せっかくバーサーカーに憑依したんだから雁夜おじさん助けちゃおうぜ! (主(ぬし))
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0−0 シリアスブレイカーに、俺はなる!

アイディア勝負なので文章力やストーリーには期待しないほうがいいかもしれない。もちろんシリアスでもなんでもない。

※もうすぐ最新話が完成しそうな勢いなので、以前ににじファンさんで公開させて頂いていた分を投稿させて頂きます。


‡雁夜おじさんサイド‡

その夜、間桐家の地下にある蟲蔵にて、間桐雁夜はバーサーカーを召喚した。

生まれつきの素養はあっても魔術の研鑽をまったくと言っていいほど積んでいない雁夜はその肉体に寄生させたおぞましい蟲たちによって魔術師の体裁をとってはいるが、それでも他のマスターに比べれば足元にも及ばない。

従って、サーヴァントは狂化によってパラメーターのランクアップを行わざるを得なくなり、必然的にバーサーカーを選ぶこととなった。

雁夜の文字通り寿命を削った召喚魔術の呼びかけに応え、吐血に塗れた魔方陣から闇の炎を巻きあげて漆黒のフルプレートを装着した大男が姿を表す。その刺さるような禍々しい気迫はまさに狂戦士(バーサーカー)のものだった。

「や、やった……!成功した……!」

息絶える寸前まで生命力を失った雁夜が、地べたに頬を擦りつけながら亀裂のような笑みを刻む。その様子を後ろから満足そうに眺めるのは、間桐家の初代にして歪みきった人格を持つ老人、間桐臓硯だ。

そう、そこまでは彼らの計画通りであった。

計画から外れたのは、バーサーカーが突如としてその双腕を大上段に振りかぶり、一撃を持って臓硯を亡き者にしたところからであった。

「バーサーカー、何を———!?」

「ぎゃあああああ!!」

いかに数百年の時を生きた真性の化け物でも、人間より遙か高みに達した英霊の一撃を堪えることは出来なかった。苦痛と汚辱に塗れた雁夜の姿に愉悦を覚えていた臓硯は、不意を衝いて放たれた恐るべき大破壊力に一瞬とて持ちこたえることなく、醜い悲鳴を上げながら血肉と臓物に為り果てた。音速を軽々と突破した拳は辛うじて消滅を免れた蟲すら散り散りに粉砕し、もはやそれらが臓硯だったことすら判別することはできない。

 

バーサーカーによる暴走は臓硯を殺すのみにとどまったが、それがもたらした惨状は地下室の崩壊に繋がるほどのものだった。余波を受けて大きく抉れた柱は天井を支えられなくなり、ゴゴゴと重苦しい音を立てながら次々と大きな亀裂を浮かばせる。

「桜が……!」

ガラガラと崩れ行く地下室の床に爪を立て、雁夜が必死に蠢く。なぜバーサーカーが突然臓硯を殺したのかなど、どうでもいいことだった。もはや臓硯が死んだ今、聖杯戦争のような狂ったゲームに参加する意味はなくなった。しかし、この蟲蔵には桜がいる。救い出してやると誓った愛する女性の娘が今も蟲どもに囚われ、犯され、精神を食いつくされようとしている。例え自分が死んだとしても、せめて彼女だけは助けてやらなければならない。

 

(くそっ、動け!今だけは動いてくれ!頼む……!)

 

必死に歯噛みして前に前に這い進もうとしているのに、召喚によって限界以上に体力も魔力も使い果たした雁夜の肉体は主の言うことを聞かない。ピクピクと痙攣するだけの己の四肢を明滅する視界に入れて、雁夜の視界が涙で歪む。自分のあまりに惨めな最期と、救われることのなかった少女への悔恨を悲観しての血涙だった。

「こんな、こんな結末なんて—————— うぐっ!?」

ついに諦め、力尽きようとした雁夜の首根っこを何者かがひょいと掴み上げた。その怪力の持ち主は雁夜を軽々と肩に担ぎ、大股で壁に向かって歩き出す。堅牢で冷たい鎧の感触を腹に感じる。

「ば、バーサーカー!?」

 

それはつい先ほど雁夜が召喚したサーヴァント、バーサーカーであった。彼は何を思ったのか、進行方向にあった見るからに厚い地下の壁を無造作に蹴破る。豆腐のように易々と破壊された壁の穴からわらわらと醜悪な姿形をした蟲がこぼれ落ちてくる。見ているだけで胸糞が悪くなる蟲の滝にバーサーカーがズボリと手を突っ込み、何かを探すように上下左右に行ったり来たりする。

呆然とバーサーカーの奇行を見る雁夜の目に、藍色の何かが映った。蟲の海の中に沈んでいるソレは、自分が救おうとした幼い命———。

「バーサーカー、そこだ!そこにいる!」

バーサーカーが捜しているモノと自分が指さす者が同じである保証はなかったが、霞みゆく雁夜の思考ではそこまで至ることは出来なかった。だが幸運にも、その二つは見事に一致していた。

バーサーカーは雁夜が指さした箇所に手をやると、蟲の中から小柄な裸の少女をそっと掬い上げる。それは、間桐の魔術に無理やり染め変えられたせいで髪色も瞳の色も変わってしまった間桐桜だった。苛烈で非情な魔術処置によって精神は崩壊寸前だが、生きようと必死に息をする瞳は未だ生者らしさを垣間見せている。

(ああ、よかった)

その小さな裸体は蟲によって傷だらけになってはいるが、死に至るほどのものは見つけられない。治療を施せば桜は生きられる。臓硯が死んだ今、自由に、普通の少女としての人生を歩むことも出来る。

「ば、バーサーカー。頼む、桜を、どうか、生かして、くれ」

もう目も見えない。崩壊する地下の振動も轟音も届かない。事切れる寸前の雁夜は、しかし最期の力を振り絞って己のサーヴァントに懇願する。ついに意識が途切れる最中、

「おk」

という意味不明な返答が聞こえた気がした……。

 

‡バーサーカーサイド‡

 

Fate/ZEROで一番可哀想なのは雁夜おじさんだと思う。10人中10人はそう思ってるに違いない。

俺はたった今読み終わった小説を本棚に仕舞いつつ、その本の登場人物の一人、間桐雁夜に思いを馳せていた。彼ほどまでに必死の思いで聖杯戦争に参加して、血反吐を吐いて戦い尽くし、望まぬ最期を遂げた男はいないだろう。虚淵さんマジ鬼畜。

「んぉっ、もうこんな時間か」

夢中になって読んでいたせいでもう深夜0時を回っている。明日も朝一で講義がある。なんちゃって大学生ではあるが、単位もやばいしちゃんと講義には参加しなくては。早々に電気を消してベッドに潜り込む。もう少し読了後の何とも言えない余韻に浸っていたかったが、やむを得ない。

「夢の中でいいから、雁夜おじさんが幸せになるストーリーが見てみたいぜ……」

そう呟くと、のび太くんばりに即睡眠の才能を持つ俺が深い眠りに落ちていった。遠くなっていく聴覚に、「言い出しっぺの法則というものがあってだな?」という冷厳な男の声が届いた気がした。

 

 

 

目が、醒める。

気づけば俺はなぜか床に突っ立っていた。視界が狭い。まるで鎧の目庇でも覗いてるかのようだ。あ、いや違う。ホントになんか鎧着てるぞ。しかも全身に。不思議と重くない、っていうかめっちゃ身体に馴染んでる気がする。

視線だけで辺りを見渡せば、なんだかとても身体に良くない空気が充満した密室の中心にいることはわかった。なーんかつい最近似たような部屋の描写を読んだことがあるような?

「や、やった……!成功した……!」

声の源は俺の足元から発せられた。音の発生源を正確に察知できた自分に驚きつつ下に目を向けると、そこにはぐったりと床に倒れ伏しながらも達成感に笑みを浮かべる男がいた。全身余すところなく血だらけで、その様子は死人そのもの。顔面も半分はゾンビみたいに枯れている。何を隠そう、間桐雁夜その人であった。そして彼が俺を見上げながら「成功した」と言っていることから察するに、俺はどうやらバーサーカーになっているらしい。全身に着込んだ鎧と身体中に滾る力———魔力?———がその証左だ。夢で雁夜おじさんが幸せになればいいとは思ったが、自分でその手助けをする夢を見る羽目になるとは思わなんだ。

(待てよ、ここに雁夜おじさんがいるってことは、)

雁夜おじさんの背後を見れば、暗闇に溶けこむようにしてキモい爺さんがニンマリとしたキモイ顔をしてキモい腐臭をまき散らしていた。出たな諸悪の根源め。言峰綺礼はたしかに悪として歪んではいるがどこか愛着が持てる。特に嫌いではない。ギルガメッシュもゲートオブバビロンとかかっこいいし、厨二心をくすぐられるので純粋悪には思えない。だが間桐臓硯、テメーは駄目だ。てめーは俺を怒らせた!

(油断している今こそ好機!雁夜おじさんのトゥルーエンドのためにも死ねやオラァ!!)

夢なら夢で、俺は自分がやりたいようにするだけだ。つまり、雁夜おじさんの願いを叶えてやるのだ!

背中から魔力を噴出し、一挙動で臓硯の眼前まで接近。握り合わせた拳を振り上げ、バーサーカーのスキルである筋力強化を最大限に生かして思い切り叩き落す。ぎゅおん、と空気をねじり切る爆音の尾を引き、拳は隕石のように臓硯の脳天にクリーンヒットした。

「ぎゃあああああ!!」

芋虫のような蟲どもが飛び散るが、それらも全て粉砕する。一片だって残してはやらん。絶対に許さんぞ虫けらども!じわじわとなぶり殺しどころか一瞬で消滅させてやる!

俺の気合の一撃によって臓硯は跡形もなく死んだ。夢のくせにリアリティがあるじゃねえか。ちょっと吐きそうだ。うえっ!

(ふう、これで一件落ちゃ―――おお?しまったやりすぎたか)

すこーし加減を間違えたらしく、先の一撃で地下室が崩壊寸前だ。こりゃいかん。さっさと雁夜おじさんと同じく地下室に閉じ込められているだろう桜ちゃんを救出せねば。

とりあえず雁夜おじさんが落ちてくる瓦礫の下敷きにならないように回収しておく。耳元で「バーサーカー!?」と困惑の声が聴こえるが、気にしない。というか、どうも上手く喋れないようだ。さっきからあーとかうーとかいった小さな呻き声しか出せない。どうやらバーサーカーになってるせいで俺の思考が狂ったりしないまでも、言葉を発することはできないらしい。夢のくせにリアルだな。まあ無くても大丈夫だろう。最悪、筆記で意思疎通も出来る。

(桜ちゃんはこの辺かな?お、なんか当たりっぽいな)

適当に目の前の壁をぶっ壊してみると、ビチビチと震える蟲が滝のように流れだしてきた。この中にいそうな感じだ。早く救出してあげないと気の毒だ。

「バーサーカー、そこだ!そこにいる!」

視界の隅で雁夜おじさんが一点を指さす。さすがおじさんだぜ。

おじさんの差した場所をクレーンゲームみたいにそっと掬うと、何かを掴んだ感触がした。ひどく冷たいが、人間の子どもっぽい。案の定、それは桜ちゃんだった。レイプ目になってボーッとしているが懸命に肩を上下させて息をしている。無事のようだ。ホッと安堵していると、雁夜おじさんがぶつぶつと何か囁きだした。

「ば、バーサーカー。頼む、桜を、どうか、生かして、くれ」

言われなくともそのつもりだ。こんな陰気臭い地下室とはスタコラサッサだぜぃ!バーサーカーはクールに去るぜ!!

「おk」

おっ?ちょっとした発言なら何とか出来るのか。これは嬉しい発見だ。意思疎通がしやすくなるぜ!臓硯も死んだし、桜ちゃんも助けだした。後は間桐家当主の間桐 鶴野が問題だが、こいつはワカメの父親だけあってヘタレだ。どうとでもなるだろう。臓硯が死んだと知ったら嬉々として泣いて喜ぶかもしれん。そうなれば雁夜おじさんとも仲直りで、桜ちゃんも普通の暮らしができるようになるかも。

気絶した二人を担ぎながら、俺は今後の二人の明るい未来について考えを膨らませ始めていた。

———あれ?桜ちゃん助かったんなら俺もう必要なくね?

 

‡雁夜おじさんサイド‡

 

「う、ぐ、」

顔に当たった日光に急かされて泥のような眠りから覚醒すると、そこは自分の寝室だった。日光を浴びたのは久しぶりだった。臓硯が死んだせいなのか、体内の蟲は今までの暴れっぷりなど嘘のように静まっており、悪くて痺れる程度に収まっている。その痺れが脳を刺激し、昨夜何が起こったのかを想起させる。日光を遮るように手をかざせば、その手の甲に令呪が宿っているのに気付く。まだ、バーサーカーとは繋がったままだ。サーヴァントは魔力を常に消費する。口惜しいことだが未熟な俺では蟲の助けがないとそれは不可能のハズ。

「いったい、何がどうなって……?」

「雁夜おじさん、大丈夫?」

「ッ! 桜ちゃん!?」

耳元で発せられた少女の声に飛び起きる。そこには、椅子に座ってこちらを心配そうに見下ろす桜の姿があった。その瞳にも肌にも元の少女然とした健康的な張りが戻っており、蟲に蹂躙されていた過去を感じさせないほど快復している。その様子に、雁夜は今までの地獄のような日々の全てが報われた気がした。否、事実報われたのだ。雁屋の当初の目的———桜を救い出すことは、ここに果たされたのだ。

(もうこの娘は絶対に不幸な目に合わせない!)

内心に決意し、桜を抱きしめようと身を乗り出し、

コンコン

「あっ、ご飯が出来たみたい。ちょっと待っててね、雁屋おじさん」

腕の間をするりと抜けて桜がノックされた扉へ小走りで駆け寄る。それを少し残念に思いながら、年頃の少女のような仕草を見せてくれる桜の姿に雁夜は優しげなほほ笑みを浮かべた。

(聖杯戦争などクソ食らえだ。令呪もさっさと教会で処理してもらおう。遠坂時臣に桜ちゃんを間桐に譲ったことを後悔させてやりたいという願いはあるが、それは聖杯を通さなくても出来る。どのみち、すぐに暴走するような強大なバーサーカーを制御できる自信はこれっぽっちもない。きっと戦いの途中で惨めに力尽きてしまうだろう。それより、なるべく桜ちゃんの近くにいて彼女を護ってやりたい———)

「ご飯作りご苦労様。今開けるから待っててね、バーサーカー(・・・・・・)

「———は?」

呆けた声をあげた雁夜の眼前で、桜がよいしょとドアノブを捻る。ギィ、と古風な音を立てて開いた扉の向こうから、漆黒の気配がズルリと侵食してくる。雁夜がゴクリと息を呑む中、その気配の持ち主が全体を表す。

全身を黒いフルプレートアーマーで覆った優に190を超える長駆の男———雁夜が昨夜召喚し、目にも留まらぬ速度であの臓硯をこの世から消し去ったサーヴァント、バーサーカー。

その威容と迫力は何者が見ても怯えすくむほどのものだったが、雁夜は別の意味で身体を強張らせて硬直していた。

当然だ。なぜなら眼前のバーサーカーは—————エプロンを着ておかゆの載ったお盆を持っているのだから。

理解を越えた光景に、雁夜はただあんぐりと口を開けて固まるしかなかった。

 

 

「雁夜おじさん、おかゆ冷めちゃうよ?せっかくバーサーカーが作ってくれたのに」

「ぐるる!」

「なにそれこわい」




思いつきの作品だけど、けっこうスラスラとアイディアが浮かんでくるので続けてみようと思います。Fate/zeroの小説は持ってはいますが読んだのは2年前です。アニメを見ながら思い出しつつ、ボンヤリとしたところは小説をまた読み直しながらちょこちょこと書いていきます。

こんなSSですが、にじファンさんに投稿させて頂いていた頃には素晴らしい挿絵を授かるという幸運に恵まれておりました。Pixivで活躍されているナカジョーさんという絵師様がバーサーカーと雁夜おじさんと桜ちゃんのイラストを描いてくださいました。是非、拝見して頂きたいです。桜ちゃんがとても可愛いです。それと、ナカジョーさんの他のイラストを見てアナルに目覚めても僕は責任を負いません。悪しからず。


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1−1 未来の巨乳キャラを守るんだ!

一発ネタを連載作にすることの大変さを書きながら思い知る。


‡雁夜おじさんサイド‡

 

 

レンゲで掬ったおかゆをこちらに向けて「あーんして」とばかりに迫るバーサーカーからもぎ取ったおかゆをひたすら口にかっ込む。塩加減が絶妙でなかなか美味いのが腹が立つ。米の旨みを存分に引き出す質素かつ贅沢な味わいは日本人の味覚にクリーンヒットする。見た目は西洋騎士のはずなのにおかゆを作れるというのは理解に苦しむ。聖杯からの情報にはそんなことも含まれているのだろうか?

とりあえず精力をつけなければと頬を膨らませてもしゃもしゃと朝食を咀嚼する雁夜の前では、桜がバーサーカーに肩車されてキャッキャと喜んでいた。未だ全快には程遠いが、笑顔を見せるだけの余裕が生まれたのは良いことだ。バーサーカーの方も乗り気のようで、暴れ馬のように装いながらもまるでお姫様を扱うように丁重に相手をしている。「ぐるる」とか「うごご」とかしか声らしい声を発しないが、どうやら子どもの相手を出来るくらいの理性は残っているらしい。

 

(こいつ、本当にバーサーカーなのか?)

 

少なくとも雁夜にはそうは見えなかった。肌を突き刺すプレッシャーも狂戦士そのものだが、言動はその正反対だ。面倒見のいい近所のお兄さんと言えばちょうどいいだろうか。召喚した直後に暴走した際はマスターの制御すら受け付けない凶悪なサーヴァントを引いてしまったのかと不安になったが、もしかしたら臓硯をマスターである俺の敵と瞬時に理解して排除したのかもしれない。マスターに負担をかけないために魔力消費を最小限にセーブしているらしいバーサーカーの背中を眺め、雁夜は空になったお椀を枕元に置いた。バーサーカーのセーブと食欲が満たされたおかげで、死人のような干からびた肌に若干の張りが戻る。

 

(理性のあるバーサーカー、か。狂化でパラメーターが向上しつつも思考能力がほとんど低下していないなんて、どういう理屈なんだ?)

 

冷静に考えれば、これは反則とも言える事例だ。バーサーカークラスの有利な特性だけつまみ食いしてデメリットはほとんど無視なんて他のマスターが聞けば怒り狂うだろう。サーヴァントシステムを開発した臓硯ならば何かしらの見当がついたかもしれないが、今となってはそれも叶わない。叶えたいとも思わない。雁夜にとっては己のサーヴァントが意外に従順そうだとわかっただけで十分だった。

 

(バーサーカーの制御に問題はなさそうだ。残る問題は、兄さん———現・間桐家当主、間桐鶴野の存在か)

 

奴は臓硯の傀儡のような男だ。臓硯の指示通りに動き、立ち向かうどころか意見することも出来ない操り人形。臓硯亡き今も、その意思を継いで桜を次代の間桐家のための贄にしようと画策するかも知れない。急造の魔術師である俺と違って鶴野は長年修練を積んだ生粋の魔術師だ。正面きって戦っても勝ち目はない。だが今の俺には強力なコマがある。

 

(一応、説得はしてみよう。奴も臓硯の被害者ではある。だが聞き入れなければ、最悪、バーサーカーを使って奴を……)

 

「ぐるるっ」

 

「ん?な、なんだバーサーカー?……この手紙を読めっていうのか?」

 

実の兄の殺害も視野に入れだした俺の肩をぽんと叩いたバーサーカーが一通の手紙を手渡してきた。その手は心配するなと言うように親指がぐっと立てられている。この英霊の馴れ馴れしさというか見た目とのギャップというか英霊らしかぬ日常じみた所作には、雁夜はもう驚かなくなった。

手紙の差出人は鶴野だった。

 

『なんかスゲー怖いお前のサーヴァントがめっちゃ睨んでくるし、ジジイもくたばったらしいし、もう俺もゴールしていいよね?というわけで俺は生まれて初めての自由を満喫しに自分探しの旅に出るので絶対に探さないで下さい。絶対だぞ?絶対だからな?

P・S 桜をよろしく^^』

 

「あんのクソ兄貴!」

 

ふざけた手紙をグシャグシャに丸めて部屋角のゴミ箱にシュゥゥ———ッッ!!超!エキサイティン!!

まだ満足に動かせない腕のせいで目標を逸れて床に落ちた手紙をゴミ箱に入れ直すバーサーカーを尻目に、盛大な肩透かしを食らった雁夜はがっくりと頭を抱える。

色々と言いたいこともあったが、すでにいない人間に言っても仕方がない。元より、先に間桐家から逃げ出したのは雁夜の方なのだから、鶴野を強く責める資格が自分にないことも重々承知していた。

大きくため息を付いて思考を切り替えると、「さて、これからどうするか」と雁夜は独りごちた。桜の救出という目的は果たしたし、目下の障害と思った兄もとんずらこいた。遠坂時臣に桜にした仕打ちを思い知らせてやろうと心中で渦巻いていた執念も、無事な桜を見ていると小さくなってゆく。残す問題は———自らのサーヴァントと聖杯戦争だ。正直に言って、今の自分に聖杯に叶えてもらうような大それた願いなどない。そうなると、バーサーカーはお荷物以外の何者でもない。魔力を食いつぶす上に敵襲の危険も誘う厄介者だ。

はしゃぎ過ぎて疲れたのか足取りのおぼつかなくなった桜を優しく支えるバーサーカーにちらりと流し目を送る。雁夜が眠っている間に桜は自分の命の恩人であるバーサーカーにすっかり懐いてしまっていた。

 

(悪い奴ではなさそうだし、心苦しくはあるが、自害でもさせて消えてもらった方が———)

 

「ぅぅっ…」

「うごごごっ!?」

「っ!?桜ちゃん!?」

 

突然、その場に倒れ伏した桜とそれに慌てふためくバーサーカーに悪寒を感じて駆け寄る。

抱き上げれば、桜の顔色は蒼白になり、全身から玉のような汗が吹き出していた。唇が急激に乾き、肌から潤いが見る間に抜け落ちてゆく。まるで雁夜が今の状態になるまでを早送りで見ているかのようだ。

 

「こ、これは……!」

 

思いつく理由は1つだけ———臓硯の蟲による強引な施術の影響だ。臓硯という頭脳を失った蟲どもが暴走し始めている。サーヴァント制御を目的として植えつけられた雁夜の蟲と違い、桜のそれは臓硯が理想とする次代の間桐を生む母体育成を目的としている。臓硯のコントロールを離れた蟲どもは目的を見失い、桜の体内で暴れまわっているのだ。

 

「臓硯め……死んでもなお桜ちゃんを苦しめるのか!」

 

荒い息を吐く桜を自身のベッドに寝かせながら、雁夜は憤怒に燃えた。

バーサーカーがどんなに魔力消費をセーブしても、すでに蟲によってボロボロに食いつくされた雁夜の身体は一年も持たない。後悔はない。そうなることを承知した上で臓硯に取引を持ちかけたのだ。しかし、桜は違う。

 

(この娘には、真っ当な人生を歩ませてやりたい)

 

刻々と息を荒くする桜の頬を撫でる。ザラリとした粗い肌触りに臍を噛む。

間桐家の魔術を知る臓硯も当主もいない今、あるかどうかもわからない治療法を捜している猶予はない。あと数日の間に、蝕まれた桜を癒さなければならない。それほどの奇跡を起こせるものが必要だ。

一度目を閉じて覚悟を決めると、雁夜は背後に向き直る。そこには従者然として雁夜の後ろに控え立つ騎士———バーサーカーがいた。禍々しく燃える赤い瞳を力を込めて真っ直ぐに見つめる。

 

「バーサーカー、聖杯に願うことが出来た」

 

バーサーカーは黙して雁夜の口から命令が下されるのを待つ。まるで言わなくても雁夜の意思が通じているかのように。雁夜は爛々とギラつく赤い双眸の奥に同じヒトの心の温かさを感じた。

 

「桜を救う。そのために、俺はこの命を使い果す。協力してくれ、バーサーカー」

 

幼い少女のために命をかける。清らかで強い願いを掲げた雁夜の顔には、今までにない熱い信念と誇りが確かに芽生えていた。その願いに、黒鉄の騎士は片膝を突いて応える。左胸に叩きつけた右拳がガシャンと力強い音を立てる。主君への忠誠を示す返礼だった。

 

ここに、桜の命を救うために聖杯を目指す者たち———間桐雁夜/バーサーカー陣営が誕生した。

 

 

‡バーサーカーサイド‡

 

 

雁夜おじさんを助けるのが目的だったんだがなぁ。今はどうにかこうにかして魔力消費を抑えてるからキツくないだろうけど、俺(バーサーカー)が本気で戦うことになったらおじさんの寿命ゴリゴリ削っちゃうんだぜ?血反吐吐いて地べたでジタバタ痙攣だぜ?

……まあ、本人が望むのならいいか。凄くさっぱりした顔してるし。それにこのまま桜ちゃんが死んじゃったら雁夜おじさんの今までの決死の努力も水の泡だしな。俺としても、例え夢であったとしても小さな女の子が苦しんで死んでいくことを見過ごしたくない。この夢から覚めたら最悪に目覚めが悪いことになる。

 

しゃーない!ここは一つ、騎士っぽくカッコつけた返礼をして、おじさんと一緒に戦うことにしますか!




まだこの頃にはバーサーカーの台詞に顔文字はなかったんですね。懐かしい。


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1−2 黒ファントムに侵入されました

このSSは半分はネタ、半分は勢いで出来ています。原作に忠実な設定なんてどこ吹く風だし、過度な期待は厳禁です!それでも大丈夫なイケメンさんだけ見て行ってね!ゆっくりしていってね!


‡ウェイバーサイド‡

 

 

深夜、極東日本の地方都市、冬木市の港湾区の一角を占める広大なコンテナターミナル。

魔術によって人払いがされたその地で、四体のサーヴァントが睨み合いの体制に入った。四体全てが世界に名の知れた遙か昔の英傑豪傑。総身が震え上がるほど殺気と緊張に支配された空間で、僕ことウェイバー・ベルベットはひたすら気絶だけはすまいと己を奮い立たせ、この戦争に参加していなければ決して目にすることのできない本物の英霊たちを網膜に刻みつけていく。

最初に戦っていた銀髪の女のサーヴァントセイバーと、憎っくき講師ケイネス・エルメロイ・アーチボルトのサーヴァントランサー、そして突然その場にしゃしゃり出て何を思ったのか自分の軍門に降るように言い放ち、あろうことか「物は試し」で真名をばらしてくれやがった僕のハチャメチャサーヴァントライダー。そして、自らを差し置いて王を名乗るのが気に食わないとポールの上に現れた金ピカのサーヴァントアーチャー。この戦争の根幹を作った遠坂の当主が召喚した、圧倒的な存在感を撒き散らすライダー以上の暴君。

 

「我が拝謁の栄に浴してなお、この面貌を見知らぬと申すなら、そんな蒙昧は生かしておく価値すらない」

 

アーチャーに真名を尋ねたライダーにキレた沸点の異様に低いアーチャーが、昨夜に遠坂邸で見せた多数の宝具の射出という不可解な攻撃を再現しようとする。こちらに向けられた黄金の宝具の矛先に思わず「ひっ」と情けない悲鳴を上げてしまう。

こんな展開にしてくれやがったライダーに撤退をさせようと口を開きかけ、

 

「む?」

 

ライダーが唸った。跳ね上げられた眉の下の鋭い眼光がアーチャーから外される。見れば、四体のサーヴァント全員が同じ方向に目を向けていた。全員の視線が集中する中、黒い炎を巻きあげてまた新たなサーヴァントが姿を表す。

 

「な、なんだアイツ……」

 

それは漆黒のサーヴァントだった。全身を隙なく覆うフルプレートアーマーは光すら吸収するほどに黒く、無骨な兜の目庇だけが紅蓮に燃えていた。全身から放たれる殺気と漲る魔力は間違いなくバーサーカーのものだ。

 

「……なあ征服王。アイツには誘いをかけんのか?」

「誘おうにもなぁ。ありゃあ、のっけから交渉の余地なさそうだわなぁ。で、坊主よ。サーヴァントとしちゃどの程度のモンだ?あれは」

「ま、待てよ!あいつ、幻惑の呪いか加護を受けてるみたいでよく見えないんだよ!だけど……パラメーターはほとんどAだ。それくらいなら、見える」

「あんま参考にならん情報だなぁ」

「うるさい!他の奴も似たようなもんなんだよ!……たぶん」

 

時折姿がボヤけて見えるが、英霊固有の幻惑スキルが狂化によって弱まっているのか、能力値くらいは僕にも判別できた。バーサーカークラスの恩恵を得たあの狂乱の英霊は、理性をなくす代わりにパラメーター数値が向上されている。

この場にいる他のマスターとサーヴァントも同様のようで、ゆらゆらと陽炎のようにブレて見えるバーサーカーに軽く驚きこそすれ、中途半端になっているらしい幻惑スキルはすでに看破してじっと闖入者の出方を見ている。

 

「どうやら、あれもまた厄介な敵みたいね……」

「それだけではない。四人を相手に睨み合いとなっては、もう迂闊には動けません。しかし、あの鎧、どこかで……」

 

セイバーとそのマスターが小声で何事か相談している。きっとこの厄介な状況を危惧しているに違いない。僕も早くライダーに掛けあってさっさと逃げ出そう。こいつらが一気に戦いをおっぱじめたら戦場のど真ん中にいる僕は即座に肉片になってしまう。それだけは嫌だ!ライダーが断ったら令呪を使ってでも命令を聞かせてやる!

 

「ライダー、早く———

 

「誰の許しを得て我を見ておる?狂犬めが……」

 

———え゛」

 

底冷えがするような怒気を放つ声が響く。振り返れば、自分を凝視するバーサーカーをアーチャーが憤怒の眼差しで睨みつけていた。ライダーに向けていた宝剣と宝槍がバーサーカーに照準を変える。

 

「せめて散りざまで我を興じさせよ。雑種」

 

「んなっ!?」

 

英霊の最高の切り札である宝具をいとも人目に簡単に晒し、あまつさえ捨てるように射出するデタラメな攻撃。二つの宝具がバーサーカーに直撃し、ドデカイ爆発を一度起こした。爆風がぶわんと身体を叩きつけて、視覚と聴覚を奪う。

あんなものを食らえばいかなサーヴァントであっても———待てよ、“一度”?どうして爆発は一回だけなんだ?

 

「……奴め、本当にバーサーカーか?」

「狂化して理性をなくしているにしては、えらく芸達者な奴よのぅ」

「———んな、アホな———」

 

霞む視界で見れば、なんとバーサーカーが先ほど弾丸の如き速度で放たれた黄金の宝剣を握っていたのだ。他の英霊の宝具を、一瞬で掴みとり、己の四肢の延長のように操る。そんなもの、神業の域を超えている。狂化してなお身体に染み付いた武芸は、あのサーヴァントがいかに優れた英霊なのかをひしひしと伝えてくる。

 

「———その汚らわしい手で、我が宝物に触れるとは……そこまで死に急ぐか、狗ッ!」

 

「そんな、馬鹿な……」

 

白いこめかみに青筋を浮かべて怒り狂ったアーチャーの背後に、一斉に輝く宝具が出現した。その全てが掛け地なしの世界の至宝、最高級の宝具だ。

 

「その小癪な手癖の悪さでもって、どこまで凌ぎきれるか———さぁ、見せてみよ!」

 

空気を震わせる怒声を合図に、宝具の群れがバーサーカーに向かって放たれた。ズドン、バガン、と立ち並ぶ巨大なコンテナを次々と路面ごと抉り吹き飛ばし粉砕し、コンクリも鉄もアスファルトも全てを塵に変えてゆく。大音響と大閃光の連続炸裂に頭蓋の震えが止まらない。

そんな、アーチャーの有り得ない連続攻撃に晒されたバーサーカーもまた、ありえない防御を行った。襲い来る宝具をいとも簡単に切り払い、撃ち落とし、さらにはより強い宝具を選別して、即座に持ち変えて次の攻撃を払いのける。それらを全て一秒にも満たない刹那の間に何度もやってのけているのだ。当のバーサーカーの動作にも焦燥は一切感じられず、夢を見ているように流れるような練武でもってひょいひょいと疾駆している。まるで身体に染み付いた反射神経を信頼し、身を任せているかのようだ。あんなサーヴァント、絶対に馬鹿げている。

 

「———どうやらあの金色は宝具の数が自慢らしいが、だとするとあの黒いヤツとの相性は最悪だな。黒いのは武器を拾えば拾うだけ強くなる。金色も、ああ節操なく投げまくっていれば深みに嵌る一方だろうに。融通の利かぬ奴よのぅ」

 

この戦いをふむふむと冷静に分析してくれやがるライダーの台詞に耳を傾けていると、唐突に爆音が止まった。アーチャーが宝具の全てを射出し終えたのだ。急激に静まる夜気の中、ひゅんと風切り音を立ててバーサーカーが何かを投擲し、アーチャーの足場のポールをバラバラにする。足場を寸断される前に驚異的な俊敏さで跳ねたアーチャーがガシャンと鎧をカチならしてその場に着地する。

ブチブチ、という布の切れるような音が聞こえた気がした。再びバーサーカーに向けられたアーチャーの双眸は憤怒に見開かれていた。

 

「痴れ者が……。天に仰ぎ見るべきこの我を、同じ大地に立たせるかッ。その不敬は万死に値する。そこな雑種よ、もはや肉片一つ残さぬぞ!」

 

「「「「「………!!」」」」」」

 

その場にいる全員が息を呑む。アーチャーの背後の空間に、30を超える超常の宝具が出現したからだ。いつも偉そうにふんぞり返っているライダーすら目を見張るほどの有り得ない光景———大量の宝具の一斉解放の前触れに、僕の意識はスパークを起こして今にも落下しそうだ。

だが、

 

「……貴様ごときの諌言で、王たる我の怒りを鎮めろと?大きく出たな、時臣……」

 

おそらくマスターが制止に入ったのだろう。アーチャーは宝具の解放を止めた。だがマスターの言葉を持ってしても怒り冷めらやぬアーチャーは、背後の宝具を消すとさも忌々しそうにふんと鼻を鳴らして踵を返す。

 

「……命拾いをしたな、狂犬」

 

興味も失せた、というような傲岸不遜な横顔をバーサーカーに向けると、アーチャーが居並ぶ三体の英霊をじろりと流し目で睥睨する。

 

「雑種ども、次までに有象無象を間引いておけ。我と見えるのは真の英雄のみで良い」

 

心底偉そうに言い放つと、アーチャーは音も立てずに霊体化してこの場を後にした。いなくなったことを確認した途端、ぜえと大きな息が漏れる。いつの間にか息をすることを忘れてしまっていた。息をできるうちにしておこうとぜーはーと何度も深呼吸をする。これから何度呼吸が止まることになるかわかったもんじゃない。

 

「フムン。どうやらアレのマスターは、アーチャー自身ほど剛毅な質ではなかったようだな」

 

何を呑気そうにニヤニヤしながら顎を撫でてやがりますかコイツは。まだあのバーサーカーが残ってるんだよ!

 

「心配するな坊主。どうやら次の相手はもう決まっているようだぞ?」

「へっ?」

 

兜の目庇の中でギラギラと光る真っ赤な双眸が、すかさず次のターゲットに向けられる。まるで最初から狙っていたのはお前だとでも言うかのように、アーチャーから奪ったままの宝剣の切っ先をセイバーただ一人に向ける。いきなり鋭い視線を投げつけられたセイバーがぐっと表情を険しくして剣を構えなおした。

 

「……Hi……」

 

地の底から湧いたような戦慄の声で、バーサーカーが低く唸った。初めて耳にするバーサーカーの声音は、ぞっとするほど掠れたものだった。

何の予備動作も見せず、ズドンと後方に爆煙を巻き上げたバーサーカーが一瞬でセイバーに肉薄する。野獣じみた乱暴な動きから放たれた一撃は、しかし、芸術の如き冴えを見せてセイバーの防御の剣に振り下ろされる。

火花を上げてぶつかり合った宝剣を中点に、兜をビリビリと震わせる声量で狂戦士が叫び声を上げた。セイバーの鼓膜を破らんばかりのその絶叫は、狂おしいほどの激情に満ち満ちていた。

 

「Hinnnyuuuuuuuuuu!!!!」

「んなっ!?」

 

鎬を削る狂戦士から発せられた雄叫びにセイバーが目を白黒させ———

 

 

 

 

 

あいつ今、「貧乳」って言わなかったか?

 




かっこいいバーサーカーだと思った?残念、カッコ悪いバーサーカーちゃんでした!


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1−3 健康は毎日の食事から

雁おじが笑顔でハッピーエンドを迎える話があったっていいじゃない。皆にチヤホヤされたっていいじゃない。だって雁おじなんだもの。  みつを。


港湾区画にて戦闘が起こる半日前

 

 

‡雁夜おじさんサイド‡

 

「私を助けてくれた後ね、バーサーカーがずっと頭を撫でてくれたの。頑張ったねって」

「アイツ、そんなことしてたのか」

「まるでテレビに出てくる正義の味方みたいに、かっこ良かった」

「ははは、アイツが正義の味方か」

「バーサーカーはね、ヘルメット脱いだらきっとイケメンなの」

「え?あ、ああ。かもしれないね」

「私ね、大きくなったら、バーサーカーと……すー」

「……アイツとは一度きっちり話をしておく必要があるな」

 

桜が寝息を立て始めたことを確認すると、雁夜は左手の令呪を見ながら静かに呟いた。

倒れてからずっと付かず離れず看病をしてきた成果なのか、桜の衰弱の進行は落ち着き、容態も安定してきた。しばらくは大丈夫そうだ。ほっと安堵の息をつき、バーサーカーが用意した冷たい水でタオルを搾り、額にそっと置く。「バーサーカー……」という小さな寝言に雁夜の口元がひくひくと痙攣する。いつの間にか雁夜は桜のことを娘のように考え始めていた。

 

(バーサーカー、ちょっと話があるんだが)

 

桜の件と今後の戦いのことを相談しようと、己のサーヴァントを念話で呼び出す。しかし、

 

「……バーサーカー?どこに行ったんだ?」

 

反応は返ってこなかった。階下に降りて厨房を覗いてみるが、綺麗に拭き上げられたお椀とこれから料理をしようと用意された調理器具だけが佇んでいるのみだ。バーサーカーは使用済みの食器類を持って降りたので、てっきり厨房で洗い物でもしているのかと思っていた雁夜は、己のサーヴァントの気配がすでに間桐邸にないことに今さらになって気付いた。桜に付きっきりだったせいで、バーサーカーの外出を察知出来なかったのだ。

途端、雁夜の背中を寒気が走る。

 

(まさかアイツ、一人で他のサーヴァントと戦うつもりか———!?)

 

言動では判断しにくいが、鎧に刻まれた膨大な傷の武勲と全身から滲み出る強者の風格を見れば、あの英霊がかつて武の頂点まで上り詰めた戦士であることは容易に想像がつく。雁夜が傷一つ負わせることも叶わない臓硯をたった一撃で殺したことがその証だ。他の英霊はまだ二体しか見ていないが、おそらく並大抵の英霊なら物の見事に切り伏せられるほどの実力を秘めているに違いない。にも関わらず雁夜が焦燥に狩られているのは、その二体の内の一体が原因に他ならない。

 

(遠坂時臣のサーヴァント———アレはやばい!危険過ぎる!)

 

使い魔を使って垣間見た黄金のサーヴァント。指先ひとつ使わず、造作もなく、それこそ羽虫を始末するようにアサシンを殺してみせたアーチャー。一目見て、格の違いを思い知らされた。いくらバーサーカーが強くても、何の対策もなしに戦いを挑むのは無謀だ。もしも初っ端からアーチャーとぶつかってしまえば、勝ち目は薄い。

刻印蟲に蝕まれた身体を引きずり、雁夜はバーサーカーを追走しようと玄関扉に走りより、

 

「ぐるる〜」

「おわっ!?ば、バーサーカー!無事だったか!」

 

ガチャ、と目の前で扉が開いた。たたらを踏んで見上げた先には、眩しい日光を背に漆黒の騎士が佇んでいた。雁夜にはその呻き声が「ただいま」と言ったように聞こえた。そのあっけらかんとした健在っぷりに、上下させていた肩をガクリと落として安堵する。

 

「お前、マスターに黙ってどこに行ってたんだ!?行動するならするで前もって教え———おい待てなんだそれは」

 

バーサーカーの両手にぶら下がったソレらを目にした雁夜の表情が固まる。それは、食料で一杯になった買い物袋であった。律儀にエコバッグを使用している。

 

「お、おまっ、これっ、なにしてっ!?」

 

顔面を激しく引き攣らせて汗を垂れ流す己のマスターに、バーサーカーは猫が獲物を魅せつけるように買い物袋を雁夜の目の高さまで掲げ上げる。「特売!」「採れたて新鮮!」「栄養満点!」というシールが貼られた食材がこれでもかと詰め込まれていた。ぐるる!と低く唸ったバーサーカーがえっへんと胸を張る。「これで美味いもん作ってやるからな!」と言っているかのようだ。

 

「ば、ば、ば、」

 

唇をわなわなと震わせ、雁夜は言葉にならない言葉で呻く。半端者の魔術師である雁夜も、魔術の秘匿は絶対の掟であることくらいは理解している。というか、そもそも戦争中にサーヴァントが呑気に買い物に行くこと事態がどうかしている。サーヴァントは霊体化していると現実の物質に触れられないので、買い物をするには実体化するしかない。ということは、バーサーカーはこのままの姿で買い物をしてきたということになる。誰に見られているかわからないし、他のマスターやサーヴァントから狙われたら一大事だ。もちろん雁夜と桜のためを思っての行動ではあるだろうが、非常識過ぎるだろ常識的に考えて。

雁夜の頭の中で驚愕と困惑とやり場のない怒りがグルグルと輪になって駆けずり回り、

 

「バター!!」

 

バターになって雁夜の精神と共に溶けた。奇声を上げてバタリと気絶したマスターを見て、バーサーカーは「うご?」と小さく首を傾げた。まったく可愛くなかった。

 

 

‡アサシンサイド‡

 

 

『どうした、アサシン。報告しろ』

「———は、はい。申し訳ありません。間桐邸には、異常は、ありません。ぐすっ」

『……そうか、わかった。これからも監視を怠るな。動きがあれば逐次報告しろ』

「心得ております、我が主」

 

涙ぐんだようなアサシンの湿り声に、念話の先にいる綺礼は一瞬だけ懐疑の色を声に滲ませたが、他愛ない聞き間違いと断じて切り捨てた。アサシンが泣くなど有り得ないのだ。……本来ならば。

雁夜の懸念は的中していた。言峰綺礼のサーヴァント、真名をハサン・サッバーハ。遠坂邸で脱落したように見せかけたアサシンの分身であり、間桐邸を監視する役目を負ったサーヴァントだ。バーサーカーの中の人はすっかり失念しているが、アサシンはその『気配遮断』のスキルを生かし、雁夜を含めた聖杯戦争の参戦者たちに日夜鋭い眼差しを向けていたのだ。

 

「うっ……ぐすっ……」

 

そんな彼が、泣いていた。髑髏の仮面の隙間という隙間からジョウロのようにダバダバと落涙し、ひっくひっくと背中を震えさせている。

 

「まさか、自分の英霊にお使いに行かせるようなマスターがいようとは……。いや、サーヴァントを使い捨てにする私たちのマスターも似たようなものか。バーサーカーの英霊よ、お前と私たちは似たような境遇にあるのだな……」

 

アサシンには、オツムの足りないバーサーカーがマスターにこき使われているようにしか見えなかった。およそ英霊に対する扱いとは思えないひどい待遇に晒されている同じサーヴァントの姿が、アーチャーの露払いのために使い捨てにされる自分たちと重なった。

同じように冷遇されているサーヴァントの背中が間桐邸の玄関に消えて行くのを何もせず見送りながら、一度鼻をすする。

 

「バーサーカー、今回のことは報告しない。どうせ報告しても我が主に鼻で笑われるだけだろうしな。……お互い敵同士だけど、頑張ろうな」

 

そう呟くと、アサシンはまた鼻をすすった。彼は暗殺者のくせに情に厚く、そして馬鹿だった。

 

 

‡バーサーカーサイド‡

 

 

うーむ。この家の冷蔵庫にろくなもんがなかったから外に調達に行ったんだが、帰ってきたら雁夜おじさんが硬直してそのまま昏倒してしまった。桜ちゃんの看病で疲れていたんだろう。

持ち前の筋力で雁夜おじさんの腰をひょいと抱え、客間の大きなソファに横たえさせる。うーんうーんと顔を顰めて唸っている。悪い夢でも見ているのかも知れない。よほど心労が溜まっているんだろう。気の毒に。

 

風邪を引かないようにタオルケットをかけてあげると、俺は買ってきた食料と洗いたてのエプロンを持って台所へ歩を向ける。

幸いなことに今日は商店街上げての緊急特売日だった。何でも、とびっきり美人な西洋人二人が訪れたため、その美貌にマイってしまった商店の店主たちが舞い上がって大安売りを始めたらしい。十中八九、アイリスフィールとセイバーだろう。あの二人のおかげで、全身に鎧を着込んだ俺が買い物に来ても「あの美人さんたちといい鎧の大男といい、今日は街でなんかイベントでもあるのかね?」と笑われる程度で済んだ。今は聖杯を狙うライバルだが、その点は素直に感謝しよう。

戸棚から鍋を取り出し、水を入れて火にかける。その間に材料を切って下ごしらえをおく。一人暮らしが長かったので料理の腕にはそこそこ自信があるし、ユーキャンで調理師免許を取ったので献立のレパートリーも広い。資格マニアでよかったぜ。

 

「うごごごごごご!」

 

あらゆる野菜がまな板の上で瞬時に切り刻まれていく。包丁がまな板を叩くスカカカカという音が射撃音のように連続し、寸分違わず同じ形・大きさに切り揃えられたナスやサツマイモたちが吸い込まれるように隣の鍋に滑りこんでいく。さすがにこんな神業はユーキャンでも教えてくれない。英霊ランスロットがその肉体に染み付くほどに修練を極め、固有スキルにまで昇華された『無窮の武練』による恩恵だ。まあ、まさかランスロットも野菜を切るために使われるとは夢にも思っていなかっただろうが。

 

(この手応えからするに、俺でも『無窮の武練』は使えるな。これで戦闘は心配いらないわけだ。『騎士は徒手にて死せず(ナイト・オブ・オーナー)』もあるし)

 

大量の野菜をものの数秒で片付け、次に鶏肉の下ごしらえにとりかかりながら手に持つ包丁を眺める。肉切り包丁は葉脈のような黒い筋が血管のように表面に浮かび、墨汁に漬けたように黒く染まっている。切れ味も恐ろしいくらいに上がっているが、同じく俺が触れているまな板も宝具化しているので傷ついたり割れることはない。手にしたモノをなんであれ己の宝具とするスキル『騎士は徒手にて死せず(ナイト・オブ・オーナー)』も、中身が俺になっても引き継がれている。まさかランスロットも包丁とまな板を(ry

 

さて、戦闘に支障がないとすれば、問題はどいつとどの順番で戦い、勝利するかだ。第四次聖杯戦争のサーヴァントは強者揃いだからなかなか悩ましい。

 

セイバーはアーサー・ペンドラゴン。切り札は『約束された勝利の剣(エクスカリバー)

 

ライダーはイスカンダル。切り札は『王の軍勢(アイオニオン・ヘタイロイ)

 

アーチャーはギルガメッシュ。切り札は『天地乖離す開闢の星(エヌマ・エリシュ)

 

ランサーはディルムッド・オディナ。切り札は『破魔の紅薔薇(ゲイ・ジャルグ)』と『必滅の黄薔薇(ゲイ・ボウ)』。

 

キャスターはジル・ド・レェ。切り札(?)は『螺湮城教本(プレラーティーズ・スペルブック)』。

 

アサシンはハサン・サッバーハ。切り札(?)は『妄想幻像(ザバーニーヤ)』。

 

特にこのメンツの中でもギルガメッシュは規格外で、3つの令呪全ての補助を受けたライダーのEX宝具を跳ね除け、その後すぐさまセイバーに挑まれてなお余裕を崩さないというチートっぷりだった。こいつを倒すには俺一人じゃ無理だ。他人の宝具を自分のものに出来る俺は上手く立ち回れるだろうが、物量で来られるとジリ貧だ。複数のサーヴァントを同時にぶつけて弱らせた後で挑むか、誰かと協力して一気に畳み掛けるしかないだろう。

だが、俺が一番厄介に思っているのはギルガメッシュではなく、

 

(ランサーをどうすっか、だな)

 

鍋をかき混ぜながら、ぐるると低く嘆息する。ランサーのゲイ・ジャルグは触れたものの魔力を消失させる能力を持っている。俺のナイト・オブ・オーナーとの相性は最悪だ。雁夜おじさんの魔力量の縛りのせいでランスロット固有の宝具『無毀なる湖光(アロンダイト)』が使えない以上、その辺のモノを宝具化して武器にするしかないのだが、ランサーの前では無力化されてしまう。Fate/ZERO解説本でも「バーサーカーにとってランサーは天敵」と記されていたし、こいつがいる限りはギルガメッシュにすら辿りつけないのだ。聖杯を手に入れるためにも、まずはランサーの打倒を優先して———って、待てよ?

 

(しまった!!聖杯使えないんだった!!)

 

ガーン!と頭を抱えてその場に蹲る。禍々しい黒騎士が床で丸まって苦悩する様は傍から見たらかなりシュールかもしれない。

そう、聖杯は第三次聖杯戦争の際のアンリマユによる汚染によって悪しき願望機に変質してしまっているのだ。従って、「桜を助けろ」という願いも負の方向に曲解され、不幸な結果になる可能性が高い。どんな清廉な願いも、『この世の全ての悪(アンリマユ)』というフィルターを通せば全て破壊的な思惟を含んだものにされて叶えられてしまう。これは参ったぞ。雁夜おじさんは聖杯が役立たずだとは知らないし、言葉も話せない俺が聖杯に頼るなと説得できるはずもない。出来た所でなんでサーヴァントがそんなこと知ってるのかと訝しまれるだけだ。元より、聖杯以外に残り時間の少ない桜の命を助ける方法が現段階では何も思いつかない。八方塞がりだ。桜を助けて、雁夜おじさんを幸せにするためにはどうすればいいのやら……。

 

———ぐつぐつぐつ

 

鍋が激しく沸騰する音がヘルメット越しに鼓膜に滑りこみ、慌てて立ち上がる。強火のまま沸騰させすぎると野菜が崩れてしまう。弱火にして形を保たなくては、せっかくの栄養が溶けてしまう。せめて二人には美味い飯を食って元気な姿を見せてもらいたい。

菜箸で野菜の硬さ加減をチェックしようとして———唐突に、良い案を思いついた。

 

(そうだ、この手があった!これなら、聖杯に頼らなくても二人の命を救えるかもしれん!)

 

そうと決まればさっそく料理に励まなくてはと、バーサーカーはエプロンを締め直すと嬉々として腕を振るった。やはりひどくシュールな光景だった。

 

 

‡雁夜おじさんサイド‡

 

 

「あの馬鹿には一度キツく言っておかないとな」

 

復活した雁夜が廊下をのしのしと大股で歩いていた。その元気な足取りには先日までの刻印蟲による衰弱は見られない。固形物が喉を通らず、流動食やブドウ糖の摂取しかできなくなっていた状態が嘘のようだ。雁夜本人にも回復の理由はわからなかったが、深く考えてもいなかった。今はバーサーカーにどう説教をしてやろうかという考えで頭がいっぱいだったからだ。

 

(バーサーカーにはサーヴァントとしての自覚が足りない!一体全体、元はどんな英霊だったんだ!?)

 

プンスカと頭から湯気が出そうなほどに憤慨する。バーサーカーからは緊張感というものが感じられない。戦争中に平気で買い物に行くなんてどうかしている。本当に戦えるのかすら疑問に思ってきた。

 

「ん?なんだか良い匂いがするな。こっちか?」

 

不意に、何かが煮える良い匂いが漂ってきた。香辛料とハーブが鼻奥をツンと心地よく刺激する、食欲をそそる香り。魔術のせいで半ば麻痺した嗅覚でもわかる手料理の温もりと優しさに思わず立ち止まり、雁夜は出所までフラフラと引き寄せられる。行き着いた先は厨房だった。かつて、まだ雁夜たちの母親が生きていた頃、愛情を料理に変えて与えてくれたことがあった。例え陰惨な血筋に生まれたとしても、そこには純粋な子どもへの慈しみがあった。知らず潤んだ目をこすってドアを開ければ、そこには優しい母の背中———ではなく、

 

「やっぱりお前か」

「うご?」

 

屈強な鎧騎士の背中がキッチンを支配していた。天井を突かんばかりの長身が雁夜に気付いて振りかえる。表情の見えぬ目庇の奥の瞳が「元気そうじゃないか」と朗らかに笑った気がした。雁夜はその優しさに怒る気力を削がれかけたが、これからのことを考えてしっかりと戒めておくことにした。

 

「おいバーサーカー!お前が見た目と違って温和なことはよくわかったが、もっとサーヴァントらしく緊張感を持って———……」

 

語尾に至るに連れて小さくなってゆく。眉根を寄せる雁夜の視線の先には、鍋があった。漆黒に艷めき、鍋とは思えない存在感と迫力を放つ鍋が。表面に走る血脈のような筋はバーサーカーの手から伸びている。雁夜はマスターに与えられるステータス透視能力によって、その力の本質を見ることが出来た。

 

(バーサーカーが手にしたモノは、なんであれバーサーカーの宝具になるのか!)

 

あらゆるモノを己の武器に変えて戦える。この街にありふれる全てのモノがバーサーカーの手札となる。それは無尽蔵の宝具を所有しているに等しい。雁夜は改めて、自分の召喚したサーヴァントが得難い強力な強者であることを思い知った。

先ほどまでバーサーカーの力量を疑っていた自分が恥ずかしい。彼と一緒ならば間違いなく、この戦争で優勢に立ちまわることができる。

 

「凄い!これなら、きっと聖杯を手にれることが———その小鉢はなんだ、バーサーカー」

 

勝利を確信して興奮する雁夜に、バーサーカーが黒い鍋の中でボコボコと沸騰する緑色の何かを小鉢に掬い、ガシャガシャと鎧を鳴らしながら近づいてくる。スープ状のそれが小鉢の中でドロドロと揺れる。

 

「味見しろとでも言うのか!?明らかに怪しいだろそれ!自分ですればいいじゃないか!?」

「うごご」

「ヘルメットがあって出来ない!?脱げばいいだろうが!うわ近づけるな顎を掴むな無理やり飲ませるなやめろぉおおおおおおおおおお!!!」

 

 

………

 

……

 

 

 

「美味しいね、このグリーンカレー。ね、雁夜おじさん」

「ああ、美味い。腹立たしいくらい美味い」

カレーだった。普通のカレーではなく、ハーブを用いたグリーンカレーだ。ご丁寧に具は全て細かく切られていて、病人の俺たちにも食べやすいように配慮がなされている。特に固形物を食べるのが困難だった俺はあまり噛まなくてもいい料理はとても嬉しい。今朝のおかゆ然り、バーサーカーは俺の体調を詳しく把握しているらしい。サーヴァントにはマスターの健康状態も伝わるのだろうか。

 

「うごご?」

「うん、すっごく美味しいよ、バーサーカー。すぐに元気になれそう」

 

桜の言うとおり、味は絶品だ。そこらの店で二束三文で食べられるようなものじゃない。香辛料とココナッツミルクが奏でる爽やかな辛さが味覚を様々な角度から刺激し、脳を喜ばせる。何度口に運んでも一向に飽きが来ない。さらに、ただ単に舌を楽しませるだけに留まらず、栄養もたっぷりと入っている。不足していた滋養が片っ端から満たされていくのがわかる。例えるならば、餓死寸前に食べた一切れのチョコレートのような、活力が身体の中心から末端までじんわりと広がってゆく充足感だろうか。それを噛み締めるたびに感じる。心の底から食べてくれる人間のことを思って作られたものだということがよくわかる。本当に美味い。こんなに心のこもった料理は久しぶりに食べた。

思わず視界がゆらゆらと水面のように揺らめく。

 

「雁夜おじさん、泣いてるの?どこか痛いの?」

「だ、大丈夫だよ、桜ちゃん。ちょっと、辛さが目に染みちゃって。はは、情けないね」

「ぐるる〜m9(^Д^)」

「お前は黙ってろ!」

「ぐるる(´・ω・`)……うご?」

 

しょげるバーサーカーの腕に、小さな手が触れた。桜がおずおずとバーサーカーの手を握る。その頬は桜色に火照っている。

 

「あ、あのね?私、バーサーカーくらい料理が上手くなりたいの。そしたら、そしたら……」

 

俯き、もじもじと身を捩らせる少女。雁夜は激しく嫌な予感を感じた。

 

「バーサーカーのお嫁さんにしてくれる!?」

「なん…だと…!?」

 

その時、雁夜に電流走る。

 

「ダメです!絶対ダメ!」

「おじさん、愛には歳の差なんて関係ないんだよ?」

「歳の差以前の問題です!どこで覚えたのそんな台詞!?」

「お姉ちゃん」

「おぃいいいいいい!!なに教えてんの凛ちゃんんんんん!!ほら、バーサーカーも何か言ってやれ!!」

「ぐるる(*´ω`*)」

「照れてるんじゃないっ!!」

 

照れくさそうに後ろ頭を掻くバーサーカーを叱責しながら、しかし、雁夜は暖かな満足感を感じていた。親しみと信頼があればこその不快でない怒り。こんな感情を抱いたのはいったい何時ぶりだろうか。

バーサーカーに怒る雁夜を見て、桜がクスクスと笑う。釣られて雁夜も笑ってしまう。それはまるで普通の家族の食事風景のようだった。雁夜が喉から手が出るほど欲し、決して手に入れることが許されなかったささやかな日常が、そこにあった。それをもたらしたのが人外の亡霊であっても、雁夜は嬉しかった。

 

「……ありがとな、バーサーカー」

 

小声で告げた感謝の言葉に、バーサーカーは小さく親指を立てて応えた。彼とは良い友人になれそうだ。

 

 

「バーサーカーのご飯のおかげでだいぶ楽になったよ。栄養士の資格とか持ってるの?」

「ぐるる(肯定)」

「……冗談だよな?」

 

 

………

 

……

 

 

「行くのか、バーサーカー」

 

深夜。

雁夜の緊張を孕んだ問いに、バーサーカーが静かに頷く。全身から放たれる気迫は彼の戦意の充溢に他ならない。

街中に散開させた使い魔の情報で、港湾区画の倉庫街でサーヴァント三体が睨み合いをしていることがわかった。セイバー、ランサー、ライダーの三体だ。特にセイバーは最優のサーヴァントと称され、聖杯を求めるにあたっては必ず倒さねばならない障害となる。先のランサーとの戦いで消耗している今がセイバーを倒す好機かも知れない。

 

(何より、俺たちには時間がない)

 

傍で寝息を立てる桜の髪を撫でる。滑らかだった髪質は今や針金のように固く、見る影もない。脱落者が出るのを待っている間にも桜の容態は刻々と悪化していく。漁夫の利を狙う余裕はない。一刻も早く聖杯を手に入れる必要がある。そのためには、こちらから積極的に動くしかない。

 

「バーサーカー、俺は桜の元から離れられない。臓硯も兄貴もいない今、この家は無防備だ。桜を残してはいけない。お前一人を戦わせることは忍びないが———」

「ぐるるっ」

「お前……」

 

申し訳なさそうな雁夜の台詞をバーサーカーは手で制した。燃える双眸が「何も言うな、わかってる」と言っている。

 

(いいだろう。もはや何も言うまい。俺はお前に全てを託す)

 

俺の決意を確認したバーサーカーが踵を返す。踏み出した脚が黒い霧となり、霊体化していく。彼はこれから戦地に赴く。俺の願いを叶えるために。桜の命を救うために。

 

「頼んだぞ。……明日の朝食、俺も桜も楽しみにしてるからな」

 

実体化が解ける寸前、バーサーカーが首だけでこちらを振り返る。ヘルメットの下の容貌が、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた気がした。大丈夫だ、彼ならきっと、勝利を掴める。俺が魔力切れを起こさなければ、彼は全力で戦える。彼の足を引っ張らないためにも俺も死力を尽くさなければならない。

バーサーカーの気配が消えると、俺はすぐに使い魔の蟲たち全てを家中にスタンバイさせる。侵入者があればこいつらが対処する。バーサーカーが戻るまでの時間稼ぎくらいは出来るだろう。

よし、と覚悟を決めると、ベッドの傍の椅子に座って精神を集中させる。肉体深くまで寄生した無数の刻印蟲に意識を繋げ、活動を活発化させる。途端、指令を与えられた蟲たちが俺の体力と生命力を蝕み、それを対価にして魔力を生成していく。それが伴う激痛は想像を遥かに超える。

 

「がっ、うぐっ!……こんなものじゃダメだ!もっと、もっと魔力を送らなければ……!!」

 

勝機を増やすために、バーサーカーに送る魔力を少しでも多くするためにも、これ以上の激痛に堪えなければならない。肉を削ぎ落とされ、剥き出しにされた骨に塩を擦りつけられているような、精神をゴリゴリと削る圧倒的な激痛の奔流が絶えず雁夜を襲う。血涙が頬を流れ、口端から血の泡が吹きこぼれる。身体中が細かく痙攣し、手足の感覚が死に引きずられるように失せていく。

 

「———…と……さん……」

「……!?」

 

ともすれば飲み込まれそうな意識の中、暖かな感触を太ももに感じた。赤く濁った目で見やれば、寝ぼけた桜の手が雁夜の足にそっと触れていた。

 

「———お父さん……」

「———!!」

 

眼光が輝き、腹腔で熱が灯るのを知覚する。五臓六腑から力が湧き拡がって消えかけていた手足の感覚を取り戻す。気力を振り絞って意識を奮い起こした雁夜の口元が、不敵な笑みを浮かべた。大丈夫だ。この娘のためなら、どんな痛みにも堪えられる。

口元の血を袖で拭い、雁夜は再び精神を集中させる。視界がバーサーカーと繋がる。眼前には、三体のサーヴァントと、いつの間にか現れていたアーチャーの姿があった。その場にいた全員の視線がこちらに集中する。どいつもこいつも強そうだ。選り取り見取り(・・・・・・・)じゃないか。

 

 

(さあ———始めよう、バーサーカー!!)




照英が泣きながら聖杯戦争で勝利してる画像ください


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1−4 ケイネス先生の中の人はとりっぴいと同じ

にじファンさんで公開している際に、コメントでたくさんのご指摘を頂きました。バーサーカーの能力とか宝具とか制限とか色々と間違ってるみたいです。……小まけえことはいいんだよ!!(AA略
これはある男の夢の話なので、ちょっとした違いもあるのです。そういうことにしてくだせえ!ノリと勢い!それが一番大事!

※時系列では1−2の続きになります。


‡ケイネス先生サイド‡

 

 

「Tairamuneeeee!!」

「くっ!?き、貴様、いい加減にッ……!」

「Naititiiiiii!!」

「ぐあああ———ッ!!」

 

 

「———これは、いい展開だな」

 

セイバーにバーサーカーが襲いかかる様子を隠れ見ながら、ランサーのマスター、ケイネス・エルメロイ・アーチボルトはあからさまにほくそ笑んだ。

先ほど現れたアーチャーの恐るべき宝具群にはさすがに身が竦んだが、おそらくは宝具の全体が露見することを恐れたそのマスターによってアーチャーは撤退した。さて残った四体の睨み合いをどのように有利に進めるべきかとケイネスが思考を巡らせ始めるのとバーサーカーがセイバーに斬りかかったのはまったくの同時だった。

バーサーカーとは思えない洗練された斬撃に、最優のセイバーが押されている(何やら珍妙な雄叫びが聞こえた気がしたが、聞き間違いに違いない。狂戦士が「貧乳!」だなどと叫ぶはずがない)。ゲイ・ボウによって治癒不可能の傷を負ったセイバーは手負いの獲物と化した。そこへ理性を失った狂戦士が襲いかかっているとあらば、この機を利用するのが巧者の選択だ。

この戦争において強力な競争相手になると思われたセイバーを———アーチボルトに匹敵する血統、アインツベルンを簡単に脱落させることが出来うる状況に、ケイネスの口端が自然と持ち上がる。

 

だが、その目論見はよりにもよって己のサーヴァントによって覆される。

鼓膜を切り裂く衝突音を響かせ、ランサーがバーサーカーの刀剣を華麗な槍捌きでもって跳ね除けたのだ。

 

「悪ふざけはその程度にしてもらおうか、バーサーカー。そこのセイバーには、この俺との先約があってな。これ以上つまらん茶々を入れるつもりなら、俺とて黙ってはおらんぞ?」

「ランサー……」

 

好敵手と認めた相手には最大の敬意を払う。美しい青年騎士はまさに伝承通りの高潔さに満ち溢れていた。その騎士道精神を前にして、ケイネスは舌打ちをして「愚か者め」と奥歯を噛み締める。

ランサー……かつて主の妻を寝取り、裏切り、同胞を尽く殺した簒奪の騎士、ディルムッド・オディナのことを元から信用していなかったケイネスは、ランサーに全幅の信頼を置いているわけではなかった。いわんや、彼の掲げる騎士道や忠義にも懐疑心を抱いていた。

 

(使い魔風情が、騎士道などと身分不相応なものを掲げおって)

 

苛立ちを胸に左手の令呪を見る。初戦で切り札を使う羽目になってしまうのは些か不本意ではあるが、これからの戦争をより有利に進められるのならば安いものだ。一秒にも満たない時間でそう決断すると、声帯に指先をあてがい、次に眼前で空に魔方陣を描いて声の拡散と幻覚処置を行う。幾重もの隠蔽魔術を維持してなお自由に魔術が使えるのは、サーヴァントへの魔力供給を妻に担ってもらった結果である。

 

『何をしている、ランサー?セイバーを倒すなら、今こそが好機であろう』

「……っ! セイバーは、必ずやこのディルムッド・オディナが誇りに懸けて討ち果たします!何となれば、そこな狂犬めも先に仕留めてご覧に入れましょう。故にどうか、我が主よ!この私とセイバーとの決着だけは尋常に……!」

『ならぬ。ランサー、バーサーカーを援護してセイバーを殺せ。令呪をもって命ずる』

 

(誇りだと?それこそ、使い魔にはもっとも相応しくないものだ)

 

ふん、と冷たく鼻を鳴らすケイネスの左手から令呪の一角が透けるように消えてゆく。これで、ランサーは馬鹿げた騎士ごっこをやめてケイネスに忠実な使い魔となった。視力強化の魔術でランサーのご立派な美貌に注目すれば、いかにも無念そうな顔を浮かべながらも槍の英霊の名に恥じない槍技を行使してセイバーに襲いかかる。最初からそうしていれば令呪を使う必要もなかったのだ。つまらない意地を張るから結局、主人の手を煩わせることになる。ランサーの語る騎士道などとはしょせんその程度であり、極論すればただの自己満足、自慰行為でしかないのだ。

じりじりとセイバーとの距離を詰めるランサーの隣に、バーサーカーが並び立つ。狂戦士の攻撃対象がランサーに移ることを警戒していたが、やはりセイバー以外には見向きもしない。尋常の思考が当て嵌まらないのは、さすがバーサーカーと言ったところか。あれのマスターはきっと持て余しているに違いない。

狂犬と呼び捨てた者と剣の向きを揃えることになったランサーの表情がさらに険しくなるのを観察しながら、ケイネスは身の内で恍惚が膨れ上がるのを感じた。妻、ソラウがランサーに向ける恋慕の眼差しに薄々感づいていたケイネスは、ランサーが屈辱に歯噛みする様を見ることで気を紛らわせていた。

 

「……アイリスフィール、この場は私が食い止めます。その隙に、せめて貴女だけでも離脱して下さい。出来る限り遠くまで」

 

セイバーの言葉は淡々としていて、しかし自分たちが極めて切迫した状況にあると自覚している証だった。聴覚強化と集音の魔術でその台詞を耳にしたケイネスは勝利を確信する。

 

(殺せ!)

 

ケイネスの内心の叫びに反応したかのように、ランサーとバーサーカーが同時に地を蹴る。

 

ランサーの双槍が刺突の構えでセイバーに向かって突き出され、バーサーカーの剣の切っ先がこちら(・・・)に向かって振り上げられ、

 

 

「え?」

 

 

次の瞬間、視界を潰す閃光。鼓膜を遮る爆音。総身を震わす激震。崩れ落ちる足場。落下してゆく浮遊感。身を圧し潰してくる冷たい鉄骨。肉が張り裂ける痛み。

 

(そうか、バーサーカーは最初から———)

 

そこで、ケイネスの意識は途絶えた。

 

 

‡ウェイバーサイド‡

 

 

「……なんだぁ?」

 

ライダーの呆けた声にその場にいた全員がハッとさせられる。つい今しがたまで絶体絶命の状況に陥っていたセイバーも、彼女を仕留めようとしていたランサーも、ぽかんと口を開いてただ一点を見つめている。それも無理はないと思う。

全員の視線が集まる先———バーサーカーが、突如身を180度反転させ、何を思ったか持っていた剣をセイバーとは真逆の見当外れな方向にぶん投げたからだ。

元はアーチャーの宝具だった剣は300ヤードほど離れた倉庫の一角に着弾し、直後、雷鳴に似た爆音と閃光を鳴り響かせた。直撃を受けた倉庫が音を立てて崩れ落ち、土煙を激しく舞わせる。バーサーカーの行動を理解できず、誰も口を開かない。そもそも理性を失った者(バーサーカー)の行動に理由を求めること自体が間違っているのかもしれない。狂戦士の狂戦士たる由縁を見せつけられ、誰もが呆気に取られる中、一人が悲鳴じみた声を上げる。

 

「ケイネス殿ッ!?」

 

ランサーの叫びだった。崩壊する倉庫を瞠目して見つめる焦燥の顔で、ようやく察する。バーサーカーが宝具を投げた先に、ランサーのマスターがいたことを。

 

「バーサーカー、貴様ッ!———なっ!?」

「な、何してんだアイツ!?」

 

思わずウェイバーも驚愕の声を上げる。主君を害した敵に憤怒の形相を向けたランサーの前で、バーサーカーが呆気なく構えを解いたのだ。片手に保持したままのアーチャーの短刀が降ろされる。今までのセイバーに対する雄叫びや苛烈な攻撃が嘘のように静まったその姿は、誰構わず喰らいつく狂犬というより、主人の命令に忠実な“闘犬”を連想させた。

 

「なるほどな。そういうことか」

 

頭の上から降ってきた一人で納得していやがるライダーの声に、説明と抗議の視線を発射する。精一杯の嫌味を込めた視線を難なく受け止めたライダーがさも愉快そうに破顔し、答える。

 

「わからんか、坊主。あ奴の狙いは最初からランサーのマスターだったのだ。ランサーがセイバーに釘付けにされ、マスターがもっとも無防備になった瞬間を突いたのだ」

「な、なに言ってんだよ!バーサーカーにそんな器用な真似が出来るはずないじゃないか!?」

 

バーサーカークラスの特徴は、その名の通り“狂っていること”だ。理性がないのだから、戦術もクソもない。偶然の可能性の方が高いんじゃないのか?

そんなウェイバーの反論に、ライダーは「その通り、バーサーカーには出来ん」と頷く。

 

「ならば、仕組んだのはあ奴のマスターということになる」

「マスター……」

 

ここに来てようやく、ウェイバーは事態を把握するに至った。バーサーカーがセイバーに突然襲いかかったように見えたのは、ランサー陣営を油断させるためにバーサーカーのマスターが張った罠だったのだ。攻撃を仕掛ける時ほど人間は無防備になる。ケイネスも同様であり、最強の武器であり防具でもあるサーヴァントをセイバーに向けた無防備な瞬間を狙い、バーサーカーに攻撃させたのだ。

 

(だけど、これはケイネスの魔術迷彩を完全に看破してないと出来ない作戦じゃないか!バーサーカーのマスターの魔術師としての腕はケイネスを超えるのか!?)

 

ケイネスの才覚はウェイバーもよく知っている。世界に名だたる時計塔の講師は伊達ではなく、間違いなく現代でトップクラスの魔術師だ。陰湿な性格は用心深さの裏返しでもあり、こと己の身を守るための魔術迷彩に手を抜くことなど有り得ない。念には念を入れた巧妙な隠蔽魔術を幾重にも身に纏っていたはずだ。ウェイバーが10年間かけても見破ることが出来ないだろう隠蔽魔術を、バーサーカーのマスターは瞬時に看破し、それすら利用した戦術を構築し、実行したのだ。

超えるべき大きな壁だと思っていたケイネスを難なく脱落させた未だ見ぬ強敵の出現に身を震わせるウェイバーに、ライダーは笑いかける。

 

「それに見てみろ、坊主。あの暴れ馬の手綱も見事に握っておる。あ奴のマスターは獣の躾に関しても上等のようだ」

 

その言葉にバーサーカーを凝視すれば、ランサーの槍の間合いにいるにも関わらず微動だにもしていない。まるで「待て」と命じられた軍用犬のようだ。バーサーカーは特に扱いが難しいクラスとして知られる。操るには相応の魔力と精神力が必要とされるが、今回のバーサーカーのマスターにはその両方が備わっているらしい。魔術師としての才、マスターとしての才。自分が十全に持っているとは言えないそれらを完璧に併せ持つ強敵が、どこかからこの戦場を見下ろしている。遥か高みから値踏みをされているような錯覚に、ウェイバーはゴクリと喉を鳴らす。

 

(……?)

 

鳴らして、決して凡愚ではないウェイバーは目の前の違和感に気付いた。

 

「お、おのれっ……!」

 

ランサーが、動かないのだ。殺意に満ちた眼差しと槍先をバーサーカーに向けてはいても、切っ先がバーサーカーに突き刺さることはない。それどころかケイネスを助けにも行かない。現世との楔の役割を担うマスターを失えば、サーヴァントは現界し続けることができない。サーヴァントにとってもマスターの存在は必要不可欠だ。だというのに、ランサーは何かの圧力に抗うかのようにその場でただ身体を震わせるだけだ。騎士道を重んじるこのランサーが、主を助けもせず、主の仇も討とうとしないのはどういうことなのか?

 

(そうか、令呪か!)

 

先ほどケイネスが令呪によって行った命令———『セイバーを殺せ』が、皮肉にもランサーの動きを制限しているのだ。今のランサーは、マスターから別の命令がなければセイバーのみを殺すという行動しか出来ない。だから、目の前のバーサーカーに斬りつけることもできない。

 

「でも、それならどうして、今の内にバーサーカーをセイバーにぶつけないんだ……?ランサーに令呪がかけられている今なら共闘でセイバーを倒せる。ケイネスが死んでいればランサーも自動的に消えることになるし、漁夫の利じゃないか」

「それはな、坊主。バーサーカーのマスターが戦場の華の愛で方を心得た粋な奴ということか、それとも———」

 

知らずに漏れたウェイバーの呟きに応えたライダーの目が、すっと細められる。

 

「セイバーを温存させる方がこれからの展開に都合が良いと踏んだか、だな」

「……!!」

 

最優のセイバーを残しておけば勝手にライバルを減らしてくれる。あの強大なアーチャーに手傷でも負わせてくれれば、バーサーカーの勝機も増える。アーチャーに対して有利に立ち回っていたバーサーカーなら、相手が弱っていれば勝てるかもしれない。だから、敢えてセイバーを脱落させなかった……。

先ほどまでの自分なら偶然だと一笑に付したかもしれないが、今はそんなことは出来ない。自分の才能を周囲より高く評価する傾向のあるウェイバーだが、今は見えない敵が張り巡らす老獪な知略を理解するので精一杯だった。

一つ確かだと言えることは———少なくとも一騎のサーヴァントが、ここで脱落するということだろう。

 

「ランサー!?」

「くっ……!」

 

セイバーがぎょっとした顔でランサーを瞠目し、ランサーも己の身体を見下ろして歯噛みする。おそらく、近距離にいるセイバーは気付いたのだろう。ランサーの血肉を形作る魔力が激減し始めていることを。現世との繋がりが切れた結果だ。やはり、ケイネスは先の攻撃で命を落としたのだ。ギリ、と奥歯を噛み締めてランサーが今一度バーサーカーを睨みつける。相変わらず、バーサーカーはじっと佇んだままだ。

バーサーカーに動く気配がないことを認めたランサーが、踵を返してセイバーと正面から相対する。

 

「セイバー、もはや俺に時間は残されていない。聖杯を献上できなかった、御守できなかった、仇を討てなかった。このままでは我が主にあまりに面目が立たない。せめて、主が望まれたお前の首級は取らせてもらう。狂犬にお膳立てされたことは気に食わないが、付き合ってもらうぞ」

 

セイバーもバーサーカーに苦い一瞥を送る。彼女もバーサーカー陣営に謀られたことに気付いたのだろう。不本意な死合いに納得しかねる表情をチラと垣間見せ、すぐにそれを消して好敵手の決死の申し出に剣を構えて応える。

 

「……いいだろう。私も些か不満は残るが、あなたとは決着をつけておきたい。行くぞ、ランサー!」

「感謝するぞ、セイバー。いざ、参るッ!!」

 

声高らかに言い放つと、セイバーとランサーが同時に地を蹴る。7ヤードの距離を一瞬で0にして、両者が必殺の一撃を放つ。大上段に振り上げられた不可視の剣と矢のように引き絞られた双槍が、すれ違いざまに火花を散らせながら互いの急所を狙う。

二騎の交差は一瞬で、ただ一度だけだった。

 

「———見事だ、セイバー」

 

果たして、膝をついたのはランサーだった。胴に真一文字に走る傷は見た目にも致命傷で、だというのにその顔には自嘲とも清々しさとも取れる笑みが浮かんでいる。

マスターを失ったことによって現世から切り離される寸前のランサーは、もはや令呪という補助動力で動いているようなものだ。そして、セイバーは補助のみで勝てる相手ではなかった。

背後のランサーに対し、セイバーは振り返らずに背中で応える。その凛とした後ろ姿に、ウェイバーの頭を“王の背中”という言葉が過ぎる。

 

「此度の貴方との手合わせは心躍るものだった。出来るならば、再び剣を交えたい。真の決着はその時につけよう。また会おう、サー・ディルムッド」

「———ああ、また会おう。騎士王」

 

サー・ディルムッドと呼ばれた男は、最期に静かに目を閉じるとやがて音もなく消え失せた。敗北したというのにどこか満足気な微笑を浮かべていた彼は、もしかしたら仕えたい主を見つけたのかもしれない。

そんな救われたような表情で去ったランサーとは対照的に、セイバーの表情は今も険しいままだ。なぜなら彼女のすぐ正面に、ランサーが倒れるように仕向けた者———バーサーカーがいるからだ。ギリ、とセイバーの剣を握る両手に力が漲る。それはランサーとの戦いで受けた傷が回復したことを意味する。今なら彼女は全力でバーサーカーと戦える。対するバーサーカーの得物はアーチャーの短刀のみ。

 

(さあ、どう出るんだ?バーサーカーのマスター!)

