イビルアイが仮面を外すとき (朔乱)
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第一章 エ・ランテルにて
1: ラナー、蒼の薔薇に依頼をする


時系列的には、原作12巻終了して少したったくらいからのスタートです。


「はぁ……ももんさまぁ……」

 

 王都にある蒼の薔薇御用達の宿屋にあるほぼ自室と化している部屋の中で、机に肘をついた恋する乙女は大きくため息をついていた。

 

「あの聖王国の連中がどうなるかは知ったことではないが、やっぱりエ・ランテルまでは一緒に行ってモモン様のご無事だけでも確かめたかった……」

「だから、それはダメだってことになっていたでしょう?」

 

 イビルアイの苦悶する姿を横目に、その反対側に腰をかけて優雅に紅茶を飲みながらラキュースは冷たく答える。

 

「そうそう。今はまだその時期じゃない」

「イビルアイ、完全に恋に盲目」

 

 部屋の隅に座り込んで、武具の手入れをしているティアとティナもそれに同調する。

 

「全く情けないなぁ。まあ、あのモモンって漢は、俺だって頂きたい気分にはなったけどな」

 そういって、イビルアイの隣の席に腰掛けているガガーランが豪快に笑う。

 

「くそぅ。皆、からかうのはやめてくれ……他人事だと思って……」

 力無くそう呟くと、イビルアイが机に完全に突っ伏した。

 

 その様子は傍で見ている分には非常に微笑ましく、他の四人は心の中でイビルアイの恋をそっと応援する。口には決して出さないが。

 

 聖王国からの使節団である聖騎士団の代表と蒼の薔薇が王都で話し合いを行ってから既に一ヶ月半が過ぎていた。その後彼らがどうなったのかは知らないが、少なくともエ・ランテルで魔導王との交渉は終了し今はもう聖王国に戻っている頃合いだろう。

 

 魔皇ヤルダバオトは確かに人類、いや世界全体の敵に違いない。しかし、それに手を貸せるだけの余力のある国は、恐らく現在は魔導国をおいて他にはない。評議国は通常こういうことには口を挟むことはないし、法国も最近特殊部隊である六色聖典に芳しくない噂が立っている。

 

 だから、魔導国で断られれば、聖王国は恐らく単独でヤルダバオトと戦わねばならなくなるはずだ。そうなればのんびり諸国を放浪する暇などあるわけもなく、大人しく国に戻って少しでも防備を高めるのが彼らの仕事というものだろう。

 

「確かに、一度は私達も魔導国に行って状況を確認しなくてはならないとは思う。だけど、今の王国から離れるのも正直心配なのよね。ラナーのこともあるし……」

 

 ラキュースもティーカップを片手に、そっとため息をついた。

 

 今の王国は、大悪魔ヤルダバオトに襲われ、その後の魔導国・帝国との戦いに破れ、第一王子は戦いのさなかに行方不明、多くの国民のみならず、国の中心的役割を担っていた貴族たち、そして、国民の希望でもあったガゼフ・ストロノーフも喪い、完全に国の屋台骨が傾いた状態になっている。

 

 しかも、そんな状態だというのに国の覇権を狙う派閥闘争はやむことはない。敗戦で王は完全にその求心力を失ってしまっている。

 

 しかもそれだけではない。帝国と長く続いていた戦争によって多くの物資も、それを作り出すべき人的資源もじわじわと削り取られてきた王国には、既に価値があるといえるほどのものはない。残っているのは、取るに足りない僅かな滓だけなのだ。

 

 このまま行けば、王国は近いうちにどう足掻いても抜け出すことのできない飢餓と貧困に襲われるだろう。そしてその先に待っているのは……。

 

 ラキュースは、迫りくる地獄絵図から目をそらし、権力ごっこを続けている貴族連中に心の中で悪態をつく。

 

「私達は王国の冒険者。冒険者は国の政治には関わらないのがルールだけど、だからといって祖国である王国を見捨てるわけにはいかないわ」

 

「そりゃそうだよなぁ。俺もそう思うぜ」

「たまには正しいことをいう。鬼リーダーなのに」

「鬼にも一分の魂があるって聞いたことある。確認できてよかった」

 

 ガガーラン達もラキュースの意見に賛同する。

 

「あまり褒められてる気がしないんだけど……」

 

 わざとらしい仕草で肩をすくめながら、いつもの双子の軽口にラキュースは気分が多少軽くなったのか、笑顔を見せた。

 

「そのうち、きっと会えるわよ、イビルアイ。モモンさんならきっとどんな場所でも大丈夫に違いないわ」

「ああ……、それもそうだな……」

 

 ラキュースのその言葉でイビルアイも少し気を取り直したのか、ようやく机から身体を起こす。

 

「さて、そろそろ王宮に行きましょうか。ラナーと約束している時間だわ。」

 

 四人は頷いて立ち上がった。

 

----

 

 蒼の薔薇が王宮のラナーの元を訪ねるのは二週間ぶりだった。

 

 これまでは、事あるごとにラナーからの依頼を受けることが多く、これほど長く声がかからないことは逆に珍しかったのだが、ラナーはラナーで自分が設立した孤児院をまめに訪問して孤児たちの世話をしたり、今やほぼ王位を継ぐことが確定している第二王子に陰ながら力を貸したりで、これまでよりも忙しいながらも充実した日々を送っているようだ。

 

 もちろん、その傍らには彼女がこよなく愛する忠実なクライムが常に寄り添っている。最下層出身の彼が王女のすぐ側に侍ることについては、これまで散々影で言われていたが、今の王国にはそのような些事に口を出す余力のあるものはいないようだ。

 

「お久しぶりですね、ラキュース。それから、蒼の薔薇の皆様」

「お久しぶり、ラナー。随分いきいきしているように見えるわね」

「そう見えますか? 今は上のお兄様が行方不明になってしまったせいか、私にもやらなければいけないことがいろいろできてしまって」

 そう話すラナーは、これまでよりもずっと楽しそうに見える。

 

 ラナーは蒼の薔薇の面々に椅子を勧めると、手ずから紅茶を注ぐ。

 

「クライムもそこに座ってください」

「え、いや、私が座るわけには……いえ、わかりました。では、失礼いたします……」

 

「なんだ、相変わらず尻に敷かれてるのか、童貞」

 ガガーランがクライムの肩を勢い良く叩く。

 

「そ、その呼び方は……いえ、なんでもないです……」

 

 もはや諦めきった顔でクライムは黙った。さすがにラナーの前でこの話を続けるのは憚られたのだろう。他の面々はその様子を見てくすくすと笑う。

 

「ふん、そこまでにしておいてやれ。それほど時間に余裕があるわけでもないんだろう?」

 その様子を見かねたのかイビルアイが口を挟む。

 

「そうね、本題に入りましょう、ラナー。なにか重大な情報が手に入ったとか?」

 

「ええ、そうなんですよ。とある筋から極秘で入った情報なんですが……」

 そういうと、ラナーは悪戯っぽい表情をして声を潜めると、さらっと話す。

 

「魔導王陛下が崩御されたそうです」

 

----

 

 

 あまりの衝撃に一瞬場が静まり返り、ガガーランとラキュースは思わず椅子から立ち上がる。

 数々の修羅場を掻い潜ってきた蒼の薔薇ですら、それはあまりにも想像を絶する内容だったのだ。

 

「はぁ? なんだそりゃ?」

「そ、そうね、ラナー。よく聞こえなかった気がするわ。もう一度話してもらえるかしら?」

 

「あら、そんなに難しいことをお話したつもりはなかったのですけれど……」

 ラナーが無邪気に笑う様子が、いっそこの話がラナーの軽い冗談だったのではないかと思わせるが、正直そんな生易しい話ではない。

 

「ですから……魔導王陛下が崩御されたそうですよ。なんでも苦境に陥った聖王国に陛下御自身がお力添えをされていたのだそうですが、その際の戦闘でお亡くなりになられたとか……」

 ラナーはただの天候の挨拶でもしているかのような軽い口ぶりで話をしつつ、自分の紅茶に砂糖をいれゆっくりとかき回している。

 

「……う、嘘だろ!? あの化物が死ぬなんて、そんなことがあるのか!?」

 ショックで呆然としていた様子のイビルアイも、思わず椅子を倒す勢いで立ち上がる。

 

「全くだ。正直信じられないねぇ。」

 

「魔導王はアンデッドだから、最初から死んでる」

「死体をいくら刺しても、所詮死体」

 青ざめた表情のティアとティナの冗談にも、いつもの切れが感じられない。

 

「ラナー、その情報は、本当に間違いないの?」

 ラキュースは真剣な顔でラナーに問いただす。

 

「ええ、私の個人的なルートから得た情報ですが、間違いではないようですよ。もっとも魔導王陛下は既に復活されていらして、今は喪われたお力を取り戻すためにエ・ランテルではなく、本来のご居城に戻られてご療養されているそうですが……」

 ラナーはそういって薄く笑うと、紅茶を口に含んだ。

 

「はぁ、なんだ、そういうことか……。全く驚かせやがって……」

 さすがのガガーランも緊張していた力が抜けたのか、どっかりと椅子に座り込む。

 

「確かに、復活魔法があるのだから、当然だわね。あの魔導国で、それが出来ないはずなんてないでしょうし……」

 ラキュースもそんな単純なことに思い至らなかった自分に呆れたかのように、小さくため息をついた。

 

「うふふ。思った通り、皆さんをびっくりさせることが出来ました」

 

 ラナーは悪戯が成功した少女のような笑顔を見せる。

 

 さすがにそんな表情を見せられては、蒼の薔薇も毒気を抜かれざるを得ない。まあ、魔導王でも死ぬということがわかったのは確かに非常に重要な情報だ。しかも、聖王国に自ら助力をしていたということは、魔導王を斃した相手はかの大悪魔ヤルダバオトであるのはほぼ間違いないだろう。

 

「魔皇ヤルダバオトか……。やはり、王都で討ち漏らしたのがまずかったか?」

 ガガーランがボソリと呟く。

 

「いえ、あのときは王都から敗走させただけでも上出来だったと思います。あれ以上戦っていれば、恐らく王都は完全に焦土と化していたことでしょう」

 珍しくラナーが真面目な顔をしている。

 

「それもそうね……。あのとき、私達は既に限界だった。モモンさんがヤルダバオトを抑えてくださっていたから持ちこたえられたけれど、あれ以上戦闘が長引いていたら、モモンさんもただでは済まなかったかもしれない」

 

「そ、そんな! モモン様なら、きっとヤルダバオトを完膚なきまでに滅ぼしてくださったに違いない!!」

 

「まあまあ、イビルアイ落ち着けよ。いかに凄い奴だといっても漆黒のモモンだって人間なんだ。奴だって状況が悪化すれば、もしものことがあってもおかしくないんだぞ?」

 

「そ、それは……確かに……そうなんだが……」

 イビルアイはバツが悪そうな顔をして黙り込んだ。

 

「ところで、ラナー。この話を単に教えてくれるためだけに私達を呼んだんじゃないわよね?」

 ラキュースは、二人のやり取りを眺めつつ、ラナーに問いかける。

 

「ええ、そうなんです。これまでは、先日の王都での戦いで復活されたガガーランさん達の体力が回復していないということもあって、魔導国に関してはあまり深入りせずに、様子見をしていました。王国は、正直、魔導国と友好関係にあるとは言い難いですし。でも、今回の一件は、魔導国に人を送るのにちょうど良い口実になると思いませんか? ですので、現在の魔導国の状況を、蒼の薔薇の皆さんで詳しく調査してきて欲しいんです」

 

「それは、エ・ランテルへ行くということか!?」

「おい、イビルアイ、ちょっと落ち着け!」

 

「その通りです。本当なら、今回のような場合、王国の正規の使者として、兄か私が魔導国に赴き、魔導王陛下宛のお見舞いの品をお贈りするのが筋でしょう。しかし、正直いって、今の王国にはそのような体力はありませんし、王国の国民感情の問題もあります」

 

「それはそうでしょうね……。では、その代わりに私達を、ということかしら?」

 

「はい。王国からの非公式の使者として、蒼の薔薇の皆さんを派遣することで、双方の体面を保ちつつ、魔導国の実態を知るのが目的です。それで、僅かではありますが、私個人の名前で心ばかりの品と魔導王陛下宛の親書を用意しました。これを魔導国の宰相であるアルベド様に届けてほしいのです」

 

 そういうと、ラナーは鍵のかかった引き出しから美しい意匠の小さな箱と、ラナーの封印が押された手紙を机の上に置く。

 

「これは父や兄にも既に同意をとってありますので、安心してくださいね。あと、少しですけど報酬もお出しします」

 

「なるほど。アルベド様というと、以前魔導国から王国に使者としていらした方よね? 私は直接お会いしてはいないけれど、非常に美しい女性だとか?」

 

「そうですね。私は何度かお話させていただきましたが、とてもお美しくてお優しい方です。きっと皆さんにも快くお会いくださると思います」

 ラナーは無邪気な笑顔で答えた。

 

「わかりました。それなら問題は特になさそうね。どう? 皆には異論はある?」

 ラキュースは他のメンバーの顔を見回す。

 

「いいと思う」

「同じく」

「あぁ、任せてくれ」

「も、もも、もちろん、行くに決まっているだろう!!」

 

「全員賛成ね。では、この件は蒼の薔薇でお引き受けします。こちらは大切にお預かりしていきますね」

 ラキュースはそれらを丁寧に布で包むと慎重に懐にしまい込む。

 

「皆さんなら問題ないと思いますが、どうかお気をつけていってらしてください」

 ラナーはにこやかに微笑んだ。

 

 

 




gomaneko 様、水戸咏様、十五夜@様、誤字報告ありがとうございました。


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2: 蒼の薔薇、魔導国を訪問する

 ロ・レンテ城でのラナーとの会談から戻ってきた蒼の薔薇は、宿屋で早速荷造りをし魔導国に向かうことにした。

 

 真の目的は魔導国の現状調査であるとはいえ、建前上は王国の使者として向かうのだから、魔導国に多少思うところがあったとしても決して失礼があってはならない。ラキュースは気を引き締め宰相アルベドとの謁見も考慮し、いつもの装備も念入りに手入れをする。

 

 そして、後ろから聞こえてくる奇妙な鼻歌を耳にし、少し顔をしかめた。

 

(……イビルアイ、本当に連れて行って大丈夫なのかしら?)

 

 他のメンバーもそう思っているのだろう。微妙に生暖かい目でイビルアイをちらちらと見ている。

 

「〜〜♪♪」

 

 そんな仲間の様子に気づくこともなく、イビルアイは半分呆けたような表情で、どうみても今回の依頼とは関係のなさそうな派手な服を広げてみたり、どこで手に入れたのかわからないような怪しげな形状の瓶を取り出して眺めたり、かと思うと急ににへらと笑って歌いだしたり、正直どうみてもまともな状態には見えない。いつも冷静にパーティーをサポートしてくれる蒼の薔薇が誇る頼もしい魔法詠唱者としての面影はどこにもなかった。

 

 そう。イビルアイは完全に浮かれていた。

 

 ようやく、愛するモモン様に正式に会いに行く口実が出来たのだ。

 

 これまでイビルアイはエ・ランテル行きを他のメンバーに何度となく打診し、説得しようと試みていた。蒼の薔薇全員が難しいならせめて自分ひとりだけでも、と。自分は転移魔法が使えるし、一度転移先の確保さえすれば、あとの行き来はイビルアイ一人だけならあっという間にできる。それなのに、ラキュースも他のメンバーも頑として頭を縦に振らなかった。

 

 だが、ラナーからの依頼とあらば話は別だ。いつもは腹が立つこともあるラナーだが、今回ばかりは救世主のようにも見える。

 

(今、魔導王はエ・ランテルにはいないらしいし、モモン様を魔導王の支配から解放する絶好のチャンスじゃないか?)

 

 イビルアイは、愛するモモンを恐ろしい魔導王の魔の手から必死に救出する自分の姿を思い浮かべ、さらにモモンがイビルアイに跪いて感謝のキスをし、結婚を申し込むところまで幻視する。

 

(あああ、モモンさまぁ……、結婚なんて、まだ早すぎますぅ!)

 

 しかも、非公式とは言え宰相に会いに行くということは、もしかしたら、謁見の場にモモンもいるかもしれない。そうでなくても、魔導国の調査中に何らかの形でモモンに出会える可能性は非常に高いだろう。

 

「あぁ、モモン様に最後にお会いしてから一体何ヶ月経ったんだろう? まさかと思うが、私のことを覚えていなかったり……いや、そんなことはない! あれだけ印象的な出会いをしたんだ! 私達はまさに吟遊詩人が詠うところの運命の恋人なのだ!」

 

 一人で盛り上がっているイビルアイに、残りの蒼の薔薇のメンバーはため息をつく。

 

「だめね、あれは」

「完全に舞い上がってる。ふわふわ宙に浮いてる。十メートルくらい」

「ガガーランが頭を叩けば正気に戻るかも?」

「いや、無理だな。まぁ、ずっと我慢してたんだから仕方ないのかもしれんが……」

 

「……ともかく、今回は、イビルアイはなるべく戦力に数えない方がいいかもしれないわね」

 諦めたようなラキュースの言葉に、残りの三人は深く頷いた。

 

---

 

 王都リ・エスティーゼで魔導国に行く馬車を探すが、現在、王国と魔導国の関係は冷え込んでおり、エ・ランテルに向かう馬車は極少数の商人の荷馬車しか見つからなかった。そのため、蒼の薔薇はやむをえず自前で馬車を用立てると、一路エ・ランテルに向かった。

 

 街道沿いに馬車を走らせ王国領を抜けるが、途中の街や村はかなり荒廃した雰囲気があり、人々は疲れ切った顔をしている。恐らくこの冬を越すのが精一杯だったのだろう。むしろ、もっと大規模な飢饉が起きても不思議ではなかったことを考えると、無事に春を迎えることが出来ただけ幸運だったとも言える。

 

(来年は一体どうなるのかしら? ラナーはきっと何か考えていると思うんだけど……)

 

 ラキュースは馬車の窓から外を眺めつつ、王国の暗い未来を想う。

 

 しかも、王国沿いの街道の治安の悪さといったら、以前よりも明らかに悪化しており、蒼の薔薇の馬車も王国領を抜けるまでに数回野盗や魔物の群れに襲われた。もちろん、そんな連中は蒼の薔薇の敵ではなく全て返り討ちにしたものの、本来街道の治安維持をしているはずの貴族の力がそれだけ弱まっているということでもあるのだろう。

 

 正直、無能な貴族たちだったとはいえ、まだ前のほうがマシだったなんて思う日が来ようとは。本来は、魔導国の調査が目的だったはずなのにも関わらず、むしろ王国の現状調査までしている気分になってくる。

 

 やがて王国領を抜け、王国と魔導国の緩衝地帯を経過すると、急に街道が整備され雰囲気が明るくなったように感じる。エ・ランテルまでの道中はこれまでも経験がある慣れた道ではあるが、この様子だと、エ・ランテル自体も既に王国の領土であった頃とは大きく様変わりしているだろうことが予想される。

 

「こりゃすげえな。確かに魔導国は王国よりも遥かに財力があるのは間違いねぇんだろうな」

「そうね。貴族なんかもいないらしいから、政策に余計な横やりが入ることも少ないでしょうし」

 

 ため息混じりのラキュースのそのセリフで、馬車の中では思わず失笑が漏れる。

 

 しばらく行くと、前方に見慣れたエ・ランテルの城壁が見えてくるが、その前にこれまではなかった巨大な二つの像が鎮座しているのがわかる。

 

「ちょっとあれみろよ。エ・ランテルの城壁前になんてものを置いてやがるんだ!?」

「魔導王……の像……なのよね、多分」

 

「でかい」

「でかすぎ」

「なんというか、自意識過剰なのか? 魔導王は……」

 

 魔導国の国境を越えて以来、魔物や盗賊などに襲われることも全く無く、油断しているつもりではなかったけれども、蒼の薔薇の一行はちょっとした観光気分になりつつあった。

 

「しかし、あんな悍ましい像を入り口に飾るなんて趣味が悪いな」

「国民に対する脅しなのかもしれない」

 

「あれで国民が平和に暮らしてるなんてありえない。冗談にも程がある。」 

「でも、平和に暮らしてるというのは本当らしいわよ?」

 

 そんな話をしているうちに、蒼の薔薇の馬車はエ・ランテルの門までたどり着いた。

 

 そこには入国しようとしている商人たちと思しき馬車や、冒険者らしい格好をした者たちが並んでおり、門番らしき人物と多少会話をすると都市の中に入っていく。門番はどうやら普通の人間のようで、ほっとため息をつく。

 

「ようこそ、魔導国都市エ・ランテルへ。ここに来るのは初めてですか?」

 

「ええ、魔導国になってからは初めてです」

 ラキュースが代表して答える。

 

「そうですか。初めて訪れる方については、都市に入る前に講習を受けていただくことになっているのですが、それは構わないでしょうか?」

 

「講習? って一体何の講習だ?」

 ガガーランが口を挟む。

 

「魔導国には他の国とは違う決まりごと等がありまして、都市内ではそれを守って頂く必要があります。そのため、それを事前にご説明するためのものです。いらした方が例えどのような方であっても、この講習を受けずに都市の内部に入ることは出来ません。どうされますか?」

 

「それなら、もちろん受けさせて頂きます」

「仕方ないね」

 

「そうですか。それではこちらへどうぞ」

 門番は一行を通路の奥にある扉の前へと案内した。

 

 その扉を開けると、そこには、恐ろしい巨大なアンデッドの兵士が立っていた……。

 

 

----

 

 

 それほど長い時間ではなかったが、蒼の薔薇にとってはまさに悪夢のような講習が終わると、無事にエ・ランテルへの通行許可が下りた。

 

 講習で見聞きしたものはどれも蒼の薔薇の常識を覆すようなものばかりで、ほとんど精神攻撃に近いものを連続で受けた気分になる。げっそりと疲れ切って部屋から出てきた五人は馬車ごと門を抜け、エ・ランテルの居住区域に足を踏み入れる。そして、以前来たときとは全く違う街の様子に目を見張った。

 

 人通りは以前のほうが若干多かったかもしれないが、特にそれほど気になるほどの差は感じられない。それに、もっとアンデッドや亜人が跳梁跋扈しているかと思っていたが、思いの外人間が多い。道路もまだ完全ではないが、主だった部分はかなり舗装されており、今もその工事が人間や亜人、そしてその指示に従うスケルトンによって行われているようだ。

 

 先程の講習でいきなり現れたデス・ナイトに度肝を抜かれた五人だったが、そのデス・ナイトが普通に警吏として道を歩いており、街の人々もそれを全く気にしていない様子に呆然とする。

 

「なんだよ? あんな凶悪なアンデッドがうろついてるってのに、誰も気にもとめないって……。はぁ、こういうのも、確かに平和といわれれば平和なのか……?」

 呆れたようにガガーランが唸る。

 

 道の端の方では子どもたちが笑いながら走っていくのが見える。

 

「そうだな……。少なくとも、この都市の中というよりも、この国の中では平和、ということなのかもしれない」

 イビルアイは半信半疑ながらも、それは認めなくてはならないと思う。

 

「ドラゴン注意っていってた」

「フロストジャイアントもいるらしい」

 

「魔導王は凄腕の魔法詠唱者だとは聞いていたが、本当に信じられないレベルの力の持ち主だな。ドラゴンを従えられるとか、この目で見なければ信じられなかった……。かの十三英雄よりも強いかもしれないな」

 

 蒼の薔薇はとんでもないところに来てしまったと、心の底から思う。

 

「さてと……。いつまでも考えていても仕方ないわ。本当なら、本来の目的を優先すべきかもしれないけど、今日はもう宿をとって休まない? 場所は以前使っていた黄金の輝き亭でいいわよね?」

 興味深そうに街を見回していた面々に、ラキュースが提案する。

 

「それがいい。さすがに今日は疲れた。」

「右に同じ」

 

「えぇ? 私はちょっとモモン様に……」

 

「イビルアイ、それは明日でいいでしょ?」

「うぅ……」

「ほら、行くぞ!」

 

 一人で何処かに飛び出していきそうな様子のイビルアイの襟首をガガーランがガッシリと掴むと、一行は昔なじみの宿へと向かった。

 

 黄金の輝き亭は以前と全く変わらない様子で、蒼の薔薇の一行を迎え入れてくれた。やはり、馴染み深い場所が残っているのは心が和む。

 

 ほんの少しだけ安堵して、美しい落ち着いた部屋の中で、思い思いに旅の疲れを癒やすのだった。

 

 

----

 

 

 翌日、エ・ランテルで魔導王が居城として使用しているという旧都市長の館に赴き、宰相アルベドへの謁見を申し込む。

 

 さすがに数日は待たされるかと思いきや、王国からの非公式の使者で、尚且つアダマンタイト級冒険者である蒼の薔薇ということもあり、宰相アルベドとの謁見の約束は比較的すぐに取り付けることが出来た。

 

 この旧都市長の館は蒼の薔薇にとっても馴染みの場所であり、以前エ・ランテルを治めていた都市長の堅実な人柄を反映してか、実直であまり華美な部分など無く、王城としてはかなり地味で格調や優雅さなどとはかなり縁遠い雰囲気の場所である。

 

 正直そのような場所を、あの強大な力を持つアンデッドの王がほぼそのままの形で使用していたとは思っていなかった蒼の薔薇は、微妙な気持ちで案内してくれるメイドに従って館の中を歩く。

 

 目の前にいるメイドはごく普通の人間のようで、所作はそれなりに整っているものの、噂に聞く魔導王のお抱えの美女揃いのメイドの話とは少し異なっているように感じる。もしかしたら、この都市の人間を雇っているのかもしれない。

 

 案内された部屋に入ると、そこはやはり簡素ではあるが玉座の間らしく設えてあり、黄金に輝く見事な玉座の後ろには、見たことのない非常に凝った織りで作られている美しい魔導国の旗が掲げられている。そして、現在は空席の玉座の左後方に漆黒の鎧を纏った男性、そして玉座の右側に、宰相アルベドと思しき女性が立っていた。

 

「ようこそお出でくださいました。王国からいらした使者の方々を魔導国は歓迎いたします。私が宰相のアルベドです」

 

 それはまさに絶世の美女という言葉がふさわしい女性で、尚且つ聖母のような慈愛に満ちた笑顔でこちらを見つめている。ただ、美しいが人間ではない証拠に、頭には曲がった角が生え、腰の周りには黒い羽のようなもので覆われている。しかし、それはどちらかといえば彼女の美貌を損なうどころか、より引き立てる装飾品であるかのように見えた。

 

 玉座の後ろに控えている漆黒の鎧の男性は、特に挨拶をすることもなく静かにこちらを見ているようだ。

 

 蒼の薔薇は、一瞬どうすべきか戸惑ったもののすぐに意を決し、玉座の前に進み出て跪くと、ラキュースが代表して口上を述べた。

 

「宰相アルベド様、初めてお目にかかります。私、王国アダマンタイト級冒険者である蒼の薔薇のリーダー、ラキュース・アルベイン・デイル・アインドラと申します。この度は王国第三王女ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフ殿下の名代として、魔導王陛下へラナー殿下よりの心ばかりの御見舞の品と親書をお預かりして参りました」

 

「これは、御丁寧にありがとうございます。王国からのお気遣いに感謝いたします。現在、ご存知のように陛下が御不在ですので、不肖私アルベドが代わりにそのお品をお預かりいたしましょう」

 

 そういうと、宰相は優雅な仕草で玉座前の階段を下りた。そして、ラキュースが恭しく差し出した小箱と書状を丁寧に受け取ると、側に控えていたメイドが持つ盆の上に載せた。

 

「ラナー王女は本当に慈愛に満ちた思慮深い方でいらっしゃいますね。主に代わりお気遣い感謝いたしますとアルベドが申していたとお伝えくださいませ。後日改めて返礼を王国にお送りさせていただきます」

 

 その艶やかな微笑みは、女性ばかりの蒼の薔薇にとっても非常に魅力的に見えるものだった。

 

「畏まりました。そのように、ラナー殿下にお伝えいたします」

 ラキュースはなんとか平静を装って返答する。

 

「それでは御機嫌よう。道中お気をつけてお帰りください。」

 

 謁見の終わりを告げられ、一行は立ち上がると一礼をし、玉座の間から退出した。

 

 

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「な、なあ? 玉座の後ろに立ってたの、あれはモモン様だったよな!?」

 都市長の館を出てくるなり、イビルアイはおとなしく黙っているのをやめ、凄い勢いでまくし立てた。

 

「そうね、何もお話はされなかったけれど、あれは間違いなくモモンさんだったと思うわ。もしかしたら、今は都市長の館でお仕事をされているのかもしれないわね。とにかく、どのみち魔導国の情報を集める必要があるのだし、イビルアイもモモン様が普段いらっしゃる場所を探してみればいいんじゃないかしら?」

 ラキュースはそう提案する。

 

「それもそうだよな。おい、ラキュース。今回はどのくらいの期間を調査に見込んでるんだ?」

 

「そうね、大体だけれど一週間くらいかしら? 少なくともそのくらいあれば、手分けすれば、およその魔導国の現状は把握できると思うの」

 

「了解、鬼リーダー」

「そのくらいあれば、全然余裕。任せといて」

 

 ラキュースは、ちらりとイビルアイの方を見ると、残りのメンバーにこっそり耳打ちする。

 

「悪いけど、イビルアイの分までお願いね。どうみても仕事できるようには見えないから」

 

「わかってるって。まぁ、いつもイビルアイには世話になってるしな。たまには休暇をやってもいいんじゃないか?」

 

「確かに、そう考えれば角も立たないわね。それじゃ、皆よろしく頼むわよ」

 

「オッケー」

「あいよ!」

「まかせて」

 

 蒼の薔薇がそれぞれの目的を果たすべく行動を開始しようとした時には、イビルアイの姿は既にその場から何処かへと消えていた。

 

 

----

 

 

 それから一週間、蒼の薔薇はエ・ランテル内部の目ぼしい場所や、エ・ランテルの外にある魔導国に譲渡された村々の大雑把な調査を終え、黄金の輝き亭で祝杯をあげていた。

 

「はぁー、ラナー王女に頼まれた目的は果たしたし、エ・ランテルも周辺の村の観光も一通り済んだ。俺はそろそろ王都に戻ってもいいんじゃないかと思うな」

 ガガーランは、黄金の輝き亭のレストランで大きな杯に並々と注いだ酒を一気に飲み干す。

 

「そうね、私も調べたいところは一通り見て回れたと思うし、今回は引き上げようかと思うの。それでいいかしら?」

 

「問題ない。好みの女の子は見つからなかった」

「同じく。目ぼしい男の子もいなかった」

「お前ら、何見て歩いてるんだよ…?」

 

「そ、そのことなんだが……」

 

 イビルアイは震える手でコップを握りしめている。

 

「後二日、いや、一日でいい。私に時間をくれないだろうか……?」

 

 残りの面々は一斉に顔を見合わせる。

 

「……それは困ったわね」

 ラキュースは口にはそう出したものの、完全に予想できたこのイビルアイの反応に、四人は同情する。

 

 蒼の薔薇は、宰相アルベドに謁見した日を含めてエ・ランテルに丸一週間滞在していた。

 

 その間、観光も兼ねてあれこれ調べた結果、ラナーの話にあった通り、魔導王は既に復活の儀で復活した後、失われた生命力を回復すべくエ・ランテルの外にある本来の居城に帰還して療養中であること、政務は宰相アルベドが中心となって取り仕切っているため魔導国自体には全く影響がでていない様子であること、魔導国に譲渡された村々の復興は著しく現在はかなり大規模な耕作が行われるようになっていること、最近まで周辺警戒のため遠征に出ていた漆黒のモモンは魔導王崩御の報を受け、魔導王不在のエ・ランテルを支えるべくエ・ランテルに帰還しているらしいこと、そして現在モモンはエ・ランテルの任期付都市長として任命されており、宰相アルベドの補佐を行っているということ等がわかっていた。

 

 しかし、他のメンバーの情報収集が順調に進んだ反面、イビルアイのモモン探索は完全に行き詰まっていた。

 

 イビルアイは、日に何度も時間を変えてモモンの館となっている旧都市長の館の別館を訪ねたが、門番にはモモンは現在旧都市長の館に詰め切りのため不在であるとそのたびに追い返されている。

 

 さすがに特段の用事もないのに、都市長の館を訪れモモンに面会を申し込むことは他国民であるイビルアイには難しい。

 

 夜までモモンの館の近くで張ってみたこともあるが、モモンはおろかナーベとも出会うことはできない。

 

 衛兵に金を掴ませて情報を得ようとするが、衛兵にはものすごい勢いで拒否された。

 

 思いつく限りの手段でモモンと会う方法を探すものの、どうにもモモン本人に会うことができない日々が続き、初めてエ・ランテルに来た時の浮かれ具合は既に見る影もなく、イビルアイは完全に意気消沈してしまっていた。

 

「イビルアイ、今回はタイミングが少し悪かったと思うの。モモンさんも慣れない仕事できっとお疲れなのに違いないわ」

 

「そうだよ、どうせ、転移出来そうな場所はわかったんだろ?だったら、いつでもまた隙を見て会いに来ればいいじゃないか」

 

「でも……、どうしても、あと一度でいい。会いたいんだ、モモン様に……!!」

 

 もしも、イビルアイが涙を流すことができるのなら、きっと大粒の涙が溢れていただろう。

 

「だって、私は……、まだ、何もモモン様とお話も出来てない……。このままじゃ、私は王都に帰ることなんてできない……!!」

 

 そのあまりに悲壮な雰囲気に、ラキュースもガガーランも口を噤む。

 

「わかったわ。じゃあ、こうしましょう。私達は一足先王都に帰ります。ラナーにもいい加減報告もしなければいけないし。アルベド様が王国に返礼を贈られるという話だったから、少なくともその前にはラナーには報告しないとまずいでしょう。そして、イビルアイ、貴方はもう少しだけエ・ランテルの調査を継続するために残る。これでどうかしら?」

 

「ほ、ほんとか!?」

 

 とたんに、さっきまでの悲壮感は嘘のように消え、希望を取り戻したような声になるイビルアイを見て、他の面々はこれはもう本人が納得する以外仕方がないと苦笑いをする。

 

「ただし、あまり長期間はダメよ。いいところ、二、三日まで。これ以上かかるようなら、今回は縁がなかったと思って一度王都に戻ってきてちょうだい。いいわね?」

 

「わかった! 必ず! 約束する!」

 

「全く、どうしようもないなぁ。ちゃんと玉砕してこいよ? イビルアイ」

「イビルアイの失恋に乾杯!」

「ガガーラン、ティナ、まだ、失恋すると決まったわけじゃない! 不吉なこと言うな!」

 それを受けて楽しそうな笑い声が上がる。

 

 

 

 

 そして、その様子を誰にも気づかれること無く物陰に潜んで見つめている一つの影があった……。

 

 

 




gomaneko 様、Sheeena 様、誤字報告ありがとうございました。


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3: アインズ、パンドラズ・アクターの策に嵌る

 アインズに姿を変え〈完全不可知化〉を使って、窓の外から宿にいる蒼の薔薇の様子を窺っていたパンドラズ・アクターは、自分に与えられた屋敷に戻ると、魔法の効果とスキルを解除し、本来のドッペルゲンガーである姿を現した。

 

「さて、一体どうしたものでしょう」

 パンドラズ・アクターは考え込む。

 

 蒼の薔薇がラナー王女の使いとして魔導国にやってくることは、事前にアルベド経由で知らされており、今回届けられた品は王国での計画を進める最終段階のトリガーになる予定だと聞き及んでいる。ただ、王国に関してはデミウルゴスとアルベドが主導して実行している作戦であるため、パンドラズ・アクターにとってはあまり深い関心はなかった。

 

(父上からは、蒼の薔薇が周囲を嗅ぎ回ったとしても、ラナー王女の手駒だから極力接触を避け自由に泳がせておくよう命じられておりましたが……。どうやらあのイビルアイとかいう小娘、我が神である父上に随分ご執心の様子。父上はそのことをご存知なのでしょうか?)

 

 パンドラズ・アクターとしては、イビルアイの恋心などもどちらかといえばどうでもいいことの部類に入る。少なくとも、他の何よりも敬愛し守るべきモモンガに危害を加えたりする意図がないのであれば。

 

(我が父上は、この上なく慈悲深く他のものに対してはその愛情を惜しみなく与えられる方ですが……なぜか御自身に向けられる愛情については、異常なまでに鈍感なところがおありになる。守護者統括殿やシャルティア殿にはお気の毒としか言いようがありませんが、彼の君の被造物であり息子であるこの私からの愛情ですら、恐らく正しく認識されてはおられないのでしょう……)

 

 なぜ、あれほど叡智に溢れる自分の創造主が周囲から溢れんばかりの愛情を捧げられているにも関わらず、それに気がつくことができないのか。それは、パンドラズ・アクターにとって彼の優秀なその頭脳を駆使しても解決することのできない大いなる疑問となって立ちはだかっていた。

 

 しかし――。

 

 他者からの愛情を感じることも受け入れることも出来ないということは、モモンガにとって非常に良くない状態のように思える。今はまだよくても、遠い将来、このことが原因でモモンガがシモベ達を信じることが出来なくなる事態が起こらないとはいえない。そして万が一そのようなことになれば、何らかの形でモモンガを喪うようなことにも繋がりかねないのだ。それだけは絶対に避けなければいけない。

 

(まあ、正直、私以外の誰かがモモンガ様に愛されるという状況は嬉しくはありませんが……)

 

 だが、モモンガが他者の愛情を感じられるようになり、それによって少しでも幸福を感じることができるようになれるのであれば、それはやはり自分にとっても望ましいことであり、また、そのような状態になれば、いずれ自分自身の愛情も素直に受け取ってもらえるようになるのではないかと思う。

 

 それに、先程のイビルアイの様子は、愛するものに捧げ続けている感情をどうしても感じてもらうことが出来ずに、苦い思いを味わい続けている自分自身の気持ちと重なる部分があり、ナザリック外のものとはいえイビルアイに若干同情する気持ちもないわけではない。

 

 もっとも彼女と、モモンガから父と呼ぶことを許されている自分では、モモンガとの距離に計り知れないほどの差があることは事実であり、それに関して優越感を感じてしまうのは仕方のないことだ。

 

「……いっそ、彼女で実験してみたらどうなるのでしょうね? もし失敗したところで、それほど大きな害になるとは思えませんし、最悪面倒なことになるようなら始末してしまえばいい。守護者統括殿やシャルティア殿では最悪モモンガ様が危険な状況になってしまう可能性もありますし。ここは、捨て駒のほうが何かと都合がよろしいでしょう。ただ問題はいかにして、モモンガ様御自身に必要性を納得していただいて、御協力を仰ぐかということになりますが……」

 

 パンドラズ・アクターはしばし熟考した後、その表情のない顔に深い笑みを浮かべるとナザリックに帰還した。

 

----

 

 ナザリック地下大墳墓、第九階層。

 

 そこはまさに神々の住まう領域であり、現在はパンドラズ・アクターの唯一の神であるアインズが御座する場所である。

 

 ナザリックのシモベであればその階層を歩くだけで至高の御方々の威光とその御業を感じられ、感動に打ち震える場所であるが、それは長く宝物殿にあり、数々の財宝を見慣れたパンドラズ・アクターでも例外ではない。もっともパンドラがその威光を感じて畏怖するのはただ一人の御方だけではあるが。

 

 既に時刻は深夜に近く、廊下を歩くメイドの姿も見えない。

 

 少し弾むような足取りで、パンドラズ・アクターはその最奥にあるアインズの自室に向かい、扉をノックする。

 

 少しの間があって扉を開けたアインズ当番のメイドに取次を頼むと、しばらくしてから中に通され、寝室の扉に案内される。どうやら、アインズは寝室で寛いでいるところだったようだ。

 

「アインズ様、失礼致します」

「あぁ、パンドラズ・アクターか。入れ」

 

 扉を開けて恭しく一礼すると、パンドラズ・アクターはアインズの寝室に足を踏み入れた。

 

 アインズはベッドからゆっくりと起き上がり、読んでいたらしい本を枕の下に押し込むと、ベッドの脇に腰掛ける。

 

「珍しいな、こんな時間に。急ぎの報告でもあったのか?」

「いえ、実は少しご相談したいことがございまして……。できれば人払いをお願いしたいのですが」

 

 パンドラズ・アクターがいつもとは違い、仰々しい仕草もうざったい大げさな言い回しもない様子なのに気がついたのか、アインズは怪訝そうな顔をした。しかし、軽く手を振り、

「お前たちは、しばらく下がるように」と命じると、警護の八肢刀の暗殺蟲と当番メイドのリュミエールは一礼して寝室から出ていった。

 

「これでいいか? さて、一体どのような相談なのだ?」

 

「はい、実は父上に確認させていただきたいことがありまして……。以前からモモンに付きまとっている蒼の薔薇のイビルアイの件です」

 

「あぁ、あの……。以前エントマに大怪我をさせた奴だな。あれがどうかしたのか?」

 

 アインズは以前の王都での一件を思い出し渋い顔をする。アルベドとデミウルゴスが非常に高く評価している人間が王国に持つ数少ない手札ということで、今のところは積極的に害する予定はない。しかし、エントマには機会があればあの女の声帯を与える約束をしているし、アインズとしては、例え知らなかったとしても友人の娘のような存在であるエントマに怪我をさせたという時点で、あまりいい印象など抱いていない。しかも、王都での事件の後もしつこく付きまとってくる様子から、モモンの正体に疑念を持っているのは明らかだ。なのに、なぜパンドラズ・アクターはあの女の話をわざわざ持ち出してきたのか。あと、父上呼びはやめてほしい。

 

「率直に申し上げまして、イビルアイは父上に盲目的な恋愛感情を抱いているようです」

 

「…………は?」

 

 アインズは全く予期してもいなかったパンドラズ・アクターの言葉に思わず間抜けな声を出す。そして言われた言葉の意味が頭に入ってくるにつれ、激しく精神的に動揺するのを感じ、一瞬で鎮静化される。

 

「ちょ、ちょっと待て。お前は何をいっているのだ? パンドラズ・アクター、私をからかうのも……」

「私は! 決して父上をからかってなどおりません!」

 

 パンドラズ・アクターは、そのつるりとした顔をベッドに座ったアインズの顔に思いっきり近づけて宣言する。

 

(なんでお前はそんなに距離感ないんだよ!? 顔が近い! 近い! 近い! 近い!!!)

 アインズはその勢いに思いっきり引いて、半分のけぞるような体勢になった。

 

「父上はイビルアイについてどのように思われておいででしょうか?」

 

「どうって言われてもな……。奴とは王都でほんの僅かな時間共に戦っただけだぞ? 私が何か思うようなことなどあるはずもない。むしろ、エントマの件で奴には多少怒りを感じているくらいだ。まあ、確かにあの時は互いにタイミングが悪かった可能性はあるがな」

 

「……なるほど」

 

(これは思ったよりも根が深いかもしれませんね)

 パンドラズ・アクターは心の中でそっと独りごちる。

 

「畏れながら、父上は、本当に彼女の愛情表現にはお気づきではないのですか? 私が見ていた限りでもかなりあからさまな行動ばかりですし、ナーベラルでさえそのように認識しているようでしたが?」

 

(ナーベラルまで!? そういえば、ずっと前にナーベラルがそのようなことを言っていた気もする。いやでも、あいつは人間の機微には全く無頓着で興味もないやつなのに……もしかして、俺、ナーベラル以下の認識力しかなかったのか?)

 

 微妙に、いやかなりアインズはショックを受ける。

 

「……パンドラズ・アクター、いくらなんでもお前の考えすぎだろう。私は、イビルアイが付きまとってくるのは、私とヤルダバオトとの関係を疑ってのことだと思っている。もしくは、王都での戦闘時に私が人間でないことになんらかの形で気が付かれていたのかもしれない。少なくとも私にそのような感情を持っているようには感じられないのだが?」

 

「そうですか……。これは困りましたね」

 

 珍しくパンドラズ・アクターが意気消沈した様子になり、アインズは逆に慌てる。

 

「ど、どうした? お前がそんな風に大人しいと逆に心配になる。何か問題でもあったのか?」

「大有りですとも。なぜ、父上のように優れた叡智を持つ御方が、このようなひどく単純なことに疎くておいでなのか、私にはその理由が全く理解できないのです」

 

 パンドラズ・アクターはそういうと、深くため息をつく。

 

(やっぱり、俺はこいつにもそんな風に頭がいいとか思われてるのか? 一体、俺に何を期待してるんだよ!? おまけに俺が何を思い違いしてるっていうんだ? 正直パンドラズ・アクターが何をいいたいのかさっぱりわからないよ)

 

 アインズは心の中で頭を抱える。無いはずの胃がキリキリと痛むような気もする。

 

(……もう、おとなしくパンドラズ・アクターくらいには本当のことをぶっちゃけて、ちゃんと説明してもらったほうがいいんじゃないだろうか? いくらなんでも、他のシモベとは違ってこいつは俺が作った NPC なんだから、それで俺を見捨てるということはないだろう。多分)

 

 アインズは段々やけくそ気味になり、思い切ってパンドラズ・アクターに自分がそれほど賢いわけではないことを告白する決心をした。

 

「パンドラズ・アクター……。これから話すことは非常に大事なことなのだが聞いてくれるか?」

「もちろんです。どのようなことでも、偉大なる父上の息子たるこの私にお聞かせいただけるなら大変嬉しゅうございます」

 

 偉大なるとか言われて一瞬引いたが、アインズは覚悟を決め、パンドラズ・アクターを真っ直ぐに見て話をする。

 

「……私は、皆に隠していることがある。そして、この話は息子であるお前にしか話せないことだ……。だから、これから私がお前に話すことは、決して他の誰にも漏らさないと誓ってくれるか?」

 

「父上が信用してお話くださるのなら、それは身に余る光栄というもの。命に変えても秘密を守ることを誓約いたします!」

 

「そうか。ならば話そう」

 

 さすがに、これから話すことに対してパンドラズ・アクターがどのような反応をするかは全くわからないが、うまく行けば、自分はもう少しだけ楽になれるかもしれない。そう思ってアインズはなけなしの勇気を振り絞った。

 

「……私はな、パンドラズ・アクター。お前たちが期待しているように、別に智謀に優れているわけでも、叡智に溢れているわけでもない。このようなことを言えば、お前は私を軽蔑するかもしれない。しかし私は……本当にただの愚かな男なのだ。だから……、私に叡智ある行動を期待し、全てを把握しているかのように思われても、実際の私にはどうすることもできないのだ」

 

 アインズは、じっと動かずにアインズの言葉を聞いていたパンドラズ・アクターの手を取ると、苦笑した。

 

「このようなことを言う、愚かな主に呆れただろう?」

 

「いえ、そのようなことはありません。それに、私はそのようなお言葉を聞いたからといって、父上が愚か者だとも思いません。真に愚かな人物というのは、自らを愚かだと思うことなどありませんから。それにもし、本当に父上がそれで困ってらっしゃるのであれば、不肖の息子ではありますが、私が出来得る限り父上をサポートいたします。それで何の問題がありましょうか?」

 

 パンドラズ・アクターはいつもの仰々しい雰囲気とは全く違う、ひどく真剣な様子でアインズの手を握りしめる。

 

「それに、私は父上が例え愚かであっても、弱くても、醜くても、ナザリックの支配者ではなくても、我が至高の創造主でなかったとしても、変わりなく御身を愛するでしょう。私が愛してやまないのは、モモンガ様のその美しく輝ける気高い魂なのですから。その他の要素はあくまでも御身の素晴らしさを更に引き立てるだけのものに過ぎず、それがなかったとしても私には全く問題はないのです」

 

「そ、そうなのか?」

「そうですとも」

 

 ……誤解を解くことはできなかった気はするし、なぜこいつがそんなに俺を高く評価しているのかは理解できないが、一応言うことは言った。まぁ、パンドラズ・アクターがそれでいいというならもう細かいことは気にしないことにしよう。後はとにかくパンドラズ・アクターの真意を問いたださなければ。

 

「そうか。わかった。パンドラズ・アクター、お前がそう思うのならそれでいいのだろう……。それでは、お前が一体何を憂いているのか、私にも分かるように話してはくれないか?」

 

「はい……」

 

 パンドラズ・アクターはアインズの隣に腰を下ろす。なぜそこに座るんだ、と突っ込みをいれたくなるが、面倒なのでアインズは我慢した。

 

「私はとても心配なのです。父上は、我々シモベに対して非常に深い愛情を与えてくださっています。しかし、父上は、我々がどれだけ父上を愛しているのか、おわかりになっていらっしゃいますか?」

 

 そういわれて、アインズは複雑な気分になる。確かにアインズは NPC 達に対して友人の子どもに対するような愛情を抱いている。そして、それはなるべく偏ることなく平等に与えているつもりだ。しかし逆はといえば、シャルティアの例を考えればわかるように、NPC 達が一番に愛する対象はあくまでも自分の創造主でありアインズではないだろう。もちろん、彼らから強い忠誠心を向けられていることに疑問を持ってはいないが、それが愛情かと言われると違う気がする。

 

「……お前たちが、私に向けている感情は愛情とは少し違うだろう。確かに創造主に対して抱く感情は恐らく愛情といっていいものだろう。しかし私に対してのソレは、例えば子どもが親に対して向けるようなそのような感情に近いのではないかと思っている」

 

「では、父上は、少なくとも私が父上を誰よりも愛していることはお認めいただけるのですね!?」

 

 パンドラズ・アクターの顔がさっきよりも更に近くまで寄ってくる。

 

「えっ? いや、まぁ、そうだな……? ってその前に、もう少し離れろ! 近すぎるぞ!?」

「いえ、我が最愛の父上に、我が愛を疑われていないとわかったのは至上の喜びです!!」

「あー、もう! ほんと暑苦しいな、お前!!」

 アインズは思わず頭を抱えた。

 

「ところで、ここからが私の本題なのですが」

 

「うん? あぁ、そうだったな。続けてくれ」

 

 パンドラズ・アクターは真正面からアインズのその赤く光る灯火を見つめて静かに言った。

 

「私は、父上になんとしても幸福になって頂きたいのです」

 

 パンドラズ・アクターの思いもかけない言葉に、アインズは沈黙する。

 

「父上は、他のシモベは父上のことを愛していないと思われているようですが、そんなことはありません。それに、父上に好意を抱いているのは、なにもナザリックのシモベだけに限った話ではありません。他にも多くの者が父上を愛しております。しかし、これだけ多くの愛情に囲まれておられるのにも関わらず、父上はそれが全くお分かりになっておられない」

 

「…………」

 

「私は、父上に私が今申し上げたことが真実であることを知っていただきたいのです」

 

 アインズは返す言葉もなく、パンドラズ・アクターのその表情のない顔を見つめるしかなかった。

 

 確かにアインズはこれまで生きてきたそれほど長くない人生で、愛情というものを認識する経験がかなり不足していたかもしれないことは、自分でもなんとなく感じてはいた。

 

 両親は幼いうちに喪い、一人きりであの希望を感じることの出来ない世界で生きた。唯一仲間と呼べると思っていた人々も自分を置いて去っていった。そんな中でいつしか愛情というものは、自分には分不相応なものであるように感じるようになっていた、のかもしれない。

 

 自分には、人に愛される資格も、愛を受け取る資格もないと……。

 

 アルベドにあのような設定変更をしたにも関わらず、卑怯にもアルベドから向けられる好意から、いつも目を背け正面から受け止めようともせず逃げようとしていた。今日、このようにパンドラズ・アクターから言われなければ、恐らく自分はこれからもずっと目を瞑ったまま生きていこうとしていただろう。

 

(全く、愚かなだけではなく情けない男だよな、俺は……)

 アインズは心の中で自嘲する。

 

 そして、ふと、つい最近まで聖王国で自分の従者をしてくれていたネイア・バラハのことを思い出す。彼女はいつも自分を睨みつけているように見えて、アインズとしてはどうしても苦手意識が拭えなかったが、あの聖王国でのヤルダバオト戦で、茶番だったとはいえアインズが地に倒れ伏した時、悲壮な叫びで自分の名前を何度も呼び続け、ヤルダバオトに一矢報いようと必死で矢を放っていたのは彼女だったことを思い出す。

 

 あの場にはまだ多少の聖騎士達が残っていたが、あそこまで自分の死を悲しんでくれていたのは、間違いなく彼女一人だった。その後、自分はナザリックに戻ってきたため、彼女の現在の状況はわからないが。もしかしたら、彼女も自分に対して少しは好意を抱いてくれていたのかもしれない。

 

(聖王国は全く酷い状況だった。確かにあれはデミウルゴスが魔導国の為に仕組んだものではあったが、聖騎士達がもう少し賢く立ち回っていれば、少なくともあそこまで悲惨な状況にはならなかったんじゃないだろうか?)

 

 聖騎士団長の取る行動は、状況を更に悪化させるためのものにしかアインズには思えなかった。

 

(俺があの国から離れてもう半月近くは経っているが、彼女はまだ生き延びることができているのか……)

 

 できることなら生き延びていてほしい。そして、もう一度会って話をしてみたい。彼女の笑顔は見ているこちらも少し怖く感じてしまうものであったけれど、それすら、アインズは懐かしく思い出す。

 

 アインズは自分が思考の海に沈んでいることに気が付き、軽く頭を振って話を現在の問題に戻す。

 

「……それで、パンドラズ・アクター。お前は私に一体どうしろというのだ?」

 

「これはただの私からの提案に過ぎませんが……」

「よい、話せ」

 

「では、ご説明させていただきます! 我が神であるモモンガ様!」

 

 急にいつもの調子を取り戻したパンドラズ・アクターは、妙に芝居がかった仕草で軍帽をくいっと回す。

 

「せっかくですので、明後日辺りにイビルアイと『でーと』なるものをなさり、愛情を感じる練習、いえ実験をされてはいかがでしょうか?」

 

 一瞬アインズはパンドラズ・アクターが何を言ったのか理解出来ずフリーズした。こいつは一体どこからそんな知識を仕入れてきたんだろう?

 

「なんだそれは!? どうしてそうなる!?」

 

「簡単なことです。あれだけわかりやすく父上を恋い焦がれているイビルアイでしたら、数時間ほど共に過ごせばいくら鈍感な父上でも恋愛感情というものがどういうものなのか、その一部くらいはおわかりになられるかもしれません」

 

「お前! 今はっきり鈍感って言ったな!?」

「仕方ないでしょう。本当のことなのですから」

 

 アインズは反論できず、パンドラズ・アクターを睨みつける。

 

「それに、その結果父上がイビルアイをどのように思われようとも問題はありませんし、父上御自身がイビルアイに好意をお持ちになれなければ、そのようにはっきりとお伝えになれば、イビルアイが今後父上にしつこくすることもなくなるでしょう。万一、父上がイビルアイに好意をお持ちになったとしても、私としては、それはそれで父上には良い経験になると愚考いたします」

 

「パンドラズ・アクター……、簡単にそんなことをいうが、私はデートなどしたこともないし、そのような恋愛感情もよくわからない。それに、私のこの姿を知って、それでも尚愛情を持てる人間などいないと思うが?」

 

「父上の真のお姿を見て愛情を損なうようであれば、所詮イビルアイはその程度の存在で、父上から寵愛を受ける価値など元からなかったということに過ぎません」

 

「そうなのか?」

 

「ええ、そうですとも。それに父上がそのことをお話になったとして、父上の真のお美しさを理解できないような不埒な存在であれば、いくら実験体といえども不敬極まりありませんので、この私パンドラズ・アクターが責任を持って始末させていただきます。そのようなモノを一時的とはいえ父上のお相手としてお薦めした責任もございますので」

 

 いや、だからといって始末するとか、なにそれコワイ。

 でもパンドラズ・アクターの顔は真剣そのものでどうみても冗談を言っているようには見えなかった。

 

「……わかった。今回はお前の言うようにしてみよう。どのみち今は表向き休養中ということになっているし、時間だけはあるからな……」

 アインズは、半ば自棄になってパンドラズ・アクターの勧めに同意した。

 

「我が進言を受け入れていただき、ありがとうございます!!」

 

 パンドラズ・アクターは腰掛けていたベッドから立ち上がると、くるくる踊るように優雅にお辞儀をした。

 

「今回の『でーと』の段取りはこのパンドラズ・アクターに全ておまかせください! 決して父上に後悔などさせることはございません!」

 

「う、うん、わかった。ではこの件については任せたぞ。パンドラズ・アクター。詳細が決まり次第説明に来るように。あ、あと、くれぐれもアルベドには知られないようにな」

「はいっ、畏まりました!」

 

「よし、では下がれ」

「失礼致します」

 

 パンドラズ・アクターは浮かれたように寝室から出ていき、アインズは生気を吸い取られたような気分になってベッドに突っ伏した。

 

 ……もしかして、俺、パンドラズ・アクターに上手いこと嵌められたんじゃないか?

 

 アインズは呻きながら、ベッドの上を転がった。

 

 

 




gomaneko 様、Sheeena 様、名のある川の主様、薫竜様、誤字報告ありがとうございました。


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4: イビルアイ、恋に悩む

 翌日、蒼の薔薇のメンバーはエ・ランテルから王都へと戻っていった。

 

 イビルアイは他のメンバーを見送ると、偶然モモンと出会えることを願って、街の市場をうろついたり、冒険者組合を覗いたり、ダメ元でモモンの館に行ってみたりもしたが、やはり、今日もモモンとは会えそうもない。

 

 せっかく仲間から数日の猶予を貰ったものの、何の成果も得られなさそうな自分に落ち込んだイビルアイは、夕方になる前に宿に戻り、部屋に引きこもった。

 

「本当に馬鹿だな、私は……」

 

 ベッドに潜り込んで、自嘲するように呟く。

 

 今まで長いこと生きてきて、たくさんの人の恋愛相談に乗ったりしたけれど、まさか自分が恋に雁字搦めになって動けなくなるようなことになるとは考えたこともなかった。

 

「恋愛って、なんて甘くて苦くて切ないものなんだろう……。そして、まさかこんなに辛い思いをするものだなんて、私は知らなかった……」

 

 私は、ただ、モモン様に一目会って、話をして、そしてこの気持を伝えたい。それだけなのに……。

 

 イビルアイも馬鹿ではない。ここまで会えない以上、モモンに避けられている可能性だってあることには気がついていた。

 

 先日の謁見の場で、モモンは間違いなくイビルアイの姿を見ているはずだが、彼は自分に対して何の反応も見せなかったことも気にかかる。

 

 実を言えば、イビルアイは、モモンがもう少し違う反応をしてくれることを密かに期待していた。

 

 もっとも、あのような場で、個人的な感情を露わにすることは出来ようはずもないことだから、それだけでモモンがイビルアイを無視したということにはならないだろう……。しかし、イビルアイがエ・ランテルにいることを知っているのは間違いないのだから、彼の方から何らかの連絡をくれたっていいはずなのだ。

 

 イビルアイは、王都で、突然モモンが空から降ってきて、自分を守ろうとしてくれた時の衝撃を思い出す。そして、ヤルダバオトからの攻撃から庇うように自分に向けた大きな頼りがいのある背中も、まるでお姫様のよう……な感じではなかったけれど、自分を守ろうとして抱き上げてくれたことも。

 

 あの時、私は、モモン様が間違いなく私の運命の人だと思ったけれど、モモン様にとっては、私はただの通りすがりのつまらない女で、たまたま困っているところを見かけたから助けてくれただけだったのかもしれない……。

 

(私なんて、はじめからお呼びじゃなかったのかもしれないな。そんな風に思っただけで胸が苦しくてたまらなくなるけれど)

 

 なにしろ、彼は誰から見ても素晴らしい英雄だ。もちろん自分だって引けをとらないとは思ってもいるけれど、王都のヤルダバオトとの戦いでは共に戦ったとはいえ、自分の力などモモンにはあってもなくても特に変わりはないくらいの実力差があったことはイビルアイにだってわかる。

 

 その上、モモンには自分と同じくらいか下手をするともう少し強いかもしれない美姫ナーベというパートナーもいる。それに、先日会った魔導国の宰相という女性もとんでもない美人だった。あの二人と比べると、自分は少なくとも見た目で勝てる自信はない。

 

(仮面を外せば、私だって少しは見られる顔だとは思うんだがな……。でも、この仮面を外せば……私が人間ではないことがバレてしまう……)

 

 彼に自分がアンデッドだと知られる。そう思っただけで、心の中が凍る気がする。

 

 しかし、その反面、彼にだけは知ってほしいと思う自分がいることにも、気がつかないわけにはいかなかった。

 

 ジレンマに陥ったイビルアイはベッドの上でもがく。

 

(どうすればいい? 一体私は何をしたいんだ?)

 

 考えれば考えるほど、ヒートアップしたイビルアイの頭のなかには、モモンへの想いだけではなく、他のいろんなことがぐちゃぐちゃになってなにか混沌としたものが渦を巻き、何をどうしたらいいのかわからなくなってくる。

 

 モモンに、会いたいのか、会いたくないのか?

 モモンに、何もかも知ってほしいのか、そうじゃないのか?

 いっそ、何もかも全て諦めて王都に戻ったほうがいいのか、それとも、僅かな可能性にかけてもう少しだけ粘ったほうがいいのか?

 

 そして……私の、この愛は本当なのか、それとも……。

 

 疑問ばかりが心の中でどんどん膨れ上がり、湧き出てきて、止めることができない。

 

 イビルアイは、もはや何かを正常に判断できる状態ではなくなっていた。

 

----

 

 どれだけの間そうしていたのか。

 

 小さく自分の部屋の扉を叩く音が聞こえて、イビルアイは我に返った。

 

「ん? 誰だ? 宿の者かな?」

 イビルアイはベッドから起き上がると、扉の近くまで行った。

 

「誰だ?」

「夜分遅くに、突然にお邪魔いたしますこと誠にお詫び申し上げます!」

 

 場違いなくらい、妙に明るい男性の声が聞こえてくる。

 そして、イビルアイはその言葉で、既に夜もだいぶ遅い時間になっていたのに気がついた。

 

「私は、モモン様からイビルアイ様宛にお言付けを依頼されたメッセンジャーで、ランドと申します!」

「も、モモン様から!?」

「はい、そうでございます。よろしければ、扉を開けていただけますでしょうか?」

 

 先程までずっと頭のなかでつぶやいていた名前を聞いて一瞬頭が真っ白になったイビルアイは、勢い良く扉を開けた。

 

 すると、そこには奇妙な仮面をつけた見知らぬ男が立っていた。少しオーバーな仕草でお辞儀をする様子は、まるでどこかの役者のようにも思える。

 

「お前がモモン様からのメッセンジャーか? 私がイビルアイだ。それで? モモン様からのメッセージとはなんだ?」

「そのことなのですが……、モモン様からのお言いつけで、内容につきましてはできれば内密にお伝えしたいのです。ですので、お部屋の中に入らせていただいてもよろしいでしょうか?」

「ああ、もちろんだとも! 入ってくれ!」

 

 女性一人の部屋に知らない男性を入れるなど本来であればかなり危険な行為であるはずだが、モモンの名前を出されたイビルアイは完全に有頂天になっており、そのようなことには思い至らない。もちろん、自分がこの世界ではトップクラスの強者であるという自信もあるからではあろうが。

 

「ありがとうございます。では、失礼致します」

 男は再び大げさにお辞儀をすると、部屋に入りドアを締めた。

 

「それで? モモン様はなんと!?」

「はい、モモン様は現在大変お忙しく、イビルアイ様が度々屋敷にいらしてくださったにも関わらず、なかなかお会いすることができなかったことを非常に申し訳なく思われているとのこと」

 

「そのため魔導王陛下にお願いして明日少しばかり時間を作ることが出来たため、これまでのお詫びも兼ねてイビルアイ様とお会いし共に過ごされたいとのご意向です。つきましては、イビルアイ様のご予定とお返事をいただきたく……」

「も、もちろん、大丈夫だ! 明日なら、全然問題ない!」

 

 イビルアイは、ランドの言葉を思いっきり遮って勢い良く返事をした。

 

「それは大変よろしゅうございました。モモン様もさぞかしお喜びになることでしょう」

 メッセンジャーは優雅に一礼する。

 

「それでは、モモン様からは、イビルアイ様のご都合がよろしければ、明日の午後一時にエ・ランテルの中央広場にある魔導王陛下の像の下で待ち合わせということにしたい、と伺っておりますがそれで構いませんでしょうか?」

 

「明日の午後一時だな!? わかった! お会いするのを楽しみにしていると、モモン様にお伝えしてほしい!」

 イビルアイの仮面の下の顔は真っ赤になっていたが、相手の男には気が付かれないだろう。

 

「ご快諾いただき誠にありがとうございました、イビルアイ様。それではそのようにモモン様にお伝えさせていただきますね」

「こちらこそ、わざわざメッセンジャーまで送っていただいて心から感謝している。ランド殿、よろしく頼む」

 

「畏まりました。それでは、失礼致します」

 大仰なお辞儀をするとマントを翻して男が部屋から出ていった。

 

 扉がしまった後も、イビルアイは興奮のあまりしばらく動くことができなかった。

 

 モモンは、自分を嫌ってなどいなかったのだ!それどころか、これは完全に『でーと』というやつじゃないか!?

 

 「モモンさまぁ……」

 

 イビルアイは、完全に一人の恋する乙女になっていた……。

 

----

 

 モモンからのメッセンジャーが帰った後、イビルアイはその後しばらく浮かれて何も手に付かない状態で、部屋の中をうろうろしたあげく、ようやくベッドに再び潜り込んだものの、興奮のあまり結局ベッドの上でゴロゴロしながら時間を潰していた。しかし、アンデッドで精神異常には耐性があるはずなのに、どうにもその興奮が収まる気配はなく、諦めてベッドから起き出すと、テーブルの上にある水差しからコップに冷たい水を注いで、熱くほてるはずのないその頬にコップを押し当てる。

 

 明日はようやく夢にまで見たモモン様と共に過ごすことができるのだ!

 

 あまりの幸福感に、目眩がするように感じ、動かないはずの心臓が胸の中で音をたてている気がする。

 

 しかし――

 

 イビルアイの高揚した心に、やがて冷たい棘のようなものが突き刺さるのを感じる。

 

 自分はモモン様に自分がアンデッドであることを隠している……。

 こんな重要なことを隠したまま、モモン様に会う権利が自分にあるのだろうか?

 

 明日の『でーと』は、もしかしたら、モモン様とゆっくり二人きりで過ごす最初で最後の機会かもしれない。

 

 これまでモモン様とは会おうとしてもなかなか会えなかった。彼は今や魔導王の重臣として重用されており、常に重要な仕事で走り回っている。そんな状態が簡単に変わるとは思えない。だとすると、今後もう一度会おうと思っても、再び彼が都合をつけてくれる日がくるかどうかはわからない。

 

 モモン様と出会うまで、自分はこれまで誰も愛したことがなかった。

 

 幼いうちにこのような呪われた身体になってしまい、人を愛する権利など失ってしまった気がした。それに、不老不死である自分は、いずれは愛する相手を見送らなければいけない。自分自身に匹敵する力を持つ人間がほとんどいなかったことも、恋愛から自分を遠ざける一因ともなっていただろう。

 

 結局、この二百年間ずっと孤独なままで生きてきたのだ。

 

 蒼の薔薇のメンバーと一緒にいるのはとても楽しかった。しかし、自分はそう遠くない日に彼女たちとも別れることになるだろう。それは逃れられない宿命だ。

 

 そして、愛するモモン様が人間である以上、モモン様ともいずれ死に別れてしまうのだ。

 

 それに、このような自分の正体を知れば、モモン様だって冷たく自分から離れていってしまうかもしれない。

 

 これまで仲良くしてきた相手が、イビルアイがアンデッドであることを知り、怯えてもしくは罵倒して去っていくのは珍しいことではなかった。例外はむしろ、蒼の薔薇のメンバーと、あとほんの一握りの友人たちだけだ。

 

 自分が欲しいものは一体何なのだろう?

 

 イビルアイは考える。

 

 モモン様とのほんのひと時の楽しい時間なのか、それとも彼の真の愛情なのか?

 

 ただ楽しい一時が欲しいだけなら、明日彼と思いっきり楽しくデートをして思い出をたくさん作り、その後は彼への恋心は綺麗さっぱり忘れて、普通に良き友として再び何かの折に共に戦うことを期待して生きていけばいい。同じアダマンタイト級冒険者だ。そのような機会はいずれあってもおかしくない。

 

 でも……欲しいのが彼の真の愛情なら……。

 

 イビルアイは、自分の指に嵌められたアンデッドの気配を隠す効果のある指輪に目をやり、そして、そっと自分が被っている仮面に手を触れる。

 

「私、私は……」

 

 イビルアイは泣きたかった。

 しかし、その目からはどうやっても涙が溢れることはない。

 

 もはや自分の気持がただの友情で終わらせることができないくらい大きく膨れ上がっていることを感じる。

 

 この動かない心臓の動悸も、切ないくらい締め付ける胸の痛みも、ここで逃げてしまっては恐らく一生後悔がつきまとうことは間違いない。

 そして、アンデッドであるイビルアイの一生は永遠に続くのだ。

 

 イビルアイは絶望感に苛まされる。私はたった一人で一生こんな苦しみを抱えて生きてかなければいけないのか……?

 

 その時、ふいに、目の前に昔一緒に旅をした懐かしい人々の顔が浮かび上がり、不思議な声が聞こえた気がした。

 

『顔を上げろ! 勇気を出せ! キーノ・ファスリス・インベルン! 戦う前に逃げるな!』

 十三英雄のリーダーに叱咤された時の声が聞こえる。

『君は本当に泣き虫だね』

 呆れたような白銀の鎧の騎士の声も。

『私達はいつだって友達だろう? もし私が死んだとしても、お前さんの後ろにずっとくっついていてやるよ』

 くつくつと笑う死霊使いの老婆の声も。

 

(そうだ。こんなことでくじけてたら、これまでずっと私を励まし受け入れてきてくれた仲間に顔向けできなくなってしまうじゃないか!)

 

 こんな私だって受け入れてくれた人達はいる。皆が皆、アンデッドだからといって拒否するわけじゃない。分の悪い賭けかもしれないけど、それしか方法がないならやってみるしかないんだ。

 

「心配かけて、悪かった。本当に情けないところを見せてしまった。でももう私は大丈夫だ。きっとうまくやってみせる。だから、安心して見ててくれ」

 

 イビルアイには、仲間たちが笑いながら頷く姿が見えた気がした。

 

 そして、ふと、イビルアイはモモンの大きな背中を思い出す。静かに敵に向かい合った彼の背中は、とても大きく頼りがいがあって、どんなことからも自分を守ってくれそうだった。

 

 男に守ってもらうだけの女なんて価値が無いと、ずっと自分は馬鹿にしていた。だけど、今ならわかる。本当に相手を好きになると、自然とその人に守ってもらいたくなってしまうものなのだと。

 

「モモン様なら、もしかしたらわかってくれるかもしれない……。なぜそう思うのかは自分でもわからない。恋に目が眩んだ馬鹿な女のただの虫のいい考えかもしれない。でも、私が抱えているこの孤独も、行き場のない愛情も、理解してもらえない寂しさも……あの人ならなぜかわかってくれる、そんな気がするんだ……」

 

 だが、薄暗い明かりに照らされた部屋の中で、そう一人呟くイビルアイの声に応えるものは、誰もいなかった。

 

 

 

 




gomaneko 様、Sheeena 様、TOMO_dotty様、誤字報告ありがとうございました。


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5: アインズとイビルアイ、デートをする

 翌日のエ・ランテルはまさにデート日和といってもいい素晴らしい天気だった。

 

 イビルアイは、結局昨夜はどうしても気分を落ち着けることができず、ベッドで一晩中ひたすら悩んでいたのだが、夜明けとともにベッドから出ると、これまでのエ・ランテル滞在中に入手したまさに対モモン様用決戦装備とでもいうべき服を何着か鞄から取り出す。

 

「こっちかな……、でも、やっぱりモモン様の隣に並ぶんだからやっぱりこっちの赤いやつの方が……」

 

 散々悩んだ後、結局いつも着ている赤いローブによく似た、赤いフリル付きのワンピースに着替える。そして、鏡とにらめっこしながら、髪を櫛で何度も何度もとかし、自慢の金色の髪がふんわりと顔を包むように整える。それから、おまじないのつもりで持ってきた怪しい形状の瓶をとりだして、魅了効果があるという話の香水を少しだけつけてみる。

 

(本当にそんな効果があるのかどうかはわからないが、こういうのは、気分の問題だからな……)

 その香水はほんのり甘く香り、イビルアイは少しくすぐったい気持ちになる。

 

 散らかった服と瓶を鞄にしまい、ワンピースの皺を軽く整える。

 

「……モモン様、綺麗っていってくれるかな……」

 

 鏡の中では、赤く輝く瞳も美しい一人の吸血姫が、その髪と瞳によく映える洒落た服を着て微笑んでいる。

 

(これなら絶対大丈夫。勇気出せ、キーノ・ファスリス・インベルン!!)

 パンパンと音をたてて頬を叩き、自分自身を鼓舞する。

 

「……なんか、これから本当に負けられない戦いに行くみたいだな」

 これから会うのは敵ではなく、自分が恋する相手だというのに。イビルアイは思わず苦笑する。

 

 それから鏡の前に置いてあったいつもの仮面を手に取る。

 なぜか、普段は自然と身につけるそれが、今日はひどく忌々しいもののように感じる。

 

 イビルアイはしばらくそれを睨みつけた後、結局ため息をついていつものように仮面を被る。

 

 部屋の窓から外を見ると、既に街の往来を人々が闊歩している様子が見える。

 

 まだ約束の時間まではかなりあるが、少し街の中をぶらぶらして心を落ち着けたほうがいいかもしれないと思い、イビルアイはエ・ランテルの街中へ向かうことにした。

 

 

----

 

 

 エ・ランテルの街は、イビルアイが初めてエ・ランテルにやってきた時と同様に賑わっている。

 

 相変わらず、本来はとてつもなく強力なアンデッドであるソウル・イーターが引く馬車がのんびり走り、どこかに向かうらしいエルダーリッチがすぐ側を通り過ぎても、街を行き交う人々は、全く動じる様子もなく談笑しながら歩いていく。

 

 空を見上げれば、ドラゴンが背中に何かを載せ、大きく羽を広げて遠くの方に飛んでいくのが見えるし、道端では、見たこともない巨人が大きな石を運んで歩いている。その脇ではドワーフと人間がスケルトンに指示を出しながら一緒に少し崩れた道路の補修をしている。

 

 街の中をゆっくりと歩きながら、イビルアイは考える。

 

 以前は、モモン様を無理やり配下にしたと聞いて、強大なアンデッドである魔導王に対しては憎しみに近い感情しか抱いていなかった。本当は自分だってアンデッドなのだけれど、自分は元々人間だったという思いが強いせいか、アンデッドに対してよりも人間に対してより強く親しみを感じてしまっている。

 

 そもそも、自分の長い人生を思い返してみると、この世に生を受けて以来、好意を持つような対象になるアンデッドと出会ったことなんて一度もなかった気がする。

 

(死霊使いならいたけどな)

 

 以前共に旅をした、仲のいい気さくな老女を懐かしく思い起こす。そういえば、昨夜は彼女やツアー、そして、もう死んでしまったリーダーの思い出に大分励まされてしまった……。リグリットにはもう随分長いこと会っていないが、今も元気でやっているのだろうか。今回の件が片付いたら、久しぶりに会いに行ってみるのもいいかもしれない。彼女なら自分にも役に立つアドバイスをくれるはずだ。もっとも、その前にインベルンの嬢ちゃんが恋煩いだなんてねぇ、と思いっきり笑われそうな気もするが。

 

 イビルアイは静かに微笑むと、そっと自分の冷たい手を動かない心臓に当てる。もう二百年も何の変化もないこの身体。自分がこういうモノであることは、諦めとともに受けいれたつもりだった。

 

 だが、イビルアイのこのアンデッドの身体は、イビルアイ自身の罪の象徴でもあるのだ。

 

『国堕し』

 

 イビルアイにつけられたその異名を、これまでどれだけ呪ってきたことだろう。

 

 その気持ちが、アンデッドである自分自身を愛せない、認められない自分を作り出していたのかもしれない。自分自身を愛せないなら、その他のアンデッドに好意を抱けないのも当然のこと。

 

 だけど――

 

 この国はなぜこんなに平穏なのだろう?

 なぜ、アンデッドを恐れずに人間や亜人が笑って暮らしているのだろう?

 

 そして、今まで考えたこともみなかったことに思い至る。

 

 自分は、モモンは無理やり魔導王に従わされていると思い、それを疑うこと無く信じていた。何万人もの人間を無慈悲に殺したアンデッドなのだ。当然、魔導王には慈悲や温情などあるわけもなく、生ある全てのものの敵であることは間違いないと。

 

 だが自分だって故郷の国を滅ぼした存在。あの時、自分のタレントが暴走したことで一体どれだけの数の人間を殺し、アンデッドにしてしまったのか。まだ幼かった自分にはよくわからなかったし、その後もその事実からなるべく目を逸して生きてきた。

 

 だけど、自分は紛うこと無く『大量殺戮者』だ。王都で見かけた蟲のメイドを人間に敵対しているからと殺そうとした。しかし、自分だって、普通の人間からすればどっちもどっちの化物なのだ。少なくとも、人類の庇護者などといえる立場じゃない。

 

 十三英雄や蒼の薔薇と行動を共にし、人間を助ける行動をしているのは、そうすることが自分にとっての罪滅ぼしになる、と泣いてばかりいた自分に長い付き合いの友が諭してくれたからだった。

 

 モモンは強い。それだけではなく、彼はとても優しく礼儀正しい。そして弱いものを率先して守ってくれる。まさに真の英雄というべき存在だ。

 

 ヤルダバオトに襲われたあの日、王城でも王都でもモモンの姿を見かけた全ての人々は、彼に期待と憧れに満ちた熱い眼差しを向けていた。そう、自分だけではない。あの時、彼に出会った人の多くは男女を問わず、ほんの一瞬でモモンに恋に近い思いを彼に抱いてしまっていたのだ。

 

 そんなモモンが邪悪な魔導王の配下に入ることなんてありえない。モモンが魔導王の治世に協力していることに嫌悪感を抱き、彼が無理やりそうさせられているだけだと思ったのは、そうであってほしいと願う自分自身のただの愚かな願望だったのかもしれない。

 

 しかし、あの英雄モモンなら、魔導王が人々にこのような安寧をもたらす存在だとその鋭い力で見抜き、自ら従った可能性だって、本当はあったのだ。

 

 もしかしたら、強大なアンデッドだというだけで魔導王のことをよく知ろうともせず、彼の王の本質からひたすら目を背けていたアンデッドである私自身こそが、実はアンデッドを一番憎んでいたのかもしれない……。

 

(なんという自己矛盾! 二百年も生きてきて、今更こんなことに気付かされるなんて!)

 

 イビルアイは乾いた笑いをあげた。

 

 改めてエ・ランテルの街を見る。そこに繰り広げられている光景は先程までと変わらない。

 

 しかし、今のイビルアイの目には、人々の笑顔に、街の喧騒に、より暖かなものが通っているのが感じられる。

 

「そうだ。ここでは誰も相手がアンデッドだからといって石を投げたりしない。私だって……この国でならこの仮面を外して生きていけるんだ……」

 

 イビルアイの仮面の下の表情は、先程までとは少し違う、どこか満たされたものに変わっていた。

 

----

 

(はぁ……。やっぱり、会いたくないな……)

 

 漆黒のモモン姿のアインズは、自分としてはまったくもって見たくもない、自身の姿を象った巨大な像の下に立って、イビルアイが来るのを待っていた。これから自分がやらなくてはいけないことを考えると非常に気が重い。

 

 昨夜、アインズはパンドラズ・アクターから分厚いマニュアルを渡され、夜を徹して付きっきりでイビルアイ対策作戦を伝授された。それは、女性に対する基本的な振る舞い方やマナー、エ・ランテルでカップルに人気がある場所、女性に愛される行動や言動など、非常に実践的かつ詳細な内容であり、これまでの人生を完璧な魔法使いとして過ごしてきたアインズにとっては、そのほとんどが全く未知の領域であったため、それなりに有意義なものであった。デミウルゴスもこんな感じに詳しく説明してくれればいいのに、とも少し思ったくらいだ。

 

 しかし――

 

(自分の特大フィギュアの下で待ち合わせをするだなんて、一体なんの羞恥プレイなんだ!? パンドラズ・アクターめ、後で覚えてろ……)

 

『麗しい父上の像の下が、エ・ランテルでは特に有名な「でーと・すぽっと」なるものになっているそうですよ。なんでも父上の加護で恋が叶うとか』

 

 そんな風に自慢げに報告してきたパンドラズ・アクターを、アインズは真剣に殴りたかった。奴に悪気があるわけではないはずだから一応自重はしたが……。

 

 この場所に立っているせいか、いつもなら英雄モモンに対する羨望の眼差しを向けてくる市民たちが、今日は若干生暖かい視線をこちらに向けているような気がする。

 

(これからデートです、って自分で言ってるようなものだもんな)

 アインズは出ないため息をこぼす。

 

 しかも、一応不可視化した下僕だけとはいえ、アインズがざっと見ただけでも少なくとも五体のハンゾウの他、多数の八肢刀の暗殺蟲がそこかしこに潜んでいるのがわかる。姿は見えないが、シャドウ・デーモン達もかなりの数が配置されているのは間違いない。一体、何が悲しくて大勢のシモベの監視下で女性と会わねばならないのだろう。しかも女性といっても、所詮相手はイビルアイで何が起こるわけでも楽しみなことがあるわけでもない。

 

『父上、イビルアイがやってきたようです。ご健闘をお祈りいたします!!』

 

 突然、妙にテンションが高いパンドラズ・アクターから〈伝言〉が入る。お前まで監視してるのかよ……。

 

 アインズはげんなりしつつも、既に散々削られた気力をやっとの思いで奮い立たせ、広場にやってくるイビルアイに目を向け軽く手を振る。

 

 モモンを見つけたのか、こちらに向かってイビルアイがどことなく弾むような足取りで走ってくる。着ている服は今まで見たことのないもので、もしかしたら、イビルアイなりに一生懸命お洒落でもしてきてくれたのかもしれない。

 

「モモンさまぁ!」

 妙に上ずったイビルアイの声が聴こえる。

 

「お、おまたせしてしまいましたか!?」

「いや、そんなことはない。今来たところだ」

 一応、手の中に隠したカンペもちらっと確認する。こういうときにはこんな感じに回答するのがお約束と書いてある。

 

「そ、それなら良かったです! 私も、急いで来たつもりだったんだが、いや、ですが……」

 

 そういうと、イビルアイは一瞬躊躇ってから、おもむろにアインズの右腕にしがみつく。

 

(なんだ、これ……なんでいきなり腕を掴んでくるんだ!? それともこれが、パンドラズ・アクターのいう恋する乙女の行動ってやつなのか?)

 

 全く理解できない。しかしこれも実験なんだ。そう。実験。アインズは自分自身に言い聞かせる。アルベドにこの状態を知られたら間違いなく誰かが血を見るだろう。

 

「それでは行くか。あぁ、その服は随分可愛らしいな。良く似合っている」

「あ、ありがとうございます!」

 

 なるべく穏やかな声をだすように努力しながらアインズが声をかけると、イビルアイは嬉しそうに頷く。仮面に隠れて見えないが、何故かイビルアイの顔が真っ赤になっているように感じる。それに、気のせいか、少し甘いふんわりした香りがイビルアイから漂ってくるような気がする。自分のベッドからするものとはまた違うが、こういう香りも悪くないと少し思う。

 

「イビルアイ、何か香水でもつけているのか?」

「え、あ、あの、そうです。気になりますか?」

「いや……そう、イビルアイらしい雰囲気の香りだと思ってな」

 そういったとたん、イビルアイが一瞬挙動不審になったようだが、アインズはあえて気にしないことにする。

 

「それでは、まず、市場でも見に行こうか」

 右腕にイビルアイをぶら下げながら歩き出す。

 

(ええと、後はどうすればいいんだったか……)

 一生懸命昨日の講習を思い出しつつ、次に取るべき行動を考える。イビルアイは、ひたすらアインズにくっついたまま、ひどく楽しそうに歩いている。

 

(まあ、なんとかするしかない……。頑張れ、俺……。少なくとも、聖王国のときよりは行動マニュアルがちゃんとしてるし、流れでよろしくとかは書いてなかった。前回に比べれば、かなり楽な作戦に違いないんだ)

 アインズは自分自身を必死になって鼓舞する。

 

 アインズにとって、非常に長い午後になりそうだった……。

 

 

----

 

 

 イビルアイは、魔導王の像の下に立って、こちらに向かって手を振るモモンの姿を見た瞬間、さっきまでの葛藤は何処へやら、再び完全な恋する乙女モードにシフトしていた。 

 

 しかも、イビルアイが一生懸命お洒落したことも、香水をつけてきたこともわかってくれたらしく、褒めてくれた。こんなに自分に注意を払ってくれるなんて、それだけでも嬉しくて仕方がない。

 

 その勢いで、少しはためらいはしたが、つい、モモン様の右腕にしがみついてしまったけれど、モモン様はちっとも嫌がる様子もなく、穏やかに優しく話をしてくれる。

 

(あぁ、モモン様は本当になんてお優しい方なんだろう……。まるで夢を見ているみたいだ……)

 

 こんな展開になることを完全に諦めたこともあったのに、今の自分はなんて幸せなんだろう。

 

 話しかけられても、緊張でつい声が裏返ってしまうけど、モモン様はそれを全然笑ったりせずに大人な対応をしてくれる。

 

(本当に、こういう方がいるんだな……)

 

 何処か行きたいところがあるか聞かれたりするけど、自分としては、行く場所なんてモモン様と一緒ならどこでもいい。

 

 いつまでも、こうして側にいて話をしていたい。

 

 自分の心から溢れ出るモモンに対する感情が止めどもなく流れ出し、その量がどんどん大きくなって巨大な洪水のようになり、心の中がそれで膨れ上がって一杯になっているのに、それが流れ出る場所がなくてそこに留まり、自分の心を堰き止める壁のようなものをひたすら圧迫して、それが苦しくてたまらない。

 

(ああ、私は、モモン様が本当に好きなんだ。この人と別れるなんて……この人なしで生きていくなんて考えられない……)

 

 でも、その自分自身の気持ちを最後まで貫くのなら……、昨日、心の中で固く誓ったことを実行しなければいけない。例え、その結果モモン様を失うことになったとしても。

 

(覚悟を決めろ。私は、今日、絶対にモモン様に愛を告白する。そして……全てを包み隠さずモモン様にお話しするんだ……! ダメだったら……その時はその時。それでモモン様に嫌われるなら仕方がない。言わないで終わらせるよりもずっといい。ガガーランだって、玉砕してこいっていってたじゃないか! このキーノ・ファスリス・インベルンの矜持を、覚悟をモモン様に見せてやるんだ!)

 

 イビルアイは、モモンの話に頷きながら、その兜を被った横顔とその奥にちらりと見える赤い灯火のような光をじっと見つめた。

 

 

----

 

 

 アインズとイビルアイは、しばらくぎこちない調子で会話を続けながら、パンドラズ・アクターにお勧めされた場所をいくつか巡り、通りすがりの店の中を冷やかしたり、最近整備されたばかりの美しい街並みを見たりしているうちに、ほんの少しずつお互いの緊張感も薄れてきたのか、多少ではあるが打ち解けてきつつあった。

 

 あちこち店を覗き込んでははしゃぐ様子は、これまでイビルアイに抱いていたイメージを変えるくらい案外可愛らしく、いつもの変に大人びた雰囲気とは違い、年齢相応の子どもらしい様子に見える。

 

(なんか、こうしているとアウラやマーレを思い出すなぁ。今度はできればあの二人とこんな感じに出歩きたいものだけど、それはやっぱりちょっと難しいかなぁ。あの二人とだとお忍びというには無理があるし……)

 

 イビルアイについては、どうしてもエントマのことで多少の引っ掛かりは覚えなくはないが、こうも違う顔を見せられ、なんとも微妙な熱意のある瞳を向けられ続けると、人間に対してほとんど感情が動くことのない自分でも、顔見知りの子猫くらいには可愛らしく見えてくるから不思議なものだ。もしかしたら、パンドラズ・アクターはこんな風にアインズが多少なりとも女性に対して心を動かすことを期待しているのかもしれない。

 

(まぁ、特別な関係とかそういう感じには、この分だとどう考えてもならなさそうだけどな)

 

 アインズ自身の意識としては、どちらかというとイビルアイとのデートもどきはあくまでもおまけだった。

 

 魔導国建国以降、アインズはモモンとしての活動は完全にパンドラズ・アクターに任せる形になったため、その後は王としての立場で時々短時間街を歩き回ることはあっても、自由に散策できる時間はほとんどなかった。そのため、いくら不可視のシモベに監視されているとはいえ、今日のように比較的自由に現在のエ・ランテルを見て回ることができるのは滅多にない機会であり、アインズはこの貴重な時間を内心とても楽しんでいた。

 

(報告では聞いていたけど、やはり実際に見てみるとかなり印象が違うな。思っていた以上に素晴らしい街になって来ているじゃないか)

 あとで、シモベたちをねぎらってやらねば、と心のメモ帳にメモしつつ、傍らのイビルアイに目を向ける。

 

「イビルアイは、エ・ランテルに滞在している間はどの辺りを見て回っていたんだ?」

「えっと、モモン様のお屋敷に行った後は、市場を見たり、以前行ったことのある場所を見て回ったりとかしてたかな」

 

「ふむ、なるほど。どこか気に入った場所とか、今日一緒に行ってみたい場所はないのか? せっかくだから、お前のお勧めの場所なんていうのも見てみたい気がするが」

「わ、わたしは、モモン様と一緒なら、どこを見ても……その、楽しいです……」

 

「そうなのか?」

「は、はい!」

 

 仮面に隠れて表情は見えないが、イビルアイの顔が真っ赤になっているように感じる。そして、しがみついている右腕に、更に力を込めてしがみついているようだ。鎧ごしのせいで、正直よくわからないが。

 

「なるほど。……それでは少し質問を変えよう。せっかくだから、王国から来た者の意見も参考にしたいからな」

 

「?? はい、なんでしょうか?」

 イビルアイは少し不思議そうに答える。

 

「イビルアイは今のエ・ランテルを見てどんな風に思う? 率直な意見を聞かせてもらえると嬉しいのだが」

 一瞬口ごもるイビルアイを見て、ちょっといい方がまずかったかと思い、アインズは付け加える。

 

「別に、悪いことを言われても怒ったりしないから、安心して、思ったことを話してくれ」

 

「その……、わたしは……」

 

 イビルアイは不意に足を止める。

 それに引っ張られるような形になり、アインズも足を止めた。

 

「ん? どうした?」

 

「……とても正直にいうと、王都を離れてここに来るまでは、エ・ランテルは廃墟かスラム街みたいになってるんじゃないかと思っていた」

 

「…………そうか。そうだろうな」

 

 恐らく、それが魔導国にまだ足を踏み入れたことのない人間が現在の魔導国に持つ偽らざる印象なのだろう。

 それを責めるつもりはアインズには全くなかった。実際、自分だって逆の立場ならそう思うに決まっている。

 

「だが、一歩足を踏み入れて驚いた。もちろん、整備された街道を見ても驚いたけれど。とてもいい意味で印象が裏切られた」

 

 イビルアイはアインズを真っ直ぐに見上げた。

 

「ここは、本当に素晴らしい街だと思う。街並みも美しいし、道路もきれいだし、食べ物も豊富だし、服とかいろんなものもたくさん売っている。正直、今の王国とは比べ物にならないくらい、豊かな街だと思う。そして、人間だけじゃなくて、他の種族も当たり前のように一緒に笑って暮らしている。王国とも他のどこの国とも違う。まさか、こんな国がこの世界にできるとは、私は思っていなかった。これが……モモン様が一生懸命守って作り上げた街なのだな……」

 

 思っていたよりも真摯なイビルアイの様子にアインズは驚く。先程までのはしゃいだ少女とはまるで別人のようだ。

 

「そうか。そんな風に思ってくれたなんて、とても嬉しいよ」

 

 アインズはそう答えると、いつもの癖でついイビルアイの頭を撫でた。イビルアイの身体がびくっとするのが感じられる。アインズは、自分の失敗に気が付き心のなかで舌打ちをした。うっかり、アウラ達と同じようなつもりで頭を撫でてしまったが、さすがに少々まずい行動だったかもしれない。身体の大きさが同じくらいだからついやってしまったが……。

 

「あ、すまん、変なことをしてしまったな……。女性に対して断りもなくやっていいことではなかった。許してくれ」

 謝罪し、慌てて手を引っ込めた。

 

「…………」

 

 急に無口になったイビルアイに、アインズは怒らせてしまったかと思い、心配になる。

 イビルアイは、しがみついていたアインズの右腕をそっと離すと、ゆっくりとアインズの正面に立つ。

 

「モモン様、私は……」

 いいかけて、一度言いよどむが、イビルアイは勇気をふりしぼるかのように、もう一度口を開いた。

 

「私は、そんなモモン様をとても尊敬している。そして、それだけじゃない」

 

 アインズの両手をその小さい手でしっかりと握る。

 そして少しの間逡巡すると、やがて意を決したかのように、イビルアイは毅然とアインズを見つめた。

 

「私はモモン様が好きだ。心から愛している」

 

 そう高らかに宣言すると、イビルアイは一瞬躊躇った後、握りしめたアインズの手に口づけをした。

 

 その偽りの全く感じられないイビルアイの言葉にアインズは完全にフリーズした。まさかここまで直球で来るとは思っていなかったのだ。

 

 おまけに、こんな人目のある場所で、こういう行動に出ること自体どうなんだろう。まさか、手を振り払うわけにもいかないし、かといってこのままにしておくわけにもいかない。

 

(ど、どうしよう!? これ、どう対応したらいいの!? 助けて、パンドラズ・アクター!!)

 

 恋愛経験値ゼロのアインズでは、このような状況に正しく対応できる自信なんてない。というか、絶対無理。慌てて用意したカンペをちらっと流し見るが、さすがにこんな事態に関することなんて書いてない。

 

 頭の中が真っ白になり考える事自体を放棄したくなるが、即座に精神が沈静化される。しかし、自分がいくらこの手のことに無知だとはいえ、ここまで真摯な気持ちを無碍にするのはまずいということだけは、鈍感なアインズにも理解できる。

 

「そうか……。その気持はとてもありがたいと思うし、嬉しくも思う」

 

 なんとか、少し震える声を抑え、平静を装うと、かろうじてそう応える。

 

「しかし、こういってはなんだが、私達はまだ出会ったばかりだろう? それなのに、なぜ君はそんなに私に好意を持つことができるんだ?」

 

「わからない。私も自分自身の気持ちが理解できない。だって、こんな風に思ったのは、こんなに好きになったのは、モモン様が初めてなんだ……」

 

 震えるように細いイビルアイの声は、まるで今にも泣きそうに聞こえる。

 

(まずい。このままでは人目のある場所で話したくない内容になりそうだ。できれば、もう少し人気のない場所に移動しなければ……)

 

 さり気なく周囲を見回すと、英雄モモンとその連れの間に漂う尋常ならぬ雰囲気に街の人々も気がついたのか、かなり多くの人が遠巻きに見ている。

 

「イビルアイ、もう少し景色のいいところに行かないか? いい場所を知っているんだ。せっかくだからそこで話をしよう」

 

「………」

 イビルアイは無言で頷く。

 

 その小さな身体を隠すように、イビルアイの手を引きつつ、アインズはそそくさとその場を離れた。

 

 

 




gomaneko 様、薫竜様、kuzuchi様、誤字報告ありがとうございました。


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6: アインズとイビルアイ、真実と向き合う

 アインズが空をふと見上げると、そろそろ夕方近くになっているようだ。太陽はだいぶ落ちてきて赤みを帯びつつあり、うっすらと浮かぶ雲はその光を受けてほのかな桜色に染まっている。そろそろ今日のデートの時間も終わりに近づいている。

 

 イビルアイと過ごした午後は案外悪くなかったと思い、そんな風に感じる自分に少し驚く。

 

 隣を歩いているイビルアイの表情は仮面に隠れて見えないが、何かを考えているのか、先程からずっと黙ったままアインズの歩調に合わせて歩いている。

 

 アインズが向かったのは、いざという時の告白タイムにお勧めですよ、とパンドラズ・アクターに言われていたエ・ランテルの郊外にあるこじんまりとした公園だ。広く活気のある中央公園とは違い、訪れるものは少ないが木々や花が美しく植えられており、小さな噴水には水を飲みにやってくる小鳥もいる。ところどころにそっと置かれたベンチもあり、全体的に穏やかな優しい雰囲気を醸し出している。

 

 この場所に来たアインズの意図はシモベたちには既に読まれていたらしく、恐らく何かをやったのだろう。今、公園内を歩いているのはアインズとイビルアイだけで、他に誰かがいる気配はない。

 

 これなら、どんな修羅場になっても大丈夫ですよ、父上、と良い笑顔でいうパンドラズ・アクターが目に浮かぶが、思い切りその幻影を打ち払うと、大きな樹の脇にあるベンチにイビルアイを連れて行った。

 

「座るといい。なかなかいい場所だろう?」

「ああ、こんな綺麗な場所があるなんて知らなかった。さすがはモモン様だな……」

 

 あの後ずっと固い雰囲気で、ここに来るまでの道中は黙り込んでいたイビルアイも、さすがに公園の心落ち着く風景に少し気が緩んだらしく言われるがままにベンチに腰を下ろすと、周囲を嬉しそうに眺めている。その様子に少しほっとして、アインズもイビルアイの隣に腰を下ろした。

 

 座った瞬間に、イビルアイの身体がびくっとするのが感じられる。やっぱり、隣に座るのは距離感的に微妙だったか。俺もパンドラズ・アクターに隣に座られるのはあんまり好きじゃないし。でも、座ってしまったものは仕方がない。そっとイビルアイの様子を窺うと、なんとなく身体が少し震えているように思える。

 

「イビルアイ、寒いのか? そろそろ夕方だしな」

「いや、寒くなんて無い。むしろモモン様が隣にいてくれるから、とても暖かい気がする」

「そ、そうか。それならよかった」

 

 何故そんな風に思うのかさっぱりわからないが、無難にアインズはそう応える。

 

「ところで、イビルアイ。先程していた話の続きなのだが……」

 

 そう話しかけると、イビルアイの身体は緊張したかのように、更に身体を固くしたようだ。そんなイビルアイを見ながら、アインズは何をどう話したらいいのか少し考える。

 

 イビルアイは先程、自分を愛しているといっていた。しかし、イビルアイが好きなのはアインズではなく、あくまでも、自分が作り出した『人類の英雄モモン』という虚像だ。だから、その仮面を被ったまま、英雄モモンとして相応しいことを伝えて無難に別れるということもできる。そして、それがナザリックの支配者としてアインズが取るべき一番正しいやり方だとも思える。

 

 しかし、今日それなりの時間をイビルアイと共に過ごして、ふと自分の中に今までは感じたことのない、軽い苛立ちのようなものがあることに気がつく。

 

(なんなんだ、これは。なぜ俺はイビルアイにモモンとして好感情を向けられるのに抵抗を感じるんだ?)

 

 そして、二日ほど前のパンドラズ・アクターの言葉をふと思い出す。いつもの道化がかった風が完全になりをひそめたあの時のパンドラズ・アクターは妙に真剣で、そのせいか、その言葉がアインズの心に深く刻み込まれていた。

 

『私は父上が例え愚かであっても、弱くても、醜くても、ナザリックの支配者ではなくても、我が至高の創造主でなかったとしても、変わりなく御身を愛するでしょう。私が愛してやまないのは、モモンガ様のその美しく輝ける気高い魂なのですから』

 

 そうか……。

 

 アインズは、急にいろんなことが腑に落ちた気がした。

 

 俺は多分、イビルアイが俺が好きだといいつつも、俺自身ではないものに強い愛情を向けているのが不愉快だったのかもしれない。

 

 英雄モモンは確かに俺自身だ。しかし、モモンは俺の一部ではあるかもしれないが、少なくとも本当の俺ではない。実際、今エ・ランテルで英雄モモンをやっているのはパンドラズ・アクターであって俺ではない。恐らく、イビルアイが好ましく思っているのはあくまでも虚像である『英雄モモン』であって、外見さえモモンであれば、中身はパンドラズ・アクターでも俺でもどちらでも気づくこともなければ、構いもしないだろう。

 

 そのような、ただの虚構を愛しているイビルアイが、恐らく俺自身を真に愛することなどないはずだ。だとすれば、イビルアイの愛に何の意味がある?

 

 例えば、俺がモモンとしてイビルアイに断りを告げたとしても、イビルアイは偽りの愛を諦めることは出来ないかもしれない。だが、本当の俺(アインズ)として真実を知らせれば、少なくともイビルアイは偽りの愛から目を覚ますことはできるに違いない。

 

 いっそ、そのほうがお互いのためなんじゃないか。偽りの愛など、誰にとっても何の意味も価値もないものなのだから……。

 

 もっとも、真実を知ったイビルアイが俺を拒絶すれば、無事にエ・ランテルを出られることはないだろう。そのために、パンドラズ・アクターは既に十分な用意をしているはずだ。しかし真実を知る代償としては、それがむしろ正しい報酬なのかもしれない。

 

 アインズは暗い気持ちでそう結論付けた。

 

----

 

「……モモン様?」

 

 話しかけたまま、しばらく黙り込んでいるアインズを不審に思ったのか、少し硬い調子でイビルアイが声をかけてくる。もしかしたら、アインズの不穏な様子に不安になったのかもしれない。

 

 まぁ、結論を急ぐ必要はないだろう。イビルアイが、なるべく穏便なうちに納得してくれることを祈りつつ、アインズは口を開いた。

 

「……イビルアイ、私は先程もいったように疑問に思っていることがあるのだ」

 

「何を、でしょうか?」

 

「私は言葉を飾るのが苦手だ。だから、はっきりいおう。君は、本当の私自身を知っているわけではない。それなのに、私を心から愛しているというのはどういうことなのか? と」

 

「本当の、モモン様……?」

 

「そうだ。少なくとも、私は君が思っているような人間ではない。だから私としては、君のその気持ちに応えることはできないし、そのつもりもない」

 

 アインズは冷たくイビルアイにそう告げる。

 

「!!!?」

 

 イビルアイはショックが大きすぎたのか、言葉も出ないようだ。仮面に隠れて表情はわからないが、恐らく動揺しているのだろう。ひどく身体が震えている。

 

「君の気持ちは、嬉しかった。しかし、この件はここまでにしておくほうがお互いのためだろう。さぁ、もう日も暮れる。ここで別れるとしよう」

 

 アインズは、これで納得すればいいが、と思いつつベンチから立ち上がろうとすると、先程までぴくりとも動かずにアインズの言葉を聞いていたイビルアイが、急にアインズの右手を掴んだ。

 

「ま、待ってください! そんな……、そのような言葉では、私は納得できません!」

 

 やっぱりこれではダメだったか、とアインズは残念に思う。これで納得してくれれば、無事に帰してやることもできたかもしれなかったのだが。

 

「では、お前は、どうすれば納得できるんだ?」

 

「せ、せめて、もう少しだけ、詳しく聞かせてください。私は……、モモン様からみれば、取るに足りない存在かもしれない。でも、私のこの想いは……、この愛は、本物だと強く信じているんです!」

 イビルアイは必死になって訴えかけてくる。

 

(本物の愛か……。そんなもの、実際にはどこにもないはずだろうに……)

 多少憐憫のこもった目でイビルアイを見る。

 

 どうやら、最後の札を切らないといけなくなりそうだと、アインズは覚悟を決める。

 

「そうか。では……、例えば、私は人間ではない、といってもその気持ちは変わらないのか?」

 アインズは静かに問いかけた。

 

 イビルアイは、さすがにそれは予想していたセリフではなかったようで、大きく息を呑むのが聞こえる。

 

 しかし、少しの間顔を俯け何かを考えていたようだが、やがて顔を上げた。

 

「そ、それは、別に構いません。私が愛しているのは、多分、モモン様のお姿ではない、と思うのです」

 

「ほう? それがどこまで、本気なのかわからないが……。では、私の真の姿を見ても同じことが言えるのか、試させてもらおうか」

 アインズは、あえて、より冷たい態度でイビルアイを見据えた。

 

「一応これだけは話しておこう。私は、基本的に警告は一度しかしない。何故なら、相手の選択を尊重すべきだと考えているからだ。もし、今、お前が先程の言葉を撤回し、何も知らずにいることを選択すれば、何事もなく無事に帰ることができるだろう。だが、この警告を無視して真実を知ることを選択した場合、最悪どうなるのかは、私には保証はできない。イビルアイよ、それでも本当にお前は真実を知りたいと願うのか?」

 

 その言葉に、イビルアイが更に身を固くするのを感じる。まぁ、脅しているのだから当然か。やっぱりやめるというのが普通の反応だろうが……。

 

 しかし、イビルアイは、アインズを真っ直ぐに見つめて答えた。

 

「私は、もう逃げないと決めた。だから、私は真実を知りたい。モモン様が本当はどういう方なのか、知らないでここで逃げ帰ることは私にはできない」

 

 アインズは思いがけないイビルアイの返答に、一瞬沈黙する。しかし、出ないため息を一つつくと、ここまで来たらもう仕方ないと諦める。なにより、イビルアイ自身が知りたいと望んだのだから。それがどんな結果を生むことになるのかイビルアイは一切知らないとはいえ、その選択は尊重すべきだろう。

 

「わかった。お前の選択を受け入れよう。我が真実を見るがいい」

 

 アインズはおもむろに、モモンとしての鎧姿を解除し、普段の魔法詠唱者の姿に戻る。幻術も付与していない骸骨のアンデッド、死の支配者の姿へと。

 

 イビルアイはその姿を目にして完全に動揺している。それはそうだろう。人間がアンデッドに恋していたとか、ただのお笑い草だ。

 

「…………!!? モモン様!? その姿は、い、一体どういう……」

 

「この姿では、はじめまして、だな? イビルアイ。そんなに驚かないでくれ。正しく自己紹介するなら、私はアインズ・ウール・ゴウン魔導王であり漆黒の英雄モモンでもある。まぁ、要するに、これがお前が知るはずもなかった、英雄モモンの真実ということだ。別にそう難しいことではないだろう?」

 

 アインズは肩を竦めた。

 

「!!! そ、そんな、そんなことが……、いや、一体どうやって!? 信じられない……」

 

 イビルアイは驚愕のあまり震えている。

 

「この件に関して、細かい種明かしをするつもりはない。私はお前が選択したとおり、我が真実を見せただけだ。信じようと信じまいと、それはお前の自由だ」

 

 アインズはそういうと、イビルアイの仮面に隠された奥にある瞳を冷酷な視線で真っ直ぐに見据えた。

 

「私は、お前の言葉に応えた。今度はお前の番だな。イビルアイ。先程の返答を聞かせてもらおうか? お前の本物の愛というのが一体どういうものなのか、私としても興味があるのでな」

 

 

----

 

 

 イビルアイは動けなかった。いくらなんでも、こんな可能性は全く考えていなかった。

 

 初めて目前にする魔導王は、まさしく真の魔王ともいうべき姿だった。もちろん、この都市のあちこちに置いてある像で、既に何度も姿だけは見ていた。それに、噂でも様々な話を聞いていた。しかし直接見る迫力は全く違う。自分ではどうあがいても勝つことのできない、桁違いの力を持つ強大な魔法詠唱者。

 

 イビルアイは急にこの場から逃げ出したくなった。自分はこんな恐ろしい化物に一体何をしようとしていたのだろう?

 

 しかし――

 

 イビルアイの心にひらめくものがあった。

 

 本当だったら、魔導王は別にイビルアイに真実を話す必要なんてなかったはずだ。

 適当に誤魔化して、追い返すことだって出来たはずだ。

 そもそも、今日の『でーと』だって、彼にとってはする必要などなかっただろう。

 

 それなのに、こうして時間を割いて共に過ごしてくれて、挙句の果てに自分の言い分を聞いて本当のことを教えてくれたのは……彼の、魔導王の優しさからだったのではないのか?

 

 誠意を見せてくれた彼を受け入れることが出来ずに、拒否し立ち上がって逃げ出したとしたら、自分がこれまで抱いていたモモンに抱いていた、温かく幸福でそしてほんの少しほろ苦い気持ちはどこに行ってしまうのだろう?

 

 自分は、正真正銘の卑怯者だな。イビルアイは、自分自身の愚かさに思わずつばを吐きかけたくなる気持ちに駆られる。

 

 少なくともイビルアイには本物の愛などなかった。魔導王にそう見抜かれていたように。

 

 恐らく自分が逃げたとしても、彼はイビルアイに失望などしないだろう。単にそれを当然の結果だと受け入れ、それで終わりになるだけなのに違いない。

 

 だが、私は……本当にそれでいいのか……?

 

 

----

 

 

 自分はこれまでたくさんの人間たちに迫害され追われて来たのに、自分も今そんな奴らと全く同じことをしようとしている。これまで自分が言ってきたことはただの綺麗事で、本当はこんなに汚い心の持ち主だったのだ。

 

 イビルアイは、急に思い切り笑いたくなった。自分は、あの軽蔑すべき奴らとどこも変わらない。全く、情けないじゃないか。これじゃ、モモン様、いや、魔導王に軽蔑され、嫌われても文句なんて言える立場じゃない。

 

 自分は、ただの卑怯者で愚か者だ。おとなしく、それを認めれば全て丸く収まるのだ……。

 

 その時、不意に昨夜、思い出の仲間たちが自分を叱咤してくれたことを思い出す。そして、あの時自分は何を考えた……?

 

『こんな私だって受け入れてくれた人達はいる。皆が皆、アンデッドだからといって拒否するわけじゃない。分の悪い賭けかもしれないけど、それしか方法がないならやってみるしかないんだ』

 

 なのに、私は、今何をしようとしていた?

 

 アンデッドだった自分を拒否してほしくないと強く願っていた自分自身が、強大なアンデッドであるからという理由だけで魔導王を拒否していいのか?

 

 ……いいわけないじゃないか。全く、私は大馬鹿者だよ、キーノ・ファスリス・インベルン!

 

 落ち着け。落ち着つくんだ。

 まだ、何も行動したわけじゃない。

 まだ、間に合う。今なら、まだ間に合うんだ!

 

 イビルアイは、必死に自分に言い聞かせる。

 

 そして、イビルアイは目をつぶり、深く息を吸って心を落ち着けようとそのまましばらくじっとしていた。

 

 だんだん冷たくなってくる風が仮面越しにイビルアイの頬をなでる。ほんの僅かに木々の葉がざわめく音がする。それを聴いているうちに、先程までの混乱が嘘のように引いていく。

 

 ゆっくりと目を開いて、改めて、魔導王のその髑髏の顔を見つめた。

 

 彼は、先ほどと全く変わった様子はなく、ただ静かにこちらを見ているようだ。恐らく、イビルアイがどのような行動を取るのか見極めるつもりなのだろう。その静かで揺るがないその視線に、自分の行動など全て見抜かれているかのように感じる。

 

 恐らく、彼は、最初から自分が彼を受け入れることが出来ないことを知っていて、それでも静かに待っているのだろう。不意にイビルアイはそう思う。

 

 イビルアイは、そっと息を吐き、再び、髑髏の顔を見つめる。なんとなく、ひたすら自分が彼を見つめていることで、微妙に居心地が悪く感じているように感じる。髑髏には表情がないはずなのに、なぜそんなことがわかるのだろう?

 

 そして、もう一度、イビルアイは、髑髏の顔を見つめた。なぜか、一番初めに感じた恐怖がどこかに消えてしまっているのに気がつく。そうだ、彼のこの静けさは、敵に対峙している時のモモン様の背中に感じたものと同じものではなかったか?

 

 その瞬間、自分が完全に見た目に囚われて、危うく道を間違えるところだったことに気がつく。

 

 私が、モモン様に抱いていた愛は、そんな単純で生易しいものじゃなかったはずだろう!?

 

----

 

 イビルアイは、身体を震わせながら、しばらくアインズを見つめていた。

 

 アインズは、その様子を眺めながら、これからイビルアイがどのような行動にでるのかを考えつつ、いずれにしても、彼女が自分を受け入れることはなさそうだと判断していた。周囲のシモベ達は、既に臨戦体勢に入っていることだろう。せめて、苦痛なく殺してやるのが慈悲というものだ。

 

 やがて、イビルアイは軽く息を吐くと、何かが吹っ切れたのか急に雰囲気が変わった気がした。

 

 それから、アインズの赤い灯火の瞳を力強く真っ直ぐに見つめ返すと、おもむろに被っていた仮面を外した。

 

 その下から現れたのは、年齢相応の美少女といってもいい顔立ちだった。しかし、その瞳は赤く輝き口からは小さな牙が覗いている。その表情は緊張で硬くこわばりこれから起こるかもしれないことを恐れているようだった。それから、震える指でゆっくりと、右手に嵌めていた一つの指輪を外した。

 

 今度は、アインズが驚愕する番だった。

 

「この気配は……。イビルアイ、お前はアンデッド……、吸血鬼だったのか? いや、私の知っている吸血鬼とは少し違う気もするが……」

 

「私は……、私の本当の名前はキーノ。キーノ・ファスリス・インベルン。吸血姫と呼ばれるアンデッドだ。普通の吸血鬼とは少し違う種族らしいが、詳しいことは私もよくわからない。外見は幼いがもう二百年以上生きている。モモン様、いや、陛下とお呼びするべきなのか?」

 

「……アインズで構わない」

 

「では、モ……、アインズ様……。私の方こそ、自分自身をずっと隠してきました。そして、愛しているといいながらも、真の姿を見せようともせずに、愛を告白しようとした愚かな私をお許し下さい」

 

 イビルアイは、深々と頭を下げた。

 

「いや、構わないさ。この世界でアンデッドであることがどういうことなのか、私だってわかっているつもりだ。さすがにお前がそのような身体であることまでは予測していなかったがな」

 

 アインズは苦笑した。

 

 アインズの反応に少し安心したのか、イビルアイもようやく、少し固い表情が緩み、喜んでいいのか悲しんでいいのかよくわからない、といった感じの微妙な微笑みを見せた。

 

 それから、改めて、イビルアイはアインズの髑髏の顔をじっと見つめてくる。これまで見たことがなかった、仮面を外したイビルアイが見せるその真剣な表情に、アインズは少し気後れを感じた。

 

 イビルアイはしばらく、アインズの顔を眺めた後、少し息を吐き、それから少しずつ視線を下に移し、ローブの合わせ目から覗くアインズの骨しかない胸をみつめ、更に、豪奢なローブの先から覗く骨の指をじっと見つめる。

 

 さすがに、美少女といってもいい相手にゆっくり身体中を眺め回されることに、なんともいえない気恥ずかしさをアインズは感じる。

 

 やがて、ひとしきりアインズの姿を確認したイビルアイは、アインズの顔に視線を戻すと、少し安心したような風に軽く息を吐くと、今まで見たこともないようなスッキリとした綺麗な笑顔でこういった。

 

「大丈夫です。アインズ様のそのお姿を見ても、私の気持ちは変わりませんでした」

 

 その言葉は、アインズにとっては一番ありえないと思っていたものだっただけに、一瞬激しく動揺し、すぐさま沈静化された。しかし、その後感じたのは、自分を受け入れてもらえたことに対する素直な歓喜だった。

 

「そうか……。イビルアイ。いや、キーノだったか? だとすると、お前の本当の愛とやらは、どうやら信じてもいいもののようだな……」

 

 アインズのその言葉を聞き、イビルアイは急に頬を真っ赤に染めた。そのイビルアイの様子を見て、アインズも嬉しいような、恥ずかしいような、照れくさい気持ちで一杯になる。

 

(あれ、なんだろう? この気持ち。まさか、これが女性相手に好意を持つってことなのか?)

 

 少なくとも、これまで感じたことのない不思議な感情は、アインズにとってもそう気分の悪いものではなかった。

 

 

 

 




Sheeena 様、yuki14様、スペッキオ様、薫竜様、kuzuchi様、誤字報告ありがとうございました。


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最終話: イビルアイ、約束する

当初予定の最終話でした。


 二人はそのまましばらく、無言で穏やかな視線をお互いに交わし合った。

 

 もはや隠すことはなにもない、嘘偽りが必要のない関係という気安さがそうさせたのかもしれない。イビルアイの表情は満足げで、アインズもこれまでになく穏やかな気分の自分に浸っていた。

 

 しばらくして、アインズが口を開いた。

 

「先程、お前は本当の名前はキーノだと言っていたが、今後はキーノと呼んだほうがいいのか?」

「……、本当のことを言えば、アインズ様にはキーノと呼んでほしい。しかし、私は普段はその名前は隠しているので、これまで通りイビルアイと呼んでください」

 

「そうか……。お前にも、いろいろ事情があるようだな」

 

 イビルアイは少し逡巡した様子だったが、やがて口を開いた。

 

「本当は、もっとたくさん、私はアインズ様にお話したいことがあります。私が昔引き起こしてしまった恐ろしいことなんかも……。でも、私は臆病で、まだそこまでお話する勇気が今はまだありません……」

 

「……私にだって、人に話せないようなことはたくさんある。それを気に病む必要などなかろう。全てを人に包み隠さず話すというのは、勇気が必要なだけではなく、とても難しいことだと私は思っている」

 

「そう、……ですよね。本当に、その通りですね!」

 

 急に、少し元気を取り戻した様子のイビルアイに、アインズもなんとなく嬉しくなる。

 

「ところで、イビルアイ、少し聞きたいことがあるのだが、構わないか?」

「はい、なんでしょうか?」

 

「お前は先程、吸血姫という種族だと言っていたが、あいにくそれは私の知識にはない種族のようだ。この世界ではよくある種族なのか?」

 

「……実は、私にもよくわかりません。ただ、私は非常に特殊なタレント持ちだったらしく、幼いころ自分がよくわからないままにそのタレントを発動させてしまって……、気がついたらこのような身体になってしまったのです……」

 

「そうか……。それは、大変だったんだな……」

 

 どうやら、現地産のアンデッドの発生方法はなかなか複雑なようだ。後で調べてみなければ、と思いつつも、イビルアイの声がかすかに震えているのを感じ、アインズは、なぜかそうした方がいいような気がして、再びイビルアイの頭を撫でた。イビルアイは、先程とは違い、怯えることもなく撫でられるがままになっている。その様子にアインズはなぜかとても微笑ましい気分になる。それに吸血姫という聞いたことのない種族にもひどく興味を引かれる。その上特殊なタレント持ちだとすると、この世界ではイビルアイは恐らくかなりのレア物なのは間違いない。アインズは自分のコレクター欲も少し刺激されるのを感じる。

 

 ……少なくとも、このままイビルアイを手放してしまうのは、とても惜しい気がする。もちろんレアだから、というのもあるかもしれないが、それとは違う何かもある気もする。しかし、その気持ちの違いは、今のアインズにはまだよくわからなかった。

 

 おとなしくアインズに撫でられるままのイビルアイの耳には『かなりのれあもの』とアインズが微かに呟く不思議な言葉が聞こえたような気がしたが、その意味はイビルアイにはよくわからなかった。しかし、アインズが優しく頭を撫でてくれるその骨の手になぜか心が安まるものを感じて、そのままじっとしていた。

 

 

----

 

 

 やがて、太陽が夕日に変わり空を赤く染め上げる。それが、今日の約束の時間の終わりであることを告げていた。

 

 アインズは軽くため息をつくと、イビルアイに切り出した。

 

「さて、イビルアイ。私は、お前にもう少しだけ話さなければいけないことがある」

 

 それを聞いて、イビルアイは少し真面目な顔になって頷く。

 

「お前は、ある意味魔導国の最大の秘密を知ってしまった。それはわかるな?」

「……はい」

 

「だから、お前をこのまま何もなしにエ・ランテルから出してやることはできない。それも、わかってくれるな?」

「…………はい」

 

「私が提示できる選択肢は二つある。まずはそれを聞いてから、お前の答えを教えてくれ」

 本当の選択肢は三つだが、アインズは三つ目の選択肢を取るつもりは既になかった。

 

 イビルアイは無言で頷いた。

 

「まず一つ目の選択肢だが、お前が王国を、もちろん蒼の薔薇も離れて、私に忠誠を誓い私の臣下となることだ。ただし、私がお前の愛情に応えられるかどうかについては、今の段階では何も約束できないし、何かを保証することもできない。お互い、今初めて相手のことを知ったようなものだ。だから、私達の関係がどうなるかは、今から作っていくものだ。違うか?」

 

「…………。はい、それはそうだと思います」

 

「そして、二つ目の選択肢だが……」

 

「…………」

 

「私の魔法でお前の記憶を操作し、魔導王アインズと英雄モモンが同一人物であること、そして、ここであったことを忘れてもらう。その後は、これまで通り蒼の薔薇の一員として普通に行動してもらって構わない。問題は私とモモンが同一人物であるということを知ったままにしておくことなのだから。それさえ忘れてしまえば、何の問題もない」

 

 その言葉を聞いたイビルアイは、真っ青な顔をしてアインズを見つめた。

 

「どちらを選ぶのも君の自由だ。イビルアイ。私はどちらでも構わないぞ」

「ま、待ってください!!」

 

 アインズの言葉を遮るようにイビルアイが叫ぶ。

 

「ん? どうした?」

 

「忘れるのは……、忘れるのだけは嫌です! それだけは、絶対に……」

 イビルアイは全身を震わせながら、必死になってアインズに訴えかけた。

 

(むしろ、こんなことは忘れたほうが幸せな気がするんだがなぁ……。それとも、俺はやっぱり、まだよくわかっていないんだろうか……)

 アインズは首をかしげる。

 

「それでは、イビルアイよ。我が国に来て私に仕えるということでいいのか?」

 

「すみません、それも……あの、少しだけ……少しだけ考える時間をください……!」

 

 イビルアイが何に引っかかっているのか、よくわからなかったが、確かにこれはイビルアイにとっては人生の岐路のような選択だろう。ならば、少しは時間を与えるべきだ。

 

「わかった、お前が納得できる答えがでるまで待とう。ただし、もう時間も遅い。待てる時間にも限度があると知ってほしい」

 

「ありがとうございます。多分、すぐ済みますから!」

 

 イビルアイが非常に真剣な様子で悩んでいる様子に、アインズはなるべく急かさないよう気をつけようと思う。そして、シモベ達には、手を出さないようさりげなく合図をした。

 

 

----

 

 

 イビルアイはしばらく考えた後、ようやく口を開いた。

 

「私は、この国にとても魅力を感じています。この国なら、私は自分を偽ることなく生きていけるでしょう。それに、モモン様、いえアインズ様が作られていくこの国の未来がどうなるのかも見たいと思っています。でも……」

 

 イビルアイは、懇願するようにアインズに訴えた。

 

「今の仲間たち、蒼の薔薇のメンバーは、私が吸血姫であることを知っていて、それでも大切な仲間として扱ってくれているのです。それを見捨てて去ることは、どうしても……その、できないのです……」

 

 大切な仲間を見捨てたくない。イビルアイのその言葉は、長いこと仲間を待ち続けたアインズの心を打った。

 

「……なるほど。その気持ちは私にもわからなくはない。つまり、今すぐ私の元に来るのは難しいということだな?」

 

「はい。ただ、アインズ様さえよろしければ、私の忠誠をここで誓いたいと思います。そして、それをもって私のアインズ様への約束とさせてください。どのみち、そう遠くない未来に彼女たちも年を取りチームを離れることになるでしょう。その時には、アインズ様の元でお仕えしたいと思います。もちろん、先程知ったことは、決して他に漏らすことは致しません。それに……少なくとも私はアインズ様への愛を諦めるつもりはありませんから!」

 

 自信満々に宣言するイビルアイの様子を見て、アインズはイビルアイの意志が揺るがないだろうと確信する。

 

「そうか、わかった。お前の忠誠を受け入れよう。では、お前がいずれ一人になったら私の元に来るがいい。どのみち、お互いにアンデッドなのだ。我々には時間はいくらでもあるのだから」

 

「はい……!」

 

 イビルアイは、初めて心の底から溢れるような笑みを浮かべ、それから、悪戯ぽい表情を浮かべると、アインズに思いっきり抱きついた。

 

「!!? イビルアイ、一体なにを!?」

「ああ、これが本当のモモン様なのですね……! ずっとこうしたかったのです!」

 

「そ、そうなのか?」

「はい!」

 

「……骨しかないんだが?」

「こうやってみると、骨もいいものですね!」

 

 あまりにも嬉しそうなイビルアイの様子に、アインズ自身も思わずなんともいえない愛おしい気分でいっぱいになる。最後にこんな気持を感じたのは一体いつのことだったのか、アインズには思い出すことはできなかった。

 

(パンドラズ・アクターにしてやられたと思っていたが、結局は、奴の思い通りになったのかもしれないな……)

 

 そして、一生懸命自分の骨しか無い首元に顔を擦り付けているイビルアイを見ながら微笑むと、その背中にそっと手を回し優しく抱きしめた。

 

 

----

 

 

 アインズは、モモンの姿に戻ってイビルアイを黄金の輝き亭まで送ると、ナザリックに帰還した。

 

 九階層の自室に戻ると、既に中でパンドラズ・アクターが待ち構えていた。

 

「アインズ様、お疲れ様でした」

 いつものごとく仰々しいお辞儀をするパンドラズ・アクターに、軽く手を振り、ソファーに腰を掛ける。

 

「お前もなかなか素晴らしい手回しだったな。礼をいうぞ、パンドラズ・アクター」

「勿体無いお言葉、ありがとうございます!!」

 

「パンドラズ・アクター、立ってないでお前も座るがいい」

 

 パンドラズ・アクターに着席を促すと、本日のメイドであるシクススに、飲み物を出してやるよう指示をする。

 

「ではお言葉に甘えまして、失礼いたします」

 

 珍しく、隣ではなく反対側に腰をかけると、パンドラズ・アクターは少し真面目な顔をした。

 

「それで、アインズ様、今回の実験はいかがでしたでしょうか?」

 

「そうだな、思ったよりは悪くなかったと思う。それに、まさかイビルアイが現地産のアンデッドだとは思っても見なかった。どうやらユグドラシルにはいないタイプのレア種のようだ。しかも、強力なタレント持ちでもあるらしい。彼女をナザリックに取り込めればナザリックの強化にも繋がるだろう。そう考えると、今回の件は想定以上の収穫があったのではないかと思う」

 

 そういいながら、自分の手を見つめる。なんとなく、先程抱きしめたイビルアイの柔らかな身体の感触が残っていて、少しふわふわした気分がする。

 

「それは、よろしゅうございました。しかし、あのまま帰してしまって本当によろしかったのですか?」

 

「本音を言えば帰したくはなかったが……。まぁ、別に構わないだろう。私に忠誠は誓ったことだし。あの様子なら今日のことを漏らすこともなかろう。それに、いずれにしても、あれは自分からこちらに来るはずだ。そう遠くない未来にな」

 

 アインズは、その日を少し楽しみにしている自分に気がつく。

 

「そうですね。全ては、アインズ様の御心のままに」

 

 そう答えるパンドラズ・アクターの表情は読み難かったが、少なくとも自分の計略が当たったのか、まんざらでもない顔をしているように見える。

 

「……ところで、パンドラズ・アクター。今日の件、アルベドには本当にバレてないんだよな?」

 

 それを聞いてパンドラズ・アクターは不思議そうにぐるっと首をかしげる。

 

「今日は、アインズ様が気晴らしに私を供にエ・ランテルを散策なされている時に『偶然』イビルアイと出会われたため、情報を引き出すべくお話をされた『だけ』でございますよね? 何か問題になることなどございましたでしょうか?」

 

(こいつ、腹黒っ……!?)

 アインズは呆れて、パンドラズ・アクターの顔を見る。

 

「まぁ、そうだな。……それなら、確かに問題はないな」

「ええ、お気になさることなど何もございませんとも」

 

 確かにバレていたとしたら、恐らく戻ってきた時に部屋の中でアルベドが仁王立ちして待ち構えていたに違いない。そう考えると、その辺はこいつが上手いことやっていたのだろう。

 

 涼し気なパンドラズ・アクターの顔を見つつ、アインズは、後で何かあったらこいつに押し付けようと心に決める。

 

「しかし、問題が一つできてしまったな……」

「何が、でしょうか?」

 

「後で、エントマには謝らなければならない……。以前、約束していたものは諦めてほしいと。何か他のもので我慢してくれるといいのだが……」

「それは問題ないでしょう。エントマとてアインズ様の願いであればそれを受け入れるのは間違いありません」

「それはそうなんだがな……。本当に、私は我儘だな」

 アインズは思わず苦笑する。

 

 「アインズ様はもっと我儘を言われてもよろしいかと」

 

 アインズの困ったような表情を見てパンドラズ・アクターは楽しそうに笑った。

 

 

----

 

 

 翌日、イビルアイは宿を引き払い、エ・ランテルの街から去ることにした。

 

 いつものローブを纏い仮面を被ったイビルアイは、荷物をまとめ黄金の輝き亭を後にすると、エ・ランテルの城門に向かう。

 

 もう、今回の目的は十分に果たせたのだ。いずれこの街にはまた来ることになるだろうし、その機会はこれからいくらでもあるだろう。

 

 左手の薬指には、昨日別れ際にアインズから渡された指輪が嵌っており、イビルアイはその指輪をそっと撫でる。

 

『たいした品物ではないが、これを持っていくがいい。アンデッドの弱点である炎属性と神聖属性の耐性を上げる効果のある指輪だ。今日は私も楽しく過ごせたからその礼だと思ってくれ』

 

 アインズはつまらない品だと笑っていたが、イビルアイからすれば大層なマジックアイテムだった。

 

「これがつまらない品物だというのだから、アインズ様は、本当に大した御方なのだな……」

 

 呆れたような口ぶりで言ったものの、なにより、愛する人から贈られた品である。それに、自分を守る効果があるということも、純粋に嬉しかった。これからは、彼がいない時もこの指輪が自分を守ってくれるだろう。

 

 そんな風に思っただけで、イビルアイは自分の気持ちが高揚し、愛情で胸がいっぱいになるのを感じる。

 

(今すぐは無理だけど、あと何年かしたら、きっとあの方の心を手に入れてみせる! 同じアンデッドなのだし、何の問題もないはずだ!)

 

 そう、私達には時間だけはたくさんあるのだから。

 

 今までは、悲しみでしかなかったその事実は、今のイビルアイにはこの上ない幸せに感じられる。

 

 イビルアイは、城門をくぐり、エ・ランテルの街の外に出た。

 

 しばらく歩いてから、ゆっくりとエ・ランテルの街を振り返る。

 

 門の前には、来た時と同様に愛しい人の像が二つ置かれてあった。それを長いこと見つめ、そっと指輪にキスをする。

 

 そして、イビルアイは徐に転移魔法を唱えると、王都へと帰還した。

 

 

 

 




アンコール・スワットル様、薫竜様、誤字報告ありがとうございました。

----

初めてまともに書いたSSでしたが、拙い文章を最後まで読んでくださった皆様、そして、感想、評価、誤字報告をしてくださった皆様、本当にありがとうございました。

これは、本編のアインズ様とイビルアイがほんの少しだけ、幸せになってくれることを願って書いた物語です。

あくまでもイビルアイの死亡フラグが消えスタートラインに立てただけなので、この後どうなるかはわかりませんが、イビルアイならきっと乗り越えてくれるでしょう、多分……


アルベド「抜け駆けなど許さん」
シャルティア「こんなの認めないでありんす」
エントマ「…………コロス」

アインズ「ちょっと待って!?お前たち、コワイ」




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幕間
アルベド VS アインズ(前編)


需要があるかはわかりませんが、後日談その1です。気が向いたので書いてみました。後悔はしていない!


 それは、ある意味、ほんのちょっとした不幸な偶然が重なった結果だった……。

 

 アインズとイビルアイが秘密の『デート』をした翌日、アルベドとモモンに扮したパンドラズ・アクターは、いつものようにエ・ランテルの魔導王の執務室で執務を執り行っていた。最も、国の方針に関する重要な案件についてはナザリックでアインズが決裁する必要があるため、二人が取り扱っているのは、あくまでもそれ以外の雑務にあたる部分に関してのみである。

 

 建国以来、魔導王が午前中はこの場所で執務をしていたという慣例上、アインズが休養中も、毎日この時間帯は二人が執務を執り行い、宰相アルベドや任期付都市長モモンに謁見を求める者などの対応も済ませることになっていた。

 

 そして、その日の執務時間の終了直前に入っていた謁見予定が、モモンの旧知の仲であり魔導国冒険者組合長アインザックだったのもほんの偶然だった。

 

 アインザックの用件は、冒険者組合の現状報告及び組合で発生している問題の相談であり、その事自体は特に滞りなく片付き、アルベドとモモンの提案に納得したアインザックはいつものように丁重に部屋を辞そうとした。……のだが、その帰りしなに彼は何の悪意もなく、ナザリックを破壊しかねない巨大な爆弾を落としていったのだ。

 

「そういえば、モモンくーー殿、昨日は随分お楽しみだったとか? 街では結構な噂になっておりましたよ。さすがに英雄モモン殿の人気は半端ないですな」

「組合長、一体何の話をしていらっしゃるのでしょう? 私にはなんのことやらわかりかねますが……」

 

 若干ニヤニヤ笑いをしながら、モモンをからかうような口調で話しかけたアインザックに、モモンことパンドラズ・アクターは、全く心当たりがないとばかりの冷静な口調で応える。

 

「別に隠すことなどないでしょう! モモン殿と私の仲ではないですか。しかし、モモン殿の趣味がまさかロリ……ごほん。いや、うら若い女性だったとは。以前、その……大人向けの店にお誘いした際に、モモン殿の反応がイマイチだったのも頷けますな」

「組合長、あまり根も葉もない噂を広めるのはやめてください。あと、あの娼館でのことはいい加減忘れていただけませんか?」

 

 モモンの呆れたような言葉も無視し、アインザックはふむふむと勝手に一人で納得すると、自分は理解のある大人の男だから何も心配しなくてもいいといった顔をしていたが、やがて、モモンの隣に座って二人の様子を眺めつつ、若干冷たい視線を自分に投げかけているアルベドに気がついたらしく、少々慣れ慣れしかった態度と口調を改めた。

 

「ああ、宰相様、御前で大変失礼を致しました……。それではアインザック、これにて退出させていただきます。モモン殿、それではまた!」

 

 アインザックは慌てて話を切り上げ、アルベドに向かって恭しくお辞儀をすると、そそくさと部屋を出ていった。

 

 バタン、と彼がドアを閉める音が妙に大きく部屋に響く。

 

 そんなアインザックを聖母のような優しい微笑みで見送ったアルベドの顔は、執務室の扉が閉じた瞬間、まさに鬼というべき形相に变化していた。部屋の空気は急激に冷え込んだように感じられる。扉の側に控えているメイドがかなり怯えているように見えるのは気のせいではないだろう。

 

「……パンドラズ・アクター。今のは一体どういうことかしら?」

 

 静かにそう告げるアルベドの声は、逆にその怒りの深さを思わせるもので、普通の神経のものだったらその場に倒れるか、慌てて逃げ出してもおかしくはなかった。

 

「はて? 何のことでしょうか? 守護者統括殿」

 

 不思議そうに首を傾げるパンドラズ・アクターを見て、アルベドはギリリとものすごい音を立てて歯ぎしりをする。

 

「貴方、昨日の午後はアインズ様のお供をしてエ・ランテルを散策するという話しだったわね?」

「ええ、そのとおりです。それが何か?」

 

 アルベドのあからさまな脅迫にもどこ吹く風といった顔で全く動じる様子もないパンドラズ・アクターの様子が、アルベドの膨れ上がる怒りの炎に更に一層油を注ぐ。

 

「貴方ね……。昨日アインズ様に何があったのか、正直に言いなさい!」

 

 アルベドは目の前の机を思いっきり叩きつけ、本来なら割れるような代物ではない重厚な黒壇の机に大きなヒビが入る。

 

「統括殿、アインズ様の机にそのような傷をつけるのは、少々はしたないのでは……?」

「なんですって!? 憎まれ口もいい加減になさい!!」

 

 やれやれ、といった風に肩を竦めるパンドラズ・アクターだったが、それで収まるようなアルベドではない。

 

「ですから……別にそのようにお怒りになるようなことなど、何もありませんでしたよ。何しろ、私が不可視化してずっとアインズ様のお側についておりましたから、余計な羽虫が近寄れる余地などあるわけないでしょう?」

 

「パンドラズ・アクター、私が聞いているのはそんなことじゃないわ! だいたい、先程のアインザックの話で、とてもそんな風には思えるわけないでしょう!? 少なくとも噂になるくらいには近づいた女、しかも少女? がいたのよね? 誰なの、不敬にもアインズ様に近づこうとした愚かな女は……!」

 

 アルベドの形相は既に鬼を通り越して、その本来の姿すら垣間見えるくらいの凄まじいものになっている。

 

 正直、アルベドとタイマンで力勝負になった場合、パンドラズ・アクターがアルベドから逃げ切ることは出来なくはないだろうが、少なくともシモベ同士がそのような喧嘩をしたことがモモンガの耳に入れば、慈悲深き彼の君が心を痛めることは間違いない。であれば、やはり直接衝突は避けなければならないだろうとパンドラズ・アクターは考える。

 

(これは少々まずいことになりましたね。なんとか父上の御為にも統括殿を宥めませんと……)

 

 全く、アインザックも余計なことをしてくれたものだ。パンドラズ・アクターは内心で独りごちながら、アルベドに向き直った。

 

「統括殿、少し落ち着いてください。モモンは市民に大変人気がございますから、それで面白半分に噂に尾ひれがついただけでしょう。昨日、アインズ様が散策されている時に、偶然、例の蒼の薔薇のイビルアイと出会ったんですよ。なにしろ彼女は大分前からモモンを追いかけ回していましたからね。私がモモンをやっている時であればよかったのですが、昨日は珍しくアインズ様がモモンをされておりましたから……」

 

「イビルアイですって……?」

 アルベドから、さらにギリィという大きな音が聞こえる。

 

「ただ、いくら羽虫とはいえ追い払うのはモモンとしての名声に傷がつきかねませんし、なにより、アインズ様は非常に慈悲深い御方。そんなわけで、アインズ様はイビルアイを上手く宥められて、その後少しばかり戯れで彼女に時間を割かれた、というだけの話ですよ。別に守護者統括殿がお気になさるようなことなどございません。それに、あのような下賤の者など、所詮我らが麗しの統括殿の敵ではないでしょう?」

 

 パンドラズ・アクターの言葉で多少は落ち着きを取り戻したようではあったが、それでもまだ納得の行かない様子でアルベドは言いつのる。

 

「そ、それは……、もちろん、あんな小娘に負けるつもりなんてないけれど……。でも、だからといって、アインズ様と一緒に散策なんて……不敬にも程があるわ!」

 

 私だってそんなことしたことないのにぃ、というアルベドの心の声が聞こえたような気がしたが、パンドラズ・アクターは気が付かなかったことにする。

 

「それと、アインズ様はイビルアイから面白い情報を入手されたようですよ。なんでも、イビルアイは現地産の吸血鬼の一種で、結構レア種らしいのです。統括殿は、確か現地産の吸血鬼の実験体を欲しがっておいででしたよね? アインズ様の見事な手腕で、既にイビルアイに忠誠を誓わせておられます。ですから、今すぐというわけではなくとも、今後、イビルアイがナザリックの忠実なシモベの一人になるのは間違いありません。統括殿としても、非常にご都合のよろしい結果なのではありませんか?」

 

「……あら、そうだったの? ふーん、あのイビルアイがね……。ちょっと意外だったわ。確かにそれは悪くない情報ね。さすがはアインズ様……」

 

「ですから、別に問題ないと申し上げましたでしょう?」

 

 それから、パンドラズ・アクターは声を低くしてアルベドに通告した。

 

「……それに、私と貴女は同志の筈。その私の言を疑われるのはあまり嬉しくはありませんね」

 

 そのパンドラズ・アクターの言葉に一瞬はっとした様子になったアルベドは、興奮した様子を抑えるといつもより少し酷薄な微笑をする。

 

「……。そうね。悪かったわ。私達は協力関係にあるのだから、疑うなど愚かな行為だったわね。謝罪させていただくわ。パンドラズ・アクター」

 

「おわかりいただけたのならよかったですよ。私とて、貴女とことを構えたくなどありませんから」

 

「そうね。それは私もよ。ただ、次はできれば私にも一言報告をくれると助かるわ。お互い誤解の元になることは避けないといけないから」

 

「確かにもっと早くご報告はすべきでした。これは私の手落ちでしょう。以後は気をつけます」

 パンドラズ・アクターは、軽くアルベドに向かってお辞儀をする。

 

「わかってくれたのなら構わないわ。ああ、でも、やっぱりちょっと憎たらしいわね、イビルアイ……」

 イビルアイに対する怒りはまだ冷め切らぬ様子のアルベドは、それでも尚美しく、女神然としたところは変わらない。

 

(全く父上にご迷惑をかけるようなことさえしなければ、統括殿も非の打ち所のない女性でしょうに。ほんとに美人というものは得ですね)

 落ち着きを取り戻したかのようにみえるアルベドの様子を眺めながら、パンドラズ・アクターは思案する。

 

(どうやら一旦収まったようには見えますが、念のため、後で父上に一言連絡を入れておいた方が良いでしょう。いくらなんでも守護者統括殿も父上の好感度が下がるような真似はしないと思いたいですが、以前にも暴走している守護者統括殿のことですし……。万一の場合の対策も考えておかないと不味いかもしれません)

 

 パンドラズ・アクターはアルベドに気が付かれないようにそっとため息をついた。

 

 

---

 

 

 今日の分の執務の内容についてアインズに報告をするべく、アルベドはパンドラズ・アクターが出ていった後も、執務室に残り各種の報告書を仕上げていた。

 

 アルベドの走らせるペンの音がサラサラと小気味よく流れ、凄まじい勢いで書類を作成していくその姿は、まさに魔導国が誇る敏腕宰相の名に相応しいものである。しかも、これを見せる相手が自分の愛する主人であることを考えるとそれだけで、アルベドの気持ちは高揚して、より一層優れた報告書にしなければと気合が入る。

 

 魔導国は全体として上昇基調にあり、国民達もかなり現在の治世を受け入れつつある。未だ反抗的な者たちが全くいないわけではないが、多少はそういう者たちを残しておき、反体制勢力を監視しやすくしておくのも大事なことだ。

 

(王国も刈入れ時が近づきつつあるようだし、デミウルゴスの聖王国が片付いたら、そろそろ刈り入れに向かう頃合いね。八本指からの報告では、あの思い出すだけでも不快な馬鹿が上手いこと火種を撒き散らかしてくれているようだし、ラナー王女がせっかく整えてくれた下準備も最大限有効活用した方がいいでしょう。あの女はなかなか期待に応える力が十分あるようだから、王国の件が上手く片付いたらもう少し便宜を図ってあげることも検討してもいいかもしれないわね)

 

 そう、例えば、あの犬の件とか……。

 

 アルベドは、ラナーの意図には全く気がつきもせず無邪気にラナーに纏わりついては笑うクライムの姿を思い浮かべ怪しい笑みを浮かべる。

 

(ああ、私もアインズ様をあの女が考えているような感じに出来たらどんなにいいかしら……)

 

 アルベドは、かなり不敬で良からぬことをアインズにする自分をつい妄想する。思わず、口から涎を垂らし、肉食獣的な本能を丸出しにしそうになって慌てて考えを振り払う。

 

(さすがに、これは不敬すぎる考えというものよ。別に、私はあの御方を汚すようなことをしたいわけじゃないのだから)

 ほんの少しだけペンを止め、アルベドは手元にある羊皮紙の上に並んだ字を眺める。

 

(……本当になかなか上手くいかないものね。せめてもう少し愚かな方であれば簡単に落とす自信はあったのに。いえ、でもそこがアインズ様の魅力なのよ。まさに不落要塞とでもいうべき、端倪すべからざる御方なのだから……。まさにこのサキュバスである私の全『性力』を傾けて落とすに相応しい……)

 

 アルベドは、彼女の心を魅了してやまない美貌の君のことを考えて、うっとりした表情になる。

 

(シャルティアなどに正妃の座を譲り渡すわけには絶対にいかないわ。そのためには、なんとしても私が先にアインズ様の御心を手中にしなければ!)

 それが叶うのなら、どんな手段を使うことも辞さない。アルベドは固く心に誓う。

 

 しかし――

 

 アルベドは、先程の一件が妙に引っかかっていた。

 

 一応、パンドラズ・アクターが挙げた理由も筋が通ってはいたし、現地産吸血鬼だというイビルアイを利用すればアインズを攻略する手がかりを入手できるかもしれない。これはかなりの吉報だとは思う。それに異形種のレア種ということであれば、常日頃ナザリックの強化に力を入れている主人が、ナザリックに取り込もうと考えるのはごく当たり前のことで、そこに異を唱えるつもりはアルベドにはなかった。

 

(ハムスケの例もあることだし、智謀の君であられるアインズ様がナザリックに必要とご判断されたうえ、アインズ様に既に忠誠を誓っているというなら、私ごときシモベが口をはさむことではないのだけれど……。どうにも、引っかかるのよね。あのパンドラズ・アクターの態度といい。やっぱり、何か隠しているんじゃないかしら?)

 

 それは、まさに恋する大口ゴリラ、いや、乙女の直感といってもいいものだったに違いない。

 

「……悪い芽は小さいうちに摘めともいうことだし。いくらアインズ様にその気がおありではなくても、イビルアイにあるのは事実。……不敬かもしれないけれど、こればかりは黙って見過ごすわけにもいかないわよね……」

 

 アルベドは、再び猛烈宰相の顔になると、書類の山を作成する作業に戻る。そして、纏め終わった報告書を手早く眺めて内容を確認すると、満足げに微笑んで書類の束をまとめる。

 

 それから、普段と何も変わらない優美な姿で立ち上がると、控えていたメイドにナザリックに帰還する旨を告げた。

 

 

----

 

 

 ナザリック九階層の自室で、執務机を前にしたアインズは頭を抱えていた。

 

(どう考えても、いずれイビルアイをナザリックに迎え入れるのであれば、早めにイビルアイの件をアルベド達に話さない訳にはいかないよなぁ……)

 

 『報連相は早めに』ということはアインズ自身も身にしみていることでもあるし、シモベたちにもこれまでアインズ自身が重ね重ねいってきたことでもある。だから、支配者であるアインズがそれを疎かにするわけにはいかない。しかしながら、この件に関してアインズが脳内で話し方をあれこれシミュレートしても、最終的にはアルベドと修羅場になる結果にしかならないのだ。

 

(シャルティアはな……、なんだかんだいっても、受け入れてくれるとは思うんだよ。なんといっても同じ種族だし、ペロロンチーノさんの性的嗜好からいって、イビルアイはシャルティア的にも結構好みのタイプな気がするし。それがいいのかどうかはよくわからないが……)

 

 だが、アルベドは一筋縄ではいかないだろう。守護者統括としての立場的にも、恐らく自分がやらかした設定的にも。

 

(どうしたらいい? いや、別にアルベドだって命令すれば受け入れるんだろうけど、なるべくそれはしたくないし……)

 

 事前にデミウルゴス辺りに相談しておけばよかったと今になって後悔するが、何分、彼は今聖王国でのイベントのクライマックスの準備で多忙な筈であり、かなり個人的な部類に入るこのような案件で、デミウルゴスを煩わすのはさすがに躊躇われる。

 

「これは、腹を括って話すしかないだろうな。別にイビルアイと何かあったわけじゃないのは本当のことだ。逆に下手に隠せばあの頭脳明晰なアルベドのことだから、余計なことまで勘ぐるに違いない。何気なく、そう、何気なくだ」

 

 しかし、かなり前にハムスケをペットにするといった時も、アルベドは凄い剣幕で反応していたことをアインズは忘れてはいなかった。

 

(いくら巨大だとはいえ、たかがハムスターくらいでアルベドがどうしてあんなに怒ったのか俺には全く理解できないんだが……。所詮ただのペットじゃないか? だけど、今回のは年齢はいくら二百歳といえども見た目は女の子だからなぁ。アルベドはハムスケの時よりももっと怒るような気がする。……一体どんな感じに説明すれば、アルベドは納得してくれるんだろう?)

 

 相手は自分の部下だというのに、まるで親会社の社長相手にミスの弁解をしてくるように上司に命令された気分になってくる。

 

(いや、これはそもそもミスとかじゃないし。いわゆる有能社員の引き抜き案件と同じはずだ。実際、イビルアイの能力はこの世界としては格段に有能な部類だろう。それをとにかく主張してイビルアイの有用性を説明するしかない。アルベドだってナザリックに利があると納得すれば、問題ないはずだ)

 

 うんうん、とアインズは一人で頷く。アルベドが聞いたら、違う、問題はそこじゃない、と突っ込まれそうだが、アインズにはそれは未だ理解の範疇外のことだった。

 

 誠意を持って説明すれば、大抵のクレーマーは納得してくれる、そう鈴木悟が勤めていた会社の先輩も言っていた。

 

(別に、アルベドはクレーマーなわけじゃなくて、単に俺が設定を書き換えてしまったせいで少し……その、残念になってしまっているだけなんだから、きっと大丈夫に違いない。よし、この方針で行くぞ!)

 

 アインズが一人、PVN をする悲壮な覚悟を決めた時、部屋をノックする音が聞こえた。

 

 今日のアインズ当番のメイドであるデクリメントが応対し「アルベド様が、入室の許可を求めていらっしゃいます」と言ってきたので、軽く手を振って許可を出す。

 

 その時、唐突にアインズの頭の中に聞き慣れた若干喧しい〈伝言〉の声が響いた。

 

『父上、パンドラズ・アクターです! 実はアルベドに昨日の件がバレました。一応私の方でも対策は考えますが、くれぐれも統括殿にはご注意くださいますようお願いします!』

 

 それだけ言ってパンドラズ・アクターからの一方的な〈伝言〉が切れる。

 

(ちょっと待って!? せめて、どういう状況になってるのかだけでも説明してから切れよ!)

 

 と思うが既に遅い。アルベドには入室許可を出してしまったのだ。今更もう一度、アインズの方からパンドラズ・アクターに〈伝言〉する時間などない。当のアルベドはとっくに部屋の中に入ってきてしまっているはずなのだから。

 

 目を上げると、非常に妖艶な笑みを湛えたアルベドが、既に執務机のすぐ側であるいつもの場所に立っていた。

 

「アインズ様、本日のエ・ランテルでの執務に関する報告書をお持ち致しました」

 

 そのセリフはいつもと全く同じものであったが、アルベドの背後に絶望のオーラと似たような何かが漂っているのが感じられる。アインズは思わず、出ない唾を飲み込んだ。

 

「それと、昨日はいろいろ楽しまれたそうですね。宜しければアルベドにも詳しいお話をお聞かせいただけないでしょうか?」

「あ、ああ、その件については、先に書類仕事を片付けてからだな……。それで構わないだろう?」

「もちろんでございます。ゆっくりお聞かせいただければ、アルベドも嬉しゅうございますわ」

 

 アインズは、とりあえず当座の問題を数時間後の自分に丸投げすることにした。なんとかその間に、アルベドを上手く誤魔化す言い訳を思いつけるよう願いながら、虚ろな目で書類の字面を追うが、当然のことながら内容は全く頭に入ってこなかった……。

 

 




アンコール・スワットル様、薫竜様、kuzuchi様、誤字報告ありがとうございました。


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アルベド VS アインズ(後編)

 およそ四時間ほどで山のようにあったはずの書類も尽きてしまった。アインズは、これほど仕事が終わらなければいいと思ったことはかつてなかった。もちろん、リアルにいた時でさえ。

 

 その間、ずっと側に控えて書類仕事の手伝いをしてくれていたアルベドは、今は決裁の内容に合わせて書類を分類し明日の仕事に備えているようだ。見た目的にはいつもと全く変わりのない光景だが、今日はこの後にレイドボス級のイベントが待ち構えているのだ。

 

(何が全てお任せくださいだ! パンドラズ・アクターめ!)

 

 心の中でパンドラズ・アクターに八つ当たりをするが、最終的に責任を取らなければいけないのは、いくら嵌められたとはいえ作戦に同意した上司であるアインズだ。後は、覚悟を決めてやるしかないだろう。

 

「それでは……、一段落ついたようだし、そちらのソファーで話をしようか。アルベド」

 アインズが声をかけると、アルベドは嬉しそうな顔で頷く。

 

(こうやって見ていると、別に普通に話せばいいだけな気もするんだが……。なんだろう。俺の直感が、これは危険だと叫んでいる……)

 

 しかしいつまでも時間を引き伸ばすことは出来ない。アインズは重い腰を上げ、部屋の中央にあるソファーに移動する。アルベドもそれに追従するように移動してくるが、そのままソファーには座らずに立っている。

 

「アルベド、向かいに座るがいい」

「ありがとうございます。では失礼致します」

 

 優雅にふわりと腰の周りの羽を一瞬嬉しそうに広げて、アルベドはアインズの向かい側に腰をかけた。

 

 さて、どう話したものかとアインズが考え込んでいると、アルベドが首を傾げるようにこちらを見ていたが、やがてひどく可愛らしい雰囲気で口を開いた。

 

「アインズ様、できれば人払いをお願いしたいのですが……ダメでしょうか?」

 

 一瞬、アインズはそのあまりにも魅力的な声と仕草に目眩のようなものを感じた気がした。しかし、アルベドの提案はアインズとしてはあまり譲りたくない一線だった。

 

 確かに、これから話す話を他のものにはなるべく聞かれたくない、という気持ちはアインズにもある。だが、例のアルベドご乱心の事件を思い出すと、一人きりでアルベドと対峙するのも怖かった。恐らく八肢刀の暗殺蟲では、いてもいなくてもアルベド相手には役に立たないかもしれない。しかし、それでもアインズは部屋の中に味方がいて欲しかった。何よりもそれで多少の牽制になれば、十分用は足りるのだから。

 

「アルベド、お前が何を考えているのかはわからないが、これからする話は大した内容でもないわけだし、別に構わないのではないか?」

 アインズはアルベドの妙な雰囲気には気が付かなかったふりをして、ささやかな抵抗を試みた。

 

「そんなことはありません! アルベドもアインズ様とたまには二人きりで過ごしてみたいのですわ。別にエ・ランテルを一緒に散策したいとまでは申しませんから!」

 

(くそ! これ、どう考えても完全にバレてるじゃないか!?)

 心の中で思いっきり、パンドラズ・アクターの頭を殴りつける。

 

「……昨日だって、私は一人でうろついていたわけではない。パンドラズ・アクターも一緒だったし、他にも多くのシモベが周りにいた。ならば、それと同じだろう?」

 

「それでも……ですわ。エ・ランテルと比べて、ナザリック内部の防御は完璧です。それに万が一の時には、この私が命に代えてアインズ様をお守り致しますから……!」

 

 いや、一番コワイのはお前だ、とはさすがのアインズも言うことは出来なかった。

 

 もはや完全に退路を絶たれた気分になったアインズは、渋々シモベ達に退室するよう命令をし、アルベドと二人きりで向かい合った。二人の間を隔てるのは、ソファーの間にあるローテーブルのみ。アルベドが相手では、こんなものは何の防御にもならないだろうとアインズは絶望する。

 

「それで、アルベド、……昨日の話を聞きたいのだったか?」

 

「はい、非常にアインズ様が楽しまれたという噂を耳に致しましたので。なんでも、可愛らしい女の子を連れていらしたそうですね?」

 

 にこやかに微笑んでいるアルベドだが、その笑顔の後ろに薄ら寒いものを感じる……。しかし、ここは、なるべく正直にさり気なく話をすれば別に問題などないはずだ。俺には何も後ろ暗いことなど何もないのだから……。いや、後ろ暗いことをしようとしてもどのみちナニもないし……。

 

 自分の考えにほんの少しだけもの悲しい気分になるが、アインズは当初の予定通り、なるべく無難に話をすることにした。

 

「可愛らしい女の子というが……、アルベド、お前も知っているだろう。つい最近、蒼の薔薇がエ・ランテルに来ていたことを。昨日、エ・ランテルの街中で偶然そのイビルアイと出会ったのでな。少しばかり散策がてら話を聞いただけのことだ。別に、お前が興味を持つほどの面白い話でもなんでもないだろう?」

 アインズは苦笑した。

 

「……、本当にそれだけなのでしょうか?」

 

「もちろんだとも。ああ、ただ、そのついでに、イビルアイの思いがけない素顔が知れたのは収穫だった。奴は、吸血姫という私でも聞き覚えのない吸血鬼のレア種らしい。現地産でコミュニケーション能力のある知能の高いアンデッドというのもレアだと思う。少なくとも、そのような個体は我々が出会った現地産のアンデッドの中では、今のところ六腕配下にいたというエルダーリッチくらいではないか? まあ、あれは、王国の事件の際に死んでしまったわけだが。だとすると、イビルアイはナザリックにとってなかなか得難い戦力になりうる存在だろう。少なくとも私はそう思っている」

 

 アインズはここぞとばかりにイビルアイの売り文句を並べ立てた。鈴木悟の営業スキルの見せ所だ。この内容なら、いくらアルベドでも文句のつけようはないはずだろう。

 

「それは、確かに興味深いお話だと私も思います。現地産の吸血鬼は私としても実験体として欲しかったことでもありますし。そのようなことであれば、アインズ様さえ宜しければ、イビルアイを捕獲して実験に利用したいと思うのですが構わないでしょうか?」

 

 アルベドから、何かネットリしたような視線を感じるような気がする。それに、これを許可すると非常に物騒なことをアルベドがしそうな気がするのは気のせい……じゃないだろう。

 

「いや、それは却下だ。イビルアイは私に既に忠誠を誓っているし、いずれナザリックに迎え入れようと考えている。だから、そのような扱いをすることは許可できない」

 

「私としては、アインズ様がそのように既にご決定されたということでしたら、特に異存はございませんが……。それは本当に、イビルアイがレアな現地産の吸血鬼だから、という理由だけなのでしょうか?」

 

 その言葉で、ほんの一瞬、昨日のイビルアイを抱きしめた時の柔らかい感触を思い出して、アインズは再び何とも言えない暖かい気持ちになり、ただの骸骨でしかない顔が少し火照った気がする。

 

 しかし、アインズの建前の理由は、先程話した内容通りであるのは間違いないし、アインズの本心としても、その理由でほとんど正しいはずだ。少なくとも嘘を言っているつもりはない。アルベドが何を知りたがっているのか今いち理解できないアインズは、アルベドの突っ込みに首を傾げた。

 

「……私としてはそのつもりだが、他に何か問題でもあったか?」

 

「いえ、実は先程少し気になることがエ・ランテル中の噂になっていると耳にしたものですから……。なんでも、モモン様、いえ、アインズ様と蒼の薔薇のイビルアイが『恋仲』になっていると……」

 

 アルベドは少し俯き、肩を震わせているように見える。

 

「…………は?」

 

 アインズは『恋仲』などという、一生自分に適用されることがないと考えていた単語を聞いて、驚愕のあまり間抜けな声をつい出してしまった。しかし、これでは余りにも支配者として不適切な態度だと思い直し、軽く咳払いをして誤魔化すことにした。

 

「んん……、アルベド。すまないが、もう一度言ってくれるか?」

 

「ですから、アインズ様とイビルアイは恋人同士だという噂でエ・ランテルが持ち切りなのだそうです。……このアルベド、ずっとアインズ様をお慕い申し上げて参りましたのに……。この噂は本当なのでしょうか?」

 

 アルベドは俯けていた顔を上げ、その美しい瞳から、はらはらと真珠のような涙を溢れさせてこちらをじっと見つめている。その様子を見るだけで、アインズは自分の犯したことの罪深さを思い知り、無い心臓が締め付けられるような気分を味わう。そんなつもりはなかったが、アルベドからすれば、自分の昨日の行動は裏切り行為といってもいいものだったのかもしれない……。

 

「アルベドよ、それは誤解だ。少なくとも、私はイビルアイとはそのような関係になったつもりはない。それはイビルアイだって同じだろう」

 

「……それは、本当でしょうか?」

 

「嘘をいってどうするんだ? そもそも、昨日出会って話をするまで、私はイビルアイがアンデッドであることを知らなかったし、イビルアイだってそうだ。それなのに、急にそんな話になるはずなどありえないだろう? 一体何処でそのような噂になったのかは知らないが、それは全てただの誤解だ。さぁ、これで涙を拭くといい。アルベド、お前には涙は似合わないと思う」

 

 そう言って、アイテムボックスからハンカチを一枚取り出すと、身体を乗り出して、アインズはアルベドの涙を拭こうとした。

 

 と、その時、アインズの目の前が急に逆転したような感覚を覚える。そうだ、この感覚には覚えがある。以前アルベドに押し倒された時の……。

 

 そこまで考えて、アインズは我に返った。ちょっと、やばいんじゃこれ……。

 

 目の前には、完全に肉食獣と化した、残念な美女の顔があり、自分はソファーに組み敷かれていることに気がつく。

 

「ちょ、ちょっと待て! アルベド! 一体何をする!?」

 

「……アインズ様にそのような噂をたてられるくらいでしたら、私が先に既成事実を作りたく思います!」

 

 ダメだ。これは。完全に目がイッてる。しかも、今日はあの時とは違い、八肢刀の暗殺蟲もマーレもいない。自分一人でアルベドから逃げるのは、ほぼ不可能だ。

 

 念のため、ほんの僅かな期待を込めて天井を見上げるが、当然そこには誰もいない。やはり人払いするべきではなかった。アインズは盛大に後悔する。だが、もう遅い。

 

「アルベド! 話せばわかる! わかるから、少し落ち着け!!」

 

 必死になって抵抗を試みるが、魔法詠唱者であるアインズの力など、所詮戦士のアルベドからすれば赤子のようなものである。

 

「大丈夫ですわ、アインズ様。天井の八肢刀の暗殺蟲を数えて……、いえ、今日はおりませんでしたわね。ゆっくり明かりの数でも数えていてくだされば、それで全て終わりますから!」

 

「大丈夫じゃない! いいから、私から降りろ! アルベド!」

 

「今日のために、アインズ様のローブを脱がす練習もちゃんと行って参りましたので、前回よりもスムーズにことを進められる自信があります。アインズ様がイビルアイに与えられた御慈悲程度で構いません。私にもどうかお与えくださいませ」

 

「いや、だから! イビルアイとは何もないと言っているだろう!?」

 

 しかし、この PVN に於いてアインズには勝ち目はほぼない。勝つとしたら、そもそもこのような状況にならないようにするか、偶然誰かが助けにやってくることに賭けるしかないだろう。だが人払いをしてしまった以上、助けがくる可能性は限りなく低い。アインズは己の迂闊さに歯噛みをする。

 

 そうこうしている間に、アルベドは上手いこと自分のローブをはだけさせ、完全にマウント状態になっている。練習したかいがあったのか、自分の手際の良さにアルベドが幾分得意そうな顔をしているように感じる。

 

(もう、このまま、俺はアルベドに喰われるしかないのか……)

 

 さすがのアインズも抵抗するのを半分諦めかけたその時、部屋の扉が大きな音を立てて開き、パンドラズ・アクターと、シャルティア、アウラが駆け込んできた。

 

「アインズ様! ご無事でしたか!?」

「おい! この大口ゴリラ! アインズ様に何やってやがるんだ? ゴラァ!」

「ちょっと、シャルティア、そんなこと言ってないで、アルベドを取り押さえるのを手伝って!」

 

「!!? あんた達、一体どうして……!? あとちょっとだったのにぃ!!」

 

 悔しそうに叫ぶアルベドを、シャルティアとアウラが上手に連携して取り押さえ、パンドラズ・アクターが恐らく宝物殿から持ち出したのだろう、見覚えのない拘束アイテムを使ってアルベドを拘束する。

 

「間一髪でしたね。シャルティア殿、アウラ殿、御協力ありがとうございました」

 

 珍しく真面目にお辞儀をするパンドラズ・アクターに、アウラとシャルティアも満更ではない様子で応えている。

 

「そんな、いいって。そもそもアインズ様をお守りするのが私達守護者の仕事だしー」

「全くでありんす。それなのに、まさかアインズ様を襲ったのが同じ守護者の、しかも統括だなんて、ほんと信じられない話でありんすね」

 

「いや……。本当に助かった。ありがとう、お前たち。全く情けないところを見せてしまったな……」

 アインズは心からそう思い、三人に礼をいう。

 

(た、助かった……。ほんと、もうダメだと思った……)

 

 アインズは酷く乱れた自分のローブを直しながら、アルベド対策を真面目に考えなければいけないと決意する。二度ある事は三度あるとか言うんだったか。とにかく、アルベドがこれで諦めるとはとても思えない。それにこれ以上シモベにこんな姿を見られるのは、支配者としても、男としても余りにみっともなさすぎる。

 

「そんな、アインズ様にお礼を言われるようなことじゃありんせんから。そもそもこの大口ゴリラが全て悪いに決まってますぇ」

「全くですよ。理由はともかく、アインズ様にこのようなことをするなんて。……ほんと、信じらんない」

 

 アウラとシャルティアが口を揃えてアルベドを睨みつけた。パンドラズ・アクターは黙ったまま、それを二人の脇に立って見ているようだ。

 

「……、アインズ様、申し訳ありませんでした……」

 

 同僚二人の冷たい視線に多少思うところがあったのだろう。アルベドがおとなしく俯いて謝罪した。

 

「……アルベド。確かに今回は私にも至らぬ点はあっただろう。だが、こういうことはお互いの同意のもとにやるべきだと私は思うのだ。違うか?」

 

「仰る通りだと思います……」

 

「わかってくれたのなら、それでいい。もう二度とこんなことはするなよ? あとイビルアイにも余計な手出しはしないように。いいな?」

 

「…………はい……」

 

 かなり不承不承ではあったが、とりあえずアルベドは了承はした。であれば、今日のところはここまでにしておくべきだろう。しかしこれだけは言わなければと、アインズはげんなりして付け加える。

 

「ああ、アルベド、謹慎三日間な。アウラとシャルティア、悪いがアルベドを部屋まで連れて行ってやってくれ」

 

「ええ、そんなぁ……!!」

 

「畏まりました!」

「わかりんした!」

 

 アルベドが上げる悲鳴をよそに、アウラとシャルティアは元気よく返事する。

 

「ところで、アインズ様、イビルアイがどうかしたんですか?」

 先程のアインズのセリフが少し引っかかったのだろう。アウラが怪訝そうにこちらを見ている。

 

「あぁ、そのうち守護者全員が集まった時に説明するつもりだったのだが、今ここにいるお前たちには先に話しておいてもいいだろう。私は、蒼の薔薇のイビルアイを今すぐではないが、ナザリックに迎え入れようと思っているのだ」

 

「イビルアイというと……、エントマに手を出した不埒者でありんすよねぇ? アインズ様、本当に宜しいんですか?」

「それに、イビルアイって人間ですよね。別に、アインズ様がお決めになられたことなら構わないですけど、そいつ、ナザリックに入れて大丈夫なんでしょうか? 以前セバスが連れてきた人間の女もあまり馴染めてないらしいですよ」

 

「確かにその話は私も聞き及んでいる。しかしイビルアイは人間ではなく吸血鬼だ。だからナザリックに所属することに関して特に問題はないだろう。それと、彼女は既に私に忠誠を誓っているから、今後変な手出しは控えるようにして欲しい。エントマについては、後で私から説明をするつもりだ」

 

 イビルアイが吸血鬼と聞いて、シャルティアの目が妙に熱をもった感じに輝いた……気がする。

 

「アインズ様、一つお伺いしてもよろしいでありんすか?」

「ん? なんだ? シャルティア」

 

「アインズ様は、イビルアイの素顔はご覧になられたんでありんすか? イビルアイって仮面を外すと、どんな感じなんでありんしょう?」

「ああ、見せてもらったとも。そうだな……。なかなか綺麗な赤目で、それなりに可愛らしい少女ではあったな」

 

「そうでありんすかぁ……。それはなかなか悪くないでありんすねぇ……」

 

 シャルティアが変な方向に妄想して頬を赤らめているように感じるのは、多分俺の見間違いだろう。まぁ、なんだかんだいっても、シャルティアはイビルアイと上手くやってくれそうな気がする。

 

 アウラは、それなら、と素直に納得してくれたようだ。本当に良い子だよ、アウラは……。

 

 そんな二人をギリリと歯ぎしりをしながら見ていたアルベドは、今度は妙にどす黒い瞳を自分に向けてきた気がするが、アインズはそっとアルベドから視線を外した。

 

「それでは、二人ともアルベドを頼んだぞ」

「はい、お任せください!」

 

 アウラとシャルティアは若干意地悪い表情になって、拘束されたアルベドを引き摺って部屋の外に出ていった。

 

「ほら、行くよ。シャルティアそっち持って」

「全くいい格好でありんすこと。いかにも大口ゴリラって感じ」

 

「あんたにだけは言われたくないぃ! きいぃ……!!」

 

 まぁ、これでしばらくはアルベドも大人しくしてくれることだろう。

 

 アインズは当座の最大の危機を乗り切れたことを、信じてもいない神に感謝した。

 

 

----

 

 

 しばらく廊下から三人の賑々しい話し声が聞こえていたが、やがてそれも遠ざかり、静かになった部屋に残されたのは、アインズとパンドラズ・アクターだけだった。

 

 しばらくしても何も言わず動こうともしないパンドラズ・アクターに、流石に不審に思ったアインズが声をかけた。

 

「パンドラズ・アクター? 一体どうしたんだ?」

 

「…………父上、誠に申し訳ございませんでした!!」

 

 パンドラズ・アクターはその場で倒れ込むようにして、アインズの前に跪いた。

 

「私の不手際が原因で、父上を危険に晒してしまったとは、全くもって面目次第もございません! 罰は如何様なものでも甘んじて受けさせていただきます!」

 

「パンドラズ・アクター……」

 

 パンドラズ・アクターの悲痛な声に、アインズも思わず絶句する。

 

 確かに、今日の一件はパンドラズ・アクターの失態もあっただろう。しかし、やはり最終的に責任を取るべきなのはアインズであることには変わりはないし、パンドラズ・アクターだって彼なりにアインズのことを考えてくれた結果でもあったはずだ。それに、アインズ自身かなり危機意識が薄かったせいでもある。主に守護者統括に対して。

 

 そう考えれば、責められるべきはパンドラズ・アクターではなく、やはりアインズ自身だろうし、なんといっても、パンドラズ・アクターの機転のお陰でなんとか無事に危難を回避出来たのだ。であれば、むしろ褒められるべきだろう。

 

「パンドラズ・アクター、面を上げよ」

 

 しかし、パンドラズ・アクターは床にへばりつくように伏したまま、頭を上げようとはしなかった。

 

「パンドラズ・アクター、聞こえなかったのか? 私が顔を上げるよう命じたのだぞ?」

 

 パンドラズ・アクターはようやく頭を上げたが、無表情なその顔は、なぜだか涙でぐしゃぐしゃになっているようにアインズには見えた。

 

「パンドラズ・アクター。私はお前を責めるつもりはない。今日の一件は、私自身の迂闊さが招いたことだ。むしろ、お前のお陰で最悪の事態は回避できたといってもいい。だから、私はお前にとても感謝しているし、罰を与えるつもりなどはない。わかったか?」

 

「父上、しかし……」

 

「いいか、パンドラズ・アクター」

 

 アインズは腰をかがめると、パンドラズ・アクターの顔をその骨の両手でそっと包んだ。

 

「確かに、私だってお前に今回の件で言いたいことが無いわけではない。だが、お前が私のためにやってくれたことで、私自身、ほんの少しだけだが、以前とは違う何かを掴めたような気もする。もっとも、お前からすればまだまだ足りているわけではないかもしれないが……、それもお前の功績だろう?」

 

 それを聞いたパンドラズ・アクターは何故かひどく震えているように感じる。しかし、いつもは自分の黒歴史を刺激されて、どちらかといえば邪険にしているパンドラズ・アクターにも、昨日イビルアイに感じたような、不思議な愛おしさを感じているのに気がつく。

 

「だから、お前は今回の件で落ち込む必要はない。いいな?」

 

 そういって、アインズはパンドラズ・アクターの頭を優しく撫でた。

 

 とたんに何かのスイッチが入ったのか、急にいつものペースにパンドラズ・アクターが戻り、アインズは少し騙された気分になる。自分が心配したのは一体なんだったのか?

