イビルアイが仮面を外すとき (朔乱)
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第一章 エ・ランテルにて
1: ラナー、蒼の薔薇に依頼をする


時系列的には、原作12巻終了して少したったくらいからのスタートです。


「はぁ……ももんさまぁ……」

 

 王都にある蒼の薔薇御用達の宿屋にあるほぼ自室と化している部屋の中で、机に肘をついた恋する乙女は大きくため息をついていた。

 

「あの聖王国の連中がどうなるかは知ったことではないが、やっぱりエ・ランテルまでは一緒に行ってモモン様のご無事だけでも確かめたかった……」

「だから、それはダメだってことになっていたでしょう?」

 

 イビルアイの苦悶する姿を横目に、その反対側に腰をかけて優雅に紅茶を飲みながらラキュースは冷たく答える。

 

「そうそう。今はまだその時期じゃない」

「イビルアイ、完全に恋に盲目」

 

 部屋の隅に座り込んで、武具の手入れをしているティアとティナもそれに同調する。

 

「全く情けないなぁ。まあ、あのモモンって漢は、俺だって頂きたい気分にはなったけどな」

 そういって、イビルアイの隣の席に腰掛けているガガーランが豪快に笑う。

 

「くそぅ。皆、からかうのはやめてくれ……他人事だと思って……」

 力無くそう呟くと、イビルアイが机に完全に突っ伏した。

 

 その様子は傍で見ている分には非常に微笑ましく、他の四人は心の中でイビルアイの恋をそっと応援する。口には決して出さないが。

 

 聖王国からの使節団である聖騎士団の代表と蒼の薔薇が王都で話し合いを行ってから既に一ヶ月半が過ぎていた。その後彼らがどうなったのかは知らないが、少なくともエ・ランテルで魔導王との交渉は終了し今はもう聖王国に戻っている頃合いだろう。

 

 魔皇ヤルダバオトは確かに人類、いや世界全体の敵に違いない。しかし、それに手を貸せるだけの余力のある国は、恐らく現在は魔導国をおいて他にはない。評議国は通常こういうことには口を挟むことはないし、法国も最近特殊部隊である六色聖典に芳しくない噂が立っている。

 

 だから、魔導国で断られれば、聖王国は恐らく単独でヤルダバオトと戦わねばならなくなるはずだ。そうなればのんびり諸国を放浪する暇などあるわけもなく、大人しく国に戻って少しでも防備を高めるのが彼らの仕事というものだろう。

 

「確かに、一度は私達も魔導国に行って状況を確認しなくてはならないとは思う。だけど、今の王国から離れるのも正直心配なのよね。ラナーのこともあるし……」

 

 ラキュースもティーカップを片手に、そっとため息をついた。

 

 今の王国は、大悪魔ヤルダバオトに襲われ、その後の魔導国・帝国との戦いに破れ、第一王子は戦いのさなかに行方不明、多くの国民のみならず、国の中心的役割を担っていた貴族たち、そして、国民の希望でもあったガゼフ・ストロノーフも喪い、完全に国の屋台骨が傾いた状態になっている。

 

 しかも、そんな状態だというのに国の覇権を狙う派閥闘争はやむことはない。敗戦で王は完全にその求心力を失ってしまっている。

 

 しかもそれだけではない。帝国と長く続いていた戦争によって多くの物資も、それを作り出すべき人的資源もじわじわと削り取られてきた王国には、既に価値があるといえるほどのものはない。残っているのは、取るに足りない僅かな滓だけなのだ。

 

 このまま行けば、王国は近いうちにどう足掻いても抜け出すことのできない飢餓と貧困に襲われるだろう。そしてその先に待っているのは……。

 

 ラキュースは、迫りくる地獄絵図から目をそらし、権力ごっこを続けている貴族連中に心の中で悪態をつく。

 

「私達は王国の冒険者。冒険者は国の政治には関わらないのがルールだけど、だからといって祖国である王国を見捨てるわけにはいかないわ」

 

「そりゃそうだよなぁ。俺もそう思うぜ」

「たまには正しいことをいう。鬼リーダーなのに」

「鬼にも一分の魂があるって聞いたことある。確認できてよかった」

 

 ガガーラン達もラキュースの意見に賛同する。

 

「あまり褒められてる気がしないんだけど……」

 

 わざとらしい仕草で肩をすくめながら、いつもの双子の軽口にラキュースは気分が多少軽くなったのか、笑顔を見せた。

 

「そのうち、きっと会えるわよ、イビルアイ。モモンさんならきっとどんな場所でも大丈夫に違いないわ」

「ああ……、それもそうだな……」

 

 ラキュースのその言葉でイビルアイも少し気を取り直したのか、ようやく机から身体を起こす。

 

「さて、そろそろ王宮に行きましょうか。ラナーと約束している時間だわ。」

 

 四人は頷いて立ち上がった。

 

----

 

 蒼の薔薇が王宮のラナーの元を訪ねるのは二週間ぶりだった。

 

 これまでは、事あるごとにラナーからの依頼を受けることが多く、これほど長く声がかからないことは逆に珍しかったのだが、ラナーはラナーで自分が設立した孤児院をまめに訪問して孤児たちの世話をしたり、今やほぼ王位を継ぐことが確定している第二王子に陰ながら力を貸したりで、これまでよりも忙しいながらも充実した日々を送っているようだ。

 

 もちろん、その傍らには彼女がこよなく愛する忠実なクライムが常に寄り添っている。最下層出身の彼が王女のすぐ側に侍ることについては、これまで散々影で言われていたが、今の王国にはそのような些事に口を出す余力のあるものはいないようだ。

 

「お久しぶりですね、ラキュース。それから、蒼の薔薇の皆様」

「お久しぶり、ラナー。随分いきいきしているように見えるわね」

「そう見えますか? 今は上のお兄様が行方不明になってしまったせいか、私にもやらなければいけないことがいろいろできてしまって」

 そう話すラナーは、これまでよりもずっと楽しそうに見える。

 

 ラナーは蒼の薔薇の面々に椅子を勧めると、手ずから紅茶を注ぐ。

 

「クライムもそこに座ってください」

「え、いや、私が座るわけには……いえ、わかりました。では、失礼いたします……」

 

「なんだ、相変わらず尻に敷かれてるのか、童貞」

 ガガーランがクライムの肩を勢い良く叩く。

 

「そ、その呼び方は……いえ、なんでもないです……」

 

 もはや諦めきった顔でクライムは黙った。さすがにラナーの前でこの話を続けるのは憚られたのだろう。他の面々はその様子を見てくすくすと笑う。

 

「ふん、そこまでにしておいてやれ。それほど時間に余裕があるわけでもないんだろう?」

 その様子を見かねたのかイビルアイが口を挟む。

 

「そうね、本題に入りましょう、ラナー。なにか重大な情報が手に入ったとか?」

 

「ええ、そうなんですよ。とある筋から極秘で入った情報なんですが……」

 そういうと、ラナーは悪戯っぽい表情をして声を潜めると、さらっと話す。

 

「魔導王陛下が崩御されたそうです」

 

----

 

 

 あまりの衝撃に一瞬場が静まり返り、ガガーランとラキュースは思わず椅子から立ち上がる。

 数々の修羅場を掻い潜ってきた蒼の薔薇ですら、それはあまりにも想像を絶する内容だったのだ。

 

「はぁ? なんだそりゃ?」

「そ、そうね、ラナー。よく聞こえなかった気がするわ。もう一度話してもらえるかしら?」

 

「あら、そんなに難しいことをお話したつもりはなかったのですけれど……」

 ラナーが無邪気に笑う様子が、いっそこの話がラナーの軽い冗談だったのではないかと思わせるが、正直そんな生易しい話ではない。

 

「ですから……魔導王陛下が崩御されたそうですよ。なんでも苦境に陥った聖王国に陛下御自身がお力添えをされていたのだそうですが、その際の戦闘でお亡くなりになられたとか……」

 ラナーはただの天候の挨拶でもしているかのような軽い口ぶりで話をしつつ、自分の紅茶に砂糖をいれゆっくりとかき回している。

 

「……う、嘘だろ!? あの化物が死ぬなんて、そんなことがあるのか!?」

 ショックで呆然としていた様子のイビルアイも、思わず椅子を倒す勢いで立ち上がる。

 

「全くだ。正直信じられないねぇ。」

 

「魔導王はアンデッドだから、最初から死んでる」

「死体をいくら刺しても、所詮死体」

 青ざめた表情のティアとティナの冗談にも、いつもの切れが感じられない。

 

「ラナー、その情報は、本当に間違いないの?」

 ラキュースは真剣な顔でラナーに問いただす。

 

「ええ、私の個人的なルートから得た情報ですが、間違いではないようですよ。もっとも魔導王陛下は既に復活されていらして、今は喪われたお力を取り戻すためにエ・ランテルではなく、本来のご居城に戻られてご療養されているそうですが……」

 ラナーはそういって薄く笑うと、紅茶を口に含んだ。

 

「はぁ、なんだ、そういうことか……。全く驚かせやがって……」

 さすがのガガーランも緊張していた力が抜けたのか、どっかりと椅子に座り込む。

 

「確かに、復活魔法があるのだから、当然だわね。あの魔導国で、それが出来ないはずなんてないでしょうし……」

 ラキュースもそんな単純なことに思い至らなかった自分に呆れたかのように、小さくため息をついた。

 

「うふふ。思った通り、皆さんをびっくりさせることが出来ました」

 

 ラナーは悪戯が成功した少女のような笑顔を見せる。

 

 さすがにそんな表情を見せられては、蒼の薔薇も毒気を抜かれざるを得ない。まあ、魔導王でも死ぬということがわかったのは確かに非常に重要な情報だ。しかも、聖王国に自ら助力をしていたということは、魔導王を斃した相手はかの大悪魔ヤルダバオトであるのはほぼ間違いないだろう。

 

「魔皇ヤルダバオトか……。やはり、王都で討ち漏らしたのがまずかったか?」

 ガガーランがボソリと呟く。

 

「いえ、あのときは王都から敗走させただけでも上出来だったと思います。あれ以上戦っていれば、恐らく王都は完全に焦土と化していたことでしょう」

 珍しくラナーが真面目な顔をしている。

 

「それもそうね……。あのとき、私達は既に限界だった。モモンさんがヤルダバオトを抑えてくださっていたから持ちこたえられたけれど、あれ以上戦闘が長引いていたら、モモンさんもただでは済まなかったかもしれない」

 

「そ、そんな! モモン様なら、きっとヤルダバオトを完膚なきまでに滅ぼしてくださったに違いない!!」

 

「まあまあ、イビルアイ落ち着けよ。いかに凄い奴だといっても漆黒のモモンだって人間なんだ。奴だって状況が悪化すれば、もしものことがあってもおかしくないんだぞ?」

 

「そ、それは……確かに……そうなんだが……」

 イビルアイはバツが悪そうな顔をして黙り込んだ。

 

「ところで、ラナー。この話を単に教えてくれるためだけに私達を呼んだんじゃないわよね?」

 ラキュースは、二人のやり取りを眺めつつ、ラナーに問いかける。

 

「ええ、そうなんです。これまでは、先日の王都での戦いで復活されたガガーランさん達の体力が回復していないということもあって、魔導国に関してはあまり深入りせずに、様子見をしていました。王国は、正直、魔導国と友好関係にあるとは言い難いですし。でも、今回の一件は、魔導国に人を送るのにちょうど良い口実になると思いませんか? ですので、現在の魔導国の状況を、蒼の薔薇の皆さんで詳しく調査してきて欲しいんです」

 

「それは、エ・ランテルへ行くということか!?」

「おい、イビルアイ、ちょっと落ち着け!」

 

「その通りです。本当なら、今回のような場合、王国の正規の使者として、兄か私が魔導国に赴き、魔導王陛下宛のお見舞いの品をお贈りするのが筋でしょう。しかし、正直いって、今の王国にはそのような体力はありませんし、王国の国民感情の問題もあります」

 

「それはそうでしょうね……。では、その代わりに私達を、ということかしら?」

 

「はい。王国からの非公式の使者として、蒼の薔薇の皆さんを派遣することで、双方の体面を保ちつつ、魔導国の実態を知るのが目的です。それで、僅かではありますが、私個人の名前で心ばかりの品と魔導王陛下宛の親書を用意しました。これを魔導国の宰相であるアルベド様に届けてほしいのです」

 

 そういうと、ラナーは鍵のかかった引き出しから美しい意匠の小さな箱と、ラナーの封印が押された手紙を机の上に置く。

 

「これは父や兄にも既に同意をとってありますので、安心してくださいね。あと、少しですけど報酬もお出しします」

 

「なるほど。アルベド様というと、以前魔導国から王国に使者としていらした方よね? 私は直接お会いしてはいないけれど、非常に美しい女性だとか?」

 

「そうですね。私は何度かお話させていただきましたが、とてもお美しくてお優しい方です。きっと皆さんにも快くお会いくださると思います」

 ラナーは無邪気な笑顔で答えた。

 

「わかりました。それなら問題は特になさそうね。どう? 皆には異論はある?」

 ラキュースは他のメンバーの顔を見回す。

 

「いいと思う」

「同じく」

「あぁ、任せてくれ」

「も、もも、もちろん、行くに決まっているだろう!!」

 

「全員賛成ね。では、この件は蒼の薔薇でお引き受けします。こちらは大切にお預かりしていきますね」

 ラキュースはそれらを丁寧に布で包むと慎重に懐にしまい込む。

 

「皆さんなら問題ないと思いますが、どうかお気をつけていってらしてください」

 ラナーはにこやかに微笑んだ。

 

 

 




gomaneko 様、水戸咏様、十五夜@様、誤字報告ありがとうございました。


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2: 蒼の薔薇、魔導国を訪問する

 ロ・レンテ城でのラナーとの会談から戻ってきた蒼の薔薇は、宿屋で早速荷造りをし魔導国に向かうことにした。

 

 真の目的は魔導国の現状調査であるとはいえ、建前上は王国の使者として向かうのだから、魔導国に多少思うところがあったとしても決して失礼があってはならない。ラキュースは気を引き締め宰相アルベドとの謁見も考慮し、いつもの装備も念入りに手入れをする。

 

 そして、後ろから聞こえてくる奇妙な鼻歌を耳にし、少し顔をしかめた。

 

(……イビルアイ、本当に連れて行って大丈夫なのかしら?)

 

 他のメンバーもそう思っているのだろう。微妙に生暖かい目でイビルアイをちらちらと見ている。

 

「〜〜♪♪」

 

 そんな仲間の様子に気づくこともなく、イビルアイは半分呆けたような表情で、どうみても今回の依頼とは関係のなさそうな派手な服を広げてみたり、どこで手に入れたのかわからないような怪しげな形状の瓶を取り出して眺めたり、かと思うと急ににへらと笑って歌いだしたり、正直どうみてもまともな状態には見えない。いつも冷静にパーティーをサポートしてくれる蒼の薔薇が誇る頼もしい魔法詠唱者としての面影はどこにもなかった。

 

 そう。イビルアイは完全に浮かれていた。

 

 ようやく、愛するモモン様に正式に会いに行く口実が出来たのだ。

 

 これまでイビルアイはエ・ランテル行きを他のメンバーに何度となく打診し、説得しようと試みていた。蒼の薔薇全員が難しいならせめて自分ひとりだけでも、と。自分は転移魔法が使えるし、一度転移先の確保さえすれば、あとの行き来はイビルアイ一人だけならあっという間にできる。それなのに、ラキュースも他のメンバーも頑として頭を縦に振らなかった。

 

 だが、ラナーからの依頼とあらば話は別だ。いつもは腹が立つこともあるラナーだが、今回ばかりは救世主のようにも見える。

 

(今、魔導王はエ・ランテルにはいないらしいし、モモン様を魔導王の支配から解放する絶好のチャンスじゃないか?)

 

 イビルアイは、愛するモモンを恐ろしい魔導王の魔の手から必死に救出する自分の姿を思い浮かべ、さらにモモンがイビルアイに跪いて感謝のキスをし、結婚を申し込むところまで幻視する。

 

(あああ、モモンさまぁ……、結婚なんて、まだ早すぎますぅ!)

 

 しかも、非公式とは言え宰相に会いに行くということは、もしかしたら、謁見の場にモモンもいるかもしれない。そうでなくても、魔導国の調査中に何らかの形でモモンに出会える可能性は非常に高いだろう。

 

「あぁ、モモン様に最後にお会いしてから一体何ヶ月経ったんだろう? まさかと思うが、私のことを覚えていなかったり……いや、そんなことはない! あれだけ印象的な出会いをしたんだ! 私達はまさに吟遊詩人が詠うところの運命の恋人なのだ!」

 

 一人で盛り上がっているイビルアイに、残りの蒼の薔薇のメンバーはため息をつく。

 

「だめね、あれは」

「完全に舞い上がってる。ふわふわ宙に浮いてる。十メートルくらい」

「ガガーランが頭を叩けば正気に戻るかも?」

「いや、無理だな。まぁ、ずっと我慢してたんだから仕方ないのかもしれんが……」

 

「……ともかく、今回は、イビルアイはなるべく戦力に数えない方がいいかもしれないわね」

 諦めたようなラキュースの言葉に、残りの三人は深く頷いた。

 

---

 

 王都リ・エスティーゼで魔導国に行く馬車を探すが、現在、王国と魔導国の関係は冷え込んでおり、エ・ランテルに向かう馬車は極少数の商人の荷馬車しか見つからなかった。そのため、蒼の薔薇はやむをえず自前で馬車を用立てると、一路エ・ランテルに向かった。

 

 街道沿いに馬車を走らせ王国領を抜けるが、途中の街や村はかなり荒廃した雰囲気があり、人々は疲れ切った顔をしている。恐らくこの冬を越すのが精一杯だったのだろう。むしろ、もっと大規模な飢饉が起きても不思議ではなかったことを考えると、無事に春を迎えることが出来ただけ幸運だったとも言える。

 

(来年は一体どうなるのかしら? ラナーはきっと何か考えていると思うんだけど……)

 

 ラキュースは馬車の窓から外を眺めつつ、王国の暗い未来を想う。

 

 しかも、王国沿いの街道の治安の悪さといったら、以前よりも明らかに悪化しており、蒼の薔薇の馬車も王国領を抜けるまでに数回野盗や魔物の群れに襲われた。もちろん、そんな連中は蒼の薔薇の敵ではなく全て返り討ちにしたものの、本来街道の治安維持をしているはずの貴族の力がそれだけ弱まっているということでもあるのだろう。

 

 正直、無能な貴族たちだったとはいえ、まだ前のほうがマシだったなんて思う日が来ようとは。本来は、魔導国の調査が目的だったはずなのにも関わらず、むしろ王国の現状調査までしている気分になってくる。

 

 やがて王国領を抜け、王国と魔導国の緩衝地帯を経過すると、急に街道が整備され雰囲気が明るくなったように感じる。エ・ランテルまでの道中はこれまでも経験がある慣れた道ではあるが、この様子だと、エ・ランテル自体も既に王国の領土であった頃とは大きく様変わりしているだろうことが予想される。

 

「こりゃすげえな。確かに魔導国は王国よりも遥かに財力があるのは間違いねぇんだろうな」

「そうね。貴族なんかもいないらしいから、政策に余計な横やりが入ることも少ないでしょうし」

 

 ため息混じりのラキュースのそのセリフで、馬車の中では思わず失笑が漏れる。

 

 しばらく行くと、前方に見慣れたエ・ランテルの城壁が見えてくるが、その前にこれまではなかった巨大な二つの像が鎮座しているのがわかる。

 

「ちょっとあれみろよ。エ・ランテルの城壁前になんてものを置いてやがるんだ!?」

「魔導王……の像……なのよね、多分」

 

「でかい」

「でかすぎ」

「なんというか、自意識過剰なのか? 魔導王は……」

 

 魔導国の国境を越えて以来、魔物や盗賊などに襲われることも全く無く、油断しているつもりではなかったけれども、蒼の薔薇の一行はちょっとした観光気分になりつつあった。

 

「しかし、あんな悍ましい像を入り口に飾るなんて趣味が悪いな」

「国民に対する脅しなのかもしれない」

 

「あれで国民が平和に暮らしてるなんてありえない。冗談にも程がある。」 

「でも、平和に暮らしてるというのは本当らしいわよ?」

 

 そんな話をしているうちに、蒼の薔薇の馬車はエ・ランテルの門までたどり着いた。

 

 そこには入国しようとしている商人たちと思しき馬車や、冒険者らしい格好をした者たちが並んでおり、門番らしき人物と多少会話をすると都市の中に入っていく。門番はどうやら普通の人間のようで、ほっとため息をつく。

 

「ようこそ、魔導国都市エ・ランテルへ。ここに来るのは初めてですか?」

 

「ええ、魔導国になってからは初めてです」

 ラキュースが代表して答える。

 

「そうですか。初めて訪れる方については、都市に入る前に講習を受けていただくことになっているのですが、それは構わないでしょうか?」

 

「講習? って一体何の講習だ?」

 ガガーランが口を挟む。

 

「魔導国には他の国とは違う決まりごと等がありまして、都市内ではそれを守って頂く必要があります。そのため、それを事前にご説明するためのものです。いらした方が例えどのような方であっても、この講習を受けずに都市の内部に入ることは出来ません。どうされますか?」

 

「それなら、もちろん受けさせて頂きます」

「仕方ないね」

 

「そうですか。それではこちらへどうぞ」

 門番は一行を通路の奥にある扉の前へと案内した。

 

 その扉を開けると、そこには、恐ろしい巨大なアンデッドの兵士が立っていた……。

 

 

----

 

 

 それほど長い時間ではなかったが、蒼の薔薇にとってはまさに悪夢のような講習が終わると、無事にエ・ランテルへの通行許可が下りた。

 

 講習で見聞きしたものはどれも蒼の薔薇の常識を覆すようなものばかりで、ほとんど精神攻撃に近いものを連続で受けた気分になる。げっそりと疲れ切って部屋から出てきた五人は馬車ごと門を抜け、エ・ランテルの居住区域に足を踏み入れる。そして、以前来たときとは全く違う街の様子に目を見張った。

 

 人通りは以前のほうが若干多かったかもしれないが、特にそれほど気になるほどの差は感じられない。それに、もっとアンデッドや亜人が跳梁跋扈しているかと思っていたが、思いの外人間が多い。道路もまだ完全ではないが、主だった部分はかなり舗装されており、今もその工事が人間や亜人、そしてその指示に従うスケルトンによって行われているようだ。

 

 先程の講習でいきなり現れたデス・ナイトに度肝を抜かれた五人だったが、そのデス・ナイトが普通に警吏として道を歩いており、街の人々もそれを全く気にしていない様子に呆然とする。

 

「なんだよ? あんな凶悪なアンデッドがうろついてるってのに、誰も気にもとめないって……。はぁ、こういうのも、確かに平和といわれれば平和なのか……?」

 呆れたようにガガーランが唸る。

 

 道の端の方では子どもたちが笑いながら走っていくのが見える。

 

「そうだな……。少なくとも、この都市の中というよりも、この国の中では平和、ということなのかもしれない」

 イビルアイは半信半疑ながらも、それは認めなくてはならないと思う。

 

「ドラゴン注意っていってた」

「フロストジャイアントもいるらしい」

 

「魔導王は凄腕の魔法詠唱者だとは聞いていたが、本当に信じられないレベルの力の持ち主だな。ドラゴンを従えられるとか、この目で見なければ信じられなかった……。かの十三英雄よりも強いかもしれないな」

 

 蒼の薔薇はとんでもないところに来てしまったと、心の底から思う。

 

「さてと……。いつまでも考えていても仕方ないわ。本当なら、本来の目的を優先すべきかもしれないけど、今日はもう宿をとって休まない? 場所は以前使っていた黄金の輝き亭でいいわよね?」

 興味深そうに街を見回していた面々に、ラキュースが提案する。

 

「それがいい。さすがに今日は疲れた。」

「右に同じ」

 

「えぇ? 私はちょっとモモン様に……」

 

「イビルアイ、それは明日でいいでしょ?」

「うぅ……」

「ほら、行くぞ!」

 

 一人で何処かに飛び出していきそうな様子のイビルアイの襟首をガガーランがガッシリと掴むと、一行は昔なじみの宿へと向かった。

 

 黄金の輝き亭は以前と全く変わらない様子で、蒼の薔薇の一行を迎え入れてくれた。やはり、馴染み深い場所が残っているのは心が和む。

 

 ほんの少しだけ安堵して、美しい落ち着いた部屋の中で、思い思いに旅の疲れを癒やすのだった。

 

 

----

 

 

 翌日、エ・ランテルで魔導王が居城として使用しているという旧都市長の館に赴き、宰相アルベドへの謁見を申し込む。

 

 さすがに数日は待たされるかと思いきや、王国からの非公式の使者で、尚且つアダマンタイト級冒険者である蒼の薔薇ということもあり、宰相アルベドとの謁見の約束は比較的すぐに取り付けることが出来た。

 

 この旧都市長の館は蒼の薔薇にとっても馴染みの場所であり、以前エ・ランテルを治めていた都市長の堅実な人柄を反映してか、実直であまり華美な部分など無く、王城としてはかなり地味で格調や優雅さなどとはかなり縁遠い雰囲気の場所である。

 

 正直そのような場所を、あの強大な力を持つアンデッドの王がほぼそのままの形で使用していたとは思っていなかった蒼の薔薇は、微妙な気持ちで案内してくれるメイドに従って館の中を歩く。

 

 目の前にいるメイドはごく普通の人間のようで、所作はそれなりに整っているものの、噂に聞く魔導王のお抱えの美女揃いのメイドの話とは少し異なっているように感じる。もしかしたら、この都市の人間を雇っているのかもしれない。

 

 案内された部屋に入ると、そこはやはり簡素ではあるが玉座の間らしく設えてあり、黄金に輝く見事な玉座の後ろには、見たことのない非常に凝った織りで作られている美しい魔導国の旗が掲げられている。そして、現在は空席の玉座の左後方に漆黒の鎧を纏った男性、そして玉座の右側に、宰相アルベドと思しき女性が立っていた。

 

「ようこそお出でくださいました。王国からいらした使者の方々を魔導国は歓迎いたします。私が宰相のアルベドです」

 

 それはまさに絶世の美女という言葉がふさわしい女性で、尚且つ聖母のような慈愛に満ちた笑顔でこちらを見つめている。ただ、美しいが人間ではない証拠に、頭には曲がった角が生え、腰の周りには黒い羽のようなもので覆われている。しかし、それはどちらかといえば彼女の美貌を損なうどころか、より引き立てる装飾品であるかのように見えた。

 

 玉座の後ろに控えている漆黒の鎧の男性は、特に挨拶をすることもなく静かにこちらを見ているようだ。

 

 蒼の薔薇は、一瞬どうすべきか戸惑ったもののすぐに意を決し、玉座の前に進み出て跪くと、ラキュースが代表して口上を述べた。

 

「宰相アルベド様、初めてお目にかかります。私、王国アダマンタイト級冒険者である蒼の薔薇のリーダー、ラキュース・アルベイン・デイル・アインドラと申します。この度は王国第三王女ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフ殿下の名代として、魔導王陛下へラナー殿下よりの心ばかりの御見舞の品と親書をお預かりして参りました」

 

「これは、御丁寧にありがとうございます。王国からのお気遣いに感謝いたします。現在、ご存知のように陛下が御不在ですので、不肖私アルベドが代わりにそのお品をお預かりいたしましょう」

 

 そういうと、宰相は優雅な仕草で玉座前の階段を下りた。そして、ラキュースが恭しく差し出した小箱と書状を丁寧に受け取ると、側に控えていたメイドが持つ盆の上に載せた。

 

「ラナー王女は本当に慈愛に満ちた思慮深い方でいらっしゃいますね。主に代わりお気遣い感謝いたしますとアルベドが申していたとお伝えくださいませ。後日改めて返礼を王国にお送りさせていただきます」

 

 その艶やかな微笑みは、女性ばかりの蒼の薔薇にとっても非常に魅力的に見えるものだった。

 

「畏まりました。そのように、ラナー殿下にお伝えいたします」

 ラキュースはなんとか平静を装って返答する。

 

「それでは御機嫌よう。道中お気をつけてお帰りください。」

 

 謁見の終わりを告げられ、一行は立ち上がると一礼をし、玉座の間から退出した。

 

 

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「な、なあ? 玉座の後ろに立ってたの、あれはモモン様だったよな!?」

 都市長の館を出てくるなり、イビルアイはおとなしく黙っているのをやめ、凄い勢いでまくし立てた。

 

「そうね、何もお話はされなかったけれど、あれは間違いなくモモンさんだったと思うわ。もしかしたら、今は都市長の館でお仕事をされているのかもしれないわね。とにかく、どのみち魔導国の情報を集める必要があるのだし、イビルアイもモモン様が普段いらっしゃる場所を探してみればいいんじゃないかしら?」

 ラキュースはそう提案する。

 

「それもそうだよな。おい、ラキュース。今回はどのくらいの期間を調査に見込んでるんだ?」

 

「そうね、大体だけれど一週間くらいかしら? 少なくともそのくらいあれば、手分けすれば、およその魔導国の現状は把握できると思うの」

 

「了解、鬼リーダー」

「そのくらいあれば、全然余裕。任せといて」

 

 ラキュースは、ちらりとイビルアイの方を見ると、残りのメンバーにこっそり耳打ちする。

 

「悪いけど、イビルアイの分までお願いね。どうみても仕事できるようには見えないから」

 

「わかってるって。まぁ、いつもイビルアイには世話になってるしな。たまには休暇をやってもいいんじゃないか?」

 

「確かに、そう考えれば角も立たないわね。それじゃ、皆よろしく頼むわよ」

 

「オッケー」

「あいよ!」

「まかせて」

 

 蒼の薔薇がそれぞれの目的を果たすべく行動を開始しようとした時には、イビルアイの姿は既にその場から何処かへと消えていた。

 

 

----

 

 

 それから一週間、蒼の薔薇はエ・ランテル内部の目ぼしい場所や、エ・ランテルの外にある魔導国に譲渡された村々の大雑把な調査を終え、黄金の輝き亭で祝杯をあげていた。

 

「はぁー、ラナー王女に頼まれた目的は果たしたし、エ・ランテルも周辺の村の観光も一通り済んだ。俺はそろそろ王都に戻ってもいいんじゃないかと思うな」

 ガガーランは、黄金の輝き亭のレストランで大きな杯に並々と注いだ酒を一気に飲み干す。

 

「そうね、私も調べたいところは一通り見て回れたと思うし、今回は引き上げようかと思うの。それでいいかしら?」

 

「問題ない。好みの女の子は見つからなかった」

「同じく。目ぼしい男の子もいなかった」

「お前ら、何見て歩いてるんだよ…?」

 

「そ、そのことなんだが……」

 

 イビルアイは震える手でコップを握りしめている。

 

「後二日、いや、一日でいい。私に時間をくれないだろうか……?」

 

 残りの面々は一斉に顔を見合わせる。

 

「……それは困ったわね」

 ラキュースは口にはそう出したものの、完全に予想できたこのイビルアイの反応に、四人は同情する。

 

 蒼の薔薇は、宰相アルベドに謁見した日を含めてエ・ランテルに丸一週間滞在していた。

 

 その間、観光も兼ねてあれこれ調べた結果、ラナーの話にあった通り、魔導王は既に復活の儀で復活した後、失われた生命力を回復すべくエ・ランテルの外にある本来の居城に帰還して療養中であること、政務は宰相アルベドが中心となって取り仕切っているため魔導国自体には全く影響がでていない様子であること、魔導国に譲渡された村々の復興は著しく現在はかなり大規模な耕作が行われるようになっていること、最近まで周辺警戒のため遠征に出ていた漆黒のモモンは魔導王崩御の報を受け、魔導王不在のエ・ランテルを支えるべくエ・ランテルに帰還しているらしいこと、そして現在モモンはエ・ランテルの任期付都市長として任命されており、宰相アルベドの補佐を行っているということ等がわかっていた。

 

 しかし、他のメンバーの情報収集が順調に進んだ反面、イビルアイのモモン探索は完全に行き詰まっていた。

 

 イビルアイは、日に何度も時間を変えてモモンの館となっている旧都市長の館の別館を訪ねたが、門番にはモモンは現在旧都市長の館に詰め切りのため不在であるとそのたびに追い返されている。

 

 さすがに特段の用事もないのに、都市長の館を訪れモモンに面会を申し込むことは他国民であるイビルアイには難しい。

 

 夜までモモンの館の近くで張ってみたこともあるが、モモンはおろかナーベとも出会うことはできない。

 

 衛兵に金を掴ませて情報を得ようとするが、衛兵にはものすごい勢いで拒否された。

 

 思いつく限りの手段でモモンと会う方法を探すものの、どうにもモモン本人に会うことができない日々が続き、初めてエ・ランテルに来た時の浮かれ具合は既に見る影もなく、イビルアイは完全に意気消沈してしまっていた。

 

「イビルアイ、今回はタイミングが少し悪かったと思うの。モモンさんも慣れない仕事できっとお疲れなのに違いないわ」

 

「そうだよ、どうせ、転移出来そうな場所はわかったんだろ?だったら、いつでもまた隙を見て会いに来ればいいじゃないか」

 

「でも……、どうしても、あと一度でいい。会いたいんだ、モモン様に……!!」

 

 もしも、イビルアイが涙を流すことができるのなら、きっと大粒の涙が溢れていただろう。

 

「だって、私は……、まだ、何もモモン様とお話も出来てない……。このままじゃ、私は王都に帰ることなんてできない……!!」

 

 そのあまりに悲壮な雰囲気に、ラキュースもガガーランも口を噤む。

 

「わかったわ。じゃあ、こうしましょう。私達は一足先王都に帰ります。ラナーにもいい加減報告もしなければいけないし。アルベド様が王国に返礼を贈られるという話だったから、少なくともその前にはラナーには報告しないとまずいでしょう。そして、イビルアイ、貴方はもう少しだけエ・ランテルの調査を継続するために残る。これでどうかしら?」

 

「ほ、ほんとか!?」

 

 とたんに、さっきまでの悲壮感は嘘のように消え、希望を取り戻したような声になるイビルアイを見て、他の面々はこれはもう本人が納得する以外仕方がないと苦笑いをする。

 

「ただし、あまり長期間はダメよ。いいところ、二、三日まで。これ以上かかるようなら、今回は縁がなかったと思って一度王都に戻ってきてちょうだい。いいわね?」

 

「わかった! 必ず! 約束する!」

 

「全く、どうしようもないなぁ。ちゃんと玉砕してこいよ? イビルアイ」

「イビルアイの失恋に乾杯!」

「ガガーラン、ティナ、まだ、失恋すると決まったわけじゃない! 不吉なこと言うな!」

 それを受けて楽しそうな笑い声が上がる。

 

 

 

 

 そして、その様子を誰にも気づかれること無く物陰に潜んで見つめている一つの影があった……。

 

 

 




gomaneko 様、Sheeena 様、誤字報告ありがとうございました。


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3: アインズ、パンドラズ・アクターの策に嵌る

 アインズに姿を変え〈完全不可知化〉を使って、窓の外から宿にいる蒼の薔薇の様子を窺っていたパンドラズ・アクターは、自分に与えられた屋敷に戻ると、魔法の効果とスキルを解除し、本来のドッペルゲンガーである姿を現した。

 

「さて、一体どうしたものでしょう」

 パンドラズ・アクターは考え込む。

 

 蒼の薔薇がラナー王女の使いとして魔導国にやってくることは、事前にアルベド経由で知らされており、今回届けられた品は王国での計画を進める最終段階のトリガーになる予定だと聞き及んでいる。ただ、王国に関してはデミウルゴスとアルベドが主導して実行している作戦であるため、パンドラズ・アクターにとってはあまり深い関心はなかった。

 

(父上からは、蒼の薔薇が周囲を嗅ぎ回ったとしても、ラナー王女の手駒だから極力接触を避け自由に泳がせておくよう命じられておりましたが……。どうやらあのイビルアイとかいう小娘、我が神である父上に随分ご執心の様子。父上はそのことをご存知なのでしょうか?)

 

 パンドラズ・アクターとしては、イビルアイの恋心などもどちらかといえばどうでもいいことの部類に入る。少なくとも、他の何よりも敬愛し守るべきモモンガに危害を加えたりする意図がないのであれば。

 

(我が父上は、この上なく慈悲深く他のものに対してはその愛情を惜しみなく与えられる方ですが……なぜか御自身に向けられる愛情については、異常なまでに鈍感なところがおありになる。守護者統括殿やシャルティア殿にはお気の毒としか言いようがありませんが、彼の君の被造物であり息子であるこの私からの愛情ですら、恐らく正しく認識されてはおられないのでしょう……)

 

 なぜ、あれほど叡智に溢れる自分の創造主が周囲から溢れんばかりの愛情を捧げられているにも関わらず、それに気がつくことができないのか。それは、パンドラズ・アクターにとって彼の優秀なその頭脳を駆使しても解決することのできない大いなる疑問となって立ちはだかっていた。

 

 しかし――。

 

 他者からの愛情を感じることも受け入れることも出来ないということは、モモンガにとって非常に良くない状態のように思える。今はまだよくても、遠い将来、このことが原因でモモンガがシモベ達を信じることが出来なくなる事態が起こらないとはいえない。そして万が一そのようなことになれば、何らかの形でモモンガを喪うようなことにも繋がりかねないのだ。それだけは絶対に避けなければいけない。

 

(まあ、正直、私以外の誰かがモモンガ様に愛されるという状況は嬉しくはありませんが……)

 

 だが、モモンガが他者の愛情を感じられるようになり、それによって少しでも幸福を感じることができるようになれるのであれば、それはやはり自分にとっても望ましいことであり、また、そのような状態になれば、いずれ自分自身の愛情も素直に受け取ってもらえるようになるのではないかと思う。

 

 それに、先程のイビルアイの様子は、愛するものに捧げ続けている感情をどうしても感じてもらうことが出来ずに、苦い思いを味わい続けている自分自身の気持ちと重なる部分があり、ナザリック外のものとはいえイビルアイに若干同情する気持ちもないわけではない。

 

 もっとも彼女と、モモンガから父と呼ぶことを許されている自分では、モモンガとの距離に計り知れないほどの差があることは事実であり、それに関して優越感を感じてしまうのは仕方のないことだ。

 

「……いっそ、彼女で実験してみたらどうなるのでしょうね? もし失敗したところで、それほど大きな害になるとは思えませんし、最悪面倒なことになるようなら始末してしまえばいい。守護者統括殿やシャルティア殿では最悪モモンガ様が危険な状況になってしまう可能性もありますし。ここは、捨て駒のほうが何かと都合がよろしいでしょう。ただ問題はいかにして、モモンガ様御自身に必要性を納得していただいて、御協力を仰ぐかということになりますが……」

 

 パンドラズ・アクターはしばし熟考した後、その表情のない顔に深い笑みを浮かべるとナザリックに帰還した。

 

----

 

 ナザリック地下大墳墓、第九階層。

 

 そこはまさに神々の住まう領域であり、現在はパンドラズ・アクターの唯一の神であるアインズが御座する場所である。

 

 ナザリックのシモベであればその階層を歩くだけで至高の御方々の威光とその御業を感じられ、感動に打ち震える場所であるが、それは長く宝物殿にあり、数々の財宝を見慣れたパンドラズ・アクターでも例外ではない。もっともパンドラがその威光を感じて畏怖するのはただ一人の御方だけではあるが。

 

 既に時刻は深夜に近く、廊下を歩くメイドの姿も見えない。

 

 少し弾むような足取りで、パンドラズ・アクターはその最奥にあるアインズの自室に向かい、扉をノックする。

 

 少しの間があって扉を開けたアインズ当番のメイドに取次を頼むと、しばらくしてから中に通され、寝室の扉に案内される。どうやら、アインズは寝室で寛いでいるところだったようだ。

 

「アインズ様、失礼致します」

「あぁ、パンドラズ・アクターか。入れ」

 

 扉を開けて恭しく一礼すると、パンドラズ・アクターはアインズの寝室に足を踏み入れた。

 

 アインズはベッドからゆっくりと起き上がり、読んでいたらしい本を枕の下に押し込むと、ベッドの脇に腰掛ける。

 

「珍しいな、こんな時間に。急ぎの報告でもあったのか?」

「いえ、実は少しご相談したいことがございまして……。できれば人払いをお願いしたいのですが」

 

 パンドラズ・アクターがいつもとは違い、仰々しい仕草もうざったい大げさな言い回しもない様子なのに気がついたのか、アインズは怪訝そうな顔をした。しかし、軽く手を振り、

「お前たちは、しばらく下がるように」と命じると、警護の八肢刀の暗殺蟲と当番メイドのリュミエールは一礼して寝室から出ていった。

 

「これでいいか? さて、一体どのような相談なのだ?」

 

「はい、実は父上に確認させていただきたいことがありまして……。以前からモモンに付きまとっている蒼の薔薇のイビルアイの件です」

 

「あぁ、あの……。以前エントマに大怪我をさせた奴だな。あれがどうかしたのか?」

 

 アインズは以前の王都での一件を思い出し渋い顔をする。アルベドとデミウルゴスが非常に高く評価している人間が王国に持つ数少ない手札ということで、今のところは積極的に害する予定はない。しかし、エントマには機会があればあの女の声帯を与える約束をしているし、アインズとしては、例え知らなかったとしても友人の娘のような存在であるエントマに怪我をさせたという時点で、あまりいい印象など抱いていない。しかも、王都での事件の後もしつこく付きまとってくる様子から、モモンの正体に疑念を持っているのは明らかだ。なのに、なぜパンドラズ・アクターはあの女の話をわざわざ持ち出してきたのか。あと、父上呼びはやめてほしい。

 

「率直に申し上げまして、イビルアイは父上に盲目的な恋愛感情を抱いているようです」

 

「…………は?」

 

 アインズは全く予期してもいなかったパンドラズ・アクターの言葉に思わず間抜けな声を出す。そして言われた言葉の意味が頭に入ってくるにつれ、激しく精神的に動揺するのを感じ、一瞬で鎮静化される。

 

「ちょ、ちょっと待て。お前は何をいっているのだ? パンドラズ・アクター、私をからかうのも……」

「私は! 決して父上をからかってなどおりません!」

 

 パンドラズ・アクターは、そのつるりとした顔をベッドに座ったアインズの顔に思いっきり近づけて宣言する。

 

(なんでお前はそんなに距離感ないんだよ!? 顔が近い! 近い! 近い! 近い!!!)

 アインズはその勢いに思いっきり引いて、半分のけぞるような体勢になった。

 

「父上はイビルアイについてどのように思われておいででしょうか?」

 

「どうって言われてもな……。奴とは王都でほんの僅かな時間共に戦っただけだぞ? 私が何か思うようなことなどあるはずもない。むしろ、エントマの件で奴には多少怒りを感じているくらいだ。まあ、確かにあの時は互いにタイミングが悪かった可能性はあるがな」

 

「……なるほど」

 

(これは思ったよりも根が深いかもしれませんね)

 パンドラズ・アクターは心の中でそっと独りごちる。

 

「畏れながら、父上は、本当に彼女の愛情表現にはお気づきではないのですか? 私が見ていた限りでもかなりあからさまな行動ばかりですし、ナーベラルでさえそのように認識しているようでしたが?」

 

(ナーベラルまで!? そういえば、ずっと前にナーベラルがそのようなことを言っていた気もする。いやでも、あいつは人間の機微には全く無頓着で興味もないやつなのに……もしかして、俺、ナーベラル以下の認識力しかなかったのか?)

 

 微妙に、いやかなりアインズはショックを受ける。

 

「……パンドラズ・アクター、いくらなんでもお前の考えすぎだろう。私は、イビルアイが付きまとってくるのは、私とヤルダバオトとの関係を疑ってのことだと思っている。もしくは、王都での戦闘時に私が人間でないことになんらかの形で気が付かれていたのかもしれない。少なくとも私にそのような感情を持っているようには感じられないのだが?」

 

「そうですか……。これは困りましたね」

 

 珍しくパンドラズ・アクターが意気消沈した様子になり、アインズは逆に慌てる。

 

「ど、どうした? お前がそんな風に大人しいと逆に心配になる。何か問題でもあったのか?」

「大有りですとも。なぜ、父上のように優れた叡智を持つ御方が、このようなひどく単純なことに疎くておいでなのか、私にはその理由が全く理解できないのです」

 

 パンドラズ・アクターはそういうと、深くため息をつく。

 

(やっぱり、俺はこいつにもそんな風に頭がいいとか思われてるのか? 一体、俺に何を期待してるんだよ!? おまけに俺が何を思い違いしてるっていうんだ? 正直パンドラズ・アクターが何をいいたいのかさっぱりわからないよ)

 

 アインズは心の中で頭を抱える。無いはずの胃がキリキリと痛むような気もする。

 

(……もう、おとなしくパンドラズ・アクターくらいには本当のことをぶっちゃけて、ちゃんと説明してもらったほうがいいんじゃないだろうか? いくらなんでも、他のシモベとは違ってこいつは俺が作った NPC なんだから、それで俺を見捨てるということはないだろう。多分)

 

 アインズは段々やけくそ気味になり、思い切ってパンドラズ・アクターに自分がそれほど賢いわけではないことを告白する決心をした。

 

「パンドラズ・アクター……。これから話すことは非常に大事なことなのだが聞いてくれるか?」

「もちろんです。どのようなことでも、偉大なる父上の息子たるこの私にお聞かせいただけるなら大変嬉しゅうございます」

 

 偉大なるとか言われて一瞬引いたが、アインズは覚悟を決め、パンドラズ・アクターを真っ直ぐに見て話をする。

 

「……私は、皆に隠していることがある。そして、この話は息子であるお前にしか話せないことだ……。だから、これから私がお前に話すことは、決して他の誰にも漏らさないと誓ってくれるか?」

 

「父上が信用してお話くださるのなら、それは身に余る光栄というもの。命に変えても秘密を守ることを誓約いたします!」

 

「そうか。ならば話そう」

 

 さすがに、これから話すことに対してパンドラズ・アクターがどのような反応をするかは全くわからないが、うまく行けば、自分はもう少しだけ楽になれるかもしれない。そう思ってアインズはなけなしの勇気を振り絞った。

 

「……私はな、パンドラズ・アクター。お前たちが期待しているように、別に智謀に優れているわけでも、叡智に溢れているわけでもない。このようなことを言えば、お前は私を軽蔑するかもしれない。しかし私は……本当にただの愚かな男なのだ。だから……、私に叡智ある行動を期待し、全てを把握しているかのように思われても、実際の私にはどうすることもできないのだ」

 

 アインズは、じっと動かずにアインズの言葉を聞いていたパンドラズ・アクターの手を取ると、苦笑した。

 

「このようなことを言う、愚かな主に呆れただろう?」

 

「いえ、そのようなことはありません。それに、私はそのようなお言葉を聞いたからといって、父上が愚か者だとも思いません。真に愚かな人物というのは、自らを愚かだと思うことなどありませんから。それにもし、本当に父上がそれで困ってらっしゃるのであれば、不肖の息子ではありますが、私が出来得る限り父上をサポートいたします。それで何の問題がありましょうか?」

 

 パンドラズ・アクターはいつもの仰々しい雰囲気とは全く違う、ひどく真剣な様子でアインズの手を握りしめる。

 

「それに、私は父上が例え愚かであっても、弱くても、醜くても、ナザリックの支配者ではなくても、我が至高の創造主でなかったとしても、変わりなく御身を愛するでしょう。私が愛してやまないのは、モモンガ様のその美しく輝ける気高い魂なのですから。その他の要素はあくまでも御身の素晴らしさを更に引き立てるだけのものに過ぎず、それがなかったとしても私には全く問題はないのです」

 

「そ、そうなのか?」

「そうですとも」

 

 ……誤解を解くことはできなかった気はするし、なぜこいつがそんなに俺を高く評価しているのかは理解できないが、一応言うことは言った。まぁ、パンドラズ・アクターがそれでいいというならもう細かいことは気にしないことにしよう。後はとにかくパンドラズ・アクターの真意を問いたださなければ。

 

「そうか。わかった。パンドラズ・アクター、お前がそう思うのならそれでいいのだろう……。それでは、お前が一体何を憂いているのか、私にも分かるように話してはくれないか?」

 

「はい……」

 

 パンドラズ・アクターはアインズの隣に腰を下ろす。なぜそこに座るんだ、と突っ込みをいれたくなるが、面倒なのでアインズは我慢した。

 

「私はとても心配なのです。父上は、我々シモベに対して非常に深い愛情を与えてくださっています。しかし、父上は、我々がどれだけ父上を愛しているのか、おわかりになっていらっしゃいますか?」

 

 そういわれて、アインズは複雑な気分になる。確かにアインズは NPC 達に対して友人の子どもに対するような愛情を抱いている。そして、それはなるべく偏ることなく平等に与えているつもりだ。しかし逆はといえば、シャルティアの例を考えればわかるように、NPC 達が一番に愛する対象はあくまでも自分の創造主でありアインズではないだろう。もちろん、彼らから強い忠誠心を向けられていることに疑問を持ってはいないが、それが愛情かと言われると違う気がする。

 

「……お前たちが、私に向けている感情は愛情とは少し違うだろう。確かに創造主に対して抱く感情は恐らく愛情といっていいものだろう。しかし私に対してのソレは、例えば子どもが親に対して向けるようなそのような感情に近いのではないかと思っている」

 

「では、父上は、少なくとも私が父上を誰よりも愛していることはお認めいただけるのですね!?」

 

 パンドラズ・アクターの顔がさっきよりも更に近くまで寄ってくる。

 

「えっ? いや、まぁ、そうだな……? ってその前に、もう少し離れろ! 近すぎるぞ!?」

「いえ、我が最愛の父上に、我が愛を疑われていないとわかったのは至上の喜びです!!」

「あー、もう! ほんと暑苦しいな、お前!!」

 アインズは思わず頭を抱えた。

 

「ところで、ここからが私の本題なのですが」

 

「うん? あぁ、そうだったな。続けてくれ」

 

 パンドラズ・アクターは真正面からアインズのその赤く光る灯火を見つめて静かに言った。

 

「私は、父上になんとしても幸福になって頂きたいのです」

 

 パンドラズ・アクターの思いもかけない言葉に、アインズは沈黙する。

 

「父上は、他のシモベは父上のことを愛していないと思われているようですが、そんなことはありません。それに、父上に好意を抱いているのは、なにもナザリックのシモベだけに限った話ではありません。他にも多くの者が父上を愛しております。しかし、これだけ多くの愛情に囲まれておられるのにも関わらず、父上はそれが全くお分かりになっておられない」

 

「…………」

 

「私は、父上に私が今申し上げたことが真実であることを知っていただきたいのです」

 

 アインズは返す言葉もなく、パンドラズ・アクターのその表情のない顔を見つめるしかなかった。

 

 確かにアインズはこれまで生きてきたそれほど長くない人生で、愛情というものを認識する経験がかなり不足していたかもしれないことは、自分でもなんとなく感じてはいた。

 

 両親は幼いうちに喪い、一人きりであの希望を感じることの出来ない世界で生きた。唯一仲間と呼べると思っていた人々も自分を置いて去っていった。そんな中でいつしか愛情というものは、自分には分不相応なものであるように感じるようになっていた、のかもしれない。

 

 自分には、人に愛される資格も、愛を受け取る資格もないと……。

 

 アルベドにあのような設定変更をしたにも関わらず、卑怯にもアルベドから向けられる好意から、いつも目を背け正面から受け止めようともせず逃げようとしていた。今日、このようにパンドラズ・アクターから言われなければ、恐らく自分はこれからもずっと目を瞑ったまま生きていこうとしていただろう。

 

(全く、愚かなだけではなく情けない男だよな、俺は……)

 アインズは心の中で自嘲する。

 

 そして、ふと、つい最近まで聖王国で自分の従者をしてくれていたネイア・バラハのことを思い出す。彼女はいつも自分を睨みつけているように見えて、アインズとしてはどうしても苦手意識が拭えなかったが、あの聖王国でのヤルダバオト戦で、茶番だったとはいえアインズが地に倒れ伏した時、悲壮な叫びで自分の名前を何度も呼び続け、ヤルダバオトに一矢報いようと必死で矢を放っていたのは彼女だったことを思い出す。

 

 あの場にはまだ多少の聖騎士達が残っていたが、あそこまで自分の死を悲しんでくれていたのは、間違いなく彼女一人だった。その後、自分はナザリックに戻ってきたため、彼女の現在の状況はわからないが。もしかしたら、彼女も自分に対して少しは好意を抱いてくれていたのかもしれない。

 

(聖王国は全く酷い状況だった。確かにあれはデミウルゴスが魔導国の為に仕組んだものではあったが、聖騎士達がもう少し賢く立ち回っていれば、少なくともあそこまで悲惨な状況にはならなかったんじゃないだろうか?)

 

 聖騎士団長の取る行動は、状況を更に悪化させるためのものにしかアインズには思えなかった。

 

(俺があの国から離れてもう半月近くは経っているが、彼女はまだ生き延びることができているのか……)

 

 できることなら生き延びていてほしい。そして、もう一度会って話をしてみたい。彼女の笑顔は見ているこちらも少し怖く感じてしまうものであったけれど、それすら、アインズは懐かしく思い出す。

 

 アインズは自分が思考の海に沈んでいることに気が付き、軽く頭を振って話を現在の問題に戻す。

 

「……それで、パンドラズ・アクター。お前は私に一体どうしろというのだ?」

 

「これはただの私からの提案に過ぎませんが……」

「よい、話せ」

 

「では、ご説明させていただきます! 我が神であるモモンガ様!」

 

 急にいつもの調子を取り戻したパンドラズ・アクターは、妙に芝居がかった仕草で軍帽をくいっと回す。

 

「せっかくですので、明後日辺りにイビルアイと『でーと』なるものをなさり、愛情を感じる練習、いえ実験をされてはいかがでしょうか?」

 

 一瞬アインズはパンドラズ・アクターが何を言ったのか理解出来ずフリーズした。こいつは一体どこからそんな知識を仕入れてきたんだろう?

 

「なんだそれは!? どうしてそうなる!?」

 

「簡単なことです。あれだけわかりやすく父上を恋い焦がれているイビルアイでしたら、数時間ほど共に過ごせばいくら鈍感な父上でも恋愛感情というものがどういうものなのか、その一部くらいはおわかりになられるかもしれません」

 

「お前! 今はっきり鈍感って言ったな!?」

「仕方ないでしょう。本当のことなのですから」

 

 アインズは反論できず、パンドラズ・アクターを睨みつける。

 

「それに、その結果父上がイビルアイをどのように思われようとも問題はありませんし、父上御自身がイビルアイに好意をお持ちになれなければ、そのようにはっきりとお伝えになれば、イビルアイが今後父上にしつこくすることもなくなるでしょう。万一、父上がイビルアイに好意をお持ちになったとしても、私としては、それはそれで父上には良い経験になると愚考いたします」

 

「パンドラズ・アクター……、簡単にそんなことをいうが、私はデートなどしたこともないし、そのような恋愛感情もよくわからない。それに、私のこの姿を知って、それでも尚愛情を持てる人間などいないと思うが?」

 

「父上の真のお姿を見て愛情を損なうようであれば、所詮イビルアイはその程度の存在で、父上から寵愛を受ける価値など元からなかったということに過ぎません」

 

「そうなのか?」

 

「ええ、そうですとも。それに父上がそのことをお話になったとして、父上の真のお美しさを理解できないような不埒な存在であれば、いくら実験体といえども不敬極まりありませんので、この私パンドラズ・アクターが責任を持って始末させていただきます。そのようなモノを一時的とはいえ父上のお相手としてお薦めした責任もございますので」

 

 いや、だからといって始末するとか、なにそれコワイ。

 でもパンドラズ・アクターの顔は真剣そのものでどうみても冗談を言っているようには見えなかった。

 

「……わかった。今回はお前の言うようにしてみよう。どのみち今は表向き休養中ということになっているし、時間だけはあるからな……」

 アインズは、半ば自棄になってパンドラズ・アクターの勧めに同意した。

 

「我が進言を受け入れていただき、ありがとうございます!!」

 

 パンドラズ・アクターは腰掛けていたベッドから立ち上がると、くるくる踊るように優雅にお辞儀をした。

 

「今回の『でーと』の段取りはこのパンドラズ・アクターに全ておまかせください! 決して父上に後悔などさせることはございません!」

 

「う、うん、わかった。ではこの件については任せたぞ。パンドラズ・アクター。詳細が決まり次第説明に来るように。あ、あと、くれぐれもアルベドには知られないようにな」

「はいっ、畏まりました!」

 

「よし、では下がれ」

「失礼致します」

 

 パンドラズ・アクターは浮かれたように寝室から出ていき、アインズは生気を吸い取られたような気分になってベッドに突っ伏した。

 

 ……もしかして、俺、パンドラズ・アクターに上手いこと嵌められたんじゃないか?

 

 アインズは呻きながら、ベッドの上を転がった。

 

 

 




gomaneko 様、Sheeena 様、名のある川の主様、薫竜様、誤字報告ありがとうございました。


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4: イビルアイ、恋に悩む

 翌日、蒼の薔薇のメンバーはエ・ランテルから王都へと戻っていった。

 

 イビルアイは他のメンバーを見送ると、偶然モモンと出会えることを願って、街の市場をうろついたり、冒険者組合を覗いたり、ダメ元でモモンの館に行ってみたりもしたが、やはり、今日もモモンとは会えそうもない。

 

 せっかく仲間から数日の猶予を貰ったものの、何の成果も得られなさそうな自分に落ち込んだイビルアイは、夕方になる前に宿に戻り、部屋に引きこもった。

 

「本当に馬鹿だな、私は……」

 

 ベッドに潜り込んで、自嘲するように呟く。

 

 今まで長いこと生きてきて、たくさんの人の恋愛相談に乗ったりしたけれど、まさか自分が恋に雁字搦めになって動けなくなるようなことになるとは考えたこともなかった。

 

「恋愛って、なんて甘くて苦くて切ないものなんだろう……。そして、まさかこんなに辛い思いをするものだなんて、私は知らなかった……」

 

 私は、ただ、モモン様に一目会って、話をして、そしてこの気持を伝えたい。それだけなのに……。

 

 イビルアイも馬鹿ではない。ここまで会えない以上、モモンに避けられている可能性だってあることには気がついていた。

 

 先日の謁見の場で、モモンは間違いなくイビルアイの姿を見ているはずだが、彼は自分に対して何の反応も見せなかったことも気にかかる。

 

 実を言えば、イビルアイは、モモンがもう少し違う反応をしてくれることを密かに期待していた。

 

 もっとも、あのような場で、個人的な感情を露わにすることは出来ようはずもないことだから、それだけでモモンがイビルアイを無視したということにはならないだろう……。しかし、イビルアイがエ・ランテルにいることを知っているのは間違いないのだから、彼の方から何らかの連絡をくれたっていいはずなのだ。

 

 イビルアイは、王都で、突然モモンが空から降ってきて、自分を守ろうとしてくれた時の衝撃を思い出す。そして、ヤルダバオトからの攻撃から庇うように自分に向けた大きな頼りがいのある背中も、まるでお姫様のよう……な感じではなかったけれど、自分を守ろうとして抱き上げてくれたことも。

 

 あの時、私は、モモン様が間違いなく私の運命の人だと思ったけれど、モモン様にとっては、私はただの通りすがりのつまらない女で、たまたま困っているところを見かけたから助けてくれただけだったのかもしれない……。

 

(私なんて、はじめからお呼びじゃなかったのかもしれないな。そんな風に思っただけで胸が苦しくてたまらなくなるけれど)

 

 なにしろ、彼は誰から見ても素晴らしい英雄だ。もちろん自分だって引けをとらないとは思ってもいるけれど、王都のヤルダバオトとの戦いでは共に戦ったとはいえ、自分の力などモモンにはあってもなくても特に変わりはないくらいの実力差があったことはイビルアイにだってわかる。

 

 その上、モモンには自分と同じくらいか下手をするともう少し強いかもしれない美姫ナーベというパートナーもいる。それに、先日会った魔導国の宰相という女性もとんでもない美人だった。あの二人と比べると、自分は少なくとも見た目で勝てる自信はない。

 

(仮面を外せば、私だって少しは見られる顔だとは思うんだがな……。でも、この仮面を外せば……私が人間ではないことがバレてしまう……)

 

 彼に自分がアンデッドだと知られる。そう思っただけで、心の中が凍る気がする。

 

 しかし、その反面、彼にだけは知ってほしいと思う自分がいることにも、気がつかないわけにはいかなかった。

 

 ジレンマに陥ったイビルアイはベッドの上でもがく。

 

(どうすればいい? 一体私は何をしたいんだ?)

 

 考えれば考えるほど、ヒートアップしたイビルアイの頭のなかには、モモンへの想いだけではなく、他のいろんなことがぐちゃぐちゃになってなにか混沌としたものが渦を巻き、何をどうしたらいいのかわからなくなってくる。

 

 モモンに、会いたいのか、会いたくないのか?

 モモンに、何もかも知ってほしいのか、そうじゃないのか?

 いっそ、何もかも全て諦めて王都に戻ったほうがいいのか、それとも、僅かな可能性にかけてもう少しだけ粘ったほうがいいのか?

 

 そして……私の、この愛は本当なのか、それとも……。

 

 疑問ばかりが心の中でどんどん膨れ上がり、湧き出てきて、止めることができない。

 

 イビルアイは、もはや何かを正常に判断できる状態ではなくなっていた。

 

----

 

 どれだけの間そうしていたのか。

 

 小さく自分の部屋の扉を叩く音が聞こえて、イビルアイは我に返った。

 

「ん? 誰だ? 宿の者かな?」

 イビルアイはベッドから起き上がると、扉の近くまで行った。

 

「誰だ?」

「夜分遅くに、突然にお邪魔いたしますこと誠にお詫び申し上げます!」

 

 場違いなくらい、妙に明るい男性の声が聞こえてくる。

 そして、イビルアイはその言葉で、既に夜もだいぶ遅い時間になっていたのに気がついた。

 

「私は、モモン様からイビルアイ様宛にお言付けを依頼されたメッセンジャーで、ランドと申します!」

「も、モモン様から!?」

「はい、そうでございます。よろしければ、扉を開けていただけますでしょうか?」

 

 先程までずっと頭のなかでつぶやいていた名前を聞いて一瞬頭が真っ白になったイビルアイは、勢い良く扉を開けた。

 

 すると、そこには奇妙な仮面をつけた見知らぬ男が立っていた。少しオーバーな仕草でお辞儀をする様子は、まるでどこかの役者のようにも思える。

 

「お前がモモン様からのメッセンジャーか? 私がイビルアイだ。それで? モモン様からのメッセージとはなんだ?」

「そのことなのですが……、モモン様からのお言いつけで、内容につきましてはできれば内密にお伝えしたいのです。ですので、お部屋の中に入らせていただいてもよろしいでしょうか?」

「ああ、もちろんだとも! 入ってくれ!」

 

 女性一人の部屋に知らない男性を入れるなど本来であればかなり危険な行為であるはずだが、モモンの名前を出されたイビルアイは完全に有頂天になっており、そのようなことには思い至らない。もちろん、自分がこの世界ではトップクラスの強者であるという自信もあるからではあろうが。

 

「ありがとうございます。では、失礼致します」

 男は再び大げさにお辞儀をすると、部屋に入りドアを締めた。

 

「それで? モモン様はなんと!?」

「はい、モモン様は現在大変お忙しく、イビルアイ様が度々屋敷にいらしてくださったにも関わらず、なかなかお会いすることができなかったことを非常に申し訳なく思われているとのこと」

 

「そのため魔導王陛下にお願いして明日少しばかり時間を作ることが出来たため、これまでのお詫びも兼ねてイビルアイ様とお会いし共に過ごされたいとのご意向です。つきましては、イビルアイ様のご予定とお返事をいただきたく……」

「も、もちろん、大丈夫だ! 明日なら、全然問題ない!」

 

 イビルアイは、ランドの言葉を思いっきり遮って勢い良く返事をした。

 

「それは大変よろしゅうございました。モモン様もさぞかしお喜びになることでしょう」

 メッセンジャーは優雅に一礼する。

 

「それでは、モモン様からは、イビルアイ様のご都合がよろしければ、明日の午後一時にエ・ランテルの中央広場にある魔導王陛下の像の下で待ち合わせということにしたい、と伺っておりますがそれで構いませんでしょうか?」

 

「明日の午後一時だな!? わかった! お会いするのを楽しみにしていると、モモン様にお伝えしてほしい!」

 イビルアイの仮面の下の顔は真っ赤になっていたが、相手の男には気が付かれないだろう。

 

「ご快諾いただき誠にありがとうございました、イビルアイ様。それではそのようにモモン様にお伝えさせていただきますね」

「こちらこそ、わざわざメッセンジャーまで送っていただいて心から感謝している。ランド殿、よろしく頼む」

 

「畏まりました。それでは、失礼致します」

 大仰なお辞儀をするとマントを翻して男が部屋から出ていった。

 

 扉がしまった後も、イビルアイは興奮のあまりしばらく動くことができなかった。

 

 モモンは、自分を嫌ってなどいなかったのだ!それどころか、これは完全に『でーと』というやつじゃないか!?

 

 「モモンさまぁ……」

 

 イビルアイは、完全に一人の恋する乙女になっていた……。

 

----

 

 モモンからのメッセンジャーが帰った後、イビルアイはその後しばらく浮かれて何も手に付かない状態で、部屋の中をうろうろしたあげく、ようやくベッドに再び潜り込んだものの、興奮のあまり結局ベッドの上でゴロゴロしながら時間を潰していた。しかし、アンデッドで精神異常には耐性があるはずなのに、どうにもその興奮が収まる気配はなく、諦めてベッドから起き出すと、テーブルの上にある水差しからコップに冷たい水を注いで、熱くほてるはずのないその頬にコップを押し当てる。

 

 明日はようやく夢にまで見たモモン様と共に過ごすことができるのだ!

 

 あまりの幸福感に、目眩がするように感じ、動かないはずの心臓が胸の中で音をたてている気がする。

 

 しかし――

 

 イビルアイの高揚した心に、やがて冷たい棘のようなものが突き刺さるのを感じる。

 

 自分はモモン様に自分がアンデッドであることを隠している……。

 こんな重要なことを隠したまま、モモン様に会う権利が自分にあるのだろうか?

 

 明日の『でーと』は、もしかしたら、モモン様とゆっくり二人きりで過ごす最初で最後の機会かもしれない。

 

 これまでモモン様とは会おうとしてもなかなか会えなかった。彼は今や魔導王の重臣として重用されており、常に重要な仕事で走り回っている。そんな状態が簡単に変わるとは思えない。だとすると、今後もう一度会おうと思っても、再び彼が都合をつけてくれる日がくるかどうかはわからない。

 

 モモン様と出会うまで、自分はこれまで誰も愛したことがなかった。

 

 幼いうちにこのような呪われた身体になってしまい、人を愛する権利など失ってしまった気がした。それに、不老不死である自分は、いずれは愛する相手を見送らなければいけない。自分自身に匹敵する力を持つ人間がほとんどいなかったことも、恋愛から自分を遠ざける一因ともなっていただろう。

 

 結局、この二百年間ずっと孤独なままで生きてきたのだ。

 

 蒼の薔薇のメンバーと一緒にいるのはとても楽しかった。しかし、自分はそう遠くない日に彼女たちとも別れることになるだろう。それは逃れられない宿命だ。

 

 そして、愛するモモン様が人間である以上、モモン様ともいずれ死に別れてしまうのだ。

 

 それに、このような自分の正体を知れば、モモン様だって冷たく自分から離れていってしまうかもしれない。

 

 これまで仲良くしてきた相手が、イビルアイがアンデッドであることを知り、怯えてもしくは罵倒して去っていくのは珍しいことではなかった。例外はむしろ、蒼の薔薇のメンバーと、あとほんの一握りの友人たちだけだ。

 

 自分が欲しいものは一体何なのだろう?

 

 イビルアイは考える。

 

 モモン様とのほんのひと時の楽しい時間なのか、それとも彼の真の愛情なのか?

 

 ただ楽しい一時が欲しいだけなら、明日彼と思いっきり楽しくデートをして思い出をたくさん作り、その後は彼への恋心は綺麗さっぱり忘れて、普通に良き友として再び何かの折に共に戦うことを期待して生きていけばいい。同じアダマンタイト級冒険者だ。そのような機会はいずれあってもおかしくない。

 

 でも……欲しいのが彼の真の愛情なら……。

 

 イビルアイは、自分の指に嵌められたアンデッドの気配を隠す効果のある指輪に目をやり、そして、そっと自分が被っている仮面に手を触れる。

 

「私、私は……」

 

 イビルアイは泣きたかった。

 しかし、その目からはどうやっても涙が溢れることはない。

 

 もはや自分の気持がただの友情で終わらせることができないくらい大きく膨れ上がっていることを感じる。

 

 この動かない心臓の動悸も、切ないくらい締め付ける胸の痛みも、ここで逃げてしまっては恐らく一生後悔がつきまとうことは間違いない。

 そして、アンデッドであるイビルアイの一生は永遠に続くのだ。

 

 イビルアイは絶望感に苛まされる。私はたった一人で一生こんな苦しみを抱えて生きてかなければいけないのか……?

 

 その時、ふいに、目の前に昔一緒に旅をした懐かしい人々の顔が浮かび上がり、不思議な声が聞こえた気がした。

 

『顔を上げろ! 勇気を出せ! キーノ・ファスリス・インベルン! 戦う前に逃げるな!』

 十三英雄のリーダーに叱咤された時の声が聞こえる。

『君は本当に泣き虫だね』

 呆れたような白銀の鎧の騎士の声も。

『私達はいつだって友達だろう? もし私が死んだとしても、お前さんの後ろにずっとくっついていてやるよ』

 くつくつと笑う死霊使いの老婆の声も。

 

(そうだ。こんなことでくじけてたら、これまでずっと私を励まし受け入れてきてくれた仲間に顔向けできなくなってしまうじゃないか!)

 

 こんな私だって受け入れてくれた人達はいる。皆が皆、アンデッドだからといって拒否するわけじゃない。分の悪い賭けかもしれないけど、それしか方法がないならやってみるしかないんだ。

 

「心配かけて、悪かった。本当に情けないところを見せてしまった。でももう私は大丈夫だ。きっとうまくやってみせる。だから、安心して見ててくれ」

 

 イビルアイには、仲間たちが笑いながら頷く姿が見えた気がした。

 

 そして、ふと、イビルアイはモモンの大きな背中を思い出す。静かに敵に向かい合った彼の背中は、とても大きく頼りがいがあって、どんなことからも自分を守ってくれそうだった。

 

 男に守ってもらうだけの女なんて価値が無いと、ずっと自分は馬鹿にしていた。だけど、今ならわかる。本当に相手を好きになると、自然とその人に守ってもらいたくなってしまうものなのだと。

 

「モモン様なら、もしかしたらわかってくれるかもしれない……。なぜそう思うのかは自分でもわからない。恋に目が眩んだ馬鹿な女のただの虫のいい考えかもしれない。でも、私が抱えているこの孤独も、行き場のない愛情も、理解してもらえない寂しさも……あの人ならなぜかわかってくれる、そんな気がするんだ……」

 

 だが、薄暗い明かりに照らされた部屋の中で、そう一人呟くイビルアイの声に応えるものは、誰もいなかった。

 

 

 

 




gomaneko 様、Sheeena 様、TOMO_dotty様、誤字報告ありがとうございました。


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5: アインズとイビルアイ、デートをする

 翌日のエ・ランテルはまさにデート日和といってもいい素晴らしい天気だった。

 

 イビルアイは、結局昨夜はどうしても気分を落ち着けることができず、ベッドで一晩中ひたすら悩んでいたのだが、夜明けとともにベッドから出ると、これまでのエ・ランテル滞在中に入手したまさに対モモン様用決戦装備とでもいうべき服を何着か鞄から取り出す。

 

「こっちかな……、でも、やっぱりモモン様の隣に並ぶんだからやっぱりこっちの赤いやつの方が……」

 

 散々悩んだ後、結局いつも着ている赤いローブによく似た、赤いフリル付きのワンピースに着替える。そして、鏡とにらめっこしながら、髪を櫛で何度も何度もとかし、自慢の金色の髪がふんわりと顔を包むように整える。それから、おまじないのつもりで持ってきた怪しい形状の瓶をとりだして、魅了効果があるという話の香水を少しだけつけてみる。

 

(本当にそんな効果があるのかどうかはわからないが、こういうのは、気分の問題だからな……)

 その香水はほんのり甘く香り、イビルアイは少しくすぐったい気持ちになる。

 

 散らかった服と瓶を鞄にしまい、ワンピースの皺を軽く整える。

 

「……モモン様、綺麗っていってくれるかな……」

 

 鏡の中では、赤く輝く瞳も美しい一人の吸血姫が、その髪と瞳によく映える洒落た服を着て微笑んでいる。

 

(これなら絶対大丈夫。勇気出せ、キーノ・ファスリス・インベルン!!)

 パンパンと音をたてて頬を叩き、自分自身を鼓舞する。

 

「……なんか、これから本当に負けられない戦いに行くみたいだな」

 これから会うのは敵ではなく、自分が恋する相手だというのに。イビルアイは思わず苦笑する。

 

 それから鏡の前に置いてあったいつもの仮面を手に取る。

 なぜか、普段は自然と身につけるそれが、今日はひどく忌々しいもののように感じる。

 

 イビルアイはしばらくそれを睨みつけた後、結局ため息をついていつものように仮面を被る。

 

 部屋の窓から外を見ると、既に街の往来を人々が闊歩している様子が見える。

 

 まだ約束の時間まではかなりあるが、少し街の中をぶらぶらして心を落ち着けたほうがいいかもしれないと思い、イビルアイはエ・ランテルの街中へ向かうことにした。

 

 

----

 

 

 エ・ランテルの街は、イビルアイが初めてエ・ランテルにやってきた時と同様に賑わっている。

 

 相変わらず、本来はとてつもなく強力なアンデッドであるソウル・イーターが引く馬車がのんびり走り、どこかに向かうらしいエルダーリッチがすぐ側を通り過ぎても、街を行き交う人々は、全く動じる様子もなく談笑しながら歩いていく。

 

 空を見上げれば、ドラゴンが背中に何かを載せ、大きく羽を広げて遠くの方に飛んでいくのが見えるし、道端では、見たこともない巨人が大きな石を運んで歩いている。その脇ではドワーフと人間がスケルトンに指示を出しながら一緒に少し崩れた道路の補修をしている。

 

 街の中をゆっくりと歩きながら、イビルアイは考える。

 

 以前は、モモン様を無理やり配下にしたと聞いて、強大なアンデッドである魔導王に対しては憎しみに近い感情しか抱いていなかった。本当は自分だってアンデッドなのだけれど、自分は元々人間だったという思いが強いせいか、アンデッドに対してよりも人間に対してより強く親しみを感じてしまっている。

 

 そもそも、自分の長い人生を思い返してみると、この世に生を受けて以来、好意を持つような対象になるアンデッドと出会ったことなんて一度もなかった気がする。

 

(死霊使いならいたけどな)

 

 以前共に旅をした、仲のいい気さくな老女を懐かしく思い起こす。そういえば、昨夜は彼女やツアー、そして、もう死んでしまったリーダーの思い出に大分励まされてしまった……。リグリットにはもう随分長いこと会っていないが、今も元気でやっているのだろうか。今回の件が片付いたら、久しぶりに会いに行ってみるのもいいかもしれない。彼女なら自分にも役に立つアドバイスをくれるはずだ。もっとも、その前にインベルンの嬢ちゃんが恋煩いだなんてねぇ、と思いっきり笑われそうな気もするが。

 

 イビルアイは静かに微笑むと、そっと自分の冷たい手を動かない心臓に当てる。もう二百年も何の変化もないこの身体。自分がこういうモノであることは、諦めとともに受けいれたつもりだった。

 

 だが、イビルアイのこのアンデッドの身体は、イビルアイ自身の罪の象徴でもあるのだ。

 

『国堕し』

 

 イビルアイにつけられたその異名を、これまでどれだけ呪ってきたことだろう。

 

 その気持ちが、アンデッドである自分自身を愛せない、認められない自分を作り出していたのかもしれない。自分自身を愛せないなら、その他のアンデッドに好意を抱けないのも当然のこと。

 

 だけど――

 

 この国はなぜこんなに平穏なのだろう?

 なぜ、アンデッドを恐れずに人間や亜人が笑って暮らしているのだろう?

 

 そして、今まで考えたこともみなかったことに思い至る。

 

 自分は、モモンは無理やり魔導王に従わされていると思い、それを疑うこと無く信じていた。何万人もの人間を無慈悲に殺したアンデッドなのだ。当然、魔導王には慈悲や温情などあるわけもなく、生ある全てのものの敵であることは間違いないと。

 

 だが自分だって故郷の国を滅ぼした存在。あの時、自分のタレントが暴走したことで一体どれだけの数の人間を殺し、アンデッドにしてしまったのか。まだ幼かった自分にはよくわからなかったし、その後もその事実からなるべく目を逸して生きてきた。

 

 だけど、自分は紛うこと無く『大量殺戮者』だ。王都で見かけた蟲のメイドを人間に敵対しているからと殺そうとした。しかし、自分だって、普通の人間からすればどっちもどっちの化物なのだ。少なくとも、人類の庇護者などといえる立場じゃない。

 

 十三英雄や蒼の薔薇と行動を共にし、人間を助ける行動をしているのは、そうすることが自分にとっての罪滅ぼしになる、と泣いてばかりいた自分に長い付き合いの友が諭してくれたからだった。

 

 モモンは強い。それだけではなく、彼はとても優しく礼儀正しい。そして弱いものを率先して守ってくれる。まさに真の英雄というべき存在だ。

 

 ヤルダバオトに襲われたあの日、王城でも王都でもモモンの姿を見かけた全ての人々は、彼に期待と憧れに満ちた熱い眼差しを向けていた。そう、自分だけではない。あの時、彼に出会った人の多くは男女を問わず、ほんの一瞬でモモンに恋に近い思いを彼に抱いてしまっていたのだ。

 

 そんなモモンが邪悪な魔導王の配下に入ることなんてありえない。モモンが魔導王の治世に協力していることに嫌悪感を抱き、彼が無理やりそうさせられているだけだと思ったのは、そうであってほしいと願う自分自身のただの愚かな願望だったのかもしれない。

 

 しかし、あの英雄モモンなら、魔導王が人々にこのような安寧をもたらす存在だとその鋭い力で見抜き、自ら従った可能性だって、本当はあったのだ。

 

 もしかしたら、強大なアンデッドだというだけで魔導王のことをよく知ろうともせず、彼の王の本質からひたすら目を背けていたアンデッドである私自身こそが、実はアンデッドを一番憎んでいたのかもしれない……。

 

(なんという自己矛盾! 二百年も生きてきて、今更こんなことに気付かされるなんて!)

 

 イビルアイは乾いた笑いをあげた。

 

 改めてエ・ランテルの街を見る。そこに繰り広げられている光景は先程までと変わらない。

 

 しかし、今のイビルアイの目には、人々の笑顔に、街の喧騒に、より暖かなものが通っているのが感じられる。

 

「そうだ。ここでは誰も相手がアンデッドだからといって石を投げたりしない。私だって……この国でならこの仮面を外して生きていけるんだ……」

 

 イビルアイの仮面の下の表情は、先程までとは少し違う、どこか満たされたものに変わっていた。

 

----

 

(はぁ……。やっぱり、会いたくないな……)

 

 漆黒のモモン姿のアインズは、自分としてはまったくもって見たくもない、自身の姿を象った巨大な像の下に立って、イビルアイが来るのを待っていた。これから自分がやらなくてはいけないことを考えると非常に気が重い。

 

 昨夜、アインズはパンドラズ・アクターから分厚いマニュアルを渡され、夜を徹して付きっきりでイビルアイ対策作戦を伝授された。それは、女性に対する基本的な振る舞い方やマナー、エ・ランテルでカップルに人気がある場所、女性に愛される行動や言動など、非常に実践的かつ詳細な内容であり、これまでの人生を完璧な魔法使いとして過ごしてきたアインズにとっては、そのほとんどが全く未知の領域であったため、それなりに有意義なものであった。デミウルゴスもこんな感じに詳しく説明してくれればいいのに、とも少し思ったくらいだ。

 

 しかし――

 

(自分の特大フィギュアの下で待ち合わせをするだなんて、一体なんの羞恥プレイなんだ!? パンドラズ・アクターめ、後で覚えてろ……)

 

『麗しい父上の像の下が、エ・ランテルでは特に有名な「でーと・すぽっと」なるものになっているそうですよ。なんでも父上の加護で恋が叶うとか』

 

 そんな風に自慢げに報告してきたパンドラズ・アクターを、アインズは真剣に殴りたかった。奴に悪気があるわけではないはずだから一応自重はしたが……。

 

 この場所に立っているせいか、いつもなら英雄モモンに対する羨望の眼差しを向けてくる市民たちが、今日は若干生暖かい視線をこちらに向けているような気がする。

 

(これからデートです、って自分で言ってるようなものだもんな)

 アインズは出ないため息をこぼす。

 

 しかも、一応不可視化した下僕だけとはいえ、アインズがざっと見ただけでも少なくとも五体のハンゾウの他、多数の八肢刀の暗殺蟲がそこかしこに潜んでいるのがわかる。姿は見えないが、シャドウ・デーモン達もかなりの数が配置されているのは間違いない。一体、何が悲しくて大勢のシモベの監視下で女性と会わねばならないのだろう。しかも女性といっても、所詮相手はイビルアイで何が起こるわけでも楽しみなことがあるわけでもない。

 

『父上、イビルアイがやってきたようです。ご健闘をお祈りいたします!!』

 

 突然、妙にテンションが高いパンドラズ・アクターから〈伝言〉が入る。お前まで監視してるのかよ……。

 

 アインズはげんなりしつつも、既に散々削られた気力をやっとの思いで奮い立たせ、広場にやってくるイビルアイに目を向け軽く手を振る。

 

 モモンを見つけたのか、こちらに向かってイビルアイがどことなく弾むような足取りで走ってくる。着ている服は今まで見たことのないもので、もしかしたら、イビルアイなりに一生懸命お洒落でもしてきてくれたのかもしれない。

 

「モモンさまぁ!」

 妙に上ずったイビルアイの声が聴こえる。

 

「お、おまたせしてしまいましたか!?」

「いや、そんなことはない。今来たところだ」

 一応、手の中に隠したカンペもちらっと確認する。こういうときにはこんな感じに回答するのがお約束と書いてある。

 

「そ、それなら良かったです! 私も、急いで来たつもりだったんだが、いや、ですが……」

 

 そういうと、イビルアイは一瞬躊躇ってから、おもむろにアインズの右腕にしがみつく。

 

(なんだ、これ……なんでいきなり腕を掴んでくるんだ!? それともこれが、パンドラズ・アクターのいう恋する乙女の行動ってやつなのか?)

 

 全く理解できない。しかしこれも実験なんだ。そう。実験。アインズは自分自身に言い聞かせる。アルベドにこの状態を知られたら間違いなく誰かが血を見るだろう。

 

「それでは行くか。あぁ、その服は随分可愛らしいな。良く似合っている」

「あ、ありがとうございます!」

 

 なるべく穏やかな声をだすように努力しながらアインズが声をかけると、イビルアイは嬉しそうに頷く。仮面に隠れて見えないが、何故かイビルアイの顔が真っ赤になっているように感じる。それに、気のせいか、少し甘いふんわりした香りがイビルアイから漂ってくるような気がする。自分のベッドからするものとはまた違うが、こういう香りも悪くないと少し思う。

 

「イビルアイ、何か香水でもつけているのか?」

「え、あ、あの、そうです。気になりますか?」

「いや……そう、イビルアイらしい雰囲気の香りだと思ってな」

 そういったとたん、イビルアイが一瞬挙動不審になったようだが、アインズはあえて気にしないことにする。

 

「それでは、まず、市場でも見に行こうか」

 右腕にイビルアイをぶら下げながら歩き出す。

 

(ええと、後はどうすればいいんだったか……)

 一生懸命昨日の講習を思い出しつつ、次に取るべき行動を考える。イビルアイは、ひたすらアインズにくっついたまま、ひどく楽しそうに歩いている。

 

(まあ、なんとかするしかない……。頑張れ、俺……。少なくとも、聖王国のときよりは行動マニュアルがちゃんとしてるし、流れでよろしくとかは書いてなかった。前回に比べれば、かなり楽な作戦に違いないんだ)

 アインズは自分自身を必死になって鼓舞する。

 

 アインズにとって、非常に長い午後になりそうだった……。

 

 

----

 

 

 イビルアイは、魔導王の像の下に立って、こちらに向かって手を振るモモンの姿を見た瞬間、さっきまでの葛藤は何処へやら、再び完全な恋する乙女モードにシフトしていた。 

 

 しかも、イビルアイが一生懸命お洒落したことも、香水をつけてきたこともわかってくれたらしく、褒めてくれた。こんなに自分に注意を払ってくれるなんて、それだけでも嬉しくて仕方がない。

 

 その勢いで、少しはためらいはしたが、つい、モモン様の右腕にしがみついてしまったけれど、モモン様はちっとも嫌がる様子もなく、穏やかに優しく話をしてくれる。

 

(あぁ、モモン様は本当になんてお優しい方なんだろう……。まるで夢を見ているみたいだ……)

 

 こんな展開になることを完全に諦めたこともあったのに、今の自分はなんて幸せなんだろう。

 

 話しかけられても、緊張でつい声が裏返ってしまうけど、モモン様はそれを全然笑ったりせずに大人な対応をしてくれる。

 

(本当に、こういう方がいるんだな……)

 

 何処か行きたいところがあるか聞かれたりするけど、自分としては、行く場所なんてモモン様と一緒ならどこでもいい。

 

 いつまでも、こうして側にいて話をしていたい。

 

 自分の心から溢れ出るモモンに対する感情が止めどもなく流れ出し、その量がどんどん大きくなって巨大な洪水のようになり、心の中がそれで膨れ上がって一杯になっているのに、それが流れ出る場所がなくてそこに留まり、自分の心を堰き止める壁のようなものをひたすら圧迫して、それが苦しくてたまらない。

 

(ああ、私は、モモン様が本当に好きなんだ。この人と別れるなんて……この人なしで生きていくなんて考えられない……)

 

 でも、その自分自身の気持ちを最後まで貫くのなら……、昨日、心の中で固く誓ったことを実行しなければいけない。例え、その結果モモン様を失うことになったとしても。

 

(覚悟を決めろ。私は、今日、絶対にモモン様に愛を告白する。そして……全てを包み隠さずモモン様にお話しするんだ……! ダメだったら……その時はその時。それでモモン様に嫌われるなら仕方がない。言わないで終わらせるよりもずっといい。ガガーランだって、玉砕してこいっていってたじゃないか! このキーノ・ファスリス・インベルンの矜持を、覚悟をモモン様に見せてやるんだ!)

