彼女に伝えるのだ!

 

 

 

 

side:ウェイバー・ベルベット

 

 

聖杯戦争の参加資格である令呪が発現した僕は、深夜にロード・エルメロイの魔術工房に忍び込んだ。

 

聖杯戦争の英雄召喚に使う触媒を盗み出して、僕の論文を破り捨てたあいつの鼻を明かすためだ。

 

まぁ、触媒を用意する為の金が無いってのもあるけど…。

 

ため息を吐きたいのを堪えて触媒を探そうとする。

 

だけど…。

 

「誰かと思えばウェイバー君か。」

「ロ、ロード・エルメロイ…。」

 

まさか…こんなに早く察知されるだなんて…。

 

「むっ、それは令呪?…なるほど、そういう事か。」

 

ロード・エルメロイが歩き出すけど、僕は身動きが取れない。

 

何故ならあいつが完全に戦闘態勢に入っているからだ。

 

下手に動けば殺される。

 

それだけ僕とあいつには魔術師としての実力差がある。

 

息を飲むと、ロード・エルメロイが何かを投げてきた。

 

反射的にそれを受け止める。

 

「持っていきたまえ、それは既に私には必要ない物だ。」

「…はぁ?」

 

意味がわからなくて受け止めた物に目を向ける。

 

すると、僕の手の中にある物は、僕が探そうとしていた物だった。

 

「えっ?いや…いいんですか?」

「それを欲していたのだろう?先程も言ったがそれは既に必要ない物だ。君では英雄召喚の触媒を用意するのも困難であろう?コネクションも財も無い君ではね。」

「うぐっ…。」

 

正にその通りで何も言い返せない。

 

でも…あの論文が認められていれば…!

 

そんな思いを込めてロード・エルメロイを睨む。

 

「どうもウェイバー君は色々と納得がいっていない様だ。」

 

ロード・エルメロイがやれやれと言わんばかりに首を振る。

 

そんな仕草が似合うのも腹が立つ。

 

「先ずは一つ、私は既に令呪を持っていない。故に英雄召喚の触媒は必要ないのだ。」

「はぁ?えっ?ロ、ロード・エルメロイ!令呪はどうしたのですか!?」

「その様に叫ばずとも聞こえる。それに時間を考えたまえ、ウェイバー君。あまり騒がしくしては、私の愛するソラウが起きてしまうではないか。」

「す、すみません。」

 

思わず謝罪をしてしまう。

 

…どうしてこんな状況になった。

 

「令呪はある御方に譲った。」

「ある御方?」

「聖杯戦争に参加するのならば会う機会もあるだろう。君は私の教え子であるので警告しておくが、間違っても勝ちにいこうとせぬ事だ。英雄達の戦いを見て見聞を広げ、生き残る事を第一としたまえ。」

 

その言葉に不満を感じる。

 

「僕では勝てないと言うのですか?」

「勝てぬよ。君だけではない。私は疎か、現代の魔術師では誰も勝てないだろう。それはロード・エルメロイの名に賭けて断言する。」

 

自信の塊と言えるロード・エルメロイが勝てないと言いきるなんて…いったい誰なんだ?

 

「納得はしなくてもいい。だが、この私がそう言っていた事は覚えておくのだな。」

「は、はい。」

「うむ、では二つ、君の論文を破り捨てた件だ。」

 

僕は眉を寄せる。

 

あれは会心の出来だった。

 

その論文を有無を言わさずに破り捨てたんだ。

 

理由があるのなら、ちゃんと聞かせてもらいたい。

 

「君の論文は実に効率的だった。科学をも組み入れたあの論文は、現代において最適解の一つだろう。それは認める。だが魔術師としては、あの論文を認めるわけにはいかないのだ。」

「…何故ですか?」

「ウェイバー君、君は何故に魔術が秘匿されているのかわかるかね?」

 

問いに問いを返されてしまったが、ここは素直に僕が答える事にする。

 

「限られた魔術基盤を独占する為では?」

「それも理由の一つではある。だが真の理由は、これ以上神秘が薄れるのを防ぐ為なのだ。」

 

神秘が薄れる?

 

疑問に思っているとロード・エルメロイが小さくため息を吐いた。

 

その仕草にイラッとする。

 

「ウェイバー君、何故に人は魔術を使えると思うかね?」

「それは魔術を学問として解き明かしてきたから…。」

「では、君は魔力無しで魔術を使えると?」

 

あっ…。

 

「そうか…そういう事か。」

「神秘があるが故に、人はその身に魔力を宿して生まれ来る事が出来るのだ。君がここまでを理解したとした上で改めて聞こう。ウェイバー君、もし認めると言ったら、君はもう一度あの論文を書くのかね?」

「…いいえ、書きません。」

「うむ、よろしい。」

 

ロード・エルメロイは正しかった。

 

ただ頭の固い、古臭い考えしか出来ない奴じゃなかった。

 

僕が魔術師の世界の事情を知らなかっただけだったんだ。

 

…くそっ!

 

自分の馬鹿さ加減に腹が立つ。

 

大きく深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。

 

「落ち着いた様だね。」

 

そう言ってロード・エルメロイは笑みを向けてくる。

 

あれっ?

 

落ち着いた事で気付いた。

 

ロード・エルメロイって、こんなに人当たりが良かったか?

 

「…ケイネス?」

 

そんな風に疑問に思っていると、不意に女性の声が聞こえてきた。

 

「おぉ、ソラウ。」

 

ソラウというのは確か…ロード・エルメロイの許嫁の名前だった筈だ。

 

「ごめんなさい、貴方の顔が見たくて工房まで来てしまったわ。」

「おぉ、なんて嬉しい事を言ってくれるんだ、愛しいソラウ。」

「あぁ、ケイネス…。」

 

僕がいるというのに二人は見つめ合いながら抱き合っている。

 

なんだこの馬鹿ップル。

 

ふと気がついた様にロード・エルメロイが僕の方に振り向いた。

 

「まだ何か聞きたい事はあるかね?」

「い、いえ。」

「では早く去りたまえ。私はソラウを愛するのに忙しいのだ。」

「で、では、失礼します。」

 

いちゃつく馬鹿ップルを尻目に、僕はロード・エルメロイの魔術工房を後にする。

 

そして外に出てから振り返ると、ふと呟いてしまった。

 

「一日会わなかっただけで変わり過ぎだろう…いったい何があったんだよ…。」

 

手に持っている触媒に目を向けると、僕は大きくため息を吐いたのだった。




次の投稿は11:00の予定です。


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第244話

本日投稿3話目です。


side:言峰 綺礼

 

 

ギルガメッシュが召喚された翌日、時臣氏が桜を奥方の元へ送り届けて戻ってきた後に、私もサーヴァントを召喚する事になった。

 

召喚するサーヴァントのクラスはアサシン。

 

今回の聖杯戦争を時臣氏に勝たせる為に、父がサポートに適したクラスをと選択した結果だ。

 

父と師が見守る中で召喚陣の前に立つ。

 

アサシンの召喚には触媒を必要としないのが利点だろう。

 

時臣氏はギルガメッシュの触媒を用意するのに、遠坂家の蓄財のほとんどを消費したと聞いている。

 

遠坂家の財力が回復するには相応の時を必要とするだろう。

 

聖杯戦争が60年周期で行われるのも、そういった事情からなのかもしれん。

 

呪文を唱えるに従って召喚陣が光を放って輝いていく。

 

魔術師としては二流のこの身で、サーヴァントを無事に呼び出せるのだろうか?

 

父の期待に応えるべく召喚は成功させたいが、失敗して時臣氏の落胆する顔をと考えると…。

 

魔力が抜ける感覚で雑念に気付く。

 

代行者としての修行を思い出し雑念を払う。

 

すると召喚陣が一際強く輝いた。

 

次の瞬間、召喚陣の上には一人の老人の姿があった。

 

その老人の姿に首を傾げる。

 

聞いた話だが、アサシンのクラスで喚び出すサーヴァントは決まっている筈だ。

 

だが、私が喚び出したサーヴァントは一見、アサシンには見えない。

 

功夫着を着ているので、おそらくは中華の者なのだろう。

 

「ほう…これが現世か。儂が生きていた時代と大きくは変わらぬようだ。」

 

老人が私に目を向けてくる。

 

すると小柄な老人の身体が、突如大きくなった様に見えた。

 

背中を冷や汗が流れる。

 

「どうやらお主が儂のマスターの様だな。」

 

正中線が一切揺れぬ歩みで老人が近付いてくる。

 

その歩みはアサシンというよりは武術家に見える。

 

「ほう?お主も少しは使える様だのう。」

 

不敵な笑みを見せる老人は包拳礼をした。

 

「儂は李書文。しがない武術家よ。」

 

老人の名乗りに私だけでなく、父や師も目を見開いたのだった。

 

 

 

 

side:ギルガメッシュ

 

 

「ほう?」

 

綺礼が喚び出したあのサーヴァント…二郎に関わりがある者か。

 

「渇きを知るが故に応えたか。」

 

アサシンから目を離し、世界を『観る』。

 

「気付いたか、流石は我が友よ。早く来い、宴を始めるぞ。」

 

 

 

 

side:アルトリア

 

 

「どうかしましたか、二郎?」

「『観られて』いたんだ。」

「『観られて』?」

「あぁ、なるほど。この気配は彼が宴に喚ばれたのか。これはあまり待たせると拗ねられそうだね。」

 

二郎が楽しそうに笑っています。

 

言葉から察するに旧知の者が召喚されているようですね。

 

「それじゃ、俺達も喚ぼうか。」

 

二郎が触媒を置いて地を踏み締めると、触媒を中心に光の奔流が渦巻き出しました。

 

召喚陣を用いずに英霊を召喚する。

 

魔術師がこれを聞いたらどう思うでしょうか?

 

マーリンやゼルレッチなら苦笑いするぐらいでしょうが、士郎なら遠い目をするでしょうね。

 

一際光が強まってから収まると、そこには一人の男性の姿がありました。

 

「…っ!?ゼン様!?」

 

ディルムッド・オディナと思われる人物は、二郎を目にすると直ぐに地に膝を突きました。

 

「久しいね、ディルムッド。」

「お久し振りでございます、ゼン様。」

 

「君には何か聖杯への願いがあるかい?」

「なにもございません。私は古今の英雄達との戦いを求め、此度の召喚に応じました。」

「そうかい。なら、現世の酒も合わせて楽しんでいくといいよ。」

「はっ!」

 

ディルムッド殿の礼はランスロットに勝るとも劣らない見事なものです。

 

流石はケルトの伝説の騎士ですね。

 

「ところでゼン様、そちらの御令嬢は?」

「彼女はアルトリア・ペンドラゴン。俺の恋人だよ。」

 

二郎は恋人と紹介しましたが、現代の中華の王が用意した私の戸籍には二郎の『妻』と記されています。

 

『妻』です。

 

妲己と竜吉公主には悪いですが、これで名実ともに私が正妻ですね。

 

私は二郎の横に並び立ってディルムッド殿に挨拶をします。

 

「『妻』のアルトリア・ペンドラゴンです。ディルムッド殿、此度はよろしくお願いしますね。」

「赤枝の騎士が一人、ディルムッド・オディナです。ペンドラゴン卿、こちらこそよろしくお願いします。」

 

彼の伝説には呪いの黒子の話がありますが、それも生前に二郎が解呪しています。

 

しかも命も救われたとあって、彼は死後も二郎に恩を返す機会を待っていたようですね。

 

サーヴァントとして二郎に仕える事になった彼はとても嬉しそうです。

 

「さて、それじゃ日ノ本に行こうか。」

 

私達はのんびりと飛行機でブリテンから日本に向かう事にしました。

 

ファーストクラスでの旅は中々に快適です。

 

出入国に関しては幻術で誤魔化しました。

 

そして認識阻害の術も使っているので、ディルムッド殿も姿を現して共に酒を楽しんでいます。

 

そういえば、二郎は旧知の者を待たせている筈ですがいいのでしょうか?

 

「これが現代の酒ですか。美味い物ですね。」

「よければ神酒に変えようか?」

「畏れ多い事ですが、お願い出来ますか?」

 

私も二郎が神酒に変えた葡萄酒を楽しみます。

 

…うん、美味しいです。

 

神の子やギャラハッドが造った葡萄酒に勝るとも劣らぬ見事な味。

 

流石は二郎ですね。

 

その後も酒や食事をしながら空の旅を楽しむのでした。

 

 

 

 

side:衛宮 切嗣

 

 

ドイツのアインツベルン城の地下、そこにある召喚陣に触媒を置く。

 

今回の聖杯戦争にアハト翁は二つの触媒を用意していた。

 

一つはギリシャ神話の大英雄アルケイデスの物。

 

そしてもう一つが僕に渡してきたアーサー王伝説の円卓に縁のある物だ。

 

婿養子に迎えたとはいえ、僕に本命の触媒を与えないのは本心では信用されていないからだろう。

 

アイリの命を賭ける以上、聖杯戦争に必ず勝つ為にはアルケイデスの触媒を使いたかった。

 

…これ以上不満を抱いても仕方ない。

 

ならば、円卓の騎士の中で聖杯戦争に適した者を考えよう。

 

理想は騎士の中の騎士と謳われているランスロット。

 

次点でギャラハッドか。

 

実力だけを考えればトリスタンも考えられるが…彼は弓兵だ。

 

前線で敵の注意を引かせるには不適だろう。

 

アーサー王やモードレッド、そしてガウェインは王である事を考えると、サーヴァントとして従えるには不安がある。

 

命令を聞かせるのに令呪を使わねばならない可能性が高いかもしれない。

 

戦力としては十分だろうが、リスクが高い。

 

やはりランスロットかギャラハッドを召喚するのが理想的だ。

 

召喚を始める前に明確に候補の二人をイメージしていく。

 

「切嗣…。」

 

心配そうな声を出すアイリに微笑む。

 

大丈夫。

 

必ず戦いを根絶し、世界に恒久的な平和を実現してみせるよ。

 

強い想いを胸に召喚を始める。

 

召喚陣から光の奔流が渦巻くと、急激な魔力消耗に意識が霞む。

 

パスを繋いでいるアイリの魔力も召喚陣に注ぐ。

 

…手応えありだ。

 

光が収まると、そこには紫の髪色をした成人男性の姿があった。

 

「召喚に応じ参上した。私はランスロット。美しいお嬢さん、貴女が私のマスターか?」

 

そう言いながらランスロットと名乗った男は、僕ではなくアイリの前で騎士の礼をとったのだった。




次の投稿は13:00の予定です。


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第245話

本日投稿4話目です。


side:アイリスフィール・フォン・アインツベルン

 

 

「召喚に応じ参上した。私はランスロット。美しいお嬢さん、貴女が私のマスターか?」

 

切嗣が望む英霊の召喚には成功したけど、ランスロットは何故か私に話し掛けてきた。

 

…そういえばランスロットには女好きの逸話があったわね。

 

そのせいかしら?

 

「お嬢さんだなんてお上手ね。私はアイリスフィール・フォン・アインツベルン。これでも人妻よ。」

「私は己の信念として女性に敬意を払っただけです。他意はありませんよ、御夫人。」

「そういう事にしておくわ。それはそうと、貴方のマスターはそこにいる私の夫よ。」

 

ランスロットが切嗣に振り向く。

 

「私はランスロット。卿の名は?」

「…衛宮 切嗣だ。」

「まるで戦で心を痛めた兵の様な目をしている。失礼だが、戦えるのか?」

 

ランスロットの言葉に驚く。

 

私も詳しく聞いたわけではないけど、切嗣は傭兵として幾度も戦い、その戦いの経験から世界の平和を求めている。

 

そんな切嗣の状態を、ランスロットはほぼ正確に言い当ててしまった。

 

私が驚いた様に切嗣も驚いたみたい。

 

僅かにだけど目を細めているもの。

 

「問題ない。」

「そうか、ところで卿に一つ聞きたい事がある。」

「…なんだ?」

「卿が聖杯に掛ける願いは?」

 

その問い掛けに切嗣は眉を寄せる。

 

「答える必要があるのか?」

「私には聖杯に掛ける願いはない。故に召喚に応じはしたものの、戦う理由がない。」

 

アーサー王伝説に残されているランスロットの逸話を思い返しても、彼に心残りがあるとは思えない。

 

「理由がなければ戦えないと?」

「ただ徒に獣の如く力を振るえと言うのならば、私は自ら命を断ってアヴァロンへと帰る。だが、卿の願いが騎士として剣を振るうに値するのならば、一時的に卿に仕える事を誓おう。」

 

騎士の中の騎士と謳われているランスロットが仕えてくれるのは心強い。

 

切嗣もそう思ったのか、少しだけ目を閉じてから答え始めたわ。

 

「僕が聖杯へと掛ける願い…それは『戦いの根絶』と『恒久的な平和の実現』だ。」

 

 

 

 

side:ランスロット

 

 

「僕が聖杯へと掛ける願い…それは『戦いの根絶』と『恒久的な平和の実現』だ。」

 

耳を疑った。

 

衛宮 切嗣は本気で言っているのか?

 

「…卿はどうやってそれを叶えるつもりだ?」

「それは聖杯に願えば…。」

「そうではない。どの様な『形』でそれを願うと聞いたんだ。奇跡は全能かもしれんが、全知ではないのだぞ。」

 

衛宮 切嗣が大きな動揺を見せる。

 

私の息子のギャラハッドは石をパンに変えたり、水を葡萄酒にするといった奇跡を起こせたが、それはあくまでパンや葡萄酒を知っていたから起こせた奇跡なのだ。

 

その事を伝えると衛宮 切嗣の目が泳ぎ出した。

 

この男の目を見た時に感じた不快感が何なのか漸くわかった。

 

この男は…悲劇に酔っているのだ。

 

「仮に卿の願いが叶ったとして、貧困故に糧を得ようと戦おうとしていた者達はどうなる?座して飢えろとでもいうのか?」

「それは…。」

「聖杯の奇跡ならば今日を生きる為のパンは得られるかもしれん。だが、明日はどうする?聖杯戦争で得られる聖杯とは、そんなに何度も奇跡を起こせる様な代物なのか?それとも現代に生きる人々は、無償でその様な者達に糧を分け与えられる程に豊かなのか?」

 

衛宮 切嗣は床に崩れ落ちて項垂れた。

 

そして先程までは悲劇に酔っていた目が、今では迷子の幼子の様な目をしている。

 

私は御夫人に目を向ける。

 

彼女も動揺しているが、気丈にも衛宮 切嗣を心配そうに見詰めていた。

 

なるほど…どうやら召喚の時に感じた慈愛の心は彼女のものだった様だ。

 

アヴァロンに召喚陣が現れた時、魔力に乗った二つの心を感じた。

 

一つは悲壮感。

 

そしてもう一つが慈愛だ。

 

私はこの慈愛の心に応えるべく召喚に応じたのだ。

 

衛宮 切嗣…御夫人に感謝する事だ。

 

彼女が優しく強い女性であった事を。

 

 

 

 

side:アイリスフィール・フォン・アインツベルン

 

 

ランスロットが霊体化して姿を消した。

 

私は動揺が酷い切嗣に寄り添う。

 

「アイリ…どうしよう?」

「切嗣…。」

 

切嗣の願いは叶わないと知ってしまった。

 

私達にはもう聖杯戦争を戦う理由が無い。

 

本当に…どうしたら…。

 

「ママ?切嗣?」

 

驚きながら振り向く。

 

するとそこには、愛する娘のイリヤがいた。

 

「こら、夜中なのに起きてるだけじゃなく、こんな所まで来て…イリヤは悪い子ね。」

 

そう叱るけど、イリヤは笑顔で私に抱き付いてくる。

 

そんなイリヤの頭を撫でた。

 

…あったわ。

 

まだ私には…聖杯戦争を戦う理由があった。

 

今回の聖杯戦争で勝てなければ、次はイリヤの番かもしれない。

 

「イリヤ、先にベッドに行ってなさい。ママと切嗣も直ぐに行くから。」

「うん!早く来てね!」

 

イリヤを見送ると切嗣に目を向ける。

 

私が犠牲になる覚悟はもう出来ている。

 

これは私の運命。

 

でも、切嗣とイリヤには生きてほしい。

 

たとえ戦いの根絶や恒久的な平和の実現が出来なくても…。

 

私は項垂れる切嗣の前に歩み寄ると、彼の頬を思いきり張り飛ばしたのだった。

 

 

 

 

side:衛宮 切嗣

 

 

ランスロットを召喚した翌日、僕はアイリと一緒に改めて彼と対峙した。

 

「ほう?卿はいい顔になったな。戦う男の顔だ。」

 

やれやれ、どうやら僕の心境の変化は見破られているようだ。

 

願い叶わぬと知ってしまった昨夜、僕は間違いなく心が壊れる寸前だった。

 

だけどそんな僕の心をアイリが繋ぎ止め、そして立ち直らせてくれた。

 

「あえて問わせてもらう。衛宮 切嗣、卿はまだ戦いの根絶や恒久的な平和の実現を望むのか?」

「いや、望まない。今の僕が望むのは、愛する家族を守る事だ。」

 

僕の答えにランスロットは微笑むと、地に膝をついて頭を垂れた。

 

「この聖杯戦争の間、私は騎士として卿に仕える事を誓おう。」

「よろしく頼む、ランスロット。」

 

手を差し出して彼と握手をする。

 

そしてランスロットに今回の聖杯戦争について話す。

 

アインツベルンが『第三の魔法』を求めている事。

 

聖杯戦争の聖杯の事。

 

話を聞いたランスロットは小さくため息を吐いた。

 

「なるほど、アイリ殿の命が代償ならば、卿があの馬鹿げた願いを本気で考えたのも頷ける。」

「…今思えば、どうして僕はあんな極端な考えになったのかと思うよ。」

 

まるで物語を読んでのめり込んだ様な夢現な状態だった。

 

アイリに頬を張られ、そしてイリヤを守りたいという決意を聞かされて漸く目が覚めた。

 

もう大丈夫だ。

 

ただ、なんというか…アイリに頭が上がらなくなってしまったんだよなぁ…。

 

僕はこんな性分だっただろうか?

 

「それで、卿はどうするつもりなんだ?」

 

腹に力を入れる。

 

彼の力を借りて、必ずイリヤを守らねばならない。

 

「聖杯戦争の開始を止める事は出来ない。なら勝ち抜き、聖杯に第三の魔法を願って、アインツベルンの大願を成就させなければならない。それが出来なければ、イリヤを守りきれない。」

 

ランスロットがいる間にイリヤを連れてアインツベルンを離れる事も考えたが、彼がいなくなったらイリヤをアインツベルンの手から守り切れる自信が無い。

 

だからアインツベルンから正式にイリヤを引き取る為に、今回の聖杯戦争に勝たなければならない。

 

そう伝えるとランスロットは力強く頷いた。

 

「騎士として全力を尽くす事を誓う。」

 

先ずは一安心といったところか。

 

後は僕の戦い方をランスロットに理解してもらう必要があるな。

 

「ランスロット、僕の戦い方なんだが…。」

「それは興味あるが、そう急ぐ必要も無いだろう。まだ聖杯戦争が始まるまで時間はあるのだからな。それに今回の聖杯戦争は、卿や御夫人にとって悪いものにならない筈だ。」

 

僕はアイリと目を合わせると二人して首を傾げてしまう。

 

「ねぇ、ランスロット、それはどういう事かしら?」

「根拠は無い、私の直感だ。だが…。」

 

そこまで言ってランスロットは微笑む。

 

そして…。

 

「古今の英雄が集う聖杯戦争にあの御方達が興味を示さぬ筈がない。あの御方達に会う事が叶えば、アイリ殿を犠牲にする必要もなくなるだろう。」

 

その言葉にアイリと共に呆然とすると、ランスロットはそんな僕達を見て笑い出したのだった。

 

 

 

 

日本の冬木の地にある間桐邸、その地下の蟲蔵にて一人の男が苦しんでいた。

 

「さ…くら…ちゃん…。」

 

男の名は間桐 雁夜。

 

今回の聖杯戦争のマスターの一人だ。

 

彼が苦しんでいる理由は、身体の内から『刻印虫』という虫に食われているからである。

 

『刻印虫』は魔術師ではない彼を即席の魔術師にする代償として、その身体を蝕んでいるのだ。

 

命すら賭けて彼が聖杯戦争に参加した理由…それは先日、ギルガメッシュに連れ去られた遠坂 桜が原因だ。

 

間桐 雁夜は遠坂 時臣の妻である遠坂 葵に好意を寄せている。

 

故に彼は遠坂 葵の娘である遠坂 桜を救う為に聖杯戦争に参加したのだ。

 

聖杯戦争の勝利と引き換えに遠坂 桜を間桐の魔術に染めない事を約束して。

 

だが遠坂 桜はギルガメッシュに連れ去られてしまった。

 

今の彼には聖杯戦争を戦う理由が無い。

 

そんな彼に残ったのは…己の想い人と結ばれた男への憎悪だけだ。

 

「と…き…お…みぃ!」

 

彼は呪詛の如く遠坂 時臣の名を呼ぶ。

 

傍らに全身甲冑に身を包んだサーヴァントを従えて…。




これで本日の投稿は終わりです。

また来週お会いしましょう。


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第246話

本日投稿1話目です。


side:二郎

 

 

日ノ本に飛行機で到着すると、直ぐに竜脈の淀みに気が付いた。

 

「これは思っていたよりも酷いね。」

「そうなのですか?」

「このまま放っておいたら、二、三十年後には日ノ本が滅ぶよ。」

 

空の旅の途中にディルムッドにも俺達の本当の目的は話してある。

 

だからなのか、彼は神妙な顔になった。

 

「ゼン様、この国は大丈夫なのでしょうか?」

「このぐらいなら問題ないよ。三千年以上前にいた邪仙がやっていた事に比べればね。」

 

当時の邪仙の中には、妲己の名を騙って中華の民を傀儡にしようとした奴もいた。

 

まぁ、封神する際に二度と悪さを出来ない様に力を完全に封じたけどね。

 

「さて、冬木に着いたら二人は教会に行って宴の参加を告げてきてくれるかい。俺はその間に哮天犬と一緒に竜脈を調べてくるからさ。」

「わかりました。合流は中華の王が手配したホテルでいいですか?」

「うん、それでいいよ。」

 

 

 

 

side:アルトリア

 

 

冬木に着いた私はディルムッド殿と共に、聖杯戦争の監督を務めるという教会に向かいました。

 

こういった聖杯戦争の規則はゼルレッチに聞いています。

 

教会に向かいながら考えるのは、この聖杯戦争は正直に言って不正をやりたい放題だという事です。

 

その理由として一つ目、監督を務める教会が歴代のマスターが持っていた『令呪』を管理している事です。

 

令呪はサーヴァントを従える為の呪いですが、使い方によってはサーヴァントを強化する事も出来ます。

 

なのでその気になれば教会が贔屓するマスターに幾つも令呪を渡し、そのマスターが呼び出したサーヴァントを他のマスターが喚び出したサーヴァントよりもずっと強化する事が出来るのです。

 

二つ目、聖杯戦争という魔術儀式を造った御三家の存在です。

 

この御三家はマスターの証である令呪が優先して発現するそうです。

 

そして六十年という開催周期。

 

世代交代や触媒等を用意する為の財の貯蓄をするには十分な期間でしょう。

 

要するに外様のマスターに比べて入念に準備が出来るという事ですね。

 

まぁ、このぐらいは主催者なので仕方ないでしょうが、他にも問題があります。

 

それはこの御三家が談合していた場合です。

 

聖杯戦争は名目上、魔術師の栄誉ある戦いとの事ですが、その栄誉ある戦いに『奇跡』を成す『聖杯』という破格の報酬があるのです。

 

栄誉ある戦いと銘打って聖杯戦争に必要な頭数を揃える為に外様の魔術師を招き、影では御三家が談合して聖杯を手にする順番を決めていても不思議ではないでしょう。

 

そう話すとディルムッド殿が苦笑いをしました。

 

「よくお考えになられますね、ペンドラゴン卿。」

「かつては立場上、苦手でも考えねばなりませんでしたからね。この国の言葉で言えば、『昔とった杵柄』といったところでしょうか。」

 

そんな風に語らいながら歩いていると、丘の上にある教会の前に着きました。

 

たしか日ノ本ではシッダールタ殿の教えが中心だった筈ですが、イエス殿の教えを信仰している者も多いみたいです。

 

流石は世界『四大宗教』の一つですね。

 

扉を軽く叩き、来訪を報せてから中に入ります。

 

中に入り先ず目にしたのは十字架に磔にされたイエス殿の像でした。

 

御本人を知っている身としては内心で苦笑いをするしかありません。

 

私達が中に入ってから少しの間をおいて、イエス殿の像の前で膝をついて祈りを捧げていた人物が立ち上がりました。

 

「当教会にようこそ。主は貴方達の来訪を歓迎されるでしょう。それで、当教会に如何な御用でしょうか?」

 

壮年の男性が柔らかに微笑んで話し掛けてきます。

 

敬虔な信徒の様ですね。

 

イエス殿が知ったら喜びそうです。

 

「他に誰か祈りを捧げにきている方はいますか?」

「いえ、今は貴女達だけです。」

「では…私はアルトリア・ペンドラゴン。代理として『宴』への参加を告げに来ました。」

 

私の言葉に続いてディルムッド殿が現代の服装から、魔力で編んだ鎧に喚装します。

 

それでディルムッド殿がサーヴァントだとわかったのでしょう。

 

壮年の男性は一瞬だけ驚いた様に目を見開きますが、直ぐに穏やかな表情を浮かべました。

 

「…これも主の導きでしょう。貴女方の参加の旨、承りました。」

「はい、ではこれで失礼します。」

 

教会を後にすると、道すがらディルムッド殿と話します。

 

「あの御仁が卑怯な手を使うとは思いたくありませんな。」

「そうですね。ですが、必要とあればやるでしょう。己の罪に苦しみながらも。」

 

暖かな慈愛を感じる人でした。

 

ですが、それ故に罪に苦しみながらも、隣人の為に罪を犯すのを躊躇わないでしょう。

 

「それより、気付きましたか?」

「えぇ、彼は顔見知りですから。」

 

そう答えるとディルムッド殿は僅かに驚いた顔をします。

 

「彼の槍は二郎も認めた程の腕前です。」

「ほう?それは楽しみです。」

 

出来れば私も戦いたいですが、英霊達の宴ですからね。

 

今回はディルムッド殿に譲りましょう。

 

「さて、ホテルに行く前に少し寄り道をしていきましょうか。現地の食を楽しむのも、旅の醍醐味です。」

 

 

 

 

side:言峰 綺礼

 

 

『騎士王』と同じ名を名乗った少女が去ると、私は父の横に立った。

 

アサシン…李書文も姿を現す。

 

「これは面白くなってきたわい。」

「李老師、それはどういう事でしょうか?」

 

父の問いに李書文が笑いながら答える。

 

「彼女とは生前に会っておってのう。一度手合わせをし、敗れている。」

「生前に?では、彼女の名は…?」

「偽名ではなく本物であろうよ。」

 

アルトリア・ペンドラゴン。

 

この名が騙りでないのならば、彼女は本物の『騎士王』という事か。

 

「…時臣君を勝たせるのは難しくなったか。」

「なに、心配せずとも、そう悪い事にはならぬであろうよ。」

 

そう言って彼は不敵に笑う。

 

そして父が疑問に思って首を傾げると、彼は大きな声で笑い始めたのだった。

 

 

 

 

side:二郎

 

 

「なるほど、『これ』を取り込んだから竜脈が淀んだのか。」

 

竜脈を調べるべく洞窟の奥に進むと、そこには黒に染まった竜脈があった。

 

「『あれ』からは悪意を感じるけど、どうも『あれ』自身が悪意を放っている様には感じないね。これは…悪意を『背負わされた』のかな?」

「クゥ~ン。」

 

悲しげに鳴く哮天犬の頭を撫でる。

 

「そうだね。宴の終わり頃に『あの二人』を連れて来ようか。あの二人なら『彼』を救ってくれるだろうからね。」

「ワンッ!」

 

嬉しそうに鳴く哮天犬の頭をもう一度撫でると、悪意が漏れ出ぬ様に封を施してから洞窟を後にするのだった。




本日は4話投稿します。

次の投稿は9:00の予定です。


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第247話

本日投稿2話目です。


side:アイリスフィール・フォン・アインツベルン

 

 

ランスロットが切嗣に仕えてくれると誓ってくれた後、切嗣の『仕事のパートナー』である舞弥さんを彼に紹介しようとしたのだけど、彼女を見たランスロットはこう言ったの。

 

「ほう?美しい御夫人に可愛い娘がいながら愛人を持っているとは…卿もやるじゃないか。」

 

…聞き間違いかしら?

 

「ランスロット、舞弥さんを何て言ったのかしら?」

「切嗣殿の愛人と言ったが?」

「…切嗣?」

 

微笑みながら問い掛けると切嗣が僅かに狼狽える。

 

「いや、舞弥は僕の弟子であり、仕事のパートナーだ。」

「ふむ、現代にまで女性との浮いた話が逸話として残る程度には経験があるのだが…私の見立て違いか?」

 

うん、これ以上ない説得力ね。

 

「舞弥さん、向こうの部屋でちょっとお話しをしましょう。」

「お、奥様!私は!」

「さぁ、行きましょう。」

 

私は舞弥さんの手を取って歩き出す。

 

「ア、アイリ?」

「貴方とも後でお話しをしましょうね、『切嗣さん』。」

「あ、はい…。」

 

ちょっと意地悪な言い方かもしれないけど、このぐらいはいいわよね。

 

部屋を出て扉を閉めると、閉める瞬間に見えた切嗣の顔を思い出して軽く吹き出してしまったのだった。

 

 

 

 

side:ランスロット

 

 

アイリ殿が部屋を出ていくと切嗣殿は力が抜けたのか、呆然としながら床にへたり込んでしまった。

 

「大丈夫か?」

「…誰のせいだと思ってる?」

「卿のせいに決まっているだろう。愛する家族がありながら愛人を持っていたのだからな。」

 

私の言葉を聞いた切嗣は力尽きて床に身を投げ出してしまった。

 

「こういった事は早い内に解消しておく方がいい。」

「…それは経験談かい?」

「まぁ、そうだな。」

 

次男のガーラハッドが7歳の時の事、私が妻のエレイン以外の女性に敬意を払っているのを見たガーラハッドは、私が浮気をしていると思ってしまった。

 

誠心誠意に話をしても中々誤解が解けず、1ヶ月はガーラハッドに父と呼んでもらえぬ日々が続いた。

 

あれは辛い日々だった。

 

ベイリンの様に円卓を追放された方が楽だと思える程に辛かった。

 

「私はただ、アイリ殿に挨拶した時の様に敬意を払っただけなんだが。」

「あれは世間一般的には口説いてるって言うんだよ、ランスロット。」

 

むう…やはり女性への敬意については、トリスタンとしかわかりあえないか。

 

「はぁ…アイリが戻ってきたら何て話せばいいんだ…。」

「そう悪い事にはならぬと思うぞ。」

 

「それも経験談かい?」

「いや、違う。これは勘だ。私は少なくとも、エレインと結婚してからは他の女性に手を出した事は無いのでな。」

「うぐっ…。」

 

 

 

 

side:アイリスフィール・フォン・アインツベルン

 

 

「お、奥様…。」

「舞弥さん、単刀直入に聞かせてもらうわ。貴女は切嗣を愛しているの?」

 

私の問い掛けに一瞬戸惑うものの、舞弥さんは力強く『はい』と答えた。

 

「うん、それならいいわ。」

「えっと…何がいいのでしょうか?」

「舞弥さんが切嗣の愛人であるのを認めると言っているのよ。」

 

そう言うと舞弥さんは驚いて目を見開いたわ。

 

「ど、どうして認めていただけるのですか?」

「私はこれでも『フォン』の称号を持つ貴族よ。一夫多妻への理解ぐらいあるわ。」

「で、ですが、一夫多妻は昔の話では…。」

「あら、現代でも一夫多妻が続いている国はあるわよ。たとえば中華とかね。」

 

魔術師なら愛が無くとも男女の関係になる事もある。

 

魔力供給なんかが理由でね。

 

それを考えれば切嗣を愛してそういった関係になった舞弥さんは、少し複雑だけど好感が持てるわ。

 

「だから舞弥さんが正式に切嗣の妻になりたかったら、切嗣に中華の国籍を取得させないとね。あっ、もちろん私が第一夫人である事は譲らないわよ。」

「奥様…。」

「舞弥さん、私の身体の事は知っているでしょう?」

「…はい。」

 

私の身体は聖杯として調整されている。

 

だから聖杯戦争が進めば、私は人としての機能を失っていき、やがて死に至る。

 

ランスロットは私が生きる道筋もあると言っていたけど、万が一の事も考えておかないといけない。

 

私が死んでも、切嗣とイリヤに幸せになってもらうために…。

 

「だからもしもの時は舞弥さんに頼みたいの。」

「奥様…。」

「だって切嗣には生活能力が無いんだもの。」

 

そう言うと舞弥さんはプッと吹き出した。

 

「放っておくとジャンクフードしか食べないし、服装なんかも実用一辺倒でお洒落なんかとは無縁だわ。」

「ふふ、そうですね。でも、そんなところが可愛いと思う事が…。」

「ダメよ、舞弥さん。イリヤが真似をしたらどうするの。」

「はい、すみません。」

 

謝りながらも舞弥さんは微笑んでいる。

 

うん、彼女となら上手くやっていけそうだわ。

 

覚悟はしているけれど、出来る事なら生き残りたいわね…。

 

「奥様、知っていますか?切嗣はかなり女誑しなんですよ?」

「その話、詳しく聞かせてくれるかしら?」

「はい。切嗣の指示で冬木に拠点の一つを手に入れるべく、私は切嗣の知己である有力者を訪ねたのですが、その有力者の娘さんが…。」

 

こうして私は舞弥さんと切嗣の話で盛り上がっていった。

 

もし叶うのなら、これからも彼女とはこうやってお話しをしていきたいわ。

 

これが本当の友達というものなのかしらね。




悲劇の英雄気取りのスケコマシは一夫多妻去勢拳の刑に処されればいいと思う。

次の投稿は11:00の予定です。


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第248話

本日投稿3話目です。


side:二郎

 

 

竜脈を確認した翌日、俺はギルガメッシュに会いにいく事にした。

 

これ以上待たせると本当に拗ねそうだしね。

 

「アルトリアとディルムッドも一緒に来るかい?」

「はい、一緒に行きます。」

「ゼン様に護衛は必要ないと愚考しますが、騎士として側に控える事を御許し願いたく。」

 

そういうわけで二人と共に冬木の街中をゆっくりと歩いていく。

 

「二郎、これから会いにいく者はどういった人物なのですか?」

「そうだね、例えるなら『何者にも成れる者』ってところかな。」

「何者にも成れる…ですか?」

 

首を傾げるアルトリアに微笑む。

 

「王になろうと思えば王に、戦士になろうと思えば戦士に、魔術師になろうと思えば魔術師に成れる者。そんな万能の才を持ったのがギルガメッシュなんだ。」

「なるほど、原初の王であるギルガメッシュ王ならば納得です。でも私は、二郎もギルガメッシュ王に負けない程の万能の才を持っていると思いますよ。」

 

そう言ってくれるアルトリアに微笑む。

 

「ありがとう、アルトリア。でもね、俺は個の戦いに通ずるものならギルガメッシュよりも上だと自負しているけど、それ以外の才は間違いなくギルガメッシュに劣ると思ってるよ。」

「それ程に凄い人物だったのですね、ギルガメッシュ王は。」

「あぁ、自慢の友だよ。」

 

 

 

 

side:遠坂 時臣

 

 

「時臣、歓迎の準備をせよ。」

「王よ、それは如何な理由で?」

「我が友が来る。」

 

一度頭を垂れた私は急ぎ秘蔵の酒の準備に向かう。

 

王が友と呼ぶ者…神話に間違いがなければ、放浪の神ゼンが我が家に来るという事だ。

 

神なる存在に会える事に年甲斐もなく高揚する。

 

遠坂家当主として不足ない格好をしている自覚はあるが、姿見で今一度確認をしておく。

 

王から歓迎の命を受けてから十五分程が過ぎると呼び鈴が鳴った。

 

優雅さを忘れず、然れど急ぎ足で玄関へと向かう。

 

そして玄関を開けると、そこには青髪の美青年の姿があった。

 

私は直感する。

 

この御方が放浪の神ゼンであると。

 

「御来訪を御待ちしておりました、放浪の神ゼン様。」

「君が俺の友を喚んだ者かい?」

「はっ、名を遠坂 時臣と申します。以後、お見知りおきを。」

「遠坂?すると、君がゼルレッチの弟子か。」

 

宝石翁の名を出され驚く。

 

…あの御方なら神と知己でも不思議ではないか。

 

「おっしゃる通りに我が遠坂家は宝石翁の弟子でございます。」

「彼からは君の一族がこの地の竜脈の管理者でもあると聞いているんだ。その事で話があるから後で時間をもらうよ。」

 

竜脈の事で?

 

気になるが、先ずは王の元に案内しなくては。

 

「竜脈の件、承りました。どうぞこちらへ、王が御待ちです。後ろの方々もどうぞ中に。」

 

 

 

 

side:二郎

 

 

「遅いぞ!我を待たせるとは何事だ!」

 

客間で待ち構えていたギルガメッシュが、俺の姿を見るなり一喝してくる。

 

「本当に変わらないね、ギルガメッシュは。」

「当然であろう。我は我だ。二郎が二郎である事と同じくな。」

「あぁ、その通りだね。」

 

遠坂の当主が内心で慌てているみたいだけど、彼はその様子を見せずに酒の準備を始めた。

 

「私の秘蔵の酒でございます。どうぞ御賞味ください。」

 

硝子の杯に葡萄酒が注がれていく。

 

鮮やかな赤が目を楽しませてくれると同時に、芳醇な香りが広がる。

 

「現世での再会を祝してってところかな。」

「うむ。」

 

ギルガメッシュと共に杯を掲げる。

 

そしてしばしの間、彼と一緒に再会の酒を楽しむのだった。

 

 

 

 

side:アルトリア

 

 

二郎とギルガメッシュ王が静かに酒を楽しんでいます。

 

多くを語らずとも通じあえているその光景は、正に神話の一部を切り取ったかの様に絵になります。

 

私とディルムッド殿も御相伴させていただいていますが、とても美味しい葡萄酒です。

 

遠坂 時臣殿も驚いているところを見るに、二郎がこっそりと神酒に変えたみたいですね。

 

「遠坂の当主、少しいいかい?」

「はっ、竜脈の件でしょうか?」

「うん、そうだね。この地の竜脈なんだけど、このまま放っておけば、二、三十年後には日ノ本が滅びる原因になるよ。」

「なっ!?真でございますか!?」

 

驚く時臣殿にギルガメッシュ王が言葉を発します。

 

「我が友の言葉を疑うか?」

「い、いえ、滅相もありません。ですが、当地の管理者としては俄に信じ難く…。」

 

国が滅びる原因となると聞かされては、直ぐに信じられぬのも仕方ないでしょう。

 

「とりあえず簡単に封じてきたから、『宴』の最中は問題ないよ。」

「そ、そうですか、感謝致します、放浪の神ゼン様。一つ伺いたいのですが、当地の竜脈はどうなっているのでしょうか?」

「一言で言えば、『悪意に染まっている』ってところかな。」

 

時臣殿が首を傾げます。

 

「悪意…ですか?」

「竜脈を流れる気…君達の言葉で言えば魔力なんだけど、これは本来は無色なんだ。無色故に何色にもなれる。それこそ使い方次第では『世界の内に』奇跡を起こす事が出来るのは知っているだろう?」

 

時臣殿が頷きます。

 

遠坂家は聖杯戦争という魔術儀式を造った御三家の内の一つであり、時臣殿はその遠坂家の当主です。

 

ある程度は知っていて当然でしょう。

 

「だけどその無色の筈の色が悪意に染まってしまっている。この意味がわかるかい?」

「奇跡は起こらない…という事でしょうか?」

「いや、奇跡は起こるよ。ただしどんな願いでも、悪意によって多くの者の死を招く形になるだろうね。」

 

時臣殿が顔を歪めます。

 

そして目を閉じて一つ息を吐くと、深々と頭を下げました。

 

「畏れ多くも放浪の神ゼン様に願い奉ります。」

「なんだい?」

「当地の竜脈に施された術式の解体を。」

「聖杯はいらないのかい?」

 

二郎の問い掛けに時臣殿は力強く頷きました。

 

「いらぬとは申しません。ですが、私は冬木の竜脈を管理する遠坂家の当主です。聖杯が人々に仇なすのならば、その解体を決断する責任があります。」

 

己の欲を認めつつも、責任を果たす為に抑える…見事ですね。

 

「わかった。『あれ』の解体は引き受けたよ。」

「心から感謝致します。」

「気にしないでいいよ。俺はあれをどうにかする為にこの地に来たのだからね。」

 

二郎はそう言いますが、時臣殿は深く頭を下げ続けています。

 

「ところで、君が聖杯に掛ける願いは何だったんだい?」

「…『根源』への到達が我が願いでございました。」

「それは君自身の力で叶わないのかい?」

 

二郎の問いに時臣殿は悔しそうに歯噛みをします。

 

「私は魔術師としては二流でございます。一生を賭けても成せないでしょう。」

「千年生きても成せないのかい?」

「えっ?千年…ですか?」

「そう、千年。」

 

混乱している時臣殿を見てギルガメッシュ王が笑いだしました。

 

「フハハハハ!時臣よ、酒でも飲んで落ち着け。」

「は、はっ!し、失礼します!」

 

グイッと杯の葡萄酒を飲み干した時臣殿が大きく息を吐きます。

 

「落ち着いたかい?」

「はい、失礼しました。」

「構わないよ。それで、どうかな?」

 

時臣殿は顎に手を当てて真剣に考え始めました。

 

「…千年の長き時を研鑽に費やせば、あるいは非才の我が身でも届くやもしれません。」

「それじゃ、不老になってみるかい?」

「…はい?」

 

時臣殿が呆然としています。

 

私は苦笑いをするしかありません。

 

慣れていなければ、二郎のこの自由さにはついていけませんからね。

 

「…ほ、放浪の神ゼン様、どういう事でしょうか?」

「己が欲を抑え、当主としての責を果たす決断をした君への褒美ってところかな。」

 

驚き過ぎたのか、時臣殿から優雅さが消えてしまいました。

 

そんな時臣殿を見て、ギルガメッシュ王が大笑いをしています。

 

意外といい性格をしているのですね。

 

「す、少し考える時間をいただけないでしょうか?」

「ゆっくり考えるといいよ。あぁ、もし一緒に不老になりたい者がいるのなら教えてくれるかい。その者の分も不老の妙薬を与えるからね。」

 

そう言うと二郎は手にしていた杯を傾けたのでした。

 

 

 

 

side:遠坂 時臣

 

 

あまりの展開についていけない。

 

いったいどうすればよいのだ?

