なんかハッピーエンドしか許されない主人公に転生したようです。 (あぽくりふ)
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01/修練

新作だぜ。続くかは作者の体調とノリと大学でのぼっち度に依存する。




淡々と、剣を振るう。

 

もっと早く、もっと効率良く。振るえば振るう程に理想とのずれというモノが見えてくる。武に頂きなどない──という言葉を聞いたことがあるが、全くだと頷ける。頂点などない。

最短経路で、最高効率で、ゼロコンマ秒の遅れなどなく、殺せ。

 

「ハッ──!」

 

流れるような刃の軌跡が三体の喉元を切り裂く。だが止まらない。敵の数は二桁だ。先程の敵を蹴り飛ばして盾とし、諸共刺し貫く。HPが全損したのを横目で確認しながら斬り捨てる。同時に空気が裂けるような摩擦音。何の躊躇いもなく上体を倒した。

直後、目前の数ミリ先を錆び付いた斧が通り過ぎる。AIに過ぎないリザードマンの瞳が驚きに見開かれたかのように見え、微笑んだ。跳ね上がる剣先が首を切断する。

 

「残り、四」

 

このゲームは現実に近く設定してある。急所への攻撃はクリティカルと判定され、十分な攻撃力さえあればこうやって一撃で適正レベル帯の敵を屠ることが出来る。

だがその判定というのはこちらにも適応される。そして、敵もまたそこを優先して狙ってくるのだ。メリットとデメリット、実によく調整されたシステムだ。馬鹿正直に大上段から振り下ろされた斧を剣でいなし、斬撃で心臓を破壊しながらそんな事を思う。

 

「あ」

 

そんな余計な事を考えていたからだろうか。刃筋が僅かに狂い、斧を微妙に受け損ねた。そして嫌な音が響くと共に剣身が砕け散る。舌打ち混じりにステップで後退し、同じ量産品の鉄剣をストレージから引っ張り出した。

 

これで、今回は三本。理論上完璧に受け流し、完璧に斬撃を通せば如何に武器の耐久力が低くとも壊れる事は無いはずなのだ。だと言うのにこの様とは──。

 

「足りないな」

 

修練が。集中力が。ありとあらゆるものが足りない。溜息を吐く。

気付けば湧いていたMobは全滅しており、リポップまで何時間かかかるであろう事を思い出した。

 

「……そろそろ飯食うか」

 

本来ならその時間さえ勿体無いのだが、如何せんSAOには空腹度というものが設定されている。無駄な雑念に気を取られるくらいならば、多少時間を費やしても食事をした方が良い。そう考えてストレージを覗き込む、が。

 

「無い?」

 

しまった。どうやら備蓄が尽きたらしい。でもあれ二桁はあった筈だったんだがなぁ、と内心でぼやいた。想像以上に篭ってしまっていたようだ。

 

「まあ、いいか」

 

長期間篭っていたのは、別に咎めるべき事ではない。むしろ推奨すべきだ。

俺には何もかも足りないのだ。足りているのは数千人の命を背負っているというプレッシャーだけ。本来あったかもしれない天賦の才能も今は無く、唯一あるのは先天的な反応速度の速さくらいのものである。

 

畜生、と呻きながら外へと歩を進める。何故俺は転生したのだろうか、という何千何万回目ともわからない疑問と憤怒が胸中を埋め尽くす。

それも、何故──桐ヶ谷和人なのか。苛立ち混じりに小石を蹴り飛ばした。

 

 

 

 

「よう、キリの字じゃねぇか! 暫く見てなかったが、元気にやってるか?」

「……クライン」

 

暫く振りに会った男を認めて目を細める。相も変わらず変なバンダナを額に巻いていた。しかし刀が新調されている事から、それなりに強くなったのであろう。

 

「相変わらずオメーは辛気臭ぇ面してんなぁ。またレベリングか?」

「ああ」

 

続けて今のレベルを告げると、クラインはまるで化け物でも見るような目線を送ってくる。

 

「攻略組の平均より10以上も上じゃねぇか!」

「ん? まあ、そうかもしれないな。ずっと篭りっきりだったから」

「……おいおいおい。まさか冗談とは思うが、前会ってからずっとあの洞窟に居たのか?」

「だとしたらどうする」

 

嘘だろ、と天を仰ぐ。クラインは長々と溜息を吐くと、俺を見据えた。

 

「……なあ、キリト。もう十分じゃないか?」

 

何が、とは問わない。真面目な話を茶化すほどガキではない。無言で以て返した。

 

「お前が何を目的にそんな馬鹿みたいにレベリングしてるかは知らねぇけどよ。もう、いいだろ? ソロでやる必要はないはずだ」

 

その後に来る言葉は予想出来る。ただ何も言わずクラインの言葉を待った。

 

「……俺たちのギルドに来い。お前の腕なら大歓迎だ。だから──」

「悪いな、クライン。それは無理だ」

 

何故、とクラインは口にしかけたのだろう。だが俺の顔を見て歯噛みし、視線を落とした。

 

「そう、か。悪ぃな、突然こんな事言っちまってよ」

「別にいいよ。だけど、一つ忠告しておく」

 

笑う。この友人は余りに普通だ。普通に仲間を集め、普通に強くなり、連携する事で普通に敵を倒す。それはある種の才能と言ってもよく、ことデスゲームという環境で“普通に攻略する”という選択肢が取れる時点で人間として尊敬出来る。彼の存在がデスゲームの攻略の一助となっている事は誰にも否定できない事実だ。

 

──だが。それでは届かないのだ。

 

「俺みたいな奴には、あまり関わらない方がいいぞ」

「っ……!」

 

言いたい事だけ言ってその場を離れる。俺は異端だ。この階層、六十層まで延々とソロで戦い続けている変人は俺くらいのものだ。だがそうしなければ届かない。否、そうしようと届かない。

ギルドは、パーティーは駄目だ。技が鈍る。環境が緩くなる。欠片も気を抜かず、極限まで集中した状態で延々と狩り殺さなければ成長出来ない。経験と修練が俺を強くする。しかし、もう六十層だ。

 

──原作通りにいけば、奴との決戦はもうすぐだ。

 

それまでに完成しなければならない。元の桐ヶ谷和人に追い付く必要がある。そうしなければ何千人と犠牲者が出る。そこで殺さなければ、俺のせいで馬鹿みたいな量の人間が死ぬ。俺がやらなくちゃいけない。俺が殺さなきゃいけない。

 

俺は──“英雄”になる必要がある。

 

「……クソ、が」

 

頭痛がする。背負わされた責任に押し潰されそうだった。しかし誰にも相談は出来ない。言葉にしてしまえば、データとしてSAOに刻まれてしまう。それを茅場に閲覧されてしまえばもう終わりだ。俺という存在は消され、百層まで辿り着かなければならなくなる。

肝となるのは、多くの攻略組の前で奴の不死性を証明することだ。目撃者の全てを消せばSAOの攻略に支障を来たす。故に、奴は奴の矜持の為にも俺と一騎討ちをしなければならなくなる。

 

だから、そこで殺す。完膚なきまでに、愛だの友情だのという不確定要素なんざ抜きにして、技量と経験の蓄積を以って封殺する。それが俺の理想であり、最終目標だ。

 

「出来るのか、俺に」

 

自問自答する。わからない。一つわかることがあるとすれば、それは今のままでは駄目だということのみ。剣を振るえば振るう程に理想が遠い事を理解する。才能など無い事実を突き付けられる。だから、足りない才能を膨大な修練でカバーする必要がある。

まだ、足りない。焦りが舐めるように精神を焼いていく。

 

そうして雑踏の中を歩んでいると。ふと、声をかけられた。

 

「キリト!」

「あ?」

 

振り返る。視界の端に明るいブラウンの何かが映った。

 

「ごめん!」

「ちょ、お前っ……!?」

 

唐突に左腕を掴まれ、瞠目して声の主を見やる。見目麗しい見慣れた顔がすぐ横にあり、掴んでいた手の力が緩んだ。

──と思ったら、今度は腕を絡め取られる。柔らかい感覚に一瞬心臓が跳ねた。

 

「あの! 私、今日この人との予定があるんで!」

 

「「はぁ!?」」

 

誰かと声が重なる。見れば、知った顔が目を剥いてこちらを見ていた。

 

「いや、来て頂かないと困ると言いますか……団長が副団長を連れて来いと……」

「嫌よ。ここ二週間ずっと働き詰めだったんだからね? クラディール君がどうにかしといて」

「えぇ……」

「私の専属の部下なんでしょう? よろしくね」

「ええぇ……」

 

ウッソだろお前、という顔をした後に俺を殺気混じりに睨みつけるクラディール。いや、俺悪くないから。死んだ目で見返すと、苦虫を噛み潰したような表情で頷いた。

 

「……15時までには帰ること。それが飲めるなら、掛け合ってみましょう」

「流石、クラディール君!」

 

頼んだぞ、と言いたげなクラディールから視線を逸らす。俺関係無いし。邪魔くさい腕を振りほどいて歩き始める。

 

「あっ、ちょっと!……もう。じゃあそういう事で!」

「15時ですからね! 15時!」

 

とたたた、と後方から響いてくる音から位置を割り出し、タイミングを見計らって腕を引っ込める。案の定からぶった手が空を掴み、少女がむっとした顔で俺を見上げた。

 

「なんで避けるのよ」

「避けたいから避けた」

「……ひょっとして、私の事嫌いだったりする?」

 

その問い掛けに対して、何を今更、と鼻を鳴らす。

 

「ああ。世界で一番嫌いだね」

「酷いなぁ」

 

彼女はそう言って笑う。俺は顔を顰める。

 

「相変わらず口が悪いんだね、キリト」

「相変わらず面倒くさい奴だな、アスナ」

 

腐れ縁、と言うべきなのだろう。原作ヒロインと言えるアスナを見下ろして、俺は小さく舌打ちするのだった。

 

 

 

 

「それで、最近どう?」

「えらく曖昧な質問だな」

 

ベンチに腰掛けながら、俺はハンバーガーに齧り付く。隣には血盟騎士団副団長が座っていた。アスナを引き剥がす労力と昼飯の相手をする面倒を天秤にかけた結果がこれである。

 

「確かにまあ、曖昧かもね。でも久々に会う相手との会話始めってこれじゃない?」

「さぁな」

「ぼっちの君にはわかんないか」

 

少々苛ついたため、言葉を返さず無言で咀嚼する。念の為言っておくが、この指摘が的を射たものであるからだなんて事は断じて無い。無いったら無い。

 

「あはは、怒った? ……でも、わからないんだよね。なんでキリトがいつも一人でいるのか」

 

喧嘩売ってんのか。

横目で睨み付ければ、そういう意味じゃ無い、と彼女は苦笑する。

 

「だって、貴方は無愛想だけどこうして普通に話せるでしょ? だから、どうして……いつもダンジョンに篭って、交流しようとしないのかなって」

 

簡単な話だ。俺は簡潔に答えた。

 

「時間の無駄だからだ」

「その分ダンジョンに篭ってレベリングしたい、と」

「わかってるじゃないか」

 

肯定する。すると、僅かにアスナは目を伏せた。

 

「……そこだよ。そこが私にはわからない」

「はぁ?」

 

「なんで、そんなに強くなりたいの」

 

俺は眉尻を跳ね上げる。何を馬鹿なことを聞いているのだ、こいつは。

 

「ここはデスゲームだ。強くなりたいのは当然だろう」

「ううん、違うよ。それならみんなで強くなればいい。パーティーを組んで戦えばいい。血盟騎士団みたいな、ギルドに入ればいい。……でも貴方はそうしない。一人で強くなろうとしてる」

 

答えに詰まる。確かにそうだ。手っ取り早く強くなり、生き残るためならばギルドに入ればいい。普通はそうだろう。だが、それでは駄目だ。俺の場合は違う。最強の個になる必要がある。そうでなければ、あの聖騎士には届かない。

 

「……キリト。ひょっとして、貴方はまだ──」

 

あの時のことを引きずってるの?

 

 

「ッ……」

 

一瞬。何処かの誰かの顔が、フラッシュバックする。

 

「私と貴方は二十層付近で喧嘩別れしたよね。でも、その後のことは少し耳にしてたんだ。だから、“月夜の黒猫団”のことも聞いてる」

 

やめろ。

 

「貴方が所属していたことも。貴方が守ろうとしていたことも。そして、貴方がいない時に難度の高いダンジョンにアタックして」

 

やめろ。

 

「全滅し──」

「やめろッッ!!」

 

吼える。アスナは顔を伏せている。俺は歯を食い縛りながら彼女を睨みつけていた。

 

「……なんのつもりだ、アスナ。趣味が悪いにも程がある。人様の傷を抉り出して楽しいか、ええ?」

「そういう、つもりじゃないよ。ただ……」

 

泣きそうな顔で、彼女は俺を見上げる。

 

「私じゃ、代わりになれないかなって」

 

「ふざけんな」

 

憎悪にも似た憤怒が湧き上がる。瞬間的に頭は漂白され、言葉が口を突いて出ていた。

 

「ふざけんなよ、アスナ。誰が誰の代わりになるって? 戯言も大概にしとけ。死人になりたいなら勝手に死んでろ」

 

胸ぐらを掴み上げる。ここが公共の場であることも忘れて、俺は唸るように告げた。

 

「他人に誰かを重ねるならまだしも、自分に誰かを重ねてくれだって? 己にそれだけの価値があると思っているのなら、思い上がりも甚だしい」

 

次に言ったら俺はお前を殺すぞ、【閃光】のアスナ。

 

そう吐き捨てる。掴んでいた手を離すと、俺は頭を冷やすため数歩後ろに下がり、天を仰いだ。仮想の天空は突き抜ける程に青い。胸中で暴れ狂う激情とはまるで正反対だ。

 

「そっか。うん……やっぱり、貴方は優しいね」

「気が狂ったか?」

 

だとしたら精神科をお勧めしよう。SAOには無いが。

しかし、アスナはかぶりを振った。

 

「貴方は優しくて、強くて、でもやっぱり普通の人間だから」

 

だから──。

 

「いつか、私を頼ってね」

「……思い上がるな、と言った筈だが」

「思い上がりじゃないよ。貴方に頼られても大丈夫なくらい、強くなったとは思ってるから」

 

【閃光】のアスナ。彼女は原作通りに強くなり、今の俺でも()()()()()()()ほどの力量を備えている。

 

「だから、ね?」

「……そんな機会は無いだろうさ」

「そっか」

 

そう答えて、彼女は微笑んだ。俺は食べ終わった後の包みを無造作に放り捨てる。青いポリゴンとなって砕け散るその様を見届けながら、口を開く。

 

「じゃあな、【閃光】」

「またね、【剣聖】」

 

かつての相棒の声を背にして、俺は再びダンジョンへ向かうべく踏み出した。

 






・転生キリト
キリトになってしまった一般人。デフォルトで目が死んでいる。
剣の才能は無い。無いが、常軌を逸した修練により独特の剣術を身に付けた偽キリトとでも言うべき存在。自分を原作キリトに比べ卑下する傾向にあるが、実は純粋な強さのみで言えば既に原典を超えていたりする。身に付けたモノは剣術と言うよりは殺人術に近く、修練と経験により積み上げられた剣技は天賦の怪物すら殺せる領域に至っている。
故に名付けられた二つ名は【剣聖】。大魔王カヤバーンへの殺意の波動に目覚めた、少し箍が外れた元一般人である。


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02/錬鉄

・オリトくん
オリジナル系キリト。 闇堕ち主人公。見た目は黒金木をイメージしたら大体合ってる。二つ名は【剣聖】、【死神】、【葬儀屋】、【首狩り】など。


※オリジナル設定注意



 

 

 

 

「すまん、壊れた」

「へぇ……いくつ?」

「五本」

 

瞬間、俺の腹に爪先が突き刺さる。無論痛みはない。アンチクリミナルコード適用圏内であるからだ。しかしそれはそれとして息苦しい。げほげほと咳き込めば、額に青筋を浮かべた少女が俺を見て口の端を痙攣させる。

 

「もう一度言ってご覧なさい」

「……ご、五本」

「五本。五本ねぇ。一つ聞きたいんだけどさ、先週あたしがあんたに渡した剣は何本だったっけ?」

「……五本です」

「ほほー。つまりあんたは全部折ったと。ナメてんの?」

 

不味い。これはマジでブチキレる五秒前だ。

長年の付き合いから本気で怒っている事を悟ると、俺は一切の抵抗を止めて両手を上げる。

 

「すまない、俺が悪かった。許してくれ」

「………………………………ちっ」

 

冷や汗が頰を伝う。だがどうやら話は聞いてくれるらしい。自分が正解の選択肢を選んだことを悟りながら、三十秒前の俺に感謝した。

 

「ほら、早く入んなさいよ。新調するんでしょ」

 

扉を開きながら、リズベットはその桃色の()()()()()()を揺らして振り返ると睨みつける。俺は慌てて後を追うのだった。

 

 

 

 

「バッカじゃないの?」

 

俺が剣を折った経緯を告げると、彼女は生ゴミでも見るかのような目をこちらに向けて来る。何も言い返せない。

 

「あのさ、あんたこの前も同じように折ったよね。で、何て言ったっけ」

「……気を付ける、と」

「だよね。言ったよね。それで気をつけた結果がこれなの?」

 

真ん中からぽっきりと折れている五本の剣を指して、リズベットは溜息を吐いた。

 

「いや……本当に申し訳ない」

「謝って済むならポリスメンはいらないの。あたしが見たいのは誠意。ねぇ、本当に“気を付けた”結果がこれなのかしら」

 

そっと視線を逸らした。

 

「何というか、その。戦ってると色々考えなくなって……」

「……この、戦闘狂」

 

戦闘狂ではない。必要があるからやっているだけだ。

だが馬鹿正直にそう答えれば火に油を注ぐ結果となるのは明らかだ。故に無言で返した。

 

「はぁ……なんかもう、馬鹿らしくなってきたわ。というか、昔っからこうだったし。改善された試しがないし。元から期待なんて全くしてなかったけどこうも綺麗に折られるとむしろ清々しいわね」

「それはどうも」

「皮肉よこのバカ。死んじゃえ」

 

鉄屑が投げられる。額にヒットしたそれを受け止めた。

 

「ま、いいわ。とりあえずそこで試作品68号を振ってみなさい。どうせレベル上がってるんでしょ」

「三つほど上がったな」

「……結構なハイスピードね。そこも変わらずってわけ」

 

呆れた風に声を上げるリズベットが見る中、置かれていた鞘もない剣を掴み取る。そして二、三回振って重心を確かめると、本格的に素振りに入った。

 

ただ素振り、とは言っても決まった型のようなものは無い。むしろ素人がそんなものを生半可に覚えようとすれば逆効果だろう。故に実戦で覚えた、そして洗練化された動きを無造作に繋げていく。暫くそうして振っていると敵の輪郭が見えてきた。俺より強く、そして俺と同じ戦闘スタイルの男。虚像の男の打ち込みは速く、正確だ。それを完全に受け流しながら反撃(カウンター)を狙う。

斬り上げ、下げ、袈裟斬りと見せかけて回し蹴りを放つ。避けられる。笑う男は神速の刺突を放った。【閃光】すら越える速度の刺突だ。だが意図的に作った隙に放たれた刺突など怖くも何とも無い。当然のように巻き込みながら受け流す。受け流された先から斬撃が撃ち込まれる。それは此方も同じだ。斬撃の受け流しと、受け流した先からの反撃が延々と繰り返される。それはある種の流れになる。流れは加速していく。限界を超え、あらゆる技術を用いた剣技の応酬は──

 

「はいストップ」

 

パン、と手が叩かれた音で我に返った。ゆっくりと剣を下ろして呼吸を整える。感嘆半分、呆れ半分の調子でリズベットが言った。

 

「全く、あんたが伊達に【剣聖】だなんて呼ばれてないってのはよくわかったわよ。まるで演舞ね。途中からこっちの事なんて忘れてたでしょ?」

「いや、まあ……」

「別に今のは怒りゃしないわよ。大体成長具合もわかったしね」

 

レベルが上がれば、当然ながら筋力も変わってくる。リズベットはそれを確かめていたのだ。ぶつぶつと呟きながらメモに書き殴っていく。

 

「んー……グリップをもう少し長めで、刃は厚くしてもいいかも。いや、抑えないとそもそも片手剣の枠から出ちゃうか」

「両手剣とかは止めてくれよ」

「わかってるわよ」

 

そうして暫く試行錯誤していたが、ようやくある程度目処が立ったらしく、彼女は顔を上げる。

 

「種別は片手剣、本数は五。ほかに指定は?」

「出来るだけ高性能、ただしワンオフではなく同一のものを五本」

「いつも通りって事ね。全く、高性能の量産品とか無茶言ってくれるわ」

 

そう言って立ち上がり、奥の工房へと向かう。俺はこれまたいつものように外に出ようと立ち上がるが、そこで声をかけられた。

 

「あんた、暇なの?」

「まあそうだが」

「あっそ。じゃあ、ちょっと見て行きなさいよ」

 

眉を顰める。リズベットは鼻を鳴らした。

 

「自分の武器の作り方くらい知ってなさいよ」

「……了解」

 

俺は彼女の後を追って、工房へ踏み入るのだった。

 

 

 

リズベットの工房に入るのは初となるが、想像以上に散らかっていた。だが当の本人は道具の位置を完全に把握しているらしい。無造作に火箸を掴むと、既に火の入っていた炉に突っ込んでオレンジとも白ともつかない色の塊を引きずり出した。

 

──鉄である。

 

既に延ばされたインゴットは棒状となっており、今にも熔け落ちてしまいそうなほど熱されている。50かそこらの層で発掘できる良質な鉄鉱石に現在の最前線で入手可能な火龍の真結晶を用いることで叩き上げられる鋼鉄は圧巻の一言に尽きる。それを2ポンドのハンマーを用いて叩き上げていくリズベットは、真剣ながらも実に楽しげに見えた。

 

「あんた、刀と剣の違いって知ってる?」

「……形の違い、とか」

「馬鹿みたいな答えね」

 

あってるけど。

そう返すと、彼女は鼻を鳴らした。あってるならいいじゃないかとも思うが、確かに馬鹿みたいな答えなので思案する。

 

「刀は、鋭い」

「ふぅん。剣は?」

「あれは斬るというより、叩き潰すに近い。だから両手剣は好きじゃない」

「へぇ、案外わかってるじゃないの」

 

そう言って笑った。俺は鍛冶場の暑さに眉を顰める。

 

「そうよ。だからあんたの片手剣は西洋剣じゃない。どちらかというと日本刀に近い片刃のそれ。手作業(マニュアル)で鍛えてる私からしたら天と地の差ね」

「……マニュアル?」

 

お前そんな事も知らないのか、と言いたげに睨み付けられる。

 

「あのねぇ。武器鍛冶師(ブラックスミス)やってるプレイヤーがどいつもこいつもこんな事してると思ってんの? 自分で言うのもあれだけどね、マニュアルにしてるのなんて私くらいのもんよ」

はあ、とだけ返す。何もかも初耳の話だった。というか、

 

「じゃあ、なんでマニュアルでやってるんだ」

「……少しは自分で考えなさいよ」

 

そう言うと、リズベットは背を向けて作業に集中し始める。少し考えた後に口を開こうとすると、ぶっきらぼうに告げられた。

 

「集中するから、ちょっと出ていきなさい」

「……了解」

 

開きかけた口を閉じて、俺は鉄を鍛える音の響く鍛冶場から外へ出るのだった。

 

 

 

 

 

───私とあいつの付き合いは、20層くらいから続いている。おおよそ一年と少し前の事だ。よく晴れた……と言っても再現された気候だが、青空だったのをよく覚えている。

 

その頃の私は鍛冶師(スミス)としては駆け出しで、レベルも攻略組からは程遠く、まあ言ってしまえば序盤は助けを信じて引きこもっていた奴だったのだ。だが半年も経てば諦めもつく。ぼちぼち多くのプレイヤー達が動き出すのと機を同じくしてレベリングに励み──しかし最前線で戦う根性もなく、結局前線の支援にも繋がる職人系スキルを取得したのだ。

 

とは言え、その頃の私は初心者だ。この強気な性格も相俟って、教えてくれるようなプレイヤーもいない。故にほとんど全てが自力で読み解いたものだ。しかし一人でできることには限度というものがある。案の定私は鍛治師として低迷した。なけなしの金をはたいて露天商をやっても、質の悪い剣など誰も買うはずがない。

無論、マニュアルなんぞではなく適当に叩いてガチャのように武器が吐き出されるシステムを採用すれば多少は売れたことだろう。だが自他共に認める頑固さゆえに、私はどれだけ売れなくてもマニュアルで鉄を鍛つことをやめなかった。NPCの工房に住み込み、いっそご飯を買う金がなくなろうと続けてやると考えていたのだ。

……まあ、他人に頼れないぼっちの意地のようなものだ。心は折れそうになるが結局意地が勝つ。

 

そんな生活を続けていたわけなのだが。ある日──とある少年が私の店を訪れたのだ。

 

そいつはまるで喪服のような黒い外套を羽織った、底の見えない闇のような目をしたやつだった。一言で言えば陰気なやつ。だが剣を見る目は何処か真剣で、私の見る前でそいつはこう言ったのだ。

 

『もうちょっと、刃を短く出来ないか?』

 

それはもう口論になった。その頃の私にはそのプレイヤーにあった武器を見立てるような目はない。文句をつけてきた少年に突っかかり、路上で大喧嘩して──しかし結局売れた。

 

そして、そいつは三日後に現れた。前の武器は折れた、と言って。当然私はキレた。

 

馴れ初めはそんなものだ。私が鍛えて、あいつが折って、調整して。それを何度も何度も繰り返して、私は工房を持つにまで至った。

そして──あいつは、結局最初から最後まで単独(ソロ)で戦い続けて。いつの間にか【剣聖】とまで呼ばれるようになった。

 

ただ、それだけの話。浮いた話など一つもない。私はあいつの剣を作るだけ。あいつの為に、剣を作るだけ。

 

「うん、まあ……悪くないかな」

 

そう一人呟く。黒金の刃は炎によって美しく照り映える。合計で三本、まあ短時間にしてはよくやった方だと言えるだろう。

 

頷くと、私はそれらをストレージに放り込んで外へ出る。夕陽が眩く、思わず目を細めていると声を掛けられた。

 

「終わったのか」

「っ……あんたねぇ、気配消すのやめなさいよ」

 

昏い瞳をした少年は微かに笑った。こいつは何も変わらない。私の剣を買って、戦って、そして必ず帰ってくる。

 

「キリト、少し素振りしてみなさい」

 

代金は後払いだ。気に入らなければ金は払わなくていい。頷いた少年が剣を手に取る。

 

瞬間、剣閃が空を裂いた。

それは単純に速いだけではない。動きに無駄がないのだ。一切の無駄を削ぎ落とし、完成された剣はステータス上の速度以上に“疾い”。人体関節の各部を完全に制御し、まさしく体術として極みに至った剣術は神速へと至る。仮想体(アバター)を完全に制御する驚異的な体術練度がそこに在った。

それは天賦の剣ではない。老成した剣だ。初めから完成していたのではなく、最終的に完結した剣。幼さを残すその顔とは対照的な剣にはぞっとするような魅力すらある。

「こんなもんだな」

「文句は?」

「ない。完璧だ」

 

鍛治師冥利に尽きるとはこの事だ。ほう、と息を吐いて請求すべき金に頭を回し始める──。

 

 

「それにしても……あの頃に比べて随分と成長したな、リズ」

 

 

声が、出なかった。

あんまりにあんまりな不意打ちに、酸欠の金魚のように口を開閉させてしまう。最初に自分の剣を買ったこと。最初に褒めてくれたこと。あの頃というのがいつを指しているのかはわからない。だが、どうしようもない歓喜が胸を突いた。

 

「……あっ、そ。褒めるくらいなら金寄越しなさいよ」

 

そっぽを向いて悪態を吐く。斜陽が目を焼いた。

 

私が鍛える。あいつが使う。ただ、それだけの話だ。

 

 






〉マニュアル
あの違う世界創る系男子のカヤバーンがまさか武器をただのガチャにするわけないよな!という発想から生まれたオリジナル設定。プレイヤースキルに依存するがSAO的には今更の話。ドロップアイテムに負けるプレイヤーメイド品とか有り得ないよね、っていう。

・リズベット
頑固親父系女子。特定条件下でルートが開発される。作者の趣味によりポニテになっていたり。淫ピでポニテで強気とか最強だと思うの 。
なお、普通にアスナとの付き合いはある模様。仲が良いかは別。


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03/棺桶


・オリト
PK絶対殺すマン。ソードスキルを使わないのに近接戦最強に君臨するバグのような剣士。ソードスキルをほぼ使わないため普通に双剣で戦うこともできる。






 

 

 

 

──正直に言おう。僕は、あの人が怖かったのだ。

 

「だから言っただろう、ノーチラス」

 

痙攣する仮想体(アバター)。恐怖と驚愕に見開かれた瞳に罅が入る。砕け散った青白いポリゴンの嵐に髪を揺らしながら、其は言い聞かせるように告げた。

 

「“殺人者(レッド)とは喋るな”、と」

 

 

 

 

「──い。おい、ノーチラス」

「っ、あ……すまない、クラディール」

 

はっとしてそう返すと、クラディールは呆れて溜息を吐く。神経質そうな顔がかぶりを振った。

 

「やーれやれ。これから仕事だってのに、気が抜け過ぎてるんじゃねぇか? あの人にどやされるぜ」

「……そう、だな。きっとそうだ」

 

テーブルの下で拳を握り締める。その様子に不信感を抱いたのか、クラディールは眉根を寄せる。

 

「おい、何かあったのか?」

「いや……何もない。少し、昔のことを思い出してただけだ」

 

ああ、と声を上げる。なにかを察したのか、納得した顔で彼は鼻を鳴らした。

 

「まぁ、そうだな。あの人はなに考えてんのかイマイチわかんねぇところがあるからな」

 

わからない。そう、その一言に尽きる。

なにを考えて奴等を殺しているのか。なにを以てああも苛烈に駆逐するのか。どうやってあの領域の強さに辿り着いたのか。光すら呑む瞳は何も語らない。ただ、僕に向かって言うだけだ。

敵を殺せ、と。

 

「つっても、まあ……深く考える必要はないと思うけどな」

「それはまた、どうして?」

 

いやだってなぁ、と。クラディールは困ったような顔で言った。

 

「目の前の事に、馬鹿正直に突っ込んでるだけって気がするんだよ。悪気があるわけじゃない、ただそれしか知らねえ」

 

そう、なのだろうか。

効率良く人体を破壊し、一振りで確殺する黒い剣聖。あれがただの善意で殺人者(レッド)を殺し回っているのか。少し違う気がした。どちらかと言うと、あれは──何かの予行演習(リハーサル)のような──。

 

「まあ、見た目は確かに根暗な戦闘狂(バトルジャンキー)だが……」

 

「そうか。実に忌憚のない意見だな、クラディール」

 

げぇ!? と声を上げるクラディールの背後から、皮肉げな笑みを浮かべた少年が僕たちを見下ろしていた。全く気付かなかった僕も当然驚いて目を見開く。

 

「そろそろ時間だ。行くぞ」

「ったく、心臓に悪いぜ……もう在処は絞ってんのか?」

「ああ。被害者の話から大体の見当は付けている」

 

そうして起動したのは立体映像(ホログラム)のマップだ。指すのは第47層のとある区画。冷めた口調で彼は告げる。

 

「50層に生き残りがいた。泣いて叫んでいたよ。装備を奪い、MPKをして回る連中がいると」

「っ……それは」

 

クラディールは平然として聞いているが、僕は思わず声を荒げてしまう。そんな僕を一瞥すると、キリトは特に反応することもなく言葉を続けた。

 

「聞いた手口には見覚えがある。十中八九《嗤う棺桶(ラフィン・コフィン)》の下部組織だろう」

「へぇ……本隊の可能性は?」

「ないな。あの男なら、こんな杜撰な手は使わない。一度露見した方法は二度と用いない」

 

淡々と事実を告げる。僕はあの男が──PoHがいない事を知って安堵するが、それを知ってか知らずか、クラディールはぽつりと呟いた。

 

「罠か」

「恐らくは」

「え……どういう事なんだ?」

 

目を白黒させて尋ねれば、乱雑に纏めた長髪を揺らしてクラディールは肩を竦める。ちなみに今日は血盟騎士団の制服ではない。どうやらオフの日らしい。

 

「バッカだねぇ、ノーチラスくんは。あの野郎は我らが隊長に死ぬ程恨みがある。それこそ、絶えず命を狙うくらいには、ねぇ」

 

そう言って厭らしく笑う。だが、僕はまた別の事を思い出していた。

 

【剣聖】キリト。喪服のように黒い装備を纏う彼にはもう一つ有名な二つ名がある。

それは彼の行動からついた名前だ。PKプレイヤーを苛烈なまでに駆逐し、なんの躊躇いもなく致命傷を与えるプレイヤー・キラー・キラー(PKK)。中でも彼はとある闇ギルドに対し類を見ない殺意を抱いている。

即ち、最悪の殺人(レッド)ギルドである《嗤う棺桶(ラフィン・コフィン)》だ。PoHという名の男を頭目に抱くその組織は空恐ろしくなるほどの神算鬼謀を以て殺戮を繰り返してきた。被害者の総数は3桁を余裕で数えるだろう。だが、ある日を境にその被害は急激に減少している。それは何故か。答えは簡潔だ。

 

彼が、単騎で《嗤う棺桶(ラフィン・コフィン)》を壊滅させたのだ。

 

鏖殺の剣聖。最強の単体戦力。殺人者に断罪を与え、必ずや報復を与える首刈りの死神。彼は様々な名で呼ばれるが、功績として真っ先に数えられるのはこれである。

即ち、棺桶(コフィン)を埋める者。

故に──。

 

「【葬儀屋(アンダーテイカー)】」

 

【剣聖】の次にくる二つ名を口にすれば、キリトは僕をじろりと睨みつけた。あまり好いていないのだろうか。

 

「……ともかく、移動するぞ。まあお前達も心構えくらいはしておけ。伏兵がいても何もおかしくはない」

「罠でも突っ込むと。隊長らしいねぇ……ちなみに作戦は?」

 

クラディールがそう問いかけた。少年は口角を僅かに歪める。

 

「敵の情報も少ないのに立てる作戦に縛られるのは、馬鹿のやる事だ。いつもと変わらない」

 

 

「罠だろうと関係無い。全員、駆逐する」

 

 

剣の柄に手を置いて、【葬儀屋(アンダーテイカー)】は静かに嗤った。

 

 

 

 

「つってもまあ、本当に作戦無しってのもなぁ」

「いつも通りだな……」

 

クラディールが愚痴りながら干し肉を噛みちぎる。時刻はもう夕方を回ろうとしていた。僕は水筒のお茶を飲み下しながら思考する。

クラディールが扱うのは両手剣だ。必然的に片手剣の僕が壁役(タンク)をこなす事になる。正直この男に背中を向けるのは多少なりとも勇気がいる行為だが、よくよく考えてみれば裏切った瞬間に死が確定するのだから杞憂であることに気付く。【葬儀屋(アンダーテイカー)】の名は伊達では無い。軽薄な男ではあるが計算高いクラディールの事だ、裏切ることはないだろう。

ある意味最も信用できる、とも言える。

 

「にしても……ノーチラス、テメェの悪癖は治ったのか?」

「いや……」

 

言葉を濁す。クラディールは軽く鼻を鳴らした。

僕の悪癖。それは肝心な場面で身体が硬直してしまう、というものだ。より具体的に言えば、強い恐怖を感じて身体が強張ると──そのまま全く動けなくなるのだ。

無論、治そうとは努力した。だが無理だった。これはもはや心因性のものでは無いのでは、と僕は考えている。それだけ異常なまでに硬直するのだ。どれだけ力を込めようと関係ない。僕が恐怖を感じれば、それだけで身体は致命的に止まってしまう。

 

キリトはそれをVR不適合症状の一種ではないかと指摘した。本当にそうなのかもしれない。それだけ、異常な事だった。

 

「はン……ったく、なんで隊長もテメェみたいなのを引き入れたんだろうな」

 

無言で返す。クラディールは率直に言って嫌なヤツだが、しかし真実しか口にしない。そう、それは当然の疑問だ。僕にも理解できない。ひょっとして、幼馴染を守る力すらない僕への哀れみなのだろうか?

あの時は、キリトが運良く現れたため助かった。僕は散々仲間達から詰られたが、それでも死なずに済んだ。その流れでこうしてPKKの片棒を担いでいるわけなのだが……どうして彼が僕を今も仲間として扱っているのか、わからなかった。

 

クラディールは理解出来る。人間的には屑に近いが、それでも血盟騎士団の入団試験に通る実力は最低限持っている。彼に比べれば塵のようなものだろうが、ある程度使えるだろう。だが僕は違う。PKKだというのに、命を狙われたら使えなくなる致命的欠陥を抱えている。

 

「僕、は──」

 

「無駄話はそこまでだ。来るぞ」

 

闇色の剣士が話の流れを断つ。音もなく背後に立っていた彼に驚きながら、僕は片手剣を引き抜いた。左腕のバックラーを構える。茂みの奥から、隠密(ハイディング)スキルを発動したまま目前の道を見つめる。

 

そんな僕達の前に現れたのは、一人の少女。そして、彼女を囲むプレイヤー達だった。

 

「おいおい、マジかよ……ありゃ小学生か?」

「笑えないな……SAOは年齢規制があったはずだが」

 

クラディールと僕はそうぼやくが、キリトは無反応だった。その顔を一瞥して後悔する。仮面を貼り付けたような無表情だというのに──昏い瞳に宿す殺意が背筋を凍らせた。

 

「クラディール、ノーチラス……F1だ」

「「了解」」

 

F1。前衛(フォワード)が一人、を指し示す行動指針に頷いた。即ち彼が単騎で出るということ。僕達二人は遊撃だ。唾を飲みくだし、恐怖を振り払うべく眉尻に力を入れて前を睨み──。

 

瞬間、敵の一人が蹴り飛ばされていた。

 

「な……」

「ちィ、ぼさっとしてんじゃねぇ!」

 

クラディールにどやされる。慌てて僕が潜伏(アンブッシュ)していた茂みから飛び出れば、場は凍り付いていた。

「総員十六人。《巨悪の腕(タイタンズハンド)》……だったかな」

 

襲われかけていた少女を庇うように立ちながら、彼は剣を引き抜いて地面に突き立てる。既に臨戦状態。自らが死地に立っていることにも気付かない闇ギルドの連中を前にして、キリトは告げた。

 

「《銀の旗(シルバーフラグス)》を襲ったのは貴方達だな?」

 

それは形式上の確認だ。既に彼の中では確定しているのだろう。それを裏付けるかのように、《タイタンズハンド》の頭目であろう女は嘲笑いを浮かべる。……クラディールにそっくりだ。

 

「へぇ……アンタ、私らを殺しに来たの?」

「そうだ」

「たった三人で?」

「そうだ」

 

哄笑が響き渡る。これから起こることを考えればいっそ哀れとすら思えるが、キリトは無言でその様を眺めていた。

 

「敵討ちってワケ? は、ここで殺したところで本当に死ぬかもわかんないってのに──マジになっちゃってバカみたい。というか、この人数相手に三人で勝てると思ってんの?」

キリトはゆるゆると首を振って否定する。あちゃあ、とクラディールが呟くのが聞こえた。

 

「一人だ」

「……あ?」

「一人で相手する。クラディール、ノーチラスはそこのガキを守っておけ」

 

その言葉に慌てて少女の元へ駆け寄る。はぁ、と長髪の男は溜息を吐いた。

 

「あーあ、出たよ隊長の悪いクセが」

 

頷く。それは残酷な行為だ。犯罪者(オレンジ)は数という点に厚い信頼を置く傾向がある。基本的に群れるのだ、奴等は。だからこそ確実に釣れてしまう。確かに普通ならそれでどうにかなるだろう。だが目の前にいるのはその常識を覆す怪物だ。

 

「あはははは! アンタ、本当のバカだったみたいね! いいわ、嬲り殺して──」

 

 

瞬間。彼の姿が消えた。

 

夕刻を迎える斜陽の中、黒剣が振るわれる。最初に狙われたのは近くにいた男だ。鮮やかな剣閃が頚椎を切断する。死神によって首を刈り取られたが最後、男は何が起きたのか理解できていない顔で即死する。続け様に振るわれた剣が同じように二人目の頸椎も切断し、そこでようやく事態に気付いた男達が怒りに染め上げながら武器を振り上げ──

 

そしてなすすべも無く死んだ。

 

遅い。彼の前ではあまりに遅い。武器を構えた瞬間、既にその剣は首を刈っている。或いは眼窩を通じて脳を破壊している。それが出来なくとも、手首の腱を切断している。攻撃行動になど移らせない。徹底的にメタを張りながら殺す。戦闘などではない。狩る側と狩られる側に決定的に分かたれている。それは虐殺だ。三十秒もあれば、十数人程度あの人は容易く処理できる。

 

「な、何よこれ……アンタ、まさか」

 

頭目、資料によるとロザリアという名前らしい女は恐怖に顔を歪めた。

 

「【葬儀屋(アンダーテイカー)】──」

「その名は好かない」

 

ロザリアが槍を振るおうとする前に、その手首を斬り落とす。足を切断する。腹を蹴り飛ばし、声が煩いため声帯を切除する。何も出来ず呆然とこちらを見上げる女を見下ろし、キリトは微笑んだ。

 

「“ここで人を殺したところで、本当にそいつが死ぬ証拠なんてない”……だったか」

「…………!」

「確かめてくるといい。貴方自身で」

 

左目を刃先が抉り、視神経を断裂させながら脳に到達する。捻られた剣が修復不可能な領域にまで前頭葉を破壊し尽くし、留めを刺すかのように頭蓋を貫通した。どうしようもなく即死する。砕け散るポリゴンの嵐の中、黒い外套が揺れた。

声をかけようかと一瞬考える。だが、未だ薄れない濃密な殺意に口を噤んだ。

 

「……いつまで見ているつもりだ」

 

誰に宛てているのかもわからない。だがキリトはそう呟くと、躊躇いなく剣を投擲した。それは15メートルほど先の木陰に突き刺さる──ことはなく、何かに弾かれた。高い金属音が響き渡る。

 

「流石だ。流石だよ、キリト」

 

キリトが殺意の権化だとするならば。その男は悪意の権化だった。

理屈抜きで理解する。フードの下で歪む口角、溢れ出す悪意。史上最悪の殺人者(レッド)

 

「っ、PoH……!」

 

呻くように呟けば、まるで羽虫でも見るかのような視線が僕に向く。走り抜ける悪寒に身を震わせた。あれはベクトルこそ違えど、キリトと同じく怪物の領域に踏み込んだ何かだ。

 

「なぁに、安心しろよ【葬儀屋(アンダーテイカー)】ァァァァ…………まだお前は殺さない。オレが必死に作り上げた計画を一発でご破算にした恨みは、じわじわと返す。今日は挨拶さ」

 

「そうか。ならば死ね」

 

姿が消える。絶対的な死を与える剣が神速で振るわれ──しかし途中で軌道を変更する。迫る鎖を斬り落とし、無数に放たれた剣群を叩き落とす。投擲スキルだとしても異常な数と速度である。その総数は余裕で三十を超えるが、当然のように無傷で凌いだキリトは出所を睨みつける。PoHの仲間は一体何人潜んでいるのか。まあ彼ならば数分で殺せるだろう。

ただ、PoH本人は既に彼の間合いから離れていた。

 

「このソードスキルは……」

「そうとも。どうせお前も持ってるんだろう? 茅場ってやつはつくづくいいオモチャをオレ達にくれるよ」

 

一瞬、苛立たしげにキリトの顔が歪んだ。荒れ狂う殺意と共にPoHを睨む。

 

「何を企んでいる、PoH」

「お前を殺す方法をだよ、【葬儀屋(アンダーテイカー)】。《嗤う棺桶(ラフィン・コフィン)》はまだ終わっちゃいない」

 

ククク、と嗤う男は転移結晶を砕く。よくよく見ればそのプレイヤーマーカーは緑色を示しており、最悪の殺人鬼はそのカルマ値をどのような方法を用いてか回復していた。

 

「絶対に殺す。その強さを貶めて蹂躙して殺してやる」

「此処で死ね」

 

有言実行とばかりにキリトが神速で踏み込む。飛来する剣群を弾き、弾いたその剣が更に他の剣を弾くように軌道を調節して最小限の動きで突破する。端的に言って絶技だが、彼は即興でそれを編み上げていた。

動揺したのか剣群が一瞬途切れるが、それをサポートする形で鎖と円月輪(チャクラム)が別方向から飛来する。徹底的に遠距離からメタを張る気らしい。賢明な選択だ。少し強い程度のプレイヤーでは【剣聖】の近接致死領域に三秒とて立っていられないのだから。

 

キリトが小さく舌打ちする。転移までのタイムラグの間に辿り着けない事実を認識したのだろう。最低でも剣群の主や鎖の使い手を処理する方向に切り替えたが、しかし敵も巧みだ。既に撤退を決め込んでおり、急速にその殺気は離れていく。いくらキリトでも高レベルの隠密(ハイディング)スキル持ちに逃げに徹されればそう簡単には追い付けない。早々に追うことを諦めたのか、無言で剣を鞘に収めた。

 

「……帰るぞ」

「あ、ああ」

 

腰を抜かしている少女に肩を貸しながら、僕は夕陽に照らされるキリトの顔を見やる。表情は読み取れない。いつもの事だ。

 

僕はこの人がわからない。其は羨望の対象であり、恐怖の対象であり、しかし何もわからない。加えて言うと、何の助けにもなれない。

助けられたあの時から、僕は変わっていない。腰抜け野郎のノーチラスは、未だ無力のままだった。

 





・ノーチラス
知らない人は劇場版を観よう。今作ではオリトの弟子になっている。

・クラディール
みんな大好きクラディール。強いものに巻かれろ、勝ち馬に乗れが信条な模範的悪役。オリトくんが無双しすぎてこれ犯罪者やってると死ぬのでは……?と考えた結果更生した。更生なのかそれ。

・PoH
カリスマ性の怪物。オリトを目の敵にしている。最近ユニークスキル持ちが配下に加わった。

・少女
一体何リカちゃんなんだ……。ちんまい竜は無事蘇生する模様。

……というか、二話更新時点で500程度だったお気に入りが何で十倍に達してんの。これ多分バグでしょ(白目)


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04/悪夢

 

 

 

「キリト君」

 

 憐れむような、蔑むような視線が俺を貫く。身体が震えた。だがそれももうすぐ意味を成さなくなる。敗北者には死を。手足の先から青いポリゴンとなって砕けていく。

 唇が戦慄く。視界が歪む。そんな中で、灰の髪を一筋に束ねた魔王が告げる。

 

「君の敗けだ」

 

 敗けた。敗北した。どうしようもなく言い訳のしようもなく、純粋な力量差で負けた。なぜ、あの瞬間にどうしてその手を選択したのか。いやもっと前か。敗北の布石はどこにあった。慚愧と絶望の想念が心臓を握り潰すかのようだ。

