PvP+N《完結》 (皇帝ペンギン)
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第1話

「……は?」

 

 シャルティア・ブラッドフォールンは思わず間の抜けた声を上げた。視線の先には真祖(トゥルーヴァンパイア)たる自身の右の(かいな)。勢い良く振るい敵に叩きつけたはずのそれは肩口から鋭利に切り裂かれ、宙を舞っていた。鮮血が噴出す。神聖属性のためか、灼けるような痛みが走るも意に介さず、シャルティアは紅蓮に染まった双眸を極限まで見開いた。

 眼前には()()()の男女。それまで先頭にいたリーダーらしき長髪の男を守るような形で、白い全身鎧(フルプレート)の男がグレートソードをこちらに向けている。侮っていた。長髪の男以外、雑魚だと決め付けていた。〈気配遮断〉の特殊技術(スキル)か装備、はたまたマジックアイテムか。いずれにせよ、数瞬前まで最後尾に位置し、奇妙な服を着た老婆の傍らに控えていたはずの全身鎧(フルプレート)が信じられない速度で距離を詰め、シャルティアの右腕を奪ったのだ。

 

「ああぁぁあああぁああ!!」

 

 シャルティアを激昂させるにはその事実だけで充分だった。

 巫山戯るな巫山戯るな。赦せない、赦せるはずがない。至高の御方に創造されたこの身が、守護者最強たるこのわたしが――

 

「――下等な人間如きにいいぃいいいいい!!!」

 

 殺意と呪詛とを撒き散らしながらシャルティアはもう止まらない。〈時間逆行〉の特殊技術(スキル)により右腕を修復、その手には神話級アイテム(スポイトランス)。さらに真紅の鎧を纏いて完全武装。その姿はワルキューレを彷彿とさせた。

 天使のような翼を翻し、突貫。大地の爆発を置き去り、必殺の一撃を全身鎧(フルプレート)目掛け放つ。大気が絶叫した。

 百レベルであるシャルティアの全身全霊を込めた槍突撃(ランス・チャージ)だ。例え同格の守護者達であっても只ではすまない。完全に受けきる事ができるのは至高の御方々か、防御に特殊技術(スキル)を特化させたアルベドくらいであろう。

ましてや脆弱なこの世界の人間如きではなおさらである。原型すら留めず消滅していても何ら不思議ではない。そう、思っていた。

 

 キィン、と甲高い悲鳴のような金属音が響く。

 

「なっ……」

 

 ならばこの光景はなんだ? スポイトランスの穂先が、全身鎧(フルプレート)の心臓を穿つはずだったそれは、男の繰り出したグレートソードの(きっさき)と拮抗していた。シャルティアの瞳が初めて動揺に揺らぐ。

 ある程度実力差があれば可能であろう。先刻、賊のアジトを襲撃した際、雑魚と戯れたシャルティア自身のように。あの時、シャルティアは雑魚の刀を指で摘み上げて見せた。では自分とこの全身鎧(フルプレート)にそこまでの技量差があるのか。否、ありえない。

内に湧いた疑念を払拭すべく五月雨の如くスポイトランスを穿つ。対して全身鎧(フルプレート)はシャルティアの猛攻を流れるような動作で軽やかに躱し、往なし、あるいは斬り払った。

 

「クソが……!!」

 

 当たらない。飛び散る飛沫を浴びながらシャルティアは盛大に毒突く。傍目には拮抗してるかにみえる攻防、だが全身鎧(フルプレート)の僅かな間隙を縫う激烈な一撃が、彼女の真紅の鎧をそれとは違う赤で染め上げた。これが返り血ならば、嗜虐的な笑みを浮かべ悦に浸るところだが、残念ながら全てシャルティアのものである。

対してシャルティアの獲物は只の一度も相手を捉えるに至らず、スポイトランスはその役目を果たせずにいた。

 

「ぐぅ……これでも――喰らえ!!」

 

 業を煮やしたシャルティアは互いの武器が弾け合う反動を利用し宙返り、そのままの勢いで空へ躍り出る。そして一定の間合いを取ると特殊技術(スキル)を発動した。左腕を振り被る動作に合わせ、掌に光が収束する。やがて白銀の輝きが巨大な槍を形成した。清浄投擲槍――MPを消費する事で必中の追加効果がある神聖属性の槍だ。槍は光の尾を煌めかせ一直線に全身鎧(フルプレート)へと迫る。

 

「……」

 

 対して男は獲物を振りかぶる動作をみせるも中断、瞬時に左手の盾を構え半身となった。

 

 直撃。

 

 清浄投擲槍は盾ごと籠手を易々と貫き、全身鎧(フルプレート)の左腕に真紅の花を咲かせた。

 

(やった! これなら――)

 

 シャルティアは口元を釣り上げる。やはり先刻までのは何かの間違いだったのだ。人間如きに自分がやり込められる筈もない。そう気を良くしたシャルティアが追撃をかけようと、今一度光の槍を召喚しようと手を翳しーー

 

 眼前に迫る鉄塊。

 

 それが男が投擲した盾だと気づくのと、スポイトランスを横薙ぎに振るったのはほぼ同時だった。鈍い音と共に開けた視界、その先に男の姿はなく。

 

「っ!?」

 

 ゾクリ、と全身の毛が粟立つ。嫌な気配に突き動かされるまま、シャルティアは己が身を星幽界(アストラル)体へと変貌させた。

 

 閃光が走る。

 

 神聖属性の輝きを携えたグレートソードが、数瞬前までシャルティアがいた空間を斬り裂いたのだ。あらゆる物理干渉無効のミストフォームでなければ致命傷を負っていたかもしれない。誇りを傷つけられた彼女が激昂する間も無く、追撃が迫る。返す刃が鈍色に輝き、星幽界(アストラル)体のシャルティアを襲わんとし、

 

「あぁああ、煩わしい!!」

 

 赤黒い衝撃波がシャルティアを中心に放射状に迸り、男を弾き飛ばした。不浄衝撃盾――攻防一体の特殊技術(スキル)により彼女は窮地を脱す。

 

「――ここだ!! 〈魔法最強化(マキシマイズマジック)朱の新星(ヴァーミリオンノヴァ)〉!!」

 

 僅かに体勢を崩す全身鎧(フルプレート)に地獄の業火を叩き込む。煉獄の炎が男の全身を覆い尽くした。脆弱な人間如きにしては良くやった方だが、あれではひとたまりもあるまい。

 

「あははは! 〈魔法最強化(マキシマイズマジック)生命力持続回復(リジェネート)〉」

 

 嘲るように嗤い、シャルティアは傷を癒しながら眼下の男女を見下ろした。

 

(……一番強いのは始末した。なら残りで注意しなければならないのはあの長髪の男? それとも奇妙な服の老婆か)

 

 どのみちこの人間共を捕らえれば、全ての失態が帳消しになった上に釣りまでくるのだ。哀れな家畜たちを値踏みする。シャルティは口元を凶悪に釣り上げ、〈集団全種族捕縛(マス・ホールド・スピーシーズ)〉を唱えようとして、

 

「いいのか? 余所見をして」

 

 みすぼらしい槍を構えもせず、長髪の男は事もなげに敵であるはずの彼女に告げた。

 

「はあ? 何を言って――」

 

 言葉を最後まで発せなかった。唇を濡らす滑りが甘美な血の味だと気づいたときにはもう遅い。首という蓋を失った身体から噴水の如く噴出す鮮血。

 

「ぐ……がっ……」

 

 〈時間逆行〉の特殊技術(スキル)を発動、間一髪命を繋いだシャルティアは首を庇いながら振り返る。はたして、全身鎧(フルプレート)の男は健在であった。否、その様を健在と言ってもよいものであろうか。ぶすぶすと鼻をつく焼け焦げた臭いに漂う黒煙、所々意匠が溶け落ち最早純白とは程遠い鎧。おそらく中身は二目と見れぬ有様であろう。

 男のあまりの惨状とは裏腹に、今さっき振りおろされたばかりの剣は、決して折れぬと意志を示してるかのようであった。シャルティアはほとんど反射的に〈生命の清髄(ライフ・エッセンス)〉を使用し、そして驚愕に目を剥いた。鎧の損傷具合とシャルティアの予想に反比例し、男はほぼ無傷だったのだ。加えてそのHP(体力)量は、シャルティアを遥かに凌駕していた。

 

(こいつ……私よりも……)

 

 HP(体力)、物理攻撃、物理防御、素早さ、魔法防御――MP(魔力)や魔法攻撃こそ定かではないが、戦闘に必須なほぼ全ての要素において、守護者最強を自負するシャルティアを上回るかもしれぬ存在。シャルティアの脳裏に初めて撤退の文字が過ぎる。

 上位転移(グレーター・テレポーテーション)を唱え転移門(ゲート)を開けば、今ならまだ撤退できるかもしれない。しかし初任務で無様に敗走など。栄えあるナザリックに敗北はありえない。いや、アンデッドであるシャルティアにとって死など恐るるに足らない。それよりも恐ろしいのは、

 

『お前には失望したぞ』

 

 最後にただ一人残った御方が自分に失望し、ペロロンチーノと同じ〝りある〟に去ってしまう事。

 

 嫌だ嫌だ嫌だ――シャルティアの慟哭が響き渡る。その様は親と逸れ泣きじゃくる幼な子にも似ていた。魂の叫びに呼応するように白い光が人型を形成し、やがて、シャルティアと瓜ふたつになる。死せる勇者の魂(エインヘリヤル)――シャルティア最大にして最後の切り札。特殊技術(スキル)やMPこそないが身体能力はシャルティア其の物。さらには鼠、蝙蝠、狼等、無数の眷族達をあらん限り召喚し、全身鎧(フルプレート)へ向け強襲させ、とどめと言わんばかりに<第十階位怪物召喚(サモン・モンスター・10th)>を詠唱した。

 

「ああぁあああぁあああ!!」

 

 シャルティアが選んだのは数の暴力による圧殺。まとわりつかせた眷族たち、高レベルモンスター、そして二人の百レベルの全身全霊をかけた槍突撃(ランス・チャージ)。その全てがたった一人の男目掛け放たれた。

 

 

「おお……何という」

「これ程とは……」

 

 全身鎧(フルプレート)の男を除く十二人の男女――漆黒聖典の一団は固唾を飲んで戦況を見守っていた。いや、呆然と見ていることしかできなかった。破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)を討伐、あるいは支配下におくべく出撃した彼らに突如として襲い掛かった未知の吸血鬼(ヴァンパイア)。彼らの窮地を救ったのはスレイン法国最奥に封ぜられていた秘宝。六大神や八欲王にも匹敵するとうたわれるもの。眉唾だったその存在は圧倒的な力でもって吸血鬼(ヴァンパイア)を追い詰めていく。

 まさしくレベルが違う。人間では到達不可能な聞いたこともない高位階位魔法、見たこともない超強力な特殊技術(スキル)を操る吸血鬼(ヴァンパイア)に対し、彼はそのいずれをもたった一振りの剣で薙ぎ払っていった。スレイン法国特殊工作部隊六色聖典中、最強であるはずの漆黒聖典(かれら)が間に入る余地もなく。

 それは神人とよばれる第一席次、漆黒聖典隊長も例外ではなかった。彼ですら視界を縫うように飛び交う影を捕らえるのがやっとである。

 

「カイレ様、あれが……」

「はい、彼の御方こそ六大神が我らに残したもうた人類の希望。その名は――」

 

 隊長の搾り出すような震えた声に、カイレと呼ばれた旗袍(チャイナドレス)――〝傾城傾国(ケイ・セケ・コウク)〟、その実はあの全身鎧(フルプレート)の男と同じく六大神の遺物――を着た老婆はしわがれ声で応えた。

 

 

 男がグレートーソードを最上段に構えた瞬間、彼の背後で爆発が起こる。爆撃地雷(エクスプロードマイン)でも暴発したのだろうか。否、この際どうでもよい。思考の隅に余計な考えを押しやり、死せる勇者の魂(エインヘリヤル)と共にスポイトランスを全身鎧(フルプレート)に穿とうとして、

 

「――え?」

 

シャルティアは見てしまった。男の背後に爆発と共に宙に浮かぶ四文字を。即ち、〝正義降臨〟を。

 

「〝正義降臨(セエ・ギ・コウリ)〟様――どうか我々をお導き下さいませ」

 

 祈るように紡がれる名。〝正義降臨〟と呼ばれた男はその名を体現すべく、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 



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第2話

「やっぱり格好良いよなー、たっちさんのあれ。正義降臨ってやつ。俺も何か欲しい」

「いや、あれはないわ」

 

 ナザリック地下大墳墓正門神殿部。首尾よく侵入者を水際で撃退したアインズ・ウール・ゴウンのギルドメンバー達。

 猛禽類に酷似した頭部と翼を持つバードマン――〝爆撃の翼王〟ことペロロンチーノと、どう贔屓目にみてもピンク色のアレにしかみえない粘体(スライム)種、指揮官もこなすタンク役〝粘液盾〟――ぶくぶく茶釜。

 他のメンバーがリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンで次々に第九階層の一室――円卓(ラウンドテーブル)へと転移していく中、どういう風の吹きまわしかこの姉弟は一階層の墳墓地帯を歩んでいた。侵入者を惑わす地下迷宮も彼らにとっては庭も同然だ。最適解のルートですいすいと進んで行く。

 

「なあ、シャルティアもそう思うだろ?」

 

 第三階層、転移門(ゲート)の辺りまで来たペロロンチーノは門の側に控え臣下の礼をとっていたシャルティアに話しかけた。

 

(何のことかわかりんせんが、ペロロンチーノ様がおっしゃるなら絶対正しいでありんす)

 

「いいえ、全然全くこれっぽっちも思わないで、あ、り、ん、す♥︎」

 

(ぶくぶく茶釜様!?)

 

 シャルティアの気持ちとは裏腹に、ぶくぶく茶釜が舌ったらずな猫なで声で勝手なアフレコをしてしまう。

 

「げえ、やめろよ姉貴! シャルティアが穢れるだろ!」

「は? どういう意味だコラ」

 

「おや? どうしたんですかお二人とも。こんなところで」

「皆さんもう円卓(ラウンドテーブル)でお待ちですよー」

 

 一触即発な空気を爽快に破壊してくれたのは〝純銀の聖騎士〟たっち・みーと〝死の支配者(オーバーロード)〟でありギルド長でもあるモモンガだった。二人は帰還の遅い姉弟を迎えに来たのだ。

 

「丁度良いところに。聞いてくださいよたっちさん、モモンガさん。姉貴がたっちさんの降臨エフェクトを――」

「――黙れ弟。貴様のベッド下のコレクションをバラされたいのか?」

「な、何故それを!? やっぱり何でもないですごめんなさい」

 

 土下座せんばかりの勢いで狼狽えるペロロンチーノ、それを踏ん反り返って睨みつけるぶくぶく茶釜。背後に降臨エフェクトを遊ばせ、これがどうかしたのかと首を捻るたっち・みーに、困り顔のアイコンで返すモモンガ。在りし日の至高の御方々のお姿。

 

「あ……あぁ……」

 

 気がつけば頬を透明な雫が伝っていた。シャルティアは思わず手を伸ばす。されど虚空を惑う手は何も掴めず、掴む者もおらず。それは今際の際の幻か。

 死せる勇者の魂(エインヘリヤル)や眷属たちが滅びる中、造物主(ペロロンチーノ)の持たせてくれた蘇生アイテムのおかげで彼女はただ一人生き残った。否、生き残ってしまった。スポイトランスを杖代わりに辛うじて立ち上がる。

 HP(体力)は全快だし、清浄投擲槍や不浄衝撃盾といった強力な特殊技術(スキル)もまだ使用回数は残っている。にも関わらず最早シャルティアに戦意はなかった。自分は一体誰と戦っていたのだろうか。わからない、わからない、わからない……

 混迷を極めた精神は崩壊寸前だった。ずたぼろになった魂は救いを求め、夢幻に手を伸ばし続ける。しかし星空の輝きに手が届くはずもなく。やがて終わりを告げる時が来た。

 

「たっ……ち……み……ま」

 

 目の前の相手が至高の御方と重なる。シャルティアにはもう夢か現かわからない。

 

「……」

 

 正義降臨と呼ばれた男はただ黙ってシャルティアを見据えていた。面頬付き兜(クローズド・ヘルム)の下に隠された表情はその一切を伺えない。最後の瞬間までついに言の葉を交わすことなく、神聖属性の輝きがシャルティア目掛け振り下ろされた。

 

 

 ・

 

 

 ナザリック地下大墳墓最奥――玉座の間を沈黙が支配していた。シャルティアの嗚咽がやけに大きく響く。いや、すすり泣く声は彼女だけのものではない。アウラは目尻に涙を溜め、マーレは瞳を赤く腫らしていた。デミウルゴスは眼鏡を外しハンカチで宝石の眼を拭い、コキュートスがカチカチと悲しげに顎を鳴らす。そしてアルベドは顔を伏せていた。黒檀のような髪で隠されてるがおそらく涙を堪えてるのであろう。

 戦闘メイド(プレアデス)達も様々であるが皆、一様に悲しみにくれていた。当然であろう。任務とは言え、知らずに彼らが至高の存在と呼ぶ御方――真偽はどうであれ――と交戦してしまったのだから。

 対して、絶対の支配者であるアインズ・ウール・ゴウンは、シャルティアの話を聞きながら茫然自失としていた。憤怒、悲哀、困惑、郷愁、憎悪など多種多様な感情が入り混じり、限界に達し、強制沈静されるのを繰り返しながら。

 

(何故こんなことに……)

 

 アインズはほんの数時間前の記憶を反芻する。アルベドから届いた一通の<伝言(メッセージ)>が全ての始まりだった。

 

 

『――アインズ様。シャルティア・ブラッドフォールンが何者かに殺害されました』

「……は?」

 

 エ・ランテル近郊の墓地で起きたアンデッド大量発生事件を見事解決させた冒険者モモン――つまるところアインズは、あまりにも予想外な<伝言(メッセージ)>に思わず素に戻り間の抜けた声を上げてしまう。即刻ナザリックに転移し、玉座の間で確認を取ると、確かにコンソールパネルからシャルティア・ブラッドフォールンの名が消え失せていた。

 

(よくもやってくれたな――!!)

 

 NPCはかつての仲間達が残してくれた、言わば彼らの子ども同然だ。その存在を傷つけられ、あまつさえ殺されて黙っていられるはずがない。刹那に湧き上がった憤怒と憎悪とは如何程であろうか。冷静になるまでに幾度なく精神沈静を余儀なくされた。すぐさま精鋭部隊を編成し、必ず借りを返してやると守護者達と息巻き、まずは情報収集とばかりにシャルティアを蘇生させた。

 そして、語られたのは想像を遥かに上回る悲劇。至高の存在(たっち・みー)との不幸な遭遇戦。

 

「ア゛イ゛ンズざま゛……ぐすっ……申し訳……も゛うじわげないでず。わ、わだしは……ヒック……どりがえじのづかないごどを」

「シャルティア! もういいよ、大丈夫だから! ね?」

「アウ゛ラ……?」

 

 一糸纏わぬ肢体に与えた黒マントだけの姿のシャルティアは涙と鼻水でぐしゃぐしゃだった。そんな彼女に気の利いた台詞ひとつ言えず、自身の感情すら持て余し気味のアインズが二の句を告げずにいると、アウラが先んじて行動を起こした。シャルティアをあやす様に抱き締め、頭を撫でてあげている。普段の犬猿の仲からは想像だにしない、まるで本当の姉妹のような光景だった。

 

「アインズ様! シャルティアはとても疲れているみたいです。部屋で休ませたいのですがよろしいでしょうか?」

「……う、む」

「アウラ様、私もお手伝いします。シャルティア様、こちらへ」

 

 アウラに戦闘用メイド(プレアデス)副リーダーのユリ・アルファが続く。二人に伴われ、泣きじゃくるシャルティアは玉座の間を後にした。再び静寂が訪れる。

 

「――アインズ様、よろしいでしょうか?」

 

 しばしの静寂の後、口火を切ったのは今まで沈黙を守っていたアルベドだった。

 

「早急に討伐隊を編成する必要があると愚考いたします。つきましてはあの娘(ルベド)の起動を許可いただければ」

「なっ……正気ですかアルベド!? 彼女を起動するなど」

「たっち・みー様ヲ滅ボソウトイウノカ? ソレハ不敬ナ考エダ」

 

 アルベドの提案にデミウルゴスとコキュートスは真っ向から反論する。

 

「ではどうすると言うの! たっち・みー様は強いわ。私達守護者はもちろん、第八階層のあれらを総動員しなければ勝てない!」

「何故そのような発想の飛躍をするのですか! 貴方らしくもない! まずは事の真偽を確かめるべきでしょう?」

「あの、その……喧嘩は良くない……です」

 

 喧々囂々と飛び交う守護者達の怒号を、アインズはどこか現実味がなく遠くに聞いていた。眼窩に灯る赤い光が天井から釣り下がる四十の旗、そのうちの一つを捉えた瞬間、激しく燃え上がる。そしてついにアインズの激情が精神抑制を超えた。

 

「くはははははは!! あはははははは!! あはははははは!! あははははは!! は、はは……」

 

『あ、アインズ……様?』

 

 ダムが決壊したかのような感情の奔流、アインズは狂ったように嗤い続けた。今まで見たこともない主の狂気じみた姿に、守護者達は驚愕のあまり凍りつく。

 

「糞が!! 糞が糞が糞がぁあああああああ!! ――俺を、俺達を見捨てただけじゃなく!! 裏切った!? 裏切ったのかあああぁあああ!!!?」

 

 口を飛び出すのは地獄の怨嗟、呪詛の声。握り締めたスタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンから迸る七色の光。ギルド武器により強化された漆黒よりなお暗い<絶望のオーラⅤ>が嵐のように玉座の間に吹き荒れる。押しつぶされそうな重圧が守護者達を襲った。

 

「アインズ様……どうか、どうかお怒りをお鎮め下さい……」

「アイ……ンズ……さ、ま」

 

 怯えた様子の守護者達に、されど彼の支配者は気づかない。

 

「いや……俺より早く転移していた? 待てよ……裏切ったのではなく脅迫されているとしたら……もしくは精神支配……彼の種族自体は完全耐性を持っていない……しかし装備次第でどうとでも……いや、彼の最強装備はアヴァターラに……まさか世界級(ワールド)アイテムが? ――あ」

 

 繰り返される精神安定に徐々にアインズは冷静さを取り戻す。ブツブツと独り言のように思考を回転させていたがようやく周りが見えてきた。苦しげな守護者達が視界に飛び込み、慌てて特殊技術(スキル)を解除する。

 

「すまない……私は支配者失格だな」

 

 自分のしてしまった過ちに気づき、アインズは絶望に暮れよろめきながら掌で顔貌を覆った。守護者達はもちろん、耐性を持たせてるとは言え、レベルで劣る戦闘用メイド(プレアデス)にはさぞや苦痛だったろう。

 

「いえ! そのようなことはございません!」

「むしろアインズ様の反応は当然で御座います」

「そ、そうです! 全然、気にしてませんから」

「マサニ、アインズ様ガ気ニナサル必要ハアリマセン」

 

「本当に、すまない……ひとりにしてくれ」

 

 ぽつりと消え入りそうな声で自嘲気味に呟くと、懸命に擁護しようとする守護者や戦闘メイド(プレアデス)を残し、アインズは何処かに転移していった。

 

 

 ・

 

 漆黒聖典の一団はエ・ランテル近郊から移動し、トブの大森林を進んでいた。謎の吸血鬼(ヴァンパイア)と遭遇するというトラブルに見舞われたが、一同の表情は明るい。鬱蒼と生い茂る道無き道を苦もなく進んでいく。自分たちには六大神の加護がある、正義降臨様がついてると先刻の見事な戦いっぷりを口々に讃えていた。

 嬉しい誤算がもうひとつ。吸血鬼(ヴァンパイア)が所持していた武具を鑑定してみたところ、自分たちの装備品に匹敵――否、ものによっては性能で大きく上回っていたのだ。曰く誰が装備するだの、呪われてそうだの、お前が装備してみろだの。そんな楽しげに談笑する仲間たちから一歩引き、漆黒聖典隊長の視線は正義降臨へ送られていた。彼もまた皆から引いたところで、輪に加わろうとせず一人で佇んでいる。

 

「この場に〝絶死絶命(かのじょ)〟がいなかったのは幸いなのでしょうか。それとも……」

 

 神人として驕り高ぶっていた自分を完膚なきまでに叩きのめし、上には上がいると現実を教えてくれた番外席次。その彼女を以ってしても正義降臨様には届かないだろう。今ごろ祖国でルビキューをつまらなそうに弄ってる彼女を想像し、隊長は外見よりも幼い印象を受ける笑顔を浮かべた。

 

「ふふ、残念でしたね。敗北を知れずに」

 

 尤も法国に帰り次第、正義降臨様の存在を知れば嬉々として挑み掛かるのだろうが――それは自分の預かり知らぬことだ。彼が心の中で合掌していると、草木が枯れきった拓けた場所が見えてきた。何故この一帯だけと疑問は残るが、野営地には最適である。英雄級揃いの漆黒聖典とは言え夜通し歩き続ければ疲労も溜まる。皆各々の武具を下ろし、野営の準備に入った。

 

 そんな彼らを遠巻きに眺める影がひとつ。何処から現れたのか太い木の枝に腰掛け、彼らの様子をじっと観察していた。

 

「――何者だ?」

 

 隊長が油断なく槍を構えると、他の団員達もすぐさま臨戦態勢をとり、カイレを中心に円陣に展開、周囲を油断なく見渡した。

 

「わー、待って待って! 怪しいものじゃないよ!」

 

 観念したように一匹の森精霊(ドライアード)が姿を現した。



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第3話

 NPC達から逃げるように転移した先は宝物殿だった。山のようにうず高く積まれた目の眩むような財の数々には目もくれず。パンドラズ・アクターの長ったらしい挨拶もそこそこに切り上げ、アインズは最奥の霊廟を訪れていた。左右に居並ぶ計三十七体の化身(アヴァターラ)、四の空白。彷徨う足取りはやがて歩を止め、髑髏の眼窩に暗い火が灯った。

 

「たっちさん……本当に俺を裏切ったんですか? それとも……」

 

 見上げた視線の先には一体の化身(アヴァターラ)。胸元に蒼穹の輝きを携えた白銀の全身鎧(フルプレート)、翻す真紅のマントに剣と盾。装備の見事さと不恰好なゴーレムの手足が不思議に調和していた。アインズの脳裏にたっち・みーとの思い出が自然と想起される。

 まだYGGDRASIL(ユグドラシル)をプレイし始め間もない頃、異形種狩りで襲われていた自分を助けてくれたこと。その後、最初の九人(クラン)に誘ってくれたこと。ナザリック地下墳墓を発見し、仲間達と共に攻略したこと。たっち・みーの降臨エフェクトについてぶくぶく茶釜()ペロロンチーノ()の議論に一緒に巻き込まれたこと。どの敵を優先して攻略するか、たっち・みーとウルベルトが言い争っていたこと。全てが皆と過ごした輝かしいアインズ・ウール・ゴウンの日々だ。思えば今日の自分があるのはたっち・みーのおかげと言えるかも知れない。

 しかし今ではもう過去のこと。栄光の日々は過ぎ去り、残るは自分ただ独り。そう、思っていた矢先に起きた謎の異世界転移。そしてこの世界で意志を持ち動き出したNPC達。もう会うことも叶わないかつての仲間達が自分に遺してくれたかけがえのない存在だ。最悪ナザリックを失ったとて、彼らさえ守れればそれでいい。望みはただそれだけだった。

 そのはずなのに突如敵として現われ、愛し子のひとり(シャルティア)を屠ったかつての仲間――よりにもよってたっち・みーが、だ。自分がかつての仲間達にギルド長としてふさわしくないと失格の烙印を押された気持ちで一杯だった。

 

「アインズ様――」

 

 振り返るとパンドラズ・アクターが跪いていた。ピンク色の卵に穴が三つ開いただけの顔だが、その表情はどこか悲しげである。

 

「守護者統括殿から全てお聞きしました。おいたわしやアインズ様――我が創造主よ」

 

 芝居がかった嘆きのポーズに思わず強制的に精神が安定化する。おかげで沈んでいた感情も多少はマシになった。

 

「私が付いております! ご命令とあらば、この身はたとえ至高の存在にすら戦いを挑むでしょう!」

「そ、そうか……お前の忠義に感謝するぞ」

「――感謝など、もったいなきお言葉!!」

 

 長くなりそうな彼の話を聞き流し、アインズは気を取り直す。

 

(そうだ、まだ裏切られたと決まったわけじゃないんだ。だが念には念を入れて……)

 

「パンドラズ・アクター、世界級(ワールド)アイテムをいくつか持ち出すぞ。そしてお前にも働いてもらう――準備をしておけ」

我が神のお望みとあらば(Wenn es meines Gottes Wille)

「……ドイツ語はやめよう、な?」

 

 アインズの乾いた声が霊廟に響いた。

 

 ・

 

「――まずは皆に謝罪を。先ほどはすまなかった」

 

 玉座の前に戻ってきたアインズは忠義の礼をとるNPC達に頭を下げた。

 

「おやめくださいアインズ様!! 御身が頭を下げるなど!」

「アルベドの言うとおりです。アインズ様はこの場に居らっしゃってくださるだけで何者にも勝る価値があります」

「そ、そうですアインズ様!」

「マサニ、皆ノ言ウトオリカト」

 

 慌てふためき弁護してくれる守護者達の思いに、アインズは救われた気がした。改めて感謝を述べようとして、堂々巡りになりそうなので割愛する。

 

「今後の方針を伝える――」

 

 弛緩した雰囲気は瞬時に消え去り、守護者各員は襟を正し膝をついて(こうべ)を垂れた。

 

「まずはたっちさんの真意を問いたい。たとえば何者かに精神支配を受け、あのような不幸が遭ったのか。それとも私に何かしらの不満を抱き、己の意志で反旗を翻したのかを、な」

『――っ!?』

 

 いくつかの可能性を告げた瞬間の守護者達の表情は凄まじかった。御身に不満など。至高の存在を精神支配するなんてそのようなことが。まさか世界級(ワールド)アイテムか。そうだ、きっとそうに違いない。今すぐ討伐隊を編成し、報いを。殺せ、殺せ、殺せ。

 

『――アインズ様、お忙しいところ申し訳ありません。よろしいでしょうか?』

 

 ヒートアップする守護者達の剣幕にどうしたものかと思案していると、念のためエ・ランテルの宿屋に置いてきたナーベラル・ガンマから<伝言(メッセージ)>が入った。冒険者組合からの召集らしい。断ろうとしたが、どうやらエ・ランテル近郊に謎の吸血鬼(ヴァンパイア)が現われた件とのこと。十中八九――いや、確実にシャルティアのことだろう。この件も放置するわけにはいかなかった。すぐに行くと伝えるよう命じ、<伝言(メッセージ)>を切る。

 山積みしていく問題に頭を抱えそうになる時、面通しも兼ねて連れてきたパンドラズ・アクターが目に入った。途端、アインズの脳裏に名案が浮かぶ。

 

「――騒々しい、静かにせよ」

『はっ!! 申し訳ございません!!』

 

 アインズの御前であることを思い出した守護者達は大慌てで平伏する。

 

「よい。ではパンドラズ・アクターよ、お前に命ずる」

「はっ、何なりとご命令下さいませ。我が創造主――アインズ様」

「私の代わりにモモンに扮しナーベラルと合流せよ。そして吸血鬼(ヴァンパイア)の件を上手く誘導し、一切合財がシャルティアと無関係とするのだ」

我が神のおのぞ(Wenn es meines Gottes)――かしこまりました」

 

 一応、改善しようとする努力が感じられたので良しとしよう。アインズはそう結論付け黒歴史から目を逸らす。

 

「マーレ」

「は、はいぃ!」

「エ・ランテル近郊の吸血鬼(ヴァンパイア)がいたとされる地点まで先回りし、待機していろ。もしモモンとナーベ以外の冒険者がついてきたら……わかるな?」

「はい! ぼ、僕……頑張ります!」

 

 一瞬、闇妖精(ダークエルフ)である少年のオッドアイに暗い光が灯るがアインズは気づかない。

 

「可能であればアウラにも一緒に来てもらえ。隠密能力に長けた魔獣が必要になるかもしれん……そういえばシャルティアの様子はどうだ?」

「はい、今は大分落ち着いたご様子でした。もう少し時間をいただければ、こちらに来られるかと」

 

 先に戻っていたユリが説明する。ここにいないということは、アウラはまだシャルティアについているようだ。やはり彼女たちは本当は仲が良いのかもしれない。

 

「よい、無理はさせるな。今のシャルティアは碌に装備もないのだからな――アルベド」

「はっ」

ニグレド(お前の姉)のところに行く、供をしろ」

「かしこまりました……ところでアインズ様、討伐隊編成の件なのですが」

 

 アルベドの金色の瞳がすっと細められる。縦に割れた瞳孔が冷静に獲物に狙いを定めていた。しかし、

 

「ルベドの起動は認めよう……しかしアレの同行は認めん」

「なっ、何故ですか! 今こそあの娘の力が必要な時かと愚考いたしますが!」

「それは、だな……」

 

 言いよどむアインズにアルベドが異議を唱える。困り果てたアインズに助け舟を出したのはデミウルゴスだった。

 

「アインズ様、私は彼女を第八階層に留めておくのに賛成でございます」

「デミウルゴス! 何を言うの! 我々の最大戦力を遊ばせておく気!?」

「やれやれ、普段の貴方なら既に気づいているでしょうに。アインズ様の真の狙いに」

 

「え?」

「ムゥ……」

「――ぇ」

 

 第八階層の対侵入者用決戦兵器とかつての仲間がぶつかり合うのはみたくない――そんな純粋な思いからの戸惑いは、どうやらナザリック一の知恵者に異なる解釈をもたらしたようだ。

 

「なるほど……囮、あるいは陽動ですか」

「ふむ。流石アインズ様御自らが創造されたシモベ。パンドラズ・アクター、君は創造主に似てとても優秀なようだ」

 

 新たな知恵者の出現に満足げに眼鏡を上げるデミウルゴスに、パンドラズ・アクターは軍帽を押さえるポーズで格好良く返した。後方で戦闘メイド(プレアデス)がひとり、シズ・デルタの「うわー」という声が聞こえた気がするが気のせいであろう。

 

「アインズ様、皆にもアインズ様の真意をお伝えした方がよろしいかと」

「う、うむ。ではデミウルゴス、皆に説明するのだ。全てのものが理解できるようにわかりやすく、な」

 

 アインズの言葉にデミウルゴスは胸の前に手をかざし、恭しく応えた。

 

「かしこまりました。いいかね、諸君。アインズ様はこう考えておられるのだ。たっち・みー様率いるあの部隊は囮、あるいは陽動であり――別働隊がいるのでは、と」

『――っ!?』

 

 一部の知恵者を除き、その場の大多数が驚愕のあまり言葉を失う。無論、アインズは精神安定化が発動していた。

 

「そして何かしらの方法でナザリックの場所が既に特定されているとしたら? 我々守護者が出払った隙を狙われたら目も当てられないからね。万一に備え、最大の防衛力を誇る第八階層の最強戦力は残しておく方が賢明なのだよ。その上……」

 

 饒舌なデミウルゴスの弁が止まり、アインズの方に向き直る。冷静沈着な彼にしては珍しく歯切れが悪く、その表情もどこか曇っていた。まるでこの先を言いたくないと暗に訴えかけるように。だが彼の上をいく知恵者であると思われている以上、ここで聞かないわけにはいくまい。アインズは顎をしゃくり続きを促した。逡巡は一瞬だった。デミウルゴスは覚悟を決め口を開く。

 

「アインズ様はこうも考えられている。その別働隊に他の至高の御方々がいるのでは、とね」

 

あくまで推測であり誰が、何人かなどは不明だがね――デミウルゴスの言葉は最後まで耳に入らなかった。アインズはその可能性が思い至らなかった自分を省みる暇なく、感情の爆発が沈静化されるのをただ待つしかなかった。

 

 

「君たち何しに来たんだい? 悪いこと言わないから早くここから立ち去った方がいいよ」

 

 一見、人間の女性のようにみえるが木と同じ肌の色、頭から生えた葉が彼女が人にあらずと教えてくれた。

 

「何だこのモンス――」

「待て」

 

 異形種と見るや否、斬りかかろうとする仲間を漆黒聖典隊長は手で制す。

 

「我々はスレイン法国のものだ。この場にはとある任務で来た。お前は?」

「私はピニスン。ピニスン・ポール・ペルリア。この近くの木に宿る森精霊(ドライアード)さ。君たちもしかして――」

 

 ピニスンと名乗る森精霊(ドライアード)は目を輝かし漆黒聖典の一団を見渡すが、やがてその瞳から輝きが失われた。

 

「なーんだ……雰囲気が似てたから少し期待したんだけど、やっぱり違うかあ。あの七人組はいつ来てくれるんだろう……」

「どういうことだ?」

 

 そしてピニスンはぽつりぽつりと語り始める。彼女が生まれるよりも遥か遠い遠い昔、世界を汚す存在が暴れまわっていた頃。〝世界を滅ぼしうる魔樹〟がトブの大森林に落とされたことを。その力の一部が発現し、この地を汚さんとした時、七人組が救ってくれたことを。若い人間が三人、大きい人が一人、老人が一人、翼の生えた人が一人、ドワーフが一人――この七人組は、もしまた魔樹が復活することがあれば必ず倒しに来る――そう彼女と約束を交わした、と。

 

 

「〝世界を滅ぼしうる魔樹〟!!」

破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)の正体はそいつか!!」

「その七人組とは……もしかして十三英雄の?」

 

 聞き逃せない単語の数々に漆黒聖典は動揺した。森精霊(ドライアード)を他所に議論が紛糾する。

 

「……世界を汚す存在とは八欲王のことでしょうね」

「若い人間とは十三英雄のリーダー――勇者様のことだろ?」

 

 隊員達は瞳を輝かせ少年のような声をあげた。十三英雄の冒険譚、御伽噺の英雄に憧れなかったものなどおるまい。中でもリーダーである人間の少年は絶大な人気を誇っていた。初めは誰よりも弱く、最終的には誰よりも強くなったと語り継がれている。幼少時、誰もが親に寝物語に冒険譚の続きをせがんだものだ。()の英雄の姿を夢想し胸が熱くなった。

 人間至上主義を掲げるスレイン法国としては、屈強な肉体や鋭い牙も爪すら持たない人間でもそこまで強くなった存在がいるというのは、人間種全体にとって大きな希望だ。尤も、今は正義降臨という別な希望があるのだが。

 

「老人はリグリット・ベルスー・カウラウ様だろう」

「――とすると大きな人は巨人(ジャイアント)、翼の生えた人とは有翼人、あるいはバードマンか」

 

 幾人かは複雑な表情を浮かべる。露骨に顔を顰めるものもいた。その感情は当然であろう。漆黒聖典(かれら)や他の六色聖典、アダマンタイト級(最高位)冒険者、リ・エスティーゼ王国戦士長ガゼフ・ストロノーフ、バハルス帝国四騎士、最強の<ruby><rb>魔法詠唱者</rb><rp>(</rp><rt>マジック​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​・​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​キャスター</rt><rp>)</rp></ruby>フールーダ・パラダインといった一部の例外を除き、人間は弱い。