 

ウェイバーはバーサーカーを介して戦場を差配しているであろう敵のマスターの思考を読み取ろうと戦車から身を乗り出して刮目する。行動を注視し、パターンを分析し、対策をとれば、如何なる相手でも恐れることはない。セイバーとの戦いを見て何か掴めれば、バーサーカーの対処法も自ずと見えてくる。

しかし、相手はやはり一筋縄では行かなかった。

 

「貴様、逃げるかッ!」

「ほお。引き際も心得てるとは、なかなかどうして、敵であることが惜しい奴よ」

 

敵前逃亡に吠えるセイバーの眼前で、バーサーカーが黒い霧と化して掻き消えてゆく。まるでランサーの死に様を看取ったかのように厳かにこの場を去る姿に、ライダーが感嘆の声を上げる。一方、ウェイバーは尻尾も掴ませない敵の周到さに歯噛みしていた。

 

(せめて、バーサーカーの宝具のヒントだけでも掴みたかった)

 

セイバーもアーチャーも切り札の宝具を垣間見せ、ライダーに至っては真名を晒してくれやがった。一方、バーサーカーは飛来する武器を掴みとって戦えるほどの類稀なる戦闘技術を有するということ以外には何の手の内も見せていない。戦闘で消費した魔力も一番低いだろう。さらに、バーサーカーの手にはアーチャーから奪った宝具が握られたままだ。まさに一人勝ち状態だ。初戦で勝利したのはセイバー陣営だが、制していたのはバーサーカー陣営だと言っても過言ではない。

 

「……aer()……」

 

消える直前、バーサーカーが掠れ切った声で呻く。今度は何を言うのかとセイバーが身構え、

 

「ahoge」

「き、貴様ッ!?これはアホ毛などではないぞ!こら逃げるな待て!」

 

顔を真っ赤にしたセイバーがぶんぶんと不可視の剣を振り回すが、時すでにお寿司。イカスミのような黒い霧は闇に溶け、バーサーカーの気配も完全に失せた後だった。それでもセイバーは頭上のアホ毛を左右に揺らしながらバーサーカーがいた空間をメッタ斬りにする。

 

「貧乳やらナイチチやら、私を馬鹿にしているのか!バーサーカーのくせに私を罵倒する時だけはハッキリ喋るとはどういうことだ!だいたい大きな胸の何が良いのだ!あんなものただの飾りだ!」

「セイバー、落ち着いて!大丈夫、どんな胸にも需要はあるから!」

「アイリスフィール、それはフォローになっていない!」

「ぶはははは!たしかに王のくせに貧相な乳をしているな!」

「き、貴様———!!」

 

セイバーを落ち着かせようとして逆に火に油を注ぐマスターと、それを指さしてゲラゲラヒーヒーと腹を抱えて笑い出すライダー。とても戦争中には見えない珍妙な光景を前に、ウェイバーは大きなため息をついて夜空を見上げ、呟く。

 

「聖杯戦争って、こんなノリでいいのかなぁ?」

 

多分よくない。

 

 

‡切嗣サイド‡

 

 

「……無事か、舞弥」

 

物陰にじっと身を伏せていた切嗣が押し殺した声でインカムの向こうにいる舞弥を呼ぶ。返答を待つ間、切嗣はつい先ほど起きた衝撃的な出来事を顧みる。

セイバーの劣勢を覆そうと、ランサーのマスター———ケイネスの狙撃を決意し、引き金に力を込めた瞬間、スコープの中のケイネスが爆発に飲み込まれて掻き消えたのだ。あれほどの爆発と倒壊だ。死んだに違いない。そしてその原因を探ると、なんとバーサーカーによるものだということがわかった。それを理解した瞬間、切嗣と舞弥は慌ててその場を離れ、物陰に身を隠して息を殺し、五感を総動員して周囲を警戒した。あれほど隠蔽魔術を駆使して身を隠していたケイネスですら捕捉されたのだから、当然、自分たちの位置も見抜いたのではないか、と。

 

「舞弥?返事を———」

『こちらは、問題ありません。ランサーは脱落、バーサーカーもすでに撤退したようです』

 

窮屈そうな声で、舞弥が返事をした。どこか狭所に隠れて戦場を監視しているらしい。お互い無事なところを見ると、自分たちは見つからなかったらしい。

 

(もしくは、見逃されたか)

 

後者の可能性を考えて知らずにゴクリと唾を嚥下した切嗣が、戦場の様子を確認するために再び狙撃位置まで戻り、銃のスコープを覗く。

そこには、なぜか大爆笑しながら戦車を駆って空へ逃げてゆくライダーたちと、彼らに向かって風の斬撃を飛ばしまくる怒り顔のセイバーが映っていた。

 

「……状況はさっぱりわからないが、僕たちは動いてもよさそうだ。舞弥、念のためにサブの合流地点で会おう。調べ直さないといけないことが出てきた」

『バーサーカーのマスター……間桐雁夜、ですね』

「ああ、そうだ。付け焼刃の魔術師だと甘く見ていたが、どうやら違うらしい」

 

一頻り今後の方針を伝えて通信を終えると、切嗣は手早く狙撃銃を分解してアルミケースに収納し、合流予定場所に向かう。

消去法で考えて、バーサーカーのマスターが間桐雁夜であろうことは予想がついていた。即席の魔術師ならば狂化スキルでステータスアップが出来るバーサーカーのクラスを選ぶであろうことも想定内だ。だから、切嗣は間桐雁夜のことを“当主を継がなかった落伍者が戦争のために呼び戻されたに過ぎない”と判断していた。今、それが大きな間違いであったことに気づき、己の浅薄さを悔いている。ランサー陣営を容易に脱落させる実力、バーサーカーを完全に操る手腕、あえてセイバーを温存させる戦略構築……並大抵の人間に出来ることではない。

 

(当主を継がなかったのではない。敢えて家から離れることで注意を逸らし、この戦争のためにじっと修練を重ねてきたんだ。間桐の虎の子、というわけか。言峰綺礼という危険な奴がすでにいるのに、とんでもないダークホースが現れたな)

 

間桐邸を襲撃する強行案もあったが、相手がこちらより上手の可能性が出てきた以上、白紙に戻す他ない。自分から死地に飛び込むような真似は切嗣がもっとも嫌う愚行だ。より確実に倒せる方法を考えなくては。

切嗣の中で間桐雁夜という巨大な影が膨れ上がる。それが虚像であることを、切嗣は永遠に知ることはない。

 

 

‡綺礼サイド‡

 

 

『———間桐雁夜、か』

「時臣師はバーサーカーのマスターと面識がおありなのですか?」

 

教会の一室。通信機から発せられた遠坂時臣の呟きに含む物を感じた綺礼は、それに敏感に反応した。“強敵”の情報は、少しでも多いほうがいい。

 

『いや。葵———妻の幼なじみだという話は聞いている。実際に目にしたことは数度だけで、会話もない。魔術を嫌って逃げ出した凡愚市井だと、その時は思ったものだったが』

「違った、ということですね」

『ああ、そのようだ。どこが“急造の魔術師”なのやら。間桐の老人も意地の悪いことをする』

 

バーサーカー陣営の脅威度は、二人の予想を遥かに超えていた。全サーヴァント中最強と確信していたギルガメッシュに一歩も引かず、宝具の発現まで追い込んだバーサーカー。そして、バーサーカーをまるで軍用犬のように御して見事に戦場を“演出”してみせたマスター。当初予想していたパワーバランスを大きく崩す敵の出現に、二人は戦略の見直しまで視野に入れ始めていた。

 

「アサシンを間桐邸に仕向けますか?マスターが外出したという報せはありません。バーサーカーが戻る前に殺すべきかと」

 

“兵は拙速を尊ぶ”ということを何より経験で理解している元代行者は障害の早急な排除を具申するが、通信機から返ってきた言葉は『いや、やめておこう』だった。

 

『間桐雁夜を侮るべきではない。あの老人の隠し玉だ。一筋縄では行かない相手だろう。撃退されてアサシンの存在が露見する危険もある』

「しかし……」

『心配せずとも、最強のサーヴァントが英雄王であらせられることに変わりはないさ。セイバーを敢えて残したお手並を拝見させて貰おうじゃないか』

「……はい」

 

“常に余裕をもって優雅たれ”———遠坂家に伝わる家訓らしい。死と隣り合わせの修羅場をくぐり抜けてきた綺礼とは無縁の規範だ。甚だ理解出来ないが、英雄王ギルガメッシュを有していれば余裕が生まれるのも仕方が無いのかもしれない。不安のため息を飲み下し、綺礼は時臣と今後の方針を確認しあう作業に集中した。

 

(後でマーボー食べに行こう)

 

あまり集中していなかった。

 

 

‡雁夜おじさんサイド‡

 

 

(ぐるる〜)

「も、戻った、のか。バーサーカー」

 

ランサーの消滅を見届けたバーサーカーが実体化を解くと同時に、雁夜の魔力負担は激減した。それに合わせ、雁夜の血肉を貪って魔力を生成していた蟲も活動を止める。しかし、そのダメージは尋常ではなく、雁夜は現在椅子に沈み込むようにもたれ掛かり、荒い息を吐いていた。指一本動かす力すら残されておらず、視線を動かすだけで精一杯だ。見れば、バーサーカーは霊体のまま雁夜の傍らに立っているようだった。雁夜へ負担をかけないように気遣っている。その配慮に苦笑する。

 

「大分、回復してきた。お前のカレーが効いたのかもな。だから、実体化してもいいぞ」

 

多少のやせ我慢はあるが、嘘でもない。事実、雁夜の体力回復速度は今までに比べて多少早くなっていた。カレーのおかげかは定かではないが、サーヴァントの実体化程度なら許容できるほどには回復した。それに、親しみの持てるバーサーカー(友人)には、なるべく実体化して傍にいて貰いたい。雁夜の笑みに余裕を感じ取ったらしいバーサーカーがすうっと湧き上がるように実体化する。

 

「ぐるる?」

「ああ、大丈夫だ。それより、お前———アーチャーの宝具を奪って来たのか」

 

バーサーカーの左手に握られた短刀は、アーチャーとの攻防の最中に彼が奪い取ったものだ。黒い葉脈の侵食は、その宝具の所有権がバーサーカーに乗っ取られていることを示している。それを目に入れた雁夜の口端が卑屈に釣り上がる。

 

(ははは、奪った(・・・)。奪ってやった。俺から全てを奪った遠坂時臣から、奪ってやったんだ!)

 

憔悴しきっていた雁夜の顔に、鋭く暗い嘲笑が刻まれる。負の感情によって燃え上がった生命力が雁夜の口から乾いた笑い声となって吐き出される。

あれだけ圧倒的に見えた黄金のアーチャーを前に、バーサーカーは一歩も引かなかった。代々血を重ねて磨きあげた遠坂の魔術に、急造の雁夜が互角に張り合った。それどころか撤退までさせ、あっという間にランサー陣営も脱落させた。バーサーカーを信じていたが、まさか彼にこれほどの戦いの才があるとは思わなかった。遠坂時臣は激しく狼狽したに違いない。今まで見下していた相手に良いように戦いを引っ掻き回され、あまつさえ手柄をとられたのだ。

 

(俺のバーサーカーから尻尾を巻いて逃げやがった。ざまあみろだ。バーサーカーがいれば、お前のような高慢ちきな奴など怖くない。俺はもう負け犬でも落伍者でもない。そうだ、バーサーカーがいれば、俺を見下していた連中を脅かし、恐怖させてやれる!)

 

心からの愉悦にくつくつと喉が鳴るのを自覚する。その瞳はじわりと淀み、汚れた情念に染まろうとしていた。

 

「時臣、貴様の吠え面を見たかったぜ、ははは———うぁだッ!?」

 

突如、額にガツンと重く鋭い衝撃が走り、雁夜の嘲笑を強制的に止めた。痛みでチカチカと明滅する視界に、漆黒の篭手が見える。それはデコピンの形をしていた。

 

「グルル……」

「バーサーカー……?」

 

初めて聞く、狂戦士じみた血に飢えた獣の唸り声に、雁夜はゾッと息を呑む。雁夜を見下ろす双眸から感じる気迫が、いつもよりずっと鋭い。バーサーカーは———怒っている(・・・・・)

 

(そうだ。俺は……俺は、何を考えていたんだ?桜を救うために協力してくれと言ったくせに、俺は自分の復讐のことしか考えていないのか!?そんなくだらないことのために、バーサーカーを利用したんじゃないだろう!!)

 

なぜバーサーカーが怒ったのかと想像し、答えに至った雁夜は激しく己を恥じた。後悔と悔しさに思わず涙が溢れる。これほどまで自分を浅ましいと感じたことはなかった。

 

「……すまない、バーサーカー。それと……ありがとう」

「ぐるるっ」

 

押しつぶさんばかりの剣幕を見せていたバーサーカーがヒラヒラと手を振る。「気にするな」ということだろう。その厚情に雁夜は再び涙を流す。バーサーカーがサーヴァントになってくれたことは素晴らしい僥倖だ。この戦争を勝ち抜く上で非常に心強いし、何より、道を外れそうになったら引き戻してくれる友人(・・)を得られたのだから。

 

「……そういえば、バーサーカー。お前、セイバーに襲いかかる時に貧乳とか言わなかっ———ぶべらっ!?」

 

再び額に衝撃。なぜ、と考える暇もなく、雁夜は強制的に休息の眠りについた。

 

 

‡バーサーカーサイド‡

 

 

サーヴァントとマスターの感覚って繋げられるんだっけか?俺が貧乳派などというデマが流れると困るし、雁夜おじさんにそう思ってもらうのも心外だ。俺は巨乳派なのだ。大は小を兼ねる。たゆんたゆんしてないオッパイはオッパイとは認めません!セイバーに襲いかかる時に罵倒して冷静さを失わせてやろうと考えた結果がアレだったわけだが、まあまあ上手くはいってたみたいだ。でも雁夜おじさんにそれを説明するのが面倒くさいので、とりあえずデコピンで眠ってもらおう。

 

「ぶべらっ!?」

 

うん、よく寝てる。俺にたくさん魔力を送ってくれたから死ぬほど疲れたんだ。だから、ついつい目的が時臣おじさんへの復讐へと流されてしまうんだよ。ゆっくり休ませてあげよう。

しかし、さっきの戦いは自分でも驚くぐらい偶然が重なっていい方向に進んでくれた。原作やアニメでケイネス先生が潜伏してる位置はだいたいわかってたから、ギルガメッシュが射出してきた宝具から広範囲に渡って爆発しそうなものをチョイスして奪ってやったのだ。それを「あの辺りだったかな?」って方向に投げてみたら見事にドッカーン!なわけですよ。マスターを失ったランサーも消滅してくれました。原作ではソラウが魔力補給担当だったんだけど、やっぱりマスターという繋ぎがいないとダメなんだね。こっちは手出しはせずにセイバーと一対一で戦って貰ったら、負けたけどなんか満足そうに消えて行きました。ランサーも原作みたいにならなくてよかったなあ。これも夢補正ってやつなのかもね。

それと、ライダーとウェイバーの会話をこっそり聞いていたけど、なんか雁夜おじさんの評価が鰻登りみたいだ。これも嬉しいことだ。サーヴァントとして鼻が高いよ。やったね雁夜ちゃん!評価が高いよ!

 

「ん……バーサーカー……」

 

桜ちゃんが寝言で俺を呼んでます。可愛いですね。頭を撫でてやるとくすぐったそうに微笑みます。大丈夫、君も雁夜おじさんも絶対に死なせないよ。目覚めの悪い夢にはさせないさ。

アーチャーの短刀を決意を込めて握りしめ、自らの戦場に向かう。さあ、ここからが俺の本当の戦いだ———!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‡ケイネス先生サイド‡

 

 

「こ、ここは……?」

「ああ、よかった!目が覚めたのね!」

「ソラウ?」

 

ケイネスが目を覚ますと、そこは真っ白な部屋———病院の集中治療室のようだった。日本語が表示された機材は全てが最新のものらしく、磨き上げられて清潔だ。それらから伸びたコードはケイネスの身体のありとあらゆる場所に繋がっている。鉛のように重い身体で声の方に首を動かせば、妻のソラウが涙を浮かべて駆け寄ってきた。

 

「私は、バーサーカーのマスターにしてやられて、それから……どうなったんだ?ランサーは?聖杯戦争は?」

 

何一つ状況がわからないケイネスに、ソラウは心底残念そうな顔で応える。まさに夫を心配する妻そのものだ。このような親身な表情を向けるなど、今までなかったことだ。この異変もケイネスを混乱させた。

 

「負けたわ。セイバーと戦って。あなたはバーサーカーの攻撃を受けたけど、自動発動した月霊髄液(ヴァールメン・ハイドラグラム)がクッションになって何とか一命は取り留めたの。そして重症のところをこの病院に担ぎ込まれて、ずっと眠っていたのよ。なんとか回復はしたけど、それでも怪我がひどくて……」

 

それきり、ソラウが潤んだ瞳で押し黙る。自分に言い辛いことがあるのか。背筋を寒気が走った。

 

「私は、何か取り返しがつかないダメージを負ってしまったのか?」

「……全身を大やけどしたの。しばらくリハビリをすれば動けるようにはなるし、魔術回路も無事だけど、もう元の姿には……」

「……そう、か」

 

自分の顔に愛着がなかった、と言えば嘘になる。決して美貌ではなかったが、才能と経験に裏打ちされた知性を感じさせる容貌ではあったと思う。自分の顔を失ってショックを覚えない人間はいない。

 

(だが、私はそんな凡庸な人間ではない。どんな顔になろうが、私がケイネス・エルメロイ・アーチボルトであることに変わりはない!)

 

己を叱咤して、ついくしゃりと歪みそうになった表情を引き締める。なぜかはわからないが、ソラウが自分に対して素直に好感情を向けてくれるようになった。想い人が自分を好くようになってくれたのだ。一番欲しかったものを手に入れたとも言える。顔を失っても、それを上回る収穫はあった。

 

(やはり、ソラウはランサーの呪われた黒子に操られていただけなのだ。ランサーがいなくなったから、正気に戻ったのだ)

 

チラ、と視線をソラウに流せば、ソラウはなぜだかうっとりと陶酔するようにケイネスの顔を眺めていた。ベッドの枕元に両肘を突き、ニマニマと満面の笑みを浮かべている。焼け爛れた顔の何がそんなに嬉しいのだろうか。一抹の疑念を感じつつ、妻に告げる。

 

「ソラウ、鏡をくれないか。自分の顔を見たい。どんな顔になったのか、知っておくべきだ」

「ええ、いいわよ♪」

 

弾むように返答をして鏡を持ってくるソラウに再び首を傾げつつ、鈍い動きで鏡を受け取って自分の顔を映す。

さあ、どんな醜い顔が出てくるのか———。

 

「…………」

「いい顔でしょ?最高のモデルがいたのだから当然よね。せっかく整形してもらうんだからちょっと奮発したの。医師免許はないけど凄い手術技術を持つ黒尽くめのブラックなんとかって医者に頼んで、ソックリに整形してもらったわ。どう、かっこいいでしょ?ディルムッド———じゃなくてケイネス?」

「…………」

 

どこからどう見ても、ランサーの顔だった。鏡に映る、輝く貌の異名を持つイケメンそっくりに改造された己の顔面とその横で嬉々とする妻に、ケイネスは真っ白になって向き合い続けた。

後に“時計塔のイケメン講師”と呼ばれる男の、始まりの瞬間である。




ケイネス先生「リロードタイムがこんなにも息吹を……」


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2−1 バーサーカー「私の資格取得数は53万です」

まあ、僕自身が取得してる資格は普通運転免許だけなんだけどね!!


聖杯戦争二日目の夜

 

‡セイバーサイド‡

 

 

『まぁ、取り次ぎはごゆるりと。私も気長に待たせていただくつもりで、それなりの準備をして参りましたからね。なに、他愛もない遊戯なのですが———少々、御庭の隅をお借りいたしますよ?』

 

キャスター———ジル・ド・レェがその不気味な眼球をぎょろりと愉悦に歪ませる。

キャスターは何を思い違いをしたのか、セイバーをジャンヌ・ダルクと完全に思い込み、己の物にしようとつけ回していた。そして今、ここアインツベルン城にまで侵入してきたのだ。千里眼の水晶の向こうから逆探知してこちらを覗き見るという神業はキャスタークラスだからこその芸当である。

無論、天下に名高いアインツベルンの領地が、例え極東の田舎山中の小城とはいえ無防備であるはずがない。周囲にはアイリスフィールの意思によって発動するあらゆる魔術的な罠が仕掛けられているし、切嗣が仕掛けた強力な爆薬類も備えられている。横で無表情を浮かべている彼か、その配下の舞弥が手元の機器を操作すれば、凶悪な兵器が一斉にキャスターに襲いかかるだろう。彼らがそれらを使用しないのは、単にキャスターの底なしな悪辣さ故であった。

 

(人質など———卑怯なッ)

 

内心に憎悪を爆発させ、セイバーが奥歯を砕かんばかりに噛み締める。キャスターに、数十人ものまだ幼い子供たちが朧気な表情で付き従っていた。魔術で操られているに違いない。罠を発動すれば、子どもたちを犠牲にしてしまう。キャスター一人を狙うことのできる指向性の罠などほとんどないし、あってもサーヴァントには痛くも痒くもないものだ。とどのつまり、この状況は人質を利用してセイバーを誘いだすためのものに他ならない。

こちらの逡巡を見透かし、再度笑みを浮かべたキャスターがパチンと指を鳴らす。途端、子どもたちは正気に戻って邪悪な男に怯え始める。

 

『さぁさぁ坊やたち、鬼ごっこを始めますよ。ルールは簡単。この私から逃げ切ればいいのです。さもなくば———』

『ひぃっ……』

 

言い終わらない内に、ローブの裾から手をするりと差し伸ばし、手近な所にいた一人の少年の頭に手を載せようとする。赤みがかった髪の少年は怯え竦んだまま動けない。

 

(まさか……!?)

 

セイバーの鋭い直感スキルは、魔術師とは思えないその筋肉質な腕に最悪の事態を想像させる。同じ想像をしたのであろうアイリスフィールが息を呑んで目を見張る。

 

「やめ———!」

 

やめろ、とセイバーが悲鳴じみた叫びを上げかけた、その瞬間。

 

 

『グルル』

 

 

『は?』

「え?」

 

少年の頭を握り潰そうとしたキャスターの腕を、唐突に横合いから突き出たさらに太い剛腕が掴み止めたのだ。グシャリと鈍い音を立て、キャスターの腕が醜く歪む。その剛腕が纏う黒鉄の鎧をセイバーは見間違えることなどできない。それは、セイバーが今回の戦争でもっとも苦手とするサーヴァント———。

 

ジャーンジャーン!!

『ゲェーッ!!バーサーカー!!』

『ウゴゴ———!!』

『ほ、ほわああああああ!!!』

 

水晶の向こうで乱闘が始まったかと思うと、千里眼の映像がブツリと消え失せた。膨大な魔力の塊であるサーヴァント同士の衝突の余波で観測不能になったのだ。

突然の急展開に、四人は思い思いの表情で呆然とする。だが脳裏に浮かぶ疑問は同じだった。計ったかのように同じタイミングで顔を見合わせた四人が、同じタイミングで呟く。

 

「「「「どうしてバーサーカーが?」」」」

 

 

 

 

「やっと私と目を合わせてくれましたね、切嗣!」

「え?あ、しまった!今の無し!ノーカン!」

 

 

 

 

時間は遡り、二日目の朝

 

‡雁夜おじさんサイド‡

 

 

「おじさん、朝だよ!起きて!」

「……おはよう、桜ちゃん」

「おはよう、雁夜おじさん!」

 

生きて朝を迎えられたことより、元気そうな桜の笑顔を見られたことが嬉しい。寝ぼけ眼に浮かんだ涙を寝起きのせいにして、雁夜はゆっくりと身を起こした。間桐の魔術に蝕まれたせいで、つい先日まで眠りから覚める度に死の淵を彷徨っていたというのに、今は多少の身体の怠さ以外は何も苦はない。麻痺していた左半身も少しずつだが動かせるようになっている。サーヴァントとレイラインで繋がっていることが何か効果を及ぼしているのか、それともロウソクが最後の瞬間に一際強く燃え上がるように自分も終わりに近づいているのか……。

 

(それでもいいさ。むしろ最期に全力を出せるのだから、望むところだ)

 

昨夜の戦闘のために雁夜はかなりの無茶をした。しかし、その分得たものも大きかった。早々にランサー陣営を脱落させられたのだから。バーサーカーに叱責された直後に気絶してしまったが(なぜか額が痛い)、まだ生き長らえている。この分なら、聖杯を手に入れるまではこの身体も耐えられるかもしれない。いや、堪えてみせる!!

決意を新たに聖杯に救済を求める少女を見れば、まだパジャマ姿の桜が窓から身を乗り出して階下の庭に笑顔を向けていた。乾いた唇や気だるそうな動きに違和感はあるものの、桜の容態は安定しているようだ。

 

「バーサーカー!お庭のお手入れお疲れ様ー!雁夜おじさん起きたよー!」

「庭のお手入れ……?」

 

不意に感じた嫌な予感に、雁夜も桜の後ろから窓の外を見下ろす。直後、雁夜の口から「うわぁ…」というなんとも言えない声が漏れた。

 

「見て、雁夜おじさん。すっごく綺麗になったでしょ?全部バーサーカーがしてくれたんだよ?」

「たしかに綺麗になったけど……」

 

間桐邸と言えば、近所からも忌避され、近づく者もいない不気味な屋敷として有名だ。放置され生い茂る木々や外壁を覆い隠す蔦によって年中陰鬱とした間桐邸は、その不吉で威圧的な様相から半ば幽霊屋敷のような扱いを受けていた。そう、受けていたはずなのだが。

 

「わぁ、可愛い!この木、ウサギさんの形してる!」

「こっちはライオンだ!かっけー!」

「これ鎧の兄ちゃんが作ったの!?」

「ぐるる!」

「すっげー!!」

 

屋敷がもう一つ建てられそうな広さの庭園は、見事にファンシーなお庭と化していた。

鬱蒼として陽光を遮っていた木々はウサギさんやらライオンさんやらに姿を変え、蟲や蛇の巣窟だった茂みはハート型やボール型になっている。腰の高さまで生い茂っていた雑草だらけの芝生もまるで絨毯のように均等に切り揃えられ、青々とした輝きを朝日に反射して目に眩しい。蔦で覆われていた外壁もすっかり綺麗になり、まるで建造したばかりのような鮮やかな色彩を魅せつけている。朝の澄んだ空気に満たされて眩い光に煌めく庭の様相は、まるでファンタジー世界のお城に迷い込んでしまったかのような錯覚すら感じさせる。

そして、たった一夜でお化け屋敷を瀟洒な豪邸に変貌させた当人は、通りがかりの子どもたちからの無垢な賞賛に胸を張ってその腕前を自慢していた。

 

「うごごー!」

「キリンさんだ!すごーい!」

「鎧の兄ちゃんすっげえ!」

 

バーサーカーが宝具化した漆黒の高枝切りバサミを閃かせた途端、庭の一角に新たな動物が誕生して子どもたちの歓声が響き渡る。その黄色い声に、雁夜はげんなりと顔を歪ませて頭を抱える。相棒の邪気のない行動にはだいぶ馴れてきたと思っていたが、どうやらまだまだのようだ。

 

「おいこら、バーサーカー!無闇に人前に出るんじゃない!お前、自分がサーヴァントだって自覚あるのか!?」

「きゃー!ゾンビだー!」

「顔半分がゾンビのお化けが出た—!鎧の兄ちゃんやっつけて!」

「誰がゾンビだ!まだ辛うじて生きてるわ!つーか、お化けはそっちの鎧の方だ!」

 

逃げてゆく子どもに喚き立てる雁夜を見て、桜がくすくすと忍び笑いを漏らす。桜は雁夜とバーサーカーの掛け合いを漫才のように思っている節がある。雁夜としては本気で怒っているわけだが、桜の笑顔を見ると怒りも霧散してしまうのだった。

 

「うごごご〜」

「はいはい、おはよう!庭はもういいから、早く中に入ってくれ!」

「バーサーカー、お腹すいたよー」

「ぐるる」

 

庭から手を振ってくるバーサーカーに適当に手を振り返す。いつの間にかバーサーカーの言わんとすることがなんとなく理解できるようになったのは、やはり馴れのなせる技かもしれない。

のっしのっしと台所に向かうバーサーカーの姿を見届け、雁夜も階下に降りることにする。ため息を吐き出すと、空になった腹がぐぅと音を鳴らした。そういえば、ひどく腹が空いている。昨夜の戦闘で魔力を大量に消費したせいかもしれない。とにかく、何か腹に入れたい。美味しいものを口にしたい。昨日のグリーンカレーの美味を思い出し、口内がじわりと潤う。今朝の朝食を予想するのに胸が高鳴ることなど生まれて初めてだった。

 

「今日の朝ごはん、なんだろうね?おじさん」

「うーん、なんだろうな。でも、きっと美味しいよ」

「私もそう思う!」

 

二人でにこやかに階段を降りる様子は、傍から見れば仲睦まじい父娘にしか見えない。事実、本人たちも互いをそのように考え始めていた。これでご飯を作ってくれているのが母親であれば完璧なのだが。

 

 

 

「そうそう、バーサーカーって造園技能士の資格も持ってるんだって!」

「ぐるる(肯定)」

「……もうツッコまないぞ」

 

 

‡アサシンサイド‡

 

 

「ば、バーサーカー陣営に、ぐすっ、動きは、あ゛り゛ま゛ぜん゛……!」

『……お前、本当に大丈夫か?他のアサシンと交代した方がいいんじゃないか?』

「大丈夫でずっ!」

『そ、そうか。監視と報告は怠るなよ?』

「ばい゛っ!我が主っ!」

 

明らかに涙声のアサシンの返答にドン引きしつつ、「今度マーボーの差し入れでもやろうか」と柄にもないことを思いながら綺礼は通信を終えた。

激しく嗚咽に震えるアサシンの視線の先では、バーサーカーが庭の掃除と手入れにこき使われ、子どもたちにからかわれ、マスターから罵声を浴びせられていた。バーサーカーの苦労と屈辱を思うと、情に厚いこのアサシンは涙せざるを得なかった。

 

(バーサーカー、頑張れよ……!)




皆、いくらガソリンスタンドで洗車させればいいやって思っているからって、あまりに汚い車は掃除に凄く手間取るからちょっとは自分で掃除をしような!放置しすぎて車の床が砂場になってたり、砂利が敷いてあったり、ピスタチオの殻やでかいカメムシの死体が散乱しまくってたりする車はスタンドの店員もさすがにドン引きだよ!お兄さんとの約束だ!!
そして先月は巨大なランドクルーザーがやって来て「水垢落としとポリマー掛けと手洗い洗車をしといてくれ。15時までに」と言ってきたよ。お前今13時だってわかって言ってんのかよぉおおおお!!


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2−2 白菜の漬物こそ至高

今回、1−2でバーサーカーのステータス隠しの幻惑宝具の効果が薄くなっていた理由が明らかになります。何かに使えないかと適当にフラグ投下!していたら、良い感じに拾えました。


グランドウォーカーダ!!


‡雁夜おじさんサイド‡

 

ポリ、という適度な歯ごたえと共に広がる、少し強めの塩味。

野菜本来の味と芯まで染み込んだ塩気が口腔内に膨らみ、唾がじゅわっと溢れでてくる。この機を逃すまいと、すかさず炊きたての白米を口に放り込んで噛みしめれば、ほんわかとした熱さと米特有の柔らかな甘みが爆発して思わず鼻から荒い息が吹き出る。

 

「バーサーカーのお漬物、美味しいよぉ」

 

隣では桜が涙すら浮かべてはふはふと口に白飯を運んでいる。同感だ。もっとも雁夜の場合は、涙を流す暇すら惜しいほど白飯を頬張っているのだが。

朝食は実に質素なものだった。白飯、漬物、少量の焼き鮭、千切りキャベツ、味噌汁。———だがどれも、天下一品の美味さだ。少し強めの塩味が効いたおかずと真珠のように白銀に輝く炊きたての新米の組み合わせに勝るものはない。丹念に骨抜きされた焼き鮭は脂が載っていてジューシーだ。そのカリカリに焼けた皮に舌鼓を打ちつつ、再び白飯を頬張る。やはり美味い。鰹だしでしっかりと裏打ちされた赤味噌の味噌汁も、味噌のコクを残しつつもさっぱりとしていてとても飲みやすい。

 

「「ふう。ごちそうさまでした!」」

 

雁夜と桜がぺろりと朝食をたいらげ、同時に手を合わせる。見事に重なった食後の礼に、互いに苦笑する。それを優しげに見守るのはエプロンをつけたバーサーカーである。うんうんと頷いているあたり、彼も自分の料理を食べてもらえることに喜びを覚えているようだ。

 

「うごごご?」

「デザート!?いるいる!」

「……俺ももらおうかな」

 

桜は完全にバーサーカーと意思疎通が出来ているらしい。そのことに若干驚きつつも、食後の満足感の前にそんな些細なことはすぐさま立ち消えてしまった。純日本食の朝食など久々に口にしたが、やはり自分は根っからの日本人なのだということを改めて思い知らされた。魔術師だとか間桐だとか言う前に、自分は日本人なのだ。ビバ、日本人!ビバ、日本食!!

 

「リンゴだ!ねえ、ウサギさん作ってウサギさん!」

「ぐるる〜」

「きゃあ、可愛い!ありがとうバーサーカー!」

 

懐から取り出した黄金の短刀でデザートのリンゴを器用に切っていく。桜にせがまれるとあっという間に可愛らしいウサギが出来上がる。分厚い篭手を装着していてもこの器用さなのだから、生身ならどれだけの腕前なのやら。

しょりしょりとリンゴの皮を途切らせることなく剥いていく手際の良さに思わず目を奪われる。まるで機械のような精密さと人間味を感じさせる繊細な指使いは熟練の職人を彷彿とさせる。アーチャーの短刀(・・・・・・・・)の切れ味の効果もあるのかもしれないが、それでもバーサーカーの自身の技術が————………

 

アーチャーの短刀……。

 

アーチャーの短刀……?

 

アーチャーの短刀!!??

 

「そ!れ!は!アーチャーから奪った宝具じゃないかあぁあああああああああああああ!!!」

 

冬木市の一角で、苦労人の雄叫びが響き渡った。聖杯戦争一番の苦労人、間桐雁夜の朝は今日も通常運転である。

 

 

………

 

……

 

 

 

「大体なぁ、お前にはシリアスが足りないんだよ!もっと真面目に———おい、聞いてるのかバーサーカー!」

「うごうご(´д`)」

「おじさん、口の横にリンゴついてるよ。とってあげるね」

「本当に聞いて———ありがとう桜ちゃん。とれた?」

「うん、とれたよ。リンゴもう一個いる?」

「いや、最後のは桜ちゃんが食べなよ。おじさんはもうお腹いっぱいだから」

「えへへ、ありがとう」

 

しゃりもぐしゃりもぐとリンゴを頬張りながら、洗い物をする己のサーヴァントの背に向かって説教をする雁夜と、その横で同じくリンゴを齧る桜。他のマスターが見たら卒倒しそうな光景だが、三人にはすっかり日常と化していた。

 

(まったく。バーサーカーは真面目なのか不真面目なのか判断がつかないな。……それにしても、このリンゴは美味いな)

 

最後のリンゴを桜に譲ったことをほんの少し後悔してしまうくらい、バーサーカーが切ったリンゴは美味かった。舌触りの良い果肉と芳醇とした瑞々しい甘さはそんじょそこらのスーパーで買えるレベルには思えない。ルビーのような真紅の皮と黄金色の果肉は宝石のように美しい。しかし、バーサーカーが買ってきた時は極普通のリンゴであったし、元々間桐邸にあったものでもない。

 

(アーチャーの宝具で切ったせいなのか?)

 

考えられる原因は1つだけだ。神々の宝物、人類の至宝、想念の結晶。有り得ない事象を実現する究極のモノ、“宝具”。特にあのアーチャーの神々しい迫力を考えるに、その所有物であった宝具の等級も相当なものに違いない。そんな人知を超えた奇跡の塊に触れたのだから、リンゴもその恩恵を受けて当たり前なのかもしれない。

 

(待てよ?じゃあ、その“奇跡の食べ物”を口にした俺の身体はどうなるんだ?)

 

麻痺して動かない己の左顔面に触れる。いつも通り、死後硬直した死体のようにざらざらとして硬い皮膚だった。———だが、表皮の下に、ほんのりとした人肌の温かさが蘇っていることに気付く。

 

「……なあ、バーサーカー。もしかして、その短刀を奪った目的は最初から———」

 

 

ドン!

 

 

「うっ!?」「きゃっ!?」「……グルル」

 

唐突に、遠く重い破裂音が腹底に響いた。通常の『音』ではなく、魔術師のみに察知できる魔術的な信号弾。つまりは魔力のパルスだ。

目を白黒させる雁夜と桜を尻目に、落ち着いた様子のバーサーカーが東の方角の窓を開ける。晴れ渡った青空に、チカチカと光る不思議な花火が光っていた。何らかの呪香を織りまぜているらしく、魔術師にだけ目にできるような仕掛けが施されている。明らかに戦争に参加しているマスターとサーヴァントに向けた合図だった。

 

(あの方角は……冬木教会か?監督役の教会がいったい何の用なんだ?)

 

教会は戦争中はあくまで裏方に徹するはずなのだが、何かあったのだろうか。

 

「雁夜おじさん、あれは何なの?」

「わからない。とりあえず使い魔に見に行かせるよ。桜ちゃんは安心して寝てていいんだよ」

「ウゴゴ」

「……うん、おやすみなさい。バーサーカー、おじさん」

 

桜が自室に戻るのを見届け、使い魔の蟲を放つ。桜の前で蟲を見せるのは憚られた。

 

「……バーサーカー、何だと思う?」

「グルル」

 

他の人間が見ればわからないだろうが、雁夜には彼の変化がよく見て取れた。その視線も呻き声も、緊張を孕んで鋭く低くなっている。只事でない何かを感じ取っているのかもしれない。先までの温厚な雰囲気を脱ぎ捨て、歴戦の戦士の気迫を放っている。その双眸が「用心しろ」と言っている。

 

「ああ、わかってる。大丈夫さ」

 

(なんたって、お前という頼もしいサーヴァントがいるんだからな)

 

余裕すら感じさせる笑みを口端に浮かばせ、雁夜は目を閉じて使い魔と意識をリンクさせた。

 

 

………

 

……

 

 

 

「連続殺人犯がマスターになって、サーヴァントも暴走———!?」

 

使い魔を介して見聞きした老神父の言葉に、雁夜は瞠目して声を荒らげた。

監督役、言峰璃正から告げられた下手人の存在は、雁夜を大いに驚かせ、怒りを覚えさせた。魔術のイロハも知らない殺人犯が何の偶然かマスターになり、サーヴァントの力を利用して誘拐事件を乱発している。しかも、その毒牙の対象は———桜と同じ年代の、幼い子どもたちだという。力の弱い者を平気で踏みにじり、まだ何も知らない無垢な生命を侮辱し、冒涜し、無残に強奪する。吐き気を催す、唾棄すべき邪悪な行為だ。

 

(そんなこと、許されていいことじゃない!)

 

元々、魔術の持つ陰惨さを嫌って間桐家を飛び出した雁夜のモラル感覚は、一般人と何ら変りない。むしろ、より強く『平和な日常』を愛している。間桐臓硯による悪辣な修行と遠坂時臣への嫉妬と憎悪でその感覚は失われつつあったが、桜とバーサーカーとの触れ合いによって鬱屈としかけていた性根もすっかり元に戻っていた。子どもを害する、という許されざる悪行に、雁夜の中の正義感が轟々と燃え上がる。

 

(もしも、奴らの魔の手が桜ちゃんや凛ちゃんに及んだら……!!)

 

想像するだけで背筋を悪寒が走る。自分の命より大事な彼女らを危険に晒す者なら、何よりも優先して排除しなければならない。もはや、「キャスターを倒した陣営には令呪を一つ進呈する」という璃正の誘惑など雁夜には何の意味もなくなっていた。一刻も早く、キャスター陣営を打倒しなければならない。

 

「バーサーカー、やるべきことが増えた。もちろん引き受けてくれるな?」

 

雁夜の問いかけに、バーサーカーが胸甲をガシャンと叩いて応える。兜の目庇から滲み出る灼熱の眼光が、義憤の色に染まっている。彼もまた、雁夜と同じく弱き者をいたぶる外道を許せないに違いない。サーヴァント(相棒)との意見の一致に、雁夜は力が漲るのを感じた。

 

(問題は、キャスター陣営の居場所がわからないってことだ。あの神父も詳細については知らないようだった。自力で探すしかないが、相手が魔術師(キャスター)クラスとなると難しいな。どうやって居場所を特定するか……)

 

「……あの、おじさん、バーサーカー。邪魔してごめんなさい。でも、やっぱり一人じゃ怖くて寝れなくて……」

 

控えめに発せられた声に振り返れば、枕をぎゅうっと抱きしめた桜が今にも泣きそうな顔で二人を見上げていた。その姿に心臓を鷲掴みにされたような保護欲を掻き立てられ、雁夜は慌てて桜の元へ駆け寄ろうとする。蟲蔵から解放されたとは言え、まだ悪夢にうなされることがあるに違いない。まだ10にも満たない少女にとってアレは精神を苛むトラウマだ。傍にいてやらなければ。

 

「ああ、じゃあおじさんが———……バーサーカー?どうしたんだ?」

 

駆け寄ろうとした雁夜の肩を、バーサーカーが掴み止めていた。人外の握力が雁夜の動きを制限する。血飛沫のように紅くギラつく双眸は、眼前の雁夜ではなく桜を見据えていた。まるで『物』を仔細に観察するかのような無機質な視線に、最悪の可能性が頭を過ぎる。

 

「バーサーカー、お前、まさか桜ちゃんを囮に使うつもりじゃ……!?」

 

猛獣を捉えるためにわざと獲物をチラつかせ、食いついたところを狙う。合理的な作戦だ。だがそれは、その獲物が子どもでなければ、の話だ。雁夜には到底受け入れられる話ではない。バーサーカーの腕を渾身の力で振り払い、桜を庇うように立ち塞がる。

 

「そんなことは絶対に許さ——— 「ぐるるー!(`ω´*)」 ———え、違う?」

 

今度はバーサーカーが怒る。「誰がんなことするか!」と言わんばかりに腰に手を当てて唸る。冷静に考えれば、彼が子どもを囮に使おうなんて言い出すはずがないのだ。ホッと安堵し、そしてさらに首を傾げる。

 

(じゃあ、一体何なんだ?)

 

「……ん?なんだ、目が霞む……?」

 

バーサーカーの不可解な行動を理解できずに悩んでいると、不意に視界が歪みはじめた。目の前のバーサーカーの姿が急激にボヤけ、不鮮明になってゆく。輪郭がボヤけ、霞み、身体の大きさすら判別できなくなる。だというのに、バーサーカー以外には何も異常は見られない。———否、その現象はバーサーカーだけに起きていた。彼独自の幻惑宝具が、ステータスを隠すだけの役割を終え、本来の力を使ってバーサーカーの姿をまったく別の何かに変身させようとしているのだ。

果たして、変身が完了したその姿は、

 

「ぐるるー!」

「な、な、なァ———ッ!?」

「わあ、バーサーカー、そんなことも出来るの!?」

 

雁夜が見下ろす(・・・・)先にいるのは———桜と瓜二つの姿となった、己のサーヴァントだった。

 

 

‡バーサーカーサイド‡

 

 

教会からのお知らせ花火だ。言峰父からのキャスター討伐のお誘いだろう。せっかく二人が美味しそうにご飯を食べてくれていたというのに、胸糞悪い話を持ってきやがって。イエスロリータ、ノータッチ!これ世界の常識ですよ。雁夜おじさんも子ども殺しに大変お怒りのようです。ボクらとっても気が合いますね!まあ、俺は巨乳お姉さん派なんだけどな!アイリスフィールマジ天使!

 

「バーサーカー、やるべきことが増えた。もちろん引き受けてくれるな?」

 

もちろんだぜ。雁夜おじさんが熱い男になってくれて俺は嬉しいよ。

さて、問題はキャスター陣営にどう近づくかだ。キャスターの真名がジル・ド・レェだってことも、セイバーをジャンヌと思い込んでストーカーしてるから今夜アインツベルン城に出現することもわかってるんだけど、待ち伏せするのは難しい。腐ってもキャスタークラスだからバーサーカーの接近はすぐに気付かれるだろうし、アインツベルンの領地に気付かれずに隠れてるなんて芸当も出来そうにない。俊足のランサーや元代行者の綺礼の侵入も感知できるくらいなんだから。油断させてこっそり近づき、無防備なところをボコるしかない。となれば、アレ(・・)を使うしかあるめえ!

 

「……あの、おじさん、バーサーカー。邪魔してごめんなさい。でも、やっぱり一人じゃ怖くて寝れなくて……」

 

お、ちょうどよかった。対象の姿をしっかり観察しとかないとボロが出るかもしれないからね。細部まで観察しておきましょう。なんか雁夜おじさんが失礼なことを言ってきたのでちょっと怒りました。儚げで可憐な桜ちゃんを囮にするなんて鬼畜な所業をしそうな顔に見えるのかよ!顔は見えないけどな!

 

「……ん?なんだ、目が霞む……?」

 

さあ寄ってらっしゃい見てらっしゃい!これぞ、ランスロット固有の補助宝具であり、俺が原作のバーサーカーと唯一ちょっとだけ違いがある宝具!その名も、『己が栄光の為でなく(フォー・サムワンズ・グロウリー)』だ———!!

 

「な、な、なァ———ッ!?」

 

おお、雁夜おじさんが出川みたいにめっちゃ驚いてる。そこまで清々しいリアクションをしてくれると俺としても驚かせた甲斐があったってもの———

 

あ、気絶した。




思わず涎が垂れてきそうな美味い食べ物の描写を書けるようになりたい。


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2−3 荒木先生は元新選組副局長

ジョジョ苑って焼肉屋さんがあるらしい。キッチンに立ってるのが吉良吉影でなければいいんだけど。

「わーい!上ミノだ!いただきまーす!」
(カチッ)
「ぐぁああああ―――ッ!!」

みたいなことになったら怖いじゃん。


‡雁夜おじさんサイド‡

 

 

あ…ありのまま 今 起こった事を話すぜ!

「バーサーカーの姿が変わったと思ったら 桜ちゃんになっていた」

な… 何を言っているのか わからねーと思うが 

おれも 何をされたのか わからなかった…

頭がどうにかなりそうだった… 催眠術だとか超スピードだとか

そんなチャチなもんじゃあ 断じてねえ

もっと恐ろしいものの片鱗を 味わったぜ…

 

 

「いい、バーサーカー?変な人について行っちゃダメなんだよ!わかった!?」

「ぐるる」

「いやいや、バーサーカーは囮なんだからむしろ付いて行かないとダメなんだけど」

 

桜に変身したバーサーカーを囮にしてキャスター陣営をおびき寄せる、というバーサーカーの作戦に従い、夕刻、彼が間桐邸を出発する。自分そっくりの少女を悪漢に襲わせるという作戦に桜が不満を持つかもしれないと不安になったが、「バーサーカーならいいよ」と快く了承してくれた。でも頬を染めながら言わないで欲しかったな。おじさん凄く不安になっちゃうよ。

 

「あ、そうだ。お外に出るんだからお化粧もしなくちゃね。ちょっとこっち来て!」

「うごご〜」

 

桜は自分と同じ姿になったバーサーカーに対して妹のように甲斐甲斐しく接している。やはり、年下の肉親が欲しいという気持ちがあったのだろう。自分も末っ子なのでその気持は良くわかる。見ていて微笑ましいが、片方の中身が全身鎧の大男なのだと思うと非常にシュールだ。

変身後のバーサーカーは本当に桜に瓜二つだ。瞳の色が炎のように揺らめく赤に染まっていることと、声質が少女のソレになっても相変わらず「ぐるる」「うごご」しか話せないこと以外は。

 

(武器の扱いに長け、手に持ったものを自分の宝具に出来て、しかも変身能力まで持つ騎士の英霊、か。いったい誰なんだ?)

 

雁夜はフリーライターを生業にしていたため、各地の歴史や伝説、それらに纏わる雑学も人並み以上に諳んじている。幾人か該当しそうな英霊の候補が思い浮かぶものの、目の前の幼女化した騎士に当てはまりそうな者はいなかった。

 

(そもそも、和食を作ったり、栄養士やら造園技能士の資格を持ってる騎士なんているわけないしな)

 

そんなに資格をとりまくっているのは暇を持て余しているなんちゃって大学生くらいなものだ。当然、このバーサーカーの中身が大学生だということは有り得ない。

これ以上考えてもわかりそうにないと断じ、雁夜は思考を放棄した。魔術師として未熟な自分が敵による催眠や拷問に屈し、バーサーカーの真名を口にしてしまうという最悪の可能性も考慮し、自分は知らない方がいいとも考えた。知らなくても支障を来すことがないのは、先の港湾区画の戦闘で証明されたバーサーカーの実力でよく理解できた。今、桜に化粧を施されている幼女の姿は仮の姿であり、本当は誰よりも優れた猛者なのだ。

 

「こうやってベージュのシアーリップで清楚なナチュラルキレイを演出しつつ、同じ色のちょっとマットなリップペンシルで唇の輪郭をなぞるとふっくらして見えてすごく女っぽくなるの。香水もランバンマリーのオードパルファムで艶っぽさを強調して、ホワイトのロングスカートとのギャップを際だたせると男を惹きつけるのに効果的なのよ」

「うごごぉ……(´Д`;)」

「動いちゃダメだよ、バーサーカー!くすぐったいけど我慢して!」

 

……本当は誰よりも優れた猛者なのだ。

 

「……ねえ、桜ちゃん。そのオシャレの方法も凛ちゃんから聞いたの?」

「ううん、お母さんから。『いい男を見つけるためには清楚な女を演じればいいのよ』って」

「葵さんんんんんんんんん!!??」

 

恋焦がれていた幼なじみの思いがけない一面を知って崩れ落ちる雁夜をよそに、ピンクのランドセルを背負わされたバーサーカー(幼女)が玄関の戸を開ける。

 

「ぐるる!(`・ω・´)」

「行ってらっしゃい!ヘンタイどもの首をねじ切って晒し首にしてやってね!」

「俺には……好きな……人が……」

 

何とも形容しがたいカオスな出陣式を背に、バーサーカー(幼女)はいざ戦場へと間桐邸を後にした。

 

 

‡アサシンサイド‡

 

あ…ありのまま(ry

 

間桐邸を一望できる高木の頂上で、間桐邸の監視を下命されたアサシンがあんぐりと口を開けて硬直していた。

それもそのはず。バーサーカーが玄関から出てきたと思ったら、幼女の姿になっていたからである。暗殺者として鍛え抜いた第六感はそれがバーサーカーであると明言しているが、暗殺者として何より信頼してきた観察眼もまた、それが幼女であると宣言している。

 

(つまり、バーサーカーの中身は幼女だったということか?いやしかし、質量的に無理がある。だが目の前のバーサーカーは幼女の姿をしている。やはりバーサーカーは幼女だったのか?いや、しかし幼女が鎧の大男なのはおかしい。だが目の前の———)

 

———そのうちアサシンは考えるのをやめた。

 

 

 

時間は戻り、聖杯戦争二日目の夜。

アインツベルンの森

 

‡セイバーサイド‡

 

 

セイバーは駆けていた。闇が立ち込める暗く深い森を獅子のように駆け抜け、倒すべき敵に向かってひたすらに走る。月明かりに照らされ、白銀の鎧と頬を伝う汗がキラリと光る。

 

『———セイバー、キャスターとバーサーカーを倒して』

 

アイリスフィール(姫君)からの命令を受け、セイバーは即座に城を後にした。あってはならぬ外道を切り伏せるべく、燃える怒りに身を任せて虐殺の場所へと急ぐ。

バーサーカーがここにいることはセイバーにも切嗣にも完全に想定外だった。キャスターを討滅せよ、という老神父の指示があってからまだ半日しか経っていないというのに、どうやってキャスターの位置を特定できたのか。そも、どのような隠蔽工作を行えばアインツベルンの森を埋め尽くす索敵術式や切嗣の監視装置群を突破できたというのか。その手腕には舌を巻くどころの話ではなく、セイバーはバーサーカーのマスターの途方のない優秀さに感嘆し、そしてそれを恨んでいた。

 

(それだけの見識がありながら、どうしてバーサーカーを解き放ったのだ……!)

 

子どもたちという人質を有したキャスターにバーサーカーをぶつければ、間違いなく子どもに被害が及ぶ。一方は底知れぬ狂気に染まり、一方は己を律する理性を失っている。どちらとも、子どもの生命を尊重することなど少しも考えていない。身を守る術すら満足に知らない子どもたちが二人の戦いに巻き込まれればどうなるかは、言うまでもない。一刻も早くつかなければ、手遅れになる。

 

(せめて、せめて一人だけでも生き残っていてくれ……!)

 

セイバーとて、子どもの死体を見たことがないわけではない。戦場ではいつも弱い者が先に死ぬ。彼女が騎士として剣を振るった戦場では、いつも小さな骸が横たわっていた。狂気が満ちる戦場では、人はいつでも醜い餓鬼になれてしまう。

だからこそ、『証明』がいるのだ。例えどんな逆境においても、人間は貴く、凛々しく、尊厳を持って立っていられるのだということを身を持って示す見本。簡単に地獄に変わる戦場において、弱き者を背に護る勇猛なその後ろ姿で人々に人間としての矜持を思い出させる勇者。

それが『騎士』だ。戦場の華であり、指針であり、手本であり、餓鬼道に堕ちる者の手を掴む最後の希望なのだ。

 

(それが、騎士としての義務。騎士の王である私の義務だ!)

 

怒りよりも義務感に背を押され、セイバーは一陣の風となる。

持ち前の豊富な魔力をジェット噴射のように背から噴出し、立ちはだかる木々を紙一重でかわして突き進む。人の尊厳を守るために。騎士の誇りを護るために。

血臭がひときわ濃くなる。何度嗅いでも不快な、戦場の臭い。チリチリと肌を刺す殺気が、戦いの場が近いことを知らせる。そして鼓膜に滑りこんでくる、年端もいかぬ子どもたちの、切羽詰まった甲高い悲鳴。

セイバーの脳裏を過ぎる、かつての凄惨な戦場の光景。犯され、いたぶられ、弄ばれ、父母に助けを求めて泣きながら死んでいった、いたいけな子どもたちの苦しげな死相。

「お母さん」と小さく呟いて事切れた、腕の中の小さな命———。

 

「邪魔だあああああああ!!!」

 

ついに焦燥を抑えられなくなったセイバーが前方を塞ぐ大木の群れを斬撃で切り飛ばす。倒れ行く大木を剣風で吹き飛ばし、怒涛の如き勢いで虐殺の舞台に踏み込む。

次の瞬間、目の前に広がるであろう酸鼻な光景に覚悟を決めて前方を睨み据え、

 

 

 

———そこには、『理想の騎士』の漆黒の背中があった。




焼肉屋さんで出てくる卵スープってなんであんなに加熱してんの?客の舌まで焼肉する必要ないんだよ?


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2−4 セガールは合気道七段の大師範クラス

初代ジェームズ・ボンドでお馴染みのショーン・コネリーは元イギリス海兵。土方なんかの力仕事もやってたし、スポーツは重量挙げもやってたムキムキな人。でもそんなマッチョな人の手首を、演技指導中についポキっと折っちゃったのが僕らのセガール兄貴です。凄いぞ強いぞ僕らのセガール!でもやり過ぎには気をつけてね!


‡キャスターサイド‡

 

 

「思い上がるなよ匹夫めがァアあばばば———ッッ!?」

 

苦し紛れに突き出した腕に漆黒の剛腕が静かに絡まり、懐に入られたと認識した瞬間に勢いよく宙に舞い上げられる。2メートル近い長駆を持つために他人に投げ飛ばされた経験などないキャスターは、突然の空中浮遊からの受身をとることなどできなかった。凄まじい勢いで背中を地に叩き付けられ、呼吸が強制的に停止させられる。もしもキャスターが聖杯から日本武術についての知識を授けられていれば、それが合気道の『四方投げ』ということがわかっただろう。合気道を習得した者なら誰もが唸る程の冴え技は明らかに有段者レベルのものであったが、当然キャスターは知る由もない。それでも、元武人である彼はその巨躯からは想像もできない俊敏さで立ち上がると転がるようにバーサーカーと距離を開ける。バーサーカーは、まるで守護するかのように子どもたちを背にしてこちらと対峙している。

 

(い、いったいどこからわいて来たのだ、この狂獣は!?)

 

先にも述べたように、キャスターは元武人だ。かつては祖国を救うためにジャンヌ・ダルクの元で勇猛果敢に剣を振るった戦士である。バーサーカーの接近ともなればさすがに気付かないはずがない。しかし、実際は腕を掴まれるほどまで近づかれ、利き腕の骨を砕かれた挙句に不思議な技でぶん投げられていた。バーサーカーに隠蔽魔術を行使する理性がないことはキャスターも知っている。ならば、どうやって近づいてきたのか?

バーサーカーと対しながらギョロギョロと左右の眼球を忙しなく動かして原因を探ると、一つの違和感を見つけた。

 

(———子どもの数が、足りない?)

 

聖処女を覚醒させるために連れてきた生け贄の数は、彼女が処刑された日付に因んで30人を用意した。しかし、バーサーカーの後ろにいるのは29人しかいない。周囲を見渡してもやはり一人足りない。

そう、街行く幼児の中でも一際美しく着飾っていた、生け贄に相応しい可憐な少女の姿だけが、ない。

———まさか。

 

「貴様、子に化けていたなッ!?神聖な贄をヲおのれおのれおのれえ———!!!」

 

骨身を燃やす憤怒にキャスターが絶叫する。バーサーカーは、子どもに化けてキャスターに近づき、油断したところに襲いかかったのだ。

よりにもよって神聖な供物に化け、聖処女を救済するための尊い儀式に薄汚い魂を紛れ込ませるという卑怯で愚劣な悪行に、キャスターは自身の髪を引きちぎって怒り狂う。口端から粘性の泡を吹き出す常軌を逸した姿に子どもたちが悲鳴をあげて泣き叫ぶ。

 

「許さぬ、断じて許しはせぬぞ、汚らしい狗めが!異界の獣に全身を引き裂かれて苦しみ悶え死ぬがいい!!」

 

キャスターが自身の宝具『螺湮城教本(プレラーティーズ・スペルブック)』の装丁に掌を叩きつける。人間の皮肉で造られた分厚い魔導書はキャスターの膨大な魔力の源であり、クトゥルフ系の魔物を無数に召喚できる凶悪な呪詛宝具である。キャスターの意向を受けた魔導書は邪悪な力を解き放ち、異界との門を開いて闇の中から異形の怪生物たちを召喚する。本来ならば、聖処女の魂の鎖を断ち切るために無垢な子どもの血肉を贄にして召喚する予定であったが、この魔導書にかかれば贄がなくとも直接召喚が可能だ。

 

「殺せ殺せ殺せ殺せ殺せぇェエエエエエエエ!!」

 

怨嗟の金切り声が夜気を切り裂き、怪生物に鞭を打つ。巨大なイソギンチャクのような異界の化け物が群れを為して一斉にバーサーカーに襲いかかる。

まるで皮を剥ぎ取られた動物のように艷めく皮膚から血潮を吹き出し、もがき苦しむように触手で地面を引っ掻きながら恐るべき速度で這い寄る。

悪意の塊のような造形。巨大な軟体生物のような奇怪な動き。胃液を逆流させる噎せ返るような血臭と瘴気。この世のものとは思えないおぞましい光景に、子どもたちが切羽詰まった甲高い悲鳴をあげる。

バーサーカーは両腕を力強く広げ、地に足を押し付けてその場を動かない。その姿はまるで巨大な城壁だ。断固とした決意が宿る紅蓮の双眸が、「一歩も譲らぬ」とばかりに毅然と眼前の化物の群れを睨む。

怪生物の波がバーサーカーに押し寄せる、まさにその瞬間、

 

「邪魔だあああああああ!!!」

 

空気を震わす怒声と共に放たれた斬撃が子どもたちの後方の木々を薙ぎ散らし、次いで放たれた剣風が大木の豪雨を怪生物の上に降らせた。

 

『『———◆◆◆———■■———ッッッ!?』』

 

鉄板を爪で引っ掻くような背筋を凍らせるその断末魔を、果たして『声』と呼んでいいものか。怪生物たちは突然の大質量に持ちこたえること叶わず、薄い皮膚を弾けさせて吐瀉物のような中身をぶちまけた。怪音波にあてられた(・・・・・)幼児たちが白目を剥いてその場に昏倒する。まだ無垢な子どもであったから気絶だけで済んだのだ。成長に伴って魂に淀みを含んだ大人であれば、己の首を締めて狂死しただろう。

だがこの男にだけは、その断末魔が祝福の鐘音に聞こえた。

 

「おお……ジャンヌ!!我が聖処女よ!!」

 

先ほどまでの憤怒はどこへやら、晴れやかに破顔して黄色い声を響かせる。にんまりと顔を歪める彼が熱い目線を送る先には、未だ自分の正体を思い出せぬ嘆かわしき聖処女———セイバーの貴影があった。当のセイバーは、なぜかバーサーカーの背中を陶酔とも呆然ともとれる表情で凝視していたためキャスターの世迷言は耳に入っていなかったが、そんな些細なことは彼にはお構いなしであった。これから、嫌でも自分を見詰めさせることになるのだから。

 

「ようこそジャンヌ、お待ちしておりましたよ!さあ、宴を始めましょう!!オルレアン解放の宴にも勝る、盛大な宴を!!」

 

嬉々として再び魔導書に掌を押し付ける。濃紺の瘴気が爆発的に溢れ出し、再び怪生物を異界から引きずり出す。今度はもっと多く、強く、大きい。こちらを包囲するようにジワジワと這い寄っていく。

 

「くっ!?キャスター、貴様……!!」

 

ハッとしてキャスターに向き直ったセイバーが子どもを護るように剣を構える。気絶して動けない幼児がいる以上、セイバーは彼らを背に護って戦うしかない。奇しくも、それはバーサーカーと並び立つ形となった。

視界に入れたくもない獣が、自身が全身全霊の愛を捧げる聖処女の隣に控える。受け入れがたい光景に、キャスターのこめかみに太い血管が浮かぶ。

 

「思い上がるなよ匹夫めがァアあばばば———ッッ!?」

 

バーサーカーの強烈な投石が額に命中し、キャスターは再び地に背中を叩きつける羽目になった。

 

 

‡セイバーサイド‡

 

 

———かつて、何者にも代えがたい戦友(とも)がいた。

誰よりも雄々しく勇敢で、誰よりも慈悲深く礼儀正しい、勇猛さと高潔さに満ちた『理想の勇者』。騎士王の常勝を支え続けた『完璧な騎士』。常に弱き者を背にし、強き者に立ち向かうその大きな背中は、戦場の規範であった。

そういえば、彼の鎧もこのような漆黒色をしていた———

 

 

「ようこそジャンヌ、お待ちしておりましたよ!さあ、宴を始めましょう!!オルレアン解放の宴に勝る、盛大な宴を!!」

「くっ!?キャスター、貴様……!!」

 

(馬鹿げている!何を考えていたのだ、私は!?)

 

()狂戦士(バーサーカー)になるなど有り得ない。そのような妄想は非礼極まりないことだ。

この時ばかりは自身の直感スキルの恩恵を全否定したセイバーが小さく頭を振って予感を打ち捨て、化物と子どもたちの間に躍り出る。見れば、先ほどの化物の断末魔の叫びで大半の子どもが気絶してしまっているが、命を落とした者はいないようだ。それどころか怪我をしている者も見当たらない。キャスターとバーサーカーの戦闘に巻き込まれて全滅する、という最悪の結末を予想していたセイバーには嬉しい誤算だった。

だからこその疑念が彼女の思考を過ぎる。

 

(なぜ、キャスターは健在なのだ?)

 

目の前のキャスターは手首がおかしな方向に捻れ曲がっているものの、それ以外の負傷は見当たらない。バーサーカーに至近距離まで近づかれて被害があれだけだというのは不自然だ。接近戦最強のセイバーでさえ防御で手一杯だった苛烈な攻撃をキャスターが余裕で防げる道理はない。

 

(バーサーカーが、手心を加えた?)

 

眉根を寄せて、隣に並び立つ(・・・・・・)バーサーカーをチラリと見上げる。昨晩にあれだけの猛攻を加えてきながら、今はこちらを見ようともしない。何より、躙り寄る化物の群れを牽制するようにジリジリと体勢を変える様には狂戦士らしさは微塵も感じられない。手加減をしたのではなく、しなければならなかったのだ。背後の子どもたちを巻き込まないために。

それを察したセイバーの胸に熱いものがこみ上げる。

 

「思い上がるなよ匹夫めがァアあばばば———ッッ!?」

 

投擲の動作を見せずに放たれた石礫がキャスターの額に吸い込まれるように命中した。もんどり打って吹っ飛ぶキャスターの滑稽な姿を前に、セイバーの口元に笑みが浮かぶ。それはキャスターの道化のような醜態を笑ったのではなく、『弱きを助け強きを挫く』という信条を他者と共有できる幸福を喜んだものだった。子どもの守護という行動がマスターによる指令なのか、それともバーサーカーの勝手な判断なのかは定かではないが、どちらでもよかった。聖杯を競い合う敵が「正義の何たるか」を識ってくれているというだけで、セイバーは満足だった。

ぞる、と滑るような動きで触手の怪魔の群れがまた一歩詰め寄る。数にして100は下らないだろう。今も端から増え続けている。一体一体は脆弱で低能な化物にしか過ぎずとも、数を成せば十分な脅威だ。さらに、こちらには子どもというハンデがある。派手に動き回ることはおろか、回避行動すら制限される。受身になった時点で劣勢になることは火を見るより明らかだ。どうにかして先手を取り、イニシアチブを手に入れなければ勝利はない。

再び怪魔の波が近づく。こちらを包囲する輪がさらに狭まり、状況は一触即発の状況にまで逼迫していく。思わず後ずさった背中が、堅牢な何かとぶつかる。気配で、それがバーサーカーの背中ということがわかった。

苦手な敵のはずなのに、なぜかしっくりと肌に馴染む。いつもこうして背中を合わせていたかのような既視感さえしてくる。

気づけば、

 

「……バーサーカー、」

 

問うていた。

 

風を踏んで走れるか(・・・・・・・・・)?」

 

セイバーの謎めいた質問に、バーサーカーは言葉を持って応えない。しかし、引き絞られた矢のように姿勢を低く構える様は、即ち『了承』の意味である。同じ『騎士』の間に、言葉は必要ない。

刹那、セイバーは漆黒の兜の下に不敵な微笑を錯視する。その微笑が()と重なった瞬間、セイバーの躊躇いは消えた。

 

「いつつ……。さあ、恐怖なさい、絶望なさい、ジャンヌ!武功の程度だけで覆せる“数の差”には限度というものがある。ウフフ、屈辱的でしょう?栄えもなければ誉れもない魍魎たちに、押し潰され、窒息して果てるのです!英雄にとってこれほどの恥はありますまい!」

 

額を押さえるキャスターのさも愉快気な嘲笑を浴びせられても、セイバーは激せず、怯まず、ただ決然と静かな面持ちで剣を振り上げる。揺るぎない眼差しが見据えるのは、ただ———掴み取るべき勝利のみ。

 

「ウフッ!その麗しき顔を……今こそ悲痛に歪ませておくれ、ジャンヌ!」

『『ギィィィィィッ!!』』

 

怪魔の群れが一斉に吠える。歓喜とも憎悪ともつかぬ異形の奇声を張り上げながら、包囲の中心めがけて殺到する。

今こそ———勝負の時。

騎士王は高らかに、その誇り高き聖剣に一命を下す。

 

風王鉄槌(ストライク・エア)———ッッ!!!」

 

聖なる宝剣を守る超高圧縮の気圧の束———風王結界(インビジブル・エア)の変則使用。凝縮された竜巻を一点に収束・解放させるという荒技は、この世の条理では有り得ない大破壊を生み出す。見えざる巨人の手が唸りを上げて大地を薙ぎ払うが如く、居並ぶ怪魔の壁がごっそりと削り取られ、キャスターへと続く巨大な穴を貫通させる。

だが、すでに300を超えていた怪魔の圧倒的な数を前にしては、豪風の破城槌の攻撃力も霞んでしまう。怪魔たちは包囲網の形成を一旦やめ、主君を守らんと急速に密集する。

 

「ひ、ひいぃいいいいっ!?」

 

にも拘らずキャスターが恐怖の叫びをあげたのは、包囲を穿った風穴を戦車(・・)が驀進してくるからだ。

 

「行けッ!!バーサーカー!!」

「グルルラァアアアアアア!!!!」

 

子どもという枷から外れた狂戦士(バーサーカー)が激怒の雄叫びを上げながらキャスターに向かって突進してゆく。道を阻む怪魔を跳ね飛ばし、踏み潰し、引き千切り、太古の恐竜の如く獲物に向かって全速力で突き進む。バーサーカーの膂力に風王鉄槌(ストライク・エア)による速度が付加された今、彼はまさに『戦車』と呼ぶに相応しい破壊力をその身に宿してキャスターに肉薄する。

キャスターは召喚していた全ての怪魔を自身の防衛に呼び戻すが、決定的に間に合わない。

眼前まで迫った怒りに滾る双眸に総身を貫かれ、キャスターが喉奥から悲鳴を搾り出す。

 

「ほわあああああああああああっ!!??」

 

次の瞬間、双腕を震わす衝撃。思わず己の身を守ろうと持ち上げた螺湮城教本(プレラーティーズ・スペルブック)にガントレットの鋭い爪が深々と突き刺さった。漆黒の爪先がキャスターの眼球の鼻先で止まる。分厚い魔導書はほんの僅かな差でキャスターの命を助けたのだ。

 

「……ひ、ひははっ、ひゃはははははっ!やはり、やはり神は私を罰しない!狂犬の爪など、私に届きはしないっ!!!」

 

引き攣った笑い声は、直ぐ様嘲笑に取って代わる。

あと一歩のところで、バーサーカーの攻撃はキャスターに届かなかった。主君の窮地に集まった怪魔の壁は見事バーサーカーの突撃の威力を弱めることに成功したのだ。異界の獣が怒りに震えるようにブルブルと皮膚を震わせる。キャスターは自らの勝利を確信した。

怪魔たちが同士討ちを始めるまでは。

 

『『ギィィィィィッ!?』』

「———は、あ?」

 

鋭く尖らせた触手と触手が擦過し、互いに血の花を咲かせる。ありえない箇所に生えた牙が仲間の頭を噛み千切り、反撃に繰り出された触手の鞭が胴を抉る。地を埋め尽くしていた怪魔が次々と倒れ、ドロリと融解して物言わぬ鮮血と成り果てる。

それは暴走ではない。螺湮城教本(プレラーティーズ・スペルブック)からの『自滅せよ』という指令に忠実に従ったのだ。

そこで初めて、手元の魔道書の制御が自分から切り離されていることに気付く。

装丁の表面に走る、黒い葉脈。それがあたかもコンピュータをハッキングするかのように魔道書の制御権をキャスターから強制的に剥奪していた。葉脈の根は、漆黒の爪。魔導書を隔ててこちらを見据える紅蓮の双眸が、不敵に笑う。

バーサーカーの狙いは最初からキャスターではなく、皮肉にも彼が防御に繰り出した魔導書だったのだ。

 

「貴様ッ———キサマ貴様キサマ貴様キサマキサマキサマァァァッ!!」

 

喚き散らして魔道書の制御権を奪還しようと魔力を巡らすが、その間にも怪魔の数は減る一方だ。元々魔術の心得がないジル・ド・レェが邪悪な魔術を行使できるのは、螺湮城教本(プレラーティーズ・スペルブック)を所有するが故である。それを奪われれば彼はただの精神異常者だ。最後の一匹が自らの頭を刺し貫いて生き絶えた時、キャスターの命運は尽きる———。

 

「いいや、その前に私が貴様を斬る」

 

真横から叩き付けられる、鋭い決定(・・)の声。視線を翻した先には、振り上げられた黄金の聖剣があった。刀身を滑るように持ち手に目を向ければ、輝く白銀と紺碧の甲冑に身を包む、見目麗しき騎士王の美貌。

 

(ああ、やはり貴女は聖処女ジャンヌに他ならぬ。だって、貴女は———)

 

自身に向かって振り下ろされる聖剣を、キャスターは恍惚として見守る。切っ先が己の身体を切り裂いてなお、その陶然とした笑みは崩れない。彼の瞳に映るのは、かつて『救国の英雄』ジルと共に戦場を駆け抜けた美しき戦乙女の微笑みだ。

 

(こんなにも、美しいのだから)

 

その痩躯が地に触れることはなく、キャスターは呆気なく消滅した。

 

 

 

「……終わった、か」

 

刀身にへばり着いたどす黒い血液を振り払い、セイバーが小さく息を吐く。未だバーサーカーが近くにいるというのにその仕草は隙だらけであったが、不思議と彼がその隙につけ込むことはないと直感していた。

そうだ、()なら決してそのような卑怯な真似はしない。

 

「グルル……」

「ま、待て、バーサーカー」

 

労るように小さく唸ると、バーサーカーは静かに具現化を解く。霊体化する際、チラリと子どもたちの無事を確認する僅かな所作を見せたことをセイバーは見逃さなかった。その『理想の勇者』の姿に、セイバーは思わず制止の声を上げる。

どうしても確かめなければならないことがあった。練武の冴えが、黒鉄に輝く鎧が、狂化しても失われぬ騎士道精神が、『完璧な騎士』と重なったからだ。

 

「バーサーカー、貴様は……いや、貴方はまさか———」

「hinnyuu」

「前言撤回だ。今ここで持って貴様もたたっ斬る!そこへ直れ、貧乳差別主義者め!!」

 

やはり勘違いだったのだと一瞬前の自分を恥じ、セイバーは聖剣を振り乱す。それをヒョイと躱したバーサーカーが消える直前にボソリと呟く。

 

「princess」

「は?」

 

意味不明な呟きにセイバーの思考が一瞬途絶える。その隙にバーサーカーはスタコラサッサしてしまった。

 

(プリンセス……『姫君』?)

 

姫君と言えば、セイバーの脳裏に思い浮かぶのは生前の自分の妻か、自分の仮のマスターであるアイリスフィールのみだが———。

 

(ッ!?)