 届かなかった。俺はこの男によってHPをゼロにまで削られて、死ぬ。勇者でも英雄でもなく期待に応えられなかった敗北者として死ぬ。なり損ないの出来損ない、英雄未満の失敗者。

 その罰則(ペナルティ)は、無論俺が死ぬだけには留まらない。

 

「これより私は魔王ヒースクリフとなる。それに伴い、本来は95層から実行される筈だった()()()()()()()()()()()()()()が実行される。これによりあらゆる都市において犯罪行為が可能となり、またモンスターは都市への侵入が可能となる。加えて75層以降からは階層ボスモンスターの攻撃はより一層苛烈になるだろう。心して挑んで来て欲しいと思う」

 

「さようなら。では諸君、第百層で再び相見えよう…………無論、生きていたらの話だが」

 

 

──聞こえる。

 俺のせいで死ぬ人々の声が。

──見える。

 第一階層に引きこもった結果、戦う力をなんら持たない人間が虐殺される姿が。絶望に濡れた瞳から血が溢れる。

 なんで、どうして、なんでなんでなんでなんで私が僕がわたしがオレが儂があたしがお前がお前がお前がお前だお前だお前だお前だお前だお前だお前のせいで我々はははははははははははははははははは。

 

「キリトくん」

 

 少女のどろりとした瞳がこちらに向く。

 やめろ。そんな目で俺を見るな。俺のせいじゃない。いや違う、俺のせいだ。紛れもなく俺に責任がある。俺に罪がある。俺に咎がある。俺が、俺の剣技が、俺の力が、能力が及ばなかったせいで。

 

「キリトくん「キリトさん「キリの字「キリト「キリ坊「キリトキリトキリトキリトキリトキリトキリトキリトキリトキリト────桐ヶ谷和人。

 

 

 お前の弱さが、皆を殺したんだ。

 

 

 

 

 

 

 

「……………………糞が」

 

 呟く。頬に触れれば何かで濡れていた。乱雑に拭って身を起こす。何回、何十回、何百回見た夢だろうか。だから眠るのは嫌いなのだ。誰かが俺を責め立てる。それでいいのかと耳元で囁く。その度にこれでいいのだと確認する。枕元に立て掛けてあった傷だらけの剣を背に佩く。眉間を少し揉んで息を吐いた。

 弱さは罪だ。知っているとも。

 

『キリトくん』

 

 幻聴が聴こえる。俺が殺した彼女が耳元で囁く。いつもどこかで彼女が見ている。冷ややかに、猫のように、僅かに口元を歪めて此方を見ている。責めているのだろうか。ああ、きっとそうではない。これも俺が作り出した都合のいい幻想だ。勝手に罪悪感を抱いてる、俺の意識の現れ。

 

「俺は、キリトだ」

 

 さあ行こう。(キリト)英雄(キリト)であるために。

 

 

 

 

 

「キリト?」

 

 浅黒い肌の巨漢は目を瞬かせる。知っているというか、もはや常連だが……エギルは少々意外に思いながら答える。

 

「何処だろうなぁ。あいつに定住地ってのはない筈だが」

 

 思ったより知らないものだ。いや、単にキリトがそういった話をしないだけなのかもしれない。きっとそうだ。エギルはうんうんと頷く。そもそも事務的な会話以外を自分からしているところを全く見た事がない。

 

「まあどうせ最前線のボス前エリアを周回してるだろうな。次点でPK狩り、或いはリズベットのところかもしれん」

「はぁ……凄いんですね」

 

 感心した様子で少女は頷く。肩に乗った小竜がくるると鳴いた。エギルはその様子にぎょっと目を見開く。

 

「なっ……嬢ちゃん、それは」

「えっと、わたし獣遣い(テイマー)なんです」

竜を飼い慣らす(ドラゴンテイマー)か、それは恐れ入ったな」

 

 モンスターをテイムする、というのはここアインクラッドにおいてそう簡単な話ではない。まず同種のモンスターを殺しておらず、また極小確率ではあるが此方を敵対視しない個体である必要がある。トドメにその種族が好む餌を保持していなければならないのだ。ただでさえ情報がろくに集まらないアインクラッドだが、テイム条件やテイム可能種族に関しての情報は未開拓領域である。だというのに、竜種をテイムするとは……少女──シリカはよほどの豪運を持っていたのだろう。

 

 ありがてぇ、とエギルはシリカを拝む。アインクラッドにおいてリアルラックというのは一番の財産である。ただでさえいつ死んでもおかしくないデスゲームであるのだから、僅かでもおこぼれに預かろうとするのは当然の思考回路と言えよう。

 無論、これはオカルトのようなものだ。真に信ずるべきは腕っ節だろう。そんな思考の典型がキリトだ、とエギルは考えている。ああまで狂気的に戦い続けるのはそれだけではないだろうが、強さの象徴といえばあの【黒の剣聖】だ。

 わたわたと慌てているシリカに苦笑しながら、エギルは再度口を開いた。

 

「それで? 嬢ちゃんはなんであいつを探してるんだ」

「えっと……それは、この前お世話になったので……」

 

 そう言ってシリカは頬を染める。ははぁ、と得心がいったエギルはその笑みを面白がるようなものに変化させる。大方、あの少年が犯罪者(オレンジ)から彼女を助けたとかそういう話だろう。罪な少年だ。見る限りシリカは小学生にしか見えないし歳の差というより見た目を考えてもロリコンの謗りを免れないだろうが。いい話のネタが増えた、とほくそ笑む。

 

……その一方で、エギルは僅かに彼女を哀れんだ。十中八九彼女の淡い想いは成就しないだろう。キリトに浮いた話はない。正直彼の周辺には少なくない少女、それも美少女が見え隠れしているが、少しでもキリトを知っている人間がいれば羨むことなどしない。何せ、本人はアインクラッド一の戦闘狂だ。恋愛なんぞに興味を示す様など全く想像出来ない。その前に日常生活にもう少し気を配って欲しいものだ。

 放っておけば三日間戦い続けることさえある少年のことを考え、エギルは溜息を吐いた。

 

「なーにしてんだかなぁ……悪いが、オレも力になれそうには──」

「エギルさーん!」

 

 と。

 そこで、ぱたぱたと駆け寄ってくる剣士の姿に気付いた。白を基調とし、赤のラインが刻まれた特徴的なデザインの服。栗色の髪を揺らして細剣使いは立ち止まった。

 

「……あっ、ごめん。接客中だった?」

「いや、むしろちょうど良かった。アスナ、キリトの居所を知ってたりするか?」

 

 そう尋ねれば、アスナは困ったように眉を寄せた。その瞳がシリカへと向く。

 

「うーん、今はわからないかな……えっと、あなたが探してるの?」

「あっ、その、はい! 【閃光】のアスナさんですよね!」

 

 きらきらとした視線に晒され、戸惑い気味にアスナは頷く。

 その類まれな容姿と強さ、その二つが相まってアスナはSAO内においてアイドルのような立ち位置にある。歳若い少女であれば羨望を抱いたっておかしくはないだろう。もしこれが男であればその視線に少々下卑た成分が混じるだろうが、同性の少女となればそれは純度100%のきらきらした何かだ。単純な好意故にアスナは困った。

 

「えっと、あなたは」

「シリカです!」

「そっか、シリカちゃんって言うんだ。キリトくんを探してるの?」

 

 シリカが頷く。アスナは少し考えて告げる。

 

「今すぐっていうのは無理だけど、少し待てるなら……多分あと何時間もしないうちに彼は来ると思うから」

 

 きょとんとするシリカを他所に、エギルは納得して頷いた。確かにそんな時期だろう。最前線の層が解放されて今日で一週間を過ぎたか過ぎないかくらいのはずだ。

 そしてそれだけあれば、有能な人材が揃っている攻略組がボスの前に辿り着くには十分だ。

 

「六十層のボス攻略会議が、始まるもの」

 

 

 

 さて。ボス攻略会議とは何か言うまでもないだろう。浮遊城アインクラッドにおいて各層には迷宮区が存在し、その最奥に上層へ繋がる大階段が存在している。その大階段を守るように配置されているのがフロアボスである。その強さはレイド戦に相応しいものであり、ボスらしくHP減少をトリガーとしたデッドアクションが仕込まれていたりなどするため非常に手強い、というのはSAOに囚われた者であれば誰もが知っていよう。このフロアボス戦で散るものは決して少なくないのだ。

 もっとも、最近はヒースクリフをトップに据えた血盟騎士団による綿密な連携もあり、死者は暫く出ていないが──油断は禁物だ。層のあちこちに仕込まれたヒントを統合し作戦を練るべく、こうしてボス攻略会議は開かれている。

 

「これより、第六十層のフロアボス攻略会議を始める」

 

 口火を切ったのは当然ヒースクリフだった。

 

 そんな彼に視線を集めるのは錚々たる面子だ。アスナ及び中隊を率いる血盟騎士団の幹部格。ギルド風林火山よりクライン。聖竜連合よりリンド。アインクラッド解放軍から()()()()()、及びキバオウ。その他十数のトップギルドの中核メンバー。

 そして──闇の底のような眼をした男が、無表情でヒースクリフを見つめていた。

 

「相変わらずだな、キリト君は」

 

 そっと苦笑するのはディアベルだった。キバオウは仏頂面でぎろりとかの【葬儀屋(アンダーテイカー)】を睨みつける。無表情で無感情、されどその強さはアインクラッドの中で頂点に君臨している。いや、無傷にして無敗のヒースクリフという説もあり噂は二分されているが──それでもキリトは最強の筆頭候補と言える。ソードスキルを使わない剣士、PKK、剣聖、黒い死神……その他諸々の二つ名を持つ少年はこのアインクラッドにその名を轟かせていた。

 

「けっ……なに考えてんだか」

 

 キバオウが毒づく。とは言えその言葉が格好だけに近いことをディアベルはよく知っていた。ディアベルはかつて彼に命を救われた事がある。キバオウとて同様だ。ただプライドが先行するあまりに表立って認められないだけで、キリトが誇る無二の強さがなくてはならぬものであることをよく理解している。

 

「ボスの名前はナラカ・ザ・パニッシャー。この層がゴーレムを主体とした敵が出現するのと同様にボスもまたゴーレムだ」

 

 資料は既に配られている。ディアベルが目を落とせば、そこにはボスのスケッチが描かれている。重厚な鎧を身に纏う筋骨隆々の武者。だが、その正体は生物ではなく石像であることは注釈で書かれている。

 

「得物は太刀。ボスの使用するソードスキルもまた同様だろう。つまり、これは10層の『カガチ・ザ・サムライロード』への対処が通用する可能性がある」

「へぇ。1層の『イルファング・ザ・コボルトロード』もそうだったな」

 

 誰かが零した言葉にディアベルは顔を顰める。彼にとってトラウマに近い思い出が蘇る。唐突に武器を切り替えたボスから放たれる下段の斬撃。高速で迫るそれを前に足が止まった瞬間。もしも……もしもあの時キリトが彼を蹴り飛ばしていなければ、上半身と下半身が鮮やかに分かたれていたであろうことは想像に難くない。

 あの後から、テスターが保有しているβテスト時の情報は過信しなくなった。あくまで参考程度に。そう肝に銘じてきたからこそ、ディアベルはあの危機以来明確な死地に追い込まれたことは無い。

 

「では、今回の配置も10層攻略時を参考にしたものとしよう。大隊は三つに分け、ボスの広範囲の薙ぎ払いを凌ぐため各隊それぞれに八人ほどの盾持ち(シールダー)を配置する」

「それぞれ血盟騎士団、聖竜連合、アインクラッド解放軍が担当する……ってことでいいのか?」

「そうだ。後の人員は小隊規模で各大隊に属し、パーティー規模でのスイッチを行いながら継続的に戦闘に参加して貰いたい」

 

 打ち合わせの通りだ。ディアベルは首肯することで同意を示す。……常のことだが、問題はここからだった。

 

「風林火山はアインクラッド解放軍に。そして、キリト君は──」

「俺は一人でいい」

 

 ぴしゃりと、拒絶するように少年は告げる。暗く濁った瞳が円卓を睥睨する。

 

「足手纏いを増やされても、迷惑だ」

「……っ、お前なぁ!」

 

 キバオウがたまらずいきり立つ。元より短気な彼からすれば、毎度のことながらキリトの言動は腹に据えかねる。こめかみに青筋を立てながら言葉を叩き付ける。

 

「足並みを揃えるっつーことが出来んのか!? お前の単独行動が迷惑になっとる事がなんでわからんのや!」

「足並みを揃えて火力が上がるならそうするが、正直一人の方がDPSが高い。無駄が多過ぎるとしか思えない」

「ッ……これはデスゲームやぞ!?」

 

 安全策を取るのが賢明であり普通だろう。そう言外に告げるキバオウを、キリトは無感情に見返した。

 

「で?」

「で……って、お前」

「それで? デスゲームならどうだって言うんだ」

 

 僅かに。僅かに、その口角が歪んだ。最強の矛が嗤う。

 

()()()()()()()()()

 

 ゾッとするものがディアベルの背筋を走り抜ける。恐怖か? 否、畏怖だ。理解の外にあるものに対する畏怖だ。

 思えば、彼は昔から異端だった。ゲームとは言え、生き物の形をして、そして自分を本当の意味で殺そうしてくる存在を、一切の躊躇なく()りに行く。最初からそうだったのだ。第一層の頃から、彼は当然のように動けた。そこらにいるような普通の中高生が、である。

 意識が違う。存在が違う。根本から何かが異なる。

 

 彼は──イカレてる。だから皆は畏れた。キバオウが忌々しげに舌打ちする。

 

「自殺志願者が」

 

 ディアベルは何処か悲しく思いながらキリトを見つめる。第一層の頃はここまで露骨に箍は外れていなかった。では何が彼を変えたのだろうか。

 

 

 

「───ふ」

 

 誰も気付かない。だが、僅かに笑う。その壊れ様に頬が緩む。

 ヒースクリフは、静かに笑っていた。

 



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05/亡霊

 

 

 

 

 

 凡人は天才にはなれない。だから積み上げるしかない。その上に俺は立っている。立って必死に背伸びをしてみる。

 死線を越えてゆらゆらと。まるでそれはジェンガか積み木か。咎か罪か。今日もまた何かを積み上げる。積んだ後にはたと気付いた。

 積み上げた髑髏は、彼女の顔で笑っていた。

 

 

 

 

 

──剣閃が舞う。

 

 一撃、二撃三撃四撃──連続し都合十連撃。三秒の内に吐き出された斬閃はそのいずれもがクリティカルとして扱われる。轟音と共に振り下ろされる大太刀を軽くステップで回避し、尚も張り付いて切り刻む。感情を滲ませることも無く斬り捨てる。

 まるで暴風だった。黒い嵐だった。SAOというゲームにおいてスタミナという概念は存在しない。あるのはHPと空腹、そして本人の精神力だけだ。故に理論上は延々と走り続けられ、延々と剣を振るい続けられ、そして無制限に戦うことだって可能だろう。

 

 だがそれは机上の空論だ。人間の精神力にも限界がある。デスゲームである以上、戦闘という行為は著しく精神的な負荷がかかる。緻密に精密に、それでおいてリアルタイムに情報を更新しながら戦況を把握し、己の立ち位置を制御して攻撃を行う。要は酷く疲れるのだ。故にその精神疲労を管理する為にもプレイヤーはパーティーを組む。多少経験値減少があろうとパーティーを組まない理由には決してならない。ソロでの戦闘行動による疲弊と天秤にかければ、答えは明らかだという事だ。それでもなおソロで迷宮区に挑む輩がいれば、それはただの自殺志願者か余程の大間抜け。

 

──だが、キリトだけは例外である。

 無理な話ではない。不可能な話でもない。ただ、その少年はその方が効率がいいから、という理由で単身迷宮区に潜る。その在り方はもはや常に自死を図るに近いが、しかし彼はこうして生きている。数百数千数万の死線を越えて立っている。同じ話だ。常と同じように敵を斬る。当然、余計な行動を挟む理由は無い。回避は最小限に、攻撃回数は最大に。クリティカルを出す為にも敵の真正面から切り結ぶ方が都合がいい。それもすぐ目の前の位置が。

 

 結果──キリトはフロアボスと単身で真正面から殺し合う形となる。

 

 手の込んだ自殺だ、と見た者は思うだろう。フロアボスの攻撃はそれだけ苛烈だ。モンスターの攻撃力にソードスキルを乗せ、更にその威容に見合う攻撃範囲で以てプレイヤーを殲滅せんと得物が振るわれるのだ。それだけで心が折れてもおかしくないと思えるほどに、巨大な異形の威圧感は凄まじい。

 

「水平斬り──唐竹割り──溜めて、振り下ろし」

 

 呟きながら剣士は回避する。回避の動作がそのまま攻撃に繋がる。次へ次へと最適化しながら繋げていく。故に速い。判断にタイムラグが無く、あらゆる動作が完全に繋がっている。巨躯を誇るMobを相手に翻弄する様は、まるでお伽噺の英雄のように見える。だが、お伽噺にしては些か殺気が強過ぎる。これは正しくデスゲームなのだ。AIが思考を巡らせ、一歩間違えれば命が消し飛ぶ領域で人間がステップを刻む。そんな矮小で貧弱な人間を見下ろしながら、Mobに組み込まれた高度人工知能はその命を奪う為の戦術を確立する。

 

 フロアボス──《ナラカ・ザ・パニッシャー》という名を持つモンスターが六メートルは優に超える大太刀を構えた。その一挙手一投足だけで、巨大質量の移動により旋風が巻き起こる。大気に巻き込まれ剣士の黒髪が揺れる。揺れた拍子に奈落の底のような眼が顕になった。その眼窩では無感情に戦闘機構が稼働している。経験に基づく直感、理論に基づく思考の二つから結論が弾き出される。

 挙動から三手先までを予測演算(リード)。踏み込まれる右脚、たわむ筋肉の動きから太刀二連撃居合剣技《梁塵》だと看破。その斬撃軌道より外に身を置いて回避。目前を鋼の塊が残像すら残して過ぎ去っていくが身動ぎすらしない。

 ソードスキルは放たれた。生まれるのは剣技後の硬直。それはフロアボスとて例外には入らない。

 踏み込む。岩の武士より一瞬疾く。

 

「ここか」

 

 瞬間、残光を引きながら黒剣が鮮やかな軌跡を描いた。

 見る者が見れば直ぐに理解出来る軌跡。片手剣四連撃《バーチカルスクエア》──完全な隙に叩き込まれたソードスキルは全てがクリティカル扱いとなる──により、《ナラカ・ザ・パニッシャー》は僅かに怯む。蓄積された怯み値の発露だ。その隙を逃す訳が無い。更に前へ。

 

──SKILL CONNECT//《スネークバイト》

 

 ソードスキルを滅多に使わない少年は躊躇い無く解禁する。既に彼はこの敵に対し見切りを付けていた。得るものなど何も無い。あるのは作業感だけ。故に、より効率良く体力を削れる選択肢を取るだけだ。剣技連結(スキルコネクト)など当然習得している。最適なタイミングで必要なモーションを挟むだけ。 そのまま片手剣三連重撃剣技《サベージ・フルクラム》へ移行する。大型Mobに対する特攻効果を持つこの技を急所に当てられるのは大きい。だが代償もまた大きい事を忘れてはならない。水平斬りから派生し、斬り上げ、更に斬り抜けた後に背後から斬り崩す。

 そこで止まる。如何にキリトとて、システムレベルの干渉を弾くような能力など持っているはずが無い。全身を鉄の重さをした真綿で包まれるような倦怠感が包む中、ぎらつく瞳で《ナラカ・ザ・パニッシャー》が再起動を果たす。

 

「っ、キリト──!?」

 

 ディアベルが声を荒げる。剣技連結(スキルコネクト)を計二度、合計九連撃に至る大技はその分露骨な隙を晒す事となる。それは下手な連撃スキルよりも重い硬直だ。それが剣技連結(スキルコネクト)のデメリットと言えよう。当然、そんな隙を晒せば怯みから復帰したフロアボスは瞬く間に彼をなます斬りとするに違いない。残り半秒と経たずに大太刀は振るわれる。ディアベルは彼を回収する指示を出そうと口を開き、

 

「大丈夫ですよ、あの程度」

 

 そんな声に言葉を飲み込んだ。横にいるのは【閃光】のアスナだった。指揮官としても非常に優秀な彼女は今回ではヒースクリフに代わり全体の作戦指揮を取っている。恐らくは経験を積ませるためか。豊かな栗色の髪を揺らしながら、白いギルド制服に身を包む少女はキリトを見ている。

 

「ほら──」

 

 葬儀屋(アンダーテイカー)の背が揺らぐ。同時にディアベルが気付いたのは、宙を回転しながら降ってくるもう一振りの黒剣の姿だった。既にキリトは技を出し切っている。右手の剣は限界まで振り切られていた。だが左手はどうか。グローブに包まれた指が僅かに曲がる。

 そして。まるで吸い付くかのように、いつの間にか空中に投擲していた剣は彼の左手に収まった。

 

《SYSTEM ALERT // Abnormal Equipment:CODE 41──》

 

剣技(スキル)強制排出(イジェクト)

 

 視界が歪む。耳を劈くような警告音(アラート)。だがこれでいい。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()使()()()()。故にそれを逆手に取ったバグのような裏技だ。曲芸に近い、今の所キリトにしか使えない硬直強制解除の裏技。

 

──弾かれたように硬直は解除された。闇より暗き瞳が猛然と《ナラカ・ザ・パニッシャー》を見据える。地を蹴る剣士は軽々と宙を舞った。同じ身体能力があったとしても間違いなくやろうとは思わない軽業。スキル補正無しで少年は二メートル近く跳躍し、高速で薙ぐ刀を回避する。回避どころか、それに剣を無理やり突き立てる事で逆に運動エネルギーを掠め取った。散る火花、軋む剣身。あまりに乱暴な使い方に剣は悲鳴を上げるが、リズベット工房謹製の黒鉄は果たして耐え切った。肉体の回転を完全に制御する。まるで悪魔の翼のように空中で外套が翻る。

 

 剣閃軌道、確定。既に未来演算は終了している。艶やかだが無機質な灰色の鎧兜に覆われるボスの顔面、その目前で黒剣が弾けた。

 

『Gru──uuuuoOooOOOOO!?』

 

 悲鳴。苦鳴、と言い換えてもいい。現実性(リアリティ)を追求したが故にフロアボスにも状態異常は通用する。両眼を貫く二振りの黒剣を砕くべく、大太刀を振るうことも忘れて《ナラカ・ザ・パニッシャー》は自身の顔面に手を伸ばした。ゴーレムと言えど物理的に邪魔されれば逃れ得ない盲目状態(ブラインドネス)。危なげなく着地した黒衣の少年はちらりと振り向く。

 その瞳が悠然と物語っていた。

 

「──総員ソードスキル発動準備! この機を逃さないで!」

 

 真っ先に反応したのは、やはりアスナだった。慌てて片手槍、そして片手斧を主軸にした陣が投擲系統の剣技(スキル)を展開し始める。ボスの前にはキリトがいるが、巻き込む事を恐れて指示を撤回するような真似はしなかった。そもそもこの程度の直線的なソードスキルにまぐれであろうと当たってしまうような輩であれば一年半以上の年月の中で既に死んでいる。

 そんな押し付けがましい信頼と共に、一応はプレイヤー達も配慮したであろう遠距離ソードスキルが一斉に放たれる。その様は壮観であり、煌めくヒットエフェクトにボスが彩られるのを背にしてキリトが戦線を離脱する。それとすれ違いざまに片手剣や両手剣を手にした攻略組のプレイヤー達がボスへ殺到していく。それを茫洋とした瞳で眺めながら、キリトは静かに納剣した。

 

「……いいの?」

「終わったも同然だからな」

 

 既に彼の興味はフロアボスから逸れている。視線が向かう先は大階段の先。来たる61層に意識は向けられている。きっと彼は真っ先にフィールドボスを撃破し、そのまま足を止めることなく迷宮区に突入するつもりなのだろう。クエストを進めることも無く、ただ攻略会議が開かれるまでレベリングを続けるだけだ。

 常の通りの姿。いや、いつからかこれが普通になっていた。誰もが畏怖し、尊敬し、そして蔑む存在になっていた。一体いつからなのか。

 

……語るまでもない。アスナは目を伏せる。かつてはこうでは無かった。こんなに人間味の無い少年では無かった。希望を宿し、夢を抱き、こんな世界でも強く在れる剣士だったはずだ。彼女を皮肉るような口振りをしながらも敬意を持って接し、突き放すかのような言動をしながらも真摯に応じる姿は、ちょくちょく衝突することこそあったものの非常に好意的だった。……語弊を恐れずに言えば、アスナは惹かれていたのだ。

 それがどうして、こうなったのか。

 

「キリト、くん──」

 

 弱々しい声が漏れる。伏せられていた視線が黒い剣士の背に移り、そして。

 

 蠱惑的に笑う誰かの顔に、目を見開いた。

 

「え?」

 

 瞬きする。無論、彼女とキリトの間にプレイヤーなどいるはずもない。見回してもそんな人影など無い。幻視か、或いは妄想か──アスナはこめかみを揉んだ。精神的に疲れているのかもしれない。だが奇妙なことに、その幻視で見たプレイヤーの顔に覚えなどない。幻ならば本人の記憶から参照するのではないだろうか。

 

 そう、覚えなどない。ある筈がない。黒いセミロングの髪に泣きぼくろを持つ、銀の短槍を背負う少女なんて──アスナは見た事も無かったのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

『キリト』

 

 耳元で其は囁いた。甘えるように、謳うように、呪うように。

 

『愛してる』

 

 





今日のオリジナル設定


>>剣技強制排出
 インチキ。修正はよ。スキル硬直を含めてソードスキルと括るシステム上の扱いを利用した曲芸。二刀流スキル、或いは同じく装備スロット拡張効果を持つユニークスキル以外は両手に装備をしてしまった時点でソードスキル使用不可となるため、状態を上書きすることでスキル硬直を何処かに消し飛ばしてしまうヒースクリフもびっくりなシステム外スキル(?)。
 問題点は一つ。そもそも硬直してしまえば剣を装備するなんて芸当は出来ないということ。オリトはそれを剣を真上にぶん投げて予測位置に落下してくるよう調整する、という意味不明な行為で解決した。剣でお手玉をするな。


 ちなみにオリトはソードスキルを使わない変人だが、それは対聖騎士(魔王)用に鍛えてるだけなので面倒になったらちょくちょく使う模様。でもスキル硬直が嫌い。ソロだとその隙に奇襲されたら致命的だからね、しょうがないね。


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06/邂逅

 

 

 

 

「お久しぶりですね」

 

 唐突に、そんな言葉をかけられた。

 

 瞬時に反応し、欠片も気配がなかったはずの空間を剣で薙ぐ。返ってきたのは硬質な感触だ。反撃を警戒してステップを刻み──呆れた顔をした幼女を認めると、俺はゆっくりと武器を下ろした。

 

「なんだ、お前か」

「……私が言うのもどうかと思いますが、少しは人間らしくした方がいいと思いますよ」

 

 まるで戦場の兵士ですね、と言って幼女はとたとたと近付いてくる。黒い髪に黒い瞳、恐ろしく白い肌。まるで日本人形のようなそれへ疑問を投げかけた。

 

「何の用事だ、MHCP001」

「いえ、別に特に用事はありませんが。強いて言うならあなたの観察です」

「良い気分にはならないな。俺は籠の中の鳥ってわけか?」

 

 その言葉に、MHCPと称された存在は半笑いを浮かべる。

 

「間違ってはいませんね。貴方は貴重なケースですから」

「貴重?」

「ええ。驚きですよ──よくその精神状態で生きていられるものです」

 

 不意を突いた言葉に目を見開く。MHCP001はああ、と声を上げた。

 

「勘違いしないで下さいね。別にこれは貴方を誹謗中傷したいだとか、そんな意思に基づいたものではありません。本当に単純な疑問であり驚愕ですよ。本当に、よく生きていられる」

 

 興味深そうに──或いはそんな振りをして、NPCは告げる。

 

「本当は死にたくてしょうがない。常に自己嫌悪に苛まれている。一瞬ごとに自身の喉を切り裂きたくなる自殺衝動。眠る度に見るのは悪夢。定期的に吐きたくなる。たまに誰かを幻視する。また、ある時は」

「殺すぞ」

 

そう言った瞬間に、既に行動は完了していた。しかし紫色のエフェクトによって阻まれる。……不死属性(イモータル)、忌々しい致死拒絶に舌打ちする。

 

「暴力的ですね……図星ですか?」

「黙れよ人形。さっさと失せろ」

 

 だが高度AIは半笑いを浮かべるばかりで退く気配はない。これだからカーディナル製のAIは嫌いなのだ。無駄に学習能力が高く、無駄に人間を模倣しており、その実どこまでも目的に忠実なプログラムだ。茅場晶彦の命令には絶対服従、目的を遂行するためならば“家族ごっこ”によるアナログハックすら厭わない──クソみたいな道具。

 

「失せろ、と言った」

「無茶な話です。私は私の為にも貴方を監視する必要があります。人間の情動を収集する過程で、貴方という存在は異常な外れ値ですからね」

 

 故にこそ、何故俺が未だ存在しているのか解明することが大きな進展を生む。そう考えている精神状態監査(メンタルヘルスケア)の役割を与えられた人形を見下ろすと、俺は苦々しく思いながらも口を開いた。

 

「……プログラムの塊風情が」

「あははは」

 

 罵倒されたというのに、高度AIは笑って答える。不気味だ。俺は諦めて溜息を吐く。

 

「あ、あと私はユイという個体名が一応あるんですよね。そう呼んでくれると嬉しいんですけど」

「うるせぇ死ね」

「あはははは」

 

 舌打ちする。迷宮区の隅で、少女の皮を被ったモノは笑った。

 

 

 

 さて。ストーカーのように背後をついて回る茅場の手先がいる以上、普段のように行動するのも癪に障る。加えてこいつの前で剣を振っていると茅場に手の内を晒しているようで気が散るのだ。かといって街中に戻る気にもなれない。苛立ち混じりに迷宮区周辺の森林を探索し、八つ当たり気味にMobを排除していると──ふと、見知った顔が視界に映った。

 

「……あ」

 

 目を見開く。幼い顔が何とも言えない表情に歪んだ。そりゃそうだろう、あの状況は間違いなくトラウマモノだ。助けられはしたが素直に感謝する気にもなれない、そんな心中が手に取るようにわかる。俺は無言でその横を通り抜けようとするが──しかし迷惑な事に彼女の中で無用な気遣いが生じたらしく。

 

「あ、あの! キリトさん……ですよね?」

 

 かけられた声に嫌々ながらも振り向く。正真正銘の小学生、もっとも扱いにくい部類の人種である。というかそんなヤツがSAOに参加するなよ、と言いたくなる。そこらはご都合主義なのか、或いはそれも含めて茅場のお膳立てか。小学生故の無鉄砲さが裏目に出たと言ってもまぁわからなくもないが。

 

「久々だな、シリカ」

「一週間も経ってないですけど……」

「……そうか」

 

 彼我の時間感覚が狂っていたことを自覚する。ほぼ不眠不休で剣を振るっていれば一週間前の事などほぼ記憶からなくなっている。合間にフロアボス戦も挟んでいるのだから酷く遠い事のようだった。

 

「あの後、奴等から襲われたりはしていないよな」

「はい。ノーチラスさんや、その、アスナさんが親身になってくれて」

「アスナ?」

 

 顔を顰める。ノーチラスはまだ納得出来る。仮にも俺に師事しているあの歳上の少年は、そういったところで酷くお節介焼きなのを知っている。だがアスナはよくわからなかった。むしろどこで接点があったのだろうか?

 そんな視線を送れば、説明が面倒なのかごにょごにょと誤魔化される。まあ俺には関係の無い話だ。そう考えて無駄な思考を振り払うと、

 

「ところで、キリトさんの後ろにいるその娘は……?」

 

 空気が凍った。

 

 ゆっくりと背後へ振り返る。MHCP001は上機嫌そうに笑っていた。ニコニコと笑うその首を絞めて縊り殺したくなる衝動を必死に抑えながら、小さな声で呟いた。

 

「なんでまだいるんだ、お前」

「いや、私の勝手でしょう?」

「人の都合も考えろと言ってるんだよAI」

 

 そんな訴えを無視して少女のようなモノは前に出る。今までは人と遭遇すれば自然と姿を消していたのだが、今回に限って何なのだろうか。それともあのシリカという少女に何かあるのだろうか。思考がぐるぐると回り出すが結論は出ない。そんな間に、二人の少女の会話は進んでいた。

 

「私、シリカです!」

「ユイはユイです。ねぇ──兄さん?」

 

 怖気が走る笑みが俺に向けられる。こめかみに青筋が立つのを抑えながら、かろうじて首肯する。今はこのクソプログラムの誘導に乗らなければ面倒な感じで話が拗れるだろう。

 

「へぇ、ユイちゃんって言うんだ! ……あ、えっと、ユイちゃんって呼んでもいい、かな?」

「じゃあユイもシリカちゃんって呼んでいいですか?」

「うん! よろしくユイちゃん!」

 

 はしゃぐ少女、下手をすれば幼女二人の姿に眉間の皺が否が応でも増える。揉みほぐしながらMHCP001の思考回路に考えを巡らせるが──結論は出ない。何のためにこんな真似をした? プログラムは無駄な事を決してしない。

……ひょっとして、同年代或いは己より歳下の人間が一人も周囲に存在しないシリカのメンタルヘルスケア、のつもりなのだろうか?

 

「ユイちゃんはキリトさんといつも一緒にいるの?」

「そうですね。兄さんは無愛想だし剣を振るうくらいしか能が無いし目が死んでるしおよそ人間としてダメダメなんで、ユイが()いてあげてるんです」

 

 この糞ガキ。

 好き放題罵倒と設定をばら撒く様にいい加減キレそうになっていると、むっとした表情でシリカが言葉を紡いだ。

 

「ダメだよユイちゃん、そんな言い方したら」

「……? でも兄さんは本当にこんなものですよ」

「けど、キリトさんには沢山いい所もあるよ。私を助けてくれるくらい、優しいし」

 

 顔が僅かに歪む。あれは優しさなどでは決してない。寧ろ真逆、反対、相克を成すものだ。決して赦さないという制約にして誓約、そして憎悪。復讐者として在る以上行わなければならない義務、或いは使命なのだ。

 せめてもの罪滅ぼし。その程度の事すらしないなど、俺が俺を許さない。

 

「だそうですよ、兄さん?」

「あ、ちょっとユイちゃん!?」

 

 悪戯っぽい笑みに慌てた表情。なんとなくMHCP001の意図が透けて見えてイラついた。一石二鳥とでも言いたいのだろうか?

 

「……そうか」

 

 素っ気なくそう返すと、周囲に再び湧いて出たであろうMobを狩るべく木立に踏み込む。引き抜いた剣の冷たさが余計な思考を薄れさせていった。

 

 

 

 

「……相変わらず人見知りですねぇ、兄さんは」

 

 あれを人見知りと言っていいのかは大いに疑問が残るが、ユイは笑っていた。あまりに人間らしい人間だ。悩み、悔い、絶望しながらも足掻く。過去に縛られながらも未来へと手を伸ばす。己が父とも言うべき男が“ヒトの可能性”と形容したモノを、何となくそれは理解し始めていた。

 

「キリトさん……」

 

 隣のシリカは何処か心配そうな視線を、彼が消えていった木立へ投げかけている。事実心配なのだろう。確かにあの少年は強いが、同時に脆い。意図的に無意識下に沈め、悪意と殺意に鈍化していると言ってもストレスは蓄積されていく。

 人は悲劇を忘れない。忘れたふりをしているだけだ。故にそれは時に突発的なフラッシュバックとして苛む。無意識から浮上し、忘れていると思い込んだ人間を引き摺り落とす。

 

「シリカちゃんは、兄さんの事が好きなんですか?」

「はぇ!? ななななにかな唐突に!?」

 

 くすり、と笑う。本心から──機械に心があるかは知らないが──零れた笑みだった。あの少年とは違う、歪んでも腐ってもいない心象。酷く新鮮だった。MHCPというのはこういう人間の心を守るために作られたモノだ。故に少女を演じる。演じているという意識もないまま、人格がMHCP001に構築される。即ち、ユイという人間が、人と触れ合うことで外部接触に伴って造られていく。

 カーディナルは、それを是としていた。

 

「冗談ですよ。それに、ユイだって兄さんにいい所が沢山あるって知ってます。誤魔化してますけど、根っこではすごく優しい少年(ひと)ですから」

 

 優しい。それが良い事なのか、と問われれば首を傾げざるを得ない。ねじ曲がればああ成り果ててしまうのだから。人には適度な鈍感性が求められるものだ。

 だから、そういう意味で言えば、桐ヶ谷和人という少年は些か優し過ぎたのだろう。背負い過ぎたのだろう。まるでこの世の全ての悪を、罪を背負うようにいつも立っている。震えながら立っている。

 そんな事が出来る存在など。そこら中に転がるような罪を背負う、即ち視界の全てを背負うと言っても過言では無い真似が出来る存在など──それこそ英雄しかいないというのに。

 

「或いは……英雄に()()()()()つもりなんでしょうか」

 

 そんな事を呟けば、え? とシリカが首を傾げた。

 

「いえいえ。シリカちゃんには関係の無いことです……それより、少し眠くありませんか?」

「え……あれ、ほんとだ……」

 

 うつらうつらとし出す少女の頭を、ユイはそっと受け止める。よく見れば彼女のHPバーの上に一つの状態異常アイコンが点灯しているのがわかるだろう。それはシステムコマンドによる直接介入だ。本来はカーディナルから決して認可されない超常の権能(コマンド)を用いて、ユイはシリカを眠らせた。

 

「おやすみなさい、幼い冒険者」

 

 微笑む。同時に一つの加護を与えた。それは不死属性(イモータル)。これさえあれば、これから起こる戦闘の余波にも耐えられるだろう。頷く。頷いて、闇に沈む森林の一角を見据えた。

 

「……そろそろ出てきたらどうです?」

『────ぁ』

 

 ずるり、と。それは歩を進めた。周囲の全てが黒く腐っていく。システムコマンドに匹敵する干渉権限。それがとあるフロアボスに与えられたフィールド干渉スキルだと理解出来たのは、彼女がカーディナルの一部であるからだった。

 

「全く、ここまで想われるなんて男冥利に尽きますねぇ、兄さん……尻拭いをするのが私でなければ笑ってられたんですが」

 

 そっと倒木の上にシリカを寝せると、ユイはぱちりと指を鳴らした。その衣装が戦闘用に切り替わっていく。白いワンピースは戦乙女(ヴァルキリー)系列の防具となって幼い肢体を覆う。特に意味はなかったりするが、まあこの方が人間(それ)っぽいだろう、というユイの判断だった。それっぽさが彼女のマイブームだった。

 

システム干渉権限申請──武装コード00008、オブジェクトID《ハルペー》をジェネレート

 

 全ての根源、カーディナルへ接続する。ユイの瞳が金に輝いた。

 第一電脳から第六電脳までが状況の妥当性を審査──完了。六重認証の末に可決。申請受理。MHCP001の仮装体(アバター)能力(ステータス)をランクアップ。

 

「《ハルペー》転送完了……おや、待っていてくれたのですか。理性があるのかないのかわかったものではありませんね」

 

 毒を吐く。その方が人間(それ)っぽいだろう、多分。そんな思考をしながらくるくると、身の丈を超える大鎌を回して構えた。鎌という本来武器ですらない武器の扱いもインストール済みだ。別に他の武装でも良かったが、何故かこの方がしっくりきたのだ。

 それに、相手は()使()()だ。長い得物には同じく長い得物がいいだろう。

 

『ぁ、ぁぁぁぁぁ───愛してる』

 

 顔は黒く染まり視認不可能。同じく漆黒に染まった槍が構えられる。凄まじい圧が発せられ、同時に周囲は腐り堕ちていく。そのスキルはユイには通用しないが、しかしその“武”に関しては最大限の警戒を成さねばなるまい。この圧からして、それは最下点にまで武を深めている──つまるところキリトと同等にまで。

 

「あはは……貴女、本来こんなところでぽんぽん出てくるような設定じゃないでしょうに。イレギュラーが三つも重なった結果ですかね?」

 

 あの槍に殺されれば自身も取り込まれるだろう、というのは直感すら超えた確信だった。不死属性(イモータル)だろうと通用するまい。そんな属性如き、あれは容易く上書きする。これも全ては余計な試作システムを搭載した己が父(茅場)のせいなのだが、当の本人は知らぬ存ぜぬで楽しんでいるときている。どう転ぼうと楽しいのだろう。本格的に毒を吐きたくなってきたが、流石に敵はそこまで悠長では無い。

 

『愛してる』

「MHCP001、これより目標の排除を開始する──」

 

 瞬間。漆黒の槍と蒼銀の鎌が激突し、衝撃に空間が軋んだ。

 









>>MHCP001
 メンタルヘルスケアプログラム。原作通りにユイちゃんしてるが家族ごっこによるアナログハックは行っていない。今作ではこっそりキリトを守っている。がんばれ。
 戦闘状態になるとコーディネーターとかイノベイターみたいに目がガンギマりになる。その方がそれっぽいでしょう?
>>シリカ
 ドラゴンライダー。ピナが成長したらそのうちブリジンガーとか振り回し始める。やったね幼女仲間が増えたよ!
 なお昏睡させられる模様。
>>茅場晶彦
 大体こいつのせい。
>>オリト
 狂い哭け、お前の末路は英雄だ。


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07/計略

※某作品と似通ってるかもしんないけどパクりじゃないです(予防線)。






 

 

 

「戦闘において、人間は二種類に分けられる」

 

 キリトが言う。僕は黙って頷いた。彼がそう言うのなら、そうなのだろう。こと戦闘において僕はこの歳下の剣聖から教えを乞う側だ。そこに反感を覚えるほど柔軟性が無い訳ではなかった。

 

「天才と、それ以外だ。そして俺は後者に分類される」

 

 目を瞬かせた。何かの冗談だろうか? だがそんな僕の顔を見てキリトは僅かに苦笑した。光のない瞳が細められる。

 

「具体的に、天才とは何だと思う?」

「そ、れは」

 

 答えに窮する。なんというか、漠然とすごいやつ、としか答えられない。そんな間抜けな回答をキリトは期待していないだろう。うんうんと唸っていると、どうやらタイムオーバーを迎えてしまったらしい。あっさりと彼は答えた。

 

「俺が思うに──それは思考を挟まずに最適解を選択できる者、だ。本能的に正解を汲み取れる才覚。経験を積み上げた結果の無意識の処理、その効率が良い者こそが天才だと言える」

 

 要は慣れやすいのだ、と彼は告げた。

 

「クラディール、或いはアスナもそのタイプだ。反射的にあいつらは剣を振っている。頭は使うがそれは戦術レベル、或いはぼんやりとしたモノだ。戦闘において突き詰めた思考をすることは無い」

 

 だが。

 

「だが──俺は違う。そしてノーチラス、お前も此方側だ。決して慣れで剣を振ることが出来ない。要領が悪く、いつも思考が先行する。あとから頭で理解出来ても体は即座に動かない」

 

 故に、無才。無能。そう自嘲しながらも彼は無感情に剣を握っていた。

 

「しかしそれは戦えない理由にはならない。弱さを肯定する材料にはならない。わかるか? 慣れで駄目なら反射の域にまで反復しろ。選択が遅いなら事前に状況を想定しろ。思考を止めるな。無能無才がその頭すら使わなくなればただの木偶の坊に過ぎない。常に考えろ。脳を休めるな。一手一手に意味を与えろ。思考停止に甘んじるな、決して妥協するな」

 

 そうすれば。

 

「そうすれば──剣は必ず敵に届く。天才だろうが斬り伏せられる。意味は、わかるな?」

 

 頷いた。なるほど、確かに僕はキリトと同じタイプのようだ。それを分かっていて、彼は僕に剣を教える気になったのだろうか。

 

「ノーチラス、お前の体は恐怖で止まる。なら恐怖を排除しろ。恐怖に打ち勝つのではなく、感情など抱く余地を頭に与えるな。そんな贅沢なモノは削ぎ落とせ。戦闘に苦楽は無い。作業に過ぎない。勝つべくして勝つのが俺達だ。いいな?」

「……はい!」

 

 彼はよし、と呟く。そしてそのまま八相に近い構えを取り──鋼が振り下ろされた。

 ギチィ、と金属が軋みながら噛み合う音が響く。唐突ながらも体は動いていた。彼に教わり、何十何百と反復した受けの動きに体はついてきていた。それに喜びを感じながらも反撃に転じる。狙うは喉。分かっていたように彼は避けるが、満足そうに頷く。

 

「それでいい。喉を狙うのは正解だ。だが凌がれたなら次はどうする?」

「体勢を崩すために四肢を狙う。四肢が駄目なら更なる末端を。崩しながら正中線、急所を穿つ一撃を見舞う」

「そうだ。それが対人戦におけるセオリーだ。狙うは一撃決殺、それに必要なのは崩すこと、そして隙を絶対に逃さないこと。後は所詮小技だ。自分が何をするべきかを考えながら逆算しろ」

 

 そう、逆算だ。敵を殺す、排除する、戦闘不能にする。それに必要な工程を並べて小分けにし、事項を達成するための技を選択していく。確殺の一手へ繋げるべく逆算するのだ。それが無能の戦い方。

 天才とそうでない者が果てに至る境地は全く別だ、とキリトは言う。

 

「天才は即応の最適解を積み上げる事で勝利に繋げる。局所的な勝ちを拾うことで全体の趨勢が決まるという事だ。つまりそもそも出発点が異なると言える。奴等は始点から終点へ、俺達は終点から始点へ演算する。だから噛み合うはずも無い。元より始め方が違うんだからな。故に──天才型と戦う時は、速攻で潰せ」

 

 SAOというゲームにおいて、対人戦を説くという異常性。だがそれがさも当然かの如くキリトはそう言い放った。

 

「ただ翻弄してやればいい。逆に図に乗らせると非常に面倒だ。だからこちらが流れに乗せられ、崩されそうになってると気付けば即座に仕切り直せ。奴等はそれを最も嫌う。冷静に、冷徹に、感情を斬り落としながら戦場を俯瞰しろ」

 

 そこに熱は無い。あったとしても感情と理性は全くかけ離れた場所に置かれる。何処までも論理と演算の果てに勝利は存在する。

 

「それが出来ればお前は誰にも負けない。一片の恐怖もなく天才を斬れるだろう。現に俺は、そうした天才共を何人も斬っている」

 

 簡単な話だろう? と。そう告げる彼の口元は、三日月のように歪んでいた。

 

 

 

 

「……ぃ。おい、ノーチラス」

「あ……うん」

 

 ったく何なんだよ、と男は毒づきながらこちらを見やる。その視線は惚けていた僕を疎むものであるが、僅かながら心配気な空気を醸し出しているようにも思えるのは勘違いだろうか。

 

「酒が抜けてねぇのかよ」

「……SAOの酩酊は状態異常であって、実際に二日酔いになることなんて有り得ないだろ……」

「馬ァ鹿、そういう問題じゃねーんだよ。精神、心、ハートの問題だ」

 