 

「ありがとうございます!! 父上!! このパンドラズ・アクター、父上に更にお役に立ち、御身に我が身の全てを捧げることをここに誓います!!」

 

「あ、ああ、ほどほどに……な?」

 

 しかし、先程のようにしょんぼりしたパンドラズ・アクターを見るくらいなら、このくらい元気なほうがまだマシに思える。そんな風に思う自分にも少し驚くが、アインズは今のパンドラズ・アクターが以前よりも苦手ではなくなっているように思える。

 

(俺も少しは成長しているのだろうか? アンデッドだけど……)

 

 アインズは、床に伏したままのパンドラズ・アクターの手を引いて立たせると、なんとなくそうしたくなって軽くその背中を叩いた。それに一瞬パンドラズ・アクターは驚いた様子だったが、すぐに嬉しそうな笑顔になって、アインズにいつものように仰々しい仕草でお辞儀をした。

 

 

 

 




Sheeena 様、薫竜様、誤字報告ありがとうございました。


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ツアー、旧友が来訪する

 その日、彼はいつものように、ここ数百年ほど自分の塒にしている気に入りの場所で微睡んでいた。

 

 この数年間というもの、彼は常に自分の意識を飛ばして、この世界に既に来ているかもしれないプレイヤーの影を探していた。彼が以前遭遇した邪悪な雰囲気を纏った吸血鬼は、あの後いくら探しても姿を見つけることはできなかった。しかしそれとは別に、明らかにプレイヤーと思われる存在が強大な魔法を行使し国を立ち上げたことには気がついていた。

 

(あの存在も正直、邪悪な部類に属する存在だと思っていたのだけれど) 

 

 しかし、ツァインドルクス=ヴァイシオン、またの名を『白金の竜王』とも呼ばれる、が観察する限りその存在は完全な邪悪とも思えないのだ。

 

(少なくとも『彼』が今現在作り上げている国の在り方からして、法国とは相反する主義の持ち主みたいだし、八欲王のように自分の利益だけを求めて周辺諸国を蹂躙するわけでもないし、武力だけに頼ることもしていない。恐らく『彼』がその気になれば、この世界などあっという間に滅ぼせるくらいの力は持っているはずなのに……)

 

 ツアーは首を傾げる。

 

 あの存在については正直わからないことばかりだ。これまでのプレイヤーとは違い、特定の種族に肩入れすることもなく、無差別に何かを仕掛けることもない。

 

 しかし、既に小国とはいえ一国を建国し、帝国は完全にその属国になってしまっているし、王国や聖王国にも少なからぬ影響を及ぼし始めているようだ。おまけにこれまで統制のとれていなかった亜人種や異形種なども、それなりの数の部族を秘密裏に支配下に置いているらしい。さすがに、そろそろ評議国としても、そして世界の『調停者』としても、真剣に対応を考えなければいけないだろう。

 

(リグリットはあの後ここに来てくれてはいないけど、少しはユグドラシルのアイテムの情報は手に入れられたのだろうか? このギルド武器を使うことは僕にはできないし……)

 

 親しい友人のことと、自分が守っている貴重な宝のことを少しの間考え、それからまた『彼』について思考を戻す。

 

(ようやく『彼』のギルド拠点らしきものは見つけたけれど、彼らは一体どの程度の戦力なのだろう。恐らく、以前出会ったあの吸血鬼は『彼』の仲間なのだろうけど、そもそもあの吸血鬼はプレイヤーなのか、それとも従属神なのか?)

 

 彼らは自分たちの情報が外に漏れることを極端に警戒している、とツアーは思う。

 

 これまでツアーは何度もプレイヤーと対峙してきたが、今回のようなケースは初めてだった。大抵は、自分たちの力がこの世界では非常に強いことに気がつくとその力を誇示し、良きものなら世界を救い、悪しきものなら世界を滅ぼそうとする。そして、多かれ少なかれ、この世界に大いなる希望か絶望をもたらすのだ。突然一人きりで見知らぬ世界に降り立ち、混乱し、逆にひっそりと隠遁生活を送ろうとするものもいなかったわけではないが、それはそれでかなりの稀なケースだ。

 

 なにしろ、プレイヤーという存在は、この世界から見ればまさに神に等しい力と、強力な魔法が込められたアイテムを複数持っているのが当たり前なのだから。力に溺れない方がおかしいのだ。

 

(『彼』がこの世界にとって良い存在だとはっきりわかればいいんだけど……)

 

 ツアーはそう考えてため息をつく。それを知るには、やはり本人と直接対峙して対話するしかないだろう。少なくとも相手はある程度は良識的に振る舞ってはいるようだから、評議国、そして『白金の竜王』から正式に対話を申し出れば、拒むことはないように思われる。

 

(やはり、リグリットあたりの意見も聞いてみたいところだな。彼女ならもっと細かいことまで情報を集めているはずだ。いい加減、顔を見せてくれるといいのに……)

 

 

----

 

 

 ツアーが考えるのをやめ、再び意識を世界に飛ばしつつまどろもうとした時、急にその場の空気が乱れ、誰かが侵入してきたことに気がつき一瞬警戒をする。しかし、入ってきた相手が誰なのかが分かると、微笑みを浮かべた。

 

「……ああ、君か、リグリット。久しぶり。ちょうど君が来てくれるといいと思っていたところだったんだ。それにどうやら、珍しいお客さんも一緒だね?」

 

「ツアー。ちょうどこちらに向かおうとしている時にいきなり訪ねて来たんでね。せっかくだから、引っ張って来たのさ」

 

 くつくつと意地悪そうに笑うリグリットの後ろには、少しバツが悪そうな顔をしたイビルアイが仮面を外して立っていた。

 

「いや、私は、リグリットにちょっと話というか、相談……があっただけだったんだが……。まあ、ツアーにも聞いてもらってもいいかな、とも思って……」

 

「君の相談だなんて興味深いね、キーノ。一体、何があったんだい?」

 

 ツアーが珍しくからかうような口調でイビルアイに声をかける。側に立っているリグリットもニヤニヤ笑いが抑えられないようだ。

 

「ツアー、ちょっと見てご覧よ。インベルンの嬢ちゃんが左手の薬指に指輪なんて嵌めてるんだよ? 随分長いこと一緒に旅をしたりもして来たのに、これまではずっとそんなことには全く興味がないって顔をしていたのにさ」

 

 そのリグリットの発言で、イビルアイの顔は真っ赤に染まる。

 

「へぇ……。僕は人間のそういう風習についてはあまりよくわからないんだけど、それってもしかして、キーノに彼氏とかいうのができたっていうこと?」

 

「い、いや、違う! まだそんなんじゃない!!」

 

 耳まで真っ赤にしたイビルアイが、ツアーの言葉に反論した。

 

「でも、少なくとも、指輪を相手から貰ったってことには変わりないんだよねぇ? しかも後生大事にその指に嵌めるってことは、つまり、インベルンの嬢ちゃんにもようやく春が来たってことなんだろう?」

 

 ひどく楽しそうに笑い声を上げるリグリットに、イビルアイは頭を抱える。

 

「くぅ……。絶対にこうなるって思ってたんだ……。リグリットのバカ野郎!! 人をからかうのも大概にしろ!」

 

「だけど、これまでどんな男性にもなびかなかったキーノがそんな風になるなんてね。僕でも少し驚いたよ。君の心を射止めたのがどんな相手なのか、僕としてはとても興味があるんだけど。よかったら詳しく教えてくれないか?」

 

 ツアーのそのセリフに、イビルアイは一瞬びくっとして黙り込む。その様子に、少し不審なものを感じたツアーとリグリットは顔を見合わせる。

 

「どうしたんだい? 相手に何か問題でもあるのかい?」

 

「いや……、問題というか……、その……。ちょっと言いにくい相手なんだ……。だから、私が、この話をしたのも他の人には内緒にしてほしいんだが……」

 イビルアイはしどろもどろになりながら答える。

 

「そんなに問題のある相手なの? もしかして、ひどく身分が違うとか? でも君がそんなことを気にするとは思えないし、僕たちも相手が誰だろうと気にするつもりはない。それに、友人の大事な話を誰かに漏らすようなことはしないよ」

 

「全くだね。むしろ相手が誰だろうと、これまで散々拗らせてきた友をようやくその気にさせてくれた相手なら、誰でも歓迎するつもりだけどねぇ。我々を見くびってもらっちゃ困るよ、嬢ちゃん」

 

「嬢ちゃん、いうなぁ! リグリット、歳はほとんど変わらないだろうが!」

 

 その言葉を聞いてツアーとリグリットは笑い声を上げる。それが少々癇に障ったのか、イビルアイはぷいっとそっぽを向いた。

 

「まあ、その辺にしておこうよ、リグリット。キーノが可哀相じゃないか」

 

 ツアーは正直その相手というのにかなり関心があった。寂しがり屋の癖に、誰かと深く付き合うことに対して妙に怯えるところがあるイビルアイが、一体どんな相手に心を許す気になったのか。それに相手はイビルアイがアンデッドであることを受け入れて、指輪を渡したのだろうか。だとすれば、ツアーとしては、それだけでもその相手にかなり好感が持てそうな気がする。

 

「……。その……聞いても、驚いたり笑ったりしないって約束してくれるか?」

 

 珍しく真剣な表情でイビルアイが二人に問いかける。その様子に、これ以上からかうのはやめた方がよさそうだと感じ取ったリグリットも、さっきまでの調子とは打って変わって真面目に頷いた。

 

「もちろんだとも。友の愛する相手を笑ったりなどはしないさ」

「あぁ。僕としても、キーノの気持ちは大切にしたいからね」

 

 二人のその返事に少し安心した様子になったイビルアイは、覚悟を決めた様子で告白した。

 

「実は……その…………魔導王陛下なんだ」

 

「……………え?」

 

 人間よりも遥か長い年月を生きてきたツァインドルクス=ヴァイシオンも、リグリット・ベルスー・カウラウも、イビルアイに何を言われたのか一瞬理解することができずに、ただ沈黙した。

 

 

----

 

 

 永遠とも思える時間が経ったような気がしたが、それは恐らくほんの五分ほどの間であっただろう。

 

 やがて、最初の衝撃が収まったツアーが口を開いた。

 

「魔導王というと、一年ほど前に建国したアインズ・ウール・ゴウン魔導国の王だよね? 非常に強力なアンデッドで魔法詠唱者だという。キーノ、一体彼と何があったのか聞いてもいいかい?」

 

「何があったか、と言われても……。どちらかと言えば、私の方が一方的に一目惚れしてしまったのが発端だったんだ。王国で起こったヤルダバオトの事件の時に」

 

「あぁ……、そういえば、おぬしが誰ぞに血道を上げているという話を聞いたような気がするねぇ。でも、大悪魔に王都が襲われた時は、まだ、魔導国ができる前の話じゃないか? もしかして、王になる前の魔導王に会った、ということかい?」

 

「詳しくは言えないけど、まあ、そうだな。彼にとっては多分偶然だったんだろうけど、あの時、通りすがりに私を助けてくれたんだ。それで、まさに、一目惚れと言うか、なんというか……」

 

 イビルアイは、さすがに後半は気まずくなったのか、いつもよりも大分歯切れの悪いもごもごした言い方になり顔を俯けたが、それが自分の顔が真っ赤になっているのを二人に見せたくないからのように見えた。そんなイビルアイの様子は長い付き合いの二人といえども一度も見たことがなく、それだけでもなんとなく微笑ましい気分にはなる。しかしながら、相手があの『魔導王』というのは、さすがに素直に応援していいものかどうか、ツアーとリグリットにとっても判断に迷う問題だった。

 

「インベルンの嬢ちゃん、まさか、相手がアンデッドだったら誰でもいいとかいうんじゃないだろうね?」

 

「な、何をいっている!? そんなんじゃない!!」

 

 リグリットの訝しそうな問いに、イビルアイは必死の形相で否定する。

 

「……。ふうん。僕は魔導王はぷれいやーだと疑っていたのだけれど。……君を助けてくれたということは、彼は邪悪というわけではないのかな……?」

 ツアーがボソリと呟く。

 

「ツアーがいうように、彼はぷれいやーなのかもしれない……。そういわれてもおかしくない桁違いの強さを持っていると思う。でも、あの方は、見た目は少し怖いけど、とても優しいし思いやりのある方なんだ」

 

 そういって、イビルアイは左手の指輪をそっと撫でる。

 

「ふうむ。そうはいっても魔導王といえば、カッツェ平原で大量殺戮をしているそうじゃないか。確かにあやつはアンデッドだから、おぬしの本性を知ったとしても、そりゃ気にはしないだろうが……。本当にそんなやつを信じていいのかい?」

 

 リグリットの言葉で、イビルアイはリグリットを軽く睨みつけ、きっぱりと言った。

 

「それは、確かにその通りだ。あの方は良いことばかりをしてきたわけじゃない。そんなことはわかってる。だけど、人をたくさん殺してるのは私だって同じだ。だからそれが理由であの方を信じられないというなら、私だって信用できないんじゃないのか? リグリット」

 

 イビルアイのその反応で、言葉を失ったリグリットは黙り込む。

 

 ツアーはその二人の様子を面白そうに眺める。

 

 ツアーも魔導王がカッツェ平原で行ったという殺戮の話を聞いていないわけではないが、あれは所詮人間たちが行う愚かな戦争の一部として行われた行為として認識している。どのみち戦争なんて相手を殺すためにやるものだし、それをいい始めたら、国を治める者たちで大量殺戮者ではないものなどいないだろう。竜王国の現状は悲惨なものだが、国民を守れない為政者だって、無意味に民を大量殺戮しているのと全く変わらない。そしてそれは世界の歴史としては自然な成り行きだ。だから評議国はある意味縁戚ともいうべき竜王国に対しても、特に援助も干渉もするつもりはない。

 

 それよりも――。

 

 ツアーはイビルアイが毅然とリグリットに反論したことの方が興味深かった。ちょっとしたことですぐに泣きべそをかいていた、あのキーノの姿は何処にもなく、何か一本の強い芯のようなものが彼女を支えているように感じる。それも悪い意味じゃない。これまでだったら、彼女が正面から向き合えずに逃げていたことからも、今の彼女なら立ち向かえる強さをいつの間にか身につけているようにも感じられるのだ。

 

(これが恋の力とでもいうものなのかな? 僕にはあいにく経験はないけれど。だとしたら、キーノの心にこれだけ短期間で強い影響を与えた魔導王というのに、僕としてもかなり興味を引かれるのは否定出来ないな。……可能なら、敵対しないですませられるといいのだけれど……)

 

 別にツアーはプレイヤーと喧嘩したいわけではない。仲良くとまではいかなくとも、お互い許容できる関係になれるのならそれに越したことはないのだ。

 

「僕としては君の恋路を邪魔するつもりも反対するつもりもないよ。キーノ。君がそんなに誰かに打ち解けられたのなら、それはそれで友として喜ばしいことだからね。ただ、これだけはいっておくよ。僕はまだ魔導王とは今のところ何の交渉もしていない。だけど、近い将来彼に対して何らかのアクションは起こさないといけないとは思っている。だからその結果僕と彼は敵同士になるかもしれない。もちろんそうならないほうが嬉しいけどね。ただ最悪君の愛する人を、僕は殺さないといけないと判断するかもしれない。それは頭に置いておいてほしいんだ」

 

「それはわかる。ツアーの立場ならそうだろうし、最悪そうなってしまうのも仕方がない」

 

 そのツアーの返事を予期していたイビルアイは頷く。しかし、直ぐに吹っ切れたようないい笑顔になって言い返した。

 

「だけど、その時は……、私も彼を守るために共に戦うつもりだ。だから彼と戦うなら覚悟しておいてくれ、ツアー! 君は大事な友人だけど、彼は私にとってはかけがえのない人……じゃなくて、アンデッドなんだ。だから、そう簡単には彼を殺させはしないからな!!」

 

「あはは、それは怖いな。僕だってなるべく君とは戦いたくはないよ」

 

 そういうと、ツアーは楽しそうに笑った。そんなツアーにつられて、イビルアイも声を合わせて幸せそうに笑う。

 

「なんじゃ、二人ですっかり話が纏まってしまったようじゃな」

 

 呆れたような口ぶりでちゃちゃをいれるリグリットも、さすがに二人のやり取りで毒気を抜かれたようだ。

 

 他人の恋路に下手に首を突っ込んでもどのみちろくなことはない。本人が幸せなのなら、その結果多少痛い目にあうとしても人生にとってのいいスパイスにはなることだろう。リグリットは自分の淡い初恋を思い出し、苦笑いをした。

 

「ところで、相手のことはこの際置いておくとして……、嬢ちゃんの相談事というのは一体なんだったんだい?」

 

「あぁ、そうなんだよ、リグリット! 実は、この指輪は確かに魔導王陛下から頂いたんだが、陛下にはまだ付き合ってもいいとかそういうことを言われたわけじゃないんだ。だけど、わざわざ指輪をくれたってことは、少なくとも陛下は私に気があるってことなんだよな!? ツアーもそう思うだろう!?」

 

 急に真顔になったイビルアイの話の内容に、二人は困惑する。

 

「えぇ、そうなの? うーん、そんなこと僕に聞かれても困るよ……。そういう経験とかないし……。リグリット、君ならわかるんじゃない?」

 

 リグリットは、自分に面倒事を押し付けたツアーを睨みつけたが、イビルアイの必死な様子にため息をついて答えた。

 

「……、あまりこういうことはいいたくないが……、嬢ちゃん、おぬし、本当に魔導王に女性として相手にされておったのか?」

 

「え? それはもちろんだとも! ちゃんと『でーと』だってしたし、その後で今日は楽しかったから、といってこの指輪をくださったんだ! 私に、その、興味があったからこそ、そういうことをしてくれたに決まってるじゃないか!?」

 

 それはどうだろう。と思わずツアーとリグリットは顔を見合わせる。

 

 イビルアイが魔導王にかなり熱を上げてるらしいことは理解した。しかし魔導王にはそこまでの熱意はないような気もしなくはない。だが、それを期待で目をキラキラさせて必死になって言い募るイビルアイにいうことは、さすがの二人にもできなかった。

 

「まあ、嬢ちゃんがそう思うならそうなんじゃないかね?」

「僕はそういうことは詳しくないけど、キーノがそう思うなら、それでいいんじゃないかと思う」

 

 二人はそっと目を逸らしつつ、無難にそう答える。

 

「……、ツアーもリグリットも、真面目に取り合ってくれてないな?」

 

「いや、そんなことはないに決まっておろう! 友の恋路を応援しているだけさ。なあ、ツアー?」

 リグリットは乾いた笑いで取り繕う。

 

「う、うん、リグリットの言うとおりだよ」

 

 軽く頬を膨らませているイビルアイを見ながら、ツアーはふと、その魔導王がくれたという指輪に興味を持つ。恐らく何らかのマジックアイテムなのだろうが、どんな品物をくれたのかがわかれば、彼がプレイヤーかどうかも彼の人となりも、少しはわかりそうな気がしたのだ。

 

「キーノ、せっかくだから、その指輪少し見せてもらってもいいかい?」

 

「ん? ああ、もちろんいいとも!」

 

 イビルアイは左手の薬指から大事そうに指輪を抜いてツアーに渡した。ツアーは渡された指輪に鑑定魔法をかけ、その魔法効果に絶句する。

 

「これはこの世界では最上位に近い品物じゃないか。簡単に人にあげられるような品物ではないよ。しかも、効果も君にちょうど合っているし。……これをくれたのなら、彼は確かに君に少しは好意を持っていると思っていいんじゃないかな。少なくとも、僕はそう思うよ」

 

 そういって、ツアーはイビルアイに指輪を返す。ツアーの言葉を聞いて、ぱぁっと明るい顔になったイビルアイは、再び宝物を扱うように指輪を元の指に嵌め、優しく撫でている。

 

 そんなイビルアイの様子を見て、ツアーはまるで自分の娘を嫁に出すような気持ちに近い何かを感じたような気がしたが、それとは別に、彼がこれまで疑念として持っていたものの裏付けが取れたことで、若干気をひきしめる。

 

(これではっきりした。『彼』は間違いなくユグドラシルプレイヤーだ)

 

 しかも、このレベルの品をあっさりとイビルアイに渡すところを見ると、彼は恐らくかなりのレベルのマジックアイテムを相当数持っていると思っていいのだろう。となると、それなりに強い複数の従属神を連れていたとしてもおかしくない。問題は彼らの規模がどれくらいなのかだが……。

 

(敵に回すとかなり厄介そうだな……)

 

 ツアーはこっそりため息をつく。

 

「やっぱりツアーは頼りになるな! ありがとう! 少し自信が持てたよ!」

「まったく、現金じゃな、嬢ちゃんは……」

 

 そんなイビルアイをリグリットが軽く小突き、イビルアイがリグリットにお返しとばかりに軽く肩を叩く。そういえば、昔からこの二人はこうやってよくじゃれていたっけ、とツアーは懐かしく思い出す。

 

「もう、リグリットなんて当てにしない。次からはツアーに直接聞きに来る!」

 

「えぇ、キーノ、そんなことやめてくれる? 僕はほんとにこういうことは疎いんだから。……そういえば、リグリット、君の用事はなんだったの?」

 

 ツアーは慌てて話を変えた。

 

「ああ、そうじゃった。別に大した話ではないのだが、以前おぬしに頼まれたユグドラシルのアイテム探しの件、今のところあまり上手く行っていないと一言いいに来ただけじゃ。恐らく法国に行けば何かしら手に入るのだろうが、あそこには正直あまり行きたくないしのう」

 

「そうか……。まぁ、それは仕方ないよ。僕だってそうそう簡単には見つけられていないからね。それよりも、今日はキーノから魔導王がどんな人なのか聞けただけでも大収穫だった。僕の方でもこれで魔導国への対策を少しは立てやすくなったと思う。感謝するよ、キーノ」

 

「いや、私こそ二人に話を聞いてもらえて助かった。だからお互い様だ!」

 

 イビルアイは、にっこり笑ってツアーとリグリットに礼をいう。

 

 それから、しばらく三人は昔の思い出話に花を咲かせた後、リグリットとイビルアイはツアーに別れを告げ帰っていった。

 

 

----

 

 

 再び静けさを取り戻した自分の塒でツアーは伸びをする。

 

(まぁ、たまにはこんな風に旧友とのんびりする日があるのもいいものだ)

 

 そう思いつつ、ツアーはそのうち相まみえることになるだろう、魔導王のことに想いを馳せる。

 

(スルシャーナに似た感じのアンデッドという話だったと思ったけれど……。もしかしたら、ユグドラシルのアンデッドはこの世界のアンデッドとは違って、そんなに邪悪なものばかりじゃないんだろうか?)

 

 いずれにしても、彼と会って話をしてみるのが少しだけ楽しみになってきているのを感じる。確かに、評議国の今後のこともあるし、世界にとって彼がどう影響するのかというのもある。だけど自分にとっては大事な友人であるイビルアイのことだって、もちろん気にかからないわけじゃない。

 

(彼はキーノを幸せにしてくれるだろうか?)

 

 もしかしたら、もうあの泣き顔を見なくてすむかもしれない。それはツアーにとっても少し嬉しいことだ。

 

 突然の来客ですっかり邪魔されてしまったが、ツアーは再び微睡もうと丸くなり、そっとその目を閉じた。

 

 

 

 

 




Sheeena 様、佐藤東沙様、誤字報告ありがとうございました。


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第二章 黄昏の王国
1: 雨の王都


第一章の約一年後の話です。
第二章では、原作でも高確率で死にそうな原作キャラの一部が死亡します。鬱展開やアンチ・ヘイトではないと思いますが、そういう展開が苦手な方は、ブラウザバックでお願いします。


 ――辺り一面、廃墟だった。

 ――どこかで火の手が上がっていた。

 ――泣いている子どもが一人きりで佇んでいる。

 ――いや、泣いていたのではなかったかもしれない。

 ――雨に濡れて、泣いたように感じただけだったのかもしれない。

 ――もし、あの時、誰かが助けてくれたなら……

 

 イビルアイは窓の側に置いた椅子に座り、外を眺めながら、眠れない夜の時間を過ごしていた。

 

(こんな風に雨が降っている時は、どうしても昔のことを思い出していけないな……)

 

 部屋の中をそっと見回すと、自分の大切な仲間たちが規則正しい寝息をたてている。皆が幸せな眠りについている間、一人きりで過ごす夜にもとっくの昔に慣れた。

 

 イビルアイは静かに立ち上がると、ガガーランの毛布を直してやる。

 

(全く。いつも直してやっているが、どうせ、すぐにぐちゃぐちゃにするんだろう。本当に寝相の悪い奴だな)

 

 そうは思うが、別に悪い気はしない。くすりと笑って、再び窓際の椅子に戻ると、そっと左手の指輪を撫でる。

 

 アンデッドである彼も、同じように眠れない夜を過ごしていることだろう。

 

(そういえば、夜、どうやって時間を潰しているのか聞けばよかったな……)

 

 心の中にある『今度会えたら絶対聞く事リスト』に、それをメモする。リストは既に膨大な量になっていた。

 

 イビルアイは優しく微笑むと、今度は彼への想いで頭をいっぱいにして、再びぼんやりと窓の外を眺めた。

 

 

----

 

 

 王都リ・エスティーゼでは、春先だというのに肌寒い日々が続いており、街には明るい雰囲気は無い。どんよりとした厚い雲が空を覆い、少し雨が降っている。道を行く人々も顔をうつむけながら、足早に歩いているようだ。

 

 王都では舗装された道はほぼ中心部にしかないが、その中でも比較的整備された通りの一つを、王家の紋章が入った大型の馬車がゆっくりと走っていた。その馬車の中には五人の人影が見える。御者台で馬を駆る御者の脇には、よく似た顔立ちの女性が二人座っていた。

 

 その馬車はやがて角を曲がり、高級住宅街に入る。そこには王都に住まう際の貴族の館や、裕福な商人の豪勢な家が立ち並んでいる。

 

 しかし、本来であれば華やかな空気が漂うはずのその区域でも、王国が抱えている深刻な状況が影響している様子が見て取れる。建物は立派なのに、以前は綺麗にしつらえてあったはずの庭は荒れ、住む人もいない様子の家が少なからず存在している。本来このような場所を歩くはずもない、柄の悪い人間の姿もちらほらと見かける。

 

 最近の王国で深刻になっている問題の一つは、都市内での誘拐事件である。

 

 数年前にラナーの提案で行われた奴隷制の廃止により、一度はそういった事件も下火になっていたのだが、ここ一年ほど若い女性ばかりを連れ去る事件が増えているのだ。

 

 しかも、その犯人はおおよそわかっているのだが、その連中はそれなりに大きな派閥として浮上してきている貴族の一派であり、なおかつ本人たちは誘拐をしているわけではなく、女性たちは下働きとして雇っているだけであると主張している。そのため、今の力を失った王家では手を出すことが難しく、手をこまねいているのが現状だ。

 

 ラナーが悔しそうな顔をして、クライムの胸の中で泣きながらそのように話していたことを、クライムは忘れられなかった。あのお優しいラナー様のことだから、今の状況にさぞかし胸を痛められているのだろう。

 

(あの時のように、セバス様がいらっしゃれば……きっとこのような状況を見過ごすことなどされなかっただろうに……)

 

 クライムは、以前、彼に直接戦闘指導をしてくれた上品な執事のことを思い出す。あの後、クライムは何度かセバスに出会うことを期待して王都を歩いたが、彼の姿を王国で見ることはなかった。噂によると、主人である非常に美人だが我儘な女性と共に本国に帰ったらしいが……。

 

 しかし、あの時と今とでは状況が全く違うのだ。クライムはラナーに気が付かれないように、重い息を吐く。

 

 今日は、ラナーが設立し運営している孤児院の一つに、クライムと蒼の薔薇は第三王女ラナーの護衛としてついてきていた。

 

 以前はラナーに護衛に支払う金銭的な余裕などなく、リーダーであるラキュースがラナーの親しい友人だったことから、蒼の薔薇がほぼ好意で護衛を行っていた。しかし、最近の王都の治安悪化と、王族としてほとんど無価値に等しかったラナーの重要性が増したことで、ラナーの警護も多少は厚くすべきだと第二王子ザナックが判断し、正式に護衛を依頼されるようになっていた。

 

 例年のように行われていた帝国との戦争がなくなったことで、当初は孤児院の必要性は徐々に少なくなるかと思われていた。しかし、王国の生産力の低下による飢餓や、物価の高騰等により、孤児が減ることはなく、最初は一つだけだった孤児院も現在は十数箇所に増えている。ラナーは定期的にそれらの孤児院を見回り、孤児達の成長を見守っていた。

 

「一つの孤児院に数百人程いるんだったか。そうすると孤児だけで一万人以上か。大した数だな……」

 馬車の窓から外を見ているイビルアイが感心したように言う。

 

「いえ、それでも全ての孤児を収容出来ているわけではありません。でもこれが今の王国の精一杯なんです……。私にもう少し力があれば……」

 悔しそうにラナーは呟く。そんなラナーを痛ましそうにクライムが見つめている。

 

「ラナー様は十分頑張っておられます。それは国民皆が知っていることです。どうか気を落とされずに……」

「いえ、大丈夫ですよ、クライム。貴方の笑顔があれば、私はまだまだ頑張れますから」

 ラナーの天使のような微笑みに、クライムが顔を真赤にしている。

 

 やがて、大きな建物の前で馬車が止まる。それは既に使われなくなり、新たに住む人もなく打ち捨てられていた豪商の館だったが、今はラナーがそれを改築して孤児院にしていた。最初の一つはそのために新しく建設されたものだったが、新規で建設する金銭的な余裕は王国には既になく、あるものを利用することでコストを抑えて数を作ることができれば、より多くの孤児を救うことに繋がる、とラナーが提案した結果である。あまり立派とはいえないもののそこそこの広さはあり、孤児の他に、未亡人や不景気で仕事を失った失業者を雇うことで貧困で苦しむ民に仕事を与えるのもラナーの狙いである。

 

 門の前に馬車が止まると、ティアとティナが御者台から飛び降り、素早くその姿を消す。そして、少しすると再び馬車の前と後ろに姿を現して、馬車の扉を開けた。

 

「大丈夫。この辺りには怪しい連中はいない」

「出てきていい」

 

「お疲れ様。じゃあ、下りましょうか」

 

 蒼の薔薇の面々が先に降り周囲を油断なく警戒する。その間に降りてきたクライムがラナーに向かって手を差し出し、ラナーはその手を取って優雅に馬車を降りてくる。

 

 建物の中から、賑やかな歓声と、何かを打ち合わせている音が聞こえてくる。

 

 ラナーの到着に気がついたのか、館の中から二人の女性が現れて恭しくラナーにお辞儀をし、一行を館の中へ案内する。玄関ホールを抜け、子ども達の居住空間へと通じる廊下の窓から、館の中庭が見える。そこは、子ども達が遊んだりできるように広々とした広場のように作られていたが、その中央で一人の男が十歳くらいの少年と木刀で打ち合っているのが見えた。

 

「ほう? あれはブレイン・アングラウスじゃないか。こんな所にいるとは思わなかったぜ。また随分、熱心に稽古をつけているんだな」

 その様子を見て、ガガーランが感心したように腕組みをする。

 

「ええ。アングラウス様はしばらく前まで王国中の街や村を回って、亡くなられたストロノーフ様の後継になる方を探し回っておられたようですが、結局見つからなくて、今は才能のある孤児を見つけて育てた方が早いと、各孤児院を回られては稽古をつけていらっしゃるのですよ。でも、孤児達にとっても、かのアングラウス様のご教授を直接受けられるのは非常に為になることですから。いずれは、この子達も王国にとって素晴らしい戦力に育つかもしれませんね」

 

 ラナーも中庭を見やり、その様子に満足そうな笑みを浮かべている。

 

「それは、悪くない考えだと思うわ。この子達にとっても、剣の腕があれば冒険者になることもできるでしょうし、衛士や戦士として職を得ることもできるようになるかもしれない。やはり、生きていくには力があって困ることはないと思うわ」

「そうだな。才能の有無がわかりにくい魔法詠唱者を育てるよりは、こっちの方が手っ取り早い。本当は王国ももう少し魔法詠唱者を育てることに真剣に取り組んでもいいとは思うんだが……。帝国みたいに学校を作るとかな」

 

「私も学校は作りたいのです。でも、今の王国では、この程度の孤児院を作るのが精一杯で……。本当は、孤児院の増設すら兄様には反対されているのです。そんな余裕はないと。でも、子ども達が路頭に迷う姿はやはり見たくありませんし、この子達は将来の王国を支えてくれる大切な宝ですから」

 そう言って、ラナーはちらりとクライムを見て優しく微笑む。それを見たクライムは真っ赤になって少し下を向く。

 

「私、子ども達と話をしてきますね。申し訳ありませんが、皆さんは予定の時刻まで適当に待っていてください」

「わかっているわ。いってらっしゃい、ラナー」

 

 ラナーが子ども達に向かって歩み寄ると、近くで遊んでいた子ども達がラナーに気がついて、走り寄ってくる。その様は、まさに煌めく黄金の女神とも言って良い程で、クライムはひたすら崇拝する目でラナーの姿を見つめていた。

 

 クライムがラナーの側に控えることをあれこれ言う者は、ほとんどいなくなったとはいえ、クライムがラナーと結ばれることは恐らくないだろう。何しろ、今の王国には王位継承権を持つ者は数少なく、その中でも、王家に残されているのは、もはやザナックとラナーの二人きり。クライムがラナーと結婚することが難しいことには変わりがない。

 

 やがて、訓練が一段落した様子なのを確認したラナーは、中庭のブレインと子ども達に声を掛け、訓練の様子を褒め称えている。嬉しそうにはしゃいでラナーを取り囲む子ども達と、照れくさそうに笑うブレインの姿を、蒼の薔薇とクライムは中庭の端からそっと見守る。せめてこの子ども達が大きくなることまで、王国の平和が続いてほしい。例えその可能性が限りなく低くとも。そう祈らずにはいられなかった。

 

 

----

 

 

 ヴァランシア宮殿にある自室で、人払いをしたザナックは重苦しいため息をついていた。

 

 目の前には事務官が作成した王国の財政報告書や、各地方からの治安報告、貴族達からの嘆願書などが山と積まれている。ザナックは、それらの書類を思い切りぐちゃぐちゃにして破り捨てたい衝動に駆られるが、流石にそんなことをするわけにはいかない。今の自分は、王国を再建する最後の砦とも言っていい存在なのだ。その自分が自棄を起こしたら、その時点でこの王国は自滅への道を確実に歩むだろう。

 

(全く、何もかもが悪い方向にしか動いていかない……。どうしてこんなことになってしまったんだ?)

 

 第一王子バルブロが行方不明になってから既に二年以上経過しており、半年前にバルブロは戦死とみなすと病床にある父王が宣言をしたことで、実質的な王位継承争いは、王派閥及び貴族派閥にそれぞれ支持者がいる第二王子ザナックとペスペア侯に絞られるかと思われた。しかし一年程前から貴族派閥が二つに分かれ、『馬鹿派閥』とザナックが心の中で名付けた連中が数の多さだけを売りに台頭し、その中でも選りすぐりの馬鹿とも言うべき下級貴族が、自分こそ王になるべきだと信じられない主張をしているのだ。

 

(あいつらは一体何を考えているんだ? どう考えても王国を滅ぼそうとしているようにしか思えん! あいつらの馬鹿さ加減に比べると、まだ賢くて美しい分、ラナーの方が余程まともなように思えてしまうだろうが!)

 

 ザナックは声には出さずに悪態をつく。

 

 例の戦争以来、レエブン候は自領に完全に引きこもっており、ザナックは何度も使者を送ったものの、全てレエブン候と会うことすらできずに戻ってきている。ランポッサ三世が重い病の床に伏していることから、今のザナックは単なる第二王子ではなく、王代理としての地位をランポッサ三世から与えられていた。しかし、貴族連中の派閥争いは『馬鹿派閥』のおかげでより一層激化しており、ザナックが何かまともな政策を実行しようとしても、必ずどこかしらが反対に回るため、なかなか思うように王国立て直しを行うことができない。

 

 その結果、信頼できる後ろ盾と情報網を共に失ったザナックはラナーと取引をし、ラナーの全面的な協力を受けることで、それでも少しでも王国を復興の道に進ませるべく努力をし、貴族連中をぎりぎりで抑え、難局をかろうじて凌いでくることが出来ていた。

 

(しかし、ラナーとあんな取引をするというのは……正直、俺も焼きが回ったかとは思ったのだが……。今の俺には、他に信用できる味方がいない。いや、俺だってあいつを心から信用などしているわけじゃないが、それでも、あいつの頭の優秀さと国民からの人気は無視できない。何と言ってもあの美しさは、中身がアレだと知らなければ、王国の輝ける宝石そのものだからな……)

 

 一年ほど前の夜に、ザナックはラナーとまさに悪魔の契約とでも言うべき密約を交わした。あの時はそれしかザナックに残された選択肢はなく、そのこと自体を後悔しているわけではない。だが、ザナックにとって、ラナーは非常に優れた頭脳の持ち主であると同時に、その本質は化物であり、いずれはザナック自身を滅ぼしかねない存在だという懸念が常に付きまとっている。

 

(やはり、何とかして、レエブン候に戻ってきてもらえるのが一番いいのだが……。本当は、俺自身がレエブン候の所に赴き、説得するのが筋だとは思う。しかし、今の状況では、俺が王都を離れることはできん。あの馬鹿どもが何をやらかすかわかったものではないからな)

 

 ザナックは、第三派閥の若手貴族達が、領地や王都にいる見目の良い女性を無差別に館に引き込んでは酒宴などを行っていることを、ラナーからの情報で知っていた。彼らのやりようは、一度撤廃されたはずの奴隷制の復活を思わせ、より一層人心の荒廃を招いている。しかも、今王国に残っている民達は、他の国に逃げ出したくても、そうすることができない者たちばかりだ。

 

 王国が破滅への道を突き進んでいる中、少しでも物を見る目のある者達は、既に王国を見捨てて自由都市連合やその他の国に出て行ってしまっている。しかし、現在帝国は既に魔導国の属国であり、聖王国や竜王国は亜人との戦いや内乱で荒廃しているため、取れる選択肢はそう多くはない。そのうえ、以前の戦いで恨みのある魔導国には、なるべくなら行きたくないという思いを抱えている者も多い。そんなわけで、大半の王国民は、泥舟と知りつつも王国にしがみつくしかない現状になっているのだ。

 

(魔導国か……。確かに俺だって思うところはある。しかし、この国の現状を思えば、いっそ帝国を真似て、魔導国に恭順した方がいいのではないだろうか?)

 

 去年の冬だって、ラナーの発案により魔導国から大量に食料輸入を行わなければ、王国民の半分は飢えで死亡しただろうという試算が出ている。貴族達の租税率を大幅に下げさせなければ、その状況は今年も続くに違いない。しかし、貴族達が自分達に不利益になることを肯んずるはずはなく、かといって、王家も直轄領を先の戦争で多く失ったため、国庫回復はままならない。

 

 しかも、領内の生産力が落ちた貴族達は、自分達の懐に入る税が減ることを忌諱し、更に税率を上げようとする者たちが後を絶たない。ザナックはラナーの助言で、貴族達に国民達が最低限生き延びられる作物が手元に残るような法律を制定しようとしたが、貴族派閥と第三派閥の反対でそれを成立させることができなかった。結果として、ただでさえ生産力が低下している村々は更なる貧困に見舞われ、より一層生産人口を飢えで失うという悪循環に陥ってしまっている。

 

 ザナックは、報告書の中から一枚を取り出して睨みつける。そこには、今年の予想収穫量と国民全員を養うのに必要となる穀物量が記されている。明らかに去年よりも悪化している数値だ。

 

(去年はそれでも輸入で凌げたが、この試算が正しければ、今年は恐らく必要量全てを輸入することは出来ないだろう……。国庫は既に空に近い。くそ、せめて誰か助言をしてくれる者がいれば……)

 

 少し頭を冷やそうと、傍らに置いてあった果実水の入ったグラスを取り上げ、一気にそれを喉に流し入れる。長い時間放置してしまったせいで、冷えていたはずの果実水は酷く温かった。

 

(俺が行けないなら、せめて王家として最低限の礼を尽くした形式を取れて、交渉ができそうな奴を……)

 

 そこまで考えて、ザナックはそれに該当しそうな者が一人しかいないことに思い当たる。

 

(レエブン候はあいつを嫌っているが、この際やむを得ない。今回はあいつの頭脳に賭けるしかないだろう……)

 

 ザナックは自分の手札の少なさに絶望を覚えながらも、呼び鈴を鳴らし、伝言をするべくメイドを呼んだ。

 

 

----

 

 

 無事に孤児院の視察から戻ってきた一行がラナーの自室に戻って来ると、部屋の前にザナック付きのメイドが一人立っていて、ラナーに対し慇懃にお辞儀をする。

 

「ラナー殿下、ザナック殿下からのお言伝に参りました。お戻りになられたら早急にザナック殿下のお部屋までいらしてほしいとのことでございます」

 

「あら、お兄様が? わかりました。すぐに伺いますと伝えて貰えますか?」

「畏まりました。では、失礼致します」

 

 メイドは、ラナーに再度お辞儀をし、蒼の薔薇には会釈をするが、クライムは完全に無視してそのまま歩み去った。そのメイドをラナーは何も言わずに見送る。

 

「またずいぶん忙しいわね、ラナー。それでは、私達は警護任務完了ということで、ここで失礼したほうがよさそうね」

「政治の話には関わり合いにはなりたくねぇからな。そうしようぜ」

「すみません、蒼の薔薇の皆様。本当はお礼も兼ねて、お茶でも振る舞うつもりだったのですが……。お兄様がお急ぎのご様子なので仕方がありませんね。私はこのままお部屋に伺おうと思います。また、日を改めてゆっくりお話いたしましょう」

 

「ええ、また何かあったら連絡をちょうだい。私達はいつもの宿屋にいるから」

「わかりました。その時はいつものように、クライムを使いに出しますね」

「了解。それじゃ、ラナー、頑張ってね」

 

 ラキュースの励ましに、ラナーは小さなガッツポーズを作ってにっこり微笑むと、クライムだけを伴い、ザナックの部屋に向かって歩み去った。

 

「よし、俺達も戻ろうぜ。一仕事終わったんだしな」

「そうね。休むのも仕事のうちよ。それに……正直、今の王国ではいつ何が起こってもおかしくないと思うの。気を引き締めていかないとね」

 

 他のメンバーもラキュースのその言葉に思うところがあったのか、静かに頷く。そして通い慣れた王城の廊下を歩き、いつもの宿への帰途に着いた。

 

 

 

 

 




zzzz 様、アンチメシア様、誤字報告ありがとうございました。


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2: 王国の暗雲

 蒼の薔薇がエ・ランテルを訪問してから、もうすぐ一年が過ぎようとしていた。

 

 当時、崩御されたという噂が流れた魔導王は、復活して聖王国でヤルダバオトと再戦し、メイド悪魔を従属させ、見事魔皇を打ち倒して国に帰還している。聖王国ではまさに英雄だと称える声も多いらしい。もっとも、当の聖王国では新聖王カスポンドが主軸となって国の立て直しを図っているが、元から軋轢のある北部と南部のいざこざで、思うように進めることが出来ていないようだ。

 

 通い慣れた道を歩きながら、イビルアイは今の王都の風景を眺めた。

 

 イビルアイは、二百年前のまだ建国したばかりの頃の王都の様子を覚えていた。あの時は、新しい王を賛え、新しい国を歓迎する声で王都は溢れていた。魔神によって完全に蹂躙されつくした国土を、王も貴族も民も力を合わせて復旧させようとしていたのだ。それなのに、今はどうだろう。道行く人の顔は疲れ切っており、荒んだ雰囲気がそこかしこから感じられる。あの時の生き生きとした面影は何処にも残されてはいない。

 

 しかし、それも仕方がないことだろう。何しろ、今の王国は圧倒的に様々な物資が不足している。物価は上がるばかりで庶民の生活は苦しくなる一方だ。去年の冬も酷いものだったが、それでもかろうじて乗り切ることはできた。だが今年の冬に関しては、もはや神のみぞ知るといったところだろう。収穫が期待できない耕作地を捨て、都市のスラム街に流れ込む人々も多い。表面上はまだ落ち着いているように見える王都だって、少し裏の方に行けば、仕事も食べる物もほとんどない貧民達が道端で大勢暮らしている。皆、悪化するだけの現状に絶望しきっているのだ。

 

(どうして、王国はこんなに上手くいかないんだ? 同じ人間同士だというのに……)

 

 蒼の薔薇は、ラナーの依頼で王都周辺の村々の治安維持に赴くことがあるが、そのたびに、イビルアイは王国の現状と、魔導国の現状を見比べないわけにはいかなかった。

 

 人間は儚く脆い種族だが、だからこそ持ち得る素晴らしい面がたくさんあるとイビルアイは思っている。それは、自分自身が失ってしまったものだからこそ、よりそう思うのかもしれない。だが例え一人一人が弱くとも、仲間を思いやったり助け合ったりして大きな力を発揮することの素晴らしさを、イビルアイは愛していた。それが、イビルアイが実力差があるにも関わらず、蒼の薔薇として活動する大きな理由の一つでもあった。

 

(しかし、今のこの国の現状はどうだ? どう見ても、人間が人間を滅びの道に導いているようじゃないか……)

 

 もし、この国を『彼』が導いてくれたなら、そんな問題はあっさり解決してしまうかもしれないのに。イビルアイはふとそう思ってしまう自分に気が付き苦笑いする。そして、そっと自分の左手の薬指に嵌められている宝物を優しく撫でた。

 

 そんなイビルアイの様子に目ざとく気がついたのか、すかさず、ティアが突っ込みをいれる。

 

「イビルアイ、また触ってる。そのうち触りすぎて指輪が減る」

「べ、別に、そんなに触ってない!!」

 

 慌てて指輪から手を離すが、それを様子を見ていた蒼の薔薇は楽しげな笑い声をあげる。

 

「イビルアイはいつも幸せそうでいいよなぁ。俺にも今度モモンを少し分けてくれよ。俺の勘じゃ、あいつは多分童貞だ」

「な……なんてことを言うんだ! ガガーラン、絶対に、絶対にそんなことごめんだからな!?」

「冗談だよ、本気にすんな」

 

 必死になって抗議するイビルアイに、ガガーランは豪快な笑い声をあげると背中を思い切り叩き、ちょっと拗ねたようにイビルアイはそっぽを向いた。

 

「……全く、いつもいつもからかって……、もう、皆もいい加減忘れてくれればいいのに……」

 

 苦虫を噛み潰したように呟くイビルアイの様子は、それでも、そのからかいを満更でもなく思っているように見え、ほんの一時ではあるが、それぞれに重苦しい物を抱えていた面々は気分が明るくなるように感じる。

 

「イビルアイを見習って、私もいい加減いい人を作らないとね。いつまでもこの『無垢なる白雪』を装備できるのも考えものだわ……」

 

「鬼リーダーは選り好みしすぎ。もっと性別も広く捉えるべき」

「年齢も大事。男の子は素晴らしい」

「やっぱ、童貞だよなぁ!」

 

 そんなラキュースを揶揄する声が次々にかけられる。

 

「こっちは真剣に悩んでるのよ!? はぁ……イビルアイの気持ちが少しわかったわ……」

「そうだろう!? やっとわかってくれたか、ラキュース。ほんと酷い奴らだよな!?」

 

 恋愛経験値が妙に高い三人組に太刀打ちできない乙女二人は、珍しく手を取り合って三人を睨みつけた。

 

 

----

 

 

 エ・ランテルでの執務を終えた後、アルベドとデミウルゴスから重要な案件について相談したいと連絡を受けていたアインズは、エ・ランテルの旧都市長の館からナザリック第九階層の自室に帰還していた。

 

 約束の時間になると、部屋の扉をノックする音が聞こえ、インクリメントの取次でアルベドとデミウルゴスが入室してきた。

 

 アルベドとデミウルゴスはアインズの前で一礼すると、手に持ってきた書類をインクリメントが持ってきた盆の上に載せ、ほぼ同時にその場に跪いた。インクリメントがその書類をアインズの手元まで持ってくる。アインズは、この手順にうんざりしながら、その書類を手に取り、表題を読むと中身を少しだけめくってみる。

 

「二人とも、立つがいい」

 

 アインズの許可でアルベドとデミウルゴスは美しい所作で立ち上がり、恭しく頭を下げた。

 

「これは……、王国の件だな?」

 

「はい、アインズ様。これまで長い時間をかけ、果実が腐って自然に落ちる時期をはかってまいりましたが、そろそろ収穫の時期かと存じます。そのため、かねてよりデミウルゴスと共に練っておりました、王国に対する最終作戦を実行するご許可を頂きに参りました」

 アルベドが、穏やかな微笑みを浮かべながらアインズに告げた。

 

「ふむ、なるほど……。ついに、王国も潮時ということか……」

 それらしいことを言いつつ、真面目に読んでいる振りをしながらアインズは書類をめくった。

 

(うーん、なんだこりゃ。またよくわからない作戦計画書を作ってきたな……。頭いい奴はこれで理解できるんだろうか?)

 

 アインズは、読み終えるのがあまり早くなりすぎないように気をつけながら、書類に目を通した。しかし、今いち要点が理解できない。なにしろ、今回の作戦は、実際に戦闘をするわけではなく、謀略がメインになっているので、アインズとしてはかなり苦手な部類なのだ。恐らく、ぷにっと萌えなら、目を輝かせて読んだのだろうが、自分の頭では正直理解の範疇外だ。しかしながら、信頼する二人の守護者相手にそんなことを言うわけにはいかず、わかった風を装いつつ支配者としての威厳を崩さない程度に、なんとかもう少し詳しく説明してもらおうと試みることにした。

 

「二人とも、なかなか素晴らしい作戦案だと思う。流石は、私が最も信頼する智慧者二人が練り上げた作戦だけのことはある。……ところで、私はこの作戦には利点が四つほどあると理解しているが、それで間違いはないか確認したい。デミウルゴス、お前の考えているこの作戦の利点を説明しては貰えないだろうか?」

 

「はっ。お褒めに預かり光栄です。流石はアインズ様、この作戦の利点を全てお見通しでおられるようですね。まさに端倪すべからざる御方……。そのようなアインズ様に改めてご説明する必要など、私としては全く感じませんが……」

 

 デミウルゴスとアルベドが「さすが、アインズ様」と頷き合っている様子を見て、アインズは焦った。

 

(えっ、そうなの? もっと正直にわからないって言ったほうがよかったか? でも、ここで引き下がるわけにはいかない。せめて、もう少し詳しく内容を聞き出さなければ、聖王国の二の舞いだよ)

 

「世辞はいい。私としては、万が一にも、互いの理解に齟齬があってはいけないと常々思っている。だからこそ、お前達の狙いをはっきりとさせておきたいのだ。いいな?」

 

「では僭越ながら、この作戦の趣旨と目的をご説明させていただきます」

 

(先生、なるべくわかりやすくお願いします……)

 

 祈るようにアインズはデミウルゴスの説明に耳を傾ける。やっぱり、この場にせめてシャルティアかマーレ辺りも連れてくるように言い含めておくべきだった。そうすれば、もっと詳しい説明を聞きやすかったのに……。

 

「まず、この作戦については、既にほとんど旨味が残されていない王国の刈り取りが主目的となっておりますので、ナザリック側の介入は最小限に留め、原則として現地民に実行させる手はずとなっております。そのため、万が一、この作戦がシナリオ通りにいかなかった場合でも、被害の全てを王国が一方的に受けることで、王国は自然と滅びの道を辿ることになるため、結果が変わらないというのが利点の一つです。第二の利点ですが、この作戦の成功時には既に我々の協力者となっている例の女を支配の仲介として使うことにより、円滑に属国化を進めることができます。第三の利点については、魔導国が王国を救うことになるため、魔導国の平和的統治を他国に対しこれまで以上にアピールすることができます。第四の利点については、この作戦でよりアインズ様の神格化が進み、アインズ様の素晴らしさをより多くの者どもに知らしめることができるでしょう」

 

「…………神格化?」

 

「はい、アインズ様こそが、この世界の神であると知らしめる一歩として、ふさわしいかと存じます。既に聖王国ではアインズ様の寵を受けたネイア・バラハが設立した団体がかなり勢力を増しつつあります。そのような状況を王国でも作り出せるかどうかの実験も合わせて行いたいと考えております」

 

 自信満々に説明するデミウルゴスを、アインズは呆然として眺める。あまりの驚きに昂ぶった精神が一瞬で沈静化されるが、想像を絶するパワーワードに再び酷く動揺してはまた沈静化する。

 

(ちょっと待って!? 世界征服以外に、いつの間にかまた新しい設定が生えてない!? 神とか一体どこから出てきたんだよ? 少なくとも俺は一度もそんなことを言った覚えはないはずだ。しかも、ネイア・バラハがそんなことをやってたなんて知らなかった……。彼女はシズの友人というだけじゃなかったのか?)

 

 いくら考えても全くわけがわからないアインズは、止めさせようにも、それを納得させる材料すら見つからず、無い胃がキリキリと痛むのを感じる。

 

「この世界全てを支配されるアインズ様が、いずれ神の座に着かれるのは当然のこと。それにも関わらず、アインズ様のお望みにこれまで気が付かなかった愚かなシモベをお許しくださいませ。今後はより一層、アインズ様の御心にお応えできる作戦を立案するように努力いたします」

 

 アルベドが神妙な顔をしながら軽く頭を下げる。

 

(いや、だから、そんなことは俺が望んでいることじゃない! 一体どうしてこんなことになったんだ……)

 

 しかし、智慧者二人の目は異様なまでに輝いており、まさにこれこそ自分たちの進むべき道とばかりに、全く疑っているようには見えない。そして、そんな二人にそれを否定するようなことを言える勇気などアインズにあるはずもなかった。

 

「は、はは……。我が真意をよくぞ見抜いたな……。流石は、アルベドにデミウルゴス。お前たちに任せておけば間違いなど起きようはずもない。わかった。では、この作戦の実行を許可しよう。必要な部隊編成は、アルベド、お前に全て任せる。実行部隊の指揮はデミウルゴスが行うように」

 

「アインズ様の御心のままに」

「ありがたき幸せ。決して、アインズ様に後悔させるようなことはいたしません」

 

 守護者二人は深くお辞儀をして、やる気に満ち溢れた様子でアインズの命を受ける。

 

「ああ、ただ二点ほど気をつけてほしいことがある。今回の作戦では無垢なる者達には極力被害が及ばぬようにし、必要であれば保護をせよ。それと、蒼の薔薇に関しては今後も利用価値があるかもしれないので、いたずらに傷をつけることは避けて欲しい」

 

「それは……、特にイビルアイを、ということでしょうか?」

 

 さり気ないデミウルゴスの突っ込みに、アインズは一瞬動揺する。そういえば、以前守護者達が揃った時にイビルアイのことを説明したら、いつもに増してデミウルゴスがいい笑顔で頷いていたように思ったが、デミウルゴスにも何か利点があったんだろうか。おまけに聞き捨てならない名前を聞いたせいか、アルベドの肩がびくっと動くのが見える。

 

「えっ、いや、そういう訳ではないが……、まぁ、そう思ってくれてもいい。イビルアイは既に我が配下同然だからな」

「畏まりました。重々気をつけるように注意いたします」

 

 アインズの返答を聞き、何事もなかったかのように二人とも頭を下げたため、二人がどんな表情をしているのかは見えない。ただ、なんとなくアルベドからは若干異様な雰囲気が漂ってきている気がする……。しかし、余計な詮索はしない方が身のためだと判断したアインズは、あえて気が付かなかったことにした。

 

「では、二人とも頼んだぞ。今回も素晴らしい働きをしてくれると期待している」

「はっ、お任せください!」

 

 いずれにしても、既に動き出した巨大プロジェクトを止める術などない。例えそれが大赤字になるのが見えていたとしても。それは現実(リアル)で一社員だった頃から、既に嫌というほどアインズも身にしみていた。そして、ナザリックの誇る智慧者二人に反論などしても、所詮アインズの頭では勝ち目はないのだ。

 

(俺は一体どこまで行くことになるんだろうな。神か……。はは。そんなものになる日が来るなんて思ってもみなかったよ……。いや、まだなってないけどさ。ギルドの皆が聞いたら、どんな顔をするんだろう?)

 

 アインズは虚ろな目をして考える。

 

 そんなアインズを他所に、守護者二人は意気揚々と部屋から退出していき、その姿を見送ったアインズは出ないため息をついた。

 

 こんな時にこそ、誰か一人でも自分を理解して弁護してくれたら、少しは違う結果になるのではないだろうか。だが、少なくとも NPC 達では駄目だろう。自分の息子同然のパンドラだって、恐らくこの計画には乗り気であるに違いない。

 

(そういえば……イビルアイはどうなんだろう?)

 

 アインズとしては、彼女の気持ちは未だ理解しきれないところはあるが、NPC 達や自分に畏怖や崇拝をしてくる者達とは少し違うような感じがしていた。そんな彼女がこんな話を聞いたら笑うのだろうか。それとも怒るのだろうか。

 

 しばらく考えてみても、イビルアイがどう反応するのか全く想像できなかった。しかし反応が全く予測できない配下というのは、アインズにとってはかなり希少な存在だ。冒険者組合長のアインザックのように、NPC 達も駄目なことは駄目だと言ってくれる方が嬉しいのに、とも少し思う。

 

(こんなことなら、やはりあの時、無理にでも引き止めればよかったかもしれないな)

 

 イビルアイのほんのり甘い香りを思い出して、何とも言えない気分になるが、今更後悔しても仕方がない。

 

 部屋に一人取り残されたアインズは、こうなったら行くところまで行くしかないと覚悟を決める。どうせ、世界の支配者も神もそんなに違うわけではない。そんな苦しい言い訳を自分の中でひたすら繰り返してしているうちに、だんだん真面目に考えるのも面倒になってきて、未来の自分に全て丸投げすることに決めた……。

 

 

----

 

 

 王都で定宿にしている高級宿屋の食堂で朝食をとっていた蒼の薔薇の元に、クライムが訪れたのは翌日の朝のことだった。

 

「ん? 童貞、またいつものお使いか?」

 

 大きめの肉の切り身を口の中に放り込みながら、目ざとくクライムを見つけたガガーランが声をかける。その声を聞いて、人探し顔をしていたクライムは食事をしている蒼の薔薇の面々に気がつき、ゆっくりと歩み寄ってきた。

 

「おはようございます。皆さん」

「おはよう、クライム。よかったら、そこの椅子に掛けていてくれるかしら? 何か食べるなら適当に頼んでも構わないわよ」

 スープを上品に口に運んでいたラキュースが空いている席をクライムに勧める。

 

「いえ、自分はもう朝食は済ませてきましたので……」

「まだ、朝っぱらからの訓練続けてるみてぇだな。程々にしとけよ? 訓練ってのもやればいいっていうのとは違うからな」

 ガガーランは、クライムの右手の袖口近くに付いている真新しい打ち身の跡を目ざとく見つけて、呆れたように言った。

 

「今日は、珍しくブレイン様が朝の稽古に付き合ってくださいましたので……。おかげで前よりは攻撃の繋ぎのタイミングがわかるようになってきたと思います」

「へぇ。あいつも何だかんだ言って結構優しい男だよなぁ。まあ、クライムのことを気に入ってもいるんだろうが」

 

 ガガーランのその言葉でクライムは少し照れくさそうに笑う。

 

「ところで、クライム、ラナーからのお使いで来たのよね? 今度はどんな用件だったのかしら?」

 ラキュースは飲み終えたスープ皿の上にスプーンを置くと、クライムに尋ねた。

 

「はい、実は昨日の今日で申し訳ないのですが、ラナー様がまた蒼の薔薇の皆さんに護衛をお願いしたいと。それで、今回は少し遠出する予定なので、支度を済ませられてから、なるべく早めに王城までお出でいただきたいとのことです」

「こんな時期にラナーが遠出? 一体どこに行くのかしら……」

 ラキュースは少し眉をひそめる。

 

「詳しくはラナー様からご説明があると思うのですが……」

 そういって、クライムは辺りの様子をさり気なく伺う。とりあえず、こちらの話に聞き耳を立てている人物はいないようだが、だからといって油断するのは危険だろう。

 

「ああ、確かに、こんなところでする話ではないだろう。……ラキュース、そういうことなら急いだ方がいいんじゃないか?」

 頬杖をついて飲み物だけ飲んでいたイビルアイもカップを置く。なぜか、いつもとは違うクライムの様子に、妙に気分が動揺するのを感じる。

 

「そうね。ティア、ティナも急いでくれるかしら?」

「了解。鬼ボス」

「もう、食べ終わる。いつでもいける」

 

「それじゃあ、クライム。ラナーの所に先に戻っていてくれる? 私達も準備ができ次第伺うと伝えてほしいの」

「わかりました。お食事中のところ、失礼いたしました。ではまた」

 

 クライムは丁寧に蒼の薔薇の面々に一礼すると、宿を出ていく。それを見送ったラキュースはため息をつきたくなるのを我慢して、無理やり笑顔をつくると、席から立ち上がった。

 

「さて、私達は請け負う仕事に最善を尽くすのみよ。今日も頑張りましょう」

「全くだな。よし、行くとするか」

「了解」

 

 いつものように食堂から部屋に向かう四人の後ろから、イビルアイもゆっくりついていく。

 

 自分らしくもなく、ラナーの用件に珍しく多少の不安に駆られてしまったようだ。この王国に、自分を倒せるような者などいない。だから、不安を感じる必要なんて何もないはずだ。だけど――。

 

(王国にもしものことがあったら……、アインズ様は助けに来てくれるだろうか? ……いや、そんなことを考えても仕方がない。彼は他国の王で、そもそも王国を守る義理なんてない。自分たちの国は自分たちで守る。それが当たり前だ。アインズ様はアインズ様で自分の国を守らなければいけないんだから……)

 

 イビルアイは、完全に無意識に左手の指輪を撫でる。そしてそんな風に思いつつも、心の中で彼が側にいてくれたらよかったのにと願わないではいられなかった。

 

 

 




佐藤東沙様、Sheeena 様、アンチメシア様、スペッキオ様、誤字報告ありがとうございました。


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3: 小さな希望

 その日も朝から暗い雲が空を覆い、今にも雨が降ってきそうだった。馬車とはいえ、遠出をするにはあまり嬉しくない天気だ。

 

 王家の紋が入った、昨日よりも大型の御者付き馬車に、蒼の薔薇とクライム、ラナーが乗り込む。今回は遠出ということで、メイドが三人ラナーの世話役として少し小型の馬車で同行し、馬に乗った騎士も四人付いている。

 

「さてと、ラナー。そろそろ、今回の遠出の目的を教えてくれてもいいんじゃないかしら?」

 

 馬車が王都の門を抜け、しばらく舗装されていない街道を進んだ頃、ラキュースが口火を切る。何しろ、ラナーは、詳しい話は馬車の中でといったきり、城では行き先の説明などを全くしてくれなかったのだ。もっとも、ラナーの周りには常にスパイ役を兼ねたメイド達がいるのだから無理もない。それだけ今回の件は貴族たちには知られたくない用事ということなのだろう。

 

「そうですね。ここなら誰かが聞いているということもないでしょうから……。実は、お兄様にレエブン候の説得を頼まれたのです。流石に、今お兄様が王都を離れるわけにはいきませんし、この状況下でレエブン候のお力添えを頂けなければ、王国はいつ終わりを迎えてもおかしくはありません。しかし、今派閥を牛耳っている貴族達にとってはレエブン候の政務復帰は面白くないことでしょう。ですから、城の中ではお話しすることができなかったのです」

 

 珍しく真面目な顔をしてラナーは答えた。

 

「なるほど。それは私も同意だな。あの馬鹿貴族どもをなんとか抑えるにしても、レエブン候がいなければどうにもならんだろうし、連中に邪魔されれば上手くいくものもいかなくなるだろうしな」

「全くだわね。同じ貴族として、忸怩たる思いよ。無能な貴族を粛清した帝国の英断は、王国も見習うべきだと私ですら思ってしまうもの。魔導国のように最初から貴族なんていなければ、王国もここまで酷いことにはなっていなかったかもしれないわね」

 

 イビルアイとラキュースの言葉に他の面々も同意したのだろう。馬車の中に苦笑が洩れた。

 

「そうすると、今回の目的地はエ・レエブルってことか? おとなしくレエブン候も首を縦に振ってくれればいいんだが、これまでザナック王子だって何度も打診はしていたんだろう? それで戻ってくるっていうかねぇ?」

 

 ガガーランの疑問に、ラナーも同意する。

 

「ええ、お兄様もそれは心配されていました。でも、だからといって、何もしないでいるわけにはいきません。王国の未来の為ですもの。それにあのお優しいレエブン候のこと。きっと今の王国の現状は憂いていらっしゃるはず。ですから、私が行くんです。駄目でもやってみなければ未来は変わりませんから!」

 ラナーは重苦しい雰囲気を吹き飛ばすかのように、明るく微笑んだ。

 

「そうね。確かにやってみなければ何も変わらないわ。ラナー応援してるわよ。頑張ってね」

「はい! 私にできることはこのくらいですから」

 

 可愛らしいパンチポーズを取るラナーに、蒼の薔薇もクライムも励まされた気分になった。このまさに小さな希望とも言うべき姫も、祖国である王国もなんとしても守らなければ……。ラナーの微笑みには、そんな風に思わされる独特の魅力があるのだ。

 

(本当に、この方こそ王国の至宝である『黄金』。そして、畏れ多くも自分の愛する――)

 

 クライムは自分には手の届かない眩しいものが目の前にあるかのように、ラナーを見つめる。そして、その視線に気がついたのか、ラナーがクライムに微笑み返す。

 

「クライム、ずっと私の側にいてくださいね? 約束ですよ?」

「も、もちろんです。この生命にかえても……!」

 

 いつものクライムなら、ラナーのそんな言葉に顔を真っ赤にして、うつむくところだろう。しかし、今日のクライムは、どことなく強い意志が感じられ、普段よりも大人びてみえた。

 

 馬車の外ではポツポツと雨が振りはじめ、しばらくすると土砂降りに変わった。

 

 幸せそうな二人を余計な口をはさまずに見守っていた蒼の薔薇だったが、もう何年にも渡って王国を覆っている分厚い雲は、力を合わせて前に進もうとしている、この二人の前に暗い影を落とし、あたかも運命を妨げようとしている、そんな気がしてならなかった。

 

 

----

 

 

 エ・レエブルに向かう道は惨憺たるものだった。

 

 明らかに耕作している気配のない畑。焼き討ちにあったような形跡のある、半分焼け落ちて打ち捨てられた村々。人が残っている町でも、門の近くには食い詰めて村から逃げて来たらしい人々が、ありあわせの材料で小さな掘っ立て小屋のようなものを作り、野宿をしている。人々の顔は頬がこけ、絶望感から打ちひしがれている者も多い。王家の紋の入った馬車が通り過ぎるのを、憎々しげに見ている者さえいる。流石に石までは投げられなかったが。

 

 本来なら、途中の無事な町か村で一泊したいところだったが、この様子では逆にラナーを危険に晒しかねない。そのため、馬車は近くに集落がない場所を選んで野営するしかなかった。その間、蒼の薔薇と騎士達が交代で周囲の警戒に当たったためか、それともたまたま雨が強かったせいか、流石に襲ってくるような不埒者はいなかった。

 

 気の休まらない夜が明け、早々に一行は出立する。朝方まで土砂降りだった雨も若干小雨になっている。今のうちに少しでも距離を詰め、エ・レエブルにたどり着きたい。そんな思いが自然と全員に共有されていた。かのレエブン候の領地であれば、内政に力を入れている候のこと。荒れた土地も減るだろうし、かなり安全になるはずだ。

 

 王女ですら安全に自国を歩くことができない。突きつけられたその冷たい現実に、普段は強気の態度を崩さないメイド達ですら言葉少なになり、心なしか顔が青ざめているようだ。

 

 半日ほど馬車をひたすら走らせると、舗装されていない街道が綺麗な石畳に変わる。それが、レエブン候の領地であるエ・レエブルに近づいてきたことを示す合図だ。王国でまともに街道整備に取り組む貴族は数少なく、その中の一人がレエブン候だった。

 

 あと一時間ほどでエ・レエブルという場所で、ラナーは一旦馬車を止め、騎士を一人先触れとして送る。

 

「今夜は、無事にエ・レエブルで過ごせそうですね」

 疲れたような顔をしている全員を励まそうと、いつもよりも明るい声でラナーが笑う。

 

「そうね、今日は暖かいベッドで休みたいものだわ」

「全くだ。今回の旅はろくなことがなかった。今夜はゆっくりさせてもらいたい。面倒くさい話はラナー王女に全部任せる」

 

「あら、酷いです。私一人で頑張らないといけないんですか?」

 可愛らしく頬を膨らませたラナーのおかげか、ようやく馬車の雰囲気がいつもの調子に戻ってくる。

 

「冒険者は、政治には首を突っ込まないのが約束だからなぁ。頑張りたくても頑張れないだろ?」

「それに、私達、道中は頑張った。今度はラナーの番」

「お土産も期待してる」

 

「ふふ、交渉が上手くいくように祈っていてくださいね。あと、レエブン候の館までは一緒に来てください。もちろん、クライムもですよ?」

「わかりました。お任せください、ラナー様」

 

 イビルアイは、迷わず笑顔で返事をするクライムに妙に男らしい頼もしさを感じ、ふと王都でのモモンの姿を思い出す。そして、常にクライムが側に付いているラナーを少しだけ羨ましく思う。

 

 他のメンバーには気が付かれないように指輪に触れると、エ・ランテルで抱きしめてくれた彼の細い腕が、今も自分を優しく包んでくれているように感じる。

 

(そうだ。今、彼が側にいないのは、自分がまだその時期じゃないと決めたからじゃないか。だからこそ、彼にもう一度会った時にもっと相応しい存在でいられるように、私は王国で精一杯頑張るんだ……)

 

 蒼の薔薇の皆が笑って、それぞれが違う道を行くことを決めるその日まで――。

 

(大丈夫。私だって、いつも彼が側にいてくれている。私はもう一人じゃない)

 

 そう思うだけで、とても強い力が自分を支えてくれているように感じる。アンデッドである自分は体内に熱を感じられるわけではないが、それでも、左手の薬指から何か暖かいものが自分の心の中に流れ込んでくるのがわかる。イビルアイは、そっと左手を握りしめた。

 

 

----

 

 

 レエブン候にようやく会えることになったのは、夕暮れも間近な時間だった。

 

 使者として送った騎士の話では、当初はラナーに会うこともかなり渋っていた様子だったが、第三王女直々の訪問ということもあり、流石のレエブン候も折れざるを得なかったらしい。

 

 レエブン候の館は、豪勢ながらも派手すぎず、落ち着いた佇まいで、レエブン候の実直な人柄を思わせるものだった。

 

 蒼の薔薇とクライムはレエブン候の館までは共に行ったものの、レエブン候の部屋に通されたのはラナーだけで、残りの六人は案内された応接間に取り残され、出された紅茶を飲んでいた。

 

「ラナー様、大丈夫でしょうか?」

 不安そうにそわそわとしているクライムにラキュースは励ますように声を掛ける。

 

「信じるしかないわ。ラナーを。そもそも、レエブン候を説得できる可能性がある人なんてラナーくらいしかいないもの。私達が一緒に行っても意味なんてないわ」

「そうだな。あくまでも、俺達は王女様をここに無事に連れてくるまでの護衛だ。後の仕事は任せるしかねぇ。こんなことくらいで動揺するから童貞なんだよ。もっとじっくり構えて座ってな」

 

「は、はい!」

 

 ガガーランの言葉で少し落ち着いたのか、クライムはじっと主人を待つ犬のような様子になり、ソファーの隅に大人しく座っている。他のメンバーは紅茶を飲みながら、当たり障りのない世間話をしている。

 

 イビルアイはそんな皆の様子をちらっと見てから、出された紅茶には手を付けずに窓へ向かうと、雨がまだ降り続く外の様子をぼんやりと眺めていた。

 

 

----

 

 

 レエブン候の執務室は、王都にある屋敷にあるものよりも若干広めではあるが、やはり机の上には多くの書類が積み上げられ、綴られた資料が、部屋に整然と置かれている複数の本棚に綺麗に並べられている。自分の領地で起こっていること全てを把握していると言われても、誰もがそれを信じるだろう。特にレエブン候の手腕を知っている者ならなおさらだ。

 

 その場所で、王国第三王女ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフと、エリアス・ブラント・デイル・レエブンは約二年ぶりに直接対峙していた。

 

 レエブン候は恭しくラナーにお辞儀をすると、ソファーを勧め、その反対側に自分も座る。メイドが一人部屋に入ってきて二人の前に紅茶を並べると、そのまま静かに一礼して退室していく。

 

 メイドが扉を閉めて少ししてから、ラナーがおもむろに口を開いた。

 

「お久しぶりですね、レエブン候。もしかしたら、お会いいただけないかもしれないと思いましたが……」

「ご冗談でしょう。ラナー殿下。直々にご訪問いただいたのに、門前で追い返すなどできるはずもないではありませんか」

 

 口調は二人とも丁寧だったが、レエブン候の眼光は遠慮するところもなく鋭いもので、ラナーはそれを一見慈愛に満ちたような眼差しでかわしていた。

 

「それでも、一度は追い返そうと思ったのでしょう?」

「そんなことはありませんよ。ただ、このようなあばら屋に殿下をお迎えするのは失礼かと思ってしまったまでのことです」

「ふふ、それならそういうことにしておきましょうか。こんな話をしにきた訳ではないのですし。どのみち、私の用件はお分かりなのですよね?」

 

 ラナーは無邪気そうな微笑みをレエブン候に向けるが、逆にその笑顔でレエブン候は身構えた。

 

「さて……。何のことやら私には分かりかねますね。王都を離れてかなり経っておりますし。何分田舎暮らしが板に付いてしまったものですから」

 レエブン候は肩を竦めた。

 

「そうですか……。では、単刀直入に申し上げますね。王都に戻り、政務に復帰してください、レエブン候。これは、私だけではなく、お兄様が強く望んでいらっしゃることでもあります」

 

「お断りいたします。ラナー殿下。この件については、何回言われたところで、考えを変えるつもりはありません」

 固い決意が浮かぶ表情で、レエブン候は拒絶した。

 

「レエブン候、どうしてそんなに復帰することを頑なに拒むのですか? 貴方は長いこと実質的に王国を支配していらしたはずですし、ザナック兄様にも完全に信用されていたではありませんか。ザナック兄様が即位すれば、貴方はその地位を盤石のものに出来たでしょう。それなのに、なぜそうなる前に引退することを決めてしまわれたのですか?」

 

 レエブン候は少しだけ逡巡し、やがて口を開いた。

 

「……確かに、昔は権力に執着していました。それは否定しません。しかし、それがいかに浅はかな考えなのか私は思い知ったのですよ。あの戦争……いや、虐殺でね」

 

「レエブン候、貴方は魔導王陛下が怖いのですか?」

 

 ラナーの微妙に含みのある言葉に、激昂したレエブン候は立ち上がり、目の前にあるテーブルを叩きつけると怒鳴り声をあげた。

 

「あなたは!! あの惨状を見ていないから、何とでも言えるのです! 私は、とにかく、あんな化物とは関わり合いになりたくないし、私が今望んでいるのは、息子に無事この領地を譲ることだけだ! 王政に関われば、いずれあの化物の相手をする羽目になる。そんなのは、私は御免こうむる! わかったら、帰って、もう二度と私の前には姿を現さないでくれ!」

 

 レエブン候は肩で息をしながら、ラナーを睨みつけていたが、やがて力無く椅子に座り込んだ。

 

「貴方の言いたいことはわかりました、レエブン候。しかし、貴方は大事なことを見落としてはおられませんか?」

「大事なこと? 私が何を見落としていると言うんです?」

 

「このままでは、王国は遅くともあと一年以内に内乱になるでしょう。そうすれば、どうなると思いますか?」

「…………」

 

「もはや、帝国は魔導国の属国ですし、法国も含め、現在王国に対して友好的な国などほぼありません。それにも関わらず、去年の冬の食糧不足を乗り切れたのは、魔導国から実質的には援助と言ってもいい廉価での穀物の大量輸入ができたからこそ。つまり、今一番王国に同情的なのは、貴方が仮想敵と見なしている魔導国なのです」

 

「……殿下、要するに、内乱になれば、魔導国が介入してくると言いたいのですか?」

「間違いなくそうなるでしょう。困っている隣人を助けるため、と言えばいくらでも大義名分は立つでしょうし、それに反対できる国も現状見当たりません。そして、レエブン候、その時に、何もせずに引きこもっていた貴方の領地が無事に安堵されると、本当に思っておられるのですか?」

 

 レエブン候は苦々しげに唇を歪ませる。

 

「……全く思えませんな」

 

「それに。実際のところ、私は、魔導国と手を組んでもいいと思っています」

「殿下!? な、何を仰るんです!?」

 

 あまりにも信じられないことを聞いた衝撃でレエブン候の顔は真っ赤になる。その彼の顔を面白そうに眺めながら、ラナーは話を続けた。

 

「別に驚くこともないでしょう。レエブン候。もはや、王国は自力で復興するのは困難なところまで来てしまっているのです。レエブン候の領地では今年の冬も問題なく越せるでしょう。しかし、それ以外の場所では大規模な飢饉が間違いなく起こります。そうなれば、大勢の民が死ぬでしょう。少なくとも、カッツェ平野で亡くなった人数以上の犠牲を出して」

「…………」

 レエブン候は穏やかな笑顔のままのラナーを睨みつける。

 

「そうなったら王国はおしまいです。であれば、魔導国に頭を下げて、帝国のように庇護下に入れて貰ったほうがよほど民のためだとは思われませんか? 帝国では以前とほぼ変わりない程度の自治権を認められていると聞きます。レエブン候。このまま滅びの道を辿り、大勢の無辜の民を見殺しにするのと、一時の屈辱に耐え、民と国を、そして貴方の領地の未来を守るのとではどちらを選ばれるのですか?」

 

 レエブン候は、しばらく苦悩に満ちた表情で動かなかったが、やがて声をなんとか絞り出すようにして答えた。

 

「……殿下、わかりました。恐らく、その道しか王国には残されていないのでしょう……」

「貴方ならわかってくださると思っていました、レエブン候。では、交渉はこれで終わりということでよろしいですか?」

 

 ラナーは、薔薇のような笑顔になって右手をレエブン候に向かって差し出す。レエブン候は、暫し逡巡したものの、諦めたようにその手を握り返した。

 

「全く、殿下には敵いませんな」

 レエブン候は重苦しいため息をついた。

 

「それでは、なるべく早めに王都に戻ってきてください。事態は非常に深刻です。もちろん、レエブン候は状況は把握していらっしゃると思いますけれど」

「やはり、殿下にはバレていましたか……」

「もちろんです。こう見えても、いろいろ知る手段はありますからね」

 

 ラナーの一見幼ささえ感じられる微笑みに、完全にお手上げといった風情でレエブン候も不承不承笑顔を返す。

 

「なるべく急ぎで出立致しましょう。ザナック殿下には、長きにわたる不在をお許し下さいとお伝えください」

「わかりました。それでは、王都でまたお会いしましょう」

 

 レエブン候はソファーから立ち上がり、恭しくラナーに一礼をした。

 

 

 




佐藤東沙様、アンチメシア様、誤字報告ありがとうございました。


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4: 闇にうごめくもの

 レエブン候との会談を無事に終えたラナー達は、帰り道も余計な寄り道をすることなく馬車を走らせ、無事に王都に帰還した。

 

 蒼の薔薇とは馬車の所で別れたラナーは、その足でクライムだけを連れてザナックの部屋へ向かった。ザナックの部屋の前には、護衛の騎士が二人立っていたが、ラナーの姿を見て丁寧に礼をした。

 

「お兄様に帰還のご報告に参りました。取り次いでいただけますか?」

「はっ、王女殿下、少しお待ち下さい」

「クライム、貴方はここで待っていてくださいね」

「はい、ラナー様」

 クライムは頷いて、扉の脇に控えた。

 

 騎士の一人が扉をノックし、ラナーの来訪を告げる。やがて、中からメイドの一人が現れラナーにお辞儀をして部屋の中へと案内した。

 

「ザナック王子殿下、ラナー王女殿下をお連れいたしました」

「うん、わかった。お前は下がれ」

「はい、失礼致します」

 

 メイドが部屋から出ていくのを見送った後、ラナーはザナックに優雅にお辞儀をした。

 

「お兄様、只今エ・レエブルから無事に帰還いたしました」

「ああ、無事に戻ってきてくれたようで嬉しいよ、ラナー。それで、首尾はどうだったんだ?」

 

「はい、レエブン候もさすがに王国の窮状には心を痛めていらしたご様子で、なるべく早めに王都に戻られるそうです。長い間王都を不在にしたことをお兄様にお詫びしたいと、仰っておられましたわ」

「そうか! レエブン候がようやく戻ってきてくれるか……。さすがはラナーだな。あのレエブン候を説き伏せられるとは。しかし一体どうやったんだ? 何か魔法でも使ったのか? 俺は、正直、頷いてくれるとは思っていなかったのだが……」

 

 王都で一人奮闘していて緊張気味だったのか、少し青ざめた顔をしていたザナックも、ラナーの言葉で安心したのだろう。多少頬に赤みが戻ってきた。

 

「別に魔法など使っていません。普通にお願いしただけですよ」

 ラナーは穏やかに答えた。

 

「はは、そうなのか? まあいい。ともかく、ラナー、全てお前のおかげだ。本当に感謝する。これで王国も少しは持ち直すかもしれない。これからも宜しく頼む」

 

 ザナックがラナーに差し出した右手を、ラナーも柔らかく握り返す。

 

「ふふ。もちろんですわ。お兄様があの約束を守ってくださっている間は、私も協力は惜しみません。ところで……魔導国に何か動きがあったのではありませんか?」

 

 ラナーは少しだけ小首を傾げる。ザナックはその言葉で一瞬顔を引きつったように歪ませたが、すぐにいつもの顔に戻ってため息をついた。

 

「もう、お前の千里眼には慣れたよ、ラナー。お前がレエブン候のところに行っている間に魔導国から使者が来た。親父への見舞いの品を贈る使者を送るそうだ。一週間後に王都に到着するらしい」

「あら、別に千里眼という訳ではありませんよ。ただ、そろそろいらしてもおかしくない、と思っていただけです。それで、魔導国からはどなたがいらっしゃるのですか?」

 

「前回同様、宰相アルベド様だそうだ。式典にはさすがに今回は親父が出席できる状態ではないから、お前とレエブン候に頑張ってもらわないとな。でないと、あの馬鹿共が何を始めるかわからん。できれば、あの連中は公の式典から排除したいところだが……」

 

「あそこまで勢力が大きくなってしまうと、それは難しいでしょうね。必要最低限の相手には招待状を送らざるを得ないでしょう」

「そうだな……。後で人選の相談に乗ってくれ。さすがに今日は疲れただろう。休むといい。この件については明日また改めて話そう」

 

「わかりました。では、お兄様、明日またお伺いしますね」

 ラナーは無邪気な微笑みを浮かべ、王女に相応しい気品のあるお辞儀をした。

 

 

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 ザナックへの報告を終えたラナーは、クライムを伴って優雅に宮殿の廊下を歩き、自室まで戻ってきた。

 

 部屋の中にはメイドが一人控えており、ラナーとクライムが部屋に入るとお辞儀をして出迎えた。ラナーはそのメイドに湯浴みの支度を言いつけると、くるりとクライムの方に振り向き、可愛らしい笑顔を見せる。

 

「ああ、クライム、さすがに私も長旅で少し疲れちゃいました。湯浴みをしたら、今日はもう休もうと思います。ですから今日は貴方も部屋に戻って構いませんよ」

「わかりました。ラナー様。それでは、今日はこれで失礼します」

 

 クライムはラナーに一礼すると、部屋から退出していった。それを見送り、部屋に誰もいないことを素早く見回して確認したラナーの顔は、やがて怪しい笑みを湛えた表情に変わる。

 

 ラナーは、部屋の片隅に置いてある鏡の所に行き、その中をいつもの様に覗き込む。そこに映っているのは、先程までの可愛らしい王女ではなく、大きく歪んだ目と唇をした一人の化物だった。

 

 長かった。ラナーはそう思う。本当に長いこと、ラナーはやがて来るその日を待っていた。

 

 遠い昔、冷たい雨の中で拾った仔犬はすっかり大きくなった。彼の瞳はあの頃のまま、ラナーをひたすら信じて熱意がこもった視線を自分にだけ向け続けている。あの瞳を、そして彼の全てを手に入れるのももうすぐだ。

 

(これで私の方の下準備はほぼ全ておしまいね。ああ、少し最後の仕上げをした方がいいことも残っているけれど。後はあの方々にお任せしておけば……)

 

 コツン、と奥の浴室から誰かが出て来る足音が聞こえた。

 

 鏡の中の顔は、いつもの愛らしい王女のものに変わる。

 

「ラナー様、湯浴みの支度が整いました」

 先程のメイドが、頭を下げてラナーの後ろから声をかけた。

 

「わかりました」

 ラナーは振り返ると、ふいに何かに気がついたような表情を浮かべる。

 

「……あら、わたしとしたことが、ただいまの挨拶をお父様にしに行くのを忘れてしまっていました。今ならまだ間に合いますね。クライムは部屋に帰してしまったので、付いてきてもらえますか?」

 無邪気そうな笑顔でラナーは首をかしげる。

 

「畏まりました」

 

 メイドは静かに礼をすると、部屋の扉を開けるために扉の側に行く。メイドの後ろ姿を見ながらラナーは密かに暗い笑みを浮かべるが、すぐに元の笑顔に戻ると、メイドを供にランポッサ三世の部屋へ向かった。

 

 

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 人払いをした静かな部屋の中に、小さな人影が入ってくる。手には二つのカップを載せた盆を持っている。

 

「……お父様。只今戻りました。よろしければ、また一緒に紅茶を召し上がりませんか?」

 

 ひどく優しい声をベッドの上に横たわる部屋の主にかけるが、何の返事もなく、微かな寝息が聞こえてくる。

 

「……眠っていらっしゃるのですか?」

 

 少女は、盆をベッドの脇にある小さなテーブルの上にそっと置き、部屋の主に近づく。主の顔には全く生気がなく、少女がかける声に反応する様子は見られない。

 

「そうですか。では、せめて一口だけでもいかがでしょう?」

 

 可愛らしい笑みを浮かべて、少女は懐から出したものを自らの口に入れ、カップの紅茶を一口含む。そして、部屋の主にそっと口付けをするように、口の中に流し込んだ。やがて主の喉がこくんと微かに動くのが見える。それを確認してから、更にもう一口主に紅茶を飲ませ、口の周りをハンカチで丁寧に拭う。

 

 それから、少女は懐からまた何かを取り出して口の中に入れると、ベッドの脇に置かれている椅子に腰掛け、今度はもう一つのカップを取り上げて、ゆっくりと紅茶を楽しむように自分自身でそれを飲み込む。

 

 ベッドの様子を窺いながら、自分の影に向かって一言二言呟く。やがて、影が返す言葉を聞いて軽く頷くと、カップの紅茶を全て飲み終えた少女は優しく部屋の主に語りかける。

 

「それでは、ゆっくりとおやすみください、お父様」

 

 その表情は、ゆらりと悪魔のような形相に変わり、自分の仕上げを満足そうに見つめる。

 

 そして、部屋に入ってきた時と同様にテーブルの上の盆を持つと、そのまま部屋を振り向きもせずに出ていった。

 

 

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 レエブン候が王都に帰還したのは、ラナーが王都に戻ってから二日後のことだった。

 

 レエブン候が政務に復帰することは、対抗勢力を抑えるために帰還直前まで極少数以外には秘されていたが、レエブン候が王都の門をくぐると、その話は瞬く間に王都中に広まった。以前であれば、王都の一番広い通りを進むレエブン候の馬車を一目見ようとする人々で道は賑わったものだが、今回は偶然通りかかった者が、僅かに通りの端に身を寄せるだけだった。

 

 王城の前で出迎えたザナックは、笑顔で馬車を降りてきたレエブン候とがっしりと握手し、二人の間柄が健在であることを他の勢力にアピールした。

 

 王派閥も貴族派閥も、不意打ちのようなレエブン候の帰還で騒然となったが、元々どちらもレエブン候とは手を組んでいた関係から、表面上は好意的にレエブン候を受け入れた。

 

 そんな中、レエブン候に対して不快感を露わにしたのは『馬鹿派閥』だった。

 

「そもそも、二年前の戦争で負ける原因を作ったのはレエブン候だろう! 何を今更のこのこと戻ってきたんだ!? 大人しく領地に引っ込んでいればいいものを……」

 

 フィリップは王都にある自分が懇意にしている商人の館の一室で、歩き回りながらいらいらと親指の爪を噛む。

 

「フィリップ様、別にお気になさることなどありませんよ。レエブン候は以前は確かに王国の中心人物といってもいい地位を築いていらっしゃいましたが、それも今は昔。今の中心人物は貴方様。そうでしょう?」

 

 痩せ細ってはいるものの未だ美女としての面影を残している女性が、近くにあるソファーに座って妖艶な笑みを浮かべている。

 

「くそ、せっかくもう少しでラナー王女を俺のものにできるはずだったのに……。ヒルマ、何かいい手はないのか!?」

 

(この馬鹿、まだそんなことを言っているのか)

 

 ヒルマはどす黒い感情を覚え、思わずフィリップを始末してしまいたくなる。しかし、今日までなんとかこの馬鹿を宥めすかして来たのだ。その日々ももうすぐ終わりなのだから、と自分自身を必死に抑えた。

 

「そういうチャンスもそのうち巡ってくることでしょう。フィリップ様。王位を狙うなら慎重さが大切ですよ」

 

「ああ、そうだった。いつもヒルマの言うことは正しかったからな。まあ、いい。俺はラナー王女とアルベド様、二人とも手に入れて王国も魔導国も俺のものにするんだ。ははは。そうすれば、ヒルマ、お前にもこれまでの借りを全部返してやれるし、贅沢もさせてやれる。……そうだ。もっと良いことを思いついたぞ。いっそ、王国とか魔導国とか小さなことを言ってないで、俺が世界の王になれば完璧だと思わないか!?」

 

「…………は?」

 

 フィリップは自分のあまりにも素晴らしい思いつきに目を輝かせる。だが、ヒルマは開いた口が塞がらなかった。

 

 ヒルマは己の前にいる男が、普通では信じられないレベルの馬鹿であることは知っていた。しかしながら、まだ何一つ自分の力でなし得ていないくせに、どうしてこういう碌でもないことばかり思いつくのか。馬鹿という言葉で済ませるには限度というものがあるだろう。むしろ、馬鹿に失礼なんじゃないだろうか。ヒルマは一瞬真剣に悩むが、それ自体がこの馬鹿の術中に嵌ったようなものだと思い返し、頭を切り替える。

 

「フィリップ様なら、いずれそのような日も来るかもしれません。しかし、まずは一歩一歩確実に進めていきませんと……」

 

 かろうじて、ヒルマは冷静な声でフィリップを宥めようとする。

 

「はは、そうだな。まだ少しばかり早かったか。まずは、ラナー王女と王国からだな。……でも、ヒルマ、俺は冗談でこんなことを言ったんじゃないぞ。俺は、そのうちこの世界の頂点に立つんだ。そうだ。あの魔導王なんて糞食らえだ!!」

 

 フィリップは、自信に満ち溢れた声でそう断言する。もう彼の中では、彼が両腕でラナーとアルベドを抱きかかえて巨大な玉座に座り、世界中の人々が彼を賛え歓呼の声を上げるのが確定事項になっている。

 

(もうやめて……! あの人達を怒らせるようなことを言うのは……。絶対、この会話だってあの人達に聞かれてるのよ……!?)

 

 ヒルマは恐怖に慄きながらも、どうにか笑顔を取り繕った。あとほんの数日の我慢だと、自分の中で必死に言い聞かせながら……。

 

 

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 事件が起こったのは、魔導国宰相アルベドが王都にやってくるという日の昼過ぎのことだった。

 

 その日も朝から雨が降っていて、もともと舗装された道路の少ない王都では、このところずっと続く雨でほとんどの道路がぬかるんでおり、それをおして通りを歩くものはあまり多くはなかった。

 

 そんな中、スラム街にほど近い治安があまり良くない地区で、焼き討ちにあった近くの村から王都に移り住んでいた十代前半の双子の姉弟が、雨やどりをしながら道端に座り込んでいた。そこを偶然馬車で通りかかった貴族の一人が、それなりの見目だった姉を無理に馬車に連れ込もうとし、それに弟が抵抗しようとして貴族にとっさに石を拾って投げた。

 

 その石は暴れる姉を押さえつけようとしていた貴族の片目に当たり、怒った貴族は腰に差していた剣を抜いて弟をざっくりと斬りつけた。悲鳴をあげて崩れ落ちた弟を蹴飛ばして道端に押しやると、貴族はそのまま姉を馬車に乗せて連れ去った。慌てて人々が助けに寄った時には、弟はかろうじて息はあったが、神殿に連れて行く間もなく、姉を心配する言葉だけを残して息を引き取った。これは、ある意味、このところの王都では珍しくもない事件の一つだった。

 

 しかし、この事件はこれだけで終わらなかった。

 

 この姉弟は、困った人を見かけると、いつも声をかけ手伝いをしていた。ぎりぎりの生活の中でも人好きのする笑顔を絶やさない姉弟を、この界隈の者たちは我が子のように可愛がっていた。王国の貧困層には、ひたすら毎日を耐え忍び、単に命を繋いでいくだけの人生しかない。しかしこの二人は、どこか遠くにいる王族などよりも、よほど人々に生きる希望と安らぎを与えてくれていたのだ。

 

「――俺は許せねぇ。俺達から何もかもを奪っていく貴族達をよ……」

 残された弟の遺体をそっと布で包みながら、一人の男が呟く。

 

「何もこんなことをしなくたって……。あんなに可愛い子どもたちだったのに……」

 その様子を見ながら、涙を流す女性も大勢いた。

 

「王国が、王族が、貴族がこれまで俺たちに何をしてくれた? このままでは奴らにいいようにされて死んでいくだけだぞ?」

「どうせ死ぬなら、いっそ奴らに一泡吹かせたくないか?」

 そんな風に誰かが呟く。

 

 そして、その声はこれまで現状をひたすら耐え忍ぶだけだった王国民とは思えないくらい、少しずつ大きくなってくる。

 

「そうだ! 貴族を殺せ! 奴らの館には大量の食料があるというぞ!」

「連れ去られた娘を、救い出すんだ!」

「王城もだ! あいつらが無能なせいで、こんなことになっているんだ!」

 

 手にありあわせの棒を持った人々が寄り集まってくる。最初は数十人程度の集団だったが、三十分くらいで、その人数は一万人を越すほどの集団に膨れ上がっていた。

 

「行くぞ! これまで俺たちを無視してきた奴らに思い知らせてやるんだ!」

 

 先頭には、どこから持ってきたのか冷たい光を放つ刃のついた抜き身の剣と火の付いた松明を手に持ち、顔を布で隠した一人の目つきの鋭い男が立っている。

 

「まずは、貴族だ! 奴らの館を焼き払え! 俺達の力を、恨みを見せつけてやるんだ!!」

「おおぉおぉーーー!!」

 

 それに唱和する老若男女を問わない大勢の声がスラム街に響く。松明を持っているものはそれを空に掲げる。

 

 やがて彼らは、確固たる決意を持った表情で、貴族たちが住む高級住宅街へと向かっていった。

 

 

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 蒼の薔薇は、いつものように宿屋で、思い思いに過ごしていた。

 

 一番最初にそれに気がついたのは、物思いに沈んだ様子で、部屋の窓から外を見ていたイビルアイだった。

 

「何か街の様子がおかしい。向こうの方から煙が上がっていないか?」

 

 椅子にだらしなく座り込んでいたティアとティナは、それを聞くとお互いに顔を見合わせて一つ頷き、すぐに姿を消す。ラキュースとガガーランは、イビルアイが見ていた窓を慌てて開き、そこから外を見回す。

 

「確かに煙くさいわね。それに、街の雰囲気がおかしい。何かあったのかしら?」

「こりゃまずいな。ここからじゃよくわからんが、王都で何か起こっているのは間違いなさそうだ。この宿を撤収して、一旦王城に行ったほうがよくないか?」

 

「そうね。荷物を纏めて、ティアとティナが偵察から戻ったら、ラナーのところに向いましょう。どのみち、ラナーなら何か情報を既に握っているかもしれないし、対策を取るにもラナーのところにいた方が話が早いでしょう」

 

「……。何か、嫌な予感がする。まるでヤルダバオトが襲ってきたあの夜みたいな感じだ……」

 

 イビルアイの言葉を聞いて、ガガーランとラキュースは黙り込む。

 

「……でもよ、ヤルダバオトは倒されたんだろう? あの魔導王によ」

「そうだな。少なくともヤルダバオトのはずはない。魔導王陛下が倒したというなら、間違いなくヤルダバオトは死んだはずだ」

 イビルアイは、指輪をそっと撫でながら呟く。

 

「ん? イビルアイ、前から魔導王に陛下って付けてたか? 前はモモン様の敵とかいって嫌ってたよな? それとも、いつの間にか、魔導王の評価を変えたのか?」

「えっ、いや、私は、その……、魔導王……陛下も、今は少し尊敬しているというか……」

 

 ガガーランの思わぬ突っ込みに、イビルアイは耳まで赤くなる。イビルアイは魔導王に対してかなりの嫌悪感を持っていると思っていたが、これはどういうことなのだろう。イビルアイのモモンに対する反応と魔導王に対する反応が、正直あまり変わらないように見える。ラキュースとガガーランは思わず顔を見合わせた。

 

「そんなこと初耳だわね。あんなにモモン様一筋だったのに。実は魔導王陛下も好みのタイプだったのかしら?」

 

 ついこの間まで、自分と一緒に未経験同盟を組んでいたはずだったイビルアイに、なんとなく裏切られた気分になったラキュースは少し嫌味っぽく言う。

 

「い、いや、そうじゃない! その……いろいろ心境の変化があったというか……それだけだ!!」

「まぁ、いいんじゃないか? 無意味に嫌っているよりは、好意を持つって方がよほど建設的だと俺は思うな」

 ガガーランはニヤニヤしながら、イビルアイをからかう。

 

「う、うるさい! 今はそれどころじゃないだろう!?」

 

 その時、一瞬目の前を影が通ったかと思うと、ティアとティナが姿を現した。

 

「かなりまずい。多分、王都で暴動が起こってる」

「高級住宅街の方から火の手が上がってる。ここも早く引き上げたほうがいい」

 

 二人のその言葉で、蒼の薔薇は先程までのふざけた空気は一瞬で消え、素早く宿の撤収を開始した。

 

 

 




アンチメシア様、Sheeena 様、誤字報告ありがとうございました。


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5: 王都炎上

 ザナックの自室では、ザナックとレエブン候が、先程入った暴動の報告の対応に追われていた。

 

「なんで、よりにもよって今日こんなことが起こるんだ!?」

 

 ザナックは怒りに震え、執務机を叩く。ソファーに腰をかけていたレエブン候は、これまでに入手できた情報が書かれた報告書をせわしなく捲っている。

 

「どうやら、馬鹿の一派がやらかしたのが原因ということで間違いないでしょうな。鬱屈した思いを溜め込んでいた民が、とうとう我慢の限界に達したということかと思われます。魔導国の宰相が王国を訪問するその日に起こった、というのが若干恣意的なものを感じなくはないですが、何分証拠が今のところ見当たりません」

 

「ともかく、魔導国には今更来ないでくれと連絡しても無駄だろう。そろそろ王都入りする予定の時間だ。こうなったら、やむをえん。王都の門から王城までの道を最低限の兵に警備させ、アルベド様には何とか無事に王城入りしてもらおう。恐らく、前回の訪問時と同様に魔導国ではそれなりの警備をつけているはずだから、いくらなんでも手を出す者はいなかろう。……それと、レエブン候は嫌かもしれんが、場合によっては、鎮圧に魔導国の力を借りることも考えないといけないかもしれない。最悪の場合だが……」

 

 頭を抱え唸るように言うザナックに、レエブン候は安心させるように声をかける。

 

「ご安心ください。ザナック殿下。私もそのように考えておりました。ただ、すぐに協力を要請するというのは悪手かと。あまりにも、王国が対応能力にかけると思われた場合、いずれ魔導国に恭順することになったとしても向こうから軽く見られることでしょう。自国の紛争に介入されるのは避けたいところですな」

「ああ、全くその通りだな。……予定では、俺が王城前でアルベド様の出迎えをする手筈だったが、この状況下ではそれは避けたい。ラナーに代行させるのはどう思う?」

 

「その方が宜しいでしょう。やはり、ザナック殿下とラナー殿下では命の重みが違います。それに、出迎え役としてはラナー殿下でも別に相手を軽く見たとは思われないことでしょう」

「よし、では、ラナーにそう伝えよう。時間もあまりない。警備兵の手配は、レエブン候に任せる。俺はその間にラナーに話をしよう」

 

「畏まりました。では、失礼致します」

 

 レエブン候は読んでいた書類の束を纏めると、ザナックの執務机の上に置き、そのまま一礼して部屋から出ていった。

 

(これは、もはや王国もこれまでということか。最悪の場合とは言ったが、残された手段など皆無に等しい。せめて国民に人気があったガゼフ・ストロノーフが生きていれば国民の説得も容易だったのかもしれないが……)

 

 ザナックは、ガゼフ・ストロノーフの名前を思い出した途端、ほぼ同時期に行方不明になった第一王子バルブロのことが頭をよぎる。

 

(二年前は、邪魔な厄介者が消えてくれて素直に嬉しいとしか思わなかったが……。こうなってくると、あの時死んでしまえただけでも、バルブロ(あいつ)は幸せだったのかもしれない。少なくとも、国を破滅させた王子などという不名誉な呼ばれ方はしないだろうからな)

 

 しかし既に全ては動き始めてしまっている。王代理として、対処していく責任があるのは今は自分だけなのだ。

 

 ザナックは覚悟を決め、ラナーを呼ぶようメイドに言付けた。

 

 

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 ブレイン・アングラウスは、いつものように孤児院の一つで子ども達に稽古をつけていた。

 

 今ちょうど打ち合っている子どもは八歳くらいだったが、動きはまだまだぎこちないものの、時々鋭い剣さばきを見せてブレインをうならせる。

 

(こいつ、なかなか筋がいいじゃねぇか。もしかしたら、俺よりも才能があるかもしれない。鍛えればガゼフに近いところまでいけるかも……)

 

 しかし、その時、遠くの方から異様な騒ぎ声と何かが打ち壊される音が聞こえ、やがて、孤児院の中にも煙が立ちこめてくる。

 

「なんだ!? 一体何が起こっている!?」

 

 木刀での打ち合いを止め、中庭から空を見上げる。妙に空が煙り熱気がこもってきている。以前所属していた盗賊団で村を焼き討ちした時の様子に似ている気がする。これはかなりまずい状況だ、とブレインは直感的に思う。

 

 孤児院に勤めている女性がブレインの元に走り寄ってきた。

 

「アングラウス様、大変です。どうやら、外で暴動が起こっている様子。暴徒がこの辺りにある建物に火を着けて回っているようなのです。早く子ども達を避難させなければ……!」

 

 気がつくと、女性達は孤児院にいる子ども達を集めて外に誘導しようとしているらしい。まだ幼い子どもが泣く声もする。

 

「よし、お前達も急げ! このままここにいれば焼け死ぬだけだ。荷物を纏める暇はない。とりあえず、王城を目指すぞ。少なくとも、ここよりは安全だろう!」

 

 ブレインは、自分の近くにいる子ども達を急き立て、女性達にも指示を飛ばす。幾分恐慌状態だった女性たちも子ども達もその声で少し落ち着きを取り戻したらしく、皆、それぞれに必死の顔をして、孤児院から走り出ていく。

 

「赤ん坊は先に連れ出してるっす! そっちの子ども達は頼むっすよ!」

 キビキビした女性の声が何処かから響く。ブレインはその言葉に少しだけ安堵した。

 

「じゃあ、残りは全員自分で動けるな。いいか、お前ら、自分の身は自分で守るんだ! 危険だと思ったら隠れてやり過ごせ! 王城の門にたどり着いたらラナー王女を頼るんだ! いいな!?」

「はい!!」

 

「よし、いい返事だ! 皆、死ぬなよ!?」

 

(一体どうしてこんなことになったんだ……。確かに、いつ内乱になってもおかしくないとは思っていたが、少し急すぎないか?)

 

 ほんの一瞬、ブレインは頭を悩ませるが、今はそんなことをしている場合ではないと気持ちを切り替える。ともかく、少しでも多くの子ども達を救うのが先だ。

 

(あの虐殺の時は、結局、俺は何も出来なかった。だが……)

 

 先程まで打ち合っていた子どもが近くにうずくまって震えている。その子を抱き上げて肩に乗せると、ブレインは今や炎が回り始めた孤児院を脱出した。

 

 

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 とりあえず、思いつく限りの対策を講じたザナックは、自室の執務机に座り、果実水を啜っていた。部屋の窓から外を眺めると、遠くの方に黒い煙が大きく立ち上っているのが見える。雨だというのに、この様子だと火の手はかなり広がっているのだろう。このまま手をこまねいていれば、最悪ヤルダバオトの事件よりも多くの被害が王都に出ることは間違いない。

 

(流石に、そろそろ王都に戒厳令を出し事件の鎮圧に動きたいところだが、その為には貴族共を招集して合意を取らねばならん。しかし、そんなことをしているうちに王都が壊滅してしまうかもしれないな。帝国のように、王の一存で決められる国であればよかったのが……)

 

 ザナックは、重いため息を付き、もう一口果実水を飲む。

 

(レエブン候が戻り次第、貴族達に招集をかけるよう言わねばならんな)

 

 その時、ザナックの部屋の扉を叩く音が聞こえ、メイドが入室の許可を取りにザナックの元へやってくる。

 

「今は非常事態だ。急ぎの用件のものはいちいち入室の許可は必要はない。すぐに中に通せ」

 

 メイドはそれを聞いて急いで扉の所に戻っていき、それと入れ替わりに、慌てた様子の騎士が一人部屋に駆け込んでくる。

 

「どうした? 何があった?」

「ザナック殿下、ラナー殿下が……」

「ラナーなら、アルベド様の出迎えに出ていたはずだが?」

 

「いえ、出迎えに出られたラナー殿下に、暴徒と思われる一団が襲いかかり、そのまま行方不明になられました!」

「な、なんだと……ラナーが!? いや、ちょっと待て。アルベド様はどうだったんだ? その場におられたのではないか?」

 

「アルベド様は、御自身の護衛がすぐに動かれたので、ご無事でいらっしゃいます。しかし、暴徒の目的は最初からラナー殿下だったようで、殿下のお側にいた者もすぐにお助けしようとしたのですが、多勢に無勢で……。誠に申し訳ございません」

 騎士はザナックに深々と頭を下げる。

 

(何だ? 一体何が起こっている? どうしてこう何もかもが一気に動き出しているんだ? 背後で誰かが動いているのか? まさか……八本指か!?)

 ザナックは唇を噛みしめる。

 

「頭を上げろ! そんな暇があったら、ラナーの行方を探すのが先だ! 近衛の二個小隊を出して……いや、蒼の薔薇に頼んだほうが早いか? 誰かを蒼の薔薇が使っている宿屋に向かわせて王宮に呼べ。あと、アルベド様は応接室にお通ししておけ。今挨拶に行く。それからレエブン候は何処にいる? 見かけたら俺が呼んでいると伝えてくれ」

 

「はっ。畏まりました!」

 慌ただしく騎士は礼をすると部屋から飛び出していく。

 

(裏で八本指が動いているとなると厄介だな。このところおとなしかったから、組織自体の建て直しに必死で、悪事を働く余裕など無いのかと思っていたのだが。……やはり泳がせておいたのは失敗だったか?)

 考え込んでいるザナックの部屋の扉を叩く音がする。

 

(レエブン候が戻ってきたか? いい加減俺一人じゃ厳しくなってきたから助かるな)

 

 ザナックはメイドに部屋に入れるように合図をする。しかし、入ってきたのはレエブン候ではなく、今にも倒れそうな様子で青ざめて震えているメイドだった。

 

「どうした? 何かあったのか?」

 

 メイドはザナックの前でお辞儀をしたまま、すぐには頭を上げなかった。口も開くことが出来ない様子であることを不審に思い、ザナックは尋ねた。その言葉でメイドはようやく頭を上げ、震える声でザナックに告げた。

 

「……ザナック殿下、ご報告申し上げます。ランポッサ三世陛下が……先程、崩御されました……」

 

 ザナックはその知らせに驚愕のあまり、音をたてて立ち上がり、その勢いで知らせに来たメイドが怯えて口を噤む。

 

「なん……だと……、父上が……? 黙っていたのではわからん! 状況を説明しろ!」

 

(最悪だ……。何故このタイミングで……。一体どうしてこんなことになったんだ……)

 

「一昨日くらいから、陛下はほぼ一日中お目覚めになることなくお休みになっていらしたのです。今朝も、いつものようにラナー殿下が御見舞にいらして、紅茶を共にされようとなさっていたのですが、いくら話しかけられても反応が無かったと。紅茶もそのまま手付かずで戻っていらっしゃいました。その後、侍医が陛下のご病状を確認しようと致しましたら、既に亡くなられていらしたのです……。」

 

 メイドは恐怖に震えながらも、必死にそこまでザナックに告げた。

 

「わかった。ともかく、部屋に行こう。それと、レエブン候が戻り次第、陛下の部屋まで来るようにと伝えておいてくれ」

 

 自分の部屋付きのメイドに命じると、ザナックは自分に知らせに来たメイドを伴って王の部屋へと向かった。ここまで悪いことが重なると、もう何もかもが自分の裏をかいて悪い方向にしか動かない気がして、全てを投げ出してしまいたくなりそうだったが、ザナックは必死で持ちこたえる。歩みを止めたらそこでゲームオーバーなのだ。ほんの僅かな可能性に賭け、やるべきことをやるしかない。

 

 しかしながら、せめて王が自分を正式な後継者に指名してから逝ってくれればどんなによかっただろう。ザナックはそう思わずにはいられなかった。

 

 

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 ランポッサ三世の部屋で侍医からザナックが経過の説明を受けている時に、青ざめながらも冷静な雰囲気を保ったレエブン候が現れた。

 

「ああ、来たか、レエブン候。今、俺も来たばかりだ」

「殿下、この度は、お悔やみ申し上げます……」

 レエブン候はザナックに軽く頭を下げる。

 

「いや、そのようなことはどうでもいい。今はこの未曾有の事態にどう収拾をつけるかの方が大事だ。陛下を悼むのはその後だろう」

「はっ、まさに殿下の仰る通りですな」

 

「詳細は、今侍医から説明を受けた。侍医の見立てでは、二年前程から陛下が罹っておられた持病が徐々に悪化していて、ここ最近は特に目覚めること自体が少なくなっていたという。まあ、要するに、病の悪化による自然死だろう、ということだ」

「なるほど……。侍医がそのように言うのであればその通りなのでしょう」

 

 そう言って、レエブン候は傍らに控えている侍医をちらりと眺める。侍医は多少顔を俯けてはいるものの、落ち着いた様子で立っている。

 

「しかしながら、殿下、今この状況下で陛下が亡くなられたということが知られるのはかなり不味いかと思われます」

「俺もそう思う。だから、この話を知っている者は全て、既に別室に軟禁してある。それで申し訳ないが、先生にもこの件を当分漏らさないでいただきたいのだ」

 

「畏まりました。では、私もしばらくは王城に留め置かれるということですかな?」

「その通りだ。すまないが、別室で待機していて欲しい。そう長くはかからないはずだ」

 

 侍医は黙って頭を下げる。ザナックは部屋の中にいる騎士の一人に合図をし、騎士は侍医を別室に連れ去った。

 

「さてと。これで当座は問題はないな? レエブン候」

「はい。しかし……、本当にどうしてこうなったのでしょうな。私には偶然とはどうしても思えないのですが」

「はは、奇遇だな、俺もだよ。誰かが王国を潰しに来ているとしか思えん」

 

 ザナックとレエブン候は顔を見合わせて、乾いた笑い声をたてた。

 

「ともかく、早急に対策を考えねばならん。ラナーもいない今、頼りになるのはレエブン候だけだ。どうか俺に力を貸してくれ。ああ、それと……こんな時に言うのもなんだが、候に頼みたいことがある。少しだけ、話を聞いてもらえるか?」

 

 レエブン候は黙って頷いた。

 

 

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 ヴァランシア宮殿の中でも、特に賓客をもてなすために設えられた応接室は、装飾的な壁紙が貼られ、王国の著名な画家が描いた絵や、工芸家の制作した美術品が美しく飾られており、ナザリックとは比較にならないものの、それなりに王家としての品格を伺わせるものになっている。

 

 レエブン候を伴ったザナックが、その部屋の中に通されると、そのような部屋の美しさなどは紛い物に見えてしまうほどの麗しい美女が女神然とした姿でソファに腰をかけているのが見えた。その後ろには、魔導国から連れてきたお付きのメイドらしい美女が一人控えている。

 

 ザナックは、硬い表情をしながらも、その女性の前に進み出て跪き、レエブン候もそれに習う。

 

「アルベド様、今回はわざわざ我が父ランポッサ三世の見舞いにいらしてくださったにも関わらず、このような事態に巻き込んでしまい、誠に申し訳ございません」

 

「ザナック様、どうかそのようなことはおやめくださいませ。このようなことが起こると一体誰に予想できましょうか? さあ、王子殿下ともあろう御方が、いつまでもそのようなことをなさるものではありません。どうか、そちらにお座りになってください。それと、レエブン候、貴方もですよ」

 

「では、お言葉に甘えさせていただきます」

 

 ザナックとレイブン侯はアルベドのその言葉でようやく立ち上がり、アルベドの向かいのソファーに腰をかけた。 

 

「アルベド様、大変申し訳ないのですが、何分、王都がこのような状況で、本来予定していた式典の類も王都の視察も実施が非常に困難になってしまいました。非礼は重々承知しておりますが、何分、予想外の非常事態ということでご容赦いただきたいのです。いずれ状況が落ち着きましたら、改めて今回の埋め合わせをさせていただけたらと思うのですが、いかがでしょうか?」

 

「いえ、それには及びません。私どものことはお気にかけられずとも構いませんわ。このような時にお伺いしてしまったこと、こちらとしても申し訳なく思っております。事態収束を優先されるのは、国政を預かるものとして当然のこと。国王陛下が重い病に臥していらっしゃる時に、さぞや対応にも苦慮されていらっしゃることでしょう。魔導国としても、非常に慚愧に堪えません。もしよろしければ、魔導国からも何らかのお力添えをすることも可能ではありますが、いかがでしょうか?」

 

 アルベドからの提案は非常に納得のいくものであり、本音を言えば、ザナックもレエブン候もそれに飛びつきたいのは山々ではあった。しかしここで魔導国に介入されてしまえば、王国の魔導国への借りは大きくなりすぎてしまう。それだけは避けたいと、二人は一瞬目を合わせ、ザナックが代表して答えた。

 

「アルベド様、有り難いお申し出を頂いたこと深く感謝いたします。しかしながら、これは王国の内部問題であり、魔導国の御手を煩わせるようなものではございません。アルベド様にはしばらく王都にご滞在いただくことにはなってしまうかとは思いますが、我々自身で不始末の片をつける所存でございます。せっかくのご厚意を無碍にしてしまうご無礼をどうかお許し下さい」

 

「そうですか。それはごもっともなことかと思います。こちらこそ、差し出がましいことを申し上げまして、大変失礼いたしました。しかし、魔導国はいつでも王国のために手をお貸しする準備はできておりますので、そのことだけでも覚えていてくださると非常に嬉しく思います」

 

「魔導国からそのように暖かいお心遣いを頂いたこと、我々も非常に心強く思う次第です。しかしながら、そのようなことがないように、重々努力したいと考えておりますので……」

 

 ザナックとレエブン候を興味深げに眺めていたアルベドだったが、その言葉を聞き、優しい微笑みを浮かべて頷いた。

 

「わかりました。では、王国が一日でも早く事態を収められることを心からお祈りしておりますわ」

「ありがとうございます。それでは、アルベド様にご滞在いただく部屋を用意させていただきましたので、そちらにご案内させてください」

 

 ザナックは、王城の中でも特に見目の良さで選りすぐったメイドを、数人部屋に招き入れると、アルベドを貴賓室へと案内させた。

 

「……。レエブン候、我々はいつまで持ちこたえられるんだろうな? 正直、自力で解決しなければとは思いつつも、魔導国の手を取りたい気持ちを抑えるのが大変だったぞ」

「ザナック殿下、私もですよ。しかし出来るところまでやってみるしかないでしょう。今回の相手は、ヤルダバオトでも魔導王でもない。あくまでも普通の人間です。であれば、打開策もきっとあるはずかと」

 

「ああ……、そうだったな。相手は人間なのだから、なんとか出来ていいはずだ。あまりの異常事態にそれを忘れるところだったよ」

 

 部屋の中に、二人の苦々しげな笑い声が静かに響いた。

 

「ではレエブン候、走り回らせて済まないが、貴族達の招集を頼む。それと、蒼の薔薇にラナーの発見と救出を依頼してくれ」

「畏まりました。至急そのように取り計らいます」

 

 レエブン候はお辞儀をすると、急ぎ足で部屋を出ていった。

 

 




アンチメシア様、佐藤東沙様、黒えありる様、藤丸ぐだ男様、誤字報告ありがとうございました。


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6: 蒼の薔薇、王都を走る

 王都では暴徒の数が更に膨れ上がっていた。街のいたる所で激しい火の手が上がり、それが更に近隣の建物に燃え移る。しかも、兵士達が火を消そうとしても暴徒が妨害するため、まともな消火活動すら行うことが出来ない。

 

 最初にターゲットになっていたのは、高級住宅街の中でも貴族の館と思われるものだけだったが、貴族の館は守りが固く、火を着けようとする者は、館を守ろうとする貴族子飼いの兵士によって容赦なく殺された。それに怒り狂った民衆は、抵抗する館の門の前にバリケードを作って逃げられないようにした上で、数の暴力で石や油や松明を投げ込む。

 

 更に時間が経つにつれ、暴徒の勢いは増し、少しでも豊かな暮らしをしていそうな屋敷であれば、貴族かどうかに関わらず、手当たり次第に押し入り、残っている家人を踏みにじり物資を強奪している。それを抑えようと王都の衛士達や兵士達が、可能な限り無傷で捕縛しようとするものの、棒や松明を振り回す暴徒相手では出来ることが限られ、暴徒にも兵士達にも死傷者が増え始めた。そしてその結果、民衆は自分達を弾圧する兵士、ひいてはその後ろにいる王や貴族への怒りを募らせ、より暴徒が増えるという悪循環を起こしている。

 

 恐ろしい悲鳴と怒号が街中を覆い尽くしていた。そんな騒動の最中、多くの貴族達はなんとか館から避難し、王城に逃げ込もうと躍起になる者が出始めた。

 

 六大貴族であるペスペア侯もその一人だったが、館の裏門から馬車で逃げ出そうとしているところを暴徒に襲われ、馬車から引きずり出された。ペスペア侯夫妻は命乞いをしたが、そのまま暴徒に滅多打ちにされて殺され、遺体はその場に打ち捨てられた。

 

 騒然とするペスペア侯の屋敷に、襲撃者達はそのままなだれ込み、館の中にある貴重品や食料などを奪うと、家の中から火を放つ。

 

 王都は次第に地獄絵図の様相を呈しつつあった。

 

 

----

 

 

 ヴァランシア宮殿には、既に多くの貴族が集まっていた。

 

 レエブン候が宮廷会議の招集をするよりも先に、大半の貴族は命からがらロ・レンテ城に逃げ込んできているか、王都から脱出して領地に逃げ帰っており、未だ王都に残っている貴族を招集すること自体はそれほど難しくはなかったのだ。

 

 しかし――。

 

 本来この場には国王であるランポッサ三世、六大貴族及び有力貴族が集まるはずだった。

 

 だが、今この場にいるのは、ランポッサ三世ではなく、その代理であるザナック第二王子。そして、六大貴族では、大虐殺で戦死した前ボウロロープ侯の家督を継いだばかりの長男も、ブルムラシュー侯の姿もなく、かろうじてウロヴァーナ辺境伯、リットン伯、レエブン侯のみが集まっている。その他の有力貴族も大半は欠席で、残りは件の『馬鹿派閥』に属する貴族達が下品な声を立てて笑い合っているだけだ。

 

 ザナックは、馬鹿どもを見ただけで胃がむかつき吐き気を覚えるが、今は相手にしているだけ時間の無駄というものだ。

 

 先程報告が入ったペスペア候死去の知らせに、ザナックとレエブン候以外は初めてことの重大さを認識したようだ。

 

「まさか、ペスペア候までもがお亡くなりになってしまわれるとは……」

 ウロヴァーナ辺境伯が蒼白な顔で呟く。

 

「発見した衛士がペスペア候夫妻の御遺体の回収には成功したものの、損傷が激しい為、蒼の薔薇のラキュース殿の話では蘇生は難しいかもしれないということだ」

「ペスペア候は数少ない次の王候補であった御方。となると、現在王候補として残っておられるのは、正当な王位継承権者であるザナック殿下とラナー殿下のお二人きり、ということですか」

 

「そういうことになりますな。第二王女様が降嫁なされた方では若干地位的にも見劣りいたしますし、人望があったペスペア候とは事情が異なるかと。ザナック殿下とラナー殿下がいらっしゃる以上、それを差し置いてというのは国民も納得しないと思われます。――ともかく、我々がこれ以上反目し合うのは、反乱を起こしている連中に利するだけで、まさに愚策と申せましょう。これまでの諍いには目をつぶり、この場だけでも王派閥と貴族派閥の垣根を超えて、事態の収束に向けて協力しようではありませんか」

 

 レエブン候の言葉に、貴族派閥の面々はかなり渋い顔をしている。しかし、王候補の一人だったペスペア候を喪ったことで、当座は協力すべきという打算が働いたようだ。

 

「……やむを得ませんな。何より、今は王国の危機と言ってもいい事態。このまま民の暴走を放っておけば、地方にも飛び火して王国全土が内乱になってしまいかねません。であれば、この問題は王都で何としても鎮圧すべきでしょう」

「しかし、どうやって? 王城にいる兵士や戦士を投入して対応に当たらせるとしても、ヤルダバオトの時とは違い、相手は同じ王国民。躊躇する者も出るのでは?」

「多少犠牲が出るのはやむを得まい。それに反乱民を生かしておくのも危険なのではないかね?」

「それはあまり賢明ではないと思いますな。襲いかかってくる者を撃退するならともかく、いたずらに民を刺激すれば、更なる暴動に繋がりかねませんぞ!」

 

 王派閥も貴族派閥も黙り込む。暴動が大きくなり王都で留められなければ、自領でも追従する者が出てくる可能性だって否定出来ない。ヤルダバオトのように簡単に敵と認定できる相手であれば良かったのだが、相手は普通の王国の民だ。それに兵士達にも平民出身の者は少なくない。非情を強いれば、兵士も含め、全ての民衆を敵に回しかねないのだ。

 

「ははは、流石はこの国を長年治めていらした方々だな。決断力というものを全くお持ちではないようだ」

 

 その沈黙を破ったのは、若干後ろの方で徒党を組んでいた下級貴族のうちの一人だった。得意そうな顔をしながら、大胆にもザナックと六大貴族の前に歩み出てくる。その後ろから、数人のその下級貴族を頭とする派閥の連中が取り巻き然としてついてくる。有力貴族の間からは、あの馬鹿共が……、というヒソヒソ声が漏れる。

 

「フィリップ様、もっとがっつり言ってやってくださいよ」

「そうそう。もう時代は俺達のものだってね」

 

「んん……。まあ、待て。こういう話は、じっくり進めるのがいいってヒル……いや、知人が言っていたからな」

 

 フィリップは偉そうに咳払いをすると、取り巻き達を抑えるような身振りをした。

 

「全く、この期に及んで足並みすら揃わないとは、王派閥の方々も、貴族派閥の方々も随分と耄碌されているのではありませんかね? しかも、ラナー王女までもが暴徒に攫われてしまうとは、嘆かわしいにも程がある。このような方々に、そもそも国政を預けることなど出来るのでしょうか? いやいや、流石にちょっと無理でしょう。いい加減、我々にその席を明け渡して引退されてはいかがでしょうか? そうすれば、こんな事態などあっという間に解決して見せますよ」

 

 自信満々で演説するフィリップに、取り巻き達は野次を飛ばす。フィリップのあまりの物言いに、呆然としていた有力貴族達がようやく口を開く。

 

「何だと……。生意気な口を利きおって、この小童が! では聞こう。おぬしはどうすれば解決できると考えておるんだ」

「そんなの簡単ですよ。我々には素晴らしい力を持ち、バックアップしてくれている方々がいます。その方々の力を借りれば、こんな事態はあっという間に解決するんです」

「それは一体どういう意味だ!? この国にそのような力を持つ者など、ここに集まっている者達以外に誰がいるというのだ!」

「はは、あなた方ではわからなくても仕方ないでしょう。あの方々は、我々を特別に見込んで自主的に力を貸してくれているんです。つまり、我々は選ばれし者なんですよ!」

 

 フィリップの得意そうな顔を見て、他の貴族達は、こいつらと話をするだけ時間の無駄だ、という考えが一瞬頭をよぎる。だが、このまま放置するにはあまりにも危険すぎる連中だ。

 

「貴様、一体何を考えている? 解決するというのであれば、もっと具体的な内容を提案すべきだろう!」

「なに、簡単ですよ。無駄な抵抗をする者は、相手が誰であろうと容赦なく全て殺せばいい。どのみち、王族や貴族に歯向かった重罪人共です。情けをかける必要など全くないではありませんか。どうしてそんな簡単なことも出来ないのか理解できませんねぇ」

 

 フィリップは大仰な身振りで肩をすくめた。

 

「……お前、そんなことをしたらどうなるのかわかっているのか? それに、そもそも、お前達に力を貸そうなどとする連中など信用できるわけないだろう!」

「平民など、所詮どのように扱おうと我々貴族の自由。奴らの都合など考える必要など感じませんな。それにあの素晴らしい方々のことをそんな風にしか思えないなんて、お気の毒としかいいようがありません。――やれやれ。あなた方の言い分は、どれもこれも、私には負け犬の遠吠えにしか聞こえませんが、やはり選ばれた我々が妬ましいのでしょうかね?」

 

 フィリップとその取り巻きは下卑た笑いを浮かべ、相対する貴族達の顔色が怒りで真っ赤に染まっていく。

 

「貴様ら! 分というものを知れ! 下級貴族の分際で!!」

「そのようなことに拘わっているから駄目なのですよ。これではお話にもなりませんな。ただ、次代の王国の実権を握るのに最も相応しいのは、我々、若手貴族だということがよくわかりました」

 

 若手じゃなくて、単なる『馬鹿』だろう……。その場にいる多くの貴族はそう思ったが、厄介なことにこの連中は数だけは多いうえ、自制心の欠片も無いのである。

 

「どうやら、我々に主導権を渡すつもりもないようですし、このままこの場にいてもただの時間の無駄でしょう。しかし、王国でまともに行動できるのが我々だけとは嘆かわしいことですな。せいぜい、ここに篭って対策でも考えていてください。我々は勝手にやらせていただきますよ」

 

 フィリップは鼻で笑うと、取巻き連中に合図をし、それに追随する者たちは一斉に会議室から出ていった。残された貴族達は、あまりの不快感でしばらく押し黙った。

 

 ザナックは、余計な面倒事が追加で発生しそうな予感で胃痛を覚えたが、フィリップの不快な発言の中に、懸念すべきことが含まれていることに気が付き、声を張り上げた。

 

「まずい。あの連中が言っている『力を持っている者達』というのが魔導国であった場合、アルベド様に接触する可能性がある。奴らが万一にもアルベド様に近づいたら問題が大きくなるだけだ。近衛一個小隊でアルベド様が居られる貴賓室の周囲を固めろ。連中が近づこうとしたら強制排除していい」

 

 ザナックの言葉で騎士の一人が部屋から走り出ていく。やがて、貴族達は目障りな連中がいなくなったためか、怒りを収め、少しずつ落ち着きを取り戻してきたようだ。そこに、暗い口調でレエブン候が口を開く。

 

「私はむしろ、奴らの背後に……八本指がいるのではないかと思います」

「なるほど、八本指か。確かに、いくら力が衰えたといえど、奴らならあの程度の連中を手足に使うのは容易いだろうな」

 

 ザナックとレエブン候が頷き合っているその脇で、他の貴族の面々は苦虫を噛み潰したような顔をしていた。何しろ、八本指といえば、以前は自分たちもかなり便宜を図ってもらっていた連中だ。最近はあまり付き合いをしていなくとも、ほとんどの貴族は八本指に関しては後ろ暗いことも多い。だから、正直、あまりこの場では聞きたくない名前ではあった。

 

「まあ、八本指が動いていたとしても、我々がすぐに出来ることはない。むしろ、上手く行けば奴らを使って釣り上げることも出来るんじゃないか?」

「私はザナック殿下の仰る通りだと考えます。――さて……、目障りな連中がいなくなってくれたおかげで、ようやく、会議ができる状態になったようだし、改めて今回の事件の対応を協議したい。王都で騒ぎを抑えられなければ、この暴動はいずれ王国中に飛び火し、王も貴族も関係なく、損害を被ることだろう。その為にも、派閥を問わず協力関係を結び、王代理であるザナック殿下を中心として対応していくことを提案する」

 

 レエブン候は、おもむろにこの場に残っている者の顔を見回した。

 

「確かに、それがいいだろう。私には異論はない」

「この際、やむを得ないでしょうな。ザナック殿下以外に適任な方もおられないことですし。私も賛成いたしますよ」

 

 貴族達は、ここで対立していては暴走する馬鹿派閥に国を滅ぼされると思ったのかもしれない。フィリップ達がいなくなった後は、貴族達は自主的にザナックへの協力を約束した。

 

 しかし――

 

(既に王都の二十%が暴徒に破壊され、死傷者は王都の全人口の十%にも及ぶ惨事となっている。もはや王国には一刻の猶予も残されてはいない。まさに存亡の危機だ。だが、使える手札があまりにも少なすぎる)

 

 ザナックは平静を装いながらも、何時になく胃がキリキリと痛むのを感じた。

 

 

----

 

 

 蒼の薔薇はラナーを奪還すべく、誘拐者達の足取りを追っていた。

 

 ロ・レンテ城の門付近からしばらくは多少目撃情報があったものの、その後の足取りはまるで闇に紛れたかのようにふつりと消えている。

 

 即座にラナーの跡を追ったクライムや警護の兵達も、人混みに紛れ、途中で完全に見失ってしまったという。

 

 今の王都は、暴動を恐れ王都から逃げ出そうとする人々、必死に消火活動をしている人々、それを尻目に破壊活動に勤しんでいる人々、暴徒を抑えようと声を上げる兵士たちが入り乱れ、混乱を極めている。そのような状況下では、追跡術なども持ち合わせているティアやティナですら、暴漢達の足取りを掴むのは至難の技だった。

 

「これは、厳しいわね」

「闇雲に探しても、難しいかも」

「だなぁ。ある程度、目星をつけて当たったほうがいいんじゃないか?」

 

 不意にふわりと何かが側に舞い降りる気配がする。次の瞬間、不可視化して空中から探っていたイビルアイが姿を現した。

 

「上空から出来る限り探したが、やはりそれらしい姿はないな。もう何処かに連れ込まれていると見て間違いないだろう」

「お疲れ様、イビルアイ。そうよね……。ラナーが誘拐されてからもう一時間以上経っている。恐らく、人目につかない場所に囚われている可能性のほうが高いでしょう」

 

「ふむ。なるほどな。そうすると、可能性が高そうなところは何処だ?」

「そもそも、ラナーを何の目的で攫ったのかよね。そうすれば、犯人が誰なのか予想もつきやすいと思うの」

 

「あの王女は、民から多少の人気はあるが敵も多い。しかも、今の王国に対する人質としての価値は非常に高い。つまり、誰がやってもおかしくない、ということだ。心当たりが多すぎるのも考えものだな」

 

 イビルアイの指摘に、蒼の薔薇は難しい顔をして考え込む。

 

「ただ、手口からいって、暴徒ではないと思うの。逃げ出す際の手際もいいし、暴徒ならもっと痕跡がたくさん残っているはず」

「そうなると、プロの犯行か? おいおい、俺は考えたくない名前が思い浮かんじまったぜ?」

 

「……八本指?」

「可能性はあるかも」

 

 ティアとティナがボソリと言う。

 

「八本指のアジトはヤルダバオト事件の時に全て潰した筈。でも、壊滅まではしていない。ということは、連中は違う場所に潜っているってことよね」

「そりゃ……悪いが、短時間で見つけ出せる気はしねえなぁ」

「でも、事は急を要するわ。イビルアイ、上から見た時に、何処か人の流れとかがおかしい場所とか見当たらなかった?」

「うーん、そうだな……」

 

 その時、少し離れた所から、聞き覚えのある男の声と複数の子どもの声がした。蒼の薔薇の面々がそちらに目をやると、ブレイン・アングラウスが大勢の子ども達を引き連れて、こちらに向かって走ってくるところだった。

 

「よぉ! ブレイン・アングラウスじゃねえか!」

「ん? ああ、なんだ。蒼の薔薇じゃないか。こんな所でのんびり何をしているんだ?」

 

 ブレインと子ども達は足を止めた。子ども達は息を切らしており、かなり長いこと走っていたようだ。

 

「探しものよ。この騒ぎで大切なものが行方不明になってしまって……」

「そりゃ、いただけねぇな。俺達もずっとここまで逃げてきたが、正直、どこもかしこもとんでもない混乱だ。この中で何かを探すなんて無理だと思うぜ?」

「それはそうなんだけれど……そうも、言っていられないの。こちらも仕事だから」

 ラキュースは思わず苦笑する。

 

「ふーん。そりゃまた、ご苦労なこったな。俺はともかく、こいつらをなんとか王城まで連れていきたいんでね。悪いが、先を急がせてもらう」

 

 そういって、子どもたちに声をかけて、再び走り出そうとするブレインに、イビルアイが声をかける。

 

「ああ、そうだ。ブレイン・アングラウス、お前が逃げてくる途中で、何か怪しい感じの大きめな荷物なんかを、持っている連中とかは見かけなかったか?」

「大きめな荷物? どのくらいの大きさだ?」

「そうね、イビルアイよりも少し大きいくらいかしら?」

 

「……随分、きな臭い話だな。……ちょっと待てよ。そういえば、汚えでかい袋を担いで走っている奴らを見かけた気がするな」

「それは、何処!?」

「下級貴族の館の辺りだ。特に有名な家とかじゃないはずなんだが、妙な貴族連中が大勢連れ立って出ていくのを見かけた後だったんでな。それで少し引っかかったんだ」

 

「……それだ!!」

 

 蒼の薔薇は一斉に頷いた。

 

「私達、先に行ってる」

 ティアとティナはそう言い残すと、すぐさま姿を消した。

 

「ありがとう、ブレイン。貴方も子ども達も無事に王城に辿り着けるように祈ってるわ」

「おうよ。任しときな。そっちこそ、探しものが見つかるといいな」

 

 少し照れくさそうな笑顔になったが、再び厳しい表情に戻り、ブレインは子ども達を引き連れて走り去っていく。

 

 蒼の薔薇の面々はそれを見送ることもなく、即座に行動を開始した。

 

 

 




佐藤東沙様、アンチメシア様、ペリさん様、誤字報告ありがとうございました。


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7: それぞれの思惑

 ヴァランシア宮殿にある会議室では、ザナックと有力貴族達が必死に対応を協議していた。

 

 机の上には、王都の大きな地図が広げられ、暴徒に破壊された地区や、現在進行中の地区、それに対応させる部隊配置などを協議していたが、暴徒の行動は思っていたよりも統率が取れており、素早い行動に対応は後手後手に回っていた。

 

「どういうことだ。ただの暴徒ならここまで効率的な行動は取れないはず……」

「恐らく、裏からか表からかはわかりませんが、暴徒を指揮している者がいるのでしょう。そうでなければ、このような行動は取れません」

「裏から誰かが糸を引いているということか」

 

 ザナックとレエブン候の頭には、やはり背後にいるのは八本指か、という考えがよぎるが、理解できないのは、八本指が王都を殲滅させることのメリットだった。彼らとしては、これまで同様、王国を生かさず殺さず保っている方が、利益が転がり込むはずなのに。

 

「まさかとは思いますが、更に裏の裏という存在がいる可能性すらありますな……」

 レエブン候は苦々しげに呟く。

 

 次から次へと現状を告げる兵士がやってくるが、そのどれもが、更なる状況の悪化を告げるものだった。

 

「ラナーはまだ見つからないのか!?」

「蒼の薔薇の皆様は、探しに出て行かれたまま、お戻りになっておりません」

 

「冒険者組合長はどうした? まだ呼び出しには応じないのか!?」

「それが……、冒険者組合長は、今回の事態はヤルダバオト事件とは違い、国政にあまりにも密接に関係している事件であり、尚且つ相手が同じ王国民であることから、何回要請されたとしても手出しすることはできない、と。そればかりか、冒険者達には、率先して王都から退避するよう勧告を出しているようです」

 

「くそ!!」

 ザナックは思わず机を叩きつける。しかし、そのザナックを笑える者はこの場所にはいなかった。皆一様に、もたらされる知らせの数々に顔面蒼白となっている。

 

 報告の状況をそのまま信じるなら、現在、王都の三十%が壊滅状態となり、死傷者は王都の全人口の二十%にも及ぶ惨事となっている。かのヤルダバオト事件どころか、カッツェ平野の大虐殺を超える死傷者を出すに至っていた。このままでは、事件を沈静化することなど不可能だろう。

 

「……。ザナック殿下。そろそろ決断の時間かもしれませんな」

 

 そんなザナックの様子を見ていたレエブン候は、おもむろに切り出した。候が何を言おうとしているのか、察したザナックは、悔しげに顔を歪める。しかし、二人が何の話をしているのかわからない有力貴族達は首を傾げた。

 

「レエブン候、どういうことなんだ?」

「何か良い方法でもあるのか?」

 

「皆様方。わかりやすく申し上げれば、王国を守るために魔導国に恭順するか、もしくは、このまま王国と共に心中するかを選ぶ時だ、ということですよ」

 

「な、なんだと!? そんなことが受け入れられるはずもないだろう? 気でも狂ったのか、レエブン候!?」

「全くだ。まさか、レエブン候、王国を魔導国に売ろうと画策していたわけではあるまいな!」

「それでは、魔導国に王国を侵攻する口実を与えるだけではないか!」

 

 一斉に口を開いて騒ぎ立てる貴族達の顔を、レエブン候は冷ややかに眺めた。

 

「では、皆様方は、他に何か良い方法があるとでも? もちろん、打開策があるのであれば、それに越したことはありませんが」

 

 しかし、それに回答出来る者は誰もおらず、しばらく、何かを呟いていたが、やがて会議室は静まり返った。その中を、レエブン候の淡々とした言葉だけが響く。

 

「今、我々が選ぶべきなのは、王国を如何に存続させるか、ということでしょう。自力では出来ないのであれば、他国の力を借りるのもやむを得ない。――私とて魔導国には大きな恨みがある。しかし現時点で出ている被害は、あの虐殺で魔導王から我々が受けた被害よりも大きいのです。……この期を逃せば、例え魔導国の力を借りたとしても、王国を再建すること自体が困難になるのは自明のこと。決断するなら、今をおいて他にはありません」

 

「――俺は、レエブン候の意見を支持する。お前たちはどうなんだ? このまま王国と共に滅びるのか? それとも、一時苦渋を舐めたとしても、生き延びることを選ぶのか?」

 

 若干皮肉げなザナック王子の言葉に、押し黙った貴族達は、やがて全員が渋々頷く。

 

「よし、では、俺からアルベド様にお願いしよう。亡国の王子と謗られるかもしれんが、俺はそれでもこの国を守りたい。……心配しなくてもいい。全ての泥はこの俺が被るさ」

 

 ザナックは、心を決めたのか清々しく笑った。その雰囲気に、これまで散々ザナックの足を引っ張ってきた有力貴族達も気圧されたのか、一様に沈痛な面持ちになり、ザナックに恭しく頭を垂れた。

 

 

----

 

 

 八本指のアジトに用意された豪華な一室で、デミウルゴスとマーレは豪奢な椅子に腰をかけていた。その後ろには、ナーベラル、ルプスレギナとシズが控えており、テーブルを挟んだその向かいの椅子にも小さな人影があった。

 

「そうですか。わかりました。では、アルベドは作戦の次の段階へそろそろ移行するということですね」

 

 ソリュシャンからの〈伝言〉を受け、デミウルゴスは機嫌良さそうに頷く。

 

(王都の人々も随分楽しそうに踊ってくれたものです。後はアインズ様の輝かしい栄光の引き立て役として最後まで頑張って頂きたいものですが……)

 

 デミウルゴスはいつもとは違う白いスーツを身に纏い、頭には同じく白く細やかな刺繍のある布を被っていた。

 

(私もアインズ様を彩る端役を存分に演じさせて頂きましょう。かの慈愛の御方にご満足頂けるように)

 

 これから王国で起こる出来事を想像し、デミウルゴスは恍惚とした表情を浮かべる。さぞや、素晴らしい光景になることだろう。王都の人々は、まさに『神』の降臨を目撃することになるのだから。

 

 デミウルゴスは忠義をいくら尽くして尚足りない、自分の主人に思いを馳せる。その麗しい姿を下等動物などに見せてやるのは、少しばかり惜しいことだが……。

 

「では、マーレ、それから、ナーベラル、ルプスレギナ、シズも最終段階に向けた準備を始めてください。……それと、貴女もですね。期待していますよ? 私はアインズ様にお会いしてきますので、一旦ナザリックに戻ります。計画の全てはマーレにも話してありますので、私がいない間に何かがあったら、マーレと相談してください」

 

「は、はい! その……頑張ります!」

 おどおどしながらも、元気よくマーレが返事をし、残りの面々はデミウルゴスに静かに頭を下げた。

 

「良い返事ですね。マーレ。今回の作戦は、全てアインズ様の御為に行うこと。くれぐれも、そのことを忘れないように」

 そう言い残すと、デミウルゴスは〈上位転移〉で姿を消した。

 

「えっと、それじゃ、おばさん、先程お願いした件を始めてください」

 マーレは、部屋の扉の近くに小さく身を隠すように立っていたヒルマに声をかける。

 

「畏まりました。マーレ様。お任せください」

 

 ヒルマはどうしようもなく震える声を抑え、低い声で返事をすると『化物』共が揃った部屋を静かに退出する。王国もいよいよこれで終焉を迎えるのだ。自分たちの役目もこれでお終いになるといいのだが、というほんの僅かな希望にすがりながら。

 

 

----

 

 

 イビルアイは〈飛行〉と〈不可視化〉をかけた状態で空から偵察しつつ、例の貴族の館に向かっていた。空から見える王都の惨状は筆舌に尽くしがたいものだった。

 

 焼け落ちた家。放置された遺体。打ち壊された門や扉。そして、それでも破壊の限りをつくす人々と、それを抑えようと懸命に戦う兵士達。

 

(そうだ。この光景にはどこか見覚えがある。あの時……、そう、あの時の……)

 

 思考がどこか遠くの国の出来事に彷徨い始めたその時、イビルアイの心に引っかかる何かを感じた。

 

 ――何処かから子どもの泣く声がする。

 

 イビルアイは空から思わずその声がする場所を探す。

 

 燃え盛る建物の間に、取り残されたらしい子どもが一人ぽつんと逃げることも出来ずに怯えて立っていた。雨に濡れ、泣きじゃくる姿は、遠い昔の誰かを彷彿とさせられる。

 

 イビルアイは、不可視化を解除して姿を現すと、火の粉を避けながら、煤と泥で汚れたその子を抱き上げ、再び空に舞い上がった。安全な場所を探して辺りを見回し、比較的安全そうな通りに子どもを降ろす。

 

「向こうに逃げろ。そうすれば、王城に着く」

 

 その子は突然空からやってきた助けに戸惑っていたが、イビルアイの短い言葉に頷き、走り出す。イビルアイは一瞬だけ後ろ姿を見送るが、すぐに〈飛行〉を唱えると、再び大空へ舞い戻った。

 

 

----

 

 

 フィリップの館には、自称『若手派閥』に属する貴族達が五十人ほど集まっていた。貴族達はそれぞれ護衛の兵士を複数連れており、総勢六百人を超える大所帯になっている。フィリップはその威容を眺めながら、満更ではない顔をしていた。側には、黒の上品なローブを纏い、スカーフで顔を隠した女性が一人立っている。

 

「フィリップ様、これだけの人数がいれば、間違いなく暴徒たちに鉄槌を下し、ラナー王女を奪還することも出来るでしょう。私共の情報では、ラナー王女は王城近くに囚われている御様子。ですので、このまま王城に向かわれれば、王女をフィリップ様御自身が奪還し、后としてお迎えになることも可能となりましょう」

 

「ふむ、なるほど。それで、ヒルマの作戦としてはどんなものを考えているんだ?」

 

「はい、フィリップ様。まず、暴徒を先に打ち倒すのではなく、説得して味方につけ、暴徒を煽って、今の有力者たちをなるべく多く倒すことが肝心かと思われます。その後、邪魔な暴徒共を片付ければ、王国でフィリップ様に対抗できる者などいなくなることでしょう」

 

「そうか! さすがはヒルマ、素晴らしい作戦だな。よし、じゃあ、俺達はこれから王城に向かい、暴徒達と共に、有力貴族やザナック王子を打ち倒す! 暴徒達は、俺のこの勇姿を見れば、本当に王を名乗っていいのが誰なのかわかり、自然と協力するはずだ! もし、邪魔をする者がいれば、そいつらもついでに始末するぞ! その後、ラナー王女さえ手に入れられれば、王国は俺達の物だ!!」

 

 それに呼応するように、貴族達も剣や弓を振り上げて、大声を出す。

 

「私はフィリップ様こそが、王国を真に支配するに相応しい御方だと思っております。それでは御武運を。フィリップ様が王国を手に入れることを、このヒルマ、心からお祈り申し上げます」

「ああ、期待して待っててくれ! それじゃ、お前たち、行くぞ!」

 

 フィリップは出立の号令を出し、館の庭から、続々と武装した集団が王城に向かって進む。深々とお辞儀をしながらそれを静かに見送るヒルマは、ようやく、最後の連中が館から出て行ったのを確認すると、大きなため息をついた。

 

(これで、あの馬鹿を見るのも最後だろうよ。どのみち、アルベド様がかなりお怒りだから、ろくな末路は待っていないだろうけどね)

 

 ヒルマは、暗い笑みを浮かべる。どうせなら、あの馬鹿には自分が味わった以上の地獄を味わって欲しい。それがこれまで散々フィリップの尻拭いに奔走させられたヒルマの正直な気持ちだった。

 

 そこに、目立たぬ服装をした男が一人、やってきてヒルマに耳打ちする。

 

「ああ、それじゃ手はず通り、アジトからこちらの館に移動してもらうように伝えてちょうだい。準備は出来ていると」

 

 男は頷き、そのまま、静かに姿を消す。

 

「……。今のところは、あの方々の気に障るような事態にはなっていない。このまま、どうか無事に済みますように……」

 

 ヒルマは身体をぶるりと震わせると、館の中に入っていった。

 

 

----

 

 

(賽は投げられた。もう後戻りできない)

 

 ザナックは、今や宮廷会議における上席に腰を掛けているアルベドを見ながら、心の中でごちる。

 

 アルベドは、事態収拾に必要な人材や物資は魔導国が提供することをザナックに約束したものの、あくまでも、今回の事件については自分はオブザーバーであるという姿勢は崩さなかった。それでも、必要な援助の内容を詰めるためにも、宮廷会議に同席してほしいとザナックが要請したのだ。

 

「アルベド様、確認させて頂きたいのですが、事態収拾について、魔導国側ではどのように考えておられるのでしょうか?」

「ザナック殿下。王国で必要とされていらっしゃることを要請していただければ、可能な限り対応させていただきます。ただ、魔導国から必要な応援を出すとしましても、できれば王国側も、暴徒を闇雲に刺激することを避け、事態収束に向けた具体的な行動を起こして頂いた方がよろしいかと思いますわ」

 

 レエブン候は油断なくアルベドの様子を観察していたが、アルベドはあくまでも善意からの申し出という態度のまま、聖母のような微笑みを浮かべているだけで、その言葉の裏に隠されているものを感じ取ることは出来なかった。

 

「アルベド様が仰ることは尤もですな。ただ、既に暴徒に対してある程度の鎮圧部隊を出してしまっておりますので、お恥ずかしながら、王族及び貴族対民衆といった構図を避けることは出来ておりません。そのため、取れる手がかなり限られてくるかと……」

「王政を預かるものとして、暴動に対する鎮圧部隊を全く出さないというのは不可能に近いでしょうから、多少の対立はやむを得ないと思います。――何とか国民と対話をする方向に持っていけると、お互いに少しは歩み寄れるように思いますけれど……。言葉にするのは簡単ですが、実行するとなると、やはり難しいでしょうね」

 

 ふんわりとした笑顔でアルベドは言葉を切る。

 

「対話か……。なるほど。それは良いかもしれん」

 同席している貴族達の間でも、アルベドの案に同意する声が漏れる。

 

「レエブン候、どう考える? 実行は可能か?」

「……ザナック殿下が国民の前に姿をお見せになるのであれば、流石の暴徒も応じるかもしれませんな。但し、その場合、王子の身に危険が及ぶ可能性は否定できません」

「この際、多少の危険はやむを得ないだろう。それに、確かに、俺が奥に引きこもっていては、民衆も納得しないだろうな」

 

 ザナックの言葉に、複数の貴族が同意の頷きを返し、アルベドはそれに感銘を受けたようだった。

 

「とても勇気ある王子様でいらっしゃるのですね。ザナック殿下がそのようにされるというのでしたら、魔導国でも、そのタイミングで何らかの力添えをさせていただきたいと思いますわ」

 

「それはありがたい。そうなると、今は暴徒は王都内に点在している形になっているが、むしろ王城前に誘導したほうがいいのか?」

「一箇所に集めることは暴徒の力が集中することになり危険ではありますが、ザナック殿下のお言葉をより多くのものに伝わるようにするには、その方が効果的でしょう。それに、最悪排除することになった場合も、一箇所に集まっている方が好都合ともいえます」

 

 レエブン候のその言葉は、最悪、暴徒を殲滅することも暗にほのめかしていたが、もはやそれに反対出来る者などいなかった。

 

「それでは、レエブン候、部隊を上手く使い、暴徒を王城前に可能な限り集めろ。目標は一時間後だ。その際に、このザナックが国民と対話を望んでいることをなるべく広範囲に広めるのだ」

「畏まりました」

 

「アルベド様、魔導国には一時間後に私が民衆に対峙する際に、暴徒を抑えるご助力をお願いしたいのですが、可能でしょうか?」

「それくらいでしたら問題ありません。なるべく王子様が安全に対話が出来るように、そのタイミングで加勢させていただきます」

「……ちなみに、どのような方法で加勢頂けるのですか?」

 

 アルベドは少し悪戯っぽく笑った。

 

「それは、できればその時点まではお知らせしない方がよろしいのでは? 情報が漏れて、逆に利用されるといけませんから」

「嫌な話ではありますが、正論ではありますな、アルベド様」

 

 議論がようやく収束に向かいつつあるのに安堵して、ザナックは軽く息を吐く。しかし、これからが本番なのだ。ザナックが閉会を宣言しようとした時、何かを考えていた様子だったレエブン候が口を開いた。

 

「ザナック殿下、一つ提案があるのですが、宜しいでしょうか?」

「なんだ、レエブン候」

「例の『派閥』の頭となっている者を捕らえ、全ての罪をあの男になすりつけてはいかがでしょうか? 国民に対しては、彼が裏から操って大衆心理を操作されたものとし、咎めを無しにする。そうすることで、王家や他の貴族も、国民も、全て同じ被害者であるという立場に持っていけるかと」

 

「なるほど。それは良い考えだな。では、レエブン候、奴を見つけ次第、なるべく生きて捕縛せよ。傷は多少つけても構わん。実際、あいつが裏で余計なことをやっているのは間違いないのだから、別に冤罪というわけではない。ついでに、奴に付いていた貴族連中も連座で罪を負わせてもいいだろう」

 

 レエブン候は幾分端正なその顔を歪ませ、黙って頷いた。

 

 

----

 

 

 蒼の薔薇は、ブレインからの情報を元に偵察に行ったティアとティナに案内され、該当する屋敷へと向かった。高級住宅街にある建物の多くが破壊されたり燃やされたりしているにも関わらず、その建物がある区画だけがほぼ無傷で残っているのが、あからさまに怪しく感じられる。暴徒は既にこの近くからは移動した後のようで、怪我をして呻いている者や、呆然と焼かれた家の前で立ち尽くす人々の姿だけが見える。

 

 その屋敷の様子を少し離れた場所から伺うが、予め聞いていた通り、貴族達の姿は見えず子飼いの兵士たちの姿も見当たらない。屋敷の前に残された大量の足跡の様子から、警備の兵士だけを残して何処かに向かった後のようだ。この館の貴族の評判はラキュースも聞き及んでおり、いずれにしても王国のためになる行動をするとは思えない。

 

「ここまで来るのに時間がかかりすぎてしまったわ。強行突破で突っ込むわよ」

 

「鬼リーダー、万一、王女が見つからないとまずい」

「私達が内部に侵入して、見つけたら救出してくる。王女が見つかったら、合図をする。そうしたら、突入して一網打尽で」

 

「その方が良さそうだな。おし、こっちは任せておけ」

「了解。ティア、ティナ、頼んだわよ」

 

「私は裏に回っておこう。万一にも、鼠を逃したくないからな」

 

 そう言うと、イビルアイは姿を消す。それを見て、ティアとティナも行動を開始する。

 

(ラナー、どうか、無事でいて……)

 ラキュースは、油断なく門の脇に潜みながら、館の警備兵の動向に目を光らせた。

 

 二十分程経過した時、館の中から何かが打ち上げられ、ヒューンと音を立てる。

 

 それを合図に、ガガーランとラキュースは警備兵に真正面から襲いかかり、剣で峰打ちをして素早く打ち倒すと、開ける時間も惜しかったため、扉を打ち壊して内部に侵入する。

 

 館の内部の人員は、ティアとティナがあらかた薬で眠らせたらしく、至る所に警備兵や使用人などが倒れている。

 

「ティア、ティナ、ラナーは見つかったの!?」

 

 そのラキュースの問いかけに応えるかのように、ぐったりとしたラナーを抱えるようにしたティアとティナが姿を現す。

 

「王女は無事」

「薬で眠らされている」

 

「ラナー!? なんてこと……」

 

 慌ててラキュースはラナーを抱きしめるが、反応はない。しかし、僅かに開いたその唇から小さな呼吸音が漏れているのを確認し、ラキュースはほっと一息をつく。

 

「さっき、気付け薬を飲ませた。しばらくすれば、気がつくはず」

「それと……、王女がいた部屋の近くに裸の女性が複数閉じ込められていたけど、どうする?」

 

 ティアの言葉に、一瞬蒼の薔薇の面々は黙り込んだ。

 

「今は……、連れ出すのは難しいわね。むしろ、この状況だとまだここにいてもらったほうが安全かもしれない。ティア、ティナ、悪いけど、その人たちに身体を隠せるものを渡して、迎えが来るまで、この館でおとなしくしているように伝えてもらってもいいかしら?」

「わかった。鬼リーダー」

 二人は頷いて、再び姿を消す。

 

「――全く、反吐が出るわ。あの馬鹿は何としてでも捕まえて正式な裁きを受けさせないとね」

「この様子だと、この事件のかなりの部分があいつらによるものなんじゃないか? 信じられんな。国をなんだと思っているんだ」

 

 重苦しい雰囲気の中、ティアとティナが戻ってきた。

 

「鬼リーダー、終わった」

「状況は説明したから、大丈夫だと思う」

 

「よし。王女も無事確保できたし、そういうことなら当座は問題ねぇだろう。引き上げるぞ」

 

 ガガーランはラキュースから意識のないラナーの身体を受け取り、肩に担ぐ。

 

「あと、書斎らしい部屋に、地図とかいろいろ置いてあったから持ってきた」

「ちょっと地図を見せて」

 

 ラキュースが地図を広げると、行動計画のようなものがそこかしこに記されており、王城に向かって矢印が書かれていた。

 

「これは……この館の主人が事件の黒幕と見て間違いなさそうね。下級貴族もいいところだから、正直家名はうろ覚えだけれど、本人の名前だけは有名なのよ。なにしろフィリップといえば、馬鹿の代名詞と言われているくらいだもの。私も王城で少し見かけた覚えがあるけど、なかなか強烈だったわ」

 

 ラキュースの苦笑いに、他の面々も思わず失笑する。あれでも、一応派閥のトップだというのだから手に負えない。

 

「本当ならもっと証拠になる品を探すべきなのかもしれないけど、今は時間がないわ。皆、急いで王城に戻るわよ!」

 

 蒼の薔薇は一斉に頷いた。

 

 

 




アンチメシア様、佐藤東沙様、のんココ様、誤字報告ありがとうございました。


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8: 神の降臨

 ロ・レンテ城の城門前にある広場には、既に多くの民衆が集まっていた。雨は土砂降りになっているが、民衆はずぶ濡れになりながらも、その意気は衰えてはいなかった。

 

 兵士達は城門前に半径三十メートル程の空間を確保するべくバリケードを築いており、暴徒は松明を振りかざしながら、それに罵声を浴びせかけている。

 

 ブレインは、孤児院の子ども達を守りつつ、何とか近くまでやってきたものの、この様子では城内に逃げ込むことが困難であることに気が付き、舌打ちをする。

 

(こんなことなら、大人しく王都から脱出した方が良かったかもしれんな)

 

 ブレインは、肩に担いでいた子どもをそっと下ろして、周囲にいる子ども達の様子を確認する。この酷い雨の中、暴徒を避けながら逃げてきた子ども達の体力は既に限界に近い。本当なら、早く屋根のあるところで休ませないといけない状態だ。全く、こんな状態の王国を残して、自分だけ先に死んでしまったガゼフ・ストロノーフを思い出して悪態をつきたい気持ちでいっぱいになるが、今はそんな暇はない。ともかく、せめて自分が助け出せたこの子ども達だけでも生き延びさせなければいけないのだ。

 

 その時、兵士達が王城前でザナック王子が国民と対話を望んでいる、だから、お前達も一旦落ち着くように、と繰り返し叫んでいるのが聞こえてきた。

 

 ということは、ザナック王子他、王国の首脳陣がそのうちこの場に出てくるのだろう。それなら、しばらくすればこの騒ぎも無事に収まる可能性がある。ブレインは、ザナック王子にそれほど好感を抱いているわけではなかったが、ガゼフが以前ザナック王子に対する認識を改めた、と話していたことは覚えていた。あの侠気溢れるガゼフの言葉なのだから、恐らくそう間違えたことを言っているわけではないだろう。少なくとも、直接対話をしようとするその心意気は評価できる。

 

 ブレインは周囲を素早く見回して、比較的城壁に近く、暴徒から少し距離のある場所を選んで、そこに子ども達を誘導した。

 

「いいか。お前達はなるべくここから動くな。下手に動くと死ぬぞ。ラナー王女に会えれば、お前達は無事に保護されるはずだ。だから、それまであと少しの辛抱だ。いいな?」

 

 子ども達は、敬愛するラナー王女の名前を聞いたせいか、怯えながらも健気に頷き、その場に寄り添うようにして立っている。

 

「よし。良い子達だ。なに、心配しなくても、お前達はこの俺が命にかけても守ってやる。暴徒をお前達に近寄らせるようなことは決してしない。だから安心しろ」

 

 ブレインは不敵に笑うと、近くにいる子ども達の頭を撫で、背に庇うようにして暴徒との間に立ちはだかった。

 

 やがて城門が開き、近衛騎士の一団がバリケードの内側を固め、馬に乗ったザナック王子とレエブン候、そして数人の有力貴族達が姿を見せる。ザナック王子はヤルダバオト事件の時に着ていた鎧ではなく、王子としての礼装を纏っている。レエブン候のすぐ後ろには、落ち着かない様子の白い鎧を纏ったクライムも付き従っている。

 

「静粛に! これから、ザナック殿下よりのお言葉がある!」

 

 声を張り上げるレエブン候の鋭い目つきに、一瞬民衆はたじろいだかのように見えたが、やがてすぐに罵声が上がる。石を投げている者もいる。

 

「……殿下、このまま前に出られるのは、少々危険かもしれません」

 

 レエブン候が暗に対話を取りやめることを勧めていることにザナックは気がつくが、ザナックはにやりと笑って答えた。

 

「何を言う。ここまで出て来たからには、そのくらいは覚悟の上だ。後ろに引っ込んでいても連中は収まらないだろうよ」

「それはそうなのですが……」

「それに、タイミングを見計らって、救援を出すとアルベド様は仰っていた。であれば、その言葉を信じて我々は出来る限りのことをやるしかない。そうだろう?」

 

 レエブン候は、ザナック王子が青ざめながらも毅然とした態度を崩さない様子に、来るべき王国の冬の時代を任せることのできる王の姿を見た。

 

「そうでしたな。差し出がましいことを申し上げました」

「いや、候のおかげで踏ん切りがついた。これからも宜しく頼む」

 

 ザナックはそう言うと右手をレエブン候に差し出した。レエブン候は万感の思いを込めて、しっかりとその手を握りしめた。ザナックは満足そうに微笑み軽く頷くと、クライムに自分の護衛をするように申し付け、ゆっくりと馬を前に進めた。クライムもその言葉に頷き、ザナックを守るように前に出た。

 

(今はザナック殿下を何としてもお守りする。それがラナー様の御為にもなるんだ!)

 

 クライムは決死の覚悟で、民衆を睨みつける。ラナー様の行方は蒼の薔薇の皆様を信じてお任せするしかない。自分は、ラナー様が無事に戻って来られた時に、王城に無事にお入り頂けるようにしなくては。その為には、ザナック殿下の説得が成功しなければいけないのだ。

 

 そんなクライムを横目でちらりと眺め、ザナックは、堂々たる態度で民衆の前に立った。

 

「私は、第二王子ザナック・ヴァルレオン・イガナ・ライル・ヴァイセルフである。ここにいる皆さんと話をしたくてこの場までやってきた。皆、それぞれ思うことはあるだろうが、ひとまず鉾は収め、我が話を聞いては貰えまいか?」

 

 ザナック王子の名前を聞き、民衆はざわめいた。何しろ、ザナック王子といえば、以前ヤルダバオトが王都を襲撃した際に自ら危険なところに赴き、王都の防衛に一役買ったことは誰しもが聞き及んでいた。その王子の言葉であれば、多少は聞く価値があるかもしれない。そんな声が民衆の中を行き交い、罵声を上げていた者達もその雰囲気に押されたのか、一旦黙ったようだ。

 

(どうやら、全く話を聞く気がないというわけではなさそうだな……)

 

 ザナックは少しだけ胸を撫で下ろすが、一歩間違えば暴走しそうな気配が収まったわけではない。話の切り出し方に失敗すれば、彼らは対話を拒否し、今度は勢いに任せて王城に攻め込んで来るだろう。そうなったら王国はおしまいだ。

 

 ザナックは、なるべく余裕がある様子を崩さないように気をつけながら、おもむろに口を開いた。

 

 

----

 

 

 ザナックは、雨に濡れながらも、民衆を説得するべく必死で言葉を紡いでいた。今のところ、皆、静かにザナックの言葉に耳を傾けている様子を見せており、ザナックはそれに少しばかり心強さを感じていた。

 

「我々王家は、皆の惨状に心を痛めている。確かに、今は王国は非常に苦しい時期を迎えている。しかし、だからこそ、我々は敵同士になってはいけないのだ。それをどうかわかってほしい。そして、もう少しだけ、事態を改善出来るのを待っては貰えないだろうか?」

 

 ザナックは、そのように言葉を締めくくり、民衆をゆっくりと見回す。納得したのかそうではなかったのかはわかりにくかったものの、直ちに非難する声も反論する声も上がらない。あともうひと押し必要か。ザナックがそう思って口を開こうと思ったその時だった。

 

「ははは。それでは、いつまで待てばいいのかわからんな! 馬鹿なことを言うのも大概にしたらどうだ? ザナック王子」

 

 突然、ザナックの言葉を嘲笑う声が響いた。派手な服で着飾り馬に乗った男達が、大勢の子飼いの兵士達で周りを囲うようにして群衆の背後に立ち並んでいる。兵士たちはニヤニヤ笑いながら、即座に道を開けようとしない群衆には剣を突きつけて脅している。その様子を見て怯えた群衆は、男たちを憎悪の目で見ながらも少しずつ場所を開けた。

 

「さあ、お前達、何をしている! あそこに立っているザナック王子も、その後ろにいる貴族達も全員お前達の敵だ! 奴らを殺さなければ、王国にもお前達にも幸福な未来など無いぞ!?」

 妙に自信が溢れている声で、兵士や取り巻き達の真ん中で偉そうにしている男が、ザナックを指差した。

 

「そうだ! そうだ! この国を支配するのに相応しいのは俺達だ。ザナック王子! さっさと、引っ込みやがれ!」

 その男に追随する者たちの下卑た笑い声が辺りに響く。

 

 暴徒ですらその不遜な物言いには疑問を持つくらい、馬鹿げたことを堂々と述べるその姿に、ある意味人々の目は釘付けになった。しかしそれを何か誤解したのか、新たに現れた一団は更に調子に乗って、群衆を剣で追い払いながらバリケードの目前まで歩み出てきた。怪我をした者も出たのだろう。民衆の間から悲鳴が上がる。

 

「貴様、フィリップだな!? この馬鹿共! 何ということをしているんだ!?」

 

 あまりにも突然の闖入者に少しの間呆然と見ていたザナックだったが、流石にその傍若無人ぶりで我に返り、その一団の中央にいるフィリップに向かって怒鳴りつけた。

 

「おやおや、ザナック王子。どうやら俺達がよほど恐ろしいと見える。はは。今ここにいる人々は、全て俺たちを支持しているのですよ。共に王家を打ち倒し、新しい王国を作る同志としてね」

 

 一瞬辺りは静まり返る。ここに集まった群衆には、このような見覚えのない、しかも剣を振るって脅すような男に協力するつもりなどなかったからだ。微妙な非難を含んだどよめきが王城前に広がる。

 

 しかし、それを打ち破るかのように誰かが叫んだ。

 

「そうだ! 王族がこれまで何をしてくれたっていうんだ!?」

「どうせ、このまま奪われて死ぬだけなら、せめてお前たちに思い知らせてから死んでやる!」

 

 それに賛同する複数の叫び声が響く。それを皮切りに、ある程度ザナックの説得に耳を傾けていた人々も、フィリップの暴行に苛立ちを感じていたはずの者も、再び興奮してきたのか、怒号を上げ始めた。誰かが投げた石がザナックの頬の脇をかすめる。それを見て、バリケードの周囲にいた兵士達が人々に対して殺気を向け、騎士達はザナックを守るように周囲を固める。

 

 その時、群衆の後ろから、凛と響く女性の声がした。

 

「待ってください! どうか皆さん、落ち着いてください!!」

 

 そこには、蒼の薔薇を後ろに従えた、ラナー王女が立っていた。

 

 

----

 

 

 ラナー王女は、優しげな微笑みを浮かべながら、王城に向かってゆっくりと歩む。その周囲を蒼の薔薇の面々が歩き、自然と群衆はラナーの前に道を開けるように動いた。

 

「ラナー様!!」

 

 ブレインの後ろにいた子ども達が一斉に喜びの声を上げ、前へと歩むラナーの後を追いかけて走り出す。

 

「おい、待て。動くな! 危ないぞ!」

 

 ブレインは子ども達を押し止めようとするが、子ども達はその手をすり抜け、ラナーの元に走り寄る。軽く舌打ちをして、やむを得ずブレインもその後を追う。

 

「ああ、あなた達も無事だったのですね。良かったです」

 

 ラナーは子ども達の頭を優しく撫でる。ラナーの笑顔を見て少し安心したのか、子ども達は母親に縋り付くようにラナーを取り囲んでいる。その周囲を油断なく警戒するブレインと蒼の薔薇に、多少怖気づいたのか、怒号は段々小さくなり、ざわめきだけが残った。

 

 ラナー達は、何事もなかったかのようにバリケードの近くまで行き、群衆に向き直る。

 

 ラナーの姿を見たクライムは、喜びの余りに我を忘れ、警護していたはずのザナックの側を離れると、バリケードを飛び越えた。背後から、ザナックが自分を制止する声を聞こえたような気がしたが、それはクライムにとってはどうでもいいことだった。

 

「ラナー様! ご無事で……本当に良かったです……」

「クライム、心配させてしまいましたね。蒼の薔薇の皆様のおかげで、無事に帰ってくることが出来ました」

 

 雨が降りしきる中、主従が嬉しそうに手を取り合う姿は、そこだけがまるで一幅の絵画のようだった。

 

 しかし、突然のラナー王女の登場で、フィリップの目には狂気の光が灯る。何しろ、なかなか手に届く所に出てこなかった女が、遂にすぐ目の前に姿を現したのだ。彼の残念な頭の中に、ラナー王女が自分の為にわざわざ姿を現した、いや、ようやく、自分のものになる気になったのだ、という妄想が浮かび、彼の中ではそれが事実に変わる。

 

「はっ、ははははは! ラナー王女、ようやく俺と結婚する気になったのか!?」

「え? 一体どういうことでしょうか?」

 

 何のことだかさっぱりわからない、という様子で首を傾げるラナー王女に、フィリップは気が狂ったような笑い声を上げ、兵士達に命じる。

 

「兵ども! あそこにいるガキどもを殺せ! 周りにいる奴らを皆殺しにしろ! 今ならラナー王女の近くにはあまり人がいない。王女を我が物とし、俺が王になるんだ!」

 

「ほう? なかなか面白いことを言ってくれるじゃねぇか? このブレイン・アングラウスとアダマンタイト級冒険者である蒼の薔薇が、いくら数だけはいるとしても、お前らごときに遅れを取ると思っているのか?」

 ブレインはフィリップの言葉を鼻で笑い、戦闘態勢を取る。

 

「フィリップ、私達、蒼の薔薇は、あなた達を連続女性誘拐事件、そして今回の暴動事件及びラナー王女誘拐事件の犯人として告発するわ。証拠もある。おとなしく、武器を捨てなさい!」

 

 蒼の薔薇も進み出て、武器を構えた。そして、蒼の薔薇の言葉を聞き、民衆は明らかに動揺したようだった。

 

「あいつらが……ラナー王女を誘拐……?」

「まさか、うちの娘を攫ったのも……」

「俺達はあいつらに、踊らされていたのか?」

 

 どれも小さな声だったが、少しずつその声は民衆全体に広がり、次第に民衆がフィリップに向ける視線に憎悪の色が濃くなる。その様子に、フィリップは舌打ちをした。

 

「ふざけるな! 今度は言いがかりか!? 全く、どいつもこいつも話にならんな……。ふん、そもそも、その数で勝てるつもりなのか? お前ら、ラナー王女はなるべく傷をつけずに生け捕りにしろよ!!」

 

 フィリップの手勢の一部はブレインと蒼の薔薇の名前を聞き、先程の勢いは失せ若干及び腰になっているようだったが、残りの者たちは剣を構え、弓を手にした者達は、ラナーを守るように取り囲んでいる子ども達と、クライムやブレイン、蒼の薔薇を狙って一斉に矢を射掛けた。

 

「ラナー様!! お下がりください!」

「お前ら、伏せろ!」

 

 咄嗟に、クライムとブレインはラナーや子ども達を守るように前に走り出て、矢を抜いた剣で払おうとするが、全てを落とすことは出来ず、矢に射抜かれた複数の子ども達が倒れ、それを見た人々から悲鳴が上がる。それと同時に、バリケードの近くでラナーとフィリップの様子を伺っていたザナックが、苦しげに呻いて馬の背にうずくまった。

 

「お兄様!!」

「ザナック殿下!!?」

 

 ラナーは蒼白な顔で悲鳴を上げ、レエブン候は衝撃の余りいつにない大声で叫ぶとザナックに駆け寄った。ザナックの胸に一本の流れ矢が突き刺さっており、ザナックの顔は瞬く間に青黒くなっていく。

 

「まさか、毒矢か……!? 誰か、ザナック殿下を中に運べ! 侍医を呼んで解毒を!」

 

 数人の兵士たちが慌てて、ザナック王子を担架に乗せて城の中に運び去った。

 

 世継ぎの王子が倒れる現場に居合わせた群衆は、先程までの勢いは失せ、物も言わずに静まり返っている。ブレインは後ろを振り返り、苦痛に満ちた表情で自分が守ろうとしていた子ども達の遺体を見ていた。共に暮らした兄弟ともいうべき者を亡くした子ども達が静かにすすり泣く声が聴こえ、そして、その声で、群衆の中にも何かを思い出したのか、泣いている者がいる。

 

 一人、フィリップだけが高笑いしている様だけが異様な雰囲気を漂わせていた。

 

 

----

 

 

 イビルアイは、どうやっても止めることが出来ない人々の暴走を、半ば呆然として見つめるしかなかった。そこにいるのは、悪人ではなくただの民衆だ。それなのに、強者である自分が弱者である人間に力を振るうのは、どうしても躊躇われる。

 

 何処かで、泣いている子どもの声がする。いくつも、いくつも……。酷い喧騒の中でも、その声だけはやけに耳につく。

 

 私は、また……助けられなかったのか?