 亜人との抗争でじわじわと削られていく人類生存圏。森妖精(エルフ)の国との戦争。崩壊しつつある竜王国に小競り合いを繰り返す王国と帝国。人類が種として一丸にならなければならないのに――暗雲とした思いが立ち込めかけるが、今はそれどころではない。

 

「その〝世界を滅ぼしうる魔樹〟はどこにいる?」

「? どこって――此処だよ、この辺りの草木が枯れきってるでしょう? 食事の後だよ、魔樹の――そうそう、〝ザイトルクワエ〟確かあの七人組はそう呼んでいた」

『――っ!?』

 

 慌てて周囲を警戒するが何も起こらない。

 

「魔樹は木々の命を吸って復活しようとしているんだ。それが明日なのか、ずっと先なのかはわからないけど……ねえ、君たちは誰か強い人を知らない? あの七人組の居場所なんて知っていたら最高なんだけどなー」

「その七人組は、既に……」

 

 おそらく人とは時間の感覚が違うのだろう。森精霊(ドライアード)を信じるならばその七人組が訪れたのはもう二百年以上前のことだ。他種族の寿命までは知らぬが流石にもう生きてはいまい。たとえ存命であれ高齢ではとても戦力になりそうもない。

 

「どうします?」

「本国に指示を仰ごう。正義降臨様がおられるとはいえ、相手は世界を滅ぼしうる存在だ。万全を期したい」

 

 十三英雄すら倒しきれず封印した相手。万一〝傾城傾国(ケイ・セケ・コウク)〟が通用しない場合、討伐しなければならない。そのためにはスレイン法国の全戦力、できれば完全武装した番外席次〝絶死絶命〟や他の六色聖典、可能であれば国家の垣根を越えリ・エスティーゼ王国やバハルス帝国、竜王国や聖王国にも協力を要請すべきだろう。事はもう既に法国のみの問題ではないのだ。全世界に警鐘を鳴らし、今こそ人類一丸となって存亡の危機を乗り越えなくてはならない。

ただ、国家群からなる共闘が叶ったとしても、今度は特殊工作部隊である六色聖典の存在をどう扱うかという問題が発生するのだが――それは上層部の仕事だ。自分が頭を悩ませる必要はないと隊長は判断を下す。

 

「我々の双肩に世界の命運が懸かっていると知れ!」

『はっ!!』

 

 とにかく、今すぐにでも行動を起こさなければ。隊長の指示の元、第十一次席〝占星占里〟がその場を<転移(テレポーテーション)>しようとして、

 

「な、なんだ!?」

「これは――」

 

 大地が揺れる。地が割れ、おびただしい数の根が触手の如くうねり出てくる。その一本一本が他の木々の幹ほどに太く、それぞれが別種の生き物のように不気味に脈打っていた。隊員達は各々の獲物で斬りつけ、防ぎ、何とか身をかわしていた。

 

「あわわわわ!? 蘇っちゃった、蘇っちゃったよおぉ!!!」

 

 激しく取り乱す森精霊(ドライアード)の視線の先。高さにして約百メートル、小国なら丸呑みできそうな巨大な樹洞を持った巨木、その体長の三倍はあろうかという触手のような枝々が計六本。〝世界を滅ぼしうる魔樹〟と呼ばれた〝歪んだトレント〟――〝ザイトルクワエ〟が永い眠りから目覚めてしまった。魔樹の絶叫が不協和音となり大気を震わせた。

 

「狼狽えるな! 我々には正義降臨様がついてる!」

 

圧倒的な巨躯を誇るザイトルクワエに対し、正義降臨に一切動じた様子はなくグレートソードを構えていた。その姿に鼓舞され隊員達は平静さを取り戻す。

 

「――使え!」

 

カイレが胸元で両手を広げ印を結ぶ。六大神の至宝――傾城傾国(ケイ・セケ・コウク)が発動した。旗袍(チャイナドレス)の意匠であった黄金の龍が具現化し、ザイトルクワエ目掛け一直線に放たれた。

 

「――<隕石落下(メテオフォール)>」

 

刹那、鈴を鳴らすような耳障りの良い声が響く。遥か天空より飛来せし光の塊がザイトルクワエに直撃し、全てを白に染め上げた。

 



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第4話

 夕闇が王都を染め上げる頃、セバスは帰路を急いでいた。と言ってもその動作にはどこか気品が漂っており、優雅ささえ感じる足取りであるが。その手には魔術師組合で購入した巻物(スクロール)が数本、大事そうに抱えられている。

 

(……思わぬ収穫でしたな)

 

 本日の成果を指で軽く撫でながらセバスは先刻のやり取りを振り返る。帝国の豪商の娘とその執事という偽装身分(アンダーカバー)のため、今回は先日のお嬢様の非礼――無論、ソリュシャンの演技であるが――を詫び、挨拶回りをするだけのつもりだった。だが応対してくれた年若い青年は我侭なお嬢様に手を焼くセバスのことを信用してくれたのか、二回目にも関わらず巻物(スクロール)のリストを見せてくれたのだ。

 塩や香辛料を作る魔法や、家畜の乳の出をよくする魔法などナザリックではお目にかかれないものがたくさんあった。主であるアインズの役に立っている実感が湧き思わず笑みがこぼれそうになる。今日の分の報告書の草案を考えながら、二人で住むには少々大きすぎる館の扉を開いた。

 

「おかえりなさいませ、セバス様」

「ただいま戻りました」

 

 出迎えてくれた戦闘メイド(プレアデス)が一人、ソリュシャン・イプシロンの装いにセバスは少し疑問を覚えた。偽装身分(アンダーカバー)のための白いドレスではなく、本来のメイド装束だったのだ。彼女が正装でいるということはそれ即ち、

 

「どなたかお見えになられましたかな?」

「はい。デミウルゴス様、コキュートス様、そしてヴィクティム様がお待ちです」

 

 自然と眉根が寄せられるのをセバスは辛うじて押し留めた。疑問がますます深まる。<伝言(メッセージ)>やメッセンジャーではなく、多忙のはずのデミウルゴスが何故わざわざ来たのか。そして奇妙な組み合わせが意味するのは一体? ……まさか気づかぬうちに何か失態を? いや、ありえない。王都にはまだ着いたばかりだし、逐一報告書も提出している。何も問題はないはずだ。考えていても始まらないと結論付け、セバスは応接室の扉を開いた。

 

「お待たせして申し訳ありません、デミウルゴス様、コキュートス様、それにヴィクティム様も」

「構わないとも」

 

 皮肉げに顔を歪める悪魔が大げさに肩をすくめてみせる。彼の腕の中には第八階層守護者――ヴィクティムが抱かれていた。コキュートスは仁王立ちの体制を崩そうとはせず、セバスに目礼だけ返す。

 

「セバス、私達は役職こそ違えど、同じ至高の御方に仕える身だ。敬称は不要だよ」

 

 デミウルゴスがヴィクティムをソリュシャンに手渡しながら鈴の鳴るような声で言う。コキュートスも私モソレデカ構ワナイと冷気を放出しながら同意した。

 

「お二人がそうおっしゃるのであれば――ではデミウルゴス、用件は何でしょうか?」

 

 悪魔は両腕を広げ、たっぷりともったいつけてからセバスに向き直った。

 

「セバス、君に良い知らせと悪い知らせがある。さて、どちらから聞きたい?」

 

 ・

 

 ナザリック地下大墳墓第五層。全てが氷に覆われた極寒の大地で、アインズとアルベドは氷結牢獄を訪れていた。

 アルベドの姉であり、この氷結牢獄の領域守護者――ニグレド。彼女の探査魔法により〈水晶の画面(クリスタル・モニター)〉に映し出されたのは何処か暗い森。十数人の男女が野営の準備をしている光景だった。

 

「この者たちがシャルティア様の装備を持っているようです」

「そうか、こいつらが――!!」

 

 憤怒に塗りつぶされそうな感情が驚愕に変わる。彼らの身に纏う機能性度外視のどこか遊びのある装備の数々。あれらはどうみてもユグドラシル製だ。この世界のものではない。

 

「……プレイヤーか?」

 

 だとしたらシャルティアが倒されたのも頷ける。百レベルといっても所詮NPCだ。PvP(player vs player)で鍛えたPK(player killer)技術を持つ、他のガチビルドプレイヤーが相手では分が悪い。

 

(そうだ、もし彼らの中にワールド・チャンピオンの職業(クラス)を修めてる者がいたとしたら……いや、第十位階魔法現断(リアリティ・スラッシュ)と見間違えた可能性は……降臨エフェクトは何かの勘違いで、もしくはたっちさんを模倣した誰かの仕業とか……)

 

 アインズの中でたっち・みーの疑惑が徐々に晴れていく。考えてみれば当然だ。既に引退してしまった彼が、こんなところにいるはずがない。そう、いるはずがないのだ。仮に敵に他のワールド・チャンピオンがいるとすれば、それはそれで面倒な相手だが。

 

(……場合によっては交渉する必要もあるかもしれないな)

 

 もし仮に向こうにこちらの数以上の百レベルがいた場合、撃破は相当困難であろう。ナザリック地下大墳墓のギミックを十全に発揮できれば、あの程度の数は容易く葬り去れるが……仲間達と創り上げた場に他のプレイヤーの侵入など到底看破できない。

 

(アインズ・ウール・ゴウンの名を利用して何とか交渉を有利に……いや、散々いろんなギルドを敵に回したからなあ。向こうがこちらに悪印象を抱いてる可能性は高い)

 

 対プレイヤー戦を想定する前に、まずはたっち・みーの疑惑を晴らしてしまおう。

 

「ニグレド、続けて頼む。次は生物の方……いや、言ってしまおうか。標的は至高の四十一人の一人――たっち・みーだ」

「!? たっち・みー様が見つかったのですか!! ええ、はい。わかりました」

 

 ニグレドはアインズとアルベド(可愛い方の妹)の神妙な面持ちに何かを察し、それ以上聞かなかった。先刻と同様に<偽りの情報(フェイクカバー)><探知対策(カウンター・ディテクト)>等、数々の情報収集系における防御対策を講じ、それから探査魔法を発動させる。

 

「あら……これは」

「――っ!?」

 

 はたして、〈水晶の画面(クリスタル・モニター)〉に浮かび上がったのは先ほどの薄暗い森。そして一団を離れた場所で見守る純白の全身鎧(フルプレート)の姿だった。

 

『――アインズ様、セバスを連れて参りました』

「あ、ああ……すぐに向かう」

 

 デミウルゴスからの伝言(メッセージ)に何とか返信する。画面に釘付けになったまま絶句するアインズに対し、アルベドの瞳はどこまでも冷ややかだった。

 

 ・

 

「何かの間違いです! あの方がアインズ様を裏切るような真似をするはずがありません!」

 

 セバスは玉座の間にて己の創造主の無実を必死で訴えていた。同意の言葉を口にする守護者達を遮り、手を組み考え込んでいる様子だったアインズは重い口を開いた。

 

 

「そうだな、私もそう思う……だが理由はどうあれ、たっちさんが我々に敵対行動をとる可能性を考慮しなければならない。セバス、その時お前は彼に拳を向けることが出来るのか?」

 

 その場面を想像してしまったのだろう。セバスは絶望に打ち拉がれ膝から崩れ落ちた。

 

「アインズ様、セバスを拘束しなくてよろしいのでしょうか?」

「私も同意見です」

 

 アルベドやデミウルゴスが進言する。創造主(たっち・みー)の言葉が最優先であるNPC(セバス)にとって、たっち・みーの言葉は劇薬になりかねない。場合によっては裏切りもありえるのだ。守護者達の目が殺気を放ちセバスを睨み付けた。

 

「やめよ、そこまでする必要はない」

『はっ』

 

 アインズは殺気立つ守護者達を制し、跪き頭を垂れるセバスと目線を合わせ、その肩へと手を添えた。

 

「そういう理由だ。セバス、私がたっちさんを迎えに行くからお前はここで待っていてくれないか?」

「アインズ様……ですが、どうか! どうか! 私めもお連れくださいませ……」

 

 頬を伝う涙を拭いもせず、セバスは懇願する。もう二度と会えないと思っていた、もしかしたら既に……と最悪の可能性すら想像していた創造主が見つかったのだ。自分がいの一番に馳せ参じなくてどうするのだ。セバスの思いはシモベ一同が理解できるものである。

 

「セバス! アインズ様の温情をこれほど受けておきながら貴方は――」

「よい。それに、これはセバスだけの問題ではない……他の守護者にも問おう。お前達は――」

 

 守護者各員にそれぞれ視線を送り、アインズは静かに問いかけた。

 

「お前達が至高の御方と呼び敬う存在が……己の創造主が我々に敵対した時……刃を向けることができるのか?」

 

 玉座の間に集う全てのシモベの表情が凍りついた。

 

 

 ・

 

 

 視界が白に染まる中、漆黒聖典は誰一人動けなかった。逃れられぬ死の足音が眼前まで迫り、

 

「……」

 

 純白の全身鎧(フルプレート)が、彼らと死の間に立ちふさがった。その背中が目に焼きついて離れない。轟音と共にザイトルクワエの断末魔が響き渡る。世界を滅ぼしうる魔樹はいとも容易く滅び去ってしまった。光が収束し、徐々に戻ってくる視界。

 

「生き……てる?」

「……う、ううむ」

「一体何が……」

 

 土埃に塗れながら隊員達は辺りを見渡した。天まで届かんとする巨駆を誇っていた魔樹は見る影もなく。その残骸が辺り一面に転がっていた。巨木といっていい破片はそのほとんどが灰燼と化しており、焼け焦げた臭いが鼻腔をくすぐる。謎の大爆発は周囲の木々もあらかた吹き飛ばしてしまったようだ。数え切れない葉が宙を舞っていた。では何故自分達は無事なのか。

 

「正義降臨様!?」

 

 答えは簡単だった。ザイトルクワエを中心に放射状に破壊の爪痕が刻まれる中、正義降臨の背後、つまり漆黒聖典がいた大地だけ無事なのだから。最前列にいる彼が皆を庇ってくれたのは明白だ。彼に感謝を伝えようとして、

 

『なっ……!?』

 

 息を呑む。呼吸が出来ない。皆の視線はただ一点に集中していた。

 それは死そのものか、あるいは死の神か。金で縁取られた漆黒のローブを身に纏い、携えた黄金の錫杖。皮膚も筋肉も臓器すらなく、空虚な眼窩には赤い光が灯っていた。悍ましいはずの骸骨の姿はむしろどこか神々しささえ感じる。

 そして死の神の従属神だろうか――細身の黒い全身鎧(フルプレート)、仕立ての良い服を着た尾の生えた男、二足歩行する蟲、初老の執事が恭しく従っている様子だった。

 天より降臨した神はゆっくりと地上に降り立った。

 

「……スルシャーナ、様?」

 

 誰かが掠れた声で呟く。スルシャーナ――六大神の一人。異形種でありながら人類を保護し、今日のスレイン法国の基礎を築いた存在だ。そして八欲王に滅ぼされた。六色聖典の一つである漆黒聖典が戴く色は黒、すなわちスルシャーナである。自分達の神が復活を遂げたのかと、隊員達の表情が困惑から徐々に色めき立ったものに変わる。

 刹那、どす黒いオーラがスルシャーナと思しき存在から放たれ、()()()装備に即死耐性がついてなかった三人がその場に崩れ落ちた。

 

「……は?」

「え……」

 

 死んだ。こんなにもあっけなく。一体何が起きたのか? 漆黒聖典の隊員達は混乱する。

 

「――『ひれ伏したまえ』」

 

 尾の生えた男の声が響く。その声色は先刻魔樹を吹き飛ばした高階位魔法を唱えた術者のものだ。途端、身体が重くなり無理やり地に押し付けられる。

 

「ぐ……がっ……」

 

 耐え難い重圧に押しつぶされそうになりながら必死に目を凝らす。無事なのは隊長である自分と他数名、カイレ、それに正義降臨のみだった。

 

「たっちさん……たっちさんですよね? 俺です! モモンガです!」

「……」

 

(モモンガ……? スルシャーナ様では、ない?)

 

 早く気づくべきだったのだ。あの化け物はスルシャーナ様の姿を借りた偽者。本物のスルシャーナ様が我々人類をあのように虫けらの如く殺し、歯牙にもかけないなんてそんなことありえない。正義降臨様に何やら話しかけている様子だが……過去に何か因縁が? もしやあれが八欲王の一人なのか。

 

「カイレ様……!」

「う、うむ」

 

 送った視線にカイレがすぐさま頷き、印を結ぶ。再び飛び出した龍がスルシャーナを騙った化け物へ放たれる。黄金の輝きが化け物を飲み込む瞬間、

 

「――ふんっ」

 

 割りいった黒い全身鎧(フルプレート)が戦斧で斬り裂いた。

 

「人間如きがアインズ様に――死ね!!」

 

 ギィン、と金属同士が不愉快な甲高い音を奏でる。白い全身鎧(フルプレート)がカイレの前に躍り出た。閃光のように振るわれた白銀の輝きが漆黒の刃を弾き返す。

 

「貴様……!」

「……」

 

 面貌付き兜(クローズド・ヘルム)越しに交差する視線。しかし正義降臨は意に返さず。漆黒聖典の方へ振り返り、遥か後方、森の中を指差す。それから自分の胸プレートを力強く叩いた。

 

 ――此処は自分が引き受ける。早く撤退を。

 

 それは幻聴か。精悍な剣士の声が聞こえた気がした。

 

「撤退だ、各員散れ!」

 

 第三席次の〈獅子のごとき心(ライオンズ・ハート)〉で拘束されていた身体が自由になる。()()()生き残ってしまった一団は薄暗い森の闇へと散りじりに消えていった。

 

「アインズ様」

「よい。奴らの末路は既に決まっている……後はアウラ達に任せよ。伝言(メッセージ)を送れ」

「はっ」

 

 追撃しようとする守護者達を抑え、アインズは目の前の全身鎧(フルプレート)を見据えた。先程から何度も呼びかけを試みてるが一向に反応がない。此処を通さない、という強い意志は感じるものの明確な敵意は存在しないようだ。その有様はまるでNPCが一時的に敵対行動をとる様に良く似ていた。アインズがどうしたものかと考えあぐねていると、

 

「……ぐっ……う」

「っ!? この声は!」

 

 白い全身鎧(フルプレート)は唐突に兜を掌で覆い苦しげな声をあげる。途切れ途切れで要領を得ないが、それはかつての仲間の声だった。数年単位で聞いてなかろうが忘れられるはずもない。

 

「う、ぐ――あぁあああああ!!」

「たっちさん! たっちさん!?」

「たっち・みー様!!」

「アインズ様、お下がりくださいませ!」

 

 ついには頭を振り激しく絶叫する白い全身鎧(フルプレート)。手を伸ばそうとするアインズとセバス。脅威を感じアインズを守ろうと前に飛び出るアルベドにコキュートス、デミウルゴスの両名が追随する。永久に続くと思われた慟哭もやがては収束した。夜の森に静寂が戻る。瞬間、劇的な変化が起こった。

 

「この気配は――!?」

「おお、おお……まさしく」

「何トイウ力ノ奔流カ……」

 

 白い全身鎧(フルプレート)を中心に爆発的に立ち昇る圧倒的なオーラ。まさしく至高の存在と謳うに相応しき波動。虚ろだった双眸が力強き光を取り戻し、彷徨う視線が鋭いものに変わり死の支配者(オーバーロード)を捉えた。

 

「……スルシャーナさん? いえ、彼は私が……それにその装備は……まさか」

 

 男の視線が漆黒のローブから黄金の杖――スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンに移り、驚愕に見開かれる。

 

 

「――モモンガさん?」

「ええ、そうです! 俺ですよ! たっち・みーさん!!」

 

 守護者達から歓声が上がる。アインズは湧き上がる喜びで破願した。精神安定でどれほど抑制されようとも押さえ切れない。

 かつてのギルメンとまた再会できたのだ。この世界に来て以来……否、ここ数年で一番嬉しい瞬間だった。喜び勇んだアインズがたっち・みーに駆け寄ろうとして、

 

「え?」

 

 向けられる(きっさき)。たっち・みーはグレートソードを構えていた。まるでアインズを拒絶するかのように。敵と対峙するかのように。

 目の前の出来事が信じられず、アインズは狼狽した。守護者達も、アルベドすらあまりの光景に数瞬反応が遅れてしまう。

 

「たっち・みー様!?」

「たっちさん……? 何を」

「モモンガさん。貴方は……いえ、貴方達は何ということを」

 

 たっち・みーは悲しそうに事切れた漆黒聖典の遺体に視線を落とした。それから敵意が篭った瞳でアインズを睨み付ける。

 

「いや、だって……! この屑共はたっちさんを利用していたんですよ! 死んで当然じゃないですか!」

 

 何が悪いんだとばかりにアインズは反論する。精神支配されていた仲間を救っただけなのに酷い言われ様だ。深層心理に燻っていた憎悪の火がわずかに灯り始める。

 

「その通りです、私は世界級(ワールド)アイテムで精神支配を受けていました」

「だったら――」

 

 たっち・みーはアインズの言葉を語尾を強めて遮った。

 

「ですが――それはあくまで私自身の意志で、です」

「は?」

 

 自分の意思で精神支配される? アインズにはたっち・みーが何を言っているのか全く理解出来なかった。

 

「私がこうしているということは、カイレ(あの女性)も他の皆も既に……」

 

 アインズの困惑を他所に、たっち・みーは漆黒聖典の消息を憂いていた。アインズの憎悪が一気に燃え上がる。

 

「ふ、ふふ、巫山戯るなよ!! 俺が、俺がどんな思いでいたか!! 貴方が見つかったと聞いて、どんなに喜んだと……」

「……モモンガさん」

 

 泣いていた。涙こそ流れぬ身だが心が泣いていた。行き場をなくした悲しみは絶望を経て、激しい憤怒と憎悪とに変貌する。

 

「あ、ははは……あはははははははははは!!!」

 

 アインズの狂気に満ちた嗤い声。絶望のオーラが吹き荒れた。

 

「……たっちさんがそんなこと言うはずがない。俺を拒絶するはずないんだ……そうだ……お前は偽物だ!! 殺してやる! 殺してやるぞ!! 紛い物がぁああああ!!!」

「……モモンガさん、貴方がこれ以上罪を重ねる前に。せめて私の手で」

 

ワールドチャンピオンに対し超越者(オーバーロード)。白亜に対し漆黒。今、二人の至高の存在がぶつかりあった。



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第5話

 太陽が死に絶えた暗黒の世界。かつてトブの大森林を支配していた闇妖精(ダークエルフ)の国も今は昔。彼らが森を追われてから数百年の月日を経て、久方ぶりに闇妖精(ダークエルフ)の姿がこの森にあった。

 ナザリック地下大墳墓第六階層守護者、アウラ・ベラ・フィオーラとマーレ・ベロ・フィオーレ。闇妖精(ダークエルフ)の姉弟はアインズの命で残党狩りをしていた。

 デミウルゴスがあらかじめ特殊技術(スキル)<<ruby><rb>次元封鎖</rb><rp>(</rp><rt>ディメンジョナル​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​・​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​ロック</rt><rp>)</rp></ruby>>を発動してくれたおかげで、逃亡を図った人間たちは容易に処理できた。アウラの操る魔獣に捕食されたもの、マーレの魔法により大地に飲み込まれたもの。其処彼処に人間達の肉片が散らばっていた。

 マーレは何気なく足元に視線を送る。頭が潰れひしゃげたトマトのような死体が転がっていた。到底似合わない奇妙な服を着ている。この死体の生前の趣味だろうか。どうでも良いことを考えつつ、やがて興味を失った彼は顔を上げ、ぽつりと呟いた。

 

「パ、パンドラさん何処へ行っちゃったんだろうね」

「さあね。あたしあのテンションちょっと苦手かなあ」

「お、お姉ちゃん駄目だよお……そんなこと言っちゃあ。だってパンドラさんは」

「あ、そっか。ごめん、今のなし。聞かなかったことにして」

 

 慌てたマーレにアウラが苦笑しながら訂正する。

 イグ何とかという冒険者たちを始末した後、一行は戦闘メイド(プレアデス)が一人、ナーベラル・ガンマのナザリック帰還を見届けた。彼女のレベルでは足手まといになる恐れがあるからだ。

 その後、パンドラズ・アクターは「ではお坊っちゃんにお嬢様方、私はこれにて失礼」と言い残し何処かへ消えてしまった。どうやら主より密命を与えられているらしい。密命の内容が彼にしか明かされていないという事実に嫉妬心が湧き上がる。だがパンドラズ・アクターは唯一アインズに創造されたシモベだ。やはり創造主と被創造物との関係は特別なのかもしれない。

 

「――あ」

「これって……」

 

 その時、二人の長く尖った耳がピクンと跳ねた。全身の毛が粟立つような感覚。圧倒的な力の波動、それも同時にふたつも。片方は間違いなく彼らの主人、アインズのものだろう。ではもう一つは? 何となくどこか懐かしい気がした。

 気配の方を振り返る。夜の闇を眩く照らす白い閃光、より黒く塗り潰す真なる闇。おぞましいアンデッドの呻き声。どうやら戦闘が始まったようだ。戦いの余波で周囲の草木が揺れている。数キロ先のはずなのに、目と鼻の先で繰り広げられてるように錯覚してしまう。これが高レベル同士の闘いなのか。

 

「お、お姉ちゃん」

「わかってる。シャルティア〜! いつまで遊んでるの? あたし達もう行くからねー!」

 

 狼型の魔獣、フェンリルのフェンに跨りマーレに手を差し伸べる。弟を引っ張り上げながらアウラは叫んだ。

 

「ちょっと待ってくんなまし! あれがまだ……うぅ、わた――わらわの装備ぃ」

 

 シャルティアは死体の持ち物をごそごそと漁っていた。無論、奪われた装備品を回収しているのである。しかしマーレの魔法で一度にプチっとミンチにされてしまったものや魔獣が食べ散らかした肉片から探し出す必要があり、探索は難航していた。

 

「後は回収班に任せようよ! ほら早く、行くよ!」

「痛っ! ちょっと、髪を引っ張らないでって……ああ、もう! わかったでありんすよう」

「お姉ちゃんそんな乱暴しちゃ……」

 

 三人は魔獣に跨り主人の元へと急いだ。彼らが去った後、蜘蛛の巣のような盛り上がった地表に腕や足が突き出していた。まるで墓標のように。既に肉塊と思われていたそのうちのひとつ、一本の右腕がわずかに動いたのを誰一人気づくことはなかった。

 

 

 ・

 

 

「お止め下さいませ! アインズ様!」 

「たっち・みー様もどうか!」

「アインズ様! たっち・みー様!」

 

 

 青ざめた守護者たちが悲鳴を上げる。NPCの嘆きなど創造主には届かない。

 

 万一に備え事前に〈魔法詠唱者の祝福(ブレス・オブ・マジックキャスター)〉や〈上位全能力強化(グレーターフルポテンシャル)〉など無数の強化(バフ)を自身に施していたのが功を奏した。アインズは感情のままにスタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを振るう。

 まずは〈下位アンデッド創造〉で二十体の低級アンデッドを創造、たっち・みーへ突撃させる。無論、彼に傷一つつけることは叶わぬだろう。承知の上だ、あれらは肉壁。数秒でいい、わずかな時間があれば充分。

 たっち・みーになすすべなく斬り伏せられるゾンビ達を視界の端に、アインズは貯めに貯めた余剰経験値を解き放つ。足元に二つの漆黒の魔法陣が展開した。

 

「〈アンデッドの副官〉」

 

 どす黒い闇が魔法陣から噴き出す。闇のなかにアインズの種族である死の支配者(オーバーロード)の亜種――死の支配者の賢者(オーバーロード・ワイズマン)具現化した死の神(グリムリーパー・タナトス)の姿があった。いずれも百レベルのアインズをして経験値を膨大に消費しなければ生み出せぬアンデットだ。それゆえに性能も凄まじく、レベルは九十にも達する。

 

「殺せ! あの紛い物を!!」

『畏まりました、我が召喚主よ』

 

 怨嗟の声を轟かせ、具現化した死の神(グリムリーパー・タナトス)が<上位転移(グレーター・テレポーテーション)>でたっちの背後へまわり、身の丈ほどある死神の鎌を振り上げた。死の支配者の賢者(オーバーロード・ワイズマン)は〈飛行(フライ)〉で上空から〈魔法最強化・無闇(マキシマイズマジック・トゥルーダーク)〉を詠唱。肉体を崩壊させる無属性の闇が降り注ぐ。

 

「〈中位アンデッド作成〉」

 

 死の騎士(デス・ナイト)を盾代わりに五体ほど生み出す。これで態勢は整った。後は、

 

「――はぁ!?」

 

 アインズの口から思わず素っ頓狂な声が飛び出した。あろうことかたっちは風車の如く廻り回る鎌を紙一重で躱し、その峰に飛び乗ったのだ。重力を感じさせぬ軽やかさで優雅さすらある。鉄靴(てっか)が金属音を打ち鳴らした。そして翻ったグレートソードには<ruby><rb>具現化した死の神</rb><rp>(</rp><rt>グリムリーパー​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​・​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​タナトス</rt><rp>)</rp></ruby>の首が。あの一瞬の攻防で<ruby><rb>具現化した死の神</rb><rp>(</rp><rt>グリムリーパー​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​・​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​タナトス</rt><rp>)</rp></ruby>にカウンターを決めていたのだ。

 彼の反撃はこれで終わりではない。鎌の木柄を飛び石に軽やかに跳躍。グレートソードが白銀の輝きを宿す。

 

悪を討つ一撃(スマイト・エビル)

 

 次の瞬間、光の矢となったたっちは一直線に死の支配者の賢者(オーバーロード・ワイズマン)目掛け突貫。無属性の闇ごとその胸骨を容易く貫き、脊椎までも粉砕した。神聖属性を帯びた刀身がアンデッドに深刻なダメージを与える。だが種族スキルとして<斬撃武器耐性Ⅳ>と<刺突武器耐性Ⅳ>を持ち合わせていた死の支配者の賢者(オーバーロード・ワイズマン)を一撃で屠るのはその武器では不可能だったようだ。

 

「ぐうっ……おのれ……」

 

 曲がりなりにもアインズが経験値を大量消費して生み出したアンデッド達だ。この程度で終わるはずがない。死の支配者の賢者(オーバーロード・ワイズマン)は懐に入った聖騎士を忌々しげに睨みつけ、骨の腕で逃さぬよう拘束する。

 

「今だ、やれ!」

「はっ、〈魔法最強化・負の爆裂(マキシマイズマジック・ネガティブバースト)〉」

 

 即座に主人の意を汲む。負属性の大爆発が死の支配者の賢者(オーバーロード・ワイズマン)を中心に吹き荒れた。必然的に共に中心部にいたたっちにも相応のダメージが通ったことだろう。しかし、

 

「ほとんど効いていない……だと」

 

 〈生命の精髄(ライフ・エッセンス)〉でたっちのHPを注視していたアインズは瞠目した。〈虚偽情報・生命(フォルスデータ・ライフ)〉で巧妙に隠している線もあるが、自分の記憶にある彼がPvPでそんな小細工をした試しはない。コンプライアンス・ウィズ・ローやアースリカバーといった彼のガチ装備と比べるべくもなく、一見貧弱な装備であるが負属性や闇属性などの完全耐性でも付与されているのだろうか。

 高速で思考を巡らせていてふと気づく。心のどこかがあれは紛い物ではなく本物のたっち・みーだと訴えかけてくるのだ。その心の名は鈴木悟――もう残り粕でしかない人間だった頃の記憶の残滓。

 

(黙れ、黙れ黙れ!! あれがたっちさんであるならば、どうして……どうして俺の手を振り払ったりするんだ)

 

 アインズは戦闘中だということを忘れ、顔貌を掌で覆いよろめいた。それは時間にして僅か数秒ほど。だが戦いの最中では命取りだった。

 

 

「……やはり斬撃や刺突では効果が薄い。ならば――」

「っ――!?」

 

 たっち・みーは次なる行動に移っていた。驚くべきことに、なんとたっちは死の支配者の賢者(オーバーロード・ワイズマン)()()()()()()()()()()()()()()()を思い切り地上へ向け投擲したのだ。眼下には首を失ったものの未だ健在な具現化した死の神(グリムリーパー・タナトス)が<盲目化(ブラインドネス)>を喰らったようにふらふらと蠢いていた。

 

「まずい! 〈魔法最強化(マキシマイズマジック)――〉」

 

 援護射撃を放とうとするがもう遅い。致命的な失態だった。投擲石と化した死の支配者の賢者(オーバーロード・ワイズマン)具現化した死の神(グリムリーパー・タナトス)へ直撃した。爆音が轟き土煙が上がる。さらにもうひとつ轟音。上空から落下の速度をプラスした聖騎士の一撃が大地を揺るがした。課金エフェクトが光の尾となりキラキラと瞬く。

 

「も、申し……わけ……」

「主さ……ま……」

 

 はたして、アインズの切り札のひとつであった〝アンデッドの副官〟は、ほとんどその役目を果たせずに消滅してしまった。

 

「馬鹿……な……」

 

 アインズの口から息が漏れる。レベル九十、その上アインズの特殊技術で強化したあの二体がものの数分で滅ぼされるなんて。ワールドチャンピオンであることを加味しても明らかに異常な強さだ。ユグドラシル時代を遥かに超越している。

 これが数百年プレイヤーや現地人と渡り合ってきた本物の強者たる所以か。実践経験の差が如実に現れていた。アインズは圧倒的強者としてこの地にナザリックと共に転移し、《《紛(​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​・​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​)い(​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​・​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​)物(​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​・​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​)の(​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​・​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​)力(​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​・​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​)》》を振るって悦に浸っていた。驕っていた。ニグンやクレマンティーヌ、その辺に転がっている人間達程度が強者と知って侮っていた。しかしここに本物がいた。

 圧倒的強者の前にはアインズですら奪われるしかない、その全てを。それがかつてのギルドメンバーとは何たる皮肉か。認めざるを得ない。彼は正真正銘、本物のたっち・みーだ。

 

 

「〈魔法三重最強化(トリプレットマキシマイズマジック)現断(リアリティ・スラッシュ)〉!!」

 

 アインズが吼える。仮にそうだとしても、ただ座して敗北を待つわけにはいかなかった。この身は既に自分ひとりだけのものではなく。NPC(愛し子)達、ひいてはナザリックを守り通すために。そのためにはたとえギルドメンバーが、かつての仲間が相手だろうと引くわけにいはいかなかった。

 迫りくる次元を切り裂く三重の刃に一切臆した様子なく、たっちはアインズへと距離を一気に詰めた。アインズの振るった腕と指の角度をつぶさに観察し、たっちはその全てをことごとく躱していく。その冗談のような挙動にアインズは叫びそうになるのを必死に堪えた。

 

(よし、かかった……)

 

 たっちがある一点を踏みしめた瞬間、序盤に仕込んでおいた罠が発動する。そう、〈現断(リアリティ・スラッシュ)〉は囮であり本命は、

 

「〈魔法三重最強化(トリプレットマキシマイズマジック)爆撃地雷(エクスプロードマイン)〉!!」

 

 三重の地雷の衝撃波が相乗効果でたっちに大ダメージを与える――はずだった。

 

「うっそだろ、おい!!」

 

 思わず鈴木悟としての本音が出てしまう。なんとたっち・みーは三重の<現断(リアリティ・スラッシュ)>を避けつつ、地雷が起爆する前に大地を疾駆していた。彼の背後を遅すぎる爆破が矢継ぎ早に起き、まるで特撮の仮面のヒーローものの撮影のようだった。

 

「貴方が私の手札を知り尽くしているように――」

 

 たっちの姿が掻き消える。

 

死の騎士(デス・ナイト)たちよ! 私を守れ!!」

『オオオオァァァアアアア!!』

 

 死の騎士(デス・ナイト)たちがタワーシールドを構え、アインズの周囲に展開。たっちの斬撃に備える。

 

「――私も貴方の行動パターンは読めるんですよ、モモンガさん! いきますよ、〈次元(ワールド)――〉」

「ぐっ……」

 

(ここで使うか、ワールドチャンピオンの超弩級最終特殊技術(スキル)を!!)

 

 アインズの使う第十階位魔法〈現断(リアリティ・スラッシュ)〉は〈次元断切(ワールドブレイク)〉の劣化版でしかない。〈現断(リアリティ・スラッシュ)〉はユグドラシル時代と大して変わらなかったが、この世界において〈次元断切(ワールドブレイク)〉は何かしらの仕様変更があるかもしれない。気休め程度かもしれないがアインズは即死級の一撃に備え、〈光輝緑の身体(ボディ・オブ・イファルジェントベリル)〉を唱えた。

 

「なっ――」

 

 一呼吸、絶妙な間が置かれた。たっちは死の騎士(デス・ナイト)のタワーシールドの縁を足蹴にし、居合い抜きの構えを維持したままアインズに肉薄。〈次元断切(ワールドブレイク)〉を放つというのは真っ赤な嘘(ブラフ)。本命はアインズに周囲を警戒させ、隙を生み出すことだったのだ。

 

(……この、正義とか散々綺麗ごと言っておいて騙し討ちかよ!?)