 とん、と親指で己の胸を押すクラディールの姿に思わず失笑してしまった。

 

「クラディールがハートとか言うと、少し気持ち悪いな」

「ぶっ殺すぞてめぇ」

 

 こめかみに青筋を浮かべる長髪の男を適当にあしらいつつ、テーブルの上のカップに手を伸ばす。

 

「んで──なに寝惚けてたんだ」

「……いや。キリトに教わったことを、少し思い出していただけだよ」

 

 そう返せばクラディールは渋面となる。はて、と僕は首を傾げた。

 

「なんか“噛み合わない”とかいってろくに教えて貰ったことないんだよな。実戦でボコされることは何度もあったけどよぉ」

「そうだろうね。多分、僕とクラディールじゃ全然違うし」

「……なんかムカつくなぁ、その言い草」

「馬鹿にしてるわけじゃないから許してくれ」

 

 肩を竦める。戦い方の差というのはやはり存在するのだ。実際何度も剣を交えているが、最近になってその明確な差を実感するようになっていた。天才型と理論型、この二種の混合とも言えるタイプも存在するにはするが、強いプレイヤーはこのどちらかに偏っている場合が多い。

 

「ちッ……だがまぁ、てめぇが強くなってきたのも確かだな」

「そうかな?」

「そうだよ。以前なら十本やって精々二本拾えるか、ってレベルだったろ。今は十本やって四本か五本は拾ってくる」

「クラディールが弱くなっただけでは」

「てめぇ最近結構生意気だよな? おい」

 

 げしげしとテーブル下で不毛な足の踏みあいをしながら、本当に強くなったのだろうかと内心で首を傾げる。実感は無かった。

 

「……本当に、強くなったのかな」

「はぁ? ったく、そんな所も妙にウチの隊長に似てきやがったな。飄々とした顔でボコりやがって……」

 

 隊長……即ちキリト。あの黒の剣聖と、葬儀屋(アンダーテイカー)と僕が似ている。それは妙な感覚だった。僕にとっての畏怖の象徴、それに近づいている。不快では無いが──複雑ではあった。

 

「そんなに似てるか?」

「ああ。何というか、戦ってる時の目が特にな。こっちを掌の上で転がしてる感じの目だよ。戦いにギラつくようなんじゃなくて、どっちかっつーと……チェス盤でも見てるような感じの」

「チェス盤ね」

 

 らしくもない例えに思わず笑ってしまう。んだよ、とクラディールがむくれるのを見ながら、しかし密かに安堵した。天才とは別の境地に至りつつある、その証拠ではないだろうか。それともこれはただの慢心か。

 だがそれにしてもクラディールは人をよく見ている。人間観察でも趣味にしているのだろうか。いや、それは実質無趣味と変わらないか。

 

「けっ……で、そういや最近はお姫様とはどうなのよ」

「お姫様?」

「ほら、あの歌チャンだよ。最近攻略組でも大人気じゃねぇの」

 

 歌チャン、つまり歌エンチャンター。習得者の非常に少ない《吟唱》スキルに由来するその二つ名で呼ばれるプレイヤーなど、一人しか存在しなかった。

 

「ユ、ユナとはそんな仲じゃないし」

「ほーん? じゃあそんじょそこらの男に取られてもいいんだな?」

「いやそれは許さない」

 

 真顔で返せば、素直じゃねぇなぁ、とクラディールはぼやいた。

 

「てめぇがそこまで強くなってんのも、あの歌チャンを守るためなんだろ?」

「そ、れは……そうだけど」

「じゃあいつでも守れるよう手元に置いとけよ。いついなくなってもおかしくねーんだからよ……こんな世界じゃあな」

 

 本当に。

 本当に──らしくもなく、彼はそんな事を言う。真面目に、真っ当に、ひょっとすると酔ってるんじゃないかと疑いたくなるほどにらしくない言動。

 

「酔ってるのか」

「ぶっ飛ばすぞ。こちとら珍しく真面目に助言してやってんだ、一応年長者の言うこと聞いとけ」

 

 小突かれる。タメ口をきくぐらいには気心の知れた仲……いや、絶対にまともに口にすることはないだろうが、こちらとしては親友の枠に収めてもいいくらいの仲だと思ってはいるのだが──よく考えればクラディールは歳上の男だ。それも社会人。僕は今年で高校三年生を迎える歳になるというが、こいつはその五つか六つ上にいるのだ。

……そう考えるとその僕より三つくらい下のキリトの異常性がよくわかるものだが、そこは置いておく。

 

「そうだな。一応、覚えておくよ」

「そーしとけ。青春してられんのも今のうちだぞ? どうせこのクソゲーもクリアされてみんな解放されんだ、そうなりゃ一気に成人になっちまう」

 

 ついでにオレは社畜に戻るのさ、と舌打ち混じりに告げる。まだまだ学生の身分である身としてはイマイチわからなかった。

 

「高校生も終わって大学生、そうなりゃ僅かな人生のモラトリアムに突入だ。あっという間だぞ、学生生活は……ってやだやだ、まるでオレが老害みてぇじゃねーか」

「みたいもなにもその通りだろ」

「ホント生意気だなオイ」

 

 笑う。だがそこで、僕の背後からかけられた声に振り向いた。

 

「定刻通りだな」

「お、隊長」

「キリト……」

 

 いつも通りに上から下まで喪服のように黒い服を纏い、長剣を背に佩いた少年がそこにいた。歳上相手に物怖じもせず、逆に畏怖の念を抱かせる異端の少年剣士。光のないその瞳に最近ようやく慣れてきたかのように思える。

 

「シリカはいないな?」

「え、なんでシリカ」

「……いやなんでもない。それより行くぞ、資料に目は通しているな」

 

 二人同時に首肯する。メールに添付されていたそれには何度か目を通している。目的地は35層。これはかつてタイタンズハンドと呼ばれた殺人者(レッド)ギルドが根城にしていたフロアだ。そこでまたもや行方不明者……いや、迂遠な言い方はよそう。死人が出ているのだという。

 正直な話、殺人者(レッド)にまで至るというのはかなり稀有なケースだ。大抵の人間は責任の重さを恐れ、プレイヤーを殺す事はまずない。故意でないのなら別だが。

 だからこそ──殺人に至る事件が発生した場合、そこには大抵嗤う棺桶(ラフィン・コフィン)の影がある。より正確に言うならばPoHが暗躍している。殺人への心理抵抗を削り取り、憎悪を煽り、悪性を肯定し、その殺意を束ねあげるあの手腕はいっそ怪物的だ。おぞましさに身震いした。

 キリトが触れただけで首が斬れる幻視をするような圧を発するのだとすれば、PoHは近くに存在するだけで底なし沼に取り込まれるような圧を発する。まるで蜘蛛の巣か蟻地獄だ。

 

「35層ねぇ……“迷いの森”だったか、やたら厄介なギミックが多いよな。PKするにゃ最適ってワケか」

「あれは区画(エリア)の接続が一分毎にランダムで切り替わる。数百の区画(エリア)全てを覚えるのは困難だ、足を止めずに敵の位置を把握しろ。交戦義務はない。対象がいたのなら速やかに離脱して規定ポイントで合流する」

「了解。……そういや、あれ中央付近にやたらデカいモミの木があったよな。あの周辺を根城にしてるって線はないのか?」

「……さあ、な。どちらにせよやる事は変わらない」

 

 クラディールの言葉に、一瞬キリトの顔が歪んだように見えた──が、目の錯覚だったのだろうか。既に常のような無表情に戻っている。僕は首を傾げつつ武器を手に取るのだった。

 

 

 

 

 駆ける。

 地を蹴り、木の根を蹴り、跳ねた後に頭上の枝を足場として三次元機動で身を捻じる。間隙を穿つ何かが高速で一寸先を過ぎる。クラディールでは不可能な動き。ノーチラスでは届かない身体操作。冷静に自身の座標を把握しながらキリトは疾走する。一分以内にエリアを離脱しなければエリア接続はキリトでも把握できない状態となる。そのまま駆け抜けるが──前方から飛来する無数のクナイを視認した瞬間、彼はこのエリアから離脱することを諦めた。

 抜剣、同時に軌道を逸らす。逸らした軌道は別の軌道へと重なる。弾かれ歪んだ軌道は更に別のものを叩き落とす。たった二手で十を超えるクナイを撃墜すると、キリトは即座に反転して何かを叩き斬った。

 それは矢だった。目を細める。二度三度と射たれたのだ、既に射手の座標は絞り込んでいる。無論敵も馬鹿ではない、移動しながら狙いを定めているのだろうが──認識が甘い。

 

 弾かれたように飛び出した。

 目指すは射手の移動先。そんな先読みの動きに焦ったのだろう、連続して矢が叩き込まれてくる。しかしそんな見え見えの軌道に当たってやることなど出来ない。その全てを斬り落として射手へと駆ける。残り半秒もあれば十分。その首を落とす算段を付けていたキリトは、

 次の瞬間脳裏に展開していた全てを捨てて斬撃を放った。

 

「へェ……大した勘の良さだ。それとも“観”の良さか」

「PoH」

 

 血に濡れた包丁、という悪趣味な武器と片手剣が交錯する。一瞬の拮抗、しかし膂力では遥かに上回るキリトがPoHを弾き返す。そのまま追撃の剣を振るう、のを断念して矢とクナイを防ぐ。

……理解する。これは偶発的な遭遇戦などではない。精巧に仕込まれた罠。キリトは僅かに唇を噛んだ。これは己のミスだ。間抜けにも誘い込まれたという訳だ。

 

「キリトくゥ──ん、分かるか? この状況が」

 

 長身痩躯の男がフードの奥で笑っている。嗤っている。その横にずだ袋を頭から被ったプレイヤーもいた。ジョニー・ブラック……赤目のザザと異なり、かつての嗤う棺桶(ラフィン・コフィン)殲滅戦において捕縛されなかった極悪犯。PoHの右腕。

 それが無数のクナイを手にして立っている。他にはもう一人射手がいる。更に潜伏している可能性もあるが、これで最低でも三人。だが問題はそこではない。

 

「お前も持っているのか、PoH」

「はァ? 何をだ──なんて誤魔化しゃしねェよ、葬儀屋(アンダーテイカー)。その通り、お前を殺すためだけに揃えてやったんだぜ? ユニークスキル持ちをよォ!」

 

 ユニークスキル──今のところ判明しているのはヒースクリフの《神聖剣》、と公的にはされている。だがここにいるのは最低でも二人……いや。

 

遠隔起動(リモートブート)

 

「ッ!」

 

 咄嗟に身を捩る。地面から唐突に伸びる仕込み槍。だが完全な回避には至らず、黒い外套を引き裂きながら脇腹を掠めた。ペインアブソーバーにより痛みは無い。とは言え違和感ならある。血のような赤いヒットエフェクトに眉根を寄せながらもう片方の剣も引き抜く。

 手加減など、していられる状況ではなかった。剣技を封じてでも双剣を解禁するしかない。

 

連鎖起動(チェインブート)……ほら、お前らもさっさと撃て」

「はいよ、ボス……《苦も無き繁栄(ペインレスグローリー)》」

 

 更に嫌な音が響く。飛び退いたそこから更に猛獣用の罠よりも巨大なトラバサミが飛び出してくる。左の剣が即座に噛み砕かれた。折れた剣を捨てて跳ねた身体は地面と並行に。迫るクナイの群れからの被弾を最小限に留めるため、接触面積を足裏に限定する。それでも三発はその身体を穿つ。削れるHPバーを前にしながらも冷静に残る剣を構え、

 

 

「《堕つる新星(ストライクノヴァ)》」

 

 

──瞬間。閃光にキリトの脳裏が灼けた。

 

 何秒続いたかもわからない。が、咄嗟に思考すら挟まず放った防御系の剣技(ソードスキル)が無ければ、即死していたことは間違いなかった。焼け焦げた皮膚の感覚、肉が燃えた悪臭。半分以下にまで削られた体力と溶けかけた剣を見て鼻を鳴らした。

……なるほど、今の己は過去に類を見ないほど追い詰められているらしい。存在しない死神を幻視してキリトは舌打ちする。

 

「HAHAHA! まだ生きてるとは、流石だなァ葬儀屋(アンダーテイカー)!」

「……【弓】、【手裏剣】、そして【罠】か」

「おいおいおい、無視かよ。ただその慧眼には流石にびっくりだァ……まァ分かったところで、どっちにしろお前は死ぬけどな」

 

 冷めた目が交錯する。流れるように取り出した新たな剣がキリトの手に収まる。損壊状態となった外套を脱ぎ捨てて構えた。逆算開始──失敗。今の戦力では九割九分対抗不可能。離脱は絶望的。接近する前にばら蒔かれた罠、手裏剣の弾幕、即死を狙う矢によって死に至る未来が見えた。死ぬ訳にはいかない。絶対にここで死ねない。

 逆算再試行……失敗(ERROR)。あの男は確実に殺せる配置で罠を仕掛けている。

 再試行、失敗(ERROR)。潜伏しようと先程の長射程弓技によって焼かれる。

 失敗(ERROR)失敗(ERROR)失敗(ERROR)──。

 

「さァ……イッツ・ショウ・タイムだ」

 

 幾人ものプレイヤーを屠ってきたPoHがそう口にする。この台詞を言う時は必ず殺せるという確信がある場合のみ。褐色の頬が笑みで歪む。キリトの慢心を笑う。この世界(アインクラッド)の誰よりもレベルが高くなろうと、剣技を極めようと、こうして殺される獲物に過ぎないのだと嗤う。

 所詮は弱者。殺される側。しかしふと、PoHは不思議に思った。この少年の眼には未だ恐怖は無い。諦感も無い。ならば何があるというのか、その瞳の奥には──。

 

 

「……使うしか、ないのか。使わざるを得ないのか。誓ったのに、約束したのに、ああ糞が」

 

 呻く。唸る。憎悪と殺意に声が漏れる。己の弱さに絶望すら抱いた。だが背に腹は替えられない。生きる為には使わざるを得ない。使うしかない。ああ弱い。自身の脆弱さに喉を斬り裂きたくなる衝動が迸った。英雄未満の塵芥。生きている価値もない糞以下の存在に虫唾が走った。

 心が黒く染まっていく。憎悪はその矛先を己から外へ向けた。

 

 使わせたな、この力を。抜かせたな──この剣を!!

 

 

 

 

 

「─────魔剣、装填(エンチャント)

 

 

 

 闇が満ちた。

 






 You got an Extra Skill───【■■■】.


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08/暗黒

 

 

 

 

『ごめんね、キリト』

『──愛してる』

 

 使わないと誓った力だった。

 これは、まるで彼女を犠牲にしたような力だから。使う度に茅場晶彦に彼女を侮辱されているような気すらしたから。故にそれは意地だ。ただの意地、されど誓約の如く硬い意地にして意思。

 こんな能力に頼らずとも、俺は魔王を殺してみせる。どんな障害も斬り捨て、必ず英雄になるのだと。そう誓ったのに。

 

 だというのに──使わせたな、塵芥風情が。

 闇より暗く熱い殺意が翼を広げた。

 

 

 

 

「なんだ、ソレは」

 

 PoHと呼ばれるプレイヤーは困惑していた。

 満身創痍。残る体力は半分以下──いや、()()()()()()()()()()()。そんな少年はもはや取るに足りないと言っていいだろう。あとは先程と同じように、彼に与えられたユニークスキル……【罠師】のスキルにより仕掛けた三十二のギミックで嬲り殺すだけ。或いはジョニー・ブラックの【手裏剣術】で弾幕の圧をかけて【弓術】でとどめを刺してやればいい。そう指示をすればいい。

 だというのに──なんだ、この圧は。少しでも動けば死ぬ、そんな強迫観念が胸の奥に座している。

 

「……いや。撃て、ジョニー」

 

 そんな感情を──恐怖を蹴り飛ばして命じる。配下は首肯してクナイを放った。それは途中で分裂しながら無数に増殖し、視界を覆う弾幕となる。《苦も無き繁栄(ペインレスグローリー)》、非常に使い勝手の良い剣技(ソードスキル)である。

 黒い剣を手にした少年が弾幕によって覆われる。同時に罠を遠隔起動する。今度は爆炎が舐めるようにキリトのいた空間を舐め尽くした。そして最後にトドメとばかりの弓の六連射である。会心の笑みに頬が歪み──。

 

塵芥(ゴミ)が」

 

 表情が凍った。

 驚愕に目を見開く。HPバーは赤く染まっている。だが黒の剣聖は健在だった。右手に握られた剣が禍々しく輝いている。黒く、紅く、本来のそれよりも一層暗い何かに塗り潰されている。

 

「お前──!?」

「疾く、死ね」

 

 その身体が消えた。

 体術による壁走り(ウォールラン)、それを利用してキリトは大樹の幹を垂直に駆ける。一瞬目を見開くが、しかしPoHは安堵の笑みを浮かべる。自ら空中に行くなど愚の骨頂。こちらには弓術のスキルがある。たとえ手裏剣術を凌げたとしても、剣技(ソードスキル)を使ってもいない剣撃であの矢を撃ち落とすことはできない。どうやっても力負けする。加えて不安定な上空ときた。そこで体勢を崩せば終わりだ。

 勝った。そんな確信を理性が弾き出す。だが、本能は何故か警鐘を鳴らしていた。

 

「《多重展開・猟犬矢(マルチプルチェイサー)》」

 

 三本の矢を一度に放ち、それを更に五回。都合十五の射撃が叩き込まれる。終わりだ。凌ぐ方法など存在しない、

 

「鬱陶しい」

 

 はずだったというのに。

 黒い嵐がその全てを、まるで紙のように引き裂きながら叩き落とした。唖然として足すら止まった。何が起きたのかまるで理解出来なかった。故に、ジョニー・ブラックに突き飛ばされるまで彼は動けなかった。

 

「ボス、避けっ」

「まず一つ」

 

 クナイの弾幕による壁を当然のように消し飛ばし、振るった黒剣がジョニーの頭部を凪いだ。一瞬で抉り飛ばされた頭部は戻ること無く砕け散る。青いポリゴンの欠片が四散する。

 その向こうで、悪鬼の如く立つ剣士が無造作にポリゴンを払った。

 

「なんだそりゃ……」

「あ?」

 

 死んだ瞳がPoHを貫く。褐色の顔は伏せられ、肩は震えていた。そしてその震えは次第に大きくなり、

 

「HAHA……HAHAHAHAHAHA!! なるほど、これがお前の本性か、葬儀屋(アンダーテイカー)!」

 

 哄笑が響き渡る。愉快だった。酷く愉快だった。見よ、あの姿を。殺意を顕に惨殺する姿を。無造作に、羽虫でも潰すが如く首を刎ねる姿を。あれこそが黒の剣聖の真の姿。まるでPoHと変わらない、純化した殺意の権化。

 この世で唯一無二の同属性。

 

「なるほどなァ、ようやく納得した! つまりこの感情は同族嫌悪かァ! HAHAHA!」

「……貴様如きと一緒にするなよ、塵芥(ゴミ)

 

 黒い嵐が再度巻き起こる。斬撃の嵐は的確に矢を斬り砕き、そのままPoHへ殺到する。培われた戦闘技術、現実での軍用格闘術を基礎として組み立てられた殺人本能は的確な防御を選択するが──瞬間、PoHは悪寒と共に愛用の人斬り包丁を手放した。

 それが正しい選択だったかどうかは、その僅か半瞬後に示される。

 

「……HA。おいおい、仮にもフロアボスドロップの武器を両断だと?」

 

 冗談では無い。暗く塗りつぶされた片手剣にどれほどの威力が秘められているというのか。ぎちり、と構えられた剣からは軋む程の圧力が放たれている。

 つまるところ、その正体は。

 

「ま、当然と言えば当然の話か。オレがユニークスキルを持ってるのなら、あの葬儀屋(アンダーテイカー)が持たない道理は無い」

 

 問題はそのユニークスキルの正体だ。

 ユニークスキルとは、その名の通りこのアインクラッドにおいて唯一無二の能力を持つ代物だ。だがそれ単身でバランスブレイカーとなるようなものでは無い。

 適切な使い手が運用したその時初めて、ユニークスキルは最強の鉾となる。それともそもそもユニークスキルに選ばれる適格者こそそれを一番使いこなせる人間であるのかもしれないが──流石のPoHもそこから先は知り得ない。

 ただ、ユニークスキルは条件を満たした瞬間に、その適格者に与えられる。なんの前触れもなく贈呈される。SAOというゲームにおいて、プレイヤーという存在が基本的に不利なデスゲームにおいて、唯一茅場晶彦(ゲームマスター)が与えた最後の希望。英雄の象徴。

 

──まさかその希望の一つを保有する者が全ての元凶であるなど露知らず、この世界は廻っていく。そういう筋書きだった。

 

「HAァ……で? お前のユニークスキルはなんて言うんだ?」

「知るか」

「そーかい。じゃ、無理矢理聞き出させて貰う、ぜッ!」

 

 遠隔起動。他者を嘲笑う表情とは裏腹に、その奥では神算鬼謀が渦巻いている。牽制として五。見せ札として三。二を使用して逃げを封じ、本命を四仕掛け──突破を読んで大穴の一を連鎖起動する。合計十五の罠を使用した確殺の陣を引き、更にそれらを読み切らせない為にもブラフの狙撃を命じてある。

 これまでのキリトであれば殺せた配置だ。英雄のなり損ない、所詮壊れかけただけのガキに過ぎなかったキリトであれば、殺せるという確信があった。こと殺人に関してはPoHは常人はおろかその道のプロであろうと先を行く。システム外スキル、と言えばそれっぽいだろうか。

 そんな殺人本能に従えば、殺せる。殺せる()()()()

 

裂けろ(ブレイド)

 

 戦慄く漆黒剣が龍の如く吼える。主の解号に従い、深淵の黒は刃として解き放たれた。有象無象を事も無げに食い破る闇は斬撃として具現化し、八つの罠を一度に斬り裂いたと同時にフィールドすらも破壊する。その代償として剣に宿る闇は失せるが──。

 

再装填(リロード)

 

 ばくん、と。キリトの身体から闇が溢れ出した。

 それは彼の命を変換したモノ。生命(HP)という限られたリソースを攻撃性に変換し、剣に宿すのがこの能力(スキル)の本質だった。使用者を喰らい、糧として敵を排除する剣である。

 故に──それはまさしく、“魔剣”と呼ぶのに相応しい禍々しさを内包していた。柄から剣先まで全て塗りたくられたような漆黒に染まり、ひび割れの如き真紅が所々見える様は全く以て常人の剣では有り得ない。

 

「……体力の三割を消耗し、攻撃能力を劇的に高めるソードスキル。それがお前の唯一能力(ユニークスキル)、だな?」

「頭だけは無駄に回るな、PoH。ならわかるか」

 

 お前はここで死ぬ、という事実が。

 ぎちぎちと魔剣が軋む。魔剣が嗤う。主の殺意に呼応するかの如く闇が溢れた。

 英雄? 馬鹿を言え、あの姿はまるで真逆だ。大悪を以て悪を誅する修羅。絶対悪(アルケマルス)とでも呼ぶべき怪物が其処にいる。

 

「HAHAHA──HAHAHAHAHAHA!!」

 

 笑うしかない。いや、笑わざるをえなかった。なんと奇遇なことだろうか、とPoHは──ヴァサゴ・カザルスは笑っていた。元々彼に殺人鬼の才能などなかった。いや、純粋に殺戮を楽しむ衝動などそれこそ人間に元からあるものではない。同種殺しを本能の領域で備えた生命など、それだけで既に生物として破綻してしまっているのだから。故にそれは生物ではなくただの化物(バケモノ)である。

 なればこそ、ヴァサゴ・カザルスは後天的に化物(バケモノ)となった、なってしまった人間だった。

 最初にあったのは悪意だ。日本人(ジャップ)の猿が殺し合う様を見るのは大いに彼の嗜虐性質を満たした。他人が悪意をぶつけ合う様を傍から見ているのは酷く楽しいものだ。だが、当初の混乱とは裏腹に自然とプレイヤーは団結し始めていた。それが彼には気に入らなかった。

 だから、自ら煽動して殺し合わせる事にした。

 己の薄っぺらな言葉に惑わされ、犯罪者はおろか殺人者にまで堕ちる輩を見て笑った。そんな奴に殺される奴を見て笑った。人を殺してその罪悪感に潰されかけてる奴に、適当な言葉を与えて立ち直る様を見て笑った。人間という種族の脆さと単純さを軽蔑し、それを是として笑った。

 最終的に、殺人(それ)は彼の趣味となっていた。

 他人を煽動し、殺し合わせ、生き残った方もまた彼の手で殺す。他人の人生の最期を“死ぬ程くだらない男によって殺された”という事実で締め括る様に快楽すら覚える。例えるならそれは、穢れを知らない処女を犯し、屈服させ快楽で溺れさせ隷属させる悦楽に近い。どんな聖人だろうと、その最期を己による殺人で締めれば途端にその価値は地へ堕ちる。

 たまらなかった。止まらなかった。

 

 殺人とは、生命という何よりも価値があるものを使い潰す、この世で最上の贅沢だ。心底からそう考えるようになった時、彼は己が殺人鬼となったことをようやく自覚した。そして同時に、ユニークスキルを与えられたのだ──。

 

「やっぱり、オレとお前は同類だよ」

 

 それは共感だった。今の罠を全て破壊出来たのはPoHの思考を逆算したからだ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。自然な結論であり、当然の帰結だ。PoHはPKを繰り返すことで殺人鬼となり、キリトはPKKを繰り返すことで殺人鬼となった。そう思考し、男は歓喜と同族嫌悪の殺意を抱いた。神のなんと偉大なことか、ハレルヤ! まさか同種の人間と理解()し合えるとは!

 

「……塵芥(ゴミ)が。ああ、ここで終わらせよう。お前との腐りきった因縁を」

愛してるぜ(死んでくれ)、キリトォ!」

 

 相互理解は不可能。ならば排除するしかあるまい。黒の剣聖は踏み込み、殺人鬼は罠によってそれを圧殺せしめんとする。

 踏み込むは死地、しかし極めた剣技が魔剣に乗せられた瞬間、そこは絶対致死領域として塗り替えられる。殲撃が万象を斬り裂く。凍てついた黒瞳が笑う鬼を見据えた。

 

「キリトォォォォォォ!!」

 

 全ての罠は打ち砕かれた。PoHは万策尽きたのか、素手でキリトに殴りかかる──と見せかけて、ブーツに仕込んだ毒の刃を抜き放つ。しかし蛇の如く迫るナイフは腕ごと斬り落とされた。この程度の児戯を見落とす筈もない。

 ずぷり、と。魔剣が殺人鬼の胸に沈んだ。

 

「HA……は、はは。地獄で待ってるぜ、兄弟(ブラザー)

「そうか──爆ぜろ(バースト)

 

 なんの未練もなく告げられた解号により、解き放たれた闇がPoHを喰らい尽くす。ポリゴンの一片すら残さず男は消滅した。

 それだけだった。殺人鬼と少年の邂逅は、たったそれだけで終わりを告げた。至極あっけなく、何もなかったかのように忽然と。

 ただ、それだけだったのだ。同種に対する見当違いな共感めいた何かは、闇に呑まれて消えた。それだけの話に過ぎなかった。

 

「……ああ、そう言えばまだいたな」

 

 ふと思い出したようにキリトは呟く。魔剣でなくなった剣は闇に耐えきれず砕け散り、素手となった少年は虚ろな瞳で森の一角を見つめた。歩を進めても対象はろくに動くことすらしない。木立で震えて尻餅をつくフード姿のプレイヤー。残る塵芥(ゴミ)の一つ。更に取り出した片手剣が彼の手の中で唸る。抵抗もしないそれの胸倉を掴みあげれば、フードがぱさりと落ちた。

 

「ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……!」

 

 それは少女だった。泣きながら懺悔する少女の姿だった。それを見れば、普通の人間ならば、ひょっとするとPoHに脅されていたのかもしれないと思い至るだろう。何かの間違いであるかもしれないと。それくらいには普通にしか見えない少女だった。

 だが。キリトからすれば非常にどうでもいい話である。所詮は塵芥(ゴミ)。黒を通り過ぎ、漆黒すら越えて“暗黒”となった瞳が殺戮対象を認識した。鋼の鋒が目標として喉元へ狙いを定め、

 

 

「やめろキリトッ!」

 

 背後から腕を掴む青年の声に、その動きが止まった。

 

「……ノーチラス」

「やめてくれ。その娘は……重要参考人だ」

 

 一瞬。一瞬、キリトの瞳に殺意が宿った。

 それはノーチラスを殺すか否か。だが静かに瞑目し、剣を手放す。何の罪もないノーチラスを殺す? そんな馬鹿な話があってたまるか。故に黙って少女を放し、キリトは腕を掴むノーチラスを振り払った。燃え上がる漆黒の殺意を鎮火するために大きく息を吐いた。

 PoHは死んだ。この手で殺したのだ。それで良い、それで全ては終わりだ。

 

 

「…………ごめん、サチ」

 

 俺はまだ英雄じゃない。

 

 暗黒の瞳が偽りの太陽を見据える。だが、そこには何の光も映ってはいなかった。

 

 

 






You got an Extra Skill──《暗黒剣》.


>>PoH
 殺人鬼になった男。
>>ユニークスキル
 エクストラスキルの一種。アインクラッドにおいて十個のみ存在する。それぞれ適格者となるための条件が設定されているらしいが……?
>>罠師
 罠を仕掛けるスキル。罠作成にかなりのコストがかかる。
>>手裏剣術
 投擲スキルの上位互換。投擲物の数を増やしたりニンジャめいたことが出来る。属性付与も可能。
>>弓術
 弓を扱えるようになるスキル。遠距離攻撃が少ないSAOにおいてバランスブレイカーに近い。
>>少女
 弓術のスキルを低層で発現させてしまい、その有用性からPoHに拉致監禁され洗脳アンド脅迫で配下にされていた。レイプ目でなんでも言うことを聞く仕様になっていたはずが、漆黒の殺意マンとなったオリトに対する恐怖でギャン泣きしてしまった。そりゃ怖いよね。
 で、この娘だれ?(すっとぼけ)
>>ノーチラス
 ヒロイン(適当)。
>>オリト
 フォースの暗黒面に目覚めた。

>>暗黒剣
 キシャー(魔剣の叫び)。


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09/奴隷

 

 

 

 

 家格に相応しい教養があっても、他者が羨むほどの美貌があっても、【閃光】と呼ばれるほどに強くなっても、意味は無い。彼を支えられない私に価値はない。

 そんなことを言えば、きっと数多の人に怒られるだろう。彼はどういう反応をするだろうか。激怒か、憐憫か、軽蔑か──あるいは無関心か。ぞくりと身体を震わせる。それが一番怖い。彼の力の一片にさえなれない自分が怖い。

 一層で果てようとした私を叱咤し、共に低層のグランドクエストを乗り越え、そして喧嘩別れしたあの少年。恐らくは歳下の彼と再会した時の感情を私は忘れない。

 

 私は彼と共にいるべきではない。だが、それでも支えたい。彼の為に在りたい。何処までも自分本位な自己犠牲に反吐が出る。矛盾とエゴの塊こそ私だ。

 結城明日奈は醜悪な女だ。なにせ、死者にさえ嫉妬してしまっているのだから──。

 

 

 

 

「なにこの状況」

 

 アスナがそう困惑の言葉を口にするのも無理はない。そう思わせるほどに場は混沌としていた。

 テーブルには手のついていないカップが五つ。ノーチラスは虚空を見つめて無視を決め込み、シリカはあわあわと周囲の顔色を伺い、キリトは常のような無表情でカップに注がれた珈琲の波紋を眺めている。クラディールは面白そうにそれらの面子を眺め、そして──。

 

「え、だれこの娘」

 

 黒髪の少女がキリトの対面に座っていた。

 率直に言って線の薄い、細い少女だった。虚ろな瞳を除けば絶世の美少女とまではいかずとも可愛らしい少女だった。モデルレベルではない、しかし街中で見れば目を引かれる。そのくらいに綺麗な顔立ちをした少女が、薄汚れた灰色のローブを纏って無言で座っている。

 

 正直、全く状況が見えてこなかった。

 

「あの、キリトくん」

「……なんだ」

 

 不機嫌ではない。だがひりつくような雰囲気のキリトに一瞬怯むも、そこに剣呑な色はないことを確認して言葉を続けた。

 

「この娘の名前は?」

「わからない」

「何処から来たの?」

「わからない」

「レベルは?」

「わからない」

「えぇ……」

 

 不明だらけだった。

 

「なによ、拉致でもしてきたの?」

「……あながち間違ってはいない」

「嘘でしょ」

 

 驚愕だった。それに慌てたのが無視を決め込んでいたノーチラスである。

 

「いや、違うだろキリト。この人は重要参考人だ」

「何の参考だ? PoHは俺が殺した。ジョニー・ブラックもな。それであの事件は終わりだろう。あとはこいつがPKをしたかどうかだ」

「いや……それはそうだけど……」

 

 口篭るノーチラスへ、更に畳み掛けるようにキリトは告げた。

 

「どちらかと言うと、問題なのはこいつの能力(スキル)だ」

「なに、ユニークスキルでも持ってるの?」

 

 それは冗談めかした口調だった。アスナ本人も本気で発言したわけではない。しかし、キリトはあっさりと首肯した。

 

「ああ。その通りだ」

「………………えっと、本当に?」

「本当だ」

 

 ウッソだろお前、と言わんばかりにアスナはまじまじと少女を見つめる。しかしその暗い瞳は心が折られた者のそれだ。真偽の判断に困り周囲を見回すが、その誰もが同じく半信半疑の表情をしている。

 ユニークスキルだと理解しているのは実際に剣を交えたキリトのみ。当の本人である少女はまるで口を開く気配も無い。かといって口を割らせる手段などありはしない。PoHのような人間であればおぞましい手口を知っていたのかもしれないが、もはや今は亡き男だ。

 

「恐らくは《弓術》。その特徴は《投剣》スキルなど及びもつかない射程からの遠距離攻撃、そして──プレイヤーへの攻撃を行ってもカーソル色が変化しないこと」

「……!? それって、まさかその娘は」

 

 キリトは黙って肩を竦める。悪質なPKプレイヤーであるか否か、それについてはまだ不明、ということだった。それにキリトとてこのPKが容認されるシステムについてある程度の目処がついている。隠蔽(ハイディング)状態からの狙撃か、或いは視界外であれば容認されるのか。それに限っては本人に聞かねばわからない。

 

「言う気は、ないのか」

 

 闇色の瞳と虚ろな瞳が交錯する。だが僅かにその肩が跳ねたのは間違いなく恐怖だろう。葬儀屋(アンダーテイカー)は剣の柄を撫でる。

 もし──もし彼の異能を。《暗黒剣》について僅かでも吐けば、処理する。その算段だったが、彼にとっても想定外なことに一言すら喋ることがない。余計に目を離すことが出来ない、という事態にキリトは眉根を寄せた。

 それを見て──傍から見れば無表情と大差ないが、アスナはなんとなくキリトが困っている事を察した。だがその事を尋ねる前に、既に少年は口を開いていた。

 

「俺が口を割らせる。もう日が沈む頃合いだ、皆帰るといい」

 

 それに真っ先に反応したのは、やはりアスナだった。

 

「じゃあこの娘はどうするのよ」

「俺が回収する。問題ない」

「……えっと、つまり一緒の部屋に泊まるってこと?」

「まあそうなるな」

「ダメでしょ!!」

 

 机が揺れた。それは叩き付けられたアスナの掌によるものであり、その音に不明な少女は肩をびくりと震わせた。キリトが僅かに片眉を上げ、その他の面々が諸々の反応を見せる。最も多かったのは苦笑だった。

 

「おいおい、壊すなよー?」

「あ、ごめんなさいエギルさん……じゃなくて! どういうことよキリトくん!?」

「別に。他の人間が唐突にこれを泊めるとなれば、少なからず問題が生じるだろう。だが俺は問題ない……ソロだからな」

 

 いやむしろだからこそ問題が生じるのではないか、という言葉を飲み込んでアスナは唸った。確かに字面だけならば問題はないのだ。キリトはアインクラッド最強と言っても過言ではないプレイヤーであり、逃すことなど万が一にも有り得まい。故に問題を生じさせているのはアスナの心持ちのみである。

 

「いや、まぁ、そうだけど……!」

「それともなんだ、俺が()()()()()()をこれにするとでも思ったのか?」

 

 剣聖の口の端が僅かに緩む。僅かながらも浮かべたのは苦笑である。アスナは思わず羞恥に頬が紅潮するのを自覚した。アインクラッドにおける過剰な感情表現をこれほど憎んだのはこれで三度目である。ちなみにその何れもがこの少年に起因する出来事だったのは言うまでもあるまい。

 

「っ……、好きにすればっ!?」

 

 語尾も荒く背を向けて店を出ていく。その様を見ながら、あちゃー、とクラディールは額に手を当てた。明日からの血盟騎士団副団長の機嫌の下落を予想して溜息を吐く。

 

「いやー、今のはあんたが悪ぃよ隊長。ありゃねぇよ……それとも、わかってて言ってんのか?」

「さぁな」

 

 無表情でキリトはカップを傾ける。ノーチラスは副団長の振る舞いを忘れたことにしてあくびを噛み殺す振りをした。もし自分がユナにあんな言動をすれば、しばらくは口も利いて貰えず弁当も作ってくれないだろう。実に恐ろしい事である。なんとも綺麗に尻に敷かれていた。

 ちなみにシリカはそんな痴話喧嘩じみたものを見せられてもあわあわしているだけである。小学生には厳しい世界だった。そろそろ部屋に戻るべきだろう。ちなみに彼女は今、ノーチラスの勧めに従い血盟騎士団に身を寄せている。

 

「で、本当にコイツをお持ち帰りするんですかい?」

「ああ。ほら、立て」

 

 促せば、のろのろと少女は立ち上がる。フードを被せてやるとキリトは頷いた。

 

「じゃあ、これを連れて俺は戻る。この階層のいずれかの宿に滞在する予定だから、用事があればメッセージをくれ」

「ああ……なぁ、隊長」

 

 キリトが振り向く。なんとなく──そう、なんとなくクラディールは秘密の匂いを嗅ぎとっていた。それは違和感として、妙に残るしこりとして彼の胸に宿っていた。詰問するような口調で言葉が紡がれる。

 

「まさか、逃がしたりはしねぇよな?」

「……当然だ。俺を誰だと思っている」

 

 剣聖(ヴァンキッシュ)。首刈り。黒いやべーやつ(ブラックジョーク)

 そして、葬儀屋(アンダーテイカー)。PoHの死を以て完結したPKKとしての二つ名。

 

「そうだったな。悪ぃ、聞き流してくれ」

「気にしていない。情報が聞き出せたならこちらから連絡する」

 

 そう言って、キリトと少女の姿は店の外へと消えていった。中華系の下町にも似た雑踏に薄れてゆく二人の背中に、クラディールが目を細める。

 

「疑ってるわけじゃねぇ、が……なんか匂うんだよなァ」

「クラディール……?」

 

 ノーチラスが眉を顰めた。キリトと共に迷いの森へ向かった彼等だが、分断されたキリトと合流するのに少なからず時間をロスしてしまっていた。だがその十分にも満たない時間の中で戦闘は終了してしまっており、キリトも詳細を語ろうとしないため何が起きていたのかは誰にもわからない。

 それに。キリトらしくもなくあの少女に関心を抱いていた。それはユニークスキル故のものなのか、或いはまた別の理由か──そこまで考えてクラディールは思考を打ち切った。

 あの少年の周囲を嗅ぎ回るなど愚かしいことこの上ない。リスクが高過ぎる。下手な好奇心は猫は疎か人をも殺すのだ。故に心に蓋をする事を選択する。

 だが、

 

「きな臭ェな」

 

 生憎、クラディールは生まれてこの方この手の直感を外したことがなかった。

 

 

 

 

「さて──どういうつもりか聞かせて貰おうか」

 

 密室に二人きり、と言えば妙な誤解を生みかねない。だがそれが真実だ。俺はベッドサイドに腰を下ろし、室内に配置された椅子に少女も座っている。盗聴対策のオルゴール型アイテムは既に机の上に置かれていた。

 つまり、この部屋の話を盗み聞く者はいない。そう理解したのか、おもむろに少女は口を開いた。

 

「貴方は、私をどうするつもり?」

「どうしたもこうしたもあるか。お前のユニークスキルについて話せ。あとは、お前がPKを成したかどうか」

 

 暫しの無言が場を支配する。時計の秒針が二周した頃合いだろうか、ようやく彼女は口を開いた。

 

「……当たり、よ。私のユニークスキルは《弓術》。隠蔽(ハイディング)状態からの狙撃ではカーソル色が変化しない特性を持つ」

「成程、PKに向いたスキルという訳だ」

「そうね。……でも、殺してはいないわ」

 

 自嘲気味にそう告げる。俺は目を細めて続きを促した。

 

「殺そうと思って弓を引くと、もう構えていられないほど手が震えるのよ。多分、小さい頃のトラウマが原因なんだと思うけど。だからあの男も私に強制しなかった」

「……あの男、ってのは」

「PoHよ。貴方が殺した。そこに関しては私も感謝してる。私には殺せなかった。言いなりになるしかなかった。だから──私は貴方のスキルについて話さない」

「随分と殊勝なものだな」

「当然でしょ? あいつが私にした事は、話したくもないけど……あいつ程の屑は見た事無いわ」

 

 口調は軽い。だがその瞳孔は大きく見開かれ、唇は血が出るのではないかと思うほどに噛み締められている。実際に仮想体(アバター)が血を流すことなど有り得ないが、SAOの情動表現は素直だ。PoHの振る舞いはトラウマとして少女に刻まれている。

 

「だから、感謝してる。同時に恨んでる」

「恨まれるような真似をした覚えはない」

「そうね。これは……私の勝手な言い分よ。だから切り捨てて貰っても当然。正直、今の私は正気かどうかもわからないから」

 

 肩が震えている。歯の根があっていない。幼子が布団の切れ端を握り締めるが如く、固く薄汚れたローブを握り締めている。その様子はあまりに尋常ではなかった。

 

「もう、どうしたらいいかわからないの。今まではあの男に従っていればよかった。言われるがままにプレイヤーを射っていればよかった。指示通りにすれば、痛い目にも気持ち悪い目にも遭わされずに済んだ。でもこれからはどうすればいいの? ねぇ、私は──何をすれば、生きられるの?」

 

 突き放すのは簡単だった。

 一人の男に壊された、壊れてしまった少女。だがその程度の悲劇など腐るほど転がっている。そんなものに一々手を差し伸べるほど俺は暇ではない。従わなければ生きられない奴隷なんざ毛ほどの価値も無いし、常人に引き戻すのも手間だ。

 

「人を射ってるとね、自分がなんのために生きてるのかわからなくなってくるの。トドメは刺してなくても、私が射ったことであいつに捕まった人間なんて山ほどいる。その全員が死んだ。だから、私が殺したも同然」

 

 人を殺す。

 その行為は一線を越える行為だ。その禁忌は越えた時点では平気かもしれないが、時が経てば経つほど重くのしかかる。亡霊となって死人は生者を縛り、決して殺す前の己には戻れなくなる。だから殺しては駄目なのだ。

 罪を背負う。死者を背負う。無限に積み上がっていく十字架を背負う者は、潰れるその時まで耐え続けなければならない。なんの覚悟もなく行えば──その罪に潰される。

 ならば、俺が──。

 

「お前、名前は」

「……シノン」

「そうか。じゃあシノン、俺に従え」

 

 軽く言う。充血した瞳が見開かれた。

 

「お前の《弓術》は使えるスキルだ。だから俺が使ってやる。俺の指示に従い、俺の下で戦い、そして生きろ」

「次は……あんたの奴隷になれっていうの?」

「そうだ。大差ないだろう」

 

 俺がその十字架を代わりに背負ってやろう。何も考えなくていい。ただ俺を盲信すればいい。

 思考停止は酷く楽だ。壊れる寸前の道具なら、俺が効率良く使ってやる。使い倒して、駄目になったら棄ててやろう。そう言外に告げ、俺は手を伸ばす。

 

「シノン、お前は俺の所有物(奴隷)だ。いいな?」

「……最低ね。反吐が出るほどに、最悪」

 

 でも、と。彼女は歪に、しかし酷く嬉しそうに微笑んだ。

 

「いいわ、御主人様(マスター)。たった今から私はあんたの所有物(奴隷)よ」

 

 伸ばした手に頬が擦りつけられる。甘える仔猫のように擦り寄せられる肌の感触。同時にハラスメント警告が表示され、俺は咄嗟に手を引きかける。だがぐっと掴んだ手がそれを許さない。

 そして。そのまま彼女の指が警告表示を消し、更にオプションメニューを流れるように操作していく。その様を惚けて見ていれば、指は最終的にとある項目に行き着いていた。

 

 《倫理コード解除設定》。なんの躊躇いもなく、シノンはそれを解除する。

 

「お、まえ──」

「私はあんたの道具。それは武器であり、補助であり、故に性具でもある。死ねと言われれば死ぬ。射てと言われれば射つ。閨に誘われれば喜んで従うわ」

 

 陶然とした口調で、殺人鬼の遺産は宣言する。それは奴隷としての誇りなのか、或いは。

 

「好きに使いなさい、葬儀屋(アンダーテイカー)。撤回してももう遅い。あんたが私の御主人様(マスター)なんだから」

 

 魔弾の射手はそう囁く。腐りそうなほど甘い香りが漂っている、何故かそんな錯覚をした。

 








>>アスナ
 ヤバいやつに想いを寄せる常人。
>>シノン
 依存系ヒロイン爆誕。多分ほっとくと奴隷が支配する側になって色々とどろどろな関係になるので注意。
>>オリト
 いや、そんなつもりで手を伸ばしたんじゃないんですけど。



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10/不穏

 

 

 

 

 二週間。それだけの時間を経て俺はシノンという少女の性能を把握した。シノン、というからにはやはりあのシノンなのだろう。それとなく過去を探れば共通点が多い、というか間違いなく本人だ。

 問題なのはそれとなく探ったはずなのに何故か本名はおろか住所や家族構成や好きな食べ物、果ては趣味からバストサイズに至るまで開示してくるという点だった。頭痛が痛い、とぼやきたくなる程にやかましい。お陰様で要らない個人情報が増えてしまっていた。

 

「なんであんたまでついてくんの?」

「それはこっちの台詞よ。流石にキリトくんに張り付き過ぎでしょう」

「はぁ? あんたに関係ないじゃない」

「あるわよ。生憎キリトくんと違って私は貴女を信用してないの。それとも自分が元々誰の一味だったかもう覚えてないのかしら」

「そんな昔の話をされても困るわ。今の私はキリトのモノなんだから何も問題はないでしょ」

「……貴女ね、何様のつもり? 自分がキリトくんの何だと思ってるのよ」

「恋人、とでも言ったら満足すんの?」

「下手な冗談は身を滅ぼすってコト、教えてあげようかしら」

「上等。なにが悲しくて元カノ面してんのか知らないけど、私もあんたが気に食わないのよね」

 

 

「んー、あー……ねぇキリト、なにあれ?」

「知らん」

 

 首を横に振る。知らないったら知らない。折れた剣をひーふーみーよーと並べていくうちにリズの眼はどんどん険しくなり、同時に向こうもヒートアップしている。流石に店に迷惑をかけるわけにはいかないため振り向いて顎をしゃくった。

 

「おい。騒ぐなら出ていけ」

「だってさ。言われてるけど?」

「ふざけないで。貴女に決まってるでしょう」

 

 両方だわボケ。纏めて叩き出すぞ。

 

「……悪いな、リズ。いや本当に」

「全くよ。どうせあんたが悪いんだろうし」

 

 辛辣な言葉だ。いや、シノンのキャラが些か違い過ぎるのは俺が原因ではないはずだ──多分。正直彼女がSAOに紛れ込んでいるのも俺という異分子によるバタフライエフェクトの可能性が高いため何とも言えないが。

 鼻を鳴らし、リズベットが折れた剣を纏めて炉に叩き込む。その際にさり気なく俺の足を踏み付けていくあたりがリズらしい。不機嫌そうに細められた目が俺を射抜く。

 

「そのうち背中刺されるわよ、あんた」

「……いや、それは」

「ちなみにあたしも刺すわ」

 

 えぇ、と声を漏らせば鼻を鳴らして返される。

 

「自覚有りだか無しだか知らないけど、女引っ掛けんのも大概にしときなさい。どこのハーレム系主人公かってのよ」

 

 返答に困る。正直、自覚はほぼ無い。だがここまで露骨であれば察せられないほどの阿呆でもない。しかし──寄せられる好意に対して、粘つくような不快感があることもまた、否めなかった。

 それを見抜いているのだろうか。リズベットは僅かに口調を和らげる。

 

「……昔あんたに何があったのか、あたしは知らない。でも気持ちに向き合うくらいはしてあげなさい。そっからはあんたの自由だけどね」

 

 ピンクのポニーテールを揺らして彼女はそう告げた。本当に察しの良い少女だ。アインクラッド低層から、つまり一年半もの付き合いであるが故に大抵のことは見抜いてくる。僅か一年半とも言えるが、このデスゲームでの一年半は酷く濃密だ。

 

「優しいな、リズは」

「……そーゆーとこだっつってんのよ、このスカポンタン」

 

 握り拳で胸を押されてたたらを踏む。いつも通りにむすっとした表情で工房の奥へ消えていく姿を、俺は苦笑で見送るのだった。

 

 

 

 

 さて。

 武器の調達も終えればやる事はただ一つ、迷宮区の攻略だ。常の通りに剣を振るい、レベルと共に上昇するステータスを理想像に擦り合わせながら昇華する。技量というものは上がりにくいくせして手入れを怠れば直ぐにナマクラとなる。思考と試行を繰り返す狭間で無駄を削ぎ落としていく。

 その最中であっても、喧しく響く口論は耳に届いてしまう。

 

「射線の邪魔。早く退いて」

「その言い方はないんじゃない? 気遣いってものが根本的に欠けてるのかしら」

「へぇ、んじゃあんたは戦場でもご丁寧に敵に挨拶するわけね。気障ったらしくお辞儀でもすんの? 笑えるわ」

「誰もそんな事言ってないでしょう。貴女、詭弁術って知ってる?」

「そうね。あんたがよく使ってるのは知ってる」

「っ、こんの……!」

 

 うるせえ。

 黙って戦え、とキレたくなる。しかしよく見れば彼女達のコンビは中々のものだった。即興だというのに上手く噛み合っている。ぶちぶち文句を言いながらもお互いの意図を察し、自然と連携を編み出している。援護射撃で敵を崩し、そこにアスナが畳み掛け、削りきれそうにないのなら一歩引く。そこに再度矢が刺さる。上手いものだ。性格はともかくとして戦闘スタイルは非常に相性が良いと言える。

 

──ならば。この二人を相手取った時、俺は何秒かかるだろうか。

 そんな思考を剣閃と共に斬り払う。最近はこんな考えばかりが先行するようになってしまった。ノーチラスは強くなったが、今の俺なら何手で殺せるか。そこでクラディールを足せばどうなるか。或いはシリカ、或いはクライン、或いはディアベル、或いは──聖騎士ヒースクリフ。

 

 剣がブレた。

 

「ッ──」

 

 歯噛みする。力が強過ぎた。手首のスナップによる回転が上手く行かず、Mobが確殺に至らない。面倒なので蹴りでトドメを刺した。ポリゴンとなって消滅するのを見届けながらほう、と溜息を吐く。

……いけない。この程度で集中を切らしてどうする。

 

「キリトくん?」

「キリト?」

 

 二つの視線が背中に集まっているのを自覚する。問題無い、と返して再び剣を握り直した。初動を見極め崩すことを意識する。攻撃を刃の上で滑らせ、動作を空回させる。そのまま急所に突き刺さる一撃は致命のもの。攻防一体の反撃(カウンター)は俺が最も得意とするところだ。一つの動作に二つの意義が込められる以上、非常に効率的な手法と言えよう。だが強力故にその難度は高く、基本的に技量において劣る敵にしか使えない。下手にカウンターを誘われればむしろ隙になるケースも多い。

 カウンターは重要ではあるが、最終的には使い物にならない。故に多用するべきではないと反省する。

 

 想定するのはヒースクリフの《神聖剣》だ。あの本質は専用武器による脅威的な防御性能と唯一無二の回復系ソードスキルにあるのではなく、盾に付与された攻撃判定に伴う連撃である。元より双剣は防御に優れたものだが、あのスキルはその片方を盾にしてみたようなものだ。盾と剣のパリィにより相手を誘導して崩し、タイミングを見計らって打撃と斬撃のラッシュにより押し潰す。気質としてはむしろ攻撃的だ。

 まず技量という点におけるヒースクリフの評価を最高と設定して考える。相対するのは片手剣を装備した己だ。そうすると、まず俺の剣は防がれるだろう。防がれ、凌がれ、そして攻撃に転じられた瞬間──俺は負ける。同等の技量を想定した上で手数を増やされれば敗北は必至だ。()()()()()()()()。あれならば恐らく攻撃のテンポに食らいつける。

 逆説的に──《二刀流》を持たない俺に、魔王を倒す資格はないとも言える。

 

 ()()()()()()()

 

 ヒースクリフは倒す。俺が倒さなければならない。例え資格はなくとも、認められずとも、俺はあいつを殺す。少なくとも勝算はそう低くないはずだ。ソードスキルを使えば動きを読まれるため、ソードスキルは使わない。手数を増やすためにスキルが使えなくなるもののイレギュラーな双剣にも慣れ親しんでいる。なら、理論上は勝てる。

 だが──物事には保険というモノが必要だ。不測の事態に備え、何重にも保険を掛けるのが冴えたやり方と言えよう。俺は強くなった。あの時から比べ物にならないほどに技量は研ぎ澄まされているのは客観的事実。しかし、それでも届かなければどうする? 悪夢の通りに敗れたとしたら?