 

刹那、セイバーの額を一陣の閃光が貫いた。

 

「アイリスフィールが危ない!?———君たちはここでじっとしていなさい!」

「う、うん。わかった」

 

ランクAを誇る、未来予知に匹敵するセイバーの鋭敏な直感スキルが姫君(アイリスフィール)の窮地を知らせたのだ。

唯一、まだ意識のある赤みがかった髪の少年に待機を告げると、踵を返して忠誠を誓った女性の元へ駆け出した。

 

 

‡綺礼サイド‡

 

 

『我が主、どうか撤退を。キャスターが討滅されました』

『———なに?』

 

アサシンの緊張を孕んだ報告が滑りこんできたのは、足元に転がる衛宮切嗣の配下の女に止めを刺そうと脚を振りかぶったまさにその時だった。

憎々しげにこちらを睨め上げる女を油断せず視界に入れながら、綺礼はコンマ数秒だけ混乱する。

 

キャスターが人質を持ってアインツベルンの森に攻めいり、セイバーが単独で迎撃に向かったというアサシンの報告を受け、これで衛宮切嗣との邂逅を果たせると西側から城を目指した。途中でアインツベルンのマスターとその護衛の女に襲撃され、撃退したのがつい先ほどのことだ。

いかに白兵戦最強のセイバーとは言え、見るからに正義感の強い騎士王が人質の活用方法(・・・・)を熟知しているキャスターを瞬時に切り伏せられたとは思えない。必ず一悶着あるに違いないと踏んだからこそ、綺礼は単独でここまで侵入したのだ。

 

『早いな。何があった?』

『バーサーカーが参戦したのです。人質の幼児を全員護り、セイバーと共闘してキャスターを殺し、先程撤退しました』

『な……!?』

『ッ!我が主、お早く!セイバーが高速でこちらに向かってきます!』

 

思いがけない乱入者の名前とそれがもたらした結果にガツンと思考が揺さぶられる。アサシンの必死の懇願に急き立てられるように身を翻し、振り向きざまにアインツベルンのマスターの腹部と足に黒鍵を投擲する。

 

「きゃあっ!」

 

黒鍵は音もなく白い身体を貫き、女の膝を屈させた。死なないように位置を調節した上での攻撃だ。これで時間稼ぎが出来る。英霊が相手となってはさすがの代行者も勝ち目はない。

全速力でその場を後にしながら、綺礼は事態を整理せんと頭をフル回転させていた。

 

(人質を全員護りきった?セイバーと共闘させてキャスターを倒した?しかも、セイバーとの戦闘はせずにさっさと撤退した?あり得ん。間桐雁夜は、そんなつまらない(・・・・・)人間ではなかったはずだ。奴はもっと歪んで、鬱屈としていなければならない。このような展開は、まったくもっておもしろくない(・・・・・・・)———)

 

「———おもしろくない、だと?」

 

自身の内心の愚痴に愕然として立ち止まる。今まで『愉悦』とは何たるかを探し続けていた自分が、ごく自然に「つまらない」と呟いた。間桐雁夜について仔細をアサシンに調べさせ、バーサーカーを召喚するに至った経緯を知った。その絶望と苦悩から推測していた間桐雁夜の行動と、今回のバーサーカーの行動は、まったく相入れぬものだった。綺礼はそれを「おもしろくない」と思った。

それはつまり———綺礼が『愉悦』とは何たるかを自覚しかけているという証左に他ならない。

 

(『愉悦というのはな、言うなれば魂の形だ。“有る”か“無い”かではなく、“識る”か“識れない”かを問うべきものだ。綺礼、お前は未だ魂の在り方が見えていない。愉悦を持ち合わせんなどと抜かすのは、要するにそういうことだ』)

 

ギルガメッシュの不愉快で理解不能な説法が、やけに生々しく脳裏に再生された。この世の愉悦を知り尽くした英雄王の言葉の意味を、綺礼は少しずつ理解し始めていた。

 

 

‡セイバーサイド‡

 

 

「もう大丈夫。心配いらないわ。他人の怪我に治癒魔術をかけるより、自分の傷を治すほうが簡単なのよ。……そもそも私、人間とは身体の作りが違うから」

「はぁ……」

「もうすぐ切嗣が来てくれるわ。それまでに舞弥さんの傷を出きるだけ治さないと。手伝って、セイバー。私、ちょっと手に力が入らないの」

「はい、アイリスフィール」

 

アイリスフィールが『ホムンクルス』と呼ばれる人工生命の一種であることは知っていたが、ここまで尋常でない機能を持っているとは思っていなかっただけに、セイバーの驚きはかなりのものだった。本当はエクスカリバーの鞘である『全て遠き理想郷(アヴァロン)』を体内に封入しているが故の超回復力なのだが、そのことをセイバーは知る由もない。

 

「マダム、申し訳ありません。不覚を取りました……」

「いいの。あの化け物を相手に生き残っただけでも立派な勝利よ。次は勝ちましょう、舞弥さん」

「はい、必ず」

 

舞弥は身体中の骨を折る重傷だが、意識はハッキリとしている。命に別状はないだろう。もう少し早く自分が窮地を察知できればこのような事態は防げただろうが……バーサーカーが『姫君』というヒントを与えてくれなければそもそも気づかなかったかもしれない。悔しさに思わず歯噛みする。

 

(———待て。何かが、おかしい)

 

セイバーがある違和感に気がつくのと、視界の隅でロングコートが翻るのは同時だった。

 

「アイリスフィール、無事か!?」

「切嗣!私は無事よ。でも舞弥さんが……」

「すいません。言峰綺礼に遭遇し、敗北しました」

「言峰、綺礼……」

 

切嗣が絶句する。空虚で恐ろしい敵が自分を狙ってきたことに恐怖し、戦慄する。

 

「マスター、報告したいことがあります。無論、今まで通り無視したままで構いません。しかし、お耳に入れて頂かなければならないことです」

「セイバー?どうしたの?」

「……」

 

突然のセイバーの申し出に、三者三様の顔で訝しむ。さしもの切嗣も怪訝な顔でセイバーを見やる。「これ以上面倒事を持ちかけるな」という威嚇の目線に、セイバーは物怖じせずに告げる。切嗣には気の毒だが、事態はもっと深刻だということを知ってもらわなくてはならない。

 

「バーサーカーのマスターは、アイリスフィールが私のマスターでないことを知っている」

「「「な……!?」」」

「目的は定かではありませんが、バーサーカーが霊体化する直前、私に『姫君』と言ってアイリスフィールの窮地を教えました。『マスター』ではありません。バーサーカー陣営は、我々の『アイリスフィールを私のマスターと思わせる』という目論見を看破しているのではないでしょうか」

 

セイバーの説明に切嗣の目が全開に見開かれる。見破られるような失態は何一つ犯していない。それを、直接会ったこともないバーサーカーのマスターがすでに見通し、バーサーカーを介してマスターでもない女の危機を警告させたというのだ。

間桐は『始まりの御三家』の一つでもある。アイリスフィールが聖杯の母体となることも知っていておかしくはない。それを踏まえ、間桐雁夜はアイリスフィールを保護させたのだ。

なんという知略だろう。なんという余裕だろう。

衛宮切嗣は、『恒久的な世界平和』という生涯の願いを叶える機会を前に、最悪の強敵を同時に二人も相手にしなければならなくなったのだ。

 

「……セイバー」

「はい、マスター」

 

何かを決意したように顔を上げた切嗣が、初めてセイバーに話しかけた。セイバーは静かに応える。

 

「事情が変わった。君と僕とでは信念も理想も価値観も何もかも違う。だが、協力はすべきだ。違うか?」

「いいえ、仰る通りです。例え相入れずとも、我々は協力しなければならない。そうしなければ、此度の戦争を勝ち抜けない」

「ああ、そうだ。……改めて、これからよろしく頼む。騎士王」

「こちらこそ。これからもこの身はあなたの剣となり、盾となる。共に勝ち抜きましょう、切嗣」

 

互いを決して理解できない人間と知りながらも、二人は固い握手を交わした。間桐雁夜(バーサーカー陣営)という強大な敵を前にして、結束が不可欠であると悟ったのだ。

見つめ合う両者を、アイリスフィールと舞弥は笑顔で見守る。聖杯戦争二日目にしてようやく、セイバー陣営は完全な協力体制を構築するに至ったのだった。

 

 

‡バーサーカーサイド‡

 

 

なんか貧乳アホ毛ちゃんがうっとりした顔で「貴方は……」とか言ってきたので思わず「貧乳!」とからかったらすっごい怒られました。キャスターをけっこう簡単に倒せたからちょっと調子に載っちゃっただけなんだよ。そんなに怒ることないじゃない。そんな器量が小さいから反乱起こされるんだよ!

とりあえず、今頃アイリスフィールがピンチだろうからそっちに行ってもらうようにしました。人妻巨乳美人がピンチとあれば本当は俺が駆けつけたかったんだけど、敵だからそういうわけにもいかないしね。これからもう一つ大事な仕事も残ってるわけだし。

それにしても、変装作戦は大成功だったね。人質の子どもに混じって、セイバーと共闘できるくらいのタイミングで変装を解いてボコってやりましたよ。俺一人で暴れると子どもを巻き込んじゃいそうだから、人手が欲しかったんだよね。セイバーならその辺は任せられるし。合気道の有段者資格もとってて良かったぜ。いつ何が役立つかわからんね、ほんと。

子どももみんな無傷だし、巨大な怪魔が召喚されることもなくなったから、今のところは言うこと無いね。セイバーもライダーも最強宝具の力がその分節約できるから、ギルガメッシュとの対決の際にはより精強な状態で戦いを挑めることでしょう。頑張って欲しいものです。

さーて、それじゃあ、お次はシリアルキラーな人間殺人マシーンを簀巻きにしてやりに行きますか!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‡とある少年サイド‡

 

 

さて、ここで一人の少年の話をしよう。

 

その赤みがかった髪の少年(・・・・・・・・・・)は、キャスターに殺される寸前、すんでのところでバーサーカーに助けられた。

その後、彼は他の子どもたちと同様に、一旦アインツベルン城に収容され、厳重に記憶消去と封印の処置を施されて家に帰された。

だが、彼の魂に刻まれた背中(・・)は決して消えることはなかった。

自分たちのような弱いものを背に護り、邪悪で圧倒的な存在に勇敢に立ち向かう大きく偉大な背中は、心の無意識の部分にしかと刻みつけられていたのだ。

少年は知らずの内に、その背中を目標とし、夢とした。

無限の選択肢を持ちながら、まだ幼いはずの少年はその背中へ続く道のみを歩み始めた。

 

それ即ち———『正義の味方』への道である。

 

かくして、少年は後に人類を救済する英雄となるのだが、その話はまた後日に語ろう。




千葉真一とセガールは凄く仲がいい。たまにセガールから「千葉先生、居てはりまっか?」と電話がかかってくるらしい(セガールは大阪弁を話せるから)。
千葉真一がどんな返事をしてるのかとても気になる今日この頃です。


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2−5 ぅゎょぅι゛ょっょぃ

今回、書いた後に気がついたんですが、ウェイバーとライダーがキャスター工房に駆けつける時期が一日早くなってます(多分)。小説を読み返していてなんか違和感があるなと思っていたらそんな感じでした。原作よりかなり早くサーヴァントが二体も脱落しているので、展開も早くなっているんだとご都合的に考えて下さいませませ。


‡龍之介サイド‡

 

 

「ダンナの霊圧が……消えた……!?」

 

下水道の最奥部、地表からの雨水を一時的に貯留するための広大な空間で、唐突に身を貫いた喪失感に、雨生龍之介が目を見開いて呻いた。

 

「———なーんて、んなはずないかぁ。ダンナが死ぬなんて想像できねえし」

 

龍之介は正式なマスターではない。聖杯戦争どころか魔術への知識すらつい数日前まで皆無だった素人だ。全能の願望機を掛けた凄絶な闘いも、せいぜい『とてもクールで刺激的な遊戯』程度にしか考えていない。だから、自身の手から令呪が消えた意味———サーヴァントの消滅にも気づかなかった。

そもそも、今はそんな些細なこと(・・・・・)など問題にしてはいられない切迫した状況なのだ。

 

(さぁてさて、どうしたもんかなあ、これ)

 

頬を掻く龍之介の目の前には、冷たい壁を背にして怯え竦む数十人もの子供たちの姿があった。彼らは全て、ある崇高で傑作的な創作のために収集された素敵な“材料”たちだ。

質の良いものを厳選し、それなりに数を集めることは大変な苦労が必要だったが、それも完成時の湧き立つ歓喜を想像すれば苦ではなかった。“青ひげのダンナ”によって『大勢の子どもを仮死状態にして完璧に保存しておく』という夢のような方法が実現できたことで、創作の幅は多いに拡がり、壮大なモノへと昇華された。当初の予定は人間オルガンの製作であったが、今考えればそんなものは小さい小さい。せっかくなのだから、もっと大きく荘厳なものを創るべきだ。命の尊さ、素晴らしさ、苛烈さ、生々しさ———人間讃歌をでっかく表現する、超クールな楽器を誕生させるのだ!

 

「そう、人間パイプオルガンだ!!」

 

叫び声に子どもたちがビクリと肩を跳ね上げる。その様子に、龍之介はがっくりと肩を落として意気消沈する。

 

「でも、なんでみんな目を覚ましちゃうんだろうなぁ。これじゃあ、パイプオルガン製作スケジュールは全部パアだよ」

 

龍之介は、人間パイプオルガン製作のために今まで人殺しをずっと我慢して材料集めに四苦八苦してきた。巨大なパイプオルガンの材料を全て子どもに変えるのだから、当然、必要数はかなりのものになる。無駄に消費するわけには行かず、龍之介とキャスターは子どもを攫って来ては仮死状態にして保存し、下水道の奥にずらりと並べていた。

まだ赤ん坊の張りを残す艷めく肌、男にも女にもなりきれていない中性的な骨肉、何よりこの世の不条理を知らない無垢な魂。それらが一つに集合し、楽器へと生まれ変わった時、それが奏でる音色は果たしてどれほどの感動を聞く者の心に呼び覚まさせるのか。きっと想像もできないほどの衝撃に違いない。街中を探しまわって60人ほど厳選し終わった時に流した汗は実に爽やかなものだった。キャスターがそこから30人を連れて行くと言い出した時には思わず涙を流して思い留まるように説得したほどだ(結局連れていかれてしまったが)。

だが、それから間もなくして、キャスターが魔術で仮死状態にしていたはずの子どもたちが突然覚醒したのだ。一人ずつ目覚めさせ、ゆっくりと解体しながらたっぷり時間をかけてじっくりとパイプオルガンの製作に取り掛かろうと考えていた龍之介は非常に焦った。術を解いたキャスターの真意はわからないが、もしもこのまま仮死状態に戻らなかったらスケジュールはとてもハードなものになってしまう。焦ってモノ創りを行うと大抵駄作になってしまうことを経験で理解している龍之介は頭を抱えた。

 

「み、みんな、大丈夫よ。コトネもみんなも、私が守ってみせるから……っ」

「り、凛ちゃん……」

「うん?」

 

搾り出すようなか細い声で、一人の少女が龍之介の前に立ちはだかった。長いツインテールを揺らす、美貌の少女だ。勝気そうな瞳は今にも泣き出しそうで、それでも強い覚悟の色を失わない。夜中に街中を彷徨いていたところを偶然拾ったのでてっきりそこらの家出娘かと思っていたが、どうやらたった一人で友だちを助けに来たらしい。その高潔な魂はきっと宝石のように美しいに違いない。

思わぬ収穫に龍之介の顔面から不安が吹っ飛び、満面の笑みに取って代わられる。

 

「へえ!こりゃあ、いい拾い物しちゃったかな。こういうのなんて言うんだっけ?棚ぼた?よくわかんねえけど、カミサマは俺のことを見捨ててなかったってわけだ!んー……決めた!君はオルガンの飾りにしよう!!」

「ひっ……」

 

自身を値踏みし、吟味する狂気の視線に貫かれ、少女の足がガクガクと震えだす。もはや自分は助からず、生きて家に戻ることはなく、それどころか生きながらに恐ろしいナニカに加工されることを理解して、少女の顔が絶望に染まってゆく。

龍之介が一歩詰め寄ると、ついに少女はぺたんと尻餅をついて後ずさる。己の末路を自覚して淀んだ瞳に浮かぶ涙が、宝石のように美しい。この僥倖には青ひげのダンナもきっと大喜びするだろう。

他の子どもを失ってもこの少女だけは確保しておこうと壊れ物に触れるようにゆっくりと手を伸ばし、

 

「うおっ!?」

 

ぐいと背後から服の裾を引っ張られてタタラを踏んだ。引っ張られる位置からして子どもくらいの背丈だろうが、それにしては力が強い。おそるおそる振り返る。

 

「……わーお。今日はすげえ良い日だ。罰が当たりそう」

 

こちらの少女もまた美しかった。どことなく凛と呼ばれた少女と似通った容貌をしてはいるが、勝気さとは対照的な大人しげな雰囲気を持っている。可憐な美貌は美しく着飾っていることでさらに高まり、首筋から香り立つ蠱惑的な香水の匂いも強すぎず弱すぎず、素晴らしいエッセンスとなっている。この匂いはランバンマリーのオードパルファムだろう。年齢に似合わない大人びたお洒落が、まるで好きな男の子のために必死に背伸びをしているようで、とても愛らしく微笑ましい。紅く輝く双眸も、まるで誘っている(・・・・・)かのようだ。

 

「さ、桜!?どうしてここに!?———あっ!?」

 

少女が身を乗り出して叫ぶのを龍之介は見逃さなかった。さらに愉悦に歪む狂人の表情を見て少女が慌てて口を抑えるが、すでに遅い。

 

「ふーん。そっくりだなと思ったけど、姉妹だったのか。これは運命だね!カミサマから俺へのご褒美だ!」

「お、お願い!妹だけは助けて!何もしないで!」

「だーめ!君たち二人はパイプオルガンの両端を飾るんだから!もう決めたんだ!」

「そんな……。ごめん、ごめんね桜。助けてあげられなくてごめんね……」

 

いい台詞だ。感動的だな。だが無意味だ。龍之介の狂気の前では、幼い姉妹愛など創作熱意の後押しにしかならない。とりあえず、姉の方から出来る限りの保存処理をしようと歩を進め———られない。

 

「……ねえ、君、なんでそんなに力が強いの?」

 

裾を握る小さな手はびくともしなかった。引っ張ろうが身を揺らそうが、一向に揺らぐ気配はない。今度はか細い腕を無理やり引き剥がそうと力を込めるが、まるで歯がたたない。それどころか爪を立てても皮膚に食い込むことすら出来ない。

一見するとヤサ男に見える龍之介だが、伊達に人間を苦もなく何十人も殺したり、警察から逃げ続けているわけではない。服の下には引き締められた筋肉と運動神経を備えている。

だというのに、少女は必死の抵抗にも微動だにせず、じっと龍之介を見上げている。その無表情(スカルフェイス)に、まるで極太の支柱に縛り付けられているかのような感覚を覚えてゾッとする。

 

(ていうか、こんな娘攫ってたっけ?)

 

まったく身に覚えがない。こんな可憐で美しい素材は忘れるはずがない。迷いこんできたのかとも思ったが、下水道の奥にこんな少女が来るはずもない。それに、通路はダンナの使い魔で埋め尽くされていたはずだ。姉を探しに来たにしても、途中で食い殺されていなければおかしい。

 

(なんなんだよ、コレ(・・)は)

 

恐怖も怒りも絶望も宿していない、ただ紅蓮に燃える双眸に射られ、龍之介は生まれて初めて他者を“不気味”だと思った。

 

「ね、ねえ。黙ってないでさ、ナニか言いなよ。な?」

「ぐるる」

「ぐ、ぐるる?ま、まあいいか!」

 

予想していた言葉とはまったく異なるものだったが、それでも反応が返ってきたのは安心だ。相手が同じ人間だとわかれば怖いものはない。龍之介以上に人間を探求(・・)し、知り尽くしている者はいないのだから。

そう、相手が人間ならよかったのだが。

 

「グルルルルル……」

「……え?」

 

雷鳴のように腹底を揺らす低い唸り声。肉食獣のようなその声が少女の口から発せられたと理解するのにはだいぶ時間を要した。

忘我する龍之介の眼前で、黒い濃霧の竜巻を身に纏い、その中で質量を増大させてゆく何者かが少女の皮を脱ぎ捨ててゆっくりと身を起こす。

長身の龍之介をして首が痛くなるほどに見上げなければならない背丈のソレは、つい昨夜にダンナの水晶玉で垣間見た、漆黒のサーヴァント。

 

ジャーンジャーン!!

「ゲェーっ!バーサーカー!!———ひでぶっ!?」

 

ばっちーん!と小気味よい音を響かせ、強烈なビンタが龍之介の頭蓋を揺らした。顔面下部をクリーンヒットしたビンタは頭蓋骨の中で脳みそをシェイクさせ、龍之介から正常な思考能力を呆気なく奪い去る。剣山で殴られたような激痛に視界が明滅し、立つことも儘ならない。ふらりと倒れかけたところへ、さらに腕に激痛が走る。剛腕が流れるように龍之介の腕に絡まったかと思いきや、無理やり背中に捻り上げる。

 

「があああ!!」

 

それ以上いけないと言ってしまいそうな華麗なアームロックに強制的に意識を覚醒させられ、たまらず悲鳴をあげる。人間の域を越えた怪力に、腕と肘と肩がミシミシパキパキと不協和音を鳴らす。しかも絶望的なことに怪力にはまだまだ余裕がある。その証拠にちょっと抵抗する素振りを見せると、

 

バギリ

 

「痛っイイ!お……折れるぅ〜〜〜!!」

 

すでに折られているのだが、そう言わなければいけない気がした。

赤と黒に明滅してブラックアウト寸前の思考で、人間の構造を知り尽くした龍之介は今のは下腕の尺骨が折れた音だと瞬時に聞き分ける。それは腕の骨でもっとも固く、ダメージを負った際にもっとも痛みを感じる骨だ。この化物は、狙って折った(・・・・・・)

 

「てめえ、いったい———うわらば!!」

 

視界の死角から放たれたハンマーのような左フックが横腹を直撃し、人間の急所の一つ———肝臓を貫いた。げふ、と吐血が吹き出る。プロボクサーもかくやと言うべき全体重が載せられたパンチは、食らう側から見ても見事なものだった。今までの痛みなど足元にも及ばない生命活動を阻害するレベルの激痛に、龍之介の身体が強制的に海老反りに硬直する。次いで襲い来る、激しい呼吸困難。金魚のように口をパクパクと開くが、麻痺した内臓は機能せず、酸素が入ってこない。

 

(コレが、狂戦士(バーサーカー)だって?ハハ、冗談じゃない。コレは狂ってなんかない)

 

消える寸前の意識の中、本物の狂人(・・・・・)である龍之介は周囲の認識を嘲笑う。狂気の申し子である自分だからこそ、ひしひしと感じ取れる。コレは、狂気からもっとも遠いところにあるモノだ。狂獣の皮を被った冷徹の戦士だ。

 

「それって、超、クールじゃん……」

 

灼熱の眼光に睨み据えられながら、龍之介は意識を手放した。

 

 

‡バーサーカーサイド‡

 

 

ボクシング習っててよかったね。興味本位でアマチュアボクシングやってたんだけど、まさか夢の中で成果を披露することになるとは思わなんだ。持っててよかったミドル級!今度久しぶりにジムに差し入れ持って行こうかな。でも俺が差し入れ持ってくと減量中のボクサーを太らせちゃうから後で怒られるんだよなあ。

そんなことを考えながら、死なない程度にフルボッコにしたシリアルキラーさんをよいしょと放り投げると、なんか壁のほうで子どもたちがビクビクしだしました。うーん、怖がらせてしまったかもしれん。トラウマになっちゃわないか心配だなあ。なんか愉快なダンスでも踊って場を和ませたほうがいいだろうか?

 

「さ、桜……?」

 

見下げれば、幼女凛ちゃんですよ。まだ小さいね。原作ではコトネちゃんを探しに来たあたりで気絶して雁夜おじさんに助けられるんだけど、どうやらここに連れてこられたみたいだ。殺されてなくて何よりです。急いで駆けつけて正解だったね。子どももみんな無事そうだし。人間パイプオルガンのために溜めておいたってわけだね。これも夢補正だろうか。

 

「ちょっと見ない内に立派に育ったわね。お姉ちゃん参っちゃったわ、あははははは———きゅう」

 

バタンキューしちゃいました。まあ、目の前で妹が巨大な全身鎧に変身したら誰だってそうなる。俺だってそうなる。分かりにくいかも知れないけどジョジョネタだよ!

———おお?なんか雷の音がする。あれはライダーのゴルディアス・ホイールじゃないか?展開が早いな。鉢合わせすると色々まずいので、他の出入り口から出ることにします。ここで戦力を消耗するのは互いにとってよくないからね。この下水道の構造だと、だいたいあの辺に通用口を設けるだろうな。お、あったあった。ふはは、1級土木施工管理技士資格は伊達ではないのだよ。

遠坂ママが探してるだろうし、雁屋おじさんのイベントもあるから、凛ちゃんだけは連れていくことにします。他の子は申し訳ないけどもう少しここで待っててもらおう。

そうそう、シリアルキラーさんは簀巻きにして交番の前に放り投げとくことにします。お巡りさん、後はよろしくね!!

 

 

‡ウェイバーサイド‡

 

 

「どうやら、キャスター討滅は先を越されたらしいな」

「チクショウ、チクショウ……せっかく根城まで突き止めたっていうのに」

 

大急ぎで魔術的な実験で川の水を探ってキャスターの工房を発見し、神威の車輪(ゴルディアス・ホイール)で乗り込んだのがつい先ほどだ。さあどんな防御結界や迎撃魔術が敷かれているのかと覚悟を決めて強襲してみれば、そこは魔術の痕跡が散見されるだけの伽藍堂な空間だった。この残滓は、唐突に魔力と魔術制御が途切れた際のパターンだ。ライダーもそれを感覚で感じ取っているらしい。つまりが、自分たちがここにたどり着いたとほぼ同じタイミングで、どこぞの陣営(・・・・・・)がキャスター陣営を討伐したのだ。

 

「ま、こういうこともあるさ。余は坊主が成果を見せただけで満足よ。人攫いなんぞの首級をとっても楽しくないしな。で、坊主。この小童たちはどうするのだ?」

 

ライダーが振り返る先には、神威の車輪(ゴルディアス・ホイール)の荷台に当る部分に詰め込まれている少年少女たちがいる。とりあえず全員を眠らせているが、記憶の部分消去などという高度な魔術まではウェイバーは出来ない。

 

「教会に連れていこう。そこで保護してもらえばいいさ」

「うむ、あいわかった。ところで、だ」

「ああ、わかってる。———バーサーカー(・・・・・・)だ」

 

空気中に漂う邪悪な魔力に混じる、特徴的な魔力の波動。ウェイバーにも、その黒い霧がどのサーヴァントの魔力残滓かは嫌でも判別できる。その近辺に微弱な魔力を宿す真新しい血痕が残っていることを鑑みれば、ここで何が起こったのかは容易に想像できる。

 

「ついさっきまで、ここにバーサーカーがいたんだ。マスターを狙ったんだろうな。そいつの死体を証拠として教会に持っていけば、晴れて令呪はバーサーカー陣営のものだ」

「そして、残った小童は後から駆けつけてきた我らに丸投げというわけか。ふむ、敵もなかなか策士よな」

「褒めてる場合かよ。後処理を押し付けられたんだぞ」

「ふふん、相手が強ければ強いほど腕がなるというものだ。ハアッ!!」

「……そういうものか」

 

傲岸不遜に笑いながら手綱を鳴らすライダーを横目に、確かにそうかもしれないとウェイバーは心中に呟いた。

バーサーカーという爆弾が放たれたというのに、下水道には破壊の跡もなく、子どもたちにも一切の怪我はない。マスターが無益な被害を抑えたということだ。キャスター陣営をこれほど早急に討伐できたということは、もしかしたら教会が感づく前からキャスター陣営を危険視し、その居所を探っていたのかも知れない。

強大であると同時に、正義感と倫理観も兼ね備えた強敵———。

 

(相手にとって不足なし、ってことかな)

 

敵にまわすのにこれほど相応しい相手はいない。この敵に立ち向かって倒れても、きっと悔いはない。

ウェイバーは生まれて初めて、武者震いに身を震わせた。

 

 

「うーむ。しっかし、せっかく意気込んで来たというのに拍子抜けでスッキリせんなあ。ここは一つ、パァーッと盛大に飲み明かしてみたいもだが———おお、そうだ!」

「……おいィ?」

 

ぽむ、と心得顔で手を打ち鳴らすライダーに、ウェイバーの精神がストレスでマッハとなった。

 

 

‡雁夜おじさんサイド‡

 

 

「……そこにいるのは、誰?」

 

想い人の固い声には、明らかに警戒と敵意の色が見て取れた。そんな声が欲しくてこの戦争に参加したわけではないのに。

心を揺らす衝動をぐっと沈め、雁夜はゆっくりと街灯の光の下に姿を現す。ゾンビのような醜い顔を見られないように、ぶかぶかのウインドブレーカーを目深に被って。そうしなければ人前にも出れない今の自分が、ひどく情けない。

腕の中で眠る我が娘を守ろうと必死にこちらを睨む葵に、最大限の優しい声で話しかける。

 

「ここで待てば、きっと見つけてくれると思ってた」

 

よかった。搾り出した声は、昔のままだ。

 

「……雁夜……くん?」

「……ああ、そうだよ。葵さん。俺は、俺は……」

 

それ以上、言葉を紡げなかった。

何と言えばいいのだろう。聖杯戦争に参加したと正直に告げるのか?しかし、それはつまり———彼女の夫と、凛と桜の父親と、殺しあうということだ。幼なじみと自分の夫が殺し合いを演じているとわかれば、優しい彼女はきっと苦しむに違いない。桜を失い、凛を危険な目に遭わせてしまったことで、彼女はもう十分に苦しんだ。これ以上、負担を掛けていい道理はない。

遠坂時臣に恨みがないとは言えない。むざむざ桜を間桐臓硯の手に委ねた愚行と桜が受けた責め苦の代償を支払わせてやりたい。そうでなければ気が済まない。だが……自分一人の負の感情で、彼女たちの大切な存在を奪っていいのだろうか?俺は本当に、遠坂時臣を殺せるのだろうか?殺すべきなのだろうか?

苦痛にも似た葛藤が雁夜を苛む。言うべきか、言わないべきか。殺すべきか、殺さないべきか。その二択の狭間で雁夜の精神は磨り潰されてゆく。

 

(ぐるる)

(———ああ、そうだな)

 

そっと肩に置かれた手から勇気が流れこんでくる。霊体化していても、冷たい鎧に包まれていても、その手は思いやりに満ちていて温かかった。

 

「必ず、君たちも桜ちゃんも命をかけて幸せにしてみせる。そのために最善の結果を探し続ける。それだけは保証する。信じて欲しい」

「桜?命?……雁夜くん、どういうことなの?あなたは何をするつもりなの?……ま、まさか、あなたこの戦争に……!?」

 

魔術師の妻であるならば、雁夜が纏う魔力や、その背後に佇む人外の存在に感づいても不思議はない。これ以上は顔をあわせておくべきではない。彼女のためにも、俺のためにも。

 

「これでお別れだ、葵さん。俺は君のことを———いや、なんでもない。今までありがとう」

「雁夜くん、待って……!」

 

縋り付くようなか細い声に後ろ髪を引かれながら、それを振り払うように身を引く。

彼女とはもう二度と逢えないだろう。自分はこのまま戦いで命を削って、やがて力尽きるに違いない。だが、せめて彼女たちの———桜の幸せだけは、掴んで逝きたい。

 

「お母さん……」

「ぐるる……」

 

実体化したバーサーカーの腕の中で、桜が啜り泣く。バーサーカーが助けだした凛を葵の元へ返す際、間桐邸に残すのは危険だと思って連れてきたのだが、やめておくべきだった。まだ母親が恋しい年頃なのに、目の前にいるのに会わせてやれない。今葵に会わせるのは危険だし、断腸の思いで桜を手放した彼女に桜の弱った姿を見せるのは酷だと思ったのだ。それは桜に悲しい思いをさせるだけだった。こんなことなら、バーサーカーを残して自分一人で来るべきだったのだ。

雁夜は巨大な罪悪感に押し潰されそうになり、顔を俯ける。

 

「桜ちゃん、ごめん。おじさんは……」

「ううん、いいの。私は大丈夫。おじさんとバーサーカーがいるから。それに……」

「……?」

 

目を真っ赤に腫らした桜が、それでも懸命に笑顔を浮かべる。

 

「それに、おじさんが必ず幸せにしてくれるって約束してくれたから。だから、私は大丈夫」

「……そうだね。約束したんだ。約束は守らないといけない」

 

勇気が奮い立つ。握り締める手に力を込め、決意を新たに雁夜は天を仰ぎ見た。

 

 

 

 

「ねえ、バーサーカー。お母さんにバーサーカーを紹介する時、なんて言えばいいかな?」

「ぐるる」

「そうだね、そう言おうっと!私の未来の———きゃあ恥ずかしい!」

「待て、何と言ったんだ!?」

「ぐ〜る〜る〜(´ε` )」

「教えな〜い、じゃない!!」




余談ではあるが、この事件以降、凛は「桜が、黒桜がぁああ」と苦しげな寝言を漏らすようになったという。


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2−6 グィネヴィアはきっと巨乳美人

‡切嗣サイド‡

 

 

衛宮切嗣は、『騎士』に対して二つの相反する認識を持っている。

一つは、地獄と同義の戦場に武勲や栄光といった煌びやかな装飾を持ち込み、戦いを美化する悪しき風習を持った前時代の戦士という『侮蔑』。そしてもう一つは、超至近距離での白兵戦において、現代の兵士より遙かに優れた戦闘力と判断力を有した接近戦のプロフェッショナルという『敬意』だ。

遠距離・中距離からの銃撃戦が主な戦闘スタイルである現代とは違い、騎士のような職業軍人たちが活躍した時代では、敵は常に交えた剣を挟んで目の前にいた。無線のような兵士間の相互の通信手段もない時代に、自らも必死に剣を振るいながら仲間との連携をとりつつ戦闘を継続することがどれほど困難か、切嗣にも想像すらできない。さらに、現代の指揮官は比較的安全な場所から戦場を俯瞰して指示を行うのがセオリーだが、騎士の指揮官は自らも前線の真っ只中に身を置いて指揮を執る。激闘の中で、彼らは鋭敏な“勘”を獲得したに違いない。

そんな彼らの頂点に実力で持って君臨した『騎士王』の勘であるなら、さすがの切嗣も鎧袖一触するわけにはいかなかった。

 

「だけど、間桐雁夜との同盟(・・・・・・・・)なんて考えられない。そんな顔をしているわ、切嗣」

「アイリ……」

 

妻に心中の葛藤を見事に言い当てられ、切嗣は思わず苦笑を浮かべた。

間桐雁夜という強大な敵が現れたことで、絶対に相容れないと決めつけていたセイバーとの絆が深まったまでは良かった。サーヴァントは通常の使い魔とは異なり、自立した意思を有する強大な英雄だ。例え戦闘スタイルに決定的な認識の違いがあろうと、友好的な関係を構築しておくに越したことはない。だが、関係を深めた直後に、「間桐雁夜との同盟」という案をセイバーが提案してくるとはまったくの予想外だった。

 

(『マスター。もしかしたら、バーサーカー陣営は手を組むに相応しい者たちやもしれません。どうか、ご一考願いたい』、か。難しいことを平気で言ってくれるよ)

 

冗談の欠片も感じられないセイバーの真顔を思い出し、切嗣は深くため息を吐いて指先でタバコの箱を弄る。吸いたい気分ではあるが、妻はこの臭いをあまり好まない。

体内の全て遠き理想郷(アヴァロン)によって言峰綺礼に受けた傷は完治しているとは言え、サーヴァント二体の魂を受け入れたことで『器』であるアイリスフィールには多大な負担がかかっているに違いない。これ以上、彼女に負担をかけたくはなかった。

 

「……セイバーの言うとおり、確かにバーサーカーは力をセーブしていた節がある。事実、人質の子どもは全員無傷だ。キャスターを討滅した後は、昨夜にあれほど激しい攻撃を仕掛けたセイバーを放置し、君を助けさせてさっさと帰投するときた。扱いづらいバーサーカーを離れた場所からこうも従順に動かせるとは、さすがは間桐の隠し玉だよ」

「自分の本心から目を逸らすなんて貴方らしくないわ、切嗣」

 

優しく窘められ、切嗣は再び苦笑する。まったく、彼女には敵わない。

 

「わかったよ、降参だ。認めるよ。僕も、間桐雁夜は同盟を組むに足るやも知れない、と思い始めてる」

「ふふ、やっぱり」

 

アイリは切嗣とセイバーが意思を共有していることを素直に喜んでいる。

そう。間桐雁夜の行動は、限りなく優しい(・・・)のだ。常に迅速、的確に動き、犠牲は最小限に抑えている。今晩だって、セイバーがキャスターの迎撃に向かっている間に、バーサーカーを切嗣に差し向けなかった。アインツベルン城の領地深くまで探知されずに侵入できる手段を持ち、アイリスフィールがセイバーのマスターでないと看破していたのなら、そうすることがもっとも賢い選択だった。『最大の効率と最小の浪費で、最短の内に最善の成果をあげる』という冷徹な信条を持つ切嗣が同じ立場にあれば、迷わずそうしただろう。しかし、間桐雁夜はそうはせず、もっとも優しい選択を選び、完遂したのだ。

「話せば分かる」「平和は話し合うことで手に入る」などという空虚な理想に何の意味もないことを切嗣は完璧に理解している。人間は何時まで経っても自浄作用を持ち得ない。『正義』などどこにも存在せず、互いに殺しあって死体の山を積み上げ続けるだけだ。だからこそ、『聖杯』という外部からの圧倒的な力でもって平和を強制(・・)しなければならない。世界そのものを改変し、争いをやめないヒトの魂に変革をもたらす。切嗣の『恒久的な世界平和』という願いは、そうすることでしか実現し得ない。

……そう、思っていた。

 

(———だが、間桐雁夜となら、願いを共有することは可能かもしれない。彼が聖杯にかける願いがどのようなものかはまだわからないが、もしかしたら彼の願いも優しいものなのかもしれない)

 

なるほどそういうことなら、一度話をしてみるのも良いだろう。間桐の老人のことは些か気掛かりではあるが、この戦争に介入する気配がまったくないところを見ると、間桐家の虎の子である雁夜に全てを一任した可能性もある。手を組む余地があるのなら、争って力を削り合うより協力した方が遙かに効率的だ。最優のセイバーとダークホースのバーサーカーが組めば、勝利への道は大きく開ける。それはキャスター討伐時の二騎の見事な連携を鑑みても明らかだ。遠坂の黄金のアーチャーも、二騎で挑めば勝利の確率はずっと上がる。

 

「皮肉なものだね。人は話し合いなどでは分かり合えないと諦観してこの戦争に参加したというのに、まさかその戦争で話し合いの可能性を模索することになるとは」

「切嗣……」

 

つい自嘲気味に呟いた切嗣の腕を白い手が労るように優しく撫でる。余計な負担を負わせたくないと思っていながら、結局心配をかけてしまっている。やはり自分は不出来な夫だ。

切嗣は慌てて話題を変える。

 

「僕のことはいいさ。どの道、間桐雁夜の調査はやり直すつもりだったんだ。彼の意思を直接確認できるのは今後のためにもなる。問題は、セイバーだろう」

「セイバー?彼女がどうかしたの?」

 

アイリがきょとんと目を丸くする。話題の転換は成功したようだ。内心でほくそ笑みつつ、切嗣は自身も疑問に思っていることを口にする。

 

「セイバーにも聖杯に託す願いがある。もちろん、バーサーカーとなった英霊にもだ。聖杯を求めるからこそ、召喚に応じたんだからね。願いを求める英霊は二人、聖杯が叶えられる願いはたった一つ。もしも間桐雁夜と僕の願いが共通していて同盟を組んだとして、果たして彼らの願いも一致しているなどという偶然があるだろうか?間違いなく、どちらかが願いを諦めることになる」

 

生前の真名がアーサー王であるならば、セイバーの願いはおそらく祖国の滅亡の阻止だろう。理想の王を体現せんとする高潔な彼女は、是が非でもそれを実現させたいに違いない。そして高潔だからこそ、違う願いを求め、最後に必ず殺しあわなければならない相手に背を預けることは難しいはずだ。だというのに、なぜセイバーはバーサーカー陣営との同盟などと言い出したのか?

 

「———その心配は無用だと思います、マスター」

「ひゃっ!?」

 

セイバーが扉を開け放ちざまに告げる。切嗣には、偵察を終えたセイバーの規則正しい足音が近付いてくることが察知できていたが、身体機能が低下しているアイリスフィールには寝耳に水だった。驚かされたことに少し腹を立てたアイリスフィールがセイバーを軽く睨む。

 

「セイバー、盗み聞きかしら?」

「い、いえ。そういうわけではありません。近づくに連れてお二人の会話も聞こえただけです。決して盗み聞こうなどというつもりは……」

「ふふ、わかってるわよ」

 

イタズラが成功した子どものように微笑むアイリスフィールに、セイバーがほっと息をつく。こんな和やかなやり取りを間近で見られるとはつい数刻前までは想像もつかなかった。

 

「それで?心配が無用とはどういうことだ、セイバー。また“勘”が働いたのか?」

「“直感”と言って頂きたい、マスター」

 

セイバーの直感スキルは極めて鋭い。騎士王の第六感は、未来予知にも等しいレベルにまで高められている。その直感が、「心配するな」と言っているらしい。

 

「バーサーカーとの共闘の最中、感じたのです。もしかしたら彼とは分かり合えるかも知れない、と」

「えっ?でも、セイバーの願いは———」

 

セイバーの願いは王国滅亡の阻止だ。その願いとバーサーカーの願いは妥協点を探れるほど近しいという。つまり、それが意味することは。

 

「バーサーカーの正体に心当たりがあるのか?」

「……あった、という方が正しいでしょう。たしかに()に似ていると思いましたが、しかし確証は掴めない。バーサーカーになるような人物ではなかったし、あ、あのような罵倒をしてくる人物でもなかった」

「やっぱり、貧乳とかアホ毛とか言われたの気にしてるんでしょう?」

「フシャーッ!!」

「きゃあ噛み付かないでごめんなさい!」

「こらこら」

 

アイリを背中に隠してドウドウとセイバーを落ち着かせる。こういう感情的な仕草は見た目相応に子どもっぽい。セイバーの思わぬ一面を見たことでつい口元が緩みそうになる。騎士に対して憎しみすら抱いていたはずなのだが、こういう親しみげのある姿を見せられるとそれも揺らいでしまう。

 

「マスターどいてそいつ噛み付けない」

「噛み付いちゃダメだ。ほら、台詞の続きを」

 

む、と正気に戻ったらしいセイバーがこほんと軽く咳をして仕切り直す。

 

「私が思っていた人物とは違うでしょう。しかし、私の直感は未だ最初の結論を覆していない。バーサーカーとは分かり合える。私は私の直感を信じ、彼を信じることにします。子供らを護った彼なら、信じるに値する」

 

雄弁に語りかけてくるセイバーの瞳に映るのは、正面にいる僕ではない。セイバーが駆けつけた時、子どもたちを背にして敵に立ち向かっていたという、バーサーカーの勇壮たる背中だ。

直接見たわけではないのに———その光景を想像して、興奮にも似た震えが全身を走る。その背中こそ、かつて僕が憧れた『正義の味方』の姿そのものだからだ。

 

(優しいマスターと正義の味方のサーヴァント、か)

 

心中に呟いた瞬間、身体の芯に熱い痺れが灯る。失ったはずの温もりが心のどこかから溢れてくる。これは『憧憬』だ。もしも自分がかつての誓いを失わなければ、彼のようになれたのではないかという羨望だ。とっくに失くしたものと思っていたのに、いったいどこに隠れていたのか。

気づけば、僕はセイバーの言うことを信じてみたくなった(・・・・・・・・・)

 

「わかった。では、間桐雁夜に同盟の話を持ちかけてみよう」

「感謝します、マスター」

「どうやって接触するの、切嗣?」

「『キャスターを討伐した陣営には令呪の一画を進呈する』。今回、キャスターを討伐したのはセイバーとバーサーカーだ。教会には使い魔を通してすでにその旨を伝えている。間桐雁夜も同じ事をしているだろう。神父としては互いの話の整合性を確かめるために僕らを同時に呼ぶはずだ。その際に、同盟の話を持ちかければいい」

 

僕の言葉にセイバーとアイリスフィールがなるほどと頷く。教会で同盟の話を切り出せば、当然その話は遠坂時臣に届く。———その背後に潜む、言峰綺礼にも。

同盟が成立すれば、彼らは今までより遙かに動きづらくなる。セイバーに挑めば背後からバーサーカーに襲われ、バーサーカーに挑めばその逆になるのだから。遠坂は持てる全ての手駒を手元に置いて必死に差配しなければならなくなるだろう。それはつまり、遠坂の手駒たる言峰綺礼の暗躍を抑止することにも繋がるのだ。

 

(言峰綺礼。お前が何を考え、行動しているのかはわからない。だが、思い通りにはさせないぞ)

 

聖杯への道を阻む大敵———アイリスフィール()を深く傷つけた男の冷え切った容貌を思い描く。

ギリと拳を握りしめて仇敵への警戒を強める切嗣の背を、アイリスフィールが緊張を解すようにそっと撫でる。それでもきつく強張ったまま沈黙する背中に、今度はアイリスフィールが苦笑を浮かべた。切嗣がアイリスフィールのために怒っていることを理解したからだ。

振り返れば、セイバーも彼の背中を見て同じ笑みを浮かべている。

セイバーは、衛宮切嗣の在り方を少しずつ理解し始めていた。理想を追い求める過程で他者への慈しみを失くしてしまった非情な殺人機械。それでも、誰よりも優しくありたいと願う夫であり父親。それが、衛宮切嗣という悲しい男の正体だ。

切嗣の背中を見つめるセイバーの瞳には、憐憫も同情も見られない。今までの不信や懐疑は薄れ、道を違えども同じ志を目指す者への『共感』の芽が咲き始めている。

夫とそのサーヴァントに良き協力関係が芽生え始めていることに安堵したアイリスフィールが、沈黙を破ってセイバーに疑問を投げかける。

 

「ところで、セイバー。ちょっと聞きたいのだけれど」

「はい、なんでしょう。アイリスフィール」

「『バーサーカーの正体に心当たりがあった』って言ってたわよね。その心当たりって——— うあっ!?」

「アイリスフィール!?」

「くっ!?この音は……!!」

 

「いったい誰のこと?」と続けようとして、失敗した。夜のしじまを切り裂く轟音がアイリスフィールの魔術回路に強烈な負担をかけ、言葉を紡ぐことを許さなかったからだ。

彼女の悲鳴と同時に轟いた、城全体を揺るがす雷鳴(・・)

 

「……奴らだな」

「はい。間違いなく、ライダーでしょう」

 

雷撃を纏う神牛の戦車———神威の車輪(ゴルディアス・ホイール)を駆る、征服王イスカンダル。

彼がその強大な対軍宝具で持ってあらゆる結界や魔方陣を破壊しながらアインツベルン城へ侵攻してきたために、敷設している術式と魔術回路をリンクしたアイリスフィールに擬似的なダメージが流れ込んだのだ。

あの戦車の圧倒的な破砕力に攻め込まれれば、舞弥とアイリスフィールという負傷者を抱えたこちらは苦しい戦いを強いられる羽目になる。戦いの展開を冷静にシミュレートした切嗣は即座に『撤退戦』を選択した。

 

「セイバー、迎撃しろ。時間稼ぎでいい。僕は舞弥とアイリを連れて撤退する。撤退先はもう決めてある」

「わかりました。後で追いつきますので、どうかアイリスフィールを———」

「待って、切嗣、セイバー。私は大丈夫よ。ちょっと不意を討たれただけ。まさか、ここまで無茶なお客様をもてなすとは思ってなかったから」

 

余裕を装った表情に汗を滲ませ、アイリスフィールが苦しげに二人の台詞を遮った。

 

「さっさと逃げ出すような陣営と同盟を組むほど間桐雁夜は甘く無いわ。せっかくキャスターを無傷で倒せたんだもの、ライダーを退けるくらいはやってのけないと同盟に相応しいと認められない。そうでしょう?」

 

額の汗を拭い、アイリスフィールがすっくと立ち上がる。その顔からは疲労の色も拭い去られていた。ホムンクルスの生態調整機能を全力使用した彼女は、見た目は万全そのものだ。これならば、セイバーのマスターとして充分に振る舞えるだろう。それが後々どれだけ彼女を蝕む無茶な行為であるのかと思い巡らし、セイバーと切嗣は視線を交差させると小さく頷きあう。

 

「……貴方はもっとご自愛すべきだ。ですが、今は付き合っていただきましょう。なるべく私の傍を離れないように」

「望むところよ。いいわよね、切嗣?」

「君が実は世界随一の頑固者だということは、この世で僕が一番わかっているつもりだよ。セイバー、アイリを頼んだ。令呪で支援が出来るように僕も後方から君たちを見守る」

「御意に。必ずやライダーを討ち果たし、奥方を無傷のまま帰還させましょう。さあ、アイリスフィール」

「ええ。行ってきます、切嗣」

「ああ」

 

アイリスフィールとセイバーがいざライダー迎撃へと走り去るのを見届け、切嗣も鋭い動きで踵を返す。一刻も早く舞弥を安全な場所に退避させ、自分も望遠スコープで戦場を俯瞰するために。

 

「舞弥、ライダーが攻めてきた。動けるか?」

「むにゃむにゃ……ケーキが一枚、ケーキが二枚……」

「くっ!やはりまだ傷は深いか……!」

 

アイリスフィールによって回復魔術は受けたはずだが、意味不明なうわ言を繰り返す緩みきったその表情はいつもの研ぎ澄まされた舞弥と似ても似つかない。アイリスフィールが聖杯の器として機能し始めているため、回復魔術の効果が薄れているのかも知れない。ヨダレを垂らす舞弥を抱きかかえ、アインツベルンの隠し小城まで通じる地下通路に飛び込む。距離も十分に離れ、厳重な隠蔽結界に囲まれた小城の頂上からならば、アインツベルン城のほぼ全てを敵に見つかること無く見渡せる。

暗く長い通路を駆け抜けながら、切嗣はある疑念を抱き始めていた。

 

(バーサーカーの撤退と入れ替わるようなライダーの攻撃……いくら何でもタイミングがよすぎる)

 

なぜ、自分とセイバーを無傷のまま見逃して撤退したのか?なぜ、助けた子どもたちをこちらに放任したのか?

それは、ライダーをけしかけることでこちらの実力を計ろうとしているからではないか。こちらが子どもたちを悪く扱わないと信用しているからではないか。

『バーサーカーとは分かり合える。私は私の直感を信じ、彼を信じることにします。子供らを護った彼なら、信じるに値する』『さっさと逃げ出すような陣営と同盟を組むほど間桐雁夜は甘く無い』という二つの台詞が脳裏を過る。

 

(僕たちは同盟を組むに足る陣営かどうか、試されている(・・・・・・)のかもしれない)

 

あえてセイバーと共闘という形でバーサーカーを運用してみせたのが“二騎の同時運用の実用性を確認するため”だったのなら、話の筋は通る。

 

(間桐雁夜もまた、僕たち(セイバー陣営)との同盟を模索している……?)

 

遠坂のアーチャーにはサーヴァント単騎で挑んでも勝利は難しい。それは切嗣も不安に思っている。間桐雁夜も同じように考えたのなら、『同盟』という一つの解に辿り着くのは道理だ。セイバーの直感スキルは、バーサーカーを介して彼の意思に反応したのかもしれない。切嗣はそれを考えすぎだとは思わない。あの老獪な策士を前にして、考え過ぎなどということはない。

通路を抜けて小城の隠し扉からバルコニーに躍り出るとそのまま滑るように階段を駆け上がり、屋上に身を晒す。床に伏して狙撃用のスコープを覗けば、玄関ホールを囲むテラス内でTシャツ姿のライダーとそのマスターがセイバーたちと睨み合いをしている最中であった。ライダーはなぜか酒樽を担いでおり、防御は手薄だ。この距離であればライダーのマスターの狙撃は可能だと判断した切嗣は安全装置に指をかけ、しかし解除を思い留まる。アイリスフィールに持たせた小型無線機から聞こえるライダーの声には、戦意が見られなかったからだ。

 

『剣を交えるのが憚られるなら杯を交えるまでのこと。騎士王よ、今宵は貴様の“王の器”をとことん問い質してやるから覚悟しろ』

 

(……なるほど。王同士の“聖杯問答”ってわけか。あの豪胆なライダーらしいな)

 

ライダーのマスターの表情を窺えば、帰りたくて仕方が無いと言わんばかりにウンザリと意気消沈している。少し気の毒だ。

 

『面白い。受けて立つ』

 

ライダーの挑戦に毅然と応じたセイバーの横顔は戦場に挑むのと変わらない凛冽さに冴えている。ここは彼女に任せるべきだろう。余計な手出しは無用だ。それに、もしも昨夜の倉庫街でのように間桐雁夜がこの状況をどこかから覗きみているのだとしたら……彼もきっと、この問答の行く末に興味が有るはずだ。

 

「頼むぞ、セイバー」

 

口内で呟くと、切嗣は事態を見守ることに専念した。

 

 

 

 

 

「……むにゃ、ケーキが九枚……一枚足りない〜」

「……空気を読んでくれ、舞弥」

「えっ?ケーキ!?」

「く!う!き!」




舞弥さんは隠れ甘党でケーキバイキング大好きだという裏設定があるらしいので使いますた。
明日の仕事に差支えがあるとまずいので今日はここまでで止めときます。8月中には最新話を完成させたいです。皆さんが想定している面白さをさらに超えられるようにしたいです。


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お茶濁しという名の伏線と主人公の設定的なナニカ

タイトルそのまんまです。ちょっとした伏線がありますが、読んでも読まなくてもそれほど本編に関わりはないとです。ヒロシです。
設定に関して色々ツッコミを頂いております。勉強不足と言うかリサーチ不足と言うか知識不足と言うか……申し訳ない。


‡雁夜おじさんサイド‡

 

自分は確かにこの眼と耳で眼前の光景を認識しているはずなのに、肝心の己の身体を認識できない。手足を動かそうとしても反応が返ってこない。透明人間以下の希薄な存在だ。言うなれば、“空気人間”になってしまったかのようだ。

ただ視覚と聴覚だけが宙に浮いているような現実では絶対に有り得ない感覚に、今ここには存在しないはずの頭が混乱する。

これは夢だ。夢に違いない。刻印蟲に蝕まれすぎて、ついに分けのわからない夢を見るようになってしまったのだ。

 

「王よ、あなたは人の心がわからない!どうしてわかってくださらないのですか!」

「貴方こそわかってくれ!サー・■■■■■■!」

 

ローマ風建築の広大な広間に、二人の男の声が木霊した。

王座から立ち上がって必死の形相で叫ぶのは、見目麗しい若武者だ。男の姿をしているが、磨き上げられた剣のように冴え渡った美貌と存在感は今回の聖杯戦争のセイバーに似ている。身を包む白銀の鎧、背に纏う群青色の豪奢な外套、頭上で輝く荘厳な王冠は、彼がかなりの地位にある人物———“王”であることを教えてくれる。

そんな王に向かって下座から食ってかかっているのは、こちらも素晴らしい造形をした美貌の青年騎士だ。男すら思わず見蕩れずにはいられないその顔貌を一言で表現するなら、王を『繊細な美剣』とすればこちらは『無毀の剛剣』と言ったところだろう。漆黒の無骨鎧もそれを強調している。決して揺るがぬ強靭な精神力の持ち主に違いない。

しかし、その精神力を持ってしても妥協し得ない事態が彼と王の間に発生しているらしい。現に、今も彼らの言い争いは続いている。

 

「▲▲▲▲▲は私にとって何物にも代えられぬ存在!こればかりは到底譲ることはできませぬ!」

「しかし、民草はそれを容認すまい!他ならぬ貴方と▲▲▲▲▲の不義はすでに知れ渡ってしまったのだぞ!」

 

なぜか、聞き取れない箇所がある。聞き取りにくいのではなく、完全に遮断されている。まるで報道規制が入っているかのようにその部分だけ無音になるのだ。自分が聞くべきことではない、ということか。それとも、そこだけエラーになってしまっているのか。或いはその両方か。

周囲を見渡せば、円卓を囲んで二人の激しい口論を困惑の表情で見守る10人の騎士たちがいる。風格を備えた鎧に身を包み、それぞれ見事な拵えの剣を携えているくせに、おろおろとして互いに目を見合わせるばかりだ。どうやら彼らにとっても、二人がここまで火花を散らすことはかなり珍しいことらしい。

 

「———王よ。貴方にお分かり戴けぬというのなら、私は今この時を持って貴方の下を去ります」

「な……」

「ま、待て、サー・■■■■■■!冷静になれ!」

 

ついに激昂を通り越した青年騎士の静かな台詞に、王が絶句する。二階分の吹き抜けの広間が一瞬で凍りついた。筋骨隆々な騎士がひどく狼狽して制止の声を上げるが、青年騎士は俯いたまま反応しない。彼は覚悟を決めたのだ。

 

「サー・■■■■■■……貴方は、貴方はそこまで……」

 

王が苦悶に顔を曇らせる。どうあっても青年騎士の意思を変えることはできないと理解したらしい。是認か決別か、王は大きな決断を迫られた。

彼が答えを下すまでに要した時間は、わずか数秒にも満たなかっただろう。

 

「———わかった。▲▲▲▲▲との婚姻を認めよう」

「……!!」

「元々、私も罰するつもりなどなかったのだ。原因を作ったのは他ならぬ私であるのだから。貴方にそこまでの覚悟があると言うのなら、私はそれを尊重しよう。後のことは気にするな。好きにするといい、サー・■■■■■■」

「おお……!!我が王よ、感謝致します!!私も▲▲▲▲▲も、生きている間も死んだ後も、永遠の忠誠を貴方に捧げまする。例え———」

 

決別を覚悟して沈鬱に染まっていた青年騎士が歓喜に顔を跳ね上げる。まるで初めて太陽の輝きを浴びたかのような晴れやかな笑顔を向けられ、王は苦笑する。はち切れる寸前だった空気が和らぎ、騎士たちも安堵の溜息を漏らした。彼らの心境を現すかのように、王の背後のステンドグラスから陽光が差し、円卓を黄金に輝かせる。ステンドグラスに描かれたのは、色鮮やかに煌めく『聖杯』。

そこで初めて、この光景がいったい何を元に創られたものなのかを察することが出来た。

6世紀の中世ヨーロッパに見られる洋風の城、円卓に座る王と騎士たち、王と一人の騎士の争い、そして聖杯。間違いなく、『アーサー王伝説』だ。

しかし、伝説通りならこの王と青年騎士は決別し、騎士たちは敵味方に分かれて戦争を始めるはずだ。こんなハッピーエンドには終わらない、悲劇の物語として語り継がれている。この夢は、こうあって欲しかった(・・・・・・・・・・)という誰かの願いから創られたものなのかもしれない。

この状況で、もっともハッピーエンドを望んでいた人物は……

 

「例え、これが私の都合のいい夢にすぎないとしても……」

 

そう呟かれた声は、ひどく枯れ果てていた。絶望、後悔、悲哀、憤怒。あらゆる負の感情を内包し凝縮された呟きの源を注視すれば、漆黒の甲冑の青年騎士と目が合った(・・・・・)

これは彼の夢だ。理想の担い手であるが故に苦悩し、非業の最期を遂げざるを得なかった『完璧な騎士』、■■■■■■が渇望し、何度も夢見た心象風景だ。

それに気付いた途端、世界が急激に白く染まっていく。城も王も騎士たちも消え失せ、残ったのは悲しげな表情を浮かべてこちらを見つめる青年騎士だけだ。水面に急浮上するように意識が覚醒に引っ張られる中で、青年騎士の声が遠く響く。

 

「雁夜殿。貴方方が勝利を掴むことを心より願っている。狂化した私では決して手に入れられない幸せを、()と共に掴んでほしい。私に出来ることがあるかはわからないが、私も全身全霊を尽くして勝利に貢献する所存だ」

 

意味不明な台詞に戸惑う俺の目の前で、青年騎士がおもむろに兜を取り出す。騎士の頭を覆ってゆく漆黒のフルフェイスヘルメットには見覚えがあった。そうだ、その黒鉄の全身鎧も、まるでアイツ(・・・)のようじゃないか。

 

待ってくれ!お前は、お前の正体は、まさか—————

 

 

………

 

……

 

 

 

「———あ、おじさんの方が先に起きた」

「………桜、ちゃん?」

 

いつの間に居眠りしてしまったのか。突っ伏していた半身を持ちあげれば、桜が愉快そうに微笑んでいた。やはりさっきのは夢だったようだ。それにしてはリアルで不思議な夢だった。

 

「見て、おじさん。バーサーカーも居眠りしてるよ」

「え?」

 

視線を隣に流せば、同じように机に突っ伏したまま居眠りをしているバーサーカーがいた。居眠りをするサーヴァントとは何ともシュールだ。丸まったその背中には緊張感の欠片も感じられない。どことなく、野生本能を失って呑気に欠伸をする動物園の獅子を連想させる。そのアホみたいな後ろ頭をペシンと引っぱたいて起こしてやろうとして、先ほどの夢を思い出した。サーヴァントとマスターはレイラインによって繋がっているから、極稀に記憶や夢の混濁が起こるとは聞いたことはあるが……。

 

(……まさか、なあ)

 

■■■■■■の中身がこんな奴になるとは思えない。というか信じたくない。伝説の騎士様がおかゆや味噌汁を作ったり、庭いじりを趣味にしてたりするはずもないのだし。

小さく頭を振って妄想を捨て去ると、兜の後頭部を思い切りひっぱたく。

 

「こら!お前が居眠りしてどうするんだ!」

「……うご?うごご……?(´ε` )」

「お前なあ、居眠りするサーヴァントなんてきっと前代未聞だぞ!?大食いのサーヴァントくらい有り得ないっつーの!!たまには見張りくらいして———……おい……」

「また寝ちゃったね。きっと疲れてるんだよ。もう少し寝かせておいてあげよう。それに、なんだかとっても可愛いよ」

「うごご……(-ω-)zzZ」

「はぁ……。あと30分経ったら起こすから、ちゃんと起きるんだぞ」

 

深い溜息をついて蟲を警戒行動に移らせる。マスターを働かせて居眠りするとはいい根性をしていやがるとは思うものの、いつも世話になってるのは事実なのでたまには眠らせてやるくらいはいいかもしれない。

 

(こいつが伝説の騎士なんて絶対ありえないな。変な夢見たもんだよ、まったく)

 

眠りこけるバーサーカーの頬を楽しそうに突付く桜を横目にしながら、俺は先程までの勘違いと共に夢の内容もすっぱりと忘れ去ることにした。

 

 

 

 

 

 

【憑依ランスロットの設定】

 

Fラン大学に通う資格マニアのなんちゃって大学生が第四次聖杯戦争のバーサーカーに憑依した結果誕生したシリアスブレイカー。

主にユーキャンで資格を取得しまくるのが趣味。それが功を奏し、参加した第四次聖杯戦争を優位に進めることが出来るようになった。様々な資格を取得できる程度には頭はいいが、趣味に傾倒しすぎて大学進級が危ぶまれている有様を見るとやはり頭は悪いのかも知れない。

雁夜おじさんを救済すべく奮闘するが、見た目とのギャップがあり過ぎて周りから懐疑の目で見られ、それが雁夜おじさんへの様々な勘違いや思惑を引き出すことになる。しかし本人は至ってマイペース。

実は作者に一番軽んじられているキャラクターだったりする。ぐるる。

 

 

【マスター】間桐雁夜

【クラス】バーサーカー

【真名】ランスロット(憑依)

【属性】中立・狂

【ステータス】筋力A 耐久A 敏捷A+ 魔力D 幸運A+ 宝具A+

 

 

【クラス別スキル】

狂化:C−

本来、幸運と魔力を除いたパラメーターをランクアップさせる代わりに、言語能力を失い、複雑な思考ができなくなるスキルだが、憑依によって思考の鈍化と言語能力の喪失のみにおさまっている。

 

 

【固有スキル】

対魔力:E

 

精霊の加護:A

 

無窮の武練:A+

 

無窮の資格(ユーキャン):B+

英雄ランスロット(に憑依した主人公)が、日々の生活を快適に送るべく、その身に染み付くほど通信教育の訓練を受けて固有スキルにまで昇華したもの。炊事、造園、建築、護身術等の該当するスキルにおいて、Bランク相当の習熟度を発揮できる。

 

【宝具】

騎士は徒手にて死せず(ナイト・オブ・オーナー)

ランク:A++ 種別:対人宝具 レンジ:1 最大捕捉:30人

手にした道具に自らの宝具としての属性を与える。どんな道具であろうともランスロット(憑依)が手にした時点でDランク相当の宝具となり、元からそれ以上のランクに位置する宝具であれば、従来のランクのままランスロット(憑依)の支配下に置かれる。

無窮の武練と組み合わせることであらゆる武器を使いこなす達人に、無窮の資格と組み合わせることで人間国宝や職人レベル、レストランで言えば五つ星レベルの腕前となる。日々の生活はもちろんマスターの体調管理や思わぬバタフライ効果を呼び起こす。

 

己が栄光の為でなく(フォー・サムワンズ・グロウリー)

ランク:B 種別:対人宝具 レンジ:0 最大捕捉:1人

変身能力。マスターの透視力をある程度阻害すると共に、他者に変身する機能を持つ。

 

 

sarayaさん、縞瑪瑙さんによる文章提供でお送りしました。お二人に感謝です!




ランキング一位になりますた!皆さんありがとうございます!!


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2−7 時臣さんは紅茶飲むとき顎鬚も一緒に飲んじゃわないの?

アゴヒゲの人用の紅茶カップが大昔に発明されてるらしい。


‡綺礼サイド‡

 

 

『綺礼サマ〜、アーチャーがライダーとセイバーに合流しましたよ。えーと、座り込んで酒盛りに加わろうとしているように見えるのですが———あ、自分から酒を提供してますよ。こりゃ完全に飲む気マンマンですねあの金ピカ。はは、ウケるwww』

 

女アサシンからの念話報告に若干の苛立ちを感じつつ、こめかみを押さえた綺礼は報告を端的に訳して通信機に吹きこむ。

 

「アーチャーが聖杯問答に加わったようです。自ら酒も提供したと」

『よりにもよって、酒盛りとはな……』

 

もう何度目かわからない遠坂時臣のため息が通信機から漏れる。生粋の魔術師である彼には、ライダーの破天荒な言動は受け入れがたいものらしい。さらに、そこに己のサーヴァントまで加わったとあれば、果たして彼の苦悩は如何なるほどなのか。

弟子であるのなら、内心の動揺が透けて見える師を労る素振りくらい見せるべきなのだろうが、綺礼にもその余裕はなかった。件のイレギュラーの突然の介入によって衛宮切嗣と接触するという計画が頓挫し、つい先ほど這々の体で帰還を果たしたばかりだからだ。目論見を邪魔された上に、帰還と同時に城での酒盛り開催である。ため息をつきたいのはこっちの方だと綺礼は不快そうに眉根を寄せた。楽しみを邪魔されたと言わんばかりの苦々しい表情だ。彼が感情らしい感情を表に出すことは珍しいのだが、生憎と今は独りきりなのでそれを驚く者はいない。

 

「アーチャーは放置しておいても構わぬものでしょうか」

『仕方あるまい……。王の中の王にあらせられては、突き付けられた問答に背を向けるわけにもいかんだろうからな』

 

ライダーがアインツベルン領の結界を破壊してくれたおかげで、アサシンは王たちの問答を盗み聞ける距離まで近づくことができた。アサシンが見聞きした情報は綺礼を経由して時臣にほぼリアルタイムで伝えられている。

今夜の聖杯問答は武力が行使される気配はないという綺礼の報告に、時臣は安堵していた。切り札の宝具の全体を知られることさえなければ酒盛りくらいは目を瞑るべきだ、と時臣は己のサーヴァントの使役をほとんど諦めている節がある。どうせ何言ってもはいはいワロスワロスで片付けられるのだし、最後に令呪で自決さえさせられれば良いのだから、それまでの辛抱だと腹を括ったのだろう。

 

『ところで、綺礼。ライダーとアーチャーの戦力差……君はどう考える?』

「ライダーに神威の車輪(ゴルディアス・ホイール)を上回るような切り札があるのか否か。そこに尽きると思われますが」

『うむ……』

 

唐突に水を向けられた質問にも綺礼は冷静に答える。

ライダーはまだ戦闘らしい戦闘もせず、底力を見せることもなく無傷のまま力を温存している。イスカンダルという真名を考慮しても、セイバーであるアーサー王と同等かそれ以上に警戒しなくてはならない相手だ。

他にも危惧すべき陣営がいるのだが、そちらはこの問答に参加する気はなさそうなので一旦隅においておく。

 

『……この辺りで一つ、仕掛けてみる手もあるかもな。綺礼』

「成る程。異存はありません」

 

酒盛りに興じている今は襲撃のチャンスでもある。古来、酒を酌み交わしている最中に殺された王は数知れない。敵勢力を監視する眼と耳を失うのは惜しいが、ライダーの底力を見聞できるのなら使い潰しても問題はない。あの未熟なマスターに怪我一つでも負わせてライダーの足枷とできれば儲けものだ。

 

「全てのアサシンを現地に集結させるのに、おそらく10分ばかりは———」

『綺礼殿、バーサーカーのマスターが遠坂時臣氏の内儀にご息女を返しました。間桐雁夜を暗殺するなら今が好機。どうか、ご命令を』

「……!!」

 

脳に直接滑りこんできた別のアサシンの報告に、綺礼の口がピタリと止まった。

間桐雁夜———時臣の予想を裏切り、綺礼の計画を破壊した最大のイレギュラー。その名を口にしたアサシンの声には隠し切れない激情が滲んでいた。一度出し抜かれたことを口惜しく思っているのだろう。バーサーカーがアサシンの目をも騙してみせる擬態能力を有していると判明していなかったとはいえ、目の前をまんまとすり抜けられたことは暗殺者としての沽券を激しく傷つけられたに違いない。アサシンがようやく異変に気付いたのは、バーサーカーが時臣の長女、凛を抱えて間桐邸に帰還した時であったのだから尚更だ。綺礼自身も、目論見を邪魔されたことで間桐雁夜への鬱憤が蓄積している。

バーサーカーを伴い、さらに気絶した凛を人質にして外出するという徹底ぶりには舌を巻いていたが、その人質を遠坂葵に引き渡した今なら暗殺のチャンスがある。桜も傍にいるようだが、あの娘はすでに間桐の者だ。巻き込まれても時臣も何も言うまい。

 

『……?どうした、綺礼。何か問題でも?』

「……いえ。アサシンを集結させるのに15分(・・・)ばかりは時間を要すると思われます」

『良し。号令を発したまえ。大博打ではあるが、幸いにして我々が失うものはない』

 

それを最後に時臣との通信は幕を閉じた。

時臣には、遠坂凛が間桐雁夜の手に落ちたことを告げなかった。もしかしたら、間桐雁夜が凛を人質にして遠坂葵を奪おうとするかもしれなかったというのに。それを知った遠坂時臣が冷静でいられなくなるかもしれなかったというのに。

何故そのような危険な賭けをしたのかは、綺礼自身にもわからなかった。ただ、そうすると楽しいもの(・・・・・)が見れるかもしれないという予感があったのだ。

安っぽくて物悲しげで悲惨な未来を予想させるような、ナニカが……。

 

(それを易々と手放すとは、つまらん奴(・・・・・)だ)

 

間桐雁夜には、もはや期待を感じない。あるのは、大きな障害という危険視だけだ。時臣は「お手並を拝見」などと言っていたが、そんな悠長なことで済ませられる相手ではない。唯一、サーヴァントの真名もわからず、宝具も知れない上に、すでに二つの陣営を脱落させたダークホースなのだ。求め続けた己の在り方、己の愉悦のカタチをようやく識ろうとしている今、それを阻みかねない敵は早急に排除しなければならない。

 

『アサシンよ、速やかに間桐雁夜を殺せ』

『御意』

 

打てば響くような即座の返答に、綺礼の口元が鋭く釣り上がる。

アサシンは汚名をそそごうと気力を充溢させている。あの間桐雁夜といえど、気配遮断スキルを有し、気づかぬ内に背後に忍び寄るアサシンからの一撃必殺の攻撃を防ぐことができる道理はない。

時臣には、汚名返上に躍起になったアサシンが勝手に行動して間桐雁夜を殺したとでも報告すればいいだろう。どうせアサシンは全てが15分後に消えるのだし、真相を知られる恐れはない。

綺礼は笑みを浮かべたまま、久しぶりに収集するばかりだった年代物のワインを口にしてみる。

 

(なるほど、勝利の美酒とはこのような味なのかもしれんな)

 

この時の綺礼は、間違いなく間桐雁夜への勝利を確信していた。

だから、バーサーカーが擬態して間桐邸を出立したのが誰の目を誤魔化す(・・・・・・・・)ためだったのか、という初歩的な疑問にも気付かなかったのも無理は無い。




この辺から綺麗も救済する方向に修正されました。


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2−8 綺礼&アサシン「オラワクワクすっぞ!」

やあ、みんな!主お兄さんだよ!元気にしてたかな?僕は最近、利き腕の人差し指と中指と薬指の先がひび割れしたせいで何をするにも激痛が走るよ!クソが!!


‡アサシンサイド‡

 

 

「ぐ〜る〜る〜」

「教えな〜い、じゃない!」

 

(理性のないサーヴァントに怒鳴りつけて己の気晴らしをするとは、なんと底の浅いマスターか)

 

仮面の下の表情が激しく歪むのを自覚する。“静かなる死”を体現する暗殺者が感情を顕にするなど本来はご法度であるが、身の内で滾る怒りを静めることは出来なかった。

自らのサーヴァントを、理性がないのをいいことに奴隷のようにこき使い、反論のできない彼を好き勝手に罵倒する陰湿なバーサーカーのマスターの姿に、情に厚いこのアサシンの忍耐力は限界寸前だった。

だから、つい先ほどマスターから「間桐雁夜を殺せ」と下命された時は胸がすくような思いを抱いた。バーサーカーの変身に混乱してしまい、しばらく放心してしまった汚名をそそぐチャンスでもある(怒られるのが怖かったのでマスターにはさっきまで気づけなかったと嘘の報告をしてしまった)。

 

「うごうごうごご!(;´Д`)」

「ぇ?なになに……?わ、わかった。……バーサーカー、俺に変身しろ!」

(む?)

 

こちらから死角になった木陰でバーサーカーのマスターが大声で指示を出す。何をするつもりだ?

 

「桜と一緒に先に帰ってくれ。俺はちょっと用事を済ませてから帰る」「……ぐ、ぐるるー……」

「気をつけてね、バー——じゃなかった、雁夜おじさん!」

(好機……!)

 

己の力を過信したことが間桐雁夜の敗因となった。雁夜はバーサーカーを自分の姿に化けさせると、一人離れて裏路地に入っていく。そこは狭い一本道だ。左右は高い建築物の壁に挟まれ、逃げ場などない。雁夜は自ら死地に踏み込んだのだ。

腰の短刀(ジャンビーア)を音もなく抜刀し、夜暗に紛れて裏路地に滑りこむ。急速に接近するアサシンに気付いた様子はなく、フードを目深に被った雁夜はゆっくりとした足取りで裏路地を歩んでいる。余裕を楽しんでいられるのもあと数秒だというのに呑気に歩を進める様は、軽蔑を通り越してもはや滑稽だ。

 

(バーサーカーを伴わなければ、所詮貴様はその程度なのだ。己の傲慢を悔いて死ね、間桐雁夜!!)

 

気配遮断スキルを最大まで高めたアサシンが、眼前の背中に向かって黒塗りの刃を振りかぶる。鞭のように速く、断頭台のように重い切っ先がフードに深々と食い込む。致死性の毒が塗られた刃は巨大な獣ですら掠っただけで絶命する。

裏路地の暗闇に、鈍い音が響いた。

 

 

‡綺礼サイド‡

 

 

「頃合いだな」

 

二杯目のワインを継ぎ足しながら、綺礼は余裕の笑みで独りごちた。

アサシンに暗殺命令を下してから5分が経過した。先ほど、間桐雁夜が一人になったという報告があったことを考慮すれば、今頃は雁夜の首が地面に転がっているに違いない。主の制御を失ったバーサーカーが暴走する危険もあるが、元々魔力消費の激しいクラスなのだから放っておけばすぐに消滅する。何ら問題はない。

一口、芳醇なワインを口に流し込むと、アサシンに状況を報告させるためにレイラインを通して念話を発する。

成功して当然の暗殺であるのだから報告など行わせる必要はないのだが、アサシン全てをライダーに特攻させるまでのタイムリミットは刻一刻と近づいている。集合が遅れてしまえば時臣師に暗躍が悟られてしまう。それで衛宮切嗣との接触が出来なくなれば、邪魔者の雁夜を消しても元も子もないのだ。念には念を入れる必要がある。

 

『アサシンよ、報告せよ。暗殺は成功したか?』

『———我が、主……!?』

『……?』

 

鼓膜を介さないその声は、搾り出したようにか細かった。反射的にレイラインに強く意識を凝らせば、アサシンの激しい緊張と焦燥が伝わってくる。アサシンがこれほどまでに動揺するなど今までなかった。

聖堂教会・第八秘蹟部の代行者として鍛えあげられた第六感が不安にざわざわと波打つ。

 

『どうした、何があった?』

『我が主よ、間桐雁夜は危険です———ぐあッ!!』

「ッく!?」

 

事態を探るためにアサシンの五感とリンクしたと同時に目の前を間桐雁夜のパーカーが翻り、全身を激痛が走った。その反動で同期が強制的に引きちぎられ、綺礼の魔術回路にもバックダメージが叩き付けられる。

短い悲鳴を皮切りにブツリと断たれた念話に、綺礼の手からワイングラスが滑り落ち、彼の目論見と共に砕け散った。

考えずともわかる。アサシンの一撃必殺の攻撃が防がれ、念話を続ける余裕がないほどの反撃を受けたのだ。

気配遮断のスキルを有した人外の超越者の攻撃を防御して瞬時に逆襲するなどという芸当は、代行者でも不可能だ。綺礼自身、気配を伴わないアサシンの暗殺を防げる自信はない。間桐雁夜は策士としての知能だけでなく、代行者をも超える戦闘力を有しているということだ。

それほどの男がわざわざサーヴァントと別れて一本道に入ったという意味は、即ち……。

 

(私がアサシンに暗殺を命じると予測し、わざと隙を作ってみせたというのか!?)