 

と、とにかく先ずは落ち着かねば。

 

私は秘蔵の酒を手に取りグラスに注ぐ。

 

そして酒を口にすると、憎らしい程に美味かったのだった。




次の投稿は13:00の予定です。


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第249話

本日投稿4話目です。


side:遠坂 時臣

 

 

ゼン様が我が家に御来訪された翌日、私は王とゼン様といった方々に御同行していただいて教会に足を運んだ。

 

聖杯戦争の監督役を務める師の言峰 璃正に術式の解体を告げるためだ。

 

教会に入ると来客がいない事を確認し、師に聖杯戦争の術式の解体を告げた。

 

「…冬木の管理者たる時臣君が決断した事なら是非もありません。」

「お骨折りいただいておきながら、申し訳もございません。」

「いえ、これも主の導きでしょう。」

 

師にお認めいただき安堵する。

 

「それで時臣君、他の御三家はどうするのですか?」

「アハト翁には今回のアインツベルンのマスターから伝えてもらおうと思います。間桐は…。」

 

あの老人は竜脈の事に気付いていながら放置していた節がある。

 

おそらくは術式の解体を認めないだろう。

 

奴と敵対は避けられぬが問題ない。

 

昨夜、王との語らいを終えてお帰りになられるゼン様に間桐 臓硯の事を伝えた。

 

そして今朝、『あれは邪仙と同じ類いの者だ。君がよければこっちで対処するよ。まぁ、今は宴を楽しませてもらうけどね』とおっしゃられた。

 

これでもう冬木には奴の犠牲者が出ない事が確約された。

 

後はアインツベルンを説得するだけ。

 

そう伝えると師は頷いたが、心此処に在らずといった感じを受ける。

 

綺礼が気になるのだろう。

 

私も何故にゼン様が綺礼に興味をお示しになられたのかはわからない。

 

だが、悪い様にはならないだろう。

 

もっとも、あまりの展開に師の心がついていけるかはわからないが…。

 

 

 

 

side:言峰 綺礼

 

 

「なるほど、確かに『渇いて』いるね。」

 

放浪の神ゼンを名乗る者が私をそう評した。

 

その通りだ。

 

私は渇いている。

 

父の期待に応えるべく事を成し続けてきた。

 

だがそれらでは、私は『悦び』を得る事は出来なかった。

 

私が『悦び』を感じたのは『父が望まぬであろう状況』でだけだ。

 

それで『悦び』を得るのは本意ではない。

 

故に私は求め続けている。

 

私が正しく『悦び』を得る方法を…その答えを…。

 

「何故、私が渇いていると?」

「そういう者も多く見てきたからね。」

「では…。」

「君が渇いているのはわかるけど、その渇きの種はわからない。だから答えが欲しいのならば、君の事を聞かせてくれるかい?」

 

私は己が事を語った。

 

主に懺悔するが如く。

 

心から主に祈った事はないが、父のために祈りを捧げてきた事を。

 

父の期待に応えるために鍛練を積み、代行者として『悪』を刈り続けてきた事を。

 

ゼンは私の告白を静かに聞いていた。

 

そして聞き終えると苦笑いをした。

 

「君は随分と真面目なんだね。」

 

真面目?

 

私はただ、父の期待に応えようとしただけだ。

 

「人は必ずしも『成功』で悦びを得るわけじゃない。他者の『失敗』によって悦びを得る性質の者もいる。神の子の教義で言えば、人が持つ『原罪』の一つってところかな。」

 

他者の失敗…。

 

それを思うと、心の奥底から何かの感情が沸き上がる。

 

だが、私はそれを否定する。

 

それは…父が期待する私ではない。

 

「やれやれ、君はやはり真面目だ。少しは『寄り道』を楽しまないと。」

「…寄り道?」

 

ゼンは微笑みながら私を見据えてくる。

 

「『隣人を愛せよ』だったかな?だけど世には『隣人足り得ぬ者』もいる。それはわかるだろう?」

 

代行者として『隣人足り得ぬ者』を刈ってきた身だ。

 

それはわかる。

 

「それと『寄り道』に何の関係がある?」

「一言で言えば、『話』をするってところかな。」

 

話を?

 

「話をしてどうなるというのだ?」

「『悔い改めさせる』のは、君達の役目だろう?」

 

それで私は『悦び』を得られるのか?

 

「まぁ、気になるのならやってみればいいさ。冬木にはちょうど『罰するべき者』がいるみたいだからね。それと迷いがあるのなら父親と話してみるといい。彼はきっと、君を変わらずに愛してくれるよ。」

 

 

 

 

side:二郎

 

 

「中々の余興だったぞ。」

「俺に押し付けておいてよくいうよ。」

「だが、見事に導いたではないか。」

「説教なんて柄じゃないけどね。こういうのはシッダールタか神の子に任せたかったよ。」

 

俺がそう言いいながら頭を掻くと、ギルガメッシュは笑いだした。

 

「ですがあのままでは、あの者の心は壊れていました。だから二郎は手助けしたのでしょう?」

 

アルトリアの言葉に頷く。

 

「彼は感受性が強いから他者を『察する』事が出来る。だけど感受性が強すぎるんだ。それこそ神の子やシッダールタと同等の領域で『察する』事が出来てしまう。故に己の心を抑え、他者の理想の自分に成ろうとしていたんだ。」

 

その結果、彼の心は壊れる寸前にまで追い込まれていた。

 

「他者の想いを背負ったり、受け入れたりするのはとても難しい。神でも潰れかねない程にね。それをあそこまで堪えていた彼は、とても強い心を持っているよ。」

「ほう、気に入ったか?」

「二流の才でありながら、己を壊しかねない程の武の研鑽を積んで一流の領域に踏み込んでいる。彼が神の子の教義に身を置いていなければ、道教に誘っていただろうね。」

 

神の子なら『主の導き』って言うかな。

 

シッダールタなら『縁』と言うだろう。

 

少し残念だけど、これはこれで面白いからいいか。

 

「さて、それじゃ冬木の街中に散策に行こうか。」

「美味しい物が見付かるといいですね。」

「既に目星はつけてある。行くぞ!我に続け!」

 

 

 

 

side:言峰 綺礼

 

 

放浪の神ゼンと話をした後、私は父の元に向かった。

 

父は時臣氏と茶を飲んでいたが、私の姿を見るなり立ち上がる。

 

「綺礼、大丈夫か?」

「はい、大丈夫です。」

 

己の言葉に違和感を感じる。

 

以前の私なら『問題ありません』と答えていた筈だ。

 

何故だ?

 

私の中で何かが変わったのか?

 

疑問は尽きないが、私は父と話をするために言葉を紡ぐ。

 

「父上、私の懺悔を聞いてください。」

「懺悔?綺礼、一体何があったというのだ?」

 

私は時臣氏がいるのも構わず、父に己を語っていく。

 

父は戸惑っていたが、やがて真摯に私の言葉を聞いていく。

 

そして語り終えると、父は私を抱き締めて涙を流し始めた。

 

「綺礼、罪深い父を許してくれ。私は…お前を見ていなかった!」

 

父の心を感じる。

 

真摯に私を想い泣いてくれている。

 

本当の私を知っても変わらずに愛してくれている。

 

それが『嬉しい』。

 

…嬉しい?

 

私に…こんな感情があったのか?

 

驚き戸惑うものの、沸き上がる感情が抑えられない。

 

私を抱き締めていた父が顔を上げる。

 

「…思えば、お前が物心ついてから泣いたのを見るのは初めてだ。」

 

泣いた?

 

父の言葉で頬を何かが流れているのに気付く。

 

これは…涙?

 

これが…涙。

 

そうか…私は…泣けるのか。

 

妻が亡くなった時も涙を流さなかった私が泣いている。

 

泣く事が出来ている。

 

そんな『普通』が嬉しい。

 

「…さて、所用を思い出しましたので、これで失礼します。」

 

時臣氏が微笑みながら教会を去っていく。

 

本当の私を知っても、彼は嫌悪することなく微笑んでくれた。

 

それが嬉しい。

 

何故だ…涙が止まらない。

 

「綺礼、思うままに泣きなさい。罪深く愚かな私だが、せめて父として、お前が泣く為に胸を貸そう。」

 

この日、私は人生で初めて声を上げて泣いた。

 

だがそれは、本当の私が誕生した産声だったのだろう。

 

何故なら泣き終えて父の胸から顔を上げた私には、世界が色鮮やかに見えたのだから。




破綻者にも救いがある優しい世界。

これで本日の投稿は終わりです。

また来週お会いしましょう。


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第250話

本日投稿1話目です。


side:アイリスフィール・フォン・アインツベルン

 

 

聖杯戦争開始まで残り七日といった頃、冬木に到着した私はランスロットと一緒に、聖杯戦争の参加を宣言するために教会に向かっていた。

 

「アイリ殿、エスコート役は私でよろしかったのですかな?」

「今回の一件が無事に片付いたら、その分の時間は私が貰うから構わないわ。」

 

現代のスーツを身に纏ったランスロットと二人で歩いていると、何故か周囲の人達の視線が私達に集まってしまうのよね。

 

やっぱりランスロットが伝説に残る程の色男だからかしら?

 

でも、こういうのも面白いわ。

 

アインツベルンのお城に籠っていたらわからなかった事だもの。

 

色々と楽しまないとね。

 

「ねぇ、ランスロット、また機会があったら私が車を運転してもいいかしら?」

「申し訳ありませんが、御遠慮願いましょう。」

「え~、ちょっとスピードを出しただけじゃない。」

 

不本意を示すとランスロットは苦笑いをする。

 

「あれでちょっとだと言えるアイリ殿は豪気ですな。ですが、ここは騎士である私に手綱を取らせていただかなければ格好がつきません。それに、切嗣殿の指示でもありますから。」

「む~。」

 

私は公道でちょっとアクセルを全開にして楽しんだだけなのに。

 

認識阻害の魔術を使っていたから一般人にはバレてない。

 

なのに運転しちゃダメなんて…ひどいわ。

 

泣いたフリをしてもインカムで私の声を聞いている切嗣には効果無し。

 

仕方ないわね。

 

無事に生き残ったらセラとリズも巻き込みましょう。

 

そうこうしている内に教会の前に来たわ。

 

「どうぞ。」

「ありがとう。」

 

ランスロットが慣れた仕草で扉を開けてくれる。

 

これを無意識でやっているんだから、奥さんや子供達は大変だったでしょうね。

 

教会の中に入ると二人の壮年の男性と、一人の若い男性の姿があった。

 

私がその三人を目にした次の瞬間、ランスロットは私の前に立っていた。

 

「アイリ殿、あの小柄な老人はサーヴァントです。警戒を。」

 

髪に隠れたインカムから切嗣の声が聞こえた。

 

『アイリ、直ぐに撤退を。』

「警戒の必要はありません。私達は貴女方に話を聞いていただくために、こうして李老師にも姿を現してもらい、待っていたのですから。」

 

壮年の神父の言葉にランスロットが頷く。

 

「戦場特有の気配は感じません。彼等の話を聞くぐらいなら問題ないかと。」

「…切嗣?」

『わかった。だがランスロット、事があれば直ぐに令呪を使って転移させる。アイリの側を離れない様にしてくれ。』

「これは役得ですな。」

 

ランスロットのその一言で、私達の緊張していた空気が緩んだ気がした。

 

『ランスロット、側にいるだけだ。必要があるまでアイリに触れるな。』

「善処しよう。しかしそうなると、是非とも必要になってほしいものだ。」

 

インカムの向こうで切嗣が騒いでいるみたいだけど、私は神父に話を聞くと告げる。

 

「では…私は今回の聖杯戦争の監督役を務める言峰 璃正と申します。」

「これは御丁寧に…私はアイリスフィール・フォン・アインツベルン。そしてこの人はセイバーのサーヴァントよ。」

「アインツベルンの方が御来訪されるのを御待ちしていました。」

「それはどういう意味でかしら?」

 

璃正神父が柔らかに微笑む。

 

「冬木の管理者である遠坂の当主と私達は、聖杯戦争の術式の解体で合意しました。その旨を貴女方に伝え、そして御賛同いただきたく、こうして貴女方を御待ちしていたのです。」

「…聞き間違いかしら?術式の解体と聞こえたのだけど?」

「いえ、聞き間違いではありません。私は確かに、聖杯戦争の術式の解体と言いました。」

 

聖杯戦争が今後起こらないならイリヤは助かる。

 

でも…お祖父様が認めるとは思えないわ。

 

「口を挟んで申し訳ないが、一ついいだろうか?」

「…どうぞ。」

「私は言峰 綺礼。こちらにいるアサシン…李書文のマスターだ。」

 

サーヴァントの素性が知られてしまえば、逸話を参考にして対策を練られやすいわ。

 

だから聖杯戦争においてサーヴァントの名前は伏せるのが基本なんだけど…。

 

「御丁寧にどうも。こちらも紹介した方がいいかしら?」

「いや、アハト翁を説得してもらう対価だと思ってもらえばいい。」

「御厚意に甘えるわ。」

 

切嗣はインカムの向こうで黙して話を聞いている。

 

「察するところ、貴女にはアインツベルンとは違う目的があると思うが?」

『アイリ、不用意に返事はしないでくれ。カマを掛けてきているかもしれない。』

 

言峰 綺礼の言葉に反応しそうになるけど、切嗣の声で踏みとどまれたわ。

 

「こちらにはアインツベルンの悲願を叶えつつ、貴女の願いにも協力する用意がある。」

 

言峰 綺礼の言葉は私の中にスルリと入り込んでくる。

 

まるで全てを『察して』しまわれているかの様な感覚にゾクリとした。

 

「アイリ殿、話をしてみては如何でしょうか。」

「ランスロット、それは貴方の勘かしら?」

「はい、あの者達から悪意を感じません。もっとも、あちらの老人からは挑戦的な誘いを受けていますが。」

 

アサシンのサーヴァントと紹介された老人に目を向けると、茶目っ気を見せるかの様にウインクをしてきたわ。

 

「少し待って貰えるかしら?」

 

璃正神父と綺礼が頷いたのを見て、私は一度教会の外に出て切嗣と話す。

 

「切嗣、貴方もこっちに来れない?」

『リスクを避けるなら、行くべきじゃないが…。』

「それはわかるわ。でも、ここが私達の分かれ道だと思うの。」

 

切嗣は少し間を置いてから答える。

 

『…わかった。十五分でそっちに行く。』

「えぇ、待ってるわ。」

『ところでアイリ、僕達の分かれ道という判断の根拠は何だい?』

 

その問い掛けに私は微笑む。

 

「女の勘よ。」

『なるほど、それは心強いね。』

 

 

 

 

side:衛宮 切嗣

 

 

万が一を考えて舞弥を残し、僕はアイリ達が待つ教会にやって来た。

 

「私は言峰 璃正です。ようこそいらっしゃいました。主は貴方の来訪を歓迎されるでしょう。」

「…僕はアイリスフィール・フォン・アインツベルンの関係者だ。」

 

信仰とは無縁の僕だが、死者を弔ってくれる教会には敬意を払わなければならないだろう。

 

なので名乗らない非礼を詫びるが、彼は穏やかに微笑んだ。

 

「未熟な私では言葉を尽くして誠意を示さねば信頼を得られぬでしょう。どうか気になさらず、楽にしてください。」

 

アイリは座らせるが、僕とランスロットはいつでも動ける様に警戒しておく。

 

「先ずは術式解体の決断に至った経緯を話しましょう。ある御方が当地の龍脈を見分され、危険と判断し、それを遠坂の当主に御伝えなさったのです。」

「そのある御方とは?」

「今回の聖杯戦争の参加者の一人です。貴方方と合意に至れば紹介する事も叶うでしょう。」

 

どうやら年相応に強かな様だ。

 

情報を最低限しか与えてこない。

 

「…僕達も決意を持って此処にいる。不確実な状態では頷けない。」

「では一つ御伝えしましょう。遠坂の当主は、その御方に悲願達成の術を与えてもらう約束になっています。」

「遠坂の当主の悲願?」

「えぇ、根源への到達です。」

 

魔術師の悲願の達成を約束?

 

馬鹿な。

 

それはそんな簡単に約束出来るものじゃない。

 

「…聞き間違いかな?」

「いえ、聞き間違いではありません。」

「根源への到達はそう簡単な事じゃない。いったいどうやって叶えるつもりだ?」

「一流の魔術師でも至れるかわからぬ難事。だが、それは人の一生だからこそのものだ。」

 

教会に入ってからずっと僕を観ていた男…言峰 綺礼が口を開いた。

 

「だから、それがわかっているのなら、どうやって叶えると言っているんだ。」

 

少し語気が強くなってしまった。

 

何故かこの言峰 綺礼という男の目が気に入らないんだ。

 

「アインツベルンに属しているのなら、予想がつくのではないか?」

「まさか…『第三の魔法』を使うとでも言うの?」

 

アイリの言葉に言峰 綺礼は首を傾げる。

 

「さて…?」

「ハッキリとは答えて貰えないのかしら?」

「まだ貴女方から術式解体の同意を得たわけではないのでな。」

 

アイリが顔に不満を表すと、言峰 綺礼は薄く笑う。

 

正直に言えば同意をしたい。

 

だが、御膳立てが整い過ぎていて疑わしい。

 

返答に悩んでいると、ランスロットが口を開いた。

 

「私から一つ聞いていいだろうか?」

「どうぞ、セイバー殿。」

「感謝する。貴殿達が言うその御方は、この聖杯戦争を何と評していた?」

「『宴』と評されていました。」

 

言峰 璃正と話をしたランスロットは笑顔で頷いた。

 

「なるほど、合点がいった。」

「それはようございました。」

「切嗣殿、アイリ殿、この話は受けた方がいい。」

「ランスロット、どういう事だ?」

 

彼は至極真面目な表情で僕達を見てくる。

 

「あの御方に会えれば、私達の懸念が解決する目処が立つ。」

「…その人物に心当りがあるのか?」

 

僕の問いに彼は力強く頷く。

 

アイリが言った通りに、ここが僕達の分かれ道なんだろう。

 

僕の決断にアイリやイリヤの未来が掛かっていると思うと心が重い。

 

「…少し時間をくれ。」

 

悩む。

 

彼等と組んでいいのか?

 

それでアイリを救えるのか?イリヤを守れるのか?

 

答えは出ない。

 

だが…決断しなければならない。

 

僕の手に何かが触れる。

 

アイリの手だ。

 

…そうだね。

 

わかったよ、アイリ。

 

顔を上げて言峰 璃正に目を向ける。

 

そして…。

 

「僕達は聖杯戦争の術式の解体に同意する。アハト翁を説得する為に、貴方達が言うあの御方に会わせてくれ。」

 

そう告げると言峰 璃正は柔らかく微笑んだのだった。




本日は3話投稿します。

次の投稿は9:00の予定です。


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第251話

本日投稿2話目です。


side:アイリスフィール・フォン・アインツベルン

 

 

聖杯戦争の術式解体に同意した私達は、璃正神父に教えてもらったホテルの前にやって来ている。

 

舞弥さんは万が一を考えて、このホテルが見えるビルの屋上で待機しているわ。

 

私達に何かあってもイリヤを任せる為にね。

 

「さぁ、行こうか。」

 

ホテルに入った瞬間、僅かに違和感を感じて足を止めた。

 

「アイリ?」

「切嗣、何か感じなかった?」

「…いや、僕は何も感じなかった。アイリ、それは危険なものかい?」

 

その問い掛けに私は首を横に振る。

 

「これは…結界なのかしら?でも拒絶する様な感じはしないし、侵入者を感知する様なものでもない。むしろ優しく包み込む様な…。」

 

魔術の知識にはそれなりに自信があったのだけど、このハッキリと言葉に出来ない感覚はもどかしいわね。

 

「この清浄な水の気配…やはりあの御方は来ておられたか。」

「ランスロット?」

「切嗣殿、アイリ殿、警戒の必要はない。この結界は空間を神水で清浄化しているだけだ。」

 

その言葉を聞いてふと気付いた。

 

冬木に来てから感じていた僅かな身体の違和感が無くなっている事に。

 

私は切嗣に目を向ける。

 

…少しあった目の隈が無くなっているわね。

 

まぁ、切嗣の隈の原因は私と舞弥さんなんだけどね。

 

それよりも…。

 

「ランスロット、今…『神水』って言ったのかしら?」

 

私の問い掛けに彼が頷くと、私と切嗣は顔を見合わせる。

 

「アイリ、アインツベルンの財力なら、神水は手に入るかい?」

「聖水ならまだしも、神水は難しいと思うわ。」

 

千年続く錬金術の大家のアインツベルンでも入手困難な神水を結界に使う程の人物。

 

ランスロットが知る人物だからもしかしたらと思っていたけど…。

 

「切嗣…。」

 

私の声掛けに切嗣が頷く。

 

「ランスロット、君が言う『あの御方』に対して、舞弥を外に残しても無礼にはならないか?」

「そのぐらいなら問題はない。あの御方は寛容な方だ。もっとも、外道には容赦しないが。」

 

その言葉を聞いて切嗣が冷や汗を流しているわ。

 

切嗣は今回の聖杯戦争でいざとなったら他のマスターを倒す為に、一般の人を巻き込みかねない規模のテロも考えていた。

 

それに傭兵をしていた時には効率の為にそういう事もしたみたいだし…不安になってきたわ。

 

「…僕は遠慮した方がいいかな?」

「以前の卿ならその方がいいだろうが、今の卿なら問題ないだろう。」

 

ランスロットはそう言うけど、切嗣は胃の辺りを手で擦り始めたわ。

 

神水の結界も心労には効果が無いのかしら?

 

 

 

 

side:アイリスフィール・フォン・アインツベルン

 

 

フロントに確認を取ると、ランスロットの言う『あの御方』は最上級の部屋にいるとわかったわ。

 

フロントのスタッフに一報を入れてもらってから向かう。

 

そして部屋の前に辿り着いて呼び鈴を鳴らすと、中からランスロットと並ぶ程の色男が顔を出した。

 

「中で主が御待ちだ。無礼のない様に。」

 

見惚れる程の見事な所作で中に招き入れられる。

 

ランスロットが小声で彼はサーヴァントだと伝えてくるけど、戦意や殺意といったものは無いから大丈夫みたい。

 

なので私はアインツベルンの者として背筋を正して中に進む。

 

切嗣は僅かに警戒をしながら、そしてランスロットは自然体でついてくる。

 

そして部屋の中のいた美青年と美少女を目にすると、ランスロットが膝をついて礼を示した。

 

そのランスロットを見た美少女が苦笑いをしている。

 

「久しいですね、ランスロット。」

「お久し振りでございます、アーサー王。」

 

アーサー王?

 

この女の子が?

 

そうすると…あの人が…。

 

「ゼン殿もお久し振りでございます。」

「うん、久しいね、ランスロット。現世を楽しんでいるかい?」

「楽しみたいところですが、些か懸念がありまして…。」

「なんだい?」

「詳しくはこちらにおります二人から…。」

 

私は一歩前に進み出てから淑女として礼をする。

 

「初めまして、魔術師ゼン殿、私はアイリスフィール・フォン・アインツベルンと申します。」

「君達の懸念というのは、君の身体の事かい?」

 

あっさりと看破されて驚いてしまう。

 

「おわかりになりますか?」

「龍脈と強い繋がりがあるからね。それにしても、人を聖杯にするのは錬金術では当たり前なのかな?」

 

私が聖杯である事も一見で看破されてしまった。

 

これが伝説の魔術師ゼンなのね。

 

「御賢察の通りです。私が聖杯戦争の聖杯でございます。そして、その事で貴方様にお願いがございます。」

「なんだい?」

 

私は私達の事を語っていく。

 

アインツベルンの悲願の事、イリヤの事、そして…可能ならば私はまだ生きたい事。

 

話を聞き終えたゼン殿が口を開く。

 

「第二の魔法はゼルレッチから聞いているから知っているけれど、第三の魔法とはなんだい?」

「第三の魔法とは、魂の物質化でございます。」

「なんだ、そんな事か。」

 

千年追い求め続けた悲願を『そんな事か』の一言で片付けられてしまうと、苦笑いしか出来ないわね。

 

「アインツベルンの悲願に対しては不老の妙薬と不死の妙薬を与えればいいかな?錬金術の大家だというのなら、それの解析ぐらいは自身の力で成し遂げて第三の魔法に辿り着いてもらいたいね。君の身体の事は準備に一日は時間が必要だ。その準備に君の髪が必要だから一本くれるかい?」

「はい、どうぞ。」

 

髪を一本引き抜いてゼン殿に渡す。

 

「それじゃ明後日にまたここに来るといい。その時に君の処置を済ませてしまおう。」

 

その言葉を聞いた私と切嗣は、これが本当に現実なのか疑いながら帰路についたのだった。

 

 

 

 

side:アルトリア

 

 

半ば呆然としながらアイリスフィールと切嗣は帰っていきました。

 

あまりに簡単に解決してしまったのですから無理もありませんね。

 

それはそれとして…。

 

「二郎、何故アイリスフィールの願いを聞き届けたのですか?」

「一言で言えば、アルトリアと竜吉公主に似ていたからかな。」

 

なるほど、確かに私は二郎と出会わなければアイリスフィールに似た立場になっていたかもしれません。

 

「ところで、ランスロットの事を手紙に書いてよかったのかい?」

「それが一番の薬ですから。」

 

ランスロットの性格を考えると、間違いなくアイリスフィールを口説いた筈です。

 

むしろ口説かなかったらランスロットではありません。

 

なのでその事を書いた手紙を哮天犬にアヴァロンへと持っていってもらいました。

 

彼がアヴァロンに帰ったら一悶着あるでしょう。

 

ですが口説いた相手を受け入れるつもりもないのに口説いているのですから自業自得です。

 

切り落とさないだけ有情というものでしょう。

 

「それじゃ、俺は『反魂の術』の準備をするから、アルトリアは自由にしていていいよ。」

「はい、わかりました。」

 

私は備え付けの電話を手に取ると、ルームサービスで料理を頼むのでした。

 

 

 

 

side:ウェイバー・ベルベット

 

 

なんとか日本での拠点を確保出来た。

 

魔術で一般人を騙しているから少し心苦しいけど、とりあえず体裁が整った事に安堵の息を吐く。

 

僕にはロード・エルメロイの様に強固な工房を作る力…というか、そういった物を作る為のお金が無い。

 

だからこれがベストな形だ。

 

それに良識があるなら一般人を巻き込まない筈だ。

 

…巻き込まないよな?

 

僕がそうやって悩んでいると…。

 

「ハッハッハッ!マスターも中々やるではないか!」

「痛い!馬鹿力で背中を叩くな、ライダー!」

 

僕がサーヴァントとして喚び出したのは古代マケドニアの王だった征服王イスカンダル。

 

英雄らしく豪快と言えば聞こえがいいのかもしれないが、こいつはマスターである僕の言うことをろくに聞かないから先行きが不安になる。

 

それはそれとして…。

 

「さぁ、無事に拠点が確保出来たのなら早く『テレビ』とやらを見ようではないか。」

 

こいつ、やたらとボディタッチが多いというか、妙に距離感が近い感じがするんだよな。

 

なんだろう…僕はこいつに関する逸話で何か大事な事を忘れている気がする。

 

「はぁ…いいけど、明日は教会に参加申請に行くんだから、あんまり遅くまではダメだぞ。」

「ケチケチするでない。余の戦士達は2、3日ぐらい寝ずに行軍しても平気だったのだぞ。」

「神秘の濃い時代の人達と一緒にするな!このお馬鹿!」




次の投稿は11:00の予定です。


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第252話

本日投稿3話目です。

zero編は原作をよく知らない作者がw〇ki等を元にキャラを妄想して書いています。

口調や性格が原作と違っても仕様だとご理解ください。


冬木のとある家にて嘆きの声を上げる者がいた。

 

「おぉ、ジャンヌ!何処にいるのですか!?」

 

この嘆きの声を上げている者はジル・ド・レェ。

 

かつてはフランスで名を残した者だ。

 

既に死した彼が何故現代にいるのか?

 

それは…とある男が喚び出してしまったからだ。

 

「青髭の旦那ぁ、あんまり騒がしくしないでくださいよぉ。今、芸術の最中なんですから。」

 

ジル・ド・レェに声を掛けるのは彼を喚び出したマスターの雨生 龍之介。

 

美を追求して殺人を繰り返す殺人鬼だ。

 

「おぉ、龍之介、すまない。だがこのジル・ド・レェは、ジャンヌを敬愛し崇拝しているのだ!」

「あっ、手が滑って壊れちった。」

 

雨生 龍之介は聖杯戦争には興味が無い。

 

彼が求めるのは『最高にCOOLな死』である。

 

それ故に彼は攫ってきた子供を、芸術と称して椅子や机といったオブジェクトへと変えている。

 

そんな異常な男は目の前で事切れた子供だった『物』を見て笑う。

 

「次はもっと上手くやらないとなぁ。青髭の旦那、旦那も一緒に子供を捕まえに行きましょうよ。」

「おぉ、龍之介、ジャンヌと会えぬ私を慰めてくれるのですね?このジル・ド・レェ、感謝します!」

 

こうして異常な美学を持った二人が冬木の街中を歩いていく。

 

次の犠牲者を物色する為に…。

 

 

 

 

side:ウェイバー・ベルベット

 

 

「ウェイバー・ベルベット殿、貴方に告げておかなければなりません。聖杯戦争の術式は解体が決定しています。」

「え?あ、いや、はい?」

 

聖杯戦争の参加申請をする為に教会を訪れると、言峰 璃正神父にいきなりそんな事を告げられて吃驚した。

 

なんか璃正神父の息子の綺礼が狼狽えている僕を見て笑っている気がする。

 

「ふむ、一つ聞いていいか?」

「失礼ですが貴方は?」

「余はマケドニアの王、イスカンダルである!」

「なに簡単に名乗っているんだよ!このお馬鹿!」

 

英霊が誰なのかを知られれば、生前の逸話から弱点をつかれてもおかしくない。

 

だから聖杯戦争では英霊の名前は伏せるのが基本だ。

 

なのに…このお馬鹿は!

 

「余に恥じ入る事などなに一つ無い。名を名乗るのに何を躊躇う必要がある?」

「お前の弱点をつける相手がいたらどうするんだよ!?」

「そんなものは諸とも蹂躙してくれるわ!ハッハッハッ!」

 

頭が痛い…。

 

ところで綺礼の奴…絶対に僕を見て笑っているよな?

 

「イスカンダル王、質問をどうぞ。」

「うむ、余が問いたいのは聖杯は使えるのかという事だ。」

「冬木の聖杯が完成しても使われる事は叶いません。」

「それは困る。それでは余の願いが叶えられぬではないか。」

 

あっ、そういえばこいつの願いを知らなかった。

 

「なぁ、ライダー。お前の願いってなんだ?」

「余の願い、それは…『受肉』である!」

「受肉?ってことは、蘇りたいって事か?」

 

僕の問い掛けにライダーが不敵に笑う。

 

「うむ!生前に成し遂げられなかった世界征服を、現世で今一度行うのも一興であろう?」

 

その物言いに僕は唖然としてしまう。

 

ちょ、ちょっと待て!

 

「おい、ライダー!どうやって世界征服をするつもりなんだよ!?」

「戦を仕掛け、蹂躙し、征服する。それだけの事ではないか。」

「このお馬鹿!今はお前が生きていた時代とは違うんだぞ!戦争で勝ったからって、そんな簡単に相手の国を支配出来る筈がないだろうが!」

「むっ?そうなのか?」

 

顎髭を撫でながら首を傾げるライダーを見て、大きくため息を吐く。

 

「今の時代は、お前が生きていた時代の様に王政を続けている国は少ないんだ。」

「王が治めていない?では、どうやって国を治めているのだ?」

「民主政って言ってわかるか?」

 

頷いたライダーがため息を吐く。

 

「知っておる。随分とまどろっこしい方法で政をしているのだな。」

「まどろっこしくても、それが今の時代の常識なんだよ。」

「事が起きたならばどうする?誰が決断し、誰が責を負うのだ?」

「え~っと、大統領とか首相とかだろ?」

 

ライダーに言われて気付いた。

 

民主政は王政に比べて責任の所在が曖昧な事に。

 

でも一国の責任を全て負うなんて、英雄でもなければ無理だ。

 

並みの人間なら責任の重さで潰れる。

 

それに王の決断が必ずしも正しいとは限らない。

 

そう考えるとベストでなくともベターを選択出来る民主政は、決して間違ってないと思う。

 

ライダーにそう伝えると、大きくため息を吐いた。

 

「はぁ…小さい、小さいぞ。」

「小さいってなんだよ。」

「男ならば大きく夢を持たんでどうする!覇道を行く事こそが男の本懐であろう!」

「世の中には出来る事と出来ない事ってのがあるんだよ!」

「やる前から出来ないと決め付けてどうする!夢を見て突き進み!その果てに力尽きるならば本望!余は余の戦士達と共にそうやって生き抜いた!」

 

ライダーの気迫に気圧される。

 

こいつは自分の言葉通りの生き様を貫いた英雄だ。

 

説得力が違う。

 

でも僕は…こいつのマスターだ。

 

歯を食い縛り、目を逸らさない。

 

そうすると、こいつは笑顔になった。

 

「な、なんだよ?」

「うむ!よい、よいぞ!それでこそ余のマスターよ!」

「痛い!少しは加減しろ、このお馬鹿!」

 

先日の様にバンバンと背中を叩かれる。

 

あぁ、もう、寄るな!暑苦しい!

 

「御歓談中のところ失礼ですが、よろしいですかな?」

「おぉ、すまんな神父よ。して、どうした?」

 

璃正神父はライダーに微笑む。

 

そして…。

 

「聖杯の使用は叶いませぬが、イスカンダル王の願いは叶うやもしれません。」

 

その言葉に僕とライダーは揃って首を傾げたのだった。




これで本日の投稿は終わりです。

来週の投稿はお休みさせていただきます。

7月にまたお会いしましょう。


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第253話

本日投稿1話目です。


side:ウェイバー・ベルベット

 

 

言峰神父に教えてもらったホテルの前にやって来たけど、相手の本拠地にしている場所に乗り込む事に躊躇していると…。

 

「さぁ、行くぞマスター!」

 

ライダーに脇に抱えられてホテルに入ってしまった。

 

「ちょっ!?自分で歩くから下ろせ!」

 

そんな僕達のやり取りも笑顔で見ぬ振りをしてくれたフロントのスタッフはプロだと思う。

 

スタッフに言峰神父に教えてもらったマスターの名前を告げると、にこやかに微笑みながら相手に連絡を取ってくれる。

 

「お会いになるそうです。お部屋は…。」

 

スタッフから聞いた最上級の部屋に向かう。

 

そんな部屋に何日も泊まれるなんて…あるところには金があるんだなぁ。

 

「ゼンか…。」

 

エレベーターに乗っている最中にライダーがポツリと呟く。

 

「どうしたんだ、ライダー?」

「マスター、お前は気にならんのか?」

「魔術師ゼンの名前を騙るなんて、よっぽどの自信家なんだろうな。それがどうした?」

「魔術師ゼン?…なるほど、マスターはそう捉えたのか。」

 

豪快を絵に描いた様なライダーが神妙な雰囲気を醸し出している。

 

「そう捉えたって…じゃあ、ライダーはどう捉えたのさ?」

「余は『放浪の神ゼン』と捉えた。」

「はぁ?ちょっと待て、神秘が薄い現代に神が降臨出来るわけないだろ。」

 

僕の言葉を聞いてもライダーの顔は晴れない。

 

「多くの神々はマスターの言う通りであろうよ。だが『放浪』を冠するゼンならば、あるいはと思ってな。」

 

元は神秘の濃い時代の王様だったこいつの言葉は妙に説得力がある。

 

無意識に唾を飲み込んでいた。

 

「お、おいライダー、もしこれから会う相手が放浪の神ゼンだったら…?」

「もしそうならば余の願いは叶う。それだけの事よ、ハッハッハッ!」

「笑い事じゃないだろ、このお馬鹿!」

 

聖杯戦争に参加した事を後悔し始めるけど、エレベーターは無情にも階への到着を告げるのだった。

 

 

 

 

side:アイリスフィール・フォン・アインツベルン

 

 

「…アイリ?」

 

切嗣の声で目が覚める。

 

身体を起こすと僅かに違和感を感じる。

 

でもその違和感は調子が悪いからではなく、逆に調子が良すぎて驚く程だからね。

 

「これで『反魂の術』は終わりだよ。調子はどうだい?」

「良すぎて驚いています。何か元の身体と変えたのですか?」

「人と同じ時を生きられる様にしただけだよ。後は元の身体と『ほとんど』変わらないさ。」

 

気になる言葉もあるけど、とりあえずベッドから立ち上がる。

 

「あら?綺麗な生地の服ね。」

 

新しい身体に着せられていた服に目が向くと、その肌触りの良さに気付く。

 

ワンピースタイプの服なのだけど、僅かに青み掛かった白がとても綺麗だわ。

 

「それは『哮天犬』の毛で造った服だよ。よかったらそのままあげるよ。」

「ありがとうございます。それはそれとして…哮天犬?」

 

たしか中華神話に登場する武神が従える神獣の名前だった気がするけど…。

 

まさかと思いながら切嗣と目を合わせる。

 

反魂の術、哮天犬、そして中華神話に残されている武神の容姿…。

 

私達の顔を冷や汗が流れる。

 

「…失礼だと思うが、魔術師ゼン殿は…その、中華神話の二郎真君様なのか?」

 

切嗣の問い掛けに彼が微笑む。

 

「あぁ、そうだよ。中華の外では字のゼンを名乗っている内に、『放浪の神ゼン』や『魔術師ゼン』なんて呼ばれる様になったんだけどね。」

 

その言葉を聞いた私と切嗣は、ただ乾いた笑いを溢すしか出来なかったのだった。

 

 

 

 

side:アルトリア・ペンドラゴン

 

 

「些か気の毒ですね。」

 

アイリスフィールと切嗣の姿を見てディルムッド殿が苦笑いをしています。

 

「ですが二郎と付き合っていけば、この程度の驚きは日常茶飯事です。慣れるしかないでしょう。」

「アーサー王の言われる通りですね。」

 

神秘の薄れた現代に生きる人々の常識と、人類史の最古から生きる二郎の常識が違うのは当然です。

 

現代の常識に合わせる事も出来るでしょうが、その気は欠片も無いでしょう。

 

まぁ、だからこそ救われる者もいるので、悪い事ではないでしょう。

 

それに、その方が二郎らしくて私は好きです。

 

そう考えていると、ディルムッド殿とランスロットが足下に目を向けていました。

 

…なるほど。

 

新たな来客の様ですね。

 

「ディルムッド、新しい客が来たみたいだから出迎えの準備をしてくれるかい?」

 

やはり二郎も気付きましたか。

 

アイリスフィールと切嗣の二人と会話をしていたのに気付くのは流石ですね。

 

「はっ!お任せください!」

「私もディルムッド殿を御手伝いしましょう。」

 

ディルムッド殿とランスロットが出迎えの準備を始めると、アイリスフィールと切嗣も漸く気を取り戻したのでした。




本日は3話投稿します。

次の投稿は9:00の予定です。


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第254話

本日投稿2話目です。


side:ウェイバー・ベルベット

 

 

魔術師ゼン…いや、放浪の神ゼンなのか?

 

どっちなのかわからないけど、とりあえず目的の相手の部屋の前についた。

 

だから覚悟を決めようとしていたんだけど…。

 

「たのもぉぉぉおおおおお!」

 

ライダーがとんでもない大声を上げた。

 

「余の名はイスカンダル!ゼン殿を尋ねて参った!」

 

堂々とし過ぎだろぉ!?

 

ホテルの他の客の迷惑にならない様にと無言でライダーを叩いていく。

 

すると扉が開いて、中から現代の俳優やモデルも裸足で逃げ出しそうな美青年が現れた。

 

「中で主が御待ちだ。無礼のないように。」

「…ほう?」

 

ん?

 

なんかライダーが中に入らずに青年を観察している。

 

「案内御苦労!それはそれとして、御主、余の配下にならぬか?」

「何を言ってくれちゃってるんですか!?このお馬鹿!」

 

敵(?)を配下にスカウトするとか何を考えているんだよ!

 

「私は既に主に忠誠を誓っている。騎士としてその誘いは嬉しいが、断らせてもらう。」

「そうか、それは残念だ。」

 

豪快に笑いながらライダーは部屋に入っていく。

 

僕も続いて中に入っていくと、先程の青年に勝るとも劣らない美青年の姿が目に入った。

 

「ほう…御主も中々…余の配下にならぬか?」

 

だからなんで敵(?)を配下にスカウトするんだよ!?

 

「今は仮の忠誠を誓っている身だが、私が真に忠誠を誓うのは生前も死後も我が王のみ。その誘いには応えられぬ。」

「うむぅ…残念だ。」

 

何なんだよもう!

 

さっき無礼のないようにって言われただろうが!

 

二人の青年に見えない様にライダーを叩く。

 

…もういっそ令呪を使った方がいいかな?