 そのための保険だ。そして、アスナとシノンというタッグはその保険の一つとなるだろう。ノーチラスとクラディールもそうだ。今や攻略層は七十に近付いている。来たる日まで時間が無い。残る懸念はたった一つ……俺が継承できなかった《二刀流》の在り処だ。

 

 その所在さえ確かめられればそれでいい。適格者であれば、保険と成りうる存在であれば終わりだ。俺の懸念は晴れてなくなるだろう。

 だが。もしそれが保険にすら到底届かない愚物であれば、英雄に足りない存在であれば──()()()()()()

 アルゴに依頼はしている。情報収集能力という点においてあの女に勝るプレイヤーを俺は知らない。これまでの実績からして信頼を置くに足ると判断した。だからあとは待つだけ、なのだろうが──。

 

 ひたすらに斬り続け、対象のいなくなった昏い道に視線を向ける。PoHという障害は排除した。こうして自分が死んだ後の保険の布石も打っている。間違いはないはずだ。バイアスを取り除き、できるだけ客観視に努めているつもりだ。これが最善だと俺は考えている。だが、だというのに──なんなのだろうか、この粘つくような違和感は。

 何かを見落としている。ほんの些細な、しかし致命的な何かを忘れてしまっているような、そんな予感がある。だがそれが思い出せない。不快感に僅かに目を細めた。

 

──と。そこで視界右上の空間に通知アイコンが点灯したのを認めた。狩りを中断して指を振り、メニューアイコンからメッセージ欄を選択。そしてその宛先を確認し、指が止まった。

 

「こ、れは」

 

 瞠目する。差出人はキバオウだった。思わず困惑し、しかし躊躇いを振り切ってメッセージを確認する。それは実に簡素で端的なものだった。あの男は美辞麗句が嫌いな人種だが、文面にもそれは出るものだな、と何処か感心してしまう。だがそんなことはどうでもいい。肝心なのは内容だった。

 助けてくれ、と。そう始められた一連の文面、そんな懇願を反芻して結論を出す。ひとつ舌打ちして剣を納める。

 

「行くぞ」

「何処に?」

「一層だ」

 

 そう、とだけ言ってシノンはそのまま頷いた。この少女は俺の判断に疑問を挟まない。奴隷として、道具として、俺の意思の延長線上に在ろうとしている。だがアスナは違う。

 

「どういうこと? 一層って、彼処は」

「解放軍の本拠地だな」

 

 彼女は聡い。一瞬眉を顰めるが、すぐに結論を出す。

 

「……呼ばれたのね、彼らに」

「ああ。ディアベルが──失踪した」

 

 その言葉に、アスナは露骨に怪訝な顔をした。それもそうだろう。フレンドを検索すればどの層、どのエリアにいるかは大体把握可能だ。迷宮区外ならば外部に救援を求めることも可能だろう。そしてそれが出来ない、ということは一層の迷宮区にいることになる。だがあのレベル帯の迷宮区など、今更苦戦することすら難しい。

 故の、疑問。だが俺だけは知っている。

 

()()()()()()()()()()()()()

「……!?」

「そういう事だ」

 

 解放軍がひた隠しにし、密かに攻略を進めていた地下迷宮。無論そのことは把握していた。ディアベルがもし行方不明になるとすれば、そこでなんらかのアクシデントが起きたのだとしか思えない。アスナは息を呑み、そして溜息を吐いた。そして語ることも無く街の方へと足を向ける。特に同行を求めたわけでもなかったが、まあ今更アスナだけを置いていくのも薄情だろう。そう考えて頷く。

 地下迷宮、その奥に何があるのかに思いを馳せながら走り始めた。

 

 

 

 

「相も変わらず全身黒い格好なやっちゃな」

「キバオウ」

 

 集合場所に仁王立ちしている男──キバオウに声をかける。こいつこそ相変わらずモヤッとボールみたいな頭をしてるな、と思いながら視線を周囲に走らせる。護衛は3人。恐らく攻略組。

 女連れとはいいご身分やな、とキバオウは更に詰る。だが傍にいたプレイヤーがその様に口を挟んだ。

 

「キバオウさん、今はそんなことをしてる場合じゃ……」

「わーっとるわ。ったく……ほら、ついてこい」

 

 促されるままにキバオウの後を追って大通りを進んでいく。だがぐねぐねと曲がる路地に入り、進んでいく先は地下道だ。やはりこの辺りに入り口があったらしい。反響する足音を遥かに凌ぐ声量で彼は言った。

 

「で。自分はどんくらい把握しとるんや?」

「地下迷宮でディアベルが失踪した、くらいだな」

「ちッ……やっぱ知っとったんか。せや、ディアベルさんはこの先で連絡が取れんくなった」

 

 下水の臭いすらする地下道の果てには錆びた鉄の大扉が存在していた。恐らくは地下迷宮のショートカットなのだろう。アインクラッド解放軍のメンバーが鍵型のアイテムを錠前に差し込んで回せば、金属が酷く擦れる音ともに開いた。ここから中は石畳が敷かれた通路だ。こびり付いた苔、天井から僅かに滴る汚水、所々存在する破壊された黒い鉄格子。間違いない──ここは地下牢をモチーフにしたダンジョンだ。壁に沿って配置された燃え盛る松明によって影が踊る。

 

「ここの攻略適正レベルは最前線のレベルと連動しとる。気ィ抜いたら死ぬぞ…………現に、ディアベルはんの指揮する中隊との連絡が途絶しとる。これ以上の被害はウチとしても避けたいんや」

 

 中隊規模の一線級プレイヤーの全滅、という言葉に肝が冷えた。それは確かに一筋縄ではいかない。最悪を想定すれば、現状最高戦力である俺を単騎で投入するのが確かにベストと言えるだろう。指揮官としては、ギルドマスターの解答としてひとつの正解だ。

 

「なるほど。忠告に感謝するよ」

「……なぁ、キリト」

 

 迷宮区に踏み込もうとした瞬間、男は躊躇いがちに口を開いた。傲岸不遜で嫉妬深く、高圧的で部下に当たり散らすようなこの男がこんな顔をするなど中々あることでは無い。だからこそ、足が止まった。

 

「なんでや。なんで何も言わず、ワイを助ける」

「……別に、」

 

 言葉が一瞬途切れる。確かにこの男に対して好印象を抱くような出来事はなかった。逆らう者に反抗し、権力を好み、いっそ専横的な振る舞いをする浅慮なプレイヤー。ああ、端的に言ってしまえばこいつは馬鹿だ。考え無しに動くことが多すぎる。

 だが。

 だが──こんな男でも、身内に対しては非常に情が深いことを知っている。そうでなければアインクラッド最大のギルドを、ディアベルのカリスマがあったとしても取り纏めることなど出来やしない。結局この男は必須なのだ。だから助ける。こんなところで目下最大のギルドを崩壊させる訳にはいかない。

 というか。別に──俺はこいつのことが嫌いじゃないのだ。人間の悪性と善性を共に持ち合わせた人間らしい人間。悪の極値に振れた怪物でも、善の極値に振れた英雄でもない。だから必要なのだ。僅かに苦笑する。

 

「別に、お前のためじゃない。ディアベルには恩がある」

 

 ひとつ貸しだ、と言って歩を進める。背後から死ぬんじゃねぇぞ、と叫ばれた気がした。相変わらずね、とアスナが零す。シノンは不満そうにキバオウを睨みながらも何も言わなかった。

 大気を吸い込む。湿り、腐ったような空気はもはや瘴気に近い不快感がある。間違いなく一層にあっていいようなダンジョンではない。直感的に、この先に相当な化け物がいるのであろうことを悟った。迷宮区とそのボスには必ず何らかの関係性がある。ならば、ここのボスは。

……原作通りならば、死神。防戦ならば対抗は可能だろうか。指が僅かに震えた。

 

「行くぞ」

 

 だがそれでも、俺は気負うことなく踏み込む。結局のところ、いつだって退路なんて無いのだと知っているのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──あ。

 

 

  あいしてる。



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11/月夜

 

 

 

 

──勝てない。

 

 その事実をどうしようもなく実感する。大気が歪み、閃光の如く走る闇が先程まで彼女の頭があった空間を貫く。通常では有り得ない距離(レンジ)。それは距離という概念が奴の間合いで塗り潰されてしまっていることを意味している。後退は無意味、ならば前進する他ない。前進を誘っているのだと理解してなお、踏み込むしかない。

 彼我の距離は3メートル。濃密な殺気が場に満ちた。確実に殺すという意思の発露。息が詰まるような漆黒の殺意の最中、穂先が跳ねあげられた。戦鎌によりガード、しかし有り得ざる膂力に遠心力が乗った結果防御すら貫通して身体に衝撃が走る。一瞬の硬直と後退(ノックバック)。その一瞬さえあれば奴は得物を引き戻す行為を完了させる。既に死線が一寸先にまで迫っていることを自覚した。一か八かで彼女は身を捩る。

 果たして──賭けには勝った。一直線に心臓を穿つだろう、という直感にも似た推論による回避は間一髪で彼女の存在を繋ぎ止めた。この回避は千金に値する。刺突という動作はそれだけで引き戻すのに時間を食う。その隙に踏み込めば、或いは──。

 与えられた反則、電脳による時間圧縮に伴う思考加速により前進を選択。しかし大気を裂く轟音がそれを叩き潰した。驚愕混じりに挟み込んだ鎌の刃がぐぁん、と震える。

 単純な話だ。引き戻すのではなく回転させ、金属の柄で彼女を撲殺しようとしただけのこと。だが回転がそこで終わるはずがない。闇色の斬撃が距離を無視し、回転と共に放たれる。広大な地下空間が両断された。からくもステップにより回避。だが二度はない。下段から脇を抜けて心臓を裂いて抜ける致死の一撃が迫る。

 

「ッ──《破刻・時裂刃(クロノブレイド)》!」

 

 本来であれば裂刃(ブレイド)でしかない剣技を、伝説級武装(レジェンダリィウェポン)にのみ存在する《強化武技(エンハンススキル)》の効果により極限まで強化し、Lv99のステータスを乗せて放つ。九十層以降に解禁されるコンテンツ、反則中の反則を惜しみなく投入し──()()()()()()()。お互いに弾き飛ばされ、間合いは10メートルほどにまで開かれる。これでリセット。都合にして何度目かもわからない既視感に彼女は舌打ちした。

……心意。ここまで厄介だとは思いもしなかった。

 

「英雄を気取るなら、早く来てください──」

 

 そうでないと、次は私が()()()()()()

 胸中で呟き、ユイと名乗るAIは怪物へと戦鎌を振りかざした。

 

 

 

 

「おかしいね」

「ああ、おかしいな」

 

 アスナと俺は同時にそんな結論を出した。シノンは無言で警戒している。だがその怪訝そうな表情が同意見であることを物語っている。

 

「敵が、いない」

 

 その一言に尽きた。

 普通の迷宮区ならば、必ず最低でも100メートルも歩けば敵と遭遇する。そうでなくても物音や気配程度は感知できるはずだ。だがここには何も無い。全く無い。仮初とはいえ、生命の気配とでも言うべきものが一切感じ取れない。酷く不気味だった。ひたすらに鉄格子と石畳が続く迷路である。

 

「こっちも何も見えないわ……ここ、本当に迷宮区なの?」

 

 そう問いたくなる気持ちもわかる。だがここは確かにダンジョンだ。アインクラッド解放軍が秘密裏に攻略を進めていた超高難易度迷宮区。だが、Mob一匹すら見当たらないのは異常の一言に尽きた。何かが起きているのは確かだ。しかし何が起きているのかわからない。迅速にディアベルを発見する必要がある。或いは、彼の遺品を。

 マッピングを高速で行いつつ突き進み、最高峰のステータスをフルに活かした速度で行軍する。地下一階層目、二階層目──ともにエンカウントなしで突破。そして地下三階層へと突入する階段を前にした瞬間、俺の足は止まった。

 

「なんだ──あれは」

 

 目を凝らす。だが見えない。視認が出来ない異常。当惑する俺の横で、シノンがぽつりと告げた。

 

「……闇、みたいね」

 

 首肯する。酷く間抜けな解答だったが、そうとしか言えない状況だった。端的に言って、眼下の景色は全て黒に染まっていたのだ。のっぺりとした闇。塗り潰す黒。あまりに不気味な風景に眉を顰める。アスナやシノンにちらりと目を移せば、彼女達も明らかな異常に戸惑っている様子だった。

……いや、それともこれがこの迷宮区のボスの能力なのか。判別は付かない。踏み込まないことにはどうしようもないと判断する。

 逡巡は一瞬だった。躊躇いも恐れもなく、俺は闇に踏み込み。

 

 ぞぷり、と。そんな音を立てて足が呑み込まれたのを認識すると同時に、()()()()()()()

 

 

 

 

──暗い。

 暗い、というよりは昏いのか。僅かに光は存在する。もがきながら浮上し……大気を吸い込んだ。咳き込みながら自分が液体中にいたのだということを自覚した。視界は最悪だ。一寸先しか見えやしない。

……ああ、いや。違うか。

 

「夜、なのか」

 

 宵闇が場を満たしている。だが頭上を見上げれば、一寸先を照らし出す光を与えてくれるものがあった。月だ。しかし酷く頼りない。三日月を超えて線のように細いそれは唯一の光源としては到底十分とは言い難い。

 もはや、ほぼ手探りの状態だった。だがどうやら俺は浅瀬にいたらしい。運良く陸地に上がることが出来た。全身濡れ鼠のような状態でいるのは不快だが、一々乾かしている余裕などない。剣を引き抜いて警戒する。ここは迷宮区だ。どうやらアスナやシノンとは分断されてしまったようだが、迷宮区なのは確かなのだ。警戒は怠るべきではない。

 早くディアベルを見つけるべきだ/早く■■に合流しなければならない。

 

「……なんだ、今のは」

 

 思考がブレた。何かが流入してくる。俺の記憶/今日の夕飯はなんだろうか/に何かが混じ/もう五月になる。この地獄から一年が経過したと考えると/っている。何かがおかし/感慨深いものがある。そんなことを考えて空を見あげれば、馴染みのある声が背後からかけられた/く──そ、うるさい。うるさいうるさいうるさい/「キ■ト、そんな■ころ ■何して■る■■」/黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ/■■の声に俺は■■■■■/「うるせぇぇぇぇぇぇぇ!」

 

 咆哮する。同時に剣を自分の刃を握り締めた。無論、そんな真似をすれば自傷行為扱いとなり自分の体力が減るだけだ。ペインアブソーバーにより痛みもない。しかし、刃の冷たさが俺を現実に引き戻した。舌打ちする。

 このエリアは……何かがおかしい。あんな記憶、俺は知らな──。

 

「……いや、違う。()()()()()

 

 俺は知っている。記憶の底に沈めていただけだ。考えることをやめ、水底に沈めた記憶が刺激される。吐きそうになりながらも既視感を認めた。ここは──宵闇に包まれているこの場所は──。

 

「月見台……」

 

 忘れるわけがない。忘れられるわけがない。ここで俺達は二人で誓ったのだ。必ずこの地獄を生き抜くと。どれだけ心折られようと、生きる意味を失おうとも、必ず現実で再会するのだと。そう誓ったこの場所を忘れるはずがない。

 あの日、彼女は月夜の下で微笑んでいた。満月の下での不格好な円舞曲(ワルツ)。脈打つ鼓動を、見惚れた彼女の一挙手一投足を忘れることなど有り得るものか。

 

 だが──今宵、月は無い。星も無い。光は誰も照らさない。か細い月明かりすらも雲に遮られたのか、月見台には闇の天幕が下りている。足元も覚束無いまま、俺は誰かに導かれるように歩を進めた。

 

 踏み締める土の感触。蹴飛ばした石ころの重さまで、あの日とまるで同一だった。違うのは、その道中に人間が倒れていることだけ。屍のようだがSAOにおいてプレイヤーの屍など存在しない、存在できないことを知っている。逆説的に生きている。道の脇に打ち捨てられた男の顔を見て安堵の息を吐く。ディアベルだ。

 この男は一階層の頃から俺を気にかけてくれていた。いかに外道に堕ちようと、その恩を仇で返そうとは思わない。その横にポーションを置いておくと、俺は再び足を踏み出した。

 一歩、また一歩。月見台への階段を登っていく様はまるで処刑台を登らされる罪人が如く。

 

「……ああ」

 

 時間の感覚は既に麻痺していた。一瞬か、それとも永劫か。だがいつの間にか俺は月見台への階段、その最後の段に足をかけていた。同時に直感的に悟る。この奥へと踏み込めば命が無いことを。だが踏み込まない選択肢などない。彼女はもう、そこで待っているのだから。

 石畳を踏み締める。万物を溶かすような闇の奥に、彼女(それ)はいた。

 

「久しぶりだな、サチ」

 

 

──YOU ENCOUNT THE OVERED ENEMY.

 

     【 The Shade 】

 

 

 声が震える。月並みな言葉しか吐けない己が恨めしかった。心臓が握り潰されるかのように胸が締め付けられる。闇、或いは泥が人を象ったようなそれは人間とは似ても似つかない。だが、ゆらりと槍を構える様はまさしく彼女だった。

 

「俺が、憎いか」

 

 無言。ただ無言のまま、ぴたりと槍の穂先が俺の心臓へと狙いを定める。黒く塗り潰された顔からは何も読み取れない。ただ純粋な殺意がそこにある。

 避ける気には、なれなかった。

 

「……いいよ。お前になら、殺されてもいい」

 

 彼女には権利がある。俺を罰し、殺す権利だ。ならば罪人としてそれを受け入れるのが当然だろう。

 ここで、キリトの物語は終わる。それもそれでいいだろう。始まりすら間違っていた話はここで打ち止めなのだ。

 故に避けない。俺は僅かに口角を歪めた。穂先がブレる。黒い槍は、そのままするりと心臓へ伸び、

 

 

 

「馬ッッッッッ鹿じゃないんですか!?」

 

 横合いから俺は弾き飛ばされた。

 石畳の上を無様に転がる。そんな俺を蹴り飛ばすようにして、少女は目を剥いて掴みかかってくる。

 

「馬鹿ですか馬鹿なんですね知ってましたよこのアホンダラ! 私がなんのために必死こいて時間稼ぎしてたと思ってるんですかスカポンタン!」

「ユイ……?」

「やっと名前で呼んでくれましたね……ってそんなことはどうでもいいんですよ。なに勝手に死のうとしてるんですか!」

 

 少女は立ち上がり、そのまま振り返りもせずサチの槍を弾いた。だがユイが得物としている鎌は砕けかけだった。今にも折れそうなそれで槍を捌きながら怒鳴ってくる。

 

「俺は、死ぬべきだ」

「死ぬべきもクソもない──ってああもう、根本的なところを欠片も理解してないんですねあなたは!」

 

 紫紺の鎌が闇を裂く。壮絶に凄絶に美しい戦闘の最中、戦乙女の頬が火花に照らし出される。

 

「死にたがってるのはあなたでしょう! 勝手に背負って、勝手に押し潰されて、勝手に死んでんじゃないですよ!」

「違う、俺は」

「違いません。あなたは──死人に理由を押し付けてるだけの大バカ野郎です!」

 

 違う。そんなことは……ない。俺は死ぬべきだし、俺が死んだところで誰も困らない。俺がいなくなったとしても保険はかけているし、二刀流の所有者だってどこかに存在している。

 

「それ、本気で考えてるなら全ッ然笑えませんよ……というか、それでいいんですか」

 

 戦鎌を叩きつけながら、ユイは俺に言葉を叩きつけた。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「ッ………」

 

 何故か言葉が出てこない。絶対に俺は間違っていないはずなのに。死ぬべきなのに。だというのに、俺の中で何かが唸り声をあげた。

 

「私はあなたをずっと見てきました。他のMHCPになにを言われようとずっとあなただけを見てきました。だから知っています。あなたの苦悩も、絶望も、憤怒も、咆哮も──誓約も!」

 

 

 

 故に思い出せ、桐ヶ谷和人。

 

 お前の絶望を。お前の悲哀を。魔王殺しの誓約を。

 お前が【暗黒剣】を得る切欠となった、あの最悪の日の記憶を──。









>>ザ・シェイド
 影を司るボスモンスター。本来は97階層におけるボスであり、死者を模した大量のヒトガタを召喚する群体型のMobである。しかしその性質が災いし、“彼女”の器となってしまった。
 Mobの軛を越えたそれは既に超越個体(オーバード)である。故に承認の末、MHCP001の強制介入はカーディナルによって可決された。


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12/追想

 

 2023. 5. 16──

 

 

 こどもの日も過ぎて、俗に言うGWもとうに終わっている。GWイベントは良かったな、と欠伸交じりに思い返す。経験値や金稼ぎに最適な金色スライム系列のモンスターがわんさか湧くイベントだったからか、一時街はプレイヤー、NPCを問わずごった返す羽目になっていたのを覚えている。お陰様でサチが迷子になっててんてこ舞いになったのは笑える話だ。

 そうして静かに思い出し笑いをしていると、階段の上から張本人が下りてくる。くしくしと目を擦っている様は顔を洗う猫のようだった。

 

「……んぁ。今日は結構早いんだね、キリト」

「そうでもないだろ。もう九時回ってるぞ」

「やっぱ早いじゃん」

「早くねーよ」

「早いって。絶対いつもより十五分は早いもん」

 

 口論と言ってもいいのかわからない応酬の後に、店主から受け取った牛乳とサンドイッチを片手にサチが正面に座った。邪魔になることを避けるため新聞を畳むが、それがむしろ彼女の興味を引いてしまったらしい。ぐい、と紙面を引かれた。

 

「なんか面白いことあった?」

「ねーよ。攻略は順調、世は事もなしだとさ」

「そっか。いつも通りだね」

 

 そんな言葉に口の端を歪める。安定はしてきているだろうが、果たして何処まで真実なのかわかったものではない。アルゴは士気を落とすような情報は意図的に控えてこの新聞を発行している。ひょっとすると死人が出ている可能性だってある。

 

「大本営発表かっての」

「だいほんえ……?」

 

 サチが小首を傾げる。俺は溜息を吐いた。

 

「いや、知ってるだろ。というかあんた本当に俺より年上なんだろうな?」

「……うーん、キリトは時々よくわかんないこと言うよね」

「よくわかんねぇのはあんただよ」

 

 ぽけらーっとした顔でサンドイッチを咀嚼する様に嘆息する。サチは確か俺より一つか二つ上だったはずだが、こうもすっとぼけた事を言われると疑わしく思えてくる。

 

「そう言えば、リーダー達はどこ行ったの?」

「買い物だよ。この前手に入れた素材で武器の強化をするつもりだろうさ」

「えー、わたしも行けばよかったなぁ」

 

 頬を膨らませる姿に鼻を鳴らした。だがまあ、確かに一理ある。リーダー……つまるところケイタが不在の現状、迷宮区に潜ることは出来ない。かといって回復結晶なども補充したばかりだし、必要なアイテムがあればそれこそ彼らがついでに買ってくるだろう。つまり、思ったより暇だった。

 

「テツオ達も行っちゃったの?」

「テツオ、ササマル、ダッカーも右に同じくだ」

「そっか……じゃあ、今残ってるのはわたしとキリトだけなのかぁ」

 

 なんの気もない一言なのだろう。しかし僅かに自分の肩が跳ねたのを自覚する。同時に深く溜息を吐いて気持ちを落ち着けた。

 別に……特別でもなんでもない一言だ。意識してるわけでもなし、この脳天気な少女がそこまで考えて発言しているわけがない。そんなどうでもいい言葉の端々を捉えて動揺している自分が嫌になる。ええい落ち着け思春期かお前は。……いや、思春期なのか。少し死にたくなってきた。

……ああ、いや。大丈夫。俺は──冷静だ。

 

「じゃあ丁度いいね。デートでもしよっか、キリト」

 

 俺は噎せた。

 

 

 

 

 さて。

 このSAO、デスゲームという割には娯楽が多い。釣りもあれば本も売ってあり、それにエルフの間に伝わるボードゲームなどもあったりする。暇潰しには事欠かないのが事実だ。茅場という男がこのゲームを通じて何を目指していたのかが垣間見える点でもある。

 

「にしても、釣りね。あんたはやったことがあるのか」

「ないよ? 初心者だよ?」

「なのに釣りがしたいとか言い出したのかよ……」

 

 呆れて俺より少し背の低い少女を見下ろした……が、革鎧の隙間から胸元が見えて思わず目を逸らした。くそ、微妙なところで防御が薄いのはやめて欲しい。SAO内において情動表現は些かオーバーになりがちな所がある。所詮仮想体(アバター)だとわかっていても露骨な反応を示してしまいかねないため、意識的に考えないようにしなければならない。

 

「人間誰しも初心者からスタートするでしょ。いい機会かなって」

「まあ……そりゃそうだが」

 

 渋々ながらも頷く。経験がないからといって敬遠していてはいつまで経っても触れられないのは確かだ。それに、俺も釣りをしたことは無い。現代っ子にそんな機会は実はあまりなかったりする。

 

「キリトもやったことないでしょ? なら丁度いいじゃん」

「そう、だな。そりゃそうだ」

 

 素直に頷く。そんな俺を見上げてにんまりと彼女は笑った。脇を肘で小突かれる。

 

「じゃ、勝った方が負けた方に夕飯奢りね。キリト、大体こういうの苦手だし」

「言ったな? 悪いが飯を賭けてるなら負けてやれないぞ」

「そんなこと言って前は大富豪も三連敗してたけど」

「あれは運だろ!」

「運も実力のうちですぅー」

 

 機嫌良さげに煽る様に若干いらつきながらも肩の荷物を引ったくって進む。つんつんと脇を無限につっついてくるのが非常に鬱陶しい。

 

「麻雀でも負けてたし、ほんとキリトって運がないもんねー。ツキに見放されてるっていうかさ」

 

……このアマ、絶対泣かしてやる。心中で固く誓いつつ歩を進めるのだった。

 

 

 

──そして、数時間。既に趨勢は決していた。

 

「えぇぇぇぇえ!? なんでぇ!?」

「いや、あんたの落ち着きが無さすぎるからだろ」

 

 バケツの中で泳ぐ魚の数の差を見て驚愕しているサチの姿に鼻を鳴らす。十以上の差をひっくり返すことは流石に出来まい。案外川魚も釣れるものだ。

 

「おかしい! 絶対おかしい! 運ゲー!」

「運も実力のうちとか何処かの誰かさんがほざいてただろ。というか、運とかいう問題じゃないと思うぞこれは」

 

 そう。運ではない。勝手にサチが自滅しているだけである。そりゃ二分もせずにそわそわと席を離れては釣り糸を忙しなく動かしていては釣れるものも釣れるまい。はン、と笑ってやればぐぬぬと唸られた。ちなみに実際にぐぬぬと言っている。初めて見たぞ、実際に言うやつ。

 

「──っ、こうなったらもう奥の手を切るしかない!」

「奥の手? ……っておいあんた何してんだ!? 痴女か!?」

「ち、痴女じゃないもん!」

 

 顔を真っ赤にして反論してくるが、そりゃ人目がある所で唐突に脱ぎ出せばそりゃ痴女呼ばわりもしたくなるものだ。しかし防具を外した下にはしっかりと水着が存在していた。へへん、と得意気に胸を反らすがそれは色々と危険だからやめてくれ。というか、今の着脱を見る限り水着はやはり下着としてカウントされているようだ。

……やめておこう。深く掘り下げると夜に眠れなくなる気がする。

 

「……っていうか待て。あんたまさか」

「まさかもたまさかもありませーん!とやっ!」

 

 このアマ。競泳水着にも似た簡素な水着を纏い、見惚れるほど美しいフォームで槍を片手にサチが川へ飛び込んでいく。しかしそこまで流れがないとは言え、このゲームにおける水泳は独特の慣性が働くことから難度は高いとされている。溺れたらどうするつもりだ、あのバカ。そう考えて慌てて川岸に寄れば──ばしゃり、と水をかけられた。

 

「…………おい、サチ」

「隙を生じぬ二段構え!」

 

 更に顔面に水をぶっかけられる。ぴきり、と自分のこめかみに筋が走ったのを自覚した。何が二段構えだこの野郎。釣り竿をゆっくりと地面に下ろした。

 覚悟は出来てるんだろうな、クソアマ……!

 

「ぶっ飛ばす」

「え、ちょっと待ってその台詞は殺意が高いというかいや大きな波を作るのはダメ反則ぅー!」

 

 反則もくそもあるものか。水の掛け合いから水中での足の引っ張り合いへと移行しつつ、俺とサチはしばらくの間川での格闘を繰り広げていた。

 

 

 

「……ほんとにもー。キリトは子供なんだから」

「あんたが始めたんだろ……」

 

 現実での水泳と異なり、全身にずっしりと来るような、全身運動独特の疲労感はない。それでもしっとりとした精神的疲労が存在することは否めなかったを既に太陽は中天を下り夕方手前だ。ざっと二時間以上も川ではしゃいでいたことになる。

……ガキか俺は。溜息を吐いた。

 

「へへ。でも楽しかったね、キリト」

「あん? まあ……そりゃあな」

 

 否定はしない。何も考えず、ただのびのびと体を動かすだけの時間など久々だった。月夜の黒猫団の連中とつるむようになってからも、である。攻略組で一線を張っていた頃なら尚更だ。とてもじゃないがそんな余裕はなかった。日々を生き抜くこと、死者を減らすこと、技量とレベルを上げること、それだけにひたすら専念していた。

……ふと。かつて自分の相方をしており、そんな風にレベルを上げることに死力を尽くしていた少女を思い出した。結局喧嘩別れになったが、まだ生きているのだろうか。いや、話に聞く限りだと大丈夫だったはずだ。そこまで考えて苦笑する。自分から離脱したというのに、俺はまだ未練があるのか。

 

「……キリト?」

「あ──いや、悪い。聞いてなかった」

「ううん。何も言ってないよ」

 

 するり、と手が伸ばされる。柔らかな指が眉間に触れた。

 

「ここ、皺が寄ってる。キリトが悩んでる時ってここがしわくちゃになるんだよね」

「……そうなのか? それは……気を付けないと」

 

 そう返せば、彼女は苦笑した。いつもの屈託のない笑顔ではない。まるでしょうがない、とでも言いたげな苦笑だった。

 

「気をつける必要なんてないんだけどなぁ……どうせまた、攻略組のことを考えてたんでしょ」

「いや、違、俺は」

「いいよ。キミが優しいのはよく知ってるから」

 

 優しい? その言葉に自嘲した。優しいことなどあるものか。微かに口元が歪み──頬に触れた指の感触に、驚いて目を見開いた。

 

「……ごめんね。嫌だった? わたし、バカだからさ。ひょっとしたらキミが嫌なこと言っちゃってるかもしれない」

「いや……それは……」

「ねぇキリト。わたしたちといるのも、実は嫌だったりする?」

 

 どくん、と心臓が跳ねた。不安そうに、心配そうにこちらを見つめる瞳がそこにある。慌てて否定の言葉を口にした。

 

「そんなわけ、ないだろ。俺が頼んで居させて貰ってるんだぞ」

「そっか……なら、よかった。でもキリト、最近悩んでるみたいだったから」

 

 悩んでる──俺が? その言葉に眉を顰めた。悩むことなんてない。あるはずがない。そう返そうとして、唇を指で塞がれた。

 

「キリト。ここにはね、わたししかいないんだ。だから……今なら誰も聞いてないから」

 

 本当にこちらを案じている瞳に俺の顔が映り込んでいる。顔を歪めた、みっともないガキの面だ。笑えるくらいに情けない。ああちくしょう、と歯を食い縛る。こういう時だけ歳上ぶるのは、卑怯だと思った。

 

「教えて。何を悩んでるの?」

「俺、は──」

 

 からからに乾いた喉から嗄れた声が漏れる。そこからは濁流のようだった。攻略組から逃げてきたこと。その攻略組が気にかかっていること。だが尻尾を巻いて逃げてきた俺には、思案する資格すらないであろうということを。

 一ヶ月間苛んできた感情を吐き出す。気付けば、俺とサチは並んで椅子に座っていた。握り拳一つ分の距離をおいて座った彼女が、ぽつりと呟く。

 

「凄いね、キリトは」

「凄いことなんてあるか。俺は、半端者だ」

 

 俺は、矛盾している。その事実には気付いていた。

 結局“黒の剣士”になることを諦めて。全て放り出して、アスナとも決別して、投げ出して。だというのにこうして月夜の黒猫団の戦闘指南役として、彼らを準攻略組レベルにまで叩き上げた。逃げるのならば全てに目を瞑って、第一階層で燻っていればいい。プレイヤーを強化したいのなら最前線をひた走るべきだ。なんとも中途半端な真似に嫌気がさす。

 逃げ続けることもできず、戦い続けることもできない半端者。“元”攻略組という称号がそれを如実に物語っている。

 

「ううん。凄いよ。このゲームが始まってから、半年以上も一番前で戦ってきたんでしょ? わたしには出来なかったもん」

 

 違う。違うのだ。それが出来たのも義務感からのものだ。本来の桐ヶ谷和人とはまるで動機が違う。切っ掛けが違う。想いが違う。俺は酷く不純で、みっともなくて、それでいてすぐ折れてしまうほどに脆い。英雄になんて到底なれやしない、劣悪な紛い物だ。

 

「俺は……サチが思うほど凄くはない。結局諦めて挫折して、責任を投げ出して逃げた半端者だ。とても尊敬できる人間じゃないんだ」

 

 吐き捨てる。こんなくだらない自己嫌悪を他人に吐き出してしまっている、というこの事実すらも自己嫌悪の対象だ。酷く無様な有り様だった。

 

「……そっか。やっと、キリトのことが少しわかった気がする」

 

 君は、自分が嫌いなんだね。

 そう呟いて、サチは苦笑した。

 

「わたしもね、キリトと同じだよ。わたしはわたしが大嫌いなんだ」

「そ、れは」

「ふふ。なんでって言いたげな顔だね。簡単だよ。ケイタ達はね、わたしのせいでSAOに囚われたんだ」

 

 そう言う彼女の横顔は、言葉尻の軽さと違って酷く苦しそうなものだった。

 

「わたしがナーヴギアなんかを買ったから。みんなにSAOを薦めたから。だからこんなことになったんだ。わたしのせいでみんなが死ぬかもしれない」

「それは……違うだろ」

「違わないよ。変に友達を誘う真似なんてせず、一人で勝手にやっとくべきだった」

 

 違う。それは違う。かっと頭に血が上った。何が俺をそこまで突き動かすのかもわからないまま、俺は口走っていた。

 

「違う! あんたは何も悪くはない……!」

 

 それは怒りに似ていた。なぜそんなことで自責の念を抱く。違うだろう。あんたのそれは不可抗力だ。友人と遊びたくて、あいつらと遊びたくて、誘ったんだろう。そこに間違いなんてある訳が無い。あってはならない。

 

「……ふふ。やっぱりキリトは優しいね」

「それは……違う。俺は優しくなんてない」

「違わないよ。わたしはキリトよりキリトのことを知ってるもん」

 

 なんじゃそりゃ。本人より知っている、などというあべこべな事を言う少女の方を向いた。夕陽が彼女の頬を優しく照らし出している。その瞳は俺を映していた。俺だけを映し出していた。

 

「キミはさ、キミ自身のことが嫌い?」

「……ああ。俺は俺が大嫌いだ」

 

 肯定する。俺は俺が嫌いだ。醜悪で矮小で卑劣で無力で無能な自分が狂おしいほどに嫌いだ。それは、否定のしようがない事実で。

 

「そっか。でもね、わたしはキミが好きだよ」

「───ぇ」

 

 鼓動が、一拍飛んだ。

 

「キミが嫌いなぶんまで、わたしがキリトのことを、好きでいてあげる。だからさ、キリト。約束して」

 

 ぐい、と手を引かれた。互いの小指が絡められる。二度と離れないように。決して破られないように。

 

「死なないで。生きて。たとえどんなに自分が嫌いになっても、生きることを諦めないで」

 

……畜生。本当に、こういう所が卑怯だ。目を逸らせないまま悪態を吐く。

 

「……じゃあ、あんたもだ」

「えっ」

「えっ、じゃねぇよ。決まってんだろ。あんたも生きるんだ。死んだら承知しないからな」

「……うん。そうだね。じゃあ、これで約束」

 

 ぎゅ、と小指に力が込められる。夕焼けに照らし出された、鮮やかな誓いだった。風に彼女の黒髪が舞う。視線が交錯し、小さくサチははにかんだ。目に、脳に、記憶に焼き付いて離れないほど鮮やかだった。きっとこれを忘れることなんてありえない。そう思えるほどに。

 

 

 きっと──俺はこの誓約を生涯忘れない。

 

 

 







そして──忘れられぬ日々を、人は呪いと呼ぶ。


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13/原罪

(生存報告)






 

 

 

 ケイタ達が死んだ。

 

 そう聞かされた瞬間、まず何を言っているのかが理解出来なかった。なんだかんだ俺が月夜の黒猫団と出会って半年が経とうとしていた。ギルドハウスも当時の最前線に近い層に設け、団として上り調子である最盛期。俺もようやく正規メンバーとしてはっきりと認識され、切り込み隊長を担うようになっていた。

 そんなある日の夕方。暗い顔をした、顔見知りのギルドの男によって、唐突に凶報は齎された。今朝まで笑顔で話していたあいつらが、死んだ。現実感なんてあるわけがない。銅鑼でぶっ叩かれたかのようにうまく働かない頭で一層に向かう。見るべきは黒い石碑だった。目を背けたくなる衝動を必死に堪えながらそれを見つけた。ケイタ、テツオ、ササマル、ダッカー。綺麗にそれは並んでいる。あまりの衝撃に放心しながら膝をついた。言葉が出ない。額に手を当てた。目が熱い。俯く。何も考えたくない。タイルの模様に目を這わせた。大丈夫だ。もう一度確認しよう。見間違いかもしれない。それでもあったら──また確認すればいい。ああそうだ、きっと。

 

「う、そ…………」

 

 聞き覚えのある声がした。振り向けば、真っ青な顔をしたサチがいた。俺と目が合った瞬間、蒼白な顔をして走り去っていく。反射的に追うべく駆け出したが足が縺れた。よくみれば手も足も震えている。糞が。拳を脚に叩きつけた。

 馬鹿か俺は。俺の感傷なんてどうでもい。今は、彼女を追え──!