 

歯噛みした頬を困惑の汗が伝い落ちる。

バーサーカーが玄関を出る前(・・・・・・)から間桐桜に化けていたという時点で気付くべきだったのだ。それはつまり、間桐邸を監視する者の存在に気づいていたということに他ならないではないか。

後から「アサシンを頼りすぎだ」と綺礼を批判するのは簡単だ。だが、気配も姿も見せていないはずのアサシンを見破られるなど、いったい誰が予想できるというのか?そもそも、アサシンは遠坂邸で脱落したように装っていたし、分裂してあらゆる陣営を常に監視できることも自分と父と時臣師しか知らない。それを手に取るように看破できる者がいるとすれば、それはもはや化物の類だ。

 

「貴様は、何もかもお見通しだとでもいうのか……!?」

 

生まれて初めて感じる屈辱感と敗北感の重圧に心を飲まれ、知らずに膝を屈して呻いた。自分という謎を探るためにあらゆる難題に積極的に挑戦し、極める寸前まで難なくこなしてきたはずの綺礼が、たった一人の男を前に弄ばれ足掻き苦しんでいる。綺礼は、この戦いで苦戦する相手は衛宮切嗣だけだと高をくくっていた過去の自分を猛烈に恥じた。

間桐雁夜は『壁』だ。渾身の力で突けども掘れども傷一つつかず、油断すれば圧倒的な力で圧し潰してくる極厚で巨大な『壁』なのだ。その証拠に、途方にくれた綺礼の心は今も踏み潰されて軋みを上げている。

 

「———おもしろい(・・・・・)じゃないか」

 

軋みが止まる。彼の心は折れなかった。

この時初めて、綺礼は自身が心からの笑みを浮かべていることに気付いた。その鋭くも果敢な笑みは、どこか巨山の頂上を見上げる登山者を連想させる。

自分を遥かに超える強者に立ち向かう恐怖と、それに打ち勝ち歩を進める胸の高まり。間桐雁夜という壁を越えた先にはいったい何があるのか、そこからどんな世界が広がるのか、どれほど高みに到達できるのか———それらを想像するだけで綺礼の心は弾んだ。そう考えれば、全身に滲む不安の汗も心地よいものに感じられる。

己を識るチャンスは何時でも作られる。だが、間桐雁夜という壁を乗り越える機会は、きっとこの一度きりだ。この壁から逃げてしまえば、二度と高みには到達できない。

否!間桐雁夜を超えた先にこそ、本当の自分が見つかるのだ!!

 

すっくと立ち上がった綺礼の顔に、すでに笑みはない。しかし、胸の内側には今までにはなかった炎が灯っていた。空いていたはずの空洞を満たすそれは、勇敢な挑戦者のみが灯すことの許される(おとこ)の魂だ。

もはや迷いはすまい。倒すべき男の背中に突き進めば、自ずと求めるものに辿りつけるとわかったのだから。

 

「令呪を持って我が下僕に命ず。アサシンよ、アインツベルン城へ転移し、ライダーを倒せ」

 

手の甲が輝き、令呪が消える。膨大な魔力は条理を覆し、各地に散っていたアサシンたち全てを一箇所に瞬間移動させる。これでアサシンも雁夜の前から逃げることが出来た。ライダーの底力を見極めるためにも、アサシンの戦力は一体でも多いに越したことはない。

サーヴァントを失えば、バーサーカーを伴う間桐雁夜と互角に戦うことはできなくなる。それならそれで、戦う方法を考えればいい。その過程も己の研鑽になるのだ。

それに———これは最後の手段だが、アテ(・・)がないわけではないのだ。

 

「……ギルガメッシュ、お前の言う通りだった。私はようやく己の魂の形を見出すことが出来そうだ」

 

『愉悦とは言うなれば魂の(かたち)だ』と諭してくれたギルガメッシュの顔を思い浮かべ、綺礼はぐっと拳を握りしめた。最初は、それこそ聖書の悪名高き誘惑の蛇と重ねてきつく接していたが、今になって思えば申し訳ないことをしたと思う。

 

「今度は二人で飲み明かすのも悪くはないな」

 

簡素なベッドを持ちあげ、奥の小さな木箱を取り出す。それは代行者としての給料の6ヵ月分に相当する価値のある日本酒だ(ボーナスなら1回分)。素材の厳選から上槽、滓下げ、特別な貯蔵庫での熟成に至るまで、全ての行程に職人の全精力が注ぎ込まれたこれは、10年かけてようやく一本分が完成する、知る人ぞ知る極上の美酒だ。箱を開けただけで、華やかな吟醸香が部屋いっぱいに溢れかえる。高級和紙のラベルには達筆な筆で書かれた『神殺し』の文字のみ。印刷ではなく一流書道家による直書きであることも、なかなか味があって見た目良い。

綺礼にとっては心の空洞を満たすまでには至らないものであったが、確かに美味ではあったため念入りに保管しておいたのだ。それが幸いしてギルガメッシュに見つからなかったのは僥倖だ。次に彼が部屋を訪れた際にはこれを馳走してやろう。きっと涙を流して「まったくもう!こんなに美味しいお酒を隠してたなんてずるいぞ綺礼!我ぷんぷん!」と怒り出すに違いない。

ギルガメッシュの怒り顔を想像し、綺礼はくすりと爽やかにほくそ笑んだ。部屋に誰かを招きたいと思うのも、自慢の酒を振舞いたいと思うのも、これが初めてだったからだ。

 

 

‡セイバーサイド‡

 

 

「えっ、(オレ)そんなキャラに見えてたの?」

「おお?どうした、英雄王。自分の酒に酔ったのか?んん?」

「い、いや、何でもない?」

「なぜ疑問形なのだ」

 

唐突にビクリと肩を跳ねさせたアーチャーがおかしな呟きを漏らしたが、ライダーにツッコまれるとすぐに元の傲岸不遜な表情に戻った。

しかし、見ていていちいち癇に障る顔だ。先ほどまでのライダーとの会話を聞いていてわかってきたが、清廉な騎士とは対局に位置する高慢な男だ。『聖杯など知らないが宝であるからには自分のものに違いない』などと平然と言ってのけたことからもそれがわかる。絶対にこいつは友だちがいないタイプだ。いても一人くらいだったろう。こんな奴の友だちになった奴は気の毒だな。きっとこいつのせいで早死したに違いない。心から同情する。ざまぁ。

 

「まあ、いいとしよう。ところで、セイバー。そういえばまだ貴様の懐の内を聞かせてもらってないが」

 

ようやく来たか。先ほどまで暴君同士で盛り上がっていたので憮然としていたのだ。ここらで本当の王の在り方を諭さねばなるまい。真に誇るべきは、我が王道なのだ。

平穏への祈りと共に立ち上がり、民草の願いを一身に背負って剣を振るい、治世に声を上げ、身命を賭して国と民の安寧と繁栄のために一生を捧げる。誉れある騎士たちの頂点に立つ武者にして、正義を体現する為政者。それこそ、『理想の王』の姿だ。

 

「私は、我が故郷の救済を願う。万能の願望機をもってして、ブリテンの滅びの運命を変える」

 

そうすれば———貴方にも顔向け出来るようになるだろうか。なあ、我が盟友(湖の騎士)よ。

 

 

‡アサシンサイド‡

 

 

フードを貫いた切っ先が首に触れる寸前、手首に絡まってきたその手は、人の域を超えた握力でナイフを握る腕を骨ごと粉砕した。筋肉も神経もかき混ぜられ、ナイフが力なく滑り落ちる。

 

「——ぅ、おォ……ッ!?」

 

戸惑う暇すら与えられない。瞬くほどの迅速な足捌きで後退した雁夜の痩身が側背にピタリと張り付いた瞬間、握られた腕を起点にして視界がぐわんと縦回転する。強制的に重力から切り離された身体が遠心力にねじ切られ、全身の関節が有り得ない角度に曲がり狂う。もしもアサシンに近代日本武術の知識があれば、それが合気道の『入身投げ』だということに気付いただろう。

一瞬後に背中から地面に叩き付けられるという直感に尻穴が窄まり、喉元で息が詰まる。

 

「ぐぎゃあッ!!」

 

咄嗟に受身の体勢をとれたのは奇跡だった。そうでなければ、この醜い悲鳴すら上げることはかなわずに背骨を叩き折られて即死していた。

 

『アサシンよ、報告せよ。暗殺は成功したか?』

『———我が、主……!?』

 

激痛に支配されて揺れる頭蓋にマスターの声が響く。後頭部を強打したせいで思考がまとまらず、念話すら満足に出来ない。報告すら出来ないようでは暗殺者の名折れだ。

手足をばたつかせて何とか立ち上がり、念話に意識を凝らす。

 

『どうした、何があった?』

『我が主よ、間桐雁夜は危険です———ぐあッ!!』

 

再び激痛。今度は横っ面を正面から殴りつけてきた。ハンマーのように固く重い打撃が真正面からクリーンヒットし、アサシンの身体が木の葉のように吹き飛ぶ。樫の木で作られた仮面をも粉々に砕け散らせたそれは、プロボクサーも思わず唸るほど見事なストレートパンチだった。

 

「……ぬぐ、ぉ、おああ……。き、貴様は、いったい何者なのだ……」

 

吐血に混じって幾つもの歯がボロボロと地面に転がる。体力も精神力もことごとく削り取られ、アサシンには抵抗する力は残されていない。出来るのは、四肢をついて目の前に立つ間桐雁夜を力なく見上げることだけだ。わずか二度の攻撃で人を超えた英霊をここまで憔悴させるなど、とても人間業ではない

痩せ細り、半身は死人のように干からびているくせに、いったいどこからこれほどの怪力を出せるのか———。

 

「……ぐるる」

「———!? ま、まさか、貴様……!?」

 

聞き馴れた呻き声に驚愕する。

目深に被ったフードの下で、赤い双眸(・・・・)が強い意思に燃えていた。

 

「バーサーカー……!!」

 

刹那、アサシンは悟った。

自分の死角で行われたのが、単なる変装ではなく自分を罠にはめるための入れ替えだったということに。

自ら死地に踏み込んだのは、自分のほうだったということに。

バーサーカーの双眸に、確固たる理性の光があることに。

 

「……何故だ……?何故そうまでしてマスターを護る?何故そこまで尽くす?何故……そこまで正しく在り続けられる!?」

 

地面に這いつくばりながら、アサシンは膨れ上がった疑問をぶつける。

狂戦士(バーサーカー)というクラスに堕とされても、主君に忠誠を誓い、主君の刃盾となり、弱き者がいれば彼らを背にして戦う。いったいどんな信念を、どれほどの鍛錬を積めばそのような高みに到達できるのか。『山の翁(シャイフル・ジャバル)』として暗殺者の頂点に立った自分ですら、異教徒(キリスト教徒)召し使い(サーヴァント)に成り下がって見苦しく這いつくばっているというのに。

血反吐を吐いて吠えたアサシンの目を、バーサーカーは静かに見下ろす。

その燃える双眸が、「答えはお前自身が知っている」と告げた気がした。

 

———かつて、己の人格障害に戸惑いながらも、それを武器にして祖国と教義と家族を護らんと立ち上がった少年がいた。

 

「……あ、」

 

彼はあらゆる研鑽を積み、自らを導いてくれたカリフ教主に忠誠を誓い、セルジューク王の抑圧的な支配から逃れた人々を生涯を賭して護り続けた。

其の名はハサン・サッバーハ。自己犠牲を厭わぬ者(ASSASSIN)の原初にして、後世にその名を残す『暗殺王』。

 

「……そうか。()も、昔はお前と同じだったんだなあ。はは、いつの間に忘れてたんだろうな」

 

仮面のとれた青年が、晴れやかな顔で苦笑する。それは自嘲ではなく、失くしたと思っていたものが意外に近くにあったことを笑ったものだった。

笑いながらごろりと仰臥する。バーサーカーは相変わらずじっとこちらを見つめたままだ。戦う意志のない者は殺せないとでもいうのか?暗殺者が無防備に腹を晒しているというのにトドメを刺そうとしないなんて、どこまでも生真面目なサーヴァントだ。騎士というのは皆してこんなに堅苦しい奴らばかりなのだろうか。

 

『令呪を持って我が下僕に命ず。アサシンよ、アインツベルン城へ転移し、ライダーを倒せ』

(……ああ、もう終わりなのか)

 

遠くで響くマスターの声を認識した瞬間、アサシンの身体が光と化して消えてゆく。令呪によるサーヴァントの強制転移だ。他のアサシンたちが同じように一箇所に集められてゆくのを共有した感覚で理解する。

令呪の内容からして、あの非情なマスターは自分たちを使い潰すつもりだろう。現界していられるのは今夜までということだ。不満はない。我らは英霊なのだ。現界する機会はまたいずれ訪れる。

それにしても、マスターの声もどこか晴れ晴れとした感じがした。きっとマスターも何かを見つけられたのだろう。異教徒だが、ここは素直に喜んでやるとしよう。

 

「……なあ、バーサーカー。今度会う機会があったら、その時は真っ向から勝負してくれるか?」

 

バーサーカーは言葉を発せない。ただ、ぐっと親指を立てて意思を伝えてくるだけだ。

それを見た青年は彫りの深い端正な容貌で朗らかに笑うと、ゆっくりと光となって消えていった。

転移する間のわずか数秒の内に目を閉じた彼の脳裏には、正々堂々とバーサーカーと剣を交える“次の戦場”が広がっていた。

 

それは、ハサン・サッバーハが騎士(セイバー)のクラス適性を得た瞬間でもあった。

 

 

‡バーサーカーサイド‡

 

 

いや〜、危なかったね。そういえばアサシンに見張られてるってことすっかり忘れてたよ。だってカーブミラー見たらアサシン写ってるんだもんね。マジビビったよ。ギリギリセーフ!カーブミラーさんあんがとね!

とりあえず雁夜おじさんと桜ちゃんに一芝居打ってもらって、誘い込んだところを悪☆即☆斬!!油断しきってたみたいだからぶん投げた後にパンチしてやりましたよ。そしたらなんだか分けのわからないこと言い出して笑い出してやんの。なにこれ怖い。打ちどころ悪かったのかな。

そんな感じでドン引きしてたら、ぱあ〜!っと輝いてどこかへ消えようとしてます。なんかもうわけわからん。アサシンって笑うと光るスキルとか持ってるの?そんなの原作にないよ?コジマ粒子なの?逆流するの?

 

「……なあ、バーサーカー。今度会う機会があったら、その時は真っ向から勝負してくれるか?」

 

アサシンってけっこう熱いところあんのね。知らなかったわ。とりあえず、挑戦は受けてたちましょう。喋れないからサムズアップで我慢してね。

そうそう、プロボクシングの賞状から『チャンピオンはいついかなる時でも誰の挑戦でも受けなければならない』って条項が削除されたのって、ガッツ石松がチンピラ8人に絡まれた時に全員を病院送りにしちゃったせいらしいね。おお、こわいこわい。そんなおっそろしい怪物とは関わりたくないね!

……あ、いつの間にかアサシン消えてんじゃん。でも消滅したわけじゃないよな。急所は外れてたし。もしかして、これってライダーの『王の軍勢』(アイオニオン・ヘタイロイ)の初解放フラグ?なんか展開早いなあ。もう原作とだいぶストーリーの流れが変わっちゃってんじゃない?ま、いいか。どうせ夢なんだし、雁夜おじさんと桜ちゃんが救えればおk。頑張りましょ。

 

『バーサーカー、無事か?こっちは無事に家に帰り着いたぞ。桜も心配してるから、早く帰ってこい』

 

おっと。雁夜おじさんと桜ちゃんが待ってるし、さっさと帰ろうかね。明日の朝ごはんはホットケーキにしよう。炊飯器で作るホットケーキが極厚でなかなか食べ応えがあるんだよね。生クリームとフルーツも載せれば見栄えもいいし。チョコレートも載せようかな?でもあんまりカロリー高すぎるのも悪いしなあ。

 

『あと、な。言い忘れてたんだが……』

 

ん?なんだ?家計簿つけ忘れてたとか?ちゃんとやったと思うんだが。

 

『その、いつも守ってくれて、ありがとうな』

 

……いいってことさ。

 

『ぐるる(・∀・)ニヤニヤ』

『うるせえニヤニヤすんな!さっさと帰ってこいっつってんだよこの馬鹿!! あ、痛っ!?桜ちゃんなんで蹴るの!?念話聞こえてないはずでしょ!?痛っ!やめ、痛っ!脛はらめえ!!』




最近、バーサーカーと雁おじが仲良く肩組んで夜の街を闊歩してる夢を見ました。僕が書きたいのは、きっとそういう二人なんだと思います。


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2−9 ギルガメッシュ「悪いなセイバー。この王道、二人用なんだ」

今まで小説を書いてきた中でもっとも苦労したシーンのベスト3に入ると思う。


† セイバーサイド †

 

 

「セイバーよ、“理想に殉じる”と貴様は言ったな。なるほど往年の貴様は清廉にして潔白な聖者であったことだろう。さぞや高貴で侵しがたい姿であったことだろう。だがな、殉教などという茨の道に、いったい誰が憧れる?焦がれるほどの夢をみる?

聖者はな、たとえ民草を慰撫できたとしても、決して導くことなど出来ぬ。確たる欲望のカタチを示してこそ、極限の栄華を謳ってこそ、民を、国を導けるのだ!

王とはな、誰よりも強欲に、誰よりも豪笑し、誰よりも激怒する。清濁含めてヒトの臨界を極めたるもの。そう在るからこそ臣下は王を羨望し、王に魅せられる。一人一人の民草の心に、“我もまた王たらん”と憧憬の火が灯る!」

「ライダー、そんな治世のいったいどこに、正義があるというのだ?」

「ないさ。王道に正義は不要。だからこそ悔恨もない」

「……そうか」

 

そう静かに呟いて俯いたセイバーを見て、ライダーは我が意を得たりと胸を反らせ、アーチャーはそらみろと傲岸不遜に鼻を鳴らした。

セイバーはといえば、自ら波乱を望み、乱世を巻き起こした征服王イスカンダルの堂々たる演説を、ただ静かに(・・・・・)受け止めていた。

波乱を拒み、乱世を沈めたセイバーとは相いれぬ暴君が語る『王の資格』には、なるほどこの男らしいと頷ける箇所はあれどやはり受け入れることは到底かなわない。

ライダーの言は、詰まるところ“我に続け”の一言に尽きる。王が誰にも憚ることなく欲望を満たす様を鮮烈に見せつければ、民草もそれを羨ましがり、自らも王になろうと積極的に行動する。沸々と湧き上がる欲望は活力となって経済を一層に潤し、士気を高め、繁栄に繋がったことだろう。それはセイバーにも理解は出来た。

なるほど、それで王に魅せられる者は大勢いただろう。尊大な勇姿は血気盛んな男たちの憧れであり目標であっただろう。武人ならば征服王イスカンダルと轡を並べることを誇りに思い、いつかその座を手にしてやろうと夢見ただろう。

 

(しかし、それについて行けない弱者は切り捨てられる)

 

正義のない治世に法はない。あるのは力だけだ。力が法として罷り通る世界では、無力な弱者は搾取され、虐げられるだけの矮小な存在でしかない。“強く求めれば王の座ですら得られる”とは、視点を変えてみれば“強くなれない者は何も得られない”と同義だ。非力であることが罪悪とされる、弱肉強食の世界だ。他ならぬ王がそれを是と認めてしまったのだから。それはまるで、アーサー王が剣を執る前のブリテンだ。強者たちが争いに明け暮れる群雄割拠の影で弱者たちが苦しむ暗澹たる社会だ。

セイバーはその非情を良しとしなかった。度重なる戦に疲れ果て、絶望に染まりきっていた多くの非力な人々を救いたかった。彼女は実のところ、選定の剣を抜き放つまでは一人の乙女でしかなかった。当時においてはもっとも非力な弱者層の一員であった。そんな弱者だったからこそ、力の価値を心得ることができた。力とは無暗に振り翳されるべきものではなく、正義と理想の維持にのみ費やされるべきであると心に焼き付けたのだ。

 

最初から強かった男と、最初は弱かった女。

力そのものを統治基準とした王と、正義と理想を統治基準とした王。

欲望というヒトの本能を体現する王道と、騎士道というヒトの理性を体現する王道。

 

相入れぬのは当然だ。互いに生まれた時代も為政者としての出発点も異なり、歩んだ人生も末路もまったく違うのだから。

ふと、セイバーはライダーの説話を前にして冷静でいられる自分を顧みて少し驚いた。以前の自分であれば、ライダーとアーチャーの“国と民が王に身命を捧げるべし”という姿勢を真正面から否定せんと牙を剥いて激昂していただろう。自分は暴君であると平然と自認し、自らの国の悲惨な結末を悔いもせず、あまつさえセイバーを“暗君”と侮辱する目の前の二人に食ってかかっていただろう。だが、余裕(・・)のある今ならそんなことはない。

そう、余裕だ。自分と同じように、弱者が虐げられることを良しとしない騎士(・・)が今もこの街で戦っていると知っている今なら、自らの王道は間違っていないと確固たる自信を持って構えることができる。

つい思考がそれて黙ったセイバーを見て、ライダーは何を思ったか不敵な笑みを浮かべて朗々と言葉を継ぐ。

 

「騎士どもの誉れたる王よ。たしかに貴様が掲げた正義と理想は、ひとたび国を救い、臣民を救済したやもしれぬ。それは貴様の名を伝説に刻むだけの偉業であったことだろう。だがな、ただ救われただけの連中がどういう末路を辿ったか、それを知らぬ貴様ではあるまい」

「……」

 

“末路”

その言葉でセイバーの脳裏に去来するのは、自らが最後の瞬間を刻みつけた落日の丘だ。

夥しい血に染まり、闇夜に沈みゆく悲しきカムランの丘。無為に消えて逝った騎士たちの魂、崩れてゆく正義と理想、薄れ行く騎士道。セイバーはそれらを再び取り戻すと誓った。失った全てを再興に導けるのは自分だけだと決意した。

そして、この聖杯戦争に参加して———

 

あの騎士(・・・・)と出会った)

 

未だ名も出自も分からない、漆黒の騎士鎧を纏った謎の男。セイバーは彼の中に、失われぬ正義と理想、燦然と輝く騎士道を見つけた。

かの戦士は、子供たちを護る背中には優しさを、敵の魔導書を利用する戦術には理性を秘めていた。彼自身に、狂戦士となっても色褪せぬ“騎士の規範”が染み付いているのだ。彼の存在こそ騎士王の王道の証明だ。

導くなど、おこがましい考えなのかもしれない。あたかも枯れ落ちた花から種子が舞い飛び、後に美しい花々を一面に咲かせるように———新しい希望は騎士王の小さな手からはとっくに巣立ちし、己の力で咲き誇っているではないか。

 

「貴様は臣下を“救う”ばかりで、“導く”ことをしなかった。『王の欲』のカタチを示すこともなく、道を見失った臣下を捨て置き、ただ独りで澄まし顔のまま、小奇麗な理想とやらを想い焦がれていただけよ」

 

その言葉にセイバーの眉がピクリと反応したが、持論を声高く語るライダーは気付かなかった。

臣民たちは、騎士たちは、果たして道を見失っていただろうか?自分が何かしらの欲望を顕にしていれば、彼らは喜び勇んで最期まで付き従っただろうか?

答えは、明確に『否』だ。彼らは聖君だからこそ主君と認めた。群雄割拠の時代、数多くの諸侯の中から、彼ら自身の意思によって理想の聖君(アーサー王)選んだ(・・・)のだ。ただ純粋な“平穏あれ”という願いと共に。

王による導きなど必要なかった。為政者からの必要以上の干渉を臣民たちは望んでいなかった。求められていたのは、疲れ果てた民草を慰撫し、その願いを庇護し、平穏へと至る道(法と秩序)を守護する聖王であった。彼女もそれを弁え、彼らの意思を尊重し、時にはあえて見逃した(・・・・・・・)。———それが、最初で最後で、決定的な失敗だった。

滅びに至る萌芽を果たしてどう解決すれば良かったのか……未だに分からない。不義を無かったことにしようと奔走すべきだったのか。妻と忠臣のどちらとも罰するべきだったのか。それとも、二人の恋を容認すべきだったのか……。何度自問しても、禍根を残さない答えを見つけられない。滅びを回避する答えに到れないのは、即ちそれが自分(アーサー王)の限界ということだろう。

だが、それでも、己の庇護の誤りによって滅亡の道を歩んでしまった祖国は絶対に救わなければならない。そうしなければ、自分を信じてくれた者たちに示しがつかない。

今度こそ、民草の安寧を確固たる形として結実させる。理想を遂げ、誇りを取り戻す。アーサー王に実現不可能なら、聖杯という手段を用いて実現してみせる。

それが、王を名乗り、王として讃えられた者の『責任』であるが故に。

 

「故に貴様は生粋の“王”ではない。己の為ではなく、人の為の“王”という偶像に縛られていただけの小娘に———

「黙って聞いていればあれやこれやとよく喋る口だな。酒に呑まれたのは貴様ではないのか?」

———むん?」

 

悄然としているとばかり思っていたセイバーの鋭い声に、ライダーはぱちくりと目を開け閉めした。怪訝そうに睨んでくるアーチャーをじろりと一瞥し、やにわに口端をにやと釣り上げたセイバーが酒坏に残った上酒をぐいと一気に呷る。細く白い喉がゴクゴクと激しく律動し、極上の神酒をあっという間に胃に流し込む。「ああ、もったいない」とライダーが残念そうに呟くのも気にせず、セイバーは全てを飲み干して腹腔から大きな息を吐き出した。

ライダーの()撃はセイバーの盾を貫くことはなかった。空になった酒坏の底を石畳に叩きつける。それは反撃の合図だ。

 

「いいか、ライダー。貴様の治世で通用したからといって、“イスカンダルの王道”が唯一万能の本道だと思い込んでもらっては甚だ困る。そも、我が臣民と騎士には欲の導きなど必要なかった」

「……ほ〜う。言うではないか」

 

顎の無精ひげを摩り、ライダーはセイバーの顔をじっと見定める。自信に満ちた挑戦的な笑みは追い詰められた小娘の顔ではない。セイバーの矮躯からは激しい気炎が膨れ上がり、ライダーと互角の風格を放っている。

耳を傾けるに値する、と判断したライダーは視線でセイバーの次の言葉を誘った。

 

「貴様の世はまさしく力に満ち溢れていたのだろう。治める国は活力が轟々と渦巻いていたに違いない。それこそ、王の手にも余る(・・・・・・・)ほどに」

「——、——」

 

ライダーの表情がぴくりとわずかに顰められるのをセイバーは見逃さなかった。

彼が若くして即位したマケドニア王国は、父ピリッポス2世の改革によって急速に強大化する過渡期にあった。マケドニアは全ギリシアを統一するコリントス同盟の主導国となり、相次ぐ戦勝によって国力も軍事力もピークに達し、押しも押されぬ強国となっていた。

国内に力が有り余っているとどうなるか———その先にあるのは“暴発”だ。力を持て余した者たちは意識的にも無意識的にもその捌け口を求め、我利を果たさんと暴れまわる。正義のない社会なら尚更だ。治安の悪化に苦慮していたピリッポス2世も、暗殺という悲劇に見舞われて志半ばで世を去った。

そのような時世に即位した王の役目は、強力な牽引力で臣民のエネルギーのベクトルを一方向に収束させる“導き手”だった。

 

「貴様が先王から受け継いだ治世にあっては、王は誰よりも欲望と感情に忠実に行動し、栄華を極め、王の座に魅力を与える必要があっただろう。羨望の眼差しを———民の“夢”を一身に受けなければ民も国も導けなかっただろう。臣民たちはすでに富んでいたのだ。生半可な鮮烈さでは統率できなかったことは理解できる。だが、我が治世においてはそれらは当てはまらない」

 

ずいと身を乗り出せば、ライダーの顔はすぐそこだ。黙然とするライダーの双眸を間近で見据えながら、セイバーはライダーの視野狭窄を糾す(・・)

 

「当初、ブリテンの民草は疲弊しきっていた。やっと立っているような状態だった。だからこそ、皆の願いはすでに統一されていた。進むべき道を歩む彼らを庇護することが、王の———私の責務だった。彼らに王による導きなど必要ない。なぜなら、彼ら一人ひとりが(・・・・・・・・)導き手だからだ(・・・・・・・)

 

この瞬間、セイバーの脳裏を過ぎったのは漆黒の騎士の背中だった。

キャスターの魔の手から子供たちを護った狂戦士———その背中から連想される、騎士王と同じ理想を抱いていた青年騎士。

騎士王の在り方を誰よりも理解していた忠節の臣下。

数えきれない恩義があるのに、望まぬ裏切りの道に踏み込ませてしまった盟友。

彼のことを思えばこそ、セイバーは行動せずにはいられないのだ。祖国の再興を。臣下たちの幸せを。

 

「私は、私を信じてくれた人たちの気持ちに応える。彼らが信じた王は、故国に身命を捧げることのできる勇者だったのだと、信じる価値があったのだと証明する。貴様らなんぞに何を言われようが我が信念は揺るがない。私の願いは故郷の救済だ。必ずや聖杯をこの手に掴み、祖国ブリテンの滅びの運命を変えてみせる!!」

 

眼前で握り締めた甲手がギリと唸りを上げる。身の内で滾る熱情が魔力となって迸り、セイバーの金髪を鬣のように波立たせた。周囲の大気をかき乱すその気迫は、まさに咆哮する獅子の如きであった。

掴みかからんばかりのセイバーに対し、ライダーは黙したまま、騎士王の奥底を吟味するように彼女の双眸をじっと強く覗き込む。

 

「詰まるところ貴様の王道は、臣下の歩みを“守護する”ということに特化しているのだな。臣下が求めるのは己の欲ではなく安寧だった。進む方向は臣下がすでに知っていたから導いてやる必要はなかった、と」

「如何にも。その民草にとって、王とは揺るがぬ正義の道標であり、騎士にとって基準とすべき理想であることが役目であった。“同じヒトの形をしていながら、究極の理性を体現する全人”。その姿を通して、人々はこの世に失ってはならぬ尊いものがあることを識るのだ」

「……確かに、我がマケドニアと貴様のブリテンとでは臣民の質が大きく隔たっている。民草を引こずる余の王道は、貴様の時代では疎ましいものにしか映らず、空回りするだけだったやもしれん。それに限っては余も解せる余地があるぞ?……でも、なあ?」

 

奥歯に物が挟まったような口ぶりで首を捻るライダーに、セイバーは歯痒そうに臍を噛む。

彼らの価値観には激しい差異があったが、ライダーは持ち前の度量でセイバーの言い分に一定の理解を示した風ではあった。だが、誰よりも人間らしい彼はセイバーが語る“王の模範像”を認められずにいた。騎士道という規範の頂点に位置せんとする彼女の在り方はたった一人が背負うにはあまりに苛烈すぎて、ヒトの身には———特に目の前の見目麗しき少女騎士には尊すぎる(・・・・)と思案していた。どんなに崇高な御旗を掲げても、当人に『王の器』がなければその御旗に潰されてしまうのが必然だ。

対するセイバーは、これ以上の口弁をするつもりはなかった。ライダーとアーチャーが抱く『王の器』はアーサー王のそれとは相入れぬと見做し、もはや言葉ではなく行動で証明するのみだと腹を固めているからだ。

疑念と意地の眼光の衝突が火花を散らせて遂に決別に達する直前、涼やかな女声が両者の間に滑りこむ。

 

「世に名高きマケドニアの王、アレキサンダー大王陛下。紛い物の身の女の上申をお許し頂けますか?」

「む?おうおう、美女の言葉には必ず聞く価値があるものだ!聞こうではないか。述べよ、セイバーのマスターよ!」

 

アイリスフィールだった。その表情は、隣で身を縮こまらせているライダーのマスターとは対照的だ。嫋やかに澄んだ微笑と礼節を弁えた口調には、確かな余裕と高貴な威厳が見て取れる。

久方ぶりに慇懃な接し方をされて気を良くしたのか、ライダーはしかめっ面を子供のように破顔させてアイリスフィールの申し出を快諾した。セイバーが気遣わしげに見やれば、アイリスフィールは小さくウインクを返す。その意味は明白だったので、セイバーは一度頷くと彼女に剣を明け渡すことにした。

アイリスフィールが静かに口を開く。

 

「陛下はおそらく、セイバーが語る『王の在り方』は彼女には荷が重いとお考えなのでしょう。ご推察の通り、完璧な君主、理想の体現者という重荷はヒト一人が背負うにはあまりに苛烈すぎます。

ところで……つい先刻前にこの城の領内において戦闘が行われたことに、陛下は気付かれておいでですか?」

「言うまでもないわ。この胸っ糞悪い魔力の残滓は……ふん、キャスターか。あの気色悪い物狂いならマスターを殺されてとっくに消滅———……待て、まさか、」

 

何かを言いかけ、思考の壁にぶち当たったライダーが衝撃に目を見開いてアイリスフィールを凝視する。

 

「そのまさかです。先程、バーサーカーは我が領内においてセイバーと共闘(・・)し、暴走するキャスターを討伐せしめました。その折、かの漆黒の騎士は狂戦士というクラスにも関わらず、キャスターが惨殺しようとしていた子供たちを全員護った(・・・・・)のです」

「さ、サーヴァント()倒したってのか!?」

 

ライダーのマスターがビクリと肩を強張らせた。瞠目する少年と視線を交ぜ合わせたライダーの目付きが厳しいものとなる。

“も”とはどういうことなのか。何か思い当たることがありそうだ。

次に発せられたライダーの声音は警戒を孕んで一段低くなっていた。

 

「……何が言いたいのだ、女」

「もうお分かりでしょう?正義と理想を重んじる者はセイバー一人ではないのです。重荷を王一人で背負う必要がどこにありましょうか?

アーサー王には、かの王を支える優秀で忠実な忠臣———『騎士』が仕えています。『騎士』がいてこそ、アーサー王は『騎士王』として完成するのです。そして、もうすぐセイバーは完全となる(・・・・・)。騎士王が騎士を伴って再び陛下の前に相対した時、陛下はご自分の考えが無用な心配だったことに気づくでしょう。

……付け加えるなら、少しくらいは助けになれるマスターとその仲間も傍にいますよ」

 

言い終わって、優しげな目でちらりとこちらを見る。気遣われていたのは自分の方だったと悟り、セイバーは好ましい主人を得られた幸運に改めて感謝し、紅潮した頬を隠すためにそっと頭を垂れた。

しかし、彼女の意味深な言葉にアーチャーまでもが眉根に微かな反応を見せたのは意外だった。“雑種”が徒党を組もうが用心には値しない、などと高を括るとばかり思っていたが、アーチャーもバーサーカーに何か因縁があるらしい。そういえば、バーサーカーはアーチャーの短刀型の宝具を持ったまま姿を消していた。もしかしたら、そのまま私物化されているのかもしれない。この男から宝具を奪うとはますます持って侮れない。同盟を組んだら貸してもらおう。調理包丁にでも使ってやる。

 

「……まるで、すでにバーサーカー陣営と同盟を組んだかのような口ぶりだな」

「ご想像にお任せしますわ、陛下」

 

ライダーの凄みのある追及をさらりと受け流し、アイリスフィールは言葉を終えた。

実際は同盟の話はまだ先方にも伝えていない段階なのだが、今の台詞を聞けばすでに同盟は両陣営の間で結ばれたと思うだろう。己のサーヴァントを鼓舞すると同時に他の陣営を牽制する手腕は、さすが切嗣(マスター)の妻といったところか。

 

「お、おい、ライダー!セイバーとバーサーカーに組まれたら、さすがにお前でも……!」

「少し黙っておれ、坊主」

 

動揺に声を震わす少年を一喝したライダーは何事か考え込むように眉間に皺を寄せた。分厚い胸板の前で腕を組み、「これはまずいことになったなぁ。困ったなぁ」とあたかも深刻そうに喉を鳴らす。

 

(……怪しい)

 

歴史に名を馳せる征服王を出し抜いたことにアイリスフィールは内心の感動を口元に滲ませているが、果たしてこの態度のでかい英霊がこのような摯実な表情をするものだろうか。岩のような拳に顎を乗せて心底困ったような表情を浮かべる殊勝な素振りはこの男にはまったく似合わず、激しくわざとらしさを感じる。

ライダーが言いかけた台詞や先ほど少年が漏らした発言も気になる。何か企んでいるのかもしれない。

 

「アイリスフィ——— 「もちろん貴様らは知っているだろうが、」 くっ!?」

 

アイリスフィールの慢心を防ごうとして、ライダーが不意にニタリとほくそ笑んだ。遅かった。

 

「我らは先ほど、キャスターの工房を襲撃したのだ。そこの坊主が意地を見せてくれてな、根城を見つけ出すことができた。だが、徒労に終わった。そこはすでにバーサーカー(・・・・・・・・・)襲撃された直後だった(・・・・・・・・・・)からだ。玩具にされかけていた(わらべ)らは無傷で、マスターのみを狙ったのは明白であった」

「「……!!」」

 

思わず胸のうちに熱い感動がこみ上げたセイバーは歓喜にわななき、アイリスフィールは戦慄に震えて喉を鳴らした。

キャスタークラスは陣地作成スキルを有し、籠城戦に持ち込めば如何な最優のセイバークラスでも無傷での勝利は難しいとされる。人間の身では到達し得ない隠蔽魔術と襲撃者を今か今かと待ち受ける凶悪な罠や異形の使い魔たちが犇めく人知外の魔境だ。

ライダーの披瀝に偽りがなければ、バーサーカーはキャスターの難攻不落のはずの陣地をどこよりも早く発見し、被害を一切出すことなく速やかに標的(マスター)のみを仕留めてみせたという。

驚くべきは、バーサーカー陣営の戦略構築能力とそれを難なく実現する迅速な行動だ。キャスター陣営はマスターとサーヴァント共々凶悪な殺人鬼だった。彼らの手にある子供たちを助けるために、バーサーカー陣営は2つの作戦を段階的に実行した。

まず、キャスターが己のマスターから離れたところを狙い、これをセイバーと共闘して短時間のうちに撃破する。次に取って返すように、あらかじめ発見しておいたキャスター陣営の根城を急襲し、サーヴァントを失って自棄になったマスターが子供たちを虐殺する前にこれを討伐したのだ。

キャスターが消滅した後なら主だった防御措置は解除されているだろうことを考えれば、非常に合理的かつ確実な順番と言える。もちろん、この作戦を完遂するには途方もない才腕が必要不可欠だ。

自分たちが手を組もうとしている陣営の高い倫理観と底なしの優秀さを改めて目の当たりにしたことで、セイバーとアイリスフィールは驚嘆を剥き出しにした。

そんな二人の反応を見てライダーはしてやったりと半身を仰け反らせてカラカラと笑い声を上げる。しまった、と後悔した時にはもう驚愕を顔に出してしまった後だった。

 

「ふはは、やはりな!どうやらこのことはまだ知らんかったようだな。ということは、同盟関係はまだ浅いか、未だ正式な同盟には至っていないというわけだ。よかったな、坊主」

「あ、ああ。よかったよかった……って結局同盟組んでることに変わりないじゃないすか!やだ———!」

 

腐っても一国の王。駆け引きの腕も一流だ。涙目で雄叫びを上げる少年をよそに、アイリスフィールは驚きを精一杯抑えながら賞賛する。

 

「……さすがは陛下。論戦のお手並みも強かですわ」

「言われるまでもない。こんなもの、論戦とも呼べぬ稚拙な探り合いに過ぎぬ。余を相手に虚仮威しなど片腹痛いわ。……だが、貴様の言わんとすることはわかった。

此度の戦で幾度も見せつけられた、徹底した信念———貴様らの言葉でいう『騎士道』には余も少なからず心を動かされておる。優勝劣敗を(ことわり)とした我が世では生まれなかった規範だ。己を縛るだけのくだらぬ足枷だと侮っていたが、弱き者たちを救うあの背中は、なかなかどうして見ていて清々しい。そして、その規範を忠実に守る騎士がこれほどまでに妙々たる益荒男だったとは思ってもおらんかった。

あのような堂々たる偉丈夫どもに支えられるというのなら、むべなるかな、王はどんなに酷烈な重荷も背負えるに違いない」

 

厳粛に告げるとライダーは一度言葉を区切り、何かを飲み込むようにぐっと大きく頷く。征服王は、自らの不理解を征服するのにも秀でているのだ。

 

「騎士を伴ってこそ騎士王!忠勇なる武者たちとの絆によって完全となる王!なるほど、大勢の夢を束ね理想を志す王道、一人では出来ぬことを仲間と力を合わせて成し遂げる熱い心意気は、余の覇道にも通ずるものがある。同じ覇道を持つのなら、貴様と余の『王の器』は互角だ。

セイバーよ、『騎士王』として完成した時、改めて余と相まみえよう。今度は杯ではなく剣を交えて聖杯を競おうぞ!」

「———ああ、望むところだ。ライダー!」

 

互いに屈託なく破顔して杯を打ち合わせる。未知の金属でできた神代の杯は、心の底まで響き渡るような澄んだ音を奏でた。

遂に、ライダーはセイバーの『王の器』を認めた。彼は、セイバーが掲げる『王の在り方』はヒトには実現できないものだと思っていた。しかし、騎士の強さを目の当たりにし、彼らを束ねる王の強さを理解し、目の前の少女騎士ただ一人ではなく『騎士王』にならば過酷な理想も背負えるのではないかと考えたのだ。

セイバーも、強敵と価値観を分かち合えたことに充足感を得ていた。これで何の憂いもなく、誇りを持って戦えると。

だが、もう一人の孤高の王者はその考えには至らなかった。

 

「ふん、くだらん」

 

冷笑に鼻を鳴らし、英雄王ギルガメッシュは持参した酒を不味そうに喉に流し込んだ。この男にとっては極上の酒も大した意味は持たないのだ。

 

「王が民草を守護するだと?群れなければ王になれぬだと?ふん、王を自称することすら愚かしい。一人で何も出来ぬ小娘の戯言に耳を傾け、あまつさえそれを認めるとは、貴様の程度も知れたものだな、ライダー」

「まあ、そう言うなや、アーチャーよ。自らの法を何としても貫かんとする姿は我らと同じではないか。

それに、気骨の青臭さで言えば、余も人のことは言えぬ。大侵攻も、着いてきてくれる者たちがいなければ余の一人芝居で終わっていただろうよ。だからこそ、理解できるのだ。仲間と夢を共有し、束ねれば、どんな難行に挑んでも恐れることはないとな」

「はっ!ますます愚かしい。貴様がそこまで魯鈍だとはな!我と剣を交えるに足ると思ったが、とんだ買い被りだったぞ」

 

曇りの晴れた面持ちのライダーに対し、取り付く島も見せないアーチャーは目を合わせようともしない。ライダーへの感情は、期待から失望への落差もあってか嘲笑を越えて侮蔑の域に達しているようだった。

アーチャー———英雄王ギルガメッシュは世界最古の王であり、神の血を引く絶対者である。地の果てまで全てが己の手中にあると豪語する最強の英霊には、青臭い理想や彼以外が定める法、即ち正義を重んじるセイバーの王道は極めて倒錯的なたわごとにしか聞こえなかったのだ。

そんな自分を中心に世界は回っているというような自己中心的なアーチャーに、ライダーとの意気投合で気分が良くなったセイバーは前々から思っていた素朴な疑問をぶつけてみることにした。

 

「……なあ、アーチャー」

「なんだ、小娘。我はもはや貴様ら雑種とは目を合わす気にもならな

「貴様、友だち少ないだろう」

 

この時、この場にいる全員の気持ちが重なった。「あーあ、言っちゃったよ」と。

一同から顔を背け、アーチャーはあらぬ方向を見やる。よくよく観察してみると、終始傲岸不遜な態度をとっていたその肩がプルプルとさざ波のように震えていた。どうやら、彼なりに気にしていた問題らしい。

しばし無言の間隔を開けて彼は平静を取り戻し、セイバーに向き直ると再び嘲笑に鼻を鳴らした。

 

「ふ、ふん。これだから群れねば何も出来ぬ小娘は。我の盟友は先にも後にもただ一人。真の王は群れぬ。盟友はただ一人で十分なのだ」

「友だちが少ない奴が言いそうな言い訳だな。友だち作れと誰かに言われなかったのか?」

 

ピシリ、と。

再び空気が凍りつく。セイバーは心底気の毒そうな表情を向け、ライダーはあちゃ〜と天を仰ぎ、アイリスフィールは必死に笑いを堪らえ、ウェイバーは自身と重なるところがあるのか同情の目を浮かべている。どの反応も英雄王には屈辱以外の何物でもなかった。

その手に握られた黄金の酒坏がバギンと音を立てて粉々に砕け散る。地を裂く地鳴りのように低められた声は、普段の艶やかさなど想像もさせぬほどに憤怒に満ち満ちていた。

 

「貴様ら……我をコケにして楽に死ねると思うなよ……」

 

黄金細工のような逆立つ金髪がざわざわと魔力に震え、血色の双眸が火を放つ。その眦からポロリと伝い落ちた一筋の涙が、先のセイバーの言葉が巨大な地雷であったことを暗に伝えていた。

彼の伝説を知らしめた『ギルガメシュ叙事詩』にはもちろん書かれていないが、彼の唯一の友だちエルキドゥは常々「僕以外に友だちいないの?」と言っていたし、両親からも「友だち一人はさすがに寂しいだろ……」とうるさく小言を言われたし、エルキドゥと喧嘩した時などは相談できる友だちも仲裁を頼める友だちもいなかったのでなかなか仲直りできなかったという、とてもつらい思い出があるのだ。

もはや死んで楽になることすら許さぬとばかりに怒りに燃えるアーチャーの視線を平然と受け止めて、心理的に余裕のあるセイバーはにっこりと微笑みを返す。

 

「今の私は気分がいい。私でよければ友だちになってやってもいいぞ」

 

ぷっつん、という音が聞こえなかったのは果たしてセイバーだけであろう。

やにわにギルガメッシュが立ち上がると背後の宝物庫に手を突っ込み何やら趣味の悪い変な形をした剣を取り出そうと踏ん張るが何かに引っかかっているのかなかなか引っ張り出せず宙でバタバタと手足を震わせ、

 

「「「「「—————ッ!?」」」」」

 

次の瞬間、残りのサーヴァント二人が表情を引き締めたのは、ついに目当ての物を取り出せずに派手に尻餅をついたギルガメッシュの悔し涙に触発されてのものではなかった。

わずかに遅れてアイリスフィールとウェイバーが周囲の気配の異常に気づく。不可視にして無音でありながら、肌の温度を数段下げるほどの濃密に折り重なった殺意。

月明かりの照らす中庭に、白く怪異な異物が浮かぶ。ひとつ、またひとつと、闇の中に花開くかのように出現する蒼白の貌。冷たく乾いた骨の色。

髑髏の仮面だった。さらにその体躯は漆黒のローブに包まれていた。そんな異装の集団が続々と集結し、中庭にいた五人を包囲にかかっていたのだ。

その姿は紛れも無く、遠坂邸で脱落したはずのサーヴァント『アサシン』であった。

言峰綺礼への警戒と今夜の単独の暗躍を考慮し、アサシンの脱落についても疑念を抱いていたセイバーたちはアサシンの出現にはそれほど驚かなかった。しかし、アサシンの数が際限なく増え続けるに連れて、その目は愕然と見開かれてゆく。

その光景は異常というほかない。全員が揃いの仮面とローブを纏っていながら、体格の個人差は多種多様である。巨漢あり、痩身あり、子供のような矮躯もあれば女の艶めかしい輪郭もある。

気づけば、老若男女に至る様々なアサシンたちがズラリと包囲網を形作っていた。この場はアインツベルン城でありながら、完全にアサシンに有利なフィールドと化している。単騎のアーチャーはともかく、生身のマスターを伴っているセイバーたちにはこの状況は面白くない。

じわじわと包囲網を狭めるアサシンたちを鋭い視線で牽制しながら、ライダーはアーチャーを憮然と睨んで言う。

 

「アサシンですらこんなに友だちがいるのに、貴様ときたら……」

「……もう我のことは放っておいてくれ……」

 

 

‡ 切嗣サイド ‡

 

 

「———切嗣、今戻りました」

「ああ、ご苦労。舞弥」

 

背後に目を向けず、切嗣は腹ばいでスコープを覗いたまま返答した。それは決して彼が不覚をとって舞弥に気付かなかったからではなく、舞弥が足音に一定の暗号を挟んで自身の接近と周囲の安全を事前に切嗣の耳に滑りこませていたからだ。

先ほどまでケーキがどうのだの機能不全を起こしていた舞弥だが、切嗣の「ケーキバイキングの店全部爆破すんぞ」という一言ですっかり回復し、逃走経路の確保と周囲の偵察を行えるまでに回復した。

 

「逃走経路は安全です。隠していたジープも無事でした。隠れ家への避難に問題はありません。それと、少しだけ気になることが」

「なんだ?」

「森の中に仕掛けてあった監視カメラや地雷、小銃が一部なくなっていました。ライダーの宝具の轍の近くにあったものばかりなので、その余波で吹き飛んだ可能性が大きいですが、それにしては丁寧に取り外されているように見受けられました」

「……わかった。留意しよう」

 

切嗣は思考の端で何者かが持ち去った可能性を考えるが、「誰が、何のために」という疑問の回答候補が思い浮かばなかったために保留することにした。言峰綺礼がそんなものを必要とするとは思えないし、兵器や機械を苦手とする魔術師が科学の粋を集めた機器を持ち去って何かするとは思えない。舞弥の示した可能性の通り、ライダーの襲撃の余波で吹き飛んだだけかもしれないのだ。

それよりも、気になるのは———

 

「これは、予想以上だな」

 

スコープ越しに見据える先では、セイバーたち五人を大勢のアサシンたちが取り囲んでいた。アサシンに何らかのからくりがあると踏んでいた切嗣だったが、これほどの反則技を持っていたとは予想だにしていなかった。

 

『さあ、遠慮はいらぬ。共に語ろうという者はここに来て杯をとれ。この酒は貴様らの血と共にある』

 

無線特有のくぐもった音声でもわかる、ライダーの野太い声。しかし、その誘いの後に聞こえたのは快諾でも感謝でもなく、何かが寸断され、地面に液体がぶちまけられる音だった。切嗣の鋭敏な視覚は、それがライダーがアサシンたちに差し出したワインであることを見とめた。

 

『———余の言葉、聞き間違えたとは言わさんぞ?

“この酒”は“貴様らの血”と言った筈———そうか。敢えて地べたにブチ撒けたいというのならば、是非もない……』

 

ライダーの声音が一段低くなったと同時に、ガリガリと耳障りな電波の乱れが鼓膜を激しく叩き始めた。この距離で受信が乱れるような安物は使ってはいない。用意したものは全て現役で使用されている最高級の装備品ばかりだ。周囲の電磁波を竜巻のように丸ごとかき乱す大異変が、今一人の英霊によって引き起こされようとしているのだ。

ざわざわと背筋を這い登る予感にゴクリと喉を鳴らし、切嗣は舞弥にそっと呟く。

 

「きな臭い空気になってきたぞ、舞弥」

「えっ!?ケーキ!?」

「だから空気だっつってんだろ!!」

 

 

‡ 雁夜おじさんサイド ‡

 

 

聖杯問答と時刻を同じくして、間桐邸。

 

「ぶるわぁあっくしょ———ん!!!」

「ぐるる——っくしょ———ん!!!」

「うわあ、二人同時にくしゃみなんて珍しい。きっとどこかで誰かに噂されてるのよ」

 

その噂はきっと良くないものに違いないと心中で愚痴を呟き、雁夜は鬱陶しげな目付きで同じタイミングでくしゃみをした隣のサーヴァントを睨み上げる。そこではバーサーカーが兜を被ったまま器用にティッシュを突っ込んで内側を拭いていた。そこまでするくらいなら兜を脱げばいいと桜は期待も込めて助言したらしいが、バーサーカーは「キャラ的にNG」というよくわからない理由で断ったらしい。なんだよキャラ的にって。とは言え、俺もバーサーカーの素顔を見てみたくはある。どんなとぼけた顔が入っているのやら、是非とも拝んでやりたいものだ。

 

「ねえ、バーサーカー。さっきから家の色んなとこで何してるの?」

「ぐるる」

「仕掛け?どういうこと?」

「なんだなんだ?俺にも見せてくれ」

 

ランドセル片手に桜の質問に答えたバーサーカーの手元を、桜と共に覗いてみる。見ると、どうやら彼は屋敷の至る所に機械類を備え付けているようだ。さっきからギャリギャリとドリルで壁に穴を開けて紐を通していると思ったら、配線工事をしていたわけだ。どうせ電気工事士の資格を持っていると言い出すのだろう。もう驚かないぞ。

一見するとそれとわからないように巧妙に照明器具に偽装してあるが……なるほど、これは監視カメラだろう。通路を見張るように設置されたつや消しブラックのそれは、見た目でもかなり高性能なものだとわかる。一般の電器店どころか怪しげな通信販売ですら手に入りそうにもない。

 

「うおっ。まだこんなにあるのか。って、銃まであるじゃないか!いったいどこから持ってきたんだ!?」

 

ランドセルの中身を見てみれば、他にもたくさんの機械や兵器が詰め込まれていた。バーサーカーが手に持っているので、漆黒と化したピンクのランドセルは四次元ポケットのように通常の倍以上のものを内部に詰め込められるようになっている。桜に化けた時にどうしてランドセルを背負って行ったのかと不思議に思っていたが、これを収めるためだったようだ。

自分のランドセルが兵器庫と化しているのを物珍しげに覗き込みながら、桜がひょいと湾曲した濃緑色の四角い箱を持ち上げた。

 

「ねえ、おじさん。これってなんて読むの?」

「ん?ああ、これは英語で、『M18 Claymore』———クレイモアァアアアアアアアアッッッ!!??」

「きゃあああっ!?」

「ぐっ、ぐるるるるっ!?Σ(゜Д゜;;)」

 

俺が思わず放り投げたそれ(・・)は爆発することはなかった。地面に接触する直前でバーサーカーの手に掴み止められたそれこそ———米軍の指向性対人地雷『クレイモア』に違いないからだ。フリーライター時代、米軍の取材に行った時に説明を受けたのだが、まさか故郷で実物を拝むとは思ってもいなかった。

 

「ふわあ。び、ビックリしたぁ」

「ぐるるー!ヽ(`Д´#)ノ」

「気をつけてよって、それはこっちの台詞だバカ!どこからこんな物騒なものを拾ってきたんだ!?」

「うごごうごご!」

「アインツベルンの城ぉ?なんでアインツベルンがこんなもの……」

 

バーサーカーの寄越した答えに思わず首を捻る。アインツベルンといえば、何百年も前から自分の家系が開発し、失った第三魔法を再び手に入れるために聖杯戦争のシステムを創り上げた御三家の内の一つだ。何しろ他の家に比べて倍以上の歴史の長さと風格を持っているから、魔術師として凝り固まっているという話はだいぶ昔に聞いた記憶がある。そんな魔術師がこんな無骨な機械を好き好んで使うだろうか?あの利用できるものは何でも利用するあくどい性格だった間桐臓硯すら、機械類にはあまり手を出さなかったものだが———

 

「思い出したぞ。臓硯が言っていたな。『アインツベルンは魔術師殺しを雇った』って。魔術師殺し……名前は確か、衛宮切嗣だったか」

 

衛宮切嗣……魔術師に恐れられる暗殺者にして、現代兵器や汚い手段を用いることで忌み嫌われている異端者。魔術師を嫌っているということに関して言えば、俺とは意見が合いそうだ。こいつに臓硯暗殺を依頼しておけばよかったかもしれない。もっと早くに会ってみたかったものだ。

 

「なるほど、これはアインツベルン城に衛宮切嗣が仕掛けたものなのか。どれもこれも軍隊で使ってるような上等なものばっかりだ。奴の本気が窺えるな……」

「おじさん、郵便が来てたよ」

「えっ、こんな夜遅くにかい?」

 

設置式に改造された火器をしげしげと眺めてこれを用意した衛宮切嗣という人物を探っていると、桜が封筒を持ってきた。こんな時間に封筒が届くなんて、いったい誰からだ?

差出人を見ると、『聖杯戦争実行委員会 現地監督役 言峰璃正』と書いてある。教会の神父の名前だ。嫌な予感がする。

 

「なになに……?『貴君がキャスター陣営の殲滅に寄与したことを心より感謝する。先日の暫定的な取り決めの通り、セイバー陣営とバーサーカー陣営に追加令呪を寄贈したい。よって、両陣営とも明日の正午に言峰教会に必ず参集されたし。バーサーカー陣営にはセイバー陣営より重要な話があるとのこと』……冗談だろオイ……」

 

突如なだれ込んできた難題に、たまらず頭を抱えて呻いた。

令呪が欲しくてバーサーカーにキャスターを倒せと命じたわけじゃないし、教会なんかに出かけようものならだまし討ちされる可能性もある。教会に出向くのならバーサーカーを引き連れる必要があるが、それでは桜一人を残すことになる。かといって桜も一緒に教会に行けば危険に晒しかねない。

というか、アインツベルンが俺に大事な話ってなんなんだ?まさか、盗んだカメラとか返せって要件か!?

ズキズキと痛む額を押さえてぐったりしていると、いつものように彼が肩にポンと手を置いてきた。

 

「ぐるる!」

「バーサーカーが、『私にいい考えがある!』だって」

「……失敗フラグにしか聞こえないよ」

 

それでも———自信満々に胸を張るこの大男を見るとなぜか安心できてしまうのだから、不思議なものだ。

 

 

‡ バーサーカーサイド ‡

 

 

あぶねー!おじさんったらクレイモアぶん投げるんだもんなぁ。参っちゃうよ。信管つけっぱなしだから冷や汗かいちゃったよ。発破技師の資格持ってるからって油断すると危ないね。

さてさて、電気工事士の資格を活かし、現在ワタクシめは間桐邸の近代化に勤しんでおります。驚いたのは、この家は内装は高級感あって立派なんだけど、電気家具がほとんどないんだよね。魔術師の家ってのはみんなこうなのかね?分電盤なんかこれ何十年前のだよ。カットアウトスイッチ方式なんか今時見ないぜ。

とりあえず、桜ちゃんが将来IH調理器とか使う時のためにも電気容量拡充工事をしました。電気引き込み線を太めのものに交換したり、コンセントを増設したり、電気回路を増やしたり繋げ直したりして、インフラ整備はなんとか整えた感じです。ブレーカーも漏電防止にしといたから火事に繋がる恐れもないし、上出来かな。言っとくけど、業者に頼んだら10万円じゃ収まらないくらい費用が掛かるんだからね?

そして増やした電気を使って、家の各所に監視カメラやちょっとした罠を仕掛けます。おじさんの蟲だけじゃ正直不安だからね。アインツベルン城に入れば切嗣さんの罠があるからそれを貰おうかと思ってたけど、森の中にもあったのは幸運だった。俺の幸運ステータスも捨てたもんじゃないね。例のクレイモアはどこに仕掛けようかなあ。小銃とかそのまんま手に持って使っちゃおうか。一応、予備自衛官の資格もとったから射撃の訓練は受けてるんだよね。

しっかし、罠しかける瞬間って凄くワクワクするよね。これが、旅行の準備してる時が一番楽しい法則ってやつかな。でもおじさんが間違って引っかからないか凄く心配だ。

 

「……冗談だろオイ……」

 

振り返れば、おじさんが何やら手紙を読んで頭を抱えてます。後ろから覗いて読んでみると、どうやら神父さんからの令呪配布のお知らせみたいです。それと、セイバー陣営からも大事なお話があるんだとか。盗んだカメラとか返せって用件……じゃないよなあ。

原作から大きく乖離し始めたみたいだ。段々と先が見えない展開になってきたけど、まだまだ想定の範囲内です。こんなこともあろうかと、実は切嗣さんから奪った機器を使って秘密道具を作っておいたのです!

 

「ぐるる!」

「バーサーカーが、『私にいい考えがある!』だって」

 

桜ちゃん、ナイス翻訳!桜ちゃんは、俺がぐるるとかうごごしか言えないのに、ニュアンスで何言ってるかわかるようになってきている。雁夜おじさんも大分意思疎通できるようになった。俺たち、固い絆で繋がってるんだね!

だから、そんなコンボイ司令官にほとほとあきれ果てたバンブルビーみたいな顔でこっちを見ないでほしいなぁ。




今回の聖杯問答はめちゃめちゃ悩みました。「どうやってセイバーに口で勝たせるか?」と悩んで、百回以上読み直しました。でも、これ以上のものは今の僕には書けません。これが今の僕の限界です。ブログでホスさんから助言をもらって、ようやく今の形に落ち着きました。彼の助けがなければまだ遅れていたでしょう。ホスさん、感謝です。


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2−10 ハサン「アルタイルはワシが育てた」

セイバー(アーチャーは友だち少なくて可哀想だな。私はたくさんいたのに。思い返せば彼らとの楽しい思い出がありありと蘇ってくるぞ)

〜回想〜
トリスタン「えー、これで本日の円卓会議は終了します。お疲れ様でした。皆さんお気をつけてお帰りください。くれぐれも飲酒乗馬などしないように」
ガウェイン「ういー。おつかれー」
アーサー王「ところで、円卓の騎士たちよ。ちょっと確かめておきたいんだが、我らは友だちだよな?」
騎士たち「えっ」
アーサー王「えっ」
〜回想終わり〜

セイバー(……あれ?)


‡ウェイバーサイド‡

 

 

ウェイバーはこの瞬間、己のサーヴァントが間違いなく最強の英霊であると確信していた。

地平線まで拡がる灼熱の砂漠を埋め尽くす、何千何万———いや何十万にまで達する屈強な騎兵の軍団。死してなお、英霊の座に召し上げられてなお、征服王イスカンダルを唯一の王と敬して付き従う英傑豪傑の大軍。

その場にいる唯一の正式なマスターであるウェイバーのみが、彼らが何者であるのかを理解することが出来た。

 

「こいつら……一騎一騎がサーヴァントだ……!」

 

無意識の内に呟いた驚くべき事実に、セイバーとそのマスターが息を呑む。

これこそ、征服王イスカンダルが有する最強の切り札。現実を侵食し、心象風景を具現化させる固有結界。その極限の大魔術すら可能にする巨万の英霊軍団(・・・・)

 

「見よ、我が無双の軍勢を!

肉体は滅び、その魂は英霊として『世界』に召し上げられて、それでもなお余に忠義する伝説の勇者たち。時空を超えて我が召喚に応じる永遠の朋友たち。

彼らとの絆こそ我が至宝!我が王道!イスカンダルたる余が誇る最強宝具———『王の軍勢(アイオニオン・ヘタイロイ)』なり!!」

 

規格外という言葉すら意味を成さぬ、ランクEXを誇る対()宝具。サーヴァントによる、独立サーヴァントの超連続召喚。それが『王の軍勢(アイオニオン・ヘタイロイ)』の正体だ。

召喚に応じた英霊たちが正規のサーヴァントではないと侮る無かれ。そこには、かつてアレキサンダー大王より王らしいと称された大英雄ヘファイスティオンがいた。幾度と無くアレキサンダー大王の危機を助けた騎兵隊長クレイトスがいた。アレキサンダー大王の大遠征を支え続けた千人隊長ペルディッカスがいた。後に新たな王朝を築いたプトレマイオスが、セレウコスが、アンティゴノスがいた。彼ら一人ひとりに脈々と語り継がれる伝説があり、後世の民に神とさえ崇められる大英霊たちなのだ。

そして彼ら全員が、その威名の大元に等しく同じ出自を誇っている。———“かつて偉大なるイスカンダルと轡を並べし勇者”、と。

唯一乗り手のいない空馬がライダーの元へと進み出る。彼はその駿馬の首を「久しいな、相棒」と子どものような笑顔で強く抱き締める。その勇壮な威風を放つ巨馬こそ、伝説の名馬ブケファロスに他ならない。イスカンダルの絆は、愛馬すら英霊として呼び寄せるのだ。

大軍団の勇姿を前に、ウェイバーの視界の隅でセイバーが総身を震えさせた。ライダーの宝具の威力を畏怖してのものではないだろう。武者震いに笑う横顔は、かつてブリテンの平野を駆け抜けた己の忠勇なる騎士軍団を———彼らを率いて『王の軍勢(アイオニオン・ヘタイロイ)』とぶつかり合う戦場をそこに幻視したからに違いない。

ウェイバーにすら劣る体躯でありながら、ライダーと互角に論争を繰り広げ、人格ごとに分裂するアサシンの異常能力を目にし、そしてこの常軌を逸した超宝具を前にしても、怖気づくどころか獰猛な笑みさえ浮かべてみせるセイバーの底知れぬ胆力には舌を巻くしかない。

 

(これが、アーサー王なのか……!)

 

イギリスに生まれた人間なら知らぬ者はいない伝説の勇者。聖剣を手にして正義の名の下にブリテンを統一した無敗の王、それがアーサー・ペンドラゴンだ。

ウェイバーも幼い頃はその伝説を絵本やテレビ媒体で見聞きしていた。聖杯戦争に参加して、アーサー王が実は女であったと知って正直拍子抜けしていたが、それは敵を過少評価する下の下の愚行であった。

今なら何の躊躇いもなく肯定できる。彼女こそアーサー王、彼女こそ無双の騎士たちを束ねた騎士王に他ならぬ、と。

 

「セイバーよ、先ほど貴様は『王たらば孤高であるしかない』と言ったな?」

「如何にも。そして貴様は『自分は違う。今からそれを見せつけてやる』と言った」

「それで、どうだ?我がマケドニアが誇る豪傑たちの勇姿は?」

 

ニヤと口端を上げたライダーの言葉に、セイバーが仁王立ちをして『王の軍勢(アイオニオン・ヘタイロイ)』を真正面からぐるりと見渡す。その厳しい目つきはまるで隊列の正確さを検分する軍師のようだった。数十万の軍勢を前にして怖じるどころか、逆に威圧しているようですらある。ちなみにアーチャーは体育座りをして蹲っている。

 

「うむ、良い兵たちだ。貴様が自らの王道を万道だと言っただけのことはある。貴様は誠に孤高とは程遠い王だったのだな」

「応とも!!」

 

セイバーの頷きに、一跳びでブケファロスの背に跨ったライダーが大声を張り上げる。王の騎乗を確かめた騎兵が一斉にそれぞれの愛馬に跨り、歩兵が盾槍を前身に構える。数十万の兵全てが一糸乱れぬ動きをするその整然さこそ、数々の強国を打ち破り続けたマケドニア軍の強さの源だ。

 

「セイバー、孤高の王もそれはそれで是だ。貴様の時代では王は気高く、孤高であるべきだったのだろう。だが、それではちと寂しいものがある。……まあ、そこの金ピカはかなり寂しかっただろうが」

「うるさい我に触れるな」

「むはは、そう言うな!ここは一つ、貴様らに我が治世では王とはどうあるべきだったのかを直接見せてやるとしよう!!」

 

まるで玩具を自慢する子どものようににんまりと破顔させ、ライダーが大きく腕を振り広げる。いや、事実自慢したいのだろう。『騎士王には彼の者を支える忠勇なる騎士たちが大勢いる』と聞かされれば黙っていられないのがこの男だ。

居並ぶ己の大軍団を背に咆哮するその顔は誇らしさに満ち満ちている。

 

「我が治世にあって、王とは———誰よりも鮮烈に生き、諸人を魅せる姿を指す言葉!

すべての勇者の羨望を束ね、その道標として立つ者こそが、王!

故に、王は孤高にあらず。その偉志は、すべての臣民の志の総算たるが故に!!」

「「「「「「然り!然り!然り!」」」」」」

 

英霊たちの斉唱が大地を揺るがし、大音声の波が圧力を持って鼓膜を叩く。騎兵が、歩兵が、一斉に盾を太鼓のように打ち鳴らして歓呼する。蒼天の彼方まで突き抜けていく金属の大合唱が、ドクン、ドクン、ドクンと地の果てまで響き渡る。それはまさに、この砂漠の熱砂を形作る巨獣の鼓動であった。

ブケファロスが一歩前に出る。それに応じて隊列が攻撃的な鋭角に変化していく。流れるような陣形の変化はまるで筋肉のうねりのようだ。否、偉大なる征服王イスカンダルと心を一つにした英霊軍団は、すでに猛り狂う巨大な獣と化している。

ドクン!ドクン!!ドクン!!!と鼓動が加速度的に大きく、速くなる。巨獣は、久方ぶりの獲物(・・)を前にして興奮の絶頂にある。

 

「さて、では始めるかアサシンよ」

「「「「「————!!」」」」」

 

王の言葉を阻み、王の酒を拒んだ狼藉者に対して、征服王が行う処罰はただ一つだ。キュプリオトの剣先が空を切り裂き、アサシンの群れにピタリと突き付けられる。髑髏の仮面の下で、アサシンたちが目を剥く。

 

「見ての通り、我らが具現化した戦場は平野。生憎だが、数で勝るこちらに地の利はあるぞ?」

 

ハサンの中の百の貌は、このとき聖杯を忘れた。勝利を、令呪の使命すら忘れ、サーヴァントたる己を見失った。自分たちに訪れる結末のあまりの圧倒的さに理性のタガが外れた。

無駄を承知でわれがちに逃走する者。自棄にかられて金切り声を上げながら吶喊するもの、為す術もなく棒立ちになる者———算を乱した髑髏の仮面は、もはや烏合の衆でしかない。

王の軍勢(アイオニオン・ヘタイロイ)』と相対するにはあまりに見苦しい敵を前に一度鼻を鳴らし、ライダーは号令をかけんと剣を頭上に掲げる。

 

「行くぞ我が朋友らよ、蹂躙———

 

「待たれよ、征服王」

 

その小さな声は、巨獣の咆哮をすり抜けてライダーに届くだけの威厳を持っていた。

言葉を止めたライダーが目を凝らしたその先、アサシンたちの群れの中に、その声の主はいた。

浅黒い肌、極限まで鍛えあげられ軽量化された肉体、簡素な腰みのは一見するとアサシンの特徴そのものだ。だが、よくよく見てみれば、彼は見るも無残な姿をしていた。片腕は握りつぶされ、全身に裂傷を刻まれ、髑髏の仮面は失われて顔面は醜く腫れ上がっていた。

満身創痍のアサシンがゆっくりと踏み出す。意思の力でしか動いていないであろうそのボロボロの肉体は、意志の力で動いているが故にしかと地を踏み締める。

 

「騒ぐな、貴様ら。山の翁(シャイフル・ジャバル)の名が泣くぞ」

 

手負いとは思えない威厳に満ちた声音に、恐慌状態になりかけていたアサシンたちがハッと我を取り戻して彼に視線を集中させる。

ウェイバーは周囲に遅れてようやく気付いた。あの手負いのアサシンこそ、今回の多重人格アサシンを統べる本体であることに。

先ほどまでの恐慌を忘れさせるほど静まった彼らが速やかに本体の周囲に参集する。彼はもっとも近くにいた女アサシンの肩に手を置き、気力に満ちた声で告げる。

 

「あとはこのハサンに任せろ」

「「「「「————御意」」」」」

 

力強い言葉に全てのアサシンが地に片膝をついて傅いたかと思うと音も立てずに空気に溶けてゆく。それと反比例して手負いのアサシン———ハサンの内に渦巻く魔力が充実していくのをウェイバーはマスターの透視力で察知した。腰ミノ一つだったハサンの全身が蜃気楼のように揺らぎ、その身体を戦装束が覆っていく。

幻影が晴れれば、そこにはイスラム圏特有の革の鎧を纏った若武者が雄々しく佇んでいた。魔力の漲りによって負傷は癒え、仮面に隠されていた精悍な美人顔が蘇っている。

騎士の装いに変化したハサンの顔を見て、ウェイバーは我知らず息を呑んだ。彼は今、アサシンとしての気配遮断スキルも、“百の貌のハサン”としての分裂能力も捨て去り、ただ一人の戦士(・・)として征服王と勝負するつもりだ。

無謀だ無茶だと彼の正気を疑うのは無意味だ。数十万の軍勢を前にして、まるで勝てるつもりでいる(・・・・・・・・・)かのように不敵な笑みを浮かべてみせるこのハサンに正気があるなど、いったい誰が言えるというのか。

 

「先の無礼を許せ、征服王。知っての通り、我らは暗殺者の身であるが故に宴の作法など身に着けておらん。特に貴様の杯に粗相を働いたアシュラフは我が人格の中でも頭の残念な奴でな」

「是非もない。しかし、だからと言って王の酒を拒んだ狼藉者であることに変わりはない」

「如何にもその通りだ。落とし前はつけねばならん。だが———」

 

情けなど微塵も感じさせないライダーに鷹揚に頷いたハサンが、ゆっくりと腰の剣を抜く。それは暗殺者として用いていた黒塗りの短剣ではなく、刀身が大きく反った片刃剣(シャムシール)だった。柄に美しい彫刻の施されたその剣は到底暗殺者が振るうようなものには見えない逸品だ。

しゅらりと流れるような動作で下段に構えられたシャムシールの刀身に、ハサンの鋭い笑みが映り込む。

 

「ただでは殺されてやらんぞ、征服王。この()を殺すのは、地の果て(オケアノス)を見るより難儀だと思え」

 

股を大きく開いて腰を落とす堂に入った見事な構えは、暗殺者(アサシン)というより、騎士(セイバー)のクラスに相応しく見えた。それを見たライダーが「むう」と低く喉を鳴らし、セイバーが「ほお」と感嘆の溜め息を漏らす。武芸に疎いウェイバーでさえハサンの間合いが“必殺の領域”と化したことを見て取れたのだから、武人である二人にはそれ以上の何かが見えているに違いない。

なぜ、アサシンが分裂という特殊能力を投げうって自身のクラスにそぐわない尋常な戦い方に打って出たのか。なぜ、影に潜む刺客の姿を捨ててこうも気高く堂々と振る舞うようになったのか。彼にそうさせるきっかけを与えた存在に、ウェイバーは心当たりがあった。

 

「バーサーカー……」

 

狂戦士となっても騎士道精神を失わない高潔な騎士。セイバーが彼の存在によってライダーと口舌で渡り合えたように、ハサンもまた彼の姿を通して何かを得たのだろう。負っていたひどい手傷はその代償だ。

 

「なるほど、またもやあの男の仕業というわけか。心憎い謀らいをしてくれる」

 

ウェイバーの呟きに答えるようにライダーが愉快そうに独りごちる。ハサンは答えない。しかし、その目はライダーの呟きが正しいことを雄弁に物語っている。

例え必殺の領域に侵入した敵一体を一刀の元に切り伏せたとしても、ハサンが敵しているのは数十万の大軍団だ。到底勝ち目などない。しかし、敗北が目に見えた絶望的な状況に身を置いているにも関わらず、ハサンの双眸は清々しく澄んでいた。揺るぎなく正面を見据える視線は、見失っていた道を見つけた希望に満ちて王の軍勢を貫いている。

 

「良い目をしておる。間者にしておくには惜しい傑物だ。何より、その珍しい鎧も風情があってなかなか格好が良いではないか。ううむ、我が軍門に降らせたくなってきたぞ!」

「ちょ、おまッ!?」

 

征服した国の文化や衣装を好んで実践したアレキサンダーらしい物言いに、ウェイバーが堪らず吹き出す。ほんの一瞬前に切り札の最強宝具で蹂躙しようとしていた狼藉者でさえ、朋友とする価値があると踏めば構わず手を差し伸べる。器が大きいと言えば聞こえはいいが、悪く言えば節操がない。セイバーとそのマスターは呆れ顔を浮かべ、ライダーの背後に控える兵士たちは互いに苦笑を交わしている。きっと彼らの中にも同じような勧誘をされた者が大勢いるに違いない。

キョトンと目を丸くしていたハサンが我を取り戻してカラカラと大笑する。

 

「これはこれは……全世界に名を轟かす征服王からのお声かけとは、身に余る光栄だ」

「そうだろうそうだろう。これ以上ない天与の機だぞ。して、返答は?」

「そうだな。それはまた次の機会(・・・・)ということでどうだ?」

「ふはは、であろうな!」

 

張り詰めた殺気をそのままにおどけた愛想笑いを返すハサンに、ライダーは何の含みもない哄笑を送った。差し伸べた手を跳ね除けられたというのに、童子のような笑い顔が薄れることはない。彼にとっては、朋友を得ることと好敵手を得ることは同じ価値を持っているのだ。

これから殺し、殺される間柄にも関わらず交わされる後腐れのない爽やかなやり取りに、ウェイバーの胸にも熱いものがこみ上げる。これが武人の魂というものか、と。

 

「では———手加減はせんぞ、ハサンよ!」

「それはこちらの台詞だ、征服王!」

 

ライダーが踵でブケファロスの腹を蹴れば、猛る巨馬が雷鳴のような嘶きを轟かせて大地を蹴る。キュプリオトの剣を振り上げたライダーが雷鳴に負けじと高らかに咆哮する。いざ我に続け、と。

 

「AAAAlalalalalalaie!!」

「「「「「「「AAAAlalalalalalaie!!!!!」」」」」」」

 

応じて轟くのは、耳を聾する鬨の声。狼が遠吠えに和するように、王の咆哮に呼応して数十万の豪傑たちが腹腔の奥底から哮り声を張り上げる。

天を砕かんばかりの勢いで突進してくる王の軍勢を前に、ハサンは地に足を食い込ませて動かない。その姿はあたかも獲物が間合いに入ってくるのをじっと待ち構える砂漠の土蜘蛛のようだ。

土蜘蛛が狙う獲物は、常に軍団の最先端を駆けるライダーに他ならない。ブケファロスが最速の駿馬であるが故に、征服王自身がマケドニア随一の勇猛を誇るが故に———ライダーより前に兵はおらず、その周囲に護衛はいない。それが、ハサンにとって唯一の勝機だ。

ブケファロスの蹄がついにハサンの必殺の領域に踏み込んだ。踏み砕かれた大地が石礫を八方に跳ね上げ、一際激しく鼓膜を叩く。無音となった視界にキュプリオトの極厚の刀身が翻り、ハサンの首に猛然と迫る。それはライダーが無防備になった瞬間でもあった。

二度とない勝機を確信したハサンの瞳がカッと見開かれる。

 

御首(みしるし)、頂戴するぞ!イスカンダルッ!!」

 

刹那、ギリギリまで蓄積され練り上げられていた魔力が体内で爆発し、シャムシールが一瞬で大上段に振り上げられる。

 

「勝ったな」

「ッ!?」

 

人の身には見えぬ何かを人外の感覚で視認したセイバーの小さな呟きがウェイバーの鼓膜に滑り込んだ。それがどちらの勝利を確信しての呟きかウェイバーには判断がつかなかったが———どちらかが死ぬに違いないことだけは理解できた。

直感で己のサーヴァントの危機を悟ったウェイバーが身を乗り出す。

 

「ライダーッ!!」

 

逼迫した叫びは、同時に響き渡った鋼が砕け散る破砕音に呆気無く掻き消された。

ブケファロスが力強く地を蹴り、刹那にも満たない斬り合いを交わした両者の距離が開いてゆく。グラリと傾いた彼の胸には骨ごと断ち切る深い剣傷が刻まれていた。一瞬後、切り裂かれた傷口から大量の血しぶきが噴き出して真紅の霧雨を降らせ、異国の鎧を染める。

 

「———え……?」

 

膝をついたのは———ハサンだった。

枯れ枝のように中央から折れたシャムシールを杖にして、かろうじて地に這いつくばる汚辱を防いでいる。砂地にボタボタと鮮血が滴り落ちては吸い込まれてゆく。

倒れるのは必殺の領域に踏み込んでしまった己のサーヴァントの方だと思い込んでいたウェイバーは唖然としてセイバーを見やる。彼女は何ら表情に変化を見せていない。暗殺者の仮面を脱ぎ捨て、戦士として剣を振るったハサンの雄姿を一瞬足りとも見逃すまいと厳かに見つめている。

セイバーは持ち前の直感スキルで、ハサンが絶対に(・・・)ライダーに勝てないことを察知していた。たしかに、ハサンの構えは達人の冴えを見せていた。彼が自らの間合いに生み出した必殺の領域はセイバーであっても安易と踏み込めないほどに脅威であった。しかし、ライダーの有するクラス適性効果がそれを覆したのだ。

暗殺に特化したクラスで召喚されたハサンに対して、ライダーは騎乗に特化したクラスとして召喚されている。愛馬ブケファロスに騎乗(・・)した騎馬兵(ライダー)はクラス適性一致による助勢を受けてステータスの引き上げがされていたのだ。万全の状態のライダーと、自らのクラス適性の一切をかなぐり捨てたアサシンとでは、結果は火を見るよりも明らかだ。

胸から口から血を吹き出し、決まりきっていた敗北を全力で受け止めたハサンが満足気に笑う(・・)。その澄んだ瞳に映るのは宿敵と定めた騎士の背中だ。

 

「はは、は。参ったな。短剣ばかりにかまけていたツケが回ったか。アイツ(・・・)とやり合うまでに勘を取り戻さないと———」

 

そこから先を紡ぐことはできなかった。次の瞬間、王の軍勢という巨波に飲まれたハサンの姿はあっという間に粉塵に掻き消え、軍勢が駆け抜けた後にはかつてアサシンというサーヴァントが存在した形跡は微塵も残ってはいなかった。

否———ハサン(・・・)がいたという事跡はたしかに残っている。ウェイバーのこの胸に、熱い煌めきを刻みつけて。

 

(僕も……僕も、あんな男たちになりたい)

 

心中で憧憬の言葉を口にする。途端、ウェイバーは己の胸の内で何かに火が着いたような感覚を覚えた。

これと決めた目標に向かって脇目も振らずに走るのが、男という愚かで輝かしい生き物の性だ。今はまだ篝火のように仄かな火種は、やがて少年が男になるにつれて轟々と火を噴く猛火となるだろう。

 

「「「「「「———ウォオオオオオオオオオオオオッ!!」」」」」」

 

勝ち鬨の声が湧き起こる。王に捧げた勝利を誇り、王の異名を讃えながら、ひとたび役目を終えた英霊たちは、再び霊体へと還って時の彼方へと消えていく。彼らの魔力の総和によって維持されていた固有結界が解除され、景色は元の夜のアインツベルン城の中庭へと立ち戻った。それぞれの立ち位置も固有結界の発動以前に戻っている。

 

「———“彼ら一人ひとりが導き手”、か」

 

感慨深げに低く呟いたライダーがセイバーをまっすぐに見つめる。無骨な手のひらを胸板に押し当てた仕草は、胸の内で燃え上がる炎を確かめるかのようだ。

 

「アサシンすらあのように導くとは……誠に恐れいったぞ、セイバー。騎士とはこれほどのものであったか。あれほどの導き手に満ちている国なら、王が導く必要など微塵もなく、王が孤高であったとしても何の問題もなかったろう」

「なんだ、羨ましくなったのか?言っておくが騎士は分けてやらんぞ」

 

ライダーの端然とした語りに軽口を叩いて返したセイバーは、誇りに満ち溢れている。彼女も、アサシンを導いたのがあの漆黒の騎士であることにすでに思い至っているのだろう。

 

「ふん、褒めてやったら調子に乗りおって。今のうちに言っておれ。どの道、全て征服して奪ってやるのだからな。———うん?アーチャー、どこへ行く?」

 

ライダーがふと見れば、アーチャーがトボトボと帰宅の途につこうとしていた。黄金に輝いていた鎧も金髪もなぜだかしゅんと萎れて光度を下げている。

 

「疲れた。帰る」

徒歩(かち)ではつらかろう。送ってくぞ」

「そうだそうだ。ライダーに送ってもらえ」

「いい。ヴィマーナあるからいい。お前のなんかよりもっといい乗り物だし。速いし」

 

ボソボソと不明瞭な小声だったが、それでも自慢をやめないところはさすが英雄王といったところか。黄金と翠緑色の飛行物体を王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)から引っ張り出し、よいしょと力なく乗り込むとさっさと夜暗に飛んでいってしまった。

明らかに意気消沈した様子だったアーチャーの姿を見届けて、セイバーがきょとんと不思議そうに小首を傾げる。

 

「アイリスフィール、なぜアーチャーはあんなに元気がなくなったのでしょう?私が何かしてしまったのでしょうか?」

「あなたのせいよ」

「お前のせいだよ」

「貴様が悪いぞ」

「………???」

 

それでも首を傾げて眉をひそめるセイバーに、三人は肺が縮むような溜め息を吐き出した。きっとアーサー王に仕えた騎士たちも同じ心労に胃を痛めていたに違いない。

 

「……友だちへの誘い方が悪かったのでしょうか?」

「ちょっと黙ってなさい、貧乳王」

「ひどい!」




アーサー王「マーリン!マーリンはどこか!」
マーリン「なんですか血相変えて」
アーサー王「私たちは友だちだよな!?」
マーリン「えっ」
アーサー王「えっ」


この話を投稿した頃に、arcadiaさんの『ブリジットという名の少女』というガンスリンガーガールの二次小説にハマったのです。お勧めです。とてもおもしろくて、鬱でシリアスなお話です。ほら、僕もああいう欝でシリアスな物語しか書けないから、やっぱり共感しちゃうんでしょうね。うん。


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10年後  20歳過ぎた途端に年月が過ぎるのを早く感じる気がする

みんな!これが有名な「お茶濁し回」ってやつだ!本編が進まないからって真似しちゃいけないぞ!