 

 イビルアイは、モモンの話に頷きながら、その兜を被った横顔とその奥にちらりと見える赤い灯火のような光をじっと見つめた。

 

 

----

 

 

 アインズとイビルアイは、しばらくぎこちない調子で会話を続けながら、パンドラズ・アクターにお勧めされた場所をいくつか巡り、通りすがりの店の中を冷やかしたり、最近整備されたばかりの美しい街並みを見たりしているうちに、ほんの少しずつお互いの緊張感も薄れてきたのか、多少ではあるが打ち解けてきつつあった。

 

 あちこち店を覗き込んでははしゃぐ様子は、これまでイビルアイに抱いていたイメージを変えるくらい案外可愛らしく、いつもの変に大人びた雰囲気とは違い、年齢相応の子どもらしい様子に見える。

 

(なんか、こうしているとアウラやマーレを思い出すなぁ。今度はできればあの二人とこんな感じに出歩きたいものだけど、それはやっぱりちょっと難しいかなぁ。あの二人とだとお忍びというには無理があるし……)

 

 イビルアイについては、どうしてもエントマのことで多少の引っ掛かりは覚えなくはないが、こうも違う顔を見せられ、なんとも微妙な熱意のある瞳を向けられ続けると、人間に対してほとんど感情が動くことのない自分でも、顔見知りの子猫くらいには可愛らしく見えてくるから不思議なものだ。もしかしたら、パンドラズ・アクターはこんな風にアインズが多少なりとも女性に対して心を動かすことを期待しているのかもしれない。

 

(まぁ、特別な関係とかそういう感じには、この分だとどう考えてもならなさそうだけどな)

 

 アインズ自身の意識としては、どちらかというとイビルアイとのデートもどきはあくまでもおまけだった。

 

 魔導国建国以降、アインズはモモンとしての活動は完全にパンドラズ・アクターに任せる形になったため、その後は王としての立場で時々短時間街を歩き回ることはあっても、自由に散策できる時間はほとんどなかった。そのため、いくら不可視のシモベに監視されているとはいえ、今日のように比較的自由に現在のエ・ランテルを見て回ることができるのは滅多にない機会であり、アインズはこの貴重な時間を内心とても楽しんでいた。

 

(報告では聞いていたけど、やはり実際に見てみるとかなり印象が違うな。思っていた以上に素晴らしい街になって来ているじゃないか)

 あとで、シモベたちをねぎらってやらねば、と心のメモ帳にメモしつつ、傍らのイビルアイに目を向ける。

 

「イビルアイは、エ・ランテルに滞在している間はどの辺りを見て回っていたんだ?」

「えっと、モモン様のお屋敷に行った後は、市場を見たり、以前行ったことのある場所を見て回ったりとかしてたかな」

 

「ふむ、なるほど。どこか気に入った場所とか、今日一緒に行ってみたい場所はないのか? せっかくだから、お前のお勧めの場所なんていうのも見てみたい気がするが」

「わ、わたしは、モモン様と一緒なら、どこを見ても……その、楽しいです……」

 

「そうなのか?」

「は、はい!」

 

 仮面に隠れて表情は見えないが、イビルアイの顔が真っ赤になっているように感じる。そして、しがみついている右腕に、更に力を込めてしがみついているようだ。鎧ごしのせいで、正直よくわからないが。

 

「なるほど。……それでは少し質問を変えよう。せっかくだから、王国から来た者の意見も参考にしたいからな」

 

「?? はい、なんでしょうか?」

 イビルアイは少し不思議そうに答える。

 

「イビルアイは今のエ・ランテルを見てどんな風に思う? 率直な意見を聞かせてもらえると嬉しいのだが」

 一瞬口ごもるイビルアイを見て、ちょっといい方がまずかったかと思い、アインズは付け加える。

 

「別に、悪いことを言われても怒ったりしないから、安心して、思ったことを話してくれ」

 

「その……、わたしは……」

 

 イビルアイは不意に足を止める。

 それに引っ張られるような形になり、アインズも足を止めた。

 

「ん? どうした?」

 

「……とても正直にいうと、王都を離れてここに来るまでは、エ・ランテルは廃墟かスラム街みたいになってるんじゃないかと思っていた」

 

「…………そうか。そうだろうな」

 

 恐らく、それが魔導国にまだ足を踏み入れたことのない人間が現在の魔導国に持つ偽らざる印象なのだろう。

 それを責めるつもりはアインズには全くなかった。実際、自分だって逆の立場ならそう思うに決まっている。

 

「だが、一歩足を踏み入れて驚いた。もちろん、整備された街道を見ても驚いたけれど。とてもいい意味で印象が裏切られた」

 

 イビルアイはアインズを真っ直ぐに見上げた。

 

「ここは、本当に素晴らしい街だと思う。街並みも美しいし、道路もきれいだし、食べ物も豊富だし、服とかいろんなものもたくさん売っている。正直、今の王国とは比べ物にならないくらい、豊かな街だと思う。そして、人間だけじゃなくて、他の種族も当たり前のように一緒に笑って暮らしている。王国とも他のどこの国とも違う。まさか、こんな国がこの世界にできるとは、私は思っていなかった。これが……モモン様が一生懸命守って作り上げた街なのだな……」

 

 思っていたよりも真摯なイビルアイの様子にアインズは驚く。先程までのはしゃいだ少女とはまるで別人のようだ。

 

「そうか。そんな風に思ってくれたなんて、とても嬉しいよ」

 

 アインズはそう答えると、いつもの癖でついイビルアイの頭を撫でた。イビルアイの身体がびくっとするのが感じられる。アインズは、自分の失敗に気が付き心のなかで舌打ちをした。うっかり、アウラ達と同じようなつもりで頭を撫でてしまったが、さすがに少々まずい行動だったかもしれない。身体の大きさが同じくらいだからついやってしまったが……。

 

「あ、すまん、変なことをしてしまったな……。女性に対して断りもなくやっていいことではなかった。許してくれ」

 謝罪し、慌てて手を引っ込めた。

 

「…………」

 

 急に無口になったイビルアイに、アインズは怒らせてしまったかと思い、心配になる。

 イビルアイは、しがみついていたアインズの右腕をそっと離すと、ゆっくりとアインズの正面に立つ。

 

「モモン様、私は……」

 いいかけて、一度言いよどむが、イビルアイは勇気をふりしぼるかのように、もう一度口を開いた。

 

「私は、そんなモモン様をとても尊敬している。そして、それだけじゃない」

 

 アインズの両手をその小さい手でしっかりと握る。

 そして少しの間逡巡すると、やがて意を決したかのように、イビルアイは毅然とアインズを見つめた。

 

「私はモモン様が好きだ。心から愛している」

 

 そう高らかに宣言すると、イビルアイは一瞬躊躇った後、握りしめたアインズの手に口づけをした。

 

 その偽りの全く感じられないイビルアイの言葉にアインズは完全にフリーズした。まさかここまで直球で来るとは思っていなかったのだ。

 

 おまけに、こんな人目のある場所で、こういう行動に出ること自体どうなんだろう。まさか、手を振り払うわけにもいかないし、かといってこのままにしておくわけにもいかない。

 

(ど、どうしよう!? これ、どう対応したらいいの!? 助けて、パンドラズ・アクター!!)

 

 恋愛経験値ゼロのアインズでは、このような状況に正しく対応できる自信なんてない。というか、絶対無理。慌てて用意したカンペをちらっと流し見るが、さすがにこんな事態に関することなんて書いてない。

 

 頭の中が真っ白になり考える事自体を放棄したくなるが、即座に精神が沈静化される。しかし、自分がいくらこの手のことに無知だとはいえ、ここまで真摯な気持ちを無碍にするのはまずいということだけは、鈍感なアインズにも理解できる。

 

「そうか……。その気持はとてもありがたいと思うし、嬉しくも思う」

 

 なんとか、少し震える声を抑え、平静を装うと、かろうじてそう応える。

 

「しかし、こういってはなんだが、私達はまだ出会ったばかりだろう? それなのに、なぜ君はそんなに私に好意を持つことができるんだ?」

 

「わからない。私も自分自身の気持ちが理解できない。だって、こんな風に思ったのは、こんなに好きになったのは、モモン様が初めてなんだ……」

 

 震えるように細いイビルアイの声は、まるで今にも泣きそうに聞こえる。

 

(まずい。このままでは人目のある場所で話したくない内容になりそうだ。できれば、もう少し人気のない場所に移動しなければ……)

 

 さり気なく周囲を見回すと、英雄モモンとその連れの間に漂う尋常ならぬ雰囲気に街の人々も気がついたのか、かなり多くの人が遠巻きに見ている。

 

「イビルアイ、もう少し景色のいいところに行かないか? いい場所を知っているんだ。せっかくだからそこで話をしよう」

 

「………」

 イビルアイは無言で頷く。

 

 その小さな身体を隠すように、イビルアイの手を引きつつ、アインズはそそくさとその場を離れた。

 

 

 




gomaneko 様、薫竜様、kuzuchi様、誤字報告ありがとうございました。


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6: アインズとイビルアイ、真実と向き合う

 アインズが空をふと見上げると、そろそろ夕方近くになっているようだ。太陽はだいぶ落ちてきて赤みを帯びつつあり、うっすらと浮かぶ雲はその光を受けてほのかな桜色に染まっている。そろそろ今日のデートの時間も終わりに近づいている。

 

 イビルアイと過ごした午後は案外悪くなかったと思い、そんな風に感じる自分に少し驚く。

 

 隣を歩いているイビルアイの表情は仮面に隠れて見えないが、何かを考えているのか、先程からずっと黙ったままアインズの歩調に合わせて歩いている。

 

 アインズが向かったのは、いざという時の告白タイムにお勧めですよ、とパンドラズ・アクターに言われていたエ・ランテルの郊外にあるこじんまりとした公園だ。広く活気のある中央公園とは違い、訪れるものは少ないが木々や花が美しく植えられており、小さな噴水には水を飲みにやってくる小鳥もいる。ところどころにそっと置かれたベンチもあり、全体的に穏やかな優しい雰囲気を醸し出している。

 

 この場所に来たアインズの意図はシモベたちには既に読まれていたらしく、恐らく何かをやったのだろう。今、公園内を歩いているのはアインズとイビルアイだけで、他に誰かがいる気配はない。

 

 これなら、どんな修羅場になっても大丈夫ですよ、父上、と良い笑顔でいうパンドラズ・アクターが目に浮かぶが、思い切りその幻影を打ち払うと、大きな樹の脇にあるベンチにイビルアイを連れて行った。

 

「座るといい。なかなかいい場所だろう?」

「ああ、こんな綺麗な場所があるなんて知らなかった。さすがはモモン様だな……」

 

 あの後ずっと固い雰囲気で、ここに来るまでの道中は黙り込んでいたイビルアイも、さすがに公園の心落ち着く風景に少し気が緩んだらしく言われるがままにベンチに腰を下ろすと、周囲を嬉しそうに眺めている。その様子に少しほっとして、アインズもイビルアイの隣に腰を下ろした。

 

 座った瞬間に、イビルアイの身体がびくっとするのが感じられる。やっぱり、隣に座るのは距離感的に微妙だったか。俺もパンドラズ・アクターに隣に座られるのはあんまり好きじゃないし。でも、座ってしまったものは仕方がない。そっとイビルアイの様子を窺うと、なんとなく身体が少し震えているように思える。

 

「イビルアイ、寒いのか? そろそろ夕方だしな」

「いや、寒くなんて無い。むしろモモン様が隣にいてくれるから、とても暖かい気がする」

「そ、そうか。それならよかった」

 

 何故そんな風に思うのかさっぱりわからないが、無難にアインズはそう応える。

 

「ところで、イビルアイ。先程していた話の続きなのだが……」

 

 そう話しかけると、イビルアイの身体は緊張したかのように、更に身体を固くしたようだ。そんなイビルアイを見ながら、アインズは何をどう話したらいいのか少し考える。

 

 イビルアイは先程、自分を愛しているといっていた。しかし、イビルアイが好きなのはアインズではなく、あくまでも、自分が作り出した『人類の英雄モモン』という虚像だ。だから、その仮面を被ったまま、英雄モモンとして相応しいことを伝えて無難に別れるということもできる。そして、それがナザリックの支配者としてアインズが取るべき一番正しいやり方だとも思える。

 

 しかし、今日それなりの時間をイビルアイと共に過ごして、ふと自分の中に今までは感じたことのない、軽い苛立ちのようなものがあることに気がつく。

 

(なんなんだ、これは。なぜ俺はイビルアイにモモンとして好感情を向けられるのに抵抗を感じるんだ?)

 

 そして、二日ほど前のパンドラズ・アクターの言葉をふと思い出す。いつもの道化がかった風が完全になりをひそめたあの時のパンドラズ・アクターは妙に真剣で、そのせいか、その言葉がアインズの心に深く刻み込まれていた。

 

『私は父上が例え愚かであっても、弱くても、醜くても、ナザリックの支配者ではなくても、我が至高の創造主でなかったとしても、変わりなく御身を愛するでしょう。私が愛してやまないのは、モモンガ様のその美しく輝ける気高い魂なのですから』

 

 そうか……。

 

 アインズは、急にいろんなことが腑に落ちた気がした。

 

 俺は多分、イビルアイが俺が好きだといいつつも、俺自身ではないものに強い愛情を向けているのが不愉快だったのかもしれない。

 

 英雄モモンは確かに俺自身だ。しかし、モモンは俺の一部ではあるかもしれないが、少なくとも本当の俺ではない。実際、今エ・ランテルで英雄モモンをやっているのはパンドラズ・アクターであって俺ではない。恐らく、イビルアイが好ましく思っているのはあくまでも虚像である『英雄モモン』であって、外見さえモモンであれば、中身はパンドラズ・アクターでも俺でもどちらでも気づくこともなければ、構いもしないだろう。

 

 そのような、ただの虚構を愛しているイビルアイが、恐らく俺自身を真に愛することなどないはずだ。だとすれば、イビルアイの愛に何の意味がある?

 

 例えば、俺がモモンとしてイビルアイに断りを告げたとしても、イビルアイは偽りの愛を諦めることは出来ないかもしれない。だが、本当の俺(アインズ)として真実を知らせれば、少なくともイビルアイは偽りの愛から目を覚ますことはできるに違いない。

 

 いっそ、そのほうがお互いのためなんじゃないか。偽りの愛など、誰にとっても何の意味も価値もないものなのだから……。

 

 もっとも、真実を知ったイビルアイが俺を拒絶すれば、無事にエ・ランテルを出られることはないだろう。そのために、パンドラズ・アクターは既に十分な用意をしているはずだ。しかし真実を知る代償としては、それがむしろ正しい報酬なのかもしれない。

 

 アインズは暗い気持ちでそう結論付けた。

 

----

 

「……モモン様?」

 

 話しかけたまま、しばらく黙り込んでいるアインズを不審に思ったのか、少し硬い調子でイビルアイが声をかけてくる。もしかしたら、アインズの不穏な様子に不安になったのかもしれない。

 

 まぁ、結論を急ぐ必要はないだろう。イビルアイが、なるべく穏便なうちに納得してくれることを祈りつつ、アインズは口を開いた。

 

「……イビルアイ、私は先程もいったように疑問に思っていることがあるのだ」

 

「何を、でしょうか?」

 

「私は言葉を飾るのが苦手だ。だから、はっきりいおう。君は、本当の私自身を知っているわけではない。それなのに、私を心から愛しているというのはどういうことなのか? と」

 

「本当の、モモン様……?」

 

「そうだ。少なくとも、私は君が思っているような人間ではない。だから私としては、君のその気持ちに応えることはできないし、そのつもりもない」

 

 アインズは冷たくイビルアイにそう告げる。

 

「!!!?」

 

 イビルアイはショックが大きすぎたのか、言葉も出ないようだ。仮面に隠れて表情はわからないが、恐らく動揺しているのだろう。ひどく身体が震えている。

 

「君の気持ちは、嬉しかった。しかし、この件はここまでにしておくほうがお互いのためだろう。さぁ、もう日も暮れる。ここで別れるとしよう」

 

 アインズは、これで納得すればいいが、と思いつつベンチから立ち上がろうとすると、先程までぴくりとも動かずにアインズの言葉を聞いていたイビルアイが、急にアインズの右手を掴んだ。

 

「ま、待ってください! そんな……、そのような言葉では、私は納得できません!」

 

 やっぱりこれではダメだったか、とアインズは残念に思う。これで納得してくれれば、無事に帰してやることもできたかもしれなかったのだが。

 

「では、お前は、どうすれば納得できるんだ?」

 

「せ、せめて、もう少しだけ、詳しく聞かせてください。私は……、モモン様からみれば、取るに足りない存在かもしれない。でも、私のこの想いは……、この愛は、本物だと強く信じているんです!」

 イビルアイは必死になって訴えかけてくる。

 

(本物の愛か……。そんなもの、実際にはどこにもないはずだろうに……)

 多少憐憫のこもった目でイビルアイを見る。

 

 どうやら、最後の札を切らないといけなくなりそうだと、アインズは覚悟を決める。

 

「そうか。では……、例えば、私は人間ではない、といってもその気持ちは変わらないのか?」

 アインズは静かに問いかけた。

 

 イビルアイは、さすがにそれは予想していたセリフではなかったようで、大きく息を呑むのが聞こえる。

 

 しかし、少しの間顔を俯け何かを考えていたようだが、やがて顔を上げた。

 

「そ、それは、別に構いません。私が愛しているのは、多分、モモン様のお姿ではない、と思うのです」

 

「ほう? それがどこまで、本気なのかわからないが……。では、私の真の姿を見ても同じことが言えるのか、試させてもらおうか」

 アインズは、あえて、より冷たい態度でイビルアイを見据えた。

 

「一応これだけは話しておこう。私は、基本的に警告は一度しかしない。何故なら、相手の選択を尊重すべきだと考えているからだ。もし、今、お前が先程の言葉を撤回し、何も知らずにいることを選択すれば、何事もなく無事に帰ることができるだろう。だが、この警告を無視して真実を知ることを選択した場合、最悪どうなるのかは、私には保証はできない。イビルアイよ、それでも本当にお前は真実を知りたいと願うのか?」

 

 その言葉に、イビルアイが更に身を固くするのを感じる。まぁ、脅しているのだから当然か。やっぱりやめるというのが普通の反応だろうが……。

 

 しかし、イビルアイは、アインズを真っ直ぐに見つめて答えた。

 

「私は、もう逃げないと決めた。だから、私は真実を知りたい。モモン様が本当はどういう方なのか、知らないでここで逃げ帰ることは私にはできない」

 

 アインズは思いがけないイビルアイの返答に、一瞬沈黙する。しかし、出ないため息を一つつくと、ここまで来たらもう仕方ないと諦める。なにより、イビルアイ自身が知りたいと望んだのだから。それがどんな結果を生むことになるのかイビルアイは一切知らないとはいえ、その選択は尊重すべきだろう。

 

「わかった。お前の選択を受け入れよう。我が真実を見るがいい」

 

 アインズはおもむろに、モモンとしての鎧姿を解除し、普段の魔法詠唱者の姿に戻る。幻術も付与していない骸骨のアンデッド、死の支配者の姿へと。

 

 イビルアイはその姿を目にして完全に動揺している。それはそうだろう。人間がアンデッドに恋していたとか、ただのお笑い草だ。

 

「…………!!? モモン様!? その姿は、い、一体どういう……」

 

「この姿では、はじめまして、だな? イビルアイ。そんなに驚かないでくれ。正しく自己紹介するなら、私はアインズ・ウール・ゴウン魔導王であり漆黒の英雄モモンでもある。まぁ、要するに、これがお前が知るはずもなかった、英雄モモンの真実ということだ。別にそう難しいことではないだろう?」

 

 アインズは肩を竦めた。

 

「!!! そ、そんな、そんなことが……、いや、一体どうやって!? 信じられない……」

 

 イビルアイは驚愕のあまり震えている。

 

「この件に関して、細かい種明かしをするつもりはない。私はお前が選択したとおり、我が真実を見せただけだ。信じようと信じまいと、それはお前の自由だ」

 

 アインズはそういうと、イビルアイの仮面に隠された奥にある瞳を冷酷な視線で真っ直ぐに見据えた。

 

「私は、お前の言葉に応えた。今度はお前の番だな。イビルアイ。先程の返答を聞かせてもらおうか? お前の本物の愛というのが一体どういうものなのか、私としても興味があるのでな」

 

 

----

 

 

 イビルアイは動けなかった。いくらなんでも、こんな可能性は全く考えていなかった。

 

 初めて目前にする魔導王は、まさしく真の魔王ともいうべき姿だった。もちろん、この都市のあちこちに置いてある像で、既に何度も姿だけは見ていた。それに、噂でも様々な話を聞いていた。しかし直接見る迫力は全く違う。自分ではどうあがいても勝つことのできない、桁違いの力を持つ強大な魔法詠唱者。

 

 イビルアイは急にこの場から逃げ出したくなった。自分はこんな恐ろしい化物に一体何をしようとしていたのだろう?

 

 しかし――

 

 イビルアイの心にひらめくものがあった。

 

 本当だったら、魔導王は別にイビルアイに真実を話す必要なんてなかったはずだ。

 適当に誤魔化して、追い返すことだって出来たはずだ。

 そもそも、今日の『でーと』だって、彼にとってはする必要などなかっただろう。

 

 それなのに、こうして時間を割いて共に過ごしてくれて、挙句の果てに自分の言い分を聞いて本当のことを教えてくれたのは……彼の、魔導王の優しさからだったのではないのか?

 

 誠意を見せてくれた彼を受け入れることが出来ずに、拒否し立ち上がって逃げ出したとしたら、自分がこれまで抱いていたモモンに抱いていた、温かく幸福でそしてほんの少しほろ苦い気持ちはどこに行ってしまうのだろう?

 

 自分は、正真正銘の卑怯者だな。イビルアイは、自分自身の愚かさに思わずつばを吐きかけたくなる気持ちに駆られる。

 

 少なくともイビルアイには本物の愛などなかった。魔導王にそう見抜かれていたように。

 

 恐らく自分が逃げたとしても、彼はイビルアイに失望などしないだろう。単にそれを当然の結果だと受け入れ、それで終わりになるだけなのに違いない。

 

 だが、私は……本当にそれでいいのか……?

 

 

----

 

 

 自分はこれまでたくさんの人間たちに迫害され追われて来たのに、自分も今そんな奴らと全く同じことをしようとしている。これまで自分が言ってきたことはただの綺麗事で、本当はこんなに汚い心の持ち主だったのだ。

 

 イビルアイは、急に思い切り笑いたくなった。自分は、あの軽蔑すべき奴らとどこも変わらない。全く、情けないじゃないか。これじゃ、モモン様、いや、魔導王に軽蔑され、嫌われても文句なんて言える立場じゃない。

 

 自分は、ただの卑怯者で愚か者だ。おとなしく、それを認めれば全て丸く収まるのだ……。

 

 その時、不意に昨夜、思い出の仲間たちが自分を叱咤してくれたことを思い出す。そして、あの時自分は何を考えた……?

 

『こんな私だって受け入れてくれた人達はいる。皆が皆、アンデッドだからといって拒否するわけじゃない。分の悪い賭けかもしれないけど、それしか方法がないならやってみるしかないんだ』

 

 なのに、私は、今何をしようとしていた?

 

 アンデッドだった自分を拒否してほしくないと強く願っていた自分自身が、強大なアンデッドであるからという理由だけで魔導王を拒否していいのか?

 

 ……いいわけないじゃないか。全く、私は大馬鹿者だよ、キーノ・ファスリス・インベルン!

 

 落ち着け。落ち着つくんだ。

 まだ、何も行動したわけじゃない。

 まだ、間に合う。今なら、まだ間に合うんだ!

 

 イビルアイは、必死に自分に言い聞かせる。

 

 そして、イビルアイは目をつぶり、深く息を吸って心を落ち着けようとそのまましばらくじっとしていた。

 

 だんだん冷たくなってくる風が仮面越しにイビルアイの頬をなでる。ほんの僅かに木々の葉がざわめく音がする。それを聴いているうちに、先程までの混乱が嘘のように引いていく。

 

 ゆっくりと目を開いて、改めて、魔導王のその髑髏の顔を見つめた。

 

 彼は、先ほどと全く変わった様子はなく、ただ静かにこちらを見ているようだ。恐らく、イビルアイがどのような行動を取るのか見極めるつもりなのだろう。その静かで揺るがないその視線に、自分の行動など全て見抜かれているかのように感じる。

 

 恐らく、彼は、最初から自分が彼を受け入れることが出来ないことを知っていて、それでも静かに待っているのだろう。不意にイビルアイはそう思う。

 

 イビルアイは、そっと息を吐き、再び、髑髏の顔を見つめる。なんとなく、ひたすら自分が彼を見つめていることで、微妙に居心地が悪く感じているように感じる。髑髏には表情がないはずなのに、なぜそんなことがわかるのだろう?

 

 そして、もう一度、イビルアイは、髑髏の顔を見つめた。なぜか、一番初めに感じた恐怖がどこかに消えてしまっているのに気がつく。そうだ、彼のこの静けさは、敵に対峙している時のモモン様の背中に感じたものと同じものではなかったか?

 

 その瞬間、自分が完全に見た目に囚われて、危うく道を間違えるところだったことに気がつく。

 

 私が、モモン様に抱いていた愛は、そんな単純で生易しいものじゃなかったはずだろう!?

 

----

 

 イビルアイは、身体を震わせながら、しばらくアインズを見つめていた。

 

 アインズは、その様子を眺めながら、これからイビルアイがどのような行動にでるのかを考えつつ、いずれにしても、彼女が自分を受け入れることはなさそうだと判断していた。周囲のシモベ達は、既に臨戦体勢に入っていることだろう。せめて、苦痛なく殺してやるのが慈悲というものだ。

 

 やがて、イビルアイは軽く息を吐くと、何かが吹っ切れたのか急に雰囲気が変わった気がした。

 

 それから、アインズの赤い灯火の瞳を力強く真っ直ぐに見つめ返すと、おもむろに被っていた仮面を外した。

 

 その下から現れたのは、年齢相応の美少女といってもいい顔立ちだった。しかし、その瞳は赤く輝き口からは小さな牙が覗いている。その表情は緊張で硬くこわばりこれから起こるかもしれないことを恐れているようだった。それから、震える指でゆっくりと、右手に嵌めていた一つの指輪を外した。

 

 今度は、アインズが驚愕する番だった。

 

「この気配は……。イビルアイ、お前はアンデッド……、吸血鬼だったのか? いや、私の知っている吸血鬼とは少し違う気もするが……」

 

「私は……、私の本当の名前はキーノ。キーノ・ファスリス・インベルン。吸血姫と呼ばれるアンデッドだ。普通の吸血鬼とは少し違う種族らしいが、詳しいことは私もよくわからない。外見は幼いがもう二百年以上生きている。モモン様、いや、陛下とお呼びするべきなのか?」

 

「……アインズで構わない」

 

「では、モ……、アインズ様……。私の方こそ、自分自身をずっと隠してきました。そして、愛しているといいながらも、真の姿を見せようともせずに、愛を告白しようとした愚かな私をお許し下さい」

 

 イビルアイは、深々と頭を下げた。

 

「いや、構わないさ。この世界でアンデッドであることがどういうことなのか、私だってわかっているつもりだ。さすがにお前がそのような身体であることまでは予測していなかったがな」

 

 アインズは苦笑した。

 

 アインズの反応に少し安心したのか、イビルアイもようやく、少し固い表情が緩み、喜んでいいのか悲しんでいいのかよくわからない、といった感じの微妙な微笑みを見せた。

 

 それから、改めて、イビルアイはアインズの髑髏の顔をじっと見つめてくる。これまで見たことがなかった、仮面を外したイビルアイが見せるその真剣な表情に、アインズは少し気後れを感じた。

 

 イビルアイはしばらく、アインズの顔を眺めた後、少し息を吐き、それから少しずつ視線を下に移し、ローブの合わせ目から覗くアインズの骨しかない胸をみつめ、更に、豪奢なローブの先から覗く骨の指をじっと見つめる。

 

 さすがに、美少女といってもいい相手にゆっくり身体中を眺め回されることに、なんともいえない気恥ずかしさをアインズは感じる。

 

 やがて、ひとしきりアインズの姿を確認したイビルアイは、アインズの顔に視線を戻すと、少し安心したような風に軽く息を吐くと、今まで見たこともないようなスッキリとした綺麗な笑顔でこういった。

 

「大丈夫です。アインズ様のそのお姿を見ても、私の気持ちは変わりませんでした」

 

 その言葉は、アインズにとっては一番ありえないと思っていたものだっただけに、一瞬激しく動揺し、すぐさま沈静化された。しかし、その後感じたのは、自分を受け入れてもらえたことに対する素直な歓喜だった。

 

「そうか……。イビルアイ。いや、キーノだったか? だとすると、お前の本当の愛とやらは、どうやら信じてもいいもののようだな……」

 

 アインズのその言葉を聞き、イビルアイは急に頬を真っ赤に染めた。そのイビルアイの様子を見て、アインズも嬉しいような、恥ずかしいような、照れくさい気持ちで一杯になる。

 

(あれ、なんだろう? この気持ち。まさか、これが女性相手に好意を持つってことなのか?)

 

 少なくとも、これまで感じたことのない不思議な感情は、アインズにとってもそう気分の悪いものではなかった。

 

 

 

 




Sheeena 様、yuki14様、スペッキオ様、薫竜様、kuzuchi様、誤字報告ありがとうございました。


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最終話: イビルアイ、約束する

当初予定の最終話でした。


 二人はそのまましばらく、無言で穏やかな視線をお互いに交わし合った。

 

 もはや隠すことはなにもない、嘘偽りが必要のない関係という気安さがそうさせたのかもしれない。イビルアイの表情は満足げで、アインズもこれまでになく穏やかな気分の自分に浸っていた。

 

 しばらくして、アインズが口を開いた。

 

「先程、お前は本当の名前はキーノだと言っていたが、今後はキーノと呼んだほうがいいのか?」

「……、本当のことを言えば、アインズ様にはキーノと呼んでほしい。しかし、私は普段はその名前は隠しているので、これまで通りイビルアイと呼んでください」

 

「そうか……。お前にも、いろいろ事情があるようだな」

 

 イビルアイは少し逡巡した様子だったが、やがて口を開いた。

 

「本当は、もっとたくさん、私はアインズ様にお話したいことがあります。私が昔引き起こしてしまった恐ろしいことなんかも……。でも、私は臆病で、まだそこまでお話する勇気が今はまだありません……」

 

「……私にだって、人に話せないようなことはたくさんある。それを気に病む必要などなかろう。全てを人に包み隠さず話すというのは、勇気が必要なだけではなく、とても難しいことだと私は思っている」

 

「そう、……ですよね。本当に、その通りですね!」

 

 急に、少し元気を取り戻した様子のイビルアイに、アインズもなんとなく嬉しくなる。

 

「ところで、イビルアイ、少し聞きたいことがあるのだが、構わないか?」

「はい、なんでしょうか?」

 

「お前は先程、吸血姫という種族だと言っていたが、あいにくそれは私の知識にはない種族のようだ。この世界ではよくある種族なのか?」

 

「……実は、私にもよくわかりません。ただ、私は非常に特殊なタレント持ちだったらしく、幼いころ自分がよくわからないままにそのタレントを発動させてしまって……、気がついたらこのような身体になってしまったのです……」

 

「そうか……。それは、大変だったんだな……」

 

 どうやら、現地産のアンデッドの発生方法はなかなか複雑なようだ。後で調べてみなければ、と思いつつも、イビルアイの声がかすかに震えているのを感じ、アインズは、なぜかそうした方がいいような気がして、再びイビルアイの頭を撫でた。イビルアイは、先程とは違い、怯えることもなく撫でられるがままになっている。その様子にアインズはなぜかとても微笑ましい気分になる。それに吸血姫という聞いたことのない種族にもひどく興味を引かれる。その上特殊なタレント持ちだとすると、この世界ではイビルアイは恐らくかなりのレア物なのは間違いない。アインズは自分のコレクター欲も少し刺激されるのを感じる。

 

 ……少なくとも、このままイビルアイを手放してしまうのは、とても惜しい気がする。もちろんレアだから、というのもあるかもしれないが、それとは違う何かもある気もする。しかし、その気持ちの違いは、今のアインズにはまだよくわからなかった。

 

 おとなしくアインズに撫でられるままのイビルアイの耳には『かなりのれあもの』とアインズが微かに呟く不思議な言葉が聞こえたような気がしたが、その意味はイビルアイにはよくわからなかった。しかし、アインズが優しく頭を撫でてくれるその骨の手になぜか心が安まるものを感じて、そのままじっとしていた。

 

 

----

 

 

 やがて、太陽が夕日に変わり空を赤く染め上げる。それが、今日の約束の時間の終わりであることを告げていた。

 

 アインズは軽くため息をつくと、イビルアイに切り出した。

 

「さて、イビルアイ。私は、お前にもう少しだけ話さなければいけないことがある」

 

 それを聞いて、イビルアイは少し真面目な顔になって頷く。

 

「お前は、ある意味魔導国の最大の秘密を知ってしまった。それはわかるな?」

「……はい」

 

「だから、お前をこのまま何もなしにエ・ランテルから出してやることはできない。それも、わかってくれるな?」

「…………はい」

 

「私が提示できる選択肢は二つある。まずはそれを聞いてから、お前の答えを教えてくれ」

 本当の選択肢は三つだが、アインズは三つ目の選択肢を取るつもりは既になかった。

 

 イビルアイは無言で頷いた。

 

「まず一つ目の選択肢だが、お前が王国を、もちろん蒼の薔薇も離れて、私に忠誠を誓い私の臣下となることだ。ただし、私がお前の愛情に応えられるかどうかについては、今の段階では何も約束できないし、何かを保証することもできない。お互い、今初めて相手のことを知ったようなものだ。だから、私達の関係がどうなるかは、今から作っていくものだ。違うか?」

 

「…………。はい、それはそうだと思います」

 

「そして、二つ目の選択肢だが……」

 

「…………」

 

「私の魔法でお前の記憶を操作し、魔導王アインズと英雄モモンが同一人物であること、そして、ここであったことを忘れてもらう。その後は、これまで通り蒼の薔薇の一員として普通に行動してもらって構わない。問題は私とモモンが同一人物であるということを知ったままにしておくことなのだから。それさえ忘れてしまえば、何の問題もない」

 

 その言葉を聞いたイビルアイは、真っ青な顔をしてアインズを見つめた。

 

「どちらを選ぶのも君の自由だ。イビルアイ。私はどちらでも構わないぞ」

「ま、待ってください!!」

 

 アインズの言葉を遮るようにイビルアイが叫ぶ。

 

「ん? どうした?」

 

「忘れるのは……、忘れるのだけは嫌です! それだけは、絶対に……」

 イビルアイは全身を震わせながら、必死になってアインズに訴えかけた。

 

(むしろ、こんなことは忘れたほうが幸せな気がするんだがなぁ……。それとも、俺はやっぱり、まだよくわかっていないんだろうか……)

 アインズは首をかしげる。

 

「それでは、イビルアイよ。我が国に来て私に仕えるということでいいのか?」

 

「すみません、それも……あの、少しだけ……少しだけ考える時間をください……!」

 

 イビルアイが何に引っかかっているのか、よくわからなかったが、確かにこれはイビルアイにとっては人生の岐路のような選択だろう。ならば、少しは時間を与えるべきだ。

 

「わかった、お前が納得できる答えがでるまで待とう。ただし、もう時間も遅い。待てる時間にも限度があると知ってほしい」

 

「ありがとうございます。多分、すぐ済みますから!」

 

 イビルアイが非常に真剣な様子で悩んでいる様子に、アインズはなるべく急かさないよう気をつけようと思う。そして、シモベ達には、手を出さないようさりげなく合図をした。

 

 

----

 

 

 イビルアイはしばらく考えた後、ようやく口を開いた。

 

「私は、この国にとても魅力を感じています。この国なら、私は自分を偽ることなく生きていけるでしょう。それに、モモン様、いえアインズ様が作られていくこの国の未来がどうなるのかも見たいと思っています。でも……」

 

 イビルアイは、懇願するようにアインズに訴えた。

 

「今の仲間たち、蒼の薔薇のメンバーは、私が吸血姫であることを知っていて、それでも大切な仲間として扱ってくれているのです。それを見捨てて去ることは、どうしても……その、できないのです……」

 

 大切な仲間を見捨てたくない。イビルアイのその言葉は、長いこと仲間を待ち続けたアインズの心を打った。

 

「……なるほど。その気持ちは私にもわからなくはない。つまり、今すぐ私の元に来るのは難しいということだな?」

 

「はい。ただ、アインズ様さえよろしければ、私の忠誠をここで誓いたいと思います。そして、それをもって私のアインズ様への約束とさせてください。どのみち、そう遠くない未来に彼女たちも年を取りチームを離れることになるでしょう。その時には、アインズ様の元でお仕えしたいと思います。もちろん、先程知ったことは、決して他に漏らすことは致しません。それに……少なくとも私はアインズ様への愛を諦めるつもりはありませんから!」

 

 自信満々に宣言するイビルアイの様子を見て、アインズはイビルアイの意志が揺るがないだろうと確信する。

 

「そうか、わかった。お前の忠誠を受け入れよう。では、お前がいずれ一人になったら私の元に来るがいい。どのみち、お互いにアンデッドなのだ。我々には時間はいくらでもあるのだから」

 

「はい……!」

 

 イビルアイは、初めて心の底から溢れるような笑みを浮かべ、それから、悪戯ぽい表情を浮かべると、アインズに思いっきり抱きついた。

 

「!!? イビルアイ、一体なにを!?」

「ああ、これが本当のモモン様なのですね……! ずっとこうしたかったのです!」

 

「そ、そうなのか?」

「はい!」

 

「……骨しかないんだが?」

「こうやってみると、骨もいいものですね!」

 

 あまりにも嬉しそうなイビルアイの様子に、アインズ自身も思わずなんともいえない愛おしい気分でいっぱいになる。最後にこんな気持を感じたのは一体いつのことだったのか、アインズには思い出すことはできなかった。

 

(パンドラズ・アクターにしてやられたと思っていたが、結局は、奴の思い通りになったのかもしれないな……)

 

 そして、一生懸命自分の骨しか無い首元に顔を擦り付けているイビルアイを見ながら微笑むと、その背中にそっと手を回し優しく抱きしめた。

 

 

----

 

 

 アインズは、モモンの姿に戻ってイビルアイを黄金の輝き亭まで送ると、ナザリックに帰還した。

 

 九階層の自室に戻ると、既に中でパンドラズ・アクターが待ち構えていた。

 

「アインズ様、お疲れ様でした」

 いつものごとく仰々しいお辞儀をするパンドラズ・アクターに、軽く手を振り、ソファーに腰を掛ける。

 

「お前もなかなか素晴らしい手回しだったな。礼をいうぞ、パンドラズ・アクター」

「勿体無いお言葉、ありがとうございます!!」

 

「パンドラズ・アクター、立ってないでお前も座るがいい」

 

 パンドラズ・アクターに着席を促すと、本日のメイドであるシクススに、飲み物を出してやるよう指示をする。

 

「ではお言葉に甘えまして、失礼いたします」

 

 珍しく、隣ではなく反対側に腰をかけると、パンドラズ・アクターは少し真面目な顔をした。

 

「それで、アインズ様、今回の実験はいかがでしたでしょうか?」

 

「そうだな、思ったよりは悪くなかったと思う。それに、まさかイビルアイが現地産のアンデッドだとは思っても見なかった。どうやらユグドラシルにはいないタイプのレア種のようだ。しかも、強力なタレント持ちでもあるらしい。彼女をナザリックに取り込めればナザリックの強化にも繋がるだろう。そう考えると、今回の件は想定以上の収穫があったのではないかと思う」

 

 そういいながら、自分の手を見つめる。なんとなく、先程抱きしめたイビルアイの柔らかな身体の感触が残っていて、少しふわふわした気分がする。

 

「それは、よろしゅうございました。しかし、あのまま帰してしまって本当によろしかったのですか?」

 

「本音を言えば帰したくはなかったが……。まぁ、別に構わないだろう。私に忠誠は誓ったことだし。あの様子なら今日のことを漏らすこともなかろう。それに、いずれにしても、あれは自分からこちらに来るはずだ。そう遠くない未来にな」

 

 アインズは、その日を少し楽しみにしている自分に気がつく。

 

「そうですね。全ては、アインズ様の御心のままに」

 

 そう答えるパンドラズ・アクターの表情は読み難かったが、少なくとも自分の計略が当たったのか、まんざらでもない顔をしているように見える。

 

「……ところで、パンドラズ・アクター。今日の件、アルベドには本当にバレてないんだよな?」

 

 それを聞いてパンドラズ・アクターは不思議そうにぐるっと首をかしげる。

 

「今日は、アインズ様が気晴らしに私を供にエ・ランテルを散策なされている時に『偶然』イビルアイと出会われたため、情報を引き出すべくお話をされた『だけ』でございますよね? 何か問題になることなどございましたでしょうか?」

 

(こいつ、腹黒っ……!?)

 アインズは呆れて、パンドラズ・アクターの顔を見る。

 

「まぁ、そうだな。……それなら、確かに問題はないな」

「ええ、お気になさることなど何もございませんとも」

 

 確かにバレていたとしたら、恐らく戻ってきた時に部屋の中でアルベドが仁王立ちして待ち構えていたに違いない。そう考えると、その辺はこいつが上手いことやっていたのだろう。

 

 涼し気なパンドラズ・アクターの顔を見つつ、アインズは、後で何かあったらこいつに押し付けようと心に決める。

 

「しかし、問題が一つできてしまったな……」

「何が、でしょうか?」

 

「後で、エントマには謝らなければならない……。以前、約束していたものは諦めてほしいと。何か他のもので我慢してくれるといいのだが……」

「それは問題ないでしょう。エントマとてアインズ様の願いであればそれを受け入れるのは間違いありません」

「それはそうなんだがな……。本当に、私は我儘だな」

 アインズは思わず苦笑する。

 

 「アインズ様はもっと我儘を言われてもよろしいかと」

 

 アインズの困ったような表情を見てパンドラズ・アクターは楽しそうに笑った。

 

 

----

 

 

 翌日、イビルアイは宿を引き払い、エ・ランテルの街から去ることにした。

 

 いつものローブを纏い仮面を被ったイビルアイは、荷物をまとめ黄金の輝き亭を後にすると、エ・ランテルの城門に向かう。

 

 もう、今回の目的は十分に果たせたのだ。いずれこの街にはまた来ることになるだろうし、その機会はこれからいくらでもあるだろう。

 

 左手の薬指には、昨日別れ際にアインズから渡された指輪が嵌っており、イビルアイはその指輪をそっと撫でる。

 

『たいした品物ではないが、これを持っていくがいい。アンデッドの弱点である炎属性と神聖属性の耐性を上げる効果のある指輪だ。今日は私も楽しく過ごせたからその礼だと思ってくれ』

 

 アインズはつまらない品だと笑っていたが、イビルアイからすれば大層なマジックアイテムだった。

 

「これがつまらない品物だというのだから、アインズ様は、本当に大した御方なのだな……」

 

 呆れたような口ぶりで言ったものの、なにより、愛する人から贈られた品である。それに、自分を守る効果があるということも、純粋に嬉しかった。これからは、彼がいない時もこの指輪が自分を守ってくれるだろう。

 

 そんな風に思っただけで、イビルアイは自分の気持ちが高揚し、愛情で胸がいっぱいになるのを感じる。

 

(今すぐは無理だけど、あと何年かしたら、きっとあの方の心を手に入れてみせる! 同じアンデッドなのだし、何の問題もないはずだ!)

 

 そう、私達には時間だけはたくさんあるのだから。

 

 今までは、悲しみでしかなかったその事実は、今のイビルアイにはこの上ない幸せに感じられる。

 

 イビルアイは、城門をくぐり、エ・ランテルの街の外に出た。

 

 しばらく歩いてから、ゆっくりとエ・ランテルの街を振り返る。

 

 門の前には、来た時と同様に愛しい人の像が二つ置かれてあった。それを長いこと見つめ、そっと指輪にキスをする。

 

 そして、イビルアイは徐に転移魔法を唱えると、王都へと帰還した。

 

 

 

 




アンコール・スワットル様、薫竜様、誤字報告ありがとうございました。

----

初めてまともに書いたSSでしたが、拙い文章を最後まで読んでくださった皆様、そして、感想、評価、誤字報告をしてくださった皆様、本当にありがとうございました。

これは、本編のアインズ様とイビルアイがほんの少しだけ、幸せになってくれることを願って書いた物語です。

あくまでもイビルアイの死亡フラグが消えスタートラインに立てただけなので、この後どうなるかはわかりませんが、イビルアイならきっと乗り越えてくれるでしょう、多分……


アルベド「抜け駆けなど許さん」
シャルティア「こんなの認めないでありんす」
エントマ「…………コロス」

アインズ「ちょっと待って!?お前たち、コワイ」




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幕間
アルベド VS アインズ(前編)


需要があるかはわかりませんが、後日談その1です。気が向いたので書いてみました。後悔はしていない!


 それは、ある意味、ほんのちょっとした不幸な偶然が重なった結果だった……。

 

 アインズとイビルアイが秘密の『デート』をした翌日、アルベドとモモンに扮したパンドラズ・アクターは、いつものようにエ・ランテルの魔導王の執務室で執務を執り行っていた。最も、国の方針に関する重要な案件についてはナザリックでアインズが決裁する必要があるため、二人が取り扱っているのは、あくまでもそれ以外の雑務にあたる部分に関してのみである。

 

 建国以来、魔導王が午前中はこの場所で執務をしていたという慣例上、アインズが休養中も、毎日この時間帯は二人が執務を執り行い、宰相アルベドや任期付都市長モモンに謁見を求める者などの対応も済ませることになっていた。

 

 そして、その日の執務時間の終了直前に入っていた謁見予定が、モモンの旧知の仲であり魔導国冒険者組合長アインザックだったのもほんの偶然だった。

 

 アインザックの用件は、冒険者組合の現状報告及び組合で発生している問題の相談であり、その事自体は特に滞りなく片付き、アルベドとモモンの提案に納得したアインザックはいつものように丁重に部屋を辞そうとした。……のだが、その帰りしなに彼は何の悪意もなく、ナザリックを破壊しかねない巨大な爆弾を落としていったのだ。

 

「そういえば、モモンくーー殿、昨日は随分お楽しみだったとか? 街では結構な噂になっておりましたよ。さすがに英雄モモン殿の人気は半端ないですな」

「組合長、一体何の話をしていらっしゃるのでしょう? 私にはなんのことやらわかりかねますが……」

 

 若干ニヤニヤ笑いをしながら、モモンをからかうような口調で話しかけたアインザックに、モモンことパンドラズ・アクターは、全く心当たりがないとばかりの冷静な口調で応える。

 

「別に隠すことなどないでしょう! モモン殿と私の仲ではないですか。しかし、モモン殿の趣味がまさかロリ……ごほん。いや、うら若い女性だったとは。以前、その……大人向けの店にお誘いした際に、モモン殿の反応がイマイチだったのも頷けますな」

「組合長、あまり根も葉もない噂を広めるのはやめてください。あと、あの娼館でのことはいい加減忘れていただけませんか?」

 

 モモンの呆れたような言葉も無視し、アインザックはふむふむと勝手に一人で納得すると、自分は理解のある大人の男だから何も心配しなくてもいいといった顔をしていたが、やがて、モモンの隣に座って二人の様子を眺めつつ、若干冷たい視線を自分に投げかけているアルベドに気がついたらしく、少々慣れ慣れしかった態度と口調を改めた。

 

「ああ、宰相様、御前で大変失礼を致しました……。それではアインザック、これにて退出させていただきます。モモン殿、それではまた!」

 

 アインザックは慌てて話を切り上げ、アルベドに向かって恭しくお辞儀をすると、そそくさと部屋を出ていった。

 

 バタン、と彼がドアを閉める音が妙に大きく部屋に響く。

 

 そんなアインザックを聖母のような優しい微笑みで見送ったアルベドの顔は、執務室の扉が閉じた瞬間、まさに鬼というべき形相に变化していた。部屋の空気は急激に冷え込んだように感じられる。扉の側に控えているメイドがかなり怯えているように見えるのは気のせいではないだろう。

 

「……パンドラズ・アクター。今のは一体どういうことかしら?」

 

 静かにそう告げるアルベドの声は、逆にその怒りの深さを思わせるもので、普通の神経のものだったらその場に倒れるか、慌てて逃げ出してもおかしくはなかった。

 

「はて? 何のことでしょうか? 守護者統括殿」

 

 不思議そうに首を傾げるパンドラズ・アクターを見て、アルベドはギリリとものすごい音を立てて歯ぎしりをする。

 

「貴方、昨日の午後はアインズ様のお供をしてエ・ランテルを散策するという話しだったわね?」

「ええ、そのとおりです。それが何か?」

 

 アルベドのあからさまな脅迫にもどこ吹く風といった顔で全く動じる様子もないパンドラズ・アクターの様子が、アルベドの膨れ上がる怒りの炎に更に一層油を注ぐ。

 

「貴方ね……。昨日アインズ様に何があったのか、正直に言いなさい!」

 

 アルベドは目の前の机を思いっきり叩きつけ、本来なら割れるような代物ではない重厚な黒壇の机に大きなヒビが入る。

 

「統括殿、アインズ様の机にそのような傷をつけるのは、少々はしたないのでは……?」

「なんですって!? 憎まれ口もいい加減になさい!!」

 

 やれやれ、といった風に肩を竦めるパンドラズ・アクターだったが、それで収まるようなアルベドではない。

 

「ですから……別にそのようにお怒りになるようなことなど、何もありませんでしたよ。何しろ、私が不可視化してずっとアインズ様のお側についておりましたから、余計な羽虫が近寄れる余地などあるわけないでしょう?」

 

「パンドラズ・アクター、私が聞いているのはそんなことじゃないわ! だいたい、先程のアインザックの話で、とてもそんな風には思えるわけないでしょう!? 少なくとも噂になるくらいには近づいた女、しかも少女? がいたのよね? 誰なの、不敬にもアインズ様に近づこうとした愚かな女は……!」

 

 アルベドの形相は既に鬼を通り越して、その本来の姿すら垣間見えるくらいの凄まじいものになっている。

 

 正直、アルベドとタイマンで力勝負になった場合、パンドラズ・アクターがアルベドから逃げ切ることは出来なくはないだろうが、少なくともシモベ同士がそのような喧嘩をしたことがモモンガの耳に入れば、慈悲深き彼の君が心を痛めることは間違いない。であれば、やはり直接衝突は避けなければならないだろうとパンドラズ・アクターは考える。

 

(これは少々まずいことになりましたね。なんとか父上の御為にも統括殿を宥めませんと……)

 

 全く、アインザックも余計なことをしてくれたものだ。パンドラズ・アクターは内心で独りごちながら、アルベドに向き直った。

 

「統括殿、少し落ち着いてください。モモンは市民に大変人気がございますから、それで面白半分に噂に尾ひれがついただけでしょう。昨日、アインズ様が散策されている時に、偶然、例の蒼の薔薇のイビルアイと出会ったんですよ。なにしろ彼女は大分前からモモンを追いかけ回していましたからね。私がモモンをやっている時であればよかったのですが、昨日は珍しくアインズ様がモモンをされておりましたから……」

 

「イビルアイですって……?」

 アルベドから、さらにギリィという大きな音が聞こえる。

 

「ただ、いくら羽虫とはいえ追い払うのはモモンとしての名声に傷がつきかねませんし、なにより、アインズ様は非常に慈悲深い御方。そんなわけで、アインズ様はイビルアイを上手く宥められて、その後少しばかり戯れで彼女に時間を割かれた、というだけの話ですよ。別に守護者統括殿がお気になさるようなことなどございません。それに、あのような下賤の者など、所詮我らが麗しの統括殿の敵ではないでしょう?」

 

 パンドラズ・アクターの言葉で多少は落ち着きを取り戻したようではあったが、それでもまだ納得の行かない様子でアルベドは言いつのる。

 

「そ、それは……、もちろん、あんな小娘に負けるつもりなんてないけれど……。でも、だからといって、アインズ様と一緒に散策なんて……不敬にも程があるわ!」

 

 私だってそんなことしたことないのにぃ、というアルベドの心の声が聞こえたような気がしたが、パンドラズ・アクターは気が付かなかったことにする。

 

「それと、アインズ様はイビルアイから面白い情報を入手されたようですよ。なんでも、イビルアイは現地産の吸血鬼の一種で、結構レア種らしいのです。統括殿は、確か現地産の吸血鬼の実験体を欲しがっておいででしたよね? アインズ様の見事な手腕で、既にイビルアイに忠誠を誓わせておられます。ですから、今すぐというわけではなくとも、今後、イビルアイがナザリックの忠実なシモベの一人になるのは間違いありません。統括殿としても、非常にご都合のよろしい結果なのではありませんか?」

 

「……あら、そうだったの? ふーん、あのイビルアイがね……。ちょっと意外だったわ。確かにそれは悪くない情報ね。さすがはアインズ様……」

 

「ですから、別に問題ないと申し上げましたでしょう?」

 

 それから、パンドラズ・アクターは声を低くしてアルベドに通告した。

 

「……それに、私と貴女は同志の筈。その私の言を疑われるのはあまり嬉しくはありませんね」

 

 そのパンドラズ・アクターの言葉に一瞬はっとした様子になったアルベドは、興奮した様子を抑えるといつもより少し酷薄な微笑をする。

 

「……。そうね。悪かったわ。私達は協力関係にあるのだから、疑うなど愚かな行為だったわね。謝罪させていただくわ。パンドラズ・アクター」

 

「おわかりいただけたのならよかったですよ。私とて、貴女とことを構えたくなどありませんから」

 

「そうね。それは私もよ。ただ、次はできれば私にも一言報告をくれると助かるわ。お互い誤解の元になることは避けないといけないから」

 

「確かにもっと早くご報告はすべきでした。これは私の手落ちでしょう。以後は気をつけます」

 パンドラズ・アクターは、軽くアルベドに向かってお辞儀をする。

 

「わかってくれたのなら構わないわ。ああ、でも、やっぱりちょっと憎たらしいわね、イビルアイ……」

 イビルアイに対する怒りはまだ冷め切らぬ様子のアルベドは、それでも尚美しく、女神然としたところは変わらない。

 

(全く父上にご迷惑をかけるようなことさえしなければ、統括殿も非の打ち所のない女性でしょうに。ほんとに美人というものは得ですね)

 落ち着きを取り戻したかのようにみえるアルベドの様子を眺めながら、パンドラズ・アクターは思案する。

 

(どうやら一旦収まったようには見えますが、念のため、後で父上に一言連絡を入れておいた方が良いでしょう。いくらなんでも守護者統括殿も父上の好感度が下がるような真似はしないと思いたいですが、以前にも暴走している守護者統括殿のことですし……。万一の場合の対策も考えておかないと不味いかもしれません)

 

 パンドラズ・アクターはアルベドに気が付かれないようにそっとため息をついた。

 

 

---

 

 

 今日の分の執務の内容についてアインズに報告をするべく、アルベドはパンドラズ・アクターが出ていった後も、執務室に残り各種の報告書を仕上げていた。

 

 アルベドの走らせるペンの音がサラサラと小気味よく流れ、凄まじい勢いで書類を作成していくその姿は、まさに魔導国が誇る敏腕宰相の名に相応しいものである。しかも、これを見せる相手が自分の愛する主人であることを考えるとそれだけで、アルベドの気持ちは高揚して、より一層優れた報告書にしなければと気合が入る。

 

 魔導国は全体として上昇基調にあり、国民達もかなり現在の治世を受け入れつつある。未だ反抗的な者たちが全くいないわけではないが、多少はそういう者たちを残しておき、反体制勢力を監視しやすくしておくのも大事なことだ。

 

(王国も刈入れ時が近づきつつあるようだし、デミウルゴスの聖王国が片付いたら、そろそろ刈り入れに向かう頃合いね。八本指からの報告では、あの思い出すだけでも不快な馬鹿が上手いこと火種を撒き散らかしてくれているようだし、ラナー王女がせっかく整えてくれた下準備も最大限有効活用した方がいいでしょう。あの女はなかなか期待に応える力が十分あるようだから、王国の件が上手く片付いたらもう少し便宜を図ってあげることも検討してもいいかもしれないわね)

 

 そう、例えば、あの犬の件とか……。

 

 アルベドは、ラナーの意図には全く気がつきもせず無邪気にラナーに纏わりついては笑うクライムの姿を思い浮かべ怪しい笑みを浮かべる。

 

(ああ、私もアインズ様をあの女が考えているような感じに出来たらどんなにいいかしら……)

 

 アルベドは、かなり不敬で良からぬことをアインズにする自分をつい妄想する。思わず、口から涎を垂らし、肉食獣的な本能を丸出しにしそうになって慌てて考えを振り払う。

 

(さすがに、これは不敬すぎる考えというものよ。別に、私はあの御方を汚すようなことをしたいわけじゃないのだから)

 ほんの少しだけペンを止め、アルベドは手元にある羊皮紙の上に並んだ字を眺める。

 

(……本当になかなか上手くいかないものね。せめてもう少し愚かな方であれば簡単に落とす自信はあったのに。いえ、でもそこがアインズ様の魅力なのよ。まさに不落要塞とでもいうべき、端倪すべからざる御方なのだから……。まさにこのサキュバスである私の全『性力』を傾けて落とすに相応しい……)

 

 アルベドは、彼女の心を魅了してやまない美貌の君のことを考えて、うっとりした表情になる。

 

(シャルティアなどに正妃の座を譲り渡すわけには絶対にいかないわ。そのためには、なんとしても私が先にアインズ様の御心を手中にしなければ!)

 それが叶うのなら、どんな手段を使うことも辞さない。アルベドは固く心に誓う。

 

 しかし――

 

 アルベドは、先程の一件が妙に引っかかっていた。

 

 一応、パンドラズ・アクターが挙げた理由も筋が通ってはいたし、現地産吸血鬼だというイビルアイを利用すればアインズを攻略する手がかりを入手できるかもしれない。これはかなりの吉報だとは思う。それに異形種のレア種ということであれば、常日頃ナザリックの強化に力を入れている主人が、ナザリックに取り込もうと考えるのはごく当たり前のことで、そこに異を唱えるつもりはアルベドにはなかった。

 

(ハムスケの例もあることだし、智謀の君であられるアインズ様がナザリックに必要とご判断されたうえ、アインズ様に既に忠誠を誓っているというなら、私ごときシモベが口をはさむことではないのだけれど……。どうにも、引っかかるのよね。あのパンドラズ・アクターの態度といい。やっぱり、何か隠しているんじゃないかしら?)

 

 それは、まさに恋する大口ゴリラ、いや、乙女の直感といってもいいものだったに違いない。

 

「……悪い芽は小さいうちに摘めともいうことだし。いくらアインズ様にその気がおありではなくても、イビルアイにあるのは事実。……不敬かもしれないけれど、こればかりは黙って見過ごすわけにもいかないわよね……」

 

 アルベドは、再び猛烈宰相の顔になると、書類の山を作成する作業に戻る。そして、纏め終わった報告書を手早く眺めて内容を確認すると、満足げに微笑んで書類の束をまとめる。

 

 それから、普段と何も変わらない優美な姿で立ち上がると、控えていたメイドにナザリックに帰還する旨を告げた。

 

 

----

 

 

 ナザリック九階層の自室で、執務机を前にしたアインズは頭を抱えていた。

 

(どう考えても、いずれイビルアイをナザリックに迎え入れるのであれば、早めにイビルアイの件をアルベド達に話さない訳にはいかないよなぁ……)

 

 『報連相は早めに』ということはアインズ自身も身にしみていることでもあるし、シモベたちにもこれまでアインズ自身が重ね重ねいってきたことでもある。だから、支配者であるアインズがそれを疎かにするわけにはいかない。しかしながら、この件に関してアインズが脳内で話し方をあれこれシミュレートしても、最終的にはアルベドと修羅場になる結果にしかならないのだ。

 

(シャルティアはな……、なんだかんだいっても、受け入れてくれるとは思うんだよ。なんといっても同じ種族だし、ペロロンチーノさんの性的嗜好からいって、イビルアイはシャルティア的にも結構好みのタイプな気がするし。それがいいのかどうかはよくわからないが……)

 

 だが、アルベドは一筋縄ではいかないだろう。守護者統括としての立場的にも、恐らく自分がやらかした設定的にも。

 

(どうしたらいい? いや、別にアルベドだって命令すれば受け入れるんだろうけど、なるべくそれはしたくないし……)

 

 事前にデミウルゴス辺りに相談しておけばよかったと今になって後悔するが、何分、彼は今聖王国でのイベントのクライマックスの準備で多忙な筈であり、かなり個人的な部類に入るこのような案件で、デミウルゴスを煩わすのはさすがに躊躇われる。

 

「これは、腹を括って話すしかないだろうな。別にイビルアイと何かあったわけじゃないのは本当のことだ。逆に下手に隠せばあの頭脳明晰なアルベドのことだから、余計なことまで勘ぐるに違いない。何気なく、そう、何気なくだ」

 

 しかし、かなり前にハムスケをペットにするといった時も、アルベドは凄い剣幕で反応していたことをアインズは忘れてはいなかった。

 

(いくら巨大だとはいえ、たかがハムスターくらいでアルベドがどうしてあんなに怒ったのか俺には全く理解できないんだが……。所詮ただのペットじゃないか? だけど、今回のは年齢はいくら二百歳といえども見た目は女の子だからなぁ。アルベドはハムスケの時よりももっと怒るような気がする。……一体どんな感じに説明すれば、アルベドは納得してくれるんだろう?)

 

 相手は自分の部下だというのに、まるで親会社の社長相手にミスの弁解をしてくるように上司に命令された気分になってくる。

 

(いや、これはそもそもミスとかじゃないし。いわゆる有能社員の引き抜き案件と同じはずだ。実際、イビルアイの能力はこの世界としては格段に有能な部類だろう。それをとにかく主張してイビルアイの有用性を説明するしかない。アルベドだってナザリックに利があると納得すれば、問題ないはずだ)

 

 うんうん、とアインズは一人で頷く。アルベドが聞いたら、違う、問題はそこじゃない、と突っ込まれそうだが、アインズにはそれは未だ理解の範疇外のことだった。

 

 誠意を持って説明すれば、大抵のクレーマーは納得してくれる、そう鈴木悟が勤めていた会社の先輩も言っていた。

 

(別に、アルベドはクレーマーなわけじゃなくて、単に俺が設定を書き換えてしまったせいで少し……その、残念になってしまっているだけなんだから、きっと大丈夫に違いない。よし、この方針で行くぞ!)

 

 アインズが一人、PVN をする悲壮な覚悟を決めた時、部屋をノックする音が聞こえた。

 

 今日のアインズ当番のメイドであるデクリメントが応対し「アルベド様が、入室の許可を求めていらっしゃいます」と言ってきたので、軽く手を振って許可を出す。

 

 その時、唐突にアインズの頭の中に聞き慣れた若干喧しい〈伝言〉の声が響いた。

 

『父上、パンドラズ・アクターです! 実はアルベドに昨日の件がバレました。一応私の方でも対策は考えますが、くれぐれも統括殿にはご注意くださいますようお願いします!』

 

 それだけ言ってパンドラズ・アクターからの一方的な〈伝言〉が切れる。

 

(ちょっと待って!? せめて、どういう状況になってるのかだけでも説明してから切れよ!)

 

 と思うが既に遅い。アルベドには入室許可を出してしまったのだ。今更もう一度、アインズの方からパンドラズ・アクターに〈伝言〉する時間などない。当のアルベドはとっくに部屋の中に入ってきてしまっているはずなのだから。

 

 目を上げると、非常に妖艶な笑みを湛えたアルベドが、既に執務机のすぐ側であるいつもの場所に立っていた。

 

「アインズ様、本日のエ・ランテルでの執務に関する報告書をお持ち致しました」

 

 そのセリフはいつもと全く同じものであったが、アルベドの背後に絶望のオーラと似たような何かが漂っているのが感じられる。アインズは思わず、出ない唾を飲み込んだ。

 

「それと、昨日はいろいろ楽しまれたそうですね。宜しければアルベドにも詳しいお話をお聞かせいただけないでしょうか?」

「あ、ああ、その件については、先に書類仕事を片付けてからだな……。それで構わないだろう?」

「もちろんでございます。ゆっくりお聞かせいただければ、アルベドも嬉しゅうございますわ」

 

 アインズは、とりあえず当座の問題を数時間後の自分に丸投げすることにした。なんとかその間に、アルベドを上手く誤魔化す言い訳を思いつけるよう願いながら、虚ろな目で書類の字面を追うが、当然のことながら内容は全く頭に入ってこなかった……。

 

 




アンコール・スワットル様、薫竜様、kuzuchi様、誤字報告ありがとうございました。


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アルベド VS アインズ(後編)

 およそ四時間ほどで山のようにあったはずの書類も尽きてしまった。アインズは、これほど仕事が終わらなければいいと思ったことはかつてなかった。もちろん、リアルにいた時でさえ。

 

 その間、ずっと側に控えて書類仕事の手伝いをしてくれていたアルベドは、今は決裁の内容に合わせて書類を分類し明日の仕事に備えているようだ。見た目的にはいつもと全く変わりのない光景だが、今日はこの後にレイドボス級のイベントが待ち構えているのだ。

 

(何が全てお任せくださいだ! パンドラズ・アクターめ!)

 

 心の中でパンドラズ・アクターに八つ当たりをするが、最終的に責任を取らなければいけないのは、いくら嵌められたとはいえ作戦に同意した上司であるアインズだ。後は、覚悟を決めてやるしかないだろう。

 

「それでは……、一段落ついたようだし、そちらのソファーで話をしようか。アルベド」

 アインズが声をかけると、アルベドは嬉しそうな顔で頷く。

 

(こうやって見ていると、別に普通に話せばいいだけな気もするんだが……。なんだろう。俺の直感が、これは危険だと叫んでいる……)

 

 しかしいつまでも時間を引き伸ばすことは出来ない。アインズは重い腰を上げ、部屋の中央にあるソファーに移動する。アルベドもそれに追従するように移動してくるが、そのままソファーには座らずに立っている。

 

「アルベド、向かいに座るがいい」

「ありがとうございます。では失礼致します」

 

 優雅にふわりと腰の周りの羽を一瞬嬉しそうに広げて、アルベドはアインズの向かい側に腰をかけた。

 

 さて、どう話したものかとアインズが考え込んでいると、アルベドが首を傾げるようにこちらを見ていたが、やがてひどく可愛らしい雰囲気で口を開いた。

 

「アインズ様、できれば人払いをお願いしたいのですが……ダメでしょうか?」

 

 一瞬、アインズはそのあまりにも魅力的な声と仕草に目眩のようなものを感じた気がした。しかし、アルベドの提案はアインズとしてはあまり譲りたくない一線だった。

 

 確かに、これから話す話を他のものにはなるべく聞かれたくない、という気持ちはアインズにもある。だが、例のアルベドご乱心の事件を思い出すと、一人きりでアルベドと対峙するのも怖かった。恐らく八肢刀の暗殺蟲では、いてもいなくてもアルベド相手には役に立たないかもしれない。しかし、それでもアインズは部屋の中に味方がいて欲しかった。何よりもそれで多少の牽制になれば、十分用は足りるのだから。

 

「アルベド、お前が何を考えているのかはわからないが、これからする話は大した内容でもないわけだし、別に構わないのではないか?」

 アインズはアルベドの妙な雰囲気には気が付かなかったふりをして、ささやかな抵抗を試みた。

 

「そんなことはありません! アルベドもアインズ様とたまには二人きりで過ごしてみたいのですわ。別にエ・ランテルを一緒に散策したいとまでは申しませんから!」

 

(くそ! これ、どう考えても完全にバレてるじゃないか!?)

 心の中で思いっきり、パンドラズ・アクターの頭を殴りつける。

 

「……昨日だって、私は一人でうろついていたわけではない。パンドラズ・アクターも一緒だったし、他にも多くのシモベが周りにいた。ならば、それと同じだろう?」

 

「それでも……ですわ。エ・ランテルと比べて、ナザリック内部の防御は完璧です。それに万が一の時には、この私が命に代えてアインズ様をお守り致しますから……!」

 

 いや、一番コワイのはお前だ、とはさすがのアインズも言うことは出来なかった。

 

 もはや完全に退路を絶たれた気分になったアインズは、渋々シモベ達に退室するよう命令をし、アルベドと二人きりで向かい合った。二人の間を隔てるのは、ソファーの間にあるローテーブルのみ。アルベドが相手では、こんなものは何の防御にもならないだろうとアインズは絶望する。

 

「それで、アルベド、……昨日の話を聞きたいのだったか?」

 

「はい、非常にアインズ様が楽しまれたという噂を耳に致しましたので。なんでも、可愛らしい女の子を連れていらしたそうですね?」

 

 にこやかに微笑んでいるアルベドだが、その笑顔の後ろに薄ら寒いものを感じる……。しかし、ここは、なるべく正直にさり気なく話をすれば別に問題などないはずだ。俺には何も後ろ暗いことなど何もないのだから……。いや、後ろ暗いことをしようとしてもどのみちナニもないし……。

 

 自分の考えにほんの少しだけもの悲しい気分になるが、アインズは当初の予定通り、なるべく無難に話をすることにした。

 

「可愛らしい女の子というが……、アルベド、お前も知っているだろう。つい最近、蒼の薔薇がエ・ランテルに来ていたことを。昨日、エ・ランテルの街中で偶然そのイビルアイと出会ったのでな。少しばかり散策がてら話を聞いただけのことだ。別に、お前が興味を持つほどの面白い話でもなんでもないだろう?」

 アインズは苦笑した。

 

「……、本当にそれだけなのでしょうか?」

 

「もちろんだとも。ああ、ただ、そのついでに、イビルアイの思いがけない素顔が知れたのは収穫だった。奴は、吸血姫という私でも聞き覚えのない吸血鬼のレア種らしい。現地産でコミュニケーション能力のある知能の高いアンデッドというのもレアだと思う。少なくとも、そのような個体は我々が出会った現地産のアンデッドの中では、今のところ六腕配下にいたというエルダーリッチくらいではないか? まあ、あれは、王国の事件の際に死んでしまったわけだが。だとすると、イビルアイはナザリックにとってなかなか得難い戦力になりうる存在だろう。少なくとも私はそう思っている」

 

 アインズはここぞとばかりにイビルアイの売り文句を並べ立てた。鈴木悟の営業スキルの見せ所だ。この内容なら、いくらアルベドでも文句のつけようはないはずだろう。

 

「それは、確かに興味深いお話だと私も思います。現地産の吸血鬼は私としても実験体として欲しかったことでもありますし。そのようなことであれば、アインズ様さえ宜しければ、イビルアイを捕獲して実験に利用したいと思うのですが構わないでしょうか?」

 

 アルベドから、何かネットリしたような視線を感じるような気がする。それに、これを許可すると非常に物騒なことをアルベドがしそうな気がするのは気のせい……じゃないだろう。

 

「いや、それは却下だ。イビルアイは私に既に忠誠を誓っているし、いずれナザリックに迎え入れようと考えている。だから、そのような扱いをすることは許可できない」

 

「私としては、アインズ様がそのように既にご決定されたということでしたら、特に異存はございませんが……。それは本当に、イビルアイがレアな現地産の吸血鬼だから、という理由だけなのでしょうか?」

 

 その言葉で、ほんの一瞬、昨日のイビルアイを抱きしめた時の柔らかい感触を思い出して、アインズは再び何とも言えない暖かい気持ちになり、ただの骸骨でしかない顔が少し火照った気がする。

 

 しかし、アインズの建前の理由は、先程話した内容通りであるのは間違いないし、アインズの本心としても、その理由でほとんど正しいはずだ。少なくとも嘘を言っているつもりはない。アルベドが何を知りたがっているのか今いち理解できないアインズは、アルベドの突っ込みに首を傾げた。

 

「……私としてはそのつもりだが、他に何か問題でもあったか?」

 

「いえ、実は先程少し気になることがエ・ランテル中の噂になっていると耳にしたものですから……。なんでも、モモン様、いえ、アインズ様と蒼の薔薇のイビルアイが『恋仲』になっていると……」

 

 アルベドは少し俯き、肩を震わせているように見える。

 

「…………は?」

 

 アインズは『恋仲』などという、一生自分に適用されることがないと考えていた単語を聞いて、驚愕のあまり間抜けな声をつい出してしまった。しかし、これでは余りにも支配者として不適切な態度だと思い直し、軽く咳払いをして誤魔化すことにした。

 

「んん……、アルベド。すまないが、もう一度言ってくれるか?」

 

「ですから、アインズ様とイビルアイは恋人同士だという噂でエ・ランテルが持ち切りなのだそうです。……このアルベド、ずっとアインズ様をお慕い申し上げて参りましたのに……。この噂は本当なのでしょうか?」

 

 アルベドは俯けていた顔を上げ、その美しい瞳から、はらはらと真珠のような涙を溢れさせてこちらをじっと見つめている。その様子を見るだけで、アインズは自分の犯したことの罪深さを思い知り、無い心臓が締め付けられるような気分を味わう。そんなつもりはなかったが、アルベドからすれば、自分の昨日の行動は裏切り行為といってもいいものだったのかもしれない……。

 

「アルベドよ、それは誤解だ。少なくとも、私はイビルアイとはそのような関係になったつもりはない。それはイビルアイだって同じだろう」

 

「……それは、本当でしょうか?」

 

「嘘をいってどうするんだ? そもそも、昨日出会って話をするまで、私はイビルアイがアンデッドであることを知らなかったし、イビルアイだってそうだ。それなのに、急にそんな話になるはずなどありえないだろう? 一体何処でそのような噂になったのかは知らないが、それは全てただの誤解だ。さぁ、これで涙を拭くといい。アルベド、お前には涙は似合わないと思う」

 

 そう言って、アイテムボックスからハンカチを一枚取り出すと、身体を乗り出して、アインズはアルベドの涙を拭こうとした。

 

 と、その時、アインズの目の前が急に逆転したような感覚を覚える。そうだ、この感覚には覚えがある。以前アルベドに押し倒された時の……。

 

 そこまで考えて、アインズは我に返った。ちょっと、やばいんじゃこれ……。

 

 目の前には、完全に肉食獣と化した、残念な美女の顔があり、自分はソファーに組み敷かれていることに気がつく。

 

「ちょ、ちょっと待て! アルベド! 一体何をする!?」

 

「……アインズ様にそのような噂をたてられるくらいでしたら、私が先に既成事実を作りたく思います!」

 

 ダメだ。これは。完全に目がイッてる。しかも、今日はあの時とは違い、八肢刀の暗殺蟲もマーレもいない。自分一人でアルベドから逃げるのは、ほぼ不可能だ。

 

 念のため、ほんの僅かな期待を込めて天井を見上げるが、当然そこには誰もいない。やはり人払いするべきではなかった。アインズは盛大に後悔する。だが、もう遅い。

 

「アルベド! 話せばわかる! わかるから、少し落ち着け!!」

 

 必死になって抵抗を試みるが、魔法詠唱者であるアインズの力など、所詮戦士のアルベドからすれば赤子のようなものである。

 

「大丈夫ですわ、アインズ様。天井の八肢刀の暗殺蟲を数えて……、いえ、今日はおりませんでしたわね。ゆっくり明かりの数でも数えていてくだされば、それで全て終わりますから!」

 

「大丈夫じゃない! いいから、私から降りろ! アルベド!」

 

「今日のために、アインズ様のローブを脱がす練習もちゃんと行って参りましたので、前回よりもスムーズにことを進められる自信があります。アインズ様がイビルアイに与えられた御慈悲程度で構いません。私にもどうかお与えくださいませ」

 

「いや、だから! イビルアイとは何もないと言っているだろう!?」

 

 しかし、この PVN に於いてアインズには勝ち目はほぼない。勝つとしたら、そもそもこのような状況にならないようにするか、偶然誰かが助けにやってくることに賭けるしかないだろう。だが人払いをしてしまった以上、助けがくる可能性は限りなく低い。アインズは己の迂闊さに歯噛みをする。

 

 そうこうしている間に、アルベドは上手いこと自分のローブをはだけさせ、完全にマウント状態になっている。練習したかいがあったのか、自分の手際の良さにアルベドが幾分得意そうな顔をしているように感じる。

 

(もう、このまま、俺はアルベドに喰われるしかないのか……)

 

 さすがのアインズも抵抗するのを半分諦めかけたその時、部屋の扉が大きな音を立てて開き、パンドラズ・アクターと、シャルティア、アウラが駆け込んできた。

 

「アインズ様! ご無事でしたか!?」

「おい! この大口ゴリラ! アインズ様に何やってやがるんだ? ゴラァ!」

「ちょっと、シャルティア、そんなこと言ってないで、アルベドを取り押さえるのを手伝って!」

 

「!!? あんた達、一体どうして……!? あとちょっとだったのにぃ!!」

 

 悔しそうに叫ぶアルベドを、シャルティアとアウラが上手に連携して取り押さえ、パンドラズ・アクターが恐らく宝物殿から持ち出したのだろう、見覚えのない拘束アイテムを使ってアルベドを拘束する。

 

「間一髪でしたね。シャルティア殿、アウラ殿、御協力ありがとうございました」

 

 珍しく真面目にお辞儀をするパンドラズ・アクターに、アウラとシャルティアも満更ではない様子で応えている。

 

「そんな、いいって。そもそもアインズ様をお守りするのが私達守護者の仕事だしー」

「全くでありんす。それなのに、まさかアインズ様を襲ったのが同じ守護者の、しかも統括だなんて、ほんと信じられない話でありんすね」

 

「いや……。本当に助かった。ありがとう、お前たち。全く情けないところを見せてしまったな……」

 アインズは心からそう思い、三人に礼をいう。

 

(た、助かった……。ほんと、もうダメだと思った……)

 

 アインズは酷く乱れた自分のローブを直しながら、アルベド対策を真面目に考えなければいけないと決意する。二度ある事は三度あるとか言うんだったか。とにかく、アルベドがこれで諦めるとはとても思えない。それにこれ以上シモベにこんな姿を見られるのは、支配者としても、男としても余りにみっともなさすぎる。

 

「そんな、アインズ様にお礼を言われるようなことじゃありんせんから。そもそもこの大口ゴリラが全て悪いに決まってますぇ」

「全くですよ。理由はともかく、アインズ様にこのようなことをするなんて。……ほんと、信じらんない」

 

 アウラとシャルティアが口を揃えてアルベドを睨みつけた。パンドラズ・アクターは黙ったまま、それを二人の脇に立って見ているようだ。

 

「……、アインズ様、申し訳ありませんでした……」

 

 同僚二人の冷たい視線に多少思うところがあったのだろう。アルベドがおとなしく俯いて謝罪した。

 

「……アルベド。確かに今回は私にも至らぬ点はあっただろう。だが、こういうことはお互いの同意のもとにやるべきだと私は思うのだ。違うか?」

 

「仰る通りだと思います……」

 

「わかってくれたのなら、それでいい。もう二度とこんなことはするなよ? あとイビルアイにも余計な手出しはしないように。いいな?」

 

「…………はい……」

 

 かなり不承不承ではあったが、とりあえずアルベドは了承はした。であれば、今日のところはここまでにしておくべきだろう。しかしこれだけは言わなければと、アインズはげんなりして付け加える。

 

「ああ、アルベド、謹慎三日間な。アウラとシャルティア、悪いがアルベドを部屋まで連れて行ってやってくれ」

 

「ええ、そんなぁ……!!」

 

「畏まりました!」

「わかりんした!」

 

 アルベドが上げる悲鳴をよそに、アウラとシャルティアは元気よく返事する。

 

「ところで、アインズ様、イビルアイがどうかしたんですか?」

 先程のアインズのセリフが少し引っかかったのだろう。アウラが怪訝そうにこちらを見ている。

 

「あぁ、そのうち守護者全員が集まった時に説明するつもりだったのだが、今ここにいるお前たちには先に話しておいてもいいだろう。私は、蒼の薔薇のイビルアイを今すぐではないが、ナザリックに迎え入れようと思っているのだ」

 

「イビルアイというと……、エントマに手を出した不埒者でありんすよねぇ? アインズ様、本当に宜しいんですか?」

「それに、イビルアイって人間ですよね。別に、アインズ様がお決めになられたことなら構わないですけど、そいつ、ナザリックに入れて大丈夫なんでしょうか? 以前セバスが連れてきた人間の女もあまり馴染めてないらしいですよ」

 

「確かにその話は私も聞き及んでいる。しかしイビルアイは人間ではなく吸血鬼だ。だからナザリックに所属することに関して特に問題はないだろう。それと、彼女は既に私に忠誠を誓っているから、今後変な手出しは控えるようにして欲しい。エントマについては、後で私から説明をするつもりだ」

 

 イビルアイが吸血鬼と聞いて、シャルティアの目が妙に熱をもった感じに輝いた……気がする。

 

「アインズ様、一つお伺いしてもよろしいでありんすか?」

「ん? なんだ? シャルティア」

 

「アインズ様は、イビルアイの素顔はご覧になられたんでありんすか? イビルアイって仮面を外すと、どんな感じなんでありんしょう?」

「ああ、見せてもらったとも。そうだな……。なかなか綺麗な赤目で、それなりに可愛らしい少女ではあったな」

 

「そうでありんすかぁ……。それはなかなか悪くないでありんすねぇ……」

 

 シャルティアが変な方向に妄想して頬を赤らめているように感じるのは、多分俺の見間違いだろう。まぁ、なんだかんだいっても、シャルティアはイビルアイと上手くやってくれそうな気がする。

 

 アウラは、それなら、と素直に納得してくれたようだ。本当に良い子だよ、アウラは……。

 

 そんな二人をギリリと歯ぎしりをしながら見ていたアルベドは、今度は妙にどす黒い瞳を自分に向けてきた気がするが、アインズはそっとアルベドから視線を外した。

 

「それでは、二人ともアルベドを頼んだぞ」

「はい、お任せください!」

 

 アウラとシャルティアは若干意地悪い表情になって、拘束されたアルベドを引き摺って部屋の外に出ていった。

 

「ほら、行くよ。シャルティアそっち持って」

「全くいい格好でありんすこと。いかにも大口ゴリラって感じ」

 

「あんたにだけは言われたくないぃ! きいぃ……!!」

 

 まぁ、これでしばらくはアルベドも大人しくしてくれることだろう。

 

 アインズは当座の最大の危機を乗り切れたことを、信じてもいない神に感謝した。

 

 

----

 

 

 しばらく廊下から三人の賑々しい話し声が聞こえていたが、やがてそれも遠ざかり、静かになった部屋に残されたのは、アインズとパンドラズ・アクターだけだった。

 

 しばらくしても何も言わず動こうともしないパンドラズ・アクターに、流石に不審に思ったアインズが声をかけた。

 

「パンドラズ・アクター? 一体どうしたんだ?」

 

「…………父上、誠に申し訳ございませんでした!!」

 

 パンドラズ・アクターはその場で倒れ込むようにして、アインズの前に跪いた。

 

「私の不手際が原因で、父上を危険に晒してしまったとは、全くもって面目次第もございません! 罰は如何様なものでも甘んじて受けさせていただきます!」

 

「パンドラズ・アクター……」

 

 パンドラズ・アクターの悲痛な声に、アインズも思わず絶句する。

 

 確かに、今日の一件はパンドラズ・アクターの失態もあっただろう。しかし、やはり最終的に責任を取るべきなのはアインズであることには変わりはないし、パンドラズ・アクターだって彼なりにアインズのことを考えてくれた結果でもあったはずだ。それに、アインズ自身かなり危機意識が薄かったせいでもある。主に守護者統括に対して。

 

 そう考えれば、責められるべきはパンドラズ・アクターではなく、やはりアインズ自身だろうし、なんといっても、パンドラズ・アクターの機転のお陰でなんとか無事に危難を回避出来たのだ。であれば、むしろ褒められるべきだろう。

 

「パンドラズ・アクター、面を上げよ」

 

 しかし、パンドラズ・アクターは床にへばりつくように伏したまま、頭を上げようとはしなかった。

 

「パンドラズ・アクター、聞こえなかったのか? 私が顔を上げるよう命じたのだぞ?」

 

 パンドラズ・アクターはようやく頭を上げたが、無表情なその顔は、なぜだか涙でぐしゃぐしゃになっているようにアインズには見えた。

 

「パンドラズ・アクター。私はお前を責めるつもりはない。今日の一件は、私自身の迂闊さが招いたことだ。むしろ、お前のお陰で最悪の事態は回避できたといってもいい。だから、私はお前にとても感謝しているし、罰を与えるつもりなどはない。わかったか?」

 

「父上、しかし……」

 

「いいか、パンドラズ・アクター」

 

 アインズは腰をかがめると、パンドラズ・アクターの顔をその骨の両手でそっと包んだ。

 

「確かに、私だってお前に今回の件で言いたいことが無いわけではない。だが、お前が私のためにやってくれたことで、私自身、ほんの少しだけだが、以前とは違う何かを掴めたような気もする。もっとも、お前からすればまだまだ足りているわけではないかもしれないが……、それもお前の功績だろう?」

 

 それを聞いたパンドラズ・アクターは何故かひどく震えているように感じる。しかし、いつもは自分の黒歴史を刺激されて、どちらかといえば邪険にしているパンドラズ・アクターにも、昨日イビルアイに感じたような、不思議な愛おしさを感じているのに気がつく。

 

「だから、お前は今回の件で落ち込む必要はない。いいな?」

 

 そういって、アインズはパンドラズ・アクターの頭を優しく撫でた。

 

 とたんに何かのスイッチが入ったのか、急にいつものペースにパンドラズ・アクターが戻り、アインズは少し騙された気分になる。自分が心配したのは一体なんだったのか?

 

「ありがとうございます!! 父上!! このパンドラズ・アクター、父上に更にお役に立ち、御身に我が身の全てを捧げることをここに誓います!!」

 

「あ、ああ、ほどほどに……な?」

 

 しかし、先程のようにしょんぼりしたパンドラズ・アクターを見るくらいなら、このくらい元気なほうがまだマシに思える。そんな風に思う自分にも少し驚くが、アインズは今のパンドラズ・アクターが以前よりも苦手ではなくなっているように思える。

 

(俺も少しは成長しているのだろうか? アンデッドだけど……)

 

 アインズは、床に伏したままのパンドラズ・アクターの手を引いて立たせると、なんとなくそうしたくなって軽くその背中を叩いた。それに一瞬パンドラズ・アクターは驚いた様子だったが、すぐに嬉しそうな笑顔になって、アインズにいつものように仰々しい仕草でお辞儀をした。

 

 

 

 




Sheeena 様、薫竜様、誤字報告ありがとうございました。


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ツアー、旧友が来訪する

 その日、彼はいつものように、ここ数百年ほど自分の塒にしている気に入りの場所で微睡んでいた。

 

 この数年間というもの、彼は常に自分の意識を飛ばして、この世界に既に来ているかもしれないプレイヤーの影を探していた。彼が以前遭遇した邪悪な雰囲気を纏った吸血鬼は、あの後いくら探しても姿を見つけることはできなかった。しかしそれとは別に、明らかにプレイヤーと思われる存在が強大な魔法を行使し国を立ち上げたことには気がついていた。

 

(あの存在も正直、邪悪な部類に属する存在だと思っていたのだけれど) 

 

 しかし、ツァインドルクス=ヴァイシオン、またの名を『白金の竜王』とも呼ばれる、が観察する限りその存在は完全な邪悪とも思えないのだ。

 

(少なくとも『彼』が今現在作り上げている国の在り方からして、法国とは相反する主義の持ち主みたいだし、八欲王のように自分の利益だけを求めて周辺諸国を蹂躙するわけでもないし、武力だけに頼ることもしていない。恐らく『彼』がその気になれば、この世界などあっという間に滅ぼせるくらいの力は持っているはずなのに……)

 

 ツアーは首を傾げる。

 

 あの存在については正直わからないことばかりだ。これまでのプレイヤーとは違い、特定の種族に肩入れすることもなく、無差別に何かを仕掛けることもない。

 

 しかし、既に小国とはいえ一国を建国し、帝国は完全にその属国になってしまっているし、王国や聖王国にも少なからぬ影響を及ぼし始めているようだ。おまけにこれまで統制のとれていなかった亜人種や異形種なども、それなりの数の部族を秘密裏に支配下に置いているらしい。さすがに、そろそろ評議国としても、そして世界の『調停者』としても、真剣に対応を考えなければいけないだろう。

 

(リグリットはあの後ここに来てくれてはいないけど、少しはユグドラシルのアイテムの情報は手に入れられたのだろうか? このギルド武器を使うことは僕にはできないし……)

 

 親しい友人のことと、自分が守っている貴重な宝のことを少しの間考え、それからまた『彼』について思考を戻す。

 

(ようやく『彼』のギルド拠点らしきものは見つけたけれど、彼らは一体どの程度の戦力なのだろう。恐らく、以前出会ったあの吸血鬼は『彼』の仲間なのだろうけど、そもそもあの吸血鬼はプレイヤーなのか、それとも従属神なのか?)