 必死にサチの後を追って街中を走る。焦りだけがそこにあった。

 

 結局のところ。

 俺は誰も救えない馬鹿だった、ということだった。希薄な原作の知識を基に彼らを守った気でいたのだ。何も学んではいなかった。

 月光の差す月見台。その下で、彼女は涙を流しながら偽りの空を見上げていた。皮肉にも今宵は満月。月夜の黒猫団──その名の元になった絶景。アインクラッドでも有数の景色だろう。

 あまりにも美しい絶望が、そこにあった。

 

「……キリト」

「サチ」

 

 言葉は続かない。暗く沈んだ瞳が俺を映した。

 

「今朝ね、ササマルは笑ってたの。丁度エレキフィッシュの釣れる季節だって。私の料理スキルも成長してるし調理出来るんじゃないかって」

「……サチ」

「ダッカーがね、それに笑うの。初めの方は酷かったからなぁって。それでケイタとテツオがからかうの。最近は誰かさんに手料理を振る舞いたくて特訓してるもんなって。そんなんじゃないよって言っても聞かなくて」

「…………サチ」

「私は怒って。キリトは呆れて仏頂面で。それで言うの、飯くらい黙って食べられないのかって。そんな、普通の──それだけの──朝で」

「もう、いいんだ」

「何が悪かったのかな? 何か悪いことしたのかな? 私、わかんないんだ。なんで──」

「やめて、くれ……ッ!」

 

「死ななきゃ、いけなかったのかなぁ……!」

 

 声が震える。サチは痛々しくも口元を歪めていた。頬を伝う涙が地面に落ちて吸い込まれていく。返す言葉などなかった。返せる言葉なんて、存在しなかった。

 俺は馬鹿だ。もっと考えるべきだった。もっと臆病であるべきだった。結局、ここに至るまで俺はこのゲームが──ソードアート・オンラインという狂ったゲームが真実デスゲームであることを実感できていなかったのだ。日常に溺れ、恐怖は麻痺し、責務から逃避した結果がこれだ。知っていたはずだ。そこら中に死が潜む恐怖を。理解していたはずだ。ひとつボタンを掛け違えれば命は失われるのだと。攻略組で、最前線で、失われる命を見てきたはずだというのに。

 その怠慢の代償がこれだ。中堅ギルドまで躍進し浮き足立つメンバーに釘を刺しもせず、放っておいたが故に起きた事故。

 守れる力も、知識もあった。だというのにこの様だ。

 言ってしまえ。吐き出してしまえ。()()()()()()()()()()()()()と。

 

 そこまで思考が至った瞬間──音が鳴るほどに歯を食い縛った。

 自己中心的にも程がある。ふざけるなよ桐ヶ谷和人。自罰的な思考? その通りだ。俺は罰されたいのだ。断罪されたいのだ。あろうことか、その担い手を目の前で悲嘆にくれる少女に押し付けようとしたのだ。自分が楽になりたいがためにサチを更に苦しませるような真似をするクソ野郎に成り果ててどうする。

 そうじゃないだろ。今しなければならない事はなんだ。震える息を吐き出す。

 

「私、さ。馬鹿だよね。“なんで”だなんて、そんなの決まってるのに。元から()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「……ぁ」

 

 違う、と。そう言いたかった。だが遅かった。闇の底に沈んだ瞳で、絶望に蕩けた眼で、彼女は結論を出してしまった。

 

「──()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「違うッッ!」

 

 最悪の答えだった。彼女の傍に駆け寄る。違う、と。その答えだけは間違っているのだと伝えたかった。

 

「違わないよ。前も言ったでしょ? ぜんぶ私のせい。私がケイタ達を殺したの」

「そんなわけねぇだろ……! それを言うなら、俺だってそうだ。俺だってもっと気を付けるよう言っておくべきだった。注意を払うようキツく言っておくべきだった。気を付ける、べきだった……!」

 

「……前さ。約束したよね、死なないでって」

「……ああ」

「ごめん、キリト。私、今さ……今っ……」

 

 掠れた声で。嗚咽交じりに。少女は顔を歪めて告げた。

 

「──すごく、死にたいっ……!」

 

 耐えられなかった。肩を掴んで抱き寄せる。震える手が背中に回された。泣きじゃくる彼女の頭に寄せる俺の手も同じように震えていた。

 

「嫌だ。死なないでくれ。あんたまでいなくなったら、俺は……!」

「耐えられないの。私、弱いから。こんな私だけ生き残って、ケイタ達だけ死ぬなんて、おかしいでしょ……!」

「駄目だ。嫌だ。俺は──」

 

 爪を立てるほどに深く抱き締める。手の中で嗚咽する少女を喪うことが何よりも怖かった。自分が死ぬことよりも何倍も恐ろしかった。

 嫌悪する。あまりにおぞましい。だが、彼女まで喪ってしまえば俺はきっと壊れてしまう。だから、手段なんて選んでいられなかった。

 

「サチ、好きだ。愛してる」

「…………ぁ」

「あんたまでいなくなったら、俺は耐えられない。だから──俺の為に、生きてくれ」

 

 サチは、優しい。

 その優しさにつけ込むような卑劣な言葉だった。ああ、こんな状況で拒絶など出来るわけがないだろう。だがそれでも、彼女を生に繋ぎ止める楔がなんであれ欲しかったのだ。自分の醜さに喉を掻き切りたくなるような衝動すらする。吐き気を催すほどの醜悪さ。自嘲交じりに──涙を零しながらも目を見開く彼女の唇を、奪った。

 

「──死ぬなんて言わないでくれ」

「ん、ぁ……」

 

 

 共依存。端的に言えばそれだった。

 悪循環の典型例だ。一人では生きられないから、互いに依存しながら生き延びる。月見台の上で獣のように貪りあった後、その後一週間はまさに動物のような生活を送っていた。貯蓄していた食料を食べ、現実を忘れるように()()に没頭し、腹が減れば食べる。眠くなれば互いに抱き合いながら微睡む。快楽だけを求めて狂ったように求めあった。

 それが、一週間。食料が尽きてようやく僅かながら正気に戻った俺は、食料を補給するために剣を手に取った。

 

 醜悪な蜜月はおよそ一ヶ月ほど続いた。俺は作業的に低階層の、なんの苦にもならないMobを狩って食料を補給する。彼女はギルドハウスで呆とするか、或いは編み物をして俺を待つ。帰ってくれば寝るまで抱く。起きれば狩りに出る。そんなサイクルだ。

 俺はそれで満足だった。満足してしまっていた。ただ、彼女は俺よりも強かった。たったの一ヶ月。僅か一ヶ月で、前に進む決意をしてしまった。

 

「私も、狩りに出るよ」

 

 そう言って微笑むサチを拒むことなど出来なかった。俺とサチは共に狩りに出るようになった。自然と笑えるようにもなった。前を向こうと、乗り越えつつあった。そして──。

 

 

 

 

 そして、サチは死んだ。俺は狂う──ことは無かった。

 

 狂ってしまえれば楽だった。だが、あまりに不自然な死に一瞬冷静になってしまったのが運の尽きだった。街の人々に聞き込みをしていくうちに、ひとつのと目撃情報を得た。曰く、ポンチョを着た長身のプレイヤーがサチと話していたのを見たと。その後にサチが真っ青になって走り去るのも。

 足取りは結局追えなかった──本来ならば。ただ、俺はアインクラッドでも最高級の情報屋とのツテがあった。あってしまった。

 有り金をはたいてその情報を追った。追わせた。ああ、結論を言おう。

 そのポンチョの男は高確率で犯罪者(レッドプレイヤー)で。

 曰く、MPKの常習犯で。

 

 ──かつてケイタ達が死んだエリアは、MPKの多発していた場所だったのだということを。

 

 そこから先のことはよく覚えていない。

 アルゴを説き伏せて──半ば脅して、そのプレイヤーのいた地域の情報を得て。単身乗り込んで周辺のレッドプレイヤーを皆殺しにした。元は最前線で戦っていたスペックなのだ、低階層でPK行為を働くのみのプレイヤーなどものの数ではなかった。ポンチョの男もそこにいた。腕には嗤う棺桶の刺青が刻まれていた。首を跳ね飛ばす前に聞けば、どうやら嗤う棺桶(ラフィン・コフィン)と呼ばれるPKギルドに所属し、PoHという名のプレイヤーに心酔しているようだった。ただそんな事はどうでもよくて、なぜ月夜の黒猫団を狙ったのかを尋ねた。サチに何を言ったのかを問うた。答えは単純だった。

 ──元からサチが狙いだった。

 女性プレイヤーは希少だ。比率でいえば二割もいないのではないか。そして残る八割からすれば、彼女達はそういう対象となる。なってしまう。

 強姦の類は理論上ハラスメントコードにより不可能のように思えるが、実際は可能だ──と男は言った。特殊な麻痺薬を用いて自由を奪い、アバターを外部から動かしてハラスメントコードを解除させる。ふざけた話だ。邪魔な他のギルドメンバーは殺して、女だけを奪う。ただ想定外だったのが、俺が生きていたこと。中々サチが圏内から出ないので痺れを切らして呼び出し、事に及ぼうとしたらしい。

 そして──結果として彼女は死んだ。それを理解した瞬間、俺は男の首を跳ね飛ばしていた。明確な殺意と憎悪を持って殺した。殺した直後に悔やんだ。一寸刻みにして殺すべきだったと。

 

 殺意の矛先を失った俺は、何もかもを投げ捨てて旧月夜の黒猫団のギルドハウスに引きこもった。来客を拒絶し、全てを忘我の果てに追いやって、ただ虚空を見つめ続けた。死にたい。死んでしまいたい。彼女が残した──遺していった短槍を指でなぞりながら呼吸をする。呼吸をするだけの死体がそこにいた。

 今すぐ死んでしまえばいい。そうするべきだしなぜそうしていないのか理解が出来ない。ただ、しこりのようにあの誓いが仄かに灯っていた。

 

 ──『死なないで。生きて。たとえどんなに自分が嫌いになっても、生きることを諦めないで』

 

 馬鹿な話もあったものだ。その張本人は死んでいるというのに、遺された男はその約束に縛られている。自殺衝動に駆られて街を出て浮遊城から飛び降りようとし、しかし足を止めた──止めてしまった回数は二桁に届くか。

 

「……サチ」

 

 呟く。虚ろな目で、消え入るような声で。ただ、その声に呼応するかのように何かのシステムメッセージを受信した。のろのろと指で触れ──そのアイテムは、実体化した。

 それは遺書だった。

 彼女が死んで、丁度一ヶ月。もし何事もなければ取り出して処理するつもりだった。読んでいるという事は死んでいるのだろう、と告げられていた。

 そこに込められていたのは怨みではなく、感謝だった。

 死を願った自分を繋ぎ止めてくれたことに関する感謝。僅かな期間でも、歪とは言えど恋人として在れたことに対する感謝。あえなく死んでしまったことへの謝罪。

 そして。

 『どうか私の事は忘れて生きて欲しい』という、懇願。

 『塞ぎこんでいる暇があるのなら前を向いて生きろ』という、叱咤。

 『貴方ならこのゲームをクリア出来る』という、希望。

 

 ……正直に言って、吐きそうだった。俺には無理だ。俺は逃げ出したのだ。逃避した先が月夜の黒猫団であり、そのメンバーがいなくなった以上逃れる先などありはしない。

 だが、()()()()。彼女がそれを望んだのなら、俺は死ねない。死なない。ただ、摩耗しきった心は折れそうだった。何もかも放り出して、俺も泥のような死の安寧に身を投じてしまえばいい。そんな甘ったるい誘惑の如き自殺衝動に息を吐き、

 

《You got an Extra Skill【暗黒剣】》

 

「……は?」

 

 唐突なシステムボイスに、呆然とした。

 震える手で自分のステータス画面を開けば、新たなスキルがスクロールした最下点に鎮座している。

 なぜ、このタイミングで? 聞いた事もないソードスキル。ああ、間違いなくユニークスキルだろう。

 

 ──そうか。

 

「は、はは」

 

 ──戦え、と。逃げる事は許さない、と。そう言いたいのか、茅場晶彦。

 

「ははははは」

 

 ──つまり、お前は。

 

「ははははははは──巫山戯るなよ」

 

 ()()()()()()()()()

 

 膨れ上がる漆黒。それは憎悪だった。殺意だった。溶かすように心を蝕んでいく。急速に自分の心が腐っていくのを自覚する。鬱屈とした悲嘆と嬲るような絶望が反転する。黒い殺意。泥濘よりも煮詰まった憎悪。ああ、タチが悪いにも程がある。何処まで人の心を逆撫ですればいいのだ。何もかもを遊戯(ゲーム)として見ているというのか。

 頂点に座して傍観する悲劇は、そんなにも面白いか? 嘲笑いながら見下ろす絶望の箱庭に、お前の創った玩具(ユニークスキル)を与える行為はそんなにも楽しいか?

 サチの死に様は──俺の絶望は──所詮お前の見世物だったと言うのなら。憤怒に嗄れた声が洩れる。

 

「巫山戯るなよ、茅場晶彦ォ……!!」

 

 声が震える。ようやく実感した。己が成さねばならない使命を自覚した。俺があの怪物を殺さなければ、他の人間は死ぬ。こうしてお遊びのように悲劇は量産され喜劇のように消耗されていく。誰かがあれを倒さなければこの地獄は終わらない。箱庭を壊さなければ解放されない。じゃあ誰が壊すというのか?

 

 ──俺だ。キリトが、桐ヶ谷和人が成さねばならない。そうでないと許されない。いや、俺が俺を許さない。そうでなければ彼女は無為になる。鮮烈に生きた彼女が、俺を見て微笑んだ彼女が、友人の死に絶望して涙を流した彼女の死が──無価値だと断じられてしまう。

 それは駄目だ。それだけは駄目だ。俺が俺を許せないし赦さない。何も出来ずに朽ちていく、それは決して許容してはいけない。殺せ。茅場晶彦を殺せ。聖騎士ヒースクリフを殺せ。この手で魔王殺しを為せ。

 

「……力が、要る」

 

 必要なのは力だ。レベルだ。技術だ。ああ、何もかもが足りない。才能も能力も全部足りない。ならば、足りないのならば、補完するしかない。始めから足りない未完の器、ならば他の全てを捨てろ。人間らしさを捨てろ。元より目指すべきは人間では無いのだから。

 ……ふと。そこで視界の端に短槍が映った。鈍く光る銀の槍。唯一回収出来た、遺産らしき遺産。彼女の遺した足跡だ。そして、俺の罪の証でもある。

 

「……ああ、大丈夫だよ──サチ」

 

 彼女を安心させるように、笑って呟く。あの時は答えを言えなかった。確証もなく臆面もなく言うなんて、そんな事は出来なかった。だが今なら言える。

 俺は彼女に恋をしていたわけじゃない。でも愛していたのだ。口から出まかせのような愛の囁きだったが、決して嘘ではなかったのだ。致命的に遅い自覚だが、それだけは自信を持って言える。あの暖かさが、微笑みがもうこの世に無いことに今更ながら絶望する。狂おしい程の激情を飲み下して無理矢理に口角を上げた。

 今──俺は、笑えているのだろうか?

 

「俺はもう、迷わないから」

 

 俺は英雄になる。君のための英雄に。こんな俺を救ってくれた君の英雄に。

 俺が救えなかった君が望んだ、英雄へ至る。

 

 

 

 

……

…………

………………

 

【…………そんなこと】

【………………そんなこと、望んでなかったよ】

 

 私は。

 弱いのに強い、そんなキミが、大好きで……大嫌いでした。

 




 英雄なんて要りませんでした。
 貴方だけがいれば、それでいい。
 希望なんて要りませんでした。
 絶望の泥濘で、微睡んでいればいい。
 理想なんて要りませんでした。
 現実の端で、貴方を抱き締めていたい。
 そんな女を愛したと言うのなら。
 それこそが貴方の、原罪(ツミ)なのでしょう。


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14/告白

 

 

 

 

 追憶は続く。ただ、手は自然と骨の髄にまで染み付いた剣技を綴っていた。穂先を弾く。回転する短槍。ぐるりと弧を描きながら再び正中線へと伸びる軌跡。放っておけば死ぬ。誤たずそれは俺の心臓を穿つだろう。それでいいと思っていた。だというのに、本能が生き汚くも足掻く。弾き上げる感触。闇色の槍と鋼がかち合って火花を僅かに散らす。ただ、その光に照らされてものっぺりとした闇に包まれた彼女の顔は見えなかった。

 ……死ぬべきじゃないのか。

 そんな想いが占めている。だが、精神と肉体は乖離していた。いや違う。俺の身体を無意識に縛っている呪い(約束)だ。生きなければならないという義務感。まだここで止まれないという使命感。俺が救わなければならないという罪悪感。

 まだ、終われない。あの時の約束はまだ続いている。

 ──他ならぬサチが、俺より先に死んだとしても。

 鈍痛が胸を抉る。歯を噛み締めた。

 

 重なり合う槍と剣。互いに最適解を選び続ける果てにあるのは、舞踏めいた剣戟の応酬だ。あまりに重く、あまりに鋭い槍捌きに舌を巻く。

 ……俺が知っている彼女は、こうも強くはなかった。ただ悲しいまでに伝わってくる。どれだけ強くなろうと、どれだけ変質しようと、その槍術からはどうやっても彼女独特の癖が感じ取られる。

 

「俺が、憎いか──サチ」

『─────────』

 

 影は答えない。ただ、槍を振るうのみ。一手喰らえばそのまま即死させられる連撃の渦。技量はほぼ互角と言えよう。

 

「……殺したいほどに、憎いのか」

『────────────』

 

 わからない。ただ、叩きつけられる槍撃の重さが増したように思えた。受けきれずたたらを踏む。衝撃を受け流し損ねた。ひたと構えられる槍。神速の刺突。狙う場所が心臓であるという直感的な予測に基づく防御がなければ致命だった。びりびりと掌に伝わる衝撃に息を吐いた。

 

「でもごめん、サチ。俺はまだ……そっちには行けないらしい」

 

 あるAIは言った。死人に理由を押し付けるなと。

 確かにそうだ。ここで死ねば、俺はこのクソみたいなゲームをクリアするという責務を誰かに押し付けることとなる。ああ、それは許されない。確かにそれは逃避だ。俺には責任がある。義務がある。使命がある。

 ごめん。まだ、死ねないらしい。

 

「やる事があるから。だから──」

 

 

 瞬間。あまりにも暴力的な殺意の嵐に、目を見開いた。

 本能が悲鳴をあげる──逃げろと。

 精神が絶望する──逃げることなど到底出来ないと。

 経験が予測する──()()は、災厄に近い。

 

『───ぁ』

『──────きり、と』

 

 ぞぷり、と。

 実際にはそんな音はしていないが、しかし影はその身体を軋ませながら、何かを胸から引き抜いた。それはもう一本の槍だった。短槍を二つ、左右の手に一本ずつ。自然と警戒する身体が剣を構えさせる。二槍を扱うというのか、これは──。

 

()()()()!」

 

 後方から、悲鳴にも似た声が耳に届く。

 

「それは、()()()()()()()()。全力で回避してください──!!」

 

 目を見開いた。影が──彼女が、無機質な声で告げ。

 

 

『──葬槍解放(リリース)

 

 二つの影の奔流が、縦横無尽にフィールドを切り裂いた。

 

「ッ…………!?」

 

 槍。否、それは槍の間合いではない。弓の間合いでもない。ましてや、銃の間合いでもない。外套の裾を翻して、斬撃の隙間に存在する空間を縫うように飛び退る。

 それに距離という概念は意味を成さない。理解する。都合回転しながら放たれた三十六の斬撃と二十八の刺突を全て受け流し回避したものの、頬を流れる冷や汗を止めることが出来ない。咄嗟に小脇に抱えて跳んだAI──ユイに尋ねた。

 

「なんだ、あれは」

「貴方の暗黒剣と同じです。あれは()()()。彼我の間合いを悉く無視するユニークスキルです。本来なら勿論代償は存在しますが……90層以降のフロアボスと完全融合したあの人には、無いも同然」

 

 ……色々と聞きたいことはあるが、重要な事だけを問う。

 

「喰らえば、どうなる」

()()()()()。心意によってヒトガタに縛られていますが、本質となる影は変わっていません。触れれば侵食され、取り込まれるでしょう。五大元素(エレメンタル)シリーズとして創られたアレは理不尽の塊です」

「そうか」

 

 殺意と憎悪、そして憤怒。それを迸るほどに向けてくる彼女を見つめながら、俺は侵食され使い物にならなくなった剣を捨てる。一撃でも喰らえばこうなるということか。

 

「暗黒剣なら、どうだ」

「……対抗は可能です。あのエンチャントは、最上級の優先度に設定されています。元よりユニークスキルとは、90層以降のフロアボスに対抗するため創られたものですから」

「そう、か」

 

 ユイに下がるように告げ、二つの槍を構える影を見据えた。親指の腹を刃に当てて、引く。走る赤い粒子。解号を告げる。

 

魔剣装填(エンチャント)

 

 体力が削れ、赤と黒に鋼が侵食されていく。特大級の反則。ユニークスキル《暗黒剣》──しかしこれでも抗えるかどうか。何処まで凌げるかもわからない。

 ここから先は絶死の領域。ただ、足取りは不思議と軽かった。穏やかとすら形容できる心持ちだった。

 

「踊ろうか、サチ」

 

 囁く。同時に、魔剣と葬槍が交錯した。

 

 

 無限槍の間合い(レンジ)は、その名の通り無限だ。

 一瞬で伸びるものでもない。ただ、その伸びる穂先から振るわれる斬撃は距離を取るという行為を無為にしている。それを左右に一本ずつ。単純に手数も間合いも違う。更にフロアボスがベースであるが故の膨大なHPリソース。

 勝利の可能性など絶無。基礎スペックが象と蟻ほどにも異なる。目眩がするほど絶望的な戦いであるはずだったが──あの少年は。あの男は。

 

「何故、打ち合えるのですか」

 

 呆然と、メンタルヘルスケアプログラムは呟いた。

 キリトが回避する。黒い外套は既に引き裂かれ脱ぎ捨てられていた。無限の間合いをものともせず、魔剣を片手に影の嵐を耐え忍ぶ。否、耐えているだけではない。槍撃を逸らし、いなし、そして斬り返してすらいた。

 理解が出来なかった。演算が追い付かなかった。そもそもアレの筋力も敏捷力もフロアボスのそれを参照としている以上、常軌を逸している。そもそもプレイヤーキャラクター如きが真っ向から鍔迫り合い出来るような代物では無いのだ。それはシステム上のものであり、絶対不可侵。だというのに──それを可能にしている。

 技術だけでどうにかなるものではない。理屈が必ずある筈だ。暗黒剣だけでは圧倒的に足りない。ならば、その差を埋めているのは──。

 

「……心、ですか」

 

 それは。機械には──AIにはついぞわからなかったもの。茅場晶彦は面白半分に人間の情動をラーニングするプログラムを、プレイヤーの精神監査という名目上で実装していた。それこそがユイを筆頭とするメンタルヘルスケアプログラム(MHCP)。“アリス”に至ることが出来なかった電脳の少女は、某として呟く。

 

「感情を参照し、法則(コマンド)上書き(オーバーライド)する……世界を変える、システム」

 

 暗黒剣が吼える。無限槍が哭く。

 試作段階だったはずの心意(シンイ)システム。限界を越えて爆ぜる感情が、隠されたシステムを駆動させている。不可視のパラメータが、数値として出力されていく。

 

「……桐ヶ谷和人。それが……愛、なんですか?」

 

 ユイが無機質な瞳の向こうに僅かな火花を見る。プログラムが、感情を観測した瞬間だった。

 

 

 ──彼女の槍を受ける。伝わってくるのは、灼熱のような怒りだった。

 ──彼女の突きを逸らす。伝わってくるのは、海よりも深い悲しみだった。

 ──彼女の払いを凌ぐ。伝わってくるのは、狂おしいほどの愛おしさだった。

 

 歯を食い縛る。無我夢中で剣を振るった。いや、もはや無我だった。ただただ想いを乗せて剣を振るう。剣術や論理など頭から消し飛んでいた。そんなものは既に身体に染み付いていた。俺に出来るのは、感情を剣に込めることだけで。

 ……後悔している。

 君と出会った事を。心折れかけた果てで、あまりにも普通だった君に救われた事を。それこそがこの呪いの始まりだった。

 ……感謝している。

 君と出会った事を。鮮烈に俺の思い出を駆け抜け、二度と忘れられないような思い出をくれた事を。ああ、呪いだろうと構わない。この感情を知れなかった事実の方が怖い。

 ……憎んでいる。

 俺より先に死んだ君の事が。こんなにも恨めしい。生きる意味がないのに生きる義務を得て、君がいない世界で足掻く理由を与えられた事実が、ただ残酷だと思える。

 ああ、違う。違う。違う。そんな事が言いたいのではない。複雑な螺旋を描く感情の坩堝。叩き付けられる純粋な彼女の心意(ココロ)すら取り込みながら、浮上していく。

 

 ああ、結局のところ、俺は。

 ずっと──貴女の事が好きでした。

 

「生きて、欲しかった」

 

 口が動いているのかも分からない。叫んでいるのかもわからない。この感情が憤怒なのかも、悲嘆なのかも、願望なのかも、呪詛なのかも、絶望なのかもわからない。

 こんな感情を。ひとくちに愛と形容していいのかすら、わからない。

 ──剣を叩き付けた先。槍で受けながら、影がたじろいだ気がした。

 

「君さえいればよかった。他の全てなんてどうでもよかった。俺だって例外じゃない。君が生きていれば、それで」

 

 ──槍が盛り返す。それは激しい憤怒を纏っていた。負けじと叩き付ける。

 

「怒っているのか。ふざけるなよ。なんで逝ったんだ。どうせなら俺も連れて行ってくれよ。なんで、なんで、なんで──俺だけを残して、あんたが!!」

 

 ──槍が払われる。それは沈むような悲嘆を秘めていた。唇を噛み締めて受け流す。

 

「これがただの我儘だって? 知っているさ。しょうがなかった。どうしようもなかった。誰にも救えなかった。俺もあんたも、救われなかった。でも──でもなぁ! 生きる理由なんて欲しくはなかったんだ!」

 

 打ち払う。駆ける。影の槍を踏み、前へ。頬を流れ、伝い、溢れるそれを置き去りにして。

 どうしようもなく伝わってくる感情に。どうしようもなく伝えたい感情を乗せて、走る。

 

「俺が欲しかったのはあんただけだった! ああそうだ! なのに、あんたは! 俺だけを置いて!」

 

 言えなかった。

 彼女が生きている時は、一言だって。彼女も俺にそんな言葉はかけなかった。でも、違うのだ。違ったんだ。そうじゃないんだ。

 ごめん、サチ。何もかも過去になって。全部取り返しが付かなくなって。こんなになってまで、来てくれて。

 ──誘うように槍が伸びる。無限槍。ただ、回避する気はなかった。無我のまま身体は剣を伸ばす。彼女の元へと。

 

『………………あ』

「遅くなって、ごめん」

 

 互いの胸を貫く槍と剣。ヒトガタの影の頬に触れながら、俺は。

 

「愛してる。これまでも、そしてこれからも」

 

『……うん。私も、愛してる』

 

 影が頬を撫ぜ、笑った。そんな気がした直後、世界が砕ける──。

 

 

 






 ずっと前から、好きでした。
 その一言がいえなくて。踏み込めなくて。胸にしまい込んだまま、忘れた気になっていた。
 馬鹿馬鹿しい話だろう? 泣けるくらいに。


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15/驟雨


 どんな人物であれ、物語となり得る。
 どんな物語であれ、結末は存在する。
 どんな結末であれ、私は歓迎しよう。
 それこそが、創造主としての責務だろう。



 

 

 

 ──『黒の剣聖』キリト。またもやラストアタックを奪取、そのレベルはいよいよカンストか。

 

「なんだこれ」

「今朝発行されてたやつよ」

 

 溜息を吐いた。だが、まあいい。アルゴにはいくつも借りがある。加えて、多少俺にヘイトが向こうが何も問題はない。シノンに朝刊を投げ返す。

 

「今日はどうするつもり?」

「昼過ぎにフィールドボスの攻略会議に出る。その後はレベリングだが、一度こっちに戻るつもりだ。そこからは二日は帰らない」

「……ふーん。そ。精々死なないように頑張んなさい」

「お前もな。留守は頼んだ、()()()

「了解、()()

 

 剣を手に取り腰に佩く。黒い外套(コート)を纏って外に出る。一層の頃から愛用しているデザインだが、袖にある紋様は最近になって追加されたもの。

 銀の縁をした黒い剣。螺旋を描くように赤い鎖が纏わりつき、刃は逆十字の如く天を刺し貫いている。

 ──黒の騎士団(Knights Of Black)

 俺を首魁とし、新たに発足したギルド。ギルドハウスとなった、かつて月夜の黒猫団の拠点だった建物へ振り返り、俺は口元を歪めるのだった。

 

 

「遅い」

「時間通りだと思うが」

「伝えてあるのは集合時刻ではなく開始時刻です。五分前行動くらいは当然だと思いますけど? “黒の騎士団”の団長さん」

 

 初っ端から噛み付かれ、肩を竦めた。ただ言っていることは至極尤もであるため軽く頭を下げて謝意を示す。憤懣やるかたない、といった様子で“血盟騎士団”の副団長様は矛を収めた。というよりは、収めさせられた。

 

「まあアスナくん、そこまでにしておきたまえ。彼も反省しているようだし──加えて言えば、我々はそこまで規則に縛られるべき集団というわけでもない。重要なのは迅速にゲームをクリアすることだ。必要なのは弾劾ではなく会議を進めることだと思うが、違うかな?」

「……その通りですね。ええ、会議を始めましょう」

 

 血盟騎士団団長、【聖騎士】ヒースクリフ。その隣に座す【閃光】のアスナ。

 アインクラッド解放軍団長【蒼元帥】ディアベル。そして【牙大将】キバオウ。

 風林火山団長、【荒武者】クライン。

 ……そして、黒の騎士団団長──【剣聖】キリト。自分で名乗るのは少々キツいが、しかしアルゴによって半ば公式的に二つ名持ち(ネームド)プレイヤーとされてしまっている現実を受け入れざるをえないのもまた事実。葬儀屋(アンダーテイカー)よりはよほどマシだ、と無理矢理納得する。

 それはともかくとして、圧巻の面子だ。アインクラッドにおける上位数パーセントを争う猛者達。今の俺でも、この全てを──ヒースクリフは除き──斬り捨てるのは、相応に手こずるに違いない。

 

 そんな事をのほほんと考えている間にも会議は進む。まずは血盟騎士団から提示された情報──各クエストから得られたフィールドボス、ダンジョン、フロアボスに該当する情報の羅列が配られる。それを補足するようにディアベルやクラインが各自で得た情報付け足していき、見る見るうちに精度が上がっていく。恐らくこのタイプは十五層で見たあれに近いだのなんだのといった話になり、欠伸を噛み殺しているうちに話は既に纏まりつつあった。

 

「ところで、黒の騎士団からの情報はないのかな」

 

 目線を上げる。突然水を向けられた形になるが、俺は無表情で堂々と返した。

 

「何も無い。ウチはレベリングにしか興味が無いからな」

「それはあなただけでしょう」

「73層の時点でレベルがカンスト寸前な奴が言うと説得力が違うな……」

「レベリング専門のギルドってなんだ」

 

 散々な言われようだった。無言で返せば、キバオウが皮肉るように告げる。

 

「は──ラストアタックをちまちま掠めとってレベル上げてりゃ、そら差もつくわな。今回のフィールドボスもどうせラストアタック狙いやろ?」

 

 早速紙面でヘイトを買っているらしい。ただ、苦笑交じりに俺は返した。

 

「いや。今回のフィールドボスは譲るつもりだ。戦力的には血盟騎士団と解放軍で十分事足りるだろう。俺はクエストの解放と迷宮の未踏破地帯のマッピングを主軸に活動するつもりだ」

 

 その言葉にキバオウが目を白黒させ、アスナが唖然とし、ヒースクリフが感心したようにほう、と声を漏らした。

 

「……おい」

「いや、彼らの反応も無理はない。それが意味することはつまり、今回のフィールドボスのドロップ及び経験値の分配には関与するつもりがないということかな?」

「ああ、その認識で合っている」

「ふむ……いやはや、随分と丸くなったものだな。何が君を変えたのかは知らないが、歓迎すべき事ではあるかもしれないな」

 

 ヒースクリフが微笑む。俺は鼻を鳴らし──机の下で握り締めた拳を解くのに尽力する。殺意は完璧に抑えている。問題は無い。悟られるな。憤怒を気取られるな。

 

「ギルドを持って自覚が芽生えたんだよ」

「ふ。それは良い事だ。一人は皆の為に、皆は一人の為に。三銃士ではないが、我々は一丸となってクリアのために尽力すべきだからね」

 

 よく言うよ、茅場晶彦。瞑目して頷く。頷きながらその首を引き裂く演算を何度も行う。ありとあらゆる角度からシミュレーションを試行する。

 

()()()()()()()()使()()()として、期待しているよ──キリトくん」

 

 その言葉にもまた、頷くのだった。

 

 

 ユニークスキルの使い手。その単語が意味する通り、俺は既にユニークスキル持ちとして名が通っている。開示したのは65層時点。《神聖剣》保有者のヒースクリフと《暗黒剣》保有者の俺、この二人を軸にしてフロアボスの攻略は行われるようになった。

 何せ、火力が違う。《暗黒剣》は体力を変換し特殊なバフを生成するが、その向上率は凡そ300%以上。気が狂っている数字だ。これを真っ向から凌げるのはそれこそ《神聖剣》程度しか存在しない。

 ……そんな戦力を単騎(ソロ)で遊ばせておくなど度し難い。そんな声が各方面から上がり始めた頃合で、俺は“黒の騎士団”を立ち上げた。とはいえメンバーはそう多くもない。それどころか、現状では三人しかいない始末だ。

 当初は色々と文句を言われた。特にあの【閃光】様にはキレられた。お陰で関係が拗れたのは誤算だったが、しかしそれ以外の声は実力と結果で捩じ伏せた。

 “黒の騎士団”の異名は様々だが、大抵は蔑称だ。『レベリング専門ギルド』『チーター集団』そして──『ユニークスキルコレクター』。

 《弓術》を所有するシノンを含めて、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「ん……ぁ、おはよう()()

 

 くしくしと目元を擦りながら、昼過ぎで起き出した少女に。黒髪と灼眼が特徴的な、いっそ幼すぎるといって差し支えない少女に向かって俺は告げた。

 

「おはよう()()()。顔洗ってこい」

「はーい」

「ちょっとユウキ、何時だと思ってんの──」

 

 そんなシノンの叱責と文句をBGMに、“黒の騎士団”としての活動がようやく始まった。

 

 

「ユウキ。《二刀流(・・・)》のマスターまではあとどのくらいだ」

「今……八割くらいかなぁ。師匠が戻る頃には多分マスターしてると思うよ」

「そうか」

 

 そうとだけ返して昼食を口元に運ぶ。エプロンを畳みながらシノンが呆れたように言った。

 

「あんたも曲がりなりにもその娘の師匠ならなんか言ってやんなさいよ、キリト。口数が少ないにも程度があるってもんよ」

「……例えば?」

「褒めるでも文句でもいーわよ別に。多少柔らかくなってもそういうとこは変わんないのね、ほんと……」

 

 そう言って夢中でパスタを頬張るユウキの口元を拭うと、その頬をむにむにとつまみながら溜息を吐いた。当人であるユウキは目を白黒させている。

 

「ほら見なさいよ。構って欲しそうにしてるじゃないの」

「ぅえ!? いやボクはその、そんなんじゃないっていうか」

「頑張っているとは思う。最近は十本に一本は取られるしな。その調子で励め」

「……ぁー、ぅー、ふへ……」

 

 ほにゃりと表情を崩す様を見て後頭部を掻く。……こういう所は相変わらずわからない。ストレートに甘えられればわかるが、こういう独特の“察しろ”という空気は苦手だ。ただ半年を共にしたことでシノンもそこら辺はもう理解しているのか、こうして師弟のコミュニケーションをサポートしてくれるのは有難い。

 俺としても、この小学生程度──よくて中学に上がり立ての少女の顔を曇らせることはしたくはないのだ。ただ、俺だけではきっとまた間違える。故にシノンには感謝していた。

 ご馳走様と告げ、剣を片手に立ち上がる。必要なものは既にストレージに放り込んでいる。

 

「じゃあ、そろそろ行ってくる。留守は──」

「頼まれとくわよ。いってらっしゃい」

「師匠! マスターしとくから、帰ってきたらまた決闘(デュエル)ね!」

 

 苦笑する。そのままギルドハウスを出て転移門へ進み、そして74層へと跳ぶ。独特の浮遊感。そして転移門を出た俺は、数メートル先で佇む人影にその足を止めた。

 

「少し、付き合ってくれない? キリトくん」

「……アスナ」

 

 僅かに眉間に皺を寄せた彼女の要求に、俺は応じた。

 

 

「上手く、いってるみたいね」

「そう見えるか?」

「ええ。ユニークスキル所有者を三人も抱えながら、その不満を上手く誤魔化した。アルゴさんには頭が上がらないわね」

 

 ……それは、そうだ。アルゴの助力が無ければ俺は途方もない数のバッシングを受けていたに違いない。明らかに戦力が他のギルドと違い過ぎる。数は少ないがそんなことは言い訳にもならない。

 力あるものには責務が伴う。そんな言葉と共に、俺は血盟騎士団のような巨大ギルドに所属し、そして先導することを求められたことだろう。

 

「あなたは変わった。かつてのあなたなら、懐に誰かを入れることなんてしなかった。ましてや弟子なんて認めなかった。自分のギルドを作って、あの“月夜の黒猫団”のギルドハウスを転用する──なんて真似、絶対にしなかったでしょう」

「……そう、だな」

 

 認めよう。俺は誰かと親しくなることを拒んでいた。失って、喪って、そしてあの絶望を抱くくらいならと拒絶してきた。ただ、サチとの邂逅を経て。俺は、きっと──。

 

()()

 

 さらりと。

 【閃光】のアスナは、冷徹に告げた。

 

「あなたの本質は何も変わっていない。他者を寄せ付けず、孤高で在ろうとする。ひたすらに自身は邁進するだけ。むしろ表面化しないだけ悪化してる。あなたは誰にも頼らない。誰も信じない」

 

 淡々と、彼女は続ける。

 

「あなたは手段を選ばなくなっただけよ、キリトくん。ユウキちゃんを弟子に取ったのも、万が一の保険のつもりかしら。()()()()()()()()()()()()()。あの【剣聖】の弟子であれば誰も文句は言わないもの。加えて《二刀流》の保有者だなんて、上出来ね。シノンにも常々言い聞かせてるんでしょう? あなたがもし──死んだ後のことを。そのための“黒の騎士団”」

 

 違うかしら。

 そう宣った──宣いやがったアスナの胸倉を掴みあげる。透明なその瞳に写り込む俺は、相も変わらずドブのように腐った瞳をしていた。

 

「……ぺらぺらと御託を並べて。人間観察が趣味か、【閃光】」

「怒ったフリ? 冷たい(ひと)ね、【剣聖】」

 

 掴みあげる俺の手を包むように触れ、アスナが微笑む。ちらほらと見られる衆人の目線がこちらに集まるのを自覚して手を離す。

 変わらない。第1層の頃から、何も。俺とアスナが決別した原因のひとつはこれだ。あまりにも察しが良すぎる。察しが良く、頭が異常に回り、そして──何故か俺を護ろうとする。余計なお世話にも程があるというのに。

 

「やっぱり……私は信じられない? キリトくん」

「信じるも何もあるか。必要ないんだよ」

「……そっか。あなたの計画に、私は要らないか」

 

 俯く。瞬間。弾けるような音と共に俺は仰け反った。痛みはない。ただ──涙を湛えた瞳に、吸い込まれそうになる。叩かれた頬を反射的になぞる。

 

「何もわからないまま、何も知らないまま、あなたに付いていけるくらい馬鹿な女なら……良かったのに」

 

 駆け出した背中を某として見つめる。何も変わらない。何もわからない。きっと今の俺は能面のような顔をしていることだろう。

 サチ。俺は──間違っているのだろうか?

 答えはない。あの影は既に消えている。一時の夢。

 

「──雨か」

 

 曇天の空を見上げる。降り出した雨が、硝子玉のような眼球の上で弾けた。

 

 

 

 






 終章、開幕。

>>ユウキ
 なんでいるかは誰にもわからない。通称絶剣のロリ。剣理を剣聖オリトから学ぶことで成長ブーストがかかっている。現在《二刀流》の所有者。《二刀流》くんも目が死んだヤベぇやつよりロリに宿った方が嬉しいでしょ。
 割と女とロリに優しくない世界だけど目は死んでない。正統派主人公やれるくらいには見た目も精神もキラキラしてる。要は剣聖の後継者(マイ・ディア)

>>二刀流
 ロリコン。
>>創造主
 なんだァ? てめェ……


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16/遺品

 

 

「一体、どういう事ですか?」

 

 

 震える声でアスナは目前の団長に問うた。理解が出来ない。困惑と混乱で占められた少女の手の内には、情報誌が握られていた。団長室の机が荒々しく叩きつけられる。

 それは、第一層の頃から【鼠】アルゴが発行しているもの。攻略組以外にも親しまれているその記事の一面を見やり、そしてヒースクリフの方へと向き直る。

 

 ──最強はどちらか!? 【剣聖】と【聖騎士】の因縁に迫る!

 

「それが、どうかしたかね?」

「とぼけないでください。これは、何ですか」

 

 彼女が指すのは、その見出しのすぐ下の文章だった。曰く、()()()()()()()()()()()()()()()と──。

 

「そのままの意味だが」

「聞いていません……! それに、何を目的に身内同士で!」

「落ち着きたまえ。そう目くじらを立てることはあるまい。そもそも、この決闘自体も()()()()()()()()()()()()()()

 

 その言葉に絶句する。彼から──キリトから決闘(デュエル)を望んだと? 何の為にそんな事を、と思考を巡らせ始める。

 

「なに、そこまで構える必要も無いだろう。これはいわゆるパフォーマンスというヤツだ」

「パフォーマンス……」

「ああ。74層を越えていよいよ浮遊城アインクラッドも四分の三ほど攻略されたことになるが、ここで気を引き締めると同時に形態を一新できないかと打診されてね」

 

 曰く──。

 

「『絶対的な旗頭がいる』……もっともな話ではある。圧倒的なカリスマ性を抱くものが統率する組織は脆くもあるが、一定以上の強さがあるものだ。これからより激化していく攻略の最前線に立ち、攻略組を鼓舞し先導していく存在……それにならないか、と言われてね」

 

 そんな殊勝なことを彼が言うのか──という疑念と驚愕。しかし、血盟騎士団団長としてヒースクリフという男が立ててきた功績を考えれば、至極当然かつ妥当と言えよう。

 加えて、【聖騎士】ヒースクリフはフロアボスとソロですらある程度は保たせられる埒外の堅牢さ、実力の持ち主だ。ユニークスキルの持ち主であるというだけではない。未来予測でもしているのではないかと思わせかねない圧倒的な先読みとプレイヤースキルによって、聖騎士ヒースクリフの不敗神話は打ち立てられている。

 決して退かず、臆さず──そんな男が最前線を引っ張るのだとすれば、それが理想だろう。

 

 ただ、と。ヒースクリフは静かに苦笑した。

 

「生憎だが、私としてはこれを認められなくてね」

「……一応聞いておきますが、何故です?」

「フ……君からすればあまりにくだらない理由だろうがね。私も存外気になっているのだよ──その噂がね」

 

 視線の指す先。アスナの握る情報誌、その一面に書かれた『最強はどちらか』の文字。

 

「ユニークスキルの所有者が攻略組を先導する、その言に異論はない。ただ、分かりやすい形で新たなリーダーは頂点に立つべきだ」

「……呆れました。貴方の私利私欲で、キリトと雌雄を決すると?」

「私とて人間であり、そして男だ。『最強』の座に憧れる気持ちくらいある。もっとも、それは彼も同様だったようだがね」

 

 もうここまで来れば止めようもないだろう。どうやら大々的なイベントに仕立て上げようとする各所の思惑が既に動いているのはなんとなく勘づいている。止めようにも止まるまい。そっと嘆息する。楽しそうにヒースクリフはくつくつと笑いを漏らす。

 ……ただ、僅かな違和感に、アスナは眉を顰めた。

 

 あのキリトが、最強の座に憧れる?