 

ため息を堪えながら部屋の奥に進んでいくと青髪が特徴的で、先程の二人に劣らない程の美青年がいた。

 

またライダーが配下にスカウトするかと思ったんだが…。

 

「あれ?ライダー?」

 

驚いた事にライダーは青髪の青年に対して床に膝をつきながら頭を下げていた。

 

そんなライダーの手が伸びて来て、僕も無理矢理頭を下げさせられる。

 

その理由に察しはついたけど、一応念話で確認する。

 

『おい、ライダー、あの人がそうなのか?』

『マスターよ、わからぬのか?人とは違う高貴な気配が。』

 

ライダーが生きていた時代なら当然なのかもしれないが、今の時代で神秘を察する事が出来るのは教会の一部の熱心な信徒か、一流の魔術師ぐらいだ。

 

好奇心で顔を上げたい衝動を堪えていると、僕達に声が掛かった。

 

「よく来たね、マケドニアの王とそのマスター。」

 

ライダーの正体がバレてる!?

 

いや、扉の前で名乗っていたから当然なのか?

 

それとも…ロードエルメロイが予め教えていた?

 

「我が身を知りおきいただき、光栄でございます、放浪の神ゼン様。」

「かつての時代、君の栄光は遠い異国の地にも響き渡っていたからね。一度見に行った事があるんだ。」

 

誰だこいつと言いたくなる程に、ライダーの言葉遣いが変わってる。

 

それはともかく…本当に神が僕の直ぐ側にいるんだ…。

 

「二人共、顔を上げていいよ。それじゃ話がしにくいだろう?」

「はっ!」

 

ライダーが顔を上げたのに合わせて僕も顔を上げる。

 

今と昔で魔術や錬金術はどう違うのかとか、色々と聞いてみたい。

 

こんな機会…もう無いかもしれないから…。

 

口を開こうとするとライダーから念話が飛んでくる。

 

『よい胆力だが、余でも庇いきれぬ事はある。覚悟は決めておるのか?』

 

言葉が出なくなる。

 

覚悟…そう簡単に決められるわけないじゃないか…。

 

僕が俯くと放浪の神ゼンが話し出す。

 

「それで、君達は何をしに来たんだい?」

「神父より聖杯は使えぬと伺いました。そして我が願いを叶えたくば、ゼン様を訪ねよと。」

「そうかい。マケドニアの王、君の願いは?」

「我が願いは『受肉』でございます。今一度の生を得て、世に覇を唱えたく。」

 

言葉遣いは違うけど、それでもライダーはしっかりと自分の言葉で神と話している。

 

その姿を…僕はカッコいいと思った。

 

「マケドニアの王、君の願いは叶えられるけど、幾つか問題があるね。」

「なんでございましょう?」

「今の世に生を受けるのならば、前世の君の成した事が『世界』に都合よく変えられてしまう可能性があるんだ。君はそれを良しとするかい?」

「否!」

 

一瞬の迷いもなく否定した。

 

何故?

 

「余が兵と共に駆け抜けて得た誇りは!例え『世界』であれども否定はさせん!」

 

ライダーの言葉に放浪の神ゼンが微笑む。

 

「なら分霊を残して『異世界』に転生してみるかい?」

「「異世界?」」

 

好奇心に負けて覚悟が出来てないのに口を開いてしまった。

 

慌てて口を手で塞ぐ。

 

「マケドニアの王のマスター、そう畏まらずともいいよ。俺は多少の無礼は気にしないから。」

 

いや、悪なら神でも滅ぼす存在を畏れるなという方が無理でしょ…。

 

畏れる僕を見てライダーがため息を吐く。

 

「見所はある若者なのですが、如何せんまだ未熟でしてなぁ…。」

「そうだね。でも、それもまたよし。だからこそ楽しみでもある。」

「その通りですな、ハッハッハッ!」

 

敬意は抱いても畏れる事なく、ライダーは放浪の神ゼンと話していったのだった。

 

 

 

 

side:ウェイバー・ベルベット

 

 

放浪の神ゼンと会った後の帰り道、僕は肩を落としていた。

 

時間にして30分程だったけど、僕は放浪の神ゼンに何一つ問い掛ける事が出来なかった。

 

こんな機会…もう無いかもしれないのに…。

 

「案ずるな、マスター。」

 

ライダーの声に顔を上げる。

 

「ゼン様も御主の事を気に入っておった。御主に覚悟が出来れば必ずや御答えくださる。」

「…。」

 

ライダーは聖杯戦争が終わったら異世界への転生が決まっている。

 

『未知の大地を駆け抜け覇を唱える…本望なり!』

 

そう言ってライダーは楽しそうに笑っていた。

 

どうしてあんな風に笑えるんだろう?

 

どうすればあんな風に笑えるんだろう?

 

僕は…その答えを得られるだろうか?

 

「それにアインツベルンと名乗る者が聖杯戦争に参加する者を集めて宴を開くと言っておったではないか。ならば、その時が訪れるまでに覚悟を決めておけばよい。」

 

そう言ってライダーは前を歩いていく。

 

覚悟を決められるかわからない。

 

答えを得られるかわからない。

 

でも…あの背中についていこう。

 

今の僕に出来るのはそれだけだ。

 

せめて出来る事ぐらいやらなければ…こいつと合わせる顔がないから…。




次の投稿は11:00の予定です。


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第255話

本日投稿3話目です。


side:衛宮 切嗣

 

 

二郎真君様とアーサー王の御二人と共に、哮天犬に乗ったアイリがドイツへと向かった。

 

アハト翁の説得の為だ。

 

帰りにはイリヤとセラやリズも連れてくると、アイリは笑顔で言っていた。

 

あのアイリがここまで能動的な女性になるとは思わなかったな…。

 

「切嗣殿、如何された?」

 

日本に残って僕の護衛をしてくれるディルムッドが声を掛けてくる。

 

「この恩はどう返したらいいのかと思ってね。」

「なるほど、ならば我々は同志という事ですか。」

「そういえばディルムッドも生前には二郎真君様の世話になっていたね。」

 

逸話では毒で死に掛けていたところを救われた上に、悩みの種であった黒子の呪いも解呪されている。

 

余程の恩知らずでなければ恩を感じる出来事だろう。

 

「恩か…そんな事も考えられない程、僕は思い詰めていたんだな…。」

 

今なら聖杯戦争前の自分が如何に危うかったかがわかる。

 

下手をしたら僕は全てを失っていたかもしれない。

 

そう考えると震えがくる。

 

「大丈夫だ、切嗣殿。卿は間に合った。」

「ランスロット…。」

 

柔かく微笑みながらランスロットが僕の肩に手を置く。

 

「守るべき者をしっかりと見据える事が出来たならば男は…父親は強くなれる。ならば卿は御夫人達や己が子を守れるだけ強くなれる。」

「…本当にそう思うかい?」

 

僕は傭兵として人を殺す事しかしてこなかった。

 

そんな僕が大切な人達を守れるのだろうか?

 

「私がその証拠だ。私はそうやって励んだ事で、アーサー王に『騎士の中の騎士』と評される様になったのだからな。」

 

彼の笑みが眩しかった。

 

僕もこんな笑みが出来る様になるだろうか?

 

頑張ってみよう。

 

世界を救う英雄になんかなれなくてもいい。

 

でも家族を守れる男にはなりたいから。

 

「あぁ、僕も頑張ってみる。それはそれとしてランスロット、舞弥を頼むよ。」

 

舞弥に危機が迫った時にランスロットが側にいれば、令呪を使って対処が出来る。

 

だからランスロットはマスターである僕よりも舞弥の側にいる方が効率がいい。

 

効率がいいんだが…不安だ。

 

「安心してくれていい。舞弥夫人は必ず守ろう。それに、美しい女性の近くにいられるのは役得だからな。」

「そういうところが不安なんだよ、ランスロット。」

 

 

 

 

side:アイリスフィール・フォン・アインツベルン

 

 

御父様の説得は驚く程にスムースに進んだ。

 

私と切嗣の悩みは何だったのかと言いたくなるわね。

 

でも、これだけ簡単に事が進んだのは二郎真君様のおかげ。

 

私の力が及ぶ範囲で恩を返していかないとね。

 

恩と言えばリーゼリット…リズの事もあるわ。

 

リズは魔術礼装として造られたため、彼女の命はイリヤと繋げられていた。

 

つまりイリヤが死ねばリズも死んでしまうという処置を御父様にされていたの。

 

でもその繋がりも、二郎真君様が影響が出ない形で断ち切ってくれたわ。

 

「リズ、調子はどうかしら?」

「ん、なんか違和感。」

「リズ、奥様に対してその言葉遣いは何ですか。」

「セラが堅いだけ。」

 

セラとリズの二人も後日、二郎真君様が人と同じ時を生きられる様に処置をしてくれると言ってくださったわ。

 

二人にもメイドとしてだけでなく、人としても生きてもらいたい。

 

恋をしたり、趣味をみつけたりして、生を楽しんでもらいたい。

 

もちろんイリヤにもね。

 

「さぁ、二人共、イリヤの分も合わせて日本に行く準備をしてちょうだい。切嗣が首を長くして待ってるわ。」

 

 

 

 

side:アハト翁

 

 

二百年の時を生きた私が改めて畏れを知るとは思わなかった。

 

あれが神…。

 

私の手の中には目眩がする程の神秘を内包した丸薬が二つある。

 

『不老の妙薬』と『不死の妙薬』だ。

 

これの解析が成れば、アインツベルン千年の大願が成就する目処が立つ。

 

畏れの感情は拭えないが、ここで前に進まねば錬金術師として失格であろう。

 

ならば…前に進むのみだ。

 

呼び鈴を鳴らしホムンクルスを呼ぶ。

 

おっと、これらの扱いも改善せねばな。

 

駒として扱うために自我を芽生えさせぬ様にしてきたが、これからは一人の人間として扱わねばならぬ。

 

大願成就を前にして放浪の神の怒りを買い、アインツベルンが滅ぼされては堪らぬからな。

 

「冬木の城に酒を送れ。それと、手が空いている者は順次休ませる様に。」

 

一瞬の間が空いたが、ホムンクルスは返事をしながら頭を下げ、そして動き出すのを見て満足して頷く。

 

「アインツベルン千年の大願は果たせる道筋が見えた。ゾォルケンよ、貴様はどうだ?」

 

蟲へと変じたあの男は最早止まれぬだろう。

 

かつての決意を覚えているかも怪しい。

 

「マキリは滅びるやもしれぬな…。」

 

そう口にするが、マキリへの興味は既に失っていた。

 

「アイリスフィールの言では、今代の遠坂の当主は放浪の神に気に入られている。ならば遠坂との繋がりを深めておきたいが、遠坂の次代は女のみ…アイリスフィールに男を産ませるか?」

 

そう思考を巡らせつつも、私の視線は手の中の丸薬に注がれていたのだった。

 

 

 

 

side:シッダールタ

 

 

「友よ、その手紙はゼンさんからかな?」

「そうだね。」

 

涅槃に一通の手紙が届いた。

 

字を見るに送り主はゼン様だ。

 

イエスと共に手紙を見る。

 

手紙には日本の冬木という地に、人が持つあらゆる悪意を背負わされた者がいると書かれている。

 

ポタリと何かが滴り落ちる音がした。

 

目を向けるとそこには聖痕から血を流すイエスの姿があった。

 

「イエス。」

「すまない、友よ。」

 

彼に手拭いを渡して立ち上がる。

 

「ブッダ、行くのかい?」

「これも『縁』だからね。イエスは?」

「これも『主の導き』だよ。」

 

柔らかに微笑むイエスも立ち上がる。

 

「では行くとしようか。」

「あぁ、友よ。」

 

にこやかに微笑みながら、私達はゆっくりと歩き出した。

 

「ふむ、ならば我も…。」

「「去れ、マーラ(誘惑の悪魔)よ!」」




これで本日の投稿は終わりです。

何故か立川風味になってしまう不思議。

梅雨冷え(?)のせいか体調を崩し気味なので来週の投稿はお休みさせていただきます。

21日にまたお会いしましょう。


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第256話

本日投稿1話目です。


side:アイリスフィール・フォン・アインツベルン

 

 

セラにリズ、そしてイリヤを連れて日本に戻った私は、冬木にあるアインツベルンの城で行う予定の宴の準備を急いだ。

 

アインツベルンが恥をかかない様に入念に準備をしなければならないから大変だわ。

 

それにしても参加が確定している人達を考えるだけでも信じられないわね。

 

二郎真君様にギルガメッシュ王という人類史最古の英雄の御二人に、イスカンダル王やアーサー王といった高名な王の御二人。

 

そして現代でも名高い騎士のランスロットにディルムッドの二人…。

 

神話や伝説が好きな人なら泣いて羨む宴になるわね。

 

間桐は誘わないのが確定しているけど…残り一人の参加者はどうするのかしら?

 

召喚されたのは確認されているらしいのだけど、教会でもそのマスターの行方は掴んでいないのよね。

 

暇潰しと称して二郎真君様とイスカンダル王が探すみたいだけど…色んな意味で大丈夫かしら?

 

まぁ、考えても仕方ないわね。

 

もうなるようになるしかないわ。

 

さぁリズにセラ、買い出しに街に行くわよ。

 

あっ、車の運転は私がするわ。

 

イリヤはいい子だからお留守番しててね。

 

 

 

 

side:遠坂 凛

 

 

「姉さん、お父さんとお母さんに怒られるから帰ろうよぉ。」

「桜、帰りたかったら一人で帰りなさい。私はコトネを探さないといけないんだから。」

 

3日ぐらい前から友達のコトネが家に帰って来ないって、コトネのお母様から聞いたわ。

 

だから私はこうして探しにきたの。

 

桜がついてくるとは思わなかったけどね。

 

「お父さんが今は危ないから大人しくしてなさいって言ってたよ。だからダメだよ、姉さん。」

「大丈夫よ、桜。初歩的な魔術なら使えるもの。変な奴が来たら追い返してやるわ。」

 

そう言ってこっそり持ち出してきた宝石をポケットから取り出す。

 

「あっ、綺麗な石。」

「ふふんっ!お父様が魔力を込めたこの宝石があれば、大人の人だって撃退出来るわ。」

 

胸を張ってそう言うと桜が首を傾げる。

 

「宝石って高いんだよね?使ったら怒られるんじゃないかな?」

「うっ…!?それは考えてなかったわ…。」

 

私とした事がうっかりしてたわ…。

 

「あっ、良さげな子をはっけ~ん。」

 

声がした方に振り向くと全身に鳥肌が立った。

 

そこにはニヤニヤと笑っている大人の男の人と、ギョロっとした目の大きな男の人がいた。

 

「旦那ぁ、頼みますよ。」

 

ギョロっとした男の人がどこからか取り出した本を片手に何かを呟き出す。

 

…魔術!?

 

気が付いた時には遅かった。

 

桜は眠る様に倒れてしまい、私も凄い眠気に襲われる。

 

「桜…。」

 

あまりの眠気に力が抜けて地面に倒れた私は、地面を這って桜に覆い被さる。

 

そこで力尽きてしまった私はゆっくりと目を閉じた。

 

ごめんね…桜。

 

 

 

 

男は手慣れた様子で少女二人をバッグに詰め込む。

 

異常な光景だが周囲の人々は気付かない。

 

認識阻害の魔術が施されているからだ。

 

「大漁、大漁。それで、青髭の旦那はどうします?」

「龍之介、私は黒魔術の生け贄を探してきます。」

「りょうか~い。それじゃ、俺は先に戻ってますね。」

 

男の一人が二人の少女を詰め込んだバッグを担ぎ上げて立ち去る。

 

すると残った男は虚空へと姿を消したのだった。

 

 

 

 

side:遠坂 凛

 

 

変な臭いがして目が覚める。

 

「ここは…?」

 

薄暗い部屋の中に充満する変な臭いが、私に吐き気を与えてくる。

 

なんの臭いかしら?

 

臭いの元らしき物が薄くぼんやり見えている。

 

椅子…かしら?

 

少しずつ目が薄暗さに慣れてきた。

 

そしてそこにある物が目に入る。

 

「…コトネ!?」

 

椅子だと思ったものは私が探していた友達だった。

 

なんで!?

 

なんでこんな事になってるの!?

 

コトネの呻き声が聞こえた。

 

よかった!まだ生きてる!

 

駆け寄ろうとしたけど動けない。

 

手足が縄で縛られていた。

 

「このっ!」

 

はずれない。

 

そうだ…桜!

 

辺りを見回すと、私と同じ様に手足を縛られた桜を見つけた。

 

よかった…最悪の事態は免れていたようだ。

 

安堵のため息を吐くと鼻歌が聞こえてくる。

 

その方向に目を向けると、そこには気を失う前に見た男がいた。

 

「ちょっとあんた!なにを鼻唄を歌っているのよ!」

 

よく辺りを見渡せば、コトネ以外にも椅子や机にされている人達がいた。

 

呻き声一つ聞こえてこない事にゾワリと鳥肌が立つ。

 

こんな事を鼻歌を歌いながらやるなんて…。

 

首を振って桜とコトネに目を向ける。

 

二人を助けなきゃ!守らなきゃ!

 

縄をはずそうともがくけど、一向にはずれる気がしない。

 

…そうだ、魔術!

 

身体に魔力を巡らせて身体強化をする。

 

そして縄をはずそうとすると、さっきよりは手応えがあった。

 

縄が手首に食い込んでかなり痛いけど、桜とコトネを助ける為に我慢をして縄をはずそうとしていく。

 

すると…。

 

「あれぇ、魔力?君って魔術師なの?」

 

魔術を知ってる?

 

…っ!それなら!

 

「そうよ。私は冬木を管理する遠坂の次期当主なの。だから私と桜に手を出せば、貴方もただじゃすまないわ。」

 

お父様は遠坂家は二百年続く魔術師の名家だって言ってた。

 

だからこいつも魔術師なら、遠坂の名を聞けば…!

 

「へぇ、魔術師で芸術をするのは初めてだ。魔術師は死ににくいみたいだから、これは楽しめそうだなぁ。」

 

そう言って男は赤黒く汚れた刃物を手にした。

 

…嘘でしょ!?

 

なんとか縄をはずそうとする間も、あいつはニヤニヤ笑いながら近付いてくる。

 

歯を食いしばって痛みをこらえながら、縄をはずしていく。

 

後少しではずせそうなのに…!

 

ダメ…間に合わない!

 

そう思ったその時、男の歩みが止まった。

 

そして床に膝をつくと血を吐き出した。

 

「はぁ?」

 

男は自身に何が起こったのかわからなくて混乱しているみたい。

 

「その『呪い』を見るに君も『宴』の参加者みたいだけど、外道を招く席は無いからね。ここで退場してもらうよ。」

 

いつの間にか青い髪の男の人がいた。

 

私や桜達を拐った男は床に吐いた自分の血を見て微笑んだ。

 

「…なんだ、こんなところにあったのか。」

 

そう言って男は微笑みながら倒れた。

 

…何だったの?

 

意味がわからなくて混乱していると…。

 

「さて、縄をはずしてあげるから大人しくしていてくれるかい、勇気があるお嬢さん。」

 

そう言いながら青い髪の男は、私に優しく微笑んだのだった。




本日は3話投稿します。

次の投稿は9:00の予定です。


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第257話

本日投稿2話目です。


side:遠坂 凛

 

 

青い髪の人が縄をはずしてくれた。

 

「うわっ!血が出てるじゃない!」

 

縄が擦れた手首から血が出てる。

 

身体強化はしていたけど、今の私じゃこんなものなのね。

 

「…っ!桜!コトネ!」

 

二人の名前を呼んで立ち上がる。

 

桜は金髪の綺麗な女の人が助けてくれていた。

 

コトネは…。

 

「マスター、無理をせずとも構わん。この状況は戦で人の死に慣れている余でも堪えるからな。」

「うぷっ!」

 

大きな身体の赤い髪の男と女か男かよくわからない人が、コトネ以外の人も一緒に一ヵ所に集めていた。

 

「うむ、ゼンよ、集め終わったぞ。」

「敬語ぉ!ライダー!ちゃんと敬語使え!」

「本人が気楽に接して構わんと言ったではないか。まぁ、まだ名を預けてもらえる程の信を得ていないのは残念だがな、ハッハッハッ!」

 

青い髪の人が集められた人達の所に向かう。

 

それを見て私は青い髪の人に走り寄った。

 

「ねぇ、貴方はゼンって言うの?」

「あぁ、そうだよ。」

 

話し掛けるとゼンが頷く。

 

たぶんほとんどの人が死んでしまっているけど、コトネはまだ生きてる。

 

だから…。

 

「お願い!あの人達の中に友達がいて、まだ生きてるの!助けて!」

 

私は頭を下げる。

 

今の私にはこのぐらいしか出来ないから。

 

すると…。

 

「あぁ、いいよ。」

 

そう言って青い髪の人…ゼン(?)は微笑みながら私の頭を撫でてきた。

 

「マケドニアの王のマスター、ディルムッドに念話をしたら、アイリスフィールが従者と一緒に冬木の街に出ているみたいだから、この子達が着る物を適当に買ってきてくれるかい。」

「…わかりました。それと、この子達を保護する為に教会に連絡をしておきます。」

「あぁ、頼むよ。」

 

男か女かよくわからない人が、大きな身体の赤い髪の人と一緒にどこかに行った。

 

二人がどこかに行くと、ゼンは腰に吊るしていた何かを手に持つ。

 

…竹?

 

ゼンは竹の中に入っていた水(?)を撒いた。

 

すると、コトネの身体が光輝いて治っていく。

 

コトネだけじゃない。

 

他の人達の身体も治っていくわ。

 

「すごい…。」

 

気が付けば私の傷も治っていた。

 

これは魔術なのかしら?

 

帰ったらお父様に聞いてみましょ。

 

ゼンが金髪の女の人と一緒に皆の身体に布を掛けていく。

 

治った皆が裸だから布を掛けてくれているのね。

 

うん、ゼンは紳士だわ。

 

皆に布を掛け終わるとゼンが足踏みをする。

 

すると、皆を包み込む様に何か紋様が現れた。

 

「…なにこれ?」

 

お父様に少し魔術を教わっただけの私でもなんとなくわかる。

 

これはありえない程に凄い光景だって事が…。

 

紋様から目が眩む程の光が沸き上がり出し、中にいる皆を包み込んでいく。

 

「う~ん…眩しい…。」

 

あら?紋様の光で桜が起きたわ。

 

「あれ?姉さん?ここはどこ?」

 

…そう言えば、ここはどこなのかしら?

 

光が収まると死んでいると思っていた人達もゆっくりと息をしている。

 

まさか…生き返ったの?

 

「さて、この子達が目を覚ます前に記憶は変えておいた方がいいだろうね。」

「えぇ、子供が経験するには厳し過ぎる経験ですから。」

 

ゼンが足踏みをすると、また皆を包み込む様に紋様が現れたのだった。

 

 

 

 

side:遠坂 凛

 

 

「凛と桜か…こんなところで何をしている?」

「げっ!綺礼!」

 

紋様からの光が収まってから十分ぐらい経つと、何故かここに綺礼がやってきた。

 

「き、綺礼こそ何をしに来たのよ?」

「私は事態を収めに来た。」

「事態を?」

「冬木の連続失踪事件は知っているか?」

 

そう言って綺礼は私達を拐った男を見た。

 

なるほど、こいつが犯人だったのね。

 

「それで?時臣氏から大人しくしている様に言われた筈の凛と桜が、何故ここにいる?」

 

うっ…。

 

私は綺礼に事情を話す。

 

「なるほど。友人の為に行動を起こしたその心は誉められるべきものだが、言い付けを破った罰は受けねばなるまい。」

「うぅ…やっぱりそうよね…。」

 

項垂れていると綺礼が笑った。

 

あら?こんな風に笑う奴だったかしら?

 

いつも仏頂面の綺礼が笑ったのを見たのは初めてな気がするわ。

 

しばらくすると男か女かわからないあの人が、銀髪の綺麗な女の人達と一緒に戻ってきた。

 

「セラ、リズ、皆に服を着せてあげてちょうだい。」

「かしこまりました。」

「は~い。」

 

銀髪の綺麗な女の人のお願いでメイドの二人がテキパキと動き出す。

 

私はなんとなくゼンに目を向ける。

 

ゼンは私達を拐った男の所にいた。

 

彼が手を添えると、男の手にあった絵の様なものが消えていた。

 

「さて、それじゃ俺とアルトリアはその子達を時臣の所に連れていくから、後は頼んだよ綺礼。」

 

え゛っ!?

 

どうしてお母様の所じゃなくてお父様の所なのよ!?

 

その後、私と桜はゼンとアルトリアっていう金髪の女の人にお父様の所に送られたんだけど、お父様は妙に迫力がある笑顔で待っていたわ。

 

桜は私を止めたという事でほとんど叱られなかった。

 

でも私は足が痺れても正座のまま叱られ続けている。

 

ゼンが見ている前で。

 

うぅ…恥ずかしい。

 

「凛、反省しているのか?どうやらまだ叱らなければならないみたいだな。」

「反省したわ!したからもう足を崩させてお父様ぁ!」




次の投稿は11:00の予定です。


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第258話

本日投稿3話目です。


side:遠坂 凛

 

 

「うぅ…まだ足が痺れてるわ…。」

 

チラリと目を向けると、私を叱り終えたお父様はゼンとアルトリア、そしていつの間にかいた金髪の男の人の三人と紅茶を楽しんでいる。

 

あっ、よく見ると桜も一緒に楽しんでいるわ。

 

ずるいわよ。

 

「時臣、その子達も宴に誘おうと思うけど、どうだい?」

「嬉しいお誘いではありますが、よろしいのでしょうか?」

「その子達は好む好まざるに関係なく、魔術に関わらなければならない。なら宴に参加するのは良い経験になるだろう?」

「…御心遣い、ありがたくお受け致します。」

 

宴って何かしら?

 

よくわからないけど、別宅に籠っていなくていいのなら嬉しいわね。

 

「あぁ、そうだ。ギルガメッシュ、後でエルキドゥも喚ぼうか?」

「当然であろう。我が妻を喚ばずして何が宴か。」

 

あの金髪の男の人はギルガメッシュって言うのね。

 

随分と偉そうな態度だけど、何者なのかしら?

 

「ところで二郎、あの愚か者が喚んだサーヴァントはどうするのですか?まだ現世に在るのですよね?」

「今は余計な事が出来ない様に哮天犬が抑えていてくれているよ。座に還すかどうかはその者の話を聞いてみてからにしよう。」

 

アルトリアとゼンは何の話をしているのかしら?

 

多分、あの目がギョロっとした奴の事だと思うのだけど…。

 

そう考えていると、ゼンが私の所に来た。

 

「そろそろ足の痺れは取れたかい?なら、あっちで一緒に楽しもうか。」

 

紳士として差し出されたその手に、私は淑女として応えるのだった。

 

 

 

 

side:アルトリア・ペンドラゴン

 

 

自然に、然れど意図的に二郎の隣に座った時臣の娘…凛を観る。

 

今はまだ自覚していない様ですが、気付けばあっという間でしょう。

 

直感ですが、そう遠くない将来に凛はライバルになるという確信があります。

 

「二郎よ、時臣の娘達をどう評する?」

 

ギルガメッシュ王の問いに、二郎は凛に目を向けます。

 

「そういえば、まだ君自身から名乗ってもらってなかったね。」

「あら、レディーから名乗らせるのは失礼じゃない?」

「こ、これ、凛!」

 

慌てる時臣を、二郎は手で制します。

 

あぁ…ギルガメッシュ王がそんな状況を見て笑っていますね。

 

「フハハハハ!中々の気概を持った娘ではないか!」

「そうだね。俺はゼン、字(あざな)だよ。」

「字?」

「道教は知っているかい?」

 

二郎の問い掛けに凛は頷きます。

 

「知ってるわ。前にお父様から教わったもの。たしか中華で信仰されている教えよね?」

「うん、そうだね。俺はその道教の者なんだけど、道教では名を預けるのは命を預けるのに等しいという考えがあるんだ。」

 

仙術には魂を扱う術が幾つもあります。

 

そして魂を確たる個としているのが名です。

 

故に名を預けるのは命を預けるにも等しいと、道教では考えられています。

 

現代の中華でもこの考えは浸透しており、他者に名を預けるのは友情や愛情を示す術として使われていますね。

 

「だから名を預けるのは認めた者だけなんだよ。」

「ふ~ん…まぁ、いいわ。私は遠坂 凛。よろしくね、ゼン。」

 

物怖じしない凛に、時臣は冷や汗が止まらない様ですね。

 

そんな時臣を見てギルガメッシュ王がお腹を抱えて笑っています。

 

「先ずはお礼を言わせてもらうわ。ゼン、私と桜、そしてコトネを助けてくれてありがとう。」

「どういたしまして。」

 

そう言いながら二郎が微笑むと、凛が顔を紅くしています。

 

凛、その気持ちはよくわかりますよ。

 

その笑顔はずるいですよね。

 

「そ、それと宣言するわ!」

「なんだい?」

「ゼンに私を認めさせて、私に名を預けさせてみせるわ!」

 

凛の宣言を聞いた桜は目を輝かせて姉を見詰め、時臣は胃の辺りを撫で出しました。

 

後で華陀謹製の胃薬を渡しましょう。

 

「そうかい。じゃあ、凛にはゼルレッチが残したものを成して貰おうかな。」

「ゼルレッチって、宝石翁の事?お父様から聞いた覚えがあるけど…。」

「彼とは知己なんだけど、数百年前に彼が日ノ本を訪れた時に、当時の遠坂の当主に宿を借りたお礼として『第二魔法』に至る術を残したらしいんだ。もし凛が『第二魔法』に至れたのなら、俺は君を認めて名を預けるよ。」

 

二郎の言葉を聞いて凛は笑みを浮かべます。

 

「上等じゃない!『第二魔法』ぐらい至ってみせるわ!だから、私に名を預ける覚悟をしておきなさいよね、ゼン!」

 

大丈夫なのでしょうか?

 

宝石魔術はその名の通りに宝石を使うので、ものすごくお金が掛かります。

 

私は時臣に問い掛けます。

 

「時臣、遠坂家の財力は大丈夫なのですか?」

「正直に申し上げれば、ギルガメッシュ王を御喚びする為の触媒を用意するのに相応に散財しましたので、現在の当家にはあまり余裕がありません。」

 

時臣は苦笑いをしています。

 

あの様子では本当に余裕が無いのでしょう。

 

そんな時臣に二郎が微笑み掛けます。

 

「今回の宴が終わったら、現世でギルガメッシュと飲む機会をくれたお礼として適当に財をあげるよ。」

「…重ね重ねありがとうございます。私の宿願を叶える術をいただけただけでなく、娘達を救っていただき、更には当家にも御気配りいただけるとは…最早、どの様に恩を返せばよいのかわかりませぬ。」

「気にしないでいいよ。俺がそうしたかっただけだからね。」

 

私もかつては二郎に救われた身。

 

時臣の気持ちはよくわかります。

 

胸が暖かくなった私は寄り添う様に二郎に近付きます。

 

すると、凛が不満を露にして睨む様に私を見てきました。

 

ふふふ、受けて立ちますよ。

 

私は二郎の『正妻』ですからね!

 

二郎が凛と桜を評している間、私は凛と目線で激闘を繰り広げたのでした。




これで本日の投稿は終わりです。

また来週お会いしましょう。


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第259話

本日投稿1話目です。


side:遠坂 凛

 

 

ゼンと妙に距離が近いアルトリアと睨み合って1時間、衝撃の事実を知った私は床に崩れ落ちた。

 

「凛、何をしている?」

 

綺礼の声に顔を上げる。

 

「…あんた、警察の人と話をしてくるんじゃなかったの?」

「こういった時に信仰とは便利なものでな。相手がこちらに寄せる信用から、少しばかり思考誘導をするだけで事足りる。」

「あんたみたいなのを似非神父っていうんでしょうね。」

「否定はしない。私は神の教えを学び、その御下に身を置いているが、私が信仰を捧げるのは別の神だからな。」

 

私は綺礼にジト目を向ける。

 

「別にあんたが破門されようが知った事じゃないけど、遠坂家には迷惑を掛けないでよね。」

「その歳で家の事を思えるのにかかわらず、何故に無謀な行動をしたのだろうな?」

「うっ…。」

 

やっぱりこいつには口喧嘩じゃ勝てないわね。

 

「さて話は変わるが、何故にそこで落ち込んでいた?」

「…落ち込んでないわよ。」

「そうか…てっきり私は、勝負の舞台に上がる前に敗れたと勘違いして落ち込んでいると思ったのだがな。」

 

なんでこいつはこう察しがいいのかしら?

 

…ん?勘違い?

 

「綺礼、勘違いってどういう事かしら?」

「はて?私は凛が落ち込んでいる理由を知らぬのだが?」

「惚けないで。あんたがそう言って相手の考えを読み間違えたのは見たことがないわ。」

 

肩を竦めてから綺礼が話し出す。

 

「中華の婚姻制度を調べてみるがいい。そうすれば、お前は彼女との勝負の舞台に立てる。」

 

そう言って綺礼はお父様達の所に行った。

 

「…中華の婚姻制度?」

 

私が落ち込んでいた理由は、アルトリアがゼンの奥さんだって知ったから。

 

そしてその理由で落ち込んで気付いた。

 

私はゼンの事を好きになっていると。

 

助けられたから好きになるなんて、我ながらチョロいのかもしれない。

 

でも好きになってしまったんだもの。

 

仕方ないわ。

 

あいつに言われた通りに中華の婚姻制度を調べてみる。

 

「…なるほど、たしかにこれならまだ勝負の舞台に立てるわ。」

 

私は数百年続く遠坂家の跡取り。

 

事と次第では自由に結婚相手を決められないかもしれない。

 

でもゼン以上の男がそうそういるとは思えないわ。

 

…うん、ここら辺がお父様を説得する材料になりそうね。

 

後はお母様と桜も巻き込んでお父様を説得しましょう。

 

さぁ、勝負所よ。

 

うっかり失敗だなんて絶対に許されないわ。

 

でも私にはお父様を説得出来る確信がある。

 

だって私は遠坂 凛なのだから。

 

 

 

 

side:遠坂 桜

 

 

綺礼さんと何か話をしていた姉さんが部屋を出ていった。

 

そして綺礼さんはゼンさんに何かを伝えてからお茶の席についた。

 

そんな綺礼さんをアルトリアさんが見ている。

 

「余計なお世話だったかな?」

「いえ、いずれは気付いた事ですから。」

 

たぶん、姉さんがゼンさんを好きな事の話だと思う。

 

私でもわかるぐらいだったのに、姉さんは自分の気持ちに気付いてなかった。

 

頭が良くて、運動も出来て、魔術だって出来る。

 

そんな凄い姉さんにも普通なところがあるってわかると、なんか嬉しかった。

 

「ほう?凛の才能はゼン様が認めるところだと思うが?」

 

綺礼さんの言う通りに、姉さんはゼンさんに誉められていた。

 

難しい言葉ばかりでよくわからなかったけど、アルトリアさんが『一言で伝えるなら、二郎は凛を天才だと言っているのです。』って教えてくれた。

 

流石は姉さんだなぁって思った。

 

私の事は『桜も才能はあるのですが性格が争いに向いていないそうです。なので回復魔術等を中心に学んだらどうかと言っていますね。』って教えてくれた。

 

たしかに私は誰かと競争するのは苦手だけど、ゼンさんはなんでわかったのかな?

 

「如何に凛に才能があっても、妲己や竜吉公主に比べればまだまだですよ。」

「十にも満たぬ子供と比べる相手ではなかろう。」

「甘いですね、綺礼。女の戦いに年齢は関係ありませんよ。」

 

そんな二人の話を聞いていたら姉さんが戻ってきた。

 

「桜、ちょっとこっちに来て。」

 

姉さんに引っ張られて部屋の隅に行く。

 

「どうしたの?姉さん?」

「お願い桜、お父様を説得するのを手伝って。」

「お父さんを?」

「そうよ。お父様に私の婚約者はゼンだって認めさせるの。」

 

え?

 

婚約者って…まだ恋人にもなってないのに…。

 

「姉さん、思いきりが良すぎるよ。」

「甘いわよ、桜。グズグズしてたらゼンを取られちゃうじゃない。」

「取られちゃうって…アルトリアさんはゼンさんの奥さんだから当然だと思うけど。」

 

そこから姉さんは勢い良く話し出した。

 

中華では一夫多妻…つまり一人の男の人が何人も奥さんを持てるんだって。

 

「だからまだ勝負はついてないわ。」

「勝負って…何の勝負なの?」

「決まってるじゃない。ゼンの一番になる勝負よ。」

 

胸を張ってそう言いきる姉さんは輝いて見えた。

 

どこか抜けてて可愛いところもあるけど、やっぱり姉さんはカッコいい。

 

「わかった。姉さんを応援する!」

「ありがとう、桜。よしっ!次はお母様ね。」

 

そう言って姉さんは部屋を出ていった。

 

たぶん紅茶を淹れているお母さんの所に行ったんだと思う。

 

お父さんは昔からお母さんをあまり魔術に関わらせない様にしていたみたいなんだけど、これからはそれなりに関わらせる様にするって言ってた。

 

理由は聖杯戦争が終わってから教えてくれるみたい。

 

だから今は家に皆でいるんだけど…。

 

「姉さん、お客さんがいるのにそんなに走り回ってたら、後でお父さんに怒られるよ?」

 

その後、ゼンさん達が帰った後に姉さんがお父さんを説得しようとしたんだけど、その前に姉さんはお父さんに怒られてしまったのだった。




本日は3話投稿します。

次の投稿は9:00の予定です。


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第260話

本日投稿2話目です。


アインツベルンが主催する聖杯戦争参加者を招いての宴が行われる当日、言峰 璃正は早朝から教会の聖堂にて祈りを捧げていた。

 

(主よ、愚かな私の罪を御許しください。)

 

彼が懺悔の祈りを捧げている理由は、息子の苦しみを理解しなかった己を罪と感じているからだ。

 

そんな彼の祈りが届いたのか奇跡が起こる。

 

なんと聖堂に朝陽とは異なる暖かな光を纏った二人の男が降臨してきたのだ。

 

ゆっくりと降臨してくる二人に気付き、その姿を目にした璃正の目から涙が溢れていく。

 

真なる信仰者である彼には、降臨してくる二人の内の一人が誰なのか直ぐにわかったからだ。

 

「おぉ…神よ!」

 

涙を拭うのを忘れ、璃正は祈りを捧げるのだった。

 

 

 

 

side:言峰 綺礼

 

 

聖堂に足を向けると、そこには奇妙な光景が広がっていた。

 

「主よ、私の罪を御許しください。」

「悔い、改めなさい。」

 

父が涙を流しながら、茨の冠を被った長髪の男に懺悔をしている。

 

そんな二人を見ていると、螺髪の男が近付いてきた。

 

「彼の息子さんですね?朝早くから聖堂にお邪魔して、すみません。」

 

螺髪の男は柔らかく暖かであれど、力強さを感じる言葉で話し掛けてくる。

 

「いえ、お構いなく、これも主の導きでしょう。」

 

飾らずにありのままに在る。

 

…なるほど、この男は『覚者』か。

 

私はそれとなく茨の冠を被った長髪の男を『観る』。

 

何故に父が涙を流しているのか理解した。

 

あの者が『神の子』だからだ。

 

ふと目を向けると聖堂の神の子の像からとてつもない神秘を感じる。

 

「ふむ、御二人が降臨された事で聖遺物になったか。」

「えっ?あっ!?す、すみません!現世に降りる時につい光ってしまいまして…。」

 

光るという言葉を聞いて神の子に目を向けると、なるほどと納得した。

 

よく見ると神の子から後光が出ているのだ。

 

「イ、イエス!?光ってる!光ってるよ!」

「あっ、すみません。彼の真摯な祈りについ…。」

 

聖書を始めとした様々な逸話で伝え聞く御二人の姿と比べ、実際に見て感じた御二人の雰囲気は極自然で、所謂『普通の人間』のようだ。

 

そう考えていると、不意に背後から声がした。

 

「やあ、よく来たね二人共。」

 

声の主は二郎真君様だ。

 

李老師も姿を現し包拳礼をしている。

 

「あっ、ゼン様、おはようございます。」

「あぁ、おはよう。うん?神の子の像から以前には感じなかった強い神秘を感じるね。」

「すみません、現世に降りる時につい光ってしまいまして…。」

「まぁ、いつもの事だし仕方ないか。」

 

二郎真君様が肩を竦めながら私に目を向けてくる。

 

「綺礼、君達の上がうるさくなるようなら、あの像の神秘を断ち切るよ。今ならまだ神秘が定着していないから簡単だからね。」

 

見る者によっては私や父を殺してでも奪い盗りかねない程の神秘を纏った神の子の像。

 

私はもとより、父にも無用の長物だ。

 

「…お願いします。」

「わかったよ…うん、これでよし。」

 

二郎真君様が三尖刀を一振りすると、我が教会の神の子の像から神秘が消えた。

 

「うむ、流石は二郎真君様だ。見事。」

 

達人である李老師も感心している。

 

私も来る日に向けて李老師に指導を受けているが、非才のこの身では二郎真君様の武の一端すら理解出来ぬ。

 

「さて、そろそろ行こうか。アイリスフィール達も準備を終えているだろうからね。」

 

私達は覚者と神の子を伴い、冬木の郊外の森の奥にあるアインツベルンの城に向かうのだった。




次の投稿は11:00の予定です。

冬木、聖地化不可避?


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第261話

本日投稿3話目です。


side:アイリスフィール・フォン・アインツベルン

 

 

宴の当日、先ず最初に冬木にあるアインツベルンの城にやって来たのはウェイバーくんだった。

 

ウェイバーくんはイスカンダル王の宝具である戦車に乗って空を飛んで来たわ。

 

「えっと、今日はよろしくお願いします。」

「よろしく頼む!ハッハッハッ!」

 

イスカンダル王は酒屋の主人との飲み比べで勝ち取った戦利品と言って、日本酒の酒樽を持ってきたわ。

 

「飲める上に酒を持ち帰れる。日本とはいい国だな!」

「少しは自重しろ!このお馬鹿!」

 

うん、もしかしたらイスカンダル王が一番現世を楽しんでいるかもしれないわね。

 

次にやって来たのが二郎真君様の御一行ね。

 

二郎真君様を始めとしてアルトリア、言峰親子に李書文、そして…誰かしら?

 

茨の冠を被った長髪の男性と…たしか螺髪だったかしら?その髪の男性も一緒だわ。

 

う~ん…どこかで見た覚えがある容姿の御二人ね…。

 

そんな風に考えていると二郎真君様が御二人を紹介してくださったわ。

 

「アイリスフィール、二人を紹介するよ。ガウタマ・シッダールタとイエス・キリストだ。」

 

…はい?

 

「ご紹介にあずかりましたガウタマ・シッダールタです。ブッダと呼ばれる事もありますが、どうぞ呼びやすい様に呼んでください。」

「私はイエス・キリストです。ナザレのイエスとかヨシュアと呼ばれる事もありますが、私もブッダと同じ様に呼びやすい様に呼んでくださいね。」

 

…落ち着きなさい、落ち着くのよアイリスフィール。

 

と、とりあえず覚者と聖人をもてなさないと。

 

「御二人の席も直ぐに御用意させますので、どうぞこちらへ。」

 

側に控えていたセラが頭を下げると足早に準備に向かう。

 

よかったわ…セラが言うとおりに多目に用意しておいて本当によかった。

 

リズに持ってきてもらった水を一気に飲み干して心を落ち着ける。

 

…よしっ!

 

それから少し経つと、空を飛ぶ船に乗ってギルガメッシュ王の御一行がやって来た。

 

遠坂 時臣さんが先に下りると次に奥さんであろう女性、そして髪をツインテールにした可愛い女の子と、大人しい雰囲気の可愛い女の子が次々に船を下りてきたわ。

 

今日の宴にはイリヤも参加するから、あの子達にはイリヤのお友達になってもらいたいわね。

 

彼女達に続いてギルガメッシュ王も下りてくる。

 

私は友達が出来て笑顔になったイリヤを想像すると、笑顔で御一行を案内するのだった。

 

 

 

 

side:イリヤスフィール・フォン・アインツベルン

 

 

宴はお酒を飲むパーティーだってお母様に聞いたから、宴に参加する子供は私だけだと思ったんだけど、私以外にも二人参加するみたいね。

 

宴が始まれば『ぶれいこう』っていうのになって自由にしていいみたいだから、それまでは大人しくしてお母様に恥をかかせない様にってセラに言われたわ。

 

あ~あ、早く始まらないかしら。

 

「アイリスフィール、少し待ってくれるかい。もう一人喚ぶからね。」

 

お母様や切嗣だけでなく、セラやリズも助けてくれた二郎真君様が、お母様にもう一人招くって言ったわ。

 

時間掛かるかしら?