 

 彼らは自分たちの情報が外に漏れることを極端に警戒している、とツアーは思う。

 

 これまでツアーは何度もプレイヤーと対峙してきたが、今回のようなケースは初めてだった。大抵は、自分たちの力がこの世界では非常に強いことに気がつくとその力を誇示し、良きものなら世界を救い、悪しきものなら世界を滅ぼそうとする。そして、多かれ少なかれ、この世界に大いなる希望か絶望をもたらすのだ。突然一人きりで見知らぬ世界に降り立ち、混乱し、逆にひっそりと隠遁生活を送ろうとするものもいなかったわけではないが、それはそれでかなりの稀なケースだ。

 

 なにしろ、プレイヤーという存在は、この世界から見ればまさに神に等しい力と、強力な魔法が込められたアイテムを複数持っているのが当たり前なのだから。力に溺れない方がおかしいのだ。

 

(『彼』がこの世界にとって良い存在だとはっきりわかればいいんだけど……)

 

 ツアーはそう考えてため息をつく。それを知るには、やはり本人と直接対峙して対話するしかないだろう。少なくとも相手はある程度は良識的に振る舞ってはいるようだから、評議国、そして『白金の竜王』から正式に対話を申し出れば、拒むことはないように思われる。

 

(やはり、リグリットあたりの意見も聞いてみたいところだな。彼女ならもっと細かいことまで情報を集めているはずだ。いい加減、顔を見せてくれるといいのに……)

 

 

----

 

 

 ツアーが考えるのをやめ、再び意識を世界に飛ばしつつまどろもうとした時、急にその場の空気が乱れ、誰かが侵入してきたことに気がつき一瞬警戒をする。しかし、入ってきた相手が誰なのかが分かると、微笑みを浮かべた。

 

「……ああ、君か、リグリット。久しぶり。ちょうど君が来てくれるといいと思っていたところだったんだ。それにどうやら、珍しいお客さんも一緒だね?」

 

「ツアー。ちょうどこちらに向かおうとしている時にいきなり訪ねて来たんでね。せっかくだから、引っ張って来たのさ」

 

 くつくつと意地悪そうに笑うリグリットの後ろには、少しバツが悪そうな顔をしたイビルアイが仮面を外して立っていた。

 

「いや、私は、リグリットにちょっと話というか、相談……があっただけだったんだが……。まあ、ツアーにも聞いてもらってもいいかな、とも思って……」

 

「君の相談だなんて興味深いね、キーノ。一体、何があったんだい?」

 

 ツアーが珍しくからかうような口調でイビルアイに声をかける。側に立っているリグリットもニヤニヤ笑いが抑えられないようだ。

 

「ツアー、ちょっと見てご覧よ。インベルンの嬢ちゃんが左手の薬指に指輪なんて嵌めてるんだよ? 随分長いこと一緒に旅をしたりもして来たのに、これまではずっとそんなことには全く興味がないって顔をしていたのにさ」

 

 そのリグリットの発言で、イビルアイの顔は真っ赤に染まる。

 

「へぇ……。僕は人間のそういう風習についてはあまりよくわからないんだけど、それってもしかして、キーノに彼氏とかいうのができたっていうこと?」

 

「い、いや、違う! まだそんなんじゃない!!」

 

 耳まで真っ赤にしたイビルアイが、ツアーの言葉に反論した。

 

「でも、少なくとも、指輪を相手から貰ったってことには変わりないんだよねぇ? しかも後生大事にその指に嵌めるってことは、つまり、インベルンの嬢ちゃんにもようやく春が来たってことなんだろう?」

 

 ひどく楽しそうに笑い声を上げるリグリットに、イビルアイは頭を抱える。

 

「くぅ……。絶対にこうなるって思ってたんだ……。リグリットのバカ野郎!! 人をからかうのも大概にしろ!」

 

「だけど、これまでどんな男性にもなびかなかったキーノがそんな風になるなんてね。僕でも少し驚いたよ。君の心を射止めたのがどんな相手なのか、僕としてはとても興味があるんだけど。よかったら詳しく教えてくれないか?」

 

 ツアーのそのセリフに、イビルアイは一瞬びくっとして黙り込む。その様子に、少し不審なものを感じたツアーとリグリットは顔を見合わせる。

 

「どうしたんだい? 相手に何か問題でもあるのかい?」

 

「いや……、問題というか……、その……。ちょっと言いにくい相手なんだ……。だから、私が、この話をしたのも他の人には内緒にしてほしいんだが……」

 イビルアイはしどろもどろになりながら答える。

 

「そんなに問題のある相手なの? もしかして、ひどく身分が違うとか? でも君がそんなことを気にするとは思えないし、僕たちも相手が誰だろうと気にするつもりはない。それに、友人の大事な話を誰かに漏らすようなことはしないよ」

 

「全くだね。むしろ相手が誰だろうと、これまで散々拗らせてきた友をようやくその気にさせてくれた相手なら、誰でも歓迎するつもりだけどねぇ。我々を見くびってもらっちゃ困るよ、嬢ちゃん」

 

「嬢ちゃん、いうなぁ! リグリット、歳はほとんど変わらないだろうが!」

 

 その言葉を聞いてツアーとリグリットは笑い声を上げる。それが少々癇に障ったのか、イビルアイはぷいっとそっぽを向いた。

 

「まあ、その辺にしておこうよ、リグリット。キーノが可哀相じゃないか」

 

 ツアーは正直その相手というのにかなり関心があった。寂しがり屋の癖に、誰かと深く付き合うことに対して妙に怯えるところがあるイビルアイが、一体どんな相手に心を許す気になったのか。それに相手はイビルアイがアンデッドであることを受け入れて、指輪を渡したのだろうか。だとすれば、ツアーとしては、それだけでもその相手にかなり好感が持てそうな気がする。

 

「……。その……聞いても、驚いたり笑ったりしないって約束してくれるか?」

 

 珍しく真剣な表情でイビルアイが二人に問いかける。その様子に、これ以上からかうのはやめた方がよさそうだと感じ取ったリグリットも、さっきまでの調子とは打って変わって真面目に頷いた。

 

「もちろんだとも。友の愛する相手を笑ったりなどはしないさ」

「あぁ。僕としても、キーノの気持ちは大切にしたいからね」

 

 二人のその返事に少し安心した様子になったイビルアイは、覚悟を決めた様子で告白した。

 

「実は……その…………魔導王陛下なんだ」

 

「……………え?」

 

 人間よりも遥か長い年月を生きてきたツァインドルクス=ヴァイシオンも、リグリット・ベルスー・カウラウも、イビルアイに何を言われたのか一瞬理解することができずに、ただ沈黙した。

 

 

----

 

 

 永遠とも思える時間が経ったような気がしたが、それは恐らくほんの五分ほどの間であっただろう。

 

 やがて、最初の衝撃が収まったツアーが口を開いた。

 

「魔導王というと、一年ほど前に建国したアインズ・ウール・ゴウン魔導国の王だよね? 非常に強力なアンデッドで魔法詠唱者だという。キーノ、一体彼と何があったのか聞いてもいいかい?」

 

「何があったか、と言われても……。どちらかと言えば、私の方が一方的に一目惚れしてしまったのが発端だったんだ。王国で起こったヤルダバオトの事件の時に」

 

「あぁ……、そういえば、おぬしが誰ぞに血道を上げているという話を聞いたような気がするねぇ。でも、大悪魔に王都が襲われた時は、まだ、魔導国ができる前の話じゃないか? もしかして、王になる前の魔導王に会った、ということかい?」

 

「詳しくは言えないけど、まあ、そうだな。彼にとっては多分偶然だったんだろうけど、あの時、通りすがりに私を助けてくれたんだ。それで、まさに、一目惚れと言うか、なんというか……」

 

 イビルアイは、さすがに後半は気まずくなったのか、いつもよりも大分歯切れの悪いもごもごした言い方になり顔を俯けたが、それが自分の顔が真っ赤になっているのを二人に見せたくないからのように見えた。そんなイビルアイの様子は長い付き合いの二人といえども一度も見たことがなく、それだけでもなんとなく微笑ましい気分にはなる。しかしながら、相手があの『魔導王』というのは、さすがに素直に応援していいものかどうか、ツアーとリグリットにとっても判断に迷う問題だった。

 

「インベルンの嬢ちゃん、まさか、相手がアンデッドだったら誰でもいいとかいうんじゃないだろうね?」

 

「な、何をいっている!? そんなんじゃない!!」

 

 リグリットの訝しそうな問いに、イビルアイは必死の形相で否定する。

 

「……。ふうん。僕は魔導王はぷれいやーだと疑っていたのだけれど。……君を助けてくれたということは、彼は邪悪というわけではないのかな……?」

 ツアーがボソリと呟く。

 

「ツアーがいうように、彼はぷれいやーなのかもしれない……。そういわれてもおかしくない桁違いの強さを持っていると思う。でも、あの方は、見た目は少し怖いけど、とても優しいし思いやりのある方なんだ」

 

 そういって、イビルアイは左手の指輪をそっと撫でる。

 

「ふうむ。そうはいっても魔導王といえば、カッツェ平原で大量殺戮をしているそうじゃないか。確かにあやつはアンデッドだから、おぬしの本性を知ったとしても、そりゃ気にはしないだろうが……。本当にそんなやつを信じていいのかい?」

 

 リグリットの言葉で、イビルアイはリグリットを軽く睨みつけ、きっぱりと言った。

 

「それは、確かにその通りだ。あの方は良いことばかりをしてきたわけじゃない。そんなことはわかってる。だけど、人をたくさん殺してるのは私だって同じだ。だからそれが理由であの方を信じられないというなら、私だって信用できないんじゃないのか? リグリット」

 

 イビルアイのその反応で、言葉を失ったリグリットは黙り込む。

 

 ツアーはその二人の様子を面白そうに眺める。

 

 ツアーも魔導王がカッツェ平原で行ったという殺戮の話を聞いていないわけではないが、あれは所詮人間たちが行う愚かな戦争の一部として行われた行為として認識している。どのみち戦争なんて相手を殺すためにやるものだし、それをいい始めたら、国を治める者たちで大量殺戮者ではないものなどいないだろう。竜王国の現状は悲惨なものだが、国民を守れない為政者だって、無意味に民を大量殺戮しているのと全く変わらない。そしてそれは世界の歴史としては自然な成り行きだ。だから評議国はある意味縁戚ともいうべき竜王国に対しても、特に援助も干渉もするつもりはない。

 

 それよりも――。

 

 ツアーはイビルアイが毅然とリグリットに反論したことの方が興味深かった。ちょっとしたことですぐに泣きべそをかいていた、あのキーノの姿は何処にもなく、何か一本の強い芯のようなものが彼女を支えているように感じる。それも悪い意味じゃない。これまでだったら、彼女が正面から向き合えずに逃げていたことからも、今の彼女なら立ち向かえる強さをいつの間にか身につけているようにも感じられるのだ。

 

(これが恋の力とでもいうものなのかな? 僕にはあいにく経験はないけれど。だとしたら、キーノの心にこれだけ短期間で強い影響を与えた魔導王というのに、僕としてもかなり興味を引かれるのは否定出来ないな。……可能なら、敵対しないですませられるといいのだけれど……)

 

 別にツアーはプレイヤーと喧嘩したいわけではない。仲良くとまではいかなくとも、お互い許容できる関係になれるのならそれに越したことはないのだ。

 

「僕としては君の恋路を邪魔するつもりも反対するつもりもないよ。キーノ。君がそんなに誰かに打ち解けられたのなら、それはそれで友として喜ばしいことだからね。ただ、これだけはいっておくよ。僕はまだ魔導王とは今のところ何の交渉もしていない。だけど、近い将来彼に対して何らかのアクションは起こさないといけないとは思っている。だからその結果僕と彼は敵同士になるかもしれない。もちろんそうならないほうが嬉しいけどね。ただ最悪君の愛する人を、僕は殺さないといけないと判断するかもしれない。それは頭に置いておいてほしいんだ」

 

「それはわかる。ツアーの立場ならそうだろうし、最悪そうなってしまうのも仕方がない」

 

 そのツアーの返事を予期していたイビルアイは頷く。しかし、直ぐに吹っ切れたようないい笑顔になって言い返した。

 

「だけど、その時は……、私も彼を守るために共に戦うつもりだ。だから彼と戦うなら覚悟しておいてくれ、ツアー! 君は大事な友人だけど、彼は私にとってはかけがえのない人……じゃなくて、アンデッドなんだ。だから、そう簡単には彼を殺させはしないからな!!」

 

「あはは、それは怖いな。僕だってなるべく君とは戦いたくはないよ」

 

 そういうと、ツアーは楽しそうに笑った。そんなツアーにつられて、イビルアイも声を合わせて幸せそうに笑う。

 

「なんじゃ、二人ですっかり話が纏まってしまったようじゃな」

 

 呆れたような口ぶりでちゃちゃをいれるリグリットも、さすがに二人のやり取りで毒気を抜かれたようだ。

 

 他人の恋路に下手に首を突っ込んでもどのみちろくなことはない。本人が幸せなのなら、その結果多少痛い目にあうとしても人生にとってのいいスパイスにはなることだろう。リグリットは自分の淡い初恋を思い出し、苦笑いをした。

 

「ところで、相手のことはこの際置いておくとして……、嬢ちゃんの相談事というのは一体なんだったんだい?」

 

「あぁ、そうなんだよ、リグリット! 実は、この指輪は確かに魔導王陛下から頂いたんだが、陛下にはまだ付き合ってもいいとかそういうことを言われたわけじゃないんだ。だけど、わざわざ指輪をくれたってことは、少なくとも陛下は私に気があるってことなんだよな!? ツアーもそう思うだろう!?」

 

 急に真顔になったイビルアイの話の内容に、二人は困惑する。

 

「えぇ、そうなの? うーん、そんなこと僕に聞かれても困るよ……。そういう経験とかないし……。リグリット、君ならわかるんじゃない?」

 

 リグリットは、自分に面倒事を押し付けたツアーを睨みつけたが、イビルアイの必死な様子にため息をついて答えた。

 

「……、あまりこういうことはいいたくないが……、嬢ちゃん、おぬし、本当に魔導王に女性として相手にされておったのか?」

 

「え? それはもちろんだとも! ちゃんと『でーと』だってしたし、その後で今日は楽しかったから、といってこの指輪をくださったんだ! 私に、その、興味があったからこそ、そういうことをしてくれたに決まってるじゃないか!?」

 

 それはどうだろう。と思わずツアーとリグリットは顔を見合わせる。

 

 イビルアイが魔導王にかなり熱を上げてるらしいことは理解した。しかし魔導王にはそこまでの熱意はないような気もしなくはない。だが、それを期待で目をキラキラさせて必死になって言い募るイビルアイにいうことは、さすがの二人にもできなかった。

 

「まあ、嬢ちゃんがそう思うならそうなんじゃないかね?」

「僕はそういうことは詳しくないけど、キーノがそう思うなら、それでいいんじゃないかと思う」

 

 二人はそっと目を逸らしつつ、無難にそう答える。

 

「……、ツアーもリグリットも、真面目に取り合ってくれてないな?」

 

「いや、そんなことはないに決まっておろう! 友の恋路を応援しているだけさ。なあ、ツアー?」

 リグリットは乾いた笑いで取り繕う。

 

「う、うん、リグリットの言うとおりだよ」

 

 軽く頬を膨らませているイビルアイを見ながら、ツアーはふと、その魔導王がくれたという指輪に興味を持つ。恐らく何らかのマジックアイテムなのだろうが、どんな品物をくれたのかがわかれば、彼がプレイヤーかどうかも彼の人となりも、少しはわかりそうな気がしたのだ。

 

「キーノ、せっかくだから、その指輪少し見せてもらってもいいかい?」

 

「ん? ああ、もちろんいいとも!」

 

 イビルアイは左手の薬指から大事そうに指輪を抜いてツアーに渡した。ツアーは渡された指輪に鑑定魔法をかけ、その魔法効果に絶句する。

 

「これはこの世界では最上位に近い品物じゃないか。簡単に人にあげられるような品物ではないよ。しかも、効果も君にちょうど合っているし。……これをくれたのなら、彼は確かに君に少しは好意を持っていると思っていいんじゃないかな。少なくとも、僕はそう思うよ」

 

 そういって、ツアーはイビルアイに指輪を返す。ツアーの言葉を聞いて、ぱぁっと明るい顔になったイビルアイは、再び宝物を扱うように指輪を元の指に嵌め、優しく撫でている。

 

 そんなイビルアイの様子を見て、ツアーはまるで自分の娘を嫁に出すような気持ちに近い何かを感じたような気がしたが、それとは別に、彼がこれまで疑念として持っていたものの裏付けが取れたことで、若干気をひきしめる。

 

(これではっきりした。『彼』は間違いなくユグドラシルプレイヤーだ)

 

 しかも、このレベルの品をあっさりとイビルアイに渡すところを見ると、彼は恐らくかなりのレベルのマジックアイテムを相当数持っていると思っていいのだろう。となると、それなりに強い複数の従属神を連れていたとしてもおかしくない。問題は彼らの規模がどれくらいなのかだが……。

 

(敵に回すとかなり厄介そうだな……)

 

 ツアーはこっそりため息をつく。

 

「やっぱりツアーは頼りになるな! ありがとう! 少し自信が持てたよ!」

「まったく、現金じゃな、嬢ちゃんは……」

 

 そんなイビルアイをリグリットが軽く小突き、イビルアイがリグリットにお返しとばかりに軽く肩を叩く。そういえば、昔からこの二人はこうやってよくじゃれていたっけ、とツアーは懐かしく思い出す。

 

「もう、リグリットなんて当てにしない。次からはツアーに直接聞きに来る!」

 

「えぇ、キーノ、そんなことやめてくれる? 僕はほんとにこういうことは疎いんだから。……そういえば、リグリット、君の用事はなんだったの?」

 

 ツアーは慌てて話を変えた。

 

「ああ、そうじゃった。別に大した話ではないのだが、以前おぬしに頼まれたユグドラシルのアイテム探しの件、今のところあまり上手く行っていないと一言いいに来ただけじゃ。恐らく法国に行けば何かしら手に入るのだろうが、あそこには正直あまり行きたくないしのう」

 

「そうか……。まぁ、それは仕方ないよ。僕だってそうそう簡単には見つけられていないからね。それよりも、今日はキーノから魔導王がどんな人なのか聞けただけでも大収穫だった。僕の方でもこれで魔導国への対策を少しは立てやすくなったと思う。感謝するよ、キーノ」

 

「いや、私こそ二人に話を聞いてもらえて助かった。だからお互い様だ!」

 

 イビルアイは、にっこり笑ってツアーとリグリットに礼をいう。

 

 それから、しばらく三人は昔の思い出話に花を咲かせた後、リグリットとイビルアイはツアーに別れを告げ帰っていった。

 

 

----

 

 

 再び静けさを取り戻した自分の塒でツアーは伸びをする。

 

(まぁ、たまにはこんな風に旧友とのんびりする日があるのもいいものだ)

 

 そう思いつつ、ツアーはそのうち相まみえることになるだろう、魔導王のことに想いを馳せる。

 

(スルシャーナに似た感じのアンデッドという話だったと思ったけれど……。もしかしたら、ユグドラシルのアンデッドはこの世界のアンデッドとは違って、そんなに邪悪なものばかりじゃないんだろうか?)

 

 いずれにしても、彼と会って話をしてみるのが少しだけ楽しみになってきているのを感じる。確かに、評議国の今後のこともあるし、世界にとって彼がどう影響するのかというのもある。だけど自分にとっては大事な友人であるイビルアイのことだって、もちろん気にかからないわけじゃない。

 

(彼はキーノを幸せにしてくれるだろうか?)

 

 もしかしたら、もうあの泣き顔を見なくてすむかもしれない。それはツアーにとっても少し嬉しいことだ。

 

 突然の来客ですっかり邪魔されてしまったが、ツアーは再び微睡もうと丸くなり、そっとその目を閉じた。

 

 

 

 

 




Sheeena 様、佐藤東沙様、誤字報告ありがとうございました。


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第二章 黄昏の王国
1: 雨の王都


第一章の約一年後の話です。
第二章では、原作でも高確率で死にそうな原作キャラの一部が死亡します。鬱展開やアンチ・ヘイトではないと思いますが、そういう展開が苦手な方は、ブラウザバックでお願いします。


 ――辺り一面、廃墟だった。

 ――どこかで火の手が上がっていた。

 ――泣いている子どもが一人きりで佇んでいる。

 ――いや、泣いていたのではなかったかもしれない。

 ――雨に濡れて、泣いたように感じただけだったのかもしれない。

 ――もし、あの時、誰かが助けてくれたなら……

 

 イビルアイは窓の側に置いた椅子に座り、外を眺めながら、眠れない夜の時間を過ごしていた。

 

(こんな風に雨が降っている時は、どうしても昔のことを思い出していけないな……)

 

 部屋の中をそっと見回すと、自分の大切な仲間たちが規則正しい寝息をたてている。皆が幸せな眠りについている間、一人きりで過ごす夜にもとっくの昔に慣れた。

 

 イビルアイは静かに立ち上がると、ガガーランの毛布を直してやる。

 

(全く。いつも直してやっているが、どうせ、すぐにぐちゃぐちゃにするんだろう。本当に寝相の悪い奴だな)

 

 そうは思うが、別に悪い気はしない。くすりと笑って、再び窓際の椅子に戻ると、そっと左手の指輪を撫でる。

 

 アンデッドである彼も、同じように眠れない夜を過ごしていることだろう。

 

(そういえば、夜、どうやって時間を潰しているのか聞けばよかったな……)

 

 心の中にある『今度会えたら絶対聞く事リスト』に、それをメモする。リストは既に膨大な量になっていた。

 

 イビルアイは優しく微笑むと、今度は彼への想いで頭をいっぱいにして、再びぼんやりと窓の外を眺めた。

 

 

----

 

 

 王都リ・エスティーゼでは、春先だというのに肌寒い日々が続いており、街には明るい雰囲気は無い。どんよりとした厚い雲が空を覆い、少し雨が降っている。道を行く人々も顔をうつむけながら、足早に歩いているようだ。

 

 王都では舗装された道はほぼ中心部にしかないが、その中でも比較的整備された通りの一つを、王家の紋章が入った大型の馬車がゆっくりと走っていた。その馬車の中には五人の人影が見える。御者台で馬を駆る御者の脇には、よく似た顔立ちの女性が二人座っていた。

 

 その馬車はやがて角を曲がり、高級住宅街に入る。そこには王都に住まう際の貴族の館や、裕福な商人の豪勢な家が立ち並んでいる。

 

 しかし、本来であれば華やかな空気が漂うはずのその区域でも、王国が抱えている深刻な状況が影響している様子が見て取れる。建物は立派なのに、以前は綺麗にしつらえてあったはずの庭は荒れ、住む人もいない様子の家が少なからず存在している。本来このような場所を歩くはずもない、柄の悪い人間の姿もちらほらと見かける。

 

 最近の王国で深刻になっている問題の一つは、都市内での誘拐事件である。

 

 数年前にラナーの提案で行われた奴隷制の廃止により、一度はそういった事件も下火になっていたのだが、ここ一年ほど若い女性ばかりを連れ去る事件が増えているのだ。

 

 しかも、その犯人はおおよそわかっているのだが、その連中はそれなりに大きな派閥として浮上してきている貴族の一派であり、なおかつ本人たちは誘拐をしているわけではなく、女性たちは下働きとして雇っているだけであると主張している。そのため、今の力を失った王家では手を出すことが難しく、手をこまねいているのが現状だ。

 

 ラナーが悔しそうな顔をして、クライムの胸の中で泣きながらそのように話していたことを、クライムは忘れられなかった。あのお優しいラナー様のことだから、今の状況にさぞかし胸を痛められているのだろう。

 

(あの時のように、セバス様がいらっしゃれば……きっとこのような状況を見過ごすことなどされなかっただろうに……)

 

 クライムは、以前、彼に直接戦闘指導をしてくれた上品な執事のことを思い出す。あの後、クライムは何度かセバスに出会うことを期待して王都を歩いたが、彼の姿を王国で見ることはなかった。噂によると、主人である非常に美人だが我儘な女性と共に本国に帰ったらしいが……。

 

 しかし、あの時と今とでは状況が全く違うのだ。クライムはラナーに気が付かれないように、重い息を吐く。

 

 今日は、ラナーが設立し運営している孤児院の一つに、クライムと蒼の薔薇は第三王女ラナーの護衛としてついてきていた。

 

 以前はラナーに護衛に支払う金銭的な余裕などなく、リーダーであるラキュースがラナーの親しい友人だったことから、蒼の薔薇がほぼ好意で護衛を行っていた。しかし、最近の王都の治安悪化と、王族としてほとんど無価値に等しかったラナーの重要性が増したことで、ラナーの警護も多少は厚くすべきだと第二王子ザナックが判断し、正式に護衛を依頼されるようになっていた。

 

 例年のように行われていた帝国との戦争がなくなったことで、当初は孤児院の必要性は徐々に少なくなるかと思われていた。しかし、王国の生産力の低下による飢餓や、物価の高騰等により、孤児が減ることはなく、最初は一つだけだった孤児院も現在は十数箇所に増えている。ラナーは定期的にそれらの孤児院を見回り、孤児達の成長を見守っていた。

 

「一つの孤児院に数百人程いるんだったか。そうすると孤児だけで一万人以上か。大した数だな……」

 馬車の窓から外を見ているイビルアイが感心したように言う。

 

「いえ、それでも全ての孤児を収容出来ているわけではありません。でもこれが今の王国の精一杯なんです……。私にもう少し力があれば……」

 悔しそうにラナーは呟く。そんなラナーを痛ましそうにクライムが見つめている。

 

「ラナー様は十分頑張っておられます。それは国民皆が知っていることです。どうか気を落とされずに……」

「いえ、大丈夫ですよ、クライム。貴方の笑顔があれば、私はまだまだ頑張れますから」

 ラナーの天使のような微笑みに、クライムが顔を真赤にしている。

 

 やがて、大きな建物の前で馬車が止まる。それは既に使われなくなり、新たに住む人もなく打ち捨てられていた豪商の館だったが、今はラナーがそれを改築して孤児院にしていた。最初の一つはそのために新しく建設されたものだったが、新規で建設する金銭的な余裕は王国には既になく、あるものを利用することでコストを抑えて数を作ることができれば、より多くの孤児を救うことに繋がる、とラナーが提案した結果である。あまり立派とはいえないもののそこそこの広さはあり、孤児の他に、未亡人や不景気で仕事を失った失業者を雇うことで貧困で苦しむ民に仕事を与えるのもラナーの狙いである。

 

 門の前に馬車が止まると、ティアとティナが御者台から飛び降り、素早くその姿を消す。そして、少しすると再び馬車の前と後ろに姿を現して、馬車の扉を開けた。

 

「大丈夫。この辺りには怪しい連中はいない」

「出てきていい」

 

「お疲れ様。じゃあ、下りましょうか」

 

 蒼の薔薇の面々が先に降り周囲を油断なく警戒する。その間に降りてきたクライムがラナーに向かって手を差し出し、ラナーはその手を取って優雅に馬車を降りてくる。

 

 建物の中から、賑やかな歓声と、何かを打ち合わせている音が聞こえてくる。

 

 ラナーの到着に気がついたのか、館の中から二人の女性が現れて恭しくラナーにお辞儀をし、一行を館の中へ案内する。玄関ホールを抜け、子ども達の居住空間へと通じる廊下の窓から、館の中庭が見える。そこは、子ども達が遊んだりできるように広々とした広場のように作られていたが、その中央で一人の男が十歳くらいの少年と木刀で打ち合っているのが見えた。

 

「ほう? あれはブレイン・アングラウスじゃないか。こんな所にいるとは思わなかったぜ。また随分、熱心に稽古をつけているんだな」

 その様子を見て、ガガーランが感心したように腕組みをする。

 

「ええ。アングラウス様はしばらく前まで王国中の街や村を回って、亡くなられたストロノーフ様の後継になる方を探し回っておられたようですが、結局見つからなくて、今は才能のある孤児を見つけて育てた方が早いと、各孤児院を回られては稽古をつけていらっしゃるのですよ。でも、孤児達にとっても、かのアングラウス様のご教授を直接受けられるのは非常に為になることですから。いずれは、この子達も王国にとって素晴らしい戦力に育つかもしれませんね」

 

 ラナーも中庭を見やり、その様子に満足そうな笑みを浮かべている。

 

「それは、悪くない考えだと思うわ。この子達にとっても、剣の腕があれば冒険者になることもできるでしょうし、衛士や戦士として職を得ることもできるようになるかもしれない。やはり、生きていくには力があって困ることはないと思うわ」

「そうだな。才能の有無がわかりにくい魔法詠唱者を育てるよりは、こっちの方が手っ取り早い。本当は王国ももう少し魔法詠唱者を育てることに真剣に取り組んでもいいとは思うんだが……。帝国みたいに学校を作るとかな」

 

「私も学校は作りたいのです。でも、今の王国では、この程度の孤児院を作るのが精一杯で……。本当は、孤児院の増設すら兄様には反対されているのです。そんな余裕はないと。でも、子ども達が路頭に迷う姿はやはり見たくありませんし、この子達は将来の王国を支えてくれる大切な宝ですから」

 そう言って、ラナーはちらりとクライムを見て優しく微笑む。それを見たクライムは真っ赤になって少し下を向く。

 

「私、子ども達と話をしてきますね。申し訳ありませんが、皆さんは予定の時刻まで適当に待っていてください」

「わかっているわ。いってらっしゃい、ラナー」

 

 ラナーが子ども達に向かって歩み寄ると、近くで遊んでいた子ども達がラナーに気がついて、走り寄ってくる。その様は、まさに煌めく黄金の女神とも言って良い程で、クライムはひたすら崇拝する目でラナーの姿を見つめていた。

 

 クライムがラナーの側に控えることをあれこれ言う者は、ほとんどいなくなったとはいえ、クライムがラナーと結ばれることは恐らくないだろう。何しろ、今の王国には王位継承権を持つ者は数少なく、その中でも、王家に残されているのは、もはやザナックとラナーの二人きり。クライムがラナーと結婚することが難しいことには変わりがない。

 

 やがて、訓練が一段落した様子なのを確認したラナーは、中庭のブレインと子ども達に声を掛け、訓練の様子を褒め称えている。嬉しそうにはしゃいでラナーを取り囲む子ども達と、照れくさそうに笑うブレインの姿を、蒼の薔薇とクライムは中庭の端からそっと見守る。せめてこの子ども達が大きくなることまで、王国の平和が続いてほしい。例えその可能性が限りなく低くとも。そう祈らずにはいられなかった。

 

 

----

 

 

 ヴァランシア宮殿にある自室で、人払いをしたザナックは重苦しいため息をついていた。

 

 目の前には事務官が作成した王国の財政報告書や、各地方からの治安報告、貴族達からの嘆願書などが山と積まれている。ザナックは、それらの書類を思い切りぐちゃぐちゃにして破り捨てたい衝動に駆られるが、流石にそんなことをするわけにはいかない。今の自分は、王国を再建する最後の砦とも言っていい存在なのだ。その自分が自棄を起こしたら、その時点でこの王国は自滅への道を確実に歩むだろう。

 

(全く、何もかもが悪い方向にしか動いていかない……。どうしてこんなことになってしまったんだ?)

 

 第一王子バルブロが行方不明になってから既に二年以上経過しており、半年前にバルブロは戦死とみなすと病床にある父王が宣言をしたことで、実質的な王位継承争いは、王派閥及び貴族派閥にそれぞれ支持者がいる第二王子ザナックとペスペア侯に絞られるかと思われた。しかし一年程前から貴族派閥が二つに分かれ、『馬鹿派閥』とザナックが心の中で名付けた連中が数の多さだけを売りに台頭し、その中でも選りすぐりの馬鹿とも言うべき下級貴族が、自分こそ王になるべきだと信じられない主張をしているのだ。

 

(あいつらは一体何を考えているんだ? どう考えても王国を滅ぼそうとしているようにしか思えん! あいつらの馬鹿さ加減に比べると、まだ賢くて美しい分、ラナーの方が余程まともなように思えてしまうだろうが!)

 

 ザナックは声には出さずに悪態をつく。

 

 例の戦争以来、レエブン候は自領に完全に引きこもっており、ザナックは何度も使者を送ったものの、全てレエブン候と会うことすらできずに戻ってきている。ランポッサ三世が重い病の床に伏していることから、今のザナックは単なる第二王子ではなく、王代理としての地位をランポッサ三世から与えられていた。しかし、貴族連中の派閥争いは『馬鹿派閥』のおかげでより一層激化しており、ザナックが何かまともな政策を実行しようとしても、必ずどこかしらが反対に回るため、なかなか思うように王国立て直しを行うことができない。

 

 その結果、信頼できる後ろ盾と情報網を共に失ったザナックはラナーと取引をし、ラナーの全面的な協力を受けることで、それでも少しでも王国を復興の道に進ませるべく努力をし、貴族連中をぎりぎりで抑え、難局をかろうじて凌いでくることが出来ていた。

 

(しかし、ラナーとあんな取引をするというのは……正直、俺も焼きが回ったかとは思ったのだが……。今の俺には、他に信用できる味方がいない。いや、俺だってあいつを心から信用などしているわけじゃないが、それでも、あいつの頭の優秀さと国民からの人気は無視できない。何と言ってもあの美しさは、中身がアレだと知らなければ、王国の輝ける宝石そのものだからな……)

 

 一年ほど前の夜に、ザナックはラナーとまさに悪魔の契約とでも言うべき密約を交わした。あの時はそれしかザナックに残された選択肢はなく、そのこと自体を後悔しているわけではない。だが、ザナックにとって、ラナーは非常に優れた頭脳の持ち主であると同時に、その本質は化物であり、いずれはザナック自身を滅ぼしかねない存在だという懸念が常に付きまとっている。

 

(やはり、何とかして、レエブン候に戻ってきてもらえるのが一番いいのだが……。本当は、俺自身がレエブン候の所に赴き、説得するのが筋だとは思う。しかし、今の状況では、俺が王都を離れることはできん。あの馬鹿どもが何をやらかすかわかったものではないからな)

 

 ザナックは、第三派閥の若手貴族達が、領地や王都にいる見目の良い女性を無差別に館に引き込んでは酒宴などを行っていることを、ラナーからの情報で知っていた。彼らのやりようは、一度撤廃されたはずの奴隷制の復活を思わせ、より一層人心の荒廃を招いている。しかも、今王国に残っている民達は、他の国に逃げ出したくても、そうすることができない者たちばかりだ。

 

 王国が破滅への道を突き進んでいる中、少しでも物を見る目のある者達は、既に王国を見捨てて自由都市連合やその他の国に出て行ってしまっている。しかし、現在帝国は既に魔導国の属国であり、聖王国や竜王国は亜人との戦いや内乱で荒廃しているため、取れる選択肢はそう多くはない。そのうえ、以前の戦いで恨みのある魔導国には、なるべくなら行きたくないという思いを抱えている者も多い。そんなわけで、大半の王国民は、泥舟と知りつつも王国にしがみつくしかない現状になっているのだ。

 

(魔導国か……。確かに俺だって思うところはある。しかし、この国の現状を思えば、いっそ帝国を真似て、魔導国に恭順した方がいいのではないだろうか?)

 

 去年の冬だって、ラナーの発案により魔導国から大量に食料輸入を行わなければ、王国民の半分は飢えで死亡しただろうという試算が出ている。貴族達の租税率を大幅に下げさせなければ、その状況は今年も続くに違いない。しかし、貴族達が自分達に不利益になることを肯んずるはずはなく、かといって、王家も直轄領を先の戦争で多く失ったため、国庫回復はままならない。

 

 しかも、領内の生産力が落ちた貴族達は、自分達の懐に入る税が減ることを忌諱し、更に税率を上げようとする者たちが後を絶たない。ザナックはラナーの助言で、貴族達に国民達が最低限生き延びられる作物が手元に残るような法律を制定しようとしたが、貴族派閥と第三派閥の反対でそれを成立させることができなかった。結果として、ただでさえ生産力が低下している村々は更なる貧困に見舞われ、より一層生産人口を飢えで失うという悪循環に陥ってしまっている。

 

 ザナックは、報告書の中から一枚を取り出して睨みつける。そこには、今年の予想収穫量と国民全員を養うのに必要となる穀物量が記されている。明らかに去年よりも悪化している数値だ。

 

(去年はそれでも輸入で凌げたが、この試算が正しければ、今年は恐らく必要量全てを輸入することは出来ないだろう……。国庫は既に空に近い。くそ、せめて誰か助言をしてくれる者がいれば……)

 

 少し頭を冷やそうと、傍らに置いてあった果実水の入ったグラスを取り上げ、一気にそれを喉に流し入れる。長い時間放置してしまったせいで、冷えていたはずの果実水は酷く温かった。

 

(俺が行けないなら、せめて王家として最低限の礼を尽くした形式を取れて、交渉ができそうな奴を……)

 

 そこまで考えて、ザナックはそれに該当しそうな者が一人しかいないことに思い当たる。

 

(レエブン候はあいつを嫌っているが、この際やむを得ない。今回はあいつの頭脳に賭けるしかないだろう……)

 

 ザナックは自分の手札の少なさに絶望を覚えながらも、呼び鈴を鳴らし、伝言をするべくメイドを呼んだ。

 

 

----

 

 

 無事に孤児院の視察から戻ってきた一行がラナーの自室に戻って来ると、部屋の前にザナック付きのメイドが一人立っていて、ラナーに対し慇懃にお辞儀をする。

 

「ラナー殿下、ザナック殿下からのお言伝に参りました。お戻りになられたら早急にザナック殿下のお部屋までいらしてほしいとのことでございます」

 

「あら、お兄様が? わかりました。すぐに伺いますと伝えて貰えますか?」

「畏まりました。では、失礼致します」

 

 メイドは、ラナーに再度お辞儀をし、蒼の薔薇には会釈をするが、クライムは完全に無視してそのまま歩み去った。そのメイドをラナーは何も言わずに見送る。

 

「またずいぶん忙しいわね、ラナー。それでは、私達は警護任務完了ということで、ここで失礼したほうがよさそうね」

「政治の話には関わり合いにはなりたくねぇからな。そうしようぜ」

「すみません、蒼の薔薇の皆様。本当はお礼も兼ねて、お茶でも振る舞うつもりだったのですが……。お兄様がお急ぎのご様子なので仕方がありませんね。私はこのままお部屋に伺おうと思います。また、日を改めてゆっくりお話いたしましょう」

 

「ええ、また何かあったら連絡をちょうだい。私達はいつもの宿屋にいるから」

「わかりました。その時はいつものように、クライムを使いに出しますね」

「了解。それじゃ、ラナー、頑張ってね」

 

 ラキュースの励ましに、ラナーは小さなガッツポーズを作ってにっこり微笑むと、クライムだけを伴い、ザナックの部屋に向かって歩み去った。

 

「よし、俺達も戻ろうぜ。一仕事終わったんだしな」

「そうね。休むのも仕事のうちよ。それに……正直、今の王国ではいつ何が起こってもおかしくないと思うの。気を引き締めていかないとね」

 

 他のメンバーもラキュースのその言葉に思うところがあったのか、静かに頷く。そして通い慣れた王城の廊下を歩き、いつもの宿への帰途に着いた。

 

 

 

 

 




zzzz 様、アンチメシア様、誤字報告ありがとうございました。


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2: 王国の暗雲

 蒼の薔薇がエ・ランテルを訪問してから、もうすぐ一年が過ぎようとしていた。

 

 当時、崩御されたという噂が流れた魔導王は、復活して聖王国でヤルダバオトと再戦し、メイド悪魔を従属させ、見事魔皇を打ち倒して国に帰還している。聖王国ではまさに英雄だと称える声も多いらしい。もっとも、当の聖王国では新聖王カスポンドが主軸となって国の立て直しを図っているが、元から軋轢のある北部と南部のいざこざで、思うように進めることが出来ていないようだ。

 

 通い慣れた道を歩きながら、イビルアイは今の王都の風景を眺めた。

 

 イビルアイは、二百年前のまだ建国したばかりの頃の王都の様子を覚えていた。あの時は、新しい王を賛え、新しい国を歓迎する声で王都は溢れていた。魔神によって完全に蹂躙されつくした国土を、王も貴族も民も力を合わせて復旧させようとしていたのだ。それなのに、今はどうだろう。道行く人の顔は疲れ切っており、荒んだ雰囲気がそこかしこから感じられる。あの時の生き生きとした面影は何処にも残されてはいない。

 

 しかし、それも仕方がないことだろう。何しろ、今の王国は圧倒的に様々な物資が不足している。物価は上がるばかりで庶民の生活は苦しくなる一方だ。去年の冬も酷いものだったが、それでもかろうじて乗り切ることはできた。だが今年の冬に関しては、もはや神のみぞ知るといったところだろう。収穫が期待できない耕作地を捨て、都市のスラム街に流れ込む人々も多い。表面上はまだ落ち着いているように見える王都だって、少し裏の方に行けば、仕事も食べる物もほとんどない貧民達が道端で大勢暮らしている。皆、悪化するだけの現状に絶望しきっているのだ。

 

(どうして、王国はこんなに上手くいかないんだ? 同じ人間同士だというのに……)

 

 蒼の薔薇は、ラナーの依頼で王都周辺の村々の治安維持に赴くことがあるが、そのたびに、イビルアイは王国の現状と、魔導国の現状を見比べないわけにはいかなかった。

 

 人間は儚く脆い種族だが、だからこそ持ち得る素晴らしい面がたくさんあるとイビルアイは思っている。それは、自分自身が失ってしまったものだからこそ、よりそう思うのかもしれない。だが例え一人一人が弱くとも、仲間を思いやったり助け合ったりして大きな力を発揮することの素晴らしさを、イビルアイは愛していた。それが、イビルアイが実力差があるにも関わらず、蒼の薔薇として活動する大きな理由の一つでもあった。

 

(しかし、今のこの国の現状はどうだ? どう見ても、人間が人間を滅びの道に導いているようじゃないか……)

 

 もし、この国を『彼』が導いてくれたなら、そんな問題はあっさり解決してしまうかもしれないのに。イビルアイはふとそう思ってしまう自分に気が付き苦笑いする。そして、そっと自分の左手の薬指に嵌められている宝物を優しく撫でた。

 

 そんなイビルアイの様子に目ざとく気がついたのか、すかさず、ティアが突っ込みをいれる。

 

「イビルアイ、また触ってる。そのうち触りすぎて指輪が減る」

「べ、別に、そんなに触ってない!!」

 

 慌てて指輪から手を離すが、それを様子を見ていた蒼の薔薇は楽しげな笑い声をあげる。

 

「イビルアイはいつも幸せそうでいいよなぁ。俺にも今度モモンを少し分けてくれよ。俺の勘じゃ、あいつは多分童貞だ」

「な……なんてことを言うんだ! ガガーラン、絶対に、絶対にそんなことごめんだからな!?」

「冗談だよ、本気にすんな」

 

 必死になって抗議するイビルアイに、ガガーランは豪快な笑い声をあげると背中を思い切り叩き、ちょっと拗ねたようにイビルアイはそっぽを向いた。

 

「……全く、いつもいつもからかって……、もう、皆もいい加減忘れてくれればいいのに……」

 

 苦虫を噛み潰したように呟くイビルアイの様子は、それでも、そのからかいを満更でもなく思っているように見え、ほんの一時ではあるが、それぞれに重苦しい物を抱えていた面々は気分が明るくなるように感じる。

 

「イビルアイを見習って、私もいい加減いい人を作らないとね。いつまでもこの『無垢なる白雪』を装備できるのも考えものだわ……」

 

「鬼リーダーは選り好みしすぎ。もっと性別も広く捉えるべき」

「年齢も大事。男の子は素晴らしい」

「やっぱ、童貞だよなぁ!」

 

 そんなラキュースを揶揄する声が次々にかけられる。

 

「こっちは真剣に悩んでるのよ!? はぁ……イビルアイの気持ちが少しわかったわ……」

「そうだろう!? やっとわかってくれたか、ラキュース。ほんと酷い奴らだよな!?」

 

 恋愛経験値が妙に高い三人組に太刀打ちできない乙女二人は、珍しく手を取り合って三人を睨みつけた。

 

 

----

 

 

 エ・ランテルでの執務を終えた後、アルベドとデミウルゴスから重要な案件について相談したいと連絡を受けていたアインズは、エ・ランテルの旧都市長の館からナザリック第九階層の自室に帰還していた。

 

 約束の時間になると、部屋の扉をノックする音が聞こえ、インクリメントの取次でアルベドとデミウルゴスが入室してきた。

 

 アルベドとデミウルゴスはアインズの前で一礼すると、手に持ってきた書類をインクリメントが持ってきた盆の上に載せ、ほぼ同時にその場に跪いた。インクリメントがその書類をアインズの手元まで持ってくる。アインズは、この手順にうんざりしながら、その書類を手に取り、表題を読むと中身を少しだけめくってみる。

 

「二人とも、立つがいい」

 

 アインズの許可でアルベドとデミウルゴスは美しい所作で立ち上がり、恭しく頭を下げた。

 

「これは……、王国の件だな?」

 

「はい、アインズ様。これまで長い時間をかけ、果実が腐って自然に落ちる時期をはかってまいりましたが、そろそろ収穫の時期かと存じます。そのため、かねてよりデミウルゴスと共に練っておりました、王国に対する最終作戦を実行するご許可を頂きに参りました」

 アルベドが、穏やかな微笑みを浮かべながらアインズに告げた。

 

「ふむ、なるほど……。ついに、王国も潮時ということか……」

 それらしいことを言いつつ、真面目に読んでいる振りをしながらアインズは書類をめくった。

 

(うーん、なんだこりゃ。またよくわからない作戦計画書を作ってきたな……。頭いい奴はこれで理解できるんだろうか?)

 

 アインズは、読み終えるのがあまり早くなりすぎないように気をつけながら、書類に目を通した。しかし、今いち要点が理解できない。なにしろ、今回の作戦は、実際に戦闘をするわけではなく、謀略がメインになっているので、アインズとしてはかなり苦手な部類なのだ。恐らく、ぷにっと萌えなら、目を輝かせて読んだのだろうが、自分の頭では正直理解の範疇外だ。しかしながら、信頼する二人の守護者相手にそんなことを言うわけにはいかず、わかった風を装いつつ支配者としての威厳を崩さない程度に、なんとかもう少し詳しく説明してもらおうと試みることにした。

 

「二人とも、なかなか素晴らしい作戦案だと思う。流石は、私が最も信頼する智慧者二人が練り上げた作戦だけのことはある。……ところで、私はこの作戦には利点が四つほどあると理解しているが、それで間違いはないか確認したい。デミウルゴス、お前の考えているこの作戦の利点を説明しては貰えないだろうか?」

 

「はっ。お褒めに預かり光栄です。流石はアインズ様、この作戦の利点を全てお見通しでおられるようですね。まさに端倪すべからざる御方……。そのようなアインズ様に改めてご説明する必要など、私としては全く感じませんが……」

 

 デミウルゴスとアルベドが「さすが、アインズ様」と頷き合っている様子を見て、アインズは焦った。

 

(えっ、そうなの? もっと正直にわからないって言ったほうがよかったか? でも、ここで引き下がるわけにはいかない。せめて、もう少し詳しく内容を聞き出さなければ、聖王国の二の舞いだよ)

 

「世辞はいい。私としては、万が一にも、互いの理解に齟齬があってはいけないと常々思っている。だからこそ、お前達の狙いをはっきりとさせておきたいのだ。いいな?」

 

「では僭越ながら、この作戦の趣旨と目的をご説明させていただきます」

 

(先生、なるべくわかりやすくお願いします……)

 

 祈るようにアインズはデミウルゴスの説明に耳を傾ける。やっぱり、この場にせめてシャルティアかマーレ辺りも連れてくるように言い含めておくべきだった。そうすれば、もっと詳しい説明を聞きやすかったのに……。

 

「まず、この作戦については、既にほとんど旨味が残されていない王国の刈り取りが主目的となっておりますので、ナザリック側の介入は最小限に留め、原則として現地民に実行させる手はずとなっております。そのため、万が一、この作戦がシナリオ通りにいかなかった場合でも、被害の全てを王国が一方的に受けることで、王国は自然と滅びの道を辿ることになるため、結果が変わらないというのが利点の一つです。第二の利点ですが、この作戦の成功時には既に我々の協力者となっている例の女を支配の仲介として使うことにより、円滑に属国化を進めることができます。第三の利点については、魔導国が王国を救うことになるため、魔導国の平和的統治を他国に対しこれまで以上にアピールすることができます。第四の利点については、この作戦でよりアインズ様の神格化が進み、アインズ様の素晴らしさをより多くの者どもに知らしめることができるでしょう」

 

「…………神格化?」

 

「はい、アインズ様こそが、この世界の神であると知らしめる一歩として、ふさわしいかと存じます。既に聖王国ではアインズ様の寵を受けたネイア・バラハが設立した団体がかなり勢力を増しつつあります。そのような状況を王国でも作り出せるかどうかの実験も合わせて行いたいと考えております」

 

 自信満々に説明するデミウルゴスを、アインズは呆然として眺める。あまりの驚きに昂ぶった精神が一瞬で沈静化されるが、想像を絶するパワーワードに再び酷く動揺してはまた沈静化する。

 

(ちょっと待って!? 世界征服以外に、いつの間にかまた新しい設定が生えてない!? 神とか一体どこから出てきたんだよ? 少なくとも俺は一度もそんなことを言った覚えはないはずだ。しかも、ネイア・バラハがそんなことをやってたなんて知らなかった……。彼女はシズの友人というだけじゃなかったのか?)

 

 いくら考えても全くわけがわからないアインズは、止めさせようにも、それを納得させる材料すら見つからず、無い胃がキリキリと痛むのを感じる。

 

「この世界全てを支配されるアインズ様が、いずれ神の座に着かれるのは当然のこと。それにも関わらず、アインズ様のお望みにこれまで気が付かなかった愚かなシモベをお許しくださいませ。今後はより一層、アインズ様の御心にお応えできる作戦を立案するように努力いたします」

 

 アルベドが神妙な顔をしながら軽く頭を下げる。

 

(いや、だから、そんなことは俺が望んでいることじゃない! 一体どうしてこんなことになったんだ……)

 

 しかし、智慧者二人の目は異様なまでに輝いており、まさにこれこそ自分たちの進むべき道とばかりに、全く疑っているようには見えない。そして、そんな二人にそれを否定するようなことを言える勇気などアインズにあるはずもなかった。

 

「は、はは……。我が真意をよくぞ見抜いたな……。流石は、アルベドにデミウルゴス。お前たちに任せておけば間違いなど起きようはずもない。わかった。では、この作戦の実行を許可しよう。必要な部隊編成は、アルベド、お前に全て任せる。実行部隊の指揮はデミウルゴスが行うように」

 

「アインズ様の御心のままに」

「ありがたき幸せ。決して、アインズ様に後悔させるようなことはいたしません」

 

 守護者二人は深くお辞儀をして、やる気に満ち溢れた様子でアインズの命を受ける。

 

「ああ、ただ二点ほど気をつけてほしいことがある。今回の作戦では無垢なる者達には極力被害が及ばぬようにし、必要であれば保護をせよ。それと、蒼の薔薇に関しては今後も利用価値があるかもしれないので、いたずらに傷をつけることは避けて欲しい」

 

「それは……、特にイビルアイを、ということでしょうか?」

 

 さり気ないデミウルゴスの突っ込みに、アインズは一瞬動揺する。そういえば、以前守護者達が揃った時にイビルアイのことを説明したら、いつもに増してデミウルゴスがいい笑顔で頷いていたように思ったが、デミウルゴスにも何か利点があったんだろうか。おまけに聞き捨てならない名前を聞いたせいか、アルベドの肩がびくっと動くのが見える。

 

「えっ、いや、そういう訳ではないが……、まぁ、そう思ってくれてもいい。イビルアイは既に我が配下同然だからな」

「畏まりました。重々気をつけるように注意いたします」

 

 アインズの返答を聞き、何事もなかったかのように二人とも頭を下げたため、二人がどんな表情をしているのかは見えない。ただ、なんとなくアルベドからは若干異様な雰囲気が漂ってきている気がする……。しかし、余計な詮索はしない方が身のためだと判断したアインズは、あえて気が付かなかったことにした。

 

「では、二人とも頼んだぞ。今回も素晴らしい働きをしてくれると期待している」

「はっ、お任せください!」

 

 いずれにしても、既に動き出した巨大プロジェクトを止める術などない。例えそれが大赤字になるのが見えていたとしても。それは現実(リアル)で一社員だった頃から、既に嫌というほどアインズも身にしみていた。そして、ナザリックの誇る智慧者二人に反論などしても、所詮アインズの頭では勝ち目はないのだ。

 

(俺は一体どこまで行くことになるんだろうな。神か……。はは。そんなものになる日が来るなんて思ってもみなかったよ……。いや、まだなってないけどさ。ギルドの皆が聞いたら、どんな顔をするんだろう?)

 

 アインズは虚ろな目をして考える。

 

 そんなアインズを他所に、守護者二人は意気揚々と部屋から退出していき、その姿を見送ったアインズは出ないため息をついた。

 

 こんな時にこそ、誰か一人でも自分を理解して弁護してくれたら、少しは違う結果になるのではないだろうか。だが、少なくとも NPC 達では駄目だろう。自分の息子同然のパンドラだって、恐らくこの計画には乗り気であるに違いない。

 

(そういえば……イビルアイはどうなんだろう?)

 

 アインズとしては、彼女の気持ちは未だ理解しきれないところはあるが、NPC 達や自分に畏怖や崇拝をしてくる者達とは少し違うような感じがしていた。そんな彼女がこんな話を聞いたら笑うのだろうか。それとも怒るのだろうか。

 

 しばらく考えてみても、イビルアイがどう反応するのか全く想像できなかった。しかし反応が全く予測できない配下というのは、アインズにとってはかなり希少な存在だ。冒険者組合長のアインザックのように、NPC 達も駄目なことは駄目だと言ってくれる方が嬉しいのに、とも少し思う。

 

(こんなことなら、やはりあの時、無理にでも引き止めればよかったかもしれないな)

 

 イビルアイのほんのり甘い香りを思い出して、何とも言えない気分になるが、今更後悔しても仕方がない。

 

 部屋に一人取り残されたアインズは、こうなったら行くところまで行くしかないと覚悟を決める。どうせ、世界の支配者も神もそんなに違うわけではない。そんな苦しい言い訳を自分の中でひたすら繰り返してしているうちに、だんだん真面目に考えるのも面倒になってきて、未来の自分に全て丸投げすることに決めた……。

 

 

----

 

 

 王都で定宿にしている高級宿屋の食堂で朝食をとっていた蒼の薔薇の元に、クライムが訪れたのは翌日の朝のことだった。

 

「ん? 童貞、またいつものお使いか?」

 

 大きめの肉の切り身を口の中に放り込みながら、目ざとくクライムを見つけたガガーランが声をかける。その声を聞いて、人探し顔をしていたクライムは食事をしている蒼の薔薇の面々に気がつき、ゆっくりと歩み寄ってきた。

 

「おはようございます。皆さん」

「おはよう、クライム。よかったら、そこの椅子に掛けていてくれるかしら? 何か食べるなら適当に頼んでも構わないわよ」

 スープを上品に口に運んでいたラキュースが空いている席をクライムに勧める。

 

「いえ、自分はもう朝食は済ませてきましたので……」

「まだ、朝っぱらからの訓練続けてるみてぇだな。程々にしとけよ? 訓練ってのもやればいいっていうのとは違うからな」

 ガガーランは、クライムの右手の袖口近くに付いている真新しい打ち身の跡を目ざとく見つけて、呆れたように言った。

 

「今日は、珍しくブレイン様が朝の稽古に付き合ってくださいましたので……。おかげで前よりは攻撃の繋ぎのタイミングがわかるようになってきたと思います」

「へぇ。あいつも何だかんだ言って結構優しい男だよなぁ。まあ、クライムのことを気に入ってもいるんだろうが」

 

 ガガーランのその言葉でクライムは少し照れくさそうに笑う。

 

「ところで、クライム、ラナーからのお使いで来たのよね? 今度はどんな用件だったのかしら?」

 ラキュースは飲み終えたスープ皿の上にスプーンを置くと、クライムに尋ねた。

 

「はい、実は昨日の今日で申し訳ないのですが、ラナー様がまた蒼の薔薇の皆さんに護衛をお願いしたいと。それで、今回は少し遠出する予定なので、支度を済ませられてから、なるべく早めに王城までお出でいただきたいとのことです」

「こんな時期にラナーが遠出? 一体どこに行くのかしら……」

 ラキュースは少し眉をひそめる。

 

「詳しくはラナー様からご説明があると思うのですが……」

 そういって、クライムは辺りの様子をさり気なく伺う。とりあえず、こちらの話に聞き耳を立てている人物はいないようだが、だからといって油断するのは危険だろう。

 

「ああ、確かに、こんなところでする話ではないだろう。……ラキュース、そういうことなら急いだ方がいいんじゃないか?」

 頬杖をついて飲み物だけ飲んでいたイビルアイもカップを置く。なぜか、いつもとは違うクライムの様子に、妙に気分が動揺するのを感じる。

 

「そうね。ティア、ティナも急いでくれるかしら?」

「了解。鬼ボス」

「もう、食べ終わる。いつでもいける」

 

「それじゃあ、クライム。ラナーの所に先に戻っていてくれる? 私達も準備ができ次第伺うと伝えてほしいの」

「わかりました。お食事中のところ、失礼いたしました。ではまた」

 

 クライムは丁寧に蒼の薔薇の面々に一礼すると、宿を出ていく。それを見送ったラキュースはため息をつきたくなるのを我慢して、無理やり笑顔をつくると、席から立ち上がった。

 

「さて、私達は請け負う仕事に最善を尽くすのみよ。今日も頑張りましょう」

「全くだな。よし、行くとするか」

「了解」

 

 いつものように食堂から部屋に向かう四人の後ろから、イビルアイもゆっくりついていく。

 

 自分らしくもなく、ラナーの用件に珍しく多少の不安に駆られてしまったようだ。この王国に、自分を倒せるような者などいない。だから、不安を感じる必要なんて何もないはずだ。だけど――。

 

(王国にもしものことがあったら……、アインズ様は助けに来てくれるだろうか? ……いや、そんなことを考えても仕方がない。彼は他国の王で、そもそも王国を守る義理なんてない。自分たちの国は自分たちで守る。それが当たり前だ。アインズ様はアインズ様で自分の国を守らなければいけないんだから……)

 

 イビルアイは、完全に無意識に左手の指輪を撫でる。そしてそんな風に思いつつも、心の中で彼が側にいてくれたらよかったのにと願わないではいられなかった。

 

 

 




佐藤東沙様、Sheeena 様、アンチメシア様、スペッキオ様、誤字報告ありがとうございました。


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3: 小さな希望

 その日も朝から暗い雲が空を覆い、今にも雨が降ってきそうだった。馬車とはいえ、遠出をするにはあまり嬉しくない天気だ。

 

 王家の紋が入った、昨日よりも大型の御者付き馬車に、蒼の薔薇とクライム、ラナーが乗り込む。今回は遠出ということで、メイドが三人ラナーの世話役として少し小型の馬車で同行し、馬に乗った騎士も四人付いている。

 

「さてと、ラナー。そろそろ、今回の遠出の目的を教えてくれてもいいんじゃないかしら?」

 

 馬車が王都の門を抜け、しばらく舗装されていない街道を進んだ頃、ラキュースが口火を切る。何しろ、ラナーは、詳しい話は馬車の中でといったきり、城では行き先の説明などを全くしてくれなかったのだ。もっとも、ラナーの周りには常にスパイ役を兼ねたメイド達がいるのだから無理もない。それだけ今回の件は貴族たちには知られたくない用事ということなのだろう。

 

「そうですね。ここなら誰かが聞いているということもないでしょうから……。実は、お兄様にレエブン候の説得を頼まれたのです。流石に、今お兄様が王都を離れるわけにはいきませんし、この状況下でレエブン候のお力添えを頂けなければ、王国はいつ終わりを迎えてもおかしくはありません。しかし、今派閥を牛耳っている貴族達にとってはレエブン候の政務復帰は面白くないことでしょう。ですから、城の中ではお話しすることができなかったのです」

 

 珍しく真面目な顔をしてラナーは答えた。

 

「なるほど。それは私も同意だな。あの馬鹿貴族どもをなんとか抑えるにしても、レエブン候がいなければどうにもならんだろうし、連中に邪魔されれば上手くいくものもいかなくなるだろうしな」

「全くだわね。同じ貴族として、忸怩たる思いよ。無能な貴族を粛清した帝国の英断は、王国も見習うべきだと私ですら思ってしまうもの。魔導国のように最初から貴族なんていなければ、王国もここまで酷いことにはなっていなかったかもしれないわね」

 

 イビルアイとラキュースの言葉に他の面々も同意したのだろう。馬車の中に苦笑が洩れた。

 

「そうすると、今回の目的地はエ・レエブルってことか? おとなしくレエブン候も首を縦に振ってくれればいいんだが、これまでザナック王子だって何度も打診はしていたんだろう? それで戻ってくるっていうかねぇ?」

 

 ガガーランの疑問に、ラナーも同意する。

 

「ええ、お兄様もそれは心配されていました。でも、だからといって、何もしないでいるわけにはいきません。王国の未来の為ですもの。それにあのお優しいレエブン候のこと。きっと今の王国の現状は憂いていらっしゃるはず。ですから、私が行くんです。駄目でもやってみなければ未来は変わりませんから!」

 ラナーは重苦しい雰囲気を吹き飛ばすかのように、明るく微笑んだ。

 

「そうね。確かにやってみなければ何も変わらないわ。ラナー応援してるわよ。頑張ってね」

「はい! 私にできることはこのくらいですから」

 

 可愛らしいパンチポーズを取るラナーに、蒼の薔薇もクライムも励まされた気分になった。このまさに小さな希望とも言うべき姫も、祖国である王国もなんとしても守らなければ……。ラナーの微笑みには、そんな風に思わされる独特の魅力があるのだ。

 

(本当に、この方こそ王国の至宝である『黄金』。そして、畏れ多くも自分の愛する――)

 

 クライムは自分には手の届かない眩しいものが目の前にあるかのように、ラナーを見つめる。そして、その視線に気がついたのか、ラナーがクライムに微笑み返す。

 

「クライム、ずっと私の側にいてくださいね? 約束ですよ?」

「も、もちろんです。この生命にかえても……!」

 

 いつものクライムなら、ラナーのそんな言葉に顔を真っ赤にして、うつむくところだろう。しかし、今日のクライムは、どことなく強い意志が感じられ、普段よりも大人びてみえた。

 

 馬車の外ではポツポツと雨が振りはじめ、しばらくすると土砂降りに変わった。

 

 幸せそうな二人を余計な口をはさまずに見守っていた蒼の薔薇だったが、もう何年にも渡って王国を覆っている分厚い雲は、力を合わせて前に進もうとしている、この二人の前に暗い影を落とし、あたかも運命を妨げようとしている、そんな気がしてならなかった。

 

 

----

 

 

 エ・レエブルに向かう道は惨憺たるものだった。

 

 明らかに耕作している気配のない畑。焼き討ちにあったような形跡のある、半分焼け落ちて打ち捨てられた村々。人が残っている町でも、門の近くには食い詰めて村から逃げて来たらしい人々が、ありあわせの材料で小さな掘っ立て小屋のようなものを作り、野宿をしている。人々の顔は頬がこけ、絶望感から打ちひしがれている者も多い。王家の紋の入った馬車が通り過ぎるのを、憎々しげに見ている者さえいる。流石に石までは投げられなかったが。

 

 本来なら、途中の無事な町か村で一泊したいところだったが、この様子では逆にラナーを危険に晒しかねない。そのため、馬車は近くに集落がない場所を選んで野営するしかなかった。その間、蒼の薔薇と騎士達が交代で周囲の警戒に当たったためか、それともたまたま雨が強かったせいか、流石に襲ってくるような不埒者はいなかった。

 

 気の休まらない夜が明け、早々に一行は出立する。朝方まで土砂降りだった雨も若干小雨になっている。今のうちに少しでも距離を詰め、エ・レエブルにたどり着きたい。そんな思いが自然と全員に共有されていた。かのレエブン候の領地であれば、内政に力を入れている候のこと。荒れた土地も減るだろうし、かなり安全になるはずだ。

 

 王女ですら安全に自国を歩くことができない。突きつけられたその冷たい現実に、普段は強気の態度を崩さないメイド達ですら言葉少なになり、心なしか顔が青ざめているようだ。

 

 半日ほど馬車をひたすら走らせると、舗装されていない街道が綺麗な石畳に変わる。それが、レエブン候の領地であるエ・レエブルに近づいてきたことを示す合図だ。王国でまともに街道整備に取り組む貴族は数少なく、その中の一人がレエブン候だった。

 

 あと一時間ほどでエ・レエブルという場所で、ラナーは一旦馬車を止め、騎士を一人先触れとして送る。

 

「今夜は、無事にエ・レエブルで過ごせそうですね」

 疲れたような顔をしている全員を励まそうと、いつもよりも明るい声でラナーが笑う。

 

「そうね、今日は暖かいベッドで休みたいものだわ」

「全くだ。今回の旅はろくなことがなかった。今夜はゆっくりさせてもらいたい。面倒くさい話はラナー王女に全部任せる」

 

「あら、酷いです。私一人で頑張らないといけないんですか?」

 可愛らしく頬を膨らませたラナーのおかげか、ようやく馬車の雰囲気がいつもの調子に戻ってくる。

 

「冒険者は、政治には首を突っ込まないのが約束だからなぁ。頑張りたくても頑張れないだろ?」

「それに、私達、道中は頑張った。今度はラナーの番」

「お土産も期待してる」

 

「ふふ、交渉が上手くいくように祈っていてくださいね。あと、レエブン候の館までは一緒に来てください。もちろん、クライムもですよ?」

「わかりました。お任せください、ラナー様」

 

 イビルアイは、迷わず笑顔で返事をするクライムに妙に男らしい頼もしさを感じ、ふと王都でのモモンの姿を思い出す。そして、常にクライムが側に付いているラナーを少しだけ羨ましく思う。

 

 他のメンバーには気が付かれないように指輪に触れると、エ・ランテルで抱きしめてくれた彼の細い腕が、今も自分を優しく包んでくれているように感じる。

 

(そうだ。今、彼が側にいないのは、自分がまだその時期じゃないと決めたからじゃないか。だからこそ、彼にもう一度会った時にもっと相応しい存在でいられるように、私は王国で精一杯頑張るんだ……)

 

 蒼の薔薇の皆が笑って、それぞれが違う道を行くことを決めるその日まで――。

 

(大丈夫。私だって、いつも彼が側にいてくれている。私はもう一人じゃない)

 

 そう思うだけで、とても強い力が自分を支えてくれているように感じる。アンデッドである自分は体内に熱を感じられるわけではないが、それでも、左手の薬指から何か暖かいものが自分の心の中に流れ込んでくるのがわかる。イビルアイは、そっと左手を握りしめた。

 

 

----

 

 

 レエブン候にようやく会えることになったのは、夕暮れも間近な時間だった。

 

 使者として送った騎士の話では、当初はラナーに会うこともかなり渋っていた様子だったが、第三王女直々の訪問ということもあり、流石のレエブン候も折れざるを得なかったらしい。

 

 レエブン候の館は、豪勢ながらも派手すぎず、落ち着いた佇まいで、レエブン候の実直な人柄を思わせるものだった。

 

 蒼の薔薇とクライムはレエブン候の館までは共に行ったものの、レエブン候の部屋に通されたのはラナーだけで、残りの六人は案内された応接間に取り残され、出された紅茶を飲んでいた。

 

「ラナー様、大丈夫でしょうか?」

 不安そうにそわそわとしているクライムにラキュースは励ますように声を掛ける。

 

「信じるしかないわ。ラナーを。そもそも、レエブン候を説得できる可能性がある人なんてラナーくらいしかいないもの。私達が一緒に行っても意味なんてないわ」

「そうだな。あくまでも、俺達は王女様をここに無事に連れてくるまでの護衛だ。後の仕事は任せるしかねぇ。こんなことくらいで動揺するから童貞なんだよ。もっとじっくり構えて座ってな」

 

「は、はい!」

 

 ガガーランの言葉で少し落ち着いたのか、クライムはじっと主人を待つ犬のような様子になり、ソファーの隅に大人しく座っている。他のメンバーは紅茶を飲みながら、当たり障りのない世間話をしている。

 

 イビルアイはそんな皆の様子をちらっと見てから、出された紅茶には手を付けずに窓へ向かうと、雨がまだ降り続く外の様子をぼんやりと眺めていた。

 

 

----

 

 

 レエブン候の執務室は、王都にある屋敷にあるものよりも若干広めではあるが、やはり机の上には多くの書類が積み上げられ、綴られた資料が、部屋に整然と置かれている複数の本棚に綺麗に並べられている。自分の領地で起こっていること全てを把握していると言われても、誰もがそれを信じるだろう。特にレエブン候の手腕を知っている者ならなおさらだ。

 

 その場所で、王国第三王女ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフと、エリアス・ブラント・デイル・レエブンは約二年ぶりに直接対峙していた。

 

 レエブン候は恭しくラナーにお辞儀をすると、ソファーを勧め、その反対側に自分も座る。メイドが一人部屋に入ってきて二人の前に紅茶を並べると、そのまま静かに一礼して退室していく。

 

 メイドが扉を閉めて少ししてから、ラナーがおもむろに口を開いた。

 

「お久しぶりですね、レエブン候。もしかしたら、お会いいただけないかもしれないと思いましたが……」

「ご冗談でしょう。ラナー殿下。直々にご訪問いただいたのに、門前で追い返すなどできるはずもないではありませんか」

 

 口調は二人とも丁寧だったが、レエブン候の眼光は遠慮するところもなく鋭いもので、ラナーはそれを一見慈愛に満ちたような眼差しでかわしていた。

 

「それでも、一度は追い返そうと思ったのでしょう?」

「そんなことはありませんよ。ただ、このようなあばら屋に殿下をお迎えするのは失礼かと思ってしまったまでのことです」

「ふふ、それならそういうことにしておきましょうか。こんな話をしにきた訳ではないのですし。どのみち、私の用件はお分かりなのですよね?」

 

 ラナーは無邪気そうな微笑みをレエブン候に向けるが、逆にその笑顔でレエブン候は身構えた。

 

「さて……。何のことやら私には分かりかねますね。王都を離れてかなり経っておりますし。何分田舎暮らしが板に付いてしまったものですから」

 レエブン候は肩を竦めた。

 

「そうですか……。では、単刀直入に申し上げますね。王都に戻り、政務に復帰してください、レエブン候。これは、私だけではなく、お兄様が強く望んでいらっしゃることでもあります」

 

「お断りいたします。ラナー殿下。この件については、何回言われたところで、考えを変えるつもりはありません」

 固い決意が浮かぶ表情で、レエブン候は拒絶した。

 

「レエブン候、どうしてそんなに復帰することを頑なに拒むのですか? 貴方は長いこと実質的に王国を支配していらしたはずですし、ザナック兄様にも完全に信用されていたではありませんか。ザナック兄様が即位すれば、貴方はその地位を盤石のものに出来たでしょう。それなのに、なぜそうなる前に引退することを決めてしまわれたのですか?」

 

 レエブン候は少しだけ逡巡し、やがて口を開いた。

 

「……確かに、昔は権力に執着していました。それは否定しません。しかし、それがいかに浅はかな考えなのか私は思い知ったのですよ。あの戦争……いや、虐殺でね」

 

「レエブン候、貴方は魔導王陛下が怖いのですか?」

 

 ラナーの微妙に含みのある言葉に、激昂したレエブン候は立ち上がり、目の前にあるテーブルを叩きつけると怒鳴り声をあげた。

 

「あなたは!! あの惨状を見ていないから、何とでも言えるのです! 私は、とにかく、あんな化物とは関わり合いになりたくないし、私が今望んでいるのは、息子に無事この領地を譲ることだけだ! 王政に関われば、いずれあの化物の相手をする羽目になる。そんなのは、私は御免こうむる! わかったら、帰って、もう二度と私の前には姿を現さないでくれ!」

 

 レエブン候は肩で息をしながら、ラナーを睨みつけていたが、やがて力無く椅子に座り込んだ。

 

「貴方の言いたいことはわかりました、レエブン候。しかし、貴方は大事なことを見落としてはおられませんか?」

「大事なこと? 私が何を見落としていると言うんです?」

 

「このままでは、王国は遅くともあと一年以内に内乱になるでしょう。そうすれば、どうなると思いますか?」

「…………」

 

「もはや、帝国は魔導国の属国ですし、法国も含め、現在王国に対して友好的な国などほぼありません。それにも関わらず、去年の冬の食糧不足を乗り切れたのは、魔導国から実質的には援助と言ってもいい廉価での穀物の大量輸入ができたからこそ。つまり、今一番王国に同情的なのは、貴方が仮想敵と見なしている魔導国なのです」

 

「……殿下、要するに、内乱になれば、魔導国が介入してくると言いたいのですか?」

「間違いなくそうなるでしょう。困っている隣人を助けるため、と言えばいくらでも大義名分は立つでしょうし、それに反対できる国も現状見当たりません。そして、レエブン候、その時に、何もせずに引きこもっていた貴方の領地が無事に安堵されると、本当に思っておられるのですか?」

 

 レエブン候は苦々しげに唇を歪ませる。

 

「……全く思えませんな」

 

「それに。実際のところ、私は、魔導国と手を組んでもいいと思っています」

「殿下!? な、何を仰るんです!?」

 

 あまりにも信じられないことを聞いた衝撃でレエブン候の顔は真っ赤になる。その彼の顔を面白そうに眺めながら、ラナーは話を続けた。

 

「別に驚くこともないでしょう。レエブン候。もはや、王国は自力で復興するのは困難なところまで来てしまっているのです。レエブン候の領地では今年の冬も問題なく越せるでしょう。しかし、それ以外の場所では大規模な飢饉が間違いなく起こります。そうなれば、大勢の民が死ぬでしょう。少なくとも、カッツェ平野で亡くなった人数以上の犠牲を出して」

「…………」

 レエブン候は穏やかな笑顔のままのラナーを睨みつける。

 

「そうなったら王国はおしまいです。であれば、魔導国に頭を下げて、帝国のように庇護下に入れて貰ったほうがよほど民のためだとは思われませんか? 帝国では以前とほぼ変わりない程度の自治権を認められていると聞きます。レエブン候。このまま滅びの道を辿り、大勢の無辜の民を見殺しにするのと、一時の屈辱に耐え、民と国を、そして貴方の領地の未来を守るのとではどちらを選ばれるのですか?」

 

 レエブン候は、しばらく苦悩に満ちた表情で動かなかったが、やがて声をなんとか絞り出すようにして答えた。

 

「……殿下、わかりました。恐らく、その道しか王国には残されていないのでしょう……」

「貴方ならわかってくださると思っていました、レエブン候。では、交渉はこれで終わりということでよろしいですか?」

 

 ラナーは、薔薇のような笑顔になって右手をレエブン候に向かって差し出す。レエブン候は、暫し逡巡したものの、諦めたようにその手を握り返した。

 

「全く、殿下には敵いませんな」

 レエブン候は重苦しいため息をついた。

 

「それでは、なるべく早めに王都に戻ってきてください。事態は非常に深刻です。もちろん、レエブン候は状況は把握していらっしゃると思いますけれど」

「やはり、殿下にはバレていましたか……」

「もちろんです。こう見えても、いろいろ知る手段はありますからね」

 

 ラナーの一見幼ささえ感じられる微笑みに、完全にお手上げといった風情でレエブン候も不承不承笑顔を返す。

 

「なるべく急ぎで出立致しましょう。ザナック殿下には、長きにわたる不在をお許し下さいとお伝えください」

「わかりました。それでは、王都でまたお会いしましょう」

 

 レエブン候はソファーから立ち上がり、恭しくラナーに一礼をした。

 

 

 




佐藤東沙様、アンチメシア様、誤字報告ありがとうございました。


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4: 闇にうごめくもの

 レエブン候との会談を無事に終えたラナー達は、帰り道も余計な寄り道をすることなく馬車を走らせ、無事に王都に帰還した。

 

 蒼の薔薇とは馬車の所で別れたラナーは、その足でクライムだけを連れてザナックの部屋へ向かった。ザナックの部屋の前には、護衛の騎士が二人立っていたが、ラナーの姿を見て丁寧に礼をした。

 

「お兄様に帰還のご報告に参りました。取り次いでいただけますか?」

「はっ、王女殿下、少しお待ち下さい」

「クライム、貴方はここで待っていてくださいね」

「はい、ラナー様」

 クライムは頷いて、扉の脇に控えた。

 

 騎士の一人が扉をノックし、ラナーの来訪を告げる。やがて、中からメイドの一人が現れラナーにお辞儀をして部屋の中へと案内した。

 

「ザナック王子殿下、ラナー王女殿下をお連れいたしました」

「うん、わかった。お前は下がれ」

「はい、失礼致します」

 

 メイドが部屋から出ていくのを見送った後、ラナーはザナックに優雅にお辞儀をした。

 

「お兄様、只今エ・レエブルから無事に帰還いたしました」

「ああ、無事に戻ってきてくれたようで嬉しいよ、ラナー。それで、首尾はどうだったんだ?」

 

「はい、レエブン候もさすがに王国の窮状には心を痛めていらしたご様子で、なるべく早めに王都に戻られるそうです。長い間王都を不在にしたことをお兄様にお詫びしたいと、仰っておられましたわ」

「そうか! レエブン候がようやく戻ってきてくれるか……。さすがはラナーだな。あのレエブン候を説き伏せられるとは。しかし一体どうやったんだ? 何か魔法でも使ったのか? 俺は、正直、頷いてくれるとは思っていなかったのだが……」

 

 王都で一人奮闘していて緊張気味だったのか、少し青ざめた顔をしていたザナックも、ラナーの言葉で安心したのだろう。多少頬に赤みが戻ってきた。

 

「別に魔法など使っていません。普通にお願いしただけですよ」

 ラナーは穏やかに答えた。

 

「はは、そうなのか? まあいい。ともかく、ラナー、全てお前のおかげだ。本当に感謝する。これで王国も少しは持ち直すかもしれない。これからも宜しく頼む」

 

 ザナックがラナーに差し出した右手を、ラナーも柔らかく握り返す。

 

「ふふ。もちろんですわ。お兄様があの約束を守ってくださっている間は、私も協力は惜しみません。ところで……魔導国に何か動きがあったのではありませんか?」

 

 ラナーは少しだけ小首を傾げる。ザナックはその言葉で一瞬顔を引きつったように歪ませたが、すぐにいつもの顔に戻ってため息をついた。

 

「もう、お前の千里眼には慣れたよ、ラナー。お前がレエブン候のところに行っている間に魔導国から使者が来た。親父への見舞いの品を贈る使者を送るそうだ。一週間後に王都に到着するらしい」

「あら、別に千里眼という訳ではありませんよ。ただ、そろそろいらしてもおかしくない、と思っていただけです。それで、魔導国からはどなたがいらっしゃるのですか?」

 

「前回同様、宰相アルベド様だそうだ。式典にはさすがに今回は親父が出席できる状態ではないから、お前とレエブン候に頑張ってもらわないとな。でないと、あの馬鹿共が何を始めるかわからん。できれば、あの連中は公の式典から排除したいところだが……」

 

「あそこまで勢力が大きくなってしまうと、それは難しいでしょうね。必要最低限の相手には招待状を送らざるを得ないでしょう」

「そうだな……。後で人選の相談に乗ってくれ。さすがに今日は疲れただろう。休むといい。この件については明日また改めて話そう」

 

「わかりました。では、お兄様、明日またお伺いしますね」

 ラナーは無邪気な微笑みを浮かべ、王女に相応しい気品のあるお辞儀をした。

 

 

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 ザナックへの報告を終えたラナーは、クライムを伴って優雅に宮殿の廊下を歩き、自室まで戻ってきた。

 

 部屋の中にはメイドが一人控えており、ラナーとクライムが部屋に入るとお辞儀をして出迎えた。ラナーはそのメイドに湯浴みの支度を言いつけると、くるりとクライムの方に振り向き、可愛らしい笑顔を見せる。

 

「ああ、クライム、さすがに私も長旅で少し疲れちゃいました。湯浴みをしたら、今日はもう休もうと思います。ですから今日は貴方も部屋に戻って構いませんよ」

「わかりました。ラナー様。それでは、今日はこれで失礼します」

 

 クライムはラナーに一礼すると、部屋から退出していった。それを見送り、部屋に誰もいないことを素早く見回して確認したラナーの顔は、やがて怪しい笑みを湛えた表情に変わる。

 

 ラナーは、部屋の片隅に置いてある鏡の所に行き、その中をいつもの様に覗き込む。そこに映っているのは、先程までの可愛らしい王女ではなく、大きく歪んだ目と唇をした一人の化物だった。

 

 長かった。ラナーはそう思う。本当に長いこと、ラナーはやがて来るその日を待っていた。

 

 遠い昔、冷たい雨の中で拾った仔犬はすっかり大きくなった。彼の瞳はあの頃のまま、ラナーをひたすら信じて熱意がこもった視線を自分にだけ向け続けている。あの瞳を、そして彼の全てを手に入れるのももうすぐだ。

 

(これで私の方の下準備はほぼ全ておしまいね。ああ、少し最後の仕上げをした方がいいことも残っているけれど。後はあの方々にお任せしておけば……)

 

 コツン、と奥の浴室から誰かが出て来る足音が聞こえた。

 

 鏡の中の顔は、いつもの愛らしい王女のものに変わる。

 

「ラナー様、湯浴みの支度が整いました」

 先程のメイドが、頭を下げてラナーの後ろから声をかけた。

 

「わかりました」

 ラナーは振り返ると、ふいに何かに気がついたような表情を浮かべる。

 

「……あら、わたしとしたことが、ただいまの挨拶をお父様にしに行くのを忘れてしまっていました。今ならまだ間に合いますね。クライムは部屋に帰してしまったので、付いてきてもらえますか?」

 無邪気そうな笑顔でラナーは首をかしげる。

 

「畏まりました」

 

 メイドは静かに礼をすると、部屋の扉を開けるために扉の側に行く。メイドの後ろ姿を見ながらラナーは密かに暗い笑みを浮かべるが、すぐに元の笑顔に戻ると、メイドを供にランポッサ三世の部屋へ向かった。

 

 

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 人払いをした静かな部屋の中に、小さな人影が入ってくる。手には二つのカップを載せた盆を持っている。

 

「……お父様。只今戻りました。よろしければ、また一緒に紅茶を召し上がりませんか?」

 

 ひどく優しい声をベッドの上に横たわる部屋の主にかけるが、何の返事もなく、微かな寝息が聞こえてくる。

 

「……眠っていらっしゃるのですか?」

 

 少女は、盆をベッドの脇にある小さなテーブルの上にそっと置き、部屋の主に近づく。主の顔には全く生気がなく、少女がかける声に反応する様子は見られない。

 

「そうですか。では、せめて一口だけでもいかがでしょう?」

 

 可愛らしい笑みを浮かべて、少女は懐から出したものを自らの口に入れ、カップの紅茶を一口含む。そして、部屋の主にそっと口付けをするように、口の中に流し込んだ。やがて主の喉がこくんと微かに動くのが見える。それを確認してから、更にもう一口主に紅茶を飲ませ、口の周りをハンカチで丁寧に拭う。

 

 それから、少女は懐からまた何かを取り出して口の中に入れると、ベッドの脇に置かれている椅子に腰掛け、今度はもう一つのカップを取り上げて、ゆっくりと紅茶を楽しむように自分自身でそれを飲み込む。

 

 ベッドの様子を窺いながら、自分の影に向かって一言二言呟く。やがて、影が返す言葉を聞いて軽く頷くと、カップの紅茶を全て飲み終えた少女は優しく部屋の主に語りかける。

 

「それでは、ゆっくりとおやすみください、お父様」

 

 その表情は、ゆらりと悪魔のような形相に変わり、自分の仕上げを満足そうに見つめる。

 

 そして、部屋に入ってきた時と同様にテーブルの上の盆を持つと、そのまま部屋を振り向きもせずに出ていった。

 

 

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 レエブン候が王都に帰還したのは、ラナーが王都に戻ってから二日後のことだった。

 

 レエブン候が政務に復帰することは、対抗勢力を抑えるために帰還直前まで極少数以外には秘されていたが、レエブン候が王都の門をくぐると、その話は瞬く間に王都中に広まった。以前であれば、王都の一番広い通りを進むレエブン候の馬車を一目見ようとする人々で道は賑わったものだが、今回は偶然通りかかった者が、僅かに通りの端に身を寄せるだけだった。

 

 王城の前で出迎えたザナックは、笑顔で馬車を降りてきたレエブン候とがっしりと握手し、二人の間柄が健在であることを他の勢力にアピールした。

 

 王派閥も貴族派閥も、不意打ちのようなレエブン候の帰還で騒然となったが、元々どちらもレエブン候とは手を組んでいた関係から、表面上は好意的にレエブン候を受け入れた。

 

 そんな中、レエブン候に対して不快感を露わにしたのは『馬鹿派閥』だった。

 

「そもそも、二年前の戦争で負ける原因を作ったのはレエブン候だろう! 何を今更のこのこと戻ってきたんだ!? 大人しく領地に引っ込んでいればいいものを……」

 

 フィリップは王都にある自分が懇意にしている商人の館の一室で、歩き回りながらいらいらと親指の爪を噛む。

 

「フィリップ様、別にお気になさることなどありませんよ。レエブン候は以前は確かに王国の中心人物といってもいい地位を築いていらっしゃいましたが、それも今は昔。今の中心人物は貴方様。そうでしょう?」

 

 痩せ細ってはいるものの未だ美女としての面影を残している女性が、近くにあるソファーに座って妖艶な笑みを浮かべている。

 

「くそ、せっかくもう少しでラナー王女を俺のものにできるはずだったのに……。ヒルマ、何かいい手はないのか!?」

 

(この馬鹿、まだそんなことを言っているのか)

 

 ヒルマはどす黒い感情を覚え、思わずフィリップを始末してしまいたくなる。しかし、今日までなんとかこの馬鹿を宥めすかして来たのだ。その日々ももうすぐ終わりなのだから、と自分自身を必死に抑えた。

 

「そういうチャンスもそのうち巡ってくることでしょう。フィリップ様。王位を狙うなら慎重さが大切ですよ」

 

「ああ、そうだった。いつもヒルマの言うことは正しかったからな。まあ、いい。俺はラナー王女とアルベド様、二人とも手に入れて王国も魔導国も俺のものにするんだ。ははは。そうすれば、ヒルマ、お前にもこれまでの借りを全部返してやれるし、贅沢もさせてやれる。……そうだ。もっと良いことを思いついたぞ。いっそ、王国とか魔導国とか小さなことを言ってないで、俺が世界の王になれば完璧だと思わないか!?」

 

「…………は?」

 

 フィリップは自分のあまりにも素晴らしい思いつきに目を輝かせる。だが、ヒルマは開いた口が塞がらなかった。

 

 ヒルマは己の前にいる男が、普通では信じられないレベルの馬鹿であることは知っていた。しかしながら、まだ何一つ自分の力でなし得ていないくせに、どうしてこういう碌でもないことばかり思いつくのか。馬鹿という言葉で済ませるには限度というものがあるだろう。むしろ、馬鹿に失礼なんじゃないだろうか。ヒルマは一瞬真剣に悩むが、それ自体がこの馬鹿の術中に嵌ったようなものだと思い返し、頭を切り替える。

 

「フィリップ様なら、いずれそのような日も来るかもしれません。しかし、まずは一歩一歩確実に進めていきませんと……」

 

 かろうじて、ヒルマは冷静な声でフィリップを宥めようとする。

 

「はは、そうだな。まだ少しばかり早かったか。まずは、ラナー王女と王国からだな。……でも、ヒルマ、俺は冗談でこんなことを言ったんじゃないぞ。俺は、そのうちこの世界の頂点に立つんだ。そうだ。あの魔導王なんて糞食らえだ!!」

 

 フィリップは、自信に満ち溢れた声でそう断言する。もう彼の中では、彼が両腕でラナーとアルベドを抱きかかえて巨大な玉座に座り、世界中の人々が彼を賛え歓呼の声を上げるのが確定事項になっている。

 

(もうやめて……! あの人達を怒らせるようなことを言うのは……。絶対、この会話だってあの人達に聞かれてるのよ……!?)