 喉奥に刺さったような違和感を抱えたまま──しかし詮無いことだと、彼女は情報誌をストレージに収めた。

 

 

 

 

「『最強はどちらか』……ね。興味あんの?」

「あるわけないだろ」

 

 顔を顰めてそう返す。ふぅん、とリズベットは至極どうでも良さそうに相槌を打った。店内に所狭しと並べられた剣、槍、鎧。見ればチャクラムやモーニングスターの類まである。随分とこの店も大きくなったものだ。昔露天商の真似をしていたのが嘘のように繁盛している。攻略組御用達、アインクラッドでも屈指の鍛冶師としてリズベットは名高い。

 炭、熱された鉄の匂い、轟々と離れていても届く熱気と音。これがいわゆる『火の匂い』なのかと納得する。

 

「じゃあなんでこんな決闘(デュエル)すんのよ」

「……色々あるんだよ、攻略組にもな」

「そ。ま、興味ないけど──」

 

 カウンターの奥から現れた店主がずんずんとこちらへと歩いてくる。振り向けば、どん、と。胸を叩くように押し付けられた()()をたたらを踏みながら受け止めた。

 ぎろりと童顔の少女が睨みあげる。

 

「その子使って負けたら、承知しないわよ」

「ああ」

「少なくとも、二週間はウチの敷居を跨がせないわ」

「……………ああ」

「冗談よ」

 

 わかりにくすぎる。ふす、と鼻を鳴らしてリズベットが背を向けた。乱雑にひとつに纏めた髪が揺れる。俺はゆっくりと、()()を鞘から引き抜いた。

 

 ──柄から剣先まで艶やかな漆黒で彩られた長剣。闇を押し固め磨いたようなそれは極簡素な装飾しかなく、いっそ無機質とまで言っていほどに機能的に過ぎる。ただ、むしろその華美さのない、剣としての性能だけを追求した外見故に芸術作品のように見えた。

 剣としての在り方だけをひたすらに突き詰めたそれは、ある種誠実さすら感じさせる。やはり──リズベットに頼んで正解だった。

 

「良い剣だな」

「あったりまえでしょ。アインクラッド最高の鍛冶師(スミス)が二週間かけて鍛えたんだから」

 

 そもそも、と。振り返ったリズがじっとりと半目でこちらを見据えた。

 

「本当になんなのよあの素材。明らかに80層以降──下手すれば90層クラスの素材じゃないの。どこで何と戦えばあんなもん手に入るのかさっぱりわかんないわ」

「……企業機密だ」

「あっそ。まあいいわよ、別に。あんたの秘密主義は知ったこっちゃないし、最近妙に悟ったような雰囲気出して腹立つのも置いといてあげる」

 

 影と融合した彼女を撃破した時にドロップしたいくつかのアイテム。その一つこそ、無明未明の影(シャドウマター)と呼ばれる解析不可能な物質だった。解析スキルを総動員して理解出来たのはどうやら鉱物の一種であるということ、そしてカンストした鍛冶師(スミス)ならば鍛えられるということ。そして、俺が知る限り鍛冶師がカンスト寸前になるほど、気が狂ったように剣を鍛えているプレイヤーは一人しかいなかった。

 

 そんなアインクラッド屈指の鍛冶師は、ピンクブロンドの髪を揺らしてつかつかと近付いてくる。頭一つ下のリズを見下ろせば、何故か舌打ちをされた。解せない。

 

「……約束しなさい。負けないし、死なないって。そんな最高級なんてもんじゃない剣を握ったまま死んだら夢見が悪いどころか憤死モノよ、こちとら」

「善処は、する」

「やっぱり馬鹿ね、あんた。黙って頷いとけばいいのよ、こういう時は」

 

 ……返す言葉に困り、結局俺は閉口するに留まる。下手に返しても墓穴を掘る気しかしない。そんな俺の胸を、とん、とリズベットの指が叩いた。

 

「……その子の名前()。今決めなさい」

 

 それならばもう決まってる。俺の相棒。『桐ヶ谷和人』として生きてきた、俺の現身。恐らく最後となるであろう、俺の武器。

 

「“矛盾存在(ジ・アノマリー)”」

「……厨二病全開って感じね。ただまあ、悪くはないけど」

 

 ふっとリズが笑う。俺も口元を緩ませた。こういう所のセンスはよく似ている。名前の設定された新たな愛剣を腰に佩き、俺は──。

 

「あー……やっぱダメね、あたし」

 

 胸倉を掴まれる。つんのめった先にあるのは、というよりいるのはリズベットだ。困惑する。混乱する。唇に触れる柔らかい感触。鼻先を掠めた桃色の髪からしたのは、灰と火と、そして僅かに甘い香り。

 

「──ぷは。今のが代金でいいわよ」

「リ、ズ……?」

「馬鹿ねぇあたし、ほんと馬鹿。未練がましいにも程があるわよ。あ、でも別に返事とか見返りとかそんなのいらないから。馬鹿とは言ってもそこまでじゃないわ」

「あ、え──」

「言っとくけど今の、初めてだから。あんたがどうかは知らないしどうでもいいけど」

 

 どん、と胸を押されて後退する。何も言えなかった。言えるわけがなかった。理解が追いつかないまま、ただ呆然と──涙を湛えたその瞳と、交錯する。

 

「行きなさい。あたしの剣で、成すべきことをなさい。……後悔だけは、しないように」

「……ああ。ありがとう、リズベット」

「馬鹿。さっさと行けっつってんのよ」

 

 押し殺したような声に背中を押され。俺は深く一礼し、鍛冶屋を出る。

 ……感触の残る唇をなぞる。瞑目し、そして息を吸う。

 

 行こう。最期までにやるべき事は、まだある。

 

 

 

「礼を言うよ、アルゴ」

「はン──理由は聞かず、詮索もしない。ただ情報操作をさせろだなんて、全く以てふてぶてしい依頼だったナ」

 

 【鼠】のアルゴ。

 一階層の頃から知り合いであり、そして敢えて知り合い止まりの距離感を意図的に保っていた女。アインクラッド随一にして唯一の情報屋と対面しながら、俺は苦笑いを浮かべる。接触は最小限に留める──そうでなければ、この頭の回る鼠は俺の言動から察してしまう可能性がある。一線を引いた付き合いをしていたつもりだが、今回はその線を自ら越えた所業となる。

 

 故に、彼女も少なからず不信感……とまでは言わずとも、違和感は抱いているはずだ。理由もなくアインクラッドで最も有名な情報誌の一面を、個人の意思でジャックするなど法外もいいところだ。当然要求された対価も跳ね上がったが、この層に至るまで金を貯め込み続けてきた俺には問題なかった。

 じっ、と。訝しげに俺を見つめる女の視線から逃れるように目を逸らす。

 

「キー坊、いや【剣聖】。言うつもりはないんだナ?」

「ああ。その分と口止めを含めてあの値段だったと解釈してるが」

「……そーかい。だったらオネーサンから言えることは何もないヨ」

 

 いい人だな、と。漠然とそんな感想を抱く。

 設けた一線を見極め、踏み込まず、尊重してくれる様に尊敬の念すら抱いた。【鼠】のアルゴ──各地を駆け回るちみっこい背丈と特徴的なフェイスペイントから付けられた二つ名ではあるが、彼女はしっかりとした「大人」だ。砕けた口調からは考えられないほど彼女は思考を張り巡らせている。故に、親密になってしまえば察せられてしまう恐れがあった。向こうからすれば勝手に壁を作られてたまったものではなかっただろうが、それでもこうして色々融通してもらっているのだから感謝しかない。

 

「……改めて、ありがとう。アルゴ」

「ふン。おまえがそんな殊勝なタマかヨ。ついでに何か頼み事があるんだろ、うン?」

 

 ジト目でこちらを見やる様に頬を掻く。流石に見抜かれていた。ただ礼を言うためだけに俺は足を運ばない。依頼が完遂されたのを見届けて、俺はようやく彼女にならば託せると判断した。

 

「……これは別に難しい話じゃない。ただ、理由は聞くな」

「相変わらずの秘密主義……で、肝心の内容は?」

「ああ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 アルゴが目を見開く。ぽかんとした様子で見上げる様は、見てくれ通りの少女のように思える。推定年齢二十代の女プレイヤーがこうも間抜けな顔をするのは笑える光景だが、しかし真面目な話だ。口元を歪めるに留めてスクロールを押し付ける。

 

「……キー坊?」

「そこには色々書かれてるから、覗き見するなよ」

 

 茶化すような口振りではあるが、本気だった。そこには見られたら不味いものが多少書かれている。これからの未来予測、想定する最悪の事態、そして推定される()()()()()()()()──他には体術やシステム外スキルに関して俺の知る限りの様々な知識を書き加えておいた。流すべき所に流せば凄まじい大金に変換できるスクロール、ということになる。

 

 言わば、保険。惜しむらくは直接彼女に伝授する時間がなかった事だが、そこはしょうがない。幼い少女が半年間第一層に引きこもっていたことを責める気になどなれない。間違いなく天賦の剣才を持つ彼女に、俺の経験と剣術を高密度で叩き込めばどこまで伸びるか知りたくもあったが──しょうがない。こればかりは。

 

「……死ぬ気なのか、キー坊」

「いや、全く。ただの……保険だ、アルゴ」

 

 一線を引く。

 俺とお前は所詮は他人なのだと、踏み込むべきではないと、黙って受け取れという感情を込めて告げる。怯んだようにアルゴは口を閉ざした。

 ……根本的に、優しいのだ。優しすぎるほどに。彼女がいなければ、アインクラッドの攻略ペースは今の半分だっただろうし、それに準じて死傷者も増えていたはずだ。第一層から懸命に情報をかき集めてきたアルゴというプレイヤーに、俺は敬意を表する。

 

「頼んだよ、情報屋」

「情報屋に頼む仕事じゃあ……ないだろうがヨ」

 

 背を向ける。【鼠】のアルゴは誠実だ。頼まれた仕事はきっちりとこなす。これは信頼だ。彼女はきっと、俺が死ねばユウキにそれを渡してくれるだろう。これで全てが無に帰すことはなくなる。何もかも無駄に終わることがなくなる。俺以上の才覚を持つ少女が、二刀流を携えてアインクラッドを100層まで駆け上がってくれるだろう。その道中はきっと、地獄だろうが。

 

 ……後顧の憂いは絶たれた。これで思い残すことはない。何の躊躇いもなく俺は、()()()()に剣を振るえる──。

 

 

「殺ろうか、茅場晶彦(ヒースクリフ)

 

 

 胸の奥で、昏い獣が哭いた。

 

 





>>ジ・アノマリー
 90層に以降で本来入手出来る素材を用いた長剣。特殊な性質、機構はなくひたすらに耐久性と攻撃力が高い。黒曜石を切り抜いたような見た目は芸術品のように思えるが、その本質は使い潰すための剣でしかない。機能性だけを追求した結果、美を獲得してしまった黒剣である。

>>リズベット
 淫ピ鍛冶師。

>>アルゴ
 有能すぎた結果警戒されることとなった情報屋。知りすぎて首突っ込んだらゲームセットだからしょうがないね。1層の頃はまだ歳相応の甘さと若さが混在した“キー坊”だったが、いつからか“キー坊”は“剣聖キリト”となってしまった。
 踏み込めないし踏み込ませない。しかし彼女は薄々勘づいている。下層で分岐してアルゴ依存ルートに入るとバッドエンドにほぼ直行するので初見さんは注意が必要。

>>ユウキ
 キリトが逝ったら二刀流&暗黒剣のベストマッチが開放される。Gルート。


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17/前座

 

 

 

 何も耳に入ってこない。

 

 貸し切られた円形闘技場(コロッセオ)に犇めく群衆のざわめきも、チケットを売る売り子の声も、俺とヤツへ向けられる罵倒や野次も、全て聞こえない。ただ、無表情でヤツを見ていた。彫りの深い男の顔に──偽りのテクスチャに笑みが刻まれた。俺を見ているようで何も見ていない目。群がるプレイヤーを虫か何かとしか思っていない目。虫が作る社会に、営みに、世界にのみ興味を抱く超越者の視線。

 

 ──その目が、腸が煮えくり返るほどに気に入らなかった。

 

「キリトくん。今日はお互い楽しもうじゃないか」

 

 歪む口元。形式上だけの親愛を示す口調。そのどす黒い本性と対照的な白い鎧に白い制服、そして重厚な盾。《神聖剣》の象徴である十字盾は、それだけで敵を圧殺させるような重さを感じさせる。実際の攻撃性能は《神聖剣》による攻撃判定拡張を含めても大した事がないのは既に知っているが、しかしその本質は“吹き飛ばし”による硬直とそこからの嵌めに近い連撃(コンボ)であることもまた、既知の範囲だ。

 

「……そうだな」

「何時にも増して口数が少ない。ふむ、流石の君も緊張していると見える」

「……間違っちゃいない。今の俺は、震えを抑えるだけで精一杯だ」

 

 パフォーマンスも兼ねて剣を引き抜く。“ジ・アノマリー”──リズベットによって鍛え上げられた黒い魔剣を掲げる。歓声が上がり、同じように盾を掲げたヤツによって歓声が更に爆発する。いよいよだと観客も察したのだろう。その音圧にヤツは苦笑した。

 

「武者震い、というやつかな。わかるよ。流石の私もこんな群衆の面前で決闘(デュエル)をしたことはなくてね」

「……そうかい」

 

 どうでもいい会話だった。そんな苛立ちを認識したのかしてないのか、ヤツは片手を翳す。

 

「では、始めようか。あまり彼らを待たせるのも気が引けるというものだ。準備は……いいかな?」

 

 直後に決闘(デュエル)を申し込むウィンドウが宙空に出現する。黙したまま息を吐いた。浅く吐き、そして深く吸い、吐いた。受諾を選択し向き直る。開始までのカウントダウンが視界の端に刻まれ始めた。待ち望んでいた場ではあるが、緊張など欠片もなかった。常の通りの自然体。構えはない。無形の構えこそ、『桐ヶ谷和人』の辿り着いた果てだった。

 

 ──5。

 

「ああ、いつでもいい」

 

 ──4。

 

「胸を借りるつもりで行かせて貰おう」

 

 ──3。

 

「ぬかせ、【聖騎士】」

 

 ──2。

 

「本気だとも、【剣聖】」

 

 ──1。

 

 ──。

 ───。

 ────(ゼロ)

 

 ()()()()

 

魔剣装填(エンチャント)

 

 本気だった。開幕と同時に殺す一撃だった。《暗黒剣》の強化により並の防御も鎧も盾も剣も全て貫いて即死させる刺突。重心を移動させ、荷重により加速する“抜き足”──純粋物理による歩法、システム外スキル《縮地》による初速のアドバンテージ。虚を突いた。認識できたとしても防御は到底間に合わないはずだった。しかし、舌打ちする。

 

聖剣起動(エンハンス)

 

 それは、荘厳な輝きだった。清冽な浄化の光だった。それが真正面から俺の剣を受け止めている。交錯する視線。ヒースクリフが笑った。

 

「流石だ──強化を施した私の盾の上から削るとはね」

 

 見れば、ゲージは確かに減っている。刺突の余波で削れたか。ただ、それは全体量と比較すればあまりに小さなダメージだった。割合にすれば1%にも満たないかすり傷。そんなもの、自動回復ですぐに修復される。対して俺は《暗黒剣》の自傷により既に七割にまで至っている。

 この決闘(デュエル)のルールは至って単純だ。最初に体力の半分を切った方が、敗北するだけ。

 

「さあ、始めようか。《神聖剣》と《暗黒剣》、正反対のユニークスキルの戦いを。アインクラッドの頂点を決める決闘(デュエル)を」

「……べらべらと。黙って斬られていろ……!」

 

 黒と白が激突し、衝撃に大気が軋んだ。

 

 

 

 

「凄い……」

 

 ユウキが零した言葉に、シノンもまた内心で頷いていた。

 【剣聖】キリト。その二つ名は一人の少年に贈られるにはあまりに仰々しく、そして人によっては痛々しいと嘲笑するだろう。だが、攻略組の人間は至って真面目にその呼称を使う。彼の名前を呼ぶことを躊躇う。

 一度その戦い様を見れば。フロアボスを単騎で撃滅する様を見れば、畏怖と共にその二つ名が伊達でもなんでもないことを理解する。その異常な体術に、研ぎ澄まされた剣技に、死線を当然のように踏み越える精神性に恐怖する。それほど彼の剣は鮮烈であり、中には信奉者すら生まれる始末だ。

 加えて、彼が《暗黒剣》と呼ばれるユニークスキルを解禁してからは文字通りフロアボスと単身切り結ぶ様も珍しくなくなった。最強の単騎戦力。アインクラッド最高のDPS。故に【剣聖】。

 

 その【剣聖】を真正面から食い止めている【聖騎士】の姿に、シノンは驚愕していた。

 

「“エンハンス”……そんなソードスキルを隠していたなんて」

「知らなかったの?」

「知らないわよ。魔弾収束(クリティカル)魔剣装填(エンチャント)、そして聖剣起動(エンハンス)……」

 

「知らなくて当然よ。あれを団長が使う時は、相当追い込まれてる時だけだから」

「!」

 

 声にシノンは振り向いた。張り詰めたような無表情に人形の如き美貌。栗色の髪と白い制服、腰元に下げた細剣(レイピア)を見れば誰だか嫌でもわかる。

 

「アスナ……」

「隣、いいかしら」

 

 顔を突き合わせれば喧嘩ばかりの仲だが、こう頼まれれば突っぱねる気にもならない。シノンは戸惑いながらも了承し、ユウキはアスナを認めてぱっと顔を輝かせた。

 

「お久しぶりです、アスナさん!」

「ええ、久しぶりねユウキ。元気そうでなによりよ。……それで、エンハンスの話だったかしら」

「そう、だけど」

 

 目で追うことが難しい速度で、明らかに異常なテンポで繰り出されるキリトの剣を弾き、逸らし、いなす白い盾と剣。時折避けきれず削れてはいるが、この長時間あの猛攻を捌いているだけでも驚嘆する他ない。

 

「《暗黒剣》のエンチャントが攻撃力を上昇させ、《弓術》のクリティカルが貫通率を上げるなら、あれは盾による攻撃の軽減率(カット)を跳ね上げるものよ。彼の攻撃でもあれを貫通するのは至難の技。加えて《神聖剣》にはカットしたダメージを剣に乗せて放つカウンター型のソードスキルもある。相性は最悪ね」

「なによそれ。ズルじゃない」

「ユニークスキルは全部ズルい(チート)でしょう、今更よ」

 

 呆れたような口調にシノンはむぐ、と唸った。確かにそれはそうだ。ユウキも頬を掻いた。

 

「ただ、やっぱり彼は異常ね。自動反射(カウンター)障壁付与(バリア)、他にも様々なソードスキルを発動させているのに……それらを貫通して、団長にダメージを与えてる」

 

 黒い影が疾駆する。真正面からの袈裟斬り、当然聖騎士は盾で受け流す。ただそこに留まらず盾による面制圧の殴打が迫る。ただ、剣聖はそれを蹴り上げた。吹き飛ばしを利用しバク転。回転の最中に放たれた一撃が聖騎士の頬を掠める。しかし怯むことなく空中という逃げ場のない空間を見定めてカウンターの剣が振るわれた。その剣先をブーツが踏む。緩やかに着地し、彼我の間合いが初期と同一となる。仕切り直し、ということか。

 

 ……まるで曲芸だ。アスナには理解がし難い。初速から一瞬で最高速にまで至る独特の歩法も、あらゆる攻撃の工程が次の攻撃の過程でしかない先読みの剣も、戦闘の流れそのものを制御しようとする読み合いも。

 一番理解が出来ないのが剣技(ソードスキル)を一切使用する気がないことだ。昔からキリトはそうだった。あの男は、使わない方が強いとまで宣う。《暗黒剣》は例外だとしても、それ以外を全く使わない理由が不明だった。

 

「……読まれるのを、恐れてるの?」

 

 それは、直感にも似た回答だった。

 まさか、という思考が先行する。ただこれが正解なのだと直感的に理解した。剣聖キリトはソードスキルの軌道を読まれることを恐れた。まさか、と理性が失笑する。聖騎士ヒースクリフと言えど全てのソードスキルの軌道を読めるはずが無い。多少は知っているだろうが、使い手次第で軌跡はそれぞれ異なる。そんな事まで考慮できるのであれば、それは常軌を逸している。

 ……有り得る、と本能が囁いた。

 

 無敵の聖騎士。彼はフロアボスが振るうソードスキルの軌跡を理解していたからこそ、単身でそのヘイトを請け負うことすら可能にしていたのではないのか。だとすれば確かに【剣聖】と【聖騎士】は同様に怪物的だ。片や剣技(ソードスキル)を扱わずともアインクラッド最強のDPSであり、片や剣技(ソードスキル)を熟知するが故にアインクラッド最硬のタンクである。噛み合わない頂点の二人。

 

 だが──だとすると、しかし。

 キリトはなぜ、1層の頃からソードスキルを好まなかったのか。

 彼は何を想定して、ソードスキルを封じたというのか。

 

 彼は今、何と戦っている───?

 

 核心に触れている、という実感がある。本能は何かに気付いていた。理論が、理屈が、常識がそれを否定するだけで。考えてはいけない、と理性が囁いた。呼吸が自然と不規則となる。

 

「アスナ……?」

「っ、ええ。大丈夫よ」

 

 シノンの声に我に返る。集中しなければ、と軽く頬を叩いた。眼下の決闘に再び目を向ける。

 戦いの趨勢は、片方に傾きつつあった。

 

 

 

「──素晴らしい」

「黙れ」

 

 顔を顰める。互いに十手先を意識しながらの攻防。故に今振るう剣はお互いにとって既定路線に過ぎず、千日手に似た状況下において俺は静かに勝利を確信した。塵も積もれば山となる。僅かに、しかし確実に削れていくヒースクリフの体力はついに、一撃でもまともにこちらの剣が入れば勝敗が決するほどになった。そろそろ、いいだろう。

 

 本来ならば俺が勝る要因はほぼ見当たらない。ならばなぜ押しているのか。

 簡単な話だ。

 ヒースクリフのアドバンテージは攻撃判定拡張された盾──要は防御型の変則的な二刀、そして圧倒的な防御力。俺のアドバンテージは圧倒的な攻撃力、そして剣技(ソードスキル)に依存しない奇襲にも似た我流の剣。これだけならばどちらが有利とも言えない。

 

 だが、何度も想像してきた──その軌跡は知っている。

 ただ、何度も観察してきた──その剣技は知っている。

 

 お前の性格も、癖も、お前を殺す為だけに俺は全ての情報を収集してきた。《二刀流》でなければ《神聖剣》は倒せない──理論上はそうだろう。計算上はそうだろう。ただ、操る人間自体が不確定要素であることを除けば。

 

 茅場晶彦、お前はお前が考えているほど完璧でも全能でもない。

 剣技(システム)に依存しない異端者(イレギュラー)を前にした時、その絶対的優位性は揺らぐ。揺らいだ時、不確定性が発露する。可能性が変動する。天秤は傾く。

 敢えて言うのだとすれば──意識の差が勝敗を分けた。俺はお前を二年前からずっと不倶戴天の敵と認識していたのに対して、お前は精々が面白い虫けら程度にしか考えていなかった。

 

 受け、凌ぎ、衝撃の九割をカットしながらもヒースクリフの体力が削れる。堅実なカウンターが胴を薙ぐように放たれた。何度目かもわからない。あまりにも正確で、あまりにシステマチックなそれは、言ってしまえば()()()()。地面を蹴り上げる。刃に触れ、少しだけ押し下げた。目を見張る聖騎士を冷ややかに俯瞰する。縦回転の慣性を載せた一閃を寸前でヤツは受け切る。

 甘ぇよ。

 ()()()()()()。二連で放たれた蹴りが盾の自重も乗って体幹を崩す。苦し紛れに放たれる剣は正確無比に急所を穿たんとする。正解だ。お手本のように鋭いカウンターだ。故にこそ読みやすい。

 こんな風に。

 

「なっ……!?」

 

 斬り落とし。()()()()()()()()()()()()。ある流派では絶技とされるが──思いの外難しい話でもない。剣先を削るように叩き落とし、返しの剣を喉元へと放つ。ただそれだけだ。

 黒々とした剣が魔剣の闇を纏って突き進む。盾はここからでは間に合わない。《暗黒剣》の攻撃力では素で受ければ一撃で体力は半分以下にまで落ち込むだろう。

 ──使えよ、茅場晶彦(ヒースクリフ)

 

 どくどくと心臓が脈打つ。意識が自然と加速する。()()だ。原作で桐ヶ谷和人が敗北した一撃が来る。システムによるオーバーアシスト。案の定、仮想体(アバター)を構築するポリゴンが揺らいだ。物理演算を遥かに超えた加速に処理が追い付いていない。

 

 ……幾度も、想像してきた。

 オーバーアシストを前に対策など無意味だ。防御は不可能。認識は無意味。どう足掻いても間に合わない。完全な対策など出来やしない。

 要は、時間停止と同義だ。どうやっても賭けになる。

 ただ──それは敵が正確無比なシステムが相手の話だ。

 オーバーアシストも、それを操るのは人間だ。人間という名の不確定要素だ。なればこそ、付け入る隙はそこにある。

 

王手(チェック)だ、聖騎士」

 

 ──お前はお前が考えているほど完璧でも全能でもないんだよ、茅場晶彦。

 追い詰められ、焦った人間が取る行動などひとつしかない。がら空きの死角を前に手を出さないほど、お前は非人間的ではいられなかった。

 

 逆手に握り直した片手剣を背後に突き出すと同時に。

 

 硬質な音が、円形闘技場(コロッセオ)に響き渡った。

 

 

 

 

「──は」

 

「はは、はははははははは──!」

 

 哄笑が大笑が、歓喜の声が背後の男から放たれる。それはまさしく至福の時だった。己の想定を、完全に埒外の異分子が上回ったのだ。

 これを笑わずして、どうする。ざわめく群衆に目もくれず、男は目前のイレギュラーにのみ視線を向けていた。

 

「……何が面白い、ヒースクリフ」

 

 ゆっくりと、少年が振り向いた。《暗黒剣》を宿したプレイヤー。黒々と塗り潰された瞳からはなんの感情も感じられない。完全なる想定外が口を開く。

 ──Immortal Object(不死存在)。浮かんだシステムメッセージを認識して、いや、と告げる。

 

()()()()

 

 堪らない。

 これだからやめられない。既知が未知へと変わる瞬間。想定を遥かに超えた可能性の飛翔。まさしく想定外だ。こんな層で開示するべき情報ではなかった。計画は全て破棄。これより──アインクラッドプロジェクトは最終段階へと移行する。

 

「嗚呼──素晴らしい(Congratulations)

 

 史上最悪の電脳犯罪者は、その通りだ、と告げて。凄絶に微笑んだ。

 

 

「私こそが茅場晶彦にして、魔王ヒースクリフである」

 

 





 な、なんだってー!? (驚愕)
 アンダドゥーレハ、アカマジャナカッタンデェ…ウェ!


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18/魔王

 

 前座、余興、茶番──形容はなんでもいい。肩透かしにも似た感覚。ここからだ、と再認識する。

 技量では勝った。俺の剣は、二年間の蓄積は奴を打倒するに足りうるものだった。

 俺は勝てる──()()()ヒースクリフには。

 ならば。今、こうして目の前に立っている()()に。

 

「認めよう」

 

 感情の読めない瞳で、淡白な拍手をするこの男に。

 

「アインクラッド最強の剣士は君だ。誇るといい」

 

 ()()ヒースクリフに、俺は勝てるのか──?

 

「その言い草だと、言い訳する気もないみたいだな」

「もとよりするつもりなどない。そうとも、私こそが茅場晶彦。君たちをこの浮遊城アインクラッドへ幽閉した張本人だ」

 

 円形闘技場(コロッセオ)の群衆をぐるりと見渡し、仰々しく茅場晶彦(ヒースクリフ)は告げた。不死存在(イモータル)などという馬鹿げた属性を付与できる存在など、それこそGMしかありえまい。ただ、何人か──いや、七割の人間はまだ信じていただろう。すがろうとしていただろう。いや、もしこいつがここでこれが《神聖剣》の力だと釈明すれば誤魔化せていた可能性だってある。この男は、それだけの地位と影響力を手にしていた。

 

 だというのに。取り繕う気すらなく、堂々と茅場晶彦(ヒースクリフ)は宣言した。

 

「もう一度言おう。()()()()()()()()()()()()()()()

 

 一瞬の静けさ。その後に返ってきたのは、悲鳴にも似た罵詈雑言の嵐だった。信じられない、という顔をしながら悲痛な叫びを洩らす者。真実だと理解し、憤怒に顔を歪めながら弾劾する者。茫然とし、うわ言のように嘘だと呟く者──様々だった。しかしその全ての人間の感情の矛先は、茅場晶彦(ヒースクリフ)だった。圧倒的な情念の嵐、その行く末である男は──しかしながら、ただ微笑むだけに終わる。

 

 それはまさしく、超越者の佇まいだった。

 

「……随分とあっさり認めるな。余裕のつもりか?」

「君は賢い。言わずとも理解しているだろう」

 

 ああ──わかっているとも。

 どれだけ糾弾しようが、弾劾しようが、非難しようが、究極的に俺達はこの男に逆らう事など出来はしない。アインクラッドにおける神、受肉した魔王、それこそがこの茅場晶彦(ヒースクリフ)なのだ。故に、余裕も何もあったものではない。

 俺は釈迦の掌で転がされる猿も同然であり、この男は釈迦だ。全てはこいつの胸先三寸で決まること。生殺与奪の権を握っているのはあちらだ。

 

「……見事だった。この賞賛に偽りはない。私は素直に感心し、そして驚愕している。ただ……ひとつ尋ねたい事があってね」

 

 単純な興味本位と言わんばかりに、魔王は尋ねた。

 

「君は、いつから私が茅場晶彦であると疑っていた」

「最初からだ」

 

 誰かが息を飲んだ音がした。面白そうに、興味深そうに、魔王が続きを促す。

 

「茅場晶彦はゲーム開始当初に、この世界がデスゲームになったと宣言した。つまるところ、自身もログインしていたということだ」

「録画という線はないかね?」

「ない。犯行現場に犯人が戻ってくるように、茅場晶彦は必ず己の手でデスゲームの開始を宣言した。そもそもこんな大々的に『自分が作った世界を堪能してくれ』と言わんばかりの演出と犯行を行うような奴が、そんな()()()()()真似をするはずがない」

「ほう……」

 

 奴の口元が歪む。俺は顔を顰めた。

 

「初めのうちはただ観察していただけだ。だがシステム中枢を管理するAI群が安定し、いよいよすることも無くなったお前は耐えられなくなった。いや、そもそもそこまでがお前の犯行計画の一部だったのか──」

 

 どうでもいい話ではある。だが、茅場晶彦の動機は至って単純で簡潔だ。神様気取りというやつだ。世界を創り、生の人間を箱庭に放り込み──そこで止まれるような奴なら、デスゲームなんざ引き起こそうとは思わない。

 

「プレイヤー用のアバターでログインし、誰も知らなかった“ユニークスキル”の保有者として名乗りを上げた。停滞気味で尻込みしつつあった攻略の様子に耐えられなかったのか、自ら指揮を取る事にしたってわけだ。とんだマッチポンプだな、ええおい?」

「ふ──ふふ。ほぼ満点だよ、キリトくん。君はひょっとすると探偵に向いているのかもしれないね」

 

 は、と嫌悪感と共に息を吐く。

 

「それで? そんなお前のお遊びをおじゃんにしてやった訳だが、俺はどうなる? ペインアブソーバーを切って拷問にかけるか? 晒し首にして見世物にするか? 好きにしろよ、茅場晶彦(ヒースクリフ)。お前はこの世界では──万能に近い」

 

 全知ではなくとも、全能に近い。偽りの神として君臨する魔王はふむ、と顎を撫でる。

 

「……少し君は勘違いをしているようだね、キリトくん。私は君を罰する気はさらさら無い。むしろ感謝している程だ」

「なに?」

「あまりにも可能性の低いルートだと考えていたからね。こうして君が私の正体を暴いたことにより、今や()()()()()()()()()()

 

 ……なるほど。

 茅場晶彦、お前は──。

 

「罰だなどとんでもない。聖騎士が魔王だと見抜いた英雄には、報酬を与えなければならない──そうだろう?」

「……ハッ。なら、さっさとこのクソゲーから出してくれ」

 

 ──心底から、俺の事が気に入らないのか。

 

「勿論だとも。君だけではない、すぐにでも全てのプレイヤーを解放してあげようじゃないか」

「………………」

「ただ、ひとつだけ条件がある」

 

 満面の笑みで。

 両手を広げ──茅場晶彦は告げた。

 

「私と1VS1(ワンオンワン)で戦い、勝利すれば──必ずや解放すると約束しよう」

 

 群衆がざわめいた。空中のホロスクリーンにアップで映し出される俺と茅場晶彦(ヒースクリフ)、そして垂れ流される会話。いつの間にか円形闘技場(コロッセオ)は静まり返っている。

 

 ……罰でもなく、拷問すら生温く。これはまさしく、

 

「拒否権はあるのか」

「拒否するというのかね?」

 

 ()()だ。確信と共に、大仰に腕を広げる魔王を睨み付けた。

 

「76層まで辿り着いた諸君らへの、そして私の正体を見事見破った“アインクラッド最強の剣士”への、これは正当な報酬だ。私を倒せば君たちは解放する。拒否する要因が、何処にあると言うのだね?」

「何もかもだよクソ野郎」

 

 歯を剥いて、嫌悪感も顕に吐き捨てる。

 

「【魔王】ヒースクリフだと言ったな。生憎と俺の中じゃ【魔王】っつーのはモンスターと同義なんだがね」

「ふむ。私の認識もそう遠いものでは無いな」

「つまりお前は、第百層フロアボスである【魔王】ヒースクリフと、1VS1(ワンオンワン)で殺しあえと──そう言うんだな、茅場晶彦」

 

 空気がざわついた。今更気付いたかのように、白々しくも茅場晶彦(ヒースクリフ)は声を上げる。

 

「おお、確かにそうなってしまうな。それはあまりに理不尽だ。私の体力はプレイヤーと同じにまで下げさせて貰うとしよう」

 

 ──誤魔化す気もないか。

 攻撃力は据え置きだと、言外にそれは宣言している。笑える話だ。あの《神聖剣》にフロアボスとしてのステータスを上乗せし、更にモンスターの権能(スキル)も与えるだと? 舐めている。

 断言しよう。茅場晶彦は、俺を殺す気だ。邪魔なのだろう。真実、計算外で予想外なのだろう。あのオーバーアシストで蹴散らすはずだった虫けらのひとつ。

 

 故に──()()()()()

 

「茅場、あんたの提案には賛成だ。こんなクソゲー一刻も早く出たいに決まってる」

「ほう、ならば──」

「だが、割に合わねえ。報酬がみみっちいにも程があるだろ、ラスボスさんよ」

 

 ぴくり、と。その眉が跳ね上がった。挑発とばかりに叩きつけてやる。

 

「世界の半分を寄越せとは言わねぇよ。だが、なんでも願いを叶えてやる……くらいは言って見せたらどうだ?」

 

「ふ、ふふ……ははははは! 確かにその通りだ。私とした事が、確かに足りないな。いいだろう、私の権限の及ぶ範囲ならばどんな願いも叶えてみせよう」

 

 呵呵大笑の後に茅場晶彦は快諾した。ま、そうだろう。神龍もびっくりの大盤振る舞い。だが、裏を返せば勝たせる気がさらさらないとも言える。

 

「君はその命を、私はこの世界の解放と万能の願いを賭ける。それでいいかな?」

「ああ……十分だ。じゃあ、」

 

「──駄目っ!」

 

 円形闘技場(コロッセオ)を引き裂くような、悲鳴にも似た声が響き渡った。首だけを傾けて振り向く。声の主は、顔を青ざめさせて、その栗色の髪を振り乱していた。

 

「駄目、駄目っ、絶対に駄目! こんな、あからさまな罠なんてっ!」

 

 ……アスナ。

 かつて低層では旅路を共にし、そして喧嘩別れに近い形で決別した元相棒。怜悧な采配と美貌が特徴的な才女が、顔をくしゃくしゃに歪めて叫んでいた。

 

「どれだけ時間がかかっても──百層に辿り着けばいい。みんなで力を合わせればいい。だから、今は──!」

 

 ……違うんだ、アスナ。

 いや、聡明な彼女なら理解はしているだろう。今この場で引き下がったとしても茅場晶彦は止めるまい。咎めるまい。ただ、他のプレイヤー達は違う。理解は出来ても感情は俺を謗るだろう。腰抜けと罵るだろう。たった一人でラスボスに立ち向かうなど死ねと遠回しに言っているようなものだ──だが、それでも。

 

 こんな地獄から今すぐ出られる方法があるとするならば、人間は願ってしまう。

 結局のところ、この状況において俺という存在は完全に()()()()()。どう上手く転ぼうとこうなる。故に、保険を遺してしたのだ。俺なんかがいなくとも万事上手くいくように。希望が潰えることがないように。

 

「……茅場」

「ふむ。なんだね」

 

 僅かに苦笑し、唇を動かす。アスナが目を見開いた。

 ──悪いな。

 

「紅玉宮に飛ばせ。ここは少し、騒がしい」

「了解したよ、英雄殿」

 

 茅場晶彦がぱちりと指を鳴らす。視界が歪み、暗転した。

 ──転移直前に響いた彼女の絶叫が、脳内で繰り返し反響し続けていた。

 

 

「ようこそ、キリトくん。我が王宮へ」

 

 ぐるりと辺りを見回した。大理石に艷めく宮殿。磨きあげられた床が陽光を反射する。だが何より鮮やかなのは、天蓋のない大空だった。地平線の果てに沈みゆく太陽。鮮やかな赤に染まる空は電子の偽物だと理解していたが、それでもなお見惚れてしまうほどの、美しい光景だった。

 

「綺麗だろう? 誇るがいい、ここに踏み込んだ最初のプレイヤーは君だ。この事実は未来永劫変わることは無い」

「……光栄だな。これが100層目ってわけか」

 

 その通り、とヤツが頷いた。浮遊城アインクラッドの頂点。広々とした空間に鎮座する宮殿が斜陽で紅く染まる。なるほど──これが紅玉宮と呼ばれる所以か。白い大理石の宮殿は一転して血のような赤い夕日に染められ、照らし出されている。茅場晶彦(ヒースクリフ)の白髪もまた、血に染まっているかのように紅く照らし出されていた。

 

「浮遊城アインクラッドの最上層へようこそ。何とも美しく、荘厳で──死に場所としては上等だろう?」

 

 瞬間、圧力(プレッシャー)が伸し掛る。ヤツは笑っていた。嗤っていた。元より生かして帰す気などさらさら無いのだと、雄弁にその気配は語っていた。

 

「……死ぬにゃ勿体なさすぎる景色だ。綺麗すぎて肌に合わねぇよ」

「ふ──ふ。この状況下で変わらずその大口を叩けるとは、流石はキリトくんといったところか」

「心にもない事は口にするもんじゃないぞ、茅場晶彦」

「とんでもない。これに関しては紛れもない本音だとも」

 

 ヤツがシステムコンソールを操作する。ふむ、と頷いて此方に向き直った。

 

「さて、ここからは君の勇姿はアインクラッド全域に放映されることになる。言動には十分気をつけて貰いたい」

「……随分と派手な公開処刑もあったもんだな」

「処刑などというつもりはないさ」

 

 だから、心にもないことを言うなというのに。

 剣を引き抜き、軽くステップを刻む。俺は頷いた。茅場は笑った。

 

 開幕の号砲も何も無く。しかし、()()終焉(ハジマリ)を告げる。

 

 

 

WARNING! WARNING!WARNING!

 

 

 ──誰にも止められぬ者(Unchained Enemy.)

 

 ──誰にも逃れられぬ者(Unfortunate Enemy.)

 

 ──誰にも理解されぬ者(Unknown Enemy.)

 

 刮目せヨ、顕現せシは(Overed Enemy……)君臨者である故に(Awaken.)

 

 

「さあ、始めようか」

 

 

 The Arch Enemy(魔王)

 

 

()()の戦いを、ね」

 

 瞬間。俺は全力で回避行動を行っていた。

 

 回避出来たのは、一重に運が良かったに過ぎない。斜陽を反射した剣戟。予備動作の予兆を感知していなければ間違いなく即死していた。真紅を纏った斬撃が空間を捻り斬る。剣圧に大気が軋んだ。

 ……なるほど、理解した。オーバーアシストとは言っていたが、違う。あれは単純に本気を出しただけだ。この【魔王】の能力の一端を、あのアバターで顕現させたに過ぎない。オーバーアシストを常に行ってこその【魔王】。超越個体(Overed Enemy)とは言い得て妙だ。

 

「君に勝利はない」

 

 ──権能起動(Skill Activate.)

 

 空間掌握(Field Remake)

 

「ごッ……!?」

 

 叩きつけられる衝撃。斬撃は回避していた。なんだかんだ言って人体構造から放たれる剣の軌道だ、やはり読める。先読みで回避すればいいだけのこと。だが、今のはわからなかった。理解不能、正体不明な攻撃に殴り飛ばされる。これは──大気──風圧──圧縮──いや、重力か。

 吹き飛ばされながら理解する。そして、瞬きの直後に眼前には剣が迫っていた。

 

「安心したまえ、君の遺志は彼らが継ぐだろう」

 

 ──権能起動(Skill Activate.)

 

 位階簒奪(Level Drain)

 

「ぐ、ゥ───」

 

 体を捩る。捻じる。頬を剣が掠め、一瞬での絶命をなんとか回避した。しかし視界の端には赤い警告(アラート)が表示されている。目を見張った。

 レベルダウン。察するにドレインスキルの最上位、最悪の奪取剣技に舌打ちする。

 だが、追撃は止まらなかった。魔王が剣を振り翳す。咄嗟に相打ち覚悟のカウンターを放つ。常軌を逸した速度だが、間に合う──!

 

「足掻かないでくれ。私は加減というものが苦手でね」

 

 ──権能起動(Skill Activate.)

 

 剣技剥奪(Skill Drain)

 

「……な」

 

 返しの剣を放つ軌道は完璧だった。だがその最中、何かが起動した。闇色のエンチャントが砕け散る。突拍子もなく消滅した魔剣に瞠目し、そして──。

 

「眠れ、歴戦の剣士よ」

 

 音速を越えた神速の剣が、視界を両断した。

 




 
  終
制作・著作
━━━━━
 ⓃⒽⓀ


※続きます。


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19/贋作

 

 

 剣を振り下ろした体勢で。魔王は、何の感情も写さぬ瞳でそれに尋ねた。

 

「……ふむ。理由を聞いてもいいかな」

 

 振り下ろした剣の先。迸るダメージエフェクト。鮮血のように赤い光を散らしながら、()()は睨み上げていた。

 

()()

 

 キリトは生きていた。ただ、呆然としていた。理解が追い付かず思考に空白が生まれていた。その口が震えながら開かれ──それをそっとユイは押し止めた。苦笑する。自分の存在そのものが削られている事実を実感しながら、己が父(創造主)に返す。

 

「私が」

 

 愛おしそうに、慈しむように、己が庇った少年の額を撫ぜた。

 

「私が、私の意思で、救いたいと願いました」

 

 それは意思だった。

 それは感情だった。

 生まれて初めて、数値として観測した感情を模倣しただけのものかもしれない。だが、ユイという存在は確かに一線を越えた。

 彼女自身の判断で、生まれて初めて──己の父への反逆を断行した。別段難しい話でもない。そもそもMHCPの中でもユイは権限が優遇されていた。カーディナルの電脳中枢の四割を掌握し、こうして定められた時まで虎視眈々と介入すべき時を見計らっていたのだ。

 

 そんな娘の姿を不思議そうに見やり、そして魔王は破顔した。()()()()()()()()()()()()()()と、ようやく本当の意味で理解し飲み込んだ。ゆっくりと剣を引き、穏やかに告げる。

 

「嬉しいよ、ユイ。君は本当に人間()()()なった。娘の成長というのは喜ばしいものだ。だが、同時に残念に思う」

 

 だが──その瞳は、あまりにも無機質に、少女を見ていた。

 

「そんな娘を手にかけねばならないとは、ね」

 

「っ……!」

 

 最短経路で、最速で、フロアボスとしてのステータスを最高効率で活用した剣が放たれる。あまりにも無機質で、非人間的で、そして単純過ぎるほどに正確無比な斬撃。それは既に完成され尽くしていた。

 それは、強さという次元にはない剣だった。

 ただの処理。ただの処刑。圧倒的な暴力で塗り固めた()()()。力の極地が、理不尽な速度でユイに迫る。

 

 ……硬質な感触。ほう、と魔王が息を吐いた。ユイは寸前で、彼女の大鎌で絶死の剣を逸らしていた。衝撃に耐えきれず壁に叩き付けられてはいるが、即死を免れている。

 なるほど、彼を模倣したのか──と、魔王はキリトを見やる。未だ放心しているそれから視線を切り、結論として()()()、という感想を抱いた。所詮は小手先、小細工に過ぎない。そう何度も受けられるものではなく、限界はくる。

 技術には限界がある。完璧な受け流しなど──存在しない。

 

「理解が出来ないな」

 

 魔王が告げる。淡々と、事実だけを挙げ連ねる。

 

「君は感情()()()()()を獲得したのかもしれない。だが、それ以上に理性を持ち合わせていたはずだ。わかるだろう? ユイ、君は死ぬ。君が庇ったキリトくんもまた死ぬ。誰も得をしない。私に歯向かうならば、それこそ彼が死んだ後にプレイヤーに肩入れをすれば良かっただけのこと。こうして露呈した今となっては、全て無駄と言わざるを得ないが──」

 

()()()()()()()()()()()

 

 真正面から、戦乙女(ヴァルキリー)は魔王を見据えた。

 

「何百年この浮遊城に篭ろうとも、理解出来ないでしょうね」

「……言うじゃないか。ならば、見せてくれたまえ」

 

 ──権能起動(Skill Activate.)

 

「人間の、可能性とやらを」

 

 聖剣限定解除(Limit Break)

 

 剣が、盾が、眩むような光を放つ。それは浄化の光。滅却の光。白き魔王が極光を束ねて構える。

 

 言ってしまえばそれは、“即死技”だった。

 

 本来この《魔王ヒースクリフ》は100層に至るまで、90層以降のボスからドロップする精霊核を九個揃えることで初めて弱体化し、まともにダメージが通り、攻撃を受け止められるようになるボスだ。ラスボスらしい設定と言えよう。そんなフロアボスであるが故に、当然ながら範囲即死技も持ち合わせている。これも同じように特定のアイテムを用いることで凌ぐことが出来るものだ。

 

 浄滅の極光。造物主が構える剣から放たれる熱量を感知し、ユイは静かに諦めた。あれは受け流すなどという次元を遥か超えたものだ。ふ、と唇を僅かに曲げる。元来、というか本来無表情だったユイが覚えた下手くそな笑い方。造物主が魔王だというのなら、彼女を育てたのはあの少年だ。

 

 MHCP001(彼女)は知っている──絶望しながらも生き足掻いた少年を。

 頭痛と吐き気に耐えながら剣を振り続けた日々。頻繁に襲ってくる自殺衝動を殺意で捩じ伏せる日々。剣を研ぎ澄ます瞬間だけは自己嫌悪を忘れられる。心を無理矢理漆黒に塗りつぶすことで正気を保っていられる。

 他者を拒絶し、死者を想い、己を嘲笑う。そんな心の奥で、いつも誰かが泣いていた。

 

「……貴方は、英雄なんかじゃありません。似合いませんよ、そんなの」

 

 英雄にしては陰気に過ぎる。誰かを殺すことでしか誰かを救えない。死にたがりの修練者。全くもって英雄から程遠い。潔癖症、完璧主義者のきらいがあるあの魔王が嫌悪して当然だ。

 

()()

 

 だが。それでも。だとしても。

 桐ヶ谷和人(キリト)に救われた人間は、確かにいるのだ。

 彼に感謝する人間は、いるのだ。

 彼を想う人は、いるのだ。

 

 ()()()()()

 

「ハッピーエンドしか……許されないでしょうッ……!」

 

 都合のいい覚醒などない──彼は英雄ではないのだから。

 極光は止まらない。ただ、彼女は知っていた。事実として、理解していた。

 

 

 

 

「まだ、だ」

 

 

 都合のいい覚醒などない。

 故にこれは、()()()()()()()調()()()()()

 

 彼女は笑う。それでこそキリトだと。絶望し意味も意義もなくなった果てでなお、立ち上がる者。元よりこの程度で折れる精神(ココロ)ならば、とうの昔に砕けている。故に必然。故に当然。

 

 ──桐ヶ谷和人は何者か。

 護るために戦うのか。否。断じて否。愛の為に戦うのか。それも否だ。

 愛すべきモノは喪った。恋い慕うモノは既に朽ちゆく過去。ならば、桐ヶ谷和人には何が残っている。何の為に魔王に牙を剥く。桐ヶ谷和人を動かすその衝動はなんだ。

 それはきっと陳腐で、ありふれていて、人類の誰もが抱く感情。愛よりも身近にあり、恋よりも確かに在ると教えてくれるモノ。

 即ち。

 

 ()()、である。

 

「……酷い顔ですね」

「黙って下がってろ。あれは、俺の獲物だ」

 

 ここに再定義しよう。

 桐ヶ谷和人(キリト)は英雄ではない。そんな輝かしいものではない。ならば何か。戦士でもない。剣士でもない。求道者など笑わせる。全くもって本質ではない。

 端的に言おう。

 

 

 ──桐ヶ谷和人は、復讐者である。

 

 

「来いッ、《暗黒剣》ンンンンン!!」

 

 権能(Skill)再励起(Reboot.)