 

「わかりました。直ぐにもう一席御用意致します。」

 

お母様の言葉を聞いてセラが直ぐに動いたわ。

 

流石はセラね。

 

私はその場に残ったリズに目を向けると、リズと目が合った。

 

さっき一緒につまみ食いをしたのはナイショよ。

 

目で伝えるとリズはしっかりと頷いた。

 

これで一安心ね。

 

二郎真君様は少し離れた所に移動すると一度足踏みをした。

 

すると一瞬で地面にドイツのお城で見たものに似た召喚陣が浮かび上がったわ。

 

「一度見たけど、どうやっているのかサッパリわからないわ。」

「凛、目に焼き付けておきなさい。あれがお前が選んだ御方の力の一端だ。」

 

ツインテールの女の子と近くにいたおじさんが話しているのが耳に入るけど、私の目は二郎真君様に釘付けだった。

 

これが…武神の力の一端…。

 

召喚陣から光が溢れ出し、視界を覆い尽くしていく。

 

やがて光が収まると、そこには見惚れてしまう程に綺麗な人が立っていた。

 

「久し振りだね、エルキドゥ。」

「うん、久し振り、二郎。それと誘ってくれてありがとう。」

 

綺麗な人はさっき話をしていたおじさんの近くにいる金髪の男の人の所に歩いていった。

 

「待っていたぞ、エルキドゥ。」

「うん、お待たせ、ギル。」

 

綺麗な人は自然に金髪の男の人の隣に座った。

 

「さて、待たせたね、アイリスフィール。」

 

二郎真君様の言葉を聞いたお母様は軽く咳払いをする。

 

「それでは宴を始めさせていただきます。皆様、どうぞごゆっくりお楽しみください。」




これで本日の投稿は終わりです。

御二方が出そうとするとどうしても立川風味になってしまう不思議。

また来週お会いしましょう。


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第262話

本日投稿1話目です。


冬木のアインツベルンの城にて宴が始まった。

 

開始当初は緊張していた大人達も、酒が入ったり物怖じしない子供達の姿を見た事で、英雄達と杯を酌み交わせる様になっていった。

 

そんな中で子供達に交じって酒よりも食を楽しむ大人もいた。

 

アルトリアと綺礼である。

 

アルトリアは並べられた料理を全て堪能するとばかりに手と口を動かし、綺礼は大皿に盛られた麻婆豆腐を独占して舌鼓を打っていた。

 

「ちょっと綺礼!ゼンが作った麻婆豆腐を独占するんじゃないわよ!」

「凛、あれはかなり辛いので、まだ子供の貴女は遠慮した方がいいですよ。」

 

アルトリアがやんわりと止めるものの、遠坂 凛は果敢に麻婆豆腐に挑戦する。

 

だが…。

 

「―――!?」

 

彼女は声にならない声を上げ、一口で断念した。

 

二郎が作った麻婆豆腐はどこかの世界で作られた痛みを感じる程の辛さではない。

 

だが辛党でなければ好んで食さない程度には辛く作られているのだ。

 

「なんでこんなに辛いのよ!?」

「今の中華の王が辛いものを好んでね。彼が王位を継いだ祝いに作った時のものなんだ。」

 

涙目で二郎に説明を求めた遠坂 凛は、彼の説明を聞くと口直しにジュースを飲み干す。

 

「う~…ひどいめにあったわ。」

「アルトリアが止めていただろう?なら自業自得だね。」

 

そう言いつつも二郎は辛さを控え目にした麻婆豆腐を彼女に差し出す。

 

「これなら凛でも食べられると思うよ。」

「二郎!我に先に献上せぬとは何事だ!」

「直ぐにそっちにも持っていくよ。」

 

そんな一幕を横目に、遠坂 時臣と衛宮 切嗣は酒を片手に話をしていた。

 

「娘を二郎真君様の許嫁にか…随分と思いきった行動だな。」

「私の発案ではない。凛自身の発案だ。」

「それでもそれを認めたのは時臣、君の判断だろう?僕ならリスクを考えて決断出来ないかもしれない。」

 

本来なら殺し合う仲だった二人だが、二郎に救われた者同士として今では奇妙な友情を感じる間柄となっている。

 

そんな夫達の姿に笑みを浮かべながら、夫人達も話をしていた。

 

「葵さん、凛ちゃんの事はよかったの?」

「ああなってしまったら凛は言う事を聞きませんから。それに私は良縁だと思います。だから凛を応援しますよ。」

「う~ん…イリヤも二郎真君様を悪く思ってないみたいだし、うちも考えてみようかしら?ねぇ、舞弥さん?」

「そうですね、奥様。」

 

久宇 舞弥の言葉にアイリは頬を膨らませる。

 

「もう、奥様じゃなくてアイリよ。」

「は、はい、アイリさん。」

 

華やかな雰囲気を放つ御夫人方の下へランスロットが杯を片手に馳せ参じようとするが、それに気付いたアルトリアに襟首を掴まれて引き摺り戻される。

 

「我が王よ、私はただ御夫人方に礼を尽くそうと…。」

「少しは自重しなさい。これ以上あちらに近付こうとするなら、痛みを感じる程の辛さの麻婆豆腐をその口に詰め込みますよ?」

 

そんな会話がなされている事を知らずに、イリヤスフィールはメイドの二人と遠坂 桜を連れてシッダールタの所に突撃していた。

 

「それ、黒子?」

「これは黒子ではありませんよ。」

「リズ、いけません!…あっ!?御嬢様!?」

「いったあ!?」

 

真面目なセラが自由奔放なお子様達を止めようとするが、隙をついてイリヤスフィールがシッダールタの額を押してしまった。

 

「も、申し訳ありません!」

「い、いえ、彼女も悪気があってやったわけではありませんから…。」

 

ニコニコと微笑みを返すシッダールタに、セラは流石は仏だと安堵したのだった。

 

 

 

 

大人達に酒も程よく回った頃、不意にイスカンダルが立ち上がった。

 

何事かと皆が目を向けると、イスカンダルは不敵な笑みを浮かべる。

 

「ここには時代を越えて英雄達が集った!現世の者達も色々と問いたかろう!ならば問答をしようではないか!」

「なっ!?馬鹿っ!いきなり何を言っているんだ!」

 

ウェイバーはそう止めるものの、内心ではイスカンダルの言葉に賛成していた。

 

他の面々も彼の言葉に賛成したのか、それぞれ飲み物を片手に集まりだす。

 

「それで、マケドニアの王よ、何を問答するんだい?」

「ふむ、先ずは王とは何かを問おうか!」

 

二郎の問い掛けにイスカンダルはそう答えると、ギルガメッシュに目を向けた。

 

「創り、治め、繋ぐ、それが王たる者の役目だ。」

 

人類の時代を創り、人々を飢えさせたり凍えさせることなく治め、次代へと繋げたギルガメッシュの言葉には重みがあった。

 

現代の大人達はそんなギルガメッシュに理想の王の姿を見た。

 

子供達も完全に理解出来たわけではないが、英雄の一端を垣間見た気がした。

 

「なるほど、流石は賢王と名高いギルガメッシュ王よ。だが!余が考える王とは違うな!」

「ほう?ならば貴様は王をなんと語る?」

 

イスカンダルはギルガメッシュの問い掛けに不敵に微笑んだ。

 

「王とは!臣下と民に夢を見せる者!そして皆を率いて夢へと駆ける者だ!」

 

イスカンダルが語った言葉は、正に彼の生き様そのものだった。

 

現代の大人の男性達は彼の言葉に器の大きさを感じ、女性達は彼にどこか子供っぽさを感じて微笑んだ。

 

「ギルとは違うけど、ああいう王がいても面白いよね。」

 

エルキドゥはそう言いながらアルトリアに目を向ける。

 

彼女は少し間を置いてから己にとっての王とは何かを答えようとする。

 

その時…。

 

「グワッハッハッハッ!我、参上!!」

 

雄々しく虚空を突き破り、御立派な神が姿を現したのだった。




本日は3話投稿します。

次の投稿は9:00の予定です。


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第263話

本日投稿2話目です。


御立派な神が姿を現した事で宴に参加している保護者達は大慌てとなった。

 

「お嬢様!桜様!見てはいけません!」

「ちょっとセラ!何が来たのか見えないじゃない!」

「なんか緑色だった?」

 

「イリヤ、桜、でっかいチ…。」

「リズ!それ以上はいけません!」

 

「ちょっとアルトリア、何で見ちゃダメなのよ?」

「『あれ』を見るのは凛には早すぎます。」

 

子供達の目が隠されているのを確認した親達は安堵の息を吐く。

 

「なっ…なんだあれは!?」

「むぅ…なんと立派な…。」

「そうだけどそうじゃないだろライダー!」

 

「時臣…僕は飲みすぎたのかもしれない。」

「奇遇だな、切嗣。私も飲みすぎたようだ…。」

 

男衆が役に立たない中、御夫人方は強かった。

 

「『あれ』って見た目はあれだけど、たぶん子宝を授けてくれる神よね?拝んどこうかしら?」

「最近やつれ気味ですから、切嗣に加護を与えてほしいですね。」

「…時臣さんにも必要かしら?」

 

そんな会話がされている中で、御立派な神はシッダールタの元に向かう。

 

すると…。

 

「去れ、マーラよ!」

「つれない事を言うでない。我もタマには飲みたいのだ。」

 

ブルンブルンと雄々しく身体を振るいながら御立派な神がそう言うと、シッダールタは大きくため息を吐く。

 

「ゼン様…申し訳ありませんが…。」

「構わないよ。子供達が見えない様に認識阻害をしておくからね。」

「御迷惑をお掛けします。」

 

二郎が座ったまま柏手を一つ打つと、淡い光が御立派な神を包み込んだ。

 

「ゼンよ、我はこの様なモノを被らずとも、恥じ入るところはないぞ。」

「今の世の人々には、マーラの姿は刺激が強すぎるみたいだからね。」

「ふむ、ギンギンにみなぎる我の姿は立派過ぎる故、直視出来ぬのもいたしかたないか。」

 

御立派な神は機嫌よく高笑いをしたのだった。

 

 

 

 

目隠しが無くなった子供達は周囲を見渡す。

 

チラリと見えた緑色の物体の姿が見えずに、子供達は首を傾げる。

 

すると…。

 

『グワッハッハッハッ!』

 

虚空から高笑いが聞こえてきて驚いた。

 

「な、なに?この笑い声?」

「凛、気にしたら負けです。」

 

遠坂 凛は何故か拝んでいる母親達の姿を見つけるが、アルトリアの言葉通りに気にしない事にした。

 

「さて、問答の途中だったな?アーサー王よ、御主の考える王とは何だ?」

 

イスカンダルの言葉にアルトリアが答える。

 

「私にとって王とは『約束』です。」

「「「約束?」」」

 

異口同音の言葉に頷くと彼女は続きを語る。

 

「騎士の誇りを次代へと繋ぐべく私は王となりましたが、その際にある人と一つ約束をしたのです。その約束があったからこそ、私は途中で折れず、最後まで責務を果たしきる事が出来ました。」

 

アーサー王伝説に残されている当時のブリテンの状況は酷いの一言に尽きるものだ。

 

故にそのブリテンを立て直すにはそれ相応の覚悟が必要になる。

 

だからこそ大人達は彼女の言葉に理解を示したが、子供達はアーサー王伝説を詳しく知らぬため疑問を持った。

 

そんな子供達を代表して遠坂 凛がアルトリアに問い掛けた。

 

「ねぇ、アルトリア、貴女がした約束って何?」

 

凛の言葉にアルトリアは微笑みながら答える。

 

「事を成し終えたら、ある人に恋人にしてもらうと約束したのですよ。」

 

そう言いながら彼女はチラリと二郎に目を向ける。

 

この彼女の言葉と仕草に桜やイリヤを含めた女性陣は歓声を上げた。

 

しかし凛は不満気な顔をする。

 

(お父様の説得は出来たけど、まだゼンとは約束出来てない。つまり私の婚約者は、まだゼンだと決まったわけじゃない…なら!)

 

前向きな思考と思いきりの良さ…それを遠坂 凛はここでも十分に発揮した。

 

立ち上がり片手を腰に、片手で二郎を指差しながら凛は宣言する。

 

「ゼン!アルトリアが恋人になるって約束をしたのなら私もいいわよね?私が遠坂の宿題を成したら貴方の名を預けてもらうだけじゃなくて、私とも恋人になってもらうわ!」

「なっ!?凛!」

 

アルトリアが声を上げて驚く。

 

そして二郎は笑みを浮かべながら答えを返す。

 

「…あぁ、いいよ。」

 

このやり取りに遠坂 時臣は頭を抱えた。

 

そんな時臣の杯に切嗣が酒を注ぐ。

 

「え~と、まぁ、よかったじゃないか。心労は察するけど、とりあえず飲もう。」

「…すまない。」

 

そんな感じで宴も半ばを過ぎた頃…。

 

「―――!!」

 

声ならぬ叫びを上げて、全身に鎧を纏ったサーヴァントが姿を現したのだった。




次の投稿は11:00の予定です。


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第264話

本日投稿3話目です。


side:遠坂 凛

 

 

叫び声に振り返るとそこには全身に鎧を纏った誰かがいた。

 

「凛!桜!」

 

呼ばれた桜は直ぐにお父様の所に戻ったけど、私はそのままゼンの所に残る。

 

何故ならゼンにはまったく慌てた様子がなかったから。

 

「二郎、あれは…。」

「うん、ベイリンだね。」

「ベイリン?」

 

アルトリアとゼンの言葉に疑問を持つ。

 

「凛、彼はかつて円卓に名を連ねた騎士です。」

 

アルトリアがアーサー王だって話は聞いている。

 

それで興味を持った私はちょっと前にアーサー王伝説を少し調べてみた。

 

そこに出てきた騎士の一人が『強欲の騎士ベイリン』

 

たしかベイリンは破滅の呪いが掛けられた剣を手放す様に、アーサー王を始めとした円卓の騎士達に何度も説得されたのだけど、決して破滅の呪いが掛けられた剣を手放そうとはせず、その末に円卓を追放されてしまったのよね。

 

そして最後は呪いの通りに破滅を迎えてしまったのが強欲の騎士ベイリン。

 

そのベイリンがあそこにいる全身に鎧を纏った奴なの?

 

いつの間にか剣を持っていたベイリンは叫び声を上げながら地を蹴った。

 

その地を蹴って向かった先にはギルガメッシュ…。

 

うそ!?

 

そっちにはお父様達が!

 

我関せずとばかりにお酒を飲み続けるギルガメッシュにベイリンの剣が迫ったその時…。

 

キンッ!

 

ランスロットがいつの間にか手にしていた剣で、ベイリンの一太刀を受け止めた。

 

「原初の王よ、かつての仲間が無礼を働きました。この者の無礼を我が手で灌ぐ機会をいただきたく…。」

「許そう。我が友が認めしその才にて我等を興じさせよ。」

「はっ!」

 

ランスロットがベイリンを押し返して皆から距離を取ると、二人の戦いが始まった。

 

「へぇ、ベイリンは狂気に身を委ねても戦いの勘は失ってないみたいだね。」

「えぇ、流石は馬上試合にてガウェインに勝利をした男です。」

「うそっ!?ベイリンってガウェインに勝ったの!?」

 

たしか読んだ本には、ガウェインの実力はランスロットとギャラハッドに次ぐって書いてあったわ。

 

なのにベイリンの方がガウェインよりも強いの?

 

疑問に思った私はゼンに聞いてみた。

 

「馬上試合をした当時はベイリンの方が強かったね。でもガウェインはその敗北を糧に大きく成長したのさ。」

「懐かしいですね。あのガウェインが好物の芋を控えて鍛練に励んでいたのを思い出します。」

 

えっ?ガウェインって芋が好きなの?

 

意外だわ。

 

王様になったって書いてあったから、優雅にワインを飲んでるイメージだったのに。

 

そう言うと二人は笑った。

 

「円卓の騎士達の中で、一番ワインが好きなのはランスロットじゃないかな?」

「そうですね。親馬鹿全開でギャラハッドが造ったワインを絶賛してましたから。」

 

むぅ…二人だけでわかりあっているのがなんかムカつくわ。

 

私は二人の間に身体を捩じ込んで割り込む。

 

そしてアルトリアに向けて勝ち誇ると、彼女は不満そうな顔をしてきた。

 

「凛、いくら貴女が子供とはいえ、それは横暴ではないでしょうか?」

「あら、なんの事かしら?私はまだ子供だからよくわからないわ。」

 

私とアルトリアは騎士達の戦いを横目に、目線で火花を散らすのだった。

 

 

 

 

side:ウェイバー・ベルベット

 

 

文字通りに目にも止まらぬ速さで剣が振るわれる戦いが、僕の目の前で起こっている。

 

ジャパニーズアニメーションで表現される様な、本物の英雄達の戦いだ。

 

「ラ、ライダー、どっちが優勢なんだ?」

「ランスロットだ。だが二人の差は互いの力量によるものではなく、おそらくはマスターの質の違いのせいであろう。」

「マスターの質?」

 

僕の言葉にライダーが頷く。

 

「我等サーヴァントの身体は魔力で構成される仮りの肉体だ。必然、その身体で力を発揮しようとすれば魔力を消費する。そして…。」

「サーヴァントに魔力を供給するのはマスター…。」

「うむ、その通りだ。故にマスターの力量次第でサーヴァントが発揮出来る力も変わる。」

 

僕はチラリとランスロットのマスターである衛宮 切嗣に目を向ける。

 

「切嗣、大丈夫?」

「アイリとパスを繋いでおいてよかった。僕一人の魔力だったら倒れていたかもしれない。」

 

英雄達の戦いの最中なのに緊張している様には見えない。

 

他の人達も同様だ。

 

なんでだ?

 

もし戦いの余波に巻き込まれたら、ただじゃすまないかもしれないんだぞ?

 

そんな疑問を持つと不意にライダーがため息を吐いた。

 

「…何だよ?」

「マスター、御主も魔術師ならば少しは注意深く観察してみよ。」

 

ムカッとしたけど、ライダーの言葉通りに観察してみる。

 

すると…。

 

「これって…結界か?」

「そうだ。余も含めて皆があの狼藉者の気配に気付くよりも早く、ゼンが皆に結界を張ったのだ。」

 

なんというか…流石は神なんだろうな…。

 

「はぁ…気を張っていた僕が馬鹿みたいじゃないか。」

「そこで気を抜くからマスターはまだ未熟なのだ。」

 

ジト目をライダーに向けると、ライダーは呆れた様子で僕を見ていた。

 

「マスター、御主の目的は何だ?」

「それは今の時代では得難い経験を積む為に…。」

「戦いとは己が譲れぬものの為に命を賭して行うものだ!なればこそ腹に力を入れて見届けねばならぬ!それがあの者達への礼儀である!」

 

ライダーの覇気に気圧されて後退りそうになる。

 

でも歯を食いしばって堪えた。

 

そんな僕を見てライダーは頷く。

 

「それでよい。後は全てを目に焼き付けよ。さすれば後にマスターの糧となる。」

 

腕を組んで胸を張りながら、ライダーは英雄二人の戦いを見届けている。

 

そんなライダーの隣に立って僕も二人の戦いを見届けた。

 

そうしてしばらく経つと、ランスロットの一撃をその身に受けたベイリンは光の粒子になって消えていったのだった。




本日の投稿は終わりです。

私的な理由ではありますが拙作を8月一杯休載とさせていただきます。

暑いのは苦手なのです…。


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第265話

本日投稿1話目です。


ベイリンが消えた事で喪失感を感じた間桐 雁夜は、蟲に喰われる痛みも忘れて叫ぶ。

 

また奪われたと。

 

「あぁぁぁぁあああああ!!時臣ぃぃぃいいい!!時臣時臣時臣ぃぃぃいいい!!」

 

間桐 雁夜の叫びを愉悦して眺める翁がいる。

 

彼の身内である筈の間桐 臓硯だ。

 

愉悦して顔を歪める臓硯の顔が不意にひび割れる。

 

「フム、そろそろこの身体も換え時か。」

 

何てことはないとばかりに呟くと、臓硯は再び雁夜へと目を向ける。

 

「今宵はじっくりとこの光景を眺め、明日にでも換えに行くとするか。」

 

そう言って顔を歪める臓硯の前で、喉が潰れても雁夜は叫び続けるのだった。

 

 

 

 

ベイリンを倒した後、冬木のアインツベルンの城では宴が再開された。

 

その際に二郎が捕らえていたキャスターのサーヴァントを、哮天犬に連れてこさせたのだが…。

 

「おぉ…!ジャンヌ!ジャンヌ!やっとお会い出来ました!私です!ジル・ド・レェです!」

 

と、アルトリアの前で歓喜の涙を流し始めたのだ。

 

「イエス、ジャンヌさんって君のところの?」

「うん、そうみたいだね。」

 

シッダールタの問いにイエスが頷く。

 

「確か聖女と呼ばれていた者だったかな?」

「そうですね、ゼンさん。」

「ねぇ、イエス、もしかしてあの時、火炙りにされた彼女を君が召し上げたのが原因じゃないかな?」

「…あっ。」

 

シッダールタの指摘にイエスが冷や汗を流す。

 

「ちょっと、いったい何をしたのよ?」

 

遠坂 凛の問い掛けにイエスは苦笑いをしながら答える。

 

「えっと…魔女と弾劾されて火炙りにされても、彼女は真摯に父さんに祈りを捧げていたから、その…つい召し上げちゃって…。」

「それの何が問題なの?」

 

古から信仰は政と密接に結びついていた。

 

これは世界中の歴史を見渡しても例外は少ない。

 

しかし日本では第六天魔王と呼ばれた英雄が旧き理を破壊した事で、現在では政教分離が成り立っている。

 

だが、まだ幼い故にそういった事を十分に学んでいない凛は、神の子であるイエスがジャンヌを直接召し上げたという事の重大さを理解していなかった。

 

ジャンヌは旗持ちとして当時のフランスを幾度も勝利に導いたが、その戦い方は騎士の誇りを軽視し、そのあまりにも鮮やか過ぎる戦功は騎士の誇りを傷付けるのに十分過ぎるものだった。

 

如何に戦争に勝利したといえど、このまま騎士達の不満を解消せねば後の政情が不安定になる。

 

そこで時のフランス皇帝は騎士達の不満を解消する為に、戦勝の最大功労者であるジャンヌを魔女と弾劾したのだ。

 

非情であるが、人の上に立つ者は時にそういった決断をせねばならない事もある。

 

だが魔女と弾劾し火炙りにされた筈のジャンヌは、人々が見ている中で神の子に召し上げられてしまった。

 

子供でもわかる大問題の発生である。

 

魔女と弾劾し火炙りされたジャンヌは、神の子に召し上げられる程の聖女だったのだ。

 

彼女を弾劾した者達が人々に悪魔と呼ばれ、その命を狙われても仕方ないだろう。

 

まぁ次々と騎士達が粛清される中で、当時のフランス皇帝はその荒すぎる波を乗り切り、生き延びて歴史に名を残したのだから、彼もまた間違いなく傑物である。

 

ではジル・ド・レェとは何者なのか?

 

彼はジャンヌと共にフランスを戦争の勝利に導いた軍人である。

 

そんな彼はジャンヌに信仰にも似た敬愛を持っていた。

 

故に彼はジャンヌが魔女と弾劾された事に猛反発したのだが、力及ばずに火炙りは実行されてしまった。

 

しかし彼女が神の子に召し上げられると彼は人々の支持を得て、声高に彼女を魔女と弾劾していた騎士達の粛清に動いた。

 

その容赦のなさは人々に『悪魔に魂を売り渡した』とまで噂される程だった。

 

事実、彼はジャンヌを失ってから黒魔術を始めている。

 

その目的は彼女の復活だった。

 

だが黒魔術に使う贄を必要として騎士達を粛清していた筈が、いつしか人を殺す事に心が囚われ、そこに美を見出だしてしまったのだ。

 

そういった話を時臣から聞かされると、子供達は感心の声を上げる。

 

「ジャンヌ・ダルクを生かす道は無かったのかしら?」

「ジャンヌさんもジル・ド・レェさんも可哀想。」

「目的の為に極端な手段を選ぶところが切嗣に似てるかも?」

 

凛と桜に続いてイリヤがそう言うと、切嗣は地に身を投げ出した。

 

「アイリ…僕は心が折れそうだよ…。」

「もう、しっかりしないとイリヤにパパって呼んでもらえないわよ?」

 

そんなやり取りを横目に、二郎はイエスに声を掛ける。

 

「それでどうするんだい?このままだとアルトリアはともかく、ランスロットが彼を斬りそうだよ?」

 

アルトリアをしつこくジャンヌと呼ぶジル・ド・レェに、ランスロットの我慢は限界を迎えようとしていた。

 

「その御方はアーサー王であり、卿が求める聖女ではない。卿の聖女に対する敬意は称賛に値するが、王の名を違える不敬を続けるのならば…。」

 

そう言いながらランスロットは愛剣のアロンダイトを抜き放つ。

 

「…えっと、イエス?」

「ラ、ランスロットさん!ちょっと待ってください!直ぐに!直ぐにジャンヌさんを喚びますから!」

 

慌てたイエスから辺りを覆い尽くす後光が放たれると、天から一筋の光と共に一人の女性が降りてきたのだった。




本日は5話投稿します。

次の投稿は9:00の予定です。


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第266話

本日投稿2話目です。


神の子の奇跡によりジャンヌとの再会を果たしたジル・ド・レェは、かつての誇りを取り戻して穏やかな笑みを浮かべながら『座』へと還った。

 

それを機に宴も終わりを迎えようとしていた。

 

「ギルガメッシュ、蟲の翁はいつ動くかな?」

「明日の夜であろう。」

「そうかい。」

 

二郎が言峰 綺礼に目を向けると彼は頷く。

 

「二郎よ、あの男はどうする?」

「一見したけど、あそこまで憎しみに囚われていたら、俺にはどうしようもないね。」

 

そう言いながら二郎はシッダールタへと目を向ける。

 

するとシッダールタは柔らかな笑みを浮かべた。

 

「では、私が彼と話をしましょう。」

「護衛代わりに哮天犬を連れていくといいよ。君が無防備に動くと色々と騒ぎになるだろうからね。」

「…お手数をお掛けします。」

 

そう言いながらシッダールタは見事な五体投地をした。

 

実は流行り病で人心が荒れた時代にシッダールタは人々の救済の為に現世に降臨したのだが、その時に護衛を付けずに一人で降臨してしまった。

 

そこでシッダールタを守ろうと孫悟空や不動明王が動いたのだが、誰がシッダールタの側で護衛するかで戦争になりかけた事があるのだ。

 

「さて、夜も更けたし子供達はそろそろ寝る時間だよ。明日の夜には大聖杯の解体に取り掛かるから、興味があれば見に来るといい。」

 

 

 

 

翌日の夜、冬木の街の影に一人の翁が潜んでいる。

 

間桐 臓硯だ。

 

間桐 臓硯の顔は獲物を狩る愉悦に歪んでいる。

 

だが、不意にその愉悦の顔は成りを潜める。

 

彼が認識阻害の結界を知覚したからだ。

 

「ふむ、どういう事か説明願えるかな?」

 

臓硯が暗闇の路地に問い掛けると一人の青年が姿を現す。

 

言峰 綺礼だ。

 

「遠坂とアインツベルンは聖杯戦争の中止に合意した。」

「なるほど…だが、それだけではあるまい?」

「間桐 臓硯、二家はお前の排除を決定した。」

「カカカ、それをお前が成すと?笑わせるな。」

 

顎に手を当てた間桐 臓硯は綺礼の身体を隅々まで観察する。

 

「ふむ、悪くない。では、次の身体は貴様のそれにするとしようか。」

 

臓硯の顔が愉悦に歪むと、綺礼は黒鍵という名の武器を両手に構える。

 

そして、いざ戦いが始まろうとしたその時…。

 

「あぁ、一つ伝え忘れていた。」

 

不意に綺礼が言葉を放った事で臓硯は動きを止める。

 

「なんだ?遺言ならば聞いてやるぞ?」

「聖杯戦争の中止に伴い、大聖杯の解体も決定した。」

 

この綺礼の言葉に臓硯の感情が揺れる。

 

その臓硯の感情の揺れに、綺礼は口角を吊り上げる。

 

「解体の日時は今夜だ。」

 

身体を震わせる臓硯を見て綺礼は更に言の葉を紡ぐ。

 

「あぁ…そういえばある御方が言っていたな。『大聖杯になった者の魂も適当に処分する』と…。」

 

この言葉に臓硯の感情が爆発した。

 

その様子を綺礼は愉悦の表情で眺めるのだった。

 

 

 

 

綺礼が間桐 臓硯と戦い始めた頃、先日の宴に参加した者達は大聖杯の前に辿り着いていた。

 

「あの様な物が冬木の地に在り続けていたとは…私は冬木の管理者失格だな。」

 

大聖杯の有り様を見た時臣が嘆きの声を上げる。

 

やがて大聖杯から呪いの泥が溢れ、この場にいる者達に向かって流れ始める。

 

だがそれは二郎が張った水鏡の守護結界により防がれる。

 

「さて、頼んだよ、神の子。」

「はい、行ってきますね。」

 

極自然な笑顔で返事をしたイエスの表情は、次の瞬間には一変していた。

 

慈愛に溢れる暖かな雰囲気を纏ったイエスが、欠片の躊躇もなく泥の中を歩んでいく。

 

やがてイエスは泥の中心に辿り着くと、人の形をしているナニカを優しく抱き締める。

 

「君が背負わされた罪は私が背負おう…君は許された。」

 

イエスの背から後光が広がり、黒き呪いの泥が浄化されていく。

 

その光景を見た一同は感嘆の息を吐いた。

 

「あれが本物の救世主の姿なんだね…。」

「切嗣、間違ってもあれを目指しちゃダメよ。人の身であれを成そうとしたら、間違いなく心が壊れるわ。」

 

人の悪しき心を当然の様に受け止め、そして背負うイエスの姿に、アイリスフィールは敬意と同時に畏れも抱いた。

 

「わかっているよ、アイリ。僕は家族を守れればそれでいい。それ以上は望まない。」

 

黒き泥が浄化されると、白き人の形が残った。

 

すると…。

 

「汝に祝福あれ!」

 

イエスの祝福に応じて天から光が降り注ぐ。

 

そして天使達に伴われ、白き人の形をした者は天へと召されていった。

 

その光景に皆が感動している中で二郎が声を上げる。

 

「神の子、彼の信仰を確認せずに、君の所に召し上げてしまってよかったのかい?」

「…あっ。」

 

うっかり召し上げてしまったイエスは、慌てて天界へと向かったのだった。

 

 

 

 

「…がっ!…あぁっ!」

 

最早憎悪の声も上げられなくなり、刻印蟲に喰われる痛みで、間桐 雁夜は絶望の只中にいた。

 

そんな雁夜の耳に、不意に声が聞こえる。

 

「蟲達よ、その人と話がしたい。しばしの間、静かにしていておくれ。」

 

不思議な事にその声と同時に刻印蟲が活動を止めた。

 

それにより痛みから解放された雁夜は、残された力を振り絞って声の主に目を向ける。

 

「憎しみに囚われし人よ、少し私と話をしよう。」

 

不思議と雁夜はその者と話をしようと思った。

 

雁夜は己の心の内を枯れ果てた声で語っていく。

 

そして男と語り合っていく内に、憎悪に染まった雁夜の心は解きほぐされていったのだった。




次の投稿は11:00の予定です。


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第267話

本日投稿3話目です。


side:言峰 綺礼

 

 

靴の下で奇声を上げながらもがく蟲の姿に、全身に負った傷の痛みを忘れさせる程の愉悦を感じる。

 

だがこの愉悦は途中であり、まだ完成されていない。

 

靴の下でもがき狂っている間桐 臓硯の本体を踏み潰して初めて完成するのだ。

 

死力を尽くして満身創痍となったこの身体には、黒鍵一つ持つ握力すら残されていない。

 

だが奴の本体を踏み締めている足に体重を乗せる程度は出来る。

 

奴も察したのだろう。

 

より一層暴れ出した。

 

そんな間桐 臓硯の本体である蟲を無慈悲に踏み潰した。

 

あぁ…私は今、間違いなく悦びを感じている。

 

自然と笑い声が出てきた。

 

そうか、私はこの様に笑うのだな。

 

「見事。」

 

不意に虚空から老人が姿を現す。

 

今回の聖杯戦争で契約したアサシンのサーヴァント…李書文だ。

 

「格上の相手を言の葉で翻弄し、そして勝ちきる。今一度言おう、見事じゃ。」

「…ありがとうございます。」

 

これまでの人生ではどんな称賛の言葉を受けても、ただの一度も心が動いた事はなかった。

 

だが今は老師の言葉で心が動いたのを感じている。

 

何故だ?

 

「ふむ…さしずめ、強い悦びを経験した事で感情が動く様になったのであろう。」

 

老師の言葉を受けて私は己の身体に目を向ける。

 

満身創痍ではあるが、全身が心地好さに包まれている。

 

そこで違和感を感じた。

 

…世界が違う?

 

周囲を見回す。

 

目に映る全てが鮮やかに色付いていた。

 

そうか…これが…。

 

「生きているという事か…。」

「さて綺礼よ、この後はどうする?お前も大聖杯の解体を見に行くか?」

「…いえ、今は無性に父上と飲みたいと感じています。」

 

聖杯になど興味は無い。

 

今はただ心の導くままに…。

 

 

 

 

イエスにより浄化された大聖杯には純粋で膨大な魔力が満ちている。

 

この量ならば『世界の内側』に奇跡の一つや二つは優に起こせるだろう。

 

そんな大聖杯の前に気軽に二郎が立つ。

 

「さて、彼女はどうしようかな?」

「二郎、彼女とは誰の事でしょうか?」

「目の前の大聖杯になった者の事だよ。」

 

アルトリアの問い掛けに二郎がそう答えると、場にいる皆が驚く。

 

「ねぇ、ゼン、その言い方だとこの大聖杯が元は人間だったって聞こえるんだけど?」

「あぁ、その通りだよ。」

 

遠坂 凛の問い掛けに二郎はあっさりとそう言う。

 

それを聞いたアイリスフィールが手を顎に当てて考え始める。

 

「アイリ、どうしたんだい?」

「切嗣、アインツベルンの当主の中には『第三の魔法』を完成させた者がいるんだけど…。」

「…もしかして、あの大聖杯がそうだと言うのかい?」

「その可能性はあると思うの。」

 

衛宮 切嗣とアイリスフィールの会話を聞いた一同にざわめきが広がる。

 

意を決したアイリスフィールは二郎に近付く。

 

「ゼン様、大聖杯になった者を人に戻す事は可能でしょうか?」

「可能だよ。」

「恩を返せていない身で厚かましいとは思いますが、お願い出来ませんでしょうか?」

「あぁ、いいよ。」

 

二郎が足踏みをすると非常に複雑な魔法陣が大聖杯を覆う。

 

そして大聖杯から光が立ち昇り人の形を成すと、そこから美しい女性が姿を現した。

 

「こんな簡単に『魂の物質化』をされるなんて…私の研鑽の日々は何だったのかしら?」

 

嘆く女性の姿を見たイリヤスフィールが驚きの声を上げる。

 

「ママにそっくり…。」

「あら?可愛い子ね。貴女のお名前は?」

「私?私の名前はイリヤスフィール・フォン・アインツベルンよ。」

 

イリヤスフィールの名を聞いた女性は驚きの表情を浮かべるが、直ぐに笑顔になる。

 

「そう、いい名前ね。」

「ありがとう。ところで、貴女の名前は?」

 

イリヤスフィールの問い掛けに女性は見惚れる様な笑みを浮かべる。

 

そして…。

 

「私ユスティーツァ・リズライヒ・フォン・アインツベルン。これでも昔は、アインツベルンの当主だったのよ。」

 

彼女がそう答えると、アイリスフィールは驚きのあまり叫んでしまったのだった。




次の投稿は13:00の予定です。


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第268話

本日投稿4話目です。


大聖杯の解体に向かった一行は大聖杯となっていたユスティーツァ・フォン・アインツベルンと出会うと、状況を整理する為に一度遠坂邸に戻った。

 

そして一通り挨拶を終えると、ユスティーツァは自身が大聖杯となった後の事を聞いた。

 

「私が大聖杯になってからそんなに経っていたのねぇ。」

 

ユスティーツァは自身が大聖杯となってから200年近く経っていると知ると、感慨深いとばかりに声を上げた。

 

「ユスティーツァ様。」

「様は必要ないわよ、アイリスフィール。」

「はい…ではユスティーツァさん、年数が経っている事に驚いてましたが、大聖杯となってからは意識がなかったのですか?」

 

アイリスフィールの問いにユスティーツァは微笑みながら答える。

 

「意識はあったわ。でも、途中からはほとんどなかったわね。」

 

第三次聖杯戦争の折りに聖杯が汚染されるまで彼女の意識は鮮明だった。

 

しかしそれからは微睡みの中にあったそうだ。

 

「ユスティーツァ殿、貴女は何故に人の身を捨ててまで聖杯に?」

「当時の術式では、聖杯を完成させる為にそれが必要だったからよ、時臣さん。」

 

膨大な魔力を溜める器は出来たが、その溜めた魔力に指向性を与えて制御し、奇跡を行使する術はなかった。

 

そこでパーソナルコンピューターで言うところのOSの役目を担うべく、ユスティーツァは自身の魂を大聖杯へと組み込んだのだ。

 

「何故、そこまでして奇跡を起こそうと?」

 

切嗣の問いにユスティーツァは可愛いらしく首を傾げる。

 

「う~ん…忘れちゃったわ!」

 

彼女の答えに現代の魔術師達は転けてしまう。

 

「慣れていないと、悠久の時を生きる間に記憶は薄れてしまったりするからね。」

「そうですね。私も時代によっては思い出しにくい記憶があります。」

 

不老の存在として数千年を生きる二郎とアルトリアの言葉には説得力があった。

 

故に現代の魔術師達はユスティーツァの反応に納得する事にした。

 

「それに彼女は龍脈との繋がりを経て『世界』とも繋がっていた。それで『世界』の膨大な記録を観ていただろうからね。色々と記憶が混乱しても仕方ないさ。」

「二郎真君様…それはもしや?」

 

時臣の問いに二郎は頷く。

 

「時臣、彼女が触れていたのは君が求めるものの一端だよ。」

 

その言葉に時臣は唾を飲み込む。

 

「さて大聖杯なんだけど、どうするかな?」

「二郎、そういえば戻ってきましたが、大聖杯は解体するのではないのですか?」

 

アルトリアの言葉に二郎は頷きながら言葉を返す。

 

「もちろん解体するけど、大聖杯にかなり魔力が溜まっていたからね。龍脈に魔力を還元するにしても少し多すぎるんだ。」

 

大量の魔力を一度に龍脈に還元してしまうと、冬木の魔術基盤は強化されるが、一時的に魔力が濃くなり過ぎてしまう。

 

そうなると魔術師ではない一般市民に色々な影響を与えてしまうのだ。

 

それを伝えると冬木の管理者である時臣が渋い表情を浮かべる。

 

「魔術基盤の強化は嬉しいですが、それで冬木に住まう人々の健康に影響が出るのは好ましくありません。二郎真君様、影響が出ぬ様に還元は出来ませぬか?」

「もう少し魔力を消費してからならそれも出来るけど、君達は今更奇跡は望まないだろう?」

 

二郎の問い掛けに皆が頷く。

 

ウェイバーは少し勿体ないと思ってしまったが、この程度はご愛嬌といったところだろう。

 

「…うん、じゃあもう一度宴を開こうか。」

「ゼン、宴って聖杯戦争の事よね?」

「あぁ、そうだよ。」

 

凛の問い掛けに頷くと二郎は言葉を続ける。

 

「十年後でいいかな?その時に凛や桜、そしてイリヤスフィールをマスターにしてもう一度英霊達を呼び出して宴をするのさ。」

「面白そうじゃない!」

 

凛を始めとして子供達は喜ぶが、大人達は不安そうな顔をする。

 

「えっと、ゼン様、僕としては子供達に聖杯戦争のマスターをさせるのは…。」

「別に無理に争わせようとは思ってないよ。」

 

切嗣の不安気な声に二郎は微笑みながら応える。

 

「英霊達と語らってもいい。それこそ魔術師ならば、先達の魔法使いに知識を学んでもいい。」

「…聖杯の奇跡を使えなくても英霊は来るかしら?」

 

ユスティーナは小首を傾げながらそう言う。

 

「聖杯を求めない者を喚べばいい。術式も俺が変えておくよ。もし英霊が現世を楽しむ事ではなく、受肉や転生を望むのなら俺が成すよ。後は凛達がマスターをやりたいかどうかだけさ。」

 

話を聞いていた凛、桜、イリヤは目を輝かせている。

 

「お父様!」

「お父さん!」

「切嗣!」

 

子供達の大攻勢に、親達は苦笑いをするしかなかったのだった。




次の投稿は15:00の予定です。


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第269話

本日投稿5話目です。


ユスティーツァとの邂逅翌日から各陣営は思い思いに日々を過ごしていった。

 

子供達は魔術師としての基礎を学びながらも、よく遊び友好を深めていく。

 

大人達はかつての時代の事をサーヴァント自身の口から語って貰う事で、各々の見識を深めていった。

 

そしてシッダールタの説法によって改心した雁夜が、五体投地で謝罪をした事で時臣と和解を果たしている。

 

そういった日々を送っていく中で言峰 璃正は孫娘のカレン・オルテンシアを冬木に連れてくると、彼女を連れて二郎へと面会を願い出た。

 

カレンは被虐霊媒体質なのだが、これは近くに悪魔憑きがいると彼女も悪魔の霊障を発症してしまうという特異体質だった。

 

故に璃正は孫娘の特異体質を改善する為、二郎との面会を願い出たのだ。

 

「ゼンさん、璃正さんは父さんの信徒ですし、よかったら私が…。」

「イエス、君がやるとギャラハッドさんの時みたいに聖人になっちゃうんじゃ?」

 

こんな救世主達のやり取りもあって、カレンの処置は二郎が行った。

 

無事に体質が改善された彼女は久し振りに父と顔を合わせたのだが、以前に比べて感情が豊かになった綺礼を見て驚いた。

 

「…変わった?」

「確かに変わったという自覚はあるが、それ程にわかりやすいか?」

「うん…でも、今の方が好き。」

 

カレンの言葉に感情が動いた事を感じた綺礼は、他者の不幸に愉悦を感じる己も『人並みの幸福の実感』を得られるのだと気付いた。

 

それからの言峰家には自然と笑顔が溢れる様になった。

 

そんな綺礼の変わりようにイエスが全力で祝福しようとして止められた一幕があった日から三日程が経ち、英霊達が現世に滞在出来る日も残り少なくなると、英霊達はその力を存分に振るう機会を求めたのだった。

 

 

 

 

第四次聖杯戦争に関わった者達は冬木のアインツベルンの城に集う。

 

この城は郊外にある為、人々に迷惑を掛けにくいからだ。

 

「さて、先ずはディルムッドとランスロットの二人でいこうか。」

 

二郎の言葉で二人が歩み出る。

 

そして二人は令呪を用いて万全の状態となると好戦的な笑みを浮かべた。

 

「ディルムッド殿、卿の伝承では槍と剣を手に戦ったとあるが…?」

「ふむ…騎士が戦場で武器を選ぶと?」

 

ディルムッドが本来得意とする戦い方は槍と剣の変則二刀流である。

 

故にランスロットはそれとなく指摘をしたのだが、騎士としての矜持を説かれると己の差し出がましさを恥じた。

 

「これは失礼致しました、ディルムッド卿。」

 

既に二郎により大聖杯には処置が施されており、敗れたサーヴァントの魔力が注がれる事はない。

 

更に結界も張られているので見物している者達への被害を考えなくてよい。

 

ならば後は存分に戦うだけだ。

 

「円卓の騎士、ランスロット!」

「フィアナ騎士団、ディルムッド・オディナ!」

「「参る!」」

 

名乗りを上げた二人が同時に踏み込み、戦いが始まった。

 

最高峰の騎士として語り継がれている二人の戦いは見る者を惹き付ける。

 

「ねぇゼン、どっちが優勢なの?」

「今のところはディルムッドだね。」

 

二郎が凛の問いに答えた通りに、ディルムッドが右の長槍と左の短槍を巧みに使いランスロットを圧している。

 

だがそれだけで勝ちを譲るほどランスロットは甘くない。

 

一合、二合と刃を交える度にランスロットはディルムッドの戦い方を学び、その剣は冴えを増していく。

 

「これほどの騎士と戦えるとは心が躍る!」

「その言葉!そっくり返そう!」

 

一筋、二筋と互いに傷が増えていくが、二人の顔には笑みがある。

 

まるで子供が遊びを楽しんでいるかの様に。

 

そんな二人の戦いも終わりが見える。

 

ランスロットがディルムッドの左腕を斬り飛ばしたのだ。

 

続く追撃を飛び退いて避けたディルムッドは、片腕を失いながらもケルトの戦士らしく更に戦意を高める。

 

「オォォォォオオオオッ!」

 

そんなディルムッドの戦意に呼応するかの様にランスロットが一際鋭い踏み込みを見せた。

 

それを見たディルムッドは右手の長槍を投擲した。

 

だがランスロットは敢えて投擲された長槍を無防備に受けた。

 

短槍を手元に召喚していたディルムッドだが、ランスロットの胆力に一瞬の動揺を見せてしまう。

 

それを見逃す程ランスロットは甘い相手ではなかった。

 

「ハァァァアアアッ!」

 

槍に腹を貫かれながらも、ランスロットは裂帛の気合と共に愛剣を袈裟斬りに振り抜いた。

 

「…見事!」

 

霊核を斬られたディルムッドは敗北を認め、手にしていた短槍を納める。

 

「片腕を失ってもあの戦意…流石はケルトの戦士でした。」

「貴殿も見事だった。貴殿ならばフィン・マックール騎士団長も、フィアナ騎士団への入団を歓迎するだろう。」

「…それは光栄。しかし、私が忠誠を捧げるのは我が王にのみです。」

 

ランスロットの返答に肩を竦めたディルムッドは二郎に目を向ける。

 

「ディルムッド、楽しかったかい?」

「はい、騎士として満足のいく戦いが出来ました。」

 

やがてディルムッドの身体から光の粒子が溢れ、その姿は徐々に薄くなっていく。

 

「あぁ、それでも…貴方に勝利を捧げられなかった事だけは残念です。」

 

そう言いながらディルムッドは苦笑いをし、『座』へと帰還したのだった。




これで本日の投稿は終わりです。

もしディルムッドが槍と剣の本来のスタイルだったら結果は逆だったかも?