 

 ヒルマは恐怖に慄きながらも、どうにか笑顔を取り繕った。あとほんの数日の我慢だと、自分の中で必死に言い聞かせながら……。

 

 

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 事件が起こったのは、魔導国宰相アルベドが王都にやってくるという日の昼過ぎのことだった。

 

 その日も朝から雨が降っていて、もともと舗装された道路の少ない王都では、このところずっと続く雨でほとんどの道路がぬかるんでおり、それをおして通りを歩くものはあまり多くはなかった。

 

 そんな中、スラム街にほど近い治安があまり良くない地区で、焼き討ちにあった近くの村から王都に移り住んでいた十代前半の双子の姉弟が、雨やどりをしながら道端に座り込んでいた。そこを偶然馬車で通りかかった貴族の一人が、それなりの見目だった姉を無理に馬車に連れ込もうとし、それに弟が抵抗しようとして貴族にとっさに石を拾って投げた。

 

 その石は暴れる姉を押さえつけようとしていた貴族の片目に当たり、怒った貴族は腰に差していた剣を抜いて弟をざっくりと斬りつけた。悲鳴をあげて崩れ落ちた弟を蹴飛ばして道端に押しやると、貴族はそのまま姉を馬車に乗せて連れ去った。慌てて人々が助けに寄った時には、弟はかろうじて息はあったが、神殿に連れて行く間もなく、姉を心配する言葉だけを残して息を引き取った。これは、ある意味、このところの王都では珍しくもない事件の一つだった。

 

 しかし、この事件はこれだけで終わらなかった。

 

 この姉弟は、困った人を見かけると、いつも声をかけ手伝いをしていた。ぎりぎりの生活の中でも人好きのする笑顔を絶やさない姉弟を、この界隈の者たちは我が子のように可愛がっていた。王国の貧困層には、ひたすら毎日を耐え忍び、単に命を繋いでいくだけの人生しかない。しかしこの二人は、どこか遠くにいる王族などよりも、よほど人々に生きる希望と安らぎを与えてくれていたのだ。

 

「――俺は許せねぇ。俺達から何もかもを奪っていく貴族達をよ……」

 残された弟の遺体をそっと布で包みながら、一人の男が呟く。

 

「何もこんなことをしなくたって……。あんなに可愛い子どもたちだったのに……」

 その様子を見ながら、涙を流す女性も大勢いた。

 

「王国が、王族が、貴族がこれまで俺たちに何をしてくれた? このままでは奴らにいいようにされて死んでいくだけだぞ?」

「どうせ死ぬなら、いっそ奴らに一泡吹かせたくないか?」

 そんな風に誰かが呟く。

 

 そして、その声はこれまで現状をひたすら耐え忍ぶだけだった王国民とは思えないくらい、少しずつ大きくなってくる。

 

「そうだ! 貴族を殺せ! 奴らの館には大量の食料があるというぞ!」

「連れ去られた娘を、救い出すんだ!」

「王城もだ! あいつらが無能なせいで、こんなことになっているんだ!」

 

 手にありあわせの棒を持った人々が寄り集まってくる。最初は数十人程度の集団だったが、三十分くらいで、その人数は一万人を越すほどの集団に膨れ上がっていた。

 

「行くぞ! これまで俺たちを無視してきた奴らに思い知らせてやるんだ!」

 

 先頭には、どこから持ってきたのか冷たい光を放つ刃のついた抜き身の剣と火の付いた松明を手に持ち、顔を布で隠した一人の目つきの鋭い男が立っている。

 

「まずは、貴族だ! 奴らの館を焼き払え! 俺達の力を、恨みを見せつけてやるんだ!!」

「おおぉおぉーーー!!」

 

 それに唱和する老若男女を問わない大勢の声がスラム街に響く。松明を持っているものはそれを空に掲げる。

 

 やがて彼らは、確固たる決意を持った表情で、貴族たちが住む高級住宅街へと向かっていった。

 

 

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 蒼の薔薇は、いつものように宿屋で、思い思いに過ごしていた。

 

 一番最初にそれに気がついたのは、物思いに沈んだ様子で、部屋の窓から外を見ていたイビルアイだった。

 

「何か街の様子がおかしい。向こうの方から煙が上がっていないか?」

 

 椅子にだらしなく座り込んでいたティアとティナは、それを聞くとお互いに顔を見合わせて一つ頷き、すぐに姿を消す。ラキュースとガガーランは、イビルアイが見ていた窓を慌てて開き、そこから外を見回す。

 

「確かに煙くさいわね。それに、街の雰囲気がおかしい。何かあったのかしら?」

「こりゃまずいな。ここからじゃよくわからんが、王都で何か起こっているのは間違いなさそうだ。この宿を撤収して、一旦王城に行ったほうがよくないか?」

 

「そうね。荷物を纏めて、ティアとティナが偵察から戻ったら、ラナーのところに向いましょう。どのみち、ラナーなら何か情報を既に握っているかもしれないし、対策を取るにもラナーのところにいた方が話が早いでしょう」

 

「……。何か、嫌な予感がする。まるでヤルダバオトが襲ってきたあの夜みたいな感じだ……」

 

 イビルアイの言葉を聞いて、ガガーランとラキュースは黙り込む。

 

「……でもよ、ヤルダバオトは倒されたんだろう? あの魔導王によ」

「そうだな。少なくともヤルダバオトのはずはない。魔導王陛下が倒したというなら、間違いなくヤルダバオトは死んだはずだ」

 イビルアイは、指輪をそっと撫でながら呟く。

 

「ん? イビルアイ、前から魔導王に陛下って付けてたか? 前はモモン様の敵とかいって嫌ってたよな? それとも、いつの間にか、魔導王の評価を変えたのか?」

「えっ、いや、私は、その……、魔導王……陛下も、今は少し尊敬しているというか……」

 

 ガガーランの思わぬ突っ込みに、イビルアイは耳まで赤くなる。イビルアイは魔導王に対してかなりの嫌悪感を持っていると思っていたが、これはどういうことなのだろう。イビルアイのモモンに対する反応と魔導王に対する反応が、正直あまり変わらないように見える。ラキュースとガガーランは思わず顔を見合わせた。

 

「そんなこと初耳だわね。あんなにモモン様一筋だったのに。実は魔導王陛下も好みのタイプだったのかしら?」

 

 ついこの間まで、自分と一緒に未経験同盟を組んでいたはずだったイビルアイに、なんとなく裏切られた気分になったラキュースは少し嫌味っぽく言う。

 

「い、いや、そうじゃない! その……いろいろ心境の変化があったというか……それだけだ!!」

「まぁ、いいんじゃないか? 無意味に嫌っているよりは、好意を持つって方がよほど建設的だと俺は思うな」

 ガガーランはニヤニヤしながら、イビルアイをからかう。

 

「う、うるさい! 今はそれどころじゃないだろう!?」

 

 その時、一瞬目の前を影が通ったかと思うと、ティアとティナが姿を現した。

 

「かなりまずい。多分、王都で暴動が起こってる」

「高級住宅街の方から火の手が上がってる。ここも早く引き上げたほうがいい」

 

 二人のその言葉で、蒼の薔薇は先程までのふざけた空気は一瞬で消え、素早く宿の撤収を開始した。

 

 

 




アンチメシア様、Sheeena 様、誤字報告ありがとうございました。


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5: 王都炎上

 ザナックの自室では、ザナックとレエブン候が、先程入った暴動の報告の対応に追われていた。

 

「なんで、よりにもよって今日こんなことが起こるんだ!?」

 

 ザナックは怒りに震え、執務机を叩く。ソファーに腰をかけていたレエブン候は、これまでに入手できた情報が書かれた報告書をせわしなく捲っている。

 

「どうやら、馬鹿の一派がやらかしたのが原因ということで間違いないでしょうな。鬱屈した思いを溜め込んでいた民が、とうとう我慢の限界に達したということかと思われます。魔導国の宰相が王国を訪問するその日に起こった、というのが若干恣意的なものを感じなくはないですが、何分証拠が今のところ見当たりません」

 

「ともかく、魔導国には今更来ないでくれと連絡しても無駄だろう。そろそろ王都入りする予定の時間だ。こうなったら、やむをえん。王都の門から王城までの道を最低限の兵に警備させ、アルベド様には何とか無事に王城入りしてもらおう。恐らく、前回の訪問時と同様に魔導国ではそれなりの警備をつけているはずだから、いくらなんでも手を出す者はいなかろう。……それと、レエブン候は嫌かもしれんが、場合によっては、鎮圧に魔導国の力を借りることも考えないといけないかもしれない。最悪の場合だが……」

 

 頭を抱え唸るように言うザナックに、レエブン候は安心させるように声をかける。

 

「ご安心ください。ザナック殿下。私もそのように考えておりました。ただ、すぐに協力を要請するというのは悪手かと。あまりにも、王国が対応能力にかけると思われた場合、いずれ魔導国に恭順することになったとしても向こうから軽く見られることでしょう。自国の紛争に介入されるのは避けたいところですな」

「ああ、全くその通りだな。……予定では、俺が王城前でアルベド様の出迎えをする手筈だったが、この状況下ではそれは避けたい。ラナーに代行させるのはどう思う?」

 

「その方が宜しいでしょう。やはり、ザナック殿下とラナー殿下では命の重みが違います。それに、出迎え役としてはラナー殿下でも別に相手を軽く見たとは思われないことでしょう」

「よし、では、ラナーにそう伝えよう。時間もあまりない。警備兵の手配は、レエブン候に任せる。俺はその間にラナーに話をしよう」

 

「畏まりました。では、失礼致します」

 

 レエブン候は読んでいた書類の束を纏めると、ザナックの執務机の上に置き、そのまま一礼して部屋から出ていった。

 

(これは、もはや王国もこれまでということか。最悪の場合とは言ったが、残された手段など皆無に等しい。せめて国民に人気があったガゼフ・ストロノーフが生きていれば国民の説得も容易だったのかもしれないが……)

 

 ザナックは、ガゼフ・ストロノーフの名前を思い出した途端、ほぼ同時期に行方不明になった第一王子バルブロのことが頭をよぎる。

 

(二年前は、邪魔な厄介者が消えてくれて素直に嬉しいとしか思わなかったが……。こうなってくると、あの時死んでしまえただけでも、バルブロ(あいつ)は幸せだったのかもしれない。少なくとも、国を破滅させた王子などという不名誉な呼ばれ方はしないだろうからな)

 

 しかし既に全ては動き始めてしまっている。王代理として、対処していく責任があるのは今は自分だけなのだ。

 

 ザナックは覚悟を決め、ラナーを呼ぶようメイドに言付けた。

 

 

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 ブレイン・アングラウスは、いつものように孤児院の一つで子ども達に稽古をつけていた。

 

 今ちょうど打ち合っている子どもは八歳くらいだったが、動きはまだまだぎこちないものの、時々鋭い剣さばきを見せてブレインをうならせる。

 

(こいつ、なかなか筋がいいじゃねぇか。もしかしたら、俺よりも才能があるかもしれない。鍛えればガゼフに近いところまでいけるかも……)

 

 しかし、その時、遠くの方から異様な騒ぎ声と何かが打ち壊される音が聞こえ、やがて、孤児院の中にも煙が立ちこめてくる。

 

「なんだ!? 一体何が起こっている!?」

 

 木刀での打ち合いを止め、中庭から空を見上げる。妙に空が煙り熱気がこもってきている。以前所属していた盗賊団で村を焼き討ちした時の様子に似ている気がする。これはかなりまずい状況だ、とブレインは直感的に思う。

 

 孤児院に勤めている女性がブレインの元に走り寄ってきた。

 

「アングラウス様、大変です。どうやら、外で暴動が起こっている様子。暴徒がこの辺りにある建物に火を着けて回っているようなのです。早く子ども達を避難させなければ……!」

 

 気がつくと、女性達は孤児院にいる子ども達を集めて外に誘導しようとしているらしい。まだ幼い子どもが泣く声もする。

 

「よし、お前達も急げ! このままここにいれば焼け死ぬだけだ。荷物を纏める暇はない。とりあえず、王城を目指すぞ。少なくとも、ここよりは安全だろう!」

 

 ブレインは、自分の近くにいる子ども達を急き立て、女性達にも指示を飛ばす。幾分恐慌状態だった女性たちも子ども達もその声で少し落ち着きを取り戻したらしく、皆、それぞれに必死の顔をして、孤児院から走り出ていく。

 

「赤ん坊は先に連れ出してるっす! そっちの子ども達は頼むっすよ!」

 キビキビした女性の声が何処かから響く。ブレインはその言葉に少しだけ安堵した。

 

「じゃあ、残りは全員自分で動けるな。いいか、お前ら、自分の身は自分で守るんだ! 危険だと思ったら隠れてやり過ごせ! 王城の門にたどり着いたらラナー王女を頼るんだ! いいな!?」

「はい!!」

 

「よし、いい返事だ! 皆、死ぬなよ!?」

 

(一体どうしてこんなことになったんだ……。確かに、いつ内乱になってもおかしくないとは思っていたが、少し急すぎないか?)

 

 ほんの一瞬、ブレインは頭を悩ませるが、今はそんなことをしている場合ではないと気持ちを切り替える。ともかく、少しでも多くの子ども達を救うのが先だ。

 

(あの虐殺の時は、結局、俺は何も出来なかった。だが……)

 

 先程まで打ち合っていた子どもが近くにうずくまって震えている。その子を抱き上げて肩に乗せると、ブレインは今や炎が回り始めた孤児院を脱出した。

 

 

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 とりあえず、思いつく限りの対策を講じたザナックは、自室の執務机に座り、果実水を啜っていた。部屋の窓から外を眺めると、遠くの方に黒い煙が大きく立ち上っているのが見える。雨だというのに、この様子だと火の手はかなり広がっているのだろう。このまま手をこまねいていれば、最悪ヤルダバオトの事件よりも多くの被害が王都に出ることは間違いない。

 

(流石に、そろそろ王都に戒厳令を出し事件の鎮圧に動きたいところだが、その為には貴族共を招集して合意を取らねばならん。しかし、そんなことをしているうちに王都が壊滅してしまうかもしれないな。帝国のように、王の一存で決められる国であればよかったのが……)

 

 ザナックは、重いため息を付き、もう一口果実水を飲む。

 

(レエブン候が戻り次第、貴族達に招集をかけるよう言わねばならんな)

 

 その時、ザナックの部屋の扉を叩く音が聞こえ、メイドが入室の許可を取りにザナックの元へやってくる。

 

「今は非常事態だ。急ぎの用件のものはいちいち入室の許可は必要はない。すぐに中に通せ」

 

 メイドはそれを聞いて急いで扉の所に戻っていき、それと入れ替わりに、慌てた様子の騎士が一人部屋に駆け込んでくる。

 

「どうした? 何があった?」

「ザナック殿下、ラナー殿下が……」

「ラナーなら、アルベド様の出迎えに出ていたはずだが?」

 

「いえ、出迎えに出られたラナー殿下に、暴徒と思われる一団が襲いかかり、そのまま行方不明になられました!」

「な、なんだと……ラナーが!? いや、ちょっと待て。アルベド様はどうだったんだ? その場におられたのではないか?」

 

「アルベド様は、御自身の護衛がすぐに動かれたので、ご無事でいらっしゃいます。しかし、暴徒の目的は最初からラナー殿下だったようで、殿下のお側にいた者もすぐにお助けしようとしたのですが、多勢に無勢で……。誠に申し訳ございません」

 騎士はザナックに深々と頭を下げる。

 

(何だ? 一体何が起こっている? どうしてこう何もかもが一気に動き出しているんだ? 背後で誰かが動いているのか? まさか……八本指か!?)

 ザナックは唇を噛みしめる。

 

「頭を上げろ! そんな暇があったら、ラナーの行方を探すのが先だ! 近衛の二個小隊を出して……いや、蒼の薔薇に頼んだほうが早いか? 誰かを蒼の薔薇が使っている宿屋に向かわせて王宮に呼べ。あと、アルベド様は応接室にお通ししておけ。今挨拶に行く。それからレエブン候は何処にいる? 見かけたら俺が呼んでいると伝えてくれ」

 

「はっ。畏まりました!」

 慌ただしく騎士は礼をすると部屋から飛び出していく。

 

(裏で八本指が動いているとなると厄介だな。このところおとなしかったから、組織自体の建て直しに必死で、悪事を働く余裕など無いのかと思っていたのだが。……やはり泳がせておいたのは失敗だったか?)

 考え込んでいるザナックの部屋の扉を叩く音がする。

 

(レエブン候が戻ってきたか? いい加減俺一人じゃ厳しくなってきたから助かるな)

 

 ザナックはメイドに部屋に入れるように合図をする。しかし、入ってきたのはレエブン候ではなく、今にも倒れそうな様子で青ざめて震えているメイドだった。

 

「どうした? 何かあったのか?」

 

 メイドはザナックの前でお辞儀をしたまま、すぐには頭を上げなかった。口も開くことが出来ない様子であることを不審に思い、ザナックは尋ねた。その言葉でメイドはようやく頭を上げ、震える声でザナックに告げた。

 

「……ザナック殿下、ご報告申し上げます。ランポッサ三世陛下が……先程、崩御されました……」

 

 ザナックはその知らせに驚愕のあまり、音をたてて立ち上がり、その勢いで知らせに来たメイドが怯えて口を噤む。

 

「なん……だと……、父上が……? 黙っていたのではわからん! 状況を説明しろ!」

 

(最悪だ……。何故このタイミングで……。一体どうしてこんなことになったんだ……)

 

「一昨日くらいから、陛下はほぼ一日中お目覚めになることなくお休みになっていらしたのです。今朝も、いつものようにラナー殿下が御見舞にいらして、紅茶を共にされようとなさっていたのですが、いくら話しかけられても反応が無かったと。紅茶もそのまま手付かずで戻っていらっしゃいました。その後、侍医が陛下のご病状を確認しようと致しましたら、既に亡くなられていらしたのです……。」

 

 メイドは恐怖に震えながらも、必死にそこまでザナックに告げた。

 

「わかった。ともかく、部屋に行こう。それと、レエブン候が戻り次第、陛下の部屋まで来るようにと伝えておいてくれ」

 

 自分の部屋付きのメイドに命じると、ザナックは自分に知らせに来たメイドを伴って王の部屋へと向かった。ここまで悪いことが重なると、もう何もかもが自分の裏をかいて悪い方向にしか動かない気がして、全てを投げ出してしまいたくなりそうだったが、ザナックは必死で持ちこたえる。歩みを止めたらそこでゲームオーバーなのだ。ほんの僅かな可能性に賭け、やるべきことをやるしかない。

 

 しかしながら、せめて王が自分を正式な後継者に指名してから逝ってくれればどんなによかっただろう。ザナックはそう思わずにはいられなかった。

 

 

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 ランポッサ三世の部屋で侍医からザナックが経過の説明を受けている時に、青ざめながらも冷静な雰囲気を保ったレエブン候が現れた。

 

「ああ、来たか、レエブン候。今、俺も来たばかりだ」

「殿下、この度は、お悔やみ申し上げます……」

 レエブン候はザナックに軽く頭を下げる。

 

「いや、そのようなことはどうでもいい。今はこの未曾有の事態にどう収拾をつけるかの方が大事だ。陛下を悼むのはその後だろう」

「はっ、まさに殿下の仰る通りですな」

 

「詳細は、今侍医から説明を受けた。侍医の見立てでは、二年前程から陛下が罹っておられた持病が徐々に悪化していて、ここ最近は特に目覚めること自体が少なくなっていたという。まあ、要するに、病の悪化による自然死だろう、ということだ」

「なるほど……。侍医がそのように言うのであればその通りなのでしょう」

 

 そう言って、レエブン候は傍らに控えている侍医をちらりと眺める。侍医は多少顔を俯けてはいるものの、落ち着いた様子で立っている。

 

「しかしながら、殿下、今この状況下で陛下が亡くなられたということが知られるのはかなり不味いかと思われます」

「俺もそう思う。だから、この話を知っている者は全て、既に別室に軟禁してある。それで申し訳ないが、先生にもこの件を当分漏らさないでいただきたいのだ」

 

「畏まりました。では、私もしばらくは王城に留め置かれるということですかな?」

「その通りだ。すまないが、別室で待機していて欲しい。そう長くはかからないはずだ」

 

 侍医は黙って頭を下げる。ザナックは部屋の中にいる騎士の一人に合図をし、騎士は侍医を別室に連れ去った。

 

「さてと。これで当座は問題はないな? レエブン候」

「はい。しかし……、本当にどうしてこうなったのでしょうな。私には偶然とはどうしても思えないのですが」

「はは、奇遇だな、俺もだよ。誰かが王国を潰しに来ているとしか思えん」

 

 ザナックとレエブン候は顔を見合わせて、乾いた笑い声をたてた。

 

「ともかく、早急に対策を考えねばならん。ラナーもいない今、頼りになるのはレエブン候だけだ。どうか俺に力を貸してくれ。ああ、それと……こんな時に言うのもなんだが、候に頼みたいことがある。少しだけ、話を聞いてもらえるか?」

 

 レエブン候は黙って頷いた。

 

 

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 ヴァランシア宮殿の中でも、特に賓客をもてなすために設えられた応接室は、装飾的な壁紙が貼られ、王国の著名な画家が描いた絵や、工芸家の制作した美術品が美しく飾られており、ナザリックとは比較にならないものの、それなりに王家としての品格を伺わせるものになっている。

 

 レエブン候を伴ったザナックが、その部屋の中に通されると、そのような部屋の美しさなどは紛い物に見えてしまうほどの麗しい美女が女神然とした姿でソファに腰をかけているのが見えた。その後ろには、魔導国から連れてきたお付きのメイドらしい美女が一人控えている。

 

 ザナックは、硬い表情をしながらも、その女性の前に進み出て跪き、レエブン候もそれに習う。

 

「アルベド様、今回はわざわざ我が父ランポッサ三世の見舞いにいらしてくださったにも関わらず、このような事態に巻き込んでしまい、誠に申し訳ございません」

 

「ザナック様、どうかそのようなことはおやめくださいませ。このようなことが起こると一体誰に予想できましょうか? さあ、王子殿下ともあろう御方が、いつまでもそのようなことをなさるものではありません。どうか、そちらにお座りになってください。それと、レエブン候、貴方もですよ」

 

「では、お言葉に甘えさせていただきます」

 

 ザナックとレイブン侯はアルベドのその言葉でようやく立ち上がり、アルベドの向かいのソファーに腰をかけた。 

 

「アルベド様、大変申し訳ないのですが、何分、王都がこのような状況で、本来予定していた式典の類も王都の視察も実施が非常に困難になってしまいました。非礼は重々承知しておりますが、何分、予想外の非常事態ということでご容赦いただきたいのです。いずれ状況が落ち着きましたら、改めて今回の埋め合わせをさせていただけたらと思うのですが、いかがでしょうか?」

 

「いえ、それには及びません。私どものことはお気にかけられずとも構いませんわ。このような時にお伺いしてしまったこと、こちらとしても申し訳なく思っております。事態収束を優先されるのは、国政を預かるものとして当然のこと。国王陛下が重い病に臥していらっしゃる時に、さぞや対応にも苦慮されていらっしゃることでしょう。魔導国としても、非常に慚愧に堪えません。もしよろしければ、魔導国からも何らかのお力添えをすることも可能ではありますが、いかがでしょうか?」

 

 アルベドからの提案は非常に納得のいくものであり、本音を言えば、ザナックもレエブン候もそれに飛びつきたいのは山々ではあった。しかしここで魔導国に介入されてしまえば、王国の魔導国への借りは大きくなりすぎてしまう。それだけは避けたいと、二人は一瞬目を合わせ、ザナックが代表して答えた。

 

「アルベド様、有り難いお申し出を頂いたこと深く感謝いたします。しかしながら、これは王国の内部問題であり、魔導国の御手を煩わせるようなものではございません。アルベド様にはしばらく王都にご滞在いただくことにはなってしまうかとは思いますが、我々自身で不始末の片をつける所存でございます。せっかくのご厚意を無碍にしてしまうご無礼をどうかお許し下さい」

 

「そうですか。それはごもっともなことかと思います。こちらこそ、差し出がましいことを申し上げまして、大変失礼いたしました。しかし、魔導国はいつでも王国のために手をお貸しする準備はできておりますので、そのことだけでも覚えていてくださると非常に嬉しく思います」

 

「魔導国からそのように暖かいお心遣いを頂いたこと、我々も非常に心強く思う次第です。しかしながら、そのようなことがないように、重々努力したいと考えておりますので……」

 

 ザナックとレエブン候を興味深げに眺めていたアルベドだったが、その言葉を聞き、優しい微笑みを浮かべて頷いた。

 

「わかりました。では、王国が一日でも早く事態を収められることを心からお祈りしておりますわ」

「ありがとうございます。それでは、アルベド様にご滞在いただく部屋を用意させていただきましたので、そちらにご案内させてください」

 

 ザナックは、王城の中でも特に見目の良さで選りすぐったメイドを、数人部屋に招き入れると、アルベドを貴賓室へと案内させた。

 

「……。レエブン候、我々はいつまで持ちこたえられるんだろうな? 正直、自力で解決しなければとは思いつつも、魔導国の手を取りたい気持ちを抑えるのが大変だったぞ」

「ザナック殿下、私もですよ。しかし出来るところまでやってみるしかないでしょう。今回の相手は、ヤルダバオトでも魔導王でもない。あくまでも普通の人間です。であれば、打開策もきっとあるはずかと」

 

「ああ……、そうだったな。相手は人間なのだから、なんとか出来ていいはずだ。あまりの異常事態にそれを忘れるところだったよ」

 

 部屋の中に、二人の苦々しげな笑い声が静かに響いた。

 

「ではレエブン候、走り回らせて済まないが、貴族達の招集を頼む。それと、蒼の薔薇にラナーの発見と救出を依頼してくれ」

「畏まりました。至急そのように取り計らいます」

 

 レエブン候はお辞儀をすると、急ぎ足で部屋を出ていった。

 

 




アンチメシア様、佐藤東沙様、黒えありる様、藤丸ぐだ男様、誤字報告ありがとうございました。


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6: 蒼の薔薇、王都を走る

 王都では暴徒の数が更に膨れ上がっていた。街のいたる所で激しい火の手が上がり、それが更に近隣の建物に燃え移る。しかも、兵士達が火を消そうとしても暴徒が妨害するため、まともな消火活動すら行うことが出来ない。

 

 最初にターゲットになっていたのは、高級住宅街の中でも貴族の館と思われるものだけだったが、貴族の館は守りが固く、火を着けようとする者は、館を守ろうとする貴族子飼いの兵士によって容赦なく殺された。それに怒り狂った民衆は、抵抗する館の門の前にバリケードを作って逃げられないようにした上で、数の暴力で石や油や松明を投げ込む。

 

 更に時間が経つにつれ、暴徒の勢いは増し、少しでも豊かな暮らしをしていそうな屋敷であれば、貴族かどうかに関わらず、手当たり次第に押し入り、残っている家人を踏みにじり物資を強奪している。それを抑えようと王都の衛士達や兵士達が、可能な限り無傷で捕縛しようとするものの、棒や松明を振り回す暴徒相手では出来ることが限られ、暴徒にも兵士達にも死傷者が増え始めた。そしてその結果、民衆は自分達を弾圧する兵士、ひいてはその後ろにいる王や貴族への怒りを募らせ、より暴徒が増えるという悪循環を起こしている。

 

 恐ろしい悲鳴と怒号が街中を覆い尽くしていた。そんな騒動の最中、多くの貴族達はなんとか館から避難し、王城に逃げ込もうと躍起になる者が出始めた。

 

 六大貴族であるペスペア侯もその一人だったが、館の裏門から馬車で逃げ出そうとしているところを暴徒に襲われ、馬車から引きずり出された。ペスペア侯夫妻は命乞いをしたが、そのまま暴徒に滅多打ちにされて殺され、遺体はその場に打ち捨てられた。

 

 騒然とするペスペア侯の屋敷に、襲撃者達はそのままなだれ込み、館の中にある貴重品や食料などを奪うと、家の中から火を放つ。

 

 王都は次第に地獄絵図の様相を呈しつつあった。

 

 

----

 

 

 ヴァランシア宮殿には、既に多くの貴族が集まっていた。

 

 レエブン候が宮廷会議の招集をするよりも先に、大半の貴族は命からがらロ・レンテ城に逃げ込んできているか、王都から脱出して領地に逃げ帰っており、未だ王都に残っている貴族を招集すること自体はそれほど難しくはなかったのだ。

 

 しかし――。

 

 本来この場には国王であるランポッサ三世、六大貴族及び有力貴族が集まるはずだった。

 

 だが、今この場にいるのは、ランポッサ三世ではなく、その代理であるザナック第二王子。そして、六大貴族では、大虐殺で戦死した前ボウロロープ侯の家督を継いだばかりの長男も、ブルムラシュー侯の姿もなく、かろうじてウロヴァーナ辺境伯、リットン伯、レエブン侯のみが集まっている。その他の有力貴族も大半は欠席で、残りは件の『馬鹿派閥』に属する貴族達が下品な声を立てて笑い合っているだけだ。

 

 ザナックは、馬鹿どもを見ただけで胃がむかつき吐き気を覚えるが、今は相手にしているだけ時間の無駄というものだ。

 

 先程報告が入ったペスペア候死去の知らせに、ザナックとレエブン候以外は初めてことの重大さを認識したようだ。

 

「まさか、ペスペア候までもがお亡くなりになってしまわれるとは……」

 ウロヴァーナ辺境伯が蒼白な顔で呟く。

 

「発見した衛士がペスペア候夫妻の御遺体の回収には成功したものの、損傷が激しい為、蒼の薔薇のラキュース殿の話では蘇生は難しいかもしれないということだ」

「ペスペア候は数少ない次の王候補であった御方。となると、現在王候補として残っておられるのは、正当な王位継承権者であるザナック殿下とラナー殿下のお二人きり、ということですか」

 

「そういうことになりますな。第二王女様が降嫁なされた方では若干地位的にも見劣りいたしますし、人望があったペスペア候とは事情が異なるかと。ザナック殿下とラナー殿下がいらっしゃる以上、それを差し置いてというのは国民も納得しないと思われます。――ともかく、我々がこれ以上反目し合うのは、反乱を起こしている連中に利するだけで、まさに愚策と申せましょう。これまでの諍いには目をつぶり、この場だけでも王派閥と貴族派閥の垣根を超えて、事態の収束に向けて協力しようではありませんか」

 

 レエブン候の言葉に、貴族派閥の面々はかなり渋い顔をしている。しかし、王候補の一人だったペスペア候を喪ったことで、当座は協力すべきという打算が働いたようだ。

 

「……やむを得ませんな。何より、今は王国の危機と言ってもいい事態。このまま民の暴走を放っておけば、地方にも飛び火して王国全土が内乱になってしまいかねません。であれば、この問題は王都で何としても鎮圧すべきでしょう」

「しかし、どうやって? 王城にいる兵士や戦士を投入して対応に当たらせるとしても、ヤルダバオトの時とは違い、相手は同じ王国民。躊躇する者も出るのでは?」

「多少犠牲が出るのはやむを得まい。それに反乱民を生かしておくのも危険なのではないかね?」

「それはあまり賢明ではないと思いますな。襲いかかってくる者を撃退するならともかく、いたずらに民を刺激すれば、更なる暴動に繋がりかねませんぞ!」

 

 王派閥も貴族派閥も黙り込む。暴動が大きくなり王都で留められなければ、自領でも追従する者が出てくる可能性だって否定出来ない。ヤルダバオトのように簡単に敵と認定できる相手であれば良かったのだが、相手は普通の王国の民だ。それに兵士達にも平民出身の者は少なくない。非情を強いれば、兵士も含め、全ての民衆を敵に回しかねないのだ。

 

「ははは、流石はこの国を長年治めていらした方々だな。決断力というものを全くお持ちではないようだ」

 

 その沈黙を破ったのは、若干後ろの方で徒党を組んでいた下級貴族のうちの一人だった。得意そうな顔をしながら、大胆にもザナックと六大貴族の前に歩み出てくる。その後ろから、数人のその下級貴族を頭とする派閥の連中が取り巻き然としてついてくる。有力貴族の間からは、あの馬鹿共が……、というヒソヒソ声が漏れる。

 

「フィリップ様、もっとがっつり言ってやってくださいよ」

「そうそう。もう時代は俺達のものだってね」

 

「んん……。まあ、待て。こういう話は、じっくり進めるのがいいってヒル……いや、知人が言っていたからな」

 

 フィリップは偉そうに咳払いをすると、取り巻き達を抑えるような身振りをした。

 

「全く、この期に及んで足並みすら揃わないとは、王派閥の方々も、貴族派閥の方々も随分と耄碌されているのではありませんかね? しかも、ラナー王女までもが暴徒に攫われてしまうとは、嘆かわしいにも程がある。このような方々に、そもそも国政を預けることなど出来るのでしょうか? いやいや、流石にちょっと無理でしょう。いい加減、我々にその席を明け渡して引退されてはいかがでしょうか? そうすれば、こんな事態などあっという間に解決して見せますよ」

 

 自信満々で演説するフィリップに、取り巻き達は野次を飛ばす。フィリップのあまりの物言いに、呆然としていた有力貴族達がようやく口を開く。

 

「何だと……。生意気な口を利きおって、この小童が! では聞こう。おぬしはどうすれば解決できると考えておるんだ」

「そんなの簡単ですよ。我々には素晴らしい力を持ち、バックアップしてくれている方々がいます。その方々の力を借りれば、こんな事態はあっという間に解決するんです」

「それは一体どういう意味だ!? この国にそのような力を持つ者など、ここに集まっている者達以外に誰がいるというのだ!」

「はは、あなた方ではわからなくても仕方ないでしょう。あの方々は、我々を特別に見込んで自主的に力を貸してくれているんです。つまり、我々は選ばれし者なんですよ!」

 

 フィリップの得意そうな顔を見て、他の貴族達は、こいつらと話をするだけ時間の無駄だ、という考えが一瞬頭をよぎる。だが、このまま放置するにはあまりにも危険すぎる連中だ。

 

「貴様、一体何を考えている? 解決するというのであれば、もっと具体的な内容を提案すべきだろう!」

「なに、簡単ですよ。無駄な抵抗をする者は、相手が誰であろうと容赦なく全て殺せばいい。どのみち、王族や貴族に歯向かった重罪人共です。情けをかける必要など全くないではありませんか。どうしてそんな簡単なことも出来ないのか理解できませんねぇ」

 

 フィリップは大仰な身振りで肩をすくめた。

 

「……お前、そんなことをしたらどうなるのかわかっているのか? それに、そもそも、お前達に力を貸そうなどとする連中など信用できるわけないだろう!」

「平民など、所詮どのように扱おうと我々貴族の自由。奴らの都合など考える必要など感じませんな。それにあの素晴らしい方々のことをそんな風にしか思えないなんて、お気の毒としかいいようがありません。――やれやれ。あなた方の言い分は、どれもこれも、私には負け犬の遠吠えにしか聞こえませんが、やはり選ばれた我々が妬ましいのでしょうかね?」

 

 フィリップとその取り巻きは下卑た笑いを浮かべ、相対する貴族達の顔色が怒りで真っ赤に染まっていく。

 

「貴様ら! 分というものを知れ! 下級貴族の分際で!!」

「そのようなことに拘わっているから駄目なのですよ。これではお話にもなりませんな。ただ、次代の王国の実権を握るのに最も相応しいのは、我々、若手貴族だということがよくわかりました」

 

 若手じゃなくて、単なる『馬鹿』だろう……。その場にいる多くの貴族はそう思ったが、厄介なことにこの連中は数だけは多いうえ、自制心の欠片も無いのである。

 

「どうやら、我々に主導権を渡すつもりもないようですし、このままこの場にいてもただの時間の無駄でしょう。しかし、王国でまともに行動できるのが我々だけとは嘆かわしいことですな。せいぜい、ここに篭って対策でも考えていてください。我々は勝手にやらせていただきますよ」

 

 フィリップは鼻で笑うと、取巻き連中に合図をし、それに追随する者たちは一斉に会議室から出ていった。残された貴族達は、あまりの不快感でしばらく押し黙った。

 

 ザナックは、余計な面倒事が追加で発生しそうな予感で胃痛を覚えたが、フィリップの不快な発言の中に、懸念すべきことが含まれていることに気が付き、声を張り上げた。

 

「まずい。あの連中が言っている『力を持っている者達』というのが魔導国であった場合、アルベド様に接触する可能性がある。奴らが万一にもアルベド様に近づいたら問題が大きくなるだけだ。近衛一個小隊でアルベド様が居られる貴賓室の周囲を固めろ。連中が近づこうとしたら強制排除していい」

 

 ザナックの言葉で騎士の一人が部屋から走り出ていく。やがて、貴族達は目障りな連中がいなくなったためか、怒りを収め、少しずつ落ち着きを取り戻してきたようだ。そこに、暗い口調でレエブン候が口を開く。

 

「私はむしろ、奴らの背後に……八本指がいるのではないかと思います」

「なるほど、八本指か。確かに、いくら力が衰えたといえど、奴らならあの程度の連中を手足に使うのは容易いだろうな」

 

 ザナックとレエブン候が頷き合っているその脇で、他の貴族の面々は苦虫を噛み潰したような顔をしていた。何しろ、八本指といえば、以前は自分たちもかなり便宜を図ってもらっていた連中だ。最近はあまり付き合いをしていなくとも、ほとんどの貴族は八本指に関しては後ろ暗いことも多い。だから、正直、あまりこの場では聞きたくない名前ではあった。

 

「まあ、八本指が動いていたとしても、我々がすぐに出来ることはない。むしろ、上手く行けば奴らを使って釣り上げることも出来るんじゃないか?」

「私はザナック殿下の仰る通りだと考えます。――さて……、目障りな連中がいなくなってくれたおかげで、ようやく、会議ができる状態になったようだし、改めて今回の事件の対応を協議したい。王都で騒ぎを抑えられなければ、この暴動はいずれ王国中に飛び火し、王も貴族も関係なく、損害を被ることだろう。その為にも、派閥を問わず協力関係を結び、王代理であるザナック殿下を中心として対応していくことを提案する」

 

 レエブン候は、おもむろにこの場に残っている者の顔を見回した。

 

「確かに、それがいいだろう。私には異論はない」

「この際、やむを得ないでしょうな。ザナック殿下以外に適任な方もおられないことですし。私も賛成いたしますよ」

 

 貴族達は、ここで対立していては暴走する馬鹿派閥に国を滅ぼされると思ったのかもしれない。フィリップ達がいなくなった後は、貴族達は自主的にザナックへの協力を約束した。

 

 しかし――

 

(既に王都の二十%が暴徒に破壊され、死傷者は王都の全人口の十%にも及ぶ惨事となっている。もはや王国には一刻の猶予も残されてはいない。まさに存亡の危機だ。だが、使える手札があまりにも少なすぎる)

 

 ザナックは平静を装いながらも、何時になく胃がキリキリと痛むのを感じた。

 

 

----

 

 

 蒼の薔薇はラナーを奪還すべく、誘拐者達の足取りを追っていた。

 

 ロ・レンテ城の門付近からしばらくは多少目撃情報があったものの、その後の足取りはまるで闇に紛れたかのようにふつりと消えている。

 

 即座にラナーの跡を追ったクライムや警護の兵達も、人混みに紛れ、途中で完全に見失ってしまったという。

 

 今の王都は、暴動を恐れ王都から逃げ出そうとする人々、必死に消火活動をしている人々、それを尻目に破壊活動に勤しんでいる人々、暴徒を抑えようと声を上げる兵士たちが入り乱れ、混乱を極めている。そのような状況下では、追跡術なども持ち合わせているティアやティナですら、暴漢達の足取りを掴むのは至難の技だった。

 

「これは、厳しいわね」

「闇雲に探しても、難しいかも」

「だなぁ。ある程度、目星をつけて当たったほうがいいんじゃないか?」

 

 不意にふわりと何かが側に舞い降りる気配がする。次の瞬間、不可視化して空中から探っていたイビルアイが姿を現した。

 

「上空から出来る限り探したが、やはりそれらしい姿はないな。もう何処かに連れ込まれていると見て間違いないだろう」

「お疲れ様、イビルアイ。そうよね……。ラナーが誘拐されてからもう一時間以上経っている。恐らく、人目につかない場所に囚われている可能性のほうが高いでしょう」

 

「ふむ。なるほどな。そうすると、可能性が高そうなところは何処だ?」

「そもそも、ラナーを何の目的で攫ったのかよね。そうすれば、犯人が誰なのか予想もつきやすいと思うの」

 

「あの王女は、民から多少の人気はあるが敵も多い。しかも、今の王国に対する人質としての価値は非常に高い。つまり、誰がやってもおかしくない、ということだ。心当たりが多すぎるのも考えものだな」

 

 イビルアイの指摘に、蒼の薔薇は難しい顔をして考え込む。

 

「ただ、手口からいって、暴徒ではないと思うの。逃げ出す際の手際もいいし、暴徒ならもっと痕跡がたくさん残っているはず」

「そうなると、プロの犯行か? おいおい、俺は考えたくない名前が思い浮かんじまったぜ?」

 

「……八本指?」

「可能性はあるかも」

 

 ティアとティナがボソリと言う。

 

「八本指のアジトはヤルダバオト事件の時に全て潰した筈。でも、壊滅まではしていない。ということは、連中は違う場所に潜っているってことよね」

「そりゃ……悪いが、短時間で見つけ出せる気はしねえなぁ」

「でも、事は急を要するわ。イビルアイ、上から見た時に、何処か人の流れとかがおかしい場所とか見当たらなかった?」

「うーん、そうだな……」

 

 その時、少し離れた所から、聞き覚えのある男の声と複数の子どもの声がした。蒼の薔薇の面々がそちらに目をやると、ブレイン・アングラウスが大勢の子ども達を引き連れて、こちらに向かって走ってくるところだった。

 

「よぉ! ブレイン・アングラウスじゃねえか!」

「ん? ああ、なんだ。蒼の薔薇じゃないか。こんな所でのんびり何をしているんだ?」

 

 ブレインと子ども達は足を止めた。子ども達は息を切らしており、かなり長いこと走っていたようだ。

 

「探しものよ。この騒ぎで大切なものが行方不明になってしまって……」

「そりゃ、いただけねぇな。俺達もずっとここまで逃げてきたが、正直、どこもかしこもとんでもない混乱だ。この中で何かを探すなんて無理だと思うぜ?」

「それはそうなんだけれど……そうも、言っていられないの。こちらも仕事だから」

 ラキュースは思わず苦笑する。

 

「ふーん。そりゃまた、ご苦労なこったな。俺はともかく、こいつらをなんとか王城まで連れていきたいんでね。悪いが、先を急がせてもらう」

 

 そういって、子どもたちに声をかけて、再び走り出そうとするブレインに、イビルアイが声をかける。

 

「ああ、そうだ。ブレイン・アングラウス、お前が逃げてくる途中で、何か怪しい感じの大きめな荷物なんかを、持っている連中とかは見かけなかったか?」

「大きめな荷物? どのくらいの大きさだ?」

「そうね、イビルアイよりも少し大きいくらいかしら?」

 

「……随分、きな臭い話だな。……ちょっと待てよ。そういえば、汚えでかい袋を担いで走っている奴らを見かけた気がするな」

「それは、何処!?」

「下級貴族の館の辺りだ。特に有名な家とかじゃないはずなんだが、妙な貴族連中が大勢連れ立って出ていくのを見かけた後だったんでな。それで少し引っかかったんだ」

 

「……それだ!!」

 

 蒼の薔薇は一斉に頷いた。

 

「私達、先に行ってる」

 ティアとティナはそう言い残すと、すぐさま姿を消した。

 

「ありがとう、ブレイン。貴方も子ども達も無事に王城に辿り着けるように祈ってるわ」

「おうよ。任しときな。そっちこそ、探しものが見つかるといいな」

 

 少し照れくさそうな笑顔になったが、再び厳しい表情に戻り、ブレインは子ども達を引き連れて走り去っていく。

 

 蒼の薔薇の面々はそれを見送ることもなく、即座に行動を開始した。

 

 

 




佐藤東沙様、アンチメシア様、ペリさん様、誤字報告ありがとうございました。


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7: それぞれの思惑

 ヴァランシア宮殿にある会議室では、ザナックと有力貴族達が必死に対応を協議していた。

 

 机の上には、王都の大きな地図が広げられ、暴徒に破壊された地区や、現在進行中の地区、それに対応させる部隊配置などを協議していたが、暴徒の行動は思っていたよりも統率が取れており、素早い行動に対応は後手後手に回っていた。

 

「どういうことだ。ただの暴徒ならここまで効率的な行動は取れないはず……」

「恐らく、裏からか表からかはわかりませんが、暴徒を指揮している者がいるのでしょう。そうでなければ、このような行動は取れません」

「裏から誰かが糸を引いているということか」

 

 ザナックとレエブン候の頭には、やはり背後にいるのは八本指か、という考えがよぎるが、理解できないのは、八本指が王都を殲滅させることのメリットだった。彼らとしては、これまで同様、王国を生かさず殺さず保っている方が、利益が転がり込むはずなのに。

 

「まさかとは思いますが、更に裏の裏という存在がいる可能性すらありますな……」

 レエブン候は苦々しげに呟く。

 

 次から次へと現状を告げる兵士がやってくるが、そのどれもが、更なる状況の悪化を告げるものだった。

 

「ラナーはまだ見つからないのか!?」

「蒼の薔薇の皆様は、探しに出て行かれたまま、お戻りになっておりません」

 

「冒険者組合長はどうした? まだ呼び出しには応じないのか!?」

「それが……、冒険者組合長は、今回の事態はヤルダバオト事件とは違い、国政にあまりにも密接に関係している事件であり、尚且つ相手が同じ王国民であることから、何回要請されたとしても手出しすることはできない、と。そればかりか、冒険者達には、率先して王都から退避するよう勧告を出しているようです」

 

「くそ!!」

 ザナックは思わず机を叩きつける。しかし、そのザナックを笑える者はこの場所にはいなかった。皆一様に、もたらされる知らせの数々に顔面蒼白となっている。

 

 報告の状況をそのまま信じるなら、現在、王都の三十%が壊滅状態となり、死傷者は王都の全人口の二十%にも及ぶ惨事となっている。かのヤルダバオト事件どころか、カッツェ平野の大虐殺を超える死傷者を出すに至っていた。このままでは、事件を沈静化することなど不可能だろう。

 

「……。ザナック殿下。そろそろ決断の時間かもしれませんな」

 

 そんなザナックの様子を見ていたレエブン候は、おもむろに切り出した。候が何を言おうとしているのか、察したザナックは、悔しげに顔を歪める。しかし、二人が何の話をしているのかわからない有力貴族達は首を傾げた。

 

「レエブン候、どういうことなんだ?」

「何か良い方法でもあるのか?」

 

「皆様方。わかりやすく申し上げれば、王国を守るために魔導国に恭順するか、もしくは、このまま王国と共に心中するかを選ぶ時だ、ということですよ」

 

「な、なんだと!? そんなことが受け入れられるはずもないだろう? 気でも狂ったのか、レエブン候!?」

「全くだ。まさか、レエブン候、王国を魔導国に売ろうと画策していたわけではあるまいな!」

「それでは、魔導国に王国を侵攻する口実を与えるだけではないか!」

 

 一斉に口を開いて騒ぎ立てる貴族達の顔を、レエブン候は冷ややかに眺めた。

 

「では、皆様方は、他に何か良い方法があるとでも? もちろん、打開策があるのであれば、それに越したことはありませんが」

 

 しかし、それに回答出来る者は誰もおらず、しばらく、何かを呟いていたが、やがて会議室は静まり返った。その中を、レエブン候の淡々とした言葉だけが響く。

 

「今、我々が選ぶべきなのは、王国を如何に存続させるか、ということでしょう。自力では出来ないのであれば、他国の力を借りるのもやむを得ない。――私とて魔導国には大きな恨みがある。しかし現時点で出ている被害は、あの虐殺で魔導王から我々が受けた被害よりも大きいのです。……この期を逃せば、例え魔導国の力を借りたとしても、王国を再建すること自体が困難になるのは自明のこと。決断するなら、今をおいて他にはありません」

 

「――俺は、レエブン候の意見を支持する。お前たちはどうなんだ? このまま王国と共に滅びるのか? それとも、一時苦渋を舐めたとしても、生き延びることを選ぶのか?」

 

 若干皮肉げなザナック王子の言葉に、押し黙った貴族達は、やがて全員が渋々頷く。

 

「よし、では、俺からアルベド様にお願いしよう。亡国の王子と謗られるかもしれんが、俺はそれでもこの国を守りたい。……心配しなくてもいい。全ての泥はこの俺が被るさ」

 

 ザナックは、心を決めたのか清々しく笑った。その雰囲気に、これまで散々ザナックの足を引っ張ってきた有力貴族達も気圧されたのか、一様に沈痛な面持ちになり、ザナックに恭しく頭を垂れた。

 

 

----

 

 

 八本指のアジトに用意された豪華な一室で、デミウルゴスとマーレは豪奢な椅子に腰をかけていた。その後ろには、ナーベラル、ルプスレギナとシズが控えており、テーブルを挟んだその向かいの椅子にも小さな人影があった。

 

「そうですか。わかりました。では、アルベドは作戦の次の段階へそろそろ移行するということですね」

 

 ソリュシャンからの〈伝言〉を受け、デミウルゴスは機嫌良さそうに頷く。

 

(王都の人々も随分楽しそうに踊ってくれたものです。後はアインズ様の輝かしい栄光の引き立て役として最後まで頑張って頂きたいものですが……)

 

 デミウルゴスはいつもとは違う白いスーツを身に纏い、頭には同じく白く細やかな刺繍のある布を被っていた。

 

(私もアインズ様を彩る端役を存分に演じさせて頂きましょう。かの慈愛の御方にご満足頂けるように)

 

 これから王国で起こる出来事を想像し、デミウルゴスは恍惚とした表情を浮かべる。さぞや、素晴らしい光景になることだろう。王都の人々は、まさに『神』の降臨を目撃することになるのだから。

 

 デミウルゴスは忠義をいくら尽くして尚足りない、自分の主人に思いを馳せる。その麗しい姿を下等動物などに見せてやるのは、少しばかり惜しいことだが……。

 

「では、マーレ、それから、ナーベラル、ルプスレギナ、シズも最終段階に向けた準備を始めてください。……それと、貴女もですね。期待していますよ? 私はアインズ様にお会いしてきますので、一旦ナザリックに戻ります。計画の全てはマーレにも話してありますので、私がいない間に何かがあったら、マーレと相談してください」

 

「は、はい! その……頑張ります!」

 おどおどしながらも、元気よくマーレが返事をし、残りの面々はデミウルゴスに静かに頭を下げた。

 

「良い返事ですね。マーレ。今回の作戦は、全てアインズ様の御為に行うこと。くれぐれも、そのことを忘れないように」

 そう言い残すと、デミウルゴスは〈上位転移〉で姿を消した。

 

「えっと、それじゃ、おばさん、先程お願いした件を始めてください」

 マーレは、部屋の扉の近くに小さく身を隠すように立っていたヒルマに声をかける。

 

「畏まりました。マーレ様。お任せください」

 

 ヒルマはどうしようもなく震える声を抑え、低い声で返事をすると『化物』共が揃った部屋を静かに退出する。王国もいよいよこれで終焉を迎えるのだ。自分たちの役目もこれでお終いになるといいのだが、というほんの僅かな希望にすがりながら。

 

 

----

 

 

 イビルアイは〈飛行〉と〈不可視化〉をかけた状態で空から偵察しつつ、例の貴族の館に向かっていた。空から見える王都の惨状は筆舌に尽くしがたいものだった。

 

 焼け落ちた家。放置された遺体。打ち壊された門や扉。そして、それでも破壊の限りをつくす人々と、それを抑えようと懸命に戦う兵士達。

 

(そうだ。この光景にはどこか見覚えがある。あの時……、そう、あの時の……)

 

 思考がどこか遠くの国の出来事に彷徨い始めたその時、イビルアイの心に引っかかる何かを感じた。

 

 ――何処かから子どもの泣く声がする。

 

 イビルアイは空から思わずその声がする場所を探す。

 

 燃え盛る建物の間に、取り残されたらしい子どもが一人ぽつんと逃げることも出来ずに怯えて立っていた。雨に濡れ、泣きじゃくる姿は、遠い昔の誰かを彷彿とさせられる。

 

 イビルアイは、不可視化を解除して姿を現すと、火の粉を避けながら、煤と泥で汚れたその子を抱き上げ、再び空に舞い上がった。安全な場所を探して辺りを見回し、比較的安全そうな通りに子どもを降ろす。

 

「向こうに逃げろ。そうすれば、王城に着く」

 

 その子は突然空からやってきた助けに戸惑っていたが、イビルアイの短い言葉に頷き、走り出す。イビルアイは一瞬だけ後ろ姿を見送るが、すぐに〈飛行〉を唱えると、再び大空へ舞い戻った。

 

 

----

 

 

 フィリップの館には、自称『若手派閥』に属する貴族達が五十人ほど集まっていた。貴族達はそれぞれ護衛の兵士を複数連れており、総勢六百人を超える大所帯になっている。フィリップはその威容を眺めながら、満更ではない顔をしていた。側には、黒の上品なローブを纏い、スカーフで顔を隠した女性が一人立っている。

 

「フィリップ様、これだけの人数がいれば、間違いなく暴徒たちに鉄槌を下し、ラナー王女を奪還することも出来るでしょう。私共の情報では、ラナー王女は王城近くに囚われている御様子。ですので、このまま王城に向かわれれば、王女をフィリップ様御自身が奪還し、后としてお迎えになることも可能となりましょう」

 

「ふむ、なるほど。それで、ヒルマの作戦としてはどんなものを考えているんだ?」

 

「はい、フィリップ様。まず、暴徒を先に打ち倒すのではなく、説得して味方につけ、暴徒を煽って、今の有力者たちをなるべく多く倒すことが肝心かと思われます。その後、邪魔な暴徒共を片付ければ、王国でフィリップ様に対抗できる者などいなくなることでしょう」

 

「そうか! さすがはヒルマ、素晴らしい作戦だな。よし、じゃあ、俺達はこれから王城に向かい、暴徒達と共に、有力貴族やザナック王子を打ち倒す! 暴徒達は、俺のこの勇姿を見れば、本当に王を名乗っていいのが誰なのかわかり、自然と協力するはずだ! もし、邪魔をする者がいれば、そいつらもついでに始末するぞ! その後、ラナー王女さえ手に入れられれば、王国は俺達の物だ!!」

 

 それに呼応するように、貴族達も剣や弓を振り上げて、大声を出す。

 

「私はフィリップ様こそが、王国を真に支配するに相応しい御方だと思っております。それでは御武運を。フィリップ様が王国を手に入れることを、このヒルマ、心からお祈り申し上げます」

「ああ、期待して待っててくれ! それじゃ、お前たち、行くぞ!」

 

 フィリップは出立の号令を出し、館の庭から、続々と武装した集団が王城に向かって進む。深々とお辞儀をしながらそれを静かに見送るヒルマは、ようやく、最後の連中が館から出て行ったのを確認すると、大きなため息をついた。

 

(これで、あの馬鹿を見るのも最後だろうよ。どのみち、アルベド様がかなりお怒りだから、ろくな末路は待っていないだろうけどね)

 

 ヒルマは、暗い笑みを浮かべる。どうせなら、あの馬鹿には自分が味わった以上の地獄を味わって欲しい。それがこれまで散々フィリップの尻拭いに奔走させられたヒルマの正直な気持ちだった。

 

 そこに、目立たぬ服装をした男が一人、やってきてヒルマに耳打ちする。

 

「ああ、それじゃ手はず通り、アジトからこちらの館に移動してもらうように伝えてちょうだい。準備は出来ていると」

 

 男は頷き、そのまま、静かに姿を消す。

 

「……。今のところは、あの方々の気に障るような事態にはなっていない。このまま、どうか無事に済みますように……」

 

 ヒルマは身体をぶるりと震わせると、館の中に入っていった。

 

 

----

 

 

(賽は投げられた。もう後戻りできない)

 

 ザナックは、今や宮廷会議における上席に腰を掛けているアルベドを見ながら、心の中でごちる。

 

 アルベドは、事態収拾に必要な人材や物資は魔導国が提供することをザナックに約束したものの、あくまでも、今回の事件については自分はオブザーバーであるという姿勢は崩さなかった。それでも、必要な援助の内容を詰めるためにも、宮廷会議に同席してほしいとザナックが要請したのだ。

 

「アルベド様、確認させて頂きたいのですが、事態収拾について、魔導国側ではどのように考えておられるのでしょうか?」

「ザナック殿下。王国で必要とされていらっしゃることを要請していただければ、可能な限り対応させていただきます。ただ、魔導国から必要な応援を出すとしましても、できれば王国側も、暴徒を闇雲に刺激することを避け、事態収束に向けた具体的な行動を起こして頂いた方がよろしいかと思いますわ」

 

 レエブン候は油断なくアルベドの様子を観察していたが、アルベドはあくまでも善意からの申し出という態度のまま、聖母のような微笑みを浮かべているだけで、その言葉の裏に隠されているものを感じ取ることは出来なかった。

 

「アルベド様が仰ることは尤もですな。ただ、既に暴徒に対してある程度の鎮圧部隊を出してしまっておりますので、お恥ずかしながら、王族及び貴族対民衆といった構図を避けることは出来ておりません。そのため、取れる手がかなり限られてくるかと……」

「王政を預かるものとして、暴動に対する鎮圧部隊を全く出さないというのは不可能に近いでしょうから、多少の対立はやむを得ないと思います。――何とか国民と対話をする方向に持っていけると、お互いに少しは歩み寄れるように思いますけれど……。言葉にするのは簡単ですが、実行するとなると、やはり難しいでしょうね」

 

 ふんわりとした笑顔でアルベドは言葉を切る。

 

「対話か……。なるほど。それは良いかもしれん」

 同席している貴族達の間でも、アルベドの案に同意する声が漏れる。

 

「レエブン候、どう考える? 実行は可能か?」

「……ザナック殿下が国民の前に姿をお見せになるのであれば、流石の暴徒も応じるかもしれませんな。但し、その場合、王子の身に危険が及ぶ可能性は否定できません」

「この際、多少の危険はやむを得ないだろう。それに、確かに、俺が奥に引きこもっていては、民衆も納得しないだろうな」

 

 ザナックの言葉に、複数の貴族が同意の頷きを返し、アルベドはそれに感銘を受けたようだった。

 

「とても勇気ある王子様でいらっしゃるのですね。ザナック殿下がそのようにされるというのでしたら、魔導国でも、そのタイミングで何らかの力添えをさせていただきたいと思いますわ」

 

「それはありがたい。そうなると、今は暴徒は王都内に点在している形になっているが、むしろ王城前に誘導したほうがいいのか?」

「一箇所に集めることは暴徒の力が集中することになり危険ではありますが、ザナック殿下のお言葉をより多くのものに伝わるようにするには、その方が効果的でしょう。それに、最悪排除することになった場合も、一箇所に集まっている方が好都合ともいえます」

 

 レエブン候のその言葉は、最悪、暴徒を殲滅することも暗にほのめかしていたが、もはやそれに反対出来る者などいなかった。

 

「それでは、レエブン候、部隊を上手く使い、暴徒を王城前に可能な限り集めろ。目標は一時間後だ。その際に、このザナックが国民と対話を望んでいることをなるべく広範囲に広めるのだ」

「畏まりました」

 

「アルベド様、魔導国には一時間後に私が民衆に対峙する際に、暴徒を抑えるご助力をお願いしたいのですが、可能でしょうか?」

「それくらいでしたら問題ありません。なるべく王子様が安全に対話が出来るように、そのタイミングで加勢させていただきます」

「……ちなみに、どのような方法で加勢頂けるのですか?」

 

 アルベドは少し悪戯っぽく笑った。

 

「それは、できればその時点まではお知らせしない方がよろしいのでは? 情報が漏れて、逆に利用されるといけませんから」

「嫌な話ではありますが、正論ではありますな、アルベド様」

 

 議論がようやく収束に向かいつつあるのに安堵して、ザナックは軽く息を吐く。しかし、これからが本番なのだ。ザナックが閉会を宣言しようとした時、何かを考えていた様子だったレエブン候が口を開いた。

 

「ザナック殿下、一つ提案があるのですが、宜しいでしょうか?」

「なんだ、レエブン候」

「例の『派閥』の頭となっている者を捕らえ、全ての罪をあの男になすりつけてはいかがでしょうか? 国民に対しては、彼が裏から操って大衆心理を操作されたものとし、咎めを無しにする。そうすることで、王家や他の貴族も、国民も、全て同じ被害者であるという立場に持っていけるかと」

 

「なるほど。それは良い考えだな。では、レエブン候、奴を見つけ次第、なるべく生きて捕縛せよ。傷は多少つけても構わん。実際、あいつが裏で余計なことをやっているのは間違いないのだから、別に冤罪というわけではない。ついでに、奴に付いていた貴族連中も連座で罪を負わせてもいいだろう」

 

 レエブン候は幾分端正なその顔を歪ませ、黙って頷いた。

 

 

----

 

 

 蒼の薔薇は、ブレインからの情報を元に偵察に行ったティアとティナに案内され、該当する屋敷へと向かった。高級住宅街にある建物の多くが破壊されたり燃やされたりしているにも関わらず、その建物がある区画だけがほぼ無傷で残っているのが、あからさまに怪しく感じられる。暴徒は既にこの近くからは移動した後のようで、怪我をして呻いている者や、呆然と焼かれた家の前で立ち尽くす人々の姿だけが見える。

 

 その屋敷の様子を少し離れた場所から伺うが、予め聞いていた通り、貴族達の姿は見えず子飼いの兵士たちの姿も見当たらない。屋敷の前に残された大量の足跡の様子から、警備の兵士だけを残して何処かに向かった後のようだ。この館の貴族の評判はラキュースも聞き及んでおり、いずれにしても王国のためになる行動をするとは思えない。

 

「ここまで来るのに時間がかかりすぎてしまったわ。強行突破で突っ込むわよ」

 

「鬼リーダー、万一、王女が見つからないとまずい」

「私達が内部に侵入して、見つけたら救出してくる。王女が見つかったら、合図をする。そうしたら、突入して一網打尽で」

 

「その方が良さそうだな。おし、こっちは任せておけ」

「了解。ティア、ティナ、頼んだわよ」

 

「私は裏に回っておこう。万一にも、鼠を逃したくないからな」

 

 そう言うと、イビルアイは姿を消す。それを見て、ティアとティナも行動を開始する。

 

(ラナー、どうか、無事でいて……)

 ラキュースは、油断なく門の脇に潜みながら、館の警備兵の動向に目を光らせた。

 

 二十分程経過した時、館の中から何かが打ち上げられ、ヒューンと音を立てる。

 

 それを合図に、ガガーランとラキュースは警備兵に真正面から襲いかかり、剣で峰打ちをして素早く打ち倒すと、開ける時間も惜しかったため、扉を打ち壊して内部に侵入する。

 

 館の内部の人員は、ティアとティナがあらかた薬で眠らせたらしく、至る所に警備兵や使用人などが倒れている。

 

「ティア、ティナ、ラナーは見つかったの!?」

 

 そのラキュースの問いかけに応えるかのように、ぐったりとしたラナーを抱えるようにしたティアとティナが姿を現す。

 

「王女は無事」

「薬で眠らされている」

 

「ラナー!? なんてこと……」

 

 慌ててラキュースはラナーを抱きしめるが、反応はない。しかし、僅かに開いたその唇から小さな呼吸音が漏れているのを確認し、ラキュースはほっと一息をつく。

 

「さっき、気付け薬を飲ませた。しばらくすれば、気がつくはず」

「それと……、王女がいた部屋の近くに裸の女性が複数閉じ込められていたけど、どうする?」

 

 ティアの言葉に、一瞬蒼の薔薇の面々は黙り込んだ。

 

「今は……、連れ出すのは難しいわね。むしろ、この状況だとまだここにいてもらったほうが安全かもしれない。ティア、ティナ、悪いけど、その人たちに身体を隠せるものを渡して、迎えが来るまで、この館でおとなしくしているように伝えてもらってもいいかしら?」

「わかった。鬼リーダー」

 二人は頷いて、再び姿を消す。

 

「――全く、反吐が出るわ。あの馬鹿は何としてでも捕まえて正式な裁きを受けさせないとね」

「この様子だと、この事件のかなりの部分があいつらによるものなんじゃないか? 信じられんな。国をなんだと思っているんだ」

 

 重苦しい雰囲気の中、ティアとティナが戻ってきた。

 

「鬼リーダー、終わった」

「状況は説明したから、大丈夫だと思う」

 

「よし。王女も無事確保できたし、そういうことなら当座は問題ねぇだろう。引き上げるぞ」

 

 ガガーランはラキュースから意識のないラナーの身体を受け取り、肩に担ぐ。

 

「あと、書斎らしい部屋に、地図とかいろいろ置いてあったから持ってきた」

「ちょっと地図を見せて」

 

 ラキュースが地図を広げると、行動計画のようなものがそこかしこに記されており、王城に向かって矢印が書かれていた。

 

「これは……この館の主人が事件の黒幕と見て間違いなさそうね。下級貴族もいいところだから、正直家名はうろ覚えだけれど、本人の名前だけは有名なのよ。なにしろフィリップといえば、馬鹿の代名詞と言われているくらいだもの。私も王城で少し見かけた覚えがあるけど、なかなか強烈だったわ」

 

 ラキュースの苦笑いに、他の面々も思わず失笑する。あれでも、一応派閥のトップだというのだから手に負えない。

 

「本当ならもっと証拠になる品を探すべきなのかもしれないけど、今は時間がないわ。皆、急いで王城に戻るわよ!」

 

 蒼の薔薇は一斉に頷いた。

 

 

 




アンチメシア様、佐藤東沙様、のんココ様、誤字報告ありがとうございました。


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8: 神の降臨

 ロ・レンテ城の城門前にある広場には、既に多くの民衆が集まっていた。雨は土砂降りになっているが、民衆はずぶ濡れになりながらも、その意気は衰えてはいなかった。

 

 兵士達は城門前に半径三十メートル程の空間を確保するべくバリケードを築いており、暴徒は松明を振りかざしながら、それに罵声を浴びせかけている。

 

 ブレインは、孤児院の子ども達を守りつつ、何とか近くまでやってきたものの、この様子では城内に逃げ込むことが困難であることに気が付き、舌打ちをする。

 

(こんなことなら、大人しく王都から脱出した方が良かったかもしれんな)

 

 ブレインは、肩に担いでいた子どもをそっと下ろして、周囲にいる子ども達の様子を確認する。この酷い雨の中、暴徒を避けながら逃げてきた子ども達の体力は既に限界に近い。本当なら、早く屋根のあるところで休ませないといけない状態だ。全く、こんな状態の王国を残して、自分だけ先に死んでしまったガゼフ・ストロノーフを思い出して悪態をつきたい気持ちでいっぱいになるが、今はそんな暇はない。ともかく、せめて自分が助け出せたこの子ども達だけでも生き延びさせなければいけないのだ。

 

 その時、兵士達が王城前でザナック王子が国民と対話を望んでいる、だから、お前達も一旦落ち着くように、と繰り返し叫んでいるのが聞こえてきた。

 

 ということは、ザナック王子他、王国の首脳陣がそのうちこの場に出てくるのだろう。それなら、しばらくすればこの騒ぎも無事に収まる可能性がある。ブレインは、ザナック王子にそれほど好感を抱いているわけではなかったが、ガゼフが以前ザナック王子に対する認識を改めた、と話していたことは覚えていた。あの侠気溢れるガゼフの言葉なのだから、恐らくそう間違えたことを言っているわけではないだろう。少なくとも、直接対話をしようとするその心意気は評価できる。

 

 ブレインは周囲を素早く見回して、比較的城壁に近く、暴徒から少し距離のある場所を選んで、そこに子ども達を誘導した。

 

「いいか。お前達はなるべくここから動くな。下手に動くと死ぬぞ。ラナー王女に会えれば、お前達は無事に保護されるはずだ。だから、それまであと少しの辛抱だ。いいな?」

 

 子ども達は、敬愛するラナー王女の名前を聞いたせいか、怯えながらも健気に頷き、その場に寄り添うようにして立っている。

 

「よし。良い子達だ。なに、心配しなくても、お前達はこの俺が命にかけても守ってやる。暴徒をお前達に近寄らせるようなことは決してしない。だから安心しろ」

 

 ブレインは不敵に笑うと、近くにいる子ども達の頭を撫で、背に庇うようにして暴徒との間に立ちはだかった。

 

 やがて城門が開き、近衛騎士の一団がバリケードの内側を固め、馬に乗ったザナック王子とレエブン候、そして数人の有力貴族達が姿を見せる。ザナック王子はヤルダバオト事件の時に着ていた鎧ではなく、王子としての礼装を纏っている。レエブン候のすぐ後ろには、落ち着かない様子の白い鎧を纏ったクライムも付き従っている。

 

「静粛に! これから、ザナック殿下よりのお言葉がある!」

 

 声を張り上げるレエブン候の鋭い目つきに、一瞬民衆はたじろいだかのように見えたが、やがてすぐに罵声が上がる。石を投げている者もいる。

 

「……殿下、このまま前に出られるのは、少々危険かもしれません」

 

 レエブン候が暗に対話を取りやめることを勧めていることにザナックは気がつくが、ザナックはにやりと笑って答えた。

 

「何を言う。ここまで出て来たからには、そのくらいは覚悟の上だ。後ろに引っ込んでいても連中は収まらないだろうよ」

「それはそうなのですが……」

「それに、タイミングを見計らって、救援を出すとアルベド様は仰っていた。であれば、その言葉を信じて我々は出来る限りのことをやるしかない。そうだろう?」

 

 レエブン候は、ザナック王子が青ざめながらも毅然とした態度を崩さない様子に、来るべき王国の冬の時代を任せることのできる王の姿を見た。

 

「そうでしたな。差し出がましいことを申し上げました」

「いや、候のおかげで踏ん切りがついた。これからも宜しく頼む」

 

 ザナックはそう言うと右手をレエブン候に差し出した。レエブン候は万感の思いを込めて、しっかりとその手を握りしめた。ザナックは満足そうに微笑み軽く頷くと、クライムに自分の護衛をするように申し付け、ゆっくりと馬を前に進めた。クライムもその言葉に頷き、ザナックを守るように前に出た。

 

(今はザナック殿下を何としてもお守りする。それがラナー様の御為にもなるんだ!)

 

 クライムは決死の覚悟で、民衆を睨みつける。ラナー様の行方は蒼の薔薇の皆様を信じてお任せするしかない。自分は、ラナー様が無事に戻って来られた時に、王城に無事にお入り頂けるようにしなくては。その為には、ザナック殿下の説得が成功しなければいけないのだ。

 

 そんなクライムを横目でちらりと眺め、ザナックは、堂々たる態度で民衆の前に立った。

 

「私は、第二王子ザナック・ヴァルレオン・イガナ・ライル・ヴァイセルフである。ここにいる皆さんと話をしたくてこの場までやってきた。皆、それぞれ思うことはあるだろうが、ひとまず鉾は収め、我が話を聞いては貰えまいか?」

 

 ザナック王子の名前を聞き、民衆はざわめいた。何しろ、ザナック王子といえば、以前ヤルダバオトが王都を襲撃した際に自ら危険なところに赴き、王都の防衛に一役買ったことは誰しもが聞き及んでいた。その王子の言葉であれば、多少は聞く価値があるかもしれない。そんな声が民衆の中を行き交い、罵声を上げていた者達もその雰囲気に押されたのか、一旦黙ったようだ。

 

(どうやら、全く話を聞く気がないというわけではなさそうだな……)

 

 ザナックは少しだけ胸を撫で下ろすが、一歩間違えば暴走しそうな気配が収まったわけではない。話の切り出し方に失敗すれば、彼らは対話を拒否し、今度は勢いに任せて王城に攻め込んで来るだろう。そうなったら王国はおしまいだ。

 

 ザナックは、なるべく余裕がある様子を崩さないように気をつけながら、おもむろに口を開いた。

 

 

----

 

 

 ザナックは、雨に濡れながらも、民衆を説得するべく必死で言葉を紡いでいた。今のところ、皆、静かにザナックの言葉に耳を傾けている様子を見せており、ザナックはそれに少しばかり心強さを感じていた。

 

「我々王家は、皆の惨状に心を痛めている。確かに、今は王国は非常に苦しい時期を迎えている。しかし、だからこそ、我々は敵同士になってはいけないのだ。それをどうかわかってほしい。そして、もう少しだけ、事態を改善出来るのを待っては貰えないだろうか?」

 

 ザナックは、そのように言葉を締めくくり、民衆をゆっくりと見回す。納得したのかそうではなかったのかはわかりにくかったものの、直ちに非難する声も反論する声も上がらない。あともうひと押し必要か。ザナックがそう思って口を開こうと思ったその時だった。

 

「ははは。それでは、いつまで待てばいいのかわからんな! 馬鹿なことを言うのも大概にしたらどうだ? ザナック王子」

 

 突然、ザナックの言葉を嘲笑う声が響いた。派手な服で着飾り馬に乗った男達が、大勢の子飼いの兵士達で周りを囲うようにして群衆の背後に立ち並んでいる。兵士たちはニヤニヤ笑いながら、即座に道を開けようとしない群衆には剣を突きつけて脅している。その様子を見て怯えた群衆は、男たちを憎悪の目で見ながらも少しずつ場所を開けた。

 

「さあ、お前達、何をしている! あそこに立っているザナック王子も、その後ろにいる貴族達も全員お前達の敵だ! 奴らを殺さなければ、王国にもお前達にも幸福な未来など無いぞ!?」

 妙に自信が溢れている声で、兵士や取り巻き達の真ん中で偉そうにしている男が、ザナックを指差した。

 

「そうだ! そうだ! この国を支配するのに相応しいのは俺達だ。ザナック王子! さっさと、引っ込みやがれ!」

 その男に追随する者たちの下卑た笑い声が辺りに響く。

 

 暴徒ですらその不遜な物言いには疑問を持つくらい、馬鹿げたことを堂々と述べるその姿に、ある意味人々の目は釘付けになった。しかしそれを何か誤解したのか、新たに現れた一団は更に調子に乗って、群衆を剣で追い払いながらバリケードの目前まで歩み出てきた。怪我をした者も出たのだろう。民衆の間から悲鳴が上がる。

 

「貴様、フィリップだな!? この馬鹿共! 何ということをしているんだ!?」

 

 あまりにも突然の闖入者に少しの間呆然と見ていたザナックだったが、流石にその傍若無人ぶりで我に返り、その一団の中央にいるフィリップに向かって怒鳴りつけた。

 

「おやおや、ザナック王子。どうやら俺達がよほど恐ろしいと見える。はは。今ここにいる人々は、全て俺たちを支持しているのですよ。共に王家を打ち倒し、新しい王国を作る同志としてね」

 

 一瞬辺りは静まり返る。ここに集まった群衆には、このような見覚えのない、しかも剣を振るって脅すような男に協力するつもりなどなかったからだ。微妙な非難を含んだどよめきが王城前に広がる。

 

 しかし、それを打ち破るかのように誰かが叫んだ。

 

「そうだ! 王族がこれまで何をしてくれたっていうんだ!?」

「どうせ、このまま奪われて死ぬだけなら、せめてお前たちに思い知らせてから死んでやる!」

 

 それに賛同する複数の叫び声が響く。それを皮切りに、ある程度ザナックの説得に耳を傾けていた人々も、フィリップの暴行に苛立ちを感じていたはずの者も、再び興奮してきたのか、怒号を上げ始めた。誰かが投げた石がザナックの頬の脇をかすめる。それを見て、バリケードの周囲にいた兵士達が人々に対して殺気を向け、騎士達はザナックを守るように周囲を固める。

 

 その時、群衆の後ろから、凛と響く女性の声がした。

 

「待ってください! どうか皆さん、落ち着いてください!!」

 

 そこには、蒼の薔薇を後ろに従えた、ラナー王女が立っていた。

 

 

----

 

 

 ラナー王女は、優しげな微笑みを浮かべながら、王城に向かってゆっくりと歩む。その周囲を蒼の薔薇の面々が歩き、自然と群衆はラナーの前に道を開けるように動いた。

 

「ラナー様!!」

 

 ブレインの後ろにいた子ども達が一斉に喜びの声を上げ、前へと歩むラナーの後を追いかけて走り出す。

 

「おい、待て。動くな! 危ないぞ!」

 

 ブレインは子ども達を押し止めようとするが、子ども達はその手をすり抜け、ラナーの元に走り寄る。軽く舌打ちをして、やむを得ずブレインもその後を追う。

 

「ああ、あなた達も無事だったのですね。良かったです」

 

 ラナーは子ども達の頭を優しく撫でる。ラナーの笑顔を見て少し安心したのか、子ども達は母親に縋り付くようにラナーを取り囲んでいる。その周囲を油断なく警戒するブレインと蒼の薔薇に、多少怖気づいたのか、怒号は段々小さくなり、ざわめきだけが残った。

 

 ラナー達は、何事もなかったかのようにバリケードの近くまで行き、群衆に向き直る。

 

 ラナーの姿を見たクライムは、喜びの余りに我を忘れ、警護していたはずのザナックの側を離れると、バリケードを飛び越えた。背後から、ザナックが自分を制止する声を聞こえたような気がしたが、それはクライムにとってはどうでもいいことだった。

 

「ラナー様! ご無事で……本当に良かったです……」

「クライム、心配させてしまいましたね。蒼の薔薇の皆様のおかげで、無事に帰ってくることが出来ました」

 

 雨が降りしきる中、主従が嬉しそうに手を取り合う姿は、そこだけがまるで一幅の絵画のようだった。

 

 しかし、突然のラナー王女の登場で、フィリップの目には狂気の光が灯る。何しろ、なかなか手に届く所に出てこなかった女が、遂にすぐ目の前に姿を現したのだ。彼の残念な頭の中に、ラナー王女が自分の為にわざわざ姿を現した、いや、ようやく、自分のものになる気になったのだ、という妄想が浮かび、彼の中ではそれが事実に変わる。

 

「はっ、ははははは! ラナー王女、ようやく俺と結婚する気になったのか!?」

「え? 一体どういうことでしょうか?」

 

 何のことだかさっぱりわからない、という様子で首を傾げるラナー王女に、フィリップは気が狂ったような笑い声を上げ、兵士達に命じる。

 

「兵ども! あそこにいるガキどもを殺せ! 周りにいる奴らを皆殺しにしろ! 今ならラナー王女の近くにはあまり人がいない。王女を我が物とし、俺が王になるんだ!」

 

「ほう? なかなか面白いことを言ってくれるじゃねぇか? このブレイン・アングラウスとアダマンタイト級冒険者である蒼の薔薇が、いくら数だけはいるとしても、お前らごときに遅れを取ると思っているのか?」

 ブレインはフィリップの言葉を鼻で笑い、戦闘態勢を取る。

 

「フィリップ、私達、蒼の薔薇は、あなた達を連続女性誘拐事件、そして今回の暴動事件及びラナー王女誘拐事件の犯人として告発するわ。証拠もある。おとなしく、武器を捨てなさい!」

 

 蒼の薔薇も進み出て、武器を構えた。そして、蒼の薔薇の言葉を聞き、民衆は明らかに動揺したようだった。

 

「あいつらが……ラナー王女を誘拐……?」

「まさか、うちの娘を攫ったのも……」

「俺達はあいつらに、踊らされていたのか?」

 

 どれも小さな声だったが、少しずつその声は民衆全体に広がり、次第に民衆がフィリップに向ける視線に憎悪の色が濃くなる。その様子に、フィリップは舌打ちをした。

 

「ふざけるな! 今度は言いがかりか!? 全く、どいつもこいつも話にならんな……。ふん、そもそも、その数で勝てるつもりなのか? お前ら、ラナー王女はなるべく傷をつけずに生け捕りにしろよ!!」

 

 フィリップの手勢の一部はブレインと蒼の薔薇の名前を聞き、先程の勢いは失せ若干及び腰になっているようだったが、残りの者たちは剣を構え、弓を手にした者達は、ラナーを守るように取り囲んでいる子ども達と、クライムやブレイン、蒼の薔薇を狙って一斉に矢を射掛けた。

 

「ラナー様!! お下がりください!」

「お前ら、伏せろ!」

 

 咄嗟に、クライムとブレインはラナーや子ども達を守るように前に走り出て、矢を抜いた剣で払おうとするが、全てを落とすことは出来ず、矢に射抜かれた複数の子ども達が倒れ、それを見た人々から悲鳴が上がる。それと同時に、バリケードの近くでラナーとフィリップの様子を伺っていたザナックが、苦しげに呻いて馬の背にうずくまった。

 

「お兄様!!」

「ザナック殿下!!?」

 

 ラナーは蒼白な顔で悲鳴を上げ、レエブン候は衝撃の余りいつにない大声で叫ぶとザナックに駆け寄った。ザナックの胸に一本の流れ矢が突き刺さっており、ザナックの顔は瞬く間に青黒くなっていく。

 

「まさか、毒矢か……!? 誰か、ザナック殿下を中に運べ! 侍医を呼んで解毒を!」

 

 数人の兵士たちが慌てて、ザナック王子を担架に乗せて城の中に運び去った。

 

 世継ぎの王子が倒れる現場に居合わせた群衆は、先程までの勢いは失せ、物も言わずに静まり返っている。ブレインは後ろを振り返り、苦痛に満ちた表情で自分が守ろうとしていた子ども達の遺体を見ていた。共に暮らした兄弟ともいうべき者を亡くした子ども達が静かにすすり泣く声が聴こえ、そして、その声で、群衆の中にも何かを思い出したのか、泣いている者がいる。

 

 一人、フィリップだけが高笑いしている様だけが異様な雰囲気を漂わせていた。

 

 

----

 

 

 イビルアイは、どうやっても止めることが出来ない人々の暴走を、半ば呆然として見つめるしかなかった。そこにいるのは、悪人ではなくただの民衆だ。それなのに、強者である自分が弱者である人間に力を振るうのは、どうしても躊躇われる。

 

 何処かで、泣いている子どもの声がする。いくつも、いくつも……。酷い喧騒の中でも、その声だけはやけに耳につく。

 

 私は、また……助けられなかったのか?

 

 不意に、イビルアイは、廃墟の中で泣いている子どもが顔を上げ、泣き腫らした目で自分を見つめる姿を幻視した。

 

 ――いや、違う。

 ――本当に助けてほしかったのは……

 ――あそこで泣いていたのは……

 

 ――私自身だ……。

 

 

-----

 

 

 ブレインは、カッツェ平野でなすすべもなく、ガゼフ・ストロノーフが死んでいったことを思い出していた。

 

(くそ、俺はまた何もできなかったのか? いや……あの時は流石に相手が悪すぎた。だが今回の奴らは違う。これくらい出来なくて、ガゼフに顔向けなんて出来るわけないだろうが!)

 

 ブレインはフィリップの一党を怒りの篭った目で睨みつけ、有無を言わさず矢を射った連中に襲いかかり、蒼の薔薇もそれに追従する。手当たり次第に次々と武器を落として無力化するものの、守るべき者を守れなかったという、どうしようもなく虚しい思いだけがブレインの胸を過る。

 

(何故、こんなことになってしまったんだ? 同じ王国民同士で、何故、殺し合わなければいけないんだ?)

 

 バリケードの周囲を固めていた王国の兵士達は、まるで彫像になったかのように動かない。いや、動けなかったのだろう。

 

 しばらく茫然自失していた民衆は、やがて次第に沸き起こるやり場のない怒りに我を忘れ、武器を振り上げフィリップ達に襲いかかろうとした。しかし、密集した中で動くこともままならず、逆に互いを押しのけようとし、転んだ者を踏みつけ、それが逆に別の諍いを生んで、本来同じ思いを抱えていたはずの者たちまで争いを始めた。中には落ち着かせようと声を上げる者もいたが、他の人々の上げる怒号にすぐにかき消された。

 

 王国はもうお終いだ。それだけが、城門の前を埋め尽くしている人々に共通した思いだった。

 

 人々は空虚な思いにかられながらも、意味のない諍いを止めることはできなかった。誰もが自暴自棄になっていたのかもしれない。その場を支配していたのは、抑えきれない怒りとどうしようもない絶望だった。

 

 もはや、王都を破壊し尽くさなければこの争いは止まらないだろうと誰もが思い始めた時、一つの耳ざわりのいい声が上空から響いた。

 

「『争うのをやめなさい』」

 

 その言葉を聞いた途端、イビルアイを除く全ての人々は、手に持った武器を動かすことが出来なくなり、瞬時に王国民同士で行われていた殺戮は止まった。

 

 

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 突然、このところずっと降り続いていた雨が上がり、次第に明るい日差しが差し込んでくる。

 

 そして、空から黒い大きな塊のようなものが落ちてきて、城門前の石畳にヒビが出来るかのような地響きを立てる。そこには、漆黒の鎧を纏った男が着地した時の姿勢のまま、しばらく受けた衝撃に堪えているようだった。やがて、漆黒の鎧の男は、ゆっくりと立ち上がり、ラナー王女と群衆、フィリップ達を順番に見やった。その背後にはふわりと〈飛行〉で降りてくる一人の魔法詠唱者がいる。

 

「モモンだ……」

「漆黒の英雄……」

「……俺達は助かったのか?」

 

 久方ぶりに王都に差す日の光を浴びて、降り立った漆黒のモモンと美姫ナーベは、神話から現れ出たまさに英雄のようにも感じられる。

 

「モモン様……、王国を助けに来てくださったのですね……」

 

 信じられないものを見たかのような思いで、イビルアイは必死で言葉を押し出し、うまく動かない身体を無理に動かすかのように、よろめきながらモモンに近づいた。

 

 そのイビルアイを、片手でそっと抱きとめるようにして、モモンはイビルアイの耳元で囁いた。

 

『――私は、アインズ様ではありませんよ』

 

「え?」

 

 さりげなく空に向かって顎をしゃくるような仕草をしたモモンにつられて、イビルアイが空を見上げると、遥か上空に、白いローブを風に靡かせている魔導王の姿があった。その側には、メイドらしい者達と美しい少女が控えており、そこから少し下がった場所には、黒い蝙蝠のような羽を広げた白い変わった服を纏った者が、魔導国の国旗を掲げていた。

 

 やがて、魔導王の周囲に、見たこともない巨大な立体魔法陣が展開される。そこから発せられる眩い光に気がついたのか、その場にいた人々は、次々と上空を見上げる。魔導王だ、と呟く声がする。その言葉は、恐怖とそれ以上の畏怖を感じさせるものだった。

 

 魔導王の繰り広げる光景は、美しくも人智を超える恐ろしさがあり、自分たちはこのまま魔導王に殺されるのかもしれないという思いに駆られながらも、その場を動く者は誰もいなかった。

 

(ああ、なんて神々しい綺麗な光なんだろう……)

 

 イビルアイは、アインズの展開する魔法陣から目が離せなかった。噂に聞く、カッツェ平野で使われた魔法もこんな感じだったのだろうか。しかし、彼がこの場でそのような忌まわしい魔法を使うとは思えなかった。

 

 かなり長いことその魔法の発動を眺めていたようにも思うが、いくら見ても見飽きない次々と形を変える複数の光の帯で構成された魔法陣は、やがて一段と光り輝くと六つの光の柱が現れ、それが実体化していく。

 

 魔導王の周囲に、六体の見たことのない白く美しく輝く天使が現れて、四枚の羽根を大きく広げる。その姿は、あたかも崩壊しきった王国に救いを与えようと舞い降りた奇跡のようにも見えた。

 

 その光景に衝撃を受けたのか、人々は物も言わずにその場に立ち尽くしている。

 

 ゆっくりと高度を下げてくる魔導王と、天使達は、暖かい光に満ちた太陽を背後にして、まるで自ら周囲を照らす光を放っているかのようにも見える。

 

 魔導王だ、という声は次第に消え、人々は目の前にしているのが、自分達の罪を問うために現れた神のようにも感じられる。

 

 モモンとナーベの近くに、魔導王とお付きの者達が降り立つと、その少し上に天使たちが守るように羽を広げた。

 

「ああ、『楽にして構いません』」

 再び、何者かが妙に心に響く言葉を発する。

 

 何かで身体を抑えつけられていたような感覚は消え、人々は、僅かに身じろぎをする。しかし、再び武器を振り上げようとする者は、もはやいなかった。

 

 

 




アンチメシア様、誤字報告ありがとうございました。


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最終話: 二人の約束

 アインズはデミウルゴスから最終作戦開始の報告を受け、〈転移門〉を使用して王都に移動してきていた。

 

(この作戦は聖王国と違って俺がやることは少ないから、どちらかといえば楽だよな)

 

 以前王都に来た時は、結局ゲヘナの対応だけしか出来ず観光する余裕はなかったので、今回は少しくらいは王都を見物しようと、アインズは密かに目論んでいた。

 

〈不可知化〉した下僕達と共に、アルベドから作戦実行の合図が来るまで、上空から王都の状況をゆっくりと見回す。

 

 降りしきる雨の中、あちこちから火の手が上がり、人々が逃げ惑っている。

 

 その様子を、特に感慨もなくアインズは眺めていた。

 

(聖王国は、デミウルゴスの仕込みで亜人が襲っていたけど、王国は、国民同士で争うようにしたのか。どうやったのかは知らないが、アルベドとデミウルゴスが考える作戦は結構えげつない気もするなぁ。やはり、悪魔という種族の本質のせいなのか?)

 

 アインズ自身も人間に対する同属意識などは殆ど残ってはいない。だから、人間達が殺し合うことも、その結果大勢の死傷者が出ることにも、それがナザリックの利益になるのであれば、特に文句を言うつもりはないし、自分よりもずっと頭のいい二人が考えた作戦なのだから、これが最良なのだろうとも思う。

 

 しかし――。

 

 アインズの鋭敏な聴覚は、眼下の人々が上げる怒号や悲鳴の中に、子どもの泣き声が僅かに混じっているのに気がつく。

 

 ――あの時も、こんな雨の日だったか?

 

 今はもう、微かにしか感じられない鈴木悟の残滓が、何かを伝えようとしている気がする。

 

 ――遠い昔、母を喪って一人きりになったあの時。

 ――いや、自分は泣いたわけではなかった。

 ――たった一人で、雨の音を聞きながら、ただうずくまるだけだった。

 ――本当は泣きたかったのかもしれない。だけど……。

 ――泣けなかったんだ……。

 

 その時、アインズは、破壊された王都の通りの片隅で、雨に濡れて立ち尽くす幼い頃の自分の姿を幻視した。

 

 本来なら、部下が成功させようとしているプロジェクトに横槍を入れるのは、上司としては失格だろう。時間をかけて練り上げた作戦なら尚の事だ。しかし、今のアインズにとって、王国で行われていることは少しばかり不快だった。

 

(何なんだろうな。聖王国でも似たようなことが行われていたというのに。俺はどうしてこんな風に感じてしまうのだろうか)

 

 アインズは自分でも説明できない心境に少し苛立つ。しかし、どうにも一度覚えた理由のない不快感を拭うことはできなかった。

 

「……デミウルゴス」

 アインズは、傍らに控えている忠臣に声をかけた。

 

「アインズ様、どうかされましたか?」

「アルベドからの連絡はまだ来ているわけではないが、もうそろそろいいのではないか? 下で起きている騒ぎを収めよ。私は、無益な殺戮はあまり好きではない」

 

 アインズの言葉を聞いたデミウルゴスは一瞬目を見開いたように見えたが、すぐに頭を下げた為、その表情はアインズにはよくわからなかった。

 

「畏まりました。では、アルベドにそのように連絡を入れ、最終段階を開始いたします」

「うむ。頼んだぞ」

 

 デミウルゴスは特に異を唱えることもなく、恭しくお辞儀をする。そして一足先に、黒い翼を広げて城壁に近いところまで降りていく。

 

(俺は、本当に我儘だな……)

 

 アインズは、その姿を見送りつつ苦笑した。

 

 

----

 

 

 王国民達は、皆、目の前に現れた魔導王とモモン、そして、守るように羽を広げている天使達を見つめたまま、金縛りにあったかのように動けなかった。

 

 モモンは、ひたすら魔導王を見つめているイビルアイを自分の傍らに立たせ、マントを大仰に翻すと、少々芝居がかった口調で言った。

 

「お前達は一体何故殺し合っているんだ? 同じ王国民同士だろう。それとも、王国を自分達の手で滅ぼすつもりなのか? このまま争いを続ければ間違いなくそうなるぞ。王国が失くなったら、お前たちはその後どうするつもりなんだ? 廃墟と共に死ぬつもりなのか?」

 

 何しろ、相手はかの英雄モモンである。いくら今は魔導国に仕えているとはいえ、英雄モモンは王都の民にとっても自分達を窮地から救ってくれた恩人であり、亡くなった戦士長や華やかな蒼の薔薇とはまた違う、憧れの対象であることは変わりがなかった。そのモモンに諭された王国民は一様に頭を垂れる。モモンの言葉に答えられる者は誰もおらず、異様なまでの静けさがその場を包む。

 

 だが、一人だけ、それでは収まらない者がいた。

 

「何だよ!? 何故、王国の冒険者でもないお前が王国のことに口を出すんだ! どうせ魔導国の手先として、王国を滅ぼしに来たんだろう!  王国のことは王国の人間が決める。お前なんかに口出しなんぞさせない! 王国は、俺の物だ!!」

 

 フィリップのその言葉で『馬鹿派閥』の面々の瞳には、再び狂気の光が灯る。自分達の壮大な野望を達成すべく、口々にモモンを揶揄する罵声を上げ、武器を握り直す。そして、他の人々の動きが止まっているのをいいことに、ラナーとモモンに向かって突進した。

 

 それを見たクライムは咄嗟にラナーを庇うように前に出て、相手の剣を受け流し、魔導王の天使が二体、ラナーを守るように舞い降りてガードする。モモンは鮮やかな剣さばきで数人纏めて相手をしているが、所詮貴族程度の腕ではモモンの敵にはなりえない。焦ったフィリップがやけくそになってモモンに上段から剣を思い切り振り下ろす。ガキンという固い音がして、それを剣で受け止めるモモンの脇から、もう一人の男が鋭く斬りつける。

 

「モモン様!?」

 

 イビルアイは反射的に〈水晶騎士槍〉を唱え、モモンを斬りつけた男に水晶の槍を投げつける。その槍は男の身体を貫通し、鈍いくぐもった呻きをあげながら男は倒れ、イビルアイはそれを見て安堵の息を吐いた。

 

 その時「死ねえ、このガキが!」と叫ぶ声がすぐ側で聞こえた。誰かが自分に向かって剣を振り上げているのが見える。切っ先は既に仮面まで迫っていた。

 

(しまった……! 油断しすぎたか? このままでは、仮面が……割れる!?)