 

 ユグドラシルとは違う、実践における命のやり取り、戦闘経験の差。アインズにも本当はわかっていた。騙される方が悪いのだと。ぷにっと萌えの〝誰でも楽々PK術〟にもそう記されていた。だがこぼれたミルクはもう戻らない。

 

「〈心臓――〉」

「――遅い!」

 

 白銀の一撃が横一閃にアインズを両断しようとして、

 

「はぁああああ!!」

 

 漆黒の全身鎧(フルプレート)を纏ったアルベドが身を割り込ませる。3F(バルディッシュ)で斬撃をパリーした。しかし相殺しきれなかった分のダメージが騎士甲冑のいたるところに罅割れとして現れる。ただではすまぬと覚悟したアルベドが日に三度しか使えない特殊技術(スキル)でダメージを鎧に移したのだ。思わぬ形で窮地を脱し、アインズは我に返った。

 

「アルベド、下がれ! これは私と彼との問題だ!」

「いいえ! 下がるわけにはまいりません!! 愛する殿方が傷つけられるのを黙って見過ごせる女がいるでしょうか!?」

 

 アルベドの声は震えていた。泣いているのだ。きっと、自分とたっち・みーとの戦いに心身を痛めて。言うべき言葉が見当たらないアインズの視界をさらに二つの背が塞いだ。

 デミウルゴスとコキュートスだ。二人はたっち・みーからアインズを守る形で、アルベドの両隣に並んだ。デミウルゴスの眼からはとめどなく涙が溢れており、コキュートスも緊張した面持ちで顎を鳴らしていた。声が枯れ果てる程叫んだが、創造主たちには届かなかった。ではどうすればよいか? 二人は跪き頭を垂れた。

 

「どうか、どうかたっち・みー様! 矛を収めくださいませ」

「御二方ノ間ニハ何カシラノ誤解ガアルヨウニ思イマス」

「アインズ様は我々を唯一お見捨てにならなかった慈悲深い御方なのです」

 

 二人にセバスが続いた。意を決したようにたっち・みーの足元で臣下の礼をとる。この争いで一番心を痛めていたのはおそらく彼だろう。涙でぐちゃぐちゃになった顔を地面に擦り付け必死に懇願する。

 

「まさか、私が引退した後も……ずっと」

「……」

 

 たっち・みーの息を呑む気配にアインズは沈黙で返した。ギルドメンバーが現実(リアル)で頑張っている一方、自分はずっとユグドラシル漬けだったことが思わぬ方面からばれてしまった。いや、もちろん自分も会社員として働いていた訳だが。アインズは何となく恥ずかしい気持ちに襲われる。たっちから感じる敵意が少し和らいだ気がした。

 

「そうですか。ナザリックは未だ健在なのですね……」

「はい、アインズ様が我々の手を借りようとせず、おひとりでずっとナザリック維持に必要な外貨を稼いでらっしゃいました」

 

 ナザリックに思いを馳せているのだろうか、兜越しではあるがたっちは目を細め感慨深そうにしていた。守護者たちの必死の思いが伝わったのだろうか。アインズが口を開こうとして、

 

「――では貴方たちを始末した後、そちらにも攻め込む必要がありますね」

 

 かすかな希望は下手な絶望よりもよほどたちが悪い。アインズをはじめ守護者たちは奈落の底へと叩き落とされた。

 

「なん……で……」

「たっち・みー様……今、何と」

 

 硬直するアインズたちを他所に、たっち・みーは涼しげに繰り返す。

 

「聞こえなかったのですか? この後ナザリックへ攻め込むと言ったのですよ。そうですね、第八階層は流石に手こずりそうですが、私には――これがありますから」

 

 たっちは左腕のガントレットを外してみせた。人差し指に見慣れた指輪がはまっている。ギルドの証――リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンだ。転移が禁じられているナザリック地下大墳墓において、所有者の好きな階層、好きな場所に転移できるという比類なき性能を誇る。

 

「今モモンガさんがお持ちなのは模造品(レプリカ)でしょう? 用心深い貴方が本物を持ち出すはずがありませんからね。どこに隠しました? 円卓の間ですか? 宝物殿ですか? それとも……」

「たっちさん!!」

「たっち・みー様! 何故そのようなことをおっしゃるのですか!?」

 

 たっち・みーの発言をかき消そうと怒号があがる。それ以上、聞きたくないと。耳を塞ぎたい気持ちで一杯だった。もし自分が気に入らないのなら喜んで首を差し出しますから。どうか、どうか。守護者たちはほとんど土下座に近かった。発言を撤回していただけるなら何でもするから、と。その言葉を聞いたたっちはしばし考える仕草をし、

 

「ではNPC(貴方たち)に私から命令しましょう――モモンガさんに加勢し、全力で私を滅ぼして下さい。さもなければ私は全力でモモンガさんを排除し、アインズ・ウール・ゴウンを滅ぼすでしょう」

 

 凍りつく守護者たちを他所に、たっち・みーはセバスに向き直る。

 

「貴方はたしか……私が創ったNPCですよね?」

「はい、その通りでございます! 貴方様が創造してくださったセバス! セバス・チャンめにございます」

 

 なんとか考えを改めてもらおうとセバスは言葉をつくすがたっちはセバスの言葉を遮り、告げる。

 

「ではセバス、貴方に創造主として命令しますが、よろしいですか?」

「はっ」

 

 もしここで自害せよと言われたら喜んで自身の頭を拳で打ち抜くだろう。もしアインズを裏切ってたっち・みー(わたし)の側につけといわれたら……考えを改めてもらえるよう尽力するが、それでも駄目な場合は……自分は裏切るのだろうか。はたしてそこに正義はあるのだろうか。

 しかしたっち・みーの命は予想とは違っていた。

 

創造主(わたし)からの最初で最後の命令です。――貴方の正義を私に示してください」

 

 



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第6話

「……」

 

 曇天とした天候が闇夜の不気味さに拍車をかけていた。鬱蒼と生い茂るトブの大森林、その遥か上空にひとつの影が佇んでいた。

 竜の意匠が施された白金の全身鎧(フルプレート)――ツァインドルクス=ヴァイシオンの表情は――尤も中身は伽藍堂の鎧であるが――すぐれない。完全に言葉を失っていた。彼はスレイン法国の特殊部隊のひとつ――漆黒聖典を監視していた。人類至上主義を掲げ亜人を根絶せしめんとする彼らはツアーにとって危険な存在だった。厄介なことに彼らは六大神の遺産を身に纏っており迂闊に手出しは出来ない。そんな危険な存在たちがあろうことか一蹴されてしまった。

 数百年の時を経た白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)にしてアーグランド評議国の永久評議員。そして十三英雄の一人でもある彼をして、眼下に広がる光景は到底信じられるものではなかった。

 この数百年間、様々な〝ぷれいやー〟がこの世界を訪れた。十三英雄のリーダーやミノタウロスの賢者のような善人、八欲王のような世界を穢す悪。それから最後にはリーダーを裏切ってしまった元チームメンバー。彼を悪と断じるのは些か難しいものがあるが。

 思考が逸れてしまった。ツアーは再び地上に視線を送る。繰り広げられているのはまさに神代の戦い、神話の一ページ。六大神や八欲王に匹敵するだろう高位階魔法に特殊技術(スキル)、そしておそらく武技の数々。

 縛りさえかけてなければこの世界最強を自負する自分すら勝敗は知れないところにある。あのアンデッドと純白の全身鎧(フルプレート)の戦いはツアーに大いに危機感を抱かせた。あの二人はまず間違いなく〝ぷれいやー〟だろう。

 

(何か言い争っている? 周りの異形種が跪いて……あれらは従属神だろうか? それとも〝ぷれいやー〟か。八欲王のように仲間割れ? いや、決め付けるのはよくない。それにしても……あの全身鎧(フルプレート)……どこかでみた覚えが……確か八欲王と共にいた――)

 

「――Guten Abend(こんばんは)

「っ――!?」

 

 完璧に虚をつかれた。背後から発せられた謎の言語。ツアーが振り返った先にはひとりのバードマンがいた。一目で強大な力を秘めているとわかる弓を引き絞り、こちらに狙い済ましている。

 

「流石は私の創造主であらせられる御方ですね。貴方様の見立て通り、やはり監視役がいましたか」

「……」

 

 ツアーは何も答えず背負った鞘の柄にゆっくりと手を伸ばす。

 

「おっと、動かないでくださいよ。この距離なら間違っても外しませんからね」

 

 太陽の輝きを彷彿とさせる光が(やじり)に集中する。間違いなくユグドラシル産のアイテムだろう。ツアーは細心の注意を払いながら慎重に言葉を選ぶ。

 

「……君は〝ぷれいやー〟かい?」

「その辺りのことは、どうぞ私の創造主様にお話しくださいませ。大人しくして頂けますでしょうか?」

 

 冗談じゃない。ついて行ったら最後、何をされるか。生きて帰れるかわかったもんじゃない。

 

「……断る、と言ったら?」

「では仕方ありませんね。申し訳ありませんが、貴方を拘束させていただきます」

 

 些かオーバーリアクションのバードマンに対し、苛立ちを覚え始めたツアーが口火を切った。

 

「それは、御免だね!」

 

 遠隔操作により剣が勢いよく舞い踊る瞬間、収束した光が放たれる。人知れず世界最強(ツアー)と謎のバードマンとの戦いが始まった。

 

 

 ・

 

 

 

 

 場の全ての視線がセバスに集中していた。セバスは額を零れ落ちる珠のような汗を拭いもせずその身を震わせた。

 たっち・みーは言った。お前の正義を示せと。つまりはここで創造主(たっち・みー)を選ぶかナザリック(アインズ)を選ぶか、自分の意志で決めろということだ。主人の言葉を至上の喜びとして従うシモベにとって、死刑宣告にも等しい残酷な問い掛けだった。否、自害を命じられた方が遥かにマシだった。

 押し黙り、答えを出せないでいるセバスを一瞥し、やがてたっち・みーは視線を外す。その瞳には若干の失望の色が宿っていた。

 

「わ、私は……わた、しは……」

「……貴方がどちらを選択しようと、私のやるべきことは変わりませんがね」

 

 独り言ちるたっち・みーは虚空へと手を伸ばす。半ばまでガントレットが沈み込み、取り出したるは魔封じの結晶。アインズや守護者たちの表情が驚愕に染まる。封じられてる魔法によってはアインズに特攻効果を持つかもしれない。たっちは周囲の動揺を一切気にすることなく、水晶を思い切り足元に叩きつけた。

 

「――皆、逃げろ!!」

「アインズ様!?」

 

 アインズの絶叫を圧倒的な閃光が飲み込んだ。第九位階魔法〈核爆発(ニュークリアブラスト)〉が全てを熱と光とで吹き飛ばす。強烈なノックバックがアインズたちを襲う。万が一のたっち・みー戦を想定し、皆の装備を主に神聖属性対策にしていたのが裏目に出た。

 

「グッ……!!」

 

 普段は対策を取り、無効化していた炎によるダメージが、アインズやコキュートスなど一部炎属性が弱点の種族に突き刺さる。

 魔法詠唱者(マジック・キャスター)による詠唱ではないため、魔法最強化(マキシマイズマジック)二重化(ツイン)三重化(トリプレット)などのバフ(強化)もかかっておらず、さらに〈核爆発(ニュークリアブラスト)〉が第九位階魔法にしては然程強くなく、ダメージ量自体は大したことないのがせめてもの救いか。

 

「アインズ様!!」

 

 特殊技術(スキル)によりアルベドが咄嗟にアインズを庇う。

 使用者すら巻き込む最高峰の範囲攻撃が荒れ狂う中、たっち・みーはただ一点に狙いを定めていた。

 

「〈魔法最強化(マキシマイズマジック)重力渦(グラビティメイルシュトローム)〉!!」

 

 事前に〈光輝緑の身体(ボディ・オブ・イファルジェントベリル)〉を唱えていたアインズは炎属性のダメージやノックバックを無効化し、たっちの背に追いすがるように魔法を放つ。降りかかる超重力の螺旋球を意に返さず、たっち・みーはノックバックの反動を利用し加速した。その先には――

 

「狙いは私ですか! 悪魔の諸相:触腕の翼」

 

 死が前提なヴィクティムや群による強さが本領なアウラを除き、デミウルゴスの個としての強さは守護者最弱である。弱者から切り崩すというのは正しい選択だ。

 自身がこの場において最も戦力として劣っている自覚があったデミウルゴスは、迫り来るたっち・みーに半ば予感めいたものを感じていた。

 反射的に後方へ飛び退く。同時に背が盛り上がり翼が勢い良く飛び出した。一対の翼から無数の羽根が矢の如く射出され、五月雨を降らす。

 だが聖騎士は動じなかった。数え切れない羽根の雨を浴びながら、そのほぼ全てを切り伏せ悪魔へ肉迫する。

 

「くっ……悪魔の諸相:豪魔の巨腕」

 

 デミウルゴスは苦し紛れに右腕を振るう。通常の数倍に膨れ上がった拳はあっさり躱され、ついには懐に潜り込まれてしまった。大振りの攻撃は自殺行為だった。その代償は大きい。

 ――一閃、二閃。デミウルゴスの技量では決して避けきれない閃光が翻り、血飛沫が舞う。神速の斬撃からの斬り上げ、瞬く間に悪魔の両の羽根が根元から奪われ、豪腕が斬り刻まれた。デミウルゴスはなすすべもなく地に落とされる。

 

「がはっ……」

 

 土埃を巻き上げ大地を転がった。口内に土の味が広がる。すぐに起き上がろうと試みるが体が自由に動かない。なんとか上体を起こし見上げた視線の先には、

 

「まずは――一人」

 

 悪魔を滅ぼすのは自分の役目とばかりに聖騎士がこちらを見下ろしていた。たっち・みーのグレートソードが輝き神聖属性を纏う。

 

「やめろぉおおお!!」

 

 アインズの叫びが空しく木霊する。伸ばした骨の手は何も掴めず、大切なものを守るには短すぎた。

 〈上位転移(グレーター・テレポーテーション)〉よりもたっち・みーが剣を振り下ろす方が速い。魔法を放とうにもこの位置関係ではデミウルゴスに当たってしまう危険性がある。フレンドリィ・ファイヤーが無効なこの世界でのPvP(Player vs Player)は、ユグドラシルとまるで勝手が違っていた。

 

「――悪を討つ一撃(スマイト・エビル)

 

 無情にも白銀が袈裟懸けに振り下ろされる。眩いばかりの光が煌めき土煙が舞い上がった。

 

「あ……あ、あ……」

 

 アインズは膝から崩れ落ちその場に項垂れる。守れなかった。たっち・みー(友人)デミウルゴス(愛し子)を殺してしまった。考えうる中で最悪の状況に陥ってしまった。出口のない迷宮の袋小路に迷い込んでしまったような感覚。視界が歪む。アインズは深い絶望感に苛まれた。

 

「っ!? アインズ様、あれを!!」

 

 アルベドの喜色ばんだ声がアインズを現実へ引き戻す。力なく視線を上げるとそこには――

 

「……それが貴方の選択ですか」

 

 たっち・みーが静かに問いかける。その声色は一見抑揚のない淡々としたものだったが、不思議と優しげな響きを含んでいた。

 はたして、セバスはデミウルゴスを守るようにたっち・みーの前に立ちはだかっていた。グレートソードを白刃取り、真っ直ぐに創造主を見つめ返す。白い手袋は真紅に染まり、僅かに割れた額からは赤が滴り落ちる。必殺の一撃の殺しきれぬ威力が垣間見られた。

 悪を討つ一撃(スマイト・エビル)は相手のカルマ値が低ければ低い程大ダメージを与える特殊技術(スキル)だ。ナザリックにおいてトップクラスにカルマ値の高いセバスが致命傷を負わなかったのも道理。

 

「――はっ、これこそ貴方様からいただき、今なおこの胸に宿り続ける思いにございます」

 

 セバスの双眸を透明な液体が濡らし、赤と混じりて頬を伝う。

 

「あ――」

 

 アインズの眼窩の消え入りそうな灯火が光り輝いた。

 

「どうして見ず知らずの俺を助けてくれたんですか?」

「誰かが困っていたら、助けるのは当たり前!」

 

 アインズの脳裏にあの日、異形種狩りからたっち・みーに助けてもらった記憶が去来する。身体を張ってデミウルゴスを庇うセバスにあの日のたっち・みーが重なって見えたのだ。

 自分の行いは無駄ではなかったのだ。ナザリックを維持するために過ごした孤独な日々は。アインズ・ウール・ゴウンの輝かしい軌跡はこうして今なお皆の中に息づいている。

 たとえ何かしらの理由があって現在のたっち・みーが敵対し、どんなに否定しようとも。それだけは揺るぎない事実だった。

 

「セバス、君にひとつ言っておくべきことがある」

 

 立ち上がり、割れてしまった眼鏡を掛け直すデミウルゴスがいつもの皮肉げな笑みを浮かべた。

 

「何でしょうか?」

「私は君が嫌いだよ」

 

 助けられたにも関わらず、デミウルゴスの第一声はそれだった。眉根一つ動かさずセバスが応える。

 

「奇遇ですな、私もです」

「ですが……」

 

 アインズへの忠義のため、そしてナザリックのために。自らの創造主を裏切ってまでセバスがとった行動は賞賛に値した。

 もしデミウルゴスがウルベルト・アレイン・オードルと敵対したとしても、このような勇敢な選択を取れるかわからなかった。だから、

 

「――感謝します。今だけは」

「ふふ、貴方らしくもない」

 

 執事と悪魔が初めて肩を並べ、拳と魔爪とを構えた。その様はまるであの日の、ナザリック地下墳墓を攻略したときのたっち・みーとウルベルトのようであった。

 

「私……でに……失っ……光……こんな……しか……見せ……もら……」

 

 たっち・みーの小さな呟きは誰の耳にも届くことはなく爆風に掻き消された。次の瞬間にはグレートソードを油断なく構えている。

 

「ならば貫き通して下さい。貴方の正義を――」

 

 たっち・みーがセバスとデミウルゴスをまとめて斬り伏せようとして、

 

不動明王撃(アチャラナータ)――倶利伽羅剣(くりからけん)!!」

「――次元断層」

 

 横合いからライトブルーの巨軀が四つの武器を振り下ろす。一つ一つが強大な力を纏った必殺の連撃に迂闊な技では迎撃不能と判断し、たっち・みーは迷うことなく絶対防御を選択した。次元を斬り裂き生じた断層に四の斬撃が全て飲み込まれた。轟音すら消え去り一瞬の静寂が訪れる。

 

「私ヲ忘レナイデイタダキタイ」

 

 ほんの少しばかり外皮鎧が焼け焦げたコキュートスが男たちに居並ぶ。斬神刀皇、断頭牙、ブロードソードとメイスとをそれぞれの手に独自の構えを取っていた。口にこそ出さぬがガチガチと打ち鳴らす下顎が彼の心情を示す。即ち歓喜。己の創造主(武人建御雷)を超える最強の戦士(たっち・みー)を前にした武士の本能だった。

 

「聞け、守護者たちよ!!」

 

 守護者たちに、特にセバスの行動に勇気付けられたアインズは声を張り上げる。もう迷いはない。覚悟を決めろ。為すべきことをやり遂げるのだ。お前はただのモモンガではなく、皆の思いを継いだアインズ・ウール・ゴウンなのだから。

 

「協力してたっちさんを無力化せよ!! ただし決して殺すな!! 拘束した後、私が直々に彼を問いただす!!」

『はっ!!』

 

 何故たっち・みーがここまで苛烈に変わってしまったのか。何故ナザリックを滅ぼそうとするのか。以前の彼を知るアインズだが、この様変わりは明らかに異様だった。数百年の時が彼をここまで変えたのか。ならば彼の身に一体何が起こったというのだ。話したいこと、聞きたいことが山ほどあった。このまま訳もわからず、滅ぼすのも滅ぼされるのも御免だった。

 

「たっち・みー様……参ります!!」

「たっち・みー様、一手御指南オ願イ致シマス」

「行きますよ! 悪魔の諸相:八肢の迅速」

 

 三人の男たちは三者三様に咆哮を上げた。風を切る豪拳が、氷の斬撃が、炎を纏う魔爪が白亜の聖騎士を強襲する。神話がまた一ページ記されていく。あまりの力のぶつかり合いに耐えきれず大気が絶叫した。

 

「……甘いことを」

 

(そんな様では全てを失いますよ。私みたいに――)

 

 たっち・みーは黙したまま何も語らず、ただ剣を振るいNPCたちを迎撃する。自身の創造したNPC(セバス)すらその手にかけて。返り血に全身鎧(フルプレート)を染めながら。

 

「っ――」

 

 突如、無視できないレベルの殺気がたっち・みーの死角から降りかかる。迫り来るコキュートスの斬撃を左腕ごと斬り飛ばし、流れるような動作で回旋。

 一瞬の隙をつき、剛の拳と柔の掌を使い分け、蛇のような挙動を見せるセバスの一撃が全身鎧(フルプレート)の右の肩当てを奪う。繰り出された掌底が戻り切る寸前、即座にそれを斬り落とす。続け様にグレートソードの柄で腹部を叩打し右膝蹴りを叩き込んだ。

 

「がはっ……」

 

 血反吐をぶち撒けながら吹き飛ぶセバスだが、その表情は苦悶ではなく。してやったりと口元を吊り上げていた。違和感の正体はすぐに判明する。血に塗れたデミウルゴスがたっち・みーの獲物の刀身を溶かしていたのだ。黒煙が上がり爪がグレートソードにめり込んでいく。ただでさえ性能で劣るたっちの武器がただのナマクラと成り果てた。

 

「く――」

 

 融解し、斬れ味が落ちに落ちたグレートソードを鈍器のように振るいデミウルゴスを振り飛ばす。

 

「スマイト――フロストバァアアン!!」

 

 追撃をかけようとするがコキュートスがそれを赦すはずがない。氷属性を乗せた斬撃が行く手を阻む。たっち・みーの視界を三の剣戟が塞いだ刹那、

 

「――皆、今だよ!!」

 

 場違いな明るい少女の声が響く。主の声に呼応し、十数体の魔獣が宙から躍り出る。アウラの特殊技術(スキル)により強化され、それぞれのレベルは九十にも届く精鋭部隊だ。流石のたっち・みーも無視できない。迫り来る魔獣たちを屠らんと空に視線をやり、

 

「今だマーレ! やれっ!!」

「は、はぃいい!!」

 

 突如として足元が崩れ落ちた。たっち・みーを中心に蟻地獄のように陥没し、広範囲に渡り土砂と木々とを巻き込みながら彼をあっという間に飲み込んだ。

 〈上位転移(グレーター・テレポーテーション)〉によりセバスたちを間一髪回収したシャルティアが、アインズの側に転移する。フェンに騎乗したアウラが魔獣たちと共に主人を守るように取り囲んだ。

 

「まだだ、油断するな! この程度では――」

 

 アインズは弛緩しそうな空気を叱咤した。その言葉通り、墳墓のように盛り上がった大地にいくつもの剣閃が走る。最早純白と程遠い全身鎧(フルプレート)が視界に入ってくる。向こうも此方を視認してるだろう。

 二つ目の切り札の切り時だ。アインズを中心に蒼白のドーム状の立体魔方陣が形成された。

 

「おお……」

「この輝きはもしや……」

「……我々には許されない位階を超越せし魔法」

 

 守護者たちが感嘆の音を洩らす。発動準備時間を待つ意味などない。アインズは左手の砂時計を握り潰した。

 

「超位魔法――〈失墜する天空(フォールンダウン)〉」

 

 天空が墜つる。太陽と錯覚せし超高熱源体が大地に顕現し、効果範囲内全てをたっち・みーごと灼き尽くす。視界を白に染め上げた。

 

 ・

 

 どれほどの時間が経過しただろうか。〈失墜する天空(フォールンダウン)〉は凄まじい破壊の爪痕だけを残し、嘘のように消え失せた。それは範囲外にいた守護者たちにさえ恐怖を抱かせる威力だった。

 

「アウラ、たっちさんのステータスはどうだ?」

「はい、ちょっとお待ちください。ええっと――」

 

 超位魔法〈失墜する天空(フォールンダウン)〉。たっち・みーの種族に特攻効果こそないが、アインズの持てる最強最大の一撃だ。たとえワールドチャンピオンとはいえ唯ではすまないだろう。

 

「あ、出ました。五つ色違いでレベルは百。ステータスは……え? 何これ……」

「どうしたのお姉ちゃん」

「チビ助?」

 

 アウラの顔がみるみる青ざめていく。他の守護者たちが声をかけるも茫然とした表情で固まったまま動かない。

 

「どうしたのだアウラよ。早く続きを」

「は、はい。あのですね……その」

 

 言葉を濁すアウラが主人にまで促され、意を決したように口を開く。その声は震えていた。

 

「た、体力(HP)が一割程減っていますが……攻撃力……防御力……素早さ……ま、魔法力(MP)と魔法攻撃力以外、全てが測定範囲外、です」

『なっ……!?』

 

 守護者たちはおろかアインズすら言葉を失った。精神が強制的に沈静化される。

 

(莫迦な、なんだその巫山戯たステータスは。いくら数百年のアドバンテージがあるとはいえ、そんな出鱈目ありえるのか? 俺の知らない生まれながらの異能(タレント)を〈星に願いを(ウィッシュ・アポン・ア・スター)〉で奪った? それとも……)

 

 そんなバランスブレイカーがあり得るとすれば、それは――

 

「アハハハハハハハハ!!」

 

 狂気に満ちた嗤い声と共にたっち・みーが姿を現す。全身鎧(フルプレート)はほぼ全壊し、腰当て部分が辛うじて残るのみだった。異形種としての蟲の外観が露わになる。

 

「流石モモンガさんですね。指揮官もいけるじゃないですか」

 

 〈飛行(フライ)〉を使っているのだろうか。ゆっくりと宙に浮き、アインズたちを見下ろしている。

 

「……ですが私を生け捕ろうとしたのは失策でしたね。私が拘束具で縛られてる間に、全力で滅ぼすべきでした」

 

 たっち・みーは唯一残った腰当てのベルト、そのバックル部分に手を伸ばす。

 

「っ!? 〈魔法最強化(マキシマイズマジック)――〉」

 

 嫌な予感に突き動かされるまま、アインズは魔法をたっち・みー目掛け放つ。しかし既に遅かった。

 たっち・みーのバックルにはナーベラルのローブなどと同様の速攻早着替えのクリスタルが埋め込まれていた。アインズは知る由もないが、それはたっち・みーが愛してやまない百年以上前に流行った仮面のヒーローを模したものだった。

 

「変――身」

 

 お決まりの台詞と独特のポーズ。たっち・みーを課金エフェクトが眩く照らす。

 

「あ、あ……」

「これ、は……」

 

 大きく突き出た金色の角、真紅の瞳。漆黒を基調にした全身鎧(フルプレート)に所々血管の如くあしらわれた黄金の装飾。真紅のマントをはためかせ、降臨エフェクトと共に世界の敵(ワールド・エネミー)と化したワールドチャンピオンが降臨した。

 

「――さてモモンガさん、第二ラウンドを始めましょうか?」

 

 正義降臨の文字を背後に浮かせ、たっち・みーは微笑みを浮かべた。



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第7話

 アインズには眼前の光景が信じられなかった。しかしよくよく考えてみれば思い当たる節はいくつもある。シャルティアや九十レベルのアンデッドの副官を一蹴したり、セバスたち百レベル複数相手に大立ち回りを演じてみせたり。第十位階魔法でほぼノーダメージだったりと。

 確かにたっち・みーには数百年のアドバンテージがあり、ユグドラシル引退時よりその技量は飛躍的に向上していた。だがそれだけでは説明できない何かを感じとっていた。

 

「ムスペルヘイム祭りを、その大元となった騒動を覚えていらっしゃいますか?」

 

 真紅のマントをはためかせ、たっち・みーは悠然と舞い降りる。その問い掛けの意味がわかるのはこの場でアインズとたっち・みーの二人のみであった。

 ユグドラシルにおいて無双は可能か? 答えはNOだ。如何に神器級(ゴッズ)アイテムを全身に纏おうとも全属性に完全耐性を持たせることはできないし、どんな種族にも弱点やペナルティが存在する。

 例えばアインズはアンデッドとしての基本能力としてクリティカルヒット無効、精神作用無効、飲食不要など利点があるが、神聖属性や殴打武器脆弱、炎ダメージ倍加など弱点も存在する。

 しかしながらかつて例外があった。ユグドラシルに九つ存在する世界、そのうちの一つ〝ムスペルヘイム〟のワールドチャンピオン。彼はワールドアイテムを保有した上で、呪いによるボス化を行い七大罪の一人に成り果てた。結果彼は大多数のプレイヤー相手に無双した。

 最終的には敗北し、運営にキャラを抹消されてしまったが。余談ではあるがその後ムスペルヘイム祭りが開催され、女性で初めてのワールドチャンピオンが誕生した。

 

「八欲王と呼ばれる彼らが……私にこの呪いを掛けたのですよ」

 

 たっち・みーは漆黒の胸当て(チェスト・プレート)に手を置き、厭わしげな声を上げた。

 

「そして私は彼らの尖兵に成り果て世界を――いえ、既に過ぎさったこと。今は関係ありませんね」

 

 真紅に輝く瞳がアインズたちを真っ直ぐに見据える。

 

「――お待たせしました。では、始めましょうか」

 

 それが合図だった。たっち・みーは遥か間合いの外から無造作に腕を振るう。

 

「っ!? 〈ウォールズオブジェリコ〉〈イージス〉!!」

 

 咄嗟にアルベドが特殊技術(スキル)を発動する。瞬間、風が吹き荒れた。

 

「うおっ……!?」

「がっ……」

「くっ――」

 

 避ける暇などない。扇状に吹き荒れた暴風がアインズや守護者たち、地形すら関係なく全てを吹き飛ばす。アルベドが守ってくれ、かつ姿勢制御によりアインズは迅速に体勢を立て直すことができた。すぐさま追撃に備えるが何も起こらない。

 たっち・みーはアインズたちを歯牙にも掛けず、感触を確かめるように手を握っては開いていた。

 

「……この姿になると加減が難しいですね」

 

(巫山戯るな!! 巫山戯るなよ、何だよこれ!?)

 

 アインズは精神が何度も沈静化されながら必死に打開策を講じていた。たっち・みーは特殊技術(スキル)を発動した訳でも、ましてや位階魔法を詠唱した訳でもない。ただ単に腕を振るっただけ、それなのにこの破壊力だ。公式チートにも程がある。いや、ワールド・エネミー化した時点でworstだ。討伐には六人からなるパーティが少なく見積もっても二、いや三つは必要であろう。

 

「あ、待って! 行っちゃダメだよ!?」

 

 ワールド・エネミーとしてのヘイト増幅効果なのか、たっち・みーの瞳に魅入られたアウラ配下の魔獣たちが恐慌状態でたっちへ襲い掛かる。迫り来る顎が頭蓋を噛み砕こうと影を落とした。

 たっち・みーは注意を払うことなく、虚空に腕を沈ませ何処か遊びのあるランスを取り出した。シャルティアが悲鳴を上げる。アインズ、コキュートスもすぐにそれが何か思い当たった。それはシャルティアの創造主、ペロロンチーノが彼女に持たせた神器級(ゴッズ)アイテム――スポイトランスだった。

 

「それはわたしの――!!」

「誰も所持したがらなかったものでね」

 

 魔獣の下顎から脳天までスポイトランスが一直線に貫いた。たっち・みーは舞う血飛沫を浴びながら次から次へと魔獣たちを串刺し、貫き屠っていく。ゴポゴポと水音が奏でられ、憐れなる犠牲者たちの命を啜った。

 

「――これで全快」

「か、返してくんなまし! それはペロロンチーノ様がわたしにくださったアイテムでありんす!!」

「シャルティア、待て!! 不用意に近づくな!!」

 

 アインズの忠告は聞こえていない様子だった。迂闊にもシャルティアはスポイトランスを取り戻そうと手を伸ばし、飛翔する。セバス、コキュートスが援護しようと後に続いた。

 

「どうぞ、私にはもう必要ありませんから」

 

 涼しげに言い放つとたっち・みーはスポイトランスをその膂力でもって投擲した。鮮血が飛び散る。

 

「がはっ……」

 

 腹部の半分以上を失ったシャルティアが遥か離れた木の幹に打ち付けられた。臓物が飛び散る。その様は銀の杭で十字架に貼り付けられた吸血鬼そのものであった。

 

「シャルティア!?」

 

 直接騎乗していたため恐慌状態を免れたフェンを操り、アウラはシャルティアを救援に向かう。同時にセバスとコキュートスが拳と剣をたっち・みーへ繰り出した。デミウルゴスが後方から炎を放ち追従する。

 

「目には目を――剣には剣を」

「ハァアアア!!」

 

 コキュートスの斬撃に対し、たっち・みーはベルトのバックル付近から何かを居合い抜き相殺。次の瞬間、彼の右手には刀身自体が蒼白く発光する(つば)のない剣が握られていた。

 

「ぐっ……」

 

 そしてセバスの正拳突きは一の腕から大きく棘の生えた左のガントレットに阻まれ完全に沈黙した。

 

「これなら……どうです!」

 

 両腕が塞がっているたっち・みーの背後へ廻り、デミウルゴスが至近距離から高位階魔法を浴びせた。火柱が高らかに上がる。

 

「……今、何かしましたか?」

 

 無傷。焦げ跡一つ残すことなく、炎に照らし出された全身鎧(フルプレート)の光沢は少しも翳ることなく。はたして、たっち・みーは健在だった。

 

 

「そんな……馬鹿な……あれは……あの装備は!?」

 

 アインズの眼窩の灯が動揺に激しく揺らぐ。守護者たちには単に強大な力を秘めた装備にしか思えなかったが、ユグドラシルをプレイしていた彼には思い当たる節があった。

 あれらはいずれもユグドラシル公式が主催する武術大会の優勝者が所有していたものだ。兜、鎧、ガントレット、剣、マントに至るまで、その全てがたっち・みーのコンプライアンス・ウィズ・ローに匹敵する力を内包していた。それが意味するところはつまり、

 

「この装備ですか? 他のワールドチャンピオンたち(八欲王)の遺産ですよ」

 

 たっち・みーは死した八欲王の装備を全身に纏っていたのだ。よくよく観察すると全身鎧(フルプレート)は左右非対称で形状は歪。色合いも無理矢理変えた様子だった。

 つまり今のたっち・みーはワールド・エネミーでありながら、全身をワールドチャンピオンの武具で――ギルド武器に匹敵する――武装しているというユグドラシル時代ですらありえない超越者(オーバーロード)だった。遅れて事態の深刻さを解した守護者たちの表情が絶望に染まる。

 

「……アインズ様、如何致しましょうか」

「あ、アインズ様……」

 

 近くに控えるアルベドが暗に撤退を示唆し、マーレも不安げな眼差しを向けてくる。アインズに迷いが生じていた。

 これが他のワールドチャンピオン相手なら間違いなく撤退していたことだろう。敵戦力を分析し然るべき後にナザリックへ誘い出す。そして第八階層のあれらに世界級(ワールド)アイテムを使用し、確実に始末する。否、その前に捕らえてプレイヤーの復活、あるいは記憶操作の実験材料にすべきだろうか。

 如何にワールドチャンピオンが強いと言ってもそれはあくまでも個としての強さ。仲間たちの協力あってこその成果だが、千五百人を退けた実績を誇るあの階層を単騎で切り抜けるのは世界意思(ワールドセイヴァー)でも使用しない限り不可能だ。

 しかしギルドの指輪持ち(たっち・みー)相手では話が全く変わってくる。彼はナザリック地下大墳墓において難攻不落である第八階層を丸ごとスルーできるのだ。それどころかいきなり宝物殿への転移すら可能。

 放置はさらに悪手だ。既にこの場に痕跡を残し過ぎた。探査系の巻物(スクロール)でナザリックの位置がバレる恐れがあるし、その上アインズの知らない何らかの方法で追跡される可能性まであった。

 

「……撤退はしない、此処で迎え撃つ。〈伝言(メッセージ)〉」

 

 アインズはナザリックに控える戦闘メイド(プレアデス)の副リーダー、ユリ・アルファに伝言(メッセージ)を送る。か細い勝ち筋を得るために。吹けば消えそうな蝋燭、或いは薄氷の上を渡るような心地だった。

 アインズの瞳はまだ死んでいなかった。何かしらの脅威を感じ取ったたっち・みーは、虚空から身の丈程もある漆黒の大剣を取り出した。柄には赤き宝玉が、刀身にはルーンが。そして(きっさき)は黄金の輝きを放ちバチバチと帯電している。先の光剣にも劣らぬ力を秘めたそれもまた、かつてのワールドチャンピオンの武器。

 右手に光剣を、左手に大剣を。それぞれを逆手に構え、アインズ目掛け一直線に疾走する。セバスたちが必死に追い縋るが、完全武装のたっち・みーに敵う筈がなかった。翻るマントの縁すら掴めずあっという間に置いていかれてしまう。

 

「〈骸骨壁(ウォール・オブ・スケルトン)〉!!」

 

 無数の骸骨(スケルトン)が連なってできた壁がアインズたちとたっち・みーを隔てる。

 

「無駄です」

 

 たっち・みーは両の剣を交差させ、バツの字を書くように振り下ろす。神聖属性と闇属性とを携えた斬撃が骸骨(スケルトン)たちを容易く葬り去った。崩れ去った壁の向こうにアインズたちの姿は既になく。骨がカラカラと小気味良い音を立てるのみだった。

 

「〈魔法最強化(マキシマイズマジック)千本骨槍(サウザンドボーンランス)〉!!」

 

 千の肋骨の形状の槍がたっち・みー目掛け放射上に降り注ぐ。たっちは避ける動作すらせず宙に目を凝らしていた。無数の骨槍が全身鎧(フルプレート)に当たっては弾き返される。極まれにダメージが通っても無視できるレベルだった。

 

「……そこにいましたか」

 

 遥か上空、点のようなサイズのアインズが魔法を詠唱しているのが見えた。マーレはアインズの首に腕を回し右側に、アルベドはアインズに腰を支えられ左側にいた。〈集団飛行(マス・フライ)〉を使わないのはたっち・みーが遠距離攻撃、または近距離に接近した際、円滑に〈上位転移(グレーター・テレポーテーション)〉するためだろう。

 

「――〈飛行(フライ)〉」

 

 短く言い放ち、土煙と音を残したっち・みーの姿が掻き消える。ようやく追いついたコキュートスの斬撃が虚しく空を切った。

 

「よし、誘いに乗ってきたな。――〈上位転移(グレーター・テレポーテーション)〉」

 

 アインズはたっち・みーを上空へ誘き寄せ、地上へ転移。守護者たちと地上から集中砲火を浴びせる算段だった。しかし、

 

「なっ……!?」

 

 たっち・みーは急停止からの急旋回。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「転移の際、わずかに空間に揺らぎができるんですよ」

「はぁ……ふざけ――!?」

「死ねやこの裏切り者がぁああああ!!」

 

 翼のように広げた二振りの剣が最上段から同時に振り下ろされる。3F(バルディッシュ)を操るアルベドが自ら躍り出、ありったけの特殊技術(スキル)を駆使し鍔迫り合った。

 

「はっ、何が正義か!! 私たちを捨て、アインズ様を裏切り!! それのどこに正義があるというの!!」

「…………」

 

 アルベドが絶叫する。紛れもなく彼女の本心だった。感極まってしまったのだろう、面付き兜(クローズド・ヘルム)越しだがアルベドが泣いているのがはっきりとわかった。

 今まで溜め込んでいた〝りある〟に去ってしまった至高の存在たちに対する、嘘偽りない本音。溜まりに溜まった鬱屈とした思いが、ぶつけることができる相手(たっち・みー)を前についに決壊したのだ。思いつく限りの罵声を浴びせる彼女を誰が責められようか。

 他の守護者たちも多かれ少なかれ同じ思いを抱いていた。マーレが辛そうな表情で目を瞑る。その瞳には涙が浮かんでいた。

 

「何とか言ったらどうなの!?」

「……そう、ですね。貴方の言う通りだと思います」

 

 甘んじて罵声を受けとめていたたっち・みーが重い口を開く。此方も表情は伺えないがばつが悪そうだった。

 

「彼を殺めた時点で……いや、或いはこの世界に来るずっと前から私は正義とは程遠い存在なのでしょう。ですが――」

 

 たっち・みーの気配が変わる。それは既に覚悟を決めた男のものであった。

 

「だからこそ私は――此処で立ち止まる訳にはいかないのです!」

 

 蒼白の光剣と漆黒の大剣が煌く。瞬きさえ許さぬ刹那に一体幾度繰り出されたのだろうか。魔法による援護射撃の(いとま)すら与えず、超高速の連撃がアルベドの鎧を破壊した。兜が砕け散り血飛沫と共に破片が舞う。

 

「この程度で……!!」

 

 片方の角を折られ、端整な顔を血に染めながらもアルベドは決して屈しなかった。暴風雨のように吹き荒れるたっちの猛攻を歯を食いしばり耐え抜く。そしてついに3F(バルディッシュ)の刃がたっち・みーを捉えた。腹部へしたたかに一撃喰らわせた。与えたダメージはわずかであるが、ついに一矢報いたのだ。この機を逃す手はない。

 

「マーレ! 私ごとやりなさい!」

「で、でもアルベドさん……」

「いいからやりなさい!!」

 