また来週お会いしましょう。


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第270話

本日投稿1話目です。


ランスロットとディルムッドの戦いが決着すると、次に李書文と二郎が進み出た。

 

「書文、俺でいいのかい?」

「先程は騎士として見事な戦いを見せられましたからな。ならば拳法家としての戦いを皆に見せたく思いまして…。」

 

そう言いながら李書文は包拳礼をする。

 

それに応えて二郎も包拳礼をすると、双方共に徒手で構えた。

 

先手は書文。

 

一歩踏み込んで肘での一撃を放つ。

 

しかし二郎は一歩踏み込むと書文の背後を取る。

 

そしてその場で地を踏むと、背中を使って体当たりした。

 

書文は二郎の一撃を、敢えて五体の力を抜いて受けた。

 

『消力(シャオリー)』という中華拳法の奥義の一つだ。

 

そして直ぐに体勢を整え、書文は八極拳の粋を尽くして攻め立てる。

 

掌、拳、腕、肩、背中と上体のあらゆる部位を使い変幻自在に攻撃が繰り出されるが、二郎はその全てを『化勁(かけい)』と呼ばれる技法を用いて片手でいなしていく。

 

中華拳法家同士の戦いは騎士の戦いと比べて豪快さに欠けるが、数千年に渡り継承と研鑽を繰り返されたその技術は、人類が至れる極致の一つを体現していた。

 

超一流の二人により繰り出される技の一つ一つが皆を魅了していく。

 

そんな二人の拳法家の戦いにも終わりが訪れる。

 

書文は牽制の突きから頂肘を放つ。

 

彼が実戦において最も得意とした一撃だ。

 

だがその一撃を二郎は、崩拳で真っ向から切って落とした。

 

武神の崩拳をまともにくらってしまった書文は地に膝をつき血を吐き出す。

 

「やはり届きませんでしたな。然れど満足。挑みこそが武人の本懐なれば…。」

 

震える手で書文は包拳礼をする。

 

「桃源郷にお越しになられた際には、また挑ませていただきますぞ。」

「あぁ、皆によろしくね。」

 

二郎の返答を受けて、書文は笑みを浮かべながら帰還したのだった。

 

 

 

 

英雄達の戦いもいよいよ最後の組み合わせを迎える。

 

ギルガメッシュとイスカンダルだ。

 

「マスター、令呪を。」

「あぁ…。」

 

イスカンダルの言葉にウェイバーは令呪に願いを込める。

 

「ライダー…『勝て!』」

 

三画の令呪が輝き、イスカンダルに力が注ぎ込まれる。

 

対して…。

 

「王よ、令呪を…。」

「いらぬ。」

 

ギルガメッシュは時臣の申し出を必要ないと断じる。

 

「友と妻がそこに在る。これ以上、我に何が必要か?」

「…差し出がましい真似を致しました。」

 

人類史上最高と謳われる英雄の姿に、時臣は自然と頭を垂れていた。

 

相対した二人は共に不敵な笑みを浮かべる。

 

イスカンダルが剣を振り上げると戦車が現れ、『世界』が塗り替えられていく。

 

そして『世界』が塗り替えられ終わると、そこには生前のイスカンダルに付き従ったマケドニアの戦士達の姿があった。

 

「征服王イスカンダルのこの『世界』での最後の戦!我等が挑むは英雄王ギルガメッシュ!相手にとって不足なし!」

「「「オォォォォオオオオオ!」」」

 

戦士達の声が轟き、場には戦意が充満していく。

 

「蹂躙せよ!」

 

イスカンダルが檄と共に手を振り下ろすと、イスカンダルを先頭に戦士達が突撃を開始した。

 

両手を組みその様子を見据えるギルガメッシュの背に、一つの波紋が浮かぶ。

 

「異世界へ旅立つ手向けだ。」

 

奇怪な形をした剣を手に取ると、ギルガメッシュは魔力を注ぎ込みながら構える。

 

すると、まるで『世界』が哭いているかの様な音が剣から鳴り響く。

 

そして…。

 

「エヌマ!」

 

神話に謳われる神殺しの一撃が…。

 

「エリシュ!」

 

現世に顕現した。

 

破壊の暴風がマケドニアの戦士を一人、また一人と蹂躙していく。

 

だがイスカンダルを始めとして、全ての戦士が笑っていた。

 

「Ah―lalala!」

 

イスカンダルは破壊の暴風の中を駆ける。

 

まだ見ぬ異世界の地を夢見て。

 

「マスター!この数週間!楽しかったぞ!」

 

イスカンダルの声にウェイバーは流れる涙も拭わずに応える。

 

「イスカンダル!」

「ハッハッハッ!漸く余の名を呼んだな!」

 

破壊の暴風に蹂躙され、イスカンダルの身体が光の粒子となっていく。

 

「異世界でもどこでも好きな所に行け!そして…思うままに駆け抜けろ!」

「応!」

 

破壊の暴風が過ぎ去ると、そこにイスカンダルの姿は無かった。

 

だがウェイバーの胸には、確かに彼の生き様が刻み込まれたのだった。




本日は3話投稿します。

次の投稿は9:00の予定です。


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第271話

本日投稿2話目です。


英雄達の戦いも終わり、残った英雄達も座へと還る時がきた。

 

「時臣よ、子とは巣立つものである事を努々忘れるな。」

「はっ!」

 

頭を垂れる時臣を一瞥したギルガメッシュは二郎へと目を向ける。

 

「さらばだ、友よ。」

「あぁ、またねギルガメッシュ。」

「二郎、また哮天犬と一緒に遊びに来てね。あんまり来ないとギルが拗ねちゃうよ。」

 

顔を逸らして鼻を鳴らすと、ギルガメッシュはエルキドゥと共に『座』へと還る。

 

「王よ、円卓の皆は貴女の来訪をお待ちしております。」

「そうですね。そのうち、二郎と共に行きますよ。」

 

アルトリアの言葉に笑みを浮かべたランスロットが『座』へと還る。

 

妻と子が待ち構えていると知らずに…。

 

「それじゃあ、私達も帰ろうか。」

「そうだね。」

 

天から柔らかな光がシッダールタとイエスに降り注ぐ。

 

「お世話になりました。」

「皆さんに祝福が…。」

「わー!?イエス!ストップストップ!」

 

ワイワイと騒ぎながら天に昇っていく二人の姿は、どこか俗な雰囲気を醸し出していた。

 

「…あの光景を教会の偉い人達に見せたら面白そう。」

「あぁ、そうだな。」

 

慌てふためく光景を想像して言峰父娘は笑みを浮かべる。

 

「切嗣、ユスティーツァさんはどうしようかしら?」

「一度、ドイツに連れて行く必要があるだろうね。舞弥、セラ、準備を頼んだよ。」

「「はい。」」

 

アインツベルンの面々はドイツへ向かう事を決める。

 

すると…。

 

「グワッハッハッハッ!」

 

御立派な神がアインツベルンの面々の前に現れる。

 

「ちょっとセラ~、また見えないじゃない。」

 

既にこの事態に慣れた出来るメイドのセラが、淀みなくイリヤを目隠しする。

 

もちろん凛、桜、カレンもしっかりと目隠しされている。

 

「衛宮 切嗣よ、汝に我の加護を授けた!これで連戦であろうと問題なくブイブイ言わせる事が出来るであろう!では…さらばだ!」

 

雄々しく虚空を突き破り御立派な神が去ると、妻達から熱い視線を注がれる切嗣は頭を抱えた。

 

そんなやり取りを苦笑いをしながら見ていた時臣は、ふと雁夜に問い掛ける。

 

「どうするか決めたか?」

「あぁ、間桐家は遠坂家の庇護下に入る。」

 

間桐 臓硯が滅んだ事で間桐家に平和が訪れた様に見えるが、それは仮初めのものだ。

 

臓硯は醜悪な蟲へと姿を変じていたが、数百年を生きた魔術師である。

 

そんな臓硯の遺産となれば魔術師の興味を引かない筈がない。

 

そして間桐家に残っているのは魔術の素人ばかり。

 

多くの魔術師の目には格好の餌場に映るだろう。

 

故に雁夜は甥っ子を守る為に遠坂家の庇護下に入る事を決意したのだ。

 

教会勢力である言峰家の庇護下に入る道もあったのだが、とある覚者の影響で雁夜は熱心な仏教徒になっているので、教会勢力の下につくという選択肢は存在しなかったのである。

 

「さて、俺達も帰ろうか。」

「ゼン!」

 

凛に呼び止められて二郎とアルトリアは目を合わせる。

 

「十年程度なら日ノ本で過ごしてもいいか。」

「そうですね。中華は士郎と王貴人に任せて、私達は日本でゆっくりしましょう。」

 

とある『世界』では悲劇に彩られた第四次聖杯戦争も、この『世界』ではこうして多くの笑顔に満ちて終わりを迎える。

 

そして子供達は約束の時が来るまで、それぞれ研鑽を積み続けるのだった。




次の投稿は11:00の予定です。


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第272話

本日投稿3話目です。


冬木を離れていた間桐 慎二は、冬木に戻ると叔父の雁夜の話に驚く事になった。

 

「えっと、あの殺しても死ななそうなお爺様が死んで、父さんが意識不明で入院中…嘘だろ、雁夜叔父さん?」

「信じられないかもしれないが、嘘じゃないぞ慎二。」

 

慎二は雁夜の白くなった髪に目を向ける。

 

(雁夜叔父さん…俺が冬木を離れていた間に、髪が白くなるぐらい苦労したんだな…。)

 

祖父が亡くなるだけでなく、兄である父まで意識不明で入院。

 

立て続けに起こった不幸に、雁夜は苦労したのであろうと慎二は納得した。

 

そしてだからこそ慎二は努めて明るく振る舞った。

 

「大丈夫だよ、雁夜叔父さん。俺達二人ならなんとかなるって。」

「…慎二は強いな。」

 

雁夜に頭を撫でられて慎二は気恥ずかしくなる。

 

臓硯は頭を撫でてきた事なんかないどころか、見下す様に自身を見てきていた。

 

そして父はそんな臓硯に怯えているかの様に縮こまっていた。

 

子供ながらに慎二はそんな二人が嫌いだった。

 

もちろん二人に不幸が訪れた事に対して悲しいといった感情はある。

 

だがそれ以上に雁夜と暮らせる事を慎二は喜んだのだった。

 

 

 

 

臓硯の死亡届けや遺産相続等と忙しく動き回る雁夜に代わって、慎二はまだ幼いながらも家事をする様になった。

 

とはいえそれまで一切の家事経験が無いのだから上手くいくわけがない。

 

しかし雁夜は小さな甥っ子の奮闘を頭を撫でて喜んだ。

 

「ありがとう、慎二。」

 

雁夜の御礼の言葉に、慎二は涙を堪える。

 

家事を手伝おうとして余計に雁夜の苦労を増やしてしまったからだ。

 

「雁夜叔父さん!俺、絶対に家事が出来る様になるから!」

 

決意をした慎二の成長は著しかった。

 

とある世界線では『わかめ』等と呼ばれ、かませ犬扱いされてしまう男だが、本来の彼は秀才と呼べる程に優秀な男である。

 

慎二は己の家事における課題を一つ一つ明確にし、それを克服していく。

 

三ヶ月後には一通りの家事をこなせる様になり、半年後には主夫と呼べる程に家事の腕前を上げ、雁夜を家事から解放してみせた。

 

こうして立派な少年主夫となった慎二はある日、生前の臓硯が使っていた地下室に掃除の為に足を踏み入れたのだった。

 

 

 

 

「あれ?思ったよりも綺麗だな。」

 

地下室に足を踏み入れた慎二は自身の想像と違う地下室の状態に首を傾げる。

 

「そういえば雁夜叔父さんがお爺様の遺品は処分するって言ってたから、その時ついでに掃除したのかな?ちょっとやり応えはないけど、まだ汚れてるしきっちり掃除するか。」

 

首を回して地下室の状態を見分した慎二は、すっかり似合う様になった頭巾とエプロン姿で気合いを入れる。

 

そして掃除を開始してからしばらく経った頃…。

 

「ん?本?」

 

慎二は一冊の本を見つけた。

 

「お爺様のか?雁夜叔父さんはこれも処分するのかな?」

 

好奇心を刺激されたが、主夫である慎二は本を隅に寄せておくと掃除を再開する。

 

そして地下室の掃除を一通り終えてから、改めて本を手に取った。

 

慎二は何気なく本を開き中を見ていく。

 

「へぇ、間桐家は元々ドイツ出身なのか…は?魔術師?」

 

本を読み進めていた慎二が驚きの声を上げる。

 

本に間桐家は魔術師の家系だと記されていたからだ。

 

主夫姿もすっかり板についた慎二は八歳とは思えない程に大人びているが、それでも年相応の子供としての感性も残っている。

 

故に慎二は本を片手に雁夜の所に走った。

 

「雁夜叔父さん!」

 

居間でお茶を飲んでいた雁夜は驚きながら振り向く。

 

「どうしたんだ、慎二。」

「これだよこれ!お爺様の本!」

 

慎二が差し出す本を見た雁夜は眉を寄せる。

 

そして…。

 

「全部処分したと思っていたんだけどな…。」

 

そう呟くと大きくため息を吐いたのだった。




これで本日の投稿は終わりです。

また来週お会いしましょう。


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第273話

本日投稿1話目です。


臓硯の本を見つけてから数日後、慎二は雁夜と共に遠坂邸へと向かっていた。

 

「慎二、しつこいだろうけど僕が言った事を覚えてるよね?」

「うん、覚えてるよ。」

 

慎二はこの数日間で何度も言われた事を思い出す。

 

『慎二、君が魔術師になりたいのなら幾つか条件がある。それを受け入れないのなら、僕は君の叔父として認めるわけにはいかない。』

 

『先ずは数百年続く魔術師の名家である遠坂家に弟子入りする事だ。魔術師の中には他者の命を奪う事を欠片も躊躇しない奴は珍しくないからね。』

 

『少し前までなら臓硯がいたから問題なかったけど今はいない。だから慎二の身を守る為にも弟子入りは必須だ。悔しいけど、魔術の素人の僕では慎二を守りきれないんだ。』

 

『そして次の条件だけど、絶対に間桐の魔術…つまり臓硯の魔術を継ごうとしない事だ。』

 

『奴の魔術は他者を文字通りに食い物にするおぞましいものだ。もし慎二が継ごうとすれば、絶対に敵にしてはいけない御方を怒らせてしまう。だから絶対にダメだ。』

 

『この二つの条件を受け入れるなら、僕は慎二が魔術師になるのを応援するよ。僕は魔術師になる道から逃げてしまったけど、慎二ならきっと新たな間桐の魔術を見つけられるさ。』

 

そう思い出しながら歩いていると、いつの間にか遠坂邸の前にいた。

 

「慎二、言っていなかったけど間桐家は遠坂の庇護下に入っている。だから今日まで僕達は、臓硯の魔術師としての遺産を狙う者達の手から無事でいられた。その事を覚えておいてくれ。」

「雁夜叔父さん…そういう事はもっと早く言ってよ。手土産一つ用意してないじゃないか。」

 

肩を落として大きくため息を吐く甥っ子の姿に、雁夜は頭を掻きながら苦笑いをする。

 

「いやぁ、慎二はしっかり者だなぁ。」

「はぁ…。」

 

叔父にまだ嫁がいないのは、このどこか抜けている所が原因なのではと少年主夫は考える。

 

しかし原因は別のところにある。

 

数百年続く間桐家の資産等を相続した雁夜は相応に金持ちである。

 

なので言い寄る女性はそれなりにいるのだが、雁夜はその女性達に興味を抱かなかった。

 

何故か?

 

雁夜はとある救世主との話し合いで己の心に整理をつけた。

 

だがその心の整理をつけた結果、今度はどこかの騎士と熱い握手を交わせる嗜好に目覚めてしまったのだ。

 

「ごほん、じゃあ行こうか。」

 

誤魔化す様に咳払いをした雁夜は、遠坂邸の扉を叩いたのだった。

 

 

 

 

「初めましてだね、慎二君。君の事は雁夜から聞いている。私は遠坂家当主の遠坂 時臣だ。」

 

客間に案内された慎二は時臣と対面し、その優雅な紳士たる姿に子供ながら感心した。

 

(叔父さんもこうなれば、お嫁さんが来てくれるんじゃないかな?)

 

慎二は見たことが無いが、雁夜も女性に対しては紳士的に対応する。

 

もっともそれはとある騎士の様に特定の女性に対しての時が圧倒的に多いのだが…。

 

「僕は間桐 慎二です。今日は魔術師になる為、貴方に弟子入りするべく参りました。」

「うむ、まだ幼いがしっかりとしている様だな。」

「自慢の甥っ子さ。」

 

少年主夫となってから大人びた慎二を見た時臣は感心して微笑み、雁夜はそんな甥っ子を自慢する。

 

「さて、慎二君。」

「はい。」

「君が弟子入りする事は認めよう。しかし、君が間桐の魔術を継ぐ事は認められぬ。理由はわかるね?」

 

時臣の問い掛けに少年は頷く。

 

「よろしい。では君を魔術師とする為に、先ずは君の適性を調べよう。」

「適性ですか?」

「うむ、魔術は幾つかの属性があるのだが、そのどれに適性があるのかは人それぞれなのだ。」

 

そう言いながら時臣は立ち上がり慎二に近付く。

 

「では今から君の資質を調べる為に魔力を流す。力を抜いて楽にしていてくれ。」

 

慎二が言われた通りに身体の力を抜くと、時臣は肩に触れて魔力を流す。

 

だが…。

 

「むっ?」

 

魔力を流した手応えに、時臣は眉を寄せた。

 

そして…。

 

「慎二君、残念だが、今のままの君では魔術を行使する事は出来ない。」

 

そう告げられた慎二は意味を理解する事を放棄して、ただ呆然とするのだった。




本日は3話投稿します。

次の投稿は9:00の予定です。


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第274話

本日投稿2話目です。


魔術を使えないとわかったショックで呆然とする慎二の相手を妻の葵に任せると、時臣は雁夜を書斎へとつれていった。

 

書斎に入った時臣は二人分の紅茶を淹れて席につく。

 

そして紅茶の香りを楽しむと一言発した。

 

「雁夜、お前は慎二君の事を知っていたな?」

「あぁ、知っていた。慎二が生まれた時に臓硯が『使えぬ』って言っていたからな。」

 

雁夜も紅茶を手に取り一口飲む。

 

「かつて臓硯が言っていたんだが、冬木の魔術基盤は間桐の体質と合わないらしい。だから間桐は冬木で代を重ねるごとに、魔術師としての力を少しずつ失っていった。」

「そして慎二君の代で完全に失った。」

 

時臣の言葉に雁夜は頷く。

 

「勘違いしないでほしいが、僕と兄貴は魔術師の力を失った慎二が生まれて来てくれた事を本当に喜んだんだ。これであのおぞましい間桐の魔術は終わるってね。」

 

雁夜の言葉に時臣は同意する様に頷く。

 

己の浅慮のせいで桜がそのおぞましい魔術の犠牲になりそうになったのだ。

 

故に時臣は間桐の魔術がなくなる喜びに共感出来た。

 

紅茶を一口飲み心を切り替えた時臣が話し掛ける。

 

「慎二君の状態だが、37本あった魔術回路の尽くがボロボロに切れていた。まるで切嗣の『起源弾』でも受けたかの様にな。」

 

時臣が起源弾を知るのは実際に使用された魔術師の末路をその目で見たからだ。

 

実は第四次聖杯戦争が終わった後、臓硯が亡くなったという情報を得た外様の魔術師が、その遺産を狙って密かに冬木にやって来た。

 

だがそれはあっけなくとある武神に看破された。

 

そして武神から報せを受けた時臣、切嗣、綺礼の三人の手により、その外様の魔術師は激しい後悔の中で散っていったのだ。

 

「そうか…ちなみに慎二が使える属性は?」

「慎二君は凛と同じ『アベレージ・ワン』…つまり、基本属性の全てが使える。」

「流石は慎二。」

「だが、それも魔術回路があの状態では無用の長物だ…雁夜、どうするつもりだ?」

 

雁夜は紅茶の香り楽しんでから話す。

 

「時臣、君ではどうにか出来ないのか?」

「あぁ、未熟な私ではどうにもならぬ。」

「じゃあ、二郎真君様を頼るしかないな。ところで、二郎真君様は今どこに?」

 

雁夜の言葉に時臣はため息を吐く。

 

「教会に行っている。凛と桜、そしてアルトリア殿も連れてな。今頃はカレン嬢も交えて中華拳法の指導をされているだろう。雁夜、二郎真君様を頼る事は止めはせん。だが後悔はするな。」

「僕はあの時に死んでいた筈の身だ。なら、この命を慎二の為に使えるなら後悔はしないよ。たとえそれで、師から破門を言い渡されてもね。」

 

どこか達観しているかに見える雁夜の様子に、時臣は素直に感心した。

 

「そうか、それはそれとして…雁夜、お前に話がある。」

「なんだ?」

 

時臣は紅茶を一口飲んでから雁夜の目を見て告げる。

 

「ご近所から苦情が来ている。御夫人方がお前に口説かれているとな。」

 

そう告げられた雁夜だが、どこ吹く風とばかりに涼しげな顔で紅茶を口にしてから肩を竦める。

 

「僕は女性に紳士として礼を尽くしているだけさ。それの何が悪い?」

 

きっとどこかの騎士ならば心から同意しただろう。

 

だが時臣は雁夜の言い分に対して、こめかみに青筋を浮かべた。

 

「わざわざ御夫人方を口説くなと言っているのだ!口説くのならば未婚の女性を選べ!」

「心外だな。僕が声を掛けた相手がたまたま御夫人だっただけさ。」

 

「貴様は仏教徒だろう!もっと慎みを持たねば師に対して申し訳ないと思わぬのか?!」

「師は姦淫に溺れる事は咎めるけど、恋愛の自由までは咎めない。まぁ、慎二が独身の僕を心配しているから、そろそろ身を固めて安心させてあげようとは思ってるよ。」

 

時臣が盛大なため息を吐いて頭を抱えると、それを見て雁夜は笑い声を上げたのだった。

 

 

 

 

2年後に雁夜はとある二人の子持ちの未亡人と結婚する。

 

結婚後も紳士たる彼の性格は変わらない。

 

だがどこか憎めないその人間性を彼の家族は愛したのだった。




次の投稿は11:00の予定です。


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第275話

本日投稿3話目です。


雁夜と慎二の二人が遠坂邸に訪れてから2時間程経つと、遠坂邸に二郎を始めとした住人が帰ってきた。

 

「あら?お客様が来てるみたいね。」

 

玄関に並ぶ見知らぬ靴を見た凛が声を上げる。

 

「雁夜の気配と、もう一つ知らない気配があるね。」

「靴の大きさから察するに子供でしょう。雁夜は何用で来たのでしょうか?」

 

二郎とアルトリアの会話に桜は首を傾げる。

 

「雁夜おじさんの用事…またお母さんとお話しをしにきたのかな?」

「だったらわざわざ子供を連れてくる必要はないんじゃない?」

 

既に遠坂姉妹にも雁夜の紳士たる振る舞いは知られてしまっている。

 

それでも紳士たる振る舞いを止めない雁夜を見れば、とある騎士は同士と呼んで固い絆を結ぶだろう。

 

「とりあえず、雁夜おじさんに挨拶に行きましょ。」

 

凛を先頭に一行は客間に向かう。

 

扉をノックすると中から時臣の返事があり、凛は努めて淑やかに扉を開けた。

 

そして客間に雁夜の姿を見つけると、二人はそれぞれ挨拶をする。

 

「いらっしゃい、雁夜叔父さん。」

「こんにちは、雁夜おじさん。」

 

雁夜は二人に笑顔で挨拶を返す。

 

「凛ちゃん、桜ちゃん、こんにちは。二郎真君様、アルトリアさん、お邪魔しています。さぁ慎二、君も挨拶をして。」

 

雁夜に促されて、凛達が見知らぬ少年が挨拶をする。

 

「はじめまして、雁夜叔父さんの甥の間桐 慎二です。今年で八歳になります。」

 

凛は同い年の、桜は一つ年上の少年でありながらしっかりしている慎二に僅かに驚く。

 

「へぇ、学校の男の子達と比べてしっかりしてるわね。」

「自慢の甥っ子さ。」

 

凛の言葉に胸を張った雁夜は、咳払いを一つして姿勢を正す。

 

「二郎真君様、一つ願いがあります。」

「なんだい?」

「僕の甥である慎二は魔術を扱えない体質なのですが、それを改善していただきたいのです。」

 

慎二は驚く。

 

魔術は使えないと半ば諦めていたからだ。

 

「『あの蟲』の魔術を継ぐのかい?」

「いえ、奴の魔術は絶対に継がせません。」

「なら叶えよう。」

 

二郎の言葉に慎二は更に驚く。

 

遠坂家は数百年続く魔術師の名家だと聞いたが、その遠坂家の当主である時臣でも慎二が魔術を使える様にする事は出来ないとハッキリ言われたのだ。

 

それなのに目の前の男は当然の様に慎二が魔術を使える様にすると言った。

 

喜びの感情と共に疑問が沸き上がる。

 

(この人は何者なんだろう?)

 

そんな慎二の疑問をよそに事態は進んでいく。

 

「さて、慎二だね?」

「え?あ、はい。」

「君が魔術を使える様にする方法は幾つかある。その中で転生をせずに済む方法を呈示しよう。」

 

転生と聞いて疑問に思うが、慎二は頷いて続きを促す。

 

「一つは全ての魔術回路を使える様にする方法。そしてもう一つは、最低限の魔術を扱える様に2、3本の魔術回路を使える様にする方法だ。」

 

二郎は双方の方法のメリットとデメリットを話す。

 

先の方法はあまりの痛みに耐えきれず死にかねない命を賭すものだ。

 

だが成功すれば物語に登場する魔術師の如く魔術を扱える様になる可能性がある。

 

後の方法は多少の痛みがあるだけで命の危険は無い。

 

だが魔術回路が少ない為、魔術で戦いをする道よりも、魔術を研究する道に進むのが賢明と言えるだろう。

 

メリットとデメリットを聞いた慎二は考え込む。

 

「今すぐ決める必要はないよ。帰ってからゆっくりと考えるといい。」

 

 

 

 

家に帰りついた慎二は迷い続けていた。

 

魔術の研究は楽しそうだ。

 

でも物語に登場する魔術師の様に自在に魔術を使う事には憧れる。

 

慎二は自問自答を繰り返す。

 

だが中々決断出来ない。

 

そんな慎二の肩に手が置かれる。

 

「時間はあるから、先ずはご飯にしようか。」

 

そう言いながら雁夜は出前でとった寿司を並べる。

 

「あ、ごめん雁夜叔父さん。ご飯作るの忘れて…。」

「気にしないでいいよ。たまにはこうして出前も悪くないからね。さぁ、手を洗っておいで。」

 

洗面所に向かった慎二は、そこで鏡に映る自分を見る。

 

「…僕はどうしたい?」

 

鏡の中の自分に問い掛けた慎二の脳裏に、雁夜の言葉が思い浮かぶ。

 

『慎二ならきっと新たな間桐の魔術を見つけられるさ。』

 

心が決まった慎二は自然と笑っていた。

 

「うん、その方が僕らしいよね。」

 

手を洗って居間に戻る。

 

そして席に着くと、慎二は寿司に舌鼓を打つ。

 

「決まったみたいだね、慎二。」

「うん。」

「それはよかった。さて、僕も食べよう。」

 

笑顔の甥っ子を見て、雁夜は優しく微笑んだのだった。

 

「ところで慎二?」

「なに、雁夜叔父さん?」

「凛ちゃんと桜ちゃんを見てどう思った?」

 

「どういう意味?」

「いや、慎二も小学生だし恋をしたりするかなぁってね。」

 

「はぁ…僕の事よりも自分の心配をしなよ。」

「おっと、これはやぶ蛇だったかな?」




これで本日の投稿は終わりです。

また来週お会いしましょう。


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第276話

本日投稿1話目です。


翌日、遠坂邸を訪れた慎二は二郎に己が選んだ道を告げる。

 

彼が選んだのは最低限の魔術回路を開き、魔術の研究者となる道だった。

 

神話に登場する英雄に憧れがないわけではないが、その方が自分らしいと思ったのだ。

 

二郎の処置が終わり魔術師となった慎二はさっそく時臣に魔術を習い始めるのだが、そこに遠坂姉妹も加わると驚きの光景を目にする。

 

それは凛と桜が既に魔術の基礎をしっかりとこなせた事だ。

 

「…二人とも凄いね。」

「慎二は始めたばかりじゃない。私は4年、桜は1年はお父様から魔術を習っているわ。差があって当然でしょ?」

 

そう言いながら凛は各種属性の魔術を指一本ずつに灯してみせる。

 

「慎二くん、凛はああ言っているが、その才能は二郎真君様も認める程のものだ。そしてその才能に驕ることなく努力をしている。男として負けん気を持つのは否定しないが、それで焦らぬ様に気をつけなさい。」

 

師として優しく諭す時臣の言葉に慎二は頷く。

 

「はい、わかりました。ところで凛は、二郎真君様の隣に並び立てる英雄になるのを目指しているんだよね?」

「えぇ、そうよ。まぁ、二郎に認められて恋人になるのに必要だから目指すのだけどね。」

 

まだ8歳でありながら既にしっかりと将来を決めている凛に、慎二は苦笑いをする。

 

昨日、慎二は二郎が何者なのかを雁夜から聞いている。

 

直ぐには信じられなかったが、魔術が存在するのだから神も存在してもおかしくないと言われてしまえば信じるしかなかった。

 

「桜は将来、どうするか決めてるの?」

「う~ん、姉さんが二郎真君様のところにお嫁に行っちゃうから、私は遠坂家を継ぐ事になるのかな?」

 

慎二の問い掛けに、桜は唇に指を当てながら首を傾げる。

 

「そうなるわね。桜、しっかりと遠坂の魔術である宝石魔術を使える様になりなさいよ。」

「姉さんの様には無理だよぉ。」

「大丈夫よ。桜なら出来るわ。」

 

桜は謙遜しているが、治癒魔術に関しての才能は凛を超えている。

 

将来的には宝石に蓄えられた魔力を用いて、疑似的な蘇生すら成し遂げられる様になるだろう。

 

魔術の基礎を習った後は、慎二も中華拳法の鍛練に加わった。

 

如何に遠坂の庇護下に入ったとはいえ、多少は自衛出来なければ魔術師の世界で生き残れない。

 

それに武神自らの手解きを受けられる機会など、これを逃したら二度と無いだろう。

 

故に慎二は自身も中華拳法の指導を受ける事にしたのだ。

 

拳法の素人である慎二は二郎の言うところの基礎である『調息』から始める事になった。

 

『調息』はわかりやすく言えば深呼吸である。

 

一見すれば簡単に思えるかもしれない。

 

だが慎二はそれだけで汗を流し、疲れを感じる事に驚いた。

 

(ただ深呼吸をしているだけなのに…。)

 

5分ほどで根を上げて座り込んでしまった慎二は、まだ余裕の表情で調息を続けている凛と桜を見て驚く。

 

「基礎だからこそ、その差がハッキリと出る。これは拳法も魔術も、そして学も変わらない。」

 

流れる汗も拭わずに、慎二は二郎の言葉に耳を傾ける。

 

「同じ時を掛けて研鑽を積んでも、人はいつの日か他者との結果に違いが出てしまう事に気付いてしまう。それを才の差と諦めるか足掻くかは己次第だけど、慎二には諦めの悪い者になってほしいね。」

 

慎二は歯を食いしばって立ち上がり調息を始めた。

 

彼とて幼くとも男である。

 

女の子の前では意地の一つも張ってみせるのだ。

 

「良きかな良きかな。励め若人よ。いつか笑って酒が飲めるその日まで。」




本日は3話投稿します。

次の投稿は9:00の予定です。


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第277話

本日投稿2話目です。


間桐 慎二が魔術師への道を歩み始めてから2年の月日が流れた。

 

凛、慎二、イリヤ、カレンが10歳に、桜は9歳へと成長した。

 

そしてその年に冬木の紳士として勇名を馳せていた雁夜が結婚すると決意した。

 

相手は2人の子持ちの未亡人でその名を遡月 美守(さかつき みもり)という。

 

これで叔父も落ち着くと慎二少年は胸を撫で下ろす。

 

相手家族と間桐邸にて対面した慎二は、家族となる兄妹と挨拶をする。

 

「初めましてだね。僕は間桐 慎二。気軽に慎二って呼んでくれ。」

「俺は遡月 士郎だ。よろしくな、慎二。」

「私は遡月 美遊です。よろしくね、慎二お兄ちゃん。」

 

とても仲が良い士郎と美遊の兄妹だが、実は二人の血は繋がっていない。

 

遡月家は代々女系の家系だった。

 

不思議な程に女子しか生まれてこなかったのだが、そこで遡月家の慣習となったのが男子を養子に貰う事だった。

 

これは遡月家の女子の許嫁という側面もある。

 

その為、士郎と美遊は仲の良い兄妹でありながら、将来が約束された許嫁でもあるのだ。

 

この事を二人はまだ知らないが、慎二は雁夜から聞かされている。

 

『慎二、この事を二人に教えるのはまだ早い。然る時に美守さんが言うから、それまでは秘密にしておいてくれ。』

 

新たな家族との生活も1ヶ月程が過ぎると、慎二は士郎と美遊の二人を遠坂邸へと誘った。

 

今日はイリヤとカレンも来ている筈なので、二人を紹介するのにちょうどいいと思ったのだ。

 

こうして慎二は二人を連れて遠坂邸へと向かうのだった。

 

 

 

 

side:アルトリア

 

 

「えっと、遡月…じゃなくて、間桐 美遊です。よろしくお願いします?」

「間桐 士郎です。よろしくお願いします。」

 

先月、ついに雁夜が身を固めたのですが、それで家族となった者を慎二が連れてきました。

 

黒髪の少女が美遊、赤みがかった茶髪の少年が士郎です。

 

美遊は桜と、士郎は凛達と同い年とあって、まだあどけなさが残っていますね。

 

しかし士郎少年なのですが…どこか見覚えがあるような?

 

私が疑問を感じている間に凛達が挨拶をしていきます。

 

桜は同い年の女の子と知り合えて嬉しそうにしていますね。

 

「アルトリア、貴女も二人に挨拶をしなさいよ。」

 

まだ士郎少年の事が気になっていますが、凛の言う通りに挨拶をしましょうか。

 

「私はアルトリア・ペンドラゴンです。二人とも、よろしくお願いしますね。」

 

私が名を告げると士郎少年は顔を赤くしてしまいました。

 

そんな彼を見て美遊がむくれていますね。

 

可愛らしい反応です。

 

凛が赤くなった士郎少年をからかったりしてしばらく話をしていると、席を外していた二郎が戻ってきました。

 

「おや?」

 

二郎は士郎少年と美遊を見るなり首を傾げました。

 

どうしたのでしょうか?