 

 今からでは魔法詠唱者の自分では避けきれない。イビルアイがこれから来るはずの衝撃と、仮面を失う恐怖に身を固くした時、不意に後ろから誰かに抱き上げられるのを感じ、それとほぼ同時に、今や自分を突き刺そうとしていた男は声もなく崩れ落ちた。

 

 

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 アインズは、このタイミングで戦闘が発生する可能性があると、デミウルゴスから聞いてはいた。

 

 ただ、今回の作戦では魔導国が非難される可能性を排除する為、ナザリックは戦闘行為には極力介入しないことになっている。その為、重要人物に対する援護は召還した天使に任せ、アインズも後ろに控えている者達も、静かにその場の様子を見守っていた。

 

(まあ、ナーベラルとパンドラズ・アクターもいるのだから、二人が対応すれば問題ないだろう。天使達だっているんだし、戦力的には十分なはず。デミウルゴスからは、俺は好きに動いてくれて構わないと言われているけど、下手なことをして計画を邪魔するのも何だしなぁ。大人しく見てる方が良さそうだ……)

 

 それにしても、王都の様子は思っていたよりも酷い。妙に悪目立ちして騒いでいる奴は、何処となく聖王国の聖騎士団長を彷彿とさせられて少々イラッとするが、闇雲に状況を悪化させているだけな気がするし、頑張って演説していた王子は倒れてしまったようだ。こんな調子で、今後王国はどうやって復興して行くつもりなんだろう。

 

 アインズが首を捻っていると、イビルアイがパンドラを狙っている敵を魔法で打ち倒したのが見え、次の瞬間、一人の男が怒号と共に、イビルアイのすぐ側から仮面を狙って剣を振り下ろしているのが見えた。

 

 アインズはその光景に、自分の中の何かが凍りつくように感じる。

 

 このままでは、イビルアイは例え死ぬわけではなくても、アンデッドであることがこの場にいる全ての者に知られてしまうかもしれない――。

 

 ほぼ無意識のうちに、アインズは〈時間停止〉を唱えると、二人に向かって歩み寄った。タイミングを見計らって男に対して〈死〉を唱え、イビルアイを抱き上げる。

 

 次の瞬間〈時間停止〉の効果時間が切れ、それと同時に〈死〉が発動する。呪文に抵抗することなく男は倒れた。

 

 アインズは出ないため息をつくと、腕の中にいるイビルアイを見つめる。

 

(あの時の俺は、何も出来なくてただ現実を受け入れるしかなかった。いや、受け入れたつもりになっていただけなのかもしれないけど……)

 

 ――今なら、大事なものを守ることもできるんだ……

 

 鈴木悟の残滓が、ほんの少しだけ笑った気がした。

 

 

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 フィリップの一党は、まさか動くと思っていなかった人物が動いたのに驚いたのか、総崩れとなりバラバラにその場から逃げようとするが、蒼の薔薇とモモン、ナーベ、そして魔導王を守ろうとする天使達によって、次々と無力化されていく。

 

 一人残されたフィリップは、それでも果敢に、今度は魔導王に襲いかかろうとするが、後ろから飛びかかったティアとティナによって取り押さえられた。

 

「どうやら、曲者は全部片付いたようだな?」

 

 イビルアイを抱いたまま、魔導王は静かに周囲を見回す。そして、探していたものを見つけたのか、とあるところで視線を止める。いつからそこに立っていたのかは不明だったが、それを合図にしたかのように、宰相アルベドが優雅に歩み出てきて跪く。

 

「はい。全て片付いたようです」

「そうか。それは何よりだ」

 

 恐怖からか、崇敬からなのかはわからなかったが、王国の人々の中でも、徐々に膝をつく者が増えてくる。

 

 その中を、宰相アルベドの近くまで、レエブン候とクライムを連れたラナー王女が歩み寄ってきた。ラナー王女の黄金の髪が太陽の光で煌めき、そのゆっくりとした歩みは新しい王国の第一歩のようにも感じられる。そして、アルベドのすぐ脇で、同じように跪き、クライムとレエブン候もそれに続く。それを見ていた王国の人々もほぼ全ての者がその場に跪いた。

 

「アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下、私はリ・エスティーゼ王国第三王女、ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフと申します。この度は、リ・エスティーゼ王国に御助勢くださいまして誠にありがとうございました。王国に住まう全ての人々に代わり、御礼を申し上げます」

 そう言うと、ラナー王女はさらに深く頭を垂れた。

 

「隣国が困っているのなら、助力するのは当然のこと。礼には及ばない。ラナー王女、頭を上げて欲しい」

「ありがとうございます」

 

 ラナー王女はゆっくりと顔を上げ、自分の目の前に立つ絶対者に対して、恐れることなく目を向けた。ラナーの金髪が風に靡く。

 

「もう少し早く来ることができれば良かったのだが……。到着が遅れたことをお詫びしよう」

「お詫びなどとんでもございません。王都、そして王国が無事に形を残すことが出来たのは、全て魔導国の御協力があってこそですから」

 

 ラナーの柔らかい笑みに、アインズは一瞬気後れのようなものを感じるが、なるべく重々しい雰囲気を崩さぬように頷いた。

 

「そのように言ってもらえるとこちらとしても有り難い。亡くなられた方々には、私からも心から哀悼の意を表そう。――ただ、今のこの状況から、国を立て直すのはさぞかし困難ではないか? 貴国さえ良ければ、魔導国は王国の再建に力を貸すことも出来るが、どうかな?」

 

「魔導王陛下の温かいお心遣いと、寛大なお申し出に感謝いたします。今は、王である父も不在で、兄も重症を負ってしまっているため、すぐにお返事することは叶いませんが、出来るなら、そのお申し出を受けさせて頂きたいと考えております。陛下のお慈悲があれば、いずれ王国も、そう遠くない未来に元の姿を取り戻すことが出来るでしょう」

 

 ラナー王女は、魔導王の赤い灯火の瞳を真っ直ぐに見つめて、力ある言葉でそう答えた。

 

 

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 ブレインは、暴動の巻き添えで死んだ子ども達を地面にそっと横たえ、心の中で詫びていた。

 

(絶対に守ってやる、って言ったのにな……)

 

 溢れそうになる涙を片手で押さえ、人に見られないようにする。そして、それほど離れていない場所に立っている、魔導王に目を遣った。どうやったのかはわからないが、奴はガゼフを殺した時と同じような不思議なやり方で、今度はイビルアイを助けたように見えた。

 

(勝てるなんて端から思っているわけじゃないが、俺じゃまだまだ足元にも及ばないってことか……)

 

 魔導王の超越者然とした立ち姿を見つつ、自嘲気味な笑いを浮かべる。ブレインはいつか機会があったら魔導王に挑んでみたいと密かに思っていた。ガゼフの敵討ちというわけでもなく、強い敵に勝利するためでもない。ただ、自分自身の限界を試すために。

 

 ――だが、俺は……こんな小さな約束すら守れないちっぽけな男なんだ。

 

 ブレインは、もはや魔導王に対する戦意を完全に失い、自分の足元に横たわっている子ども達の頭を撫でながら、懺悔の思いを抱えたままひたすら俯いていた。自分の無力さだけが胸に込み上げる。

 

 不意に自分の手に誰かが触れるのを感じた。そちらに目を向けると、そこには、ブレインが背負ってここまで連れてきた子どもが心配そうに見つめている。

 

「ああ……。お前は無事だったのか。そうか……」

 

 その子は、はにかむような微笑みを浮かべて、小さな声で「助けてくれて、ありがと……」とブレインに囁いた。

 

 

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 王都の雰囲気は、これまで長いこと淀んでいたものが、まるで雨ですっかり流れ落ちたかのように少し清々しく感じられる。王城の前に集っていた民衆は、自らの手で出してしまった大きな犠牲が徐々に実感を伴うものに変わってきたのか、一様に沈痛な面持ちをしていたが、それでも、どこか憑き物が落ちたような表情で広場から離れていく。

 

 フィリップの一党は、レエブン候の指示で兵士達に捕縛されている。ブレインは、生き残った子ども達を集めて話をしている。ラナー王女やクライムは、兵士達にバリケードを撤去し撤収するように指示を出している。蒼の薔薇の面々は、少し離れた場所でモモンとナーベと話をしつつ、こちらの様子をチラチラと伺っている。配下の者達は、負傷した人々を集めて手当を施しており、天使達はそれを見守るように控えている。

 

 どうやら一段落ついたようだ、と判断したアインズは、自分の腕の中にいるイビルアイをどうしたものかとしばらく悩む。

 

 イビルアイは、抱きかかえたアインズの胸にしがみついたまま、なかなか離そうとしない。まるで幼子のようなその雰囲気に微笑ましい気分になったアインズは、そっとイビルアイを抱きしめた。

 

 イビルアイの身体は酷く震え、泣き声が聞こえるわけではないが、もしかしたら泣いているのかもしれないとアインズは思う。

 

「どうした? イビルアイ。もう、大丈夫だぞ?」

 

 そんな風に声をかけると、後ろの方から、ギリィという物凄い音がする。それが誰の発した音なのか漂ってくる気配で察したが、アインズはあえて無視をした。

 

(こういう時は、一体どうやったら泣き止むんだろう。しばらく泣かせておくしかないんだろうか?)

 

 とりあえず、以前アルベドに泣かれた時にやったように、イビルアイの背中を優しく何度か叩いてみる。

 

 しばらくすると、ようやく落ち着いたらしいイビルアイが、掠れるような声で「ありがとうございました。アインズ様」と囁くのが聞こえた。

 

「少しは落ち着いたか?」

「はい……。もう、大丈夫です」

 

 イビルアイはそこで何かに気がついたようで、口調が若干怪訝そうになった。

 

「アインズ様……あの、声が、前と少し違いませんか?」

 

(そう言われてみれば、エ・ランテルで会った時は素の声だったからなぁ。急に変われば疑問に思うのも当然だよな……)

 

「あぁ、今は声を変えているんだ。変だったか?」

 アインズは一年前のあの日のことを懐かしく思い出しつつ、イビルアイに答えた。

 

「い、いえ、そういう訳じゃないです……。でも、前の方が、その、素敵というか……好きです」

「そうなのか? 配下にもよく言われるんだ。自分としては悪くないと思っているのだが……。イビルアイ、どうやら元気が出てきたようだな。良かったよ」

 

 アインズはイビルアイの頭を軽く撫でると、ゆっくりと地面に下ろした。イビルアイは、どことなく残念そうな雰囲気だったが、おとなしくアインズの傍らに立った。その様子を見ているうちに、アインズはイビルアイをこのまま帰してしまうのが惜しいように感じる。どのみち、今の段階では蒼の薔薇が解散する予定はないはずだから、断られるのだろうが……。

 

「まだ、私の元には来ないのか?」

 

 イビルアイは、アインズのその言葉に明らかに動揺したようで、左手を固く握りしめていた。しかし、しばらくすると、多少迷いはあるようだったが、アインズの瞳をしっかりと見つめた。

 

「……あとほんの少しだけ、こちらにいようかと思います」

「そうか……。私は、お前が一緒に来てくれるなら、とても嬉しい……と思う。だが、お前自身の選択を尊重したい。だから、別に急がなくて構わない」

 

 自分を真っ直ぐに見上げているイビルアイの姿は、アインズには何かとても眩しいもののように感じられた。――少々寂しくはあるが、やはり、ここはおとなしく見送るべきだろう。アインズは、イビルアイを安心させるように優しく言った。

 

「すみません。我儘で……」

「いや、私も我儘なんだ。だから、お互い様だな」

 

 そう言って苦笑すると、アインズはイビルアイに右手を差し出した。

 

「また、な」

「はい……。また……」

 

 イビルアイは、ぎゅっと両手でその手を握ってくる。アインズも、なるべく力を入れないように気をつけながら手を握り返すと、イビルアイの仮面から見えている耳が真っ赤になっているのに気がつき、少し照れくさい気分になる。

 

「あ、あの……!」

「ん? なんだ?」

 

 イビルアイは一瞬躊躇したようだったが、アインズの揺らめく光を湛えた瞳を見つめながら、酷く真剣な様子で切り出した。

 

「――私、アインズ様にお聞きしたいことがたくさんあるんです。その、ものすごく、いっぱい……。だから、次にお会いできたら……、もっと、ゆっくりお話……したいです……」

 

 思いがけないその言葉に、アインズも、自分もイビルアイに聞いてみたいことがいろいろあったことを思い出した。いずれそんな日が来ることが、とても楽しみに思われる。

 

「あぁ、そうだな。約束しよう」

「ありがとうございます…! や、約束ですよ!」

 

 アインズの髑髏の表情は動くわけではないが、それでもイビルアイには、アインズが少なくともその約束を喜んでくれたように感じられた。それだけで、体中が歓喜でいっぱいになり、自分の動かない心臓が激しく脈打っているような錯覚に陥る。

 

(どうしよう。私は今とんでもなく、だらしない顔をしてるんじゃないだろうか!?)

 

 イビルアイは、愛するひと(アンデッド)には見られたくない表情をしているだろう自分を思い、それをアインズから隠してくれる、自分の仮面に初めて感謝した。

 

 

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 アインズが宰相アルベドや配下の者達を伴って、立ち去っていくのを見送りながら、イビルアイは、自分の胸にそっと手を当てた。自分の中で何百年も泣いていた子どもが、今は、少し落ち着いて穏やかな微笑みを浮かべている気がする。

 

 ――私は長い間この日が来るのを待っていたのかもしれない。

 ――誰かが、泣いている私を助けてくれるのを……。

 

 イビルアイは、このまま、アインズを追いかけていきたい強い想いに駆られる。

 

 ――だけど、そう。まだ『今』じゃない。

 

 イビルアイは指輪を優しく撫でて、ゆっくりと周囲を見回した。少し離れた場所で大事な仲間達が、興味深げにこちらを眺めているのが見える。どうやら、イビルアイの用事が片付くのを、ずっと待っていてくれていたらしい。

 

「すまない、待たせてしまったか?」

 

 イビルアイはあのシーンを見られていたことに、かなりバツの悪い思いを感じるが、なるべく普段通りの口調で声をかけた。しかしそれに対する蒼の薔薇の面々の反応は、どれも少しばかり含みのあるものばかりだった。

 

「そんなことないわよ、イビルアイ。もちろん、後でゆっくりいろいろ聞きたいことはあるけどね?」

「全くだな。随分、良い雰囲気だったじゃねぇか?」

「イビルアイは思ったよりも手が早い」

「これからは、アンデッド・キラーと呼ぶ」

 

「な、何を言ってるんだ!?」

 

 思わず、恥ずかしさで裏返った声でイビルアイは叫ぶ。

 

 イビルアイのあまりにも正直な反応で、蒼の薔薇はこみ上げる笑いを抑えきれず、久しぶりに心から楽しそうに笑った。

 

 

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 その後、リ・エスティーゼ王国では、ペスペア侯爵夫妻及び第二王子ザナック・ヴァルレオン・イガナ・ライル・ヴァイセルフの逝去、そして現国王ランポッサ三世の崩御が公表され、ヴァイセルフ王家に残された唯一の王位継承権者として、異例ながらも、第三王女ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフが王国始まって以来の初の女王として即位し、エリアス・ブラント・デイル・レエブン侯爵が宰相として女王を補佐することが宮廷会議で正式に決定された。

 

 また、今回王国で起こった一連の事件は様々な証拠から、フィリップを筆頭とする下級貴族の一党による犯行とされ、国民は単にそれに巻き込まれたものとして、暴動に参加した者も罪には問わないことと、フィリップ一党は投獄され、いずれ処刑されることが決定された。

 

 それと同時に、暴動の鎮圧に多大な援助を受けたアインズ・ウール・ゴウン魔導国に対して感謝の意を示すと同時に、王国の再建の為に、以後は魔導国に恭順し属国となることがラナー女王とレエブン候の連名で発布された。

 

 本来であれば、それは、王国の国民感情としては受け入れがたいものではあったが、王都で魔導王が見せた神を思わせる力に心酔するも者も多く現れ、また、主だった貴族達が王都での暴動でその多くが粛清されたことで、もはや反対する者は殆どいなかった。

 

 その後、ラナーはレエブン候の息子と結婚した。クライムは女王専任の側仕えとなり、やがて表舞台には姿を見せなくなった。女王の部屋から夜な夜な、奇妙な悲鳴が聞こえてくるという噂が密かに流れたが、その噂をする者はいつの間にか消えていった。

 

 王都の街角では、アインズ・ウール・ゴウン魔導王を崇める人々が、新たな神の到来と加護を説いている。

 

 ブレイン・アングラウスは生き残った孤児の一人を連れて、リ・エスティーゼ王国を離れ何処かに旅立って行った。

 

 

 

 

 




佐藤東沙様、アンチメシア様、ハメるん様、誤字報告ありがとうございました。

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第二章は、王国の末路編でした。
なんだこのラストは!と思われた方も多いと思いますが、どうか石は投げないでください……。

正直、二章はかなり叩かれるんじゃないかと思って公開するのを結構ためらいましたが、思いがけず読んでくださった方々がいらしたので、なんとか最終話まで辿り着くことが出来ました。暖かい感想や、誤字報告など、とても励みになりました。本当にありがとうございました。

この話のラストが受け入れてもらえそうなら、いくつか幕間を挟んで三章に続きます。
書いてみないとエピソードの分量が読めないので、三章を挟んで最終章になるのか、三章が最終章になるのかはまだ未定です。

次回の投稿は少し間が空くかもしれませんが、とりあえず、始めた以上は話自体には落ちはつけたいと思っていますので、気長にお付き頂けると嬉しいです。


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幕間
蒼の薔薇、新たなる旅立ち(一)


幕間のちょっとした話のつもりが長くなりました……。
二章の半年後くらいの話です。


 リ・エスティーゼ王国、ヴァランシア宮殿の現女王の執務室では、女王ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフと宰相エリアス・ブラント・デイル・レエブン侯爵が魔導国との属国化に関する協議の内容について最終確認を行っていた。部屋は人払いされており、この場にいるのは王国のまさに中枢であるこの二人だけだ。

 

「それでは、これが最終的な合意案ということで宜しいでしょうか? ラナー陛下」

「ええ、そうですね。思った通り、魔導国からの要求は過大なものは特にありませんし、このまま受け入れて構わないと私は思っています。レエブン候としてはどうですか?」

「私としても基本的には異論はありません。しかし……」

 

 レエブン候は伏し目がちに若干言い澱み、ラナーはそれを見て首を傾げる。

 

「どうかしましたか?」

「いえ、この合意案とは別件で、蒼の薔薇を魔導国に移籍させることを条件に、これから五年間必要物資の融通や、その……人的資源の貸与に係る支払いの大幅緩和を受けることになっておりますが……。宜しかったのですか? 蒼の薔薇はラナー陛下にとっては、彼に次いで大事な存在なのかと思っていたのですが」

「ああ、そのことですか……」

 

 ラナーはまるで何でもないことを聞いたかのように、あどけなく微笑む。

 

「蒼の薔薇は確かにこれまで王国の為に大変よく働いてくれました。でも、実際問題、彼女達がいなくても、もはやどうとでもなるのではありませんか?」

 

 レエブン候はラナーのその言葉に含まれる意味に気が付き、手にした書類から目を上げ、ラナーの表情を見た。そこにあったのは、彼がよく知る昔のままのラナーの素顔だった。ぞくりとするものが背筋を走るが、その事実はレエブン候の心に妙に腑に落ちるものだった。

 

「それに、魔導王陛下は蒼の薔薇に興味を持っておられるご様子。であれば、高く売れるうちに売ったほうが良いでしょう? 今の王国には売れるものすら殆どないのですから。朱の雫は全くお話になりませんし。もっとも、あの『謀反人』達は思ったよりもいい価格が付きましたけれど。本当に彼らは王国の良い礎になってくれたというものです」

 

 ラナーは彼らの未来を思い、くすくすと楽しそうに笑った。アルベド様はほぼ無傷でフィリップを捕らえたことを大層お喜びだった。表向きは処刑したことになってはいるが、既に彼らは魔導国に引き渡し済みだ。今頃彼がどのような目にあっているかはわからないが、できれば属国の契約の為に『ナザリック』という魔導王の恩寵深い地を訪れた際に、彼の状況を直接見学することをアルベド様にお願いしてもいいかもしれない。きっと、自分にとっても参考になることがたくさんあることだろう。

 

「私としても彼らには感謝しておりますよ。何しろ、王国の膿を全て取り除いてくれたようなものですからな」

 

 レエブン候は、ラナーのその様子に若干吐き気のようなものを覚えるが、ラナーの言っていること自体に問題があるわけではない。むしろ、その心の中で展開されているだろう悍ましいものを、直感的に感じたに過ぎないことは自分でもわかっている。

 

「レエブン候の仰る通りですね。それに、魔導国が蒼の薔薇に対して提示してきた条件は、彼女達にとってもそう悪いものでは無い筈です。であれば特に問題などないでしょう?」

 

「ははは、なるほど。そういうことでしたか。私としたことがすっかり騙されておりました。当然もっと早く気がついて然るべきでしたな。貴方にとっては、蒼の薔薇との友情ですら、都合のいい駒でしかなかったということに」

 

 ラナーはその言葉には答えず、優雅に紅茶を一口飲む。

 

「しかし、陛下。これだけはお断りしておきたいのですが……」

 幾分厳し目の口調で、レエブン候は言った。

 

「我が息子に対してはそのようなことは決してなさらないで頂きたい。私はあくまでも、我が息子の将来的な安寧のため、そして、陛下が提示された、いずれ我が息子の子……即ち孫に王国の全てをくださる、という条件で婚姻を承知したのです。その約束を違えられた場合……、流石の私とて黙ってはおりません。それだけは決してお忘れなきよう」

 

「あら、もちろんですよ。レエブン候。私は別に王国に興味などありません。私はご存知のように、クライムと私の愛ある生活が死ぬまで続けられるのなら、それだけで満足なのですから。その為には、貴方のご協力は必須ですし、貴方の大事な……私の婚約者様についても同様です。蒼の薔薇などとは全く違いますよ」

 

 ラナーの口から愛という言葉を聞いて、一瞬ぞっとするものを覚えたレエブン候は鷹のように鋭い瞳でラナーを見据えたが、ラナーは疑うことを知らない子どものような表情で無邪気に笑った。

 

「いずれにしても、私はクライムとの間に子を為すつもりはありません。私が欲しいのはクライム唯一人。ですから、貴方は貴方で『私の世継ぎ』をちゃんと作ってくださいね。私はお約束どおり、その子をちゃんと我が子と認知しますから」

 

 今はまだレエブン候の長男とラナーは婚約者であり、いずれ王国の復興が落ち着くであろう五年後に二人は正式に婚姻することとなっていた。ラナーが子孫を残すつもりがない以上、いずれ王国の血脈を担うのはレエブン候の血筋であり、ヴァイセルフ王家は名前を残すだけとなる。本来ならそれは自分の家系に対する裏切り行為であろうが、この女はそのような行為に対して何の痛痒も感じていない。しかし、それこそが、レエブン候とラナーを結びつけることになった最大の理由でもあった。レエブン候としてはどうしようもなく薄気味悪いものを感じつつも、それを心の内に飲み込んだ。

 

「畏まりました。ラナー陛下。では、魔導国とはこの案のまま話を進めさせて頂きます」

「ええ、よろしくお願いしますね。それと、魔導国に同行させる貴族達の選定をお願いします。ああ、宰相アルベド様とデミウルゴス様には、式典でお会いできるのを楽しみにしておりますとお伝えしておいてください」

 

 恭しくお辞儀をして退出していくレエブン候を見送ったラナーは、レエブン候と入れ違いで部屋に入って来て、扉近くに侍っているメイドに声をかけた。

 

「これで午前中の謁見予定は全て片付いたのですよね?」

「はい、陛下」

「わかりました。では、私はしばらく部屋で休息をします。誰も中には入ってこないようにしてください。いいですね?」

「……畏まりました」

 

 心なしか、メイドの声が震えているように見えるが、ラナーにはそんなことは全くどうでもよかった。これからの時間はラナーにとってはまさに至福のひとときなのだ。誰にも邪魔されてはいけない。

 

(ああ、そろそろ餌の時間でしたね。私がいない間ずっと良い子にしていたでしょうか?)

 

 早く自分の可愛い飼い犬の顔を見たくてラナーの心は逸る。もちろん良い子にしていたのなら、ご褒美もたくさんあげなければ。ラナーはうっとりと夢見るような瞳をしながら、自室に向かった。

 

 

----

 

 

 王都にある冒険者組合は、先日の事件では辛うじて被害を免れており、古めかしく重厚な石造りの建物は、所々煤の跡が残っているもののその長い歴史を思わせる風格はそのままである。その内部には暇を持て余している様子の受付嬢が一人あくびをしながら席に座っており、以前は常に複数の冒険者グループが情報交換をしたり、良い依頼が来るのを待ち受けていたものだが、今日そこにいるのは他に行くあてもなく座り込んでいる冒険者が数人と、難しい顔をして掲示板を睨みつけているうら若い女性二人だけだ。

 

「……やっぱ、ねぇな」

「ないわねぇ」

 

 蒼の薔薇のラキュースとガガーランは、貼り紙自体殆どない掲示板の前に立ってため息をついた。二人はこのところの日課である冒険者組合での依頼確認に来ていたが、今日も昨日と同じ貼り紙しかなかった。

 

 半年前の王都での暴動事件、正しく言うなら『フィリップの乱』以来、王都にいる冒険者の数は徐々に減ってきており、人もまばらな冒険者組合にある募集掲示板からも、募集の掲示は日々少なくなっていくばかりだ。あったとしても、いいところ金級鉄級向けの護衛任務や、常時募集のモンスター討伐ばかりで、とてもアダマンタイト級の蒼の薔薇が引き受けていい仕事ではない。

 

 暴動前は、蒼の薔薇の仕事はラナーから直接依頼されることが少なくなかったが、亡くなった先王らの国葬及び戴冠式を終えてリ・エスティーゼ王国初の女王として即位した今のラナーは政務に忙殺されており、以前のように気軽にラナーから声がかかることも私室に遊びに行くことも殆どなくなった。もっとも蒼の薔薇自体、暴動直後は王国各地で出没するモンスター退治の依頼で息をつく暇もなかったし、ラナーの警護任務も、即位直前からは近衛騎士団の仕事となっていた。

 

 おまけに、ラナーが魔導国から復興支援として様々なアンデッドを借り受けるようになってからは、モンスターの討伐依頼も目に見えて少なくなった。そして、それは蒼の薔薇に限った話ではなく、それがこの掲示板の現状に繋がっているとも言える。

 

 しかし、冒険者に対する依頼が少ないというのは、それだけ王国が平和になりつつあるということでもあるだろう。現在の王国では、街道の要所要所で魔導国から借り受けているデス・ナイトが歩哨を勤めていて、それだけで王国の街道の安全性は大きく上がった。王国各地で跳梁跋扈していたモンスターや野盗は姿を消しつつある。

 

 以前であれば、商人たちはそれなりの冒険者に護衛を依頼して商材を運ぶのが常であったが、今は、護衛など付けなくても他の街への移動が可能になってきている。それでも、念のために護衛を依頼するものは少なくなかったが、依頼される冒険者ランクは下がる一方だ。

 

 そんな訳で、最近の蒼の薔薇にやって来る依頼といえば、アンデッドをどうしても受け入れられず、しかも見栄からあまり下級の冒険者には依頼したくない豪商等の護衛くらいで、目ぼしいモンスターの討伐依頼といえば、二ヶ月程前のギガント・バジリスク討伐依頼が最後だった。

 

「別に、お金に困っているわけじゃないけど……。このまま、何もしないでいるのも冒険者としてどうかと思うのよね……」

 

 ラキュースは掲示板を見るのを諦め、窓際に置かれているそこそこ座り心地のいいソファーに腰をおろした。窓から見える王都の様子は少し前よりも遥かに活気が出てきているし、人々の表情は明るくなっている。

 

「そうだよなぁ。いくら平和が一番って言っても、冒険者としては味気ないよなぁ。まあ、だからと言って、あんな事件なんかは願い下げだけどよ」

「そういう意味では、冒険者っていうのも良し悪しよね。戦いや争い事がないと力を発揮できないんですもの。本当は、私だってもっと違う冒険をやってみたくて冒険者になった筈なのに。最近、こんなはずじゃなかったって思っちゃうのよ。この暗黒剣キリネイラムの真のちか――あ、いえなんでもないわ」

 

 ラキュースは慌てて咳払いをする。そのラキュースの様子をガガーランは若干心配そうに見ていたが、ラキュースの右隣にどっかりと腰を下ろす。

 

「ああ、そのなんだ。ラキュースもいろいろ魔剣の力を定期的に放出しないと闇の力が危険、とかそういうのがあるんだろ?」

「え!? ええ……、まあ、その……そうね?」

 

 ラキュースは気まずそうにガガーランから目を逸らす。だが、ガガーランはその様子には気が付かないようで重苦しいため息をついた。

 

「だけどよ、力を吐き出さないとやってられないっていうのは、そりゃ俺だって同じさ。こんなんだったら、冒険者を止めて田舎に帰ろうかって思う時があるくらいだ」

「……ガガーラン、それ本気なの?」

 

「いや、本音を言えばまだまだ暴れてみてぇさ。だけどよ、このままどこもかしこも平和になっちまったら、冒険者稼業なんてどのみちあがったりだろ? だったら、今後の身の振り方も少しは考えないと不味いとは思っちまうよ」

「それもそうなのよね……」

 

 その時二人の方に近寄ってくる足音がした。二人がそちらに目を向けると、そこに立っていたのは冒険者組合長だった。

 

「ラキュース、ガガーラン、久しぶりですね。ここも随分人が少なくなってしまったけれど、あなた方がまだ残っていてくれているというのは心強いわ」

 

 四十歳ほどのその女性は、冒険者としての実力は元ミスリル級であり、現役のアダマンタイト級である蒼の薔薇の二人には遠く及ばないものの、長い経験からくる落ち着きと的確な判断力は荒くれ者も多い冒険者のまとめ役としてはうってつけの人物で、ラキュースもガガーランも非常に好意を持っていた。

 

「組合長、ご無沙汰しておりました。お元気そうでなによりです」

 

 立ち上がろうとしたラキュースを手で制止し、組合長もラキュースの左隣に腰を下ろした。

 

「余計な礼儀とか構わないから。ちょうどあなた達に話があったの。だから、少しだけ話を聞いて欲しいのだけれど……」

「あぁ、もちろんさ。一体何だって言うんだ? 珍しく改まって」

 

 冒険者組合長は、何かを言いかけて、そのまま組合の人気のないホールを見渡す。そのまま、しばらく物思いに耽っているように見えたが、やがてゆっくりと口を開いた。

 

「二人共ここに来ているからわかっていると思うけれど、王都にいる冒険者、いえ、王国にいる冒険者の数は今最盛期の半数以下まで減ってしまっているの。仕方ないわね。依頼がなければ冒険者は食べていけないのだから。ラナー女王が即位される前にお作りになられたモンスター討伐報酬制度も、今はなかなかそのモンスター自体が見つからなくて殆ど形骸化しているし。カッツェ平野ですら魔導国がかなり整備を行って、以前は結構いい収入になったアンデッド討伐も難しくなっているとか」

 

「何だかんだ言って、魔導王は、暮らすのに安全な土地を作ろうとはしているらしいからなぁ」

「正直、数年前の戦争で虐殺を行った本人とはとても思えないわよね。確かに容貌は恐ろしいアンデッドなのは間違いないのだけど。魔導国の力が無ければ、王都は今頃完全に廃墟になっていたでしょうし」

 

 ラキュースは、ふと、魔導王に助けられて完全に呆けた顔をしていたイビルアイの顔を思い出して苦笑いをした。

 

「それで、ここからが本題なんだけど……。王都の冒険者組合は、このままでは実質的に解散状態になってしまうでしょう。私自身は一人でも組合員が残っているうちは、責任を持ってここの管理をするつもりではあるけど、その後は年も年だし引退を考えている。今後、王国の冒険者組合に来る依頼自体は、ほぼ見込めない。モンスター退治にしても、ラナー女王はどうやら魔導国から借り受けているアンデッドにやらせて、人間はアンデッドには出来ないことをやるべきとお考えのようね」

 

 冒険者組合長は重いため息をついた。

 

「実は、先日王宮に呼ばれてラナー女王から冒険者組合の今後についてお話をされた。冒険者組合自体は国の機関ではないから、陛下としては直接どうこう言える立場ではない。だから、あくまでも提案ということではあったのだけれど。王国単独で冒険者組合を維持するよりも、いっそ他国と合同で運営することは出来ないのか、と。陛下としては、王国は魔導国の属国になろうとしているから、実質的には王国の組合と魔導国の組合を合併を勧めたいのでしょう。私は、陛下には個人では決めかねる話だからと申し上げてはきたけど、陛下がそのようにお考えなのであれば、そのうち国から支援を受けているモンスター討伐報酬も廃止になるかもしれない。そうしたら、王国の冒険者組合自体運営できなくなる可能性もある。だからでしょう。陛下からは、王国の冒険者組合に所属する冒険者達には冒険者から他の職業に転職するか、他所の国の組合に移籍することを勧めることを検討したほうがいいかもしれない、と……」

 

 組合長は寂しそうに話し、それをおとなしく聞いていた二人も思わず黙り込んだ。

 

「まあ、今すぐ、という訳ではないから安心していい。でも、蒼の薔薇も今後のことをよく考えてみてちょうだい。アダマンタイト級のあなた達なら何処の国の冒険者組合でも喜んで受け入れてくれるでしょうし。ただ、だからこそ、その力を活かせないともったいないとも思うのよ」

 

 組合長の真摯な言葉に、蒼の薔薇の二人は返す言葉はなかった。

 

 

----

 

 

 蒼の薔薇が普段使っていた高級宿屋がある区画も、先日の暴動でほぼ半壊してしまっていたが、魔導国から貸与されたアンデッドやゴーレム、工事監督を請け負っているらしいドワーフ達の尽力で、一ヶ月ほど前にようやく以前の姿を取り戻していた。

 

 ドワーフ達は、本当ならついでに道路の舗装もやったほうがいいのだが、まずは壊れた建物を直すのが優先だからと笑っていた。正直、暴動前の建物はどれも良く言えば古く歴史あるものだったけれど、ドワーフの優れた建設技術のおかげか、建て直されたものはどれも、より格式高く洗練された雰囲気に変わり、使い勝手も良くなったという評判である。

 

 王都の者達も、当初はアンデッド達に対する嫌悪感から、工事現場近くには近寄らない者も多かったが、ドワーフ達が平然とスケルトンを使いこなす様子を見て多少は考えを変える者も出てきた。また、ラナー女王が再建工事に従事する者を広く募集し正当な給金を支給することを決めたため、覚悟を決めた者達もいたようだ。もっとも、先日の魔導王の姿を見た後では、スケルトン程度ならさほど脅威には思いにくかったということもあるだろう。

 

 そんな訳で、今の王都では、エ・ランテル程ではないものの、アンデッドや多少見慣れない亜人が彷徨いていても大騒ぎにならない程度には馴染みの光景になりつつあった。

 

 宿の建て替え期間中、蒼の薔薇はラナーの好意でロ・レンテ城の一室を間借りしていたが、ようやく先日この宿に戻ってきたばかりだ。受けた被害や工事に要した費用を考えれば、宿代が以前よりも多少上がってしまったのはやむを得ないだろう。そもそも、冒険者最高位のアダマンタイト級である蒼の薔薇のメンバーは、これまでの報酬で一般人からすれば既に一財産といえるくらいの持ち合わせはある。だから、しばらく仕事などしないでのんびりしたところで、生活に困るわけではない。

 

 困るとすれば、それは――ただただ、暇である、という一点に尽きた。

 

 新たに蒼の薔薇が使うようになった部屋の中には、床に座り込んで荷物整理をしながら、これまでの戦利品の数々を並べて楽しんでいるティアとティナ、そして、ベッドに横たわったまま、何やらおかしな動きをしているイビルアイの姿があった。宿の近くにある通りの角では、魔導王を称える宣教師が説法を披露しているらしく、熱心に聞いている人々も多いのか、開いたままになっている窓から、力強い演説とそれに同意する声や拍手などが時折聞こえてくる。

 

 外からの賑やかな喧騒に紛れて、誰かが部屋の扉をノックする音がした。「戻ったわよー」というラキュースの声が聞こえ、ティアは面倒臭そうに立ち上がり、扉を開ける。

 

「鬼リーダー、おかえり。獲物は見つけた?」

「獲物って……、私は別に彼氏を探しに行ったんじゃないのよ!?」

 

「……獲物と言われて彼氏に変換されている時点で、かなりティアに毒されてるな? ラキュースよぉ」

 

 豪快に笑うガガーランに、ラキュースは真っ赤になる。

 

「べ、別に、そんな訳ないじゃない! これまでだって、仕事が忙しくて時間がなかったから、特別な人がいなかっただけよ!」

「でも、今は暇。探す余裕はいくらでもある」

 

 ティナの突っ込みで、ラキュースはぐうの根も出ない。

 

「まあまあ、今度はじっくりハントしに行こうぜ。俺がじっくり手ほどきしてやるからよ」

「ガガーランとじゃ、私、好みがあわないと思うの。――ところで、イビルアイは? 大丈夫なの?」

 

 にやにやしながら肩を組んでこようとするガガーランを躱すと、ラキュースは慌てて話題を変えようと、矛先をイビルアイに向けた。それを聞いて、ティアとティナは顔を見合わせてから、ベッドの上のイビルアイに目をやった。

 

「イビルアイはやはりもう逝ってる。間違いなくアンデッド」

「一年前より悪化してる。二股かけた罰」

 

「ああ……、それなら仕方ないわね……」

 

 ラキュースは、イビルアイがベッドの上で、何かを抱きしめてもぞもぞしながら、完全に何処かイッたような目つきと、にへらと緩んだだらしない口元をしているのを見て、引きつった笑いをした。

 

 イビルアイは、仕事がないのをいいことに、しばらく部屋に篭って慣れない裁縫を始め、何やらいびつな形の長細いクッションのようなものを一生懸命作っていた。イビルアイに言わせると、それは『だきまくら』とかいう代物で、なんでも、それを抱いて寝ると大好きな人と一緒にいる気分にさせてくれる効果があるアイテムだと、以前知り合いから教わったらしい。ということは、恐らくそれは魔導王のつもりで作ったに違いないのだが、どう見ても本人とは似ても似つかぬ何かうねうねとした変な物体だ。しかし、本人が満足しているなら、口を挟む必要はないだろうというのが、蒼の薔薇メンバー全員の暗黙の了解になっている。

 

「イビルアイは……、しばらくあのままにしておきましょ。どうせ仕事もないんだし」

 

 ラキュースはあまり見たくないものから目を逸らすと、椅子に腰掛けた。真新しい椅子はまだ若干塗料の香りがする。

 

「やっぱり、何も依頼なかった?」

「からっきしさ。それどころか、冒険者組合長からちょっとやばい話されちまってなぁ」

「そうだったわ。今はまず、あの件を皆で話し合わないとね……。ティナ悪いけど、やっぱりイビルアイをこっちまで連れてきてくれる? 全員の意見を聞きたいから」

 

 ティナは露骨に嫌そうな顔をしたが、無言で何かを抱いたままのイビルアイをベッドから引き摺り下ろしてテーブルの脇まで連れてくると、そのまま摺り上げるように椅子に座らせる。それで、ようやくイビルアイは我に返ったのか、他のメンバーの顔を見上げた。

 

「ああ……、戻ってたのか、ラキュース、ガガーラン」

「よぉ、ようやくお姫様のお目覚めかよ」

 

 ガガーランのからかうような口調に、イビルアイはムッとして睨んだ。

 

「別に、私はお姫様なんかじゃない」

「そうはいっても、もし魔導王陛下と結ばれれば、お妃様とかそんなんになるわけだろう? そしたらお姫様じゃねぇか」

 

「――そんなの……結ばれるかどうかなんてわからない……」

 

 イビルアイは若干俯き、先ほど前の様子とは違い、今度はどんよりとした気配を漂わせ始めた。

 

「まあ、未来のことなんて誰にもわからないわ。この話はこれでおしまいにしましょう?」

「それもそうだな、すまん。イビルアイ、言い過ぎた」

 

 イビルアイの様子に、このまま放置しておくとろくなことにならないと気がついたラキュースは、咄嗟に二人の仲裁に入り、ガガーランも流石に不味いことを言ったと思ったのか、すぐに頭を下げた。

 

「いや、二人とも気にしないでくれ。それより、何か大事な話だったのか?」

 イビルアイは手にしていた謎の物体をぎゅっと抱きしめると、急にいつもの真面目な調子に戻った。

 

「ああ、そうなのよ。実はね……」

 

 ラキュースは、冒険者組合長から聞いた話をかいつまんで他のメンバーに説明した。




Sheeena 様、アンチメシア様、スペッキオ様、誤字報告ありがとうございました。


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蒼の薔薇、新たなる旅立ち(二)

 ラキュースの話を聞いた蒼の薔薇の面々は、これまでの状況から予想される話ではあったものの、一様に難しい顔になった。

 

「組合長がそう言うなら、王国で冒険者は続けられないってこと?」

「出来なくはないけど、魔導国冒険者組合の王国支部のような扱いになるかもしれない、という感じかしら」

「ふーん。そうなると、このまま王都にいるメリットはないかも」

 

「魔導国の冒険者組合は、モンスター退治じゃなくて、土地の探索みたいなことをするとかいう話を、以前組合に伺った時にアインザック組合長から聞いたわ。ただ、魔導国の冒険者組合は、独立組織じゃなくてあくまでも国の機関。その代わりに、冒険者の育成とかバックアップとかも国が責任を持ってしてくれるらしいけど」

 

 あまり話には興味なさげに手に持ったものを弄り回していたイビルアイは、魔導国の話題になったとたん異様にキラキラした目になった。

 

「魔導国に行こう! それでいいじゃないか!?」

「イビルアイ、悪いけど少し黙ってて。あなたはどうせ他の選択肢は考えてないんでしょ?」

「うっ……、い、いや、そんなことはないぞ!? ちゃんと考えて言ってるんだ! いいじゃないか、魔導国!」

「はいはい。他に意見ある人は?」

 

 ラキュースは、よりにもよって二股をかけるなどという許しがたい裏切りをした、元未経験同盟者に冷たく言い放つ。

 

「魔導国以外に行くとなると、候補は何処だ? 帝国だって魔導国の属国なんだから状況は変わらねぇだろうし、聖王国はどうだ?」

「聖王国は今内乱中らしいから避けたいわね。私は人間同士で争うのは、正直二度とごめんだわ」

「それは言える。どうせなら、もっと建設的なことをしたい」

 

「そういえば、鬼リーダー、朱の雫は? 何か聞いてないのか?」

「先日お会いした時に少しお話したのだけれど、アズス叔父様は、そろそろ引退してもいい頃合いではあるが、最後に竜王国に行って一暴れしてくる、と仰っていたわ」

「竜王国か。あそこは、確か法国が手を貸しているんだよなぁ」

 

「それはまずい。法国と一緒に何かするのは遠慮したい」

「同じく」

「そうよね。私達はあそこの陽光聖典とやりあっちゃってるし、法国にはあまり近寄りたくはないわね。イビルアイもそうでしょ?」

「全くだな。どうせ、奴らは私を殺したいに違いないだろうし、私達と一緒にやるなんて、向こうも願い下げだろう」

 

 取れる選択肢が案外限られていることに気が付き、段々、話し合いの場にはどんよりとしたムードが漂い始めた。

 

「聖王国もダメ、竜王国もダメ、法国は論外……。後は人間でも行けそうな国だと、評議国か、都市国家連合しかないじゃないか」

「評議国は、人間もいないわけじゃないけれど、冒険者組合は亜人が殆どよ。流石にちょっと難しいんじゃない?」

 

「となると、都市国家連合かぁ。そういえば、帝国のアダマンタイト級だった銀糸鳥は都市国家連合に移籍したんだっけか?」

「そういう話は聞いた」

「銀糸鳥ね……」

 

 若干微妙な空気が蒼の薔薇の間を流れる。同じアダマンタイト級冒険者といえど、蒼の薔薇としては『朱の雫』や『漆黒』ならともかく、『銀糸鳥』では同じ国で仕事をする相手としては少々力不足、という認識だ。

 

「正直、銀糸鳥のメンバーはあんまり興味ないんだよなぁ。あいつら絶対童貞じゃねぇし」

「全員対象外」

「同じく」

 ガガーランとティナの言葉にティアも真面目に頷いている。

 

「ちょっと! 問題はそういうことじゃないでしょう!?」

 

 三人の不真面目な発言に少々呆れたラキュースは机を叩いた。その勢いで机の上に置いてあるグラスがぶつかり合って耳ざわりな音を立てる。

 

「だから……魔導国に行けばいいじゃないか……」

 ぼそりとイビルアイが呟く。

 

「ああ、イビルアイの意見はわかってるから。――皆ちゃんと考えて。私達の大事な将来の話なのよ?」

 

 恨めしそうにこちらを見上げているイビルアイを軽くあしらい、どう見てもあまり深刻そうに見えない三人を軽く睨むと、ラキュースは考え込んだ。確かに、今の状況的には魔導国に行くのはそう悪い選択ではないようには思われる。だが――。

 

 ラキュースは自分の隣に座って、幾分ふくれっ面をしている魔法詠唱者の顔をちらりと見る。

 

(魔導国に行くことになって、一番喜ぶのはイビルアイなのよねぇ。別に仲間の幸せを願ってないわけじゃないんだけど、なんか微妙に納得いかないわ……。魔導国にはモモンさんだっているし。――女の友情なんてほんとあてにならないわね)

 

 我ながら心が狭いような気もするが、できれば、他のメンバーにも明確なメリットがあれば、魔導国に行くと決めるのもやぶさかではないのに。そんなことを思いつつ、ふと、ラキュースはモモンを思い浮かべる。イビルアイは、二股じゃなくて、ただの勘違いだったとか、いろいろ言い訳していたけれど、先日の事件の時だって、モモンに全く気がないわけではなさそうだった。そもそも、その気がないのなら、モモンさんには手を出さないで欲しいと思い、ラキュースは微妙にいらっとする。

 

(やはり、チームリーダーとしてはチームの利益が優先だもの。べ、別にイビルアイに嫉妬してるとか、そういうわけじゃないんだから!)

 

「ともかく、今のところ、魔導国が有力な候補なのは間違いないけれど、私達自身、それでちゃんと納得して決めなければいけないと思うの。だから、今日はこの辺までにして、明日までに皆もう少し真面目に身の振り方を考えておいてちょうだい。いいわね?」

 

「そうだな。まぁ俺はぶっちゃけ面白そうなら何処でもいいんだけどよ」

「同じく。可愛い男の子がいればそれでいい」

「ハンティングしやすいのは重要。それは譲れない」

 

 イビルアイが何か言いたそうな顔をしてこちらをジト目で見ているが、ラキュースはあえて無視した。

 

「明日、もう一度皆で話し合いましょう。私としては、なるべく全員にメリットがあるようにしたいの。誰か一人だけとかそういうのは無しでね」

 

「あいよぉ」

「りょうかいー」

「わかった」

「…………」

 

 メンバーのあまりやる気のなさそうな返事を聞いて、ラキュースは重いため息をついた。

 

 

----

 

 

 夕方近くなって来た頃、部屋の扉をノックする音がした。

 

 他の誰も立ち上がる気配がないのを感じ、ラキュースは渋々扉の所に向う。

 

「どちら様ですか?」

「私、ラナー女王陛下からのご命令で参りました。近衛騎士のロベルと申します」

「ラナー陛下から?」

 

 以前ならこういう場合はクライムが来たのだが……。少々不審には思うが、名前には聞き覚えがあったため、ラキュースはとりあえず扉を開けた。確かにそこに立っていたのは近衛の徽章をつけた騎士であり、数回挨拶もしたことがある相手だった。

 

「ご苦労様。ロベル殿。それでどのようなご用件なのかしら?」

「はっ。ラナー女王陛下に於かれましては、是非とも蒼の薔薇の皆様にご相談されたいことがあると。そのため、明日の十時に執務室までおいで願いたい、とのことでした」

「明日の十時ね。了解致しました。ラナー陛下には、その時間にお伺いしますとお伝え下さい」

「はっ、畏まりました。お寛ぎのところ突然お邪魔いたしましたこと、お詫び申し上げます。では失礼致します」

 

 騎士は丁寧に礼をして去っていく。その姿を見送ってラキュースは扉を閉めた。

 

「なんだぁ? 女王様からのお使いなのに、来たのは童貞じゃないのか?」

 

 武具の手入れをしていたガガーランが不審そうに顔をあげる。

 

「もしかして、クライムは童貞じゃなくなったから来ないのかも」

 ぼそっとティナが呟くが、ラキュースは聞かなかったことにした。

 

「そうね。私もクライムじゃないのは少し気になったわ。ただ彼は王宮で見たことがある人だから、ラナーからの伝言ということで間違いはないと思うの。やっぱり女王ともなると、いろいろ形式とか格式とか、面倒なことが増えているのかも知れないわね。――クライムも気の毒に……」

「確かにクライムの場合、王女の時ですらやばかったのに、女王の側仕えっていうのは流石に問題があるからなぁ」

 

「一応、ラナーは今後は帝国や魔導国のように血筋よりも実力重視で取り立てたいという意向みたいだけどね。クライムも、王国の中ではまだ腕が立つ方ではあったわけだから、その辺りも含めて整備していくつもりだとは思うんだけど……」

 

「まだ、女王様も王位に就いたばっかりだしな。これからじっくりやっていくんだろ。レエブン候もついてるんだし、その辺は心配ねぇだろ」

「そうね。王国もこれから魔導国の属国にもなることだし、いろんな事がどんどん変わっていくんでしょうね。私達の未来もだけど。でも、きっと良い方向に変わるんじゃないかと信じているわ」

 

 ラキュースは自分に言い聞かせるように言った。

 

 

----

 

 

 蒼の薔薇がラナーと直接話をするのは一ヶ月ぶりくらいだった。ラナーは女王になってからも、質素倹約を心がけているらしく、王女の頃よりも若干上質ではあるが、それほど華美ではないドレスを纏っている。国が苦しい時に、国のトップが贅沢をするわけにはいかないとラナーは笑って言っていたが、それを実践できるのはラナーくらいだろうとラキュースは思う。

 

 ラナーは執務室の奥にある席から立って蒼の薔薇を出迎えた。

 

「お久しぶりですね。蒼の薔薇の皆様。急にお呼び立てして申し訳ありません」

「女王陛下のお呼びとあればいつでも参りますわ」

 ラキュースはいつもとは違う少し真面目な表情で、貴族らしい優雅なお辞儀をした。

 

「そんな……。どうか、畏まらないでください。これまで通りラナーで構いません。蒼の薔薇の皆様は、私にとっても特別なのですから」

 ラナーのその言葉で、流石に女王の御前ということで多少は改まった雰囲気だった蒼の薔薇も以前のような砕けた空気に変わる。

 

「そう言ってもらえるとありがてぇよ。何しろ、堅苦しい雰囲気は苦手なんでね」

「ふん、そうだな。前回会った時に比べると、随分女王らしい貫禄が出てきたようじゃないか。感心した」

「そうですか? イビルアイ様にお褒め頂けるなんて、私も成長したということですね」

 

 にこやかに微笑みながら、ラナーは部屋の中央に設えてあるソファーに座るよう蒼の薔薇に促し、メイドにお茶の用意を言いつけると自分もソファーに腰掛けた。

 

「ところで、ラナー、クライムの姿が見えないようだけど、どうしたの?」

「クライムですか?」

 ラナーは少し首を傾げてラキュースを見ると、くすりと笑う。

 

「実は、クライムには私の特別な仕事を頼んでいるのですよ。覚えないといけないこともたくさんありますし。だから、クライムは今とても忙しいのです」

 

「女王陛下の特別な仕事。意味深」

「ちょっと興味ある」

「ふふ、知りたいですか?」

 

 ティアとティナはラナーの様子に何かを感じたのか、目をキラキラさせており、ラナーは悪戯っぽい表情で二人を見ている。しかしこの二人がこういう表情をしている時に、そのまま野放しにしておくのは不味いことを、ラキュースはよく知っていた。

 

「ま、まあ、そういうことは後にしましょうよ。ラナー、今日はそういう話をするために私達を呼び出したわけではないのでしょう?」

 

 ラナーは少し残念そうな顔をしたが、すぐに頷いた。

 

「ええ、その通りです。もうすぐリ・エスティーゼ王国が正式に魔導国の属国になる、ということはご存知ですよね? それと、冒険者組合長からも既に聞いているかもしれませんが、私は王国の冒険者組合は、今後徐々に規模を縮小していき、最終的には魔導国の冒険者組合に組み入れてもらうのがいいのではないかと思っています。もちろん、最終的に決めるのは冒険者組合であり組合長ですが……。ただ、私は魔導国の属国になれば、恐らくこれまでの形態の冒険者は、王国には不要になると考えています」

 

 蒼の薔薇は、少々苦い顔をしながらも静かに頷く。

 

「それで……、差し出がましいとは思いましたが、私の方から皆様のことを魔導国の宰相様にご相談させて頂いたのです。そうしましたら、魔導国では冒険者組合の改革に力を入れておられるとのことで、蒼の薔薇の皆様さえ宜しければ、是非魔導国に招聘したいと。宰相アルベド様からこのような文書をお預かりしています」

 

 そういうとラナーは一通の封筒をテーブルの上に置いた。

 

「――内容を確認させてもらうわね」

 

 ラキュースは封筒から文書を取り出し、目を通す。そこには、蒼の薔薇を魔導国のアダマンタイト級冒険者として、そして、後進の指導者として迎えたいと旨が記されており、提示されている諸条件は破格のものだった。そして、宰相アルベドのサインと国璽が押されてあり、魔導国からの正式な文書であることは間違いなかった。

 

「恐らく、これ以上の条件を王国では蒼の薔薇に提示することは出来ません。私としては長く王国に尽くしてくださった皆様に何も報いる事が出来ないことは非常に心苦しく思っています。でも、これが私が出来る精一杯だったのです」

 

「ラナー、それは気にすることはないわ。私達が、祖国である王国のために冒険者として働くのは当然のことなのだから。それに、私は貴女をとても大切な友人だと思っている。もちろん、ここにいる皆も同じ思いよ」

「ありがとうございます。そんな風に思って貰えていたなんて……」

 

 ラナーは心なしか、少し目に涙を浮かべているように見える。蒼の薔薇の面々も、その様子に胸が熱くなるのを感じる。

 

「それで、どうでしょう? このお話、蒼の薔薇の皆様としてはどのようにお考えですか?」

「正直、とても魅力的なお話だと思うし、このようなお話を頂けただけでも光栄なことだと私は思っています。皆はどう?」

 

「俺も悪くねぇと思う。どのみち、身の振り方を考えていたところではあったしな」

「勝手に魔導国に行きそうなのもいる」

「わ、私は勝手には行かないぞ!? その……一応、お前達が向かうところに行くとは決めてるんだからな!?」

「はいはい。じゃあ、この件は少し私達で話し合わせてくれないかしら。それとも、すぐに返答が必要なの?」

 

「別にこれは急ぎという訳ではありません。ですから、ゆっくり話し合っていただいて構わないです。蒼の薔薇の皆様にとっても大事な問題でしょうし、魔導国ではいつでも皆様を歓迎する、ということでしたので」

「そう。わかったわ。それと、この文書は私達で預かっていていいのかしら?」

「ええ、もちろんです。もし、魔導国の冒険者組合に移籍されるのでしたら、それを魔導国の冒険者組合長アインザック様にお持ちいただければ、それで話は通るようになっているそうです」

「なるほどな。そりゃ、逆に俺達からも女王様に感謝した方がよさそうだ」

 

「それと、これはまた別のお話なのですけれど、近々、私とレエブン候、それに他の有力貴族達と魔導国に赴き、魔導王の御居城で属国承認の儀及び晩餐に招かれているのです。それに蒼の薔薇の皆様も非公式に招待したいと打診されているのですが、皆様はどうされますか? 特に強制ではないそうですけれど」

 

 『魔導王の御居城』という辺りで「ふぇっ」という妙な声が上がったが、ティナが素早くその声を上げた者を押さえつけて口を塞いでいる。ラキュースはちらりとそれに目を遣り冷たく睨んだ。

 

「わざわざご指名で御招待頂いている、というのは光栄ではあるけど、本来、そのような場に冒険者が行くのはあまり例がないように思うの。ラナー、冒険者として招待されているのは私達だけなのかしら? 朱の雫にも声はかかっているの?」

 

「朱の雫の皆様にもお声がけは致しましたが、あの方々は近々竜王国に向かわれるとかで、お断りになられました」

「ああ、それもそうよね……」

「はい。あの方々らしいです」

 ラナーは苦笑した。

 

「皆はどう? あ、イビルアイの返事はいらないわ」

 

 口を塞がれたイビルアイはくぐもった声で抗議をしているようだが、蒼の薔薇は全員それを無視した。

 

「俺は行ってもいいぜ。ちょっとその御居城とやらも見てみたいしな」

「せっかくだから、行ってもいい。化物しかいなさそうだけど」

「メイドは全員美人らしいから、私は行く」

 

「そう。じゃあ、そちらのご招待には参加させていただきます」

「わかりました。では、詳しい日取り等が決まったらお知らせしますね。魔導国の方々も皆様が参加されるのであれば、お喜びになることでしょう。ああ、せっかくですから、こちらのお茶とお菓子も召し上がっていってください。どちらも魔導国から頂いた物なのですが、とても美味しいのですよ」

 

 メイドが、全員の前に芳しい香りの紅茶と見たこともない菓子を並べていく。その初めての香りは蒼の薔薇の心も非常にくすぐるものだった。

 

 

----

 

 

 二週間後、先頭にリ・エスティーゼ王国の国旗を掲げた近衛騎士団長、それから少し離れて、現在のリ・エスティーゼ王国としては最大限に贅を尽くして仕立てられた五台の馬車にラナー・ティエール・シャルドルン・ライル・ヴァイセルフ女王、宰相エリアス・ブラント・デイル・レエブン侯爵を筆頭とした王国の有力貴族達、蒼の薔薇がそれぞれ乗って、現在は魔導国の都市であるエ・ランテルを訪れた。馬車の周囲には、近衛騎士四十人が左右に分かれて、馬車を警護している。

 

 エ・ランテルの城門脇にある巨大な魔導王の二つの像の脇には、アインズ・ウール・ゴウン魔導国の国旗とリ・エスティーゼ王国の国旗を手に持って交差させた煌びやかな装備をしたスケルトンが一行を歓迎するように列を作っている。

 

 その中を、女王一行の馬車がゆっくりと通り抜け、エ・ランテルの街に入る。

 

 エ・ランテルは以前来た時よりも一回り大きくなっているように見え、街は何処を見ても綺麗に整備されている。ラナー女王の来訪に、道路沿いには大勢の市民が集まり歓迎の声をあげている。もちろん、市民は人間だけではなく、様々な種族が入り混じっている。

 

 女王の一行は、馬車の窓から軽く手を振ってその声に応えつつ、そのまま旧都市長の館に向かう。

 

 館の入り口には、城門前と同様に揃いの装備を身に纏ったスケルトン達が再び二つの国の旗を交差させて並んでおり、ラナー女王とその一行が馬車を降りると、歓迎のファンファーレが鳴り響き、続いて聞いたことのない音楽が演奏される。

 

 その中を一行が通り抜けると、扉の前に控えたメイドが恭しく館の扉を開き、その奥には、宰相アルベドが出迎えに出ていた。

 

 ラナー達は、あらかじめ打ち合わせてあったように、ラナーを先頭に、レエブン候、有力貴族達、それに蒼の薔薇が付き従う形で入場し、同じく整列し、跪いた。

 

「アインズ・ウール・ゴウン魔導国宰相アルベド様、私はリ・エスティーゼ王国から参りました、女王ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフと申します。この度は私共リ・エスティーゼ王国の為にこのような場をご用意頂いたこと、深く感謝しております」 

 

「ようこそ、お出で下さいました。ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフ女王陛下。私、魔導国宰相アルベドが、アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下に代わり、この式典を取り仕切らせて頂きます。それと、ラナー女王陛下、どうかお立ちになってください。これから両国は末永くお付き合いしていくのですから」

 

「宰相アルベド様、お心遣いに感謝いたします」

 

 アルベドの言葉で、ラナーは立ち上がり優雅に一礼をする。

 

「この後の予定でございますが、魔導王陛下の御居城に移動して頂きまして、属国承認及び拝謁の儀、その後、リ・エスティーゼ王国の皆様への歓迎の晩餐となっております。陛下には王国の皆様に十分な歓待をするようにと仰せつかっております。ただ、少々距離がございますので、今回は特殊な手段を使わせて頂きたいと思います。セバス、皆様方を御案内してください」

「畏まりました」

 

 アルベドの言葉で、白髪の品の良い執事が歩み出てラナーに会釈をする。残りの面々もその言葉で立ち上がった。

 

「それでは私がご案内させて頂きます。皆様方、こちらにお出でください」

「はい、どうぞ宜しくお願いいたします」

 

 にこやかに答えるラナーに、執事は重々しく頷くと、一行を若干小振りの部屋に案内した。

 

 部屋自体はごく普通の古ぼけた印象で、旧都市長の時代からあまり手を入れた様子はなかったが、部屋の奥には非常に美しい彫刻が縁に刻まれた巨大な鏡が一つだけ掛けられている。執事はその脇に立つと恭しくお辞儀をした。

 

「この鏡は通り抜けることが出来ます。通り抜けた先に迎えの者達が控えておりますので、以後の案内はその者達が行わせて頂きます」

 

 興味深そうに鏡を見ていたラナーは何気なく手を鏡に伸ばしてみる。そうすると、確かにそこには鏡があるのに手は鏡面には触れず、その先には空間が続いているようだ。

 

「あら、面白い仕掛けになっているようですね。これも魔導王陛下の偉大なる御業なのでしょうか? では、私から先に入らせていただきます」

 

 ラナーは、執事に会釈をするとそのまま、迷うことなく鏡の中に入っていく。残された貴族達は、それに一瞬慌てた様子だったが、諦めたように、そのまま後に続いて鏡の中に消えていく。蒼の薔薇も、軽く顔を見合わせると、鏡の中に足を踏み入れた。

 

 

 

 

 




黒帽子様、佐藤東沙様、Sheeena 様、アンチメシア様、誤字報告ありがとうございました。


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蒼の薔薇、新たなる旅立ち(三)

 鏡の中を通り抜けるような不思議な感覚を覚えた次の瞬間、そこはエ・ランテルの旧都市長の館ではなく、広々とした草原になっていた。その奥にあるなだらかな丘は部分的に崩れており、そこから古めかしい門の一部が見えている。そして、その門から少し離れた場所にそれほど古いものではないログハウスが建っていた。ログハウスの入り口近くには、五人のこの世のものとも思われない美女が整然と並んでおり、リ・エスティーゼ王国からの客人が現れたのを見て、一分の狂いもないお辞儀をした。

 

 あまりにも突然の風景の変化に、流石のラナーも目を見開いている。貴族達は何が起こったのかかなり混乱して周囲を見回していたが、場違いとも言える美しいメイド達の姿とその見事な動きに、徐々にそちらに目が釘付けになっている。

 

 蒼の薔薇はその五人の顔に刮目した。四人はあまり見覚えのない人物だったが、一人は明らかにガガーラン、ティア、イビルアイの三人にとって忘れようにも忘れられない顔だったからだ。

 

「あの野郎、あの時の蟲のメイドじゃねぇか……」

 ガガーランがぼそりと呟く。イビルアイから、あの夜戦ったヤルダバオトのメイド悪魔は蟲のメイドを含めて五人と聞いている。蟲のメイド以外は全員仮面を被っていたという話だったので、顔で判別することはできない。しかし一糸乱れず行動している様子からすると、最悪、あそこに並んでいるのは、全員件のメイド悪魔の可能性もある。

 

 蒼の薔薇は一瞬殺気を放ち、身構えようとした。しかし――、この場はあくまでも王国と魔導国の外交儀礼として設けられているものであり、メイド悪魔達は既に魔導王の支配下に置かれているという話を聞いたことを思い出し、ぎりぎりで思い留まった。

 

「ようこそお越しくださいました。リ・エスティーゼ王国の皆様。ここからは、私達がご案内させて頂きます」

 以前アルファと名乗っていたメイドが、そんな蒼の薔薇の様子には目もくれずに冷静な口調で挨拶をした。

 

「ご丁寧にありがとうございます。こちらこそ、よろしくお願いします」

 ラナーもそれに落ち着いた様子で応える。アルファはそれに恭しく一礼して応えるが、軽く蒼の薔薇の方を向いた。

 

「それから……、そちらの方々が気になさっておいでのようですので予め申し上げておきますが、ご推察の通り、私達は以前魔皇ヤルダバオトに支配されていたメイド悪魔です。しかしながら、先日の聖王国での戦いの折に、慈悲深き魔導王陛下の御力で魔皇の呪縛から解放され、現在は魔導王陛下にお仕えしております。以前の私はアルファと名乗っておりましたが、現在は新たに頂いた名であるユリ・アルファと名乗っております。ですので、今後は私をユリとお呼びください。他の四名も全て新たな名を頂戴しております」

 ユリは淡々とした調子で話し、その内容にラナー以外の王国貴族達はざわついた。

 

「ただ、幾ら当時はヤルダバオトに支配されていたとは言え、私共が王都を襲うのに協力させられたのは事実。ですので、ここでお詫びを申し上げたいと思います」

 ユリはそのまま、静かに頭を下げ、他のメイド達もそれに習う。

 

「頭を上げてください。お話はよくわかりました。私はそのようなことにはあまり詳しくはありませんが、あなた方は主人の命令には逆らえないものなのではありませんか?」

「その通りです。それが支配されるということですから」

「であれば、私達が恨むべきなのはあなた方を支配していた魔皇ヤルダバオトですし、魔皇ヤルダバオトは既に魔導王陛下が倒してくださったのですから、何も問題などありません。ですが、そのように謝罪してくださったことに関しては、私達王国の者としてもそのお気持ちだけ受け取らせて頂きます」

「女王陛下の有り難いお言葉、心から感謝致します」

 

 再び頭を上げた時には、先程までよりもユリの雰囲気は柔らかいものに変わっていた。

 

「それでは、中にご案内させて頂きます。ルプスレギナとシズは私と共に来るように。ソリュシャンとエントマは引き続きこの場所の警備を頼みます」

「畏まりました」

 

 メイド達はユリの言葉で一斉に承服すると、頭を下げた。

 

 しかしメイド悪魔達が頭を下げているにも関わらず、イビルアイは蟲のメイドからと思われる、妙に絡みつく視線を感じていた。あの顔は作り物の仮面のようなものだから、本物の目は恐らく別なところについていて、そこからこちらを見ているのかもしれない。

 

(あれは、あの時私が殺しかけた蟲のメイドで間違いないのだろう。あの様子だと、やはり私を恨んでいるのか? まぁ……思い返せば、私もあの時頭に血が上っていて、かなり酷いことも言ったような気がする。いくら魔皇に支配され戦いの場で鉾を交えただけとはいえ、こちらに対する心証が良くないのは当然かもしれない)

 

 あの夜の蟲のメイドとの死闘を思い返す。彼女が瀕死の状態でかろうじてヤルダバオトに救われたことも。そして、偶然モモン様が……いや、アインズ様があの場に現れて助けてくれなかったら、自分は恐らくヤルダバオトの手にかかって死んでいたに違いない。

 

(お前のような血の臭いを漂わせるモンスターを側において喜ぶものがいるとは思えない、だったか……)

 

 その言葉は、そのまま自分自身にも言える言葉であったことに改めて気が付き、イビルアイは若干バツの悪い思いを感じる。他の誰かにそのようなことが出来るとは思えないが、アインズ様なら、罪に塗れた自分を受け入れてくれたように、あのメイド悪魔ですら優しく受け入れてくれたのだろう。

 

 他の面々はユリ達の先導でログハウスの中に向かおうとしていたが、イビルアイはその場に残っている蟲のメイドの前で足を留めた。

 

「どうした? イビルアイ」

 それを不審に思ったのか、ガガーランが振り向いて怪訝そうな顔をしているが、イビルアイはそれには構わず、蟲のメイドに向き直った。

 

「その……。大丈夫だったのか? あの夜のことだが……」

 イビルアイは、気まずそうに切り出した。蟲のメイドは何も言わずに頭を下げたままだ。しかし、イビルアイは蟲のメイドの視線が若干の悪意を伴って自分に向かっているのを感じる。

 

「――すまなかった。私はお前に、あの時とても失礼なことを言ったと思う。許して欲しいと言えるような立場じゃないが、一応、一言詫びさせてくれ」

 イビルアイは、そのまま深く頭を下げた。

 

「……!?」

 流石にそのようなことをイビルアイに言われるとは思っていなかったのだろう。蟲のメイドは驚いて頭を上げたようだ。

 

「それじゃ……。私が言いたかったのは、それだけだから」

 イビルアイは踵を返して一行の後を追おうとした。その時、軽く肩を掴まれるのを感じ、イビルアイは思わず振り返った。

 

「……ちょっと待ちなさいよぉ。勝手なことばかり言わないでくれるぅ?」

 蟲のメイドは若干怒ったような口調でイビルアイを睨んだ。

 

 ラナー達の姿は既になかったが、蒼の薔薇の面々は何か起こっているのに気がついたのか、立ち止まってこちらを見ている。

 

「そんなことを言われても……。他に私はどう言えばいいのかわからないのだが……」

「そりゃ、あの時は私だってあんなこと言われてぇ、すごく傷ついたしぃ、腹も立ったしぃ、許さないって思ったよぉ?」

「それはそうだろう。だから、私も、許してもらえるとは思っていない」

 

「――だけどね、アインズ様がぁ、私にぃ、お前の代わりに頭を下げてくださったのぉ! わかるぅ!? その意味がぁ!」

「え……?」

 

 イビルアイには、蟲のメイドが何を言わんとしているのかよくわからなかった。しかし、蟲のメイドの口調には怒りだけではなく、多少自慢げな雰囲気を感じ、イビルアイは蟲のメイドが少なくともアインズを敬愛しているのだろうということを理解した。

 

「だからぁ! 今回だけ特別! アインズ様の御為にお前を許す。でも、次は……絶対に、絶対にぃ、許さないぃ!」

 そういうと、蟲のメイドはぷいっと横を向いた。

 

「あ、ありがとう……」

「お礼なんて言われる筋合いじゃないぃ。あと、私の名前はエントマ! エントマ・ヴァシリッサ・ゼータ! 覚えといて!」

「わ、わかった。エントマだな? すまない。良かったら、今度ゆっくり話をさせてくれ」

「お前と話す話なんてないぃ! ほら、早く行きなさいよぉ。他の人を待たせちゃってるでしょお!?」

 

 エントマのその言葉で、この場で他の面々を待たせることが不味いことに気がついたイビルアイは、慌てて蒼の薔薇のいる場所に急ぐ。

 

「イビルアイ、何をやっているの!?」

「すまない、どうしても、その、話したいことがあったものだから……」

 

 ログハウスの入り口ではシズと呼ばれたメイド悪魔が蒼の薔薇を待っていてくれていた。

 

「こちらに。他の方々をお待たせするのは、あまり良くない」

 

 シズの案内で蒼の薔薇はログハウスに入ると、再び奥にある巨大な鏡を通り抜けた。

 

 

----

 

 

 アインズは人払いをした寝室に籠もり、最後の練習に余念がなかった。

 

 玉座の間での想定問答集は何度も見直して、かなり良い出来になっていると思うし、十時間程ひたすら練習し続けた立ち居振る舞いも、自分としてはそこそこのレベルにはなっているとは思う。しかし――。

 

(一応、属国の儀式は帝国の時にもやってるし、今回、殆ど変更は無いんだから大丈夫だ。……焦るな、俺! ただ、ジルクニフと違って、あの王女……じゃなくて、もう女王か……、この間王都で会った時、妙に威圧感があったんだよなぁ。そもそもデミウルゴスとアルベドが、自分達と同レベルの頭脳の持ち主とか評価してる奴になんて、できれば会いたくなんかない。正直に言えばこのまま逃げ出したい。俺が演技で支配者してるってバレたらどうしよう……)

 

 下僕達の前で、ラナー女王に化けの皮を剥がされる自分を想像して、既に無い胃が痛む。いくら練習したとしても、アドリブで難しい質問をされたら、恐らく自分では答えられないに違いない。いっそパンドラズ・アクターに代役を頼んだほうがいい結果になりそうだと思うが、少なくともナザリックの下僕は誤魔化せないだろうし、流石にそれは支配者としてあまりにもみっともない行為だ。

 

(そう言えば、蒼の薔薇も来るって話だったか……?)

 

 イビルアイがその場にいると思うと、本来感じる筈もない胸の動悸を覚え、変な風に気持ちが焦るのを感じる。

 

 何故、今回蒼の薔薇が来ることになったのかの経緯はアインズは知らないが、普通冒険者はこういう政治的な場には来ないものなのではないだろうか。帝国の時は当然そのようなことはなかったから、今回もそうだろうと思っていたのだ。しかし、属国関係の調整を全てアルベドとデミウルゴスに丸投げしたのはアインズ自身だし、恐らくそれを報告する書類にも判を押したのだろう。正直、書類の内容を詳しく覚えているわけではないので、よくわからないのだが。

 

 考え込んでいるうちに、先日イビルアイを王都で助けた時に、次に会った時はゆっくり話をしようと約束したことをアインズは思い出す。しかし、今日のような外交目的で行われる儀礼の日では、そのような時間的な余裕も精神的な余裕もあまり無い。

 

(全く時間が無い訳じゃないけどな。どのみち、俺は食べられないから晩餐は早々に席を外す予定だし。イビルアイもアンデッドなんだから、飲食の席はそれほど得意じゃないだろう。いっそ、その間にイビルアイを呼んで少しくらい話をするのもいいかもしれない。……でも、こういうことをはどうやって伝えたらいいんだ? 流石に配下でもないのに直接〈伝言〉をするのは不味いだろうし。誰かに伝えて貰うとか?)

 

 この件で頼み事をするなら、やはりパンドラズ・アクターしかいないだろう。奴なら一番自然に近づけるだろうし、余計なことも言わずに引き受けてくれるに違いない。そう考えたアインズはパンドラズ・アクターに〈伝言〉をしようとして、ふと、嫌なことを思い出して手を止めた。

 

 自分がイビルアイを部屋に呼んだと知れたら、またアルベドが暴れるかもしれない。王都からナザリックに帰還した後で起こった騒動を思い出して、アインズは思わず身震いをする。デミウルゴスとコキュートスが咄嗟にアルベドを抑えてくれなかったら、一体どうなっていたことか。

 

 アインズは出ないため息をついた。やはり、今回は余計なことはしない方がいいだろう。少なくとも、王国が魔導国の属国になるのなら、イビルアイとまた会う機会は来るだろうし、その時に時間を取れば済むことだ。

 

 そして出ないため息をつくと、少しでも気持ちを落ち着けるべく再び台詞の練習に戻る。せめて出来ることだけはやっておかなければ。それが支配者としてのアインズの責任なのだから。

 

 その時、寝室の扉をノックする音がした。

 

「アインズ様、そろそろお支度の時間なのですが、いかがいたしましょうか?」

 本日のアインズ当番であるフォスの声が聞こえる。

 

「あぁ、わかった。では、頼むとしよう」

 

 アインズは重い腰を上げて、座り込んでいたベッドから立ち上がった。

 

 

----

 

 

 ログハウスに置かれていた鏡を抜けた所に広がっていたのは、まさに神々が住まう所と言われても納得するくらいの荘厳な美しさに包まれた場所だった。まさに白亜の宮殿というべき建造物には繊細な彫刻が施されており、所々に置かれている贅を凝らした装飾品、廊下を照らす照明に至るまで、ここにあるもの全てが王国の国宝以上の価値があるのは間違いない。

 

 先にこの場に案内され、蒼の薔薇が来るのを待っていたラナー達も、流石にこの美しい光景に完全に心を奪われている様子で、蒼の薔薇が少しばかり遅れたことを気にしている者はいなかった。

 

「さて、皆様お揃いのようですので、これから玉座の間にご案内致します。属国承認の儀は、そちらで行われることになっております」

 

 ユリのその言葉に、ラナーは無言で頷く。

 

 今日のラナーは、即位後に誂えた余り華美ではないドレスではなく、普段であれば袖を通すこともなさそうな、王国では一級品といっていい女王に相応しいドレスを身に纏っていた。しかしこの城の中では、それがごく当たり前の普段着くらいにしか見えない。蒼の薔薇の冒険者としての正装である装備は、王国のみならず世界でも希少品といっていいレベルのものが多いが、この場所では全く価値などないことを嫌でも思い知らされてしまう。

 

 イビルアイは、自分が踏み入れた場所の神々しい雰囲気に完全に飲まれてしまっていた。

 

(私は……、こんな立派な居城に住んでいる御方に、あんなことを言ってしまったんだな……)

 

 どう考えても貧相な自分の姿に、おかしな笑いが漏れそうになる。ツアーの台詞じゃないけど、身分違いという言葉にこれほど説得力があるものが存在するなんて思ってもみなかった。

 

(アインズ様は、ツアーが言う通り多分ぷれいやーで、この場所はリーダーから教わった『ぎるどの拠点』とかいうものなのだろう。八欲王が所持していた拠点もかなりのものだったと聞いてはいるが、私はここまでのものを直接見たことは、これまで一度もなかった……)

 

 イビルアイは、無意識のうちにそっと左手の指輪を撫でた。その仕草はもう完全に癖になってしまっていたが、それでも、指先に感じられるその指輪の存在は、いつもイビルアイの心を勇気づけてくれていた。

 

(いや、大丈夫だ。彼は見た目とかそういうものを気にするような方じゃない。こんな自分だって、そう、さっき会ったエントマだって、そのまま受け入れることができるんだから。それに、まさか私の代わりにエントマに謝ってくれていたなんて、思ってもみなかった……)

 

 二人のその時の様子を想像すると、微笑ましい気分になると同時に、ほんの少し嫉妬に近い感情が自分の中に生まれたのを感じ、イビルアイは慌てて軽く頭を振って、その感情を払い落とす。

 

 エ・ランテルの館にいる人達も、王都で会った配下の人達も、彼の周囲にいる人達は、皆、彼をとても慕っているように見えた。確かに彼の見た目はとても恐ろしいし、途方もなく強大な力を持つアンデッドであることも、大勢の人を虐殺したことも事実だ。だけど彼と直接話をすると、何故かだんだんそれが気にならなくなってくる。それは、きっと彼の優しい人柄のせいなんだろう。自分が理由もわからないまま、自然と彼に惹かれてしまっているように。

 

(――でも、ちょっと待て。だとすると、実はライバルがたくさんいるんじゃないのか……?)

 

 彼がアンデッドだから、好きになるのも自分くらいだと内心自負していたイビルアイは、思わぬ可能性に初めて気がつき愕然とした。

 

 

----

 

 

 幅の広い階段を下り、広間を通り抜けると、天井には白い輝きを放つ四色のクリスタルが嵌め込まれ、全て異なる形状をした多数の悪魔像が壁龕に収められているドーム型の大広間に辿り着く。一行はそこに置いてある像になぜか見られているような気分を味わいながら、更にその先にある巨大な扉の前に案内された。その扉には天使と悪魔の精緻なレリーフが彫り込まれており、そのリアルさに一瞬これから裁きを受けるかのような気分になるが、それでもその見事な彫刻には目を奪われる。

 

 ここまで一行を案内してくれたユリ、ルプスレギナ、シズは扉の脇に並んだ。

 

「この先が玉座の間でございます。既に魔導王陛下は中でお待ちになられておられます。私達の案内はここまでとなります」

 ユリがそう言うと、三人はラナー達に向かって一礼した。

 

「わかりました。案内ありがとうございました」

 

 ラナーは三人に会釈をすると、後ろにいる貴族達を振り返った。

 

「さあ、皆様、行きますよ。決して失礼のないように気をつけてくださいね」

「畏まりました」

 流石のレエブン候も青ざめていたが、気丈にも不敵な笑みをラナーに返す。その後ろにいる有力貴族達は、今にも腰が抜けそうな様子だったが、辛うじて頷いた。

「私達も準備は出来てるわよ」

 ラキュースが蒼の薔薇を代表して頷く。

 

 全員の気構えができたことを確認すると、ラナーは柔らかく微笑み、ゆっくりと扉の前に進み出た。重厚なその扉は非常に重そうに見えるのだが、誰も手を触れてもいないのに自然と開いていった。

 

 




佐藤東沙様、Sheeena 様、アンチメシア様、薫竜様、誤字報告ありがとうございました。


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蒼の薔薇、新たなる旅立ち(四)

 開かれた扉の向こうには、赤い絨毯が敷かれ、両脇に天上から巨大な旗がいくつも垂れ下がる荘厳な広間になっている。広間の一番奥は数段の階段になっており、その上には見たこともないくらい巨大な水晶で出来た玉座が置かれている。そこには離れていてもその価値の高さがわかる程、華麗な刺繍が施された黒いローブを纏った魔導王が座っている。その右隣には、エ・ランテルで会ったはずの宰相アルベドが立っている。階段の手前には、五人の人影が左に三人に右に二人に分かれて赤い絨毯を挟んで立っており、そこから、広間中を覆い尽くすように、見るからに強大な力を持つと思われる異形の者や亜人達が整然と並んで跪いている。

 

 ラナーは王国の黄金という名に相応しい美しい所作で、魔導王から視線を逸らすことなく赤い絨毯の上を堂々たる足取りで進み、それにレエブン候、有力貴族達、蒼の薔薇が続いた。

 

 やがて、玉座の少し手前まで歩み寄ったラナーはそのままその場に跪き、他の者はその後ろに整列すると、同じように跪いた。

 

「アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下に申し上げます。リ・エスティーゼ王国ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフ女王陛下が陛下への拝謁及び属国の申し入れの許可を求めておいででございます」

 

 宰相アルベドの凛とした声がラナーの到来を告げると、それに対して、少しの間を置いて重々しい声がした。

 

「許す」

 

 アインズは王国から来た代表者達を、玉座から見下ろす。その背には見るものを恐怖させずにはいられない黒いオーラが立ち上っていた。

 

「アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下。私、リ・エスティーゼ王国女王ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフに拝謁の栄誉をお与えくださいましてありがとうございます。そして、また、リ・エスティーゼ王国は、アインズ・ウール・ゴウン魔導国の属国となり、魔導王陛下の庇護を受けることを希望しております。何卒、我らが望みをお聞き届けくださいますよう、リ・エスティーゼ王国民に代わりお願い申し上げます」

 

 ラナーは言い淀むことなく、頭を垂れたまま魔導王に奏上した。

 

「よくぞ参られた。ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフ女王陛下。私がアインズ・ウール・ゴウン魔導王である。私は貴殿の我が居城への来訪を歓迎する。そして、貴国が希望されるのであれば、双方の合意のもと、出来うる限りの助力を約束したいと考えている。リ・エスティーゼ王国とアインズ・ウール・ゴウン魔導国は、これまで不幸な行き違いもあったが、共に平和を築いていける関係を結びたいと私は願っていた」

 

「寛大なお言葉に感謝致します、魔導王陛下」

 

 魔導王の態度はまさに生まれながらの支配者と言っていいものであり、王国の面々はその威光に圧倒される。そんな中、ラナーだけが物怖じせず魔導王に言葉を返した。階段の左手前に立っていた恐らく魔導王の側近と思われる蛙頭の男性が優雅に一礼をする。

 

「それでは、私、魔導国守護者であるデミウルゴスが、この度のリ・エスティーゼ王国ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフ女王陛下より申し出のありました魔導国の属国となる件につきまして、双方の合意に係る文書を読み上げさせて頂きます。この内容に異論がない場合、ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフ女王陛下及びアインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下の宣誓により、リ・エスティーゼ王国は正式にアインズ・ウール・ゴウン魔導国の属国となり、この合意文書の内容が本日付で発効するものと致します。異論はございますでしょうか?」

 

「異論はない」

 

「異論はございません」

 

 二人の王の言葉を確認し、デミウルゴスは手にした文書を読み上げた。

 

「それでは、アインズ・ウール・ゴウン魔導国及びリ・エスティーゼ王国は次の内容で契約を取り交わすものと致します。一、魔導国はリ・エスティーゼ王国の宗主国となり、魔導国王並びにその麾下にあるものは、リ・エスティーゼ王国王より上位に位置するものとする。二、リ・エスティーゼ王国は死刑が確定した罪人についてはその全てを魔導国に引き渡すものとする。三、――」

 

 しかし、それはあくまでも既にお互い合意した内容を確認する儀礼にすぎない。滞りなく全てを読み終えたデミウルゴスはラナーに宣誓を促した。

 

「私、ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフは、リ・エスティーゼ王国を代表し、その文書の内容全てに同意し、合意内容を遵守すると共に、アインズ・ウール・ゴウン魔導国に恭順することを誓います」

 

「私、アインズ・ウール・ゴウンは、魔導国を代表し、その文書の内容全てに同意し、合意内容を遵守すると共に、リ・エスティーゼ王国を庇護することを誓う」

 

 アインズは、ラナーの宣誓を受け、同じく誓いの言葉を述べた。

 

「では、双方の宣誓により、只今よりリ・エスティーゼ王国は正式に魔導国の属国となり、魔導国は宗主国としてリ・エスティーゼ王国を保護することを宣言させて頂きます」

 

 アインズは頷き、軽く片手を振ると、階段前に立っていた守護者達も一斉にその場に跪いた。

 

「ラナー女王、面を上げて欲しい」

 

 ラナーは頭を上げると、アインズのその揺らめく灯火を射抜くかのような瞳で見つめた。アインズは思わず目を逸したくなったが、その欲求に必死に耐えると、なるべく威厳ある態度を崩さないようにラナー女王に話しかけた。

 

「これでリ・エスティーゼ王国はアインズ・ウール・ゴウン魔導国の属国となったわけだが、私は力を持って王国を支配しようとは思っていない。両国で協力し、より良き道を探っていけたらと考えている。ラナー女王の聡明さはかねてより聞き及んでいるところであり、魔導国としてもラナー女王の智慧を得られるなら、この度の合意はまさに僥倖といえるだろう」

 

 ラナーはそのアインズの様子に、一瞬くすりと笑ったように見えたが、直ぐに真摯な態度でアインズに言葉を返した。

 

「叡明で名高い魔導王陛下にそのようなお言葉を賜り、光栄の極みと申せましょう。今後リ・エスティーゼ王国は魔導国のお慈悲の元で国の再建に取り組む所存でございます。どうか、これからも宜しくお願いいたします」

 

 アインズとラナーが交わした友好的な言葉で、玉座の間に漂っていた緊張感も若干ほぐれたようだ。

 

「それでは、以上で属国承認の儀を終了致します」

 

 宰相アルベドの言葉で、再び、その場にいた者たちは頭を下げる。

 

「アルベド、この後はリ・エスティーゼ王国の方々を歓迎する晩餐であったな?」

「はい、陛下」

「王国からの長旅でさぞかし疲れられたことだろう。今夜は、是非このナザリックでゆっくり休んでいかれるように」

 

「ありがとうございます。魔導王陛下のお心遣いに感謝致します」

 ラナーは再び恭しく頭を下げた。

 

 

----

 

 

 玉座の間から退出した王国の人々は、ともかく属国化の儀式が無事に終了したことでいくらか安堵した表情になり、再び、ユリの案内で王国の貴賓室よりも更に豪華な応接室と思われる部屋に案内された。部屋の中には、大きめのローテーブルが二つとそれに向かい合うソファーがそれぞれ置かれてある。

 

「晩餐の準備が整いましたらお迎えに参りますので、それまではこちらでしばらくお寛ぎください」

「わかりました」

 

 ラナーは平然と勧められたソファーに腰をかけるが、他の面々は若干落ち着かない様子で、部屋の内部を見回している。少なくともこの場にいるのは冒険者である蒼の薔薇を除けば王国の中枢にいる者ばかりであり、贅沢には慣れている筈だったが、あまりにもレベルの違う豪華さを見せつけられると、やはり緊張してしまうのだろう。やがて、諦めたような面持ちでラナーの隣にレエブン候が腰を下ろすと、それを合図にしたように他の貴族達はその反対側のソファーに座る。蒼の薔薇は、ラナー達とは違うソファー席に座った。

 

 メイドが紅茶と菓子を供して、部屋から退出していくと、ようやくその場には王国の者達だけになる。

 

「しかし、ある程度予測はしておりましたが、魔導国の力がまさかここまでとは……。国としての格があまりにも違いすぎる。先の戦争の恨みなどといって下手に対抗などしなくて正解でしたな」

 レエブン候が皮肉げな口調で言うと、出された紅茶を一口飲み、思わずその味と香りに感嘆の声を漏らす。

 

「ふふ。全くですね。王国でも、魔導王陛下を神と讃える声がかなり増えているようですが、この光景を見たら、恐らくもっと増えるのでしょう。神々の住まいというのはこういう場所なのかもしれません」

 

 ラナーは深い微笑みを浮かべ、紅茶を飲むと出された菓子を一つ頬張った。他の貴族達は、まだ気分が落ち着かないのか若干不安そうな面持ちで、なかなか出されたものに手を出そうとはしなかった。

 

「魔導国から頂いたお菓子はどれも美味しかったですが、出来たてだからなのでしょうか、味も香りも全然違いますね。紅茶も淹れてくださった方の腕の違いなのでしょうか、本当に素晴らしいです。……皆さんもどうですか? 宗主国直々のおもてなしなのですから、頂かないのは逆に失礼になると思いますよ」

 

 貴族達は顔を見合わせるが、やがて思い切って少しずつ菓子や茶に手を伸ばし始める。そして、初めて口にするその味に仰天したのか、驚きの声が上がる。その中で、ずっと黙り込んでいたウロヴァーナ辺境伯が徐に口を開いた。

 

「陛下。確かに、魔導王陛下は神に等しい御力をお持ちなのでしょう。しかし、王国で魔導王陛下を神と崇めている連中は、かなり勢いを増しているようですが、このまま放っておいてよろしいのですかな?」

「別に問題などないでしょう。どのみち、我々は既に魔導王陛下の庇護下にあるのですし。むしろ、魔導王陛下に反逆されるよりも余程マシだと思いませんか?」

「……仰る通りですな。差し出がましいことを申し上げました」

「いえ、ウロヴァーナ辺境伯、そのようなことはありません。これまでは王国は各派閥ごとで争いあっていましたが、その結果として、あのような大規模な反乱を引き起こすことにもなってしまいました。私は、もう二度と国民同士で争い合うような事態にならないようにしたいのです。今後は、王も貴族も平民も等しく協力して行かなければならないと私は思っています。ですから、そのようにご意見を積極的に頂けるのは、国を預かる者として有り難いことですし、逆にそのような方にこそ、政務の要職に就いて頂きたいと思っているのです。ウロヴァーナ辺境伯、私は非力ではありますが、どうか御力をお貸しください」

 

 ラナーのその言葉で、ウロヴァーナ辺境伯のみならず、その場にいた貴族達の雰囲気は明らかに変わった。

 

「ラナー女王陛下。こう申し上げては失礼ですが、正直、儂は平時ならともかくこのような混迷の時期にある王国を初の女王である陛下にお預けするのはどうかと思っておりました。しかしその考えが間違っていることがよくわかりました。儂は陛下に全面的に協力することを誓いましょう」

 

 同席していた貴族達からも、それに同意する声が次々と上がる。その様子をレエブン候は皮肉げな笑いを浮かべて見ていた。

 

 

----

 

 

 やがて、ユリが再び応接室に現れ、晩餐会の会場へと案内された。ユリは会場の扉を開くと脇に控えて、一行を中に通した。

 

 会場は着席形式になっており、既に他の出席者と思われる者たちはほぼ揃っているようだった。よく見ると、既に属国になっているバハルス帝国からも皇帝ジルクニフ以下数人も出席しているようで、皇帝は見たこともない亜人と親しげに話をしていた。

 

 艶やかなメイド達が、客人達に好みの飲み物を注いで歩いており、会場の隅の方では楽団が心地よい音楽を奏でている。

 

「リ・エスティーゼ王国、ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフ女王陛下の御入場でございます」

 

 入場者を紹介する声が響き、それを受けて会場からは談笑する声が止む。ラナーはレエブン候にエスコートされて部屋の中央に設えてあるテーブルの中央に座している魔導王の真向かいの席に向かう。魔導王の左右には、宰相アルベドの他に、先程魔導王の玉座付近にいた者達が着席しており、魔導王の背後にはエ・ランテルの館で案内を務めてくれた白髪の執事が控えていた。ラナーの姿を見ると、魔導王はゆっくりと立ち上がり歓迎するように手を広げた。

 

「ようこそ、ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフ女王」

 

「お招きくださいまして感謝致します。アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下」

 ラナーは魔導王に向かって優雅にお辞儀をした。

 

「申し訳ないが、私は飲食が出来ないので、少ししたら退席させていただくが、今宵の晩餐は魔導国がリ・エスティーゼ王国を歓迎する意を込めて催すもの。堅苦しいことは抜きにして、是非我が魔導国の料理を堪能していってもらいたい」

「ありがとうございます」

 

 再びお辞儀をするラナー女王に着席するよう促すと、魔導王も席に座る。近くに控えている執事が合図をし、メイドがラナーの前の椅子を引き、ラナーはそれに着席する。その後、レエブン候とラナーに付き従ってきた貴族達、蒼の薔薇がそれぞれ席に案内されて着席し、メイドがラナー達のグラスにも飲み物を注いで下がっていく。

 

「では主賓もいらしたことだし、乾杯といこうか。セバス、皆に飲み物は行き渡っているだろうか?」

「問題ございません」

 執事は魔導王のグラスにワインを注ぐと、テーブルの状況を確認した。執事の応えを聞き、魔導王は軽く頷いた。

 

「それでは、リ・エスティーゼ王国とアインズ・ウール・ゴウン魔導国の輝かしい未来と今後の友好を祝して杯を挙げることとしたい。乾杯」

 

 魔導王の言葉で、その場にいる全員がグラスを掲げると、中身を飲み干す。魔導王はグラスを掲げるのみで、そのままグラスを執事に渡した。

 

 やがて、メイド達が料理を供し始めたのを見計らい、魔導王は軽く退席の挨拶をすると、執事を供に会場を後にした。

 

 

----

 

 

 晩餐会の席に座ったイビルアイは非常に緊張していた。長いこと生きてはいても、このような公的な晩餐の場に参加するなどほぼ経験がなかったし、いくら蒼の薔薇は非公式な参加とはいえ、それでも王国の代表としてこの場にいるのは間違いない。

 

 そのうえ……、あれほど会いたくて仕方がなかったアインズが非常に近い所にいるのだ。イビルアイは、なるべく視線を向けないように努力してみたが、どうしても、自然とアインズに目がいってしまい、彼の一挙手一投足をつい観察してしまう。アインズの堂々たる振る舞いはまさに王として相応しいもので、恋する乙女としてはうっとりと見惚れてしまう。纏っているローブも、近くで見るとより繊細な刺繍が施されている見事なもので、やはり自分との格の違いを思い知らされざるを得なかった。

 

 実は、イビルアイはこのところの暇潰しに作ったアインズ抱きまくらの他に、アインズを模した小さな縫いぐるみのような物を密かに作っていた。もちろん、それは裁縫には全く不慣れなイビルアイが作ったものだから、あまり形も良くないし、イビルアイの欲目で見ても、アインズに似ても似つかないものではあった。中に詰め込んだ綿には、以前のデートの時に使った香水を少しだけ染み込ませてある。なんとなくだが、アインズはあの香りを気に入ってくれたような気がしたのだ。

 

 イビルアイが持っている物で、アインズにプレゼント出来そうな物なんて、正直何もない。彼が持っている物は、自分が持っている最高の物よりも、どれも上質で高価そうな物ばかりだ。

 

 ――だけど、自分が一生懸命作った物なら、もしかしたら彼も喜んで受け取ってくれるかもしれない。

 

 イビルアイは、ずっと貰った指輪の礼をしたいと思っていた。王都の事件の時もこの指輪のおかげで、炎に対する防御はあまり気にしないで済んだし、何よりこれがあるだけで、イビルアイはずっと彼がすぐ側で支えてくれているように感じられ、救われたことが何度もあった。

 

(こんなもの渡したら、アインズ様は笑うだろうか? それとも……喜んでくださるのだろうか……)

 

 イビルアイが裁縫をしているところを見ていた、蒼の薔薇のメンバーはかなり微妙な顔をしていた。

 

 眼の前に置かれている普通の人間なら美味しいだろう数々の料理を睨みつけながら、どうしようかとイビルアイが考え込んでいると、アインズが軽く挨拶をして退出していくのが見え、イビルアイは焦る。

 

(ど、どうしよう、このままじゃこれを渡すどころか、まともに話をすることも出来ないで終わってしまう……。せっかく御居城に招かれたというのに……)

 

 イビルアイはこの状況をどうにかしなければ、ということだけで頭がいっぱいになった。周囲の人々は、出された料理の味に感嘆して、誰もイビルアイのことなんて気にしていないように感じる。

 

(せ、せめて、少しくらいお話するチャンスはないだろうか?)