 

 不意に、イビルアイは、廃墟の中で泣いている子どもが顔を上げ、泣き腫らした目で自分を見つめる姿を幻視した。

 

 ――いや、違う。

 ――本当に助けてほしかったのは……

 ――あそこで泣いていたのは……

 

 ――私自身だ……。

 

 

-----

 

 

 ブレインは、カッツェ平野でなすすべもなく、ガゼフ・ストロノーフが死んでいったことを思い出していた。

 

(くそ、俺はまた何もできなかったのか? いや……あの時は流石に相手が悪すぎた。だが今回の奴らは違う。これくらい出来なくて、ガゼフに顔向けなんて出来るわけないだろうが!)

 

 ブレインはフィリップの一党を怒りの篭った目で睨みつけ、有無を言わさず矢を射った連中に襲いかかり、蒼の薔薇もそれに追従する。手当たり次第に次々と武器を落として無力化するものの、守るべき者を守れなかったという、どうしようもなく虚しい思いだけがブレインの胸を過る。

 

(何故、こんなことになってしまったんだ? 同じ王国民同士で、何故、殺し合わなければいけないんだ?)

 

 バリケードの周囲を固めていた王国の兵士達は、まるで彫像になったかのように動かない。いや、動けなかったのだろう。

 

 しばらく茫然自失していた民衆は、やがて次第に沸き起こるやり場のない怒りに我を忘れ、武器を振り上げフィリップ達に襲いかかろうとした。しかし、密集した中で動くこともままならず、逆に互いを押しのけようとし、転んだ者を踏みつけ、それが逆に別の諍いを生んで、本来同じ思いを抱えていたはずの者たちまで争いを始めた。中には落ち着かせようと声を上げる者もいたが、他の人々の上げる怒号にすぐにかき消された。

 

 王国はもうお終いだ。それだけが、城門の前を埋め尽くしている人々に共通した思いだった。

 

 人々は空虚な思いにかられながらも、意味のない諍いを止めることはできなかった。誰もが自暴自棄になっていたのかもしれない。その場を支配していたのは、抑えきれない怒りとどうしようもない絶望だった。

 

 もはや、王都を破壊し尽くさなければこの争いは止まらないだろうと誰もが思い始めた時、一つの耳ざわりのいい声が上空から響いた。

 

「『争うのをやめなさい』」

 

 その言葉を聞いた途端、イビルアイを除く全ての人々は、手に持った武器を動かすことが出来なくなり、瞬時に王国民同士で行われていた殺戮は止まった。

 

 

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 突然、このところずっと降り続いていた雨が上がり、次第に明るい日差しが差し込んでくる。

 

 そして、空から黒い大きな塊のようなものが落ちてきて、城門前の石畳にヒビが出来るかのような地響きを立てる。そこには、漆黒の鎧を纏った男が着地した時の姿勢のまま、しばらく受けた衝撃に堪えているようだった。やがて、漆黒の鎧の男は、ゆっくりと立ち上がり、ラナー王女と群衆、フィリップ達を順番に見やった。その背後にはふわりと〈飛行〉で降りてくる一人の魔法詠唱者がいる。

 

「モモンだ……」

「漆黒の英雄……」

「……俺達は助かったのか?」

 

 久方ぶりに王都に差す日の光を浴びて、降り立った漆黒のモモンと美姫ナーベは、神話から現れ出たまさに英雄のようにも感じられる。

 

「モモン様……、王国を助けに来てくださったのですね……」

 

 信じられないものを見たかのような思いで、イビルアイは必死で言葉を押し出し、うまく動かない身体を無理に動かすかのように、よろめきながらモモンに近づいた。

 

 そのイビルアイを、片手でそっと抱きとめるようにして、モモンはイビルアイの耳元で囁いた。

 

『――私は、アインズ様ではありませんよ』

 

「え?」

 

 さりげなく空に向かって顎をしゃくるような仕草をしたモモンにつられて、イビルアイが空を見上げると、遥か上空に、白いローブを風に靡かせている魔導王の姿があった。その側には、メイドらしい者達と美しい少女が控えており、そこから少し下がった場所には、黒い蝙蝠のような羽を広げた白い変わった服を纏った者が、魔導国の国旗を掲げていた。

 

 やがて、魔導王の周囲に、見たこともない巨大な立体魔法陣が展開される。そこから発せられる眩い光に気がついたのか、その場にいた人々は、次々と上空を見上げる。魔導王だ、と呟く声がする。その言葉は、恐怖とそれ以上の畏怖を感じさせるものだった。

 

 魔導王の繰り広げる光景は、美しくも人智を超える恐ろしさがあり、自分たちはこのまま魔導王に殺されるのかもしれないという思いに駆られながらも、その場を動く者は誰もいなかった。

 

(ああ、なんて神々しい綺麗な光なんだろう……)

 

 イビルアイは、アインズの展開する魔法陣から目が離せなかった。噂に聞く、カッツェ平野で使われた魔法もこんな感じだったのだろうか。しかし、彼がこの場でそのような忌まわしい魔法を使うとは思えなかった。

 

 かなり長いことその魔法の発動を眺めていたようにも思うが、いくら見ても見飽きない次々と形を変える複数の光の帯で構成された魔法陣は、やがて一段と光り輝くと六つの光の柱が現れ、それが実体化していく。

 

 魔導王の周囲に、六体の見たことのない白く美しく輝く天使が現れて、四枚の羽根を大きく広げる。その姿は、あたかも崩壊しきった王国に救いを与えようと舞い降りた奇跡のようにも見えた。

 

 その光景に衝撃を受けたのか、人々は物も言わずにその場に立ち尽くしている。

 

 ゆっくりと高度を下げてくる魔導王と、天使達は、暖かい光に満ちた太陽を背後にして、まるで自ら周囲を照らす光を放っているかのようにも見える。

 

 魔導王だ、という声は次第に消え、人々は目の前にしているのが、自分達の罪を問うために現れた神のようにも感じられる。

 

 モモンとナーベの近くに、魔導王とお付きの者達が降り立つと、その少し上に天使たちが守るように羽を広げた。

 

「ああ、『楽にして構いません』」

 再び、何者かが妙に心に響く言葉を発する。

 

 何かで身体を抑えつけられていたような感覚は消え、人々は、僅かに身じろぎをする。しかし、再び武器を振り上げようとする者は、もはやいなかった。

 

 

 




アンチメシア様、誤字報告ありがとうございました。


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最終話: 二人の約束

 アインズはデミウルゴスから最終作戦開始の報告を受け、〈転移門〉を使用して王都に移動してきていた。

 

(この作戦は聖王国と違って俺がやることは少ないから、どちらかといえば楽だよな)

 

 以前王都に来た時は、結局ゲヘナの対応だけしか出来ず観光する余裕はなかったので、今回は少しくらいは王都を見物しようと、アインズは密かに目論んでいた。

 

〈不可知化〉した下僕達と共に、アルベドから作戦実行の合図が来るまで、上空から王都の状況をゆっくりと見回す。

 

 降りしきる雨の中、あちこちから火の手が上がり、人々が逃げ惑っている。

 

 その様子を、特に感慨もなくアインズは眺めていた。

 

(聖王国は、デミウルゴスの仕込みで亜人が襲っていたけど、王国は、国民同士で争うようにしたのか。どうやったのかは知らないが、アルベドとデミウルゴスが考える作戦は結構えげつない気もするなぁ。やはり、悪魔という種族の本質のせいなのか?)

 

 アインズ自身も人間に対する同属意識などは殆ど残ってはいない。だから、人間達が殺し合うことも、その結果大勢の死傷者が出ることにも、それがナザリックの利益になるのであれば、特に文句を言うつもりはないし、自分よりもずっと頭のいい二人が考えた作戦なのだから、これが最良なのだろうとも思う。

 

 しかし――。

 

 アインズの鋭敏な聴覚は、眼下の人々が上げる怒号や悲鳴の中に、子どもの泣き声が僅かに混じっているのに気がつく。

 

 ――あの時も、こんな雨の日だったか?

 

 今はもう、微かにしか感じられない鈴木悟の残滓が、何かを伝えようとしている気がする。

 

 ――遠い昔、母を喪って一人きりになったあの時。

 ――いや、自分は泣いたわけではなかった。

 ――たった一人で、雨の音を聞きながら、ただうずくまるだけだった。

 ――本当は泣きたかったのかもしれない。だけど……。

 ――泣けなかったんだ……。

 

 その時、アインズは、破壊された王都の通りの片隅で、雨に濡れて立ち尽くす幼い頃の自分の姿を幻視した。

 

 本来なら、部下が成功させようとしているプロジェクトに横槍を入れるのは、上司としては失格だろう。時間をかけて練り上げた作戦なら尚の事だ。しかし、今のアインズにとって、王国で行われていることは少しばかり不快だった。

 

(何なんだろうな。聖王国でも似たようなことが行われていたというのに。俺はどうしてこんな風に感じてしまうのだろうか)

 

 アインズは自分でも説明できない心境に少し苛立つ。しかし、どうにも一度覚えた理由のない不快感を拭うことはできなかった。

 

「……デミウルゴス」

 アインズは、傍らに控えている忠臣に声をかけた。

 

「アインズ様、どうかされましたか?」

「アルベドからの連絡はまだ来ているわけではないが、もうそろそろいいのではないか? 下で起きている騒ぎを収めよ。私は、無益な殺戮はあまり好きではない」

 

 アインズの言葉を聞いたデミウルゴスは一瞬目を見開いたように見えたが、すぐに頭を下げた為、その表情はアインズにはよくわからなかった。

 

「畏まりました。では、アルベドにそのように連絡を入れ、最終段階を開始いたします」

「うむ。頼んだぞ」

 

 デミウルゴスは特に異を唱えることもなく、恭しくお辞儀をする。そして一足先に、黒い翼を広げて城壁に近いところまで降りていく。

 

(俺は、本当に我儘だな……)

 

 アインズは、その姿を見送りつつ苦笑した。

 

 

----

 

 

 王国民達は、皆、目の前に現れた魔導王とモモン、そして、守るように羽を広げている天使達を見つめたまま、金縛りにあったかのように動けなかった。

 

 モモンは、ひたすら魔導王を見つめているイビルアイを自分の傍らに立たせ、マントを大仰に翻すと、少々芝居がかった口調で言った。

 

「お前達は一体何故殺し合っているんだ? 同じ王国民同士だろう。それとも、王国を自分達の手で滅ぼすつもりなのか? このまま争いを続ければ間違いなくそうなるぞ。王国が失くなったら、お前たちはその後どうするつもりなんだ? 廃墟と共に死ぬつもりなのか?」

 

 何しろ、相手はかの英雄モモンである。いくら今は魔導国に仕えているとはいえ、英雄モモンは王都の民にとっても自分達を窮地から救ってくれた恩人であり、亡くなった戦士長や華やかな蒼の薔薇とはまた違う、憧れの対象であることは変わりがなかった。そのモモンに諭された王国民は一様に頭を垂れる。モモンの言葉に答えられる者は誰もおらず、異様なまでの静けさがその場を包む。

 

 だが、一人だけ、それでは収まらない者がいた。

 

「何だよ!? 何故、王国の冒険者でもないお前が王国のことに口を出すんだ! どうせ魔導国の手先として、王国を滅ぼしに来たんだろう!  王国のことは王国の人間が決める。お前なんかに口出しなんぞさせない! 王国は、俺の物だ!!」

 

 フィリップのその言葉で『馬鹿派閥』の面々の瞳には、再び狂気の光が灯る。自分達の壮大な野望を達成すべく、口々にモモンを揶揄する罵声を上げ、武器を握り直す。そして、他の人々の動きが止まっているのをいいことに、ラナーとモモンに向かって突進した。

 

 それを見たクライムは咄嗟にラナーを庇うように前に出て、相手の剣を受け流し、魔導王の天使が二体、ラナーを守るように舞い降りてガードする。モモンは鮮やかな剣さばきで数人纏めて相手をしているが、所詮貴族程度の腕ではモモンの敵にはなりえない。焦ったフィリップがやけくそになってモモンに上段から剣を思い切り振り下ろす。ガキンという固い音がして、それを剣で受け止めるモモンの脇から、もう一人の男が鋭く斬りつける。

 

「モモン様!?」

 

 イビルアイは反射的に〈水晶騎士槍〉を唱え、モモンを斬りつけた男に水晶の槍を投げつける。その槍は男の身体を貫通し、鈍いくぐもった呻きをあげながら男は倒れ、イビルアイはそれを見て安堵の息を吐いた。

 

 その時「死ねえ、このガキが!」と叫ぶ声がすぐ側で聞こえた。誰かが自分に向かって剣を振り上げているのが見える。切っ先は既に仮面まで迫っていた。

 

(しまった……! 油断しすぎたか? このままでは、仮面が……割れる!?)

 

 今からでは魔法詠唱者の自分では避けきれない。イビルアイがこれから来るはずの衝撃と、仮面を失う恐怖に身を固くした時、不意に後ろから誰かに抱き上げられるのを感じ、それとほぼ同時に、今や自分を突き刺そうとしていた男は声もなく崩れ落ちた。

 

 

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 アインズは、このタイミングで戦闘が発生する可能性があると、デミウルゴスから聞いてはいた。

 

 ただ、今回の作戦では魔導国が非難される可能性を排除する為、ナザリックは戦闘行為には極力介入しないことになっている。その為、重要人物に対する援護は召還した天使に任せ、アインズも後ろに控えている者達も、静かにその場の様子を見守っていた。

 

(まあ、ナーベラルとパンドラズ・アクターもいるのだから、二人が対応すれば問題ないだろう。天使達だっているんだし、戦力的には十分なはず。デミウルゴスからは、俺は好きに動いてくれて構わないと言われているけど、下手なことをして計画を邪魔するのも何だしなぁ。大人しく見てる方が良さそうだ……)

 

 それにしても、王都の様子は思っていたよりも酷い。妙に悪目立ちして騒いでいる奴は、何処となく聖王国の聖騎士団長を彷彿とさせられて少々イラッとするが、闇雲に状況を悪化させているだけな気がするし、頑張って演説していた王子は倒れてしまったようだ。こんな調子で、今後王国はどうやって復興して行くつもりなんだろう。

 

 アインズが首を捻っていると、イビルアイがパンドラを狙っている敵を魔法で打ち倒したのが見え、次の瞬間、一人の男が怒号と共に、イビルアイのすぐ側から仮面を狙って剣を振り下ろしているのが見えた。

 

 アインズはその光景に、自分の中の何かが凍りつくように感じる。

 

 このままでは、イビルアイは例え死ぬわけではなくても、アンデッドであることがこの場にいる全ての者に知られてしまうかもしれない――。

 

 ほぼ無意識のうちに、アインズは〈時間停止〉を唱えると、二人に向かって歩み寄った。タイミングを見計らって男に対して〈死〉を唱え、イビルアイを抱き上げる。

 

 次の瞬間〈時間停止〉の効果時間が切れ、それと同時に〈死〉が発動する。呪文に抵抗することなく男は倒れた。

 

 アインズは出ないため息をつくと、腕の中にいるイビルアイを見つめる。

 

(あの時の俺は、何も出来なくてただ現実を受け入れるしかなかった。いや、受け入れたつもりになっていただけなのかもしれないけど……)

 

 ――今なら、大事なものを守ることもできるんだ……

 

 鈴木悟の残滓が、ほんの少しだけ笑った気がした。

 

 

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 フィリップの一党は、まさか動くと思っていなかった人物が動いたのに驚いたのか、総崩れとなりバラバラにその場から逃げようとするが、蒼の薔薇とモモン、ナーベ、そして魔導王を守ろうとする天使達によって、次々と無力化されていく。

 

 一人残されたフィリップは、それでも果敢に、今度は魔導王に襲いかかろうとするが、後ろから飛びかかったティアとティナによって取り押さえられた。

 

「どうやら、曲者は全部片付いたようだな?」

 

 イビルアイを抱いたまま、魔導王は静かに周囲を見回す。そして、探していたものを見つけたのか、とあるところで視線を止める。いつからそこに立っていたのかは不明だったが、それを合図にしたかのように、宰相アルベドが優雅に歩み出てきて跪く。

 

「はい。全て片付いたようです」

「そうか。それは何よりだ」

 

 恐怖からか、崇敬からなのかはわからなかったが、王国の人々の中でも、徐々に膝をつく者が増えてくる。

 

 その中を、宰相アルベドの近くまで、レエブン候とクライムを連れたラナー王女が歩み寄ってきた。ラナー王女の黄金の髪が太陽の光で煌めき、そのゆっくりとした歩みは新しい王国の第一歩のようにも感じられる。そして、アルベドのすぐ脇で、同じように跪き、クライムとレエブン候もそれに続く。それを見ていた王国の人々もほぼ全ての者がその場に跪いた。

 

「アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下、私はリ・エスティーゼ王国第三王女、ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフと申します。この度は、リ・エスティーゼ王国に御助勢くださいまして誠にありがとうございました。王国に住まう全ての人々に代わり、御礼を申し上げます」

 そう言うと、ラナー王女はさらに深く頭を垂れた。

 

「隣国が困っているのなら、助力するのは当然のこと。礼には及ばない。ラナー王女、頭を上げて欲しい」

「ありがとうございます」

 

 ラナー王女はゆっくりと顔を上げ、自分の目の前に立つ絶対者に対して、恐れることなく目を向けた。ラナーの金髪が風に靡く。

 

「もう少し早く来ることができれば良かったのだが……。到着が遅れたことをお詫びしよう」

「お詫びなどとんでもございません。王都、そして王国が無事に形を残すことが出来たのは、全て魔導国の御協力があってこそですから」

 

 ラナーの柔らかい笑みに、アインズは一瞬気後れのようなものを感じるが、なるべく重々しい雰囲気を崩さぬように頷いた。

 

「そのように言ってもらえるとこちらとしても有り難い。亡くなられた方々には、私からも心から哀悼の意を表そう。――ただ、今のこの状況から、国を立て直すのはさぞかし困難ではないか? 貴国さえ良ければ、魔導国は王国の再建に力を貸すことも出来るが、どうかな?」

 

「魔導王陛下の温かいお心遣いと、寛大なお申し出に感謝いたします。今は、王である父も不在で、兄も重症を負ってしまっているため、すぐにお返事することは叶いませんが、出来るなら、そのお申し出を受けさせて頂きたいと考えております。陛下のお慈悲があれば、いずれ王国も、そう遠くない未来に元の姿を取り戻すことが出来るでしょう」

 

 ラナー王女は、魔導王の赤い灯火の瞳を真っ直ぐに見つめて、力ある言葉でそう答えた。

 

 

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 ブレインは、暴動の巻き添えで死んだ子ども達を地面にそっと横たえ、心の中で詫びていた。

 

(絶対に守ってやる、って言ったのにな……)

 

 溢れそうになる涙を片手で押さえ、人に見られないようにする。そして、それほど離れていない場所に立っている、魔導王に目を遣った。どうやったのかはわからないが、奴はガゼフを殺した時と同じような不思議なやり方で、今度はイビルアイを助けたように見えた。

 

(勝てるなんて端から思っているわけじゃないが、俺じゃまだまだ足元にも及ばないってことか……)

 

 魔導王の超越者然とした立ち姿を見つつ、自嘲気味な笑いを浮かべる。ブレインはいつか機会があったら魔導王に挑んでみたいと密かに思っていた。ガゼフの敵討ちというわけでもなく、強い敵に勝利するためでもない。ただ、自分自身の限界を試すために。

 

 ――だが、俺は……こんな小さな約束すら守れないちっぽけな男なんだ。

 

 ブレインは、もはや魔導王に対する戦意を完全に失い、自分の足元に横たわっている子ども達の頭を撫でながら、懺悔の思いを抱えたままひたすら俯いていた。自分の無力さだけが胸に込み上げる。

 

 不意に自分の手に誰かが触れるのを感じた。そちらに目を向けると、そこには、ブレインが背負ってここまで連れてきた子どもが心配そうに見つめている。

 

「ああ……。お前は無事だったのか。そうか……」

 

 その子は、はにかむような微笑みを浮かべて、小さな声で「助けてくれて、ありがと……」とブレインに囁いた。

 

 

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 王都の雰囲気は、これまで長いこと淀んでいたものが、まるで雨ですっかり流れ落ちたかのように少し清々しく感じられる。王城の前に集っていた民衆は、自らの手で出してしまった大きな犠牲が徐々に実感を伴うものに変わってきたのか、一様に沈痛な面持ちをしていたが、それでも、どこか憑き物が落ちたような表情で広場から離れていく。

 

 フィリップの一党は、レエブン候の指示で兵士達に捕縛されている。ブレインは、生き残った子ども達を集めて話をしている。ラナー王女やクライムは、兵士達にバリケードを撤去し撤収するように指示を出している。蒼の薔薇の面々は、少し離れた場所でモモンとナーベと話をしつつ、こちらの様子をチラチラと伺っている。配下の者達は、負傷した人々を集めて手当を施しており、天使達はそれを見守るように控えている。

 

 どうやら一段落ついたようだ、と判断したアインズは、自分の腕の中にいるイビルアイをどうしたものかとしばらく悩む。

 

 イビルアイは、抱きかかえたアインズの胸にしがみついたまま、なかなか離そうとしない。まるで幼子のようなその雰囲気に微笑ましい気分になったアインズは、そっとイビルアイを抱きしめた。

 

 イビルアイの身体は酷く震え、泣き声が聞こえるわけではないが、もしかしたら泣いているのかもしれないとアインズは思う。

 

「どうした? イビルアイ。もう、大丈夫だぞ?」

 

 そんな風に声をかけると、後ろの方から、ギリィという物凄い音がする。それが誰の発した音なのか漂ってくる気配で察したが、アインズはあえて無視をした。

 

(こういう時は、一体どうやったら泣き止むんだろう。しばらく泣かせておくしかないんだろうか?)

 

 とりあえず、以前アルベドに泣かれた時にやったように、イビルアイの背中を優しく何度か叩いてみる。

 

 しばらくすると、ようやく落ち着いたらしいイビルアイが、掠れるような声で「ありがとうございました。アインズ様」と囁くのが聞こえた。

 

「少しは落ち着いたか?」

「はい……。もう、大丈夫です」

 

 イビルアイはそこで何かに気がついたようで、口調が若干怪訝そうになった。

 

「アインズ様……あの、声が、前と少し違いませんか?」

 

(そう言われてみれば、エ・ランテルで会った時は素の声だったからなぁ。急に変われば疑問に思うのも当然だよな……)

 

「あぁ、今は声を変えているんだ。変だったか?」

 アインズは一年前のあの日のことを懐かしく思い出しつつ、イビルアイに答えた。

 

「い、いえ、そういう訳じゃないです……。でも、前の方が、その、素敵というか……好きです」

「そうなのか? 配下にもよく言われるんだ。自分としては悪くないと思っているのだが……。イビルアイ、どうやら元気が出てきたようだな。良かったよ」

 

 アインズはイビルアイの頭を軽く撫でると、ゆっくりと地面に下ろした。イビルアイは、どことなく残念そうな雰囲気だったが、おとなしくアインズの傍らに立った。その様子を見ているうちに、アインズはイビルアイをこのまま帰してしまうのが惜しいように感じる。どのみち、今の段階では蒼の薔薇が解散する予定はないはずだから、断られるのだろうが……。

 

「まだ、私の元には来ないのか?」

 

 イビルアイは、アインズのその言葉に明らかに動揺したようで、左手を固く握りしめていた。しかし、しばらくすると、多少迷いはあるようだったが、アインズの瞳をしっかりと見つめた。

 

「……あとほんの少しだけ、こちらにいようかと思います」

「そうか……。私は、お前が一緒に来てくれるなら、とても嬉しい……と思う。だが、お前自身の選択を尊重したい。だから、別に急がなくて構わない」

 

 自分を真っ直ぐに見上げているイビルアイの姿は、アインズには何かとても眩しいもののように感じられた。――少々寂しくはあるが、やはり、ここはおとなしく見送るべきだろう。アインズは、イビルアイを安心させるように優しく言った。

 

「すみません。我儘で……」

「いや、私も我儘なんだ。だから、お互い様だな」

 

 そう言って苦笑すると、アインズはイビルアイに右手を差し出した。

 

「また、な」

「はい……。また……」

 

 イビルアイは、ぎゅっと両手でその手を握ってくる。アインズも、なるべく力を入れないように気をつけながら手を握り返すと、イビルアイの仮面から見えている耳が真っ赤になっているのに気がつき、少し照れくさい気分になる。

 

「あ、あの……!」

「ん? なんだ?」

 

 イビルアイは一瞬躊躇したようだったが、アインズの揺らめく光を湛えた瞳を見つめながら、酷く真剣な様子で切り出した。

 

「――私、アインズ様にお聞きしたいことがたくさんあるんです。その、ものすごく、いっぱい……。だから、次にお会いできたら……、もっと、ゆっくりお話……したいです……」

 

 思いがけないその言葉に、アインズも、自分もイビルアイに聞いてみたいことがいろいろあったことを思い出した。いずれそんな日が来ることが、とても楽しみに思われる。

 

「あぁ、そうだな。約束しよう」

「ありがとうございます…! や、約束ですよ!」

 

 アインズの髑髏の表情は動くわけではないが、それでもイビルアイには、アインズが少なくともその約束を喜んでくれたように感じられた。それだけで、体中が歓喜でいっぱいになり、自分の動かない心臓が激しく脈打っているような錯覚に陥る。

 

(どうしよう。私は今とんでもなく、だらしない顔をしてるんじゃないだろうか!?)

 

 イビルアイは、愛するひと(アンデッド)には見られたくない表情をしているだろう自分を思い、それをアインズから隠してくれる、自分の仮面に初めて感謝した。

 

 

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 アインズが宰相アルベドや配下の者達を伴って、立ち去っていくのを見送りながら、イビルアイは、自分の胸にそっと手を当てた。自分の中で何百年も泣いていた子どもが、今は、少し落ち着いて穏やかな微笑みを浮かべている気がする。

 

 ――私は長い間この日が来るのを待っていたのかもしれない。

 ――誰かが、泣いている私を助けてくれるのを……。

 

 イビルアイは、このまま、アインズを追いかけていきたい強い想いに駆られる。

 

 ――だけど、そう。まだ『今』じゃない。

 

 イビルアイは指輪を優しく撫でて、ゆっくりと周囲を見回した。少し離れた場所で大事な仲間達が、興味深げにこちらを眺めているのが見える。どうやら、イビルアイの用事が片付くのを、ずっと待っていてくれていたらしい。

 

「すまない、待たせてしまったか?」

 

 イビルアイはあのシーンを見られていたことに、かなりバツの悪い思いを感じるが、なるべく普段通りの口調で声をかけた。しかしそれに対する蒼の薔薇の面々の反応は、どれも少しばかり含みのあるものばかりだった。

 

「そんなことないわよ、イビルアイ。もちろん、後でゆっくりいろいろ聞きたいことはあるけどね?」

「全くだな。随分、良い雰囲気だったじゃねぇか?」

「イビルアイは思ったよりも手が早い」

「これからは、アンデッド・キラーと呼ぶ」

 

「な、何を言ってるんだ!?」

 

 思わず、恥ずかしさで裏返った声でイビルアイは叫ぶ。

 

 イビルアイのあまりにも正直な反応で、蒼の薔薇はこみ上げる笑いを抑えきれず、久しぶりに心から楽しそうに笑った。

 

 

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 その後、リ・エスティーゼ王国では、ペスペア侯爵夫妻及び第二王子ザナック・ヴァルレオン・イガナ・ライル・ヴァイセルフの逝去、そして現国王ランポッサ三世の崩御が公表され、ヴァイセルフ王家に残された唯一の王位継承権者として、異例ながらも、第三王女ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフが王国始まって以来の初の女王として即位し、エリアス・ブラント・デイル・レエブン侯爵が宰相として女王を補佐することが宮廷会議で正式に決定された。

 

 また、今回王国で起こった一連の事件は様々な証拠から、フィリップを筆頭とする下級貴族の一党による犯行とされ、国民は単にそれに巻き込まれたものとして、暴動に参加した者も罪には問わないことと、フィリップ一党は投獄され、いずれ処刑されることが決定された。

 

 それと同時に、暴動の鎮圧に多大な援助を受けたアインズ・ウール・ゴウン魔導国に対して感謝の意を示すと同時に、王国の再建の為に、以後は魔導国に恭順し属国となることがラナー女王とレエブン候の連名で発布された。

 

 本来であれば、それは、王国の国民感情としては受け入れがたいものではあったが、王都で魔導王が見せた神を思わせる力に心酔するも者も多く現れ、また、主だった貴族達が王都での暴動でその多くが粛清されたことで、もはや反対する者は殆どいなかった。

 

 その後、ラナーはレエブン候の息子と結婚した。クライムは女王専任の側仕えとなり、やがて表舞台には姿を見せなくなった。女王の部屋から夜な夜な、奇妙な悲鳴が聞こえてくるという噂が密かに流れたが、その噂をする者はいつの間にか消えていった。

 

 王都の街角では、アインズ・ウール・ゴウン魔導王を崇める人々が、新たな神の到来と加護を説いている。

 

 ブレイン・アングラウスは生き残った孤児の一人を連れて、リ・エスティーゼ王国を離れ何処かに旅立って行った。

 

 

 

 

 




佐藤東沙様、アンチメシア様、ハメるん様、誤字報告ありがとうございました。

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第二章は、王国の末路編でした。
なんだこのラストは!と思われた方も多いと思いますが、どうか石は投げないでください……。

正直、二章はかなり叩かれるんじゃないかと思って公開するのを結構ためらいましたが、思いがけず読んでくださった方々がいらしたので、なんとか最終話まで辿り着くことが出来ました。暖かい感想や、誤字報告など、とても励みになりました。本当にありがとうございました。

この話のラストが受け入れてもらえそうなら、いくつか幕間を挟んで三章に続きます。
書いてみないとエピソードの分量が読めないので、三章を挟んで最終章になるのか、三章が最終章になるのかはまだ未定です。

次回の投稿は少し間が空くかもしれませんが、とりあえず、始めた以上は話自体には落ちはつけたいと思っていますので、気長にお付き頂けると嬉しいです。


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幕間
蒼の薔薇、新たなる旅立ち(一)


幕間のちょっとした話のつもりが長くなりました……。
二章の半年後くらいの話です。


 リ・エスティーゼ王国、ヴァランシア宮殿の現女王の執務室では、女王ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフと宰相エリアス・ブラント・デイル・レエブン侯爵が魔導国との属国化に関する協議の内容について最終確認を行っていた。部屋は人払いされており、この場にいるのは王国のまさに中枢であるこの二人だけだ。

 

「それでは、これが最終的な合意案ということで宜しいでしょうか? ラナー陛下」

「ええ、そうですね。思った通り、魔導国からの要求は過大なものは特にありませんし、このまま受け入れて構わないと私は思っています。レエブン候としてはどうですか?」

「私としても基本的には異論はありません。しかし……」

 

 レエブン候は伏し目がちに若干言い澱み、ラナーはそれを見て首を傾げる。

 

「どうかしましたか?」

「いえ、この合意案とは別件で、蒼の薔薇を魔導国に移籍させることを条件に、これから五年間必要物資の融通や、その……人的資源の貸与に係る支払いの大幅緩和を受けることになっておりますが……。宜しかったのですか? 蒼の薔薇はラナー陛下にとっては、彼に次いで大事な存在なのかと思っていたのですが」

「ああ、そのことですか……」

 

 ラナーはまるで何でもないことを聞いたかのように、あどけなく微笑む。

 

「蒼の薔薇は確かにこれまで王国の為に大変よく働いてくれました。でも、実際問題、彼女達がいなくても、もはやどうとでもなるのではありませんか?」

 

 レエブン候はラナーのその言葉に含まれる意味に気が付き、手にした書類から目を上げ、ラナーの表情を見た。そこにあったのは、彼がよく知る昔のままのラナーの素顔だった。ぞくりとするものが背筋を走るが、その事実はレエブン候の心に妙に腑に落ちるものだった。

 

「それに、魔導王陛下は蒼の薔薇に興味を持っておられるご様子。であれば、高く売れるうちに売ったほうが良いでしょう? 今の王国には売れるものすら殆どないのですから。朱の雫は全くお話になりませんし。もっとも、あの『謀反人』達は思ったよりもいい価格が付きましたけれど。本当に彼らは王国の良い礎になってくれたというものです」

 

 ラナーは彼らの未来を思い、くすくすと楽しそうに笑った。アルベド様はほぼ無傷でフィリップを捕らえたことを大層お喜びだった。表向きは処刑したことになってはいるが、既に彼らは魔導国に引き渡し済みだ。今頃彼がどのような目にあっているかはわからないが、できれば属国の契約の為に『ナザリック』という魔導王の恩寵深い地を訪れた際に、彼の状況を直接見学することをアルベド様にお願いしてもいいかもしれない。きっと、自分にとっても参考になることがたくさんあることだろう。

 

「私としても彼らには感謝しておりますよ。何しろ、王国の膿を全て取り除いてくれたようなものですからな」

 

 レエブン候は、ラナーのその様子に若干吐き気のようなものを覚えるが、ラナーの言っていること自体に問題があるわけではない。むしろ、その心の中で展開されているだろう悍ましいものを、直感的に感じたに過ぎないことは自分でもわかっている。

 

「レエブン候の仰る通りですね。それに、魔導国が蒼の薔薇に対して提示してきた条件は、彼女達にとってもそう悪いものでは無い筈です。であれば特に問題などないでしょう?」

 

「ははは、なるほど。そういうことでしたか。私としたことがすっかり騙されておりました。当然もっと早く気がついて然るべきでしたな。貴方にとっては、蒼の薔薇との友情ですら、都合のいい駒でしかなかったということに」

 

 ラナーはその言葉には答えず、優雅に紅茶を一口飲む。

 

「しかし、陛下。これだけはお断りしておきたいのですが……」

 幾分厳し目の口調で、レエブン候は言った。

 

「我が息子に対してはそのようなことは決してなさらないで頂きたい。私はあくまでも、我が息子の将来的な安寧のため、そして、陛下が提示された、いずれ我が息子の子……即ち孫に王国の全てをくださる、という条件で婚姻を承知したのです。その約束を違えられた場合……、流石の私とて黙ってはおりません。それだけは決してお忘れなきよう」

 

「あら、もちろんですよ。レエブン候。私は別に王国に興味などありません。私はご存知のように、クライムと私の愛ある生活が死ぬまで続けられるのなら、それだけで満足なのですから。その為には、貴方のご協力は必須ですし、貴方の大事な……私の婚約者様についても同様です。蒼の薔薇などとは全く違いますよ」

 

 ラナーの口から愛という言葉を聞いて、一瞬ぞっとするものを覚えたレエブン候は鷹のように鋭い瞳でラナーを見据えたが、ラナーは疑うことを知らない子どものような表情で無邪気に笑った。

 

「いずれにしても、私はクライムとの間に子を為すつもりはありません。私が欲しいのはクライム唯一人。ですから、貴方は貴方で『私の世継ぎ』をちゃんと作ってくださいね。私はお約束どおり、その子をちゃんと我が子と認知しますから」

 

 今はまだレエブン候の長男とラナーは婚約者であり、いずれ王国の復興が落ち着くであろう五年後に二人は正式に婚姻することとなっていた。ラナーが子孫を残すつもりがない以上、いずれ王国の血脈を担うのはレエブン候の血筋であり、ヴァイセルフ王家は名前を残すだけとなる。本来ならそれは自分の家系に対する裏切り行為であろうが、この女はそのような行為に対して何の痛痒も感じていない。しかし、それこそが、レエブン候とラナーを結びつけることになった最大の理由でもあった。レエブン候としてはどうしようもなく薄気味悪いものを感じつつも、それを心の内に飲み込んだ。

 

「畏まりました。ラナー陛下。では、魔導国とはこの案のまま話を進めさせて頂きます」

「ええ、よろしくお願いしますね。それと、魔導国に同行させる貴族達の選定をお願いします。ああ、宰相アルベド様とデミウルゴス様には、式典でお会いできるのを楽しみにしておりますとお伝えしておいてください」

 

 恭しくお辞儀をして退出していくレエブン候を見送ったラナーは、レエブン候と入れ違いで部屋に入って来て、扉近くに侍っているメイドに声をかけた。

 

「これで午前中の謁見予定は全て片付いたのですよね?」

「はい、陛下」

「わかりました。では、私はしばらく部屋で休息をします。誰も中には入ってこないようにしてください。いいですね?」

「……畏まりました」

 

 心なしか、メイドの声が震えているように見えるが、ラナーにはそんなことは全くどうでもよかった。これからの時間はラナーにとってはまさに至福のひとときなのだ。誰にも邪魔されてはいけない。

 

(ああ、そろそろ餌の時間でしたね。私がいない間ずっと良い子にしていたでしょうか?)

 

 早く自分の可愛い飼い犬の顔を見たくてラナーの心は逸る。もちろん良い子にしていたのなら、ご褒美もたくさんあげなければ。ラナーはうっとりと夢見るような瞳をしながら、自室に向かった。

 

 

----

 

 

 王都にある冒険者組合は、先日の事件では辛うじて被害を免れており、古めかしく重厚な石造りの建物は、所々煤の跡が残っているもののその長い歴史を思わせる風格はそのままである。その内部には暇を持て余している様子の受付嬢が一人あくびをしながら席に座っており、以前は常に複数の冒険者グループが情報交換をしたり、良い依頼が来るのを待ち受けていたものだが、今日そこにいるのは他に行くあてもなく座り込んでいる冒険者が数人と、難しい顔をして掲示板を睨みつけているうら若い女性二人だけだ。

 

「……やっぱ、ねぇな」

「ないわねぇ」

 

 蒼の薔薇のラキュースとガガーランは、貼り紙自体殆どない掲示板の前に立ってため息をついた。二人はこのところの日課である冒険者組合での依頼確認に来ていたが、今日も昨日と同じ貼り紙しかなかった。

 

 半年前の王都での暴動事件、正しく言うなら『フィリップの乱』以来、王都にいる冒険者の数は徐々に減ってきており、人もまばらな冒険者組合にある募集掲示板からも、募集の掲示は日々少なくなっていくばかりだ。あったとしても、いいところ金級鉄級向けの護衛任務や、常時募集のモンスター討伐ばかりで、とてもアダマンタイト級の蒼の薔薇が引き受けていい仕事ではない。

 

 暴動前は、蒼の薔薇の仕事はラナーから直接依頼されることが少なくなかったが、亡くなった先王らの国葬及び戴冠式を終えてリ・エスティーゼ王国初の女王として即位した今のラナーは政務に忙殺されており、以前のように気軽にラナーから声がかかることも私室に遊びに行くことも殆どなくなった。もっとも蒼の薔薇自体、暴動直後は王国各地で出没するモンスター退治の依頼で息をつく暇もなかったし、ラナーの警護任務も、即位直前からは近衛騎士団の仕事となっていた。

 

 おまけに、ラナーが魔導国から復興支援として様々なアンデッドを借り受けるようになってからは、モンスターの討伐依頼も目に見えて少なくなった。そして、それは蒼の薔薇に限った話ではなく、それがこの掲示板の現状に繋がっているとも言える。

 

 しかし、冒険者に対する依頼が少ないというのは、それだけ王国が平和になりつつあるということでもあるだろう。現在の王国では、街道の要所要所で魔導国から借り受けているデス・ナイトが歩哨を勤めていて、それだけで王国の街道の安全性は大きく上がった。王国各地で跳梁跋扈していたモンスターや野盗は姿を消しつつある。

 

 以前であれば、商人たちはそれなりの冒険者に護衛を依頼して商材を運ぶのが常であったが、今は、護衛など付けなくても他の街への移動が可能になってきている。それでも、念のために護衛を依頼するものは少なくなかったが、依頼される冒険者ランクは下がる一方だ。

 

 そんな訳で、最近の蒼の薔薇にやって来る依頼といえば、アンデッドをどうしても受け入れられず、しかも見栄からあまり下級の冒険者には依頼したくない豪商等の護衛くらいで、目ぼしいモンスターの討伐依頼といえば、二ヶ月程前のギガント・バジリスク討伐依頼が最後だった。

 

「別に、お金に困っているわけじゃないけど……。このまま、何もしないでいるのも冒険者としてどうかと思うのよね……」

 

 ラキュースは掲示板を見るのを諦め、窓際に置かれているそこそこ座り心地のいいソファーに腰をおろした。窓から見える王都の様子は少し前よりも遥かに活気が出てきているし、人々の表情は明るくなっている。

 

「そうだよなぁ。いくら平和が一番って言っても、冒険者としては味気ないよなぁ。まあ、だからと言って、あんな事件なんかは願い下げだけどよ」

「そういう意味では、冒険者っていうのも良し悪しよね。戦いや争い事がないと力を発揮できないんですもの。本当は、私だってもっと違う冒険をやってみたくて冒険者になった筈なのに。最近、こんなはずじゃなかったって思っちゃうのよ。この暗黒剣キリネイラムの真のちか――あ、いえなんでもないわ」

 

 ラキュースは慌てて咳払いをする。そのラキュースの様子をガガーランは若干心配そうに見ていたが、ラキュースの右隣にどっかりと腰を下ろす。

 

「ああ、そのなんだ。ラキュースもいろいろ魔剣の力を定期的に放出しないと闇の力が危険、とかそういうのがあるんだろ?」

「え!? ええ……、まあ、その……そうね?」

 

 ラキュースは気まずそうにガガーランから目を逸らす。だが、ガガーランはその様子には気が付かないようで重苦しいため息をついた。

 

「だけどよ、力を吐き出さないとやってられないっていうのは、そりゃ俺だって同じさ。こんなんだったら、冒険者を止めて田舎に帰ろうかって思う時があるくらいだ」

「……ガガーラン、それ本気なの?」

 

「いや、本音を言えばまだまだ暴れてみてぇさ。だけどよ、このままどこもかしこも平和になっちまったら、冒険者稼業なんてどのみちあがったりだろ? だったら、今後の身の振り方も少しは考えないと不味いとは思っちまうよ」

「それもそうなのよね……」

 

 その時二人の方に近寄ってくる足音がした。二人がそちらに目を向けると、そこに立っていたのは冒険者組合長だった。

 

「ラキュース、ガガーラン、久しぶりですね。ここも随分人が少なくなってしまったけれど、あなた方がまだ残っていてくれているというのは心強いわ」

 

 四十歳ほどのその女性は、冒険者としての実力は元ミスリル級であり、現役のアダマンタイト級である蒼の薔薇の二人には遠く及ばないものの、長い経験からくる落ち着きと的確な判断力は荒くれ者も多い冒険者のまとめ役としてはうってつけの人物で、ラキュースもガガーランも非常に好意を持っていた。

 

「組合長、ご無沙汰しておりました。お元気そうでなによりです」

 

 立ち上がろうとしたラキュースを手で制止し、組合長もラキュースの左隣に腰を下ろした。

 

「余計な礼儀とか構わないから。ちょうどあなた達に話があったの。だから、少しだけ話を聞いて欲しいのだけれど……」

「あぁ、もちろんさ。一体何だって言うんだ? 珍しく改まって」

 

 冒険者組合長は、何かを言いかけて、そのまま組合の人気のないホールを見渡す。そのまま、しばらく物思いに耽っているように見えたが、やがてゆっくりと口を開いた。

 

「二人共ここに来ているからわかっていると思うけれど、王都にいる冒険者、いえ、王国にいる冒険者の数は今最盛期の半数以下まで減ってしまっているの。仕方ないわね。依頼がなければ冒険者は食べていけないのだから。ラナー女王が即位される前にお作りになられたモンスター討伐報酬制度も、今はなかなかそのモンスター自体が見つからなくて殆ど形骸化しているし。カッツェ平野ですら魔導国がかなり整備を行って、以前は結構いい収入になったアンデッド討伐も難しくなっているとか」

 

「何だかんだ言って、魔導王は、暮らすのに安全な土地を作ろうとはしているらしいからなぁ」

「正直、数年前の戦争で虐殺を行った本人とはとても思えないわよね。確かに容貌は恐ろしいアンデッドなのは間違いないのだけど。魔導国の力が無ければ、王都は今頃完全に廃墟になっていたでしょうし」

 

 ラキュースは、ふと、魔導王に助けられて完全に呆けた顔をしていたイビルアイの顔を思い出して苦笑いをした。

 

「それで、ここからが本題なんだけど……。王都の冒険者組合は、このままでは実質的に解散状態になってしまうでしょう。私自身は一人でも組合員が残っているうちは、責任を持ってここの管理をするつもりではあるけど、その後は年も年だし引退を考えている。今後、王国の冒険者組合に来る依頼自体は、ほぼ見込めない。モンスター退治にしても、ラナー女王はどうやら魔導国から借り受けているアンデッドにやらせて、人間はアンデッドには出来ないことをやるべきとお考えのようね」

 

 冒険者組合長は重いため息をついた。

 

「実は、先日王宮に呼ばれてラナー女王から冒険者組合の今後についてお話をされた。冒険者組合自体は国の機関ではないから、陛下としては直接どうこう言える立場ではない。だから、あくまでも提案ということではあったのだけれど。王国単独で冒険者組合を維持するよりも、いっそ他国と合同で運営することは出来ないのか、と。陛下としては、王国は魔導国の属国になろうとしているから、実質的には王国の組合と魔導国の組合を合併を勧めたいのでしょう。私は、陛下には個人では決めかねる話だからと申し上げてはきたけど、陛下がそのようにお考えなのであれば、そのうち国から支援を受けているモンスター討伐報酬も廃止になるかもしれない。そうしたら、王国の冒険者組合自体運営できなくなる可能性もある。だからでしょう。陛下からは、王国の冒険者組合に所属する冒険者達には冒険者から他の職業に転職するか、他所の国の組合に移籍することを勧めることを検討したほうがいいかもしれない、と……」

 

 組合長は寂しそうに話し、それをおとなしく聞いていた二人も思わず黙り込んだ。

 

「まあ、今すぐ、という訳ではないから安心していい。でも、蒼の薔薇も今後のことをよく考えてみてちょうだい。アダマンタイト級のあなた達なら何処の国の冒険者組合でも喜んで受け入れてくれるでしょうし。ただ、だからこそ、その力を活かせないともったいないとも思うのよ」

 

 組合長の真摯な言葉に、蒼の薔薇の二人は返す言葉はなかった。

 

 

----

 

 

 蒼の薔薇が普段使っていた高級宿屋がある区画も、先日の暴動でほぼ半壊してしまっていたが、魔導国から貸与されたアンデッドやゴーレム、工事監督を請け負っているらしいドワーフ達の尽力で、一ヶ月ほど前にようやく以前の姿を取り戻していた。

 

 ドワーフ達は、本当ならついでに道路の舗装もやったほうがいいのだが、まずは壊れた建物を直すのが優先だからと笑っていた。正直、暴動前の建物はどれも良く言えば古く歴史あるものだったけれど、ドワーフの優れた建設技術のおかげか、建て直されたものはどれも、より格式高く洗練された雰囲気に変わり、使い勝手も良くなったという評判である。

 

 王都の者達も、当初はアンデッド達に対する嫌悪感から、工事現場近くには近寄らない者も多かったが、ドワーフ達が平然とスケルトンを使いこなす様子を見て多少は考えを変える者も出てきた。また、ラナー女王が再建工事に従事する者を広く募集し正当な給金を支給することを決めたため、覚悟を決めた者達もいたようだ。もっとも、先日の魔導王の姿を見た後では、スケルトン程度ならさほど脅威には思いにくかったということもあるだろう。

 

 そんな訳で、今の王都では、エ・ランテル程ではないものの、アンデッドや多少見慣れない亜人が彷徨いていても大騒ぎにならない程度には馴染みの光景になりつつあった。

 

 宿の建て替え期間中、蒼の薔薇はラナーの好意でロ・レンテ城の一室を間借りしていたが、ようやく先日この宿に戻ってきたばかりだ。受けた被害や工事に要した費用を考えれば、宿代が以前よりも多少上がってしまったのはやむを得ないだろう。そもそも、冒険者最高位のアダマンタイト級である蒼の薔薇のメンバーは、これまでの報酬で一般人からすれば既に一財産といえるくらいの持ち合わせはある。だから、しばらく仕事などしないでのんびりしたところで、生活に困るわけではない。

 

 困るとすれば、それは――ただただ、暇である、という一点に尽きた。

 

 新たに蒼の薔薇が使うようになった部屋の中には、床に座り込んで荷物整理をしながら、これまでの戦利品の数々を並べて楽しんでいるティアとティナ、そして、ベッドに横たわったまま、何やらおかしな動きをしているイビルアイの姿があった。宿の近くにある通りの角では、魔導王を称える宣教師が説法を披露しているらしく、熱心に聞いている人々も多いのか、開いたままになっている窓から、力強い演説とそれに同意する声や拍手などが時折聞こえてくる。

 

 外からの賑やかな喧騒に紛れて、誰かが部屋の扉をノックする音がした。「戻ったわよー」というラキュースの声が聞こえ、ティアは面倒臭そうに立ち上がり、扉を開ける。

 

「鬼リーダー、おかえり。獲物は見つけた?」

「獲物って……、私は別に彼氏を探しに行ったんじゃないのよ!?」

 

「……獲物と言われて彼氏に変換されている時点で、かなりティアに毒されてるな? ラキュースよぉ」

 

 豪快に笑うガガーランに、ラキュースは真っ赤になる。

 

「べ、別に、そんな訳ないじゃない! これまでだって、仕事が忙しくて時間がなかったから、特別な人がいなかっただけよ!」

「でも、今は暇。探す余裕はいくらでもある」

 

 ティナの突っ込みで、ラキュースはぐうの根も出ない。

 

「まあまあ、今度はじっくりハントしに行こうぜ。俺がじっくり手ほどきしてやるからよ」

「ガガーランとじゃ、私、好みがあわないと思うの。――ところで、イビルアイは? 大丈夫なの?」

 

 にやにやしながら肩を組んでこようとするガガーランを躱すと、ラキュースは慌てて話題を変えようと、矛先をイビルアイに向けた。それを聞いて、ティアとティナは顔を見合わせてから、ベッドの上のイビルアイに目をやった。

 

「イビルアイはやはりもう逝ってる。間違いなくアンデッド」

「一年前より悪化してる。二股かけた罰」

 

「ああ……、それなら仕方ないわね……」

 

 ラキュースは、イビルアイがベッドの上で、何かを抱きしめてもぞもぞしながら、完全に何処かイッたような目つきと、にへらと緩んだだらしない口元をしているのを見て、引きつった笑いをした。

 

 イビルアイは、仕事がないのをいいことに、しばらく部屋に篭って慣れない裁縫を始め、何やらいびつな形の長細いクッションのようなものを一生懸命作っていた。イビルアイに言わせると、それは『だきまくら』とかいう代物で、なんでも、それを抱いて寝ると大好きな人と一緒にいる気分にさせてくれる効果があるアイテムだと、以前知り合いから教わったらしい。ということは、恐らくそれは魔導王のつもりで作ったに違いないのだが、どう見ても本人とは似ても似つかぬ何かうねうねとした変な物体だ。しかし、本人が満足しているなら、口を挟む必要はないだろうというのが、蒼の薔薇メンバー全員の暗黙の了解になっている。

 

「イビルアイは……、しばらくあのままにしておきましょ。どうせ仕事もないんだし」

 

 ラキュースはあまり見たくないものから目を逸らすと、椅子に腰掛けた。真新しい椅子はまだ若干塗料の香りがする。

 

「やっぱり、何も依頼なかった?」

「からっきしさ。それどころか、冒険者組合長からちょっとやばい話されちまってなぁ」

「そうだったわ。今はまず、あの件を皆で話し合わないとね……。ティナ悪いけど、やっぱりイビルアイをこっちまで連れてきてくれる? 全員の意見を聞きたいから」

 

 ティナは露骨に嫌そうな顔をしたが、無言で何かを抱いたままのイビルアイをベッドから引き摺り下ろしてテーブルの脇まで連れてくると、そのまま摺り上げるように椅子に座らせる。それで、ようやくイビルアイは我に返ったのか、他のメンバーの顔を見上げた。

 

「ああ……、戻ってたのか、ラキュース、ガガーラン」

「よぉ、ようやくお姫様のお目覚めかよ」

 

 ガガーランのからかうような口調に、イビルアイはムッとして睨んだ。

 

「別に、私はお姫様なんかじゃない」

「そうはいっても、もし魔導王陛下と結ばれれば、お妃様とかそんなんになるわけだろう? そしたらお姫様じゃねぇか」

 

「――そんなの……結ばれるかどうかなんてわからない……」

 

 イビルアイは若干俯き、先ほど前の様子とは違い、今度はどんよりとした気配を漂わせ始めた。

 

「まあ、未来のことなんて誰にもわからないわ。この話はこれでおしまいにしましょう?」

「それもそうだな、すまん。イビルアイ、言い過ぎた」

 

 イビルアイの様子に、このまま放置しておくとろくなことにならないと気がついたラキュースは、咄嗟に二人の仲裁に入り、ガガーランも流石に不味いことを言ったと思ったのか、すぐに頭を下げた。

 

「いや、二人とも気にしないでくれ。それより、何か大事な話だったのか?」

 イビルアイは手にしていた謎の物体をぎゅっと抱きしめると、急にいつもの真面目な調子に戻った。

 

「ああ、そうなのよ。実はね……」

 

 ラキュースは、冒険者組合長から聞いた話をかいつまんで他のメンバーに説明した。




Sheeena 様、アンチメシア様、スペッキオ様、誤字報告ありがとうございました。


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蒼の薔薇、新たなる旅立ち(二)

 ラキュースの話を聞いた蒼の薔薇の面々は、これまでの状況から予想される話ではあったものの、一様に難しい顔になった。

 

「組合長がそう言うなら、王国で冒険者は続けられないってこと?」

「出来なくはないけど、魔導国冒険者組合の王国支部のような扱いになるかもしれない、という感じかしら」

「ふーん。そうなると、このまま王都にいるメリットはないかも」

 

「魔導国の冒険者組合は、モンスター退治じゃなくて、土地の探索みたいなことをするとかいう話を、以前組合に伺った時にアインザック組合長から聞いたわ。ただ、魔導国の冒険者組合は、独立組織じゃなくてあくまでも国の機関。その代わりに、冒険者の育成とかバックアップとかも国が責任を持ってしてくれるらしいけど」

 

 あまり話には興味なさげに手に持ったものを弄り回していたイビルアイは、魔導国の話題になったとたん異様にキラキラした目になった。

 

「魔導国に行こう! それでいいじゃないか!?」

「イビルアイ、悪いけど少し黙ってて。あなたはどうせ他の選択肢は考えてないんでしょ?」

「うっ……、い、いや、そんなことはないぞ!? ちゃんと考えて言ってるんだ! いいじゃないか、魔導国!」

「はいはい。他に意見ある人は?」

 

 ラキュースは、よりにもよって二股をかけるなどという許しがたい裏切りをした、元未経験同盟者に冷たく言い放つ。

 

「魔導国以外に行くとなると、候補は何処だ? 帝国だって魔導国の属国なんだから状況は変わらねぇだろうし、聖王国はどうだ?」

「聖王国は今内乱中らしいから避けたいわね。私は人間同士で争うのは、正直二度とごめんだわ」

「それは言える。どうせなら、もっと建設的なことをしたい」

 

「そういえば、鬼リーダー、朱の雫は? 何か聞いてないのか?」

「先日お会いした時に少しお話したのだけれど、アズス叔父様は、そろそろ引退してもいい頃合いではあるが、最後に竜王国に行って一暴れしてくる、と仰っていたわ」

「竜王国か。あそこは、確か法国が手を貸しているんだよなぁ」

 

「それはまずい。法国と一緒に何かするのは遠慮したい」

「同じく」

「そうよね。私達はあそこの陽光聖典とやりあっちゃってるし、法国にはあまり近寄りたくはないわね。イビルアイもそうでしょ?」

「全くだな。どうせ、奴らは私を殺したいに違いないだろうし、私達と一緒にやるなんて、向こうも願い下げだろう」

 

 取れる選択肢が案外限られていることに気が付き、段々、話し合いの場にはどんよりとしたムードが漂い始めた。

 

「聖王国もダメ、竜王国もダメ、法国は論外……。後は人間でも行けそうな国だと、評議国か、都市国家連合しかないじゃないか」

「評議国は、人間もいないわけじゃないけれど、冒険者組合は亜人が殆どよ。流石にちょっと難しいんじゃない?」

 

「となると、都市国家連合かぁ。そういえば、帝国のアダマンタイト級だった銀糸鳥は都市国家連合に移籍したんだっけか?」

「そういう話は聞いた」

「銀糸鳥ね……」

 

 若干微妙な空気が蒼の薔薇の間を流れる。同じアダマンタイト級冒険者といえど、蒼の薔薇としては『朱の雫』や『漆黒』ならともかく、『銀糸鳥』では同じ国で仕事をする相手としては少々力不足、という認識だ。

 

「正直、銀糸鳥のメンバーはあんまり興味ないんだよなぁ。あいつら絶対童貞じゃねぇし」

「全員対象外」

「同じく」

 ガガーランとティナの言葉にティアも真面目に頷いている。

 

「ちょっと! 問題はそういうことじゃないでしょう!?」

 

 三人の不真面目な発言に少々呆れたラキュースは机を叩いた。その勢いで机の上に置いてあるグラスがぶつかり合って耳ざわりな音を立てる。

 

「だから……魔導国に行けばいいじゃないか……」

 ぼそりとイビルアイが呟く。

 

「ああ、イビルアイの意見はわかってるから。――皆ちゃんと考えて。私達の大事な将来の話なのよ?」

 

 恨めしそうにこちらを見上げているイビルアイを軽くあしらい、どう見てもあまり深刻そうに見えない三人を軽く睨むと、ラキュースは考え込んだ。確かに、今の状況的には魔導国に行くのはそう悪い選択ではないようには思われる。だが――。

 

 ラキュースは自分の隣に座って、幾分ふくれっ面をしている魔法詠唱者の顔をちらりと見る。

 

(魔導国に行くことになって、一番喜ぶのはイビルアイなのよねぇ。別に仲間の幸せを願ってないわけじゃないんだけど、なんか微妙に納得いかないわ……。魔導国にはモモンさんだっているし。――女の友情なんてほんとあてにならないわね)

 

 我ながら心が狭いような気もするが、できれば、他のメンバーにも明確なメリットがあれば、魔導国に行くと決めるのもやぶさかではないのに。そんなことを思いつつ、ふと、ラキュースはモモンを思い浮かべる。イビルアイは、二股じゃなくて、ただの勘違いだったとか、いろいろ言い訳していたけれど、先日の事件の時だって、モモンに全く気がないわけではなさそうだった。そもそも、その気がないのなら、モモンさんには手を出さないで欲しいと思い、ラキュースは微妙にいらっとする。

 

(やはり、チームリーダーとしてはチームの利益が優先だもの。べ、別にイビルアイに嫉妬してるとか、そういうわけじゃないんだから!)

 

「ともかく、今のところ、魔導国が有力な候補なのは間違いないけれど、私達自身、それでちゃんと納得して決めなければいけないと思うの。だから、今日はこの辺までにして、明日までに皆もう少し真面目に身の振り方を考えておいてちょうだい。いいわね?」

 

「そうだな。まぁ俺はぶっちゃけ面白そうなら何処でもいいんだけどよ」

「同じく。可愛い男の子がいればそれでいい」

「ハンティングしやすいのは重要。それは譲れない」

 

 イビルアイが何か言いたそうな顔をしてこちらをジト目で見ているが、ラキュースはあえて無視した。

 

「明日、もう一度皆で話し合いましょう。私としては、なるべく全員にメリットがあるようにしたいの。誰か一人だけとかそういうのは無しでね」

 

「あいよぉ」

「りょうかいー」

「わかった」

「…………」

 

 メンバーのあまりやる気のなさそうな返事を聞いて、ラキュースは重いため息をついた。

 

 

----

 

 

 夕方近くなって来た頃、部屋の扉をノックする音がした。

 

 他の誰も立ち上がる気配がないのを感じ、ラキュースは渋々扉の所に向う。

 

「どちら様ですか?」

「私、ラナー女王陛下からのご命令で参りました。近衛騎士のロベルと申します」

「ラナー陛下から?」

 

 以前ならこういう場合はクライムが来たのだが……。少々不審には思うが、名前には聞き覚えがあったため、ラキュースはとりあえず扉を開けた。確かにそこに立っていたのは近衛の徽章をつけた騎士であり、数回挨拶もしたことがある相手だった。

 

「ご苦労様。ロベル殿。それでどのようなご用件なのかしら?」

「はっ。ラナー女王陛下に於かれましては、是非とも蒼の薔薇の皆様にご相談されたいことがあると。そのため、明日の十時に執務室までおいで願いたい、とのことでした」

「明日の十時ね。了解致しました。ラナー陛下には、その時間にお伺いしますとお伝え下さい」

「はっ、畏まりました。お寛ぎのところ突然お邪魔いたしましたこと、お詫び申し上げます。では失礼致します」

 

 騎士は丁寧に礼をして去っていく。その姿を見送ってラキュースは扉を閉めた。

 

「なんだぁ? 女王様からのお使いなのに、来たのは童貞じゃないのか?」

 

 武具の手入れをしていたガガーランが不審そうに顔をあげる。

 

「もしかして、クライムは童貞じゃなくなったから来ないのかも」

 ぼそっとティナが呟くが、ラキュースは聞かなかったことにした。

 

「そうね。私もクライムじゃないのは少し気になったわ。ただ彼は王宮で見たことがある人だから、ラナーからの伝言ということで間違いはないと思うの。やっぱり女王ともなると、いろいろ形式とか格式とか、面倒なことが増えているのかも知れないわね。――クライムも気の毒に……」

「確かにクライムの場合、王女の時ですらやばかったのに、女王の側仕えっていうのは流石に問題があるからなぁ」

 

「一応、ラナーは今後は帝国や魔導国のように血筋よりも実力重視で取り立てたいという意向みたいだけどね。クライムも、王国の中ではまだ腕が立つ方ではあったわけだから、その辺りも含めて整備していくつもりだとは思うんだけど……」

 

「まだ、女王様も王位に就いたばっかりだしな。これからじっくりやっていくんだろ。レエブン候もついてるんだし、その辺は心配ねぇだろ」

「そうね。王国もこれから魔導国の属国にもなることだし、いろんな事がどんどん変わっていくんでしょうね。私達の未来もだけど。でも、きっと良い方向に変わるんじゃないかと信じているわ」

 

 ラキュースは自分に言い聞かせるように言った。

 

 

----

 

 

 蒼の薔薇がラナーと直接話をするのは一ヶ月ぶりくらいだった。ラナーは女王になってからも、質素倹約を心がけているらしく、王女の頃よりも若干上質ではあるが、それほど華美ではないドレスを纏っている。国が苦しい時に、国のトップが贅沢をするわけにはいかないとラナーは笑って言っていたが、それを実践できるのはラナーくらいだろうとラキュースは思う。

 

 ラナーは執務室の奥にある席から立って蒼の薔薇を出迎えた。

 

「お久しぶりですね。蒼の薔薇の皆様。急にお呼び立てして申し訳ありません」

「女王陛下のお呼びとあればいつでも参りますわ」

 ラキュースはいつもとは違う少し真面目な表情で、貴族らしい優雅なお辞儀をした。

 

「そんな……。どうか、畏まらないでください。これまで通りラナーで構いません。蒼の薔薇の皆様は、私にとっても特別なのですから」

 ラナーのその言葉で、流石に女王の御前ということで多少は改まった雰囲気だった蒼の薔薇も以前のような砕けた空気に変わる。

 

「そう言ってもらえるとありがてぇよ。何しろ、堅苦しい雰囲気は苦手なんでね」

「ふん、そうだな。前回会った時に比べると、随分女王らしい貫禄が出てきたようじゃないか。感心した」

「そうですか? イビルアイ様にお褒め頂けるなんて、私も成長したということですね」

 

 にこやかに微笑みながら、ラナーは部屋の中央に設えてあるソファーに座るよう蒼の薔薇に促し、メイドにお茶の用意を言いつけると自分もソファーに腰掛けた。

 

「ところで、ラナー、クライムの姿が見えないようだけど、どうしたの?」

「クライムですか?」

 ラナーは少し首を傾げてラキュースを見ると、くすりと笑う。

 

「実は、クライムには私の特別な仕事を頼んでいるのですよ。覚えないといけないこともたくさんありますし。だから、クライムは今とても忙しいのです」

 

「女王陛下の特別な仕事。意味深」

「ちょっと興味ある」

「ふふ、知りたいですか?」

 

 ティアとティナはラナーの様子に何かを感じたのか、目をキラキラさせており、ラナーは悪戯っぽい表情で二人を見ている。しかしこの二人がこういう表情をしている時に、そのまま野放しにしておくのは不味いことを、ラキュースはよく知っていた。

 

「ま、まあ、そういうことは後にしましょうよ。ラナー、今日はそういう話をするために私達を呼び出したわけではないのでしょう?」

 

 ラナーは少し残念そうな顔をしたが、すぐに頷いた。

 

「ええ、その通りです。もうすぐリ・エスティーゼ王国が正式に魔導国の属国になる、ということはご存知ですよね? それと、冒険者組合長からも既に聞いているかもしれませんが、私は王国の冒険者組合は、今後徐々に規模を縮小していき、最終的には魔導国の冒険者組合に組み入れてもらうのがいいのではないかと思っています。もちろん、最終的に決めるのは冒険者組合であり組合長ですが……。ただ、私は魔導国の属国になれば、恐らくこれまでの形態の冒険者は、王国には不要になると考えています」

 

 蒼の薔薇は、少々苦い顔をしながらも静かに頷く。

 

「それで……、差し出がましいとは思いましたが、私の方から皆様のことを魔導国の宰相様にご相談させて頂いたのです。そうしましたら、魔導国では冒険者組合の改革に力を入れておられるとのことで、蒼の薔薇の皆様さえ宜しければ、是非魔導国に招聘したいと。宰相アルベド様からこのような文書をお預かりしています」

 

 そういうとラナーは一通の封筒をテーブルの上に置いた。

 

「――内容を確認させてもらうわね」

 

 ラキュースは封筒から文書を取り出し、目を通す。そこには、蒼の薔薇を魔導国のアダマンタイト級冒険者として、そして、後進の指導者として迎えたいと旨が記されており、提示されている諸条件は破格のものだった。そして、宰相アルベドのサインと国璽が押されてあり、魔導国からの正式な文書であることは間違いなかった。

 

「恐らく、これ以上の条件を王国では蒼の薔薇に提示することは出来ません。私としては長く王国に尽くしてくださった皆様に何も報いる事が出来ないことは非常に心苦しく思っています。でも、これが私が出来る精一杯だったのです」

 

「ラナー、それは気にすることはないわ。私達が、祖国である王国のために冒険者として働くのは当然のことなのだから。それに、私は貴女をとても大切な友人だと思っている。もちろん、ここにいる皆も同じ思いよ」

「ありがとうございます。そんな風に思って貰えていたなんて……」

 

 ラナーは心なしか、少し目に涙を浮かべているように見える。蒼の薔薇の面々も、その様子に胸が熱くなるのを感じる。

 

「それで、どうでしょう? このお話、蒼の薔薇の皆様としてはどのようにお考えですか?」

「正直、とても魅力的なお話だと思うし、このようなお話を頂けただけでも光栄なことだと私は思っています。皆はどう?」

 

「俺も悪くねぇと思う。どのみち、身の振り方を考えていたところではあったしな」

「勝手に魔導国に行きそうなのもいる」

「わ、私は勝手には行かないぞ!? その……一応、お前達が向かうところに行くとは決めてるんだからな!?」

「はいはい。じゃあ、この件は少し私達で話し合わせてくれないかしら。それとも、すぐに返答が必要なの?」

 

「別にこれは急ぎという訳ではありません。ですから、ゆっくり話し合っていただいて構わないです。蒼の薔薇の皆様にとっても大事な問題でしょうし、魔導国ではいつでも皆様を歓迎する、ということでしたので」

「そう。わかったわ。それと、この文書は私達で預かっていていいのかしら?」

「ええ、もちろんです。もし、魔導国の冒険者組合に移籍されるのでしたら、それを魔導国の冒険者組合長アインザック様にお持ちいただければ、それで話は通るようになっているそうです」

「なるほどな。そりゃ、逆に俺達からも女王様に感謝した方がよさそうだ」

 

「それと、これはまた別のお話なのですけれど、近々、私とレエブン候、それに他の有力貴族達と魔導国に赴き、魔導王の御居城で属国承認の儀及び晩餐に招かれているのです。それに蒼の薔薇の皆様も非公式に招待したいと打診されているのですが、皆様はどうされますか? 特に強制ではないそうですけれど」

 

 『魔導王の御居城』という辺りで「ふぇっ」という妙な声が上がったが、ティナが素早くその声を上げた者を押さえつけて口を塞いでいる。ラキュースはちらりとそれに目を遣り冷たく睨んだ。

 

「わざわざご指名で御招待頂いている、というのは光栄ではあるけど、本来、そのような場に冒険者が行くのはあまり例がないように思うの。ラナー、冒険者として招待されているのは私達だけなのかしら? 朱の雫にも声はかかっているの?」

 

「朱の雫の皆様にもお声がけは致しましたが、あの方々は近々竜王国に向かわれるとかで、お断りになられました」

「ああ、それもそうよね……」

「はい。あの方々らしいです」

 ラナーは苦笑した。

 

「皆はどう? あ、イビルアイの返事はいらないわ」

 

 口を塞がれたイビルアイはくぐもった声で抗議をしているようだが、蒼の薔薇は全員それを無視した。

 

「俺は行ってもいいぜ。ちょっとその御居城とやらも見てみたいしな」

「せっかくだから、行ってもいい。化物しかいなさそうだけど」

「メイドは全員美人らしいから、私は行く」

 

「そう。じゃあ、そちらのご招待には参加させていただきます」

「わかりました。では、詳しい日取り等が決まったらお知らせしますね。魔導国の方々も皆様が参加されるのであれば、お喜びになることでしょう。ああ、せっかくですから、こちらのお茶とお菓子も召し上がっていってください。どちらも魔導国から頂いた物なのですが、とても美味しいのですよ」

 

 メイドが、全員の前に芳しい香りの紅茶と見たこともない菓子を並べていく。その初めての香りは蒼の薔薇の心も非常にくすぐるものだった。

 

 

----

 

 

 二週間後、先頭にリ・エスティーゼ王国の国旗を掲げた近衛騎士団長、それから少し離れて、現在のリ・エスティーゼ王国としては最大限に贅を尽くして仕立てられた五台の馬車にラナー・ティエール・シャルドルン・ライル・ヴァイセルフ女王、宰相エリアス・ブラント・デイル・レエブン侯爵を筆頭とした王国の有力貴族達、蒼の薔薇がそれぞれ乗って、現在は魔導国の都市であるエ・ランテルを訪れた。馬車の周囲には、近衛騎士四十人が左右に分かれて、馬車を警護している。

 

 エ・ランテルの城門脇にある巨大な魔導王の二つの像の脇には、アインズ・ウール・ゴウン魔導国の国旗とリ・エスティーゼ王国の国旗を手に持って交差させた煌びやかな装備をしたスケルトンが一行を歓迎するように列を作っている。

 

 その中を、女王一行の馬車がゆっくりと通り抜け、エ・ランテルの街に入る。

 

 エ・ランテルは以前来た時よりも一回り大きくなっているように見え、街は何処を見ても綺麗に整備されている。ラナー女王の来訪に、道路沿いには大勢の市民が集まり歓迎の声をあげている。もちろん、市民は人間だけではなく、様々な種族が入り混じっている。

 

 女王の一行は、馬車の窓から軽く手を振ってその声に応えつつ、そのまま旧都市長の館に向かう。

 

 館の入り口には、城門前と同様に揃いの装備を身に纏ったスケルトン達が再び二つの国の旗を交差させて並んでおり、ラナー女王とその一行が馬車を降りると、歓迎のファンファーレが鳴り響き、続いて聞いたことのない音楽が演奏される。

 

 その中を一行が通り抜けると、扉の前に控えたメイドが恭しく館の扉を開き、その奥には、宰相アルベドが出迎えに出ていた。

 

 ラナー達は、あらかじめ打ち合わせてあったように、ラナーを先頭に、レエブン候、有力貴族達、それに蒼の薔薇が付き従う形で入場し、同じく整列し、跪いた。

 

「アインズ・ウール・ゴウン魔導国宰相アルベド様、私はリ・エスティーゼ王国から参りました、女王ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフと申します。この度は私共リ・エスティーゼ王国の為にこのような場をご用意頂いたこと、深く感謝しております」 

 

「ようこそ、お出で下さいました。ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフ女王陛下。私、魔導国宰相アルベドが、アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下に代わり、この式典を取り仕切らせて頂きます。それと、ラナー女王陛下、どうかお立ちになってください。これから両国は末永くお付き合いしていくのですから」

 

「宰相アルベド様、お心遣いに感謝いたします」

 

 アルベドの言葉で、ラナーは立ち上がり優雅に一礼をする。

 

「この後の予定でございますが、魔導王陛下の御居城に移動して頂きまして、属国承認及び拝謁の儀、その後、リ・エスティーゼ王国の皆様への歓迎の晩餐となっております。陛下には王国の皆様に十分な歓待をするようにと仰せつかっております。ただ、少々距離がございますので、今回は特殊な手段を使わせて頂きたいと思います。セバス、皆様方を御案内してください」

「畏まりました」

 

 アルベドの言葉で、白髪の品の良い執事が歩み出てラナーに会釈をする。残りの面々もその言葉で立ち上がった。

 

「それでは私がご案内させて頂きます。皆様方、こちらにお出でください」

「はい、どうぞ宜しくお願いいたします」

 

 にこやかに答えるラナーに、執事は重々しく頷くと、一行を若干小振りの部屋に案内した。

 

 部屋自体はごく普通の古ぼけた印象で、旧都市長の時代からあまり手を入れた様子はなかったが、部屋の奥には非常に美しい彫刻が縁に刻まれた巨大な鏡が一つだけ掛けられている。執事はその脇に立つと恭しくお辞儀をした。

 

「この鏡は通り抜けることが出来ます。通り抜けた先に迎えの者達が控えておりますので、以後の案内はその者達が行わせて頂きます」

 

 興味深そうに鏡を見ていたラナーは何気なく手を鏡に伸ばしてみる。そうすると、確かにそこには鏡があるのに手は鏡面には触れず、その先には空間が続いているようだ。

 

「あら、面白い仕掛けになっているようですね。これも魔導王陛下の偉大なる御業なのでしょうか? では、私から先に入らせていただきます」

 

 ラナーは、執事に会釈をするとそのまま、迷うことなく鏡の中に入っていく。残された貴族達は、それに一瞬慌てた様子だったが、諦めたように、そのまま後に続いて鏡の中に消えていく。蒼の薔薇も、軽く顔を見合わせると、鏡の中に足を踏み入れた。

 

 

 

 

 




黒帽子様、佐藤東沙様、Sheeena 様、アンチメシア様、誤字報告ありがとうございました。


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蒼の薔薇、新たなる旅立ち(三)

 鏡の中を通り抜けるような不思議な感覚を覚えた次の瞬間、そこはエ・ランテルの旧都市長の館ではなく、広々とした草原になっていた。その奥にあるなだらかな丘は部分的に崩れており、そこから古めかしい門の一部が見えている。そして、その門から少し離れた場所にそれほど古いものではないログハウスが建っていた。ログハウスの入り口近くには、五人のこの世のものとも思われない美女が整然と並んでおり、リ・エスティーゼ王国からの客人が現れたのを見て、一分の狂いもないお辞儀をした。

 

 あまりにも突然の風景の変化に、流石のラナーも目を見開いている。貴族達は何が起こったのかかなり混乱して周囲を見回していたが、場違いとも言える美しいメイド達の姿とその見事な動きに、徐々にそちらに目が釘付けになっている。

 

 蒼の薔薇はその五人の顔に刮目した。四人はあまり見覚えのない人物だったが、一人は明らかにガガーラン、ティア、イビルアイの三人にとって忘れようにも忘れられない顔だったからだ。

 

「あの野郎、あの時の蟲のメイドじゃねぇか……」

 ガガーランがぼそりと呟く。イビルアイから、あの夜戦ったヤルダバオトのメイド悪魔は蟲のメイドを含めて五人と聞いている。蟲のメイド以外は全員仮面を被っていたという話だったので、顔で判別することはできない。しかし一糸乱れず行動している様子からすると、最悪、あそこに並んでいるのは、全員件のメイド悪魔の可能性もある。

 

 蒼の薔薇は一瞬殺気を放ち、身構えようとした。しかし――、この場はあくまでも王国と魔導国の外交儀礼として設けられているものであり、メイド悪魔達は既に魔導王の支配下に置かれているという話を聞いたことを思い出し、ぎりぎりで思い留まった。

 

「ようこそお越しくださいました。リ・エスティーゼ王国の皆様。ここからは、私達がご案内させて頂きます」

 以前アルファと名乗っていたメイドが、そんな蒼の薔薇の様子には目もくれずに冷静な口調で挨拶をした。

 

「ご丁寧にありがとうございます。こちらこそ、よろしくお願いします」

 ラナーもそれに落ち着いた様子で応える。アルファはそれに恭しく一礼して応えるが、軽く蒼の薔薇の方を向いた。

 

「それから……、そちらの方々が気になさっておいでのようですので予め申し上げておきますが、ご推察の通り、私達は以前魔皇ヤルダバオトに支配されていたメイド悪魔です。しかしながら、先日の聖王国での戦いの折に、慈悲深き魔導王陛下の御力で魔皇の呪縛から解放され、現在は魔導王陛下にお仕えしております。以前の私はアルファと名乗っておりましたが、現在は新たに頂いた名であるユリ・アルファと名乗っております。ですので、今後は私をユリとお呼びください。他の四名も全て新たな名を頂戴しております」

 ユリは淡々とした調子で話し、その内容にラナー以外の王国貴族達はざわついた。

 

「ただ、幾ら当時はヤルダバオトに支配されていたとは言え、私共が王都を襲うのに協力させられたのは事実。ですので、ここでお詫びを申し上げたいと思います」

 ユリはそのまま、静かに頭を下げ、他のメイド達もそれに習う。

 

「頭を上げてください。お話はよくわかりました。私はそのようなことにはあまり詳しくはありませんが、あなた方は主人の命令には逆らえないものなのではありませんか?」

「その通りです。それが支配されるということですから」

「であれば、私達が恨むべきなのはあなた方を支配していた魔皇ヤルダバオトですし、魔皇ヤルダバオトは既に魔導王陛下が倒してくださったのですから、何も問題などありません。ですが、そのように謝罪してくださったことに関しては、私達王国の者としてもそのお気持ちだけ受け取らせて頂きます」

「女王陛下の有り難いお言葉、心から感謝致します」

 

 再び頭を上げた時には、先程までよりもユリの雰囲気は柔らかいものに変わっていた。

 

「それでは、中にご案内させて頂きます。ルプスレギナとシズは私と共に来るように。ソリュシャンとエントマは引き続きこの場所の警備を頼みます」

「畏まりました」

 

 メイド達はユリの言葉で一斉に承服すると、頭を下げた。

 

 しかしメイド悪魔達が頭を下げているにも関わらず、イビルアイは蟲のメイドからと思われる、妙に絡みつく視線を感じていた。あの顔は作り物の仮面のようなものだから、本物の目は恐らく別なところについていて、そこからこちらを見ているのかもしれない。

 

(あれは、あの時私が殺しかけた蟲のメイドで間違いないのだろう。あの様子だと、やはり私を恨んでいるのか? まぁ……思い返せば、私もあの時頭に血が上っていて、かなり酷いことも言ったような気がする。いくら魔皇に支配され戦いの場で鉾を交えただけとはいえ、こちらに対する心証が良くないのは当然かもしれない)

 

 あの夜の蟲のメイドとの死闘を思い返す。彼女が瀕死の状態でかろうじてヤルダバオトに救われたことも。そして、偶然モモン様が……いや、アインズ様があの場に現れて助けてくれなかったら、自分は恐らくヤルダバオトの手にかかって死んでいたに違いない。

 

(お前のような血の臭いを漂わせるモンスターを側において喜ぶものがいるとは思えない、だったか……)

 

 その言葉は、そのまま自分自身にも言える言葉であったことに改めて気が付き、イビルアイは若干バツの悪い思いを感じる。他の誰かにそのようなことが出来るとは思えないが、アインズ様なら、罪に塗れた自分を受け入れてくれたように、あのメイド悪魔ですら優しく受け入れてくれたのだろう。

 

 他の面々はユリ達の先導でログハウスの中に向かおうとしていたが、イビルアイはその場に残っている蟲のメイドの前で足を留めた。

 

「どうした? イビルアイ」

 それを不審に思ったのか、ガガーランが振り向いて怪訝そうな顔をしているが、イビルアイはそれには構わず、蟲のメイドに向き直った。

 

「その……。大丈夫だったのか? あの夜のことだが……」

 イビルアイは、気まずそうに切り出した。蟲のメイドは何も言わずに頭を下げたままだ。しかし、イビルアイは蟲のメイドの視線が若干の悪意を伴って自分に向かっているのを感じる。

 

「――すまなかった。私はお前に、あの時とても失礼なことを言ったと思う。許して欲しいと言えるような立場じゃないが、一応、一言詫びさせてくれ」

 イビルアイは、そのまま深く頭を下げた。

 

「……!?」

 流石にそのようなことをイビルアイに言われるとは思っていなかったのだろう。蟲のメイドは驚いて頭を上げたようだ。

 

「それじゃ……。私が言いたかったのは、それだけだから」

 イビルアイは踵を返して一行の後を追おうとした。その時、軽く肩を掴まれるのを感じ、イビルアイは思わず振り返った。

 

「……ちょっと待ちなさいよぉ。勝手なことばかり言わないでくれるぅ?」

 蟲のメイドは若干怒ったような口調でイビルアイを睨んだ。

 

 ラナー達の姿は既になかったが、蒼の薔薇の面々は何か起こっているのに気がついたのか、立ち止まってこちらを見ている。

 

「そんなことを言われても……。他に私はどう言えばいいのかわからないのだが……」

「そりゃ、あの時は私だってあんなこと言われてぇ、すごく傷ついたしぃ、腹も立ったしぃ、許さないって思ったよぉ?」

「それはそうだろう。だから、私も、許してもらえるとは思っていない」

 

「――だけどね、アインズ様がぁ、私にぃ、お前の代わりに頭を下げてくださったのぉ! わかるぅ!? その意味がぁ!」

「え……?」

 

 イビルアイには、蟲のメイドが何を言わんとしているのかよくわからなかった。しかし、蟲のメイドの口調には怒りだけではなく、多少自慢げな雰囲気を感じ、イビルアイは蟲のメイドが少なくともアインズを敬愛しているのだろうということを理解した。

 

「だからぁ! 今回だけ特別! アインズ様の御為にお前を許す。でも、次は……絶対に、絶対にぃ、許さないぃ!」

 そういうと、蟲のメイドはぷいっと横を向いた。

 

「あ、ありがとう……」

「お礼なんて言われる筋合いじゃないぃ。あと、私の名前はエントマ! エントマ・ヴァシリッサ・ゼータ! 覚えといて!」

「わ、わかった。エントマだな? すまない。良かったら、今度ゆっくり話をさせてくれ」

「お前と話す話なんてないぃ! ほら、早く行きなさいよぉ。他の人を待たせちゃってるでしょお!?」

 

 エントマのその言葉で、この場で他の面々を待たせることが不味いことに気がついたイビルアイは、慌てて蒼の薔薇のいる場所に急ぐ。

 

「イビルアイ、何をやっているの!?」

「すまない、どうしても、その、話したいことがあったものだから……」

 

 ログハウスの入り口ではシズと呼ばれたメイド悪魔が蒼の薔薇を待っていてくれていた。

 

「こちらに。他の方々をお待たせするのは、あまり良くない」

 

 シズの案内で蒼の薔薇はログハウスに入ると、再び奥にある巨大な鏡を通り抜けた。

 

 

----

 

 

 アインズは人払いをした寝室に籠もり、最後の練習に余念がなかった。

 

 玉座の間での想定問答集は何度も見直して、かなり良い出来になっていると思うし、十時間程ひたすら練習し続けた立ち居振る舞いも、自分としてはそこそこのレベルにはなっているとは思う。しかし――。

 

(一応、属国の儀式は帝国の時にもやってるし、今回、殆ど変更は無いんだから大丈夫だ。……焦るな、俺! ただ、ジルクニフと違って、あの王女……じゃなくて、もう女王か……、この間王都で会った時、妙に威圧感があったんだよなぁ。そもそもデミウルゴスとアルベドが、自分達と同レベルの頭脳の持ち主とか評価してる奴になんて、できれば会いたくなんかない。正直に言えばこのまま逃げ出したい。俺が演技で支配者してるってバレたらどうしよう……)

 

 下僕達の前で、ラナー女王に化けの皮を剥がされる自分を想像して、既に無い胃が痛む。いくら練習したとしても、アドリブで難しい質問をされたら、恐らく自分では答えられないに違いない。いっそパンドラズ・アクターに代役を頼んだほうがいい結果になりそうだと思うが、少なくともナザリックの下僕は誤魔化せないだろうし、流石にそれは支配者としてあまりにもみっともない行為だ。

 

(そう言えば、蒼の薔薇も来るって話だったか……?)

 

 イビルアイがその場にいると思うと、本来感じる筈もない胸の動悸を覚え、変な風に気持ちが焦るのを感じる。

 

 何故、今回蒼の薔薇が来ることになったのかの経緯はアインズは知らないが、普通冒険者はこういう政治的な場には来ないものなのではないだろうか。帝国の時は当然そのようなことはなかったから、今回もそうだろうと思っていたのだ。しかし、属国関係の調整を全てアルベドとデミウルゴスに丸投げしたのはアインズ自身だし、恐らくそれを報告する書類にも判を押したのだろう。正直、書類の内容を詳しく覚えているわけではないので、よくわからないのだが。

 

 考え込んでいるうちに、先日イビルアイを王都で助けた時に、次に会った時はゆっくり話をしようと約束したことをアインズは思い出す。しかし、今日のような外交目的で行われる儀礼の日では、そのような時間的な余裕も精神的な余裕もあまり無い。

 

(全く時間が無い訳じゃないけどな。どのみち、俺は食べられないから晩餐は早々に席を外す予定だし。イビルアイもアンデッドなんだから、飲食の席はそれほど得意じゃないだろう。いっそ、その間にイビルアイを呼んで少しくらい話をするのもいいかもしれない。……でも、こういうことをはどうやって伝えたらいいんだ? 流石に配下でもないのに直接〈伝言〉をするのは不味いだろうし。誰かに伝えて貰うとか?)

 

 この件で頼み事をするなら、やはりパンドラズ・アクターしかいないだろう。奴なら一番自然に近づけるだろうし、余計なことも言わずに引き受けてくれるに違いない。そう考えたアインズはパンドラズ・アクターに〈伝言〉をしようとして、ふと、嫌なことを思い出して手を止めた。

 

 自分がイビルアイを部屋に呼んだと知れたら、またアルベドが暴れるかもしれない。王都からナザリックに帰還した後で起こった騒動を思い出して、アインズは思わず身震いをする。デミウルゴスとコキュートスが咄嗟にアルベドを抑えてくれなかったら、一体どうなっていたことか。

 

 アインズは出ないため息をついた。やはり、今回は余計なことはしない方がいいだろう。少なくとも、王国が魔導国の属国になるのなら、イビルアイとまた会う機会は来るだろうし、その時に時間を取れば済むことだ。

 

 そして出ないため息をつくと、少しでも気持ちを落ち着けるべく再び台詞の練習に戻る。せめて出来ることだけはやっておかなければ。それが支配者としてのアインズの責任なのだから。

 

 その時、寝室の扉をノックする音がした。

 

「アインズ様、そろそろお支度の時間なのですが、いかがいたしましょうか?」

 本日のアインズ当番であるフォスの声が聞こえる。

 

「あぁ、わかった。では、頼むとしよう」

 

 アインズは重い腰を上げて、座り込んでいたベッドから立ち上がった。

 

 

----

 

 

 ログハウスに置かれていた鏡を抜けた所に広がっていたのは、まさに神々が住まう所と言われても納得するくらいの荘厳な美しさに包まれた場所だった。まさに白亜の宮殿というべき建造物には繊細な彫刻が施されており、所々に置かれている贅を凝らした装飾品、廊下を照らす照明に至るまで、ここにあるもの全てが王国の国宝以上の価値があるのは間違いない。

 

 先にこの場に案内され、蒼の薔薇が来るのを待っていたラナー達も、流石にこの美しい光景に完全に心を奪われている様子で、蒼の薔薇が少しばかり遅れたことを気にしている者はいなかった。

 

「さて、皆様お揃いのようですので、これから玉座の間にご案内致します。属国承認の儀は、そちらで行われることになっております」

 

 ユリのその言葉に、ラナーは無言で頷く。

 

 今日のラナーは、即位後に誂えた余り華美ではないドレスではなく、普段であれば袖を通すこともなさそうな、王国では一級品といっていい女王に相応しいドレスを身に纏っていた。しかしこの城の中では、それがごく当たり前の普段着くらいにしか見えない。蒼の薔薇の冒険者としての正装である装備は、王国のみならず世界でも希少品といっていいレベルのものが多いが、この場所では全く価値などないことを嫌でも思い知らされてしまう。

 

 イビルアイは、自分が踏み入れた場所の神々しい雰囲気に完全に飲まれてしまっていた。

 

(私は……、こんな立派な居城に住んでいる御方に、あんなことを言ってしまったんだな……)

 

 どう考えても貧相な自分の姿に、おかしな笑いが漏れそうになる。ツアーの台詞じゃないけど、身分違いという言葉にこれほど説得力があるものが存在するなんて思ってもみなかった。

 

(アインズ様は、ツアーが言う通り多分ぷれいやーで、この場所はリーダーから教わった『ぎるどの拠点』とかいうものなのだろう。八欲王が所持していた拠点もかなりのものだったと聞いてはいるが、私はここまでのものを直接見たことは、これまで一度もなかった……)

 

 イビルアイは、無意識のうちにそっと左手の指輪を撫でた。その仕草はもう完全に癖になってしまっていたが、それでも、指先に感じられるその指輪の存在は、いつもイビルアイの心を勇気づけてくれていた。

 

(いや、大丈夫だ。彼は見た目とかそういうものを気にするような方じゃない。こんな自分だって、そう、さっき会ったエントマだって、そのまま受け入れることができるんだから。それに、まさか私の代わりにエントマに謝ってくれていたなんて、思ってもみなかった……)

 

 二人のその時の様子を想像すると、微笑ましい気分になると同時に、ほんの少し嫉妬に近い感情が自分の中に生まれたのを感じ、イビルアイは慌てて軽く頭を振って、その感情を払い落とす。

 

 エ・ランテルの館にいる人達も、王都で会った配下の人達も、彼の周囲にいる人達は、皆、彼をとても慕っているように見えた。確かに彼の見た目はとても恐ろしいし、途方もなく強大な力を持つアンデッドであることも、大勢の人を虐殺したことも事実だ。だけど彼と直接話をすると、何故かだんだんそれが気にならなくなってくる。それは、きっと彼の優しい人柄のせいなんだろう。自分が理由もわからないまま、自然と彼に惹かれてしまっているように。

 

(――でも、ちょっと待て。だとすると、実はライバルがたくさんいるんじゃないのか……?)

 

 彼がアンデッドだから、好きになるのも自分くらいだと内心自負していたイビルアイは、思わぬ可能性に初めて気がつき愕然とした。

 

 

----

 

 

 幅の広い階段を下り、広間を通り抜けると、天井には白い輝きを放つ四色のクリスタルが嵌め込まれ、全て異なる形状をした多数の悪魔像が壁龕に収められているドーム型の大広間に辿り着く。一行はそこに置いてある像になぜか見られているような気分を味わいながら、更にその先にある巨大な扉の前に案内された。その扉には天使と悪魔の精緻なレリーフが彫り込まれており、そのリアルさに一瞬これから裁きを受けるかのような気分になるが、それでもその見事な彫刻には目を奪われる。

 

 ここまで一行を案内してくれたユリ、ルプスレギナ、シズは扉の脇に並んだ。

 

「この先が玉座の間でございます。既に魔導王陛下は中でお待ちになられておられます。私達の案内はここまでとなります」

 ユリがそう言うと、三人はラナー達に向かって一礼した。

 

「わかりました。案内ありがとうございました」

 

 ラナーは三人に会釈をすると、後ろにいる貴族達を振り返った。

 

「さあ、皆様、行きますよ。決して失礼のないように気をつけてくださいね」

「畏まりました」

 流石のレエブン候も青ざめていたが、気丈にも不敵な笑みをラナーに返す。その後ろにいる有力貴族達は、今にも腰が抜けそうな様子だったが、辛うじて頷いた。

「私達も準備は出来てるわよ」

 ラキュースが蒼の薔薇を代表して頷く。

 

 全員の気構えができたことを確認すると、ラナーは柔らかく微笑み、ゆっくりと扉の前に進み出た。重厚なその扉は非常に重そうに見えるのだが、誰も手を触れてもいないのに自然と開いていった。

 

 




佐藤東沙様、Sheeena 様、アンチメシア様、薫竜様、誤字報告ありがとうございました。


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蒼の薔薇、新たなる旅立ち(四)

 開かれた扉の向こうには、赤い絨毯が敷かれ、両脇に天上から巨大な旗がいくつも垂れ下がる荘厳な広間になっている。広間の一番奥は数段の階段になっており、その上には見たこともないくらい巨大な水晶で出来た玉座が置かれている。そこには離れていてもその価値の高さがわかる程、華麗な刺繍が施された黒いローブを纏った魔導王が座っている。その右隣には、エ・ランテルで会ったはずの宰相アルベドが立っている。階段の手前には、五人の人影が左に三人に右に二人に分かれて赤い絨毯を挟んで立っており、そこから、広間中を覆い尽くすように、見るからに強大な力を持つと思われる異形の者や亜人達が整然と並んで跪いている。

 

 ラナーは王国の黄金という名に相応しい美しい所作で、魔導王から視線を逸らすことなく赤い絨毯の上を堂々たる足取りで進み、それにレエブン候、有力貴族達、蒼の薔薇が続いた。

 

 やがて、玉座の少し手前まで歩み寄ったラナーはそのままその場に跪き、他の者はその後ろに整列すると、同じように跪いた。

 

「アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下に申し上げます。リ・エスティーゼ王国ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフ女王陛下が陛下への拝謁及び属国の申し入れの許可を求めておいででございます」

 

 宰相アルベドの凛とした声がラナーの到来を告げると、それに対して、少しの間を置いて重々しい声がした。

 

「許す」

 

 アインズは王国から来た代表者達を、玉座から見下ろす。その背には見るものを恐怖させずにはいられない黒いオーラが立ち上っていた。

 

「アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下。私、リ・エスティーゼ王国女王ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフに拝謁の栄誉をお与えくださいましてありがとうございます。そして、また、リ・エスティーゼ王国は、アインズ・ウール・ゴウン魔導国の属国となり、魔導王陛下の庇護を受けることを希望しております。何卒、我らが望みをお聞き届けくださいますよう、リ・エスティーゼ王国民に代わりお願い申し上げます」

 

 ラナーは言い淀むことなく、頭を垂れたまま魔導王に奏上した。

 

「よくぞ参られた。ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフ女王陛下。私がアインズ・ウール・ゴウン魔導王である。私は貴殿の我が居城への来訪を歓迎する。そして、貴国が希望されるのであれば、双方の合意のもと、出来うる限りの助力を約束したいと考えている。リ・エスティーゼ王国とアインズ・ウール・ゴウン魔導国は、これまで不幸な行き違いもあったが、共に平和を築いていける関係を結びたいと私は願っていた」

 

「寛大なお言葉に感謝致します、魔導王陛下」

 

 魔導王の態度はまさに生まれながらの支配者と言っていいものであり、王国の面々はその威光に圧倒される。そんな中、ラナーだけが物怖じせず魔導王に言葉を返した。階段の左手前に立っていた恐らく魔導王の側近と思われる蛙頭の男性が優雅に一礼をする。

 

「それでは、私、魔導国守護者であるデミウルゴスが、この度のリ・エスティーゼ王国ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフ女王陛下より申し出のありました魔導国の属国となる件につきまして、双方の合意に係る文書を読み上げさせて頂きます。この内容に異論がない場合、ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフ女王陛下及びアインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下の宣誓により、リ・エスティーゼ王国は正式にアインズ・ウール・ゴウン魔導国の属国となり、この合意文書の内容が本日付で発効するものと致します。異論はございますでしょうか?」

 

「異論はない」

 

「異論はございません」

 

 二人の王の言葉を確認し、デミウルゴスは手にした文書を読み上げた。

 

「それでは、アインズ・ウール・ゴウン魔導国及びリ・エスティーゼ王国は次の内容で契約を取り交わすものと致します。一、魔導国はリ・エスティーゼ王国の宗主国となり、魔導国王並びにその麾下にあるものは、リ・エスティーゼ王国王より上位に位置するものとする。二、リ・エスティーゼ王国は死刑が確定した罪人についてはその全てを魔導国に引き渡すものとする。三、――」

 

 しかし、それはあくまでも既にお互い合意した内容を確認する儀礼にすぎない。滞りなく全てを読み終えたデミウルゴスはラナーに宣誓を促した。

 

「私、ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフは、リ・エスティーゼ王国を代表し、その文書の内容全てに同意し、合意内容を遵守すると共に、アインズ・ウール・ゴウン魔導国に恭順することを誓います」

 

「私、アインズ・ウール・ゴウンは、魔導国を代表し、その文書の内容全てに同意し、合意内容を遵守すると共に、リ・エスティーゼ王国を庇護することを誓う」

 

 アインズは、ラナーの宣誓を受け、同じく誓いの言葉を述べた。

 

「では、双方の宣誓により、只今よりリ・エスティーゼ王国は正式に魔導国の属国となり、魔導国は宗主国としてリ・エスティーゼ王国を保護することを宣言させて頂きます」

 

 アインズは頷き、軽く片手を振ると、階段前に立っていた守護者達も一斉にその場に跪いた。

 

「ラナー女王、面を上げて欲しい」

 

 ラナーは頭を上げると、アインズのその揺らめく灯火を射抜くかのような瞳で見つめた。アインズは思わず目を逸したくなったが、その欲求に必死に耐えると、なるべく威厳ある態度を崩さないようにラナー女王に話しかけた。

 

「これでリ・エスティーゼ王国はアインズ・ウール・ゴウン魔導国の属国となったわけだが、私は力を持って王国を支配しようとは思っていない。両国で協力し、より良き道を探っていけたらと考えている。ラナー女王の聡明さはかねてより聞き及んでいるところであり、魔導国としてもラナー女王の智慧を得られるなら、この度の合意はまさに僥倖といえるだろう」

 

 ラナーはそのアインズの様子に、一瞬くすりと笑ったように見えたが、直ぐに真摯な態度でアインズに言葉を返した。

 

「叡明で名高い魔導王陛下にそのようなお言葉を賜り、光栄の極みと申せましょう。今後リ・エスティーゼ王国は魔導国のお慈悲の元で国の再建に取り組む所存でございます。どうか、これからも宜しくお願いいたします」

 

 アインズとラナーが交わした友好的な言葉で、玉座の間に漂っていた緊張感も若干ほぐれたようだ。

 

「それでは、以上で属国承認の儀を終了致します」

 

 宰相アルベドの言葉で、再び、その場にいた者たちは頭を下げる。

 

「アルベド、この後はリ・エスティーゼ王国の方々を歓迎する晩餐であったな?」

「はい、陛下」

「王国からの長旅でさぞかし疲れられたことだろう。今夜は、是非このナザリックでゆっくり休んでいかれるように」

 

「ありがとうございます。魔導王陛下のお心遣いに感謝致します」

 ラナーは再び恭しく頭を下げた。

 

 

----

 

 

 玉座の間から退出した王国の人々は、ともかく属国化の儀式が無事に終了したことでいくらか安堵した表情になり、再び、ユリの案内で王国の貴賓室よりも更に豪華な応接室と思われる部屋に案内された。部屋の中には、大きめのローテーブルが二つとそれに向かい合うソファーがそれぞれ置かれてある。

 

「晩餐の準備が整いましたらお迎えに参りますので、それまではこちらでしばらくお寛ぎください」

「わかりました」

 

 ラナーは平然と勧められたソファーに腰をかけるが、他の面々は若干落ち着かない様子で、部屋の内部を見回している。少なくともこの場にいるのは冒険者である蒼の薔薇を除けば王国の中枢にいる者ばかりであり、贅沢には慣れている筈だったが、あまりにもレベルの違う豪華さを見せつけられると、やはり緊張してしまうのだろう。やがて、諦めたような面持ちでラナーの隣にレエブン候が腰を下ろすと、それを合図にしたように他の貴族達はその反対側のソファーに座る。蒼の薔薇は、ラナー達とは違うソファー席に座った。

 

 メイドが紅茶と菓子を供して、部屋から退出していくと、ようやくその場には王国の者達だけになる。

 

「しかし、ある程度予測はしておりましたが、魔導国の力がまさかここまでとは……。国としての格があまりにも違いすぎる。先の戦争の恨みなどといって下手に対抗などしなくて正解でしたな」

 レエブン候が皮肉げな口調で言うと、出された紅茶を一口飲み、思わずその味と香りに感嘆の声を漏らす。

 

「ふふ。全くですね。王国でも、魔導王陛下を神と讃える声がかなり増えているようですが、この光景を見たら、恐らくもっと増えるのでしょう。神々の住まいというのはこういう場所なのかもしれません」

 

 ラナーは深い微笑みを浮かべ、紅茶を飲むと出された菓子を一つ頬張った。他の貴族達は、まだ気分が落ち着かないのか若干不安そうな面持ちで、なかなか出されたものに手を出そうとはしなかった。

 

「魔導国から頂いたお菓子はどれも美味しかったですが、出来たてだからなのでしょうか、味も香りも全然違いますね。紅茶も淹れてくださった方の腕の違いなのでしょうか、本当に素晴らしいです。……皆さんもどうですか? 宗主国直々のおもてなしなのですから、頂かないのは逆に失礼になると思いますよ」

 

 貴族達は顔を見合わせるが、やがて思い切って少しずつ菓子や茶に手を伸ばし始める。そして、初めて口にするその味に仰天したのか、驚きの声が上がる。その中で、ずっと黙り込んでいたウロヴァーナ辺境伯が徐に口を開いた。

 

「陛下。確かに、魔導王陛下は神に等しい御力をお持ちなのでしょう。しかし、王国で魔導王陛下を神と崇めている連中は、かなり勢いを増しているようですが、このまま放っておいてよろしいのですかな?」

「別に問題などないでしょう。どのみち、我々は既に魔導王陛下の庇護下にあるのですし。むしろ、魔導王陛下に反逆されるよりも余程マシだと思いませんか?」

「……仰る通りですな。差し出がましいことを申し上げました」

「いえ、ウロヴァーナ辺境伯、そのようなことはありません。これまでは王国は各派閥ごとで争いあっていましたが、その結果として、あのような大規模な反乱を引き起こすことにもなってしまいました。私は、もう二度と国民同士で争い合うような事態にならないようにしたいのです。今後は、王も貴族も平民も等しく協力して行かなければならないと私は思っています。ですから、そのようにご意見を積極的に頂けるのは、国を預かる者として有り難いことですし、逆にそのような方にこそ、政務の要職に就いて頂きたいと思っているのです。ウロヴァーナ辺境伯、私は非力ではありますが、どうか御力をお貸しください」

 

 ラナーのその言葉で、ウロヴァーナ辺境伯のみならず、その場にいた貴族達の雰囲気は明らかに変わった。

 

「ラナー女王陛下。こう申し上げては失礼ですが、正直、儂は平時ならともかくこのような混迷の時期にある王国を初の女王である陛下にお預けするのはどうかと思っておりました。しかしその考えが間違っていることがよくわかりました。儂は陛下に全面的に協力することを誓いましょう」

 

 同席していた貴族達からも、それに同意する声が次々と上がる。その様子をレエブン候は皮肉げな笑いを浮かべて見ていた。

 

 

----

 

 

 やがて、ユリが再び応接室に現れ、晩餐会の会場へと案内された。ユリは会場の扉を開くと脇に控えて、一行を中に通した。

 

 会場は着席形式になっており、既に他の出席者と思われる者たちはほぼ揃っているようだった。よく見ると、既に属国になっているバハルス帝国からも皇帝ジルクニフ以下数人も出席しているようで、皇帝は見たこともない亜人と親しげに話をしていた。

 

 艶やかなメイド達が、客人達に好みの飲み物を注いで歩いており、会場の隅の方では楽団が心地よい音楽を奏でている。

 

「リ・エスティーゼ王国、ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフ女王陛下の御入場でございます」

 

 入場者を紹介する声が響き、それを受けて会場からは談笑する声が止む。ラナーはレエブン候にエスコートされて部屋の中央に設えてあるテーブルの中央に座している魔導王の真向かいの席に向かう。魔導王の左右には、宰相アルベドの他に、先程魔導王の玉座付近にいた者達が着席しており、魔導王の背後にはエ・ランテルの館で案内を務めてくれた白髪の執事が控えていた。ラナーの姿を見ると、魔導王はゆっくりと立ち上がり歓迎するように手を広げた。

 

「ようこそ、ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフ女王」

 

「お招きくださいまして感謝致します。アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下」

 ラナーは魔導王に向かって優雅にお辞儀をした。

 

「申し訳ないが、私は飲食が出来ないので、少ししたら退席させていただくが、今宵の晩餐は魔導国がリ・エスティーゼ王国を歓迎する意を込めて催すもの。堅苦しいことは抜きにして、是非我が魔導国の料理を堪能していってもらいたい」

「ありがとうございます」

 

 再びお辞儀をするラナー女王に着席するよう促すと、魔導王も席に座る。近くに控えている執事が合図をし、メイドがラナーの前の椅子を引き、ラナーはそれに着席する。その後、レエブン候とラナーに付き従ってきた貴族達、蒼の薔薇がそれぞれ席に案内されて着席し、メイドがラナー達のグラスにも飲み物を注いで下がっていく。

 

「では主賓もいらしたことだし、乾杯といこうか。セバス、皆に飲み物は行き渡っているだろうか?」

「問題ございません」

 執事は魔導王のグラスにワインを注ぐと、テーブルの状況を確認した。執事の応えを聞き、魔導王は軽く頷いた。

 

「それでは、リ・エスティーゼ王国とアインズ・ウール・ゴウン魔導国の輝かしい未来と今後の友好を祝して杯を挙げることとしたい。乾杯」

 

 魔導王の言葉で、その場にいる全員がグラスを掲げると、中身を飲み干す。魔導王はグラスを掲げるのみで、そのままグラスを執事に渡した。

 

 やがて、メイド達が料理を供し始めたのを見計らい、魔導王は軽く退席の挨拶をすると、執事を供に会場を後にした。

 

 

----

 

 

 晩餐会の席に座ったイビルアイは非常に緊張していた。長いこと生きてはいても、このような公的な晩餐の場に参加するなどほぼ経験がなかったし、いくら蒼の薔薇は非公式な参加とはいえ、それでも王国の代表としてこの場にいるのは間違いない。

 

 そのうえ……、あれほど会いたくて仕方がなかったアインズが非常に近い所にいるのだ。イビルアイは、なるべく視線を向けないように努力してみたが、どうしても、自然とアインズに目がいってしまい、彼の一挙手一投足をつい観察してしまう。アインズの堂々たる振る舞いはまさに王として相応しいもので、恋する乙女としてはうっとりと見惚れてしまう。纏っているローブも、近くで見るとより繊細な刺繍が施されている見事なもので、やはり自分との格の違いを思い知らされざるを得なかった。

 

 実は、イビルアイはこのところの暇潰しに作ったアインズ抱きまくらの他に、アインズを模した小さな縫いぐるみのような物を密かに作っていた。もちろん、それは裁縫には全く不慣れなイビルアイが作ったものだから、あまり形も良くないし、イビルアイの欲目で見ても、アインズに似ても似つかないものではあった。中に詰め込んだ綿には、以前のデートの時に使った香水を少しだけ染み込ませてある。なんとなくだが、アインズはあの香りを気に入ってくれたような気がしたのだ。

 

 イビルアイが持っている物で、アインズにプレゼント出来そうな物なんて、正直何もない。彼が持っている物は、自分が持っている最高の物よりも、どれも上質で高価そうな物ばかりだ。

 

 ――だけど、自分が一生懸命作った物なら、もしかしたら彼も喜んで受け取ってくれるかもしれない。

 

 イビルアイは、ずっと貰った指輪の礼をしたいと思っていた。王都の事件の時もこの指輪のおかげで、炎に対する防御はあまり気にしないで済んだし、何よりこれがあるだけで、イビルアイはずっと彼がすぐ側で支えてくれているように感じられ、救われたことが何度もあった。

 

(こんなもの渡したら、アインズ様は笑うだろうか? それとも……喜んでくださるのだろうか……)

 

 イビルアイが裁縫をしているところを見ていた、蒼の薔薇のメンバーはかなり微妙な顔をしていた。

 

 眼の前に置かれている普通の人間なら美味しいだろう数々の料理を睨みつけながら、どうしようかとイビルアイが考え込んでいると、アインズが軽く挨拶をして退出していくのが見え、イビルアイは焦る。

 

(ど、どうしよう、このままじゃこれを渡すどころか、まともに話をすることも出来ないで終わってしまう……。せっかく御居城に招かれたというのに……)

 

 イビルアイはこの状況をどうにかしなければ、ということだけで頭がいっぱいになった。周囲の人々は、出された料理の味に感嘆して、誰もイビルアイのことなんて気にしていないように感じる。

 

(せ、せめて、少しくらいお話するチャンスはないだろうか?)

 

 そう思った瞬間、イビルアイは自分でも何をしようと思っているのかわからないまま、席を立つ。

 

「どうかされましたか?」

「その……トイレに……」

 

 突然のイビルアイの動きに、何かあったのか気になったのだろう。近くにいたメイドに丁重に尋ねられるが、無意識のうちにおかしなことを答えていた。アンデッドである自分がトイレになど行くわけがない。隣に座っているティナが気がついたのか、不審そうに自分を見ているのがわかる。しかし、メイドはイビルアイの返答で納得したらしかった。

 

「では、ご案内させて頂きます。こちらへどうぞ」

「いや、場所だけ教えてもらえるか? 酔ったみたいだから、少し一人で頭を冷やしたいんだ」

 どうして、こう嘘がすらすら出てくるのか自分でも不思議だったが、メイドは丁寧にトイレのある場所を教えてくれた。

 

「ありがとう。助かった」

 イビルアイはメイドに礼をいうと、こっそりと晩餐会の会場を抜け出した。

 

 

----

 

 

 自室に戻ったアインズは、今日の分のノルマを無事に終えられたことにほっとしながら、セバスとフォスに手伝わせて少し楽なローブに着替えて、ヌルヌルくんを住処のケースに戻すと、再び寝室に篭っていた。もちろん、適当な理由をつけて二人は既に下がらせてある。明日になれば、デミウルゴスとアルベドの駄目出しがあるかもしれないが、今日はもう面倒なことは何も考えずにのんびりしたかった。

 

(あの女王にどんな予定外のことを言われるかと思ってずっと緊張してたが、台本通りの問答だけで済んで本当に助かった。まぁ、若干気になることがなかったわけではないが、これなら多分あの二人も及第点をくれるだろう……)

 

 今頃、晩餐会はアルベドとデミウルゴスが適当に仕切ってやってくれている筈だ。猛反対はされたが、飲食できない者がいると食事会は雰囲気が悪くなる、と必死で説得した甲斐はあった。正直、あのような場で最後までボロを出さずに、支配者ロールをする自信は自分にはない。

 

 それに、実際現実(リアル)でも、たまにあった会社の飲み会で酒が飲めないからと顰蹙を買っている人がいた。鈴木悟としては苦手なものを無理強いするのは良くないのではないかと思ったが、周囲の反応的にはそれが当たり前の感覚らしかった。しかしこの身体では、飲食をする振りすら出来ないんだから仕方がない。同じアンデッドでも、吸血鬼は一応飲食可能なんだから、そういう意味ではなんとなく少しずるいような気もする。

 

(イビルアイも少しは楽しめているんだろうか? 結局、話をする暇なんてなかったが……)

 

 せっかく同じナザリックにいるというのに、気軽に話しかけることも出来ないなんて、本当に支配者なんて面倒くさいことばかりだ。しかし、今更大切な自分の子どものような存在である NPC 達を見捨てるようなことも出来ない。せめて支配者とかそういう立場じゃなくて対等な立場……、それこそ本当の家族みたいになれたらいいのだろうが……。

 

 アインズは出ないため息をついた。

 

(やはり、皆は、そういうことは受け入れてくれないんだろうなぁ。――そういえば、ジルクニフが亜人と仲良くなっていたようなのが意外だった。ああいうのを受け入れるタイプだとは思ってなかったんだが。しかし、ああやって徐々に慣れていけば、亜人だけじゃなくて異形種とも上手くやってくれるかもしれない。例えば、そう、俺とももうちょっと親しい友人になるとか……)

 

 ほんの少しだけ明るい未来が見えたような気がしてアインズはほくそ笑むと、ベッドの上で心ゆくまでゴロゴロ転がる。しばらくのんびりしていると、突然、誰かから〈伝言〉が入り、アインズは渋々ベッドの上に座り込んだ。

 

 




アンチメシア様、Sheeena 様、誤字報告ありがとうございました。


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蒼の薔薇、新たなる旅立ち(終)

 ナザリック第九階層のよくわからない場所で、イビルアイは途方に暮れていた。

 

(しまった。ここは思ったよりもずっと広い……。同じ建物の中なんだから、なんとでもなると思ったのは甘すぎた。完全に道がわからなくなったぞ……)

 

 場所を聞こうにも、見回しても周囲には人の気配もなく、気分で歩いていたので何処をどう歩いてきたのかも覚えていない。蒼の薔薇の誰かに〈伝言〉でもすればいいのかもしれないが、自分が今いる場所がわからない以上、徒に騒ぎを起こしてしまうだけのような気がする。それに、そもそも〈伝言〉なんて信頼できないものを使うのも気が乗らない。

 

(どうしよう。かといって、自分が会場にずっといなかったことがバレれば、それはそれで騒ぎになるだろう。せめて、ティナに言ってくれば良かった)

 

 今更後悔しても仕方ない。せめてメイドくらい近くを歩いていないだろうか。ともかく、がむしゃらに前に進むよりは今来た方向へ戻った方がいいだろう。そう思ってイビルアイが振り向くと、少し離れた場所に先程までは気配もなかった黒い鎧を着た誰かが立っていた。

 

「こんなところで何をしているんだ?」

「えっ!? あ、あの、私はその、怪しい者ではなくて! って、もしかしてモモン様ですか?」

 

 突然声をかけられて驚いたものの、その人影が見知った者であったことに気が付き、イビルアイはほっとした。

 

「その通りだ。会場から突然出て行ったきりなかなか戻らないからと、心配されたデミウルゴス殿からお前を探すように連絡を受けて探していたんだ。あのような公的な場で長いこと席を外すのは非礼だぞ。それに、そろそろ戻らないと晩餐会が終了してしまう」

 

 モモンは軽く腕組みをし、まっすぐにイビルアイを向いて立っている。そのモモンの言葉は当然で、彼が自分を見つけてくれなかったら不味いことになっていたのは間違いない。恥ずかしくなったイビルアイはモモンに軽く頭を下げた。

 

「ありがとうございます。助かりました、モモン様。あの……えっと、その、アインズ様では……?」

「前にも言ったが、私はアインズ様ではない。――もしかして、イビルアイ。お前はアインズ様を探していたのか?」

 

 モモンのその言葉に一瞬ぎくりとするが、イビルアイは素直に頷いた。

 

「このナザリックで、アインズ様のお部屋を闇雲に探しても見つかるわけがないし、万一たどり着けても中に入れる訳がないだろう。呆れた奴だな」

「…………」

 

 言われてみれば当たり前だ。恐らくこの地の最高地位にある人の部屋が、簡単に余所者が近づける場所にあるわけがない。それにアインズと何の約束もしていないわけではないが、今日個人的に呼ばれているわけではない。なんとなくイビルアイは段々気分が落ち込むのを感じ、肩を落とした。

 

「まあ、そう気に病むな。晩餐会が終わるまで、あと少しくらいは時間もある。その間に会場に戻れば大丈夫だろう」

 

 そういうと、モモンは後ろを向いて誰かと話しているようだった。そして、再びイビルアイの方を向き、自分に付いてくるよう言った。

 

 

----

 

 

 言われるがままにイビルアイはモモンの後を追って豪華な通路をしばらく歩いたが、どうも、モモンは会場ではなく別の所に向かっているようだった。不審には思ったが、モモンがおかしなことをすることはないだろう。イビルアイが大人しくついていくと、モモンはやはり豪奢な装飾が施された大きな扉の前で足を止めた。扉の両脇には不動直立の姿勢を保った警備兵がいる。

 

 モモンは警備兵に目礼すると軽く扉を叩いた。少しすると、美しいメイドが一人顔を出して、モモンの用件を確認すると一旦扉を閉める。そして再び扉が開いて、メイドがお辞儀をした。

 

「アインズ様がお会いになられるそうです。どうぞ、中にお入りください」

 

 イビルアイはその台詞を聞いて、どうしようもなく顔が火照るのを感じるが、なるべく平静そうな雰囲気を保つように努力する。モモンはメイドに軽く会釈すると、イビルアイを連れて部屋の中に入った。

 

 イビルアイは通された部屋の中を思わず見回し、何気なく置かれている品々が恐らく超一級品のマジックアイテムばかりなのを感じる。足元のカーペットのせいか、妙にふわふわした気分でモモンの後をついていくが、部屋の一番奥の机の所に座っていたらしい部屋の主が立ち上がったのを見て、思わず足を止めた。そんなことはあるはずもないが、心臓がドキドキと高鳴るような気がする。

 

「アインズ様、失礼致します。イビルアイ殿をお連れしました」

「あぁ、ご苦労。そこに掛けるといい、イビルアイ」

 

 跪こうとするモモンを手で止め、イビルアイにソファーに座るよう勧めると、アインズはその対面にゆったりと腰を下ろした。アインズの服装は先程会った時よりも多少くだけているようで、そんな姿を見られたというのは自分に少しは気を許してくれているのではないかと、イビルアイは思わず興奮してしまう。それに気がついたのかどうかはわからないが、イビルアイの顔をしばらく見ながら何かを考えていた風だったアインズは、ふと思いついたように下僕達に下がるよう申しつけ、ドアの近くに控えていたメイドと、天井で不可視化していた八肢刀の暗殺蟲は部屋の外に出ていった。

 

「アインズ様、私もでしょうか?」

「お前もだ」

 

 首を傾げるモモンに、アインズはにべもなく答えた。モモンはおとなしく一礼して部屋から出ていこうとするが、アインズはその後ろから声を掛ける。

 

「ああ、悪いが部屋の前で待っててくれ。どのみちイビルアイを会場まで連れて帰らないと不味いだろう」

「畏まりました」

 

 モモンが出ていったのを確認して、アインズはイビルアイに向き合った。

 

(下僕を追い出したのはいいけど、こういう時に一体何を話したらいいんだろう。やっぱりパンドラズ・アクターがいた方が……いや、やっぱり奴の前でこんな話したくないし、自分の黒歴史(パンドラズ・アクター)を見られるのもちょっと抵抗あるからなぁ)

 

 事前にわかっていれば話題とか少しは用意していただろうが、今回は全く対策を考えていなかった。アインズは悩むが、イビルアイは自分を見つめたまま、緊張しているのか口を開こうとしない。どうやら、こちらから話し出さないとダメらしい。――そういえばイビルアイはどうして仮面を付けたままなんだろう。別に今更隠す必要もないだろうに。

 

「イビルアイ、この部屋の中には私以外誰もいない。だからお前の秘密は誰に知られることもない。いつも仮面を付けたままでは息苦しいだろう。せめて今くらい、その仮面を外したらどうだ?」

「ふぇっ、あ、あの、ちょっと、今は不味いので……!」

 

 二人きりだから不味いんですぅ、とは言えず、イビルアイは必死で頭を振った。

 

「そうなのか? まぁ、それならそれで構わないがな」

 

 何が不味いのかはよくわからなかったが、本人が嫌なものを無理に外させる必要はないだろう。今いち腑に落ちなかったが、アインズは気にしないことにした。これもパンドラズ・アクターが言っていた、乙女の感情とかいうものなのかもしれない。

 

「ところで、パン――モモンに聞いたが、通路で迷っていたそうだな。大丈夫だったのか?」

「は、はい。アインズ様のお城が思っていたよりも広くて、その……、会場に戻れなくなってしまって……」

「はは、なるほど。確かにここは慣れないと道に迷うからな。しかし、どうして会場の外に? 何か用事でもあったのか?」

 

 その言葉にイビルアイの緊張は一気に高まる。しかし、ここまで来たらもう正直に話すしかないだろう。

 

「それは……、その……、あ、アインズ様とお話したかったからです!!」

 イビルアイは覚悟を決めると、多少どもりながらも、一気に話した。

 

「えっ……!?」

 

 あまりにもストレートなイビルアイの言葉に、アインズは頭の中が真っ白になるのを感じ、何の感情かはわからなかったが酷く心が揺さぶられ、すぐさまそれが沈静化される。

 

(なんだ、これ、何が起こったんだ?)

 

 アインズは自分の感情の変化が理解できなかったが、それでも、沈静化された後に何かとても柔らかな暖かいものが残滓のように残っているのを感じる。鈴木悟の残滓はもうほとんど感じることが出来ないが、その残滓は、鈴木悟の残滓にとても近い何かのようにも思われた。

 

「……アインズ様、この間王都でお会いした時に、次に会った時はたくさん話をしようと約束したのに……。あれは、嘘だったのですか?」

 イビルアイの耳は真っ赤になっていたが、アインズが驚いたのが不服だったようで、不満そうな口ぶりでそう言った。

 

「あ、いや、そうじゃないんだ。すまない。ちょっと別のことに驚いてしまって……。もちろん、ゆっくり話をしたかったさ。イビルアイ。本当はきちんと時間を取りたかったのだが、流石に今回は国と国との儀礼だったからな」

 アインズが軽く頭を下げると、イビルアイは逆に慌てたように自分も頭を下げた。

 

「い、いや、別にアインズ様に謝ってほしいとか、そういうのじゃなくて……。すみません。私もなんか変に興奮してしまって、何を言ったらいいのか、わからなくなってしまっているんです」

「はは、じゃあ、お互い様だな。私もそうだよ」

 

 アインズのその言葉で、イビルアイは嬉しそうに笑い、アインズもつられて、何故かとても楽しい気分になった。

 

「あの、別に今日はアインズ様にお時間がないことは私もわかっていますので、それは構わないんです。ただ――」

「ん? どうした?」

 

「その……、あの、あまりちゃんと出来てるものじゃないし、アインズ様にとっては別に嬉しくも何ともないものかもしれないですけど! これ……、頂いた指輪のお礼に作ったんです。その……、良かったら、受け取って貰えませんか?」

 

 イビルアイは、懐から不思議な形の布で出来た物体を取り出した。不意に甘い香りが漂い、アインズは先日のデートを思い出して、少しくすぐったい気分になる。イビルアイはそれをそっと二人の間にあるテーブルの上に置いた。

 

「これは……?」

 

 謎の物体を手にとりよく見てみる。触れると中から気持ちの安らぐ香りが漂ってくることはわかったが、その物体が何なのかアインズにはよくわからなかった。その名状しがたい形状はどことなくヘロヘロに似ているが、イビルアイは別にヘロヘロを作ったわけではないだろう。タブラさんのオカルト話にこういう物があったような気もするが……。

 

 アインズが首を捻っているのを、緊張しながらじっと見ていたイビルアイは、やがて諦めたように口に出した。

 

「アインズ様は十三英雄というのはご存知ですか?」

「十三英雄? あぁ、簡単な伝承なら以前聞いたことがある。二百年前に世界を救った英雄だったそうだな」

 

 そう言いながら、アインズはそれを教えてくれた冒険者達のことを思い出す。あれはこの世界に来たばかりの頃のことだったが、もう随分昔の話のようにも感じられる。

 

「その通りです。アインズ様がご存知なら話が早いのですが、実は、私は十三英雄と一緒に旅をしていたことがあって……、それで、その時にリーダーだった人が『ふぃぎゅあ』と『だきまくら』というのを教えてくれたんです。なんでも『ふぃぎゅあ』も『だきまくら』も、俺の嫁といつも一緒にいられる気分になれる素晴らしいアイテムだとかなんとか言っていて。……そのぅ、嫁ってことは、……旦那様でもいいというか、……要は、好きな人ってことですよね!? なので、それは……アインズ様の『ふぃぎゅあ』のつもりで作りました!」

 

 イビルアイが必死に訴える様子は見ていてとても微笑ましかったが、アインズはその内容に思わず目眩がするのを感じる。

 

(フィギュアに抱きまくら? その十三英雄のリーダーとかいう人の発言は、ペロロンチーノさんから散々聞かされたことに、えらく似ている気がする。もしかしたら、この世界にも元々そういうものがある可能性はあるが。――まさか、十三英雄のリーダーというのはプレイヤーなのか? それに、旦那様……? あと、そもそもフィギュアって、こういうものだったか?)

 

 非常に気になるパワーワードが多すぎて、頭の中が酷く混乱するのを覚えるが、しかし、今一番確認しなければいけないことは一つだろう。アインズはなるべく冷静にイビルアイに聞いた。

 

「イビルアイ、そのリーダーというのはどんな人だったんだ? ――もしかして、その人はユグドラシルというものについて話したことはなかったか?」

「ああ、もちろん。リーダーは『ゆぐどらしる』の『ぷれいやー』だと言っていた。その……アインズ様もやっぱり『ぷれいやー』なのですか?」

 

 ユグドラシルのプレイヤー。まさかそこまで具体的な名称を聞けると思っていなかったアインズは、愕然としてイビルアイを見つめた。

 

「イビルアイ、お前はそんなことまで知っているのか。……そうだ。私はプレイヤーだよ。そして、このナザリックはギルド拠点だ」

「……そうなんじゃないかと思ってはいました。アインズ様はあまりにも強すぎる。この世界の住人ではほぼありえないくらい。そんなのはぷれいやーか、従属神か、神人くらいしかありえないから」

 

 イビルアイは何かを思い出そうとしているような雰囲気で、アインズを見つめている。しかし、今のアインズの頭を占めていたのは、これまで知ろうとしてどうしても近づくことのできなかった重要な情報だった。

 

 この世界にはやはりプレイヤーはいたのだ。これまで、気配はあったものの全く尻尾を掴むことができなかったのに、まさか、こんな身近なところにプレイヤーの存在を知る者がいたなんて……。

 

 アインズは、イビルアイが作ってくれた自分の布製フィギュアを手に持ったまま、しばらくイビルアイと交互に眺めていたが、やがてイビルアイに向き直った。

 

「イビルアイ、できればもう少し詳しく話を聞きたいのだが構わないか? もちろん、お前がここにいることは私から連絡を入れておこう。どのみち、今夜はナザリックに泊まっていくのだろう?」

「わ、私は、もちろん、か、構いません! むしろ、とても、嬉しいというか……」

 

「そうか、それなら良かった。ああ、それと、この縫いぐるみ、じゃなくて、フィギュアか? ありがたくいただこう。――考えてみたら、随分久しぶりだ。誰かの手作りの物を貰うなんて」

 

 ――そうだ、そんなの、ユグドラシルでギルドメンバーから貰ったくらいで……。

 

 思わず懐かしい気持ちにとらわれたアインズは、その不思議な形をした良い香りのする品を大事そうに、骨の指でそっと撫でた。そして、そんなアインズをイビルアイは幸せそうに見ていた。

 

 

----

 

 

 翌朝、朝食の時間の少し前に、イビルアイは蒼の薔薇に割り当てられた部屋にモモンに連れられて戻ってきた。

 

 扉を開けたラキュースは、いきなり目の前に現れたモモンを見て、一瞬胸がドキッとするのを感じるが、そのすぐ後ろにバツが悪そうな顔をして立っているイビルアイが目に入り、いつもの調子に戻った。

 

「モモンさん、すみません、魔導王陛下にうちのメンバーがご迷惑をおかけしたようで……」

「いえ、そんなことはありませんよ。陛下から、蒼の薔薇の皆様には大事なメンバーを勝手にお借りして申し訳なかったとのことでした」

「全く、晩餐会の途中で抜け出して迷子になった挙げ句、モモンさんにまでご迷惑をおかけするなんて……」

 

 ラキュースは晩餐会の直後に、魔導王の側近らしいデミウルゴスという蛙頭の男性からそのことを聞かされて、正直血の気が引く思いだったのだ。直ぐ側にいたラナーはひどく興味深そうな顔をしていたけれど……。

 

「モモンさん、せっかくですから、お詫びも兼ねてお茶を飲んで行かれませんか? 先程、メイドの方が持ってきてくださったので。ついでに、少しお聞きしたいこともありますし」

「そうですか? 私で良ければ、もちろん構いませんよ」

 

 ラキュースに招き入れられて、モモンは蒼の薔薇と一緒にソファーに座った。イビルアイも、その後ろに隠れるようにしながらソファーの端に座る。

 

「おかえりなさい、イビルアイ。まさか、朝帰りするとは思ってなかったけれど」

 少々嫌味っぽい口調で言うと、イビルアイは少しばかりしょげたように見える。ラキュースは、ポットからイビルアイとモモンにお茶を注ぎ、カップをそれぞれの前に置いた。

 

「いや、俺はこうなるんじゃねぇかと思ってたぜ。どう考えてもイビルアイが大人しく席に座ってられるはずがねぇからな」

「いきなり出ていくからびっくりした」

「イビルアイ、積極的過ぎ」

 

 若干姦しい雰囲気になった蒼の薔薇を見て、モモンは苦笑した。

 

「まあまあ、皆さん、お引き止めしたのは陛下の方だと仰られてましたので、そのくらいにしてあげてください」

「モモンさんはお優しいんですね」

 鷹揚に笑うモモンをラキュースは改めて見直した。

 

(これまでは、イビルアイが騒いでたから逆にあまり気にならなかったんだけど……、この鎧とかよく見ると、すごくかっこいい。やっぱり、黒の鎧に赤いマントって心惹かれるものがあるわね。今度の主人公はそんな感じで書いてみようかしら。名前は……そうね、ダーク・デスティニー・オブ・ラグナロクとか……、あら、なんか凄くよくない!?)

 

 ラキュースが思わず次の執筆活動のことを考えていると、不意にモモンに話しかけられて、我に返り、自分の妄想を見られたような気がして赤面する。

 

「ところで、ラキュースさん、私に聞きたいこととは何だったのでしょうか?」

「あ、ああ、そうでした。実は、私達に魔導国の冒険者にならないかという話が来ているのですが、それはモモンさんはご存知なのですか?」

 

「ええ、もちろんですよ。私も皆さんを推薦したのですから」

「モモンさんが、ですか?」

「そうです。てっきり皆さんは魔導国の申し出を喜んで受けて頂けると思っていたのですが、そうではないのでしょうか?」

 

「いえ、有り難いお申し出だとは思っているんです。ただ、何処で冒険者をするのか、というのは私達にとって非常に重要な選択なので、じっくり考えたいと思っていまして……。それで、どうして魔導国では私達にお声掛けくださったのか、それを知りたかったのです」

「まあ、別に疑っているわけじゃねぇし、提示された条件だって悪くねぇ。それに、今行くのは魔導国だろって言うのはわかるんだけどな」

 

「なるほど。皆さんは魔導国の冒険者組合が現在目指していることというのはご存知ですか?」

「確か、他の国とは違い、冒険者組合は国の機関で、魔導国として冒険者を育成されるのですよね」

「その通りです。しかし、魔導国の冒険者組合が他の国と違うのはそこだけではありません。魔導国では治安維持は、魔導王陛下が責任を持って行われます。そのためモンスター退治の傭兵のような冒険者は不要です。魔導国で求められている冒険者の仕事は、ただ一つ。未知を探求することです。どうですか? 蒼の薔薇の皆さん。やってみたいとは思いませんか?」

 

「未知の探求……」

 モモンの言葉に興味を惹かれたのか、ガガーランやティア、ティナも真剣な顔をしてモモンの話を聞いている。

 

「そうです。これまで誰も足を踏み入れたことのない場所に向かい、そこに何があるのかを探求するのです。もちろん、そういう場所にはまだ知られていないモンスターや、危険な遺跡もあるかもしれません。当然かなりの危険も伴うでしょう。しかし、それこそが、本来冒険者がやるべきことだ、と魔導王陛下はお考えになられたのです。そして、陛下のそのお志に、冒険者組合長であるアインザック殿も賛同された。それに私自身、冒険者とはそうあるべきだと思っています。そして、そのような冒険者には、皆さんのような優れた冒険者が欠かせませんし、これから冒険者になろうとする者にとっては、皆さんは目指すべき先人であり良き指導者にもなることでしょう。――思い出してみてください。冒険者になったばかりの頃のことを。蒼の薔薇の皆さんは、モンスター退治をしたかったから冒険者になったのですか?」

 

 蒼の薔薇は、一瞬返す言葉に詰まった。

 

「もし、モンスター退治をしたくて冒険者になったのであれば、魔導国ではなく他の国の冒険者になられた方がいいでしょう。しかし、もし、そうではないのなら……」

 

 モモンは、そこで言葉を切った。

 

「まあ、別に急いで決める必要もないでしょう。でも、私はいつでも皆さんを歓迎しますよ。……さて、つい長居をしてしまいました。そろそろ朝食の時間ですね。私はこれで失礼させて頂きます」

 

「あ、あの、こちらこそ、お話を伺えてよかったです。モモンさん」

 

 ラキュースはモモンに右手を差し出し、モモンは一瞬驚いたようだったがその手を握り返した。握りしめるモモンの手の感触に、ラキュースは妙に自分の心がざわめくのを感じる。

 

(ちょ、ちょっと待って。私、なんかおかしくない? まさか、イビルアイに感化されたの!?)

 

 モモンはそのまま、赤いマントを翻し、軽く左手を振ると部屋から出ていった。しかし、ラキュースの胸の高まりはなかなか収まりそうになかった。

 

 

----

 

 

 ラナー女王一行は、見送りに出た執事とメイド悪魔達に礼を述べると、リ・エスティーゼ王国への帰途に就いた。

 

 魔導王の居城からエ・ランテルまで、再び不思議な鏡で移動し、行きと同じ馬車に一週間ほど揺られて王都リ・エスティーゼに帰る。その馬車の旅で、蒼の薔薇は一つの決断を下していた。

 

 ロ・レンテ城でラナー達と別れると、蒼の薔薇はいつもの宿屋への道を辿る。二週間ほど離れていただけだが、王都の復興は更に進んでいる。恐らく、これからはもっと早く進むに違いない。この歩き慣れた道も暴動でかなり傷んだが、補修もだいぶ進み、今は見違えるように綺麗になっている。

 

 流石のラキュースも感慨深そうにその様子を少しの間見回していたが、やがて振り返って言った。

 

「それじゃ、今夜はここに泊まるけど、明日には出発するわ。そのつもりで皆荷物を纏めてね」

 

「あいよ。この宿も最後と思うと、流石に湿っぽい気分になるねぇ」

「来たければ、別にいつでも来られる」

「それもそうなのよね。どのみち魔導国も王国も、これからは同じ国のようなものなのだし」

「せっかくだから、今夜はぱーっと行こうぜ!」

 

 他のメンバーが笑いながら宿の中に入っていくのを見送り、イビルアイはふと足を止めると、これまで何年も自分の家のように暮らしていた宿屋をゆっくり眺めた。既に以前とは若干違う建物にはなってはいるが、それでも、これまでの長い人生で、この宿が二番目くらいに長く暮らした場所だろう。

 

(なんだかんだいって、リ・エスティーゼ王国も悪くなかったな。リグリットには今度会ったら礼を言わなければ)

 

 今度行く場所は、もしかしたら自分の本当の家になるかもしれない。これまで、そんな場所が自分に出来るなんて、考えたこともなかったが……。彼と一晩中話したことを思い出して、イビルアイの心は楽しく弾む。あんな夜をずっと過ごせたなら、毎日どんなに楽しいだろう。

 

 蒼の薔薇は、翌日、ラナー女王と、王国冒険者組合長に出立の挨拶に向かい、そのまま、エ・ランテルへと旅立った。

 

 

 

 

 

 




Sheeena 様、アンチメシア様、誤字報告ありがとうございました。

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幕間というよりも、ほとんど2.5章みたいな内容になってしまいましたが、感想、評価、誤字報告をくださった方々、読んでくださった皆様、本当にありがとうございました。とても励みになりました。(*´∀`*)

なるべく三回に収めようと思ったのですが、どうしてこんなことになったのか……。

本当は三章前の幕間話は二つの予定だったのですが、さすがにこのあともう一つというのもどうだろうと思うので、ちょっとした短編を思いついたらそれを挟むかもしれませんが、次はそのまま三章に突入しちゃうかもしれません。

次回の更新予定は、7月は非常に立て込んでいるため、できれば8月中、もしかしたら9月にずれ込むかも?といった感じです。あらすじの一番下のところに次の更新予定を時々こっそり書いてますので、気になる方はそちらを見ていただけると嬉しいです。

いよいよアニメ第三期。第一話の前評判が高いのでとても楽しみですね。噂によるとかなりエロいそうですが……。


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デミウルゴスの憂鬱(前編)

蒼の薔薇がエ・ランテルに来てから二、三ヶ月後辺りの話です。



 一見殺人鬼を思わせるような顔をした少女が、聖騎士の紋章が入った軽装鎧を身に纏い、聖王から下賜されたロングボウを背負って、大勢の民衆の前に用意された壇の上に軽やかに飛び乗る。それと同時に民衆からは、歓声と共に「魔導王陛下万歳!」「正義の為に!」などという叫び声が上がる。少女は慣れた様子で軽く手を振り、鋭い表情で民衆を()めつけるが、誰も恐れる事なく、それどころか逆に感動して打ち震えている。かつては誰からも恐れられた彼女の凶悪な目付きは、今では伝説的な意味合いを持つようになっていた。

 

 ――『救国の英雄魔導王の従者』にして『真なる神の伝道者』に与えられた祝福の証『魔眼』なのだと。

 

「皆さん、聞いてください! 我々は聖王カスポンド陛下、そして恩顧ある魔導王陛下に仇をなそうとする反乱軍にあと一歩のところまでやってきました。我々の力でなんとしてでも聖王国に平和をもたらすのです! 正義の為に日々努力し、魔導王陛下への感謝を忘れなかった皆さんならきっと出来るはずです!」

 

 民衆から更に一層の歓声と喜びの声が上がる。

 

「しかし、皆さんに忘れないで欲しいことがあります。魔導王陛下はこう仰られました。初めの戦いは負けても構わない。最終的に勝てればいいのだと。ですから、敵の力が明らかになるまでは勝つことよりも生き残ることを優先してください。相手の力を見極め、それから我々の真の力を見せつけてやるのです! そうすることで、祖国が、ひいては家族が、友人が……我々の愛するもの全てが被害を被ることがない新しい未来を作ることになるのです!! 我々を救い、正義とは何かを教えてくださった魔導王陛下により一層の感謝を捧げましょう! 魔導王陛下、万歳!」

 

「魔導王陛下、万歳!!!」

 

 少女の声に民衆の声が唱和し、拍手が沸き起こる。皆、熱狂的に拳を天に突き上げ、その叫びは大地を揺るがすかのようだった。

 

 

----

 

 

 ローブル聖王国首都ホバンスにある聖王の自室で、聖王カスポンド・べサーレスは自らの上司である人物に対して跪いていた。その人物は部屋にある窓から外を眺めながら、カスポンドからの報告を聞いていた。

 

(どのみち、この方は全てこの報告の内容など計画の範疇内のことで、特段興味深くも関心があるわけでもないのでしょうが)

 

 カスポンドは心の中でそう呟く。しかし、カスポンドとしても別にそれに否やがあるわけではない。自分は所詮御方々の被造物である方と比べれば、下僕としての格は遥かに低い。それにデミウルゴスが自分を信頼しているわけでも、重用しているわけでもないことはわかっている。

 

「ふむ。随分と順調に計画は進んでいるようですね」

「やはり、アインズ様がお作りになられた駒の存在にかなり助けられています。こちらが自主的に動かなくても、彼女が自然とこちらの望む通りに動き、民もそれに追従する。聖王家としては彼女を後押しするようにさえしていれば、大抵のことはそれで片がつきますから」

 

 ネイア・バラハはカスポンドの即位式の後、正式に聖騎士団の一員となった。そして、ヤルダバオトとの一連の戦いを通して得られた教訓として、剣のみであった聖騎士団に弓兵部隊も設けるべき、という進言を行った。それを新聖王カスポンド及び、新聖騎士団長グスターボ・モンタニュスが承認し、聖王国北部では公然たる事実である『救国の英雄』魔導王の従者だったネイア・バラハを初代部隊長に抜擢した。

 

 現在は、聖王国の正義の象徴たる戦乙女として、自らの弓兵団及び魔導王の信奉者達を掌握し、北部と南部に分裂し内乱となった聖王国を再び統一する戦いに身を投じている。

 

 今やネイア・バラハは聖王や南部の貴族たちでも無視することの出来ないカリスマを持つ人物として認識されており、聖王国内に一大派閥を築いている。ネイア・バラハを始めとする信奉者、すなわち魔導王を神と崇める者達の数は、およそ百万とも二百万とも言われ、今や北部では感化されていない者の方が少ないくらいだ。聖王国南部でもネイア・バラハの説く正義の教えに共感し、反乱軍から投降するものも増えている。

 

 そして、聖王カスポンドはネイア・バラハを支援することを公言しており、その勢力を積極的に支援していた。

 

「恐らく既に聖王家よりも、ネイア・バラハを、いえ、魔導王陛下を支持している者の方が多いと思われます。中にはアインズ様を神の如き王、即ち神王と呼ぶ者まで出てきているようです」

 

「ほう、神王ですか。人間共が考えたにしては、なかなか良い呼称ですね。やはりアインズ様には王などよりも、神という御位がお似合いになる……」

 

 上機嫌なデミウルゴスの様子を、カスポンドは黙って見ていた。

 

「ふふ、流石はアインズ様。恐らくこのようになることも、全てアインズ様は見越しておられたに違いありません。我々はあのような優れた主にお仕え出来ることに感謝しなければいけません。――そして、いかに我々の上に永遠に君臨して頂くか……。いえ、これは余計でした。今聞いたことは忘れるように」

「はっ」

 

 カスポンドは静かに頭を下げる。デミウルゴスは窓の外を見つめながらしばらく物思いに耽っている様子だったが、やがて口を開いた。

 

「それでは、私はナザリックに帰還しますが、何か必要なものはありますか?」

 

「恐れながら、そろそろ私の死体をご用意いただければ、と愚考致します。この件に関してはデミウルゴス様のご指示を待つべきかと思いましたが、ネイア・バラハの動きが想定よりも早いため、そろそろ手元にあったほうが安心かと」

 

「なるほど。第二段階の終盤にいつ入るのか、あなたでも予測が難しいということですね?」

「はい。それと、第三段階の方針等のご指示も頂きたく存じます」

 

「あなたの要望はわかりました。遺体はこちらに運搬するように手配しておきます。それと第三段階については追って指示書を作成します。それに従って行動するように」

「畏まりました」

 

 カスポンドは深々と頭を下げる。

 

「あなたも随分よく働いてくれましたね。これからも期待していますよ」

 

 少しだけ振り向いて聞こえの良い言葉で下僕を労うと、デミウルゴスは〈上位転移〉を使いその場から姿を消した。

 

 

----

 

 

 アインズから任された聖王国の件が順調であることに機嫌を良くしながら、デミウルゴスはナザリック地下大墳墓に帰還した。恐らくこの報告をすればアインズからお褒めの言葉を賜ることは確実だろう。それに、アインズと共に今後の計画について話し合い、その深謀なる智慧を垣間見られるのは、何にも代えがたい喜びである。

 

 ナザリック第九階層は何時でも至高の御方々の神に等しい御力を感じられ、その地にいるだけでもデミウルゴスの気分を高揚させてくれる。だが、今日はいつもに増して軽い足取りでアインズの執務室に向かって歩いていた。

 

 突然、目的地の方から物凄い音と悲鳴が響くのが聞こえる。静寂を旨とするこの階層では本来あってはならない事態に、廊下の端でデミウルゴスに頭を下げていたメイド達も驚いてざわめく。

 

「な……、まさかアインズ様に何か!?」

 

 デミウルゴスは蒼白になってアインズの部屋まで駆けつけた。常時扉の外に控えている護衛兵達は、部屋の内部から何の指示もないことに動転している。デミウルゴスは護衛を一旦脇に追いやり、ノックをしたが中から返事はなく、非常事態と判断して扉を開けた。

 

「デミウルゴスです。失礼致します! アインズ様、何かございましたか!?」

 

 中に入ると、奥のアインズの寝室に向かう扉が僅かに開いており、その入口でシクススが完全に固まって震えているのが見える。この様子からして、先程の悲鳴は恐らく彼女のものに違いない。デミウルゴスは奥に足を向けながらシクススに声をかけた。

 

「シクスス、どういうことです? アインズ様は!?」

 

「デ、デミウルゴス様、その……、アルベド様が……」

 デミウルゴスの登場でほっとしたのか、シクススが半分泣きながらデミウルゴスの後ろに隠れるように動いた。

 

「アルベドがどうしたのです?」

「その、先程突然いらしたかと思いましたら、アインズ様の寝室に入るなりいきなり暴れ始められて……。一応お止めしようとはしたのですが、お話を全く聞いてくださらないし、私ではどうしようもなくて困っていたところだったんです。アインズ様もセバス様もまだエ・ランテルからお戻りになってませんし……」

 

 そういう話をしている間にも、確かにアインズの寝室から「どおりゃああ!」という叫びとともに妙な地響きが聞こえてくる。デミウルゴスは眉をひそめた。

 

「アルベドが? ……わかりました。シクスス、危険ですから貴女は下がっていて構いませんよ」

「ありがとうございます、デミウルゴス様!」

 

 シクススは深くデミウルゴスに頭を下げると、そのまま部屋からそそくさと退出していった。

 

(やれやれ、アルベドは今度は何が原因で暴走しているのでしょうか……)

 

 これまでの守護者統括の奇行の数々を頭に思い浮かべながら、寝室の扉の隙間からそっと中を覗き込むと、完全に本性を露わにしたアルベドがのっしのっしとアインズのベッドの周囲を歩き回り、あちこちを嗅ぎ回りながら地団駄を踏んでいるところだった。デミウルゴスは深い溜め息をつくと、開いたままになっている扉を強めにノックし、アルベドを睨みつけた。

 

「アルベド、何をしているんです? ここはアインズ様の寝室ですよ」

 

「……デーミウルゴスー?」

 

 のそりと、まさに大口ゴリラとしか形容できない毛むくじゃらの巨体がこちらを振り向く。

 

「せめて本性くらいは隠したらどうですか? その姿では百年の恋も冷めそうですよ。いくら慈悲深いアインズ様でもね」

「なーんですってー!?」

 

 アルベドは「きしゃあぁあ!」という叫びを上げてデミウルゴスを威嚇したが、動じることもなく辛辣な視線を投げつけるデミウルゴスの態度と、アインズの名前で多少冷静さを取り戻したのか、ようやく普段の女神もかくやというサキュバスの姿に戻った。

 

「はぁ……、私としたことがちょっと興奮しすぎてしまったわね。貴方が来てくれなかったら、暴走してアインズ様のお部屋をめちゃくちゃにしてしまっていたかもしれないわ。もし、そんなことをしてしまったら、アインズ様に申し開きをすることも出来なかったでしょう。酷いところを見せてしまって、悪かったわ」

 流石のアルベドも多少バツが悪そうな顔をして、デミウルゴスに謝罪する。

 

「何かあったんですか? いくら貴女がアインズ様のお部屋を使う許可を得ているとはいっても、先程の行為は、私としては看過し難いのですが」

 

 デミウルゴスは腕を組み、若干威圧的にアルベドを問いただした。

 

 アルベドがアインズの寝室で普段やらかしていることは、アンデッドであるアインズにどういう効果をもたらすのか、デミウルゴスとしても多少興味があったので、一応大目に見ていた。しかし、主の部屋を破壊しかねない行為となれば話は別だ。例え、今一番アインズの正妃に近い立場であるアルベドといえど、あまりに不敬が過ぎるだろう。なんといっても、まだアインズに正妃と認められた訳ではない。それに……。

 

(アインズ様はもしかしたら、アルベドを選ばないかもしれませんし)

 

 デミウルゴスは、仮面で顔を隠したアンデッドの少女を思い浮かべる。

 

(イビルアイは現地人で、ナザリックの高位の下僕に比べればレベルもそれほど高くはないですが、アインズ様と同じアンデッドですし、この世界の詳しい知識もある。彼女の持つ知識にはナザリックにとって重要な情報も多い。それに、なによりアインズ様が気に入っておられるご様子。私としては、なかなか悪くない相手だと思いますけどね)

 

「デミウルゴス、貴方は、この部屋で何か気がつくことはないの?」

 自分の考えに耽っているデミウルゴスに、憤懣やるかたない表情でアルベドは言った。

 

「気がつくこと……ですか。貴女が暴れていたのが一番印象深かったですね。それ以外は特にいつもと同じように見えますが?」

 

「香りよ! この部屋に漂う香りがアインズ様の香りじゃないのよ!」

 

 完全な骸骨(オーバーロード)であるアインズ様に匂いなどないだろう、とデミウルゴスは思ったが敢えて口には出さなかった。

 

「どういうことです? 私にはよくわかりませんが……」

「全く、これだから男はダメね。恋する乙女にはわかるのよ! この部屋には、アインズ様の香りじゃない、別の……そう、女の匂いがするの。つまり、私の超超超超愛してるアインズ様の寝室に入り込んだ泥棒猫がいるってことよ!」

 

 そういうと、アルベドは再び部屋の中を嗅ぎ回りはじめた。どうやら匂いの原因を突き止めようとしているらしい。

 

「言われてみれば、多少甘い香りがしますね」

「やっとわかった? 私なんて部屋に入った瞬間に気がついたわよ。でも、一体どこの誰がアインズ様の神聖な寝所に立ち入ったというのかしら? それも私に気が付かれずに……!!」

 

 再び興奮しはじめたアルベドを見ながら考え込んだデミウルゴスは、ふと一つの可能性に思い当たった。

 

「そういえば、先日の王国との晩餐会の時にアインズ様はイビルアイと朝までお話されたと仰っておられましたね。この香り、あの時のアインズ様のお部屋からもしていたような気がします」

 

「ああああ、やっと思い出したわ! どうも覚えがある匂いだと思ったら……!」

 ギリィと大きな歯ぎしりが響く。

 

「でも、一体どうやって? イビルアイはあの後ナザリックには来ていないはず。……たまにエ・ランテルの執務室には来ることがあるけれど」

「そういうことなら、恐らく、その時にアインズ様のお召し物に香りが移っただけでしょう。アインズ様がナザリックにイビルアイを連れてきているという話は私も聞いていませんから」

「確かにそういうことなら、あってもおかしくはないけれど……」

 

 香りについては一応それで納得したようではあったが、それでもアルベドの怒りは収まったわけではなかった。

 

「あの時、アインズ様はあまりにも貴重な情報だったのでつい時間を忘れて話し込んでしまったと仰っておられたわよね。確かにプレイヤーの情報はこれまでアインズ様を随分悩ませてらしたから、その断片でも得られたのはナザリックにとっても益が多いと私も思うわ。でもだからといって、一晩中アインズ様のお部屋に居座るなんて流石に許せないわよ! そうは思わない!?」

 

「アインズ様も朝まで共に過ごされた、というのは少々軽率な行動だったと反省しておられましたし、それでいいではありませんか。別にイビルアイが御寵愛を賜ったわけでもないわけですし。それにアインズ様は我々にも及びもつかない深遠なるお考えの下で行動される御方。あの件も、恐らく遠い未来を見据えた上での布石を打っていらしたのかもしれません」

 

「確かにそういう可能性は否定出来ないわ。私だってアインズ様のお考えの全てを把握出来ているわけじゃないもの。でも、それは貴方だってそうでしょう? デミウルゴス。それに、それとこれとはやっぱり同じには出来ないわよ! 私はアインズ様に愛することを命じられているというのに……、まだ、たったの一度も! 夜にお側に呼ばれたことなんてないのよ!?」

 

 これは、前回よりも宥めるのに苦労しそうだ。デミウルゴスはアルベドには聞こえないように独りごちた。

 

 王国との晩餐会の翌朝、イビルアイが朝帰りしたことを知ったアルベドがアインズに詰め寄り、自分とパンドラズ・アクターで必死になって抑え込もうとしたが、力のあまり強くない二人では上手く行かず、結局他の階層守護者も巻き込んだ大騒動になった。本来なら王国の一行を見送るのはアルベドの予定だったが、急遽セバスに変わってもらい、アインズと階層守護者全員は緊急会議――という名のアインズ審問会――になったことを思い出して、デミウルゴスはため息をつく。

 

「アルベド、貴女も守護者統括なのですから、イビルアイの価値についてはわかっているでしょう? アインズ様のお考えの通り、彼女はなんとしてでもナザリックに取り込むべき人材です」

「そんなことはわかってるわよ! でも、後から来た小娘にアインズ様の隣の席を取られるなんて、許せるわけないでしょ!?」

 

「それは貴女の行動次第なのではありませんか? 何より、守護者統括である貴女は、一番アインズ様の御側に侍る時間が長いはずです。だとしたら、たまに来る程度のイビルアイにそんなに目くじら立てる必要などないでしょう。それに――」

「それに?」

 アルベドは不審そうに首を傾げた。

 

「元々アインズ様ほどの御方の妃が一人ではおかしいと話していたのは貴女とシャルティアだったはず。であれば、別にその末席くらい他の者に許してやってもいいではありませんか」

「それは……、正妃が私ということであれば、別にイビルアイが多少お情けをかけられるくらいは気にはしないけど……」

 

「貴女がすべきことは、アインズ様の御心をつかみ、閨に呼んで頂けるように努力することでしょう。少なくともアインズ様にとって最も近い地位にいる貴女が一番チャンスがあるのは間違いないのですよ? 良妻たるもの、多少のことで動じてはいけないと私は思いますけどね」

 

「――確かに、デミウルゴスの言う通りだわね。少し私も頭に血が上りすぎたようだわ」

 

 ようやく気持ちが落ち着いたのか、アルベドはいつもの淑女然とした微笑みを見せた。

 

「ご理解頂けたのなら結構ですよ。しかし、私も今は貴女が正妃になる方がいいと思っていますが、貴女があまりにもアインズ様にご迷惑をおかけするようなことばかりするのなら、私にも考えがありますよ。それは忘れないで頂きたいですね」

 

 デミウルゴスの厳しい視線を、アルベドは穏やかな笑顔で受け止めた。

 

「わかっているわよ。私だって、出来るなら貴方には味方でいて欲しいと思っているし」

「それならいいんですがね」

 

 デミウルゴスは軽く肩をすくめた。

 

「ところで、アルベド。私はアインズ様にお会いしたくてここに来たのですが、今はエ・ランテルにおられるということで間違いないですか?」

「ええ、そうよ。午前の執務の後、アインズ様はまだしばらく執務室におられると仰られたので、私だけナザリックに戻ってきたの。少しだけ気分転換をしたかったから……」

 

 アルベドの目が獲物を狙う爬虫類のようなものに変わり、せっかくの美女が台無しになったところで、アルベドが何をするためにこの場所に来たのか悟ったデミウルゴスは、急ぎの用があるからとアルベドの前を辞した。

 

 

----

 

 

 ナザリック第九階層から地上へと向かう通路を歩きながら、デミウルゴスは溜め息をついた。

 

(全く困ったものですね。アルベドは優秀だし、我々至高のお方々の御手で創造された者の中では最高位と定められている。理想を言えば確かに彼女がアインズ様の正妃となり、御世継ぎを授かるのが一番良いのでしょう。しかし――)

 

 これまで守護者統括が至高なる主に対して行った不埒な行為は、デミウルゴスが把握しているだけでもかなりの数になる。ましてや、デミウルゴスは様々な用件でナザリックを離れていることも多く、自分が知らないものもあるかもしれない。アインズのこととなると普段の聡明さが失われ、後先考えなくなるアルベドに多少苛つくのを感じる。

 

 今ナザリックで正妃候補として名乗りを上げているアルベドとシャルティアは、守護者統括と階層守護者。地位としてはどちらも申し分のない相手だ。しかし、アルベドは畏れ多くもアインズに襲いかかって謹慎処分を複数回受けているし、シャルティアはいくら洗脳されていたとはいえ、アインズに反逆し剣を向けている。そういう意味では、二人とも正妃に相応しいとはいい難い。

 

 ただ、他に女性の守護者となるとアウラしかいない。アウラはまだ幼いものの、理性的に物事に対処できる能力もあるし、アインズも我が子のように可愛がっている。もしアウラにその気があるなら、選択肢としてはあの二人よりも好ましいかもしれない。もっともアウラはまだ七十代で、御世継ぎを儲けるという点ではまだ少し早すぎるのが難点だが。

 

 デミウルゴスは、正直言えばアインズの正妃が誰であるかについてはこだわりはなかった。大切なのは、アインズが愛着を持つ相手と結ばれることで、他の御方々のように『りある』という地に去られることなく、この世界で自分達の上に長く君臨してもらうことであり、万一の保険としてアインズの世継ぎを得ること、それだけだった。

 

 だから、アインズの相手がナザリックの者であるのは理想だとは思うけれども、御世継ぎさえ得られるのであれば、相手が現地人だろうが、そう、例え劣等種である人間だろうが構わないと思っていた。その相手をアインズが望むのであれば。

 

(私もこれまで牧場で様々な交配実験を行ってきましたが、結果はどれも芳しくはありませんでした。しかも牧場で実験したのは、比較的種が近い人間と亜人だったにも関わらず、まだ確実な異種交配法すら確立出来ていない。だとすると、我々のような異形種では異種交配自体出来ない可能性すらありえますね)

 

 しかも、アインズはアンデッドだ。アンデッドとは本来生命の理から外れた存在である。となると、他の異形種よりも生殖自体が困難なのは容易に予想できる。いや、それよりもデミウルゴスにとって重大な問題があった。

 

 ――そもそも、アインズ様は生殖能力をお持ちなのでしょうか?

 

 あまりにも不敬な考えだが、目を逸らすわけにはいかない。

 

 転移直後、羊皮紙の件について話に行ったついでに、デミウルゴスは最古図書館の司書長であるティトゥスに密かに相談したことがある。その時ティトゥスには、はっきりと断言された。

 

『アンデッドには生殖能力はない。特にスケルトン種はそもそも生殖器官すらない。支配者アインズ様なら、自分達とは違う特別な御力がある可能性は否定できない。しかしスケルトンメイジである私も、図書館にいるオーバーロード達もエルダーリッチ達も、子を為すことは不可能である』

 

 以前、デミウルゴスがアインズに風呂を共にしたいと提案したことがある。アインズには、懇親を深めるのに風呂が良いと聞いたからだと説明したが、本音はアインズの身体を間近に見て生殖器があるかどうか確認したかったのだ。そして、デミウルゴスが見る限り、残念ながらアインズにはそのようなものは存在しなかった。となると、そもそもアインズに世継ぎを望むのは無理なのかもしれない。そう思うだけで、デミウルゴスは背筋が凍るような思いに駆られる。

 

 聖王国での作戦で、アインズにヤルダバオトに敗れて死ぬことを提案された時の恐怖は、今でもデミウルゴスの心の中で深い傷になって残っていた。アルベドの前では強がって見せたが、正直に言えば、アインズが死ぬ、ということをデミウルゴスは受け入れることが出来なかったのだ。

 

(確かにあれは、作戦としては非常に効果的ではありました。結果として、アインズ様が亡くなられたという情報が流れた場合の他国の反応を知ることも出来ましたし、我々としても、万が一に備えて考えなければいけない点がたくさんあることを認識させられました。まさに智謀の王であるアインズ様でしか考えつくことの出来ない、優れた知見であったと申せましょう。私自身、普段どれだけアインズ様に支えられていたのか改めて思い知らされましたし)

 

 しかし、あの一件の後、デミウルゴスにとってアインズの世継ぎを得ることは至上命題となった。そのためなら手段を選ばない覚悟もある。

 

(そういえば、セバスとツアレには今だに子どもが出来る気配がありませんね。人間形態の竜人のセバスであれば、人間のツアレとも子を成しやすいかと思っていましたが、そう簡単な問題ではないかもしれません。やはり、セバスだけに任せておかず、私自身でも実験した方がいいかもしれません)

 

 ヤルダバオトとして亜人を率いた際に、自分の子種を褒美として欲しがった亜人達がかなりいたことを思い起こし、デミウルゴスはほくそ笑む。ヤルダバオトの仮面はもう使えないが、強者の子種を欲しがる者達であれば、別に自分でも問題なく受け入れることだろう。実験対象には事欠かないはずだ。

 

 しかし、肝心のアインズにそのような能力がないのであれば、いくら実験をしたとしても全く意味はない。ナザリックの戦力強化の一環にはなるかもしれないが。

 

(アインズ様に直接お伺いすれば、慈悲深いあの御方のこと、恐らくお答え頂けるのでしょうが。さすがにそれは、いくらなんでも不敬過ぎるでしょう)

 

 そこまで考えて苦笑したデミウルゴスは、アインズ本人に擬態することが出来るパンドラズ・アクターなら、何かわかるかもしれないというアイディアが閃く。どのみち、これからエ・ランテルに行くのだし、恐らくパンドラズ・アクターもエ・ランテルにいるはずだ。パンドラズ・アクターは多少うざったいところはあるが、アイテムに関する造詣の深さも、創造主から与えられた能力も比類ないものだ。少なくともこの件では彼の協力がなければ、デミウルゴスの望みを達成するのは不可能に思える。

 

(アインズ様にお会いする前に、パンドラズ・アクターのいるエ・ランテルの館に行ってみますか。いなければ、次の機会でも構わないことだし)

 

 ナザリックの地上部にたどり着いたデミウルゴスは、念のため、影の悪魔を一匹パンドラズ・アクターへの伝令として放ち、蛙頭の形態に変化すると、エ・ランテルへと転移した。

 

 

 




佐藤東沙様、アンチメシア様、ant_axax 様、瀕死寸前のカブトムシ様、誤字報告ありがとうございました。


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デミウルゴスの憂鬱(後編)

 エ・ランテルの街中をデミウルゴスが歩くのは久方ぶりだった。ナザリックとは比べるべくもないが、この街は敬愛する主が、元の酷く薄汚れた地をここまで美しく整えられたのだ。そう考えれば、雑多な建物や少々歪みのある石畳の通りも、その辺を彷徨いている人間達すら多少可愛らしく思えてくるから不思議なものだ。

 

(もう少し魔導国の国民達に、アインズ様に治めていただいている幸福を理解させたいところですね。しかしそのために企画した巨像計画だけではなく、アインズ様を称える祭りも全て中止になってしまったとアルベドが嘆いていました。私も良い手だと思っていたのですが、一体何がアインズ様のお気に召さなかったのか。アルベドともう一度検討してみなければ……)

 

 旧都市長の館を警備する地下聖堂の王に軽く挨拶をして門を通り抜け、パンドラズ・アクターが使用している館に向かう。館の近くにある馬小屋からは、もう昼も近いというのに規則正しい寝息が聞こえてくる。少しだけ中を覗き込むとハムスケがデスナイトを枕にして熟睡しているのが見え、デミウルゴスは軽く舌打ちをした。

 

 いくらアインズのペットとはいえ、流石にこれはどうなのか。デミウルゴスは偉大なる主に仕える者としての心構えを、ハムスケにどうやって叩き込むべきか一瞬頭の中で考えを巡らせるが、今日の目的はそれではないと思い直す。

 

 扉をノックすると勢いよく扉が開き、パンドラズ・アクターが顔を出した。どうやら、影の悪魔の伝言でこちらを待ち構えていたらしい。

 

「ようこそ、お出でくださいました! デミウルゴス殿。ささ、中へどうぞ!」

 

 まるで役者が舞台挨拶するかのようなオーバーアクションの出迎えに若干引くが、ナザリックの仲間である彼を邪険にするつもりはない。デミウルゴスはなるべく平静を保ったまま挨拶した。

 

「急に訪ねて悪かったね、パンドラズ・アクター。何か用事があったんじゃないかね?」

「いいえ、今日は特にはございませんとも! 午後から冒険者組合に顔を出すことになっておりますが、それが終わり次第ナザリックに戻る予定でしたので!」

 

「……そうかね。それなら良かった。実は君に折り入って相談したいことがあったんだよ」

「私に相談ですか? まぁ、立ち話もなんですし、どうぞ中にお入りください」

 

 相談と聞いて一瞬怪訝そうに首を傾げたようだが、パンドラズ・アクターのつるりとした無表情の顔では、正直何を考えているのかは全くわからない。デミウルゴスは黙ってパンドラズ・アクターの後について館の応接室に向かい、勧められたソファーに腰を下ろした。

 

「それで、デミウルゴス殿は、私に一体どのようなご相談だったのでしょう?」

 

 派手なモーションで向かい側のソファーに座ったパンドラズ・アクターに、どのように切り出したものか一瞬迷うが、今回の件で彼を敵に回すのは得策ではない。であれば、率直に話をするのが良いだろう。

 

「パンドラズ・アクター。君はアインズ様の御世継ぎについてはどのように考えているのだね?」

「アインズ様の御世継ぎですか? 私は特に何も考えてはおりませんが……。デミウルゴス殿は何かお考えなのですか?」

 

「私は以前から、アインズ様には然るべき方を妃として迎えて頂き、御世継ぎを作っていただきたいと思っているのだよ。なにしろ、今や我々に残された至高の御方はアインズ様お一人のみ。ナザリックの正当な支配者であられるアインズ様の血を引く後継者を望むのは、臣下として当然だろう?」

 

「はぁ……、なるほど……」

 

 パンドラズ・アクターのやる気のなさそうな返事を聞いて、デミウルゴスは少々腹を立てる。そもそも、パンドラズ・アクターは創造主が常に身近にいる唯一の被造物だ。そのパンドラズ・アクターが自らの創造主の将来を考えずしてどうするのだ。所詮恵まれた立場にある彼には、自分達のように、ある意味見捨てられた者の気持ちなど理解出来ないということなのかもしれない。

 

「――ただアインズ様にもこれまで何度か進言して来たのだが、なかなか具体的なお話には至らないご様子。それで君に相談したくてね。それと出来ればこの件に関して、君にも協力してもらえると助かるのだが」

 

「うーん、協力ですか……。まぁ、私としましても、デミウルゴス殿のお気持ちもわからなくはないですから、協力するのは構わないんですけどねぇ……」

 

 パンドラズ・アクターの歯切れの悪い返事に、デミウルゴスは若干冷たい視線を投げかける。そもそも、これはナザリックにとっては非常に優先度の高い重要な案件だ。それなのに、こいつは何故こんなに興味を示さないでいられるのか。

 

 デミウルゴスがイライラしているのに気がついたのか、パンドラズ・アクターは多少姿勢を正し、おもむろに口を開いた。

 

「デミウルゴス殿。正直言いまして、アインズ様ご自身がそれをお望みならともかく、現状では特にそのようなご様子もありませんし、私はまだ時期尚早なのではないかと思っているのですが。あれほど統括殿やシャルティア殿に迫られても、全くご興味を示しておられないでしょう?」

 

「確かに、アインズ様があまり異性に興味があるようには見えないのは私も同意するよ。しかし魔導国を建国して、もう数年になる。いくらアインズ様がアンデッドで寿命を持たない存在だとしても、いつまでも国を治める王が妃を持たないというのは問題だろう?」

「その点は同意致しますけどね。いずれはアインズ様の隣に座る方が必要だと、私も思ってはいますし」

 

 それならもう少し真摯に考えてくれてもいいだろう、とデミウルゴスは思うが、口には出さなかった。

 

「パンドラズ・アクター、これは少々不敬な話かもしれないが、アインズ様のお姿を写すことが出来る君に教えて欲しいことがあるんだがね。アンデッド全般……、いや、アインズ様はやはり性欲とかそういうものはあまり感じてはおられないのだろうか? シャルティアを見ていると、アンデッドかどうかは性欲の有無とはあまり関係ないようにも思えるのだが、アインズ様は女性に対して、殆どその手の反応をなさらないようにお見受けするのだよ」

 

「シャルティア殿はむしろ例外に近いかもしれませんね。アンデッド全般に言えるかどうかはわかりませんが、少なくともアインズ様は性欲はそれほど感じておられないかと。そもそも生殖機能がお有りではありませんし。生物としてのそういう欲とは無縁であられるとは思います」

 

「――やはり、そうなのか……。そうすると、アインズ様が御世継ぎを作られるのは無理だと君は思うかい?」

「正直に申し上げて、かなり難しいと言わざるを得ませんね。少なくともオーバーロードであられる以上は無理なのではないかと推測します。アインズ様がアンデッド以外に種族変更なさるか、もしくは、アンデッドに生殖を可能にする何らかの魔法やアイテムがあれば別だとは思いますが」

 

 ある程度予期していた内容ではあったが、パンドラズ・アクターの口から事実として告げられると、やはりデミウルゴスの落胆も大きかった。

 

「私としては、アインズ様に種族変更をお願いするのはあまりにも不敬ですし、それだけは避けたいですね」

「その件に関しては、私も絶対反対です。もしデミウルゴス殿がそのようなことをアインズ様に申し上げるおつもりでしたら、私としてはこの件に御協力は致しかねます」

 

 勃然としたパンドラズ・アクターの物言いに、思わずデミウルゴスは苦笑した。

 

「となると、魔法かアイテムか。君はそういうアイテムに心当たりはないのかね?」

 

「……そうですね、私が知っている範囲で宜しければ、奇跡に近いことを可能にするワールドアイテムが存在します。名前は『永劫の蛇の指輪(ウロボロス)』ですね。但しこれは効果が強力な代わりに一度しか使用できませんので、そのような用途に使われることをアインズ様が同意されるとは思えません。それと、アインズ様がお持ちになられているレアアイテム『流れ星の指輪(シューティングスター)』も使用者の願いを叶えることが出来ますので、『永劫の蛇の指輪』と似たようなことが可能かと。但しこれもかなりの希少品ですので、使用されるかどうかはアインズ様の御心次第でしょう。それ以外ということであれば、新たにそのような効果を持つものを作成する、もしくは、この世界にそのような効果があるものがないか探す、ということになると思いますが」

 

「ふむ、どれもかなり難しそうですね……。そういえば、シャルティアを洗脳したというワールドアイテムも未だ見つかっていませんでしたね」

「私としては、あれの探索も急いだ方がいいとは思いますよ。それに、他にもこの世界にはワールドアイテムが存在している可能性は否定できませんから」

 

「なるほど、わかりました。『永劫の蛇の指輪』は、機会があったら探してみることにしましょう。それと、この世界独自の魔法もあるそうですから、そちらに何か役に立つものがあるかもしれません。それも私の方で少し調査してみることにします。パンドラズ・アクター、君はよかったら、何かそのような効果を持つアイテムを作れないかどうか検討してもらえないかね?」

 

「そのくらいでしたら喜んで。ただ、実現できるかどうかの保証はいたしかねますよ?」

「それは仕方がない。私としては一つでも多くの可能性が欲しいのでね。君が試してみてくれるだけでも有り難い」

 

 デミウルゴスは素直に礼を言い、パンドラズ・アクターは自らの軍帽をわざとらしく直した。

 

「――正直、デミウルゴス殿がそこまで真剣にアインズ様の御世継ぎを欲しがっていらしたとは知りませんでしたよ。たいしたことをお話し出来たわけではありませんが、多少はお役に立てましたでしょうか?」

 

 埴輪のような顔で首を傾げた宝物殿の領域守護者に多少苛つくものを感じたが、デミウルゴスはそんなことは微塵も見せずに余裕のある笑顔を見せた。

 

「ああ、もちろんだとも。パンドラズ・アクター。流石に君はアインズ様に創造されただけあって非常に優秀だからね」

 

 デミウルゴスは自分の言葉に若干羨望の響きが混じってしまったことに気が付き、苦い思いを噛みしめる。

 

 創造主であるウルベルト・アレイン・オードルを、他の至高の御方とは比べ物にならないほど崇敬しているのは真実だが、至高の主人であり絶対支配者であるアインズに対する敬意や愛情も、それに匹敵する物になりつつある自覚はある。先日、聖王国の一件でアルベドに言われたことで自分が怒りを覚えたのは、その気持ちを疑われたことに対する不快感以外の何物でもない。

 

 ――ただ、もしウルベルト様とアインズ様が御二人並んでその御手を自分に差し出したとしたら……、自分は果たしてどちらの手を取るのだろうか。

 

(いや、そんなことはありえない。ウルベルト様は既にお隠れになって久しいのだから……)

 

 デミウルゴスは、軽く頭を振って余計な考えを振り払う。そんなデミウルゴスの様子を不思議そうに眺めていたパンドラズ・アクターは、空間から一冊の本を取り出してデミウルゴスの方に差し出してきた。

 

「パンドラズ・アクター。何ですか、この本は?」

 

「――デミウルゴス殿。実は私の方からもご相談したいことがあったんですよ。まずはこの本を読んで頂けます?」

 

 何をいきなり言い出すのだろうと思いつつも、渡された本を手に取りページを捲る。内容は王国語で書かれているらしく、デミウルゴスは、パラパラとページを捲りおよその内容を把握した。

 

「どうやらアインズ様の黒騎士姿によく似た人物の冒険譚に思えるが、これがどうかしたのかね?」

 

「それ、多分、名前を変えているだけで主人公はモモンのつもりなんだと思います。蒼の薔薇のラキュースから何故か貰ってしまったんですよ。どうしても私に読んで欲しいとかで」

 

「蒼の薔薇のラキュースがそんなことを? しかし、それなら自分で読めばいいでしょう、パンドラズ・アクター。何故私に寄こすのです?」

 

「デミウルゴス殿。まだこれはアインズ様にはお話ししていないのですが、どうも最近のエ・ランテルでは、アインズ様が築かれた平和に慣れすぎて、風紀が乱れてきつつあるようなのです。このままでは、アインズ様の偉大な治世に悪影響を及ぼすことになるかもしれません」

 

 珍しく、パンドラズ・アクターはいつもとは違う真面目な口調でデミウルゴスに話した。

 

「私はその本を読んで、なかなか面白い読み物だと思ったのです。モモンらしき英雄も格好良かったですし、英雄の活躍というストーリーもわかりやすい。決め台詞とか技の名前なんかは、モモンとして参考にしてみたいと思ったくらいです。――それでふと思ったのですが、こういう英雄譚のような話なら魔導国の国民にも読みたがる者は多いのではないかと。アインズ様がお創りになられた、モモンという英雄は非常に人気ですし。そして、このような面白くてわかりやすい、国民が夢中になれるような娯楽本とでも言うのでしょうか? そういうものが容易く手に入るようになれば、平和に浮かれて不埒なことをする輩も少しは減って、よりアインズ様が治めるに相応しい国になるのではないかと思いまして」

 

「……なるほど。そういうことですか」

 

 デミウルゴスは、改めて手元の本を捲る。確かにこの本は、主人公がモモンであるとは書かれていないが、知っているものなら間違いなく『漆黒のモモン』の物語だと思うだろう。そして、端々に表現されている凝った台詞などはデミウルゴスとしても興味をそそられるものだった。

 

(ウルベルト様も確かこのような物がお好きだった気が……。七階層に残されていたウルベルト様の秘密の書物にもこんな感じの文句が数多く書かれていました。もしかしたらラキュースというのは、単に現地人で蘇生魔法が使用できるレアな存在というだけではなく、このような点からも非常に得難い人材ということだったのでしょうか。そして、アインズ様はそのことまでも見抜いた上で蒼の薔薇を魔導国に取り込もうと……? なんということでしょう。まさに端倪すべからざる御方……!)