今日で、あなたがいなくなってから10年が経ちました。だから、あなた宛に手紙を書くことにします。決してあなたには届かないけど、この気持ちを形にして残しておきたいから。

 

 

まずは、あの聖杯戦争に関わった人たちがどうなったかについて書こうと思います。

 

 あなたのマスター、間桐雁夜———私のお義父さん(・・・・・)は、今でもとても元気です。間桐の家は魔術師をやめて、普通の家になりました。鶴野おじさんと慎二兄さんはたまに家に帰って来ます。慎二兄さんはおじさんの自分探しの旅に連れ回されて大変そうですが、内心ではけっこう楽しんでるみたいです。そういえば、この間は「北の楽園に潜入した時は死ぬかと思った」って言ってたけど、楽園なのに死ぬような思いをするなんて不思議です。

 魔術師をやめるのは大変な手続きがいるらしいのですが、遠坂のおじさまが色々と助力してくれました。そうそう、お義父さんと遠坂のおじさまは凄く仲が良くなったんです。遠坂のおじさまも、お義父さんの前だけではひどく酔っ払って大声を出したり、二人でケンカしたりしてます。お互いに顔を合わせたら悪口しか交わさないけど、何だかんだで一緒にお酒を飲んだりします。二人がこんな関係になれたのは、きっとあなたのおかげです。

 

 さっきも書きましたが、遠坂のおじさまとおばさまも元気です。最近になってようやく、違和感なく「おじさま」「おばさま」と呼べるようになりました。昔は呼ぶたびに気恥ずかしくて顔を赤くしてました。

 遠坂先輩はとっても美人になりました。ほら、あなたが助けてくれた私の姉です。容姿も綺麗で、勉強も学校で一番できて、みんなから頼られて、慕われてます。でも私のこともちゃんと気にかけてくれます。魔術師としての才能も飛び抜けていて、ここ数年で遠坂のおじさんから段階的に魔術刻印を継承されています。「将来は時計塔でアーチボルト講師に並ぶ魔術師になってみせる」と意気込んでます。

 でもたまに私のことを「黒桜にはならないでね」と怯えた目で見てきます。ねえ、遠坂先輩に何を見せちゃったの?

 

 アーチボルト講師———ケイネス・エルメロイ・アーチボルトさんは、時計塔で一番人気の講師さんをしています。聖杯戦争で脱落したと思われていたらしいですが、瀕死のまま戦争が終わるまでずっと眠っていたらしく、回復して時計塔に復職したそうです。

 ビックリするくらいカッコイイ顔をしてて、奥さんのソラウさんや時計塔の女学生たちに毎日追い掛け回されていると聞きます。助手のウェイバーさんはその愚痴を毎日聞かされているんだとか。

 

 ウェイバーさんは、毎年この時期になると必ず冬木市を訪れます。夜の冬木大橋で一人佇んでいる姿は、まるで憧れの背中をじっと見上げているようでした。あの人にとって、何か思い入れのある場所なんだと思います。

 ウェイバーさんも時計塔に戻って、アーチボルト講師の助手をしています。一度アーチボルト講師から大切なものを盗んだらしいけど、許してもらったみたいです。助講師として才能を認められていて、最年少で時計塔の講師になるんじゃないかって噂されてるそうです。

 

 そうだ、ついこの間、冬木教会の改装が終わりました。あなたはビックリするかもしれませんが、教会の敷地の中に中華料理店が出来たんです。綺礼さんが麻婆豆腐を作るのがとても上手で、娘さんのカレンさんと一緒にお店を立ち上げたんだとか。「私が唯一誰よりも勝るものだ!」って自信満々に言ってました。私も一口食べさせてもらったけど、あまりに辛くて、一緒に食べたお義父さんと一緒に気絶してしまいました。衛宮さんはこれがいいんだと平気そうに食べてたけど、きっと味覚が狂っちゃってるんだと思います。綺礼さんのお父さんも呆れてました。

 でも、気絶したお義父さんを見て「やっと間桐雁夜に勝利したぞ!」と嬉しそうに笑ってる姿はちょっと可愛かったです。

 

 聖杯戦争の時に、お義父さんと同盟を組んだ衛宮さんとアイリスフィールさんは、あの戦争から少しして冬木市に移住してきました。大きくて広い武家屋敷にお子さんとメイドさんと一緒に住んでます。イリヤちゃんといって、とっても可愛いです。お姉さんぶって話しかけてくるところがまた可愛らしくて、つい抱っこしてしまって怒られます。舞弥さんのお子さんも可愛いけど、イリヤちゃんはお人形さんみたいでつい抱きしめたくなるんです。

 アイリスフィールさんは、あなたにすごく感謝してました。一度死んだけどあなたに助けてもらったと言ってました。あなたは色んな人に感謝されてます。

 

 舞弥さんは、別れていたお子さんと暮らすようになってから、ギラギラしてた目付きがすっかり優しくなりました。最近はお弟子さんが出来たらしく、ケーキ屋さんを営みながら武術の指導もしてあげているそうです。綺麗な赤毛のお弟子さんは「将来の夢は正義の味方っす!」って言ってます。ケーキ作りの腕もビックリするほど上手くて、たまに味見をさせてもらってます。おかげで最近、体重計に乗るのが怖いです。

 

 それと、これはネットの噂なのですが……キャスターのマスターだった連続殺人犯の雨生龍之介が、実は生きているのだそうです。何年も前に死刑にされたことになっていますが、実は改心していて警察の凶悪犯罪解決に協力しているんだとか。まるでドラマや映画みたいです。本当かどうかは知りませんが、あなたが気絶させて捕まえたのだから何か変化があってもおかしくはないと思います。だってあなたは何でも出来るんだから。

 

 そんな何でも出来るあなたがどんな最期を迎えたのか、私は知りません。お義父さんを護って、傷だらけになって、それでも呪われた聖杯を壊すために最後の戦場に一人で向かっていったことしか知りません。お義父さんはあなたについて行きたかったとずっと後悔しています。

唯一最後の戦いを見た衛宮さんは、「君のお父上のサーヴァントは正しく英霊だった」とあなたを褒めています。聖杯は、実は前の戦争のせいで呪われていて、もしも解放されていたら何百人もの人が死んでしまう大惨事になっていたかもしれないそうです。あなたのおかげで、大勢の人の命と幸せが護られました。みんな幸せになってます。

 

 

 

でも、幸せになっていない人間もいます。あなたのせいで苦しい想いをしてる人間が、ここにいます。

 

 

……ねえ、どうしていなくなったの?約束したじゃない。「絶対に帰って来てね」って。「明日の朝ごはんも楽しみにしてるね」って言ったのに、どうして帰って来てくれなかったの?

あなたと過ごした時間は、地下の蟲蔵から助けてもらってからほんの数日間だけだったけど、今でも鮮明に覚えてる。あなたの温かくて大きな背中も、暖炉みたいに赤く燃える目も、優しいご飯の味も、全部覚えてるよ。あなたとの思い出のせいで私の胸はいつも苦しいの。

 

会いたいよ。会いたい、会いたい、会いたい。その大きな腕で、また昔みたいに抱きしめてほしい。

私、すごく成長したんだよ。顔は、遠坂先輩には及ばなくてもけっこう可愛いと思う。胸は絶対に勝ってる。背も人並み以上には伸びた。ご飯だって美味しく作れるようになった。男の子に告白されたことだって何度もある。ラブレターもたくさん貰った。でも、全部断った。だって、私は10年前の初恋を忘れられないから。

あなた以外の男の人と手を繋ぎたくない。あなた以外にこの身体を許す気もない。あなた以外に恋をできない。

 

ねえ、早く帰って来て。私はずっと待ってるのよ。このままじゃ、私は一生独身のまま、おばあちゃんになって死んじゃうわ。あなたとのたった何日かの思い出を胸に秘めて、ゆっくりゆっくり歳をとって一人寂しく老いていくの。

こんな私は間違ってるかな?せっかく助けてもらった命を無駄にしてしまおうとしている私は、あなたにとても失礼なことをしているのかな?

それでもいい。こんな私を見かねてあなたが私を叱りに来てくれるのなら、私はどんな悪い子にもなる。あなたに会えるのなら、私はなんだってする。

 

だから、 だか

 

          ら 

 

 

 

 

 

「会いたいよ、バーサーカー……」

 

ポタポタと手紙に雫が落ちる。指が震えてペンが持てない。

一度感情が溢れたら、もうダメ。しばらく涙が止まらなくなるのがわかってるから、私はこれ以上手紙が涙で汚れないように両手で顔を覆う。啜り泣く情けない声だけが部屋に響く。

私はワガママだ。あの人が命を賭して幸せをくれたのに、それを幸せだと思ってない。だって、私の幸せはあの人そのものだったから。あの人がいない日々なんて、私には苦痛でしかない。

ねえ、あなたは小さな子どもの冗談と思っていたかもしれないけど、私は本気だったのよ?心からあなたを愛していたの。今でもそれは変わらない。

 

「帰って来て、バーサーカー……。 ————ぅぁッ!?」

 

突然、右手に激しい痛みを感じて悲鳴をあげる。手の甲に焼きごてを当てられたようなジリジリとした熱を感じる。バランスを崩して椅子から転がり落ちた私が見上げる先で、白かった手の甲に焼印のような紋様が浮かび上がってくる。

 

「こ、れは……」

 

痛みはすぐに収まり、熱を帯びた疼きに変わった。まるで手にもう一つ心臓が出来てしまったみたいに、紋様がドクドクと脈打っているのを感じる。膨大な魔力の塊が私の心臓と呼応して早鐘を打っている。

こんな異常に立ち会うのは初めてだったけど、私にはこれが何であるか察することができた。10年前にお義父さんの手に見たことがあるからだ。

 

「令、呪」

 

間違いない。聖杯戦争に参加する資格がある者に与えられる、サーヴァントを統べるマスターの証だ。これが配られたということは、近いうちに———第五次聖杯戦争が始まるということに他ならない。

「なぜ今になって」とか「どうして魔術師をやめた私が」とか色々疑問が浮かんだけど、全て圧し潰された。だって、この希望(・・)に比べればそんな問題は全て取るに足らない些細な物に過ぎないから。

 

そう、これがあれば———また、バーサーカーに会えるんだ。

向こうに帰って来る気がないのなら、私の方から引っ張りだしてあげればいい。

 

せっかく命を助けてもらったのに戦争に参加して危険に身を晒すなんて聞いたら、あの人は怒るかもしれない。きっとお義父さんも凄く怒って反対する。でも、私はワガママな子なのだ。叱られたくらいでは私を止めることは出来ない。

 

「必ずあなたを召喚してみせる、バーサーカー」

 

左手を胸に抱きしめて、私はそっと決意の言葉を呟いた。

 

 

 

 

 

それは、第五次聖杯戦争が始まる半年前の出来事。




注意:ネタバレあり


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2ー11 石田さんごめんなさい

前回の10年後のお話を読んで、「さっそくネタバレなんかしたら面白さがなくなっちゃうじゃん……」と思った人もいるだろう。そうだ、ネタバレには違いない。
だが、ちょっと待って欲しい。結末がわかっているから面白くないと言うのなら、原作のFate/zeroだってすでに結末は決まっているのだ。だけども、Fate/zeroは悔しいほどに面白い。結末に至るまでの紆余曲折に人を魅せるものがあるからだ。Fate/staynightへ収束していく前の大きくて深いストーリーがあるからだ。
僕にも同じことが出来るかは定かではないが、ネタバレがすでにされているからと言って面白くならないとは限らないのだ。お寿司食べたい。


‡綺礼サイド‡

 

 

ライダーの宝具評価———ギルガメッシュと同格である『王の軍勢(アイオニオン・ヘタイロイ)』の仔細を魔導通信機に吹き込んでからしばらく、時臣からの返答はなかった。おそらく絶句しているのだろう。綺礼も、まさかアーチャーに比肩しうるサーヴァントが登場するとは予想もしていなかった。時臣の溜め息が聴こえる。溜め息には彼が心底大事にしている余裕も優雅も見られない。よほど動揺しているのだろう。

だが綺礼はと言えば、別の理由で心を揺り動かされていた。己のサーヴァント———アサシンが最期に見せた雄々しき姿に、焼け石を飲み込んだような灼熱を腹底に感じていたのだ。激しい炎熱は背骨を伝って頭の芯をジリジリと燃やし、精神を高揚させる。それは人並みの感情に例えれば、感動(・・)というカテゴリに分類されるものだった。

アサシンが———いやさ、戦士ハサンが最期に目に焼き付けた光景はレイラインを通して綺礼にも見えていた。彼が最期に魂に刻んだのは、迫りくる王の軍勢ではなく、次の戦場で剣を交える漆黒の騎士の姿だった。

祭服の胸元を強く握り締める。火照った身体はまるでハサンの熱い血潮が燃え移ったかのようだ。今まで空っぽだったはずの胸の内で渦巻く“熱”は、一度身を任せてしまえば今すぐにでも走りだしてしまいそうな爆発力を秘めて今も力を増し続けている。

 

『……アサシンを捨てた今となっては———綺礼、君の力を出し惜しみしておく必要もない。ましてやセイバー陣営とバーサーカー陣営が同盟を組めば、私自身も戦場で力を振るわなければ間に合わなくなるだろう。心から頼りにしているぞ』

 

弟子への世辞ではない、切実な懇願だった。

セイバー陣営からの通達———『キャスターをバーサーカー陣営と討ち取った。バーサーカー陣営と重要な話があるため教会に場を設けたい』という申し出が来たことは、すでに時臣に伝えてある。アサシンを介して聞いたセイバーのマスターの話からして、同盟の話に違いない。しかもその口ぶりから察するに、バーサーカー陣営も同盟に肯定の意を示している風であった。

強力な両陣営が結託して敵に回ったら、こちらは二方面作戦を余儀なくされる。如何なアーチャーでも一度に二方面からの敵を迎え撃つのは不安だ。しかも、先の聖杯問答の際にアーチャーの心は蜂の巣にされてしまっており、ヴィマーナで闇夜にトンズラして以来消息不明だ。時臣の心労はピークに達しているだろう。

 

「はい。承知しております」

 

そんな時臣の不安を吹き飛ばすように、綺礼は意気盛んに即答した。「おお……!」と時臣の感嘆の溜息が聞こえた気がしたが、綺礼にとっては言われるまでもないことだった。

力の出し惜しみなどしていては、あの男———間桐雁夜に追いすがり、刃を交えることはできない。全力を出し、限界を超越し、さらに死力を絞り尽くさなければ高みには到達できないのだから。

 

通話を終えて地下室から出れば、身廊の長椅子に父、言峰璃正が力なく腰掛けていた。頭を抱えて俯く彼は、綺礼の気配にも気付いていないようだ。強靭な意思を持つ修道士であり、拳法の達人でもある璃正がここまで気落ちするのは非常に稀なことだ。肉親の情に駆られ、綺礼は父親を労うために声をかける。

 

「父よ、どうかされましたか?」

「ああ……綺礼か。情けないところを見せてしまったな」

「いえ、そのようなことは」

 

照れ臭そうに苦笑する璃正の顔には明らかな疲労が滲んでいた。ここ数日でさらに10年は歳をとったように見える。そういえば、父はもう古稀を迎えて久しい。今まで無意識に父の老いから目を逸らしていたが、疲労によって皺が際立った顔を見ていると沸々と後悔の念が沸き上がってくる。ただ己の懊悩を晴らさんと修練に明け暮れていた自分は、いったいどれほど、このたった一人の肉親に孝行をしてやれたのだろうか。

珍しく心配そうに自分を見つめる綺礼の様子に驚いたのか、璃正は安心させるように軽く咳払いをして立ち上がると気まずそうに頬を掻いた。

 

「息子に心配されるとは私もまだまだだな。なに、心配いらんさ。雨生龍之介の一件で少し問題が生じただけだ」

「雨生龍之介……キャスターのマスターですか?」

 

ライダーの話によれば、あの殺人鬼はバーサーカーによって殺されたという。サーヴァントも早々に討ち取られたのだから、聖堂教会の現地監督役が頭を抱えるような問題が生じるというのは合点がいかない。

不思議そうに眉を顰める綺礼に、璃正は深くため息を吐いて事情を説明する。

 

「どうやら、あの下手人は殺されていなかったらしい。冬木交番の前に簀巻きにされて放り捨てられていたそうだ」

「———殺されて、いない?」

「ああ。しかも、聖杯戦争の記憶を失っているらしい。拘束された警察病院で、『トゥ!ヘァー!』『モウヤメルンダッ!』などと気合に満ちた叫びを上げて錯乱しているそうだ。入手した診療記録によると、腹部に強烈なダメージを受けた際に呼吸困難になり、重度の酸素不足に陥ったことで脳をやられてしまったのだとか。

そんな都合の良いことが信じられるか、綺礼?間違いなく間桐雁夜の仕業に違いあるまい」

 

同じ結論に辿り着いた綺礼は目を見開いて絶句した。下手人ですら殺めずに警察に引き渡すという間桐雁夜の高潔な精神に驚愕したのだ。記憶を消したのは、裏で揉み消しを行なっている聖堂教会に対して“雨生龍之介に手出しは無用”と暗に伝えているのだろう。

サーヴァントと令呪を失っても、はぐれサーヴァントが出現すれば元マスターに優先的に令呪が再分配されることは“始まりの御三家”である間桐雁夜なら知っているはずだ。それでも記憶を消して見逃したのは、つまりはそれだけの余裕があるということだ。

 

「……教会はどうするのです?雨生龍之介を殺すのですか?」

「いや、手出しはせん。警察病院に拘束されてしまった以上、暗殺するにはひどく手間がかかる。あの間桐雁夜(・・・・・・)によって記憶消去が施されたというのなら間違いはないだろうし、魔術の秘匿が守られるのなら放っておいて問題ないだろう。これからの戦いではぐれサーヴァントが出たとしても間桐雁夜がみすみす見逃すなど考えにくい」

 

半ば諦め気味の璃正の言葉に、綺礼は納得して頷いた。

矛盾しているように聞こえるが、璃正も綺礼も間桐雁夜に対して一種の信頼のような感情を抱いていた。敵であるが故に相手の底なしの優秀さを思い知っている彼らは、間桐雁夜が記憶消去のような瑣末な謀りを失敗するなど想像も出来なくなっていた。

 

「———間桐雁夜、か。私は、彼に時臣くんと同じ資質と慧眼があることを祈っているよ」

 

悄然と床に落ちたその言葉は、暗に「間桐雁夜が聖杯を手にすることもあり得る」と告げているようなものだった。聖杯戦争開始時には「遠坂以外には聖杯を手に入れる資格はない」と豪語していた璃正とは思えない弱気な発言に綺礼は目を剥いた。公正かつ峻厳な性格の璃正は、もしかしたらすでに「間桐雁夜ならば聖杯を託すに値するのでは」と諦め始めているのかもしれない。

綺礼も心のどこかで理解はしていた。全ての陣営を手玉に取る知略と代行者に匹敵する戦闘力、そして悪を許さず、けれども必要以上の殺生をしない高い倫理性を持った間桐雁夜は、まさに聖杯を手にするに相応しい器の持ち主だ。

だが、理解しているからといって受け入れられる(・・・・・・・)とは限らない。

 

「父よ、まだ勝負はついておりません!」

 

今度は璃正が刮目する番だった。静かな佇まいを常としていた息子が初めて見せた激情にギョッとして顔を跳ね上げる。

 

「私は勝ちたい。間桐雁夜に勝ちたいのです。勝たなければ、きっと私は前に進めない」

 

まるで初めて挫折を味わった子どものように、苦しげな表情で綺礼は続ける。

 

「父よ、白状致しましょう。私はずっと悩んでおりました。物心ついた時から、私にはどんな理念も、探求も、娯楽も、意味を成さなかった。熱意を覚えることが出来なかった。妻を失っても真の悲しみを感じることができなかった。ひたすら修練に明け暮れていたのは信仰のためではなく、ただ神の愛を持っても救いきれぬ虚無な己を罰するためだった。

しかし、今は違う。やりたいことが見つかった。越えたい壁にぶつかった。この身を燃やす情熱を手に入れた。私はあの男に———間桐雁夜に勝ちたい(・・・・)!!」

「……綺礼……」

 

ステンドグラスを揺らすほどに張り上げられた感情の爆発に、璃正はその細目を驚愕に開いて息子を見つめた。その両肩が震えているのは、息子が内に抱えていた苦悩を知らず、彼が初めて見つけた倒したい強敵を前にして勝手に膝を屈しようとしていた己を恥じているからだ。

太い腕が綺礼を掻き抱く。綺礼はされるがままに父の肩に顔を埋めた。老人特有の加齢臭が鼻を突く。こうやって父の匂いに抱かれるのは何時ぶりだろうか。

 

「息子より父が先に負けを認めるなど、あってはならんことだ。私は未熟であった。

綺礼、今まで苦労をかけた。お前を苦しめる内なる葛藤に気づいてやれず、お前に父親勝手な期待という不要な重荷を背負わせた。すまなかった。

存分にやれ、私の自慢の息子よ。もはや私はお前を縛らぬ。外聞など気にせずに、お前が為したいと思うように為せばいい。私はお前の全てを受け入れる」

「———父さん(・・・)……!」

 

血の繋がりを持つ肉親の言葉は、骨身を通り越して心に響く。ましてや、それが親による肯定の言葉であれば、子にとっては万の激励に勝る後押しとなる。

瞬間、綺礼は意地も尊厳も振り捨てて咽び泣いた。いつの間にか自分より小さくなってしまった老いた父親に縋り付いて涙を流した。

もしもこの場に部外者がいれば、綺礼の姿をまるで幼児のようだと思うだろう。しかし、彼が父親に抱きついて咽び泣くのはこれが初めて(・・・)なのだ。なれば、幼児のようになるのは無理はない。彼はようやく、人間らしい感性を手に入れたばかりなのだから。

 

 

‡雁夜おじさんサイド‡

 

 

「しかし、よく出来てるな。バーサーカー、これどうやって作ったんだ?」

「ぐるる」

 

今の言葉は、「ハンダゴテで作った」という解釈でいいだろう。発音やトーンといった微妙な差でなんとなく意味が理解できるのだ。

「相変わらず器用だな」と呟き、俺は手元の蟲たちを突っつく。バーサーカーによる魔改造が施されたそれはグロテスクだった様相が一変している。角張った機能的なデザインと化したそれは、“虫型ロボット”と評すればわかりやすいだろうか。プラモデルとして販売すれば売れるかもしれない。

しかも、この虫型ロボットには幾つかギミックが搭載されている。

 

『おじさん、何か喋ってみて』

「あー、あー。桜ちゃん、聴こえるかい?」

『うん、バッチリ聴こえるよ。おじさんの顔もよく見える』

 

ロボットには無線型の集音器とマイクと小型カメラも内蔵されている。これらはアインツベルン城からバーサーカーが持ちだした機械類で作ったものだ。これら全部をハンダゴテで作ったというんだから驚きだ。何の資格があればこんな芸当が出来るのやら。

 

「さらに驚くべきは、この蟲がランクDの宝具になってるってことだけどな」

 

漆黒の虫型ロボットには、それぞれ一本の毛が埋め込まれている。バーサーカーの兜の(たてがみ)から引っこ抜いた毛だ。これを埋め込めば、たちまち俺の蟲はランクDクラスの宝具となってしまった。おかげで搭載された機器類の性能も遥かに向上している。バーサーカーから切り離された一部が触れていても侵食強化の対象になるというのは、驚きを通り越してご都合主義すら感じさせる。

 

「なあ、その鬣全部俺の蟲にくっつけてくれよ」

「ぐるる!?うーごーごー!!(`;ω;´)」

「えっ、それ引っこ抜く時痛いのか?だってそれ兜だろ!?」

「うごごごご!」

 

兜も身体の一部とかわけがわからない。変なところで不憫な作りをしてるサーヴァントだ。

 

「あー!おじさん、またバーサーカー虐めてる!」

「うごご〜」

「よしよし、バーサーカー可哀想」

「虐めてないから!つーか、お前はなんで頭撫でられてんだよ!」

 

桜はすっかりバーサーカーに首ったけだ。幸いなことにバーサーカーにはロリコンの気はないらしく、子どものすることだと思って弁えて接しているようだからまだ安心だが、日を追うごとにヒートアップする桜の方が不安だ。

桜には言うべきなのだろうか。いずれ、バーサーカーも消えてしまう存在なのだということに。

 

(……いや、やめておこう。今はまだ伝えない方がいい)

 

幸せそうにバーサーカーにじゃれ付く桜を横目で眺め、雁夜は葛藤を胸に仕舞い込んだ。桜の容体はバーサーカーの宝具による健康食のおかげでかなり安定してきたとはいえ、まだ本調子ではない。今、余計な負担を背負わせてしまえばせっかく改善に向かっている健康を損ねかねない。

 

(いずれ話さなければならない時が来る。その時に、しっかりお別れの挨拶をさせてやればいい)

 

雁夜は心中でそう判断し、改造された蟲の運用に集中することにした。機材の関係で虫型ロボットは2つしか用意できていない。一匹は明日の正午に使うとして、余ったもう一匹は何か有効に使用したい。

 

「よし、遠坂の動きを探らせよう。奴のアーチャーは脅威になる。さあ、行け」

 

蟲の背にあるオンオフスイッチをONに入れて命令すると、羽根を羽ばたかせて瞬く間に窓の外に跳びさってゆく。スイッチが必要なのかについては雁夜はもう考えないことにしている。

残った陣営の中でもっとも恐ろしいのは、あの底知れぬ金色のサーヴァント、アーチャーだ。マスターである遠坂時臣もまだ遠坂邸から一歩も外に出ていない。よほどの余裕があるのだろう。あの屋敷の中でどのような作戦が練られているのか知ることが出来れば、それだけで大きなアドバンテージになる。弱輩の雁夜がこの戦争で上手く立ちまわるには、より多くの情報が必要だ。

 

「時臣……」

 

雁夜は未だ、遠坂時臣への感情に整理をつけられていなかった。憎しみと嫉妬は残っている。桜への仕打ちを思い知らせてやりたいという憎悪は消えることはない。しかし、大事な人たちの夫であり父親である彼には、死んでほしくないという思いもある。彼女らを悲しませる結末にはしたくない。

 

「俺は、どうするべきなんだ……?」

「まずは服を着替えることから始めようよ、おじさん」

「え?」

 

唐突な提案に隣を見下ろせば、桜が雁夜の総身をジロジロと仔細に観察していた。その後ろにはどこから持ってきたのかたくさんの服を両手に抱えたバーサーカーが桜の従者のように佇んでいる。

 

「おじさん、いっつも同じシャツとかパンツとかパーカー着てるけど、それ以外の服は持ってないの?」

「持ってない、けど……」

 

責めるような強い口調の桜に怖じながら答えると、桜ははぁ〜と大きなため息を吐いて肩を落とした。その後ろのバーサーカーも「やれやれ」と言わんばかりに肩を上げて首を振っている。

同じ服の何が悪いのだろうか。着こなしにいちいち悩まなくていいのに。

 

「ダメだよ、全然ダメ!おじさんはもっとオシャレしないと!」

「ぐるる!」

 

オシャレと聞いて思い浮かぶのは遠坂時臣の着こなしだ。いけ好かない高慢ちき男だが、高級そうなスーツに身を包むアイツの姿には同じ男として羨ましいものがある。なんというか、生まれ持った気品のようなものを感じるのだ。

 

「おじさんも顔はカッコイイんだから、オシャレすればもっと立派に見えるよ。ほら、鶴野おじさんが置いていった服をたくさん見つけたから、着てみようよ」

「兄貴の服はちょっと……。サイズが合わないだろうし、さ」

 

兄、鶴野との仲は最悪だった。間桐の家を逃げ出した雁夜と、間桐のおぞましい魔術を継いだ鶴野は互いに侮蔑のような感情を抱いていた。しかし、今になって考えてみれば鶴野は雁夜の身代わりになったのだ。もしも鶴野が逃げ出していれば、雁夜が間桐家の仮の当主として臓硯の傀儡と成り果てていた。

それに、雁夜の顔は未だ半分がゾンビのように硬直している。どんな服を着ても、その醜態は隠しようがない。やはり、醜い顔を隠すことの出来る粗末なパーカーが自分にはお似合いなのだ……。

 

「〜〜〜もういい!!」

 

我知らず暗い想念に沈みそうになった雁夜に、ついに痺れを切らした桜が激昂して叫ぶ。

 

「バーサーカー、おじさんを捕まえて!強制的におじさんを改造しよう!服のサイズは後で直せばいいんだから!」

「えっ?えええっ!?」

 

桜の命令を受け、バーサーカーの姿が瞬時に掻き消えると雁夜を背後から羽交い絞めにした。豪腕に動きを封じられた雁夜がジタバタと暴れるが、人外の力の前には意味を成さない。

 

「こ、こらっ!?お前、どっちのサーヴァントなんだよ!?」

「ぐるる」

「もちろん桜様のです、ってアホか———!!」

 

 

‡綺礼サイド‡

 

 

「………」

 

私室のドアを開けた途端、綺礼はまたもや部屋の雰囲気が一変していることに気付いた。この変質度合いは、アーチャーが勝手に入り込んで酒を飲んでいた時に似ているが、違和感の方向はまるで正反対だった。

長椅子にふんぞり返って腰掛けていたアーチャーの姿は見えず、彼がいた時は宮廷の一室のように華やいでいた雰囲気は今やどんよりと沈鬱に沈み、まるで狭い押入れの中で体育座りをしているような感覚に囚われる。

私室の変化がいったい誰によってもたらされたものか察しがついた綺礼は、浅く嘆息してクローゼットの前まで歩むと無言でその扉を開けた。私服が少ない綺礼のクローゼットにはヒト一人が屈めば何とか潜り込める程度の隙間がある。

 

そして現在、その隙間には背を丸めた英雄王が収納されていた。

 

 

「ギルガメッシュ。なぜ私のクローゼットの中にいるんだ?」

「……ふん、痴れ者め。時空の果てまでこの世界は余さず我の庭なのだ。我がどこにいようが我の勝手だ」

「だからと言ってクローゼットに入らなくてもいいだろうに」

 

そう言うと、綺礼は苦笑を浮かべてベッドの下から取って置きの酒を引っ張りだした。

どうやら、さっそくこの酒の出番が来たらしい。




綺麗な綺礼はお好きですか?


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番外編 せっかくシャーレイに憑依したんだからショタ嗣とナタリアさん助けちゃおうぜ! 上

シャーレイが死んでしまったね。ナタリアも死んでしまったね。切嗣は一線を踏み越えてしまったね。実に悲劇的な欝展開だったね。

よろしい、ならば救済だ!!!

というわけで、またまた番外編です。読んでも読まなくても本編を読むのには支障はないですが、zeroにさらなる救済を求める人は読んでも問題ないかもしれない。


‡バーサーカーサイド‡

 

 

「こら!お前が居眠りしてどうするんだ!」

「……うご?うごご……?(´ε` )」

 

机で居眠りしてると、雁夜おじさんに後ろ頭を引っぱたかれて起こされた。こっちは寝ずにおじさんのために頑張ってるんだから、ちょっとは労ってくれてもいいじゃない。雁夜おじさんの魔力量が少ないからセーブもしないといけないんだし、もう少し寝かせてよ。

あー、眠気が凄い。波みたいに押し寄せてくる。夢の中でまた寝るってのも妙な話だけど、眠いものは眠いんだから仕方がない。うむむ、やっぱり限界。悪いけどもうちょっとだけ寝かせてくれ。今日の晩飯はいつもより腕を振るうからさ!

 

「お前なあ、居眠りするサーヴァントなんてきっと前代未聞だぞ!?大食いのサーヴァントくらい有り得ないっつーの!!たまには見張りくらいして―――……おい……」

「また寝ちゃったね。きっと疲れてるんだよ。もう少し寝かせておいてあげよう。それに、なんだかとっても可愛いよ」

「うごご……(-ω-)zzZ」

「はぁ……。あと30分経ったら起こすから、ちゃんと起きるんだぞ」

 

おkおk。把握しますた。それじゃあ、おやすみ~。

 

 

‡ショタ嗣サイド‡

 

 

コロシテ―――

 

大好きな女性(ひと)の顔をしたソレは、噎び泣くように、切嗣にそう懇願した。

 

「シャー、レイ……」

 

怖いの―――

自分の手じゃ、出来ない―――

だから、お願い。キミが、殺して―――

今ならまだ、きっと間に合う―――

 

「そんな……」

 

銀のナイフが切嗣の足元に投げられる。刀身が放つ冷たい輝きに気圧されるように、かぶりを振って後退る。

彼には出来なかった。シャーレイを家族以上の存在と、大切な女性と想っていた彼に、彼女を殺すなど出来なかった。例え、手遅れ(・・・)だとわかっていても。

震える切嗣の目の前で、シャーレイが自らの腕に深く牙を立てる。ブチュリ、と肉を食い千切る音が鼓膜に滑りこむ。

 

お願いだから―――

もう―――駄目だから―――抑えきれなくなる前に―――早く―――

オネガイ―――

 

「う―――うわぁああああああああ!!!」

 

変わり果ててしまった少女から目を背けるように、決断を迫るナイフから逃れるように、切嗣はその場から走り去った。この悪夢を解決してくれる大人がいるはずだと自分を奮い立たせ、ただひたすらに駈けた。冷静な自分が「彼女のことは諦めろ」と囁く声を己の悲鳴で掻き消しながら、必死に神父の教会を目指した。

 

だから、背後のシャーレイに起きた変化に気付くこともなかった。

 

 

‡シャーレイサイド‡

 

 

「いったい全体、何がどうなってんだ?雁夜おじさんはどこだ?桜ちゃんは?」

 

ポニーテールの頭をボリボリと掻いて、よっこらしょと億劫に立ち上がる。眠るまでは兜を被ってたはずなんだけど、今は生身のようだ。なんだか口の中に鉄の味を感じる。ついさっきまで自分の腕を噛んでたせいだろう。どうしてそんなことをしていたのやら。

足元には無残に食い散らかされたケンタッキー(調理前)が散乱してる。近くに落ちていたナイフを拾って刀身を覗けば、赤い目をした少女がこちらを覗き返してきた。

 

「ははあ、なるほど。今度はシャーレイに憑依する夢か。夢の中で眠ってまた夢を見るってのも変な話だな」

 

栗色の髪と白蝋のような不気味な肌は、原作の描写そのまんまだ。静脈が浮き上がっている様子は、まるで顔中に亀裂が走ってるみたいだ。バーサーカーとなった俺は雁夜おじさんの家で居眠りをしていたはずが、気付いたら死徒化したシャーレイになっていたというわけだ。まったく訳がわからないぜ!

 

「夢の中の夢とはいえ、俺の夢には違いない。ここでも好きにさせてもらおうじゃないの!」

 

そう言い放ち、足元のケンタッキー(調理前)をひょいパクと少しつまみ食いして腹を満たすと鶏小屋を飛び出してすぐさま遁走を開始する。死徒化したこの身体は身体能力が高いから、バーサーカーの時には及ばないまでもそれなりに速く動けるのだ。

原作通りなら、この後すぐに神父からの連絡で聖堂教会がやって来て、その動きを嗅ぎつけた魔術協会が追いかけてくるはずだ。そして二大勢力が屍食鬼殲滅と証拠隠滅のためにこの島を亡き物にして、それから逃れた切嗣は衛宮矩賢―――自分の父ちゃんを殺してナタリアさんと一緒に島を出るんだっけか。

俺は誰かを屍食鬼化させたりなんかしてないけど、俺がシャーレイに憑依する前にすでに誰かを襲ってたのかもしれないし、「屍食鬼化してようがいまいがそんなの関係ねえ!」と問答無用で二大勢力が住人を皆殺しにするかもしれない。それに巻き込まれる前に脱出しなければ命はない。殺されてたまるもんか!シャーレイはクールに去るぜ!

 

「たしか衛宮父ちゃんがボートを隠してるはずなんだよな。お、あったあった」

 

海岸をウロウロしていると、迷彩柄のシートに隠された掘っ立て小屋の中に小型のモーターボートを見つけた。闇夜でも視界がハッキリ見えるようになってるから案外簡単に見つけられた。死徒便利すぎワロタ。

 

「なんじゃこりゃ!ろくに整備もされてないじゃないか!よしよし、ここは舶用機関整備士とマリン船体整備士と船舶電装士の資格を持つ俺が手を加えてやろうじゃないか!」

 

衛宮父ちゃんは機械には精通していなかったようで、小型のモーターボートは「動けばいい」というような状態で放置されていた。これじゃあ、洋上で動かなくなても文句は言えない。幸いなことに、掘っ立て小屋の中には工具やガラクタみたいな機械が転がってる。これを役立てないわけにはいくまいて!

 

「~~♪~~♪」

 

トンテンカントンテンカンとリズムをつけながらモーターボートを改造していく。機械いじりはいいね。心が洗われるようだ。そうだ、この夢が覚めて雁夜おじさんのところに戻れたら、どこかから車を持ってきて改造しよう。切嗣さんのとこから取ってきた武器も取り付けるなり何なりすれば、もしもの時に良い戦力になりそうだ。ギルガメッシュのヴィマーナもライダーのゴルディアス・ホイールも健在だしね。名前は、そうだなぁ、『バーサーカー・ホイール』なんていいかもしれん。

 

「んむ?」

 

ふと、何やら複数の声がこちらに近づいてることに気付いた。

 

「こっちから物音がしたぞ!」「下手くそな歌も聞こえた!」「魔術協会の連中もいるぞ!先を越されるな!」

「聖堂教会の奴らがいるぞ!」「屍食鬼がいるのかもしれん!」「奴らより先に殺せ!」

 

ムカッ!カラオケ歌唱力検定で一級をとった俺の美声を下手くそだとな!?耳が腐ってんじゃないのか!!

そっと窓から顔を出してみると、向こうの方からローブを着込んだ男たちとダークスーツの男たちが地面を滑るように駆け寄ってきてた。どちらも人間とは思えないくらい素早い動きだ。両組織から派遣された殺し屋だろう。もうこっちに気付いたのか。今の俺じゃあ太刀打ち出来ずに瞬殺されてしまう。ここはさっさと退散するに限るぜ。あばよ、とっつぁ~ん!

 

「シャーレイ号、発進!!」

 

手元のボタンを押した瞬間、ドラム缶を利用して造ったロケットが点火されて炎が一気に噴出する。ズドン!という爆発音を後方に置き去りにして掘っ立て小屋の壁を突き破り、そのまま空中に弧を描いて海面に激しく着地する。

使い終わったロケットを切り離してお手製の安定翼を展開させ、船外機(エンジン)のスターターロープを思いっきり引っ張る。船外機では世界一のシェアを誇るヤマハ製のV-MAX SHOエンジンが唸りを上げて海水をかき乱し、ボートをグンと力強く押し出す。

エンジン内部(ジャケット)を少しイジってやったからスピードは通常仕様とは段違いだ。航行速度は加速度的に早くなって、海岸の光も見る間に遠ざかってゆく。

 

「逃げだぞーっ!」「追え!逃がすな!」「絶対に殺せ!」

「そう上手くはいかないんだなこれが。3、2、1、」

 

ドッカーン!!!

 

「「「「「「ぎゃ――――っ!?」」」」」」

 

掘っ立て小屋の燃料タンクに仕掛けた手作りの時限爆弾が時間ピッタリに爆発して、海岸に巨大な炎の柱が現れる。海岸が昼間のように明るくなって、島全体が震えるほどの衝撃波を間近から受けた殺し屋の連中が宙高くに吹っ飛んでいくのが微かに見えた。

 

「ザマーミロ!他人の歌を馬鹿にするからそういう目に遭うんだ。反省しろよ!

……むむ、なんだか吐き気がするな。それに全身が痒い。そういえば死徒って吸血鬼みたいなもんだから水とか苦手なんだっけか?」

 

急に痒くなった肌をボリボリと掻きながら星座を見て位置と方角を確認して近場に島がなかったかを思い出す。こぐま座があの辺だから、もうちょっと北西に進めば大きな島があったはずだな。燃料はなんとか持ちそうだ。

とりあえず生き延びれそうだということで心に余裕が生まれたら、心配になるのはショタ嗣くんのことだ。凄い悲鳴を上げて俺から逃げていく悲しそうな背中が見えたし、アイツはこれから大変な人生を送ることになるわけだ。子どもの目が死んでいくのは気の毒だし、なんとかしてやりたいという気持ちもある。

 

「よし、決めた!ボチボチ死徒ライフを楽しんでからチャチャッと助けてやりますか!待ってろよ、ケリィ!!」

 

夜明け間近の暁の海を爆走しながら、俺は高らかに宣言したのであった!!

―――あちちっ!日光痛ぇ!死徒不便すぎワロタ!!

 

 

‡ショタ嗣サイド‡

 

 

『ひょっとすると、私ももう、ヤキが廻ったのかも知れないね。

こんなドジを踏む羽目になったのも、いつの間にやら家族ゴッコで気が緩んでたせいかもな。だとすればもう潮時だ。引退するべきかねぇ……』

「―――仕事をやめたら、あんた、その後はどうするつもりだ?」

 

魔術協会を相手に商売する、フリーランスの女ハンター―――それが、ナタリア・カミンスキーだった。実の父を殺した切嗣は、アリマゴ島から脱出した後はナタリアの元でハンターの助手として過ごした。同年代の少年少女らが多感な思春期を遊戯や勉学で過ごすところを、切嗣は徹底的な殺人の技術を叩きこまれて育った。彼の目から若者の光は消え、沈鬱に枯れたガラス玉のような眼球があるだけだ。

世界ではアリマゴ島で起きた悲劇は珍しくもなく、今この瞬間も身勝手な魔術師たちが災厄を振りまいては二大組織がそれを抹消し、時には利用しようと暗躍して大勢を殺し尽くしている。それを知ってしまった今、たった一人の肉親をこの手で殺したことに価値を見出そうとするのなら、父と同じ異端の魔術師を全て殺し尽くす必要があった。

 

『失業したら―――ハハ、今度こそ本当に、母親ゴッコぐらいしかやることがなくなるなぁ』

 

修羅の道を決意した少年を、ナタリアは厳しい師として鍛え続けた。父親を殺させてしまったことを悔いた彼女は、甘やかすことも手抜きもせず、本気になって切嗣に己の技術を仕込み、見守ってきた。血と硝煙に塗れた日々ではあったが、互いが互いを心の中では家族のようだと思っていた。

 

「あんたは―――僕の、本当の家族だ」

 

その家族が必死に操縦する旅客機を、切嗣は洋上に浮かべたモーターボートから携帯式ミサイルで狙っていた。ブローパイプ・ミサイルの照準器を覗きこみ、遥か向こうに見える小さな機影―――エアバスA300にレティクルを合致させる。

この日、ナタリアは封印指定の魔術師をジャンボ機の中で暗殺する仕事についていた。しかし、魔術師は死に際に使い魔の蜂を解放させ、乗客を次々に屍食鬼(グール)化させた。ナタリアは無事なものの、残りの乗員乗客は全て化け物と化してしまった。ナタリアは自分が生き残るためにニューヨークの空港に着陸する腹積もりらしいが、切嗣にはそれは認められなかった。数百人に及ぶ屍食鬼が一斉に地上に解き放たれれば、周囲一帯に地獄が生まれるのは火を見るより明らかだ。アリマゴ島の悲劇が何倍にもなって再び切嗣の前に現れることは、断じて阻止しなければならない。切嗣はそう判断し、ナタリアを確実に殺すべくこうして携帯式ミサイルを持ってA300を狙っているのだ。

たった一人を犠牲にして大勢が助かるのなら、そうすべきだ。あの時、自分がシャーレイを殺しておけば大勢が死ぬことはなかった。その失敗を繰り返してはならない。

ナタリアと過ごした日々が瞬く間に脳裏を過るが、引き金にかけられた切嗣の指が狂うことはない。

ついに機影が射程圏内に入った。照準器が小さな電子音を立ててターゲットを捉えたこと(ロック)を知らせる。ゆっくりと引き金に力がかけられ、

 

 

―――ゴボゴボゴボ

 

 

「……え?」

 

不意に、船体のすぐ横の海面がボコボコと泡立った。海底火山からの噴出にしては小さいし、海棲生物によるものにしては大きい。例えるなら、これは―――ダイバーが浮き上がってくる際に見られる前兆によく似ている。

その符号に気付いた切嗣は一瞬だけ逡巡し、ロックを解除したミサイルから手を離して腰の9ミリ拳銃を抜き放つと海面に突きつける。睨み据える視界の中で、何者かの黒い影がゆっくりと海面に近づいてくる。

果たして海面から顔を出したのは、

 

「―――ぷはぁ!やっほー、ケリィ。元気してた?」

「……は?」

 

かつて恋した女で、かつて殺してやれなかった死徒が、そこにいた。




鬱展開を見ると、無性にぶっ壊したくなる。助けを求めて手を伸ばしながら消えていくキャラクターを見ると、何とかして手を差し伸べたくなる。そんな願望から生まれたのが、この憑依バーサーカーです。
世界の理をくぐり抜け、どんな障害もご都合主義で蹴破り、運命さえも乗り越えて、雁おじの首根っこを掴んで無理やりハッピーエンドの方向にぶん投げる。そんなキャラクターを目指しています。


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番外編 せっかくシャーレイに憑依したんだからショタ嗣とナタリアさん助けちゃおうぜ! 下

たった一つの理性を捨てて
開き直った不死身のお馬鹿
鬱とシリアスを叩いて砕く
主がやらねば誰がやる!

『シャーレイに憑依』というネタはyoshiakiさんから頂きました。ありがとうございました!!


番外編 せっかくシャーレイに憑依したんだからショタ嗣とナタリアさん助けちゃおうぜ! 下

 

「―――ぷはぁ!やっほー、ケリィ。元気してた?」

「……は?」

 

かつて恋した女で、かつて殺してやれなかった死徒が、そこにいた。

 

さすがの切嗣もこんな事態は想定の範疇になかった。まさか再会できるなど思ってもいなかったし、ましてやこのタイミングでこの場所に彼女が現れるなど、どうして予想できようか。

目をパチクリとさせて硬直する切嗣を置いてきぼりに、ダイバースーツを着込んだシャーレイがよっこいしょとモーターボートに乗り込んでくる。その反動で船体がゆらりと揺れて、彼女が亡霊や幻覚の類ではないことを切嗣に教える。

再会を喜んでいいのか悲しんでいいのか、懐かしんでいいのか嘆けばいいのか、判断がつかない。混乱する感情を無理やり隅に押しのけることで既の所で冷静さを維持した切嗣が、シャーレイに疑問をぶつける。

 

「なぜ君が生きてるんだ!?君は、父さんの試薬に触れて死徒になってしまって、アリマゴ島で殺し屋たちに処理されたはずじゃ……!?」

 

呆然と問いかける切嗣に、シャーレイは「ああ、そのことね」とまるで世間話をするようにあっけらかんと答える。

 

「どうやら私、死徒化に成功したらしいのよ。吸血衝動も死徒の弱点も克服しちゃったわ。健康管理士の資格は伊達じゃないってことね。

それと、島の南側の海岸で爆発があったのを覚えてる?あれ私がやったの。ケリィのお父さんが隠してたボートを使わせてもらったついでに、ちょちょっと仕掛けをしたわけよ」

 

まるでイタズラの告白をする子どものように歯を見せて笑ってみせる。

そういえば、島から逃げる際に後方から大きな爆発音が聞こえたのを覚えている。後で聞いた話では、アリマゴ島での食屍鬼殲滅の際に聖堂教会と魔術協会の殺し屋が揃って爆発事故に遭い、皆殺しを免れた島民を逃したという不祥事があったらしい。まさか、それがシャーレイの仕業であったとは思わなかった。

彼女はこんな素っ頓狂な性格だっただろうかと内心で首を傾げながら、さらに問う。

 

「き、君が生き延びた理由はわかった。でも、なぜ僕がここにいるとわかったんだ?どうしてここに来たんだ?」

「あれ?約束、忘れちゃったの?」

「約束……?」

 

ボートの縁に腰掛けて不可解なことを告げるシャーレイを凝視する。その明るさも、容貌も、体格も、切嗣が最後に見た時から何も変わっていない。見た目だけでは切嗣の方が年上に見える。成長が止まっているのは彼女が未だに死徒である証拠だ。

死徒は殺さなければならない、と強迫観念のような衝動に銃を保持した腕が自動的に持ち上がるが、その前に旅客機を撃墜しなければ間に合わなくなると理性が叫び、シャーレイを再び失いたくないと感情が密かに涙する。

様々な要因と逼迫した状況に銃口が震える。苦悩に眉を寄せて拳銃を突きつけてくる切嗣に、シャーレイは微笑んだままそっと手を伸ばす。白く細い指がまっすぐに切嗣の目を指さす。

 

「“大人になったケリィが何をするのか、この目で見届けさせて”。そう言ったでしょ?

それで、大人になったキミは今何をしようとしてるの?」

「―――僕、は―――」

 

 

『ケリィはさ、どんな大人になりたいの?お父さんの仕事を引き継いだら、どんなふうにそれを使ってみたい?』

『……え?』

『世界を変える力、だよ。いつかキミが手に入れるのは』

『……そんなの、内緒だよ』

『ふぅん?じゃあ、大人になったケリィが何をするのか、アタシにこの目で見届けさせてよ。それまでずっとキミの隣にいるから。いい?』

『……勝手にしろよ』

 

 

眩い日差しの中で彼女と約束を交わした情景が眉間を貫いた。衝撃に意識が揺らぎ、グラリと姿勢がよろめく。

誰よりも大切だった彼女に誓おうとした衛宮切嗣の原点が、よりにもよって彼女から突き付けられる。今では磨り減ってしまった在りし日の決意の煌めきが、彼女の笑顔を通して切嗣の目の前に立ちはだかる。

シャーレイはあの日の約束を守るために、こうして自分の元に現れてくれた。では、見届けられるはずの自分はいったい何をしているのか。

片手にぶら下げたままのブローパイプ・ミサイルを見下ろす。軽量化された最新モデルのはずなのに、ひどく重く感じる。

 

「僕は―――大人になったら『正義の味方』になりたかったんだ―――いや、今からなるんだ―――だから、だからこうして、大勢の命を救うために、ナタリアを―――母さんを―――」

 

彼女に打ち明けたかった夢のはずなのに、口にすればするほど自分が消えていくような気がした。空虚な台詞を吐き出す度に、大切な何かが切嗣の心から抜け落ちていく。

語尾に至るに連れて小さくなるその言葉を、シャーレイは「ふむ」と一度頷いて受け止めた。受け止めて、「やっぱりケリィはまだまだだね」と呆れて頭を振るう。

 

「ケリィ、自分の顔を見てみなよ。ほら」

 

言って、ダイバースーツのポーチから短剣を抜いて寄越してくる。忘れようもないその銀製の飾りナイフは、昔のままの美しさで切嗣の顔を刀身に映し込む。

 

「『正義の味方』ってのは、普通そんな顔はしないと思うよ?」

「―――ッ」

 

そこに映っているのは、変わり果てた 殺 人 者 (セイギノミカタ)の顔だった。表情を殺されて硬化した顔面の中で、猛禽のように血走った瞳だけがギラギラと昏く燃えている。

遥か昔に夢見ていた英雄の姿とは似ても似つかない醜い人殺しの顔に、切嗣は軋るような呻きを漏らして後退る。

 

「だけど……だけど僕は、やらなくてはいけないんだ……」

 

旅客機を撃墜することは、どうしようもなく正しい(・・・)ことだ。大勢の無辜の人間を守護するために、例え母親同然の女性をこの手で犠牲にする必要があるとしても、その行いには大義があった。これを『正義』と呼ばずして何と言うのか。

幼い頃に夢見ていた弱者の為に戦う英雄(ヒーロー)などどこにもいなかった。最大の救済を得るために最小の犠牲を切り捨てる冷酷な天秤こそ、切嗣が過ぐる日に憧れていた『正義の味方』の正体だった。

憧れ求めた理想(ユメ)の真実を知り、その理想の担い手となる己の醜い顔を突き付けられた切嗣に、シャーレイは労るように優しく語りかける。

 

「ケリィはそんな顔をする大人になりたかったわけじゃないでしょ?今ならまだ間に合うよ。引き返せはしないけど、違う道を選ぶことはできる。ナタリアさんのことだって、きっと―――」

「だったらどうしろって言うんだよ!!」

 

叩きつけるような叫びがシャーレイの台詞をかき消した。目を丸くするシャーレイの肩を乱暴に掴み、胸の内で渦巻く激情を迸らせる。

 

「助けに行けるのなら行きたい!ナタリアにまた会いたい!面と向かって母さんって言いたい!殺したくなんてない!でも、駄目なんだ!!」

 

本音を漏らしたことでついにタガが外れたのか、涙が溢れ、声が嗚咽に震える。

『“何をしたいか”を考えずに“何をすべきか”だけで動く生き様は人のそれではない』と教えてくれた大切な女性を殺さなくてはいけない悲劇に、彼の精神は崩壊寸前だった。

 

「ナタリアはあの旅客機の中にいて、あの中には食屍鬼が満載されている!あのままナタリアが生き残って空港に着陸してしまえば、一気に食屍鬼が解き放たれ、倍々ゲームで増えていって、ニューヨークは一夜にして地獄と化してしまう!シャーレイにならその恐ろしさが理解できるだろう!?

夢はただのユメでしかないんだ!どんなに崇高な理想を掲げたって、人間一人に出来ることなんてたかが知れてる!全てを救うことなんて出来やしない!やるしかないんだ、殺すしかないんだよ!だから僕は―――」

 

「最後まで話を聞かんかこんクソガキャあ!!」

 

「あ゛イ゛り゛ッ!?」

 

今度はシャーレイが切嗣の台詞を遮った。だからお前は阿呆なのだと言わんばかりの容赦のない鉄拳が顔面に炸裂し、切嗣の身体を吹っ飛ばす。ボートのデッキにもんどり打って倒れ込んだ切嗣をシャーレイが強く見下ろす。

 

「ケリィ、一人で何もかも背負い込もうとするのはキミの悪いところだよ。日曜朝七時半からのテレビをちゃんと観てる?」

「み、観てないけど」

「正義の味方自称するんのならニチアサヒーロータイムの鑑賞は義務だろうがクソガキ!!」

「い゛り゛ヤ゛ッ!?」

 

死徒の腕力で放たれた強烈なビンタに頭がグラグラと揺れる。親父にもぶたれたことないのになぜシャーレイにここまでビシバシ引っぱたかれなければならないのかと朦朧とする頭で考えていると、目の前に白く細い手が差し出された。

見上げれば、昔のように嫋やかな微笑みを浮かべるシャーレイが切嗣の瞳を見つめていた。

死徒になっても変わらない優しげな表情に、切嗣は無意識にその手をとる。冷たくて、けれども柔らかい女の手だった。

 

「要するに、誰かと力を合わせれば不可能も可能になるってことよ。まあ、今回はシャーレイお姉さんに任せなさい」

「……どうするんだ?」

「いいからいいから。ちょっと無線機貸してくれる?」

 

言われるがままに無線機を渡す。何の確証もないはずなのに、なぜか彼女に任せれば解決するのではないかと思えてしまう。

言われてみれば、ナタリアと共同で行った仕事は“力を合わせる”というよりは“それぞれに振り分けられた任務を処理する”という色合いの方が強かった。そういう意味で、切嗣は自分以外の誰かと協力するということを経験したことがなかった。

 

「シャーレイ、旅客機がミサイルの射程圏内から出てしまうまで時間がない。ギリギリまで待つから、やるなら早くしてくれ」

「おk。あーあー、ナタリアさん、聞こえますか?私、ケリトゥグ君のお友だちのシャーレイって言います」

『はあ?待て待て、まるで状況が掴めないんだが。いきなり切嗣と通信が切れたと思ったらいったいどうなってるんだ?つーか、女のお友だちがいるなんて私は聞いてないぞ!?』

「混乱するのは当然だと思うのですが、そこは華麗にスルーしましょう。突然ですが、私は今あなたの乗ってる飛行機を携帯式ミサイルで狙っています。撃ち落とされたくなかったら私の指示に従って洋上に不時着してください」

「ちょっ、シャーレイ!?」

「黙ってろクソガキ!!」

「ま゛イ゛や゛ッ!?」

 

顔面中央に強パンチを受けて「前が見えねえ」状態になった切嗣を放置して、シャーレイは交信を続ける。

 

『無理に決まってる!そんな高度な操縦は私にはできない!』

「大丈夫です、安心してください。私は事業用操縦士資格と運航管理者資格と航空管制官の資格を持ってますから、航空機の誘導なんて朝飯前です。

ほらほら、撃ち落とされたくなかったら指示に従う!まずはスロットルレバーをゆっくり下ろして出力を下げつつ―――」

 

 

………

……

 

 

結果だけを先に述べるなら、シャーレイの無茶苦茶な作戦は何とかなってしまった。

170トンを超える鉄の塊の着水によって生じた波に揺られながら、切嗣は洋上にプカプカと浮かぶ巨大なジャンボジェットを呆然と見上げていた。切嗣が不安げに見守る中、割られた操縦席の窓からダイバースーツの少女がひょいと飛び出してそのまま軽やかにデッキに着地する。その腕には気絶した女が抱かれていた。

 

「ナタリア……!」

 

あの後、シャーレイはまるで自分が操縦桿を握っているかのように見事にジャンボジェットを誘導し、滑らかに着水させてみせた。そしてボートで機首まで近づくと、死徒の身体能力を使って操縦席までスルスルとよじ登り、着水の衝撃と安堵感で気絶したナタリアを担いで再び戻ってきたのだ。

シャーレイが旅客機からボートを遠ざける中、切嗣はデッキに横たえられたナタリアに縋りより、強く掻き抱いた。安らかに上下する胸が、彼女が紛れもなく生きていることを伝えてくれる。ひと通り彼女の身体を確かめてみるが、食屍鬼化に繋がるような外傷も前兆も見られない。

 

「良かった……本当に、良かった……」

 

もう二度と会えない、自分の手で殺すしかないと思っていた母同然の女が無事な姿で戻ってきたことに、切嗣は深い深い溜め息を吐き出してその場にへたり込んだ。放心する切嗣の隣で、ブローパイプ・ミサイルを担いだシャーレイが照準器を旅客機の主翼に向けて引き金を引く。

 

「たーまやー」

 

主翼内部の燃料タンクに直撃したミサイルが炎の大輪を咲かせ、燃料のケロシンに引火する。直後、鼓膜を弄するような爆発音と衝撃波がボートを後方から叩きつけた。一瞬で火の玉と化した旅客機がメキメキと鉄のひしゃげる音を立て、数百人の食屍鬼と共に海中に沈んでゆく。これで、食屍鬼も魔蜂も地上に災厄を齎すことはなくなった。

張り詰めていた緊張が解き放たれてぐったりと脱力する。多くの犠牲が出てしまった。無辜の命を失ってしまった。だけど―――大切な人だけは、失わずに済んだ。

 

「お疲れ様、ケリィ!」

「うわわっ!?」

 

唐突に、頭髪がガシガシと乱暴に掻き乱される。驚いて見上げれば、満面の笑みを浮かべるシャーレイと目があった。

 

「今までよく頑張ったね。お姉さんは誇らしいよ」

「……やめてくれよ。僕はもう子どもじゃない。今じゃ、君よりずっと背も高い」

「私にとっては、幾つになってもキミは弟みたいなものだよ」

「……弟、か」

「ん?何か言った?」

「……なんでもない」

 

やはり、自分は弟扱いらしい。口を尖らせて憮然と返すと、そっと目を閉じて髪を掻く優しい手つきに身を委ねる。包み込まれるような心地良さに意識を揺蕩せ、切嗣は知らずに微笑みを浮かべていた。ナタリアからは“他人にされるがままになることは命取りに繋がる”と教わっていたが、信頼する人間なら話はまったく別のようだ。

 

「シャーレイ、この数年間、君はいったいどこで何をしていたんだ?」

「最近はずっと航空機の操縦をしてるよ。せっかくの新しい夢―――じゃなくて人生なんだから、一つの資格を極めてみるのもアリかなと思って。セスナや小型ジェット機だけじゃなくて、もっと大きな飛行機も操縦できるようになりたいの。将来は戦闘機も操縦してみたいから、ある国の国籍も取得したのよ?」

「はは、それはまた、楽しそうだ」

 

破天荒な夢を語るシャーレイに思わず声を上げて笑う。彼女は思った以上に人生を謳歌しているらしい。その弾むような口調には、故郷を失った悲痛も、死徒化してしまった悲哀も見られない。そんなものはとっくに乗り越えて、彼女は夢の実現に向けて邁進している。

 

ならば、衛宮切嗣がこんなところで立ち止まっていて良い道理はない。

 

「―――僕も、まだ夢を諦めないでみるよ」

 

水平線から差してきた曙光の眩しさに目を細めながら、かつて言えなかった誓いの言葉を静かに告げる。あの時胸に懐いた誇らしさを、決して見失うまいと思っていた輝きを思い出しながら、晴れやかな笑顔で誓う。

 

「シャーレイ、僕はね、正義の味方になりたいんだ。誰も悲しまない、いつまでも平和な世界を作りたいんだ。そのために、これから僕はたくさんの絶望や憤怒や後悔を背負う羽目になるだろう。きっと何度も嘆いて、心折れそうになるだろう。それでも、この夢を諦めることだけはしないよ」

 

夜明けの光が暗闇をかき消し、今日という日の光が世界を暖かな白に染め上げてゆく。

こんなに美しい光景の下で立てた誓いが胸にあれば、例えどんなに銷魂しようとも衛宮切嗣は再び立ち上がることが出来る。

 

「うん、わかった。キミがキミの夢を成し遂げる時、私はそれを見届けに行くよ」

「……隣にはいてくれないのか?」

 

最後に切嗣の頭を柔らかく撫でて、シャーレイはそっと身を引く。慌てて振り返れば、彼女は困ったような笑みを浮かべて切嗣を見ていた。彼女を照らす陽光が、その白蝋のような異様な肌色を目立たせる。

 

「ハンターの隣に死徒は似合わないよ。私がいたら迷惑になるだけ」

 

そんなことはない、と言ってやることができない自分を切嗣は恥じた。優秀な兵士となった切嗣は、己の性能(・・)を正確に把握している。ハンターとして災厄を振りまく異端の魔術師を殺しながら、同時にシャーレイを死徒狩りから護り続ける。それほどの力量も余裕も、まだ切嗣は持ち合わせていない。

 

「すまない、シャーレイ。僕が力不足なばかりに―――」

「いちいちクヨクヨすんなやクソガキ!!」

「せいヴぁァッ!?」

 

臍を噛む切嗣の顎に、天を突くような鋭いアッパーカットが食い込んだ。鼻血の虹を描きながら宙で一回転した身体がボロ雑巾のようにベチャリとデッキにへばり付く。

ピクピクと痙攣する切嗣にふんと鼻を鳴らし、シャーレイがボートの縁に立つ。現れた時のようにまた海中に帰ろうとしているのだと気づいた切嗣が目眩に堪えて立ち上がる。

 

「シャーレイ……!」

「私のことを悔いてる暇があったら、もっともっと精進しなさい。たまには恋もして、いつかは子供も作って、思いっきり愛してあげなさい。それと、」

 

背中で忠告の言葉を告げたシャーレイが、最後に頭だけで振り返る。

そのとびっきりの笑顔は、太陽の輝きにだって負けていない。

 

「一人で解決できないのなら、遠慮せず誰かを頼りなさい!皆で力を合わせて戦って、最後に笑顔でハッピーエンドを迎えるのが『正義の味方』ってものなんだから!

それじゃあ、また会いましょう!切嗣(・・)!!」

「待―――」

 

制止の声を上げる暇すら与えず、シャーレイの姿が掻き消えてドボンと海面に吸い込まれる。慌てて周囲の海を見回すが、それきり彼女が海面から顔を出すことはなかった。息継ぎも必要がないとは、弱点を克服した死徒には何でもありなのかもしれない。

嵐のように現れて、嵐のように去ってしまった。言いたいことも聞きたいこともまだまだたくさんあったのに。溜め息をついて視線を下ろすと、銀色の輝きが視界の隅で煌めいた。拾い上げれば、それは彼女の飾りナイフだった。

ナイフを大切に懐に仕舞い込む。これを彼女に返すのは、自分が理想(ゆめ)を成し遂げた時だ。

熱い決意を胸に朝日を見据えた切嗣は、はたと彼女の最後の台詞に違和感があったことに気付いた。発音が難しいからと略称でしか呼ばなかったシャーレイが、初めて彼の名前を正しく呼んだのだ。

 

「……“切嗣”って、言えるようになったんだな」

 

それがたまらなく嬉しくて、切嗣はナタリアが目を覚ますまで微笑み続けた。

 

 

………

……

 

 

「もうすぐ君に会えるかもしれない、シャーレイ」

 

懐から取り出したナイフを眺め、セイバーのマスター、衛宮切嗣はそのナイフを返すべき少女に思いを馳せていた。身に付けるものには実用性しか求めない切嗣だが、その銀製の飾りナイフだけは常に懐に忍ばせていた。

あの出来事からさらに10年以上の月日が流れた。あれから少しして、ナタリアは狩人家業から引退し、切嗣は彼女の元から独り立ちした。いつの間にか『衛宮切嗣は標的の魔術師を殺すためなら旅客機ごと撃ち落とす』という箔が付いていた切嗣は、異端の魔術師を狩るハンターとして瞬く間に裏世界に名の知れた暗殺者となった。

その過程で、多くの失意と挫折を味わった。何度も傷心し、打ちのめされ、気力を失いかけた。ヒトという種族の限界に直面するたび、切嗣の心は崩壊寸前まで追い詰められた。

だが、決して諦めることだけはなかった。膝を突きそうになった時、このナイフの輝きを確かめれば、彼女に誓いを立てた美しい情景が脳裏に忠実に蘇り、あの瞬間の強い心に立ち戻ることができるのだから。

 

「切嗣、周囲に異常は―――……また、それですか」

「どうした、舞弥?」

 

報告のために近づいてきた舞弥が、切嗣の手元を見て憮然とした表情をする。彼女は、切嗣が飾りナイフを手にして追憶に浸っていると、なぜかいつも機嫌を悪くするのだ。自分の知らぬ女との思い出の品で切嗣が微笑みを浮かべていることへのささやかな嫉妬の表れなのだが、それに彼が気がつくことはないだろう。諦め気味に「何でもありません」と返し、舞弥は報告の続きを行う。

 

「この潜伏場所は今のところ安全のようです。尾行もされていません。マダムは土蔵の中の魔方陣で安静にしています。セイバーが傍にいるので状態は安定しましたが、動くのはしばらく無理かと」

「わかった。それなら、正午の教会での話し合いはやはり僕が行くべきだな。舞弥、アイリを頼んだぞ」

「はい、もちろんです」

 

アインツベルン城での聖杯問答を終えた途端、アイリスフィールはそれまでの限界を超えた活動のツケを一気に受けて歩くこともままならなくなってしまった。今までセイバーのマスターとして振舞っていたアイリスフィールが動けない以上、同盟の話し合いには本当のマスターである切嗣が赴くのが必然だ。しかも、同盟の相手―――間桐雁夜はアイリスフィールが正規マスターではないことを見破っている可能性が高い。彼の信頼を勝ち取って同盟を組み、この聖杯戦争に勝利するためには、切嗣が直接挑む他ないのだ。

 

「“一人で解決できないのなら、遠慮せず誰かを頼りなさい”、か……」

「……それはもしや、そのナイフの持ち主の言葉ですか?」

「ああ、そうだ。まるで未来を知っていたかのような助言だよ。さすがは僕の()だ」

「……姉?」

「ああ。言ってなかったか?」

「初耳です。姉ですか、そうですか……」

 

切嗣にとって、シャーレイは“初恋の女性”から何時しか“姉同然の女性”へと遷移していた。今ではナタリアやアイリスフィールと同じくらい大事な、切嗣の家族の一人だ。

新たなる敵の出現を警戒していた舞弥がホっと胸を撫で下ろし、声に安堵を滲ませたまま問う。

 

「それで、その姉は今どこにいるのです?」

「わからない。飛行機の操縦を極めたいと言っていたから、今もどこかの空を飛び回っているのかもしれないな」

「……自由な人なのですね」

「昔はあんな素っ頓狂な性格じゃなかったはずなんだけどな。死徒化すると人格も変わるものなんだろう」

「はあ、なるほど。たしかに死徒化すれば性格くらい―――死徒化ァ!?」

「あー、いや、なんでもない。こっちの話だ。忘れてくれ」

 

口を滑らせてしまったことを後悔しながら慌てて誤魔化す。このことを明かしてしまうと話が複雑かつ長くなってしまうので、シャーレイのことは内緒にしているのだ。

「あーあー聞こえなーい」と両手で耳を塞いで追求の声を荒げる舞弥から逃れていると、不意に上空で赤い光が煌めくのが見えた。闇夜を切り裂いて高速で飛翔する二機のそれらは、高度と速度からして戦闘機に違いない。哨戒任務から帰投する航空自衛隊のF-15Jだろう。

 

 

―――将来は戦闘機も操縦してみたいから、ある国の国籍も取得したのよ?