 

 そう思った瞬間、イビルアイは自分でも何をしようと思っているのかわからないまま、席を立つ。

 

「どうかされましたか?」

「その……トイレに……」

 

 突然のイビルアイの動きに、何かあったのか気になったのだろう。近くにいたメイドに丁重に尋ねられるが、無意識のうちにおかしなことを答えていた。アンデッドである自分がトイレになど行くわけがない。隣に座っているティナが気がついたのか、不審そうに自分を見ているのがわかる。しかし、メイドはイビルアイの返答で納得したらしかった。

 

「では、ご案内させて頂きます。こちらへどうぞ」

「いや、場所だけ教えてもらえるか? 酔ったみたいだから、少し一人で頭を冷やしたいんだ」

 どうして、こう嘘がすらすら出てくるのか自分でも不思議だったが、メイドは丁寧にトイレのある場所を教えてくれた。

 

「ありがとう。助かった」

 イビルアイはメイドに礼をいうと、こっそりと晩餐会の会場を抜け出した。

 

 

----

 

 

 自室に戻ったアインズは、今日の分のノルマを無事に終えられたことにほっとしながら、セバスとフォスに手伝わせて少し楽なローブに着替えて、ヌルヌルくんを住処のケースに戻すと、再び寝室に篭っていた。もちろん、適当な理由をつけて二人は既に下がらせてある。明日になれば、デミウルゴスとアルベドの駄目出しがあるかもしれないが、今日はもう面倒なことは何も考えずにのんびりしたかった。

 

(あの女王にどんな予定外のことを言われるかと思ってずっと緊張してたが、台本通りの問答だけで済んで本当に助かった。まぁ、若干気になることがなかったわけではないが、これなら多分あの二人も及第点をくれるだろう……)

 

 今頃、晩餐会はアルベドとデミウルゴスが適当に仕切ってやってくれている筈だ。猛反対はされたが、飲食できない者がいると食事会は雰囲気が悪くなる、と必死で説得した甲斐はあった。正直、あのような場で最後までボロを出さずに、支配者ロールをする自信は自分にはない。

 

 それに、実際現実(リアル)でも、たまにあった会社の飲み会で酒が飲めないからと顰蹙を買っている人がいた。鈴木悟としては苦手なものを無理強いするのは良くないのではないかと思ったが、周囲の反応的にはそれが当たり前の感覚らしかった。しかしこの身体では、飲食をする振りすら出来ないんだから仕方がない。同じアンデッドでも、吸血鬼は一応飲食可能なんだから、そういう意味ではなんとなく少しずるいような気もする。

 

(イビルアイも少しは楽しめているんだろうか? 結局、話をする暇なんてなかったが……)

 

 せっかく同じナザリックにいるというのに、気軽に話しかけることも出来ないなんて、本当に支配者なんて面倒くさいことばかりだ。しかし、今更大切な自分の子どものような存在である NPC 達を見捨てるようなことも出来ない。せめて支配者とかそういう立場じゃなくて対等な立場……、それこそ本当の家族みたいになれたらいいのだろうが……。

 

 アインズは出ないため息をついた。

 

(やはり、皆は、そういうことは受け入れてくれないんだろうなぁ。――そういえば、ジルクニフが亜人と仲良くなっていたようなのが意外だった。ああいうのを受け入れるタイプだとは思ってなかったんだが。しかし、ああやって徐々に慣れていけば、亜人だけじゃなくて異形種とも上手くやってくれるかもしれない。例えば、そう、俺とももうちょっと親しい友人になるとか……)

 

 ほんの少しだけ明るい未来が見えたような気がしてアインズはほくそ笑むと、ベッドの上で心ゆくまでゴロゴロ転がる。しばらくのんびりしていると、突然、誰かから〈伝言〉が入り、アインズは渋々ベッドの上に座り込んだ。

 

 




アンチメシア様、Sheeena 様、誤字報告ありがとうございました。


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蒼の薔薇、新たなる旅立ち(終)

 ナザリック第九階層のよくわからない場所で、イビルアイは途方に暮れていた。

 

(しまった。ここは思ったよりもずっと広い……。同じ建物の中なんだから、なんとでもなると思ったのは甘すぎた。完全に道がわからなくなったぞ……)

 

 場所を聞こうにも、見回しても周囲には人の気配もなく、気分で歩いていたので何処をどう歩いてきたのかも覚えていない。蒼の薔薇の誰かに〈伝言〉でもすればいいのかもしれないが、自分が今いる場所がわからない以上、徒に騒ぎを起こしてしまうだけのような気がする。それに、そもそも〈伝言〉なんて信頼できないものを使うのも気が乗らない。

 

(どうしよう。かといって、自分が会場にずっといなかったことがバレれば、それはそれで騒ぎになるだろう。せめて、ティナに言ってくれば良かった)

 

 今更後悔しても仕方ない。せめてメイドくらい近くを歩いていないだろうか。ともかく、がむしゃらに前に進むよりは今来た方向へ戻った方がいいだろう。そう思ってイビルアイが振り向くと、少し離れた場所に先程までは気配もなかった黒い鎧を着た誰かが立っていた。

 

「こんなところで何をしているんだ?」

「えっ!? あ、あの、私はその、怪しい者ではなくて! って、もしかしてモモン様ですか?」

 

 突然声をかけられて驚いたものの、その人影が見知った者であったことに気が付き、イビルアイはほっとした。

 

「その通りだ。会場から突然出て行ったきりなかなか戻らないからと、心配されたデミウルゴス殿からお前を探すように連絡を受けて探していたんだ。あのような公的な場で長いこと席を外すのは非礼だぞ。それに、そろそろ戻らないと晩餐会が終了してしまう」

 

 モモンは軽く腕組みをし、まっすぐにイビルアイを向いて立っている。そのモモンの言葉は当然で、彼が自分を見つけてくれなかったら不味いことになっていたのは間違いない。恥ずかしくなったイビルアイはモモンに軽く頭を下げた。

 

「ありがとうございます。助かりました、モモン様。あの……えっと、その、アインズ様では……?」

「前にも言ったが、私はアインズ様ではない。――もしかして、イビルアイ。お前はアインズ様を探していたのか?」

 

 モモンのその言葉に一瞬ぎくりとするが、イビルアイは素直に頷いた。

 

「このナザリックで、アインズ様のお部屋を闇雲に探しても見つかるわけがないし、万一たどり着けても中に入れる訳がないだろう。呆れた奴だな」

「…………」

 

 言われてみれば当たり前だ。恐らくこの地の最高地位にある人の部屋が、簡単に余所者が近づける場所にあるわけがない。それにアインズと何の約束もしていないわけではないが、今日個人的に呼ばれているわけではない。なんとなくイビルアイは段々気分が落ち込むのを感じ、肩を落とした。

 

「まあ、そう気に病むな。晩餐会が終わるまで、あと少しくらいは時間もある。その間に会場に戻れば大丈夫だろう」

 

 そういうと、モモンは後ろを向いて誰かと話しているようだった。そして、再びイビルアイの方を向き、自分に付いてくるよう言った。

 

 

----

 

 

 言われるがままにイビルアイはモモンの後を追って豪華な通路をしばらく歩いたが、どうも、モモンは会場ではなく別の所に向かっているようだった。不審には思ったが、モモンがおかしなことをすることはないだろう。イビルアイが大人しくついていくと、モモンはやはり豪奢な装飾が施された大きな扉の前で足を止めた。扉の両脇には不動直立の姿勢を保った警備兵がいる。

 

 モモンは警備兵に目礼すると軽く扉を叩いた。少しすると、美しいメイドが一人顔を出して、モモンの用件を確認すると一旦扉を閉める。そして再び扉が開いて、メイドがお辞儀をした。

 

「アインズ様がお会いになられるそうです。どうぞ、中にお入りください」

 

 イビルアイはその台詞を聞いて、どうしようもなく顔が火照るのを感じるが、なるべく平静そうな雰囲気を保つように努力する。モモンはメイドに軽く会釈すると、イビルアイを連れて部屋の中に入った。

 

 イビルアイは通された部屋の中を思わず見回し、何気なく置かれている品々が恐らく超一級品のマジックアイテムばかりなのを感じる。足元のカーペットのせいか、妙にふわふわした気分でモモンの後をついていくが、部屋の一番奥の机の所に座っていたらしい部屋の主が立ち上がったのを見て、思わず足を止めた。そんなことはあるはずもないが、心臓がドキドキと高鳴るような気がする。

 

「アインズ様、失礼致します。イビルアイ殿をお連れしました」

「あぁ、ご苦労。そこに掛けるといい、イビルアイ」

 

 跪こうとするモモンを手で止め、イビルアイにソファーに座るよう勧めると、アインズはその対面にゆったりと腰を下ろした。アインズの服装は先程会った時よりも多少くだけているようで、そんな姿を見られたというのは自分に少しは気を許してくれているのではないかと、イビルアイは思わず興奮してしまう。それに気がついたのかどうかはわからないが、イビルアイの顔をしばらく見ながら何かを考えていた風だったアインズは、ふと思いついたように下僕達に下がるよう申しつけ、ドアの近くに控えていたメイドと、天井で不可視化していた八肢刀の暗殺蟲は部屋の外に出ていった。

 

「アインズ様、私もでしょうか?」

「お前もだ」

 

 首を傾げるモモンに、アインズはにべもなく答えた。モモンはおとなしく一礼して部屋から出ていこうとするが、アインズはその後ろから声を掛ける。

 

「ああ、悪いが部屋の前で待っててくれ。どのみちイビルアイを会場まで連れて帰らないと不味いだろう」

「畏まりました」

 

 モモンが出ていったのを確認して、アインズはイビルアイに向き合った。

 

(下僕を追い出したのはいいけど、こういう時に一体何を話したらいいんだろう。やっぱりパンドラズ・アクターがいた方が……いや、やっぱり奴の前でこんな話したくないし、自分の黒歴史(パンドラズ・アクター)を見られるのもちょっと抵抗あるからなぁ)

 

 事前にわかっていれば話題とか少しは用意していただろうが、今回は全く対策を考えていなかった。アインズは悩むが、イビルアイは自分を見つめたまま、緊張しているのか口を開こうとしない。どうやら、こちらから話し出さないとダメらしい。――そういえばイビルアイはどうして仮面を付けたままなんだろう。別に今更隠す必要もないだろうに。

 

「イビルアイ、この部屋の中には私以外誰もいない。だからお前の秘密は誰に知られることもない。いつも仮面を付けたままでは息苦しいだろう。せめて今くらい、その仮面を外したらどうだ?」

「ふぇっ、あ、あの、ちょっと、今は不味いので……!」

 

 二人きりだから不味いんですぅ、とは言えず、イビルアイは必死で頭を振った。

 

「そうなのか? まぁ、それならそれで構わないがな」

 

 何が不味いのかはよくわからなかったが、本人が嫌なものを無理に外させる必要はないだろう。今いち腑に落ちなかったが、アインズは気にしないことにした。これもパンドラズ・アクターが言っていた、乙女の感情とかいうものなのかもしれない。

 

「ところで、パン――モモンに聞いたが、通路で迷っていたそうだな。大丈夫だったのか?」

「は、はい。アインズ様のお城が思っていたよりも広くて、その……、会場に戻れなくなってしまって……」

「はは、なるほど。確かにここは慣れないと道に迷うからな。しかし、どうして会場の外に? 何か用事でもあったのか?」

 

 その言葉にイビルアイの緊張は一気に高まる。しかし、ここまで来たらもう正直に話すしかないだろう。

 

「それは……、その……、あ、アインズ様とお話したかったからです!!」

 イビルアイは覚悟を決めると、多少どもりながらも、一気に話した。

 

「えっ……!?」

 

 あまりにもストレートなイビルアイの言葉に、アインズは頭の中が真っ白になるのを感じ、何の感情かはわからなかったが酷く心が揺さぶられ、すぐさまそれが沈静化される。

 

(なんだ、これ、何が起こったんだ?)

 

 アインズは自分の感情の変化が理解できなかったが、それでも、沈静化された後に何かとても柔らかな暖かいものが残滓のように残っているのを感じる。鈴木悟の残滓はもうほとんど感じることが出来ないが、その残滓は、鈴木悟の残滓にとても近い何かのようにも思われた。

 

「……アインズ様、この間王都でお会いした時に、次に会った時はたくさん話をしようと約束したのに……。あれは、嘘だったのですか?」

 イビルアイの耳は真っ赤になっていたが、アインズが驚いたのが不服だったようで、不満そうな口ぶりでそう言った。

 

「あ、いや、そうじゃないんだ。すまない。ちょっと別のことに驚いてしまって……。もちろん、ゆっくり話をしたかったさ。イビルアイ。本当はきちんと時間を取りたかったのだが、流石に今回は国と国との儀礼だったからな」

 アインズが軽く頭を下げると、イビルアイは逆に慌てたように自分も頭を下げた。

 

「い、いや、別にアインズ様に謝ってほしいとか、そういうのじゃなくて……。すみません。私もなんか変に興奮してしまって、何を言ったらいいのか、わからなくなってしまっているんです」

「はは、じゃあ、お互い様だな。私もそうだよ」

 

 アインズのその言葉で、イビルアイは嬉しそうに笑い、アインズもつられて、何故かとても楽しい気分になった。

 

「あの、別に今日はアインズ様にお時間がないことは私もわかっていますので、それは構わないんです。ただ――」

「ん? どうした?」

 

「その……、あの、あまりちゃんと出来てるものじゃないし、アインズ様にとっては別に嬉しくも何ともないものかもしれないですけど! これ……、頂いた指輪のお礼に作ったんです。その……、良かったら、受け取って貰えませんか?」

 

 イビルアイは、懐から不思議な形の布で出来た物体を取り出した。不意に甘い香りが漂い、アインズは先日のデートを思い出して、少しくすぐったい気分になる。イビルアイはそれをそっと二人の間にあるテーブルの上に置いた。

 

「これは……?」

 

 謎の物体を手にとりよく見てみる。触れると中から気持ちの安らぐ香りが漂ってくることはわかったが、その物体が何なのかアインズにはよくわからなかった。その名状しがたい形状はどことなくヘロヘロに似ているが、イビルアイは別にヘロヘロを作ったわけではないだろう。タブラさんのオカルト話にこういう物があったような気もするが……。

 

 アインズが首を捻っているのを、緊張しながらじっと見ていたイビルアイは、やがて諦めたように口に出した。

 

「アインズ様は十三英雄というのはご存知ですか?」

「十三英雄? あぁ、簡単な伝承なら以前聞いたことがある。二百年前に世界を救った英雄だったそうだな」

 

 そう言いながら、アインズはそれを教えてくれた冒険者達のことを思い出す。あれはこの世界に来たばかりの頃のことだったが、もう随分昔の話のようにも感じられる。

 

「その通りです。アインズ様がご存知なら話が早いのですが、実は、私は十三英雄と一緒に旅をしていたことがあって……、それで、その時にリーダーだった人が『ふぃぎゅあ』と『だきまくら』というのを教えてくれたんです。なんでも『ふぃぎゅあ』も『だきまくら』も、俺の嫁といつも一緒にいられる気分になれる素晴らしいアイテムだとかなんとか言っていて。……そのぅ、嫁ってことは、……旦那様でもいいというか、……要は、好きな人ってことですよね!? なので、それは……アインズ様の『ふぃぎゅあ』のつもりで作りました!」

 

 イビルアイが必死に訴える様子は見ていてとても微笑ましかったが、アインズはその内容に思わず目眩がするのを感じる。

 

(フィギュアに抱きまくら? その十三英雄のリーダーとかいう人の発言は、ペロロンチーノさんから散々聞かされたことに、えらく似ている気がする。もしかしたら、この世界にも元々そういうものがある可能性はあるが。――まさか、十三英雄のリーダーというのはプレイヤーなのか? それに、旦那様……? あと、そもそもフィギュアって、こういうものだったか?)

 

 非常に気になるパワーワードが多すぎて、頭の中が酷く混乱するのを覚えるが、しかし、今一番確認しなければいけないことは一つだろう。アインズはなるべく冷静にイビルアイに聞いた。

 

「イビルアイ、そのリーダーというのはどんな人だったんだ? ――もしかして、その人はユグドラシルというものについて話したことはなかったか?」

「ああ、もちろん。リーダーは『ゆぐどらしる』の『ぷれいやー』だと言っていた。その……アインズ様もやっぱり『ぷれいやー』なのですか?」

 

 ユグドラシルのプレイヤー。まさかそこまで具体的な名称を聞けると思っていなかったアインズは、愕然としてイビルアイを見つめた。

 

「イビルアイ、お前はそんなことまで知っているのか。……そうだ。私はプレイヤーだよ。そして、このナザリックはギルド拠点だ」

「……そうなんじゃないかと思ってはいました。アインズ様はあまりにも強すぎる。この世界の住人ではほぼありえないくらい。そんなのはぷれいやーか、従属神か、神人くらいしかありえないから」

 

 イビルアイは何かを思い出そうとしているような雰囲気で、アインズを見つめている。しかし、今のアインズの頭を占めていたのは、これまで知ろうとしてどうしても近づくことのできなかった重要な情報だった。

 

 この世界にはやはりプレイヤーはいたのだ。これまで、気配はあったものの全く尻尾を掴むことができなかったのに、まさか、こんな身近なところにプレイヤーの存在を知る者がいたなんて……。

 

 アインズは、イビルアイが作ってくれた自分の布製フィギュアを手に持ったまま、しばらくイビルアイと交互に眺めていたが、やがてイビルアイに向き直った。

 

「イビルアイ、できればもう少し詳しく話を聞きたいのだが構わないか? もちろん、お前がここにいることは私から連絡を入れておこう。どのみち、今夜はナザリックに泊まっていくのだろう?」

「わ、私は、もちろん、か、構いません! むしろ、とても、嬉しいというか……」

 

「そうか、それなら良かった。ああ、それと、この縫いぐるみ、じゃなくて、フィギュアか? ありがたくいただこう。――考えてみたら、随分久しぶりだ。誰かの手作りの物を貰うなんて」

 

 ――そうだ、そんなの、ユグドラシルでギルドメンバーから貰ったくらいで……。

 

 思わず懐かしい気持ちにとらわれたアインズは、その不思議な形をした良い香りのする品を大事そうに、骨の指でそっと撫でた。そして、そんなアインズをイビルアイは幸せそうに見ていた。

 

 

----

 

 

 翌朝、朝食の時間の少し前に、イビルアイは蒼の薔薇に割り当てられた部屋にモモンに連れられて戻ってきた。

 

 扉を開けたラキュースは、いきなり目の前に現れたモモンを見て、一瞬胸がドキッとするのを感じるが、そのすぐ後ろにバツが悪そうな顔をして立っているイビルアイが目に入り、いつもの調子に戻った。

 

「モモンさん、すみません、魔導王陛下にうちのメンバーがご迷惑をおかけしたようで……」

「いえ、そんなことはありませんよ。陛下から、蒼の薔薇の皆様には大事なメンバーを勝手にお借りして申し訳なかったとのことでした」

「全く、晩餐会の途中で抜け出して迷子になった挙げ句、モモンさんにまでご迷惑をおかけするなんて……」

 

 ラキュースは晩餐会の直後に、魔導王の側近らしいデミウルゴスという蛙頭の男性からそのことを聞かされて、正直血の気が引く思いだったのだ。直ぐ側にいたラナーはひどく興味深そうな顔をしていたけれど……。

 

「モモンさん、せっかくですから、お詫びも兼ねてお茶を飲んで行かれませんか? 先程、メイドの方が持ってきてくださったので。ついでに、少しお聞きしたいこともありますし」

「そうですか? 私で良ければ、もちろん構いませんよ」

 

 ラキュースに招き入れられて、モモンは蒼の薔薇と一緒にソファーに座った。イビルアイも、その後ろに隠れるようにしながらソファーの端に座る。

 

「おかえりなさい、イビルアイ。まさか、朝帰りするとは思ってなかったけれど」

 少々嫌味っぽい口調で言うと、イビルアイは少しばかりしょげたように見える。ラキュースは、ポットからイビルアイとモモンにお茶を注ぎ、カップをそれぞれの前に置いた。

 

「いや、俺はこうなるんじゃねぇかと思ってたぜ。どう考えてもイビルアイが大人しく席に座ってられるはずがねぇからな」

「いきなり出ていくからびっくりした」

「イビルアイ、積極的過ぎ」

 

 若干姦しい雰囲気になった蒼の薔薇を見て、モモンは苦笑した。

 

「まあまあ、皆さん、お引き止めしたのは陛下の方だと仰られてましたので、そのくらいにしてあげてください」

「モモンさんはお優しいんですね」

 鷹揚に笑うモモンをラキュースは改めて見直した。

 

(これまでは、イビルアイが騒いでたから逆にあまり気にならなかったんだけど……、この鎧とかよく見ると、すごくかっこいい。やっぱり、黒の鎧に赤いマントって心惹かれるものがあるわね。今度の主人公はそんな感じで書いてみようかしら。名前は……そうね、ダーク・デスティニー・オブ・ラグナロクとか……、あら、なんか凄くよくない!?)

 

 ラキュースが思わず次の執筆活動のことを考えていると、不意にモモンに話しかけられて、我に返り、自分の妄想を見られたような気がして赤面する。

 

「ところで、ラキュースさん、私に聞きたいこととは何だったのでしょうか?」

「あ、ああ、そうでした。実は、私達に魔導国の冒険者にならないかという話が来ているのですが、それはモモンさんはご存知なのですか?」

 

「ええ、もちろんですよ。私も皆さんを推薦したのですから」

「モモンさんが、ですか?」

「そうです。てっきり皆さんは魔導国の申し出を喜んで受けて頂けると思っていたのですが、そうではないのでしょうか?」

 

「いえ、有り難いお申し出だとは思っているんです。ただ、何処で冒険者をするのか、というのは私達にとって非常に重要な選択なので、じっくり考えたいと思っていまして……。それで、どうして魔導国では私達にお声掛けくださったのか、それを知りたかったのです」

「まあ、別に疑っているわけじゃねぇし、提示された条件だって悪くねぇ。それに、今行くのは魔導国だろって言うのはわかるんだけどな」

 

「なるほど。皆さんは魔導国の冒険者組合が現在目指していることというのはご存知ですか?」

「確か、他の国とは違い、冒険者組合は国の機関で、魔導国として冒険者を育成されるのですよね」

「その通りです。しかし、魔導国の冒険者組合が他の国と違うのはそこだけではありません。魔導国では治安維持は、魔導王陛下が責任を持って行われます。そのためモンスター退治の傭兵のような冒険者は不要です。魔導国で求められている冒険者の仕事は、ただ一つ。未知を探求することです。どうですか? 蒼の薔薇の皆さん。やってみたいとは思いませんか?」

 

「未知の探求……」

 モモンの言葉に興味を惹かれたのか、ガガーランやティア、ティナも真剣な顔をしてモモンの話を聞いている。

 

「そうです。これまで誰も足を踏み入れたことのない場所に向かい、そこに何があるのかを探求するのです。もちろん、そういう場所にはまだ知られていないモンスターや、危険な遺跡もあるかもしれません。当然かなりの危険も伴うでしょう。しかし、それこそが、本来冒険者がやるべきことだ、と魔導王陛下はお考えになられたのです。そして、陛下のそのお志に、冒険者組合長であるアインザック殿も賛同された。それに私自身、冒険者とはそうあるべきだと思っています。そして、そのような冒険者には、皆さんのような優れた冒険者が欠かせませんし、これから冒険者になろうとする者にとっては、皆さんは目指すべき先人であり良き指導者にもなることでしょう。――思い出してみてください。冒険者になったばかりの頃のことを。蒼の薔薇の皆さんは、モンスター退治をしたかったから冒険者になったのですか?」

 

 蒼の薔薇は、一瞬返す言葉に詰まった。

 

「もし、モンスター退治をしたくて冒険者になったのであれば、魔導国ではなく他の国の冒険者になられた方がいいでしょう。しかし、もし、そうではないのなら……」

 

 モモンは、そこで言葉を切った。

 

「まあ、別に急いで決める必要もないでしょう。でも、私はいつでも皆さんを歓迎しますよ。……さて、つい長居をしてしまいました。そろそろ朝食の時間ですね。私はこれで失礼させて頂きます」

 

「あ、あの、こちらこそ、お話を伺えてよかったです。モモンさん」

 

 ラキュースはモモンに右手を差し出し、モモンは一瞬驚いたようだったがその手を握り返した。握りしめるモモンの手の感触に、ラキュースは妙に自分の心がざわめくのを感じる。

 

(ちょ、ちょっと待って。私、なんかおかしくない? まさか、イビルアイに感化されたの!?)

 

 モモンはそのまま、赤いマントを翻し、軽く左手を振ると部屋から出ていった。しかし、ラキュースの胸の高まりはなかなか収まりそうになかった。

 

 

----

 

 

 ラナー女王一行は、見送りに出た執事とメイド悪魔達に礼を述べると、リ・エスティーゼ王国への帰途に就いた。

 

 魔導王の居城からエ・ランテルまで、再び不思議な鏡で移動し、行きと同じ馬車に一週間ほど揺られて王都リ・エスティーゼに帰る。その馬車の旅で、蒼の薔薇は一つの決断を下していた。

 

 ロ・レンテ城でラナー達と別れると、蒼の薔薇はいつもの宿屋への道を辿る。二週間ほど離れていただけだが、王都の復興は更に進んでいる。恐らく、これからはもっと早く進むに違いない。この歩き慣れた道も暴動でかなり傷んだが、補修もだいぶ進み、今は見違えるように綺麗になっている。

 

 流石のラキュースも感慨深そうにその様子を少しの間見回していたが、やがて振り返って言った。

 

「それじゃ、今夜はここに泊まるけど、明日には出発するわ。そのつもりで皆荷物を纏めてね」

 

「あいよ。この宿も最後と思うと、流石に湿っぽい気分になるねぇ」

「来たければ、別にいつでも来られる」

「それもそうなのよね。どのみち魔導国も王国も、これからは同じ国のようなものなのだし」

「せっかくだから、今夜はぱーっと行こうぜ!」

 

 他のメンバーが笑いながら宿の中に入っていくのを見送り、イビルアイはふと足を止めると、これまで何年も自分の家のように暮らしていた宿屋をゆっくり眺めた。既に以前とは若干違う建物にはなってはいるが、それでも、これまでの長い人生で、この宿が二番目くらいに長く暮らした場所だろう。

 

(なんだかんだいって、リ・エスティーゼ王国も悪くなかったな。リグリットには今度会ったら礼を言わなければ)

 

 今度行く場所は、もしかしたら自分の本当の家になるかもしれない。これまで、そんな場所が自分に出来るなんて、考えたこともなかったが……。彼と一晩中話したことを思い出して、イビルアイの心は楽しく弾む。あんな夜をずっと過ごせたなら、毎日どんなに楽しいだろう。

 

 蒼の薔薇は、翌日、ラナー女王と、王国冒険者組合長に出立の挨拶に向かい、そのまま、エ・ランテルへと旅立った。

 

 

 

 

 

 




Sheeena 様、アンチメシア様、誤字報告ありがとうございました。

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幕間というよりも、ほとんど2.5章みたいな内容になってしまいましたが、感想、評価、誤字報告をくださった方々、読んでくださった皆様、本当にありがとうございました。とても励みになりました。(*´∀`*)

なるべく三回に収めようと思ったのですが、どうしてこんなことになったのか……。

本当は三章前の幕間話は二つの予定だったのですが、さすがにこのあともう一つというのもどうだろうと思うので、ちょっとした短編を思いついたらそれを挟むかもしれませんが、次はそのまま三章に突入しちゃうかもしれません。

次回の更新予定は、7月は非常に立て込んでいるため、できれば8月中、もしかしたら9月にずれ込むかも?といった感じです。あらすじの一番下のところに次の更新予定を時々こっそり書いてますので、気になる方はそちらを見ていただけると嬉しいです。

いよいよアニメ第三期。第一話の前評判が高いのでとても楽しみですね。噂によるとかなりエロいそうですが……。


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デミウルゴスの憂鬱(前編)

蒼の薔薇がエ・ランテルに来てから二、三ヶ月後辺りの話です。



 一見殺人鬼を思わせるような顔をした少女が、聖騎士の紋章が入った軽装鎧を身に纏い、聖王から下賜されたロングボウを背負って、大勢の民衆の前に用意された壇の上に軽やかに飛び乗る。それと同時に民衆からは、歓声と共に「魔導王陛下万歳!」「正義の為に!」などという叫び声が上がる。少女は慣れた様子で軽く手を振り、鋭い表情で民衆を()めつけるが、誰も恐れる事なく、それどころか逆に感動して打ち震えている。かつては誰からも恐れられた彼女の凶悪な目付きは、今では伝説的な意味合いを持つようになっていた。

 

 ――『救国の英雄魔導王の従者』にして『真なる神の伝道者』に与えられた祝福の証『魔眼』なのだと。

 

「皆さん、聞いてください! 我々は聖王カスポンド陛下、そして恩顧ある魔導王陛下に仇をなそうとする反乱軍にあと一歩のところまでやってきました。我々の力でなんとしてでも聖王国に平和をもたらすのです! 正義の為に日々努力し、魔導王陛下への感謝を忘れなかった皆さんならきっと出来るはずです!」

 

 民衆から更に一層の歓声と喜びの声が上がる。

 

「しかし、皆さんに忘れないで欲しいことがあります。魔導王陛下はこう仰られました。初めの戦いは負けても構わない。最終的に勝てればいいのだと。ですから、敵の力が明らかになるまでは勝つことよりも生き残ることを優先してください。相手の力を見極め、それから我々の真の力を見せつけてやるのです! そうすることで、祖国が、ひいては家族が、友人が……我々の愛するもの全てが被害を被ることがない新しい未来を作ることになるのです!! 我々を救い、正義とは何かを教えてくださった魔導王陛下により一層の感謝を捧げましょう! 魔導王陛下、万歳!」

 

「魔導王陛下、万歳!!!」

 

 少女の声に民衆の声が唱和し、拍手が沸き起こる。皆、熱狂的に拳を天に突き上げ、その叫びは大地を揺るがすかのようだった。

 

 

----

 

 

 ローブル聖王国首都ホバンスにある聖王の自室で、聖王カスポンド・べサーレスは自らの上司である人物に対して跪いていた。その人物は部屋にある窓から外を眺めながら、カスポンドからの報告を聞いていた。

 

(どのみち、この方は全てこの報告の内容など計画の範疇内のことで、特段興味深くも関心があるわけでもないのでしょうが)

 

 カスポンドは心の中でそう呟く。しかし、カスポンドとしても別にそれに否やがあるわけではない。自分は所詮御方々の被造物である方と比べれば、下僕としての格は遥かに低い。それにデミウルゴスが自分を信頼しているわけでも、重用しているわけでもないことはわかっている。

 

「ふむ。随分と順調に計画は進んでいるようですね」

「やはり、アインズ様がお作りになられた駒の存在にかなり助けられています。こちらが自主的に動かなくても、彼女が自然とこちらの望む通りに動き、民もそれに追従する。聖王家としては彼女を後押しするようにさえしていれば、大抵のことはそれで片がつきますから」

 

 ネイア・バラハはカスポンドの即位式の後、正式に聖騎士団の一員となった。そして、ヤルダバオトとの一連の戦いを通して得られた教訓として、剣のみであった聖騎士団に弓兵部隊も設けるべき、という進言を行った。それを新聖王カスポンド及び、新聖騎士団長グスターボ・モンタニュスが承認し、聖王国北部では公然たる事実である『救国の英雄』魔導王の従者だったネイア・バラハを初代部隊長に抜擢した。

 

 現在は、聖王国の正義の象徴たる戦乙女として、自らの弓兵団及び魔導王の信奉者達を掌握し、北部と南部に分裂し内乱となった聖王国を再び統一する戦いに身を投じている。

 

 今やネイア・バラハは聖王や南部の貴族たちでも無視することの出来ないカリスマを持つ人物として認識されており、聖王国内に一大派閥を築いている。ネイア・バラハを始めとする信奉者、すなわち魔導王を神と崇める者達の数は、およそ百万とも二百万とも言われ、今や北部では感化されていない者の方が少ないくらいだ。聖王国南部でもネイア・バラハの説く正義の教えに共感し、反乱軍から投降するものも増えている。

 

 そして、聖王カスポンドはネイア・バラハを支援することを公言しており、その勢力を積極的に支援していた。

 

「恐らく既に聖王家よりも、ネイア・バラハを、いえ、魔導王陛下を支持している者の方が多いと思われます。中にはアインズ様を神の如き王、即ち神王と呼ぶ者まで出てきているようです」

 

「ほう、神王ですか。人間共が考えたにしては、なかなか良い呼称ですね。やはりアインズ様には王などよりも、神という御位がお似合いになる……」

 

 上機嫌なデミウルゴスの様子を、カスポンドは黙って見ていた。

 

「ふふ、流石はアインズ様。恐らくこのようになることも、全てアインズ様は見越しておられたに違いありません。我々はあのような優れた主にお仕え出来ることに感謝しなければいけません。――そして、いかに我々の上に永遠に君臨して頂くか……。いえ、これは余計でした。今聞いたことは忘れるように」

「はっ」

 

 カスポンドは静かに頭を下げる。デミウルゴスは窓の外を見つめながらしばらく物思いに耽っている様子だったが、やがて口を開いた。

 

「それでは、私はナザリックに帰還しますが、何か必要なものはありますか?」

 

「恐れながら、そろそろ私の死体をご用意いただければ、と愚考致します。この件に関してはデミウルゴス様のご指示を待つべきかと思いましたが、ネイア・バラハの動きが想定よりも早いため、そろそろ手元にあったほうが安心かと」

 

「なるほど。第二段階の終盤にいつ入るのか、あなたでも予測が難しいということですね?」

「はい。それと、第三段階の方針等のご指示も頂きたく存じます」

 

「あなたの要望はわかりました。遺体はこちらに運搬するように手配しておきます。それと第三段階については追って指示書を作成します。それに従って行動するように」

「畏まりました」

 

 カスポンドは深々と頭を下げる。

 

「あなたも随分よく働いてくれましたね。これからも期待していますよ」

 

 少しだけ振り向いて聞こえの良い言葉で下僕を労うと、デミウルゴスは〈上位転移〉を使いその場から姿を消した。

 

 

----

 

 

 アインズから任された聖王国の件が順調であることに機嫌を良くしながら、デミウルゴスはナザリック地下大墳墓に帰還した。恐らくこの報告をすればアインズからお褒めの言葉を賜ることは確実だろう。それに、アインズと共に今後の計画について話し合い、その深謀なる智慧を垣間見られるのは、何にも代えがたい喜びである。

 

 ナザリック第九階層は何時でも至高の御方々の神に等しい御力を感じられ、その地にいるだけでもデミウルゴスの気分を高揚させてくれる。だが、今日はいつもに増して軽い足取りでアインズの執務室に向かって歩いていた。

 

 突然、目的地の方から物凄い音と悲鳴が響くのが聞こえる。静寂を旨とするこの階層では本来あってはならない事態に、廊下の端でデミウルゴスに頭を下げていたメイド達も驚いてざわめく。

 

「な……、まさかアインズ様に何か!?」

 

 デミウルゴスは蒼白になってアインズの部屋まで駆けつけた。常時扉の外に控えている護衛兵達は、部屋の内部から何の指示もないことに動転している。デミウルゴスは護衛を一旦脇に追いやり、ノックをしたが中から返事はなく、非常事態と判断して扉を開けた。

 

「デミウルゴスです。失礼致します! アインズ様、何かございましたか!?」

 

 中に入ると、奥のアインズの寝室に向かう扉が僅かに開いており、その入口でシクススが完全に固まって震えているのが見える。この様子からして、先程の悲鳴は恐らく彼女のものに違いない。デミウルゴスは奥に足を向けながらシクススに声をかけた。

 

「シクスス、どういうことです? アインズ様は!?」

 

「デ、デミウルゴス様、その……、アルベド様が……」

 デミウルゴスの登場でほっとしたのか、シクススが半分泣きながらデミウルゴスの後ろに隠れるように動いた。

 

「アルベドがどうしたのです?」

「その、先程突然いらしたかと思いましたら、アインズ様の寝室に入るなりいきなり暴れ始められて……。一応お止めしようとはしたのですが、お話を全く聞いてくださらないし、私ではどうしようもなくて困っていたところだったんです。アインズ様もセバス様もまだエ・ランテルからお戻りになってませんし……」

 

 そういう話をしている間にも、確かにアインズの寝室から「どおりゃああ!」という叫びとともに妙な地響きが聞こえてくる。デミウルゴスは眉をひそめた。

 

「アルベドが? ……わかりました。シクスス、危険ですから貴女は下がっていて構いませんよ」

「ありがとうございます、デミウルゴス様!」

 

 シクススは深くデミウルゴスに頭を下げると、そのまま部屋からそそくさと退出していった。

 

(やれやれ、アルベドは今度は何が原因で暴走しているのでしょうか……)

 

 これまでの守護者統括の奇行の数々を頭に思い浮かべながら、寝室の扉の隙間からそっと中を覗き込むと、完全に本性を露わにしたアルベドがのっしのっしとアインズのベッドの周囲を歩き回り、あちこちを嗅ぎ回りながら地団駄を踏んでいるところだった。デミウルゴスは深い溜め息をつくと、開いたままになっている扉を強めにノックし、アルベドを睨みつけた。

 

「アルベド、何をしているんです? ここはアインズ様の寝室ですよ」

 

「……デーミウルゴスー?」

 

 のそりと、まさに大口ゴリラとしか形容できない毛むくじゃらの巨体がこちらを振り向く。

 

「せめて本性くらいは隠したらどうですか? その姿では百年の恋も冷めそうですよ。いくら慈悲深いアインズ様でもね」

「なーんですってー!?」

 

 アルベドは「きしゃあぁあ!」という叫びを上げてデミウルゴスを威嚇したが、動じることもなく辛辣な視線を投げつけるデミウルゴスの態度と、アインズの名前で多少冷静さを取り戻したのか、ようやく普段の女神もかくやというサキュバスの姿に戻った。

 

「はぁ……、私としたことがちょっと興奮しすぎてしまったわね。貴方が来てくれなかったら、暴走してアインズ様のお部屋をめちゃくちゃにしてしまっていたかもしれないわ。もし、そんなことをしてしまったら、アインズ様に申し開きをすることも出来なかったでしょう。酷いところを見せてしまって、悪かったわ」

 流石のアルベドも多少バツが悪そうな顔をして、デミウルゴスに謝罪する。

 

「何かあったんですか? いくら貴女がアインズ様のお部屋を使う許可を得ているとはいっても、先程の行為は、私としては看過し難いのですが」

 

 デミウルゴスは腕を組み、若干威圧的にアルベドを問いただした。

 

 アルベドがアインズの寝室で普段やらかしていることは、アンデッドであるアインズにどういう効果をもたらすのか、デミウルゴスとしても多少興味があったので、一応大目に見ていた。しかし、主の部屋を破壊しかねない行為となれば話は別だ。例え、今一番アインズの正妃に近い立場であるアルベドといえど、あまりに不敬が過ぎるだろう。なんといっても、まだアインズに正妃と認められた訳ではない。それに……。

 

(アインズ様はもしかしたら、アルベドを選ばないかもしれませんし)

 

 デミウルゴスは、仮面で顔を隠したアンデッドの少女を思い浮かべる。

 

(イビルアイは現地人で、ナザリックの高位の下僕に比べればレベルもそれほど高くはないですが、アインズ様と同じアンデッドですし、この世界の詳しい知識もある。彼女の持つ知識にはナザリックにとって重要な情報も多い。それに、なによりアインズ様が気に入っておられるご様子。私としては、なかなか悪くない相手だと思いますけどね)

 

「デミウルゴス、貴方は、この部屋で何か気がつくことはないの?」

 自分の考えに耽っているデミウルゴスに、憤懣やるかたない表情でアルベドは言った。

 

「気がつくこと……ですか。貴女が暴れていたのが一番印象深かったですね。それ以外は特にいつもと同じように見えますが?」

 

「香りよ! この部屋に漂う香りがアインズ様の香りじゃないのよ!」

 

 完全な骸骨(オーバーロード)であるアインズ様に匂いなどないだろう、とデミウルゴスは思ったが敢えて口には出さなかった。

 

「どういうことです? 私にはよくわかりませんが……」

「全く、これだから男はダメね。恋する乙女にはわかるのよ! この部屋には、アインズ様の香りじゃない、別の……そう、女の匂いがするの。つまり、私の超超超超愛してるアインズ様の寝室に入り込んだ泥棒猫がいるってことよ!」

 

 そういうと、アルベドは再び部屋の中を嗅ぎ回りはじめた。どうやら匂いの原因を突き止めようとしているらしい。

 

「言われてみれば、多少甘い香りがしますね」

「やっとわかった? 私なんて部屋に入った瞬間に気がついたわよ。でも、一体どこの誰がアインズ様の神聖な寝所に立ち入ったというのかしら? それも私に気が付かれずに……!!」

 

 再び興奮しはじめたアルベドを見ながら考え込んだデミウルゴスは、ふと一つの可能性に思い当たった。

 

「そういえば、先日の王国との晩餐会の時にアインズ様はイビルアイと朝までお話されたと仰っておられましたね。この香り、あの時のアインズ様のお部屋からもしていたような気がします」

 

「ああああ、やっと思い出したわ! どうも覚えがある匂いだと思ったら……!」

 ギリィと大きな歯ぎしりが響く。

 

「でも、一体どうやって? イビルアイはあの後ナザリックには来ていないはず。……たまにエ・ランテルの執務室には来ることがあるけれど」

「そういうことなら、恐らく、その時にアインズ様のお召し物に香りが移っただけでしょう。アインズ様がナザリックにイビルアイを連れてきているという話は私も聞いていませんから」

「確かにそういうことなら、あってもおかしくはないけれど……」

 

 香りについては一応それで納得したようではあったが、それでもアルベドの怒りは収まったわけではなかった。

 

「あの時、アインズ様はあまりにも貴重な情報だったのでつい時間を忘れて話し込んでしまったと仰っておられたわよね。確かにプレイヤーの情報はこれまでアインズ様を随分悩ませてらしたから、その断片でも得られたのはナザリックにとっても益が多いと私も思うわ。でもだからといって、一晩中アインズ様のお部屋に居座るなんて流石に許せないわよ! そうは思わない!?」

 

「アインズ様も朝まで共に過ごされた、というのは少々軽率な行動だったと反省しておられましたし、それでいいではありませんか。別にイビルアイが御寵愛を賜ったわけでもないわけですし。それにアインズ様は我々にも及びもつかない深遠なるお考えの下で行動される御方。あの件も、恐らく遠い未来を見据えた上での布石を打っていらしたのかもしれません」

 

「確かにそういう可能性は否定出来ないわ。私だってアインズ様のお考えの全てを把握出来ているわけじゃないもの。でも、それは貴方だってそうでしょう? デミウルゴス。それに、それとこれとはやっぱり同じには出来ないわよ! 私はアインズ様に愛することを命じられているというのに……、まだ、たったの一度も! 夜にお側に呼ばれたことなんてないのよ!?」

 

 これは、前回よりも宥めるのに苦労しそうだ。デミウルゴスはアルベドには聞こえないように独りごちた。

 

 王国との晩餐会の翌朝、イビルアイが朝帰りしたことを知ったアルベドがアインズに詰め寄り、自分とパンドラズ・アクターで必死になって抑え込もうとしたが、力のあまり強くない二人では上手く行かず、結局他の階層守護者も巻き込んだ大騒動になった。本来なら王国の一行を見送るのはアルベドの予定だったが、急遽セバスに変わってもらい、アインズと階層守護者全員は緊急会議――という名のアインズ審問会――になったことを思い出して、デミウルゴスはため息をつく。

 

「アルベド、貴女も守護者統括なのですから、イビルアイの価値についてはわかっているでしょう? アインズ様のお考えの通り、彼女はなんとしてでもナザリックに取り込むべき人材です」

「そんなことはわかってるわよ! でも、後から来た小娘にアインズ様の隣の席を取られるなんて、許せるわけないでしょ!?」

 

「それは貴女の行動次第なのではありませんか? 何より、守護者統括である貴女は、一番アインズ様の御側に侍る時間が長いはずです。だとしたら、たまに来る程度のイビルアイにそんなに目くじら立てる必要などないでしょう。それに――」

「それに?」

 アルベドは不審そうに首を傾げた。

 

「元々アインズ様ほどの御方の妃が一人ではおかしいと話していたのは貴女とシャルティアだったはず。であれば、別にその末席くらい他の者に許してやってもいいではありませんか」

「それは……、正妃が私ということであれば、別にイビルアイが多少お情けをかけられるくらいは気にはしないけど……」

 

「貴女がすべきことは、アインズ様の御心をつかみ、閨に呼んで頂けるように努力することでしょう。少なくともアインズ様にとって最も近い地位にいる貴女が一番チャンスがあるのは間違いないのですよ? 良妻たるもの、多少のことで動じてはいけないと私は思いますけどね」

 

「――確かに、デミウルゴスの言う通りだわね。少し私も頭に血が上りすぎたようだわ」

 

 ようやく気持ちが落ち着いたのか、アルベドはいつもの淑女然とした微笑みを見せた。

 

「ご理解頂けたのなら結構ですよ。しかし、私も今は貴女が正妃になる方がいいと思っていますが、貴女があまりにもアインズ様にご迷惑をおかけするようなことばかりするのなら、私にも考えがありますよ。それは忘れないで頂きたいですね」

 

 デミウルゴスの厳しい視線を、アルベドは穏やかな笑顔で受け止めた。

 

「わかっているわよ。私だって、出来るなら貴方には味方でいて欲しいと思っているし」

「それならいいんですがね」

 

 デミウルゴスは軽く肩をすくめた。

 

「ところで、アルベド。私はアインズ様にお会いしたくてここに来たのですが、今はエ・ランテルにおられるということで間違いないですか?」

「ええ、そうよ。午前の執務の後、アインズ様はまだしばらく執務室におられると仰られたので、私だけナザリックに戻ってきたの。少しだけ気分転換をしたかったから……」

 

 アルベドの目が獲物を狙う爬虫類のようなものに変わり、せっかくの美女が台無しになったところで、アルベドが何をするためにこの場所に来たのか悟ったデミウルゴスは、急ぎの用があるからとアルベドの前を辞した。

 

 

----

 

 

 ナザリック第九階層から地上へと向かう通路を歩きながら、デミウルゴスは溜め息をついた。

 

(全く困ったものですね。アルベドは優秀だし、我々至高のお方々の御手で創造された者の中では最高位と定められている。理想を言えば確かに彼女がアインズ様の正妃となり、御世継ぎを授かるのが一番良いのでしょう。しかし――)

 

 これまで守護者統括が至高なる主に対して行った不埒な行為は、デミウルゴスが把握しているだけでもかなりの数になる。ましてや、デミウルゴスは様々な用件でナザリックを離れていることも多く、自分が知らないものもあるかもしれない。アインズのこととなると普段の聡明さが失われ、後先考えなくなるアルベドに多少苛つくのを感じる。

 

 今ナザリックで正妃候補として名乗りを上げているアルベドとシャルティアは、守護者統括と階層守護者。地位としてはどちらも申し分のない相手だ。しかし、アルベドは畏れ多くもアインズに襲いかかって謹慎処分を複数回受けているし、シャルティアはいくら洗脳されていたとはいえ、アインズに反逆し剣を向けている。そういう意味では、二人とも正妃に相応しいとはいい難い。

 

 ただ、他に女性の守護者となるとアウラしかいない。アウラはまだ幼いものの、理性的に物事に対処できる能力もあるし、アインズも我が子のように可愛がっている。もしアウラにその気があるなら、選択肢としてはあの二人よりも好ましいかもしれない。もっともアウラはまだ七十代で、御世継ぎを儲けるという点ではまだ少し早すぎるのが難点だが。

 

 デミウルゴスは、正直言えばアインズの正妃が誰であるかについてはこだわりはなかった。大切なのは、アインズが愛着を持つ相手と結ばれることで、他の御方々のように『りある』という地に去られることなく、この世界で自分達の上に長く君臨してもらうことであり、万一の保険としてアインズの世継ぎを得ること、それだけだった。

 

 だから、アインズの相手がナザリックの者であるのは理想だとは思うけれども、御世継ぎさえ得られるのであれば、相手が現地人だろうが、そう、例え劣等種である人間だろうが構わないと思っていた。その相手をアインズが望むのであれば。

 

(私もこれまで牧場で様々な交配実験を行ってきましたが、結果はどれも芳しくはありませんでした。しかも牧場で実験したのは、比較的種が近い人間と亜人だったにも関わらず、まだ確実な異種交配法すら確立出来ていない。だとすると、我々のような異形種では異種交配自体出来ない可能性すらありえますね)

 

 しかも、アインズはアンデッドだ。アンデッドとは本来生命の理から外れた存在である。となると、他の異形種よりも生殖自体が困難なのは容易に予想できる。いや、それよりもデミウルゴスにとって重大な問題があった。

 

 ――そもそも、アインズ様は生殖能力をお持ちなのでしょうか?

 

 あまりにも不敬な考えだが、目を逸らすわけにはいかない。

 

 転移直後、羊皮紙の件について話に行ったついでに、デミウルゴスは最古図書館の司書長であるティトゥスに密かに相談したことがある。その時ティトゥスには、はっきりと断言された。

 

『アンデッドには生殖能力はない。特にスケルトン種はそもそも生殖器官すらない。支配者アインズ様なら、自分達とは違う特別な御力がある可能性は否定できない。しかしスケルトンメイジである私も、図書館にいるオーバーロード達もエルダーリッチ達も、子を為すことは不可能である』

 

 以前、デミウルゴスがアインズに風呂を共にしたいと提案したことがある。アインズには、懇親を深めるのに風呂が良いと聞いたからだと説明したが、本音はアインズの身体を間近に見て生殖器があるかどうか確認したかったのだ。そして、デミウルゴスが見る限り、残念ながらアインズにはそのようなものは存在しなかった。となると、そもそもアインズに世継ぎを望むのは無理なのかもしれない。そう思うだけで、デミウルゴスは背筋が凍るような思いに駆られる。

 

 聖王国での作戦で、アインズにヤルダバオトに敗れて死ぬことを提案された時の恐怖は、今でもデミウルゴスの心の中で深い傷になって残っていた。アルベドの前では強がって見せたが、正直に言えば、アインズが死ぬ、ということをデミウルゴスは受け入れることが出来なかったのだ。

 

(確かにあれは、作戦としては非常に効果的ではありました。結果として、アインズ様が亡くなられたという情報が流れた場合の他国の反応を知ることも出来ましたし、我々としても、万が一に備えて考えなければいけない点がたくさんあることを認識させられました。まさに智謀の王であるアインズ様でしか考えつくことの出来ない、優れた知見であったと申せましょう。私自身、普段どれだけアインズ様に支えられていたのか改めて思い知らされましたし)

 

 しかし、あの一件の後、デミウルゴスにとってアインズの世継ぎを得ることは至上命題となった。そのためなら手段を選ばない覚悟もある。

 

(そういえば、セバスとツアレには今だに子どもが出来る気配がありませんね。人間形態の竜人のセバスであれば、人間のツアレとも子を成しやすいかと思っていましたが、そう簡単な問題ではないかもしれません。やはり、セバスだけに任せておかず、私自身でも実験した方がいいかもしれません)

 

 ヤルダバオトとして亜人を率いた際に、自分の子種を褒美として欲しがった亜人達がかなりいたことを思い起こし、デミウルゴスはほくそ笑む。ヤルダバオトの仮面はもう使えないが、強者の子種を欲しがる者達であれば、別に自分でも問題なく受け入れることだろう。実験対象には事欠かないはずだ。

 

 しかし、肝心のアインズにそのような能力がないのであれば、いくら実験をしたとしても全く意味はない。ナザリックの戦力強化の一環にはなるかもしれないが。

 

(アインズ様に直接お伺いすれば、慈悲深いあの御方のこと、恐らくお答え頂けるのでしょうが。さすがにそれは、いくらなんでも不敬過ぎるでしょう)

 

 そこまで考えて苦笑したデミウルゴスは、アインズ本人に擬態することが出来るパンドラズ・アクターなら、何かわかるかもしれないというアイディアが閃く。どのみち、これからエ・ランテルに行くのだし、恐らくパンドラズ・アクターもエ・ランテルにいるはずだ。パンドラズ・アクターは多少うざったいところはあるが、アイテムに関する造詣の深さも、創造主から与えられた能力も比類ないものだ。少なくともこの件では彼の協力がなければ、デミウルゴスの望みを達成するのは不可能に思える。

 

(アインズ様にお会いする前に、パンドラズ・アクターのいるエ・ランテルの館に行ってみますか。いなければ、次の機会でも構わないことだし)

 

 ナザリックの地上部にたどり着いたデミウルゴスは、念のため、影の悪魔を一匹パンドラズ・アクターへの伝令として放ち、蛙頭の形態に変化すると、エ・ランテルへと転移した。

 

 

 




佐藤東沙様、アンチメシア様、ant_axax 様、瀕死寸前のカブトムシ様、誤字報告ありがとうございました。


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デミウルゴスの憂鬱(後編)

 エ・ランテルの街中をデミウルゴスが歩くのは久方ぶりだった。ナザリックとは比べるべくもないが、この街は敬愛する主が、元の酷く薄汚れた地をここまで美しく整えられたのだ。そう考えれば、雑多な建物や少々歪みのある石畳の通りも、その辺を彷徨いている人間達すら多少可愛らしく思えてくるから不思議なものだ。

 

(もう少し魔導国の国民達に、アインズ様に治めていただいている幸福を理解させたいところですね。しかしそのために企画した巨像計画だけではなく、アインズ様を称える祭りも全て中止になってしまったとアルベドが嘆いていました。私も良い手だと思っていたのですが、一体何がアインズ様のお気に召さなかったのか。アルベドともう一度検討してみなければ……)

 

 旧都市長の館を警備する地下聖堂の王に軽く挨拶をして門を通り抜け、パンドラズ・アクターが使用している館に向かう。館の近くにある馬小屋からは、もう昼も近いというのに規則正しい寝息が聞こえてくる。少しだけ中を覗き込むとハムスケがデスナイトを枕にして熟睡しているのが見え、デミウルゴスは軽く舌打ちをした。

 

 いくらアインズのペットとはいえ、流石にこれはどうなのか。デミウルゴスは偉大なる主に仕える者としての心構えを、ハムスケにどうやって叩き込むべきか一瞬頭の中で考えを巡らせるが、今日の目的はそれではないと思い直す。

 

 扉をノックすると勢いよく扉が開き、パンドラズ・アクターが顔を出した。どうやら、影の悪魔の伝言でこちらを待ち構えていたらしい。

 

「ようこそ、お出でくださいました! デミウルゴス殿。ささ、中へどうぞ!」

 

 まるで役者が舞台挨拶するかのようなオーバーアクションの出迎えに若干引くが、ナザリックの仲間である彼を邪険にするつもりはない。デミウルゴスはなるべく平静を保ったまま挨拶した。

 

「急に訪ねて悪かったね、パンドラズ・アクター。何か用事があったんじゃないかね?」

「いいえ、今日は特にはございませんとも! 午後から冒険者組合に顔を出すことになっておりますが、それが終わり次第ナザリックに戻る予定でしたので!」

 

「……そうかね。それなら良かった。実は君に折り入って相談したいことがあったんだよ」

「私に相談ですか? まぁ、立ち話もなんですし、どうぞ中にお入りください」

 

 相談と聞いて一瞬怪訝そうに首を傾げたようだが、パンドラズ・アクターのつるりとした無表情の顔では、正直何を考えているのかは全くわからない。デミウルゴスは黙ってパンドラズ・アクターの後について館の応接室に向かい、勧められたソファーに腰を下ろした。

 

「それで、デミウルゴス殿は、私に一体どのようなご相談だったのでしょう?」

 

 派手なモーションで向かい側のソファーに座ったパンドラズ・アクターに、どのように切り出したものか一瞬迷うが、今回の件で彼を敵に回すのは得策ではない。であれば、率直に話をするのが良いだろう。

 

「パンドラズ・アクター。君はアインズ様の御世継ぎについてはどのように考えているのだね?」

「アインズ様の御世継ぎですか? 私は特に何も考えてはおりませんが……。デミウルゴス殿は何かお考えなのですか?」

 

「私は以前から、アインズ様には然るべき方を妃として迎えて頂き、御世継ぎを作っていただきたいと思っているのだよ。なにしろ、今や我々に残された至高の御方はアインズ様お一人のみ。ナザリックの正当な支配者であられるアインズ様の血を引く後継者を望むのは、臣下として当然だろう?」

 

「はぁ……、なるほど……」

 

 パンドラズ・アクターのやる気のなさそうな返事を聞いて、デミウルゴスは少々腹を立てる。そもそも、パンドラズ・アクターは創造主が常に身近にいる唯一の被造物だ。そのパンドラズ・アクターが自らの創造主の将来を考えずしてどうするのだ。所詮恵まれた立場にある彼には、自分達のように、ある意味見捨てられた者の気持ちなど理解出来ないということなのかもしれない。

 

「――ただアインズ様にもこれまで何度か進言して来たのだが、なかなか具体的なお話には至らないご様子。それで君に相談したくてね。それと出来ればこの件に関して、君にも協力してもらえると助かるのだが」

 

「うーん、協力ですか……。まぁ、私としましても、デミウルゴス殿のお気持ちもわからなくはないですから、協力するのは構わないんですけどねぇ……」

 

 パンドラズ・アクターの歯切れの悪い返事に、デミウルゴスは若干冷たい視線を投げかける。そもそも、これはナザリックにとっては非常に優先度の高い重要な案件だ。それなのに、こいつは何故こんなに興味を示さないでいられるのか。

 

 デミウルゴスがイライラしているのに気がついたのか、パンドラズ・アクターは多少姿勢を正し、おもむろに口を開いた。

 

「デミウルゴス殿。正直言いまして、アインズ様ご自身がそれをお望みならともかく、現状では特にそのようなご様子もありませんし、私はまだ時期尚早なのではないかと思っているのですが。あれほど統括殿やシャルティア殿に迫られても、全くご興味を示しておられないでしょう?」

 

「確かに、アインズ様があまり異性に興味があるようには見えないのは私も同意するよ。しかし魔導国を建国して、もう数年になる。いくらアインズ様がアンデッドで寿命を持たない存在だとしても、いつまでも国を治める王が妃を持たないというのは問題だろう?」

「その点は同意致しますけどね。いずれはアインズ様の隣に座る方が必要だと、私も思ってはいますし」

 

 それならもう少し真摯に考えてくれてもいいだろう、とデミウルゴスは思うが、口には出さなかった。

 

「パンドラズ・アクター、これは少々不敬な話かもしれないが、アインズ様のお姿を写すことが出来る君に教えて欲しいことがあるんだがね。アンデッド全般……、いや、アインズ様はやはり性欲とかそういうものはあまり感じてはおられないのだろうか? シャルティアを見ていると、アンデッドかどうかは性欲の有無とはあまり関係ないようにも思えるのだが、アインズ様は女性に対して、殆どその手の反応をなさらないようにお見受けするのだよ」

 

「シャルティア殿はむしろ例外に近いかもしれませんね。アンデッド全般に言えるかどうかはわかりませんが、少なくともアインズ様は性欲はそれほど感じておられないかと。そもそも生殖機能がお有りではありませんし。生物としてのそういう欲とは無縁であられるとは思います」

 

「――やはり、そうなのか……。そうすると、アインズ様が御世継ぎを作られるのは無理だと君は思うかい?」

「正直に申し上げて、かなり難しいと言わざるを得ませんね。少なくともオーバーロードであられる以上は無理なのではないかと推測します。アインズ様がアンデッド以外に種族変更なさるか、もしくは、アンデッドに生殖を可能にする何らかの魔法やアイテムがあれば別だとは思いますが」

 

 ある程度予期していた内容ではあったが、パンドラズ・アクターの口から事実として告げられると、やはりデミウルゴスの落胆も大きかった。

 

「私としては、アインズ様に種族変更をお願いするのはあまりにも不敬ですし、それだけは避けたいですね」

「その件に関しては、私も絶対反対です。もしデミウルゴス殿がそのようなことをアインズ様に申し上げるおつもりでしたら、私としてはこの件に御協力は致しかねます」

 

 勃然としたパンドラズ・アクターの物言いに、思わずデミウルゴスは苦笑した。

 

「となると、魔法かアイテムか。君はそういうアイテムに心当たりはないのかね?」

 

「……そうですね、私が知っている範囲で宜しければ、奇跡に近いことを可能にするワールドアイテムが存在します。名前は『永劫の蛇の指輪(ウロボロス)』ですね。但しこれは効果が強力な代わりに一度しか使用できませんので、そのような用途に使われることをアインズ様が同意されるとは思えません。それと、アインズ様がお持ちになられているレアアイテム『流れ星の指輪(シューティングスター)』も使用者の願いを叶えることが出来ますので、『永劫の蛇の指輪』と似たようなことが可能かと。但しこれもかなりの希少品ですので、使用されるかどうかはアインズ様の御心次第でしょう。それ以外ということであれば、新たにそのような効果を持つものを作成する、もしくは、この世界にそのような効果があるものがないか探す、ということになると思いますが」

 

「ふむ、どれもかなり難しそうですね……。そういえば、シャルティアを洗脳したというワールドアイテムも未だ見つかっていませんでしたね」

「私としては、あれの探索も急いだ方がいいとは思いますよ。それに、他にもこの世界にはワールドアイテムが存在している可能性は否定できませんから」

 

「なるほど、わかりました。『永劫の蛇の指輪』は、機会があったら探してみることにしましょう。それと、この世界独自の魔法もあるそうですから、そちらに何か役に立つものがあるかもしれません。それも私の方で少し調査してみることにします。パンドラズ・アクター、君はよかったら、何かそのような効果を持つアイテムを作れないかどうか検討してもらえないかね?」

 

「そのくらいでしたら喜んで。ただ、実現できるかどうかの保証はいたしかねますよ?」

「それは仕方がない。私としては一つでも多くの可能性が欲しいのでね。君が試してみてくれるだけでも有り難い」

 

 デミウルゴスは素直に礼を言い、パンドラズ・アクターは自らの軍帽をわざとらしく直した。

 

「――正直、デミウルゴス殿がそこまで真剣にアインズ様の御世継ぎを欲しがっていらしたとは知りませんでしたよ。たいしたことをお話し出来たわけではありませんが、多少はお役に立てましたでしょうか?」

 

 埴輪のような顔で首を傾げた宝物殿の領域守護者に多少苛つくものを感じたが、デミウルゴスはそんなことは微塵も見せずに余裕のある笑顔を見せた。

 

「ああ、もちろんだとも。パンドラズ・アクター。流石に君はアインズ様に創造されただけあって非常に優秀だからね」

 

 デミウルゴスは自分の言葉に若干羨望の響きが混じってしまったことに気が付き、苦い思いを噛みしめる。

 

 創造主であるウルベルト・アレイン・オードルを、他の至高の御方とは比べ物にならないほど崇敬しているのは真実だが、至高の主人であり絶対支配者であるアインズに対する敬意や愛情も、それに匹敵する物になりつつある自覚はある。先日、聖王国の一件でアルベドに言われたことで自分が怒りを覚えたのは、その気持ちを疑われたことに対する不快感以外の何物でもない。

 

 ――ただ、もしウルベルト様とアインズ様が御二人並んでその御手を自分に差し出したとしたら……、自分は果たしてどちらの手を取るのだろうか。

 

(いや、そんなことはありえない。ウルベルト様は既にお隠れになって久しいのだから……)

 

 デミウルゴスは、軽く頭を振って余計な考えを振り払う。そんなデミウルゴスの様子を不思議そうに眺めていたパンドラズ・アクターは、空間から一冊の本を取り出してデミウルゴスの方に差し出してきた。

 

「パンドラズ・アクター。何ですか、この本は?」

 

「――デミウルゴス殿。実は私の方からもご相談したいことがあったんですよ。まずはこの本を読んで頂けます?」

 

 何をいきなり言い出すのだろうと思いつつも、渡された本を手に取りページを捲る。内容は王国語で書かれているらしく、デミウルゴスは、パラパラとページを捲りおよその内容を把握した。

 

「どうやらアインズ様の黒騎士姿によく似た人物の冒険譚に思えるが、これがどうかしたのかね?」

 

「それ、多分、名前を変えているだけで主人公はモモンのつもりなんだと思います。蒼の薔薇のラキュースから何故か貰ってしまったんですよ。どうしても私に読んで欲しいとかで」

 

「蒼の薔薇のラキュースがそんなことを? しかし、それなら自分で読めばいいでしょう、パンドラズ・アクター。何故私に寄こすのです?」

 

「デミウルゴス殿。まだこれはアインズ様にはお話ししていないのですが、どうも最近のエ・ランテルでは、アインズ様が築かれた平和に慣れすぎて、風紀が乱れてきつつあるようなのです。このままでは、アインズ様の偉大な治世に悪影響を及ぼすことになるかもしれません」

 

 珍しく、パンドラズ・アクターはいつもとは違う真面目な口調でデミウルゴスに話した。

 

「私はその本を読んで、なかなか面白い読み物だと思ったのです。モモンらしき英雄も格好良かったですし、英雄の活躍というストーリーもわかりやすい。決め台詞とか技の名前なんかは、モモンとして参考にしてみたいと思ったくらいです。――それでふと思ったのですが、こういう英雄譚のような話なら魔導国の国民にも読みたがる者は多いのではないかと。アインズ様がお創りになられた、モモンという英雄は非常に人気ですし。そして、このような面白くてわかりやすい、国民が夢中になれるような娯楽本とでも言うのでしょうか? そういうものが容易く手に入るようになれば、平和に浮かれて不埒なことをする輩も少しは減って、よりアインズ様が治めるに相応しい国になるのではないかと思いまして」

 

「……なるほど。そういうことですか」

 

 デミウルゴスは、改めて手元の本を捲る。確かにこの本は、主人公がモモンであるとは書かれていないが、知っているものなら間違いなく『漆黒のモモン』の物語だと思うだろう。そして、端々に表現されている凝った台詞などはデミウルゴスとしても興味をそそられるものだった。

 

(ウルベルト様も確かこのような物がお好きだった気が……。七階層に残されていたウルベルト様の秘密の書物にもこんな感じの文句が数多く書かれていました。もしかしたらラキュースというのは、単に現地人で蘇生魔法が使用できるレアな存在というだけではなく、このような点からも非常に得難い人材ということだったのでしょうか。そして、アインズ様はそのことまでも見抜いた上で蒼の薔薇を魔導国に取り込もうと……? なんということでしょう。まさに端倪すべからざる御方……!)

 

 アインズの先見の明に心を打たれつつ、本を読み流していたつもりが、その面白さについ内容に引き込まれてしまう。もっと早くこの本を読んでいれば、ヤルダバオトを演じる際に試してみたかったこともいくつか思い浮かぶ。

 

 国民に知識を与えるのは要検討としても、文化レベルを引き上げるというパンドラズ・アクターの提案は今後の魔導国にとって重要なことに思える。それに、モモンの冒険譚だけではなく、アインズ自身の活躍を描いた物語などがあれば、魔導国の国民にアインズの素晴らしさをより広める助けになるかもしれない。

 

 恐らくパンドラズ・アクターはアインズの深遠なる考えを見抜き、先んじて行動しようとしているのだろう。流石はアルベドや自分と並ぶ智者として設定されているだけのことはあるとデミウルゴスは舌を巻いた。

 

「ただ、いくつか問題があります。一つは、この世界では紙が貴重品で本が非常に高価な代物だということと、もう一つは国民の識字率が低いことです。この辺りはアインズ様とも相談してということになるかとは思いますが、羊皮紙の件ではデミウルゴス殿が非常に大きな貢献をされていたことですし、まずは廉価な紙の調達方法についてデミウルゴス殿のご意見を伺いたかったのです」

 

「確かに、廉価な紙の入手法を確立しないと本を一般に流通させるのは難しいでしょう。ただそれは今私がやっているスクロール用の羊皮紙を作成する方法では難しいですね。あれはやはり手間暇もかかりますし、材料も、それなりに特別な物を使用していますから。むしろ、この世界独自の生活魔法を使用した方法を発展させるか、それとも全く別の方法を考えてみるといいかもしれませんね」

 

「なるほど。流石はデミウルゴス殿。非常に参考になりました」

「いやいや、それはお互い様だろう? 面白い本を見せてもらえて感謝するよ。それでは、私はアインズ様に用があるので、今日はこの辺で失礼させてもらおう」

 

 妙に殊勝な雰囲気で頭を下げる宝物殿の領域守護者に、デミウルゴスは機嫌よく本を返した。

 

 

----

 

 

 パンドラズ・アクターと思ったよりも話し込んでしまったため、時刻は昼をすっかり回ってしまった。こんな時間に執務室を訪ねたらご迷惑かもしれないと思いつつ、デミウルゴスは旧都市長の館の廊下を少々急ぎ足で歩く。ツアレが廊下の端で頭を下げているのが見える。いつもなら声をかけてセバスとの状況を確認するところだが、今日は軽く手を振って挨拶するだけに留めた。

 

 執務室の入り口で本日のアインズ当番であるフォスに取次を頼み、入室すると、執務机で何やら一生懸命書き物をしていたらしいアインズと、そのすぐ脇に立ってあれこれ話をしているイビルアイがいた。その反対側には少し離れてセバスが控えている。

 

 アルベドの度重なる乱行騒ぎで、アルベドが侍る際はセバスが監視兼護衛も兼ねてアインズの側に付くことになったとは聞いていたが、この時間帯ならセバスの顔を見ずに済むと思っていたのに……。

 

 一瞬こちらを見ているセバスと目が合い、お互いに不愉快なものを感じて、すぐに目を逸した。

 

「失礼致します、アインズ様。……もしかして、お邪魔でしたでしょうか?」

 

「いや? 別に構わない。まだ午後の執務時間までは間があるし、これは仕事というわけではない。お前の話を聞くくらいの時間ならあるぞ」

「あ、あの、えっと、それではアインズ様、私はこれで……失礼します。また、今度時間がある時に伺います」

 

 アインズは書き物をしていた手を止めて、頭を下げているデミウルゴスに向き直り、どことなく居心地の悪そうな雰囲気になったイビルアイは、アインズとデミウルゴスにぺこりとお辞儀をして、部屋から出て行こうとした。

 

「ああ、イビルアイ、待ちなさい。後からお邪魔したのは私の方ですし、私が出直しますよ」

「え? でも……」

 

 戸惑った様子のイビルアイは足を止め、デミウルゴスとアインズを交互に見ている。デミウルゴスは、イビルアイに気にするな、という風に軽く手振りをして、アインズに恭しく礼をした。

 

「アインズ様、少々ご相談したいことがございますので、宜しければ今夜にでもお時間を頂けないでしょうか?」

「お前の相談であれば何時でも構わないとも、デミウルゴス。では夜の八時にナザリックの私の部屋に来てくれるか? 出来れば、相談内容を簡単に纏めた資料を作ってきてくれると有り難い」

「承知致しました。――ところで、アインズ様、何をなさっておられたのですか?」

 

「ああ、これか? 最近イビルアイから、私の知らないこの世界の知識を教えてもらっていたんだが」

 

 アインズは机の上に乱雑に置かれた羊皮紙を手にとると、一旦書いていたものを纏めて畳もうとしたが、途中で気が変わったのか、あまり上手とは言えない王国文字を書き散らした羊皮紙を一枚デミウルゴスに見せた。

 

「――そのついでに、忙しくて勉強がなおざりになってしまっていた王国語の読み書きを習っていたんだ。やはり、いつまでも出来ないままでは問題だからな。これでも前よりは上達したと思うのだが、なかなか上手くはいかないな」

 

 アインズは苦笑いをした。

 

「左様でございましたか。ご多忙なアインズ様がそこまでされる必要はないと思いますが……。それと僭越ながら、王国語であれば私やアルベドでもお教えすることも出来ますが?」

 

「まぁ、そうかもしれないが、やはり出来るに越したことはないだろう? 上に立つ者が言葉もよくわからないというのは情けない話だと私は思う。それに、多忙なお前達に頼むのも気が引けるしな。……ああ、私は別にイビルアイが暇だと言っているわけではないぞ? それに王国語を習うのはあくまでもついでで、教えてもらえる知識の方が私にとっては非常に重要なのだから」

 

 恐らくイビルアイを気遣ったのだろう。アインズは優しく声をかけた。

 

「あ、あの、私は皆様方に比べれば、その、忙しいというわけでもないですし……少しでもアインズ様のお役に立てるなら、光栄です」

 イビルアイの仮面の端から見える耳が赤く染まっているのを見て、デミウルゴスは微笑ましいものを感じる。

 

「そういうことでしたか。――ところでアインズ様、御勉学はいつもなさっておいでなのですか?」

「いつもという訳ではない。たまにイビルアイと時間が合った時だけだな。だがそれでも大分捗っている。イビルアイ、本当に感謝しているぞ」

 

 アインズはイビルアイに向かって笑いかけ、イビルアイは何処となく照れくさそうにしていたが、アインズにそう言われてまんざらでもなさそうだった。

 

(なるほど。確かにこれはアルベドが荒れる気持ちもわからなくはないですねぇ)

 

 属国や支配下に置いた部族も増え、それに伴ってアインズの決裁が必要な仕事がかなり増えているとアルベドから聞いているが、その中でわざわざ時間を割いてイビルアイと会っているというのは、いくら必要性を理解していてもやはり面白くはないのだろう。だからといって、先程のような行為は許せるものではないが。

 

「それでは、アインズ様、また後ほどお伺いします。イビルアイ、邪魔をして悪かったね」

「い、いえ! 私こそ、大事なお仕事の邪魔をしてしまったようで……」

「イビルアイ、そんなことはないとも。気にしないでくれたまえ。それでは、アインズ様、御前失礼致します」

 

 

----

 

 

 執務室を辞し、ナザリックに戻るべく廊下を歩いていると、館の奥の方からアルベドが来るのが見える。恐らくシャルティアの〈転移門〉で移動してきたのだろう。

 

(あまり宜しくないタイミングですね。まだイビルアイはアインズ様の執務室にいるはず。鉢合わせすると先程の二の舞になりかねない)

 

 アルベドが単にアインズの怒りを買うだけならどうでもいいのだが、それが高じてアインズがナザリックを見捨てる原因にでもなったら……。

 

 今朝の騒動を思い返すと、悪魔である自分ですら若干胃が痛むのを覚える。しかし、一歩間違えるとアインズに多大なる迷惑をかけかねない以上、自分が何とか上手く立ち回らないといけないことはわかっている。

 

(正直、今日はもうアルベドと顔を合わせないで済ませたかったのですが)

 

 アルベドもデミウルゴスに気がついたのか、にこやかに微笑みながら近付いてくる。

 

 ――こうなったら、腹をくくるしかありませんね。

 

 デミウルゴスは余裕のある態度でアルベドに向かって軽く手を振り、とびきりの笑顔を作ると機嫌よくアルベドに話しかけた。

 

「やあ、アルベド。今からアインズ様の執務室に行くのかね? ――実は、少しばかり君の意見を聞きたいことがあるのだが、良かったら少し付き合ってくれないか? どのみち午後の執務時間にはまだ時間があるんだろう?」

 

「あら、もちろんよ。貴方の相談なら、何時でも歓迎だわ。でも、廊下で話すのはイマイチね。せっかくだから、執務室でアインズ様に一緒に聞いていただくのもいいと思うのだけど」

 

 そのままアインズの執務室に直行しそうな勢いのアルベドを見て、デミウルゴスは焦った。

 

「あ、いや、アインズ様のお耳に入れる前に少し内容を精査したかったんだ。だから、どこか適当な部屋で聞いてもらえると嬉しいんだが」

「それなら、私が仕事で時々使っている部屋があるから、そちらにしましょうか?」

「いいね。助かるよ、アルベド」

 

 アルベドの案内についていきながら、デミウルゴスはアルベドに気付かれないように、深い溜め息をついた。

 

 執務室でのアインズとイビルアイの様子は、イビルアイはともかく、アインズの方はまだ恋愛関係というよりも友人関係に近いもののようにも思われた。しかし、あそこまで外部の者に心を開いたアインズをデミウルゴスは見たことはなかった。

 

 恐らく、アルベドはアインズをイビルアイに奪われてしまいそうな現状に焦りを感じているに違いない。ナザリックの者としては理解できなくはないと思いつつも、面倒な火種にならないように自分がなんとか対処しなければ、とデミウルゴスは決意する。

 

 自分が欲しているアインズの世継ぎを得るためにも、偉大なる主人であるアインズ自身のためにも。

 

 慈愛の君であるアインズがこの世界で多少なりとも幸福を感じてくれているならば、他の至高の御方々のように、我々被造物を置き去りにして『りある』にお隠れになられることはないだろうから……。

 

 

 

 

 




エーテルはりねずみ様、佐藤東沙様、アンチメシア様、ant_axax 様、誤字報告ありがとうございました。

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 この話を書いていて、アインズ様が普段はめていない左手薬指の指輪(宝物殿で通常保管している)は『永劫の蛇の指輪』なんじゃないかと思えてきました。

 『傾城傾国』が装備しないと使えないなら、名前からして指輪である『永劫の蛇の指輪』も何処かの指にはめて使う必要があり、誰かがその装備枠を確保する必要がある筈で、普段使うことはないから、外して宝物殿で保管しているけど、万一使う必要が出てきたら、その時は代表としてギルド長よろ、というのはありそうかなあと。

 ただの妄想ですが、辻褄は合う気もするので、この話の中では、AOG保有している2つの20の片方は『永劫の蛇の指輪』である、という設定で行こうと思います。


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第三章 望国の吸血姫
1: エ・ランテルの日常


時系列的には第二章の一年後、前の話の約二ヶ月後くらいから始まります。


 昼過ぎのエ・ランテルを仮面を被った小柄な魔法詠唱者が一人で歩いていく。

 

 別にそれはエ・ランテルでは珍しいことではない。アインズ・ウール・ゴウン魔導国では、魔導王の考える冒険者像に憧れ、大勢の冒険者が集まってきている。その中には人間や森妖精等の人間種だけではなく、見たこともないような種族のものも少なくはない。

 

 しかし、その誰もが魔導国の門をくぐり、冒険者として登録すれば皆同じ目的に向かって協力する仲間達だ。そして、それを当たり前のように、今のこの国の人々は受け入れてくれていた。

 

「イビルアイ様! こんにちは」

 通りすがりのやんちゃな子どもたちに声をかけられ、イビルアイは軽く手を振って挨拶を返す。

 

 アダマンタイト級冒険者が憧れの対象なのは、どこの国も同じだ。キラキラした目で見られて多少こそばゆくもあるが、イビルアイは、それでもなんとなく嬉しい気分になる。

 

(リ・エスティーゼ王国では、私を怖れている者も結構いたからな……)

 

 仮面に隠した素顔を決して見せようとせず、どう見ても幼い少女のように見えるイビルアイを、胡散臭い目で見ているものがいたことは知っている。そもそも、魔法の習得にはある程度の時間がかかるというのは常識だ。少し考えれば、年若くして高位魔法を使いこなすイビルアイの存在が、普通じゃないことなんてすぐわかる。

 

 それでも面と向かってとやかく言われることがなかったのは、イビルアイがアダマンタイト級である蒼の薔薇の一員だったからにすぎない。そうでなければ、イビルアイには王国に居場所なんてなかっただろう。

 

(まぁ、それもこれもリグリットが余計なことをやってくれたせいだがな!)