 

 アインズの先見の明に心を打たれつつ、本を読み流していたつもりが、その面白さについ内容に引き込まれてしまう。もっと早くこの本を読んでいれば、ヤルダバオトを演じる際に試してみたかったこともいくつか思い浮かぶ。

 

 国民に知識を与えるのは要検討としても、文化レベルを引き上げるというパンドラズ・アクターの提案は今後の魔導国にとって重要なことに思える。それに、モモンの冒険譚だけではなく、アインズ自身の活躍を描いた物語などがあれば、魔導国の国民にアインズの素晴らしさをより広める助けになるかもしれない。

 

 恐らくパンドラズ・アクターはアインズの深遠なる考えを見抜き、先んじて行動しようとしているのだろう。流石はアルベドや自分と並ぶ智者として設定されているだけのことはあるとデミウルゴスは舌を巻いた。

 

「ただ、いくつか問題があります。一つは、この世界では紙が貴重品で本が非常に高価な代物だということと、もう一つは国民の識字率が低いことです。この辺りはアインズ様とも相談してということになるかとは思いますが、羊皮紙の件ではデミウルゴス殿が非常に大きな貢献をされていたことですし、まずは廉価な紙の調達方法についてデミウルゴス殿のご意見を伺いたかったのです」

 

「確かに、廉価な紙の入手法を確立しないと本を一般に流通させるのは難しいでしょう。ただそれは今私がやっているスクロール用の羊皮紙を作成する方法では難しいですね。あれはやはり手間暇もかかりますし、材料も、それなりに特別な物を使用していますから。むしろ、この世界独自の生活魔法を使用した方法を発展させるか、それとも全く別の方法を考えてみるといいかもしれませんね」

 

「なるほど。流石はデミウルゴス殿。非常に参考になりました」

「いやいや、それはお互い様だろう? 面白い本を見せてもらえて感謝するよ。それでは、私はアインズ様に用があるので、今日はこの辺で失礼させてもらおう」

 

 妙に殊勝な雰囲気で頭を下げる宝物殿の領域守護者に、デミウルゴスは機嫌よく本を返した。

 

 

----

 

 

 パンドラズ・アクターと思ったよりも話し込んでしまったため、時刻は昼をすっかり回ってしまった。こんな時間に執務室を訪ねたらご迷惑かもしれないと思いつつ、デミウルゴスは旧都市長の館の廊下を少々急ぎ足で歩く。ツアレが廊下の端で頭を下げているのが見える。いつもなら声をかけてセバスとの状況を確認するところだが、今日は軽く手を振って挨拶するだけに留めた。

 

 執務室の入り口で本日のアインズ当番であるフォスに取次を頼み、入室すると、執務机で何やら一生懸命書き物をしていたらしいアインズと、そのすぐ脇に立ってあれこれ話をしているイビルアイがいた。その反対側には少し離れてセバスが控えている。

 

 アルベドの度重なる乱行騒ぎで、アルベドが侍る際はセバスが監視兼護衛も兼ねてアインズの側に付くことになったとは聞いていたが、この時間帯ならセバスの顔を見ずに済むと思っていたのに……。

 

 一瞬こちらを見ているセバスと目が合い、お互いに不愉快なものを感じて、すぐに目を逸した。

 

「失礼致します、アインズ様。……もしかして、お邪魔でしたでしょうか?」

 

「いや? 別に構わない。まだ午後の執務時間までは間があるし、これは仕事というわけではない。お前の話を聞くくらいの時間ならあるぞ」

「あ、あの、えっと、それではアインズ様、私はこれで……失礼します。また、今度時間がある時に伺います」

 

 アインズは書き物をしていた手を止めて、頭を下げているデミウルゴスに向き直り、どことなく居心地の悪そうな雰囲気になったイビルアイは、アインズとデミウルゴスにぺこりとお辞儀をして、部屋から出て行こうとした。

 

「ああ、イビルアイ、待ちなさい。後からお邪魔したのは私の方ですし、私が出直しますよ」

「え? でも……」

 

 戸惑った様子のイビルアイは足を止め、デミウルゴスとアインズを交互に見ている。デミウルゴスは、イビルアイに気にするな、という風に軽く手振りをして、アインズに恭しく礼をした。

 

「アインズ様、少々ご相談したいことがございますので、宜しければ今夜にでもお時間を頂けないでしょうか?」

「お前の相談であれば何時でも構わないとも、デミウルゴス。では夜の八時にナザリックの私の部屋に来てくれるか? 出来れば、相談内容を簡単に纏めた資料を作ってきてくれると有り難い」

「承知致しました。――ところで、アインズ様、何をなさっておられたのですか?」

 

「ああ、これか? 最近イビルアイから、私の知らないこの世界の知識を教えてもらっていたんだが」

 

 アインズは机の上に乱雑に置かれた羊皮紙を手にとると、一旦書いていたものを纏めて畳もうとしたが、途中で気が変わったのか、あまり上手とは言えない王国文字を書き散らした羊皮紙を一枚デミウルゴスに見せた。

 

「――そのついでに、忙しくて勉強がなおざりになってしまっていた王国語の読み書きを習っていたんだ。やはり、いつまでも出来ないままでは問題だからな。これでも前よりは上達したと思うのだが、なかなか上手くはいかないな」

 

 アインズは苦笑いをした。

 

「左様でございましたか。ご多忙なアインズ様がそこまでされる必要はないと思いますが……。それと僭越ながら、王国語であれば私やアルベドでもお教えすることも出来ますが?」

 

「まぁ、そうかもしれないが、やはり出来るに越したことはないだろう? 上に立つ者が言葉もよくわからないというのは情けない話だと私は思う。それに、多忙なお前達に頼むのも気が引けるしな。……ああ、私は別にイビルアイが暇だと言っているわけではないぞ? それに王国語を習うのはあくまでもついでで、教えてもらえる知識の方が私にとっては非常に重要なのだから」

 

 恐らくイビルアイを気遣ったのだろう。アインズは優しく声をかけた。

 

「あ、あの、私は皆様方に比べれば、その、忙しいというわけでもないですし……少しでもアインズ様のお役に立てるなら、光栄です」

 イビルアイの仮面の端から見える耳が赤く染まっているのを見て、デミウルゴスは微笑ましいものを感じる。

 

「そういうことでしたか。――ところでアインズ様、御勉学はいつもなさっておいでなのですか?」

「いつもという訳ではない。たまにイビルアイと時間が合った時だけだな。だがそれでも大分捗っている。イビルアイ、本当に感謝しているぞ」

 

 アインズはイビルアイに向かって笑いかけ、イビルアイは何処となく照れくさそうにしていたが、アインズにそう言われてまんざらでもなさそうだった。

 

(なるほど。確かにこれはアルベドが荒れる気持ちもわからなくはないですねぇ)

 

 属国や支配下に置いた部族も増え、それに伴ってアインズの決裁が必要な仕事がかなり増えているとアルベドから聞いているが、その中でわざわざ時間を割いてイビルアイと会っているというのは、いくら必要性を理解していてもやはり面白くはないのだろう。だからといって、先程のような行為は許せるものではないが。

 

「それでは、アインズ様、また後ほどお伺いします。イビルアイ、邪魔をして悪かったね」

「い、いえ! 私こそ、大事なお仕事の邪魔をしてしまったようで……」

「イビルアイ、そんなことはないとも。気にしないでくれたまえ。それでは、アインズ様、御前失礼致します」

 

 

----

 

 

 執務室を辞し、ナザリックに戻るべく廊下を歩いていると、館の奥の方からアルベドが来るのが見える。恐らくシャルティアの〈転移門〉で移動してきたのだろう。

 

(あまり宜しくないタイミングですね。まだイビルアイはアインズ様の執務室にいるはず。鉢合わせすると先程の二の舞になりかねない)

 

 アルベドが単にアインズの怒りを買うだけならどうでもいいのだが、それが高じてアインズがナザリックを見捨てる原因にでもなったら……。

 

 今朝の騒動を思い返すと、悪魔である自分ですら若干胃が痛むのを覚える。しかし、一歩間違えるとアインズに多大なる迷惑をかけかねない以上、自分が何とか上手く立ち回らないといけないことはわかっている。

 

(正直、今日はもうアルベドと顔を合わせないで済ませたかったのですが)

 

 アルベドもデミウルゴスに気がついたのか、にこやかに微笑みながら近付いてくる。

 

 ――こうなったら、腹をくくるしかありませんね。

 

 デミウルゴスは余裕のある態度でアルベドに向かって軽く手を振り、とびきりの笑顔を作ると機嫌よくアルベドに話しかけた。

 

「やあ、アルベド。今からアインズ様の執務室に行くのかね? ――実は、少しばかり君の意見を聞きたいことがあるのだが、良かったら少し付き合ってくれないか? どのみち午後の執務時間にはまだ時間があるんだろう?」

 

「あら、もちろんよ。貴方の相談なら、何時でも歓迎だわ。でも、廊下で話すのはイマイチね。せっかくだから、執務室でアインズ様に一緒に聞いていただくのもいいと思うのだけど」

 

 そのままアインズの執務室に直行しそうな勢いのアルベドを見て、デミウルゴスは焦った。

 

「あ、いや、アインズ様のお耳に入れる前に少し内容を精査したかったんだ。だから、どこか適当な部屋で聞いてもらえると嬉しいんだが」

「それなら、私が仕事で時々使っている部屋があるから、そちらにしましょうか?」

「いいね。助かるよ、アルベド」

 

 アルベドの案内についていきながら、デミウルゴスはアルベドに気付かれないように、深い溜め息をついた。

 

 執務室でのアインズとイビルアイの様子は、イビルアイはともかく、アインズの方はまだ恋愛関係というよりも友人関係に近いもののようにも思われた。しかし、あそこまで外部の者に心を開いたアインズをデミウルゴスは見たことはなかった。

 

 恐らく、アルベドはアインズをイビルアイに奪われてしまいそうな現状に焦りを感じているに違いない。ナザリックの者としては理解できなくはないと思いつつも、面倒な火種にならないように自分がなんとか対処しなければ、とデミウルゴスは決意する。

 

 自分が欲しているアインズの世継ぎを得るためにも、偉大なる主人であるアインズ自身のためにも。

 

 慈愛の君であるアインズがこの世界で多少なりとも幸福を感じてくれているならば、他の至高の御方々のように、我々被造物を置き去りにして『りある』にお隠れになられることはないだろうから……。

 

 

 

 

 




エーテルはりねずみ様、佐藤東沙様、アンチメシア様、ant_axax 様、誤字報告ありがとうございました。

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 この話を書いていて、アインズ様が普段はめていない左手薬指の指輪(宝物殿で通常保管している)は『永劫の蛇の指輪』なんじゃないかと思えてきました。

 『傾城傾国』が装備しないと使えないなら、名前からして指輪である『永劫の蛇の指輪』も何処かの指にはめて使う必要があり、誰かがその装備枠を確保する必要がある筈で、普段使うことはないから、外して宝物殿で保管しているけど、万一使う必要が出てきたら、その時は代表としてギルド長よろ、というのはありそうかなあと。

 ただの妄想ですが、辻褄は合う気もするので、この話の中では、AOG保有している2つの20の片方は『永劫の蛇の指輪』である、という設定で行こうと思います。


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第三章 望国の吸血姫
1: エ・ランテルの日常


時系列的には第二章の一年後、前の話の約二ヶ月後くらいから始まります。


 昼過ぎのエ・ランテルを仮面を被った小柄な魔法詠唱者が一人で歩いていく。

 

 別にそれはエ・ランテルでは珍しいことではない。アインズ・ウール・ゴウン魔導国では、魔導王の考える冒険者像に憧れ、大勢の冒険者が集まってきている。その中には人間や森妖精等の人間種だけではなく、見たこともないような種族のものも少なくはない。

 

 しかし、その誰もが魔導国の門をくぐり、冒険者として登録すれば皆同じ目的に向かって協力する仲間達だ。そして、それを当たり前のように、今のこの国の人々は受け入れてくれていた。

 

「イビルアイ様! こんにちは」

 通りすがりのやんちゃな子どもたちに声をかけられ、イビルアイは軽く手を振って挨拶を返す。

 

 アダマンタイト級冒険者が憧れの対象なのは、どこの国も同じだ。キラキラした目で見られて多少こそばゆくもあるが、イビルアイは、それでもなんとなく嬉しい気分になる。

 

(リ・エスティーゼ王国では、私を怖れている者も結構いたからな……)

 

 仮面に隠した素顔を決して見せようとせず、どう見ても幼い少女のように見えるイビルアイを、胡散臭い目で見ているものがいたことは知っている。そもそも、魔法の習得にはある程度の時間がかかるというのは常識だ。少し考えれば、年若くして高位魔法を使いこなすイビルアイの存在が、普通じゃないことなんてすぐわかる。

 

 それでも面と向かってとやかく言われることがなかったのは、イビルアイがアダマンタイト級である蒼の薔薇の一員だったからにすぎない。そうでなければ、イビルアイには王国に居場所なんてなかっただろう。

 

(まぁ、それもこれもリグリットが余計なことをやってくれたせいだがな!)

 

 心の中で親友に悪態をつくが、彼女がその『余計なこと』をしなければ、彼と出会うこともなかったかもしれない。だから、この件については特別許してやらなければいけないだろう。それに元々は、帰る場所も行くあてもなく彷徨っていた自分を心配してくれたリグリットの優しさだったのだろうから。

 

 自分が生まれ故郷を離れて、もう何百年もたっている。

 離れた、というよりも、帰れないというのが本当だが。

 

 ――いや、それも違う。

 ――帰れなくしてしまったのだ。自分が……。

 

 イビルアイは、在りし日の自分の故郷の姿を思い出そうとして、もう殆ど思い出せなくなっている自分に気がつく。

 

(あの後もしばらくは住んでいたはずなのにな。十三英雄のリーダー達が現れるまでは……)

 

 イビルアイは思わず苦笑いをした。昔のことで忘れてしまったことは多いが、あの時のリーダー達の顔だけは忘れられない。

 

 なにしろ、一国を滅ぼした凶悪な吸血鬼王侯(ヴァンパイアロード)を倒そうとやってきたのに、そこにいたのは大量のアンデッドの中に隠れるようにして、ひとりぼっちで怯えている自分(キーノ)だったのだから。

 

 皆があの時あそこから連れ出してくれたからこそ、自分は今ここにこうして立っているのだ。

 

 ふと先程まで一緒に過ごしていた『死の支配者』の横顔を思い出して、イビルアイはどうしようもなく、彼を愛おしく思う気持ちでいっぱいになる。

 

 彼が自分を優しく気遣ってくれるところも、不器用な字を一生懸命書いているところも、本当はもっとずっと側にいて見ていたい。まったく、あれ程までに強大な力を持っていると言うのに、どうして自分は彼を可愛らしい、などと思ってしまうのだろう。

 

 しかし……。自分が彼のところに行くたび、ほんの一瞬だがきつい視線を感じる。いつも彼の側に控えているアルベド様は優しい笑顔を絶やすことはないけれど、恋する乙女の直感が、アルベド様も彼のことを好きなのだと告げていた。

 

 それは冒険者組合で時々会う、アウラ様やマーレ様も同様だ。お二方とは、組合のことでそれなりに話をすることもあるが、時々自分のことをじっと見ていることがある。それが何故なのか、はじめはよくわからなかったが、もしかしたらあの方々もアインズ様のことを好きなのかもしれない。

 

(大好きなひとに毎日じゃないが会うこともできるし、今の自分は、ほんの少し前の自分から見ればすごく幸せだと思う。だけど、自分は本当に欲張りだ。もうそれだけじゃ我慢できなくなっている)

 

 イビルアイは溜め息をつく。もちろん、息をしているわけじゃないから、あくまでもしている振りだ。

 

 イビルアイから見ても、アインズ様とアルベド様はお似合いだと思う。アインズ様はまだ誰とも結婚はしていないらしいけど、どうみてもアルベド様はそれを望んでいる。

 

 前に自分は、モモン様が自分と結婚してくれるなら、他に何人か相手がいても構わないと思った。どうせ自分の体では子どもなんて作れないし、モモン様には子どもを作る相手が必要だと思ったからだ。でも……。

 

 アインズ様もアンデッドだから、やはり子どもをお作りになることは出来ないだろう。でもいくら永遠の時を生きるアンデッドだとしても、国の王として正妃は必要だろうし、世継ぎだって望まれているに違いない。

 

(アインズ様は一体どうするおつもりなのか? それとも、アインズ様くらいの御力があれば可能なんだろうか……? ぷれいやーは我々とはやはり違う存在ではあるからな)

 

 いくら考えても答えはでない。それに、今のイビルアイには、彼の隣の席を望むのがどれだけ高望みなことなのかも薄々はわかってきている。

 

 でも、それでも願わずにはいられなかった。

 

 ――たとえ一番じゃなくても良い。側にいられるなら。

 ――愛するひとと二人、ずっと手を取り合っていけるなら。

 

 無意識に左手の指輪にふれながら、イビルアイは先程自分が出てきた旧都市長の館を振り返った。彼がいる部屋の窓はこの場所からは見えないが、おそらく今も机に向かって仕事をしている筈の彼の姿を思い浮かべ、イビルアイは微笑んだ。

 

 この国こそが、いつか自分の故郷といえる場所になるかもしれない。

 

 それに――

 

 あの場所には……もう二度と……帰れないのだ。

 

 

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 蒼の薔薇が拠点を、王都リ・エスティーゼからエ・ランテルに移して半年以上が過ぎていた。

 

 魔導国では思っていたよりも、王国とは違う変わったやり方が取り入れられていて、初めは戸惑うことも多かったが、最近は大分新しい生活に馴染みつつある。

 

 魔導国の冒険者組合では『げっきゅうせい』というものを導入しており、冒険者ランクによって『きほんきゅう』が定められている。その他に、特別な発見や功績を上げたと組合から認められた場合は『ぼーなす』という物が支給される。

 

 このやり方は冒険者組合だけではなく、国の機関に従事するものは全て同じようなやり方で賃金の支払いが行われており、その代り、心付けのような物を勝手に受け取ることは厳しく禁じられていた。なんでも、そういうものは国が腐敗する原因になるから、ということらしい。

 

 銅と鉄ランクまでは冒険者組合の鍛錬所でミスリル級以上の熟練冒険者や、冒険者を引退したものが教師となって各種指導を行っている。一ヶ月に一回行われる昇格試験に合格すれば次のランクに上がり、銀級になったと判断されると、初めて冒険者として一人前になったとみなされる。

 

 ただし、五年で銀級に到達できなかった場合は、冒険者としては不適格とみなされ、他の職業を斡旋されることになっていた。もっとも、魔導国の冒険者組合が作られてからまだ五年経っていないので、この規定を適用された者は今のところいない。

 

 現在の蒼の薔薇は、アダマンタイト級冒険者専用の宿舎となる屋敷を一軒与えられて、そこでチーム全員で暮らしていた。屋敷は王国なら貴族の館といってもいいくらいの立派なもので、それほど広くはないがちょっとした庭もついている。

 

 屋敷を管理する者も斡旋してもらい、掃除などは全て任せている。食事も作ってもらえるが、宿屋暮らしが長かった蒼の薔薇としては、最近新しく出来たばかりの洒落た高級酒場の味と雰囲気が気に入って、夜はそこでのんびりすることも多かった。

 

 その店『漆黒の双剣亭』はエ・ランテルの中心からは少し外れた静かな町並みの中にあるが、落ち着いた石造りの建物の内部には漆黒のモモンのマントをイメージした赤い重厚な布が掛けられており、モモンの象徴ともいうべき黒い双剣をかたどった紋章が店のあちこちに飾られている。それほど広くない店の中は、仕事帰りの住民や、モモンの栄光にあやかりたいと思う冒険者たちでいつも賑わっていた。

 

「前にエ・ランテルに来たときも思ったが、魔導国の食事はなんというかうめぇよな。味が違うというか」

 ほぼ蒼の薔薇専用のテーブルになりつつあるお決まりの席で、ガガーランは大ぶりのグラスに注がれた酒を一気に飲み干した。

 

「ガガーラン様、おわかりになりますか? この店では魔導王陛下の御居城で作られたという特別な食材を仕入れて使っておりますから。今お飲みになられている酒もそうです。少しばかり割高なのですが、味の良さは折り紙付きですよ。今はあの黄金の輝き亭でも食材の仕入元は完全にそちらに切り替えたとか」

 

 料理を運んできた店員が、テーブルの上に皿を並べていく。どれも出来立てで湯気がたちのぼり、食欲をそそる香りが辺り一面に広がる。蒼の薔薇の面々は、嬉しそうな顔でそれぞれ好きな料理を取り分けはじめた。イビルアイはどことなくぼんやりとした表情で、飲み物のカップを手にしたままその様子を眺めている。

 

「魔導王陛下の御居城って、旧都市長の館のこと……じゃないわよね?」

 追加の飲み物の注文をしつつラキュースが首を傾げると、店員は朗らかに笑った。

 

「どう見てもかなりの財をお持ちの魔導王陛下が、古くて頑丈なだけの都市長の館をほとんど改築もせずにそのまま使っておいでなのは、もっと立派な御居城を他にお持ちだから、というのがエ・ランテルで最も有力な説らしいですよ。誰も本当のことは知らないんですけどね。もっとも、私もエ・ランテルには最近戻って来たばかりで、あまり詳しくはないのです。まあ、下々の者には関係のない話ですし」

 

「そうだったんですか。わたし達もエ・ランテルに来てから半年程になるけど、最近特に他の国からエ・ランテルに移住してくる方が多い気がするわね」

 ラキュースはお気に入りの前菜を上品に口に運んだ。

 

「それはそうでしょう。実は、私は元々エ・ランテルに住んでいたのですが、王国から魔導国にエ・ランテルが譲渡されることが決まった時に、真っ先に王都にいる親戚を頼って逃げだした口なんですよ。後になって随分後悔しました。王国は酷いことになるし、逆に魔導国は平和そのものだっていうじゃないですか。実際、今はあの時エ・ランテルに残った人たちの方が勝ち組だと思ってます」

 

「だけどよ、逃げ出したいって思うのは当たり前だと思うぜ? まさか、アンデッドが支配する国がこんな風になるなんて、あの時誰も思わなかっただろ」

 

「まあ、そうなんですけどね。本当に戻ってきてびっくりしました。以前のエ・ランテルは賑やかではあっても、洗練されているとは言いがたかったですが、今は噂に聞く帝国のアーウィンタールよりもエ・ランテルの方が綺麗だという話じゃないですか。そうそう。綺麗といえば、噂に聞く美女ぞろいの魔導王陛下のメイドの方々! この店の前を稀に通っていかれることがあるんですが、本当に凄い美人ばかりですよね。蒼の薔薇の皆様は良く会われる機会もあるんでしょう?」

 

「……メイド達も悪くないけど、個人的にはアウラ様。もう少しすればきっと胸が大きくなる。最高」

「それをいうなら、マーレ様。あのスカート丈は至高」

 何かを思い出したのか、ティアとティナが怪しい目つきに変わり、うわの空で料理を口に放り込んでいる。

 

「お前らなぁ。俺は別に冒険者組合にいる連中だって悪くないと思うぞ。若いのが多いし、童貞も多いしな!」

「ガガーランは毎日楽しそうよね、本当に」

「仕方ないだろう? 悪いがクライムよりも才能あるやつが多いもんで、こっちも教えがいがあるんだよなぁ」

 

 まだ銅、鉄級の若い冒険者相手に楽しそうに剣の稽古をつけているガガーランを思い出して、ラキュースはくすくすと笑った。

 

「ああ、ティア様とティナ様は魔導王陛下の側近の方々のファンなんですか? それでしたら、私はやっぱり宰相アルベド様ですね。確かにメイドの方々とは違って人間じゃないですけど、あんな美女ならそれでもいいって思っちゃいますよ」

 

 店員は空いたグラスに追加の酒を注いで回っている。調子に乗ったガガーランは更に機嫌よく酒をあおった。

 

「確かにあの宰相様は美人ね。王国のラナー女王も綺麗だけど、なんというか別格な感じ。でもあの方は魔導王陛下のお妃様というわけじゃないのよね?」

 

 何気ないラキュースの一言に、テーブルにだらしなく肘をついてコップを弄り回していたイビルアイの肩がぴくりと動いた。

 

「最初は皆そう思っていたそうですけどね。そういう訳ではないみたいですよ。おっとすみません、つい長居をしてしまって。では、ごゆっくりどうぞ」

 店員は丁寧に一礼をして歩み去った。

 

「……イビルアイ、良かったわね? 宰相様のこと、結構気にしてたんでしょ?」

「う、うるさい、別にそんなわけじゃ……」

 

 少々嫌味っぽくラキュースはイビルアイをからかった。イビルアイは仮面をかぶった顔だけ上げて耳を真っ赤にしているが、どことなく嬉しそうな様子を隠すつもりはなさそうだった。

 

「でも魔導王陛下もよぉ、あんなに美人が大勢側についてるのに、誰にも興味がねぇってあるのかね? だとしたら、イビルアイも相手として見てもらうのは厳しいかもなぁ」

「そんなこと……! やってみないと、わからないじゃないか……」

 

「頑張れ、イビルアイ。一応、応援してる。でも、アウラ様は私のもの」

「マーレ様にまで手を出さなきゃ、私も応援する」

 

「そんなこと、するわけないだろう!? 私をなんだと思ってるんだ?」

「イビルアイは前科があるからなぁ。やっぱ、二股はよくないぜ?」

 少しばかり痛い所を突かれて、イビルアイはひるんだ。

 

「……ねえ、前から少し気になっていたんだけど、魔導国に来てから皆浮ついてない? 緊張感がないというか。今は確かに他の冒険者の指導とかの仕事が主だけど、マーレ様が作られている遺跡風の訓練施設のテストは、明日からはもう一段階レベルの高い所をお願いしますと言われているの。だから、そろそろ気を引き締めていかないとね。特にイビルアイ、最近お昼時はいつも姿を消してるけど、いつも魔導王陛下のところにお邪魔しているの? あまり頻繁に通われると、魔導王陛下もご迷惑かもしれないわよ?」

 

「な……。別に、アインズ様はいつも歓迎してくださってるぞ! だいたい、それをいったらラキュースだって、最近モモン様と随分仲良くしてるじゃないか。私のことだけ言えないだろうが!?」

 思わぬ反撃を受けて、ラキュースも顔を真赤にする。

 

「そ、それは、その、同じアダマンタイト級冒険者チームのリーダーとして、モモンさ――んとは相談したりすることがあるだけで……。まだ、魔導国の冒険者組合も、本当の役割を果たす準備段階という感じだし。魔導国には二つしかないアダマンタイト級冒険者チームとしては、当然何かと協力しあわないといけないじゃない」

 

 そんな二人を面白そうに眺めながら、ガガーランは声をたてて笑った。

 

「全くラキュースも変わったよなぁ。前は少し真面目すぎだったんだよ。俺たちは別に浮ついてなんていねぇさ。やるべきことはわきまえてるからな。でも、俺は人生いろいろ楽しんだ方がいいと思うぜ?」

「そうそう。私達はいつもこんな感じ。充実してる。魔導国に来てから変わったのは鬼リーダー」

「こないだも、モモンに何か渡してた。怪しい」

 

「……なんで、そんなことまで知ってるの?」

「忍者の情報収集能力、甘く見ないで。いつも鍛錬してる」

 涼しい顔でティナに言われて、ラキュースは愕然とした。

 

「でもよ、あのマーレ様が作られている冒険者組合の訓練施設はなかなか良いよな。遺跡風で雰囲気もそれっぽいしよ。今はまだ調整中だが、あそこのテストで戦闘訓練しているせいか、俺もヤルダバオトに殺される前の感覚にだいぶ戻ってきたような気がする」

「同じく。前よりも良いかもしれない」

 

「今、一番簡単な場所だけ他の冒険者連中にも開放してるらしいが、これまでの駆け出し連中とは明らかに腕の上がり方が違う。それに、銅、鉄級に試験的に貸し出されてるルーンとかいう武器。俺が使っているやつには少々劣るが、駆け出しが使うにはもってこいだ。ああいう武器が最初から使えるなんて、ほんと奴らは恵まれてるね。俺たちもうかうかしてると、才能ある若いのに追い越されちまうかもしれねぇな。まぁ、そういうのもこっちも刺激になっていいけどよ」

 ガガーランは楽しそうに笑って、大ぶりの肉に齧り付いた。

 

「その辺りも次の報告会の時に、お話しする方が良さそうね……」

 ラキュースは懐から小さく折りたたんだ紙を取り出して、既にいくつか書いてある項目に書き加えた。

 

「鬼リーダー。報告会、マーレ様が来るなら同席したい」

「アウラ様が来るなら、私も行く」

「……アインズ様がいらっしゃるなら、私も……」

 

「もう、わかったわよ。次の報告会は全員で行くことにしましょう。但し誰がいらっしゃるかなんてわからないから、後で文句は言わないでね」

 妙に真剣な目つきでラキュースを見ている三人組を見て、ラキュースは盛大に溜め息をついた。

 

 

----

 

 

 魔導王の庇護のもと、平和を歐歌しているエ・ランテルといえども、表通りから離れた狭い路地の奥には、あまり人には言えないような仕事をしているもの達が住む一角がある。その中にある古い家から、まだ日も落ちてはいない時間帯だというのに、女たちの嬌声と下卑た男たちの笑い声が聞こえてくる。

 

 中で何が行われているのかは、誰にとっても明らかだったが、だからといって、その行為自体は法に触れるようなものではない。

 

 魔導国の法はさほど国民を縛るものではなく、犯罪行為に当たることをしたり、相手が嫌がることを無理強いしたり、奴隷のように扱っているわけでもなければ、このような行為を咎め立てするものではないのだ。

 

 しかし――

 

 弐式炎雷の姿で隠密行動をとりつつ、中の様子を窺っていたパンドラズ・アクターには、この件で少々見逃せないことがあった。

 

 周囲に人目がないことを影の悪魔達を使って確認させ、この辺りにしばらく誰も近寄らせないように指示すると、音もなく二階の窓まで飛び上がる。中に誰もいないことを確認し、窓の鍵を解錠すると部屋の中にすばやく侵入した。

 

 かねてからの調べどおり、部屋の中は倉庫になっており、大小様々な木箱が並んでいる。

 

 パンドラズ・アクターは素早くそれらの中を改め、ありふれた小箱の一つに目的のものが入っているのを見つけた。既に何本かは使われているようだったが、まだそれなりの量が残っている。

 

(できれば全て回収したいところですが、流石に相手に気が付かせるのもまずいですね。ここは一本だけに留めておくとしましょう。それなら、多少本数が合わなくとも記憶違いと思ってくれるかもしれませんしね。それに万一バレたとしても、彼らは彼らで表立って騒ぐことも出来ないでしょうし)

 

 それを布にくるんで丁寧に懐にしまい込むと、小箱の外側を丹念に調べ、出元を表す表示などを探したが、流石にそのようなものは書かれていなかった。他の部屋も探せば何らかの情報がある可能性はあったが、恐らくこの手の品物は裏取引で入手しているのだろうし、それが発覚するような書類をわざわざ残しておくはずはない。当然のことながら、魔導国でもこの手の品物の取引、所持は固く禁じられている。この辺が潮時だろうとパンドラズ・アクターは判断した。

 

(そこまで甘くはない、ということですか。厄介ですね。まぁ、いいでしょう。ともかく目的は果たしましたし、これさえあればニグレドが探知できるかもしれません)

 

 パンドラズ・アクターは自分が侵入した形跡が残っていないことを確認し、満足そうに頷くと入ってきた時と同様に、その場から姿を消した。

 

 

 




五武蓮様、miiko 様、誤字報告ありがとうございました。

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三章は大変手間取っておりまして、実はまだ最後まで書けていません。一話は内容的に恐らく修正や調整は発生しないと思ったので公開に踏み切りましたが、二話以降については展開によっては修正する可能性があるので、場合によっては三章の最後まで書き終えてからの投稿になるかもしれません。なるべく週1では更新したいのですが……。大変申し訳ありませんが、気長にお付き合い頂けると嬉しいです。


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2: 新たなる目標

 壮麗なという言葉が相応しいナザリック第十階層の玉座の間では、階層守護者を始めとするナザリックの主だったシモベが一堂に会し、玉座に座るアインズに跪いていた。守護者統括であるアルベドは玉座の右に立ち、慈愛に満ちた微笑みを浮かべている。

 

「面を上げよ」

 アインズの重々しい声が響き、ゆっくりと頭を上げたシモベ達の視線が一斉にアインズに集まる。

 

「忙しい中よく集まってくれた。皆の働きのおかげで、ナザリックは順調に発展して行っていると私は思っている。ひとまず、それに礼を言いたい」

 

「アインズ様、私どもはアインズ様にお仕えするシモベとして、当然のことをしているまでのこと。御身が礼を仰る必要などございません」

 

 優美な一礼でアルベドは応えたが、腰の部分の黒い羽は若干嬉しげに上下に動いている。

 

「いや、アルベド。皆に感謝の気持ちを伝えることは非常に大事なことだと思っている。私はお前達の働きにとても満足しているのだから。――さて、本題に入る前に、デミウルゴスよ、我が前に」

 

「はっ」

 

 軽く応答すると、玉座の前にある階段のすぐ脇に跪いていたデミウルゴスが、アインズの前に進み出て再び跪いた。

 

「ローブル聖王国の件はご苦労だったな。こんなに早く聖王国から恭順の使者が来るとは思っていなかった。これも全て、デミウルゴスの見事な手腕の結果だろう」

 

「お言葉ですが、アインズ様。聖王国の件がこれほどまでに順調に進んだのは、アインズ様の用意された駒が優秀だっただけでございます」

 

 デミウルゴスはそう言って頭を深く下げた。デミウルゴスの態度は忠臣として褒められるべきものだろう。しかしアインズは、これまで散々繰り返してきたこの問答を続けるのは、正直うんざりだった。

 

 欲がないといえばそれまでだが、本来悪魔というのは強欲なもののはずだ。それなのに、これまでデミウルゴスは、アインズに何かを要求したりなどという事を一切したことがない。例外といえば聖王国での作戦で、アインズがただの我儘といってもいい要求をなんとか通そうとした時に、交換条件として出してきたあのことくらいだが……。

 

(しかし、いい加減デミウルゴスに何も褒美を与えないというわけにはいかない。俺が目指すナザリックのホワイト企業化計画のためにも!)

 

 アインズは決意を新たにすると、これまでの経験からシモベに受けがいい支配者のポーズ――脚を軽く組み、左肘は玉座の肘掛けにかけて頬杖をつく――をとった。

 

「私はあくまでもお前の策に従って動いたまでのこと。そのように謙遜する必要はない。さて、デミウルゴス。私はこれまでの働きに対して褒美を授けたい。お前はこれまで幾度となく私の申し出を辞退してきたが、今回は許さんぞ。お前の働きがナザリックでも随一だということは、皆も認識している。そのお前がこのように何度も辞退するのは、他のものに対しても示しがつかない。過分な謙虚さは、時に人を不快にさせると知れ」

 

「はっ……」

 

 先ほどと比べ、若干思い悩む様子で返事をしたデミウルゴスは、少し耳を震わせ顔を俯けた。しかし、しばらく待ってもそのまま頭を上げようせず、アインズは出ない溜め息をつく。

 

「デミウルゴス。今思いつかないのであれば、この場でなくても構わん。いい機会だ。ゆっくりお前の欲しいものを考え、相応しいものを思いついたら、それを私に伝えよ。いいな?」

 

「畏まりました。アインズ様のお慈悲に感謝いたします」

「うむ。ではこの件についてはまた改めて、ということにしよう。デミウルゴス、立つがいい」

 

 アインズの言葉でデミウルゴスは立ち上がると恭しくお辞儀をし、アインズの左脇に移動した。

 

「さて、ナザリックを取り巻く環境は大きく変わってきている。また、以前この場で決定したとおり、ナザリックの国である魔導国は無事に建国され、順調に勢力を伸ばしつつある。そこで、そろそろ現在の目標を見直し、新たな計画を立てる必要があると思う。それに先立ち、守護者統括であるアルベド、及び、我が信頼する智者であるデミウルゴス。ナザリック及び魔導国の現状について、この場にいるもの皆にわかりやすく説明せよ。その後、今後の方針についての検討を行う」

 

「では僭越ながら、アインズ様の命により、私から現在のナザリックの状況について説明させていただきます。皆、心して聞くように」

 

 デミウルゴスはアインズに向かって丁寧に一礼し、正面に向き直った。居並ぶシモベ達の真剣な目がデミウルゴスに集まる。

 

 現在のデミウルゴスがどういう考えで動いているのか、正直アインズはさっぱりわかっていなかった。日々の業務は膨れ上がり、大量の書類に軽く目を通して、承認印を押すだけでも精一杯だ。だからこそ、こういう絶好の機会を逃すわけにはいかない。支配者としての威厳は崩さないように気をつけながら、デミウルゴスの言葉を聞き漏らさぬように、アインズも必死になって耳を傾けた。

 

「アインズ様は魔導国の王となられ、この世界を支配するための足掛かりをお作りになられた。アインズ様の素晴らしい統治の結果、現在魔導国は多くの種族が共存する国として繁栄している。リ・エスティーゼ王国、バハルス帝国は既に魔導国の属国となり、アベリオン丘陵、トブの大森林他、周辺地域の亜人及び異形種の部族などの多くも、既にナザリックの支配下に置かれている。また、ローブル聖王国については、内乱が収まりかけたところに聖王を喪ったため、後継争いで再び混乱に陥ったが、アインズ様を神と奉る勢力が僅か一ヶ月程で国民の支持を集め、ほぼ無血で混乱を収めることに成功した。その結果、ローブル聖王国は新国家ローブル神王国となり、アインズ様をその玉座にお迎えすることを正式に決定した。つまり、我らが敬愛する主君であるアインズ様は、かの国の神の御位に着かれるということだ」

 

 デミウルゴスのその言葉で、玉座の間には静かなざわめきと熱気が立ち込め、アインズは思わず頭を抱えたくなる。

 

(全くどうしてこんなことになったんだ。これまで同様、単なる属国にするつもりなのかと思っていたら、まさかこういう話になっていようとは……)

 

 一週間ほど前に、エ・ランテルにやってきた、ネイア・バラハを筆頭とする聖王国からの使節団のことを思い出して、アインズは既にない胃が痛むのを感じた。

 

 そもそも、デミウルゴスの発案で行った聖王国の計画は、アインズ・ウール・ゴウン魔導王が魔皇ヤルダバオトを打ち砕くことで、漆黒のモモン以上の大英雄となり、それと同時に、聖王国を魔導国の支配下に置くための布石にするという、比較的可愛らしい話だったはずだ。

 

 それなのに、自分を神と祀り上げる神殿勢力ができたのは何故なのか。いくら最後の聖王が死んで聖王家が断絶したからといって、どうして他国の王である自分が王にならねばならないのか。普通に魔導国と併合するのではダメだったのだろうか。いくら考えてもアインズには全く理解出来なかった。

 

 アルベドとデミウルゴスに詳しく説明してもらおうと何度か試みたが、二人ともいい笑顔で「全てはアインズ様のご計画通りでございます」と言うだけだ。

 

 ネイア・バラハの凶悪な目つきで睨みつけられながら「アインズ・ウール・ゴウン神王陛下」と呼ばれ、使節団としてやってきた者たちが異様な熱気で歓呼の声を上げるのを目前にした時は、多少王として経験を積み、ある程度は大勢の注目を浴びながら支配者らしくふるまうことに慣れてきたアインズといえども、何度も精神が沈静化させられるのを感じた。

 

 彼らは人間なのにも関わらず、魔導国の普通の国民達とは違って、どうもナザリックのシモベに似た雰囲気がある。

 

(しかも『神王』とか一体誰が考えたんだよ? あまりにも恥ずかしすぎるネーミングだろ。なんでただの骸骨がそんな仰々しい名で呼ばれなければいけないんだ?)

 

 元は一介のサラリーマンに過ぎない鈴木悟としては、絶対にありえない選択だ。しかしながら、その呼称はシモベ達には非常に受けが良く、アインズの必死の抵抗も虚しく、聖王国いや神王国ではそう呼ばれることに決定してしまった。下手をすると、このまま魔導国でもその呼び方にと言われかねない。どうやったらそれを阻止できるだろうかと、アインズは暫し思い悩んだ。

 

「――以上の点を考え合わせると、こう動くのが最善ということになる。これまでの話を理解できない愚か者はいないな?」

「当然じゃない、デミウルゴス。そのような者がこの場にいたら自害してしかるべきだわ」

 

 玉座の左と右に立つデミウルゴスとアルベドのやり取りに、多くのシモベが頷いているのが目に入る。

 

 現実逃避をしている間に、デミウルゴスの話を大分聞き逃してしまったようだ。雰囲気的に何かが決まろうとしているらしいが、その内容が全くわからない。アインズは若干青くなるが、今更もう一度お願いしますとは言えないだろう。せめてここから先だけでもきちんと聞かねばと背筋を正す。

 

「結構。それでは、我々は世界を征服しアインズ様に捧げることを最終目的としてきたが、今後はそれを変更し、アインズ様にこの世界の頂点となる神の御座を捧げ、生きとし生けるもの全てを支配して頂くことを目標とすべきと考える。この計画に反対するものはいるかね?」

 

 自信たっぷりに話をしているデミウルゴスの尻尾はかなり大きくゆらゆら揺れている。そして、玉座の間に居並ぶシモベ達の興奮は、以前の世界征服の時の比ではなかった。

 

(しまった。これでまた後戻り出来なくなってしまったか!? もっとデミウルゴスの話をちゃんと聞いていれば止められたかもしれなかったのに……)

 

 念のため、さり気なく玉座の間に集まっているシモベの様子を見回してみるが、どう見ても全員やる気に満ち溢れた表情で頷きあい、嬉しそうに目を輝かせている。反対しているのは恐らくアインズただ一人だ。しかも、デミウルゴスが何と言って説明したかもわからない以上、アインズにはシモベ達を止める言葉など何一つ思い当たらない。だが、アインズはせめてもと、最後の抵抗を試みることにした。

 

「……デミウルゴスよ、お前の考えはよくわかった。ただ、神というのはなろうとしてなるものではない。あくまでも、それは結果として起こることだと私は思っている」

 

「まさに仰る通りかと存じます。そして畏れながら、アインズ様がお持ちになられている崇高な支配者としてのオーラは、まさに神と呼ばれるに相応しいもの。そして、常に下等な我々では見通すことの出来ない遥か遠い未来まで見越していらっしゃる。そのような視点はまさに神々しか持てないものと愚考いたします」

 

「そ、そうか。しかし、私は別にデミウルゴスが思うほど全てを理解しているわけではない。だから、あまり買いかぶらないで欲しいのだ」

「買いかぶるなど……とんでもございません。このデミウルゴス、アインズ様のご慧眼に、常に自分の未熟さを感じさせられております」

 

 デミウルゴスは優雅に一礼をしたが、アインズは自分の動揺を押し隠すので精一杯だった。何を言ってもデミウルゴスに全てかわされそうな気がする。こういうのを、覆水盆に返らずとか言うんだったか。以前ギルメンの誰かがそんなことをいっていた。

 

(やっぱり、これ、いじめだよな!? こんな頭良いやつが気付かない訳ないもんな! それとも、これはデミウルゴスの俺に対する気遣いなの? 馬鹿な上司をかばおうとする感じの……)

 

 しかし、デミウルゴスの眼は真剣そのもので、どう見ても本気で言っているようにしか見えなかった。

 

(なんで、こういう時に一緒に反対してくれる味方がいないんだ。一人くらいいてくれたっていいじゃないか)

 

 アインズは一瞬イビルアイを思い浮かべるが、彼女は今ここにはいない。まだ正式に配下になっているわけではないから当然ではあるが。

 

 ――こうなったら仕方がない。半ば自棄になりつつ、アインズは覚悟を決めた。

 

「ふふ、デミウルゴス、それこそお前の勘違いだと思うがな。……では、ナザリックの今後の方針はそのように定めるとしよう」

 

 アインズの宣言に、配下達は一斉に頭を下げ承服の意を示す。

 

「……よし。具体的な計画に移ろうか。アルベド、デミウルゴス、考えを述べよ。また、それ以外にも意見のあるものは手を挙げるがいい。発言を許す。皆の忌憚ない意見を聞かせて欲しい」

 

「では、アインズ様、御命により私アルベドから申し上げます。現在の魔導国の周辺で、独立を保っている主な国家は、スレイン法国、竜王国、アーグランド評議国、カルサナス都市国家連合といったところです。イビルアイからの情報では、法国は六大神と呼ばれているプレイヤーが建国した国だとか。イビルアイも具体的には知らないそうですが、神が残したとされる強力なアイテムが今も保管されている可能性があるそうです。また、神人と呼ばれる、プレイヤーの血を引く強力な人間が時折生まれることもあり、現在、最も警戒すべきなのは法国ではないかと思われます」

 

「法国を警戒すべきというのは私も同意するよ。……アインズ様、出来れば不可視化出来るシモベを用いて、法国の内情を探ることを具申いたします。特にナザリックが転移直後に接触しているにも関わらず、今日まで魔導国に対して何の動きを見せないのは腑に落ちません。こちらに対して何らかの策を練っている可能性もあるかと」

 

「確かに、私がこの地に降り立った直後に接触したのは、帝国を偽装したスレイン法国だったな。陽光聖典とか言ったか。思えば、あの時もう少し慎重に対応すべきだったが、今更それを言っても仕方がない。デミウルゴス、調査に関しては少し待て。後ほどもう一度検討しよう。あの国はどうも不気味なものがある。プレイヤーが建国したというのであれば、ワールドアイテムがある可能性も否定出来ないだろう。もしかしたら、シャルティアを洗脳したのは法国だったのかもしれんな……」

 

 シャルティアを殺さねばならなかった時に感じた抑えきれない憤怒を思い出し、アインズの手は怒りで震える。もし犯人が法国だったとしたら、自分はあの時感じた激情のまま、法国を根絶やしにしてしまうかもしれない。次の瞬間、その怒りは強制的に沈静化され、アインズは落ち着きを取り戻した。しかし、胸の中に燻る静かな怒りまで抑え込まれたわけではなかった。

 

「アインズ様……」

 

 心配そうにアインズの様子をうかがっているアルベドの声が聞こえ、そんな気分を振り払おうとアインズは軽く頭を振る。

 

「大丈夫だ、アルベドよ、心配をかけて済まなかったな。少々、あの時の怒りで我を忘れてしまった。ともかくスレイン法国に対しては、慎重にことを進めたい。これ以上お前達を危険に晒すわけにはいかないからな」

 

「アインズ様の慈悲深い御心に感謝いたします。万一法国を偵察する必要がある場合は細心の注意を払い、ワールドアイテムによる攻撃があり得るという仮定でことにあたるようにします」

 

「デミウルゴス、アルベド、お前達なら私がやるよりも遥かに上手くやれると信じている。調査をする場合は二人のうちのいずれかに頼もう」

「承知いたしました」

 

 二人は恭しく頭を下げる。その時に、高々と手を上げる者がいた。

 

「あら、どうしたの、シャルティア。あなたが意見を言うなんて珍しいわね」

 

「うるさいでありんすね、アルベド。ぬしに話したいのではありんせん」

 シャルティアは若干固い表情をしてアルベドを睨みつけた。

 

「ほう、シャルティアか。意見があるなら述べるがいい」

 

 相変わらずかしましい二人の様子は微笑ましかったが、このまま放って置くと面倒くさいことになりかねない。アインズが話を促すと、シャルティアはその場に平伏した。

 

「ははぁ。アインズ様に是非ともお願いしたいことがございんす」

「願い? なんだ? シャルティアがそのようなことを言ってくるのは、確かに珍しいな。必ず叶えるとは約束できんが、申してみよ」

 

「万一、わたしにアインズ様に……剣を向けるようなことをさせた者どもを見つけられましたら、どうか、わたしに雪辱の機会をお与えください!」

 

 シャルティアの様子は妙に真剣で、未だに数年前の出来事が心の中の傷になって残っているのが明白だった。

 

「シャルティア。何度も言うが、あれはお前の失態ではなく、そういう可能性に思い至らなかった私の失態だ。だから、お前が気にする必要はない」

「でもっ!! それでは、わたしが納得できません! それに、わたしはこの手で決着をつけたいのでありんす! アインズ様、どうかお願いします!」

 

「そうか……、そうだな……。確かにお前の言うとおりかもしれない。では、シャルティア。お前を洗脳した犯人を処分する際には、お前にその任を与えることにしよう。それでいいな?」

 

「アインズ様ぁ! 有難き幸せです!」

 

 シャルティアは感極まってアインズにそのまま飛びかかって来そうだったが、流石に思い直したのか再び平伏した。心なしか肩の辺りが震えているようにも見える。

 

「よい。頭を上げよ、シャルティア。お前の忠義を私はとても嬉しく思う」

 

「うう、アインズさまぁ。ありがどうございばずぅ」

 

 アインズの言葉から少しして、ようやく頭をあげたシャルティアは、先程までとは打って変わって涙と鼻水でかなり残念な顔つきになっており、アインズはそっと目をそらした。アウラが「あんた、アインズ様の前でなんて顔してんのさ。ほらこれ」と小声で囁いているのが聞こえる。

 

「アインズ様、私の意見を述べてもよろしいでしょうか?」

「ん? もちろんだとも、デミウルゴス」

 

「私の方から帝国のフールーダ・パラダイン、及び、王国のラナー女王に確認した限りでは、帝国と王国にはワールドアイテム程強力なアイテムは存在していないようです。また、聖王国は私が調査した限りでは、発見することはできませんでした。だと致しますと、アインズ様のご賢察の通り、シャルティアの洗脳に使われたワールドアイテムが存在している可能性が高いのは、やはりプレイヤーが複数存在したという法国になるかと思われます」

 

 その時アルベドの肩が一瞬ぴくりと動いたように見えたが、何故アルベドがそのような反応をしたのか、アインズにはわからなかった。

 

「そして、アーグランド評議国は、この世界でも強大な力を持つドラゴンが複数で治めている国であり、最強と言われる白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)というものが永久評議員を務めているとか。それがどの程度の強さなのかは今の所把握できてはいませんが、イビルアイから聞き出した情報からも、可能であれば評議国とは友好関係を結ぶほうが利益が大きいように思われます」

 

「最強の竜王か……。確かに彼らとは話し合いをしてみてもいいかもしれんな」

 

 少しばかりアインズのレアコレクター欲を刺激する単語ではあるが、そういえば、イビルアイはその竜は仲の良い友人だと言っていた。

 

(ジルクニフとはなかなか上手くいかないが、もしかしたら俺とも友人になってくれたりしないだろうか? 以前プレイヤーとも仲良く付き合っていたというし)

 

 その時、マーレがおずおずと手を上げる。

 

「あの、でも、その竜たちと友好に、というのは、アインズ様に世界の全てを捧げるという、僕たちの目的からは、その、外れちゃうんじゃないでしょうか?」

 

 数人のシモベもマーレの意見に同意するように頷いている。しかし、アルベドはくすりと笑ってマーレに答えた。

 

「良い質問ね、マーレ。でも、世界を手に入れるといっても大事なことを忘れてはいけないわ。至高の支配者、いえ神であられるアインズ様に、廃墟の世界をお渡しするわけにはいかないでしょう? 私達はアインズ様が支配されるに相応しい豊かな世界を手に入れる必要があるの。だからこそ、相手が手を組むに値する程の強者なのであれば、協力関係になるのも場合によっては必要なこと。アインズ様が常にナザリックの戦力強化をお考えになられているのは、この世界には私達が知らない強者がいる可能性があるからだということを忘れてはいけないわ。もちろん、相手が敵対するなら容赦する必要はないけれど」

 

「全くもってその通りだね。アルベド。しかし、それだけじゃない。アインズ様は更に深遠なお考えをお持ちになっているはず」

 

 そう言って、デミウルゴスはアインズの方を確認するように振り向き、アインズはどきりと無い心臓が跳ねたような気がした。

 

(デミウルゴスめ、今度は俺が一体何を考えているっていうんだ! しかし、こういう時のデミウルゴスの対処法ならもうわかっている。もう数年前の俺じゃない。頑張れ、俺!)

 

「……ふふ、バレてしまったか。デミウルゴスよ」

「当然でございます。私も、せめてアインズ様のお考えに少しでも近づけるように努力しておりますから」

「では、デミウルゴス、お前が理解した私の考えをマーレに、そしてこの場にいる皆にわかりやすく説明することを許可しよう」

「畏まりました」

 

 デミウルゴスは尻尾をゆらゆらさせながら、下僕達の方を向き直った。

 

「マーレ、いいかい? アインズ様がどんなに素晴らしい統治をなさっても、必ず不満を洩らし反抗する不埒者たちは出てくるだろう。今はまだ国土も小さいし、国民の数も少ないからそれほど目立たないが、そのうち、見逃せないほどの勢力になりかねない。だからこそ、そういう者たちに国を荒らされないためにも、逃げ場となる場所が必要なのだよ」

 

「つまり、魔導国に不満や反感を持つ者たちの吹き溜まりとなる国を、あらかじめ用意するということね。さすがはアインズ様」

 

 アルベドは納得したように同意したが、アウラが不満そうに口を開いた。

 

「ええー。そういう奴らは、全部殺しちゃうんじゃダメなんですか? アインズ様に支配していただけるのに、不満を言うなんてあたしはちょっと許せないなー」

「アウラ、確かに私もそれは同意するがね。そういう逃げ道を用意しておくというのも、アインズ様の栄光を傷つけないために必要な方便なのだよ」

「うーん、イマイチ納得いかないけど、それがアインズ様のお考えなら」

「その、ぼ、僕もわかりました」

 

 不承不承ながらもマーレとアウラが黙ったのを見て、デミウルゴスは何か言いたげにアインズを振り返った。

 

「う、うむ、デミウルゴス、よくぞ我が考えを見抜いたな。その通りだ」

「いえ、この程度、アインズ様の叡智の足元にも及びませんが……」

 

 やっぱり、デミウルゴスにいじめられているような気がしなくはなかったが、アインズは気が付かなかったことにした。

 

「それと都市国家連合に関しては、所詮小国家の集まりでありますので、積極的に動く利益は薄いかと。向こうからなにか言ってくるまでは放置し、むしろ、魔導国に反感を持つ者達が集まるように仕組むほうがナザリックの利益になると考えます。ですので、私としては次のターゲットは竜王国にすべきであると考えます」

 

「でも、デミウルゴス。竜王国もかなり国力が低下しているという八本指からの情報があるわよ。あの国もあまり利益はないのではないかしら?」

 

 デミウルゴスが口火を切ると、若干不満そうにアルベドが言った。

 

「いや、アルベド。実は新たに着手したい実験があってね。アベリオン丘陵の他にも牧場を作りたいんだよ。そのために、竜王国の隣にあるビーストマンの国を配下に収めたいと考えているんだ。竜王国の国力低下の原因はビーストマンによるものなのだろう? つまりは一石二鳥というわけさ」

 

「あら、また牧場を増やすの? 牧場で使っていい人間は、死罪を賜ることが決まった者のうちアインズ様の実験が終わられた分だけ、と決まっているでしょう。これ以上増やす意味なんてないと思うけど?」

「いや、今度の牧場は別の試みに使いたいんだ」

 

 デミウルゴスの牧場と聞くと、アインズは嫌な予感しかしなかった。

 

 聖王国でデミウルゴスの牧場の実態を初めて知り、いくら人間には同属意識を持てないアインズでも多少の不快感を感じた。しかし、使用に耐える羊皮紙の製造法がそれしかなかったと言われてしまえば、アインズとしては認めざるを得ない。一応、牧場で必要となる人間の確保の方法と取扱いについては条件をつけたが。

 

 しかしながら、この件に関しては、これまできちんと確認しないまま、デミウルゴスに任せきりにしたアインズの責任なのは間違いない。それに、なんといっても羊皮紙が必要量確保出来なければ、いずれナザリック自体が立ちいかなくなるのだ。

 

「ふむ、デミウルゴス、牧場の件はここではなく別な機会に詳しく確認させてくれ。今は全員が知るべき目標を定める場だからな」

「大変失礼いたしました。では、牧場の件と、それ以外にもご相談したいことがございますので、後日改めて執務室にお伺いいたします」

「わかった。ではお前の都合が良い時に我が部屋に来るがいい。それと相談内容は、全て簡単にまとめた書類を作成しておくように」

「承知いたしました」

 

「アインズ様、私の方からもお伝えしなければならないことがございますので、その時は私も同席してよろしいでしょうか?」

「ああ、もちろん構わない、アルベド。……さてと、話を中断させてしまったな、デミウルゴス。お前の提案を続けてくれ」

「畏まりました」

 

 デミウルゴスは優美に一礼をすると、改めてアインズに向き直った。

 

「アインズ様、以上のことを踏まえまして、手始めにビーストマンの国を落とし、その後、彼らを使って適度に竜王国を追い詰めることで、竜王国から魔導国に支援要請を出させ、そのまま魔導国の属国にする作戦を提案いたします」

 

 




佐藤東沙様、むっちゃん!!様、誤字報告ありがとうございました。

※シャルティアの一人称に関する報告については、シャルティアの感情を表すために意図的に使っている部分もあるので修正は基本的に見送りました。誤字報告いただいたもの全てを本文に反映させている訳ではありませんのでご了承ください。


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3: 未知への一歩

 蒼の薔薇が全員揃って、魔導国冒険者組合の二階にある広めの会議室に顔を出した時、冒険者組合長プルトン・アインザック、魔術師組合長テオ・ラケシルは既に奥の方の席に陣取って、白熱した議論をしている真っ最中だった。

 

 冒険者組合では、月に一度、冒険者組合長、魔術師組合長、アダマンタイト級冒険者チームのリーダー、及び、組合の監査役になっているアウラ・ベラ・フィオーラ、訓練施設整備役としてマーレ・ベロ・フィオーレによる定例報告会議が行われることになっており、現在の組合の状況に関する情報交換や、冒険者組合から魔導国への要望の取りまとめ、発生している問題についてる対処法の検討などが行われている。

 

「おぉ、蒼の薔薇の諸君。全員で来るとは珍しいじゃないか。さあ、適当な席に座り給え」

「ありがとうございます、組合長」

 

 軽く挨拶した蒼の薔薇は空いている席に思い思いに座った。まだ、定められた時間までは少しばかり時間がある。のんびり雑談をしていると、外が妙に騒がしくなってきたのを感じる。何事かと顔を見合わせたその時、扉を軽くノックする音がした。

 

「どなたかな?」

 

 アインザックが声をかけると、「魔導王陛下の御着きでございます」という聞き覚えのない鈴のような女性の声が返ってきて、アインザックの返答を待つこともなくそのまま静かに扉が開く。

 

 室内にいた者たちは全員慌てて立ち上がり、部屋に入ってくるアインズを出迎えた。

 

「あぁ、突然来て済まなかったな、アインザック。皆、気にせず楽にしてくれ」

 

 アインズは後ろにモモンとマーレ、アウラを従えて部屋に入ってくると、鷹揚な態度で軽く手を振った。お付きのメイドは扉を閉め、アインズの脇に控えている。誰かが小さな声で「ラッキー」と呟いた。

 

「陛下、とんでもありません。わざわざ足をお運びくださるとは、光栄でございます」

 

 アインザックが丁寧にお辞儀をすると、アインズは部屋の上座にある椅子に向かい、メイドが引いた椅子に支配者らしい堂々とした仕草で腰を下ろした。

 

「お前達も立っていないで座るといい。別にそのようにかしこまる必要はないぞ」

「はっ、ではありがたく」

 

 マーレとアウラはアインズの右隣の席に座り、モモンは左隣に腰を掛けた。メイドはアインズの後ろに立っている。アインザックが恭しくお辞儀をしてから着席すると、残りの全員も同じように頭を下げ先程までの席に座った。組合の受付嬢が紅茶を運んできて全員に配って歩き、一礼をすると部屋から出ていった。

 

 アインズは冒険組合長に目を向け、穏やかに口を開いた。

 

「アインザック、今日は報告会の後で少し提案したいことがあって来たのだ。それと、久しぶりに直接お前たちの様子も確認したくなったのでな。だから、私のことはあまり気にせず、普段どおりに進めてくれ」

 

「畏まりました。では、メンバーも揃ったようですし、そろそろ始めるといたしましょう。陛下、せっかくですから、最初に何か一言お言葉を賜りたいのですがよろしいでしょうか?」

 

「もちろん構わない」

 

 アインズは頷き、部屋の中にいるメンバーをゆっくりと見回した。

 

「今のところ我が魔導国の冒険者組合は、当初アインザックやラケシル達と話をした理念を実現するため、日々努力している途上にある。建国当初は、皆も知っての通りエ・ランテルには冒険者らしい冒険者は殆ど残っていなかったが、ここにいる皆の尽力のおかげで、現在はかなりの数の若い冒険者達が魔導国で冒険者を目指そうとしてくれるようになった。これはとても素晴らしいことだと思う。まずは、それについて皆に感謝をしたい」

 

 アインズは軽く頭を下げ、アインザックやラケシルは慌ててアインズに頭を上げてくれるように懇願した。蒼の薔薇の面々もさすがに驚いたのかアインズの様子を見つめている。

 

「アインズ様、そういうことをすると、皆びっくりしちゃいますよ」

「そ、そうですよ。アインズ様がそのようなことをされなくても……」

 

 他のものと同様にマーレとアウラは一瞬驚いてアインズを見ていたが、それでもなんとか場を取りなそうと頑張っている。

 

「そうか? 私は単に感謝の気持ちは伝えるべきだと思っただけなのだが……」

 

 やはり王がこのような態度を取ると、部下を逆に萎縮させてしまうのかと反省しながら、アインズは頭を上げた。アインズとしては不本意だが、これも仕方がないのだろう。

 

「いえ、我々こそ陛下に感謝しております。私もこのような仕事を長くやってまいりましたが、長い冒険者人生で今が一番やりがいを感じております」

 

「私もですよ。おまけに、冒険者組合だけではなく、魔術師組合も加入希望者が殺到しておりまして。やはり、陛下の強大なお力に憧れるものも多いのでしょう。もちろん、私も、その、第八位階の魔法とか機会があれば一度見てみたいとか、少し思っておりますが……」

 

 ラケシルはおのれの欲望を隠そうとするつもりはないようで、熱のこもった目つきでじっとりとアインズを見ている。以前魔封じの水晶の中身が第八位階魔法だと知った時のラケシルの狂乱ぶりを思い出し、アインズは思わず笑いを洩らしそうになる。しかしあの時、そんなラケシルを見ていたのはモモンなのだから、流石に反応する訳にもいかない。アインズは必死になって平静を保った。

 

「ふむ。ラケシル、高位の魔法を見たからと言って他のものの参考になるかどうかはわからないが、魔導国の魔法詠唱者にとって何か得るところがあるというなら、そのような機会を設けてみるのも面白いかもしれないな」

「もちろん、参考になりますとも! やはり高い目標というのは刺激になるものでございます」

 

 ラケシルの目は再び異様な狂気に満ちはじめ、アインズは触れてはいけないものを見てしまったような気分に陥る。

 

「まぁ、そういう気持ちはわからんでもないがな。帝国のフールーダですら高位魔法の話には興味があるようだし」

「陛下、当然でございますよ。魔法詠唱者にとっては知識というのは何よりも代えがたいものなのです!」

 

「お前の気持ちも熱意もよくわかった、ラケシル。だから、少し落ち着くが良い。……そうだな、せっかくだから、他にも何か提案などがあれば聞いておきたい。意見があるものは遠慮なく話をしてくれ」

 

 放っておくとどこまでも力説しそうなラケシルの言葉を遮り、アインズは他の者に話を振る。ラケシルは残念そうな顔つきで、一旦黙り込んだ。アインザックや他の面々は少し考え込んでいる様子だったが、部屋の端の方からためらいがちな声がした。

 

「あの、私からも意見を申し上げてもよろしいでしょうか?」

「なんだ? イビルアイ。もちろん構わないとも」

 

「これは必ずしも冒険者組合に直結する話ではないかもしれませんが、私は魔法詠唱者を育成する学校があるといいと思います。比較的訓練がたやすい戦士と違って、魔法詠唱者は才能が必要なうえ、特別な訓練を受けなければ魔法を覚えることが出来ません。第一位階を使えるものですら数が限られています。しかし、アイ――陛下のお考えになっている冒険者は、やはり最低でも第三位階以上の力を持つ魔法詠唱者が必要になると思います。帝国の魔法学院のような感じでもいいですし、他のもっといいやり方があれば、そちらでもいいと思うんですが」

 

「ほう、なるほどな。学校というのは前にも誰かに……、ああ、ユリだったか? まだ具体的には何も動いてはいなかったが、確かにそれは考慮すべき提案だな。ありがとう、イビルアイ」

「いえ、そんなことはないです。少しでもお役に立てたなら、その嬉しいです」

 

 イビルアイは若干照れたような感じで頭をぺこりと下げた。アインズはそれを見て少しばかり、微笑ましい気分になる。

 

「陛下、魔法詠唱者を育成する学校に関しては、我々も必要性を痛感しているところでありまして。実はラケシルと一緒に近々ご相談させていただこうと思っておりました。是非前向きにご検討頂けると幸いです」

 

「わかった。お前達二人の要望でもあるというのであれば善処しよう。問題はどういう形で行うかだな。まずは設置に関する検討をしなければならないから、その結果にもよるが、場合によってはラケシル、お前を帝国の魔法学院に派遣し、どのような教育を行っているのか視察してきてもらうことになるかもしれない。それは問題ないか?」

 

「はっ、もちろんでございます。こちらから出した要望でもありますので、それに関することであれば、なんなりとお申し付けください」

「そうか。ではなるべく早く設置の可否を含めて連絡することにしよう。それでいいな?」

「ありがとうございます、陛下。もちろん構いません」

 

「よし。前置きがすっかり長くなってしまったな。アインザック、早速本日の報告会を始めてくれ。その後、私が本日ここに来た用向きを話そう」

「畏まりました。陛下。――ではまず、蒼の薔薇の方からは何か報告が必要なことはあったかね?」

 

「はい。まず、今行っている訓練設備のテストに関してですが、マーレ様からお伺いした想定レベルは銀級向け、とのことでしたが、出現モンスターが若干強いように思われます。遭遇率を下げるか、もしくはもう少し弱めのモンスターの方がよろしいかと思います」

 

 ラキュースの報告を聞いたアウラが手を軽く打って頷いた。

 

「あー、なるほどー。まだちょっと強かったか。モンスター配備の担当はあたしだから、別のモンスターを見繕ってみる。ラキュース、それでもう一度試してもらえるかな?」

「あ、あの、それじゃあラキュースさん、先日お願いした新しい階層のテストは、今の階層の調整が終わってからでいいです」

 

「わかりました、アウラ様、マーレ様。先に銀級の方をテストしてから問題なければ、新しい階層に移るようにします」

「うん、それでお願い」

 

「銀級連中の話で思い出した。俺からも一言いいたいことがあったんだ。今は組合近くの少し広めの場所で剣の指導をしてるんだけどよ、できればもうちょっと模擬戦のようなことを安全に出来る場所があったほうがいいと思ってるんだ。どうしても、熱が入ってくると周りで見ている奴らも結構危ない時がある」

 

「ガガーラン、それは言えているな。私も魔力系魔法を時々教えてやっているが、できれば実戦形式で教えてやりたいと思うことがある。だが、実戦形式ともなると、どこに魔法が飛ぶかわからんからな。さすがに危ないので躊躇していたんだ」

 

「なるほど。ガガーラン君とイビルアイ君の言うことはもっともだ。それなら、陛下、いっそ闘技場のような形の物をお作りになられてはどうでしょう? 国民にとっては娯楽にもなりますし、普段は冒険者の訓練施設として使えばいい。それに、例えば年に一度トーナメント形式の試合を行って、冒険者としての実力を競い合うというのも悪くないかもしれません。冒険者仲間といっても、なかなかお互いの実力を見せ合う機会というのもありませんしな。リ・エスティーゼ王国では、時々御前試合みたいなのをやっておりましたが、そういう形式でもいいかもしれません。もっとも帝国の闘技場のように、死ぬまでやるというのはいただけませんがな」

 

 アインザックは苦笑いをした。

 

「闘技場か。確かにそれは魔導国にもあってもいいかもしれん。帝国ではたいそう人気があったようだし」

 

(それに結構な収入になってたみたいだったしな。やはり収入源が増えるというのはありがたい。最近税収もだいぶ増えては来ているが、ナザリックの維持のためにも金はいくらあっても困ることはないし、俺の手元にも、もう少し自由に使える資金がほしい……)

 

 乏しい自分の懐具合を考えつつ、後でパンドラズ・アクターに相談しようと、アインズは心の中にメモをする。

 

「闘技場があれば、陛下の魔法も見せてもらいやすくなりますかね!?」

「えっ? ラケシル、確かに普通の場所でやるのはあまりお勧めは出来ないが、闘技場でやるのもな。私としてはあまり気乗りがしないのだが……」

 

 何の見世物だよ、と心の中で突っ込んだアインズは、慌てて話題を変えた。

 

「そういえば、貸出をしているルーン武器の使用感とか評判はどうなんだ?」

「その件については、ガガーランの方が詳しいと思うのですが……私が見た限りでは、駆け出しの冒険者が使うのには非常に良いのではないのかと思われます」

「そうか。やはり、まだ強化度合いが上位の冒険者には物足りない感じか?」

 

「俺たちの手持ちの武器と比べると多少見劣りはするっていうだけで、普通にミスリル級とかなら十分だと思うぜ。値段との兼ね合いにもよるけどよ。ただ、確かにもう少し魔力の強度が強い方がありがたいとは思う。でも、あのクラスのものがそこそこの値段で何時でも入手出来るって言うなら、それだけでも、かなりいいと思うがな。やはり、いい魔法の武器の流通量は少ないんでね。それを考えれば、今くらいのでも悪くないと思う」

 

「なるほど。そうすると流通量の確保と、もう少し質の高い品の開発が必要そうだな」

 

(となると、ゴンド達にもう少し強度の高い武器の研究をさせつつ、そろそろ大量生産化の手法を考えてもらったほうがいいかもしれないな)

 

 報告会はその後も順調に続き、全員の話が一段落したことを確認すると、アインズはおもむろに話を切り出した。

 

「参考になる話をいろいろ聞かせてもらえて、非常に有意義な報告会だった。皆、ご苦労だった。――さて、ここからが私の本題なのだが、実は、そろそろ魔導国冒険者組合の実績を作ってみてはどうかと思ったのだ。もちろん、組合の活動自体がまだ軌道に乗ったわけではないので、あくまでもテストケースとしてだが」

 

「なるほど、それは確かに良い頃合いかもしれませんな」

 アインザックは頷いた。

 

「そこでだ。せっかく魔導国には『蒼の薔薇』と『漆黒』の二つのアダマンタイト級冒険者チームがいるのだから、二チーム合同で、適当な地域を探索してみてはどうだろうか。もちろん今回はテストも兼ねるから、それほど遠い場所である必要はないと思う。それに実際に試してみることで、今後の活動の指針にもなると思うのだ」

 

「私は賛成です。その二チームが組めばかなりの難敵にも対応できるでしょうし、何より他の者にとっても良い手本となるでしょう。本当は私が行きたいと言いたいところですが、やはりここは蒼の薔薇と漆黒に任せたいところですな」

 

 ラケシルが笑う。アインザックはゆっくりとモモンとラキュースの方を向き直った。

 

「漆黒、それと蒼の薔薇は魔導王陛下の提案をどう思うかね?」

 

「私は異論ありません。麗しい蒼の薔薇の皆さんさえ構わないのであれば」

 モモンは若干オーバーアクション気味に軽く手を広げるようにしながら即答した。

 

「も、もちろん、私も構いません。皆はどう?」

 そんなモモンに見とれていたラキュースは一瞬顔が紅潮するが、すぐにいつもの様子に戻ると他のメンバーの顔を見回した。

 

「俺は望むところだぜ。若いのに教えるのも悪くはねぇけど、俺自身の力をそろそろ試してみたいしな」

「私は問題ない」

「もちろん、賛成」

「同じく」

 

「では魔導国冒険者組合は、陛下のご提案通り、第一回目の探索チームとして蒼の薔薇と漆黒を派遣することに決定しよう」

 アインザックが決すると、自然と拍手が起こった。

 

「問題はどこに行くかですが、陛下、どこかご希望の場所はございますか?」

「いや、私の方からは特にはないな。むしろ、冒険者の自主性に任せたいところだ」

「畏まりました。では、行き先の選定は蒼の薔薇と漆黒の協議で決めるということで」

 

 その時モモンが軽く手を挙げた。

 

「組合長、よろしいですか?」

「なんだね? モモン殿」

 

「場所の選択は蒼の薔薇の皆さんにお任せして構いませんか? せっかくの初の試みですし、彼女たちの選ぶ場所を見てみたい気がします」

「ほう? 蒼の薔薇はそれで構わないかね?」

 

 ラキュースはあからさまに残念そうな顔をしたが、素直にそれに同意した。

 

「では、後ほど冒険者組合で管理している地図を蒼の薔薇に渡そう。地図に載っていない場所を目標として定めるというのは難しいとは思うが、それも今回のテストの内ということで」

「わかりました、組合長」

 

「では、今日はこの辺でお開きとしますか。陛下、本日はわざわざお運びくださりありがとうございました」

「いや、気にするな。私が勝手に来たことだ。それでは探索が上手くいくことを祈っている。是非、未知の世界を既知にしてきてくれ。蒼の薔薇の諸君。それから、漆黒もな」

 

 魔導王が立ち上がり退室しようとした時、その後ろに付き従っていたアウラが急になにか思いついたように振り返った。

 

「あー、ちょっとだけ、いいかな? ラキュース」

「はい、なんでしょうか? アウラ様」

「出来れば、竜王国と法国付近は避けたほうがいいかも。どうもあの辺危ないみたいだからね」

 

「確かに、竜王国の向こうにはビーストマンの国もありますから、そちらは避けたほうが賢明だと私も思います。それに私達も法国にはあまり近寄りたくはありませんから、その辺は大丈夫です」

「それなら良かった。じゃあ、頑張ってね」

 

 アウラは笑顔で手をひらひらと振り、ちらっとイビルアイを流し見ると、そのままアインズの後を追って出ていった。

 

 

----

 

 

 竜王国の北東に位置する山岳地帯には、周囲を岩山で囲まれた高原がある。そこはまさに天然の要塞であり、ビーストマン達の国の首都ともいうべき場所だった。

 

 都市に繋がる門からは、大勢のビーストマン達が何処かから運んできた大勢の人間を詰め込んだ巨大な檻を荷車で運んでおり、市場のような場所では、生きた人間を競りに出していたり、立ち並ぶ屋台では既に何らかの加工をされた大量の肉が売られている。市場に出入りしているビーストマン達はそれを当たり前のように売り買いしていた。

 

 道には兵士らしい粗雑な武装をしたビーストマン達も行き交っている。兵士たちは都市を守るようにあちこちに配置され、油断なく警戒をしているようだったが、それでも、長らくこの都市を攻められたことはなかったのだろう。自然の防壁となっている巨大な岩の各所に隠れて見張りをしている筈の兵すらのんびり雑談したり、何かを齧るのに夢中になっているものも多く見受けられる。

 

 そして、その場を更に見下ろす位置にある岩山の切り立った崖の上にコキュートスとデミウルゴスが立っていた。二人は前方の遥か下に見える巨大な石造りの都市を、じっくりと検分するように見下ろしている。

 

 二人の背後には、コキュートス配下の雪女郎(フロストヴァージン)が二人、デミウルゴス配下の嫉妬の魔将(イビルロード・エンヴィー)及び、低位の悪魔たち等、二人のシモベたちが大勢控えていた。

 

 しばらく都市や周囲の状況を眺めていたコキュートスが、ガチガチと牙を鳴らすと、おもむろに口を開いた。

 

「デミウルゴス。私ハ御方ニ、決シテ我ガ望ミを口ニ出シテハ、イケナイトズット思ッテイタ。御方ハ、私ニ既ニ恥辱ヲソソグ機会ヲオ与エクダサッテイル。シカシ、御方ニハ、ヤハリ見抜カレテイタノダナ……」

 

「コキュートス、当然だろう。アインズ様は遠い未来まで見通していらっしゃるのだ。君の望みくらいとうの昔にわかっておられたさ。ただ、これまで相応しい機会がなかっただけで、常に君のことを考えていらしたに違いない。その証拠に、シャルティアにも機会を与えられていただろう?」

 

「ソウダナ。アノ話ヲ聞イタトキハ、私ハ先ヲ越サレタト思イ、カナリ焦リヲ感ジテシマッタガ。ヤハリ、アインズ様ハ我々ヲ統ベラレルニ相応シイ慈愛ニ満チタ御方。私モ今回コソハ、アノ時ノヨウナ屈辱ヲ味ワウノハゴメンダ。デミウルゴス、ドウカ私ニ、チカラヲ貸シテクレ」

 

「無論だ。もちろんビーストマンを攻略する作戦計画については、コキュートス、君に全て任せるがね。ともあれ、作戦の第一段階としては我々の存在を知られることなく、ビーストマンを掌握することだ。作戦の都合上、我が配下が召喚したシモベを使ってもらうことにはなるが。君の命令には絶対服従するように既に命じてあるから安心して欲しい。コキュートス、君の采配を楽しみにしているよ」

 

 凍河の支配者は、炎獄の造物主を見やると、自信ありげに頷いた。

 

「必ズヤ、アインズ様ノゴ期待ニオ応エシ、今度コソ、御方ニ勝利ヲ捧ゲテミセル。見届ケテクレ、デミウルゴス。我ガ戦イヲ」

 

 デミウルゴスは深い笑みを浮かべ、盟友に激励の言葉を送る。コキュートスは背後にいた嫉妬の魔将を呼び寄せると、最初の指示を出した。

 

 




五武蓮様、典型的凡夫様、バーバリー湿布様、瀕死寸前のカブトムシ様、キャスト様、誤字報告ありがとうございました。

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予定よりも公開に時間がかかってしまい、大変申し訳ありませんでした。
書いても書いても、なかなか目的のところまでたどり着かず。
いただいた感想のおかげで、なんとか三章も書き上げることが出来ました。
本当にありがとうございました。


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4: 幼女王の苦悩

 竜王国の王城にある小さな一室で、玉座に座った『黒鱗の竜王(ブラックスケイル・ドラゴンロード)』ドラウディロン・オーリウクルス女王は頭を抱えていた。

 

 王国のアダマンタイト級冒険者チームだった『朱の雫』が数ヶ月前から竜王国に助力してくれるようになったおかげで、『クリスタル・ティア』のみでは支えきれなくなりつつあった戦局は、かなり改善したかのように思われた。

 

 ビーストマンの侵攻は下手すると戦線崩壊しかねない勢いだったが、二つのアダマンタイト級冒険者チームを柱に、残り僅かな竜王国軍は国の北東部まで前線を押し戻すと、その後はそこにある中核都市を拠点にして、ビーストマンの攻撃をかろうじて食い止めていた。

 

 しかし、このところビーストマンの動きが妙に活発化し始めたのだ。

 

 おかげで既に陥落していた三つの都市に加え、巧みな急襲を受けた二つの都市を落とされてしまい、前線は国の中央部まで一気に後退してしまった。数年前にもビーストマンが急に組織だった行動をとり始め、以来竜王国は苦戦を強いられ続けたが、明らかに最近のビーストマンの攻撃はそれとは異なる機動性があるように思われる。

 

 そのため竜王国はスレイン法国に再三援軍を要請し、一時的に復帰した漆黒聖典の引退者を派遣してもらうことで急場をしのいでいた。しかし二週間程前に、突然スレイン法国は竜王国に断りなく漆黒聖典を引き上げてしまい、焦った竜王国はその後何度も新たな部隊の派遣を要請したが、法国からは一切返答はない。

 

「まったく、どういうことだ。スレイン法国め。金ばかりむしり取ったあげく、ようやく漆黒聖典を派遣してくれたと思えば……。やはり、奴らは竜王国を見捨てたということか?」

「陛下。もうスレイン法国からの援軍は諦めませんか? これなら、おとなしく他の国に頭を下げた方がましですよ」

 

 自分の右脇に立ち、冷ややかな表情をしている宰相を、ドラウディロンはじろりと睨みつけた。

 

「そんなことを言っても、一体どこがこの国を助けてくれるのだ? 以前頼ろうと思っていたバハルス帝国は、こちらがスレイン法国に打診している間に、あの怪しげな国の属国になってしまったではないか!」

「アインズ・ウール・ゴウン魔導国ですよ。陛下」

「名前などどうでもよかろう!?」

 

「確かに、苦難の我が国を助けてくれるなら、相手がどんな国だろうが全て些細なことですよね、陛下。そういう意味で仰られたのですよね?」

「……本当に嫌味なやつだな」

「そういう性分ですから。――ところで陛下は、アンデッドがこの国を助けてくれるかもしれないとしたら、どうされるおつもりですか?」

 

 探るように自分を見ている宰相に、少々ムカついたドラウディロンは玉座の肘掛けにだらしなく頬杖をついた。

 

「助けてくれるんなら、どうせお前は相手がアンデッドでも些細なことだと言いたいんだろう? 私にはそんな奇特なアンデッドがいるとは思えんがな」

「もちろん助力してもらえるなら、この際相手がアンデッドだろうが悪魔だろうが、私は一向に構いません。どのみち、このままなら竜王国は滅びて国民は死ぬだけですから。――陛下、魔導国の王は強大なアンデッドなんだそうですよ。そのうえ、何十万もの人間を一気に殺せるような凄腕の魔法詠唱者なんだとか」

 

 その情報はドラウディロンには初耳だった。それほどまでに強力な魔法詠唱者が存在しているなら、今の竜王国を助けることなど簡単に出来るだろう。

 

「ほう、それは凄いな。かの白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)の始原の魔法とどちらが強いのか興味がある。少なくとも、私が始原の魔法を無理やり使うよりも強力そうだが」

「私もそう思います。それに、魔皇とやらに襲われたローブル聖王国も魔導国の王が助力して倒してくれたんだそうですよ」

 

「そんなことがあったのか。今の世に魔皇がいるとは知らなかったぞ。だいたい、そんなものが襲ってきたら、今の竜王国などひとたまりもないではないか!」

「全くです。倒してもらえてよかったですね。でも、それなら魔導国の王が力を貸してくれれば、法国などに頼むよりもよっぽど確実にビーストマンを倒してくれると思いませんか?」

「それは名案だな! 宰相、たまにはいいこと言うではないか」

 

 子どもらしい口ぶりで笑いかけるドラウディロンに、宰相は冷ややかな視線を送った。

 

「普段からそんな感じで頑張ってくださいよ。どうも最近ボロが出ているような気がします」

「仕方ないだろう。こういう演技を素面でやるのは疲れるんだ。ところで、宰相、私はその魔導国とやらに頼った場合、法国の連中が黙っていないと思うのだが? アンデッドの王など連中が黙って見ているとは思えん」

 

「確かに法国は怒るかもしれませんが、我々のこの窮状を知っていながら放置している法国なんて、もうどうでもいいじゃないですか」

 

 宰相は皮肉げな顔をして、肩をすくめた。

 

「……宰相、気でも狂ったのか? 一応今まで散々頼っては来たのだし、あそこはあそこで敵に回すのはそれなりに怖いぞ? 隣国でもあるしな。もしかしたら、法国が漆黒聖典を引き上げたのは、その魔導国とやらの対策のためかもしれない」

 

「陛下にしては珍しくちゃんと考えておられるんですね。少し見直しました」

「うるさいわ! いつも考えているに決まってるだろう!」

「そうでしたか。それは失礼致しました」

 

 慇懃に宰相は一礼する。どうせ反省などしていないのだろうとドラウディロンは思うが、口には出さなかった。

 

「ともかく、このままでは私の代で竜王国は終わりだ。さすがにそれは曾祖父様に申し訳ない。すがれるものならアンデッドにだってすがりたいぞ。金さえかからないのならな!」

「問題はそこですね。今の我が国に助力するメリットなんて、先方には全くありませんから。噂では、魔導国の属国になったバハルス帝国もリ・エスティーゼ王国も強大な魔導王の庇護下で平和らしいですよ。羨ましい限りです」

「くそ、言いたい放題いいおって」

 

 ぼやく宰相を横目で眺めつつ、ドラウディロンはしばらく思案した。

 

「リ・エスティーゼ王国か……。朱の雫はそこから来たんだったな。奴らならもう少し魔導国について詳しく知っているんじゃないのか?」

「仰るとおりですね。朱の雫ならもう少しすれば来るはずです。王都に帰還次第、女王陛下にご機嫌伺いに来ると申しておりましたから。――陛下、彼らが来たら私は退室してよろしいでしょうか?」

 

「ダメだ。私は可愛らしくて、まだ物のよくわからない幼女なんだからな。宰相がいないのはおかしいだろう」

「……あんまりあそこのリーダーと会いたくないんですが」

「いいじゃないか。あの男もお前を喰うわけじゃないだろ。物理的に」

 

 宰相がドラウディロンに反論しようと口を開きかけた時、玉座の間の入り口に朱の雫の到来を告げる家臣が現れ、慌ててドラウディロンは国を憂える幼い少女を装い、宰相は居住まいを正して、正面に向き直った。

 

 少しすると、恰幅のいい壮年の男性と、長身で理知的だが妙に気障ったらしい男性の二人連れが現れ、ドラウディロンの前まで進み出るとおもむろに跪いた。

 

「ドラウディロン女王陛下、朱の雫のアズス、現状報告も兼ねてご挨拶に参りました」

「同じく朱の雫のルイセンベルグ、可憐な一輪の花のように麗しい女王陛下にお目通りが叶い、この上ない幸せでございます」

 

「うむ。苦しゅうないぞ。二人とも面を上げよ」

 

 顔を上げた二人はいかにも歴戦の戦士であることを思わせる風格があったが、アズスは時折宰相の方を流し見ては怪しげな笑みを浮かべている。宰相はいつもどおり冷静に振る舞ってはいたが、あまりアズスとは視線を合わせないように、微妙に目を泳がせていた。

 

「よく無事に戻ってきてくれた。なにしろ、今の竜王国は朱の雫の力が頼りなのだ」

 

「女王陛下、有難きお言葉を賜り感謝いたします。我々朱の雫は今回も無事に任務を終わらせ帰還することが出来ました」

「ご安心ください。陛下のご命令通り、王都北西の都市周辺からはビーストマンの部族を追い払うことに成功し、現在はクリスタル・ティアの指揮で防御を固めているところです」

 

「それは何よりだ! 冒険者の人たちには怪我はなかったのか?」

「我々朱の雫とクリスタル・ティアが揃えば、そのへんのビーストマン風情でしたら敵ではございません。他の冒険者の者も何とか無事でございます。怪我をしたものもおりますが、早急に傷を癒やし、皆次の戦闘に備えております」

 

「よくやった! 素晴らしい功績だ。このドラウディロン、朱の雫の働きにはとても感謝している!」

 ドラウディロンは、子どもらしい明るい顔つきになり、はしゃいだように声を上げた。

 

「お褒めいただき、この上ない幸せでございます」

 アズスとルイセンブルクは頭を下げた。

 

「ところで、朱の雫に少し尋ねたいことがある。かまわないか?」

 ドラウディロンは可愛らしく首を傾げた。

 

「女王陛下にお役に立てるなら何なりと。我々でお答えできることであれば」

 そう言ってアズスは宰相に熱い視線を送り、宰相は引きつった笑いを浮かべている。

 

「そうか。実は、おぬし達の故国であるリ・エスティーゼ王国は、……あいんず・うーる……」

「アインズ・ウール・ゴウン魔導国ですよ。女王陛下」

 

 宰相に嫌味っぽく囁かれ、ドラウディロンは軽く舌打ちをするが、すぐに国を想う幼き女王の顔に戻った。

 

「……わかっておるわ。あー、その魔導国の属国になったそうだが、その魔導国の王というのはどういった人物なのだ?」

「アインズ・ウール・ゴウン魔導王ですか。あいにく我々は直接会ったことがあるわけではないので、あくまでも聞いた話になりますが、それでもよろしいのでしょうか?」

「構わん。何でもいいので、知っていることがあれば教えてほしい」

 

「そうですか。私が知っているのは、まだ王になる前のアインズ・ウール・ゴウンという強力な魔法詠唱者が王国のガゼフ・ストロノーフ戦士長をとある軍勢による襲撃から救ったこと。彼が魔導国を打ち立てる際に帝国と同盟を結んだこと。以前定期的に行われていた帝国と王国との最後の戦争でアインズ・ウール・ゴウンが神の如き強大な魔法を放ち、王国の兵二十万を虐殺したこと。その際ストロノーフ戦士長はアインズ・ウール・ゴウンとの一騎打ちで敗れ戦死したこと。そして、王となってからは、ローブル聖王国を救うべく自ら魔皇を倒し、リ・エスティーゼ王国の内乱をほぼ無血で鎮めた、ということですな」

 

「待て、アズス。兵士二十万を魔導王が一人で殺したのか?」

「ええ、そうです。帝国の兵士は一切動かず、魔導王が放ったのはたった一つの魔法だったそうですよ」

「何だって? そんな馬鹿な……」

 いつもは冷静な宰相も驚きの声を隠しきれなかった。

 

「しかもそれでいて、人を助けることもするとは。まるで神と魔神を併せ持つような存在ではないか」

「女王陛下、まさに仰るとおりかと。実際、ローブル聖王国でもリ・エスティーゼ王国でも神と崇めるものが大勢出てきているそうです。そろそろ吟遊詩人が唄にでもするんじゃないでしょうか?」

 朗々と詠うような口調でルイセンブルクが口をはさみ、アズスに軽くこづかれて決まり悪そうに黙った。

 

「その話が全て真実なら、私はむしろ魔導王というのがどういう存在なのか、全くわからなくなった。アズス、魔導王がアンデッドというのは本当なのだな?」

「ええ。エルダーリッチのような外見と聞いています。しかし話の内容からして、恐らくそれよりも上位のアンデッドなのでしょうな」

 

「そんなアンデッドがいるなんて聞いたことないぞ。曾祖父の話にも……、ああ、いや、そういえば、スレイン法国の神の一人も強大なアンデッドだったといっていたな」

七彩の竜王(ブライトネス・ドラゴンロード)様のお話ですか。それは興味深い」

「私がまだ幼いこ……んん、それでだな、アズス、率直に聞かせて欲しい。お前は魔導王はどう思う?」

 

「そうですな。あくまでも私個人の印象ですが、逆らうものには容赦しないが、恭順するものには案外寛大ではないかと。実際、リ・エスティーゼ王国は魔導王に対して弓引くことを選んだ時にしか、魔導王に攻撃されていないのです。例の虐殺にしても、王国は戦士長が止めようとするのを無視して魔導王と戦うことを選んだと聞いておりますし、戦士長が死亡した件も、戦士長が自ら魔導王に一騎打ちを願い出たと聞き及んでおります」

 

「つまり、王国は自滅の道を自ら選んだということか?」

 

「まさに女王陛下のご慧眼の通りかと。リ・エスティーゼ王国は、最初から魔導国に頭を下げていれば何事もなく終わったのかもしれません。実際、自分は王国が現在の落ち着きを取り戻したのは、魔導王から賜った助力の結果だと思っております。……失礼ですが、陛下は魔導国に援助を願うおつもりなのですか?」

 

「まだ、わからん。ただ、一応情報として知りたかったのだ。近隣の国のことでもあるしな」

「そうですか。ただ一言申し上げるなら、魔導王に助力を乞えば、ほぼ確実に魔導国に跪くことになるでしょう。そして、アンデッドの王を戴く国を法国が認めることはありえない。場合によっては法国とことを構えることになりかねません」

「うむ、そうだろうな」

 

「それと、これも陛下にお話せねばと思っていたのですが、ここ最近のビーストマン達の動きは、以前にもまして組織化しております。少し前までは部族単位での行動のようでしたが、今は部族単位ではなく、適切な部隊を編成して攻撃してきているように感じます。まるで戦を取り仕切るものが変わったかのような……」

 

「なんだと? それはまずいではないか! ビーストマンどもめ、余計な知恵をつけおったか?」

 

「そこまではわかりませんが、正直このままでは、そう長くは戦線を保てないかもしれません。今はなんとか王都への侵入を阻止すべく、自分達とクリスタル・ティアで敵を抑え込んでおりますが、何らかの抜本的な対策が必要ではないかと思われます。――まあ、我々冒険者が国の政には口を差し挟むのは立場上宜しくありませんので、この話はこのくらいで」

 

「ふむ、なるほど……。いや、助かった、さすがアズスは物知りだな! 感服したぞ!」

 ドラウディロンは朗らかな声で褒め称えた。

 

「有難きお言葉でございます、女王陛下。――ところで、宰相様。今夜のご予定は……」

 

 アズスの目はあからさまに宰相の姿を上から下まで熱い視線で見やると、いつもながら魅力的だ、と小さな声をもらす。隣りにいるルイセンブルクは真面目そうな顔をしつつも、口元が微妙に緩んでいる。

 

「あ、いや、申し訳ない。アズス殿。今夜は重要な会議が入っている。国の功労者たる朱の雫のためであれば、なんとか時間を工面したいところなのだが、何分今の情勢がそれを許してくれないのだ」

 

 宰相はアズスの視線から自分の身体を隠すようにさりげなく手を前に回す。

 

「それは残念でございます。このアズス、宰相様のような知的な方もなかなか好みでしてな。一度ゆっくりお話してみたかったのですが。ではまたこの次にでも」

「すまないな。理解してくれて感謝する」

 

 恭しく一礼して、退室していく二人を見送ると、ドラウディロンと宰相は思わず安堵の声をもらした。

 

「……あれってやっぱり、ホモとかいうのなんですよね?」

「恐らくな。アズスは豪胆だし腕も確かで悪くない人物なんだが……。まあ、これで私の気持ちも少しはわかっただろう?」

「やめてください。心底迷惑してるんですから」

 

「別にいいではないか。アズスはセラブレイトに比べれば、大分紳士的だと思うぞ? 少なくとも奴ほどはあからさまじゃない」

「十分あからさまですよ! 確かにセラブレイト程はジロジロ見ないですけど、なんか身体の芯からゾクッとするのを感じるんですよ。――はぁ、どうして、我が国にはまともなアダマンタイト級冒険者がいないんでしょうね……」

「全くだな。朱の雫じゃなくて蒼の薔薇が来てくれれば良かったな……」

 

 二人は盛大に溜め息をついた。しかし、いないもののことを言っても仕方がない。それに性癖がどうあれ、彼らが竜王国のために戦ってくれる貴重な戦力であることには変わりがないのだから。

 

「ところで、宰相。魔導国の件だが。私はもういっそ頭を下げてしまえば良いんじゃないかと思っている」

「奇遇ですね、私もですよ。たまには気が合うこともあるんですね」 

「ほざけ。ただ、アズスは頭を下げれば助力してくれるようなことを言っていたが、本当だと思うか?」

 

「さあ、わかりませんね。そもそも、アズスはそこまでは詳しく知らなさそうですし、王国と聖王国は何らかの形で対価を支払っていたと考えるのが妥当でしょう。ただ、どのみち助力の対価を金銭で支払おうにも、我が国には金などありません」

「そんなことは、わかっておるわ。人間の守護者を気取っておる法国でさえ金を要求するんだ。いずれにせよ、ただじゃ無理だろうな」

 

 ドラウディロンは苦虫を噛み潰したような顔をした。

 

 実際、ここ数年の激しいビーストマンとの攻防の結果、竜王国は多大なる被害を受けていた。壊滅した都市から王都に逃げ出してきた国民を養うのも大変だ。法国に度々寄進した額も少なくはない。魔導国が助力の対価に金銭を要求してくるのは援軍を要請する以上当たり前のことだし、それは他のどの国に頭を下げるとしてもそう変わらないのではないかとドラウディロンは思う。そして、その考えは宰相も同じだったようだ。

 

「ですよね。――ところで、アンデッドは陛下みたいな幼女に興味あると思います?」

「はぁ!? お前はいきなり何を言い出すんだ?」

 

「金がない我が国が、助力の対価に差し出せるのは何かと考えると、私はやはり陛下しかないと思うんですよ。どこの国に頭を下げるんでも」

「――宰相。それは、つまり、私にアンデッドの嫁になれというのか?」

 

「話が早いですね。その通りです。幸い、陛下はまだセラブレイトに喰われたわけでもなりませんし、年齢的にもそろそろ相手がいてもいいお歳頃、というか、もうそろそろ真面目にお相手を考えてもいい頃合いです。それに陛下が多少長生きだとしても、そろそろ後継となるお世継ぎも必要でしょう。幸い相手は一国の王ですし、身分的にも問題ありません。もっとも他にも同じようなことを考えている国がないとはいえませんから、最悪陛下が正妃にはなれないかもしれませんが、この際それで竜王国が救われるなら、いっそ魔導王に嫁がれてはいかがでしょう?」

 

 しれっと宰相に言われ、流石のドラウディロンもむっとする。だが、確かに国同士で政略的に婚姻関係を結ぶのはよくあることだし、ドラウディロンだってこれまで相手を全く考えなかったわけではない。もっとも国を守るので精一杯だったから、そこまで手が回らないまま、ずるずるとこの歳まで独身で来てしまった。それに、ドラウディロンとしても宰相の案が現実的であることはわからなくはない。しかし妙齢の女性に対して、宰相の言いようもあんまりではないだろうか。

 

「――私にも一応好みというのはあるのだが?」

「陛下の好みがアンデッドかどうかはどうでも良いです。国を守るためですよ? ビーストマンに頭から喰われるのと、アンデッドの嫁になるのと、どちらがいいですか?」

「…………」

「こうやって考えている間にも、国民は物理的に喰われているのです。だったら、この際、魔導国に賭けてみませんか?」

 

 完全に退路を絶たれたドラウディロンは覚悟を決めた。迷っている余裕などどこにもないのだ。

 

「確かに、このままでは曾祖父様に申し訳がたたん。……宰相、魔導王がロリコンであることを祈るんだな」

「ロリコンでなくても、陛下には別の形態があるでしょう?」

「形態いうなぁ! まぁ、この姿が駄目なら、そちらの姿になればいいか」

 そういって、ドラウディロンは手を胸の下に当てて持ち上げるような仕草をした。

 

「そうですよ。陛下には無限の可能性があります。それにもしかしたら、魔導王は、陛下の本性の方が好みの可能性もありますね」

「アレか……。あの姿には正直あまりなりたくはないが……。アンデッドの好みなんてわからんからな。一応覚悟はしておこう。ところで、宰相。法国についてはどうする? アズスも言っていたが、魔導国につくことが法国にバレれば、恐らくただではすまんだろう」

 

「その時はその時ですよ。法国に難癖つけられたら、これまで出した金額の分の支援をしてもらえていないから、今後は魔導国につくといえばいいでしょう。正直、金を返してくれと言いたいくらいです。それに魔導国が竜王国を保護下に入れてくれるなら、きっと魔導王が守ってくれますよ」

 

 宰相も幾分ヤケになっているようで、皮肉っぽく言った。しかし投げやりな気分になっているのはドラウディロンも同じだ。

 

「それもそうだな。では宰相、早速重臣たちを集めよ! 任せたぞ!」

 

 ドラウディロンのここぞとばかりの子どもらしい笑顔に、宰相は冷ややかな一礼で応えた。

 

 




甲殻様、ニンジンガジュマル様、誤字報告ありがとうございました。

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朱の雫に関しては、ほとんど資料らしい資料がないため、ほぼ完全に捏造です。
アズスの性癖に関しては、ガゼフがアズスに会うのを微妙に嫌がっているような描写があったため、もしかしたらそういうことだったのかもしれない、くらいの全く根拠のない捏造設定です。異論は認めます。

単に、竜王国にはまともなアダマンタイト冒険者がいない、というセリフを書きたかっただけとか、そんなことでは決してありません本当です。


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5: 戦場での思い

 ナザリック第九階層にある執務室で、アインズはアルベドとデミウルゴスを前にして頭を抱えていた。一応外見だけは平静を装ってはいたが。

 

 アルベドとデミウルゴスが作成してくれた何冊もの書類の束は、どれも比較的わかりやすく纏められている。だが一冊の分量だけでもかなりのもので、その上別紙データや様々な試算が資料として付けられている。表紙に書かれたタイトルだけをざっと見た限り、内容はどれも魔導国の今後に関わる重要なことばかりのようだ。流石のアインズでも、よくわからなかったからと適当にごまかすわけにはいかない代物だということはわかる。

 

(やっぱり国が大きくなってくると出てくる問題も増えてくるし、面倒くさいのも多くなってくるよな。これで世界征服とかしてしまったら、一体どんなことになるんだろう)

 

 アインズは既にない胃が痛むような錯覚を覚えるが、先のことは未来の自分に丸投げし、とりあえず、手元にある書類を必死になって目を通した。

 

「アルベド、エ・ランテルの治安が悪化傾向にあるという件だが、都市内の警備にはデス・ナイトを配置してあるはずだ。それでも尚、不埒なことをする者がいるということなのか?」

「いえ、アインズ様。彼らは暴力沙汰を起こすわけではありません。そのため今回の問題についてはデス・ナイトでは対処不可能かと思われます」

 

「……そ、そうなのか?」

 

(うーん、さっぱりわからない。どういうことなんだ? 具体的に何が起こっているのか聞けば良いんだろうけど、きっとこの中に全部説明してある……、んだよな?)

 

 アインズはうんざりしつつも、分厚い報告書をめくって該当箇所を探そうとしばらく奮闘したが、正直とても見つけられそうもない。アインズはにこやかにアインズを見ている知恵者二人をちらりと眺めた。ここはやはり、どうにかしてデミウルゴスとアルベドに説明してもらうほかないだろう。どうすればこの場を上手く乗り切れるか、アインズは必死に頭をひねった。

 

「ふむ。ではアルベド、お前がこの問題の原因はなんだと考えている? ああ、もちろん、この書類の中にも書いてあることはわかっているし、私なりに理解しているつもりだ。しかし、私はお前の口からそれを聞きたいのだ。万一にもお互いの認識にずれがあっては困るからな」

 

「アインズ様でしたら、そのようなご心配は無用と存じますが……」

「私だってミスはするし、誰でもミスをするものという前提で考えなくてはいけない。シャルティアの件でもそれは明らかだろう?」

 アインズは苦笑した。

 

「あれはアインズ様のミスというわけではないと思いますけれど。では畏れながら、ご説明させていただきます」

 

 そういって、アルベドは懐から白い粉の入った小さな瓶を取り出し、本日のアインズ当番であるデクリメントに渡し、それをデクリメントはアインズのところまで持ってくる。それを受け取ったアインズは手の中を転がしてみるが、一見何の粉なのかよくわからない。

 

「アルベド、これは?」

 

「これが今回の問題の一つでもある、最近エ・ランテルの一部で流行っている薬物です。パンドラズ・アクターの調べでは、以前、王国で栽培されていた麻薬とはまた違うもので、効果はそれほど強くはないのですが、依存性があり、服用するものに酩酊感や多幸感を与えます。エ・ランテルにある娼館の一部やあまり素行の良くない者たちの間で流行っているようですが、放置しておくとエ・ランテルどころか、魔導国の勢力圏内にも広がってしまう可能性があります」

 

 それを聞いて、数日前にパンドラズ・アクターを訪問した際に、そのような報告を受けていたことをアインズは思い出した。

 

(あいつの暑苦しい物言いで、つい話半分に聞き流してしまったが失敗したな。そういうことだったのか。まだパンドラズ・アクターに説明させたほうが質問もしやすいし、わかりやすかったかもしれなかったのに)

 

 アインズは少々後悔する。しかし先日のパンドラズ・アクターは、いつもにまして仰々しい身振りと台詞回しに磨きがかかっており、ようやく少しは慣れてきつつあった自分の黒歴史に、思いっきりトラウマを抉られてしまったのだ。おかげで、アインズは相変わらず距離感のないパンドラズ・アクターを適当にあしらい、早々に退散するはめになった。一体、あいつは何処でああいう余計なことを覚えて来たのだろう。

 

(そういえば、先日の報告会でもラキュースが微妙な視線でパンドラズ・アクター(モモン)を見ていたな。蒼の薔薇に呆れられていないといいんだが)

 

 アインズは出ないため息をついた。

 

「……なるほど、それはまずいな。それで、アルベド。対策はどのように考えているのだ?」

 

「八本指の情報では、これまで王国や帝国で使用されたことのある麻薬とは違う代物のようです。そのため、現在彼らに出元を探らせているのですが、まだはっきりとはしないものの、魔導国及び属国ではないところから持ち込まれている可能性が濃厚です。アインズ様のご許可が頂けるのであれば、姉ニグレドに探知させたいと思っているのですが……」

 

 アインズはしばし考え、やがて首を横に振った。

 

「ニグレドに探知させるのもいいが、相手によってはカウンターを食らうだろう。そうすれば、最悪こちらが動いていることが敵に知られてしまう。それはなるべく避けたいところだ」

 

「了解いたしました。では、魔法的な探知ではなく、隠密行動に長けた下僕を送り込むようにいたします。ただ、正直申し上げて、現在、周辺国家で魔導国と対立する可能性がある国はアーグランド評議国とスレイン法国のみ。ただアーグランド評議国とは今のところ、互いに敵対する理由はないと思われます。しかしスレイン法国は国としての理念からも、魔導国に対して何らかの工作を行ってくる可能性は高いですし、これまでの因縁もございます。何かを仕掛けてくるとすれば、やはりスレイン法国である可能性が高いでしょう」

 

「スレイン法国か……」

 

 アインズは腕を組んで考え込む。もちろんそれでいい考えが浮かぶとは限らないが、何もやらないよりはマシだと自分を慰める。だが、しばらく考えてみたものの具体的には何も思いつかなかった。そもそも彼らのこれまでの行動自体、意味不明なものが多い。やはりこういうものは適材適所。わかるものに考えてもらうしかないだろう。

 

(そもそも、俺は別に王とか向いてるわけじゃないからなぁ。所詮ただの一会社員で、ギルドでだって単に雑用してただけだし……)

 

「そういえば、スレイン法国への調査の件はまだ決まってはいなかったな。――では、竜王国についてはデミウルゴスに任せているから、この薬物の出元とスレイン法国の調査については、アルベドに任せよう。但し、あくまでも秘密裏に調査を行うだけだ。彼らが魔導国に何かをしようとしているなら、その証拠を掴め」

 

「大義名分になるものを、ということですね?」

「その通りだ」

「かしこまりました。では早急に適切な下僕を選抜し、彼の国の内部を調査いたします」

「頼んだぞ、アルベド。お前なら問題ないとは思うが、慎重にな」

 

 一瞬アルベドが奇妙に微笑んだ気がしたが、アインズは気のせいだと思うことにした。

 

「デミウルゴス、そういえば、ビーストマンの国に派遣しているコキュートスの様子はどうだ? お前にはコキュートスの補佐も頼んでいるが、今はどのように進んでいる?」

 

 これまでは、コキュートスはプロジェクト・リーダーとして長らくリザードマン達の統治にあたってもらっていた。コキュートス自身も与えられた仕事として順調に実績を上げ、現在はナザリックの北部の亜人や異形種を全て取りまとめている。非常に優れた功績だといえるだろう。

 

 だが、アインズには気になっていることがあった。

 

 コキュートスは武人建御雷に誇り高い武人として創られた。統治の仕事を与えたのは、コキュートスにその武人としての設定以外の経験を積ませたかったからだ。そして、その事自体は正しかったと思っている。しかしながら、コキュートスはやはり戦場で本領を発揮したいと思っているのではないかとずっと危惧していた。

 

 それに、その後挽回したとはいえ、ナザリックとしての最初の戦いでもあったリザードマン達の攻略に失敗してしまったことを、コキュートスが全く気にしていないといえば嘘になるだろう。

 

 シャルティアには、ドワーフの国に随伴させることである程度の雪辱を果たさせることができたが、コキュートスはまだだ。であれば、今度こそ戦場で功績を上げる機会を与えたいと思ったのだ。

 

「はい。コキュートスの指揮の手腕はなかなかのもので、首尾よくビーストマンの主だった都市を全て掌握することに成功いたしました。しかし、残念ながら、ビーストマン達は我々の支配に屈することを拒みましたので、半数のビーストマンについては殲滅し、四分の一は生きたまま捕獲しております。残りはその時点で配下に下ることを誓いましたので、竜王国に対する手駒に使う予定でございます」

 

「それは素晴らしい。コキュートスもかなりの成長を遂げているようだな。ところで、わざわざ一部を捕獲したのは何故だ?」

 

「これは、アインズ様にお断りしてからと思っていたのですが、できれば、新しく作る牧場での実験に使わせていただきたいと。よろしいでしょうか?」

「いいだろう。ナザリックにつくことを拒んだのであれば、必要数以上は無用だ。せめて有効活用してやるがいい。ああ、そのうち一部は私の方でもアンデッドの作成実験に使いたい。少数で構わないから回してくれ」

「畏まりました。では、一部はナザリックに送り、残りのビーストマンは私の方で使用させていただきます」

 

 アインズは重々しく頷いたが、デミウルゴスの涼し気な態度にどことなく嫌な予感を覚えた。

 

(デミウルゴス、新牧場とやらで一体何をするつもりなんだ? やっぱりここで、ビーストマンを何に使うつもりなのか聞いたほうがいい……んだよな?)

 

 アインズは、聖王国でデミウルゴスが行っていた実験跡を思い出し、軽い頭痛のようなものを感じる。デミウルゴスは悪魔だから、ああいう趣味があるのも理解は出来るが、ペストーニャやユリ、セバス辺りは、あのような行為を受け入れられるとは思えない。

 

 だからこそデミウルゴスも彼なりに気を使って、ナザリックから離れた場所でわざわざやっていたのだろうが、さすがにナザリックのトップであるアインズが、部下の行いを把握していませんでした、では済まされない。なにしろ何かあった時に責任を取らなければいけないのはアインズなのだから。

 

(別に俺としては人間に親近感を頂いているわけじゃないが、あの手の行為が好きなわけではないし、ナザリックの悪名に繋がるようなことは避けないと……。それでなくても、アンデッドというのはやはりこの世界では印象が悪い。聖王国……いや、神王国と王国の件で、以前の悪名はそれなりに拭えたとは思うが、余計な問題を増やさないためにも、あらかじめ、駄目なら駄目と言っておかないとまずいよなぁ)

 

 アインズは意を決して、デミウルゴスを見た。

 

「――ところで、デミウルゴス、ビーストマンはどのように使うつもりなのだ?」

「素材としての実験を行うつもりでございます」

「素材……、というと何かの材料に使うつもりなのか?」

 

「そうでございます。もっとも、試してみないことには使えるか使えないかもわかりませんので、まずはその確認から、ということになるかと思いますが」

 

「そうか……、それならいいだろう。但し、あまり残虐な行為などは慎むようにな。何かあった場合、魔導国の悪評にも繋がりかねない。もっとも、その様なヘマをするお前ではないと思うが」

「畏まりました。十分、注意して行動するようにいたします」

 

 何となく不安感は残るが、アインズとしては、これ以上言わなければいけないことを思いつかなかった。であれば、後は放り投げるしかない。どのみち最低限のことは言ったし、これ以上聞くと今度は墓穴を掘りそうだ。

 

「それとアインズ様、これはまた別件なのですが……」

「なんだ、アルベド?」

 

「実は、エ・ランテルの人口がこのところ急速に増加しております。冒険者を目指して来るものも多いのですが、それ以上に、先行き不透明な他国から、比較的政治が安定している魔導国に移住しようとする者たちが多いようです。魔導国には現在都市はエ・ランテルしかありませんので、どうしても、エ・ランテルに人口が集中してしまっております。魔導国の人口が増えること自体は、アインズ様の権勢を増し、魔導国としての国力増加にも繋がりますので歓迎すべきことではあるのですが、エ・ランテルの居住環境が急激に悪化傾向にあります。先程の薬品もそのような状況につけ入るために持ち込まれた可能性もございます」

 

「なるほど。しかし、アルベド、お前のことだ。既に何らかの対策は行っているのだろう?」

 

「はい。希望者は他の村などへの斡旋なども行っておりますが、何分、村の数もそれほど多くはなく、そちらの受け入れも数に限界がございます。また移住者には都市での商売などを希望しているものも多く、村住まいを渋るものも少なくありません。それと、カルネ村はアインズ様への恩義からか、かなりの数の移住者を引き受けておりますが、その結果、あの村の規模は村とは言えないものになっております」

 

「まぁ、そうだな。あそこには、ドワーフの工房も引き受けてもらってもいるし、何より、あのゴブリンの軍勢もいるからな。流石にそろそろ村と呼ぶのはおかしいか」

 

「アインズ様、それで私からの提案なのですが、カルネ村を都市に昇格して、百万程の住民を受け入れられるように整備し、それと併せて、他にも新たに新都市を建設してはいかがでしょう?」

 

 アルベドの提案はもっともだったが、アインズは少しばかり考え込んだ。

 

「……カルネ村はナザリックにとって機密に当たる研究をさせている重要な場所だ。だから私としては、なるべく人目につかせたくはないのだが……」

 

「アインズ様。私もアルベドの提案はもっともだと考えます。むしろ、カルネ村は軍事力も持ち合わせているのですから、居住区域と、研究区域を分け、研究区域を軍の駐屯地で囲ませれば、機密はある程度守りやすくなるかと。また、あの地はナザリックにも非常に近い場所でもありますので、ナザリックのカモフラージュとしても有効かもしれません」

 

「ふむ。アルベドとデミウルゴス、我がナザリックの誇る知恵者たる両者がそう判断するのであれば、私としては是非もない。では、アルベド、カルネ村の件については、詳細な都市計画書を作成せよ。村から都市への拡張に関する工事費用は全て魔導国持ちで行うように。エンリ・バレアレには、それを元に私の方から話をするとしよう」

 

「承知いたしました。それでは早急に計画案を作成いたします」

 アルベドは微笑むと頭を下げた。

 

「しかし、新都市か……。魔導国の勢力圏が広がっているのに、流石にいつまでも、エ・ランテルのみという訳にはいかないか」

「仰る通りだと思います。魔導国はまだこれからの国でございます。都市も国民もこれからより一層増え、アインズ様の御威光がこの世界にあまねく広がっていくことでしょう」

 

「そうだな、デミウルゴス。エ・ランテルはあくまでも始めの一歩にすぎないわけだからな」

「その通りでございます。我々はアインズ様が支配されるに相応しい国を作っていけるよう、今後も努力していくつもりです」

 

 二人の守護者は丁寧に頭を下げ、アインズは鷹揚に頷いた。

 

「お前たち二人はいつも努力してくれている。感謝してもしきれないくらいだ」

「感謝などとんでもございません。アインズ様。ただ、少々私の方からご提案したいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」

「もちろんだとも。デミウルゴス」

 

「以前のリ・エスティーゼ王国でもそうでしたが、国民がこのような薬に手を出してしまうのは、やはり、文化、教育レベルが低いことも要因かと。娯楽と言っていいものも、この世界には少ないように見受けられます。ですので、現在の魔導国では国民一般に対する学校はございませんが、今後は孤児院で試験的に行っている教育を国民全体に拡大し、文字や生活に必要な知識を教える学校を作られてはいかがでしょうか」

 

(文字か……。イビルアイもこの世界で文字を読み書き出来るのは上流階級と、ごく一部の知識層だけだと言っていたからなぁ。俺もなんだかんだ言って、覚えるのに苦労しているし。最初は、知識を与えるのを危惧していたけど、やはり最低限のものはあったほうが良いのかもしれない。あの愚民化政策をやっていた現実世界(リアル)ですら、小学校は親が必死になって働けば通えなくはなかったのだし……)

 

 アインズは、既に離れて久しいリアルのことを思い出して、若干暗い気分になる。戻りたいという気持ちはないが、それでもあの世界は自分の故郷だ。ナザリックを脅かすほどの知識を教える必要はなくとも、リアルと同じように貧困にあえぐ人々から搾取するような国にだけはしたくない。少なくともアインズ・ウール・ゴウンの名を冠する国に、自分やウルベルトのような不幸な子どもを増やしたくはなかった。

 

「そうだな。確かに国民全体に最低限の教育を施すのはいいかもしれない。そういえば、冒険者組合でも魔法詠唱者を養成する学校を作ることを提案されたのだ。せっかくだから、そちらも併せて検討するといいのではないだろうか。この世界は魔法の力を元に成り立っている。魔法を習得するものが多ければ、更なる技術革新が起こるかもしれないしな」

 

「さすがはアインズ様、それは非常に良いお考えかと。早速それも含めまして検討するようにいたします。それと、学校で使用する教材についてなのですが、やはりアインズ様の素晴らしさを讃え、アインズ様の業績を広く国民に教えられるものを使用すべきと愚考いたします」

「そ、そうなのか?」

 

「もちろんでございます。そこでサンプルとして、このようなものを私とパンドラズ・アクターとで試験的に作成いたしました」

「…………え?」

 

 デミウルゴスは一冊の本を取り出すと、デクリメントに渡す。その本の分厚さにアインズはおののいた。

 

 一瞬これまで必死に阻止してきた巨大像計画や、胡散臭い魔導王を称える祭りの類がアインズの頭をよぎる。しかもパンドラズ・アクターと一緒に作ったとか、何その地雷感。なるべくなら、いや、絶対に読みたくなんかない。しかし、デミウルゴスの眼は異様にキラキラ輝いており、それを断る勇気はアインズにはなかった。

 

 渋々ながらデクリメントから本を受け取り、ぱらぱらと軽くページをめくったアインズは、あまりの内容に目眩を覚え恥ずかしさで身悶えしたくなるが、次の瞬間一気に精神が沈静化された。それでも、ジクジクとした気恥ずかしさが僅かに残る鈴木悟の残滓を苛む。

 

 それは、神であるアインズがこの世界を救済するために地上に降臨し、暗黒を支配する大魔皇ヤルダバオトを倒し、次々と他の全ての巨悪を滅ぼして、光に満ちた平和な世界を創世するという、どう考えても大昔流行ったと聞く厨二病をこじらせた小説のような内容だった。これを書いたのがパンドラズ・アクターだというのはまだわかる。しかし、デミウルゴス、お前もか……。

 

 デミウルゴスの尻尾は微妙にゆらゆら揺れている。恐らく、デミウルゴスとしてはかなりの自信作なのだろう。百歩譲ってナザリックだけならまだいい。しかしこれが魔導国中に広まることだけは、何としても阻止しなければならない。アインズは固く決意した。

 

「……デミウルゴス。お前の案は非常に素晴らしいと思う。国民にナザリックの思想をわかりやすい形で啓蒙しつつ、簡易な教育も施す。その狙いについては私も賛成だ。しかしあえて聞きたい。この話は何を目的として書いたのだ?」

 

「アインズ様の数々の功績を讃え、その素晴らしさを全ての愚劣な者どもにも理解させると共に、アインズ様がこの世界の神として君臨されることを下等動物に感謝させるのが目的でございます」

「そ、そうか。――念のために確認するが、お前はこの話が本当に良いと思っているのか?」

「もちろんでございます」

 

 デミウルゴスはいい笑顔で断言する。これは駄目だと直感したアインズは、すがるような気持ちでアルベドに話を振った。

 

「アルベドもこれを読んだのか?」

「はい。とても素晴らしい内容かと。文字を覚えながら、アインズ様のご偉業も学べるとはまさに一石二鳥と申せましょう。さすがはデミウルゴスとパンドラズ・アクターですわね」

 

 やはり味方はどこにもいなかった。アインズは必死に二人を丸め込もうと考えるが、代案一つすら思いつかない。だが、ここで引き下がったらこの案が実行され、国民全員に厨二病の塊のようなアインズ神話を読まれてしまうのだ。羞恥プレイにも程がある。

 

「……私は教える内容については、今ここで無理に決めず、他にも検討したほうがいいと思っている。それにサンプルとしてはこの話はよく出来ているが、実際に教材にするなら、やはり王国語に熟達した者が作成したほうがいいのではないか?」

 

「私もその点については考慮すべきと思っておりました。ですので、実際に作成する場合は、蒼の薔薇のラキュースに執筆を依頼しようかと思っております」

 

(え、なんでラキュース? それに考慮すべきことは他にもたくさんあるだろう!?)

 

 結局、訳もわからぬまま、デミウルゴスとアルベドに押し切られ、完全に投げやりになったアインズが二人に実行許可を出したのは四時間後のことだった。

 

 

----

 

 

 竜王国の王都から程遠からぬ都市の北東の門の前には、ビーストマンが群れをなして襲いかかってきていた。

 

 攻城用の巨大な鎚を振りかざすものを援護するように、分厚い木で出来た盾を全面に押し出している姿は壁が都市に押し寄せて来ているようにしか見えない。

 

「ちっ、全く懲りない連中だ。盾の上から中に入り込むように矢を射掛けろ!」

 

 城門から少し離れた石造りの塔から都市の防衛軍を指揮している竜王国軍の指揮官が指示を飛ばし、一斉に城壁の上から矢が放たれる。何人かのビーストマンが倒れるが、その空いたところに後ろから別のビーストマンが盾を押し出し、その数は一向に減ったようには見えない。

 

「諦めるな! ここを落とされると、後は王都まで一直線だぞ! 気を引き締めろ! 矢を放て!」

 

 兵士たちも必死の形相で矢を放ち続け、ビーストマン達の戦列を多少崩すものの、やがて門を打ち破ろうとする攻城鎚が何度も門に叩きつけられ、その揺れで何人かの兵士が城壁から落ちる。城壁には長いはしごが何本もかけられ、そこからも都市の内部に侵入しようとするビーストマンたちがはしごを登ってくる。

 

「侵入させるな! 火矢も使え!」

 

 はしごを登ってくる者たちを落とそうと火矢を放ち、剣や槍で交戦する激しい音が戦場に響き渡る。一旦侵入を許せば、自分たちは人間ではなくただの食料に変わる。それだけは絶対に嫌だ。その必死の思いだけが兵士たちを突き動かしていた。

 

 その時、大きな角笛の音が鳴り響き、あらかじめ潜んでいた場所から一斉に姿を現した一団がビーストマンの軍勢の側面から襲いかかる。

 

「アズス様だ!」

「セラブレイト様も来てくださったぞ!」

 

 その一団が次々とビーストマンを斬り伏せ、魔法を放って焼き払いつつ、中央に切り込んでいくのを見て、ぎりぎりの防衛戦を行っていた兵士たちの士気が一気に上がった。

 

「何をしている! 冒険者の方々の足を引っ張ってはならん! あの方々が敵の大将を打ち砕くまで、こちらはこちらで都市を守り抜くのだ!」

 

 指揮官が激を飛ばし、兵士は勢いよくビーストマンに襲いかかる。

 

 次第にビーストマンの勢いが落ち、やがて、一際大きな角笛が響いた。

 

 中央にいたビーストマンの将の首が落とされ、それを高々とセラブレイトが掲げている。

 

 それを合図にしたかのように、ビーストマンは戦線を放棄し、来た方向に撤退しようとするが、今度はそれに追いかけるように火矢が次々と放たれ、ビーストマンは混乱状態に陥った。

 

 中央では、アズスとセラブレイト、ルイセンベルグがそれぞれ競い合うように、ビーストマンを屠っていく。その剣技はいずれも見事なもので、背後を固めた冒険者達も、逃げていくビーストマンの数を少しでも減らそうと、思い思いに戦いを繰り広げていた。

 

「ああ、皆さん、適当なところにしておくのですよ。深追いしてもこちらは数では負けていますから!」

「わかってますよ! セラブレイトさん!」

 

 奇襲作戦が上手くいったことで多少の余裕が出てきた冒険者たちに笑い声が漏れる。

 

「気分程度かもしれないが、数は減らしておきたい。とにかく敵が多すぎるからな」

「全くですよ。こちらは量より質のつもりですが、向こうは質も量も人間を上回っていますからねぇ」

 

 のんびりした様子ながらも、あっさりとビーストマンを打ち倒していく朱の雫に、クリスタル・ティアの面々も思わず苦笑する。

 

「よし、そろそろいいだろう。攻撃やめ! 全員撤収するぞ!」

 

 逃げ出したビーストマンが周囲には殆ど残っていないのを確認したセラブレイトは指示を出す。それから少しいらついたように、足元に落ちていた大将首を蹴り飛ばした。

 

「珍しいな。セラブレイト。荒れているのか?」

「当たり前ですよ。全く。いくら倒したところで切りがありませんから」

 

「確かにこのままでは、戦線維持も厳しくなる一方だろう。今日のところはやり過ごせたが……」

「どのみち、奴らは明日も来るでしょう。あの引き上げ方からすると、どうやら少しずつこちらを消耗させて押しつぶすつもりらしい」

「どうやったかは知りませんが、ビーストマンも小賢しい知恵の実でも食べたのでしょうか? まったく、単なる力押しよりもよほどタチが悪い」

 

 重苦しい表情のアズスとセラブレイトを見ながら、ルイセンベルグは揶揄するように言った。

 

「かもしれません。……まあ、我らが女王陛下の御為ならば、私はいくらでも頑張りますよ。いつまで持ちこたえられるかはわかりませんがね」

 

 セラブレイトはしばらくビーストマンが逃げ去った方向を睨みつけていたが、やがて諦めたように軽く息を吐く。それから、おもむろに大声をあげて天に向かって剣を突き上げると、城壁を守っていた兵士たちからは歓喜の声が上がる。冒険者たちはそれぞれ手を振ってその声に応えると、汚れた武器を拭い、都市に戻るべく歩き出した。

 

「貴殿は本当に一途に女王陛下を愛しているのだな。羨ましいことだ」

 先に立って歩いているセラブレイトの後ろから、アズスの独り言めいたつぶやきが漏れる。

 

「おや、アズス殿だって宰相殿がお気に入りなのでしょう? 違うのですか?」

「宰相殿とはちょっとした大人の遊びのようなもの。……私がこれまでで一番愛した男は、もう死んでしまったのでね。だいぶ前の話だが」

 

 アズスは静かに答え、セラブレイトは足をとめ振り返った。

 

「そう……でしたか。これは失礼なことを」

「いや、別に謝るようなことじゃない。それに私は彼に何もしてやれなかった。まぁ、だからこそ……この国に来ようと思ったのだが。彼を死なせた国に未練はなかったし、何も出来なかった自分の罪滅ぼしをしたくてね」

「……それは、もしかして、リ・エスティーゼ王国の大虐殺の件ですか?」

 

 アズスは何も答えなかった。だが、彼の態度がそれを肯定していた。

 

「アインズ・ウール・ゴウン魔導王……。女王陛下も宰相殿も彼の王にこの国の将来をかけるつもりのようですね」

「国の方針には我々冒険者が口を出すことではないさ。それにあの虐殺の件だって、元はバハルス帝国の皇帝の発案だとも聞く。本当のところはわからんが」

 

 アズスは肩をすくめ、セラブレイトは皮肉げな笑いを浮かべた。なんともいえない沈黙が場を支配する。

 

「――我々もそろそろ戻りませんか? 女王陛下と宰相様がお待ちかねですよ。きっとお褒めの言葉をくださるでしょう」

 ルイセンベルグが唄うように声をかけると、苦々しい表情をした二人がゆっくりと振り返った。

 

「そうだな。それは何にも勝るご褒美だ」

「全くですね。そろそろ王都に一度戻って、麗しの女王陛下のお顔を拝見したいものです」

 

 アズスとセラブレイトは顔を見合わせると、先程までのとは違う屈託のない笑顔を浮かべる。

 

 しかし――

 

 既に、竜王国の半分はビーストマンの支配下にあるのだ。

 この場にいる誰もが、竜王国が終焉を迎える日がそう遠くないことを、強く感じ取っていた。

 そう、誰か、いや神にも近い力を持つ誰かの手助けがなければ……。

 

 



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6: 幼女王の決断

 冒険者組合にある蒼の薔薇がほぼ専用で使っている立派な一室で、蒼の薔薇はアインザックから先程渡された地図を見ながら、初めての遠征先として何処に向かうか検討していた。

 

 渡された地図は、これまで見たこともないくらい精巧なものだった。そもそも詳細な地図はどこの国でも防衛上の都合から公開しないのが当たり前だ。しかし、魔導国の冒険者組合では冒険者同士で当然共有すべき情報だから、とアインザックは大らかに笑っていた。

 

「こうやって改めて見てみると、自分たちが知っている範囲がいかに狭いのかよくわかるわね」

「まったくだな。これでも、かなり広い範囲を冒険してきたと思ってたんだが。やっぱり世界は広いよなぁ」

 

 ガガーランはいつもよりも真剣な顔つきで、ラキュースとこれまで行ったことのある場所の位置関係を確認し、ティアとティナも珍しく無言で地図に見入っている。イビルアイは、懐かしそうな顔をしつつ地図の細々としたところを眺めていた。

 

「イジャニーヤで幹部だけが知ってる秘密の地図を見たことあるけど、こっちの方がすごい」

「そんなものがあんのかよ。さすが、イジャニーヤだな」

「諜報活動には地図大事。ガガーランみたいな獣の勘だけじゃ駄目」

「悪かったな。でも、俺の勘に助けられたことだっていっぱいあっただろ!」

 

 ガガーランはティアとティナを小突こうとしたが、二人に素早く避けられ軽く舌打ちをした。

 

「イビルアイはもっといろんな場所に行ったことがあるんでしょう?」

「あぁ、それなりには。この地図には載っていないが、大陸の中央部なんかにも行ったことがある。だが、こんな風にきちんと作られた地図を見るのは初めてだ。なかなか興味深いな」

 

 詳細に書き込まれた美しい地図を眺めていると、自分たちがこの地図に描かれる範囲を更に広くしていくのだという実感が湧き、どことなく蒼の薔薇の面々も気分が高揚してくるのを感じる。

 

「今回は法国と竜王国の方には行かないほうがいいっていう話だったわね。多分、竜王国がビーストマンに攻められている件だと思うけれど」

「アウラ様のお言葉だから、間違いない。可愛いは正義」

「あのねぇ。そういう問題じゃないでしょ!?」

 

「竜王国は法国に応援頼んでるはずだから、俺もどのみちそっちには近寄りたくねぇな」

「となると、アベリオン丘陵経由で南とか?」

「いや、南にあまり行き過ぎるのは避けたほうが賢明だ。今回はテストみたいなものなんだから、いきなり危険地帯に首を突っ込むのは慎むべきだろう」

 

「イビルアイ、珍しく慎重。モモンが一緒だから?」

「わ、私はモモン様とは何もないって何度もいってるだろう!? 冒険者組合として初めての試みに失敗する訳にはいかないと思うだけだ!」

 

 地図を前にかしましく話をしていると、突然部屋の扉がノックされる音が聞こえた。ラキュースが怪訝そうに顔を上げると扉に向かう。

 

「どなたですか?」

「モモンだ。それとナーベも。入ってもいいかな?」

 

 ラキュースが声をかけると、穏やかなモモンの声がして、ラキュースは瞬時に気分が高揚するのを感じる。少しの間ゆっくりと呼吸をして気分を落ち着けると、急いで扉を開けた。

 

「失敬、女性に扉を開けさせてしまったな」

 いつもの赤いマントを派手にひるがえらせて、ナーベを連れたモモンが部屋に入ってきた。

 

「いえ、お気遣いありがとうございます。今日はどうしてこちらへ?」

「一緒に旅をするというのに、目的地の選定に漆黒が参加しないというのは不味いだろうと、陛下に言われてな。アインザック組合長から、ちょうど今相談していると聞いたので、遅まきながら参加させて貰おうと思ってきたんだ」

 

「そうでしたか。ちょうど今話し合いを始めたばかりでしたので、モモンさん達と一緒に行き先を決められるならその方がいいと思います」

 

 ラキュースはできるだけいつもの調子でてきぱきと話を進める。部屋に招き入れられたモモンとナーベは適当な椅子に腰を下ろした。モモンはそのまま蒼の薔薇が見ている地図を覗き込んだが、『美姫』ナーベはちらりとイビルアイに視線を向けた後は、そのまま我関せずといった雰囲気で静かに座っている。

 

「それで、蒼の薔薇はどの辺に行こうと考えているんだ?」

「今のところ、まだ全然決まっちゃいねえよ。俺はむしろ、モモンの意見も聞きたいところだな。正直こういう冒険をするのは俺たちも初めてだから、勝手がわからなくてな」

 

「ああ、なるほど。今回の件は、一回の旅にどれだけの日数や物資が必要かを検証する意味合いもあるから、目的地は気楽に決めてもらって構わないと聞いている。地図に載っている場所でも、例えば、アゼルリシア山脈の北方の奥地なんかはまだ調査が完全には終わってはいない筈だ」

 

「あら? フロスト・ドラゴンや、フロスト・ジャイアントがいるから、てっきり魔導国ではアゼルリシア山脈は全て調査済みなのかと思っていましたが」

「半分程度は調べているそうだが、ちょうどこの辺りから先については、まだ手付かずらしい」

 

 そういって、モモンは地図の上を線を描くように指を滑らせた。

 

「アゼルリシア山脈か……。あそこは、なかなか謎が多い場所だからな。私も少しは足を踏み入れたことはあるが、奥の方、特にラッパスレア山付近は行ったことがない」

「俺も流石にあの辺はな。そもそもアゼルリシア山脈自体フロスト・ドラゴンやフロスト・ジャイアントがいるってだけでも遠慮しちまう場所だ。今はどっちもいないんだろうけどよ。ただ、それ以外にもかなり危険なモンスターが棲息してるって話じゃなかったか?」

 

「我々漆黒も一緒なんだし、別にモンスター退治に行くわけじゃない。まだ人が足を踏み入れていない場所に赴き、その地に棲息しているモンスターや動植物の調査、そして出来る限り詳細な地図を作成するのが主目的だ。それと目的地までの距離だが、今回は最長でも一ヶ月程度で往復できるくらいを目安にすればいいのではないかと思う」

 

「なるほどね……。それじゃ、どうかしら? モモンさんのお言葉に甘える感じにはなるけれど、せっかくだから、アゼルリシア山脈の奥地を目指すということにする?」

「俺は構わねぇぜ」

「私もいいと思う」

「おっけー」

「同じく」

 四人が同意するのを確認して、ラキュースも頷いた。

 

「皆、問題なさそうね。モモンさん達もそれで構わないかしら?」

 

「もちろん。ナーベも構わないな?」

「……はい、モモンさん」

 何処と無く冷淡な雰囲気だったが、ナーベもおとなしく頭を下げた。

 

「あぁ、アゼルリシア山脈に行くのなら、ドワーフの国まではそれほど立派なものではないが魔導国が街道を作っている。だからそこまでは馬車でも行けるぞ。もちろんその後は徒歩になるが」

 

「あら、それは助かります。でもモモンさんは、馬車よりも森の賢王に騎乗される方がよろしいのではないのですか?」

「それはそうだな。しかし蒼の薔薇はどうするつもりだったんだ? やはりドワーフの国までは馬を使うのか?」

 

 モモンの言葉で蒼の薔薇の視線は自然と一人に集まり、イビルアイは思わずどこかに隠れたい気分になる。

 

「馬はなぁ、一人どうしても乗れないやつがいるんだよな。俺たちは馬でも構わねぇんだが」

「乗れないと言うより、馬が怯えて逃げる」

「わ、悪かったな。私のせいなんだ。どうしても、その、馬が乗せてくれなくて。……いつも皆に迷惑かけてる……」

 

 モモンは、うつむいたイビルアイを見て納得したように頷いた。

 

「なるほど。イビルアイ、それなら一緒にハムスケに乗るか? ハムスケなら二人くらい平気だぞ」

「え……!? よろしいんですか!? ハムスケってあの森の賢王のことですよね?」

 

 噂に名高い森の賢王の姿を蒼の薔薇はほとんど見かけたことがなかった。モモンの館にいるという話だったが、普段はそこまで立ち入ることはない。

 

「その通りだ。あれなら、別にイビルアイのことも気にしないだろうし。まあ、少しばかり乗り心地は悪いがな」

「モモンさん、何もそのようなことを……!」

 

 それまで黙って見ているだけだったナーベが多少殺気を放って口を挟もうとしたが、モモンは大仰な身振りでそれを止めた。

 

「ナーベ、別に構わないではないか。もちろんイビルアイがそれでいいのなら、ということだが」

 

 イビルアイはさり気なく周囲を見回し、ナーベとラキュースがかなり冷たい視線で自分を見ているのに気がついた。

 

「あ、あの、それは、非常に有り難いお申し出なのですが……。私は生き物に乗るのに慣れてないし、やはり馬車にしようかと思います」

 

「それならそれで構わないとも、イビルアイ。確かに将来的には騎乗生物を使わないと行けない場所に行くこともあるかもしれないが、今回は使える道もあることだし馬車のほうが楽だと思う。では今回は我々も馬車で行くことにするか。いいな、ナーベ」

「はい、モモンさん」

 

 ナーベはおとなしく頷き、部屋の空気がどことなく緩んだ。

 

「わかりました、モモンさん。それでは、出発は明後日、それまでに必要な装備や食料などを調達ということでどうでしょうか?」

「もちろん構わない。ではラキュースよろしく頼む」

 

 モモンは多少芝居がかった動きで、ラキュースに恭しく右手を差し出した。ラキュースはその仕草に思わず胸がときめくのを感じつつ、モモンと握手を交わした。

 

 

----

 

 

 エ・ランテルの街中を三台の立派な馬車が走っている。中央の一台には竜王国の女王と宰相が差し向かいで座っていた。馬車の中は重苦しい雰囲気で、まるでこれから邪悪な神に生贄でも捧げにいくかのようだった。

 

 可愛らしいフリルのついた膝丈の白いドレスを纏ったドラウディロンは、心底嫌そうな顔をして馬車の席であぐらをかいていた。

 

 馬車の窓から見える賑やかなエ・ランテルの街並みを眺めつつ、重い溜め息をつく。エ・ランテルの城門前には魔導王の像と思しき巨大な白亜の像が二つ並べられていて、魔導国を訪れる者たちを歓迎しているつもりらしいが、ドラウディロンにはただの脅しにしか見えなかった。しかも、その本人にこれから直接会って愛想を振りまかなければならないのだ。憂鬱になるなという方が無理だろう。

 

「どこから見ても、ただの邪悪なアンデッドだったな……」

「引き返しますか? 今ならまだ間に合いますよ」

 

「いや、そうはいかんだろう。それに魔導王はビーストマンと違って、我々を踊り食いにはしないだろうからな」

「だといいですね」

「おい、冗談に聞こえないからやめろ!」

 

 宰相はわざとらしくため息をつき、ドラウディロンを冷たい目で見た。

 

「陛下、そのような下品な格好はおやめください。一応、一国の女王なんですから」

「うるさい。今だけなんだから構わないだろう? これから一生懸命魔導王に媚を売るんだから、ちょっとくらい見逃せ」

「普段やってる行動がいざという時に現れるそうですよ」

「やかましいわ!」

 

 今のような国難のさなかに、女王と宰相が揃って他国に支援を要請に来るなど、本来なら絶対に避けるべき行為だろう。しかし、対価らしい対価を支払うことができない竜王国としては、誠意をひたすら見せて魔導国の慈悲にすがるしかできず、それには、やはり女王が直々に出向いて子どもらしい振る舞いを見せた方が効果的に違いない。それが竜王国の重臣たちの一致した意見だった。

 

 少なくとも魔導王本人には通用しなくても、周囲の者たちの同情は買える可能性はある。もっとも、魔導王の側近は人間ではないものばかりという評判だから、それがどこまで通用するかはわからないが。

 

 ただ、ドラウディロン女王が単独で赴くことには反対し、宰相まで付いてくることになったのは、ドラウディロン一人では何をやらかすかわからない、という臣下たちの切実な思いからだった。

 

「まったく、失礼な奴ばかりだと思わないか!? この私が直々に赴けば、十分事足りるとあれ程言ったのに!」

「やはり普段の行いを、皆よく見ているからではないでしょうか。それに魔導国にすがるチャンスは一度きりですから、それをふいにしたくはないですよね」

 

 宰相の冷淡な物言いに、腹にすえかねたドラウディロンはそっぽを向くが、やがてボソリと口を開いた。

 

「――エ・ランテルは豊かな街だな。こんな風に我が国もなれるんだろうか。ずっとビーストマン共と戦い続けて、今の我が国民たちはもはや笑うことすら忘れておる。平和などという言葉は久しく我が国にはなかった」

「陛下……」

 

「強者が栄えるというのは世の真理だと私は思っている。だが、こう目の前で見せつけられると、己の弱さを痛感させられるな。真にして偽りの竜王か……。確かに、私が真の竜王ならこんなことにはなってはいなかったのだろうよ」

 

 自嘲するように言うドラウディロンの言葉に、宰相も返す言葉はなかった。

 

 

----

 

 

 エ・ランテルの旧都市長の館にある、あまり豪華であるとは言えない玉座の間で、アインズはドラウディロン女王とその宰相に対面していた。

 

「我こそが、竜王国女王ドラウディロン・オーリウクルスだ。魔導王陛下にお会い出来て光栄である!」

 

 ふんわりした子どもらしい白いドレスを纏った幼い女王が跪き、一生懸命声を張り上げてあどけなく挨拶するさまは非常に微笑ましかったが、アインズはアルベドの方から微妙な雰囲気が漂ってくるのを感じる。

 

(竜王国の女王は、こんなに幼いのに国を治めているのか……。俺ももうちょっと頑張らないとな)

 

 今回の件はデミウルゴスの作戦に則ったものとはいえ、幼い子どもにこのようなことをさせるのは、鈴木悟の残滓が少しばかり抗議の声を上げているような気がする。しかし他に適切な対案を思いつかなかった以上、アインズとしてはどうしようもなかった。

 

「この度は、アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下に拝謁の栄誉を賜りましたこと、御礼申し上げます」

 

 その側で跪いている竜王国宰相は、非常に理知的な雰囲気の人物であり、恐らく女王の保護者としての役割もかねているのだろう。

 

「遠いところをよくぞ参られた。ドラウディロン女王陛下、並びに宰相殿。どうか頭を上げて欲しい」

 

 アインズが重々しく声をかけると、顔を上げた二人はほんの一瞬ひるんだようだったが、それでも必死の形相でアインズを睨みつけてくる。

 

(な、なにこれ。なんで、こんな顔つきで俺を見るんだ?)

 

 二人の異様な雰囲気に気圧されたが、アインズはなんとか平静を保った。一応手元に持っている紙切れを流し見て、会見の流れを再度確認する。

 

「……さて、竜王国の最高責任者である貴殿らが、一体どのような用向きで魔導国にいらしたのだろうか?」

 

「畏れながら、魔導王陛下。我が女王に代わりまして発言することをお許しください」

「もちろん構わない。宰相殿」

 

「魔導王陛下。我が国、竜王国は現在未曾有の危機に陥っております。これまでも、竜王国は隣国であるビーストマンの国から度重なる侵攻を受けておりましたが、此度ばかりは国の滅亡の危機にさらされており、もはや時間的猶予はございません。これまで全く国交のなかった魔導国に援助をお願いするのがいかに不躾なものであるかは承知しております。しかし、現在竜王国が頼れるのは、アインズ・ウール・ゴウン魔導国だけなのでございます。魔導王陛下、なにとぞ、竜王国にお力をお貸しください」

 

 静かに耳を傾けるアインズに、宰相は悲痛そうな声で一気にまくしたてると、床に頭を擦り付け、脇にいるドラウディロンは、目を潤ませ首を傾げてアインズをじっと見ている。

 

「宰相殿の仰りたいことは理解した。つまり我が国に貴国の危難に対して援軍を出して欲しい、そういうことだな?」

 

「仰る通りでございます。魔導王陛下。既に国の半分以上はビーストマン共に占拠され、民は全て彼奴らの食物となっております。このままでは、我が国は滅びるしかありません」

 

「なるほど。私としても窮地にある竜王国を助けることはやぶさかではないし、援軍を出すことも可能だ。だが私も国の王である以上、魔導国の利益というものも考えなければならない。失礼だが、宰相殿。我が国が出す援軍に対して、竜王国はいかほどの対価を支払われるご予定なのだろうか?」

 

「大変正直に申し上げて、竜王国はこれまでのビーストマンに対する対処で国庫が逼迫しており、金銭で対価をお支払いすることは出来ません。しかしながら、我が国には何にも勝る至宝がございます。それを魔導国に差し出すことで対価とさせていただきたいのです」

 

「ほう? 竜王国にそのような至宝があるとは、寡聞にして存じ上げなかったが、それはどのようなものなのか?」

 

 デミウルゴスが竜王国を調査した情報には、そのような物の存在は書かれていなかった。レアコレクターとして非常に興味をそそられ、アインズは思わず身を乗り出した。

 

「竜王国の至宝、それはまさしく、ここにおられるドラウディロン女王その人でございます」

 そういって、宰相はドラウディロンを身振りで指した。

 

「そ、その通り! 我こそが竜王国で最も価値のある、まさに至宝なのだ!」

 ドラウディロンはヤケになって、子どもらしい無邪気な微笑みを見せる。

 

「我が女王は七彩の竜王の直系にして、数少ない真の竜王の一人としてその名を連ねておられる御方。至高にして強大なる魔導王陛下の御手で我が竜王国が救われた暁には、御礼としてドラウディロン女王を魔導王陛下に捧げたく存じます。これこそが、我が国が魔導国にお支払いできる最大の対価であると心得ます」

「どうか、よろしく頼む!」

 

 ドラウディロンと宰相は再び、深く頭を下げた。

 

(俺に捧げる? 捧げるって何? 竜王国には俺が知らないそういう慣習でもあるのか!?)

 

 全く予想していなかった二人の申し出に、アインズは混乱の極みに陥った。思わず精神が沈静化するほどに。

 

 もう一度、手の中にあるカンペを盗み見る。しかし大したことは書いていない。

 

 そもそも、デミウルゴスからは『竜王国からの申し出に関しては、アインズ様の御心のままに対応お願い致します。竜王国で最も価値あるものは始原の魔法に関する情報と思われます。ドラウディロン女王は始原の魔法の使い手ですが、実質的に行使不能の様子。竜王国の出方としては恐らくその存在をちらつかせつつ、ひたすらこちらの慈悲を乞う形になるかと思われます』と説明を受けていた。

 

 だからアインズもこの交渉については大したことはあるまいと、ある程度たかをくくっていたのだ。

 

 側にいるアルベドはいつものように穏やかな笑みを浮かべているのだろうが、はっきりとした殺気をドラウディロンに向けている。そして、ドラウディロンもどういうわけか、可愛らしい外見とは裏腹にアルベドの視線を堂々と受け止めているように見える。アインズは直感的に、かなりまずい状況であることを理解した。

 

 アインズ様にお任せすれば万一にも失敗などありえません、と自信ありげに言っていたデミウルゴスの笑顔を恨めしく思い出すが、今はそんなことを考えている場合ではない。アインズはどう答えれば魔導国にとって一番いいのか、それにアルベドの逆鱗に触れずに済むのか必死に考えた。

 

「お二方とも少しお待ちいただきたい。何か誤解をされてはおられないだろうか? 私はアンデッドであり、別に生贄とかそういうものに興味はないのだが……」

 

 アインズの脳裏にデミウルゴスが作った全骨製の玉座が浮かび、アインズは引きつった笑顔を浮かべた。もしかしてあれはデミウルゴスにとって、アインズに捧げる贄のつもりかなんかだったのかもしれない。

 

「いえ、魔導王陛下、そうではございません。魔導国と竜王国の絆をより深め、これからの友誼を確かなものにするためにも、我が女王を陛下の妻の一人に加えていただきたいのです」

 

「……えっ? んん、ドラウディロン女王陛下を、我が妻に……? なるほど、その様なお申し出でしたか。これは失礼をした」

 

 一瞬間抜けな声を上げてしまい、慌てて咳払いでごまかす。女王を自分の妻にというのは、それはそれで頭の痛い申し出であることには変わりがなかったが、まだ常識の範囲内ではある。それならまだ対応自体は出来るだろう。アインズはとりあえず安堵した。

 

「とんでもございません。誤解を招くような表現をしてしまったことをお詫びいたします。我が女王は、見た目こそ幼い人間の姿をしてはおりますが、本性は人間ではなく、八分の一ではありますが竜なのでございます。それに今の世では数少ない始原の魔法の使い手でもあります」

 

「ほう……。ドラウディロン女王は始原の魔法を使えるのか……」

 

 イビルアイはこの世界で現在始原の魔法を使えるものは非常に限られていると言っていた。だとすると、この女王は間違いなくかなりのレア物には違いない。それに竜との混血というのも興味をそそる。実質的には使い物にならない、というデミウルゴスの情報は気になるものの、アインズのコレクター欲はかなり刺激されるのを感じる。

 

 しかしアインズが欲しいのは女王自身ではなく、あくまでもそのレアな能力だけだ。いくらコレクター気質なアインズでも、能力が魅力的だからといってそれだけを理由に誰かと結婚しようとは思わない。

 

 自分の右斜め前に立っているアルベドの羽がイライラしたように小刻みに震えているのが見える。今の話でアルベドがかなり機嫌を損ねているのは間違いない。それでなくても、イビルアイの件でアルベドは最近妙に様子がおかしい時がある。であれば、これ以上アルベドを刺激しないほうが自分の身のためだ。いろんな意味で。

 

(それに能力を手に入れるだけなら、他の方法が使えないか実験もしたいしな。始原の魔法を覚えられるかもしれないのなら、これを使って試す価値は十分ある)

 

 アインズはちらりと右手に目をやり、自分の指に嵌まっている流れ星の指輪(シューティングスター)を見た。

 

「なるほど。それは確かに非常に魅力的な提案ではあると思う、宰相殿。しかし、女王陛下は未だかなり幼くておいでのようだ。婚姻などというのはまだまだ早いお話なのではないか?」

 

 この手の政略結婚ではありなのかもしれないが、少なくともリアルでは間違いなく犯罪行為だ。それにアインズは別にペロロンチーノと違ってロリコン趣味なわけではない。

 

「あ、いえ! そんなことは……」

 宰相がひたすら焦っている様子に、アインズは苦笑した。

 

「竜王国側が気にしなかったとしても、私が気にするのだ。だからせっかくのお申し出ではあるが、女王陛下との結婚話は、今はなかったことにしたい」

 

「そ、そんな……。魔導王陛下、誤解でございます。陛下は実は……」

「そうなのだ! 魔導王陛下、これだけが我が姿というわけじゃないぞ!? 幼女がお嫌ならこのような形態にも……」

 

 慌てたドラウディロンが立ち上がると、一瞬にして煌めく不思議な光に包まれ、その中央に立つ女王の姿が少しずつ歪んだかと思うと次第に光の渦が収束する。そこには先程までのあどけない少女ではなく、二十代後半ほどの胸の大きい妖艶な美女が立っていた。ただ最初に着ていた服が幼児向けだったために、いろいろな場所が丸見えになったり逆に引っかかったりして、公の場所で女王が見せる姿としては非常に残念なことになってはいたが。

 

「魔導王陛下、大変失礼致しました。しかし、我が女王に悪気があったわけではありません。どうかお許しを!」

 

 側にいた宰相は慌てて自分が着ていた服の上着を女王に着せかけ、自分のアレな姿に気がついたドラウディロンは恥じらいながら、それで身を覆うと再びその場に座った。

 

「えー、あの、おほん。実は我が女王は幼女でもあり、その、同時に、このような妙齢の女性でもあらせられます。ですので、畏れながら魔導王陛下との婚姻につきましては、全く無問題かと思われます」

「ああ、えっとそうなのだ。これは私自身の特殊な力によるものなので、説明は難しいのだが、我が宰相の申すとおりだと思っていただきたい」

 

 さあ、これで文句のつけようはあるまい、とでもいうかのように二人はアインズに熱い視線を送っている。

 

 全く予想していなかった展開にアインズは激しく動揺し、再び精神が沈静化された。

 

 少なくとも向こうは、かなり本気でアインズと女王の縁組を行いたいのだ。アインズは遅まきながらようやくそれに気がついた。

 

 しかし、これまで完璧な魔法使いとして生きてきたアインズにとって、この事態に冷静に対応するというのはどう考えても無茶な相談だ。しかも背中しか見えないアルベドからはどんよりとした暗黒のオーラのようなものが漂ってくる。この話を受ければ、間違いなく巨大な爆弾に火をつけることになるだろう。

 

(確かにああいう胸の大きい女性は嫌いじゃないが、そもそもナニもない状況で結婚とか言われても正直困る。それに王族の結婚なんて、どのみち子どもを作るのが前提のはずだ。しかし女王のこの変身能力は竜が持つ種族特性なのか? それともスキル? あるいはタレントの類なのか? ユグドラシルには竜種族のプレイヤーはいなかったからよくわからないが、これはこれで興味深い能力だな……)

 

 アインズはなるべく動揺しているのを悟られないよう、堂々たる支配者らしく見えるポーズを取りつつ、無難な言い訳を考えた。

 

「ドラウディロン女王陛下。どうか落ち着いていただきたい。私はまだ国を建国したばかりで、今のところ妃を迎えるつもりはない。それに、お申し出自体はありがたいとは思っているが、流石にそれはこの度の援助の条件として若干倫理的にも問題があるのではないかと思う」

 

「……それでは、魔導国からは援軍を頂くことは出来ないということでしょうか?」

「いや、そういうことではない。こちらから条件をいくつか出させていただき、それを竜王国が承諾するというのであれば、魔導国はすぐにでも援軍を送らせていただこう。それではどうかな?」

 

「魔導王陛下、こちらとしましては、藁にもすがる思いでこの場にいるのでございます。もし、その条件というのが我々で可能なものであれば、当然お受けしたいと考えております」

 

 宰相もドラウディロンも顔色が蒼白になっている。自分たちの申し出が蹴られた以上、何を要求されるのか見当もつかないのだろう。しかし、それでも悲壮な覚悟は固めているようだ。アインズはゆっくりと足を組み替えた。

 

「我が国は、様々な知識に価値を見出している。ドラウディロン女王陛下は始原の魔法をお使いになれるそうだが、私も魔法詠唱者として始原の魔法については非常に興味がある。なにしろ、始原の魔法の使い手に出会ったのはこれが初めてなのだ。それに竜と人との混血というのも非常に興味深い。だからドラウディロン女王陛下が知り得る始原の魔法や女王自身がお持ちになられる能力や竜に関する知識の全て、そして場合によってはその能力を私に譲り渡すこと。以上を条件として竜王国が飲むのであれば、私はすぐにでも貴国を救うに足る援軍をお送りしよう。どうかな?」

 

 ドラウディロンと宰相は一瞬顔を見合わせたが、意を決したように、ドラウディロンが口を開いた。

 

「魔導王陛下。私は真なる竜王ではあるが、その実、真にして偽りの竜王ともいわれている。これはもちろん、私を揶揄する呼称だ。私は確かに始原の魔法を使うことが出来る。しかし本当のことを申せば、自分一人でこの力を使うことはできんのだ。つまり私がこの能力を持っていても、民を救う助けには全くならん。だから、もし陛下がこの能力をどうやってやるのかは知らんが、陛下自身のものとし、それが竜王国を救う一助になるというのであれば、私は喜んでこの力を捧げようじゃないか」

 

「ほう、即決か。よかろう。ドラウディロン女王陛下、どうか立って欲しい」

 

 ドラウディロンが立ち上がると、アインズは玉座から立ち上がり、ゆっくりと階段を降りてきてドラウディロンに手を差し出した。

 

「女王陛下の民を救いたいというその気持ちと勇気に、私は非常に感銘を受けた。魔導国からは我が信頼する側近及び、アンデッド兵団を早急に派遣し、事態の鎮圧に手を貸すこととしよう」

 

 差し出されたアインズの右手を見ながら、ドラウディロンは戸惑った。

 

「魔導王陛下、その、属国にはならなくても良いのか?」

「属国になるかどうかは貴国の自由。こちらから求めることはない」

 

 それを聞いたドラウディロンはごくりと唾を飲み込むと、アインズに対して再び頭を下げた。

 

「であれば、魔導王陛下、竜王国が魔導国の援軍で救われた場合、竜王国は魔導国の属国になることを希望する。魔導国の属国になれば、今後魔導国は竜王国を守ってくれるのだろう? 属国になることの条件がいかほどかはしらんが、私で支払いが出来るものならば全て飲む覚悟はある」

 

「属国化に関する条件については、後日我が信頼する宰相アルベドを交えて双方で協議をすることになるが……。女王陛下のそれほどまでの覚悟の前でお断りなどできようはずもない。それに、もちろん、竜王国が魔導国の属国になるというのであれば、我が名にかけて竜王国を守ることを約束しよう」

 

「魔導王陛下……、恩に着る。どうか、我が国を救ってくれ……」

 

 ドラウディロンはアインズの真紅の灯火の目を見つめながら、アインズの骨の手を固く握りしめた。

 

 




藤丸ぐだ男様、おでん様、誤字報告ありがとうございました。


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7: 未知への旅路

 竜王国にドラウディロン女王と宰相が帰っていった後、エ・ランテルのアインズの執務室には、若干緊張した面持ちのシャルティアといつものように屈託のない笑顔を浮かべたアウラがいた。

 

「アインズ様、お召しに従い参上いたしんす」

「アウラ・ベラ・フィオーラ、参りました」

 

 アウラとシャルティアは、真剣な面持ちでアインズの執務机の前に跪いている。アインズは面倒くさいと思いつつも、二人に立ち上がるように指示をした。

 

「そちらのソファーに座るといい。少し二人に頼みたいことがある」

 

 アインズは執務机の近くに置いてあるソファーを示し、自分もそちらに移動する。アウラとシャルティアは一瞬顔を見合わせるがおとなしく、アインズの向かいに腰を下ろした。

 

「二人とも、コキュートスとデミウルゴスがビーストマンを使って竜王国に対して攻撃を行っている件については知っているな?」

「もちろんです、アインズ様!」

「も、もちろんでありんす……」

 

 シャルティアの目が若干泳いでおり、アウラは呆れたようにシャルティアを見た。

 

「あんたね、この間の会議の話、聞いてなかったの?」

「聞いてありんした! ちゃんとメモだってとってありんす!」

「だからー、中身を覚えなきゃダメだってあれほどいったじゃん……」

 

 コソコソと仲良く話をしている二人を微笑ましく眺めながらも、アインズは本題に入った。

 

「……まあいい。ともかく、現在のところデミウルゴスの想定通り作戦が進行しており、先程、竜王国から魔導国に支援の要請が来た。そこで作戦計画の第二段階として、お前たち二人には竜王国に赴き、竜王国に攻め込んでくるビーストマンを退治する任にあたって欲しい」

 

「わ、わらわにですか!?」

「違うでしょ。アインズ様のご命令は、あたし達二人になんだからね?」

「そ、そんなこと、わかってありんす!」

 

 アインズはアイテムボックスから、デミウルゴスが作成した作戦指示書を取り出し机の上に広げた。指示書は二枚あり、それぞれシャルティア向けのものとアウラ向けのものになっている。二人は自分宛ての指示書を前に真剣な顔つきになった。

 

「シャルティアよ。以前お前は、ドワーフの国に赴いた時に素晴らしい働きを見せた。但し、あの時はアウラを上官とし、最悪の場合はアウラが止めに入ることを想定していた。しかし今回の作戦では、アウラには別働隊として動いてもらい、レンジャーとしての能力を活かして、竜王国とビーストマンの国周辺の状況探索にあたってもらいたい。つまり、シャルティア。お前は一人で竜王国に派遣するアンデッド兵団を指揮し、事態の鎮圧を図らなければならない。血の狂乱を起こすなどもってのほかだ。どうだ、出来るか?」

 

「あ、アインズ様ぁ……」

 

 一瞬シャルティアは感極まったように震え、がばりと頭を下げたが、しばらくして再び上げた時の表情は、別人のようにしっかりしたものだった。

 

「アインズ様のご期待に応えるべく、シャルティア・ブラッドフォールン、御命必ずや成功させてご覧にいれます」

 

「その意気だ、シャルティア。アウラ、お前にも任せたぞ。今回の作戦の成否はお前たち二人の動きにかかっている」

「心得ました!」

 

 守護者二人は意気揚々と声を揃えて返事をし、アインズは満足げに頷いた。

 

 

----

 

 

 蒼の薔薇と漆黒は、アインズやアインザック、ラケシルからの激励、それに、他の冒険者組合員たちからの盛大な見送りを受けつつ、魂喰らい(ソウルイーター)が引く馬車に乗って華々しくエ・ランテルを出立した。

 

 魔導国とドワーフの国を結ぶ街道は、エ・ランテルからカルネ村を経由し、そこからトブの大森林の中を通り抜け、リザードマン達の集落のある湖沿いに北上し、そこからアゼルシア山脈から流れる川を経由して現在のドワーフの国の首都である旧王都フェオ・ベルカナまで続いている。

 

 トブの大森林の中を馬車はかなりのスピードで進んでいく。馬代わりの魂喰らいは疲れを知らず、悪路でも足取りが乱れることもない。そのため馬であれば必要になる休憩時間もあまり取らずに馬車を走らせることができる。おかげで馬車の旅は思っていたよりも順調だった。

 

 おまけに今通っているのは、これまでかなりの魔境とされていた地のはずなのに、襲ってくるモンスターの影は全くない。それを不思議には思うものの、それも魔導王がこの辺り一帯を整備したことの成果なのだろうと納得する。蒼の薔薇はこれまでは警戒を怠ることが出来なかった危険な地で、のんびりとした馬車の旅が出来ることの素晴らしさを、あらためて実感した。

 

 薄暗い森の中には、時折木漏れ日が差し込んできて、神秘的な光景を見せてくれる。森の奥の方には何かがいる気配を感じることはあったが、魔導国の旗を掲げた馬車の方には決して近寄ってこようとはしなかった。

 

 森を抜けると、リザードマン達の集落までは石畳で綺麗に舗装されているが、そこから先はまだ舗装されてはいない。それでも丁寧に工事された跡が見受けられ、馬車の揺れもさほどではなかった。街道の所々には警備のデス・ナイトが歩哨を勤めている。

 

 湖を北上し、山脈の麓から穏やかに流れる川に沿って続く道は、険しい岩山と背の高い木々を切り拓いて造られているが、思ったよりも道は酷くはなく、馬車は多少揺れながらもゆっくりと走ることができる。街道といえども道幅はそれほど広くはなく、普通の馬車がなんとかすれ違える程度だが、それすらかなりの大工事だったに違いない。

 

「すげぇな。まさか、ここを馬車で通れるようにしていたなんてな」

「まったくだ。ここは元々歩くのもかなり厳しい場所だった記憶がある」

 

 蒼の薔薇の面々は、馬車の窓から外を眺めつつ感嘆の声を上げた。

 

「魔導国とドワーフの国との国交は盛んだからな。この街道は、魔導王陛下がアンデッドとゴーレムを多数動員してお作りになられたのだが、ドワーフ達もかなり協力してくれたのだ。彼らにとっても、魔導国と簡単に行き来できる道が早く欲しかったらしい。聞いた話によると、ドワーフには魔導国の酒がことのほか人気だそうだな」

 

「そういえば、酒場に行くとドワーフが必ず一組は大騒ぎしている気がするわね」

「だなぁ。そういうことだったのか」

 

 雄大なアゼルリシア山脈を眺めつつ、馬車は更に山道を走る。エ・ランテルから五日ほどの行程で、前方に鉱山都市であるフェオ・ジュラが見えてきた。

 

 以前は吊り橋だったと聞く大裂け目の橋は、馬車が通れるように石造りの立派なものに変わっている。大裂け目を渡ったところには立派な防御用の砦が作られていて、デス・ナイトが橋の両端を守るように立っていた。

 

 フェオ・ジュラで一泊すると、そのまま一行は現在のドワーフの国の首都である旧王都フェオ・ベルカナに向かう。以前は通行が容易ではない難所だったフェオ・ベルカナへの道も、迂回路を新たに作ることで安全に通行できるようになっている。遥か下に熔岩が流れる川を見ながら、削り出すように作られた道を走り、そのまま幅広のトンネルへと馬車は走っていく。トンネルの入口にもデスナイトが二体歩哨として立っており、不審者が無断で内部に立ち入らないように警備している。

 

 トンネルの内部はしっかりと補強され、永続光のかかった灯りが一定間隔で取り付けられており、見通しはそれほど悪くはない。長いトンネルを抜けると、そこはとてつもなく巨大な洞窟になっており、ドワーフの国の首都フェオ・ベルカナの美しい建物群が立ち並んでいた。

 

 ドワーフ達の長年の悲願であった、旧王都フェオ・ベルカナの奪還が魔導王の助力によって成し遂げられた後、フェオ・ベルカナの崩れた建物や街路などは、魔導国から貸し出されたアンデッドやゴーレムの力を借りてほぼ全て再建され、本来の美しい威容を取り戻している。

 

 ドワーフ達は魔導国の国旗が掲げられている馬車を見ると喜びの声をあげ、口々に歓迎の挨拶をしてきた。

 

 馬車から軽く飛び降りたモモンがナーベを伴ってドワーフの国の重鎮と思われる人物と話をしている間に、蒼の薔薇はこれまで見たこともなかったフェオ・ベルカナに降り立ち、ドワーフの建築技術の粋を尽くしたその美しさに心を奪われた。

 

 やがてモモンとナーベが戻ってくると、一行はフェオ・ベルカナから地表へと続く細い通路に向かった。その場所は普段は隠されており、非常時に逃げ出す用途に使われるものだという。しばらく細い曲がりくねった通路を抜けると、やがて日の光が差し込む狭い出口に辿り着く。そこを出ると目の前にはアゼルリシア山脈の雄大な山並みが広がっていた。 

 

 高度があるせいか、吹き付ける風はかなり冷たく、一行はあらかじめ用意してきた防寒具に身を包んでいたが、それでも身を切るような寒さを覚えた。

 

 空は青く澄み、雲は山々の頂上を覆うように薄くかかっている。下の方を見下ろすと、これまで通ってきた街道が遥か下の方に見え、その更に先にはひょうたんを逆さにしたような形をした湖が木々の間から僅かに顔をのぞかせている。

 

「……随分長いこと冒険者をやってきたつもりだったけれど、本当に、知らないことが多すぎるわね」

 

 ラキュースは苦笑し、イビルアイは、モモンとナーベの後ろ姿に少しだけ目をやると、すぐに目をそらし、ゆっくりとアゼルリシア山脈を見上げた。

 

(本当に高い山並みだな。まるでアインズ様みたいだ。すぐそこに姿が見えるのに、どうしても手が届かない)

 

 胸の奥がきゅっと痛むように感じて、イビルアイはいつものように指輪を撫でて気を紛らわそうとした。しかし、その時自分の中でナニかがうごめくのを感じた。

 

 ――ホシイ? ならモット力がアレばイイだけダロウ?