 アルベドの(げき)に躊躇ったのは一瞬、意を決したマーレがシャドウ・オブ・ユグドラシルを大地に突き立てた。足元が陥没する。全方向から盛り上がった土砂が二人をまとめて飲み込もうとして、

 

「二度も同じ手には掛かりませんよ」

 

 光と闇の閃光が走る。幾重にも切り裂かれた大地が土塊となって吹き飛び、その中にアルベドもいた。ズタボロになった彼女は力なく宙を舞う。

 

「アルベドっ!!」

「お見事でした。もう少し経験を積めば茶釜さんクラスになれそうですね」

 

 たっち・みーの心からの賛辞がアインズの逆鱗にふれた。

 

「〈魔法三重最強化(トリプレットマキシマイズマジック)現断(リアリティ・スラッシュ)〉!!」

「次元断層」

 

 三重の次元を切り裂く刃が走るが、同じく次元に生じた断層に全て呑み込まれてしまう。歪みの向こうの漆黒が迫り来る。マーレが黒杖を振り上げたっち・みーの前に立ちはだかった。

 

「よせ、マーレ! 早く逃げろ!!」

「嫌です! ぼ、僕がアインズ様を守ります! 〈パワー・オブ・ガイア〉」

 

 珍しく自己主張の激しいマーレが魔法と特殊技術(スキル)とで自身の身体能力を強化する。

 

「やあああ!!」

 

 果敢にも黒杖を勢い良く振り上げたっち・みー目掛け鈍器のように振り下ろす。

 

「……」

 

 されど現実は残酷だった。どれだけ身体能力を強化しようとも、戦士と魔法詠唱者(マジック・キャスター)の歴然たる差はそう易々と埋まらない。

 黄金の輝きが煌めき、シャドウ・オブ・ユグドラシルを真っ二つに両断した。驚愕に目を見開くマーレの首筋に漆黒の刀身が突きつけられた。たっち・みーとて年端もいかぬ()()を斬り伏せるのは流石に躊躇われた。剣先がわずかに揺らぐ。

 

「許しは請いません。どうぞ私を恨んでください」

あたしの弟(マーレ)に何すんだコラァアアアア!!」

「お、お姉ちゃん!」

 

 弟の窮地を頼れる姉が救った。光の矢の雨が降り注ぐ。アウラの特殊技術(スキル)レインアロー〈天河の一射〉だ。両の剣で斬り払いながらたっちは大した脅威ではないと判断する。矢に構うのを止め目の前の少女を再度狙おうとして、

 

「〈影縫いの矢〉!!」

 

 先刻とは違う灰色の雨が降る。状態異常をもたらすであろう矢をわずらわしく思いながら剣を振るい、

 

「っ――」

 

 矢の雨に紛れて一際大きい光の槍が眼前に迫る。必中の効果を持つそれはただ避けたり斬り払うだけでは危険だ。たっち・みーはぎりぎりで西洋帆型の盾を取り出し構えた。直撃。以前のようにはいかない。今度は完璧に防ぎきった。

 

「大丈夫? マーレ!」

「お、お姉ちゃん……ありがとう」

 

 マーレの腕に輪のついた縄が巻かれ思い切り引き寄せられる。その先にはフェンに跨ったアウラがいた。優しくマーレを抱きとめる。

 

『――アインズ様、準備が整いました』

『よし、聞こえたなシャルティア? 頼んだぞ!』

「はい、お任せを! 〈転移門(ゲート)〉」

 

 上空から清浄投擲槍を放ったシャルティアは、直ちに主人の命を遂行する。〈転移門(ゲート)〉を開き、すぐさま〈上位転移(グレーター・テレポーテーション)〉。

 

「先ほどは世話になったでありんす!!」

 

 たっち・みーと双方の武器が届く距離へ転移したシャルティアは、はらわたをぶちまけられたお礼とばかりにスポイトランスを穿った。互いの身長差を利用して繰り出されたスポイトランスは、しかし左のカイトシールドに阻まれてしまう。カウンターで横薙ぎに振り下ろされた光剣がシャルティアの腹を抉る。真紅の鎧を容易く突破し肉と臓物とを焼いた。

 

「んぐぐ……ひひ……たっち・みー様、御機嫌ようであ、り、ん、す」

「? 何を――」

 

 目の前の相手は痛みで気が触れたのだろうか。たっち・みーが訝しんだ瞬間、超巨大質量が二人を押し潰した。

 爆音が轟き大地が揺れた。土煙が巻き上がる。もうもうと立ち込める煙の向こうに赤き光の鼓動を持つ巨像がいた。第四階層守護者――ガルガンチュア。全長三十メートルを超す岩の巨体は悠然と大地に降り立った。

 

「アインズ様、我ら六連星(プレアデス)改め七姉妹(プレイアデス)、御身の前に」

「おお、よくぞ来てくれた」

 

 ガルガンチュアから遅れてユリ・アルファを筆頭に戦闘メイドたちが各々ゆっくりと舞い降りる。最後尾には巫女装束を着た末妹――オーレーオール・オメガが二人の少年少女――源氏物語に出てきそうな衣装を着てる――を引き連れて現れた。そして彼女たちだけではない。

 シャルティアが開けた〈転移門(ゲート)〉から続々と高レベルのシモベたちが降り立った。デミウルゴス配下の憤怒、強欲、嫉妬の三魔将やコキュートス配下の雪女郎たちや蟲人、アウラの魔獣たちやシャルティアの吸血鬼(ヴァンパイア)。盾役の低レベルアンデットたちや大図書館(アッシュールバニパル)死の支配者(オーバーロード)など。すぐに動かせるナザリックの高レベルなシモベをありったけ集めたのだ。なかなかに壮観な光景であった。セバスたち守護者もその一団に合流する。

 

「アルベド様、怪我の治療を致します……わん」

「ありがとうペストーニャ、助かるわ」

 

 一番手酷くやられたアルベドの元にメイド長でありナザリック最高の治癒魔法の使い手のペストーニャがやってくる。

 

「お姉ちゃん、さっきはありがとう……」

「全く、アンタはあたしがいないと本当駄目なんだから!」

 

 胸を張って得意げなアウラにマーレはシャルティアの存在を思い出した。

 

「あ、しゃ、シャルティアさんは大丈夫かな?」

「シャルティア〜? 心配するだけ無駄だって。だって最初から死んでるじゃん」

「少しは心配してくれても罰は当たらないんじゃありんせん?」

 

 姉弟の会話にミストフォームを解いたシャルティアが現れる。あの瞬間、間一髪物理干渉無効の星幽界(アストラル)体へ変貌し難を逃れたのだ。

 

「シャルティア、よくやったな。この策はお前の働きが大きい。それにアルベドも……よくぞ時を稼いでくれた」

 

 此度の作戦の功労者二人を労う。出来るだけ時間を稼ぎユリたちにナザリック内の戦力を集めさせ、たっち・みーに気づかれないように〈転移門(ゲート)〉を開く。その後ガルガンチュアをぶつけてひるんでる隙にシモベたちを送らせる。即興で立てた割には完璧な作戦だった。

 

「アインズ様〜! 愛する殿方のために頑張るのは当然でありんすぅ」

「はっ、アインズ様は私を褒めて下さったのよ!」

「はあ? 耳がついてないのかこの大口ゴリラ!」

「何だってこのヤツメウナギ!!」

 

 両者とも血まみれのまま掴み掛からん勢いだ。アインズはいつものように一喝したい衝動に駆られる。

 

(でも二人とも頑張ったからなあ……)

 

 アインズがどうしたものかと考えあぐねていると、

 

「――次元断切(ワールド・ブレイク)

 

 場の空気を一変させる声が静かに響いた。手、足を次元ごと切断されたガルガンチュアが駆動音を響き渡らせながらバランスを崩す。

 

「たとえどれだけ戦力を集めようとも――」

 

 多少、土埃に塗れただけで大した傷を負ってないたっち・みーが姿を現した。宙に浮き、左右の剣は異なる色の光を纏っている。

 

「私には届かない!! 次元断切(ワールド・ブレイク)

 

 再度次元が切断される。集めた戦力の半数が空間ごと両断された。

 

「……さて、それはどうかな?」

 

 アインズは不適に――骸骨ゆえ読み取り辛いが――笑ってみせた。

 

「たっちさんは忘れていませんか? ナザリックには貴方に匹敵……いや、それ以上の存在がいることを」

「何を世迷言を――」

 

 シャルティアの魔力(MP)が尽きたのだろう、〈転移門(ゲート)〉がゆっくりと閉じられる。刹那、一つの赤い影が凄まじい勢いと共に〈転移門(ゲート)〉から飛び出した。

 

「行きなさい、私の可愛い妹(ルベド)。私たちの敵を完膚なきまでに叩きのめして」

 

 血塗れの(アルベド)が命ずる。(ルベド)はその勢いでもってたっち・みーの横っ面を兜越しに殴り飛ばした。



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第8話

 ふと目を覚ます。知らない天井が視界に広がっていた。どうやら自分はベッドに横たわっているらしい。身体を起こそうとした瞬間、全身に痛みが走る。

 

「ぐ……あ……」

「おや? 気がつかれましたか」

 

 優しげな声が響く。男性のものだ。安楽椅子に腰掛け、書物を紐解いていた男が此方に気づき立ち上がる。ベッドサイドまで近づいてきた彼の顔を見た瞬間、言葉を失った。

 

「す、骸骨(スケルトン)……痛……!?」

「ああ、駄目ですよ急に動いては」

 

 見た目とは裏腹に、彼はいい人? のようだ。実に甲斐甲斐しく私の世話を焼いてくれた。毛布をかけ直してくれる。

 

「あ、ありがとうございます」

「いえ、お気になさらずに。困った時はお互い様ですから。――どうぞ」

 

 微笑む骸骨(スケルトン)からは一切の邪気を感じられない。湯気の立つ木のカップを手渡そうとしてくる。感謝を告げ受け取ろうとして、気づいてしまった。自分の手が人のものではないということに。思わずカップを受け取り損ねた。中身が床にぶちまけられる。

 

「あ、ああ……」

 

 節のある蟲のような手。手だけではない腕も、足も。無意識に顔を触っていた。触角のような感触に人のものではない凹凸。

 

「あ――」

 

 気を失った。最後に見たのは慌てふためく骸骨(スケルトン)の姿だった。

 

 

 ・

 

 

「……すみませんでした」

「いえいえ、初めは誰だって戸惑いますよね。僕もそうでした」

 

 二度目は流石に気絶しなかった。二十歳もとうに過ぎ、妻子持ちの身の男が何たる体たらくか。穴があったら入りたい。私が恥じていると骸骨(スケルトン)……いや、死の支配者(オーバーロード)のスルシャーナさんが慰めてくれる。互いに自己紹介を交わし、次第に状況を把握していく。

 

「つまりこの世界はユグドラシル(仮想現実)などではなく現実であり、しかも異世界である、と」

「はい、その通りです。信じられないかもしれませんが、それが事実ですので」

 

 肩を竦めるスルシャーナさんに私はまだ信じられない思いで一杯だった。だがこの姿は紛れもなくユグドラシルをプレイしていた時の私――たっち・みーの姿だった。

 そしてこの飲み物。スルシャーナさんが部下の方に淹れ直してもらったものに視線を落とす。ユグドラシル時代とは違い、匂いも味もある。嗅覚、味覚も含めた五感が存在するのだ。さらに流暢に動く口元。いずれも現代の技術では再現不可能であった。

 何よりまずコンソールパネルが出現せず、ログアウトができない。当たり前か。ユグドラシルを引退して久しい自分には、ログインした覚えなど全くないのだから。ならば何故自分はこんなところに、こんな姿でいるのか。

 

「――ぐっ」

 

 何とか思い出そうと最後の記憶を辿ろうとした瞬間、割れるような痛みが走る。それから断片的な映像が浮かぶ。

 

 ひとりの男。知っている。私はこの男を知っている。何かを話したはずだ。……一体何を。

 

 向け合う銃口。そして、そして――何があったというのだ。

 

 そこから先の記憶がパタッと途切れていた。思い出せない。

 

「それにしてもまさか貴方があの有名なたっち・みーさんだとは思いも寄りませんでしたよ!」

 

 話題を変えるようにスルシャーナさんがやけに明るく振る舞う。此方が気落ちしないように努めてくれているのだろう。やはりこの方はいい人だ。

 

「私のことをご存知なのですか?」

「もちろん! 有名人ですよ貴方は!」

 

 スルシャーナさんは興奮したように饒舌になる。

 

「ワールドチャンピオンのひとりにしてユグドラシルで三指に入る超上級プレイヤー! そしてあの悪名高きPK(Player killer)ギルド、アインズ・ウール・ゴウンにおいて最強の存在! 貴方にPKK(player killer killer)されたプレイヤーは数知れず――あっ、すみません!?」

「いえ、良いんですよ。本当のことですから」

 

 慌てて謝罪してくるスルシャーナさんに笑って返す。アインズ・ウール・ゴウン……久しぶりに懐かしい名を聞いた。脳裏に様々な思い出が蘇り、浮かんでは消えた。深い郷愁に駆られる。

 異形種狩りが流行っていたユグドラシル黎明期。私は後にアインズ・ウール・ゴウンのギルド長になるモモンガさんを含め幾人かに声を掛け、クラン――最初の九人(ナインズ・オウン・ゴール)を立ち上げた。PK(Player killer)に晒される異形種たちを守り、救い、困っている人々を助ける。

 理想とは程遠い現実世界(リアル)でやりきれない思いを抱えたまま生きている自分が、遠い昔に憧れていたヒーローになれたような気がした。

 続々と仲間たちが増え、クランのメンバーが三十人に届きそうな頃。意見の対立から一人がクランを去ってしまった。あの頃からだろうか、私とウルベルトさんの折り合いが悪くなったのは。辞めたあの人と一番仲の良かったのは彼でしたから……

 未踏破ダンジョンのナザリック墳墓を見つけてから私はかねてより考えていたクランの解散とギルドの創設を提案。ギルド長にモモンガさんを推薦した。本人は柄じゃないと恐縮しきっていたが、あの人は本当に凄いのだ。

 周囲と軋轢を生んだ私では不可能な方法で誰とでも仲良くできた。それがどれ程の偉業か彼自身は理解していたのだろうか。その証拠にモモンガさん本人以外、誰からも反対意見は出なかったではないか。

 そうしてナザリック地下墳墓を攻略した我々はギルド――アインズ・ウール・ゴウンを創設した。満場一致でモモンガさんをギルド長に戴き、ナザリック地下墳墓をナザリック地下大墳墓に改造し、ギルド拠点に据えて。

 

「あの千五百人を撃退した時の動画なんてもう痺れましたよ! どれだけ繰り返し観たことか!!」

 

 スルシャーナさんが気色ばんで語る。PCやNPC、傭兵NPC合わせて千五百人の大連合がナザリックに大侵攻を掛けた時の話だ。千五百人vs四十一という絶望的な数の暴力を覆し、アインズ・ウール・ゴウンが勝利を収めた戦いは伝説となった。

 

「……私のことはもうその辺りでいいでしょう。スルシャーナさんのことを聞かせていただけますか?」

 

 尚も語り続けるスルシャーナさんを制し、此方から切り出した。皮膚も唇もない彼の口から飛び出したのは、到底信じられない内容だった。

 

 ユグドラシル最終日、スルシャーナさんのギルドは彼を含めて六人いたらしい。MMORPGから遠ざかって久しい自分は、ユグドラシルのサービス終了自体全く知らなかった。

 そういえば数日前、久しぶりにモモンガさんからメールが来ていた。私は職務に忙殺され、メッセージを開くことさえしなかった。いや、それは言い訳か。何より後ろめたかったのが本当のところだ。

 ……我々のギルド(アインズ・ウール・ゴウン)は最終日に何人程集まったのだろう。こんなこと言えた義理ではないが、かつてのギルメンたちが集ってくれたことを願わずにはいられなかった。

 

 

 ・

 

 

「私も仲間と共に、静かにユグドラシル終了(その時)を待っていました」

 

 夜空を彩る大輪の花が次々に打ち上がり、閃光を残し瞬いては消えていく。その度に湧き上がる大歓声。それはこの一瞬一瞬を惜しむような。ユグドラシルプレイヤー皆の思いを何よりも雄弁に物語っていた。

 今日この良き日、ユグドラシル最終日を飾るために運営側は色々用意していた。花火を始めとした三角帽子やクラッカーなどの格安の祝いの品々やクリスマスイベントと酷似した終了記念仮面。地表でエンカウントするモンスターはその動きを停止し、毒の沼地や溶岩、氷河はその効果を失い、マイナスダメージが発生しない。この最終日に限り、ありとあらゆるエリアが解放された。

 仲間たちとばか騒ぎするもの。花火を買い占め街中で打ち上げるもの。二足三文で投げ売られた神器級(ゴッズ)アイテムを買い漁るもの。傭兵NPCを引き連れ単独難攻不落なダンジョン最奥に挑むもの。ギルメンとギルド拠点で思い出を語り合うもの。ユグドラシルプレイヤーたちはそれぞれの楽しみ方で自分たちが十二年間寄り添ってきたMMORPGの別れを惜しんでいた。

 そしてついに終わりの時が来た。始まるカウントダウン。悲喜交々なアイコンが飛び交う。スルシャーナは仲間と共に空を見上げた。ずっと共に戦って来た傭兵NPCたちも一緒だ。

 

 10、9、8――

 

 思えばこの十二年間いろんなことがあった。仲の良いフレンドとギルドを結成し、いつの間にか自分がギルド長に任命された。上位ギルドに因縁をつけられ全滅したこともあった。世界級(ワールド)アイテムを初めて入手した時は感激のあまり仲間と朝まで盛り上がった……後に奪われてしまったが。

 百人近くいたメンバーが今では自分を含め六人しかいない。いや、六人も残っていてくれたという表現が正しいか。聞けばギルメンが一人も現れず、ぼっちで過ごすプレイヤーも珍しくないとのこと。自分は本当に幸せものだ。

 

 5、4、3――

 

 夢の終わりは現実の始まり。明日も会社だ。早く寝よう。

 

 2、1、0――

 

 瞬間、全てが光に包まれた。

 

 

 ・

 

 

「……それからどうなったんですか?」

「気がつくと私たちは見知らぬ場所にいました。そう、丁度今の貴方のように」

 

 スルシャーナは目を細め――実際には異なるが――どこか遠くを見つめるようにたっち・みーに語った。

 

 光が収束する。戻ってきた視界に映し出された光景に、スルシャーナたちはただ困惑するしかなかった。あれほど大音量で鳴り響いていたBGMは消え去り、周囲は嘘のように静まり返っている。夜空を彩る花火も他プレイヤーたちの喧騒も、全てがまるで夢幻のように消え失せていた。彼らだけを残して。流れる風が草花を揺らす。気がつけばスルシャーナたちはただっ広い草原にいた。

 何だ? 何だ? 何が起こった? サーバーダウンは延期されたのか? 俺明日早いんだけど……私だって――仲間たちの困惑の声。明確な答えを出せるものなど誰一人いない。答えのでない問いに沈黙が下りようとした時、

 

「――どうされました? 我が主様方」

 

 聞いたことのない女性の声。傭兵NPCが口を開いた。他のNPCも此方の様子を伺っている。その瞬間の驚きようったらなかった。激しく狼狽する仲間たち。だがスルシャーナは自身の感情が次第に沈静化していくのを感じていた。それがアンデッドの常時発動型(パッシブ)特殊技術(スキル)によるものだと気づくのはずっと後のことだ。

 狼狽えながら口々に疑問を彼女に投げかける。これは何だ? もしかしてユグドラシルⅡなのか? だとしたら運営やるじゃん、見直したわ。コンソールが表示されないんだけど。GMコールも繋がらないし……というかここ何処よ。

 

「申し訳ございません。私には皆様のおっしゃっている意味がわかりかねます。無知なこの身をどうかお許しください」

「死んでお詫びを!!」

 

 矢継ぎ早に繰り出される質問に対し、傭兵NPCたちは非常に申し訳なさそうに頭を振った。自害しかねない勢いで土下座しようとするのを慌てて押し留める。立ち上がらせるのも一苦労だ。さて、NPCも知らないとなるといよいよ持って手詰まりだった。この先どうするべきか。考えあぐねていると、急に目の前のNPCの雰囲気が変わった。

 

「――主様方、ご注意くださいませ。戦場(いくさば)の臭いがします。此処からそう遠くありません」

『っ!?』

 

 野伏(レンジャー)としての直感か、それとも特殊技術(スキル)だろうか。いち早く異変を察知した彼女は武器を抜き油断なく構え、周囲を警戒した。慌ててスルシャーナたちも武器を構える。

 

「様子を見て参ります」

 

 NPCが駆け出した。疾風の如く草原を駆け抜ける彼女は小高い丘の上で不意に動きを止める。遅れて追いついたスルシャーナたちは絶句した。

 街――いや、規模からいってどう贔屓目に見ても村だろう。人口百人にも満たなそうな簡素な作りの村が――正確には村だったものが――丘の上から一望できた。それはこの世の地獄だった。無残にも破壊し尽くされた家屋。惨殺された村人の死体。泣き叫ぶ子供の声にそれを追う人喰い大鬼(オーガ)小鬼(ゴブリン)たちの下卑た嗤い声。星明りひとつない薄暗い夜にも関わらず、悪戯に燃やされた家屋の火と煙とが〈闇視〉を持つスルシャーナ以外にもこの惨状をまざまざと見せ付ける。

 

「……如何なさいますか?」

「ご命令をいただければ私めが」

 

 NPCたちの発言など耳に入らない。それ程に衝撃的な光景だった。ギルメンの中には思わず顔を逸らすものや嘔吐するものさえいた。当然であろう、目の前で()()が虐殺されているのだから。ならばどうして自分は平然と眺めていられるのだろうか――スルシャーナは疑問符を浮かべた。

 ユグドラシルでは倒したモンスターやプレイヤーはすぐに光の粒子になり消えていった。例えば竜を倒せば竜の鱗、牙、肉など素材やアイテムが手に入ったし、PvPでプレイヤーを仕留めれば所持していたアイテムのひとつがランダムでドロップした。間違ってもこのような凄惨な光景が広がるはずはない。

 つまりはこの世界はユグドラシルⅡなどではなく。鼻をつく血や煙の臭いも、目の前で死んでいく村人たちも。どうしようもなく現実だった。

 逃げ惑う子の一人が転ぶ。その表情は恐怖に塗れていた。人喰い大鬼(オーガ)は口元を吊り上げ手にした斧を勢い良く振り上げて、

 

「やめろぉおおお!!」

 

 耐えきれずギルメンの一人が飛び出した。力量差など推し測る余裕もない。ただ純粋にこれ以上見てられなかったのだ。大きく跳躍し、人喰い大鬼(オーガ)目掛け白刃を袈裟懸けに振り下ろす。右肩から左腹にかけて両断。舞う血飛沫に断末魔の叫び。人喰い大鬼(オーガ)がゆっくりと崩れ落ちる。それが戦いの狼煙となった。異変に気づいた人喰い大鬼(オーガ)たちは遊びの狩りを止め、仲間を屠った敵を取り囲む。彼に危険が迫る。

 

「主様!」

「ったく、あの馬鹿!」

 

 傭兵NPCや他の仲間たちも参戦する。同時にスルシャーナやギルメンの魔法詠唱者(マジック・キャスター)が彼らを援護しようと魔法を放つ。アイコンこそないが、何故か本能で発動方法を理解した。

 

「〈心臓掌握(グラスプ・ハート)〉」

「〈破裂(エクスプロード)〉」

 

 魔法は問題なく発動した。対象である人喰い大鬼(オーガ)が崩れ落ち、小鬼(ゴブリン)は爆発四散した。しかし同時にスルシャーナも片膝をつき、<ruby><rb>魔法詠唱者</rb><rp>(</rp><rt>マジック​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​・​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​キャスター</rt><rp>)</rp></ruby>も杖を支えに立つのがやっとの有様になる。魔法力(MP)もごっそりなくなった感覚がした。ユグドラシルとは決定的に魔法の法則が異なる事を直感する。幸いにして巻物(スクロール)や魔封じの水晶、各種アイテムは問題なく使用できたので、これらで前衛たちを援護した。亜人たちが大した強さではないのが功を奏した。村を襲っていたオークやゴブリンの大多数の討伐に成功。残りも散り散りになって逃走していった。

 

「……それからが大変でした。何せ僕はこんな見た目ですし、彼らとは言葉が全く通じませんでしたからね」

 

 スルシャーナは当時を懐かしむ様子で目を細めた。眼窩の灯がわずかに揺らぐ。

 

 生き残った村人たちを介抱すると、彼らは涙を流し平伏した。「そんな、やめてください! 頭を上げてください!」とどんなに懇願しても彼らは止めようとしない。身振り手振りや地に絵を描いたりと多種多様な方法で異文化コミュニケーションを図った。数日にも及ぶ努力の結果、何故か彼らはスルシャーナたちを所謂〝神〟として認識していることがわかった。その認識だけはどれだけ否定しようとも拭えず、今に至っているという。

 それからのスルシャーナたちは村の守り神、もとい用心棒として過ごすことになる。初めは恐れられ、子供に泣かれたりしたスルシャーナだったが、現地人の言葉を覚える頃にはすっかり打ち解けた。彼の眼窩に手を突っ込んだり肋骨の内側に入ろうとする子供を母親が恐縮しきって叱り付ける光景が日常化する程だ。

 季節が移り変わる度に噂を聞きつけた人々がたくさん集まってきた。皆、亜人や異形種に家族を殺されたり、戦火に見舞われ住処を追われたりして行き場を失ったものたちだった。何時の間にかまとめ役となったスルシャーナは全ての人たちを受け入れる。こうして村は町に、町から小都市に、小都市から大都市に。そしていつしか国と呼ばれるまでになった。

 季節が移ろう間にいろいろなことがあった。かつてのギルメン同士の結婚。他のものも次々と現地人と結ばれていく。そうして子をなし、やがて年老いていき……皆逝ってしまった。スルシャーナひとりを残して。皆の今際の言葉はいつも同じだった。

 

「ごめんなさいねスルシャーナ……貴方ひとりに全てを押し付けてしまって」

「俺の息子を……人間たちをよろしく頼む」

 

 心からの謝罪。それからささやかな、されど大いなる願い。スルシャーナはその全てに力強く頷いてみせた。彼らの子を、その孫や曾孫の成長を……そして人間たちを見守っていこう。スルシャーナの望みは最早それだけだった。仲間たちとの最後の約束を胸に彼は長い時を生きてきた。たったひとりで。NPCでは彼の心の隙間を埋めることはついぞ叶わなかった。

 最後のギルメンがこの世を去ってから数十年後。季節が幾度巡ったかもうわからなくなった頃。新たなる来訪者(たっち・みー)がこの地に落とされた。国境沿いを巡回していたスルシャーナの死の騎士(デス・ナイト)の一体が彼を発見、ここまで連れて来てくれたのだった。

 

 

 ・

 

 

 想像を遥かに超える壮大な物語にたっち・みーは息を呑んだ。スルシャーナにかけるべき言葉が見当たらない。

 

「そんな顔をなさらないで下さい。これでも僕は幸せなんですよ? 現実(向こう)にいた時、誰かからこんなにも必要とされた経験ありませんでしたから」

 

 スルシャーナは胸を張って誇らしげに答えた。それから言い難そうに続ける。

 

「たっち・みーさんさえよければ……あの、僕と……その」

 

 その様は頼みごとをする際のかつてのギルド長を彷彿とさせた。たっち・みーは微笑みを浮かべる。

 

「スルシャーナさん」

「は、はい!」

「見ての通り私はこの世界に来たばかりで、他に行く当てもありません。根無し草な上、素寒貧です。こんな私でよろしければ……どうか雇ってはくれませんか? こうみえて結構強いですよ、私は」

「!? は、はい!! もちろんです!!」

 

 骸骨ゆえ判り辛いがスルシャーナは破顔した。それは部屋の外でこっそり様子を伺っていたNPCが、悔しさのあまり歯噛みするくらい久しぶりの出来事だった。

 

「まずはたっちさんに装備が必要ですね! 確か仲間が使っていたのが――」

「ああ、そんな……いいですよ、お構いなく」

 

 ごそごそと虚空へ手を突っ込んだりいそいそと部屋を行ったり来たり。スルシャーナは世話しなく動き出す。

 

「ねえ、彼の使ってた鎧って何処にあったっけ?」

「は、はい! ただいまお持ちします……っく」

「ん? 何でしょうか……悪寒が」

 

 こうして小さな遺恨を残しつつもたっち・みーはスルシャーナの国でしばらく世話になることになった。この国は大陸の端の方にある遮蔽物のほとんどない平野地帯に存在した。亜人や異形種に追われこんな辺鄙な土地まで追いやられて来たのだという。スルシャーナの仲間たちが皆健在の時代はじわじわと領土を広げ、人類の生存圏を少しずつ確立することができた。しかし今ではスルシャーナとNPCたちのみ。国境沿いにいくら死の騎士(デス・ナイト)を配備しても毎日のように各地で起こる小競り合いの前にはとても数が足りなかった。

 それにこの大陸の覇を競う多数の竜王(ドラゴンロード)たち。ひとたび彼らが姿を現せば、いかな死の騎士(デス・ナイト)とはいえ一方的にやられてしまう。開いた防衛網からまた他の亜人が雪崩れ込んで来て……この数十年、その繰り返しであった。一国の主にも等しい立場となったスルシャーナは迂闊に動くことはできない。

 そんな不毛な争いに終止符を打つべく正義が降臨す。純白の全身鎧(フルプレート)に身を包んだたっち・みーは圧倒的な強さで以ってこの問題を解決していった。時には交渉を、時には武力を用いて。竜王(ドラゴンロード)を単独で追い払ったこともある。そうして人類の生存圏は少しずつ拡大し、いくつかの国ができるまでになった。

 この平穏な日々がいつまでも続けばいい――たっち・みーは心からそう思っていた。しかしその思いはある悪意の元に儚くも崩れ去ることになる。

 

 

 

 

 

 

 たっち・みーの転移から数えておよそ百度目の季節が巡る頃、南方の砂漠地帯に静かに異変が生じていた。砂漠の真ん中に突如として謎の超巨大建造物が現れたのだ。あたかも城のようにも見える《《そ(​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​・​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​)れ(​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​・​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​)》》はユグドラシル時代、アースガルズの天空城と呼ばれていた。その辺りを根城にしていた竜王(ドラゴンロード)たちは天空城へと向かい、そして二度と帰ってくることはなかった。

 

「あの蜥蜴共何なの? マジむかつくんだけど!! いきなり攻撃してきやがって!!」

「変な魔法使ってたなー」

「よくわからんけど偉そうだからぶっ殺してやったわ!」

「日本語話せっての!」

「これからどうする? リーダー」

 

 それぞれが比類なき力を秘めし武具を身に纏う男女七人のプレイヤーは、リーダーと呼ばれた男に視線を送る。その男はユグドラシルにおいて頂点である九人のワールドチャンピオンの内、最初にその称号を得たものであり、そして最強の存在だった。

 

「……とりあえず情報がほしいな。おい、そこの! お前だよお前。ちょっと外行って生き物攫ってこい。モンスターじゃねえぞ、ちゃんと言葉話すやつな」

 

 いきなり言葉を話し出し、傅くままの三十人のNPCのひとりに適当に命令を下す。平伏し、絶対服従するNPCたちを見下ろすと、黄金の王座に座す男は満足げに嗤った。

 

「さてと……要領を得ぬが何やら愉しくなりそうだな?」

 

 男は右腕に巻かれた漆黒の永劫の蛇の腕輪(ウロボロス)を弄ぶ。

 

 それから数日後、世界は彼らの手によって穢れ、犯された。彼らは後に大罪を犯せしもの、或いは八欲王とも呼ばれた。

 

 



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第9話

 その日を境に世界は変わり始めた。人々が望もうと望むまいと。

 

「また……ですか」

「ええ、今月だけでもう三件目です」

 

 NPCから報告を受けたスルシャーナはどうしたものかと頬杖をついた。ある日を境に、これまでほとんど生まれてこなかった魔法詠唱者(マジック・キャスター)の才を持つ赤子が多数確認されたのだ。それだけならば人類側の将来的な戦力増強に繋がるので喜ばしいのだが、亜人たちにも同様の現象が起きているらしい。国境沿いに配備した死の騎士(デス・ナイト)へ〈火球(ファイアーボール)〉や〈雷撃(ライトニング)〉が飛んできたのだ。それも全く別種の、異なる地域の亜人からだ。それらはユグドラシルの位階魔法である。

 元来この世界で魔法と言えば<ruby><rb>竜王</rb><rp>(</rp><rt>ドラゴン​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​・​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​ロード</rt><rp>)</rp></ruby>たちの、その中でも一部の〝真なる竜王〟と呼ばれる存在のみが使用可能なものであった。以前スルシャーナや仲間が魔法を詠唱した際、魔力(MP)や体力がごっそり持っていかれた経験がある。それは本来存在し得ない法則を行使した、世の(ことわり)に背いた代価ではないか? スルシャーナはそう仮説を立てていた。仮説を立証するためにスルシャーナ自身、魔法を試してみた。夜間人気のない場所まで出払って発動。実に二百年以上ぶりの詠唱だった。結果、問題なく発動し、魔力(MP)消費も相応のものであった。その意味するところは――

 

「何者かが世界の(ことわり)を変えた……と?」

「そんなことが可能だとすると――まさか!?」

 

 たっち・みーとスルシャーナは思わず顔を見合わせる。ユグドラシルをプレイしたことのあるものならば誰でも思い至るであろう。そう、世界級(ワールド)アイテムだ。

 

「以前アインズ・ウール・ゴウン(我々のギルドメンバー)が一定期間鉱山に入れなかったことがあります。今回何者かが使用した世界級(ワールド)アイテムはおそらくその類のものでしょう」

「運営にお願いできる系の世界級(ワールド)アイテム……ですか」

 

 この世界そのものに影響を与える世界級(ワールド)アイテム。そんな代物を何のためらいなく使用した謎の存在に背筋が凍る思いだった。無論、プレイヤーではなく亜人や異形種のなどの現地人の仕業という線も完全には否定できないが。思えばたっち・みーがスルシャーナのところにきて早百年は経過している。

 

「……百年周期でプレイヤーが転移している?」

 

 そんな法則がありえるのだろうか。荒唐無稽な話だが、現実に世界改変が起こってしまったのだ。注意するに越したことはない。そして位階魔法の他に変化がもうひとつ。

 

「たっちさん、実は相談したいことが――なっ!?」

 

 口を開きかけたスルシャーナの眼窩の赤が揺らぐ。死の騎士(デス・ナイト)との繋がりが切られていく感覚がした。それも一体や二体ではない、まとめて薙ぎ払われているのだ。南方の国境沿いに配置した死の騎士(デス・ナイト)たちが次々と屠られていく。竜王(ドラゴン・ロード)ですら短期間でここまでやるのは不可能だろう。

 

「たっちさん! 南方より侵入者です! もしかしたら世界級(ワールド)アイテムを使った存在かもしれません」

「すぐに向かわなければ!」

「私に掴まってください!」

 

 たっち・みーがスルシャーナの肩に手を置く。一度行ったこと、もしくは見たことのある場所まで飛べる〈<ruby><rb>上位転移</rb><rp>(</rp><rt>グレーター​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​・​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​テレポーテーション</rt><rp>)</rp></ruby>〉で一気に転移。二人の姿が執務室から掻き消えた。

 

 

 ・

 

 

 国の南方、国境沿いは酷い有様だった。何十体もの死の騎士(デス・ナイト)たちの残骸が其処彼処に散らばっていた。たっち・みーとスルシャーナはその惨状を作り上げた張本人たちと対峙する。

 二人組の男女だった。男は紫電の全身鎧(フルプレート)に身の丈程もある紫の双剣を担ぎ上げ。女は頭に二つのシニョン、金で縁取られた青い旗袍(チャイナドレス)に棘のついた両の腕輪。スリットから伸びる脚が骨を踏みしだいた。

 

「ふぅん、やっとお出まし?」

「リーダーの読みが当たったな。適当に暴れたら強者が向こうから勝手にやってくる、か!」

 

 言うや否や男の姿が搔き消える。紫電の大剣がスルシャーナの眼前へ迫った。たっち・みーの白刃が翻り、鋭い金属音を奏でる。二、三合斬り結び鍔競り合った。面付き兜(クローズド・ヘルム)越しに男は心底意外そうな表情を浮かべた。

 

「お? これに反応するか、やるな」

「で、も――ざぁんねぇん」

「ぐあっ……」

「たっちさん!?」

 

 死角から強烈な突き蹴りが飛ぶ。上段、中段、下段。百を優に越える数の蹴りが飛び交い、たっち・みーは吹き飛ばされた。

 

「〈三重魔法最強化(トリプレットマキシマイズマジック)連鎖する龍雷(チェイン・ドラゴン・ライトニング)〉!!」

 

 スルシャーナの両腕が帯電し、龍の如き稲妻が放出される。貫通効果もある三重の連なる龍雷が敵を襲おうと牙を剥く。

 

「よっと」

「ほいっ」

 

 されど二人は雷龍を完璧に見切っていた。必要最低限の動作で容易く躱されてしまう。

 

「――もらった」

 

 スルシャーナの背後に回った男が両の剣を勢い良く振り被る。正拳突きの動作で神聖属性の輝きが穿たれた。刹那、次元が断切される。

 

『――っ!?』

 

 今度は相手が驚愕する番だった。次元ごと大地を抉る斬撃がスルシャーナと男を分断する。

 

「彼には手出しさせません」

 

 背後に正義降臨の四文字を浮かばせ、たっち・みーが高らかに宣言した。

 

「〈魔法最強化(マキシマイズマジック)負の炸裂(ネガティブバースト)〉」

「わわっ」

 

 スルシャーナを中心に放射状に負属性が吹き荒れる。女は咄嗟に後方転回。範囲外へ軽やかに飛びのいた。その隙にスルシャーナは〈上位転移(グレーター・テレポーテーション)〉でたっち・みーの側へ転移する。たっちがグレートソードを最上段に構えると、男は剣を収め、降参したように両手を挙げた。

 

「待った待った、本気(マジ)になんなよ! ほんのお遊びだろ?」

「え? そうなの? サーチ&デストロイ! イケイケどんどんぶっ殺せ、じゃないの?」

「ちょっと黙ってろ。お前さぁ、たっち・みーだよな? 俺らと同じワールドチャンピオンの」

 

 その発言に三者三様で驚愕する。たっち・みーは何故正体がバレたのか、と。スルシャーナはワールドチャンピオンという言葉に。そして女は「え、たっち・みー? 誰だっけ」と。

 

「いや、誰でもわかるだろ? 俺らと打ち合える技量にワールドチャンピオン固有の特殊技術(スキル)。極め付けにそのエフェクト……んなもん使うのこいつくらいなもんだろ。初めは全身鎧(フルプレート)が変わってたから気づかなかったがな」

「ふぅん、そうなの」

 

 困惑した様子の男に連れの女はあまり興味がなさそうに返した。たっち・みーは百年以上前の記憶を呼び起こす。ワールドチャンピオンが一同に介し模擬戦を行った際、確かにこの二人がいた気がした。

 

「ワールド……チャンピオン」

 