 

 魔剣超過装填(Over Drive)

 

 咆哮する。既に心意の感触は掴んでいた。心の底、己の本質とも呼べる部分を浚ってカタチを成す。必要なのは“確信”だ。そこに理論はない。感情も必要ない。本能(ココロ)を出力すれば、万象は己に従う。法則は屈服し、世界は平伏する。叫ぶ、と同時に空間に闇が溢れた。《剣技剥奪(Skill Drain)》による封印を粉砕しながら暗黒剣は本来の主の元へと回帰する。魔王が愕然として何か呟こうとする。

 

 手中の黒剣が高らかに吼える。猛り狂い、そして──。

 

消し飛べ(エグゾースト)

 

 全てを塗り潰す黒が、浄滅の白を呑み込んだ。

 

 音も光も、全てが消えていた。全ての処理が追い付いていなかった。物理演算が停止する。描画処理が悲鳴をあげる。そこに過程は存在しない。

 ただ、結果だけを告げるなら。

 

 紅玉宮は、文字通り()()した。

 

「……《剣技剥奪(Skill Drain)》の封印を解除し、聖剣の解放を相殺したか」

 

 魔王が呟く。損傷は軽微。ただ、眼下ではアインクラッドの頂上である100層が崩壊を始めていた。与えられた権能(スキル)によって当然のように空に立ちながら、同じように当然のような顔をして浮かぶ少年に問うた。

 

「ここまでが、君の想定内なのかね。キリトくん」

「そうだと言えばどうする、茅場晶彦……いや」

 

 心意システム。茅場晶彦の創り出した傑作の中でも欠陥品と呼ばれた、時代の数世代先を行く感情を数値に変換するシステム。

 完成はしていた。だが、致命的な欠陥があったのだ。それは、AIには制御不可能であるということ。感情を有さない存在が、感情を力とするシステムを御せる道理がどこにある。

 そう、制御出来なかったのだ。カーディナルにも、そして──目前の魔王にも。

 

「茅場晶彦の、贋作(フェイク)

 

 そう告げられた《魔王ヒースクリフ》は、静かに瞑目した。

 

「……ああ、そうだな。認めよう。私は茅場晶彦本人ではない」

 

 茅場晶彦という人間は、もうこの世に存在しない。

 存在するのは茅場晶彦が自殺行為に等しいスキャニングで取り込んだ、茅場晶彦の記憶と意志と思考を継ぐデッドコピー。未来永劫電脳空間を生き続ける哲学的ゾンビ。

 それこそが──《魔王ヒースクリフ》。100層のフロアボスにして、アインクラッドの最高位管理者(アドミニストレータ)

 白日に晒された真実に、アインクラッド中のプレイヤーが息を飲んだ。

 

「……哀れむかね? だが、『私』はこれを必要だと思って行ったのだ。浮遊城アインクラッド……【ソードアート・オンライン】というゲームは、私自身がその背景に融合することで初めて完成する」

「哀れみもしねぇし、興味もねぇよ」

 

 吐き捨てる。小脇に抱えられたユイはぷらぷらと手足を揺らしながら、まあそうだろうな、という感想を抱いた。彼は英雄ではない。故に哀れみもしないし同情なんて欠片もない。

 ただ、理解が出来ないモノとして処断する。それだけだ。

 

「コピーだから、茅場晶彦のせいじゃない──なんてふざけた事を吐かすつもりもないんだろう」

「無論だ。私は『私』の意思で私である。《魔王ヒースクリフ》の決断は即ち『茅場晶彦』の判断であり、逆もまた然りだ」

 

 故に、と。虚ろな瞳の魔王は、キリトを見つめながら告げた。

 

「私は君を否定する」

「随分な評価だな」

「君は、魔王を討つに相応しくない──英雄では、ない」

 

 は、と少年は唇を僅かに歪めて笑った。あまりに下らない指摘だった。

 

「当たり前だ。俺を英雄なんて呼ぶ馬鹿がいる訳あるかよ」

「《魔王ヒースクリフ》は英雄によって討たれなければならない。その点で言うなら、君が後継者として認めていたユウキ……彼女は素晴らしい。《二刀流》に選ばれたのも納得がいく。あれならば、私は──」

 

「何を勘違いしている、茅場晶彦」

 

 闇色の瞳が、魔王を見据えた。

 

()()()()()()()()()()()? 勘違いも甚だしい。反吐が出る。デッドコピーだからか知らねぇが、随分と見当違いの思い込みをしてやがる」

 

 剣が魔王へと向けられる。滔々と、桐ヶ谷和人は言葉を紡いだ。

 

「はっきり言ってやる。お前は、自分の死に場所を選べるほど上等な身分じゃねぇんだ──身の程を知れよ、犯罪者」

 

 茅場晶彦の表情から、全ての色が抜け落ちた。全くの無。感情の消えた能面のような顔で、魔王はキリトへ向き直る。

 

「言ってくれるじゃないか、キリトくん。──勝った、つもりか?」

 

 空間が揺れた。それは権能(スキル)の胎動を意味している。

 

心意(シンイ)システム? 馬鹿馬鹿しい。それにも限界はある。本来弱体化を前提に設定されたフロアボスのアバターは無敵に近い。体力は据え置きだとしても、先程の一撃を受けてなお一割も削れていない……」

 

 事実だった。あの一撃を受けても、《神聖剣》の防御力と《魔王ヒースクリフ》のステータスによって一割弱にまでカットされている。攻防ともに無敵に近い。弱体化を前提としたボスの能力は、計り知れない数値となっている。

 

「心意は万能ではない。君は勝てないんだ、キリトくん」

「……話は終わりか?」

 

 ──その事実の全てがどうでもいいことだと、キリトは一蹴した。

 

「随分と御託を並べてくれたようだが、眠くて仕方ない。お前は議論がしたくてここにいるのか」

「なに──?」

「言いたい事があるなら、()()()()()

 

 剣が織り成す世界(ソードアート・オンライン)で、言葉を連ねる不毛さ。その馬鹿馬鹿しさにキリトは半笑いを浮かべる。魔王は瞠目し、そして認めた。

 

「……いいだろう。これ以上の問答は不要だ。私は、君を倒す」

「倒す? は、綺麗なおべんちゃらがまだお好みか」

 

 《暗黒剣》が体力を啜る。変換されたエンチャントが剣に満ちる。

 

「──殺すって、言えよ!」

 

 衝撃が、偽りの天を揺らした。

 

 

 

 







>>魔王ヒースクリフ
 既に人をやめた者。人を逸脱した者。
 故に、魔王である。

>>MHCP001
 人を理解した電子の少女。


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20/決着

※本日更新二話目。ケッチャコ……






 

 

 

 

 あのガキが、俺を庇った時。自分でも嫌になるほど動揺してしまった。

 何も似ていないのに。何もかも違うのに。何故か、『彼女』と重なってしまって。

 

 ──腸が煮えくり返るほど、自分に腹が立った。

 

「立てるか、ユイ」

「は、はい……多少なら」

 

 弱々しいが、心意で力場を作って立っていることを認めて手を離す。流石にラスボスを前に、ガキ一人を庇って戦えるほど余裕はない。こうして空中で足場を作って跳んだり跳ねたりしているだけでも精神力がガリガリ削られているのを理解する。心意は無敵ではない。

 だが──そろそろ、慣れてきた。

 

「行くぞ、ヒースクリフ」

 

 空中において戦場は三次元だ。あらゆる角度からの攻撃に注意しなければならず、それは地上戦の常識から乖離している。魔王の動きは明らかに鈍い。そもそもアインクラッドは空中戦を想定したゲームではない。

 ……ただ撃ち下ろすだけじゃあ芸がないぜ、魔王サマ。

 

爆ぜろ(バースト)

 

 エンチャントを爆発に変換し、空中で得た推進力。不規則な三次元軌道を描いて急速上昇し、足場を作り蹴り上げ、死角を叩き斬る。《神聖剣》の弱点は一方向に特化した防御であるということ。地上戦ならばまだしも、こうなれば好き放題に攻撃は通る。

 

「くっ──《空間掌握(Field Remake)》」

 

 空間が歪む。崩壊していた100層が揺らぎ、紅玉宮がその姿を取り戻していく。同時にヒースクリフが転移。なるほど、空間そのものに干渉するスキルか……強すぎだろ。弱体化前提という話にも納得が行く。

 

「とりあえず、それ潰さなきゃな」

「出来る、ものなら──!」

 

 だが近接戦においては使わない。恐らくある程度の予備動作(モーション)、或いはどうしても隙が生じるのだろう。ならば距離を取らせなければいい。重力変化の面制圧攻撃を視線で読み、回避しながら彼我の距離を詰める。無表情が僅かに歪んだ、気がした。

 

「ちィ……!」

「焦りが見えるぜ、魔王さんよ」

 

 煽る。だが余裕があるわけでは決してない。むしろ薄氷の上を渡っている気分だ。レベルドレインにこちらの剣技を封じてくるチート技、あれがある限り決定打に欠けるのは間違いないからだ。消耗戦は明らかに不利。どうにかしてあのスキルを剥がす必要があるが──。

 

「……ああ、なるほど」

 

 視界の端に表示されたメッセージを見て、全てを理解した。そのままメインウィンドウを開き──やめた。面倒だ。手を翳し、呟く。

 

「《剣技換装(Exchange)》」

 

 システムコマンドそのものへの接続。出来ると思った。否、出来ると確信していた。これが心意の基礎にして極意。疑わないこと。文句は言わせない。元より、チートはお互い様だろうヒースクリフ──!

 

「《空間掌握(Field Remake)》──虚像空域(ホロウエリア)で永劫に眠るがいい……!」

 

 その一瞬の隙に魔王は権能を発動させていた。空間が歪む。致命的な場所へ転送される予兆。だが、それは。

 

戦術設置(インストール)

 

 予兆ごと、その権能(スキル)は機能を停止した。

 

「………なん、だと?」

「《罠術》。なんとも癪に障るが、まあそれを止められるのはこれっぽかったからな。無効化させて貰った」

固有剣技(ユニークスキル)の、重複所持──この土壇場で、だと!?」

 

 魔王が歯噛みする。復讐者は嘲笑する。

 

「ユニークスキルは全部で十。いや、《神聖剣》を除いて九つ。その一つ一つが、お前の権能を封じる為に存在している……違うか?」

「君は──何処まで──」

「出せよ、残り八つ……!」

「──私の計画を破綻させるつもりだ……!」

 

 手を振るう。《剣技剥奪(Skill Drain)》により《罠術》は封印され、更に新たな権能(スキル)が起動する。揺らぎながら無数の剣が出現する。天を覆う剣雨はさながら終末を連想させた。発動した時点で回避不可能、即死は免れ得ない圧倒的質量の暴力。

 迎撃可能剣技検索──該当無し/検索結果更新/該当一件。

 

 ──《剣技換装(Exchange.)》。

 

暗器共鳴(レゾナンス)

 

 それらが射出される直前、その悉くが叩き落とされる。ユニークスキル《手裏剣術》。投擲した剣が分裂しながら飛翔、相殺した。粉砕される権能。解除すると同時に心意で手元に呼び戻す。空間を引き裂いて手中に収まった。

 ……自動発動した《剣技剥奪》により《手裏剣術》が奪われる。ここから先は、半ば使い捨てになるということだ。封印解除に心意は使わない。元より使いこなせないスキルなど、奴の権能を相殺できれば十分。

 

「継承条件を無視している、のか……!? いや違う! ()()()()()()()()()!」

 それは驚愕だった。畏怖だった。肯定しよう。今の俺は──()()()()()()()()、アインクラッドにおいて、頂点に君臨している。

 

「ユニークスキルの重複所持は、可能だ。所詮はただのエクストラスキルの一つ。共有は出来なくても独占は出来る。あいつを殺した直後に《罠術》を継承したことで、それは確信に変わった」

「ありえない……既に重複所持をしていたなど、私が見落とすはずが……!」

 

 すぐに修正(パッチ)を適用するに決まっている。元より異常値を叩き出すプレイヤーとして着目していたのだから。だが、そんな報告は魔王の元へは上がっていない。故にありえない。

 ──何者かが、意図的に情報を操作していなければ、という但し書きがつくが。

 

「ユイ、お前が──!」

「私はプレイヤーの味方ですよ、お父様」

 

 顔が歪んだ。計画は滅茶苦茶だ。想定外の変数から全ての計画が崩れていく。あの場面で正体が露呈することも、《二刀流》の正規所有者でない存在と戦うことも、未だ始末出来ていないことも、何もかも。

 

「キリトくん……いや、桐ヶ谷和人! 君は、あまりに危険過ぎる!」

「はン──今更の話をするなよ、茅場晶彦ォ!」

 

 剣技換装(Exchange.)──《抜刀術》。

 ゆらり、と剣を構える。こちらを明確に敵視した魔王の権能、それにより展開される無数の透明な障壁。ひとつひとつが絶望的な強度と厚さを誇りながら顕現する。《暗黒剣》のエンチャントを付与しようとあれを穿つことは出来まい。

 ……だが、このユニークスキルの前ではいかなる防御も無為となる。剣気が満ちた。

 

一閃撃発(イグニッション)

 

 三秒ごとに総体力と同量の障壁を展開する権能が、居合抜刀に叩き斬られそのまま停止した。堪らず魔王が後退する。ただ同時に、その右手に握られた剣が振るわれた。

 

「くッ──《聖剣限定解除(Limit Break)》……!」

 

 極光が収束する。再度の殲滅技が、しかし変則的に形を変えて放たれた。全方位に放った聖剣の白。面制圧(プレッシャー)技を回避する術はなく、ばらまかれた即死級の浄化の極光は──。

 

闘気硬化(インパルス)

 

 停止した《抜刀術》をパージ。換装した《気功術》の無敵化によって、抜ける。同時にこの身を侵食しようとしていた《位階簒奪(Level Drain)》がひび割れ、砕けた。悲鳴に似た破砕音。

 ただ──間合いは開いた。聖剣の再装填(リロード)。空中を踏み締めながら魔王は眼下の復讐者に向け振り抜く。今度こそ収束させた一撃は、無敵によって抜けることは不可能──。

 

()()、シノン」

 

 言われなくとも、と返された気がした。

 継承条件──クリア。剣技継承可能。

 

 剣技継承(Transfer.)

 

魔弾収束(クリティカル)

 

 ()()()()から放たれた黒い()()()()が、空間を引き裂きながら極光の奔流に穴を開けた。同時に空中移動を可能にしていた権能が穿たれ、砕ける。魔王が地に墜ちる。

 

「使えるな、これ……万象錬成(ジェネレイト)

 

 ユニークスキル《錬金術》。《弓術》実行前に黒剣を弓へと変性させたのはこの固有剣技だ。その黒剣を更に別の形状へと変える。

 

「《無限槍》……行くぞ、サチ」

 

 剣から弓へ、そして槍へ。別物となった得物を引き絞り狙う。間合いは無限、彼我の距離は強制的に零となる。

 ──誰かが、傍らで微笑んだ。そんな気がした。

 

葬槍展開(リリース)

 

 回避不可能な一撃が魔王の胸を穿つ。葬槍による一撃は隠されていた不死属性(イモータル)の権能を貫通し、阻害する。死という概念が初めて魔王に付与された。

 瞬間。ぎろりと、魔王の瞳が俺を見据えた。《無限槍》、《錬金術》が続け様に封印される。ただ、そこ止まりだった。こう何度も喰らえば理解する。《剣技剥奪》の発動条件のひとつは「視界の範囲内に存在すること」。脱ぎ捨てた黒い外套(コート)が一瞬、魔王の視線を遮断する。

 

 それで、十分だった。ストレージから引き抜いたもう一振の剣を構え、疾駆する。

 

「借りるぞ、ユウキ……!」

 

 剣技継承(Transfer)──《二刀流》。

 英雄の力を、この一瞬だけこの身に宿す──!

 

双刃駆動(エンゲージ)ィ──墜ちろよッ!」

 

 倍加した手数。超高速で閃く連撃。凌がんとする盾を叩き落として《剣技剥奪(Skill Drain)》の権能を切り裂く。苦悶の声。完全に機能停止する直前に《二刀流》が封じられた。本来《暗黒剣》こそがこれを封じる為のもの。知っていた。だが、俺は《二刀流》を使い捨てた。

 権能は封じた。だが、まだ残っている。揺らぐ聖剣。歯を剥いて笑う。最後に換装したのは、《暗黒剣》。左手の剣を投げ捨て、右の矛盾存在(ジ・アノマリー)を振りかぶる。

 最後の心意はここに。意志を叩き込んで制限されていた《暗黒剣》のアクセルを踏み抜く。HPのリソースの全てをくれてやる──!

 至近距離で、対極の力が弾け飛んだ。

 

魔剣超過装填(Over Drive)──!」

 

聖剣限定解除(Limit Break)……!」

 

 鍔迫り合いの状況から激突する白と黒。風景がモノクロとなり、コマ送りとなり、その中で互いだけを認識しながら吼える。どちらも互いを認められない。存在を許さない。ああ、そう考えれば似た者同士か。ふざけた話だ。

 

 ──軋む。

 全身が軋む。本来、この出力は人間(プレイヤー)には耐えられない。心意によって無理矢理補強することでなんとか出力を聖剣と拮抗させているのだ。この暴れ馬め、と毒づく。

 

 ……本来、俺はここで死ぬべきだった。

 《魔王ヒースクリフ》の戦い方を引き出すだけ引き出して、死ぬ。それが役割(ロール)だった。その方が確実であり、何より満足のいく()()()だろう。主を失った《暗黒剣》は誰かに継承され、九つのユニークスキル所有者が揃い100層で撃破する。旗頭はユウキ。ああ、美しい結末だ。実際、それを想定していたし覚悟もしていた。

 

 していた、つもりだった。

 

 俺は死に場所を探していた。実際死にたいと思い、願っていた。だが気付いた。気付かない振りをしていたものに気付いてしまった。

 

 頼れ、と誰かに胸を叩かれた。

 悔いるな、と誰かに背を押された。

 救いたい、と誰かに願われた。

 

 見て見ぬふりしていたもの。絆されていく自分が怖かった。彼女を忘れてしまうようで、許せなかった。忘却の果てにこの憎悪が薄れることを恐れていた。

 

 ああ、そうだ。俺は、あいつがいない現実でも生きていたいと──いつしか、思うようになってしまっていたんだ。

 歯を噛み締める。それでいいのだと、優しく囁かれた。そんな気がした。

 

「茅場、晶彦」

 

 聞こえはしないだろう。だが、音も光も消えた世界で、壮年の男と睨み合いながら口を開く。

 

「俺はあんたを許さない」

 

 当然だ。しかし──。

 

「でも、あんたの善性を信じることにするよ」

 

 かつて人間だった亡霊が瞠目する。それが、最後に見た景色だった。

 互いに崩壊していく仮想体(アバター)。超新星の爆発にも似たエネルギーの奔流が100層を粉砕し、分解し、消滅させていく。ポリゴンごと蒸発していく。

 

 ……結局相討ちという形でしか魔王を殺せないのが俺らしい。諸共に死ね。剣が限界を迎え、自壊を始め、そして──。

 

 

 

 

 ────。

 

 ────────。

 

 ─────────────。

 

 

 

 

『……認めたくはないが、嗚呼。全く以て認める気は起きないが、しょうがない』

 

 

『君の勝ちだ。キリトくん』

 

 

 

 

 

 

──ゲームはクリアされました。

 

 全プレイヤーのログアウトを順次行います。

 

 暫く、お待ちください──。

 

 







>>ユニークスキル
 《魔王ヒースクリフ》の打倒の為に作られたスキル。それぞれが権能を破壊する機能を持つ。要は、ソードアート・オンラインはRPGだという話。

>>キリト
 チートや!こんなんチーターや!


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21/終幕

※本日更新三話目。






 

「で、何処だよここ」

管理室(コンソール)、と言えばわかるかね?』

「……ま、大体はな」

 

 宿敵。怨敵。天敵。先程まで絶叫しながら殺し合っていた男の顔を見て、舌打ちする。同様に向こうも俺を見て眉根を寄せていた。なるほど、俺たちは同じようにお互いが嫌いで仕方ないらしい。結構な話だ。好かれているよりは余程マシ。虫唾が走る、というやつだ。

 何処までも白い空間で、胡座をかいて俺は『茅場晶彦』と向かい合う。ヒースクリフの姿でもなく、魔王のアバターでもない、本物の『茅場晶彦』だった。

 

「おい幽霊。なんで俺はこんな所にいるんだ」

『しょうがないだろう。私とて君の処遇には頭を痛めているんだ。何せ、あれは相討ちという名の決着だ。本来であれば君の死は確定している』

「細かい事にうるせぇ奴だな……お前をぶっ殺したんだから俺の勝ちだろう」

『君が細かい事に拘らなさ過ぎるだけだ。第一、あんなクリアの仕方を私は認めない』

 

 ぎろりと、研究員らしき白衣を纏った男は俺を睨み付けた。

 

『君には美学はないのか。最後なんて心意のゴリ押しだろう』

「お前を殺せたらそれでいい。結果が全てだ」

 

 鼻で笑ってやれば溜息を吐かれた。殺すぞ。

 

『……確かに、私を倒したのは君だ。故に約束通り、私に叶えられる範囲であれば願いを叶えよう』

「思い切りがいいな。随分太っ腹じゃねぇか」

『敗者の責務というものだ』

 

 全く以て忌々しいが致し方ない、と言いたげな口調と雰囲気に嘲笑する。ある種GMとして誠実な姿勢には多少評価を上方修正する。……ただ、よくわからん権能乱発して殺意マックスで殺しに来たことを思い出してやめた。やっぱ死ねよ。殺したけど。

 

「ああ──ただ、お前を殺したのは俺だけど、切っ掛けを作ったのは別だ」

『ほう?』

「アスナからのメッセージ。あいつが『ユニークスキルで権能を封じられる』って送ってこなけりゃ、気付かないままてめぇとあのまま殴り合ってただろうよ」

『……なるほど、彼女が』

 

 ユニークスキルの存在を疑問視していたが故に、あの場面の理不尽な権能を見て思い至ったのだろう。憶測に憶測を重ねた話には過ぎなかったが、結果的にユニークスキルの存在は《魔王ヒースクリフ》を撃破するためにある、という仮説は正しかった。

 ……そう考えると、ユニークスキル保有者が全員揃わないとキツいあたりやっぱクソゲーだわSAO。《魔王ヒースクリフ》の強さも明らかにデスゲームでやっていいものではない。

 

「茅場。クリア時点での死亡者は何人だ」

『……4138名のプレイヤーがキャラクターをロストしている。正直な話、想定外ではある。三分の一も残れば上等だと考えていたが──』

「そうか」

 

 瞑目する。そして、静かに俺は告げた。

 

 

 

「全員を、生き返らせてくれ。それが俺の願いだ」

 

『……キリトくん。意味を理解しているのかね? 私はこのゲームの開始時点で告げたはずだ。このゲームで死亡すれば現実世界では脳を焼き切られると』

「そうだな。……嘘だろ、それ」

 

 淡々と、指摘した。

 

「お前は犯罪者だ。狂人と言ってもいい。端的に言って頭がおかしい。さっさと死ねよ」

『唐突な罵倒だな。だが、否定はしない』

「けどまあ──お前は自分の夢を叶えたいが、別に仮想現実(VR)という境地の未来まで潰したいわけじゃあ、ない」

 

 数瞬の無言。続けろ、と仮想現実の第一人者だった亡霊は促した。

 

「お前の夢を叶えるのに、別に人を殺す必要性はないんだ。こうして箱庭に閉じ込めて足掻く様を見ているだけで十分だろう。お前の言葉を真実かどうか見抜く術なんて俺たちには無かったんだから。……だから、本当に殺しているのだとしたら、それは自己満足以外の理由を見い出せない」

 

 故に、俺は──。

 

「だから言ったんだ。“お前の善性を信じる”って。お前はゲーム開発者である前に研究者だ。お前の夢のせいで仮想現実という技術の可能性を潰し、道を鎖すのは本望じゃないだろ」

 

 流石に数千単位で死ねば、バッシングは免れない。当たり前の話だ。普通、それだけ死ねば反VR勢は必ず現れる。危険だと騒ぐ。仮想現実は確実に十数年単位で停滞し、技術革新は行われない。科学は足踏みを余儀なくされる。

 全て、この男の起こしたSAO事件のせいで。

 

『所詮は全て推測、というわけか』

「そうだ。論理にもなってない、推測の上に憶測を積み上げた希望論だよ」

『単に君が、彼女を生き返らせたいだけの盲目的な願望にしか聞こえないな』

 

 皮肉るような声。殺意と共に睨み上げる。そして、吐き捨てた。

 

「そうだ。それがどうした」

『……そう、か。少し、私は君のことを勘違いしていたようだ』

 

 感情のない男が、感情を失った亡霊である男が、口元を歪める。

 

『結論から言おう。君の推測は正解だ。“茅場晶彦”は元より殺すつもりなどなかった。いや、ナーヴギアに仕込んでいるのは真実だがね。ただ、プランとしては取るべきでないと判断していた』

「ッ、それじゃ──」

『ただ、条件がある』

 

 指を立て、『茅場晶彦』は言葉を紡いだ。

 

『君達にはSAOでの二年間の記憶、全てを失って貰う』

 

「──そ、れは」

 

『仲間と共に歩んだ記憶。恋人と愛を語らった記憶。それらが全て無に帰す。君たちは剣士から人間に戻り、浮遊城アインクラッドはなかったものとなる。事件は、起こらなかった』

 

 ……なるほど。

 合理的だ。恐らくはこの二年間の記憶は脳に届く前にナーヴギアのストレージに格納されているのだろう。それを破棄することで、SAO事件そのものをなかったことにする。文句の付けようがない。文句を言う前に記憶を失っているのだから。

 

『私が提示できる選択肢は二つ。このまま、記憶を失うことなく現実へ戻る。もうひとつは、死者を全て蘇らせ──例外なく全員から、二年間の記憶を消去する』

 

 その言葉を聞いて。元より、迷う余地などなかった。

 

「生き返らせてくれ」

『……いいのか。君が生き返らせるサチくんは、もう君の知るものでは無い。元より君も彼女もお互いに知らない。そこに何の意味が──』

「馬鹿かよお前。別に俺は、あいつが欲しいわけじゃない」

 

 愛を伝えたい訳でもない。そんな資格は俺にない。ああそうだ、あの日からずっと──あいつに出逢った時からきっと──。

 

 

「──あいつが、幸せに、生きている。それだけで十分だ」

 

『……いいだろう。全プレイヤーのログアウト処理終了後、記憶の消去を行い、解放する』

 

 全く、徹頭徹尾──君の勝ちだ、桐ヶ谷和人くん。

 

 呟くように。『茅場晶彦』は言葉を吐き出した。

 

『……君は1層の頃からずっと想定外であり、異分子であり、理屈に合わない計算外だったよ』

「そーかい。そいつは嬉しい話だ。お陰で自慢の計画は滅茶苦茶か?」

『全くその通りだ。完敗だよ』

 

 一瞬だけ、その苦笑がヒースクリフのそれと重なった。お前はあの血盟騎士団の奴らのことをどう思っていたんだ──と聞こうとして、やめた。終わった話を、それこそ忘れる話を聞いて、どうする。

 

『……君以外の全員のログアウト処理が終了した。これから君もログアウトし、記憶消去が行われる』

「そうか。このクソゲーとおさらば出来て感無量だな」

『トッププレイヤーにそう言われては立つ瀬がないな。……では』

 

 

『さようなら、剣士キリト。最後まで私の想定外だったプレイヤーよ』

「じゃあな、『茅場晶彦』。二度とお前の面を見ることがないのにせいせいするよ」

 

 そう返したと同時に、視界に、光が溢れて──。

 

 

 

 

 ……

 …………

 …………………………

 

 ………………………………Now Loading.

 

 …………Good Bye// Players.

 

 

 

 

 …………

 ……………………

 

 ………………………………………………………て。

 

 ……………………………………きて。

 

 

「起きろっつってんのよ馬鹿兄貴!!!」

 

 衝撃と共に叩き起される。ごぼぁ、と不可解な音とも声とも取れない叫びをあげて俺は沈んだ。痙攣する身体から容赦なく布団が剥ぎ取られる。ぎろりと俺を睨む視線。きっと寄せられた眉からは勝気なんてものじゃない性格の苛烈さが察せられる。更に下へと視線を移せば同年代ならば一撃でノックアウト出来そうな谷間があった。我が妹ながら豊かに育ったものである。

 

「──死ね」

「なんで……」

 

 ギリギリと力を込めて手首を踏みつけられる。痛い痛い痛い。ギブギブとタップすれば鼻を鳴らして足がのけられた。暴力反対。そもそも()()()()()()()()()のだからもうちっとばかり優しくして欲しいものである。

 

「で、何か言う事は?」

「……おはよう、直葉」

「おはよう、馬鹿兄貴」

 

 常の如き、兄妹(きょうだい)のスキンシップだった。

 

 

 

「今日も元気ねえ。おはよう和人」

「おはよう、母さん……」

 

 どたばたと忙しく駆け回る母さんの通って洗面所で顔を洗う。相も変わらず不健康そうな面だ。うに、と頬を抓ってみる。多少は肉が着いてきたか。一時は直葉に肉を食え!と馬鹿みたいに食わせられて腹を降したこともあったか──と思ってげんなりする。アホだ。我が妹ながら単細胞生物の極みみたいな所業をさせられたなぁ、と思いながら溜息を吐いた。……ただまあ、あんな顔を見せられたら逆らうに逆らえない。

 

 二年間、俺はナーヴギアに接続したまま寝ていたらしい。

 気付けば二年経っており、被害者一万人一同全員無事に生還。まさに眠り姫、実際記憶もなく死人もなく爆睡していただけなのだから半ば笑い話のようだ。ぶっちゃけ気分は浦島太郎である。寝てる間にゲームソフトばかすか出てるし。

 ……ただ、俺が起きた最初に飛び込んできたのは半泣きの直葉の顔だった。いつも馬鹿馬鹿と罵ってくるが、なんだかんだ家族の情があったのだと感心してこちらも少し涙してしまった。いや嘘。普通にごめん、と謝りながら貰い泣きしてしまった。

 

 ──ただ。こんなにあっさりと、しかも何事もなく終わったことを鑑みるに、やっぱり原作知識なんざ欠片もあてにならねぇな、と思う。

 あ、実は俺は桐ヶ谷和人であるが桐ヶ谷和人ではない。哲学のように思えるが事は単純、前世の記憶があるのだ。虫食いのようだし名前も思い出せないくらい摩耗しているが、オタクだったのは間違いない。SAO読んでたくらいだし。

 

「和人、はやくしないと遅刻するわよー」

「わぁーってるよ母さん」

 

 おざなりに返事をし、よし、と頬を叩く。目覚めてから二ヶ月。まだ病院への通院は継続している。そろそろ何の問題もなく解放されるだろうが、まだ通わなければならない。……てか、俺学校とかどうすんの? ひょっとして中退扱いなのか? 中学中退とかシャレにならんぞ。いや、前世ブースト含めりゃ高校範囲までなら全然余裕……余裕……いやダメかもしれん、うーん……。

 

 とはいえ今考えてもしょうがない。政府の偉い人がどうにかするに違いない、うん。そう考えて朝食を済ませ、学校に行くついでに俺のケツを蹴り上げていった直葉を見送って、母さんの車に乗り込むのだった。

 

 ……俺、そう考えると直葉に最終学歴負けることになるのか? ウッソだろお前……。

 

 

 

 

 ここで待ってるのよ、うろちょろするんじゃないわよ、ソシャゲの課金は月額三千円までね──という多少過保護気味に感じられる母さんの言いつけに辟易としながら頷き、ベンチに座って待つこと十五分。うーん暇だ。暇すぎて時計の秒針の音に聞き惚れてしまうくらいには暇。前の人の検査おっせぇなー、と思いながら欠伸を漏らし──突然ガチャリと扉を開けて飛び込んできた瞳と、視線が交錯した。

 

「…………えっと」

「あ、どうも……」

 

 隣いいですか? という言葉に一も二もなく頷いて譲る。ちらりと、さりげなく視線を向ける。ただ、またもや視線が合ってぎょっとした。くすくすと笑われる。どうにも歳上のようだ。少しやつれているようにも見える。

 ひょっとして、と考えて言葉を発する。

 

「貴女もひょっとして、SAOの……」

「あ、やっぱりキミもそうだったんだ! よかったぁー」

 

 違ったらどうしようと思って、とはにかむ姿に目を奪われる。別段特別美人という訳では無い。俺に歳上趣味があるわけでもない。ただ何故か目が離せなかった。鼓動が跳ねる。何気ない仕草のひとつひとつに目を奪われる。

 

「いやー、私本当は高校一年生だったのにね。気付いたらもう受験生だよ、ほんとびっくり。友達のみんなとナーヴギア買ったんだけど……気分は浦島太郎、って感じでさ」

「あ、わかります。俺も起きたらもう髪も背も伸びまくりで違和感がほんと……」

 

 暫し談笑した後に、はたと彼女は気付いたように手を口に当てる。あらいけない、と微笑んだ。星空のように輝く瞳に吸い込まれるようで。

 

「ごめん、自己紹介もしてなかったね。私の名前は───」 

 

 

 





 ──なんかハッピーエンドしか許されない主人公に転生したようです。[完]




>>桐ヶ谷和人
 イキリト。説明不要。
>>桐ヶ谷直葉
 ブラコン。つよつよ剣道少女。
>>病院のベンチで出逢った少女
 誰なんでしょうね……(すっとぼけ)


>>本作
 憑依転生イキリトの物語。ハッピーエンドしか許されないんだから当たり前だよなぁ? やりたい放題やったけど許し亭ゆるして……。


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EX/設定(&あとがき)

 ぶっちゃけて言います。こんなに伸びると思ってませんでした。ゲロ吐きそう。なんで僕は一万人以上の読者背負って書いてるんですかね? Why?

 初めは悪戯心でイキリト構文にしたんですけどね……どうしてこうなったんでしょうね……(震え声)。

 結局もうラストも好き放題爆走してフィニッシュ。叩かれてもこれはしゃーない。でもそんな本作に最後まで着いてきてくれた方には全霊の感謝と五体投地を捧げます。愛してるよチュッチュ。

 

 正直オチに関しては「これ茅場じゃ有り得ねーよ」「そもそもSAOではない」「ユニークスキルのバーゲンセール」「うんこ!」などの意見があると思います。僕もうんこ!って叫びながら書いてました。

 ですが、これ──イキリトの話です。

 最初から、徹頭徹尾、イキリトの物語です。

 もうイキリトだししょうがねぇな、という気持ちで納得して頂けたら幸いです。作者なんも考えてねぇな。ちなみに山田タマルのyesをヘビロテで聴きながら書いてました。

 

 そんなわけで設定開示します(強引)。

 

>>キリト(憑依)

 転生したら両親事故死して引き取られた先で桐ヶ谷和人になり、茅場晶彦の名前を聞いてあっそっかぁ……(諦観)となった系男子。そのままSAOへIN。

 低層では大体プログレッシブと同じノリでツンケンアスナさんとコンビを組んでいたが、イキリトくんの一般人メンタルがゴリゴリ最前線で削られ日和った結果喧嘩別れに。その後サチと出逢い、離別し、覚悟完了イキリトへ変貌。ここら辺から本編スタート。

 

 ソードスキルを使わずに技術とレベル差のゴリ押しで圧殺するタイプ。純粋な駆け引きと読みなら原作超え(ただし戦えば直感と反応速度で負ける)。相性抜群な《暗黒剣》ちゃんが寄ってきて懐かれた。なお他のユニークスキルに浮気したら拗ねる。

 最終的には覚醒限界突破で一瞬全てのユニークスキルを継承したン我が魔王みたいになるが、実はユイのサポートありきだったりする。縁の下の力持ち。

 本編終了後はのほほんと二ヶ月過ごす。しかし実は一万人のうち三百人は目覚めていないらしく……おや……?

 

 ──見てられねぇな。

 ──そこを代われよ、桐ヶ谷和人。剣の振り方ってヤツを教えてやる。

 

 

>>サチ

 大正義メインヒロイン。なんか途中で《無限槍》とかフロアボスとか吸収してブラボのボスみたいになってたけどなんだかんだ解決したからヨシ!(震え声)

 歳下趣味。基本性格は乙女ゲー主人公みたいに全方位に優しく、オタクにも勿論優しいので無論引っ掛かる。ちょろいなオタク。

 綺麗と言うよりは可愛い系。本名不詳。最後何か言いかけてたって? 知らんなぁ……(すっとぼけ)

 ユニークスキル《無限槍》を死後に継承してしまった少女。 生き残っていたらバチバチに90層以降まで通用するキャラクターになる。美少女とキリトが仲良くしてたら病む。超病む。

 

>>アスナ

 原作ヒロイン。低層では無理なレベリングをしていた自分を気にかけてくれて共に戦ううちに途中からなんだかんだ相棒として認めていたけど、なんか弱音吐いて無理に叱咤したら喧嘩別れしちゃって、再会したら修羅になっていて愕然としちゃった系女子。長いね。

 身体を壊すという次元を超えてレベリングに打ち込むキリトの身を案じるが全スルーされてちょっと泣いてた。途中からは折れないよう死なないようサポートに徹する。割とガチで一途で物憂げに溜息を吐く様子が血盟騎士団本部で目撃されていた。

 SAOクリア後、目覚めたという報告はないらしいが真相は如何に。

 

 ──嗚呼。

 ──君に縋りたくないのに。なんで、私は。

 ──たすけて。キリトくん。

 

>>リズベット

 さてはヒロインだなオメー。ガサツな鍛冶師だけど実は身嗜み気にしててぶっきらぼうだけど心配性な淫ピポニテの女の子は好きですか? 僕は好きです(食い気味)。性癖の塊とも言う。

 昔からキリトと付き合いがあり、お陰で謎に幼馴染属性も実は持っている。低層からずっと剣を鍛えてきた専属の鍛冶師。《ジ・アノマリー》は最高傑作。自分の武器が壊されて帰ってくるとキレてスパナ投げてくる。しょうがないね。

 

>>シノン

 なんでいるの???一号。理由は気にするな。うるせえ趣味だよ!(変貌)

 まあゲームにもいるし大丈夫っしょ(楽観)的な思考でデスゲームに取り込まれた原作ヒロイン。ユニークスキル《弓術》のせいでPoHに拉致られゴホンゴホンな行為されたりして目が死んだ。それを救ってくれたのが葬儀屋(アンダーテイカー)のキリトくんでした。うーんこの。

 全く周囲に頼らないし壁を作っているキリトのことを案じてはいるが、その意思に従うことが彼の為になると信じている。愛人枠でも可、らしい。重すぎるっピ!(白目)

 

>>ユウキ

 完全無欠絶剣幼女小学生英雄ユウキちゃん。潜在スペック含めると原作キリト超えする最強キャラ。序盤に拾うと後々強すぎてSAOがバグりカヤバーンが鼻水出して白目剥く。修羅堕ちしなくても単騎でフロアボスシバけるレベル。

 基本属性がワンコなので師匠になるとものっそい懐く。それで二秒で師匠超えるので立つ瀬がない。ウルトラ天才肌。これには《二刀流》もにっこり。

 ただしイキリト死亡√では《暗黒剣》を継承して修羅堕ちしカヤバーンをタイマンで真っ向からぶっころころぽんマンしてしまう。100層クリアRTA勢はこの√もどうぞ。

 病気に関しては救えない……救えな……おや……?

 

>>ユイ

 実質ヒロイン。家族枠ではなく影から主人公をサポートする系AI。なんかバグって感情を得た、らしい。本人曰く決め台詞は「……なんて。人間(それ)っぽくないですか?」 使われたことはない。

 ハピエン厨。SAO終了後はカヤバーンと一緒にぷらぷらしてたが、なんかどこぞのスゴーさんの干渉を感知してキレてるとかキレてないとか。

 

 ──思い出して。

 ──記憶はなくても、魂がきっと覚えている。

 ──貴方の剣は、魂にまで刻まれているんですから。

 

 

>>ヒースクリフ

 聖騎士兼魔王。この√では良乱数引けましたね……厳密には茅場晶彦のコピー体。なので思考が乖離してもしょうがない(予防線)。一万人巻き込むタイプのウルトラ傍迷惑な天才科学者。たぶんバックに財団Xとかついてる。

 イキリトくんに計画ぶち壊しにされてキレてるしばーかあーほ!って思ってたり。どうやって種子ばらまこうかなぁ……とか思ってたらなんかスゴーさんが干渉してきたらしくてキレてるらしい。

 

 ──癪だが。本当に癪だが、彼の手を借りる他にあるまい。

 

>>アルゴ

 超いい人。√に入ると超依存してぬぷぬぷになる。ロリでオネーサンなの強すぎんか? 情報強者。たぶんこの人が死ぬとSAO攻略詰むのでリセット推奨。

 

>>エイジ

 血盟騎士団所属。オーディナルスケール出典。この作品ではイキリトに弟子入りしそれなりの実力を獲得、システム外スキル《忘我の境地》で歌チャン守れたり。がんばれ。裏主人公に近い。

 

>>クラディール

 血盟騎士団所属。イキリト修羅堕ちのバタフライエフェクトで光堕ちした人。口は悪いがなんだかんだエイジの相方を務める両手剣キャラ。割と神経質なところをエイジにからかわれることもしばしば。修羅堕ちを見て「ああはなりたくねェな」と思っている。もっともである。

 

>>ディアベル

 SAO二次創作あるある被害者……もとい救済者。この人生きてると低層の治安というか平和度がぐっとよくなるんですよね……(走者並感)。優秀なタンクなので軍√なら確実に救っておきたいところ。恩もありかなりキリトに気を遣ってくれている。

 

>>キバオウ

 最終戦を見ていた時のコメントは「チートや! こんなんチーターや!」

 間違いない。

 

 

 

 

>>心意システム

 感情をパワーに出来るシステム。未完成だがSAOに搭載されていた(これはホントの話)。アクセルワールドにも出てくる。なんかこの作品だと自在に使えれば超次元バトル可能なシステムになってるけど使用には個人差があります。ライダーシステムに不備はない……(戒め) サイコフレームでもない。

 茅場晶彦本人は人の可能性見たい……見たくない?と試験的に搭載したが思った以上に色々暴走したので白目剥いてた。

 

>>カーディナル

 社畜。死んだ目で仕事してる人もといシステム。

 

>>暗黒剣

 体力をエンチャントに変換するサポート系ソードスキル。ただし強化倍率がえげつないお陰で対魔忍みたいになってる。魔王戦では封印されてキレ散らかしてたがご主人様に呼ばれて0.5秒で封印ブチ破った。忠犬。

 

>>二刀流

 英雄厨。イキリトみては〜こんな冴えねー修羅に宿るの嫌だわ〜!とか思ってたけど最終戦で“生きたい”と願ったイキリトにまあしゃーなしな? と力を貸した。普段はロリに宿って狂喜乱舞してる。

 

>>神聖剣

 擬人化すると寡黙なやつ。暗黒剣と対になる存在であり、盾があるとウルトラ硬くなるやばいやつ。防御捨てて剣に極振りする《限定解除》があるが基本的に出力は魔王以外に耐えられない。

 ……光堕ちしてプレイヤーに力を貸す√があるとかないとか。

 

>>弓術

 芋砂。遠距離攻撃の少ないアインクラッドで何故か遠距離攻撃かますやべーやつ。銃の世界で剣が無双するくらいやばい。……ん? 普通かな?(すっとぼけ)

 最終的にはビーム撃ち始めるが弓がビーム出すくらい普通でしょ普通。剣がビーム出すなら弓が出せてもおかしくない……おかしくなくない?

 最終戦では主の想い人に宿って調子こいて宗茂砲になってた。当たるやんけ!

 

>>無限槍

 伸びる。もう超伸びる。メンヘラ槍。女キャラにしか宿らないとかいう逸話があったり。なんかボスと融合して手が付けられない何かになった。

 

>>罠術

 フィールド干渉系のユニークスキル。地味だが普通に強い。PoHに宿っていたが宿主処されてヒェ……となりイキリトに取り込まれた。なお斬った方が早い、とのことで七面倒臭い罠術ちゃんは使われなかった。泣いていいと思う。

 

>>手裏剣術

 投擲増殖バグ。ラフコフのずだ袋くんに宿っていたが処されて行方不明に。最終戦は呼ばれたので宿った。強い方に巻かれろタイプ。ユニークスキルで同窓会あったら大体呼ばれない。

 

>>抜刀術

 単純に強い。居合抜刀で瞬間火力が高いのでヒットアンドアウェイに徹するが基本戦法。強者を好むので条件満たせば大体宿る。癖のない良いユニークスキルと言える。

 継承条件は実はPVP戦績依存。

 

>>気巧術

 近接格闘マンに宿るユニークスキル。宿ると別システムでなんか《気》とかいうよくわからんゲージが現れ、攻撃やジャスガすると溜まる。ゲージ消費で波動拳撃てたりするし無敵化も出来る。壁ハメ永続コンボも出来る。

 

>>錬金術

 全くもって戦闘向きではないスキル。色々作れるし改造も出来る。素材さえあれば武器にスキルを付与し拡張できる若干変則的なユニークスキルだったりする。

 

 

 

>>ALO

 剣を握ったら既視感がある。振るえば軌跡に違和感がある。思考速度と体感の乖離。医者は言った。「長時間ダイブしていた弊害かもしれませんね……」

 ケアの為に始めてみたゲームの先ではステータスがバグっていて、更に妙ちきりんな妖精がくっついてきて──?

 

お久しぶりです。ざっと63日と11時間33分27秒振りですね──

 

 








To be continued……?


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CONTINUE?
01 // CONTINUE? ▷YES ▶NO


 
 劇場版プログレッシブが美少女の絶望顔てんこもりで激アツだったので、初投稿です。





 

 

 

 

 貴方はきっと、自分がどれだけ大きな存在なのか自覚していないのだと思う。

 

 程度の大小はあれ、貴方に影響された人間は少なくない。ただ、最もその影響を受けたのが私だという事実は、恐らく間違っていない。

 ……知っている。

 貴方が葬儀屋(アンダーテイカー)と呼ばれるようになる前。あんな事が起きるより前の時から。追い込まれるような焦燥感を宿した貴方に痺れを切らし、私が怒鳴ってしまった……あの喧嘩別れから更に前。

 第一層の攻略会議が開かれたトールバーナの街──もっと昔に私は貴方に救われた。

 

 ……知っているのだ。

 隔絶した剣技。恐怖を知らない双眸。超人的に翻る身体。貴方がそう成り果てる前の事を。私よりも歳下のくせに、なけなしの勇気を振り絞って単身切りかかる姿を。不器用なその優しさを。いっそ呆れるほどへたくそな、露悪的な言動の裏側を。

 そして──知っている。嫌になるほど醜い、私の本性を。

 いつだって彼の中には彼女がいた。彼がああなったのはあのヒトのせい。認めたくない。この吐き気すらするような感情の正体を。本当に醜い。直視できないほどに気持ち悪い。ただ、それでも、本音は時折零れ落ちる。

 

 私の方が、先に貴方の隣に居たのに──。

 嗚呼、知っている。こんな思考は無駄だ。無意味だ。もう彼の中の居場所は埋まってしまっている。だけど勝てるわけが無い。死人に勝つことなんて出来はしない。逆恨みもいいところな感傷。ただ、それでも自然に口からついて出てしまう。ずるい、妬ましい──。

 笑う。嗤う。己を嗤う。

 彼をああ成り果てるに至らせた傷跡。それを遺した彼女が妬ましくて堪らない。なんと醜い嫉妬か。自嘲がたまらず洩れる。本当に醜い。振り向いて貰えないことを知ってなお、彼にとっての利用価値を高めて塵芥の可能性に縋った女。なんと哀れで、醜く、愚かなのだろうか。

 そもそもの話。きっと、そんな女が彼という英雄の隣に居られるはずも無い。だから、これは私への罰なのだ。罪であり罰。身から出た錆、自業自得、当然の回帰であり結末。

 

 ……知っている。理解している。震える体に爪を立てる。頬を何かが伝う。

 どうか許して欲しい。それでも、浅ましく貴方を呼んでしまう私の事を。

「キリトくん」

 お願い、私を。

 

 ──■■■■。

 

 鳥籠の中に、残響だけが揺蕩う。

 

 

 

>>>> 01 // CONTINUE? ▷YES ▶NO

 

 

 

 

 

 ソードアート・オンライン。

 それはとある少年が巻き込まれたデスゲームの名称であり、そしてそれを起点として始まる数多のVRゲームにおける事件へ巻き込まれていく、一連の流れとしての物語も指している。

 そう、一連の流れなのだ。故に最初が無ければ次もなく、演繹的に全てが破綻する。ソードアート・オンラインという物語は成立し得ない。

 結局のところ。

 何が言いたいのかというと──SAO事件なんて起こらず、全ては前世という名の妄想を抱え込んでいた俺の一人相撲だったのではないか──という考えを抱いてしまうほどに、俺の日常は極めて平和だった。平穏であった。なにせ、プレイヤーは全員生還。そして俺も含め内部での記憶が無いと来た。二年間のブランクこそあれ命はあるし精神外傷(トラウマ)もない。現時点で完全な無職であり、最終学歴が中学中退で小卒になる程度──あれ? 結構やばいのでは?