 

 一瞬イビルアイはそれは単なる空耳かと思う。しかし、自分の中から聞こえるささやき声は次第にはっきりしたものに変わってくる。そして、それはゆっくりとイビルアイ自身の内部から自分の心や思考、そしてイビルアイ自身すら絡めとろうとしているのを感じた。

 

(な……これは……まさか……)

 

 流れるはずもない冷たい汗が背中を伝うように感じる。そして、その場にいる他の者達に気づかれないよう、必死で自分の中にある力をかき集めてそれを抑え込んだ。

 

「イビルアイ、大丈夫? さっきからずっと黙っているけれど」

「……っ、大丈夫だ。素晴らしい景色に感動してしまっただけだ……」

「それならいいけどよぉ。らしくないぜ?」

 

 イビルアイは誤魔化すように軽く肩をすくめた。

 

「……本当に気のせいだ。悪かったな、ガガーラン。トブの大森林もそうだが、アゼルリシア山脈だって、我々はまだほんの入口程度しか足を踏み入れていないんだ。その昔、十三英雄は魔神を追って世界中を旅したが、それでも、全ての場所を見たわけじゃない」

 

「確かに、これからあそこを目指すのかと思うと、心がはやるなぁ。これが魔導王陛下のいう冒険ってやつか……」

 ガガーランもいつになく真剣な口調でいい、ティアとティナは物も言わずに頷いた。

 

「ともかく、明日からは彼処に向かう。ゆっくり休めるのは今日までだから、早めに休んで明日に備えたほうがいいだろう」

「そうですね、モモンさん。わたし達も気を引き締めないと……!」

 

 

----

 

 

 地表からフェオ・ベルカナに戻った蒼の薔薇と漆黒は、魔導国から来た客人ということで、ドワーフ達に大歓迎され、城の中の部屋をそれぞれのチームに宿として提供され、旅の疲れを癒やした。

 

 翌朝、物資の補給を行った後、一行は馬車はフェオ・ベルカナに置かせてもらい、昨日の通路から徒歩でアゼルリシア山脈の奥地へと向かうことにした。

 

「魔導王陛下のお話では、ここから先は空からの偵察は行っているが、地上部まではあまり調査は行っていない、とのことだった。だから今回の最終目的地としては、俺はラッパスレア山の山頂がいいと思う。どうせ向かうなら、まだ誰もたどり着いていない高みを目指したいだろう?」

 

 モモンは冒険者組合からの地図を広げながら、蒼の薔薇に提案した。

 

「モモン様、それは危険すぎないだろうか? ラッパスレア山にはかなり凶悪なモンスターが棲息しているという話を聞いた覚えがあるぞ」

「そうね……。今回はなるべく無事に戻ることを優先したい気はするわ。冒険者組合の初の試みでもあるわけだし。でも、モモンさ――んとナーベさんが共に戦ってくれるわけだし、油断しなければいけるんじゃないかしら?」

「俺は結構興味あるねぇ。せっかくここまで来たんだしよ。どうせなら、誰も見たことがないっていう山頂からの景色は見てみてぇな」

 

「目指すだけならいいかも。危なければ逃げればいい」

「このメンバーで難しいなら、多分、他の誰にも出来ない」

「確かに、それもそうだな」

 

 蒼の薔薇の意見がほぼまとまったのを見て、モモンはいくぶんカッコつけたポーズを取りつつ口を開いた。

 

「大丈夫だ。いざとなればこのモモンがしんがりを受け持とう。美しい薔薇の花を傷つけたら魔導王陛下にお叱りを受けてしまう。出来れば全員で頂上に立ってからエ・ランテルに凱旋したいが、最悪の場合は撤退を優先することにしよう。ナーベもそれでいいな?」

 

「私はモモンさんに着いていくまでですから。もちろん構いません」

 ナーベは無表情のまま、頭を軽く下げた。

 

「それじゃ、モモンさん、ナーベさん、よろしくお願いします」

 ラキュースはモモンに右手を差し出し、モモンは軽くその手を握った。

 

「ああ、そうそう。渡すのを忘れていた。魔導王陛下からの預かりもので、蒼の薔薇の皆さんへのプレゼントだそうだ。なんでも山登りの際の必須アイテムだとか」

 

 そういって、モモンは蒼の薔薇全員に指輪二つと不思議な形をしたペンダントを配った。指輪をはめると先程まで感じていた酷い寒さが和らぐのを感じる。

 

「冷気に対する耐性の指輪と、飲食と睡眠を不要にする指輪、それと〈飛行〉の効果が込められているネックレスだ。イビルアイはネックレスはなくてもいいだろうが、まぁ、念のために持っていてくれ。万が一、落ちた時の用心だ」

 

「これは、素晴らしいものをありがとうございます。エ・ランテルに戻ったら、魔導王陛下に御礼を申し上げないといけませんね」

「陛下はそれだけ蒼の薔薇に期待されている、ということだ。だから気にすることはないとも。さて、いくか。あの高みを目指してな」

 

 モモンは目的地を指さして大げさにマントを翻すと、アゼルリシア山脈の中でも一際高い山を目指して歩き始め、ナーベは物も言わずにそれに着いていく。蒼の薔薇は慌てて、その後を追った。

 

 

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 エランテルの執務室で、午前中の仕事を一段落させたアインズは、本来自分が感じることのない疲労を強く感じていた。

 

 蒼の薔薇と漆黒が旅立ってから、もう一週間以上過ぎている。恐らく、今頃はフェオ・ベルカナに着いている頃だろう。順調に行けば、明日辺りからアゼルリシア山脈の最高峰を目指すはずだ。

 

 シャルティアとアウラを連れてドワーフの国を探した時はとても楽しかった。特に強い敵が現れたりとかしたわけではなかったが、それでも、ユグドラシル時代の冒険のようなものを楽しめた。やはり、自分がこの世界でやってみたいのは、ああいった自由気ままな冒険で、こんな支配者業じゃないとアインズは思う。

 

 本当は今回だって自分も一緒に行きたかったが、さすがに、今の立場ではそういうことを軽々しく行うことはできない。

 

 いっそパンドラズ・アクターに国の運営を任せて、自分がモモンとして行くことも考えたが、今はアインズでなければ決定できないことが山積みだ。それに、どう考えてもアルベドがそれを許してくれるとも思えない。

 

(なんだろう。こんな風に一人で取り残される気分を味わうのは、随分久しぶりのような気がする。ギルドメンバーの皆がユグドラシルにだんだんログインしなくなって……。もう随分遠い昔のようにも感じるな。最後に来てくれたヘロヘロさんも帰ってしまって、結局一人きりで玉座の間でユグドラシルの最後を迎えようとした。あのときはまさか、こんなことになるとは思ってはいなかった)

 

 既にこの異世界に転移してから、何年も経っているというのに、いまだユグドラシルプレイヤーらしい存在は見つかっていない。わかったのは、少なくとも百年毎にプレイヤーと思われる存在がこの世界に現れるらしい、ということ、少なくとも彼らの一部は何らかの形で死亡していることくらいだ。

 

 そして、まだ生きているかもしれない過去に転移してきた多くのプレイヤーの姿も、自分と同じタイミングで転移してきたプレイヤーの姿も全く見かけることはできない。ギルドの名前(アインズ・ウール・ゴウン)を前面に出せば、プレイヤーの誰かが接触してくるはずだと思ったが、それが見込み違いだったのかもしれない。

 

(もしかして、この世界からリアルに戻る方法があるのだろうか? 俺は現実世界に何の未練もないが、他のプレイヤーが必ずしもそうとは限らない。たっちさんみたいに結婚していた人だっていたかもしれないんだ。もしそうなら、これまで来たプレイヤーはなんらかの方法でリアルに帰還してしまっている……?)

 

 そこまで考え、アインズは突然途方もない孤独に襲われた。

 

 子どもたち(NPC)は確かにかわいい。皆、友人たちが自分に残してくれた贈り物のようなものだし、子どもたちのおかげで、自分が今なんとかやれているのは間違いない。それなのに、なぜ自分は孤独を埋めきることができないのだろう。

 

 アルベドにあのようなことをしてしまったせいだろうか。あれさえなければ、アルベドだってタブラさんが想定したとおりの本来の姿を見せてくれていたはずだ。アインズは自分がやらかしてしまったことを激しく後悔しつつ、今行っている自分の研究の進捗状況を思い出して若干心を慰めた。あれがもう少し進めばあるいは……。

 

(まったく、一人でいるとろくなことを考えないもんだな)

 

 今日は重要な案件について考えを纏めたいと言って、ずっと側に控えていようとするアルベドもセバスも追い出したが、いつもだったら、このくらいのタイミングでイビルアイが執務室に顔を出してくれていた。今は魔導国のために遠くまで仕事で出かけているのだから仕方がないこととはいえ、イビルアイと話をできないのが、ひどく物足りなく感じる。

 

「……会いたいな……」

 

 思わず独り言が漏れ、アインズは慌てて口をつぐんだ。

 

 イビルアイからはNPCたちとは違う何かをアインズは感じていた。それはもしかしたら、設定とかそういうものに影響を受けていない、素直で率直な反応のせいかもしれないが。

 

 おもむろに、アイテムボックスから前にイビルアイがくれた不格好な自分のぬいぐるみを取り出して、骨の指で優しく撫でる。ふんわりとした甘い香りが漂い、アインズはどことなく気持ちが安らぐのを感じた。

 

(しっかし、イビルアイも下手くそだな。俺も人のこと言えないけどさ。でも、俺の作ったアヴァターラの方がまだマシな出来なんじゃないか? 少なくとも、誰を作ったかくらいはまだわかるからな!)

 

 変な対抗意識を持ちながら、それでも、アインズは午後の執務時間までその怪しげな物体を楽しげにいじり回した。

 

 

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 竜王国の王都近くにある最前線となっている都市の城壁に、完全武装したシャルティアはアンデッド兵団の将として立っていた。都市から少し離れた場所には骸骨騎兵(スケルトン・ライダー)の軍勢が伏せてあり、ビーストマンが都市に討ってかかった際に背後から襲いかかる予定だ。城壁の前には骸骨戦士(スケルトン・ウォリアー)が壁に近寄るものを粉砕するべく陣を張り、城壁の上にずらりと並んだ骸骨弓兵(スケルトン・アーチャー)が、都市に近寄ろうとするビーストマンを素早く射殺している。都市の門にはそれぞれ二体の魂喰らい(ソウルイーター)が配置されており、万一ビーストマンがスケルトン兵団を打ち破って都市内に侵攻してきた場合はそいつらがビーストマンを屠るはずだ。

 

 シャルティア・ブラッドフォールンは微笑む。

 

(この完璧な布陣。このわたしが必死になって考えた布陣で! わたしの功績をナザリックの皆に認めさせることが出来る。もうデミウルゴスにだってとやかくは言わせない)

 

 それに、この作戦ならシャルティアはほとんど直接手を下すことなく戦いを進めることが出来る。最悪、多少は手を出すとしてもその場合は殺すのではなく、ドワーフの国でやったように魔法で動きを封じ込め、その間に他のアンデッド兵に奴らをやらせればいいのだ。血の狂乱対策のため、自分では極力手を下さず、アンデッド兵団にやらせるように強く言われているが、これなら最愛の主も満足してくれるに違いない。

 

(アインズ様ぁ。よくやったって褒めてくださるでありんしょうか……)

 

 シャルティアは、今回の作戦遂行のために大変な努力をした。デミウルゴスは自分のために、事細かにやらなければいけないことを書いた作戦書を作ってくれていた。その内容を繰り返し読んで全て暗記した。ダメな子だと他の守護者、とりわけアインズに思われるのは、もう二度とごめんだった。

 

 しかし、その努力の甲斐はあったと思う。やるべきことがわかっていたから、迷うことも少なかったし、なによりドワーフの国でアインズと一緒に行動した経験はシャルティアを大きく成長させてくれていた。

 

 一瞬、自分の主人の白皙の美貌を思い出し、その手が優しく自分の頭をなで、褒美に今宵我が褥に、とアインズが言うところまで妄想し、シャルティアは笑み崩れそうになるが、必死の思いでそれを止める。

 

 ここで油断して全てを水の泡にしてはならないのだ。ここまで自分のためにチャンスを与えてくださった至高の御方々の頂点たる御方に勝利を捧げることができて、ようやくシャルティアは以前の汚名を晴らすことができるのだから。

 

「シャルティア殿、少しよろしいかな?」

 

 声をかけられて、下を見やると、そこにはアズスとセラブレイト、そしてこの街の防衛司令官が立っている。シャルティアは城壁から軽々と下へと飛び降りた。

 

「わらわに何かご用事でも?」

 

 下等動物に声をかけられたことに若干むっとはするが、そこは散々主人にも言い含められている。シャルティアはこれも主人の信頼を勝ち取るために大事なことだと我慢する。

 

「魔導王陛下が派遣してくださったアンデッド兵団のおかげで、この街の防衛が非常に上手くいっていること、御礼を申し上げたい。おかげで、我々冒険者は遊撃部隊として、ビーストマンの掃討を行えているし、竜王国軍も体勢を立て直しつつある。本来であれば、魔導王陛下に御礼を申し上げるべきではあろうが、貴殿の素晴らしい指揮に我々全てが感服しております。このようなうら若い女性が、かくも見事に兵を操るとは」

 

「そのようなことであれば、特段礼など言われなくてもかまわないでありんす。わらわはアインズ様の命に従って動いているまでのこと」

 

「まさに、シャルティア殿は人々を光に導く戦乙女ですな。思わず見惚れてしまいますよ。その美しい銀の髪、赤い輝石のような瞳。まさに神より遣わされた天使とはシャルティア殿のことでしょう。このセラブレイト、シャルティア殿と肩を並べて戦えることを光栄に存じます」

 

 セラブレイトから幾分熱っぽい視線を感じたがシャルティアはそれを無視した。

 

「ともかく、この都市の防衛と、防衛線の確保は我々魔導国軍に任せなんし。あなた達は、生き残りの人たちの救出と、ビーストマンへの降伏勧告に専念してくれればいいでありんす。応じないものの排除はこちらでやりんすから」

 

「有難きお言葉。では、我々はそのように動かせていただきます。シャルティア殿、ご武運を」

 

 恭しくシャルティアに礼をして去っていく三人にシャルティアは蔑むような視線を送る。

 

(ともかく、デミウルゴスには、最終的には一つの都市にビーストマン共を追い込むように言われてありんすからね。邪魔者は下等動物(あいつら)に適当に間引いてもらえればいいし、チビはチビで上手いことやっているようだし)

 

 シャルティアはほくそ笑んだ。

 

 最終的には、頑強に竜王国の都市に立てこもって抵抗を続けるビーストマンに、アインズが助力をして、ビーストマンをひれ伏させることで、さらなる神格化を行う予定と聞いている。

 

(我が最愛の御方、アインズ様が神となられる。さぞや、お美しいお姿を見せてくださるはず……)

 

 それを思うだけで、シャルティアはなんとしてでも、この作戦を成功させなければと再度心に誓う。

 

 シャルティアは前線を徐々に北東方向に動かしながら、ビーストマンをが占拠している都市を一つ一つ奪還し、僅かばかりの人間の生き残りを救出していく。

 

 アンデッド軍の先頭で魔導国の国旗を片手に空を駆けるシャルティアは、きらめく銀色の髪と白い翼、そしてシャルティア本人の美貌も相まって、助け出された竜王国の人々を魅了した。それはまさに救国の神が遣わされた御使いのようだと。

 

 数日後、シャルティア率いるアンデッド軍は、ビーストマンが最後の悪あがきとばかりに編成したかのような、十万を超える大群に向かって静かに進軍を開始した。

 

 アンデッドとビーストマンの戦いは最初は五分に見えたが、徐々に疲労を知らないアンデッドがビーストマンを押し始める。

 

「これで、終わりとは思わないでほしいでありんすね」

 

 シャルティアはほくそ笑むと手に持った旗を大きく振る。それを合図にしたかのように、アンデッド軍は素早く二つに分かれ、中央から魂喰らい(ソウルイーター)が二頭、軍の先頭に躍り出て、ビーストマン達に襲いかかった。

 

 魂喰らいは、ギラついた目で容赦なくビーストマンの首元を食い千切り、蹄で頭を刎ね飛ばす。一瞬のうちに、そこら中には死んだビーストマンのちぎれた身体がばら撒かれる。その上、魂喰らいが身体を震わせるたびに、周囲にいるビーストマンは瞬時にその場に崩れ落ち、死んだ魂はまるで靄のように魂喰らいの身体にまとわりつくように吸い寄せられ、魂喰らいが奇怪な声を上げてそれを啜る毎に、その力は更に増していくように見える。

 

 ぐちゃぐちゃと音を立てながら一瞬のうちに死体の山を築いていく魂喰らいに、果敢に攻撃を加えようとするビーストマンもいくらかはいたが、その体に触れる前に次から次へと倒れていく。容赦なく同胞たちを喰らい屠っていく姿を見たビーストマンは総崩れになり、それまでの規律正しい行動などかなぐり捨てて必死に逃げようとした。

 

 バラバラになったビーストマンを、戦場付近に伏せられていたアウラの魔獣達が国境近くの半ば廃墟のようになった都市へと手際よく追い込んでいき、シャルティアは未だ戦闘意欲が残っているビーストマンを骸骨戦士に命じて容赦なく切り伏せていく。

 

 やがて、アンデッド軍に抵抗しようとするビーストマンはいなくなり、残りは全て魔獣に追われて都市へと逃げ込んでいく。

 

「まあ、こんなもんでありんしょうかね?」

「なかなか、いいんじゃない? きっとアインズ様もお喜びになると思うよ」

 

 ゆっくりと空の上から戦場を眺めていたシャルティアは地面に降り立ち、その隣にフェンリルに乗ったアウラが姿を現す。二人は顔を見合わせると笑い声を上げ、軽くハイタッチをした。

 

 




瀕死寸前のカブトムシ様、zzzz様、誤字報告ありがとうございました。


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8: 希望と欲望

 アウラはフェンリルに乗って、ビーストマンの国と竜王国の間にある森を偵察がてら走り回っていた。

 

 山岳地帯の裾野を越えたところに広がるその森は、トブの大森林ほどではないようだがかなり広く、鬱蒼とした背の高い木が空を覆い隠すようにどこまでも続いている。とはいっても、レンジャー技能に長けたアウラにとっては別にたいした問題ではない。

 

「この森にも面白いのがいたりしないかなぁ。ハムスケみたいなやつ。そしたら、アインズ様にお願いしてペットにするのもいいよね」

 

 ほんの少しでも興味を持てるような存在を探して森の中をあちこちうろつくが、不思議なことに、あまり動物や異形種のような生命あるものの存在が感じられない。もっともレベル百のアウラにとって意識できるほどのレベルの存在がいないというだけなのかもしれないが、それにしても妙だった。

 

「どう、何か感じる? フェン」

 

 どことなく緊張した様子のフェンリルに気が付き、アウラは警戒感を強める。森の奥から漂ってくる風に妙に生臭い何かを感じ、アウラはそちらに向かってフェンリルを走らせた。

 

 奥に進むにつれてその匂いは徐々に強くなる。おまけに、まるで行く手を阻むかのように、おかしな霧のようなものまでがたちこめ始め、さしものアウラでも先を見通すのが困難になってきた。

 

「なんだこりゃ。この霧……、どことなく、カッツェ平野の霧と似ているような? フェン、注意深く行くよ」

 

 アウラは奥に突き進むのではなく、霧が広がっている範囲を確認しようと、ゆっくりとフェンリルを歩かせた。それはかなり広範囲に渡っており、まるで何かを隠すように広がっているようにも思える。霧のせいでよくわからないが、奥の方には何か変わった面白いものが存在しているのかもしれない。そう考え、アウラは少しばかりそれが何なのか興味を惹かれた。

 

「うーん、これは、他の子たちも使わないと難しそうかな」

 

 アウラは自分の使役している魔獣達のうち、隠密行動に長けたものを選び出し、霧の奥の方を探らせる。しばらくして、戻ってきた魔獣達と言葉を交わすと、アウラはしばらく腕を組んで考えた。魔獣達の報告では、その霧の奥にはかなり開けた場所があり、非常に多くのアンデッドがうろついているらしい。

 

(多分、あたしでも問題なく対処はできるとは思うけど、あたし一人で深入りするよりも、まずはアインズ様にご判断いただいたほうがいいよね)

 

 アウラは軽く頷くと魔獣達に指図した。

 

「お前たち、この辺りに何かを近づけないようにして。あまり生き物の気配はないから大丈夫だとは思うけど。あたしはアインズ様にご報告してくる」

 

 見張り用の魔獣を霧からある程度離れた場所に何体かずつ配置する。これなら恐らく自分が戻ってくるまで何かがこの中に立ち入ることはないだろう。

 

 自分の仕事に満足したアウラはフェンリルに飛び乗り、ひとまずシャルティアの元に向かった。

 

 

-----

 

 

 漆黒と蒼の薔薇のアゼルリシア山脈探索は順調に進んでいた。途中で、巨大な羽を持つ人の顔をしたペリュトンや、凶悪なハルピュイアの群れなど、この山脈特有のモンスターに何度か襲われたものの、その程度のモンスターは蒼の薔薇と漆黒の敵ではなかった。

 

 通る道もない山肌を縫うように進んでいく行程は、新しい道を自分たちが作っていくという新鮮な感覚があり、しばらく進むたびに見えてくる新しい景色も心奪われるものがあった。不可思議な次元の門らしきものから熱いドロドロした溶岩が流れ落ちていく危険地帯を越えると、ゴツゴツとした熔岩性の黒い岩と高山独特の灌木や鋭い葉を持つ植物が生い茂る急な斜面がどこまでも続いている。

 

 ティアとティナは、休憩のたびに地図にこれまで通ってきた道や発見した動植物などを書き記している。

 

 午後遅い時間になると、野営の準備のために比較的平らな場所を探す。モモンとガガーランは協力して雪や氷を削ってある程度の広さを確保し、モモンが魔法のアイテム(グリーンシークレットハウス)を展開した。

 

 いくら飲食と睡眠を不要にするアイテムを装備していても、やはり厳しいアゼルリシア山脈を踏破するのは精神的にも疲れを感じる。見た目は小さいのに、中に入るとかなりの広さがある魔法のコテージは、設置場所を探すのもそう難しくない非常に便利な代物で、夜になると適当に部屋に分かれてのんびりくつろぎながら、明日通るルートを確認したり、思い思いに食事などを取りつつ日中の疲れを癒やした。

 

 ひたすら険しい道なき道を頂上を目指して登るにつれ、地面はだんだん土から万年雪と氷に変わっていき、木々の高さも低く這うようなものに変わっていく。もらった冷気耐性の指輪の効果で寒さはさほどではないが、吹き付ける風もだんだん強くなってくる。身体の軽いイビルアイなどは何度か飛ばされそうになり〈飛行〉を使ってなんとか落下を避けた。

 

 しかし、自分たちの最終目的地へと確実に近づいているという感覚は、日々の野営地から見る景色の変化からも明らかだった。

 

 行く手を遮る巨大な氷の岩をその圧倒的な筋力でよじ登ったモモンがロープを垂らし、それを伝って他の全員も岩の上に登りきる。その作業を何度か繰り返したのち、ようやくたどり着いたその場所こそ、間違いなく、伝説にも伝え聞くことのないラッパスレア山の山頂だった。

 

 フェオ・ベルカナを出発してから既に十日が経過していた。数々の苦難を乗り越えてこの地にたどり着いた一行は、恐らく人間としては初めて見る光景に圧倒的な衝撃を受け立ちつくした。

 

 遮るもののないどこまでも広がる空と、その下に広がる雄大なアゼルリシア山脈の山並みはあまりにも美しく、これまでの自分達の人生観がまるでちっぽけなものだったように感じさせられる。遠く北の彼方には恐らく海だと思われる水平線も見える。その更に先まで見通すことはさすがに出来ないが、それでも、世界はもっとずっと遠くまで広がっているはずだ。

 

 吹きすさぶ風は強く、完全に凍りついて足掛かりになるものがほとんどない山頂は、油断すると足元をすくわれそうだったが、漆黒と蒼の薔薇は自分たちが通ってきた道を感慨深く見下ろしながらも、しばらく神秘的な山の光景に見入った。

 

「これが未知の世界を既知にするってことか。魔導王陛下もなかなかいいことを思いついたもんだな……」

「本当に。モンスターを倒すことだけが冒険じゃないってことね」

 

 興奮して話をしている蒼の薔薇の面々をよそに、イビルアイは風に飛ばされないように注意しながら、エ・ランテルがあると思われる方向を必死に探した。しかし山の稜線に隠れてしまっているのか、どれほど目を凝らしても、それらしいものを見つけることは出来なかった。

 

(この景色、できればアインズ様と見たかったな……)

 

 自分の隣に立つ愛しい骸骨を幻視して、胸の中が喜びでいっぱいになるのを感じるが、次の瞬間その気持ちは冷たい風に吹き飛ばされたかのように消え去った。

 

 もちろん、いつも仕事で忙殺されているアインズが、こんなところにわざわざ足を運べるわけがない。頭ではそれがわかっていても、今自分のかたわらに彼がいないことをイビルアイは酷く寂しく思った。

 

 いつものように指輪を撫でると多少は飢えた心が慰められたが、それだけではもう自分の中にぽっかりと空いた穴を埋めることが出来そうもなかった。

 

(どうしたんだ? 私は……。アインズ様が欲しくてたまらない。なんなんだ、この欲求は)

 

 イビルアイはアインズとの間に感じている、踏み越えたくても踏み越えられない一線の存在をいつもよりも強く感じて歯噛みをする。

 

 立場とか身分とか、そういう余計なことは忘れて、彼の全てを手に入れたい。彼のほっそりとした身体をしっかりと抱きしめれば、彼も優しく自分に応えてくれるだろう。そして思い切り甘えたら、喉元に牙を突き立てる。そうすれば、きっとこれまで味わったことのないような甘露が味わえるはず……。

 

 そこまで考えて、イビルアイはぎょっとし、そんな恐ろしい考えを頭からふるい落とそうとした。

 

 ――なぜためらう? キュウケツキがそうしタイとノゾムのはアタリまえだろう。

 

 頭の中で誰かがそう囁く。

 

 そもそもアンデッドである身体はあまり寒さなど感じないはずで、しかも冷気耐性の指輪までもらっているというのに、自分の中にいる何かは身体の奥底から凍えさせようとしているのか、酷く冷たく感じられ、身体の震えが止まらない。それに、その存在はこれまで以上にアインズを欲していて、その欲求を抑えることもできない。

 

(ホシイ……ワタシはほしイ……アインズさまゼンブホシ……)

 

 どうすることも出来ず、自分のものではない声に半分身を委ねているうちに、イビルアイはこんな風に感じるのは初めてではないことに気がついた。そして、ソレがアインズを欲している原因が、間違いなく自分自身が持っているアインズに対する執着であることも。

 

 その存在が何なのか、イビルアイはよくわかっているわけではなかったが、もうソレは消えてしまったものだとずっと信じていた。だが、それは今まで自分の中でずっと眠っていただけで、自分の欲望の高まりに惹かれて目を覚ましてしまったのだろう。

 

 このまま放置していれば、自分自身の自我が再びそれに乗っ取られてしまうに違いない。そう、以前と同じように……。

 

 焦ったイビルアイは、自分を中から支配しようとしているモノに必死で抵抗した。

 

 ――何をキレイゴトをいっているんだ? カレのすベテがホシイのならワタシをうけいれればいい。

 

 自分の中でナニかがクスクスと嘲笑っているのを感じる。今のイビルアイには、もはや目の前の美しい光景を見ている余裕など完全になかった。

 

(不味い。どうしたらいいんだ? アイツはやっぱり滅んだ訳じゃなかったんだ。こいつを生かしたまま、アインズ様のお側にいたら、私はまた同じことを繰り返してしまうかもしれない)

 

 イビルアイは唇を噛む。

 

 ――ワタシはオマエダ。タンにワタシとヒトツになればいい。ソウスレバ、カレにフサワシイだけのチカラあるソンザイになれるぞ?

 

(うるさい、うるさい、うるさい! 黙れ! もう、お前の操り人形になってあんなことをするのはゴメンだ!)

 

 イビルアイの中で何かが哄笑している。

 

(私はもう二度とお前に自分を明け渡すようなことはしない! 必ず、お前を滅ぼして見せる。もし、それが駄目ならその時は……)

 

 イビルアイは指輪を強く握りしめ、心に固く誓う。あの日のようなことを魔導国で起こしてはならない。絶対に。そんなことをするくらいなら、死んだほうがましだ。

 

 そんな決意を憐れむように、もう一人の自分が自分を嘲る声がひっきりなしに聞こえる。イビルアイはひたすら自分の中にある暖かいアインズの存在にしがみついて、自分を何か別のものに変えてしまおうとするもう一人の欲望に、これ以上魅入られないように耐えた。

 

 

----

 

 

「そろそろ、引き上げよう。ここにあまり長時間いるのは危険だ。それに今回の目的は十分達成できただろう」

「そうですね。名残惜しいですが……。ティア、ティナ、地図は大丈夫?」

「書き込みは終わった。問題ない」

「もうちょっと眺めてたいが、仕方ねぇよな。安全第一だ」

「あ、あぁ、そうだな……」

 

 モモンにそう声をかけられ、一行は名残惜しい気持ちを抑えつつ帰路についた。イビルアイは悪い夢からようやく覚めたような気分で後から着いていく。

 

 雪で覆われた山を下るのは思いのほか困難で、何度も足を滑らせそうになりながら、一行はゆっくりと来た道を戻るが、ふいに頭上をなにかの影のようなものがかすめるのを感じた。

 

「まずい、かなりのでかぶつが上空を飛んでる!」

「まだこちらには気がついていない様子だけど、時間の問題」

 

 ティアとティナが素早く状況確認して警告を発する。

 

「む、まずいな。蒼の薔薇は一足先に撤退。俺は予定通り殿を受け持つ。ナーベは援護せよ」

「かしこまりました」

「わ、私も一緒に戦うぞ! モモン様!」

「いや、イビルアイは、蒼の薔薇のメンバーを守ってやってくれ」

 

 力強いモモンの言葉に、ラキュースは即座に決断した。

 

「……先に逃げるなんて嫌だけれど、私達では足手まといになりそうね。皆、急いで! 撤退よ! ただし、滑落には注意して! イビルアイ、援護をお願い」

「わかった。任せてくれ、モモン様、ナーベ、悪いが時間稼ぎ頼む!」

 

「心得た!」

 

 モモンは、背中から二本のグレートソードをナーベの補助で鞘から引き抜き、ナーベもすぐさま、戦闘態勢に移れるようにモモンの脇で身構える。

 

 見上げると、上空のかなり高いところに、一見炎のようにも見える巨大な鳥のようなものの姿があった。それは、時折縄張りを確認するかのように首を動かしながら、悠々と空を飛んでいるように見えたが、やはり、地上にいる不審物を見咎めたのか、一声聞いたこともないような高い声をあげると、向きを変え、こちらへと降下してくる。

 

 イビルアイは、必死でそのモンスターが何かを思い出そうとし、以前ツアーから聞いた一つの名前を思い出す。

 

「あれは、もしかしてカッパスレア山の天空を支配しているとかいう、ポイクニス・ロードじゃないか!? 難度は不明だが、二百以上という話もある! モモン様なら問題ないだろうが、急げ、ラキュース! 下手すると死ぬぞ!」

 

「なんですって!? 皆、急いで! モモン様、下で会いましょう!」

 

 蒼の薔薇は必死で岩から垂らしたロープを滑り降り、そのまま凍りついた山肌をなるべく急いで降りる。自分たちがこの場から早く離脱すればそれだけモモンとナーベが動きやすくなるし、逃げることだって出来るはずだ。

 

 遥か後ろの方では、モモンの双剣が恐らく敵の鉤爪を弾いているかのような、金属音が鳴り響いている。

 

 その時だった。

 

 先頭を駆け足で進んでいたガガーランの足元の雪が崩れ、そのままガガーランは急な斜面を転がり落ちていく。

 

「うわあぁあ!!」

「ガガーラン!?」

 

 慌てて、ティアとティナがガガーランが滑落した場所に向かうが、ガガーランの姿は既に見えない。十メートル程先で斜面は更に切り立った崖のようになっており、ガガーランはどうやらその下に放り出されてしまったらしい。

 

「ガガーラン! 無事なの!?」

 ラキュースが大声で叫ぶが、返事が戻ってくる気配はない。

 

「〈飛行〉のネックレスを使う暇もなかったか?」

「かなり勢いがついていたから、もしかしたら、ネックレスが外れて落ちてしまったかもしれないわね……」

 

 上を見上げると、まだ、モモンとポイクニス・ロードの死闘は続いているらしい。時々、ライトニングと思われる光と、吹き上げる炎のような赤い光が見える。

 

「ともかく、私はガガーランを探しに行こう。さすがに、このまま下に落ちていたら、ガガーランといえども無事では済まないだろう」

「そうね、私も行くわ。ティア、ティナ、この場所なら恐らくモモン様達の邪魔にはならないと思うから、モモン様達が引き上げて来たら合流して状況を伝えてくれる?」

 

「わかった」

「今のガガーランなら、自力で空を飛べるようになっているかもしれない。きっと生きてる」

 

 流石にティアの軽口にも今は笑う余裕がない。

 

「だといいけれど。イビルアイ、行きましょ」

 

 イビルアイは〈飛行〉を唱え、ラキュースはネックレスを握りしめると、ガガーランが転落していったと思われる崖の下にゆっくりと降りていった。

 

 

----

 

 

 崖の下は頂上とはかなりの高度差があり、氷と雪で覆われた世界とは一転して背の高い木々が生い茂る森になっていた。樹々の葉の隙間から僅かに空が垣間見えるものの、中を見通すのに十分な光とはいえず、薄暗く見通しが非常に悪い。イビルアイとラキュースは周囲を確認しながら慎重に地面に着地すると、名前を叫びつつ、ガガーランが落ちたと思われる場所の周囲を探し回った。

 

 しばらくすると、頭上からガガーランらしい声で弱々しく返事が聞こえた。二人が見上げると、木の枝にガガーランが引っかかってぶら下がっている。

 

「ガガーラン! 怪我はないの!?」

「あぁ、落ちてくる時に岩に酷くぶつけて右手を折っちまったかもしれん。ぎりぎりのところでペンダントを発動できたから、下までは落ちずにすんだけどよ。まったく、危うく死ぬところだったぜ……」

 

 強がっているようには見えたが、ガガーランはかなりの痛みを堪えているらしい。

 

 イビルアイとラキュースは再び〈飛行〉で飛び上がると枝に絡まった荷物を外し、ガガーランを枝から下ろした。

 

「ガガーラン、傷を見せて。治療魔法をかけるわ」

「おう、ありがとよ。っつ、全く、このガガーランがみっともないところ見せちまったな」

 

 ガガーランは痛めた右手を差し出し、ラキュースが〈重傷治癒〉を唱えると、変な風に曲がっていた右手がみるみるうちに元通りになっていく。

 

「どうかしら? まだ痛む?」

「いや、大丈夫そうだ。いつも助かるぜ、ラキュース。ありがとよ」

 

 ガガーランは指をわきわきと動かした後、軽く右手を回して問題ないことを確認している。

 

「ああ、モモン様たちの目印になるように、灯りか何かをつけるか」

 

 イビルアイが〈永続光〉を唱えると、周囲がぼんやりと明るくなった。どうやら来たときには通った覚えのない場所らしく、下手に動くと道に迷いそうなくらい樹々が複雑に入り組んでいる。ガガーランは地面に座り込んで、落ちた時にぐちゃぐちゃになった荷物の整理をしている。

 

「そういえば、モモン様、大丈夫かしら? まさかよりにもよって、ポイニクス・ロードが現れるなんて……」

「大丈夫だろう。ナーベだっているんだし。まぁ、ざっと見た限り、難度はヤルダバオトほどじゃない。モモン様なら問題ないだろう」

「それもそうね。――モモン様、無事にこの場所を見つけてくれるかしら?」

 

 いつもならリーダー然として落ち着いた雰囲気を崩さないラキュースが、どことなくそわそわしているのを感じ、恋に悩むイビルアイは少しばかり親近感を覚えた。

 

「……ラキュース、私が言うのもなんなんだが、モモン様のこと、本気なのか?」

「え!? べ、別に本気とか、そういうことじゃなくて……。やっぱり、これまで同格以上の強さを持つ男性って、アズス叔父様とか、いいところ亡くなられた戦士長様くらいしかいなかったから。そ、それだけよ!」

 

「はは! いまさら隠さなくてもいいだろうよ、ラキュース。俺だってモモンはいい男だと思うぞ? まぁ、ちょっとばかり、気障ったらしい振る舞いは目につくけどなぁ」

「そんなことないわよ! かっこいいじゃない! あのマントをバサッとはためかせたりするところとか……」

 

「ほう、ラキュース。あれが気に入っていてくれたのか。実は自分でもなかなかいいと思っているんだ。奇遇だな」

 

 三人が賑やかに話をしているところに、突然上から聞き覚えのある声が降ってきた。ゆっくりと〈飛行〉で降りてくる四人を見て、ラキュースとイビルアイは慌てて口をつぐみ、ガガーランは更に楽しそうに笑い声をあげた。

 

「さすが、漆黒のモモンとナーベだな! 無事にポイニクス・ロードを討ち取ったのか?」

「いや、討ち取ってはいない。魔導王陛下からも、あれはなるべく討伐はしないように言われていたからな。とりあえず、追い払ってはおいたから、今日のところは大丈夫だろう」

 

「討伐しないようにって、もしかして、魔導王陛下はポイニクス・ロードも配下にされるおつもりなの?」

「さぁな。俺はそこまではわからん。しかし、そういう可能性もあるだろう。陛下はレア物がお好きだから」

 

「あれだけの強敵を相手に、殺さねぇように手加減するなんて難しいぜ? まったくたいした奴らだよ。敵わねぇな」

「しばらく見てたけど、凄かった」

「ポイニクス・ロードのブレスも、羽が鋭く硬化してナイフみたいに飛んでくるのも、剣だけでかわしてた」

「へぇ、そりゃ俺も見たかったな。まあ、ポカやっちまってこんなところまで落ちちまったんだが」

 

「ガガーランの怪我は大丈夫なのか?」

「右手を折っていましたが、治療はしたから大丈夫です。モモン様、ご心配をおかけいたしました。ほんと、一時はどうなることかと思いました。魔導王陛下のネックレスがなければどうなっていたことか……」

 

 話をしているうちに、先程まで明るかった空も大分日が落ちてきたように感じる。そろそろ、今日の野営場所を探さないといけない刻限であることに一行は気がついた。

 

「この森の中では、グリーンシークレットハウスを展開するのには少し手狭だな。出来れば、もう少しひらけたところを探したい」

 

 モモンの言葉で、ティアとティナは頷き、素早く周囲の偵察に出る。残りの面々も、モンスターを警戒しつつ、適当な場所を探しつつ森の中を進んでいると、しばらくして、ティナが一人で戻ってきた。

 

「おかえりなさい。どう? いい場所あった?」

「……洞窟の入り口のようなものを見つけた。今、入り口付近をティアに調べさせてる」

 

 それを聞いて、ラキュースは眉をひそめた。

 

「洞窟ですって? 気配は? 何かいそう?」

「入り口が植物とかで隠れてる。多分、意図的。何かが住んでいるのかもしれない」

 

「ラッパスレア山の山頂付近の洞窟にか? あまり良い感じはしねえな。化物の巣かねぇ」

「モモン様はどう思われますか? 最悪、この山にいるというエンシェント・フレイム・ドラゴンの巣かもしれないですが」

 

 モモンはひとしきり考えた後、重々しく口を開いた。

 

「とりあえず、その場所に行ってみないか? ティアが一人で調べているというのなら少し危険すぎる。それに、上手く行けば今夜泊まれる場所を確保出来るかもしれない。危ないようならすぐに撤退すればいいだろう」

「確かに、ティアを一人にしておくのは不味いわね。皆、行きましょう。ティナ、案内よろしく」

 

 ティナは頷くと、森の中を先に立って歩き始めた。

 

 




瀕死寸前のカブトムシ様、藤丸ぐだ男様、誤字報告ありがとうございました。


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9: 洞窟にて

 ティナが案内した場所は森からだいぶ離れたところだった。一見普通の崖崩れ跡に見えるが、巧妙に入り口を蔓性の植物や岩で隠してある。どう見ても、誰かが洞窟の入り口が見つからないように、細工をしたのではないかと思わせられた。

 

「ティア、お疲れ様。何かわかった?」

 

 ラキュースが声をかけると、あれこれ調べていたらしいティアが気配もなく姿を現す。

 

「鬼リーダー。少しだけ中の様子を探ってみたけど、何かがいる気配はなかった。ただ、誰かが住んでた可能性はある」

「誰か? 住んでいたのは人間なの?」

「それはわからない。モンスターの住処とは違う気がする」

 

 入り口の様子を何の気なしに見ていたイビルアイは妙な気分に襲われた。もしかして、これは何らかの魔法の痕跡だろうか。しばらく考え、イビルアイはこういった場合に使いそうな魔法のことを思い出した。

 

「この周辺に少し魔法の気配がする。入り口を隠すのに幻術か何かを使っていたのかもしれないな」

「幻術? そうすると、ここは魔法詠唱者が住んでいる場所ってことなの?」

「そうだな。だが、呪文の効果はもう切れているだろう。でなければ、こんなに簡単に見つけられるはずがない」

 

 蒼の薔薇は、自然と後ろにナーベを従えて堂々と立っているモモンに目を向けた。

 

「ふむ。それなら注意しながら中に入ってみないか? 万一、中に誰かがいたとしてもこちらが友好的に接すれば、いきなり攻撃される可能性は低いだろう。せっかくここまで来たのだし、こういうところに隠れ住む賢者と出会うというのも、未知の発見というやつなんじゃないか?」

 

 楽しそうにモモンに言われて、少しばかり緊張が先に立っていた蒼の薔薇にも笑顔がもれる。

 

「そういえば、そうでしたね。わたし達はここに冒険をしに来ていたことを忘れてしまっていたようです」

「ははっ! 違いねぇ。せっかくだ。隅から隅まで楽しまなくちゃな!」

 

 巨大な岩と岩の間に僅かに見える、人が一人通るのがやっとの隙間から、一行は慎重に洞窟の中に侵入した。

 

 

----

 

 

 洞窟の内部は初めは狭かったものの、徐々に広がっていき、やがて明らかに人の手が入っていると思われる五メートルくらいの幅がある空間が姿を現した。誰かが使っていたような品物などは見当たらなかったが、ティアとティナは奥の壁に向かう古い足跡が僅かについているのを発見した。

 

 モモンは興味深そうに洞窟の内部を眺めていたが、ふと何かに気がついたように岩の間に隠されるように置かれた物を取り上げた。

 

「モモンさん、それは?」

「……恐らく、イビルアイが言っていた幻術の元になっているのがこれだろう。下級の幻術を発動させるマジックアイテムだな。入り口付近もよく探せば似たような物が置かれていたのかもしれない」

 

 そのアイテムにモモンが何かをすると、それが置かれていた場所の近くの壁に岩に隠された入り口が現れる。ティナとティアが扉の周囲を素早く確認して頷いた。

 

「隠し扉には多分罠はない。内部から物音もしない」

「よし、では、私が先頭に立とう。ナーベと蒼の薔薇は後から着いてきてくれ」

 

 グレートソードを一本鞘から抜くと片手に握り、モモンは慎重に隠し扉を開いた。しかし、中から何かが襲いかかってくるようなことはなく、若干拍子抜けしながらも一行はそのまま静かに内部に足を踏み入れた。

 

 そこはこれまで通ってきた洞窟とは全く違い、美しい建物の内部のように整えられていた。誰かがいる気配はなかったが、かなりの知性を持つ者が住んでいる場所に間違いなかった。

 

 入り口付近の部屋には〈永続光〉のかかった灯りが壁に複数取り付けられており、どこからか持ってきたのかわからないような、珍しい植物の標本や、動物の剥製、古い書籍などが整然と並べられている。

 

 そして、その部屋の奥には更に扉がついており、そこは落ち着いた雰囲気の居住空間になっていた。

 

 この部屋にも〈永続光〉の灯りがいくつか取り付けられており、手作りと思われる机や椅子、戸棚、ベッドなどが置かれている。布は魔法がかかっている代物のようで、全く傷んでいる様子はない。火を炊いて炊事出来るようにもなっているが、なぜか空気が汚れている様子はない。家具の大きさからすると、ここに住んでいる者は恐らく人間種なのだろう。

 

「……ここの家主はどこに行ったんだろうな」

 

 イビルアイがぼそりと呟くと、モモンが答えた。

 

「どう見ても、数年……、いや数十年以上は空き家だったのかもな。床や家具に埃が積もっていないのが不思議ではあるが、ここは余りにも静かすぎる。扉を開けた時にも、住人の匂いのようなものは感じられなかった」

 

「確かに。見つけた足跡はかなり古びてたし、殆ど消えかけてた。誰かが掃除しているなら、足跡がついたままになっているはずはない。多分、もう何年も出入りする人がいなかったのかも」

 

 一行は首を捻りつつ周囲をもう一度注意深く見回したが、やはり何かが内部にいる様子はなかった。

 

「それなら……、せっかくだから、今夜はここに泊まることにしない? もう外は暗いし。万一、家の人が戻ってきたら、その時は無断で入ったことをお詫びしましょう」

「それで許してくれればいいけどな! でも、まぁ、俺もラキュースと同意見だ。ここの住人は、もうこの世にはいねぇのかもしれねぇ」

 

「では、今夜はここに泊まらせてもらうか。流石に皆も疲れたろう。これ以上森をうろつきまわって野営地を探すのも危険だしな」

「モモンに同意。今日はもう休みたい」

「そうだな。まぁ、誰も帰ってこないことを祈ろう。そうだ。念のために、入り口に〈警報(アラーム)〉をかけてくる」

「イビルアイ、よろしくね。確かにその方が安心できるわ」

 

 イビルアイが洞窟の入り口と居住区の入り口に魔法をかけて戻ってくると、一行は既に火を付けて湯を沸かし、思い思いに食事を取りつつ休息をとっていた。モモンは多少興味深そうに部屋中に置かれてある物を一通り見て歩いていたが、やがて興味をなくしたのか、ラキュースの隣に座って話をしているようだ。

 

 その様子に、昔、十三英雄と共に旅をした時のことをふと思い出し、懐かしい思いにとらわれる。

 

(あの時は、魔神を追ってあちこち旅をしたんだった。いろんなことがあったが、それも、今になってみればいい思い出だな)

 

 イビルアイはくすりと笑うと、談笑している他の面々の邪魔をしないように、静かに部屋の奥の方に置いてある戸棚に向かった。

 

 戸棚には住人が使っていたらしい食器などが並べられ、この辺りでは見かけない変わった細工が施された美しいグラスに酒瓶と思われるものが何本も並べられている。

 

(いつの時代のものだろう。少なくとも、ここ二百年くらいでは見かけたことのない文様だな。それにこの瓶も珍しい紋章が入っているが、どこの国のものなのだろうか? そもそも、ここの家主は何故こんな人が住めるような場所とも思えないところで暮らしていたのだろう?)

 

 何となくここの住人に興味を引かれたイビルアイは、少しばかり罪悪感をいだきながらも、下の方についている引き出しをあけた。その中はきちんと整理されていて、数本のペンやインク、そして一冊の古びた本が置かれていた。本の表紙をめくると、そこには酷く紙が傷んだメモが一枚挟まれている。何気なくそのメモに書かれた文字を見て、あまりのことに呆然とした。

 

 イビルアイはその文字を読むことはほとんど出来ないが、少なくともそれが何かは知っていた。

 

(これは、まさか『ゆぐどらしる』の文字!? ということは、ここは未発見のぷれいやーの住居なのか……!?)

 

 とりあえず本をパラパラと開いてみたが、中にはびっしりと手書きのゆぐどらしる文字が書き込まれ、宛名が書かれていない封筒も挟まれている。もしかしたら、これを読めばここの住人のことが何かわかるかもしれない。そう思ったイビルアイは、反射的にその本を自分の荷物にしまい込んだ。

 

 それからふと後ろを向くと、モモンは他の面々と話をしながらも、自分のことをさり気なく見ていたようだったが、イビルアイが気がついたのがわかったのか、そのまま何事もない風にイビルアイから目を離した。

 

 イビルアイは、なるべく他の面々には気付かれないように戸棚の他の引き出しを開け、ベッドの下をさり気なくのぞきこみ、壁に掛けられた見事な旗の裏を確認する。

 

 もしこの場所がぷれいやーの未発見住居なら、この世界にとって危険なマジックアイテムや知識の書などが何処かに隠されていてもおかしくない。場合によっては、この場所そのものを封印する必要もあるかもしれないのだ。

 

 しかし、他には特に目につくほどのものはなく、イビルアイは小さく溜め息をつき考え込んだ。

 

(どうしよう。これ。本当だったらツアーに見せるべきなのかもしれない。でも、アインズ様だって興味あるだろうし、読んでわかることも多いかもしれないな……)

 

「イビルアイ、何をしているの? 気になるものでもあった? 随分熱心に見ていたみたいだけど、ここに住んでいる人にバレたら流石に不味いんじゃないかしら?」

 

 イビルアイが奥で何やら漁っているのに気がついたのか、先程までモモンと楽しそうに談笑していたラキュースがこちらを見ている。

 

「あ、いや、なんでもない。どんな人が住んでいたのか、少し気になってな」

 

 引き出しを元のように閉めると、イビルアイは何事もなかったかのように、火の回りに座っている一行の間に腰を下ろした。

 

「気持ちはわかるが、勝手に泊まらせてもらっているだけでも不味いんだからよぉ。泥棒みたいなことはやめとけよ、イビルアイ」

「そうそう。やる時はもっとこっそり人目を忍んでやるべき」

 

「いや、別にそういうことをしたいわけじゃないぞ!? だが、まあ、ちょっとした好奇心で、余計なことをしてしまった。特に怪しいものもないようだし、標本みたいなものがたくさんあったから、世を忍ぶ学者のような人で、旅に出たまましばらく戻っていないのかもな」

 

 イビルアイは、訝しげに少し首を傾げて自分を見ているモモンに、相談しようかどうしようか一瞬悩んだが、未知のぷれいやーの存在をいたずらに他の者に知られるのもためらわれる。

 

(やはり、ツアーには悪いが、まずはアインズ様にお話してからにしよう)

 

 そう思った瞬間、イビルアイの心の中は、今はここにいない死の支配者の横顔でいっぱいになる。それと同時に、再び彼を求めようとする何かの心が自分の中でうごめくのを感じた。

 

 

----

 

 

 エ・ランテルの執務室で、本日の執務をほぼ終えたアインズがアルベドとセバスを下がらせようとした時に、珍しくデミウルゴスとアウラが連れ立って現れた。

 

「よく来たな、デミウルゴス、アウラ。二人が来たということは、竜王国の件だな?」

「はい。アインズ様にご報告とお願いに参りました」

「あたしもです。ちょっと気になることを見つけたので、アインズ様にご相談したくて」

「そうか。では、そちらのソファーで話を聞くことにしよう。ああ、セバスは時間だから下がって良い。今日も一日ご苦労だった」

「とんでもございません、アインズ様。では私はこれで御前失礼致します」

 

 セバスは恭しくアインズに一礼をすると退室していった。

 

 アインズとしては NPC の様々な挙動は仲間達を思い出させられて微笑ましく思うのだが、やはりセバスとデミウルゴスはなるべく顔を合わせたくないらしい。だから、これは上司としてのちょっとした気配りのつもりだ。

 

 脇に立っているアルベドから、どことなくねっとりとした視線を感じたので、アルベドにも座るように命じ、アインズは三人の反対側に支配者らしい振る舞いで腰を下ろした。

 

「さて、二人ともどんな用向きなのか、聞かせてもらえるか?」

 

 デミウルゴスとアウラは一瞬顔を見合わせるが、アウラがデミウルゴスを促すような身振りをしてデミウルゴスは軽く頭を下げた。

 

「では、アインズ様、私の方から先にご報告させていただきます。竜王国の作戦は順調に推移しております。現在は、第二段階の終盤、竜王国の北東部の都市でシャルティア指揮下のアンデッド部隊とビーストマンの攻防戦を行っているところです」

 

(うわ、もうそんなところまで作戦が進んでいるのか。さすがデミウルゴス、随分手際がいいな。俺の方の仕事はさっぱり進んでない気がするんだが……。そもそも、竜王国のあの女王様が帰ってから、まだ一ヶ月くらいしかたってないじゃないか。まぁ、その方が竜王国の被害も抑えられていいのかな?)

 

 アインズは優秀すぎる部下の得意げな表情を見て、自分の出来なさ加減にがっかりするが、仕事は出来る部下に割り振るのが上司の仕事、と昨夜読んだビジネス書に書いてあったことを思い出して、気を取り直した。

 

「ほう、さすがはデミウルゴス。素晴らしい手腕だな。作戦が順調でなによりだ」

「私は今回はあくまでも補佐兼作戦参謀でございます。全てはコキュートスとシャルティアの成果と申せましょう」

 

「ふむ、確かに、お前の言う通りだな。アウラ、シャルティアの様子はどうなのだ?」

「そりゃもう、張り切ってますよ。あそこの国の人間の冒険者とも、なんとか上手くやってるみたいです」

「そうか。シャルティアとしてはかなりの進歩だな。今後はシャルティアも後方支援や単体戦力としてだけではなく、作戦指揮をある程度任せられるようになるかもしれない」

 

「アインズ様、シャルティアはさておき、コキュートスの指揮官としての力量は私から見ましてもかなりのものでございます。現在は嫉妬の魔将(イビルロード・エンヴィー)をヤルダバオト軍残党の首領として、コキュートスの指示に従わせておりますが、嫉妬の魔将もコキュートスの采配に敬服しているようです」

 

「なるほど。コキュートスがこれまでに積んだ様々な経験は、やはり無駄ではなかったいうことだな。以前にも話したかもしれないが、私は、ナザリックが今後成長するためには、皆がいかに経験を積んで自分自身を成長させるかが鍵だと思っている。シャルティアとコキュートスの件はそれの裏付けになったということだ」

 

 アインズは満足げに頷いた。三人の守護者達もそれぞれ思うところがあるらしく、妙に瞳をきらきらと輝かせている。

 

「まさに、アインズ様のお考えの通りに進んでいるかと思われます。それで、アインズ様にお願いがあるのですが……」

「なんだ? デミウルゴス」

 

「そろそろ私の方では作戦の第三段階の準備に入らせていただこうと思っております。そこで、アインズ様には御足労をおかけいたしますが、竜王国の方におでましいただきたく……」

 

「もちろんだとも。もとよりその予定だったのだからな。ああ、それと以前にも作戦計画書はもらっているが、現状を踏まえて修正した作戦計画書を作成して持ってきてくれないか?」

「畏まりました。それは早急に作成しまして持参いたします」

「うむ、頼んだぞ」

 

(よっしゃ。これで少なくとも、竜王国での行動はそれほど迷わなくて済むだろう。余計なことを考えなくて済むだけでもありがたいからな)

 

 アインズは心の中でガッツポーズを取ると、どことなく自分をぼうっと見ているようにみえるアウラに声をかけた。

 

「アウラ、どうした? 少し疲れているようだが、ちゃんと休みはとっているのか?」

「えっ、いえ、別にそういうわけじゃないです! ちゃんとアインズ様のお言いつけ通り、休みはとってますし、ご飯も食べてます!」

「そ、そうなのか。それならいいのだが。それで、アウラはどういう用件だったのだ?」

 

「あ、はい。アインズ様のご命令通り、竜王国の周辺地理の調査をしていたのですが、実は少し妙な場所を見つけたので、どのように対処したらいいか、アインズ様にご確認しようかと思いまして」

 

 アウラの報告を聞いたデミウルゴスは怪訝そうな顔をした。

 

「妙な場所? 詳しく説明してくれないか、アウラ。もしかしたら、こちらの作戦にも影響するかもしれないし」

「ああ、そうだよね。ええと、デミウルゴスとコキュートスが今陣を張っている場所からはかなり離れているんですが、妙な霧が発生している場所があって、少しだけ魔獣を使って調べさせたんですけど、どうもアンデッドが大量にいるみたいなんです」

 

 大量のアンデッドという言葉に、アインズは少々興味を引かれた。

 

「アンデッド? カッツェ平野みたいな感じか?」

「そうです。ただ、そこはただの草原とかそういうわけじゃなくて、何かの遺跡かなにかがあったような感じかな、って思いました。一応、周囲には何かが近寄らないように魔獣は配置してきたんですけど、広さもかなりあります。カッツェ平野よりは少し狭いくらいです」

 

「アウラ、それはなかなか興味深い話ね。――アインズ様、アンデッドが住む場所なら、恐らく他の生物は住んでいないでしょう。であれば、少し手を加えれば、魔導国で活用できるのではないでしょうか?」

「そうだね、アルベド。私もそう思ったよ。今の魔導国は属国は増えていても、魔導国自体の所領はそれほど広くない。魔導国として独自に資源を得るためにも、明確な所有者のいない場所であれば、領土に加えてしまいたいところです」

 

「確かにな。実際、カッツェ平野を整備した件で文句をつけてきた国はない。そもそも人間の国のある地域以外はナザリックが支配している地が多いのだから、そこも有効活用できるならその方がいいだろう。アウラよ、その場所に私を案内してもらえるか? どのみち、竜王国に向かうのだ。ついでに、その地も魔導国の支配下にしてしまうとしよう」

「了解いたしました! もちろん、ご案内します!」

 

 アウラは、妙に頬を上気させて勢いよく返事をした。その時、執務室の扉がノックされる音がした。扉の側に控えていたインクリメントが対応すると、蒼の薔薇と漆黒の来訪を告げた。

 

「蒼の薔薇か。それなら、まぁ、問題ないだろう。インクリメント、通してくれ」

 

 アインズが許可を出すと、どうやら、長旅から戻ってきたばかりといった雰囲気の蒼の薔薇と漆黒が部屋に入ってきた。

 

「魔導王陛下、お話中のところにお邪魔いたしまして、大変申し訳ございません。漆黒及び蒼の薔薇、アゼルリシア山脈から只今無事にエ・ランテルに帰還いたしましたので、ご挨拶に参りました」

 

 ラキュースが丁寧に礼をし、他の者達もそれにあわせて頭を下げた。

 

「そうか。全員無事だったようでなによりだ。ゆっくり土産話を聞かせてもらいたいところだが、あいにく今日はあまり時間がないのでな。後日改めて、話を聞かせて貰えるとありがたい。お前たちも帰還したばかりで疲れていることだろう。一週間ほど休暇をとって疲れを癒やすが良い。アインザックには私の方から話しておこう」

 

「ありがとうございます、魔導王陛下。それでは、御前失礼致します。宰相様、デミウルゴス様、アウラ様、お仕事を中断させてしまいましたことお詫び申し上げます」

 

 蒼の薔薇と漆黒は再び丁寧に頭を下げると部屋を出ていこうとしたが、イビルアイだけ少し歩いてすぐに立ち止まった。

 

「イビルアイ、何をしているの。帰るわよ?」

「すまない、ラキュース、先に行っていてくれないか? 私はちょっとアインズ様に話が……」

 

 不審に思ったラキュースが振り返ると、イビルアイはうつむいたまま真剣そうな口ぶりでそう話した。ラキュースは肩をすくめて「あまり陛下のお邪魔にならないようにね」とだけ言い残し、蒼の薔薇の残りのメンバーと漆黒は部屋から出ていった。

 

 一人その場に残ったイビルアイは、扉の閉まる音がしてからようやく口を開いた。

 

「あ、あの、アインズ様」

「ん? どうした、イビルアイ。何かあったのか?」

「その、少しお話したいことがあるのです。多分、とても大事なことじゃないかと思うんですが……」

「大事なこと? なんだ? 話してみるがいい」

 

 イビルアイは、アインズの周りに座っている守護者達をちらりと見ると、口ごもった。

 

「いえ、あの、出来れば他の方々がいらっしゃらないところで、お話できれば……」

 

 イビルアイは、アインズから見ても少し様子がおかしかった。

 

 ここにいる守護者達がアインズの信頼する側近で、特に隠し立てする必要のない相手だということはイビルアイもよく知っているはずだ。それなのに、あまり聞かせたくない話というのは、一体どういう話なのだろう。もしかして、アゼルリシア山脈で何かあったのだろうか。しかし、これから現在進行中の作戦について話し合う必要もあるし、守護者たちを待たせるのも気が引ける。

 

「そうか。イビルアイ、その話は急ぎなのだろうか?」

「なるべく早くアインズ様のお耳にいれたいと思ったのです。でも、それほど急ぎではないかもしれません。正直、よくわからない……」

 

 イビルアイが若干焦燥した様子なのは気にかかったが、アインズとしてはやはり今の状況で私事を優先するのは少々はばかられた。

 

「では、イビルアイ、その話は今度時間がある時にゆっくり聞かせてもらえないだろうか? 私はこれから竜王国に向かわなければいけない。それに、どうもこれまであまり知られていない場所が見つかったらしくてな。大量のアンデッドがいるらしいのだ。だから、いろいろ片付けて戻ってきたら、お前のために時間を作ろう。それでどうだろうか?」

 

「……大量のアンデッド? カッツェ平野ではなくて?」

「ああ、そうだ」

「……もしかして、竜王国付近の山岳地帯からかなり離れた森の奥にある平原……?」

 

 アインズがアウラを見ると、アウラは少し驚いた顔をしつつも頷いた。

 

「平原かどうかまでは確認出来てないですけど、少なくとも森の奥の方にそういう場所はあるようです」

 

「どうやら、そのようだな。イビルアイ、何か知っているのか?」

「……ぁ……ぁあぁああ……」

 

 いきなり、イビルアイは頭を抱えて呻くような声を上げはじめ、やがてその場に崩れ落ちるように座り込んだ。いつもと全く違う反応に、流石のアインズも少しばかり心配になった。

 

 イビルアイとはじめて会ってからもうそれなりの期間が経っているが、彼女がこれほど動揺するのをアインズは見たことがなかった。それにアンデッドであるイビルアイが、これほど大きく感情を動かされるというのはよほどのことに違いない。今のイビルアイは何かに怯えながら震えている、ただの人間の幼子のようだった。

 

「イビルアイ、どうした。落ち着くのだ」

 

 アインズはソファーから立ち上がると、一人で床に座り込んでいるイビルアイをそっと抱きしめた。アインズは背中にいくつかの視線が突き刺さるのを感じるが、それを無視して、そのまま軽くイビルアイの背中を撫でる。少しするとイビルアイも落ち着きを取り戻したようで、ようやく顔を上げた。

 

「申し訳ありません。つい、取り乱してしまい……」

「いや、構わないさ。それよりも、今の話で何か気になることでもあったのか?」

 

「……気になる……というか……。その、アインズ様。竜王国に、私も連れて行ってもらうことは出来ませんか?」

「竜王国に? 別に一緒に来ても構わないが、楽しいことをしにいくわけではないぞ? 竜王国は今戦場なのだし」

「それはわかっています。皆様方に比べれば私ははるかに弱い。でも、ビーストマン相手なら私でもそれなりにお役には立てます。それにアウラ様のお話に気になることがあって……。駄目でしょうか?」

 

 イビルアイの表情は仮面に隠れて見えなかったが、それでもイビルアイのただならぬ真剣さにアインズは気圧された。

 

(うーん、まぁ、連れて行っても特に問題はないはず……だよな? どうせ、もう戦い自体は終盤なんだし)

 

 ちらりと後ろの守護者達を見やると三者三様の表情をしている。どうしたものか悩むが、連れて行った結果想定外の問題が発生する可能性もあり、正直アインズには決められなかった。そして、今回の作戦責任者はデミウルゴスなのだから、答えはデミウルゴスに丸投げすればいいと思いついた。

 

「デミウルゴス、イビルアイを連れて行っても問題はないか?」

「もちろんでございます。全てはアインズ様のお心のままに」

 

 他の二人と比べ、デミウルゴスが非常にいい笑顔をしているのが気にかかったが、アインズは断る理由も失い、イビルアイを連れて行くことに同意した。

 

 




五武蓮様、大庭慎司様、誤字報告ありがとうございました。


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10: 神に挑む

 竜王国では、シャルティア率いるアンデッド軍と籠城しているビーストマン軍が膠着状態になっていた。

 

 シャルティアは都市から五百メートル程離れた場所に陣を張ると、その後積極的に攻撃をすることはなかった。クリスタル・ティアと朱の雫がビーストマンに何度か降伏勧告を行ったが、返ってくるのは口汚い罵倒と、半分崩れた城壁の上から投げ落とされる、噛み痕のあるバラバラにされた人間の遺体だけだ。

 

 都市の内部からは時折、悲鳴と柄の悪い笑い声が聞こえてくる。残り少ない竜王国兵たちは積極的に攻撃することが出来る状態ではなく、シャルティアの陣の若干後方に遠距離攻撃部隊と後方支援部隊を待機させているのみである。

 

「シャルティア殿、このまま奴らを放置しておくのかね?」

 

 アンデッドで都市全体を包囲するように配置したまま動かないシャルティアに、都市周辺の偵察から戻ってきたアズスが声をかけた。後ろにはルイセンベルグと朱の雫の他のメンバー、そして数名の冒険者がいた。

 

 今の所、ビーストマンの動きは静かだ。しかし、またいつ大軍が編成され、再度竜王国への攻略が始まらないとも限らない。できれば今のうちに国内に残るビーストマンをできるだけ排除してしまいたい。そして、それは魔導国軍の力があれば容易に出来るはず、というのがセラブレイトとアズスの考えだった。

 

「そういうわけではありんせん。わらわは待っているのでありんす。愚かなビーストマンを叩き潰すのは簡単なこと。しかし、我が主はあの愚かものどもにも慈悲を与えるべきだとお考えなのですぇ」

 

「慈悲ですか。魔導王陛下は、あのビーストマンたちにも慈悲をかけられるというのですか? 既にあのように人間を食い散らかしているような連中なのですぞ?」

 

「ぬしは何か誤解しておらんせんか? 今回魔導国が竜王国へ助力をしているのは事実でありんす。しかし、それはビーストマンを滅ぼすことを目的にしているわけではありんせん。もちろんビーストマンがアインズ様……魔導王陛下のお慈悲に唾を吐くなら別でありんすが」

 

 シャルティアは鼻で笑うと、アズスに対して冷たい視線を向けた。

 

「つまり、魔導王陛下は人間の味方をされているわけではない、ということですかな?」

「アインズ様が目指しておられるのは、全ての種族の共存共栄。人間だから、ビーストマンだから、というのはあなた達の都合。わかったら、しばらくおとなしく見てなんし」

「シャルティア殿、それはどういう……」

 

 その時、シャルティアは何かに気がついたかのように動きを止め、しばらく何かを小声でつぶやいていたが、それが終わると、アズス達に向き直った。

 

「都市の周辺にまだ冒険者が残っているなら、竜王国軍の辺りまで引き上げるように指示しなんし。これから我が至高の主がビーストマンに引導を渡しにこの地に参られる。下手な場所にいると巻き添えになるでありんす」

「な……!?」

 

 慌ててアズスたちは、近くを巡回している冒険者たちを集め、竜王国軍兵の近くに陣取る。

 

 シャルティアは周囲のアンデッド達に次々と指示を出すと、自らの周囲には高位の下僕だけを残した。アンデッド兵団は少し離れた場所に整列し、シャルティアと高位の下僕はその場に跪いた。

 

 やがて、整列していたアンデッド兵団が整然と大きく二つに分かれる。その間をゆっくりと三つの人影が歩いて来るのが見えた。

 

 三人を見て、居並ぶ竜王国軍の兵士たちからは、小さくあがる悲鳴と誰かにたしなめられる声、戸惑いの声、緊張からかごくりと唾を飲む音が聞こえる。少しずつ近づいてくるその人影は、まさに死の具現とも言うべき死の支配者とその後ろに付き従う二人の少女であることがわかる。

 

 死の支配者のきらびやかな衣装は、戦場には全く似つかわしくないものだった。しかし、悠然と歩くその様子には、この荒れ果てた場所がまるで戦場ではないかのような気軽さと、人間の力を遥かに凌駕する者だけが持つ圧倒的な力を感じさせられる。

 

 アズス達は少し離れたところでそれを呆然と眺めていたが、魔導王と思しきアンデッドが姿を現したのを見てアズスは少し皮肉げな笑いを浮かべ、ルイセンブルグは興味深そうにそんなアズスと魔導王の様子を眺めている。この場に集っている冒険者達も多少うろたえたものの、逃げ出すものはいなかった。

 

 アインズはちらりと周囲に居並んでいる軍勢に目をやると、そのままゆっくりとシャルティアの元へ向かった。

 

「シャルティア。出迎え、ご苦労」

「ははぁ。アインズ様のお為なら、このシャルティア、全てを捧げる覚悟でありんす!」

「あ、いや、別にそこまでのことを要求しているのではないのだが……。シャルティア、立つがいい」

「ありがとうございます、アインズ様」

 

 今日アインズの纏っているローブは、戦場にやってくるというよりも、むしろ公的な晩餐にでも赴くかのような、赤い布地に金糸で細かな刺繍が施されたもので、いくつもの宝石が縫い付けられている。アインズとしては、あまりの派手さに戦場のいい的になるだけなのではないかと真剣に思ったが、選んでくれたメイド達だけではなく、アルベドやデミウルゴスも満足そうだったので、アインズはそのまま黙って着飾られるままになっていたのだ。

 

「シャルティア、既に降伏勧告は終わったのか?」

「何度か竜王国の冒険者にやらせてありんす。聞く耳は持たないようでありんしたが」

「結構。どのみち、降伏するようなら既に撤退しているだろうからな。では、そろそろいい頃合いだろう。シャルティア、アウラ、付いて来るがいい。イビルアイは……」

 

 少しばかり迷ったようにアインズはイビルアイを見たが、イビルアイは即座に答えた。

 

「私も一緒に行かせてください。その、シャルティア様やアウラ様と比べれば足手まといかもしれませんが……」

「そんなことはないさ。では、お前もくるといい。まぁ、どのみち大したことをするわけではないし。アウラ、シャルティア。イビルアイも我が配下と思い、先輩として面倒を見てやるように」

「心得ました!」

「かしこまりんした!」

 

 アウラとシャルティアが即座に返事をしてアインズに頭を下げたのを見て、イビルアイは一瞬驚いたようだったが、すぐに二人に深々と頭を下げた。

 

「よろしくお願いします! シャルティア様、アウラ様」

 

 その後頭を上げた三人は、これまでと比べると、どことなく和やかな雰囲気になったように見える。

 

 その様子を見たアインズは軽く頷くと、散歩でもするかのような足取りで前に歩き始めた。シャルティアは手にしていた魔導国の国旗をアウラに押し付けると、素早くアインズの前に出る。既に相手の強さはわかりきっていたが、それでも油断してアインズにもしものことがあったら、シャルティアは二度と自分を許せる気がしなかった。

 

「イビルアイ、あんたはアインズ様の右側を警戒して。あたしは左側。前はシャルティアに任せておけばいいから」

「わかった!」

 

 軽く声を掛け合ったアウラとイビルアイは、アインズの少し後方に右と左に分かれて、周囲を警戒しながら歩いている。

 

 アインズ達が少人数で都市の城壁にのんびりと歩いてくるのをビーストマン達も気がついていたのだろう。城壁から百メートルほどのところで「止まれ! それ以上近寄ると射つぞ!」というだみ声が響いた。

 

 城壁の上にはビーストマンの射手が大勢こちらに向かって弓を構えている。それを見たアインズは楽しそうな笑い声を上げた。

 

「はじめまして、ビーストマンの諸君。私はアインズ・ウール・ゴウン魔導王という。この場には平和的な話し合いに来た。だから、君たちの代表者を呼んできてもらいたいのだが?」

 

「黙れ! この糞アンデッドが! これまで俺たちを散々攻撃してきたアンデッドの親玉だな!? そんなやつを信じられるわけがあるか!」

 

 アインズを狙った矢が数本放たれるが、シャルティアは苦もなくそれを全て叩き落とすと、ビーストマンを睨みつけた。

 

「随分なご挨拶だな。それが君たちの選択なのかね? 改めて問おう。降伏し、私に恭順せよ。我が配下となるのであれば、命の保証はする。但し、あくまでも歯向かうというのであれば、都市ごと殲滅させてもらおう。私のアンデッド兵の強さは十分わかっていると思うがね。君たちが正しい選択をしてくれることを祈るよ」

 

 そう言い放つとアインズは肩をすくめ、一瞬ビーストマンたちは静まり返った。

 

 しかし、次の瞬間、「ハッタリだ! アンデッドの言うことなど信用できるか!」という叫びと共に更に多くの矢が放たれ、シャルティアは素早い動きで、再びことごとく矢を落とし、ビーストマンたちは騒然とする。その間、平然と立っていたアインズは鷹揚に頷いた。

 

「なるほど。君たちの選択はなされたようだな。では、私の方ももはや遠慮なく攻撃させてもらうとしよう。シャルティア、都市の周辺からはビーストマン以外の者は既に退避させてあるな?」

「ははぁ、冒険者も全部引き上げたようですから、問題ございんせん」

「よし。では、シャルティア、アウラ、イビルアイ、しばらく私を守ってくれ」

「畏まりました!」

 

 三人は唱和し、アインズを中心に正三角形の頂点の位置にそれぞれ移動し、防御の構えをとった。それを確認したアインズは、都市を眺めて距離をおよそ把握すると、超位魔法の詠唱を開始した。

 

 アインズを中心に煌めく巨大な立体魔法陣が展開するのを見て、ビーストマン達が驚き騒いでいる声が聞こえる。ひっきりなしにアインズを目掛けて矢を射掛けつつ、混乱しているのか、城門から撃って出ようとするものと、逃げ出そうとするもので混乱を極めている。

 

 周囲に展開している竜王国軍の兵士や冒険者たちは、これまで見たこともない圧倒的な力を前に立ちすくんでいた。まともに動くことが出来るものはおらず、ひたすら、前方でビーストマンに対峙している三人の少女と魔導王の様子を固唾を飲んで見つめていた。

 

 魔導王の周囲に輝く光の帯を見て、どうやら未知の恐ろしい魔法が発動されるらしいということはわかったが、その魔法が一体何なのか、このままこの場にいても自分たちは無事でいられるのか、わかるものは誰もいなかった。

 

 シャルティアはスポイトランスの一閃で矢を一気に落としつつ、アンデッド軍に城門から出てくる者たちを攻撃するよう命じ、アウラは素早く鞭をふるって直接攻撃しようと手に武器を持って突進してくる者たちを軽くいなしている。イビルアイは、防御魔法を唱えて味方の支援をしつつ、範囲攻撃魔法で次々とビーストマンを屠っている。

 

(即席のパーティーなのに、随分と息があった連携をするじゃないか。シャルティアとアウラはともかく、イビルアイはパーティー戦の経験を積んでいるだけあって、レベル的にはあまり高くないかもしれないが、その分立ち回りでカバーしているな)

 

 アインズが感心して見ていると、明らかに自分たちよりも強者である三人に恐れをなしたのか、徐々にビーストマン達は攻撃よりも逃げに転じるものの方が増えてくるが、逃げようとしたものたちは、アンデッド兵たちに次々と斬り倒されている。

 

(しかし、わかってはいたことだが……、やはりプレイヤーはここにもいないか……)

 

 アインズは少々落胆する気持ちを抑える。プレイヤーの影はそこかしこに点在するのに、なぜここまでしても姿を現そうとしないのだろうか。

 

「お前達よくやった。もう十分だ。魔法を発動する。少し下がれ」

 

 展開している魔法陣は蒼い光を帯び、発動時間が来たことをアインズに教えてくれる。三人が魔法の効果範囲から外れたのを確認し、アインズは魔法を解放した。

 

「〈失墜する天空(フォールンダウン)〉」

 

 立体魔法陣の光が一段と強く輝いたかと思うと、まさに空が堕ちてくるような錯覚を覚えるような、強烈な光と熱量が辺り一帯を包む。次の瞬間、アインズ達のすぐ前から、目の前にある都市の城壁の半分以上程が非常に熱い何かに押しつぶされたかのように黒焦げになり、破壊され、ほぼ完全な更地になっていた。

 

 そこにいたはずのビーストマン達は例外なくただの焦げた塊となり、効果範囲外で無事だった者は恐怖のあまり立ちつくしていたが、次の瞬間、ビーストマン達は物凄い悲鳴を上げてアインズ達の反対方向へと一気に敗走しはじめた。

 

「天が落ちてきた……」

「ビーストマンどもに天罰が下ったんだ……」

「神の……御業……?」

 呆然と立ちつくす竜王国の兵士や冒険者たちの口から、小さなつぶやきが漏れる。

 

 アインズはゆっくりと手を横にひるがえし、シャルティアに命じた。

 

「シャルティア、生き残りのビーストマンをソウルイーターに追撃させよ。但し、国境を越えたものまでは追うな」

「かしこまりんした!」

 

 シャルティアはふわりと空に飛び立つと、アンデッド兵団に追撃を命令した。

 

 

----

 

 

 シャルティアがビーストマン達を容赦なく国境の方へと追い立てて行くのを、アインズはアウラとイビルアイと共にしばらく眺め、その手慣れた様子に安堵した。アウラが言っていたように、今のシャルティアならそれなりに信頼して仕事を任せても良さそうだ。それは今後のナザリックにとって非常に大きい利益になるだろう。

 

 少々明るい気分になったアインズは、後ろに控えているアウラとイビルアイを振り返った。

 

「さて、我々も最後の用事を済ませてしまおう。アウラ、あの都市の中には竜王国の国民がまだ生き残っている可能性があるのだったな?」

「うーん、生き残っているといいんですけど。奴ら、かなり酷く食い散らかしてたみたいですから」

 

 あまり人間に対して好意的ではないアウラでも、流石に思うところがあったのか、顔を嫌そうにしかめた。

 

「……そうか。しかし、まぁ、出来る限りのことはしてやろう。ドラウディロン女王との約束でもあるしな」

 

 アインズが二人を連れて都市に向かおうとした時に、不意に声をかける者がいた。

 

「魔導王陛下、少しだけよろしいですかな?」

「……誰だ、お前は?」

「私は、朱の雫のアズスという冒険者です。魔導王陛下にはこれまでお会いする機会がございませんでしたので、挨拶をと思いまして」

 

 そういって、アズスは慇懃にアインズに礼をした。アズスの後ろには、ルイセンブルグと朱の雫のメンバーも揃っており、共に頭を下げている。

 

「朱の雫? あぁ、リ・エスティーゼ王国のアダマンタイト級冒険者だったか。今は竜王国に来ていたのか」

「左様でございます。陛下、この度は、まさに神業ともいうべき見事な魔法を見せてくださいましてありがとうございました。噂には聞いておりましたが、まさにこれ程までとは」

「世辞は不要だ。用件はそれだけか?」

 

「いえ、もう一つ。魔導王陛下はリ・エスティーゼ王国戦士長だったガゼフ・ストロノーフと一騎打ちなさったそうですね? それも戦士長からの強い申し出で」

「そうだが。それが何か?」

 

 アズスはゆっくりと頭を上げた。

 

「私は王国戦士長殿に非常に好意を抱いておりました。そして、戦士長殿が魔導王陛下のことを非常に買ってらしたことも知っております。戦士長殿は愚かにも考えなしに陛下に戦いを挑んだ、などという者もおりますが、私はそんなことを信じてはおりません。ただ、私はどうしても一つだけ知りたいことがあるのです。――陛下、不躾なお願いではありますが、私と一騎打ち、いえ、一騎打ちなどおこがましいですな。手合わせをしていただけませんでしょうか?」

 

「…………は?」

「アズス、いきなり何を言い出すんだ!?」

 

 アインズは思わず間抜けな声を上げ、ルイセンベルグは慌ててアズスを止めた。しかし、アズスはルイセンベルグを払いのけた。

 

「魔導王陛下、私は決して冗談でこのようなことを申し上げているのではありません。私はガゼフ・ストロノーフを己を上回る最強の戦士として認めておりましたし、あの実直な人柄に非常に惚れ込んでもいたのです。まぁ、あの方は私のそういう気持ちを好ましく思っていなかったようですが。そして、魔導王陛下がご存知かどうかは存じ上げませんが、戦士長殿は陛下を非常に敬愛していた。戦士長殿があの様に人を褒め称えるところを私は見たことがない」

 

 アズスは一旦言葉を切り、先程までの若干不遜な態度を改め、魔導王をまっすぐに見つめた。

 

「私は冒険者として長く生きてきて、剣を交えれば相手のことを理解できると信じております。私は陛下がどのような方なのか知りたい。失礼は承知の上。戦士長殿にお許しくださったように、私にも陛下と剣を交えさせてもらえませんか?」

 

 アインズはしばらくアズスを見つめていたが、やがて呆れたように口を開いた。

 

「悪いが、断る。そもそも私にはお前と戦う理由もメリットもない。それに私と戦ってもお前は死ぬだけだぞ」

「それは十分わかっております。先程の魔法を見て陛下に勝てるなどと思う方がおかしいでしょう」

 

「では、なぜそう死に急ぐのだ? ガゼフ・ストロノーフには死を覚悟して私に戦いを挑みたい理由があったのだろう。しかし、お前の理由にはそのようなものがあるようには見えないのだが?」

「確かにその通り! 私は別に死にたいわけではございませんから」

「呆れた奴だな。私にはお前に付き合っている暇などない。我が前から消えよ。目障りだ」

 

 アインズは踵を返し、側に控えていた二人に声をかけようとした。

 

「陛下、それでは、これならどうでしょう? 魔導国は優秀な冒険者を集めていらっしゃると聞いております。我々朱の雫は、竜王国が平穏になれば、次に行くべき場所を探さねばなりません。どうでしょう、陛下。陛下は利に敏い御方とお見受けします。我々、朱の雫はきっと陛下のお役に立てると思いますぞ?」

 

 アズスのその言葉にアインズは足を止めた。

 

「……なるほど。確かにアダマンタイト級冒険者チームは非常にレアだし、魔導国としても悪い話ではない。だが、それは朱の雫の他のメンバーは同意しているのか? お前一人の勝手な考えではないのか?」

 

 その時、後ろから見ていたルイセンブルグがすっと前に歩み出ると、優雅に一礼をした。

 

「お初にお目にかかります、魔導王陛下。私は朱の雫のルイセンブルグと申します。我々は、今後の身の振り方を考えた場合、魔導国に行ってみたいという気持ちはございます。ですので、これはアズス一人の独断という訳ではありません」

「ふむ、それならば、問題はないか……」

 

 アインズはアズスを上から下まで眺め、それからアズスの瞳を覗き込んだ。

 

 アズスの瞳には、ガゼフやネイアに感じたような人間の一瞬の輝きとでもいうような力強さがあり、なぜかはわからないが、自分が失ってしまったものに対する憧れのような気持ちを強く感じる。それと同時に、アズスの一種独特のある意味傲岸不遜とでもいう態度は、以前自分と親しかったギルメンをどことなく思い出させられ、少しばかり興味を引かれた。

 

 そして、それとは別にアインズには一つだけ試してみたいと思っていることがあった。

 

 魔法詠唱者としての自分としてはともかく、〈完全な戦士〉を使用しない素の戦士としての自分は、この世界のアダマンタイト級冒険者の戦士とPVPをした場合、果たして勝てるのか?

 

(武王には勝てたから大丈夫だとは思うんだがな……。ただ、こいつは少なくとも歴戦の猛者である人間で、しかも、今の立場ではなかなかこういう機会は訪れない。それに、優秀な冒険者を一人でも多く集めたいというのも本当だ。アダマンタイト級が数多く集まれば魔導国に向かおうとする冒険者の数も更に増えるだろうし)

 

 そう考えれば、アズスの提案はそう悪いものではない。

 

「そうだな。一騎打ちではなく、ただの手合わせということなら受けてもいい。但しもちろん条件はある。それでも構わないか?」

「もちろんでございます。受けていただけるだけで光栄というもの。しかし、その条件とはどのようなものでしょうか」

 

「まず、私は魔法を使用しない。魔法を使ってお前を殺さないで済む自信はないからな。それから、私は杖で戦わせてもらおう。もちろん、お前は自分の剣を使って構わない。そして、どちらかが相手の致命傷となる場所、まあ、頭、首、そして、胴だな。そこに武器を当てられるか、武器を落とされた方を負けとする。負けた場合は、朱の雫は魔導国の冒険者となれ。お前が勝った場合は好きにするといい。但し、私は手加減が苦手だ。殺してしまったとしても悪く思うなよ」

 

「アインズ様!?」

「アズス、何を考えているんだ!」

 

 後ろから、アウラとイビルアイの悲鳴のような声が聞こえるが、アインズは無視した。

 

「さて、どうする?」

「有難きお言葉、感謝いたします、魔導王陛下。私とて陛下がバハルス帝国で武王を魔法なしに倒されたという話は聞き及んでおります。ですから、魔法を使われない、と仰られてもそれで甘く見るようなことはいたしません。それにそれで私が命を落としたとしてもまさに自業自得。姪のラキュースにでも蘇生してもらいますよ」

 

「ん? お前はラキュースの血縁なのか。なるほど、言われてみればどことなく顔立ちが似ているような気がするな。では、そう決まったのであれば、急いで済ませてしまおう。我々も今はそれほど時間があるわけではない。まぁ、どのみち、ほとんどはシャルティアが片付けてくれるだろうから、問題はないのだがな。アウラ、それにイビルアイ、お前たちは手を出すなよ」

 

 アインズはアイテムボックスから以前武王との戦いに使用した打撃用の杖を取り出し、軽く振ってみる。

 

(少なくとも俺の戦士としてのいい経験にはなるだろうし、仮にもアダマンタイト級なら、俺の一撃くらいが当たったとして即死はしないだろう。それに、ラキュースの蘇生魔法は一度見てみたかったし、費用も朱の雫持ちなら、こいつが死んでもナザリックとしても損害が出るわけでもない。それで朱の雫が手に入るならメリットの方が大きいだろう。まぁ、俺が負けるかもしれないが)

 

 アズスは剣を取り出して静かに構えている。苦笑したアインズは距離を測りつつゆっくりと歩み寄り、アズスと五メートルほどのところで足を止め、同じように杖を構える。アズスは身体を半分ほど隠すように身に纏っていたマントを後ろに跳ね除ける。その瞬間、アインズは自分の目を疑った。

 

(あの鎧は……、確か以前ユグドラシルで見かけたことがあるような……。いいところ聖遺物級(レリック)? それとも遺産級(レガシー)か? まあ、神器級(ゴッズ)ではなさそうだが油断は禁物だな)

 

「では、ルイセンブルグといったか。何か合図を」

「畏まりました。では、この金貨を上に投げますので、それが下に落ちたら開始ということで」

 

 アインズとアズスは頷き、互いに向かい合う。ルイセンブルグは手にした金貨を上に放り投げ、やがてそれが地面に落ちて小さく硬質な音を上げた。

 

 次の瞬間、アズスは「〈能力向上〉〈能力超向上〉!」と叫ぶと、素早くアインズの側面から斬りかかった。鋭い目でアズスの動きを捉えていたアインズは杖でそれを軽く受け止め、そのまま払いのけると後ろに飛び退った。

 

 しかし、アズスは払われた剣の勢いを使って、体勢を立て直すと、再びアインズに斬りつけそれを身体を捻って躱したアインズは、逆にアズスの頭を狙って杖を振り下ろし、アズスはとっさにそれを剣で受け流す。

 

 二人の際どいせめぎあいを見ながら、イビルアイは王国でのモモンとの出会いを思い出していた。

 

 もちろん、イビルアイだって今回はあの時とは違うことはわかっている。あの時はモモン様と対峙していたのは宿敵ヤルダバオトで、自分などではとてもまともに戦えるレベルの相手ではなかった。だが、相手がアズスなら自分だって苦労せずに勝てる自信はある。ただ、問題は、アインズ様は魔法詠唱者で戦士ではないということだ。確かに、あの時のモモン様、いやアインズ様の剣さばきは魔法詠唱者のものとは思えないレベルだったし、アインズ様が負ける姿なんて想像することなんて出来ない。しかし、恋する乙女の心情としては愛する人が傷一つ負うことだって耐えられそうになかった。

 

「…………がんばれ、あいんずさま」

 

 アインズが負けるはずはないと思いつつも、イビルアイは思わず小さく言葉を洩らしてしまう。それを側で耳ざとく聞いたらしいアウラは軽く笑い声をたてた。

 

「何言ってんの。アインズ様が負けるわけないじゃん」

「だ、だって……、アインズ様は魔法詠唱者だ。近接戦では不利に決まってる……!」

 

「確かにね。でもアインズ様はもっと厳しい戦いでも負けなかった。それにこのくらいなら、アインズ様にはお遊びみたいなもん。だから、アインズ様を信じていればいいよ」

「そ、そうか。そうだな。ありがとう、アウラ様」

 

 イビルアイはアウラに照れくさそうな声で礼を言う。

 

(んー、なんだろ。まぁ、でも、アインズ様を必死に応援されると、悪い気はしないんだよねぇ。アインズ様はやっぱり素敵な方だし……)

 

 アウラは以前アインズから「アウラが大好きだ」といわれたことを急に思い出して、少しばかり気持ちが焦るのを感じる。隣にいるイビルアイの表情は仮面で見えなかったが、なぜかアウラはイビルアイにこれまでになく、ちょっとした親近感を覚えた。

 

 




佐藤東沙様、N瓦様、誤字報告ありがとうございました。


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11: 凱旋

 周囲の者たちが固唾をのんで見守る中、アズスとアインズの剣と杖での打ち合いは、ほぼ互角のまま続いた。しかし、持久戦になれば体力に限度のある人間の方が遥かに不利だ。だんだん、アズスの動きにキレがなくなってくる。

 

(このままだとジリ貧か……。それにしても噂には聞いていたが、魔導王陛下の戦い方は魔法詠唱者離れしているな)

 

 アズスは荒い息を吐きつつ、それでも己の最高の技を繰り出し、アインズの攻撃をかわし続けた。

 

 本来、魔法詠唱者はこのような近接攻撃の立ち回りは苦手な筈だ。確かに本職の戦士に比べれば、魔導王の動きに若干粗いところがないわけではないが、十分英雄の領域に達する腕だと思われる。この領域には例えどんな天才戦士だとしても、何の努力もせずに辿り着けるものではない。恐らく魔導王は己の現在の力に奢ることなく、地道な努力を続けたのだろう。

 

 アズスは自分の傲岸さを恥じつつ、それでも、アダマンタイト級の戦士としての意地を見せる覚悟をする。恐らく、次のどちらかの一撃で勝敗は決するはずだ。そう判断したアズスは、最後の抵抗を試みようとアインズの隙を見計らう。肩を突いてバランスを崩させようとアズスが剣を伸ばした時、アインズの避け方が微妙に甘いように見えた。

 

(ここだ!)

 

 アズスは素早く剣をアインズの胴を目掛けて払った。その時、アズスは魔導王の動かない表情が一瞬笑ったかのように見え、次の瞬間、その剣を杖で受け流したアインズがアズスの手首を強打し、その勢いでアズスの剣が手元から離れ、宙を飛んだ。

 

「これで終いだな」

 

 息を切らすこともなく、平然とアインズはアズスの剣が落ちた場所まで歩くと、剣を拾ってアズスに渡した。

 

「まったく、魔法詠唱者に剣で負けるとは……。わかっていても悔しいものですな。しかし、陛下、我が願いを聞いてくださりありがとうございました」

 

 アズスは肩で息をしながら苦笑いをした。そして一礼して剣を受け取ると、アインズに跪いた。

 

「ああ、別にそのような堅苦しいことはしなくていい。それよりも、今お前が着ているその鎧、少し見せてもらっても構わないか?」

「もちろんですとも。ご自由に御覧ください」

 

 アインズはアズスの鎧に〈道具上位鑑定〉を唱え、軽く頷いた。

 

(やはり聖遺物級(レリック)か。しかし、ユグドラシルのプレイヤーがこの世界に持ち込んだものに間違いないだろうな)

 

「アズス、この鎧は何処で手に入れたのか、聞いてもいいか?」

「これは、私の剣の師匠から譲り受けた品です。実はかのガゼフ・ストロノーフも同門なのですよ。もっとも師匠としてはガゼフが一番良い弟子だったようですが」

「ほう? それで、その師匠というのは、まだ存命なのか?」

 

「師匠はヴェスチャー・クロフ・ディ・ローファンという元アダマンタイト級冒険者なのですが、冒険者を引退した後、気に入ったものだけを無理やり入門させるという評判の道場を開いておりまして。私もガゼフもほとんど無理やり道場に引っ張り込まれたのです。亡くなったとは聞きませんから、一応まだ生きているのでしょう。何しろ、かの十三英雄の一人だったとも噂されていた御仁です。私が弟子だった頃でも既にかなりの歳でした」

 

「そのローファンという男が、その鎧をどうやって手に入れたのか知っているか?」

「知人から譲り受けたという話でした。もっともその知人はもう亡くなられたそうですが」

「そうか……。わかった。教えてくれて感謝する」

 

(やはり、なかなかプレイヤー本人にたどり着くのは難しいな。そもそも、人間種なら寿命の問題もあるし……)

 

 アインズが考え込んでいるうちに、アズスはゆっくりと立ち上がると周囲で見ていた朱の雫のメンバーを集めた。

 

「魔導王陛下。これが朱の雫のメンバー全員です。我々はこれからは、魔導国の冒険者となり、噂に聞く未知を探す冒険者になろうと思います。皆、それでいいな?」

 

 メンバーは一斉に頷き、アインズに頭を下げた。

 

「こちらこそ、歓迎する。朱の雫の諸君。冒険者組合長であるアインザックには私から連絡しておくので、詳しいことは彼から説明を受けてくれ」

「畏まりました」

 

 朱の雫の面々は再びアインズに一礼すると、そのままその場を離れようとした。アインズも空間に杖をしまい、本来の目的である都市への作戦に戻ろうとしたその時、不意にアズスは振り返った。

 

「魔導王陛下、大事なことを申し上げるのを忘れておりました」

「ん? なんだ?」

 

「先程の立ち会いでよくわかりました。ガゼフ・ストロノーフが陛下を敬愛していた理由が」

「そうなのか?」

「はい。私は心から陛下のために働けることを喜ばしく思っております。亡きガゼフの分まで陛下にお仕えすることをお約束いたします」

 

 先程までとは全く違う真面目な表情になったアズスは、アインズに恭しくお辞儀をすると、自分を睨みつけるように立っているイビルアイに軽く手を振り、そのまま、他のメンバーの後を追って立ち去っていった。

 

 

----

 

 

 都市の中は酷い有様だった。アインズの魔法の効果範囲にあった壁や建物は全て跡形もなく崩れ去り、地面は焦げついている。その少し奥では、ビーストマン達が行っていた饗宴の跡が残されており、かつて人間だった筈の物があちらこちらに山のように積まれ、腐ったような悪臭と血の匂いが充満していた。

 

 アウラのスキルで、中に危険な者はほとんど残っていないことはわかっていたものの、アインズとアウラ、イビルアイは念のために、ビーストマンの残党が残っていないかどうかを注意しつつ都市中を確認して歩いた。

 

 さすがのビーストマンも超位魔法の恐ろしさで必死の敗走をしたのだろう。逃げそこねて隠れているものを何人か倒して安全を確保すると、その後は都市の外で控えていた冒険者たちや、竜王国の兵士たちを都市内部に入れた。

 

 その後の作業は地道な救助活動となり、手分けをして都市の中にいる少しでも息があるものを探し出しては、ンフィーレアが作成したポーションで手当しつつ、搬送用の馬車に乗せていく。ポーションの見慣れない色に最初は戸惑っていた兵達もその劇的な効果に驚いたようで、それからはより一層アインズ達を崇拝するように見るものが増えた。

 

 しかし生存者は想定されていたよりも遥かに少なく、それほど時間はかからずに都市の開放は一段落した。

 

 アウラとイビルアイを伴って、兵士達に指示を出していたアインズの元にシャルティアが空を飛んで戻ってきた。その姿を見て、兵士や冒険者たちの間から「戦乙女が戻ってきた」「いや、あれこそ天使だろう」などという囁きが流れている。

 

 シャルティアは軽やかにアインズの元に舞い降りると、アインズの前で跪いた。

 

「アインズ様、ご命令通り、ビーストマンは国境の向こうに全て追い払い、国境には見張り役のアンデッドを配置してまいりんした」

「ご苦労、シャルティア。よくやった」

「ははぁ! ありがたきお言葉でありんす」

 

 シャルティアは頭を下げたままだったが、それでもこの上なく嬉しそうな様子なのは見ているものに伝わってくる。

 

「正直、シャルティアがまさかここまで、指揮官として働けるようになっていたとは思っていなかった。見違えたぞ。アウラもシャルティアの補佐、ご苦労だったな」

「ありがとうございます、アインズ様。でもシャルティアはシャルティアで、ほんとに頑張ってたんです。だからあたしはそれほど大したことはしてないですよ」

 

「そうか。それは何よりだ。イビルアイ、お前は大丈夫だったか? 初めてのパーティーだというのに、流石にタイミングの合わせ方が上手いな。やはり普段の訓練の賜物なんだろうが」

「いえ、私はお二人の足を引っ張らないようにするのが精一杯で……。でも、お褒めいただけて、その、嬉しいです」

 

「……実はあたし、イビルアイはもっと足手まといになるかと思ってたんだよね。でも、確かにイビルアイとは戦いやすいような気がしたよ。前に守護者皆で初めてやってみた時は結構散々だったし。うん、ちょっと見直したよ。いろんな意味でね」

 

 そういうと、アウラは少しばかり真剣な顔つきでイビルアイを見ると、そっと側に近寄って静かな声で言った。

 

「イビルアイ、あんたはアインズ様が好きなんでしょ?」

「え? あの……そ、それは……」

「別に隠さなくていいよ、皆知ってるし。あのさ、あたしはまだ子どもだけど、それでもあたしにだって譲れない気持ちがある。あたしは、アインズ様が好き。多分もうずっと前から。だから、あたしはあんたをライバルだと思ってる。それを忘れないでよね」

「アウラ様……?」

 

 突然のアウラからの宣言に一瞬イビルアイは動揺したが、それでも、非常に真摯なアウラの瞳と、自分を対等のライバルだと認めてくれたことが、なぜかイビルアイにはとても嬉しかった。

 

(これまで自分よりも強いと思ったものも、対等だと思ったものも殆どいなかった。だけど、これからは違うんだな……)

 

「わかった。私も、私だってこの気持は譲れないし譲る気もない。だから、いくらアウラ様にだって、簡単には負けないぞ」

「ふふ、そうこなくちゃね!」

 

 アウラは朗らかに笑うと、イビルアイの肩を軽く叩くと、いつもの明るい雰囲気に戻った。

 

 大仰に頭を下げたままのシャルティアに立ち上がるように命じ、アインズは周囲を取り巻くようにしている兵士達や冒険者達向かって厳かに口を開いた。

 

「これで竜王国はビーストマンの脅威から解放されたことを、アインズ・ウール・ゴウン魔導王の名において、ここに宣言する」

 

 それを聞いた者たちは、一様に喜びの叫びをあげ、自分たちの無事と竜王国の未来を讃えていたが、やがて、それは「魔導王陛下、万歳!」という歓呼の声に変わっていく。しかし、アインズはそれを押し止めるように手を上げた。

 

「いや、讃えられるべきなのは私ではない。この勝利は、ここにいる全員の、そしてこれまでこの戦いを続けてきた竜王国の国民達の、冒険者諸君の、そしてドラウディロン女王陛下の努力の賜物といえる。そして、救国の英雄は、生き残っている君たち全てなのだ。さぁ、王都に凱旋だ。女王陛下は朗報を首を長くして待っておられることだろう」

 

 兵士達の歓声はアインズの言葉で更に大きくなる。この場に生き残れた兵も冒険者も数はそれほど多くはなかったが、それでも、全ての者が自分たちの勝利を実感し、そして、その勝利を与えてくれたのは目の前にいる魔導王であり、その側近である戦乙女達であることを理解していた。

 

「魔導王陛下万歳!」

「神の御使いに感謝を!」

 

 歓声の中にその声が少しずつ混じり、やがてそれは、新しい神を称える声に変わっていく。

 

 アインズは、歓声を前に堂々たる振る舞いで手を振り、兵たちに王都へ帰還するよう指示を出した。

 

 

----

 

 

 負傷者を載せた馬車を連ね、兵達が王都へ戻っていった後、残されたアインズ達もアウラが呼び寄せた魔獣に騎乗して王都に一旦帰還することにした。しかしアインズ達が騎乗しても、イビルアイは怯えたように魔獣を眺め、なかなか乗ろうとしない。

 

「なにそんな怯えてるのさ。あたしの魔獣ならおとなしいし、面倒見がいいから初心者でも落ちたりしないって」

「いや、でも、騎乗した経験がないんだ。アンデッドはどうしても動物に嫌がられて」

「しょうがないなぁ。じゃあ、あたしの後ろに乗りなよ」

 

 アウラがイビルアイの腕を掴んで自分の後ろに引っ張り上げると、イビルアイもおとなしく後ろに乗り、ためらいがちにアウラの腰に手を回した。

 

「おや、アウラ、いつの間にイビルアイと仲良くなったんでありんすか?」

「仲良くっていうかー。アインズ様に面倒みろっていわれたでしょ! あんたもなんだからね!?」

 

「そうでありんした。そうそう。ちょっと気になっていたのだけど、イビルアイ、その仮面、ちょこっと取って顔を見せてほしいでありんす」

「え……? 悪いがあまり人に顔を見られるのに慣れてなくて……」

 

「いいから、ちょっとだけでありんすよ。どうせ、ここには他に誰もおりんせん。どのみち、ぬしは、もうナザリックの仲間なのでありんしょう? 先輩に顔くらい見せるのが礼儀でありんす」

 

 微妙な微笑みを浮かべながら、魔獣をすぐ側までつけてきたシャルティアは、素早くイビルアイの仮面をひったくった。

 

「ふえっ!?」

「な、何をする! 返せ!」

 

 シャルティアは、仮面の中から現れた少し頬を染めた赤い目の少女の顔を見て、おかしな声をあげると完全に動きがとまり、そのすきにイビルアイはシャルティアの手から仮面を取り戻して元通りに被った。

 

「もういいだろう!? 私の顔なんて見ても面白くもなんともないだろうが!」

 

 仮面を片手で必死に抑えながら、イビルアイはアウラの背に身を隠すようにした。シャルティアは半分正気が飛んだような顔で何かをブツブツと呟いている。

 

「……いい……」

「シャルティア、あんた、大丈夫? おかしなことやってると落ちるよ?」

「……いいでありんす。すごく好みでありんす……」

 

 シャルティアの周囲には妙にどす黒いオーラのようなものが見える。あきれたアウラが声をかけるが、シャルティアは異様な目つきでイビルアイをじっとりと見つめている。イビルアイは更にアウラを盾にするように、その後ろに縮こまった。

 

「アインズ様、シャルティアどうしましょう。様子がおかしいんですけど。ああ、様子がおかしいのはいつもか」

 

 シャルティアとイビルアイの板挟みになって困り果てたアウラはアインズに助けを求めた。

 

 アインズも不味いことになったと思いつつ対応を考える。だが、シャルティアがイビルアイに欲情しているのは明らかで、この手のことで暴走した場合、恐らくアインズでは止めきれないだろう。

 

(ペロロンチーノさん、ほんと、なんてことしてくれるんですか! 俺に一体どうしろと!)

 

 アインズはシャルティアの様子を見て頭を抱えるが、かくあれ、と作られたシャルティアには罪はない……だろう。責めるべきは、創造主であるペロロンチーノとその性癖だ。それに、そんなシャルティアだって、ペロロンチーノからの大事な預かり物であることには変わりがない。

 

 どう見てもドン引きしているイビルアイとアウラを前に、アインズは無い胃が痛むような気がした。

 

(やっぱり、イビルアイはペロロンチーノさんのどストライクだったか……。これはもう仕方がない。アウラはかなり面倒見がいいし、シャルティアもアウラの言う事ならおとなしく聞くみたいだし)

 

「アウラ、シャルティアは放っておけ。但し、イビルアイにおかしなことをするようだったら、悪いが止めてやってくれないか?」

「はぁ、仕方ないですね。わかりましたー」

 

 アウラはことさら大きくため息をつくと、イビルアイに説明した。

 

「あのさ、イビルアイ。シャルティアは死体愛好者(ネクロフォリア)で同性愛者なの。割と普段から節操なしなんだけど、どうもイビルアイは好みのタイプみたいだから、自分でも気をつけてよね。あたしが近くにいる時は助けてあげるけどさ」

「えっ、そ、そうなのか。そういう性癖というのがあるとは、聞いたことがあったんだが……」

 

「イビルアイ、シャルティアには私からも後で釘を刺しておくが、本人も条件反射のように行動してしまうところがあってな。ただ、シャルティアも悪気があるわけではないんだ。それはわかって欲しい」

「……わかりました。気をつけるようにします」

 

 かなり戸惑った様子のイビルアイを見ながら、アインズは心から同情した。

 

「シャルティア、お前は先頭を走れ。アウラ、お前は私の後だ。それなら余計な問題は起こるまい。シャルティアは必要以上にイビルアイには近寄らないようにな」

「……かしこまりんした」

 

 少しばかりしょげているシャルティアは可哀想ではあったが、好みとあらば見境なく手を出されるのもいただけない。

 

(ユリも結構迷惑してると言っていたしな……)

 

 アインズは出ないため息をつくと、気を取り直した。

 

「さぁ、すっかり遅くなってしまった。我々も王都に凱旋だ。あまり遅くなると先方にも迷惑だろう。行くぞ!」

「はい!」

 

 先頭を走るシャルティアは堂々と魔導国の国旗を掲げ、その後ろにアインズとアウラ、そして、その後ろからアンデッド兵団が続く。しばらく走ると、先行していた竜王国の兵士達の列に追いつき、王都まで凱旋する堂々たる魔導王の姿と、美貌の側近の姿は人々の目に強い印象を残した。

 

 

----

 

 

 竜王国の王都に凱旋を果たしたアインズは、ドラウディロン女王との会談もそこそこに逃げ出してきていた。

 

 なにしろ今回のドラウディロン女王は、麗しい熟女の姿で胸も露わなロングドレスをまとって現れ、明らかにアインズを誘惑しようとする意図が見え見えだった。

 

 確かに身だしなみを整えた女王はそれなりの美女だったし、豊満な胸……いや、魅力的な体つきではあったが、彼女の本性が竜であり、実際はかなりの年齢らしいということを考えると素直には喜べない。

 

 おまけにその側に控えている、今回の竜王国の戦いでかなりの功労者であるというアダマンタイト級冒険者チームのリーダーが、かなり冷ややかな表情でアインズを睨みつけているし、アインズに同行している三人も、どことなくアインズを非難しているように感じられる。

 

 アインズにはどうして皆がそのような態度を取るのかよくわからなかったが、何故か非常にいたたまれない気持ちに駆られたのだ。

 

 しかも王都に入った途端、竜王国民の熱烈な歓迎を受けたまでは良かったが、時折「アインズ・ウール・ゴウン神王陛下、万歳!」という妙に聞き覚えのある文句が聞こえた。アウラとシャルティアは満更でもない顔をしていたが、仮面を被っているイビルアイがそれを聞いてどう思ったのかはわからない。一体誰がその名称を広めているのか疑問に思ったが、考えても思い当たることはなく、アインズはその疑問を放り投げた。

 

 ドラウディロン女王はアインズと話をしたがっていたが、詳しい調整はいつものごとくアルベドとデミウルゴスに丸投げし、アウラから話を聞いたアンデッドの気配がするという場所に、シャルティアとアウラ、それにイビルアイを伴って向かっていた。

 

 ドラウディロン女王の能力や知識にはもちろん興味はあるが、それは後からゆっくり聞けば良い。ともかく、今は面倒な外交問題には関わり合いたくなかった。

 

 アウラの魔獣にそれぞれ騎乗し――シャルティアはイビルアイに一緒に乗ろうと誘ったが、イビルアイは断って再びアウラの後ろにしがみついている――竜王国周辺の山岳地帯を抜け、更にその奥へと向かう。

 

 そこには人を寄せ付けない雰囲気の古い森が広がっているが、四人はその中を更に奥へと進んだ。

 

「アウラ、この辺の掌握は終わっているのだな?」

「もちろんです、アインズ様! もっとも、奥にいるアンデッドのせいか、生き物の類はほとんど見かけないんですけどね」

 

 アウラのその言葉で、イビルアイの身体が一瞬びくりと動く。しかし、イビルアイは何も言わずにアウラの背中にしがみついている。

 

「どうしたの? イビルアイ。さっきからおとなしいじゃない?」

「……いや、なんでもない。ただ、目的地が私の思っている場所ではないことを祈っているだけだ……」

 

 森に入ってからのイビルアイの様子は明らかに不自然で酷く何かに怯えているように見える。アインズは何となくイビルアイが怯えているものに興味を持った。

 

「ふむ、イビルアイ、もしかしてお前はこの先に何があるのか知っているんじゃないのか?」

 

 イビルアイはしばらく黙っていたが、ようやく口を開いた。

 

「……アインズ様は『国墜し』の伝説をご存知ですか?」

「『国墜し』? 詳しくは知らないが、昔この世界にいた国一つを滅ぼしたとかいう強大な吸血鬼だったか」

 

「その通りです。私も昔のことで記憶が曖昧なのですが、もしそれがあっていれば……、この先にあるというアンデッドが大量に発生している場所は恐らく『国墜し』が滅ぼした国の跡地のはずなのです」

 

「なるほど、そういうことか。となると、まだその地にはその『国墜し』とやらがいるのか?」

「いえ……。いや、それとも、いると言うべきなのか? 少なくとも、今はいない、です」

 

「ん? イビルアイ、それどういう意味?」

 

 流石におかしいと思ったのか、アウラがイビルアイに問いかけた。

 

「…………つまり、その『国墜し』というのは私だからです」

 

 一瞬、三人の視線がイビルアイに集中した。イビルアイは顔を俯け、アウラの背に隠れるようにしていた。アインズにはイビルアイが酷く怯えているように見えたが、彼女は非常に重要なことを知っているのだということを直感的に感じた。そもそも最初は普通の人間だったらしいイビルアイが、なぜアンデッドになってしまったのか。

 

 イビルアイが吸血姫になった理由がわかれば、この世界でのアンデッドの成り立ちに関する重要な情報をつかめるかもしれない。

 

「イビルアイ、どういうことなのか、話してくれないか? ここには我々しかいない。そして、話の内容が何であれ、お前を害したりはしないと約束しよう」

 

 アインズはイビルアイに優しく話しかけ、少し逡巡したイビルアイもやがて、ぽつりぽつりと話しだした。

 

「二百年以上前の話だ。私は普通にあの国で暮らしていた。父も母も兄弟もいて、平穏な日常を送っていた。しかし、ある時突然、私は気づいてしまった。自分の中にいる不思議な存在に。きっかけはよくわからないが、かわいらしいウサギが家の近くにいるのを見つけて、それを欲しいと思ったことだったかもしれない」

 

 イビルアイは一旦何かを思い出そうとするかのように黙ったが、すぐにまた口を開いた。

 

「それは、最初はほんの少しだけ、私の中で蠢いているだけだった。だけど、だんだん、それは自我を持ち始め、私の中にいるもう一人の私のような存在になっていった。そしてそれは次第に力を持ち始め、直接私に話しかけるようになった。その頃からだったと思う。時々、住んでいた家の近くに血を抜かれた小動物の死骸が転がっていることが増えた。母は気味悪がって神官に相談をした。神官は吸血鬼の仕業かもしれない、といって、母に吸血鬼避けの聖水を渡した。しかし、そんなものをあざ笑うかのように、死骸の数は増え続けた。そして、獲物は小動物から大きな動物に。そして、ついに……人間の死体までが……」

 

「ふむ、随分不思議な話だな。イビルアイ。良かったら全て話してくれないか? 私はお前の話にとても興味がある」

 

 半分泣き声のようになったイビルアイは、アインズを見て軽く頷くと、話を続けた。

 

「私は知らなかったんだ。それをやっていたのが私自身だったなんて。おまけに、それが自分自身のタレントであるということも……。アイツは自分が実体化するための力を求めていた。力を得るにはたくさんの血が、生贄が必要だったんだ。だから、アイツは私が眠っている時に、私を操ってほんの少しずつ力を蓄えていった。しかしそれがバレるのは時間の問題だった。被害が人間に及び、国中が吸血鬼を捕まえようと躍起になっていた。そして、ある時見つかってしまったんだ。アイツに操られた私が、人間の血を吸っているのを……」

 

 イビルアイは身体が酷く震え、いつの間にかアウラはイビルアイが落ちないように抱きかかえていた。

 

「その後はお決まりのコースだ。私は吸血鬼として捕縛され、処刑されることになった。実はあの時はまだ、私はただの人間だったのだが、彼らは全く聞く耳は持たなかった。そして、あの日……。私が殺されようとした時、私は恐怖のあまりアイツの言葉にそそのかされ、アイツを解放してしまったんだ! アイツはそれを待っていた。十分な力を溜め込んだアイツは、この国の生きとし生けるものの全ての精気を吸い取り、アンデッドに変えた。そして、そのとんでもない量の力が私自身に注ぎ込まれ、私は力の奔流に耐えきれずに気を喪った。――気がついたら、アイツは私自身を乗っ取り、私の身体は……完全な吸血姫に変化していた。周囲にあった建物は、恐らくアイツの力が暴走した時にだと思うが、ほぼ全て半壊していた。あの頃の私が見渡した限り、ずっと遠くの方まで。そして、辺りには生きている者は誰もいなかった。そう、皆……、アンデッドになってしまっていたんだ……」

 

 そこまで話すとイビルアイは、とうとう堪えきれなくなったのか、アウラの胸にすがりついて泣き始めた。アウラは優しくイビルアイの背中を撫でていたが、少し困ったような顔をしてアインズの方を見た。アインズは頷くと、魔獣をアウラのすぐ側に回し、イビルアイを抱えあげると自分の前にのせた。

 

「なるほどな。イビルアイ、別に私はそのことでお前を責めようとは思わないから、心配する必要はない。つまり、それがお前のタレントで、そのタレントが暴走したということか?」

 

 イビルアイはおとなしく頷いた。

 

(この世界のタレントというのは、単純な力とは限らないんだな。しかもイビルアイのケースというのは、かなりのレアか……)

 

 アインズがイビルアイを抱えて軽く頭をなでてやると、イビルアイは少しずつ落ち着きを取り戻してきたようだ。

 

「ふむ、今のイビルアイの話からしても、かなり興味深い場所のようだ。私としては是非行ってみたいところだが……」

「あたしは、当然お供しますよ!」

「わらわだって、アインズ様をお守りするためにも、一緒に行きたいでありんす!」

「はは、では、アウラ、シャルティア、二人には供を頼もう。イビルアイは……流石に、その場所を見たくはないだろう。アウラの魔獣と護衛のアンデッドを置いていくから、ここで待っていて構わないぞ?」

 

「……いえ、お願いします。連れて行ってください」

 

 イビルアイは異様なほど必死で、アインズは少しばかり驚いた。

 

「私は……自分の犯した罪を、もう一人の自分をこれまで見ないようにしてきた。だけど、それじゃダメなんだとカッパラキア山の上で思ったんです。自分自身が新しい道を進んでいくためにも、自分自身を受け入れるためにも。罪を受け入れ、そして贖罪しなければと。あそこから見た風景は本当に素晴らしかった。だけど、今の私にはその素晴らしい世界を歩く資格なんてない。だから、私はここで自分がやってしまったことに決着をつけなければいけないのです」

 

(自分の犯した罪か……)

 

 アインズはぼんやりと考える。この世界に来てから、自分はまるで虫を潰すような感覚で多くの人間を殺してきた。もはや自分には人間であった頃の感覚などほとんど残っていないし、人間にもその他の亜人たちにも、その辺にたむろするちっぽけな存在という以外の感情はない。

 

 そんな程度の存在を殺すことでナザリックの利益になるなら、そして自分の愛する子どもたちを守るためなら、これからだって何の感慨もなく殺すだろう。

 

 しかし、それは罪なのだろうか。

 

 いつの日か、ギルドメンバーの誰かがこの世界に現れた時、今のアインズを見てどう思うのだろう。もう鈴木悟の残滓などほとんど残ってはいない。ここにいるのは、ギルドの名前を背負った「アインズ・ウール・ゴウン」という名の一人のアンデッドだけだ。

 

 アインズは、シャルティアやアウラには聞こえないような囁き声でイビルアイに言った。

 

「イビルアイ、一つ聞いてもいいか?」

「なんでしょうか?」

「……お前はどうやって罪を贖うつもりなんだ?」

 

「贖うとはいいましたが、本当は贖えることだとは思ってません。でも、せめてもう一人の自分を封印し、自分が死の国に変えてしまった地を、再び生者が住める地に変えられたら……。私の中で何かが変わるかもしれない。もちろん、それで私の罪がそそがれるとは思いませんが」

 

「……なるほどな。イビルアイ、お前も知っていると思うが、私だって多くの人間や、人間以外の者を殺してきた。種族を問わずに暮らすことのできる理想郷を作るためという大義名分の元でな。全ての真実を知ったら、お前だって私を軽蔑するかもしれない。それに恐らくこれからもそういうことは続くだろう。現に私は今回も、ビーストマンを大勢殺している。お前から見たら、私は罪そのものなのではないか?」

 

「それは……」

 

 イビルアイは口ごもった。

 

(そうだ。これまで、アインズ様はたくさんの生き物を殺して国を築かれてきた。一つの国をまるごとということはなかったかもしれないが。王国の死者の数だって相当だ。そして、これからもアインズ様がそういう理想を掲げて進まれるのであれば、待ち受けているのは血みどろの道なのだろう。しかし、話し合いや何かで全て解決できるなんて綺麗ごとだ。それに、殺し合いをしているのは違う種族だけじゃない。ただ思想が違うだけでも当たり前に殺し合いは起こっている。それが、この世界の現実だ……)

 

「やはり私が恐ろしいか? イビルアイ。それとも、私がしていることは間違っているのだろうか」

「アインズ様……?」

 

 後ろから自分を支えてくれているアインズの手が何故か緊張しているようにイビルアイには感じられた。アインズの声は普段とあまり変わらなかったが、イビルアイは何故か、これはアインズにとって、とても重要な質問のように感じた。

 

 少しだけイビルアイは考えると、自分の前に回されているアインズの骨の手を優しく撫でた。

 

「私は、前にも言いましたが、アインズ様が作ろうとしている国を見てみたい。私もこの身体になって、ずっと差別されて生きてきた。受け入れてくれた仲間達もいたが、今もまだ生きているのはほんの僅か。そして、彼らもじきに私を置いて死んでしまう。だからこそ、私は自分が安心して生きていける(こきょう)が欲しい。だから、そのためにアインズ様が手を汚さなければいけないとしたら、私も共に手を汚す。もちろん、絶対やってはいけないことをアインズ様がしようとするなら、止めることはあるかもしれない。でも……少なくとも、私にもそのくらいの覚悟はあるつもりです」

 

 そう言って、イビルアイはアインズの手を強く握った。次の瞬間、イビルアイの耳元で「ありがとう」というアインズの囁き声が聞こえ、イビルアイは思わず、自分の顔が真っ赤に染まるのを感じた。

 

 




五武蓮様、誤字報告ありがとうございました。

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アズスがローファンの弟子というのは捏造です。
アズスが持っているとされるユグドラ鎧の出処が不明なため、ローファンから貰ったことにしました。
鎧が聖遺物級とか、ローファンが元十三英雄というのも全部捏造です。


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12: 国墜し

 再び、森の奥に向かって進み始めた四人は、アウラが発見した霧が覆う場所へと急いだ。アウラの話通り、森は徐々に霧に覆われ始めそれに伴って奥からは異臭が漂ってくる。霧はだんだん濃くなり、確かにその奥にあるはずの何かを隠しているかのようにも思える。アインズの鋭い目でも森の奥を見通すことは出来なかったが、霧に混じっておびただしい数のアンデッド反応を感知した。

 

「この奥か? イビルアイ。確かにかなりの数のアンデッドがいるようだが……」

「そうです。ここを抜けると平原になっていて、そこの先に……私が滅ぼした国の廃墟が広がっているはずです」

 

「知っている範囲で構わないのだが、この奥にお前の力でもかなわないような敵や、手を出しては不味い者などはいるのか?」

「……私がここを離れてからもう数百年になるので、状況が変わっているかも知れませんが、少なくとも私がいた頃にはそのようなものはいなかったです。ただ、十三英雄がここに来た後に、何かがあった可能性はありますが……」

 

「そうか。それなら念のため、魔獣はここに置いていったほうがいいかもしれないな。アウラ、偵察した時には危険そうなものは発見できたか?」

「入り口付近までしか確認してないですが、ゾンビと吸血鬼といったところでした」

「そのくらいなら、中級アンデッドあたりを先兵として送り込めば十分か。〈中位アンデッド創造〉」

 

 アインズは二体の切り裂きジャック(ジャック・ザ・リッパー)を作り出した。

 

「お前たちは露払いをせよ。可能な限り、この奥にいるアンデッドを殺せ。但し、情報を引き出せそうな種族がいたら、それには手を出すな」

 

 切り裂きジャックたちは承服するとそのまま森の奥へと駆け出していった。しばらくは、何かがくぐもった叫びを上げる声や、潰れるような音などが響いていたが、次第にそれも聞こえなくなってくる。

 

 アインズにも、この周辺のアンデッドの数がかなり少なくなったことが感じられ、二人の切り裂きジャックは順調に与えられた仕事をこなしつつ先に進んでいるようだ。

 

「では、我々も行くか。シャルティア、アウラ、イビルアイ、お前たちも気をつけて進むように。切り裂きジャックが数は減らしているはずだが、漏れは多少あるはずだ。まぁ、何事もなければいいのだがな」

 

「かしこまりんした!」

「了解です!」

「わかりました!」

 

 三者三様の返事を聞いて、アインズは思わず内心くすりと笑う。三人とも、同じような年の頃に見えるからかもしれない。シャルティアが例によって一足先を歩き、その後をアインズ達は曲がりくねった木が生い茂る森の中を注意深く奥へと進んだ。

 

 

----

 

 

 森は奥に行くにしたがって、徐々に緑の葉で覆われていた木は枯れ、葉は落ち、次第に枯れた木だけがまばらになっていく。そしてその先は、枯れた草で覆われた平原が続いていたが、更に深い霧に包まれているものの、明らかに古い城壁だったと思われるものが崩れ落ちた跡があった。どうやら、ここがイビルアイが言っていた故郷の国という場所なのだろう。

 

「どうやら、着いたか。しかし、この霧のアンデッド反応はなかなか強いな。お前がここを離れた時もこんな感じだったのか? イビルアイ」

「……。本当を言えば、ここにいた頃のことはもうほとんど覚えていないのです。私は幼くて、無知で、自分がしたことにすっかり怯えきっていた。十三英雄がやってきて、このおかしな霧を払おうとしていたようだったけど、どうにも上手くいかなくて、彼らは私だけなんとかここから連れ出してくれたんです」

 

「なるほど……。私の経験上、恐らくこの霧の発生源になっている場所があると思うのだが、どこか心当たりはないか?」

「……もしかしたら、この国の中央にあった神殿かもしれません。私はそこで処刑されるところだった。そして、アイツが力を暴走させたのもあの場所のはず。その時点では既に私は正気を失っていたのですが、あそこに行けば何かわかるかもしれない」

 

「そうか。では、その場所まで案内してくれるか? 私は、この世界のアンデッドの発生について興味があってな。カッツェ平野もそうだがこの都市もとても興味深い。それに、イビルアイ。お前はこの場所をこの状態のまま放置しておきたくないのだろう?」

 

「そ、それはそうなのですが……」

 

 この地の惨状は、イビルアイが微かな記憶にあったものよりも酷かった。イビルアイは、この地に来れば自分自身の中にいるもう一人の自分を封印することが出来るはずだという漠然とした考えしか持っていなかった。だが、どうすればそれが出来るのかという心当たりは全くない。あるのは、どうしてもこの地に来なければならないという直感めいた焦りだけだ。

 

 戸惑うように自分を見上げているイビルアイを見ながら、アインズは笑った。

 

「この霧の発生元になっているものが何かを突き止め、それを破壊すれば恐らくこの霧は晴れるだろう。そうすれば、少なくともこの都市で迷っている者たちの魂も解放されるかもしれん。まぁ、全てアンデッドと化してしまっているなら、葬り去ってやるか、神官系の浄化魔法を使うしかないが……、あいにく、我々もアンデッドだからな。ここは、物理的に浄化してやろうじゃないか。今の所、先程放った中位アンデッドは都市の中にかなり入りこんだようだ。だとすれば、我々にとって敵になるものは既にこのあたりにはいない筈だ」

 

「アインズ様」

「なんだ、シャルティア」

「わたしがハンゾウを連れて、偵察してきんしょうか?」

 

 アインズは自分から行動を判断出来るようになっているシャルティアに思わず深い感動を覚えた。

 

「そうだな。では、シャルティア、三人ほどハンゾウを連れて行け。アンデッド反応がより濃い場所を探すんだ。但し、深入りは禁物だ。どんな相手かわからないうちは決して油断するな。いいな?」

「ははぁ、かしこまりんした!」

 

 シャルティアは深々と頭を下げると、姿を隠しているハンゾウ達に合図すると、素早く霧に包まれた廃墟の都市に入っていった。

 

「まぁ、シャルティアが戻ってくるのをここで待っていてもいいが、せっかくだ。我々も都市の散策と行こうか」

 

 アインズの言葉に、アウラとイビルアイは頷き、三人はゆっくりと都市に足を踏み入れた。

 

 

----

 

 

 都市の中には、先行したアンデッドやシャルティアたちが切り伏せたと思われるアンデッドが大量に倒れている。さすがにこの中を普通に歩いて進むのは少々ためらわれた。アインズは〈全体飛行〉を唱え、死骸の山を避けるようにして先へと進んだ。

 

 イビルアイは周囲を見回して考え込みながら、時々指で進行方向を指し示す。恐らく古い記憶で曖昧な上、廃墟と化した都市で目的の場所が何処かを判断するのは、イビルアイにとっても難しいのだろう。

 

 黙々と瓦礫と崩壊した壁の上を飛行しながら、時々、襲いかかってくるアンデッドを手早くアウラが鞭で払いのけている。

 

 以前は住宅地だったと思われる場所を通り抜けると、かなり広大な広場に出た。滅びる前は都市の中心として賑わっていた場所だったのだろう。完全に黒く炭化しへし折れた木の幹が、元の美しい並木を思わせるように等間隔で並んでいる。

 

 その中央には巨大な力で爆発したかのように上部が吹き飛んだ、神殿と思われる建物が鎮座していた。建物の前には、同じように半分吹き飛ばされた何らかの神の像と思われるものがあり、ヒビが入り壊れかけた大きな祭壇が設えてある。かなりの距離があるにもかかわらず、アインズにはその場所から強力なアンデッド反応を感じた。

 

 アインズが地面に降りて足を止めると、それに併せて、アウラとイビルアイもその場に降り立った。イビルアイは祭壇を見た瞬間、小さな叫びを上げると大きく震えだした。

 

 その場には異様なまでの大量のアンデッドの死骸が転がっており、神殿の近くで未だ戦っているらしい切り裂きジャックの姿が見える。アインズ達がやってきたのに気がついたのか、シャルティアがふわりと空から舞い降りてきた。

 

「アインズ様、あそこの建物が一番アンデッド反応が強いようでありんす」

「そのようだな。ハンゾウ、建物の中は調べたか?」

 

 ハンゾウリーダーが姿を現し、アインズに跪いた。

 

「はい。建物内部には吸血鬼が多くうろついておりましたが、それほど強力な個体ではありませんでした。殲滅いたしましょうか?」

「そうだな。殲滅は少し待て。適当に間引きせよ。この世界ではアンデッドが多くいる場所ではより強力なアンデッドが生まれると言うらしい。私もせっかくだから現場を確認してみたい。何かわかるかもしれないしな」

 

「畏まりました。では我々は現場を最低限保全する程度に間引き致します」

「頼んだぞ」

「はっ。では、御前失礼致します」

 

 アインズが頷くと、ハンゾウは姿を消した。ふと、イビルアイに目をやると、イビルアイはその場にしゃがみこんでいた。

 

「大丈夫か? 辛いのなら外で待っていてもいいんだぞ?」

「いえ、大丈夫です。ただ、私の中で、アイツが……。また、アイツが暴れだそうとしている……!」

 

「タレントの暴走か!? イビルアイ、止める手立てはあるのか?」

「わからない……。ただ、何処から私の身体にアイツの力が急激に流れ込んで来ているみたいなんだ。アイツが力を溜め込んでいるモノがどこかにあるのかもしれない。それをどうにかできれば、もしかしたら……」

 

「アウラ、ここでイビルアイを見ていてくれ。シャルティア、何か魔力の核になっているものがないか探せ。ハンゾウ達も全員捜索に使って良い。私もすぐに向かう」

「かしこまりました!」

 

 シャルティアは即座に神殿に向かって飛び立ち、アインズもそれに追従しようと二人に背を向けた時、必死になって絞り出したようなイビルアイの声がした。

 

「いや、アインズ様、私も行きます……。これは私自身の問題だ。だから、私がなんとかしなければ……」

 

 イビルアイは、アウラにしがみつくようにしながらも、なんとか立ち上がった。

 

「無理だって、イビルアイ。ここはアインズ様にお任せしたほうがいいよ」

「だけど、私は……。自分で決着をつけたいんだ。ただの足手まといかもしれないが。自分自身のことなのに、皆に……助けられてばかりじゃ嫌なんだ……」

 

 アインズは、そんなイビルアイを見ながら、不意にもう何年も前のことを思い出した。

 

(なんかあの時みたいだな。俺が一人でいるところをPKされて、ギルメン皆が酷く怒って相手のギルドにやり返すって言っていた時……)

 

 皆は俺に内緒で相手を潰しに行こうとしていたみたいだったけど、俺はどうしても、自分の力で決着をつけたかった。だから我儘を言って一緒に連れて行ってもらった。皆はさんざん相手を追い詰めてから、俺にとどめを譲ってくれたんだったな……。

 

 不安そうにアウラはイビルアイの身体を支えている。イビルアイは仮面を被っていてもわかる真剣さでアインズを見ていた。

 

「わかった。では、一緒に来るが良い。イビルアイ。お前自身が納得できる方法で決着をつけるんだ」

「あ、ありがとうございます!」

「アウラ、お前は一旦戻って、魔獣を使いここからの退路を確保してきてくれ。その後なるべく早く戻るように」

「了解しました!」

 

 アインズはイビルアイの手を取ると〈全体飛行〉を唱え、シャルティアの後を追って神殿へと向かった。

 

 建物に近づくにつれ感じる負の力は大きくなり、それにつれてイビルアイから苦しそうな声が漏れる。しかし、それはイビルアイがした選択の結果だ。アインズは、そうは思いながらも少しでも速く目的のものを探そうと魔力の元を探りながら進む。イビルアイの話からすれば、神殿の前にある祭壇付近が怪しいだろうとあたりをつけ、そちらにまっすぐ向かった。

 

 濃厚な死の気配が神殿の周囲を取り巻いている。シャルティアの指揮のもとでハンゾウ達も捜索にあたっているようだ。

 

 祭壇の上に降り立ったアインズとイビルアイが周囲の様子を確認していると、シャルティアが急降下してきて、祭壇の上に着地し、アインズに跪いた。

 

「アインズ様、見つけました!」

「何!? 何処だ?」

「こちらです! ご案内します!」

 

 再び〈全体飛行〉でシャルティアの後を追って、アインズとイビルアイは神殿の中に入った。

 

 そこには、建物の前よりも更に多くのアンデッドの残骸がぐるりと螺旋を描くようにうず高く積まれており、その一番上に一段と強い闇のエネルギーが渦を巻いて大きな塊になっている。その塊は禍々しい黒い光を放ち、いつ爆発してもおかしくないほどの力を周囲に放っていた。

 

「間違いない。アレだな。どうだ、イビルアイ。やれそうか?」

 

 隣にいるイビルアイを見ると、イビルアイは闇の波動を直接受けたことで非常に苦しんでいるようだったが、それでもなんとか頷いた。

 

「出来る限りのことをやってみるといい。万が一、お前の力では破壊出来なかったら、私が代わりにアレを始末してやる。だから思う存分やってみろ」

 

「ありがとう、ございます……!」

 

 イビルアイは一瞬アインズを見上げ、握られていた手をぎゅっと握り返すとそっと手を離した。そして、それまでの様子とはガラリと雰囲気を変え、強い意志がこもった動きで螺旋のはるか上の方まで一気に〈飛行〉で飛び上がった。

 

 イビルアイは自分の中で暴走しようとしているモノを抑えつけながら、必死に叫んだ。

 

「私の……因縁を……、ここで終わらせる。それが、ここで命を喪った全ての人に対する私の贖いだ! くらえ〈魔法最強化(マキシマイズマジック)龍雷(ドラゴンライトニング)〉!」

 

 イビルアイの手の中に龍のようにうねる電撃がのたうち回ったかと思うと、次の瞬間その光のほとばしりは獲物に襲いかかる龍のように闇の渦を直撃する。しかし当たったように見えた次の瞬間、その電撃は渦に跳ね返され、行き場を失った電撃は四方八方に分散して飛び散る。イビルアイはとっさに自分に向かってきた電撃を避け、唇を噛んだ。

 

(くそ、電撃は効かないのか? まさかアイツは雷撃に対する完全防御壁を持っている? ならば、これはどうだ!?)

 

「〈魔法最強化(マキシマイズマジック)結晶散弾(シャード・バックショット)〉!」

 

 呪文を唱えたイビルアイが右手をあげると、その周囲に大量の拳大の結晶が浮かび上がり、イビルアイが手を振り下ろすと同時に、次々に闇の渦にぶち当たり、そのたびに渦の形を若干変形させる。しかし、次の瞬間、イビルアイの身体にもそれが猛烈な衝撃と痛烈な痛みとなって襲いかかった。

 

「ぐぁっ!」

 

 イビルアイの身体がぐらりと揺れ、空中から落下しかけるが、イビルアイはなんとか体勢を立て直す。下の方から、イビルアイを心配するアインズやシャルティアの声が微かに聞こえる。

 

「なるほど。やはり、お前は私自身というわけか。私のタレントなのだから、言われてみれば当たり前だ。私は人間として生を受けたが、大元の本質は吸血姫だったのだろう。もしかしたら、お前を壊せば、私も死ぬのかもな」

 

 そのイビルアイの言葉に応えるかのように、闇の渦は少しずつ姿を変え、はっきりとしたヒトガタを形成していく。やがてそこには、もう一人のイビルアイともいうべき姿のモノが立っていた。闇のエネルギーを身体中にまとった、真の吸血姫はニヤリと笑うと、イビルアイに向かって手を伸ばした。

 

『その通りだ。お前は私。私はお前。どっちがどうという訳じゃない。一つの存在だ。なのに、お前は私を壊すつもりなのか?』

 

「うるさい! 黙れ! 私はもうたくさんなんだ、お前に弄ばれて意に沿わない事をするのは。私は私の人生を生きるんだ。もう二度とこんなことを起こさないためにも。それで命を失うというなら、それで構わない!」

 

『でも、お前は彼を手に入れたいんだろう? あの優しいアンデッド。麗しい白磁の君。そして、全てのアンデッドの頂点に立つ死の支配者。私と力を合わせれば、彼を完全に私達のモノにすることだって出来るんだぞ?』

 

 闇のイビルアイの言葉で、イビルアイは自分の動かない心臓が激しく動いているかのような錯覚を覚える。

 

 ちらりと下を見ると、アインズが心配そうに自分を見ているようだった。しかし、イビルアイの頭の中は、次第に闇のイビルアイの意識に染め上げられ、アインズを全て自分のモノにしたいという衝動でいっぱいになっていく。

 

 ――ほしい。ホシい。ほシイ。ホシイ。そうだ。私は吸血姫なのだから……彼の精気を自分の中に取り込めば……彼は私の眷属になる。どうしてそんな簡単なことに気が付かなかったんだ?

 

 アインズのあの優しく自分を撫でる手も、ほっそりとした骨の腕も、綺麗な赤い灯火のような瞳も、全て自分の意のままに出来るのだ。イビルアイにとって、これ以上の幸せも喜びもないだろう。

 

『自分に素直になれ。そして、私の手を取るんだ。たったそれだけのことだ。簡単だろう?』

 

 イビルアイは自分の妄念そのものである、もう一人の自分にほとんど支配されようとしていた。もう一人の自分は優しく自分に微笑み、手を差し伸べている。そう、あの手を取るだけだ。たったそれだけの話だ。そして、そうすれば、アインズは二度と自分から離れていくことはなくなるのだ。

 

 イビルアイはふらふらと、もう一人の自分に近寄り、おずおずと手を伸ばそうとした。

 

 その時、下から鋭い槍のようなものが飛んできて、イビルアイと闇のイビルアイの間を掠めて飛んだ。

 

「イビルアイ、なにバカなことをしてるんでありんすか!? さっさと決着をつけなんし!」

「珍しくシャルティアが真面目なこといってる。でも、もたもたしてるなら、あたし達がやるよ。いいの?」

 

 シャルティアと、いつの間に合流したのかアウラの声も聞こえる。

 

「シャルティア、アウラ、手を出すな。これはイビルアイの問題だ。イビルアイ、前にも言ったが、私はお前の選択を尊重する。だから、好きな道を選ぶと良い。その結果がどうなるのかまでは、私は保証できないが」

 

 アインズの静かな声が、神殿の広大な空間の中で妙に大きく響き、その声はイビルアイの心の奥底に深く響いた。

 

 ――自分は今一体何をしようとしていた? アインズ様を全て手に入れようとして……、そして何もかもを失おうとしていた……。

 

 見下ろすと、アインズは自分を見守ってくれている。彼の瞳は、愚かな自分をそれでも信じて、優しく守ってくれるような気がした。

 

(そうだ、しっかりしろ。私はここに何をしに来たのか忘れたのか? アインズ様はそんな風に我が物にしていいような御方じゃない! 私にとって、もっと、大事な……大切なひとなんだ……)

 

 イビルアイの脳裏にたくさんの思い出が蘇る。アインズが嬉しそうに自分の作ったへたくそなふぃぎゅあを受け取ってくれたことも、窮地に陥った自分を助けてくれたことも、泣いている自分を抱きしめてくれたことも、それに、一緒にでーとをしてくれたことも……。

 

(何をやっているんだ、私は。アンデッドは精神支配されないはずなのに、危うくこんなやつの口車に乗せられるところだったなんて!)

 

 イビルアイは、自分の目の前にいる自分自身を睨みつけた。

 

「黙れ! 私はお前のいいなりにはならない! さっきの私の攻撃がかなり効いたから、私を懐柔しようとしているのだろう? それに、魔法とかではなく、わざわざこういう精神攻撃を仕掛けてくるということは、お前自身は動くことも攻撃することもできず、私を飲み込んで初めて自由を得られる。違うか?」

 

 その言葉で、もう一人のイビルアイは動揺したように見えた。イビルアイは、再び〈飛行〉で神殿の半分崩壊している天井付近まで飛び上がると叫んだ。

 

「ならば、これで終いだ! 私はお前をここで封印する! 〈魔法最強化水晶騎士槍(マキシマイズマジック・クリスタルランス)〉!」

 

 イビルアイが巨大な水晶の槍を作り出すと、闇の存在は後ずさりするように動いたが、その場に縛られたように動くことは出来ない。そして次の瞬間、水晶の槍は闇のイビルアイの心臓と思われる部分を貫いた。

 

「ぎゃあああああ・・!」

 

 それは奇妙な叫び声をあげると、イビルアイそのもののように見える形が徐々に崩壊して元の塊状のモノに還り、やがてそこに収束していた闇のエネルギーは一瞬小さく縮んだかと思うとバラバラの小さな塊に分裂していく。それと同時に、イビルアイの中で暴走しようとしていた力も鋭い悲鳴のようなものをあげると、やがて静かに黙り込んだ。

 

 塊は更に細かい小さなエネルギーに分散し、それは空へと次々と浮かび上がり天に還っていく。

 

 イビルアイは闇のエネルギーが崩壊するのと同時に意識を失ったのか、ゆっくりと上から落ちてくる。それをアインズはそっと抱きとめた。

 

 都市を覆っていた濃厚な霧は、徐々に薄れて消えていき、霧に覆われて見えなかった空が少しずつ見えはじめ、廃墟の都市に薄い光が差し込んでくる。あれほどたくさんあったアンデッド反応もほぼ残っていない。

 

 アインズは念のため、切り裂きジャックに残っているアンデッドの探査と追撃を命じた。

 

(後でゆっくり状況確認はすべきだろうな。それに、ここでのアンデッドの生成法は特殊な部類なんだろうから、あまり研究の参考にはならないか。イビルアイのタレントは、かなり危険な部類のものだ)

 

 タレントが奪えるかどうかの実験はしたいが、やはりどうせやるならもう少しナザリックに有用なものにすべきだろう。どのみちアンデッドの生成については、今のところ、アインズとパンドラズ・アクターのスキルで間に合っているわけだし。

 

「アインズ様、イビルアイ、大丈夫なんでありんしょうか? アインズ様の御手を煩わすのもあれですので、なんなら、わらわが抱いて連れて行っても……」

 

 シャルティアの目が異様に輝いている。少しだがよだれを垂らしているようにも見える。アインズは心の中でドン引きした。

 

「あ、いや、別に重くもないからこのままで構わないとも。しかし、先程の攻撃はある意味、イビルアイ自身を封印するのに近いものだったのかもしれない。〈生命の精髄(ライフ・エッセンス)〉。HPには問題ないな。であれば、恐らく精神的なショック症状のようなものなのだろう。意識が戻るといいのだが……」

 

 アインズはイビルアイの頬を軽く叩いてみる。少しすると僅かにイビルアイが身じろぎをし、アインズは胸を撫で下ろした。

 

「イビルアイ、大丈夫か?」

「あ、す、すみません、私は……」

「アレを破壊した後、気を失っていたんだ。無事で良かった。立てそうか?」

「あ、はい。大丈夫です。その、ありがとうございました」

 

 アインズは、イビルアイを下に降ろすと、イビルアイはぴょこりと頭を下げた。

 

「しかし、霧が晴れるとまた随分印象が違う場所だな」

 

 アインズは破壊と崩壊の跡がはっきりと残る廃墟を見回した。元はかなりの文化を誇っていた美しい国だったのだろう。街路もかなり計画的に作られたように見えるし、神殿もかなり壮麗なものだったに違いない。

 

「アインズ様、あたしの方でこの国の跡地を確認しておきましょうか? かなり広そうですし」

「そうだな。ああ、せっかくだ。イビルアイ、冒険者の仕事もあるとは思うが、アウラに協力してやってくれないか? お前も故郷がどうなっているのか知りたがっていただろう?」

「はい、それはもちろん喜んで! アウラ様、よろしくお願いします」

 

「こっちこそよろしく! ああ、あたしはアウラでいいよ、イビルアイ。これから一緒に仕事する仲間なんだしね」

「あ、それなら、わらわはシャルティアでいいでありんすよ。今度、一緒にお茶でもいたしんしょう。その時は、その仮面は外して来てほしいでありんすね」

「あ、ああ、それじゃあ、アウラ……と、シャルティア、よろしく頼む」

 

 イビルアイが軽く頭を下げると、アウラとシャルティアは明るい笑い声を上げた。

 

 




五武蓮様、誤字報告ありがとうございました。


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最終話: 新たな故郷

 シャルティアとアウラは半分じゃれながらも、神殿周辺にまだ多少残っているアンデッドを片付けている。

 

 アインズとイビルアイは、以前イビルアイの生家があったという場所に向かって一緒に歩いていた。瓦礫だらけの細い路地を何度も曲がり、たくさんの半壊した家を眺めながらしばらくいくと、イビルアイは半分崩れた小さな家の前で足を止めた。しかし、中に踏み込もうとはせず、元は入り口だったと思われる場所で立ち止まったまま動かない。

 

「イビルアイ、ここがお前の家なのか?」

 

「……多分、そうだと思います。私は事件を起こしてから、長いこと自分の家の中に隠れ住んでいた……。周り中アンデッドだらけで、話を出来る相手も誰もいないし。とにかく怖くて仕方がなかった。だから、なるべく外には出ないようにしていて……。この家の床の模様や、壊れたテーブルの形は、なんとなく記憶にあるものに似ている。……アインズ様、おかしいとお思いになられませんか? 他のものからすれば、私の方がよほど恐ろしい存在だったはずなのに」

 

 イビルアイは家を見つめながら、自嘲するように笑った。それから左手の何かにそっと触ると、意を決したように中に足を踏み入れた。アインズも黙ってそれに続いた。

 

 中は埃がつもり瓦礫が散らばってはいるものの、この都市の他の場所よりは比較的片付いていた。恐らく、まだこの家に潜んでいた頃に、イビルアイが多少は管理していたからなのだろう。

 

 イビルアイは懐かしそうに家の中を見回して、壊れた食器らしいものを手にとったりしている。家の中のものは殆ど長い年月の間に朽ち果ててしまっているようだ。アインズも変わったものはないかと覗き込んではみたものの、手に取ろうと思えるようなものは何一つなかった。

 

 ようやく一通り見終わって満足したのか、イビルアイが戻ってきた。

 

「……アインズ様、ありがとうございます。私の我儘に付き合ってくださって」

「気にすることはない。私もお前が住んでいた家というのに興味があったからな。……お前の家族というのはどんな人達だったんだ?」

 

「ごく普通の人達です。もう、あまり思い出せないですが。父と母、それに、弟……。皆、私が死なせてしまいましたが……」

「それは、悪いことを聞いたな。許してくれ」

「いいえ、アインズ様が謝るようなことじゃありませんから」

 

 不意に何か思いついたように、イビルアイはアインズを見た。

 

「アインズ様には、その、ご両親とか、いらしたのですか?」

 

 アインズは一瞬答えに詰まった。鈴木悟には両親はいる。しかし『アインズ』にいるか、と問われると正直よくわからない。

 

(俺というのは一体どういう存在なんだろう。少なくとも、もう人間じゃない。それに、この世界は俺の生まれた場所でもない。そういう意味では、アインズには親などいないんだろう)

 

 しかしイビルアイが求めている答えは、恐らくそういうことではないような気がした。だから、アインズは素直に答えた。

 

「まぁ、そうだな。両親がいた。かなり昔のことだが。二人とも死んでしまって、顔もほとんど覚えてはいない」

「そう……でしたか。すみません、悪いことを聞いてしまいました。許してください」

「気にするな、別にイビルアイが謝るようなことじゃない」

 

 そこまでいって、ふとイビルアイと目が合い、イビルアイは泣いたものか笑ったものか迷うような笑い声を上げた。アインズも軽く笑い声を上げ、イビルアイの頭を軽く手でポンポンと叩いた。

 

「さて、そろそろ戻るか。いい加減、アウラもシャルティアも心配している頃だろう」

「そうですね。私も……、十分目的を果たせました。この家をもう一度見られただけで、私は満足です」

 

 名残惜しげに一瞬家を振り返ってから、まっすぐに前を見て歩いていこうとするイビルアイの毅然とした姿は、アインズの目から見ても美しいと思えた。

 

 アインズもすぐにその後を追い、イビルアイの隣をゆっくりと歩く。シャルティア達がいるはずの神殿へと向かいながら、アインズはイビルアイにちょっとした親近感を感じはじめていた。

 

 お互い、大事なものと言えるようなものをあまり持っていない。誰もが当たり前のように持っているはずの故郷や家族すら……。普通だったら、もっといろんなものを持っていてもいいはずなのに。

 

(まぁ、イビルアイには仲間がいるけどな。共に冒険をして生きていける素晴らしい友人が) 

 

 そう思うと、アインズは無性に寂しい思いに駆られた。

 

 イビルアイは歩きながら、古い街並みをじっと見ている。どこもかしこも瓦礫やアンデッドの死骸が散乱していて、正直酷い有様ではあった。

 

 しかし、先程まで街全体を覆っていた濃い霧は嘘のように消え去り、崩れた建物や路地は久しぶりの陽の光で明るく照らされ、変に生臭い濁った臭いもかなり薄らいできている。この地に最初に足を踏み入れた時に比べれば、街にはある種の清々しさが漂っていた。それになんといっても、ここはイビルアイにとって大切な故郷なのだ。

 

(そういえば、アルベド達に新しい都市の建設場所の選定をと言われていたんだったな。さすがにこの荒れようだから、着手するまでにそれなりに時間はかかるだろうが、どのみちここは正式に魔導国の領土にする計画だった。だったら、いっそ、この場所に新たな魔導国の都市を作っても構わないんじゃないか? まぁ、エ・ランテルからは結構離れているし、途中に竜王国を挟んでしまうが、どのみち竜王国も属国になるんだし。それはたいした問題じゃないだろう)

 

 むしろ問題は、誰に都市の運営を任せるかだ。

 

 今のところ各属国はそれぞれの王にあたる人物を、領域守護者相当の地位の扱いとして、それぞれの領域の管理を委ねている。いずれ都市になるカルネ村に関しては、現村長であるエンリ・バレアレを新都市長に任命して、同様の地位を与えればいいだろう。

 

 だが、ここには廃墟となった土地があるだけで、今の所なにもない。完全にゼロからのスタートだ。だとすれば任せるべきなのは、やはりこの地に詳しくなおかつ思い入れがあり、ナザリックとして信頼できる人物ということになるだろう。

 

 アインズは、ゆっくりと自分の脇を歩いているイビルアイを眺めた。

 

(もし、俺はリアルでやり直せると言われたら、あの場所に戻って人生をやり直したいと思うんだろうか? 確かにユグドラシルは終わってしまったが、リアルでならかつての仲間達と再び出会える可能性は、この世界を探し回るよりも遥かに高いだろう。だが、今の俺は本当にそれを望んでいるんだろうか。ナザリックもNPC達もこの世界で経験したことも出会ったものたちも全て捨てて……)

 

 アインズはしばらく考えたが、本当なら自分の故郷であるはずのリアルが、酷く遠い場所のように感じられた。

 

 あの先のない汚れた世界。ひたすら何も考えずに働いて、使い捨てられて死んでいくのを待つだけの日々。そして、自分に輝かしい希望を与えてくれたけれど、それを何事もなかったように捨てて去っていったかつての仲間達。

 

(アインズ・ウール・ゴウンは俺の人生で何よりもかけがえのないものだった。そして、今は俺自身がアインズ・ウール・ゴウンそのもの。ユグドラシルがない今、アインズ・ウール・ゴウンが存在していける場所。それは……)

 

 アインズはしばらく考え、一つの結論に至った。そして、脇を歩いているイビルアイをもう一度見た。

 

「イビルアイ。私から提案があるのだが、良いだろうか?」

「なんでしょうか? アインズ様」

 

 不思議そうに自分を見上げたイビルアイの肩にアインズはそっと手を置いた。

 

「お前はこの地を再び人の住める地にするのが望みだと言っていたな?」

「……え? あの、それはそう思ってはいます」

 

「だったら、お前自身の手で、この場所をもう一度綺麗な国……いや、国とまではいわないな。いずれ魔導国の主要な都市になるような、そんな場所にしてみないか?」

「私が、ですか?」

 

「そうだ。魔導国では今人が増えてきていて、新しい都市をいくつか作らないといけないんだ。もちろん、他の場所も候補にはするつもりだが、お前にその気があるのなら、この場所に、まずは、そう、小さな村を作って人を集め、それから少しずつ大きくしていくんだ。もちろん、この瓦礫を片付けたり土地を清めたり、作物を作れるように土地を肥やしたり。やることはたくさんあるだろうが、それは魔導国が援助する。そうすれば、何年かかるかはわからないが、いずれここはお前が生まれた頃のように、賑やかな活気のある街になるに違いない。どうだ? イビルアイ」

 

「わ、私は……」

 

 イビルアイはしばらく凍りついたように、アインズを見つめたまま動かなかった。

 

「私は……、私だって、そういうことを考えたことは何度もあった。でも、それはただの馬鹿な夢だと思って切り捨ててきた。私が作ってしまったこの呪われた場所が……ただの普通の街になって、もう一度、いろんな人が住んで、道を歩いたり、笑ったりするようになるとか、そんなこと……」

 

 話しながら段々泣き声になってきたイビルアイは、そのまま両手で顔をおおうと肩を震わせている。アインズは優しくその肩を撫でた。

 

「イビルアイ、お前は自分自身の手で贖罪を果たした。少なくとも私はそう思う。お前のタレントは先程の行為で封印された可能性は高い。それは非常に勇気ある行動だ。私は常々、恩には恩を、礼には礼を返すべきだと思っている。だからこそ、お前のその勇気に応えたいと思うのだ。もちろん、蒼の薔薇の一員である以上すぐにという訳にはいかないだろう。だが、どのみちここの土地を浄化するだけでもそれなりに時間はかかるし、何より、我々には時間はいくらでもある。そうじゃないか?」

 

 しばらくイビルアイはそのまま泣いているかのようだった。しかし段々落ち着いてきたのか、身体の震えが落ち着くと、ゆっくりとアインズを見上げ、小さく頷いた。そして、おもむろにその場に跪いた。

 

「……ありがとうございます、アインズ様。必ず、この場所を前のような、いや前よりももっと素晴らしい街にしてみせます」

 

「イビルアイ、別にそんなことはしなくていい。先程も言ったように、これは魔導国にとってもメリットのある話なのだから」

 

 アインズはイビルアイに手を差し出して、立つのを手伝った。イビルアイはそのままアインズの手を握ったまま、アインズを見上げていた。なんとなくイビルアイが仮面の下で、はにかんだような笑みを浮かべているような気がして、どことなくくすぐったい気分にかられる。少しばかり焦ったアインズは、ふとイビルアイが竜王国に来る前に話していたことを思い出した。

 

「そういえば、イビルアイ。お前は私に話があると言っていたな。一体何だったんだ?」

「あ! そうでした! アインズ様にどうしてもお話しなければならないことが……。実は、アゼルシア山脈を探索していて、偶然、不思議な場所を見つけたのですが、それが、どう見ても元ぷれいやーの住んでいた場所のように思われ……」

「なんだって!?」

 

 流石のアインズもイビルアイのもたらした情報は全く予想の範囲外だった。激しく動揺し、精神が沈静化された。確かにそういう情報であれば、イビルアイが他の守護者の前では話したくなかった理由もわかる。アインズは逸る心を抑えた。

 

「……どういうことなのか、詳しく話してくれないか?」

 

 イビルアイは、その場所をどうやって見つけたのか、そして、中で見たものについてアインズに詳しく話して聞かせた。そして、最後に自分の荷物をあさると、例の洞窟で見つけた本と封筒を引っ張り出し、それをアインズに渡した。

 

「アインズ様、これを。私にはあまり読めないのですが、ゆぐどらしるの文字が書いてあったので持ってきました。アインズ様なら中身をお読みになれるのではありませんか?」

 

(まさか、誰かギルドメンバーのものだったりしないだろうか)

 

 アインズはそんなことはありえないと思いつつも、イビルアイから本を受け取り、震える手でその本を開いた。

 

 それは手書きの日記のようだった。書いたものの名前がどこかにないか探したが、それらしいものは特になく、文字もアインズが覚えている誰かのものとは違っている。どうやらこれがギルメンのものではないことに落胆しつつも、アインズはページをめくった。

 

 未知を探求することに楽しみを感じて、ユグドラシルを必死でプレイしたこと。同じ志を持つギルドメンバー達と、誰も見つけていない場所の探索に明け暮れたこと。そんな中、一つのワールドアイテムを発見したこと。しかし、その後徐々にギルドメンバーはログインしなくなってきて、ユグドラシルの最終日にギルドにログインしたのはギルドマスターである自分一人だったこと。

 

 それでも、最終日には未だユグドラシルでも辿り着けていない場所で最後を迎えようとひたすら山を登っていたところ、強制終了時間を迎えてもログアウトしなかったこと。人間種であったその人物は、初めは現実とはまったく違う見たこともない美しい世界に喜びを感じ、世界をひたすら探索して歩くことに生きがいを感じていたこと。しかし、何十年かが過ぎるころには身体も満足に動かなくなり、家族も友達もいないこの世界に絶望したこと。必死でリアルに戻る方法を探したが、どうしても見つからなかったこと。

 

『このまま、自分は一人きりで死んでいくのだろう。しかし、その恐怖に自分は耐えられそうもない。だから、自分はこの世界で一番愛した場所に行き、ギルドメンバーとの冒険の証でもあるワールドアイテムを持って、そこで死ぬつもりだ。そう、塩の味が全くしないあの海の真ん中で。美しいが、ここが本当に異世界であることを感じさせるあの場所で。もし、この本を見つけたユグドラシルプレイヤーの君、一緒に挟んである封筒には、自分がこの世界で探索した地の地図が書いてある。良かったら、君のこの世界での旅に役立てて欲しい。そして、心の弱い自分ではダメだったが、君が良き人生をこの世界でまっとうすることを願っている』

 

 本に挟まれていた古びたメモには、アインズにはよくわからない文字だったものの、恐らくこの世界での日付と「今日リアルに旅立つ」という日本語の一言だけが書かれていた。

 

 読み終わったアインズはしばらく呆然と立ちつくしていたが、内容を理解するにつれ思わずその場に崩れ落ちるように座り込み、乾いた笑い声を上げた。

 

 ようやく、プレイヤーに繋がるはっきりとした痕跡を手に入れたと思ったのに、これでは、振り出しに戻ったも同然だ。

 

 いや、振り出しではない。少なくとも、確実に一人は自分よりも前に転移して、そして孤独に死んでいったことがわかったのだから。

 

(やはり、今、この世界で生きているプレイヤーは自分一人なんだろうか。ギルメンが誰か一人くらい来ているというのは甘すぎる期待だったのか……)

 

 泣けるものならアインズは泣いていたかもしれない。

 

 しかし、このアンデッドの身体ではそんなことは出来ないし、哀しみなのか絶望なのかはわからなかったが、自分の心を覆う強い感情も次の瞬間何もなかったかのように消えていく。何度も何度も生まれては消えていく感情の波に翻弄され、アインズは普段はありがたく思うアンデッドの精神にも、より絶望感をあおられた。

 

 もしかしたらギルメンの誰かが来ていないだろうかと何度も考えた。終了時間間際までいたヘロヘロか、それとも、自分の呼びかけに応えた誰かが直前にログインしようとしてくれようとしたかもしれないと。そのために、ギルドの名前(アインズ・ウール・ゴウン)を広めようとも思ったし、異形種である皆が少しでも暮らしやすい世界を用意しようとも思った。しかしそれは全く意味がない行動だったのか。

 

 この日記を書いたプレイヤーに、アインズはなんとなく心当たりはあったが、彼は恐らくギルド拠点もなく、仲間達の残した子どもたち(NPC)もいないまま、たった一人でこの世界を生き抜いて、そして絶望して死んだのだろう。

 

 いや、人間種ならまだ寿命も短いし、自分のようにアンデッドの精神に引きずられるということもないだろう。そういう意味では、彼はまだマシかもしれない。だが自分は一人きりで、寿命もない永遠の時を生きていかなければいけないのだ。

 

 もう既に鈴木悟だったモノはほとんど残っていない。人間だった頃に普通に感じていた気持ちはとうになくしてしまったし、リアルのことだって半ば忘れつつある。あるのは、アインズが持つナザリックやギルメン達に感じる抑えきれない執着だけだ。

 

 そんな自分が……まだほんの少しだけ残っている『鈴木悟』の残滓すらも消えてしまったら、一体どうなってしまうんだろう。両親のこともリアルのことも、そして愛するナザリックや仲間たちのことすら完全に忘れてしまうのだろうか。

 

 たった一人で、何の希望もなく、ただの化物(アンデッド)に成り果てしまったら、自分は己の絶望にとらわれて、この世界を滅ぼしてしまうかもしれない……。

 

 アインズは、静かに、眼の前に広がる崩れた廃墟の都市を眺めた。

 

 ――もしかしたら、この光景を未来の自分が作り出すのかもしれない。それこそ、何もかも跡形もなく破壊し尽くして。その時自分は泣くのだろうか。それとも……

 

「アインズ様……?」

 

 イビルアイの心配そうな声が聞こえる。しかし、今のアインズはそれに応える気持ちになれなかった。

 

「アインズ様」

 

 イビルアイの手がゆっくりと自分の骨の手に触れる。お互いに温もりなどない身体だが、触れられたことで何故か少しだけ暖かいものを感じたような気がする。

 

「アインズ様!」

 

 イビルアイが自分の身体に真正面から強くしがみついてきて、アインズはやっと我に返った。

 

「何か悪いことが書いてあったのか? それとも、もしかして、知り合いだったのか……?」

 

 どれだけ自分を心配してくれていたのか、さすがのアインズでもよくわかるくらいイビルアイの声は震えていた。そして、イビルアイの体が触れているところから、流れ込んでくる何かが自分の心を少しずつ癒やしてくれるように感じる。アインズはイビルアイをそのまま抱きしめた。その暖かさが少しでも自分に残っている鈴木悟に届くように願いながら。

 

「ああ、すまないな。少し考え込んでしまったようだ。いや、知り合いというほどの相手じゃない。それに、悪いことが書いてあった訳でもない。……イビルアイ、一つだけ聞いてもいいか?」

 

「なんでしょうか?」

「お前が知っている範囲でいい。今、この世界にいるプレイヤーは……私一人なのか?」

 

 イビルアイは軽く息を飲んだ。それから、しばらく考えてから、落ち着いた声で答えた。

 

「以前ツアーから聞いた話だが、ぷれいやーの現れ方には何種類かあるらしい。一度に複数現れることもあるし、単独でくる場合もある。そして、アインズ様が現れる前に来たぷれいやーは恐らく既に全員死んでしまっているはずだ。……これは私の推測でしかないが、ツアーの話しぶりからしても、今この世界にいるぷれいやーはアインズ様だけだと思う。もちろん、確実じゃないが」

 

「そう……か。そうだよな……」

 

 アインズは乾いた声で呟き、イビルアイは再びアインズを抱きしめる手に力を入れた。

 

「でも、今はいなくても、また次の百年後には別のぷれいやーがきっと現れる。誰がどんな風にやって来るかはわからないが。この世界はそういうところなんだから。……アインズ様はやはり、ぷれいやーと会いたかったのか?」

 

「プレイヤーというより、ギルドメンバーに会いたかったんだよ、イビルアイ。笑うかも知れないが、私には他に何も持っていないんだ。確かに、子どもたち(NPC)は可愛い。でも、それは、ギルドメンバー達の忘れ形見だからだ。子どもたちを見ていると、彼らのことを良く思い出す。だが、それと同時に……、自分がこの世界にたった一人きりだということも思い出させられてしまうんだ」

 

 アインズは自分を抱きしめてくれているイビルアイを見ながら、なぜこんなことを自分はイビルアイに話してしまっているのかと疑問に思った。しかし理由はわからなかったが、NPCたちではどうしても埋めることの出来ない心の隙間を、これまでの何ヶ月、いやもしかしたら、そのもっと前から、イビルアイは確かに埋めてくれていたのかもしれない。今、彼女がそうしてくれているように。

 

 こうして誰かに優しく抱きしめられるというのは、それだけでも不思議と気持ちが良いものなのだ、ということをアインズは初めて感じていた。思い返せば、自分の両親は余りにも忙しすぎて顔を見る暇もほとんどなかったし、こんな風に抱いてくれたことはなかったようにも思う。

 

「アインズ様、私がこんなことをいうのは、失礼かもしれない。それに、もし、これを聞いてアインズ様が不快に思われたのなら、忘れてくれてもいい。でも……、私は、アインズ様の側にずっといたい。それこそ、千年でも、万年でも。アインズ様の……その、仲間の人達がこの世界にやって来たとしても。アインズ様がそれを許してくれるなら、私は絶対に側を離れない。約束する」

 

「イビルアイ……」

 

 アインズは、突然何かが腑に落ちた気がした。どうして、自分はイビルアイをどことなく気に入っていたのか。なぜ、イビルアイがいないと寂しいような気がしてしまっていたのか。

 

(ああ、そうか。俺は……イビルアイに、共に歩んで欲しかったのかもしれない。ただの下僕や家臣ではなく。対等の友人? いやそれとも違うか? 仲間……?)

 

 アインズはもう一つの選択肢を更に思いついて、一瞬パニックに陥り、即座に精神が沈静化された。しかし、自分の中にいつからか存在していた気持ちに気づかずにはいられなかった。

 

「ああ、そうだな。イビルアイさえ良ければ、ずっと俺の側にいてくれないか? ただ、俺は正義でもなんでもないし、いつか、今はまだほんの少しだけ残っている自我をなくして、世界を滅ぼすただの化物になってしまうかもしれないが……それでもいいのか?」

 

 イビルアイはくすりと笑い、アインズを抱きしめている腕に更に力を込めた。

 

「大丈夫だ。その時は、私も一緒に化物になろう」

「そうなのか?」

「ああ、そうだとも」

 

 二人はしばらく顔を見合わせると、明るい笑い声を上げた。――それから、アインズは震える手で、そっとイビルアイの仮面を外した。イビルアイは一瞬小さな声をあげたが、抵抗はしなかった。

 

 久しぶりに見るイビルアイの素顔は、若干戸惑いながらも嬉しそうに頬が紅潮していた。綺麗な赤い瞳は、自分をまっすぐに見つめている。

 

 アインズは自分が今からしようとしていることを考えて激しく緊張したが、それはありがたいことに自然と沈静化する。それからアインズは思いっきりぎこちなく、初めて自分の意志で誰かにキスをした。

 

 

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 神殿前に戻ってきたアインズとイビルアイは、掃討を終えて時間を潰していたシャルティアとアウラと合流し、竜王国へと帰還すべく魔獣に乗り込んだ。

 

 その時、空から一人の蛙頭の男がコウモリのような翼を大きく広げて舞い降りてくると、アインズの前に跪いた。

 

「デミウルゴスか。どうした、私達はこれからちょうど竜王国に戻るところだったが」

 

「はい、まずはご報告から。一つ目ですが、ビーストマンの国は全て魔導国の支配下に入りました。現在は、コキュートスがビーストマンの国全体を管理しております」

 

「ほう、早かったな。コキュートスの今回の働きぶりは見事だった。後で褒めてやらねばな」

「はい、コキュートスもさぞや喜ぶことでしょう。それと二つ目ですが、竜王国とは近々属国に関する諸条件について詳しい話し合いを持つことになりました。草案についてはどのように……?」

 

「草案についてはアルベドとデミウルゴスに任せよう。二人の案がまとまったら、見せてくれればよい。ああ、ただ、ドラウディロン女王との婚姻に関しては、条件には入れないようにしてくれ」

「畏まりました。そのようにいたします。それと朱の雫は既に魔導国に向かったそうです」

「そうか、それは何よりだ。彼らは恐らく魔導国でもかなりの活躍をしてくれるだろう」

「おっしゃる通りかと。それで、アインズ様、その……」

 

 そこでデミウルゴスは、一旦躊躇するように言葉を切り、不審に思ったアインズは先を促した。

 

「先日の、私への褒美の件でございますが」

「ほう? ようやく決めたか。それで、何にするのだ?」

 

 デミウルゴスは珍しく強い意志を感じさせる視線でアインズの顔を正面から見た。

 

「私の望みは、アインズ様のお世継ぎの顔を見せて頂くことでございます。他には何も望みません」

 

「…………えっ?」

 

 アインズは思わず間抜けな声を上げた。しかし、デミウルゴスは畳み掛けるように言葉を続けた。

 

「お相手に関しましては、アインズ様の御心のままに。私としてはどなたでも思うところはございません。ですから、どうか私にアインズ様の御子を抱かせてくださいませ」

 

 そういうと、デミウルゴスは跪いたまま深く頭を下げた。そして、それと同時に微妙に熱を帯びた視線が複数自分に集まって来るのを感じる。さり気なく見ると、シャルティアは当然として、何故かアウラやイビルアイも変に慌てているようだ。

 

 アインズは自分の大きな失策に気が付き青くなった。なぜ、あの時、褒美は物品に限るといわなかったのか。いや、それよりもアインズは、デミウルゴスがしている大きな勘違いをこの場で正すべきかどうか激しく悩んだ。正直男としてはこんなことを人前で話したくはないし、部下に知られたいことでもない。しかし、言わぬは一時の華とかいうのだったか、とにかく一度口にしてしまえばそれで全て丸く収まるはずだ。

 

「あー、その、デミウルゴス。お前に話していなかったことがあるのだが……」

「なんでございましょうか?」

 

「その……私はだな、子どもを作ることは……不可能だと思う。お前の願いを叶えてやれないのは非常に残念ではあるが、こればかりはどうしようもない。だから、他のものにしてくれないだろうか?」

 

「いいえ、アインズ様、私はこの件ばかりは譲るつもりはございません。では、アインズ様が御子をなすことがお出来になれるのであれば、私の願いをお聞き届けくださるのですね?」

 

「えっ? ああ、まあ、そうだな?」

 

 アインズは、曖昧な返事をした。

 

 確かに方法は全くないわけではないだろう。しかし出来ることなら、それらの手段は緊急事態の対策用として温存し、自分の子どもなどというつまらないことに使ってしまいたくはなかった。何より、強い効果を持つものほど使える回数は限られているのだ。

 

「承知いたしました。では、アインズ様、このデミウルゴス、なんとしてでもアインズ様にお世継ぎを作って頂けるよう努力させていただきますので、アインズ様にも御協力を賜りたいのですが、それはよろしいでしょうか?」

 

(御協力ってなんだ?)