 スルシャーナは驚きを隠せない。ワールドチャンピオン――たっち・みーと同格の存在たち。かつて彼ら六人からなるドリームチームが最強の傭兵魔法職ギルドを壊滅させたムービーが存在した。ユグドラシル内でも伝説となっており、スルシャーナも飽きるほど繰り返し視聴したものだ。

 

「久しぶりだなたっち・みー。長いこと見てなかったから引退したと思ってたぜ」

「……私のことなどどうでも良いでしょう。あなた方は何しに――いえ、世界級(ワールド)アイテムを使ったのはあなた方ですか?」

 

 親しげに語りかける男を無視し、たっち・みーは核心をついた。

 

「うん、そーだよお。感謝してよね? 言葉も通じるようになったし魔法もユグドラシルのにしたんだから!」

 

 女がこれっぽっちも悪びれもせず、ケラケラと笑いながら答える。

 

「何てことを……この世界に住む人々をそんな自分勝手な理由で弄んでいいはずがない!」

「はあ? 何言ってんのお前、いいに決まってんだろうが」

 

 怒りに震えるたっち・みーに対し、男は小ばかにするように吐き捨てた。

 

「あんだけ時間と金掛けたユグドラシルが終わったと思えばいきなりこの世界だぜ? しかもアバターの姿で、強さもそのままだ。やりたい放題やって何が悪いってんだ、ああ?」

「そうそう」

「あなた……方は」

 

 彼らは何を言っているのだろう。二人の主張にたっち・みーは軽く眩暈がした。まるで外国人と……否、異星人とでも会話しているかのような錯覚すら覚えた。彼らは危険だ、野放しにしておけない。たっち・みーの直感が警鐘を打ち鳴らした。ここから先は慎重にことを運ばなければならない。細心の注意を払い言葉を選択する。

 

「んで、あの骸骨(スケルトン)アインズ・ウール・ゴウン(お前んとこ)のギルメン?」

「……ええ、そうです」

 

 男が親指を立てスルシャーナへ向けた。此方の情報を引き出そうとしているのかもしれない。嘘も方便だ、肯定しておく。

 

「ふぅん、じゃあうちと一緒でギルド拠点ごと来たんだねぇ。いきなりだからびっくりしたよね」

「そうですね……」

 

 内心のショックを悟られまいとたっち・みーは必死にポーカーフェイスを貫いた。ギルド拠点ごと――それがどれほど規格外なことか。外敵の侵入を拒む地形ダメージ、堅牢な城壁、数々の罠。食料や装備、各種アイテムといった物資。NPCや召喚可能なモンスター、ポップ(無限湧き)するモンスターなどのプレイヤー以外の兵力、それらを賄える潤沢な資金など。比べるべくもなく、彼我の戦力差は明白だった。

 

「へえ、いいじゃん。んじゃあ俺らとアインズ・ウール・ゴウン(お前ら)で同盟組もうぜ!」

「一緒に蜥蜴狩りしよーよ! 楽しいよお、偉そうなこと言っててこっちの方が強いってわかると途端に交渉しようとしてくんの。マジうける!」

「蜥蜴狩り……ですか?」

 

 不穏な単語が聞こえた。あやうく詰まり掛けた台詞を何とか搾り出す。

 

「そう、(ドラゴン)のことだ。近々あいつらと全面戦争になりそうなんだわ」

「なっ……!?」

 

 スルシャーナが言葉を失った。竜王(ドラゴン・ロード)が使う超大爆発魔法とワールドチャンピオンたちがぶつかり合う。戦いの余波は戦火となりて国を……いや、やがては世界すら巻き込むだろう。想像するだに恐ろしかった。

 

「いやあ、降りかかる火の粉を払ってただけなんだがな。撃退する度に大群でやってくるから面倒臭いのなんのって」

「だからこうやって各個撃破して回ってるんだよねー」

 

 まるでゲームの突発イベントを楽しむかのように二人は笑い合った。

 

「せっかくのお誘いですが――私たちの一存では決めかねるので」

「えー、マジかよ。お前だけでも何とかなんねえ?」

「一緒にドリームチーム作ろうよお~。今度はあの二人も賛成してくれてるし」

 

 あの二人というのは以前ワールドチャンピオンだけのチームを作ろうと提案した時に、たっち・みーと共に反対票を投じた二名のことだろう。いかなる心変わりがあったのだろうか。考えても仕方ない。注意深く言葉を選ぶ。

 

「一旦他のギルメンとも相談したいので。またの機会に」

「……まあ、急な話だったしな。そちらさんの都合もあるか。よし、次に行ってみるか!」

 

 装備の何れかに〈飛行(フライ)〉の効果があるのだろう。二人の体がふわりと宙に浮かんだ。

 

「俺らのギルドは南にずっと行ったとこにある砂漠地帯にあるから。気が変わったら来てくれよな」

「じゃあね~、ばいばーい!」

 

 ワールドチャンピオンの男女は来襲時と同様、嵐のように去って行った。

 

「…………」

「たっち……さん」

 

 取り残された二人。たっち・みーは黙したまま男女が飛び去った方角を見つめていた。スルシャーナの眼窩の灯が、かつてギルドを去りし日のギルド長と同じ色を湛えていたことに、たっち・みーは最後まで気づかなかった。

 

 

 ・

 

 

「……ねえ、どうしてあそこで仕留めなかったの?」

 

 高速で飛翔しながら女は男に尋ねた。

 

「……たっちのやろう、嘘言ってやがった。たぶんな。ギルド拠点かギルメンのことか……そこまでは知らんが」

「ほえ? どういうこと」

「俺らが敵対行動取ってた時、あんなに隙だらけだったのに遠距離から攻撃がこなかった。おかしいと思わないか? PKKで有名なアインズ・ウール・ゴウンなのによ」

「ああ~、そういえばそだね」

 

 あのギルドは超遠距離攻撃が可能な弓使いやワールドディザスターも所属していたはずだ。領土を荒らした二人を無事に帰したのもおかしい。いくら二人がワールドチャンピオンとはいえ、たっち・みーを含め十人程で囲んでしまえば数の暴力で倒せた筈だ。

 彼がワールドチャンピオンの装備を身につけてなかった点も腑に落ちない。侵入者に対し最強装備で迎え撃たない理由なんてあるのだろうか。

 

「くくっ……案外数人しか残らなかったのかもな」

 

 それならば全ての疑問が氷解する。非常に納得のいく答えだ。男のギルメンもまた、全盛期に比べほんのわずかしかメンバーが残っていない。アインズ・ウール・ゴウンも例外ではなかったということか。ならば難航不落と謳われたあの地下大墳墓を、今なら奪えるのではないか? 男は口元を吊り上げた。善は急げだ、巻物(スクロール)で〈伝言(メッセージ)〉を唱える。

 

「よおリーダー、俺だ。面白いものを見つけたぞ」

 

 後に八欲王と呼ばれる彼らの果て無き欲望は留まるところを知らず。天空城だけでは飽き足らず、今その魔の手はありもしないナザリック地下大墳墓へと伸びようとしていた。彼らは知らない。永劫の蛇の腕輪(ウロボロス)によって世界を変えた結果、自身の人間性が大きく損なわれていることを。カルマ値や異形種の種族特性に引っ張られ、気づかぬうちにどんどん歪んでいるのを。

 

 

「私は……一体何を……」

 

 ここにも一人。死の支配者(スルシャーナ)も変わりつつある自身の感情に戸惑いを覚えていた。あれほど愛していた人間たちに、欠片ほども情が湧かなくなってしまったのだ。その思いは日に日に増していき、ついには憎悪と成り果てた。たっち・みーに相談する機会はワールドチャンピオン襲来の件で有耶無耶になり、完全に逸してしまった。それから数日後、ある事件が起きてしまう。それは図らずも、たっち・みーとスルシャーナを互いの意思に反し、決別させる結果となった。

 

 ・

 

 けたたましい子供の泣き声が響く。スルシャーナの執務室に程近い中庭からだった。元気が有り余る子供同士が喧嘩でもしたのだろうか。それにしては聞いたことのない激しさである。普段ならこのような場合、スルシャーナかたっち・みーが面倒をみてくれるのだが。NPCたちは一斉に庭に駆けつけ、そして思考が停止した。

 

「うわああああん」

「…………」

 

 咽び泣く子供の前にたっち・みーが佇んでいた。その手には一振りの剣。足元には中ほどから腕を切断され、動かなくなったスルシャーナが転がっている。その眼窩は虚ろなままで、何の光も宿していなかった。

 




タグにアンチ・ヘイト、オリキャラ、捏造を追加します。
TOP SECRETを削除しました。
あらすじも加筆予定。
詳しくは活動報告で。


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第10話

 事件前夜、たっち・みーはスルシャーナのNPCの一人――ルシャナから相談を受けていた。出会った当初はやたらとたっち・みーを目の敵にし、色々とイザコザもあったものだが。今では一番仲の良いNPCだ。

 そんな彼女が夜間、思い詰めた表情でたっち・みーの自室を訪れた。淹れたお茶が冷め切った頃、ようやく重い口を開く。

 

「スルシャーナさんの様子がおかしい?」

「はい……そうなんです」

 

 悲しげに目を伏せ、ルシャナはぽつぽつと語り始めた。聞くところによると、どうやら一年程前からスルシャーナの様子が変だという。

 たっち・みーといるときこそ以前のように振舞っているが、それ以外では一切笑わなくなったそうな。さらには言動の端々にわずかではあるが人間への敵意、憎悪が見え隠れするとのこと。

 仲間のNPCたちにもそれとなく話してみたが、皆盲目的にスルシャーナを崇拝しており、けんもほろろにあしらわれた。それどころか造反の意思ありとみなされ、最近では仲間内からも疎まれているらしい。もうどうしようもなくなり、たっち・みーへ胸の内を吐露しにきたのだ。

 

「そういえば……」

 

 たっち・みーにも思い当たる節があった。最近、スルシャーナはあまり人前に姿を見せようとしない。子供たちと遊ぶ頻度も目に見えて減っていた。本人は政務が忙しいとぼやいていたし、たっちもそうなのだと納得していた。しかし本当の理由は別にあったのかもしれない。

 

「私……わたし……以前(まえ)のスルシャーナ様に戻ってほしい……お優しかったあの頃に」

「…………」

 

 これまで一人で悩んできた反動であろう。見る見るうちに彼女の瞳に大粒の涙が浮かび、頬を伝う。堰を切ったように泣きじゃくるルシャナにたっち・みーは我知らず愛娘を重ねてしまった。もう声も、顔すら忘れてしまったが。百年という途方も無い年月は彼から現実(リアル)の思い出を、そのほとんどを奪い去っていた。今ではおぼろげな輪郭のみ、されど確かに妻と娘はいたのだ。

 かつての温もりに思いを馳せ、娘が泣いた時はどのようにしてあやしたか。記憶を頼りに彷徨う手は、自然と彼女の頭に置かれていた。

 

「……あ」

「大丈夫です、私に任せて下さい。きっと彼の笑顔を取り戻してみせますから」

 

 たっち・みーは身を屈ませ、少女と同じ目線で出来うる限り優しく語りかける。

 

「ありがとう……ございます。たっち・みー様がいて下さって……本当に良かった」

 

 ルシャナははにかんだように笑う。真珠のような雫を拭いながら。彼女が久方振りに心から浮かべた笑顔は、本当に綺麗だった。

 

 

 ・

 

 

 翌日、たっち・みーはどう話を切り出したものかと悩んでいた。安請け合いをしてしまったが、元来彼も人の心の機微には疎いほうである。ユグドラシル時代はそのせいでクランのメンバーを一人失ったし、ウルベルトとも折り合いが悪かったのだから。スルシャーナの異変にも気づかなかったくらいだ。

 これまでの自分を恥じながらスルシャーナの執務室を目指す。あっという間に辿り着いてしまった。しばしの間、扉の前で行ったり来たり。やがて覚悟を決め、ノックをしようとして、

 

「おや?」

 

 中庭から聞こえる楽しげな笑い声。其方へ歩を進めると、スルシャーナが子供と遊んでる姿が見えた。逆光で少し判別し辛いが、少年を高い高いしてあげているようだ。

 たっち・みーはホッと胸を撫で下ろす。どうやらルシャナの心配は唯の杞憂だったみたいだ。自分の感じた疑念もおそらく勘違いであろう。

 

「スルシャーナさ――」

 

 声をかけるよりなお早く生じた強烈な違和感。その正体はすぐに判明した。子を支えるはずの白亜の手は脇ではなくその首へ。苦悶に顔を歪める少年は白目を剥き、口から泡を吐いて痙攣していた。

 

「は、ハハ……ハハは……ハハはハハハ!!」

 

 楽しげな声は少年からではなく。スルシャーナの唇も舌もない口腔から漏れ出ていた。

 

「何を、何をしているのですかスルシャーナさん!?」

 

 たっち・みーは弾かれたように飛び出し、その手を引き剥がそうとする。恐ろしい力だ、とても魔法詠唱者(マジック・キャスター)とは思えない。あんなに優しかった彼がどうして? いや、考えるのは後だ。今は一刻の猶予もない。

 

 たっち・みーのグレートソードが一閃。スルシャーナの腕を切り落とした。少年を受け止める。携帯していた小瓶を取り出し、急ぎ赤い液体を振り掛けた。下級治癒薬(マイナー・ヒーリング・ポーション)、万一に備え()()()()()()から渡されたものだ。土気色だった少年の顔に赤みが戻り、ゲホゲホと激しく咳き込んだ。当面の危機は去ったようだ。

 

「オ……オオオ……邪魔……スルナ!!」

 

 眼窩の灯が狂気を孕む。片腕を切断されたスルシャーナはおぞましい呪詛を撒き散らした。それはもはやスルシャーナではなく。生きとし生けるもの全てを憎むアンデッドそのものだった。

 残った掌に拍動する心の臓が象られる。あれはかつてのギルド長も得意としていた死霊系の魔法。アンデッドはまだ少年の命を諦めていなかった。たっち・みーは選択を迫られる。泣き笑いを浮かべる少女と、今まさに恐怖に震える少年。躊躇いは一瞬だった。

 

(申し訳ありません、ルシャナさん。約束……守れそうにない)

 

「〈心臓――〉」

悪を討つ一撃(スマイト・エビル)

 

 光刃が煌めき、スルシャーナだったものを袈裟懸けに斬り裂いた。

 

 

 ・

 

 

 パァン、と乾いた音が中庭に響く。主に頬を叩かれたNPCは何が起こったのかわからなかった。困惑の表情でスルシャーナを見つめる。他のNPCも同様だった。唯一、ルシャナだけが全てを察し俯いていた。その目には涙が浮かんでいる。

 

「あなた方は自分が何をしたかわかっているのですか!」

「お、お許し下さい」

「我々の何が至らなかったのでしょうか……」

 

 怒りに身を震わせるスルシャーナはNPCたちを激しく叱責した。NPCたちは何故自分たちが責められてるのか理解できない。

 彼らが駆けつけた時、そこには凶刃を手にしたたっち・みーが立ち尽くしていた。足元には物言わぬスルシャーナ。そして怯え泣き喚く子供。

 状況を曲解したNPCたちはルシャナが止めるのも聞かず、一斉に裏切り者へと襲いかかる。主を殺めた狼藉者は一切抵抗することなく、魔法の矢や雷撃、炎を浴びながら何処へと逃走した。今は衛兵たちに後を追わせている。

 

「う……う……」

「スルシャーナ様!?」

 

 仲間の一人がまだスルシャーナに息があるのに気づく。空虚な眼窩にはまさに風前の灯火が。〈大致死(グレーター・リーサル)〉を重ねがけ、何とかスルシャーナは一命を取り留めた。

 覚醒したスルシャーナは事の顛末を聞くと烈火の如く怒り出した。

 

「彼は正気を失った私を救ってくれたのですよ! そしてこの少年の命も……私はもう少しで取り返しのつかない過ちを犯すところでした」

 

 事情を把握したNPCたちの顔が徐々に青ざめていく。知らなかったとはいえ、主の恩人にあろうことか刃を向けてしまったのだ。許されることではない。

 

「早く彼を連れ戻しなさい! 今すぐに! それまであなた方の顔など見たくもありません!!」

『はっ!!』

 

 ついぞ見たこともない剣幕に気圧され、NPCたちは東西南北に散り散りに飛び出した。一人残されたスルシャーナは両手で顔を覆う。

 

「たっちさん……私は……なんてことを」

 

 かつてない絶望が彼を苛んだ。

 

 ・

 

 たっち・みーにとっては容易く超えられる高さの壁を飛び降り、国境沿いの死の騎士(デス・ナイト)の包囲網を見つからないように潜り抜る。その先を抜ければもう他国の領土だ。

 

「たっち様! たっち・みー様、お待ち下さい!」

 

 背後から迫る聞き覚えのある声。昨晩振りの、出来れば今一番聞きたくないその声は。たっち・みーは後ろめたさと共に振り返る。野伏(レンジャー)の少女が息を切らせて追いすがった。

 

「ルシャナさん……」

「はあ、はあ……どうか、どうかお戻り下さいませ!」

 

 ルシャナはばつが悪そうなたっち・みーの手を取り必死で懇願する。その様は祈りにもよく似ていた。

 

「スルシャーナ様は無事です! 皆も先の愚かな行いを非常に悔いております! どうか、贖罪の機会を」

「……理由はどうあれ、私は彼を手に掛けました。もうこの国にはいられません」

「そんなこと――」

 

 ルシャナの言葉を遮り、たっち・みーは独白する。

 

「私はスルシャーナさんの豹変の理由が知りたい。だから、彼らのギルド拠点を――天空城を目指そうと思います」

 

 たっち・みーの決意を秘めた言に少女はひどく狼狽する。

 

「そんな、そんなの嫌です! たっち様はスルシャーナ様にとって必要なお方です! ……私にとっても」

「…………」

 

 涙ながらに訴えるルシャナの手を振りほどき、たっち・みーは背を向ける。

 

「行っちゃうんですか?」

「…………」

 

 段々と遠ざかる背に問いかける。返事はない。

 

「帰ってきますよね? またスルシャーナ様と、皆で一緒に暮らせますよね?」

「…………」

 

 ルシャナは精一杯の思いの丈をぶつけるが、その歩みは止まらない。その時、たっち・みーが小さく呟いた。

 

「……約束」

「え?」

「約束――守れなくて申し訳ありません」

 

 それっきりたっち・みーは口を閉ざす。決して振り向くことなく、スルシャーナの国を立ち去った。泣き崩れるルシャナをおいてけぼりにしたまま。

 

 

 ・

 

 

 たっち・みーはひたすら国から国へと渡り歩く。異形種の肉体とリング・オブ・サステナンスのおかげで強行軍での旅路が可能だった。途中、立ち寄った国や旅の行商人などから情報を集める。曰く、謎の大爆発である国が一夜にして滅んだ。曰く、大地が切り裂かれ深い谷ができた。曰く、竜の大群をみた。曰く、曰く、曰く。眉唾な情報や明らかな虚偽も混ざっていたが、ワールドチャンピオンたちと竜王(ドラゴン・ロード)による戦いの余波は既に広がっているようだ。

 玉石混交の中、とある情報がたっち・みーの目に留まった。一度足を踏み入れたら二度と戻って来れないという死の砂漠。越えたその先に、楽園のような都市があるという。オアシスにできたその都市は天から無限の水が降り注ぎ、かつてない栄華を極めているらしい。真偽を確かめようと砂漠にたくさんのキャラバンが訪れ、誰一人戻って来ないという。余程居心地が良く永住したのか、はたまた辿り着けずに何処かで干からびているのか。ではその情報は誰からもたらされたのか。皆人伝に聞いただけで知らぬという。なんとなく、あのワールドチャンピオンたちのような気がした。

 日除けの分厚いローブを購入し、たっち・みーは単独砂漠入りを果たす。ラクダに良く似た生物の購入ももちろん検討した。しかし、移動速度上昇や体力増加など魔獣のための特殊技術(スキル)の一切合財が使えないたっち・みーでは無駄に死なせるようなものだった。信じられるのは己の足のみ。

 たっち・みーはその一歩を踏み出した。足が砂に沈む。アイアンブーツの中に否応なしに浸入してくる流砂に若干の後悔を抱きつつ、ただ一心不乱に歩き続けた。

 

 

 ・

 

 

「ようこそおいでくださいました、たっち・みー様」

「我らが主様方がお待ちです。どうぞ此方へ」

 

 顔を薄いベールで覆った民族衣装の美女が二人、たっち・みーを出迎えた。筆舌し難い艱難辛苦を乗り越え、たっち・みーはついに砂漠越えを果たしたのだ。おそらく、単独でこの都市に辿り着いたのは彼が初であろう。容赦なく照りつける日光、襲い掛かる巨大な蠍やギガントバジリスク、昼夜でまるで別世界な灼熱の昼と極寒の夜。人骨や木乃伊、行き倒れたキャラバンの成れの果ての数々。正直、もう一度やれと言われても絶対に拒否するだろう。

 美女たちの後を言われるがままに続く。生い茂る木々に豊富な水が天空城から降り注ぎ、巨大な湖を形成していた。日干し煉瓦で組み立てられた白い漆喰が特徴的な家々が、湖を中心に立ち並ぶ。思ってたよりたくさんの人々が生活を営んでいた。市が開かれとても活気がある。

 壷を頭に載せ器用に運ぶ女性や丸めた絨毯らしきものを担ぐ人。値下げ交渉に熱くなる客と店主。元気に走り回る子供たち。とてもあのワールドチャンピオンたちが作った都市とは思えない。スルシャーナが長年かけて築いた都市と方向性の違いはあれど、さほど遜色ないレベルだった。他に気づいたことといえば、心なしか美女の割合が多く、男や老人はあまり見当たらないことくらいだろうか。

 

「此方へ」

 

 橋を渡り湖の中心部へ。そこには魔方陣が展開されていた。ナザリック地下大墳墓でも階層移動の際に使用していた〈転移門(ゲート)〉だ。もう後戻りはできない。たっち・みーは意を決して乗り込んだ。瞬間、彼の姿が掻き消えた。

 

 

 ・

 

 

 アースガルズの天空城はその名に恥じぬ荘厳さでたっち・みーを迎え入れた。古の城を連想させる外観は、過去に実在した古城や修道院を参考にしたのだろう。一際高く聳え立つ鐘楼にいくつかの尖塔。ゴシック様式を基に建築された城は、城壁内に城下町が広がる独特の作りだった。案内人たちに連れられ城門を潜る。

 

 そこはまさしく別世界だった。

 

『ようこそいらっしゃいました、たっち・みー様』

 

 右手にメイドたち、左手に執事たちが幾人も列をなし、一糸乱れぬ動きで深々とお辞儀する。見上げる程に高い天井には豪奢なシャンデリアが色取り取りの光を。銀の燭台には永続光(コンティニュアル・ライト)が。巨大な絵画が飾られた壁には一定間隔で七色鉱の胸像が立ち並ぶ。

 数百人が一同に会せるくらい広いエントランス・ホールには大階段が続き、その最上段からこの城の主たちが客人を見下ろしている。彼らは皆全身鎧(フルプレート)などではなく、思い思いの格好だった。

 現実(リアル)でも通用しそうなラフな格好の男もいればスーツ姿の男もいる。何故か女はアオザイを着ていた。そのうちの半数は亜人や異形の顔を晒しているが、気にした素ぶりは全くない。武装していないのは絶対的強者である自信の現れか。

 

「ようこそ、たっち・みー。我らが同胞よ」

「歓迎するぜ」

「お前よく徒歩であの砂漠渡ったなー」

「てか飛んで来いよ」

「マジうけるんですけどー」

「辛辣だなお前」

 

 ワールドチャンピオンたちはたっち・みーに様々な言葉を投げかけた。十人十色だが概ね初めての来訪者を歓迎している様子が伺える。

 出鼻を挫かれてしまった。たっち・みーは声を張り上げここに来た目的を高らかに宣言しようとして、

 

「身に余る歓待、感謝します。私は――」

「まあまあ、せっかく来たんだしゆっくりしていけよ」

「ごはんにしよーよー」

「……はい?」

 

 気がつくとたっち・みーのために豪華な晩餐会が催されていた。白いテーブルクロスがかかった無数の円卓に、アーコロジーでもお目にかかれないようなご馳走が並ぶ。鼻腔を擽る匂いにたっち・みーは一瞬自分が何のために此処まで来たのか忘れそうになった程だ。頭を振り正気を保つ。兜を小脇に抱えたまま、この晩餐会の主催者、即ちワールドチャンピオン序列一位の元へ向かった。

 

「やあ、愉しんでいるか?」

「……おかげさまで」

 

 男の言葉にたっち・みーは皮肉げに返す。男はソファーにもたれ懸かり右手にワイングラスを、左手で美女の腰を抱いていた。

 

「貴方に聞きたいことがあります」

「……ん? 世界級(ワールド)アイテムに何を願ったか、かね」

 

 心を読むかのような発言にたっち・みーは目を見開く。男はグラスを傾けながら愉しげに嗤う。

 

「何も特別なことなど願ってないさ。ただ、我らが生きやすいように世界を改変したに過ぎぬ」

「!? そのせいでスルシャーナさんが……彼らがどんな思いをしたと思ってるんですか!!」

 

 激昂するたっち・みーはスルシャーナの精神が種族に侵食されつつある話をぶち撒けた。意外にも大人しく傾聴する男は一言「くだらん」と一蹴する。

 

「その男が弱かっただけに過ぎない。精神的にも肉体的にも、な。アバターの属性に精神が侵されるなど……その証拠に我やお前は別段変わりないではないか」

「それ、は……」

 

 たっち・みーが言葉に詰まる。言われてみればその通りだ。二の句を告げずにいるたっち・みーに男は不快げに片眉を上げた。

 

「そのような弱者は不要であろう。決めたぞ、目障りな(羽虫)共を排した暁には貴様がいた国を滅ぼそうではないか。なあ、たっち・みー」

「巫山戯ないで下さい! そのような暴挙、許す筈がないでしょう!」

 

 声を荒げるたっち・みーを男は鼻で笑う。

 

「おや? 貴様は我らの仲間になりに来たのではないのかね?」

「違う! 私は……!」

 

 瞬間、場の空気が一変した。男が抱いてたはずの女はいつの間にか姿を消し、忙しなく働いていたはずの給仕やメイドたちの姿も見えなかった。気がつくとその場には()()のワールドチャンピオンしかいない。

 

「やーれやれ、やっぱりこうなったか」

「馬鹿だなあ、最後のチャンスだったのに」

 

 衣服に速攻早着替えのクリスタルが仕込まれていたのだろう。たっち・みーを取り囲む男女はいつの間にか全身鎧(フルプレート)に身を包んでいた。

 唯一、私服のままの男はワイングラスの中の液体を愉しげに揺らす。

 

「最後にもう一度だけ聞こう。我らの同志となれ、たっち・みー」

 

 此処で断るということは即ち死と同義だった。

 

「――お断りです」

 

 それを承知の上でたっち・みーは誘いを蹴り飛ばした。兜を被りグレートソードを構える。

 

「そうか、残念だ――やれ」

 

 男が赤い液体を飲み干すと同時に、七人のワールドチャンピオンは一斉にたっち・みーへと襲い掛かった。

 

次元断切(ワールド・ブレイク)

次元断切(ワールド・ブレイク)

次元断切(ワールド・ブレイク)

「次元断層」

 

 幾重にも次元が斬り裂かれ、また断層が生じる。ワールドチャンピオン同士の、ユグドラシルトッププレイヤー同士のぶつかり合いは一方的な展開を見せていた。

 

「ぐっ……」

 

 当然であろう。たっち・みーが如何にして剣戟を織りなそうとも、その七倍の剣閃で返されるのだから。白の全身鎧(フルプレート)は既に血色に染め上げられた。たっち・みーは朦朧とした意識の中、力の限り剣を振るう。極限状態に陥った思考は無意識にかつての仲間を思い起こす。

 

 もしここに粘液盾がいれば。あの斬撃の雨を全て防ぎきってくれるのに。サムライがいれば安心して背中を任せられるだろう。ニンジャなら一瞬の隙をつき、敵将の首を搔き切るに違いない。バードマンの超遠距離射撃もほしいし、女教師の怒りの鉄拳も心強い。ある程度ダメージを与えれば蛸の大錬金術師の超位魔法や、それすら超えた山羊の悪魔の〈大厄災(グランド・カタストロフ)〉がまとめて焼き尽くしてくれるだろう。

 自分が倒れても問題ない。頼もしいギルド長が皆をまとめ上げてくれる……

 

 そこまで夢想して、夢から覚める。一瞬の白昼夢。どれもこれも、自分が遠い過去に自ら捨て去ったものだった。

 ここにいるのは孤独な聖騎士ただ独り。新たに出来かけた繋がりも、自身の手で断ち切ってきたばかりだった。

 

「はは……」

 

 自嘲気味な笑いが自然に口を出る。自分は結局、いつも無くしてから気づく。本当に大切なものに、取り返しがつかなくなってから。

 

「……あまりに一方的だと興が削がれるな。たっち・みー、これを見よ」

 

 何かを思いついたリーダーの男は虚空へと手を伸ばし、斬るのに全く向いてなさそうな剣を取り出した。遠目にも膨大な力を秘めしその剣は、ワールドチャンピオンたちを狼狽えさせた。

 

「ちょっ……」

「何考えてるんリーダー!?」

「それ破壊されたらちょー困るんですけど!?」

 

 それぞまさに彼らのギルド武器。万一、億が一破壊されでもしたら天空城を含め、三十人の百レベルNPCや傭兵モンスター、物資、財宝などその他全てが消滅してしまう。彼らの唯一の弱点と言って過言ではない代物だった。

 

「何、八対一など圧勝して当然。ちょっとした余興よ」

 

 リーダーはカラカラと愉快そうにギルド武器を弄んだ。ギルメンたちは頭を抱える。ワールドチャンピオンの中でも最強を誇る存在は、それ故に慢心していた。

 

「そら、貴様の勝利条件は此処にあるぞ」

 

 最後の足掻きをみせろと言わんばかりの挑発的な行動。たっち・みーは咆哮をあげながら一直線にリーダー目掛け疾走する。

 

「ッチ……」

「待て!」

 

 蛇を思わせる全身鎧(フルプレート)と銀色に緑眼が特徴的な全身鎧(フルプレート)の二人が、各々の獲物を手にたっち・みーに迫る。ギルド武器にご執心なたっち・みーの無防備な背を斬りつけようとして、

 

次元断切(ワールド・ブレイク)

 

 刹那、身を翻したたっち・みーの白刃が二人の首をまとめて切断した。

 

 

 ・

 

 

「ふむ、まさか此処までやるとはな」

 

 流石二人目にワールドチャンピオンとなった男よ――予想以上の奮闘振りにリーダーは気を良くし、手放しで絶賛した。彼の気怠げな拍手が冷え切ったホールに響く。たまたまクリティカルヒットしただけかもしれない。それでも、両腕を切断され血塗れで伏すたっち・みーは、土壇場でワールドチャンピオンを二人道連れにしたのだ。

 

 

「巫っ山戯んなよ、おい!」

「こちとらあんたのせいでやられたんだぞ!?」

 

 殺された二人はたまったものではない。城内に存在するリスポーン地点から復活を果たした彼らは憤怒の形相でリーダーを責める。自分たちが殺されるとは毛頭思ってなかったので死亡対策は怠っていた。結果、互いに五レベル、死亡ペナルティによりダウンしてしまったのだ。

 

「ほう、貴様らがデスペナ対策を怠ったのは我の責とな」

「う……」

 

 真紅の双眸に睨み付けられ、それ以上何も言えなくなる。

 

「阿呆が。貴様らがたっち・みーより弱かった、それだけの話よ。この程度で油断するとは情けない」

 

 無能な部下たちから視線を外し、男の興味はたっち・みーへと移った。このまま放置するだけで後数刻も持たず絶命するだろうが、彼のリスポーン地点は知れない。復活を果たした後、雲隠れるのは想像に難くない。それではあまりにももったいなかった。何度も勧誘を断られたが、その技量は充分利用価値があった。男はある決断を下す。

 

「傾城傾国を持て。今すぐに、だ」

「おい、それは……!」

「性能実験は必要だろ? 喜べ、あのドレスは貴様のものだ」

「本当!? わーい!!」

 

 有無を言わさぬ口調でリーダーが命ずる。こうなればもう誰一人逆らうことはできなかった。逆らえば最後、末路は床に転がるたっち・みーと大差ないのだから。念願の服を着れると紅一点の女だけが能天気にはしゃいだ。

 

「くく……ドリームチームの完成に」

 

 男が盃を掲げる。他のワールドチャンピオンたちも追従した。

 

 そして、たっち・みーの世界は純白に塗り潰された。

 

 



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第11話

 たっち・みーが去ってから早半年。当時のスルシャーナの驚愕と落胆はそれはもう凄まじいものがあった。今ではNPCを誰一人近寄らせようとせず、一人執務室に篭っている。人間とも一切の交流を絶ち、誰とも関わろうとしない。それほどまでに気心の知れた友を失った衝撃は大きく、スルシャーナの精神を苛んでいた。

 

「たっち・みー様……貴方がいなくなってから、この国は火が消えたようです」

 

 ルシャナは今日もたっち・みーが去った方角に祈りを捧げる。旅の安全と、それから彼が無事に帰ってくることを願って。すっかり日課になってしまった所作を終えた少女は、哨戒任務に移ろうとして〈伝言(メッセージ)〉を受け取った。

 誰だろう、とルシャナは首を傾げる。他のNPCたちとの定時連絡の時間ではないし、何かしら緊急事態でも起きたのか。疑問に思いながら耳を傾ける。

 

『――こんにちは、ルシャナさん。私です』

「たた、たっち・みー様!?」

 

 思わず上擦った声が出る。それはルシャナが一日千秋の思いで待ち続けた相手だった。

 

『お久しぶりです、お元気でしたか?』

「は、はい、とっても! たっち・みー様は今何方にいらっしゃるのですか?」

 

 本当は気落ちしていたが、彼の声を聞いて全部吹き飛んだ。〈伝言(メッセージ)〉が通じる距離なのだからそう遠くないのだろうか。

 

『今はもう南の国境近くですかね』

「っ! 私、迎えに行きますね!!」

 

 その答えにたっち・みーの返事も聞かず少女は走り出す。ここ半年で一番の朗報だった。彼さえ帰ってくればスルシャーナも元に戻るに違いない。きっと全てが好転するだろう。ルシャナは鼻歌でも口ずさみたい気分で一杯になる。目的地まで全速力で走り続けた。

 

 

 ・

 

 

「たっち・みー様!」

 

 それから一時間もしないうちに待ち合わせの場所に辿り着く。果たして、待ち人が所在なさげに佇んでいた。ルシャナに気づいた白い全身鎧(フルプレート)が手を振る。

 

「お帰りなさい!」

「ただいま帰りました、ルシャナさん――おっと」

 

 感激のあまりルシャナはたっち・みーに飛びついた。たっち・みーが抱き止め、あの日のように頭を撫でる。

 

「たっち・みー様! 私、話したいことがたくさんあるんです! あの約束だって、まだまだ諦めてませんからね!」

「約束……ですか。そうですね、もちろんですよ」

「…………?」

 

 曖昧な笑みを浮かべるたっち・みーにルシャナは違和感を覚えた。何かが、おかしい。外見も声も、匂いすら寸分違わずたっち・みーなのに。鎌首をもたげた猜疑心が自然と言葉となって表れる。

 

「たっち・みー様、別れ際に私があげた()()()、まだ持ってらっしゃいますか?」

「……髪飾り、ですか? すみません、砂漠を横断する間に紛失してしまいました」

「っ!? そう、ですか――」

「がっ……!?」

 

 瞬間、ルシャナが懐から取り出した短剣がたっち・みーの兜のスリットを貫いていた。抜いた剣先には一切血が付着していない。そのまま高低差を利用し顎に膝蹴り、たたらを踏んで入る間に地に組み伏せる。胸当て(チェスト・プレート)を足蹴にし、思い切り弓を引き絞った。

 

「私はたっち・みー様に髪飾りなんて渡していない! 偽物め、何が目的だ!」

「くっ……」

 

 たっち・みーの振りをした()()はドッペルゲンガーだった。正体を現す。目も口もない球体に三つの穴が空いただけの顔が晒しだされた。

 

「ふふ、なかなかに鋭い。ですがもう私は充分に任務を果たしました。今頃は……」

 

 ルシャナの顔から血の気が引いていく。放たれた矢で絶命するドッペルゲンガーは満足げな表情を浮かべていた。すぐさま踵を返し駆け出す。〈伝言(メッセージ)〉を起動した。

 

「そんな……!?」

 

 聞けば他のNPCたちも未確認なモンスターと北、西、東の各国境沿いで交戦中とのこと。逆に応援を要請されてしまう始末だ。敵は用意周到にNPCを分断している。狙いなんてひとつしか考えられない。

 

「スルシャーナ様……!」

 

 主の身が案じられる。一秒でも早くスルシャーナの元へ。こんな時、あの方がいてくれたら……未だ消息不明の聖騎士が脳裏を過ぎる。額に滲む珠のような汗を拭いもせず、ルシャナは全速力で草原を駆け抜けた。

 そんな少女をあざ笑うかのように雫が鼻先を濡らす。ふと視線を上げると黒雲が広がっていた。やがて小さな雫は大粒の雨となり雷を伴い大地に振り注いだ。

 

 

 ・

 

 無数の雫が窓を叩き雨音を生み出しては消えていく。此方の気分はお構いなしのその無遠慮な自然の恵みが、今は非常に煩わしかった。呼吸を必要としないはずのスルシャーナは深く嘆息する。この半年間、一度として気が晴れることはなかった。

 精神沈静される身であるが、少なくとも以前は多少笑えたし、楽しいと感じることもあったはずだ。

 原因は多々考えられる。いつ来るともわからぬアンデッドの狂気に苛まれる日々、NPCたちとの不和。そして何より、

 

「たっち、さん……」

 

 スルシャーナは部屋の隅に置かれた真新しい全身鎧(フルプレート)へ視線を送る。百年の歳月と、それから各地で繰り広げられた戦闘によりたっち・みーの鎧はボロボロだった。

 彼に新しいものを贈ろうとした折に半年前のあの事件だ。結局渡しそびれてしまった。スルシャーナはまたひとつ重い息を吐く。何となく窓辺を眺めて、

 

「っ!?」

 

 息を呑んだ。薄暗い視界の中、雨に打たれるがままになっているあの傷だらけの全身鎧(フルプレート)は。転げ落ちるようにして階段を駆け下り、急いで扉を開け放つ。

 

「たっちさん!」

 

 ずぶ濡れのその姿は紛れもなくたっち・みーだった。この半年間、どれ程再会を待ち望んでいたことか。スルシャーナは急いで駆け寄った。

 

「たっちさん……僕、ずっと貴方に謝りたくて――」

 

 まずは謝罪を。それから自分と、あの少年を助けてくれてことへの感謝を告げなければ。そして誠心誠意言葉を尽くしてまた彼に戻ってきてもらうのだ。また、あの楽しくも懐かしい日々を。この手に――

 

「――え?」

 

 視界が揺らぐ。遅れて腰部に激痛が走り、何かが地に落ちる音。気が付けばたっち・みーを見上げる形になっていた。濡れた地に足を取られてしまったのだろうか。彼の前で無様を晒してしまった。恥ずかしさと共に起き上がろうとして、

 

「え……あ、あれ」

 