 

 心の中で親友に悪態をつくが、彼女がその『余計なこと』をしなければ、彼と出会うこともなかったかもしれない。だから、この件については特別許してやらなければいけないだろう。それに元々は、帰る場所も行くあてもなく彷徨っていた自分を心配してくれたリグリットの優しさだったのだろうから。

 

 自分が生まれ故郷を離れて、もう何百年もたっている。

 離れた、というよりも、帰れないというのが本当だが。

 

 ――いや、それも違う。

 ――帰れなくしてしまったのだ。自分が……。

 

 イビルアイは、在りし日の自分の故郷の姿を思い出そうとして、もう殆ど思い出せなくなっている自分に気がつく。

 

(あの後もしばらくは住んでいたはずなのにな。十三英雄のリーダー達が現れるまでは……)

 

 イビルアイは思わず苦笑いをした。昔のことで忘れてしまったことは多いが、あの時のリーダー達の顔だけは忘れられない。

 

 なにしろ、一国を滅ぼした凶悪な吸血鬼王侯(ヴァンパイアロード)を倒そうとやってきたのに、そこにいたのは大量のアンデッドの中に隠れるようにして、ひとりぼっちで怯えている自分(キーノ)だったのだから。

 

 皆があの時あそこから連れ出してくれたからこそ、自分は今ここにこうして立っているのだ。

 

 ふと先程まで一緒に過ごしていた『死の支配者』の横顔を思い出して、イビルアイはどうしようもなく、彼を愛おしく思う気持ちでいっぱいになる。

 

 彼が自分を優しく気遣ってくれるところも、不器用な字を一生懸命書いているところも、本当はもっとずっと側にいて見ていたい。まったく、あれ程までに強大な力を持っていると言うのに、どうして自分は彼を可愛らしい、などと思ってしまうのだろう。

 

 しかし……。自分が彼のところに行くたび、ほんの一瞬だがきつい視線を感じる。いつも彼の側に控えているアルベド様は優しい笑顔を絶やすことはないけれど、恋する乙女の直感が、アルベド様も彼のことを好きなのだと告げていた。

 

 それは冒険者組合で時々会う、アウラ様やマーレ様も同様だ。お二方とは、組合のことでそれなりに話をすることもあるが、時々自分のことをじっと見ていることがある。それが何故なのか、はじめはよくわからなかったが、もしかしたらあの方々もアインズ様のことを好きなのかもしれない。

 

(大好きなひとに毎日じゃないが会うこともできるし、今の自分は、ほんの少し前の自分から見ればすごく幸せだと思う。だけど、自分は本当に欲張りだ。もうそれだけじゃ我慢できなくなっている)

 

 イビルアイは溜め息をつく。もちろん、息をしているわけじゃないから、あくまでもしている振りだ。

 

 イビルアイから見ても、アインズ様とアルベド様はお似合いだと思う。アインズ様はまだ誰とも結婚はしていないらしいけど、どうみてもアルベド様はそれを望んでいる。

 

 前に自分は、モモン様が自分と結婚してくれるなら、他に何人か相手がいても構わないと思った。どうせ自分の体では子どもなんて作れないし、モモン様には子どもを作る相手が必要だと思ったからだ。でも……。

 

 アインズ様もアンデッドだから、やはり子どもをお作りになることは出来ないだろう。でもいくら永遠の時を生きるアンデッドだとしても、国の王として正妃は必要だろうし、世継ぎだって望まれているに違いない。

 

(アインズ様は一体どうするおつもりなのか? それとも、アインズ様くらいの御力があれば可能なんだろうか……? ぷれいやーは我々とはやはり違う存在ではあるからな)

 

 いくら考えても答えはでない。それに、今のイビルアイには、彼の隣の席を望むのがどれだけ高望みなことなのかも薄々はわかってきている。

 

 でも、それでも願わずにはいられなかった。

 

 ――たとえ一番じゃなくても良い。側にいられるなら。

 ――愛するひとと二人、ずっと手を取り合っていけるなら。

 

 無意識に左手の指輪にふれながら、イビルアイは先程自分が出てきた旧都市長の館を振り返った。彼がいる部屋の窓はこの場所からは見えないが、おそらく今も机に向かって仕事をしている筈の彼の姿を思い浮かべ、イビルアイは微笑んだ。

 

 この国こそが、いつか自分の故郷といえる場所になるかもしれない。

 

 それに――

 

 あの場所には……もう二度と……帰れないのだ。

 

 

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 蒼の薔薇が拠点を、王都リ・エスティーゼからエ・ランテルに移して半年以上が過ぎていた。

 

 魔導国では思っていたよりも、王国とは違う変わったやり方が取り入れられていて、初めは戸惑うことも多かったが、最近は大分新しい生活に馴染みつつある。

 

 魔導国の冒険者組合では『げっきゅうせい』というものを導入しており、冒険者ランクによって『きほんきゅう』が定められている。その他に、特別な発見や功績を上げたと組合から認められた場合は『ぼーなす』という物が支給される。

 

 このやり方は冒険者組合だけではなく、国の機関に従事するものは全て同じようなやり方で賃金の支払いが行われており、その代り、心付けのような物を勝手に受け取ることは厳しく禁じられていた。なんでも、そういうものは国が腐敗する原因になるから、ということらしい。

 

 銅と鉄ランクまでは冒険者組合の鍛錬所でミスリル級以上の熟練冒険者や、冒険者を引退したものが教師となって各種指導を行っている。一ヶ月に一回行われる昇格試験に合格すれば次のランクに上がり、銀級になったと判断されると、初めて冒険者として一人前になったとみなされる。

 

 ただし、五年で銀級に到達できなかった場合は、冒険者としては不適格とみなされ、他の職業を斡旋されることになっていた。もっとも、魔導国の冒険者組合が作られてからまだ五年経っていないので、この規定を適用された者は今のところいない。

 

 現在の蒼の薔薇は、アダマンタイト級冒険者専用の宿舎となる屋敷を一軒与えられて、そこでチーム全員で暮らしていた。屋敷は王国なら貴族の館といってもいいくらいの立派なもので、それほど広くはないがちょっとした庭もついている。

 

 屋敷を管理する者も斡旋してもらい、掃除などは全て任せている。食事も作ってもらえるが、宿屋暮らしが長かった蒼の薔薇としては、最近新しく出来たばかりの洒落た高級酒場の味と雰囲気が気に入って、夜はそこでのんびりすることも多かった。

 

 その店『漆黒の双剣亭』はエ・ランテルの中心からは少し外れた静かな町並みの中にあるが、落ち着いた石造りの建物の内部には漆黒のモモンのマントをイメージした赤い重厚な布が掛けられており、モモンの象徴ともいうべき黒い双剣をかたどった紋章が店のあちこちに飾られている。それほど広くない店の中は、仕事帰りの住民や、モモンの栄光にあやかりたいと思う冒険者たちでいつも賑わっていた。

 

「前にエ・ランテルに来たときも思ったが、魔導国の食事はなんというかうめぇよな。味が違うというか」

 ほぼ蒼の薔薇専用のテーブルになりつつあるお決まりの席で、ガガーランは大ぶりのグラスに注がれた酒を一気に飲み干した。

 

「ガガーラン様、おわかりになりますか? この店では魔導王陛下の御居城で作られたという特別な食材を仕入れて使っておりますから。今お飲みになられている酒もそうです。少しばかり割高なのですが、味の良さは折り紙付きですよ。今はあの黄金の輝き亭でも食材の仕入元は完全にそちらに切り替えたとか」

 

 料理を運んできた店員が、テーブルの上に皿を並べていく。どれも出来立てで湯気がたちのぼり、食欲をそそる香りが辺り一面に広がる。蒼の薔薇の面々は、嬉しそうな顔でそれぞれ好きな料理を取り分けはじめた。イビルアイはどことなくぼんやりとした表情で、飲み物のカップを手にしたままその様子を眺めている。

 

「魔導王陛下の御居城って、旧都市長の館のこと……じゃないわよね?」

 追加の飲み物の注文をしつつラキュースが首を傾げると、店員は朗らかに笑った。

 

「どう見てもかなりの財をお持ちの魔導王陛下が、古くて頑丈なだけの都市長の館をほとんど改築もせずにそのまま使っておいでなのは、もっと立派な御居城を他にお持ちだから、というのがエ・ランテルで最も有力な説らしいですよ。誰も本当のことは知らないんですけどね。もっとも、私もエ・ランテルには最近戻って来たばかりで、あまり詳しくはないのです。まあ、下々の者には関係のない話ですし」

 

「そうだったんですか。わたし達もエ・ランテルに来てから半年程になるけど、最近特に他の国からエ・ランテルに移住してくる方が多い気がするわね」

 ラキュースはお気に入りの前菜を上品に口に運んだ。

 

「それはそうでしょう。実は、私は元々エ・ランテルに住んでいたのですが、王国から魔導国にエ・ランテルが譲渡されることが決まった時に、真っ先に王都にいる親戚を頼って逃げだした口なんですよ。後になって随分後悔しました。王国は酷いことになるし、逆に魔導国は平和そのものだっていうじゃないですか。実際、今はあの時エ・ランテルに残った人たちの方が勝ち組だと思ってます」

 

「だけどよ、逃げ出したいって思うのは当たり前だと思うぜ? まさか、アンデッドが支配する国がこんな風になるなんて、あの時誰も思わなかっただろ」

 

「まあ、そうなんですけどね。本当に戻ってきてびっくりしました。以前のエ・ランテルは賑やかではあっても、洗練されているとは言いがたかったですが、今は噂に聞く帝国のアーウィンタールよりもエ・ランテルの方が綺麗だという話じゃないですか。そうそう。綺麗といえば、噂に聞く美女ぞろいの魔導王陛下のメイドの方々! この店の前を稀に通っていかれることがあるんですが、本当に凄い美人ばかりですよね。蒼の薔薇の皆様は良く会われる機会もあるんでしょう?」

 

「……メイド達も悪くないけど、個人的にはアウラ様。もう少しすればきっと胸が大きくなる。最高」

「それをいうなら、マーレ様。あのスカート丈は至高」

 何かを思い出したのか、ティアとティナが怪しい目つきに変わり、うわの空で料理を口に放り込んでいる。

 

「お前らなぁ。俺は別に冒険者組合にいる連中だって悪くないと思うぞ。若いのが多いし、童貞も多いしな!」

「ガガーランは毎日楽しそうよね、本当に」

「仕方ないだろう? 悪いがクライムよりも才能あるやつが多いもんで、こっちも教えがいがあるんだよなぁ」

 

 まだ銅、鉄級の若い冒険者相手に楽しそうに剣の稽古をつけているガガーランを思い出して、ラキュースはくすくすと笑った。

 

「ああ、ティア様とティナ様は魔導王陛下の側近の方々のファンなんですか? それでしたら、私はやっぱり宰相アルベド様ですね。確かにメイドの方々とは違って人間じゃないですけど、あんな美女ならそれでもいいって思っちゃいますよ」

 

 店員は空いたグラスに追加の酒を注いで回っている。調子に乗ったガガーランは更に機嫌よく酒をあおった。

 

「確かにあの宰相様は美人ね。王国のラナー女王も綺麗だけど、なんというか別格な感じ。でもあの方は魔導王陛下のお妃様というわけじゃないのよね?」

 

 何気ないラキュースの一言に、テーブルにだらしなく肘をついてコップを弄り回していたイビルアイの肩がぴくりと動いた。

 

「最初は皆そう思っていたそうですけどね。そういう訳ではないみたいですよ。おっとすみません、つい長居をしてしまって。では、ごゆっくりどうぞ」

 店員は丁寧に一礼をして歩み去った。

 

「……イビルアイ、良かったわね? 宰相様のこと、結構気にしてたんでしょ?」

「う、うるさい、別にそんなわけじゃ……」

 

 少々嫌味っぽくラキュースはイビルアイをからかった。イビルアイは仮面をかぶった顔だけ上げて耳を真っ赤にしているが、どことなく嬉しそうな様子を隠すつもりはなさそうだった。

 

「でも魔導王陛下もよぉ、あんなに美人が大勢側についてるのに、誰にも興味がねぇってあるのかね? だとしたら、イビルアイも相手として見てもらうのは厳しいかもなぁ」

「そんなこと……! やってみないと、わからないじゃないか……」

 

「頑張れ、イビルアイ。一応、応援してる。でも、アウラ様は私のもの」

「マーレ様にまで手を出さなきゃ、私も応援する」

 

「そんなこと、するわけないだろう!? 私をなんだと思ってるんだ?」

「イビルアイは前科があるからなぁ。やっぱ、二股はよくないぜ?」

 少しばかり痛い所を突かれて、イビルアイはひるんだ。

 

「……ねえ、前から少し気になっていたんだけど、魔導国に来てから皆浮ついてない? 緊張感がないというか。今は確かに他の冒険者の指導とかの仕事が主だけど、マーレ様が作られている遺跡風の訓練施設のテストは、明日からはもう一段階レベルの高い所をお願いしますと言われているの。だから、そろそろ気を引き締めていかないとね。特にイビルアイ、最近お昼時はいつも姿を消してるけど、いつも魔導王陛下のところにお邪魔しているの? あまり頻繁に通われると、魔導王陛下もご迷惑かもしれないわよ?」

 

「な……。別に、アインズ様はいつも歓迎してくださってるぞ! だいたい、それをいったらラキュースだって、最近モモン様と随分仲良くしてるじゃないか。私のことだけ言えないだろうが!?」

 思わぬ反撃を受けて、ラキュースも顔を真赤にする。

 

「そ、それは、その、同じアダマンタイト級冒険者チームのリーダーとして、モモンさ――んとは相談したりすることがあるだけで……。まだ、魔導国の冒険者組合も、本当の役割を果たす準備段階という感じだし。魔導国には二つしかないアダマンタイト級冒険者チームとしては、当然何かと協力しあわないといけないじゃない」

 

 そんな二人を面白そうに眺めながら、ガガーランは声をたてて笑った。

 

「全くラキュースも変わったよなぁ。前は少し真面目すぎだったんだよ。俺たちは別に浮ついてなんていねぇさ。やるべきことはわきまえてるからな。でも、俺は人生いろいろ楽しんだ方がいいと思うぜ?」

「そうそう。私達はいつもこんな感じ。充実してる。魔導国に来てから変わったのは鬼リーダー」

「こないだも、モモンに何か渡してた。怪しい」

 

「……なんで、そんなことまで知ってるの?」

「忍者の情報収集能力、甘く見ないで。いつも鍛錬してる」

 涼しい顔でティナに言われて、ラキュースは愕然とした。

 

「でもよ、あのマーレ様が作られている冒険者組合の訓練施設はなかなか良いよな。遺跡風で雰囲気もそれっぽいしよ。今はまだ調整中だが、あそこのテストで戦闘訓練しているせいか、俺もヤルダバオトに殺される前の感覚にだいぶ戻ってきたような気がする」

「同じく。前よりも良いかもしれない」

 

「今、一番簡単な場所だけ他の冒険者連中にも開放してるらしいが、これまでの駆け出し連中とは明らかに腕の上がり方が違う。それに、銅、鉄級に試験的に貸し出されてるルーンとかいう武器。俺が使っているやつには少々劣るが、駆け出しが使うにはもってこいだ。ああいう武器が最初から使えるなんて、ほんと奴らは恵まれてるね。俺たちもうかうかしてると、才能ある若いのに追い越されちまうかもしれねぇな。まぁ、そういうのもこっちも刺激になっていいけどよ」

 ガガーランは楽しそうに笑って、大ぶりの肉に齧り付いた。

 

「その辺りも次の報告会の時に、お話しする方が良さそうね……」

 ラキュースは懐から小さく折りたたんだ紙を取り出して、既にいくつか書いてある項目に書き加えた。

 

「鬼リーダー。報告会、マーレ様が来るなら同席したい」

「アウラ様が来るなら、私も行く」

「……アインズ様がいらっしゃるなら、私も……」

 

「もう、わかったわよ。次の報告会は全員で行くことにしましょう。但し誰がいらっしゃるかなんてわからないから、後で文句は言わないでね」

 妙に真剣な目つきでラキュースを見ている三人組を見て、ラキュースは盛大に溜め息をついた。

 

 

----

 

 

 魔導王の庇護のもと、平和を歐歌しているエ・ランテルといえども、表通りから離れた狭い路地の奥には、あまり人には言えないような仕事をしているもの達が住む一角がある。その中にある古い家から、まだ日も落ちてはいない時間帯だというのに、女たちの嬌声と下卑た男たちの笑い声が聞こえてくる。

 

 中で何が行われているのかは、誰にとっても明らかだったが、だからといって、その行為自体は法に触れるようなものではない。

 

 魔導国の法はさほど国民を縛るものではなく、犯罪行為に当たることをしたり、相手が嫌がることを無理強いしたり、奴隷のように扱っているわけでもなければ、このような行為を咎め立てするものではないのだ。

 

 しかし――

 

 弐式炎雷の姿で隠密行動をとりつつ、中の様子を窺っていたパンドラズ・アクターには、この件で少々見逃せないことがあった。

 

 周囲に人目がないことを影の悪魔達を使って確認させ、この辺りにしばらく誰も近寄らせないように指示すると、音もなく二階の窓まで飛び上がる。中に誰もいないことを確認し、窓の鍵を解錠すると部屋の中にすばやく侵入した。

 

 かねてからの調べどおり、部屋の中は倉庫になっており、大小様々な木箱が並んでいる。

 

 パンドラズ・アクターは素早くそれらの中を改め、ありふれた小箱の一つに目的のものが入っているのを見つけた。既に何本かは使われているようだったが、まだそれなりの量が残っている。

 

(できれば全て回収したいところですが、流石に相手に気が付かせるのもまずいですね。ここは一本だけに留めておくとしましょう。それなら、多少本数が合わなくとも記憶違いと思ってくれるかもしれませんしね。それに万一バレたとしても、彼らは彼らで表立って騒ぐことも出来ないでしょうし)

 

 それを布にくるんで丁寧に懐にしまい込むと、小箱の外側を丹念に調べ、出元を表す表示などを探したが、流石にそのようなものは書かれていなかった。他の部屋も探せば何らかの情報がある可能性はあったが、恐らくこの手の品物は裏取引で入手しているのだろうし、それが発覚するような書類をわざわざ残しておくはずはない。当然のことながら、魔導国でもこの手の品物の取引、所持は固く禁じられている。この辺が潮時だろうとパンドラズ・アクターは判断した。

 

(そこまで甘くはない、ということですか。厄介ですね。まぁ、いいでしょう。ともかく目的は果たしましたし、これさえあればニグレドが探知できるかもしれません)

 

 パンドラズ・アクターは自分が侵入した形跡が残っていないことを確認し、満足そうに頷くと入ってきた時と同様に、その場から姿を消した。

 

 

 




五武蓮様、miiko 様、誤字報告ありがとうございました。

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三章は大変手間取っておりまして、実はまだ最後まで書けていません。一話は内容的に恐らく修正や調整は発生しないと思ったので公開に踏み切りましたが、二話以降については展開によっては修正する可能性があるので、場合によっては三章の最後まで書き終えてからの投稿になるかもしれません。なるべく週1では更新したいのですが……。大変申し訳ありませんが、気長にお付き合い頂けると嬉しいです。


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2: 新たなる目標

 壮麗なという言葉が相応しいナザリック第十階層の玉座の間では、階層守護者を始めとするナザリックの主だった下僕が一堂に会し、玉座に座るアインズに跪いていた。守護者統括であるアルベドは玉座の右に立ち、慈愛に満ちた微笑みを浮かべている。

 

「面を上げよ」

 アインズの重々しい声が響き、ゆっくりと頭を上げた下僕達の視線が一斉にアインズに集まる。

 

「忙しい中よく集まってくれた。皆の働きのおかげで、ナザリックは順調に発展して行っていると私は思っている。ひとまず、それに礼を言いたい」

 

「アインズ様、私どもはアインズ様にお仕えする下僕として、当然のことをしているまでのこと。御身が礼を仰る必要などございません」

 

 優美な一礼でアルベドは応えたが、腰の部分の黒い羽は若干嬉しげに上下に動いている。

 

「いや、アルベド。皆に感謝の気持ちを伝えることは非常に大事なことだと思っている。私はお前達の働きにとても満足しているのだから。――さて、本題に入る前に、デミウルゴスよ、我が前に」

 

「はっ」

 

 軽く応答すると、玉座の前にある階段のすぐ脇に跪いていたデミウルゴスが、アインズの前に進み出て再び跪いた。

 

「ローブル聖王国の件はご苦労だったな。こんなに早く聖王国から恭順の使者が来るとは思っていなかった。これも全て、デミウルゴスの見事な手腕の結果だろう」

 

「お言葉ですが、アインズ様。聖王国の件がこれほどまでに順調に進んだのは、アインズ様の用意された駒が優秀だっただけでございます」

 

 デミウルゴスはそう言って頭を深く下げた。デミウルゴスの態度は忠臣として褒められるべきものだろう。しかしアインズは、これまで散々繰り返してきたこの問答を続けるのは正直うんざりだった。

 

 欲がないといえばそれまでだが、本来悪魔というのは強欲なものの筈だ。それなのに、これまでデミウルゴスは、アインズに何かを要求したりなどという事を一切したことがない。例外といえば聖王国での作戦で、アインズがただの我儘といってもいい要求をなんとか通そうとした時に、交換条件として出してきたあのことくらいだが……。

 

(しかし、いい加減デミウルゴスに何も褒美を与えないというわけにはいかない。俺が目指すナザリックのホワイト企業化計画のためにも!)

 

 アインズは決意を新たにすると、これまでの経験から下僕に受けがいい支配者のポーズ――脚を軽く組み、左肘は玉座の肘掛けにかけて頬杖をつく――をとった。

 

「私はあくまでもお前の策に従って動いたまでのこと。そのように謙遜する必要はない。さて、デミウルゴスよ、私はこれまでの働きに対して褒美を授けたい。お前はこれまで幾度となく私の申し出を辞退してきたが、今回は許さんぞ。お前の働きがナザリックでも随一だということは皆も認識している。そのお前がこのように何度も辞退するのは、他のものに対しても示しがつかない。過分な謙虚さは、時に人を不快にさせると知れ」

 

「はっ……」

 

 先ほどと比べ若干思い悩む様子で返事をしたデミウルゴスは、少し耳を震わせ顔を俯けた。しかし、しばらく待ってもそのまま頭を上げようせず、アインズは出ない溜め息をつく。

 

「デミウルゴス。今思いつかないのであれば、この場でなくても構わん。いい機会だ。ゆっくりお前の欲しいものを考え、相応しいものを思いついたら、それを私に伝えよ。いいな?」

 

「畏まりました。アインズ様のお慈悲に感謝いたします」

「うむ。ではこの件についてはまた改めて、ということにしよう。デミウルゴス、立つがいい」

 

 アインズの言葉でデミウルゴスは立ち上がると恭しくお辞儀をし、アインズの左脇に移動した。

 

「さて、ナザリックを取り巻く環境は大きく変わってきている。また、以前この場で決定した通りナザリックの国である魔導国は無事に建国され、順調に勢力を伸ばしつつある。そこで、そろそろ現在の目標を見直し、新たな計画を立てる必要があると思う。それに先立ち、守護者統括であるアルベド及び我が信頼する智者であるデミウルゴス。ナザリック及び魔導国の現状について、この場にいるもの皆にわかりやすく説明せよ。その後、今後の方針についての検討を行う」

 

「では僭越ながら、アインズ様の命により、私から現在のナザリックの状況について説明させていただきます。皆、心して聞くように」

 

 デミウルゴスはアインズに向かって丁寧に一礼し、正面に向き直ると、居並ぶ下僕達の真剣な目がデミウルゴスに集まる。

 

 現在のデミウルゴスがどういう考えで動いているのか、正直アインズはさっぱりわかっていなかった。日々の業務は膨れ上がり、大量の書類に軽く目を通して承認印を押すだけでも精一杯だ。だからこそ、こういう絶好の機会を逃すわけにはいかない。支配者としての威厳は崩さないように気をつけながら、デミウルゴスの言葉を聞き漏らさぬように、アインズも必死になって耳を傾けた。

 

「アインズ様は魔導国の王となられ、この世界を支配するための足掛かりをお作りになられた。アインズ様の素晴らしい統治の結果、現在魔導国は多くの種族が共存する国として繁栄している。リ・エスティーゼ王国、バハルス帝国は既に魔導国の属国となり、アベリオン丘陵、トブの大森林他、周辺地域の亜人及び異形種の部族などの多くも、既にナザリックの支配下に置かれている。また、ローブル聖王国については、内乱が収まりかけたところに聖王を喪ったため、後継争いで再び混乱に陥ったが、アインズ様を神と奉る勢力が僅か一ヶ月程で国民の支持を集め、ほぼ無血で混乱を収めることに成功した。その結果、ローブル聖王国は新国家ローブル神王国となり、アインズ様をその玉座にお迎えすることを正式に決定した。つまり、我らが敬愛する主君であるアインズ様は、かの国の神の御位に着かれるということだ」

 

 デミウルゴスのその言葉で、玉座の間には静かなざわめきと熱気が立ち込め、アインズは思わず頭を抱えたくなる。

 

(全くどうしてこんなことになったんだ。これまで同様、単なる属国にするつもりなのかと思っていたら、まさかこういう話になっていようとは……)

 

 アインズは一週間ほど前にエ・ランテルにやってきた、ネイア・バラハを筆頭とする聖王国からの使節団のことを思い出して、既にない胃が痛むのを感じる。

 

 そもそも、デミウルゴスの発案で行った聖王国の計画は、アインズ・ウール・ゴウン魔導王が魔皇ヤルダバオトを打ち砕くことで漆黒のモモン以上の大英雄となり、それと同時に聖王国を魔導国の支配下に置くための布石にするという、比較的可愛らしい話だったはずだ。

 

 それなのに、自分を神と祀り上げる神殿勢力が出来たのは何故なのか。いくら最後の聖王が死んで聖王家が断絶したからといって、どうして他国の王である自分が王にならねばならないのか。普通に魔導国と併合するのではダメだったのだろうか。いくら考えてもアインズには全く理解出来なかった。

 

 アルベドとデミウルゴスに詳しく説明してもらおうと何度か試みたが、二人ともいい笑顔で「全てはアインズ様のご計画通りでございます」と言うだけだ。

 

 ネイア・バラハの凶悪な目つきで睨みつけられながら「アインズ・ウール・ゴウン神王陛下」と呼ばれ、使節団としてやってきた者たちが異様な熱気で歓呼の声を上げるのを目前にした時は、多少王として経験を積み、ある程度は大勢の注目を浴びながら支配者らしくふるまうことに慣れてきたアインズといえども、何度も精神が沈静化させられるのを感じた。

 

 彼らは人間なのにも関わらず、魔導国の普通の国民達とは違って、どうもナザリックの下僕に似た雰囲気がある。

 

(しかも『神王』とか一体誰が考えたんだよ? あまりにも恥ずかしすぎるネーミングだろ。なんでただの骸骨がそんな仰々しい名で呼ばれなければいけないんだ?)

 

 元は一介のサラリーマンに過ぎない鈴木悟としては絶対にありえない選択だ。しかしながら、その呼称は下僕達には非常に受けが良く、アインズの必死の抵抗も虚しく、聖王国いや神王国ではそう呼ばれることに決定してしまった。下手をすると、このまま魔導国でもその呼び方にと言われかねない。どうやったらそれを阻止できるだろうかと、アインズは暫し思い悩んだ。

 

「――以上の点を考え合わせると、こう動くのが最善ということになる。これまでの話を理解できない愚か者はいないな?」

「当然じゃない、デミウルゴス。そのような者がこの場にいたら自害してしかるべきだわ」

 

 玉座の左と右に立つデミウルゴスとアルベドのやり取りに、多くの下僕が頷いているのが目に入る。

 

 現実逃避をしている間に、デミウルゴスの話を大分聞き逃してしまったようだ。雰囲気的に何かが決まろうとしているらしいが、その内容が全くわからない。アインズは若干青くなるが、今更もう一度お願いしますとは言えないだろう。せめてここから先だけでもきちんと聞かねばと背筋を正す。

 

「結構。それでは、我々は世界を征服しアインズ様に捧げることを最終目的としてきたが、今後はそれを変更し、アインズ様にこの世界の頂点となる神の御座を捧げ、生きとし生けるもの全てを支配して頂くことを目標とすべきと考える。この計画に反対するものはいるかね?」

 

 自信たっぷりに話をしているデミウルゴスの尻尾はかなり大きくゆらゆら揺れている。そして、玉座の間に居並ぶ下僕達の興奮は、以前の世界征服の時の比ではなかった。

 

(しまった。これでまた後戻り出来なくなってしまったか!? もっとデミウルゴスの話をちゃんと聞いていれば止められたかもしれなかったのに……)

 

 念のため、さり気なく玉座の間に集まっている下僕の様子を見回してみるが、どう見ても全員やる気に満ち溢れた表情で頷きあい、嬉しそうに目を輝かせている。反対しているのは恐らくアインズただ一人だ。しかも、デミウルゴスが何と言って説明したかもわからない以上、アインズには下僕達を止める言葉など何一つ思い当たらない。だが、アインズはせめてもと、最後の抵抗を試みることにした。

 

「……デミウルゴスよ、お前の考えはよくわかった。ただ、神というのはなろうとしてなるものではない。あくまでも、それは結果として起こることだと私は思っている」

 

「まさに仰る通りかと存じます。そして畏れながら、アインズ様がお持ちになられている崇高な支配者としてのオーラは、まさに神と呼ばれるに相応しいもの。そして、常に下等な我々では見通すことの出来ない遥か遠い未来まで見越していらっしゃる。そのような視点はまさに神々しか持てないものと愚考いたします」

 

「そ、そうか。しかし、私は別にデミウルゴスが思うほど全てを理解しているわけではない。だから、あまり買いかぶらないで欲しいのだ」

「買いかぶるなど……とんでもございません。このデミウルゴス、アインズ様のご慧眼に、常に自分の未熟さを感じさせられております」

 

 デミウルゴスは優雅に一礼をしたが、アインズは自分の動揺を押し隠すので精一杯だった。何を言ってもデミウルゴスに全てかわされそうな気がする。こういうのを、覆水盆に返らずとか言うんだったか。以前ギルメンの誰かがそんなことをいっていた。

 

(やっぱり、これ、いじめだよな!? こんな頭良いやつが気付かない訳ないもんな! それとも、これはデミウルゴスの俺に対する気遣いなの? 馬鹿な上司をかばおうとする感じの……)

 

 しかし、デミウルゴスの眼は真剣そのもので、どう見ても本気で言っているようにしか見えなかった。

 

(なんで、こういう時に一緒に反対してくれる味方がいないんだ。一人くらいいてくれたっていいじゃないか)

 

 アインズは一瞬イビルアイを思い浮かべるが、彼女は今ここにはいない。まだ正式に配下になっているわけではないから当然ではあるが。

 

 ――こうなったら仕方がない。半ば自棄になりつつ、アインズは覚悟を決めた。

 

「ふふ、デミウルゴス、それこそお前の勘違いだと思うがな。……では、ナザリックの今後の方針はそのように定めるとしよう」

 

 アインズの宣言に、配下達は一斉に頭を下げ承服の意を示す。

 

「……よし。具体的な計画に移ろうか。アルベド、デミウルゴス、考えを述べよ。また、それ以外にも意見のあるものは手を挙げるがいい。発言を許す。皆の忌憚ない意見を聞かせて欲しい」

 

「では、アインズ様、御命により私アルベドから申し上げます。現在の魔導国の周辺で、独立を保っている主な国家は、スレイン法国、竜王国、アーグランド評議国、カルサナス都市国家連合といったところです。イビルアイからの情報では、法国は六大神と呼ばれているプレイヤーが建国した国だとか。イビルアイも具体的には知らないそうですが、神が残したとされる強力なアイテムが今も保管されている可能性があるそうです。また、神人と呼ばれる、プレイヤーの血を引く強力な人間が時折生まれることもあり、現在、最も警戒すべきなのは法国ではないかと思われます」

 

「法国を警戒すべきというのは私も同意するよ。……アインズ様、出来れば不可視化出来る下僕を用いて、法国の内情を探ることを具申いたします。特にナザリックが転移直後に接触しているにも関わらず、今日まで魔導国に対して何の動きを見せないのは腑に落ちません。こちらに対して何らかの策を練っている可能性もあるかと」

 

「確かに、私がこの地に降り立った直後に接触したのは帝国を偽装したスレイン法国だったな。陽光聖典とか言ったか。思えば、あの時もう少し慎重に対応すべきだったが、今更それを言っても仕方がない。デミウルゴス、調査に関しては少し待て。後ほどもう一度検討しよう。あの国はどうも不気味なものがある。プレイヤーが建国したというのであれば、ワールドアイテムがある可能性も否定出来ないだろう。もしかしたら、シャルティアを洗脳したのは法国だったのかもしれんな……」

 

 シャルティアを殺さねばならなかった時に感じた抑えきれない憤怒を思い出し、アインズの手は怒りで震える。もし犯人が法国だったとしたら、自分はあの時感じた激情のまま、法国を根絶やしにしてしまうかもしれない。次の瞬間、その怒りは強制的に沈静化され、アインズは落ち着きを取り戻す。しかし、胸の中に燻る静かな怒りまで抑え込まれたわけではなかった。

 

「アインズ様……」

 

 心配そうにアインズの様子をうかがっているアルベドの声が聞こえ、そんな気分を振り払おうとアインズは軽く頭を振る。

 

「大丈夫だ、アルベドよ、心配をかけて済まなかったな。少々、あの時の怒りで我を忘れてしまった。ともかくスレイン法国に対しては慎重にことを進めたい。これ以上お前達を危険に晒すわけにはいかないからな」

 

「アインズ様の慈悲深い御心に感謝いたします。万一法国を偵察する必要がある場合は細心の注意を払い、ワールドアイテムによる攻撃があり得るという仮定でことにあたるようにします」

 

「デミウルゴス、アルベド、お前達なら私がやるよりも遥かに上手くやれると信じている。調査をする場合は二人のうちのいずれかに頼もう」

「承知いたしました」

 

 二人は恭しく頭を下げる。その時に、高々と手を上げる者がいた。

 

「あら、どうしたの、シャルティア。あなたが意見を言うなんて珍しいわね」

 

「うるさいでありんすね、アルベド。ぬしに話したいのではありんせん」

 シャルティアは若干固い表情をしてアルベドを睨みつけた。

 

「ほう、シャルティアか。意見があるなら述べるがいい」

 

 相変わらずかしましい二人の様子は微笑ましかったが、このまま放って置くと面倒くさいことになりかねない。アインズが話を促すと、シャルティアはその場に平伏した。

 

「ははぁ。わらわはアインズ様にお願いしたいことがございんす」

「願い? なんだ? シャルティアからそのようなことを言ってくるのは確かに珍しいな。必ず叶えるとは約束できんが、申してみよ」

 

「万一、わたしにアインズ様に……剣を向けるようなことをさせた者どもを見つけられましたら、どうか、わたしに雪辱の機会をお与えください!」

 

 シャルティアの様子は妙に真剣で、未だに数年前の出来事が心の中の傷になって残っているのが明白だった。

 

「シャルティア。何度も言うが、あれはお前の失態ではなく、そういう可能性に思い至らなかった私の失態だ。だから、お前が気にする必要はない」

「でもっ!! それでは、わたしが納得できません! それに、わたしはこの手で決着をつけたいのでありんす! アインズ様、どうかお願いします!」

 

「そうか……、そうだな……。確かにお前の言うとおりかもしれない。では、シャルティア。お前を洗脳した犯人を処分する際には、お前にその任を与えることにしよう。それでいいな?」

 

「アインズ様ぁ! 有難き幸せです!」

 

 シャルティアは感極まってアインズにそのまま飛びかかって来そうだったが、流石に思い直したのか再び平伏した。心なしか肩の辺りが震えているようにも見える。

 

「よい。頭を上げよ、シャルティア。お前の忠義を私はとても嬉しく思う」

 

「うう、アインズさまぁ。ありがどうございばずぅ」

 

 アインズの言葉から少しして、ようやく頭をあげたシャルティアは、先程までとは打って変わって涙と鼻水でかなり残念な顔つきになっており、アインズはそっと目をそらした。アウラが「あんた、アインズ様の前でなんて顔してんのさ。ほらこれ」と小声で囁いているのが聞こえる。

 

「アインズ様、私の意見を述べてもよろしいでしょうか?」

「ん? もちろんだとも、デミウルゴス」

 

「私の方から帝国のフールーダ・パラダイン及び王国のラナー女王に確認した限りでは、帝国と王国にはワールドアイテム程強力なアイテムは存在していないようです。また、聖王国は私が調査した限りでは、発見することはできませんでした。だと致しますと、アインズ様のご賢察の通り、シャルティアの洗脳に使われたワールドアイテムが存在している可能性が高いのは、やはりプレイヤーが複数存在したという法国になるかと思われます」

 

 その時アルベドの肩が一瞬ぴくりと動いたように見えたが、何故アルベドがそのような反応をしたのか、アインズにはわからなかった。

 

「そして、アーグランド評議国に関しては、この世界でも強大な力を持つドラゴンが複数で治めている国であり、最強と言われる白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)というものが永久評議員を務めているとか。それがどの程度の強さなのかは今の所把握できてはいませんが、イビルアイから聞き出した情報からも、可能であれば評議国とは友好関係を結ぶほうが利益が大きいように思われます」

 

「最強の竜王か……。確かに彼らとは話し合いをしてみてもいいかもしれんな」

 

 少しばかりアインズのレアコレクター欲を刺激する単語ではあるが、そういえば、イビルアイはその竜は仲の良い友人だと言っていた。

 

(ジルクニフとはなかなか上手くいかないが、もしかしたら俺とも友人になってくれたりしないだろうか? 以前プレイヤーとも仲良く付き合っていたというし)

 

 その時、マーレがおずおずと手を上げる。

 

「あの、でも、その竜たちと友好に、というのは、アインズ様に世界の全てを捧げるという僕たちの目的からは、その、外れちゃうんじゃないでしょうか?」

 

 数人の下僕もマーレの意見に同意するように頷いている。しかし、アルベドはくすりと笑ってマーレに答えた。

 

「良い質問ね、マーレ。でも、世界を手に入れるといっても大事なことを忘れてはいけないわ。至高の支配者、いえ神であられるアインズ様に廃墟の世界をお渡しするわけにはいかないでしょう? 私達はアインズ様が支配されるに相応しい豊かな世界を手に入れる必要があるの。だからこそ、相手が手を組むに値する程の強者なのであれば、協力関係になるのも場合によっては必要なこと。アインズ様が常にナザリックの戦力強化をお考えになられているのは、この世界には私達が知らない強者がいる可能性があるからだということを忘れてはいけないわ。もちろん、相手が敵対するなら容赦する必要はないけれど」

 

「全くもってその通りだね。アルベド。しかし、それだけじゃない。アインズ様は更に深遠なお考えをお持ちになっているはず」

 

 そう言って、デミウルゴスはアインズの方を確認するように振り向き、アインズはどきりと無い心臓が跳ねたような気がした。

 

(デミウルゴスめ、今度は俺が一体何を考えているっていうんだ! しかし、こういう時のデミウルゴスの対処法ならもうわかっている。もう数年前の俺じゃない。頑張れ、俺!)

 

「……ふふ、バレてしまったか。デミウルゴスよ」

「当然でございます。私も、せめてアインズ様のお考えに少しでも近づけるように努力しておりますから」

「では、デミウルゴス、お前が理解した私の考えをマーレに、そしてこの場にいる皆にわかりやすく説明することを許可しよう」

「畏まりました」

 

 デミウルゴスは尻尾をゆらゆらさせながら、下僕達の方を向き直った。

 

「マーレ、いいかい? アインズ様がどんなに素晴らしい統治をなさっても、必ず不満を洩らし反抗する不埒者たちは出てくるだろう。今はまだ国土も小さいし、国民の数も少ないからそれほど目立たないが、そのうち、見逃せないほどの勢力になりかねない。だからこそ、そういう者たちに国を荒らされないためにも、逃げ場となる場所が必要なのだよ」

 

「つまり、魔導国に不満や反感を持つ者たちの吹き溜まりとなる国をあらかじめ用意するということね。さすがはアインズ様」

 

 アルベドは納得したように同意したが、アウラが不満そうに口を開いた。

 

「ええー。そういう奴らは、全部殺しちゃうんじゃダメなんですか? アインズ様に支配していただけるのに、不満を言うなんてあたしはちょっと許せないなー」

「アウラ、確かに私もそれは同意するがね。そういう逃げ道を用意しておくというのも、アインズ様の栄光を傷つけないために必要な方便なのだよ」

「うーん、イマイチ納得いかないけど、それがアインズ様のお考えなら」

「その、ぼ、僕もわかりました」

 

 不承不承ながらもマーレとアウラが黙ったのを見て、デミウルゴスは何か言いたげにアインズを振り返った。

 

「う、うむ、デミウルゴス、よくぞ我が考えを見抜いたな。その通りだ」

「いえ、この程度、アインズ様の叡智の足元にも及びませんが……」

 

 やっぱり、デミウルゴスにいじめられているような気がしなくはなかったが、アインズは気が付かなかったことにした。

 

「それと都市国家連合に関しては、所詮小国家の集まりでありますので、積極的に動く利益は薄いかと。向こうからなにか言ってくるまでは放置し、むしろ、魔導国に反感を持つ者達が集まるように仕組むほうがナザリックの利益になると考えます。ですので、私としては次のターゲットは竜王国にすべきであると考えます」

 

「でも、デミウルゴス。竜王国もかなり国力が低下しているという八本指からの情報があるわよ。あの国もあまり利益はないのではないかしら?」

 

 デミウルゴスが口火を切ると、若干不満そうにアルベドが言った。

 

「いや、アルベド。実は新たに着手したい実験があってね。アベリオン丘陵の他にも牧場を作りたいんだよ。そのために、竜王国の隣にあるビーストマンの国を配下に収めたいと考えているんだ。竜王国の国力低下の原因はビーストマンによるものなのだろう? つまりは一石二鳥というわけさ」

 

「あら、また牧場を増やすの? 牧場で使っていい人間は、死罪を賜ることが決まった者のうちアインズ様の実験が終わられた分だけ、と決まっているでしょう。これ以上増やす意味なんてないと思うけど」

「いや、今度の牧場は別の試みに使いたいんだ」

 

 デミウルゴスの牧場と聞くと、アインズは嫌な予感しかしなかった。

 

 聖王国でデミウルゴスの牧場の実態を初めて知り、いくら人間には同属意識を持てないアインズでも多少の不快感を感じた。しかし、使用に耐える羊皮紙の製造法がそれしかなかったと言われてしまえば、アインズとしては認めざるを得ない。一応、牧場で必要となる人間の確保の方法と取扱いについては条件をつけたが。

 

 しかしながら、この件に関しては、これまできちんと確認しないままデミウルゴスに任せきりにしたアインズの責任なのは間違いない。それに、なんといっても羊皮紙が必要量確保出来なければ、いずれナザリック自体が立ちいかなくなるのだ。

 

「ふむ、デミウルゴス、牧場の件はここではなく別な機会に詳しく確認させてくれ。今は全員が知るべき目標を定める場だからな」

「大変失礼いたしました。では、牧場の件と、それ以外にもご相談したいことがございますので、後日改めて執務室にお伺いいたします」

「わかった。ではお前の都合が良い時に我が部屋に来るがいい。それと相談内容は全て簡単に纏めた書類を作成しておくように」

「承知いたしました」

 

「アインズ様、私の方からもお伝えしなければならないことがございますので、その時は私も同席してよろしいでしょうか?」

「ああ、もちろん構わない、アルベド。……さてと、話を中断させてしまったな、デミウルゴス。お前の提案を続けてくれ」

「畏まりました」

 

 デミウルゴスは優美に一礼をすると、改めてアインズに向き直った。

 

「アインズ様、以上のことを踏まえまして、手始めにビーストマンの国を落とし、その後、彼らを使って適度に竜王国を追い詰めることで、竜王国から魔導国に支援要請を出させ、そのまま魔導国の属国にする作戦を提案いたします」

 

 




佐藤東沙様、むっちゃん!!様、誤字報告ありがとうございました。

※シャルティアの一人称に関する報告については、シャルティアの感情を表すために意図的に使っている部分もあるので修正は基本的に見送りました。誤字報告いただいたもの全てを本文に反映させている訳ではありませんのでご了承ください。


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3: 未知への一歩

 蒼の薔薇が全員揃って、魔導国冒険者組合の二階にある広めの会議室に顔を出した時、冒険者組合長プルトン・アインザック、魔術師組合長テオ・ラケシルは既に奥の方の席に陣取って、白熱した議論をしている真っ最中だった。

 

 冒険者組合では、月に一度、冒険者組合長、魔術師組合長、アダマンタイト級冒険者チームのリーダー、及び、組合の監査役になっているアウラ・ベラ・フィオーラ、訓練施設整備役としてマーレ・ベロ・フィオーレによる定例報告会議が行われることになっており、現在の組合の状況に関する情報交換や、冒険者組合から魔導国への要望の取りまとめ、発生している問題についてる対処法の検討などが行われている。

 

「おぉ、蒼の薔薇の諸君。全員で来るとは珍しいじゃないか。さあ、適当な席に座り給え」

「ありがとうございます、組合長」

 

 軽く挨拶した蒼の薔薇は空いている席に思い思いに座った。まだ、定められた時間までは少しばかり時間がある。のんびり雑談をしていると、外が妙に騒がしくなってきたのを感じる。何事かと顔を見合わせたその時、扉を軽くノックする音がした。

 

「どなたかな?」

 

 アインザックが声をかけると、「魔導王陛下の御着きでございます」という聞き覚えのない鈴のような女性の声が返ってきて、アインザックの返答を待つこともなくそのまま静かに扉が開く。

 

 室内にいた者たちは全員慌てて立ち上がり、部屋に入ってくるアインズを出迎えた。

 

「あぁ、突然来て済まなかったな、アインザック。皆、気にせず楽にしてくれ」

 

 アインズは後ろにモモンとマーレ、アウラを従えて部屋に入ってくると、鷹揚な態度で軽く手を振った。お付きのメイドは扉を閉め、アインズの脇に控えている。誰かが小さな声で「ラッキー」と呟いた。

 

「陛下、とんでもありません。わざわざ足をお運びくださるとは、光栄でございます」

 

 アインザックが丁寧にお辞儀をすると、アインズは部屋の上座にある椅子に向かい、メイドが引いた椅子に支配者らしい堂々とした仕草で腰を下ろした。

 

「お前達も立っていないで座るといい。別にそのようにかしこまる必要はないぞ」

「はっ、ではありがたく」

 

 マーレとアウラはアインズの右隣の席に座り、モモンは左隣に腰を掛けた。メイドはアインズの後ろに立っている。アインザックが恭しくお辞儀をしてから着席すると、残りの全員も同じように頭を下げ先程までの席に座った。組合の受付嬢が紅茶を運んできて全員に配って歩き、一礼をすると部屋から出ていった。

 

 アインズは冒険組合長に目を向け、穏やかに口を開いた。

 

「アインザック、今日は報告会の後で少し提案したいことがあって来たのだ。それと、久しぶりに直接お前たちの様子も確認したくなったのでな。だから、私のことはあまり気にせず、普段どおりに進めてくれ」

 

「畏まりました。では、メンバーも揃ったようですし、そろそろ始めるといたしましょう。陛下、せっかくですから、最初に何か一言お言葉を賜りたいのですがよろしいでしょうか?」

 

「もちろん構わない」

 

 アインズは頷き、部屋の中にいるメンバーをゆっくりと見回した。

 

「今のところ我が魔導国の冒険者組合は、当初アインザックやラケシル達と話をした理念を実現するため、日々努力している途上にある。建国当初は、皆も知っての通りエ・ランテルには冒険者らしい冒険者は殆ど残っていなかったが、ここにいる皆の尽力のおかげで、現在はかなりの数の若い冒険者達が魔導国で冒険者を目指そうとしてくれるようになった。これはとても素晴らしいことだと思う。まずは、それについて皆に感謝をしたい」

 

 アインズは軽く頭を下げ、アインザックやラケシルは慌ててアインズに頭を上げてくれるように懇願した。蒼の薔薇の面々もさすがに驚いたのかアインズの様子を見つめている。

 

「アインズ様、そういうことをすると、皆びっくりしちゃいますよ」

「そ、そうですよ。アインズ様がそのようなことをされなくても……」

 

 他のものと同様にマーレとアウラは一瞬驚いてアインズを見ていたが、それでもなんとか場を取りなそうと頑張っている。

 

「そうか? 私は単に感謝の気持ちは伝えるべきだと思っただけなのだが……」

 

 やはり王がこのような態度を取ると、部下を逆に萎縮させてしまうのかと反省しながら、アインズは頭を上げた。アインズとしては不本意だが、これも仕方がないのだろう。

 

「いえ、我々こそ陛下に感謝しております。私もこのような仕事を長くやってまいりましたが、長い冒険者人生で今が一番やりがいを感じております」

 

「私もですよ。おまけに、冒険者組合だけではなく、魔術師組合も加入希望者が殺到しておりまして。やはり、陛下の強大なお力に憧れるものも多いのでしょう。もちろん、私も、その、第八位階の魔法とか機会があれば一度見てみたいとか、少し思っておりますが……」

 

 ラケシルはおのれの欲望を隠そうとするつもりはないようで、熱のこもった目つきでじっとりとアインズを見ている。以前魔封じの水晶の中身が第八位階魔法だと知った時のラケシルの狂乱ぶりを思い出し、アインズは思わず笑いを洩らしそうになる。しかしあの時、そんなラケシルを見ていたのはモモンなのだから、流石に反応する訳にもいかない。アインズは必死になって平静を保った。

 

「ふむ。ラケシル、高位の魔法を見たからと言って他のものの参考になるかどうかはわからないが、魔導国の魔法詠唱者にとって何か得るところがあるというなら、そのような機会を設けてみるのも面白いかもしれないな」

「もちろん、参考になりますとも! やはり高い目標というのは刺激になるものでございます」

 

 ラケシルの目は再び異様な狂気に満ちはじめ、アインズは触れてはいけないものを見てしまったような気分に陥る。

 

「まぁ、そういう気持ちはわからんでもないがな。帝国のフールーダですら高位魔法の話には興味があるようだし」

「陛下、当然でございますよ。魔法詠唱者にとっては知識というのは何よりも代えがたいものなのです!」

 

「お前の気持ちも熱意もよくわかった、ラケシル。だから、少し落ち着くが良い。……そうだな、せっかくだから、他にも何か提案などがあれば聞いておきたい。意見があるものは遠慮なく話をしてくれ」

 

 放っておくとどこまでも力説しそうなラケシルの言葉を遮り、アインズは他の者に話を振る。ラケシルは残念そうな顔つきで、一旦黙り込んだ。アインザックや他の面々は少し考え込んでいる様子だったが、部屋の端の方からためらいがちな声がした。

 

「あの、私からも意見を申し上げてもよろしいでしょうか?」

「なんだ? イビルアイ。もちろん構わないとも」

 

「これは必ずしも冒険者組合に直結する話ではないかもしれませんが、私は魔法詠唱者を育成する学校があるといいと思います。比較的訓練がたやすい戦士と違って、魔法詠唱者は才能が必要なうえ、特別な訓練を受けなければ魔法を覚えることが出来ません。第一位階を使えるものですら数が限られています。しかし、アイ――陛下のお考えになっている冒険者は、やはり最低でも第三位階以上の力を持つ魔法詠唱者が必要になると思います。帝国の魔法学院のような感じでもいいですし、他のもっといいやり方があれば、そちらでもいいと思うんですが」

 

「ほう、なるほどな。学校というのは前にも誰かに……、ああ、ユリだったか? まだ具体的には何も動いてはいなかったが、確かにそれは考慮すべき提案だな。ありがとう、イビルアイ」

「いえ、そんなことはないです。少しでもお役に立てたなら、その嬉しいです」

 

 イビルアイは若干照れたような感じで頭をぺこりと下げた。アインズはそれを見て少しばかり、微笑ましい気分になる。

 

「陛下、魔法詠唱者を育成する学校に関しては、我々も必要性を痛感しているところでありまして。実はラケシルと一緒に近々ご相談させていただこうと思っておりました。是非前向きにご検討頂けると幸いです」

 

「わかった。お前達二人の要望でもあるというのであれば善処しよう。問題はどういう形で行うかだな。まずは設置に関する検討をしなければならないから、その結果にもよるが、場合によってはラケシル、お前を帝国の魔法学院に派遣し、どのような教育を行っているのか視察してきてもらうことになるかもしれない。それは問題ないか?」

 

「はっ、もちろんでございます。こちらから出した要望でもありますので、それに関することであれば、なんなりとお申し付けください」

「そうか。ではなるべく早く設置の可否を含めて連絡することにしよう。それでいいな?」

「ありがとうございます、陛下。もちろん構いません」

 

「よし。前置きがすっかり長くなってしまったな。アインザック、早速本日の報告会を始めてくれ。その後、私が本日ここに来た用向きを話そう」

「畏まりました。陛下。――ではまず、蒼の薔薇の方からは何か報告が必要なことはあったかね?」

 

「はい。まず、今行っている訓練設備のテストに関してですが、マーレ様からお伺いした想定レベルは銀級向け、とのことでしたが、出現モンスターが若干強いように思われます。遭遇率を下げるか、もしくはもう少し弱めのモンスターの方がよろしいかと思います」

 

 ラキュースの報告を聞いたアウラが手を軽く打って頷いた。

 

「あー、なるほどー。まだちょっと強かったか。モンスター配備の担当はあたしだから、別のモンスターを見繕ってみる。ラキュース、それでもう一度試してもらえるかな?」

「あ、あの、それじゃあラキュースさん、先日お願いした新しい階層のテストは、今の階層の調整が終わってからでいいです」

 

「わかりました、アウラ様、マーレ様。先に銀級の方をテストしてから問題なければ、新しい階層に移るようにします」

「うん、それでお願い」

 

「銀級連中の話で思い出した。俺からも一言いいたいことがあったんだ。今は組合近くの少し広めの場所で剣の指導をしてるんだけどよ、できればもうちょっと模擬戦のようなことを安全に出来る場所があったほうがいいと思ってるんだ。どうしても、熱が入ってくると周りで見ている奴らも結構危ない時がある」

 

「ガガーラン、それは言えているな。私も魔力系魔法を時々教えてやっているが、できれば実戦形式で教えてやりたいと思うことがある。だが、実戦形式ともなると、どこに魔法が飛ぶかわからんからな。さすがに危ないので躊躇していたんだ」

 

「なるほど。ガガーラン君とイビルアイ君の言うことはもっともだ。それなら、陛下、いっそ闘技場のような形の物をお作りになられてはどうでしょう? 国民にとっては娯楽にもなりますし、普段は冒険者の訓練施設として使えばいい。それに、例えば年に一度トーナメント形式の試合を行って、冒険者としての実力を競い合うというのも悪くないかもしれません。冒険者仲間といっても、なかなかお互いの実力を見せ合う機会というのもありませんしな。リ・エスティーゼ王国では、時々御前試合みたいなのをやっておりましたが、そういう形式でもいいかもしれません。もっとも帝国の闘技場のように、死ぬまでやるというのはいただけませんがな」

 

 アインザックは苦笑いをした。

 

「闘技場か。確かにそれは魔導国にもあってもいいかもしれん。帝国ではたいそう人気があったようだし」

 

(それに結構な収入になってたみたいだったしな。やはり収入源が増えるというのはありがたい。最近税収もだいぶ増えては来ているが、ナザリックの維持のためにも金はいくらあっても困ることはないし、俺の手元にも、もう少し自由に使える資金がほしい……)

 

 乏しい自分の懐具合を考えつつ、後でパンドラズ・アクターに相談しようと、アインズは心の中にメモをする。

 

「闘技場があれば、陛下の魔法も見せてもらいやすくなりますかね!?」

「えっ? ラケシル、確かに普通の場所でやるのはあまりお勧めは出来ないが、闘技場でやるのもな。私としてはあまり気乗りがしないのだが……」

 

 何の見世物だよ、と心の中で突っ込んだアインズは、慌てて話題を変えた。

 

「そういえば、貸出をしているルーン武器の使用感とか評判はどうなんだ?」

「その件については、ガガーランの方が詳しいと思うのですが……私が見た限りでは、駆け出しの冒険者が使うのには非常に良いのではないのかと思われます」

「そうか。やはり、まだ強化度合いが上位の冒険者には物足りない感じか?」

 

「俺たちの手持ちの武器と比べると多少見劣りはするっていうだけで、普通にミスリル級とかなら十分だと思うぜ。値段との兼ね合いにもよるけどよ。ただ、確かにもう少し魔力の強度が強い方がありがたいとは思う。でも、あのクラスのものがそこそこの値段で何時でも入手出来るって言うなら、それだけでも、かなりいいと思うがな。やはり、いい魔法の武器の流通量は少ないんでね。それを考えれば、今くらいのでも悪くないと思う」

 

「なるほど。そうすると流通量の確保と、もう少し質の高い品の開発が必要そうだな」

 

(となると、ゴント達にもう少し強度の高い武器の研究をさせつつ、そろそろ大量生産化の手法を考えてもらったほうがいいかもしれないな)

 

 報告会はその後も順調に続き、全員の話が一段落したことを確認すると、アインズはおもむろに話を切り出した。

 

「参考になる話をいろいろ聞かせてもらえて、非常に有意義な報告会だった。皆、ご苦労だった。――さて、ここからが私の本題なのだが、実は、そろそろ魔導国冒険者組合の実績を作ってみてはどうかと思ったのだ。もちろん、組合の活動自体がまだ軌道に乗ったわけではないので、あくまでもテストケースとしてだが」

 

「なるほど、それは確かに良い頃合いかもしれませんな」

 アインザックは頷いた。

 

「そこでだ。せっかく魔導国には『蒼の薔薇』と『漆黒』の二つのアダマンタイト級冒険者チームがいるのだから、二チーム合同で、適当な地域を探索してみてはどうだろうか。もちろん今回はテストも兼ねるから、それほど遠い場所である必要はないと思う。それに実際に試してみることで、今後の活動の指針にもなると思うのだ」

 

「私は賛成です。その二チームが組めばかなりの難敵にも対応できるでしょうし、何より他の者にとっても良い手本となるでしょう。本当は私が行きたいと言いたいところですが、やはりここは蒼の薔薇と漆黒に任せたいところですな」

 

 ラケシルが笑う。アインザックはゆっくりとモモンとラキュースの方を向き直った。

 

「漆黒、それと蒼の薔薇は魔導王陛下の提案をどう思うかね?」

 

「私は異論ありません。麗しい蒼の薔薇の皆さんさえ構わないのであれば」

 モモンは若干オーバーアクション気味に軽く手を広げるようにしながら即答した。

 

「も、もちろん、私も構いません。皆はどう?」

 そんなモモンに見とれていたラキュースは一瞬顔が紅潮するが、すぐにいつもの様子に戻ると他のメンバーの顔を見回した。

 

「俺は望むところだぜ。若いのに教えるのも悪くはねぇけど、俺自身の力をそろそろ試してみたいしな」

「私は問題ない」

「もちろん、賛成」

「同じく」

 

「では魔導国冒険者組合は、陛下のご提案通り、第一回目の探索チームとして蒼の薔薇と漆黒を派遣することに決定しよう」

 アインザックが決すると、自然と拍手が起こった。

 

「問題はどこに行くかですが、陛下、どこかご希望の場所はございますか?」

「いや、私の方からは特にはないな。むしろ、冒険者の自主性に任せたいところだ」

「畏まりました。では、行き先の選定は蒼の薔薇と漆黒の協議で決めるということで」

 

 その時モモンが軽く手を挙げた。

 

「組合長、よろしいですか?」

「なんだね? モモン殿」

 

「場所の選択は蒼の薔薇の皆さんにお任せして構いませんか? せっかくの初の試みですし、彼女たちの選ぶ場所を見てみたい気がします」

「ほう? 蒼の薔薇はそれで構わないかね?」

 

 ラキュースはあからさまに残念そうな顔をしたが、素直にそれに同意した。

 

「では、後ほど冒険者組合で管理している地図を蒼の薔薇に渡そう。地図に載っていない場所を目標として定めるというのは難しいとは思うが、それも今回のテストの内ということで」

「わかりました、組合長」

 

「では、今日はこの辺でお開きとしますか。陛下、本日はわざわざお運びくださりありがとうございました」

「いや、気にするな。私が勝手に来たことだ。それでは探索が上手くいくことを祈っている。是非、未知の世界を既知にしてきてくれ。蒼の薔薇の諸君。それから、漆黒もな」

 

 魔導王が立ち上がり退室しようとした時、その後ろに付き従っていたアウラが急になにか思いついたように振り返った。

 

「あー、ちょっとだけ、いいかな? ラキュース」

「はい、なんでしょうか? アウラ様」

「出来れば、竜王国と法国付近は避けたほうがいいかも。どうもあの辺危ないみたいだからね」

 

「確かに、竜王国の向こうにはビーストマンの国もありますから、そちらは避けたほうが賢明だと私も思います。それに私達も法国にはあまり近寄りたくはありませんから、その辺は大丈夫です」

「それなら良かった。じゃあ、頑張ってね」

 

 アウラは笑顔で手をひらひらと振り、ちらっとイビルアイを流し見ると、そのままアインズの後を追って出ていった。

 

 

----

 

 

 竜王国の北東に位置する山岳地帯には、周囲を岩山で囲まれた高原がある。そこはまさに天然の要塞であり、ビーストマン達の国の首都ともいうべき場所だった。

 

 都市に繋がる門からは、大勢のビーストマン達が何処かから運んできた大勢の人間を詰め込んだ巨大な檻を荷車で運んでおり、市場のような場所では、生きた人間を競りに出していたり、立ち並ぶ屋台では既に何らかの加工をされた大量の肉が売られている。市場に出入りしているビーストマン達はそれを当たり前のように売り買いしていた。

 

 道には兵士らしい粗雑な武装をしたビーストマン達も行き交っている。兵士たちは都市を守るようにあちこちに配置され、油断なく警戒をしているようだったが、それでも、長らくこの都市を攻められたことはなかったのだろう。自然の防壁となっている巨大な岩の各所に隠れて見張りをしている筈の兵すらのんびり雑談したり、何かを齧るのに夢中になっているものも多く見受けられる。

 

 そして、その場を更に見下ろす位置にある岩山の切り立った崖の上にコキュートスとデミウルゴスが立っていた。二人は前方の遥か下に見える巨大な石造りの都市を、じっくりと検分するように見下ろしている。

 

 二人の背後には、コキュートス配下の雪女郎(フロストヴァージン)が二人、デミウルゴス配下の嫉妬の魔将(イビルロード・エンヴィー)及び、低位の悪魔たち等、二人のシモベたちが大勢控えていた。

 

 しばらく都市や周囲の状況を眺めていたコキュートスが、ガチガチと牙を鳴らすと、おもむろに口を開いた。

 

「デミウルゴス。私ハ御方ニ、決シテ我ガ望ミを口ニ出シテハ、イケナイトズット思ッテイタ。御方ハ、私ニ既ニ恥辱ヲソソグ機会ヲオ与エクダサッテイル。シカシ、御方ニハ、ヤハリ見抜カレテイタノダナ……」

 

「コキュートス、当然だろう。アインズ様は遠い未来まで見通していらっしゃるのだ。君の望みくらいとうの昔にわかっておられたさ。ただ、これまで相応しい機会がなかっただけで、常に君のことを考えていらしたに違いない。その証拠に、シャルティアにも機会を与えられていただろう?」

 

「ソウダナ。アノ話ヲ聞イタトキハ、私ハ先ヲ越サレタト思イ、カナリ焦リヲ感ジテシマッタガ。ヤハリ、アインズ様ハ我々ヲ統ベラレルニ相応シイ慈愛ニ満チタ御方。私モ今回コソハ、アノ時ノヨウナ屈辱ヲ味ワウノハゴメンダ。デミウルゴス、ドウカ私ニ、チカラヲ貸シテクレ」

 

「無論だ。もちろんビーストマンを攻略する作戦計画については、コキュートス、君に全て任せるがね。ともあれ、作戦の第一段階としては我々の存在を知られることなく、ビーストマンを掌握することだ。作戦の都合上、我が配下が召喚したシモベを使ってもらうことにはなるが。君の命令には絶対服従するように既に命じてあるから安心して欲しい。コキュートス、君の采配を楽しみにしているよ」

 

 凍河の支配者は、炎獄の造物主を見やると、自信ありげに頷いた。

 

「必ズヤ、アインズ様ノゴ期待ニオ応エシ、今度コソ、御方ニ勝利ヲ捧ゲテミセル。見届ケテクレ、デミウルゴス。我ガ戦イヲ」

 

 デミウルゴスは深い笑みを浮かべ、盟友に激励の言葉を送る。コキュートスは背後にいた嫉妬の魔将を呼び寄せると、最初の指示を出した。

 

 




五武蓮様、典型的凡夫様、バーバリー湿布様、瀕死寸前のカブトムシ様、誤字報告ありがとうございました。

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予定よりも公開に時間がかかってしまい、大変申し訳ありませんでした。
書いても書いても、なかなか目的のところまでたどり着かず。
いただいた感想のおかげで、なんとか三章も書き上げることが出来ました。
本当にありがとうございました。


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4: 幼女王の苦悩

 竜王国の王城にある小さな一室で、玉座に座った『黒鱗の竜王(ブラックスケイル・ドラゴンロード)』ドラウディロン・オーリウクルス女王は頭を抱えていた。

 

 王国のアダマンタイト級冒険者チームだった『朱の雫』が数ヶ月前から竜王国に助力してくれるようになったおかげで、『クリスタル・ティア』のみでは支えきれなくなりつつあった戦局は、かなり改善したかのように思われた。

 

 ビーストマンの侵攻は下手すると戦線崩壊しかねない勢いだったが、二つのアダマンタイト級冒険者チームを柱に、残り僅かな竜王国軍は国の北東部まで前線を押し戻すと、その後はそこにある中核都市を拠点にして、ビーストマンの攻撃をかろうじて食い止めていた。

 

 しかし、このところビーストマンの動きが妙に活発化し始めたのだ。

 

 おかげで既に陥落していた三つの都市に加え、巧みな急襲を受けた二つの都市を落とされてしまい、前線は国の中央部まで一気に後退してしまった。数年前にもビーストマンが急に組織だった行動をとり始め、以来竜王国は苦戦を強いられ続けたが、明らかに最近のビーストマンの攻撃はそれとは異なる機動性があるように思われる。

 

 そのため竜王国はスレイン法国に再三援軍を要請し、一時的に復帰した漆黒聖典の引退者を派遣してもらうことで急場をしのいでいた。しかし二週間程前に、突然スレイン法国は竜王国に断りなく漆黒聖典を引き上げてしまい、焦った竜王国はその後何度も新たな部隊の派遣を要請したが、法国からは一切返答はない。

 

「まったく、どういうことだ。スレイン法国め。金ばかりむしり取ったあげく、ようやく漆黒聖典を派遣してくれたと思えば……。やはり、奴らは竜王国を見捨てたということか?」

「陛下。もうスレイン法国からの援軍は諦めませんか? これなら、おとなしく他の国に頭を下げた方がましですよ」

 

 自分の右脇に立ち、冷ややかな表情をしている宰相を、ドラウディロンはじろりと睨みつけた。

 

「そんなことを言っても、一体どこがこの国を助けてくれるのだ? 以前頼ろうと思っていたバハルス帝国は、こちらがスレイン法国に打診している間に、あの怪しげな国の属国になってしまったではないか!」

「アインズ・ウール・ゴウン魔導国ですよ。陛下」

「名前などどうでもよかろう!?」

 

「確かに、苦難の我が国を助けてくれるなら、相手がどんな国だろうが全て些細なことですよね、陛下。そういう意味で仰られたのですよね?」

「……本当に嫌味なやつだな」

「そういう性分ですから。――ところで陛下は、アンデッドがこの国を助けてくれるかもしれないとしたら、どうされるおつもりですか?」

 

 探るように自分を見ている宰相に、少々ムカついたドラウディロンは玉座の肘掛けにだらしなく頬杖をついた。

 

「助けてくれるんなら、どうせお前は相手がアンデッドでも些細なことだと言いたいんだろう? 私にはそんな奇特なアンデッドがいるとは思えんがな」

「もちろん助力してもらえるなら、この際相手がアンデッドだろうが悪魔だろうが、私は一向に構いません。どのみち、このままなら竜王国は滅びて国民は死ぬだけですから。――陛下、魔導国の王は強大なアンデッドなんだそうですよ。そのうえ、何十万もの人間を一気に殺せるような凄腕の魔法詠唱者なんだとか」

 

 その情報はドラウディロンには初耳だった。それほどまでに強力な魔法詠唱者が存在しているなら、今の竜王国を助けることなど簡単に出来るだろう。

 

「ほう、それは凄いな。かの白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)の始原の魔法とどちらが強いのか興味がある。少なくとも、私が始原の魔法を無理やり使うよりも強力そうだが」

「私もそう思います。それに、魔皇とやらに襲われたローブル聖王国も魔導国の王が助力して倒してくれたんだそうですよ」

 

「そんなことがあったのか。今の世に魔皇がいるとは知らなかったぞ。だいたい、そんなものが襲ってきたら、今の竜王国などひとたまりもないではないか!」

「全くです。倒してもらえてよかったですね。でも、それなら魔導国の王が力を貸してくれれば、法国などに頼むよりもよっぽど確実にビーストマンを倒してくれると思いませんか?」

「それは名案だな! 宰相、たまにはいいこと言うではないか」

 

 子どもらしい口ぶりで笑いかけるドラウディロンに、宰相は冷ややかな視線を送った。

 

「普段からそんな感じで頑張ってくださいよ。どうも最近ボロが出ているような気がします」

「仕方ないだろう。こういう演技を素面でやるのは疲れるんだ。ところで、宰相、私はその魔導国とやらに頼った場合、法国の連中が黙っていないと思うのだが? アンデッドの王など連中が黙って見ているとは思えん」

 

「確かに法国は怒るかもしれませんが、我々のこの窮状を知っていながら放置している法国なんて、もうどうでもいいじゃないですか」

 

 宰相は皮肉げな顔をして、肩をすくめた。

 

「……宰相、気でも狂ったのか? 一応今まで散々頼っては来たのだし、あそこはあそこで敵に回すのはそれなりに怖いぞ? 隣国でもあるしな。もしかしたら、法国が漆黒聖典を引き上げたのは、その魔導国とやらの対策のためかもしれない」

 

「陛下にしては珍しくちゃんと考えておられるんですね。少し見直しました」

「うるさいわ! いつも考えているに決まってるだろう!」

「そうでしたか。それは失礼致しました」

 

 慇懃に宰相は一礼する。どうせ反省などしていないのだろうとドラウディロンは思うが、口には出さなかった。

 

「ともかく、このままでは私の代で竜王国は終わりだ。さすがにそれは曾祖父様に申し訳ない。すがれるものならアンデッドにだってすがりたいぞ。金さえかからないのならな!」

「問題はそこですね。今の我が国に助力するメリットなんて、先方には全くありませんから。噂では、魔導国の属国になったバハルス帝国もリ・エスティーゼ王国も強大な魔導王の庇護下で平和らしいですよ。羨ましい限りです」

「くそ、言いたい放題いいおって」

 

 ぼやく宰相を横目で眺めつつ、ドラウディロンはしばらく思案した。

 

「リ・エスティーゼ王国か……。朱の雫はそこから来たんだったな。奴らならもう少し魔導国について詳しく知っているんじゃないのか?」

「仰るとおりですね。朱の雫ならもう少しすれば来るはずです。王都に帰還次第、女王陛下にご機嫌伺いに来ると申しておりましたから。――陛下、彼らが来たら私は退室してよろしいでしょうか?」

 

「ダメだ。私は可愛らしくて、まだ物のよくわからない幼女なんだからな。宰相がいないのはおかしいだろう」

「……あんまりあそこのリーダーと会いたくないんですが」

「いいじゃないか。あの男もお前を喰うわけじゃないだろ。物理的に」

 

 宰相がドラウディロンに反論しようと口を開きかけた時、玉座の間の入り口に朱の雫の到来を告げる家臣が現れ、慌ててドラウディロンは国を憂える幼い少女を装い、宰相は居住まいを正して、正面に向き直った。

 

 少しすると、恰幅のいい壮年の男性と、長身で理知的だが妙に気障ったらしい男性の二人連れが現れ、ドラウディロンの前まで進み出るとおもむろに跪いた。

 

「ドラウディロン女王陛下、朱の雫のアズス、現状報告も兼ねてご挨拶に参りました」

「同じく朱の雫のルイセンベルグ、可憐な一輪の花のように麗しい女王陛下にお目通りが叶い、この上ない幸せでございます」

 

「うむ。苦しゅうないぞ。二人とも面を上げよ」

 

 顔を上げた二人はいかにも歴戦の戦士であることを思わせる風格があったが、アズスは時折宰相の方を流し見ては怪しげな笑みを浮かべている。宰相はいつもどおり冷静に振る舞ってはいたが、あまりアズスとは視線を合わせないように、微妙に目を泳がせていた。

 

「よく無事に戻ってきてくれた。なにしろ、今の竜王国は朱の雫の力が頼りなのだ」

 

「女王陛下、有難きお言葉を賜り感謝いたします。我々朱の雫は今回も無事に任務を終わらせ帰還することが出来ました」

「ご安心ください。陛下のご命令通り、王都北西の都市周辺からはビーストマンの部族を追い払うことに成功し、現在はクリスタル・ティアの指揮で防御を固めているところです」

 

「それは何よりだ! 冒険者の人たちには怪我はなかったのか?」

「我々朱の雫とクリスタル・ティアが揃えば、そのへんのビーストマン風情でしたら敵ではございません。他の冒険者の者も何とか無事でございます。怪我をしたものもおりますが、早急に傷を癒やし、皆次の戦闘に備えております」

 

「よくやった! 素晴らしい功績だ。このドラウディロン、朱の雫の働きにはとても感謝している!」

 ドラウディロンは、子どもらしい明るい顔つきになり、はしゃいだように声を上げた。

 

「お褒めいただき、この上ない幸せでございます」

 アズスとルイセンブルクは頭を下げた。

 

「ところで、朱の雫に少し尋ねたいことがある。かまわないか?」

 ドラウディロンは可愛らしく首を傾げた。

 

「女王陛下にお役に立てるなら何なりと。我々でお答えできることであれば」

 そう言ってアズスは宰相に熱い視線を送り、宰相は引きつった笑いを浮かべている。

 

「そうか。実は、おぬし達の故国であるリ・エスティーゼ王国は、……あいんず・うーる……」

「アインズ・ウール・ゴウン魔導国ですよ。女王陛下」

 

 宰相に嫌味っぽく囁かれ、ドラウディロンは軽く舌打ちをするが、すぐに国を想う幼き女王の顔に戻った。

 

「……わかっておるわ。あー、その魔導国の属国になったそうだが、その魔導国の王というのはどういった人物なのだ?」

「アインズ・ウール・ゴウン魔導王ですか。あいにく我々は直接会ったことがあるわけではないので、あくまでも聞いた話になりますが、それでもよろしいのでしょうか?」

「構わん。何でもいいので、知っていることがあれば教えてほしい」

 

「そうですか。私が知っているのは、まだ王になる前のアインズ・ウール・ゴウンという強力な魔法詠唱者が王国のガゼフ・ストロノーフ戦士長をとある軍勢による襲撃から救ったこと。彼が魔導国を打ち立てる際に帝国と同盟を結んだこと。以前定期的に行われていた帝国と王国との最後の戦争でアインズ・ウール・ゴウンが神の如き強大な魔法を放ち、王国の兵二十万を虐殺したこと。その際ストロノーフ戦士長はアインズ・ウール・ゴウンとの一騎打ちで敗れ戦死したこと。そして、王となってからは、ローブル聖王国を救うべく自ら魔皇を倒し、リ・エスティーゼ王国の内乱をほぼ無血で鎮めた、ということですな」

 

「待て、アズス。兵士二十万を魔導王が一人で殺したのか?」

「ええ、そうです。帝国の兵士は一切動かず、魔導王が放ったのはたった一つの魔法だったそうですよ」

「何だって? そんな馬鹿な……」

 いつもは冷静な宰相も驚きの声を隠しきれなかった。

 

「しかもそれでいて、人を助けることもするとは。まるで神と魔神を併せ持つような存在ではないか」

「女王陛下、まさに仰るとおりかと。実際、ローブル聖王国でもリ・エスティーゼ王国でも神と崇めるものが大勢出てきているそうです。そろそろ吟遊詩人が唄にでもするんじゃないでしょうか?」

 朗々と詠うような口調でルイセンブルクが口をはさみ、アズスに軽くこづかれて決まり悪そうに黙った。

 

「その話が全て真実なら、私はむしろ魔導王というのがどういう存在なのか、全くわからなくなった。アズス、魔導王がアンデッドというのは本当なのだな?」

「ええ。エルダーリッチのような外見と聞いています。しかし話の内容からして、恐らくそれよりも上位のアンデッドなのでしょうな」

 

「そんなアンデッドがいるなんて聞いたことないぞ。曾祖父の話にも……、ああ、いや、そういえば、スレイン法国の神の一人も強大なアンデッドだったといっていたな」

七彩の竜王(ブライトネス・ドラゴンロード)様のお話ですか。それは興味深い」

「私がまだ幼いこ……んん、それでだな、アズス、率直に聞かせて欲しい。お前は魔導王はどう思う?」

 

「そうですな。あくまでも私個人の印象ですが、逆らうものには容赦しないが、恭順するものには案外寛大ではないかと。実際、リ・エスティーゼ王国は魔導王に対して弓引くことを選んだ時にしか、魔導王に攻撃されていないのです。例の虐殺にしても、王国は戦士長が止めようとするのを無視して魔導王と戦うことを選んだと聞いておりますし、戦士長が死亡した件も、戦士長が自ら魔導王に一騎打ちを願い出たと聞き及んでおります」

 

「つまり、王国は自滅の道を自ら選んだということか?」

 

「まさに女王陛下のご慧眼の通りかと。リ・エスティーゼ王国は、最初から魔導国に頭を下げていれば何事もなく終わったのかもしれません。実際、自分は王国が現在の落ち着きを取り戻したのは、魔導王から賜った助力の結果だと思っております。……失礼ですが、陛下は魔導国に援助を願うおつもりなのですか?」

 

「まだ、わからん。ただ、一応情報として知りたかったのだ。近隣の国のことでもあるしな」

「そうですか。ただ一言申し上げるなら、魔導王に助力を乞えば、ほぼ確実に魔導国に跪くことになるでしょう。そして、アンデッドの王を戴く国を法国が認めることはありえない。場合によっては法国とことを構えることになりかねません」

「うむ、そうだろうな」

 

「それと、これも陛下にお話せねばと思っていたのですが、ここ最近のビーストマン達の動きは、以前にもまして組織化しております。少し前までは部族単位での行動のようでしたが、今は部族単位ではなく、適切な部隊を編成して攻撃してきているように感じます。まるで戦を取り仕切るものが変わったかのような……」

 

「なんだと? それはまずいではないか! ビーストマンどもめ、余計な知恵をつけおったか?」

 

「そこまではわかりませんが、正直このままでは、そう長くは戦線を保てないかもしれません。今はなんとか王都への侵入を阻止すべく、自分達とクリスタル・ティアで敵を抑え込んでおりますが、何らかの抜本的な対策が必要ではないかと思われます。――まあ、我々冒険者が国の政には口を差し挟むのは立場上宜しくありませんので、この話はこのくらいで」

 

「ふむ、なるほど……。いや、助かった、さすがアズスは物知りだな! 感服したぞ!」

 ドラウディロンは朗らかな声で褒め称えた。

 

「有難きお言葉でございます、女王陛下。――ところで、宰相様。今夜のご予定は……」

 

 アズスの目はあからさまに宰相の姿を上から下まで熱い視線で見やると、いつもながら魅力的だ、と小さな声をもらす。隣りにいるルイセンブルクは真面目そうな顔をしつつも、口元が微妙に緩んでいる。

 

「あ、いや、申し訳ない。アズス殿。今夜は重要な会議が入っている。国の功労者たる朱の雫のためであれば、なんとか時間を工面したいところなのだが、何分今の情勢がそれを許してくれないのだ」

 

 宰相はアズスの視線から自分の身体を隠すようにさりげなく手を前に回す。

 

「それは残念でございます。このアズス、宰相様のような知的な方もなかなか好みでしてな。一度ゆっくりお話してみたかったのですが。ではまたこの次にでも」

「すまないな。理解してくれて感謝する」

 

 恭しく一礼して、退室していく二人を見送ると、ドラウディロンと宰相は思わず安堵の声をもらした。

 

「……あれってやっぱり、ホモとかいうのなんですよね?」

「恐らくな。アズスは豪胆だし腕も確かで悪くない人物なんだが……。まあ、これで私の気持ちも少しはわかっただろう?」

「やめてください。心底迷惑してるんですから」

 

「別にいいではないか。アズスはセラブレイトに比べれば、大分紳士的だと思うぞ? 少なくとも奴ほどはあからさまじゃない」

「十分あからさまですよ! 確かにセラブレイト程はジロジロ見ないですけど、なんか身体の芯からゾクッとするのを感じるんですよ。――はぁ、どうして、我が国にはまともなアダマンタイト級冒険者がいないんでしょうね……」

「全くだな。朱の雫じゃなくて蒼の薔薇が来てくれれば良かったな……」

 

 二人は盛大に溜め息をついた。しかし、いないもののことを言っても仕方がない。それに性癖がどうあれ、彼らが竜王国のために戦ってくれる貴重な戦力であることには変わりがないのだから。

 

「ところで、宰相。魔導国の件だが。私はもういっそ頭を下げてしまえば良いんじゃないかと思っている」

「奇遇ですね、私もですよ。たまには気が合うこともあるんですね」 

「ほざけ。ただ、アズスは頭を下げれば助力してくれるようなことを言っていたが、本当だと思うか?」

 

「さあ、わかりませんね。そもそも、アズスはそこまでは詳しく知らなさそうですし、王国と聖王国は何らかの形で対価を支払っていたと考えるのが妥当でしょう。ただ、どのみち助力の対価を金銭で支払おうにも、我が国には金などありません」

「そんなことは、わかっておるわ。人間の守護者を気取っておる法国でさえ金を要求するんだ。いずれにせよ、ただじゃ無理だろうな」

 

 ドラウディロンは苦虫を噛み潰したような顔をした。

 

 実際、ここ数年の激しいビーストマンとの攻防の結果、竜王国は多大なる被害を受けていた。壊滅した都市から王都に逃げ出してきた国民を養うのも大変だ。法国に度々寄進した額も少なくはない。魔導国が助力の対価に金銭を要求してくるのは援軍を要請する以上当たり前のことだし、それは他のどの国に頭を下げるとしてもそう変わらないのではないかとドラウディロンは思う。そして、その考えは宰相も同じだったようだ。

 

「ですよね。――ところで、アンデッドは陛下みたいな幼女に興味あると思います?」

「はぁ!? お前はいきなり何を言い出すんだ?」

 

「金がない我が国が、助力の対価に差し出せるのは何かと考えると、私はやはり陛下しかないと思うんですよ。どこの国に頭を下げるんでも」

「――宰相。それは、つまり、私にアンデッドの嫁になれというのか?」

 

「話が早いですね。その通りです。幸い、陛下はまだセラブレイトに喰われたわけでもなりませんし、年齢的にもそろそろ相手がいてもいいお歳頃、というか、もうそろそろ真面目にお相手を考えてもいい頃合いです。それに陛下が多少長生きだとしても、そろそろ後継となるお世継ぎも必要でしょう。幸い相手は一国の王ですし、身分的にも問題ありません。もっとも他にも同じようなことを考えている国がないとはいえませんから、最悪陛下が正妃にはなれないかもしれませんが、この際それで竜王国が救われるなら、いっそ魔導王に嫁がれてはいかがでしょう?」

 

 しれっと宰相に言われ、流石のドラウディロンもむっとする。だが、確かに国同士で政略的に婚姻関係を結ぶのはよくあることだし、ドラウディロンだってこれまで相手を全く考えなかったわけではない。もっとも国を守るので精一杯だったから、そこまで手が回らないまま、ずるずるとこの歳まで独身で来てしまった。それに、ドラウディロンとしても宰相の案が現実的であることはわからなくはない。しかし妙齢の女性に対して、宰相の言いようもあんまりではないだろうか。

 

「――私にも一応好みというのはあるのだが?」

「陛下の好みがアンデッドかどうかはどうでも良いです。国を守るためですよ? ビーストマンに頭から喰われるのと、アンデッドの嫁になるのと、どちらがいいですか?」

「…………」

「こうやって考えている間にも、国民は物理的に喰われているのです。だったら、この際、魔導国に賭けてみませんか?」

 

 完全に退路を絶たれたドラウディロンは覚悟を決めた。迷っている余裕などどこにもないのだ。

 

「確かに、このままでは曾祖父様に申し訳がたたん。……宰相、魔導王がロリコンであることを祈るんだな」

「ロリコンでなくても、陛下には別の形態があるでしょう?」

「形態いうなぁ! まぁ、この姿が駄目なら、そちらの姿になればいいか」

 そういって、ドラウディロンは手を胸の下に当てて持ち上げるような仕草をした。

 

「そうですよ。陛下には無限の可能性があります。それにもしかしたら、魔導王は、陛下の本性の方が好みの可能性もありますね」

「アレか……。あの姿には正直あまりなりたくはないが……。アンデッドの好みなんてわからんからな。一応覚悟はしておこう。ところで、宰相。法国についてはどうする? アズスも言っていたが、魔導国につくことが法国にバレれば、恐らくただではすまんだろう」

 

「その時はその時ですよ。法国に難癖つけられたら、これまで出した金額の分の支援をしてもらえていないから、今後は魔導国につくといえばいいでしょう。正直、金を返してくれと言いたいくらいです。それに魔導国が竜王国を保護下に入れてくれるなら、きっと魔導王が守ってくれますよ」

 

 宰相も幾分ヤケになっているようで、皮肉っぽく言った。しかし投げやりな気分になっているのはドラウディロンも同じだ。

 

「それもそうだな。では宰相、早速重臣たちを集めよ! 任せたぞ!」

 

 ドラウディロンのここぞとばかりの子どもらしい笑顔に、宰相は冷ややかな一礼で応えた。

 

 




甲殻様、ニンジンガジュマル様、誤字報告ありがとうございました。

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朱の雫に関しては、ほとんど資料らしい資料がないため、ほぼ完全に捏造です。
アズスの性癖に関しては、ガゼフがアズスに会うのを微妙に嫌がっているような描写があったため、もしかしたらそういうことだったのかもしれない、くらいの全く根拠のない捏造設定です。異論は認めます。

単に、竜王国にはまともなアダマンタイト冒険者がいない、というセリフを書きたかっただけとか、そんなことでは決してありません本当です。


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5: 戦場での思い

 ナザリック第九階層にある執務室で、アインズはアルベドとデミウルゴスを前にして頭を抱えていた。一応外見だけは平静を装ってはいたが。

 

 アルベドとデミウルゴスが作成してくれた何冊もの書類の束は、どれも比較的わかりやすく纏められている。だが一冊の分量だけでもかなりのもので、その上別紙データや様々な試算が資料として付けられている。表紙に書かれたタイトルだけをざっと見た限り、内容はどれも魔導国の今後に関わる重要なことばかりのようだ。流石のアインズでも、よくわからなかったからと適当にごまかすわけにはいかない代物だということはわかる。

 

(やっぱり国が大きくなってくると出てくる問題も増えてくるし、面倒くさいのも多くなってくるよな。これで世界征服とかしてしまったら、一体どんなことになるんだろう)

 

 アインズは既にない胃が痛むような錯覚を覚えるが、先のことは未来の自分に丸投げし、とりあえず、手元にある書類を必死になって目を通した。

 

「アルベド、エ・ランテルの治安が悪化傾向にあるという件だが、都市内の警備にはデス・ナイトを配置してあるはずだ。それでも尚、不埒なことをする者がいるということなのか?」

「いえ、アインズ様。彼らは暴力沙汰を起こすわけではありません。そのため今回の問題についてはデス・ナイトでは対処不可能かと思われます」

 

「……そ、そうなのか?」

 

(うーん、さっぱりわからない。どういうことなんだ? 具体的に何が起こっているのか聞けば良いんだろうけど、きっとこの中に全部説明してある……、んだよな?)