 

 アインズはデミウルゴスを問いただしたかった。しかし、詳しいことを聞いてしまうと墓穴を掘りそうな気がしてならなかった。

 

「わかった。では、何か必要なことがあれば言うが良い。全てとは限らないが、努力しよう」

「有難き幸せでございます」

 

 顔をあげたデミウルゴスの笑顔は非常に晴れやかで、アインズはどうしても、デミウルゴスの策に嵌められたような気がしてならなかった。

 

「そうだ。デミウルゴス、私の方からも話しておく必要があることがあった」

「なんでございましょうか?」

「この地を整備し、新しい魔導国の都市を作ることにする。そしていずれ状況が整ったら、都市の管理者としてイビルアイを任命する。構わないな?」

 

 デミウルゴスは小さく「左様でございましたか……」と声を洩らしたが、再びアインズに恭しく頭を下げた。

 

「全てはアインズ様御心のままに。確かにこの地であれば、整備さえすれば都市の立地としても問題ないでしょう」

「まぁ、かなり荒れているから、まずはアウラとイビルアイによる調査が終わってからの話にはなるが。だから実際に着工するのはかなり先の話にはなるだろう」

 

 アインズとデミウルゴスの話を聞きながら、イビルアイはもう一度これまで打ち捨てられていた自分の故郷を眺めた。

 

(そうだ。ここはもう一度、いや、違うな。私はこれから、アインズ様と共に新しい故郷を作っていくんだ。作るだけじゃない。それを育て、私の力で守っていくんだ。それこそが、私が本当にやるべき贖罪でもあるんだろう)

 

 そして、イビルアイは誰にも聞こえないくらい小さな声で呟いた。

 

「ただいま……」

 

 

 

 

 

 




冬野暖房器具様、誤字報告ありがとうございました。

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第三章、最後までお読みくださいまして、ありがとうございました。

日記は誰のものだったのか、アインズの問いにイビルアイはどう答えるのか、賛否両論あるとは思いますが、いろいろ考えた結果、私としてはこのような形での結末にしました。

どうでもいいことですが、この話はどうしても、アニメ三期の特典小説が出る前に書いてしまいたかったので、ギリギリ間に合ってよかったです。亡国の吸血鬼で明かされる真実とは異なる部分が山程あると思いますが、その辺は別時空の話ということで、思い切り笑い飛ばしてやってください。

この後についてですが、また二話くらい幕間をはさんで四章になります。
ただ、今回三章を書くのに二ヶ月以上かかってしまったので、四章の公開は来年三月とかになっちゃうかもしれません。

メインの物語としては四章で一応終わりのつもりなのですが、なんとなく四章ではこの物語の本当のラストまではたどり着けなさそうな気がしているので、その場合は、四章の後にエピローグをつける感じにする予定です。
よろしければ、最後までお付き合い頂けると嬉しいです。

お読みくださった皆様、そして感想、誤字報告、評価などくださった皆様、本当にありがとうございました。


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幕間
第三十八回守護者会議


三章の終わりから数日後の話。


 ナザリック第九階層は、本来なら至高の存在が住まうまさに神域である。しかし、現在一人だけ残られた最高支配者の意向で、九階層にある各種施設などはシモベにも開放され、自由に使用することが許可されている。リゾート系の施設やバーなどの娯楽用途のものも多いが、その中に、ちょっとした会議や話し合いに使用できるように設えてある部屋があった。

 

 部屋の中には大きな木製の机と座り心地の良い椅子がいくつも並べられ、洒落た観葉植物の鉢やホワイトボードなどが隅に置かれている。

 

 普段はあまり使われることがないその部屋に、今日はいくつもの人影が並んでいた。

 

「えっと、それじゃ、第三十八回……でいいんだよね? 守護者会議をはじめまーす!」

 

 本日の司会担当であるアウラが立ち上がって開会の宣言をすると、一同はおもむろに拍手をした。

 

 そこにいるのは、シャルティア、コキュートス、アウラ、マーレ、デミウルゴス、アルベド、セバスだ。全員、真剣な顔をして静かに向かい合っている。

 

 守護者達はこの世界に転移してきて以来、日夜ナザリックのために働いてきた。しかし、守護者達の過重労働を心配したアインズから休暇の命が下ったのをきっかけに、当初は頻繁に場所を変えて至高の御方の考えを深く知るための勉強会を行っていた。

 

 休暇問題が一段落して、守護者達もナザリック外部での仕事が増えて来たため、勉強会自体は一旦中止となったのだが、その後は不定期に集まって、話し合いや意見を交換する守護者会議と称した会を開くようになった。メンバーは原則として階層守護者(ただしヴィクティムとガルガンチュアを除く)及び、家令であるセバスである。

 

 これまでの主な議題は、智謀の王であるアインズの考えを深く知るための研究発表だったり、今後自分たちがナザリックに貢献していくために何をするべきかという討論だったり、現状の報告や相談であったりした。しかし、今日の会議は何故かいつもよりも微妙な緊張感に包まれていた。

 

「ええと、今日の議題なんだけど、誰か何かありますか? 特になければ、デミウルゴスから大事な話があるっていわれてるんで、デミウルゴスから説明してもらう感じになるけど……」

 

 しかし誰も返答するものはいない。アウラは一人ひとりの顔を見て発言する気配がないことを確認する。

 

「うん、誰もないみたいだね。じゃあ、後はデミウルゴスよろしく!」

 

 とりあえず言わねばならないことは全部言ったとばかりに、アウラはどことなく落ち着かない雰囲気で自分の席に腰を下ろした。代わりにデミウルゴスが立ち上がると、ゆっくりと全員の顔を眺め回した。

 

「それでは、ここから先は私の方から説明をさせてもらおう。ナザリックの未来に係る重大な話だから、皆にもよく聞いてもらいたい」

「デミウルゴス。御託はいいから、はやく説明して貰えないかしら。そもそも今日の会は、貴方が招集したようなものなんでしょう?」

 

 面倒くさそうにアルベドが長い黒髪をかきあげた。

 

「アルベド、今回の話は君にとっても非常に興味あるものだと思うんだがね?」

「あら、そうなの? 私だってデミウルゴスが無駄な話をするとは思ってはいないけれど、それは聞いてから判断させてもらうことにするわ」

 

 挑発的に微笑むアルベドに、デミウルゴスは薄い笑いを浮かべた。何か心当たりがあるのか、シャルティアとアウラは若干顔を赤らめている。

 

「では、アルベドのご要望だし、単刀直入に話をさせてもらおう。これはあくまでも私からの提案なのだが、今後この会議ではアインズ様のお世継ぎをいかに得るか、ということを主な議題にしたい」

 

「ホウ?」

「ぐふふ……」

「やっぱり……」

「え……、えっ!?」

「…………」

 

 さすがの一同も思わず声をあげたが、すぐに静まると、今度は部屋の温度が急上昇したかのように熱気が漂い始めた。アルベドの瞳には鋭い眼光がやどり、シャルティアは爛々と目を輝かせ、アウラは幾分恥ずかしそうに顔を俯けている。

 

 もっとも、この会議でアインズの後継をどうするか、ということは既に何度か議題として取り上げられたことはあったので、特段珍しい話というわけではない。

 

 しかし、その度にアインズの正妃問題が浮上して、興奮したアルベドとシャルティアは互いを牽制しつつ大喧嘩をはじめ、他の守護者たちはそれを呆れ半分で眺めつつ、とりあえずなんとか二人をなだめ、話がうやむやになってお開きになるというのがこれまでのお約束だった。

 

 そのため、次第に主な議題としては取り上げられなくなってしまったのだ。

 

「ねぇ、ちょっと待ってよ、デミウルゴス。今回デミウルゴスがこの話を持ち出してきた理由もわからなくはないけどさ。今後ずっとってことは、毎回アルベドとシャルティアの喧嘩を見ることにならない?」

「確かにこれまでの流れだと、君の言うとおりになるだろうね、アウラ」

 

「アウラ、何てことを言うんでありんすか! わらわは別に……!」

「そうよ。私だってシャルティアと喧嘩なんてしているつもりはないわ。だってアインズ様の正妻は争うまでもなく、この私に決まってるんですもの」

「この大口ゴリラ! まだそんなことを言ってるんでありんすか!?」

「当然のことを普通に言っているだけよ。いい加減、理解したらどうかしら? このヤツメウナ……」

 

 いぶかしげに首を傾げるアウラに向かってデミウルゴスは頷くと、いつものような口論をはじめそうになったシャルティアとアルベドを冷ややかに眺める。それに多少感じるところがあったのか、シャルティアとアルベドはおとなしく黙った。

 

「アルベド、シャルティア。私の話はまだこれからだから、まずはそれをおとなしく聞いてもらいたいのだが?」

 

「ソウダナ。マズハ、デミウルゴスノ考エテイル事ヲ聞イタ上デ討論スレバイイダロウ。ソレニ、アインズ様ノ御世継ギハ、確カニ、ナザリックニトッテコレ以上ナイ重要ナ問題ダ」

「あ、あの、僕も大事だと思います」

「私もそれには同意します」

 

 セバスは若干鋭い視線をデミウルゴスに投げたが、そのまま静かに頭を下げた。

 

「ふむ、三人とも賛同ありがとう。では説明を続けさせてもらう。皆は以前ローブル聖王国を私とアインズ様とで攻略した際に行った訓練のことを覚えているかね。アインズ様は、あの時私とアルベドにこう仰った。『緊急の事態に対して、前もって準備をし、心構えを作っておくように』と。アインズ様は絶対的な存在であり、我々が戴くべき支配者であられる。しかしながら、最後の至高の御方がお隠れになられる可能性について、アインズ様御自身が指摘されたのだ。だとすれば、我々はそのような事態にならないよう最善を尽くすのは当然として、万が一そうなった場合についても考える必要がある。そのようなことを考え合わせると、私は、アインズ様の真意は、ナザリックの総意としてアインズ様の後継について真面目に考えよ、ということにあるのではないかと思う」

 

 説明を終えたデミウルゴスは全員を真剣な表情で見つめ、一同は深く頷いた。

 

「確かにそのとおりだと私も思うわ、デミウルゴス。あの時、アインズ様は私達を諌められてこう仰ったの。万が一のことがあった場合にナザリックが分裂することがないように、と。不測の事態の時の私達の行動まで完全に見通しておられたわ」

 

「全くだね、アルベド。いつも思い知らされることではあるが、本当にアインズ様は、常に私達の数歩先を歩んでいらっしゃる」

 

「――ナルホド。流石ハアインズ様ダナ」

「そ、それはそうかもしれないですけど。でも……僕、アインズ様がお亡くなりになられるとか、そういうことは、その、考えたくないです」

「マーレ、あたしだって嫌だよ。けど、アインズ様がそう言われるんだから、やっぱり考えないとダメだってことなんじゃないかな……」

 

「そんな事態の想定をしたくないのは私だって同じさ。マーレ、アウラ。しかし、我々では言い出すことが出来ないことだからこそ、あえてアインズ様がお話しくださったのだ。私はそう思っている」

「そうね。正直あの時は、私も胸が張り裂けそうだったわ。だけど、それだけ深くアインズ様は私達のことを大事にしてくださっているのよ。アインズ様のお望みであれば、私達が従うのは当然のこと……。そう、例えそれが……」

 

 何かを思わしげにアルベドが小さくつぶやいた。後半はほとんど独り言のようで、何を言っているのかまではよく聞こえない。

 

 しかしその声の調子に多少違和感を覚えたデミウルゴスは思わずアルベドを見たが、アルベドはいつもの穏やかな微笑を浮かべているだけで、特に変わったところはなかった。

 

(どうもあの聖王国での一件以来、時々アルベドの様子がおかしいような気がしますが……。まあ、彼女がアインズ様を裏切ることだけはないとは思いたいのですがね。万が一そんなことになればナザリックも無事には済まないでしょうし)

 

 頭の中でアルベドのこれまでの行動の数々を思い起こしてみるが、すぐに自分のそんな考えをデミウルゴスは振り払った。少なくとも、今考えるべきことではないだろう。

 

「アインズ様のお望みとあらば、私には何の異論もありませんな」

「そ、それは僕もそうです」

「では、皆、この議題を当面話し合うのには賛成ということでいいのかね? 賛成であれば挙手してくれたまえ」

 

 全員が一斉に挙手をし、デミウルゴスは満足気な笑みを浮かべた。

 

「皆に理解してもらえたようで嬉しいよ。では、今後の進め方なのだが……」

 

 シャルティアが軽く挙手をする。デミウルゴスが促すとシャルティアは口を開いた。

 

「それなら、やっぱりアインズ様には正妃が必要なんじゃありんせんか?」

「私もそう思うわ。シャルティア、珍しく気が合うわね。お世継ぎであれば、正妃の子どもこそが一番ふさわしいはずよ。だったら、当然最初に決めるべきなのは誰がアインズ様の隣に座るのかではなくて?」

 

 アルベドとシャルティアは顔を見合わせると、再び目に狂気の光を浮かべた。

 

「イヤ、流石ニソノヨウナコトヲ、我々シモベガアインズ様ニ進言スルノハ、余リニモ不敬デハアルマイカ? 誰ヲ娶ラレルカハ、アクマデモ、アインズ様ノ御意志ニ従ウベキデ、ココデ決メテイイコトデハナイダロウ」

 

「コキュートスの意見はもっともかと。普段お側に控えている私からしましても、アインズ様は今のところ、そのようなことにあまり興味をお持ちではないように思います」

 

 コキュートスとセバスが静かに意見を述べ、アウラとマーレは、どことなく居心地悪そうに成り行きを見守っている。

 

「ふむ。皆、いろいろ思うところがあるようだが、一点だけ私からも言わせてもらいたい。このまま、我々が何もせずにアインズ様にもしものことがあった場合、一体どうするつもりなのかね? 確かに我々がアインズ様の私事に口を出すのは不敬なことだとは私も思う。しかしあの叡智溢れるアインズ様のこと。我々では考えの及ばない深遠なるお考えをお持ちに違いない。この件も我々を試しておられる可能性だってあるのだよ。そうは思わないかね?」

 

「それについては私も同意するわ。アインズ様は私達の想定よりも、遥か先まで見据えていらっしゃるのですもの。流石は私の愛する御方……」

「ちょっと! アインズ様を自分一人のものみたいにいうのは、やめて欲しいでありんす!」

 

「ナルホド。デミウルゴスノ言ウ通リカモシレナイ。少々、考エガ足リナカッタカ」

「そうですな。こうして我々が話し合うことも既にお考えの上かもしれません」

 

「私とて好きでこのような提案をしている訳ではありませんし、至高の四十一人全てが喪われた場合のナザリックのことなどあまり考えたくありません。我々の存在意義の根底にも関わることですから。最後の至高の御方であられるアインズ様は、我々が命に変えてもお守りしなければならない。だが、それとこれとは話が違うのです。考えることを放棄するような無能なシモベを、アインズ様はお望みではないと思いますがね」

 

「……あたし、アインズ様に無能だと思われるのは嫌だな」

「それは、わらわだって同じでありんす。――それに、わらわは二度とそんな風にはならないと決めたのでありんす」

「ぼ、僕も……」

 

「でも、そうね。アインズ様がこの手のことにあまり積極的ではないのは私も認めざるを得ないわ。これまで私自身いろいろ試してみたけど、どれもはっきりと効果があるものはなかったし……。デミウルゴス。貴方、そこまで考えているのなら、当然何か案があるのでしょう?」

 

「もちろんだとも、アルベド。私だってこの場でこの提案をする以上、手ぶらでは来ないさ。実は数日前、例のイビルアイの故郷にご報告に伺った際に、アインズ様はお世継ぎを作ることについてご協力くださる、とお約束して下さったのだよ。シャルティア、アウラ。君たちも一緒にいたのだから、覚えているだろう?」

 

「なんですって! そんな大事なことを、なぜ今まで黙っていたの!?」

 

 思わず激昂したアルベドは机をたたき、机に小さなヒビが入る。セバスはそれを見て一瞬顔をしかめた。

 

「アインズ様は、確かにそう仰ってありんした」

「……あたしも聞いた。イビルアイも」

 

「黙っていたと言っても、ほんの数日のことだよ。なかなか皆の都合が合わなかったからね。それにアルベド、君だって竜王国との協議で忙しかっただろう?」

「だからといって! 私にくらい一言教えてくれても良かったでしょう?」

 

「確かに守護者統括であるアルベドにはもっとはやく報告すべきだったね。それについては詫びさせてもらうよ。ただ、これで当然アインズ様も正妃について前向きにお考えくださるだろう。だから、それで私の不手際は帳消しにしてくれないかい?」

 

「まぁ……。そうね。これまで、アインズ様から誰もそのお言葉を引き出すことは出来なかったのだから、その点については感謝するわ。それでおあいこということにしましょう」

「話が早くて助かるよ、アルベド。さて、皆もこれで納得してくれるかね?」

 

「ムロンダ」

「も、もちろんです!」

「アインズ様がご了承くださっているのであれば、何も申し上げることはございません」

 

「それは良かった。ナザリックの最上位のシモベである我々の意見が食い違うのは由々しき事態だ。特にこのようなナザリックの将来に直結する最重要課題では、皆で協力してことに当たって行く必要があるからね」

 

 デミウルゴスの話に納得したのか、コキュートスとマーレは頷き、セバスは重々しく頭を下げた。

 

「ところで、デミウルゴス。一つ聞いてもいいでありんすか?」

「なんだい、シャルティア」

「……わらわは、子どもって作れるのでありんしょうか?」

 

 若干不安そうに首を傾げたシャルティアに、デミウルゴスは思わず苦笑した。

 

「まさか、君の口からその質問が出るとは思っていなかったよ。私が調べた限り、アンデッドは子どもは作れない。吸血鬼も眷属は作れても、生殖は不可能のようだ。だから、シャルティア、君も今のままでは無理だろうね。それに、アインズ様御自身も……御子を為すのは無理だと仰っていらした」

 

「え、じゃ、じゃあ……、アインズ様のお世継ぎはそもそも無理ってことなんですか?」

 

「残念ながら、現時点ではそうだと言わざるをえない。ただ方法が全くないわけではないらしいんだ。もっとも具体的な手段は今調査しているところなのだが、既に多少の目星はつけている」

 

「ふうん? それはどんな方法なのかしら?」

「具体的なことを話せるようになったら話すつもりだ。アルベド。今はただの可能性に過ぎないからね。私としてはいたずらに皆を混乱させるようなことはしたくないんでね」

 

「そう。でもそうすると、シャルティアには悪いけど、今回もあまり役にはたたないんじゃないかしら?」

 

 アルベドは鼻で笑い、シャルティアはぎりぎりと歯を噛みしめる。

 

「アルベド、その条件はアインズ様も同じであることを忘れてはいけないよ。だから、私としてはアンデッドであるシャルティアやユリ、それにイビルアイも十分候補になりうると思っている」

 

 聞き捨てならない名前を聞いてアルベドからギリィという大きな音がした。

 

「どういうことかしら? デミウルゴス。シャルティアやユリはともかくとして、何故イビルアイを候補に数えなくてはいけないの? アインズ様はあまり気にされてはおられないようだけれど、私は認めないわよ。あんな……取るに足りない小娘なんて……!」

 

「候補にするくらい、いいんじゃありんせんか? イビルアイはなかなか悪くないと思いんす。それに、わたしは既にイビルアイはナザリックの一員だと思ってありんす。もちろん、だからといってアインズ様の隣の席は譲る気はないでありんすけど」

「あたしも別に構わないよ。それにどのみち候補とかいっても、最終的にお決めになられるのはアインズ様なんだし。負けなければいいだけじゃん?」

 

「私も既にナザリックとしての活動にも参加しているし、イビルアイはナザリックの一員としてみなしてもいいと思っている。それに、二人が言う通り、誰が候補であろうとも、アルベドがアインズ様に選ばれればいいだけじゃないかね? それとも、自信がないからそのようなことを言っているのかい?」

 

「――デミウルゴス、それは一体どういう意味かしら? それとも、もしかして貴方は私が選ばれない方がいいとでも思っているの?」

 

 アルベドは烈火のような視線でデミウルゴスを睨みつけ、デミウルゴスはアルベドに極寒の視線を向ける。一触即発の緊張感が部屋に漂った時、コキュートスが一喝した。

 

「鎮マレ! 例エ、アインズ様ガオラレナイ場トハイエ、コノヨウナ事デ守護者同士ガ争ウノハ言語道断ダ!」

 

 二人の怒気は一瞬で収まり、二人はコキュートスに謝罪した。

 

「うん、とりあえずさ、コキュートスの言う通り冷静に話し合おうよ」

「まったくでありんす。アルベドはちょっとイビルアイを気にしすぎでありんすね」

「そ、そんなことは……!」

 

「ともかく、アルベド、少し落ち着きたまえ。私はあくまでも、誰が正妃になるかよりも、より確実にアインズ様の御子を得ることを重要視している。それに、これは我々の未来だけではなく、アインズ様にとっても大事なこと。だからアインズ様の御意志に背くような正妃争いをしたり、アインズ様に無理やり迫ったり、あまつさえ至高の御身を押し倒したりするのは、あってはならないことだ。それは心得てもらいたい」

「マッタク、不敬極マリナイ行為ダナ」

 

「ぐっ……」

「わ、わかってありんすよ……」

 

 デミウルゴスとコキュートスから軽く睨まれ、日頃から心当たりがある二人は、揃ってバツが悪そうな顔をした。

 

「トモカク、アインズ様ガヨウヤク前向キニナラレタノデアレバ、当然、御相手ハアインズ様ノ御意志ニ従ウベキダロウ」

「私もそのように考えます。我々が口を挟むのは僭越かと」

 

「ただ、その意見はわからなくはないけれど、アインズ様はいずれ世界の王に、そして神の座に着かれる偉大なる御方。その隣に座る者には当然ふさわしい格があるわ。だから最終的にはアインズ様にお決めいただくにしろ、妃候補はある程度厳選するべきではなくて?」

「まぁ、それはそうでありんすよねぇ。アインズ様が心に決めたのならそれに従うつもりはありんすが……」

 

 そのとき、おずおずとアウラが手をあげた。珍しく顔が多少こわばっている。

 

「ん? どうしたんだい、アウラ。何か意見があるなら遠慮なくいいたまえ」

「そ、その……、あたしも、アインズ様のお妃候補になりたいなって思って……」

 

「なっ、チビ!?」

「アウラ!?」

 

「これまでは、アルベドとかシャルティアがすごい積極的だったし、あたしもまだまだ子どもだし、なんか話すタイミングをずっと逃しちゃってたんだけど、ここで言わないと後悔しそうだから……。選んでいただけるかはわからないけど、あたしもアインズ様の隣に座りたい……です」

 

「そうか、アウラがそう思っていたのは気が付かなかったが……アインズ様はアウラがそう思っていると知れば喜んでくださるんじゃないかと思うよ」

 

 デミウルゴスにそう言われて、アウラの顔は耳まで真っ赤に染まった。

 

「あ、あの……ぼ、僕も……」

「マーレ、どうかしたのかね?」

「い、いえ、その、何でもないです……」

 

 マーレは一瞬手をあげかけたが、きまり悪そうに口ごもるとそのまま俯いた。

 

「ふむ。そうすると、女性守護者は全員立候補するということだね。私だってアインズ様の正妃になられるのは、ナザリック所属のものである方が好ましいと思っている。それが守護者統括や階層守護者なら、より身分的な釣り合いも取れるし理想的ではある。だが皆も知っての通り、アインズ様はこの手のことにはあまり積極的な方ではない。だから最終的にアインズ様が選ばれた方がナザリック外のものであっても、この際構わないのではないと思っている。少なくとも、それが誰であろうと私は反対するつもりはない」

 

「……確認するけれど、デミウルゴスは、アインズ様が選んだ相手ということが重要で、それ以外のことは些事だということかしら?」

 

「まあ、極論をいえばそうだね。それに叡智に溢れるアインズ様がお選びになった方に、シモベが口を出すなど余りにも不敬だと思わないかね?」

「ふふ、それもそうね。貴方の考えはよくわかったわ。デミウルゴス」

 

 アルベドは優美な笑みを浮かべて頷き、シャルティアとアウラはいぶかしげにアルベドを見た。

 

「どうしたでありんすか? アルベド。さっきまでとは随分態度が違うでありんす」

「うん、ちょっと気持ち悪い」

「そう? 気のせいだと思うけれど。シャルティア、アウラ、あなた達はどうなの?」

 

「……わらわは、もちろんアインズ様のご決定は受け入れるでありんす」

「あたしだって、アインズ様がお決めになられたことなら、当然従います」

 

「――まあ、とりあえず三人とも納得してくれたようで嬉しいよ。では、この件でのルールを私から提案させてもらおう。やはり、我々守護者は一枚板でなければいけないからね。一つ、ナザリックでの役職や地位、種族などに関わらず、皆平等にアインズ様の正妃になる権利があり、候補となることができる。これは、ナザリック外の者も例外ではない。二つ、アインズ様に無理強いするような行為は絶対に行わない。三つ、アインズ様がお選びになった方は、相手が誰であろうと正妃として認める。四つ、正妃になれるのは一人だけだが、アインズ様ほどの御方が妃を一人に限定する必要はないだろう。だからアインズ様がお望みになれば、何人でも妃にはなりうる。どうだね? そう悪い取り決めではないだろう?」

 

 デミウルゴスは全員をゆっくりと見回す。

 

「デミウルゴス、一ついいかしら?」

「なんだね、アルベド」

「その無理強いする行為というのはどこまでが含まれるのかしら?」

 

「――例えば、君が謹慎処分を受けたような行為とか、君がスパで断りもなくアインズ様の御身体に触れようとしたことは不可だと思うがね」

 

「え、じゃあ、アインズ様に膝に載せていただいたり、一緒に魔獣に乗ったりするのはダメ……だった?」

「アインズ様が嫌がられていなければいいのではないかね?」

 

「アインズ様にキスを求めたり、ハグをするのは……ダメでありんすか?」

「流石に、それはちょっとやりすぎではないかね?」

 

「デミウルゴス。貴方の答えを聞く限り『無理強いする行為』という言い方では余りにも曖昧すぎると思うの。要するにアインズ様が特に嫌がられていなければ、何をしても基本的には問題はないのでしょう?」

「それは、まあ、そうだね」

「それなら、無理強いする行為じゃなくて、アインズ様にダメと言われたらやめる、というのではどうかしら?」

 

「悪いが、アルベド、君はダメと言われても止められないだろう? ただ、無理強いするというよりも、アインズ様のご許可を得ずに御身体に触れる行為、に変更しようか」

「ご許可があれば、構わないってことでありんすね?」

「そうだ。それならわかりやすいだろう?」

 

 三人は大きく頷いた。

 

「それでは三人とも納得してくれたようなので、この修正案で採決を取りたいと思う。反対か賛成か、どうだね?」

 

「デミウルゴスノ提案ヲ支持スル」

「私もそれで宜しいかと思います」

「わらわも賛成しんす」

「あたしも構わないよ」

「ぼ、僕も賛成です」

 

 五人は即座に提案に同意したが、アルベドはいつもの微笑を浮かべたまま、その様子を黙って見ている。

 

「賛同ありがとう。アルベドはどうだね? まだ何か意見があるなら聴かせてほしいんだが」

「あら、もちろん、賛成に決まってるじゃない。流石はデミウルゴスと思っていただけよ。素晴らしい提案だわ」

 

(どうもアルベドの態度が引っかかりますね。最初はあれほど不満そうだったのに、何かアルベドに都合のいい部分があったのか?)

 

 デミウルゴスは自分の提案内容を頭の中でざっと吟味したが、取り立ててアルベドに利する部分はないように思われる。

 

(まあ、とりあえず、全員が受け入れるということであれば良しとしましょうか。ともかく、まだ計画は始まったばかりですし。この話を少なくとも守護者の総意にしておかねば、後々まずいことにもなりかねませんから)

 

「全員が賛成ということですね。非常に喜ばしい限りです。それでは当分の間このルールに従い、アインズ様に御相手を決めていただけるよう皆で協力して行きましょう。但し、自薦者達はくれぐれもアインズ様にはご負担がかからぬ程度にアピールすること。私としても女性守護者の誰かが選んでいただけるのが望ましいのは確かですので、協力は惜しみませんよ」

 

「ソウダナ。私モ早クアインズ様ノ御子ヲ御世話申シ上ゲタイ。ソノタメナラ、幾ラデモ協力シヨウ。爺ハ頑張リマスゾ……若……」

「アインズ様の御為に働くのは当然のこと。必要なことがあれば言っていただければ」

「ぼ、僕も……、応援します……」

 

「それでは、この件については、後ほどアインズ様にもご報告をしておきます。それと、ナザリック中に周知と、後は、エ・ランテルにも話を流しておくことにしましょう。王であるアインズ様が御結婚されるとなれば、国民にも当然知らしめる必要がありますからね」

 

「あ、あたし、負けないからね! アルベド、シャルティア」

「それはこっちの台詞でありんす」

「ふふ、フェアプレイよ。忘れないでね」

 

 熱い女の戦いが始まったのを見ながら、小さくため息をついたデミウルゴスは、厳かに第三十八回守護者会議の閉会を宣言した。

 

 




大変遅くなりました。
実は当初別の話を書いていたのですが、そちらを書いているうちに、このエピソードがあったほうがいいのではないかと思い、急遽こちらの話に変更しました。次回の幕間話は、その当初書いていた話になる予定です。

最近非常にたてこんでおりまして、なるべく月に一度は更新しようと思っていたのですが、それが厳しくなりつつあります。そのため、結構お待たせしてしまうかもしれませんが、今後は出来る範囲で更新していこうと思います。

宜しければお付き合い頂けると嬉しいです。


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恋の迷路(前編)

時系列的には前回の話の数カ月後。
この話までが四章の前の幕間です。


 アインズの毎日はそれほど代わり映えするものではない。

 

 夜が明けるまでメイドに監視されながら、ベッドで本を読んで眠れない時間を潰すのは、ひたすら苦痛でしかないが、まだ我慢できる。

 

 その後、複数人のメイドに囲まれて、アインズには理解できないセンスの服に着替えさせられるのも、いまだに抵抗感は感じるが……多少は慣れた。

 

 国政に関する訳のわからない書類を読むのはどうにも我慢ならなかったが、これも支配者としてやるべきことだと自分に言い聞かせて、なんとか配下の期待を裏切らないよう努力はしている。

 

 しかし、いくらなんでも、これはあんまりじゃないだろうか。

 

(視線が痛い……。痛いというより、突き刺さってくるような気がする……)

 

 アインズがエ・ランテルの執務室で仕事をしている時も、たまに気分転換に街を散歩する時も、ナザリックに戻って第九階層を歩いていても、自室でくつろいでいる時でも、アインズは常に誰かからの強い視線にさらされていた。

 

 今もナザリックの寝室、つまりは一番アインズにとって安全であるはずの場所で、本日のアインズ当番であるフォアイルからの熱烈な視線を感じ取っている。

 

 もちろん、アインズ当番のメイド達は、これまでもずっとアインズの行動をつぶさに見ていたのだから、それと何も変わらないと思うことも出来る。しかし、彼女たちがアインズに熱い視線を向けている理由が理由だけに、アインズとしては、これまで以上にいたたまれない気分に陥っていた。

 

 理由はわかっている。先日、デミウルゴスに約束した例の一件のせいだ。

 

 アインズは、竜王国でデミウルゴスの望みに多少手を貸すことを約束した。確かにそれは事実だが、アインズとしてはそれ以上でもそれ以下でもない。

 

 相手の依頼を断る時は、可能な限り誠意をみせる。鈴木悟はそれが営業として大事なことだと先輩から教わった。その相手にいつ自分が頼み事をすることになるかわからないからだ。人脈というのはそうやって繋ぐものなのだと。

 

 デミウルゴスにいくら望まれても、ナニもない自分に子どもなど出来よう筈もないが、かといって大切な部下のたっての望みを無碍にすることも出来ない。

 

 だから、せめて最低限の誠意として、多少の協力くらいならしてやってもいいだろう。あくまでもそんな軽い気持ちだった。例えそれが結果的に相手の望みに繋がらないとしても。

 

 しかし、アインズが竜王国でやるべきことを全て片付け、意気揚々とナザリックに帰ってきた数日後には、どういう訳か、自分がついに誰かを正妃として娶ることが確定したという話に変わっていた。おまけにその話はナザリックだけではなく、エ・ランテルにも広まっているようなのだ。

 

 流石に『そういう視線』をアインズに送ってくるのはナザリックの者がほとんどだが、エ・ランテルの住民たちも自分が誰と結婚するのか賭けをしたりしているらしい。少なくとも、パンドラズ・アクターはそう言っていた。

 

 それでも、メイドからの視線などは可愛いものだ。頬を赤らめて自分を熱意をこもった視線でうっとりと眺めているだけだし、それ以上の行動に出ようとするわけではない。

 

 それに、アウラも……。まさか、まだまだ可愛い子どもだと思っていたアウラから、自分と結婚したいとアプローチを受ける日が来るなんて考えてみたこともなかった。

 

(ちょっと前までは、子どもっぽく膝に乗りたいとねだってくるくらいだったのになぁ……)

 

 突然可愛らしいワンピースを着て執務室に現れたアウラを見て、アインズは激しく動揺した。アウラの服装はぶくぶく茶釜の設定の一部であるはずで、それをまさかNPC自身の意志で変えるとは思っていなかった。つまり、創造主の設定以上の行動をするくらい、アウラも本気なのかもしれない。そのこと自体は、友人からの大切な預かりものが、年齢相応に成長してきていることだと喜んでもいいはずだ。

 

 問題は――

 

(今のアルベドやシャルティア相手に、護衛がセバスとハンゾウだけでは心もとないな。かといって、単純に数を増やしたからといって、あの二人の抑えになるわけじゃない。コキュートスはどうだろう? でもコキュートスは今は北部の沼地だけではなく複数の地を管理している。たかだかこの程度のことで呼び戻すわけにはいかないだろう。デミウルゴスには神王国と竜王国を任せているし、マーレ……はまだ子どもだ。このような騒ぎに巻き込むわけにはいかない。パンドラズ・アクターも、モモンだけじゃなく、今は俺が手が回らない時の代理も一部任せているし、いくら有能とはいえ、これ以上仕事を増やすのもはばかられる。一体どうしたらいいんだ)

 

 アインズは使えそうな手元の札をあれこれ考えたが、結局何もいい考えは浮かばない。まさかデミウルゴスが、あの話をこんな風に解釈しているなんて思ってもみなかった。少なくとも、今のアインズには誰かと結婚するつもりなんてまだない。そもそも、自分が結婚するというイメージすら浮かばなかった。

 

 リアルで自分の机の上に置いていた両親の写真のことを考えてみるが、自分を抱いた両親がどんな顔をしていたのかすら、ぼんやりとしか思い出せない。結婚といって多少思い出せるのは、たっち・みーなどのギルメンがしていた家族の話くらいだ。それもどちらかといえば、ログアウトする時の決まり文句のようなことが多かった気がする。

 

(デミウルゴスめ……。何が、全ては俺の望みのままに、なんだよ!)

 

 この件を報告しに来た時のデミウルゴスが余りにも嬉しそうで、アインズはどうしても違うと言うことができなかった。ことの発端がデミウルゴスでさえなければ、上手く皆に説明させて、それは誤解だと皆に納得してもらうことも出来たかもしれないのに。

 

 ともかく、相手を選ぶよりも何よりも、獲物を狙う猛獣のような目つきで側に控えているアルベドや、隙あらばアインズの寝室に忍び込んで来ようとするシャルティアをなんとかしなければ……。このままでは、近いうちに自分が喰われることになるに違いない。主に物理的な意味で。

 

(それにしても、どうして俺はアルベドにあんな設定変更をしてしまったんだろう……。確かに、容姿は俺の好みではあったし、タブラさんの設定があんまりだったとはいえ、あんなことしなくても良かったじゃないか。今更後悔して仕方がないことだけど)

 

 アインズは出ないため息をついた。

 

 イビルアイもエ・ランテルの執務室には相変わらずよく遊びにきているが、やはり若干反応がおかしい。何か尋ねようとしても、急に身体をビクリとさせたり、声も変に緊張している気がする。どう考えても以前よりもよそよそしい態度だ。

 

 もっとも、これについてはアインズとしても多少は、いや、かなり反省をしていた。

 

(さすがに、イビルアイにあんなことしたのは失敗だった。あの時は、なんとなく雰囲気でそんな感じになっちゃったけど。考えてみたら、あれってただのセクハラだよな? 会社の会長とかに無理やりああいうことされたら、一般社員が嫌な顔なんて出来るはずない。それなのに、何の断りもなくやるなんて……。女性社員にセクハラする会長がいる会社とか、どう考えてもブラックすぎる。せっかくナザリックをホワイト企業にしようと頑張っていたつもりだったのに。俺って最低だ……)

 

 自己嫌悪で、できればこのままベッドで転がり回りたいという衝動に駆られたが、流石にフォアイルの目の前でやるわけにもいかない。それに約束の時間まであまり余裕もないから、そろそろ寝室から出て支度もしないといけない。

 

 考えても結論の出ない問題に頭を悩ませながらも、とりあえず外側だけはいつもの支配者ロールで取り繕ったアインズは、渋々立ち上がると、フォアイルを連れてドレスルームに向かった。

 

 

----

 

 

 豪奢な応接室には既にドラウディロン女王と、同席するアルベドとデミウルゴスが揃っており、三人とも床に跪いている。アインズに付き従ってきたフォアイルは扉の脇に立ち、アインズはそのまま支配者らしい振る舞いで、上座側のソファに堂々と腰を下ろした。それから、面倒くさいながらも、頭を下げたままのドラウディロンにソファに座るよう勧めた。

 

 ドラウディロンは多少ぎこちなかったが、丁寧に礼を言ってアインズの向かいに優雅に座り、アルベドとデミウルゴスはアインズの後ろ側に控えるように立つ。

 

 一般メイドが静かにワゴンを押して入室してくると、ドラウディロンの前に香りの良い紅茶と菓子を出して退出していった。

 

 ドラウディロン女王は今回も妖艶な美女の姿で、胸元が大きく開いた赤い扇情的なドレスをまとっている。竜の血を引いているせいか、女王はナザリックの異形の前でも他の人間のように怯えたところはあまりない。しかも、堂々と威厳ある振る舞いをしながらも、必要な礼節はわきまえている。そのため、シモベたちからの好感度は比較的高いらしい。

 

 女王はにこやかに微笑むと、少しばかりアインズの後ろを見やる。その瞬間、薄ら寒い冷気が部屋に漂ったような気がしたが、アインズはそれに気が付かなかったことにした。

 

「お待たせして申し訳なかったな、ドラウディロン女王」

「いいえ、魔導王陛下のおかげで竜王国の復興も順調に進んでおります。こちらこそ、お忙しい陛下のお時間を割いていただけるだけでも、かたじけないことと思っている」

 

「まぁ、今日の話はこちらとしても非常に重要なことだ。私は女王がお持ちになられている知識や能力を、とても価値が高いと判断している。だからその対価としても、我がアインズ・ウール・ゴウン魔導国の属国としても、竜王国に援助をするのは当然のことだ」

 

「心から感謝いたします、魔導王陛下。私は元より、以前のお約束通り、陛下に持てる能力を全て捧げる覚悟。もっとも、能力だけではなく、この身体もお好きにしていただいて構わんのだが……」

 

 そういってドラウディロンは僅かに胸元をアピールするような仕草をした。実際に見た経験があるわけではないが、少なくとも人間としてはかなり豊満な胸に見える。アルベドと比べるなら、どちらが大きいのか。アインズはどうでもいいことを考えて現実逃避したくなるが、そのような考えを即座に振り払った。

 

 デミウルゴスからの報告では、いまだに竜王国はドラウディロン女王をアインズの妻とすることを諦めてはいないらしい。アインズは一応やんわりと断ってはいる。だが、デミウルゴスも女王との件はまんざらでもない様子なのだ。

 

(確かに、女王は竜との混血。異形種といえる存在だし、この世界でも希少な能力を持っている。だから、ナザリックとしては悪い話ではないのだろうが……)

 

 アインズは八方塞がりのような現状を考えて、もう無い胃が痛むような思いに駆られる。それでなくとも、既に自分の周囲で起こっている騒動で手一杯なのだ。そこにドラウディロンまで参加することになれば、一体どんな面倒事が起こるのか。アインズとしては正直考えたくもなかった。

 

 それに――

 

 不意にアインズの脳裏に赤い瞳の少女の顔が浮かぶ。ずっと側にいてくれると約束してくれた、気丈な吸血姫の姿が。なぜかはわからないが、もはやないはずの心臓が脈打つような気がする。こんな気持ちになるのは、アインズは生まれて初めてだった。

 

「あ、いや、ドラウディロン女王。その、結婚についてはだな……」

 

「なんでも、魔導王陛下は近々迎えられる妃の選定に入られるご予定と聞き及んでいる。属国の女王という身分ではあるが、僭越ながら、私も、そう、別に正妃とまでは申すつもりはない。ただ、その末席にでも加えていただけたら、竜王国としてもこれ以上ない喜びとなろう。どうかご検討をお願いしたい」

 

 ドラウディロンの瞳は真剣そのもので、さすがのアインズもこれは適当に誤魔化すのは難しいと感じる。さり気なく、後ろの守護者二人の様子を伺うが、特に何か口をはさむ様子もない。いつものアルベドなら強硬な反対意見の一つもいいそうだが、表面上はいつもどおりの笑みを浮かべているようだ。だとすると、どちらもこの件については、あらかじめ了承していたのだろう。

 

 若干、配下に裏切られた気分になりつつも、アインズはやむなく観念した。

 

「確かに、そのような話は持ち上がっている。しかし、今のところ、まだ何も決まっているわけではない。女王のお望みにお答えできるかどうかもわからないのだが?」

 

「それはもちろん、私の方から強く申し上げられることではないことは承知の上。ただ、魔導王陛下の僅かばかりの情けをこの身にもかけていただけるのなら、それだけで十分というものだ」

 

 言質は取ったとばかりにドラウディロンは微笑み、敗北者たるアインズは乾いた笑い声をあげた。

 

「まあ、そのような話はまた今度改めて、ということにさせていただきたい。今日はそういう目的の場ではないのだし。ドラウディロン女王、早速だが、始原の魔法について知っていることを教えていただきたい。どうも私の知っている魔法とは異なる体系のものとは聞いているが、それは一体どのようなものなのだ?」

 

「始原の魔法というのは、この世界に元々存在していた魔法のことだ。我が曽祖父は名だたる竜王(ドラゴンロード)の一竜として数多くの始原の魔法を使いこなしたと聞く。しかし曽祖父が亡くなったのは私がまだ幼い頃だったし、曽祖父がどのような魔法を行使したのかまでは詳しくは知らない。そもそも始原の魔法は、八欲王がこの世の理を塗り替える前まで、ごく一般的に使われていた魔法だったのだ」

 

「八欲王か……。五百年前に世界を制圧したとかいう伝説があると聞いたことはあるが」

 

「さよう。古の八欲王との戦いでも、竜王たちは始原の魔法を行使し、かの欲深き王たちと戦ったそうだ。しかし、そこでなんらかの世界を捻じ曲げる力が働き、それ以来、位階魔法が世の魔法の中心となったのだとか。今の世で、始原の魔法を使えるものが僅かなのはそのためだ。竜といえど必ずしも使えるとは限らん。昔は習って習得することも出来たそうだが、今の始原の魔法は生まれつき能力を持っているものしか使用できんのだ。そのため、始原の魔法を使えるものは『真なる竜王』という尊称で呼ばれる。そして、現存する真なる竜王のほとんどは、アーグランド評議国を治めている竜王たちだ。稀に人の身でもタレントとして使えるものもいるとは聞いてはいる。もっとも、それが使い物になるかどうかは怪しいがな」

 

「使い物になるかどうかわからないというのは、どういうことだ?」

「竜の血が八分の一入っている私ですら、実質的に始原の魔法を行使することは出来ないからだ」

 

 ドラウディロンは自嘲気味に肩をすくめ、一瞬沈黙が部屋を支配する。そんな中、アインズの後ろから声がした。

 

「畏れながらアインズ様。発言しても宜しいでしょうか?」

「もちろんだ、デミウルゴス。アルベドも疑問点があれば自由に女王に質問してくれて構わない」

「ご許可ありがとうございます、アインズ様。では、ドラウディロン女王。どのような理由で、始原の魔法は使い物にならないと言えるのですか?」

 

「そうだな。始原の魔法にもいくつか種類はあるのだが、発動する際に使用するのに位階魔法とは異なる代償を要求されるのだ。位階魔法では魔法の力のようなものを消費すると聞いているが、始原の魔法で消費するのは、命の力とでも言うべきものだ」

「命の力? つまり、魔法を使用する代償に己の生命力を削る、という意味か?」

 

「まぁ、そのようなものに近いのかもしれない。詳しい仕組みは私も理解しているわけではないが、私が習得している始原の魔法を行使するには、その魔法の発動の源泉となる数の生贄が必要なのだ。例えば、私の持つ一番強力な攻撃魔法なら、百万の人間を生贄に捧げねばならない。もちろん、そのような数の生贄を集めること自体は不可能ではない。おそらく竜王国の民の多くを費やせば、私は始原の魔法を発動してビーストマンどもを打ち砕くことも出来たかもしれない。しかし、それだけの民を犠牲にして何になろう? 事実上、竜王国が瓦解してしまうのは明白だ。だから効果との釣り合いを考えると、私には実質的に行使不可能。つまり、使い物にならないというわけだ」

 

「百万の生贄……ですか……」

 

 もともと、あまり人間という種の命に重きを置いているわけではないデミウルゴスやアルベドまでもその数の凄まじさに絶句したようだ。

 

 アインズとしても、流石にそれが実用レベルの代物ではないことくらい理解できる。何しろ、以前の王国と帝国の戦争で駆り出された兵の数でいいところ三十万人ほどだったと聞く。それだけの人間を媒介素材に使用して、発動する魔法の効果がどの程度であるにしても、確かにそうそう使い物になるものとは思えない。

 

(生贄を捧げる……というと、俺の黒の叡智のようにそもそも生贄を対価として消費するタイプなのか? それとも魔法の行使に使っているのは MP ではなく HP? むしろ実は経験値消費型で経験値の代替として、生贄を消費しているということもありえるか?)

 

 しかし試しに実験するにしても、要求される対価があまりにも大き過ぎる。

 

「そうすると、女王は実際に始原の魔法を行使されたことはない、ということですか?」

「ああ、そうだ。だからこそ、私は『真にして偽りの竜王』などという不名誉な二つ名をつけられているのだから」

 

「……ドラウディロン女王。つかぬことを伺うが、先程名前のあがったアーグランド評議国の真なる竜王であれば、今でも始原の魔法を行使出来るということか?」

「私の知る限りそのはずだ、魔導王陛下」

 

 ドラウディロンは頷き、「失礼」と一言断って紅茶を飲んだ。

 

「つまり、始原の魔法について、現在最も詳しいのはアーグランド評議国ということだな」

「そういうことになる。中でも、評議国の白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)であるツァインドルクス=ヴァイシオンは、かなり強力な攻撃魔法の使い手といわれている。なにしろ、彼はかの竜帝の息子でもあるしな。私の魔法は、いいところツアーの劣化版だろう」

 

(ツアーというと、イビルアイが友人と言っていた例の竜のことだったか。つまり、始原の魔法について本当に知りたければ、アーグランド評議国と友好関係を結ぶか、もしくは力でねじ伏せてその竜王とやらから情報を得なければいけない、か)

 

 アインズとしては、もともと未知である始原の魔法に強い興味を持っていた。ナザリックの戦力強化が可能になるなら『流れ星の指輪(シューティング・スター)』を使ってでも習得したいとも。

 

 位階魔法には習得数に制限がある。だからアインズが新しい位階魔法を習得することは困難だろう。だが、ユグドラシルにはなかった始原の魔法であれば、その制限を越えられるかもしれないと考えていたのだ。

 

(しかし、今の話の感じでは、期待したほど戦力強化にはつながらないか? まぁ、女王本人が使用できない能力だから、知識も相当限られているのかもしれない。だが正直『流れ星の指輪』の使用回数を削ってまで習得するのもためらわれるな。レアな能力ではあるから、コレクター心はくすぐられるんだが……)

 

 アインズが、ちらりとデミウルゴスとアルベドの様子を伺うと、二人ともあからさまではないものの、やはり微妙な表情をしている。この件については、一旦判断は保留にした方がいいだろう。

 

 そもそも、この世界で普通に使われていた魔法なのだから、本来そこまで使い勝手が悪いというのは考えにくいし、女王の記憶違いという可能性もある。できれば、もっと精度が高い情報がほしいところだ。

 

「ふむ、なるほど。お話はよくわかった。ドラウディロン女王。そうすると、実地で魔法を見せてもらうというのは難しそうだな?」

「申し訳ない。始原の魔法を行使しているところをご覧になりたいのなら、やはり評議国の名だたる竜王たちに頼むほうがいいと思う」

 

(始原の魔法自体の問題ではなく、人間との混血である結果として、ドラウディロンの竜としての種族レベル自体が低い可能性もあるか。もしくはタレントとしての能力の問題なのか。八欲王の行った何かのせいで、本来の始原の魔法よりも効果や威力が落ちている可能性もあるかもしれない。何らかの形で情報の裏付けは取るべきだな。実験することも出来ないとなれば、やはり……)

 

 ――なるべく早めに、アーグランド評議国とコンタクトをとる必要がありそうだな。

 

 アインズは心のメモ帳にそれを書き留める。

 

「そうすると、幼い少女に変身する能力などは、始原の魔法を使っているわけではないのか?」

 

「ああ、これは始原の魔法とはまた別の力だ。他の生物の姿に変化することができる私の特殊能力でな。しかも、これは見た目を単に真似ているのではなく、人間形態の時は完全に人間と同等の存在になる。この能力を使って曽祖父は人間の女性を娶って子を成し、竜王国を作ったと聞いている。流石に竜の姿では、人と交わることは難しいからな」

 

 女王の言葉で、アインズは後ろの二人から、妙に強い圧力のようなものを感じた気がした。

 

「……ドラウディロン女王。少々お伺いしても宜しいでしょうか?」

「なんだろう? デミウルゴス様」

 

「竜王国の祖である竜王は人間形態をとって人間を交わったということですが、竜同士であれば当然竜形態でということですね?」

「もちろん、その通りだ。例えば、私が子を成そうと思えば、相手が竜なら竜形態で、人であれば人間形態で交わるということになるだろう」

 

「――やはり、竜と人がそのままの形態で子どもを作るのは難しいのですか?」

 

「普通は無理だな。体格も違うし。それに、異種族間で子どもを望むこと自体が困難だ。我が曽祖父である七彩の竜王は人間のみならず、多彩な生物に姿を変えられたという。曽祖父の竜の姿は鱗が七色に煌めいてみえたことから、七彩の竜王という名がついたといわれているが、多種多様な生物に変化する優れた能力を讃えたものともいわれている。曽祖父にこの能力があったからこそ、人と竜が共存する竜王国が出来たのだ」

 

「ふむ。そうしますと、全ての竜が人間形態を取れるというわけでは……?」

 

「それは違う。竜は個体ごとに異なる能力を持っている。だから人間の女性を妻にした竜は曽祖父くらいだろう。まぁ、その結果、他の竜王達とは一線を引く関係になってしまったらしいが。そもそも、竜たちは人間という種に重きを置いているわけではない。彼らはどちらかといえば……、そうだな。世界の管理者であるとか調停者であるとか、そういった認識を持っているのだ。だから、特定の種族を重んじることもないし、同属の血を引くからといって竜王国を庇護することもない。むしろ、我が国の苦難に対しては、法国の方がいくらか協力的だったとも言えるくらいだ」

 

 ドラウディロンは苦虫を噛み潰したような顔をした。

 

「なるほど。だから、竜王国はある意味近親とも言えるアーグランド評議国ではなく、魔導国に援助を請いにいらしたわけか」

 

「その通りだ、魔導王陛下。恐らく彼らに援助を頼んだところで、救いの手を差し伸べてくれることはない。それは、彼らにその力がないからではなく、あくまでも、繁栄も滅びもあるがままを良しとするという、竜独特の世界観に基づくものだ。彼らが万一動くとすれば、世界そのものを動かす力を持つという『ぷれいやー』といわれる存在が、世界に滅びをもたらそうとして世界盟約が発動した場合くらいだ。だからこそ、竜王国は魔導国に対しては多大なる恩義を負っているし、可能な対価は惜しまないつもりだ」

 

 ドラウディロンの口から発せられた『世界盟約』という言葉に、アインズのみならず、後ろの二人も反応したように思える。対価といいつつ、ドラウディロンが胸元を少しアピールするようにさりげなく動かしたが、アインズは見なかったふりをした。

 

「ドラウディロン女王。私は最近まで魔法の研究に明け暮れていたため、寡聞にして存じ上げないのだが、世界盟約とはどのようなものなのだろうか?」

 

「ん? ああ、この話を魔導王陛下はご存知ではないのか。まあ、確かにこの話は誰でも知っているというわけではないから、仕方がないかもしれん。五百年前、八欲王を倒すために、竜だけではなく様々な種族が共に戦った。そして、その際に、百年毎にこの世界に姿を現すという『ぷれいやー』が再び世界を滅ぼそうとした場合、再び種族や国の垣根を越えて、協力して戦うと取り決めたのだ。そして、この盟約は、ぷれいやーだけではなく、その血に連なる子孫が、神人や大罪人と呼ばれるほど力を持つ存在である場合も同様だ。特にアーグランド評議国の竜王たちは、この神人や大罪人を忌み嫌っている。やはり、この世界の理を犯す存在だということでな」

 

「神人に大罪人ですか。ずいぶんと両極端な呼称ですわね?」

「これを名付けたのは法国の連中だからな。法国からすると、自分たちの国の祖となった神の子である神人、そして、その神を殺したプレイヤーの子孫である大罪人、という区別をしているらしい。他所の国からすれば、どちらも大して変わりはない」

 

「それは……プレイヤーが殺された、ということですか? 同じプレイヤーに?」

 

 デミウルゴスの声が多少強張っているように聞こえる。アインズとしても聞き捨てならない話で、自然と身体が前に傾く。ドラウディロンは紅茶を一口飲むと、言葉を続けた。

 

「申し訳ないのだが、私はあいにくその辺はあまり詳しくはない。ただ、法国の祖となったプレイヤー六人のうち、五人は人間で、一人は……その、魔導王陛下と似たようなアンデッドであったと聞く。八欲王がこの世界に現れた時、法国の六人の神のうち、五人は既にこの世を寿命を迎えて去っており、一人残された死の神スルシャーナのみが八欲王に立ち向かったのだそうだ。だが、所詮八対一では勝ち目などなかったのだろう。結果として、スルシャーナは死んだとも封じられたともいわれている。もっとも、そこで何が起こり何が行われたのかはわからない。なにしろ古い話だし、それを直接見聞きしたものたちの多くは八欲王との戦いで命を落としたのだ。最終的に八欲王は大陸を制覇した後、自分たち同士で殺し合い滅びたといわれている。しかし八欲王が残した子孫というのが僅かに生き残っており、その血を引く者たちのうち、一部なりとも八欲王の力を発現したものを法国では大罪人と呼び、見つけ次第聖典を差し向けて抹殺しているそうだ。彼らからすれば、自分たちの神を殺した者どもの子孫なのだからな」

 

「なるほど。神を殺したから大罪人と呼ばれるということですか」

「いかにも。まあ、ともかく、八欲王の時代からこの世界は大きく様変わりした。多くの国が滅び、力ある竜も数多く喪われた。そして、始原の魔法の使い手はごく一部の限られたもののみとなり、魔法と言えば位階魔法を指すようになった。始原の魔法は、いずれ消えゆく運命なのだろう」

 

(八欲王の都市だったという場所は、南の砂漠にあるという話だったか。例の本に挟まれた地図はデミウルゴスに調査を任せているが、やはり、余程注意してかからねばならないようだな……)

 

 先日イビルアイから渡された本のことを思い出し、アインズは若干感傷的な気分になる。しかし、いつまでもそれを引きずって立ち止まる訳にはいかない。自分は自分で大切な子どもたちを守らなければならないのだから。

 

「ところで、ドラウディロン女王は位階魔法はお使いにはなられないのですか?」

「いや、私は位階魔法は使えないな。不思議なことに、始原の魔法を使えるものは位階魔法を習得出来ないようなのだ。少なくとも私の知る限り、両方を使いこなせる存在というのは聞いたことがない」

 

 アインズはその言葉に微妙に引っかかりを覚えた。始原の魔法というのが、もしこの世界の理から外れたところにあるものだとして、それに対して〈星に願いを〉の効果が及ぶのだろうか。

 

 シャルティアの時もそうだったが、願いが叶う範囲外だったとすると、ただの無駄打ちになってしまいかねない。かなり興味をいだいていたはずの始原の魔法への熱がかなり落ちてくるのを感じる。

 

(ドラウディロン女王は、もはやナザリックの手中にあるも同然。リイジー・バレアレやンフィーレアほど明確に誓わせているわけではないが、既に女王は魔導国に対する恩義に固く縛られている。であれば、むしろ、女王を手に入れたことでレア能力を確保出来たことを良しとするべきなのではないだろうか)

 

 アインズは自分の指にはめられている、残り二回分の力しかない貴重な指輪をちらりと見た。

 

「なるほど。ドラウディロン女王陛下。貴重な情報を聞かせていただいて感謝する」

「いや、この程度のこと、たいした話ではない。それで……魔導王陛下は、私の能力を欲していらっしゃるというお話だったが、どうされるおつもりなのか聞いても構わないだろうか?」

 

 アインズは何と答えようか頭をひねるが、この件はナザリックの将来にも影響しかねない重要な案件だ。自分が間違いない判断を出来る確信がない以上、やはり、ここは一旦社に持ち帰り、優秀な社員の意見を聞いてから決めるべきだろう。

 

「そうだな。私としては、今日女王陛下から伺った話を元に、こちらでもいくらか検討したいと考えている。だから、詳しいことについてはまた日を改めてお話したいと思っているのだが、いかがだろうか?」

 

 なるべく余裕のある支配者らしい振る舞いを意識しながら、アインズは答えた。

 

「私は魔導王陛下の御心に全て従うつもりでいる。だから、もちろんそれで一向に差し支えない。私はそもそも魔導国に援助を願う際に、我が能力は魔導王陛下に捧げることを約束しているのだし」

 

 ドラウディロンはあからさまに、アインズの何もない眼窩を見つめ妖艶に微笑んだ。それが意味しているところは、さすがのアインズでも理解できる。なにしろ、このところ、こういう視線ばかりにさらされているのだから。

 

 最近、この手のごまかし方ばかり考えているような気がして嫌になるが、この場は、無難な逃げ口上で切り抜けるしかない。

 

「女王陛下のお気持ちは十分理解したし、そのようにお考えであることは、私としても非常に有り難いと考えている。まぁ、しかし、国を預かるものとして、重要なことは急ぎすぎないようにしたいのだ。私としては魔導国の安寧が最も重要なことなのだから」

 

 アインズがそう言った途端、誰かが少しばかり残念そうな声を漏らす。だが、アインズはあえてそれを無視した。

 

「もちろん、魔導王陛下の御意志は全てに優先すること。私も当然それに従うだけだ。ただ、そのかわりといってはなんだが、どのみち、これからも両国ではいろいろ協議することも多いだろうし、魔導王陛下の素晴らしいお考えに私もより多く触れたいと思っている。だから、今後もこの素晴らしい御居城に……、もちろん、エ・ランテルのお屋敷でも構わないが、伺わせていただきたいと思うのだが、それは構わないだろうか?」

 

 再び、アインズの前と後ろで何か熾烈なものが交わされたような気がする。しかし、アインズはこの希望を断る理由を思いつかなかった。女王がナザリックにとって非常に重要な人物であることは間違いない。多少、嫌な予感はしなくもなかったが、可能な望みなら叶えてやるほうがいいに決まっている。

 

「もちろんだとも、ドラウディロン女王。いつでも歓迎しよう」

 

 アインズはなるべく鷹揚に見えるように、女王に向かって頷いた。

 

 




藤丸ぐだ男様、誤字報告ありがとうございました。

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基本的に、この話に書いてあることはほぼ捏造です。
僕のリュラリュースはもっと強い、ということでよろしくお願いいたします。

全三話、週一更新の予定です。


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恋の迷路(中編)

 ドラウディロンの見送りはセバスに任せ、アインズは二人の守護者と執務室で向かい合った。

 

「さてと……。これで竜王国との属国に関することもほぼ全て片付いたと言えるだろう。二人の尽力に感謝する」

 

 聖王国の時のような騒ぎにならない程度に、アインズは二人に軽く頭を下げる。

 

「感謝などとんでもございません。我々は当然のことをしたまでのこと。それに、なによりアインズ様が彼らに深く打ち込まれた(くさび)のおかげで交渉もスムーズでございました」

 

(楔? 俺は特に竜王国に何かをした覚えはないんだが……。また変に勘ぐっているのか、こいつらは)

 

 アインズはアルベドとデミウルゴスの表情をうかがうが、二人ともいつもと変わったところはなく、満足そうな笑みを浮かべている。

 

(はぁ。いつかは NPC 達とわかり合える関係になりたいと思ってきたけど、何年たっても理解しきれない……。もっとも、この二人は俺なんかより遥かに頭が良いんだから。そんなことが出来るなら苦労はしないよな)

 

 何年にも渡る〈記憶操作(コントロール・アムネジア)〉の研究で、NPC 達の精神構造についてはかなり理解出来るようになった自負はあるが、やはりそれとこれとは話が違う。所詮、ただのサラリーマンである鈴木悟の頭で、知恵者たちに追いつこうと思うこと自体が無理な話なんだろう。

 

 軽く頭を振って気持ちを切り替えると、アインズは現状の問題に向き直った。

 

「さて、先程のドラウディロン女王との会談には二人にも同席してもらったが、ナザリックにとっても重要な情報も多く、非常に有益だったと思う。今回の件についてどのように対処すべきか。私自身にも、ある程度考えていることがないわけではない。しかしそれを語る前に、私が最も信頼するお前たちの意見を聞いておきたいのだ。これを見るがいい」

 

 アインズはおもむろに、右手にはめている、残り二回の効力しかない指輪を二人に見えるようにした。

 

「私は必要であれば、ドラウディロン女王の能力を我が物にすることも考えていた。この世界独自のタレントであるとか種族能力といったものを、我々が習得することが果たして可能なのかという実験も兼ねたものだ。ただ、これは無制限に出来ることではない。以前アルベドには説明したことがあるが、実験にはこの『流れ星の指輪』を使用するつもりだ。これは使用者の願いを叶える効果のある超位魔法〈星に願いを(ウィッシュ・アポン・ア・スター)〉を経験値消費なしで使用できるというもので、ナザリックでも非常に希少なアイテムだ」

 

 デミウルゴスから「ほぅ……」という小さなため息が漏れる。食い入るように指輪を見ているようだ。アインズは軽く頷いて話を続けた。

 

「この指輪は本来三回まで使用可能だ。しかし見ての通り、今は二つの輝きしか残っていない。シャルティアの洗脳効果を解除しようとして一度使用したためだ。ただあの時は、洗脳自体がワールドアイテムで行われたものだったために、効果が発揮されることはなく、指輪の力は無駄になってしまったわけだがな」

 

「畏れながら、アインズ様。その指輪はどんな対象に対しても効果が発揮されるのでしょうか?」

 

「基本的にはそうだ。デミウルゴス。ただし、シャルティアの件でわかるように、必ずしも願った効果が発動するとは限らない。あくまでも、魔法が実現可能な範囲に限るということだな。そういう意味では、ドラウディロン女王の能力を身につけられるかどうかも、実際に試してみなければわからないだろう。例えば、我々の持つ何らかの制限に引っかかってしまった場合、以前と同様ただの無駄打ちになってしまう可能性もある。なにより、残り回数はあと二回のみ。これを使い切った後は……、まあ、この超位魔法は実質使えなくなると思ってくれ。なにしろ〈星に願いを〉は経験値消費型の超位魔法。使って使えないことはないが、当然のことながらその分私のレベルが下がってしまう。だから、余程のことがない限り、この魔法の発動は出来ないと思っておいてほしい」

 

「なるほど。承知いたしました。その指輪も同等の効果を持つ超位魔法も、ナザリックにとっての最大の切り札というわけですね」

「最大の切り札とまではいかないが、そう思ってくれていい。だからこそ、この指輪の使い道はナザリックにとって最も良い方法を考える必要があるというわけだ」

 

 アインズは、シャルティアの時にはどうしても使うことの出来なかったアインズ・ウール・ゴウン最大の秘宝について想いを馳せる。あれを持ち出すのは……本当に、最後の最後。使用しなければナザリックが滅びるような、そんな事態まで手を触れることがあってはならない。もしくは、この世界で再入手する方法が明らかになるまでは。

 

 憂いを帯びた視線で指輪を見つめていたアルベドが顔を上げた。

 

「……アインズ様、私から意見を申し上げても宜しいでしょうか?」

 

「もちろんだ、アルベド。断る必要などない。この場はお前たち二人の忌憚ない意見を聞くためにあるのだから」

 

「ありがとうございます。様々なことを鑑みますと『始原の魔法』に関しては今しばらく情報収集すべきかと。この世界独自の魔法ということは、うまくいけばナザリックの戦力増強につながる可能性は高いとは思われます。しかし、今回の話だけで判断するのも少々心もとなく感じます」

 

「畏れながら、私もそのように思いました。何よりアインズ様の希少なアイテムの力と引き換えにしてまで、手にする必要が今の所感じられません。それに、アインズ様御自ら身につけられずとも、術者であるドラウディロン女王さえナザリックに取り込めばそれで済むことでございます。ただ、それとは別に他の『真なる竜王』がどのような力を持つのかは早急に調べるべきかと愚考します」

 

 アインズは満足げに頷いた。

 

「そうだな。私も二人の意見と同じような考えだった。であれば、始原の魔法については、より詳しい情報が入手出来るまで、しばらく取り扱いは保留ということにする。竜王たちの力についての調査は別途進めることにしよう」

 

「承知いたしました。既にナザリックの配下となっているフロストドラゴン達が簡単な位階魔法しか使えないことを考えますと、評議国の竜王は、彼らとは別格の力を持つ可能性が高いでしょう。場合によっては、ナザリックにとっても大きな脅威になりかねません。ただ脅威としては、女王のお話に出ていたプレイヤーをも殺せる可能性のある神人や大罪人についても注意すべきではないでしょうか。現在も神人が法国に存在しているのかどうか。この点についても調べを進めるべきかと存じます」

 

「ああ、その通りだな。まず、評議国とは近いうちに何らかの形で接触した方がいいだろう。彼ら自身の力を探る意味でも、共存が可能な相手かどうかを調べる意味でもな。法国に関してだが……、アルベド、お前には法国の調査を頼んでいたが、そちらはどのように進んでいる?」

 

「現在、隠密能力の高いシモベによる調査を進めておりまして、周辺地域の探索はほぼ終えてはおります。法国はかなり独自の政治システムを導入しており、秘密部隊による警戒もなかなか厳しいため、首都近郊に関してはまだこれからというところです。ただ、法国は現在エルフの国との戦争が激化しているようで、そちらに戦力の大半を割かれている様子。ですので、エルフの国を利用して法国に侵入することも検討しております」

 

「神人だとか、そのような強者の存在は確認しているか?」

「申し訳ございません。今のところはまだそれらしい者は確認できておりません」

 

 アルベドは申し訳なさそうに深々と頭を下げる。アインズはそれに対して頭を上げるよう軽く手を振った。

 

「よい。アルベド、お前のせいではない。女王の話から察するに、法国に万一そのような者がいるとしても、存在が知れると評議国との戦争になりかねないわけだろう。だとすれば、簡単に存在がわからないようにしていると考えるのが自然だ。アルベド、そのまま焦らず慎重にことを進めよ。もし、神人とやらが実在して、ナザリックにとっても大きな脅威であることと判断した場合は、お前の奥の手を投入することも検討したほうがいいかもしれないな」

 

 アインズのその言葉で、アルベドは会心の笑みを浮かべ頷いた。しかし、デミウルゴスは怪訝そうに眉をひそめた。

 

「アルベド、あなたの奥の手とは一体? 初耳なのですが……」

 

 それを聞いて、この件はデミウルゴスにとっては非常に微妙な話であることをアインズは思い出した。

 

 そもそもアルベドのドリームチームは、他のギルドメンバーを探す目的として結成されたものだ。デミウルゴスがいかに忠義に厚いといっても、それを聞けば心穏やかではいられないに違いない。

 

 ただ、イビルアイの話からすれば、少なくとも今はギルドメンバーはこの世界にいない可能性の方が高い。となると、既に捜索隊としての目的は実質的に失われているようなものだ。むしろ、今後はもう一つの目的である、この世界の強者にも対応できるアルベド直下の遊撃部隊というのが主要な役割になるだろう。

 

 だとすれば、ナザリックの防衛指揮官であるデミウルゴスに、その存在を秘しておくのも問題だ。

 

 仲間に作戦を隠すのも一種の作戦ではあるが、それが元でナザリックが割れる原因になるのはアインズとしては好ましいことではなかった。

 

「ああ、お前にはまだ話してはいなかったか、デミウルゴス。実はアルベドにも多少個人戦力を持たせて、いざという時の遊撃などに使えるようにしておいたほうがいいかと思ってな。高レベルのシモベなどで組織したチームをだいぶ前に与えたのだ。副官にはパンドラズ・アクター。そして、ルベドもチームの一員だ」

 

「……高レベルのシモベはともかくとして、パンドラズ・アクターにルベドですか? 少々過剰戦力のようにも思われますが」

 

「デミウルゴス。この件は、アインズ様が直々にご許可をくださったのよ? あなた、それに口を出すつもりなの?」

 

 アルベドは穏やかに微笑みながらも、若干冷たい視線でデミウルゴスを見る。

 

「いえ、誓ってそのような意味ではありません。アインズ様がお許しになられたのでしたら、私が口を挟むことではありませんでした。お許しください」

 

「いや、構わないとも、デミウルゴス。むしろ、お前にも、もっと早く話を通しておくべきだった。そもそも、ナザリック防衛時の指揮官はお前なのだからな。法国に我々にも対抗しうる戦力が判明した場合や、評議国との交渉が決裂した場合などは、かなりの強者が相手でも対応しうるアルベドのチームに活躍してもらうことになるだろう。その時は、アルベド、よろしく頼むぞ」

 

「承知いたしました。アインズ様のご期待に必ずや応えてお見せします」

 

 アルベドは優雅に一礼し、デミウルゴスは多少思うところはあるようだったが、すぐに頭を下げた。

 

「ところで、アインズ様。ドラウディロン女王は既にナザリック……いえ、魔導国に従属を誓ってはおりますが。今後竜王国は、女王を形だけでもアインズ様の妃の一人にしたいとより強く主張してくるかと思われます。こちらは、いかがいたしましょうか?」

 

 アルベドの声はあくまでも有能な守護者統括に相応しい冷静なものではあったが、アインズに投げかけてくる目つきには何かどす黒いものを感じる。なるべく考えないようにしていたことをつかれて、アインズは黙り込んだ。

 

 本来アインズはただの一般市民でしかない。結婚とは、やはり愛情とかそういうものの上に成り立つものではないだろうか。それを利用するような考え方は、どうにも肌に合わなかった。何より相手にも失礼なんじゃないかという気持ちが拭えない。

 

 ナザリックの利益になることなら、アインズだって何でもするつもりはある。しかし、この件に関してだけは、なんとかごまかして逃げたい気持ちでいっぱいだった。

 

「あー、その件だがな。確かにいずれは考慮すべきだろう。ただ、今のところ、私はまだ誰と結婚するとは決めていな……」

 

 そこまで口に出して、部屋の中の空気が妙に冷え込んだような気がした。

 

 どす黒いオーラを漂わせたアルベドからの視線は、返答次第ではアインズを丸ごと飲み込みかねない雰囲気を漂わせている。おまけに、この件を安易に否定することは、デミウルゴスとの約束を破ることでもある。アインズは慌てて咳払いをしてごまかした。

 

「んん。いや、我が妃については、私も前向きに考えているところだ。しかし、重要な問題だからこそ拙速は避けねばならない。様々なことを考慮したうえで、まずは正妃を正式に決定するつもりだ。だから、その間は竜王国のみならず、誰に対しても具体的な返答をすることは避けるようにしてくれ」

 

「確かに、まずはアインズ様の隣の席に座る方を決めるほうが優先順位が高いと思われます。では、竜王国から問い合わせを受けた場合、当分の間、魔導国からは現在検討中の旨を伝えるに留めておくということで宜しいでしょうか?」

「そうだな。そのように対応してくれ。頼んだぞ、デミウルゴス」

「承知いたしました」

 

 デミウルゴスが恭しく頭を下げるのを見ながら、アインズは先程の話を思い返していた。

 

(竜と人とは交われない……か。しかし、それを言ったら、アンデッドの俺なんてやはり子孫を残すなんてありえないんじゃないだろうか? いざとなったら流れ星の指輪を使うことも考えてはいたが、最低でもアンデッド以外の種族にならないと無理だろう。この二人はその辺りをどう考えているんだろうか? それに、これは恐らく俺だけの問題じゃない。アンデッドは全員生殖能力なんてないはずだ。だから、シャルティアやイビルアイも生殖行為……とか出来ないんだよな? シャルティアを見ているとやるだけは出来なくはない気もするが……。種族的には無理だと考えていいはずだ。多分)

 

 自分自身(アンデッド)はともかく、例えばデミウルゴス、コキュートスといった階層守護者やナザリックの中でも強い力を持つシモベが子どもが作れるなら、将来的なナザリックの戦力強化につながるだろう。デミウルゴスのことだから、その辺りも抜かりなく考えているのだろうが。

 

 本当はアルベドやアウラだって、自分に好意を向けるよりも普通にそういうことが出来る相手を選べばいいのに、とアインズは思う。その方が彼女たちにとっては余程幸せに違いないのに。まあ、アルベドは自分がやってしまったことの結果だから仕方ないのだが……。

 

「ところで、アルベドにデミウルゴス。女王のもう一つの能力についてはどう考える? 聞いた限りではデミウルゴスの持つシェイプシフターに近い能力のようだったが」

 

「そうですね。話の内容から判断すると、ほぼ同等の能力かと思われます。ただ女王の能力は、種族やクラスで身につけるものとは異なり、むしろ竜種族独自のタレントなのかもしれません。他の竜でも同様の能力を持つものはほぼいないそうですし。個人的には、かなり興味深い能力に思われました」

 

「私もなかなか興味深いと思いましたわ。アインズ様があの能力を得られれば、人間のみならず、他のお姿を取ることも自由自在になるかもしれませんし。私としましては、例え一時的とはいえ、アインズ様の麗しいお姿がお変わりになるのは多少不満に思いますが……。でも、どのようなお姿でも、アインズ様をお慕い申し上げることに変わりはございません」

 

 むしろ二倍、いや、三倍美味しいかも、くっふぅ……という謎のつぶやきが聞こえた気がしたが、アインズは聞こえなかったふりをした。

 

「なるほど。二人はあの変身能力に興味を持っているのだな」

 

「畏れながら、その通りでございます。始原の魔法は使用するのにかなりのリスクが予想されます。しかし、女王の変身能力であれば、アンデッドであるアインズ様のお世継ぎを得られる可能性も高いかと。それはナザリックにとって非常に大きい利益といえます。何より、アインズ様のお世継ぎは、我々ナザリックのシモベ全てが待ち望んでいること。アインズ様に願うのは不敬とは存じますが、なにとぞご考慮いただきたく思います」

 

「私もアルベドと同意見です。私もこれまで様々な手法で異種族交配について調べてまいりましたが、これまでのところ、私の検証結果と女王の見解とはほぼ一致しております。比較的種族が近い人間種と亜人種ですら簡単には参りません。種族特性や形態が大きく異なるものほど、やはり交配は難しいという結果になっております。一応人間形態であるセバスとツアレですら、いまだ子どもが出来る気配はないようですし。我々守護者が子孫を残せるのかは、今後のナザリックの戦力強化の意味合いとしても無視できない問題でもあります。アインズ様の希少なアイテムをお使いいただくことにはなりますが、この実験自体は、決してナザリックの不利益にはならないと思われます」

 

(あ、やっぱり、あの二人そうなんだ……。それに、デミウルゴス、一体いつの間にそこまで詳細に調べてたんだ?)

 

 聖王国で見かけた惨状を思い返して、若干遠い目をしたくなる。しかし、交配実験自体は様々な種族の寄り集まりであるナザリックにとって重要な案件ではあるし、全ての種族の共存を謳う魔導国にとってもいずれ問題になるだろう。だから、アインズとしても交配実験自体に反対するつもりは全くない。

 

 だが、デミウルゴスの力の入れようは、むしろアインズになんとしてでも子どもを作らせようという強固な意志のせいとしか思えなかった。

 

 アインズは忠臣の真面目な顔つきを眺めながら、密かに出ないため息をついた。

 

 ドラウディロン女王は、当初の約束でもあるし、国が守れるのなら両方の能力を捧げてもいいといっていた。どちらの能力もレアとして興味深いものだ。しかし、それ以上のものではないような気もする。今後もっと有用な力を得る機会があるかもしれないし、その時に流れ星の指輪が使えないのも困る。

 

(使うに使えないなら、持っていても意味がないか。ドラウディロン女王の言う通りかもしれないな)

 

 アルベド、シャルティア、アウラ、ドラウディロン女王。それから……イビルアイ。

 

 目の前にいる二人が、自分の結婚相手の候補としてカウントしているのはこのくらいだろうか。もしかしたら、プレイアデスも含めている可能性もあるから、そうなると、少なくとも十人以上は候補がいることになる。

 

 もしかしたら、その他にもいるのかもしれないが、これ以上はアインズは考えに入れたくもなかった。

 

 なんで、リアルでは恋人らしい相手など全くいなかった自分が、こういう骨しかない身体になった後に、こんなことで悩まなくてはならないんだろう。しかも、相手を一人に絞ってその相手とだけというならまだいい。同時に複数と関係を持つなど、正直アインズには理解の範疇外だった。

 

(ペロロンチーノさんだったら、喜ぶんだろうが……)

 

 アインズは、流星の指輪をじっと見た。残り二つ。何を願うのかは非常に重要な選択だ。

 

 そして、アインズは今の段階で指輪をすべて使い切る決心はつかなかった。

 

 別にこれを入手するのに費やしたボーナスが惜しいとか、そういう訳ではない。むしろ、今後ナザリックを襲うかもしれない危難への切り札として、多少は残しておかないと安心できないという貧乏性の方だ。

 

 宝物殿にはやまいこの残したもう一つの指輪が残されている。やまいこには好きに使って欲しいとも言われた。しかし、アインズには友人たちが残した数々の希少アイテムや装備に手をつける勇気はなかった。

 

 ――なんでなんだろうな……。多分、俺は、皆がもう戻ってこないと認めるのが怖いのかもしれない……。

 

『わたしでは駄目か?』

 

 アインズがショックで動けなくなっていた時に、イビルアイがそう必死に訴えていたことを思い出し、アインズの心のどこかに鋭い痛みと、それ以上に暖かい何かを同時に感じた。

 

(俺は……ギルメンを……大切な友人たちを諦められるのか……? それとも、これからもどうしようもない感情を抱えたままひたすら待ち続けるのだろうか……。それこそ、何百年も……下手すると何千年も?)

 

 その年月は、いくらアンデッドになってしまったアインズにとっても途方もない年月のように思われた。

 そして、その間、ずっと自分は一人で孤独に行きていくのか、それとも、誰かと一緒に……。

 

 いくら考えても答えは出ない。少なくとも、今はまだ決心などつかない。

 

 アインズは、目の前にいる二人を見つめた。NPC達は自分のために尽くしてくれている。自分が今こうしていられるのも、全て彼らのおかげだといっていい。だとしたら、彼らの望みは可能な限り叶えてやりたいと思うのは当たり前だ。

 

 少なくとも何らかの変身能力のようなものがあれば、デミウルゴスとの約束だけは果たせるかもしれない。それに、変身能力を容易く身につける方法を編み出すことができれば、デミウルゴスが主張するように、ナザリックの愛し子たちが子孫を残せる可能性も出てくるかもしれない。むしろ、そちらの方が大事なことだろう。問題は、いかに容易くそれを可能にするかだが。

 

(どうせ、こいつらは、俺の方が優先だって言うんだろうしな……)

 

 しばし考えを巡らせたが、結局どうすればいいのか全く思いつかない。アインズはようやく重い口を開いた。

 

「そうだな。お前たち二人の意見はよくわかった。この件については、もうしばらく、じっくり考えさせてくれ。どのみち急ぐことではあるまい。それと評議国との接触方法や、交渉についての案を検討してくれ。彼らとは可能なら穏便にことを進めたい。それを前提とした草案を作成して欲しい」

 

「畏まりました。アインズ様の御心のままに」

 

 アルベドとデミウルゴスは、アインズの返答に口を挟むことはなく、そのまま恭しく一礼した。

 

 

----

 

 

 二人が出ていった後も、アインズは人払いをした執務室にこもって、しばらく頭を悩ませていた。

 

 アルベドもデミウルゴスも、何があっても自分に誰かと結婚させたいし、どんな手段をとっても、世継ぎを得ようとしているらしい。もちろん、アルベドは、当然その相手というのは自分だと思っているに違いない。

 

 アインズは既に無い胃が痛むような気がする。アルベドに対してやってしまったことへの罪の意識から。これまでずっと、アルベドときちんと向かい合おうとしてこなかった罰なのかもしれない。

 

 もちろん、アインズだって、アルベドのことが嫌いなわけではない。

 

 新米支配者の頃から、有能な補佐として、アインズのために必死に働いてきてくれた。多少暴走することはあったとしても。おかげで、アインズはナザリックのことはある程度アルベドに任せ、ナザリック外で冒険者として活動することもできた。

 

 なにより、あの容姿は鈴木悟の男としてまだ多少残っている性欲を微妙に刺激されるものでもある。もっとも、いつも、アルベドに強引に迫られてそんな気分も霧散してしまうのだが……。

 

 いっそ誰かに相談したいところだが、国一番の美女に迫られて困っていますとか、結婚相手がたくさんいて困ってますとか、そんな話を一体誰がまともに聞いてくれるだろう。それにそもそも、アインズの相談相手になってくれそうな人物すら思いつかない。

 

(いっそ、あいつに相談するか……。少なくとも、他のシモベよりは俺に忌憚のない意見をいってくれそうだしな)

 

 苦渋の決断をしたアインズは、自らの黒歴史に会うべく、エ・ランテルの元都市長の館の別館へとフォアイルを連れて出かけた。

 

 



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恋の迷路(後編)

 あらかじめ〈伝言〉で連絡していたせいか、パンドラズ・アクターは館の入り口でアインズを出迎え、中に招き入れた。

 

 パンドラズ・アクターのいつもと変わらない態度で、アインズはこのところ張り詰めていた気持ちが若干緩んだ。派手派手しい気障な仕草も、今日はいくぶんマシに思える。もしかしたら、パンドラズ・アクターなりにアインズに気を使っているのかもしれない。

 

 応接室に入ると人払いをし、アインズはいつもどおり上座に腰を下ろす。そして、躊躇なくパンドラズ・アクターもアインズのすぐ隣に座り込む。いつもなら多少引くところだが、今日はそういう気安い存在がありがたかった。

 

 だが、さしものアインズも、何と言ってパンドラズ・アクターに相談していいのか、とっさに思いつかない。

 

 考えあぐねたアインズはだらしなくソファーにより掛かった。高級なソファーは音もなくアインズの身体を受け止める。こうやって人目を気にせず振る舞えるだけでも、ここに来た価値はあるように思う。そもそも一応親にあたる立場のはずなのに、子どもに結婚だの子づくりの相談をするのはアウトなのではないだろうか。

 

 なかなか話を切り出そうとしないアインズを不思議に思ったのか、パンドラズ・アクターが先に口を開いた。

 

「どうかなさいましたか? 父上。かなりお疲れのようですが」 

 

 冷静に指摘されて、アインズはようやく自分が精神的にかなり参っていたことに気がついた。

 

「ああ、今いろいろと立て込んでいるからそのせいだろう」

「立て込んでいるといいますと、お妃騒動の件ですか?」

「……まぁ、そうだな。正直どうしたらいいのか、考えあぐねている。なあ、パンドラズ・アクター。お前もこんなことを聞かれると困るとは思うのだが、俺はどうするべきだと思う?」

 

 パンドラズ・アクターは軽く首を傾げてアインズを見ていたが、無表情な埴輪顔のままでくすりと笑った。

 

「父上の思うようになされば良いのではありませんか?」

「俺の思うようにと言われてもな……」

 

「別に誰かにいわれたとか、そういうことに父上が縛られる必要などないと思うのですが。例えデミウルゴス殿にお世継ぎを見せて欲しいといわれたからといって、ナザリックの支配者である父上が、心を曲げてまでお作りになる必要などないでしょう」

 

「しかし、俺はデミウルゴスに約束をしたんだ。パンドラズ・アクター、約束を反故にするのはやってはいけないことだと思わないか?」

「それとこれとは話が別です。これは父上自身の問題なのですから。そもそも、父上は本当にお世継ぎを望んでいらっしゃるのですか?」

 

 パンドラズ・アクターに尋ねられ、アインズは自分がそのようなことを真剣に考えたことなど、一度もなかったことに気がついた。

 

「わからない。どうなんだろう? ……俺はずっと自分が結婚するなんて思ってなかった。だから、子どもを持つなんて、自分には関係ないしありえない。そんな風に考えていた気がする」

 

「――父上はなぜ、そのようにお考えだったのです?」

 

「なぜ? なぜかな……。理由すら考えてみたことはなかった。多分、自分の未来に興味がなかったのかもしれない。どのみち、ただ生きて死んでいくだけの人生にしか思えなかったから」

 

 自嘲気味につぶやくアインズを見ながら、パンドラズ・アクターは珍しく黙り込んだ。しかし、少しして、アインズの顔を覗き込むように言った。

 

「今もそのようにお考えなのですか?」

「…………」

 

 アインズの脳裏には、全く夢も希望も存在しないリアルの現実と、この世界に転移してきてからの様々なことが走馬灯のように駆け巡る。

 

 リアルに関しては、うっすらとした絶望感と諦めきった自分がいたことがほのかに思い出されるだけだ。ユグドラシルにインして、仲間たちと共に世界を冒険することはとても素晴らしかった。あの輝きだけはアインズの胸のうちに強く残っている。しかし、それは過去の栄光のようなもの。もはや喪われて久しい……、他の誰も振り返らない……栄光。

 

 そう考えると、ある意味、生ある人間をやめてしまったはずの今の方が、むしろ生きていると感じられなくもない。多くの者たちと出会い、そして別れ、仲間の愛し子達と国をつくり、新しい未来に向かって進もうとしているのだから。

 

「父上は皆に愛されているのですよ。それはおわかりですか?」

 

 アルベドが、シャルティアが、アウラがアインズに向かって微笑みかけ、愛の言葉を囁いていくのを幻視する。そして、仮面を被った少女も……。

 

 本当に自分は愛されているんだろうか。

 愛していると言われても、それを言葉通りに信じてもいいのだろうか。

 モモンガさんになら任せられる。

 そう笑顔でいっていた人たちは、皆自分から去ってしまったというのに。

 

 アインズは軽く頭を横に振って、おそらくこの世界の中で一番自分が信頼出来るはずのNPCを正面から見つめた。

 

「――パンドラズ・アクター、俺はどうしたらいいと思う?」

 

「父上の御心のままになさるのが宜しいかと。ただ、これだけは申し上げておきます。父上が何を選択されても、何を望まれても、私は父上の味方です。例え、ナザリック全てが敵に回ろうと、至高の御方々が父上に刃を向けることがあっても、私だけは父上のお側で戦いましょう」

 

 パンドラズ・アクターの静かな声には、いつもの大仰なところも、妙に格好つけたところもなかった。

 

「そうか。ありがとう、パンドラズ・アクター」

 

 なんとなく、みっともないところを息子に見せたような気がして、アインズは照れ隠しにパンドラズ・アクターの軍帽の上から頭をぐちゃぐちゃに撫でた。パンドラズ・アクターもまんざらではなさそうな様子でされるがままになっている。

 

 やはり自分のことなのだから、自分で決めるしかない。しかし、アインズの心は、ここに来る前よりも多少明るくなっていた。

 

「それでは、邪魔をしたな。お前も何かと忙しいのだろ? そういえば、先日発見されたプレイヤーの住居跡の調査結果はどうだった?」

 

「改めて念入りに調査いたしましたが、価値あるアイテムの類などは残されていませんでした。恐らく、イビルアイが発見した日記以外は本人が持ち去ったか、もともと大したものを持っていなかったのでしょう」

 

「まぁ、そうかもな。あそこのギルドはもともと物に固執するタイプではなかった。それに拠点ごと来たわけでもないのであれば、アイテムなどは手持ちのものしかなかっただろう。であれば、全て自分で持ち歩いていたと考えるのが妥当だろうな。ご苦労だった」

 

「いえ、とんでもございません。そういえば、冒険者組合では、父上が蒼の薔薇に先日の報奨として下賜された武器の話でもちきりですよ。他の冒険者たちもずいぶんやる気になったようです。やはり、身近なところに目標があるというのがよいのでしょう。流石は我が父上。人心の掌握に長けておいでですね」

 

「いや、そんなことはないさ。しかし、朱の雫が来てくれたおかげで、魔導国の冒険者組合もかなり層が厚くなった感があるな。彼らはどうしている?」

 

 パンドラズ・アクターは非常に微妙な表情になった。とはいっても、アインズと同様、表情が面に出る種族ではないから、なんとなくそんな気がするだけだ。

 

「なかなかの人望を集めています。なにしろ、現時点の魔導国の冒険者の中で、彼らほど豊富な経験があるものはおりませんし。能力も人柄も際立っていると申せましょう。年齢的な問題で、遠からず冒険者自体は引退するつもりのようですが、アインザックはいずれ組合の運営にも協力してもらいたいようです。ただ、その……、リーダーのアズスは少々変わった趣味があるようで……」

 

「ふぅん? そうなのか? 俺が会ったときは特にそんな感じはしなかったがな。何か困ったことでもあるのか?」

 

「あぁ、父上にはそうかもしれませんね。大丈夫です。適当にあしらっておりますし、なるべく近寄らないようにしております。何といっても、モモンは父上がお創りになられた英雄ですから。イメージを損なうようなことがあってはいけませんので!」

 

 パンドラズ・アクターが何を言っているのか、アインズには微妙に理解出来なかった。だが、総合的には好意的に受け取っているようだし、とりあえず大丈夫なのだろう。本当に問題があれば、早めに何らかの報告をしてくるはずだ。

 

 いくら黒歴史といえども、パンドラズ・アクターの人あしらいの上手さには、アインズも全幅の信頼を置いている。当初あれだけ市民から反発されたエ・ランテルの統治が、予想よりもかなり早い年月でスムーズに回るようになったのは、パンドラズ・アクターの働きがあってのものなのだから。

 

「そうか。それなら良かった。では、そろそろ帰るとしよう。思いがけず長居をしてしまった」

 

 アインズがソファーから立ち上がろうとした瞬間、パンドラズ・アクターからいきなり腕を掴まれた。

 

「父上、少しお時間をいただいてもよろしいでしょうか? いくつかご報告したいことがございます」

「あ、ああ、もちろんだ。お前のことだ。大切な話なのだろう?」

 

「はい。実は、私、デミウルゴス殿に頼まれまして、学校等で使用するための廉価な紙を作成しようと、効果的な製紙法の研究を行っておりまして」

「ふむ、確か、この世界では生活魔法で作成しているとかだったな。やはり、それでは必要数には足りないのだな?」

 

「学校教育用の教科書作成に必要となる量を試算しましたところ、現在の現地民の魔法による生産量ではかなりの不足が生じます。また、一般に文字を普及させるためには、廉価な紙が大量に流通させる必要があるかと思われます。最初は十分な術者を確保できれば問題ないかと思いまして、ナザリックにいるエルダーリッチに、製紙魔法を習得させようと試みたのですが……。やはり彼らには、新たな魔法の習得は不可能のようですね」

 

「なるほどな。それで何か解決方法は見つかったのか?」

「父上、こちらを御覧いただけますか?」

 

 パンドラズ・アクターが取り出した数枚の紙は、ゼロ位階魔法の紙よりも遥かにきめ細かく上質だが、ナザリックで使われている紙に比べると若干荒く僅かだが色がついている。しかし、本や書類等で日常使用する分には問題ないように思われた。

 

「これは、魔法で作られたものではないのか?」

 

「違います。最古図書館(アッシュールバニパル)の資料から見つけました古の製紙法を試してみましたところ、魔力を使用しない紙の作成に成功したのでございます。これであれば、原料さえあればいくらでも作成可能ですし、主原料も普通の木材ですので、容易に入手可能です。実作業はスケルトンをお借りできれば問題ないかと存じます。父上のご許可さえいただければ、これを大量生産して外貨収入及び、魔導国内での使用に当てたいと考えております」

 

「ふむ、それはなかなかいいアイディアだな……。ちなみに、これはスクロールの原料には出来なかったのだよな?」

「左様でございます。第一位階用にすら出来ませんでした」

 

 スクロールに使用できないのは残念ではあるが、外貨収入につながるという話は、アインズにとって非常に喜ばしく思われる。なにしろ国の運営にもナザリックの運営にも資金はいくらあっても足りないのだから。ただ、古の製紙法という言葉で、アインズは以前ブルー・プラネットから聞いた話をふと思い出した。

 

『モモンガさん、知っているかい? リアルの環境が汚染された原因の一つは、紙の作成に大量の自然の木材を使用したせいなんだ。その結果、森の面積が減り続けたことで自然災害が増え、環境破壊につながったのさ。全く、人類というのは愚かだと思わないか?』

 

(そういうことを、この世界でも繰り返しちゃ駄目ですよね、ブルー・プラネットさん)

 

 ただ、どうすればこの世界を美しいまま保つことが出来るのか。アインズの頭では対策など思いつかない。むしろ、その点はパンドラズ・アクターに考えさせたほうが、自分の頭で考えるよりもより良い答えを出すに違いない。

 

「パンドラズ・アクター。木材を使用した製紙法には問題があって廃れたという話を聞いたことがある。木材を使用しすぎることで自然のバランスが崩れ、結果として世界が滅びかねない状況にまで追い込まれることもあるというのだ。俺としては、そのような事態は避けたいと思う。良い回避策はないか?」

 

 パンドラズ・アクターは即座に頷いた。

 

「その点は既に考慮しております。原則として、ドライアードやドルイドの力を用いてそれ専用の森を作り、使用する木材量自体も限定すれば、父上のご心配なされている問題は回避出来るかと。それと製紙法に関しては、あくまでも他国に流出させず、ナザリック限定で行えばいいでしょう」

 

「それはなかなか上手い手だな。パンドラズ・アクター、そこまで考慮しているなら俺から言うことは特にない。場所の選定についてはアルベドやマーレとも協議して決めるように」

「畏まりました。父上、ありがとうございます」

「ふむ。話はこれで本当におしまいということでいいか?」

 

 今度こそ帰ろうとアインズは立ち上がりかけると、再びパンドラズ・アクターに腕を掴まれた。

 

「あ、父上、もう一つお話が……」

「……まだ、何かあるのか? パンドラズ・アクター」

 

 どうして、こいつは気軽にこういうことをするのか。うっとうしくなったアインズは軽く手を振り払った。

 

「実は、蒼の薔薇のラキュースがモモンに好意を持っているようなのですが、いかがいたしましょうか?」

「…………えっ?」

 

 そういう可能性など全く考えていなかった。そもそも、ラキュースにそんな雰囲気があっただろうか。王国で最初に出会ってからのことを思い返すが、アインズには心当たりがなかった。

 

「やはり、モモンは父上の影武者ですから。まず最初に父上のご意向を確認するべきだと思ったのですが……」

 

 パンドラズ・アクターは可愛らしく首を傾げている。しかし、のっぺりした埴輪顔でそんなことをやられてもアインズの中での黒歴史度が上がるだけで、ちっとも可愛いらしいとは思えない。

 

「……お前さぁ、さっきまでの話を聞いておいて、俺がそんなことを答えられると思っているのか?」

「難しいかもしれませんね」

 

 さらっと答えられて、アインズはかなり苛ついたが、飄々としたパンドラズ・アクターには悪気はなさそうではある。それに、確かにモモンの振る舞いについて、自分に確認するのはもっともだ。あくまでも上司に対する報連相の類としてだが。

 

「――ラキュースに関しては、お前の判断に任せる。モモンとして適切に対応しておけ。ただし、ラキュースは貴重な人材だ。なるべく面倒ごとにはならないようにな」

「畏まりました。我が父の仰せのままに!」

 

 再び大仰にお辞儀をするパンドラズ・アクターに、アインズはがっくりと肩を落とした。

 

 

----

 

 

 パンドラズ・アクターの館から出てきたアインズは、すぐにナザリックに戻る気にもなれず、そのまま、夕暮れ時のエ・ランテルを少し散歩することにした。

 

 何の足しにもならないかもしれないが、こうして街を歩けば、少しでも現状の問題を解決するアイディアが浮かぶかもしれない。

 

 それに、アインズは少しずつ様々な種族が増え、街並みが整っていくエ・ランテルの街を見るのが好きだった。ユグドラシルでは悪名高いアインズ・ウール・ゴウンではあったが、元々は虐げられることの多い異形種の互助会のような集団だったわけだから、今の魔導国の姿は、ある意味それの理想形だともいえるだろう。

 

 そんな風に考えると、いつの日かこの地に他のギルドメンバーが降り立ったとしても、この国に満足して受け入れてくれるに違いない。

 

(誰かが来てくれると思うのは、単なる俺の我儘な望みなんだろうけどな……)

 

 アインズが通りを歩くと、自然と人々はアインズのために道をあけ、道路の端から畏敬の念がこもった目で見ている。まだ、稀に恐怖の視線を感じることもあるが、初めてエ・ランテルの街を歩いた頃に比べれば、全く気にならないレベルだ。

 

 いつものように、足は自然と冒険者組合に向かいそうになる。しかし、あまり頻繁に訪れるのもよくないだろう。アインズはしばし考え、数年前にイビルアイと過ごした公園にいってみようかと思いついた。

 

 ――あの公園はなかなか雰囲気がよかった。あの場所で少しのんびりすれば、気晴らしになりそうだな。なぜ、今まで思いつかなかったんだろう?

 

 久しぶりに訪れた夕暮れ時の公園は、以前と変わらずきちんと手入れされており、そこだけがゆったりとした時間が流れているようにも感じさせられた。人影はほとんどなく、木々の静かなざわめきと、かすかに響く噴水の水音だけが周囲を支配している。

 

 ちらりとずっと伴をしてくれているフォアイルを見ると、特に公園の美しさに心惹かれている様子はない。

 

 ナザリックの第九階層にある公園に比べれば、確かに見劣りはするかもしれない。だが、あの場所の美しさはあくまでも造られた美しさで、ここにある本物とは全く違うものだ。しかし、ナザリック至上主義なメイドからすれば、そんなことはどうでもいいのだろう。

 

「フォアイル、あちこち連れ回してすまないな。疲れたのではないか?」

「いえ! そんなことはございません。それに、アインズ様の赴かれるところであれば、どこまでもお供させていただくのが私の仕事ですから!」

 

 キラキラした瞳で元気よく返事をされて、アインズは多少引いたが、どのみちこういう答えが返ってくることは予想の範疇だ。返事の代わりに軽く頷くと、どこか適当に座れる場所を探しつつ公園の中をゆっくりと歩いた。

 

 見覚えのある小さな噴水の近くまで来た時「ふぇっ!?」というおかしな声が聞こえ、反射的にアインズがそちらを見ると、ベンチに腰をかけているイビルアイがいた。

 

 思いがけない出会いにアインズも一瞬頭が真っ白になる。

 

(こういう場合、どうすればいいんだろう。軽く挨拶でもして立ち去るのがいいのか? それとも、……隣に座ってもいいかとか聞いてもいいものなのか?)

 

 焦ったアインズは何を言ったらいいのかもわからず、かといって、イビルアイから目を離すことも出来ずにその場で立ちつくした。

 

 イビルアイもどうしたらいいのかわからない様子でわたわたしていたが、慌ててベンチから立ち上がるとアインズにぎこちなくお辞儀をした。

 

「あ、あの、アインズ様、どうしてここに……?」

「ん? いや、まぁ……、少し気晴らしにな。イビルアイこそ、どうしてここに?」

 

 アインズは何気なく聞いたつもりだったが、イビルアイは明らかに動揺したようだった。

 

「えっと……。その、時々来てたんです。エ・ランテルに来てからずっと。……この場所がとても好きだから」

 

 イビルアイのその言葉で、あの時のことがはっきりと思い出される。そういえば、あれは、アインズにとっては初めての異性とのデートだったのだ。何ともいえないふわふわした気分が沸き起こり、思わず胸がいっぱいになるが、次の瞬間高揚した気分が失われ、アインズは心の中で舌打ちをした。

 

 アインズは側に控えているフォアイルにしばらく席を外すように命じ、イビルアイに向かい合った。

 

「そうか。私もこの場所は好きだ。とても気持ちのいい場所だしな。イビルアイ、そこに座っても構わないか?」

「も、もちろんです。どうぞ」

 

 イビルアイはベンチの脇に移動し、アインズのために場所をあけた。

 

(ええ? 俺が一人で座るというつもりじゃなかったんだけど……。これって俺が座るように言わないと駄目なんだろうな、やっぱり)

 

「イビルアイ、お前も座ったらどうだ?」

 

 アインズはイビルアイに座るように自分の隣を軽く指し示す。イビルアイは軽く頭を下げて素直にアインズの隣に座った。

 

 イビルアイの仮面に隠された横顔を見ていると、数年前の複雑な気分を思い出すが、なんとなく二人でこんな風にベンチに座って穏やかな夕暮れの風景を眺めるのも悪くない、とアインズは思う。

 

 それに、あの時二人で過ごしたこの場所でなら、イビルアイの故郷で無理やりキスしてしまったことを素直に謝れそうな気がした。

 

「イビルアイ、その……、私はお前に謝らなければならないことがあるのだが……」

 

 仮面で隠れていてよくわからないが、アインズのその言葉でイビルアイが戸惑っているように見える。

 

「もしかして、私はアインズ様のお気に触るようなことをしてしまいましたか?」

 

「いや、そうじゃない。先日、私は何の断りもなく、お前にあんなことをしてしまって……。まず最初に、きちんとお前の意志を確認してからするべきだった。嫌な思いをさせてしまったな。本当に悪かった。許してくれ」

 

 イビルアイは一瞬言葉を失ったようだった。アインズを呆然としたように見ていたが、みるみるうちに仮面の脇から見えている耳が真っ赤に染まっていく。

 

「……アインズ様のバカ!!!」

 

 振り絞るような声で、思いっきりイビルアイに怒鳴りつけられ、アインズは硬直した。

 

 間違ったことをしたから謝っただけなのに、どうしてここまでイビルアイは激昂しているのだろう。もしかして謝り方が足りなかったんだろうか。

 

 イビルアイの手は怒りのせいか、ぶるぶると震えている。

 

「どうして……? どうして謝るんですか!? 私は、あの時、ものすごく嬉しかったのに……。それとも、アインズ様には、つまらない、ただの……気まぐれだったとでも……いうんですか?」

 

 イビルアイの声は怒鳴り声から、だんだん少しずつ泣き声に変わっていく。そして、アインズのローブの胸元を掴んで、そのまま本当に泣き始めた。

 

「い、いや、そうじゃない。そうじゃなくて……。私はお前に断る余地を与えなかった。でも、ああいうことは、お前にそういうつもりがあるのかとか、やってもいいのかとか。……最初に聞いてからやらないといけないことなんじゃないのか?」

 

 イビルアイのすすり泣きはアインズの心にも深く突き刺さり、自分がなにか大変なヘマをやらかしたことを感じざるを得なかった。

 

「イビルアイ、頼む。泣かないでくれ。お前を傷つけようと思って言ったわけじゃないんだ。すまない。私はこういうことは無知で、よくわからないんだ。だから、お前を傷つけてしまったんじゃないかとずっと不安だった……。それなのに、余計なことを言って、もっと傷つけてしまったのか……?」

 

 アインズは恐る恐るイビルアイの背中に骨の手を回した。払いのけられるかと思ったが、イビルアイはそうはせずに、そのままアインズの胸元をより強く掴んでしがみついてきた。

 

 そのまま、イビルアイに何と声をかけたらいいのかもわからず、アインズは静かにイビルアイの背中を撫でた。

 

 しばらくしてイビルアイの泣き声が少しずつ小さくなり、それから、ようやくイビルアイは顔を上げた。なんとなく、仮面の下から睨みつけられているような気がして、アインズは少しひるむ。

 

「――アインズ様。私は、前にアインズ様を好きだと申し上げました。それは覚えていますか?」

「……? もちろん、覚えている」

 

「諦めたりしないとも申し上げました。それも覚えていますか?」

「……ああ、そうだったな。確かにお前はそう言っていた」

 

「だったら! どうして、おわかりにならないんですか!? 私は本当に……本当に、幸せだと思ったのに……」

「イビルアイ……」

 

「アインズ様が、近々どなたかを娶られるということは知ってます。それに、私などが食い込める余地などないことも。でも……、だからこそ、私は……、あの時アインズ様から賜った慈悲を、自分だけの大切な宝物のように思っていました。それを否定されたら、私は……一体どうしたらいいんですか?」

 

 切々と訴えるイビルアイの言葉で、ようやくアインズは自分が何を間違えたのか理解した。何一つ自分がわかっていなかったことも。

 

「イビルアイ、私が間違っていた。許してくれ。いや、謝って許してもらえることじゃないかもしれないが。私は、あの時決して軽い気持ちでお前にキスをしたわけじゃない。私は……お前を大切に思っている。愛とかそういうのなのかはよくわからないが、それは嘘じゃない。……それに、確かに誰かを娶るという話はあるが、別に相手が誰とか何一つ決まっているわけじゃない。そもそも、私は自分がどうしたらいいのかすらよくわかっていない。ただ、皆にそうするよう望まれて、そのまま押し切られてしまっただけなんだ。……本当に情けない男だな、私は」

 

 アインズは本心からそう思い、右手でイビルアイの頭を優しく撫でながらつぶやいた。

 腕の中にいるイビルアイがもぞもぞと動いて少しくすぐったい。でも、ようやく気分が落ち着いてきたように見えて、アインズはほっとした。

 

「……アインズ様は、どなたかを愛されているというわけじゃないんですか? アルベド様とか」

「愛していないというわけじゃない。ただ、何というか、アルベドは友人の大切な娘という意識が強くてな。だから、結婚するのかと言われると、少し違う気がするんだ」

 

「そうなんですか……。じゃあ、アウラ様とかシャルティア様とかは?」

「そうだな。あの二人はアルベドよりも強くそう思う。特にアウラはまだ子どもだし。ちゃんとした一人前の大人になるまで育ててやらねばとも思っている」

「…………」

 

 何かをいいたそうにしたが、イビルアイはそのまま黙り込んだ。

 

「それに、皆が私に相手を決めて結婚するようにいうのは、私の世継ぎが欲しいからだ。しかし、私はアンデッドなのだから、子どもなど作れるはずがない。イビルアイ、お前だってそうなんだろう?」

「もちろん、そうです。私の冷たい身体では、万一子どもを授かったとしても子どもが育つわけがない。ただ、私はぷれいやーであるアインズ様なら、何か方法をご存知なのかと思っていました」

 

「……まぁ、確かに方法が全くないというわけではない。ただ、私は、そもそも自分が子どもが欲しいのかどうかもよくわからないんだ。そんな者が無理やり子どもを作って何になるんだ? 妻を持つのも、子を為すのも、国の支配者としての義務だと言われればそれまでなのだが……」

 

 アインズは自嘲気味に苦笑した。そもそも、こんな自分が国を支配するなどということ自体間違っているんじゃないだろうか。

 

 自分の中の考えに沈んでいた時、ふいに、自分の口元に何か柔らかいものが押し当てられるのを感じる。気がつくと、仮面を外したイビルアイが自分の唇も何もないただの歯に唇を軽く押し当てていた。そして、ゆっくりとそれを離す。イビルアイの赤い目がいたずらっぽく輝いていた。

 

「これでおあいこです、アインズ様。でも、私は謝ったりしないですから!」

「!?」

 

 慌ててアインズは手で口を抑えた。イビルアイが楽しそうにくすくすと笑っている。

 

「もしアインズ様が子どもを作られるのなら、私はとても嬉しいし、その子を抱いてみたい。私にはアインズ様の子どもを作ることなんて出来ない。でも、その子を可愛がるくらいは……私にも許していただけませんか?」

 

 イビルアイは屈託のない笑顔を浮かべていたが、どことなく寂しそうにも見えた。イビルアイはなりたくてアンデッドになったわけではない。軽い冗談めかして言ってはいるが、もしかしたら、そんなイビルアイこそ、ただの人間として自分の子どもを育て、死んでいきたいのかもしれない。

 

 異形種の自分やナザリックのシモベとは違い、人間の寿命など儚いものだ。今は何かと付き合いのあるエンリやンフィーレア、そしてアインザックも、皆、遠からず別れる日が来るだろう。そして、人としての生を選ぶなら、イビルアイだって……。

 

 そう考えるだけで、アインズの胸は何かに締め付けられるような気がする。

 

 イビルアイがずっと側にいてくれると言ってくれたからこそ、あの時、自分は絶望から立ち上がれたのだ。しかし、それで望まない人生を送らせるのは本当に正しいことなのだろうか。

 

 自分の持つ切り札を使えば、イビルアイをアンデッドの身体から開放することは出来るはずだ。何が正しいのか、もはや判断するのも難しいが、なんとなくアインズはイビルアイの望みなら一つくらい叶えてやってもいいような気がしていた。

 

「イビルアイ。一つだけ聞いてもいいか?」

「なんでしょうか?」

 

「もしも……、もしもだぞ? お前がもう一度人間に戻れるとしたら、お前は戻りたいか?」

 

 イビルアイは小さく息を飲んだ。

 

「人間に戻れば、恐らくお前は普通に美しい女性として成長し、そして、自分の子どもだって作れるようになれるだろう。もしそういう機会があったとしたら、お前はそうしたいと願うか?」

 

 イビルアイが逡巡したのはほんの僅かな間だけだった。そして静かに頭を横に振った。

 

「私は別にそういうことを望んではいません。私はこの身が滅びるまで、吸血姫(アンデッド)として生きていくつもりです。それが私の生きる道ですから」

 

「そうか……。お前は自分の信念を貫くつもりなんだな。とても羨ましいし、憧れるよ」

 

 イビルアイははにかむように微笑んだ。

 

「そんなことはないです。それに、私はアインズ様をとても尊敬しているし、憧れてますから。それに約束したでしょう? ずっとアインズ様のお側を離れないと。人間になったら、それが出来なくなりますから!」

 

「ああ、そうだったな。側にいてくれると約束したもんな。ありがとう、イビルアイ。俺は少しどうかしていたのかもしれない」

「……そんなに御相手に迷うなら、私と結婚してくださってもいいんですよ? もっとも、お世継ぎは出来ませんけど!」

 

 冗談めかしてイビルアイはそういうと、再び外していた仮面をつけた。

 

「はは、それも悪くないかもな。どのみち、私だって子どもなど作れないのだから、同じことだ」

 

 イビルアイは楽しそうに笑い、アインズもそれを見て、悩んでいたのが嘘のように明るい気分になり、笑い声をあげた。

 

 気がつくと、辺りはすっかり暗くなろうとしている。それに気がついたのか、イビルアイは慌てて立ち上がった。

 

「それじゃ、アインズ様、私はそろそろ戻ります。これ以上遅くなると、他の連中にお腹が空いたと文句を言われてしまう。お会いできて嬉しかったです」

「いや、私もお前と話が出来て楽しかった。気をつけて帰るといい」

 

 ペコリと頭を下げ、イビルアイは急いで公園から歩き去っていく。

 

 その迷いのない後ろ姿を羨ましく思いながら見送ると、アインズは出ないため息をついた。結局これだけ考えても、何一つ決められない自分に少々腹が立つ。

 

 しかしながら、そう簡単に答えが出るなら苦労はしないだろう。どのみち、アインズはそれほど優秀な人間ではない。もしかしたら、明日になればいい考えが浮かぶかもしれないのだ。

 

 半ばやけになったアインズは、未来の自分が今の面倒事を解決してくれることを信じて、全部丸投げすることに決めた。

 

 

 

 

 

 




キャスト様、誤字報告ありがとうございました。
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幕間話を最後までお読みくださいまして、ありがとうございました。

大変申し訳ないのですが、当分書く時間がとれないため、次回の更新は早くて秋ぐらいになってしまうかもしれません。なんとか14巻発売前には完結させたい気持ちはあるのですが、今の所いつまでそうい状態になるのかスケジュールが読めず…。
気長にお待ちいただけるとありがたいです。

次回からは、いよいよ四章になります。


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第四章 傾城傾国
1: 本当の願い


時系列的には、三章の一年後くらい、幕間からは半年後くらいの話です。



 イビルアイはラキュースの部屋の扉を軽く叩いた。

 しかし、予想通り、中からは何の返事も返ってこない。

 

 何しろ、ここ数日、ラキュースが部屋から出てくることは殆どなかった。

 食事もティアやティナが屋台から買ってきたものを適当に食べて誤魔化しているらしいし、夜もあまり寝ていないらしい。

 

 アンデッドである自分ならともかく、人間のラキュースがそういう生活を続けるのは問題だろう。それに、ともかく、今はなんとしてもラキュースと話をしなければならないのだ。

 

 既に時刻は昼近くになっており、窓の外からは賑やかな街の喧騒が聞こえてくる。

 今、蒼の薔薇にあてがわれた屋敷の中にいるのは、自分とラキュース、それからもう一人だけ。

 ガガーラン達はとっくの昔に冒険者組合に向かった。自分だってもうじき出かけなければならない。それに、約束の期限をラキュースがとうの昔に破っているのは明らかなのだから。

 

 イビルアイは、もう一度、今度はかなり強めにノックをするが、やはり反応はない。

 呆れたようにため息をつくと、無造作にラキュースの部屋の扉をバタンと開けた。

 

「おい、ラキュース。モモン様がずっとお待ちになられているのだが。原稿はまだ出来上がらないのか?」

 

 部屋の主は大量の紙の山に埋もれながらペンを走らせ、机に向かっていた。徹夜でもしたのか、目は真っ赤に充血しており、自慢の金髪巻毛もボサボサだ。疲労のせいか、かなり朦朧としているようだったが、イビルアイの言葉ではっとしたように振り向いた。

 

「え!? モモン様がいらしているの!!?」

 

 あまりにも鬼気迫る様子に、イビルアイですら気圧されそうになったが、なるべく努めて冷静に答えた。

 

「ああ、そうだ。さすがにこれ以上遅れると『げんこうがおちる』とかで、非常にお困りになっている。『いんさつじょ』とかいうのの期限に間に合わないと仰ってな。再三送った使者では埒が明かないようだからと、朝から下の居間でお待ちになられていたんだぞ?」

 

「朝からですって!? ど、どうしよう、イビルアイ。あとほんの少しで終わると思うんだけど……」

「それを私に言われても困るんだが」

 

 イビルアイは苦笑した。

 

「あと、どのくらいかかりそうなんだ? 何なら一度お帰りいただくようお願いしてもいいぞ? あまり長時間モモン様をお待たせするのも失礼だしな」

「ちょっと待って! そんなの嫌……じゃなくて、せっかくいらしているのにお帰りいただくなんて、とんでもないわ!」

 

 ラキュースはあたりに散らばっている原稿を集めると、必死でパラパラとめくり、指折り数えた。

 

「……あと一時間! 一時間あれば完成しますと……」

「そうか、なるほど。では、あと一時間あれば書き上がるんだな?」

 

 イビルアイの後ろから落ち着いた男性の声がして、ラキュースの顔がとたんに真っ赤に染まる。

 

「も、もも、モモン様!? 何故、ここに……? というか、私こんな格好で……。ちょっと、イビルアイ。騙したわね!?」

「私は騙してなんかいない。最初からモモン様は一緒にいらしていたんだ」

 

 やれやれとばかりにイビルアイは肩をすくめ、ラキュースは慌てて服や髪の毛を手で撫で付けると、イビルアイを睨んだ。

 

 イビルアイが軽く寄りかかっている戸口に半分隠れるようにして、腕組みをしたモモンが立っている。イビルアイはさり気なく少し横に移動して、モモンに場所を譲った。モモンは軽くイビルアイに礼を言うと、マントを軽くはためかせ、オーバーな身振りで会釈をした。

 

「突然、驚かせてしまってすまなかった、ラキュース。うら若い淑女の部屋に押しかけるのは失礼だとは思ったのだが、こちらもいろいろと切羽詰まっていてな。何しろ、俺も早く原稿を回収してくるようにせっつかれているんだ」

「そのぅ、モモン様、申し訳ありません。すっかり遅くなってしまいまして。少しでもいいものをと思ったものですから……」

 

 珍しくしおらしい雰囲気になったラキュースに、モモンはキザったらしく軽く手を振った。

 

「まぁ、作品にこだわる気持ちはわかるが、締切は守ってもらわないとな。それでは、申し訳ないが、一時間ほどこの部屋で待たせてもらおう。ラキュースの仕事ぶりを疑っているわけではないが、こちらとしても、これ以上遅くなるといろいろ差し支えるのでね」

「え、あの、こ、ここでですか!? えと、じゃあ、そちらの椅子に、その、おかけになってお待ちいただければ……」

 

 ラキュースの声が一オクターブくらい跳ね上がる。モモンは気にせず、大股にラキュースに指し示された椅子へと向かった。

 

「俺としては別に立ったままでも構わないんだが、せっかくだから、座らせてもらうとしよう。ラキュース、あまり時間がない。気にせず、仕事に集中してくれ」

「わかりました! 私、頑張ります!!」

 

 必死の面持ちで頷くラキュースを見て、イビルアイはくすりと笑う。

 

 先程までよりも更に頬を赤く染めながら、再び机にかじりついているラキュースと、優雅に椅子に腰をおろして足を組んだモモンを尻目に、イビルアイはそっと扉を閉めて部屋から出た。

 

(あの生真面目なラキュースも、モモン様の前ではかたなしだな)

 

 心のなかで大切な友人の恋路を応援しつつ、イビルアイは自室に戻って出かける支度をした。この時間なら、アインズ様もまだ執務室にいらっしゃるかもしれない。そう思うと、ラキュースに負けず劣らず胸がときめくのを感じる。

 

 半年くらい前から魔導国では、これまでのような魔法で作成されたものではない紙が廉価で出回るようになった。魔術師組合と冒険者組合の要請によって、エ・ランテルで試験的に設置された学校では、その紙を使って作られた教科書が無料で配布されている。

 

 イビルアイは全く知らなかったが、その執筆をどういうわけかラキュースがモモンから依頼されていたようなのだ。

 

 当初は一部の物好きや、商売柄、文字を読む必要に迫られたものが半信半疑で通うだけだったが、口コミで評判が広まり、今では読み書きを教わるために学校に通うものもだいぶ増えた。結果的に、教科書に掲載されたラキュースの小説はエ・ランテルの市民なら誰でも知っていると言っていいほど広く読まれることになり、そして、それが非常に好評だったのだ。

 

 書物というものは、これまでは金持ちや一部の研究者にしか縁がない高級品の類だった。しかし、安価な紙と、魔導国が新たに編み出した『いんさつ』と呼ばれる本の複製方式のおかげで、一般にも廉価に出回るようになったおかげで、これまではちょっとした噂話や吟遊詩人の唄程度でしか知られていなかった、漆黒の英雄の冒険譚や十三英雄の伝説といった本が次々と刊行され、誰もが手軽に読めるようになった。

 

 また、これまでは一部の好事家の趣味とされていた作家という職業が憧れの対象となり、面白い物語を執筆出来る者は有名人としてもてはやされるようになった。

 

 中でも、ラキュースの描く英雄モモンの冒険や卓越した魔法詠唱者でもあるアインズ・ウール・ゴウン魔導王の逸話は、どれもこれまでにないほどの興奮と感動を与え、人々はこぞってラキュースの執筆した本を買い求めた。

 

 おかげで、現在、エ・ランテルの子どもたちに流行っている遊びは、ラキュースの小説に描かれている漆黒の英雄モモンとお供の美姫、そしてモモンが窮地に陥るとさっそうと現れる謎の女騎士ごっこだ。

 

 ただえさえ、蒼の薔薇のリーダーとして知名度の高かったラキュースは注目の的となり、その結果、当初請けていた教科書だけではなく、様々な執筆の依頼がラキュースに舞い込むことになった。

 

 今ではラキュースは、エ・ランテルでも名だたる人気作家といっても過言ではない。

 

 だから、ラキュースが蒼の薔薇としての活動よりも執筆活動の方に時間を取られてしまっているのは、ある意味仕方のないことだろう。

 

 イビルアイはゆっくりと階段を降りながら考える。

 

 自分も今は、アウラとともに故郷の復興に力を注ぐ時間が多いし、ティアとティナは様々な冒険者が持ってくる情報から、精密な地図を作る依頼をされている。ガガーランはようやく完成した闘技場で、若い冒険者の指導をするのに忙しいようだ。

 

(それぞれの……新しい道か……。蒼の薔薇も、直にそれぞれの道を行くようになるのだろうか……)

 

 そうすれば、自分も心置きなくナザリックに……、アインズの下に向かうことができる。

 もちろん、何年もの間苦楽を共にした仲間たちと別れることは寂しい。でも、それ以上にアインズの傍らにいたいという気持ちが、抑えきれないほど大きくなっていることをイビルアイは改めて自覚した。

 

(一番じゃなくてもいい。ただ側にいさせてもらえれば……)

 

 あの時、あの荒れ果てた故郷の地で、アインズが不器用なキスをしてくれた時、何があってもこの方の側に一生寄り添おうと決めたのだ。

 

 自分はそれで満足だ。

 

 イビルアイは左手の薬指に嵌めた指輪を見つめ、優しく口づけをする。

 自分にはアインズ様に差し上げられるものなど何もない。アンデッドの身体では子どもさえ作ることができないのだから。

 そう何度も心に言い聞かせる。しかし……。

 

 心のなかで嘲笑う何者かがいる。

 

 本当に、私はそれで……満足なのか?

 

 

----

 

 

 エ・ランテルで午前中の執務を終えたアインズは、執務室にある窓辺からぼんやりと外の光景を眺めていた。

 部屋の中には、今日のアインズ当番であるフォスと護衛の八肢刀の暗殺蟲しかいない。

 

 アルベドは、アインズよりも優れた行政能力を身につけたエルダーリッチたちと下がっていったし、セバスもアルベドが席を外したすきに用事を片付けるべく退室していった。

 

 午後の予定までは、まだしばらく時間もある。一旦ナザリックに戻ることも考えたが、もしかして、ここで待っていれば、イビルアイがやってくるかもしれないと思い直した。

 

 イビルアイがひょっこりと扉から頭を出す姿を想像すると、なんとなく、存在しない筈の心臓が激しく鼓動を打つような気がする。

 

 最近のイビルアイは、なんというか、自分の心の中まで見通すようなまっすぐな視線を向けてくるようになったと思う。少し前までは、どこか遠慮しているようなよそよそしい感じがしたのに。

 

(もしかしたら、俺のこと情けないやつだと思ってるかもなぁ。こないだは思いっきり怒鳴られたし……)

 

 アインズは黒い革製の椅子により掛かると、出ないため息をついた。

 

 自分よりも遥かに年下に見える少女にあれこれ言われるなんて、おっさんといってもいい年齢の男としては、少しばかり恥ずかしく感じる。

 

 でも、そんな気分も何故かそれほど悪いものではないように思う。考えてみれば、ああいう風に率直に自分に接してくれるのは、いいところアインザックとイビルアイくらいなものだ。

 

 本当は他の者たちとも、とりわけ、自分の子ども同然であるNPCたちともそういう関係になれたら、必死で支配者ロールなんてやらずにすむし、もっと自分も楽に生きていけるような気がする。

 

 アンデッドである自分やNPCの大半にとっては特に寿命らしいものはない。

 

 このままでは、下手をすると何百年、何千年という気が遠くなりそうな時間を、部下の過大な期待に応え続け、叡智あふれる支配者としてアインズ・ウール・ゴウンを演じ続けていくことになるのは間違いない。

 

(無理! 絶対に無理!!)

 

 アインズは心の中で絶叫した。どこかで絶対にボロが出る。そんな確信だけはあった。

 

(どうせいつかバレるのなら、むしろ早いほうがお互いのためなんじゃないか? それで呆れられたとしても、仕方ないよなぁ)

 

 半ばヤケになったアインズは、その時のことを頭の中でシミュレートした。

 

『こんなこともおわかりにならないとは……。見損ないましたわ。アインズ様』

 アルベドがアインズを鼻で笑う。

 

『我々が仕える主として、失格ですね』

 デミウルゴスは冷たい視線で肩をすくめ、セバスは何も言わずに自分に背中を向けて去っていく。

 

 NPCたちの反応をあれこれ想像してみるが、どうあがいても、必ず最後には彼らは自分に背を向けた。

 万が一にも彼らに去られるかもしれないとを考えると、アインズの胸の奥に鋭い痛みが走る。

 どうしても、彼らの後ろ姿に、既に去った仲間たちの後ろ姿が重なってしまうのだ。

 

『モモンガさん、それじゃまた、どこかでお会いしましょう』

 

 皆、一様に、そう言って大切な装備を自分に預けて去っていった。

 笑顔のアイコンを出してはいたが、アバターの下に隠された顔は本当に笑顔だったのだろうか。

 

(NPCたちの忠義を疑っているわけじゃない。それに、俺にある程度は好意を抱いていてくれていることもわかっている)

 

 それでも、再び彼らに別れを告げられるかもしれないと思っただけで、アインズの中に怒りや憎しみに近い、醜い感情が生まれてくるのだ。

 

『父上はどうしたいのですか?』

 

 パンドラズ・アクターの言葉が自分に問いかけてくる。

 

(俺は、本当はどうしたいのだろう?)

 

 アインズ・ウール・ゴウンを不変の伝説にし、ギルメンと再びまみえ、この世界でユグドラシルと同じように共に冒険すること……。

 

 魔導国を建国し、世界に名前を轟かせればいつかそれが叶う。そう信じていた。いや、信じようとしていただけだったかもしれないが。

 

 しかし少なくとも現在得ている情報からは、この世界にいるユグドラシル・プレイヤーはアインズだけである可能性は高い。もしかしたら、イビルアイが教えてくれたように、百年すれば誰かやって来るかもしれない。でも、それがギルメンである保証もない。

 

 それどころか――。

 

(今、誰もいないということは、何年、いや何百年待っても来ない可能性だってあるんだよな……)

 

 アンデッドになってしまった今にしてみれば、それは恐らくほんの短い年月かもしれない。今の自分の時間の感覚が人間とは大きく異なっていることは何となく感じていた。

 

 しかし、アインズはたった一人でナザリックを維持していた暗い日々を忘れることができなかった。毎日、誰かインしてくれるかもしれない、そう思いながら、結局最後まで裏切られ続けたのだから。

 

「プレイヤー、か……」

 

 小さく口に出して、不意にアインズはとあることに気が付いた。

 

(この世界では、異世界人は『プレイヤー』と呼ばれているが、ギルメンはもうユグドラシルは辞めてしまっている。つまり、彼らはもう『プレイヤー』ではない……?)

 

 しかし、考えれば考えるほど、それは確かなことに思える。

 

 ギルドにまだ在籍している三人にはその資格はまだあるかもしれない。しかし、彼らだって、ユグドラシルやナザリックの最後を見届けることもなく、笑顔でログアウトしていった。

 

 あの時、彼らはユグドラシル・プレイヤーであること自体を辞めたのではないだろうか。

 

 少なくとも、今リアルで生きているはずのギルメンたちは、もう一度ユグドラシルをプレイする可能性も、アインズ・ウール・ゴウンの一員として行動することも、仲間たちとの記憶の数々を思い出すことすらしないに違いない。

 

 急に乾いた笑いがとめどもなく溢れ出してくる。

 自分自身が、ただの一人芝居をしていたかのように思えて。

 

「アインズ様!? どうかなさいましたか?」

「――大丈夫だ。なんでもない。少し思い出し笑いをしていただけだ」

 

 驚いたフォスが走り寄ってこようとするが、アインズはそれを手振りで止め、ことさらに何事もない素振りをした。フォスは了解したかのように黙って頭を下げ、再び扉の前の定位置に戻った。

 

 アインズ・ウール・ゴウンは永遠に続くはずだと思っていたのに、アインズ・ウール・ゴウンのメンバーといえるのは、本当にギルマスである自分一人しかいないのだ。あの栄光ある日々も、楽しかった時間も、もはや戻ってくることはない。

 

 しかし、その実感は思いの外、アインズにとって納得できるものでもあった。

 

 もしかしたら、自分はそれをわかっていながら、どうしても認めたくなくて、見ないふりをしていただけなのかもしれない。

 

『父上はどうしたいのですか?』

 

 パンドラズ・アクターの言葉が再び自分に問いかけてくる。

 

 あんな埴輪みたいな顔で妙に格好つけた振る舞いをしているくせに、肝心な時には頼りになる自分の息子でもある黒歴史。

 

(なんだかんだいって、あいつの言うことはいつも正しいからなぁ)

 

 アインズは苦笑しつつ、しばらく考え込んだ。

 

 イビルアイの真っ直ぐな瞳が自分に笑いかけてくれるのが思い浮かぶ。

 ギルメンと同じ……、いや、それとも少し違う視線で。

 

 彼女がずっと側にいてくれると約束してくれた声が、まだ耳に残っている。

 

(そうだ。俺が欲しいのは、対等な立場で付き合える相手だ。一方的に忠誠や敬意を払われたりするのではなく。しかし、王ならまだしも、神に祭り上げられてしまえば、そういう関係を作るのは不可能だろう。実際、皇帝であるはずのジルクニフですら、俺に対して妙に壁を作っているんだから。それに、NPCだってNPCとしての有り様に固く縛られている。根本にある楔のようなものを変えることができれば解決するのかもしれないが、最悪彼らを失うことにもなりかねない。彼らをナザリックと俺につなぎとめているのだって、その楔があるせいなんだろう。あのパンドラズ・アクターだって、恐らく例外ではないはずだ)

 

 NPCたちに去られてしまえば、アインズ一人で魔導国を運営していくことは実質的に不可能だ。いくらエルダーリッチたちが頑張ったとしても、少なくとも、アルベドとデミウルゴスを失ったら、国がたち行かなくなるのは間違いない。

 

 その場合は、誰か信頼出来るもの、……恐らくジルクニフかラナーあたりに魔導国を託して、アインズ自身は辞任という形になるのだろう。いや、王だから退位になるのか。

 

 ともかく、その後一人きりでナザリックに引きこもるにしても、別の道を進むことにしても、栄光あるギルド・アインズ・ウール・ゴウンは真の終焉を迎えることになるに違いない。

 

 その事実に自分自身が耐えられるのか、アインズにはいまいち自信がなかった。

 

(まぁ、魔導国がないなら、ただのモモンガに戻って気ままな旅路に出るのもありかもな。そもそも世界征服だって、俺がやりたかったわけじゃないし)

 

 余計なことにとらわれずに、自由に旅をするのは、それはそれで楽しいだろう。

 そう考えつつも、アインズの胸の奥には、ひどく冷たい棘のようなものが突き刺さったままだった。

 

 ふと窓辺にあるヌルヌルくんの篭が目につき軽くつついてみる。口唇蟲はのっそりと居場所から頭を出して、少し唇のような形状のものを震わせると、ふたたびゆっくり頭を引っ込めた。

 

 その愛嬌ある動きで、アインズはなんとなく慰められた気分になった。

 

 例え一人きりになるとしても、ヌルヌルくんのような自分が召喚した傭兵モンスターや創造したアンデッドは自分に従ってくれるだろうし、魔導国の住人たちだって、すぐさま自分に背を向けるとは限らない。

 

 それに……、イビルアイはずっと側にいてくれると約束してくれたじゃないか。

 そう考えれば、別にそれほど最悪の事態に陥るというわけじゃないはずだ。しかし――

 

――ほんとに俺も情けないな。NPCに背を向けられるかもしれないと考えただけで、こんなに怖くて仕方がないなんて。

 

(イビルアイに話したらまた叱られるのかなぁ?)

 

 アインズは苦笑した。

 

 




佐藤東沙様、誤字報告ありがとうございました。

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大変長らくお待たせいたしました。
今度こそ本当に最後になる第四章となります。

1年近く更新していなかったにも関わらず、
その間も暖かい感想をくださったり、待っていてくださった皆様、本当にありがとうございました。
なんとか書き続けることができたのは皆様のおかげです。

とはいっても、まだまだ忙しい状況が続いていて、実はまだ四章書き終わっていないのです。
なんとか14巻発売前に完結させたいとは思っていますので、当座は週一更新を目標に、
初稿が最後までたどり着いたら、更新間隔を短めに再設定してなんとか更新していこうと思います。

また、話をまとめる都合上、カットしたエピソードも多いので、
その部分に関しては、完結後に番外編という形の短編で補足出来たらと思っています。

次回は来週更新予定です。


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2: アルス・マグナ

※この話はエロではありません


 部屋の灯りを最低限度に抑えた暗い閨の中で、何かがうごめいている。

 広いベッドの上では、白く柔らかな肌をした腕がくねり、美しい長い黒髪がそれに絡みつく。

 その腕はベッドの中から半分ほど見えている白い頭蓋を抱きしめると、激しくキスをした。

 

「あ……あ……、モモンガ様……」

 

 時折あげる声は興奮して熱を帯び、甘い吐息をもらす。暗闇の中でも浮かび上がるような白い角を持つサキュバスは、雪花石膏のような美しい骨をベッドから引きずり出すと、その全てを味わうかのように唇を滑らせた。

 柔らかな黒い羽がふわりと広がり、アルベドの身体の動きに合わせて小刻みに背中で揺れる。

 

「モモンガ様、モモンガ様……! もっと激しく抱いてくださいませ……、アルベドはもう……!」

 

 アルベドは自らのベッドの上に『モモンガ』を組み敷くと、自分の身体のもっとも敏感なところを擦り付ける。骨盤の上で腰を激しく動かし、やがて女としての絶頂に達するが、それでも満足しきることはない。

 

 サキュバスは本来相手の精を飽くほど欲するものだが、この行為ではそのようなものを望むことはできない。だからこそ、アルベドはその欲求の赴くままに再び骨盤の上にまたがると、抵抗することなく横たわる骨の至るところを愛撫する。

 

「ふふ、このように淫らなことを女にさせるなんて、モモンガ様は本当に意地悪な御方ですわ……」

 

 ようやく、身体のうちからこみ上げる熱がある程度落ち着いてきたアルベドは、先程まで自分の欲情を思うままにぶつけていた精巧なアインズの等身大フィギュアを優しく撫でた。

 その様子を見れば、デミウルゴスでさえ、ついにアインズが観念してアルベドと行為に及んだのかと思ったに違いない。

 

 ただの造り物とはいえ細部までモモンガと瓜二つ。

 アルベドは心のなかの澱のように溜まりこんだ想いを、その人形相手にぶつけていた。

 

 本当なら、愛する人のベッドでやりたいところだったが、さすがにあの場所でモモンガの名を口にするのはまずいだろう。人払いするにしても、主人の部屋では完全に耳目を封じることはできない。どこから噂が漏れ出すとも限らないのだ。

 

「はぁ、やはり人形相手では張り合いがないわね。でも、これもモモンガ様と褥を共にする前の練習だと思えば、それはそれで意義はあるはずよ。いくらその手の経験がないとはいえ、最愛の旦那様に素晴らしい快楽を感じていただかなければ、サキュバスとしての矜持に傷がつくというもの。モモンガ様もきっと喜んでくださるに違いないわ。くふふふふっ」

 

 愛おしげにフィギュアをベッドに横たえると、アルベドは名残惜しそうにいつもの白いドレスを身に着ける。

 そして、多少汚れてしまったフィギュアを美しく磨き上げると、手製の豪奢なローブをまとわせた。

 

 ほの暗い寝室の中では、それはまるで本物のモモンガのように見える。

 アルベドは、薄っすらと笑みを浮かべると、大切そうに『モモンガ』を抱き上げた。

 

 

----

 

 

 エルダーリッチたちに必要な指示を出したアルベドはナザリックの自室に戻ってきていた。

 

 愛しい御方の側を離れると、いつも切ない気持ちになる。

 例え、それがほんの一時間程度のことだとしてもだ。

 

 少し前に比べれば、アインズの正妻の座を巡る争いは多少落ち着きつつあるものの、それでも対抗馬として居座っている相手は、逆に油断ならない者たちばかり。

 

 ひところ、失態で評価を大きく下げていたシャルティアも竜王国では大きな功績をあげたし、まだ子どもだからと思っていたアウラも、かなり大人びた表情を見せるようになっている。イビルアイやドラウディロンはナザリック外のものとはいえ、それぞれ、希少な能力を持っているし、アインズ自身も憎からず思っているのは間違いない。

 

 でも……。

 アルベドはニンマリと笑った。

 

 あくまでも、彼女たちはそれだけの存在でしかない。

 間違いなくアインズの『特別』といえるのは自分だけなのだから。

 

 アルベドは、自分の心の内にあるアインズ、いや、モモンガが手ずから与えた自分の愛情には絶大なる自信を持っていた。

 

 ナザリックのシモベの中でも上位とされる存在は、かくあるべし、と御方々に望まれた被造物だ。そして、パンドラズ・アクターを除き、最愛の主自らが、己を愛することを望まれたのは自分ただ一人だけ。

 これ以上の喜びは果たして存在するだろうか。

 

(だからこそ、あの方の隣だけは何があっても譲れない。それに私はモモンガ様の盾。どんなことがあっても、あの方をお守りするのが私の最大の務め。悔しいけれど、あの男が私にその役割を与えたことだけは、感謝せざるを得ないわね)

 

 アルベドは自分の創造主であるタブラ・スマラグディナを思い起こした。愛情が全くないといえば嘘になるかもしれない。しかし、それ以上に感じるのは憎しみだった。

 

 何しろ、あの男は……、いや、あの男だけではない。モモンガ以外の他の至高の御方々は、自分たちやモモンガを見捨てて去っていったのだから。

 

(本当に憎たらしい。あの男の手で生み出されたという事実ですら腹立たしいわ。私もモモンガ様に創造されたのなら良かったのに)

 

 モモンガに対する愛情と忠義、そして、それとないまぜになった醜い想い。もしかしたら、ナザリックにいる被造物の中で、このような感情を知らずに済んでいるのはパンドラズ・アクターだけなのかもしれない。

 

(……でも、何故かしら。アレに対して多少なりとも情を感じてしまうのは)

 

 遥か以前、タブラ・スマラグディナは、自分を作りながらいろいろなことを話していた。お前は自分の最高傑作だとも。造られている最中のことはあまり記憶にはないものの、ぼんやりとは覚えている。少なくとも、あの男は自分に対して、それなりの愛着は感じていたようだった。なにしろ、アルベドがアルベドとして創造された直後に、満足げなため息をついていたのだから。

 

 その後、タブラの後に付き従って玉座の間に向かい、玉座の近くに立つように言われた。はじめてみた玉座の間の壮麗さにアルベドは心打たれた。

 

 そこに豪奢な黒いローブに身を包んだ麗しい御方が姿を見せ、タブラと自分を褒めそやした。モモンガ様の御名と御姿を知ったのはあのときが最初だった。

 

 あの方が座る玉座の脇で控えることを命じられ、モモンガ様を補佐する守護者統括としての地位を与えられ、アルベドは完全に有頂天になった。

 

 しかし、モモンガはその後玉座の間に姿を現すことはなかった。

 他の至高の御方々が時折姿を見せることはあったが、それもいつしかなくなった。 

 

 その後、不意に一度だけタブラがやってきて、アルベドの手に真なる無をもたせた。

 

『これで最後だから。勝手に持ち出したことをモモンガさんは怒るかもしれないけど、これでモモンガさんを守って』

 

 あの男はそう言い残して、それきり姿を消した。それだけではない。他の御方々の気配も日を追うごとに次々と消えていった。

 しかし、寂しくはなかった。

 愛するモモンガの気配は、時折感じることができたから。

 

 それから、どれだけの月日が流れたのか。

 

 最も尊い御方が、本来座すべきこの玉座に座り、自分に勅命を下すことを。

 この手で愛する方をお守りすることが出来るようになることを。

 誰も来ない玉座の間でアルベドはひたすら待ち続けた。

 

 そして、これらの願いは、全て、あの日かなったのだ。

 

 アルベドは昔のことを思い返して、夢見心地になった。他の誰も知らないことだが、この胸だって既にモモンガ様のお手つきだ。

 

 もっとも、待ち続けているのは今もあまり変わりはない。何しろ相手はまさに難攻不落の要塞。

 しかし、だからこそ、攻略する価値があるというもの。

 

 メイド達すら完全に立入禁止にした現在の自室は、もはや単なるハーレム部屋ではなく、完全にモモンガとのスイートルームを目指したものになっていた。

 

 部屋の一番奥にはモモンガの巨大な旗をかけ、その脇には魔導国の各所に設置するために作らせた魔導王像の試作品を一体持ち込んでいる。このフィギュアも、試作品を作る前にモモンガ様の骨格を確認した方がいいと主張して作らせたものだ。

 

 アルベドは最奥の椅子に先程まで戯れていたアインズのフィギュアをそっと座らせると、その脇に跪いた。

 

 うっとりと本物の持つ赤い炎のような目を思い浮かべ、再び「モモンガ様」と内心に秘めた名を口にする。

 その名を口にするたびにアルベドの愛情はより一層高まる気がする。何しろ、アルベドにこの気持ちを下賜したのは紛れもなくモモンガなのだ。

 

 部屋の至るところには二人の愛の巣を象徴するような飾り付けを行った。

 これから生まれるはずの子どもが眠るはずのベビーベッドも置いた。

 この完璧な場所に足りないのは、最愛の旦那さまであるモモンガだけだ。

 

 アルベドは、精巧に骨の一本一本を組み上げられたモモンガ・フィギュアの手を取って、両手に唇を押し付けた。再び、むらむらとしてくるが、さすがにこれ以上戯れに時間を割くことはできない。今日もまだまだ仕事は山積みなのだから。

 

 以前モモンガを襲ったときのことを思い出す。

 

 あの時、もっと手早くことを済ませていれば、邪魔が入る前に既成事実を作ることができただろうし、今頃はモモンガの御子を授かっていたことだろう。そうすれば、自分の正妃の座も確定し、この二人の愛の巣にモモンガを迎えることがとっくにできていたはずだ。

 

「あれは本当に失敗だったわ。いったい、何がいけなかったのかしら……」

 アルベドは独りごちる。

 

 これまで、アルベドは密かに自分の計画を推し進めてきた。

 まさに同志とも言えるパンドラズ・アクターの協力のおかげで、計画はかなり順調に進んでいるともいえる。

 

 しかし、何かが不足している。そんな気がしてならない。

 

 どうやら、現時点では他の至高の御方々はこの世界にはいないらしい。

 それは、アルベドにとっては非常に安心できる情報だった。少なくとも、あの蛆虫どもが神聖なナザリックに足を踏み入れることは当分ありえないのだから。

 それに、あの裏切り者どもが戻ってきたとして、その結果、再びナザリックを捨ててどこかに去ろうものなら、今度こそ愛するモモンガは立ち直れないほどの心の傷を負うに違いない。

 

 数年前にナザリックにおびき寄せられてきた汚らわしい人間の嘘が、どれほどモモンガを動揺させ、傷つけたのか、アルベドは忘れることができなかった。

 

 あの時、アルベドは心に決めたのだ。

 何があっても、二度とこのような想いをモモンガに味あわせてはならないと。

 

 今のナザリックの状態は、アルベドにとっては、まさに腐り淀んだ状態といってもいいものだ。神は一人でいい。そして、ただ一人しかありえない。

 神の尊い御名で呼びかけることができないことにも、アルベドは忸怩たるものを感じていた。

 それすらも、自分たちを捨てて、りあるへと去った連中のせいとしか思えない。

 腐敗の象徴たるアインズ・ウール・ゴウンを浄化し、真なる神であるモモンガを再び降臨させるのだ。

 

 デミウルゴスは以前、自分の計画にゲヘナという名前をつけていたが、アルベドの計画はいうなれば、アルス・マグナとでもいうべきか。

 

「モモンガ様……。必ず、アルベドは成し遂げてごらんにいれます。私はモモンガ様の忠実なシモベであり、奴隷であり、そして最愛の妻なのですから……」

 

 そのためには、姉であるニグレドと、妹であるルベドの協力が不可欠だろう。

 ルベドは、モモンガから指揮権を与えられているから、命令すればそのとおりに動いてくれるだろう。だから、その点についてはアルベドは心配していない。

 むしろ問題は……

 

(姉さんはどうなのかしら。あの人はああ見えても生真面目なところがあるし、命令だからといって素直に従わないこともある。私への愛情と、アインズ様への忠誠。それと……アレを天秤にかけた場合、素直に頷いてくれるものかしら……)

 

 アルベドはしばらく考え込んだが、やがて意を決したようにモモンガ・フィギュアに情熱的な接吻をした。

 

 

----

 

 

 ナザリック第六階層にある少し開けた草原には大きなピクニックシートが広げられている。

 

 シャルティア、アウラ、アルベド、そしてイビルアイとドラウディロンは思い思いの場所に座り、午後のお茶を楽しんでいた。

 一般メイドがバスケットに詰めたお菓子やサンドイッチ、紅茶のたっぷりはいったポットなどを供すると、丁寧に会釈をして去っていく。

 

 それに対してぎこちなく頭を下げるイビルアイに、シャルティアは目をらんらんと輝かせて笑顔を向けた。

 

「いい加減、ぬしもここでは遠慮なく仮面を外しなんし。せっかくの可愛らしい顔が台無しでありんす」

 

 イビルアイはいつぞやのシャルティアの嬌態を思い出して身体をびくりとさせるが、おとなしく仮面をはずし脇に置いた。

 まだ幼さが残る赤い瞳の少女の顔が現れ、ふんわりとした金髪が揺れる。

 それを見て、少しばかり驚いたようにアルベドが目を見張った。

 

「あら、イビルアイの素顔はそういう感じだったの? ふうん。確かにシャルティアの好みそうな雰囲気ね。同性好みの貴女のことですもの。アインズ様よりも好みなんじゃなくて?」

 

 アルベドは高らかに笑い、口元を歪めた。しかし、次の瞬間何かに気がついたかのようにその表情は消え、いつもどおりの淑女然とした笑みに変わる。

 それに対してシャルティアはニンマリと笑った。

 

「もちろん、イビルアイの顔は好みでありんすえ。こういう美少女はいくら愛でても飽きないものでありんす。お風呂に連れ込んで、あんなことやこんなこともしてみたいものでありんすねぇ。でも、アインズ様の輝くような麗しさとは別の話でありんすよ。統括様ぁ、もてないオバサンの僻みは恐ろしいと思いんせんか?」

 

「はあ? 誰がもてないオバサンですって? この私は全てをアインズ様に捧げているのよ。無分別に手を出すビッチとは一緒にしないで欲しいわね」

「なんだと!?」

 

 ものすごい剣幕でにらみ合う二人からは、とてつもない力のオーラが漂い、今にも本気の決闘が始まりかねない雰囲気だ。

 シャルティアはともかく、普段はしとやかにアインズの側に寄り添っている宰相アルベドの思いも寄らない姿にイビルアイは呆気にとられた。

 

 しかし、どちらも自分では手が出せるレベルではない強者であることは間違いない。

 どうしたらいいのかわからず、イビルアイはアウラとドラウディロンの様子を伺うが、二人とも全く気にもとめずにすました顔で紅茶を飲んでいる。

 

「あ、アウラ、その……」

「大丈夫。ほっときなよ。あの二人はいつもああなんだから」

「え!? そうなのか?」

「そうそう。真面目に付き合うだけバカを見るよ」

 

「イビルアイ殿、それよりも、せっかくの美味しい紅茶を冷めないうちに頂いたほうが良かろう。ナザリックは本当に何でも美味しくて素晴らしい」

「あ、ああ、そうだな……。ありがとう、ドラウディロン……女王陛下」

「ドラウで良いぞ。どのみち、我々はこれから長く親しく付き合うことになるのだろう?」

「それもそうだな。では、私もイビルアイと呼び捨てにしてくれ」

 

 言い争っているアルベドとシャルティアをよそに、三人は楽しげに笑った。

 

 食べられるわけではないが、ナザリックの美しい菓子は見ているだけでもイビルアイの目を満足させてくれるし、素晴らしく香り高い紅茶は格別だ。

 紅茶はラナーの部屋でもよく出されたものだが、流石にそれとは全く比べ物にはならなかった。

 

 イビルアイはアウラが纏っている上質のワンピースをちらりと見た。

 以前は男装でボーイッシュな雰囲気だったが、装いのせいか、アウラが非常に可愛らしく見える。

 こころなしか、胸も……大きくなっているかもしれない。

 その隣に座っているドラウディロンは大人の魅力で溢れており、胸は非常に豊満だ。そう。男性なら誰でも興味を示すほどの。

 

 イビルアイは自分のわずかばかりのふくらみに触れて、小さくため息を漏らした。

 自分の胸がこれ以上大きくなることはない。

 年をとらないことには利点がないわけではないが、こういうことに関しては、成長することのないアンデッドの身体は本当に嬉しくないものだ。

 

「んー? イビルアイは胸の大きさを気にしてるの?」

 

 図星をつかれてイビルアイはドギマギする。

 こちらの様子とはお構いなしに、口論しているアルベドもシャルティアも豊かに胸が膨らんでいる。

 アウラだって今はそれほど変わらなくとも、何年かすればあんな感じになるのかもしれない。

 

「ま、まあ、多少はな……」

「そんなの、気にするようなことじゃないよー」

 イビルアイが口の中で呟くと、アウラは明るい笑い声をたてた。

 

「アウラの言うとおり。女の魅力は胸の大きさで図るものではなかろう。それに男の好みも様々だぞ。アインズ様がどちらなのかはわからんが」

 ドラウディロンは何か思うところがあったのか、そういって美しい顔を歪めた。

 

「そうだよ。あたしだってまだこんなんだし、シャルティアだって実はねぇ……」

「ちょっと、チビ! 余計なことを話すんじゃないでありんす!」

 

 話を聞きつけたのか、シャルティアが抗議の声をあげる。

 それを見て、アルベドは勝利したかのように胸をいくらか強調するようなポーズを取った。

 

「見苦しいわね。商品偽装も程々になさい、シャルティア。どのみち、アインズ様は全てご存知よ」

 

 これで勝負はついたとばかりにアルベドは宣言すると、余裕の表情でティーカップを手に取る。

 ふくれっ面をしたシャルティアは憤懣やるかたない表情をしたが、言い返すことはしなかった。

 

 イビルアイはくすりと笑う。

 

 アウラやシャルティアに誘われて参加するようになった、この『じょしかい』というものも、はじめは、ひたすら緊張するだけだったが、何度も繰り返しているうちに、だいぶ慣れてきた。

 思えば、ここにいる者たちは全て人間ではないし、寿命も長い。

 ごく僅かな例外を除けば、常に繰り返してきた別れを、ここにいる者たちと迎えることはないだろう。

 

 それに……。

 

 皆、アインズを愛する者たちなのだ。

 嫉妬する気持ちが全くないわけではないが、どのみちアインズは独り占めできるような存在ではない。それは他の面々も承知していることだ。

 唯一の問題は、アインズが自分たちを受け入れてくれるかどうか、そして、アインズの一番になるのが誰なのか、ということだけ。

 であれば、ある意味、同志といってもいいくらいだ。

 

(はじめは恐ろしい魔物の住処だと思っていたのにな)

 

 イビルアイは周囲を見回し、そして美しい青空を見上げた。ここが地下だなんて言われなければ信じられないだろう。どれほどの魔力を注ぎ込めばこのような場所を作ることができるのか、イビルアイには想像もつかなかった。

 

(砂漠にある都市もかなりのものだったと聞くが、やはり、ぷれいやーというのはまさに神の力を持つ存在なんだな……)

 

 もっとも、イビルアイにとって何よりも美しく、落ち着ける場所は間違いなくこの地だろう。

 

 なんといっても、最愛の人がここを治めているのだから……。

 

 

----

 

 

「やぁ、楽しそうだね」

 

 快活そうな男性の声がして、お茶会中の面々は顔を上げた。

 そこには、赤いスーツを着た洒落た男が立っている。

 

 イビルアイには見覚えのない顔だったが、その耳触りの良い声には明らかに聞き覚えがあった。

 

「あら、デミウルゴス、どうかしたの? わざわざこんなところに来るなんて」

 

 親しげにアルベドがそう口にしたことで、イビルアイは思い当たった。

 イビルアイの知っているデミウルゴスは翼を持つ蛙のような姿だったが、今目の前にいる男性の服装は紛れもなくデミウルゴスのものだ。

 

 それと同時に、何かが頭の片隅で引っかかるような気がしたが、それが何なのかをすぐに思い出すことはできなかった。

 

「また、しばらくナザリックを離れるのでね。アインズ様にご挨拶申し上げようと思ったのだが、ご不在だったんだ。それで、君たちがここでお茶会をしていると聞いたから、もしかしたら、アインズ様もご同席されているかと思ったのだが……」

 

「デミウルゴス、ここはアインズ様の花嫁候補限定の『じょしかい』の場でありんすぇ。男子は禁制でありんす。もちろん、アインズ様なら別でありんすけど」

「ああ、それは失敬。すぐに退散させてもらうよ、シャルティア」

 

 デミウルゴスは苦笑しつつ、優雅にお辞儀をした。

 

 その瞬間、イビルアイの頭の中に閃くものがあった。

 この声、この服、そして、このお辞儀をする様子……。

 

 しかし、そんなことはありえない。あっていいはずがない。だけど……。

 

「アインズ様がいらしてくださるなら最高なのだけど。残念ながら、ここにはいらっしゃらないわ。特に何も伺ってはいないから、エ・ランテルにまだおいでなのじゃないかしら。もしくは、第八……、いえ、何か重要なお仕事をしていらっしゃるのかもしれないし」

「ああ、そうだね。ありがとう、アルベド。では、まずはエ・ランテルに行ってみることにするよ」

 

 デミウルゴスはにこやかに微笑みつつも、蒼白な顔をして自分を見つめているイビルアイに目を止めたようだ。

 

「イビルアイ、どうかしたのかい? 具合でも悪いのかね?」

「あ、ああ、いえ、その、なんでも……」

 

 恐ろしい考えにとりつかれたイビルアイは、それでも必死で何事もなかったかのように取り繕った。

 

 他の面々も、少しばかり怪訝そうな表情でイビルアイを見ているが、イビルアイはもう一度「なんでもない」と強く答えた。

 

「実は、そのぅ、……ラキュースに頼まれていた用事を忘れていたことを思い出しました。急がないと怒られるので、今日はもう帰ります」

 

「もう帰るんでありんすか? それは残念でありんす。また、今度ゆっくりお話しんしょう」

「それなら、エ・ランテルまで送っていこうか?」

「いや……、私は転移で……」

 

 あからさまにシャルティアとアウラが残念そうな顔をする。少しばかり気がとがめたが、イビルアイはぎこちなく立ち上がって一同にぺこりとお辞儀をした。

 

「ああ、それなら、どのみち同じ道中だ。私が送ろう。どうだね? イビルアイ」

 

 デミウルゴスの優しいが有無を言わせない物言いに、逆らい難いものを感じ、イビルアイはおとなしく頷いた。

 

 




物理破壊設定様、佐藤東沙様、誤字報告ありがとうございました。

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今のところ、来週も更新予定です。
まだ最後までたどり着けていないので、3月半ばまでには終わらないかもしれません…。
やばい。(;・∀・)


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3: ヤルダバオト

 後ろからは、まだ、にぎやかな笑い声がしている。

 その輪から離れ、再び仮面を被ったイビルアイは、自分の前を行くデミウルゴスの後をついて歩いた。

 

 デミウルゴスの鋼で鎧われた尻尾が、もの思わしげにゆらりゆらりと揺れている。

 

 そうだ。この尻尾も……。

 イビルアイは頭の中で、今目の前を歩く男の姿に、忘れようにも忘れられない不思議な形状の仮面を被せてみる。

 それは、間違いなく、同一人物だった。

 

 何故、という疑問が頭の中に溢れた。

 あの時、アインズ様は、間違いなく王国を助けるためにあの場に来てくださったはずだ。

 それに、レエブン候が冒険者組合を通して「漆黒のモモン」に指名の依頼を出したと聞いている。少なくとも、この件に関してレエブン候が嘘を言う理由はない。

 

 アインズ様だって、同じ冒険者として自分の要請に耳を傾け、ヤルダバオトと対峙したはずだし、ヤルダバオトもアインズ様に本気で斬りかかっていたはずだ。

 

 なのに……、それは真実ではなかったのか?

 

 ただ一言、デミウルゴスに尋ねれば全ての疑問は解決するのだろう。

 

 だが、それを口に出してしまったら全てが壊れてしまいそうな気がして、イビルアイはどうしようもなく身体が震えた。

 

(これじゃ、まるで、死刑宣告を待つ囚人のようだな)

 

 自嘲気味に心のなかでつぶやくが、それはまさしく真実だった。

 

 目の前にいる男は、何事もなかったかのように優雅に歩いていたが、第六階層の森を抜け、転移門へとつながる通路に入ったところで、急にピタリと立ち止まると、くるりと振り返った。ギクリとしたイビルアイも慌てて足を止めた。

 

 彼我の距離は五メートルほど。デミウルゴスが自分を殺す気なら、ないも同然の距離だ。

 既に無いはずの心臓がバクバクと音を立てるような気がする。

 

「イビルアイ。あなたは……、気が付いたんですね?」

 

 デミウルゴスの妙に優しげな声に返す言葉もなく、イビルアイはその場に立ち尽くした。

 違う、と答えようとしたが、それはできなかった。

 口の中がカラカラに乾いて言葉が出ない。

 

 なにしろ、目の前にいるのは、あの恐怖の魔皇、王国や聖王国に大惨事を引き起こした張本人、ヤルダバオトなのだから。

 

「まぁ、いずれはわかることだと思っていましたから、私としては別に構いません」

 

 穏やかな物言いではあったが、眼鏡に隠れて見えないデミウルゴスの視線は鋭く、自分の仮面をも貫くように感じられる。

 

 あの王国の事件の時もこうだった。

 

 イビルアイの心の中では、数年前、アインズと初めて出会った運命の夜に感じた様々な思いが渦まいていた。

 

 一足先に逃そうとしたのに、なすすべもなく無残に倒れたガガーランとティア。

 自分の力では勝つことのできない強大な相手に立ち向かう絶望。

 モモン――アインズへのどうしようもないくらい大きな恋慕。

 

 そして湧き上がる『嘘だ』という言葉と、『何故?』という疑問。

 

 逃げるべきだと何かが囁くが、そうしてはいけないと直感が告げていた。

 心も身体も思うように動かない。ただ、デミウルゴスの視線を受け止めて立っているので精一杯だった。

 

「やはり、あなたは思いのほか度胸がある。そういう相手は嫌いではありません。察するに、あなたは理由を知りたいのではありませんか? それとも――」

 

 デミウルゴスは感心したように言うと、軽く腕を組んだ。

 

「この私と戦いたいんですか?」

 

 目の前の悪魔は不敵に笑い、その声に一段と力がこもる。

 

 先程までは微塵も感じられなかった強烈な力の波動が容赦なく襲いかかってきて、イビルアイは思わず少し後ずさった。

 そこにいるのは、普段の紳士然として礼儀正しいデミウルゴスではない。

 紛れもなく、悪夢そのものの体現であるかのような焔の大悪魔、魔皇ヤルダバオトだった。

 

 

----

 

 

(ヤルダバオトがデミウルゴス様だということは、あの時、モモン様……いや、アインズ様は私に嘘をついたのか? だとすると、エントマやナーベやメイド悪魔たちも全員グルだったということなのか? 私は……、アインズ様に騙されていたのか……?)

 

 恐ろしい考えが頭の中をぐるぐると回る。

 

 あの日、ただのゴミクズのように殺された大切な仲間のことを思えば、例え勝てない相手だとしても戦うべきなのかもしれない。

 少なくとも、エ・ランテルでアインズに出会う前の自分なら、迷うことなくそうしていただろう。

 

 しかし、これまでのデミウルゴスの振る舞いにも、アウラやシャルティアやアルベド、プレイアデス達の振る舞いにも、特別な悪意のようなものは感じられなかった。自分が危うく殺すところだったエントマですら、あの後、殺意を向けてくることはなかった。

 

 それに……、なによりも、アインズが自分に嘘をついたとは信じたくなかった。

 少なくとも、アインズが自分に話していないことはそれなりにあるのかもしれない。だが、これまでずっと自分に対して誠実に向き合ってくれていたと思う。

 

 恐らく、このことだって、アインズに聞けば答えてくれるのかもしれない。

 しかし……。

 

(私は何があってもアインズ様の側にいると約束した。それは、これから永遠に近い一生を、魔導国の、そしてこのナザリックの一員として生きていくということだ。アインズ様だけじゃない。アウラやシャルティア、それにアルベド様やデミウルゴス様とも一緒に。だからこそ、私は……、アインズ様からではなく、ヤルダバオト、いや、デミウルゴス様の口から、その真意を聞かねばならないんだ)

 

 もし、その考えがアインズ様のためにならないと思ったら、その時に命を賭けてでも止めればいい。

 

「――何故だ? 一体どうして、あんなことをする必要があった? この……ナザリックの力があれば、王国を服従させることなど簡単にできたはずだ。王国だけじゃない。他の国だってそうだ。私が知る限り、今のこの世界で、ナザリックに対抗できるほどの力を持つものなんて、いいところ、真なる竜王くらいなものだ。それなのに、何故あんな事件を起こさなければいけなかったんだ? あの事件のせいで一体どれだけの人間が犠牲になったと思っている?」

 

 イビルアイは恐怖で凍りついた心と身体を無理に奮い立たせ、覚悟を決めると、やっとのことで口を開いた。

 

「ふむ、いい質問ですね、イビルアイ。やはり、あなたは馬鹿ではないようだ」

「……!?」

 

 一瞬、腹だたしく思ったが、デミウルゴスがその類まれなる知恵でアインズの補佐をしていることは、イビルアイでも知っている。

 その口調にも自分を軽んじたような雰囲気はなく、単純に事実を言っただけのようだ。

 

「あらかじめいっておきますが、私は悪魔ですので、人間などという下等な生物に対して何らかの愛着を持っているわけではないし、いくら犠牲が出ようとも、それで心を痛めるなどということはありません。もっとも、我が敬愛すべき主であるアインズ様はそうではない。それに、私はなるべく綺麗な状態でアインズ様にこの世界を全て差し上げたいと願っています。ですから、これでも被害は最低限にしようと、心を砕いているつもりですけどね」

 

「……じゃあ、あれは、アインズ様のためだとでもいうのか?」

 

「もちろんですとも。他に何の理由があると思っているんです? 私の、いえ、私だけではありません。このナザリックに所属する者の願いは唯一つ。アインズ様に永遠に我々の上に君臨していただくこと。それを叶えるためなら、私はどんな手段を使うこともためらうつもりはありません。――イビルアイ、あなたには、我々のこの気持ちはわからないかもしれませんね。アインズ様は我々に残された最後の希望であり、忠義を尽くせる唯一の御方であり、存在意義そのもの。何があっても喪うわけにはいかないのです」

 

 デミウルゴスのその言葉に、イビルアイは動揺した。

 アインズを喪う。そんなことがそう簡単に起こるとは思えないが、万が一、そうなったとしたら、自分は正気でいられるのだろうか。

 

 自分の心の奥底に封印したはずの冷たい暗黒がうごめくような気がする。

 イビルアイは、自分の中の勇気を奮い起こして影を再び押し込めると、デミウルゴスをまっすぐに見返した。

 

「――たしかに、気持ちは異なるかもしれないが、アインズ様を喪いたくないのは私だって同じだ。しかし、だからこそ、物事にはやりようがあるはずだろう?」

 

 デミウルゴスの口から軽い笑いが漏れた。

 

「なるほど、想定していたよりもずっと興味深いですね、あなたは。それだけ聡明なら、ヤルダバオトが起こした事件の意味も考えつくのではありませんか?」

「……事件の意味だと?」

 

「そうです。リ・エスティ―ゼ王国の事件では、私はこの世界の敵対者として広くヤルダバオトの名前を知らしめることができた。それに、結果的にではありますが、モモン様の名声をより高める一助にもなった。もちろん、それだけではありませんが。全てはアインズ様の御為であり、アインズ様がこの世界を支配するための布石です」

 

「――アインズ様の? じゃあ、アインズ様があのようなことをお望みになったとでもいうのか?」

 

「それは少し違いますね。あの事件そのものは、独断で私が計画実行したこと。もともと、アインズ様には結果だけをご報告するつもりでした。ちょうどあなたの目の前で、私とアインズ様は対峙することになりましたが、本来はあの場でアインズ様とお会いするはずではなかった。もっとも、あの後、アインズ様にはご説明いたしましたし、アインズ様のご助力の結果、計画は想定以上に上手く行きました。ヤルダバオトは世界の憎むべき魔皇となり、モモン様はそれに対抗しうる英雄の座に着かれた」

「ああ、そうだったな……」

 

 ヤルダバオトとモモンが激しくぶつかりあった戦いを思い出し、イビルアイはボソリと呟いた。

 

「そうなったことで、エ・ランテルが魔導国に割譲され、アインズ様がその玉座に着かれる際に大きく影響しました。あなたもその時のことを何か聞いているのではありませんか?」

「……モモン様が、魔導王陛下に立ち向かい、結果、モモン様が魔導王陛下に下ることで、エ・ランテルの安全を守られたという話か?」

「そうです。その原因になったことも知っているのでしょう?」

「……たしか、子どもが……魔導王陛下に石を投げたと……」

 

 自分で口に出したのに、その言葉はイビルアイの胸にも突き刺さった。

 以前は、子どもの行動を当然だとしか思っていなかったが、今の自分には、全く別の意味に感じられた。

 

「その通り。――おかしなことだと思いませんか? イビルアイ。あの慈悲深いアインズ様が王になられるということは、その御手による庇護でこの上なく安全に守られるということです。それなのに……、それを受け入れられない愚か者どもが、一体どれだけいたことか!?」

 

 デミウルゴスの口調はとてつもなく激しく、イビルアイはその中に込められた怒りの大きさに打ちのめされた。

 

 ――そうだ。人間はアンデッドを受け入れない。人間だけじゃない。その他の生き物もアンデッドを受け入れない。私だってよく知っていたはずじゃないか……。

 

「アインズ様は魔導国の民を守るために本当に力を尽くされました。しかし、彼らがアインズ様を受け入れるのに、一体どれだけの時間がかかったことか。今でも、まだアインズ様に対して反感を持っているものもいる。モモン様の御名声がなければ、恐らくもっと時間がかかったでしょう。それに、ヤルダバオトの存在がなければ、この世界自体も、アインズ様による支配を受け入れることはなかったかもしれません」

「それは……」

 

 まさしく事実だった。

 そもそも同じアンデッドであるイビルアイだって、最初は魔導王に対して反感や嫌悪しか抱いていなかったのだから。

 

 モモンが誰からも認められる英雄でなかったら……。

 ヤルダバオトという世界共通の敵ともいうべき存在がいなければ……。

 

 エ・ランテルの市民が魔導王に抵抗して暴徒と化していた可能性もある。そうすれば、リ・エスティーゼ王国にも、少なくない被害が出ていたことだろう。

 

 バハルス帝国やスレイン法国が完全に魔導国や王国と敵対して大規模な戦争が勃発したかもしれないし、場合によっては、蒼の薔薇の仲間たちもそれに巻き込まれて全滅していたかもしれない。

 

 だが、問題はそれだけじゃない。

 世界全てから拒絶されたとしたら、アインズはどうなってしまっただろうか?

 

 あの強大な力を持つアインズが肉体的な傷を負うとは思えない。

 しかし、心には恐らく大きな傷跡を残したことだろう。

 

 アインズが生者に対する慈しみの心を喪い、八欲王のように凶悪な力で世界を滅ぼす真の魔王に成り果てていた可能性もある。今のエ・ランテルのように、平和で全ての種族が平等に暮らせる、イビルアイにとっての理想郷は生まれることすらなかったのかもしれないのだ……。

 

(アインズ様は、まだ生者に対する情を完全に喪っているわけじゃない。でも、アンデッドはいつそうなってもおかしくない。むしろ、私やアインズ様のように、敵意をもたないでいられる方が例外なんだ。そうだ、二百年前のあの時だって……)

 

 イビルアイは古傷ともいえる苦い記憶を思い返した。アンデッド化することで無限の生命を得られても、アンデッドの特性に引きずられてただの化け物に堕ちてしまう、そんな者たちのことを。

 

 それを考えれば、今のアインズは、ある意味奇跡のような存在なのだ。

 

 イビルアイは、左手の指輪からじんわりと温かい熱のようなものを感じる。それは、イビルアイの冷たい身体も温めてくれるような気がした。

 

(ガガーラン、ティア、すまないな。でも、どちらかしか選べないとしたら、私は……)

 

 確かにあの事件で王都には少なくない被害が出た。イビルアイも大事な仲間を一度は失うはめになった。それを全く何も思わないわけじゃない。

 しかし、今のイビルアイにとっては、あの優しい骸骨を守ることのほうがもっと大切だった。

 

「……確かに、そうかもしれない。いや、間違いなくそうだったろうと思う」

 

 イビルアイは肩から力を抜くと、静かに頷いた。

 

「あなたなら、きっと理解してくれると思っていましたよ。イビルアイ」

 

 先程までの強い怒りは消え失せ、そこに立っているのはいつもどおりの穏やかなデミウルゴスだった。

 長い間脅威としか思っていなかった、あのヤルダバオトの影はそこには既に全くなかった。

 

「ただ、一つだけ教えて欲しい。独断で、と言っていたが、下手をすればヤルダバオトは……世界中から追われることになったかもしれない。そうなれば、アインズ様にとっても痛手だったのではないのか?」

「そういう可能性が全くなかったわけではありませんが、きちんと手は打っていましたから大丈夫です。それに、それは私にとっての最悪の事態ではありませんから」

 

 デミウルゴスは、まっすぐにイビルアイを見ている。

 

「私はアインズ様に自分自身の全てを捧げるつもりですし、アインズ様の御為になることであれば、今後も手段は選ばないつもりです。もちろん、アインズ様の御心に反しない程度には。――あなたは、どうなんですか?」

「わたしは……、わたしだってもちろん、そのつもりだ!」

 

 ひどく真剣に問われて、イビルアイはむきになって答えた。

 

「結構。なら、この話はおしまいということでいいですね?」

「あ、ああ。その、ありがとうございます、デミウルゴス様」

 

 相手が自分よりも高位の存在だったことを思い出し、イビルアイは慌てて軽く頭を下げた。

 デミウルゴスは、気にしないとでもいうかのように無造作に手をふり、再び歩き出した。

 

 その後ろ姿を追いかけながら、イビルアイはぼんやりと考えに沈んでいた。

 イビルアイには、なんとなくデミウルゴスの気持ちはわからなくはなかった。

 

(恐らく、デミウルゴス様はアインズ様に必要とされたいんだろう。私だって、アインズ様に必要とされたいし、アインズ様のためなら多分なんだってやると思う。その覚悟だってある。でも、私が出来ることって何かあるんだろうか?)

 

 ナザリックには、力でも知恵でもイビルアイよりも上を行くものがたくさんいる。特技といえば魔法の研究くらいだが、アインズは自分が及ぶべくもないレベルの魔法の大家だ。

 

 側にいると約束はしたし、それをアインズは喜んでくれたようには見える。だけど、アインズの隣に座りたい人は、他にもたくさんいる。おまけに、王であるアインズは後継を強く周囲から望まれているが、自分は子どもを作ることすらできないのだ。

 

 先程まで一緒にじょしかいをしていた面々を思い出して、イビルアイはため息をついた。

 

(アインズ様はあんなに慕われているし、尊敬するものも多いのに、何故、あの時、あんなにも、不安や哀しみをいだいているように見えたのだろう?)

 

 以前、初めて自分の前にモモンとして現れた時の背中は非常に頼もしく、自分をどんな危険からも守ってくれるように思えた。

 

 でも、自分の故郷の廃墟でのアインズは、まるで打ちひしがれた子どものようだった。

 

 だからこそ、イビルアイは無性にこのひとを守ってあげなければ、という思いにかられたのだ。

 今思えば、自分より遥かに大きな力を持つアインズを守るなんておかしな話だけれど。

 

 不意にアインズが優しくしてくれたキスを思い出して、イビルアイは仮面の下で顔を真赤にした。

 

(それなのに、まったく、アインズ様ときたら! まさか、あんな風に誤解しているなんて思ってもみなかったぞ。でも、そういうところも、好き……ではあるかな……)

 

 見た目はあんなに恐ろしいのに。知れば知るほど中身とのギャップが大きいように感じられる。

 一緒にいたいのはもちろんだが、イビルアイも、アインズから必要だと言われたかった。

 

(でも……。私がアインズ様にしてあげられることって……何なんだろうか……?)