 

 

「……まさか、なあ」

「聴いてないフリはやめてください切嗣!姉が死徒ってどういうことです!?どんな家族関係なんですか!ちゃんと答えてくれるまで私は一歩も引きませんからね!!」

「少し休憩しようか。コンビニでケーキでも買ってくるといい」

「今日のところは許してあげます!では!」

 

 

‡雁夜おじさんサイド‡

 

 

「ねえ、おじさん。バーサーカーは何してるの?」

「車庫で車を弄ってるよ。火花が散ってて危ないからあんまり近づいちゃだめだよ」

「うん、わかった!」

 

トテトテと愛しの騎士様を探して駆けていく桜の後ろ姿に苦笑を浮かべる。桜はバーサーカーの手を見るのが好きなのだそうだ。その気になれば何でも出来てしまうその手先を飽きもせずにずっと眺め続けている。今頃も、どこかから持ってきた廃車同然の車を器用にレストアするバーサーカーの手元をうっとりと見つめていることだろう。

 

「飛び起きたと思ったら突然『車を改造する!』なんて言い出しやがって、本当に変なサーヴァントだよ」

 

夢で何を見たのかは知らないが、きっと碌でもないものに違いない。こっちは正午に教会で行われる令呪賞与の件をどう乗り切るかで気が気ではないというのに、呑気なものだ。

コホンと一度咳をして声に威厳を持たせ、手元のメモ用紙を見ながらさも間桐家の当主のように話す練習を再開する。教会ではセイバー陣営から何か話があるらしいから、相手にナメられないようにこちらも堂々と装う必要がある。これでも御三家の一角なのだ。

 

「えーっと、わ、我らは令呪目当てにキャスターを討伐したのではなく、信念に従い……いや、なんか違うな。為すべきことを為したに過ぎない、の方がいいかな?」

 

いつまでもバーサーカーに働かせっぱなしというのは申し訳ない。アインツベルンに足元を見られないような、威厳と力強さに満ち溢れた間桐雁夜を演じるために、今こそ元フリーライターとしての能力を発揮する時だ。

 

「おじさん、バーサーカーが『隣にあるBMWをバラして部品にしていい?』って言ってるよ」

「ああ、あれは兄貴のだからどうにでもしていいよ。あいつは何してるんだ?」

「“バーサーカー・ホイール”ってのを作るんだって。『こういう車はやっぱりスズキ製だよな』って楽しそうに独り言言ってたよ」

「……あいつ、何時の時代の英霊なんだ?」

 

思わず漏れた呆れ声は、上空を飛翔するF-15Jの轟音に掻き消された。

 

 

‡仰木一等空尉サイド‡

 

 

『暇ですねえ、先輩。怪獣でも出てこないですかねえ』

「……縁起でもないことを言うなよ、小林」

 

デジタル暗号化された無線波を伝ってヘッドホンから聞こえた声は緩みきっていて、確かめるまでもなく僚機のパイロットが退屈していることを仰木に教えた。僚機―――ディアボロⅡのパイロットである小林三等空尉とチームを組むのはこれで数回目だが、三等空尉の型破りな言動には早くも慣れ始めている。慣れとは恐ろしいものだ。

 

『この下の未遠川でビオランテみたいな化け物が現れてですね、そこに自分が突っ込むわけですよ。そして食べられちゃって、後輩思いな先輩は「よくも小林を!」と仇を執るために全兵装のセイフティを解除してその化け物に突貫するんです。しかし残念、恐ろしい漆黒の騎士に戦闘機を乗っ取られたりするわけです』

「なんで俺がお前の仇を執らにゃあかんのだ。しかも機体を乗っ取られてるしよぉ。だいたい、お前なら化け物だって“光の巨人”の助けなしで倒せちまうよ」

 

小林三等空尉の操縦技術は間違いなく天下一品の冴えを持っている。戦闘機パイロットの練度がもっとも高いと言われる米空軍にだって小林を上回るだけの乗り手はいまい。飛行教導隊との仮想戦闘でも、仮想敵機の教官たちを一機残らず撃墜してみせた。その実力は、日本に帰化した元外国人でありながら、門戸の狭い航空自衛隊に入隊し、さらに戦闘機のパイロットにまで伸し上がった彼女(・・)の遍歴が証明している。今はまだ自分が上官の立場にあるが、本当に怪獣でも出現しようものなら彼女はあっという間に怪獣を倒して昇進を重ね、自分を飛び越えてしまうだろう。

こいつの部下なんかになったらどんな無茶苦茶なことを吹っ掛けられるのか、と想像して背筋がぶるりと震える。

 

「怪獣なんか現れなくてよかったよ。本当に」

『あれ?もしかして自分を心配してくれたんですか?さすが先輩。優しいなあ』

「アホか。勝手に言ってろ」

 

その容姿も気安い口調も見た目相応の少女にしか見えないのだが、あれでもう30歳を超えているというのだから世の中には不思議な事があるものだ。上層部はその秘密について何か知っているようではあるが、彼女の類まれなる才能を天秤にかけて「見て見ぬふり」を選択したらしい。

 

『こちらコントロール。ディアボロⅠ、ディアボロⅡ、私語を慎め。喋ってる暇があったらさっさと帰って来い』

『ほら、先輩のせいで怒られちゃいましたよ』

「お前のせいだろうが!」

『いやあ、すいません。楽しい夢がずっと続いてくれてるから、なんだか毎日が愉快で仕方がないんですよ』

「わけがわからん。交信はしばらく控えるぞ。ディアボロⅠ、通信終了(オーバー)

『イエッサー!』

 

ころころと楽しげに復唱を返してきた相変わらずの僚機に一度溜め息をつくと、仰木は操縦桿を引いて機体を急加速させた。エースパイロットである仰木でも骨身に染みるGが前身を圧迫してくるが、ディアボロⅡの軽快な飛行に迷いは見られない。バックミラー越しに観察する仰木に見せつけるように両翼を上下に振ってバンクまでしてみせる。

 

「ったく、シャーレイの奴め」

 

僚機のパイロット、小林シャーレイ(・・・・・・・)三等空尉は相も変わらず型破りな自衛官であった。




バーサーカーシャーレイ:
バーサーカーから分化した新しい欝ブレイカー。女の子に憑依したことへの困惑もドキドキ展開もすっ飛ばし、すっかり順応してしまった。現在は戦闘機パイロットとして日本の領空を守っている、かもしれない。


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2-12 ドリキャスはまだ終わっていない。眠っているだけだ。

「ソロモンよ、私は帰ってきた!!」
「うわっ!?い、いきなりどうしたんだよライダー!?お前もあのキャスターみたいに狂っちゃったのか!?」
「ああ、あのタコみたいな化け物を操る奴か」
「まあ、タコといえばタコだけど」
「で、味は?」
「え?」
「タコなんだから当然美味いんだろう?パラメディック?」
「誰がパラメディックだ!そんなことはどうでもいいから、早く戦いの準備でもしたらどうだ!」
「なら、キッチンに立てこもろう」
「はあ?なんで?」
「キッチンで負けたことはないんだ」
「……!!だ、誰かー!こいつ、ライダーじゃなくて大塚明夫の方だ!!」
「本多平八郎忠勝、参る!蜻蛉斬りを喰らえ!」
「ぎゃあ!」
「敵将、討ち取ったり―――!!」


なんだこれ。


‡ウェイバーサイド‡

 

 

「なあ、ライダー。僕がバーサーカーのマスターと正面切って戦ったとして、勝ち目があると思うか?」

「あん?そりゃあ、無理に決まってるわな」

 

ウェイバーに背を向けたまま、ライダーは彼の問いかけをばっさりと切り捨てた。夢中になっているテレビゲームから目を離すほどのことでもない、分かりきった質問だったからだ。

 

かたや、この第四次聖杯戦争において全ての陣営を手玉に取ってみせ、犠牲を最小限に抑える余裕すら見せる稀代の戦略家にして高位の魔術師。かたや、ろくな魔術の素養もない、弱輩の三流魔術師。

バーサーカーのマスターの実力を実際に目にしたわけではないが、目にしていれば今頃とっくに殺されているに違いない。勝敗を競うことすら烏滸がましいほどに、魔術師としての彼我の力の差は開き過ぎている。

安易な慰めを是としないライダーは、無闇に鼓舞してやるより客観的に答えてやる方が良いと判断した。これでウェイバーがまた肩を落として「少しは気を使えよ!」などと喚きでもすれば、その時はまた額にデコピンでもかましてやるつもりであった。

 

()そうだよな(・・・・・)

 

だが、背後から返って来た反応は、思わずライダーを振り返らせるほどに飄々として軽かった。物珍しい動物を見分するように片眉を上げ、怪訝そうにウェイバーの顔を覗き込む。

 

「なんだぁ、坊主。随分と殊勝じゃないか。余はてっきり、もっと悔しがるかと思っておったぞ。なんぞ気味が悪いわ」

「うるさいな!ちょっと確認しただけだ!別に、僕が魔術合戦で勝てなくたって問題はないんだからな」

 

ウェイバーはムッとした顰めっ面でそっぽを向くが、その声に卑屈さは見られない。敵との圧倒的な差に諦観し、不貞腐れたのではない。より広い視野で大局を見据えているからこその確固たる根拠がウェイバーに揺るがぬ自信を与えているのだ。

それを持ち前の審美眼で悟ったライダーは、己のマスターがいつの間にか一皮剥けていたことを漠然と悟った。

 

「ほぉ。ズバリ、そのココロは?」

 

興味深げに底を窺ってくるライダーの視線に真っ向から向き合い、ウェイバーは「いいか?」と指を立てる。

 

「じゃあ、逆に聞くけどな。僕とバーサーカーのマスターなら確かに僕の方が何もかも劣っているだろうよ。鼻くそみたいに爪弾きにされるのがオチだろうさ。だけど、ライダー陣営(ぼくたち)とバーサーカー陣営として考えれば、どうだ?相対し得ない相手か?」

「何を馬鹿なことを。彼奴らの在り様には賛嘆はすれど、膝を屈するなど微塵もあり得ぬ」

「だろう?なら、いいんだよ」

 

そうアッケラカンと答えてみせたウェイバーに、ライダーは彼らしくもない呆けた顔を浮かべて驚いた。当初は己の面子を立てることしか頭になかった少年が、知らぬ間に青臭い殻を破り捨て、より高みから大局を俯瞰する非凡の片鱗を見せ始めていたからだ。

 

「……もしや、余が引っ叩きすぎたせいか?」

「失礼だな!目的を見誤るほど僕もバカじゃないってことだ!」

 

一喝すると、ウェイバーは自身とライダーを交互に指さして見せる。

 

「僕がいくら劣っていても、その分をお前で補えればいい。幸いなことに、お前は間違いなく最強クラスのサーヴァントだ。僕だけではダメでも、僕とお前(・・・・)なら勝てる見込みは十分ある。要は、最終的に聖杯を手に出来ればいいんだからな」

 

そう、この戦いにおける“勝利者”とは、即ち“聖杯を手にした陣営”だ。個人の体面や力比べが介在する余地のない、戦力と戦力のぶつかり合いだ。

自身が相手より劣っていることを受け入れるのは容易いことではない。ましてや、それが己の 召 使 い (サーヴァント)であるのなら尚更だ。虚栄心や自尊心といった霞が瞳を曇らせ、思考を淀ませてしまう。かのロード・エルメロイですら魔術師という枠に囚われた結果、己のサーヴァントを持て余し、視野狭窄に陥ったところを狙われて早々に敗退してしまった。

しかし、ウェイバーはその二の舞を演じることはないだろう。握りしめた拳を見つめる彼は、すでに『魔術師』という従来の狭い型枠からは脱している。

 

「聖杯のことなんて、どうでもいい。使い道なんて知ったことじゃない。僕は挑戦したいだけだ。確かめたいだけだ。聖杯を頭上に戴く最後の戦場で、バーサーカーのマスターと直に顔を突き合わせて、そして問い質すんだ。『なぜ、そこまで強く正しく在れるのか。それほどの人間が、何のために聖杯を欲するのか』。それに対する返事を聞いた時、きっと僕は答え(・・)を得ることが出来る」

 

ついぞ3日前に「小さい」と喝破された少年とは思えない雄渾な語り口に、ライダーは思わず息を呑んだ。

ウェイバーに大きな変革をもたらしたのは、皮肉にも勝利への最大の障壁となるバーサーカー陣営の立ち振舞いであった。

 

例えば、時計塔で道行く魔術師たちに「魔術師は人倫を尊重すべきか」と諮問したとする。10人中9人は、「それは魔術の探究に必要なのか?」と首を傾げるだろう。残りの1人は蔑む目でこちらを一瞥した後、会話をする価値もないと去っていくに違いない。それこそが魔術師という“生き物”の性であるし、正しい魔術師とはそういうものなのだとウェイバーも日に日にその懈怠の泥に身を沈めていた。何かを得るためには何かを捨てねばならず、魔術師として大成するためには人の道を切り捨てねばならぬのだ、と。

だが、その認識は、この聖杯戦争に参加したことで覆された。道義を失わぬままに、かのロード・エルメロイすら凌ぐ才幹を有する魔術師が存在すると知ったからだ。その魔術師は、 狂 戦 士 (バーサーカー)という本来なら制御の難しいクラスに、己に相応しい最高の騎士(・・)を召喚してみせた。狂化しているにも関わらず、彼は“理想の騎士”として戦った。弱者を虐げる者を許さず、強者には敬意を持って挑んだ。

もしも、未だ正体の知れないあの漆黒の騎士がセイバーのクラスで召喚されていれば、此度の聖杯戦争は3日と言わずに終幕を迎えていただろう。あれほど優れた魔術師がバーサーカークラスのステータスアップの恩恵に頼るなど考えにくい。にも関わらず、わざわざ不利なクラスを選んだのには何か理由がある。

 

(そんなの、決まってる。他のマスターがバーサーカーを召喚して、もしも制御に失敗した場合に周囲に及ぼす被害を阻止するために、敢えて自分がバーサーカーを請け負ったんだ)

 

そうとしか考えられなかった。聖杯戦争には、自分のような三流の魔術師や、キャスターのマスターのような物狂いだって参加できる。もしもそういった拙劣な輩がバーサーカーを召喚してしまえば、燃費の悪いサーヴァントを維持するために大勢の人々を殺すかもしれないし、制御できなくなって暴走させてしまうかもしれない。だからこそ、あの魔術師は誰よりも先んじて自らバーサーカーを選んだのだ。

自分がバーサーカーを完全に制御できるとする自信と、何より、己が劣勢になる可能性を甘受してまでも罪なき人々を護ろうとする強靭な覚悟に、ウェイバーは骨の髄から感服した。

ヒトが人間(ひと)であるために必要不可欠な他者への慈しみを見失うことなく、最強の魔術師として聖杯戦争の主導権を握り続けるその(おお)きな背中を瞼の裏に幻視し、カッと目を見開く。目の前の拳が一回り大きくなったような錯覚は、しかし幻などではない。この瞬間も、ウェイバー・ベルベットは未だ見ぬ背中を目指し、間違いなく成長し続けているのだから。

自らを不遇の天才と決め込んで、沽券を誇示するために躍起になっていた幼稚な子どもはもういない。今ここにいるのは、己の力量を冷静に弁えながら、(マスター)として相応しい眼識を持って戦争の趨勢を見据える一人の戦士だ。

 

成長を遂げたウェイバーの張りに満ちた双眸を向けられ、ライダーはそれを「見上げたものだ!」と感嘆して褒め称えるべきだ(・・・)

 

「――――だが、坊主。そいつは聖杯が本当にあった場合(・・・・・・・・)の話だよな?」

「……え?」

 

顔を伏せてそう絞りだした彼の様子は、称賛とは正反対のものだった。

予想とまるで違う反応をされて愕然とするウェイバーに、ライダーがぐるりと身体を正対させる。海底に沈んだ岩のように暗い表情には、いつもの晴れやかな覇気は微塵も感じられない。

突然の変貌に面食らうウェイバーを、まるで居た堪れないものを慰めるようにじっと見詰め、彼は冷ややかに言葉を紡ぐ。

 

「皆が血眼になっちゃあいるが、件の聖杯とやらが本当に噂通りのシロモノだってぇ保証はどこにもない。違うか?」

「……な……!」

 

聖杯戦争はもはや佳境に入っているというのに、今になって何を言い出すのか。ウェイバーはその真意を測りかねたが、何よりもライダーのその自信無さ気な面差しに猛烈な不快感を覚えて二の句を告げずにいた。

腹底で沸々と怒りを燃やし眉を顰めていくウェイバーを気にも留めず、床をじっと見つめて呻く。

 

「余はな、以前にもそういう、“在るか無いかも知れぬモノ”を追いかけて戦ったことがある。最果ての海(オケアノス)を見せてやると―――そういう口上を吹き散らし、余は世界を荒らしに荒らして廻った。余の口車に乗って、疑いもせずについてきたお調子者を、随分と死なせた。どいつもこいつも気持ちのいい馬鹿揃いだったよ。そういう奴から先に力尽きていった。最後まで、余の語った最果ての海(オケアノス)を夢に見ながら、な」

 

ライダーの瞳が一瞬だけウェイバーを捉える。その面目無さそうな視線を向けられたウェイバーのこめかみにビシリと青筋が走る。

目を伏せたままのライダーは、ウェイバーの気配が激変したことに気付かない。たった今、彼がしてはならない重大な履き違え(・・・・)をしたというのに。

 

「最後には、余を疑うようになった小利口な連中のおかげで、東方遠征はご破算になった。だがそれで正解だった。あのまま続けていれば、余の軍勢は何処にも辿り着くこともなく総倒れで終わっただろう。この時代の知識を得た時は、まあ結構、堪えたわい。まさか大地が閉じているなんて、悪い冗談にも程がある。だがそれでも、地図を見れば納得するしかなかった。最果ての海(オケアノス)なんて何処にもありゃしなかった。世の理想(ユメ)は、ただの妄想でしかなかった。

余はなあ、もうその手の与太話で誰かを死なせるのは―――」

 

「ふざけるなッ、こんの大馬鹿野郎ッッ!!!」

 

「ぬおッ!?」

 

突然、ライダーの横っ面に拳が炸裂した。椅子から身を乗り出したウェイバーが勢い良く躍りかかったのだ。小さな拳の一撃は、しかし、ライダーの巨体を転がすだけの覇気を握りしめていた。

 

「ぼ、坊主?」

 

強かに背中を打ち付けたライダーの腹にドスンと腰を落とし、胸元を掴み上げる。

 

「よく聞け、ライダー。お前は大きな勘違いをしてる」

「勘違い……?」

 

遥かに体格差のある相手を組み伏せ、目を白黒とさせるライダーをギロリと見下ろす。華奢な双肩が波打っているのは、かのアレキサンダー大王を足蹴にしている無礼に怯えているのではない。身の内で荒れ狂う激しい怒りを抑え切れないのだ。

 

「お前は、今、『自分の掲げたユメに臣下たちが着いてきたが、そのユメは妄想に過ぎず、臣下たちを無駄死にさせてしまった』と言って、僕を見た」

「……そうだ。それの何が心得違いだというのだ?臣下たちは望んで余に着いてきた。だから余のせいではないとでも?そんなものは慰めにもならん」

 

己を射抜く眼光から目を逸らし、かつて西アジア全域を手中に収めた征服王が小さく呟く。無骨な手の平が、胸板にプリントされた世界地図をそっとなぞる。無二の臣下たちが倒れていった砂の大地は、彼の指先ほどの大きさしか無い。

 

「見よ、坊主。これが、余が世界からぶん取った領土だ。手に入れようとしていた世界全てに比べて、なんとちっぽけなことか。ほんの欠片にすぎん。たったこれだけを手に入れるために―――これの先にあると思い込んだオケアノスを目指すために、途方も無く大勢の臣下を無駄死させた。

確かに、臣下たちは余のユメを共に目指した。奴ら自身の意思で余に着いてきた。だが、余が導いた(・・・)ことに変わりはない。セイバーの言うことにも一理ある。王は導き手だ。臣下を導いた責務もまた、王にある」

 

当初は「身命を捧げるのは王ではなく民草の方だ」などと豪語して憚らなかった男とは思えない殊勝な言い草に、ウェイバーは束の間だけ驚いた。傲岸不遜を体現するこの男も、セイバーとその他一名との聖杯問答で得たものがあったらしい。

 

「我が過去の治世に悔恨など微塵も無い。覆したいとは毛頭思わん。だが、同じ過ちを繰り返すつもりもない。余に付き従った者をまたも夢まぼろしのために犠牲にしたのでは、砂原に倒れていった兵たちに顔向けができん」

 

重々しく王の責任を語るライダーの意外な変化に数度瞬いて驚いたものの、ウェイバーの気勢が削がれることはなかった。なぜなら、その回答がまったくの的外れ(・・・)なものだったからだ。

 

「全ッ然、違う。僕が言いたいことはそんなことじゃない」

 

ふんと鼻を鳴らして首を振る。その慮外な反応に、さしものライダーも怪訝に眉を寄せた。ウェイバーの真っ直ぐな双眸は明らかに、彼が思いもよらない重大な何か(・・)を見抜いていたからだ。

黙りこくるライダーを見下ろしながら、ウェイバーは続けて訥々と言い聞かせる。

 

「過去の失敗を繰り返したくないって気持ちはよくわかる。導き損ねてまた臣子を無駄死にさせるかもしれないって不安もわからないでもない。だけど、今度の戦争ではそんな心配は不要だ。こと僕に対してそんな風に考えるのは、決定的に間違ってる」

「……何故だ?」

 

面妖なものを前にしているかのように目を見張るしかない己のサーヴァント(・・・・・・・・)に、右の拳を突きつける。握りしめられた拳の甲で、マスター(・・・・)であることを示す令呪が燠火のように燃え光る。

ハサンが散り際に魅せた煌めきは、火の粉となってウェイバーの胸に燃え移った。その小さな種火は、若き魔術師の内に眠っていた“魂”を覚醒させるまでに成長したのだ。

熱せられた()の魂は真っ赤に燃える焼け石の如く、触れた者までも燃え上がらせる灼熱に漲っている。

 

「今は、この僕が導き手(・・・)だ!お前が臣下で、僕が王だ!お前が導くんじゃない。お前が、僕の夢に、ついて来い!!」

 

高らかな宣言と共にライダーに差し出されたその力強い手は、まさにそのような灼熱を内包していた。

 

「ああ……そういうことか」

 

細めた目で眼前の手を一度見詰め、ライダーはそっと目を瞑る。意識を悠久の過去へと飛ばせば、かつて全ギリシアに覇を唱えた時代が瞼の裏に鮮明に蘇ってくる。

国内で力を振り示していた勇猛な戦士たちに次々に声をかけ、時には腕尽くで誘いをかけた。「こんな狭い国の中で暴れ回ったって男がすたるだけだ。それならいっそ、俺と一緒に最果ての海(オケアノス)を目指さないか」―――そう言って腕を差し伸ばし、掛け替えの無い臣下を手に入れてきた。

 

そう、まさしく今のウェイバーと自分のように。

 

「余は、あらゆる国の、あらゆる文化を経験したつもりでいたが―――」

 

仕舞い込んでいた大切な宝物を取り出すように、ライダーはそっと呟く。目を開けた先では、自分の(マスター)が自信に満ちた笑みを輝かせていた。ギラギラと闘士に燃える眼差しは、見つめているだけでこちらの心にも火がつきそうだ。もしかしたら、在りし日に臣下になった男たちも、今の自分と似たような感情を抱いたのかもしれない。“こいつになら自分の命を預けても良さそうだ”という本懐を得た充足感を。

 

かつての己の姿をウェイバーに幻視して、ライダーはニンマリと思い切り口端を釣り上げる。出会った当初はちっぽけな小僧だと思っていた少年が、自分をも感じ入らせるほどの器を持つ男に成長を遂げていたからだ。

差し出された手に勢い良く手を重ね、力強く握り返す。感情が昂ぶり、銷沈しかけていた覇気が見る見る沸き上がってくるのは、触れた手を介してウェイバーの灼熱が燃え移ったからに違いない。

 

「そういえば、誰かの臣下になったことはまだ無かったぞ、マスター(・・・・)!」

「―――ッ!!」

 

手を握られた途端、ウェイバーは総身を押し潰されそうな錯覚を覚えて目を見張った。

己のサーヴァントから“マスター”と呼ばれたのはこれが初めてだった。だが、当初に期待していた、サーヴァントに自分を認めさせたという優越感は微塵も感じない。そういった満足感とは正反対の責任感(・・・)が―――無二の臣下という自分以外の命を背に預かった巨大な責任感が、一気に背にのしかかってきたのだ。

ゴクリと大きく息を呑み、ライダーを凝視する。目の前の大男は、この何千、何万倍もの途方も無い重責を一身に背負い、彼らに己と同じ夢を魅せつけた。死して尚付き従いたいと思わせるほどの、強烈な夢を。そうして背負い込んだ男たちの魂が、イスカンダルという男の背を世界の果てまで押し続けた―――否、今も押し続けている(・・・・・・・・・)のだ。

この男の器は、それほどまでに巨大で、重い。自分は今、その偉大な巨人を、彼の臣下をも引っ括めて背負おうとしている。

普通の人間なら、ここで躊躇するだろう。自分の器では無理だとその手を離してしまうだろう。

 

「―――どんなことにも初めてはある。良い機会を与えてもらったことに感謝しろよ!」

 

だが、ウェイバーは離さなかった。口端の笑みを引き攣らせながらも、逆にさらに力を込めて握り返した。覚悟が出来ているとは言い難い。その分、不足した覚悟は意地で埋めればいい。この血の滾りで補えばいい。遥か遠くを進むバーサーカーのマスターに追いすがり、答えを確かめようと思うのなら、この程度の重さ(・・・・・・・)で負けているわけにはいかないのだから。

 

「ムハハハハ!如何にもその通りだ!言うようになったではないか、マスター!」

 

ウェイバーの軽口に、ライダーは屈託のない笑顔で応える。嬉しそうに大笑する様を見ていると、こちらの不安もどこかへ吹っ飛んでしまいそうだ。

 

「横っ面に拳をぶち込まれて説教をされたのは生まれてからも死んでからも初めてだ。実に心地が良い。こんなマスターに恵まれて、余はとんだ果報者だ!

だが、マスター。一つ忠告しておこう」

「な、なんだよ」

 

ムクリと半身を持ち上げたライダーが、唐突に神妙な面持ちを見せる。ウェイバーの肩を抱いて引き寄せると、まるで誰かに聞かれてはいけない内緒話をするように小声で耳打ちする。

 

「余の側近のクレイトスに会った時は、余を殴ったことは言わん方がいい。きっと怒り狂って斬りかかってくるぞ。特に黒い方のクレイトスはダメだ。アイツは短気で凶暴だからな」

「クレイトスって何人もいるのか!?」

「肌が白いのと黒いのがいる。どっちも恐ろしいぞ。二振りの短剣を鎖鎌のように振り回して『苦しみを味わえ!』とか叫んで踊りかかってくる」

「……い、いいや、駄目だ。今は僕が王なんだから、いちいち臣下に気を使う必要なんて無い!違うか!?」

 

声を荒げてライダーの胸板を拳で打つ。つい先日までは振り回されるばかりだった少年とは思えない大胆な言葉だ。だから、青ざめた顔面がひくひくと震えているのは、ご愛嬌ということで許されてもよいだろう。事実、ライダーは満面の笑みを浮かべて首肯を返した。

 

「うむ、それでこそ余のマスターよ!主君を得られ、面白いゲームも得られた。此度の戦は良い収穫ばかりだ!!」

「……僕はゲームと同列かよ」

「たかがゲームと馬鹿にしてはならんぞ、マスター。このゲームはなかなかに革新的で、画期的だ。なにせ、このゲームの中に街一つが丸ごと入っていて、天気も変われば人並みも変わり、街にある全ての物品や人に対してプレイヤーが働きかけが出来るのだ。なんと通りすがりの脇役までフルボイスときたものだ。これにはさすがの余も唸ったわい。

一作目ももう終わった。ちょうど今から二作目を始めようかと思っていたところだ。どうだ、マスター。そなたも一緒にやってみんか?」

 

“そなた”という慇懃な呼び名に言いようのない擽ったさを覚えて身を捩る。“坊主”や“貴様”と呼ばれていた方が性に合っていたのかもしれない。

 

「そんな低俗なものを僕はやらない……と言いたいところだけど、何事にも初めてはあると言ったのは僕だしな。ちょっと見せてくれよ」

「おうおう、わかってきたではないか!そうだ、上に立つ者は何事も経験が大事だからな!!」

 

ゲーム友だちが出来たことに肩を弾ませて喜びながら、ゲームソフトと思しきディスクをゲームハードのドライブにセットする。ゲームハードらしき白いプラスチックの箱には渦巻き模様のロゴマークが描かれているが、ゲームに疎いウェイバーにはそれがどこの国のどんなゲームハードなのかも想像がつかなかった。

 

「このゲームは絶対に面白いぞ。このニッポンという国はゲームを作らせれば天下一だ。これを作った会社は余のお気に入りだ。三部作で完結する予定らしいが、すぐに三作目も発売されるだろう。きっと世界中で売れに売れるぞ。余が言うのだから間違いない」

「はいはい。いいから、早くプレイしてみろよ」

 

投げやりに返してみたものの、音が跳ねるような心地良い起動音を耳にすれば、ウェイバーの胸も段々と高鳴り始めていた。画面にオレンジ色の渦巻き模様が表示され、続いて美しい3Dムービーが再生され始める。眩い日の出を背にして隼が飛来する描写には圧巻するしかない。

イギリスという格調高き先進国の生まれであることから極東アジアの日本のことを心の何処かで馬鹿にしていたが、どうやらそれは驕りだったようだ。少なくともイギリスではこれほどのゲームを作れる会社はあるまい。

 

「おっほぉ!これが今回の舞台のホンコンというところか!見よ、この迫力を!まるで本当にそこにあるようではないか!余は決めたぞ!この国を征服したら、祖国に帰る前に寄り道をしてここも手に入れる!!」

 

一人で興奮の絶頂にあるライダーをよそに、ゲームディスクが入っていたパッケージを手にとって見る。なるほど、確かに良い出来だ。イラストも細部にまで拘っているし、裏面のゲーム説明と思しき裏面を見ても、趣向を凝らして作られていることがよくわかる。ライダーが“売れる”と太鼓判を押したのも強ち嘘ではないらしい。

 

「『シェンムーⅡ』、か……。確かに、面白そうだな」

「そうだろうそうだろう!『シェンムーⅢ』の発売が今から待ち遠しいな!!」

 

 

セガさん、僕たちはずっと待ってるんだよ。

 

 

 

 

一方、ウェイバーが未だ見ぬバーサーカーのマスターに対して闘志を燃え上がらせていた同時刻………

 

 

‡雁夜おじさんサイド‡

 

 

「ぶわああっくしょん!!ひいいっくしょん!!ぶへえっくしょん!!ちくしょう、寒気とクシャミが止まらない!全部あの馬鹿のせいだ!!」

 

間桐邸の裏庭で、第四次聖杯戦争の主導権を握っているとされる男が鼻水を激しく撒き散らしていた。

“あの馬鹿”が己のサーヴァントを指すことはもはや言わずもがなである。主であるはずの雁夜を羽交い絞めにして、桜と一緒に雁夜に服を着せては脱がせを繰り返しやがったのだ。この寒い季節に一時間以上も着せ替え人形扱いされたことにも腹が立つが、何よりパンツまで脱がされて桜から「お父さんよりは小さい」とボソリと呟かれたのがたまらなく悔しいのだ。時臣のものなど見たことはないし見たくもないが、大きさくらいは勝ってるだろうと勝手に思い込んでいただけに、桜のその発言はひどく衝撃的だった。

打ちひしがれて半泣きになった雁夜は、さらに他の服を着せようと迫る桜とバーサーカーに背を向けて一人狭い裏庭に逃げ込んだのだ。

 

「くそったれー!時臣のアホ!バーカ!オタンコナス―――!!」

 

パーカーを振り乱して近場にあった樹木を力任せに殴りつける。涙目になってボコスカボコスカと何度も拳を振るっていると、段々と樹木の模様が時臣の顔に見えてくる。殴りつける度に時臣の顔も痛そうに顰められていくように見えて、少しずつ気分が晴れていくようだ。

 

「……たしか、バーサーカーの奴がこんなパンチをしてたっけな」

 

ふと、視覚を同調させた際に垣間見た、バーサーカーの鋭い打撃を脳裏に思い浮かべてみる。もし万が一、この身だけで敵と遭遇した場合に備えて、少しでも抵抗できるようになっておきたい。しかし、自分には格闘技の経験はこれっぽっちもないから、見よう見まねで覚えるしか無い。

一歩足を踏み込んで、腰の捻りを加えて、腕を一本の丸太のようにして打ち出す。たしか、アイツのパンチはこんな感じだったはずだ。

 

「ふっ!ふっ!……なんだ、俺もけっこう筋がいいんだな」

 

実際に意識しながらやってみると、なるほど確かに打撃音が先ほどとは打って変わって小気味の良いものに変化してきた。火薬が炸裂するようなバシンという小気味よい音が木の表面をビリビリと震わせる。なんだか、時臣の顔にも青痣が出来てきたように見える。

 

「ざまあみろ、この野郎!泣け!うわーんって泣け!!」

 

何度も何度も同じフォームを繰り返していると様になってくるようで、雁夜の動きからは次第に無駄な動作が省かれ、腕を振るう速度もぐんぐんと上がっていた。実は子供の頃から運動神経は良い方だったので、鍛えればそれなりのものにはなるのだ。何か一つの競技に集中していれば、今頃はトロフィーが幾つか部屋に飾られていただろう。

 

「このっ!このっ!このっ!この……っ!!」

 

魔蟲に苛まれて痛覚が麻痺しているのか、何十回素手を振るおうと拳に痛みは感じない。それは逆に好都合だ。夢中になって時臣の顔に憂さ晴らしができる。木皮についた血も、時臣の鼻血だと思えば清々する。

雁夜が手に入れたかった幸せを簡単に得ておきながら、自分から愛娘を地獄に叩き込んだ男が雁夜の拳で血を流している。雁夜が愛していた女性を孕ませておきながら、その血肉を分けた娘を臓硯の手に委ねた男が、雁夜の怒りに曝されている。

そうだとも、遠坂時臣。お前はこれくらいされても仕方のない愚かな人間なのだ。眼前の時臣の顔が恐怖に歪む。とても良い気味だ。さあ、覚悟するがいい。次の一撃で、俺の拳諸共お前の顔の骨を砕いてやる―――!!

 

「ぐーるるー」

「うおっ!?」

 

力を込めて背部に振りかぶった拳を唐突に掴まれ、雁夜はハッと意識を取り戻した。冷静になって目を瞬いてみれば、目の前には血で汚れた樹木が一本、生えているだけだ。その血は誰のものかと意識を身体に巡らせた瞬間、右の拳にヒリヒリとした熱い痛みが沸き起こってくる。

額に脂汗を浮かべながら振り返れば、鎧の大男が血だらけの拳をじっと見つめていた。傷と雁夜の顔を交互に見た後、何も言わずにどこからか取り出した包帯を使って丁寧に右手に巻きつけていく。責めるでもなく問うわけでもない様子が、やけに気まずい。

 

「……なんだよ、無茶すんなって言いたいのか?悪かったな、弱いくせに調子に乗って。ただ、俺も少しは戦えるようになった方がいいかもしれないと思っただけだ」

 

腕をされるがままにさせて、雁夜はそっぽを向く。サーヴァントからしてみれば、マスターは自分が現世に留まるための楔だ。現世との繋がりを維持しているマスターがいなくなれば、サーヴァントはすぐに消滅する。マスターが進んでその身を傷つけるなど言語道断だろう。ましてや、自分はおそらく全てのマスターの中でもっとも弱い、死にかけの魔術師もどきだ。そんなマスターに戦われても、この凄腕の騎士には足手まといにしかなるまい―――。

 

 

すぽっ。すぽっ。

 

 

「……すぽ?」

 

両の拳に何かが被せられた気がして、慌てて眼前に手を持ち上げる。そこにはなぜか、真紅のボクシンググローブが嵌められていた。目を丸くしてバーサーカーに目をやると、彼の方はいつの間にかパンチングミットを手に持ってゆらゆらと身体を流していた。ミットが雁夜の眼前を流れるように動き、時折誘うように迫っては引いてを繰り返している。

 

「……お前、もしかして、練習に付き合ってくれるのか?」

「ぐるる!」

 

こくこくと大きく頷き、再びミットを構える。とん、とん、とん、とつま先で地面を軽快に跳ねる身のこなしは、彼が他者を訓練するだけの腕前を有している証左だ。弾む度に全身の分厚い鎧がガシャガシャと騒がしい音を立てるが、その流麗なフットワークが鈍る気配はない。疲れを感じるどころか、むしろウキウキと楽しそうにハシャいでいる雰囲気すら感じる。どうやら、このサーヴァントはマスターとミット打ちが出来ることが嬉しくて仕方ないらしい。騎士の鎧を着込んでいるくせにボクシングを嗜んでいる英霊など、常識外れもいいところだ。

 

「―――ほんっと、変なサーヴァントだよなぁ、お前」

 

そう苦笑して、雁夜もまたグローブを構える。拳の痛みはなぜかもう消えていた。最近、自身の回復力がかなり高まっているような気がする。バーサーカーの料理のおかげだろうか。

行き場のないどす黒い感情も抱えているし、色々と考えなければいけないこともあるが―――今くらいは、サーヴァント(ともだち)と汗を流したって罰は当たるまい。

 

「言っとくが、手加減抜きでいくからな!半分死人だからって舐めてると痛い目見るぞ!!」

「うーごごごー!( -`д-´)」

 

望むところだー!と返すように唸り声を上げ、バーサーカーも身体を引き絞るように重心を低くする。ジャリ、と鎧のつま先が地面を抉る音と共に雁夜が掛け、勢い良く躍りかかる。

 

「うおぉ―――っ!」

「ぐるる~」

「まだまだ―――!!」

「ぐる~る~」

「く、くそっ!軽くあしらいやがって!

……あっ!?セイバーが足からジェット噴射しながら空飛んでるぞ!ほらあそこだ!見てみろ!」

「ぐ、ぐるる!?(;゚д゚)」

「隙ありぃいいいい!!」

「うご―――ッ!?」

 

その夜は、男二人の叫び声とミットを打つ音が裏庭に木霊し続けた。

 

 

 

‡桜ちゃんサイド‡

 

 

「おじさんもバーサーカーも、楽しそう」

 

分厚いコートを着込んで裏庭側の窓辺に腰掛け、桜はホットミルクを一口喉に流し込む。彼女が眺める裏庭では、優しい義理の叔父と、命の恩人の鎧の男がじゃれあっていた。

いきなり遠坂家から引き離されて地下の地獄に落とされてからは己の運命を呪ったものだったが、その運命も、新しい家族に会うための通過点なのだったとしたら、何とか受け止められる。

それくらい、今の家族は桜にとって暖かく、心地の良いものだった。

 

「隙ありぃいいいい!!」

「うご―――ッ!?」

「ざまあみろ!引っかかるほうが悪い―――いてっ!?やめ、ボディはやめろ!こっちは初心者なんだぞ!痛い!悪かった!俺が悪かった!!」

「ぐるる!ぐるる!(`;ω;´)」

「……今のは絶対におじさんが悪いよ」

 

パンチングミットでバシバシと引っ叩かれる雁夜を眺めて小さくため息をつくと、桜は手元の作業に意識を戻した。雁夜のために服のサイズを調整しているのだ。自慢の叔父なのだから、着古したパーカーやパンツではなくてもっと立派な服を来てオシャレをして欲しい。顔の造形は整っている方だし、スタイルも良いのだから、着飾れば結構な男前になるはずだ。

ふと、桜は雁夜が洒落た格好をすることに気が引けていたことを思い出した。しきりに己の顔の半分を撫でていた気がする。

 

「……もしかして、おじさん、気付いてないのかなぁ」

 

そういえば、雁夜は顔面の半分が壊死して硬直していた(・・・・)ことを気にしていた。視界に入れるのも嫌になって、最近は鏡もろくに見ていないのかもしれない。

 

「今度、教えてあげようっと」

 

小さく独りごちると、桜はまた袖の長さを調節する作業に集中することにした。




更新がかなり遅れました。キャラクターの成長を描くのはとても難しいです。時間を掛けただけに値するものに仕上がったかは自信がありませんが、これでどうか勘弁して下さい。


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2-13 ヨーグルトを継続して食べ続けると花粉症も治るとかなんとか。食べ物には気を使おう。

更新する言うたやん?


20世紀後半―――極東の片隅、日本の冬木と呼ばれる地において『第四次聖杯戦争』の火蓋が切って落とされた。あらゆる願いをこの世に実現させうる願望機―――『聖杯』を巡り、選ばれた7人の魔術師たちは世に名の知れた『英霊』を召喚し、己が刃盾として使役する。

従 者 (サーヴァント)』と名付けられた英霊たちは自身を召喚した魔術師を『主人(マスター)』と認め、その超常的な技をもって同じサーヴァントと鎬を削り合い、この世に二つとない奇跡の結晶である『宝具』で互いを凌駕せんとする。

サーヴァントは以下の各クラスに割り当てられ、7騎が顕界する。

 

剣士(セイバー)

弓兵(アーチャー)

槍兵(ランサー)

騎乗兵(ライダー)

魔術使い (キャスター)

暗殺者(アサシン)

狂戦士 (バーサーカー)

 

7人の魔術師と7騎のサーヴァントに対し、聖杯がその尊い褒美を賜らせるのはわずか一人の魔術師と一騎のサーヴァントのみ。従って、各々が願いを手にするためには最後の最後まで殺し合い、陣営が一つになるまで勝利し続けなければならない。

和平の道など最初から想定されていない、全ての競争相手を駆逐することが唯一絶対の儀式―――それが、この残酷な聖杯戦争の概要である。

 

 

さて、最初のサーヴァントの召喚を確認して幕が開かれた此度の第四次聖杯戦争は、未だ8日目でありながらすでに3体のサーヴァントが脱落していた。ランサー、キャスター、アサシンである。とは言え、過去の聖杯戦争が二週間足らずの期間で終結したことを考えれば、このペースは通常の聖杯戦争の趨勢とほとんど変わりない。

 

しかし、その戦闘の全てがたった一人の男(・・・・・・・)の掌の上で操られていたことは、200年を超える戦争の歴史において史上初めてのことであった。

 

その若者(・・・・)は、齢30にも満たない若輩でありながら、老獪かつ神速の手腕によって聖杯戦争の趨向を完膚なきまで手球に取っていた。彼の手はあらゆる戦局に伸び、影から全てを支配している。しかも、彼がお膳立てした戦いは常に清爽な結末が用意されていた。時には決闘の舞台を整えてランサーに騎士の本懐を遂げさせ、時には暴走を始めたキャスター陣営による犠牲を防ぐために早期に刃を下し、時には胸の炎を失いかけていたアサシンに再び情熱を滾らせた。彼は、苛烈な命のやり取りの内にも尊い“華”があり、踏み外すべきではない“ルール”があることを心得ていたのだ。

さらに特筆すべきは、民間人の犠牲者をまったく生じさせていないことだ。罪のない者は決して巻き込まず、巻き込もうとする陣営は容赦なく罰せられた。その証拠に、彼のサーヴァントはもっとも扱いづらい狂戦士 (バーサーカー)であったにも関わらず、ただの一度も理性を失い無辜の命を傷つけることはなく、その真逆に、一流の騎士の如き理性と正義に裏打ちされた振る舞いを貫いた。それがマスターの才幹によるものであったことは明白である。熟達する毎に人道の概念から遠ざかっていく魔術師(いきもの)として大成しながら、彼はヒトの道を絶対に誤ろうとはしなかった。徹頭徹尾、その強大な力の使い方を間違えることは決して無かった。

 

 

「斯く在るべき」と理想の背中を魅せつけながら、どの陣営よりも遥か先を歩む、魔術師の中の魔術師にして、男の中の男。

 

 

数世紀も後世まで語り継がれるその偉大な名を、間桐 雁夜という。

 

 

 

 

 

 

聖杯戦争8日目

言峰教会

 

 

 

‡切嗣サイド‡

 

 

冬木において一際小高い丘に聳える神の御家は、降り注ぐ強い陽光の直下にあってもその内部に静謐な空間を深深と蓄えている。聖書の一節を描いたステンドグラスから流れこむ荘厳な極光の柱束が簡素な礼拝堂の内部を鮮やかに彩っている。かつて博愛の精神を人々に説いた男の彫像を仰ぎ見れば、信じる神を違える者ですら精神(こころ)に穏やかな平安を齎されることだろう。

そして、この世のあらゆる宗教と決して相いれることの無い男―――衛宮 切嗣もまた、緊張にざわつく心を抑え付けようと磔にされた男をじっと見上げ、その効能に頼ろうとしていた。

 

「……切嗣」

「ああ、分かっている」

 

張り詰めたセイバーの声には明らかに戸惑いの色が混じっていた。それも無理はない、と左腕のCASIO製デジタル時計に数回目の目線を落とす。刻々と時を刻む表示が、正午まであと1分であることを示していた。身にまとう機器の整備と信頼性には一切の妥協を許さない切嗣だが、この時ばかりは教会の振り子時計に再び目をやって時刻を再度確かめる。まだ普及し始めたばかりの電波式自動調整機能を持つ腕時計はやはり正確に時を刻んでいた。

つまり、11時59分。間桐 雁夜との会合予定時間まで、残り一分を切った。

 

「………」

「………」

 

まったく同じタイミングで時計を振り仰いだ男がいた。しかし、それは切嗣が望む者ではない。濃紺の法衣に身を包んだ老神父だった。

神父―――聖堂教会より派遣され、聖杯戦争の監督及び秘匿役を務めている―――言峰 璃正と無言の視線が交差する。お互いの胸底に混乱の気配を感じたのは一瞬で、神父にしては肩幅の広く張った老人は気まずそうに切嗣から目を逸らした。大時計の秒針が円を描き終えるまで、もう10秒もない。

 

(―――来ない、か)

 

虚ろな空洞と化した胸中に重い呟きが落ちた。それは落胆だった。淡い期待が裏切られたことによる切ない悲しみだ。己がまだ他者に希望を預けるような人間的な感傷を残していたことに少し驚くが、それもこの瞬間に消えていくのだと思うと気分はさらに暗澹と沈んだ。

 

(間桐 雁夜……。僕たちが思っていたような男では、無かったのか)

 

間桐 雁夜。彼こそ、切嗣が今か今かと会合を待ち望み、ついにその望みを絶たれようとしている男だった。

 

昨晩、切嗣はバーサーカー陣営との協議の場を設けようと教会を通じて連絡を取った。『キャスターを討伐した陣営に令呪を進呈する』という璃正神父の言を利用し、実際に討ち取ってみせたセイバーとバーサーカーの両陣営が同時に同じ場所で(・・・・・・・・)令呪を受け取るべきだと迫ったのだ。言峰 璃正が遠坂 時臣とかねてから懇意であることはすでに調べがついていた。であれば、中立であるはずの教会は、その実は強敵であるアーチャー陣営の傀儡であることは明らかだった。

上辺だけ見れば、敢えて敵の勢力圏内に自ずから踏み入ることは愚策に思えるかもしれない。しかし、もしもセイバーと切嗣のみで教会に出向けば、アーチャー陣営による奇襲も考えられる。そうなれば、さしもの最優のセイバーと悪名高い魔術師殺しであっても無事では済まない。そうはせず、バーサーカー陣営と同時に行動すれば、慎重に慎重を期するとされる遠坂 時臣は返り討ちの可能性を考えて踏み込みを渋るだろう。さらに、建前上は中立を保たねばならない教会で一方的に戦闘を仕掛けることは璃正神父の立場が看過できない。アーチャー陣営にとっては、手出しの出来ない状況で手強い同盟が結成されるという苦々しい事実だけが突き付けられることになる。言峰教会での会合はそれらの事情を考慮しての結果であり、会合を行うには実は最も安全で効果的な場所なのだ。

 

が、それも肝心の相手が来なければ、単なる絵空事でしかない。

 

ついに、教会の振り子時計が正午の鐘を打つ。重厚なウズボン打ち式の鐘がボーンボーンと礼拝堂内部に反響し、幻想の終焉を切嗣に八方から突きつける。隣を見やれば、セイバーもまた落胆に打ち据えられた様子で足元に目を落としている。バーサーカーとそのマスターの行動に感じ入っていた彼女こそ、落胆の度合いは大きいだろう。

三者三様の困惑を見届けた磔の男に一瞥を流した切嗣がフッと嘲笑う。それは協調の理想を説いて死んでいった男へのものでもあり、その実現を信じた自身の甘さへの自嘲でもあった。

 

「……切嗣。もはやここに用はない。撤退しましょう」

「ああ、そうだな」

 

短くも長く思えた鐘の音が終わる。数段トーンの落ちたセイバーの忠言に短く相槌を返し、切嗣は扉に向かって踵を返す。

一瞬でも見知らぬ他人を信じようとした自分が愚かであった。「シャーレイ、どうやら君の助言の通りにはならないみたいだ」。声を発さずに口中で呟き、胸元の飾りナイフにそっと触れる。これを切嗣に授けた少女は、「皆で力を合わせなさい」と諭してくれた。しかし、残酷な世界は彼を何度も裏切り続ける。

胸の奥底が冷たく壊死していくのを感じながら、切嗣の脳内では強敵(・・)間桐 雁夜への対抗策が次々と提示されていく。何の便りもなく教会に来なかったということは、バーサーカー陣営には根城から出られない事情があるのかもしれない。バーサーカーを十全に機能させるために補助魔力炉を用いており、それが携行できない規模なのか。それとも他に何か、本拠地から動かせない弱み(ネック)を抱えているのか。いずれにしても、間桐邸を叩けばわかることだ。準備しておいた爆弾満載の遠隔操作仕様タンクローリーを使う時が来たのかもしれない。

未だ狼狽える神父の横をすり抜け、用のなくなった礼拝堂を後にしようとドアハンドルに手をかけ、

 

 

 

 

 

 

『―――時間だな。それでは会合を始めよう、衛宮 切嗣』

 

 

 

 

 

 

背後(・・)から響いた男の声に、心臓を掴まれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時間は遡り、間桐邸。

 

 

 

‡雁夜おじさんサイド‡

 

 

「ねえ、桜ちゃん。へ、変じゃないかな、この背広? 似合ってるかな?」

「もう、おじさんは本当に心配症なんだから。バーサーカーが頑張ってくれたんだし、もっと自信を持ってもいいと思うよ。ね、バーサーカー」

「ぐ~るる~ ┐(´∀`)┌」

 

 やれやれ、とでも言いたげに両肩をあげた鎧姿の大男に「うるさい!」と怒鳴りつけ、もう一度背広の襟元を整える。あと数時間後に迫った冬木教会で行われる会見―――キャスター陣営を討伐した者への追加令呪の寄贈とセイバー陣営との協議―――に望むために無理やり着せられたものだ。 職 人 (バーサーカー)の手によって細部まで丹念に糊付けされているから乱れる心配はないのだが、しがないフリーライターとして生計を立てていたこの身は高級な背広を着慣れていない。というわけで、自身が服に見合っていないのではないかと無性に心許無く感じているのだ。

 

「心配しなくても、とっても似合ってるよ、おじさん。本物の間桐の当主様みたい。もっとどっしり構えれば絶対に幼なじみを寝取られて未練タラタラな甲斐性なしだってことはバレないよ」

「けっこう辛辣だね、桜ちゃん。おじさん傷ついちゃうなあ」

「ぐるぷっ( ´,_ゝ`)」

「じゃかあしいッ! 兜の下で笑ったのちゃんとわかるんだからな! いいから向こうで準備してろっ!」

 

シャーッ!と背を逆立てる雁夜の威嚇など屁とも気にしてない風で「ぐるっぐるっぐるっ」と気味悪く喉を鳴らしながら―――あれはおそらく笑い声なのだろう―――バーサーカーの背中が廊下に消えていくのを横目に確認し、改めて身に纏っている背広をじっくりと見下ろす。

 

(さすがバーサーカーだな。悔しいけど完璧だ。いや、完璧以上だ)

 

間桐家の血統を想起させる藍色の下地に大胆な黒のチョークストライプが走る背広とスラックスは、元々は兄貴――-間桐 鶴野(びゃくや)の所有物だった。彼が自分探しの旅に出たために持ち主を失ったそれらを桜ちゃんとバーサーカーが引っ張り出し、俺の身丈に合わせて調整したものだ。

イタリア・ブリオーニ製らしく、光沢のある布地はパリっとしているのにしなやかで、肉体の輪郭に吸い付くようにフィットしつつも窮屈さはまったく感じない。通常、高級メーカーのスーツは細部にわたって依頼人ただ一人のためのオーダーメイドで仕立てあげるから、別人が着ても当然見た目に違和感が出る。元の所有者であっても体型の変化で着心地が左右されるほどだ。だというのに、バーサーカーによって修正されたこれらは、あたかも最初から俺のために作られたかのような着心地でこの身を包んでいる。セイバー陣営との協議の場にも十分に相応しい服装だ。

 

「むんっ。へえ、凄いな。生地はけっこう分厚いのに全然重くない。むしろ身体が軽くなったみたいだ」

「うん。バーサーカーが夜なべして改造したって言ってたよ。そのチョークストライプだってバーサーカーが後から付け足したデザインなんだから」

「デザインまで変えてくれたのか」

 

試しに腕を軽く振ってみれば、動きを阻害しないどころか筋肉の鎧を纏っているかのような力の増幅を感じる。腕を突き出せば拳は常の何倍ものスピードで大気を捻じり、ステップを踏めば脚がバネになったような見事な跳躍を刻む。それでいて疲労が溜まる様子はまったくない。このチョークストライプに何か秘密があるのかもしれない。ゴムでも仕込んだのだろうか。

 

(それだけじゃない。なんというか、心までもスッと引き締まるような感覚すらある。まるで魔力が充溢してくる(・・・・・・・・・)みたいだ……)

 

そんな大偉業を準備(・・)の片手間に終わらせてみせたバーサーカーの器用さにはもはや驚くまい。宝具化したハサミやらミシンやらでひょいひょいと背広をパーツごとに分解していく工程など、職人の域を超えた芸術的な何かだった。なぜか縫合する段階になると「決して覗いてはいけませんよ」と言いたげに、いつ間桐邸に拵えたのかわからない和室にスルリと篭ったが、鶴の恩返しの真似事か何かかと呆れて覗こうとしたら瞬時に開いたふすまから飛び出てきたデコピンに額を殴られたため、結局その様相を見ることは叶わなかった。何をそこまで隠す必要があるのやら。そんなに他人に見せたくないほどブサイクな顔をしているのだろうか。

 

でもまあ、恥ずかしいから面と向かって素直に褒めてやらないが、服の出来栄えは文句なしに最高だ。馬子にも衣装とはこのことで、背広の出来栄えに関しての心配は微塵もない。

心配なのは、馬子(おれ)の方だ。

 

(顔がこんなんじゃあ、いくら服の見てくれがよくたって……)

 

 心中に重く呟き、顔の左半分をなぞる。手触りこそ異常は感じないが、それも慣れによるものかもしれない。だが、そこには間違いなく爛れて醜く崩れた顔面があるのだ。

忌むべき妖怪、間桐 臓硯が施した悪夢のような処置によって急造の魔術師となった雁夜は、その反動で肉体の大半を障害に蝕まれることとなっていた。髪の毛は残らず幽鬼のような乾いた白髪となり、肌も黄ばんで、顔面の左半分が荒れ果てた。“生ける死人(ゾンビ)”という比喩が的確すぎて、まるで自身のために用意された言葉だなと自嘲すら浮かぶ。正当な知識と修練を積んだ魔術師であれば、この醜態を一目見ただけで急拵えの欠陥魔術師だと察することが出来るだろう。ましてやセイバー陣営―――殿上の血筋であるアインツベルンの魔術師となれば、すぐに看破するに違いない。それでは協議において相手に足元を見られ、こちらの分が悪くなるだけだ。かと言って協議の誘いを無視すれば、“バーサーカー陣営には根城から出られない事情があるのだ”と勘ぐられ、間桐邸を襲撃される可能性が出てくる。そうなれば、桜の身に危険が生じてしまう。それを防ぐためにも“間桐(・・) 雁夜の根城(・・・・・)は襲う価値がない(・・・・・・・・)“と思わせなければならない。

 

「はぁ……」

 

せめて仮面か何かで顔を隠すべきかと悩み、そんなことをすればより怪しまれるだけだと(こうべ)を振るう。自身の顔すら直視できない情けなさに暗い溜息をついていると、出し抜けに桜の呆れ声が投げかけられた。

 

「ねえ、おじさん。もしかして最近、鏡で自分の顔見てないでしょ」

「え?」

 

 ジトッとした目で見上げてくる桜に、雁夜は困惑する。自分の顔におぞましさを覚え始めてから、雁夜は鏡を見ることを意識的にも無意識的にも避けていた。だから、ここ数日は自分の顔をまともに見ていないのだ。不機嫌そうな桜の真意を測りあぐねていると、ふと、桜が自分の顔を真っ直ぐに直視できている(・・・・・・・)ことにようやく気付いた。

 

(……そういえば、最近、俺の顔を怖がってない)

 

聖杯戦争開始前、まだバーサーカーが現れず、二人が臓硯の支配下にあった頃は、廊下で出くわす度に桜は雁夜を見て恐怖に身を竦めていた。桜が闇夜にトイレを目指していた最中、偶然にも同じ目的地を目指して廊下の角からぬうっと出てきた雁夜に遭遇した時など、「ばいおはざーど!」と叫んでばったりと気絶していた。さしもの臓硯でさえ、やはり同じような状況で遭遇した際は「ばたりあん! …なんじゃ貴様か!紛らわしい顔しおってからに!」などと素っ頓狂な反応をしていたものだ(その度に「お前のせいだろうが」と心の中で突っ込んでいた)。

 

「ねえ、桜ちゃん。その、おじさんの顔がもう怖くないのかい?」

 

おずおずとした雁夜の問いかけにパチクリと紺色の瞳が開け閉めされたのもつかの間、見る見る桜の眉根に皺が寄っていき、「あーっ! やっぱりオジサン気付いてなかった!」と非難の声が投げかけられる。いよいよ困惑して泡を食う雁夜の手元に、どこから取り出したのか可愛らしげな手鏡がずいっと差し出される。

 

「見て!」

「え、でも……」

「いいから、鏡を見てみてっ!」

 

 痺れを切らした桜が「まったくもう!」と頬を膨らませてぐいぐいと鏡を手渡してくる。雁夜にとって、死に絶えて腐っていく顔面は、朽ちていく己の命の写しだ。直視する度に確実に近づいてくる“死”の腐臭を感じて悔しさに歯噛みしていた。それを敢えて見てみろという桜の意図がわからず、雁夜は戸惑いながらもムッツリ顔で己を見上げる少女に気圧されて、躊躇いがちに小さな手鏡を覗く。

 

 

まず緊張に引きつる顔の右半分が映り、

ゆっくりとゾンビのような左半分が映り―――

 

醜い、はずの、左半分が―――………

 

 

 

おじさんの顔(・・・・・・)とっくに元に(・・・・・・)戻ってるんだよ(・・・・・・・)!」

 

 

 

 

 

 

 

 

‡バーサーカーサイド‡

 

 

さあさあ、やって来ました聖杯戦争8日目! 原作なら今夜に凛ちゃんが冒険に出てトラウマ覚えたり、アインツベルン城で王様×3の酒盛りイベントがあるんだけど、この夢のお話ではそうはなってなくて、なんとバーサーカー陣営とセイバー陣営の協議が正午に言峰教会で行われる日になってる! キャスターを倒した陣営に令呪が進呈されるということで、共闘して打ち倒したセイバー陣営とバーサーカー陣営にお呼びがかかったのだ。原作では見向きもされなかった雁夜おじさんもずいぶんと出世したもんだ。

しかもその席で、セイバー陣営からの大切なお話があるという。原作では、言峰 璃正神父をケイネス先生に殺されて不安を覚えた時臣おじさんがセイバー陣営を教会に呼び出して共闘を要請していたし、これも同じ流れなのかもしれない。この原作との乖離もイレギュラーである俺のせいなのだろうか? いやいや、まさかね! 俺ってば雁夜おじさんと桜ちゃんを助けることしかしてないし、ほとんど料理してるだけだし!

 

 そんでもって、そんな大事なイベントを控えた俺が何をしているのかというと、応接間と、気合の入ったゴチソウの準備だ。なんでこんなことをしているのかは後でちゃんとわかるのだ。

さて、間桐家の応接間は、妖怪バグ爺さんの趣味だったのか、広いくせにどんよりとしていて監獄みたいだった。そういうのはこれからもここで暮らしていく雁夜おじさんや桜ちゃんの精神衛生上とっても良くないから、ムダに分厚いカーテンをひっぺがして全部雑巾にしてやった後、窓辺に物を置かないように家具の配置換えをしたり、壁に必殺バーサーカーパンチをかまして採光兼換気用の窓を拡張したりしました。もちろん、家の強度を維持するための耐震化工事も同時進行です。

というわけで、とび技能士と建築士とリフォームスタイリストとインテリアコーディネーターの資格を持つ俺の手に掛かれば、陽の光をふんだんに取り入れた暖かな応接間の出来上がりってわけですよ。カーテンは間桐家のシンボルカラーを尊重しつつ、地中海のようなコバルトブルー色にしました。生地は薄いけど断熱性は抜群なスイス製なので、昼間は日光だけで十分明るい! キャンドルスタイルの照明器具はそのままにして管球の明度をグレードアップしておいたから、夜は古風で上品な雰囲気を保ちつつも部屋全体が明るくなるでしょう。カーテンと濃藍色の絨毯とのグラデーションも完璧です。黒檀のテーブルもマホガニーの椅子も家具用ワックスでピッカピカに磨き上げた後にみつろうクリームをしっかりと塗りこんだので、家具たちが喜んでいるみたいに美し~く輝いてる。

最後に、だだっ広いテーブルの上にちょいと手を加えたバロック様式のアンティーク燭台を載せれば―――――なんということでしょう!(サザエさん風) おどろおどろしいお化け屋敷の一室が、まるで一流ホテルのような洋風応接間に早変わり! これにはタラちゃんもビックリして変な足音立てなくなっちゃうよ! あのシュルルルルって珍妙な足音、どんな走り方すれば出せるんだろうね!?

 

腰を入れて改装した甲斐があって、我ながら完璧な出来栄えに大満足。ついでに趣味で和室も作ってしまったが雁夜おじさんなら許してくれるだろう。よしよし、後は昨夜から下拵えしていた料理を完成させなければ。粗塩で塩漬けにした牛肉がちょうどいい塩梅に引き締まってる頃だろう。宝具化したジップロック袋は実に便利なのだ。

 

―――などと余った家具用ワックスで少し軽くなった(・・・・・・・)自分の兜も磨きながら自分の仕事ぶりに惚れ惚れしていると、ドタドタと廊下を走る音が近づいてきた。この落ち着きのない足音は雁夜おじさんだな。ついこの間まで半身不随だったのに元気になったなあ。良いことだ。

 

「ば、バーサーカー、ここかっ!?」

「ぐる?」

 

どうしたんだい、そんなに慌てて部屋に飛び込んできて。せっかく色々と苦労した背広がシワだらけになっちゃうぞ。またアイロン掛けしないといけなくなるじゃないか。

息を荒げるおじさんの様子に首を傾げていると、突然頭をガバリと上げてずんずんと俺に歩み寄ってきた。俺の目の前に顔をぐいと近づけて、その左半分をビシッと指さす。

 

「この顔を見てくれ。こいつをどう思う?」

「うごご……ぐるるるる……」

 

すごく……普通です……って、なに言わせるんだ。

俺の答えで確信を得たらしいおじさんが、それでもまだ信じられないのか自分の顔をベタベタと撫で回す。心配しなくても目と鼻と口以外は何もついていないぞ。採寸するために裸にひん剥いたせいでおかしくなっちゃったのか?

 

「な、治ってる! 髪も元通りに黒くなってる! そういえば、両目ともちゃんと見えてる! な、なんでだ? お前、何かしたのか!?」

 

ああ、なるほど。おじさんの奇行に納得してガチャンと手甲を叩く。どうやら今さらになって自分の顔が元に戻っていることに気付いたらしい。どんだけ鏡を見てなかったんだか。

その通り! 何を隠そう、それは俺の仕業なのだ!

キッカケは、オジサンと桜ちゃんのためにグリーンカレーを作っていた時のことだ。弱っていく桜ちゃんと余命わずかのオジサンを救いたいが、第四時聖杯戦争の時点での聖杯は、前回に脱落したこの世の全ての悪(アンリマユ)にベッタベタに侵食されていて使えない。

さてどうしたもんかと頭を悩ませていたら、ふと宝具化した調理器具が目に入った。それはランスロットの固有宝具である『騎士は徒手にて死せず(ナイト・オブ・オーナー)』の効果―――手にした物体に宝具属性を付与する―――の発現だということはすぐにわかったが、それが持つ可能性について閃いたのは本当に偶然だった。

グツグツとカレーが煮える音が、間桐家に置いてあった古臭い鉄鍋のそれではなく、もっと高価な―――まるでル・クルーゼ製の一級の鋳物鍋のような心地良い耳あたりだったのだ。鍋の蓋を開けて菜箸で具材をつついてみれば、先ほど投入したばかりのはずの根野菜はすんなりと菜箸を受け入れた。ホクホクに温まっているのに繊維がまだしっかりとしていてグズグズに崩れていないのは、ムラなく熱が通っている証拠だ。旨みと栄養をたっぷりと保持したままスパイスの味がじっくりと芯まで染み込んでいくのが目に見えるようだった。火に掛け始めたばかりとは到底思えない具材たちを丹念に見回し、俺は「この手があった!」と確信した。

 

騎士は徒手にて死せず(ナイト・オブ・オーナー)』―――かつて、丸腰だったランスロットが敵の罠に陥った際、その場で拾った木の枝だけで重装備の敵集団を相手取って勝利したエピソードを由来とする能力だ。原作ではただの鉄パイプを宝具化させて、セイバーの聖剣エクスカリバーと互角に切り結んでたくらいに強力な能力だ。だったら、鍋やらまな板やら包丁やらを宝具化すれば、それで調理された料理にも効果の一部が現れておかしくない。

要するに―――聖杯が呪われていて頼れない状況で、桜ちゃんと雁夜オジサンの衰弱していく命を早急に助けるために俺が考えて実行しているのは、単なる『食事療法(・・・・)』なのだ。

おっと、回想してたら塩漬け肉のこと忘れてた。他にもバーサーカー・ホイール然り、色々と準備(・・)しないといけないことはたくさんあるのだ。

 

「お、おい!? 待てよ、バーサーカー! まだ質問の答えを聞いてないぞ!」

 

日夜、古い細胞と新しい細胞が入れ替わっていく人間の肉体は口から食べた物によって創られる。昨日の食事が今日の身体を作り、今日の食事が明日の身体を作るのだ。第五次聖杯戦争のセイバーも、食べ物を摂取することで魔力の補給と傷の治癒を行っていたくらいだ。ならば、その食べ物に宝具の力が宿っていれば、どうなるか。

昨日の奇跡の食事は、今日の元気で力強い身体を創る。新しく力強い細胞が悪性の細胞に取って代わる。さらに、今日の奇跡の食事がまた古く弱った細胞を駆逐し、健康な身体を創る。それを1日3食ずっと繰り返していけば、やがて最後には間桐の呪いを自力で克服出来る、というわけだ。

 管理栄養士の資格を持つ俺でも魔術の悪影響を打ち消す献立作りは初めてなのでかなり苦労した。主食には新鮮出来立ての炭水化物、主菜には良質なタンパク質、副菜には豊富なビタミン、鉄分、カロテン、ミネラル、その他デザートやオヤツには乳製品や果物を積極的に食べてもらった。その日の雁夜おじさんたちの顔色や体調を見て、どんな栄養素をどのタイミングでどれほど摂取してもらうか、その他食べ合わせにもひじょ~に気を使った。

海鮮山鮮の冬木市は新鮮な旬の食べ物が豊富でだいぶ助けられたが、俺の能力はしょせん擬似宝具で、宝具ランクもDと最低レベル。効果には限界がある。そんな悩みを抱えてる中で、港湾区戦でギルガメッシュの宝具を奪えたのは大きかった。夜の埠頭で繰り広げられたサーヴァントたちの初戦闘にて、ギルガメッシュが原作通りに俺に向かって宝具の雨を降らせてきた際、おあつらえ向きの短刀型の宝具を投げてきてくれたのでありがたく頂戴させてもらったのだ。今では調理包丁として台所で立派に役に立ってもらってます。アーチャーの宝具はどれもAランクなので、当然、料理に宿る効果も今までとは比べ物にならない。ハガネの包丁でも切りにくい豚のレバーもまるで薄紙のように刃が通るのには正直感動を覚えたくらいだ。これを現実に持って帰れないものか。

 

「おい、バーサーカー! 聴いてるのか!」

 

オジサンは原作で吐血ばっかりしてるイメージだったから、豚と鶏のレバー、それと微塵切りにした九条ねぎを使った特製甘辛焼きをたくさん食べて血を増やしてもらおう。ごま油と砂糖醤油を使い、強火でささっと炒めるのがコツなのだ。

あ、そういえば今ここにオジサンいるじゃん。何か質問されてたような気がするけど、そんなことなかったぜ。ちょうどいいや、コレ味見してみてよ。新鮮なレバーが手に入ったから腕によりをかけてみたんだ。

 

「無視しないで話を聴きモガががっ!?」

 

どうよ? 氷水と緑茶の出がらしでレバー特有の臭みをなくして、隠し味に生姜とたかの爪の摩り下ろしをちょこっと入れてみたんだ。生臭さとか苦味とかのクセがなくて美味しいと思わない?

 

「たしかにっ、苦しっ、クセはないけど、苦しっ、うまっ、でも苦しっ、うまっ!」

 

うんうん。手足をバタバタさせるくらい喜んでくれて俺も嬉しいよ。もうすぐ会合の時間だし、これでしっかり精を付けてくれよな!

……おや、桜ちゃんが戸口の方から何とも言えない顔でボクたちを見ているよ。きっとオジサンの必死のダンスに見惚れているんだね。

 

「バーサーカー、“必死”って字はね、“必ず”“死ぬ”って書くんだよ? オジサンの顔色が粘土みたいになってるから、そろそろ止めてあげたら?」

 

あ、いかんいかん。味見してもらうつもりが、オジサンが手足を振り乱しながらとても嬉しそうに食べてくれるから、つい全部口に放り込んでしまった。顔を覗きこんでみれば、ビクンビクンとまるで痙攣するみたいに全身で咀嚼してる。うーむ、元気なのは良いことだけど、はしゃぎ過ぎはよくないよ。もういい大人なんだからさ。

 

「―――ふ、」

 

ふ?

 

「ふおおおおおおおおお!! なんだか力が湧いてきたあああああああッ!! 今なら時臣も金色サーヴァントも素手で倒せそうな気がするぞおおおお!! ふひょおおおおっっ!! アインツベルンとの話がなんぼのなんじゃいッ!! ドタマかち割ったるぅうううう!!!」

 

予備動作なしで3メートルくらい飛び上がって空中でシンバルモンキーみたいな動きしてる。よかった、いつも通りのオジサンに戻ったみたいだ。

 

「全然いつも通りじゃないと思うけど、元気そうだし大丈夫だよね。でも、いいの?」

「ぐるる?」

「なにが?って、もうすぐ教会で大事なお話し合いがあるんでしょ? そこにオジサンとバーサーカーは行かないといけないんだよね? オジサンがこんなだと、教会に行けないんじゃないの?」

「ぐーるるるー?」

「―――えっ? 教会に行かない(・・・・・・・)って、どういうこと!?」

 

あれ? 桜ちゃんには言ってなかったっけ?

昨晩、おじさんと話し合って二人で決めたのだ。桜ちゃんにもおじさんにものんびり戦争をしている余裕は無いので、こちらとしても堅実なセイバー陣営と同盟を結んで早々に他の陣営を排除したい。しかし、もしもおじさんと俺が言峰教会に出向いている最中に間桐邸を攻撃されれば桜ちゃんの身が危ない。助けるはずの桜ちゃんを危険に晒すなんて元も子もない。俺が残っておじさんが単身で教会に出向くのも危険だし、俺がおじさんの姿に化けても「ぐるる」くらいしか言葉を発せないから意味が無い。かと言って、協議の誘いを無視すれば、“バーサーカー陣営には根城から出られない事情があるのだ”と勘ぐられ、逆に間桐邸を襲撃するキッカケを作ってしまいかねない。切嗣さんは原作で遠隔操縦型の爆弾満載トラックを用意していたはずだから、それを使われるとさすがのビフォーアフター間桐邸も木っ端微塵だ。それを防ぐためにも“間桐(・・) 雁夜の根城(・・・・・)は襲う価値がない(・・・・・・・・)”と全ての陣営に知らしめなければならないというわけだ。そして、そのための準備はすでに完了している。

 

「バーサーカー、いったい何を企んでるの?」

「ぐーるる」

「また“内緒”なのね。バーサーカーのいじわる! ふんだ!」

 

あらら、へそ曲げちゃった。この年頃の女の子は扱いが大変だ。保育士資格を持っててもなかなか上手くはいかないもんだ。次は教員免許を狙うかな。

おや? テーブルの上になんか立ってどうしたんだ、おじさん。

 

「は~はははははっ! 見よッ! この私こそ間桐の正当なる後継者にして、アーチャーなんかより一億万倍強いバーサーカーのマスター、間桐 雁夜であァルッ! 遠坂家よりも300年も歴史が古いのだ! だからと言って西洋かぶれなチョビヒゲなど生やさないけどな! フフフ……怖いか!?」

 

あ、ちょっと気持ち悪いかも。どこから引っ張り出してきたのか眼帯なんかつけちゃって。そのキャラでアインツベルンと話し合いするのかあ。大丈夫かな? 原作だと、セイバー陣営はアイリスフィールとセイバーが顔を出してくるはずだけど、この夢の世界だとどうなるんだろうか。ま、どうなっても何とかなるでしょ。なんたってアウェーじゃない(・・・・・・・・)んだから。

 

「―――あれ? バーサーカー?」

 

ん? どうかした、桜ちゃん?

 

「兜のたてがみが全部(・・・・・・・)なくなってる(・・・・・・)けど、どうしたの?」

 

……それもな~いしょ!

 

 

 

 

 

 

 

 

そして時間は進み、再び正午。

言峰教会

 

 

 

 

 

 

‡切嗣サイド‡

 

 

『―――時間だな。それでは会合を始めよう、衛宮 切嗣』

「――――!!」

 

 

その声は、切嗣の心を一瞬で支配し得る確固たる矜持に満ち満ちていた。

狼狽えまいとするほどに平常心が揺れる。泰然自若とした声音は、たった一言だけで、緊張も警戒も根こそぎ持ち去ってしまうかのような支配的な存在感を教会内に充溢させた。一流の魔術師としての気品、卓越した戦略・戦術家としての誇り、何より聖杯を勝ち得るに相応しい器の持ち主であるという自負―――それら全てを兼ね備えた男の心当たりは、切嗣は一人しか思い当たらない。

 

「―――間桐 雁夜……!」

 

相手が期待に応えた嬉しさよりも遥かに大きな驚愕に、切嗣は柄にもなく浮足立った。いったい何時、何処から、切嗣たちの背後に現れたというのか。教会の主である璃正神父、凄腕の暗殺者である切嗣、そして近接戦最強のサーヴァントであるセイバーでさえ彼の存在に気付けなかったというのは異常に過ぎる。まさか、間桐 雁夜の魔術はすでにこの世の法理を捻じ曲げる“魔法”のレベルにまで到達しているとでもいうのか―――。

頬を伝った焦燥の汗を振り払うように切嗣は声の主に身体を振り向ける。

 

「―――な……!?」

「き、切嗣! これは……!?」

 

だが、その正体は、魔法よりも遥かに意外で、異端者である切嗣にとっては人並み以上に身近なモノ(・・)であった。

いつからそこにあった(・・・)のだろう。拳より少し大きい程度のそれは、礼拝堂の長椅子の隅にちょこんと置物のように6本の脚を下ろしていた。

複眼部に装備された無線式の小型高精度(CCD)カメラ、金属の体節部を駆動させるアクチュエータ、顎部に取り付けられたやはり無線式の小型集音マイクとスピーカー、そして、それらを一個の生命のように統合管理しているのは蟲の使い魔――――魔術と機械工学により創造された、こぶし大のサイボーグ・ロボットであった。

 

『私の虫型ロボット(・・・・・・)さ。魔術と機械工学の融合体だ。どうだ、なかなか良い出来だろう?』

 

―――魔術師が、ロボットを使うだと!?

 この時ばかりは平静さを失った切嗣が、我知らず数歩後退る。目的のためには手段を選ばない切嗣だからこその驚嘆だった。真理への到達を目指す魔術師にとって、魔術とは『目的』であり、同時に『手段』でもある。従って、全ての行動原理の基礎には魔術が横たわっている。有能な魔術師になればなるほどその傾向は顕著になるのが常だ。それが魔術師という生き物にとっての最大の弱点となり、魔術を『目的のための一つの手段であり道具に過ぎない』と捉えている異端の切嗣にとっての強みでもあった。だからこそ、『魔術師殺し』の異名を与えられ、フリーランスとして名を馳せることが出来たのだ。

 

だが、間桐 雁夜にはそれは通じない。切嗣さえも考案したことのない、魔術と機械工学という異なる技術を応用したサイボーグ・ロボットを平気で使用してみせるこの男もまた、魔術を『手段の一つ』であり『過程』としか捉えていないに違いないからだ。それはまた、間桐 雁夜の目的が単なる『真理への到達』ではないことの裏返しでもある。……或いは、それを切嗣に暗に伝えるがための“演出”なのか。

未知の物体との遭遇に目を見張るばかりの神父とセイバーには目もくれず、トンボ型ロボットの複眼部が切嗣を真っ直ぐに見据える。一般に出回っている小型スピーカーなど足元にも及ばないクリアな音声は、まるでそこに人間がいるかのような錯覚すら覚えさせる。

 

『衛宮 切嗣。魔術師殺し。貴方の噂はかねがね耳にしている。貴方とは気が合いそうだ。もっと早くに会いたいと思っていた』

 

魔術師たちから外道の烙印を押されて蔑視されている自分に“会いたかった”など、果たしてこの男は正気なのか。この世でもっとも魔術師を憎んでいる男と“気が合う”とは、間桐 雁夜とは如何なる考えを持つ人物なのか。

いよいよもって相手の真意を測り倦ねて当惑する切嗣に、間桐 雁夜は不自然なまでの昂揚を纏って高らかに告げる。

 

『私がこんな無粋なロボットで参上したのは、他でもなく、この教会が我々の懇意を深める場に値しないと判断したからだ。我々の協議は、もっと相応しい場所(・・・・・・)で行われるべきだ』

「相応しい場所……ま、まさか……!?」

 

そこは、他者の侵入を許さぬ、魔術師にとって門外不出の“聖域”のはずだ。

そこは、聖杯戦争を完遂するための、マスターにとっての“最重要防御陣地”のはずだ。

そこは、御三家の一角である間桐の家にとって、500年の歴史と経験を蓄えた血統の巣窟のはずだ。

そこは、本来なら、例え同盟を結んでいてたとしても、立ち入ることを許されないはずの場所―――。

 

 

『さあ、衛宮 切嗣! そしてセイバーのサーヴァント! 我が間桐邸に貴方方を招待しよう!!』

 

 

最優のセイバーと魔術師殺しを、よりにもよって自らの拠点に平然と招くその剛毅さに、切嗣の口端は自然に持ち上がった。間桐邸にて腕を開いて待っている男は、自分の想像を遥かに超えた思惑で、衛宮 切嗣という人間の資質を試そうとしている。

 

けれども。けれども、ただ一つだけ、切嗣は確信を持って判断することが出来た。間桐 雁夜という想像を絶する怪人にとって、間桐邸とは他人に立ち入られても何ら困るものでもなく、万が一破壊されたとしても大した影響のない些事に過ぎない、と。

即ち、間桐(・・) 雁夜の根城(・・・・・)は襲う価値がない(・・・・・・・・)のだ、と。




(更新が遅くなって)すいません許してください!何でもしますから!