 ()()()()()()()()。正確には直立した自身の腰から下が背後に見えた。スルシャーナは困惑とも恐れともつかぬ表情で顔を上げる。雷鳴が轟いた。

 

「…………」

 

 一瞬、雷光に映し出されたるは白刃。無言で立ち尽くすたっち・みー。降りしきる雨が兜を伝い、それはまるで涙のようであった。

 

「たっち……さん……どうし、て」

 

 刃が翻る。スルシャーナの意識が断ち切られた。

 

 

 ・

 

 

「はっはーー!! 高レベルの雑魚最高ー!」

「いい狩場じゃねえか」

「無限湧きじゃないのが残念だわ」

「経験値は俺に寄越せよな」

 

 そして繰り広げられる一方的なPvP、またの名を異形種狩り。奇しくもその光景はアインズ・ウール・ゴウンのギルド長がかつて受けた恥辱を想起させた。だがあの時とは違い、たっち・みーはワールドチャンピオンたちの蛮行を静観していた。決して手出しすることはない。否、できない。

 スルシャーナの仲間が死に絶えた今、彼のリスポーン地点を知っているのはスルシャーナ本人とそのNPCたち、それからたっち・みーだけだった。彼からリスポーン地点を聞き出したワールドチャンピオンたちは、レベリングを兼ねて今後の障害になりそうなスルシャーナを排除しにきたのだ。

 殺して、蘇生、殺して、蘇生。その繰り返し。初めは抵抗しようと試みたが、ひとりですら手におえぬワールドチャンピオン複数人相手だ。死霊系魔法詠唱者(マジック・キャスター)が敵う道理などなかった。

 

「ぐ……がっ……」

 

 もう何度殺されただろうか。幾度となく繰り返される暴虐の嵐は止むことなく、むしろその勢いを増していた。下卑た笑い声と共に振り下ろされる刃は容赦なくスルシャーナの体力を削っていき、また逃れえぬ死が訪れる。

 臨死体験にもいい加減慣れてしまったところだ。おそらくあの形容しがたい空間で意識を手放せば、もう二度と苦しむことはないのだろう。だがスルシャーナは頑なにその選択肢を選ぼうとはしなかった。

 それもひとえにたっち・みーのため。彼は明らかに正気を失っていた。何度呼びかけても一向に応じる気配がない。その様はユグドラシル時代の、特定の命令なしには動かない、或いは動けないNPCにもよく似ていた。何とか彼を正気に戻してあげたいが、このままでは。

 

「おら、もう少し気張れや骸骨!」

「張り合いがねえな」

「その方が楽でいいだろ」

 

 嘲け嗤いが頭上を飛び交い誰かのアイアンブーツが髑髏を踏みつける。呻き声をあげ苦悶の表情を浮かべるスルシャーナの眼窩が、あるアイテムを捉えた。

 

「お待ちなさい……」

「ん? 命乞いなら聞かねえぞ」

 

 息も絶え絶えに声を上げるスルシャーナにワールドチャンピオンの一人が無慈悲に吐き捨てる。無論、これまでに何度言を交わそうとしたことか。彼らが一切聴く耳を持たぬのは百も承知。ならば――

 

「……僕の所持していたアイテムに……流れ星の指輪(シューティングスター)が、あります……一つだけ」

『っ!』

 

 その言葉にワールドチャンピオンたちは目の色を変える。全員が前衛の戦士職な彼らにとって、〈星に願いを(ウィッシュ・アポン・ア・スター)〉を使用できるアイテムは喉から手が出る程魅力的なものだった。

 突如として降って湧いたチャンスに男たちは血眼でスルシャーナのドロップしたアイテムを漁る。死した仲間たち全ての遺産を託されたスルシャーナのドロップ量は並大抵のものでなく、中々にして骨の折れる作業だった。

 

「おい、骨野郎! どこにあんだよ!」

「絶対俺が見つけてやるぜ」

「早い者勝ちだろ?」

 

 リーダー不在の今、見つけたアイテムは全て自分のものとなる。報告の義務などない。我欲に塗れた彼らは怒声あげながら発掘作業に没頭する。既に五十レベルを大きく下回るアンデッドなど何の脅威にもなりえない。後回しでいい、どうせ誰かが見張っているだろう。互いにそう判断したワールドチャンピオンたち。彼ら全員の注意が一瞬、スルシャーナから逸れた。

 

 この瞬間を待っていた。

 

「〈転移(テレポーテーション)〉」

 

 スルシャーナが搔き消える。次の瞬間、彼の姿は物言わぬ聖騎士の前にあった。その手には流れ星の指輪(シューティング・スター)が。

 

「はあああ!? お前巫山戯んな――」

我願う(アイウイッシュ)!!」

 

 たっち・みーにかかっている状態異常を全て解除せよ――希望と共に放たれた光は蒼白の魔方陣を形成し、

 

「なっ……!?」

「…………」

 

 硝子の砕ける音を響かせ、何の効果ももたらさず消失した。スルシャーナを絶望が襲う。見誤った。超位魔法を上回る力、即ち世界級(ワールド)アイテムによる洗脳か。

 

「舐めた真似してくれんじゃねえか」

「うぐっ……」

 

 剣閃がスルシャーナの右腕を切り落とす。指輪ごと奪われてしまった。そのまま裏拳を叩き込まれ、レベル差も相待って骨の身は容易く吹っ飛ばされた。

 

「無駄撃ちしてんじゃねえよ、馬鹿が」

「へっへー、俺のもんだ」

「いいなあ、一回俺に使わせろよ」

 

 指輪を手に気色ばむワールドチャンピオン。彼はふと何かを閃いたようだ。嫌らしい笑みを浮かべたっち・みーとスルシャーナを交互に見比べる。

 

「おい、たっち。こいつのとどめ譲ってやるよ」

 

 そして告げられるあまりにも残酷な死刑宣告。胡乱な表情で佇むたっち・みーの瞳に光が宿る。まるで自動機械(オートマタ)のように迅速に命令を遂行した。

 繰り返し振り下ろされるグレートソード。何度でも何度でも。

 

「ごめんな、さい……たっちさん」

 

 もう次はない。体が、感覚が、魂がそう訴えていた。自然と口をつくのは彼への懺悔。全ては自分の弱さが招いたことだ。

 諦念に身を委ねようとして、かつての友の言葉を思い出す。眼窩の灯が最後の輝きを宿した。そうだ、この意思を彼に。今は無理でも、いずれ誰かが彼の洗脳を解いてくれれば。

 

 スルシャーナは最後の力を振り絞った。

 

「どうか……人間たちを……この世界を――」

 

 言葉は最後まで紡げなかった。スルシャーナ諸共次元が断絶される。かくして最後の六大神は、後世に八欲王と呼ばれる存在たちによって葬られた。未来永劫、永遠に。

 

 

 ・

 

「……何、これ」

 

 主との繋がりが途絶える。絶えず感じていたスルシャーナの存在がどんどんか細くなり、唐突に消え失せてしまった。

 国の中央部に戻るまで数々の高レベルモンスターに襲われた。逃げ惑う民草を守り、何とかその全てを退けたルシャナの前には空っぽの政務室。他のNPCたちと合流し、もしやと思い向かったのは始まりの場所。そこには多数の武具防具、アイテムの数々が乱雑に散らばっていた。そして、

 

「スルシャーナ……様?」

 

 その中に無造作に転がる骸。鋭利な刃で切断されたであろう骸骨の、虚ろな眼窩には赤が灯っていなかった。

 

「スルシャーナ様! スルシャーナ様!?」

 

 NPCたちが悲鳴を上げ駆け寄る。残されていたどんな巻物(スクロール)を使っても、蘇生はおろか回復すらできなかった。骨の腕が力なく垂れ下がり、崩れ落ちていく。

 

「嫌ぁああああああ!!」

 

 あるものは発狂し、狂気と共に何処かへ走り去った。あるものは憤怒の形相で武器を振り回し飛んで行った。あるものは無言で〈転移〉し行方もしれなかった。こうしてルシャナは一人取り残される。スルシャーナの骸をその腕に抱いたまま。とめどなく溢れるのは涙か、それとも雨か。嗚咽を漏らす少女の前に、されど正義は降臨せず。少女の慟哭は降りしきる雨に掻き消され、誰の耳にも届かなかった。

 

 

 ・

 

 

 神を失った世界が欲深き王たちの手に落ちるのは時間の問題だった。数多の竜王(ドラゴン・ロード)からなる大連合が組織され、これを討伐せんと挙兵したが遅きに失す。呪いにより世界の敵(ワールド・エネミー)と化したたっち・みーを中心に、ワールドチャンピオンたちが好き勝手に暴れまわるだけで勝敗は決した。

 次々に国が滅ぼされ、併合され、やがて世界のほぼ全てが八欲王のものとなる。何時の頃か浮遊都市は〝エリュエンティウ〟と呼ばれるようになり、世界の中心となっていた。ここにリーダーを王と仰ぐ世界統一国家が樹立した。他のワールドチャンピオンたちはそれぞれが各主要都市の領主となり、ハーレムを築き上げた。

 連日催される酒池肉林の宴、併合した国への圧政、他国民の奴隷化などやりたい放題だった。力、富、権力――各々が欲望のままに生を謳歌する。その支配体制は十年、二十年と長きに渡り続いた。

 永遠に続くかに思われた八欲王による支配は、やがて思わぬ形で綻び始める。

 

 きっかけは皮肉にも、一画欠けた流れ星の指輪(シューティングスター)だった。



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第12話

 如何に栄華を極めようと、富や権力を欲しいままにしようとも決して克服できないものがある。誰もに等しく流れ、また抗うことができぬもの――時間、そして寿命である。

 時の権力者たちが不老不死を求めて大枚を叩いたり、眉唾な伝承に縋ったりするのも詮なきこと。

 

 盛者必衰。

 

 ワールドチャンピオンたちの半数は人間だった。そして残り半数は亜人であり、異形種である。亜人は大抵人間よりも長い寿命を持つし、異形種なんて設定上寿命が存在しない。

 老いさばらえていく自身の容姿や肉体に対し、転移当初と全く変わりない異形種のギルメンやNPCたち。彼らの心境は如何程だろうか。想像に難くない。

 ただ老いを防ぎたいのであれば昇天の羽や死者の書、堕落の種子といった種族変更アイテムを使えばいいだけだ。だが絶妙な調整(バランス)の上に成り立つ職業レベル配分が崩れてしまう。もしランダムにレベルが置き換わるのだとしたら、仮にワールドチャンピオンのレベルが失われたとしたら。目も当てられない。

 転移初期と異なり、彼らの精神性は大きく変貌を遂げていた。人間と亜人は違いに差別し、蔑み合い、また異形種は人間を憎悪した。自身が嫌悪する存在に誰が成りたがるだろうか。

 

 一触即発な冷戦状態の中、ついにワールドチャンピオンを二分する決定的な事件が起こる。

 醜く肥え太り、年老いた一人の男がかつての友を頼り彼の領地を訪れた。流れ星の指輪(シューティングスター)を使い、若返らせてほしいと。必死で懇願する男に対し、亜人のギルメンはせせら嗤った。誰がお前なんかに貴重なものを使うか、と吐き捨てる。その言葉に逆上した男は衝動的に剣を振るう。

 後は語るに及ばず。両者の争いは二国間の戦争にまで発展し、やがては八欲王を二分した。即ち、人間派と亜人、異形種派に。唯一の例外はリーダーだった。彼はどちらの派閥にも属さず、エリュエンティウで一人静観を決め込んだ。

 

 たったひとつの指輪を求めて国同士が血で血を洗う戦いを繰り広げる。指輪所有者に対し、丁度隣接する領土を保有する人のワールドチャンピオンたちが三人がかりで包囲。数多の犠牲を払いこれを略奪。

 

 後は平等に若返りを願うだけだ。

 

 しかしいざ願いを叶える段となり、それぞれの胸中に欲望が渦巻いた。「皆を平等に若返らせると効力が減るのではないか」「残り一画は誰の手に?」「飛び地とはいえ、何故戦闘に参加しなかったあいつまで効力を得るのか」「金銭的、人的援助は惜しまなかった。私にも権利はあるはずだ」一度燻り始めた火種は我欲を糧に激しく燃え上がる。

 一瞬の隙をつき、一人が自分だけの若さを願ってしまう。憤怒と怨嗟が噴き出し、若い姿を取り戻した男の頭を背後からかち割った。最後の一画を巡り三つ巴に刃が躍る。

 彼らが争っている間に指輪を奪われた男が他の異形種のギルメンや大軍を引き連れ、ここに進軍。

 

 加害者は誰で、被害者は誰か。敵味方が容易く入れ替わり、昨日背を任せ戦った戦友と明日は殺しあう始末。裏切り、騙し討ち、誅殺、謀殺の応酬。小さな火種は民草の血肉を喰らい、やがては世界を燃やし尽くす。この争いで人間、亜人や異形種問わず死者数は十万を優に超えた。

 

「皆もう喧嘩はやめようよー、ね?」

 

 比較的穏健派だった女が停戦を提案。ワールドチャンピオンたちは疲弊しきっていた。リーダーとたっち・みーを除き、ほぼ全員がレベルダウンを経験する程に。誰もが荒廃した国に住みたいはずがなかった。女の仲裁の元、一同は数十年振りに天空城に会する。

 

「場は提供してやろう、だが我は微塵も興味がない」

 

 そう言い残し、リーダーは何処かに消えた。無言を貫き直立不動なたっち・みー以外、七人のワールドチャンピオンが豪奢な長テーブルについた。メイドたちが緊張した面持ちでティーカップやポットを並べていく。会合は概ね和やかな空気で進んだ。

 

「だからねー、ラブ&ピースって大事だと思うのー。あ、お茶とお菓子のお代わりお願ーい」

「畏まりました」

 

 平和を自分なりに訴える女の元に新たな紅茶とスコーンが用意される。目を輝かせながらクロテッドクリームとジャムをたっぷり塗り、美味しそうに頬張る。見ているだけで胸焼けしそうだ。げんなりする男たちを他所に、女は角砂糖をたくさん投入したカップを啜り、

 

「――!? ゲホッゲホッ」

 

 落とす。茶器が砕け中身が飛び散った。女は盛大に咳き込んでいる。

 

「おいおい、何やってんだよ」

「慌てるからだぜ」

 

 男たちの軽口がピタリと止む。女は目から血の涙を流し、口から血色の泡を吹いていた。鼻と耳からも同色の液体が流れ出る。その症状に皆心当たりがあった。

 

 ブラッド・オブ・ヨルムンガンド――ユグドラシル最悪の致死性を誇る猛毒だ。茶器か砂糖か、それとも菓子か。あるいはジャムやクリームかもしれない。何れにせよ、彼女に毒が盛られたのだ。彼らに絶対服従のNPCやメイドたちがこんな大それたことできるわけもない。同じ席に着いた誰かが下手人なのは明白だ。

 

「このクソどもがぁああああ!!? あたしがせっかくここまでお膳立てしてやったのに!! ハメやがったなああ!!」

「いやいや、知らねえよ!?」

「俺じゃない!」

「俺も違う!」

 

 激昂する女に男たちは口々に否定する。身の潔白が証明できるはずもなかった。苛立ちが限界を超えた女は、ついに禁断の命令(オーダー)を下す。

 

「たっち!! ()()()()を皆殺しにしなさい!!」

「馬鹿!! そんなこと言ったら――」

「すぐに取り消――」

 

 閃光が走る。女の両隣に座す男たちの首が転がり落ちた。彼らの所持するアイテムが大量にドロップする。声を上げる間もなく、女の腹からグレートソードの先端が飛び出した。たっち・みーに背後から突き刺されたのだ。旗袍(チャイナドレス)が赤に染まる。

 

「なん、で……あたしまで」

「わかんねえのかよ! 自分がどれだけ馬鹿なこと言ったか!?」

「畜生、死んでたまるかよ!」

 

 八欲王(こいつら)を皆殺しにせよ。たっち・みーはそう判断したようだ。忠実に命令に従い、自動機械(オートマタ)は何の感慨もなく八欲王を屠っていく。彼らも全身鎧(フルプレート)を身に纏い応戦するが以前とは状況が違う。年老いて弱体化した上レベルダウンした彼らに対し、世界の敵(ワールド・エネミー)と化しただひたすら敵を殺し剣を研ぎ済ませ続けてきたたっち・みー。結果は火を見るより明らかだった。

 各々思惑はあれど和平のために催されたはずの会合は、巡りくる因果という名の下、彼らの血で染め上げられた。

 

 

 ・

 

 

「――やはり貴様か、たっち・みー」

 

 開かれた大扉の向こうにその姿を認めたリーダーは満足げに口元を釣り上げる。たっち・みーは返り血で赤に染まる全身鎧(フルプレート)を鳴らしながら歩を進めた。互いの間合いぎりぎりまで近づき、(きっさき)を向ける。その瞳には理性が宿っていた。

 

「久方振りに自我を取り戻した気分はどうだ?」

「貴方は……」

 

 有り体に言って最悪の気分だった。洗脳されたとはいえ、友をこの手で殺め。人を亜人を、異形種を問わずただ殺し尽くし、世界中に不和と戦火とをばら撒いた。この身は最早正義にあらず。むしろ対極に位置する存在であろう。

 鎧だけではない。この両手はあまりにも多くの血に塗れていた。人生を何度やり直そうと、生涯を贖罪に捧げようとも決して償いきれぬ。呪いにも等しい十字架を背負わされたのだ。

 たっちの酷い形相に全てを解す王は邪悪な笑みを浮かべた。たっちは確信する。この男が彼女に毒を仕込んだのだ。否、おそらく誰がジョーカーを引こうと然したる問題ではないのだ。彼にとっては。

 

「貴方は、何故こんなことを!」

 

 たとえ力による支配と言えど、世界は八欲王の手で一応の安寧を見せていた。もし彼がその強権を発動してさえいたら。

 例えば流れ星の指輪(シューティングスター)を押収し、その効果を平等に分け与えていたならば。先の対話の席につき、主導権を握り和平へ邁進したならば。未来は全く違っていたはずなのだ。

 全てを掌握できる立場にいながら、この男は何もしない。事態が転げ落ちる様を滅びに任せ、黙って静観していた。それどころかギルメンに毒を盛り、彼らを疑心暗鬼に陥らせ対立を悪戯に煽った。

 結果、国は割れ、盤石だった支配体制は崩れ堕ちた。そしてギルメンすら平然と切り捨てたのだ。たっち・みーには理解出来なかった。

 術者を殺そうとも世界級(ワールド)アイテムの効果はそう簡単に解けることはない。八欲王を皆殺しにしろ(オーダー)と相俟った苛立ちが彼をいっそう声高に糾弾する。

 

「何故……か。では問おう、たっち・みーよ。貴様は砂で出来た城を、未来永劫保存するのか?」

 

 リーダーは眼前にいるたっちではなく、何処か遠くを見つめるように問い掛けた。

 

「何を……」

「何処の馬の骨とも分からぬ輩に壊されるくらいなら、自らの手で壊そうとせぬか? 我はな……飽いたのだ」

「飽きた……だと」

 

 予想だにせぬ言葉にたっちの表情が驚愕に染まる。

 

「貴様を引き入れたのは最大の失策だった。この世界は……つまらぬ」

 

 王は語る。如何に贅を凝らし欲に溺れようが十余年も経てば飽きがくる。世界の隅々まで探索し、未知が既知に変わる度に希望が失望へと変わっていく。

 

「せめて貴様の古巣(アインズ・ウール・ゴウン)かトリニティでもいたならば……」

 

 強者と呼べるのは竜王(ドラゴン・ロード)くらいで、彼の相手に相応しき真の強者など見つからなかった。この世界の何処にも。

 

「であれば同胞しかおるまい。だが……」

 

 真紅の双眸が怒りに見開かれる。

 

「あるものは色欲に耽り、あるものは暴食に溺れ。またあるものは黄金に取り憑かれ、剣の振り方すら忘れた。全盛期には程遠い醜体を晒すものばかり!」

 

 男が激情と共に王座から立ち上がる。

 

「斯様な愚物など最早不要」

「それは……!?」

 

 その左手には古ぼけた一冊の本が握られていた。背表紙に銘は無く。右手のギルド武器に勝るとも劣らない力を感じさせた。そして腰には黄金のバックル。あの禍々しい輝きには覚えがあった。たっち・みーを世界の敵と変貌せしめた呪いのアイテム。

 

「待ち侘びたぞ、この時を」

「くっ……」

 

 狙いを看破したたっちが斬りかかるが遅きに失す。圧倒的な白が全てを塗り潰した。不自然な程白い全身鎧(フルプレート)に鳴子が散りばめられた黄金の装甲。黒に染まった瞳が愉悦に歪む。

 

「さあ、我を愉しませてくれ」

 

 ユグドラシルではありえない光景。二体の世界の敵(ワールド・エネミー)が激突した。

 

 

 ・

 

 

「何がどうなっているのだ!?」

「悲鳴が止んだぞ……まさか」

「たとえ処罰を受けても良い! 私は城に入るぞ!」

 

 城門前、三十人のNPCの怒号が飛び交っていた。王により彼らは唯の一人も例外なく、一切の立ち入りを禁じられている。

 もしも禁を破った場合、待つのは確実なる死。だが命からがら逃げ出したメイドたちの証言を聞く限り、状況は予断を許さなかった。覚悟を決めた都市守護者たちが扉に手をかけた瞬間、

 

「なっ……!?」

「これは……」

 

 天空城が揺れた。大地と隔絶している浮遊都市が、だ。声を上げる間もなくさらなる衝撃が彼らを襲う。堅牢なはずの城壁が割れ、強大な尖塔が地響きを立てて崩れ落ちた。その隙間を縫うように赤と白、二つの光が光条を煌めかせ躍り出す。

 二対の光は天空に二重螺旋を描きながら舞い上がった。時折独楽のように打つかってはまた離れを繰り返している。

 

「ふはははははははは!! 愉しい、愉しいなぁああたっち・みー!!」

「くっ…………」

 

 剣と拳とがぶつかり合い、弾け合う。行き場をなくしたエネルギーが衝撃波となりエリュエンティウへと降り注ぐ。選ばれし民、天空城に住まう人々は狂気の悲鳴を上げ逃げ惑う。地上への〈転移門(ゲート)〉は大混乱、大渋滞だった。神々の争いの前に人間など無力。戦いの余波に恐れおののき、恐怖に駆られた何人かはその高さすら忘れ、天空より飛び降りた。

 

「王よ!? 何故このような……」

「どうかお止めください!!」

 

 NPCたちが口々に静止する。中には果敢にも渦中に飛び込むものもいた。しかし割って入った守護者たちは王のその手で八つ裂きにされ、やがて皆恐怖と共に沈黙した。

 

 

 世界の敵と化した男は拳を、脚をただ本能の赴くままに振るう。そこに技など存在せず、防御など一切考慮せず。互いの骨肉を削り合い、流れる血潮すら心地良いと言わんばかりに。

 両者は互角の死闘を繰り広げた。拮抗した天秤はどちらに傾くこともなく。やがて日が落ち、昇り、また落ちる頃。

 

 ついに均衡が崩れる。

 

 たっち・みーのグレートソードが拳の圧力に耐えきれず砕け散った。両者真逆の反応を示す。刹那、迫りくる右脚にたっちは反射的に両腕を交差した。

 

「がっ……」

 

 鈍い轟音と共に王の踵落としが決まる。彼を眼下の城へ落とした。一際高い塔を薙ぎ倒してなおその勢いは止まらない。鐘楼が断末魔の響きを打ち鳴らした。

 

「うぐ……ぐ……」

 

 全身を鈍い痛みが苛む。途切れそうな意識が自分が落ちてきたであろう天井の穴を見上げた。夕闇と共に白い悪魔が迫り来る。気づけばそこは大広間、他の八欲王を処断した場所だった。辺りに数え切れない武具やマジックアイテムが散乱している。

 

「もっとだ! もっともっと我を愉しませよ!」

 

 暴虐の嵐が咆哮をあげ突貫した。ぎりぎりまで引き付け〈飛行(フライ)〉で超低空飛行。たっち・みーは床擦れ擦れを平行に飛んだ。王の拳が地を割り、あまりの衝撃に床が放射状に陥没した。

 

「はっ、逃がすとでも?」

 

 獣じみた動きだった。床から壁と稲妻のような三次元的な動きをみせ、王はたっちに肉迫する。武器を失った時点で勝敗は決していたのだ。無駄な足掻きをみせる聖騎士の背にその拳が振るわれ、

 

「ぐぬっ……! それはあやつの」

 

 鍔のない柄だけの剣――正確には杖である――から光刃が伸び、王の甲冑を貫く。左の肩に血の大輪が咲いた。この場には他のワールドチャンピオンの武具が散らばっていたのだ。それこそ今の王に届きうる唯一の武器。

 

「……良い、実に良い。そう来なくてはな! 次元(ワールド)――」

「――断切(ブレイク)

 

 次元を斬り裂く拳圧と斬撃が相殺される。面付き兜(クローズドヘルム)越しの顔が凶悪に歪んだ。たっち・みーは光剣を握り締め白き闇へと斬りかかった。

 

 

 ・

 

「――後一歩、足りぬか」

「…………」

 

 やがて雌雄は決す。男の手はたっち・みーの胸装甲(チェスト・プレート)を貫き、皮膚を穿ち。滴る血に塗れながらその鼓動に指先を触れていた。対してたっち・みーの光剣、そして黒い大剣はその両の刃でもって男の心の臓を貫いていた。

 

 互いに次元断切(ワールドブレイク)も次元断層も使い切り、他の特殊技術(スキル)や魔力もほぼ空だった。明暗を分けたのは世界の敵(ワールドエネミー)としての力の扱い、その在り方。たっち・みーが数十年かけて制御してきた破壊衝動に、男は全てを委ねていた。まるで自ら破滅へ突き進むように。ゆっくりと男の身体が崩れ落ち、仰向けに倒れ込んだ。

 

「はぁ……はぁ」

 

 紙一重の差だった。一歩間違えれば、自分がああなっていたかもしれない。たっち・みーは血反吐を吐きながら膝を折る。もう剣を振るう力は残されていなかった。

 

「喜べ……貴様は……見事復讐を果たしたのだ」

「…………」

 

 敗者の末路など決まっている。男の肉体が末端から灰となり消えていく。その様を黙したまま見守るたっち・みーの表情は優れない。

 確かに八欲王は亡き友スルシャーナの仇であり、一時期は憤怒に身を焦がしたものだ。しかし全てはもう過去のこと。過ぎ去りし日々は二度とは元に戻らない。怒りの炎は絶えて久しく、今更憎しみも湧かず。心に残るのは虚しさだけだった。

 

「……褒美を……くれてやろう」

「それは……!?」

 

 虚空に手を伸ばす王の手には斬るのに全く向いてない形状の剣が――八欲王のギルド武器が握られていた。彼なりの美学があったのであろう、如何に形勢が不利になっても彼は決して使おうとしなかった。

 

「死に逝くものには……最早必要あるまい」

「…………」

 

 ギルド武器――それは文字通りギルドの象徴。万一破壊されでもしたら拠点それ自体が崩壊し、ギルメンには敗者の烙印が刻まれてしまう。ユグドラシルにおいてはある意味世界級(ワールド)アイテムと同等以上に大切な代物だった。

 

「……貴様が次なる王として君臨するも、或いは一思いに破壊するのも良い……好きにしろ。この城全てが……貴様のものだ」

 

 剣を持つ彼の腕が崩れ落ちそうになり、思わず受け取ってしまう。たっち・みーが受け取るのを見届けると王は満足げに頷いた。

 

「……もし死後の世界とやらが存在したら……その時は……また、死合おうぞ」

 

 最後まで不遜な態度を貫き通し、八欲王のリーダーは灰燼と化し消えていった。彼の装備品が辺りに散らばる。

 

「――貴方と死合うのは、もう二度と御免ですよ」

 

 それを手向けの言葉に、たっち・みーは身体を引きずるようにしてその場を離れた。たとえ友の仇とて、死力を尽くした相手には取るべき礼がある。

 後に残されたのは彼が選びとらずにおいた大量のマジックアイテム。そして玉座には銘のない一冊の魔道書。

 

 かくして八欲王は滅び去った。後世の歴史家には我欲による仲間割れが原因と見なされている。唯一人、全てを知る堕ちた聖騎士は黙したまま語らず。真相は闇の中へ。

 

 

 ・

 

 神殿地下の隠し部屋――まるで霊廟のような荘厳な雰囲気を漂わせる空間に、数人の男たちがいた。部屋の中には強大な力を秘めし武具や数々のマジックアイテム。そして中央に一つの棺。

 

「考え直す気はございませんか?」

「我々には貴方様が必要で――」

 

「いえ、もう決めたことですから」

 

 なおも縋り付く神官長たちに丁寧に断りを入れ、たっち・みーは棺に自ら横たわった。安眠の屍衣(シュラウド・オブ・スリープ)の上位互換アイテムだ。この棺により、彼は自身を生きたまま封印することが可能である。

 

「しかし……あれからもう五年、ですか。月日が経つのは早いものですな」

「貴方様が来てくださなかったら法国はとうに滅んでいましたよ」

 

 神官長たちの言葉にあの日の記憶が蘇る。

 

 たっち・みーが帰還した際、スルシャーナの国はスレイン法国と、その名と姿を変えていた。

 八欲王亡き後、彼らが悪戯に召喚、もしくは所有していたモンスターたちはその枷を外れ、世界中を荒らし回っていた。トブの大森林の魔樹もその一つだ。

 法国も例に漏れず甚大な被害を被っていた。国の中核を為す六大神殿の内、五つが壊滅。残る一つの神殿に生存者が籠城、決死の抵抗を見せていた。

 ただ一人法国に残るルシャナは満身創痍、とっくに限界を超えていた。引き絞る弦が千切れ、魔の手に掛かろうという刹那。遅すぎた正義が今度こそ間に合った。

 

「たっち……みー……さ、ま?」

 

 赤い外套がはためき、白銀の鎧が軽やかに躍る。聖騎士は瞬く間にモンスターを一掃した。張り詰めていた糸が切れたのだろう、安心しきったように気を失うルシャナをたっち・みーは優しく抱き止めた。

 

「貴方は……一体」

「なんと……」

「彼女をお願いします」

 

 腕の中で眠る少女を神官長らに託し、ありったけの治癒薬(ポーション)の類を渡す。両手の光剣、大剣を構え直すとたっち・みーは残党狩りへ向かった。

 

「おお……おお……神よ」

「まさか、六大神のお一人が再臨されたのか」

 

 法国の民は涙を流し祈りを捧ぐ。神代の文字を背に人では歯が立たぬ異形の怪物を次々に屠っていくその姿は、まさに神の再来だった。

 

「これで終わりですね」

 

 国内の脅威を全て排した聖騎士は彼方に飛び立とうとする。神官長の一人が慌てて救世主を呼び止めた。貴方には感謝しかない、是非その名を教えてほしいと。その言葉に彼は悲しげに頭を振った。

 

「私には名乗る資格などありません……彼女のこと、よろしくお願いします」

 

 それだけを言い残し、救世主は虚空へと姿を消した。

 

 後に意識を取り戻したルシャナは何かを察したように()の者の名は知らぬという。代わりに背負う文字の意味だけを語った。

 

 それ即ち〝正義降臨〟――この言葉は長きに渡り語り継がれ、いつしか彼の救世主の名と同義とされた。

 

 それからのたっち・みーはただただ剣を振るい、戦いに明け暮れる。空に海に大地に……世界中に広がる八欲王の爪痕を断罪して回り、暴動や反乱を鎮圧した。必要とあらば人を、亜人を、異形種を問わず斬り伏せる。いつしか白銀の鎧は赤に、さらに無数の血を吸い黒へと至っていた。

 

 交渉材料(ギルド武器)を手に竜王(ドラゴン・ロード)が治める国へと出向いたこともある。大規模な侵攻作戦のため、その場に白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)が不在だったのは互いにとって幸運だった。

 結果エリュエンティウへの第二次侵攻作戦を凍結させ、互いに不可侵の密約を結べたのだ。

 

 こうして大陸末端の大部分が再び人の手に戻った頃、たっち・みーは気がついた。己の掌が血塗れなことを。その事に自身がさしたる疑念も抱いていないことに。

 丘陵地帯で折り重なるように果てた亜人たち。今さっき斬り捨てた骸をぼんやりと眺め、たっち・みーはかつて子供の首を絞めたスルシャーナの形相を思い起こしていた。

 

「……今の私は、さぞや醜いのでしょうね」

 

 たまたま手にした力を我が物顔で振るい、この世界の生きとし生けるものを気まぐれに救い、或いは滅ぼす。なんと傲慢なことか。

 もしも八欲王に匹敵――否、それ以上の〝悪〟が存在するとすれば、それはおそらく自分のことであろう。不必要な虐殺にまで手を染めようとした己を恥じた。たっち・みーは丘陵地帯や森林地帯での殲滅活動を中断し、法国へ帰還する。

 

 己の行く末を見据え、後始末をつけるために。

 

「私は……しばらくの間眠りにつこうと思います」

「――え?」

 

 無論その言葉が額面通りのはずがない。たっち・みーの帰還を歓喜でもって迎えたルシャナは虚を突かれた思いだった。創造主も友もなくし、唯一残った寄る辺がまた目の前から姿を消すというのだ。子供のように泣きじゃくるのも無理なかった。

 

「そんな!? 嫌、絶対に嫌です!! せっかく再会できたのに、またたっち・みー様と離れ離れなんて……」

「…………」

 

 泣いて喚いて激しく抵抗するルシャナだが、彼の意志は固い。降りた沈黙が何よりも雄弁にそれを物語っていた。

 

「では……では私もご一緒します! それなら――」

「いえ、それはなりません」

「どうしてですか!!」

 

 ルシャナはほとんど悲鳴に近い叫びを上げた。

 

「貴方には私がいなくなった後のこの国を……人間達の行く末を見守ってほしいのです。私と、それから()の代わりに」

「……たっち・みー様……ずるい、です」

 

 その名を出されてしまっては。彼女に反論の余地は残されていなかった。

 

「私がこの五十余年……どんな思いで生きてきたか……知りもせず……勝手なことばかり」

「申し訳ありません」

「ッ――!! もう知りません!! たっち・みー様の嘘吐き、大っ嫌い!!」

 

 パァンと小気味良い音一つを残し、ルシャナは部屋を飛び出した。残されたたっち・みーは叩かれた頬に手を添え、謝罪の言葉を呟くことしかできなかった。

 

 ・

 

 それ以来たっち・みー封印の日まで一言も口を利くことなく。彼は徹底的に無視され続けていた。

 

「……無理もないですね」

 

(最後に一言交わしたかったのですが……)

 

 何となく思春期の娘が想起される。一向に姿を見せぬ少女に一抹の寂しさを感じながら、たっち・みーは神官たちに蓋を閉めるよう指示して、

 

「待って下さい!!」

「ルシャナさん……」

 

 隠し部屋にルシャナが駆け込んでくる。息を切らせた少女の手にはどこか懐かしい鎧があった。

 

「これを――スルシャーナ様からです」

「そう、ですか」

 

 懐かしいはずだ。今身に着けている八欲王の鎧とは似ても似つかない。この世界に来た際にスルシャーナがくれた全身鎧(フルプレート)に良く似た意匠が施されていた。亡きスルシャーナの自室から見つかったもので、彼女がずっと保管していたものらしい。

 

「申し訳ありませんが、しばらく二人にしてくれますか?」

「畏まりました」

 

 神官たちが退出する。たっち・みーは棺から出ると、黒に染まる鎧を脱ぎだした。ルシャナに手伝ってもらい、白亜の鎧を身に纏う。

 

「よくお似合いですよ。きっと……きっとスルシャーナ様も喜んで下さるでしょう」

「ありがとう、ございます」

 

 それきり互いに言葉が出てこなかった。言いたいことはたくさんあったはずなのに。結局口をついたのは単なる事務的な内容だった。

 

「私が目覚める頃、私が私自身でいられる保障はどこにもありません。ですから……」

「はい、心得ております」

 

 幾度も繰り返し議論されたたっち・みーと傾城傾国の使い道。次に目覚めるのは八欲王クラスの世界の、そして人類の危機が迫る時だ。たっち・みーは自身を後にやってくるかもしれないプレイヤーたちの抑止力として捉えていた。また、スルシャーナのように自我を失う兆候が見られたため、有事以外は自らを封印すると決めたのだ。それが最善の道と信じて。

 

 無常にも時は過ぎ、ついに別れの時が訪れた。

 

 神官たちの見守る中、たっち・みーが再び棺に横たわる。それを合図にルシャナがゆっくりと蓋を閉じていく。泣き腫らした赤い眼をまた潤ませながら。やがて棺が完全に閉じられた。

 

「おやすみなさいませ、たっち・みー様」

 

 透明な雫が一滴、少女の頬を伝い棺に落ちた。

 

 

 こうして六大神と八欲王に纏わる伝説は終わりを告げた。それからミノタウロスの〝口だけの賢者〟に代表される単独転移や、ネコさま大王国のようなギルド拠点ごと転移した様々なプレイヤーがこの世界を訪れることとなる。

 約百年周期で訪れる転移者たちは、多かれ少なかれ世界に影響を与えていった。十三英雄のリーダーなどはその最たる例であろう。

 

 六大神の治世から数えて六百年余りの月日が流れた頃、とある草原地帯に朽ち果てた墳墓が何の前触れもなく出現した。

 

 

 

 



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第13話

「お断りです」

 

 山羊頭の悪魔――ウルベルト・アレイン・オードルは不快げな声を上げた。

 

「ふむ、どうしても駄目かね? 相応の謝礼は約束するが」

 

 ナザリック地下大墳墓第九階層。ギルメンそれぞれに割り振られた部屋のひとつ、タブラ・スマラグディナの自室にて。タブラの再三の要望をウルベルトは断り続けていた。

 

「だからってどうして私の悪魔たちが必要になるんですか」

 

 何度説明されても理解できない。新たなNPCを創り出すのに何故第七階層に配備している悪魔たちが必要なのか。ウルベルトは頭を振る。どうしてもほしいのであれば課金するなりデータクリスタルを買い集めるなりすればいいだけの話だ。

 

「先ほども言ったが、この実験には既に名と役割を与えられた存在が必要不可欠なのだ。ただ新たに課金すればいいという訳ではない」

 

 やはり理解できない。ウルベルトは踵を返し部屋を後にしようとして、

 

「……これは」

 

 エメラルド色の巨大な板の前で何となく足を止めた。部屋中に所狭しと並べられたよくわからないオカルトやホラーグッズの中で、それだけがやけに輝いてみえたのだ。

 

「エメラルドタブレット、またはエメラルド碑文。私の名の元となったものだよ」

 

 ウルベルトの隣に立つタブラが異形の指で碑文をなぞる。そこには『Haec est totius fortitudinis fortitudo fortis,quia vincet omnem rem subtilem,omnemque solidam penetrabit』と記されていた。

 

「――これはあらゆるものの中で最強の力である。すべてに浸透し、すべての精妙なるものすらを征服するからである――宝物庫のギミックの続きの一節だ」

「……最強の力」

 

 錬金術の知識は学のないウルベルトにはさっぱりわからない。しかし最強の力というワードは彼の興味を大きくくすぐった。その様子を見逃さないタブラは搦め手を使う。

 

「見てみたくないかね? たっちさんを超えるNPCを」

「ッ――」

 