 

「二郎真君様、二人は僕の家族です。士郎、美遊、挨拶をして。」

「はじめまして、間桐 美遊です。」

「はじめまして、間桐 士郎です。」

 

二人が挨拶をしている間も二郎は観察をしていました。

 

どうやら二人には何かがあるようですね。

 

「あぁ、よろしく。俺は姓は楊、字はゼンという。俺は道教の者なんだけど、道教ではこれはと認めた相手にしか名を教えてはいけないという考えがあってね。だから俺の事はゼンと呼んでくれるかい。」

 

二人が元気よく返事をすると、二郎は慎二へと目を向けました。

 

そして慎二を近くに呼ぶと声を潜めて話し出します。

 

「慎二、雁夜は家にいるのかな?」

「はい、いる筈です。」

「じゃあ、時臣の所で待っているから呼んできてくれるかい。」

 

首を傾げる慎二に二郎は言葉を続けます。

 

「士郎と美遊の事で雁夜に話しておかないといけない事があるんだ。特に美遊の事でね。このまま放っておくと、色々と面倒を招いてしまうだろうね。」

 

二郎がそう告げると、慎二は頷いて直ぐに行動に移ります。

 

「凛、俺とアルトリアは時臣の所に行くから、皆を頼むよ。」

 

何かあったと察した凛は素直に頷くと、子供達を仕切り始めます。

 

そして私は二郎に続いて時臣の所に向かうのでした。




次の投稿は11:00の予定です。


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第278話

本日投稿3話目です。


慎二に呼ばれて遠坂邸にやって来た雁夜は、焦る心を抑えて葵の案内で時臣の書斎に向かう。

 

書斎についた雁夜は差し出された紅茶に手も出さずに口を開いた。

 

「二郎真君様、美遊と士郎の事をお聞きしたいのですが…よろしいでしょうか?」

「落ち着け雁夜。今のお前には話を聞く心構えが出来ていない。」

 

時臣に促され雁夜は紅茶を口にする。

 

一口目は味を感じなかった。

 

それに気付いた雁夜はゆっくりと二口、三口と飲んで漸く味を感じた。

 

「…お見苦しいところをお見せしました。」

「構わないよ。家族の事なんだ。焦るのも仕方無いだろうね。」

 

二郎自身も身内に甘いところがある故に、今の雁夜の反応を好ましく思っている。

 

「人は変わるものだね。かつて憎悪に囚われていた君が、こうして誰かの為に心を割ける様になったのだから。」

「…これも師の説法のおかげです。」

 

二郎はシッダールタに礼として甘味でも差し入れようかと考える。

 

これが後にシッダールタの体型が変わる程の天部による甘味攻勢の原因となるのだが、そうと知らぬシッダールタはイエスと共に立川にて現世の暮らしを楽しんでいる。

 

「さて、それじゃ二人の事を話そうか。」

「お願いします。」

「先ずは士郎の事だ。彼が投影魔術を使うと、その投影したものが破損しない限り残り続けるという、創造に近しい魔術を行使できるんだ。」

 

魔術にあまり詳しくない雁夜はその異常性にピンとこない。

 

「時臣、士郎のその魔術はどのぐらい危ういんだ?」

「事が露見すれば、良くて監禁されて奴隷扱い…といえば想像がつくか?」

 

臓硯で魔術師の残酷さを知る雁夜は、最悪を想像して顔を青くする。

 

「…遠坂家の庇護下でもか?」

「万全を期すならば、士郎君はアインツベルンの庇護下に入れる方がいい。おそらくイリヤ嬢と婚約する事になるが、彼の身を守る為にはそれが最善だ。」

 

遠坂家も数百年続く大家だが、アインツベルンはその上をいく千年続く大家である。

 

更に第三魔法の使い手であるユスティーツァが復帰した事もあり、同じ魔法使いか同等の力の持ち主でもなければ今のアインツベルンに手を出せるものはいない。

 

それ故の時臣の言葉だ。

 

実は遠坂家に手を出せば二郎が動くのだが、対外的には遠坂家はゼルレッチの弟子のままである。

 

そしてゼルレッチは基本的に弟子は放任しているので、魔術師達は隙あらば遠坂家には手を出そうとしてくるだろう。

 

まぁ、悪意をもって冬木に近付けば、とある神父の愉悦に使われたり、とある武神の監修の下で小さな魔術師達の実戦相手にさせられたりするのだが…。

 

「次に美遊の事だけど、あの子は奇跡を行使できるんだ。でもイエスやギャラハッドの様に自らの意思で行使するのではなく、受動的に行使する形でだ。」

「受動的ですか?」

 

アルトリアが疑問の声を上げると二郎は頷く。

 

「自らの意思で奇跡を行使出来る者は『聖人』と呼ばれる。それに対して受動的に奇跡を行使するあの子の力は『聖杯』に近いと言えるね。言うなればあの子は天然の聖杯体質ってところかな。」

 

如何に魔術に詳しくないとはいえ、聖杯体質の危険性に雁夜は気付く。

 

「時臣…。」

「美遊君もアインツベルンの庇護下に入れるべきだ。」

「それしかないよなぁ…。」

 

己の無力さを嘆く様に雁夜は大きくため息を吐く。

 

「10年後ならば凛も第二の魔法使いに至っているであろうから、その名を持って庇護下に置く事も出来るのであろうがな。」

「時臣、俺の見立てでは、凛は後5年もあれば魔法使いに至れるよ。」

「おぉ、それは朗報ですな。」

 

士郎と美遊はアインツベルンの庇護下にと決まり当面の問題に片がつくと、その後は子供達の将来の話になった。

 

「凛は二郎真君様に貰っていただく故に問題ないが、桜はどうしたものか…。ふむ、雁夜、慎二君を桜の婿にどうだ?」

「慎二次第だな。慎二は新しい間桐の魔術を作ろうとしているから、遠坂に婿入りとなると渋ると思うぞ。」

 

「遠坂と間桐の名はそれぞれ二人の子に継がせればよいではないか。」

「いくらなんでもそれは話が早すぎるだろう…。」

 

代々続く名家の当主としての時臣の思考に雁夜は苦笑いをする。

 

「士郎じゃダメなのか?」

「愛娘に目に見えている苦労を背負わせろと?士郎君には悪いが、せめて身内を守れる程度の力を身に付けねば桜はやれんな。」

 

「雁夜、桜は慎二の事を好んでいますよ。」

「本当ですか、アルトリア殿?」

「えぇ、夢に向かって真摯に努力している姿がカッコいいそうです。」

 

自慢の甥っ子が異性に好かれていると知って雁夜は喜ぶ。

 

「ふむ、これは具体的に話を進めてもよいか?」

「はぁ…士郎と美遊の件が終わった後でな。」

 

そう言って雁夜が立ち上がると時臣も立ち上がる。

 

そして二人が握手をした事で、ここに契約は成されたのであった。




これで本日の投稿は終わりです。

ちょっとプライベートが忙しいので来週の投稿はお休みさせていただきます。

10月13日にまたお会いしましょう。


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第279話

本日投稿1話目です。


雁夜に連れられて士郎と美遊はドイツのアインツベルン城に訪れた。

 

ユスティーツァに庇護を願う為だ。

 

魔法使いであるユスティーツァとの謁見とあって士郎と美遊の二人は、緊張半分と期待半分の心持ちだった。

 

「いらっしゃい、雁夜。引っ越しの準備がまだ終わらなくてゴタゴタしてるの。ごめんね。」

 

そう言いながらウインクをしたユスティーツァを見て士郎は見惚れてしまう。

 

美遊はそんな士郎の脇腹をつねった。

 

アインツベルンの庇護下に入る話を雁夜からされた際に、士郎との関係も聞いた彼女は己の心を自覚し、恋する乙女へと変わったのだ。

 

「あらあら、とても仲がいいのね。」

「もうしわけありません、ユスティーツァ様。」

「気にしないでいいわ。ところでうちの庇護下に入りたいっていうのはその子達かしら?」

「はい、そうです。」

 

ユスティーツァは二人をジッと見つめる。

 

すると士郎が照れて顔を赤くしたのだが、これもまた美遊により脇腹をつねられた。

 

「うん、いいわよ。引き受けたわ。」

「ありがとうございます、ユスティーツァ様。ところで、引っ越しの準備とは?」

「冬木に引っ越す事にしたの。どうもドイツの魔術基盤と合わなくなっちゃったのよねぇ。」

 

大聖杯として冬木の霊脈と長く繋がっていた事で、ユスティーツァはドイツの魔術基盤に馴染めなくなってしまっていた。

 

なので冬木に移住すると決断したのだが、千年続く大家であるため色々と諸問題を片付けなければ、アインツベルンの地を巡って魔術師達が骨肉の争いを繰り広げる事になるだろう。

 

故に数年掛かりで方々に根回しをしているのだ。

 

「久しぶりのお客様だわ。今日は張り切って料理をしないとね。」

「…ユスティーツァ様が御用意してくださるのですか?」

「ちゃんとレシピ通りに作るから大丈夫よ。だから前みたいな事にはならないわ…たぶん。」

 

数十年に渡り肉体を持たなかったユスティーツァは五感…特に味覚が鈍っていた。

 

故にリハビリと称して料理をした事があったのだが、アルトリアをしてお残しをする悲惨な味付けの料理が出来上がった過去がある。

 

二郎に『不味い。』とハッキリ言われてからは、しっかりと研鑽を積んで腕を上げたのだが、そうとは知らぬ故に雁夜の不安は拭えない。

 

「う、うちの子達はちゃんと食べられているから大丈夫よ!たぶん…きっと…そうだといいな…。」

 

自我を持った事でアインツベルンのホムンクルスは感情が豊かになってきている。

 

そのアインツベルンのホムンクルスが日常的にユスティーツァの料理を食べて無事であると知っても、彼女のどこか自信がなさげな様子が不安を煽り立てる。

 

かくして雁夜達は覚悟を持って料理を食べるという事を経験したのだった。

 

 

 

 

ドイツから無事に帰国した士郎と美遊は、イリヤと共に魔術師の修行を始める。

 

「士郎君、魔術は死を許容するものだ。その覚悟が君に…いたっ!?」

「切嗣、士郎君はまだ子供、それも一般人だったわ。それなのにいきなり脅してどうするのよ。」

 

「でもねアイリ、もしかしたら彼はイリヤの婚約者になる可能性がある。ならその彼には覚悟を持ってもらう必要があると思うんだ。」

「イリヤとそうなるなら確かに必要だけど、だからといって今すぐに持つ必要もないじゃない。まだ時間はあるんだから、ゆっくり成長していけばいいわ。」

 

そんな夫婦のやり取りを尻目にイリヤはじっと士郎を見つめる。

 

「な、なんだよイリヤ?」

「ふ~ん…悪くないかしら?」

「イ、イリヤちゃん!?」

 

イリヤの反応を見て美遊が慌てる。

 

大好きな兄が取られると思ったのだ。

 

「心配しなくても大丈夫よ美遊。切嗣だっていっぱい奥さんがいるんだから。」

「「えっ?」」

 

兄妹は揃って疑問の声を上げると、切嗣へと目を向ける。

 

「お、お兄ちゃん、何人と結婚してもいいの?」

「い、いや、少し前に雁夜さんが母さんに耳を引っ張られてたし、ダメなんじゃないか?」

「確かに日本で重婚はダメね。でも他の国では認められているところもあるわ。だから切嗣は中華に国籍を変えたのよ。」

「…なんでさ。」

 

がっくりと肩を落とした士郎を見てイリヤはクスクスと笑う。

 

「その方が皆が幸せになれるからよ。」

「えっと…イリヤちゃんはそれでよかったの?」

 

美遊の問い掛けにイリヤは微笑む。

 

「舞弥は優しくて好きよ。ちょ~っとズボラなとこがあるけどね。それにまた一人ママが増えるかもしれないし。」

「そ、そうなんだ…。」

 

苦笑いをする美遊にイリヤは笑みを向ける。

 

「だから私は重婚は気にしないわ。美遊はどう?」

「えっ?」

「お兄ちゃんが好きなんでしょう?」

 

直球な言葉に美遊は顔を真っ赤にして俯く。

 

「私は士郎が気に入ったわ。でも美遊とも仲良くしたいの。」

 

そう言いながらイリヤは見惚れる程に可愛らしい笑顔を見せる。

 

「だからい~っぱいお話しをしましょ。そして一緒に士郎を好きになれるようになりましょ。」

「…うん!いっぱいお話しをしよ!イリヤちゃん!」

 

差し出されたイリヤの手を美遊は笑顔で取る。

 

そして時は流れ少年少女達は成長し、約束の時を迎えるのだった。




本日は3話投稿します。

次の投稿は9:00の予定です。


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現代 ~stay night編~
第280話


本日投稿2話目です。


「うん、無事に全員、令呪が発現したわね。」

 

17歳となった凛は美しく成長していた。

 

中華拳法の鍛練で引き締まった見事なプロポーションは、年頃の男子の視線を惹き付けて止まない。

 

また二郎謹製の霊薬で体質を改善した事で、とある世界線の様に魔術の為に夜更かしをしてショートスリーパーとなっていない。

 

よく食べ、よく動き、よく寝る。

 

そんな健康的な生活を送ったおかげなのか、とある世界線では慎ましやかだった身体の一部がしっかりと実っている。

 

妹の桜も美しく成長した。

 

美しく艶やかな黒髪におしとやかながら芯のある性格の彼女は、まさしく大和撫子と形容するに相応しい女性だろう。

 

そんな彼女の校内一と称される身体の一部が揺れれば、健全な男子生徒の御立派様が御立派になってしまうのも仕方がないだろう。

 

イリヤとカレンはその容姿から妖精と称されるに相応しい女性へと成長した。

 

そんな彼女達の歯に衣を着せぬ言葉に、一部の男子生徒の嗜好が塗り替えられてしまったのだがこれは些細な問題だろう。

 

また美遊も先の彼女達に負けず劣らずの美しい女性に成長していた。

 

明るく可愛らしく健気な彼女は、男女問わずに人気がある。

 

通う高校にそれぞれファンクラブが存在する程に人気な彼女達だが、全員が婚約者持ちである。

 

これを知った男子生徒諸兄が相手に心からの呪詛を送っても仕方がないだろう。

 

さて、そんな彼女達の婚約者に目を向けてみよう。

 

一人目は癖のある青髪に目鼻立ちの整った男子、間桐 慎二である。

 

成績優秀、スポーツ万能、更に間桐家の財産を有するお金持ちと超優良物件である。

 

うら若き乙女達が悔しさにハンカチを噛むのも納得がいくというものだ。

 

そんな彼の婚約者は桜とカレンである。

 

元々は桜一人が婚約者であったのだが、とある日に食べた慎二の手料理(麻婆豆腐)に胃袋を掴まれたカレンが父と祖父を説得したのだ。

 

当初はカレンの行動に驚いた桜だが、気心しれている相手とあって彼女が慎二の婚約者となった事を直ぐに受け入れた。

 

二人目は遡月 士郎である。

 

赤みがかった茶髪に童顔の彼は密かに校内女子の人気が高い。

 

弓道のインターハイ個人戦で全国優勝したのも人気が高い要因の一つだろう。

 

そんな彼の婚約者はイリヤと美遊である。

 

今も仲良く三人で腕を組んでいるのを見れば、三人の仲が上手くいっているのがよくわかる。

 

そして残った凛の婚約者だが…。

 

「皆、揃ってるみたいだね。」

 

それは中華が誇る武神である二郎真君だ。

 

「お帰り、二郎。」

「ただいま、凛。」

 

2年前に15歳という若さで第二魔法へと至った凛は、幼き日より抱いていた思いを遂げて二郎と恋人になる事が出来た。

 

そして二郎を恋人としてとある友人に紹介したのだが、二郎を紹介されたとある友人は圧倒的な敗北感でその場に崩れ落ちたとか…。

 

「中華で頻発していた地震の原因は何だったの?」

「龍神の子が親に怒られた腹いせに暴れていたんだ。大人しくさせたからもう大丈夫だよ。土産に奴の鱗を持ってきたけどいるかい?」

 

並みの魔術師では目眩を起こしかねない程の神秘を内包した鱗を、二郎は当然の様に差し出す。

 

「私はいらないけど…慎二、いる?」

「僕みたいな一般的な魔術師がそんなものを持ってたら、命が幾つあっても足りないよ。」

「ふ~ん…士郎は?」

 

話を振られた士郎は苦笑いをする。

 

「俺は慎二みたいな研究を主とする魔術師というよりは魔術使いだからな。貰っても使い道がないぞ。」

「イリヤはどうする?」

「残念だけど遠慮しておくわ。二郎真君様からいただいた霊薬の解析だってまだ終わってないもの。」

 

第四次聖杯戦争の折りにアインツベルンに渡された二郎謹製の霊薬の解析が、ユスティーツァから課されたイリヤの課題である。

 

遅々として解析は進まないが、イリヤは美遊や士郎と共に楽しみながらおこなっている。

 

「桜とカレンもいらないわよね?」

「慎二さんがいらないなら私もいらないかな。」

「私もいらない。持って帰ってもお祖父ちゃんが困る…それはそれで面白いかも?」

 

小悪魔な一面を見せるカレンに婚約者である慎二は苦笑いをする。

 

「誰もいらないのね。じゃあ大師父へのお土産にするわ。高校を卒業したら一度、時計塔に顔を出すつもりだしね。」

「凛は時計塔に入るつもりはないんだろ?」

 

士郎の問い掛けに彼女は頷く。

 

「大師父から魔法使いに至ったって御墨付きを貰っちゃったのよ?時計塔に入っても騒ぎになって勉強どころじゃなくなるのが目に見えてるわ。」

「僕達もその騒ぎに巻き込まれるだろうな。」

 

慎二がそう呟くと、それを想像したのか士郎は苦笑いをする。

 

「だから行かないんじゃない。安心しなさい。大師父に挨拶をしたら二郎と一緒に『異世界』に行くから。」

「凛、私を忘れていませんか?」

 

全員分の軽食を手にアルトリアが姿を見せる。

 

「忘れてないわよ。私は正々堂々と二郎の正妻の座を勝ち取るんだから。」

「受けて立ちます。それはそれとして先ずは軽く摘まみましょう。『英霊の宴』が始まるまで後七日。喚び出す者が被らぬ様に話し合いをしなければいけませんからね。」

 

そう言ってアルトリアが一早く軽食を摘まむと、場は笑い声に包まれたのだった。




次の投稿は11:00の予定です。


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第281話

本日投稿3話目です。


『慎二さん…』

 

頬を朱に淡く染めた桜がゆっくりと近付いてくる。

 

ベビードールを纏った彼女はとても扇情的で、年頃の青少年の劣情を煽り立てる。

 

『慎二…。』

 

桜だけでなくカレンも頬を朱に淡く染めながら近付いてくる。

 

ピッチリとしたシスター服が彼女の身体のラインを明確に視覚化させ、年頃の青少年の心をを刺激する。

 

彼女達は婚約者だ。

 

だからこうなるのは自然な事。

 

特に疑問に思うことなく、そう受け入れた。

 

不自然な程に…。

 

吐息が掛かる程に近付いた彼女達は、そのしなやかな細指をこちらの身体に置いてくる。

 

そして更に身体を寄せてきた彼女達の柔らかな双丘が…。

 

 

 

 

ピピピピピッ!

 

目覚ましのアラームで意識が覚醒した慎二は勢いよく身体を起こす。

 

「ゆ、夢か…。」

 

残念なのか安堵なのか自身でもわからないため息を吐く。

 

そして落ち着いたところで何かに気付き慌てる。

 

「よ、よかった、大丈夫だ。」

 

どうやら下着の中で惨状が広がっていなかったようである。

 

彼とて年頃の男子である。

 

そういった事が心配になってしまうのも仕方がないだろう。

 

「はぁ…よしっ!動こう。」

 

気持ちを切り替えた慎二はベッドから出て着替え始めるのだった。

 

 

 

 

「おはよう、慎二。」

「おはよう、慎二お兄ちゃん。」

 

士郎と美遊が仲良くリビングにやって来る。

 

そんな二人をエプロンが似合う慎二が出迎える。

 

「おはよう、士郎、美遊。雁夜叔父さんと養母さんはもう出掛けたよ。」

「もう行ったのか?早いな。」

「お母さん、今日は雁夜養父さんとデートだって楽しみにしてたから。」

 

夫婦仲の良い両親に苦笑いをしながら三人は席に着く。

 

「「「いただきます。」」」

 

朝食を食べながら三人の会話は自然と『英霊の宴』のものになった。

 

「慎二、喚び出す奴は決まったか?」

「まだ決まってないけど、とりあえずキャスターを喚び出そうと思ってるよ。」

「キャスター?なんでさ?」

 

士郎と同じく疑問に思ったのか、美遊が箸をくわえながら可愛らしく首を傾げる。

 

二郎が術式に手を加えたので他と同じクラスも召喚出来る。

 

なので召喚するサーヴァントのクラスの被りを気にする必要はない。

 

故に士郎達は何故にキャスターを望むのかが気になった。

 

「僕は研究を主とする魔術師だ。だったら先達に教えを乞うのはおかしくないだろ。」

「あぁ、そっか。流石だなぁ、慎二。」

「流石慎二お兄ちゃん!」

 

心からの称賛を送ってくる二人に慎二は少し照れてしまう。

 

「誉めてもおかずは増えないぞ。」

「「じゃあデザート!」」

「…昨日の夜に作っておいたプリンが冷蔵庫に入ってるよ。」

 

心からの称賛とは何だったのか。

 

しっかりと慎二に胃袋を掴まれている二人は、朝食を食べ終えて食器を流しに片付けると、デザートを片手にリビングに戻ってくる。

 

「早く食べなよ。朝練の時間が近いからね。」

「「は~い。」」

 

三人は揃って弓道部に所属している。

 

集中力や精神力を養うのは魔術にも応用出来ると思ったからだ。

 

その結果、士郎は圧倒的な才能を発揮して昨年、一年でありながら全国優勝を果たしている。

 

慎二も全国出場は果たしてはいるものの、士郎には及ばない結果だった。

 

ちなみにこの三人以外にも桜やイリヤ、そしてカレンといったいつものメンバーも弓道部に所属している。

 

いつものメンバーの中で弓道部に所属していないのは凛だけだ。

 

凛曰く『別に弓道を否定するつもりはないけど、二郎に教わった方がずっと効率的だわ。』との事だ。

 

彼女の言う通りなのだが、それには二郎の指導についていけるだけの忍耐力や才能が必須である。

 

ちなみに二郎が教える武は道でなく術…つまり、敵を効率良く殺す為のものである。

 

故に教えを乞うには相応の覚悟が必要だ。

 

それなのに当然の様に二郎に教えを乞う凛は生粋の魔術師と言えるだろう。

 

だが慎二達が魔術師としての覚悟を持っていないわけではない。

 

彼等は彼等なりに、いわゆる青春を味わいたいだけなのだ。

 

凛ならばその考えを『心の贅肉』と表現するだろう。

 

贅肉と言われてショックを受ける乙女達はいない。

 

決してイリヤやカレンが『食べても太らないから』と言われて、殺意を抱いたりする乙女達はいない。

 

決して凛に『動いてれば問題ないでしょう?』と言われて、割れた腹筋が見える程に引き締まったプロポーションを羨んだりする乙女達はいない。

 

いないったらいないのだ。

 

デザートを食べ終えた三人は一路学校へと向かう。

 

その道すがら、慎二は士郎に話し掛けた。

 

「ところで士郎は誰を喚ぶんだ?」

「あ~…まだ決めてない。セイバーとか喚んでみたいけど…。」

 

年頃の男子らしく士郎は語感がカッコいい等の理由でセイバーを望む。

 

「セイバーか…剣士や騎士ってなると、僕のイメージではアルトリアさんになるな。」

「そうだよなぁ…じゃあ、宮本武蔵とかどうだ?」

「剣を教えてもらうのか?それなら二郎真君様に教わった方がいいと思うけど。」

「あ~…うん、そうだった。」

 

身近過ぎて時折、二郎が武神だと忘れる事があるのは御愛嬌だろう。

 

「話を聞いてみたい英雄とかいないのか?」

「ギリシャ神話のアルケイデスかな?でも、アルケイデスはイリヤが喚ぶって言ってたし。」

「流石アインツベルン。触媒を用意する資金が潤沢だなぁ。」

 

間桐家もそれなりに財力はあるが、アインツベルンと比べると月とスッポンである。

 

「まぁ、まだ時間はあるからゆっくり考えるよ。美遊は誰を喚ぶつもりなんだ?」

「まだ誰とは決めてないけど、キャスターを喚ぼうかなって考えてる。空を飛べる魔術とか教えて貰えたらなぁって思って。」

「ははっ、美遊は小さい頃、魔法少女が好きだったからなぁ。」

 

士郎の言葉に美遊は笑顔で頷く。

 

この時、どこか遠くで意思のある杖がガタッと動こうとしたが、武神に施された封印により防がれていた。

 

「おっと、二人とも、少し急がないと危ないぞ。」

「よしっ!美遊、俺がバッグを持ってやるから走るぞ。」

「ありがとう、お兄ちゃん。」

 

こうして三人はいつもの様に仲良く学校へと向かうのだった。

 

 

 

 

ここは立川にあるアパートの一室。

 

ごく普通のアパートであるが、その一室は清らかな雰囲気に包まれている。

 

とある覚者が座禅をしているからだ。

 

だが、その清らかな雰囲気は不意に破壊される。

 

それは…。

 

「グワッハッハッハッ!」

 

御立派な神が虚空を突き破って侵入してきたからだ。

 

「邪魔するぞ、シッダールタよ。」

「去れ、マーラよ!」

「ケチケチするでない。我と御主の仲ではないか。」

 

御立派な神の言い分に覚者はため息を吐く。

 

現在、シッダールタとイエスは二郎に倣って現世で暮らしている。

 

かつての時代の様に信仰の違いで殺し合いに発展する事が少なくなった現代で、彼等は人々と笑顔で触れあい、時に救済をする生活を心から楽しんでいるのだ。

 

「そういえばマーラよ、昨晩にお前の力を感じたが、どこで何をしたのですか?」

「少しばかり冬木で若者達の夢に干渉してきたのだ。互いに好いておる癖に焦れったくてのぉ。さっさと一発バシッとヤってしまえばいいのだ。」

 

御立派な神の物言いにシッダールタは諭す様に話す。

 

「私やイエスが生きていた時代とは違うのです。今の世を生きる若者達の歩む速さに任せればよい。邪魔をしてはなりませんよ、マーラ。」

「相変わらず固いのう、シッダールタ。我は更にギンギンに固いがな!」

 

そう言って高笑いをする御立派な神を見て、シッダールタは眉間を揉み解すのだった。




これで本日の投稿は終わりです。

また来週お会いしましょう。


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第282話

本日投稿1話目です。


いよいよ『英霊の宴』の為に英霊を召喚する時がやってきた。

 

場所は冬木の郊外にあるアインツベルンの城にておこなわれる。

 

順番に喚び出すといえど、7騎ものサーヴァントが一堂に介するので当然の配慮といえるだろう。

 

先ずは美遊が喚び出す事になった。

 

美遊が求めるのはキャスターのサーヴァントだ。

 

触媒は無いので美遊のイメージと相性で喚び出す事になる。

 

そもそも今回のメンバーで触媒を用意してあるのはイリヤだけだ。

 

イリヤにしてもアルケイデスを喚び出す事にこだわりがあるわけではない。

 

第三魔法の研究の為に神代の不死の発現をその目で見ておきたかったイリヤは、前回の聖杯戦争の折りにアインツベルンが用意していた触媒が、ちょうど不死の逸話があるアルケイデスの物だったから彼を喚ぶだけなのだ。

 

そうでなければアキレウスやジークフリートを喚ぼうとしたかもしれない。

 

まぁ不死の発現を見るという目的上、相応の戦い等は避けられないので、喚び出される相手によってはたまったものではないだろう。

 

それはそれとして視点を美遊の方に戻そう。

 

美遊は改良された召喚陣の前に立ってイメージを固めていっている。

 

「空を飛べる魔法使いさん…出来れば女の人で…。」

 

少々曖昧なイメージだが、そこは二郎監修の召喚陣である。

 

しっかりと補正してくれるだろう。

 

かつて自分達が叡知を結集させて作り上げた召喚陣をあっさりと改善されて、苦笑いをしているユスティーツァの姿があるのは目を瞑ろう。

 

美遊のイメージと魔力に反応して召喚陣から光が沸き上がる。

 

すると美遊は詠唱を始めた。

 

「閉じよ、閉じよ、閉じよ(満たせ、満たせ、満たせ)。」

 

改良された召喚陣に詠唱は必要ない。

 

だが美遊は魔法少女が好きな乙女である。

 

魔法使いっぽいという理由で詠唱に夢を見ても仕方ないだろう。

 

ちなみに詠唱を唱えようとしているメンバーはやや少数派で、美遊、士郎の二人しかいない。

 

魔術師は基本的にリアリストで効率を重視するものなのだ。

 

美遊の詠唱も終わりに差し掛かり、召喚陣から一層強い光が溢れ出す。

 

そして光が収まると、そこにはフードで顔を隠した女性らしき人物の姿があった。

 

「あら?可愛らしいお嬢ちゃんね。私はキャスターのサーヴァント。貴女が私のマスターかしら?」

 

柔らかくも妙に響く声は、流石は神代の魔法使いといえるだろう。

 

美遊は逸る心を落ち着けてから言葉を発する。

 

「はい、私が貴女を召喚しました。」

「そう、よろしくねマスター。」

 

フードで隠れた口元しか見えないが、彼女が微笑むとその妖艶さに士郎と慎二が顔を赤くする。

 

そんな二人の脇腹は婚約者達によってつねられてしまっているが些細な問題だろう。

 

「ところでマスター、一つ質問をいいかしら?」

「なに、キャスター?」

「召喚に応えておいてこういうのもなんだけど、私が得られる利益がよくわからなかったの。なんでも大抵の願いは叶えられるらしいけど、聖杯があるわけじゃないのでしょう?」

 

頬に手を当てながらそう話す彼女の姿に美遊は頷く。

 

「貴女の願い次第だけど、二郎真君様が叶えてくだされるわ。」

「二郎真君?」

「俺の事だよ。」

 

その声に振り向いたキャスターは、次の瞬間には驚きながら声を上げる。

 

「まさか…放浪の神ゼン!?」

「おや、俺を知っていたのかい?コルキスの王女。」

「自分勝手に人々を振り回すギリシャの神々と違って貴方は善性の神。そんな神は珍しいから、当時のギリシャの人々で知らない人はいなかったわ。」

 

ギリシャの神々を毛嫌いする彼女に、マスターである美遊は苦笑いをする。

 

「それよりも、なぜ貴方が私を知っているのかしら?」

「気紛れに世界中を巡っていたからね。君を一目見た事があるのさ。」

「そう、魔女に堕ちた私は貴方の目に叶わなかったのね。」

 

彼女は自身が救われなかった理由をそう考えた。

 

「俺が見た時の君は復讐も故郷に帰る事も諦め、生きる気力を失っていた。そんな者を救える程、俺は万能な存在じゃないよ。シッダールタやイエスなら救えたかもしれないけどね。」

「シッダールタとイエス?」

 

龍脈を通じで『世界』から知識を得た彼女はため息を吐く。

 

「神々が姿を消すと神々を畏れて否定した人々は、また神に救いを求める様になった…随分と皮肉なものね。」

「だから面白いと思わないかい?」

「人と共に生きてきた放浪の神だからこその言葉ね。あのギリシャの神々なら絶対にそんな事を言わないわ。自らの欲求を満たす為の道具や家畜程度としか考えないでしょうね。」

 

ギリシャの者でありながらギリシャの神に対して辛辣な言葉を使う。

 

いや、ギリシャの者だからこそ彼女は辛辣な言葉を使うのだろう。

 

それだけの事をかの大神とその妻はしでかしたのだから…。

 

「さてコルキスの王女、君の願いはなんだい?」

「コルキスへの帰還は流石に叶わないでしょうね。ならそうね…笑わないで聞いてくれるかしら?」

 

フードの下に隠れていてもわかる程に彼女は顔を朱に染める。

 

「私の願い…それは、その…『女としての幸せ』よ。」




本日は3話投稿します。

次の投稿は9:00の予定です。


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第283話

本日投稿2話目です。


「それでそれで!メディアちゃんってどんな男性がタイプなの?」

「えっと…誠実な男性かしら…。」

 

乙女な願いを告白したキャスターと女性陣はあっという間に打ち解けた。

 

そして真名も打ち明けたキャスターに対して物怖じしない切嗣の3人目の嫁…藤村 大河が切り込んでいった。

 

藤村 大河は冬木に根差す藤村組組長の娘で、父を伝に切嗣と知り合い惚れてしまった。

 

アイリスフィールという美しい妻がいるとあって一時は諦めかけたのだが、切嗣が中華の国籍を取得して重婚出来る様になったと知ると、まだ高校生であった当時に押し掛け女房となった。

 

そして魔術の存在を知って身体強化を習得すると、大学生の時に剣道で全国大会四連覇を果たしている。

 

そんな彼女は現在、凛達が通う高校の教職に就いている。

 

彼女の役目は凛や桜達の監督役兼、魔術師と一般人の認識の違いの調整だ。

 

もちろん彼女自身が教職に就くことを望んだので与えられた役目である。

 

まぁ、ある意味で学生達以上にフリーダムなので、その役目が果たせているのかは疑問なのだが…。

 

「いやぁ~、最近お父さんが『孫の顔はまだか?』ってうるさくってさぁ。私まだ二十代よ?もっと切嗣さんと幸せな夫婦生活を楽しんでもいいと思うのよねぇ。」

「えっ?二十代ならそろそろ焦るべきじゃない?」

「あっ、そういえばメディアちゃんの時代は文字通りに『人間五十年』で、十代で結婚とか出産は当たり前だったわね。」

 

失敗失敗と笑う大河の姿にメディアは戸惑う。

 

実は次にサーヴァントを喚び出すのは桜なのだが、メディアと共にガールズトークに花を咲かせていて動く気配が無い。

 

そこで仕方なく士郎が喚び出す事にした。

 

召喚陣の前に立った士郎は明確に喚び出す相手をイメージしていく。

 

イメージをする事、それは投影魔術を扱う士郎にとって日常的なものだ。

 

士郎の魔術起源は『剣』なのだが、剣以外の投影も可能である。

 

そこで遡月 士郎の師である衛宮 切嗣は、彼に弾丸を投影させる事にした。

 

切嗣は士郎を師事するにあたり、二郎にその才を聞いてみた。

 

二郎は『射の才は一流だけど、それ以外は二流がせいぜいだね。』と評した。

 

これを聞いた士郎自身は大いに落ち込んだが、これで士郎の育成方針がはっきりと決まったのだから些細な問題であろう。

 

切嗣はまだ子供であった当時の士郎にハンドガンを持たせた。

 

男の子である士郎は銃に目を輝かせたが、士郎の姿にかつての己を重ねた切嗣は複雑な思いだった。

 

射撃における基本を教えて士郎に的を撃たせる。

 

すると初弾は的から外れてしまったが、二発目以降は全て的の中心付近に命中した。

 

これに切嗣は大いに驚いた。

 

初めて銃を持った士郎がベテランのガンマン並みの腕前を見せたのだから。

 

だがこれは当然の事だ。

 

切嗣が考える一流の才能と、武神である二郎が考える一流の才能には大きな違いがあるのだから。

 

こうして射の才能を開花させた士郎の戦闘スタイルは、切嗣と同じ現代兵器を用いたものとなった。

 

そしてこの才能は弓道にも生きて、全国制覇を成し遂げたわけである。

 

(剣士…英雄…。)

 

明確なイメージに召喚陣が反応すると、士郎は詠唱を始めた。

 

そして詠唱が終わると召喚陣は一際強く輝き、一人の男性が姿を現す。

 

褐色の肌に背中の葉の形をした痣の様なものが特徴的な人物で、その目はどこか哀しみに満ちている。

 

「サーヴァント、セイバー、召喚に応じ参上した。問おう、君が私のマスターか?」

「あぁ、俺がマスターだ。」

 

強い存在感を放つサーヴァントに臆さぬ様に、士郎は腹に力を入れて問い掛ける。

 

「真名を教えてくれないか?」

「マスターが他の者に聞かれて構わないなら答えよう。」

 

士郎が頷くとセイバーが真名を明かす。

 

「私はジークフリート。乞われるままに力を振るい、後悔の中で倒れた戦士だ。」

「そうか、よろしくなジークフリート。それで、ジークフリートの願いは?」

 

士郎の問いにジークフリートはすがりつく様に答える。

 

「私の願い…それは、誰かに乞われてではなく、今度こそ自らの意思で英雄となる事だ。」




次の投稿は11:00の予定です。


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第284話

本日投稿3話目です。


「すまない…。」

 

セラにお茶を差し出されたジークフリートは、反射的に謝ってしまう。

 

「異世界に転生してやり直すって言うんなら、先ずはそのすぐに謝る性格を直さないとダメね。ぜんぜん英雄っぽくないもの。」

 

凛にズバリと言われてジークフリートは背筋を正す。

 

「いや、そこまで言わなくても…。」

「マスター、彼女の言う通りだ。私が目指すのは周囲に流されるのではなく、己の意思を貫いて英雄になる事なのだから。」

 

そう言ったジークフリートはセラに向き直って微笑む。

 

「ありがとう、お嬢さん。」

「いえ、メイドとして当然の事をしただけですので、どうかお気になさらず。」

 

微笑みながら礼を言うジークフリートの姿はとても絵になる。

 

流石は英雄といったところだろう。

 

「さて、順番がずれちゃったけど、次は桜の番ね。」

「うん。」

 

召喚陣の前に立った妹に凛は問う。

 

「ところで桜、誰を喚ぶつもりなの?」

「ギリシャ神話のアスクレピオスだよ。」

 

アスクレピオスは死者を蘇らせたと謳われる伝説の名医である。

 

故に凛はイリヤに目を向けた。

 

「ちょっと、死者蘇生の霊薬を作ったアスクレピオスならアインツベルンが喚ぶべきじゃないの?」

「これだから凛はダメよねぇ。」

「どういう事よ?」

 

イリヤは可愛らしく指を立てて話始める。

 

「アインツベルンには第三魔法の使い手であるユスティーツァ様がいらっしゃるわ。それに二郎真君様からいただいた不老と不死の妙薬もあるもの。死者を蘇生出来る程度のサーヴァントなんて必要ないわ。今のアインツベルンの興味は神の祝福(呪い)による不死の在り方にあるの。だから私はギリシャ神話の大英雄であるアルケイデスを喚び出す予定なのよ。」

 

理由を知って納得した凛は一つ息を入れて気持ちを切り替える。

 

「待たせて悪かったわね、桜。」

「気にしないで、姉さん。」

 

微笑んだ桜はイメージを始め、召喚陣に魔力を注ぎ込む。

 

召喚陣に注ぎ込まれる圧倒的な魔力量を見て、イリヤは感心の声を上げた。

 

「桜って魔力量は一流よね。」

「そうね。でも桜は治癒魔術以外は起源の『虚数』も含めて苦手なのよね。影をちょっとした買い物袋程度にしか使えないんだもの。まぁ、そういう不器用なところも可愛気があるってものでしょ。」

「凛とは違ってね。」

「お互い様よ。」

 

近い将来に第三魔法に至るだろうと言われているイリヤと、既に第二魔法に至っている凛は、魔術師界で噂になる程の天才魔術師である。

 

だがこの噂は敢えて広めたものだ。

 

なにせ美遊を始めとして士郎に桜と特異な魔術資質を持つ者が身近に多くいるのである。

 

彼女達を目立たせないためにも、凛とイリヤは自ら矢面に立ったのだ。

 

まぁ、凛には二郎が認める程の実力があるし、イリヤの周囲には切嗣を始めとしてアインツベルンが目を光らせているので、彼女達に手を出すのは魔法使い級の実力がなければ不可能に近い。

 

実際に二人に手を出そうとした魔術師達がいたのだが、イリヤに手を出そうとした者は切嗣監修の元で生きた的として士郎の射撃練習に使われ、凛に手を出そうとした者はあっさりと本人に気絶させられて綺礼に売られてしまった事が何度かあった。

 

それ以来、冬木に襲来する魔術師達は練習台や小遣い稼ぎの相手として認識され、ある意味で歓迎の対象となってしまっているのだ。

 

一際強く召喚陣が輝くと、そこには銀髪の男性の姿があった。

 

「サーヴァント、キャスターだ。君が私のマスターか?」

「はい、マスターの遠坂 桜です。」

 

桜の自己紹介にキャスターと名乗ったサーヴァントは頷く。

 

「貴方の真名を教えてくれますか?」

「患者の信頼を得るのに必要なら名乗ろう。私はアスクレピオス。ところで私を召喚したという事は、マスターは医者を必要としていると認識していいのだろうか?」

 

彼の言葉に桜は頷く。

 

「はい、私は治癒魔術を得意としているのですが、神代に生きた貴方の知識が治癒魔術の役に立たないかなって思いまして…。」

「…なるほど、医者と魔術師という立場は違えど、私達は共に患者を…人を癒そうとする者という事か。」

 

アスクレピオスは桜の言葉に納得した様に頷く。

 

「君に私の知識を教授する事で多くの人が救われるのなら、それだけで召喚されたかいがあるな。」

「私は貴方への対価として現代医療を学ぶ機会をと思っています。貴方が生きた時代から四千年以上の月日が経った現代医療に興味はありませんか?」

 

この申し出にアスクレピオスは嬉しそうに微笑んだ。

 

「それは是非ともお願いしたい。可能ならば現場も見てみたいのだが…。」

「う~ん…出来るかなぁ?」

 

アインツベルンや間桐の財力があれば可能な気がするが、どうしようかと彼女は考える。

 

「アスクレピオスも召喚されたのね。」

「…メディア?」

 

かつての知己であるメディアがアスクレピオスに声を掛ける。

 

「…裏切者と蔑まないのね。」

「君には言い訳にしか聞こえないだろうが、あの時の私達はどこか冷静じゃなかった。そして思い返せばあの時の君は正気じゃなかった。イアソンの外道な願いを全て聞き入れていたのだから。医者である私が異常に気付けなかったなんて…私は医者失格と言われても仕方ない男だよ。すまなかった。」

「…そう。」

 

どん底にまで堕ちて無念の死にまで至ったのだ。

 

その謝罪の言葉すら怒りを掻き立てるだろう。

 

故に次の彼女の行動も必然であったのかもしれない。

 

パーン!

 

メディアはアスクレピオスの頬を平手で思いっきり張った。

 

「あの時の事は決して忘れる事は出来ないけど、これで気にしないことにするわ。だから貴方も今更気を揉むのは止めなさい。」

「…ありがとう。」

「ふんっ、礼なら私達を召喚して再会させてくれたあの娘達に言いなさい。」

 

そう言いながら背を向けるメディアにアスクレピオスは感謝の念を捧げたのだった。




これで本日の投稿は終わりです。

また来週お会いしましょう。


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第285話

本日投稿1話目です。


英霊の召喚はカレンの番となった。

 

カレンは召喚陣の前に立つと淡々と召喚を始める。

 

そして召喚陣から光が立ち昇ると、そこには一人の女性の姿があった。

 

「サーヴァント、ライダー…召喚に応じ参上しました。貴女が私のマスターですか?」

「うん、貴女は聖マルタ?」

「その様に呼ばれる事もありますが、私はマルタ…ただのマルタです。」

 

お淑やかで柔らかな彼女の様子はまさしく聖を冠するに相応しいだろう。

 

だが…。

 

「おや?君が喚ばれたのかい。」

「…なによ、こいつらはあんたの身内?肩肘張って損したわ。」

 

二郎が声を掛けると彼女はあっさりと態度を豹変させた。

 

そんな彼女を見て一同が驚愕する。

 

実はイエスとシッダールタが涅槃で酒を飲む際に各々の弟子を招いた事があるのだが、その時にマルタは二郎と会った事があるのだ。

 

「はぁ…聖マルタなんて呼ばれているけど、あたしは田舎育ちの女でしかないのよ。まぁ、あのお人好しが奇跡で作るパンとワインの為に、人前では多少は取り繕っていたけどね。」

 

腰に片手を当ててそう言う彼女の姿は妙に様になっている。

 

「ふむ…では、タラスクを祈りで従えたというのは?」

 

英霊の宴を見学している保護者の一人である綺礼の質問に、マルタはため息を吐きながら額に手を当てる。

 

「竜が祈りなんかで従うわけないでしょ。あれはあたしがあいつを殴り倒して従えたの。まぁ、あのお人好しには暴力はいけないって口酸っぱく言われたけど、そんな事でやっていける程、甘い時代じゃなかったわ。」

 

その言葉を聞いて信徒である時臣は頭を抱えた。

 

ここにいない師の璃正になんと言えばいいのかと悩んでいるのだ。

 

「そんなわけで聖なんて呼ばれるのは柄じゃないの。だからただのマルタでいいわ。」

「うん、よろしくマルタ。」

「あら?話せるじゃない。流石はあたしのマスターね!」

 

快活に笑う彼女の姿に一同は苦笑いをするしかない。

 

「それで、あたしの願いはゼンが叶えてくれるの?」

「あぁ、そうだよ。君の願いは想像がつくけど、一応は聞いておこうか。」

「こういうのは形式も大事だからね。面倒だけど言わせてもらうわ。」

 

両手を腰に当てて胸を張った彼女は己の願いを告げる。

 

「あたしの願いはイエスと同じ様に現世を満喫する事!あいつだけ現世を満喫するなんて狡いもの。あたしもとことん現世のお酒を楽しむわ!」

 

聖とはなんだったのかと言いたくなる程、俗な彼女の願いに時臣は乾いた笑いを溢すのだった。

 

 

 

 

「ぷはーっ!いいわねぇこのビールってお酒!」

 

早速とばかりに酒を飲み始めた彼女を尻目に、今度はイリヤが召喚を始める。

 

触媒を用いて召喚を速やかに進めると、召喚陣から光が立ち昇って見上げる様な大男が姿を現した。

 

「サーヴァント、セイバー。召喚に応じ参上した。お嬢さん、君が私のマスターか?」

「えぇ、そうよ。貴方はアルケイデスね?」

「如何にも、私はアルケイデスだ。」

 

真名を明かした彼の前にメディアが歩み寄る。

 

それに気付いたアルケイデスは片膝をついて彼女と目線を合わせる。

 

そして…彼女の平手打ちを無防備に受けた。

 

「相変わらず馬鹿げた頑丈さね。身体強化をしたのにまるっきり効いてないじゃない。」

「そうでもない。あの箱入り娘だった君が随分と強かになったものだ。」

「それだけ苦労したのよ。まぁ、いいわ。アスクレピオスにも言ったけど、これであの時の事は気にしないでいいわ。貴方はゼウスとヘラを殺してくれたしね。」

 

その言葉にアルケイデスは首を横に振る。

 

「あの愚神二柱を殺したのは私の都合でだ。君が私を許す理由にはならない。」

「当人の私が気にしないでいいと言ったのだからそれで終わりよ。まぁ、イアソンは絶対に許すつもりはないけどね。あれには貴方が味わった毒の苦しみと同じものを味わってもらうわ。」

 

メディアの言葉には流石のアルケイデスも身体の一部がひゅんとしてしまう。

 

「もしその時が来たらヒュドラの毒を貰うわ。だからそれで借りを返したと思いなさい。」

「あ、あぁ…。」

 

かつての仲間の冥福を祈るしか出来ないが、アルケイデスは巻き込まれるよりはいいかと開き直った。

 

「邪魔をしちゃったわね、イリヤ。」

「気にしないでいいわ、メディア。貴女が昔を気にしないで幸せになる為には必要な事だもの。」

 

ニッコリと笑うイリヤにメディアは天使の姿を幻視する。

 

「マスターもいいけど貴女もいい素材ね。手持ちが出来たら貴女達に服を作ってみたいわ。」

「ふふふ、メディアのコーディネート?それは楽しみね。」

「セラさんに現代のファッション雑誌を用意して貰っているの。勉強するから少し待っててね。」

 

既に現世を満喫しつつあるメディアの姿に、アルケイデスは微笑む。

 

「彼女本来の笑顔が戻ってよかった。そうは思わないか、アスクレピオス?」

「あぁ、そうだね。」

 

己に気付いていた事に驚かずに、アスクレピオスは返事を返す。

 

「久しぶりだね、アルケイデス。」

「お久しぶりです、ゼン様。」

「アルケイデス、君の願いはなんだい?」

 

二郎に問われてアルケイデスは首を横に振る。

 

「私には特に叶えたい願いはございません。強いていうならば、異なる時代の英雄との戦いを存分に楽しみたく思います。」

「そうかい。もしそれで足りなければ俺も相手をしようか。」

 

その言葉にアルケイデスは微笑む。

 

「ならばこのアルケイデス、ゼン様に挑むに足る証を示しましょう。」

 

右手を心臓に当て胸を張るその姿は、大英雄に相応しい堂々たるものなのであった。




本日は3話投稿します。

次の投稿は9:00の予定です。

追記:少しマルタの口調を修正しました。


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第286話

本日投稿2話目です。


英霊の召喚も残すは二人。

 

イリヤに続いて慎二が英霊を喚び出す。

 

召喚陣が一際強く輝くと、そこには野性味を感じさせる一人の男性の姿があった。

 

「サーヴァント、ランサーだ。おめぇが俺のマスターか?」

「あぁ、僕がマスターの慎二だ。君はセタンタで間違いないか?」

「おう!俺はセタンタだぜ。クー・フーリンとは呼んでくれるなよ。」

 

ニッと笑う彼に慎二は首を傾げながら話し掛ける。

 

「なぁ、セタンタ。なんでランサーなんだ?僕はルーン魔術を教えて貰いたくて、君をキャスターで喚んだ筈なんだけど?」

「あん?別にどんなクラスだろうがルーンを教えるのに問題はねぇよ。それよりもランサーで来なきゃ、俺の願いが叶わなかったからな。」

「ルーン魔術を教われるんなら問題ないけど、セタンタの願いは何なんだ?」

 

慎二の問いにセタンタはニヤリと口角を上げる。

 

「ケルトの戦士として存分に戦いてぇんだよ。俺以外に六人は英雄が喚ばれんだろ?なら一人や二人は戦い甲斐がある相手もいると思ってな。」

「セタンタらしい願いだね。」

 

不意に掛けられた声に振り向くと、二郎を目にしたセタンタは口笛を吹く。

 

「ヒュー♪ゼンがいるとなりゃ文句はねぇ。俺と戦ってくれんだろ?」

「構わないよ。でも、セタンタ以外にも俺との戦いを望む者がいてね。」

 

二郎の声に反応する様に見上げる様な大男が進み出る。

 

「でけぇな。雰囲気もありやがる…なにもんだ?」

「私の名はアルケイデス。」

「…ギリシャの大英雄じゃねぇか。」

 

大男がアルケイデスと知ったセタンタは獰猛な笑みを浮かべる。

 

「いいぜ。ゼンに挑むとなりゃ、あんたを超えるぐれぇはやってみせねぇとな。」

「ケルトの戦士の中でも特に名高い貴殿との戦いは私も望むところだ。受けて立とう。」

「すまないが、私も混ぜてもらおうか。」

 

空気が歪んで見える程の濃厚な戦意の中に、ジークフリートが歩み出る。

 

「セタンタ殿、私はジークフリート。」

「へぇ、竜殺しの英雄か。」

「私は異世界へと転生し、己が意思で英雄を目指すと志す戦士。故に人類史上でも名高い二人と戦える機会は見逃せるものではない。」

 

ジークフリートも加わり戦意の密度が更に増す。

 

魔術師である慎二達でも呼吸が難しくなる程に。

 

だが…。

 

「はいはい、そこまでよ。まだ私が英霊を召喚してないんだから、さっさとそこを退きなさい。」

 

そんな空気を凛があっさりと吹き飛ばした。

 

「あの戦意に臆さねぇとはやるねぇ。嬢ちゃん、名は?」

「遠坂 凛、二郎の…貴方が知る名で言うならゼンの恋人よ。」

 

凛の言葉にセタンタは目が点になる。

 

「あぁ~…嬢ちゃん、本当か?」

「本人がいる前で嘘をついてどうするのよ。」

「そりゃそうなんだがよ…しかし嬢ちゃんがねぇ…。」

 

セタンタにとって二郎は師のスカサハが敵わぬと言いきる程の強者だ。

 

その二郎に目の前の年若い娘が認められたという事実は、中々に衝撃的なのだ。

 

「なによ?なんか文句でもあるわけ?」

「いや、ねぇよ。」

「ふ~ん…まぁ、そういう事にしておきましょ。」

 

凛はそう言いながら手でそこを退くように促す。

 

それを受けてセタンタは肩を竦めてから移動する。

 

彼の背にアルケイデスとジークフリートも続く。

 

そんな彼等に…。

 

「あぁ、そうだわ。」

 

凛は自信を持って言い放った。

 

「三人じゃ半端よね。だから私がもう一人喚び出してあげるわ。貴方達にも勝てる英雄をね。」

 

この言葉を受けて三人は不敵な笑みを返したのだった。




次の投稿は11:00の予定です。


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第287話

本日投稿3話目です。


side:遠坂 凛

 

さて私の番なんだけど、召喚する英霊のイメージの為に情報が欲しいわね。

 

「イリヤ、士郎、慎二、三人のサーヴァントの事を教えてくれない?」

「ダメに決まってるじゃない。後出しだけじゃなくて更にカンニングもするつもりなの?そんなのは淑女とは言えないわ。」

 

士郎と慎二も苦笑いをしてるし、流石にダメよねぇ。

 

そうなると…。

 

「アルケイデス達の伝承から彼等を倒せる英雄をイメージするしかないわね。」

 

おそらくアルケイデスの不死は命のストック。

 

ジークフリートは背中以外は生半可な攻撃は効果が無いってとこかしら?