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10年と5ヶ月後  お茶濁し回なんだ。本当に申し訳ない。 (前編)

後編は近日中に更新します。


↑これほど信じられん言葉はないな。


‡10年と5か月後の桜ちゃんサイド‡

 

 

 

『ぐるる』

 

 

 ねえ、バーサーカー。貴方が口にできる言葉はこれくらいだったね。けれど、私には貴方が何と言っているのか全部わかってた。貴方の優しい目が、言葉以上に心を語ってくれていたから。暖炉のように私の世界を暖かく包み込んでくれていたあの赤い瞳を、私は一瞬足りとも忘れたことはない。目を閉じれば、貴方の記憶が手を触れられるほどにありありと思い出せる。大きな手、太い首、分厚い胸、広い背中、貴方と出会って過ごした日々、そして―――貴方との別れの夜も。

 

 あの夜、「絶対に帰って来てね」と告げた私を、貴方の赤い瞳は静かに見返すだけだった。兜の目庇(まびさし)から覗く双眸がいつもよりずっと寂しげで、子供心に違和感を覚えた私は、思わず「明日の朝ごはんも楽しみにしてるね」と去りゆく貴方の背中に重ねた。そっと頷きを返してくれた貴方は、もしかしたらそれが私との最後の会話になると予感していたのかもしれない。

 

 事実、次の日の朝、家に帰ってきたのはお義父さん(・・・・・)ただ一人だった。濃紺から黄金(こがね)色に染まりゆく世界を背にして、傷だらけのお義父さんはじっと玄関扉の前で立ち尽くしていた。冷たい夜気の中、至る所に血の滲む身体は立っているだけでも苦痛のはずなのに、私が扉を開けて招いても、「お帰りなさい」と声をかけても、所在なさげに震える瞳は黙したまま私を見つめるだけ。取り付く島のない様子を呆然と見返していた私は、少ししてようやく、いつもその傍らに控えていた存在を感じられないことに気がついた。

 家臣のように、友人のように、マスターを傍で支え続けていた英霊が―――姿が見えなくても、その穏やかな気配で私たちを安心させてくれていた大切な家族(・・)がいなくなっていた。

 

「……おじさん、バーサーカーはどこ?」

 

 今にして思えば、あの言葉は残酷だった。無邪気で無悪意だからこそ、あの時のお義父さんの心には深く突き刺さったに違いない。幼い故の無遠慮な問いかけに、ついに平静の箍が決壊したお義父さんは突然私を強くかき抱いた。痛いほどに抱き締めてくるお義父さんは「ごめん。ごめん」と私に謝るばかりで。

 未熟な私はその意味がわからず………いや、きっと早くに理解できていた。間桐 臓硯を原因とする過酷な経験を経て同世代よりほんの少し大人びていた私は、理解できないふりをして自分を騙そうとしていた。心を守ろうとした。だけど、どんなに現実を拒否しようとしても、子どものように泣き続けるお義父さんの肩に漆黒の騎士の手が置かれることはなく。

 

―――ああ、もうバーサーカーには逢えないんだ。

 

 気付いてしまった途端、ゴッソリと胸の内側から何かが消えて、力の抜けた膝が地面を突いた。お義父さんの声も抱き締められる苦しさも遠ざかり、目の前から色が消えていった。残酷な運命は、遠坂家という家族を一度失った私から、再び家族を―――最愛の人を奪っていった。

 顔を出した朝日がゆっくりと幕を上げて世界を暖かく照らしていく。人の手では再現できない慈愛に満ちた陽光は、まるであの人の逞しい(かいな)(いだ)かれるような温もりで―――。その時、私は確かに、張り詰めていた感情がはちきれる音を聞いた。比喩ではない胸の痛みに、眦が一気に熱くなり、喉奥から嗚咽が込み上げた。母や姉から離れる時ですら涙を見せなかった私は、この時だけは声を上げて泣き喚いた。お義父さんの背中に爪を立てて掻きむしり、何度もしゃくり上げながら帰ってこない人の名を叫び続けた。

 言葉にならない声でいったい何を口にしたのか、覚えていない。もしかしたら、あの人を連れて帰ってくれなかったお義父さんへの罵倒だったかもしれない。あの人を奪った世界への憎悪だったかもしれない。約束を守ってくれなかったあの人への叱責だったかもしれない。吐き出しても吐き出しても、半身をもぎ取られたような胸の痛みは収まってくれなかった。同じくらい悲しんでいたはずのお義父さんは、悲痛に悶える私をずっと抱き締めてくれていた。いつまでも、太陽が昇りきっても、あの人の代わりになるかのように力強く抱き締めてくれていた。

 

 

 あれから、10年と5ヶ月もの歳月が流れた。ついに私は、あの人を世界から取り戻す(・・・・)機会を得た。

 そうだ、取り戻すんだ。私だけが奪われてばかりだなんて間尺が合わないじゃない。奪い返して、聖杯を使って彼を受肉させる。今度は私が、世界から奪ってやる番だ。

 

 

 

 

 

 

 

「それなのに―――――私のバカっ! 役立たずっ!!」

 

 バサバサと鼓膜がガサつく音と共に大量の書物や資料が床に散逸する。衝動的に振り上げた拳は宙を揺らめき、怒りを叩きつける対象を見つけられずにやがて静々とうなだれ落ちた。視界の隅、ひりひりと熱を持ち始めた右手の甲で宿主の感情の猛りに呼応した令呪が赤々と燃えている。

「落ち着け、落ち着くのよ、間桐 桜」。小さく呟き、目を閉じる。『魔術は己の感情を制御し得ない者には行使できない』と遠坂先輩(ねえさん)から教わった。精神統一の要領で深呼吸を繰り返す。二度三度と肺の空気を入れ替えれば、怒りは瞬く間に霧散し、右手の紋様は皮膚の下に潜るように消えた。未だこんな初歩的な制御にすら立ち往生している自分自身に「ああ、もう」と悪態をつき、どっかと傍らの椅子に腰を落とす。連日の寝不足のせいか、潰れるように身体が重い。

 

「せっかく令呪(チャンス)を授かったのに……私には、あの人を呼び寄せる術がない」

 

 “令呪”。

 5か月前、魔術師の道を捨てたはずの私の手に現れたこの紋様こそ、聖杯戦争の参加者に与えられる挑戦者(マスター)としての証であり、 英 霊 (サーヴァント)を統べるための魔術理論の結晶。そして、あの人をたぐり寄せることの出来る、私に残されたたった一つのか細い糸(チャンス)だ。

 だというのに、養子とはいえサーヴァントシステムや令呪を開発した間桐の家系に名を連ねる身でありながら、情けなくも私は一縷の希望すら見出だせずに五里霧中に陥っていた。

 

 サーヴァントを召喚するにあたって実質的な役割を担うのは大聖杯だ。大聖杯がマスターの資質を吟味して、もっとも相性が良いと判断した英霊を各クラスに当て嵌めて抑止の力の御座より招き寄せる。それとは別に、召喚したい英霊の宛てがある場合は、その英霊にとって生前に(ゆかり)のある武具などの“触媒”を儀式に用いれば大聖杯がその英霊を招いてくれる。私の場合は後者の方法をとらなければならない。生前の彼に縁の品を見つけ出し、触媒にして儀式を行えばいい。

 しかし、そうは出来ない問題があった。令呪を宿してからの5ヶ月間、どんなに調べても解決方法が見出だせない、決定的な問題が。

 

「―――バーサーカー、貴方の本当の名前は、なんていうの?」

 

 そもそも、私は彼の名前すら知らなかったのだ。

 ああ、なんて間抜け。恋に熱くなるばかりで肝心なことに頭が回らないなんて。バーサーカーというクラス名はわかれど、彼の真名についてはこれっぽっちもわからない。

 黒い鎧を身に纏っていて、資格をたくさん保有し、変装の名人、料理の腕は達人なみ、庭いじりも得意、リフォームもお手の物、機械の扱いもお茶の子さいさい、武芸にだって当然のように秀でている。私が彼について知っているのはその程度で、彼の名前も、出身も、生い立ちも、逸話も、何もかも知らない。マスターだったお義父さんも、『自分から真名が漏れると不利になる』という理由で敢えて聞かなかったという。バーサーカーも同じ理由で明かさなかったんだと思う。だからってマスターが最後の最後まで自分のサーヴァントの名前を知らないというのはどうかと思うけど、当時のお義父さんは現在の伝説(・・)とは真逆のなんちゃって魔術師で、他の術師から誘惑魔術(チャーム)でも受けようものならすぐに口を割ってしまうレベルだった。それなのに私のために必死で頑張ってくれたのだから文句を言うのは筋違いだ。

 

 バーサーカーの名前を調べる上で唯一手がかりになりそうだったのは、セイバーのマスターだった衛宮 切嗣さんの証言だった。ただ一人、第四次聖杯戦争最後の戦い―――セイバーとアーチャーの一騎打ち―――を目撃した人間である衛宮さんは、「セイバーはバーサーカーの真名を知っているように見えた」と教えてくれた。

 最終決戦の最中(さなか)、セイバーはバーサーカーと共闘した末、傷ついて動けなくなったバーサーカーから黒い剣(・・・)を受け取り、二刀流でアーチャーと真っ向から渡り合ったという。その後、衛宮さんは二騎の最強宝具の衝突で生じた余波によって吹き飛ばされ、意識を失ってしまったそうだ。駆けつけた舞弥さんのビンタで叩き起こされた時には、汚染されていた聖杯は冬木市民会館と共に残骸と成り果て、腕の中には眠るアイリスフィールさんを抱いていたらしい。「もう一度人間を信じる気になれた」と晴れやかに語る衛宮さんは、バーサーカーの真名を知るためのヒントとして前回のセイバーの真名を心良く教えてくれた。まさか、かのアーサー王が女性だったとは簡単には信じられなかったけど、実際にそうだったのだから納得する他ない。

 瀕死の重傷を負いながらもセイバーを加勢し続けた彼の痛々しい姿は、想像するだけで胸が痛む。だけどその話から、“バーサーカーはアーサー王と親しい間柄にある英霊”と私は睨んだ。それからは、魔術について遠坂先輩から教えを乞いながら、睡眠時間すら削ってアーサー王に関する書籍を読み漁る日々が続いた。近代にまとめられた『アーサー王物語』や中世に書かれた『ランスロ。あるいは荷車の騎士』、15世紀の『アーサー王の死』に遡り、さらにはもっとも初期の文献とされる11世紀の『ブリタニア列王史』まで。また、アーサー王について研究している学術機関にも国内のみならず海外にまで電子メールを送りつけた。その結果は―――床に散らばる無数の紙くずを見れば分かる通り、全滅だ。どんな文献も、どんなに見識のある学術講師も、私の希望に光明を差してはくれなかった。

 常識で考えればわかる。「アーサー王と関わりがあったであろう人物の中に、黒い鎧を着ていて、資格をたくさん保有していて、変装の名人で、料理の腕が達人並みで、庭いじりが得意で、リフォームもお手の物で、機械の扱いもお茶の子さいさいで、武芸にも秀でていた人はいますか?」と聞いたところで、誰だって「おまえは何を言っているんだ」とどこかの格闘家のような呆れた顔を返してくるに決まっている。私だってそこまで馬鹿娘じゃない。けれども、他に手がかりがなかったんだからどうしようもない。(えにし)の品で召喚する方法は諦めざるをえない。

 

 じゃあ、どうするか。すがる思いで言峰教会の老神父さんに詰め寄ったところ、『もしも前回召喚に使用した魔法陣が残っている場合、それを再使用すれば、以前にその魔法陣を通って現界した英霊を再召喚できるかもしれない』と教えてくれた。つまり、10年前に間桐 雁夜(お義父さん)がバーサーカーを召喚した地下室の魔法陣を使えば可能性はある、と。それを聞いた私は胸の内で強く臍を噛んだ。なぜなら、それも不可能(・・・)だからだ。

 行き詰まった絶望に「はあ」と昏い溜息を落とし、なんとなく机上の時計に目をやる。

 

「……もう、こんな時間」

 

 とっくに朝日が登って久しい時間だ。気怠げに首を回して窓辺を見やれば、カーテンのわずかな隙間から眩しい日差しが差し込んでいる。こちらの気持ちを気遣いもしない暴力的なまでの輝度にワケもなく腹が立つ。また徹夜してしまった。お風呂にも入ってない。目も充血しているだろうし、髪も肌もパサついて、ひどい顔をしているに違いない。

 

「お腹、空いたな」

 

 腹部に空洞ができたような物足りなさに身を捩る。何の成果も出せないくせに一丁前に食欲だけは旺盛なんだから、我ながら図太い神経をしてる。酔っぱらいのように覚束ない足取りを自覚しつつ、よろよろと立ち上がり、階下のキッチンを目指す。昨晩、作りすぎたグリーンカレーが冷蔵庫に残っているはずだ。それで空腹を満たそう。

 

「グリーンカレー……ふふ、懐かしいなぁ」

 

 ボンヤリと霞みがかった頭に浮かぶのは、忘れることのないバーサーカーお手製グリーンカレーの味だ。思いを馳せるだけで、トロッとした食感や、鼻を抜けていくスパイスの香り、ココナッツミルクが奏でる絶妙な甘みと酸味、焦げ目のついた鶏もも肉と玉ねぎの香ばしさなどが口の中で花咲くように連々と蘇り、唾がじゅわっと染み出てくる。数えきれないほど挑戦しても未だに到達することの出来ない、涙がでるほど美味しい栄養たっぷりのカレー。私を地下の蟲蔵(じごく)から救い出してから初めて与えてくれた、世界で一番大好きな料理。愛する人が作ってくれた、最高のご馳走。幸せな思い出が、沈んでいた気分を幾らか救ってくれる。

 

「あ、スリッパ部屋に忘れちゃった……。ま、いいや」

 

 緩やかな角度で設置された手すりを伝って階段を下り終われば、さらりと肌触りの良いフローリングが足裏を撫でる。以前は冷たいタイル張りだった床材は全てオスモホルツという高級木材に張り替えられた。それだけじゃない。視線を泳がせれば、間桐 臓硯が健在だった頃のおどろおどろしい間桐邸の面影はもはや一片足りとも見つけられない。バーサーカーによるリフォームの結果、部屋の奥までぽかぽかと暖かい陽光が差し込む美しい家に生まれ変わったからだ。数年前に大きな地震が冬木市を襲った際も、隣家が相次いで被害に遭う中、一帯でも群を抜いて古いはずの間桐邸だけ無事だったのは彼の手で施された耐震補強のおかげだろう。被害を調査しに訪れた市や消防の担当者たちが丘の頂に聳える無傷の洋館を見上げて一様に驚く顔がとても誇らしかった。

 彼は、私たちの未来にとって最善だと思うことを全て行ってくれた。最善だと思うこと(・・・・・・・・)を、全て。

 

 廊下の途中、おそらくこの辺り(・・・・)だったろうと思われる場所で立ち止まる。かつて、そこには暗黒の地下深くへと堕ちる秘密の入り口があった。間桐家の暗部にして、全ての始まりの場所が。

 

「何も、全部埋めちゃわなくてもいいじゃない。バーサーカー」

 

 そう、かつて(・・・)は。今は他と同じオスモホルツのフローリングがあるだけ。バーサーカーが埋めてしまったからだ。お義父さんが念のためにと家中くまなく探したけれど、他にもあったはずの地下へ繋がる隠し扉は全て撤去され、ご丁寧にコンクリートを流し込まれて封印されていたらしい。あのおぞましい空間が存在することは私たち親子にとって最善ではないと判断したんだろう。事実、あの腐臭に満ちた地下室の記憶は私に未だ暗い影を落としている。刻印蟲に嬲り尽くされた者にしかわからないトラウマが、皮膚の上を這いまわる醜い魔蟲の感覚が、今なお悪夢となってたびたび私を苦しめている。バーサーカーはそれをわかっていた。予測して、私から過去の灰汁を抜き去り、きちんと前を向けるようにと埋没させたに違いない。

 

「“立つ鳥あとを濁さず”って言うけれど、なにもそこまで完璧にしなくったっていいのに。貴方らしいといえばらしいけど、完璧過ぎるのも考えものだと思う」

 

 彼のきめ細かな心遣いに全身全霊で感謝すべきだと理性ではわかっているのに、どうしても女としての間桐 桜が「余計なことをしてくれた」と不満を漏らす。彼と再会するための手綱をよりによって彼自身に切られてしまったことにヒステリックに腹を立てる。「そんなに私のもとに帰ってきたくなかったの」、と嫌らしく邪推してしまう。そんなことを思ってはいけないのに。不学者のくせにエゴだけは一人前に晒してみせる自分がどうしようもなく惨めに思えてきて、鼻奥がつんと熱くなる。お義父さんはもっと誇りを持って彼に向き合っていたはずだ。矜持も何もない醜い様では、彼と再会しても幻滅されてしまう。それは再会出来ないことよりも恐ろしいことだ。

 

「―――まだまだっ! 諦めるもんか!」

 

 不必要に思い詰めて自分を憐れむのはもうやめだ。私はとっくに泣き虫の女の子を卒業したんだ。彼のマスターとして相応しい魔術師になると決めたんだ。平坦な恋愛こそ素晴らしいといったい誰が決めたというんだろう。何せ“世界”を相手に喧嘩を売るのだ。険しい道程になることはとうに覚悟を決めている。

 目の(ふち)の雫をゴシゴシと擦り消し、ふんっと肩に気合を入れて歩みを再開する。みっともない独り言をお義父さんに聞かれていないかと一瞬ひやっとしたけど、屋内に人の気配はなかった。おそらく、また遠坂のおじさまたち(・・・・・・・・・)と一緒に言峰教会に直談判に行ったのだろう。

 意外なことに、遠坂 時 臣 (のおじさま)は、第五次聖杯戦争についてお義父さんや衛宮さんと同じく否定的な立場を取っている。やる気満々で心構えているそれぞれの娘たちをよそに、聖杯の汚染問題や60年周期という慣習の逸脱などを理由にして聖杯戦争の中止もしくは延期を求めて毎日のように教会に陳情を叩きつけている。堪りかねた神父さんたちが居留守を決め込んだ折には、一日中三人で扉をノックし続けてノイローゼ寸前まで追い詰めたらしい。聖堂教会としても、現地の 管 理 人 (セカンドオーナー)やアインツベルンの関係者、そして名高い(・・・)間桐 雁夜の訴えを簡単に退けるわけにもいかず、魔術協会の使者も巻き込んで日夜侃侃諤諤たる議論が交わされているらしい。

 「父様たちの気持ちは嬉しいけど、過保護に過ぎるわ。信用してないのかしら」と不満気に語ったのは、私の魔術の師匠でもある遠坂先輩(ねえさん)だ。遠坂先輩の手にもまた、私と同時期に令呪が出現した。それを認めた時の反応は親子で正反対だったらしく、遠坂先輩は偉業を成し遂げてやると舞い上がり、遠坂のおじさまはショックの余りワインを口から噴き出して正面にいたおばさまの顔を真っ赤に染め上げた挙句に目を剥いて卒倒したという。日頃の優雅な姿からは思い描けない醜態だけど、お義父さんも似たような反応だったから何とも言えない。

 

「私だってもう16歳になったわ。法律上は結婚できる年齢よ。大人扱いしてほしいわ。そう思わない、ポチ(・・)?」

 

 唇を尖らせ、鉢植えの影に隠れたその子(・・・)に問いかける。「きゅう!」と風船が萎むような鳴き声と共に顔を出すのは、可愛らしくデフォルメされたイモムシ型の使い魔だ。間桐家が魔術師の道を捨てたため、私は素養があるだけのあたら(・・・)魔術師で、魔術礼装すら持たない。せめて使い魔(サポート)は必要だろうと提案してくれた遠坂先輩の指導を受けて3ヶ月ほど前にこの“ポチ”を生み出した。一見すると人の頭ほどのヌイグルミだが、首元を撫でれば「くるくる」と喉を鳴らして手に頬ずりをしてくるキュートな子だ。虫嫌いな遠坂先輩にはあまり好かれていないけど、私には大切な友だちだ。

 

「ほら、頭を出して。ご飯を上げるわ。ポチもお腹減ったでしょう?」

 

 “ご飯”と言われた途端、ボタンのような黒目が待っていましたと喜びに輝き、せっせと頭を出してくる。そこを指先で撫でて餌となる魔力を補給してやれば、埋め込まれた魔宝石(スピネル)が反応してラベンダー色に仄めいた。遠坂先輩が(きた)るべき聖杯戦争に備えて準備していた切り札の一つを分け与えてくれたものだ。

 奇妙な話かもしれないけど、遠坂先輩はライバルとなる私に惜しみなく自らの知恵と経験を授けてくれる。それは血の繋がった姉妹の(よしみ)である以上に、生来の気高い本能がそうさせるのだ。苦もなく手にする栄光に意味など無い、と。

 

 

『覚悟なさい、桜。私は無敵のサーヴァントを召喚するつもりよ。この世で最強の、黄金(・・)のサーヴァントを!!』

 

 

 「……なぜだか父様は泣きながら反対するんだけど」と不思議そうに付け加えながらも、遠坂先輩は勝利を掴もうと覇気に満ちていた。あの不敵な笑みは、きっと優れた英霊にすでに目当てをつけ、触媒の入手も終えたが故の余裕に違いない。“常に余裕を持って優雅たれ”という遠坂家の家訓を体現しようと、遠坂先輩は確実に前に向かって歩を進めている。私が手を(こまね)いている間にも、磨きぬかれた双眸に才能と希望の光を湛えて今この瞬間も力強く歩んでいる。

 

「それに比べて私は――――――あああっ、もう!! また腐ろうとしてる!! これだから私は――――っ!!」

 

 自己否定の螺旋階段に落っこちかけた自身を叱咤してヒステリックに叫ぶ。突然頭をガリガリとかき乱して天を仰いだ主人に度肝を抜かれたポチが「きゅうっ!?」とバネのように跳び上がった。オモチャのように丸っこい身体が床に跳ねて、

 

 

 

 

ぴんぽ~~~~~ん。

 

 

 

 

 間の抜けた()が、間桐邸に響いた。

 

「……うちって、こんな呼び鈴だったかしら」

 

 首を傾げて日常の記憶をまさぐってみる。間桐邸の玄関はテレビ付きインターホンだったはずだし、ドアチャイムの音ももっと人工的かつ古風なものだったはずだ。

 

 

「ぴんぽ~~~~~ん。ぴぃい~~~んぽぉお~~~ん」

「うわあ」

 

 やはり声だ。聞いたことのない女の子の声が玄関の外から繰り返し聞こえてくる。同世代くらいの少女の音程を白痴的に揺らめかせてチャイムの音を真似ている。こんなことをする知り合いの心当たりはないけれど、害意は無さそうな雰囲気だし、同世代の同性相手に無視をするというのも気が引ける。「お腹空いてるのになあ」と小さく息を吐き、空腹に悲鳴を上げるお腹を擦りながら声の方向に進む。人間の不審者に怯えるような感覚は10年前に麻痺してしまっているし、何よりこのあっけらかんとした声にはどこか懐かしさ(・・・・)のような温かみを感じた。一瞬だけ黒鉄(くろがね)の兜が思考をチラつく。

 

「ぴんぽ~ん、ぴんぽ~ん。お~い、いないの~?」

「ちょ、ちょっと! 小林一佐(・・・・)! インターホンが見えないんですか!? 文明の利器を使いましょうよ!」

「うるさいなあ、仰木二佐(・・・・)は。こういう時は相手に不信感を与えないようにするのが大事なのよん」

「むちゃくちゃ不審ですよ!」

 

 ああ、もう一人いたんだ。そちらは男性で、一方よりだいぶ年上のようだけど、声の感じからして悪い人間じゃなさそうだ。妙に張りのある声質は一般人とは異なり、規律と礼儀を教えこまれた人間のそれだった。ヤクザかも、と一瞬だけドアノブに手を伸ばすのを躊躇ったけど、藤村先生を介してそちらの社会の人とは少なからず交流はあるし、魔術師として修行をしている今の私なら暴漢の一人や二人は脅威にならない。なにより、もうすぐ戦争に参加する者が今さらただの人間を恐れるわけにはいかないという意地がある。

 念の為に背後でポチが待機していることを気配で確認すると、思い切って扉を開け放つ。「どちら様ですか」と訪ねようと来訪者に向かって顔を上げ、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

久しぶり(・・・・)桜ちゃん(・・・・)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

暖炉のような赤い瞳と、目が合った。




注意:今回ネタバレがあります。ネタバレが嫌いな方は読んではいけません。


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10年と5ヶ月後  お茶濁し回なんだ。本当に申し訳ない。 (中編RX)

前回更新時には彼女なんて影も形もなかったのに、今では結婚して同棲してるんだから、人生って何が起こるかよくわかんないね。


‡切嗣おじさんサイド‡

 

 夜明け前の早朝。冷たい霜が静寂と共に降り落ちる、モノクロのような冬木市深山町。

その一角に佇む武家屋敷の小さな土蔵で、壮年の男が一人、凍てつく寒さに身を晒している。吐息を暗闇に白く染めた男は、覚悟を決めるように深く息を吸うと、久方ぶりの“呪文”を唱える。

固有時制御(Time alter)―――2倍(double)―――ぅぐ、がッ!?」

 転瞬、肉を深く裂くような激痛が身体の奥深くまで殺到し、男は大きなうめき声をあげた。うらぶれてしまった肉体は痛みを前に呆気なく屈服し、その場に膝をつく。爪がマニキュアを塗りつけたように紅く濁り、皮膚との隙間から鮮血が噴き出す。毛細血管の破裂という懐かしい痛みを努めて平静に受け止め、男は歯を食いしばって自身の現状を分析する。体内時間を改竄する魔術は術者の肉体と魔術回路に多大なる負荷をかける。そして、無茶に無茶を重ねた彼のそれらはもう最低限(ダブルアクセル)の固有時制御魔術にすら耐えられない。分析の結果は、『最悪』だ。

「―――僕は、無力だ……」

 か細い悔恨の呟きが暗闇に溶けて消える。

 わかっていたはずだった。10年前の()()()()()()()()()()()()()は、まさに一世一代を懸けた死闘であった。投入し得る全ての技術と装備と人脈を結集し、男にとって前代未聞となる6倍速(hexa axel)魔術の行使まで行ったドイツでの一夜の戦いはまさに熾烈を極めた。城内外に仕掛けておいた強力な爆弾が次々と誘爆する中、切り札たる起源弾の残弾を全て使いきり、自殺に等しい魔術を行使し続けた。全ては、立ち塞がるアインツベルンの首魁、アハト翁を打倒し、囚われている愛娘を奪還するために。

 実際、彼は目的を達成した段階ですでに絶命一歩手前であった。血まみれの肉体は出血していない箇所を数える方が簡単だった。頭蓋の内側に大量の血が溜まり、意識を圧迫した。口、鼻、耳から信じられない量の血液が溢れだし、血管も神経もミキサーにかけたように裁ち切れ、骨肉はあらゆる箇所が粉砕し、魔術回路に至っては完全に断線して使い物にならなくなった。同行した師匠と妻と弟子による必死の治癒がなければ今頃は地獄の釜で極悪人の先人たちと共に茹でられていたに違いない。

 寸でのところで死の淵から生還し、涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにした妻と娘を傷だらけの腕で強く抱き締めて、男は思った。「これでよかったのだ」と。()()と約束した世界を救う正義の味方にはなれなかったが、愛する者たちの救世主(ヒーロー)にはなれた。ここから先の人生は愛する者たちのために使い、静かな生活を送ると誓った。

 

そんなささやかな願いすら、運命(Fate)は残酷に踏み躙る。

 

 10年前、彼のサーヴァントと()()()()()が聖杯を破壊したことで、聖杯戦争の歴史は終焉を迎えたはずだった。しかし今、60年周期という慣例すら破って復活した聖杯は異例の早さで第五次聖杯戦争を開始しようとしている。迫り来る戦争を前に、男の心を支配するのは恐怖だけだ。妻子との幸福の日常を、幸福の源である愛娘を失う恐怖が男の心を日に日に黒く蝕んでいた。

 娘は、魔術師であり人間である男とホムンクルスの妻との間に生まれた奇跡の自然児だった。造り物ではない立派な魂を有しながら、同時にアハト翁の手による史上最高の特別なホムンクルスでもある娘の小さな心臓は、『小聖杯』という聖杯の力の受け皿たる機能を有している。第五次聖杯戦争が始まれば、娘は自分の意志とは関係なく小聖杯の役割を押し付けられ、やがて“器”と化して自我もろとも消滅する。悪辣な陣営があれば、有利を得るためにまず聖杯の器を確保しようと娘を誘拐するだろう。肉体を不要と判断すれば心臓のみ引きずり出して殺害するかもしれない。

 娘は、同年代に比べてずっと小さい。アハト爺による本格的な調整を受ける寸前に奪還し、その後の治療の成果もあり、寿命に関しては普通の人間とほぼ遜色はない。しかし、その成長は周りに比べて緩慢を極めた。そんな儚くて華奢な娘が苦しめられながら殺される光景を想像してしまい、途方もない嗚咽感に喉を滅多刺しにされる。その瞳から光が消えていく様子など絶対に見たくない。それだけは断じて避けなければならない。命をかけて護ってやらなければならない。

 ……しかし、もはや阻止できる力は微塵も残されていない。肉体は未だ傷が癒えず体力は衰え、魔術回路は回復の兆しすら見られなかった。今の彼がうらぶれた身体を引きずって死に物狂いで戦ったとしても、その戦闘力は全盛期の精彩など望むべくもない。それは彼の妻や師や弟子も同じであった。例え、侍女(メイド)たちの力を合したとしてもサーヴァント一体にすら太刀打ち出来まい。

 

「肝心な時に何も出来なくて、なにがヒーローだ」

 掠れた声で胸元を探り、常にそこにある銀色の輝きを指先に確かめる。純銀の飾りナイフは、()()との尊い思い出。曙光が降り注ぐ在りし日に彼女と交わした“正義の誓い”の象徴だった。

「君の言うとおり、恋をしたよ。結婚して、子供を授かった。娘のことを心の底から愛している。だけど―――だけど、僕はハッピーエンドを迎えられそうにない」

 力なく項垂れた男の頬を悔し涙が伝い落ちる。正義の味方を目指した男が、命をかけて子を護らねばならない父親が、娘の危機を前にしてただ手をこまねくことしか出来ない。男として、父として、これほどの恥辱があるものか。握りしめるナイフが皮膚に食い込んで鋭い痛みを発する。心の痛みの、何万分の一にもならない痛みだった。愛娘が味わうだろう苦痛の、何億分の一にもならない痛みだった。

 

「僕は、どうすれば、いいんだ」

 

 身の内側で、悔しい、悔しいと泣き叫ぶ声が聞こえる。行き場のない怒りと屈辱に頭がどうにかなりそうだった。愛する者への罪悪感と非力な己への呵責が心身を内側からズタズタに切り裂く。親は、子どものためならあらゆる犠牲すら厭わない。だが、そのあらゆる犠牲を払ったとしても子どもを救えないと知ってしまった時、この心を引き裂くのは途方もない引け目と無力感だ。悪夢のような負の感情を抱えきれなくなり、男は土下座するようにして地に額をこすり付ける。顔面を醜く歪め、激しく嗚咽し、落涙する。彼は発狂寸前だった。

 そして、今まで他者に助けを請うことのなかった男の口から、助けを求める喘ぎが、遂に喉を割って滲み出る。

「頼む、教えてくれ、シャーレイ! 僕はどうすればいいんだ! あの日のように、あの時のように、僕を導いてくれ!! 僕を―――イリヤを、助けてくれ……!!」

 

()()()()()()()()()()()()()()

 

 撞木で突かれた鐘のように心臓が大きく震えた。肋骨がバクバクと収縮し、瞳孔がカッと開き、呼吸がクッと喉元で止まる。()()()()()という直感に背中が鳥肌にざわめき、首筋と耳たぶが炙られるように熱くなる。20年と言わず聞いていなかった軽やかな声音は、しかし一度足りとも忘れたことはない。心が折れかけた時、何度も思い出して勇気をもらったその凛々しい声を忘れることなど出来はしない。

心臓が痛いほど早鐘を打つ中、男はゆっくりと背後を振り返る。

淡い月光に型どられた土蔵の戸口に、()()はそっと立っていた。

 腰まで伸びた艶やかな黒髪、シミひとつ無い白純(しらずみ)の肌、朱く底光る涼し気な双眸、かつては自分より4歳年上()()()、今や不死となった少女―――。

「……シャー、レイ?」

「ええ。久しぶり。元気そうで何より。ちょっと見ない内にだいぶ老けちゃったわね」

 開いた口の塞がらない男の問いかけに、アリマゴ島で接していた時と何ら変わらない気安さで、濃緑(オリーブ)色のジャケットに身を包む少女―――シャーレイは応えた。「原作より長生き出来てよかったわ」と語る台詞はまるで生まれた時から日本人だったかのような流暢な日本語で、ケリィと呼ばれた男は内容の意味不明さと共にしばし自分の正気を疑った。しかし、悩みや迷いを是として受け止めてくれる姉のような母のような嫋やかな微笑みは思い出の中の少女と変わらず、潰れかけていた背中から少しずつ重石を取り去ってくれる。立ち上がるだけの余力を授かり、男は震える足でシャーレイに向き合う。

 幻覚かもしれないと疑念を投げかける理性を、それでもいいと振り払う。義母を救い、歪みかけていた自分の性根を正してくれた彼女なら、例え幻覚であっても打開策を授けてくれるという確信があった。

 先の少女の言葉を咀嚼した男―――元“魔術師殺し”の衛宮 切嗣が再び問う。

 

「“どうもしなくていい”だって? シャーレイ、どうもしなくていいわけがないんだ。また戦争が始まるんだ。君は知らないだろうが、聖杯戦争という魔術師同士の殺し合いがこの地で始まろうとしている。前回の戦争に僕は参加して、かろうじて生き残った。だけど、僕にはもう今回の戦争を戦いぬく力は残されていない。何とか戦争を止めようとしているが、聖堂教会も魔術協会も役には立たない。()()()―――間桐 雁夜ですら止められないんだ。間違いなく戦争は始まってしまうだろう。このままでは、僕の娘が、イリヤが戦いに巻き込まれてしまう!!」

 血の滲む声に喉を震わせながら、切嗣は少女に迫り訴える。両者の身長差は10年前よりさらに開いていた。気色ばんだ大柄の男に両肩を荒々しく掴まれても、勢い余った爪が細肩に強く食い込んでも、少女は口を挟まず、目尻に優しさを湛えたまま切嗣のすがる視線を己の瞳に迎え入れる。

「イリヤには戦ってほしくない。もう何にも利用されてほしくない。傷ついて欲しくない。静かに……ただ静かに生きて欲しいんだ。護ってやりたいんだ。僕らとは違う、人並みの平穏な幸せを与えてやりたいんだ。そのためには、何か手を打たないと取り返しがつかなくなる。何でもいい、どんな手段でもいい、僕に出来ることがあるのなら何でもする。何か、何か手を打たないといけないんだ。だけど……だけど、今の僕はどうしようもないくらい、無力なんだ……!!」

 洪水のように一気に流れ出た切嗣の言葉(ひめい)を、少女は静かに受け止めた。「なるほど、なるほど」とささやかに膨らむ胸の前で腕を組み、あたかも深刻に考え込んでいるかのように瞑った目の上で眉根を寄せてふむふむと数度頷く。頷いて、小さく鼻で嘆息する。

「ねえ、()()。一つ聞いていいかしら?」

 一転して冷静な口調となったシャーレイがスッと切れ長の眼を開く。不思議な引力を放つ朱い瞳が星のように瞬き、思わず息を呑んだ切嗣の双眼をまっすぐに見据える。

 

「ニチアサヒーロータイムはちゃんとチェックしてるかしら?」

「は……? あ、ああ。してる、けど」

 

――― 正義の味方自称するんのならニチアサヒーロータイムの鑑賞は義務だろうがクソガキ ―――

 

 正義の誓いを建てた日、強かな拳とともに受け取ったハチャメチャな言いつけを切嗣は律儀に守っていた。色彩賑やかな戦隊ヒーローから重厚感あるメタルヒーローまで、目を通していないものはない。一瞬、意識が現実から乖離し、遠い記憶に立ち戻る。朝焼けの下で強かな一撃を喰らったあの瞬間に。目を瞑っていないのに、まるで今まさに目の前で起きている出来事であるかのように眼球の裏に再生される。グォンとシャーレイの腕が渦を巻いて振りかぶられて、放たれた握り拳がスローモーションのようにゆっくりと顔面に迫ってくる。艶めく黒髪が龍の尾の如く視界を流れ、真っ赤な眼光が宙に鋭い光跡を描く。

 そうそう、まるで()()()()に、―――

 

だったらいい加減に察しなさい(ライダー)クソガキ(パーンチ)!!!!」

「グロ゛エ゛ッッ!!」

 

 幻覚ではなかった。現実の痛みが左頬を強烈に打ち付け、切嗣の肉体は美しいほどに見事な回転を描きながら宙を軽やかに舞った。死徒の腕力を腰の捻りで増幅させたパンチは以前よりさらに磨きがかかっていた。そのまま天井の梁に勢い良く跳ね返り、スライムのようにべチャリとひどい音を立てて床に突っ伏す。なまじ身体が衰えていただけにかなり効く。だが、懐かしい。首根っこをひっつかまれ、絶望の沼から無理やり引きずり出されて陽の光の下に放り出されたようだ。

 

「だから、どうもしなくていいって言ってるのよ。文字通りそのままの意味。手出し無用よ。いつまでベタベタしてるつもり? そろそろ()()()しなさい」

「こ、子離れ……?」

 

 思いもがけない世俗的な言葉に面食らいながらフラフラと半身を起こす。その胸を、シャーレイは年長者然とした表情でツンと突っついた。そこにあるのは誓いのナイフだ。

「いいこと、切嗣。貴方は確かによく戦った。破滅に至るはずだった物語を変えてみせた。貴方は紛れもなく英雄(ヒーロー)よ。でも、()()()のヒーローなの」

 

 否定ではない、心から労をねぎらう口調と表情に、切嗣は反感を抱くことなく素直な心持ちで耳を澄ます。

 

「ヒーローってのはね、しぶとくて諦めが悪くなくちゃいけない。でも、引き際もしっかりと心得ているものなのよ。最終回でバッチリ決めて一年間の役目を終えたら、その背中を子どもたちに魅せ付けながら次の世代にかっこ良くバトンタ~ッチ。いつまでも前のヒーローが出しゃばったって、後に続く者の邪魔になるだけよ」

「―――イリヤが、正義の味方(ぼくのゆめ)を引き継ぐと?」

 特撮ヒーローを例にした言葉の真意を切嗣は瞬時に悟った。シャーレイは飲み込みの早い生徒を称えるように「成長したじゃない」と満足気に微笑み、続いて問いかける。

「ねえ、切嗣。イリヤが貴方に願ったことがあったのかしら? “可哀想な私を助けて。お城のお姫様のように私を護って”と、貴方に泣いて縋ったことが、一度でもあった?」

 

 その問い掛けに、無意識的に記憶の棚が開け放たれる。だが、全ての棚を覗き込むより前に結果はすぐにわかった。

 

「……いいや、無い。そう、無かった。ただの一度だって、あの娘が僕らに助けを求めることは無かった」

 

 娘の口から“助けて”という台詞が発せられた試しが無いことを、切嗣はこの時に初めて気がついた。蝶よ花よと寵愛しようとする両親やメイドたちに反し、矮躯の少女は誰よりも強く気高くあろうと振る舞った。どんなに痛い時だって、どんなにつらい時だって、唇を噛み、小さな拳を握りしめ、細身を精一杯に膨らませて、まるで自分がこの世界を守護する盾となるかのように不条理と恐怖に真っ向から楯突いていた。

 呆然と首を振って答えた切嗣を、確信の色をした瞳がまっすぐに見つめる。

 

()()()()()()()。私は知ってる。私にはよくわかる」

 

 楽観し、口先だけで語っているのではない。

 いつ、どこで見ていたのかはわからない。しかし、シャーレイはイリヤをよく知っている。切嗣と同じくらいに、もしかしたら切嗣以上に、()()()()()()()()()()()()()()を理解している。熟知した上で、未来を任せるに足る者だと認めている。

 

「しかも、()()()()()()()()は尚さらに強い。あの娘は一人ぼっちじゃなかった。両親が、家族が一緒にいた。ずっと貴方たちの背中を見て、貴方たちの愛情を一身に受けて成長してきた。ただ強いだけでなく、その強さの使い方を心得ている。真の強者のあるべき姿を承知している。それは貴方が一番よくわかっているはず」

 

 この問いかけには、切嗣は即座に頷いた。そのように願い育てた自覚があった。誇り高い愛娘は、父の志しと母の優しさを小さな身体いっぱいに秘めている。清廉な魂は濁りのない正義の炎に燃え盛っている。厳格な正邪の観念、道義を貫く意地と勇気を兼ね備えている。困難に対しては真っ向から挑まなければ気が済まない性格で、事実、一度だって背を向けたことはない。

 頭の中に立ち籠めていた靄が薄れて、ぼんやりと何かが見えてくる。シャーレイが導こうとする先に待つ答えに指先がもう触れている。それは銀色の髪だった。成長期特有の、妻に似て、妻のものではない銀細工のように美しい長髪。

 未だ膝をついていた切嗣の手を取ってそっと立ち上がらせ、シャーレイが霧を払う。

 

「貴方は何もしなくていいの。何のことはない、ただ()()()の時が来ただけ。それだけのことと考えなさいな。巣立ちする小鳥を背中に回す親鳥なんかいないわ。すべきは背中を押してあげること。満足に飛び立てるだけの全てを、すでに貴方たちはあの娘に与えた。知恵も、力も、そしてもっとも大事な心も。今にも飛び立つ我が子を前にして、親が見るべきは今現在の子どもの姿じゃない。()()()()()()()()()姿()を見なくちゃいけないわ」

 

 冷えていた指先に心地よい人肌の温もりを感じる。洋上で頭を撫でてくれた時と変わらない、同じ人間の体温だ。死徒になっても変わることのない、優しい女の温もりだ。

 

「思い出しなさい、これまでのイリヤを。想像しなさい、これからのイリヤを。それは、成長を誰よりも身近で見守ってきた親にしか出来ないことよ」

 

 パチっと、何かが弾ける音を立てて切嗣の脳裏に映像が結ばれた。一時も目を離さなかった我が子の道程がそこに次々と浮かんでいく。それらは熱い風となって額を吹き抜けて、その時その時に味わった五感までもをありありと描写する。

 

 

 生まれて初めて目を開けた娘の、穢れを知らぬ無垢な瞳、心の鼓膜を揺らす産声。

 

 

 汗だくの妻からそっと渡されてこの手に抱いた時の、他の何にも例えられない愛おしさ、尊さ。

 

 

 腕の中で眠りにたゆたう生命の奇跡の、その儚くも強かな命の重さに溢れ出した涙で、前が見えなかった。

 

 

 父に肩車をされて胡桃拾いに夢中になる楽しげな笑い声、視界の左右で揺れる細い太もも、熱い体温。

 

 

 幽閉の身から助け出され、泣きながらこちらに駆け寄ってくる娘の、希望と喜びに満ち溢れた涙と笑顔。

 

 

 満ち足りた平穏を力いっぱいに甘受し、しかし、それを当然の権利と思わず一際気高くあろうとする雄姿。

 

 

 底知れぬ知性の光と雄々しい勇敢さでもって、今だ悪の潜む世界に敢然と対峙する、生硬くも力強い娘の瞳。

 

 

 そして、それらが一つに結実する未来の可能性―――不屈の闘志と若き気炎を滾らせて敢然と悪に立ち向かうは、“正義の味方”の煌めく背中。かつて父が目指していた理想の到達点。

 

 

 天をどよもす大勢の鬨の声を一身に受けて、拳を高々と突き上げて応える、凛々しき勇者の背中。その姿を瞼の裏に想像しただけで、武者震いに似た高揚感が身体の奥から火山のようにせり登ってくる。長い時間をかけて力を溜めた引き潮が、一気に満潮となって心の波打ち際に押し寄せる。ズンと込み上げる怒涛の激情に、心の奥底にある()()()()がカッと目を覚ます。

 

「故郷の島で、貴方が私に言おうとしてくれた決意を、夜明けの海で私に誓ってくれた夢を、あの娘は完璧に受け継いでいる。熱い熱い正義の心を、持っている。貴方たちが信じてあげなくて、いったい他の誰が信じるというの。あの娘が求めているのは、他の誰でもない、貴方たちの信頼だというのに」

 

 言葉一つ一つが胸に沁み入り、そこを占領していた懸念を霧散させていく。そうして最後に残っていた不安も、コツンと胸を小突く拳で呆気なく霧散した。 

 

「さあ、主役交代よ、切嗣。一つ前(ZERO)の物語はもう終わり。次代の主人公を―――自分の娘を信じてあげなさい」

 

 夜明けが訪れた。シャーレイに率いられた白光の軍勢が世界から闇を追い払っていく。土蔵の窓から清浄な光がまっすぐ差し込み、スポットライトのように切嗣に降り注いだ。モノクロの世界に鮮やかな色彩が宿っていく。

 あれだけの鬱屈が、すでに跡形もなくなっていた。“そうだったのか”という納得感がストンと胸に落ちて、すっぽりと型にはまったような感覚だった。

 シャーレイの言う通りだ。自分は何を護ろうとしていたのか。何を見ていたのか。必死に護ろうとしていたちっぽけな幼子など、とっくにいないというのに。まだまだ幼いと思っていた。いや、思おうとしていたのかもしれない。娘にはまだ父の庇護が必要なのだと思い込みたかったのかもしれない。まともな父親を知らない自分たちは、子どもにどう接すればいいのか、どう導けばいいのか、常に暗中模索の状態だった。だが、やっとわかった。本当に必要なのは庇護ではないのだと。その考えに至って一抹の寂しさは覚えど、誇りのほうが何倍も勝った。

 ついこの間まで赤ん坊だった娘は、当の昔に、親が気付くよりずっと早くに、加護の手から颯爽と降り立っていた。そして、成長した自らの足で世界に立ち向かい、人生を切り開く覚悟を決めて歩み始めている。常世に蔓延る悪意を身を持って知り、“それでも”と闇を振り払う勇気を備え、光を胸に力強く前を向いている。

 珠のように大切にされたいなど、彼女は望んでいない。常に手を繋いで導いてやる必要など無い。親が子どもに与えられる最大の贈り物は、他の何物でもない、“期待”なのだ。「お前ならできる」「お前にしか出来ない」と、己の人生を見守ってきた存在からの全幅の信頼なのだ。

 

「―――ああ、そうだな。その通りだ」

 

 シャーレイが言わんとすることを切嗣は完璧に理解した。迷いは消え、やるべきことはすでに見えた。不安も懸念も払拭された心の奥で、消えかけていた燃えさしが再び火の粉を舞い上げて真っ赤な炎へと復活する。これは“バトン”だ。自分がすべきことは、このバトンを信頼できる次の走者に、より良い形で譲り渡すことなのだ。心の中でバトンを掴めば、燃え盛る情熱が皮膚の下から噴き出してきて、現実の拳にも力が宿る。淀んでいた瞳が、かつての夢を語る少年の覇気を取り戻す。

 

「僕はイリヤを、皆の想いの結晶を信じよう。もちろん、そこにはシャーレイ、君の想いも」

 

 我が子こそ世界に渦巻く不幸の連鎖を断ち切るに相応しい『真の正義の味方』なのだと、全身全霊を持って信じよう。彼女に必要なのは、後ろ髪を引く家族の不安などではない。そっと背中を押す家族の笑顔こそが必要なのだ。きっとそれが、彼女の力を何倍にも強くする。

 シャーレイは何も言葉を発さなかった。それが彼女の答えであり、“正解”を意味していた。背後から包み込む清浄な朝日に輪郭を溶かしながら、シャーレイは満面に喜色を讃え続ける。世界を一新させる圧倒的な光量が視野を染めて、切嗣は眩しさに思わず手で目を覆う。

 

「その御守り(ナイフ)、もう返す必要ないわ。貴方は誓いを護ってくれた。それは貴方に───いいえ、貴方の娘にあげる。私からイリヤへのプレゼントよ」

「わかった。ありがとう。君のことを―――最高の僕の姉のことを、イリヤにも伝えるよ」

 

 くすっと、微笑が聞こえた。まるで微睡みから覚めるようにシャーレイの気配が遠ざかっていく。次に目を開ければ彼女はもうそこにはいないのだろう。それでもいいと思えた。前回同様、寂寥感はまったく無かった。たとえ目に見えなくとも、彼女は常に自分たちを見守ってくれているのだから。

 希望を灯す朝焼けを全身に浴びて、泥のように固着していた苦悩の澱が残らず溶けていく。最後に、切嗣は光に向かって何気なく問いかける。

 

「なあ、君はこれから、どこへ行くんだ?」

 

 一秒ごとに輝きを増す光の中から、弾むような声が溌剌と応える。

 

「もう一つの我が家へ、もう一人の主人公を導きに」

 

 その声は吹き零れるほどの歓喜に満ち満ちて、シャーレイの人生が今どんなに充実しているかを万の言葉より如実に表していた。そんな彼女が導くという“もう一人の主人公”について気にはなったが、不安は微塵もない。きっとイリヤの良いライバルになる。お互いを高め合える好敵手(とも)となる。そんな胸を躍らせる期待すら胸のうちに生じていた。

 そして―――気配は唐突に消えた。余韻すら残さず、まるで全てが幻覚であったかのような静寂が戻る。網膜が光量に打ち勝ったところで、視界を覆っていた手をゆったりとした動きで降ろす。

 

 

 

 

「……おはようございます、旦那様」

 

 

 果たして、そこには()()()の影があった。彼の屋敷に住み込みで働く侍女(メイド)たちだ。アインツベルンに従うホムンクルスとして一度は敵対したものの、切嗣の妻に説得され、娘の救出に一役買ってくれた。そして今では、使用人という枠を超えて、こうして共に暮らす家族となっている。

 

「旦那様、イリヤお嬢様が、“話したいことがあるので全員に集まって欲しい”と仰せです。とても大事なお話と仰られておりました」

「……イリヤ、とっても真剣な顔してた」

 

 そんな彼女たちが、人形そのものに鮮やかな容貌を憂いに沈め、視線を俯かせている。あらゆる感情が滑り落ちてしまいそうな撫で肩はいつもの彼女たちらしくない。侵入者(シャーレイ)を察知したからにしては様子に合点がいかないし、切嗣はその暗然とした表情の理由に心当たりがあった。まるでほんの数分前の自分を見ているかのようだったからだ。二人の内、一際責任感の強いメイドが震えそうになる声を必死に抑えて訴える。

 

「間違いなく、私たちが危惧していた聖杯戦争への参加の件かと思われます。やはり……やはり、例えイリヤお嬢様が抵抗なされようとも、今すぐ無理矢理にでも冬木市から逃がすべきでは―――って、だ、旦那様!? そのお顔は!?」

「キリツグ、鼻血が出てるっ」

 

 意を決して主人に面を向けた途端、喧しい声で狼狽える。たしかに今の切嗣の顔にはひどい青あざが出来の悪いスタンプのように残り、鼻孔からはたらりと血が一筋垂れている。傍目から見れば悪質な追い剥ぎにあった中年被害者そのものだ。「敵襲ですか」と狼狽えてハルバードすらどこからか持ち出してきたメイドたちを切嗣は柔らかく手で制す。

 

「いいんだ。セラ、リズ」

「で、ですが……!」

「これは勲章さ。僕の目を覚まさせてくれた。今の僕には心地良いものなんだ」

 

 頬をふっと緩め、痣を隠すことなく微笑みかける。その安らかな顔つきと声音に、メイドたちは一瞬言葉を失った。呻吟を吹き飛ばすほどの矜持に満ち溢れた父親の顔がそこにあったからだ。芯の通った男らしい声は、未だかつて聞いたこともないほどの自信に裏打ちされている。

 

「イリヤの話を聞こう」

 

 穏やかな瞳が湛えるのは、己のみが寄って立つための頑なな自負と茨のような責任感ではない。肉親に全幅の信用を寄せる、心からの安堵だ。子どもを信じる親の心に、道理も理屈も関係ない。それは血縁のある親を知らぬはずのホムンクルスですら胸を打たれるほど堂に入って、父親然としていた。

 

「───畏まりました」

「───うん、わかった」

 

 憂鬱の衣を脱ぎ捨てて一切の曇りの晴れた主人の表情に、如才ないメイドたちは食い下がることなくそれ以上の追求をやめて丁寧な傅きを返す。優秀な彼女たちは、主人が現状を打破する天啓を授かったことを明確に理解できた。

 活気を取り戻した細胞の一つ一つに突き動かされ、切嗣は力を込めて一歩を踏み出す。

 

「僕たちは皆、まともな親を知らない。親が子供をどうやって導けばいいのかわからない。だからこそ、どうやってイリヤを守ってやるかを悩み続けていた。だが、そもそも()()()()()だったんだ。守ってやろうだなんて烏滸がましいことだったんだ。そう、僕らは、()()()()()をすっかり忘れてしまっていた」

 

 開け放たれた扉に立ち、曙光を全身に浴びる。皮膚一面が希望に熱くなる。太陽光に熱せられたのではない。身の内に誕生した炎に茹だっているのだ。湧き上がる満面の笑みを天に魅せつけ、切嗣は雄々しく紡ぐ。運命よ、見ているがいい。

 

「主役は僕らじゃない。イリヤだ。僕たちのイリヤなんだ。僕たちが全身全霊を掛けて育ててきた、この世の何者にも負けない、僕たち皆の娘だ。僕らが負うべき役割は、船をその場に留まらせる鬱陶しい錨じゃない。船出のために帆を推す追い風なんだ」

 

 その言葉に、メイドたちがハッとして顔を上げた。色白だった頬が火照り、表情から苦悩と絶望が蒸発していく。意思とは離れて拳が勝手に握りしめられる。造り物の彼女たちにもわかった。目の前の男が、どこに出しても恥ずかしくない、立派な父親としてここに大成したことを。彼女たちのもっとも大事な少女を預けるに値する導き手となれたことを。

 

「旦那様がそう仰るのであれば」

「キリツグ、いい顔してる。とってもいい顔」

 

 首だけで振り返り、自身を信任してくれたメイドたちに微笑みを向ける。

 

 不意に、切嗣は立ち止まる。視界の隅に、見知った人影を見つけたからだ。湿気が滞留する土蔵の隅、忘れ去られたような暗がりに、その複数の人影が浮かんでいる。見紛うこともない。それらは自分自身の影だった。未来という光を浴びて映し出された、切嗣の人生の影。

 

アリマゴ島で地獄を目にし、実の父を手に掛けた幼い子ども。

数多の修羅場をくぐり抜け、殺し屋として育てられた、澱んだ目の少年。

魔術師を殺すためだけに生き、師であり母でもある人を殺そうとまでした冷たい目の青年。

暗黒の呪いに侵されたせいで、実年齢より遥かに老けて見える、弱りきった痩身和服の病人。

セイギを求める過程で己の正体すら見失い、人ならざるモノに成り果てた歪んだ英雄の霊(アサシン)

 

過去、そして辿るかもしれなかった可能性。それら全てが、泥沼のような暗闇の内から切嗣をじっと見ていた。

 

 

そして、彼ら全員が───()()()()()を浮かべていた。

 

 

 肩を抱き合い、歯を覗かせて、各々が最高の笑顔を魅せていた。子どもは日に焼けた手を大きく振り、病人は痩せコケた頬をいっぱいに緩ませ、英霊は赤いフードの下で熱い涙を流していた。それらは、きっと一瞬の幻覚だったのだろう。その証拠に、人影たちは安心したように一様に頷くと、霧のように姿を消した。だが、彼らに対して強い頷きを返した切嗣は魂に確信した。己が今、衛宮切嗣という存在の前に並ぶ無数に枝分かれした可能性の中から、もっとも最善の未来を掴み取ったのだ、と。彼らはきっとその事実を伝えにやって来たのだ。彼らが望み、手に入れらなかった救済の道(ストーリー)を進んだ切嗣を、その栄光の選択を祝福してくれたのだ。

 

「───()()()()()?」

 

 包み込むような優しい声に、切嗣は吸い寄せられるようにして今一度正面を向く。希望に眩しい曙光を背景に、その銀髪の女は美しく佇んでいた。幾つになってもその美しさが陰ることはない。切嗣が至情を捧げる、彼の唯一無二の理解者。彼女は、()()()()()()()()()()()()。一度死に、そして奇跡の力で蘇り、今はこうして人間としての人生を謳歌している。そう、彼女こそ、奇跡の証だ。ヒトの意志の力を結集すれば奇跡すら起こせるのだということの証だ。

 10年前、そのことを身をもって教えてくれた一人の男とサーヴァントに思いを馳せ、切嗣はいつかの教会で感じたような情熱が胸の内によみがえるのを感じた。彼らは背中で証明してくれた。誰かを思って振るう力には不可能などないということを。彼らに出来て、自分たちの娘に出来ない理由など無い。

 

「ああ、答えは得た。もう大丈夫だ」

 

 妻の腰に手を回し、躊躇いなくぐっと力強く抱き寄せる。まだこんな力が残っていたのかと心中に驚く夫を見上げ、最愛の妻はただ微笑み、10年前にもそうしたように彼の頬にそっと手を添え、心からの信頼を言葉ではなく人肌で伝えてくる。ルビーのように艶やかな瞳は一切の淀みなく、最愛の夫にすべてを託す親愛を湛えていた。どんなに長大で大げさな言葉よりも雄弁な眼差しの奔流を余すことなく心で受け止めて、切嗣は背後のメイドに指令を与えた。

 

「セラ。僕のニチアサコレクションから、至急持ってきてほしいブルーレイボックスがある」

「は、はい。しかし、なぜブルーレイボックスを……?」

 

 戸惑いを隠せないセラに、切嗣は本当に久しぶりの不敵な笑みを浮かべてみせた。それは運命に喧嘩を売る男の顔だった。運命よ、お前なんぞに唯々諾々と従ってやるものか。お前がその気なら、こちらにだって切り札はある。

 

「あの娘に打って付けのサーヴァントを思いついたのさ」

 

 未来は次世代(イリヤ)に委ねると決めた。しかし、丸投げをするつもりは毛頭ない。親が子どもに出来ることは、昔も今も『贈り物』だと相場が決まっている。イリヤの盾となり鉾となり、イリヤと共に歩むに相応しい、誰もが認める正義の味方。かのヒーローになら、イリヤを託すことが出来る。英霊として召喚できるか、という疑念を圧殺するだけの自負があった。あの英霊(ライダー)なら勇んで来てくれる、という確信があった。

 

「そういうことなら、畏まりました。ただちに持ってまいりますわ。して、タイトルは?」

「ああ、頼む。タイトルは───」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ()()()、と。

 その瞬間、重厚な音を立てて、一人の戦士が“英霊の座”へと()()された。

 それは、原初のホムンクルスにして大聖杯そのものたるユスティーツァ・リズライヒ・フォン・アインツベルンが、わずかに残った思惟で子孫(イリヤ)を案じての計らいだったのか。はたまた、英霊自身が自らを頼む呼びかけに応じたのか。もしくはその両方なのか。如何にしても、本来なら英霊として迎え入れられることはなかったはずの彼は確かに“座”の一角に鎮座し、己の助けを必要とする者の召喚を待つこととなった。輪廻の輪も因果の枠をも超越した世界で、()()()()()()()()()()()の太陽の御子は、イリヤのために召喚される(とき)を今か今かと待っている。彼は二度に渡って世界を救った、孤高にして不屈の戦士。()()()()()()()を為す、漆黒の騎兵(ライダー)。厳かな空間には、彼を称える猛々しい祝詞(のりと)が響き続ける。

 

 

 

立ち上がれ(Wake up)英雄(The Hero)よ。覚醒せよ。

 

お前以外に誰がその危難(ピンチ)を救うのか。

 

おお、仮面の騎兵よ。稲妻と化して閃け。

 

おお、仮面の騎兵よ。真の愛を識る戦士よ。

 

おお、仮面の騎兵(ライダー)よ。黒く雄々しき、その真名は───




TSバーチャルユーチューバー羽乃ユウナを讃えよ


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10年と5ヶ月後  お茶濁し回なんだ。本当に申し訳ない。 (後篇)

~2-13より、伏線部の抜粋~


 間桐家の応接間は、妖怪バグ爺さんの趣味だったのか、広いくせにどんよりとしていて監獄みたいだった。そういうのはこれからもここで暮らしていく雁夜おじさんや桜ちゃんの精神衛生上とっても良くないから、ムダに分厚いカーテンをひっぺがして全部雑巾にしてやった後、窓辺に物を置かないように家具の配置換えをしたり、壁に必殺バーサーカーパンチをかまして採光兼換気用の窓を拡張したりしました。もちろん、家の強度を維持するための耐震化工事も同時進行です。

 というわけで、とび技能士と建築士とリフォームスタイリストとインテリアコーディネーターの資格を持つ俺の手に掛かれば、陽の光をふんだんに取り入れた暖かな応接間の出来上がりってわけですよ。カーテンは間桐家のシンボルカラーを尊重しつつ、地中海のようなコバルトブルー色にしました。生地は薄いけど断熱性は抜群なスイス製なので、昼間は日光だけで十分明るい! キャンドルスタイルの照明器具はそのままにして管球の明度をグレードアップしておいたから、夜は古風で上品な雰囲気を保ちつつも部屋全体が明るくなるでしょう。カーテンと濃藍色の絨毯とのグラデーションも完璧です。黒檀のテーブルもマホガニーの椅子も家具用ワックスでピッカピカに磨き上げた後にみつろうクリームをしっかりと塗りこんだので、家具たちが喜んでいるみたいに美し~く輝いてる。

 最後に、だだっ広いテーブルの上にちょいと手を加えた(・・・・・・・・・)バロック様式のアンティーク燭台を載せれば―――――なんということでしょう!(サザエさん風) おどろおどろしいお化け屋敷の一室が、まるで一流ホテルのような洋風応接間に早変わり!



~抜粋終わり~


‡成長した桜ちゃんサイド‡

 

 

「久しぶり、桜ちゃん」

 

 

 女の子、だった。手足はスラリと長く背は高いけど、目鼻立ちは幼い。年の瀬は私より少し下くらい。アジア系の顔立ちなのに、肌は気味が悪いといえるほどにのっぺりと青白く、眼は結膜まで赤に染まって、白目の部分がない。頬の皮膚表面に幾筋も走る線は亀裂のよう。ひと目で“暗闇しか歩けない化物”―――資料で読んだことのある死徒とわかった。きっと見た目と実年齢はかけ離れているに違いない。

 

 だけど、ニカッと歯を見せる仕草はいかにも人好きのする少年少女の笑顔で、優しく緩んだ目尻は相手を労る年長者の気遣いと余裕がうかがえる。奥行きのある赤い目は透き通って宝石みたい。いきなりの親友にするような砕けた調子の接し方も、不思議と不快には思えない。容姿だけ見ればお化け屋敷に潜んでいそうに不気味なのに、少し覗いて見える内面はまるで南国の爽やかな海のよう。そのかけ離れすぎた差異と、何より暖炉のような赤い瞳があの人(・・・)を思い出させて、私の中で固まりかけていた警戒感は甘いノスタルジーに溶かし込まれた。

 

 

「……あの、どちら様でしょうか」

 

 

 それでも、理性を働かせて尋ねる。久しぶりと言われても、私はこの娘を知らないし、当然だけど死徒の知り合いもいない。自ら魔術を捨てたといっても、間桐を狙う者は必ずいる。お義父さんやその知り合いたちの存在がこの冬木全体を護る抑止力となっているけど、油断は禁物だといつもお義父さんから教わってきた。

 

 一歩、相手にわからないようにそれとなく足を引いて距離を取る。目の前の女の子はその動作を難なく見抜き、だけど、むしろ私の慎重さを喜ばしいという風に受け止めて微笑んだ。包み込んでくれるような雰囲気がますます彼に似ていて、混乱を助長される。この娘はいったい何者なんだろう? そのヒントは、もう一歩引いて彼女の首から下を視界に収めたことで自ずとわかった。テレビで何度か見たことがある制服を着ていたから。

 

「……えっと、もしかして警察とか自衛隊の人、ですか?」

「ご明察。日本国航空自衛隊でパイロットしてます、小林シャーレイ特務一佐です。後ろは仰木二佐」

「仰木二佐です。突然のご訪問申し訳ありません」

 

 胸ポケットの上に冠された翼の金飾り―――たしか徽章(きしょう)という階級章―――をくいっと細い指先で摘んで、小林シャーレイさんが砕けた敬礼で再度微笑む。黒い詰襟の制服は、きっと特注の極小サイズのはずなのに、身体の輪郭にピシッと張り付いて様になっていた。「パイロットも特務も余計でしょ、一佐」とシャーレイさんに釘を刺して、傍らに直立して控える男の人―――仰木さんが紹介に応じてこちらに小さく会釈する。シャーレイさんと同じ濃紺の制服に身を包む仰木さんも、やはり制服をきっちり着こなしていて格好がいい。でも、30代後半くらいに見えるのに、なんとなく“苦労人な付き人”という雰囲気が漂って少しだけ老けて見えてしまってもいる。シャーレイさんのお目付け役やボディガードというより、ホームズに無理やり付き合わされるワトソンみたいな。見た目は親子ほど離れているのに、接し方から見て立場は見事に逆らしい。死徒が自衛官で、パイロット? ていうか、そもそも死徒って日中は動けないんじゃなかったかしら? 眉をひそめて空を見上げれば、太陽が「その通りじゃよ」と答えるように燦々と輝いていて、私はますます混乱して頭痛すら覚える。寝不足な頭がさらにズキズキする。

 まず一生のうちに一度知り合うことがあるかないかという人たちの訪問に目を白黒させる私に、シャーレイさんは「あはは、ごめんごめん」と後ろ頭をポリポリと搔く。若い男の子のような粗雑な仕草はやはりあの人のよう。彼が羽織っていた柔らかな空気と何でもやってのけてしまいそうな全能感は真似しようとしてできるものじゃない。だというのに、目の前の少女はそれらを身に纏い、奇妙なまでによく似ている。姿形はまったく違うけど、明らかに根幹(・・)が通じている。なんだかまるで、同じ根から分かれた枝葉(・・・・・・・・・・・)のような―――

 

 

「戦争に行くんでしょう、桜ちゃん」

 

 

 突然、死角から放たれた言葉が思考を一撃し、心を叩き揺らす。まるで喉の奥にいきなり指を突っ込まれたような衝撃だった。平然とした口調で容易に本質を突かれ、総身が氷のように一瞬で凝固し、思考は泡となって飽和する。驚愕にただただ震えながら、目の前の赤い瞳を見つめ返す。かつて彼の兜の目庇に燃えていた一対と同じ、この世の者を超越して不思議な引力を放つ真紅の虹彩。

 “戦争”―――私にとって心当たりは一つしかない。数カ月後にこの地で始まる聖杯戦争。私が彼のために参加しようとしている、魔術師によるルール無用の殺し合い。でも、どうしてそのことを、自衛隊の人が知っているの?

 分からないことに焦りを覚える。夢の中で空足を踏んでいるような心許なさに襲われる。後ろに控える仰木さんは如何にもすべて察しているという様子で何も言わない。一人、混乱の極みで声にならない私の声を、シャーレイさんは旧知の仲がするように容易に汲み取り、穏やかに口を開く。

 

「ずっと見てたの。ツテを使って、冬木のことも、雁夜おじさんのことも、貴女のことも、第四次戦争の行く末も、その結果も。だからわかったわ。桜ちゃんが次の戦いに参加すること、そのためにあるサーヴァント(・・・・・・・・)を望むことも。そして、その手段が得られずに困っているだろうことも」

 

 訳知り顔で責めたり諭したりするような、そんなお座なりな口調は微塵もない。本心から私のことを気にかけて、理解してくれている接し方が、私の心の肩に上等な毛布をそっと掛けてくれる。ルビーのような美しい瞳で私の悩みの確信に迫りながら、シャーレイさんは穏やかな口調でさらに続ける。

 

「召喚するサーヴァントはもう決まっている。なのに、喚び出し方がわからない。そうでしょう?」

「……はい。その通りです」

 

 もう、「どうして知ってるの」なんてくだらないことを質す気はなかった。怖いくらい事実を見透かされているのに、恐怖は湧いてこない。その代わり、肌をヒリヒリと刺す“予感”がする。彼女が放つ全能感が、“この人は答え(・・)を持ってきた”と私に訴えている。見れば、仰木さんも彼女に全幅の信頼をおいてじっと待機したまま。上官の言動を見届ける彼の如才ない物腰も、シャーレイさんが信頼できる人格者なのだという証左に思えた。

 その彼に、シャーレイさんが促すようにちらと目配せをした。事前に打ち合わせをしていたのだろう、仰木さんは流れるような動作で懐から紙袋を取り出してシャーレイさんにさっと手渡した。それを目にした途端、ゾクッとした気配が背筋を走った。呼吸が早まり、引き絞られた視線が勝手にそれに釘づけになる。口がカラカラに乾く。世界全体が大きく波打ったような前触れ(・・・)を感じた。彼に近づくための何かが、彗星のように唐突に燦こうとしている。まさか、これは―――

 

 

触媒(・・)よ、桜ちゃん」

 

 

 期待の核心をついて、シャーレイさんはその袋をまっすぐに差し出してくる。受け取ろうと持ち上げた腕が震える。

 

「これを召喚魔法陣におけば完成よ。前回、彼が召喚された魔法陣を使いなさい。そうすれば、望むサーヴァントが現れる。あとは、貴女自身を鍛えるだけ」

 

召喚魔法陣。希望に浮き上がろうとしていた心に鎖が絡まり、再び泥の底深くに沈む。

 

「でも……魔法陣は、もう……」

 

 魔法陣は、私たち親子の将来を危惧した彼がすでに埋めてしまってもう存在しない。地下室の入り口すらわからなくなるほどの念の入りようからして、埋めるどころか、とっくに破壊されたに違いない。残骸はこの屋敷の地下深くの土の中。結実しかけていた希望が散り薄れかける。

 でも、シャーレイさんはまたもや心中を鋭く読み取ると、首を振って力強く否定する。

 

絶対に残してあるわ(・・・・・・・・・)。彼は貴女のために、一時的に隠しただけ。然るべき時まで隠し、必要な時に使えるように。私だったら必ずそうする」

 

 ただ見聞きした情報からの推測とは次元が違う、まるで本人のような、確信に満ちた物言いだった。なんで、そんなに私たちのことを理解しているのだろう。

 

「貴女は、いったい―――」

 

 

ジリリリリリン

 

 

 唐突で突飛な黒電話の音が私の言葉尻を遮った。我が家の古風の電話とは違う、電子的に再現された音色。それは仰木さんの胸ポケットから発せられていた。その音色は彼にとって吉兆ではないのだろう。一瞬で眉間を険しく寄せ、上官の話を中断させる非礼を承知で胸からケータイを取り出す。スマホじゃない、今時珍しい二つ折りのケータイだった。つや消しの黒。やけに頑丈そうに分厚くて、飾りっ気もなく、メーカーのロゴも刻まれてない。「失礼」と仰木さんは私に断りを入れ、見たこともない機種のそれを耳に当てる。距離は近いはずなのに、通話相手の声は不思議とまったく漏れ聞こえてこない。私が目を丸くして様子を見守る中、みるみる表情が緊張に引き締まっていく。

 

「……(りょう)

 

 「もしもし」の一言も相槌もなければ「さよなら」もない一方的な通話はあっという間に終わった。瞬く間に用の無くなったケータイを元のポケットにしまい、仰木さんはそれまでの少し老けた印象を鮮やかに脱ぎ捨て、“戦う者”の顔を顕にした。「一佐、お話し中、申し訳ありません。非常呼集です」。金属のような硬質な声でシャーレイさんに耳打ちする。私に聞かれるとよくないことなのかもしれない。しかし、シャーレイさんは何も言わず、振り返りもせずに背中だけで「構わないから話せ」と次を促す。そこには高圧的で突っぱねる様な雰囲気はない。何を聞いても驚かないという度量すら漂っている。二人の間にある抜群の信頼関係がそうさせるんだろう。仰木さんは上官の言葉なき指示に躊躇いなく従い、説明に口を滑らかに動かす。

 

「大陸から日本海上空を抜けて高速で飛行している人型サイズのボギーを内閣情報調査室(CIRO)の情報収集衛星が確認しました。すでに日本領空に侵入しつつあります。23分前に国家安全保障会議(NSC)より機密防衛出撃命令(ゴースト・アラート)が発令。総監より、小林一佐へ直々に迎撃命令が下されました」

 

 専門用語ばかりで内容はわからないけど、話しぶりから状況が切迫しているということは肌で感じ取れた。この人たちだけの問題ではなく、たぶん、もっと大きなことが発生している。シャーレイさんの『特務』という肩書きが関係しているのかもしれない。

 

「でも、私のスーパーF-2は一ヶ月前の復讐野郎との戦闘で壊れちゃったし、東アジアには他にもインターセプターはいるでしょ。天下の米軍はなにしてるのよ。だいたい、私は今休暇中なんだけど~?」

 

 唇を尖らせて抗弁する振りをする。その態度はむしろ天の邪鬼のように状況を楽しんでるようにも見えた。

 

「すでに在韓米軍のF-35とプレデタ―が追撃にあたり、どちらもまんまと振り切られました。韓国軍によると、F-15Kのフル・アフターバーナーでも追いつけなかったそうです。目標はマッハ3.5を超えて4に達しつつあり、まっすぐ日本を目指しています。厚木から上がった空中警戒管制機(E-767)が分析し、ボギーは死徒()と判定されました。速度からして、一ヶ月前に一佐が戦って相討ちとなった第18死徒エンハウンスと考えて間違いないでしょう。ロシアの最新鋭機スホイ57(Su-57)を2機、接敵(エンゲージ)からたった10秒で大破させた化け物です。必然的に、対抗できるのは東アジアでは一佐ただ一人だけとなります」

 

 そこまで言って、仰木さんは言いにくそうに言い淀んで付け加える。

 

「……実は、知らせると絶対に無断で引っ張り出して飛ばすだろうからと隊の全員で秘密にしていたのですが、一佐専用のF-3S『アリマゴ』は三菱をロールアウトしてすでに最終チェックに入っています。最後の調整は現在こちらに向かっている『かが』の甲板で行うとのことです」

 

 「わお」。驚きのため息を、それとは真逆の期待に満ちた笑みで漏らした。まるで時が来るまで隠されていたクリスマスプレゼントを偶然見つけた子どもみたいにキラキラした目で振り返る。そのキラキラを浴びた仰木さんが心底不安そうに一気に顔を曇らせたのが印象的だった。

 

「でもでも、かがの甲板は垂直離着陸(VTOL)用には建造されてなかったでしょ? 焼けて使い物にならなくなるわよ?」

 

 覚悟を試すような問いに、仰木さんは委細承知とばかりに頷く。

 

「それについては、偶然にも『かが』は未明に甲板上で火災が生じたため呉港で緊急ドックをする予定(・・)になりました。その穴埋めは、これまた偶然にも近海を航行していた『いずも』が速やかに引き継げるよう手配が進んでいます。……最後に、統幕より一佐に伝言です」

 

 少しだけ逡巡し、諦めて、告げる。

 

「“好きにしろ”と」

 

 それは、獣の手綱を解き放つ禁断の言葉だった。

 「へぇ」、と。子供のようにキラキラしていた目が、ガラリと変貌を遂げた。緩んでいた口端がニチッと鋭角を描き、獰猛な嗤みを形作る。赤い瞳はそれ自体が光を発するようにギラついて、白い肌に走る亀裂までもドクドクと脈動する血管の如く微動して見えた。周囲の温度すら認知できるほど冷たくしてしまうほどの殺気……これが“死徒”なんだ。敵意を向けられたわけでもないのに、人外の闘気を浴びた肉体が勝手に怖じて脈拍が早まり、肌がヒリヒリと痛くなる。仰木さんも思わずゴクリと喉を鳴らすほどだ。戦いに赴く前の戦士のような迫力は、きっと勘違いじゃない。話の内容はほとんどわからなかったけど、これだけははっきりと理解出来た。つまり、彼女はこれから、殺し合い(・・・・)に赴くのだ。

 仰木さんが「失礼します」とこちらに一礼すると、慌ててはいないけどもの凄く急いでいるといった素早い動きで身体を反転させ、門の前に停車していた車に走る。ボンネットの上を滑るように乗り越えて運転席に飛び込むのはさながらアクション映画みたいだ。

 

「ごめんね、桜ちゃん。急用が出来たの、行かなくちゃ」

 

 首だけでこちらを振り返る。無用に怖がらせないようにと見た目相応の柔らかな表情に戻して、申し訳なさそうにペロッと舌まで出して。そこには明確な年上としての大人の分別があった。決して自分のせいではないのに、その細やかな気遣いが余計に懐かしさを喚起させる。

 

「一佐、お早く! 冬木港で海保の巡視艇が着桟待機中です! 第3ミサイル艇隊の『しらたか』が出張ってきていますので、近海で乗り換えて『かが』に乗船されてください!」

 

 ゥオン、と鞭を入れられたエンジンが目覚めて、窓から顔を出した仰木さんが叫ぶ。「はいはい」とシャーレイさんが踵を返して歩み出し、途端に私は焦る。まだ肝心なことを聞けていない。

 

「ま、待って下さい! 魔法陣は、彼の魔法陣はどこにあるんですか!?」

 

 掴みかけた希望を必死に手繰り寄せるような私の叫びにシャーレイさんは髪を靡かせて再び振り返る。太陽に輝く黒髪が、まるで彼の兜を飾っていた鬣のように美しく艶めいた。

 

「何もかもを変えた彼が、唯一変えることのなかったものを探しなさい!」

 

 

 

 

 

 ―――どうして、今まで気が付かなかったのか。答えはずっと目の前にあったのに。

 

 

 

 

 

 全身が痺れる高揚感が空腹も疲労も力づくで吹き飛ばした。頭痛がするほどの覚醒感で目の後ろが燃えるように熱い。玄関も開けっぱなしに、私は無我夢中で廊下を疾走していた。家の中を走り回るなんて行儀が悪い、なんて普段の理性は微塵も働かない。ポチの「きゅっ!?」と驚く声を置き去りにして、私はさっき通ってきたばかりの廊下を手足を振り乱して逆走する。

 この家は、10年前とはまったく異なっている。私たちのために、彼がほぼ全てを作り変えてくれた。それらが、走り抜ける視程の限界に映っては後ろに流れて行く。

 

 地中海のようなコバルトブルー色のカーテン

 

 濃藍色のふかふかの絨毯

 

 明るいキャンドルスタイルの照明器具

 

 丁寧に磨きこまれた黒檀のテーブルとマホガニーの椅子

 

 

 

───そして、以前と何も変わらない、バロック様式のアンティーク燭台。

   全てを変えた彼が、唯一変えなかった物。

 

 

 

 テーブルの上に身を乗り出して、ひったくるように燭台をつかみ取る。頂点に不気味なガーゴイルを象った、西洋風の陰気な燭台。優しい彼ならきっと好まないはずで、なのに変わらずここにあり続けた悪趣味な調度品。でも、裏返して見た底部に刻まれていたのは、本体とは少しも相容れないテーマと意匠の刻印だった。

 

―――機を織る鶴。

 

 直径5センチもないスペースに印刷したように精巧に彫られた文様は、輪郭の細い鶴が機織り機に向かって懸命に旗を織る姿だった。有名な昔話の一場面を描いたのだろうそれは、洋を基調とする間桐邸には少しも馴染んでなくて、まるで目の前にある和室(・・)のようだった。

 自然と思い出す。ある晩、和室に籠もって作業を始めた彼のことを。作業の様子を覗こうとしたお義父さんがデコピンで追い払われた一幕を。あの時、彼は何を見られたくなかったのか? この和室で何をしていたのか? なぜ、わざわざ場違いな和室なんて造ったのか。必ず、何か意味があるはずだ。

 肩を上下させたまま、息を呑んで和室に通じる襖を開ける。カラカラと落ち着く音とともに視界に飛び込んできたのは、床の間に飾られた鶴の水墨画。左隅には流れるような草書体で“芭佐加(ばーさーかー)”と署名されたそれをめくり、漆喰の壁を注意深く目でなぞる。

 

「……これだ」

 

 果たして、それはあった。他の壁面と完璧な同系色に塗られ、とても巧妙に隠された、小さくて丸い窪み。一見すると、よくあるような何の変哲もない施工漏れ。でも、完璧な彼にとってはあり得ないはずの不備。子どもの頃なら見つけられないし、大人に成長しきれば見過ごすだろう、まるで今の私の目線に調整したかのような高さにポツンと存在する窪みは、直径5センチ程度の大きさだった。

 

 そう、ちょうど、この手に握る燭台の底と同じ。

 

 直観の導くまま、緊張に震える手をもう片方の手で抑え、燭台の鶴を窪みに押し付ける。途端、驚くほど正確な精度で適合した凹凸が吸い込まれるようにピタリとハマった。でも、それまで。何も起きない。うんともすんとも言わない普通の壁の感触が腕を伝って脳に届き、希望に暗闇を落としかけ、

 

「お願い、バーサーカー……!」

 

 

 

 

ガゴン!! ギ、ギ、ギ、ギ、ギ、ギ……!!