 

 アインズはうんざりしつつも、分厚い報告書をめくって該当箇所を探そうとしばらく奮闘したが、正直とても見つけられそうもない。アインズはにこやかにアインズを見ている知恵者二人をちらりと眺めた。ここはやはり、どうにかしてデミウルゴスとアルベドに説明してもらうほかないだろう。どうすればこの場を上手く乗り切れるか、アインズは必死に頭をひねった。

 

「ふむ。ではアルベド、お前がこの問題の原因はなんだと考えている? ああ、もちろん、この書類の中にも書いてあることはわかっているし、私なりに理解しているつもりだ。しかし、私はお前の口からそれを聞きたいのだ。万一にもお互いの認識にずれがあっては困るからな」

 

「アインズ様でしたら、そのようなご心配は無用と存じますが……」

「私だってミスはするし、誰でもミスをするものという前提で考えなくてはいけない。シャルティアの件でもそれは明らかだろう?」

 アインズは苦笑した。

 

「あれはアインズ様のミスというわけではないと思いますけれど。では畏れながら、ご説明させていただきます」

 

 そういって、アルベドは懐から白い粉の入った小さな瓶を取り出し、本日のアインズ当番であるデクリメントに渡し、それをデクリメントはアインズのところまで持ってくる。それを受け取ったアインズは手の中を転がしてみるが、一見何の粉なのかよくわからない。

 

「アルベド、これは?」

 

「これが今回の問題の一つでもある、最近エ・ランテルの一部で流行っている薬物です。パンドラズ・アクターの調べでは、以前、王国で栽培されていた麻薬とはまた違うもので、効果はそれほど強くはないのですが、依存性があり、服用するものに酩酊感や多幸感を与えます。エ・ランテルにある娼館の一部やあまり素行の良くない者たちの間で流行っているようですが、放置しておくとエ・ランテルどころか、魔導国の勢力圏内にも広がってしまう可能性があります」

 

 それを聞いて、数日前にパンドラズ・アクターを訪問した際に、そのような報告を受けていたことをアインズは思い出した。

 

(あいつの暑苦しい物言いで、つい話半分に聞き流してしまったが失敗したな。そういうことだったのか。まだパンドラズ・アクターに説明させたほうが質問もしやすいし、わかりやすかったかもしれなかったのに)

 

 アインズは少々後悔する。しかし先日のパンドラズ・アクターは、いつもにまして仰々しい身振りと台詞回しに磨きがかかっており、ようやく少しは慣れてきつつあった自分の黒歴史に、思いっきりトラウマを抉られてしまったのだ。おかげで、アインズは相変わらず距離感のないパンドラズ・アクターを適当にあしらい、早々に退散するはめになった。一体、あいつは何処でああいう余計なことを覚えて来たのだろう。

 

(そういえば、先日の報告会でもラキュースが微妙な視線でパンドラズ・アクター(モモン)を見ていたな。蒼の薔薇に呆れられていないといいんだが)

 

 アインズは出ないため息をついた。

 

「……なるほど、それはまずいな。それで、アルベド。対策はどのように考えているのだ?」

 

「八本指の情報では、これまで王国や帝国で使用されたことのある麻薬とは違う代物のようです。そのため、現在彼らに出元を探らせているのですが、まだはっきりとはしないものの、魔導国及び属国ではないところから持ち込まれている可能性が濃厚です。アインズ様のご許可が頂けるのであれば、姉ニグレドに探知させたいと思っているのですが……」

 

 アインズはしばし考え、やがて首を横に振った。

 

「ニグレドに探知させるのもいいが、相手によってはカウンターを食らうだろう。そうすれば、最悪こちらが動いていることが敵に知られてしまう。それはなるべく避けたいところだ」

 

「了解いたしました。では、魔法的な探知ではなく、隠密行動に長けた下僕を送り込むようにいたします。ただ、正直申し上げて、現在、周辺国家で魔導国と対立する可能性がある国はアーグランド評議国とスレイン法国のみ。ただアーグランド評議国とは今のところ、互いに敵対する理由はないと思われます。しかしスレイン法国は国としての理念からも、魔導国に対して何らかの工作を行ってくる可能性は高いですし、これまでの因縁もございます。何かを仕掛けてくるとすれば、やはりスレイン法国である可能性が高いでしょう」

 

「スレイン法国か……」

 

 アインズは腕を組んで考え込む。もちろんそれでいい考えが浮かぶとは限らないが、何もやらないよりはマシだと自分を慰める。だが、しばらく考えてみたものの具体的には何も思いつかなかった。そもそも彼らのこれまでの行動自体、意味不明なものが多い。やはりこういうものは適材適所。わかるものに考えてもらうしかないだろう。

 

(そもそも、俺は別に王とか向いてるわけじゃないからなぁ。所詮ただの一会社員で、ギルドでだって単に雑用してただけだし……)

 

「そういえば、スレイン法国への調査の件はまだ決まってはいなかったな。――では、竜王国についてはデミウルゴスに任せているから、この薬物の出元とスレイン法国の調査については、アルベドに任せよう。但し、あくまでも秘密裏に調査を行うだけだ。彼らが魔導国に何かをしようとしているなら、その証拠を掴め」

 

「大義名分になるものを、ということですね?」

「その通りだ」

「かしこまりました。では早急に適切な下僕を選抜し、彼の国の内部を調査いたします」

「頼んだぞ、アルベド。お前なら問題ないとは思うが、慎重にな」

 

 一瞬アルベドが奇妙に微笑んだ気がしたが、アインズは気のせいだと思うことにした。

 

「デミウルゴス、そういえば、ビーストマンの国に派遣しているコキュートスの様子はどうだ? お前にはコキュートスの補佐も頼んでいるが、今はどのように進んでいる?」

 

 これまでは、コキュートスはプロジェクト・リーダーとして長らくリザードマン達の統治にあたってもらっていた。コキュートス自身も与えられた仕事として順調に実績を上げ、現在はナザリックの北部の亜人や異形種を全て取りまとめている。非常に優れた功績だといえるだろう。

 

 だが、アインズには気になっていることがあった。

 

 コキュートスは武人建御雷に誇り高い武人として創られた。統治の仕事を与えたのは、コキュートスにその武人としての設定以外の経験を積ませたかったからだ。そして、その事自体は正しかったと思っている。しかしながら、コキュートスはやはり戦場で本領を発揮したいと思っているのではないかとずっと危惧していた。

 

 それに、その後挽回したとはいえ、ナザリックとしての最初の戦いでもあったリザードマン達の攻略に失敗してしまったことを、コキュートスが全く気にしていないといえば嘘になるだろう。

 

 シャルティアには、ドワーフの国に随伴させることである程度の雪辱を果たさせることができたが、コキュートスはまだだ。であれば、今度こそ戦場で功績を上げる機会を与えたいと思ったのだ。

 

「はい。コキュートスの指揮の手腕はなかなかのもので、首尾よくビーストマンの主だった都市を全て掌握することに成功いたしました。しかし、残念ながら、ビーストマン達は我々の支配に屈することを拒みましたので、半数のビーストマンについては殲滅し、四分の一は生きたまま捕獲しております。残りはその時点で配下に下ることを誓いましたので、竜王国に対する手駒に使う予定でございます」

 

「それは素晴らしい。コキュートスもかなりの成長を遂げているようだな。ところで、わざわざ一部を捕獲したのは何故だ?」

 

「これは、アインズ様にお断りしてからと思っていたのですが、できれば、新しく作る牧場での実験に使わせていただきたいと。よろしいでしょうか?」

「いいだろう。ナザリックにつくことを拒んだのであれば、必要数以上は無用だ。せめて有効活用してやるがいい。ああ、そのうち一部は私の方でもアンデッドの作成実験に使いたい。少数で構わないから回してくれ」

「畏まりました。では、一部はナザリックに送り、残りのビーストマンは私の方で使用させていただきます」

 

 アインズは重々しく頷いたが、デミウルゴスの涼し気な態度にどことなく嫌な予感を覚えた。

 

(デミウルゴス、新牧場とやらで一体何をするつもりなんだ? やっぱりここで、ビーストマンを何に使うつもりなのか聞いたほうがいい……んだよな?)

 

 アインズは、聖王国でデミウルゴスが行っていた実験跡を思い出し、軽い頭痛のようなものを感じる。デミウルゴスは悪魔だから、ああいう趣味があるのも理解は出来るが、ペストーニャやユリ、セバス辺りは、あのような行為を受け入れられるとは思えない。

 

 だからこそデミウルゴスも彼なりに気を使って、ナザリックから離れた場所でわざわざやっていたのだろうが、さすがにナザリックのトップであるアインズが、部下の行いを把握していませんでした、では済まされない。なにしろ何かあった時に責任を取らなければいけないのはアインズなのだから。

 

(別に俺としては人間に親近感を頂いているわけじゃないが、あの手の行為が好きなわけではないし、ナザリックの悪名に繋がるようなことは避けないと……。それでなくても、アンデッドというのはやはりこの世界では印象が悪い。聖王国……いや、神王国と王国の件で、以前の悪名はそれなりに拭えたとは思うが、余計な問題を増やさないためにも、あらかじめ、駄目なら駄目と言っておかないとまずいよなぁ)

 

 アインズは意を決して、デミウルゴスを見た。

 

「――ところで、デミウルゴス、ビーストマンはどのように使うつもりなのだ?」

「素材としての実験を行うつもりでございます」

「素材……、というと何かの材料に使うつもりなのか?」

 

「そうでございます。もっとも、試してみないことには使えるか使えないかもわかりませんので、まずはその確認から、ということになるかと思いますが」

 

「そうか……、それならいいだろう。但し、あまり残虐な行為などは慎むようにな。何かあった場合、魔導国の悪評にも繋がりかねない。もっとも、その様なヘマをするお前ではないと思うが」

「畏まりました。十分、注意して行動するようにいたします」

 

 何となく不安感は残るが、アインズとしては、これ以上言わなければいけないことを思いつかなかった。であれば、後は放り投げるしかない。どのみち最低限のことは言ったし、これ以上聞くと今度は墓穴を掘りそうだ。

 

「それとアインズ様、これはまた別件なのですが……」

「なんだ、アルベド?」

 

「実は、エ・ランテルの人口がこのところ急速に増加しております。冒険者を目指して来るものも多いのですが、それ以上に、先行き不透明な他国から、比較的政治が安定している魔導国に移住しようとする者たちが多いようです。魔導国には現在都市はエ・ランテルしかありませんので、どうしても、エ・ランテルに人口が集中してしまっております。魔導国の人口が増えること自体は、アインズ様の権勢を増し、魔導国としての国力増加にも繋がりますので歓迎すべきことではあるのですが、エ・ランテルの居住環境が急激に悪化傾向にあります。先程の薬品もそのような状況につけ入るために持ち込まれた可能性もございます」

 

「なるほど。しかし、アルベド、お前のことだ。既に何らかの対策は行っているのだろう?」

 

「はい。希望者は他の村などへの斡旋なども行っておりますが、何分、村の数もそれほど多くはなく、そちらの受け入れも数に限界がございます。また移住者には都市での商売などを希望しているものも多く、村住まいを渋るものも少なくありません。それと、カルネ村はアインズ様への恩義からか、かなりの数の移住者を引き受けておりますが、その結果、あの村の規模は村とは言えないものになっております」

 

「まぁ、そうだな。あそこには、ドワーフの工房も引き受けてもらってもいるし、何より、あのゴブリンの軍勢もいるからな。流石にそろそろ村と呼ぶのはおかしいか」

 

「アインズ様、それで私からの提案なのですが、カルネ村を都市に昇格して、百万程の住民を受け入れられるように整備し、それと併せて、他にも新たに新都市を建設してはいかがでしょう?」

 

 アルベドの提案はもっともだったが、アインズは少しばかり考え込んだ。

 

「……カルネ村はナザリックにとって機密に当たる研究をさせている重要な場所だ。だから私としては、なるべく人目につかせたくはないのだが……」

 

「アインズ様。私もアルベドの提案はもっともだと考えます。むしろ、カルネ村は軍事力も持ち合わせているのですから、居住区域と、研究区域を分け、研究区域を軍の駐屯地で囲ませれば、機密はある程度守りやすくなるかと。また、あの地はナザリックにも非常に近い場所でもありますので、ナザリックのカモフラージュとしても有効かもしれません」

 

「ふむ。アルベドとデミウルゴス、我がナザリックの誇る知恵者たる両者がそう判断するのであれば、私としては是非もない。では、アルベド、カルネ村の件については、詳細な都市計画書を作成せよ。村から都市への拡張に関する工事費用は全て魔導国持ちで行うように。エンリ・バレアレには、それを元に私の方から話をするとしよう」

 

「承知いたしました。それでは早急に計画案を作成いたします」

 アルベドは微笑むと頭を下げた。

 

「しかし、新都市か……。魔導国の勢力圏が広がっているのに、流石にいつまでも、エ・ランテルのみという訳にはいかないか」

「仰る通りだと思います。魔導国はまだこれからの国でございます。都市も国民もこれからより一層増え、アインズ様の御威光がこの世界にあまねく広がっていくことでしょう」

 

「そうだな、デミウルゴス。エ・ランテルはあくまでも始めの一歩にすぎないわけだからな」

「その通りでございます。我々はアインズ様が支配されるに相応しい国を作っていけるよう、今後も努力していくつもりです」

 

 二人の守護者は丁寧に頭を下げ、アインズは鷹揚に頷いた。

 

「お前たち二人はいつも努力してくれている。感謝してもしきれないくらいだ」

「感謝などとんでもございません。アインズ様。ただ、少々私の方からご提案したいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」

「もちろんだとも。デミウルゴス」

 

「以前のリ・エスティーゼ王国でもそうでしたが、国民がこのような薬に手を出してしまうのは、やはり、文化、教育レベルが低いことも要因かと。娯楽と言っていいものも、この世界には少ないように見受けられます。ですので、現在の魔導国では国民一般に対する学校はございませんが、今後は孤児院で試験的に行っている教育を国民全体に拡大し、文字や生活に必要な知識を教える学校を作られてはいかがでしょうか」

 

(文字か……。イビルアイもこの世界で文字を読み書き出来るのは上流階級と、ごく一部の知識層だけだと言っていたからなぁ。俺もなんだかんだ言って、覚えるのに苦労しているし。最初は、知識を与えるのを危惧していたけど、やはり最低限のものはあったほうが良いのかもしれない。あの愚民化政策をやっていた現実世界(リアル)ですら、小学校は親が必死になって働けば通えなくはなかったのだし……)

 

 アインズは、既に離れて久しいリアルのことを思い出して、若干暗い気分になる。戻りたいという気持ちはないが、それでもあの世界は自分の故郷だ。ナザリックを脅かすほどの知識を教える必要はなくとも、リアルと同じように貧困にあえぐ人々から搾取するような国にだけはしたくない。少なくともアインズ・ウール・ゴウンの名を冠する国に、自分やウルベルトのような不幸な子どもを増やしたくはなかった。

 

「そうだな。確かに国民全体に最低限の教育を施すのはいいかもしれない。そういえば、冒険者組合でも魔法詠唱者を養成する学校を作ることを提案されたのだ。せっかくだから、そちらも併せて検討するといいのではないだろうか。この世界は魔法の力を元に成り立っている。魔法を習得するものが多ければ、更なる技術革新が起こるかもしれないしな」

 

「さすがはアインズ様、それは非常に良いお考えかと。早速それも含めまして検討するようにいたします。それと、学校で使用する教材についてなのですが、やはりアインズ様の素晴らしさを讃え、アインズ様の業績を広く国民に教えられるものを使用すべきと愚考いたします」

「そ、そうなのか?」

 

「もちろんでございます。そこでサンプルとして、このようなものを私とパンドラズ・アクターとで試験的に作成いたしました」

「…………え?」

 

 デミウルゴスは一冊の本を取り出すと、デクリメントに渡す。その本の分厚さにアインズはおののいた。

 

 一瞬これまで必死に阻止してきた巨大像計画や、胡散臭い魔導王を称える祭りの類がアインズの頭をよぎる。しかもパンドラズ・アクターと一緒に作ったとか、何その地雷感。なるべくなら、いや、絶対に読みたくなんかない。しかし、デミウルゴスの眼は異様にキラキラ輝いており、それを断る勇気はアインズにはなかった。

 

 渋々ながらデクリメントから本を受け取り、ぱらぱらと軽くページをめくったアインズは、あまりの内容に目眩を覚え恥ずかしさで身悶えしたくなるが、次の瞬間一気に精神が沈静化された。それでも、ジクジクとした気恥ずかしさが僅かに残る鈴木悟の残滓を苛む。

 

 それは、神であるアインズがこの世界を救済するために地上に降臨し、暗黒を支配する大魔皇ヤルダバオトを倒し、次々と他の全ての巨悪を滅ぼして、光に満ちた平和な世界を創世するという、どう考えても大昔流行ったと聞く厨二病をこじらせた小説のような内容だった。これを書いたのがパンドラズ・アクターだというのはまだわかる。しかし、デミウルゴス、お前もか……。

 

 デミウルゴスの尻尾は微妙にゆらゆら揺れている。恐らく、デミウルゴスとしてはかなりの自信作なのだろう。百歩譲ってナザリックだけならまだいい。しかしこれが魔導国中に広まることだけは、何としても阻止しなければならない。アインズは固く決意した。

 

「……デミウルゴス。お前の案は非常に素晴らしいと思う。国民にナザリックの思想をわかりやすい形で啓蒙しつつ、簡易な教育も施す。その狙いについては私も賛成だ。しかしあえて聞きたい。この話は何を目的として書いたのだ?」

 

「アインズ様の数々の功績を讃え、その素晴らしさを全ての愚劣な者どもにも理解させると共に、アインズ様がこの世界の神として君臨されることを下等動物に感謝させるのが目的でございます」

「そ、そうか。――念のために確認するが、お前はこの話が本当に良いと思っているのか?」

「もちろんでございます」

 

 デミウルゴスはいい笑顔で断言する。これは駄目だと直感したアインズは、すがるような気持ちでアルベドに話を振った。

 

「アルベドもこれを読んだのか?」

「はい。とても素晴らしい内容かと。文字を覚えながら、アインズ様のご偉業も学べるとはまさに一石二鳥と申せましょう。さすがはデミウルゴスとパンドラズ・アクターですわね」

 

 やはり味方はどこにもいなかった。アインズは必死に二人を丸め込もうと考えるが、代案一つすら思いつかない。だが、ここで引き下がったらこの案が実行され、国民全員に厨二病の塊のようなアインズ神話を読まれてしまうのだ。羞恥プレイにも程がある。

 

「……私は教える内容については、今ここで無理に決めず、他にも検討したほうがいいと思っている。それにサンプルとしてはこの話はよく出来ているが、実際に教材にするなら、やはり王国語に熟達した者が作成したほうがいいのではないか?」

 

「私もその点については考慮すべきと思っておりました。ですので、実際に作成する場合は、蒼の薔薇のラキュースに執筆を依頼しようかと思っております」

 

(え、なんでラキュース? それに考慮すべきことは他にもたくさんあるだろう!?)

 

 結局、訳もわからぬまま、デミウルゴスとアルベドに押し切られ、完全に投げやりになったアインズが二人に実行許可を出したのは四時間後のことだった。

 

 

----

 

 

 竜王国の王都から程遠からぬ都市の北東の門の前には、ビーストマンが群れをなして襲いかかってきていた。

 

 攻城用の巨大な鎚を振りかざすものを援護するように、分厚い木で出来た盾を全面に押し出している姿は壁が都市に押し寄せて来ているようにしか見えない。

 

「ちっ、全く懲りない連中だ。盾の上から中に入り込むように矢を射掛けろ!」

 

 城門から少し離れた石造りの塔から都市の防衛軍を指揮している竜王国軍の指揮官が指示を飛ばし、一斉に城壁の上から矢が放たれる。何人かのビーストマンが倒れるが、その空いたところに後ろから別のビーストマンが盾を押し出し、その数は一向に減ったようには見えない。

 

「諦めるな! ここを落とされると、後は王都まで一直線だぞ! 気を引き締めろ! 矢を放て!」

 

 兵士たちも必死の形相で矢を放ち続け、ビーストマン達の戦列を多少崩すものの、やがて門を打ち破ろうとする攻城鎚が何度も門に叩きつけられ、その揺れで何人かの兵士が城壁から落ちる。城壁には長いはしごが何本もかけられ、そこからも都市の内部に侵入しようとするビーストマンたちがはしごを登ってくる。

 

「侵入させるな! 火矢も使え!」

 

 はしごを登ってくる者たちを落とそうと火矢を放ち、剣や槍で交戦する激しい音が戦場に響き渡る。一旦侵入を許せば、自分たちは人間ではなくただの食料に変わる。それだけは絶対に嫌だ。その必死の思いだけが兵士たちを突き動かしていた。

 

 その時、大きな角笛の音が鳴り響き、あらかじめ潜んでいた場所から一斉に姿を現した一団がビーストマンの軍勢の側面から襲いかかる。

 

「アズス様だ!」

「セラブレイト様も来てくださったぞ!」

 

 その一団が次々とビーストマンを斬り伏せ、魔法を放って焼き払いつつ、中央に切り込んでいくのを見て、ぎりぎりの防衛戦を行っていた兵士たちの士気が一気に上がった。

 

「何をしている! 冒険者の方々の足を引っ張ってはならん! あの方々が敵の大将を打ち砕くまで、こちらはこちらで都市を守り抜くのだ!」

 

 指揮官が激を飛ばし、兵士は勢いよくビーストマンに襲いかかる。

 

 次第にビーストマンの勢いが落ち、やがて、一際大きな角笛が響いた。

 

 中央にいたビーストマンの将の首が落とされ、それを高々とセラブレイトが掲げている。

 

 それを合図にしたかのように、ビーストマンは戦線を放棄し、来た方向に撤退しようとするが、今度はそれに追いかけるように火矢が次々と放たれ、ビーストマンは混乱状態に陥った。

 

 中央では、アズスとセラブレイト、ルイセンベルグがそれぞれ競い合うように、ビーストマンを屠っていく。その剣技はいずれも見事なもので、背後を固めた冒険者達も、逃げていくビーストマンの数を少しでも減らそうと、思い思いに戦いを繰り広げていた。

 

「ああ、皆さん、適当なところにしておくのですよ。深追いしてもこちらは数では負けていますから!」

「わかってますよ! セラブレイトさん!」

 

 奇襲作戦が上手くいったことで多少の余裕が出てきた冒険者たちに笑い声が漏れる。

 

「気分程度かもしれないが、数は減らしておきたい。とにかく敵が多すぎるからな」

「全くですよ。こちらは量より質のつもりですが、向こうは質も量も人間を上回っていますからねぇ」

 

 のんびりした様子ながらも、あっさりとビーストマンを打ち倒していく朱の雫に、クリスタル・ティアの面々も思わず苦笑する。

 

「よし、そろそろいいだろう。攻撃やめ! 全員撤収するぞ!」

 

 逃げ出したビーストマンが周囲には殆ど残っていないのを確認したセラブレイトは指示を出す。それから少しいらついたように、足元に落ちていた大将首を蹴り飛ばした。

 

「珍しいな。セラブレイト。荒れているのか?」

「当たり前ですよ。全く。いくら倒したところで切りがありませんから」

 

「確かにこのままでは、戦線維持も厳しくなる一方だろう。今日のところはやり過ごせたが……」

「どのみち、奴らは明日も来るでしょう。あの引き上げ方からすると、どうやら少しずつこちらを消耗させて押しつぶすつもりらしい」

「どうやったかは知りませんが、ビーストマンも小賢しい知恵の実でも食べたのでしょうか? まったく、単なる力押しよりもよほどタチが悪い」

 

 重苦しい表情のアズスとセラブレイトを見ながら、ルイセンベルグは揶揄するように言った。

 

「かもしれません。……まあ、我らが女王陛下の御為ならば、私はいくらでも頑張りますよ。いつまで持ちこたえられるかはわかりませんがね」

 

 セラブレイトはしばらくビーストマンが逃げ去った方向を睨みつけていたが、やがて諦めたように軽く息を吐く。それから、おもむろに大声をあげて天に向かって剣を突き上げると、城壁を守っていた兵士たちからは歓喜の声が上がる。冒険者たちはそれぞれ手を振ってその声に応えると、汚れた武器を拭い、都市に戻るべく歩き出した。

 

「貴殿は本当に一途に女王陛下を愛しているのだな。羨ましいことだ」

 先に立って歩いているセラブレイトの後ろから、アズスの独り言めいたつぶやきが漏れる。

 

「おや、アズス殿だって宰相殿がお気に入りなのでしょう? 違うのですか?」

「宰相殿とはちょっとした大人の遊びのようなもの。……私がこれまでで一番愛した男は、もう死んでしまったのでね。だいぶ前の話だが」

 

 アズスは静かに答え、セラブレイトは足をとめ振り返った。

 

「そう……でしたか。これは失礼なことを」

「いや、別に謝るようなことじゃない。それに私は彼に何もしてやれなかった。まぁ、だからこそ……この国に来ようと思ったのだが。彼を死なせた国に未練はなかったし、何も出来なかった自分の罪滅ぼしをしたくてね」

「……それは、もしかして、リ・エスティーゼ王国の大虐殺の件ですか?」

 

 アズスは何も答えなかった。だが、彼の態度がそれを肯定していた。

 

「アインズ・ウール・ゴウン魔導王……。女王陛下も宰相殿も彼の王にこの国の将来をかけるつもりのようですね」

「国の方針には我々冒険者が口を出すことではないさ。それにあの虐殺の件だって、元はバハルス帝国の皇帝の発案だとも聞く。本当のところはわからんが」

 

 アズスは肩をすくめ、セラブレイトは皮肉げな笑いを浮かべた。なんともいえない沈黙が場を支配する。

 

「――我々もそろそろ戻りませんか? 女王陛下と宰相様がお待ちかねですよ。きっとお褒めの言葉をくださるでしょう」

 ルイセンベルグが唄うように声をかけると、苦々しい表情をした二人がゆっくりと振り返った。

 

「そうだな。それは何にも勝るご褒美だ」

「全くですね。そろそろ王都に一度戻って、麗しの女王陛下のお顔を拝見したいものです」

 

 アズスとセラブレイトは顔を見合わせると、先程までのとは違う屈託のない笑顔を浮かべる。

 

 しかし――

 

 既に、竜王国の半分はビーストマンの支配下にあるのだ。

 この場にいる誰もが、竜王国が終焉を迎える日がそう遠くないことを、強く感じ取っていた。

 そう、誰か、いや神にも近い力を持つ誰かの手助けがなければ……。

 

 



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6: 幼女王の決断

 冒険者組合にある蒼の薔薇がほぼ専用で使っている立派な一室で、蒼の薔薇はアインザックから先程渡された地図を見ながら、初めての遠征先として何処に向かうか検討していた。

 

 渡された地図は、これまで見たこともないくらい精巧なものだった。そもそも詳細な地図はどこの国でも防衛上の都合から公開しないのが当たり前だ。しかし、魔導国の冒険者組合では冒険者同士で当然共有すべき情報だから、とアインザックは大らかに笑っていた。

 

「こうやって改めて見てみると、自分たちが知っている範囲がいかに狭いのかよくわかるわね」

「まったくだな。これでも、かなり広い範囲を冒険してきたと思ってたんだが。やっぱり世界は広いよなぁ」

 

 ガガーランはいつもよりも真剣な顔つきで、ラキュースとこれまで行ったことのある場所の位置関係を確認し、ティアとティナも珍しく無言で地図に見入っている。イビルアイは、懐かしそうな顔をしつつ地図の細々としたところを眺めていた。

 

「イジャニーヤで幹部だけが知ってる秘密の地図を見たことあるけど、こっちの方がすごい」

「そんなものがあんのかよ。さすが、イジャニーヤだな」

「諜報活動には地図大事。ガガーランみたいな獣の勘だけじゃ駄目」

「悪かったな。でも、俺の勘に助けられたことだっていっぱいあっただろ!」

 

 ガガーランはティアとティナを小突こうとしたが、二人に素早く避けられ軽く舌打ちをした。

 

「イビルアイはもっといろんな場所に行ったことがあるんでしょう?」

「あぁ、それなりには。この地図には載っていないが、大陸の中央部なんかにも行ったことがある。だが、こんな風にきちんと作られた地図を見るのは初めてだ。なかなか興味深いな」

 

 詳細に書き込まれた美しい地図を眺めていると、自分たちがこの地図に描かれる範囲を更に広くしていくのだという実感が湧き、どことなく蒼の薔薇の面々も気分が高揚してくるのを感じる。

 

「今回は法国と竜王国の方には行かないほうがいいっていう話だったわね。多分、竜王国がビーストマンに攻められている件だと思うけれど」

「アウラ様のお言葉だから、間違いない。可愛いは正義」

「あのねぇ。そういう問題じゃないでしょ!?」

 

「竜王国は法国に応援頼んでるはずだから、俺もどのみちそっちには近寄りたくねぇな」

「となると、アベリオン丘陵経由で南とか?」

「いや、南にあまり行き過ぎるのは避けたほうが賢明だ。今回はテストみたいなものなんだから、いきなり危険地帯に首を突っ込むのは慎むべきだろう」

 

「イビルアイ、珍しく慎重。モモンが一緒だから?」

「わ、私はモモン様とは何もないって何度もいってるだろう!? 冒険者組合として初めての試みに失敗する訳にはいかないと思うだけだ!」

 

 地図を前にかしましく話をしていると、突然部屋の扉がノックされる音が聞こえた。ラキュースが怪訝そうに顔を上げると扉に向かう。

 

「どなたですか?」

「モモンだ。それとナーベも。入ってもいいかな?」

 

 ラキュースが声をかけると、穏やかなモモンの声がして、ラキュースは瞬時に気分が高揚するのを感じる。少しの間ゆっくりと呼吸をして気分を落ち着けると、急いで扉を開けた。

 

「失敬、女性に扉を開けさせてしまったな」

 いつもの赤いマントを派手にひるがえらせて、ナーベを連れたモモンが部屋に入ってきた。

 

「いえ、お気遣いありがとうございます。今日はどうしてこちらへ?」

「一緒に旅をするというのに、目的地の選定に漆黒が参加しないというのは不味いだろうと、陛下に言われてな。アインザック組合長から、ちょうど今相談していると聞いたので、遅まきながら参加させて貰おうと思ってきたんだ」

 

「そうでしたか。ちょうど今話し合いを始めたばかりでしたので、モモンさん達と一緒に行き先を決められるならその方がいいと思います」

 

 ラキュースはできるだけいつもの調子でてきぱきと話を進める。部屋に招き入れられたモモンとナーベは適当な椅子に腰を下ろした。モモンはそのまま蒼の薔薇が見ている地図を覗き込んだが、『美姫』ナーベはちらりとイビルアイに視線を向けた後は、そのまま我関せずといった雰囲気で静かに座っている。

 

「それで、蒼の薔薇はどの辺に行こうと考えているんだ?」

「今のところ、まだ全然決まっちゃいねえよ。俺はむしろ、モモンの意見も聞きたいところだな。正直こういう冒険をするのは俺たちも初めてだから、勝手がわからなくてな」

 

「ああ、なるほど。今回の件は、一回の旅にどれだけの日数や物資が必要かを検証する意味合いもあるから、目的地は気楽に決めてもらって構わないと聞いている。地図に載っている場所でも、例えば、アゼルリシア山脈の北方の奥地なんかはまだ調査が完全には終わってはいない筈だ」

 

「あら? フロスト・ドラゴンや、フロスト・ジャイアントがいるから、てっきり魔導国ではアゼルリシア山脈は全て調査済みなのかと思っていましたが」

「半分程度は調べているそうだが、ちょうどこの辺りから先については、まだ手付かずらしい」

 

 そういって、モモンは地図の上を線を描くように指を滑らせた。

 

「アゼルリシア山脈か……。あそこは、なかなか謎が多い場所だからな。私も少しは足を踏み入れたことはあるが、奥の方、特にラッパスレア山付近は行ったことがない」

「俺も流石にあの辺はな。そもそもアゼルリシア山脈自体フロスト・ドラゴンやフロスト・ジャイアントがいるってだけでも遠慮しちまう場所だ。今はどっちもいないんだろうけどよ。ただ、それ以外にもかなり危険なモンスターが棲息してるって話じゃなかったか?」

 

「我々漆黒も一緒なんだし、別にモンスター退治に行くわけじゃない。まだ人が足を踏み入れていない場所に赴き、その地に棲息しているモンスターや動植物の調査、そして出来る限り詳細な地図を作成するのが主目的だ。それと目的地までの距離だが、今回は最長でも一ヶ月程度で往復できるくらいを目安にすればいいのではないかと思う」

 

「なるほどね……。それじゃ、どうかしら? モモンさんのお言葉に甘える感じにはなるけれど、せっかくだから、アゼルリシア山脈の奥地を目指すということにする?」

「俺は構わねぇぜ」

「私もいいと思う」

「おっけー」

「同じく」

 四人が同意するのを確認して、ラキュースも頷いた。

 

「皆、問題なさそうね。モモンさん達もそれで構わないかしら?」

 

「もちろん。ナーベも構わないな?」

「……はい、モモンさん」

 何処と無く冷淡な雰囲気だったが、ナーベもおとなしく頭を下げた。

 

「あぁ、アゼルリシア山脈に行くのなら、ドワーフの国まではそれほど立派なものではないが魔導国が街道を作っている。だからそこまでは馬車でも行けるぞ。もちろんその後は徒歩になるが」

 

「あら、それは助かります。でもモモンさんは、馬車よりも森の賢王に騎乗される方がよろしいのではないのですか?」

「それはそうだな。しかし蒼の薔薇はどうするつもりだったんだ? やはりドワーフの国までは馬を使うのか?」

 

 モモンの言葉で蒼の薔薇の視線は自然と一人に集まり、イビルアイは思わずどこかに隠れたい気分になる。

 

「馬はなぁ、一人どうしても乗れないやつがいるんだよな。俺たちは馬でも構わねぇんだが」

「乗れないと言うより、馬が怯えて逃げる」

「わ、悪かったな。私のせいなんだ。どうしても、その、馬が乗せてくれなくて。……いつも皆に迷惑かけてる……」

 

 モモンは、うつむいたイビルアイを見て納得したように頷いた。

 

「なるほど。イビルアイ、それなら一緒にハムスケに乗るか? ハムスケなら二人くらい平気だぞ」

「え……!? よろしいんですか!? ハムスケってあの森の賢王のことですよね?」

 

 噂に名高い森の賢王の姿を蒼の薔薇はほとんど見かけたことがなかった。モモンの館にいるという話だったが、普段はそこまで立ち入ることはない。

 

「その通りだ。あれなら、別にイビルアイのことも気にしないだろうし。まあ、少しばかり乗り心地は悪いがな」

「モモンさん、何もそのようなことを……!」

 

 それまで黙って見ているだけだったナーベが多少殺気を放って口を挟もうとしたが、モモンは大仰な身振りでそれを止めた。

 

「ナーベ、別に構わないではないか。もちろんイビルアイがそれでいいのなら、ということだが」

 

 イビルアイはさり気なく周囲を見回し、ナーベとラキュースがかなり冷たい視線で自分を見ているのに気がついた。

 

「あ、あの、それは、非常に有り難いお申し出なのですが……。私は生き物に乗るのに慣れてないし、やはり馬車にしようかと思います」

 

「それならそれで構わないとも、イビルアイ。確かに将来的には騎乗生物を使わないと行けない場所に行くこともあるかもしれないが、今回は使える道もあることだし馬車のほうが楽だと思う。では今回は我々も馬車で行くことにするか。いいな、ナーベ」

「はい、モモンさん」

 

 ナーベはおとなしく頷き、部屋の空気がどことなく緩んだ。

 

「わかりました、モモンさん。それでは、出発は明後日、それまでに必要な装備や食料などを調達ということでどうでしょうか?」

「もちろん構わない。ではラキュースよろしく頼む」

 

 モモンは多少芝居がかった動きで、ラキュースに恭しく右手を差し出した。ラキュースはその仕草に思わず胸がときめくのを感じつつ、モモンと握手を交わした。

 

 

----

 

 

 エ・ランテルの街中を三台の立派な馬車が走っている。中央の一台には竜王国の女王と宰相が差し向かいで座っていた。馬車の中は重苦しい雰囲気で、まるでこれから邪悪な神に生贄でも捧げにいくかのようだった。

 

 可愛らしいフリルのついた膝丈の白いドレスを纏ったドラウディロンは、心底嫌そうな顔をして馬車の席であぐらをかいていた。

 

 馬車の窓から見える賑やかなエ・ランテルの街並みを眺めつつ、重い溜め息をつく。エ・ランテルの城門前には魔導王の像と思しき巨大な白亜の像が二つ並べられていて、魔導国を訪れる者たちを歓迎しているつもりらしいが、ドラウディロンにはただの脅しにしか見えなかった。しかも、その本人にこれから直接会って愛想を振りまかなければならないのだ。憂鬱になるなという方が無理だろう。

 

「どこから見ても、ただの邪悪なアンデッドだったな……」

「引き返しますか? 今ならまだ間に合いますよ」

 

「いや、そうはいかんだろう。それに魔導王はビーストマンと違って、我々を踊り食いにはしないだろうからな」

「だといいですね」

「おい、冗談に聞こえないからやめろ!」

 

 宰相はわざとらしくため息をつき、ドラウディロンを冷たい目で見た。

 

「陛下、そのような下品な格好はおやめください。一応、一国の女王なんですから」

「うるさい。今だけなんだから構わないだろう? これから一生懸命魔導王に媚を売るんだから、ちょっとくらい見逃せ」

「普段やってる行動がいざという時に現れるそうですよ」

「やかましいわ!」

 

 今のような国難のさなかに、女王と宰相が揃って他国に支援を要請に来るなど、本来なら絶対に避けるべき行為だろう。しかし、対価らしい対価を支払うことができない竜王国としては、誠意をひたすら見せて魔導国の慈悲にすがるしかできず、それには、やはり女王が直々に出向いて子どもらしい振る舞いを見せた方が効果的に違いない。それが竜王国の重臣たちの一致した意見だった。

 

 少なくとも魔導王本人には通用しなくても、周囲の者たちの同情は買える可能性はある。もっとも、魔導王の側近は人間ではないものばかりという評判だから、それがどこまで通用するかはわからないが。

 

 ただ、ドラウディロン女王が単独で赴くことには反対し、宰相まで付いてくることになったのは、ドラウディロン一人では何をやらかすかわからない、という臣下たちの切実な思いからだった。

 

「まったく、失礼な奴ばかりだと思わないか!? この私が直々に赴けば、十分事足りるとあれ程言ったのに!」

「やはり普段の行いを、皆よく見ているからではないでしょうか。それに魔導国にすがるチャンスは一度きりですから、それをふいにしたくはないですよね」

 

 宰相の冷淡な物言いに、腹にすえかねたドラウディロンはそっぽを向くが、やがてボソリと口を開いた。

 

「――エ・ランテルは豊かな街だな。こんな風に我が国もなれるんだろうか。ずっとビーストマン共と戦い続けて、今の我が国民たちはもはや笑うことすら忘れておる。平和などという言葉は久しく我が国にはなかった」

「陛下……」

 

「強者が栄えるというのは世の真理だと私は思っている。だが、こう目の前で見せつけられると、己の弱さを痛感させられるな。真にして偽りの竜王か……。確かに、私が真の竜王ならこんなことにはなってはいなかったのだろうよ」

 

 自嘲するように言うドラウディロンの言葉に、宰相も返す言葉はなかった。

 

 

----

 

 

 エ・ランテルの旧都市長の館にある、あまり豪華であるとは言えない玉座の間で、アインズはドラウディロン女王とその宰相に対面していた。

 

「我こそが、竜王国女王ドラウディロン・オーリウクルスだ。魔導王陛下にお会い出来て光栄である!」

 

 ふんわりした子どもらしい白いドレスを纏った幼い女王が跪き、一生懸命声を張り上げてあどけなく挨拶するさまは非常に微笑ましかったが、アインズはアルベドの方から微妙な雰囲気が漂ってくるのを感じる。

 

(竜王国の女王は、こんなに幼いのに国を治めているのか……。俺ももうちょっと頑張らないとな)

 

 今回の件はデミウルゴスの作戦に則ったものとはいえ、幼い子どもにこのようなことをさせるのは、鈴木悟の残滓が少しばかり抗議の声を上げているような気がする。しかし他に適切な対案を思いつかなかった以上、アインズとしてはどうしようもなかった。

 

「この度は、アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下に拝謁の栄誉を賜りましたこと、御礼申し上げます」

 

 その側で跪いている竜王国宰相は、非常に理知的な雰囲気の人物であり、恐らく女王の保護者としての役割もかねているのだろう。

 

「遠いところをよくぞ参られた。ドラウディロン女王陛下、並びに宰相殿。どうか頭を上げて欲しい」

 

 アインズが重々しく声をかけると、顔を上げた二人はほんの一瞬ひるんだようだったが、それでも必死の形相でアインズを睨みつけてくる。

 

(な、なにこれ。なんで、こんな顔つきで俺を見るんだ?)

 

 二人の異様な雰囲気に気圧されたが、アインズはなんとか平静を保った。一応手元に持っている紙切れを流し見て、会見の流れを再度確認する。

 

「……さて、竜王国の最高責任者である貴殿らが、一体どのような用向きで魔導国にいらしたのだろうか?」

 

「畏れながら、魔導王陛下。我が女王に代わりまして発言することをお許しください」

「もちろん構わない。宰相殿」

 

「魔導王陛下。我が国、竜王国は現在未曾有の危機に陥っております。これまでも、竜王国は隣国であるビーストマンの国から度重なる侵攻を受けておりましたが、此度ばかりは国の滅亡の危機にさらされており、もはや時間的猶予はございません。これまで全く国交のなかった魔導国に援助をお願いするのがいかに不躾なものであるかは承知しております。しかし、現在竜王国が頼れるのは、アインズ・ウール・ゴウン魔導国だけなのでございます。魔導王陛下、なにとぞ、竜王国にお力をお貸しください」

 

 静かに耳を傾けるアインズに、宰相は悲痛そうな声で一気にまくしたてると、床に頭を擦り付け、脇にいるドラウディロンは、目を潤ませ首を傾げてアインズをじっと見ている。

 

「宰相殿の仰りたいことは理解した。つまり我が国に貴国の危難に対して援軍を出して欲しい、そういうことだな?」

 

「仰る通りでございます。魔導王陛下。既に国の半分以上はビーストマン共に占拠され、民は全て彼奴らの食物となっております。このままでは、我が国は滅びるしかありません」

 

「なるほど。私としても窮地にある竜王国を助けることはやぶさかではないし、援軍を出すことも可能だ。だが私も国の王である以上、魔導国の利益というものも考えなければならない。失礼だが、宰相殿。我が国が出す援軍に対して、竜王国はいかほどの対価を支払われるご予定なのだろうか?」

 

「大変正直に申し上げて、竜王国はこれまでのビーストマンに対する対処で国庫が逼迫しており、金銭で対価をお支払いすることは出来ません。しかしながら、我が国には何にも勝る至宝がございます。それを魔導国に差し出すことで対価とさせていただきたいのです」

 

「ほう? 竜王国にそのような至宝があるとは、寡聞にして存じ上げなかったが、それはどのようなものなのか?」

 

 デミウルゴスが竜王国を調査した情報には、そのような物の存在は書かれていなかった。レアコレクターとして非常に興味をそそられ、アインズは思わず身を乗り出した。

 

「竜王国の至宝、それはまさしく、ここにおられるドラウディロン女王その人でございます」

 そういって、宰相はドラウディロンを身振りで指した。

 

「そ、その通り! 我こそが竜王国で最も価値のある、まさに至宝なのだ!」

 ドラウディロンはヤケになって、子どもらしい無邪気な微笑みを見せる。

 

「我が女王は七彩の竜王の直系にして、数少ない真の竜王の一人としてその名を連ねておられる御方。至高にして強大なる魔導王陛下の御手で我が竜王国が救われた暁には、御礼としてドラウディロン女王を魔導王陛下に捧げたく存じます。これこそが、我が国が魔導国にお支払いできる最大の対価であると心得ます」

「どうか、よろしく頼む!」

 

 ドラウディロンと宰相は再び、深く頭を下げた。

 

(俺に捧げる? 捧げるって何? 竜王国には俺が知らないそういう慣習でもあるのか!?)

 

 全く予想していなかった二人の申し出に、アインズは混乱の極みに陥った。思わず精神が沈静化するほどに。

 

 もう一度、手の中にあるカンペを盗み見る。しかし大したことは書いていない。

 

 そもそも、デミウルゴスからは『竜王国からの申し出に関しては、アインズ様の御心のままに対応お願い致します。竜王国で最も価値あるものは始原の魔法に関する情報と思われます。ドラウディロン女王は始原の魔法の使い手ですが、実質的に行使不能の様子。竜王国の出方としては恐らくその存在をちらつかせつつ、ひたすらこちらの慈悲を乞う形になるかと思われます』と説明を受けていた。

 

 だからアインズもこの交渉については大したことはあるまいと、ある程度たかをくくっていたのだ。

 

 側にいるアルベドはいつものように穏やかな笑みを浮かべているのだろうが、はっきりとした殺気をドラウディロンに向けている。そして、ドラウディロンもどういうわけか、可愛らしい外見とは裏腹にアルベドの視線を堂々と受け止めているように見える。アインズは直感的に、かなりまずい状況であることを理解した。

 

 アインズ様にお任せすれば万一にも失敗などありえません、と自信ありげに言っていたデミウルゴスの笑顔を恨めしく思い出すが、今はそんなことを考えている場合ではない。アインズはどう答えれば魔導国にとって一番いいのか、それにアルベドの逆鱗に触れずに済むのか必死に考えた。

 

「お二方とも少しお待ちいただきたい。何か誤解をされてはおられないだろうか? 私はアンデッドであり、別に生贄とかそういうものに興味はないのだが……」

 

 アインズの脳裏にデミウルゴスが作った全骨製の玉座が浮かび、アインズは引きつった笑顔を浮かべた。もしかしてあれはデミウルゴスにとって、アインズに捧げる贄のつもりかなんかだったのかもしれない。

 

「いえ、魔導王陛下、そうではございません。魔導国と竜王国の絆をより深め、これからの友誼を確かなものにするためにも、我が女王を陛下の妻の一人に加えていただきたいのです」

 

「……えっ? んん、ドラウディロン女王陛下を、我が妻に……? なるほど、その様なお申し出でしたか。これは失礼をした」

 

 一瞬間抜けな声を上げてしまい、慌てて咳払いでごまかす。女王を自分の妻にというのは、それはそれで頭の痛い申し出であることには変わりがなかったが、まだ常識の範囲内ではある。それならまだ対応自体は出来るだろう。アインズはとりあえず安堵した。

 

「とんでもございません。誤解を招くような表現をしてしまったことをお詫びいたします。我が女王は、見た目こそ幼い人間の姿をしてはおりますが、本性は人間ではなく、八分の一ではありますが竜なのでございます。それに今の世では数少ない始原の魔法の使い手でもあります」

 

「ほう……。ドラウディロン女王は始原の魔法を使えるのか……」

 

 イビルアイはこの世界で現在始原の魔法を使えるものは非常に限られていると言っていた。だとすると、この女王は間違いなくかなりのレア物には違いない。それに竜との混血というのも興味をそそる。実質的には使い物にならない、というデミウルゴスの情報は気になるものの、アインズのコレクター欲はかなり刺激されるのを感じる。

 

 しかしアインズが欲しいのは女王自身ではなく、あくまでもそのレアな能力だけだ。いくらコレクター気質なアインズでも、能力が魅力的だからといってそれだけを理由に誰かと結婚しようとは思わない。

 

 自分の右斜め前に立っているアルベドの羽がイライラしたように小刻みに震えているのが見える。今の話でアルベドがかなり機嫌を損ねているのは間違いない。それでなくても、イビルアイの件でアルベドは最近妙に様子がおかしい時がある。であれば、これ以上アルベドを刺激しないほうが自分の身のためだ。いろんな意味で。

 

(それに能力を手に入れるだけなら、他の方法が使えないか実験もしたいしな。始原の魔法を覚えられるかもしれないのなら、これを使って試す価値は十分ある)

 

 アインズはちらりと右手に目をやり、自分の指に嵌まっている流れ星の指輪(シューティングスター)を見た。

 

「なるほど。それは確かに非常に魅力的な提案ではあると思う、宰相殿。しかし、女王陛下は未だかなり幼くておいでのようだ。婚姻などというのはまだまだ早いお話なのではないか?」

 

 この手の政略結婚ではありなのかもしれないが、少なくともリアルでは間違いなく犯罪行為だ。それにアインズは別にペロロンチーノと違ってロリコン趣味なわけではない。

 

「あ、いえ! そんなことは……」

 宰相がひたすら焦っている様子に、アインズは苦笑した。

 

「竜王国側が気にしなかったとしても、私が気にするのだ。だからせっかくのお申し出ではあるが、女王陛下との結婚話は、今はなかったことにしたい」

 

「そ、そんな……。魔導王陛下、誤解でございます。陛下は実は……」

「そうなのだ! 魔導王陛下、これだけが我が姿というわけじゃないぞ!? 幼女がお嫌ならこのような形態にも……」

 

 慌てたドラウディロンが立ち上がると、一瞬にして煌めく不思議な光に包まれ、その中央に立つ女王の姿が少しずつ歪んだかと思うと次第に光の渦が収束する。そこには先程までのあどけない少女ではなく、二十代後半ほどの胸の大きい妖艶な美女が立っていた。ただ最初に着ていた服が幼児向けだったために、いろいろな場所が丸見えになったり逆に引っかかったりして、公の場所で女王が見せる姿としては非常に残念なことになってはいたが。

 

「魔導王陛下、大変失礼致しました。しかし、我が女王に悪気があったわけではありません。どうかお許しを!」

 

 側にいた宰相は慌てて自分が着ていた服の上着を女王に着せかけ、自分のアレな姿に気がついたドラウディロンは恥じらいながら、それで身を覆うと再びその場に座った。

 

「えー、あの、おほん。実は我が女王は幼女でもあり、その、同時に、このような妙齢の女性でもあらせられます。ですので、畏れながら魔導王陛下との婚姻につきましては、全く無問題かと思われます」

「ああ、えっとそうなのだ。これは私自身の特殊な力によるものなので、説明は難しいのだが、我が宰相の申すとおりだと思っていただきたい」

 

 さあ、これで文句のつけようはあるまい、とでもいうかのように二人はアインズに熱い視線を送っている。

 

 全く予想していなかった展開にアインズは激しく動揺し、再び精神が沈静化された。

 

 少なくとも向こうは、かなり本気でアインズと女王の縁組を行いたいのだ。アインズは遅まきながらようやくそれに気がついた。

 

 しかし、これまで完璧な魔法使いとして生きてきたアインズにとって、この事態に冷静に対応するというのはどう考えても無茶な相談だ。しかも背中しか見えないアルベドからはどんよりとした暗黒のオーラのようなものが漂ってくる。この話を受ければ、間違いなく巨大な爆弾に火をつけることになるだろう。

 

(確かにああいう胸の大きい女性は嫌いじゃないが、そもそもナニもない状況で結婚とか言われても正直困る。それに王族の結婚なんて、どのみち子どもを作るのが前提のはずだ。しかし女王のこの変身能力は竜が持つ種族特性なのか? それともスキル? あるいはタレントの類なのか? ユグドラシルには竜種族のプレイヤーはいなかったからよくわからないが、これはこれで興味深い能力だな……)

 

 アインズはなるべく動揺しているのを悟られないよう、堂々たる支配者らしく見えるポーズを取りつつ、無難な言い訳を考えた。

 

「ドラウディロン女王陛下。どうか落ち着いていただきたい。私はまだ国を建国したばかりで、今のところ妃を迎えるつもりはない。それに、お申し出自体はありがたいとは思っているが、流石にそれはこの度の援助の条件として若干倫理的にも問題があるのではないかと思う」

 

「……それでは、魔導国からは援軍を頂くことは出来ないということでしょうか?」

「いや、そういうことではない。こちらから条件をいくつか出させていただき、それを竜王国が承諾するというのであれば、魔導国はすぐにでも援軍を送らせていただこう。それではどうかな?」

 

「魔導王陛下、こちらとしましては、藁にもすがる思いでこの場にいるのでございます。もし、その条件というのが我々で可能なものであれば、当然お受けしたいと考えております」

 

 宰相もドラウディロンも顔色が蒼白になっている。自分たちの申し出が蹴られた以上、何を要求されるのか見当もつかないのだろう。しかし、それでも悲壮な覚悟は固めているようだ。アインズはゆっくりと足を組み替えた。

 

「我が国は、様々な知識に価値を見出している。ドラウディロン女王陛下は始原の魔法をお使いになれるそうだが、私も魔法詠唱者として始原の魔法については非常に興味がある。なにしろ、始原の魔法の使い手に出会ったのはこれが初めてなのだ。それに竜と人との混血というのも非常に興味深い。だからドラウディロン女王陛下が知り得る始原の魔法や女王自身がお持ちになられる能力や竜に関する知識の全て、そして場合によってはその能力を私に譲り渡すこと。以上を条件として竜王国が飲むのであれば、私はすぐにでも貴国を救うに足る援軍をお送りしよう。どうかな?」

 

 ドラウディロンと宰相は一瞬顔を見合わせたが、意を決したように、ドラウディロンが口を開いた。

 

「魔導王陛下。私は真なる竜王ではあるが、その実、真にして偽りの竜王ともいわれている。これはもちろん、私を揶揄する呼称だ。私は確かに始原の魔法を使うことが出来る。しかし本当のことを申せば、自分一人でこの力を使うことはできんのだ。つまり私がこの能力を持っていても、民を救う助けには全くならん。だから、もし陛下がこの能力をどうやってやるのかは知らんが、陛下自身のものとし、それが竜王国を救う一助になるというのであれば、私は喜んでこの力を捧げようじゃないか」

 

「ほう、即決か。よかろう。ドラウディロン女王陛下、どうか立って欲しい」

 

 ドラウディロンが立ち上がると、アインズは玉座から立ち上がり、ゆっくりと階段を降りてきてドラウディロンに手を差し出した。

 

「女王陛下の民を救いたいというその気持ちと勇気に、私は非常に感銘を受けた。魔導国からは我が信頼する側近及び、アンデッド兵団を早急に派遣し、事態の鎮圧に手を貸すこととしよう」

 

 差し出されたアインズの右手を見ながら、ドラウディロンは戸惑った。

 

「魔導王陛下、その、属国にはならなくても良いのか?」

「属国になるかどうかは貴国の自由。こちらから求めることはない」

 

 それを聞いたドラウディロンはごくりと唾を飲み込むと、アインズに対して再び頭を下げた。

 

「であれば、魔導王陛下、竜王国が魔導国の援軍で救われた場合、竜王国は魔導国の属国になることを希望する。魔導国の属国になれば、今後魔導国は竜王国を守ってくれるのだろう? 属国になることの条件がいかほどかはしらんが、私で支払いが出来るものならば全て飲む覚悟はある」

 

「属国化に関する条件については、後日我が信頼する宰相アルベドを交えて双方で協議をすることになるが……。女王陛下のそれほどまでの覚悟の前でお断りなどできようはずもない。それに、もちろん、竜王国が魔導国の属国になるというのであれば、我が名にかけて竜王国を守ることを約束しよう」

 

「魔導王陛下……、恩に着る。どうか、我が国を救ってくれ……」

 

 ドラウディロンはアインズの真紅の灯火の目を見つめながら、アインズの骨の手を固く握りしめた。

 

 




藤丸ぐだ男様、おでん様、誤字報告ありがとうございました。


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7: 未知への旅路

 竜王国にドラウディロン女王と宰相が帰っていった後、エ・ランテルのアインズの執務室には、若干緊張した面持ちのシャルティアといつものように屈託のない笑顔を浮かべたアウラがいた。

 

「アインズ様、お召しに従い参上いたしんす」

「アウラ・ベラ・フィオーラ、参りました」

 

 アウラとシャルティアは、真剣な面持ちでアインズの執務机の前に跪いている。アインズは面倒くさいと思いつつも、二人に立ち上がるように指示をした。

 

「そちらのソファーに座るといい。少し二人に頼みたいことがある」

 

 アインズは執務机の近くに置いてあるソファーを示し、自分もそちらに移動する。アウラとシャルティアは一瞬顔を見合わせるがおとなしく、アインズの向かいに腰を下ろした。

 

「二人とも、コキュートスとデミウルゴスがビーストマンを使って竜王国に対して攻撃を行っている件については知っているな?」

「もちろんです、アインズ様!」

「も、もちろんでありんす……」

 

 シャルティアの目が若干泳いでおり、アウラは呆れたようにシャルティアを見た。

 

「あんたね、この間の会議の話、聞いてなかったの?」

「聞いてありんした! ちゃんとメモだってとってありんす!」

「だからー、中身を覚えなきゃダメだってあれほどいったじゃん……」

 

 コソコソと仲良く話をしている二人を微笑ましく眺めながらも、アインズは本題に入った。

 

「……まあいい。ともかく、現在のところデミウルゴスの想定通り作戦が進行しており、先程、竜王国から魔導国に支援の要請が来た。そこで作戦計画の第二段階として、お前たち二人には竜王国に赴き、竜王国に攻め込んでくるビーストマンを退治する任にあたって欲しい」

 

「わ、わらわにですか!?」

「違うでしょ。アインズ様のご命令は、あたし達二人になんだからね?」

「そ、そんなこと、わかってありんす!」

 

 アインズはアイテムボックスから、デミウルゴスが作成した作戦指示書を取り出し机の上に広げた。指示書は二枚あり、それぞれシャルティア向けのものとアウラ向けのものになっている。二人は自分宛ての指示書を前に真剣な顔つきになった。

 

「シャルティアよ。以前お前は、ドワーフの国に赴いた時に素晴らしい働きを見せた。但し、あの時はアウラを上官とし、最悪の場合はアウラが止めに入ることを想定していた。しかし今回の作戦では、アウラには別働隊として動いてもらい、レンジャーとしての能力を活かして、竜王国とビーストマンの国周辺の状況探索にあたってもらいたい。つまり、シャルティア。お前は一人で竜王国に派遣するアンデッド兵団を指揮し、事態の鎮圧を図らなければならない。血の狂乱を起こすなどもってのほかだ。どうだ、出来るか?」

 

「あ、アインズ様ぁ……」

 

 一瞬シャルティアは感極まったように震え、がばりと頭を下げたが、しばらくして再び上げた時の表情は、別人のようにしっかりしたものだった。

 

「アインズ様のご期待に応えるべく、シャルティア・ブラッドフォールン、御命必ずや成功させてご覧にいれます」

 

「その意気だ、シャルティア。アウラ、お前にも任せたぞ。今回の作戦の成否はお前たち二人の動きにかかっている」

「心得ました!」

 

 守護者二人は意気揚々と声を揃えて返事をし、アインズは満足げに頷いた。

 

 

----

 

 

 蒼の薔薇と漆黒は、アインズやアインザック、ラケシルからの激励、それに、他の冒険者組合員たちからの盛大な見送りを受けつつ、魂喰らい(ソウルイーター)が引く馬車に乗って華々しくエ・ランテルを出立した。

 

 魔導国とドワーフの国を結ぶ街道は、エ・ランテルからカルネ村を経由し、そこからトブの大森林の中を通り抜け、リザードマン達の集落のある湖沿いに北上し、そこからアゼルシア山脈から流れる川を経由して現在のドワーフの国の首都である旧王都フェオ・ベルカナまで続いている。

 

 トブの大森林の中を馬車はかなりのスピードで進んでいく。馬代わりの魂喰らいは疲れを知らず、悪路でも足取りが乱れることもない。そのため馬であれば必要になる休憩時間もあまり取らずに馬車を走らせることができる。おかげで馬車の旅は思っていたよりも順調だった。

 

 おまけに今通っているのは、これまでかなりの魔境とされていた地のはずなのに、襲ってくるモンスターの影は全くない。それを不思議には思うものの、それも魔導王がこの辺り一帯を整備したことの成果なのだろうと納得する。蒼の薔薇はこれまでは警戒を怠ることが出来なかった危険な地で、のんびりとした馬車の旅が出来ることの素晴らしさを、あらためて実感した。

 

 薄暗い森の中には、時折木漏れ日が差し込んできて、神秘的な光景を見せてくれる。森の奥の方には何かがいる気配を感じることはあったが、魔導国の旗を掲げた馬車の方には決して近寄ってこようとはしなかった。

 

 森を抜けると、リザードマン達の集落までは石畳で綺麗に舗装されているが、そこから先はまだ舗装されてはいない。それでも丁寧に工事された跡が見受けられ、馬車の揺れもさほどではなかった。街道の所々には警備のデス・ナイトが歩哨を勤めている。

 

 湖を北上し、山脈の麓から穏やかに流れる川に沿って続く道は、険しい岩山と背の高い木々を切り拓いて造られているが、思ったよりも道は酷くはなく、馬車は多少揺れながらもゆっくりと走ることができる。街道といえども道幅はそれほど広くはなく、普通の馬車がなんとかすれ違える程度だが、それすらかなりの大工事だったに違いない。

 

「すげぇな。まさか、ここを馬車で通れるようにしていたなんてな」

「まったくだ。ここは元々歩くのもかなり厳しい場所だった記憶がある」

 

 蒼の薔薇の面々は、馬車の窓から外を眺めつつ感嘆の声を上げた。

 

「魔導国とドワーフの国との国交は盛んだからな。この街道は、魔導王陛下がアンデッドとゴーレムを多数動員してお作りになられたのだが、ドワーフ達もかなり協力してくれたのだ。彼らにとっても、魔導国と簡単に行き来できる道が早く欲しかったらしい。聞いた話によると、ドワーフには魔導国の酒がことのほか人気だそうだな」

 

「そういえば、酒場に行くとドワーフが必ず一組は大騒ぎしている気がするわね」

「だなぁ。そういうことだったのか」

 

 雄大なアゼルリシア山脈を眺めつつ、馬車は更に山道を走る。エ・ランテルから五日ほどの行程で、前方に鉱山都市であるフェオ・ジュラが見えてきた。

 

 以前は吊り橋だったと聞く大裂け目の橋は、馬車が通れるように石造りの立派なものに変わっている。大裂け目を渡ったところには立派な防御用の砦が作られていて、デス・ナイトが橋の両端を守るように立っていた。

 

 フェオ・ジュラで一泊すると、そのまま一行は現在のドワーフの国の首都である旧王都フェオ・ベルカナに向かう。以前は通行が容易ではない難所だったフェオ・ベルカナへの道も、迂回路を新たに作ることで安全に通行できるようになっている。遥か下に熔岩が流れる川を見ながら、削り出すように作られた道を走り、そのまま幅広のトンネルへと馬車は走っていく。トンネルの入口にもデスナイトが二体歩哨として立っており、不審者が無断で内部に立ち入らないように警備している。

 

 トンネルの内部はしっかりと補強され、永続光のかかった灯りが一定間隔で取り付けられており、見通しはそれほど悪くはない。長いトンネルを抜けると、そこはとてつもなく巨大な洞窟になっており、ドワーフの国の首都フェオ・ベルカナの美しい建物群が立ち並んでいた。

 

 ドワーフ達の長年の悲願であった、旧王都フェオ・ベルカナの奪還が魔導王の助力によって成し遂げられた後、フェオ・ベルカナの崩れた建物や街路などは、魔導国から貸し出されたアンデッドやゴーレムの力を借りてほぼ全て再建され、本来の美しい威容を取り戻している。

 

 ドワーフ達は魔導国の国旗が掲げられている馬車を見ると喜びの声をあげ、口々に歓迎の挨拶をしてきた。

 

 馬車から軽く飛び降りたモモンがナーベを伴ってドワーフの国の重鎮と思われる人物と話をしている間に、蒼の薔薇はこれまで見たこともなかったフェオ・ベルカナに降り立ち、ドワーフの建築技術の粋を尽くしたその美しさに心を奪われた。

 

 やがてモモンとナーベが戻ってくると、一行はフェオ・ベルカナから地表へと続く細い通路に向かった。その場所は普段は隠されており、非常時に逃げ出す用途に使われるものだという。しばらく細い曲がりくねった通路を抜けると、やがて日の光が差し込む狭い出口に辿り着く。そこを出ると目の前にはアゼルリシア山脈の雄大な山並みが広がっていた。 

 

 高度があるせいか、吹き付ける風はかなり冷たく、一行はあらかじめ用意してきた防寒具に身を包んでいたが、それでも身を切るような寒さを覚えた。

 

 空は青く澄み、雲は山々の頂上を覆うように薄くかかっている。下の方を見下ろすと、これまで通ってきた街道が遥か下の方に見え、その更に先にはひょうたんを逆さにしたような形をした湖が木々の間から僅かに顔をのぞかせている。

 

「……随分長いこと冒険者をやってきたつもりだったけれど、本当に、知らないことが多すぎるわね」

 

 ラキュースは苦笑し、イビルアイは、モモンとナーベの後ろ姿に少しだけ目をやると、すぐに目をそらし、ゆっくりとアゼルリシア山脈を見上げた。

 

(本当に高い山並みだな。まるでアインズ様みたいだ。すぐそこに姿が見えるのに、どうしても手が届かない)

 

 胸の奥がきゅっと痛むように感じて、イビルアイはいつものように指輪を撫でて気を紛らわそうとした。しかし、その時自分の中でナニかがうごめくのを感じた。

 

 ――ホシイ? ならモット力がアレばイイだけダロウ?

 

 一瞬イビルアイはそれは単なる空耳かと思う。しかし、自分の中から聞こえるささやき声は次第にはっきりしたものに変わってくる。そして、それはゆっくりとイビルアイ自身の内部から自分の心や思考、そしてイビルアイ自身すら絡めとろうとしているのを感じた。

 

(な……これは……まさか……)

 

 流れるはずもない冷たい汗が背中を伝うように感じる。そして、その場にいる他の者達に気づかれないよう、必死で自分の中にある力をかき集めてそれを抑え込んだ。

 

「イビルアイ、大丈夫? さっきからずっと黙っているけれど」

「……っ、大丈夫だ。素晴らしい景色に感動してしまっただけだ……」

「それならいいけどよぉ。らしくないぜ?」

 

 イビルアイは誤魔化すように軽く肩をすくめた。

 

「……本当に気のせいだ。悪かったな、ガガーラン。トブの大森林もそうだが、アゼルリシア山脈だって、我々はまだほんの入口程度しか足を踏み入れていないんだ。その昔、十三英雄は魔神を追って世界中を旅したが、それでも、全ての場所を見たわけじゃない」

 

「確かに、これからあそこを目指すのかと思うと、心がはやるなぁ。これが魔導王陛下のいう冒険ってやつか……」

 ガガーランもいつになく真剣な口調でいい、ティアとティナは物も言わずに頷いた。

 

「ともかく、明日からは彼処に向かう。ゆっくり休めるのは今日までだから、早めに休んで明日に備えたほうがいいだろう」

「そうですね、モモンさん。わたし達も気を引き締めないと……!」

 

 

----

 

 

 地表からフェオ・ベルカナに戻った蒼の薔薇と漆黒は、魔導国から来た客人ということで、ドワーフ達に大歓迎され、城の中の部屋をそれぞれのチームに宿として提供され、旅の疲れを癒やした。

 

 翌朝、物資の補給を行った後、一行は馬車はフェオ・ベルカナに置かせてもらい、昨日の通路から徒歩でアゼルリシア山脈の奥地へと向かうことにした。

 

「魔導王陛下のお話では、ここから先は空からの偵察は行っているが、地上部まではあまり調査は行っていない、とのことだった。だから今回の最終目的地としては、俺はラッパスレア山の山頂がいいと思う。どうせ向かうなら、まだ誰もたどり着いていない高みを目指したいだろう?」

 

 モモンは冒険者組合からの地図を広げながら、蒼の薔薇に提案した。

 

「モモン様、それは危険すぎないだろうか? ラッパスレア山にはかなり凶悪なモンスターが棲息しているという話を聞いた覚えがあるぞ」

「そうね……。今回はなるべく無事に戻ることを優先したい気はするわ。冒険者組合の初の試みでもあるわけだし。でも、モモンさ――んとナーベさんが共に戦ってくれるわけだし、油断しなければいけるんじゃないかしら?」

「俺は結構興味あるねぇ。せっかくここまで来たんだしよ。どうせなら、誰も見たことがないっていう山頂からの景色は見てみてぇな」

 

「目指すだけならいいかも。危なければ逃げればいい」

「このメンバーで難しいなら、多分、他の誰にも出来ない」

「確かに、それもそうだな」

 

 蒼の薔薇の意見がほぼまとまったのを見て、モモンはいくぶんカッコつけたポーズを取りつつ口を開いた。

 

「大丈夫だ。いざとなればこのモモンがしんがりを受け持とう。美しい薔薇の花を傷つけたら魔導王陛下にお叱りを受けてしまう。出来れば全員で頂上に立ってからエ・ランテルに凱旋したいが、最悪の場合は撤退を優先することにしよう。ナーベもそれでいいな?」

 

「私はモモンさんに着いていくまでですから。もちろん構いません」

 ナーベは無表情のまま、頭を軽く下げた。

 

「それじゃ、モモンさん、ナーベさん、よろしくお願いします」

 ラキュースはモモンに右手を差し出し、モモンは軽くその手を握った。

 

「ああ、そうそう。渡すのを忘れていた。魔導王陛下からの預かりもので、蒼の薔薇の皆さんへのプレゼントだそうだ。なんでも山登りの際の必須アイテムだとか」

 

 そういって、モモンは蒼の薔薇全員に指輪二つと不思議な形をしたペンダントを配った。指輪をはめると先程まで感じていた酷い寒さが和らぐのを感じる。

 

「冷気に対する耐性の指輪と、飲食と睡眠を不要にする指輪、それと〈飛行〉の効果が込められているネックレスだ。イビルアイはネックレスはなくてもいいだろうが、まぁ、念のために持っていてくれ。万が一、落ちた時の用心だ」

 

「これは、素晴らしいものをありがとうございます。エ・ランテルに戻ったら、魔導王陛下に御礼を申し上げないといけませんね」

「陛下はそれだけ蒼の薔薇に期待されている、ということだ。だから気にすることはないとも。さて、いくか。あの高みを目指してな」

 

 モモンは目的地を指さして大げさにマントを翻すと、アゼルリシア山脈の中でも一際高い山を目指して歩き始め、ナーベは物も言わずにそれに着いていく。蒼の薔薇は慌てて、その後を追った。

 

 

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 エランテルの執務室で、午前中の仕事を一段落させたアインズは、本来自分が感じることのない疲労を強く感じていた。

 

 蒼の薔薇と漆黒が旅立ってから、もう一週間以上過ぎている。恐らく、今頃はフェオ・ベルカナに着いている頃だろう。順調に行けば、明日辺りからアゼルリシア山脈の最高峰を目指すはずだ。

 

 シャルティアとアウラを連れてドワーフの国を探した時はとても楽しかった。特に強い敵が現れたりとかしたわけではなかったが、それでも、ユグドラシル時代の冒険のようなものを楽しめた。やはり、自分がこの世界でやってみたいのは、ああいった自由気ままな冒険で、こんな支配者業じゃないとアインズは思う。

 

 本当は今回だって自分も一緒に行きたかったが、さすがに、今の立場ではそういうことを軽々しく行うことはできない。

 

 いっそパンドラズ・アクターに国の運営を任せて、自分がモモンとして行くことも考えたが、今はアインズでなければ決定できないことが山積みだ。それに、どう考えてもアルベドがそれを許してくれるとも思えない。

 

(なんだろう。こんな風に一人で取り残される気分を味わうのは、随分久しぶりのような気がする。ギルドメンバーの皆がユグドラシルにだんだんログインしなくなって……。もう随分遠い昔のようにも感じるな。最後に来てくれたヘロヘロさんも帰ってしまって、結局一人きりで玉座の間でユグドラシルの最後を迎えようとした。あのときはまさか、こんなことになるとは思ってはいなかった)

 

 既にこの異世界に転移してから、何年も経っているというのに、いまだユグドラシルプレイヤーらしい存在は見つかっていない。わかったのは、少なくとも百年毎にプレイヤーと思われる存在がこの世界に現れるらしい、ということ、少なくとも彼らの一部は何らかの形で死亡していることくらいだ。

 

 そして、まだ生きているかもしれない過去に転移してきた多くのプレイヤーの姿も、自分と同じタイミングで転移してきたプレイヤーの姿も全く見かけることはできない。ギルドの名前(アインズ・ウール・ゴウン)を前面に出せば、プレイヤーの誰かが接触してくるはずだと思ったが、それが見込み違いだったのかもしれない。

 

(もしかして、この世界からリアルに戻る方法があるのだろうか? 俺は現実世界に何の未練もないが、他のプレイヤーが必ずしもそうとは限らない。たっちさんみたいに結婚していた人だっていたかもしれないんだ。もしそうなら、これまで来たプレイヤーはなんらかの方法でリアルに帰還してしまっている……?)

 

 そこまで考え、アインズは突然途方もない孤独に襲われた。

 

 子どもたち(NPC)は確かにかわいい。皆、友人たちが自分に残してくれた贈り物のようなものだし、子どもたちのおかげで、自分が今なんとかやれているのは間違いない。それなのに、なぜ自分は孤独を埋めきることができないのだろう。

 

 アルベドにあのようなことをしてしまったせいだろうか。あれさえなければ、アルベドだってタブラさんが想定したとおりの本来の姿を見せてくれていたはずだ。アインズは自分がやらかしてしまったことを激しく後悔しつつ、今行っている自分の研究の進捗状況を思い出して若干心を慰めた。あれがもう少し進めばあるいは……。

 

(まったく、一人でいるとろくなことを考えないもんだな)

 

 今日は重要な案件について考えを纏めたいと言って、ずっと側に控えていようとするアルベドもセバスも追い出したが、いつもだったら、このくらいのタイミングでイビルアイが執務室に顔を出してくれていた。今は魔導国のために遠くまで仕事で出かけているのだから仕方がないこととはいえ、イビルアイと話をできないのが、ひどく物足りなく感じる。

 

「……会いたいな……」

 

 思わず独り言が漏れ、アインズは慌てて口をつぐんだ。

 

 イビルアイからはNPCたちとは違う何かをアインズは感じていた。それはもしかしたら、設定とかそういうものに影響を受けていない、素直で率直な反応のせいかもしれないが。

 

 おもむろに、アイテムボックスから前にイビルアイがくれた不格好な自分のぬいぐるみを取り出して、骨の指で優しく撫でる。ふんわりとした甘い香りが漂い、アインズはどことなく気持ちが安らぐのを感じた。

 

(しっかし、イビルアイも下手くそだな。俺も人のこと言えないけどさ。でも、俺の作ったアヴァターラの方がまだマシな出来なんじゃないか? 少なくとも、誰を作ったかくらいはまだわかるからな!)

 

 変な対抗意識を持ちながら、それでも、アインズは午後の執務時間までその怪しげな物体を楽しげにいじり回した。

 

 

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 竜王国の王都近くにある最前線となっている都市の城壁に、完全武装したシャルティアはアンデッド兵団の将として立っていた。都市から少し離れた場所には骸骨騎兵(スケルトン・ライダー)の軍勢が伏せてあり、ビーストマンが都市に討ってかかった際に背後から襲いかかる予定だ。城壁の前には骸骨戦士(スケルトン・ウォリアー)が壁に近寄るものを粉砕するべく陣を張り、城壁の上にずらりと並んだ骸骨弓兵(スケルトン・アーチャー)が、都市に近寄ろうとするビーストマンを素早く射殺している。都市の門にはそれぞれ二体の魂喰らい(ソウルイーター)が配置されており、万一ビーストマンがスケルトン兵団を打ち破って都市内に侵攻してきた場合はそいつらがビーストマンを屠るはずだ。

 

 シャルティア・ブラッドフォールンは微笑む。

 

(この完璧な布陣。このわたしが必死になって考えた布陣で! わたしの功績をナザリックの皆に認めさせることが出来る。もうデミウルゴスにだってとやかくは言わせない)

 

 それに、この作戦ならシャルティアはほとんど直接手を下すことなく戦いを進めることが出来る。最悪、多少は手を出すとしてもその場合は殺すのではなく、ドワーフの国でやったように魔法で動きを封じ込め、その間に他のアンデッド兵に奴らをやらせればいいのだ。血の狂乱対策のため、自分では極力手を下さず、アンデッド兵団にやらせるように強く言われているが、これなら最愛の主も満足してくれるに違いない。

 

(アインズ様ぁ。よくやったって褒めてくださるでありんしょうか……)

 

 シャルティアは、今回の作戦遂行のために大変な努力をした。デミウルゴスは自分のために、事細かにやらなければいけないことを書いた作戦書を作ってくれていた。その内容を繰り返し読んで全て暗記した。ダメな子だと他の守護者、とりわけアインズに思われるのは、もう二度とごめんだった。

 

 しかし、その努力の甲斐はあったと思う。やるべきことがわかっていたから、迷うことも少なかったし、なによりドワーフの国でアインズと一緒に行動した経験はシャルティアを大きく成長させてくれていた。

 

 一瞬、自分の主人の白皙の美貌を思い出し、その手が優しく自分の頭をなで、褒美に今宵我が褥に、とアインズが言うところまで妄想し、シャルティアは笑み崩れそうになるが、必死の思いでそれを止める。

 

 ここで油断して全てを水の泡にしてはならないのだ。ここまで自分のためにチャンスを与えてくださった至高の御方々の頂点たる御方に勝利を捧げることができて、ようやくシャルティアは以前の汚名を晴らすことができるのだから。

 

「シャルティア殿、少しよろしいかな?」

 

 声をかけられて、下を見やると、そこにはアズスとセラブレイト、そしてこの街の防衛司令官が立っている。シャルティアは城壁から軽々と下へと飛び降りた。

 

「わらわに何かご用事でも?」

 

 下等動物に声をかけられたことに若干むっとはするが、そこは散々主人にも言い含められている。シャルティアはこれも主人の信頼を勝ち取るために大事なことだと我慢する。

 

「魔導王陛下が派遣してくださったアンデッド兵団のおかげで、この街の防衛が非常に上手くいっていること、御礼を申し上げたい。おかげで、我々冒険者は遊撃部隊として、ビーストマンの掃討を行えているし、竜王国軍も体勢を立て直しつつある。本来であれば、魔導王陛下に御礼を申し上げるべきではあろうが、貴殿の素晴らしい指揮に我々全てが感服しております。このようなうら若い女性が、かくも見事に兵を操るとは」

 

「そのようなことであれば、特段礼など言われなくてもかまわないでありんす。わらわはアインズ様の命に従って動いているまでのこと」

 

「まさに、シャルティア殿は人々を光に導く戦乙女ですな。思わず見惚れてしまいますよ。その美しい銀の髪、赤い輝石のような瞳。まさに神より遣わされた天使とはシャルティア殿のことでしょう。このセラブレイト、シャルティア殿と肩を並べて戦えることを光栄に存じます」

 

 セラブレイトから幾分熱っぽい視線を感じたがシャルティアはそれを無視した。

 

「ともかく、この都市の防衛と、防衛線の確保は我々魔導国軍に任せなんし。あなた達は、生き残りの人たちの救出と、ビーストマンへの降伏勧告に専念してくれればいいでありんす。応じないものの排除はこちらでやりんすから」

 

「有難きお言葉。では、我々はそのように動かせていただきます。シャルティア殿、ご武運を」

 

 恭しくシャルティアに礼をして去っていく三人にシャルティアは蔑むような視線を送る。

 

(ともかく、デミウルゴスには、最終的には一つの都市にビーストマン共を追い込むように言われてありんすからね。邪魔者は下等動物(あいつら)に適当に間引いてもらえればいいし、チビはチビで上手いことやっているようだし)

 

 シャルティアはほくそ笑んだ。

 

 最終的には、頑強に竜王国の都市に立てこもって抵抗を続けるビーストマンに、アインズが助力をして、ビーストマンをひれ伏させることで、さらなる神格化を行う予定と聞いている。

 

(我が最愛の御方、アインズ様が神となられる。さぞや、お美しいお姿を見せてくださるはず……)

 

 それを思うだけで、シャルティアはなんとしてでも、この作戦を成功させなければと再度心に誓う。

 

 シャルティアは前線を徐々に北東方向に動かしながら、ビーストマンをが占拠している都市を一つ一つ奪還し、僅かばかりの人間の生き残りを救出していく。

 

 アンデッド軍の先頭で魔導国の国旗を片手に空を駆けるシャルティアは、きらめく銀色の髪と白い翼、そしてシャルティア本人の美貌も相まって、助け出された竜王国の人々を魅了した。それはまさに救国の神が遣わされた御使いのようだと。

 

 数日後、シャルティア率いるアンデッド軍は、ビーストマンが最後の悪あがきとばかりに編成したかのような、十万を超える大群に向かって静かに進軍を開始した。

 

 アンデッドとビーストマンの戦いは最初は五分に見えたが、徐々に疲労を知らないアンデッドがビーストマンを押し始める。

 

「これで、終わりとは思わないでほしいでありんすね」

 

 シャルティアはほくそ笑むと手に持った旗を大きく振る。それを合図にしたかのように、アンデッド軍は素早く二つに分かれ、中央から魂喰らい(ソウルイーター)が二頭、軍の先頭に躍り出て、ビーストマン達に襲いかかった。

 

 魂喰らいは、ギラついた目で容赦なくビーストマンの首元を食い千切り、蹄で頭を刎ね飛ばす。一瞬のうちに、そこら中には死んだビーストマンのちぎれた身体がばら撒かれる。その上、魂喰らいが身体を震わせるたびに、周囲にいるビーストマンは瞬時にその場に崩れ落ち、死んだ魂はまるで靄のように魂喰らいの身体にまとわりつくように吸い寄せられ、魂喰らいが奇怪な声を上げてそれを啜る毎に、その力は更に増していくように見える。

 

 ぐちゃぐちゃと音を立てながら一瞬のうちに死体の山を築いていく魂喰らいに、果敢に攻撃を加えようとするビーストマンもいくらかはいたが、その体に触れる前に次から次へと倒れていく。容赦なく同胞たちを喰らい屠っていく姿を見たビーストマンは総崩れになり、それまでの規律正しい行動などかなぐり捨てて必死に逃げようとした。

 

 バラバラになったビーストマンを、戦場付近に伏せられていたアウラの魔獣達が国境近くの半ば廃墟のようになった都市へと手際よく追い込んでいき、シャルティアは未だ戦闘意欲が残っているビーストマンを骸骨戦士に命じて容赦なく切り伏せていく。

 

 やがて、アンデッド軍に抵抗しようとするビーストマンはいなくなり、残りは全て魔獣に追われて都市へと逃げ込んでいく。

 

「まあ、こんなもんでありんしょうかね?」

「なかなか、いいんじゃない? きっとアインズ様もお喜びになると思うよ」

 

 ゆっくりと空の上から戦場を眺めていたシャルティアは地面に降り立ち、その隣にフェンリルに乗ったアウラが姿を現す。二人は顔を見合わせると笑い声を上げ、軽くハイタッチをした。

 

 




瀕死寸前のカブトムシ様、zzzz様、誤字報告ありがとうございました。


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8: 希望と欲望

 アウラはフェンリルに乗って、ビーストマンの国と竜王国の間にある森を偵察がてら走り回っていた。

 

 山岳地帯の裾野を越えたところに広がるその森は、トブの大森林ほどではないようだがかなり広く、鬱蒼とした背の高い木が空を覆い隠すようにどこまでも続いている。とはいっても、レンジャー技能に長けたアウラにとっては別にたいした問題ではない。

 

「この森にも面白いのがいたりしないかなぁ。ハムスケみたいなやつ。そしたら、アインズ様にお願いしてペットにするのもいいよね」

 

 ほんの少しでも興味を持てるような存在を探して森の中をあちこちうろつくが、不思議なことに、あまり動物や異形種のような生命あるものの存在が感じられない。もっともレベル百のアウラにとって意識できるほどのレベルの存在がいないというだけなのかもしれないが、それにしても妙だった。

 

「どう、何か感じる? フェン」

 

 どことなく緊張した様子のフェンリルに気が付き、アウラは警戒感を強める。森の奥から漂ってくる風に妙に生臭い何かを感じ、アウラはそちらに向かってフェンリルを走らせた。

 

 奥に進むにつれてその匂いは徐々に強くなる。おまけに、まるで行く手を阻むかのように、おかしな霧のようなものまでがたちこめ始め、さしものアウラでも先を見通すのが困難になってきた。

 

「なんだこりゃ。この霧……、どことなく、カッツェ平野の霧と似ているような? フェン、注意深く行くよ」

 

 アウラは奥に突き進むのではなく、霧が広がっている範囲を確認しようと、ゆっくりとフェンリルを歩かせた。それはかなり広範囲に渡っており、まるで何かを隠すように広がっているようにも思える。霧のせいでよくわからないが、奥の方には何か変わった面白いものが存在しているのかもしれない。そう考え、アウラは少しばかりそれが何なのか興味を惹かれた。

 

「うーん、これは、他の子たちも使わないと難しそうかな」

 

 アウラは自分の使役している魔獣達のうち、隠密行動に長けたものを選び出し、霧の奥の方を探らせる。しばらくして、戻ってきた魔獣達と言葉を交わすと、アウラはしばらく腕を組んで考えた。魔獣達の報告では、その霧の奥にはかなり開けた場所があり、非常に多くのアンデッドがうろついているらしい。

 

(多分、あたしでも問題なく対処はできるとは思うけど、あたし一人で深入りするよりも、まずはアインズ様にご判断いただいたほうがいいよね)

 

 アウラは軽く頷くと魔獣達に指図した。

 

「お前たち、この辺りに何かを近づけないようにして。あまり生き物の気配はないから大丈夫だとは思うけど。あたしはアインズ様にご報告してくる」

 

 見張り用の魔獣を霧からある程度離れた場所に何体かずつ配置する。これなら恐らく自分が戻ってくるまで何かがこの中に立ち入ることはないだろう。

 

 自分の仕事に満足したアウラはフェンリルに飛び乗り、ひとまずシャルティアの元に向かった。

 

 

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 漆黒と蒼の薔薇のアゼルリシア山脈探索は順調に進んでいた。途中で、巨大な羽を持つ人の顔をしたペリュトンや、凶悪なハルピュイアの群れなど、この山脈特有のモンスターに何度か襲われたものの、その程度のモンスターは蒼の薔薇と漆黒の敵ではなかった。

 

 通る道もない山肌を縫うように進んでいく行程は、新しい道を自分たちが作っていくという新鮮な感覚があり、しばらく進むたびに見えてくる新しい景色も心奪われるものがあった。不可思議な次元の門らしきものから熱いドロドロした溶岩が流れ落ちていく危険地帯を越えると、ゴツゴツとした熔岩性の黒い岩と高山独特の灌木や鋭い葉を持つ植物が生い茂る急な斜面がどこまでも続いている。

 

 ティアとティナは、休憩のたびに地図にこれまで通ってきた道や発見した動植物などを書き記している。

 

 午後遅い時間になると、野営の準備のために比較的平らな場所を探す。モモンとガガーランは協力して雪や氷を削ってある程度の広さを確保し、モモンが魔法のアイテム(グリーンシークレットハウス)を展開した。

 

 いくら飲食と睡眠を不要にするアイテムを装備していても、やはり厳しいアゼルリシア山脈を踏破するのは精神的にも疲れを感じる。見た目は小さいのに、中に入るとかなりの広さがある魔法のコテージは、設置場所を探すのもそう難しくない非常に便利な代物で、夜になると適当に部屋に分かれてのんびりくつろぎながら、明日通るルートを確認したり、思い思いに食事などを取りつつ日中の疲れを癒やした。

 

 ひたすら険しい道なき道を頂上を目指して登るにつれ、地面はだんだん土から万年雪と氷に変わっていき、木々の高さも低く這うようなものに変わっていく。もらった冷気耐性の指輪の効果で寒さはさほどではないが、吹き付ける風もだんだん強くなってくる。身体の軽いイビルアイなどは何度か飛ばされそうになり〈飛行〉を使ってなんとか落下を避けた。

 

 しかし、自分たちの最終目的地へと確実に近づいているという感覚は、日々の野営地から見る景色の変化からも明らかだった。

 

 行く手を遮る巨大な氷の岩をその圧倒的な筋力でよじ登ったモモンがロープを垂らし、それを伝って他の全員も岩の上に登りきる。その作業を何度か繰り返したのち、ようやくたどり着いたその場所こそ、間違いなく、伝説にも伝え聞くことのないラッパスレア山の山頂だった。

 

 フェオ・ベルカナを出発してから既に十日が経過していた。数々の苦難を乗り越えてこの地にたどり着いた一行は、恐らく人間としては初めて見る光景に圧倒的な衝撃を受け立ちつくした。

 

 遮るもののないどこまでも広がる空と、その下に広がる雄大なアゼルリシア山脈の山並みはあまりにも美しく、これまでの自分達の人生観がまるでちっぽけなものだったように感じさせられる。遠く北の彼方には恐らく海だと思われる水平線も見える。その更に先まで見通すことはさすがに出来ないが、それでも、世界はもっとずっと遠くまで広がっているはずだ。

 

 吹きすさぶ風は強く、完全に凍りついて足掛かりになるものがほとんどない山頂は、油断すると足元をすくわれそうだったが、漆黒と蒼の薔薇は自分たちが通ってきた道を感慨深く見下ろしながらも、しばらく神秘的な山の光景に見入った。

 

「これが未知の世界を既知にするってことか。魔導王陛下もなかなかいいことを思いついたもんだな……」

「本当に。モンスターを倒すことだけが冒険じゃないってことね」

 

 興奮して話をしている蒼の薔薇の面々をよそに、イビルアイは風に飛ばされないように注意しながら、エ・ランテルがあると思われる方向を必死に探した。しかし山の稜線に隠れてしまっているのか、どれほど目を凝らしても、それらしいものを見つけることは出来なかった。

 

(この景色、できればアインズ様と見たかったな……)

 

 自分の隣に立つ愛しい骸骨を幻視して、胸の中が喜びでいっぱいになるのを感じるが、次の瞬間その気持ちは冷たい風に吹き飛ばされたかのように消え去った。

 

 もちろん、いつも仕事で忙殺されているアインズが、こんなところにわざわざ足を運べるわけがない。頭ではそれがわかっていても、今自分のかたわらに彼がいないことをイビルアイは酷く寂しく思った。

 

 いつものように指輪を撫でると多少は飢えた心が慰められたが、それだけではもう自分の中にぽっかりと空いた穴を埋めることが出来そうもなかった。

 

(どうしたんだ? 私は……。アインズ様が欲しくてたまらない。なんなんだ、この欲求は)

 

 イビルアイはアインズとの間に感じている、踏み越えたくても踏み越えられない一線の存在をいつもよりも強く感じて歯噛みをする。

 

 立場とか身分とか、そういう余計なことは忘れて、彼の全てを手に入れたい。彼のほっそりとした身体をしっかりと抱きしめれば、彼も優しく自分に応えてくれるだろう。そして思い切り甘えたら、喉元に牙を突き立てる。そうすれば、きっとこれまで味わったことのないような甘露が味わえるはず……。

 

 そこまで考えて、イビルアイはぎょっとし、そんな恐ろしい考えを頭からふるい落とそうとした。

 

 ――なぜためらう? キュウケツキがそうしタイとノゾムのはアタリまえだろう。

 

 頭の中で誰かがそう囁く。

 

 そもそもアンデッドである身体はあまり寒さなど感じないはずで、しかも冷気耐性の指輪までもらっているというのに、自分の中にいる何かは身体の奥底から凍えさせようとしているのか、酷く冷たく感じられ、身体の震えが止まらない。それに、その存在はこれまで以上にアインズを欲していて、その欲求を抑えることもできない。