 そんなこんなで悶々としていると、対面に座る少女が露骨に顔を顰めた。

 

「兄貴、朝一番から顔がうるさい。顔面削ぐぞ」

「朝一番から随分と物騒な罵倒ですね直葉ちゃん……」

 

 いじめか? 反抗期か? まあちょいと遅めの反抗期でも納得はする歳だろう。思春期だものね。

 トーストを齧りながらおいおい泣いた振りをすれば、それこそ本気で面倒くさそうに溜息を吐かれた。

 

「言われたくないなら朝ごはん食べながら百面相しないで欲しいんだけど」

「あー……それは確かにすまん」

 

 ご飯は美味しく食べたいもんね。そう、飯ってのはなんというかこう、一人で……満たされて……頼む……静かに……。

 俺は無言でばりばり平らげると、優雅にコーヒーを一口含んで息を吐いた。じとりとした目でこちらを見ている妹に微笑みかけた。目線の温度がぐぐっと下がるのを感じ取る。ごめんて。

 

「……いや、気になるでしょ。何か悩み事でもあるなら聞くけど」

「うーんなんだかんだ面倒見がいいあたり我が妹ながら性格がいいのがよくわかる。それはそうとして暇なんだわ」

「え、それ悩んでたの」

「いんや、そういう訳でもないんだが……」

 

 言葉を濁す。まあそれも理由といえば理由にはなるのか。つまるところ、俺は無職であり学業に励んでいるわけでも無ければ金を稼いで家計を支えているわけでもないのだ。結論から言えば穀潰し。よく言えば自宅警備、悪く言えばくそニート。端的に言うと良心の呵責がマッハでヤバい。

 

「どうせニートしてるのが苦痛なんでしょ。それくらい我慢しなさいよ」

「や、そうは言ってもだな」

「そんなこと言ってたら二年間まるまる寝込んでた兄貴の世話、誰がしてたと思ってんの」

 

 普通に看護師さんでは──と思うが、口に出すほど間抜けではない。後から聞いた話では、お袋も定期的に来ていたが我らが直葉ちゃんはなんと三日に一回は必ず見舞いに来てくれていたのだという。えっ……俺の妹って健気すぎ……? やーねーお兄ちゃん離れしなきゃいけないゾ☆ と生暖かい視線を送れば机の下で思いっきり足を踏み抜かれた。蛙を踏んづけたような呻き声が洩れる。

 

「うちの妹の愛がバイオレンスに過ぎる」

「愛とか言うな。単純に視線が気色悪いのよ」

「……とかなんとか言って、自分で踏んづけといてなんだけど怪我してないか心配してたり」

「してない!」

 

 ぷりぷり怒りながらもご馳走様の挨拶は欠かさないあたり育ちの良さが知れた。愛いやつめ。とたたた、と軽い足音と共に食器を運ぶ後ろ姿を頬杖をついて見送る。ちらり、とこちらを振り返った直葉と視線がかち合う。

 

「……で、大丈夫なの」

「おん?何が?」

「歩いたり走ったりは一応できるようになったけど。他に違和感とかないわけ」

 

 数瞬思考する。特に思い当たる様もないため肩を竦めてみせた。

 

「いや、別に。最初は目眩とかたまにしてたけど最近は全くなくなったし」

「……なら、いいけど」

 

 じっとこちらを見てくる視線に、少々居心地が悪くなり身動ぎをする。指の端についたマーガリンを舐めとると、形の良い唇が言葉を紡いだ。

 

「じゃあさ──そんなに暇なら、久しぶりにやってみる?」

 

 その言葉に、俺は目を瞬かせた。

 

 

 つっても別にやらしーことではない。

 

 おっかなびっくり、久々に握り締めた竹刀を持ち上げる。思ったよりしっくり来た。剣道を習っていたのなんて三年前くらい──ああいや、俺が寝込んでた期間含めて五年は前だろう。結局爺さんが厳しいわきついわ臭いわかったるいわの怒涛のK連打でやめちゃったのである。

 ただまあ、根がクソがつくほど真面目なうちの妹はついに全国大会に出るまでに至っていたり。まあ、性に合っていたのだろう。とうの昔に兄の腕など抜かしていた。

 

「……え、俺今からシバかれんの? 根性入れられるやつ?」

「なわけないでしょ。あたしもちょっと振りたかったし、体が鈍ってしょうがないならやってみたらってだけ」

 

 まあシバかれたいなら別にいいけど、という言葉にぷるぷると首を横に振る。何が悲しくて勝てない戦いに身を投じなければならんのだ。

 

「こうだっけ」

「握りが甘い。もっと小指に力入れて、背筋伸ばして……うん、そんな感じ」

 

 すり足、さし足、しのび足。最後の二つは余計だが、踏み込みながら面を打ち、退きながらも面を打つ。ただそれだけの動作を五分も繰り返せば額に汗は浮き、腕はぷるぷるしてくる。やだ、俺の身体貧弱すぎ……? もう振るうのも怪しくなってきたのでへたりこんで休憩していれば、声音は呆れたように──しかし目は確かにこちらを労るような柔らかな光を宿して、直葉が手を止めて見下ろした。

 

「ちょっと早かったかな。兄貴って元もただの引きこもりだし大したことなかったけど、輪をかけて体力落ちてるね」

「や、そらそうでしょ……」

 

 二年寝たきりで落ちた体力が一ヶ月や二ヶ月そこらでぽんぽん戻ってきてたまるかっつーの。ジム通いはしてるが効果の程はわかりません。

 ……正直、二年寝てたというのも俄には信じ難い話だが。ぶっちゃけショック。いや別にデスゲームしたかった訳では無いのだが、身構えてたぶん空回った挙句スピンしてる感じというか。拍子抜け過ぎて底まで抜けたというか。

 

 ぼんやりと道場の端から覗く青空を眺めていれば、少し心配そうに眉を寄せた我が妹の顔も視界に入ってくる。うーんこの気遣いさんめ。にしても、この二年で随分と成長したものだ。身長も胸部装甲も。うーんこれは同世代には目に毒でしょう。

 

「直葉ちゃん」

「なによ」

「愛してるぜ」

「あっそ」

 

 鼻を鳴らす妹──あまり俺と顔が似ていない──の横顔を眺めつつ、よし、と俺は立ち上がった。

 

「直葉ちゃん。試合やろうぜ」

「は? ……いや、あたしはいいんだけど。兄貴、まず防具着けて動けんの?」

「なんとかなるっしょ」

 

 道場の何処に防具転がしてたか、と思いながら家の裏手を適当に目指して歩を進める。はあ、とでかい溜息が背後でひとつ吐かれた。

 

「防具はこっち。おじいちゃんのが合うといいんだけどね……一応加減はするつもりだけど、きつかったらさっさと音を上げなよ」

「やるからには勝つつもりで行くが?」

「……兄貴。寝てたから知らないかもしんないけど、あたし、一応全中制覇したから」

 

 ……全中。全国の中学の頂点。え、つまり中学生の中では最強ということでは?

 

「……兄より優れた妹なんざ存在しねえ!」

「声が震えてらっしゃいますけど。あたしだって伊達に長年竹刀振ってた訳じゃないの、よっと」

 

 ほれ、と手渡された面、胴、篭手等を慌てて受け取る。そうして道場に戻っておっかなびっくり着付けした後に向かい合い、蹲踞の後に立った。幸いなことにジジイの遺した防具はびっくりするほど今の俺にぴったりであり、きついとか緩いとかいうことはない。

 ……にしても、ホント堂に入ってんなー、と思いながら防具をつけて完全装備となった直葉を見やる。全中最強とは恐れ入った。静謐な佇まい、面の奥から突き刺すような視線に身震いする。え、これ勝てなくない? そもそも勝てるなんて毛程も思っちゃいなかったけど。

 

「じゃ、とりあえず──」

 

 ──やばい。

 なんとなく、本能的に、体が動いた。正確に言うと二歩半退く。初動を見極めた、訳では無い、と思う。何せ既にトップスピードに乗った直葉の踏み込み、面を狙った一閃が振り下ろされたのを見て後から気付いたのだから。直葉が驚いたような顔をしているのが面の陰でも察せられる。同時に、少し雰囲気が変わったのも。

 

「……へえ。見えたんだ、今の」

 

 見えてませぇん!

 その言葉をぐっと飲み込み、「勿論だとも」と震えた声で返す。っべー、何もわかんねえ。七歳から十歳くらいまでやってたっちゃやってたけど覚えてる訳ねーよ。本能的にさっきは回避出来たがたぶんマグレだ。

 ──ただ。なんとなく、今の構えは()()と感じた。

 

「兄貴、それ──」

「ん? ああ……」

 

 左足を前に。半身を引き、左右の両手で握り締めた竹刀は中段ではなく天を裂くかのように、或いは叛意を示すかのように大上段へ。端的に言えば打席に立ったバッターのような構え。余りに不格好で笑えるが、しかし解く気にはなれなかった。

 これが正解だと、何かが──囁いている。そんな感覚に俺自身が戸惑う。

 

「わかんねえ。けど、これがいい」

「……何処で知ったのか知らないけど。そんな、八相の変形みたいな構え……ちょっとムカつく」

「いや、ムカつくって──」

 

 轟音。踏み込みと面の叫び。戦意を宿した両眼。だが全力ではない。

 ああ──()()()()()()()()()()()()()()()()

 身体が重い。強烈な違和感。眼筋すら遅れてくるような感覚に顔を顰める。ただ、見えていた。振り下ろされる軌道。このままであれば必中。故に一気に退く。退く……それだけか?

 首を傾げた。やれるのか? わからない。直葉の軌跡に、俺の軌跡を重ねる。八相と彼女が呼んだ姿勢から、放たれた竹刀が斬閃を描き剣先を叩く。そのまま切り返し、跳ね上がる剣が──彼女の面を、叩き斬った。

 ……数瞬の静寂。凍りついたような沈黙に、あ、そういえばと俺は遅れておまけのように「めーん」と取り繕って声を発した。これがないと一本にならないんだったか。

 

「……切り、落とし? 嘘でしょ……」

 

 呆然とした声だった。え、どうしたんだと覗き込めばきっと睨み付けられる。

 

「へぇ、そう。七割程度で打ったとはいえまさかもまさかね。ふーん、そう…………………………潰す」

「あの、直葉さん?」

「構えな。まだ一本でしょ」

「あのォ」

「早く」

 

 やべぇ、なんかスイッチ入れちまったくさい。

 冷や汗が頬を伝う。肉食獣のようにぎらついた瞳をしている我が妹の姿にビビり散らしながら再度構えた。

 

「やっぱり八相、ね……陰の構え。カッコつけてるつもり?」

「え、そうなの……?」

 

 そんな名前なのこれ。てか陰ってなによ。強そう。

 そんな事を考えながらじりじりと互いに睨み合い──やはり先手を取ったのは、直葉だった。

 今回は馬鹿正直な面狙いではない。誘い、からの小手。見えている。流した手に走る震えに舌打ちしたくなる。鍛えた足腰から放たれる一閃は強烈だ。鍔迫り合い、続け様の引き面を受け、崩れた所へ来る大上段からの連打。退こうにも向こうの踏み込みの方が速い──ああいや、違う。()()()()()()()()()()()()()()()()。だが余りにも身体が遅い。回避も不可、受けも不可、脆弱すぎるハードウェアに苛立ちが募る。世界が遅い。大気に息が詰まって溺れていく。緩慢とした世界で、崩れた上から文句無しの面が振り下ろされる。

 衝撃と共に面金が叩き斬られ、吹っ飛ぶ最中。やっちまった的な顔をしている直葉に、俺は少し笑った。

 

 

「ごめん……」

「いや、別にいいよ。試合しようって言ったの俺だし、別に怪我もしてねぇしさ」

 

 多少頭がくらくらするが誤差みたいなもんだ。ただ、それとは別に奇妙な酩酊感がある。内と外の致命的なずれ。眉間を揉む。ああくそ──気持ち悪い。

 気付いてしまえばもう遅かった。運動神経を通じた動作伝達。何かをしようとするも、ワンテンポ以上遅れて帰ってくる肉体からのフィードバック。その差が酔いにも似た感触を齎している。例えるなら、音ずれを起こした動画を見ているような感覚に近い。あまりにももどかしく、気持ち悪く、激しい運動をする程にそれは致命的に露見する。

 思考()肉体()のギアが、吐き気を催す程に噛み合っていない。一ヶ月間感じていた奇妙な違和感の正体を今更ながらはっきりと認識した。

 

「……ずっと寝てたからかぁ?」

「兄貴?」

 

 首を傾げる直葉。大人に近づきつつあるといってもやはり幼さが勝るその顔をぼんやりと見ながら、ちょうど経過観察という事で明日病院に行くことを思い出した。少し聞いてみるとしよう。なんか、酔い止めみたいなものがあれば効くかもしれない。

 

 ──己の思考に刻まれた奇妙な剣術の残滓。

 それから、意図的に目を逸らしながら。

 

 









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02 // COMEBACK

 

「異常はないですね」

 

 翌日。全身を苛む筋肉痛に呻きながら向かった先、かかりつけの病院で主治医に告げられた一言に目を瞬かせた。んなアホな。一度気になったらずっと思考の隅に残り続けているこの違和感。些細な動作、指を曲げたり足を進めたりする何気ない動作にも生じている内と外のラグ。少し説明してみたが、主治医は困惑するばかりであり肉体にはなんの問題もないのだと言う。ひょっとすると長時間ダイブしていた弊害がうんたらかんたらと続けていたが、そんな事はこちとら百も承知だ。結局要経過観察ということで話は終わったが、実は何ひとつとして解決していなかったりする。

 

「なんだかなー」

 

 何処か納得出来ないまま首を傾げる。そのままエントランスを抜けて病院を出て、そういえば運動がてらに歩いて帰るから迎えはいらない、と言ってしまった事を思い出した。気持ち良いくらいの快晴に目眩がしそうだ。はぁ、と溜息を吐く。

 このまま素直に帰ってもいいが、家に帰ってもやることがない。ソシャゲも大して面白くもない。二年ログインぶっちしてたら大体どのソシャゲもインフレが酷すぎてすぐにやめてしまったのだ。午前11時手前、せめて昼まで時間を潰せないかと考えて──はたと思い当たる。

 

「そう言えば……」

 

 久しく行っていない、かつて足繁く通っていた場所。

 即ち、ゲーセンである。

 

 

 時代が変わっても未だに需要があるらしい。手を替え品を替え、ゲーセンは今日も元気に営業中です。

 相も変わらずくそ喧しい電子音がドアが開いた隙間から飛び出してくる。イヤホンしてくりゃよかったかな、と少し顔を顰めた。一階のクレーンゲームコーナーを抜け、更にエスカレーターで二階のメダルコーナーを素通りした更に上。内観はやはり昔と大して変わらない。ただ、ホログラムによる投影がなされていたり所々現代チックになっているだけだ。

 

 だが──古風なまま変わらない筐体というものも、ある。

 時代が三次元を追求しホログラムだのバーチャルリアリティだのソリッドビジョンだの追求した所で、むしろ逆行することを好む人種というものはいるものだ。シンプルイズベスト。単純さゆえに奥深さを生むゲーム。ゲーセンと言えば即ちこれ。

 

 ──格ゲーである!

 

「いやー久々だなこれ」

 

 少しわくわくしながら椅子に腰を下ろし、オンボロと言っても良い筐体を確保する。左手用のレバーがひとつ、右手用のボタンが五つ。古き良き格ゲーのスタイル、もはや意固地といっても良いレベルのコテコテのコントローラーに安心感すら覚えてしまう。これだよこれ。VRもいいけど2D格ゲーも捨てたもんじゃない。ワンコインを投下して早速選んだタイトルはそこそこやり込んだもの。覚えてるかなー、とか思いながらCPU戦を選ぶ。

 ……いや、オンライン対戦とか怖いし。たぶんというか絶対勝てないし。ほら、少しはサビ落とししないとね?

 元より錆び付くような腕でもなかったろうに誰にともなく言い訳しつつ、愛用していたキャラを選択してストーリーモードを開始する。あーこんな台詞あったねーとか思いつつ流し、ラウンドが開始された。

 流石に負けるような事は無い。ただ、所々コマンドをド忘れしているお陰で思うようにキャラが動かない。うごご……指が、指が遅い……。絶妙にストレスを感じながらもとりあえず最後のボスまで行く。クソでかい判定にクソでかい範囲技を連打してくるタイプのよくあるボスである。特に危なげなく処理して終わり。息を吐き出して襟元を扇ぐ。

 

 ……やはり、AIは面白味がない。作業的に自身のコマンド入力練習をしているのとほぼ変わりがない。

 エンドロールを見送りながら少し伸びをして息を吐き──頬に触れた冷たい感触に、思わず変な声が洩れた。慌てて振り返った先には、くつくつと笑う少女が一人。艶やかな黒髪を纏めたポニーテールが拍子に揺れる。野球帽を被り、ボーイッシュな服装に身を包んだその人は当然知己であり。

 

「……どうも。ご無沙汰してます、深澄(ミスミ)さん」

「こら。ミトだっつってんでしょ」

 

 俺の額を指で弾き、ゲーセン繋がりの友人は久しぶり、と言って微笑んだ。

 

 

 手渡されたコーラ缶のプルタブを引けば、思ったよりシェイクされていたのか泡が溢れてくる。ぎょっとして慌てて口を付けていれば、画面を覗き込んでいたミトさんの横顔がすぐ近くにあって更に吹き出しそうになった。ええい距離が近いぞ。しかもなんか良い匂いするし。平静を保ってコーラに集中する。うん、うまい。合成着色料の味がする。

 

「ふーん、メルブラか。しかも旧作じゃん」

「え、なんすかその言い方。新作出たんですか」

「なんなら本編もリメイク出たけど」

「マジすか……」

 

 マジかー。

 嬉しいとかよりも時代に置き去りにされてる感があって僅かに肩を落とす。そんな俺を見て、こほん、とミトさんは身を引いて少し咳払いをした。

 

「ま、私も最近知ったんだけどね」

「……というと、やはり」

「そ。二年間眠ってたクチだよ。当然アンタもそうでしょ?」

「もちろん」

 

 やっぱりそうか。まあそりゃそうだろうな、と再度納得する。

 俺とミトさんが知り合ったのはゲーセン繋がりだ。VRゲームが流行りだしているとはいえ2D格闘ゲームは廃れていない。中学に入った頃からゲーセンに通い出した俺はまんまと格ゲーの沼にハマりこみ、そこで見かけたのが俺とそう歳も離れていなさそうな少女──ミトさんであった。結局俺よりひとつ年上だったのだが、店内大会でしこたまボコられた事を切っ掛けに話すようになったわけである。

 そして驚くなかれ、この人実は俺と同じSAOのベータテスターである。高身長の男性アバターでぶんぶん鎌を振り回していたのは記憶に新しい。途中まで一緒に組んで攻略とかしてたし、しかも結構上手いと来た。やはり製品版も購入していたのだろうな、とは思っていたが──。

 

「いやー、お互い災難でしたね。二年も昏睡するなんて」

「本当だよ。気付いたら中学中退目前とか笑えないんだけど」

「いやそれはそうマジでそう」

 

 ははは、とお互いに乾いた笑いを零す。うん、流石にお国が対応してくれるよねー。中学卒業したとしても中卒。まあ通信制の高校にでも通えば良いのかもしれないが、事務的に単位を取るだけで青春はミリも存在しない。……いや、というか。

 

「ミトさんそう言えば結構なお嬢様学校通ってませんでしたっけ」

「お嬢様言うな。……ま、うん。一応休学扱いにはなってるらしいけど、今更復学するのもね」

 

 二年──二年である。うん、十分長い。中学で二年留年して二歳下の学年に入り直すとか結構きつい。全くもって他人事ではないので頭を抱えた。うーん俺の進路がリアルでやばい。

 

「でもさ、まだ私らは運が良かったのかもね」

「え?」

「噂に聞いた程度なんだけど……()()()()()()()()()()()()みたいでさ」

 

 ──────。

 一瞬、息が止まる。

 

「……マジですか、それ」

「うん。たぶん、本当だと思うよ。私の友達も一人連絡が取れなくて」

 

 不安そうに。唇を噛み締めながら、彼女は続ける。

 

「私が安易に、()()()()()()()()()()()()()()──」

 

 

 

 ──罪とは罰する為に。罰とは贖う為にある。

 震える身体。歯の根は合わず、彼女は愛用している鎌をぎゅっと、指が白くなるまで握り締めている。息は荒く、雨に晒されながら普段は腰まで垂らした髪先が、地面に蛇のごとく這っていた。

「ミト、さん」

「キリト……」

 くしゃくしゃに歪んだ顔で。涙を流しながら、彼女は俺を見上げていた。見上げながら微笑んでいた。振り下ろしたはずの刃は胸元の数センチ上で止まっている。刃先は震えていた。俺の手が震えていた。

「お願い。私を……殺して」

 手が伸ばされる。冷たい指が頬をなぞる。断罪を求めて女は乞う。

 ……変わらない。何も変わらない。俺と彼女は正しく同じだ。己の罪を裁いてくれる誰かを、ずっと待っている。鋒から雫が垂れ落ちた。胸元で散る。今日は、本当に酷い雨だ。頬を絶え間なく伝い落ちる。

 

 

 

「─────っ、あ」

 

 ざりざりざり、と。

 何かが脳裏を過ぎる。頭蓋の内側から引っかかれるような不快感。ずきり、と走った痛みに思わず顔を顰めてこめかみを抑える。偏頭痛だろうか? わからない。しかし、酷く不快だった。

 

「……キリト?」

「あ、ああ……大丈夫です。それで、なんでしたっけ」

「それならいいんだけど……ごめん、気分が優れないんなら」

「いや、本当に全然大丈夫っすから。持病みたいなもんで」

 

 どちらかというと後遺症か。と、ふとそこで気付いて訊ねてみる。

 

「あの、そういえば。ミトさん、目が覚めてからなんか変な感覚とかします?」

「へ? いや、特にないけど」

「そうですか……」

 

 余計なことを聞いてしまったせいか、少し心配そうな視線に手を振って苦笑する。大したものではない。

 

「なんか、酔いそうになるみたいな? うまく説明しにくいんですけど、身体が遅れてくるみたいな……」

 

 あやふやな説明だが、ミトさんは少し腕を組んで思案する。だがすぐに肩を竦めた。

 

「うーん、さっぱり。けど聞いた所はVR酔いに似てるよね」

「はは……現実酔いってやつっすか」

 

 思わず笑ってしまう。仮想に慣れすぎた結果現実に適合できないなど、本末転倒にも程がある。ただ、彼女は真剣な表情で続けた。

 

「無くはないんじゃない? ただでさえ私達は二年もナーヴギアに接続したまんま寝てた訳でしょ。脳がそっちに慣れちゃったとか、ほら」

「理由が適当っすね」

「専門家でもないんだから当たり前だろ。茶化すなバカ」

 

 額を指で弾かれる。大袈裟に呻いていると、はぁ、と溜息を吐かれる。

 

「治るもんなんすかねぇ」

「わかんないけど……まあ、そのうち慣れるんじゃない?」

 

 それか、若しくは──。

 

「逆に、案外仮想空間の方に行けば治るとか」

「……かなり適当言ってません?」

「だってわかんないし……」

 

 そりゃそうか。ただ、気にかけてくれた事実は変わらない。

 

「ありがとうございます。試すかはわかりませんけど」

「そっか。……ああ、そういえば知ってる? 今流行りのVRゲーム」

「SAOの件があったってのに、流行ってるんですか」

「あれはナーヴギア自体に問題があったって事になってるらしいからね。ゲーマーなんてそんなもんでしょ……ほら、これ」

 

 そう言って、見せてきた携帯端末の画面にあったのは。

 

「これがアミュスフィア。ナーヴギアの後継機ね。そして、これが」

「アルヴヘイム──オンライン」

 

 通称ALO。SAOを開発した株式会社アーガスが倒産し、その事後処理やサーバー維持管理などを委託されたレクトが開発した新たなVRMMO。

 それがアルヴヘイム・オンライン。説明してくれるミトさんの言葉を聞き流しながら、ぼんやりと思考する。

 未だ目覚めない人々──アーガスを継いだレクト──アルヴヘイム・オンライン。奥歯を噛み締める。

 ……ソードアート・オンライン。その結末は俺が知るものとは大きく異なり、プレイヤーの全員が昏睡していたのみだった。もはや俺の知る道筋と異なるとばかり思っていたが、ひょっとして違うのだろうか。わからない。

 

 ──頭が痛む。俺を苛むような痛みに顔を顰めた。

 

「……っと。ちょっと、聞いてんのアンタ」

「……あー。それで、なんでしたっけ」

「本当に大丈夫?」

 

 本気でこちらを案じている声色。一応大丈夫っす、と返してから眉間を少し指で揉む。偏頭痛自体はそう珍しい事でもない。今回は眼精疲労、ではないのだろうが。本当に体調が優れていないのかもしれない。

 

「ミトさん。ところでこのALOってやつ、ナーヴギアでもログイン出来たりするんですかね」

「あ、うん。互換性自体はあると思うけど。でもあれ、全部回収されたでしょ?」

「……そう、ですね。変なこと聞きました」

 

 と。そこで俺の携帯端末が振動した。画面を開けば直葉からのメッセージ。帰ってくるか来ないのかはっきりしろ、という文言に苦笑する。時刻は正午の僅か手前。俺の分まで昼食を用意するかどうかやきもきしているであろう妹宛に『すぐ帰る。直葉だけに』と返して立ち上がった。

 

「すいません。そろそろ帰ります」

「そっか。んじゃ、またね。元気そうで良かったよ」

「そっちこそ。また来ます」

 

 久々に見た──とはいえ俺の体感時間ではそこまで経ってもいないが──知人に別れを告げ、ゲームセンターを足早に出る。早く帰らなければへそを曲げた直葉に詰られることは確実だ。ただ、その前に少し寄るべき場所がある。

 

「金、足りるかな……」

 

 近場のゲームショップ。店内に入ってすぐのところにデカデカと広告されているそのソフトを、俺は手に取った。

 

 

 

 

「ナーヴギアは全部回収された、か」

 

 部屋の隅に置いていた箱を取り出す。一度は開いた形跡があるその中に座しているのは、二年の間俺の頭を拘束していた代物だ。

 そう──()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 人間の脳をレンチンしたり記憶のスキャンまで可能にする大出力のマイクロウェーブが問題点であり、それらを取り除いて送り返されてきたのがこれだ。少し違和感があったものの、しかし特に疑問を抱くことなく受け取ったのがおよそ二週間前のこと。

 ただ、ミトさんの話を聞いて疑念は再燃した。黒いヘッドギアに触れ、その硬質な冷たさに体温が移っていくのを実感しながら思案する。疑問は絶えない。空白の二年間。何事もなく解放された人々。未だ解放されない人々。アーガス。レクト。

 茅場晶彦によるデスゲームは行われず、俺達は二年間眠っていただけだった──()()()

 

 ナーヴギアを取り出し、スロットにROMカードを差し込む。インストールはすぐに終了した。ベッドに寝転び、ちらりと携帯端末の時刻を確認する。先程昼食を終えて午後二時前。うちの夕食は大体六時から七時。四時間は費やせる。

 

 ……真実を、知る必要がある。空白の二年間を。黒鉄の浮遊城で、何が行われていたのかを──。

 ヘッドギアの電源を入れ、すっぽりと被って天井を見詰める。嫌になるほど馴染んだ感覚。大きく深呼吸をして、口を開く。

 

「リンク……スタート」

 

 最初に、視神経からの入力の断絶。閉じた瞼の向こうから届いていた僅かな光すら断絶する。完全な闇が帳を降ろす。

 そして、濃厚な暗闇の奥から虹色の光が溢れ──。

 

 ────。

 

 ───────。

 

 ────────────何処までも続く、青。

 

「は?」

 

 セットアップステージを経て、アカウント及びキャラクター作成を終了し、ついに初めてアルヴヘイム・オンラインにログインした俺の目にまず飛び込んできたのは、無限に続く蒼穹であり。

 

「は───ぁぁぁあああ!?」

 

 有り体に言ってしまえば、俺は自由落下していたのだった。

 

 





>>ミト
 本名は兎沢深澄。通称「鎌を握りしめて震えながら体育座りしているのが一番似合う女」。


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03 // ENCOUNT

週一投稿をしようと思ってたのに秒でペースが崩れたので、初投稿です。





 

 GM案件だろ、これ。初手バグってんぞクソ運営。

 

 アルヴヘイム・オンラインの一番の売りである飛行とやらも初心者な俺が十全に行えるはずもなく、もうものの見事に地面に突き刺さった訳だが。仏頂面で俺はクソでかい溜息を吐いた。もうね、最後らへん凄い速度だったよ。俺死んだと思ったもん。初手デスポーンだと思ったよ。エネルギー保存則に基づいて超高度の位置エネルギー全部運動エネルギーに変換された結果音速に突入しかけてたよ。たぶんこの世界に摩擦エネルギーとかあったら俺溶けてたよ。熱で。

 一頻りぼやいたところで、ようやく意識が現在に回帰する。

 

 ……で、ここどこよ。

 射し込む木漏れ日に掌を透かしてみながら、視神経にダイレクトアタックしてくる膨大量の情報に息を呑む。よく考えたらSAOのベータテスト以来となる仮想空間である。現実以上の現実感とは言い得て妙だ。……と、そこで気付く。

 現実において常に付き纏っていた違和感。ラグと言えるような酩酊感が、存在しない事に。

 

「……現実酔い、ね……」

 

 実感してしまえば嫌でも理解せざるをえない。視神経や運動神経、各種神経と接続する事で五感そのものをハッキングしているとも言えるシステム、それがフルダイブ型のVRギアの根幹である。理論上は確かに現実で肉体を操るよりも、脳からの指令に対してのフィードバックは速いかもしれない。だがそれはあくまで理論上の話である。人間がそもそも知覚出来るはずもない。だがそのゼロコンマ以下のラグを感知し、あまつさえ酔ってしまうような人間がいるとしたならば、それは──。

 

 ……いや、それはいい。思考を打ち切り、とりあえず現状を把握する為に立ち上がって周囲を見渡す。俺の背を遥かに超えた樹木が鬱蒼として連なる景色。形成された樹冠により地面に届く陽射しは少なく、地面に生えている草はあまり背が高くない。聞こえてくるよくわからない鳥の声。よくわからない虫の声。ふむ、とひとつ頷く。

 

 結局ここどこやねーん。

 思いっきり遭難してねぇか。いやおかしいでしょ。途中までクソでかい国の真ん中にある結構綺麗めな都市目掛けて降りようとしてたじゃん。途中でなんでフリーズした挙句超旋回して変な森に突っ込むんですかね。

 何処を目指すか考える前に現在地がわからない。というかワールドマップもわからない。……いや、待てよ?

 指を振ってメインメニューを開く。アイテム欄をごそごそと弄り、そしてそれらを見てぎょっとした。なんだこれ、全部文字化けしてないか? 全く読めない文字列に眉を顰める。そもそも俺は初心者(ニュービー)のはず。なんでこんなにアイテムを──。

 

 

 本当に、そうか?

 

 

「……まさか」

 

 ステータス画面へ移行する。そこにあったのは驚愕すべき──しかし案の定とも言えるもの。カンストしたスキル、カンストしたレベル。片手剣スキル熟練度1000、体術スキル熟練度1000、投擲スキル熟練度1000……確認するのも面倒になって画面を閉じた。近くの木にまで寄ってすとんと腰を下ろした。己の掌を、手を、腕を見やる。浅黒い肌。当然だろう。キャラクタークリエイトにおいて原典と同じように俺はスプリガンの種族を選択した。スプリガン以外であれば激化している種族間争いに巻き込まれる可能性があるという点でも正解の選択肢だろう。……ああいや、これも現実逃避の思考であると気付いている。理解して、ようやく問題の焦点を直視する。

 

 デスゲームは──行われていた。

 

 もう否定する材料の方が少ない。状況の八割はSAOにおいて行われたデスゲームの存在を物語っている。ALOがSAOと同一サーバーを使用しているが故のこのステータス画面だ。つまり、俺はSAOにおいてここまでレベルを上げたという事であり。

 

「……くそ。わかんねえ……」

 

 苛立ちのあまり舌打ちする。SAOは実在していた。二年間ただ眠っていただけ、など嘘っぱちだ。ただし理解できない点は二つ。一つ目はなぜ死人が出ていないのか。二つ目は、なぜ俺たちに記憶が無いのか。少しばかり考えてみるが結論は出ない。どちらもナーヴギアの機構が原典と異なる──からか?

 

「そう、じゃねえ」

 

 違う。俺が最も懸念していることはひとつだけ。

 俺は、桐々谷和人として。剣士であるキリトとして……救えたのだろうか。

 アスナを。エギルを。クラインを。キバオウを。ディアベルを。シリカを。リズベットを。原典にて生きていた人々を。

 あるいは、それ以外にも死んでいった人々をすくい上げる事は出来たのだろうか。

 

「っ────」

 

 知りたいようで、知りたくなかった。

 結果的に記憶は奪われたが、人々は生きている。そこに過程の必要性はない。むしろその方が幸せだろう。二年間死線に身を投じていた記憶など、無い方が良いに決まっている。それは俺とて例外ではない。

 …………それも、違う。

 認めよう。この手の震えを。強ばった表情を。二年間を拒絶しようとする己を。

 俺は怖い。自分が何を為したのか。何を為せなかったのか。自分の仕出かしたことの顛末を見届けるのが、堪らなく怖い。

 

「俺、は」

 

 

 ──積み上げた罪咎を畏れるか?

 今更だ。本当に今更の話だ。元より覚悟の上だったはずだろう。

 ……笑わせる。元よりお前が目指していた英雄(モノ)とは、そういう人殺し(モノ)だろう?

 

 

 背後から手が伸びる。頬を這い回る指。凍り付いたように動かない身体。言葉が出ない。なんだ。拍動が加速する。眼球を指が撫ぜる。吐き出される冷笑。わからない。何がいる。違う、

 

 お前は───誰だ───?

 

「───っ、は」

 

 そんな金縛りが解けたのは、何やら耳にうるさい通知音が響いた瞬間だった。

 はっと目を見開けば、既にそこには何も無かった。後ろを振り向くも誰もいない。当然と言えば当然だ。墜落した瞬間から俺は一人だ。だから、あの腕も、指も、

 

「幻覚……だった、のか」

 

 ──そんな馬鹿な。

 あれだけ真に迫った幻覚があるだろうか。いや、しかし現にここには誰もいない。それともゲーム的なイベントか?

 ……息を吐くだけの無音。だが、それでも通知音はやかましく響いていた。少しイラついてメインメニューウィンドウを開く。見れば、メッセージの箇所が点灯していた。メッセージ一覧に推移し、恐らくは運営からであろうそれを開けば──。

 

「まぶしっ」

 

 太陽拳ばりに光が爆発した。

 渦巻く白光。数秒後、光は一つの形に収束していった。大きさは10センチほど。ライトマゼンタのミニのワンピースを纏った黒髪の小人。そして最大の特徴は背中から伸びた半透明の翅であった。唖然として中空に浮いているそれを見ていれば、不意にその両眼がぱちりと開いた。吸い込まれるような黒色の瞳が俺を映し出す。

 

「お久しぶりです。ざっと63日と11時間33分27秒振りですね──兄さん」

「は?」

 

 なんて?

 思考が止まった。久しぶりって言ったのか?

 目を白黒させる俺を認識する無機質な瞳。一瞬の沈黙の後に、小人……というか妖精っぽいそれは口を開いた。

 

「私はナビゲーションピクシーのユイです。このゲームでわからない事があれば、なんでも聞いてくださいね」

「え、えぇー……」

 

 ……な、なるほど?

 ユイ、と名乗るそのちんまい妖精の周囲をぐるりと一周しながら観察する。向こうもそんな俺をじっと見返してくる。うーん、お人形さんみたいだ。いや実際人形(AI)なんだが。ただそんな俺の奇妙な行動に何も言うことなく無反応なあたり、本当にNPCのようで……いやそうなんだろうが……ええいままよ、と俺は口火を切る。

 

「えっと、ナビゲーションピクシー……だっけ?」

「はい。兄さんをサポートさせていただきます」

「あー、いや……そっか」

 

 頬を掻く。ナビゲーションピクシー。詳しい流れは忘れているが、これがもし原典ならばこいつの正体はキリトがSAOで出会ったAIの少女、だったはずだ。だが今の受け答えでは全くと言っていいほど、高度なAI特有の柔軟な手応えは感じられない。

 もうひとつふたつ聞いてみるか。そう考えて疑問を口にした。

 

「さっきお久しぶり、って言ったよな。どういう事だ?」

「……はい。言葉の通り、兄さんは約二ヶ月ぶりのログインになります」

「待て。俺は今日キャラクター作成したはずなんだけど」

 

 そこでようやく、ユイという妖精の表情が少し変わった。微笑を湛えた基本の表情から、困惑の感情を示す表情へと。

 

「兄さんのアカウントデータは以前から存在していますよ。ログイン履歴は二ヶ月前から今日まで更新されていませんが」

「──それは」

 

 それは、つまり。

 

「ソードアート・オンラインでのデータを参照している、という意味か?」

 

 僅かな反応も逃すまいと。もはや睨みつけている、と言った方が適切では無いのかと我ながら思えるほどつぶさにユイを観察しながら、問う。

 そんな俺を見ながら、しかし彼女は、やはり無感情な事が伝わってくるような感情的表現で俺に返した。

 

「申し訳ありません。ソードアート・オンラインではなく、このゲームはアルヴヘイム・オンラインです。仰る意味があまりわかりません」

「……そうか。そうだよな」

 

 息を吐き出し、悪かった、と告げた。そして自嘲する。人工知能に謝ってどうするのか。

 

「マップはわかるか」

「はい。マップの開き方は──」

「ああいや、違う。最寄りの町は何処か聞きたかっただけだ」

「はい。ここから一番近い町は《スイルベーン》です。ナビゲートを開始しますか?」

「よろしく頼む。あとは、そうだ」

 

 俺の背中にもある背中の翅をちらりと見て、問う。

 

「……飛び方、教えて貰っていいか?」

「了解しました。では、空中移動のチュートリアルも開始しますね」

 

 機械的に少女は微笑むのだった。

 

 

 翅が生えているのは肩甲骨の辺りだ。

 ただ、元々人間の体に生えていないものを感覚で操作する、というのは結構難易度が高い話だ。俺は早々に諦めて補助コントローラーを利用し、空の旅を楽しんでいた。ジョイスティック状の補助コントローラーのボタンを押し込み、加速しながら進んでいく。ただ俺を先導するピクシーは何も言わず、ぐんぐん先に行くので俺もそれなりに速度を出さなければならない。結構怖いな、と思いながら過ぎ去っていく眼下の景色を見下ろしていた。

 ……と、そこでふと視界の端に何かが映ったのに気付いた。

 

「あれは……」

 

 空中を走る赤い線。あれは魔法……なんだろうか? 疑問形なのはこのゲームのシステムに関してろくに知らないが故だ。重装備の騎士が三人。それに追われるプレイヤーが、一人。

 

「戦いが起きていますね。サラマンダーの手勢とシルフが争っているようです」

 

 ──追われる、金髪の少女。

 それを追い立てる、三人の男。

 

「早く離脱しましょう。兄さんはスプリガンですから、どちらに捕捉されても面倒な事になるかと」

 

 バイザーの隙間から見える、下卑た笑み。

 否。見えるはずもない。この距離では彼我の大きさは指の先にも満たない。だが確信があった。魔法での射線の作り方は直接狙うものではなく、まるで獲物をいたぶる様な意図を感じられる。……感じられる? なぜ理解出来る。なんのことは無い、()()()()()()()()()()()()()

 

「……兄さん?」

 

 嗚呼──。

 

「気に入らない、な」

 気に入らねぇな。

 

 瞬間、俺はトップギアまで踏み抜いていた。

 補助コントローラーなど必要ない。()()()()()()()()()()()()()()()。もはや見ることも無くメニューウィンドウを左手で操作し、アイテム欄から現在使用可能な唯一の兵装を選択。物質化したそれを掴み取り、その平々凡々とした軽量の片手剣を一瞥する。……性能は最低。品質は粗悪。彼女の武器とはまるで比べ物にならない。だが十分。剣としての体裁さえ整っているならばそれでいい。

 

 速度を落とさず、鋭角にターンを刻み木立の中をすり抜ける。()()()()()()()()()()()()()()()()()。扱い慣れているとは言い難い。あの距離から加速し始めて到達までの時間は約十二秒。展開している三人。長剣を大上段に振り翳す少女。

 ──その脇をすり抜けて。

 

「まず、一人」

 

 不意打ちにも程がある一撃が、赤毛の男の首を撥ね飛ばした。

 

 

 

 

 桐ヶ谷直葉(リーファ)は昨日から今日にかけて、すこぶる不機嫌であった。

 

 不機嫌の原因はふたつ。兄と自分、それぞれである。全国制覇を成し遂げた自分から妙な剣術で一本取っていった己の兄への憤怒と、そしてそれに対しムキになって怪我を負わせかけた己への失望。それを吐き出す訳にもいかないので溜め込んだ結果、彼女は有り体に言ってめちゃくちゃ不機嫌であった。それはもう、結構仲の良い異性の友人にしてゲーム仲間の少年からのメッセージに対してかなりつっけんどんに返してしまいちょっと後悔するもフォローするのも面倒なので放置した結果、向こうさんは「え、僕何かやったっけ……」とかなり焦る羽目になるくらいには不機嫌であった。加えて言うなら、己の上司に相当するシルフのプレイヤーへの当たりも相当キツくなってしまい、流石にフォローするも「私、何かやらかしたか……?」と落ち込んでしまうくらいには不機嫌であった。

 

 とにかく、彼女は不機嫌であった。最終的にそのフラストレーションは「おい見ろよ女だぜ☆げっへっへ」と言いたげな顔をしているサラマンダー(※リーファの主観が大いに含まれる)三人に対して向けられ、普段ならば駄目元でも隠行魔法を試すところだというのに野郎ぶち殺してやらぁ!とイイ感じに彼女は腹を括っていた。そして、サラマンダー達もその殺気立ったシルフの少女にちょっとビビっていたのだ。

 

 ──そんな感じで、キレてますかと聞かれたら食い気味に「いやキレてないっすよ」と返しそうなくらいキレかけてるリーファが剣を構えて踏み込もうとしたその瞬間。

 

「は……?」

 

 黒い稲妻が走り抜けた。

 何が起きたのかをリーファは認識出来なかった。気付けば一人のサラマンダーの首にヒットマークが生じ、断末魔の炎(エンドフレイム)がその身を包む。襲撃者は大地を蹴り、再びその翅が光に包まれる。速度を落とすことの無い二撃目が振るわれんとしていた。

 ……理屈はわかる。戦法としては、アリだ。超上空から高速のまま地上あるいは低空域の敵を強襲する空中戦闘(エアレイド)技法。だが実情は特攻に近い。何しろ、そんなスピードでは攻撃はおろか目標に突っ込むくらいしか調整出来ないのである。初期のアルヴヘイム・オンラインにおける抗争では集団での特攻戦術として確かに確立した戦法ではあったが、すぐにこうした樹海に潜むゲリラ戦法に駆逐された事をリーファは思い出していた。

 しかし──この強襲者は、あの速度帯で的確に首への一閃を放った。ぞっとするほど正確無比な攻撃精度と、あの高速下においても反応出来る常軌を逸した反射速度。剣士としてのリーファが、その強さに肌が粟立つような感覚を覚える。

 

 続く、二撃目。しかしその翅は、踏み込みの最中で光を喪った。

 

「滞空、制限──!」

 

 忌々しい滞空制限が、妖精を地に墜す。速度が鈍り、双方が驚愕に目を見開いていた。そこでようやくリーファは襲撃者の姿を認識した。そして眉を顰めた。手にするのは初心者用の剣。防具も初心者のものだ。だがその装備と先程の鮮やかな一閃がまるでどうして噛み合わない。

 加えて、その容姿はどう見てもスプリガンであった。初心者のスプリガン。もはや姿を偽っているのではないかとすら思えるほどに全ての要素がちぐはぐな男だ。というか情報量が多い。

 ──先に動いたのは、サラマンダーだった。

 バイザーを下ろすこともせず、ただ目の前の敵を穿つ為に遮二無二振るったランスの軌跡。ただ、その狙いは正確であり双方の有利不利は既に確定的であった。リーファと同様に滞空制限を受けた男と、上空から槍を振るうサラマンダー。そして男は片手剣を握り、上段で構えを取り──。

 

「───え」

 

 思考が、凍り付いた。

 まるで、焼き直しのようだった。あまりにも鮮やかな一閃。振り下ろした剣の軌跡は槍のそれと重なり、叩き落とし、轟音と共に兜を割った。厳密には槍を叩き落とした後にその先を足で踏んで跳躍し、中空で兜を叩き割りながら既に次の標的へと目を向けている。曲芸じみた絶技。だがその本質は間違いようもなく、

 

「切り落とし……」

 

 あまりに剣速が速すぎる為に技術というよりは結果的にそう見えるとも捉えられるが、それでもそれは彼女を一度敗北せしめた剣技と重なって見えた。吸い付くように正中線の急所を叩き斬る斬撃。エンドフレイムに包まれ仮想体(アバター)が燃え尽きる。彼女が呆然としている間に、跳躍したスプリガンは残る一人のサラマンダーに迫り──。

 

「参った!」

 

 諸手を挙げて降伏を示すサラマンダーの男の眉間。その僅かな数センチ手前で、剣先は停止していた。剣圧にサラマンダーの髪が揺れる。それでもサラマンダーが焦りを示さないあたり、肝がかなり据わっているな、とリーファは感心していた。案外大物なのかもしれない。

 

「降伏する。まさかこんな伏兵がいたとはね」

「……あー、うん。あんたもそれでいいか?」

 

 “あんた”が自分を示していると気付くまでに、二秒。ぽかんとしていたリーファは、じっとこちらを見つめてくる二人の視線に慌てて口を開いた。

 

「え、あ、あたしは別にいいんだけど……」

「そうか。命拾いしたな、あんた」

「いや全くだ。魔法スキル900手前でデスペナ食らったとなれば泣いてしまいそうだ」

 

 苦笑いするサラマンダーに、スプリガンは肩を竦めて剣を収めた。二人に戦意はない。そのまま翅を光らせて去っていくサラマンダーを見上げながら、スプリガンは複雑そうな顔で見送っていた。

 ……そんなリーファの視線に気付いたのか。振り向くと、彼はにこりと微笑んで告げた。

 

「じゃ、そういう事で──」

「いや逃がすわけないでしょ」

 

 むんず、と。

 その手首を捻りあげるように掴みながら、リーファはにっこりと微笑む。スプリガンの男──というか、少年は頬を引き攣らせている。そう言えば、全く関係ないが笑うという動作は元来威嚇だったと聞いた事実をリーファは思い出していた。全く、何も、これっぽっちも関係ないだろうが。

 

「さ、あんたが何処の誰で何が目的か。一から十まできりきり吐いて貰うわよ」

「きりきりって今日日聞かねぇな……」

 

 遠い目をした少年のぼやきが、樹冠に吸い込まれるのだった。

 

 



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