 

セタンタには不死の伝承が無いけど、投げれば必ず中るっていう呪いの魔槍が厄介ね。

 

あら?そういえばアルケイデスは大神ゼウスを殺したヒュドラの毒を塗った矢が有名だけど、アルケイデスってセイバーで喚ばれているわよね?

 

「ねぇ、イリヤ、なんでアルケイデスをアーチャーで喚ばなかったのよ?セイバーじゃ、大神ゼウスを殺した矢を使えないんじゃない?」

「はぁ…凛ってどこか抜けてるわよねぇ~。」

「私のどこか抜けてるっていうのよ?」

 

イリヤは指を立てて話し出した。

 

「万が一アルケイデスの矢が冬木の川に落ちたら、冬木はあっという間に死の街になっちゃうわ。そんな危ない物を使わせるわけにはいかないじゃない。」

「川に落ちたら二郎の治水の権能で清水に戻せばいいでしょう?」

「英霊の宴は私達が主体になって行うわ。なのに最初から二郎真君様頼りはどうなのかしら?」

 

…それもそうね。

 

「悔しいけどイリヤの言う通りね。」

「まぁ、私も大河に指摘されなければアルケイデスをアーチャーで喚んでたわ。」

「なによ、イリヤだって人の事を言えないじゃない。」

 

クスクスと笑うイリヤに私はため息を吐く。

 

さて、気持ちを切り替えてあの三人を倒せる英雄を考えないとね。

 

私がパッと思い付くのは二郎だわ。

 

そこでふと気付いた。

 

「そうよ、なにも西洋の英雄に限らなきゃダメなわけじゃないわ。」

 

仙人、もしくは道士なら三人と渡り合えても不思議じゃない。

 

まぁ、二郎を基準に考えるのは間違ってるけど、そう的外れな考えじゃない筈だわ。

 

「なるべく昔で、あの三人に負けないだけの偉業を成した英雄…。」

 

…いたわ!

 

とびっきりの英雄が!

 

「一人で万を超える敵に勝ったあの英雄なら!」

 

目星をつけた私は早速イメージをしながら、召喚陣に魔力を注いでいく。

 

召喚陣から光が立ち昇るのだけど、そこで何か引っ掛かりを感じた。

 

「…なにかしら?」

 

魔力をごっそり持っていかれる感覚から手応えはあるんだけど、なんかいっこうに喚び出せる感じがしない。

 

そこで思い出した。

 

彼の伝承には亡くなったとかの記述は無かったわ。

 

「もしかして彼はまだ生きているから召喚出来ない?でも召喚陣は反応しているし…もしかして召喚を拒んでる?」

 

…いい度胸じゃない。

 

私は第二魔法の一端を行使して虚空に穴を開ける。

 

そしてそこから『宝石剣』を取り出した。

 

「これならどう!?」

 

宝石剣を使い数多の並行世界から魔力を引っ張ってきて、召喚陣に注ぎ込んでいく。

 

「よっしゃ!手応えあり!さぁ、師の正妻に挨拶に来なさい!」

 

私は更に魔力を注ぎ込んでいく。

 

すると今までの誰の召喚よりも強い光が召喚陣から溢れ出した。

 

そして光が収束すると…。

 

「あら?」

 

召喚陣の上には誰もいなかった。

 

「変ね?召喚出来た手応えはあったんだけど?」

 

首を傾げて疑問に思っていると…。

 

「ちゃんと召喚出来ているよ。ただ、勢い余って空に吹っ飛ばしてしまったみたいだね。」

 

二郎が私の疑問に答えをくれた。

 

「はぁ…手応えが良かったから、つい魔力を注ぎ込み過ぎちゃったわ。二郎の言う通りなら空に召喚しちゃったみたいだけど…大丈夫かしら?」

「彼なら大丈夫だよ。状況を認識した今頃はため息でも吐いてるんじゃないかな?まぁ、そのうち来るさ。セラ、玄関前に迎えに行ってくれるかい?」

「かしこまりました、二郎真君様。」

 

セラを見送っていると、セタンタが二郎に問い掛ける。

 

「ゼン、どうも知っている奴みてぇだが…期待出来る奴なのか?」

 

セタンタの問い掛けに二郎が微笑む。

 

「あぁ、凛が喚んだのは間違いなく君の期待に応えられる者だよ。」

 

二郎のその言葉で、私は彼を選んだのは間違いじゃなかったって確信したわ。

 

「ところで凛、ちょっと話があります。」

「あら、何かしらアルトリア?」

「私は二郎の正妻の座を明け渡したつもりはありませんよ。」

 

ニッコリと微笑むアルトリアに私も微笑み返したのだった。




これで本日の投稿は終わりです。

また来週お会いしましょう。


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第288話

本日投稿1話目です。


遠坂 凛の召喚により突如雲よりも高い空に放り出された王士郎は、状況を認識してため息を吐く。

 

「やれやれ、これは召喚を拒んだ私に対する当て付けか?」

 

重力に身を任せ落下し雲を抜けると、王士郎は眼下の景観を目視して驚く。

 

「ここは…まさか、冬木か?」

 

広大な森の中に西洋風の城の様な建物が一つ、そしてそこから数km離れた場所にある街並みに、星の守護者であった頃に摩耗した記憶が刺激された。

 

「そうか…今の時期は前世で『聖杯戦争』が行われた頃だ。」

 

納得した王士郎だが、そこで首を傾げる。

 

「だが、私を喚び出した者の魔力量は間違いなく魔法使い級だった。そうなると…私を喚び出したのはキャスターか?」

 

自身が空に放り出され、更に眼下にはアインツベルンの城がある。

 

故に王士郎は腕を組んで首を傾げる。

 

「そもそも私は英霊になっておらず、まだ生きている。聖杯戦争の召喚陣は生者を強引に喚び出す様な術式ではなかった筈だ。何かがおかしい…。」

 

そう彼は疑問に思うものの、このままではアインツベルンの城に直下してしまう。

 

「やれやれ、先ずはこの状況をなんとかするとしよう。」

 

虚空瞬動で空を蹴った王士郎は緩やかにアインツベルンの城の玄関前に着地する。

 

すると…。

 

「お待ちしておりました、御客様。」

 

メイド姿の美女が彼を出迎えた。

 

「私はアインツベルンに仕えるメイドでセラと申します。中で皆様がお待ちでございます。御案内させていただきたいのですが、よろしいでしょうか?」

 

彼女の姿に僅かの懐かしさを感じながら、王士郎は口を開く。

 

「少し待ってもらっていいだろうか。私も急に喚ばれたのでな。連絡をしておきたい者がいる。」

 

セラが頭を下げたのを見ると、王士郎は黒麒麟を喚ぶ。

 

「『無事の様だな、主。』」

「あぁ、問題ない。王貴人に伝えてくれ。首脳会談を行う劉王の警護を任せると。」

「『伝えておく。それで、主はどうする?』」

 

黒麒麟の問いに王士郎は少しの間を置いてから答える。

 

「如何な形であれ召喚されてしまったからには、一度は召喚者に会っておかねばな。」

「『わかった。ではな。』」

 

黒麒麟が虚空に姿を消すと、王士郎はセラに向き直る。

 

「では、案内を頼もうか。」

「はい、こちらへどうぞ。」

 

セラの案内で城の中へと進んでいく。

 

注意深く観察をしながらも、懐かしさを感じていく。

 

(幾つかの戦意は感じるが、殺意や悪意は感じない。それにこの気配は…老師とアルトリアか?)

 

二人の気配を感じ取った王士郎は、セラの後に続きながら眉間を揉む。

 

「日本にいるとは聞いていたが…まさか冬木だったとはな。」

 

おそらくは聖杯戦争そのものが既に変わっているだろうと察して苦笑いをする。

 

「やれやれ…老師、貴方はどこまでも退屈しない御仁だよ。」

 

 

 

 

side:王士郎

 

 

セラに案内され皆が待つ部屋に通された私は、周囲を見渡して老師とアルトリアの姿を見付けた。

 

「老師、いきなり空に放り出された事も含め、どういう事か説明して貰いたいのだが?」

「それは凛から説明させようか。」

「凛?」

「私の事よ。」

 

赤が良く似合う彼女の姿を目にして、私は内心で懐かしさを感じる。

 

「私は遠坂 凛、二郎の恋人よ。」

 

その言葉を聞いた瞬間、私はため息を堪えきれなかった。

 

「なに?なんか文句でもあるの?」

「いや、まだ年若い君を、老師が名を預ける程に認めたという事に少しばかり驚いてしまってな。」

「ふ~ん…まぁ、そういう事にしておいてあげるわ。」

 

思い出すのが困難な程に摩耗していても、彼女は変わらないと感じる。

 

「ならば説明して貰おうか?何故に私が喚ばれたのかを。」

「簡単よ、あいつらと戦って貰いたいの。」

「あいつらとは、あちらで私に戦意を叩き付けてくる者達の事か?」

 

目を向けた先には、今の時代では有り得ない程の神秘を纏った男達がいる。

 

「えぇ、そうよ。」

「ふむ、それで私の利益は?」

「あら、神代の英雄と戦えるって栄誉では足りないかしら?」

 

随分と挑発的な言い方をしてくれる。

 

ならば…。

 

「戦うだけでいいのか?彼等に勝つ必要は無いと?」

「ふ~ん…随分と自信があるみたいね。」

「これでも中華が誇る武神の一番弟子なのでな。たとえ古の英雄が相手でも、そうそう後れは取らんと自負している。」

 

私の言葉に神秘を纏った男達が醸す戦意が濃度を増す。

 

かつて戦場で感じた聞仲の覇気をも超えるだろうそれに、私は自然と笑みを溢す。

 

「それじゃ、後で『天弓』の異名を持つ貴方の腕前を存分に見せてもらうわ。」

「あぁ、期待に応えてみせよう。」

「イリヤ、待たせたわね。」

 

その言葉を耳にして私は目を向ける。

 

そこには摩耗した記憶よりも成長した彼女の姿があった。

 

「まさか中華の大英雄である王士郎を喚び出すなんてね。」

「良い選択でしょ?」

「えぇ、でも私が喚んだアルケイデスの方が上だけどね。」

 

目線で火花を散らしているその様子に、懐かしさを感じながらも苦笑いをしてしまう。

 

イリヤは一つ咳払いをしてから軽やかに声を上げる。

 

「それじゃ『英霊の宴』を始めるわ!パーティーの準備をしてあるから、先ずは料理とかを存分に楽しんでね。」

 

英霊の宴?

 

どうやらまた聞かねばならない事が増えたようだ。

 

私は癖毛の青髪の少年や赤毛の少年の姿等を視界の端に納めながら、老師とアルトリアの元に足を進めるのだった。




本日は3話投稿します。

次の投稿は9:00の予定です。


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第289話

本日投稿2話目です。


side:王士郎

 

 

アインツベルン主催のパーティーが始まると、私は老師からここ十年程の動きを聞いて大きくため息を吐いた。

 

「他国の事とはいえ、それほどの事があって気付けなかったとはな…。」

「日ノ本の神々がそれとなく隠していたからね。俺も伯父上から頼まれなければ気付けなかったかもしれない。だから士郎も気にしなくていいよ。」

 

老師はそう言うが、おそらくは冬木の龍脈の異変に気付いただろう。

 

そして当然の様に悲劇から人々を救った筈だ。

 

やれやれ…私もまだ未熟だな。

 

「そう考えると日本の神様達には感謝しないといけないわね。おかげで二郎と会えたんだから。」

 

そう言う遠坂 凛の姿を目にして私はため息を吐くのを堪える。

 

私は力付くで彼女に召喚されたのだが、その結果として空高くに放り出されてしまった。

 

嫌味の一つも言うべきか、私を力付くで召喚したその力量を誉めるべきか悩むところだ。

 

しかしアルトリアといい、彼女も私の記憶にある以上に身体の一部が成長している。

 

これも老師の影響なのだろうか?

 

「ところでマスター、私はいつ彼等と戦えばいいんだ?」

「慎二がセタンタからルーン魔術を習い終わってからってところね。なんでもルーン魔術を間桐の新しい魔術にするつもりらしいわ。」

「現代では希少なルーン魔術を?強欲な魔術師達に狙われるのではないか?」

「そのぐらい慎二も覚悟してるわよ。まぁ、狙われても士郎…遡月 士郎が家族として守るから問題ないわ。」

 

その言葉で赤髪の少年へと目を向ける。

 

するとなんとも言えない感情が沸き上がってきた。

 

「やはり気になるかい?」

 

…老師が気付くのも当然か。

 

なにせ私を転生させた張本人なのだからな。

 

「私も以前から少し気になっていましたが…もしかしてそういう事なのですか?」

「ちょっと、何の事よアルトリア?」

「以前から士郎は…王士郎は遡月 士郎と似ていると思っていたのです。」

「えっ?」

 

遠坂 凛が驚いて赤髪の少年へと目を向け、注意深く観察を始める。

 

「…確かに顔の造形は似てるわね。でも魔術回路の数や魔力量は桁違いよ。ここまで差があると、魔術師としては別人としか言えないわ。それこそ生まれ変わって魔術回路の数が増えでもしない限り…って…。」

 

そこで彼女はゆっくりと老師へと振り向いた。

 

「もしかして…そういう事なの?でも待って、それは有り得ないわ。」

 

彼女のその言葉にアルトリアが首を傾げる。

 

「凛、有り得ないとはどういう事ですか?」

「第二魔法に至ってわかったのだけど、数多の並行世界とは別に、並行世界の元となる原典となる世界があるの。」

 

まだ学生の身の上で第二魔法に至った彼女を流石というべきか、その成長に関わった老師に苦笑いをするべきか、どちらなのだろうな?

 

「そして私達が生きているこの世界が原典よ。だから有り得ないの。現代を生きている遡月 士郎が古代中華に遡り転生して英雄になる事はね。」

 

第二魔法に至った彼女は『星』や『世界』の存在に気が付いているのだろう。

 

だからこその発言だ。

 

「並行世界の一つならその可能性も有り得るんだけど、この『世界』では原典と大きな違いが起きたのなら『修正』が入る…そうでしょ、二郎?」

「あぁ、そういえばそうだったね。」

 

老師の言葉に今度は遠坂 凛が首を傾げる。

 

「そうだった?」

「何度か俺のところに『世界の守護者』が送られてきた事があるんだよ。一度目はギルガメッシュとエルキドゥの二人と一緒にウルクの神々と戦争した時だね。」

 

あぁ、確かにその時が老師と初めて出会った時であり、私の運命が変わった時でもある。

 

「ちょっと待って、私が『観測』した限りでは、この『世界』は間違いなく原典だったわ。二郎の言う通りなら、まるでこの『世界』が並行世界の一つみたいじゃない。」

 

彼女の言葉は至極当然で、魔術師として常識的なものだ。

 

その事に少し安心する。

 

私やアルトリアの様に老師の非常識にまだ染まりきっていないのだと。

 

「その答えは簡単だよ。この『世界』は元々、並行世界の一つだったからね。」

「…へっ?」

 

呆然とする彼女を見てアルトリアは苦笑いをしている。

 

おそらく私も苦笑いをしているのだろう。

 

そうやって何度も常識を破壊されてきたのだからな。

 

「元々は並行世界の一つだったこの『世界』をギルガメッシュが原典にしたんだ。」

「げ、原典にしたって…どうやって?」

「この『世界』以外の全ての『世界』の『座』にいる自分を消滅させる。そうする事で矛盾を生じさせ、この『世界』を原典へと成り代わらせたのさ。」

 

あんぐりと口を開けてしまった彼女を淑女らしくないと咎めるのは酷だろう。

 

第二魔法の使い手である彼女だからこそ、その有り得なさを誰よりも理解してしまうのだから。

 

「ぎ、ギルガメッシュってそこまでとんでもない奴だったのね。でも…どうしてギルガメッシュは並行世界の自分を消滅させたのかしら?」

「なんでも並行世界のギルガメッシュは暴君になったらしいよ。」

「あの賢王ギルガメッシュが暴君に?」

 

これには遠坂 凛だけでなくアルトリアも驚いている。

 

おそらく私以外の者は同じ様に驚くのだろうな。

 

「そう、それでギルガメッシュはエルキドゥと一緒に並行世界の自分を尽く消滅させたのさ。」

「納得はしたけど…それで起こした行動の規模が凄いってレベルじゃないわね。」

「えぇ、まさしく神代の英雄達と呼ぶべきものです。」

「『世界』を超えて並行世界の己を屠る卓越した力。数多の並行世界の在処を見付け出す目。そして数多の並行世界の己を余さず屠り尽くす飽くなき強靭な心。これら全てを備えなければ決して成しえない。正にギルガメッシュとエルキドゥだからこそ成しえた偉業だね。」

 

老師の非常識さはギルガメッシュが原因なのか、はたまたギルガメッシュの非常識さは老師が原因なのか…。

 

考えると胃が痛くなってきた。

 

これ以上は止めておこう。

 

「ところで老師、その偉業は貴方では成しえないのか?」

「俺は途中で飽いてしまうだろうね。だから成しえないさ。」

 

私の問いかけに老師がそう答えると、遠坂 凛が疑問の声を上げた。

 

「どうして途中で飽きるのよ?強者との戦いは二郎の望むところでしょう?」

「たしかに強者との戦いは望むところだ。でも並行世界の俺がどうしていようと興味は無い。だから途中で飽いて止めてしまうだろうね。並行世界の俺が原典に成り代わろうとでもしていない限りは。」

 

その気になればやれる。

 

だが興味を惹かれなければ動かないか。

 

「二郎らしいですね。」

「そういうアルトリアはどうだい?もし並行世界の己を屠る様な機会があったらどうするのかな?」

「そうですね…私も今の自分を守る為に必要なら尽く滅するでしょう。そうでないのなら放置すると思います。ですが、もしそういう時が来たら円卓の皆が先に動くかもしれませんね。」

 

アルトリアがそう言うと老師は同意する様に頷く。

 

「あぁ、士郎。」

「む?老師、どうかしたのか?」

 

老師は微笑ながら話しだす。

 

「今の君は彼とは別人だ。たとえ『起源』が同じであってもね。」

「…そうか。」

「理解していても納得しきれないってところかな?彼と君では決定的に違うところがあるだろうに。」

 

その言葉に私は疑問を持つ。

 

「決定的に違うところ?」

「君にあって彼には無い…王貴人さ。」

「クク…それは確かに違うな。」

 

思わず笑いが込み上げてきた。

 

あぁ、老師の言う通りだ。

 

私には王貴人がいる。

 

その事実だけあればいい。

 

今まで何度も前世を気にしない様にしてきたつもりだ。

 

だがこの瞬間、私は漸く前世と決別出来たのだろう。

 

なんとも晴れやかな気分だ。

 

私は遡月 士郎に目を向ける。

 

彼は多くの友人達と笑顔でいた。

 

「あぁ、違うな。君はそのままでいい。」

 

「だから手放すな。その手が届く場所にいる人達を。私は死ぬまでわからなかった大馬鹿だ。」

 

「だが、おかげで最愛の人に出会えた。これは大馬鹿だった私の唯一の成功なのだろう。」

 

「君は君として生きていけ、遡月 士郎。私は王士郎として生きていく。」




次の投稿は11:00の予定です。


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第290話

本日投稿3話目です。


英霊の宴開幕のパーティーが終わった翌日、各マスターは己が目的の為に動き始めた。

 

その様子を見ていこう。

 

先ずは美遊だ。

 

美遊はメディアから空を飛ぶための魔術…現代で言えば魔法の領域のものを習っている。

 

「ダメよ美遊。まだ魔力の制御が荒すぎるわ。それじゃ魔術を成功させても、あっという間に墜落よ。」

 

神代の魔法使いからのダメ出しに美遊は大きく肩を落とす。

 

「うぅ…難しいよぉ。」

「本来、魔術というものはとても繊細なものなの。世界の理に働きかけるのだから。雑になって失敗したら、全て術者に跳ね返ってくる。貴女の身を守る為にも厳しくいくわよ。」

 

四苦八苦している美遊から場面を慎二のところに移そう。

 

慎二はセタンタからルーン魔術を教わっている。

 

「ダメだダメだ!書き順、形、どっちが違っても世界は応えねぇぞ。こういうのは理屈じゃねぇ。何度も繰り返して身体に叩き込むしかねぇんだよ。」

 

言葉遣いは荒いセタンタだが、その指導は何度も手本を示したりしてとても面倒見が良い。

 

そのおかげか慎二はルーン魔術の初歩を身に付けつつあった。

 

「出来た!」

「おう、それが火のルーンだ。忘れねぇ内にもう一度やってみろよ。」

「うん、ありがとうセタンタ。」

 

照れ臭いのかセタンタは鼻を鳴らしている。

 

そんな微笑ましい様子から場面をカレンの所に移そう。

 

「わーい。」

 

やや抑揚に欠けた喜びの声だが、カレンはマルタが喚んだタラスクの背に乗り空を飛んでいるのを楽しんでいる。

 

マルタはというと…。

 

「そこであたしは言ってやったのよ。見返り無しの施しを善意として受け止める人ばかりじゃない。だから奇跡で人を救うのも程々にしなさいってね。それをあの御人好しは『それも人の持つ原罪、私が背負うべき罪。マルタさん、心配してくれてありがとうございます。』って言ったのよ。あの時は本当に頭が痛くなったわ。」

 

ワイングラスを片手にそう愚痴っていた。

 

「ふむ、では何故に貴女は神の子から離れなかった?面倒が起きるのはわかっていたのだろう?」

 

綺礼の問い掛けにマルタはグラスを干してから答える。

 

「あの時代は冬になれば飢えて凍えるのが当たり前だったわ。今の時代とは違ってね。でもあの御人好しと一緒にいればそれを避けられる。それじゃ理由にならないかしら?」

「なるほど、そういう事にしておこう。」

 

綺礼の言葉にマルタはため息を吐く。

 

「あの御人好し並みの察しの良さね。それって生きにくくないの?」

「さてな。これが私だとしか言えん。」

 

そう言って酒を一口飲む綺礼の隣には五年前に再婚して妻となった、バゼット・フラガ・マクレミッツの姿がある。

 

夫婦共に執行者の役目があるので二人の間にまだ子供はいないが、バゼットの方はそろそろいいかと本気で考えているので、そう遠くない未来に二人の間に子供が出来るかもしれない。

 

決してカレンがバゼットを煽っているわけではない…と思いたい。

 

そんな二人からマルタは璃正へと目を移す。

 

「聖マルタなんて呼ばれているあたしがこんなので失望したかしら?」

「いいえ、貴女は正しく聖マルタです。」

「あたしはただの村娘だって言ってるのに…どうして皆そう言うのかしら?」

 

頬杖をつくマルタに璃正は笑みを浮かべる。

 

「貴女が神の子の行動を咎めたのも、神の子を心配しての事。皆が生きるのに必死だった時代に他者を思いやる事が出来た貴女は、正しく聖を冠するに相応しい御方です。」

「…そう。」

 

慈愛に満ちた璃正の言葉を耳にしながら、マルタは肴のチーズを摘まむ。

 

(イエスが彼を本気で祝福した理由がわかったわ。時代が違えば、彼も聖人と呼ばれていたかもしれないもの。だからあんたもはりきって見守っているのね。)

 

人の領域では認識出来ない様に姿を隠した見知った顔の上級天使と目が合うと、マルタはジト目を向ける。

 

(あいつから離れてると思ったらここにいたのね。ばれたらバチカンとかで大騒ぎになるんだから大人しくしてなさいよ?)

 

そう念話を送ると、上級天使はニコリと微笑みを返す。

 

(本当に大丈夫かしら?イエスと同じでこいつらもうっかりやらかすから心配だわ。)

 

これまでイエス達がやらかした数々のうっかりを思い返すと、マルタは大きくため息を吐いたのだった。




これで本日の投稿は終わりです。

実は苦労人なマルタさんでした。

また来週お会いしましょう。


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第291話

本日投稿1話目です。


英霊の宴が始まって数日、各陣営が思い思いに過ごしている中で王士郎は、冬木郊外にあるアインツベルンの城で、衛宮 切嗣の指導を受けている遡月 士郎の元を訪れていた。

 

「想定が甘い。火薬の一粒まで明確にイメージしろ。」

「あぁ、悪いけどもう一回手本を見せてくれないか?」

 

遡月 士郎の言葉に頷いて、王士郎は一瞬で一発の弾丸を投影して見せる。

 

「凄い…寸分の狂いも無い…。」

「私の様に剣や弓矢を投影するのならば最強のそれを想定すればいい。だが君の様に弾丸を投影するのならば、最強であってはならない。現代兵器に要求されるのは何よりも信頼性だ。何千何万と弾丸を投影しても、一発の不発も暴発もあってはならない。それが君の目指すべき境地だ。」

 

そう言うと王士郎は事を見守っていた衛宮 切嗣に弾丸を放る。

 

弾丸を受け取った切嗣は手早くハンドガンに込めると、それを的に試射した。

 

「少なくとも僕の感覚では、大量生産された工業製の弾丸と区別がつかないな。」

「『魔術師殺し』の異名を持つ貴方にそう言われるのは光栄だな。」

「皮肉かい?」

 

苦笑いをする切嗣に王士郎は首を横に振る。

 

「魔術師は現実主義者でありながら現代の利器を使う事に抵抗を持つ。それは神秘の薄れを防ぐ為でもあるのだが、それ以上に魔術が秘匿されている故の優越に浸っている部分が大きい。それを考えれば貴方は一流の戦士だ。」

「…誉め言葉として前向きに受け取っておくよ。」

 

好意的に接してくる王士郎に戸惑いながらも切嗣は笑みを返す。

 

「えっと、これでどうだ?」

「ふむ…まぁ、いいだろう。それを撃ってみるといい。」

 

遡月 士郎は自らが投影した弾丸を愛用のハンドガンに込めて射撃してみる。

 

「う~ん…まだ本物の弾とは感触が違うな。」

「兵器とは言ってしまえば敵を倒す物。だがそれに傾注し過ぎてはいけない。現代兵器は神代兵器の様に一部の天才が使用する事を想定して設計されてはいないのだからな。信頼性が優先されると認識しろ。」

「あぁ、わかった。」

 

その後、休憩に入りメイドのリズから飲み物を受け取った遡月 士郎は、喉を潤してから王士郎に話し掛ける。

 

「王士郎って四千年ぐらい前から生きてるんだよな?」

「あぁ、そうだ。」

「道士とか仙人って山に籠っているイメージだけど、なんでそんなに現代兵器とかに詳しいんだ?」

「大半の道士や仙人は君の言う通りに崑崙山に籠っている。だから君が持つそのイメージは間違いではない。」

 

そう言って苦笑いをした王士郎は、セラから受け取った飲み物を一口飲む。

 

「だが私は放浪の神とも言われる二郎真君の弟子でね。師の影響を受けたのか、他の道士や仙人と同じ様に籠っているのは性に合わんのさ。」

 

そう言いながら肩を竦めた王士郎に、遡月 士郎はプッと吹き出す。

 

「さて、君のもう一つの疑問だが、民主主義が中心の現代でも中華が王政を続けているのは知っているな?」

「あぁ。」

「民主主義を謳う過激派の中には中華の王の命を狙う者もいる。使われる兵器は総じて銃が多い。そして中華の王をそういった者から守る為に知識を蓄えていく内に詳しくなったというわけだ。」

 

遡月 士郎は納得した様に頷く。

 

「孫子の兵法ってところか?」

「言われてみればその通りだ。彼女が残した理論は尚…太公望も称賛していたよ。」

「もしかして会ったことがあるのか?」

「兵法家として名を残す前の彼女に会ったことがある。彼女には『貴方や二郎真君様の武功が私の考えを否定します。』と嘆かれてしまった。」

 

その言葉に遡月 士郎と切嗣は苦笑いをする。

 

そんな二人を見て王士郎はため息を吐く。

 

「やれやれ、私は老師程に理不尽な存在のつもりはないのだがな。」

「凡人の僕から見たらそう変わりはないけどね。」

「俺もそう思う。」

 

そんな会話をしていると不意に虚空に穴が開く。

 

そしてそこから霊獣に乗った一人の美しい女性が姿を現した。

 

「士郎、私に働かせておいて自分は優雅に休暇か?」

「私とて直ぐにでも戻りたかったのだがな。だが老師が主催する催しに招かれては参加せざるを得ないだろう?」

「ふふ、冗談だ。」

「わかっているさ。長い付き合いだからな。」

 

突如虚空から現れた女性と王士郎が会話をする間も、遡月 士郎は女性を呆然と見詰めていた。

 

「ん?その子が士郎の召喚者か?」

「いや、私の召喚者は別の所にいる。」

「そうか。」

 

女性は霊獣から下りると、遡月 士郎の元に歩み寄る。

 

「私は王貴人。王士郎の妻だ。よろしくな、少年。」

 

王貴人が微笑むと遡月 士郎は誰が見てもわかる程に顔を真っ赤に染める。

 

それを見たイリヤは不満を露に頬を膨らませた。

 

「むぅ~!!」

「大人の女性の色香に当てられてしまったのだろう。マスター、案ずる事はない。後数年もすれば貴女にも自然と身に付くものだ。」

 

アルケイデスの紳士的な助言を聞いてもイリヤの機嫌は直らない。

 

そして…。

 

「うん、決めたわ。」

 

彼女は何かを決意した。

 

「いつまでも凛に勝ち誇らせているわけにはいかないものね。リズ、美遊と相談するから連絡しておいて。あっ、ちょうどいいから桜とカレンも巻き込みましょ。」

 

色々と察したアルケイデスは小さくため息を吐く。

 

「マスター、それは淑女とは言えないのではないか?」

「あら、アルケイデスの時代では普通の事でしょう?」

 

違う、そうじゃないと思いながらも、彼女の言葉を否定出来ないアルケイデスは頭を抱える。

 

そしてまるでイリヤの決意を祝福するかの様に、虚空に御立派な神の高笑いが響いたのだった。




本日は3話投稿します。

次の投稿は9:00の予定です。


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第292話

本日投稿2話目です。


慎二がセタンタから一通りのルーン魔術を習い終わり、いよいよ英雄達が戦う時が来た。

 

この戦いにメディアを始めとした幾人かは参戦しないが、その戦いの行く末には興味を持っている様である。

 

冬木のアインツベルンの城の前に張られた結界の中でアルケイデスとジークフリートが睨み合う。

 

「よう、お前はどう予想する?」

 

セタンタの問い掛けに王士郎は少しの間を空けて答えた。

 

「まず間違いなくアルケイデスだろう。サーヴァントのままならばジークフリートにも勝ちの目があったのだろうが、老師の結界の中では生前と変わらぬ力を発揮出来る。如何にジークフリート程の英雄でも、あのアルケイデスを13回殺しきる事は生前の偉業を遥かに超える難事だ。」

「違いねぇ。だが、だからこそ面白いんじゃねぇか。」

 

不敵に笑うセタンタに王士郎は肩を竦める。

 

「流石はケルトの戦士といったところか。」

「ところでよ、お前はまだ生きてんだよな?」

「その通りだが、それを知ったところで戦いで手心を加える気は欠片もないのだろう?」

「まぁな。」

 

二人がそうやって話していると、アルケイデスとジークフリートの戦いが始まった。

 

一見すると互角に見える戦いだが、神話に謳われるアルケイデスの剛力で振るわれる斧剣を、ジークフリートが愛剣のバルムンクでなんとか凌いでいる状態である。

 

もしジークフリートが不死の肉体を持っていなければ、アルケイデスの攻撃の余波だけで身体が傷付いていただろう。

 

そんな戦いを見てセタンタは歯を剥き出して笑った。

 

「はっ、そうこなくっちゃな。」

 

だがジークフリートとて名を残す英雄である。

 

竜の因子により呼吸をするだけで魔力を産み出せる彼は、アルケイデスの攻撃を凌ぎながらもバルムンクに魔力を溜め続ける。

 

限界まで魔力が溜められたバルムンクは空気を震わせ、まるで哭いている様な音を響かせる。

 

このバルムンクの真名解放をまともに受ければ、アルケイデスとてただではすまないだろう。

 

ひりつく緊張感が場に満ちる。

 

だが二人の戦士は慣れ親しんだ空気を楽しむ様に剣を振るい続けた。

 

一合、二合、三合と必殺の意思が込められた一撃がぶつかり続ける。

 

そんな二人の戦いの形勢は少しずつアルケイデスに傾いていった。

 

体格差による間合いの違いが二人の戦いに僅かの差を作ってしまう。

 

その僅かの差さえあれば一流の戦士には十分なのだ。

 

そして遂にアルケイデスの一撃がジークフリートを捉えた。

 

アルケイデスの剛力による斧剣の一撃は、ジークフリートの不死の身体にさえ深い傷を負わせる。

 

だが彼の戦意は微塵も衰えなかった。

 

「『幻想大剣・天魔失墜(バルムンク)!』」

 

肉を斬らせて骨を断つ。

 

ジークフリートは満を持して真名解放をした。

 

極光がアルケイデスを襲う。

 

だがアルケイデスは手にする斧剣を万力を持って握り締める。

 

そして…。

 

「『射殺す百頭(ナインライブズ)!』」

 

九つの頭を持つ竜との戦いで身に付けた能力を元に編み出した剣撃で極光を迎え撃った。

 

己を飲み込まんとする極光を、アルケイデスは数多の剣撃で打ち払い続けていく。

 

その光景は正に神話の一部を切り取ったかの様に耳目を惹き付けた。

 

このままいけばアルケイデスは極光を打ち払っただろう。

 

だが…。

 

「『幻想大剣・天魔失墜(バルムンク)!』」

 

ジークフリートが更なる一撃を見舞った。

 

さしものアルケイデスも極光を打ち払い切れずに飲み込まれてしまう。

 

だがそこで終わってしまう程、人類史上でも指折りの大英雄は甘くない。

 

なんと、防ぎきれぬと瞬時に判断したアルケイデスは斧剣を盾として犠牲にし、斧剣が砕け散るまでの僅かな間に極光の中を駆け抜けてしまったのだ。

 

「オォォォオオオオオ!!!」

 

アルケイデスは賢者ケイローンより総合武術であるパンクラチオンを学んだ戦士である。

 

故に五体そのものが神獣をも屠る武器となるのだ。

 

ドゴンッ!