 甘美な響きが耳に心地良い。つい先日も彼とは炎の巨人と氷の魔竜、どちらを狩るかでひと悶着したばかり。

 

「詳しく聞かせてもらえますか?」

 

もしも彼の鼻を明かせるのであれば、それは願ってもないことだった。

 

 

 

 

 長い白髪を振り乱し、真紅の双眸が見開かれる。縦に割れた瞳孔が眼前の敵を見据えた。(アルベド)と瓜二つの容姿はアインズをして見分けるのが困難な程だ。違いは角の有無、それから腰から生える翼の色。アルベドが漆黒に対し、ルベドは純白。頭上に輝く光輪と相まってその様はまさに天使。名は体を表す。(アルベド)(ニグレド)同様、ルベドは赤を体現していた。真っ赤な口紅(ルージュ)、真っ赤なドレス、そして真っ赤なピンヒール。ついさっきパーティ会場から抜け出してきたような、まるで場にそぐわない女が咆哮を上げた。奇襲からの左右の拳が唸りを上げたっち・みーへと襲い掛かる。だがまともに入ったのは最初の一発のみ。残りは盾や体捌きで全て往なされてしまう。

 

「何かと思えば……今さらNPCが一人増えたところで!」

 

 たっちの斬撃がルベドを捉えた。その細い肩口を袈裟懸けに斬り裂き、

 

「何? これは……!」

 

 妙な感触に気づき、距離を取る。確かに斬り裂いたはずなのに血が一滴も噴出さなかった。それどころかダメージすらない様子だ。その意味するところはつまり、

 

「〈上位物理無効化Ⅴ〉! そうか、彼女は……」

「そうです、思い出しましたか? 彼女こそナザリックが誇る最強のNPCにして、第八階層の最終兵器――ルベド」

 

 アインズは自慢気な声を上げた。たっち・みーの脳裏におぼろげな記憶が蘇る。彼はユグドラシル時代、一度だけNPCに遅れを取ったことがある。試運転と称し、タブラ・スマラグディナが創った彼女と模擬戦をしたのだ。立ち会ったウルベルトが大層嬉しそうにしていたのを微かに覚えている。まるでたっち・みーにメタを張ったような性能をしていたはずだ。

 長女(ニグレド)は探索、次女(アルベド)は防御にその能力を特化していた。ならば末妹(ルベド)は? 言わずもがな、攻撃特化だ。世界の敵(ワールドエネミー)を核に悪魔たちを生贄に創造された肉体は〈斬撃武器耐性Ⅴ〉や〈刺突武器耐性Ⅴ〉を備えていた。〈上位物理無効化Ⅴ〉と相まって、高確率でたっち・みーの攻撃を無効化する。そう、ワールドチャンピオンであった頃の彼の攻撃ならば。

 

「あぁあああ!!」

「……なるほど」

 

 たっち・みーはルベドの挙動をつぶさに観察した。先の守護者たちを大きく上回る物理攻撃力、物理防御力、俊敏性、そして各種耐性の数々。されど理性を欠いた拳はまるで狂戦士(バーサーカー)の様。PvPにおいて最も重要なのは戦闘能力などではなく、刻一刻と変化する状況への適応力、判断力。多少能力(スペック)が高かろうがこれなら守護者たちの方がまだマシというもの。今の彼にとって脅威足り得ない。たっち・みーは相手の猛攻を躱しながら大剣を背に収め、拳を振り抜いた。徒手空拳。雷鳴を纏う拳はルベドの拳とかち合い、一方的に競り勝った。骨が砕け腕まで亀裂が走る。血飛沫が舞った。機を逃すつもりはない。たたらを踏むルベドに無数の閃光が走り、いくつかが彼女の白い肌を傷付けた。

 

「があ……!」

「〈殴打武器耐性〉は大したことないみたいですね」

 

(そして全ての斬撃を無効化できる訳ではない、か)

 

 弱点みたり。おそらく〈魔法耐性〉もさほどないはずだ。赤いドレスの裾からスラリと伸びた脚が躍る。全身をしならせ加速させた上段回し蹴りは、しかし虚しく空を切る。カウンターが走る。ルベドの顎を吹き飛ばすようにアッパーが繰り出された。首ごと持っていく勢いのそれは、しかし確率で発動した〈上位物理無効化Ⅴ〉で事なきを得た。お返しとばかりに左の膝が矢の如く飛び、たっちの盾で防がれる。互いの拳と脚とが無数に打ち合った。ややルベドに分が悪いなれど、両者は一応の拮抗を見せていた。

 

「よし、今のうちに守護者たちの回復を」

『はっ』

 

 アインズとて今の世界の敵(ワールドエネミー)と化したたっち・みーにルベドが敵うと本気で思っている訳ではない。持ってほんの数分だろう。しかしPvPにおいて時間は貴重だ。その数分が勝敗をひっくり返す場合もある。ペストーニャやルプスレギナといった信仰系魔法詠唱者(マジック・キャスター)たちや巻物(スクロール)を使用し皆を回復する。

 

「アインズ様、私ハルベドノ救援ニ向カオウト思イマス」

「コキュートス、私も行くでありんす」

「やめよ、自分の回復に専念するのだ」

 

 腕や腹が復元して早々、前線に戻らんとするコキュートスやシャルティアをアインズが押し留めた。

 

「彼女なら大丈夫だ、援護など不要。それより準備しろ、チャンスは一度きりだ」

『はっ』

 

 アインズの策を全員が傾聴する。各々に役割を振られた。守護者各員は既に賜った世界級(ワールド)アイテムを握り締め、その時を待つ。

 

「があぁあああ!!」

 

 ルベドが絶叫する。反射的に顔を上げた守護者たちの目に映るのは絶望的な光景だった。一体幾度拳を、斬撃をその身に受けたのだろうか。ワールドチャンピオンの武器が内包する膨大なデータ量は彼女の耐性を突破するのに充分だった。ルベドは両の腕を失い、片足までも千切れかけていた。

 

「終わりです――」

 

 たっち・みーの握り締めた拳がとどめをささんと唸りを上げた瞬間、突如として間に割り入る夥しい数のモンスターに阻まれた。大図書館(アシュールバニパル)死の支配者(オーバーロード)やデミウルゴス配下の上級悪魔、シャルティア配下の吸血鬼(ヴァンパイア)たちが特殊技術(スキル)や召喚魔法を駆使し、ありったけの眷属たちを呼び寄せたのだ。

 しかし高レベルのシモベですら敵わぬところに質を度外視した数だけの寄せ集めだ。今のたっち・みーが軽く腕を振るだけで全て吹き飛んでしまうだろう。盾にすらなりはしない。

 

(時間稼ぎ……? 無駄なことを)

 

 モモンガの狙いが読めない。罠すら全て食い破るつもりで拳を繰り出した。優に百を越えるモンスターが呆気なく破壊され、無数の骨や肉片が宙に舞う。その向こうにたっち・みーは異様な光景をみた。

 赤く帯電する光。悪魔やアンデッドらの呻き声。クチャクチャと何かを咀嚼する音。ルベドの血染めの唇が耳元まで大きく歪む。

 

「アハハハハハハハ!!」

 

 狂気に満ちた嗤い声。ルベドは眷属たちを喰らっていた。彼女の四肢が瞬時に再生していく。ルベドの蛮行はそれだけに止まらない。白き翼の一枚一枚がまるで槍のように鋭利に尖り、周囲の全てを穿った。触手のように蠢く羽根は種族や生死を問わずその生命を吸収していく。

 

「な、言ったろ? 彼女に援護など不要だ」

 

 アインズやアルベド、オーレオールといった一部の例外を除くシモベたちが驚愕に目を見開いた。あらかた食事を終えたルベドは狂ったように笑いながら大きく身を屈ませ、突貫。音を置き去りにした。

 

「ぐっ……」

 

(この威力は……!)

 

 カイトシールドで防ぐもその勢いを御しきれない。木々を薙ぎ倒し身体ごと彼方へ持っていかれる。土煙が舞い上がった。返す刃が翻りその腕を断ち切ろうとする。ルベドは獣じみた動きで剣閃を躱すと、息もつかせぬ猛攻をみせた。斬り刻まれるのもお構いなしにたっち・みーをその場に釘付けにした。

 

「あれが……ルベド」

「アノ戦闘力……ナントイウ……我々ノ領域ヲ逸脱シテイル」

 

 守護者最強を自負するシャルティアや、武器による攻撃力では他の追随を許さないコキュートスの驚きは一入だった。

 

 ルベドの特殊技術(スキル)――神人合一。他者の血肉を喰らいその量や質に応じて様々な追加効果をもたらす。シャルティアであれば眷属招来とスポイトランスで似たようなことが可能だが、ルベドは単体で能力上昇(バフ)をもこなす。

 彼女の創造主であるタブラ・スマラグディナは多面的な属性を持ち合わせていた。ニグレドにはホラー好きな面を、アルベドにはギャップ萌えな面を。そしてルベドには錬金術好きな一面が反映されていた。

 

「ハァアア!!」

「アハハハハ!!」

 

 かたやプレイヤーから世界の敵(ワールド・エネミー)と成り果てた存在。対するは世界の敵(ワールド・エネミー)からNPCに堕とされしもの。真逆な境遇な両者は互いの存在を否定するかのように骨肉を削りあった。

 

 たっち・みーは戦慄する。腕をへし折り、足を斬り飛ばし、その身を血に染める度にルベドは変わる。進化していく。加速度的に強くなっていた。その能力上昇(バフ)には際限がないのではと思わせる程に。ならば周囲の詠唱し続ける異形から始末しようとすると彼女は身を呈してこれを防いだ。切断された首から血飛沫を撒き散らせながら女は嗤う。さらに能力値が上昇した。〈血の狂乱〉も持ち合わせているようだ。

 思い違いをしていた。ルベドは理性が欠けているのではなく。必要ないのだ。このままではいずれは八欲の王レベルまで至るかもしれない。その前に片をつけなくては。意を決したたっち・みーは必殺の構えをとる。

 

次元断切(ワールドブレイク)

 

 如何に能力上昇(バフ)を重ね掛けしようとこの特殊技術(スキル)の前には無意味。あらゆる防御を斬り裂き、ルベドの左肩から右腹部に掛けて次元ごと切断された。ドレスとは異なる赤に塗れながら女は嗤う。その痛みすらさらなる力を得るための代償としか考えていないのだろうか。たっち・みーは手甲を打ち鳴らし、思い切り突き穿った。

 

「がああああああ!」

「〝賢者の石〟……これが貴方の力の源ですね」

 

 ルベドの顔が初めて苦痛に歪む。たっちの右腕は彼女の胸を抉り、その手に脈動するものを握っていた。血が滴る心の臓に赤い宝玉が輝く。返り血を浴びながらたっち・みーは肉や血管ごとこれを引きちぎっていく。

 

「これで――」

 

 勝利を確信した彼の視界が霧に染まる。たっち・みーとルベドの二人を残し周囲から他者の気配が消え失せた。

 

「この感覚……」

 

 どうやら隔離空間に囚われたらしい。名は失念したがユグドラシル時代、アインズ・ウール・ゴウンがそのような世界級(ワールド)アイテムを所有していたはずだ。百ある異界がどんな効果をもたらすか定かではない。これ以上NPC一人に構ってられなかった。たっち・みーはルベドから離れようとして、

 

「む……?」

 

 異変に気づく。離れない。手足を動かすことができない。気づけばルベドの血肉が、多量に浴びた返り血が硬質化し、全身鎧(フルプレート)と完全に同化していた。たっち・みーをその場に釘付けにする。

 

「まさか……最初からこれが狙い」

「たっち・みーさま……つかまえた」

 

 恋人がキスをせがむようにルベドがたっちの首に腕を回す。姫と聖騎士。まるで御伽噺の一ページのようだった。両者を血色の結晶が覆ってさえいなければ。

 

「〈ウッドランド・ストライド〉!」

「たっち・みー様、失礼します!」

 

 マーレの魔法により勢い良く射出されたセバスが創造主の手から心臓を奪う。たとえ肉体が完全に破壊されても核が無事であればルベドは再生可能だ。勢いそのままにセバスは心臓を大事そうに抱えると霧に紛れ消えていった。それが合図だった。

 

「ッ――」

 

 頭上に星々のごとき煌めきを覚え、たっちは空を仰いだ。

 

「セイヤアァアアア!!」

「ご無礼の程、どうかお許しを!」

「うぉおおおお、死にさらせえええぇえええ!!」

「ハァアアア!!」

「たっちさん……これで!」

 

 コキュートスの〝幾億の刃〟デミウルゴスの〝ヒュギエイアの杯〟アルベドの〝真なる無(ギンヌンガガプ)〟シャルティアのオーレオールから受け取った世界級(ワールド)アイテム、そしてアインズの伽藍洞の腹に燦然と輝く赤き宝玉。五つの世界級(ワールド)アイテムはアウラの持つ〝山河社稷図〟が囲う世界でその真なる力を解放した。世界一つに等しき可能性の輝きが、五重奏を織りなしたっち・みーへと降り注ぐ。光は破壊の渦と化し全てを飲み込んだ。後方にアウラと共に控えるマーレの〝強欲と無欲〟が静かに行く末を見守っていた。

 

「……やったか? アウラ!」

「はい! たっち・みー様の体力は三割ほど減っています!」

 

 アウラからの報告にアインズはわずかな落胆を覚えた。想定よりもダメージが少ない。他ギルドによる略奪を恐れ、ユグドラシル時代ではついぞありえなかった世界級(ワールド)アイテムによる相乗効果の一撃。この破壊力すらたっち・みーの体力は削りきれなかった。いや、ワールドエネミーの桁違いのHPを考みれば御の字か。とにかく、どうにか戦略を組み立て再度世界級(ワールド)アイテムによる一斉攻撃をしかけなければ。

 

「よし、霧に紛れ散開! 死の騎士(デス・ナイト)や召喚モンスターを盾にまた――」

 

 刹那、一筋の閃光がアインズの横をすり抜けた。守護者を含め誰一人反応できなかったそれは真っ直ぐに飛来し、

 

「――あ」

「え? お姉ちゃ……」

 

 アウラの小さな身体がよろめく。口から鮮血を吐き、仰向けに崩れ落ちる。その胸には光剣が深々と突き刺さっていた。倒れ伏す彼女のオッドアイは輝きを失う。

 

「あ、ああ……あ……」

 

 声にならない声がマーレの口から漏れる。頼りになる姉が、ついさっきまで隣で自分を安心させるように軽口を叩いていた姉が、死んだ。こんなにも呆気なく。守護者たちに動揺が広がる。

 

「何故……たっち・みー様は霧で視界を奪われているはずなのに!?」

「簡単なことです」

 

 たっち・みーは事も無げに告げ、爆心地からゆっくりと歩き出した。

 

「貴方たちが持つ世界級(ワールド)アイテム、その力の気配と等しきものが後方に二つ。隔離空間を操る術者はそのどちらかでしょう」

 

 如何にワールドエネミーとはいえ無傷ではすまなかったらしい。漆黒の鎧には相応のダメージが刻まれていた。

 

「霧が晴れたということは――当たりを引いたようですね」

 

「うわぁあああああああああ!!」

 

 マーレの慟哭が響く。絶叫を上げながら白と黒の小手(ガントレット)を振り上げたっち・みーへと迫る。同時にシャルティアもスポイトランス片手に突貫。喧嘩するほど仲が良いというがアウラとシャルティアはまさにそれだった。姉を、あるいは親友を屠られた怒りと悲しみが彼らから冷静さを失わせた。されど――

 

「言ったはずです――許しは請わない、と」

 

 一閃、二閃。矛先を交えることすら叶わず、マーレとシャルティアが血だまりに沈む。

 

「たっち・みぃいいいいいいいい!!」

 

 ほんの瞬きの間に三人の命が奪われた。激情に支配されそうになるアインズを精神沈静が押し留める。二人が先走らなければ自分が飛び出していたかもしれない。甘かった、認識がどうしようもなく。生かして捕らえるなんて生温いことを言っていたのでは失ってしまう。全てを。欲しいものがあるのなら、奪うしかない。()()()()()()()()()()()()()()()()。犠牲を恐れていては全滅の恐れもある。迷うな、覚悟を決めろ。信じたいものを己に誓え。アインズの眼窩の赤が強さを増した。

 

「セバス、コキュートス、デミウルゴス! 十二秒だ。何があってもその間たっち・みーを食い留めよ、決して私に近づかせるな!」

『はっ』

 

 主の命に三人はたっち・みーへと捨て身の覚悟で突貫した。後方へ降り立つアインズをアルベドがガードする。

 

あらゆる生あるものの目指すところは(The goal of all life )死である(is death)

 

 〝エクリプス〟最大の切り札。本当の意味での死の支配者(オーバーロード)にしか使えぬ特殊技術(スキル)。アインズの背後に巨大な文字盤が出現する。その効果を良く知るたっちはすぐさま迎撃に向かおうとし、鬼気迫る形相の守護者たちが行く手を阻む。しかし今のたっち・みー相手にはあまりに心許ない。彼らが決死の覚悟で振り下ろした剣が、繰り出した拳や爪は掠りもせず。一呼吸置く暇もなく全身が切り刻まれてしまう。

 左右の腕の一対を斬り落とされながらコキュートスは無念で一杯だった。同じ戦士だからこそ痛感する。たっち・みーとの技量差を。己の未熟を嘆くばかりだ。頂は遥か遠く、その極限まで研ぎ澄まされた太刀筋は読むことすら叶わない。主の命を果たすべくコキュートスは苦渋の選択をした。

 

「デミウルゴス……オ前ノ命、私ニクレ」

「異を唱えるべくもなく」

 

 コキュートスのある種の死刑宣告をデミウルゴスは間髪置かず首肯する。こと戦闘においてデミウルゴスはコキュートスに全幅の信頼を寄せていた。その彼が自分の命ごときで活路を見出せるというのだ。デミウルゴスにとって願ってもないことだった。

 

「ぐ、はっ……」

 

 蹴り飛ばされるセバスを尻目にデミウルゴスは真の姿を解き放つ。

 

「悪魔の諸相:おぞましい肉体強化」

 

 全身の筋肉が大きく膨れ上がる。スーツの紳士然とした姿は鳴りを潜め、おぞましく醜い化け物が出現する。角と尾、そして羽根の生えた黒く蠢くその姿はまさしく悪魔そのものだった。

 

「うぉおおおおおお!!」

 

 デミウルゴスがたっち・みーの前に立ちはだかる。五体に悪魔の諸相の力を漲らせ特攻をかけた。

 

悪を討つ一撃(スマイト・エビル)

 

 デミウルゴスにとってたっち・みーとの相性は創造主云々を抜きにしても最悪だった。カルマ値極悪のデミウルゴスに対し特攻効果を持つ刃が放たれる。

 

「うぐっ……ふ、ふふ」

 

 土手っ腹に風穴を開けられてなおデミウルゴスは不敵な笑みを崩さない。その様子をたっちは訝しむ。おそらくこのデミウルゴスという悪魔は隠れ蓑、捨て石。蟲王(ヴァーミン・ロード)こそが本命であり背後から強襲する気なのだろう。悪魔の左右、もしくは上か。どの角度から斬撃が繰り出されてもいいようにたっちは注意を払い、

 

「ッ――」

「――浅イ、カ」

 

 目を疑った。デミウルゴスの胸を突き破る鋒がたっち・みーの左肩を抉る。悪魔を穿つために迂闊に懐に深く入り過ぎた。鋭い痛みを受けながら獲物を引き抜こうとして、

 

「させま、せんよ……」

 

 デミウルゴスが渾身の力を振り絞りたっちの大剣を抑え込む。神聖属性が身を焦がす痛みに耐えながら声を張り上げた。

 

「コキュートス!」

「デミウルゴス……スマン」

 

 斬神刀皇を引き抜き、霞の構えとるコキュートスは同じ信念を持つ親友に別れを告げる。

 

「スマイトフロスト――」

次元断切(ワールド・ブレイク)

 

 しかし技量差は残酷だった。デミウルゴスの腹を切り裂き自由となった大剣が躍る。コキュートスの刃がデミウルゴスごとたっち・みーを斬るよりなお早く、たっちの剣が二人まとめて両断した。デミウルゴスの献身も、コキュートスの覚悟も全ては水泡に帰す。否、断じて否。そんなことは許されない。上半身だけになったコキュートスが吼える。

 

「スマイトォオオオフロストバァアアアン!!」

 

 完全にしとめたという一瞬の油断。意識外より放たれた一撃は、氷属性を纏いてその剣持つ腕へと振り下ろされる。

 

「……見事。その太刀筋、貴方は健御雷さんの造りしNPCだったのですね」

 

 肘から先、切り落とされた右腕がゆっくりと地に落ちる。

 

 コキュートスの生涯最後にして最高の一振りは、確かにたっち・みーに届いた。未だ遠い頂であるが手をかけることができた。舞う血飛沫に鎧を染めながらたっちは最高の賛辞を贈る。だが、これで百レベルNPCはもう片手で数えるほどしか残っていない。たっち・みーとまともに戦えるだけの戦力はもはや残されていないだろう。たっちは緩慢な動作で大剣を拾い上げる。

 

「いえ、彼らは充分にその役割を果たしてくれました」

 

 ズシン、とたっちに超質量がのしかかる。大地が耐えきれず陥没した。全身を灰色の鱗で覆われた巨大な竜。この世界の区分では竜王(ドラゴン・ロード)と呼んでも差し支えない存在だった。

 

「セバス、その姿は……!」

「はい、たっち・みー様。貴方様がそうあれとお創りになった姿にございます」

 

 セバスはドラゴンの肢体をくねらせたっち・みーを拘束する。常人ならば全身の骨が砕ける圧力がたっちに重くのしかかった。

 

「〈魔法効果範囲拡大(ワイデンマジック)嘆きの妖精の絶叫(クライ・オブ・ザ・バンシー)〉」

 

 彼方よりアインズの詠唱の音。時計の針は八時を指していた。このままでは不味い。

 

「良いのですか……彼の特殊技術(スキル)は全てを殺しますよ? 無論貴方も」

「はっ、覚悟の上でございます。何処までもお供させてくださいませ」

 

 人型の時より多少低くなったセバスの声が頭上より響く。説得は不可能と判断したたっち・みーが圧倒的な膂力でもってセバスを引き剥がそうと試みて、

 

「何……」

 

 血まみれの手が彼のアイアンブーツを掴んだ。視線を落とすと上半身だけとなったデミウルゴスがこちらを見上げていた。血の轍が、引きずる臓物が彼がここまで這ってきたことを示していた。

 

「たっち……みー様、セバスだけでは……少々不安が、残るかと。是非とも……我々もお連れ下さい」

「これはこれは。デミウルゴス、貴方は私だけではたっち・みー様に満足いただけないと、そう仰りたいのですかな?」

 

 一見するといつものやり取り、皮肉の応酬。だが全てを承知したセバスとデミウルゴスは互いにニヤリと笑ってみせた。

 

「そうだ……とも。君も……そう思うだろ……コキュートス? ……先に逝きましたか。そうですね、向こうで出迎えるものも必要です」

 

 返事のない、既に事切れた親友から目を逸らしデミウルゴスは再び宝石の瞳を至高の存在に向ける。

 

「っく……よせっ……!」

 

 カチリ、カチリ、カチリ。

 

 たっちの抵抗虚しく、アインズの背負う時計の針が真上を指した。

 

あらゆる生あるものの目指すところは(The goal of all life )死である(is death)

 

 瞬間、死が訪れた。

 

 

 ・

 

 

 空も、地も、大気にすら絶対的な死を与えるアインズ最大の切り札。砂漠と化す大地。流砂の上に隻腕の男だけが立っていた。

 

「……たっち・みー」

 

 アインズは死を逃れた唯一の存在を見据える。まさか、という思いとやはりという思いが同居していた。彼のような存在が、ワールドエネミーが即死対策を怠るはずがなかった。

 

死の騎士(デス・ナイト)の必ずHP1で耐える特殊技術(スキル)があるでしょう? 今の私も似たような特殊技術(スキル)を持っています」

 

 ただの偶然ですがね――肩を竦めゆっくりと近づいてくるたっち・みーに対し、アインズは〈生命の精髄(ライフ・エッセンス)〉を唱えた。彼の膨大なHPは大分減り、残すところわずか一割五分といったところだ。

 シャルティア、コキュートス、デミウルゴス、アウラ、マーレ、セバス、そしてルベドにガルガンチュア。多数の守護者たちの命と引き換えにここまで彼を追い詰めることができた。

 だからどうしたというのだ。鈴木悟の残滓()が嘆き悲しみ、モモンガ()は怒り狂う。結局は愛し子たちを犠牲に、かつてのギルメン同士殺し合っているだけではないか。覚悟はしていたはずだ。犠牲なしにはたっち・みーには勝てないと。しかしいざ現実を、皆の死を目の当たりにすると固く結んだはずの決意が揺らいでしまう。アインズの葛藤を待ってくれるたっちではない。大剣を担ぐように構えると、アインズ目掛け一直線に疾駆する。

 

「皆、アインズ様を守りなさい!」

 

 アルベドの激に生き残りの高レベルモンスターやプレアデスが行く手に立ち塞がる。

 

「たっち・みー様! おやめください!」

「これ以上は、もう……」

 

 手甲が、雷撃が、メイスが。ナイフが、呪符が、弾丸が。プレアデスが幾度となくその名を叫び懇願するも至高の存在は止まらない。

 

「邪魔です!」

 

 たっちがわずらわしげに腕を振るう。たったそれだけでプレアデスは全員が吹き飛んでしまった。百レベルに満たないものはワールドエネミーの前に相対する資格すらない。高レベルのシモベたちも次々に斬り伏せられ、残る障害は眼前の悪魔のみ。

 

「絶対に、絶対に通さない!! アインズ様に指一本触れてみなさい! ただでは置かないわよ!?」

 

 鬼気迫る形相のアルベドが仁王立ち〝真なる無(ギンヌンガガプ)〟を構える。

 

「既に一度割れた盾など……!」

「ぐ、ぬうぅうううう……!!」

 

 閃光が走る。隻腕が振るう剣撃はむしろ今までより一層激しさを増し、アルベドを襲った。アインズたちは知る由もないがワールドエネミーであるたっち・みーは自身のHPが減れば減るほど攻撃力が上昇し、また防御力が低下する特殊技術(スキル)を備えていた。体力が九割減の今の彼の攻撃力は如何程であろうか。ほどなくして堅牢を誇る(アルベド)が破られ、たっち・みーがアインズを間合いに捉えた。

 

「アインズ様っ!!」

「これで終わりです」

 

 その悲鳴は誰のものであったか。アルベドか、それともプレイアデスの誰かか。オーレオールが何やら詠唱しているがもう間に合わない。無情にもアインズの黒衣が斬り裂かれ、

 

「……すまない」

 

 アインズの呟きだけがやけに大きく響いた。

 

ひひあかね(いいえ)こくたんひときわたまごたいしゃ(よいのです)ぼたんひはいたいしゃにあおむらさき(アインズさま)そしょくやまぶきだいだいあおみどり(わたしは)ひとときわやまぶきえどむらさきもえぎ(このために)しんしゃあおむらさきにゅうはくやまぶき(生まれた)ときわたまごたいしゃぞうげしろ(のですから)

「なっ……」

 

 その呟きに答える声がひとつ。独特のエノク語を操るのは第八階層守護者――ヴィクティムだった。たっち・みーの斬撃はアインズの腹を、宝玉にしがみつくように収まっていたヴィクティムを斬り裂いたのだ。

 

(ここに至るまでの全てが……モモンガさんのシナリオ通りだと!?)

 

 驚愕に目を見開くたっち・みーの足元から無数の鎖が飛び出し、躱す間もなくがんじがらめにされる。ありとあらゆる移動阻害系能力値下降(デバフ)がたっち・みーに降りかかった。

 

「まだ、です!」

 

 勝敗が決した訳ではない。身体の自由が利く内に二の太刀を振るい、

 

「〈完璧なる戦士(パーフェクト・ウォーリアー)〉」

「ッ――」

 

 金属音が大剣を弾き返す。たっち・みーは今度こそ言葉を失った。胸にブルーサファイアの輝きを宿す純白の鎧、揃いの兜に盾と剣。赤い外套が翻る姿はまるで――

 

「さあ、たっち・みー……決着をつけよう。我らのすれ違いに」

 

 純白の全身鎧(フルプレート)を身に纏うアインズは、堕ちた聖騎士に鋒を向けた。

 




タグに原作キャラ死亡追加。

次回最終話です。


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最終話〜PvP+N〜

 コンプライアンス・ウィズ・ローにアースリカバー、そしてアルフヘイムの名を冠す聖剣。かつての自身の最強装備を纏うモモンガにたっちは動揺が隠せなかった。まるで過去の自分が、今の自分を断罪しに来たかのような錯覚さえ覚える。馬鹿な考えを頭から振り払う。そんなことよりも、聞き捨てならない一言を聞いた気がした。

 

「今、何と言いましたか……?」

「すれ違いですよ。私と貴方との諍いは、つまるところそれが原因だ」

「すれ……違い……」

 

 ――私の代わりに……人間たちを……この世界を――

 

 ――おやすみなさいませ、たっち・みー様

 

 恩人と過ごした穏やかな日常を。あの日、彼をこの手で殺した感触を。何十年と続いた隷属の日々を。実の父のように慕ってくれた少女の手を振り払うしかなかった痛みを。ただのシステムとして冷たい棺の中で眠り続けた歳月を。その末に抱いた願いを、思いを、意思を。全てをそんな一言ですませようというのか。それは、あの時代を懸命に生きた全ての生命を侮辱するに等しい行為だった。

 

「ふざけるな!」

 

 たっち・みーが初めて感情を露にする。声を荒げ激情と共に大剣を振り下ろした。四肢を縛る楔が剣速を本来の半分以下に落とす。アインズは左手の盾で難なく受け止めた。全身を心地よい光が包み込む。オーレオールによる無数の能力上昇(バフ)がアインズの身体能力を飛躍的に向上させた。

 

「ふざけてなどいない! それが事実だ!」

 

 アインズが聖剣を振るう。上段からの切り下ろしは大剣の刀身で受けられ、鍔迫り合う。何合にも渡って打ち合った。本来なら一合足りとも切り結べぬはず。たっち・みーとアインズの間には天地ほどの技量差が存在する。それは歴然たる事実。自身への能力上昇(バフ)、相手への能力低下(デバフ)、度重なるダメージとがその差を埋める。奇しくも両者は拮抗するに至った。

 

「貴方には分からない、分かるはずがない! ナザリックと共に転移し、こんなにもたくさんの仲間に囲まれている貴方には!!」

「……たくさんの……仲間、だと?」

 

 今度はたっち・みーがアインズの逆鱗に触れた。ヘルムのスリット越しに見え隠れする灯が激しく燃え上がる。

 

「よりにもよって、そんなことを言うのか! お前が!? 俺がどんな思いでいたか知りもしないくせに!!」

 

 一人、また一人と減っていくギルメンたち。誰もいない円卓で、今日こそは誰かが来るかもしれないと期待し、やがて訪れる失望。ナザリック維持のため、人目を避けて外貨を稼ぐだけの灰色の日々。ユグドラシル最終日、全員に連絡したが来てくれたのはたったの三人。最後の時、玉座の間にて一人きり。暗闇に目を閉ざしそうになった瞬間、動き出したNPCたち。彼らにどんなに救われたことか。彼らを守るためならば、例えナザリック地下大墳墓すら犠牲にしても惜しくはない。それを――

 

「たっち・みー! お前がシャルティアを殺した! 全てが狂った!」

「先に仕掛けて来たのは、彼女の方だ!」

「殺したのはお前が先だ!」

 

 二人は舌戦を繰り広げながら激しく切り結ぶ。もはやほぼ戦う術のないNPCやシモベたちは至高の存在同士の争いをただ黙ってみているしかなかった。

 

 

 ・

 

 

「…………」

 

 土塊から這い上がる。生きた心地はしなかった。むしろ自分は一度死んだのかもしれない。身に着けていた六大神の遺産が我が身を守ってくれたのだ。土塊に沈む仲間たちは、おそらくもう生きてはいまい。槍を杖代わりに何とか立ち上がる。

 

「一体何が……」

 

 ズキンと痛む頭に浮かぶは髑髏。死の王。スルシャーナの紛いもの。そうだ、自分たちは逃げてきたのだ。そして……

 

「あれは……」

 

 宵闇が一瞬で朝になったかのような眩い閃光。遅れて轟く爆音。見ずともわかる。正義降臨とあの偽りの神が戦っているのだ。こうしてはいられない。あの異形は多くの従属神を連れていた。いかに無双を誇る正義降臨でも分が悪いだろう。我が身がどれほど役立てるかわからぬが、盾くらいにはなれよう。

 

「正義降臨様……どうかご無事で」

 

 男はよろよろとおぼつかない足取りで歩き出した。

 

 

 ・

 

「ちぃ!」

「くっ……!」

 

 アインズ、たっち・みーは各々苛ただしげに声を上げる。共に驚愕していた。此方(アインズ)はこれほどまでに有利な状況にも関わらず、依然として攻めきれぬ事実に。彼方(たっち・みー)はモモンガがただ単に身体能力任せに剣を振るうのではなく、戦士の体をなしていることに。互いに目に見えぬ歳月を感じさせた。だからこそ悔しい、口惜しい。これほどの存在と、かつての仲間同士が戦わなければならないなんて。

 

「私はたった独りでこの地に落とされた! 救ってくれた彼を、私が殺した! 殺してしまった!!」

「ッ――」

 

 たっち・みーの独白。要領を得ぬアインズだが彼の言葉の節々、振るわれる太刀筋から苦悩が伝わってくるようだった。

 

「だから、私が彼の理想を引き継いで何が悪い!? 何故悪い!!」

「ぬう……!」

 

 たっちの慟哭に呼応するかのように大剣が横薙ぎに振るわれる。またひとつ鎖が引きちぎられた。咄嗟に構えたアースリカバーに御しきれない威力が降りかかる。重々しい衝撃が神器級(ゴッズ)の盾に爪痕を残した。

 

「だから、だから俺を、ナザリックを滅ぼそうと言うのか!? その彼とやらのために!!」

 

 アインズの袈裟斬りが逆手に振るわれた大剣に弾かれる。時間経過に伴いたっち・みーを縛る楔が少しづつ消えていく。このままではやがて天秤はたっち・みー側に一気に傾くことだろう。その前に決着をつけなければ。しかし理屈を感情が上回る。気づけばアインズも吼えていた。

 

「俺は……俺にとってナザリックは全てだ! NPCたちは家族同然なんだ! それを、奪うと言うのか? これ以上! お前が……貴方が!?」

 

 アインズは悔しかった。悲しかった。腹立たしかった。この異世界でやっと見つけたギルメンが。それもアインズがユグドラシルを続けるきっかけをくれたたっち・みーが。自分との友情やアインズ・ウール・ゴウンよりも、何処の馬の骨ともしれない輩を選んだことが。どうしようもなく、悔しかった。

 アインズの本心からの言葉にたっちはわずかに逡巡し、やがて口を開いた。

 

「……そう、です。私には責任がある……彼の理想を体現し――人が幸せに暮らせる世界を創る義務が!!」

「そう……か」

 

(何を今さら……分かりきっていたことじゃないか。今のたっちさんとは相容れないってことくらい)

 

 自身の古巣をも切り捨てる彼の頑なさに鈴木悟がショックを受ける。もはや完全に袂を分かつしかないのか。半ば諦めかけたアインズは最後に疑問を投げかける。

 

「……最後に、ひとつだけ聞かせてくれ。貴方は人間たちのために――この世界全ての亜人や異形種を殺しつくすのか? それが……貴方の正義なのか」

「ッ――」

 

 たっち・みーは言葉を失った。沈黙が下りる。ずっと気になっていたことだ。ユグドラシル時代、たっち・みーは異形種狩りからモモンガを救ってくれた。その彼が、今度は人間を守りそのためにナザリックを滅ぼすという。弱者救済だけでは説明のつかない、違和感があった。

 

「私は……わた、しは……」

 

 ――正義降臨様。どうか我ら人類を救い、導いて下さいませ。

 

 老婆の声が、死してなお頭にこびりつき離れない。世界級(ワールド)アイテム――傾城傾国による洗脳効果は術者の死亡でも解けることはない。被術者が本懐を遂げるか、死亡するか。或いは術者が第三者を洗脳するまで決して解けぬ呪い。

 

「ぐ、うぅううう……」

 

 締め付けられるような痛み。たっち・みーへの命令が彼の罪悪感と相まって思考を縛る。

 

「そう、だ……そのためならばモモンガさん、たとえ貴方とて!」

 

 たっち・みーにしては珍しい隙だらけの大振り。だがアインズはあえて踏み込まず、後方へ飛び退く。互いの刃が届かぬ一定の距離を取った。

 

「……そうですか」

 

(承知しましたよ、たっちさん。貴方の状態は、ね)

 

 たっち・みーには未だ洗脳の余波が見て取れた。世界級(ワールド)アイテムによる影響はかくも強烈なものらしい。術者らしき存在は屠ったはずだが依然として彼を縛っているとみた。もしかしたら、まだ何とかなるかもしれない。一縷の望みに全てを託し、アインズは聖剣を構える。対するたっち・みーも大剣を背負う。

 

「…………」

「…………」

 

 互いに次の攻防が勝敗を分かつと確信した。真っ直ぐに視線を交錯し相手の一挙一動を注視する。うかつに動けない。アインズは高速で思考を回転させ戦術を組み立てる。残りのMPでは燃費の悪い〈現断(リアリティ・スラッシュ)〉を軸にした戦術は不可能だ。もとより〈完璧なる戦士(パーフェクト・ウォーリアー)〉発動中は一切の魔法が使えないデメリットが生じる。

 

(やはり最後の切り札が勝敗を分ける、か……)

 

 アインズはベルトに収めた木の棒や砂時計の感触を確かめる。内心の緊張を悟られないようにたっちに向け高らかに宣言した。

 

「行くぞたっち・みー! 貴方が如何に強かろうと、アインズ・ウール・ゴウンを名に負う私の方が上と知れ!」

「今さらアインズ・ウール・ゴウンなど――!」

 

(剣が弓に……あれは、ペロロンさんの……!)

 

 引き絞られた弓。太陽の輝き。いつの間にかモモンガの聖剣は弓矢に姿を変え、たっち・みーを狙い澄ましていた。陽光が収束する。たっちはモモンガの背後にバードマンの姿を幻視した。

 

(属性攻撃の塊……片手では)

 

 物理攻撃というよりは属性攻撃。太陽射殺す英雄の名を冠す弓から放たれるは必中の矢。あれは次元断層でなければ防げない。しかし隻腕、さらに利き腕を失った今あの光球を防ぐのは難しい。そもワールドチャンピオンの中でも次元断層を上手く活用できるのはたっちと八欲の王、それからもう一人くらいだ。刹那のタイミングに加え、センスを要求される特殊技術(スキル)を絶対防御にまで昇華させる方が異常なのかもしれない。

 

「――次元、断層」

 

 度重なる能力低下(デバフ)、隻腕という逆境をこの男は覆す。本来成功するはずのない特殊技術(スキル)が完璧なタイミングで放たれる。否、むしろそうこなくては困る。

 

「ッ!?」

 

 光球は空に生じた断層に吸い込まれることなく。たっち・みーの足元に正確に着弾した。閃光と共に大地が爆ぜる。もとよりアインズはたっち・みーを狙っていなかったのだ。土煙が舞い上がりたっちの視界を奪う。

 

「〈アンデッドの副官〉〈上位アンデッド創造〉〈中位アンデッド創造〉」

 

 特殊技術(スキル)や経験値を出し惜しむことなく、アインズは最後の賭けに出た。ベットするのは己が命、守護者やシモベたちの全て。そしてナザリックの未来。

 

「これが狙いですか! それでも――」

 

 大剣が唸りを上げる。土煙が切り裂かれ開けてくる視界。そこにたっち・みーは信じられないものをみた。

 

『オオオァァァアアアアアアアーー!!』

 

 驚くべきことに多数のモモンガが咆哮を上げ一斉に斬りかかってきたのだ。その数なんと十。十人が十人とも白銀の聖騎士装束だ。

 

(幻術? しかし〈完璧なる戦士(パーフェクト・ウォーリアー)〉は……一旦解除し、アンデッド創造と組み合わせた?)