 

 ナザリックの入り口近くでデミウルゴスに声をかけられるまで、イビルアイは深い思念にふけった。

 しかし、いくら考えても、答えは出なかった。

 

 

 

 




佐藤東沙様、リリマル様、誤字報告ありがとうございました。

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次の更新についてなのですが…

次回以降は第四章の核心に入っていくことになります。ある程度ストックはあるものの、
まだ最後まで書き終わっていないので、今後修正が発生する可能性があります。
そのため、この後の部分については、第三章と同様に、
最後まで書き終わってからの公開ということにしたいと思います。

なるはやで頑張ろうとは思っているのですが、年度末なこともあり諸般の事情が重なりすぎているので
当初目標にしていた14巻発売には間に合わないかもしれません。
気長にお待ちいただけるとありがたいです(`・ω・´)ゞ

本当に申し訳ございません。優しい読者の皆様に深い感謝を…


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4: 前哨

大変長らくお待たせいたしました。
今度こそ本当にラストまでいきますので、最後までお付き合いいただけると嬉しいです。
結構ハードな展開になりますので、嫌な予感がする方はブラウザバックでお願いします。


 アインズ・ウール・ゴウン魔導国とスレイン法国。

 

 その国境地帯にはカッツェ平野が広がっている。

 アンデッドが多く出没する危険地帯だったことから、以前はこの地の所有権を主張する国などなかった。

 

 この地にわざわざ足を踏み入れるのは、アンデッド退治で日銭を稼ぎにやってくる冒険者か、不浄の土地であることを利用して戦争を行う場合くらいのものだ。

 

 しかし、現在は、広大な呪われた土地の大半が浄化され、マーレの魔法で実り豊かな土地へと変わっている。

 見渡す限りの麦畑が広がり、多くのスケルトンたちが黙々と畑の手入れを行っている。

 そこには、もはや以前の面影は残っていない。

 

 もっとも、スレイン法国との国境との緩衝地帯に相当する部分は、いまだアンデッドの出没する地帯のまま残されていた。

 

 魔導国にとっては、そこにいるアンデッドは脅威になるものではないし、手軽な冒険者の訓練場所としても使える。

 それに、カッツェ平野の脅威を多少残しておくほうが、法国に対する抑えになるだろう、というアルベドの進言によるものだ。

 

 そんなカッツェ平野の南の端には、スレイン法国の小さな開拓村があった。

 村の周囲には麦畑や野菜畑が広がり、ちょっとした果樹の類も存在している。

 特に目につくところもないような、のどかで平凡な農村だ。

 もっとも、カッツェ平野にほど近いこともあり、村全体を守るように頑丈な石造りの塀がめぐらされていた。

 

 普段なら、その塀の上では、万が一に備えて、武器を持った男たちが交代で警戒にあたっている。

 

 しかし、今は、その塀の周囲を無数のアンデッドが取り囲んでおり、塀を乗り越えようと次々と積み重なって、塀の上に攻撃を仕掛けてくる。

 男たちは必死にそれを追い払おうとしては、逆に塀から引きずり落とされていた。

 

 村の中では、非常事態を知らせる鐘の音がなり響き、慌ただしく武器を持った人々が走り回っていた。

 

「村の門を塞げ! なるべく時間をかせぐんだ!」

「下から火矢を放て! 塀を死守しろ!」

 

 村人は突然の攻撃に必死の抵抗をしてはいるものの、次から次へと湧いてくる大量のアンデッドの前では、そんな努力もあまり効果があるようには見えなかった。

 

 

----

 

 

 村の中央には、大きく堅牢な建物が立っていた。

 牧歌的な村の雰囲気とは、明らかに相容れない石造りの建物の内部には、奇妙な形状をした実験設備が並び、数人が慌ただしく資料のようなものを集めては、袋に詰め込んでいる。

 

 その集団を指揮している研究者風の老人のところに、一人の男が駆け込んできた。

 

「所長! 早くお逃げください。ここは危険です!」

「一体、何がどうなっているのだ!?」

 

「大量のアンデッドが村を襲っております。ここ最近は、アンデッドがカッツェ平野から出てくることも稀だったのですが、気がついたら大量のスケルトンが村を取り囲んでおりまして……。追い払おうとして、火矢を射掛けたのですが、連中はとにかく数が多くて、いくら倒してもきりがありません。逆にこちらのほうが押されております!」

 

「なるほど。……場所がら、アンデッドどもが出てくるのはおかしくないが、どうも胡散臭い。わかった。ともかく、一旦撤収して、どこかの聖典に応援を求めるとしよう。だが、貴重な資料だけは持ち出さねばならん。回収作業を急げ! 終わり次第脱出する。その間、お前達は少しでも時間を稼げ。いいな?」

「畏まりました!」

 

 部屋中のものが唱和すると、老人は入ってきた男に顎をしゃくり、男は頷いて部屋から出ていこうとした。

 しかし、男が外に出ようと扉を開けると、そこには黒い鎧をまとった巨大な騎士が立ち塞がっていた。

 明らかに、その騎士は邪悪な雰囲気を漂わせている。

 

「な、なんだ!? お前は……!」

 

 反射的に、男は脇に差していた剣を抜いて斬りかかったが、雄叫びを上げる騎士の禍々しい剣の一閃でその場に倒れた。

 

「オァアアアアアァア!」

 

「ま、まさか、死の騎士……!?」

「ヒィ! こっちくるな!」

 

 老人は絶望的なうめきを漏らした。伝説のアンデッドを目にした者たちは混乱して我先にと逃げ出そうとした。

 次の瞬間、死の騎士は老人の左足を容赦なく斬りつけ、膝から下を刎ね飛ばした。老人は激痛で声を上げ、床に転がる。

 部屋の中の空気が恐怖で凍りついた。

 

「デス・ナイト、ここにいるものはなるべく殺さないように。情報を持つものは貴重ですから。逃げられない程度に痛めつけてください」

「オオォオ!!」

 

 いつの間にか、騎士の後ろには、見慣れない奇妙な仮面を着け、手にはガントレットを嵌めた黒いローブの男が立っている。

 

 仮面の男の命に応えるようにフランベルジュを振り上げたデス・ナイトは、再びやるべき仕事を再開した。

 

 

----

 

 

 パンドラズ・アクターは、占拠した建物の窓から外の様子を確認した。

 

 村の周囲、半径二キロメートル以内には不審なものを寄せ付けないよう隠密系のシモベを配置してある。

 村の内部に脅威となるものがいないことは確認済みだ。

 後は入れ物の中身を掃除して、この場所そのものを焼き払えば、作戦は終了となる。

 

 下手人が魔導国である証拠は残さないように気をつけてはいるが、恐らく法国には魔導国の仕業だとわかるだろう。

 だが、どのみち、法国も地図にも記載されていないこの村のことで魔導国を責めることはできないはずだ。

 そもそも、この件で、最初に手を出してきたのは法国なのだから。

 

 村の狭い路地を利用して、アンデッドたちは作戦通り村人をうまい具合に追い立てている。

 アンデッドたちとの繋がりを辿り、パンドラズ・アクターはアンデッドの指揮官に次の指示を与えた。

 

 今回の作戦もそろそろ仕上げの段階だ。

 この分なら、綺麗な死体もたくさん手に入るだろうし、上手く捕らえた人間のいくらかはデミウルゴスの牧場に寄付してもいいだろう。

 

(まったく、我が神に害意を持つものたちなど、容赦する必要も感じませんね)

 

 仮面の下に隠した骸骨の目で、パンドラズ・アクターは素晴らしい演劇を鑑賞するかのように、しばらく村の様子を見ていた。

 やがて、部屋の中の者たちを弄んでいたデス・ナイトは、作業を一段落させたらしく、唸り声を上げた。

 

「オオオォ!」

「ふむ、デス・ナイト。ご苦労」

 

 シモベを労うと、くるりと振り返り、仕事の具合を確認した。

 

 そこには、死なない程度に痛めつけられた捕虜たちが、十人ほど怯えた目でこちらを見ている。

 

「数もちょうどいいですね。素晴らしい! さてと、お話を聞くのは私の仕事ではありませんから、とりあえず、場所を移動してもらいましょう」

 

 パンドラズ・アクターは門を開くと、デス・ナイトに捕虜をその中に放り込ませる。

 

「法国のものを下手に尋問して、死なれると厄介ですからね。後はニューロニストに任せるとしましょう。さてと……影の悪魔(シャドウ・デーモン)!」

 

 パンドラズ・アクターは周囲に姿を現した影の悪魔に、村中を徹底的に捜索するように命じると、まだ口が開いたままの袋の中身を確認していく。

 

 手にした資料を手早く流し読み、とりわけ重要そうなものを読んでいるうちに、シモベが一体戻ってきた。

 

「パンドラズ・アクター様。村の内部に点在する畑で、ご指示通りのものが発見されました。外の畑は通常の麦や野菜だけでした」

「そうですか。恐らく外の畑はカモフラージュなのでしょう。では、一部をサンプルとして保存し、後は焼き払うように」

「畏まりました」

 

 シモベが姿を消すと、再び、パンドラズ・アクターは資料に目を戻す。

 今、手にしているのは、まだ書きかけの報告書と思われるものだ。

 計画の進行状況の一部が書かれている。

 

(どうやら、ここが例の薬の実験研究設備ということで間違いないようですね。しかも、この宛名……。やはり、この件は法国中枢部が噛んでいましたか。この内容からすると、そろそろ攻勢に出るべきかもしれません。まぁ、判断は守護者統括殿にお任せするとしましょう)

 

 パンドラズ・アクターは、不意に美しいサキュバスの顔を思い出した。

 

 今回の作戦で使用したアンデッドは、全てパンドラズ・アクターが作成したものだ。

 それがアルベドからの指示だったからだ。

 

 アルベドは、実戦でどの程度違いが出るのか確かめたいから、と言っていた。

 パンドラズ・アクター産はアインズが作成したものと比べれば若干性能は劣るものの、一般的なアンデッドよりは強化されているのだから、それほど遜色ないことは自明のはずだ。

 なのに、なぜアルベドはわざわざ、そのような指示を出したのだろう。

 

 命令を受けたときに不思議には思ったものの、アルベドの表情はいつもと変わりはなく、特に不審なところは見られなかった。

 しかし、パンドラズ・アクターの直感がアルベドに注意すべきだと告げていた。

 

 アルベドはある意味自分の同志だが、完全に共闘しているわけではない。

 そもそも、アルベドのチームの副官にというのはアインズの指示だし、目的が同じなら協力するのはやぶさかではない。

 

(ナザリックの全てを父上に捧げたいという統括殿の気持ちは私と同じ。問題はその手段です。あの方は聡い方ではありますが、時々暴走されるふしもある。まぁ、知恵比べなら私も統括殿にそう劣るものではありません。我が神はそのように私を創造してくださったのですから! ともかく、父上に危害が及ぶような事態だけは避けなければ)

 

 アルベドがアインズに対して害意を持っているとは思わない。

 だが、それでも、パンドラズ・アクターはアルベドを完全に信用することはできなかった。

 

――注意深く。慎重に。なにしろ、アルベドはあの狡猾なタブラ・スマラグディナの娘。私の知らない切り札を持っていてもおかしくない。実際、ルベドは最重要機密扱いで、私とてわからないことが多い。詳しい知識があるのは、恐らく、アインズ様とアルベド、そしてニグレドくらいのはず。

 

 シモベたちが戻ってくるのを待ちながら、パンドラズ・アクターは部屋に置かれたままになっている様々な道具を手にとってみた。

 ナザリックでは見たことがないものも多く、法国独自のものである可能性も高い。

 アイテム愛好家心がくすぐられるのと同時に、その利用価値も値踏みする。

 

 手元の資料を確認すれば、ある程度使い方はわかるだろうし、新しいアイテム開発に役に立ちそうに思える。

 場合によっては、ンフィーレアやフールーダあたりの知識を活用するのもいいだろう。

 

「とりあえず、使えそうなものは全部回収しておきますか。恐らく、アインズ様もお喜びになるでしょう」

 

 パンドラズ・アクターは自分に言い聞かせるように呟く。

 その時、不意に〈伝言〉が届いた。この付近の監視を手伝ってくれているニグレドからだ。

 

 見た目は恐ろしいが愛情深く、そして表裏のないニグレドは個人的には好ましい相手だ。

 しかし、作戦中にわざわざ連絡してくるのは、おそらくあまり好ましくない理由に違いない。

 

『パンドラズ・アクター、おかしな動きをしているネズミが警戒地域に入ったので念の為報告しておくわね。短めの金の髪の女。目立ちにくいローブを羽織ってはいるけど、只人ではないように見える。多分法国人じゃないかしら』

「ありがとうございます、ニグレド。こちらで早速対処いたしましょう」

 

 そこで伝言は終了するかと思われたが、ニグレドは迷うような口ぶりで言葉をつなげた。

 

『パンドラズ・アクター。あまりこういうことは言いたくないのだけれど。最近あなたは私の二人の妹たちとよく行動しているようね?』

「えぇ、まあ。同じチームですからね。アインズ様の御命令ですし」

『……気をつけて。厄介ごとの予感がするわ。それが何かはよくわからないけれど』

 

 ニグレドの口調は妙に真剣だった。

 パンドラズ・アクターも彼女の狂乱ぶりを知っている手前、どこまでニグレドを信用していいのかはよくわからなかったが、少なくとも今の言葉は信じてもいいように思われた。

 

「ご忠告ありがとうございます。肝に命じておきましょう」

『それならよかった。……じゃあ、監視任務に戻るわね』

 

 ふつりと繋がりが切れるように伝言は終了する。

 パンドラズ・アクターは思わずため息をつく。

 

 ニグレドの言葉は、どれもかなりの厄介ごとのように思われた。

 

(この件が片付いたら、どのみち、一度父上とはお会いする予定でしたし。その際に少しお願いしてみましょうか。父上が頷いてくださるといいのですが……)

 

 さすがに、自らの創造主であるアインズが、自分の頼みを無碍にするとは思えなかったが、内容が内容だけに断られる可能性も十二分にある。

 だが、とりあえず打てる手は全て打っていくしかない。

 最善手がダメなら、その時は次善の策をとればいいのだ。

 

 ひとしきり想定可能な問題への対策を考え終わると、パンドラズ・アクターは即座に直近の問題へと頭を切り替えた。

 

 なにしろ、今はまだ、大切な作戦中なのだから。

 影の悪魔を再び呼び出すと、村の周囲に配置しているシモベあての命令を言付けた。

 

(ニグレドがわざわざ連絡してくるということは、恐らくただの村娘ではないのでしょう。さて……)

 

 しばらくして、一体のエルダー・リッチが姿を現すとパンドラズ・アクターの前で跪いた。

 

「どうしました?」

「はっ。警戒網の端をすり抜けようとした女を一人発見したため捕らえました。御命令にあった者ではないかと思われます」

 

「ローブに身を包んだ人間の女ですね?」

「はい。見た目は見すぼらしいのですが、妙に訓練された動きをしておりました。実際、かなりの数の下位アンデッドがその女に倒されてしまいまして……。申し訳ございません」

 

「それは構いません。あれらは、所詮、いくらでも替えがきく者たちですし、アインズ様の御手で作られた者たちでもありませんから。とはいえ、それほどの強さを持つものが、偶然ここを通りかかるというのも妙ですね。まだ敵には、ここの襲撃を知られていないはずですし」

 パンドラズ・アクターは僅かだけ首を傾げて考え込んだが、すぐに再び口を開いた。

 

「まぁ、せっかくですから、少し話をしてみましょう。ここに連れてきてください」

「畏まりました」

 

 シモベは再び姿を消した。パンドラズ・アクターは様々な可能性を考慮しつつも、その場で待った。

 

 

----

 

 

 夕暮れ時のエ・ランテルでは、仕事帰りの人々が忙しげに行き来している。

 家で待っている家族の元へ急ぐものもいれば、行きつけの酒場へと足を運ぶものもいる。

 木の棒を振り回して遊んでいた子どもたちも、賑やかにそれぞれの家路についている。

 街の通り沿いには〈永続光〉で作られた灯りが設置され、ほんのりと夕闇の街を照らしている。

 

 そんな中、蒼の薔薇は、久しぶりに全員揃って『漆黒の双剣亭』で祝杯を上げていた。

 

「はぁー、お酒は本当に美味しいわよね」

 ラキュースはグラスの中身を一気に飲み干し、満面の笑顔を浮かべた。

 

「ははは、まったくだな。このところ、締め切りとやらに追われて、ゆっくり飲んでる暇もなかっただろ。今夜は思いっきり楽しもうぜ」

「ボスも鬼だけど、モモンはもっと鬼」

「そ、そんなことないわよ! モモン様はいろいろ気遣って、差し入れとかもしてくださったし!」

 

 顔を真赤にして否定するラキュースを見て、一同は爆笑した。

 

「鬼リーダー、完全にデレてる」

「まぁ、惚れた男に頼まれちゃ断れねぇよな」

 

 笑いながらガガーランに思い切り背中を叩かれ、ラキュースは軽くむせた。

 

「べ、別にそういうことじゃなくて! なんというか、その、私が書いたものを喜んでくれる人たちがたくさんいるのが嬉しかったのよ。そもそも、これまでは、あまり人に見せたりしたことすらなかったし……」

「そういえば、ラキュースが書き物をする趣味があるなんて知らなかったぞ。なんで隠していたんだ?」

「えっと、それは……、その、そういうことしてるって、あまり人には知られたくなかったというか……。恥ずかしかったというか……」

 

「モモンには自分から見せた。私達には見せなかったのに」

「調査済み。嘘ついてもダメ」

 

 すまし顔でティアとティナに指摘され、ラキュースは後ろめたそうにグラスを手の中でいじりまわした。

 

「ラキュースも本当に変わったよな。でも、俺はそういうのいいと思うぜ。やっぱり人生は楽しまなくちゃな! 色ごとなしの堅物じゃつまらねぇだろ」

「私も同感だな。そんな隠すようなことでもないだろう。それに、何と言ってもモモン様は格好いいからな。ラキュースは見る目があると思うぞ」

「……そういや、最初にモモンのことを騒いでいたのはイビルアイだったしなぁ。すぐに魔導王陛下に乗り換えたみたいだけどよ。でも、いいんじゃないか? いろいろ試してみるのも乙なもんだろ?」

「うぇ!? そ、それは、その……私は別にそういうわけじゃ……」

 

 ガガーランに突っ込まれて、イビルアイも口の中で言い訳をつぶやきながら黙り込む。

 自分から矛先がそれたのを見て、ラキュースは慌てて話題を変えた。

 

「ね、ねぇ、それはそうと、久しぶりに数日ほど時間ができそうなの。だから、せっかくだし、皆でどこかに探索に行かない? アゼルリシア山脈に行って以来、蒼の薔薇としての活動はほとんどしてなかったし」

 

「あぁ、そうだなぁ。言われてみれば、随分長いことエ・ランテル内部での個別活動しかしてなかったか」

「仕方ない。鬼リーダーは忙しそうにしてたし、イビルアイもちょくちょく姿が見えなかった」

「ガガーランも童貞を追っかけ回してた」

 

「俺は駆け出しの連中に剣を教えてただけだろ! そういうお前らだって、アウラ様とマーレ様に貼り付いて嫌がられてたじゃねぇか」

「私達も仕事の話をしていただけ」

「別に嫌がられるようなことはしていない」

 

「ほんと、お前らも相変わらずだよな。まぁ、いいけどよ」

 

 ティアとティナの言い分を聞いたガガーランは呆れたように肩をすくめ、再び酒をあおる。

 

「ねえ。ちょっと、皆、真面目に聞いてよ。それでどうかしら? 直近のあなた達の予定はどうなってるの?」

 

 どうしても話が脱線しがちな三人を軽く睨みつつ、ラキュースは懐から手帳を取り出してパラパラとめくった。

 

「そうだな……。私は明日アウラ様と一日出かける約束をしているが、それ以降なら大丈夫だぞ」

「俺は、明後日、ルーン武器の新作を試してみて欲しいと組合長に頼まれてるな」

「同じく。私達も明後日は都合が悪い」

 

「そういうラキュースはどうなんだ?」

「うーん、……次の依頼まで四日ほどしか空きがないの。明日と明後日の予定が埋まっているなら、今回遠出するのは無理かしらね」

 

 ペンを片手に頬杖をつき、顔をしかめながら手帳をめくっていたラキュースは、少しがっかりしたように言った。

 

「それじゃ仕方ねぇよ。無理しなくてもいいだろ。明日じゃなくても、いくらでも機会はあるさ。別にこれが蒼の薔薇としての最後の活動とかいうわけじゃなし」

 

 ガガーランの軽い一言で、ラキュースは更に落ち込んだようだった。

 

「……そうなのよね。実はそれも気になっていたの。今は、私も執筆活動で忙しくて、冒険者としての日々の鍛錬もおろそかになっているわ。でも、本当なら、蒼の薔薇として冒険するのが本業なわけじゃない? もちろん、他の冒険者の指導をしたり、組合の運営に協力したりするのもそうだけど。アダマンタイト級冒険者だからこそ、私達はかなりの報酬を魔導国から頂いているのだし」

 

「まぁ、確かにそれはいえてるな。ただ、どのみち、依頼をよこしてるのはモモンだの、魔導国のお偉方だろう? だったら、別に構わねぇんじゃないか? それに、なんだ。ラキュースも随分一生懸命やってるみたいだしなぁ」

 

「そ、それは……否定しないけど……」

 

「鬼ボスはモモンと一緒でまんざらでもなさそう」

「こないだは、自分の部屋に引き込んでた」

 

「ちょっと! 人聞きの悪いこと言わないでくれる!?」

 

 顔を真赤にしたラキュースが、手に持ったコップをがちゃんと乱暴にテーブルに置き、他の三人は大きな笑い声をたてた。

 

「もう……、本当にしょうがない人たちね。――本当は、まだ、こういう話をするつもりじゃなかったんだけど、私達だって、いつまでも冒険できるわけじゃないでしょう? 確かに三十過ぎても冒険者で居続ける人もいるけれど、女性ではほとんどいないし。男性だって、そのくらいで表舞台からは引退して、第二の人生を歩む人が大半だわ。アインザック組合長みたいに冒険者をバックアップする側に回ったり」

 

「それは仕方ないだろう。冒険者なんて死と隣り合わせの仕事だ。歳をとれば身体もどうしても動かなくなってくる。人間が老いるのはあっという間だ。それに、冒険者同士で結婚して引退することも多いしな。いくつになっても独り身で、気の向くままにうろついているのは、あのリグリッドぐらいなもんだろう」

 

 イビルアイは辛辣にいった。

 

「がはは。確かに、あの婆さんを目指すのは無理だわな。まぁ、実を言えば、俺もいずれは手頃な童貞を捕まえて、結婚とかよぉ、そういう人生を考えてないわけじゃないぞ?」

「ガガーランに正面から立ち向かう童貞なんているわけない」

 

「なぁに、どんな男も最初は童貞さ。手取り足取り、このガガーラン様が仕込んでやれば、いずれはきっと良い具合になる。……まぁ、それは冗談としても、もし、俺に釣り合う相手がいたら、そろそろ俺も身の振り方を考えてもいいかなとは思ってる」

 

 少しばかり照れくさそうな顔をしてガガーランは言った。

 

「もしかして、ガガーランの血の色は青じゃなくてピンク?」

「乙女にクラスチェンジしたガガーランには近寄りたくない」

 

 その話で、イビルアイは最近、ふと耳にしたことを思い出した。

 

「ん? まさかとは思うが、ガガーランが釣り合う男って武王のことか? 最近、闘技場で手合わせしてるそうじゃないか?」

 

「おい! いくら相手が童貞だからって、武王な訳ないだろ! そもそも、あいつはトロールなんだから、身体の大きさ自体も比較にならねぇし。だけどまぁ、とんでもないやつだよ。帝国でも最強の剣闘士だったとは聞いたが、さすがに種族の差はでかいな。俺じゃ全然歯がたたねぇわ」

 

「……武王は童貞なのか……」

「ガガーランの特殊タレントは種族も関係なく検知できるんだ?」

「うわぁ、どんびき」

 

 他の面々が多少引いているのをよそに、ガガーランは機嫌よく話を続けた。

 

「なんでも、今度、武王は嫁さん貰うらしいぜ。しばらく故郷に戻るから、当分、訓練はお休みだとさ」

 

「へぇ、知らなかったわ。ガガーランは武王ともよろしくやってたの?」

 

 からかうような口調のラキュースを、ガガーランは軽く鼻で笑った。

 

「あぁ、魔導王陛下に頼まれてな。前にイビルアイがいってたれべるあっぷの儀式だっけか? 武王が冒険者の訓練相手になったとしたら、どのくらい効果があるか知りたいそうでな。一応、武王もそれなりに手加減はしてくれてるらしいんだが、俺でもかなり厳しいから、そのへんの冒険者じゃ、そもそも手合わせしたら死んじまいそうだ。まぁ、おかげで、俺自身はかなり鍛えられたけどよ」

「確かに、しばらく見ないうちに、一回りくらい体が大きくなった気がするわね」

「真面目に、種族かわってそう」

 

 冗談も交えながら、ひとしきり、全員が近況を報告しおわると、ラキュースは再び諦めきれないように手帳をパラパラとめくった。

 

「……やっぱり、今回は探索は延期ということで決定かしらね?」

「たまにはゆっくりしたらどうだ? ラキュースだって散々忙しかったんだし。今回は、休暇にして羽を伸ばせばいいじゃないか。それとも、モモン様を誘ってどこかに行ってみるのはどうだ?」

 

 イビルアイは努めて明るい声を出したが、ラキュースは更に落ち込んだようだった。

 

「それが……、モモン様はナーベさんと一緒にしばらく国境地帯の視察に出かけてご不在にされるんですって。今回原稿を取りにいらしたのも別の方だったし……」

 

 盛大なため息をつくラキュースに、ガガーランとイビルアイは顔を見合わせる。

 

「うん、ま、まぁ、それも仕方ないな。よし、今夜は思いっきり飲もうぜ。な!?」

 

 ガガーランは空になったラキュースの盃に酒をなみなみとつぐ。その盃を手に取ってラキュースは一気に喉に流し込むと、いつもの彼女らしからぬ乱暴な仕草で、他の面々の盃にも溢れんばかりに酒をついだ。

 

「そうよね! いいこと言うじゃない、ガガーラン。さぁ、皆、じゃんじゃん飲むわよ!?」

 

 四人は思わず顔を見合わせた。完全にラキュースの目が据わっている。

 

「ははは、それじゃ、俺たちも思いっきり付き合うか! 乾杯!!」

「かんぱーい!」

 

 豪快にガガーランは杯をあおると店員を呼んだ。ティアとティナは黙々と盃を口にする。

 陽気な店員がテーブルに新しい酒瓶を何本も並べていく。

 蒼の薔薇の威勢のいい飲みっぷりを見て、他の客も囃し立てた。

 

(今夜は長そうだな……)

 

 賑やかな酒場の喧騒の中で、イビルアイは呆れたように呟いたが、同時に微笑ましい気持ちにもなる。

 仲間が楽しそうにしているのを見ているのは悪くない。この場に自分が共にいられることも。

 ナザリックで過ごすのとは違う幸せが胸を満たす。

 しかし、それと同じくらい、今日は寂しさを感じないではいられなかった。

 

(アインズ様が昔の仲間やナザリックを大切に思う気持ちはわかるな。私だって、リーダーのことも、あの時の仲間たちも……。故郷のことだって忘れられない。今でも大事な思い出だ。それに、こいつらだって……)

 

 いつまでもこの光景を見ていられるわけではない。それはよくわかっている。

 

 彼女たちは普通の人間だ。

 アンデッドである自分とは違う時の流れを生きている。

 どんな形になるかはわからないが、いずれ、そう遠くない日に必ず別れは訪れるのだから。

 

 

 




佐藤東沙様、誤字報告ありがとうございました。

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ようやく更新再開する目処がつきました。
今後は3日毎に更新予定です。
3章よりも長くなります。
完結までお付き合いいただけると嬉しいです。


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5: 蠢動

 アルベドはエ・ランテルにある自分の執務室で、忙しく仕事をこなしていた。

 

 アルベドには秘書官のようなものはいないが、シモベの中から何人か選んで、行政官のまとめ役のような仕事をまかせている。

 連絡事項の伝達や書類の受け渡しを個別にやると面倒だからだ。

 

 さすがに属国の高官との折衝までは任せられないが、各種の報告書や様々な資料、陳情などに対する下処理までは彼らの仕事だ。

 

 アルベドは、彼らが次々と持ってくる綺麗にまとめられた報告書を受け取り、手際よく書類をチェックしていく。

 問題があればその旨を書いて担当に差し戻し、必要に応じて追加の指示も出す。

 

 魔導国が誇る美貌の宰相は、疲れも見せずにそれらの面倒な雑務を次々と片付けていった。

 

 以前に比べれば、魔導国の行政を執行する体制は整いつつあったが、属国や支配する亜人種や異形種の数が増えたことで、アルベドが処理する仕事の量は増えるばかりだった。

 しかし、それ自体は別に気にならない。

 それだけの仕事を任せてもらえるということは、自分に対するモモンガの信頼の証でもあるのだから。

 

 山積みになっていた書類も次第に残り少なくなってきて、アルベドは軽くため息をついた。

 どうやら、今日受け取った書類の中にも、アルベドが長いこと待ちわびている報告は入っていないようだ。

 

 アルベドは美しい眉をひそめた。

 

(やはり、あの連中では無理なのかしら? 人間としてはまぁまぁ使える方だと思っていたのだけれど。下等生物の寄り集まりではあることだし、あの娘に比べれば、多少劣るのは仕方がないわね)

 

 スレイン法国。

 

 この世界にやってきて、すぐに起きた出来事やその後の状況から、アルベドは、法国が何らかの鍵を握っているに違いないと、かなり早い段階で目星をつけていた。

 

 しかし、何分証拠は少ない。

 以前捕らえた法国人たちから得られた情報はごく僅かだ。

 ただ、これまで相対してきた王国や帝国などと比べても、明らかに成熟した国家のように思われる。

 独自の六大神信仰を持っていることもそうだし、かなり整備された国家体制を敷いているのもそうだ。

 

 おまけに、魔導国建国の際は、あえて戦いに介入することを避けている。

 まるで、なるべく魔導国とはことを起こさぬように、慎重に距離をとっているかのように。

 

 リ・エスティーゼ王国には、かなり大掛かりな工作をしていたことと比べると、まるで異なる動きだ。

 主がそう睨んでいるように、ぷれいやーの知識の影響を受けた結果なのかもしれない。

 

(パンドラズ・アクターが見つけたあの女をなんとか懐柔したいところね。あの女は法国のかなり深い部分の情報を知りえる立場だったはずよ。そう、少なくとも、陽光聖典の隊長と同じくらいには。あの時は、完全に無駄にしてしまったけれど、今回は同じことを繰り返さないようにしなければ。モモンガ様の御為ですもの)

 

 愛しの君の麗しい白い容貌を思い出して、ひとしきりうっとりした後、アルベドはもう一人の不快な男を思い出して身震いをする。

 

「まったく。あのエルフの王がもう少しまともな頭をしていたら良かったんだけど。あれじゃ、王国の馬鹿と大差ないじゃない。こともあろうに、この私に対して言い寄ろうとしてくるなんて!」

 

 アルベドは獣のような目つきで自分の肌に触れようとした男を思い出して、ギリッと歯ぎしりをした。

 

「まぁ、でも、馬鹿は馬鹿なりに使いようはあるわ。何より、あのエルフは完全に私の言いなりだし、使い潰しても問題ない。それに、聞き出した話が正しければ、エルフの国の支配自体は、あの王がいなくともスムーズにいくはず。ただ、気になるのは、法国との軋轢の原因になったとかいう娘の件ね……」

 

 完全に色ボケした男の話を、どこまで信用できるのかは、さすがのアルベドにも判断は難しかった。

 なにしろ、娘は法国の神の血筋などと口走っていたのだ。

 

 スレイン法国の建国が六百年前なのだから、人間種でありながら、その血筋が残っているとすれば、かなり奇跡的なことに思われる。

 それとも、法国にはまだぷれいやーが密かに生き延びているのだろうか。

 

 エルフなどの長命種、もしくは、人間原理主義的な法国であれば考えにくいが、異形種のプレイヤーがいた可能性は否定できない。

 何より、法国の神の一人は、モモンガに酷似しているらしい。

 

 単に魔法で姿を変えていたとかならともかく、本当にモモンガと同格のオーバーロードだったとしたら。

 だとすれば厄介だ。

 

(デミウルゴスが例の薬を牧場で実験してみたところ、人間種よりも亜人種や異形種への影響が大きかったといっていたわね。気分が高揚し、よりその本能を駆り立てるような行動を取るようになったとか)

 

 理性を失い、凶暴性が強いものは暴走し、人食を好むものは見境なく人を襲う。

 

 アルベドとしては、ナザリック以外のものが争うことに別にたいして興味があるわけではない。

 しかし、主が築こうとしている国の邪魔になるなら話は別だ。

 少なくとも放置しておけば、魔導国にとって致命的な毒になりかねない。

 

 恐らく、法国は、正面切って戦うよりも、魔導国の内部から混乱を引き起こすことで、内部崩壊を狙っているのだろう。

 

(もちろん、そんなことはさせないわ。私たちを見くびったことを、スレイン法国にはたっぷり後悔させてあげないといけないわね。もっとも、あの薬は上手く改良できれば、良い効果にも使えそうだけど。そう。例えば、アンデッドを性的に興奮させるとか……)

 

 一瞬、良からぬ想像をして、アルベドはうっとりとするが、すぐに気を引き締めた。

 今の優先事項は他にあり、緊急事態になる前に、必要な手を打たなければならないのだ。

 

(デミウルゴスだけじゃなく、パンドラズ・アクターにも任せてみようかしら。アイテムの扱いや知識ではさすがに、彼の右に出るものはいないし。カルネ村にいるモモンガ様のお気に入りの人間にやらせてみるのも悪くはないけれど、今回は避けたいところね)

 

 アルベドは対策を思案しつつも、流れるように書類を捌いていく。

 この程度の仕事を完璧に遂行できないようでは、モモンガの正妃など務まらない。

 

――全く、甘いわね。どう考えても、モモンガ様の隣に座る資格があるのは私一人。焦らず、じっくり攻略していけばいいだけのことよ。それに、あの計画さえ上手く行けば、モモンガ様の御心は間違いなく私のものになるはず。シャルティアもアウラも、それにドラウディロンやイビルアイだって、私の敵にはなりえない。まぁ、モモンガ様の足元に侍るくらいは認めてやってもいいけれど。くふふふふふ!

 

 モモンガが自分の身体を抱きしめ、愛していると囁くところを想像して、アルベドは思わず下腹部に向かって手を伸ばしそうになるが、理性でなんとかそれを押し留めた。

 あと、ほんの少しだけ我慢すれば、そんなことを自分でしなくても良くなるのだから。

 

 何も知らずに、自分と同格だと本気で思っているらしい四人のことを思い出して、アルベドはニンマリと笑った。

 

 それから有能な宰相の顔に戻ると、思いついた作戦案を、いくつも紙に書きつけていく。

 しかし、どれも実行するにはそれなりの数のシモベが必要になりそうだ。

 

「アウラかマーレあたりの協力があれば、もっと楽なのかもしれないけれど。今の段階で守護者クラスを動かすのは避けたいわね。できれば、私のチームと、ナザリックのシモベの一部だけで対処出来るのがベストね」

 

 ナザリックのシモベであれば、基本的には守護者統括であるアルベドの一存で動かせる。

 しかし、下級なシモベならともかく、高レベルのものまで動せば、他の守護者たちにも知られてしまうだろう。

 そうなれば、アルベドが密かに進めたい計画が漏れる可能性だって否定できない。

 

 ドリームチームのメンバーなら秘密裏に動かせるが、数はそれほど多くはない。

 主の特別なはからいで能力が高いものを取り揃えてもらったとはいえ、その分数は限られているのだ。

 能力の高いシモベは、その分必要になるコストも高いことは、アルベドとて理解している。

 

 ナザリックの資金が潤沢だとしても無駄遣いは禁物だ。

 それに、戦力的には既に過剰ともいえる。

 これ以上を望めば、あらぬ疑いをかけられかねない。

 

 モモンガはアルベドを信頼してくれているようだが、デミウルゴスはアルベドに何か思うところがありそうだった。

 

(薬の改良の件も含めて、後でパンドラズ・アクターに少し相談したほうが良さそうね。今の段階でデミウルゴスを敵に回すのは危険すぎる。もっとも、今回の件がうまく行けば何の問題もないのだけれど)

 

 アルベドは小さくため息をついた。

 

 これまでも、モモンガの命で、法国を少しずつ探ってはいたが、あの広大な地域をしらみ潰しに探すのに、思いのほか、時間がかかっていた。

 

 エルフの国を攻める際はニグレドにも協力してもらったが、法国中心部の調査に関しては、魔法的な対抗手段が存在することを警戒したモモンガに却下された。

 

 しかし、やはり姉の協力が得られるのはデメリットを上回るメリットがあるはずだ。

 それに、アルベドは他にもニグレドに頼みたいこともある。

 もう一度、新たな情報を踏まえて説得すれば、主が認めてくれる可能性は高いだろう。

 

 ただ、一点問題があるとすれば、ニグレドの件を再度持ち出すことで叡智あふれる主がアルベドの隠された目的を看破してしまうことだ。

 アルベドとしては、なるべくなら、モモンガには最後まで知られずにことを運びたかった。

 

(まだ少しパズルのピースが足りないわ。それに手札も……)

 

 その時、軽いノックの音が聞こえる。入室の許可を出すと、メイドが一人恭しげに銀のトレイを持って入ってきた。

 

「何かしら?」

「失礼いたします。アルベド様、お手紙が届いております」

「そう、ありがとう」

 

 アルベドは差し出されたトレイから一通の封書を手に取った。

 裏返して差出人の名前を確認すると、メイドに向かって軽く頷く。

 メイドはお辞儀をすると、静かに退室していった。

 

 扉の閉まる音とともに、はやる心を抑えつつ手紙の封を切り、内容を確認する。

 それは紛れもなく、アルベドが待ち望んでいた情報だった。

 

(どうやら、最後のピースが揃ったようね。これが吉と出るか凶と出るか……。いいえ、何としてでもやり遂げてみせるわ。モモンガ様と私の未来のために)

 

 アルベドの美しい口元は薄く歪んだ。

 

 

----

 

 

 スレイン法国神都にある大神殿の最奥部では、六大神の像が立ち並ぶ神聖な部屋で、法国の運命を握る首脳陣が一同に会していた。

 

 しかし、明るい表情のものは一人もいない。

 疲れ切った様子で、声にも落ち着きはなかった。

 

 このところ、彼らはこの部屋に詰め切りで会議を続けている。

 議題はもちろん、魔導国に関してだ。

 

 数年前、魔導王がバハルス帝国と手を組み、エ・ランテルの領有権を主張してリ・エスティーゼ王国に戦争をしかけた時は、魔導王の力を見極めるためにも静観すべきという意見でまとまったため、中立の立場を維持し、手出しはしなかった。

 

 魔導王が世界を滅ぼしうる力を持つことが判明した後は、魔導国がエ・ランテルのみを保有する小国であるうちに、人間を主体とする国家と密かに手を組むことで、対魔導国戦線を作り、魔導国の崩壊を狙うべく行動するつもりだった。

 

 だが、魔導国に膝を屈したとはいえ、何らかの策を持っていると思われたバハルス帝国とは、密かに接触し、可能であれば協調しようとしたが、逆に鮮血帝の罠に完全にはめられてしまった。

 

 リ・エスティーゼ王国や竜王国は、もともと、戦力として全く当てにしてなどいない。

 戦力的にも心情的にも法国に近いと思われたローブル聖王国は、今や完全に魔導王にひれ伏し、あろうことか、魔導王を国守の神として祀り上げ、第二の魔導国となっている。

 

「アインズ・ウール・ゴウン神王……、とか言っているそうだな? ローブルの馬鹿どもは」

「ローブル聖王国、いや、もうローブル神王国でしたか。あそこだけではありません。魔導王の圧倒的な武力に魅了された異形種や亜人種、それに、魔導王に救われた形になっている王国や竜王国でも、そう呼んでいるものは多いようですよ」

 

 

「竜王国か……。長年、少なからぬ協力をしてきたのだが。その恩義を忘れたのか? いくら人間種の国とはいえ、あそこの女王は竜王。やはり、異形種は信用ならん」

 

「まぁ、ここ数年は、エルフの王国との戦争に手間取って、竜王国への支援が多少おろそかになっていたのは事実です。せめて属国になる前に、バハルス帝国が支援してくれればよかったのですが……」

 

「鮮血帝は、そんな無駄なことはせんだろ。何しろ、機を見るに敏なやからだ。我らに対して手ひどい裏切りをするほど、今は魔導王に心酔しているようだしの」

 

 力ない笑い声がそこかしこから上がる。

 バハルス帝国が信用できないのは、スレイン法国としてもかなりの痛手だった。

 

「それにエルフも、最近、急に力を盛り返したように見えます。一体、どこで戦力を調達して来たのやら」

「あの狂王が、まともなことを考えられるとは思えんのだが。全く、このところ、何もかもがうまくいかんな」

 

 全員が、深いため息をつく。

 

 エルフの王国との長年に渡る戦争は、スレイン法国の勝利が確定していると思われていた。

 事実、王都近郊に前線基地まで築いていたのだ。

 

 ところが、今はどういうわけか、完全に膠着状態に陥っている。

 それどころか、最近はスレイン法国の国境付近まで敵勢力が迫ってきていた。

 そう遠からず、エルフの国を制圧する予定だっただけに、これは大きな誤算だ。

 

 現時点でスレイン法国は、孤立無援といってもいい状況。

 

 しかも、かねてより対魔導国用の秘策である研究を行っていた施設が何者かに襲われ、研究結果や設備、資材ごと無に帰してしまった。

 

「うまくいけば、魔導国を内部から崩壊させられる良い手だったのですがねぇ」

「全くだ。あの場所を喪ったのは痛いのう……」

 

「ライラの粉末の改良には、かなりの時間がかかっていますし、詳細な実験資料やデータや資材は、ほぼ全てあの場所に保管していました。薬もまだ完成しているわけではありません。こちらにもサンプルや経過報告書など、多少の資料はありますが、それだけでは実験を再開するには不足でしょう。更にいうと、もう一度実用になるレベルの研究体制を構築するには、かなりの年月が必要と思われます。あの地で研究を行っていたのは、我が国でも屈指の魔法研究者ばかりでしたし」

 

 確認された状況を細かく記した書類が回されるにつれ、事態の深刻さが一同に共有される。

 

「突如としてアンデッドの大群に襲われた、か……。普通の人間や亜人などはあまり近づかない場所ということで、カッツェ平野の側近くを選択したのですが。警備をもっと厳重にすべきだったのかもしれません」

「じゃが、非常時に対処できるだけの人員は配置していたはずだろう? やはり、カッツェ平野からのアンデッドではなく、彼奴の手にかかったとみるべきではないか?」

 

「報告によれば、数は異様に多かったものの、襲ってきたのはほとんどが普通のスケルトンで、エルダーリッチが多少交じっていた程度というではないか。魔導王の軍勢としては、あまりにもお粗末ではないか?」

「魂喰らいを荷馬に使っているような国ですからなぁ」

 

「確かに、伝説級のアンデッド軍団を率いる魔導王とは思えない貧弱な軍勢です。しかし、逆にカモフラージュとしてあえてそういう軍勢を使った可能性もあるのでは」

「魔導王は武力だけではなく、知略にも優れていると聞きます。やはり、今回の襲撃は魔導国によって行われたと判断すべきでしょう」

 

 全員が大きく頷き、部屋の中のピリピリとした雰囲気は一段と強くなる。

 

「そうなると、敵に情報が全て渡ったと見るべきだな。最悪だ。あの作戦がもはや使えないとは……」

「それだけではない。今までは一応、中立の立場を貫いてきた我が国が、敵対していることが知られてしまったのだぞ。魔導国の次の標的が、この国であることは間違いない」

 

「既に魔導国は、何らかの手を打ってきているはずだ。多少偽装していたとはいえ、我が国の都市をおおっぴらに襲撃したということは、こちらに知られても問題ない段階だと判断しての行為だろうよ」

 

「早急に他の対抗手段を考えねばならんな。そんなものがあればだが」

「――我が国以外に存在する、魔導国にも対抗できるだけの力を持つ人材を集めては?」

 

「我が国の精鋭以上となると、かなり限られるぞ? 冒険者でもできればアダマンタイト、最低でも白金ではないと使い物にもならん」

「しかし、もう、他国の目ぼしい冒険者は魔導国に取り込まれている。リ・エスティーゼ王国に所属していた漆黒のモモン、蒼の薔薇、朱の雫。彼らは既に魔導国に移籍している。竜王国のクリスタル・ティアや、バハルス帝国の漣八連も、魔導国の息がかかっている可能性が高い。カルサナス都市国家連合に移籍した銀糸鳥なら、話にのってくるかもしれないが」

 

「銀糸鳥には亜人が所属している。彼らと手を組むのは国民感情的に難しくはないか?」

「となると、アダマンタイト以下の冒険者、ということになりますな。早急にスレイン法国の理念に賛同しそうなものたちと、コンタクトを取るよう取り計らいましょう」

 

「それがいい。人材は貴重だ。あくまでも丁重に行うのだぞ?」

「心得ておりますよ」

 

「……こうなると、ガゼフ・ストロノーフを喪ったのは思いの外痛手ですな」

「なにを今更。それに、あやつは、魔導王には全く歯が立たなかったのであろう?」

「魔導王の力は底知れないですから、むしろ、その事実を我々に伝えてくれただけでも、十分ガゼフは役に立ったといえるでしょう」

「それも、そうだな……」

 

「しかも、魔導王にはデス・ナイトに魂喰らいの大軍勢がいる。あれらが出てくるなら、漆黒聖典でも勝ち目はないでしょう。……彼女と隊長をのぞけば」

 

 彼女、という言葉を聞いて、部屋の雰囲気が若干やわらいだ。

 そう。スレイン法国には、まだ最後の切り札、神の力を色濃く引き継ぐものたちが残っている。

 

 それに、魔導王に効果があるかは定かではないものの、宝物殿には神の宝が鎮座している。

 魔導王が神の力を持っているとはいえ、こちらにも神の力はある。

 人類の守護者として、最後まで戦い抜く覚悟もできているのだ。

 

「彼女は、これまでずっと戦いを欲してきています。竜王たちを敵に回したくはありませんが、彼女なら、竜王たちすら敵ではないかもしれません」

「そうか、そうだな。我々はまだまだ戦える。魔導王に対して、少しばかり弱気になりすぎていたようだ」

 

 少し乾いた笑い声が部屋に響いた。

 誰も本気でそう思っていなかったとしても、ここにいる面々は、人類の最後の砦といっても等しい。

 絶望的な考えばかりにとらわれているわけにはいかないのだ。

 

「正直、魔導王に研究結果が渡った可能性など考えたくはありませんから、ただの事故だと思いたいですがね」

「もしくは、ズーラーノーンが裏で動いていたという線もあるのでは? 数年前のエ・ランテルの事件は、あやつらの犯行だったではないか」

 

 ズーラーノーンの名前で、再び、幹部たちは顔を見合わせ大きくため息をついた。

 

「まさか、クインティアの片割れが、あのような事件に首を突っ込んでいようとはな……」

「漆黒聖典の恥晒しとは、まさにあれのことです。しかも、ようやく捕縛してみれば、持ち出したはずの叡者の額冠の在り処も知らぬとはな」

 

「本人は死んでいたから知らない、と言い張っていたが、本当に知らないとみて間違いないのか? 拷問が手ぬるかったのでは?」

「それはありませんよ。こちらも手加減する余地はありませんでした。しかし、もはや、動く力もないと牢に捨て置いたはずが、まさか逃げ出すとは……」

 

「案外、逃げ出すすきをずっと狙っていたのかもしれん。そのくらいはやる奴だ。全く、油断がならぬ」

 

「追手はかけているのだろうな?」

「はい。しかし、今のところ、完全に痕跡を見失っております。どこかで忽然と姿を消したような。最悪、再びズーラーノーンの手を借りているのかもしれません」

 

「全く腹立たしいやつよ。しかし、逃げられてしまったものは仕方がない。今は、むしろ、魔導国への対処に注力すべきだ。それでなくとも、エルフの国にも手間取っている。クレマンティーヌのことになど、かまけている余裕はない」

 

「どうでしょう。魔導国への対抗策は推し進めなければなりませんが、先にエルフの国を一気に叩き潰しては? 二正面作戦は避けねばなりません。魔導国を相手取るだけでも、我々の手にはあまるのですから」

 

「賛成です。今の我が国は、周囲を魔導国とその属国にほぼ固められた状況に陥っています。それだけでも、不利なのに、その上、戦線を二つ維持するなど、正気の沙汰ではありません。今、魔導国と正面対決することになれば、間違いなく、我が国は滅びることになるでしょう」

 

 それは、誰もが考えていた事実だった。

 沈黙が部屋を覆い尽くす。

 

「……しかし、今更、この戦いを避けることはできないだろう。明らかに、先に手を出したのは我々だ。いつ宣戦布告が行われてもおかしくない。その前に、魔導国に謝罪し、属国に成り下がることもできよう。が、アンデッドが支配する国にひれ伏すことなど、国民は納得しないだろう」

「ですな。だからこそ、長年、評議国とさえ国境を接しないように苦心してきたわけですから」

 

「では、我々の結論としては、エルフの王国との戦争を早急に終息させ、対魔導国への体制をつくる、ということでよろしいかな?」

 

 神官長の言葉に、全員がうなずく。

 実際、もはや、それしか取り得る手段はありえない。

 

「では、エルフの王国にとどめを刺す戦力としてはいかほどが適当か?」

「そうですな。神都の守りとして漆黒聖典の一部だけを残し、残り全ての聖典を一気に投入してはいかがでしょう。ことは一刻を争うのですから」

 

「もっともだな。では、総指揮は漆黒聖典の隊長に任せ、神都の守りには彼女をあてよう。さすがに、彼女をエルフ王と会わせるわけにはいかないからな」

「それでよろしいかと」

 

 神官長が、漆黒聖典の隊長を呼び出すように言いつけると、ほどなく、隊長が現れ、無表情に部屋にいる面々を見回すと、丁寧に会釈をした。

 

「お呼びにより、参上いたしました」

 

「ご苦労。早速で悪いが、エルフの王国との長年の戦争を早急に終わらせる必要が出てきた」

「……それは、魔導国との関係によるものですか?」

 

「さすがに察しがいいな。そのとおりだ。一時復帰していたものを含め、漆黒聖典及び、まだ神都に残留している全ての聖典を対エルフ戦線に投入することとする。総指揮官には君を任命する。目標はエルフ王の首、もしくは身柄だ。生死は問わない。どんな手段を使っても構わない。二週間以内でケリをつけてきてくれ。ただし、彼女と漆黒聖典の一部は神都の守りに残すように。人選は一任する」

「かしこまりました。……ところで、あの槍はいかがいたしましょうか?」

 

「エルフ王は破滅の竜王とは違う。あの神宝は今回は不要だろう。むしろ、魔導王かその配下に使う必要が出てくることを考え、宝物庫に残しておくように」

「はっ。仰るとおりだと思います」

「今日の夜には、神都を出立するよう手はずを整えよ。武運を祈る。六大神の御加護がありますように」

 

 隊長は無言のまま神官長に頭を下げると、部屋に並べられた六大神の像に歩み寄り、慇懃に礼をした。

 

 




佐藤東沙様、誤字報告ありがとうございました。


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6: 終わりの始まり

 今日やるべきことを片付けたアインズは、ナザリック第九階層の自室に戻ってきていた。

 

 いつになく、アルベドが上機嫌だったのが気にはなったが、余計なことに足を突っ込むと墓穴を掘りそうだったので、あえて詳しく聞かなかった。

 

 こういう中途半端な姿勢が良くないのだ、とはわかっている。

 だが、ただの平凡なサラリーマンでしかなかったアインズは、仕事ができない上司の口出しは、できる部下の邪魔にしかならないことを心得ていた。

 

 それでなくとも、仕事中、ずっと脇に立っているアルベドの胸が非常に近いところにあって、顔を少しでも動かすと当たりそうだったのだ。

 

 いくらあまり性欲がないアインズといえども、全く興味がない……わけではない。

 だが、セクハラする上司なんて最低だ。

 例え、それが部下の望みであったとしても。

 

 ――くふっ。ご興味がおありなら、お好きになさってよろしいのに。

 

 そんな声が聞こえた気もしたが、多分、アインズの空耳だろう。

 さり気なく、セバスがアルベドを制止しやすい位置に移動していたのも。

 天井に控えている八肢刀の暗殺蟲たちが、妙にざわついてたのも。

 

 ともあれ、今日は一日そんな調子で、アインズは細心の注意を払って、アルベドの胸を回避するのに精一杯で、正直、書類の中身もあまりよく覚えていなかった。

 

 アルベドがあからさまに残念そうに退出していくと、疲れるはずのないアンデッドの身体でもどっと疲労感を感じ、早々にナザリックの自室に引き上げてきてしまった。

 

(まぁ、機嫌が良いということは、上手くいっているということなのだろう。それに、何か問題があれば、アルベドの方から報告してくるのは間違いない。仕事に関しては、アルベドは完璧だからな!)

 

 一応、この後は予定もないので、何をしても良かった。

 だが、特にすることも思いつかなかったので、アインズは執務室の奥にある、黒い革張りの椅子に腰をおろした。

 

 このところスレイン法国に不穏な動きがみられることを受け、対策を考えるようにアルベドに命じたものの、部下に丸投げするだけではまずい気がする。

 なにしろ、プレイヤーかそれに準ずる存在が背後にいる可能性は否定しきれないし、その場合、NPCだけでは対処しきれないかもしれない。

 

(報告では、これまでは魔導国への接触は意図的に避けていたと思われる、だったか。確かに、帝国と組んで王国と戦ったときも、法国は抗議文の一つも出してこなかった。だが、この世界に転移して来て、一番最初に俺と接触したのは法国だし、アインズ・ウール・ゴウンの名は、いちはやく、あの国の中枢に伝わったはずだ。であれば、俺と魔導国の関係に気が付かなかったはずはない。まぁ、もし本当にプレイヤーが法国にいるのなら、アインズ・ウール・ゴウンの名前くらいは知っているだろうし、だからこそ、これまでは、あえて中立の立場をとっていたのかもしれないが)

 

 自分たちが悪名で鳴らしていたのは事実だから、警戒されるのは当然だ。

 

 しかし、最初は、多少悪印象もあったかもしれないが、聖王国でも、王国でも、竜王国でも、魔導国はそれなりに名声も評価も上げてきたはずだ。

 

 はじめは一都市のみだった、魔導国の支配地域も、かなり広がった。

 スレイン法国の周囲は、ほぼ全て、実質的に魔導国の支配下にあるといってもいい。

 

 だからこそ、そろそろ法国から正式な外交手段でのアクションがあると思っていた。

 しかし、影では何やら動いているようだが、いまだに法国は魔導国に、使者の一人も送ってこない。

 この状況下で、なぜ、彼らは沈黙を保っているのだろう。

 

 イビルアイにもそれとなく聞いてみたが、あの国はあまり信用できないし、どんな秘密を隠していたとしてもおかしくはない、と言っていた。

 

(そもそも、シャルティアを洗脳したのは誰だったのか? 調べた限り、王国でも帝国でもない。もちろん、聖王国でも竜王国でもなかった。かといって、王国の領土内で、国境侵犯してまで活動する可能性がある国なんて限られている。それに、俺がカルネ村で出会ったのは、法国の特殊部隊だった……)

 

 アインズは、机の引き出しを開けて、かなり詳細に描かれた現在の魔導国とその周辺国家が描かれた地図を取り出し、属国となった王国と竜王国の南に大きく広がる法国をつぶさに眺めた。

 

 蒼の薔薇のティアとティナの協力もあって、魔導国周辺の地図の精度はかなり増した。

 例のプレイヤーが作成した古地図を元に地形を検討した結果、ナザリックが存在している地は、巨大な大陸のごく一部でしかないことも判明した。

 

 現在、アインザックにも協力してもらって、古地図を元に、冒険者たちによる探索も少しずつ進められている。

 冒険者たちが少しずつ未知を解き明かしていけば、現在のこの世界の状況が徐々に明らかになるだろう。

 すぐには無理でも、何十年、何百年もすれば、この異世界の全てを詳細に記した地図が出来上がるはずだ。

 

(その頃には、もしかしたら魔導国が世界を統一しているのかもしれない。もちろん、今後転移してくる他のプレイヤーや、この世界にいる強者への対策を怠るわけにはいかないが、その頃には、少しは俺もこの世界を自由に見て歩いたり出来るようになっているだろうか……)

 

 一瞬、『アインズ・ウール・ゴウン神王陛下』として祀り上げられ、外出もままならなくなる未来の自分の姿も思い浮かんだが、アインズは、あえてそれに気づかなかったことにした。

 

 最近の守護者たちは、エ・ランテルであれば、ある程度アインズが自由に散歩することに反対しなくなった。

 

 他の場所も、アインズ・ウール・ゴウンの支配下になり、安全を確保したということになれば、エ・ランテルと同様の扱いにしてもらえる可能性は高い。

 もっとも、それが自由な冒険といえるのかは疑問だが……。

 

 アインズが考え込んでいると、部屋の扉がノックされた。

 メイドの取り次ぎで入ってきたのはアルベドだった。

 

「アインズ様、お休みのところ、失礼いたします」

「構わん、立て」

 

 目の前で優雅に跪いて頭を下げるアルベドに、アインズは声をかけ、側に来るよう手招いた。

 

「もっとこちらに来るがいい、アルベド」

 

 アルベドは一瞬嬉しそうに羽を震わせたが、すぐに真剣な顔になった。

 

「一体どうしたのだ? 何か急用か?」

「はい。アインズ様、できれば人払いをお願いしたいのですが」

 

 人払いと言われて、一瞬アインズは身構えたが、アルベドのただならぬ様子を見て、おとなしく頷き、他のものに退室するよう命じた。

 八肢刀の暗殺蟲の最後の一体が部屋から出ていくのを確認してから、アインズはあらためてアルベドに向き直る。

 アルベドは感謝するように軽く頭を下げた。

 

「ありがとうございます、アインズ様」

「いや、構わないとも。それで、何かあったのか?」

 

「はい。アインズ様にも既にご報告しておりますように、パンドラズ・アクターを指揮官としたドリームチームにより、スレイン法国の研究施設の襲撃、及び、調査を進めておりましたが、無事、中核となっていた村の襲撃を完了し、各種資料の押収、及び、研究に携わっていた者たちの捕縛を行いました。現在は、それらの情報を分析しているところです」

 

「そうか、よくやった。さすがはアルベド、見事な手腕だ。ただ、それだけで人払いをしたのではないのだろう?」

 

「ご明察の通りでございます。実は、今回の作戦中に、漆黒聖典に以前所属していたと自称する女を捕らえることに成功しました」

「漆黒聖典、というと、法国の特殊部隊の一つだったか。なぜ、そのようなものを捕らえることになったのだ?」

 

「本人の話を総合すると、単なる偶然で、こちらの作戦目標近くをうろついていたようです」

「偶然? それにしては、出来すぎているような気もするな。まさかとは思うが、こちらの動きが法国にバレているのか?」

 

「いえ、どうやら別件のようです。理由はまだ不明ですが、この女はスレイン法国から追われていたようです。拷問を受けた形跡もみられました。自力で逃亡して、国外脱出しようとしていたところを、ニグレドの警戒網に偶然引っかかったようです。姉の報告では、当時の警戒網付近では、追手らしいものや、監視の形跡は、特に見られなかったとのことです」

 

 アインズは、なるべく重々しく見えるように頷いた。

 

「なるほど。裏は既に取ってあるわけだな。法国にこちらの動きを気取られることを危惧していたが、そのようなヘマをアルベドがするはずはなかったな。だが、油断は禁物だ。彼らに、我々が知らない情報収集手段があったとしてもおかしくはないのだからな」

 

「仰るとおりかと思います。しかし、姉の情報探査能力はかなりのものですし、敵からの探知を避けることにも長けています。あれを上回るのは、かなり困難でしょう。今回の作戦でも、姉の協力がなければ、ここまでの成果はあげられなかったかもしれません。ですので、アインズ様のお許しがいただけるのであれば、今後も姉の力を借りて、法国での作戦を進めたいと思っているのですが……」

 

 アルベドがこのタイミングでここに現れた理由を、だいたい理解して、アインズは苦笑した。

 もしかしたら、少しばかり、自分が慎重すぎたのかもしれない。

 だが、安全をある程度確認してから行動するのは、間違ってはいないはずだ。

 一歩間違えば、大切な子どもたちを危険に晒すことになりかねないのだから。

 

「そうだな。私はナザリックを逆探知されることを懸念していたが、確かにニグレドの能力は、もっと評価してしかるべきだろう。――わかった。お前がそこまでいうのであれば、当分、ニグレドをスレイン法国への作戦に参加させることにしよう。使い方は、アルベド、お前に一任する。くれぐれも、敵にこちらの存在を気取られないように」

 

「ありがとうございます。このアルベド、アインズ様の御期待に添えるよう努力いたします」

「もちろん、お前はいつも私の期待に応えてくれているとも。これからも頼むぞ」

 

 アルベドはひどく真剣な顔つきで、静かに頭を下げた。

 その様子に、アインズはなんとなく違和感を覚えた。

 

 いつもなら、アインズが褒めれば、アルベドはもっと嬉しそうな顔をするし、なんなら、腰の羽もふわふわとはためかせることだろう。

 場合によっては、肉食獣のような目つきでアインズを見ることだってある。

 

 しかし、今のアルベドに、そのような浮ついた雰囲気はまったくない。

 

 アインズは軽く首を傾げたが、あえてそこに突っ込むことは避けた。

 アルベドがそれだけ真剣にことに当たるくらい、スレイン法国は生易しい相手ではないということなのだろう。

 少なくとも、これまで相手にしてきた国々に比べれば。

 

「漆黒聖典か……」

 

 アインズは初めてこの世界に足を踏み降ろした時に出会った事件を思い起こす。

 陽光聖典は、自分たちの目的を達成するためなら、躊躇なく行動するように、かなりの訓練を積んでいるように見えた。

 その様は、ある意味ナザリックにも通じるものはある。

 

 最初の出会いがあのような形ではなかったら、法国と協調することもあったのだろうか。

 アインズはふと考え込んだが、やがて、そんなことはありえないと結論づけた。

 彼らの人間至上主義は、ナザリックとも魔導国の理念とも相容れない。

 そう遠くないうちに、スレイン法国とは戦いになるのは間違いないだろう。

 

 不意に、強い意志の力でアインズを見据える男の瞳が頭をよぎる。

 最終的には敵対することになったものの、あの男は最後まで自分を信頼してくれていたのだろう。

 彼の力強い瞳への憧れを思い出すのと同時に、僅かな不快感を感じた。

 そもそも、法国はあの男を罠にかけ、狩り殺そうとしていたのだ。

 

「それにしても、特殊部隊に所属していたものを捕らえるとは。何か内紛でもあったのか? スレイン法国は固い信仰で団結している国という印象だったが、彼らも一枚板ではないのかもしれないな」

 

「アインズ様の御推察の通りかと。言葉もおぼつかない部分はありますが、スレイン法国中枢部に近いところに所属していただけのことはあり、なかなか興味深い情報を持っているようでございます。現在、ニューロニストが慎重に尋問を行っております」

 

 アルベドの確かな手腕に、アインズは満足気に頷いた。

 

「ニューロニストなら、安心して任せられるな。ところで、以前、話を聞き出そうとした者たちは、情報を話せる回数が限られていたが、その女はどうなのだ?」

 

「今のところ、そのような制限は受けていないように思われます。もしかしたら、法国で尋問を受けた際に、制限を解除されたのかもしれません。ただ、今回も前回と同じような症状で死んだ場合、蘇生実験を試みようかと思っておりますが、よろしいでしょうか?」

 

「そうだな。危険性が全くないわけではないが、これまで集めた情報からすると、試しても別に問題はないはずだ。貴重な情報を持っている人物であれば、かかる費用の元も十分とれるだろう。ただし、その場合は、私もその場に立ち会わせてもらうぞ。構わないな?」

 

「もちろんでございます。その際はアインズ様にお声がけさせていただきます。それと、この女の追手と思われるものたちを発見できれば、そのものたちも有用な情報源となるかと思われます。そちらも、姉に探知させたいと考えておりますが、それもよろしいでしょうか?」

 

「現状をかんがみれば、やむを得ない。まぁ、それが不要な用心であって欲しいものだが、油断は禁物だ。さすがはアルベドだな」

 

 アルベドは嬉しそうに微笑むと、軽く頭を下げた。

 

「それで、アインズ様にお願いしたいことが……」

「ふむ? 一体何だ?」

「これまで得た情報を考慮しますと、やはり法国の中枢を探る必要があるかと存じます。そのため、法国でルベドを動かすご許可をいただきたいのです」

 

 アルベドの言葉は全く想定していなかったわけではないが、さすがのアインズも一瞬躊躇した。

 ルベドはナザリックの最大の切り札の一つだ。

 アルベドのドリームチームの一員であり、本来であればアルベドが自由に動かしても問題はない。

 ただ、この世界のことが、いまだによくわかっていない現状としては、可能な限り、切りたくない札ではあった。

 

 アインズは少しばかり考え込んだ。

 

「そうだな……。本来、ルベドの指揮権はお前に渡しているから、自由にしていいと言いたいが、行き先が法国ではな……。さすがに、かなりの緊急性がなければ却下したいところだ。アルベド、理由を聞かせてもらえるか?」

 

「法国の中枢部には、六大神が遺したとされるマジックアイテムが数多く存在しているそうです。しかし、その番人は、かなり強力な能力を持つ存在なのだとか」

 

 そこまで聞いて、アインズは、既にない心臓が大きく鼓動を打ったような気がした。

 

「……法国には世界級アイテムが存在するのか? それに、その番人とやらは、お前たちと同様の存在なのか?」

 

「そこまではわかりませんでした。しかし、私達と同等の能力を持っている可能性はあります。ただ、先祖返り、と口走っておりましたので、神人と呼ばれる存在かもしれません。なにしろ、話の内容が支離滅裂で、理解するのも困難なものですから……」

 

 アルベドは、珍しく困ったような表情を浮かべた。

 

「それなら、いっそ、私が記憶操作で中身を確認してみてもいいが?」

「いいえ! 御身を煩わせるほどではございません。不明瞭ではあるものの、本人は聞かれたことには素直に答えておりますし。この件につきましては、どうか私にお任せください」

 

 アルベドの強い口調に、再び微妙な違和感を感じたものの、アインズはあえてそれに突っ込むことは避けた。

 何より、アルベドがそう判断したのなら、自分が判断するよりも間違いないと信じて。

 

「そうか。まぁ、何かあれば気にせず私を頼ってもらって構わないんだからな? では、その女の件は、アルベドに任せることとしよう」

「アインズ様、ありがとうございます」

 

「それと、ルベドだが、そのような状況なのであれば、確かに様々な状況に対応可能な戦力であるルベドを動かす意義はあるだろう。ただし、ルベドを使用するのは必要最低限にし、指揮権を持つアルベドは、ルベドから決して目を離さないように。それと、万が一、手に負えなくなることがあれば、早急に私に連絡せよ。いいな?」

 

「畏まりました。御身の信頼に背かぬよう努力いたします」

「お前はいつも、私の信頼に応えてくれているさ。……くれぐれも、気をつけるようにな」

 

 アインズから優しく声をかけられたアルベドは、一瞬なんとも言えない表情を浮かべたが、そのままおとなしく頭を下げた。

 

 

----

 

 

 アインズの姿を取ったパンドラズ・アクターは〈完全不可視化〉を唱えると、〈飛行〉で空中高く舞い上がった。

 

 都市を覆うように魔法的な警戒網が張り巡らされていることは、既にニグレドから聞いている。警戒網に触れないよう注意を払いながら、都市全体が見えるところまで高度をあげる。

 

 既に真夜中といってもいい時間だというのに、スレイン法国の神都は眩いほどの明かりで満ちていた。

 

 惜しみなくそこかしこに使われているマジックアイテム。

 長い歴史を感じさせる整然とした街並み。

 綺麗に整備された道路や街道。

 この時間であっても警戒を怠らない警吏たち。

 

 人間という弱い種族を擁護する国でありながら、六百年もの間、外敵の侵入を許さず、独自の発展を遂げてきたスレイン法国の強大な国力が感じられる。

 

 パンドラズ・アクターは、取り出した資料と、都市の様子を丹念に見比べ、部分的に情報を書き加えていく。

 しばらくその作業は続いたが、やがて、自分の仕事に満足し頷いた。

 

(こうやって見ると、なかなか良く造られているといえますね。最初にこの国を作り上げた、六大神とやらの教えの賜物なのでしょうが)

 

 パンドラズ・アクターは乾いた笑いを漏らした。

 六大神などと大仰な名前を名乗った愚かな者たちへの侮蔑を込めて。

 

「神と名乗っていいのはこの世でただお一方、我が父なる神だけ。私としては、スレイン法国に対して、特に何かを思うわけではありませんが、傲慢の罪の報いは受けていただきたいところですね」

 

 パンドラズ・アクターはこの上なく大切な御方への忠義と、その寛大さに感謝を込めて、右胸を手で恭しく押さえた。

 

「偉大なる父上を守るためなら、このパンドラズ・アクター、相手が誰であろうとも、躊躇なく斬り伏せてごらんにいれましょう! 例え、この世界の全てを敵に回すことになったとしても!」

 

 ――ともかく、私は、いつもどおり行動するまでのこと。アクターとしての本領を発揮するのはこれからですとも。

 

 パンドラズ・アクターは薄く笑い、マントを大きく翻らせると、〈上位転移(グレーター・テレポーテーション)〉を唱えた。

 

 




佐藤東沙様、誤字報告ありがとうございました。


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7: 魔術師の狂宴

 イビルアイは、顔なじみの門番に軽く挨拶すると、すっかり通いなれた旧都市長の館にある門をくぐった。

 

 といっても、今日は遊びに来たわけではない。

 アインズから呼び出しを受けて来たのだ。

 

(アインズ様がわざわざ私をお呼びになるなんて、一体どんな用件だろう? 特に緊急というわけでもなさそうだったし)

 

 少しばかり首をひねったが、思い当たる節はなかった。

 

 予定の確認はされたが、イビルアイにとっては、アインズの依頼以上に優先しなければいけない用事などない。

 一瞬、先日のデミウルゴスとのやり取りが頭をよぎるが、だいぶ日もたっている。だから、あれが問題になったわけでもないだろう。

 

 少し不安な気持ちがないわけではないが、愛しいアインズに会える口実ができるのは、それだけでも嬉しいことだ。

 浮かれ出しそうになる気分を抑えて、イビルアイはなるべく平然とアインズの執務室に向かった。

 

 時折、人間のメイドが、まるでナザリックのメイドのような綺麗な所作で働いているのが見える。今のエ・ランテルに貴族などいないから、彼女たちはごく普通の家柄の娘のはずだ。

 

 この館でメイド長をしているツアレは、人間でありながらセバス様に見初められたと聞いている。本来、ナザリックは人間種を住まわせない場所だったそうだが、特例でメイド見習いをしていたらしい。

 ツアレ自身も、当初はメイドの経験などなかったそうだから、彼女が一人でメイド達をここまで育て上げたのだとしたら、たいしたものだ。

 

 少し愛嬌のある可愛らしいツアレの顔を思い出しつつ、恐らく、愛するセバスのために、必死になって努力した様が目に浮かび、微笑ましい気分になるとともに、少しだけ心の中で何かが引っかかるのを感じた。

 

(……執事とメイド長か。そうすると、セバス様と一緒に仕事をして、おまけに、ナザリックの同じ部屋で一緒に暮らしている……んだよな? 確か、そういう話を聞いた覚えがある。とすると、ほぼ一日中……、二人で……? いや、べ、別にそういうのが羨ましいわけじゃ……。私だって、いずれはアインズ様の側近くで働けるようになるかもしれないし、それに……)

 

 結婚、の二文字が頭をよぎったが、他の候補の面々の自信ありげな様子を思い出して、イビルアイは心のなかでため息をついた。

 

 結局、少しでもアインズに近づくためには、アインズの役にたち、アインズに認められるしかないのだ。

 アウラやシャルティアが、あれほどまでにアインズに忠誠をつくしているのは、単に支配者として尊敬しているだけではなく、そういう意味もあるのかもしれない。

 

(私も頑張らないとな!)

 

 イビルアイは、そっと左手の指輪をなでると、アインズの執務室の前に立っている護衛に目礼し、いつものように扉をノックした。

 

 既に顔見知りのメイドに中に通されると、部屋の中にはアインズだけではなく、魔術師組合長のテオ・ラケシルと、もう一人見慣れぬ翁が立っている。

 もっとも、その翁の風体を見ただけで、相手が誰なのかはだいたい予想がついた。

 

「お召しにより参上しました。魔導王陛下」

 

 イビルアイは、アインズに対して丁寧にお辞儀をし、二人の魔法詠唱者には会釈をした。

 ラケシルは人好きのする笑顔を浮かべ、イビルアイに向かって軽く手を上げた。

 もう一人は、興味深そうにイビルアイを観察しているようだった。

 

「よく来たな、イビルアイ。忙しい中、ご苦労」

 

 アインズは威厳のある身振りで、イビルアイを手招いた。

 アインズの表情は動かなかったが、イビルアイには穏やかな笑顔を浮かべているように感じられた。

 

 どうやら、何か問題があって呼ばれたわけではないらしい。

 

 イビルアイは少しほっとして、落ち着いた足取りで、アインズの執務机の近くまで歩み寄った。

 なぜか、ちょっとした違和感を感じてアインズの周囲を確認すると、珍しいことに、今日は宰相アルベドの姿はなく、生真面目な表情をしたセバスが後ろに控えているだけだった。

 

(……何かあったのだろうか? いや、たまにはそういうことがあってもおかしくないだろう。アルベド様もお忙しい方だし)

 

 とはいえ、恋敵の視線を感じなくてすむのは、少しばかりありがたく感じてしまう。

 イビルアイはぺこりと頭を下げた。

 

「いえ。アインズ様の御用であれば、それ以上に優先すべきものはありませんから」

「ははは、そうなのか? 私もお前にはずいぶん助けてもらっているから、そういってもらえるのはありがたいことだ」

 

 明るく笑い声を上げたアインズは、先程からアインズの執務机の前で控えている二人の魔法詠唱者を指し示した。

 

「さて、ここにいるラケシルはよく知っていると思うが、フールーダ・パラダインとは今のところ面識がないそうだな?」

「はい。お名前は存じておりますが、直接こうしてお会いするのは初めてです」

 

 仮面を被った自分をじっくりと見定めるような目で見ている老人に、ちらりと目をやり、気が付かれないように、仮面の下でうっすらと笑った。

 

 フールーダは、恐らく自分が使える魔法の位階がどこまでなのかを知りたいに違いない。

 能力を隠蔽する指輪をはめている自分には、位階を看破するフールーダのタレントは通じないから、さぞかし、やきもきしているだろう。

 

(フールーダ・パラダインか。リグリットとは、そこそこ懇意にしていたらしいな。魔法にめっぽう入れ込んでいるキチガイだと言っていたが、この様子だと、あの婆の評価もあながち間違いではなさそうだ……)

 

「では、今日の話を始める前に、まず、お前たちを紹介しなければな」

 

 アインズがゆっくりと執務席から立ち上がり、フールーダとイビルアイの間に立った。

 残りの面々は軽く頭を下げる。

 

「イビルアイ、こちらはフールーダ・パラダインだ。高名な人物だから、既に知っていることとは思うが、バハルス帝国の主席宮廷魔術師であり、バハルス帝国魔法省の重鎮でもある。この度、帝国から正式に魔導国に移籍し、魔法詠唱者の育成等を任せることになったのだ」

「お初にお目にかかる、イビルアイ殿。私はフールーダ・パラダイン。今後よしなに」

 

 アインズに紹介されたとたん、先程までの狂気はいくらか影をひそめ、実力ある魔法詠唱者然としたフールーダは重々しく礼をした。

 

「フールーダ。こちらも、あえて説明するほどではないと思うが、魔導国のアダマンタイト級冒険者チーム、蒼の薔薇の魔法詠唱者であるイビルアイだ。魔法に関してはかなりの実力の持ち主だ」

「蒼の薔薇のイビルアイ。かの高名な三重魔法詠唱者(トライアッド)にお会いできて光栄です」

 

 イビルアイも同様に丁寧にお辞儀をした。

 

「……随分とお若いようですが、あのリグリット・ベルスー・カウラウ殿の後継の魔法詠唱者として蒼の薔薇に所属されていると聞きました。リグリット殿とはお知り合いか?」

「リグリットとは共に旅をしたことがあります。かなり前のことですが」

 

「ほうほう、なるほど。となると、やはりイビルアイ殿は見かけの年齢通りではないのでしょうな? 実は、私も若い頃、彼女には随分世話になったものです。彼女と懇意にされていたのなら、かなりの魔法の知識をお持ちのはず。――できれば、後でゆっくりと魔法談義などしてみたいものですな」

 

 フールーダの瞳が妖しく輝いている。

 少なくとも、先程までの理知的な魔法詠唱者とは異なる、禍々しいオーラが漂ってくるようだ。

 おまけに、側にいるラケシルまでが、異様なまでに熱心にイビルアイを見ている。

 

(しまった。リグリットの知り合いなんて言わなければよかったな。私だって、魔法談義は嫌いじゃないが、どうやら、この爺はかなりたちが悪そうだ……。しかも、ラケシルまでおかしくなってないか? 割と常識人だと思っていたんだが……)

 

 イビルアイは心の中で自分を罵った。

 うかうかと蛇の巣穴に手を突っ込んでしまった、自分の間抜けさに気づいて。

 

「とんでもございません。私はご覧の通りの若輩者。フールーダ殿やラケシル殿のような優れた魔法詠唱者と互角に魔法談義ができるとは思えません。どうかご容赦ください」

 

 なるべく無難にイビルアイはそう返した。

 しかし、魔法談義という言葉を聞いて目をきらめかせたラケシルが、さすがに紹介中は少し離れた場所に立っていたが、終わったと見るやいなや、じりじりと近づいてきていた。

 

「イビルアイ殿、謙遜されなくともいいではありませんか。貴女の実力は、私がよくわかっておりますとも。フールーダ様、私は、彼女は最低でも第五位階、下手をするとそれ以上なのではと思っています」

「ほほう? それは素晴らしい! イビルアイ殿が、それほどの魔法詠唱者だったとは……」

「私ごときではお二方の足元にも及びませんが、そういったお話をされるのでしたら、私も是非交ぜていただきたいものです。何しろ、この胸のうちにある魔法への熱い思いを話す相手がいなくて、長年困っておりまして……」

「そうでしょうなぁ。ラケシル殿ほどの情熱を持つものは、我が不肖の弟子たちにすら、そうはおりません。むろん、その際は、ラケシル殿もぜひご一緒に。魔法の深淵への道を共に歩みましょう」

「ありがたいことです。近いうちに、魔法詠唱者同士で議論などをできる場を設けたいものですな」

 

 ラケシルとフールーダは顔を見合わせると、楽しそうな笑い声を上げ、肩をたたきあっている。

 

 どうやら、二人は、完全に意気投合してしまっているようだ。

 落ち着いた調度で整えられた部屋の中で、そこだけが異様な瘴気が渦巻いているのが、はっきりと感じられた。

 

 二人が暴走しかかっているのを目の当たりにしたアインズは、どうしたものかと、心の中で頭を抱えた。

 

 横目ですぐ近くに立っているイビルアイをみると、仮面に隠れて表情は見えなかったものの、二人からはさり気なく距離をおいているようだ。

 セバスも礼儀正しく立ってはいるが、若干眉をひそめているのが感じられる。

 

 顔合わせがてら、話が一回ですむほうが効率がいいと思って、三人を一度に集めたのだが、さすがに失敗だったかもしれない。

 あの二人の性癖はよく知っていたはずなのに。

 

(多分、ドン引きしているよなぁ、イビルアイ。そりゃ、俺だって、好きなことを夢中になって話すことはあるし、語りたいことだって山程あるけど、どう考えても、ここまでじゃないぞ? まぁ、この二人はこういう連中だということが、イビルアイに伝わったと、好意的に考えるしかない。どのみち、顔合わせは必要だったんだし……)

 

「やめよ、二人とも。今日はそのような話をするために、お前たちを呼んだわけではない」

 

 アインズは片手を上げ、少しばかり威圧的な声で二人を制した。

 

「魔導王陛下、大変申し訳ございません!」

 

 慌てて土下座しようとするフールーダを手振りで止めると、何事もなかったかのように、威厳ある動きをいつも以上に意識しながら部屋を横切り、奥に置いてあるソファーの上座に座ると、残りの三人を手招いた。

 

「フールーダとイビルアイの紹介もすんだことだし、立ち話もなんだから、こちらで話をしようではないか」

 

 ラケシルとフールーダはさすがにバツが悪そうな顔をしたが、二人ともおとなしくアインズの向かい側のソファーに座った。

 それを見て、イビルアイも素直に二人の隣に腰を下ろした。

 アインズは控えていたメイドに、三人に飲み物を出すように指示すると、しばらくして、メイドは香り高い紅茶をそれぞれの前に優雅な手付きで給仕した。

 

「さて、三人に集まってもらったのは、以前、話に上がっていた魔導国に魔法学校を作るという件についてだ。イビルアイは、その後のことについては、何か話を聞いているか?」

「いえ。そういう提案をしたことは覚えていますが、その後については、何も」

 

「そうだったか。それは申し訳なかった。あの後、ラケシルを帝国の魔法学院に派遣して、フールーダとともに設置の検討をしてもらっていたのだ。今日は、その魔法学校設置に関する第一回目の会議でな、それで、イビルアイにも来てもらったというわけだ」

「そうだったんですか。ありがとうございます、ア――魔導王陛下」

 

 前向きに検討してくれるとはいっていたが、自分の提案は、本当に実現に向けて動いていたのだ。

 イビルアイは、それだけでも胸が熱くなるような想いにかられた。 

 

「それでは、ラケシル、この件に関する報告を頼む。初めて話を聞くものもいるので、極力わかりやすくな」

「畏まりました。魔導王陛下」

 

 ラケシルは、懐からナザリック製の紙の束を引っ張り出すとそれをテーブルの上に広げた。

 

「まず、私は魔導王陛下の命でバハルス帝国の魔法学院に三ヶ月ほど滞在し、学院の運営や、授業の内容などを実際に見聞きして参りました。その結果、知り得たことと、問題点などについて、こちらにまとめさせていただいております」

「ふむ。続けよ」

 

 イビルアイが熱心に書類をよみふけっているのを横目に、アインズは話を促した。

 

「まず、帝国の魔法学院は、魔法学院という名称にはなっておりますが、実際は、魔法だけではなく、その他の知識も教授する総合学院というほうが正しいでしょう。魔法という名前を冠しているのは、学院の設立に多大に貢献したフールーダ殿を称えるものであるとか。人材に富んだ帝国といえども、魔法を使える才があるものは、帝国でもそれなりに限られているということですな」

 

「なるほど。では、帝国の魔法学院は魔法に特化しているわけではないということか」

 

「そのとおりでございます。ただし、何を学ぶにせよ、魔法の知識は必須だという考えから、学院では魔法に関する最低限の知識は、必修となっております」

「ほう? それはどういうことなのだ?」

 

「どのような技術も、魔法の知識が全くないまま発展させることは困難なためでございます。物をつくるにも、魔法は欠かせませんし、都市の機能を維持するにも魔法は必須といえましょう。そのため、魔法詠唱者になる才能がなくとも、魔法について知ることは非常に重要なのです」

 

 脇からフールーダが口を出した。

 

「……そうか。帝国では、知識に関してはかなり寛容な政策を行っているのだな」

 

 アインズは軽く腕を組み、考え込んだ。

 

 正直、そこまで国民に高度な教育を施すつもりはなかった。

 しかし、いわれてみれば、この世界では、魔法がリアルでの電気やガスといったエネルギーに近い働きをしているのは確かだ。明かりを灯すのも、水を出すのも、基本的にマジックアイテムの役割なのだから。

 

(この世界では、技術の発展には魔法が欠かせないということか。ルーンが廃れたのも、魔化された武器より効果的でも効率的でもなかったからだしな。――魔導国としては、どこまで技術が発展した国を目指すべきなんだろう? 俺だけで判断するのは難しいけど、暮らしにくいよりは、ある程度便利に暮らせるほうがいいよなぁ)

 

「有能で帝国に忠実な者たちを数多く育成することこそが、魔法学院が設立された所以でございます。身分あるものや裕福なものだけではなく、真に能力のあるものを野に打ち捨てたままにするよりも、それを拾い上げ、その力を利用するほうが帝国をより強大にする。そのように、先々代の皇帝がお考えになりましてな。そのお望みに沿うべく、私が作り上げたのが、帝国の魔法学院なのでございます」

 

 いささか得意げにフールーダは言った。

 ラケシルも恍惚とした表情で大きく頷いている。

 

 どうやら、ラケシルは学院でフールーダと接しているうちに、完全にフールーダの思想に感化されてしまったようだ。

 

 イビルアイは取り立てて口を挟まないものの、学院の話には素直に頷いている。

 どうやら、この世界では、それほど珍しい考え方というわけでもなさそうだ。

 

(俺は、一般の国民には知識はなるべく与えないほうがいいと思っている。その考えには今も変わりはない。だが、確かに、優秀な人材……例えばンフィーレアのようなものを利用しないのも愚策だ。最悪、敵の戦力になる可能性もある。それくらいなら、育てて恩を売り、ナザリックのために働かせる方がいいだろう。そういう人材を効率よく見つけ出すためにも、帝国のやり方を見習ってみるのも悪くないかもしれないな。後で、アルベドやデミウルゴスと相談してみるか)

 

 アインズは心のメモ帳にそれを書き込むと、鷹揚に頷いた。

 

「ふむ。今回はあくまでも、魔法を伝授する学校を造るという前提の計画ではあるが、今の話はなかなか興味深いものであった。私の方でも、今後の方針の参考にさせてもらおう」

「ははっ。お褒めにあずかり恐縮でございます」

 

 ラケシルとフールーダが深々と頭を下げる。

 

「魔法の才があるかどうかは、どうやって判断しているのだ?」

 

「全ての学生に魔法を教授いたしますので、そこで成績優秀なものを魔法詠唱者候補として、更に指導していく形です。私のタレントは、あくまでも、身につけた魔法の位階を見抜くもの。最終的に、どれだけの才能を持っているかどうかまで、わかるわけではございません。それゆえ、実際にやらせてみて、結果を出せるものに絞っていくほうが、効率がいいのです。それに、魔法詠唱者は冒険者に限らずとも、いろんな分野で必要とされておりますので、育てすぎて困るということもございません」

 

「なるほどな……。それが、バハルス帝国の繁栄を支える原動力になっているということか」

「その通りでございます」

 

 アインズは報告を続けるよう、ラケシルに促した。

 

「そのため、帝国の学院では、フールーダ殿がこれまで育て上げてきた数多くの優秀な魔法詠唱者が教師となって、魔法を理論と実践の両面から教授しております。カリキュラムもかなり体系化されておりまして、正直、私もこのような場所で更に学びたいと思ったほどです。ですので、魔導国でも、少なくとも最初は帝国方式で行うのがよろしいかと思われます。ただ……」

 

 そこでラケシルは多少口ごもった。

 

「続けるがいい、ラケシル」

「はい。実は大きな問題がございまして……。現在の魔術師組合は、陛下も御存知の通り、所属する者自体はかなり増えてきておりますが、質はあまり良いとはいえません。大部分が第一、第二位階習得者で、第三位階のものはごく少数です。冒険者組合でも、第三位階に到達しているものは限られております」

 

「なるほど。教師役が不足しているということだな」

「仰るとおりでございます」

 

「確かに、第二位階程度の魔法詠唱者では、教師としては不適切だな」

「リ・エスティーゼ王国は魔法を軽視しておりましたので、エ・ランテルの魔術師組合には、もともと優秀な魔法詠唱者があまり多くはなかったのです。当時、魔法の才があるものは、良い職を求めて他国に流れてしまう傾向がありまして……」

 

「才能が評価されないのであれば、そうなるのはやむを得ないだろうな。なるほど。それは確かに問題だ。私の配下に高位魔法を扱えるものは、いないわけではない。だが、教師役ができるかとなると、そのような訓練を積んでいるわけでもないから、やはり難しいだろうな」

「そ、そのようなものなのでしょうか?」

 

 ラケシルは困ったように、頭をかいた。

 

「陛下の仰るとおりです。魔法を伝授するには、魔法に関する深い洞察と数多くの知識、それに机上の学問だけではなく、実践による経験が必須。私もそれなりには心得ているつもりですが、魔法の深淵というのは限りがないもの。我が師である、魔導王陛下の高みには、到底、辿り着けるものではございません……」

 

 フールーダの目に再び狂気の光が戻ってきたのを見て、アインズは慌てて話を遮った。

 

「いや、そんなことはない。私は確かに多くの魔法を使いこなすことはできるが、伝授法については、正直あまり自信はない。むしろ、多くの弟子を育て、魔法学院を設立したフールーダの方が、遥かに我が先を進んでいると考えているぞ?」

 

 褒められて満更でもなかったのだろう。

 フールーダは満面の笑顔になり、ラケシルやイビルアイはフールーダを羨ましそうに見ている。

 

「あえてこの場では、魔導王陛下を師と呼ばせていただきますが、そのようなご謙遜をなさらなくともよろしいのでは。私は師から伝授していただいている知識は、他では得られぬものだと承知しております」

「魔導王陛下から直接ご指導を賜るというのは、魔法詠唱者にとっては、最大の栄誉でしょう。フールーダ様が誠に羨ましい限りですなぁ」

 

 ラケシルの視線が痛い。アインズはそれを遮るように手を振った。

 

「まあ、そういう話はまた今度にしよう。謙遜などではなく、私は本当に人に何かを教えることは不得手なのだよ」

 

(不得手どころか、どうしてこの世界でユグドラシルの魔法が機能しているのかすら、わかっていないんだからなぁ……)

 

 アインズは心の中で大きくため息をついた。

 

「ラケシル、それで、どのように対処するつもりだったのだ?」

「はい。フールーダ殿の弟子の方々の中には、第三位階はおろか、第四位階にまで到達されている方もいるとか。ですので、今回は、やはり、バハルス帝国からフールーダ殿の弟子の方々を何人か派遣してもらい、教師役に就いてもらうことが妥当かと存じます」

 

 アインズは、重々しく頷き、フールーダを見た。

 

「その辺はどうなのだ? フールーダ」

 

「ご安心ください、師よ。魔導国に我が弟子から数名派遣する件は、既に皇帝の了解を得ております。彼らは私が心血注いで育て上げたものたち。全員、魔導王陛下のご期待には十分添えるかと存じます。当面は、彼らに教師を任せつつ、今後教師を任せる予定のものも、学生として授業を実際に受けてもらうことで、教授法の習得を併せて行うとよろしいでしょう」

 

「なるほど。それは実に効率的なやり方だ。時間があれば、私も授業を見学してみたいくらいだな」

 

 アインズとしては、かなり真面目に話したつもりだったが、他の者達はただの冗談としか思わなかったらしい。

 

「魔導王陛下にご覧にいれられるようなものではございません。何より教師役が、緊張で授業にならなくなってしまうでしょう」

 フールーダは苦笑した。

 

「そうなのか? 学院がどのように運営されるのかは、私としても興味があるのだがな。まぁ、いい」

 

遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモート・ビューイング)を使えば、いつでも見られるから、むしろ、その方が俺としても都合がいいかもしれないな。余計なことを聞かれても困るしな!)

 

「しかし、皇帝陛下も太っ腹な方です。高位の魔法詠唱者は、希少価値が高いというのに」

「それは、やはり、魔導国とバハルス帝国の間に平和的関係が築き上げられているということが大きいでしょうな。皇帝は魔導国との関係をより強固にするほうが、バハルス帝国の今後のことになると踏んだのでしょう。実際、バハルス帝国は魔導国の庇護下にある。私も皇帝と久しぶりに直接話をしたのですが、それをいかに維持するかが帝国にとっての最重要事項であると、笑顔で話しておられました」

 

 どことなく可愛い孫を自慢するかのように、フールーダはジルクニフの話をした。

 フールーダにも人間味のある一面があったのかと思わせられ、アインズにとっても微笑ましく見えた。

 

(ジルクニフはフールーダが育てたようなものだと聞いているから、俺にとってのNPCたちみたいなものなのかもしれないな)

 

 アインズ自身も帝国と良好な関係を維持することは重要だと考えていたし、これまでなかなか得られなかった、ジルクニフとの信頼関係を、ようやく勝ち得たような気がして満更でもなかった。

 

「それで、こちらが、フールーダ殿と私とで作成いたしました、魔法学校の計画書でございます」

 

 最初に広げていたものを脇に綺麗に片付けると、新たな書類の束をラケシルが取り出し、そこにあらためて広げた。

 

「ふむ。では、見せてもらおうか。報告ご苦労、ラケシル」

「はっ」

 

 ラケシルは軽く頭を下げた。

 

 アインズは、あまり見たくはなかったが、目の前に並べられている書類にやむを得ず目をやった。

 ざっと見た感じ、びっしりと図面や文字が書き連ねられていて、二人がかなり熱意を込めて作成したらしいことは伝わってくる。

 

 問題は、そこかしこに説明として書かれている王国語だ。

 

 さて、どうしたものか。

 ちらりと目を上げてフールーダの様子を確認してみた。アインズを見ていれば、魔法の秘技が解き明かされるに違いないとでもいわんばかりに、フールーダはアインズの一挙手一投足をじっとりと見つめている。

 

(できれば、この場で読むことは避けたかったが……。かといって、フールーダの目の前で、あのモノクルを出すわけにもいかないし。となると、俺の日々の勉強の成果を試してみるほかないか)

 

 最近は、ラキュースが書いた王国語の初級教科書も、辞書なしで、だいぶ読みこなせるようになった。

 それに、全ての内容が理解できなくとも、大体の雰囲気だけでもわかれば、あとは、一旦持ち帰って検討する、という形にすることもできる。

 どのみち、最終決定する前には、アルベドやデミウルゴスの意見も聞きたいところだ。

 

 今日は、自分が計画書に目を通して、多少意見交換をした風に取り繕うことを目標にしよう。

 アインズはそう覚悟を決めて、書類に目を通した。

 

 しかし、案外、苦もなく読みこなせるようになっていることに気づいて、アインズは驚いた。

 

(あれ? 思ったよりも、普通に読めるようになってるじゃん、俺。まぁ、わからない言葉はそれなりにあるが、教科書は入門用だから読めるのかと思っていた。忙しいのに、勉強に付き合ってくれているイビルアイに感謝しないとな)

 

 いつになく、アインズはいい気分になり、適当に目についた部分を二人に確認し、叡智ある支配者としての演技をした。

 この辺の演技は、我ながらかなり堂に入ってきていると思っている。

 

 熱心に説明してくれる二人には多少罪悪感を感じなくもなかったが、それなりに誤魔化すことはできたようだ。

 

 頃合いを見計らい、アインズは大きく頷いた。

 

「なるほど。よく考えられているようだな。では、先程の報告を元に計画を検討し、後日改めて、今後の計画の進め方について話し合うことにしよう」

「かしこまりました、魔導王陛下」

 

「検討の結果、再度、計画の見直しが発生するかもしれん。それは構わんな?」

「もちろんでございます。今回のものは、あくまでも計画の下敷きにすべきレベルのものだと考えています。魔法の習得とは非常に困難なもの。私自身、帝国の学院には感銘を受けました。それに、魔導国に設置する以上、この学校を利用するのは、世界に存在する全ての種族ということですよね?」

 

「当然だ、ラケシル。私も全てを把握しているわけではないが、種族によって魔法への向き不向きもあるだろうし、特性も違う。おそらく、お前が懸念しているようにな。だから、帝国のやり方をそのまま実行したのでは、うまくいかない可能性は高い。まぁ、それでも、試してみる価値は十分あると私自身は考えている。それと、この計画を実行に移す際は、魔術師組合自体をこの学院に組み込む形にしたいと考えている。そのため、組合長であるラケシルが運営責任者になってもらう。フールーダには、別の仕事も頼むことになる予定なので、基本的には、運営には直接携わらず、運営に関する助言を行う顧問役を任せるつもりだ。だから、そのつもりで入念に準備に励んで欲しい。それと、イビルアイ」

 

 それまで、熱心に計画書に目を通していたイビルアイは、突然、アインズに名を呼ばれて、驚いて目をあげた。

 

「ひゃ、はい、なんでしょうか?」

 

「お前をこの場に呼んだのは、この計画の発案者であることもあるが、少しばかり、協力を頼みたかったからだ。いくら、帝国から魔法詠唱者を数名教授陣として招くとしても、やはり、魔導国側からも、多少は人を出したいところだ。だが、先程も話したとおり、私の配下には適任者がいなくてな。ラケシルも、今後は運営を軌道にのせるのに手一杯になるだろう。イビルアイは、冒険者組合でも、下の階級の魔法詠唱者に魔法指導を行っていると聞くし、オリジナル呪文の開発などもやっているのだろう? だから、多忙なのは承知しているが、イビルアイにも、是非、客員教授として学院の運営に協力してもらいたいと思ってな」

 

「わ、私がですか?」

「そうだ。もちろん、無理なのであれば、断ってくれてもかまわない」

 

「いえ、そもそも、学校の話を持ち出したのは私ですし、私自身、魔法の実験や研究はかなり力を入れている分野でもあります。ですので、魔導王陛下のお役に立てるのであれば、喜んで引き受けさせていただきます!」

「そうか。即答してもらえるとは、ありがたい。それと、この計画はラケシルとフールーダを中核として進めていく予定なのだが、今後の会議にも良かったら参加して、意見を出してくれないか?」

「もちろんです。喜んで参加させていただきます」

 

 イビルアイは、思わず小躍りしそうなのを必死に抑えながら、返事をした。

 自分がアインズに必要だといわれることが、たまらなく嬉しかった。

 

「おお、イビルアイ君、引き受けてくれるか! 冒険者組合での君の魔法指導の様子を見させてもらっていて、なかなか素晴らしいと感心していたのだよ。冒険者たちからの評判もいい。ここだけの話、ナーベ君は指導役にはあまり向いてなさそうだったのでね。いやぁ、良かった。では、魔導王陛下、第三位階の使い手には多少心当たりがございますので、そのものたちにも声をかけてみます。おそらく、数名は確保できるかと存じます」

「そのあたりの判断は、魔術師組合長として顔も広いお前に任せよう、ラケシル。優れた魔法詠唱者が数多く確保できれば、魔導国としても非常に喜ばしいことだ。……さてと、今日、話し合うべき内容はこのくらいでいいかな?」

 

「異論はございません」

「十分かと思われます、魔導王陛下」

「では、本日はここまでとしよう。三人ともご苦労」

 

 

 




佐藤東沙様、誤字報告ありがとうございました。


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8: 過去と未来

 多少問題がなかったわけではないものの、和気あいあいと会議は終了した。

 

 とりあえず、面倒な仕事が一つ無事に片付いたアインズは、目の前の書類を適当にまとめると、後ろに控えていたセバスに手渡した。

 

 今頃、アルベドは、スレイン法国で作戦準備をしているはずだ。

 どんな状況か確認してみたいような気もするが、下手に邪魔をするのもまずい。

 むしろ、アルベドとパンドラズ・アクターというナザリックの誇る二人の智者が、法国でどんな結果を出すのか、期待して待つのが支配者の仕事というものだ。

 

 アインズは、とりとめのない考え事をしつつ、目の前にいる三人をぼんやりと眺めていた。

 

 フールーダとラケシルは、恭しくアインズにお辞儀をすると、はやく話の続きをしたかったのか、慌ただしく部屋を辞していった。

 イビルアイもソファーから立ち上がると、何かいいたげな素振りを見せたものの、そのまま丁寧に頭を下げ、扉に向かおうとしている。

 

 イビルアイの赤いマントが一瞬ふわりと舞い、いつもの甘い香りが漂う。

 

 もう少しだけ引き止めて、話をしたい。

 そういえば、このところの悩みのタネも、イビルアイにだったら話せるかもしれない。

 

 そんな考えが頭をよぎり、アインズは、自然とイビルアイに声をかけていた。

 

「イビルアイ。この後、まだ時間はあるのか?」

 

 驚いたように振り向いたイビルアイは、こくりと頷いた。

 

「実は……、そう。この件とは別に、お前に相談したいことがあったのだ。良かったら、もう少しだけ付き合ってくれないか?」

 

 仮面をつけたイビルアイの表情はわからなかったが、イビルアイは素直に頷いて、アインズに促されるまま、ソファーに腰を下ろした。

 

 呼び止めたまではよかったものの、何をどう切り出したらいいのか、アインズは、すぐには思いつかなかった。ただ、ナザリックのものには、あまり聞かれたくない話になりそうだったので、再び、メイドに飲み物だけ用意させ、シモベは全員退室させた。

 

 少しばかり、気詰まりな時間が過ぎていく。

 あまり何もしないのも不自然なので、アインズはテーブルの上で軽く指を組んだ。

 

 その仕草に、イビルアイは、一瞬見とれた。

 

 アインズのほぼ全ての指には、色とりどりの宝石で飾られた指輪がはめられている。

 どれも芸術品のようだが、とてつもなく強力な魔力を秘めたものに違いない。

 相手が普通の人間だったら、ただの成金趣味にしか見えなかったかもしれない。だが、アインズの真っ白い骨の指の上では、それぞれの美しさが、より引き出されているように感じた。

 

 思わず、まじまじとその指と指輪を見つめているうちに、ふと、今日はどちらの薬指にも指輪がないことに気がついた。

 

(あれ、右手の薬指にも指輪をはめていらしたような……?)

 

 もちろん、左手の薬指が常に空いていることは、これまでも何度となく確認している。

 どちらかというと、そちらに完全に意識がいっていたので、右手の薬指には、どんな指輪がはめられていたのか、あまり覚えていなかった。

 

「アインズ様、右手の指輪は今日はされていないのですか?」

 

 自分を前にしたまま、黙りこんでいるアインズに、何気なくイビルアイは話しかけた。

 

「ん? 右手の指輪?」

 

 アインズは、自分の右手をちらりと見て、イビルアイが言っているのは、リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンのことだと、すぐに気がついた。

 防衛上の理由で外しているのだから、話していいものなのか、ほんの少しだけ迷ったが、既にイビルアイは、ナザリックには、ほぼ出入り自由になっていることを思い出した。

 

(だったら、いいか。どのみち、アルベドやマーレも、ナザリックでははめているんだし。むしろ、あらかじめ、話しておいたほうがいいのかもしれないな)

 

 それに、リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンの話をしたいという気持ちは、正直ある。アインズは高揚しそうな気分を必死に抑え、何気ない口調で話した。

 

「あぁ、あれは、ナザリックの中にいる時だけはめるようにしているんだ。今、私がはめている指輪はどれも貴重な品だが、あの指輪には、私にとっても、ナザリックにとっても、非常に重要な意味があるんだ」

 

「そんなにすごい指輪だったんですか……」

 

 感心したようにイビルアイに言われて、アインズはつい嬉しくなった。

 何しろ、この世界に来て以来、アインズ・ウール・ゴウンの素晴らしさを、NPCはともかく、これまで誰にも話すことができなかったのだ。

 

 今、この部屋には誰もいないし、この建物はナザリックとほぼ同レベルの間諜対策が施されている。それなら、少しくらい、昔のことを自慢……、いや、話しても問題ないだろう。多分。

 

 アインズは、指輪を密かに隠した場所から取り出すと、手のひらの上に載せて、イビルアイに見せた。

 

「これだろう? あぁ、私がこれを持ち歩いていることは、決して口外しないように」

「もちろんです。誰にも絶対にもらしません」

「結構」

 

 目の前にある大粒の赤い宝石の奥には、魔導国の印が精緻に彫り込まれている。

 イビルアイは、そのあまりの美しさにため息をついた。

 

「まるで透かしのように魔導国の印が入っているんですね。こんなに美しい細工が施された指輪は見たことがありません」

「はは、それは嬉しいな。これは、昔、私が仲間たちとナザリックを創り上げたときに、併せて作った指輪なのだよ。その名も、リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン」

 

 アインズは高らかにそう宣言した。

 

「えっ……、これは、アインズ様の名前がつけられた指輪なんですか!?」

 

 ひどく嬉しそうなイビルアイの一言で、アインズは、うっかりヘマをやらかしたことに気がついた。

 

(しまった。これじゃ、俺がいろんなものに、自分の名前をつけて歩く、変な人だと思われてしまう。それでなくとも、魔導国に自分の名前(アインズ・ウール・ゴウン)をそのままつけたせいで、魔導王は自己顕示欲が強いという悪評がたっているらしいのに。でも、ギルドの……、アインズ・ウール・ゴウンのことを話そうとすれば、この名前が、本当は俺の名前じゃないことを、話さなくてはいけなくなる。どうしたらいいんだろう……)

 

 しかし、むしろ、自分が誰かに相談したくてできなかった諸々の話をするには、思い切って、本当のことを話したほうがいいんじゃないだろうか。

 

 それに――

 

(イビルアイも、本当の名前は隠していると言っていた。それなら、俺がこの世界で、本来とは違う名前を名乗っていることを明かしても、あまり驚かないかもしれないな。ただ、俺の本当の名前は、何だと話したらいいんだろう? やっぱり、モモンガ? でも、モモンガは、ユグドラシルのアバターの名前で、自分自身の名前なのかといわれると、少し違うような気もする。だとすると……、俺は、まだ、鈴木悟なのか?)

 

 鈴木悟。

 

 その名前の響きは、今となっては、はるか昔の記憶のような、まるで自分ではないもののように思われた。

 それが、本来の自分の名前なのは、間違いないはずなのに。

 

 突然、黙りこんでしまった自分を、イビルアイは不思議そうに見ている。

 

 ――俺は、自分が『アインズ・ウール・ゴウン』でも『モモンガ』でもない、愚かな一人の人間だということを、NPCたちに話せる日は来るのだろうか?

 

 少なくとも、今は無理だ。

 いずれは、自分が叡智あふれる支配者ではないことを、話すことになるだろう。

 でも、物事には順序がある。

 

 少しずつ。そう、少しずつ。

 自分が愚かなところを素直に見せていけば、アルベドやデミウルゴスも、いつかは真実に気がついてくれるはずだ。

 

(イビルアイは、どこまで自分を受け入れてくれるのだろう? 今なら、少しくらい試してみてもいいんじゃないか? NPCではなく、設定にも縛られていない存在なら、もしかしたら、偉大な支配者であるアインズでもなく、強大な魔法詠唱者であるモモンガでもない、ただのしがない一人の男である鈴木悟を受け入れてくれるかもしれない。もし、ダメだったら、……そのときはそのときで、適当に誤魔化せばいい)

 

 そんな風に思いつつも、アインズは心のどこかで、イビルアイが全てを受け入れてくれることを、自分自身が強く願っていることを感じていた。

 

 そう、今ならパンドラズ・アクターの問いに答えられる気がする。

 

(俺の望みは、虚構の自分を崇めてくれるものたちではなく、対等に接してくれる仲間を得ること。昔の、アインズ・ウール・ゴウンのように、全員が対等の関係で、忠義とかそういうものではなく、自らの意志で共に同じ道を歩む仲間を得ること。もちろん、可能なら、皆の忘れ形見でもある、大切な子どもたちと共に……)

 

 そのためには、アインズが絶対支配者として君臨している、今のナザリックではだめだ。

 

 例えば、自由な意志を持つ存在として、俺自身を受け入れてくれるものたちと、新しい、いわば、新生アインズ・ウール・ゴウンを作るのはどうだろう。

 昔、クラン・ナインズ・オウン・ゴールが、大切な仲間を失ったことで、新生ギルド、アインズ・ウール・ゴウンとなったときのように。

 

 万が一、昔の仲間がこの世界に来て、それを受け入れてくれるのなら、その時は、新生アインズ・ウール・ゴウンに迎え入れればいいだけだ。

 

 それが可能かどうかはわからない。

 でも、一人では無理でも、他に賛同してくれるものがいてくれれば、全く不可能というわけではないだろう。

 

 ただ、こういったことを全て、正直に話したとしたら、イビルアイは果たしてどんな反応をするのか。

 

(これは賭けだな。しかし、俺はこれまで何度も賭けをしてきた。場合によっては、俺自身の命すら対価にして。それに、今回の賭けには、賭ける価値は十分ある。少なくとも、未来の俺にとって……)

 

 アインズは、イビルアイに改めて向き直った。

 

「――そうでもあるし、そうでもないともいえる。イビルアイ。アインズ・ウール・ゴウンというのは、本当は、私の名前ではない。昔、仲間たちと作ったギルドの名前で、私はただのギルドのまとめ役だったのだ」

「……えっ?」

 

「その当時、私はモモンガと名乗っていた。ただ、それが私の本当の名前といっていいのかどうかはよくわからない。少なくとも、私には、もう一つ、別の名前もある。しかし、この姿の……、アンデッドの大魔法使いとしての名はモモンガという」

「モモンガ様? ああ、だから、戦士姿の時はモモンと名乗ってらしたんですか?」

 

「はは、実はそうなんだ。やはり、モモンはちょっと安直だったかな……。昔からネーミングセンスが悪いと散々いわれていてね」

 

 少し、恥ずかしそうにアインズは頭をかいた。

 

「いえ、そんなことは……。でも、そういうことか。アインズ様がモモン様であることは、わかる人ならすぐわかる。アインズ様には、誰かを騙そうとなさるつもりはなかったんだ……」

 

 半分独り言のようにイビルアイはつぶやいた。

 

「ん? 何の話だ?」

「いえ、別に。大した話ではないです」

 

「それならいいが。まぁ、ともかく、昔、私がそう名乗っていたことは、ナザリックの者は皆知っている。だが、今の私はアインズ・ウール・ゴウンと名乗っているし、皆にもそう呼ばせている。だから、これまで通り、アインズと呼んで欲しい」

「……わかりました、アインズ様」

 

「ありがとう、イビルアイ。お前からすると、私が何故この名を名乗っているか、不思議に思うのではないか?」

「私自身、本名を隠して生きているので、それを、どうこういうつもりはありません。でも、アインズ様は、別に本名を隠したいわけではないんですよね?」

 

「そうだな。そもそも、隠そうと思ったわけじゃない。アインズ・ウール・ゴウンの名を知っているものなら、ギルド長だった俺の名前だって、すぐに思い出すはずだ。――じゃあ、俺はどうしてモモンガと名乗らなかったんだろう?」

 

 アインズは、何年も前に、自分がこの地に初めて降り立った時のことを、頭の中に思い起こした。まるで、意識がその時点まで、巻き戻されたかのようだった。

 そして、独り言のようにつぶやいた。

 

「――あの時、俺は、この世界に来たばかりで、何が起きているのかすらもよくわかっていなかった。そして、――そう、初めて会った人間に名前を問われた。その時、すぐに答えることができなかった。俺は、自分自身がどういう状況に置かれているのかも、よくわかっていなかった。人間なのか、それともアンデッドなのか? 鈴木悟なのか、モモンガなのか? ゲームのアバターなのか、それとも現実の体なのか? 今の俺は、一体何なのだろうと。――何も考えずに、モモンガと答えればよかったのかもしれない。しかし、それは正しくないような気がしたんだ」

 

「そう……なのですか?」

 

「モモンガというのは、アインズ・ウール・ゴウンのギルド長の名前だ。しかし、アインズ・ウール・ゴウンの栄光を誓った仲間たちはもういない。残されたのは俺と、仲間が残していった子どもたちだけ。他の人からすれば、ナザリックも、アインズ・ウール・ゴウンも、完全に忘れ去られた過去の遺物でしかなかったんだ……」

 

 イビルアイには、アインズが話していることの、半分くらいしか理解できなかった。

 しかし、アインズがとても大切な話をしようとしているような気がして、静かにアインズの話に耳を傾けた。

 

「イビルアイ、こんなことをいったら、笑うかもしれないけど、――アインズ・ウール・ゴウンは、本当に素晴らしいギルドだったんだ。メンバーは、全部でたったの四十一人だったが、ユグドラシルでも上位ギルドの一つに数えられていた。ギルメンは、皆、俺よりも遥かに優れた人たちだった。俺はギルドマスターではあったけれど、それは名ばかりで、実際には、ギルドメンバー全ての総意で動いていた。ナザリックを最初に発見したのも仲間の一人だったし、その初見攻略もやってのけた。それから、俺達は難攻不落で知られるナザリック地下大墳墓を創り上げた。あの美しい装飾も、たくさんの作り込みも、全て皆の熱意の賜物だ。アルベドやデミウルゴスを始めとするNPCたちだってそうだ」

 

(アルベド様たちも、アインズ様たちが創り上げたものなのか!? 『えぬぴーしー』というのは、いわゆる従属神と呼ばれる存在のことのはずだ。だが、生命を創造するなんて、単なる魔法の領域を超えた、まさに神の御業じゃないか……)

 

 リーダーは『ゆぐどらしる』や、更に存在するという別世界『りある』について、ちょっとした話はしてくれたものの、詳しくは教えてくれなかった。

 

 ――アインズ様のもう一つの名前というのは、もしかしたら、りあるでの名前なのだろうか。リーダーも、りあるのことは、あまり思い出したくなかったようだった。アインズ様にも、私には言えないようなことが、たくさんあったのかもしれない……。

 

「俺たちはユグドラシルでたくさんの冒険をした。そして、数多くの偉業を成し遂げた。ユグドラシルのプレイヤーでアインズ・ウール・ゴウンの名を知らないものはいないくらい。いいことも、悪いこともたくさんあったが、今となっては、それすらも全ていい思い出だ。――本当に……、本当に楽しかったんだ。アインズ・ウール・ゴウンとナザリックは、俺の全てだった。だけど、時とともに、皆、ナザリックを去っていった。もちろん、皆、それぞれに理由があったことはわかっている。誰が悪いわけでもない。そして、今、ここに残っているのは、ただ一人きり。この俺だけなんだ……」

 

 アインズは、手のひらの中にあるリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを、大切そうに右手の薬指にはめた。

 

「リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンは、ナザリックの防衛に関しては最上級の効果を持っているから、取り扱いには注意を払っているが、俺が他に身につけている指輪と比べれば、込められた魔力自体は大したものではない。イビルアイ、お前も気がついたかもしれないが、この指輪に彫り込まれている印は、魔導国の旗の印と同じもの。この印は、元々アインズ・ウール・ゴウンのギルドサインで、この指輪はアインズ・ウール・ゴウンのギルドメンバーである証なんだ」

 

 アインズの指に輝く赤い宝石の指輪。

 それに、どれだけの思いが込められているのか、イビルアイはようやく理解した。

 

 ナザリックや、そこにいるアルベドやデミウルゴスを始めとする従属神に対する深い愛情も。そして、彼らがアインズに、何故あそこまで強い忠義を抱いているのかも。

 

 アインズにとって、アインズ・ウール・ゴウンに属するものが、どれだけ大切なものなのかも……。

 

 イビルアイは、その心の絆を羨ましく思うのと同時に、寂しさと妬ましさも感じた。

 いくら、アインズの側近くにいたとしても、アインズたちが築き上げてきた強固な絆の中に、自分がはいりこむ余地があるようには思えなかった。

 

「俺は、栄光あるアインズ・ウール・ゴウンが、とっくの昔に終わりを迎えていたことを認めたくなかったのかもしれない。だからこそ、最後の一人として、その名前ごと背負うべきだと。ギルド・アインズ・ウール・ゴウンは、俺自身のことだと。そして、昔の仲間とこの世界で再び出会うことができれば、もう一度、昔のアインズ・ウール・ゴウンを取り戻すことができると……。そんな、馬鹿な夢を見てしまったんだ」

 

 アインズは、指の先でリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを撫でながら、自嘲気味に言った。

 

「……アインズ様は、後悔しているのですか? アインズ・ウール・ゴウンと名乗ったことを」

 

「いや、後悔はしていない。少なくとも、あの頃は、この世界のどこかに仲間がいる可能性があると信じていたから。アインズ・ウール・ゴウンと名乗ることで、仲間たちか、もしくはアインズ・ウール・ゴウンの名を知るものと接触できる可能性も考えていた。それに、あの時は、ナザリックにたった一人で残されたギルド長として、それが一番正しい行動のように思えたんだ」

 

「…………」

 

「もっとも、本当のことを言えば、ナザリックの者たちは、俺がこの名を名乗ることに同意したが、内心では不愉快に思っている者もいるかもしれないな。彼らは、そもそも、俺の考えに異を唱えるということは基本的にしない。そういう存在として創られているから。それだけじゃない。昔の仲間にとっては、俺がギルドを私物化しているようにも見えるだろう。でも、それでもいいと思ったんだ。私物化していると思うのなら、文句をいいにここまで来ればいい。そうすれば、いつでも俺は喜んでアインズの名を捨てるつもりだ。俺に会いにさえ来てくれるのなら……」

 

 イビルアイは、故郷でアインズが見せた姿を思い出し、動くことができなかった。

 アインズはしばらく身動き一つせず、黙り込んでいた。

 イビルアイもかける言葉も見つからず、そんなアインズをじっと見つめていた。

 

「……あぁ、つまらない話をしたな。本当は、もっと楽しい話をしようと思っていたんだが。なんとも情けない男だと、呆れたんじゃないか?」

 

 アインズは苦笑した。

 

「え? いいえ、そんなことはないです」

 

「優しいな、イビルアイ。でも、俺は、本当に大した人間じゃないんだ。配下を完全に抑えることもできないし、王として持つべき知識も経験もない。それに、俺は王になりたいとか、そういうことを望んでいたわけでもない。これでは支配者として失格だと思わないか?」

「完璧な人なんていません。それに、私はアインズ様は立派な方だと思っているし、とても、その、大切に思っています……」

 

「……まぁ、そういってもらえるのは嬉しいが。そんな風に思ってくれるのは、お前くらいだろうな」

「そんなことはないです! アルベド様も、デミウルゴス様も、皆、アインズ様をこの上なく大事に思っているんです。多分、この世の誰よりも……」

 

 アインズはその言葉を聞いて、ずっと胸につかえている自分の失敗を、イビルアイに告白したくて仕方がなくなった。

 しかし、アルベドたちが、設定やその他のユグドラシルのシステムに縛られた存在だということを、どうやって説明すればいいのか、見当もつかなかった。

 

(確かに、彼らは俺を大切に思ってくれている。それは間違いない。だけど、それは、あくまでも彼らがNPCという存在だからだ。だけど、そんなことをいっても、イビルアイには、とうてい理解できないだろうな……)

 

「いや、それはわかってはいるとも。ただ……、そうだな。イビルアイ、俺はお前をとても信用しているし、信頼している。これから話すことは、これまで誰にも話したことがないことなのだが、よかったら、少し、相談に乗ってもらえないか? もちろん、他のものには内密に」

 

「ぇ!? も、もちろんです。私でよければ」

「お前だからいいんだ。少なくとも、俺がアルベドたちには話せないことなんだ」

 

「……え?」

 

 思いもよらないアインズの言葉に、イビルアイは絶句した。

 アインズがアルベドに話せないことなど、ないと思っていたから。

 

 アインズは少し考え込んだが、やがて、ゆっくりと口を開いた。

 

「前にも少し話したように思うが……、彼らは俺にとっては、友人の子どもたちで、俺は友人と同じくらい大切に思っている。そして、彼らが一番に思っているのは俺ではなくて、彼らの親にあたるもの、つまり、俺の友人たちなんだ。そして、俺のことは、親の親しい友人の一人だったから大切に思ってくれている。こんな風に説明すれば、我々の関係がなんとなく伝わるだろうか? だから、俺か、自分の親か、どちらかを選べといわれれば、彼らは間違いなく、自分の親を選ぶだろう。今、彼らが俺に忠誠を誓ってくれているのは、あくまでも、自分の創造主(おや)がいないからだ」

 

「……え?」

 

「イビルアイ、それは、おかしいと思うか?」

「……はい」

 

 イビルアイは素直に頷いた。

 これまで、ずっと見てきた限り、彼らの一番はどう見てもアインズだとしか思えなかったから。

 アインズも、それを見て、深く頷いた。

 

「はたで見ていると、そうかもしれないな。――長いこと、俺はそれが当然のことだと思いつつも、彼らとの間に、どうしても超えられない壁を感じ続けていたんだ」

「壁……ですか?」

 

「そうだ。イビルアイ、彼らの根本には、目には見えないが、自我を縛る鎖のようなものがあるんだ。その鎖があるからこそ、彼らは俺に従っているし、俺を敬っている。自分を生み出した親にあたる人物を最も大切に思うのも、その鎖のせいだ。ある意味、魔法で縛られている、といってもいいかもしれない」

 

「……魅了されているようなものですか?」

「それとは違う性質のものだが、ある意味同じなのかもしれない。だから、彼らをその鎖を解けば、彼らは、自分自身の考えだとか、自我を取り戻せる可能性がある。上手く行けば、俺と彼らの間にある壁がなくなるかもしれない。しかし、そうならないかもしれない。最悪、彼らの心が壊れてしまう可能性もある」

「…………」

 

 一生懸命考えを巡らせているように見えるイビルアイに、アインズが優しく語りかけた。

 

「だが、それでも、俺は、彼らに自由な意志で生きていってほしいと願ってしまうんだ。そういう存在として生まれたから、忠誠を誓っているとか、そういうのではなく。そして……、彼らがもし、それを望んでくれるなら、……彼らの自由な意志で、対等の立場で、俺と共にいてほしい。もっとも、それを望むのは、ただの俺の我儘だ。彼らは俺に見切りをつけて、去ってしまうことも十分ありうる。でも、それでも、無理やり強制されて、愛や忠義を与えられるのは、……俺は嫌なんだ」

 

「アインズ様、そのお気持ちはわかります」

 

 イビルアイは意志を縛る鎖について、聞き覚えはなかった。しかし、もしかしたら、神々のような存在が住まう地であるゆぐどらしるには、そういう魔法があったのかもしれない。

 気づかないうちに、完全に意識を支配されるなんて、考えただけでも恐ろしかった。

 

「俺は、長いこと、どうすればそれが実現できるのか、研究していた。そして、ようやく、その原因を特定できたように思う。しかし、かなり危険な魔法を使うことになるし、一度鎖を切ったら、戻すことはできない。だから、彼らを自由にしたくても、なかなか踏み切れないのだ。できれば、事前に試してみたいのだが……。以前、話に聞いた、砂漠の都市の守護者とやらがNPCのように思えるのだが、さすがに、あの都市に手を出すのはかなりの危険が伴いそうだから、俺もなるべく控えたいところだ。他に従属神らしき存在の心当たりはないか?」

 

 しばらく考えたが、イビルアイは首を振った。

 

「どこかで眠っているとか、隠れているとか、そういう可能性がないわけではないですが……」

「そうか……。だとすると、少しばかりリスクの高い賭けだな。最悪、どんな不味い結果になるかどうか予測ができない。自我を持った結果、俺に対して反乱を起こされるくらいならまだいいが、廃人にでもなってしまったら、取り返しがつかない。この仕組みが一体どのようなからくりで動いているのか、俺には全くわかっていないんだ」

 

「……そう、ですよね」

 

(ん? 待てよ。考えてみると、あのときの私の状態にも似ているな……)

 

 故郷の都市でのことを、イビルアイは思い返していた。

 あの時、自分は、自分とは違う存在に半分乗っ取られかけていた。

 鎖で縛られているというが、今のアルベドたちの状態というのは、むしろ、完全に自我を奪われ、その存在に操られているような状態なのかもしれない。

 

 もし、自分だったらどうだろう。

 完全に自我をなくし、意志を強制された状態で、生きていたいだろうか。

 たとえ、それがアインズを愛する、ということであったとしても……。

 

(いや、それだけは嫌だ。私は、私の意志でアインズ様を愛したい。私はたいしたものを持っているわけじゃないが、それだけは、絶対に譲れない!)

 

「……アインズ様、一つだけいいですか?」

「ん? なんだ?」

 

「私は誰かの意志に縛られて、アインズ様を愛するのは、絶対に嫌です」

「えっ……?」

 

 そう言ったとたん、アインズが、何故かかなりショックを受けているように見えた。

 不思議には思ったが、イビルアイは、アインズをまっすぐ見つめてもう一度言った。

 

「もしも、私がアルベド様とか、アウラの立場なら、誰かに命じられてアインズ様を愛することだけは絶対にしたくない。それくらいなら、アインズ様の手で廃人になるほうがずっとマシです!」

 

「そ、そうなのか……?」

「はい!」

 

「……わかった。お前の意見は、その、参考にさせてもらおう。ずいぶん、長くなってしまったが、話に付き合ってくれて感謝する」

「いえ、私もアインズ様とお話できて楽しかったです」

 

 イビルアイは立ち上がると、アインズに向かって軽く頭を下げて、足取りも軽く部屋から出ていった。

 

 一人取り残されたアインズは、いまだに、イビルアイの言葉が深く心に突き刺さったままだった。

 

(やっぱり、俺は最低だ……。やってしまったことは、今更仕方がない。しかし、なんとしても、アルベドを元に戻さなければ……!)

 

 少しばかり、心のダメージを癒すべく、アインズはナザリックの自室に戻ろうと立ち上がった。

 今日は十分働いた。後は、ベッドでゴロゴロしても誰も文句は言わないはずだ。

 

 ――そういえば、イビルアイは吸血姫なんだから異形種だし、蒼の薔薇として冒険者をしているんだから社会人……なんだよな。

 

(となると、イビルアイはアインズ・ウール・ゴウンへの加入条件を満たしているわけだ。どうせ、メンバーは俺一人だから、多数決でも問題ない。……ただ、イビルアイ自身はどうなんだろう?)

 

 しかし、今のアインズにはそれを尋ねる勇気はなかった。

 

 

 



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9: 強襲

 スレイン法国の神都を守る城壁から、少し離れた場所に古い砦跡があった。普段は誰も近寄ることのない場所だが、今は、多くの異形が集まっていた。

 

「あの女の話が正しければ、この場所のどこかに神都の中央部に通じる非常用通路があるはずよ。探しなさい」

 黒い鎧をまとったアルベドの命で、シモベたちが姿を消す。

 

 アルベドはそれを見送ると、茶色のローブをまとい、フードを目深にかぶった少女を従えて、かろうじて残っている砦の石の階段を一番上まで登った。

 崩れかけてはいるものの、アルベドにとっては、そんなことは何の障害にもならない。

 その場所からは、真夜中だというのに、煌々と輝く神都がよく見えた。

 

「ルベド、あなたはあれを見て何か感じる?」

 

 アルベドは自分の後ろでおとなしく立っている妹に声をかけた。

 ルベドは黙ったまま首を振った。

 フードからわずかに見える顔はかわいらしかったが、明らかに造り物めいている。

 アルベドは、自分の創造主が、ゴーレムに自然な顔を作るなんて難しすぎるとぼやいていたことを思い出した。

 

(この子の美しさがわからないなんて。所詮、あの男はその程度ってことだわ)

 

 腹立たしい記憶を振り払うと、アルベドは目の前に広がる巨大な都市を眺めた。

 事前に得た情報と照らし合わせて、今後の動きをシミュレートする。

 全ての可能性に対応できることを確信して、アルベドは微笑んだ。

 

 今回の作戦で、アルベドが陣頭指揮を取ることに、モモンガやデミウルゴスは反対していたが、アルベドは譲らなかった。

 そう。なにがあろうとも、他のものに任せるわけにはいかない。

 成功の暁には、モモンガとのハネムーンが待っているのだから。

 

「長かった。これまで何度も挑戦しては失敗してきたけれど、それももう終わり。モモンガ様の隣に、私が座る日がやってくるのよ。くふっ、くふふふふ!」

 

 夢にまで見た甘い生活のあれこれを思い浮かべ、ニンマリとしたアルベドを、ルベドは無表情に眺めている。

 

「ねぇ、ルベド。あなたも喜んでくれる?」

 

 姉に問われて、少しばかり戸惑うようにルベドは首を傾げたが、やがて小さく頷いた。

 

「ありがとう。あなたは本当にいい子ね」

 アルベドは愛おしそうにルベドの頭をなでた。

 

「統括殿、こちらでしたか」

 

 不意に、愛する人の声が聞こえ、アルベドは反射的にそちらを見た。

 そこには、いつの間にか、パンドラズ・アクターがモモンガの姿のままで立っていた。

 

「……いつから、そこにいたの? パンドラズ・アクター」

「今しがたです。それが何か?」

 

 ルベドと同じように小首をかしげ、大仰な素振りをするパンドラズ・アクターを見て、アルベドの美しい顔が歪んだ。

 

「悪いけど、アインズ様の御姿で、あまりふざけたことはしないでくれる? いくらアインズ様の被造物だからといっても、不敬にも程があるでしょ」

 

「あぁ、失礼しました。統括殿。決して、そのようなつもりはなかったのですが! それにアインズ様の御姿でなければ、私の作ったアンデッド達は上手く動きませんし」

「それはわかっているわよ。まぁ、仕方ないわ。今回の作戦を立てたのは、私だしね」

 

 アルベドは肩をすくめた。

 

「それで、どうだったの?」

「はい、上空から偵察した限り、例の女の情報はほぼ間違いないようですね。話に出てきた聖域という場所については、防御網が固く、流石に把握できませんでした。内部に潜入してから探す必要があるでしょう」

 

「それは想定内だから問題ないわ。最初からその予定で、こちらも編成を組んでいるし」

「流石はアインズ様の信頼厚い守護者統括殿。いつもながら、完璧です。それと、偵察してきた内容は、こちらに詳しく記しておきました」

 

 パンドラズ・アクターは恭しくお辞儀をすると、先程情報を書き足した資料をアルベドに手渡した。

 

「ありがとう。確認させてもらうわ」

 

 アルベドは素早く資料の内容に目を通すと、ちらりと目の前にいるパンドラズ・アクターを見た。

 

「ふーん、貴方はこの場所だと踏んだのね。根拠は?」

「宝物殿領域守護者としての勘ですね」

「勘? まぁ、いいけど。貴方がそう思う何かがあったということなのでしょう?」

 

「統括殿は察しがよろしくていらっしゃる。その周囲の警備が堅固なように見えたのもありますが、建物の形状的に、貴重なものを置くとすればそのあたりかと。少なくとも彼らにとって、重要な何かがあるのは間違いないと思います。ただし、それが目的の場所とは限りませんが」

「なるほどね。では、作戦の第一目標はこの場所に設定しましょう。ルベド、あなたもこの場所を覚えてちょうだい」

 

 アルベドはルベドに資料を手渡し、ルベドは黙ってそれを受け取った。

 

「それで、作戦の決行は? すぐに動くのですか?」

「ちょっと待ってちょうだい。まだ地下道の入口が……」

 

 その時、アルベドの影から、影の悪魔が一体姿を現し、何事かを囁いた。

 

「……そう。素晴らしいわ。では、すぐに待機中のシモベに、集合するよう伝えなさい。これより三十分後に作戦を開始します。パンドラズ・アクター、ルベド、よろしく頼むわね」

 

「畏まりました!」

 パンドラズ・アクターはふわりとマントを翻し、ルベドは黙って頷いた。

 

 

----

 

 

 石造りの美しい聖堂の一室では、カチャカチャという小さな音だけが鳴り響いている。

 

 大きなドーム状になっている部屋の壁面に作られた数多くの壁龕(へきがん)には様々な品々が美しく飾られており、部屋の一番奥には六体の彫像が置かれていた。そのうち数体は見事な意匠の武装を身につけている。

 どれも希少なマジックアイテムであり、スレイン法国の神の遺産そのものだった。

 

 だが、部屋の中央部に座り込んで、一心に手元の玩具に熱中している少女にとっては、そこに保管されている品々など、興味が引かれるものではなかった。

 単なる武装などつまらない。どうせなら、その武装をまとって、自分と互角に戦える戦士とかなら良かったのに。

 

 外見は少女だったが、漆黒聖典番外席次『絶死絶命』は、既に長いこと生きていた。

 

 自分が生を受けた過程に様々な思惑が絡んでいたことは知っているし、その結果として強大な力を手に入れることになったが、周囲の者たちが思っているほど、関心もこだわりもない。

 自分はもはや、父や母を超越した存在になっているのは間違いないし、今後、自分を超える存在が現れることだって、ほぼありえないと思っている。

 

 ただ、最近の彼女は妙にわくわくしたものを感じていた。

 

 ――絶対に神官長達は、私に隠し事をしている。

 

 いくら、神殿の最奥から外に出ることがなくとも、噂話が全く耳に入ってこないわけではない。その名が密かに囁かれるのを、番外席次は何度も耳にしてきた。

 

(アインズ・ウール・ゴウン魔導王、か……。問いただしてみたものの、あの隊長ですら怯えているようだったな)

 

 強大な魔法を行使し、数多くの人間や亜人を滅ぼす、法国の神々にも匹敵する力を持つという存在。少なくとも、以前、話を聞いた吸血鬼などとは比べものにならないくらい、強いことだろう。

 

(どうやれば、魔導王と戦うことが出来る? 神官達が反対するのは間違いない。いっそ、ここを密かに抜け出して、魔導王の元へ行けばいい?)

 

 自分がその気になりさえすれば、それを止められるものは、この国にはいない。

 

 唯一の例外と言える存在がいないわけではないが、彼が現世のことに口出しすることはまずない。彼が関心を示すのは自分自身の神のことだけで、普段は地下深い墓所にこもったまま、表に姿を現すこと自体、稀なのだから。

 

 ただ、一つだけ大きな問題があった。

 

(万一、私がそうしようとすれば、連中は間違いなくアレを使って止めようとするよね)

 

 法国でも屈指の至宝。神の力が込められた神具。

 

 さすがに、アレを使われて、自分の意思を持たない傀儡にされるのだけは嫌だった。

 

(一番いいのは、魔導王がここまで攻め込んで来てくれることなんだけど。そういう可能性もないわけじゃない?)

 

 番外席次は、六体の像のうち、恐ろしいアンデッドの姿をかたどった像を見つめた。

 魔導王は、スルシャーナと酷似したアンデッドだと聞く。

 

 法国に伝えられている伝承によれば、スルシャーナはかなりの力を持つ魔法詠唱者だったらしい。

 だとすれば、魔導王も相当な力を持つ魔法詠唱者なのに違いない。

 

 その彼に立ち向かい、得意の獲物である自分の戦鎌を、その首に押し当てる。

 いや、むしろ、魔導王の強大な魔法で自分がねじ伏せられることになるかもしれない。

 

 勝利するとしても、これまでの敵よりは、よほど楽しませてくれるだろうし、敗北したら、その魔導王とやらに、この身体をくれてやってもいい。

 

 もしかしたら、自分も初めて男を知ることになるかもしれないと思うと、それだけで、なんとなく心がそわそわした。

 

 実際、このところ、番外席次はそういう妄想で頭がいっぱいだった。

 

 だが、小国とはいえ、相手が一国の王である以上、そうそう簡単に直接戦う機会など訪れないだろう。そのくらいの知識や常識は、外を自由に出歩くことができない自分でも、さすがに持ち合わせている。

 

 時折回ってくる報告書など、ろくに読んではいないが、神官たちは、魔導国のことになるとひどく慎重な対応をしているし、今はまだ、法国が魔導国とことを構える準備ができていないのも、見ていればわかることだ。

 

 周辺諸国に共闘の打診などはしたようだが、あまり芳しい返事は得られていないと第一席次もこぼしていた。

 

 法国が慎重に根回ししようとしている間に、魔導国は周辺諸国を友好的に取り込んでいっている。このままでは、最悪、スレイン法国が孤立しかねないと。

 

(まぁ、もうそうなってるのかもしれないけど。彼らは私に本当のことなど教えてくれようとはしない。でも、そうなれば、逆に魔導王と戦うチャンスが訪れるかもしれないよね? どのみち、スレイン法国は魔導国と手を組むなんてできっこないんだから)

 

 はぁ、と大きなため息を漏らすと、番外席次は、再び手に持ったままのルビクキューの攻略に熱中しようとした。次の瞬間、妙なことに気がついた。

 

 ――あまりにも、静かすぎる。

 

 自分の持ち場であるはずの場所で、番外席次はゆっくりと身体を起こした。

 

 普段なら、例え聖殿の奥深くとはいえ、定期的に警吏が歩く音もするし、密かな話し声も聞こえる。この奥まった場所であれば、通常の人間なら聞こえないレベルの些細な雑音だ。しかし、番外席次は、エルフである父親譲りの鋭敏な聴覚を持っていた。

 

 だからこそ、この静けさに強い違和感を感じ、より一層周囲の様子に注意を払ったが、やはり物音一つ感じられない。

 

 何らかの異常事態が起きている。番外席次はそう判断した。

 

「何事かしら?」

 

 呟いてみるが、返事をするものはいない。

 そもそも、有事であれば、漆黒聖典の誰かが自分に連絡の一つもよこすはずだが、誰かが来る様子もない。

 

「まさか……、敵襲?」

 

 先程まで魔導王との戦いを妄想していたとはいえ、誰かがこんなところまで攻め込んでくるなんてありえない。

 最も警戒の厳しいこの部屋に至るまでには、スレイン法国の精鋭部隊の目を掻い潜って、もしくは、それを殲滅しなければ、やってくることなどできないのだから。

 

 しかし、敵襲、と思い切って口に出してみると、戦いの予感で、自然と頬が緩むのを感じる。

 

 自分がこの国の宝を守る任務に着いてもう長いことたつが、誰一人としてここまで侵入してくるものはいなかった。

 なにしろ、ここは神都の中枢である神殿の最奥部。

 侵入を試みる愚か者は、ここに辿り着く前に死ぬのが普通なのだから。

 

 だんだん、何のために自分がここにいるのか、わからなくなった。

 神官たちが皆揃って自分を崇め、大切にしてくれていることは知っている。

 しかし、番外席次がこの場所を離れることを許してくれることはなかった。

 

 戦いの訓練だって、最後にしたのがいつなのかすら、覚えていない。

 なにしろ、幼い頃、自分に戦い方を教えてくれたものたちは、あっという間に自分よりも弱くなってしまった。

 そして、自分が強くなってから、自分よりも強いものが新たに現れることはなかった。

 

(隊長には、少しだけ期待してたのだけれど……)

 

 とりわけ神の力を色濃く受け継いだはずの彼ですら、彼女の敵ではなかった。

 それでも、たまにからかってみたい気分になるのは彼だけだったが。

 

 退屈だった。

 何もかもがつまらなかった。

 だからこそ、自分の目の前に立ち向かうべき敵が現れる、ということが大事だった。

 

(ふふ。どうせなら魔導王なら良かったんだけど、流石にそれはないよね)

 

 少しばかり残念には思う。

 まぁ、いい。とりあえず、めったにないお楽しみを、ふいにしたくはない。

 

 番外席次はつややかに光る唇を舌で舐め、手にしていたルビクキューを放り投げると、傍らに置いてあった十字槍にも似た戦鎌を手に取った。

 

「どうせ、ここまで来るんだろうから、ここで待っていてもいいんだけど……」

 

 数百年前から存在していると言われる『聖域』。

 この地こそが六大神が降臨した場所だと言われている。

 ここを賊に汚されることなどあってはならないし、神宝が賊に奪われるなどもってのほかだ。

 

 だが、番外席次にとって大切なことは唯一つ。

 侵入者が自分を打ち負かせることが出来るほどの強者なのか、ということだけだ。

 そうこうしているうちに、敵は恐らく聖殿の心臓部であるこの場所へと近づいてきているに違いない。

 音は全く聞こえないが、番外席次の直感がそう告げていた。

 

 恐らく、魔法的なジャミングを張り巡らして、音がもれないようにしているのだろう。

 巨大な神殿の内部で、それだけの魔法を行使できるとすれば、明らかに侮ることができない相手だ。

 

「やっぱり、せっかくのお客様だもの。お出迎えしたほうがいいよね。ここを離れたら、あの石頭たちは怒るかもしれないけど、そんなの知ったことじゃない」

 

 果たして敵はどんな連中なのか。数十年ぶりに感じる興奮で胸が満ちる。

 手にした鎌をくるくると回し、自分の手さばきに満足すると、番外席次は薄い笑いを浮かべ、扉の外へと飛び出した。

 

 

----

 

 

 女からの情報通り、古い砦跡からは、神都の中心部へ通じる古い通路が存在していた。元々は下水道として作られたものだったようだが、都市の再設計の折に砦が放棄され、その際にこの場所も使われなくなったらしい。

 

 悪臭を伴う水はまだ通路のところどころに溜まっているものの、歩行の邪魔になるほどでもない。ところどころ壁が崩れた箇所もある。しかしながら、なるべく余計な揉め事を起こさずに行動するという、当初の目的を達成するには十分な代物だった。

 

(何が起こってもいいように、万全の計画を立てたつもりだったけど、思いのほかあっけなかったわね)

 

 既にドリームチームは、作戦の目的地である、大神殿内部に予定通り展開していた。

 

 今回は情報収集及び、希少アイテムの回収が目的だ。現時点ではまだ魔導国が動いていることを法国に察知されてはいけない。

 それはモモンガにも重々釘を刺されている。

 だからこそ、隠密に優れたシモベを駆使し、被害は最小限に抑えている。

 

『万一、ぷれいやー、もしくはそれに準じる存在と接触した場合は、可能なら捕縛してナザリックに連行、危険を感じたら無理せず即時撤収するように』

 

 アルベドとしても、そのモモンガの方針に否やを唱えるつもりはない。

 愛する旦那様の意向は、妻として大切にすべきことだからだ。

 

 しかし、今のところ、それらしい存在とは遭遇したという情報は入っていない。

 アルベドは、自分の傍らにいる妹をちらりとみやった。

 

(まぁ、何かあっても、この子がいれば遅れを取ることなど、そうそうないはず)

 

 アルベドは敵の排除を終えた通路を、なるべく音を立てないように歩む。

 といっても、既にパンドラズ・アクターがアイテムでジャミングを張り巡らしているはずだから、相手には音は聞こえないはずだ。

 

 神殿内は厳かな雰囲気が漂い、そこかしこに意匠を凝らしているものの、ナザリックの第九階層の神域には到底及ぶものではない。ここを造ったのがぷれいやーだとしても、少なくともナザリックを創り上げた至高の存在よりは、数段劣っているのだろう。

 

 パンドラズ・アクターの想定が正しければ、この先に例のアイテムが安置されているはずの宝物庫があるはずだ。

 

(もし、ここに存在すれば、シャルティアを洗脳したのは間違いなくスレイン法国ということになるわね。そうなれば、モモンガ様は容赦なくこの国を滅ぼされるはず)

 

 そう、少なくともその事実をモモンガが耳にすれば。

 

 アルベドは、モモンガを裏切るような、そんな後ろ暗い気持ちに駆られる。しかし、これはモモンガを裏切る行動ではない。

 モモンガを真なるナザリックの最高支配者とし、そして、後顧の憂いを断ち切るためには必要なことなのだから。

 

(二度とあの愚か者たちに、モモンガ様の御心を乱させないためにも。モモンガ様にあの時のような悲痛な思いを二度と味合わせないためにも。私はこの計画をやり遂げなければいけない。私はモモンガ様の盾。モモンガ様を護るために存在するもの。モモンガ様の御為になら、私は……何を犠牲にしても構わない)

 

 アルベドは空間からバルディッシュを取り出し、その手に握った。

 

「この先のはずだけど、シモベからの連絡が遅いわね。何かあったのかしら?」

 

 〈永続光〉で照らされた神殿の通路は妙に静まり返っている。いくら、物音を立てないように襲撃をしているとはいえ、おかしなことだ。

 アルベドは足を止めると、通路の先を眺めた。

 

「シモベって、こいつらのこと?」

 

 耳慣れない女の声がして、白と黒の髪をした少女が数メートル先に突然飛び降りてきた。片手には戦槍を、もう片手には影の悪魔の死体を引きずっており、それをアルベドの目の前に放り投げる。

 

「あら、わざわざ連れてきてくださったの? ご親切にありがとうございます」

「どういたしまして。邪魔だったから殺しちゃったけど、構わないよね?」

「そうね、役に立たなかったのだから、仕方ないわ」

 

 落ち着いて涼やかに答えるアルベドを見て、楽しそうに番外席次は笑った。

 

「ふふ。貴女、とっても強そう。もしかしたら、私と同じくらい? ねぇ……私と戦ってみない?」

「そういう貴女も、なかなか強そうね。もしかしたら、貴女が先祖返りをしたという方かしら?」

「ふぅん……、どこからその話を聞いたの? ここのお偉方以外には知ってるものなどほとんどいないはずだけど」

「このくらいの情報は、私には簡単に手に入れられるのよ」

「そっか。ずいぶん、自信があるんだ? だったら、遠慮なんていらないね。――私を……楽しませてよ!!」

 

 急に人が変わったかのように、番外席次は殺気立つと、軽やかに跳躍し〈時間停止〉を発動させた。

 

 これさえ使えば、これまでどんな相手だって馬鹿みたいに動きを止め、気がついたときには自分の戦槍を首元に押し当てられることになるのだ。しかし、黒い鎧を着た女は何の影響も受けたように見えず、自分に向かって禍々しい黒のバルディッシュを振るう。

 

 小さく舌打ちをした番外席次はそれを軽く飛び退けると、すかさず戦槍をアルベドに叩き込んだ。が、アルベドは余裕で使い慣れたバルディッシュで受け流した。

 

「やるじゃないの。はじめてよ。この呪文が効かなかったのは」

「このくらい大したことではないわ。対策していて当然ですもの」

 

 番外席次は唇を舐めると、アルベドを睨めつけるが、アルベドは意にも介さない様子で、バルディッシュをしっかりと握り直す。

 

「煽るのも無駄なんだ? いいわね」

 

 にやりと笑って体勢を整えた番外席次は、アルベドの手元を狙って素早く突きを繰り返し、アルベドはそれに負けじと払いのける。

 

 アルベドは、嬉々として自分に攻撃を仕掛けてくる相手の攻撃を冷静に受けつつ、敵の戦闘パターンを分析する。

 

(言うだけのことはあるわね。私達、守護者と同程度かしら。だとすると、私では打たれ負けるかもしれない。このアイテムの力を開放すれば装備を打ち砕くことは出来るだろうけど、アインズ様からは極力それは避けるように言われている。できれば、装備ごと確保したいところね。そのためには……)

 

 多分、レベルは百相当。非常に素早く狙いも確実。かなり手強い相手であることは間違いない。

 

 更に数合、アルベドは自分のタンクとしての持ち味を活かしながら、素早い動きで鎌を繰り出す番外席次をいなし続けた。

 

「なぁに? 攻撃してこないの? 受けてるだけじゃ、私に勝てないよ?」

「それはどうかしらね」

 

 確かに動きは素早いし、狙いは正確。でも、手筋が単調?

 

 アルベドは、番外席次が次々と繰り出す攻撃を受け止めつつ、モモンガにバルディッシュの使い方を指南した時のことを思い出していた。

 

 モモンガは専業戦士ではないから、戦士としてのレベルはアルベドよりも遥かに低い。

 しかしながら、武器の使い方に一旦習熟すると、思いも寄らないフェイントや多彩な攻撃を仕掛けてきた。

 

 もちろん、それでもアルベドの敵ではなかったが、鋭い一撃を入れられそうになったことは何度もある。主はアルベドの戦い方を褒め称えていたが、アルベドはあの手合わせで主に勝った気分にはなれなかった。もしも、モモンガが完璧な戦士だったら、負けていただろうことを感じて。

 

 アルベドは密かにルベドに後ろに回るように命令を出すと、少しずつ番外席次に押され負けしている風を装った。

 バルディッシュは槍に弾かれ、アルベドは若干体勢を崩す。

 それを見て取ったのか、番外席次はニヤリと笑う。

 

「やっぱり、貴女も私の敵じゃなかったみたい。まぁ、少しは楽しかったけど、そろそろ飽きてきた。これで終わりにする。――サヨナラ!」

 

 残念そうな声とともに再び高く跳躍すると、アルベド目掛けて鋭い一撃を放とうとした。

 が、なぜか槍が途中でびくとも動かなくなる。

 

「なっ!?」

 

 慌てた番外席次のすぐ後ろには、ローブを纏った赤い瞳の少女が無表情で槍を抑えている。槍は巨大な岩に挟み込まれたかのようで、どうあがいても動かすことはできない。次の瞬間、アルベドは番外席次に体当たりで、その場に転がすと、押さえつけた。

 

「は、放せ!」

 

 暴れる番外席次にアルベドは馬乗りになると、平然と手足を抑え込んだ。

 

「ふふ、どうせなら、こういうことは愛しの君としたいところだけど、贅沢は言えないわね。ルベド、その武器は回収しておいて頂戴」

 

 ルベドは黙って頷くと、槍を自分の武器のように握りしめた。

 

「二人がかりなんて卑怯! 一対一じゃないと敗北の意味がない!」

「あらそう? 別に私一人でも、貴女になんて勝てたわよ。なるべく傷をつけずに生け捕りにしたかっただけで」

「な……、私はこんな形での敗北を望んでいたんじゃない! 私は……!」

「悪いけど、貴女の意向なんてどうでもいいの。私にとって大切なものは、この世にたった一つしかないんですもの」

 

 ようやく事態が飲み込めてきたのか、青くなって叫ぶ番外席次に、アルベドは冷たく言い放った。 

 

「統括殿、お見事です」

 

 わざとらしい拍手の音が響く。

 アルベドは面倒くさそうに、振り返った。

 

 そこには、モモンガの姿をしたパンドラズ・アクターが立っていた。

 

 押さえつけられていた番外席次は、なんとかアルベドを振り払おうと力の限り抵抗したが、新たに現れたパンドラズ・アクターの姿が一瞬目に入り、その姿に釘付けになった。

 

「……え? どういうこと? スルシャーナ様が御帰還になられた? それとも……まさか、魔導王!?」

「残念ながら、どちらも不正解です」

 

 パンドラズ・アクターは番外席次を冷たく見やると、アルベドに向かって大仰にお辞儀をした。

 

「遅かったわね、パンドラズ・アクター。悪いけど、この女を拘束してくれる?」

「畏まりました。それでは、失礼して」

 

 パンドラズ・アクターが空間から取り出したマジックアイテムを起動すると、それは網状に広がって番外席次を完全に拘束した。

 

「何をする! こんなもので私を拘束できるとでも思っているの!?」

「逃げられるのなら試してみるといいですよ、お嬢さん」

 

 憎々しげにパンドラズ・アクターをにらみつけ、しばらく網と格闘していた番外席次も、やがてアイテムの効力のためか完全に動かなくなった。

 

「ようやくおとなしくなりましたね。統括殿、お疲れさまでした。これで当座は大丈夫でしょう」

「こちらこそありがとう、パンドラズ・アクター。なかなか利用価値がありそうな娘だから、早速、氷結牢獄にでも送ることにしましょう」

 

 アルベドはゆっくりと立ち上がると、パンドラズ・アクターの手元にあるアイテムを興味深そうに見た。

 

「それ、なかなか便利なマジックアイテムね。私にも一つくれない?」

「……申し訳ありませんが、お断りします。嫌な予感がしますので」

「あら、失礼ね。まぁ、いいわ」

 

 アルベドは不敵な笑みを浮かべると、拘束されて床に転がっている番外席次を見下ろした。

 

「随分変わった髪の色をしているわね。エルフと人間の混血だから? それとも他の血も入っているのかしら。両方の瞳の色が異なるのは、あの男が言う通り、エルフの王族の血筋の証とやらなのかもしれないけれど。ともかく、今はあまり時間もないことだし、詳しく調べるのは後にしましょう。それで、他の場所の状況は?」

 

「全て対処済みです。残りは例の場所だけかと」

「そう。それじゃ、行きましょうか。ルベド、その女も連れてきてくれる?」

 

 




zzzz様、誤字報告ありがとうございました。


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10: 傾国の美女

 誰も守るもののない、スレイン法国の宝物庫では、目ぼしいアイテムは奪われ尽くそうとしていた。

 

 パンドラズ・アクターは、宝物殿領域守護者としての本領を発揮して、忙しく立ち働いている。多少なりとも利用価値がありそうな品は、パンドラズ・アクターの指示で、シモベ達が全てナザリックへと運んでいる。

 あの生意気なエルフの小娘も、今頃は氷結牢獄に放り込まれ、ニューロニストと微笑ましい会話をしているに違いない。

 

 ルベドは相変わらず無表情だったが、どこからか拾ってきたらしく、妙に古びた槍を手に持ってもてあそんでいるのが見えた。

 

「ルベド、それが気に入ったの?」

 

 ひどく古びた、つまらない武器が、どうして宝物庫に置かれているだろう。

 少しばかり気にはなったが、アルベドは穏やかに尋ねた。ルベドは首を傾げると、そのままコクリと頷く。

 

「あまり良いものには思えないけれど……。気に入ったのなら、持っていっても別に構わないでしょう。きちんとしまっておくのよ?」

 

 ルベドが再び頷いて、槍を空間にしまう様子を眺めながら、アルベドは宝物庫の奥に並んでいる像に歩み寄った。

 

 像が身につけているのは、それなりに見事な武具だったが、ナザリックの宝物殿に収められている品々と比べると、若干劣る品のように思われる。いいところ、伝説級程度の品だろう。

 

 そして、その中で妙に目を引くのが、白銀に淡く輝く上質な生地に、天に昇る龍が金糸で刺繍された珍しい形状の女物のドレスだった。

 

 うっとりとした表情で、アルベドが手を伸ばすと、パンドラズ・アクターが急にくるりと振り返った。

 

「統括殿、まだアイテムの鑑定は終わっておりませんので、あまり勝手に触れないようお願いいたします。ナザリックの宝物殿と同様、何らかの罠が仕掛けられている可能性もありますし」

 

「わかっているわよ。でも、こんな綺麗なドレスですもの。少しだけ、女心をくすぐられたの。……武具というわけではなさそうだけど、雰囲気的にかなり希少なマジックアイテムじゃないかしら? 作業の邪魔をして悪いけど、先に鑑定してみてくれない?」

 

「畏まりました。確かに麗しい統括殿に大変似合いそうなアイテムですね。他の武具はたいしたものではなさそうですが、これはなかなかの逸品に思われます。〈道具上位鑑定(オール・アプレイザル・マジックアイテム)〉!」

 

 おもむろに魔法を唱えたパンドラズ・アクターは、その知識が頭の中に流れ込むにつれ極度の興奮に襲われた。

 

「こ、これはっ……!? なんということでしょう! これこそが、恐らくこの国が持つ最も至高かつ強力なマジックアイテム!!」

 

 パンドラズ・アクターの表情は全く変わらないが、明らかに激しく興奮している。アルベドは息を呑んだ。

 

「まさか、と思うけれど、ワールドアイテム……なの?」

 

「そのまさかでございます! アイテム名は『傾城傾国』。これを装備したものは、精神支配無効の者でも、完全に精神支配することが可能になります。――このアイテムを装備可能なのは女性のみ。使用すれば確実に相手を魅了できるが、魅了中は他のものを新たに対象にすることはできない――。ずいぶんと不可思議な制限がついていますが、それは、このアイテム名の元になった傾城傾国という故事に由来するものとか」

 

「そう。つまり、これが、シャルティアを洗脳した世界級アイテムというわけね……」

 

 アルベドはゆっくりと、傾城傾国をまとった女性の像に近づいた。

 

「まさしく、統括殿の仰るとおりかと! これでまた一つ、ナザリックの宝物殿に世界の力を持つ宝が増えるというのは感無量ですね。もっとも、これがこの場所で見つかったということはシャルティアの件での下手人も割れたということ。アインズ様は、スレイン法国を決してお許しになることはないでしょう」

 

 熱弁をふるっているパンドラズ・アクターをちらりと見て、アルベドは妖艶な笑みを浮かべた。

 

「それは仕方がないわ。アインズ様に歯向かう国がどうなるのか、実例も一つは必要よ。私だって、法国を擁護するつもりなんてないもの。あなただってそうでしょう?」

 

 ゆっくりとした手付きで傾城傾国の肌触りを確かめるように触れると、アルベドは丁寧に像からそれを脱がせた。

 

 そして、鎧姿を解除すると、素早くそれを身にまとった。

 ドレスはすぐにアルベドの身体にちょうどいいサイズに変わり、アルベドの豊満な胸元や、形のいい手足がむき出しになった。

 

「ふふ、どう? これなら、アインズ様も、私に見惚れてくださると思わない?」

 

「統括殿、それは……」

 

 パンドラズ・アクターは若干警戒するような声を上げた。

 

「あら、別に少しくらい着てみても構わないでしょう? こんなに美しいドレスなんですもの。それに、この薄く輝く白銀色。まるで、私のためにあつらえたみたいじゃない?」

 

 実際、白銀のチャイナドレスを身に着けたアルベドは美しかった。長い黒髪と蜘蛛の巣のような金のネックレスが、金糸の刺繍を更に引き立てている。

 

 どんなに色恋沙汰に鈍感な男でも、その美に魅了されてもおかしくない、この世に二人といない美女であるかのように。

 

「……非常にお似合いだと思います。世界広しといえども、この風変わりな衣装を、これほど完璧に着こなせる方は他にはいないかもしれません」

「くふふ、ありがとう、パンドラズ・アクター」

 

 何を頭に思い巡らせたのか、アルベドはしばらく残念な美女の表情をしていた。

 おかしな含み笑いも聞こえなくはなかったが、パンドラズ・アクターは、あえて口を挟まなかった。

 しばらく自分の中の妄想にふけっていたが、物いいたげにじっと見ているパンドラズ・アクターに気が付き、アルベドは我にかえった。

 

「あ、あぁ、まだ話の途中だったわね、ごめんなさい。さっき、このアイテムは故事に由来するって言っていたけど、どんな話なの?」

 

「――昔、非常に美しい女性がいて、王は完全にその女性の魅力に取り憑かれてしまった。その結果、王は美女にそそのかされて悪政を行い、国は荒れ、ついには滅んでしまった。そのことから、城を傾け、国を傾けるほどの魅力がある美女のことを『傾城傾国』と言うのだそうです」

 

「…………」

「今の統括殿は、それだけの魅力あふれる美女と申せましょう!」

 

 オーバーアクションで力説するパンドラズ・アクターに、アルベドは微妙な表情を浮かべた。

 心の奥底に小さな棘が刺さったような。

 しかし、それはただの思いすごしだろうと考え直す。パンドラズ・アクターは他意なくそういう故事の美女に例えただけなのだろうから。

 

「どうかしらね。単なる美しさが、叡智あふれるアインズ様に通用するとは思えないけれど。恐らく、その王はただの愚か者だったに違いないわ。そうは思わない?」

「そうかもしれませんね。アインズ様は見た目の美醜には、あまりご興味はおありではないかと」

 

「こんな装い程度で、簡単に籠絡されるような方だったら楽でしょうけど、それはそれでつまらない。堅固な砦だからこそ、落としがいがあるというものだわ。あぁ、本当につれない御方……。でも、だからこそ、よりいっそう、私はアインズ様に恋い焦がれてしまうのかもしれない。――ねぇ、パンドラズ・アクター。少し話があるのだけれど」

 

 アルベドの口調が急にガラリと変わった。

 これまでにないくらいの真剣な様子に、パンドラズ・アクターも少し態度をあらためた。

 

「どうかなさいましたか? 統括殿」

「私は前からずっと考えていたの。――ナザリックは、確かに至高の四十一人によって創り上げられたわ。神々の住まう地であるナザリック地下大墳墓も、私達シモベも全て」

「――仰るとおりだと思いますが?」

「でも、慈悲深いアインズ様お一人を残して、あれらはナザリックから去り、りあるへと向かったきり帰ってこない。……いいえ、違うわね。あいつらは捨てていったのよ。まるで飽きた玩具を放り捨てるように。私達やナザリックだけじゃない。あのお優しいアインズ様まで……!」

 

 アルベドの目は明らかに憤怒の炎が燃え、その両手は震えていた。

 パンドラズ・アクターですら怯むほどの大きな怒り。

 これほどまでの激情を、アルベドが見せたことはこれまでなかった。

 

「私は許せないわ。あの連中を! アインズ様に孤独と絶望を味わわせたあいつらを! アインズ様の被造物であるあなたなら、この気持はわかってくれるでしょう?」

「もちろんです。私は、ずっと見てきましたから。アインズ様が霊廟でどのようなご様子でアヴァターラをお造りになっていたのかも」

 

 それは、パンドラズ・アクターにとっても、思い出すだけで腸が煮えくり返るような光景だった。

 もちろん、それ以外にも宝物殿で見聞きした事柄もあるが、それをアルベドに話すのはさすがにはばかられたので教えてはいない。

 もし、知ったら、アルベドの怒りはこんなものでは済まないだろうから。

 それが原因でナザリックが崩壊でもしたら、アインズはより大きなショックを受けることになるだろう。それだけは避けなければいけない。

 

 自らの創造主の平穏と幸福を守ることこそが自分の存在意義だと、パンドラズ・アクターは固く心に誓っていた。

 

 その静かな声で、アルベドは少し落ち着きを取り戻したようだったが、それでも怒り冷めやらぬ様子だった。

 

「私は許せない。万が一にでも、あの連中が戻ってきて、ナザリック地下大墳墓の支配者のように振る舞うのが。例え、今はこの世界にいないとしても、いずれ姿を現さないとは限らない。ナザリックはアインズ様だけのもの。そして、ナザリックの支配者として君臨していいのはアインズ様だけ。あなただってそう思うでしょう?」

 

「もちろんですよ、アルベド。だからこそ、こうして貴女に協力しているではありませんか」

 

「そうよね。他のものを信用することは出来ない。あのデミウルゴスだってそうよ。アインズ様に対する彼の忠義を疑っているわけじゃないけれど、もし、ウルベルト・アレイン・オードルが帰還すれば、間違いなくアインズ様よりもウルベルトを選ぶことでしょう。でも、私は違う。アインズ様、いえ、モモンガ様の御為なら、創造主タブラ・スマラグディナを弑することすらためらわない。必ず、私のこの手で誅殺してくれるわ!」

 

 怒りに燃えて目を金色に輝かせるアルベドは、まとっている純白の強力な魔法の力が込められたドレスも相まって、異様なまでの美しさだった。

 パンドラズ・アクターですら、一瞬、くらりとその美貌に酔うのを感じるほどに。

 

「パンドラズ・アクター。私は許せないの。あの連中は、こともあろうにモモンガ様から、あの麗しい御名まで奪ったわ」

「アルベド、それは……」

 

「そうよ。アインズ・ウール・ゴウンなど滅びてしまえばいい! そうすれば、モモンガ様がアインズ・ウール・ゴウンを名乗る必要はなくなり、本来のモモンガ様に戻られるはずよ」

「……それは、確かにそうかもしれません。しかし、一体どうやってそれを成し遂げるつもりなのですか?」

 

「モモンガ様は、あんな連中にも等しく心をかけていらっしゃる。簡単にはいかないでしょう。でも、あの連中がモモンガ様を裏切ったとすれば? 流石のモモンガ様も、彼らに愛想を尽かすのではないかしら?」

「アルベド、……貴女は一体何をするつもりなのですか?」

 

 アルベドは一歩パンドラズ・アクターに歩み寄る。それに気圧されるように、パンドラズ・アクターは一歩下がった。

 

「あなたの協力が必要なの。パンドラズ・アクター。あなたがモモンガ様から与えられたその能力が……」

 

 次の瞬間、ドレスに縫い込まれている黄金の龍が命を得たかのように輝いた。

 

 その龍はパンドラズ・アクターの方に迫ると、雷光のようにパンドラズ・アクターの全身を覆い尽くした。パンドラズ・アクターは必死にもがくように身悶えし、抵抗するような叫びを上げた。

 

「……アル……ベド! まさか……!?」

 

 必死に絞り出した言葉はそこで絶えた。

 とっさに何か魔法を発動しようとしたようだったが、それも間に合わない。

 

 体中を取り巻いていた光が消え失せると、パンドラズ・アクターはその場に木偶のように立ち尽くしていた。その姿は、いつかのシャルティアの姿を彷彿とさせる。

 

 アルベドは大きく安堵のため息をもらした。

 

 同レベルの智者であり、モモンガの被造物でもあるパンドラズ・アクターを陥れるのは、流石に油断ならなかったし、モモンガに対する罪悪感も感じる。説得すれば、自ら協力してくれた可能性もあったが、万が一のことを考えるとそのようなリスクを冒すことはできなかった。

 

「――さぁ、これでいいわ。全て準備は整ったわね」

 

 凍りついたように動かないパンドラズ・アクターに、ゆっくりと近づき、アルベドは静かな声で命じた。

 

「パンドラズ・アクター。これより、あなたの主人は、この私、アルベド。私の命令は全てに優先するわ。いいわね?」

「……畏まりました。我が仕えるべき主人は、他の何者よりも至高であり、その命令は、何よりも優先すべきものであります!」

 

 パンドラズ・アクターは仰々しい一礼をした。

 その様子は、完全にアルベドに従属したもののように見える。

 

(このアイテムの効果がどの程度のものなのか、これまではよくわからなかったけれど。確かにこれは、使いようによっては非常に恐ろしい品ね。モモンガ様があれだけ警戒していたのも頷けるわ)

 

 ニグレドには、エルフの王国とスレイン法国との戦いを監視するように命じてある。

 彼女の注意を自分からそらしている間に、なるべく迅速にことを終わらせるのだ。

 

 他の全てのシモベは、既にナザリックに撤収している。

 ここにいるのは、ルベドとパンドラズ・アクターだけ。

 

 ルベドは何も言わずに、じっと自分を見つめている。

 そんなルベドにアルベドは囁いた。

 

「私が頼りにできるのはあなただけよ、ルベド。これから私がしようとしていることはとても危険なこと。でも、誰よりも大切な方の御為に、どうしても必要なことなの。だから、お願い。私を……、何があっても守って」

 

 しばらく身じろぎもせずにアルベドを見ていたルベドは、やがて小さく頷いた。

 ルベドの体は、いつの間にか、僅かに赤い光を発している。

 姉はスピネルと呼んだけれど、アルベドには、ルベドが真のルビーのように感じた。

 

「綺麗な光ね、ルベド。まるで、私を応援してくれているみたいだわ」

 

 そして、アルベドは、自らを奮い立たせるように宣言した。

 

「では、これより、作戦『ニグレド』を開始します。全ては、愛する……モモンガ様の御為に!」

 

 

----

 

 

 法国にある大神殿の一室では、沈痛な面持ちをした法国の最高執行機関のメンバーが集っている。

 しかし、皆、青ざめた顔をしたまま、一向に口を開こうとはしない。

 

 何しろ、誰も立ち入ることができようはずもない大神殿内に賊が侵入し、最も厳重に守られた地に収められていた法国の神々の遺産のほぼ全てが、何の痕跡もなく、一夜にして失われてしまったのだ。

 

 もちろん、いつもどおり、十分な警備体制は敷いていた。

 

 おまけに、宝物庫を守護していたのは、法国の最大の切り札である神人。

 少なくとも、法国はおろか、この世界中でも、あの娘に勝てるものなど、そうはいないはずだ。

 それに彼女は、何よりも貴重な六大神の血を引く希少な存在。

 スレイン法国にとっては、神の遺した生きた至宝に等しい。

 

 それなのに、賊は、その番外席次をも連れ去ったのだ。

 争った形跡すらほとんどない。

 一体、昨夜何が行われたのか、理解できるものはいなかった。

 

「見張りの警吏は一体何をしていた!? 誰も気づかぬなどありえないだろう」

「はっきりとしたことはわかっておりませんが、賊はマジックアイテム、もしくは魔法的な手段を用いて防音の結界を張ったのではないかと」

「この大神殿の心臓部でか? そんなことが可能だとしたら……」

 

 再び、部屋の中に沈黙が訪れる。

 

 そんなことが可能なものたちの心当たりなど、たった一つしかない。

 スレイン法国としては、なるべくなら敵対したくない。しかし、いずれは敵対せざるを得なくなるだろう国。

 

「……それで、昨夜の一件について、御方は何と仰せられているのだ?」

「おそらく、自分と同様の存在が現れたのだろうとのことです」

 

「ということは、侵入者たちは従属神だということか? つまるところ、侵入者たちが仕えているアインズ・ウール・ゴウン魔導王は、我らが神々と同等の存在だと」

「それ以上のことは何も仰いませんでしたが、要するに、そういうことなのでしょう」

 

 神官長たちは、難しい顔をして互いの様子を伺った。

 

「……聞くだけ無駄かもしらんが、『占星千里』はどうした?」

「あれは部屋に引きこもっております。どうにか、占いの結果だけは、このとおり用意させましたが」

 

 薄っすらと笑うと闇の神官長は文書を皆に回す。

 手から手へとその紙が渡っていく。

 そこにはただ一言しか書かれていなかった。『神罰が下る』と。

 

 黙りこくるもの。絶望の表情を浮かべるもの。

 その中にあって、最高神官長は皮肉げに口を開いた。

 

「別に驚くことはなかろう。魔導王がこれまで行ってきたことからすれば、その推測は容易いこと。我々だって薄々は感づいていたではないか」

「しかし……」

 

「我々の計画は失敗した。おまけに、我々の切り札である神器も、番外席次も奪われた。運良く彼がエルフとの戦いに向かっていて、無事だったのは幸いだが、彼一人ではどうしようもなかろう。もはや、我々には打つ手などない」

「どこかに救援要請を出しては?」

 

「笑止。一体どこの国が魔導国に敵対すると? しかも、負け戦とわかっていて?」

 

「まさしく神官長様の仰るとおりですな。周辺の人間の国々は、既に大半が魔導国に膝を屈しておる。いまだ、魔導国の毒牙がかかっていない――もっとも今となってはそれさえ定かではないが――カルサナス都市国家連合とて、恐らく、いかに平和裏に魔導国と手を結ぶかを考えておることでしょう。あの小都市群がこれまで独立を保ってこられたのは、カベリア都市長の優れた判断力の賜物ですからな」

 

「では、この際、古の世界盟約を発動し、協力を要請してはどうか? いかな竜王たちとしても、魔導王は見過ごせない存在のはずだ」

「確かに、魔導王もしくは、その側近たちがぷれいやーであることの可能性を申し立てれば、彼らも世界盟約に則って動く可能性はある。しかし、我らが秘していた番外席次の件が表沙汰になれば、我らに対しても、その爪先を向けるのをためらわないだろうよ」

 

「……なんということだ」

 

 六大神の彫像が並ぶ部屋の中は、沈黙が支配した。

 

「我々、人間種は滅びてしまうのか……?」

「魔導王は生あるものを憎むアンデッド。今は懐柔しようとしているようだが、いずれ、人間種どころか、亜人種や異形種にも地獄が訪れることだろう」

 

「この弱肉強食の世界で、か弱き我々をお救い給うた神々に、まさか、このような結末をお見せすることになろうとは……」

 

「皆、うろたえるな。そもそも、魔導国に計画が知られた時点で、我々は後戻りできなくなったのだ。それに、六百年もの長い間、人間の守護神として働いてきたスレイン法国としての矜持もある。かくなる上は、せめて、我らが神々に恥じぬよう、魔導王に精一杯あらがってみせようではないか?」

 

 青い顔をして並んでいた法国の高官たちは、その言葉にはっとして、深く頷く。

 

 室内には、いつもと変わらぬ神々しい姿で六大神の像が立っている。

 

 一人、また一人と席を立つと、その像の前に跪く。

 そして、一斉に彼らの心の拠り所である神に深い祈りを捧げた。

 

 




zzzz様、誤字報告ありがとうございました。


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11: 葛藤

 デミウルゴスは、竜王国から若干離れた地に新たに作った牧場を見て回っていた。

 

 牧場と呼んではいるが、正しくは都市型の実験施設であり、聖王国で作っていたものとは雰囲気も趣もかなり異なっている。

 大小様々な建物が整然と並んでいる都市の周囲には、堅牢な石造りの壁が築かれている。

 一見すれば、多少、物々しい雰囲気はあるものの、一般的な小規模都市のように見えることだろう。

 

 ただし、窓がついている建物はほとんどなく、敷石で整備された通りを歩く人影を見かけることもない。

 

 なにしろ、ここで行っている実験の主たる目的は、デミウルゴスにとっての悲願でもある異種族間での交配方法の確立であり、そのために必要な薬品やアイテムの開発も同時に行っている。聖王国で収集した数々のデータも踏まえて、より踏み込んだ実験を行っていたものの、今までのところ、かんばしい結果は出ていない。ただ、どれも、決して外部に知られてはならない重要な研究であることに変わりはない。

 

 だから、この都市の周辺には、デミウルゴスが構築した厳重な警戒網がはられており、この街に安易に立ち入れるものは、基本的に存在しない。

 

 デミウルゴスは若干憂いを帯びた表情で、この都市の中でも一番大きな建物であり、自らの執務室と実験棟を兼ねた場所へと向かった。

 

 出迎えた魔将にしばらく人払いをするように命じて、部屋の中に入る。

 

 デミウルゴスの執務室は比較的シンプルな作りで、質の良い骨で作られた手製の執務机と椅子、それに資料を整理する棚があるだけだ。それでも、部屋の最も奥まった壁には、アインズ・ウール・ゴウンの旗が掲げられ、アインズの精巧な像が置かれている。

 

 部屋に入ったデミウルゴスは、最初に、その像の前で恭しく一礼をして、偉大なる主への敬意と忠誠を示すと、それから、自分の執務机の椅子に優雅に腰を下ろした。

 

「ふむ。アルベドからの提案は悪くない。うまくいけば、かなりの効果が期待できることでしょう」

 

 懐から小さな小瓶を取り出して眺める。

 なんということのない白い粉末ではあるが、デミウルゴスにとっては、非常に興味深い代物だった。

 法国で行っていたという実験結果、それに関するパンドラズ・アクターの分析結果などがまとめられた資料を空間から取り出すと、書類に丁寧に目を通していく。

 

 生物の劣情を刺激する薬が存在する、ということはデミウルゴスも知っている。

 サキュバスの持つ特殊能力にも同様の効果があるし、ナザリックには、そういった効果のある体液を持つシモベも存在するからだ。

 

 もっとも、今のところ、この世界にはデミウルゴスが欲しているレベルのものは存在していない。

 人間の娼館などで使われているものを試してみたが、品質が悪く、必要な効果が得られないものばかりだった。 

 

 ナザリックの五大最悪の一人であるシモベの体液を元に、薬液の作成実験も行ってみた。

 しかし、人間種や亜人種では使用された側が高確率で発狂し、異形種の場合ですら、長期に渡って薬の作用が持続し、最終的には性欲を断ち切ることが困難になってしまうケースが多いという散々な結果だった。

 

 とてもではないが、デミウルゴスが崇拝する御方に献上できるような代物ではない。

 いささか潔癖すぎるところもある主の姿を思い出し、デミウルゴスは苦笑いした。

 

(効果が高すぎても低すぎてもよろしくない。なかなか加減が難しいものですね。もっとも、あの体液は使用されたものを廃人にするためのものとも聞いていますから、至高の御方々の狙い通りの効果なのでしょうが)

 

 しかし、ベースとして使用するのが、亜人種などを興奮させる薬効のある麻薬であれば、原料としては申し分ない品かもしれない。

 しかも、ここにあるものは、法国で入手した薬品を、パンドラズ・アクターが解析し、更に強化が施された代物だ。

 アルベドは、パンドラズ・アクターの知識と自分の研究結果を融合させれば、より効果的なものができるだろうと考えているのだ。

 

(種族の壁というのは案外厚いもの。聖王国での実験でもそれは明らかでした。世界にそのような理が存在するのか、それとも、種族の防衛本能なのか? 他種族との交わりに対する忌避反応は思いのほか強い。悪魔にとっては、あまり理解できない感覚です。セバスとツアレのように、異形種と人間種が自主的につがいになるのは、むしろかなりの少数派と考えるべきでしょう。いくら、我々が不死に近いとはいえ、いつ何が起こるかわからない以上、そんな偶然を、のんびり待つわけにはいきません)

 

 その巨大な垣根を、ただの薬物で超えることができるようになれば、実験は大いにはかどることだろう。

 

 これまでは、ほぼ不可能だと考えざるを得なかった、アンデッドと他種族との交配すら可能になるかもしれない。もしかしたら、性的な行為に全く興味を持たないように見える主にも、多少なりとも効果があるかもしれないのだ。

 

(とりあえずは、この薬がどの程度の効果があるのかを確認しなければ。最初は下等な生物同士で試すにしても、ある程度の結果が出せるように改良できれば、いずれは、他の守護者たちの協力も仰いでみてもいいかもしれません。最終的には、アインズ様も懸念されているナザリックの戦力強化にも繋がりますし。ただ、その場合は、アインズ様のご許可も必要になるでしょう)

 

 ふと、デミウルゴスは、ゲヘナで使用した悪魔像を空間から取り出した。

 

 アインズから下賜された創造主ウルベルトが遺した像。

 この像は、二重の意味でデミウルゴスにとって神聖なものだった。

 

 至高の四十一人のまとめ役であったアインズや、他の至高の御方々にも等しく仕える身ではあるが、真に自分の全てを支配しているのはウルベルト・アレイン・オードルだけだ。

 

 しかし――

 

 何年も前に第七階層にあるデミウルゴスの部屋で、ウルベルトが口にしたセリフを思い出し、デミウルゴスは苦い顔をした。

 

 もう遥か昔のことのように感じられるが、たとえ何千年が経とうとも、自らの創造主から賜った御言葉を忘れることなどありえない。

 だからこそ、デミウルゴスにはわかっていた。

 あの時、ウルベルトが告げた言葉は真実であり、ウルベルトはデミウルゴスには手の届かない地で行われている聖戦へと赴き、二度とナザリックの地を踏むことはないのだと。

 

(ウルベルト様……。私には『りある』で戦っておられるウルベルト様をお助けすることは出来ません。そのかわり、例え、この身が朽ちようとも、ウルベルト様が愛したナザリック地下大墳墓を守り、唯一絶対の支配者であるアインズ様にお仕えすることを誓います)

 

「最後まで残られたアインズ様の慈悲に報いるためにも、より一層の忠誠を示さなければ。そう。至高の御方であれば誰でもいいわけではない。あの叡智にあふれる御方こそが、忠義を尽くすに最もふさわしい」

 

 デミウルゴスは、この薬を渡しに来たときのアルベドを思い出した。

 

 慈母のような微笑を絶やさない彼女ではあるが、いつもとは違う笑みを、ほんの一瞬浮かべたのだ。もちろん、すぐに、何事もなかったかのように普段の態度に戻ったが。

 

 あの時は、これまで何度となく主に手を出そうとして失敗している彼女のことだから、この薬がアルベド自身にとっても望ましい効果を発揮するものになることを期待していたからだろうと、特に深くは追求しなかった。

 

 アインズの側近くに控え、ひたすら忠義を尽くしている守護者統括。

 その忠誠心に偽りはないだろう。

 彼女が主をこの上なく愛していることも。

 

 しかし、デミウルゴスは、アルベドを完全に信じ切ることができないでいた。

 

 あのシャルティアとの生死をかけた戦いのときに、アインズをたった一人で送り出してしまったからか。

 ナザリックの防衛指揮官である自分には内緒で、高戦力の遊撃隊をアインズから与えられていたからか。

 それとも、聖王国の作戦のときに、アルベドが口走ったセリフのせいなのか。

 

『あなたはウルベルト・アレイン・オードル――様に対しても同じことがいえるのかしら?』

 

 創造主ウルベルトの死。

 

 例えそれが仮定であったとしても、デミウルゴスは気が狂いそうになるような焦燥感を感じる。デミウルゴスには、ナザリックの全守護者の中で、自分こそがもっとも冷静に物事を判断できるという自負があったが、その自分でさえ、創造主の死を前にして、平静でいられる自信はなかった。

 

 だが、あの時、アインズが死ぬと口に出した時も、ほぼそれに近い衝撃をデミウルゴスは受けた。

 

 この世界に来たばかりの頃の自分なら、もっと不遜な考えを抱いたかもしれない。だが、今はもう違う。自分よりも遥か先を進み、道を指し示して、より高みを見せてくれる、そんな主は、ただお一方のみ。

 

 動揺を押し殺し、あくまでも平静を装ったのは、主の御前だったからこそ。

 

 それに、あのようなことを主が自ら口にされたということは、御方の千歩先を見通したお考えに、またしても、自分は到達できなかったということ。

 そのような場で、うろたえるなど失態の上塗りになるだけだ。

 

 アルベドにはそれがわからないのだろうか。

 それとも――

 

(あのときのアルベドは、いつもよりも攻撃的だった。確かにアルベドは多少私情に走るところはあっても、あそこまで感情をあらわにすることは普段ならない。それだけアインズ様のお言葉がショックだったのかもしれないが、本当にそれだけなのだろうか?)