 

およそ拳が出したとは思えない衝撃がジークフリートの身体を貫く。

 

その一撃は不死の呪いをも超え、ジークフリートに致命傷を与えた。

 

「ぐっ…!」

 

致命傷を負っても立ち続けるジークフリートの姿は正に英雄と呼ぶに相応しいものだった。

 

「流石は神話に謳われる大英雄…お見事でした。」

 

大量に吐血したジークフリートの身体が少しずつ光の粒子に変わっていく。

 

そんな彼に極光で半身を焦がしたアルケイデスが言葉を贈る。

 

「ジークフリート、君も英雄の名に恥じぬ素晴らしい戦士だった。」

「…その言葉がなによりの手向けです。」

 

既に足が光の粒子に変わってしまったジークフリートは、己のマスターである遡月 士郎へと目を向ける。

 

「マスター、私を喚んでくれてありがとう。これで心置き無く旅立てる。」

「ジークフリート…カッコ良かったぞ!」

 

その一言にジークフリートは照れ臭そうに微笑むと、光の粒子となって消えたのだった。




次の投稿は11:00の予定です。


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第293話

本日投稿3話目です。


「アルケイデスさん、治癒魔術を掛けますね。」

 

ジークフリートとの戦いで傷付いたアルケイデスを桜が治療する。

 

「マスター、腕一本分は傷を残しておいて欲しい。この時代の知識を元に作成した薬の治験をしたいんだ。」

 

アスクピレオスの申し出に桜は苦笑いをする。

 

「えっと…。」

「お嬢さん、彼の言う通りにしてやってくれ。」

 

アルケイデスの言葉に桜が驚く。

 

「いいんですか?」

「医の事となると神にすら反発する猪突なところもあるが、その患者の事を思う心は本物だ。それに彼の医者としての腕は信用している。」

 

その言葉に微笑むと桜は腕一本を残してアルケイデスの治療を終えた。

 

「さぁ、始めよう。ふふふ…アルケイデスの身体で治験が出来るなんて最高だ。」

「…これがなければ信頼も出来るのだがな。」

 

そんな一幕を他所に、王士郎とセタンタが睨み合う。

 

「いいのか?弓を手に取るまで待ってやるぜ。」

「心遣いはありがたいが、妻が見ているのでな。少しばかり意地を張りたくなったのさ。」

 

そう言う王士郎は二本の短剣を手に佇んでいる。

 

「そうかよ…後悔するぜ!」

 

呪いの魔槍を手に、唐突にセタンタが仕掛けた。

 

常人には残像しか映らない高速の突きが王士郎を襲う。

 

だが王士郎はその突きを手にする短剣で弾いてみせた。

 

続けてセタンタは一息で十を楽に超える突きを上下に散らして放つ。

 

しかし王士郎はその尽くを防いでみせた。

 

飛び退いて間を作ったセタンタは称賛の声を上げる。

 

「へっ、やるじゃねぇか。」

「師との手合わせで数えきれぬ程に死にかけてな。そのおかげで身体が勝手に反応してくれる。」

「…お前もかよ。」

 

その言葉で色々と察した王士郎が遠くを見詰めると、セタンタも遠くを見詰めた。

 

二人の間に奇妙な友情が生まれた。

 

死線を超えた者だけがわかる男の友情だ。

 

微妙な空気の中で戦いを再開した二人を目に、イリヤは凛に問い掛ける。

 

「ねぇ、凛。まさか貴女も二郎真君様からそういう指導を受けてるの?」

「そんなわけないでしょ。私は優しく指導してもらってるわ。」

 

凛やアルトリアには優しく王士郎には厳しい指導をする二郎だが、これは王士郎が英雄になる事を望んだのが起因となっている。

 

二郎にとって英雄とはギルガメッシュである。

 

故に王士郎をその領域に成長させる為に、一見すると理不尽とも言えるレベルで指導をしているのだ。

 

そうとは知らないイリヤはどこか勝ち誇る様な凛を見て、不満を露に頬を膨らませる。

 

「む~…ふんっ!今に見てなさい。英霊の宴が終わったら私達もそっち側になるんだから。」

「私達もって…まさか桜とかも?」

「そうよ。私は凛と違って抜け駆けなんてしないもの。」

 

呆れる様にため息を吐いた凛はイリヤに問い掛ける。

 

「まぁ、いいわ。ところでどうやってあの堅物の慎二と士郎を誘惑するつもりなのかしら?」

「最初はメディアに手伝ってもらおうと思ってたのだけど、私達が相談してる時にマーラが来てね。力を貸してくれるって言ってくれたわ。」

「いや、それは流石にどうかと思うけど…。」

 

イリヤの言葉に凛は頭を抱え、話を聞いていたアルトリアは苦笑いをする。

 

「まぁ、本人達がそれでいいのなら良いのではないでしょうか?」

「それはそうなんだけどね…。」

「そういえば、切嗣が加護を貰ってるって聞いたバゼットが綺礼にもとか言ってたわね。」

「なにを考えてんのよあのダメットは!?誘惑の悪魔から加護を貰うなんて、教義的にダメに決まってんでしょ!」

 

執行者として戦いには優れているバゼットだが、プライベートでは色々と残念な女性である。

 

その為、時折こうして『ダメット』と呼ばれてしまう事もあるのだが、言峰家の嫁として彼女なりに努力は重ねているのだ。

 

その努力が実るのかどうかは神の子でも察する事は出来ないが…。

 

凛が盛大にため息を吐いているのを他所に、王士郎とセタンタの戦いは激しさを増していくのだった。




これで本日の投稿は終わりです。

また来週お会いしましょう。


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第294話

本日投稿1話目です。


突き、叩き、払いと息をつく暇もないセタンタの槍の猛攻を、王士郎は二本の短剣で捌きながら距離を詰めていく。

 

突きでの攻撃が難しい距離まで詰められたセタンタは、槍を手の中で回して石突で攻撃をする。

 

その攻撃を受け止めた王士郎はそこを支点として回転し更に一歩踏み込むと、地を強く踏み込み背中での体当たりを見舞った。

 

「ぐっ!?」

 

野性的な勘で咄嗟に飛び退いて衝撃を和らげたセタンタは、着地と同時に地を這うような低い姿勢で踏み込み、王士郎の足下に向けて刺突をする。

 

だが…。

 

「ゲイ!」

 

セタンタが放つ赤き槍の穂先は…。

 

「ボルク!」

 

因果を捻曲げ王士郎の心臓へと向かう。

 

しかし…。

 

それを察していたかの様に王士郎は二本の短剣を交差させ、セタンタの必殺の一撃を凌いでみせた。

 

一瞬驚きの表情を見せたセタンタだが、直ぐにその場を離れると口角を引き上げる。

 

「これも防ぐかよ。」

 

言葉とは裏腹に彼は強敵を前にして喜びの感情をみせる。

 

そんなセタンタの様子に王士郎は肩を竦めた。

 

「生憎と似たような一撃を経験していてな。もっとも、老師のそれは因果逆転の呪いではなく、技量のみでそれを成したものだったがね。」

「はっ、ますますゼンと戦ってみたくなったぜ。」

 

この会話を耳にしたアルケイデスは二郎への敬意を更に高める。

 

「流石は名高き放浪の神ゼン様だ。」

「それで諦めるどころか更に挑戦の意思を固める貴方も大概ね。アルケイデス、貴方本当に脳まで筋肉で出来ているんじゃない?」

 

メディアの皮肉にアスクピレオスが興味を示す。

 

「それは是非とも臨床して確かめなければいけない。さぁ、アルケイデス。医学の発展の為に協力を。」

「いくら不死だからといって、友人を実験台にしようとする貴方もどうかと思うわ。」

 

かつての仲間に頭を抱えるメディアの様子に幾人かが同情の視線を送る。

 

そんな事は他所にセタンタと王士郎の戦いは続いていく。

 

セタンタの攻撃を王士郎が受ける見慣れた光景だが、先程までとは違うところが一つある。

 

それはセタンタが繰り出す攻撃の軌跡がルーン文字を描き、これまでの攻防に加えてルーン魔術が使用される様になった事だ。

 

火のルーン等による一瞬の目眩ましが戦いの流れを僅かにセタンタの方に引き寄せる。

 

しかし王士郎は粘り強く凌いでいった。

 

「器用なものだ。槍での攻撃の軌跡でルーン文字を描くとはな。」

「そういうテメェも防いでんじゃねぇか!」

「これでも数千年の戦いの経験があるのでね。相応に戦えると自負している。」

 

戦いの最中で会話をしていたが、舌打ちを一つしてセタンタが飛び退く。

 

「みくびっていたつもりはねぇんだが、俺も平和呆けをしちまってたのかねぇ。」

 

頭を掻きながらセタンタがそう言葉を溢す。

 

コンラによる治世でかつてのケルトは一時の平和を実現していた。

 

その平和の中で生を全うしたが故のセタンタの嘆きだ。

 

「戦いに生きるのがケルトの戦士なのだろうが、コンラ王の成した事は王として正しいものだ。」

「わかってるさ。息子の偉業は俺の誇りだ。だけどよ、やっぱり戦いが俺を最も昂らせてくれる。こればかりはどうしようもねぇ俺の性さ。」

 

そう言って苦笑いをしながらも、セタンタは呪いの魔槍に魔力を注ぎ込んでいく。

 

「凌いでみな。俺の全力を!」

「受けて立とう。」

 

二本の短剣を消した王士郎は黒塗りの弓を手に取り一本の矢をつがえる。

 

それを目にしたセタンタは獰猛な笑みを浮かべた。

 

「いくぜ!」

 

助走をしてセタンタは高く飛び上がった。

 

「ゲイ!」

 

そして背を大きく後ろに反らし…。

 

「ボルク!」

 

満身の力を込めて槍を投げ放った。

 

その一投に対して王士郎は…。

 

「一を持って万と成す!」

 

弓を引き絞り渾身の力で…。

 

「『天弓』!」

 

万の兵をほふる力を一つに集束させた一矢を放った。

 

呪いの魔槍が敵の心臓を喰らおうと暴れ狂い、天弓の一矢が敵を射抜こうとしてせめぎあう。

 

一秒が数分にも感じる程の濃いせめぎあいもやがて終わりを向かえる。

 

なんと呪いの魔槍と天弓の一矢の双方が砕け散ったのだ。

 

それを目にしたセタンタは心底楽しそうに笑い声を上げる。

 

「ハッハッハッハッ!あー負けだ負けだ!」

 

ドカッと地に腰を下ろしたセタンタからは既に戦意を感じない。

 

言葉通りに負けを認めたのだ。

 

「いいのかね?」

「テメェ相手に槍無しじゃあ分が悪すぎだ。」

「そうか。」

「あぁ、だからこの首、好きにしな。」

 

トントンと手刀でセタンタは己の首を叩く。

 

「ならば君に残された時間、現世に残って見届けて貰おうか。」

「そいつはありがてぇがいいのかよ?後で俺に背から討たれるかもしれねぇぜ?」

「構わんよ。もしそれで討たれるのならば、私もその程度の戦士だったという事だ。」

 

セタンタはまた楽しそうに笑い声を上げる。

 

「ハッハッハッ!完全に負けたぜ!ここまでハッキリ負けたのは初めてだ!」

 

地に腰を下ろしているセタンタに王士郎は手を差し出す。

 

その手を取り立ち上がったセタンタはニッと笑みを浮かべた。

 

「改めて名乗るぜ。俺はセタンタだ。」

「私は王士郎。気軽に士郎と呼んでくれ。」

 

「おう!士郎、アルケイデスに負けんなよ。負けたら師に何をされるかわかったもんじゃねぇからな。」

「心得ているさ。私とてまたあの地獄の様な修行を味わいたいわけじゃない。」

 

こうして戦いは終わり、二人は時代を越えて友となったのだった。




本日は3話投稿します。

次の投稿は9:00の予定です。


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第295話

本日投稿2話目です。


王士郎とアルケイデスの戦いは後日に持ち越される事になった。

 

これは双方が万全の状態での戦いを観たいという少年少女達が願ったからだ。

 

故に戦いは一時の終わりを迎え、戦士達を労う為に宴が開かれた。

 

「セタンタ、なんで森を使って奇襲を仕掛けたりしなかったんだ?」

 

マスターである慎二の問いにセタンタは酒で喉を潤してから答える。

 

「奇襲をするにも幾つか条件があるのさ。士郎相手にはその条件が揃わなかったってとこだな。」

「条件って?」

「先ずは自分で考えてみな。それが成長する為の秘訣だぜ。」

 

慎二が考え込みだしたところで、王士郎が料理を手にセタンタの元を訪れる。

 

「肴程度の物だが、よかったらどうだ?」

「おっ、ありがてぇ。」

 

さっそくとばかりに摘まむと、セタンタは舌鼓を打つ。

 

「うめぇ!」

「口に合った様でなによりだ。」

「食って思い出したけどよ、士郎は料理の逸話もあったんだよな。」

 

セタンタの言葉に王士郎は内心で冷や汗を流す。

 

(老師が歴史の変化に影響を与えている事ばかりを考えていたが、今思えば私もしっかりと影響を与えているではないか…。味噌と醤油の為とはいえ、完全に無意識だった。)

 

うっかり歴史を変えてしまっていた己に気付き、王士郎は内心で頭を抱える。

 

だが元日本人であった彼が味噌と醤油を求めたのは仕方ない事であろう。

 

多くの日本人にとって味噌と醤油は魂に根付いた調味料なのだから。

 

「マスター、いつまでも考えてないでお前も食ってみろよ。美味いぜ。」

「あぁ…本当に美味しい。」

 

その一口で主夫としてのスイッチが入った慎二は王士郎に問い掛ける。

 

「これのレシピを教えてくれないか?」

「ふむ…もう一品作るつもりだが、一緒にくるかね?」

 

勢いよく首を縦に振った慎二は王士郎と共にキッチンへと向かうのだった。

 

 

 

 

王士郎と慎二がキッチンへと向かう後ろ姿を王貴人が微笑みながら見送る。

 

その微笑みは美の女神すら嫉妬しかねない程に美しいものだ。

 

それに見惚れてしまった遡月 士郎の脇腹は婚約者二人に両サイドからつねられてしまっている。

 

「ねぇ王貴人、伝説で謳われる幻術をちょっと見せてくれない?」

 

凛の問い掛けに王貴人は琵琶を鳴らして応える。

 

すると冬木のアインツベルンの城を囲む森の木々全てが花咲き乱れる桃の木へと変わった。

 

「流石は伝説に残る幻術使いね。目の前で見てなかったらこれが幻術だと認識出来なかったと思うわ。」

「ふふ、妲己姉様の幻術はもっと凄かったぞ。」

 

舞い落ちる花弁の一片を手に取ったメディアが、王貴人の幻術の凄さに唸る。

 

「楽器の一鳴らしで対象の五感に共鳴、そして幻術を見せる。言葉にすればそれだけなのだけど、あの一瞬で匂いや触感まで完璧に再現してみせた腕前には脱帽ね。」

「メディアは出来る?」

 

美遊の問い掛けにメディアは首を横に振る。

 

「それなりに準備をすれば再現出来るけれど、なにも準備無しにこのレベルは無理ね。せいぜい魔術師ではない一般人を騙すのが精一杯よ。」

「美遊嬢、メディアが言う一般人は私達の時代が基準だ。おそらく現代の者ならば、相応の魔術師でも幻術に堕とす事が出来るだろう。」

「アルケイデス、私に常識がない様に言うのは止めてちょうだい。」

 

心外だとメディアは抗議するが、現代に生きる者達からすればメディアも大概なのである。

 

果たして彼女は現代で女性としての幸せを掴む事が出来るのだろうか…?

 

「ねぇ王貴人、妲己ってどんな人だったの?」

 

凛の問い掛けに王貴人は首を傾げる。

 

「二郎真君様やアルトリアから聞いていないのか?」

「聞いているわ。でも、義妹の貴女から見た妲己の事も聞いておきたいのよ。二郎の正妻の座を勝ち取る為にね。」

 

ウインクをしながらそう言う凛を目にして王貴人はクスクスと笑う。

 

「なら、アルトリアには悪いが話そう。妲己姉様は他者をからかうのが好きな人で…。」

 

こうして宴は進み王士郎とアルケイデスは英気を養っていく。

 

そして後日、ついに中華とギリシャが誇る大英雄の戦いが始まるのだった。




次の投稿は11:00の予定です。


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第296話

本日投稿3話目です。


二郎の手により結界が張られたアインツベルンの城前の広場で、アルケイデスと王士郎が対峙する。

 

アルケイデスは右腰に並みの男なら大剣となる程の長剣を帯び、左腰には空に見える矢筒を帯び、そして背中には長大な弓を背負っている。

 

これら全ては二郎に貸し与えられた物であり、並みの宝貝(パオペエ)とは比べものにならない程の神秘を内包していた。

 

剣と弓には不壊の概念が付与されているので、アルケイデスの膂力を十全に発揮出来るだろう。

 

更に矢筒は二郎が所有する蔵に繋がっており、そこから二郎謹製の一級品の矢をほぼ無尽蔵に使う事が出来る。

 

流石にヒュドラの毒を塗った矢は無いが、魔力が続く限り矢を投影出来る王士郎を相手に十全に弓矢で応戦出来るのは、これからの戦いで十分に大きなメリットになるだろう。

 

対する王士郎は己が身体一つでアルケイデスの前に立っている。

 

様々な武器を投影する事であらゆる状況に対応が可能な王士郎は、健全な状態であればそれで十分なのだ。

 

陽炎の様に空気が歪んで見える濃密な戦意の中で睨み合っていた二人は、まるで示し合わせたかの様に同時に動き出した。

 

先ずは両者共に弓を手に戦い始めた。

 

剛脚を持って縦横無尽に駆け回りながら弓を射るアルケイデスに対して、王士郎は瞬動を駆使して緩急をつけて動きながら弓を射っていく。

 

その光景を見てセタンタが感嘆の声を上げた。

 

「やるねぇ。」

「そうね、正直に言ってアルケイデスと互角に渡り合えるなんて驚いたわ。」

「凛嬢ちゃんにはそう見えてんのか。」

 

セタンタの言葉に凛は眉尻を上げる。

 

「なによ、違うの?」

「弓の腕前なら士郎が上だぜ。アルケイデスが矢を放った瞬間に軌道を読んで、その矢に向けて矢を放ってるからな。」

 

セタンタの言葉に遡月 士郎が目を見開く様にして戦いに魅入る。

 

銃と弓の違いはあれども射手としての極致がそこにあるからだ。

 

「ねぇ二郎、貴方はあれを出来る?」

「出来るかどうかで言えば出来るよ。ただ、矢を手に取らなければならない俺に対して士郎は手に直接矢を投影出来るからね。その分は士郎の方が上かな。」

「正に神業ってわけね。」

 

凛が感心している中で戦局が動いた。

 

不意に王士郎が一本の矢を天に向けて放ったのだ。

 

そしておよそ一分後、縦横無尽に駆け回っていたアルケイデスの頭部を天から降ってきた一本の矢が貫いた。

 

「…嘘でしょ?」

「士郎の弓の腕前は知っていたつもりでしたが、私は過小評価をしていたみたいですね。」

 

凛がそう呟くのに続いて、アルトリアが驚きの声を上げる。

 

一度目の死を迎えて復活が始まったアルケイデスの様子を、イリヤが食い入る様にして見詰める。

 

「さぁイリヤ、アルケイデスの不死がどんなものか…わかったかしら?」

 

ユスティーツァの問い掛けに、イリヤは顎に指を当てて首を傾げながら答える。

 

「う~ん…『再生』というよりは『復元』って感じに見えたわ。」

「…正解!よく見てたわね。偉いわ。」

 

弟子の成長を喜んだユスティーツァはイリヤの頭を撫で回す。

 

その様子を横目に凛は二郎に問いかける。

 

「ねぇ二郎、アルケイデスの不死の正体って何?イリヤは復元って答えてたけど…?」

「アルケイデスの不死は『魂の固定化』だよ。」

「魂の固定化?」

 

首を傾げる凛と同じ様に幾人かが疑問の表情を浮かべる。

 

「魂の情報を『世界』、もしくは『星』に書き記す事だね。そうする事で有事に情報を引き出し、その情報を元に存在を『復元』するのさ。」

「…もしかして髪の毛一本残さずに消滅しても復活するって事?」

「あぁ、そうだよ。」

「なんてインチキ!」

 

両手で頭を抱えて叫ぶ凛の言葉に幾人かが同意する。

 

「でも同時に不利益もあるのさ。」

「不利益?」

「魂の固定化に伴う不利益…それは技術的成長はしても身体的成長は一切しなくなる事さ。たとえどんな鍛練や戦いを経験したとしてもね。」

 

二郎の言葉に凛は首を傾げる。

 

「たしかにデメリットかもしれないけど、でもアルケイデス程の身体能力があれば問題無いんじゃないかしら?」

「凛はアルケイデスを過小評価しているみたいだね。」

「どういう事?」

 

疑問の声を上げた凛に二郎が微笑みながら答える。

 

「魂の固定化が成されなければアルケイデスはもっと成長していたよ。それこそ大神ゼウスを素手で殴り殺せるぐらいにはね。」

 

驚愕のあまり口を大きく開けてしまった凛をはしたないと窘めるのは無理だろう。

 

それほどにアルケイデスが生まれ持った才能は飛び抜けていたのだから。

 

「なるほどね、ようやく謎が解けたわ。」

「メディア、謎って何?」

「あの下半神がアルケイデスに不死を与えた理由よ。」

 

美遊の問い掛けにメディアが答える。

 

「マスター、アルケイデスが試練に挑んだ理由はわかるかしら?」

「奥さんと子供を自分の手で殺しちゃったからだよね?」

「そうよ。でも、そもそもの原因はあの下半神の嫉妬深い妻のせいなの。なのに試練を与える?自作自演もいいところだわ。」

「えっと、だからお詫びとして不死を与えたんじゃないの?いきなり不死を与えたら世間体もあっただろうし…。」

 

美遊の言葉をメディアは鼻で笑う。

 

「そんな恥を感じる殊勝な心、あの下半神には欠片も無いわ。」

 

そう断言するメディアに現代に生きる者達は苦笑いをするが、同時代を生きたアスクピレオスは何度も頷いて同意する。

 

このメディアの言葉やアスクピレオスの反応は至極当然だろう。

 

なにせ面白おかしく引っ掻き回しておいて飽きたら放置。

 

そして死んだら、『天に召し上げてやったんだから従え』と言われるのだ。

 

こんな事をされればギリシャの神々に対して信仰心はおろか、信用や信頼が欠片も残る筈がない。

 

正に自業自得である。

 

「話を戻すわね。ゼンの言う通りにアルケイデスが成長する可能性を知ったあの下半神は、自身の脅威になりかねないアルケイデスの成長を止める為に不死を与えたの。アルケイデスの懺悔の心を利用してね。まぁその果てにはアルケイデスの手で殺されたのだけど、正に因果応報よね。」

 

そう言って心底可笑しそうに笑うメディアを責める者はいない。

 

彼女がギリシャの神々に振り回されてドン底にまで堕ちた事を皆が知っているからだ。

 

そんなメディアの笑い声が響く中で復活を遂げたアルケイデスが戦い方を変える。

 

弓で牽制をしながら距離を詰めて近接戦に持ち込もうと駆け出したのだ。

 

そうはさせぬと王士郎は動き回りながら矢の弾幕を張り、アルケイデスを止めようとする。

 

だがアルケイデスは命のストックを消費してでも接近を試みる。

 

その圧力は計り知れないものがあった。

 

そして3つの命を消費して接近に成功したアルケイデスは、腰に帯びた剣に手を掛けたのだった。




これで本日の投稿は終わりです。

先日、十数年連れ添った家猫が亡くなってしまいました。

心の整理をつける為に来週の投稿はお休みさせていただきます。


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第297話

本日投稿1話目です。


「ぐっ!?」

 

愛剣の干将を握る王士郎の左腕が、アルケイデスに斬り飛ばされて宙を舞う。

 

「ここまでだな。負けを認めろ、王士郎。」

 

油断なく見据えるアルケイデスの目線の先には、片膝をつく王士郎の姿がある。

 

左腕を失い、脇腹を蹴り砕かれ、右足には一本の矢が突き刺さっている。

 

更に全身に細かい傷を負っている彼の姿は、正に満身創痍と言えるだろう。

 

しかしその代償として、アルケイデスの命は残り七つとなっていた。

 

だが満身創痍の王士郎相手ならば十分と言えるだろう。

 

故にアルケイデスは負けを認める事を促したのだが、王士郎は不敵な笑みを浮かべる。

 

「生憎だがそれは出来ない。何故なら漸く勝利の条件が整ったのだからな。」

 

衰えぬ戦意をその目に宿したまま王士郎が言の葉を紡ぐ。

 

『身体は剣で出来ている』

 

やけに通る声で言の葉が紡がれていく。

 

『血潮は鉄で、心は鋼』

 

『幾万の戦いを越えて不敗』

 

『剣の丘にて勝利に酔う』

 

アルケイデスの直感が警鐘を鳴らす。

 

生前でも感じた事がない大きな危険を報せる為に。

 

地を踏み砕いて踏み込んだアルケイデスが、無防備な王士郎を斬り捨てる。

 

だが王士郎はまるで陽炎の様に姿を消した。

 

幻術の達人である王貴人と数千年を共にした王士郎も、一流の戦士を惑わす幻術を使う技量を持っているのだ。

 

『一つの答えと一人の理解を得て、灰色の生涯に意味を持つ』

 

アルケイデスが振り返ると、遠くに王士郎の姿があった。

 

『故に血塗られた道を行く事に迷いなく』

 

即座に弓を手にとって、アルケイデスは渾身の一矢を放つ。

 

だが七つの花弁が盾となってその一矢を防ぐ。

 

『誰が為に勝利し続ける』

 

矢の勢いは衰えず花弁が一枚ずつ散っていく。

 

しかし王士郎は花弁の盾を信じて言の葉を紡ぎ続ける。

 

『その身体はきっと、剣で出来ていた』

 

膨大な魔力が王士郎から溢れ出す。

 

そして…。

 

『無限ノ剣製』

 

最後の一節が紡がれると、世界が塗り変わったのだった。

 

 

 

 

「これって…固有結界?」

 

驚きの声を上げる凛の視界には桃の花が咲き乱れる中で、無数の剣がまるで墓標の様に突き立つ光景が広がっている。

 

「綺麗…。」

 

そんな光景を桜や美遊達が異口同音に感動の声を上げる。

 

だが…。

 

「こいつは目の毒だな。」

 

そうセタンタが切って捨てた。

 

「セタンタ?」

「慎二、英雄に憧れるなとは言わねぇ。けどよ、今を絶対に忘れんな。多くの奴等が飢えず凍えずに生きられる豊かな今をな。もしそいつを忘れて突っ走れば、夢に溺れて溺死…野垂れ死ぬだけだぜ。」

 

セタンタの言葉に少年少女達が唾を飲む。

 

「戦乱と平和を知る貴方だからこその言葉ね。らしくないけど。」

「ほっとけ。」

 

からかってくるメディアにセタンタは鼻を鳴らす。

 

そんな様子を尻目に戦況は動き出す。

 

「さて、御覧の通りにこれから君が挑むのは無限の剣…万の兵をも屠る剣戟の極致だ。」

 

王士郎の言葉にアルケイデスは口角を引き上げる。

 

そして…。

 

「望むところだ。」

 

滾る戦意を持って応えた。

 

「ならば、臆せずして掛かってこい!」

 

王士郎の意思に従って、無数に突き立つ剣が雨となってアルケイデスに降り注ぐ。

 

アルケイデスは降り注ぐ剣雨を、剣で弾き、拳で砕いて抗う。

 

だが如何にアルケイデスといえども無数に降り注ぐ剣雨の全てを防ぎ切れる筈もなく、幾本もの剣が身体に突き立って絶命してしまう。

 

一つ、また一つとアルケイデスの命が失われていく光景に、少年少女は王士郎の逆転勝利を幻視した。

 

だが…。

 

「間に合うかしら?」

 

メディアが一言呟いた。

 

固有結界は『世界』を塗り替え、術者に有利な状況を強制的に造り出す強力なものだ。

 

だがその代償として『世界』の修正力に抗う為に膨大な魔力を必要とする。

 

これらの事を賢者の弟子であるアルケイデスは、おそらく知っているのだろう。

 

彼の動きが敵を打倒するものから、耐え忍ぶものに変わっていた。

 

メディアはチラリと王貴人に目を向ける。

 

彼女は決して目を逸らさずに見守っていた。

 

「待っている女がいるのに、なんで意地を張るのかしら。」

「惚れた女が見てるからに決まってんだろ。」

 

そう言うセタンタにメディアは呆れた様にため息を吐く。

 

「少しは待つ女の気持ちを考えたらどうなの?」

「生憎、俺達戦士はこういう生き方しか出来ねぇのさ。」

「なら私は戦士じゃない人を夫にするわ。堅実で誠実な人を夫にね。」

 

皆が見守る中で戦いは続いていく。

 

そして遂にアルケイデスの命も残り一つとなった。

 

だが塗り替わっていた『世界』が急速に元に戻っていく。

 

固有結界を維持出来ない程に、王士郎の魔力が消耗してしまったのだ。

 

「オォォォォオオオ!」

 

この好機を逃さぬとアルケイデスが仕掛けた。

 

万事休す。

 

見守っていた多くの者がそう思ったその時、不意にアルケイデスの動きが止まる。

 

なんと彼の背中に干将が突き刺さったのだ。

 

「干将・莫耶は夫婦剣。互いに引き合う性質を持つ。」

 

そう語る王士郎の右手には、干将の対となる莫耶が握られていた。

 

そして…。

 

『壊れた幻想』

 

王士郎が紡いだ言の葉に従い干将は内包していた神秘を爆発させ、アルケイデスの最後の命を刈り取ったのだった。




本日は3話投稿します。

次の投稿は9:00の予定です。


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最終話

本日投稿2話目です。


「見事だ。」

 

干将の爆発で胸に大きな穴が空いたアルケイデスが、傷の深さを感じさせない爽やかな笑みで称賛の声を上げる。

 

その称賛を受けて王士郎は肩を竦める。

 

「君がヒュドラの毒を塗った矢を一本でも持っていたら、私に勝ち目はなかった。」

「私は自らの意思で君との戦いに挑んだ。ならば如何な条件であろうと、負けた私が君より弱かっただけの事だ。」

 

アルケイデスの言葉に王士郎は困った様に苦笑いをする。

 

「侮辱に感じたのならば謝罪しよう。」

「いや、君が私を強敵だったと感じてくれた故の言葉なのだ。ならば謝罪の必要はない。」

 

その堂々たる振る舞いに、王士郎は英雄としての格の違いを感じた。

 

(正に英雄だな。私も相応に自負していたつもりだったが…。)

 

内心で自嘲していた王士郎の耳に王貴人の声が届く。

 

「士郎。」

 

王貴人は手にしていた竹の水筒の蓋を開ける。

 

すると辺りは芳醇な香りに包まれた。

 

「さぁ王士郎よ、勝利の美酒を口にするがいい。」

 

アルケイデスに促され、王士郎は神酒を飲む。

 

すると失われた左腕も含めて、全ての傷が瞬く間に癒えた。

 

「君との戦いを誇りに思う。」

 

胸に空いた傷から光の粒子が溢れているが、アルケイデスは堂々たる歩みでイリヤの元に向かう。

 

「イリヤ嬢、召還してくれた事に感謝する。今一度、戦士の誇りを感じる事が出来た。」

 

その言葉にイリヤはニッコリと微笑む。

 

「どういたしまして。」

 

微笑みを返したアルケイデスはメディアに目を向ける。

 

「メディア、今度こそ幸せになってくれ。」

「言われなくても幸せになるわ。女神が嫉妬する程にね。」

「そうか。ならば女神が嫉妬に狂った時には任せてもらおう。」

 

クスリと笑ったアルケイデスは少年少女達へと目を向ける。

 

「君達の道行きに幸多からん事を!さらばだ!」

 

こうしてアルケイデスは少年少女達に多くの感動を残し、『座』へと還ったのだった。

 

 

 

 

英霊の宴も最終日を迎え、現世に残らない者が還る時がやって来た。

 

「あれだけ現代医療に興味を持っていたのに還るのね?」

「医療現場で死者が出たら、僕は間違いなく蘇生させてしまう。そうしたら社会が混乱するだろう?」

「そうね、隠蔽魔術の一つでもつかえれば少しは話が違うのでしょうけど、それでも限界があるわ。ゼンの様に国が協力していれば別だけれど、貴方にはそんな後ろ楯はないものね。」

 

既に現代にて転生をしたメディアが、アスクピレオスと別れの会話をしている。

 

一方では王士郎がセタンタと会話をしていた。

 

「やはり君も異世界への転生を選んだか。」

「あれだけの戦いを見せられたら血が騒いで当然だろ。まぁ、一度還って息子達に一言ぐらい言うけどな。」

 

そんな会話をしている一方で、受肉をしたマルタの前で立川からやって来たイエスが目を白くしていた。

 

「えっと…マルタさん?一言言って貰えたら一緒に降臨したんですけど?」

「弟子がついてこない様に逃げ回っていたのは誰だったかしら?」

「あっ、はい…すみません。」

 

降臨ではなく受肉。

 

しかもイエスと縁深い聖マルタがだ。

 

もしバチカンに伝われば、目も当てられない大騒ぎになる事は必至だ。

 

それを察したシッダールタがイエスの肩を優しく叩く。

 

「イエス、とりあえず君の父さんに相談に行ったら?」

「うん、そうしよう。」

 

それぞれの話し合いも終わり、いよいよ英霊が還る時が来る。

 

「じゃあな!縁があればまた会おうぜ!」

 

快活なセタンタの言葉を機に、彼とアスクピレオスは『座』へと帰還したのだった。

 

 

 

 

英霊の宴から一年が過ぎ、凛、遡月 士郎、慎二、イリヤ、カレンは高校を卒業する。

 

それは同時に凛が二郎とアルトリアと共に、異世界へと旅立つ時でもあった。

 

両親や友人達などの縁深い者達が、彼女達を見送る為に集まっている。

 

「桜、遠坂家を任せたわよ。一人とは言わずに慎二の子をバンバン産んじゃいなさい。」

「それは慎二さんと相談しながらかな。」

 

顔を赤らめながらも強く否定しない辺り、桜も満更ではなさそうである。

 

凛が両親や友人達と別れの挨拶をしている一方で、二郎とアルトリアも別れの挨拶をしている。

 

「士郎、留守の間は任せたよ。」

「正直に言って老師の代わりは荷が重い。だが王貴人と共になんとかしてみせるさ。」

 

「アルトリア、生まれ変わった妲己姉様と会えたら伝えてくれ。私は士郎と幸せに生きていると。」

「はい、必ず伝えます。」

 

それぞれが別れの挨拶を終えると、凛が宝石剣で虚空に穴を開ける。

 

いよいよ異世界への旅立ちの時がやって来た。

 

時臣や切嗣といった二郎に救われた者達が、深々と頭を下げて感謝の念を捧げている。

 

それにつられる様にシッダールタとイエスも後光が出る程に祈るが、それを慣れているマルタが止める。

 

慎二や桜達も目頭を熱くさせながら見送る。

 

「それじゃ、行ってくるよ。」

 

こうして二郎達は異世界へと旅立った。

 

彼等がどういった世界へと辿り着くのかは誰にもわからない。

 

だが、きっと多くの者が悲劇から救われるだろう。

 

この世界で救われた多くの者達と同じ様に…。




これで本編は完結です。

本日11:00にzero編とstay night編の登場人物紹介を投稿して、拙作の投稿全てが完了となります。

1年半に渡り拙作にお付き合いくださりありがとうございました。


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zero編とstay night編の主な登場人物紹介

抜けている人物がいない事を祈る。


zero編とstay night編の主な登場人物紹介

 

 

[遠坂陣営]

 

 

・遠坂 時臣

 

遠坂家の当主。

 

第四次聖杯戦争においてギルガメッシュを召還した事で運命が激変した人物。

 

ギルガメッシュを通じて二郎に気に入られた事で、遠坂家の繁栄が確約されると同時に、不老となって独力で夢を果たす機会を得た。

 

本編終了後には夢に向かって研鑽の日々を送ったりと充実して過ごしている。

 

 

・遠坂 葵

 

時臣の奥さん。

 

拙作では原作と違ってかなり魔術と関わっている。

 

 

・遠坂 凛

 

時臣と葵の娘。遠坂姉妹の姉の方。

 

桜と共に救われると二郎に一目惚れ。

 

そして恋する乙女として一念発起。

 

その努力が実を結び、十代で第二魔法に至り魔法使いとなり、無事に二郎の恋人となる事が出来た。

 

 

・遠坂 桜

 

時臣と葵の娘。遠坂姉妹の妹の方。

 

ギルガメッシュに救われた事で原作と違い蟲に集られていない。

 

おかげで心身ともに健やかに育ち、学生諸兄の御立派様を御立派にさせる程の美少女へと成長した。

 

また魔術師としては治癒魔術に秀でており、その腕前は当代随一。

 

しかし起源の虚数は苦手としており、影を荷物入れ程度にしか活用出来ない。

 

本編後は慎二の第一夫人となり幸せに暮らしている。

 

 

[アインツベルン陣営]

 

 

・衛宮 切嗣

 

原作と違ってランスロットを召還した事で運命が激変。

 

奥さん公認でハーレムを作ったりとすけこましぶりに拍車がかかっている。

 

本編には登場していないが、イリヤには五人の弟妹が出来ている。

 

 

・アイリスフィール

 

切嗣の正妻にして第一夫人。

 

ランスロット等と関わって色々と吹っ切れた結果、切嗣を尻に敷く強かな女性へと成長した。

 

 

・舞弥

 

切嗣の元愛人で第二夫人。

 

本編には登場していないが哮天犬のおかげで生き別れの子供と再会を果たしている。

 

 

・イリヤスフィール

 

切嗣とアイリスフィールの娘。

 

二郎が第四次聖杯戦争に関わった結果、原作と違って聖杯として身体を変えられていない。

 

本編終了から一年後には第三魔法に至り魔法使いとなる。

 

 

・セラ

 

アインツベルンに仕えるメイドさん。

 

何がとは言わないが控え目な方。

 

本編終了後にイリヤの勧めで遡月 士郎の第三夫人の座に収まる。

 

 

・リズ

 

アインツベルンに仕えるメイドさん。

 

何がとは言わないが豊かな方。

 

本編終了後にセラと同じくイリヤの勧めで遡月 士郎の第四夫人となる。

 

 

・藤村 大河

 

タイガー。

 

zero編終了後に切嗣の元に押し掛けて第三夫人となる。

 

幼少時から魔術の世界に浸かっていた少年少女達に、一般常識を教える常識人(?)

 

本編終了後には切嗣との間に子宝を授かった。

 

 

[言峰陣営]

 

 

・言峰 綺礼

 

愉悦神父。

 

拙作では二郎の影響でその愉悦の矛先を悪人にだけ向ける様になった。

 

家族仲も良好になり、後妻を迎えたりと充実した人生を満喫している。

 

 

・言峰 璃正

 

綺礼の父。

 

神の子に祝福されたりして半ば聖人化してしまっているが、本人は気付いていない。

 

 

・カレン

 

綺礼の娘。

 

幼少時に二郎に体質改善された結果、原作よりもマイルドな性格に。

 

胃袋をつかまれて慎二の押し掛け婚約者となる。

 

第一夫人の座は桜に譲ったが、慎二や桜をからかって夫婦生活を楽しんでいる。

 

 

・バゼット

 

通称ダメットさん。

 

戦闘以外は残念な彼女だが、zero編終了後には綺礼の後妻に収まった。

 

本編終了後には懐妊し、その事をカレー好きな同僚に惚気成分特盛で報告している。

 

その後、何故か戦争になりかけて首を傾げる辺りはやはりダメットさんである。

 

 

[間桐陣営]

 

 

・間桐 雁夜

 

初恋を拗らせて人妻スキーに変貌した紳士。

 

未亡人だった遡月 美守と結婚して身を固める。

 

本編には登場していないが士郎と美遊に妹が一人出来ている。

 

 

・間桐 慎二

 

雁夜の甥っ子。

 

原作と違ってひねくれていない。

 

魔術師となって魔術を研究する道を選ぶ。

 

高校卒業後は渡英し、ロード・エルメロイに弟子入りした。

 

 

・遡月 美守

 

遡月 美遊の実母で遡月 士郎の義母。

 

拙作オリジナルキャラ。

 

人妻スキーの夫に苦労しているが、惚れてしまった弱みとして受け入れている。

 

 

・遡月 士郎

 

原作stay nightの主人公。

 

拙作では衛宮になっていない。

 

拙作の設定として遡月家に養子入りしている。

 

幼少時に苛酷な経験をしていないので男性らしい英雄願望はあるものの、原作の様な強迫観念は無い。

 

それに伴いブラウニー化しておらず、健全(?)な学生生活を送れた。

 

 

・遡月 美遊

 

遡月 士郎の義妹。

 

義兄大好きな妹。

 

天然聖杯体質だったが、二郎の指導もあって能力を制御出来る様に成長。

 

聖人の様に無意識で発動してしまう程に強力ではないが、それなりに奇跡を起こせる。

 

本編終了後は高校を卒業してから義兄を追って渡英。

 

正式に義兄のお嫁さんとなって幸せに暮らしている。

 

 

 

・間桐 臓硯

 

蟲爺。

 

故人。

 

綺礼の愉悦に使われ絶望の中で死んだ。

 

 

[ウェイバー陣営]

 

・ウェイバー

 

原作zeroのヒロイン(?)

 

イスカンダルの生き様に感動したが、原作の様に口汚くなっていない。

 

数少ない常識人枠。

 

 

[雨龍陣営]

 

雨龍 龍之介。

 

故人。

 

救いようの無い悪と認識された結果、二郎にあっさりと殺された。

 

だが破滅願望が満たされ満足の中で逝った。

 

 

[召還された英雄達]

 

 

・ランスロット

 

円卓の騎士の一人。

 

第四次聖杯戦争にて切嗣にセイバーとして召還される。

 

召還直後の第一声で人妻のアイリスフィールを口説く紳士だが、現代では最優の騎士として名を残す英雄である。

 

ケルト神話に名を残すディルムッドに勝利してアヴァロンに凱旋するが、待っていたのは嫁と子供達による説教だった。

 

 

・ディルムッド

 

ケルト神話に登場する英雄。

 

第四次聖杯戦争にて二郎にランサーとして召還される。

 

二槍という本来とは違う戦闘スタイルでランスロットと互角渡り合ったものの、最後には敗れてしまった。

 

 

・イスカンダル

 

拙作世界では史上で最も広大な土地を支配した征服王。

 

第四次聖杯戦争にてウェイバーにライダーとして召還される。

 

威風堂々たる英雄の生き様を見せたが、ギルガメッシュの圧倒的な力の前に敗れる。

 

作者の妄想では銀○英雄伝説の世界に転生し、宇宙の覇者となっている。

 

 

・李書文

 

中華の歴史に名を残す拳法家。

 

第四次聖杯戦争にて綺礼にアサシンとして召還される。

 

二郎との手合わせに満足して桃源郷に還った。

 

 

・青髭

 

ジル・ド・レェ。

 

第四次聖杯戦争にて龍之介にキャスターとして召還される。

 

ジャンヌ・ダルクを崇拝している人物。

 

狂っていたがジャンヌと再会した事で軍人の誇りを取り戻し、満足して座へと還った。

 

 

・ベイリン

 

元円卓の騎士。

 

第四次聖杯戦争にて雁夜にバーサーカーとして召還される。

 

強欲の騎士の異名を持つ。

 

ランスロットとの戦いでは一時互角に渡り合うが、理性が無いのが響いて敗れ去る。

 

蛇足だが何故か読者諸兄にあっさりと真名を看破された。

 

解せぬ…。

 

 

・ギルガメッシュ

 

最古の英雄にして史上最高の賢王。

 

第四次聖杯戦争にて時臣によりアーチャーとして召還される。

 

召還直後に桜を蟲爺から救ったりと、どこかの武神を彷彿とさせるフリーダムさを発揮。

 

その後も完全に観光気分で二郎と現世を楽しんだりと、聖杯戦争とはなんだったのかとツッコミを入れたくなる我様だが、生前からだいたいこんな感じだったので仕方ない。

 

だがイスカンダルとの戦いでは圧倒的勝利を収め、人類最高峰の英雄の姿を見せ付けた。

 

 

・エルキドゥ

 

ギルガメッシュの妻。

 

第四次聖杯戦争にて二郎に召還される。

 

現世を楽しみ、夫の勇姿を見れてご満悦。

 

詳細は古代ウルク編を参照。

 

 

・ジークフリード

 

竜殺しの英雄。

 

英霊の宴にて遡月 士郎にセイバーとして召還される。

 

アルケイデス相手に奮闘したが完敗。

 

しかし全力を尽くして満足した彼は、思い残す事なく異世界へと転生した。

 

作者の妄想ではどこかの剣と魔法のファンタジー世界で、勇者よりも強い戦士として活躍している。

 

 

・アスクピレオス

 

ギリシャ神話に登場する死者をも蘇らせる伝説の医者。

 

英霊の宴にて桜にキャスターとして召還される。

 

桜に自身の知識を教える代わりに現代医療を学ぶ。

 

神秘に頼らない現代医療に感動して、一時は現世に残ろうかと考えたが自重。

 

英霊の宴終了と共に座へと還った。

 

 

・メディア

 

ギリシャ神話に登場するコルキスの王女。

 

英霊の宴にて美遊にキャスターとして召還される。

 

裏切りの魔女の異名を持つ彼女だが、実は女性としての幸せを求める乙女である。

 

神代の魔術を教える見返りとして現代に転生。

 

本編終了後はアインツベルンの伝手でウェイバーと出会い交際を開始。

 

ロード・エルメロイなどに根回しをして外堀を埋めつつも、恋する乙女として幸せな日々を満喫している。

 

 

・マルタ

 

聖マルタ。

 

英霊の宴にてカレンに召還される。

 

生前から神の子の奇跡に振り回されてる苦労人。

 

竜を殴り倒して従える武闘派でもある。

 

英霊の宴後は受肉して立川の某アパートに移住。

 

立川移住後に街に出ると、モデルやアイドルに何度もスカウトされて困る彼女だが、何だかんだと現代日本を満喫している。

 

 

・セタンタ

 

ケルト神話の大英雄。

 

英霊の宴にて慎二にキャスターとして召還される筈が、本人の意思でランサーとしてやって来た。

 

慎二にルーン魔術を教えた後に王士郎と戦う。

 

敗れはしたものの、古の英雄としての力を見せた。

 

英霊の宴後は異世界に転生。

 

作者の妄想では槍の勇者となって盾の勇者の友になっていたりする。

 

非常に多芸な英雄なのでどの世界に行っても活躍するだろう。

 

 

・アルケイデス

 

ギリシャ神話の大英雄。

 

英霊の宴にてイリヤにセイバーとして召還される。

 

数千年の研鑽と戦いの経験を持つ王士郎を、ハンデ有りで後一歩まで追い詰めた公式チート。

 

彼を引ければ貴方の陣営はさぞ潤う事でしょう。

 

まだカードに残高は残っています。

 

どうぞ夢を追い掛けてください。

 

我々はその姿を心から応援する者です。

 

さぁ、存分にガチャを回してください。

 

 

・王士郎

 

原作の英霊エミヤだった人。

 

色々とあって拙作世界では中華の大英雄の王士郎となっている。

 

色々が気になる方は古代ウルク編後半から封神演義編にかけて読んでください。

 

…読んでください!

 

英霊の宴にて凛にアーチャーとして力技で召還される。

 

セタンタとアルケイデスに勝利するなど、指折りの英雄に成長している。

 

それでもハンデ無しだと、アルケイデスやギルガメッシュには勝てない。

 

王士郎が弱いんやない…あの二人がチート過ぎるんや!

 

 

[その他登場人物]

 

 

・二郎

 

道教の武神である二郎真君。

 

拙作の主人公。

 

神らしく気の向くままに行動する理不尽の権化である。

 

 

・アルトリア

 

腹ペコ王もといアーサー王だった美少女。

 

色々とあって二郎の恋人になっている。

 

気になる方は古代ブリテン編をどうぞ。

 

マーリンざまぁフォーウ!

 

 

・王貴人

 

王士郎の妻。

 

詳細は封神演義編で。

 

 

・美綴 綾子

 

凛の友人。

 

凛に二郎を恋人と紹介されて完全敗北。

 

本編中に描写は無いが、藤村 大河とバゼットに弟子入りして慎二の第三夫人の座を狙っている。

 

 

・ケイネス

 

愛妻のソラウを溺愛する紳士。

 

第四次聖杯戦争が終わってウェイバーが帰ってくると、彼に講義を任せて家族サービスをする事がしばしば。

 

公私共に充実した日々を送っている。

 

 

・ソラウ

 

ケイネスの愛妻。

 

原作と違ってディルムッドに恋していない。

 

夫と円満な家庭を築いて幸せに暮らしている。

 

 

・ジャンヌ

 

聖女ジャンヌ・ダルク。

 

第四次聖杯戦争にて神の子に喚ばれて降臨。

 

ジル・ド・レェを改心させた後は、第四次聖杯戦争が終わるまで現世を満喫。

 

その影響なのか、本編終了後はマルタの所に間借りして現世で暮らしている。

 

マルタと同様によくモデルやアイドルの勧誘を受けるが、現世での暮らしを楽しんでいる。

 

 

・シッダールタ

 

立川在住の覚者。

 

後光がさす度にマルタにツッコミを入れられる。

 

乗り物に乗ろうとするとカンタカが嫉妬するのが悩み。

 

どこか世界線の様に締め切りに追われず平和に暮らしている。

 

 

・イエス

 

立川在住の聖人。

 

マルタに顔を洗えと言われると、聖痕から血を流して新たな聖遺物を産み出している。

 

ジャンヌが現世で暮らし始めると、他の弟子達が来ない様に説得するために一時的に天界に還った。

 

 

・マーラ

 

皆大好き御立派様。

 

冬木と立川によく現れる。

 

その影響なのか日本で少子化改善の兆しあり。

 

流石は御立派様!




これで拙作の投稿完了でございます。

最後までお読みいただきありがとうございました。


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