 

 答えは出ない。構わない。全て斬り伏せるのみ。鋭い剣閃が煌めき、無数の弧を描く。断末魔の叫びを上げ、モモンガたちは消滅していく。その正体は死の騎士(デスナイト)を始めとしたアンデッドたち。幻術で聖騎士に偽装されていたのだ。

 

「ぐっ……悪を討つ一撃(スマイト・エビル)

 

 正面から躍り出る二体をまとめて斬り伏せるも、その隙を狙われる。対応しきれぬ刃が複数たっちを斬りつける。失った右腕や未だ全身の可動域を狭める鎖とがどうしても死角を生み出す所為だ。だがいくら防御力が低下しているとはいえ、三十五レベルの攻撃ダメージなど微々たるもの。無視しても問題ない。たっちは精神を研ぎ澄ませた。先刻、守護者たちを屠ったのと同じ要領で強者の気配を探る。

 

(……そこですか)

 

 聖騎士たちの影に隠れるように世界級(ワールド)アイテムの気配を見つけた。巧みに偽装されているが他のモモンガたちに比べ消極的な動きだ。無意識に守りに入ってしまうのだろう。本来後衛のはずのモモンガでは無理からぬこと。本命のモモンガへの攻撃を阻止しようと視界を防ぐ一体のモモンガを大剣の柄で殴りつける。

 幻術が破れ死の騎士(デスナイト)が吹き飛ぶ。いい加減煩わしい。茶番は終わりだ。理想実現のためにモモンガをこの手で殺す。いざその段になり何故かたっち・みーの脳裏にほとんど忘れかけていたはずのユグドラシルの日々が蘇る。

 

 モモンガを異形種狩りから救い。クランに誘った。増えていく仲間たち。時には諍いもあったがそれだけ熱中していた証拠だろう。ユグドラシルにのめり込み過ぎて妻と喧嘩したことすらあった。ナザリック発見を機にクランを解体。新しいギルド長にモモンガを推薦した。そして始まるアインズ・ウール・ゴウンの黄金期。楽しかった。本当に楽しかった。面貌付き兜(クローズドヘルム)越しに頬が濡れる感触。

 

(泣いているのか。私は……悲しいのか)

 

 たっちは戸惑いを覚えていた。捨て去ったはずの心がまだ自分にはあったらしい。

 

(……迷うな、やるんだたっち・みー。お前にはこの世界に対する責任がある)

 

 命令がたっちの思考を縛る。脳裏に浮かぶモモンガやユグドラシルの思い出を断ち切った。自分には最早彼を思う資格すらないのだから。

 

次元断切(ワールド・ブレイク)

 

 最上段からの神速の斬り降ろし。何体かのモモンガがたっちに取り付き、妨害しようとするが無駄だ。必殺の一撃は標的目掛け射線上の全てを切断する。モモンガが次元ごと縦に両断された。瞬間、周囲のモモンガたちの偽装が剥げ落ち、動きが止まる。当然だ、術者が死んだのだから。時期に彼らも消滅するだろう。

 

「アインズ様ぁあああ!!?」

「嫌ぁあああああ!!?」

 

 残されたシモベたちの悲痛な声。耳に痛い。スルシャーナが死んだ時のことが思い起こされる。彼らも主人のところに送る必要があるだろう。しかし、今だけは。

 

「……さようなら、モモンガさん」

 

 たっち・みーはかつての友へ別れを告げた。

 

「――流石だ、たっち・みー」

「なっ――」

 

 決着がついた。そう確信し、寂寥に浸っていたたっち・みーに降りかかる聞き覚えのある声。いつの間にか懐に潜り込む一体の死の騎士(デスナイト)。何故止まらないのか。何故消滅しないのか。ただの死の騎士(デスナイト)がこうも流暢に話せるはずがない。その意味するところは、

 

「ハアァアア!!」

「ぐうっ……!」

 

 漆黒の刃が翻る。度重なるダメージ、特殊技術(スキル)によるデメリットが防御力低下に拍車をかけた。本来以上の威力の斬撃がたっちの身体を切り裂いた。血飛沫が舞う。

 

「どうやら私は賭けに勝ったようだな」

 

 幻術が解ける。モモンガが姿を現した。その手には身の丈ほどもある漆黒の剣が握られている。

 

「何故……私は確かに、貴方を」

「そうだな、見間違えるのも無理はない。私の近親種族だからな」

 

 顎をしゃくるアインズにたっちの表情が驚愕に染まる。アインズの背後、呪詛を撒き散らしながら消滅していくのは死の支配者の賢者(オーバーロード・ワイズマン)だった。彼の腹に収まっていた宝玉が地に落ちる。本物のアインズが伽藍堂の腹を見せつけるように晒す。

 

「貴方なら、あれを本物の私と見なすだろうと」

 

 確信していた――〈上位道具創造(クリエイト・グレーターアイテム)〉でもう一本大剣を創造。左右の漆黒が猛威を振るう。

 あの瞬間、モモンガはありったけのアンデッドを召喚した。そして死の支配者の賢者(オーバーロードワイズマン)世界級(ワールド)アイテムを渡し〈完璧なる戦士(パーフェクト・ウォーリアー)〉を解除。〈魔法効果範囲拡大化(ワイデンマジック)完全幻覚(パーフェクトイリュージョン)〉でアンデッドたちに聖騎士の姿を取らせ、自身は〈上位道具創造(クリエイト・グレーターアイテム)〉で同様の姿を偽装。全身鎧(フルプレート)の身では百レベルと言えど三十三レベル相当の強さしかない。充分に他のアンデッドに紛れ込める。後はタイミングよく魔法を解除すればいいだけの話。アインズの一世一代の賭けは功を奏した。彼我の優位はここに完全に逆転した。

 

『アインズ様、時間です。いつでも使用可能かと』

 

 タイムキーパーを務めていたオーレオールからの〈伝言(メッセージ)〉。丁度良い頃合いだ。

 

「まだ……まだだ! まだ私は負けていない!」

 

 たっちの大剣がアインズの剣を払う。慌てた素ぶりなど一切なく、まるでそれすら計算通りと言わんばかりにアインズは砂時計を取り出した。半円球の巨大な魔法陣が二人を包む。檻のような蒼白の光を仰ぎたっちは悔しげに呻く。

 

「くっ……!」

「元より貴方に剣で敵うだなんて思ってませんよ」

 

 たっちが砂時計を腕ごと斬り払おうとするが、動きが鈍い。剣速が先刻よりも遅い。既に腕は自由になったはずなのに。先の攻防を、死の騎士(デスナイト)と――正確には死の騎士(デスナイト)に扮するアインズと何度も接触したことに思い当たる。

 

「まさか……能力値ペナルティ」

「ふ、何度接触したと思っている?」

 

 無意味と思われていた死の騎士(デスナイト)による特攻。アインズはそこにも罠を張り巡らせていた。接触による筋力や俊敏性などの能力値ペナルティ、これはすぐには回復不能だろう。余談であるが――アインズがユグドラシルにて過ごした孤独な時間。彼は物思いに耽ることが度々あった。武人建御雷ほどではないが、アインズもまたたっち・みーにPvPで一勝も上げられなかったのを悔やんでいた。彼のステータス、性格、癖、特殊技術(スキル)。はては行動パターンや装備、所持していたアイテムの全てに至るまで。録画した膨大な戦闘データを擦り切れるほどに視聴したものだ。自分だったら、たっち・みーとどう戦うか。今の自分は彼にどこまで喰らいつけるのか。いつか彼が復帰する日を夢見て。結局その日は来なかったが……

 

「貴方は最初から私の掌の上で踊っていたのですよ」

「モモンガさん――!」

 

 何が起こるかわからないものだ。異世界転移に加えたっち・みーとの再戦。それもワールドエネミー化による超強化、全身ワールドチャンピオンの装備というユグドラシルにもありえない超絶チートのおまけ付きだ。イレギュラーも甚だしい。だがこちらにはNPCたちがいる。さしずめPvPならぬPvP+Nといったところか。相手はたった一人。対してこちらは四十一人が作りしアインズ・ウール・ゴウンそのもの。であるならば、負ける道理はもはや何処にもなかった。

 

「〈失墜する天空(フォールンダウン)〉!」

 

 冷却時間を経て、再び落つる天空。巨大な熱源が全てを飲み込んだ。

 

 

 ・

 

 

「あれは……」

 

 視界を染め上げる暴力的なまでの白。音に聞く竜王(ドラゴン・ロード)の始原の魔法に匹敵、あるいはそれ以上の破壊力かもしれない。漆黒聖典隊長は目を見開く。熱源が収束した地。片膝をつき、満身創痍の正義降臨がみえた。その彼を悠然と見下ろす死の王。今まさに彼の命が刈り取られようとしていた。何とか救出しなければ。しかし自分は既に死に体の身だ、全力疾走などできようはずもない。仮に万全の状態でも、この距離からではとても間に合わない。万一間に合ったとて、死体が一つ増えるだけ。だからと言って見殺しには出来ない。

 

「……私にもっと力さえあれば」

 

 その時、奇跡としか言いようがない現象が起こった。

 

 槍が光り輝く。彼の強い意志に呼応するかのように。それは偶然の産物。運営の遊び心。ユグドラシル最終日、閉店セールで運営が用意したアイテムをスルシャーナの仲間が買い漁った。そのうちの一振り。みすぼらしい外見が剥がれ落ち本来の姿を取り戻す。

 

「これは……これなら!」

 

 自然と使い方が頭に流れ込んでくる。知識の中には使用者が払うべき代価もあった。構うものか。今まさに消えさろうとする人類の希望が守れるのならば。人類の敵を滅ぼせるのならば。自分の命なんて何も惜しくはなかった。

 

「はぁああああ!!」

 

 何かに突き動かされるように思い切り投擲する。放った側から光の粒子となり肉体が消失していく。消え逝く刹那、青年という偽りの仮面が剥がれ落ちる。何処かあどけなさを残す少年が微笑みを浮かべた。

 

「正義……降臨……さま」

 

 一陣の風が吹き、長髪を優しく揺らす。後には何も残されていなかった。こうして漆黒聖典隊長はその短い生涯を閉じた。

 

 

 ・

 

 超位魔法〈失墜する天空(フォールンダウン)〉。太陽そのものが落下したかのような光と熱が周囲一帯を灰燼と化す。目の眩むような閃光は、朝焼けが訪れたのかと錯覚するほどだ。

 

「もう決着はついた! 投降しろ、たっち・みー」

「まだ……私……は」

 

 たっち・みーがおぼつかない足取りで立ち上がる。もう剣を構える力も残されていないようだ。震える手が大剣を掴み損ね地に金属音を鳴らす。痛ましい姿だ、早く拘束してしまおう。後々ゆっくりと話し合う機会を作るのだ。そうすれば――アインズは虚空へ手を沈め、拘束用のアイテムを取り出そうとする。

 

 天空堕つる極光の余波に紛れ、一筋の光条が流星の如く翔ける。

 

 その存在にアインズやたっち・みー、至高の御方々の健在に安堵の息を吐くプレアデスや他のシモベたち、オーレオールすら気づかなかった。

 

「アインズ様っ!?」

 

 ただ一人アルベドを除いて。大勢が決しても油断することなく、アインズだけを注視していた彼女だからこそいち早く察することができた。アルベドの悲鳴が木霊する。何事かとアインズはそちらに視線を送り、背筋が凍りついた。

 

 それは世界級(ワールド)アイテムの中でも破格の性能を誇る〝二十〟のひとつ。その中でも最強の一角であろう〝聖者殺しの槍(ロンギヌス)〟。使用者と対象者の存在抹消の等価交換。風切音が唸りを上げ眼前に迫る。

 

「しまっ――」

 

 気づいた時にはもう遅い。特殊技術(スキル)もMPもろくに残っていないアインズには防ぎようがなかった。なす術も無く聖者殺しの槍(ロンギヌス)の穂先がアインズを貫こうとして、

 

「〈トランスポジション〉!」

 

 愛しい人の危機を彼女が見過ごすはずもない。アインズとアルベドの位置が瞬時に入れ替わる。

 

「〈ウォールズオブジェリコ〉〈イージス〉! ――ぐぬうぅうううううう!!」

 

 アルベドが特殊技術(スキル)聖者殺しの槍(ロンギヌス)に対抗しようとする。もし彼女が万全の状態ならば。少しは拮抗できたかもしれない。既に鎧を失い、3F(バルディッシュ)は砕ける寸前。立っているのがやっとの身では防ぎようがなかった。

 

「アルベドっ、やめろ!? 早く逃げるんだ!!」

 

 アインズが絶叫し、幾度となく精神沈静が繰り返される。恐れていたことが、悪夢が現実のものとなってしまった。最悪の展開だ。もっと入念に準備し、相手の情報を集めるべきだった。全勢力を対たっち・みーに振り分けた結果、守りや情報収集がおざなりだった。まさか敵が聖者殺しの槍(ロンギヌス)を所持していたなんて。〈転移(テレポーテーション)〉はおろか〈飛行(フライ)〉すら唱えるだけのMPもない。アインズは手を伸ばし駆け出した。

 

(馬鹿か俺は! この事態を想定していないなんて!)

 

 自身の愚かさを心底呪う。その代償はあまりにも大きかった。目の前でアルベドの3F(バルディッシュ)が砕け散る。圧力に耐えきれず真なる無(ギンヌンガガプ)も弾き飛ばされてしまう。アルベドは完全に無防備な状態となった。

 

「アルベドォオオオ!!」

 

 

 ・

 

 

 愛する人の名を呼ぶ声。アインズの必死さが伝わってくるようだった。女として悪い気はしない。だがその冷静沈着な彼には珍しい狼狽具合、そして何度特殊技術(スキル)を使用してもパリー出来ない光の奔流。もしかしたら超位を越えた世界級(ワールド)アイテムによる一撃なのかもしれない。

 

(あの慌てよう……私は、死ぬのね)

 

 アルベドは予感めいたものを感じた。否、それだけなら蘇生してもらえばいいだけの話。死を上回る残酷な結果をあの槍はもたらすのだろう。アルベドは心からの笑顔を浮かべた。

 

(良かった、死ぬのが私で)

 

 仮に死以上の仕打ちが待っていたとしても、やはりアルベドは幸せだった。そのような脅威からアインズを守ったのだから。守護者統括として、また盾役として誇らしかった。先に散っていった仲間たちも賞賛してくれることだろう。シャルティアの悔しがる顔が目に浮かぶようだ。

 

(ああ、でも……)

 

 愛しい人(アインズ)の勝利の姿を。彼の覇道を征く様を、これ以上共に歩めないのは。それだけは慚愧の念に堪えなかった。

 

「アイ――いいえ、今だけはこう呼ぶのをお許し下さい。モモンガ様――愛しています」

 

 誰もが見惚れてしまう、花の咲いたような笑顔。アルベドの全てを悟った表情に、アインズはないはずの喉が張り裂けんばかりに叫ぶ。

 

「誰でもいい! 誰か、彼女を――」

 

 ――助けてくれ!

 

 最後まで言葉は紡げなかった。無常にも光の奔流はアルベドへ迫り、そして――

 

「――え?」

 

 アルベドの視界を真紅の外套が覆う。漆黒の全身鎧(フルプレート)が彼女を守るように立ち塞がる。刹那、聖者殺しの槍(ロンギヌス)の穂先が胸当て(チェスト・プレート)の中心に深々と突き刺さった。

 

 

 ・

 

 

 アルベドの捨て身の行為。半死半生のたっち・みーはしばしの間、目を奪われていた。善悪を越えた純粋な、ただ誰かのための自己犠牲。人は愚かと言うかもしれない。しかしそれは、そのあり様は。かつてたっち・みーが願って止まなかった、正義の味方にもよく似ていた。彼女にスルシャーナやルシャナの姿が被る。二人とも損得を越え、誰かのために一所懸命だった。

 

「誰でもいい! 誰か、彼女を――」

 

 モモンガの声が。救いを呼ぶ声がはっきりと聞こえた。身体が勝手に動く。気づいたら走り出していた。よせ、止めろと痛いくらいに頭を締め付ける命令を無視して。どうせこの肉体はもう長く保たないのだ。であるならば、最後くらい誰かのために。

 

 

 ・

 

 予想だにしない事態。まるで〈時間停止(タイムストップ)〉でもかけられたような一瞬の静寂。世界がやけにスローモーションに感じられた。たっち・みーが背中からゆっくりと崩れ落ちる。その音がアインズを現実へ引き戻した。

 

「たっちさん!?」

「たっち・みー様!!」

 

 仰向けに倒れこむ彼をアインズは慌てて抱き起こす。シモベたちが周囲を取り囲む。何が起こったのかよくわからない。何故、たっち・みーは敵対しているはずのアルベドを庇ったのか。何故、何故、何故。答えは出ない。アルベドが唖然とした様子でたっち・みーの側に駆け寄る。信じられないといった表情を浮かべていた。

 

「たっちさん……なんで……どうして」

「モモンガ……さん……いいえ、今はアインズさん、でしたか」

「ッ!? モモンガで、モモンガでいいです!」

 

 アインズは感極まる。上体を支えられながらたっち・みーは微笑みを浮かべていた。それは先刻までとはまるで違う、アインズのよく知るたっち・みーだった。確定した死が彼を洗脳から解き放ったのだ。

 

「彼女は……無事で、しょうか?」

「は、はい! アルベドは無事です! 貴方が守ってくれたから」

「たっち・みー様……どうして」

 

 見捨てられたと思っていた。心底憎んでいた。アインズ・ウール・ゴウンなんてくだらない。アインズだけがいればいい、そう思っていた。だから今回のたっち・みーとの敵対は願ってもない展開だった。惜しみなく戦力を配備し、完璧に抹殺するためにルベドまで投入したのだから。だのに、この胸を締め付ける痛みは何なのだろうか。

 

「……よかった」

「ッ――」

 

 アルベドの頬を涙が伝う。全ては自分の独りよがりな勘違いで。誰も見捨てた訳ではなかったのだ。何らかの事情はあったのだろう。おそらくタブラ・スマラグディナも。自分は――愛されて、望まれて創造(うま)れたのだ。アルベドが嗚咽を漏らす。プレイアデスも皆泣いていた。

 

我願う(I wish)! クソ、我願う(I wish)!!」

 

 流れ星の指輪(シューティングスター)を取り出したアインズが〈星に願いを(ウィッシュ・アポン・ア・スター)〉を使用する。願いはひとつ。たったひとつだけ。

 

 ――たっちさんを救ってくれ!

 

 世界と接続される万能感は、しかし硝子が砕ける音と共に消失する。願いは叶わなかった。ならば二画、レベルを代償にもっと――アインズはさらに願おうとして、震える手甲がそれを制す。たっち・みーは力なく被りを振った。

 

「いいんです……モモンガさ、ん……私は……もう」

「何を言ってるんですか、たっちさん! 嫌ですよ、俺は! 絶対に嫌です!!」

 

 このままたっち・みーを諦めるだなんて。やっと、やっとギルメンと再会出来て。これからって時に。たっち・みーの輪郭が段々曖昧になる。もう猶予は幾ばくもなかった。

 実のところ、彼を救う手立てはひとつだけある。アインズ・ウール・ゴウンが所持する世界級(ワールド)アイテム、〝二十〟のひとつならば。しかしそれは霊廟の最奥に安置されている。宝物庫の管理人のパンドラズ・アクターも、ナザリックの全てのギミックを解すシズ・デルタも出払っていた。そもそも入るのに必要不可欠なリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンは全てこちらにあり。現在ナザリックに残ってるシモベでは回収不可能。また悠長に取りに行く暇もなかった。

 

(クソ、クソが……俺の失態だ)

 

 どちらが勝つにせよ、あのアイテムは用意しておくべきだった。使い切りだからと、秘匿するべきではなかった。絶望感に打ちひしがれるアインズの前にたっち・みーが震える手を差し出した。両の掌でがっしりと掴む。

 

「モモンガさん……貴方、に……お願いが……あります」

 

 まるで遺言のような台詞。聞きたくなかった。

 

「私の代わりに……人間たちを……この世界、を」

 

 ――ああ、そうか。

 

 そこまで言いかけて、たっち・みーは理解した。スルシャーナの真意を。彼が頼みたかったのは人間の行く末のみならず、この世界そのもの。つまりは亜人や異形種も含まれるのだ。こんな簡単なことに気づくのに、数百年も費やしてしまった。たっち・みーは自嘲気味に笑う。もしも死後の世界があるのなら、スルシャーナに「相変わらず鈍いですね」と笑われてしまいそうだ。

 

(……いえ、それは叶いませんか)

 

 四肢が光の粒子となる。それに伴い何か大切なものが失われゆく感覚。胸に突き刺さる聖者殺しの槍(ロンギヌス)が魂ごと存在を消し去っているのだろう。これではスルシャーナと同じ場所には辿り着けない。歩んだ軌跡に、モモンガと対峙し死力を尽くしたことに自省はあれど後悔はない。心残りは、子供のように泣きじゃくり自分を呼ぶモモンガに、全ての重荷を背負わせてしまうこと。だが心配はいらないだろう。彼にはナザリックが、たくさんのNPCたちがついている。それからルシャナ――自分のもう一人の娘。また悲しませてしまう。それとも怒らせてしまうだろうか。

 

「後は……頼みました、よ……我らが……ギルド長」

「たっちさん!? たっちさん!! あ、あ……あ……」

 

 握りしめていた感触が消える。たっち・みーは、この世界でようやく見つけたギルメンは、アインズの目の前で消滅した。アインズの慟哭が響く。シモベたちも嘆き、悲しみ、皆俯いた。朝霧が立ち込め白ずんでいく世界とは裏腹に、アインズの視界は暗黒に染まる。

 

 この世界に神はおらず。また神と呼べるのはプレイヤーたるアインズのみ。救いを求める声は誰にも届かず。否――

 

 

Warum weint mein Gott?(何故我が神は泣いているのですか?)

 

 神は居ずとも神によって造られしNPCがいる。頭上から流暢なドイツ語が響いた。




最終話と言いつつエピローグが残ってます。
最後までお付き合いくださると嬉しいです。

……ルート分岐しそう。


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Epilogue

「はっはっはっ! 何だこれ。夢だろ、うん」

「いえ、陛下。現実ですよ、しっかりして下さい」

「いや、これが笑わずにいられるか」

 

 竜王国、王城、玉座の間にて。〝黒鱗の竜王(ブラックスケイル・ドラゴンロード)〟ドラウディロン・オーリウクルスは高笑いを浮かべた。宰相が冷ややかな笑顔で諌める。

 

「なにか? お前はたった二人の使者――もとい冒険者が、何十年にも渡り我々を苦しめてきたビーストマンを制圧したと。本気で信じるのか? その頭には花畑でも詰まっているのか」

「私だって信じられませんでしたよ。ですが彼の報告を聞いたでしょう? 民からの声も」

 

 それを言われてはぐうの音もでない。後ほど現地に赴き確認をとる必要があるが、兵や民草の話を聞く限りまず間違いないだろう。報告に来た竜王国唯一のアダマンタイト級冒険者チーム〝クリスタルティア〟の〝閃烈〟セラブレイトをして桁が違うと言わしめた。曰く、ビーストマンの侵攻軍に囲まれ絶対絶命の窮地に陥った際、超強力な武技でこれを一蹴。彼らの命を救ってくれたらしい。そのままばったばったとビーストマンどもを蹴散らし大都市を開放。すぐさま次の都市へと向かったという。これが三日前の話だ。そして今、ドラウディロンの前にはビーストマンから届いた書簡が広げられていた。汚い字で降伏する旨が綴られている。王と思しきビーストマンの血判も入っていた。胡散臭いことこの上ないが、数日前より竜王国領土内にビーストマンはただの一匹も確認されていない。信じる他なかった。笑ってしまうくらいにあっけなく、竜王国はビーストマンの脅威から完全に解放されたのである。

 

「アインズ・ウール・ゴウン魔導国、か」

「一体どんな国……いえ、何者なんでしょうね」

 

 アインズ・ウール・ゴウン魔導国。二人の冒険者はその国に属するという。彼らは自国の王の、即ちアインズ・ウール・ゴウン魔導王の親書を携えていた。簡単な挨拶から始まる内容はこうだ。我が国は建国したばかりの小国ゆえ、未だ友好国も同盟国もない。そこで貴国と友好関係を結びたい。そのためにまず我らの友好を示そう――とのこと。彼らの友好とはたった二人でビーストマンを制圧できる戦力ということか。陽光聖典や漆黒聖典でもそんな真似は不可能だろう。今まで法国に少なくない寄進をしてきたのが馬鹿らしくなる。それだけではない。魔導国は人的、物資的支援も約束してくれた。今もビーストマンとの国の国境沿いには彼の国の兵が配備され、復興支援まで担ってくれている。まさに魔導国様々だった。

 

「何が目的なんだろうな……はっ! まさか私の身体か! 身体目当てなのか!?」

 

 身悶えするように自身を抱き締めるドラウディロンに宰相は冷ややかな視線を送る。

 

「何を馬鹿言ってるんですか。先ほども断られたばかりでしょうに」

「あれはなー、読み間違えた。本来の姿ならいけたはずだ」

 

 王は両手を胸の前に持っていき何かを揺する動作を繰り返す。宰相は嘆息した。長年の胸のつかえがこうもあっさりと片がついてハイになっているのだろう。

 

「そもそも彼は既婚者だと言っていたじゃないですか」

「その割には一緒にいた女も狼狽えていたではないか」

 

 二人の冒険者の姿を思い出す。純白の全身鎧(フルプレート)の男と眼鏡をかけた女モンク。初めて謁見にきた時はたった二人の援軍でどうしろと失望したものだ。けれどもその実力は本物だった。ひとつ、ふたつと瞬く間に奪われた大都市を奪取。はては交渉不可能と思われていたビーストマンの王相手に降伏宣言まで取り付けてきた。これを奇跡と言わず何というか。興奮のあまり男の方に求婚してしまっても仕方ないだろう。

 

「アインズ・ウール・ゴウン魔導王、か……ふふ」

 

 部下の方には素気無く断られてしまったが。もし彼の王が独り身ならば、狙ってみる価値はありそうだった。獲物を狙う熟女――いや、妙齢の女性の顔をする少女に宰相は本日何度目かのため息を吐く。すっかり色ボケてしまったようだ。しかし民が物理的に食われるのを黙って見ているしかなかった地獄に比べれば、はるかにマシというもの。

 

「陛下ももういい歳ですしね」

 

 であるならば、王に文字通り一肌脱いでもらうのも良い手かもしれない。なるべく早く魔導王へ謁見する必要があるだろう。他の国々が魔導国の価値に気づく前に。両国の友好のために。

 

 

 

 ・

 

 

 

 漆黒聖典が行方不明になってから約半年後、スレイン法国の中心たる神都にとある冒険者チームが訪れていた。半年前、王国城塞都市エ・ランテル近郊に突如として出没した謎の吸血鬼〝カーミラ〟。強大な力を誇る吸血鬼を見事討伐した偉業を讃えられ、アダマンタイト級冒険者となった〝漆黒〟のモモンと〝美姫〟ナーベ。〈転移(テレポーテーション)〉を初め恐ろしい力を振るうカーミラとの戦闘は苛烈を極め、結果トブの大森林の一角が荒野となった。モモンが所持していた魔封じの水晶を解き放った痕らしい。第八位階という神代の魔法はかくも強大なものなのか。

 

 二人が一歩神都に踏み入ると、フードを被った集団が彼らを出迎えた。

 

「〝漆黒〟のモモン殿、それにナーベ殿ですね」

「ようこそおいでくださいました」

「どうぞこちらに」

 

 漆黒は名指しの依頼を受け、遠路はるばる法国まで呼ばれたのだ。彼らの案内に従い、モモンたちは大神殿の奥へと進んで行く。

 法国の最奥、限られた一部のものしか入ることを許されぬ聖域。荘厳な創りの外観からは想像もつかないほど簡素な一室にモモンたちは通された。六大神を象った偶像以外、円卓と椅子しか存在しない。そこには十三人の男女がいた。一人だけフードを深く被り表情を伺えないが、皆緊張した面持ちでこちらを注視している。敵か味方かわからない得体の知れない存在を懐まで招いたのだ、至極当然の反応だろう。重苦しい沈黙が流れる中、やがて意を決した法国最高位――最高神官長が皆を代表して口を開いた。

 

「……単刀直入に聞きたい。貴方は〝プレイヤー〟……なのでしょうか?」

 

 確信をつく問答。誰かの喉が鳴る。張り詰めた空気が場を支配した。しばしの静寂の後、モモンは鷹揚に頷いてみせた。どよめきと共に矢継ぎ早に繰り出される質問の数々。その全てを制し、彼らを押しとどめる。

 

「私からも色々と聞きたいことがあります。ですがその前に――」

 

 モモンは真紅のマントを神官長たちに見せつけるように広げた。

 

「我が友を紹介しましょう」

 

 〈転移門〉が開く。豪奢な漆黒のローブ、黄金の錫杖、赤い宝玉。ここに〝死〟が顕現した。死の支配者はその身に相応しい暗黒のオーラに包まれていた。白磁の貌が唇も舌もない口腔を開く。

 

「お初お目にかかる、スレイン法国の皆さん。私はアインズ・ウール・ゴウン。あなた方がいうところのプレイヤーだ」

 

 眼窩に灯る赤が妖しく煌めいた。神官長たちが悲鳴を上げる。

 

「ア、アンデッド……!?」

「スルシャーナ様!? ……いや、違う!」

「っく……やはり魔のものと通じていたのか!」

「だが待て、彼の神とてアンデッド。もしかすると――」

 

 黒を戴く神官長の言葉は他の神官長に遮られる。怒号が飛び交った。

 

「あのお方は例外中の例外! 一緒にされては困る!」

「左様、アンデッドは生者を憎むもの。我々とは決して相容れぬ!」

 

 その言葉を合図に。六大神の像の影、〈不可視化〉のマジックアイテムで潜んでいたのだろう。漆黒聖典唯一の生き残り、番外席次〝絶死絶命〟が突如として姿を現した。法国とて何も無策でモモンたちを招き入れたわけではなかった。万一モモンが悪しきものであった場合に備え、最強の切り札を伏せていたのだ。姿を見せたのは絶対的強者である自負の表れか。女は舌舐めずりで獲物を見定める。

 

「さぁて、噂のぷれいやー様はどれくらい強いのかなっ、と――!」

 

 背後の壁が爆ぜる。白銀と黒、二色の髪が風に靡く。音を置き去りにした。クレマンティーヌの独特の構えから繰り出される刺突にもよく似た、しかしそれをはるかに超越した疾走。オッドアイが正確にアインズを据え、戦鎌(ウォーサイズ)が振り下ろされる。その首を刈り取ろうとして――

 

 甲高い金属音が鳴り響く。

 

「――は?」

「なっ――」

 

 場にいた法国のものは誰もが目を疑った。神人たる彼女の、未だかつて誰にも止められたことがない一振り。これまで数多の亜人や異形種を確実に屠ってきた。故に絶死絶命。それが、法国の象徴ともいうべき彼女の刃が。眼前でいとも容易く打ち破られてしまった。戦鎌(ウォーサイズ)が床に突き刺さる。番外席次の首筋に漆黒の刀身が押し当てられた。

 

「彼に手出しはさせません」

 

 モモンの背後に四文字が浮かぶ。神官長たちは動揺を隠せなかった。

 

「そ、それは」

「まさか――セエ・ギ・コウリ様!」

「馬鹿な!? あのお方が我々を裏切るはずがない!」

「洗脳されているのか!」

 

 絶望に喘ぐ老人たちをよそに、後方へ跳びのく女は歓喜に打ち震える。

 

「いいわ、いいわ! 貴方すごくいい! ねえ、私に敗北を教えてちょうだい?」

 

 番外席次は口元を吊り上げ血塗れの表情を浮かべた。生まれつきの異能(タレント)を解放しようとして、

 

「そうぞ――」

「おやめなさい」

 

 アインズの言を遮り、凛とした声が部屋中に響く。少女の、けれども力強い声。絶死絶命も神官長たちも、モモンたちすら思わず動きを止める。

 

「ここは神聖不可侵な領域。誰であろうと、血で穢すことは許されません」

 

 少女はモモンへと歩み寄り、そのフードを取った。素顔が露わになる。

 

「お久しゅうございます、たっち・みー様」

「ルシャナ……さん」

 

 幾歳月を経て。なおも変わらぬ少女の姿がそこにあった。たっち・みーとルシャナ。二人は数百年振りの再会を果たした。

 

 ・

 

 会議は躍る、されど進まず。ルシャナのとりなしにより何とか始まった交渉は、大方の予想通り難航していた。

 

「だから何度も言っておろう!? 亜人との共存など不可能だ! ましてやアンデッドなぞ!」

「この分からず屋共が! お前らがそんなことだからここまで人類は追い詰められてるのだ!」

「何だと!」

 

 喧々轟々と互いの主義主張がぶつかり合う。アインズは多種族共存を声高に主張し、法国側が突っぱねる。その繰り返し。数百年と掲げてきた人類至上主義をいきなり変えろと、部外者のそれもアンデッドに言われても困るというもの。

 

「大体、多種族との共存が目的ならば評議国にでも行けばよかろう」

「そうだ」

 

 大元帥が愚痴をこぼし、光の神官長が同調する。

 

「ふむ、それも確かに一案だ。ツアーとも何度も話し合った。だが……」

 

 アインズの言葉に発言した男がギョッとする。もしもこのアンデッドと竜王(ドラゴン・ロード)が手を組めば。まさに(ドラゴン)に魔法だ。誰も手がつけられない。身震いする彼らを尻目に、アインズの口をつくのは予想だにしないものだった。

 

「私は非常に我が儘なのだよ。そう、自分の国がほしい――この名を全世界に轟かせるために! それに……」

 

 腕を掲げ、まるで世界を掌握するかのように拳を握るアインズは、たっち・みー扮するモモンと、それからルシャナに視線を移す。

 

「私は恩には恩で報いたい。あなた方の神が彼を救ったというのなら」

 

 嘘偽りない本心からの言葉。神官長たちは互いの顔を見合わせる。

 

「どうか私に――いや、私たちに協力してほしい。共に共存の道を」

 

 アインズは骨の手を人類へ向け差し出した。その手を人間たちは唖然と見つめることしかできない。アンデッドは生者を憎むもの――今までの固定観念が激しく揺さぶられる。

 

「少し……考えさせてくれ」

 

 長い長い沈黙の後、最高神官長はやっとの思いで言葉を搾り出した。

 

 

 ・

 

 

「あれでよかったんでしょうか」

「ええ、ファーストコンタクトとしては充分ですよ」

 

 スレイン法国を後にした至高の存在たちは、〈転移門〉で帰るのも味気ないとしばらく歩くことにした。ナーベに変化していたパンドラズ・アクターは本来の姿に戻ると、二人に会釈をして何処かに消える。尾行や監視がないか見張りを買って出てくれたのだ。

 

「モモンガさん」

「何です?」

 

 しばらく取り留めのない会話を続けていると、たっち・みーが意を決したように口を開いた。

 

「どうして、あの時私を助けたのですか。稀少な世界級(ワールド)アイテムを使ってまで……敵対していた私を」

「それは……」

 

 あの日、自分の腕の中で消え逝くたっち・みーをただ見送ることしたできなかったアインズの前に、パンドラズ・アクターが舞い降りた。ボロボロの軍服を翻し、軍帽を被り直している。彼には第三者による監視がいた場合、その捕縛を命じていた。同じく傷だらけの見覚えのない白金の全身鎧(フルプレート)を拘束している。あれが監視者だろうか。アインズの前に膝をつくと、

 

「アインズ様……これを」

「ッ――」

 

 あるアイテムを厳かに献上した。それは。アインズが望んで止まなかった、霊廟最奥にあるはずの世界級(ワールド)アイテム。聖者殺しの槍(ロンギヌス)と同じく〝二十〟のひとつであり、その効果を打ち消すことができる数少ない、そして消費型のアイテム。

 

「貴方様は私に備えよと仰いました。ですから――」

 

 アインズの震える手が世界級(ワールド)アイテムを受け取る。たとえもう二度と手に入らないとしても。それよりも大切なもののために使うのだ。そこに一切の躊躇いはなかった。

 

「誰かが困っていたら、助けるのは当たり前――でしょう?」

「そう、ですね。その通りです」

 

 たっち・みーは眩しさを覚えて空を見上げる。アーコロジーでは決して見ることができない、透き通った青空が何処までも広がっていた。

 

「さあ、行きましょうたっちさん。これから忙しくなりますよ!」

「ええ」

 

 遠い昔、聖騎士がアンデッドを助けて始まった物語は。誤解やすれ違いはあれど、アンデッドが聖騎士を助ける形で終焉を迎えた。そして次の章へと続いていく。彼らの足が行く限り。道が続いていく限り。その果てに何が待っていようと。アンデッドと聖騎士、それにNPCたち。皆と一緒ならばどんな困難にも打ち勝てると――アインズ・ウール・ゴウンは強く確信していた。物語は紡がれ続ける。

 

 

 

 ・

 

 

 人間の国々がようやく一つの御旗に纏まり始めた頃、大陸中央部でも異変が生じていた。覇を競い合う六大国が、たったひとつの城しか持たぬ小国に頭を垂れたのだ。水晶の城に居を構える山羊頭の悪魔は玉座に足を組み支配者然とした態度だった。右に古き漆黒の粘体(エルダー・ブラック・ウーズ)、左に全身鎧(フルプレート)を着込んだ体中に口のある肉の塊。三人に対し膝をつく多数のNPCやシモベたち。山羊頭の悪魔は満足そうな笑みを浮かべる。

 

「やっとミノタウロスの国が屈したか。案外時間がかかったな」

「ユグドラシル産っぽい装備がたくさんありましたから。ですが、これで大陸中央は我々のものですね」

「さて、次はどうするよ」

 

 同胞の問いに悪魔は両腕を広げ心底愉しそうに嗤う。

 

「もちろん――世界征服に決まっているだろ? この私、魔皇アインズ・ウール・ゴウンが、な!」

 

 人類を纏め上げたアインズ・ウール・ゴウン魔導国と大陸中央に覇を唱えたアインズ・ウール・ゴウン魔皇国。二国の激突は必然であり、その日はそう遠くないだろう。

 

 

 




ここまで読んで下さりありがとうございました。

活動報告に後書き&雑感も上げる予定なのでよろしければどうぞ。


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