 

 アルベドの言葉の端々に現れていた僅かな手がかりを拾い集め、デミウルゴスは考えにふけった。

 しかし、自分と同等の頭脳を持つ相手。そうそう簡単には、裏など読ませないだろう。

 

(できれば、近いうちにパンドラズ・アクターに接触した方がよさそうですね。少なくとも、彼ならアインズ様に対する害意は持ち得ない。それに、立場上、アルベドの副官でもある。もしかしたら、私では掴んでいないアルベドの真意について、何か知っているかもしれません)

 

 その時、部屋の外で何やら騒ぎが持ち上がったようだ。複数の魔将が誰かと話している声が聞こえる。

 少しして、部屋に近づくコツコツという足音とともに、唐突に執務室の扉が開く大きな音が響いた。

 

「誰です!? しばらく誰も中に入らないように命じたはずですが? 即刻、ここから出ていきなさい」

 

 書類から目を上げずに、デミウルゴスはイライラした声を上げた。

 

「随分な挨拶だな、デミウルゴス。この俺のことを忘れたのか?」

 

 その声を聞いた途端、反射的にデミウルゴスは書類を机の上に置くと、慌てて立ち上がった。

 あまりの衝撃で、手に持っていた試薬の瓶を取り落し、それが床でカシャンと音を立て、少しばかり、独特の癖のある匂いが漂う。

 

 貴重な薬を無駄にしてしまうなど、ナザリックのシモベとしてはあるまじき失態だ。

 ナザリックに属する全ての財は、御方のものなのだから。

 

 しかし、今のデミウルゴスにはそれを気にかける余裕はなかった。

 目の前の光景から受ける衝撃に、心が完全に囚われて。

 胸の鼓動は、部屋の入口に立っている相手にも、聞こえるのではないかと思うくらい激しくなり、気分がどうしようもないほど高揚している。

 

(まさか……、まさか、再び相まみえることなどないと……)

 

 デミウルゴスの目から一粒の涙が流れた。

 それは、二度と耳にすることがあるはずもないと思っていた自らの創造主だった。

 

「ウルベルト様!」

「元気そうで何よりだ。随分、激務だそうだが」

 

 ウルベルトはゆっくりと部屋の中に入り、後ろに向かって軽く振り向くと、パチリと指を鳴らした。

 

「扉を閉めろ。それから、しばらくの間、この部屋には誰も近寄るな」

 

「か、畏まりました! ウルベルト様」

 

 集まっていた魔将たちやシモベは頭を伏したまま返事をすると、そのまま、恭しく下がっていく。執務室の扉は静かに閉まった。

 

 その様子を若干皮肉そうな目つきで見ていたウルベルトは、少し見下すように鼻を鳴らし、再び、デミウルゴスに向き直った。

 

「本当に久しぶりだな、デミウルゴス」

 

 とっさにデミウルゴスはその場に跪き、深々と頭を下げた。

 普段冷静さを欠くことのない自分が、どうしようもない混乱状態にあることは理解していた。

 

 自らの創造主が帰還されたのだ。シモベとして、これ以上喜ばしいことはない。

 ウルベルトの視線を受け、名を呼ばれただけで、デミウルゴスの体の中にぞくりとした喜びが走る。

 アインズに対するものとは明らかに異なる……感覚。

 

 それなのに、そんなはずはない、という気持ちもどこかに残っているのだ。

 

(創造主を疑うなど万死に値する。私ともあろうものが、一体何を考えている?)

 

「顔を上げろ、デミウルゴス」

 

 デミウルゴスは、床のギリギリのところまで下げていた頭をあげた。

 

「眼鏡を外せ」

 

 普段は外すことのない眼鏡を、デミウルゴスは素直に外した。

 薄青色の宝石の瞳が陽の光できらめく。

 

 ウルベルトは、ほぅ、とため息を漏らした。

 

「なるほど。やはり、お前は完璧だ。非の打ち所のない容姿、卓越なる頭脳、仕えるものに相応しい振る舞い。デミウルゴス、お前は俺の美学の結晶だ」

 

 その言葉はあまりにも甘美だった。

 創造主を満足させることができるのは、被造物にとって、最上の喜びなのだから。

 デミウルゴスの心は歓喜であふれた。

 

「ありがとうございます、ウルベルト様」

 

 そう。同じ至高の存在といえど、アインズとは違う。

 何故か少しばかり心に引っかかりを覚えたが、もはや、それはあまり気にならなかった。

 

「別に礼などいう必要はない。……ところで、デミウルゴス。どうして俺がここに姿を現したのかわかるか?」

「ナザリックにお戻りくださるためではないのでしょうか?」

 

 それを聞いたウルベルトは、いささか呆れたように肩をすくめた。

 その若干芝居がかった動作は、りあるに去る前のウルベルトそのものだった。

 

(ウルベルト様は一体何をお考えなのか?)

 

 正直、このまま、ナザリックへの帰還の準備を頼まれると考えていたデミウルゴスは困惑した。

 至高の存在がこの世界に降臨し、シモベの前に姿を現したというのに、ウルベルトには帰還する意志はないのだろうか。

 

 いや、それとも、自分を遥かに超える叡智を誇るアインズ同様、我が創造主はもっと他の大いなる意図をお持ちなのに違いない。

 

 デミウルゴスは複数の可能性をとっさに考えたものの、どれも現実的ではないと、それらの考えを捨てた。もしかしたら、このような愚かなシモベに愛想を尽かしたから、ウルベルトは自分を捨てて去っていったのかもしれない。

 

 デミウルゴスは、ウルベルトの足元の床に頭を擦り付けるように深く土下座をし、謝罪した。

 

「ウルベルト様、申し訳ございません。私ごときの浅知恵では、ウルベルト様の深遠なるお考えをお察しすることはできません。どうか、私にウルベルト様のお考えをお話しいただけないでしょうか?」

 

「お前はナザリックでも最高の智者として創ったはずなんだがな。……まぁ、いいだろう。つまらないことで時間を無駄にするものではない」

 

「ウルベルト様の御慈悲に感謝いたします」

 

「デミウルゴス。俺は、長いこと一人きりで旅をしていた。モモンガさんに会おうにも、どこにいるのかわからなかったし、ナザリック地下大墳墓の場所もわからなかった。こんなことは、はじめてだった。そして、ある時、アインズ・ウール・ゴウンの名を耳にしたのだ。俺は喜び勇んでその地を探し求めた。思いのほか手がかりが少なく、時間を浪費してしまった。だが、ようやく探し当てたのは、アインズ・ウール・ゴウン魔導王なる人物が建国したアインズ・ウール・ゴウン魔導国だった」

 

 ウルベルトの言葉に若干不穏なものを感じ、デミウルゴスは体を固くした。

 自分たちの行動が、創造主の怒りをかってしまっている可能性を危惧して。

 

「デミウルゴス。アインズ・ウール・ゴウン魔導王というのは、モモンガさんだな?」

 

 ウルベルトは、苦々しげな表情で、部屋の奥に置かれている像を見ている。

 

「その通りでございます」

「何故、モモンガさんは、我々の栄えあるギルド名を名乗っているんだ?」

 

「詳しいことは存じません。モモンガ様は、長いこと、一人きりでナザリックに残られていました。ウルベルト様をはじめとする、他の御方々が去られた後も。そして、ある時、残されたシモベを集めて、宣言されたのです。これからは、自分はアインズ・ウール・ゴウンと名を変える。そして、アインズ・ウール・ゴウンを永遠の伝説にする、と」

 

「……お前は、それに反対しなかったのか?」

「反対すべき理由がありませんでした。それに、モモンガ様は唯一ナザリックにお残りになられた至高の御方。シモベ風情が御方のお決めになられたことに口を出すなど、畏れ多いことでございます」

 

 ウルベルトは冷たい視線でデミウルゴスを睨みつけた。

 

「それがお前の考える忠義なのか? 主に盲目的に従うことが忠義だと? 俺はお前がそこまで愚かだとは思っていなかった」

 

「ウルベルト様、私とて必要があれば、命をかけて主の意に反することもいたします。例え、諫言して死を賜わろうと。それがシモベの努めというものです」

「だが、お前は、モモンガさんが行った数々の愚かな行為に、特に反対もせず付き従っていた。そうだろう?」

 

「畏れながら、ウルベルト様。アインズ様――いえ、モモンガ様は非常に叡智あふれる御方でございます。これまで、ア――モモンガ様がなさってきたことは、私としましても、これ以上はないほど最善であり、反対する必要など全く感じませんでした」

 

「ほう? 随分とモモンガさんに心酔しているんだな、デミウルゴス」

 

 創造主が皮肉げな笑い声をもらし、デミウルゴスは非常な焦りを感じた。

 

「いえ、私はただ、ナザリックに唯一お残りになられたモモンガ様にお仕えするほか、存在する意義がございませんでしたゆえ」

 

「まぁ、いい。モモンガさんを一人きりにしてしまったことには、俺にも原因がある。しかし……、アインズ・ウール・ゴウンは我らが栄光あるギルドの名。例え、ギルド長であろうとも、それを勝手に我がものとしていいものではない。――デミウルゴス、悪を行うにせよ、それは相応の美学に則って行うべきだ。モモンガさんの行為は、アインズ・ウール・ゴウンの名を汚濁で穢すような振る舞い。少なくとも、俺はそう考えているし、断じてこれを許容するわけにはいかない」

 

 ウルベルトは、ステッキを取り出すと、イライラしたように床をコツコツと鳴らした。

 

「そもそも、モモンガさんは、人をまとめる能力を買われて、ギルド長という地位についた。皆がそれを認めたし、俺もそう考えていた。しかし、今はそれを後悔している。やはり、アインズ・ウール・ゴウンの頂点に立つべきなのは俺だ。力こそが全てを掌握し、真実の悪の美学を表現できるのだ。まぁ、モモンガさんも決して弱いわけではない。しかし、ユグドラシルでも数少ないワールド・ディザスター。その中の一人である、このウルベルト・アレイン・オードルこそが真の強者であり、ナザリックの最高支配者であるべきだ。デミウルゴス、お前もそう思うだろう?」

 

 デミウルゴスは、創造主こそが絶対である、ということを今更ながら思い知っていた。

 アインズが、自らの主であり、神の一柱であることに異論はない。それに至高の御方々は、被造物にとっては等しく神であることにも。

 

 しかし、創造主であるウルベルトは、自らにとっての最高神であり、他の神々よりも上位の存在なのだと。

 

 デミウルゴスは、ウルベルトにどうしようもなく魅了されていた。

 

「……はい。仰るとおりだと思います」

 

 デミウルゴスは、一瞬躊躇したものの、再び頭を深く下げた。

 

「お前に認めてもらえるなら非常に喜ばしい。では、デミウルゴス、創造主として勅命を下す。我がために、ナザリック最高支配者として相応しい玉座を用意せよ」

 

「ウ、ウルベルト様! それは!?」

「手段はお前に任せる」

 

 デミウルゴスの脳裏には、ナザリック第十階層にある玉座の間に鎮座する、諸王の玉座が目に浮かぶ。そして、そこに座るアインズの姿も。

 ウルベルトが欲しがっているのは、それであることは間違いないだろう。

 しかし、それが同時に意味することは唯一つ。

 

 デミウルゴスは、じっとりと手が汗ばむのを感じる。

 ウルベルトの命令に逆らうことなど出来ない。

 しかし、自分にアインズを弑することなどできるのだろうか。

 アインズは最高神ではなくとも、最高の主であることには変わりはない。

 それに、自分は既に多大な恩義をアインズから受けているのだ。

 

「お、お待ち下さい、ウルベルト様。私、デミウルゴスはウルベルト様を絶対神として仰ぐもの。しかし、他のナザリックのシモベは、同様に、別の御方々に従うものたちです。僭越ながら、ナザリックを統一可能なのは、モモンガ様お一人ではないかと……」

「俺にはナザリックを統一するつもりなどない。それに、他のものがどうなろうと知ったことではない。――それとも、デミウルゴス、お前は俺の命に従えないとでもいうのか?」

 

「い、いえ、決してそのような……。ただ、他にもやりようはあるはずです」

「ほう? 確かに、忠言はするようだな。だが、この件に関しては、俺は譲るつもりはない。決定事項だ」

 

 デミウルゴスの体はわずかに震え、大粒の汗が額を流れる。あの時、王国でアインズに査問されたセバスも、こんな風に感じたのかもしれない。

 

「不要なものは、全て排除しろ。俺に必要なものはナザリックの玉座のみ。何度もいうが、他がどうなろうと、俺の知ったことではない」

 

 そういうと、ウルベルトは大仰にマントの裾を跳ね上げ、デミウルゴスに背を向けた。

 

「ウルベルト様、どうかご翻意を……」

 

 デミウルゴスは、必死でウルベルトのマントの裾に向かって手を伸ばし、頭をこれ以上はないくらい、深く下げた。

 

「デミウルゴス、くどい。そんなみっともない姿を俺に見せるとはな。そんなに、モモンガさんが良かったのか?」

 

 さげすむような声の調子に、デミウルゴスはそのまま床の上に手を降ろした。

 

 ウルベルトの決意を変えることはできない。ようやく、それを理解したデミウルゴスは、しばらく、その場に凍りついていた。

 やがて、振り絞るような小さな声で「いえ」と答えた。

 

 ウルベルトは薄笑いを浮かべた。

「ずいぶん返事に時間がかかったな。まぁ、いいだろう。次に会うときまでに、最高の捧げものを用意するように。〈上位転移(グレーター・テレポーテーション)〉!!」

 次の瞬間、ウルベルトの姿はかき消えた。

 

(……私は一体どうすれば? しかし、創造主のお望みに逆らうことなど出来ようはずがない。しかし、アインズ様を手にかけるなど、私には……!)

 

 デミウルゴスは、床に伏したまま、こぶしを何度も床に叩きつけた。

 

(私に……、大恩あるアインズ様を殺せと仰るのですか? 常にはるか先までその叡智で見通し、御方々がいらっしゃらないナザリックを、ただお一人で導いてくださったアインズ様を?)

 

 激情のままに、叩きつけているこぶしには、手袋ごしに血がにじみでていた。

 

(……ウルベルト様の命に背くことなく、なおかつ、大恩にも背かずにすむには……)

 

 一つの案がひらめき、デミウルゴスはようやく我に返った。

 まるで、混乱状態からようやく覚めたかのように。

 

 ウルベルトの命令を遂行可能なのは、自分とウルベルトが召喚した傭兵モンスターのみ。

 戦力としては皆無に等しい。その戦力では……アインズを殺すことなど実質不可能だ。

 しかし、デミウルゴスは、アインズに殺されるなら、それはそれで構わない、と心のどこかで感じていた。

 

「私としたことがとんだ失態でしたね」

 

 埃など床に落ちてはいなかったが、それでも、軽く体を払うと、デミウルゴスは立ち上がり、ウルベルトが立っていた場所に恭しくお辞儀をした。

 

(ウルベルト様に、私の覚悟と忠誠を捧げます。それが、この不肖のシモベとして出来る最大の忠義ですから)

 

 その時、ウルベルトが立っていた場所に、ごく小さな紙片が落ちているのが目にはいった。

 不審に思いつつも、デミウルゴスはそれを拾い上げた。

 

 




佐藤東沙様、誤字報告ありがとうございました。


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12: 人形の心

 ナザリック第五階層。そこは全てのものを凍りつかせる氷の世界。

 

 その一角に設置されている氷結牢獄の自室で、ニグレドは遠く離れたスレイン法国とエルフの国との国境地帯で行われている戦闘の状況をつぶさに観察していた。

 

 死んだような目をしながらも、果敢に人間に打ちかかっていくエルフたち。

 軍勢の中央から、ひたすら自らの民を怒鳴りつけるだけの狂気の王。

 彼はエルフたちがどうなろうが、全く興味がないように見える。

 

 その理由をニグレドは知っていた。

 彼が興味があるのは、自分に最強の子をもたらす女のみ。

 そして、その執着は、今は自分の可愛い妹である、世にもまれな美しさを持つサキュバスに完全に注がれている。

 それにつけこんで、戦いを裏で操っているのが、アルベド本人であることも。

 

(アルベドは、この小競り合いに余計な邪魔が入らないように注意していて欲しいといっていたけれど。こんなことをしていて意味があるとも思えない。本当につまらない戦争だわ。……とりあえず、戦場の半径十キロメートル範囲には異常は見られない。エルフも人間もだいぶ消耗しているようだけど、今のところ、どちらが優勢というほどでもない。もっとも、双方の指揮官がぶつかりあったらどうなるかしら。あの若い男とエルフ王は、どちらも、それなりの力量を持っているようだし)

 

 慎重に幾重にも網を張り巡らせ、その隅々まで魔法の目で監視していく。

 

 戦場は人間の精鋭部隊と、数多くのエルフによる殲滅戦の様相を見せていた。

 もっとも、主戦場が国境地帯であることもあり、戦況確認がてら、すみずみまで探してみたものの、ニグレドの愛する幼子の姿はどこにもいなかった。

 だから、ニグレドとしては、無意味に命を落としていくものたちに、多少の憐れみは感じても、それ以上の関心は持ち合わせてはいなかった。

 

「退屈だわ。赤子が犠牲にならないのなら、好き勝手殺し合わせておけば、いいだけじゃないの。――まったく、何を考えているのかしら? 私の可愛いらしい方の妹は。おまけにスピネルまで連れて歩いて」

 

 ニグレドは、今でも、ルベドのことは一切信用していない。

 アルベドにルベドと行動することをやめるように、何度となく忠告もしたが、アルベドは耳をかさなかった。

 

 妹とはいえ、アルベドは立場上は守護者統括。そのアルベドが決定し、最高支配者であるアインズの許可が下りている以上、多少疑問に思ったとしても、ニグレドは、それ以上口を出すことはできなかった。

 

 その時、部屋の扉を叩く音が聞こえた。

 この部屋に誰かが来るのは本当に稀なことだ。

 

 コツコツという音で、ニグレドは頭の中で、カチリとなにかのスイッチが入ったような感覚を覚えた。

 目の前が真っ黒に染まり、すぐ側に置いてあるゆりかごの赤ん坊がいつの間にか、ただの人形にすり替えられている。

 誰かが、知らぬ間に赤ん坊を奪い去ったのだ。

 ずっと大切に見守っていたのに。

 

「私の……、赤ちゃん……! どこ!?」

 

 先程までの、冷静なニグレドの面影はどこにもない。

 そこにいるのは、目を血走らせ、髪を振り乱し、皮のない顔をむき出しにした狂女だった。

 

 静かに扉が開いて、誰かが部屋に入ってくる。

 そうだ。

 赤ん坊を盗んだのは――アイツだ!

 

「かえせええええええ! わたしのあかちゃんんーー!!」

 

 ニグレドはハサミをつかむと、それを侵入者に投げつけようとした。

 

 その時、冷静に侵入者は、赤子の人形をニグレドの前に突き出した。

 

「はい、姉さん。あなたの赤ん坊はここよ」

「あぁあああああ!! わたしのぉおお、あかちゃぁあん!」

 

 赤ん坊を受け取って抱きしめた次の瞬間、再び、ニグレドの中でスイッチが切り替わるような感覚がする。

 視界には、いつもの部屋の光景が戻ってくる。

 ニグレドは愛おしそうに、腕の中の赤ん坊の人形をゆりかごにそっと寝かせた。

 

 目の前には若干緊張したような顔をしたアルベドが立っている。

 

「可愛らしい方の妹、ごきげんよう。わざわざ、あなたが監視任務の終了の連絡に来たの? 今のところ、特に異常はないけれど」

 

 ニグレドは、先程までの出来事などまるでなかったかのように、にこやかにアルベドに話しかけたが、その後ろにたっている二人の姿を見て、表情を変えた。

 

 茶色いフードで姿を隠してはいるが、一人は間違いなく可愛くない方の妹。そして、その後ろには、久しくその姿を見かけることなどなかった、忘れえぬ御方が立っていた。

 

「……タブラ・スマラグディナ様!?」

 

 ニグレドは即座にその場に跪き、先程までの狂気は全く感じられない、美しい仕草で頭をたれた。続いて、アルベドとルベドもその場に跪いた。

 

「我が創造主に再びお会いできるとは……。至高の御方の御前で大変失礼いたしました。ナザリックにご帰還なされたこと、心よりお慶び申し上げます」

 

 丁寧なニグレドの挨拶に、タブラは楽しそうに笑い声をあげた。

 

「別に、そこまで畏まる必要はないだろう? 可愛いニグレド。お前は俺が作ったとおりに行動しただけなんだし、別に失礼でもなんでもない。久しぶりにアレが見られて楽しかったとも」

 

「……そのように仰っていただけるなら、幸いでございます」

 

「姉さん。スレイン法国での作戦中に、偶然、タブラ・スマラグディナ様と再会したのよ。それで、急いでナザリックにお連れしたの。まさか、あのようなところにお住まいになられておいでとは思いもよりませんでした。ご発見が遅れたことを、どうかお許しください」

 

「お前が謝るようなことじゃないさ、アルベド。俺は俺で、自分の好きに行動していただけだから」

 

 タブラはゆらゆらと奇怪な拘束具で飾られた触手を動かした。

 

「しかし……。タブラ・スマラグディナ様にご不自由をおかけするなど、シモベとしてあるまじき行為でございます」

「うーん、アルベド、お前は少し真面目すぎるな。守護者統括だから責任感が強いのはいいが、少しは、はめを外したほうがいいんじゃないか?」

「そうでしょうか? でも、タブラ様がそう仰るのなら……。今後気をつけるようにいたします」

 

 恭しく頭を下げつつ、アルベドはタブラとニグレドの様子をちらりと確認する。

 

 パンドラズ・アクターには、指に能力を隠蔽する指輪をはめさせている。

 本物のタブラではないと見抜けるシモベなど、そうはいないはずだ。

 

 それに、被造物である自分がタブラ本人だと主張すれば、反論できるものはいない。

 いるとすれば、姉であるニグレドくらいだ。

 

(姉さんは、これが本物ではないと見抜くかしら? 騙されてくれることを祈るしかないけれど。今のところ、パンドラズ・アクターはうまくやっているように見えるし)

 

 ニグレドは頭を垂れたままで、どんな表情をしているのかまでは、アルベドには見えなかった。

 

「ところで、可愛いニグレド。少しお前に尋ねたいことがある。頭を上げてくれないか?」

「畏まりました。創造主の御命令であれば、なんでもお答えいたします」

 

 ニグレドは、異様なまでに冷静な口調だった。

 少なくとも、先程みせた、久しぶりの創造主との再会を喜びあう雰囲気はない。

 長い前髪をかき分けると、肌の削げ落ちた異様な顔を晒した。

 

「アルベドから聞いたんだが、モモンガさんは、我々の大切なアインズ・ウール・ゴウンの名を勝手に名乗っているそうじゃないか。お前はそれをどう思っている?」

 

「……初めてそれをアインズ様、いえモモンガ様から伺った時は軽い衝撃を受けました。やはり、アインズ・ウール・ゴウンとは至高の四十一人の御方々を総称する御名であり、例え、御方々のまとめ役であられたモモンガ様といえど、それを個人の名とされるのはいかがなものかと。しかし、その当時は、このナザリックにお残りになられた至高の御方は、モモンガ様ただ御一方のみ。であれば、ただのシモベにすぎない私が、何かを申し上げることなど出来ようはずがございません」

 

 ニグレドは深く頭を下げる。

 それを見やると、タブラ・スマラグディナは考え込むように、ぬるりとした触手を顎と思しき場所に当てた。

 

「そうか。ふむ……。では、俺が帰還した今もそう考えているのかい?」

「畏れながら、しがないシモベとしては、御方々の崇高なるお考えに、口を挟むことはできかねます」

 

「ニグレド。先程、創造主の命令であれば、なんでも答えるといったな。では命令だ。答えなさい」

「……至高の御方がナザリックに再びお戻りになられるなら、やはり、アインズ・ウール・ゴウンの名は、モモンガ様が独占すべきではないと愚考します」

 

「なるほど。理知的なお前なら、そう判断すると思っていたよ、ニグレド。アインズ・ウール・ゴウンは、私にとっても輝かしい名だ。例え、最後に残ったのがモモンガさんだとしても、それを勝手にすることなど許す訳にはいかない。やはり、モモンガさんにギルドを託したのが間違いだったのかもしれない。今後は、俺がアインズ・ウール・ゴウンのまとめ役として、頂点に立とうと思う。どうだい、ニグレド。俺に協力してくれるか?」

 

 タブラはこれまで見たこともないくらい、大仰な身振り手振りで、熱弁を振るう。

 その姿に、ニグレドは微妙な違和感を覚えた。

 それに……、ニグレドの遠い記憶が確かなら――

 

「もちろん、我が創造主の御命令とあらば、私はそれが何であろうと従うつもりです。……でも、残念ながらお断りしますわ」

 

 跪いていたニグレドは、すっくと立ち上がり、アルベドを睨みつけた。

 

「とんだ茶番だこと。タブラ様は、ナザリックにいらした時、一度だって私のことを気にかけてくださることなどなかった。確かに、私を創造なされた後、一度だけ、御方々と共にこの部屋にいらしたことはある。でも、それきりよ。後は、この部屋から決して動くことなく、ナザリックの監視網の管理をするように命じられただけ。あの方が、私に愛情を向けることなどなかった。それとも、あなたはそうじゃなかったのかしら? アルベド」

 

「姉さん……」

 

 アルベドは遠い日を思い起こす。確かに、タブラは自分のことを創造し、モモンガと引き合わせた後は、最後に真なる無(ギンヌンガガプ)を渡しに来ただけだった。

 彼にとっては、あくまでも可愛らしい人形。いいところ、そんな認識だったのだろう。それに心があることなど、考えてもみなかったのかもしれない。

 

「確かに、言われてみればそうだったわね。もう、あの男のことなどすっかり忘れていたわ。あれから、もうずいぶん経っているもの」

 

「――どういうこと? アルベド。あなた、まさか、アインズ様を裏切るつもりじゃないでしょうね? それに、このものは一体……」

 

 ニグレドは再び手にハサミを握りしめ、それを『タブラ』の首元につきつけた。『タブラ』は特にそれを避けようともせず、悠然と立っている。

 二人の間に、アルベドは慌てて割ってはいった。

 

「パンドラズ・アクター、もう演技はやめていいわ。その場で待機なさい」

 

 パンドラズ・アクターは先程までのタブラらしい振る舞いを唐突にやめると、不思議そうに小首を傾げている。

 

「姉さんのいう通り、これはタブラ様じゃなくて、パンドラズ・アクターよ。簡単には気がつかれないようにしたつもりだったのだけれど。やはり、冷静な姉さんには見抜かれてしまったわね」

 

 アルベドは軽く肩をすくめた。

 

「パンドラズ・アクター? ということは、このことをアインズ様はご存知なの?」

「いいえ。私が勝手にやっていることよ」

「なんですって? あなた正気なの!?」

 

 さすがのニグレドも、アルベドの顔をまじまじと見つめた。

 

「姉さん、私は正気よ。これはアインズ様の御為にやっていることなの。お願い。私に力を貸してくれないかしら?」

 

「ダメよ。何をしようとしているのかはわからないけど、恐らくあなたがしようとしていることは、至高の御方々の領域に手を出すこと。そんなことが私たちに許されるはずないでしょう? それとも……、まさか、スピネル、お前がアルベドをそそのかしたの!?」

 

 再び、ニグレドの瞳は赤く充血し、長い髪を振り乱すと狂乱し、手に握りしめていた凶悪なハサミを上に振り上げると、ルベドに襲いかかろうとした。

 しかし、素早くニグレドの攻撃を避けたルベドは、ニグレドの横から赤い光に包まれた手でその首を刎ね飛ばした。

 

 ニグレドは驚愕の表情を浮かべ、首級がごろりと床に転がる。

 次の瞬間、ニグレドの姿は光に包まれながら消え失せた。手にしていたハサミは床に転がり、身につけていた衣類などもそのまま、その場に落ちた。

 

 アルベドはそれを何の感慨もなく見ていたが、やがて大きなため息をついた。

 

「……ふぅ。ルベド、ありがとう。やはり、姉さんにはわかってもらえなかったわね。残念だけれど」

 

 ルベドもパンドラズ・アクターも何も言わずにその場に立ち尽くしている。

 無表情な二人をみやって、アルベドは寂しそうに笑った。

 

「さぁ、行きましょうか。これからが本番よ」

 

 

----

 

 

 ナザリックは騒然としていた。

 

 何しろ、第九階層を至高の御方であるタブラ・スマラグディナが、アルベドとルベドを伴って悠然と歩いていくのだ。

 

 メイドたちがすすり泣く声があちこちから聞こえる。

 鉄の表情をしたセバスが近寄ってきて、恭しく膝をついた。

 

「おかえりなさいませ、タブラ・スマラグディナ様」

「あぁ、ただいま。セバス。長い間不在にしてすまなかった。お前も、ナザリックの切り盛りで、さぞかし大変だったんじゃない?」

「いえ、それほどでも。アインズ様がずっと我々を導いてくださいましたので」

 

「ふーん、なるほどね。……ともかく、細かいことは今はいい。僕はモモンガさんと話がしたいだけだから、そこをよけてくれないかな?」

「セバス、下がりなさい。タブラ様はアインズ様とのご歓談をお望みです」

 

 タブラの後ろから、アルベドは傲然と言い放った。

 セバスは眉を動かすこともなく、タブラに向かって丁寧に礼をした。

 

「これは大変失礼をいたしました。アインズ様のお部屋には、ナザリック地下大墳墓の家令である、この私がご案内すべきかと愚考したものですから」

「そうだね。本来なら、君の職務だからそうすべきだろうけど、今日のところはアルベドに任せることにしたから」

「畏まりました。至高の御方の御命令のままに。タブラ・スマラグディナ様」

 

 再び深々と頭を下げたセバスと、その後ろで静かに礼をとっている一般メイドたちにねぎらいの言葉をかけることもなく、タブラとアルベド、そしてルベドは歩み去った。

 

 その姿が完全に見えなくなるやいなや、メイド達はセバスを取り囲んだ。

 

「セバス様! まさか、至高の御方がお戻りになられるなんて!」

「もしかしたら、他の御方々もお戻りになるのでしょうか!?」

 

 皆、期待と興奮で頭がいっぱいになっているようだ。

 それも当然だろう。

 至高の御方々の帰還は、例え口には出さなくとも、長い間、ナザリックに属するものの悲願だったのだから。

 

 至高の頂点であるアインズに仕え、忠誠を尽くすことに異議はない。

 しかし、それでも、できることなら、自らの創造主に仕えたいと思ってしまうのは当たり前のことだ。

 

 セバスは自分の内心の衝動を抑えつつ、いつもと同じ穏やかな態度で、メイド達と向き合った。

 

「……皆さん、いいですか。至高の御方のご帰還で興奮するのはわかりますが、私達は何があっても、いつもどおり、アインズ様、そして他の御方々にお仕えし、御不便なくお過ごしいただけるようにするのが職務です。このくらいのことで、それを乱すようでは、ナザリックのメイドとして失格というものですよ」

 

 淡々と話をするセバスの言葉で、メイド達も少しずつではあるが、落ち着きを取り戻してきたようだった。

 

「申し訳ありませんでした!」

「すぐに仕事に戻ります!」

 

 少し気を取り直したのか、メイドたちは、口々にセバスに謝罪をする。

 

「アインズ様とタブラ様には、つもる話もおありでしょう。それに、今後のナザリックの方針などについても、恐らく話し合われることでしょう。しばらくすれば、タブラ様のご帰還のお披露目もあるでしょうから、それまでは、我々はこれまで通り粛々と仕事に専念するだけです。ようやくご帰還なされたタブラ様に、我々の仕事を満足していただくのです。いいですね?」

 

「畏まりました!」

 

 いつもよりも表情を引き締めた一般メイドは、一斉に返事をした。

 

 

----

 

 

 一行を引き連れたアルベドは、いつものように美しい微笑を浮かべ、アインズの部屋へと向かった。

 

 アインズには重大な報告があると、既に連絡している。

 だから、愛する主君は執務室に戻られているはずだ。

 

 重厚な扉の脇に立っている護衛が狼狽しているのは見えたが、アルベドは完全にそれを無視して、軽く扉をノックした。

 

 すぐに扉が開き、顔を出したエトワルは、アルベドの後ろに飄々と立っているタブラにすぐに気がついたようで、興奮を抑えるのがやっとのようだった。それでも、アインズ様当番としての矜持か、いつもと同じようにふるまった。

 

「エトワル、アインズ様に入室のご許可をいただいてくれる? タブラ・スマラグディナ様が戻られたとお伝えしてちょうだい」

「畏まりました。少々、お待ち下さい」

 

 扉を一旦エトワルは閉めようとしたが、その時、部屋の奥からガタンという大きな音がした。

 

「タブラさんだって!?」

 

 アインズは椅子を半分倒しかねない勢いで立ち上がった。

 普段、アインズはアインズ当番のメイドの仕事を遮るような真似はしない。

 しかし、思いもよらない訪問者に、さしものアインズも興奮して大声を上げた。

 

「はい、アインズ様。タブラ・スマラグディナ様とアルベド様、ルベド様が入室の許可をお待ちで……」

「許す! 早く入ってもらってくれ」

「畏まりました。皆様、どうぞお入りください」

 

 アインズの勢いに気圧されたのか、エトワルは素早く扉を大きく開き、一行を中へと招き入れた。

 

「失礼いたします、アインズ様」

 

 三人が部屋の中に入ると、アインズは既に執務机の前に置かれているソファーの脇に立っていた。

 

 先頭に立っていたアルベドは、いつものドレスではなく、凝った刺繍が施された白いチャイナドレスをまとっている。これまで、アルベドが着ているところを見たことがない服だったが、タブラが新たに与えた品なのかもしれない。

 

 黒い羽を柔らかく身にまとわせながら、アルベドは優雅に跪き、ルベドも多少ぎこちない動きで、その傍らに跪いた。

 

「アインズ様。我が創造主である、タブラ・スマラグディナ様をお連れいたしました」

 

 アルベドの口調には、いつもと変わったところは感じられなかった。

 内心では、さぞかし歓喜でいっぱいだろうに。

 どんなときでも守護者統括として完璧に振る舞うアルベドを、アインズは改めて見直した。

 

 タブラはアルベドの後ろをのんびりと歩いてきたが、部屋の真ん中ほどで立ち止まると、あたりを少し見回して、それからアインズを見て首を傾げた。

 あまりにも彼が知っているナザリックとは雰囲気が違うせいで、おそらく、かなり戸惑っているに違いない。

 特に、ただの造り物だったはずのNPCが、普通の人間のように意志を持って振る舞うなど、実際に見てみなければ、とても信じられないはずだ。

 

「モモンガさん、随分久しぶりだね。元気そうでなにより」

 

 アインズは、タブラに走り寄ると、懐かしいブレインイーターの手をしっかりと握りしめた。

 

「タブラさん! 本当にタブラさんなんですね!? おかえりなさい!」

「はは、そんなに喜んでもらえると嬉しいよ。うん、こうしてみると、モモンガさんは最後に会った時と全然変わってないみたいだね」

「そう……ですかね? まぁ、アンデッドですから、年も取りませんし」

「それをいったら、ブレインイーターだって同じようなもんだろう?」

 

 明るい笑い声が部屋に響く。

 

 アインズは完全に舞い上がっていた。

 あれほど再会出来る日を待ち望み、絶望し、そして、ようやく諦めるつもりになってはいた。

 しかし、やはり、アインズ・ウール・ゴウンの仲間以上の存在などそうはいない。

 

 思いのほか、タブラの反応が薄い気がしたが、もしかしたら、ようやくナザリックにたどり着いてほっとしているのかもしれない。

 それに、どういう経緯でタブラがここを探し当てたのか、アインズは非常に興味があった。

 

(俺にはナザリックがあったけど、タブラさんは一人きりで、見知らぬ異世界をさまよっていたに違いない……。そもそも、タブラさんは、いつから、この世界に来ていたのだろう?)

 

「お疲れではないですか? タブラさん、ソファーにかけてください。立ち話もなんですし」

 

 アインズが勧めると、タブラは、なぜか戸惑ったようだったが、おとなしくソファーに腰をかけた。アインズもその向かい側に腰を下ろす。

 ふと、周囲を見回すと、アルベドとルベドは、頭を下げて跪いたままだったし、入口近くで待機しているエトワルは泣いているようだった。

 

「エトワル、タブラさんに何か飲み物をお持ちしてくれ」

「畏まりました!」

 

 慌てて涙を拭ったエトワルが、それでも、しとやかに下がっていく。

 アインズは、アルベドとルベドに立つように命じた。

 二人はおとなしく頭を下げ、タブラの後ろに並んで立った。

 

「あぁ、それとも、軽食の方が良かったですか? ナザリックでは、食べ物が非常に美味しいそうですよ。そういえば、これまで食事とかどうしていたんですか?」

 

「飲み物で十分ですよ。はは、さすがに、この姿のままでは、人間の前に出ていくわけにもいかなくてね。まぁ、でも、そのへんは適当にやっていたから大丈夫です。モモンガさんは、相変わらず、心配性ですねぇ」

 

 目の前のタブラは、自分の思い出の中のタブラとあまり変わらない様子だ。

 彼は彼で、おそらく人間としての本性は喪い、異形種としての特性に引きずられているはずだが、アインズ同様、あまり違和感なくそれを受け入れたのだろう。

 

 アインズは、しばらくタブラと話し込んだが、妙に部屋の外がざわついているのに気がついた。おそらく、興奮したNPCたちが集まって来ているに違いない。

 

(あぁ、しまった。タブラさんの帰還は、既にナザリック中に広まっているはずだ。俺が独占してしまったが、皆に悪いことをしたな。いくら、タブラさんが自分の創造主じゃないといっても、やっぱり気になるよなぁ。どのみち、タブラさんと話す機会はこれからいくらでもあるんだし、ここは早めに、NPCたちにも帰還の披露目をしてしまったほうが無難そうだ……)

 

 自分のことばかりで夢中になってしまったが、ギルメンの帰還はNPCたちにとっても、この上ない朗報に違いない。

 

「俺は、正直、タブラさんとは二度と会えないと思っていました。恐らく、ナザリックの他の者達もタブラさんがナザリックに戻ってきてくれたことを喜んでくれるはずです」

「……そうかな? むしろ、勝手にいなくなっておいて、今更って思ってるんじゃないの?」

 

「そんなことは絶対にないです! ちょっと考えたんですけど、ナザリックのものたちに、タブラさんの帰還を正式に知らせた方がいいと思うんです。せっかくですし、全員集めて、玉座の間でやりませんか?」

「えぇ? 別にそこまでしなくても……」

「いや、そうしましょう! 俺もそうしたいので!」

 

 アインズはタブラの後ろにいるアルベドに向き直った。

 

「アルベド、それから、ルベド」

「はっ」

 アルベドは笑顔で、ルベドは無表情で顔を上げた。

 

「ヴィクティムや一部の領域守護者を除いて、皆を玉座の間に集めてくれ。タブラさんの帰還を伝える」

「畏まりました」

 

「今日のところは、急な話だから、すぐに集まれるものだけで構わない。どのみち、既にかなりの人数が集まっていそうだし……」

 

 アインズは扉の外から聞こえてくる、大勢のささやき声を感じ取って苦笑いした。

 

「申し訳ございません。後で言って聞かせますので……」

「いや、構わないさ。それでは、そうだな、一時間後に集合ということで大丈夫か?」

「もちろんでございます。タブラ様、その間、湯浴みなどなされてはいかがでしょうか?」

 

 タブラは一瞬ためらったが、アルベドの目を見て、おとなしく頷いた。

 

「タブラさん、ナザリックのお風呂はなかなか良いものですよ。ぜひ汗を流してくつろいできてください」

「わかりました。では、そうさせてもらうとしますか。風呂など久しぶりですからねぇ」

 

「アルベドやルベドも、タブラさんと一緒に過ごしたいだろう? 気遣いが足りずにすまなかった。私は夜にでも、改めて、タブラさんの部屋に直接伺うことにしよう。タブラさん、それで構いませんか?」

「……そうだね」

 

「では、アルベド、タブラさんの案内を頼む」

「アインズ様の御心のままに」

 

 アルベドは恭しく頭を下げた。

 

 




佐藤東沙様、誤字報告ありがとうございました。


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13: 反逆

 イビルアイは、久しぶりに、アウラとともに故郷の地を見回っていた。

 

 何度か練習することで、アウラの魔獣にも乗れるようになった。

 もっとも、魔獣の方がイビルアイを上手く乗せてくれているという方が正しい。

 イビルアイが怖がりさえしなければ、魔獣は乗り手に余計な負担をかけないように動いてくれるのだから。

 

「本当に素晴らしいな、アウラの魔獣達は」

 

 アウラはいつもと少しばかり違う雰囲気で、考え込んでいるようだったが、魔獣を褒められたのが嬉しかったのか、得意げな笑顔をみせた。

 

「ふふー、そうでしょ? この子達は、皆、あたしにとっては可愛い部下だし、こどもみたいなものだよ。いつもありがとね、フェン」

 アウラはねぎらうように、自分が騎乗している魔獣の首を軽く叩く。フェンリルは嬉しそうに鳴き声を上げた。

 

「魔獣使いと魔獣というのは特別な絆で結ばれていると聞くが、本当にそうなのだな。こんなことを言ったらアウラの気に障るかもしれないが、アインズ様がアウラたちのことをそんな感じに話していたぞ。自分にとっては子ども同然だと」

「あ、あぁ……。そう……だよね。うん。いつも、アインズ様はそんな感じに言ってくださるよ。アインズ様はとても慈悲深い方だもの」

 

 いつも率直なアウラにしては、珍しく言葉を濁しているようで、イビルアイは首をかしげた。

 

「どうした? アウラ。少し様子がおかしいようだが、もしかして気分でも悪いのか?」

「……んー、別にそんなんじゃないよ。だから、気にしないで」

 

 無理やり笑顔をみせると、アウラは再び物思いにふけっているようだ。

 イビルアイは、あえてそれを邪魔するのはやめて、周囲の様子を確認することにした。

 何しろ、この場所に来た大元はそれなのだ。

 

 壊れかけた建物や瓦礫でいっぱいだった街並みも、既に調査が終わった土地から順に、ゴーレムやアンデッドたちが不眠不休で片付けをしている。

 崩れた古い教会や城塞も既に撤去され、枯れた木々も切り倒されて、今はほとんど残っていない。

 

 以前は死で覆い尽くされた廃墟でしかなかった自分の故郷が、少しずつ命ある土地へと変わっていくのが実感できる。

 

 瓦礫が一通り片付いたら、マーレが土地を浄化し、再生する魔法をかけるという話も聞いている。

 そうすれば、再び、植物が生い茂るようになるだろうし、作物を栽培したり、動物を飼ったりすることもできるようになる。

 

 そこに、小さいけれども、新しい村を作るのだ。

 少しずつ住民を集め、耕作地や集落を増やし、そして……。

 

 イビルアイは、かつての故郷の美しい姿を思い出す。

 緑に茂った街路樹、整った石造りの街並み。賑やかに馬車を駆る商人たち。

 いずれは、あのような国を取り戻したい。

 もちろん、そのためには、単に土地を綺麗にするだけではダメで、ここに住んでくれる人を集める必要もある。

 

 この地を再びもとの豊かな国に戻すことができれば、また、少し自分もアインズの役にたったといえるのかもしれない。

 イビルアイはそう自分に言い聞かせた。

 

 ふいに、自分と一緒に魔獣を進めていたはずのアウラの姿が見えなくなったのに気が付き、イビルアイは慌てて周囲を見回した。

 

 少し離れたところに、魔獣をとめて泣いているアウラに気が付き、慌ててイビルアイはアウラの元まで魔獣を走らせた。

 

「どうしたんだ? 様子が変だぞ」

「――イビルアイ。あたし、どうしたらいいと思う?」

 

 いつもはしっかりとしているアウラが、泣きじゃくっている。

 イビルアイはどうしたものか一瞬迷ったが、アウラの後ろになんとか乗り移ると、アウラを優しく抱きしめた。

 

「何かあったのか? 私でよければ、話してみるといい。私は誰にも洩らしたりはしないぞ」

 

 アウラはおとなしく頭をなでられていたが、やがて、深い溜め息をついた。

 

「イビルアイには神様っているの?」

「神様? ……そうだな。私はこの地にいるとき、助けてほしいと必死で神に祈ったが、神は私を助けてくれなかった。だから、長いこと、私は神なんて信じていなかった。だが、……そうだな。今の私にとっては、アインズ様が、神に最も近い存在なのかもしれない」

 

「あたしにとっても、アインズ様は神様のお一人だよ。でも……、真にあたしの神様といえるのは、ぶくぶく茶釜様ただお一人なんだ」

「ぶくぶく茶釜様? ……もしかして、アインズ様のお仲間の方か?」

「そうだよ! ぶくぶく茶釜様は、ナザリックの偉大なる至高の御方のお一人で、あたしとマーレを創造された方なの。もう、ずっと以前にお隠れになってしまったけど」

「あぁ、なるほど……」

 

 イビルアイは、先日、アインズから聞いた話を思い出しながら頷いた。

 

「ほら。この時計は、アインズ様からいただいたものなんだけど、元々はぶくぶく茶釜様がお作りになってアインズ様に譲られたものなんだ。ぶくぶく茶釜様のお声が入ってるの!」

「こんな小さなものの中に? それはすごいな!」

 

 感心したようにイビルアイが言うと、アウラはほんの少しだけ元気を取り戻したらしく、その時計を大切そうになでた。

 

「ぶくぶく茶釜様は誰よりも尊い御方だし、ぶくぶく茶釜様のご命令なら、あたしは何だってする。……でも、……でも、あたし、アインズ様に……なんてできない……」

「え? もしかして、アウラはそのぶくぶく茶釜様と会ったのか?」

 

 アウラは素直に頷いた。

 

「昨夜、マーレとナザリックに帰ろうとしたら、突然、お声をかけられて……」

「昨夜? その方に何かいわれたのか?」

「モ――アインズ様がなさっていることが気に食わないって仰ってた……。だから、アインズ様がナザリックにいる限り、ぶくぶく茶釜様はナザリックにはお戻りにならないって……。あたしは、ぶくぶく茶釜様にナザリックに戻ってきて欲しい。ずっとずっとそうなることを夢見てた。でも、アインズ様をナザリックから追い出すなんて……。アインズ様は、たったお一人でずっとナザリックを守ってきてくださった御方なのに。――それでも、あたしもマーレも、ぶくぶく茶釜様のお望みに逆らうなんてできない」

 

「アウラ……」

 

 気丈なアウラがうなだれる姿に、イビルアイは返す言葉に詰まった。

 

 アウラのいうぶくぶく茶釜が、本当にアインズの仲間なら、それは間違いなくぷれいやーだ。

 しかし、今、この世界に複数のぷれいやーが存在してはいないはず。

 もっとも、ツアーの検知がどこまで信頼できるものなのか、イビルアイも確信が持てるわけではなかった。

 静かに暮らしているのなら、気が付かないことだってあるかもしれない。

 でも――

 

(アインズ様があんなに大切に思っている仲間が、アインズ様に会いに来ようとしないし、アインズ様を邪魔者扱いする、なんておかしくないか?)

 

 あまり考えたくはないが、アインズが思っているほど、元々仲がよくなかったのかもしれない。でも、それは考えても仕方がない。アインズやナザリックの過去に何があったのか、イビルアイには知りようがないのだから。

 

 問題は、アインズの話が確かなら、アウラはどうあがいても、結局はアインズよりもぶくぶく茶釜を選ぶということ。

 アウラ本人が嫌だと感じても、そういう行動を強制されてしまうということだ。

 

(これが、その心の奥底にある鎖のせいだとしたら、まさに邪悪な呪いのようなものだな。まるで、私自身のタレントのように)

 

 ただ、イビルアイには一つだけ、確信があった。

 少なくとも、アインズには、友人たちと争う気持ちはないし、その子どもたちとも決して争いたくはないはずだ。

 

 そして、アウラたちだって、本当ならアインズと争いたくはないはずだ。

 

(どうしたらいい? どうすれば、争いを止められる?)

 

 多分、これは、ナザリックの鎖で縛られていない、自分にしかできないことだろう。

 

 アウラは強い。それにマーレも強い。

 自分では絶対に、戦って勝つことはできない。

 それに、イビルアイも、二人と戦いたくなんかはなかった。

 

(――いっそ、何かが起こる前に、アインズ様に連絡をするか?)

 

 このことをアインズに伝えれば、アインズは傷つくかもしれない。でも、知っていれば、先に対策を講じることもできる。

 アインズに〈伝言〉することを決心したイビルアイの耳に、アウラが誰かと話しているらしいのが聞こえてきた。

 

「……わかった。至急帰還するね」

 

 恐らく、誰かからの〈伝言〉だったのだろう。話し終えたアウラはため息をついた。

 

「連絡が来たから、ナザリックに帰らないと。イビルアイも一緒に来てくれない?」

「ああ、もちろん。何かあったのか?」

「詳しいことは玉座の間で、としか聞いてないからわからない。妙に興奮してたし、緊急招集扱いらしいから、ちょっと気になるけど。シャルティアが(ゲート)を開いてくれるっていうから、それで帰ろう」

「わかった」

 

 イビルアイは、アインズに連絡しそこねてしまったことを少し後悔したが、さすがに、もう今さらだ。それに、今からナザリックに行くなら、話をする機会もあるかもしれない。

 

 まだ、落ち込んでいる様子のアウラの背中を励ますように軽く叩くと、自分が借りている乗騎に乗り移る。

 程なく黒い暗闇のような門が姿を表した。

 

(なんだろう。妙に嫌な予感がするな)

 

「話を聞いてくれて、ありがとね。イビルアイ」

 

 アウラも気分を奮い立たせようとしたのか、自分の頬を軽く叩くと、迷いなく門の中へと入っていく。

 イビルアイも、その後ろに従って、乗騎を歩かせた。

 

 

----

 

 

 壮麗な玉座の間には、既に大勢のシモベ達が集まっている。

 セバスとアルベドの姿はなく、整列の指示はデミウルゴスが出していた。

 

 シモベ達は、指示されたとおりに整然と並び、玉座に向かって跪いていく。

 普段なら厳粛な中にもシモベたちの忠義の念が熱気のように漂っているが、今回はその中に興奮と不安と動揺が入り混じっているように感じられる。

 

 一通り、皆の様子を再確認したデミウルゴスも優雅に膝をついたが、デミウルゴスでさえ、どことなく、いつもとは違う雰囲気のように見えた。

 

 玉座にはまだ誰も座っていない。

 

 イビルアイは、アウラたちとは若干離れた、端の方に並んでいた。

 少しだけ目を上げて周囲を見回すと、ナザリックの中核を構成していると思われるものたちは全員集まっているようだ。警備のものと思われる悪魔が、デミウルゴスの指示であちらこちらに立っている。

 

 この玉座の間での謁見に参加するのは、ラナー女王についてきた時以来だっただけに、さしものイビルアイも何が起こるのかわからず、とりあえず、近くにいるシモベの真似をして、おとなしくしていることにした。

 

 やがて「至高の御方々の御入室です」という淡々としたユリの声がした。

 

 アインズの後ろにはセバスが、そして、もう一人見慣れぬ異形の後ろにはアルベドと見たことのない少女が付き従っており、部屋の中央に敷かれた赤いカーペットの上をゆっくりと歩いてくる。

 

 アインズは、慣れた仕草で玉座への階段をのぼると、堂々とした王者らしく玉座に座った。

 セバスは、階段の手前のところで、膝をついた。

 

 しかし、もう一人の異形は階段を登ろうとせず、少し離れた場所で足を止めていた。

 アルベドと少女も、そのまま、後ろに控えている。

 

「タブラさん、階段を登って、こちらにきてくれませんか?」

 

 若干困惑した様子で、アインズは恐らくタブラという名前の異形を自分の脇の場所へと招いた。

 しかし、タブラは首をふった。

 

「いや、俺はここでいいですよ、モモンガさん。この場所で十分です」

「……え? でも、これは、タブラさんの帰還を皆に知らせるために設けた場ですし」

「モモンガさんがあまりにも嬉しそうだったので、つい話しそこねてしまったけど、俺は、別にナザリックに帰還するつもりで、ここに来たわけじゃないんですよ」

 

 タブラの一言で、その場の雰囲気が一瞬で凍りついた。

 

 アインズでさえ、タブラの台詞は全く予想外だったらしく、すぐには言葉が出ないようすだった。

 

「……どういうことですか? 俺、何か気にさわることでもしましたか?」

「気にさわるといえば、まぁ、そうかな? でも、せっかく玉座の間に、こんなに大勢、俺のために集まってくれたのに、挨拶もしないというのはさすがに失礼か」

 

 タブラは一人で納得したように頷き、階段の少し手前までゆったりと歩み寄ると、くるりと振り返ってシモベ達の方を向いた。

 

「やぁ、皆さん、お久しぶり。タブラ・スマラグディナです。俺がここを離れてから何年もたちましたが、皆さん、元気そうでなにより。これからもそうだといいよね」

 

 複数の触手をひらひらと動かしながら、おどけた雰囲気で軽く礼をした。

 

「タブラさん、それが挨拶なんですか? 随分変わってますね」

「そうかな? まぁ、いいじゃない。じゃあ、俺からの挨拶はこれにて終了ということで。さてと、本題はここからなんだけど」

 

 再び、タブラは玉座に座るアインズに向き直った。

 

 玉座の間は異様なまでに静まり返っている。

 アインズは、この場にいる大勢のシモベの視線が痛いほどに感じられた。

 

「モモンガさん。モモンガさんには、栄光あるギルドの名を名乗る資格も、その玉座に座る資格もない。少なくとも俺はそう考えている。だから、俺は、それを返してもらうためにここまで来たんだ。――モモンガさんと戦うためにね」

 

 

----

 

 

「タブラさん、それは一体……!?」

 

 タブラの一言は、アインズにとっては完全に想定外だった。

 何より、大切な友人にそんなことを言われるようなことをした覚えなどない。

 

 それに、タブラは気がついていないのだろうか。

 

 周囲のシモベ達は、激しく混乱しているようだが、自分とタブラとどちらに付くのだろうか。

 タブラの後ろにいるアルベドとルベドは、今の所、何事もなかったように平然と立っている。恐らく、ナザリックに来る前に、既にタブラから話を聞いていたのだろう。

 

(俺たちが戦いになれば、必然的に、シモベたちも戦いに巻き込まれることになる。それだけは避けなければ。俺は……、子どもたちが争い合う姿は見たくない。タブラさんが、今の俺を気に食わないというのなら、最悪、俺がナザリックを出ていけばいいだけだ。何もナザリックの支配者は俺である必要はないんだし、頭のいいタブラさんなら、俺よりももっと上手くナザリックを動かせるだろう)

 

 遠い昔に、クランが分裂しそうになったときの争いを思い出し、アインズは覚悟を決めた。

 いつも以上に落ち着いた動きを意識しながら玉座から立ち上がると、タブラをなだめるように一歩前に出た。

 

「タブラさん。いくらなんでも、いきなり宣戦布告はないでしょう? せめて、何が原因なのか話してくれませんか? 俺に悪いところがあったのなら、教えて下さい。俺は仲間同士で争いあいたくはありません」

「原因なんて、たくさんありすぎて説明できないな」

 

 にべもなく突っぱねられて、アインズは困ったように首を傾げた。

 タブラの真意が全く理解できない。

 

 タブラというのはこんな人だっただろうか。

 ふと、そういう疑問もわいてくる。

 あの人は、何かといえばすぐにマニアックなオカルトネタに走って、何を言っているのかよくわからないところはあったけれど、別に争い事を好む人ではなかった。

 

 それとも、タブラがブレインイーターの思考に完全に染まってしまった結果、こういう行動に出ているのだろうか。

 

(ブレインイーターがどういう考え方をするのかなんて、俺にはよくわからない。しかし、皆の前でこんな話をすることになるくらいなら、俺の部屋でもっとよくタブラさんと話し合っておくべきだった。でも、それはもう今さらだ)

 

「タブラさん。戦いを避けるための条件があるのなら、それを教えてもらえませんか?」

「戦いを避ける条件? そうだな。じゃぁ、モモンガさん、この場で死んでくれます? そうすれば、戦う必要なんてなくなりますよね」

「え……?」

 

 玉座の間の空気が、ざわりと音を立てて動いた気がした。

 

 さすがに、アインズとしてはそれを要求されるとは思っていなかった。

 だが、戦いを望んでいるタブラの目的が「自分(アインズ)の死」なのだとすれば、もっともな要求だろう。

 

 アインズは、少しばかり考え込んだ。

 

 別に、自分はナザリックの支配者であることに固執しているわけではない。

 かといって、積極的に死にたいわけでもない。

 

 もしかしたら、この世界に来る前だったら、何も言わずにその要求を受け入れたかもしれない。

 そう、恋人も友人もいないあの頃だったら……。

 

 だが、今のアインズには、少なくとも、手放したくない大切なものがいくつもあることに気がつかないではいられなかった。

 

(俺は、昔の仲間達と、今、俺の側にいて、俺を支えてくれているものたちと、どちらがより重要なのだろう?)

 

 アインズは、ゆっくりと玉座の間に集まっているものたちを眺めていった。

 それから、最後に、玉座の前にある階段の下からこちらを見ているタブラに視線を移した。

 

「タブラさん。俺自身に至らぬところがたくさんあることは、俺だってわかっています。タブラさんなら、もっと上手くやっていけるだろうということも。だから、この玉座を明け渡せ、と言われるのであれば、喜んで、この座を譲りましょう。しかし、俺とタブラさんが争いになれば、ここにいるシモベたちまで、戦いに巻き込んでしまう。俺は、それだけはどうしても避けたいんです」

 

「それで? モモンガさんはどうするつもりなわけ?」

「――俺がナザリックを出ていき、二度と戻らない、そう約束するのではダメですか?」

 

 タブラは首を振った。

 

「それはダメだね。ギルド長であるモモンガさんが生きていれば、将来に禍根を残すだろう。モモンガさんにそのつもりがなくとも、結局、戦いになるかもしれないよね?」

「……それは、確かにそうかもしれません」

 

 アインズは、大きくため息をついた。

 結局、皆を巻き込んで戦うことになってしまうなら、自分が出ていっても意味はない。

 だとすれば、今の自分にできる最良の選択は、ただ一つしか存在しない。

 

「……本当に、それでタブラさんが満足できるというのなら。俺に代わって、ナザリックやNPC達を守ってくれると約束してくれるなら、俺は……」

 

「お待ち下さい!」

 

 アルベドの凛とした声が響いた。

 

 気がつくと、玉座の前で跪いていたデミウルゴス達や、タブラの後ろで控えていたアルベド達が武器を構えている。

 それを見て、ためらいながらも、戦闘態勢に入れるように身構えるものたちが増えてきた。

 

 いつもの微笑ではなく、冷静な守護者統括の表情になったアルベドは、完全武装に姿を変えた。

 そして、ルベドとともに階段の前に進み出ると、モモンガとタブラの間に立ちふさがった。

 

「お許しください、我が創造主たるタブラ・スマラグディナ様。しかし、アインズ様は存在自体がナザリックの法でございます。そのアインズ様に敵対することなど、たとえ、私自身の創造主といえど、見逃すわけには参りません。私、アルベドは、ナザリックの守護者統括として、至高の御方であるタブラ・スマラグディナ及び、それに賛同するものは全て反逆者であると断定し、我が職務に則り、反逆者を誅します!」

 

 アルベドは、タブラに向かって黒いバルディッシュを突きつけた。

 

 




佐藤東沙様、誤字報告ありがとうございました。


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14: 砕けた仮面

「あははは! なかなか愉快な趣向だね、アルベド」

 

 突然、タブラは触手をまるで拍手をしているかのように大げさに打ち合せると、愉快そうに笑い出した。

 アルベドも、周囲に居並んだシモベたちも、あっけにとられている。

 

「まさか、自分の娘に反抗されるとは思ってもみなかったよ。しかも、武器まで突きつけられるとは! ――アルベド、正直、貴女がどのように動くつもりなのか、ずっと興味深く見守っていたのですが、なるほど、そういうことでしたか」

 

 タブラは楽しそうにうなずくと、その姿がぐにゃりと変化していく。

 次の瞬間、そこに立っていたのは、タブラではなく、黄色い軍服姿のパンドラズ・アクターだった。

 

「な……、どういうこと!? パンドラズ・アクター!」

「そんな計画ではなかったのに? そうではありませんか、統括殿?」

「……一体、何のことかしら? あなたともあろうものが、気でも狂ったの?」

「ご存じないとは言わせませんよ」

 

 先程までの勢いはどこに行ったのか、アルベドは明らかに狼狽している。

 それと同時に、周囲のシモベたちの雰囲気が不穏なものに変わっていく。

 

 アインズは何が起きているのかわからず、呆然と目の前の状況を見ていた。

 

 なぜ、パンドラズ・アクターは、タブラとして自分の前に姿を表したのか。

 なぜ、アルベドとパンドラズ・アクターが言い争いをしているのか。

 

 デミウルゴスを見ると、憤懣やるかたない表情でアルベドを見ている。

 シャルティアやアウラ、セバスですら、怒りを隠せない様子だ。

 

 少なくとも、自分の知らないところで何かが起こっていたことは間違いない。

 

 アインズは、いつものように玉座に座ろうとして、少しばかり自分が玉座に座ってもいいのかどうかためらった。

 先程までのタブラの台詞が、パンドラズ・アクターの本心かどうかはわからない。

 だが、もしかしたら、NPCの中には、アインズがここに座ることを、本心では良しとしていないものもいたかもしれない。

 

 ――とりあえず、今は事態を収めるのが最優先だ。そうすれば、自分が気がつかなかった彼らの本心が少しはわかるかもしれない。

 

(本当に、俺は情けない支配者だな……)

 

 アインズは口の中でこっそりとつぶやいた。

 しかし、一人で反省会をするのは二の次だ。

 

 玉座の間は、既に一瞬即発に近い状況になっている。

 

 アインズはひとまず自分に注目を集めるために、空間から取り出した杖で、床を強く打ち鳴らした。

 

「お前たち、静まれ! アルベド、それに、パンドラズ・アクター。この茶番が一体どういうことなのか、説明してもらおうか?」

 

 威厳ある最高支配者からの叱責に、二人は一旦口をつぐみ、その場で跪いた。

 

 あれだけ情けない姿をシモベたちの前で晒した後だったにも関わらず、堂々たる支配者の演技をすることができた自分を、アインズは褒めてやりたい気分だった。

 

「申し訳ございません、アインズ様。このような騒ぎを起こしてしまうなど、守護者統括としてあるまじき失態で……」

 

 アルベドはしおらしく頭を垂れたが、それを遮るようにパンドラズ・アクターが叫んだ。

 

「お待ち下さい! アインズ様、これは全て統括殿の企み。シャルティア殿が洗脳された世界級アイテムで私を洗脳して、至高の御方々の姿を取らせ、ナザリックに内紛を起こすつもりだったのでございます。まさに、守護者統括としてあるまじき非道。反逆者であるアルベドを即刻捕縛し、即刻、ルベドの指揮権をアルベドから剥奪することを進言いたします!」

 

「なんだと……!?」

 

 パンドラズ・アクターの口から語られた内容に、アインズは言葉を失った。

 激昂と衝撃でアインズの精神は激しく高ぶったが、次の瞬間、それは沈静化された。

 

「アルベド、パンドラズ・アクターの言に反論はあるか?」

 

「――アインズ様。私が貴方様を裏切ることなど決してありません。何があっても、アインズ様を一番に愛し、その盾となって戦い、アインズ様の代わりに死ぬことが、私の最大の喜びであり望みでもあります。私の言葉は、アインズ様の名にかけて、全て真実でございます」

 

 アルベドはまっすぐアインズの目を見て、そう答えた。

 その様子には、嘘偽りはないようにアインズには思えた。

 

 しかし――

 

 他のシモベ達は、明らかにそう思ってはいないようだった。

 特に、玉座の前の最前列にいる守護者たちは、今にもアルベドに襲いかからんばかりに激昂している。非常に不味い事態だ。

 

 確かに、アインズとしても、タブラの帰還が狂言だったことは腹立たしい。

 よりにもよって、ナザリックに内紛を起こそうとしていたのなら、尚更だ。

 しかし、それ以上に、アインズは子どもたちが争い合う姿だけは見たくなかった。

 

「アインズ様、私からも宜しいでしょうか?」

「許す、デミウルゴス」

 

「先日、私もウルベルト様とお会いし、アインズ様と戦うよう命じられました。パンドラズ・アクターの機転のおかげで、大罪を犯さずに済みましたが、私ですら危うく騙されてしまうところでした。恐らく、私だけではなく、他にも同様の経験をしたものがいることでしょう。たとえ、アルベドに裏切りの意図がなかったとしても、アルベドの行動は我々シモベをアインズ様と敵対させようとしていたとしか思えません。ナザリックの最高支配者であり、尚且、大恩あるアインズ様に対するこの行いは、守護者統括の地位剥奪の上、極刑相当の裏切り行為だと思われます。どうか、然るべき御判断をお願いいたします」

 

「……デミウルゴス、わかった。他に、言いたいことがあるものはいるか?」

 

「あたしは許せない。だいたい、なんでナザリックに争いを持ち込もうとしたのかもわからない。アルベド、あたしがどれだけ苦しんだかわかってるの!?」

 

 珍しく怒りの感情を隠そうとしないアウラに、アルベドは下を向いたまま、何も答えなかった。

 

 実の息子同然のパンドラズ・アクターが、アインズを裏切ることはありえない。多分。

 

 そして、忠義に厚いデミウルゴスの言葉や、アウラの率直な言葉を否定するものもいない。

 ということは、やはり、アルベドが反逆を企てたということなのだろう。

 

 アルベドは守護者統括として、ナザリックではアインズの次席としての地位を持つ。

 しかも、これまで、ずっと、ナザリックの管理運営を献身的に行ってきてくれた。

 

 アインズは、アルベドには絶対的な信頼をおいていたし、アルベドはそれに応えてきてくれた。一体、何が不満だったのだろう。

 

『私は操られてアインズ様を愛するのは絶対に嫌です』

 

 不意に、先日のイビルアイの言葉を思い出し、アインズは頭を抱えて転がりまわりたくなった。

 

(やっぱり、あれか? 俺がやらかした設定変更のせいで、アルベドが暴走してしまったんだろうか? そもそも、部下の不始末の責任は上司にある。だとすると、今回の件で、一番責任があるのは俺……だよな……)

 

 しかし、この場でそれを話すわけにもいかない。改めて、アルベドときちんと向かい合って話をするべきなのだろう。思い起こせば、自分は、アルベドと正面から話をすることから、ずっと逃げてきていたような気がする。それが最大の原因だったのかもしれない。

 

 アインズとしては、自室での謹慎に留めたかったが、守護者たちの心情を考えると、さすがに今回はそういうわけにもいかないだろう。下手をすると、それがシモベたちの新たな火種になりかねないのだ。アインズは出ないため息をついた。

 

「わかった。では、今回の事件の重要性も鑑み、ことの真偽を正すためにも、アルベドは、一旦守護者統括の任を解く。デミウルゴス、アルベドを氷結牢獄に投獄せよ。後ほど、私が尋問を行う」

「畏まりました」

 

 デミウルゴスは、玉座の間に集まったシモベの中に、さりげなく配置していた自分の直属の部下を何人か集めると、アルベドを捕縛するよう命じた。

 

「お待ち下さい、アインズ様。どうか、それだけは……!」

「アルベド、観念しなさい。貴女の企てを立証するだけの証拠は既に集めています。それをご覧になれば、アインズ様も全ておわかりになるはず」

 

 デミウルゴスはアルベドに歩み寄り、その手首をつかもうとしたが、アルベドはその手を払いのけた。

 軽く舌打ちをしたデミウルゴスは配下に向かって合図をした。魔将数人がアルベドを取り囲み、そのまま無理やりアルベドを押さえつけようとした。

 

 その時、アルベドのすぐ脇でうずくまったまま、まるで石の塊のようにじっと動かないでいたルベドが急に立ち上がった。

 ルベドの体全体から、淡い赤色の光が放たれ、その瞳は赤く輝いている。

 

「ねえさまを、きずつける。ゆるさない」

 

 ルベドは閃光のように、アルベドを捕縛しようとしている魔将ごと、デミウルゴスの首を刎ね飛ばした。

 

 

----

 

 

「デミウルゴス!?」

 

 誰かが叫んだ。

 甲高い悲鳴があがる。

 

 デミウルゴスの姿は、そのまま輝く光に包まれるように消え去り、残されたアイテムだけがその場に転がっている。

 

 デミウルゴスを瞬殺したルベドからは赤い光が強く放たれ、更に赤みを増してきている。

 ルベドは無言のまま、空間から十字槍に似た戦鎌を取り出して、軽くくるくると回すと、それを右手に握りしめ、アルベドを守るように立った。

 

 それに相対するように、守護者たちが一斉に立ち上がり、ルベドとアルベドを取り囲む。

 

 アインズは、デミウルゴスが喪われた衝撃で、一瞬頭が真っ白になった。

 激しい憤怒と悲嘆で、感情を大きく揺さぶられる。

 しかし、それもすぐに抑制された。

 

(ルベドのあの光は……!? 落ちつけ、俺。ルベドがまだ命令可能なら、指揮権さえアルベドから奪えばこれ以上の被害は出ないはず。ともかく、皆が争いあうことだけは避けなければ。アルベドの件はその後だ)

 

「ルベドの指揮権をアルベドから剥奪する。ルベド、直ちにアルベドの命令の実行は停止、以後は私の指示に従え」

 

 アインズは強い口調で命令した。

 指揮権を剥奪すれば、元々存在している繋がりを通じて、それが自分に戻ってきたことを感じ取れる。

 しかし、今回は、繋がりが全く反応しないことにアインズは気がついた。

 

 赤く発光しているルベドは、冷たい視線でアインズを見ている。

 アインズの命令に従おうという意志は全く感じられない。

 

(おかしい。本来なら、被造物は、上位者である俺の命令を無視することはない。しかし、どうみてもルベドは反応していない気がする。もしかして、この世界に転移したことで、ルベドの性質も変化したのか? それとも、命令を下したのが姉であるアルベドだったせいなのか?)

 

 デミウルゴスの死を目の当たりにし、守護者達は明らかに殺気立っていた。

 全員、臨戦態勢に入っているのが見える。

 

「イクラ、至高ノ御方々ガ定メラレタ守護者統括トイエド、アインズ様ヘノ反逆ヲ企テルナド許サレナイ。マシテ、同ジ、ナザリックノ仲間ヲ手ニカケルトハ!」

「アインズ様、御命令をいただければ、この売女をめった刺しにした上で、ニューロリストのところに引きずってまいりんす!」

 

 コキュートスは、めったに人前で振るうことのない斬神刀皇を構えている。

 完全武装に姿を変えたシャルティアが、憎しみを隠すことなく叫んだ。

 

 アルベドは蒼白な表情で、その場に座り込んだまま、何も言おうとはしない。手が微かに震えている。

 

「コキュートス、シャルティア、それから、他のものも少し待て。今、アルベドに手を出すな。理由はわからないが、アルベドに与えたルベドの指揮権が、私に戻っていないようだ」

 

 アインズは玉座の前に立ったまま、守護者たちを手で制した。

 

 アルベドがどのような命令をルベドに出していたかはわからないが、このままでは、NPCたちとルベドが戦うことになるのは間違いない。

 その場合、どの程度、NPCたちはルベドに対抗できるのか。

 なにしろ、ルベドはあのたっちみーを凌駕する力の持ち主だ。

 アインズですら、タイマンで戦いを挑んでも勝ち目などない。

 

(落ちつけ。考えろ、俺。守護者たちの戦力では、ルベドを抑えきれない。なんといっても、あの時、ナザリックの第八階層が陥落しなかったのは、あれらとルベドの働きがあったからだ。そのルベドとまともにやりあっても勝ち目なんかない……)

 

 アインズは発光するルベドを見つめながら、必死に手がかりを求めて記憶の中をさまよった。

 

 

----

 

 

 第七階層が陥落するのも時間の問題だ。

 モモンガたち、アインズ・ウール・ゴウンのメンバーは、全員、第八階層で敵である侵攻軍を待ち構えていた。

 

 ここはナザリック地下大墳墓の最終防衛ライン。

 突破されたら、後はお客様を玉座の間で歓迎するしかない。

 四十一人全員が、気合十分で敵を待ち受けていた。

 

 しかし――

 

 そこで行われた戦いは、あまりにも一方的だった。

 モモンガの持つワールドアイテムで最大強化されたあれらとルベドの戦力は圧倒的で、必死で辿り着いたプレイヤー達が次々と倒れていくのが見える。

 

「すげー。プレイヤーがまるでゴミみたいだぜ」

「一応、結構な人数が、ここまで辿り着いたんですけどねぇ。まぁ、ここまでの階層に設置されてるトラップの数々で、MPが底をついてるせいかもしれませんけど」

「まさに、大殺戮……というに相応しい光景ですね」

 

 千五百人にも及ぶ侵攻軍の大半が、アインズ・ウール・ゴウンのギルドメンバーが待ち受けている地点まで、たどり着くことはなかった。

 

 砂漠のど真ん中からは、派手な色の閃光が走り、大きな叫び声が聞こえてくる。

 相当な激戦が行われているのは、傍目にも明らかだった。

 

「まぁ、俺達は、あれを上手いこと回避しようとしてくる連中をきっちり片付けましょう。ここで油断して第九階層へのゲートをくぐらせたら笑い話にもなりませんからね」

「わかってますよ、ギルド長!」

 

 なにしろ、侵入者の人数だけは多いのだ。

 前方での戦闘を見て、迂回路を取る者たちがそこそこでてくる。

 

 もちろん、そんなことを許すわけにはいかない。

 チーム毎の指揮官の指示で持ち場に散ると、淡々と侵入者を片付ける仕事を続けた。

 

 軽い冗談を飛ばしてはいるが、戦闘で手を抜くことなど一切ない。

 何しろ、ナザリック地下大墳墓陥落寸前まで追い込まれるほどの大軍ではあったのだから。

 

 砂漠の中央で繰り広げられている閃光ショーも、やがて僅かに光が点滅する程度になり、それも直にやんだ。

 

 コンソールで侵入者の残存数を確認していた、ぷにっと萌えが大声で叫んだ。

 

「侵入者の全滅を確認! 我々(AOG)の勝利が確定しました!」

 

「ひゃっほう!」

「おおおおおおぉおお! やったぜ!」

「さすがに、今回はダメかと思ってたよ、僕は」

「アインズ・ウール・ゴウンに栄光を!!」

 

 ギルメン達は勝利で浮かれ騒いでいる。

 その時だった。

 

 戦いが終わったはずのルベドが、自分たちに向かって攻撃を仕掛けてきたのは……。

 

 

----

 

 

 ルベドを止めるのは、正直、侵攻軍を止めるよりもやっかいだった。

 ギルメンのみならず、あれらを再度動かして、ようやく行動停止に成功したのだ。

 

「ちょっと! タブラさん、どういうことなんです!? ギルメンが総力戦を挑んでも、歯が立たないじゃないですか!」

「ワールドチャンピオンにも倒せない防衛装置か。そりゃ、寄せ集めの侵攻軍じゃ対抗できないよな」

 

 ウルベルトが皮肉げに笑う。

 

「すみません、モモンガさん。すっかりいうのを忘れてたんですけど、カロリックストーンについて、少し面倒なことがわかりまして」

「えぇ? まぁ、あの運営のことだから、何か仕掛けられていても驚きませんけど」

「それもそうなんですけど。どうも、昔使われていた粗悪な核燃料と同じような性質があるようで」

「核燃料? ……ですか」

 

「このルベドには、スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウン同様、自動迎撃システムを組み込んであります。先程、赤い光を発してましたけど、あれもその効果の一つです。ただ、その性質のおかげで、一定量を超えたエネルギーを発するとコアが暴走する可能性があるんですよ。その場合、いわゆるコマンドの類は一切受け付けなくなります。つまり、今回は、その一定量を超えちゃったってことですね」

 

 モモンガだけではなく、その場にいるギルメンたちも一斉に嫌な顔をする。

 暴走して自分たちにまで攻撃を仕掛けてくるとしたら、ルベドは非常に厄介な存在だ。

 

「タブラさん、それは流石にまずくないですか?」

「毎回、こんなことはやってられないですね。ここまでの大規模侵攻がそう頻繁にあるわけじゃないでしょうけど」

「一番はそうならないように、なるべく起動は最低限に留めるのが基本ですが、暴走した場合は、やはりあれらの力を使うのが一番無難でしょう。実は、そのつもりで、あれらを配置してたんですよ!」

 

 タブラは自慢気に説明したが、ギルメンは、一斉に白い目をタブラに向けた。

 ニグレドにも変なギミックを仕掛けていたように、実は、ルベドをわざとそういう風に作ったのではないかと疑って。

 

「まさか、このあと自爆する、とかいうんじゃないでしょうね?」

 

「ははは。それも面白いですけど、さすがにそれはないですよ。元々、これはぷにっとさんの案で、第八階層の階層守護者に強力な足止めスキル、領域守護者には戦闘指揮能力をもたせる。そして、ルベドを抑えることができるレベルの戦力群を用意すれば、いざというときに、ナザリックの防衛戦力にもなるし、ルベドの暴走対策にもなる。どうです、上手いこといったと思いませんか?」

 

 

----

 

 

(やはり、なんとかして、第八階層の戦力をここまで持ってくるしかない。どうすれば、なるべく被害を最小限にしてそれを実行できる?)

 

 いつもなら、防衛指揮官として的確に行動してくれるデミウルゴスはいない。

 アインズの補佐をしてくれる……アルベドも……。

 

 今のところ、ルベドは積極的にはこちらを攻撃してきてはいない。

 言動からして、どうやら、アルベドが行動のトリガーになっているようだ。

 

 ルベドを刺激しないように注意しながら、アインズは目だけ動かして現在の玉座の間の状況を確認した。

 ほとんどのNPCたちが集まっているが、ルベドと戦闘になった場合、実質的に戦力になりうるのは百レベルのものだけ。

 デミウルゴスがいない今、アルベドを除いて総勢六人。

 

 俺も含めれば、最低限の時間稼ぎはできるだろう。

 ただし、パンドラズ・アクターには頼みたいことがある。

 そう考えると、わずか五人。かなりギリギリだ。

 手数的に、プレイアデスには後方支援を任せたいところだ。

 その他の戦闘能力を持たない者たちは、早急に撤退させなければ。

 

(ユグドラシルの最高レベルは百だから、ルベドも本来はそのくらいのレベルのはずだが、その性質は実質ワールドエネミーに近い。だからこそ、あれだけの数の討伐隊の撃破も可能だったわけだし、チートだと叩かれた。味方であれば非常に頼もしいが、敵に回られるとこの上なく厄介な代物だな……)

 

 ここでルベドと応戦するものは、おそらく命を落とすことだろう。

 残って戦えと命じるのは、死ねと命じるのと同じことなのだ。

 アインズは、既に失われた心臓に鋭い痛みを感じた。

 

 その時、ふと、広間の端の方にイビルアイの姿が見え、アインズは一瞬混乱した。

 

(どうして、イビルアイがここにいるんだ? いや、別にいてもおかしくないが、よりにもよってこんな状況のときに? ……落ちつけ、俺。ここには、俺が守らなければならない者たちが大勢いるのだから)

 

 集中力が散漫になりそうな自分を叱咤すると、アインズは現時点で自分に考えられる最善の方法をひとしきり考え、もう一度、イビルアイの姿をちらりと見た。

 まるで祈りを捧げているかのるように、イビルアイは自分を見つめている。

 彼女は自分のことを信頼してくれている。なんとなくそんな気がした。

 

(恐らく、この状況を作った原因は俺にある。だからこそ、ギルド長としての責任は取らないとな……)

 

 アインズは覚悟を決めると、無詠唱化した〈伝言〉で、オーレオール・オメガとヴィクティム、そしてパンドラズ・アクターに小声で短い命令を下した。

 

 

----

 

 

 パンドラズ・アクターが即座に姿を消したことを確認し、アインズは何事もなかったかのような威厳ある態度で、注意深くアルベドとルベドとの距離を測りながら、ゆっくりと階段付近まで歩いた。

 そして、極力穏やかな声で、ルベドに向かって語りかけた。

 

「ルベド、武器を下ろせ。ここにいるのは、お前の敵ではない。それに、誰もアルベドを傷つけたりはしない」

 

 ルベドはアインズの顔をじっと見ていたが、やがてぼそりとつぶやいた。

 

「――それは、うそ。みんな、ねえさまのてき」

「嘘? 嘘じゃないさ。どうして、そう思うんだ?」

 

 ルベドは何も言わずに戦鎌を構え、アインズを睨みつけた。

 その行動にしびれを切らしたのか、シャルティアが、ルベドとアインズの間にふわりと降り立つと、スポイトランスをルベドに突きつけた。

 

「ぬしゃあ! アインズ様の御言葉に答えなんし!」

「――てき、かくにん。ルベド、こうげき」

 

「待て、ルベド!」

 

 ルベドが発する光がより一層強さを増し、とっさに、アインズはルベドを抑えるように〈肋骨の束縛(ホールド・オブ・リブ)〉を唱えた。

 

 斬りかかってくるルベドの体を巨大な爪のような骨で捉えることには成功したが、ルベドの赤い目はギラギラとひかり、次の瞬間、ルベドは爪の先端部分を破壊した。シャルティアは、降り掛かってくる破片をスポイトランスで払うと後ろに飛び退り、アインズは〈飛行(フライ)〉で壊れた骨とルベドから多少の距離をとった。 

 

「アインズ様!!」

 

 シモベ達の叫び声が玉座の間に響いた。

 

「守護者達! 戦闘体勢に入れ! 連携してルベドに波状攻撃せよ! プレイアデスは守護者を支援! それ以外のものたちは、少しでも上の階層に撤退せよ!」

 

 

----

 

 

 玉座の間での騒乱の中、イビルアイはすぐには動くことができなかった。

 

 アインズが「この場から撤退せよ!」と叫んだ声も聞こえた。

 しかし、逃げるなどということはできるはずがない。

 

 詳しいことは、イビルアイにはわからない。

 イビルアイが、この場所にある程度足を運ぶようになったのは、まだ最近のこと。

 アインズや、アインズに仕えている者たちのことを、完全に理解できているわけではない。

 

 だが、アインズの大切な仲間が、ようやくナザリックに帰還したのではなかったのか。

 少なくとも、アインズはとても喜んでいるように見えたのに。

 

 お互いが大切に思い合っている関係のはずなのに、なぜ、争いが起きたのか。

 アウラは、どうして泣かなくてはならなかったのか。

 

 でも、子どもたちを守りたいと言っていたアインズも、アインズを命をかけて守るといっていたデミウルゴスも、アインズ様が大好きなんだと泣いたアウラも、全部本当の気持ちだったのは間違いない。

 

 イビルアイも、長い人生の中で、大切に思っていたのに助けられなかった者たちは大勢いた。

 故郷の人々も。

 魔神たちの戦いで命を落とした仲間たちも。

 ガガーラン達だって、助けることはできなかった。

 

 確かに自分では全く役にたたないかもしれない。

 しかし、それでも、ここで何もしないで見ているだけなんてできるわけがない。

 

 何より、ほんの少しでもアインズの助けになるなら、それで十分じゃないか。

 

 イビルアイは左手の指輪をそっとなでると、凄まじい戦いを繰り広げているアインズに目を移した。

 

(もしかしたら、私はここで死ぬかもしれないな。でも……アインズ様のために死ねるなら、本望じゃないか?)

 

 イビルアイは微笑むと、戦いの渦中に向かって走り出した。

 

 

----

 

 

 守護者やプレイアデス達は素早く、それぞれの行動に移る。

 デミウルゴスが防衛時の訓練を事前に行っていた成果だろう。

 

 イビルアイが、ルベドに悟られないように〈飛行〉を使って移動してくるのも見えた。

 

 だが、撤退を命じたものたち――ほとんどはメイドや男性使用人たち――は、誰も玉座の間から動こうとしない。

 

 アインズは再び叫んだ。一人でも助かってほしいという願いを込めて。

 

「何をしている! 逃げろと命じたはずだ。この場に残れば死ぬだけだぞ!?」

 

「私達は、アインズ様をお守りするのが使命です!」

「アインズ様こそ、どうかこの場からお逃げになってください!」

 

「守るべきものを見捨てて逃げるなど、主人として失格だ! せめて、部屋の後方まで下がれ。いいな!」

 

 それでも、誰も動こうとはしない。

 NPC達の決死の覚悟を感じて、アインズは喜んでいいのか悲しんでいいのかよくわからなかった。

 

 しかし、こうなったら、自分自身を盾にしてでも、大切な子どもたちを守らなければ。

 

 アインズはルベドに守られるようにしているアルベドを見た。

 

 ――ルベドはまだいい。あれは、タブラさんの作品ではあるが、NPCではない。ただのアイテムだと割り切ることもできる。だが、俺はアルベドを手に掛けることができるのか……?

 

 アインズは迷いを振り払うように、ルベドに向かい合った。

 

「残念ながら、交渉決裂のようだな、ルベド。では、こちらからもいかせてもらおう。〈現断(リアリティ・スラッシュ)〉」

 

 アインズの使用可能な魔法のうち、ルベドに一番ダメージを与えられそうな魔法だったが、ルベドにはあまりダメージを与えたようには見えなかった。

 あのウルベルトの最強魔法にも耐えきったのだから当然ではあるが。

 

(やはり、かなりの魔法耐性があるな。しかし、少しでもダメージをいれて、ヘイト管理を徹底しなければ。一瞬でも隙を見せたら、恐らくあっという間に戦線崩壊するだろう)

 

 ここで全滅すれば、実質的に、それはナザリックの完全崩壊をも意味する。

 

 アインズは、ルベドのすぐ脇で、凍りついたように動かないアルベドに目をやった。

 せめて、アルベドが盾となってルベドの攻撃を防いでくれれば、その分、勝機は増えるはずだ。

 

 アインズの攻撃から、間髪入れずにルベドの前からコキュートスが、後ろからはシャルティアが同時に攻撃を仕掛けた。

 その背後から、ルプスレギナが支援魔法を唱え、二人の速度が更にあがる。

 

 ルベドはそれを素早く身をかわして回避すると、コキュートスの首を刎ね飛ばし、コキュートスはそのまま姿を消した。アインズは既にない心臓に大きな棘が突き刺さるのを感じる。

 

(コキュートス、許せ……)

 

 ルベドは無表情に飛び上がると、後方支援に徹しているプレイアデスに剣を投げつけようとしている。

 アインズはルベドの背後から〈現断(リアリティ・スラッシュ)〉を再び放った。

 

「〈死せる勇者の魂(エインヘリアル)〉」

 

 シャルティアが叫ぶと、プレイアデスの前にシャルティアの映し身が姿をあらわす。

 

「もっと後ろに下がりなんし」

「ありがとうございます!」

 

 もうひとりの自分を盾にしながら、アインズの攻撃のタイミングと合わせて、スポイトランスでルベドに攻撃をしかけた。

 ガチンという音をたて、ルベドの戦槍がスポイトランスを受け流した。

 

「なっ!? じゃあ、これでも喰らいなんし!」

 

 反撃に出ようとしたルベドに、シャルティアはギリギリのタイミングで、清浄投擲槍を投げつけた。

 避けようとしたルベドの足元を、アウラの鞭が横から絡め取り、清浄投擲槍は、少しバランスを崩したルベドの右肩に命中した。

 しかし、傷跡さえもつかない。

 

 ルベドはそのまま体を回旋させ、シャルティアに反撃しようとしたが、イビルアイはすかさず〈砂の領域・対個(サンドフィールド・ワン)〉を唱えた。

 ルベドの周囲に砂嵐のようなものが発生し、ルベドの動きが僅かに鈍る。

 

 その隙にシャルティアは、ルベドから飛び退り、形勢を立て直そうとした。

 しかし、再び、ルベドから赤い光が放たれ、それと同時に、シャルティアの真上に跳躍したルベドの戦槍がシャルティアを薙ぎ払った。

 

 次の瞬間、光に包まれてシャルティアは姿を消した。

 

「シャルティア!?」

 

 怒りに震えるアウラは弓を構えたが、矢を放つ前に、ルベドは邪魔な鞭を切り払い、次のターゲットといわんばかりに、そのままアウラに向かおうとするが、その動きを止めようとルベドの体に植物の蔓が巻き付いた。

 

「こ、これでもくらえ!」

「サンキュー、マーレ! 〈影縫いの矢〉!」

 

 二重の拘束技を受けて、さすがのルベドも足が一瞬止まった。

 

 その好機を見逃さず、セバスは拳でルベドの首を狙った。

 

 ルベドの体から赤い光が閃光のように走り、拘束を打ち破り、ルベドは上へ高く跳躍した。赤い光に焼かれたセバスはその場に倒れ、そして消えた。

 

 アインズは、とっさに〈魔法最強化(マキシマイズマジック)魔法三重化(・トリプレットマジック)魔法の矢(・マジック・アロー)〉を唱えた。三十本の光の矢が空中に舞ったルベドに向かって爆発した。

 

 ルベドは赤い光を盾のように展開して、アインズの魔法を難なく受けきっていた。

 

「おまえたち、てき。てき、ころす」

 

 ルベドが左手をあげると、その上に赤い玉のような光がだんだん大きく膨らんできた。

 

(なんだ、あれは? 魔法ではないようだが……)

 

 次の瞬間ルベドはそれを玉座の間の中央付近に無造作に投げた。

 アインズはとっさにシールド魔法を展開したが、若干遅かった。

 

 光の衝撃波はシールドが展開されなかった部分をほとんど焼き尽くし、その場にいたNPCたちは全て姿を消していた。

 

 

----

 

 

 アインズは、とっさに周囲を見回した。

 まだこの場で、生きて動いているのは、自分とアウラ、マーレ、イビルアイ、それに、アルベドだけだ。

 

 後方から援護してくれていたプレイアデスは、むしろそれが仇になり、先程の衝撃波に巻き込まれたようだ。

 

(なんてことだ。ルベドの恐ろしさはわかっていたつもりだったが……。仲間がいてもあれだけ苦戦したのだから、当然といえば当然か)

 

 こちらは満身創痍なのに、ルベドは多少の傷がついてはいるものの、平然と立っている。

 たっち・みーですら歯が立たなかったという事実が、今更ながらに骨身にしみた。

 

 いや、それでも、まだ負けたわけではない。

 それに、今は勝つことを目的にしているわけではない。

 あと、ほんの少しだけ時間稼ぎをすればいいだけなのだ。

 

 倒れていったNPC達のことは、今は考えてはいけない。

 彼らを無事に蘇生させるためにも、なんとか持ちこたえなければ。

 

(パンドラズ・アクターはまだなのか? くそっ! せめて、盾であるアルベドが動いてくれれば……)

 

 アインズは、未だに何の反応も見せないアルベドに目をやった。

 アルベドの目は虚ろで、いつもの冷静な守護者統括の姿はどこにもなかった。

 

(アルベドが意図的にルベドをこのような状態にしているとは思いがたい。多分、アルベドにとっても、これは不測の事態なんじゃないか?)

 

 ――それに、アルベドの行動の原因が俺にあるとしたら、むしろ、責められるべきは俺のはずだ。

 

 

----

 

 

 ルベドの頭には、ただひとつの命令しかなかった。

 

「ねえさまをまもる。そのためになら、すべてころす」

 

 もともと、ルベドは侵入者を抑え、倒すためだけに作られた存在。

 それ以外に、ルベドには目的など何もなかった。

 

 これまで、ただ一度だけ、受けた命令もそうだった。

 

『これから、この第八階層に大勢の侵入者がやってくる。彼らを皆殺しにするんだ』

『ルベド、起動。全力防衛モード』

 

 その言葉で、ルベドの頭の中はいっぱいになった。

 

 ぜんりょくぼうえいもーど。

 やることは単純だ。

 味方以外は全て殺せばいい。

 

 侵入者を倒すことは、ナザリックを守ること。

 

 ルベドに理解できるのは、それだけだった。

 それに、戦いはルベドの心をひどく高揚させるのだ。

 戦えば戦うほど、身体の中央で発生する熱が更に高まってくる。

 

 そして、今、守る対象は、愛する姉であるアルベドに書き換わっていた。

 

(姉さまを守るためなら、全て殺す)

 

 敵を倒すこと。それだけが、ルベドの存在意義なのだから……。

 

 

----

 

 

 玉座の間の半分を燃やし尽くす衝撃波を撃った後、不思議なことに、ルベドはそのまま行動を一時停止している。

 

(先程放出したエネルギーの再充填中なのか? 原子炉みたいなものだという話だしな)

 

 もし、そうだとすれば、再び準備ができ次第、ルベドは攻撃を再開するだろう。

 その前に、なんとしても、アルベドに協力してもらわなければ。

 

 不意に訪れた奇妙な静寂の中で、アインズはアルベドに静かに語りかけた。

 

「アルベド、聞こえているか? 私にはお前の助けが必要だ。お前がどうして、こういう行動をとったのかは、今は問わない。だが、このままでは、ルベドはナザリックを滅ぼすだろう。私はそれだけは避けたいのだ。もし、お前が不甲斐ない主人に仕えるのが嫌だというのなら、今だけでもいい。お前の力を貸してくれないか?」

 

 アルベドは、自分の周囲で行われている、ルベドによる一方的といえる虐殺を前にして、完全に動くことができなくなってしまっていた。

 

 そう、こんなはずではなかった。

 

 自分は、ルベドとともに、タブラに変身させたパンドラズ・アクター、それに、パンドラズ・アクターにそそのかされたモモンガを第一とは思わないシモベからの攻撃からモモンガを守り、ナザリックの全てをモモンガに捧げ、そして、モモンガの愛情を勝ち取るつもりだった。

 

 それなのに、どうして、こんなことになってしまったのか。

 

 今の自分は間違いなく、ナザリックの内紛を引き起こした、ただの裏切り者だ。

 少なくとも、モモンガはそう判断することだろう。

 

(私は……モモンガ様が彼奴等のせいでお苦しみになることが許せなかった。そして、救って差し上げたかった。ただ、それだけだったはずなのに……)

 

 今更ながら、ニグレドの言葉が重くのしかかる。

 

『スピネルはナザリックに災厄をもたらす』

 

 自分は一笑に付したが、ニグレドにはわかっていたのかもしれない。

 しかし、そのニグレドも今はいない。

 

 モモンガはこのような状況を引き起こした自分を決して許すことなどないだろう。

 

(私には、もう、正妃になる資格も、守護者統括を名乗る資格もない。……それどころか、モモンガ様の前に出る資格すらないでしょう。この壮麗な玉座の間を穢した罪を償わなければ……。そもそも、私がこのような計画を実行しなければ、ここまでの事態にはなっていなかったのだから)

 

 もはや、生きて立っているものはほとんどいない。

 

 モモンガが、どうやってルベドを止めようとしているのかはわからない。

 だが、せめて、最後に、モモンガの盾としての役目を果たせれば……。

 

 アルベドは覚悟を固めた。

 

 ――この罪は私の生命で贖います。最愛のモモンガ様。本当に御身だけを愛しておりました。

 

「アルベド。私だけではだめなのだ。どうか、私を助けてはもらえないか?」

 

 アインズはアルベドに向かって手を差し伸べた。

 

 その手はアルベドには届かなかったが、アルベドの凍りついた心に優しく触れた。

 

「アインズ様、私は……」

「よい。ともかく、立て。今はルベドは動いていないが、おそらく、準備が整い次第、次の攻撃に移るはずだ」

「はっ。畏まりました。必ずや、御身の盾として働いてご覧にいれます」

「――ありがとう、アルベド」

 

 

----

 

 

「アウラ、マーレ、イビルアイ、そしてアルベド。ルベドを刺激しないように、こちらに集まって欲しい」

 

 アウラとマーレは、アルベドに対して敵意を隠さなかった。

 

「アウラ、マーレ、お前たちの気持ちはわかる。だが、今は協力することだけ考えろ。ルベドは最強の個。互いに協力しあわなければ、ルベドの思うつぼだ。いいな?」

「――畏まりました」

「は、はい……」

 

 アウラは不満げに、しかし、アインズの言葉の意味は理解したようで、承服した。

 マーレもおとなしく頭を下げた。

 

「アルベド、どうやらルベドは、現在、暴走しているようだ。停止命令が効かない。お前はルベドの攻撃を可能な限り抑えつつ、お前がルベドを停止可能か試してみて欲しい」

「承知いたしました」

 

 アルベドは深々と頭を下げる。

 

「アウラ、マーレ、イビルアイは連携して攻撃を行え。指揮は私が取る。我々の目標は、ルベドを倒すことではなく、パンドラズ・アクターが戻ってくるまで、一人でも多く生きて、持ちこたえることだ。おそらく、パンドラズ・アクターはあと数分で戻ってくるだろう」

 

 全員がうなずくと、アルベドは先頭に走り出て、残りの三人はその背後に、そして、その更に後ろにアインズが陣取った。

 

 やがて、ぴくりともしなかったルベドの体に、再び赤い光を帯びてきたのが見える。

 

「どうやら、準備ができたようだな。来るぞ! 全員、戦闘用意!」

「はい!!」

 

 アインズの言葉が終わるやいなや、ルベドは再び戦槍を手に踊りかかってきた。

 

 

----

 

 

 パーティーの盾として、アルベドは一歩も引かない覚悟で、バルディッシュを構えた。

 

 その背後から、マーレとイビルアイの攻撃呪文が飛び、アウラは再びルベドの足止めを狙って矢をつがえている。

 

 ルベドは迷うことなく、盾として最前列に立っているアルベドを無視して、アウラに斬りかかった。

 

 すかさずパリーを発動し、アルベドはバルディッシュで横からルベドを牽制した。

 

「ルベド、命令よ! 攻撃をやめなさい!」

 

 アルベドからの一撃で、驚いたように、一旦ルベドは後退したが、更に赤く目を光らせつつ、アルベドを見据えた。

 

「ねえさま、ルベド、こうげき。ねえさま、てき?」

 

「私は敵じゃない。ルベドの味方よ。ルベド、こんなことはやめなさい。もう戦わなくていいのよ」

 

「るべど、たたかう。るべど、たたかう、やめない。ねえさま、てき。るべど、てき、ころす!」

「ルベド!?」

 

 ルベドの目は真っ赤に輝いている。

 握りしめた戦槍も燃えるような熱を帯びているかのように、鈍く輝いている。 

 

「ねえさま、ばいばい」

 

 ルベドは宙に飛び上がると、アルベドに向かって戦槍を振り下ろした。

 

「イージス! ウォールズ・オブ・ジェリコ!」

 

 赤熱した戦槍とバルディッシュは激しく激突した。

 その衝撃で、二つの武器は大きな音を立てる。

 ルベドは反射的に飛び退ったが、手に持っている戦槍は完全に折れていた。

 

「どうしても戦うというのなら、私が止めてみせる。遠慮なくかかってきなさい、ルベド」

 

 折れた戦槍を軽く振り、ルベドは無表情にそれを投げ捨てた。

 そして、代わりに、空間から古ぼけた槍を取り出し、それを左手で握った。

 

 

----

 

 

「みんな、てき。みんな、ころす」

 

 ルベドは、天井近くまで浮き上がると、再び右手の上に赤い光の玉を作り始めた。

 

「あれを作らせるのは不味い! 〈現断〉」

 

 アインズはルベドの右手を切断するように呪文を投げ、マーレとアウラはそれを援護するように攻撃しようとしたが、次の瞬間、ルベドはその玉をマーレ目がけて投げつけた。

 

 イビルアイはとっさにマーレの近くに〈水晶防壁(クリスタル・ウォール)〉を発動し、アルベドはバルディッシュで玉を跳ね除けようとした。

 だが、防壁は瞬時に破壊され、玉はバルディッシュを掠めると、マーレと近くにいたアウラを直撃し、二人は声をあげる間もなく消失した。

 後には焼け焦げた絨毯と、二人の装備だけが残っている。

 

「ルベド、もうやめろ!」

 

 アインズの悲痛な声が響く。しかし、その声がルベドに届いたようには見えなかった。

 

 イビルアイは、覚悟を決めた。

 次に、またルベドが動けば、おそらく誰かが死ぬことになる。

 そして、もう、ここにはアルベドと自分、そして、愛するアインズしか残っていないのだ。

 

 ――多分、私よりも、アルベド様の方がアインズ様をお守りできるだろう。ならば、先に私の番といこうか。せめて、十数秒くらいは、時間稼ぎしたいものだ。まぁ、アインズ様の呪文すらほとんど効いてなさそうだから、私の呪文では、かすり傷一つつかないだろうが。

 

 イビルアイは、それでも、先程多少の効果があった気がした〈砂の領域・対個(サンド・フィールド ワン)〉をルベド目がけて唱えた。

 再び、砂嵐がルベドの周囲に撒き起こり、ルベドの動きが一瞬止まる。

 そのすきに、〈結晶散弾(シャード・バックショット)〉、〈水晶騎士槍(クリスタルランス)〉と次々と自分の使える攻撃呪文を唱え続けた。

 

 どの呪文も全く効いているようには見えない。

 イビルアイは、それでも、ルベドの注意(ヘイト)が自分に向いていることをはっきりと感じ取っていた。

 

(まぁ、うるさい羽虫程度だろうが、それでいい。次の攻撃のターゲットがアインズ様でさえなければ)

 

 赤い光が砂嵐を吹き飛ばし、そこには、無表情なルベドが何事もなかったかのように、たたずんでいた。

 

 そして、興味がなさそうにイビルアイを見ると、無造作に左手に持っていた古い槍を投げた。

 

 アルベドはそれを受け止めるべくシールドスキルを発動し、イビルアイも〈水晶盾〉を発動した。

 

 おそらく、ルベドにとっては、まともに攻撃する相手としても認識されなかったのだろう。イビルアイはそんな風に心のなかで自嘲した。

 

 しかし、その古ぼけたボロボロの槍は、何故かアルベドのシールドをやすやすと通り抜け、イビルアイの魔法盾は先端が触れただけで霧散した。

 

「なに……!?」

 

 槍はイビルアイの仮面を直撃した。白い仮面はカシーンと音を立てて割れ、周囲に弾け飛ぶ。

 

 そして、そのままの勢いで、イビルアイを貫いた。

 

「あ……いんずさま……」

 

 アインズに向かってイビルアイは手をのばした。

 次の瞬間、イビルアイの姿はかき消え、同時に槍も消え失せた。

 割れた仮面の破片が床に落ちる、カチャンという小さな音だけが響く。

 

「イビルアイ!? どういうことだ!」

 

 アインズは呆然とした。

 NPCではないイビルアイは、死ねば死体はそのままその場に残るはずだ。

 それなのに、何もかも……、まるで、存在自体が消滅したかのようになくなるなんて……。

 

(まさか……、あれは『聖者殺しの槍(ロンギヌス)』!?)

 

 ルベドは、そのまま平然と別の武器を空間から取り出し、再びそれを構える。

 

 何が起こったかわからないが、取り返しがつかないことが起こったことをアルベドは感じ取っていた。

 

「アルベド、今は集中しろ。パンドラズ・アクターが到着するまで、なんとしてでもルベドを止めるんだ。いいな?」

 

 激しい怒りと哀しみで、逆に精神が抑え込まれたモモンガは、驚くほど冷静にアルベドに命じた。

 

 




佐藤東沙様、誤字報告ありがとうございました。


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最終話: 未来への扉

 その時、玉座の間にようやくパンドラズ・アクターがヴィクティムを抱いて走り込んできた。

 

「アインズ様! 遅くなりまして申し訳ございません!」

 

 相変わらずの緊張感のない声に、アインズは少しだけ救われた気分になった。

 

「ギリギリだ、パンドラズ・アクター。しかし、よくやった。ヴィクティムもご苦労」

「とんでもございません」

 

 胎児のような姿のヴィクティムは穏やかに答えた。

 パンドラズ・アクターはルベドから注意深く距離をとっている。

 

 ようやく必要な手札が揃ったアインズは、なんとも表現し難い思いで、ルベドと向き合った。

 

 タイミングが重要だ。

 タイミングを誤ると、ルベドだけではなく、最悪十階層全てが破壊されることになりかねない。

 

「ヴィクティム、すまない、お前の能力を使わせてもらう。パンドラズ・アクター、合図をしたらヴィクティムを殺せ。アルベド、なんとしてでも、ルベドを抑え込め。その後、お前の切り札とスキルをフルに使って防御に徹しろ」

 

「はっ!」

 

 全員が唱和し、行動に移る。

 

 アルベドはルベドを後ろから羽交い締めにしようとしたが、難なくルベドはそれをかわす。しかし、アルベドはそれを予期していたかのようにルベドの足元を払い、そのままもつれるようにして床に抑え込んだ。

 

 アインズは、再び〈伝言〉でオールオーレ・オメガに連絡をすると、普段は隠されている第八階層からのゲートが開かれた。

 

 巨大なゲートからは、不可思議な発光体が次々と溢れ出てくる。

 大量の発光体は、広大な玉座の間をほぼ埋め尽くし、眩い光を放っている。

 

 それらは、既にオーレオールのバフで強化されているはずだ。

 しかし、それだけでは足りない。アインズは自分の腹の部分に収められている赤黒い球体に触れた。

 

 この世界で五レベルダウンした場合、さすがに、それを再び取り戻すことはできないかもしれない。しかし、そんなものは些細な代償だ。どのみち、ここでルベドを抑えきれなかったとしたら、自分もここで死ぬことになるし、ナザリックは完全に崩壊することになるのだから。

 

(せめて、失われた者たちを生き返らせるまで、俺は死ねない。レベルを上げる手段はもしかしたら、そのうち見つかるかもしれないが、死んでしまってはそれすらできなくなる……)

 

 アインズは覚悟を決めると、それらに対して、自分の所持しているワールドアイテムの能力を最大開放した。

 

 自分の体から大量の力がアイテムに流れ込んでいくのを感じる。

 そして、普段は赤黒く脈動しているアイテムから、光が発光体に放たれた。

 

 それを受け、発光体の光は数段激しさを増した。それらはやがて、ルベドを抑え込んでいるアルベドごと、その周囲を固めるように密集していく。発光体は一瞬、その光を抑えるかのように、またたいた。

 

「パンドラズ・アクター! 今だ!」

 

 次の瞬間、発光体が一斉に炸裂し、同時に強力な足止めスキルが発動した。

 パンドラズ・アクターの手の中からはヴィクティムの姿が消えている。

 

 ヴィクティムの足止めスキルはある意味、時間停止よりも強力だった。

 周囲にいたアインズたちも完全に動きを封じられたが、あたかも目に見えない障壁を作ったかのように、爆発の衝撃をルベドの周囲で抑え込むことにも成功した。

 

 ただでさえ強力なあれらに、限りなく上限に近いバフが乗った破壊力は凄まじく、ルベドは苦しげな悲鳴をあげた。爆発の衝撃で、ルベドの体を形作っていたゴーレムの部分がそれに耐えきれず、徐々に崩壊していく。

 

 ルベドを抑え込んでいるアルベドは、ありったけのスキルを駆使して身を守っているはずだが、この爆発の中で無事であるかどうかはわからない。

 

「るべど、きのうていし……」

 

 ルベドは最後に一言だけつぶやくと、その身体は粉々に崩れ落ちた。

 

 しばらくして、ヴィクティムのスキルの効果時間が切れ、ようやく、玉座の間には静けさが戻った。

 

 発光体の群れは、元の姿へと再生していく。

 

 床の上には赤く輝く宝玉(カロリックストーン)が一つ残されていた。

 

 

----

 

 

 あれだけの壮麗さを誇っていた玉座の間は、まるで廃墟といってもいいほどに、荒れ果てていた。

 アインズは、残された宝玉を拾うと、後悔と怒りに苛まれながらも、それをインベントリにしまった。

 

 振り返ると、オーレオール・オメガが心配そうに見ていた。

 

「ご苦労だったな、オーレオール。おかげでナザリックの崩壊を防ぐことができた」

「とんでもございません。アインズ様がご無事でなによりです」

「……そうかな? まぁ、いい。では、悪いが、あれらをまた第八階層に戻しておいてくれ」

「畏まりました。その……、あまり、気落ちなさらないでください」

 

「ありがとう、オーレオール。それと、復活の儀式は急ぐつもりではあるが、なにぶん、ここまで破壊されてしまうと、玉座の間の修復にはそれなりに時間がかかるだろう。ヴィクティムはなるべく優先して復活させるつもりだが、ヴィクティムがいない間、第八階層の管理を頼む」

「承知いたしました」

「それと……、今日、ここで見聞きしたことは、一切忘れてくれ」

「畏まりました。それがアインズ様のお望みであれば」

 

 オーレオール・オメガは恭しく頭を下げると、玉座の間に整然と並んでいたあれらを指揮して移動させ、発光体は次々とゲートの向こうへと消えていく。やがて、全てを飲み込んだゲートは、まるで、そこには何もなかったかのように姿を消した。

 

 アルベドは床に伏したまま泣いているようだ。

 姿がある、ということは、とりあえず無事にあの爆発から身を守れたということだ。

 

 アインズは、少しだけ安堵した。

 いくらあれだけのことをしでかしたとしても、アルベドまで喪ってしまっていたら、さすがに自分を保てなかったかもしれない。

 

 パンドラズ・アクターは、アインズの側に静かに立っていた。

 

「アインズ様、アルベドはいかがいたしましょうか?」

「……アルベドも今は混乱しているだろう。自室で謹慎させておけ」

「わかりました。では、そのように」

 

 パンドラズ・アクターは、一礼をすると、まるで人形のように呆然としているアルベドを連れて退出していった。

 

 静まり返った玉座の間に残されたのは、アインズただ一人だった。

 

 重い気分でマスターコンソールを立ち上げる。

 NPCリストを確認すると、やはり、ほとんど全てのNPCの名前は失われている。

 予期していたことではあったが、改めて、確認すると、やはりショックは大きい。

 

 詳しいことは、アルベドに聞いてみる必要はあるだろう。

 しかし、アインズには、全ての発端が、自分のほんの小さな出来心のせいであることがわかっていた。

 

『モモンガを愛している』

 たった十文字の設定変更が、おそらく全てを狂わせたのだ。

 

 大切な友人たちから預かった大切な子どもたちを守っていこうと思っていた。

 しかし、その結果、逆に子どもたちを死なせる羽目になってしまった。

 

 だが、子どもたちは金貨さえ費やせば、復活させることができる。

 死なせてしまうような事態を起こす原因を作った自分を許すことはできないが、それでも、彼らには再び生を与えることができるし、そのくらいの蓄えなら、まだナザリックには十分ある。

 

 問題は、イビルアイだ。

 

 あれが本当にロンギヌスなら、イビルアイが戻ってくることは決してない。

 

 アインズはほんの僅かの可能性にかけて、インベントリから取り出した『蘇生の短杖(ワンド・オブ・リザレクション)』を使用してみた。

 しかし、やはり、何も手応えはない。

 単にワンドの使用回数が消費されただけだ。

 

(やはり、間違いない。死亡ではなく消滅(ロスト)だ)

 

 復活さえさせられない。

 それがあのワールドアイテムの最悪なところだ。

 本来なら、使用したルベドも代償として消滅するが、ルベドは熱素石(カロリックストーン)を核として作られた存在(ゴーレム)。ある意味、ワールドアイテムそのものともいえる。

 だからこそ、ルベドには何事も起こらなかったのだろう。

 

『ずっと、アインズ様の側にいる』

 

 そう約束してくれたのに。

 どうして、大切な人たちは、皆、自分から去っていってしまうのだろう。

 

 アインズは、泣くこともできないアンデッドの体を今ほど呪ったことはなかった。

 

「くそ!! くそくそくそ! クズがぁ!!!」

 

 クズは自分だ。

 

 そう思いながらも言わずにはいられなかった。

 どうせ、誰もいないのなら、いくら喚いても構わないだろう。

 偉ぶった支配者ロールをしなければならない相手は、もう誰もいないのだから。

 

 荒れ果てた無人の玉座の間で、アインズは一人暴れ、もがいた。

 そして、強制的に沈静化されて、再び、床を殴りつけた。

 

 そんなことをしていれば、もしかしたら、イビルアイがひょっこりと現れて、笑って止めてくれる、そんな気がしたのだ。

 

 繰り返し、繰り返し。

 

 しかし、当然のことながら、誰も戻ってくることはなかった。

 

 

----

 

 

 どれくらい、そうしていたのか。

 

「父上、戻りました」

 

 いつの間にか、すぐ近くにいたパンドラズ・アクターに声をかけられて、アインズはようやく我に帰った。

 いくら我が子同然の存在と言えど、ここまでの醜態を見せたことはない。

 しかし、今のアインズにとっては、そんなことは、もうどうでも良かった。

 

「あぁ、パンドラズ・アクターか。――みっともないところを見せたな。さすがのお前でも、あきれただろう。笑ってもいいんだぞ?」

 

 床の上に転がったまま、自嘲気味にそう言ったアインズを、パンドラズ・アクターは心配そうに見つめた。

 

「父上、私の前では、無理をされる必要はございません。たとえ、どんな方であろうとも、アインズ様は、私にはかけがえのない大切な御方なのですから」

 

「そうなのか? だが、それは、あくまでも、俺を創造主として認識しているからだろう?」

 

 パンドラズ・アクターは、埴輪のような顔をそのまま傾げて、少し考え込んだ。

 

「それは、そうかもしれません。でも、それでも、アインズ様を大切に思う気持ちに、変わりないと思いますが?」

「そうか……? そうかもな」

 

 パンドラズ・アクターは、こんな状況だというのに、いつもと全く変わらない、ひょうひょうとした雰囲気で、そんな彼と言葉をかわしているだけで、アインズも、多少気分が慰められるのを感じた。

 

 少なくとも、まだ、自分一人きりではないのだ。

 

 アインズは体を起こすと、あらためて、玉座の間の惨状をゆっくりと見回した。

 

 仲間と作り上げた美しい広間は、焼け焦げ、破壊され、たくさんのアイテムが床に散らばっている。

 あんなに大勢が倒れたというのに、死体らしいものがひとつも見当たらなかった。

 

 意志を持って動いていても、NPCはこの世界に実在している存在ではない。

 アインズが考えていた仮定は、確信に変わった。

 

 ――案外、俺も同じような存在なのかもしれないけどな。ユグドラシルのゲームとしての制限に縛られているのは、俺だって同じなのだから。俺も死ねば、アイテムだけを残して、消えてなくなるのかもしれない。

 

「パンドラズ・アクター、アルベドはどうしている?」

 

「完全に心神喪失状態でしたので、とりあえず、自室の寝室に拘束してあります。なにぶん、見張らせるシモベがおりませんので……」

「それは仕方がない。あの様子だと自害しかねないから、ある程度片付くまでは、そのままにしておけ」

 

「畏まりました。それと、アルベドが所持していた、真なる無(ギンヌンガガプ)とリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンは回収してまいりました。今の状態のアルベドに持たせておくのは少々危険な品かと思いましたので。独断で行動しましたこと、お許しください。最終的な御判断はアインズ様にお願いいたします」

 

「確かにどちらも今のアルベドに持たせておくと、どのような行動に出るかわからないな。お前の判断は正しい。とりあえず、リングは俺が預かっておこう。真なる無は、宝物殿に置いておいてくれ」

「承知しました」

 

 パンドラズ・アクターは恭しくお辞儀した。

 

 アルベドに渡していたリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンは、予備のリングとは別の場所にしまい込む。再び渡すことがあるかどうかはわからないが、とりあえず、予備と一緒にするのは多少気が引けた。

 

「それと、父上。こちらも回収してまいりました」

 

 パンドラズ・アクターは、空間から、綺麗にたたまれた、白い光沢のある服を引っ張り出すと、アインズに差し出した。

 

「これは?」

「先程、アルベドが着ていたドレスです。名前は傾城傾国。おそらく、シャルティアが洗脳されるのに使用されたワールドアイテムでしょう」

「なんだと? これがか!?」

 

 アインズはそれを受け取り、自分自身でも〈道具上位鑑定(オール・アプレイザル・マジックアイテム)〉を唱えた。

 

 「傾城傾国」とは、ずいぶん皮肉な名前だ。

 このアイテムに踊らされて、アルベドはナザリックを崩壊寸前に追い込んだのだ。

 

 ワールドアイテムであることを差し引いても、アインズは手に触れるのも不快に感じた。

 

「このアイテムのおかげで、シャルティアは洗脳され、アルベドは今回の計画を思いついたというわけか」

「その通りでございます。アルベドは、長いこと、このアイテムを探し求めていました。実のところ、スレイン法国の宝物庫を襲撃したのは、アルベドがこのアイテムがそこにあるという情報を入手したためです」

 

 アインズは自分があまり報告書などに目を通していない自覚はあったが、さすがにそれを見落とすほどいい加減にやっていたわけではない。

 

「アルベドは、その情報を俺に隠していたのだな……」

 

「おそらく、計画自体をアインズ様には知られたくなかったのでしょう。ただ、これは、単なる私見ですが、アルベドは決してアインズ様に対して害意をもっていたわけではありません。むしろ、アインズ様の御為に、という想いが暴走した結果だと思っています」

 

「いや、お前の推測は正しいと俺も思う。そもそも、アルベドが俺を裏切るなど考えられない。暴走した原因は……、やはり俺なんだろうな」

「アインズ様が御自分を責められる必要はありません。私自身、もう少し上手く立ち回ることができていれば。ここまでの事態にならなかったのでは、と反省してはおりますが……。あのルベドを相手にして、防ぎきっただけでも、十分成功に値すると愚考いたします」

 

 これで成功といわれても、とてもそんな風には思えない。

 

 しかし、いつまでも、こうやって座り込んでいるわけにもいかないだろう。

 やらなければならないことは、たくさんある。

 一人で反省会をするのは、全て片付けてからだ。

 

「ともかく、アルベドとは、後でじっくり話をしなくてはな……」

 

 アインズは、出ないため息をついた。

 

「アインズ様、スレイン法国の方はどうなさいますか?」

 

 スレイン法国の名を聞いて、アインズは一瞬激しい怒りにとらわれたが、それはまたたく間に沈静化された。

 

「あの国はただでは済まさん。奴らには、シャルティアとアルベドの借りを、いずれ倍にして返してやる。ナザリックに、これほどまでのことを仕出かしたのだからな。だが、今は後回しだ。まずは、ナザリックを立て直さねば」

「畏まりました。全て父上の御心のままに」

 

 アインズは軽く手をふると、ひどく疲れたように、ゆっくりと立ち上がった。

 

「では、パンドラズ・アクター。宝物殿にある金貨を、後でここに運んでおいてくれ。今回死亡したもの全員の復活の儀式をする必要がある」

「はっ。早急に手配いたします」

 

「……お前ばかり働かせてすまないが」 

 

 ぽつりとつぶやいたアインズを、パンドラズ・アクターは心配そうに見つめた。

 

「何をおっしゃいますか。私は大丈夫です。それに、アインズ様が私にこれをお貸しくださっていたおかげで、私はアルベドの洗脳から、無事逃れることができました。改めて御礼を申し上げます」

 

 パンドラズ・アクターは軍服の胸元に手を差し入れると、一つの指輪を取り出し、アインズに差し出した。

 

 アインズは黙ってそれを受け取った。

 ナザリック最大の至宝の一つ。

 

「アルベドは、私を洗脳し、今は姿を消した至高の御方々の姿を取らせ、階層守護者らにアインズ様に背くよう命じさせました。これがなければ、私は完全にアルベドの傀儡となっていたことでしょう。アルベドは玉座の間で私を殺し、真相を闇に葬るつもりだったのでしょう。ともあれ、結果的に、デミウルゴス殿には、私からアルベドの計画を伝え、それを阻止するよう助力をお願いすることができました。もっとも、さすがのデミウルゴス殿も、ルベドの力量は想定外だったようですが……」

 

「そうだな。ルベドがこれまで、実戦投入されたのは、以前ナザリックが第八階層まで侵攻されたあの時だけだ。あの時あったことを、実際に見て覚えているのは、オーレオール・オメガくらいのものだろう。今後は……、ルベドを起動するのは、なるべく避けたいところだな。それこそ、起動しなければ、ナザリックが破滅する。そういった状況に追い込まれるまでは……」

 

 これからのことを、言葉に出したアインズは、そもそも、これからどうしたらいいのか、わからなくなってしまっている自分に気がついた。

 

 たくさんの……。

 本当にたくさんの犠牲を出したが、ナザリックが完全に崩壊することだけは食い止められた。

 以前、シャルティアを復活させたときは、数日分の記憶が失われていたから、今回も、死亡したNPCは、この事件の記憶を全て失った状態で復活するだろう。

 オーレオール・オメガも、口止めした以上、事件を口外することはないはずだ。

 

 破壊された玉座の間も、莫大になるはずの修復費用はともかく、いずれ元通りの荘厳な姿を取り戻すだろう。

 アインズもまた、以前と何も変わらずに、ナザリックの支配者として生きていくことになるのかもしれない。

 

 しかし――

 

 少し離れたところに散らばっている、イビルアイの仮面の破片が目に入った。

 

 アインズは、よろめきながらそちらの方に歩み寄り、破片を一つ拾い上げた。

 おそらく、これだけが、この世にイビルアイが存在したという唯一の証なのだ。

 

 アインズの行動を静かに見守っていたパンドラズ・アクターは、何かを感じたのか周囲を見回した。

 

「そういえば、父上。イビルアイはどうしたのです? 死体は見当たらないようですが。もしかして、無事に脱出できたのですか?」

「いや、イビルアイは……消滅した。存在そのものがな。この仮面は、直前に体から離れたから、この世界に遺されたのだろう」

「……どういうことですか?」

 

「以前、お前には、私が知っている世界級アイテムの話をしたことがあったな。お前のことだから覚えているとは思うが、二十の中に『聖者殺しの槍』というものがある」

「使用者を完全抹消する代償として、使用された者を完全に抹消できるアイテム、ですね?」

 

「そうだ。現物を見たことがあるわけではないから、確証があるわけではないが、このような効果を持つアイテムなど、他に心当たりはない。先程、復活魔法を試してみたが、何の効果もなかった。蘇生を拒絶されたという感覚もない。だから、ただの死亡ではないことは確かだ。ともかく、どこで入手したのかはわからないが、ルベドは聖者殺しの槍を所持していた。そして、先程の戦いでイビルアイに使ったのだ。本来なら使用者であるルベドも消失するが、ルベドはワールドアイテムだから消失することはなく、使用されたイビルアイだけが消失したというわけだ。……ナザリックには、聖者殺しの槍はなかったはずなんだけどな」

 

「仰る通り、少なくとも、宝物殿に収められたことはございません。一体、いつの間に? まさか、あの時……?」

 

 パンドラズ・アクターは、アルベドたちと、スレイン法国の宝物庫を襲撃したときのことを思い返した。

 あそこにあるアイテムは自分が全て鑑定したと思っていたが、もしかしたら、自分が気が付かないうちに、ルベドが持ち出したのかもしれない。

 少なくとも、あの場所には世界級アイテムが一つは存在していたのだから、複数あったとしてもおかしくはないだろう。

 

「パンドラズ・アクター、何か心当たりがあるのか?」

「はっきりと見たわけではないのですが……」

 

 パンドラズ・アクターは、あの夜のことをアインズに話した。

 

「なるほど。スレイン法国は六百年もこの世界に存在している。複数のワールドアイテムを所持していたギルドはほとんどなかったから、この世界に来てから新たに入手したのかもしれないな。聖者殺しの槍は使い切り型だから、今は一旦失われているが、条件を満たせば、おそらく、またこの世界に出現することだろう。厄介な話だ」

 

 そんなことを話しながらも、アインズはぼんやりと考えていた。

 

 ナザリックは、確かにまだ、存在はしている。

 以前は、過去の遺物だと思った。

 しかし、今のこの状況では、遺物としての価値すら失った、ただの残骸なのかもしれない。

 

 しかも、これ程の多くの犠牲を生み出す原因を作った者が、未だに無事に生きており、アインズ・ウール・ゴウンの名を名乗り、その頂点に座している。

 そんなことが、はたして許されるのだろうか。

 

 NPCたちを再び復活させたとして、自分はこれまで通り支配者として振る舞う資格があるのか。

 

 アインズは、手のひらの中にある貴重な指輪を見た。

 二十の中でも最大の効果を持つといっても過言ではない。

 

 『永劫の蛇の指輪(ウロボロス)

 

 存在しないつばをゴクリと飲み込む。

 これを使えば、ほぼ、ありとあらゆる願いを叶えることができる。

 そう、イビルアイを復活させることも……。

 

 

----

 

 

 だが、これは、ナザリック最大の秘宝だ。

 どうしようもない状況に陥っても、これさえあれば、それをくつがえすこともできるはずだ。

 そのような貴重なものを、ここで使ってもいいのだろうか?

 

 シャルティアのときは使うことが出来なかった。

 しかし、あの時は、今回とは状況が違う。

 あの時は、これを使わなくともシャルティアの洗脳を解除する方法が存在した。

 だからこそ、将来のために温存することを選んだのだ。

 

(将来? 将来ってなんだ? 何のための将来なんだ?)

 

 アインズは、自分が今まさに、人生の岐路に立っていることに気づいた。

 

 これまでと、同じようにたった一人で、ナザリックの支配者アインズ・ウール・ゴウンとして生きていくのか。

 それとも、一人の人間……、モモンガ、それとも、鈴木悟として、仲間と共に生きていくのか。

 

(仲間には、なってもらえないかもしれないけどな)

 

 アインズは苦笑した。

 

 そもそも、前々から考えていたことじゃないか。

 

 以前の仲間たちがいたアインズ・ウール・ゴウンは存在していない。

 今回の事件は、あらためてそれを俺に思い知らせてくれた。

 それをただ、俺自身が認めればいいだけだ。

 

 失ったのなら、また新しく作ればいい。

 

 あの時、クラン・ナインズ・オウン・ゴールを解散して、新生ギルド、アインズ・ウール・ゴウンになったように、もう一度、新生ギルド・アインズ・ウール・ゴウンを作るんだ。

 

(そして、また、ギルドメンバーを増やしていけばいい。ギルドメンバーなら、主人とシモベなんていう関係じゃなく、対等の立場の仲間になれる。そう、NPCたちだって……)

 

 そのために、俺には、どうしても必要なものがある。

 ナインズ・オウン・ゴールでは、俺を拾ってくれたのはたっちさんだった。

 

 でも、今回、俺を拾ってくれたのは、……多分、イビルアイだったんだ。

 

(イビルアイ。ずっと側にいるって約束したのに、勝手に約束を破るなんて、俺は許さないからな。嫌だといってももう遅い。俺は、こう見えても我儘なんだよ)

 

「パンドラズ・アクター。俺は、アインズ・ウール・ゴウンの名を返上しようと思う」

 

アインズはパンドラズ・アクターの穴ぼこのような黒い目をまっすぐに見た。

 

「わかりました。では、これからは何とお呼びすればよろしいですか?」

「モモンガ……、はアインズ・ウール・ゴウンのギルド長の名前。これからの新しいギルドにはそぐわないかもしれない。だから、これからは……俺のことを鈴木悟……いや、サトルと呼んでほしい」

 

「サトル様……ですか。畏まりました」

「いや、様もやめてくれないか? ただのサトルでいい」

「さすがに、それは不敬が過ぎます。それに、新しいギルドとは……どういうことでしょうか?」

 

「パンドラズ・アクター。俺は、ギルド・アインズ・ウール・ゴウンを解散し、新たに新生アインズ・ウール・ゴウンを立ち上げることにする。旧ギルド・アインズ・ウール・ゴウンは、これまで長い間、新たにメンバーを加えることはなかった。しかし、今後は新たなギルドメンバーを加入させていくつもりだ。何か問題はあるか?」

「何もございません。全ては、父上の御心のままに」

 

 パンドラズ・アクターは恭しくお辞儀をした。

 もしかしたら、パンドラズ・アクターがこんな風に自分に振る舞うのを見るのも最後かもしれない。

 

「俺は『永劫の蛇の指輪(ウロボロス)』をイビルアイの復活に使おうと思う。それに異論はあるか?」

「私には、異論などございません。前から申し上げているように、父上は、父上が好きなようにされれば良いのです」

 

 パンドラズ・アクターは妙に満足そうにサトルに告げた。

 

「よし。では決まりだ」

 

 サトルは、長いこと指輪をはめることのなかった左手の薬指に、永劫の蛇の指輪をはめた。

 指輪から伝わってくる情報が、脳の中に書き込まれる感覚を覚える。

 ほんの少しだけ、これを入手した時の、仲間たちとの冒険を思い出して、サトルは楽しい気分になった。

 

(いずれ、また、お前を手に入れてみせるさ。今度は、新しい仲間たちと共に)

 

「では、いくぞ。永劫の蛇の指輪よ、我が願いを聞き届け給え。イビルアイを復活させよ!」

 

 サトルは、祈りを捧げるように左手を上に掲げると、そう叫んだ。

 

 

----

 

 

 完全な混沌。

 全てのものが生まれ、そこに還っていくべき場所。

 

 肉体も精神も完全に分解され、自我も失い、混沌と一体になる。

 

 無だ。

 これこそが。

 

 かつて、イビルアイ――キーノだったものは今や緩やかに分解されていくのを感じる。

 

 愛しかったものも、憎んでいたものも、全てが消えていく。

 その、最後のよすがが消え失せようとしたとき、何か冷たい指先が自分の破片を集め、再び形作ろうとしているのを感じる。

 誰かが自分を手招いていることも。

 

 それは、とても寂しい孤独な魂。

 過去の栄光に囚われ、それに満足していた哀れなもの。

 しかし、そこから新たな道へと歩みだそうとしているのだ。

 

 イビルアイは愛おしいという気持ちで心の中をいっぱいにしながら、その硬い骨の手を優しく握った。

 

 

----

 

 

 イビルアイが目覚めると、そこにはアインズと、軍服を来た見知らぬ埴輪のようなものだけがいた。

 

 周囲は惨憺たるありさまだったが、戦闘が行われている気配はない。

 何が起こったのかは、あまりよく覚えていなかったが、少なくとも今は危険はないらしい。

 ただ、最後のおぼろげな記憶からして、おそらく、自分は一度死んだのだろう。

 

 自分をすぐそばでじっと見ているアインズが、泣いているように思える。

 その理由はイビルアイにはわからなかった。

 

 しかし、アインズが無事に生きていてくれたことにイビルアイは心から安堵した。

 

「アインズ様、ご無事だったんですね……。良かった」

 

 ようやく、口を開いたイビルアイに、アインズは「すまない」といって頭を下げる。

 

「別にアインズ様が謝る必要なんて……」

「いや、これは俺の失態だ。俺がこれまで、先送りにしてきたことのつけが回ってきてしまったんだ。アルベドやルベドも、その犠牲者にすぎない。その結果、俺は、何よりも大切に思ってきた子どもたちのほとんどを失ってしまった。それだけじゃない。イビルアイ、お前まで犠牲にしてしまった。覚えていないのか?」

 

「……あまり、良くは覚えていないです。ただ、なんだろう。死ぬというよりも、自分自身が消えてしまおうとしていたような……」

 

「お前に使われたのは、『聖者殺しの槍』と呼ばれる世界級アイテムだ。その結果、お前は死んだのではなく、存在自体が完全に消滅してしまったのだ。しかし、もう大丈夫だ。『聖者殺しの槍』は使用されたことで、一時的にではあるが消滅した。俺は、もう二度とお前をあんな目にあわせたりはしないと誓う」

 

「アインズ様……」

 

 イビルアイは、体を起こそうとしたが、顔が妙にすーすーするのを感じた。

 慌てて顔に触れてみると、仮面がなくなっている。

 めったに晒すことのない素顔を、二人に見られていることに気がついて、イビルアイは顔を真赤にした。

 

(わ、私は! アインズ様の前で、また変な表情とかしてたりしないだろうな!?)

 

 あわてて、どこかに仮面が落ちていないか探していると、側にいた埴輪が、イビルアイに割れた仮面の破片を渡してくれた。

 

「もしかして、これをお探しですか? でも、残念ながら、貴女の仮面は割れてしまいました。破片は集めておきましたが……」

 

「え? あの、ありがとうございます。その……失礼ですが、どこかでお会いしましたでしょうか?」

「はは、そうか。イビルアイにはまだ紹介していなかったな。これは、パンドラズ・アクターという。俺の息子のようなものだ。モモンとして何度かあっているはずだ」

「え!? アインズ様の息子!? モモン様!!?」

 

 呆然としているイビルアイの前で、アインズとパンドラズ・アクターは楽しそうに笑った。

 

 どことなく、何かが吹っ切れたように見えるアインズを見て、イビルアイは少し安心した。

 

「改めて、自己紹介いたしましょう。ナザリックの宝物殿の領域守護者、パンドラズ・アクターと申します。ドッペルゲンガーですので、変身してア――サトル様のかわりに、モモンをやっておりました」

 

「――サトル?」

 

 聞き覚えのない名前に、イビルアイが驚いたその時、アインズがイビルアイの名前を呼んだ。

 

「イビルアイ」

 

 アインズのひどく真剣な声に、イビルアイはどきりとした。

 

「は、はい」

「俺はアインズ・ウール・ゴウンのギルド長として、アインズ・ウール・ゴウンを解散することにした。これまで名乗っていた、ギルド名である、アインズ・ウール・ゴウンの名も返上する。だから、今後は、俺をサトルと呼んでほしい」

 

「サトル?」

「そうだ。実は、それが俺の本来の名前なんだ」

「そう……だったんですか。わかりました! サトル様」

「様をつける必要はない。呼び捨てにしてくれないか? イビルアイ」

「ええ?」

 

 サトルは空間から、何かを取り出した。

 

「俺は、新たに、新生アインズ・ウール・ゴウンを結成することを決めた。そして、その一番最初のメンバーに……、イビルアイ、お前がなってほしい」

「えっ!?」

 

「新生アインズ・ウール・ゴウンの加入条件は、旧アインズ・ウール・ゴウンと同じにするつもりだ。つまり、社会人――職業についていること、異形種であること、メンバーの過半数の賛成があることだ。そして、今はメンバーはギルド長である俺しかいない。だから、賛成一反対なしで条件は満たす。後は、イビルアイ、お前が同意するかどうかだ。――イビルアイ、俺の仲間になってくれないか?」

 

「…………!」

 

 イビルアイはすぐには返事ができなかった。

 

 自分がサトルと特別な関係になることは、正直あきらめていた。サトルと自分の間にはあまりにも多くのものがありすぎた。

 

 だからこそ、仲間になって欲しいといわれたことが、どうしようもなく嬉しかった。

 アインズ、いや、サトルにとって『仲間』が、何よりも大切な存在だと知ってしまったから。

 

 それに、仲間ということは、対等の関係で生きていけるということだ。例え、恋人とかそういうものじゃなくとも、サトルにとって大切な存在になれるのなら。

 

(これ以上を望むなんて、欲張りすぎというものだろう。少なくとも、仲間なら、サトルと共に未来永劫歩むことはできる。しかも、「一番最初」の仲間として……)

 

 それがどれだけ特別なことかわからないほど、イビルアイも鈍感ではない。

 

 イビルアイは、自分を見つめているサトルを見返した。緊張で体が震える。

 

「その、――わ、私でいいんですか?」

「もちろん。それに、ずっと側にいてくれると約束してくれただろう? まさか、それを破るつもりなのか?」

 

 サトルはくすりと笑い、イビルアイは、更に顔を真赤にした。

 

「そんなことは、ぜったいに、ないです!! サトルさ――ん、私は何があっても一生ついていきます! 今更、嫌だといわれても離れませんからね!」

「――そうか。ありがとう、イビルアイ」

 

 サトルは、なぜか、喜んでいるような、泣いているような、そんな様子にみえた。

 

「じゃあ、イビルアイ、左手を出してくれるか?」

「わかりました」

 

 イビルアイが左手をサトルの前に出すと、薬指を見てサトルは呆れたように軽く笑った。

 

「その指輪、大した効果でもないのに、まだ持っていたのか」

「当たり前です! ずっと、ずっと大切にしていたんですから」

 

 イビルアイは、むっとしたように、少し頬を膨らませた。

 

「じゃあ、今日は、代わりに別のものをやろう。悪いが、その指輪を外してくれないか?」

「……え?」

 

 イビルアイは、妙に真剣なサトルの様子を見て、おとなしく左手の薬指から大事な指輪を外した。

 

 サトルは、イビルアイの左手を優しくとると、なぜか少し震える骨の指で、イビルアイの左の薬指に、大粒の赤い宝石がついた美しい指輪をはめた。

 その指輪を見てイビルアイは驚愕した。

 

「これは……リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン……?」

「そうだが?」

「あの、こんな、貴重な指輪をいただいていいんですか?」

 

「ギルドメンバーの証だし、イビルアイがメンバーになるのなら当然だろう?」

「それは、そうかもしれないですが」

 

「もう、そんな畏まる必要なんてない。仲間なんだから。――受け取ってくれてありがとう、イビルアイ。頼りないギルド長だけど、これからもよろしく頼む」

 

「こちらこそ。ずっと……よろしく。サトル」

 

 イビルアイは、以前もらった指輪は右手の薬指にはめて、リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを優しく撫でた。

 

「結局、それもまだ使うのか。まぁ、好きにするといい」

 

 サトルに笑われて、イビルアイは再び顔を赤くした。

 

(リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン。正直、これを私がはめることになるとは思っていなかったけれど)

 

 しかも、サトル自身が左手の薬指にはめてくれたのだ。

 サトルには特に意味はない行動だったのかもしれないが、もしかしたら、もしかすることにイビルアイは気がついた。

 

 それに――

 

(私は新生アインズ・ウール・ゴウンのメンバーになることを承諾した。ラキュースたちには悪いが、私はもう、これで『蒼の薔薇のイビルアイ』では、なくなることになるんだな)

 

 脱退すること自体に異議はない。

 ラキュースたちだって、話せばわかってくれるだろう。

 それに、自分はもう既に、サトルと共に生きると決めているのだから。

 

 ただ、ひとつだけ、引っかかっていることがある。

 

 ――アインズ様は、新生アインズ・ウール・ゴウンに相応しい名前として、サトルという名に変えた。いや、むしろ、本来の名前に戻ったといえるだろう。

 

 だったら、自分は……、蒼の薔薇から離れる自分は、イビルアイではなく……。

 

 イビルアイは、サトルの目をまっすぐにみつめた。

 綺麗な赤い灯火の灯るサトルの目が、イビルアイは好きだった。

 

「サトル。せっかくなので、この際、私もイビルアイという名は捨てようと思います」

「ん? そうなのか? 別にお前まで変える必要はないんだぞ?」

 

「長い間、私は名前を隠して生きてきましたが、仮面をなくした以上、隠していても無意味でしょう。それに、サトルと一緒なら、隠す必要もない。だから、これからは、本名を堂々と名乗ろうと思います」

「本名……、確か、キーノだったか?」

「はい。キーノ・ファスリス・インベルン。この名前をつけてくれた親に恥じないように。そして、サトルの側にいる人間として相応しくあるように、生きていこうと思います」

 

「そうか。では、キーノ。改めて、これからもよろしくな」

 

 サトルはキーノに向かって右手を差し出した。

 キーノは、その手を優しく握り返した。

 

 

----

 

 

「さてと、パンドラズ・アクター。お前に少し頼み事がある」

 

 サトルは、側でずっと二人の様子を見守っていた自分の黒歴史に向かい合った。

 

「なんでしょうか?」

「俺は、以前、他のものとお前とどちらかしか助けられない時、お前を見捨てる、ということを話したな」

「はい。サトル様の御為でしたら、このパンドラズ・アクター、死ぬことも厭いません!」

 

「じゃあ……、悪いが、ちょっと、実験台になってくれないか?」

「は!? 一体何を……!?」

 

「失敗したら、ちょっと廃人になってしまうかもしれないが、死ぬことはない。それに、俺の仮説に間違いはないと確信している。まぁ、九十九パーセントくらいだが。それに、これが上手くいくかどうかで、俺の新生アインズ・ウール・ゴウン計画の今後が決まる重要な役どころだ。お前以外に任せられる人材がいない」

 

 さすがのパンドラズ・アクターも廃人という言葉を聞いて一瞬固まったが、すぐにぴしりと敬礼をした。

 

「畏まりました! サトル様の御心のままに!」

 

 サトルは、真剣な顔で、パンドラズ・アクターの両肩に手をのせた。

 

「まぁ、安心しろ。万一、廃人になっても、俺はお前を見捨てることだけはしないから」

「は、はぁ……」

 

 さすがのパンドラズ・アクターも、廃人と重ねて言われて、少しばかり嫌そうな声を出したが、渋々うなずいた。

 

「よし。じゃあ、ここじゃなんだから、俺の部屋に行こう。悪いが、キーノも付き合ってくれないか? さすがに、この場では、ちょっと……な」

 

 キーノは、サトルの意図はさっぱりわからなかったが、素直に頷いた。

 

 

----

 

 

 パンドラズ・アクターへの実験を無事に終えたサトルは、玉座の間の修復が完了するのを待ってから、パンドラズ・アクターに金貨の運搬役を任せ、死亡したNPCを全て復活させた。

 

 復活の儀式には、ギルメンの残した金を充てざるを得なかったが、もはやサトルはその金に手を付けることに躊躇することはなかった。

 

 守護者たちや、メイドたちが戻ってきたことで、ナザリックは再び、以前の賑わいを取り戻した。

 復活したNPCたちは、案の定、例の事件のことは全く覚えていなかった。

 変わってしまったのは、おそらく、サトルたちだけなのだろう。

 

 そのため、サトルは、当座は自分の計画について、三人だけの秘密にしていた。

 

 ただ、アルベドが長期謹慎していることや、イビルアイがアインズのすぐ側に付き従っていることは、すぐにナザリック中で噂になり、様々な憶測をよんだ。

 

 そんな中、サトルはキーノとパンドラズ・アクターの協力のもとで、計画を淡々と進めていた。

 

「今後の運営資金がかなり不安だな……。復活費用よりも、玉座の間の修復費用があそこまで高額だったとは……」

 

 キーノを伴って、宝物殿を訪れたサトルは、だいぶん目減りした金貨の山を見ながらぼやいた。

 

「いえ、心配しなくても大丈夫ですよ、サトルさ――ん。確かに、何らかの収入源の確保は必要ですが、普通に運営していく分には十二分な資産が残っていますから」

「まぁ、お前がそういうなら、そうなんだろうな。パンドラズ・アクター」

 

 サトルは周囲の財宝にすっかり気をとられているキーノを見ながら、宝物殿の最奥部へとつながる真っ黒な入り口のところで足を止めた。

 

「さてと、二人とも、しばらくここで待っていてくれないか? 俺はこの奥の霊廟に用があるんだ」

 

「霊廟?」

 

 不思議そうに首を傾げたキーノに、サトルは頷いた。

 

「そうだ。……ここを去っていった仲間たちのアヴァターラが並んでいるだけの場所だ。今となっては、本当に霊廟だな」

「一緒に行かなくても大丈夫なのか? サトル」

「なんなら、私もお供しますよ?」

 

 霊廟という名前で不安感をかられたのか、キーノがすがりつくような目で自分を見ている。

 サトルはくすりと笑った。

 

「じゃぁ、二人ともついてくるといい。ただ、リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンは一旦俺に預けろ。でないと、このなかにいるアヴァターラに襲われるからな」

 

 二人から指輪を預かると、自分の分も含めて、隠し場所にしまい込む。

 

 サトルは、二人を引き連れて、久しぶりに霊廟に足を踏み入れた。

 

 霊廟は、相変わらず静かで、古い仲間たちが本当にここに骨を埋めているような錯覚に陥った。

 

(これから俺がしようとしていることは、死者を冒涜する行為のような気がしないでもないな……)

 

 しかし、遺されたものは親から子へ引き継がれるべきだろう。

 

 サトルは、アヴァターラを一つ一つゆっくりと眺めた。

 

(たっちさん、ウルベルトさん、やまいこさん、ぶくぶく茶釜さん……。皆さんのリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンは、一旦、返してもらいますね。子どもたちに渡すために……)

 

 心のなかで、一人一人名前を呼びかけていき、その勇姿を目に焼き付けた。

 勇姿といっても、立派なのは装備だけで、アヴァターラ本体は残念な出来ではあるが。

 

 仲間たちは、皆笑顔で自分を見送ってくれているような気がする。

 

『いいんですよ。アイテムは、全部モモンガさんの好きに使ってください、っていったじゃないですか』

『それよりも、うちの子たち、大事にしてやってよね。モモンガお兄ちゃん!』

 

(そうですよね。――これまで、ずっと、ありがとう。皆のおかげで、俺はこれからも生きていけます)

 

 そして、サトルは深く頭を下げた。

 

 

----

 

 

 サトルは多少緊張しながら、アルベドの部屋に入った。

 

 この部屋からは既に人払いをしている。

 デミウルゴスには止められたが、サトルが強く命じたため、外にも護衛はいない。

 正直、サトルがこれからしようとしていることを、シモベたちが、どのように感じるかわからなかったからだ。

 

 内部の様子については、事前にパンドラズ・アクターから情報を仕入れてはいた。

 

 しかし、実際に中に入ってみると、中の様子はサトルの予想を遥かに超えていた。

 どこをみても、アルベドがどれほど深くモモンガを愛しているかが伝わってくる。

 

 部屋の最奥部に垂れ下がっている旗が、ギルドサインではなく、もう捨てたものと思っていた、玉座の間に掛けられていたモモンガの旗であったことにも、少なからぬ衝撃を受けた。

 

 アルベドがこの部屋を立ち入り禁止にしていた理由は、おそらくこれだろう。

 

『モモンガを愛している』

 

 サトルの心は後悔にさいなまされた。

 しかし、今日こそは、何があってもアルベドに償いをする。

 そう固く心に決めてきたのだ。

 

 アルベドがいるはずの寝室の扉を軽くノックし、応えを待つまでもなく、サトルは部屋の中に足を踏み入れた。

 

 アルベドはベッドに横になったままだった。

 近づいてくるサトルを見て、何も言わずに、涙をこぼした。

 

 アルベドの拘束が外されていないことに気が付き、サトルはそれを解除した。

 

「ずいぶん、長期間、拘束してしまったようだな。すまなかった」

 

 自由になったアルベドは、即座にベッドから滑り降りて、サトルの足元に土下座した。

 

「……アインズ様! 本当に、申し訳ありませんでした。守護者統括として、いえ、アインズ様を愛するものとしてあってはならない失態の数々……。どのような罰を受けても許されない身であることはわかっております。ただ、どうか、せめて自害することをお許しください」

 

「アルベド、謝らなくてもよい」

 

 サトルは優しく言った。

 

「アインズ様!?」

「お前がやったことの数々は確かに許されないことだ。しかし、その原因を作ったのも、それを知りながら、何もしなかったのも私だ。だから、責められるべきなのはお前ではない。全ての罪は私にある。長い間、苦しめてすまなかった。許してくれ、アルベド」

 

 サトルは、深々とアルベドに頭を下げた。

 

「アインズ様、どうか、そのようなことはおやめください! アインズ様に罪などございません!」

「いや、違う。私があの時、最後だからと余計な気まぐれを起こさなければ……。タブラさんの最高傑作を汚すようなことをしでかさなければ、少なくとも、お前はあのような計画を思いつくことすらなかったはずだ。だからこそ……。私は、私の罪を償うためにここに来たのだ」

 

「アインズ様……? それは一体……?」

 

 アルベドは不安そうにサトルを見上げた。

 そんなアルベドの頭をサトルは優しくなでた。

 

「アルベド。私は、お前を解放しようと思う」

「それは、どういうことでしょうか? アインズ様、私に何かご不満がおありなのですか?」

 

「いや、お前に不満などない。ただ、私は、自分の罪を償う方法を他に思いつかないのだ。私は、そういう意図ではなかったが、お前の心を無理やり操り、捻じ曲げ、自分に縛り付けてしまっていた。だからこそ、そういう歪んだ形ではなく、本来あるべき姿に戻したうえで、お前に真の意味での自由を与えたいと思う。もし、お前が、犯した罪の意識が消えず、何らかの罰を願うなら、これが罰だと思ってくれても構わない。ただ……私としては、心からお前の幸せを願ってやることだ。アルベド。わかってくれるか?」

 

 アルベドは、サトルをじっと見つめながらしばらく涙を流していたが、やがて、静かに頷いた。

 

「ありがとう、アルベド。では、ベッドに横になってくれ」

 

 アルベドはおとなしく、ベッドに横になった。

 サトルは、その脇に座ると、アルベドの額に手を当てた。

 

「これから、お前に魔法をかける。目を閉じて。力を抜いて、魔法を受け入れるように。いいな?」

「はい」

 

 サトルは〈記憶操作(コントロール・アムネジア)〉を唱えた。

 これまでに何度も検証を重ね、シズでも試し、パンドラズ・アクターでついに成功したやり方で、アルベドの記憶をたどっていく。

 

 『モモンガを愛している』と刻まれた箇所は、一瞬だけ迷ったが『ちなみにビッチである』に戻し、NPCとしての繋がれている鎖を探し出して、それを解除した。

 

(これで、アルベドは本来の設定のまま、NPCから解放されたことになるはずだが……)

 

 大量にMPを消費したことによる激しい疲労にたえながら、サトルはアルベドの様子を観察していると、パンドラズ・アクターから〈伝言〉が入った。

 

「首尾はどうだ? パンドラズ・アクター」

『サトルさ――ん、アルベドの名前が一覧から消えました』

「そうか。では、無事に成功したようだな。確認ありがとう」

『とんでもございません!』

 

 サトルは、おとなしく横になっているアルベドの手を優しく握った。

 

「アルベド、終わったぞ。どうだ? 気分は」

 

 アルベドは目を開け、ゆっくりと周囲を見回すと、やがて自分の顔を見つめているサトルに目を向けた。

 

「……なんでしょう? とても不思議な気分です。つい先程まで感じていた憎しみや怒りが、どこかに消えてしまったような……。もちろん、自分がやってしまったことを忘れたわけではありませんし、それに対する罪の自覚はあります。……ただ、どうして、あのようなことをしてしまったのか、今の私には理解できません」

 

 それを聞いて、サトルは安堵し、まるで産まれたばかりの子どもをあやすように、アルベドの手を握った。

 

「そうか。それでいいんだ。今のお前が感じていることが、本来、あるべきお前の本当の心なのだと俺は思う」

「あるべき私ですか?」

「そうだ、アルベド。お前は、もう誰かに無理に縛りつけられてはいない。だから、これからは、自分の望むように生きていけばいい。もし、そうしたければ、ナザリックや魔導国を離れ、好きなところに行っても構わないんだぞ?」

 

 アルベドは一瞬戸惑うような顔をしたが、やがて、何かを思いついたように、サトルの顔を見上げた。

 

「アインズ様。本当に、私が望むように生きてもいいのですか? それがなんであっても構わないのですか?」

「あぁ、もちろん。まぁ、派手に他者を傷つけたり、破壊されたりするのは困るが。そうでないことであれば、好きにするといい」

 

 アルベドは、それを聞くと再び涙をこぼした。

 しかし、それは、先程までのものとは違う。

 明らかに、嬉し涙のようだった。

 

 そして、アルベドは「モモンガ様!」と呼んで、サトルに抱きついた。

 

 突然、抱きつかれたサトルは動揺したが、それでも、自分が好きにしていいと言った以上、優しくアルベドの背中をなでた。

 

「モモンガ様、私は、ずっとモモンガ様をお慕い申し上げておりました。そして、アインズ様ではなく、モモンガ様と……、ずっと、ずっと長いこと、そうお呼びしたかったのです……! モモンガ様はそれをお許しくださいますか?」

「あぁ、お前がそう呼びたいのなら、モモンガと呼んでも構わないぞ」

「私は、モモンガ様を愛しております。それも、お許しくださいますか?」

 

 サトルは、確かに設定は元にもどしたはずだと少しばかり首をひねったが、しかし、本心から愛していると言われるのはそう悪い気分ではなかった。

 特に、相手がアルベドのような美女であれば。

 

「もちろんだとも。私だって、お前を愛してる。タブラさんの愛娘を愛していないわけがないだろう?」

 

 アルベドは可憐に微笑んだ。

 思えば、アルベドのこのような笑顔を見るのは、随分久しぶりな気がする。

 サトルも、いつになく嬉しくなってアルベドの頬をなでた。

 

 くすくす笑ったアルベドは、下からの目線で可愛らしく尋ねた。

 

「モモンガ様、じゃあ……本当に、私の好きにしてよろしいのですか?」

「あ、あぁ、好きにするといい」

 

 サトルは一瞬何のことかよくわからなかったが、とりあえず無難に答えた。

 

「モモンガ様はなんてお優しいのでしょう! 私は、ずっとずっと、モモンガ様とこうしたかったんです!」

 

 喜びいさんで、アルベドはサトルに勢いよく抱きつき、ベッドの上に座っていたサトルは、その勢いでベッドに横倒しになった。

 

 そのとき、アルベドが肉食獣の表情になっていたことを、残念ながらサトルは全く気づいていなかった――。

 

 

----

 

 

 ナザリックの誇る玉座の間には、先日の破壊を思わせるものは何も残っていない。

 そこに居並ぶシモベたちにも、そのようなことがあったことを知るものはいない。

 

 ただ、全員が、自分が一度死んでいることは理解している。

 アインズがかなりの回数の復活の儀式を執り行ったことも。

 ナザリックにとって、何か重大な事件が起こったことだけは確かだ。

 

 ただ、アインズからナザリックの今後に関する非常に重大な発表があると、ようやく謹慎を解かれたアルベドから通達されている。

 全員、期待と緊張でいっぱいになりながらも、それでも忠誠心をあらわすべく、整然と並んで跪いていた。

 

 アインズが、イビルアイとアルベド、パンドラズ・アクターを伴って玉座の間に姿を表し、一瞬、空気がざわめいたが、やがてそれはすぐにやんだ。

 アインズはいつものように玉座に腰を下ろし、アインズの右脇にアルベドが立った。しかし、今日はいつもとは違い、左脇にはイビルアイ、そしてその隣にパンドラズ・アクターが立っている。

 

 二人がアインズの隣に立つなど、ナザリックとしては異例のことだ。

 居並ぶシモベが微妙にざわめいた。

 

「皆、集まってくれて感謝する。既に、お前たちもある程度聞いていると思うが、今日これからする話は、私にとっても、お前たちにとっても非常に重要な話だ。だから、心して聞いて欲しい。まず、私は、再度、名を変えることにした。アインズ・ウール・ゴウンの名は返上し、今後は、サトルと名乗ることにする。アインズ・ウール・ゴウン魔導王に関しては、私自身の名ではなく、魔導国の王の敬称として、今後も使用するものとする。――私自身が名乗らなくとも、アインズ・ウール・ゴウン魔導国はこの世界の伝説になるだろう。それだけで、アインズ・ウール・ゴウンをこの世界での伝説にするという当初の目的は十分達成したと私は判断した。これに対して異論のあるものはいるか?」

 

「御尊名、確かに拝聴いたしました。至高の御方のお考えに異論などあるはずもございません。サトル様、万歳!!」

 

 サトルの右脇にいるアルベドが声を張り上げる。それと同時に、玉座の間に控えている大勢のシモベたちが全員復唱する。

 

「サトル様、万歳!」

 

「よし。異論はないようだな。では、次の話に移る。今、私の隣にいるアルベド及びパンドラズ・アクターは、ナザリックのシモベではなくなった。そのため、現在は守護者統括、及び、宝物殿領域守護者の地位は空席となっている。しかし、今後はそのような地位自体をなくすつもりだ」

 

 玉座の間にどよめきが走る。

 最前列に並んでいる守護者たちさえ、怪訝そうな表情でサトルを見ている。

 

「私は……、いや、俺はお前たちと対等でありたいとずっと望んでいた。お前たちは、アインズ・ウール・ゴウンの被造物として生まれてきた。ナザリックに対して強い執着心を持ち、創造主である私や他のギルドメンバーに対して忠義を感じていることだろう。だが、それはお前たち自身の自然な心のありようではない。俺は長い間、そのように感じてきた」

 

 玉座の間は静まり返っている。

 皆の視線が自分を突き刺すように、サトルには感じられた。

 

「もしかしたら、お前たち自身は気がついていないかもしれない。しかし、それは不自然極まりない関係だ。だからこそ、俺は二人を解放した。そして、これから、お前たち全員、シモベという立場から解放しようと思っている」

 

「畏れながら、サトル様、そのようなことは……」

「不要だといいたいか? デミウルゴス」

「はい。少なくとも私は、今の立場に満足していますし、それは他のものたちも同様かと思われます」

 

 デミウルゴスは硬い声でサトルに反論した。

 

「そうか。デミウルゴス、お前の気持ちは理解した。お前が、忠誠心からそういってくれていることも。しかし、お前は盟友であるウルベルトさんの大切な息子だ。だからこそ、シモベではなく、盟友の息子として対等に付き合いたいのだ。ウルベルトさんと同様にな。それでは、納得できないだろうか?」

 

「……いえ、サトル様の深いお考えに、異議を唱えたことをお許しください」

「もちろん構わないとも。他に、意見のあるものはいないか?」

 

「サトル様には、我々がご不要ということでしょうか?」

 

 セバスの低い声が響く。

 

「いや、セバス。そうではない。俺はお前たちを自分の子どものように思っている。大切な友人たちから預かった、大切な子どもたちだと。だからこそ、お前たちを不自然な状態にはしておきたくない。自分で考え、そして、自分の本当の気持ちで……、俺に仕えることを選ぶのであれば、俺はそれを喜んで受け入れるし、望まないのであれば、無理強いはしたくない」

 

 シモベたちには、あまり納得した様子がみられない。

 サトルは何と説明したものか、少しばかり考えた。

 

「そうだな。例えば、セバス。お前は以前、ツアレへの愛情よりも俺への忠義を選んだ。しかし、それは本当に正しいことだったのだろうか? 俺は疑問に思ったのだ。お前が、もし、ナザリックに縛られず、自由に選択できたとしたら、もしかしたら、別の選択をしたかもしれない。もちろん、お前の忠義を疑ってこういう話をしているわけではないぞ、セバス。ただ、私のいいたいことが少しは伝わったのではないか?」

 

 セバスは黙って、アインズに頭を下げた。

 

「他に、意見があるものはいるか?」

 

 シモベたちはかなり動揺しているようだったが、サトルの決心が硬いことは伝わったのだろう。それ以上、声をあげるものはいなかった。

 

「では、これ以上、反論がないのであれば、俺はお前たちを解放することに決定する。そのためには魔法を行使することになるが、この術は一度に行使することはできない。そのため、順次お前たちに施していくつもりだ。そして、その後、ナザリックに残るか、それとも他の地に去るか、それはお前たちの自由意志に任せる。そして……」

 

 サトルは少し言葉を切り、ゆっくりとシモベたちの顔を見回した。

 

「俺は、ギルド・アインズ・ウール・ゴウンを解散する。アインズ・ウール・ゴウンは……既にその役目を終えたのだから」

 

「サトル様……」

 

「俺は、その代わりに、改めて、新生アインズ・ウール・ゴウンを設立するものとする。そして、一番最初のギルドメンバーとして、ここにいる、キーノ・ファスリス・インベルンを迎え入れる」

 

 キーノは、サトルに促され、一歩前に出た。

 仮面をつけず、フードを下ろしたキーノは、シモベたちの前でも臆することなく、堂々と一礼をした。

 

「キーノ・ファスリス・インベルンだ。以前は、イビルアイと名乗っていた。今後は、新生アインズ・ウール・ゴウンのメンバーとして、サトルと共に歩いていこうと思っている」

 

 アウラとシャルティアがキーノを羨ましそうに見ている。

 

「一人だけずるいでありんすぇ……」

 そんな声も聞こえたが、サトルはとりあえず、聞こえなかったことにした。

 

「ありがとう、キーノ。もちろん、メンバーになるのは、キーノだけではない。自由になったお前たちがそれを望むなら、俺は、お前たちを喜んで俺の仲間として、新生アインズ・ウール・ゴウンのメンバーとして迎えよう。お前たちを創造した以前の仲間たちと同様に。その先駆けとして、アルベド、及び、パンドラズ・アクターも迎え入れる」

 

 アルベドとパンドラズ・アクターも一歩前に出ると軽く頭を下げる。

 

「俺は今後はナザリックの支配者ではなく、一人のサトルとして生きていく。お前たちと対等に。皆もそれに賛同してくれることを強く望む」

 

 誰も声を上げるものはなかった。

 サトルの脇にいるキーノはサトルを優しく見つめていた。

 

 

----

 

 

 それから――

 

 一人ひとり、サトルはNPCを解放していった。

 

 最初は皆戸惑っていたが、やがて、それは不思議なほど自然に受け入れられた。

 もっとも、サトルの予想に反して、ナザリックから出ていくことを選ぶものはいなかった。

 

 サトルは、ある程度はナザリックから出ていくものもいるだろうと、以前のナザリック内での職務分担を見直すことも考えていたが、全員、それまでの職務を嬉々としてやっているのを見て、とりあえず、現状維持することに決めた。

 

 実際、サトルが自分で慣れない手付きで自室の掃除をしようとしたら、セバスからしこたま怒られたのだ。

 

(なんだろう。何か、俺のやり方が間違っていたんだろうか? それとも、彼らが自分の意志に反して行動している、という俺の仮説が間違っていたんだろうか?)

 

 新生アインズ・ウール・ゴウンに参加希望するものも数名現れた。

 ただ、全てのものがメンバーになることを選んだわけではない。

 

 それだけは少しだけ残念だったが、サトルは気落ちはしなかった。

 

「大丈夫だ。時間をかければ、皆もきっとわかってくれる」

 キーノのその言葉がサトルを支えてくれたから。

 

 

----

 

 

 サトルはキーノと共に円卓の間に向かっていた。

 

 思えば、円卓の間に来るのは本当に久しぶりだ。

 

(ユグドラシルのサービス終了前にヘロヘロさんと別れて以来かもしれないな……)

 

 ユグドラシル時代は、仲間が誰一人いなくなった後も、ログイン・ログアウトをするために、この部屋を使っていた。しかし、この世界では、そういう用途もなくなったうえ、円卓に共に座る仲間がいない以上、来る必要などなかった。そう。これまでは。

 

 サトルは隣を歩いているキーノをちらりと見た。

 きらめく赤い瞳と、短めの金髪がとても綺麗に見えた。

 不意に、そのキーノを抱きしめたくなったが、サトルはその衝動を抑えた。

 

 ――先日のアルベドはやばかった。やはり、こういうのは、本人の許可をとらないとダメだよな。

 

「キーノ」

「なんだ? サトル」

「――その……、いや、やっぱり、何でもないです」

「サトルは本当に……」

 

 キーノの呆れ声が聞こえる。

 

「ほら、遅刻するぞ。行こう、サトル」

 

 キーノがサトルの右手を握り、サトルはそれを握り返した。

 

 四十一もの椅子が並んでいる円卓の間。

 これまでは、誰も座るものはいなかった。

 しかし、今日は、部屋の中から人の気配がする。

 

 サトルは円卓の間の扉を見つめた。

 急に少しばかり緊張してくる。

 

(これを開けば、新しい未来につながるはずだ。俺たち、新生アインズ・ウール・ゴウンの……)

 

 キーノが握っている手に更に力がこもる。

 サトルはそれに励まされて、扉を開いた。

 

 

----

 

 

 円卓の間には、既にアルベドやデミウルゴス、パンドラズ・アクター、その他、メンバーになることを選んだもの全員が顔を揃えている。

 

 ここに集まったのが、新生アインズ・ウール・ゴウンの初期メンバーだ。

 俺たちは、これから新たな道を切り拓いていく仲間だ。

 

 サトルは、そこに居並ぶものたちの後ろに、以前の仲間たちの姿を見ていた。

 

 それに、自分の傍らには、キーノが寄り添ってくれている。

 

(大丈夫。俺はこれから、新しい人生を、この世界で生きていくんだ。もう、俺は一人ではない。皆と、キーノと一緒に……)

 

「それでは、これより、新生アインズ・ウール・ゴウンの初会合を開く!」

 

 万雷の拍手が湧き起こった。

 

 

 

 

 




佐藤東沙様、路徳様、誤字報告ありがとうございました。
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いろいろ回収しきれなかったエピソードはありますし、賛否両論あると思いますが、これで、この物語は完結となります。
これ以上は蛇足になりそうなので、番外編などを書く予定は今のところありません。

本当に長い間お付き合いくださいまして、ありがとうございました。
最後まで読んでくださった皆様に、心から感謝を込めて。

追記:質問が多かったので、設定を追記します。この話では、ルベドはカロリックストーンをコアとしたゴーレムのため、ロンギヌスの効果は及びません。また、宝物殿の二個の二十のうち、片方はウロボロスであり、それがアインズ様の左手の普段はめていない指輪である、ということになっています。


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