 

 

 

 

 

 壁の窪みがさらに奥へ引っ込む衝撃と、次いで間桐邸全体を軋ませる振動が再び心の雲を打ち払った。振動の発生源である背後を振り返ると、敷き詰められた畳の中央が重苦しい音を響かせながら沈み込み、地下へ通じる石階段がゆっくりと姿を現した。見たことのある古めかしい階段は、タールを流し込んだような暗闇へとドボンと呑み込まれていて、身体が勝手に竦み上がる。漂う闇の陰影に、死んだはずの間桐臓硯の邪悪な気配を見た気がした。忘れることなどできない10年前の地獄。魂にまで刻まれた苦痛と汚辱の日々。一生、私を蝕み続ける最悪の記憶が、この先にヘドロのように沈澱している。

 でも―――だからどうした(・・・・・・・)というのだろう。

 

「ポチ、先を照らして」

「キュウッ」

 

 頭頂のスピネルを発光させたポチが私の肩にぴょんと跳ね乗る。この暗闇を用意してくれたのは、彼。美味しい料理のように、新しい家のように、素晴らしい人生のように、そしてこの恋心のように、常に最高のモノを与えてくれた彼が、この時のために用意したもの。なら、恐れる必要なんてない。それに、今の私にとって黒色は彼の鎧の色。彼を象徴する色なのだから。

 

「甘いわね、お爺様」

 

 ふっと不敵に笑みを浮かべ、私は一歩、力強い足取りで石階段に踏み出す。暗闇に潜む臓硯の顔を足蹴にして、歩みを止めずにスピネルの光で暗闇を切り裂いて突き進む。過去の亡霊がどんなに触手を伸ばそうと、私は意に介さない。だって、恋する女の子は盲目なのだから。貴方なんて、眼中に無いわ。

 

 ずっと分厚い石床に密閉されていたからか、地下は思いの外綺麗に保たれていた。センサー式の照明は10年の時を経ても完全に機能していて、私の入室を感知してたんぽぽ色の優しい光を部屋の隅々まで満遍なく降り注がせる。不思議なことに、部屋にはクモの巣一つ見当たらない。スンスンと鼻を効かせてみると、ツンとしたミントの残り香が壁や調度品に染み付いているのがわかった。きっと虫除けのためにハーブで念入りに燻蒸したんだろう。部屋の四隅に置かれた大きめの麻袋には『業務用シリカゲル』と表記されていて、私が立ち入るまで湿気とカビを防いでいてくれたことがわかる。

 記憶にこびり付いている地下室の光景は、ただ粗雑にくり抜かれて岩と土が剥き出しになっていて、いつもじめじめと不快な湿気に淀んでいた。だけど、目の前に広がる地下室はまるで違う。デコボコだった壁も床も精緻に整えられ、上品な墨色のセラミックタイルが敷き詰められている。

 私を助け出してくれたあの日に崩壊したはずの地下空間は、修復され、整理され、今日この日のために大切に保たれていた。この、魔法陣と共に(・・・・・・)

 

「これが、彼が召喚された魔法陣……」

 

 10年も経つのに、お義父さんの血はまるで昨日塗りつけられたようにそのまま残っていた。冷たい石の床に燃える血液で刻まれた陣をそっと指先でなぞって、その理由が分かった。乾ききった血の上に透明な顔料が塗られて、劣化を完璧に防いでいた。

 ここで彼が召喚されて、全てが変わった。運命も、歴史も、人生も。悲しく終わりかけていた人たちの全てがここで息を吹き返した。私の10年の恋に火が付いた。彼に恋をしてよかった。彼しか見てこなくてよかった。やっぱり、彼は私を理解してくれていた。いずれ私がこれを必要とすることをわかってくれていたのだ。万感の思いが込み上げてきて胸がいっぱいになり、目の前がじわりと涙で滲みそうになる。でも、今はまだその時じゃない。泣くのは、彼と再会を果たしてからだ。

 

「魔法陣は、見つけたわ。そして触媒も……」

 

 この手の中に、ある。興奮で真っ赤に火照る頬を自覚しながら、あらためて紙袋を目の前に掲げて観察してみる。まるでA4ほどの冊子のような手触り……というかまさにA4の冊子そのものにしか思えない手触りに我知らず首を傾げる。光に透かして見ると、表紙はかなり色彩豊かだ。まるでコンビニに置いてある雑誌のようなカラフルさ……というかそのものにしか見えない現代的な色遣いに、さらに首が疑念に曲がる。いいえ、違うわ、桜。これはきっと、遥か昔、伝説の時代に綴られた魔道書。或いは、名も知れぬ黒き鎧の英雄について、その生涯を語った古代の書物に違いないわ。そう、ここには、私が喉から手が出るほど求めた、彼に辿り着くための鍵がある。

 

 そこはかとない不安に揺らぎかけた心を情熱の力でムリヤリ建て直し、紙袋の封印───如何にも安っぽいテープ───を千切り、中身をゆっくりと慎重に取り出す。1センチ、2センチと書物が顔を出し、そのゴシック体の印字が目に飛び込んできて──────

 

 

 

「……………ユーキャン?」




TSバーチャルユーチューバー羽乃ユウナにフォローしてもらえた。


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お茶濁し会のオマケ設定(読まなくても問題ないです)

 小林シャーレイの乗機とした架空のF-3S『アリマゴ』について、設定まで考えてたので、それも投稿したいなと。戦闘シーンを本編に入れたかったのですが、話が進むうちに入れなくてもいいことに気が付きまして、消えてしまいました。でも、設定はわりとちゃんと調べて作ったのでこのままメモ帳に埋もれてしまうのは悔しかったので、ここに公開します。
 僕が最初に文章を書き始めた時、書いていたのは小説ではなく、自分で想像した設定資料でした。友だちが書いた小説に、勝手に妄想した設定を送りつけてました。今から考えればその友だちにとってはきっと面倒くさいことこの上ないことをしていたんでしょう。周りを見ることが苦手な中学生のやりそうなことです。とはいえ、今ではその友だちは小説から離れて、自分がこうして趣味でちまちま小説を書いているんですから、不思議なもんです。こうして小説を書くきっかけをくれた彼に感謝。


バーサーカーシャーレイ(小林シャーレイ一等空佐)

 本編バーサーカーからシャーレイに憑依する形で分化した新しい欝ブレイカーがいろいろあって自衛隊内で昇進を重ね、一等空佐(大佐)にまで到達した姿。外見は死徒と化した10代半ばで成長が止まったため変わっていないが、中身はバージョンアップしている。本編バーサーカーが資格趣味の果てにオールマイティを極めるところを、こちらのバーサーカーシャーレイは航空機の操縦を極めることを選び、順調に実現に漕ぎ着けた。元上官で、今は副官となった仰木二等空佐とともに大空の戦場で活躍し、主に人外魔性を相手に戦いを繰り広げ、“光の巨人”にも匹敵する手柄を立て続けた。その実績を上層部に認められ、自衛隊史上唯一となる超高性能の個人専用機(後述)を与えられるまでになった。

 

 

 

<F-3S 機体コード『アリマゴ』>

 

全長:19.8メートル

翼幅:18.3メートル

運用時重量: 32,015kg

最大速度:マッハ2.5~4.0

所属基地:築城基地

 

 本機は日本国航空自衛隊が秘密裏に保有する戦闘機である。現在、F-15J『ストライクイーグル』と共に主力戦闘機として実戦配備されているF-2支援戦闘機の後継機にあたるが、その設計思想には大きな差異がある。それは、本機が超音速下での空対空有視界戦闘に特化した、世界でただ一機の『死徒迎撃用戦闘機(・・・・・・・・)』であることだ。

 

 開発の発端となったのは、10年前、とある空自パイロット(・・・・・・・・・・)より当時の航空幕僚長に直接提出された論文である。アジア系の少女の姿をしたそのパイロットは、深夜に同幕僚長の私邸に不法侵入し、その書斎にて驚愕する幕僚長に論文を手渡すと同時に熱弁を振るった。曰く、「科学で死徒に対抗するためには通常の兵器では不足している」を端緒としたその論文は、「味方の死徒を最先端科学力で武装させれば、たとえそれが若輩の死徒であっても二十七祖すら打倒し得る」という強気の内容であり、かいつまんでしまえば「四の五の言わず私にめっちゃ強い機体をよこしやがれ」という無茶苦茶な要望であった。しかし、この案はその後トントン拍子に承認ステップを駈け上がり、ついに予算が確定。以後、この論文に沿う形で秘密裏に機体の開発・製造が急ピッチで開始されることとなった。この異様な決定スピードの背景には、冬木市での非科学的な爆発現象(『聖杯爆発』)などが確認されたこと、聖堂教会も魔術協会もこれを制御できなかったこと、この世の裏側の論理に従う組織や魔性生物による被害が黙認できるレベルを超えつつあったことなどが挙げられる。それは、陽の光が当たる世界が、長い間保ってきた闇の世界との暗黙の了解を反故にし、反旗を翻す瞬間でもあった。

 

 彼女のために新型機の開発が進む中、まず既存のF-15MJ『近代化ストライクイーグル』の特別改修機が用意された。この機体によって、領空から侵入を試みる人外魔性を数多く駆逐することに成功し、新型機計画の実現性に拍車をかける結果を残した。基本設計から半世紀が過ぎた第4世代戦闘機では彼女の求める性能には遥かに及ばず、当初から限界が予想されていたものの、当該機は後期生産型だったために大きな拡張性と発展性を有しており、予想を超えた活躍を繰り広げた。ネバダ州ネリス試験訓練場にて行われたアメリカ空軍との異機種間空戦訓練(DACT)に参戦した際、たった一機で米空軍のエースをことごとく撃墜。痺れを切らした基地司令が当時極秘扱いだった最新鋭機F-22『ラプター』3機を投入するも五角以上の戦いを見せ、4分間の鍔迫り合いの後に勝利を収めた。この特別改修型イーグルは彼女の愛機として2年と半年間の激戦を駆け抜けたが、強力な大型飛翔生物との戦闘により中破規模の損傷を受け、辛うじて硫黄島航空基地に帰投するもパイロット共々滑走路上にて爆発炎上。無傷のまま炎から歩み出てきた彼女の敬礼に見送られながら鉄屑と化した。だが、機体の魂であるブラックボックスは彼女によって爆発直前に回収されており、これが新型機の開発に大きく貢献することとなった。

 

 次に、第4.5世代戦闘機であるF-2支援戦闘機を、三菱重工業及びロッキード・マーティン社の協力によって格闘性能面を改修した『スーパーF-2』が間に合わせとして用意され、2年間の任務についた。小型軽量かつ高機動を誇る当該機は飛翔型怪生物に対して勇戦を魅せるも、ハワイから日本領空に侵入した第二十七祖の一角、第十八位『復讐鬼』エンハウンスとの戦闘によって太平洋上で大破・撃墜された。エンハウンスは最高速度マッハ4に達する恐るべき加速力を有しており、最高速度マッハ2のF-2では不利な戦闘を強いられた。対空ミサイルの猛追をやすやすと振り切り、機銃弾を跳ね返す第二十七祖との戦闘はさすがの彼女も大いに苦戦したが、大破直前、わざと残していた中距離対空ミサイル2基と400ガロンの燃料を抱えたままエンハウンスに体当たりを敢行。辛くも敵に後退必至の傷を負わせて脱出し、ブラックボックスを担いだまま太平洋の荒波を踏破・帰還した。しかし、健在だったエンハウンスは再戦の意思を燃やしながら回復を遂げ、今度は中国大陸から日本領空に侵入。彼女とのリベンジ・マッチを果たすために憤怒のマッハ4.5で突入してきた。これを迎撃するため、三菱重工業の愛知県小牧南工場にて最終調整中だった、完成したばかりの新型機『アリマゴ』が急遽投入されることとなったのである。

 

 

 本機は、自衛隊のみならず世界にも例のない『死徒迎撃用戦闘機』として開発がスタートした。次期主力戦闘機問題に揺れる複雑な情勢下、F-2の後継実証機という被膜を被って着床を果たした本機は、切迫する魔の世界との戦闘を目前に急ピッチで開発が進められた。防衛企業の技術実証機の側面もあるため、三菱重工業が基本設計と各社との調整を担当し、特徴としてそのほとんどの部品を国内企業から調達している点が挙げられる。

 

 F-15Jなどのエンジンをライセンス生産し、技術を高めてきたIHI社は新型大出力ターボ・ファン・ジェットエンジンを担当。本機はこれを2基搭載し、双発型とした。これにより、F-22『ラプター』やユーロファイター『タイフーン』のような各国の最新鋭機同様に、再燃焼型推力増強装置(オーグメンター)(アフターバーナー)を使用せずとも超音速で飛行できる超音速巡航(スーパークルーズ)性能を獲得している。さらに、この巡航時に再燃焼型推力増強装置(オーグメンター)を使用することでその推力は1.5倍にまで増強され、ジェットエンジンのデメリットである再加速時のタイムロスを補って余りある、ミサイルに匹敵する速度を叩き出すことに成功している。また、排気口(ノズル)には3次元推力偏向(ベクタード・スラスト)ノズルを採用。推力の噴射方向を直感的にコントロールすることで、補助翼や方向舵などの動翼に頼らない、より複雑な動きが可能となっている。これを、F-2の製造によって技術を蓄積したナブテスコ製デジタル・フライ・バイ・ワイヤシステムによる制御と組み合わせることで、現行の第5世代戦闘機(米国のF-22『ラプター』、F-35『ライトニング』が該当する)を大きく上回るフレキシブルな空中格闘戦(ドッグ・ファイト)性能を獲得した。ミサイルと同等の速度で空中を自在に移動する死徒との戦闘において、この能力は非常に重要となる。

 開発段階では、急を要するスクランブル出撃に対応するためにF-35『ライトニング』のような垂直離着陸装置(VTOL)が装備される予定であったが、国内企業の技術力では実現に至ることは現時点で不可能と判断されたため、着脱式の離陸支援噴射装置が本機のために開発された。これを機体胴体部に装備し、離陸と同時にパージする方式を採用している。

 常人であれば、本機が叩き出す速度にも機動にも肉体が耐えきれずに瞬時に圧死することは確実だが、少女の姿をパイロットは常人でもましてや人間でもないこと。背骨がへし折れて内蔵がねじり切られるような殺人級の加速度()も彼女にとってはそよ風のような負担でしかないことから、パイロットへのG負担軽減策は度外視されており、フライトスーツも従来のものを使用している。

 

 機首レドーム内には、三菱電機が次期主力戦闘機用に開発した新型のアクティブ・フェーズド・アレイ式火器管制レーダー『J/APG-2』を先行採用している。これにより、人型サイズの小型目標に対しても高精度な探知が可能となった。その逆に、本機はその全面の塗装が宇部興産製の特殊塗料によってつや消しの黒一色に統一されており、滑らかなステルス形状と相まってレーダー反射率は限りなく低くされている。これには、死徒はそのほとんどが夜間に活動するため、必然的に本機も暗闇での任務が基本となるからであり、少しでも敵からの視認性を低めることが目的である。尚、この特殊塗料には、京都東寺にて現在も安置されている空海和尚の蓬髪が溶かし込まれている。これは康保5年(968年)に東寺の長者(管理者の意)であった観賢により空海の即身仏から散髪されたものの一部である。この塗料の効果により、死徒などの魔性生物には本機が視認しにくくなるジャミング効果が発揮され、また非科学的な腐食攻撃などから装甲やコンピューターを保護する役割を担う。

 

 翼は同世代機に比べても一回り拡大化しているが、日本のお家芸である炭素繊維複合材料と高価な合金をふんだんに使用しており、可能な限りの軽量化が図られている。この巨大な翼の特色として、両翼の鋭角部分に関門海峡の海底部点検中に発見された古代の宝剣(・・・・・)を圧延加工した金属板が貼り付けられている。発見された当時もまったく腐食が見られていなかったこの宝剣は、寿永4年(1185年)に壇ノ浦にて失われたものと推測されたが、宮内庁がその結論を認めることを拒否したため預かりどころが宙に浮いていたところを、防衛省が秘密裏に傘下に置く企業が展示の名目で内密に買い取り、川口金属工業によって熱間圧延異形形鋼加工が施され、本機の両翼先端部に極めて鋭利なブレードとして装備される運びとなった。『クサナギ・ブレード』と名付けられたこの刀身のようなブレードは魔性生物に対して強力な毒性を有し、並の怪生物であれば近付けただけで悶死するほどである。これにより、本機は機銃やミサイルといった通常兵装のみならず、翼のブレードによる近接戦闘までも行えるようになった。

 

 ミサイルなどの兵装についても申し分はないが、対抗する敵が敵であるため、偏りがある。直系の親となるF-2が対地・対艦戦闘も担える汎用機(マルチロールファイター)であるのに対し、本機は空対空戦闘に極特化しており、搭載を想定されたミサイルはすべて空対空ミサイルである。超音速・自立誘導式の三菱電機製『AAM-4B空対空ミサイル』、及び欧州日本共同開発の統合新型空対空ミサイル『メテオールJNAAM』を合計14発、胴体内と翼下ハードポイントにマウントする。機銃はオーソドックスなゼネラル・エレクトリック社製20mmガトリング砲をライセンス生産した『JM61AIバルカン』だが、弾頭部は一般的なタングステン鋼ではなく、魔性生物に対する殺傷効果が確認されている純銀で被覆されている。

 

 以上のように、本機はエースオブエースのみに許された高価格・高スペックを誇り、対魔性生物戦闘において事実上、世界最強の機体である。普段は、福岡県の築城基地に配備されており、夜間にのみ緊急出撃(スクランブル)している。築城基地が選ばれた理由は、日本海・太平洋の両面をカバーできること、直系であるF-2が数多く配備され、整備実績が豊富であること、基地及び滑走路が海側に突き出した形状のため民間人のひと目をしのげることが挙げられる。




やっぱり設定を考えるのは面白いね。小説を書くのと同じくらい好きです。もし同じ趣味の人がいたら、僕にも送りつけてくださいませませ。僕は喜びます!!


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2−14 呑み会は気の合う友だち同士が一番楽しい

「友よ。わたしはあなたと共にあらゆる困難な道を歩んだ。
わたしを死後も思い起こし、忘れないでくれ。
わたしがあなたと共に歩み続けたことを。」

彼が夢を見たまさにその日、彼の力は終わりを告げた。
エンキドは横たわる。一日、二日とエンキドは彼の寝台に横たわる。
三日、四日と、彼は寝台に横たわる。
五、六、七日と、八、九、一〇日と、寝台に横たわる。
ギルガメシュは、花嫁のように友の顔を覆い、鷲のように友の周りを旋回し、
その仔を奪われた牝ライオンのように、前に後ろに慌てふためく。
悪鬼のように髪を掻きむしり、祭服を引き裂き投げ捨てる。
ギルガメシュの嘆きの声は止むことがない。
(中略)

「お前のため、ウルクの人々を泣かせ、お前のため涙を流させよう。
誇り高い人々をお前のため悲しみで満たそう。
わたしはお前の死後、動物の毛皮をまとって荒野をさまようだろう。」

ギルガメシュは、彼の友エンキドのために泣き、荒野をさまよった。

(月本昭男訳 メソポタミア神話 ギルガメシュ叙事詩 『エンキドの死』より抜粋)


『なぜ泣くのだ、エルキドゥよ。今際(いまわ)の際になって、この(オレ)盟友(とも)としたことを後悔しているのか』

『違う、違うのだ、我が盟友よ。この僕の亡き後に、誰が君を理解するのだ?誰が君と共に歩むのだ?ギルガメッシュ、これより始まる君の孤独を偲べば、僕は泣かずにはいられないのだ』

『……エルキドゥ……』

『さらばだ、盟友よ、兄弟よ。人類の守護者、誇り高き半神半人の絶対者よ。本当は誰よりも優しく不器用な英雄よ。出来うるなら、僕を失ったあとの君に、新たな友を得る勇気が、湧かんこと、を……』

『待て、行くな。エルキドゥ、行くな!お前の他に友などいらぬ!我の頼みが聞けぬのか!頼む、行くな、我を独りにするな、頼む───……』

 

 世界の頂点に立つ至高の存在にして、神と人間の(あい)の子、ギルガメッシュ。世界最古の王であり、神の血を引く絶対者にも、人には言えない悩みがあった。誇り(プライド)の塊のようなこの男だからこその悩み。矜持の源、自負心の根源、高貴にして絶対たる己の出自故の、悩み。

 それは、“孤独”だった。世界でただ一人、自分と肩を並べることの出来た友を失った孤独。もはや永遠に、真の理解者を得られることはなくなったという、孤独。神とも寄り添えず、人間とも馴れ合うことの出来ない、半神半人故の孤独。彼は、孤高の王にして、天涯孤独の男だった。

 

 

 

‡綺礼サイド‡

 

 

 

「綺礼よ。貴様、友はいるのか? いや、そんな問いかけも無粋だろう。お前などにはおるまいて。ふはん。見るからに根暗そうではないか。(オレ)にはいたがな。我には。一人だけど。ふはん。でもいたことには違いないし。ほら、我って少数精鋭派だし?一人だったけど」

 

 綺礼の返答も聞かず、嘲りに鼻を鳴らしながら聞いてもいないことを早口ムーヴでまくしたてる。長口上を一息で吐き出し終えると、ギルガメッシュは自前の黄金の盃になみなみと注がれた綺礼の高価な酒をぐっと煽り、一気に酒盃を乾してしまった。質素なあずき色の座布団にどっかと胡座をかいて酒をかっ食らう様子に、綺礼の脳裏に“やけ酒”という比喩が浮かんだが、敢えて口には出さなかった。黙したまま、斜交いに座る男の盃にふたたび秘蔵の酒『神殺し(代行者としての給料の6ヵ月分に相当する価値のある日本酒。ボーナスなら1回分)』を注いでやる。

 

「……そう、かつて(・・・)は、いた(・・)のだ」

 

 とくとくと小気味よい音を立てる酒瓶を、真紅の瞳が物憂げに見つめる。高雅な覇気に満ちてギラついていた真紅の虹彩が、今は落日の夕日のように寂しげに淀んでいた。波打つ黄金細工のようであった金髪は金褐色に色落ちし、あれほどそびやかしていた肩も項垂れ、見るからに自信を喪失している。わずかな瑕瑾(かきん)もない美顔には拭い難い陰翳が忍び込んでいて、綺礼はその理由に心当たりがあった。

 

 

『なあ、アーチャー。貴様、友だち少ないだろう』

 

 

 ライダー、セイバーと酒を酌み交わした際、“空気を読む?なにそれ美味しいの?”と言わんばかりのアホ毛貧乳セイバーによって放たれた無遠慮かつ無神経なセリフが彼の胸をざっくりと貫いたのだ。これはギルガメッシュにとって図星も図星だったのだろう。あるいは、もっと切実なトラウマを貫いてしまったのか。

 

「……そも、盟友(とも)とは、なんなのだろうな」

 

 この不遜な男には似合わない、砂粒のようなか細い声に驚く。それは綺礼への問いかけなのか。それとも、己への自問なのか。きっと両者だろう。綺礼はこの男についての伝説を暗唱できるほどに頭に叩き込んでいた。彼のただならぬ鬱屈を理解するために、その記憶を引き出し、脳内で諳んじてみる。

 世界最古にして全ての偉大な文明の祖、シュメール王朝。その始まりであるウルク第1王朝を支配した大王。彼こそ、人類最古の英雄譚の一つとされる『ギルガメシュ叙事詩』の主人公、ギルガメッシュ大王その人である。その神性は圧倒的で、あらゆる生命のなかでもっとも神に近い。なぜなら、その完璧な肉体のなかには神と人間が両在しているからだ。その血の3分の2を太陽神と知恵の神から授けられ、人間の(はら)から生まれた、半神半人の賢王。彼は、神々からの恩恵によって最強にして最高の肉体を与えられ、この世に生を受けた時から永遠の王となることを約束されていた。誰よりも、何よりも強く気高い勇者だった。民草の羨望と畏怖、尊敬と畏敬を一身に背負い束ねる、古代世界の栄光と繁栄の象徴。彼の治世は125年もの間、燧石(すいせき)の如き揺るぎなさを断固として維持し、あとに続く無数の文明の基礎を築いた。間違いなく、彼は比肩しうる者のいない英雄のなかの英雄だ。彼は不撓不屈の勇気でもって、悪意を持って立ち塞がる者たちをなぎ倒し、民草を護り続けた。

 だが、彼の伝説には一つだけ、大きな悲劇の傷が刻まれている。かけがえのないものを失うことの恐怖を植え付け、英雄王の生き様を大きく変質させてしまった傷が、今もこの男を苦しめている。

 

「……ライダーめの宝具を見て、我は考えてしまった。いや、羨んで(・・・)しまったのだ」

「解せないな。お前ほどの無限にして最高の財を有する者が、ライダーのいったい何を羨んだのだ?何を欲するようにさせたのだ?」

 

 “何を”ではなく、“誰を”と問うべきだったのだろう。新たに注がれた酒に口をつけず、盃の水面(みなも)に映る己の顔をじっと見下ろす。その瞳が潤んでいるように見えるのは錯覚だろうか。そこに内省的な暗い色さえ差し始めたのを見て、綺礼はギョッとした。確実にわかるのは、その瞳に映っているのは自分ではなく、すでに失ってしまった誰か(・・)の顔ということだ。

 

「───呼べばどこにだって駆けつけてくれる、友をだ」

 

 まるで寄る辺をなくした子供のような寂しげな表情と口調で、ギルガメッシュはそう呟いた。その横顔に深い悲しみの気配が広がっていくのを見て、綺礼の心にまで鋭い痛みが走る。世界に名声赫々たる大英雄がこんな表情を見せるなど、信じかねた。

 ギルガメシュ叙事詩に少しでも知識のある者なら、彼の友と呼べた登場人物はただ一人だと断言できる。ギルガメッシュの唯一にして無二の盟友、エルキドゥ。強大なギルガメッシュに対する抑止力として神々が泥から創造した、いわば()造人間だ。当初、ギルガメッシュは刺客として現れたエルキドゥを敵と認識し、死闘を演じた。烈火のごとき戦いの果てに両者は互いの実力を認め、肝胆相照らす仲となり、厚い友誼を結ぶ。その後、彼らはともに冒険に挑み、背中を合わせて共闘し、数多の強敵を協力して打ち破り、ウルクの民のために力を尽くした。共に生き、共に語らい、共に戦う二人は、正真正銘の親友だった。

 だが、永遠とも思われた熱い友情は、あまりに呆気ない終わりを遂げる。ギルガメッシュに挑戦してきた神の一柱を返り討ちにしたことを、神々は、自分たちに仇なす大罪であると断じた。そして、「二人のうち、どちらかは苦しみの果てに死ぬ」と一方的に告げた。その理不尽な死の病の呪いを受けたのは───エルキドゥだった。

 

『神どもめ、この卑怯者どもめ。この哀れな泥の男に何の罪咎(つみとが)があろうか。貴様らが創っておきながら、都合が悪くなれば簡単に溶かすというのか。この我の目の前で、殺すというのか。神に仇なしたのはこの我である。尊大にして愚かなる神々よ、呪うなら我にせよ。呪うのなら、我にせよ───』

 

 天に吠えたギルガメッシュは最悪の結末を回避しようとあらんかぎりの手を尽くし、必死に看病したが、エルキドゥは日に日に衰弱していった。そして12日後、やせ細り、見るも無残な姿となった友は、ギルガメッシュの腕の中でひっそりと息絶え、泥に還った。その死は、その損失は、その欠落は、ギルガメッシュにはあまりに耐え難いものであった。神話では、その後の彼は極度に“死”を恐れるようになり、遥か彼方まで不死を求める長い旅路へと足を向けたとされる。それが、彼自身の寿命を延ばすためなのか、神々に殺された親友を取り戻すためだったのかは、もはや遠い過去の歴史に掠れてしまった。目の前の男の感情のひだに触れた綺礼には、どちらが真実か察しが付く気がした。

 

「見ただろう、ライダーの宝具『王の軍勢(アイオニオン・ヘタイロイ)』を。“時間も空間も越えて王の召喚に応じる永遠の朋友たち”。無謀な遠征に連れ回され、無念の死を遂げた連中が、それでも王を慕い、死後の霊魂と成り果ててもなお付き従う。何千、何万もの兵士が、誰一人として王を恨むことなく、笑って参集に応じる。しかも、ライダーは刃を向けてきたアサシンすらも友に迎えんとした。そうして奴は、さらに仲間を、戦友(とも)を増やしていく。呼べばどこにだって駆けつけて、共に剣を並べてくれる友を」

 

 いつの間に、どこから取り出したのか、その手には黄金の鎖が握られていた。荘厳に輝くそれは最高クラスの対神宝具とひと目で看破できるほどの神々しさを放っている。

 

「……では、我の友は、どこにいるのだ?」

 

 それを指先で愛おしげに撫でるギルガメッシュに誇らしげな様子は微塵もない。まるで人混みのなかで両親の姿を見失った子どものような横顔だ。大事な人の形見の品を弄ぶように、光沢放つ神代の金属を優しげに、そして虚しそうに撫でる。千を超す貯蔵数を誇る一級宝具のなかで、それはきっと彼にとって特別極まるものなのだろう。そしておそらくは、その鎖の輝きの向こうに、死の間際の友を幻視しているに違いない。

 

「我の友は、エルキドゥは、いくら呼んだところで我の前に現れてはくれぬ。この世の全ての宝物を収める我が蔵にも、ただ一つ、友という宝はない。そして二度と、手には入らない。もう、どこにもいない。その事実を見せつけられた気がした」

 

 そう慨嘆するギルガメッシュの脳裏に、息絶える寸前のエルキドゥの姿が蘇った。死にゆく己ではなく、自分を失うことで一人ぼっちになってしまう友の行く末を案じていた友の最期が。

 彼は孤独なのだ。「寂しい」という思いを口にすることも、それどころか思考の一片に浮かべることも出来ないほどに孤独だったのだ。神の血を引くことを矜持としていたのに、その神は、彼が唯一心を許した友を無残に殺してしまった。彼は神々を憎んだ。怒りに震え、唇から血が滲む。その滲み出た血すらも憎かった。そこには憎き神の因子が含まれていたからだ。神を受け継ぐ己の血統すらも憎み、己の神性すらも拒んだ。今さら到底、神々に迎合することなど出来なかった。しかし、振り返ればそこには無数の人間たちが、彼を崇め奉らんと跪いて、残酷なまでの期待の眼差しを突き刺していた。彼らにとってもまた、ギルガメッシュは神の如き絶対者なのだ。大王陛下、大王陛下。彼を敬う衆愚の声が国中に唱和する。絶対者は、人間のように迷うことも、間違えることも許されない。

 そしてようやく、彼は気付いてしまった。己が、神でもなければ人でもない、どちらに帰属することも許されない、天涯孤独の身となってしまったことを。もはや、彼に物申(ものもう)してくれる者はいない。慰撫の言葉をくれる者はいない。背中を預けられる者はいない。エルキドゥのような友を得ることなど、金輪際ないのだということに、気が付いてしまったのだ。その時の絶望は如何ほどのものだったのだろう。

 

「セイバーもそうだ。バーサーカーという同じ騎士と共鳴し、ともに(くつわ)を並べて戦うようになった。奴はこの現世でも友を得たのだ。どいつもこいつも、この我を置いて、宝を増やしていく。この我が持ち得ない宝を簡単そうに得てみせて、満足そうな顔をしてさっさと前に進みおる。我は───我は、それを羨ましい(・・・・)と思ってしまった」

 

 その言葉は、悲痛な叫びに裏打ちされているように感じた。綺礼は、この男の苦悩を理解できると思った。心に根を張る不安をわかってやれる気がした。綺礼もまた、この世で唯一であろう己の理解者を───妻を死別で失ったばかりだったからだ。

 クラウディア。己の歪みを受け入れられなかった綺礼を献身的に癒そうとしてくれた、おそらくは綺礼もまた愛を向けていたであろう女。彼女と同じくらいに綺礼が愛を注げる女など、二度と見つかるまい。思い出そうとするたび、胸苦しい思いに苛まれ、輪郭がボヤケてしまう。だが、今は少しずつ思い出せるようになってきた。豊かに波打つ白髪をした儚げな女の姿を、ぼんやりとだが思い出せるようになってきた。もしかしたら、綺礼がこれから先も進み続けるにつれて、もっと大事な忘れ物(・・・・・・・・・)のことも思い出せるかもしれない。これもきっと、綺礼が己の魂の形(・・・)を、向かうべき道を見定められたからに違いない。むしろ、思い出し、直視するべきなのだ。自分のなかに存在する壁も乗り越えられない者が、間桐雁夜を乗り越えられるはずがない。

 

「ずいぶん、らしくないことを言うんだな、ギルガメッシュ。酒が回ったか?」

「ふん、五月蝿いぞ、綺礼の分際で。“ニホンシュ”だったか?『神殺し』とは大層な名前をつけたものではないか。このような下々の安酒が、この我の至尊の味覚に合うなどとはしゃらくさいことを言う。ましてや酔わせることなど出来るものか。───ヒィイック!おっふ」

 

 明らかな酔っ払いのしゃっくり。色白のせいだろう。鼻頭はサンタクロースのようにほんのり赤くなっている。芬々(ふんぷん)とした酒の臭気とともに気まずい沈黙が二人の間を過ぎた。やはり、綺礼はそれらに気が付かないふりをして、ギルガメッシュも気が付かれていないふりをした。英雄王との間に不思議な以心伝心が構築されてきた気配を感じていると、「ん!」と黄金の盃が目の前に突き出された。どうやら「注げ」ということらしい。

 

「この世のすべての財を手にした王の口に合ったようでなによりだ。大枚をはたいた甲斐がある」

「気に染まぬわけではない、というに過ぎん。ライダーめの持ってきた安酒より少しはマシという程度だ。うぬぼれるな。フン。『神殺し』なんぞと大仰な名前をつけおって生意気な。誰が殺されてやるものか。フン」

 

 意気消沈しても倨傲を失わぬ態度に苦笑しつつ、秘蔵の酒を注ぎ足してやる。そして、瓶の底に残っていた僅かな酒を自分の酒盃に注ぐ。最後の一滴が綺礼の盃にピチョンと落ちる。視線を感じて上目遣いでギルガメッシュを盗み見ると、「もうなくなっちゃったの……?」と言わんばかりに悲しげな顔をしていた。こちらが顔を上げる素振りを見せると、シャンと表情を引き締めてそっぽを向いて誤魔化した。

 

「……綺礼よ。そういう貴様は、存外、我の思っていた向きとは違う方向へ目覚めたようだな。新たに見つけたその魂の在り方はなんとも暑苦しそうではないか。なんぞ、貴様のくだらん神から天啓でも受けたか?」

 

 言われた綺礼は自分の胸の内側に目を向け、小さな笑みを漏らした。苦悩する他者を見て、これほど穏やかに心を寄り添おうとする己の有り様を見るのは、産まれて初めてだった。他者の苦痛や嘆きを嗜好の糧にしようとしていた邪悪な芽はすでに焼き払われていた。かつて空洞だった胸中に在るのは、“強敵に勝ちたい”という熱意の炎だ。新しい自分を知る喜び、未知の強敵に胸をときめかせる男の本能。これが今の綺礼にとっての“愉悦”だった。立ちはだかる巨大な壁を乗り越えたいという益荒男(ますらお)の情動が魂を燃やし、今の自分を突き動かす原動力となっている。だからこそ、こうして他者と爽やかに酒を酌み交わすことが出来ているのだ。

 

「いいや、御神の恩寵ではないさ。私の変化は、神のご意思とはなんら関係ない。自分の意志で決めたことだ。いや、今の私は、私自身にとっての神なのだ。私は、私の魂の形を知った。そして、これからは自分自身の意思で歩むと決めただけのことだ」

 

 そう言って、『愉悦とは言うなれば魂の(かたち)だ』と諭してくれた英雄王に微笑んだ。神職者の神に対する発言としてはすこぶる不遜な台詞だったが、自分でも驚くほどに罪悪感は感じず、とても歯切れのよい口調だった。晴れ渡る青空のような綺礼の表情は、以前とは正反対に清々しく、むしろ人を惹き込むような魅力を備え始めていた。それは今のギルガメッシュには眩しかったのかもしれない。直視を避けてついと顔を背け、盃に唇をつけてちびちびとセーブしながら酒を呑む。

 

「つい昨日まであれほど己の在り様も識れぬと迷っていたのに、生意気なことを言う。なによりつまらん。……だが、ろくでもない神ではなく(おの)が意思で選択したというのなら、それもまた是だ。白痴な神どもの言うことなんぞ、ろくなものではない。己の運命は己で決める。ゆめ、そのあり方を忘れんことだ」

「ご忠告痛み入るよ、英雄王どの」

 

 奇妙なことに、綺礼は、目の前の半神半人の英霊と自分自身に近しいものがあるように感じた。お互い、心を許した相手は世界でただ一人だけ。そして、二人ともその相手を失っている。誰からも理解されることのなくなった、孤独な男たち。ギルガメッシュも本能で二人の共通点を理解しているのだろう。綺礼が敢えて来意を問わなかった理由もそれだった。だからこそ、ギルガメッシュはわざわざ綺礼の部屋に来て、こうして同じ目線に座っても邪険に扱うことなく盃を交わしているに違いなかった。

 綺礼は自分の盃に口を当て、長々と、しかし一気に体内に流し込んだ。胃の腑がカッカと熱くなり、高価な酒をがぶ飲みするという神に仕える身としては到底褒められない行為の背徳感も相まって、得も言われぬ昂揚感が腰のあたりから沸き立ってくる。今ならなんでも出来そうな万能感さえ肉体に充溢してくる。誰かが肩に手を置いて、さすってくれているような安心感が満ちてくる。

 ふと、何故とは無しに、綺礼の心中にある思いつきが結んだ。人類最古の偉大な英雄王への提案にしてはあまりに馬鹿らしい、“提案”と呼ぶのもおこがましいような、子どもじみた料簡(りょうけん)。この傷心の男に言っていいものかどうか二の足を踏むほどだ。

 

「……?」

 

 一瞬、言うのを躊躇おうとした綺礼の視界に、奇妙な幻が写り込んだ。ふと気がつくと、淡い緑色の長髪(・・・・・・・)をした美貌の男(・・・・・・・)が、ギルガメッシュの後ろで微笑んでいたのだ。人間離れした美しい容姿をしており、究極的に中性の目鼻立ちを見てもはっきりと男女の区別はつかない。ほんの少し張り出した肩の生硬い曲線から、綺礼はどうやら男に近しい(・・・・・)ようだと推測した。そのエメラルドグリーンの思慮深い眼差しは絶えずギルガメッシュに注がれている。しかし、しゃっくりを必死に抑えようと頬を膨らませて頑張っているギルガメッシュが背後の男を察知している気配はない。酒を飲み過ぎた弊害の産物なのか。

 綺礼が呆気にとられて燐光を纏う細男を見つめるなか、唐突に男が顔を綺礼に向けた。ハッとするほど魅力的な瞳と視線が交差したのも一瞬、彼の肉薄の美しい唇が小さく動く。「彼を頼んだよ」。謎の男は声もなくそう口にした。その幻影は、一度パチクリと瞼を開け閉めすると次の瞬間には消えていた。くだらない幻覚は、しかし、「きっと自分も酒の魔力に当てられたのだ。酒のせいなら仕方ない」と開き直らせる効果を与えてくれた。幻影に背中を押されるようにして一切の顧慮を捨てた綺礼は、あたかも昔からの知り合いにするような軽い口調で、思いついたばかりの提案をぶつける。

 

「なあ、ギルガメッシュ。私と友だちになってみないか?」

「……友だち、だと?」

 

 意外にも、英雄王の反応は下賤者からの不遜な物言いへの憤怒ではなかった。相手がそこらの野卑な有象無象であれば、突き放すような一瞥の一つでも喰らわせただろう。普段の彼なら、それこそ視線の一つで殺すことも厭わなかっただろう。だが、今はキョトンと鳩が豆鉄砲を食らったような呆け顔で綺礼を見つめ返している。綺礼はと言えば、自分が告げた唐突な思いつきを酔いと幻影のせいにして、にこやかに話を続ける。

 

「お前の友は、きっとお前を親友だと見做していたさ。最期の最期まで。私にはわかる。死ぬ前も、死んだ後も、お前を案じているさ。お前は、それほどの価値ある男なのだ」

 

 ギルガメッシュはパチクリと瞳を開け閉めして、しばし言葉を紡げなかった。それは、綺礼の台詞に胸打たれた以外にも理由があった。綺礼の背後に、豊かに波打つ白髪(・・・・・・・・)をした儚げな女(・・・・・・・)の幻影が見えたからだ。片目は眼帯で覆い、手足は柳のようにか細い。見るからに弱々しい姿をしているが、その表情は穏やかで、纏う雰囲気は温和そのものだ。背後の女のことに気付いている様子のない綺礼の肩に優しく手をのせ、慈しみの目で彼を見つめている。不意に、女がギルガメッシュに目を向けた。「この人をお願いします」。色素の薄い唇はたしかにそう動いた。再びまばたきをすると、もう女の姿はそこにはなく、ギルガメッシュの回答を楽しげに待つ綺礼のみが胡座をかいている。奇妙な幻に混乱していると、耳元で、かつての盟友の声が聞こえた気がした。

 

 

───僕を失ったあとの君に、新たな友を得る勇気が湧かんことを。

 

 

 合点がいったような気がした。「余計なお世話だ」。そう口中に独りごちると、ギルガメッシュは不敵な笑みを浮かべてみせた。瞳はレッドルビーの清冽な輝きを取り戻し、しゅんと萎れていた金髪は研ぎ直した刀身のように鋭く煌めき、肩は居丈高に持ち上がる。それまでの孤影悄然っぷりが嘘のように凄みのある笑みが眉目秀麗な顔貌にばっちりと刻まれる。にわかに復活の兆しを見せた不撓不屈の英雄王の姿に、綺礼は待ってましたとばかりにニヤリと相好を崩した。

 

「度し難いほどの自惚れだぞ、神の幇間(ほうかん)風情が。この我を虚仮(こけ)にする気か?自分が誰に対してどれほど不敬なことを言っているのか、理解しているのか?そも、お前のようなちっぽけな人間を盟友に迎えることで、我になんの得があるというのだ?」

 

 死者たちの思惑に背中を押される形になったなどとおくびにも出さず、ギルガメッシュは威迫するような態度をひけらかした。台詞の文面はたいそう手厳しいが、その口調も表情も、いかにも綺礼の提案を興じている風で鷹揚としている。彼は綺礼の回答を待ちわびていた。

 

「ふむ、私を友とする益か。そうだな。それでは一つ、私を友にしない手はない、という証明をしてやろう」

 

 腐っても、くさくさしていても、英雄王。機嫌を損ねれば、遥かに力の及ばぬ綺礼など一秒と掛からず荼毘の薪と化してしまう。口先だけのおためごかしや、取り入るような媚びた態度が通ずる暗愚でもない。回答を誤れば間違いなく命はない。しかし、そんな焦眉の危機など存在しないかのように、不安の陰りを一切見せず、それどころか口許には微かに状況を楽しむ余裕を浮かべたまま綺礼はひょいと立ち上がり、そのまま屋根裏の収納へ続く脚立を引っ張り出すとそれを昇った。疑わしげに目を窄めるギルガメッシュを尻目に上半身を収納スペースに突っ込んで数秒後、脚立を軋ませて降りてくる。その両手には、それぞれ一升瓶が二本ずつ、合計四本がぶら下がっていた。そのうちの一本を指の力だけで器用に放り投げ、緩やかな放物線を宙に描かせた後にギルガメッシュの手にパシリと収めさせる。そこには、『神殺し・純米大吟醸酒(聖堂教会勤続10年記念。これからも事故災害ゼロでいこう)』の巧みな一筆書きが記されていた。瓶の質も、中身の質も、先ほどまで呑んでいたものを上回って上等そうに思えた。見れば、綺礼の手に残る3本も同じように上等な包装紙に包まれている。『神殺し・麦焼酎』。『神殺し・芋焼酎』。『神殺し・シエル・ザ・カレー風味』。

 

「聖堂教会を引退した元代行者がこの醸造所を運営していてな。彼にはまあまあ大きな貸しがあって、時々こうして特別な酒を分けてくれている」

 

 その言葉に嘘偽りはなかった。代行者を経て第八秘蹟会に転じた友人は、世界各地を渡り歩くなかで日本酒と出会い、その魅力に取り憑かれると早々に聖堂教会を退職。日本酒の本場、新潟県に移住し、それまで溜め込んでいた給料と膨大な退職一時金を注ぎ込んで老舗醸造所を買い取り、愛する日本酒の真髄を掴もうと日夜努力している。古巣の聖堂教会とも良好な関係を維持し、勤続10年記念品として採用もされている(だいたいの代行者が10年未満で死ぬのでなかなか貰える者はいない)。そして、これらの酒は代行者時代に借りのある綺礼に送られてきた、決して市場に出回ることのないごく少数生産の特注品だったり試供品だったりする(カレー風味は、ある代行者からの強硬な圧力によってむりやり作らされた挙げ句に大量に売れ残ったものである)。

 飲み干して残念がっていた酒が復活した喜びと、綺礼のいかにも他意無さげな悪戯っぽい表情がリンクせず、ギルガメッシュはしばし目を開いてポカンとする。「つまり、お前の目の前にいる男は、こんな男だ」。ギルガメッシュの手に砂色をした伊万里焼の酒杯を握らせ、効果を狙うようにたっぷり一拍間を置いて、古今東西あらゆる場所で友情を育んできた古い伝統を持つ殺し文句を口にする。

 

 

「“とびきり美味い酒を隠し持ち、酒の趣味が合う”」

 

 

 ギルガメッシュのそれは、まさに破顔一笑と呼ぶに相応しいものだった。それまでに誰にも見せたことのないような───それこそ、心を許した盟友にしか見せたことのないような屈託のない表情を浮かべて、ギルガメッシュは心底から大いに笑った。

 後年、10年が経ち、教会の主となった綺礼に言わせれば、その時のギルガメッシュはカボチャをくり抜いたハロウィンの提灯なみの笑顔を見せたという。そして、10年を経て再び彼の前に胡坐をかくことになった彼の盟友もまた、その時と同じ満面の笑みを浮かべ、照れくさそうにはにかんだ。

 

 

‡璃正パパサイド‡

 

 綺礼の父、言峰璃正は、己の目と耳を疑った。一度も友だちなど呼んだことのない孤高の息子の部屋から漏れてきた男二人の騒ぎ声を訝しんでこっそり様子を見に来てみれば、なんとそこでは息子と英霊がやんややんやと楽しげに酒を呑み交わしていたのだ。床には一升瓶やワイン瓶が転がり、酒のつまみにしたのだろう、おやつカルパスとカムデーの空き箱が散らばっている。

 

「だーはっはっはっはっはっ!綺礼、綺礼お前、お前それはないだろうっ!腹が、腹が捩れるっ!だははははははっ!!」

「だ、だってな、あの時は仕方なかったのだ!あの機械オンチの時臣師の部屋にまさかエアコンが設置されているとは思わなかったし、床にリモコンが落ちているなんて予想だにしていなかったから、よもや踏んづけることになるとは思ってもみなかったのだ!」

「だからって冷房を最低最強にした状態で黙ってリモコン持って逃げるなどと、お前、それはあんまりだろう!人間性に(もと)るぞ!時臣め、今頃凍死しておるんじゃないか!想像するだけで……くっくっくっくっ!腸捻転になりそうだ!え、え、エルキドゥ助けてくれ!フンババに裸踊りさせたときより笑いが止まらん!」

「ちょっとは悪いと思っているさ!だが、仮にもお前のマスターだろう!時臣師が弱ったりしたら供給される魔力が減るだろうに、少しは心配したらどうだ!」

「はっはっはっ!そんなときはコレよ!この『ルールブレイカー』でちょいっと時臣めを突付いてやればあら不思議、契約はかっきり無しになる。そうすればあの退屈な男ともおさらばよ」

「ほーっ。そりゃ凄い。だが、その後はどうする?マスターを失っては現界に支障をきたすだろう?」

「さあ、どうしたものかな。ああ───そういえば一人、令呪を得たものの相方がおらず、契約からはぐれた(・・・・・・・・)サーヴァントを(・・・・・・・)求めている(・・・・・)マスター(・・・・)がいたはずだったな」

「そういえば、そうだった。だが果たしてその男、マスターとして英雄王の眼鏡に適うのかどうか」

「問題あるまい。堅物すぎるのが玉に瑕だが、前途はそれなりに有望だ。ゆくゆくは存分に我を愉しませてくれるかもしれん。なにより、まだどこに美味い酒を隠しているかわからん」

「ははは、鋭いな。まだまだ、父の知らないところにさんざん隠してある。祭壇に飾られている十字架の中身をくり抜いてワインを詰め込んだり、キリスト像の背中をキャビネットに改造して隠したり、まだまだあるさ。酒を貯蔵するのにちょうどいい温度なんだ。あと祭壇の銀杯も実は何度か焼酎を呑むのに使った」

「……おまえ、実はけっこう悪質な破戒僧なんじゃないか」

 

 璃正の頬を感涙がだくだくと伝い落ちた。今まで、自分の在り様を見定められず、その悩みをただ一人の肉親(ちちおや)にも打ち明けられずに孤独に耐えてきた息子に、胸中を開けっぴろげにして話せる友人が出来たのだ。例えそれが英霊だとしても、なんの違いがあろうか。楽しそうに誰かと会話をする息子の姿を見られただけで、父親としてこれほど嬉しいことはない。震える口を抑え、感動の呻きを聞かれないようにして、璃正はひっそりと息子の部屋の前から姿を消した。今夜は、よく眠れそうだ。

 

 

 

 

……さっき、十字架とキリスト像を改造したって言わなかった?聞き捨てならないぞそれは!




前回更新は……7月か!まだ二ヶ月しか経ってないじゃないか!はてさて、新しい元号は何になるんだろうなあ。


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2-15 ようこそ間桐邸へ 

【1500年ほど前】

ガウェイン「マッシュ、マッシュ、マッシュ。なんでも潰せば食べられマッシュ~♪さあ、聖王の兵士たちよ、栄養たっぷり万能食材のポテトを食べるのです!ポテト、イズ、パワー!パワー、イズ、ポテト!」
兵士「………」
兵士「………」
兵士「……うっす」
ガウェイン「ほらほら、お代わりはまだまだありますよ!おお、陛下、ちょうどいいところに!さあ、アーサー王陛下もどうぞ!」
アルトリア「…‥‥うっす」
ガウェイン「へ、陛下!?」


【現代】

アイリスフィール「セイバー、差し入れの料理を作ってみたの。よかったら食べてくれないかしら?」
セイバー「ええ、もちろん遠慮なく頂きます。いったいどんな料理なんですか?」
アイリスフィール「じゃ~ん!『そのまんまジャガイモ』!電子レンジっていう便利な機械でバターと一緒に温めて完成なの!はいドーン!」
セイバー「………うっす」
アイリスフィール「せ、セイバー!?」


‡時臣サイド‡

 

『さあ、どうしたものかな。ああ───そういえば一人、令呪を得たものの相方がおらず、契約からはぐれた(・・・・・・・・)サーヴァントを(・・・・・・・)求めている(・・・・・)マスター(・・・・)がいたはずだったな』

『そういえば、そうだった。だが果たしてその男、マスターとして英雄王の眼鏡に適うのかどうか……』

 

 

 言峰教会で意味深な会話がなされているのと時を同じくして、遠坂時臣の背筋を強烈な怖気が襲った。それは生命の維持すら危ぶむほどの寒気だった。彼ほどの才気煥発な魔術師となれば、その第六感もまた神秘的に優れており、自らの身に降りかかる未来の危険すらも察知できるのか。

 

「ぶぇえええええっくしょ───ん!!リモコンんんんん!!!リモコンが無いいいいいい!!!」

 

 もちろん、そんなことはない。単純にむちゃくちゃ寒かったのだ。自室の机に置かれたシックなデザインの水銀温度計の目盛りは、なんと10度を下回って尚も下降している。とても生身の人間が部屋着のみで暮らせる環境ではない。もとから季節は冬なのに、どうしたことか時臣は何の操作もしていないのに新設したばかりのエアコンが謀反を起こし、冷房をガンガンに効かせ始めたのだ。弟子の綺礼が立ち去ったくらいから妙に部屋が寒くなっていくと思っていたが、日が落ちてしまうと温度の低下は激減の一途を辿り、もはや今では歯をガチガチとかち鳴らすほどとなってしまった。触れられそうなほどの冷気が濡れ毛布のように重く垂れ込めて、自慢にしている顎の美髭にはひんやりと白い霜が張り付く始末である。鏡に映った己の顔色は青白いを下回って紫色だ。もはや我慢の限界と、かじかみ震える両手でなんとか受話器を握りしめ、電話口の向こうの妻に必死で助けを求める。

 

『んもう。だからリモコンは失くさないでくださいねってあれほど言ったじゃありませんか』

「わ、私のせいじゃない!本当に勝手にどこかに行ったんだ!だ、だから機械は嫌なんだ!」

『機械オンチの人はみんな“勝手に壊れた”とか言うんですから。凛も最近同じ口癖を言うようになったんですよ。しっかりしてくださらないと』

「と、と、とにかく、この“えあこん”の停止方法を教えてくれ!」

 

 遠坂の一族は代々機械オンチである。先代も、先々代も、機械にはとことん弱かった。血筋なのだ、相性なのだ、こればかりはどうしようもない。それ故、機械関係は妻の葵に頼ることが多かったが、肝心の葵は聖杯戦争の火の粉を被ってしまわないように田舎の禅城家に疎開させてしまった。使用人についても同じく暇を与えてしまったのでこの大きな屋敷には当主の時臣ただ一人である。それを決めたのは自分だけに、エアコンのために帰って来てほしいと乞うのも忍びないし情けない。というわけで、こうして電話で対処法を教えてもらうことにしたのだった。

 

『というか、わざわざ寒い部屋からでなくても、リビングの電話からお掛けになればよかったじゃありませんか』

「お前が操作方法を教えてくれたのは自室の電話だけじゃないか!リビングのはわからないんだ!これでもお前に電話するまで2時間掛かったんだぞ!そ、そ、それより、早く教えてくれ!聖杯戦争中に敵魔術師ではなく自室の“えあこん”に殺されるなんて、遠坂家末代までの恥だ!凛に顔向けできん!」

『大袈裟ですねえ。まあ、凛も似たような感じですけど。ええと、リモコンが無いんだったら、単純にエアコン本体からコンセントプラグに向かって伸びている電源ケーブルを引っこ抜けばいいじゃありませんか』

「こ、こんせん、ぷらぐ、けーぶる……?日本語で話してくれ!それかせめてドイツ語で───」

『ああっ!ごめんなさい、今からMステで氷川きよしが歌うんです!頑張ってくださいね!心から応援してますから!勝利は目前ですきっとたぶん!それじゃあ!』

「ま、待て!待ってくれ!葵!葵ぃっ!!」

 

 ガチャ。ツー、ツー、ツー。

 時臣は崩れ落ちるようにして電話機の前に膝をついた。忌まわしいエアコンが吐き出す寒気(かんき)が一段と冷たく感じられた。鼻水が止まらないし、冷気に蝕まれる肉体は芯まで凍える一方だ。怒りに任せて火炎魔術でエアコンを吹っ飛ばしてやろうかと血走った目でステッキを振り上げるも、プライドがすんでのところで邪魔をした。ステッキが力なく床に転がる。普段の深い智性を偲ばせる仕草からは想像もつかないほどに情けない自身の姿を知覚して、目が潤んでくる。どうして自分がこんな目に遭わなくてはならないのか、どうにも解しかねた。

 

「……廊下で寝よう」

 

 そう独語すると、のそのそとベッドから毛布を引っ剥がし、這いずるように廊下に出ると力尽きるようにしてその場に倒れ、毛布に包まった。もはや他の部屋のベッドまで辿り着く気力も体力も無かった。自分の両肩を自分で抱きしめ、労るように必死に擦る。明日、綺礼が来てくれたら、リモコンを一緒に探してもらおう。もしくは、“こんせんけーぶるぷらなんちゃらかんちゃら“とやらを引っこ抜いてもらうのだ。

 

「頼むぞ、綺礼ぃ……」

 

 まさか、この事態を引き起こした張本人がその弟子で、同時刻に彼が自分のサーヴァントと面付き合わせて極上の酒と柿ピーに舌鼓を打ちながらゲラゲラ歓談に勤しんでいるともしらず、打ちのめされた時臣は胎児のように丸まって意識を手放した。

 

 

 

‡切嗣サイド‡

 

 

『さあ、衛宮 切嗣! そしてセイバーのサーヴァント! 我が間桐邸に貴方方を招待しよう!!』

 

 

 

 この台詞の意味は、聖杯戦争に参加するマスターとサーヴァントにはまず信じがたいものだ。サーヴァントとは、魔術師にとって、言うなれば“核爆弾”にも等しい切り札だ。人間の手が及ぶべくもない領域の強大な“力”そのものだ。そして、魔術師にとって先祖代々の研究成果を収めた魔術工房を擁する本拠地は、何よりも───時には自分自身の命よりも大事な門外不出の家宝を抱く聖地だ。そこに敵対する魔術師を、しかもサーヴァントを伴っての立ち入りを許すなど、ホワイトハウスの真ん前のポトマック川に敵国の核原潜を招き入れるようなもので、狂気の沙汰といっても過言ではない。

 だが、間桐雁夜はそれを良しとした。衛宮切嗣は、その誘いを試練として受け入れた。

 

 サイボーグ魔蟲から発せられた大胆不敵な一言が言峰教会に響いた、わずか30分後。突然の協議場所の変更に戸惑う言峰璃正神父の制止を無視して車に飛び乗った切嗣とセイバーは、間桐邸の重厚な鉄製の正門前に混然とした面持ちで立ち尽くしていた。二人とも夜の寒空の下で微動だにしない。決して彼らが怖気づいたわけではない。邸宅の変貌(・・)に、呆気にとられたのだ。

 優秀な魔術師であると同時に練達の兵士でもある切嗣は、当然、間桐邸について事前にリサーチをしていた。おびただしい数の魔蟲が蔓延る百鬼夜行を絵に描いたような魔の屋敷を、徹底的に、そのおおまかな内部構造までもあらゆる手段を講じて調査していた。しかし、それは無駄だったことが今わかった。聖杯戦争が始まってわずか数日のうちに、この屋敷の印象は180度の転換を迎えていたからだ。

 

「……切嗣、あれは?」

「……お馬さん、だ」

「……では、あれは?」

「……ゾウさん、だ」

 

 鬱蒼としていた広大な庭の闇林は、ファンシーな動物園へと変身していた。目も覚めるような明るさの半月の下、誇らしげに生い茂る菩提樹とブナの木は、一流の庭師の職人芸によって実物大の動物を象っている。さわさわと葉々が風に揺れ動く様子は、それぞれの動物の息遣いのようだ。まるで夜のサファリパークに迷い込んだごとき錯覚に目眩がする。塀の外にまで溢れ出していたであろう木の房は高い技術によって丁寧に刈り込まれ、ひょいと何の気なしに塀の外に顔を出したキリンの首そっくりとなって見上げるものを驚かせ、楽しませている。通行人の足を止めさせ、思わず目を輝かせ胸を高鳴らせるような効果と魅力に満ちていた。

 

(……だが、甘く見るなよ、間桐雁夜。僕の目は誤魔化せないぞ)

 

 切嗣は訓練の行き届いた目で庭内を注意深く見回した。キリンの目、お馬さんの耳、ゾウさんの鼻。其処此処に、機械的な赤外線の光が透けて見えた。高性能赤外線監視(インフレア)カメラ、光探知測距(ライダー)センサー。どれも、切嗣が郊外のアインツベルン城に設置して、ライダーの闖入と同時に破壊され行方不明になったものと同クラスの最新品だった。設計図から抜け出てきたような革新的かつコンパクトなデザインのそれらは、とても民間で手に入るようなものではなく、大国の最重要機密区画に備えられるような最高級品だ。一級品の監視装置群は計算され尽くした角度で持って侵入者を感知しようと目を光らせている。切嗣は、この邸宅の主が自分と同じ知識とコネを持っていることを悟り、彼への評価と脅威度をまた1ランク上げた。

 

「ッ!切嗣!」

「ああ……わかっている」

 

 二人の目の前で、突如正門が胸を開いた。隣近所に迷惑をかけない程度の機械(モーター)音を唸らせ、魔術ではなく機械じかけの門が二人を招じ入れる。この些細なことにも切嗣は驚かされた。大半の魔術師は機械を好まない。間桐家の当主、間桐臓硯のような残忍かつ旧弊の魔術師なら尚更だ。しかし、彼が牛耳っていると思っていた間桐邸にはこの通り立派な機械設備が備わっている。このことから、間桐雁夜の権限は一族の長である間桐臓硯を上回っている可能性が導き出された。

 

(あるいは、間桐臓硯はすでにいない(・・・・・・)、か)

 

 思考を高速回転させながらも注意が散漫になることはない。切嗣が見守る中、セイバーがたっぷり1秒かけて周囲をくまなく索敵し、やがて小さい頷きを向けた。「敵意は感じない」と伝えたのだ。目線で了解の意を応え、そのままセイバーを先導させる。バーサーカーを同じ騎士として信頼するセイバーだが、やはりここは敵の陣地。そして背後には主君を護っているとあって、セイバーは緊張の面持ちを隠さなかった。彼女は全方向に対してその警戒能力を全力で張り巡らせながら慎重に一歩ずつ前進する。やがて10歩も歩いたところで、自分たちに向けられる殺気が一つも生じないことを悟った。むしろ、殺気とは正反対の景色がいっぱいに広がっていて、セイバーは思わず「わあ」と子供のような声を漏らして目を輝かせたあと、「来ていいですよ。見たほうがいいですよ」と手をちょいちょいと振って切嗣を誘った。「なにが“わあ”だ。戦争ナメてんのか」。愚痴を飲み込むと同時に喉をゴクリと鳴らし、切嗣はその誘いに応じて、間桐雁夜の領域に一歩足を踏み入れた。

 

「わあ……」

 

 一週間前、エージェントを雇って密かに撮らせた写真では、間桐邸はおどろおどろしく、いかにも化け物屋敷のような悪印象の塊だった。年月を経て放置された屋敷は全体的に寂びれて、整然さとは無縁で、人が住んでいるかも怪しい幽霊屋敷のような雰囲気だった。

 だが、今、目の前にそびえる屋敷はそれとはまったく異なる。伸び切って闇のような影を作っていた蔦や茨は綺麗サッパリ取り除かれ、すり減って崩れ落ちた屋根瓦は新しい瓦に葺き替えられている。樹脂製の軽くて丈夫な瓦は、間桐家のシンボルカラーである藍色。磨き上げられた瓦の表面に星空が映り込んでいて、まるで夜空の王冠を戴いているようだ。長年の風雪によって汚れ果てていた外壁は高圧洗浄機で隅々まで念入りに洗われたらしく、建造当初の新築に戻ったかのように清々しい。窓枠の錆やサッシにこびりついたカビまで丹念に磨き除かれて、鋳型から取り出された日そのままのような光沢を放っている。足元では真珠のような白砂利を満遍なく敷き詰めた小道が、純白の天の川のように緩やかに蛇行しながら間桐邸の柱廊式玄関へと繋がっている。

 

「我が王都ログレスのキャメロット城、とまでは行きませんが、南ウェールズの自然豊かなモンマス城に匹敵する邸宅です。あらん限りの贅を尽くした豪邸とは正反対の、なんとも穏やかな構えをしている。実に心安らぎます。まさか東の最果ての国でこのような立派な城を見られるとは思ってもいませんでした」

 

 小城、まさに小城だ。全体の印象は、まるで草深い森の中心に建てられた小城を連想させた。手入れの行き届いた城を囲う青々とした庭園にはくっきりした月光が降り注ぎ、ふさふさと柔らかそうな芝生を照らしている。星明かりという贅沢な照明を最大限利用するように、箱庭の木々の配置には工夫が凝らされているらしい。豊かな森のミニチュアのような箱庭は、大自然そのままの緑の甘い香りが満ち満ちている。すっと鼻から息を吸い込めば、煌めくほど新鮮で爽やかな空気が肺腑を満たしてくれた。日が落ちる前に刈り込まれたばかりに違いない。青々とした芝生の断面からは、草刈り後の土手で匂うような、瑞々しい緑の匂いが湯気のごとく立ち昇っている。好奇心に背を押されて芝生をそっと踏んでみる。なんとくるぶしまで沈み込んで、その意外なまでの柔らかさと深さにドキリとさせられた。芝生の底には日光の名残がほんのりと漂っていて、手で触れればさぞや心地良いだろう。何より驚かされるのが、その刈り込み技術だ。神業と言って過言はない。広大な庭を埋め尽くす芝生はまるで一枚物の巨大な絨毯のようにきわめて均一に整えられ、ほんのわずかな凹凸も見当たらない。際限ない富を誇るアインツベルンの本城でもここまで精緻に揃えられてはいない。

 (いざな)われるようにして意識を宙に向けてみる。鼓膜を揺らす葉擦れの音は耳に優しく、気を抜けば目を閉じ両腕を広げて寛ぎたくなる。聖杯戦争が始まってから……いや、アリマゴ島での事件から安らぐことのなかった精神がマッサージされているかのようだ。思わず脱力して背中から芝生のベッドに寝転がりたくなる衝動がじわりと頭をもたげるのを知覚し、切嗣は内心で自身を厳しくたしなめた。今は戦争中、そしてここは、未だ敵とも味方とも決めかねる相手の陣地なのだ。気を抜いて寝転がるなんてありえない。

 

「……セイバー、起きろ」

「はっ!?わ、私はいつのまに寝転んで……!?」

 

 芝生の上で子獅子のように丸まっていたセイバーが驚愕して飛び上がった。ありえない。マジで。

 頬を染めて「いや申し訳ない私としたことが」と後ろ頭を掻くセイバーを尻目に、邸宅のエントランスへの歩を再開する。しかし、セイバーがうたた寝してしまうのも頷ける。それくらい、この場所は居心地がよかった。そうだ、ここにイリヤを連れてこられたら、どんなに喜ぶだろう。寒々しいドイツの森しか知らないあの娘をここに連れてきて、肩車をして、体力の限界まで走り回って遊んでやりたい。切嗣は朗らかな想像によって自然に綻びそうになった唇をあわやというタイミングで引き締めた。ここが未だ敵地ということを危うく忘れかけていたのだ。だが、切嗣にそうさせてしまうほどの見事さは素直に認めるべきだ。

 かつて自分の王国で城に住んでいたセイバーもその感想を抱いたらしく、近づいてくる間桐邸を見上げて思わず「ほう」と感嘆のため息を漏らした。この屋敷の激変っぷりは、ただ間桐雁夜の清廉さを表しているだけに留まらない。間桐臓硯の時代が真の終わりを迎えたことの証でもある。間桐雁夜は、屋敷を一新することで新しい時代の訪れ(・・・・・・・・)を目に見えるように表明しているのだ。

 

「敵ながらあっぱれ、と言ってよいのではないですか、切嗣」

「ああ……そうだな」

 

 砂利道を歩く二人の低い囁きが、庭園の静かな夜気にやんわりと吸い込まれる。冬の澄んだ空気はきりっと引き締まり、満点の星空の輝きを邪魔することなく庭に降り注がせてくれる。住宅街のなかで一際高い丘に建っているせいか、他の家の照明が無粋な真似をすることはない。しかも星が近いことで、広い庭は照明いらずなほどに明るい。それに、どれほど腕のいい樹木医を雇ったら実現できるのか。この季節にも関わらず、栄養を湛えた太い木々の枝には緑の葉が生い茂り、枯れる気配は微塵もない。その根本では、キリギリスが梢を渡る風の囁きに混じってりーりーと優しげな音色を奏でて来訪者を歓迎してくれる。切嗣もセイバーも知らないことだが、昆虫の中では珍しい、成虫のまま越冬するクビキリギリスが放し飼いにされていた。さすが、魔蟲を使役する間桐と言うべきか、この屋敷は昆虫全般にとって居心地がいいらしい。庭の一角にある小さな池には清涼な水が満ちて、チラチラと季節外れのホタルの光が浮かんでは消える。ホタルは水質が良くないと生きていけない、と耳にしたことがある切嗣は、よほど手入れが行き届いているのだろう感心した。やはり彼は知らないことだが、冬に成虫となって発光するイリオモテボタルという珍しいホタルだった。楽園のような環境のなか、ホタルたちは樹陰に置かれた一対のウッドチェアを止まり樹代わりにしながら空中で優雅な舞踏会を繰り広げている。その椅子に座って楽しそうに談笑するアイリとイリヤの様子を幻視し、切嗣の頬が見てもわからないほどに緩んだ。

 

「なにをニヤニヤしているんです?気持ち悪いですね」

「うるさいな」

 

 セイバーには気づかれた。照れ隠しで背けた視線の先には、丸太造りの小さな薪小屋がちょこんと鎮座している。邸宅内には暖炉があるらしい。小屋の前には薪雑把が整然とピラミッド型に積み上げられていて、古めかしいが頑丈そうな手押し車が隣で休憩している。

 

「おお、懐かしい。私の子どもの頃の家にも暖炉用の薪小屋があったものです。従兄弟のキルッフとどちらが多く薪割りできるか競い合ったり。剽悍無比なキルッフはなんとも強敵で、あのときは勝負前に彼のお茶に下剤代わりのアロエを混ぜて事前に弱らせたものでした。ふふ、故郷のブリテンを思い出しますね。切嗣、勝負しませんか?」

「やらないよ。よくそれで聖剣に選ばれたな」

「私もそう思います」

 

 だが……たしかに、なんて牧歌的な風景なのだろう。遠い目で過去を懐かしむセイバーに当てられたのか、切嗣も不思議とノスタルジックな気分を味わっていた。薪割りは、アリマゴ島でシャーレイにコツを教えてもらいながら四苦八苦して覚えたものだ。ここは不思議な庭だ。気を抜けばすぐに緊張がほぐされて、安らかなため息を漏らしてふかふかの芝生に腰を下ろしてしまいそうな魅力に駆られる。その効果は絶大であると切嗣も認めざるを得なかった。どこにも敵意など無い。姑息な打算もない。監視装置は外から訪れる侵入者を厳重に見張ってはいるが、いざ庭に入ってみると一切見張られている気配はない。ここに満ちているのは、ただひたすらの“優しさ”だけだ。この屋敷は住人の心の有り様を透かして見せていて、間桐雁夜への警戒心を秒を追うごとに削ってくる。

 犬ほどの大きさのムカデに似た魔蟲たちの姿も認められたが、ギクリとしたのは一瞬だった。その怖気のするような姿かたちとは異なり、教育が行き届いているのか振る舞いは非常に大人しく、統率はきっちりと抜け目ない。訪問客に威圧感を与えないように細心の注意を払って身を隠しつつ、監視装置の死角を補うような念のいった配置で屋敷の中と外をしっかと見張っている。よく訓練されたジャーマン・シェパードの一群に守られているようで、脅威を感じるよりむしろ安心感が胸のうちに生じた。機械と魔術を巧みに使い分け、両者の長所と短所を把握し、一方の短所は一方の長所で埋め合わせる。そうすることで完璧な警戒態勢を極めて効率よく実現している。現代でここまで両者を有機的に運用できている魔術師は、世界広しと言えど間桐雁夜以外にはいるまい。切嗣は素直に感心し、「むう」と喉を唸らせた。

 

「ッ!切嗣!」

「なんだ、セイバー!?」

 

 玄関扉の直前まで来て、突然、セイバーが毛を逆立てて叫んだ。その声にただならぬ驚きを察知し、身体中の神経がまたたく間に引き締まり、腰のキャリコM950Aマシンピストルの銃把(グリップ)にさっと手が伸びる。

 

「いい匂いがします!」

「知るか!!」

 

 引き抜いたキャリコを勢いそのままに感情に任せてぶん投げた。くるくるとブーメランの軌跡を描いたキャリコは偶然通りがかった芋虫型の魔蟲の鼻先を強打し、「キュッ!?」と悲鳴をあげさせた。他の魔蟲が「大丈夫?」と気遣うように寄り添うなか、キャリコを拾ったサソリ型の魔蟲が「困りますねお客さま」と言わんばかりの圧を放ちながら切嗣の手にそれを届けた。切嗣はペコリと申し訳無さそうに小さく頭を下げてキャリコを受け取り、いそいそとホルスターに戻す。そして再び、物言いたげな目でセイバーを見やる。

 

「ッ!切嗣!」

「ふざけるな!ふざけるなー!いい匂いがするんだろ!もういいよ!……あ、する」

「でしょう!?そうでしょう!?」

 

 鼻をすんすんと訊かせてみれば、セイバーの言が正しかったことがわかる。本当にいい匂い(・・・・)なのだ。セイバーの興奮も頷けるほどに、なんとも食欲を誘う料理の匂いが屋敷から溢れてきている。それもこの時間にぴったり(・・・・・・・・・)の匂いだ。もう深夜の0時を過ぎたというのに、いや逆に過ぎたからこそ、この“奇妙に小腹が空く時間帯”の腹には香辛料がガッツリ効いた濃い味付けの匂いがなんとも突き刺さるのだ。夜中に突然、ボリューミーな二郎系ラーメンが食べたくなった時のような抗しがたい誘惑に頭がクラクラする。冒涜的で背徳的な欲求が喉をゴクリとうごめかせ、大量の唾液を分泌させる。精神力ではどうにもならない、肉体に生まれながら備わった強欲な食欲本能が胴体を駆けずり回る。これ以上は筆舌に尽くしがたい。とにかくいい匂いなのだ。アインツベルン城を離れてからというもの、食事と言えばファーストフードで簡素に済ませていた切嗣には、この魅力的な香りはボディブローのように効いた。イギリス出身のセイバーは言わずもがなである。ミートパイのサクサク生地にナイフを入れたら排水口の臭いが噴き出してきたなどという非文明的な噂の耐えない国の出身者にとって、洗練された芳醇な香りは理性を蕩かす夢幻的な威力を十二分に秘めていた。二人して恍惚とした表情を浮かべ、鼻に釣りフックが引っかかったようにフラフラと玄関まで引き寄せられる。

 

 

ぐるるるるる(・・・・・・)……

 

 

 瞬間、二人の胸の奥で警告灯がギラリときらめき、瞬時に理性を取り戻させた。活性化された戦闘本能が末梢神経にまで緊張の電撃を迸らせ、肉体を弾くように突き動かす。閃くような動作の後にはそれぞれの手に剣と銃が握られ、臨戦態勢を完了していた。先ほどまでと打って変わって引き締まった表情で各々の得物を正眼に構える。

 ギィ、と古風な音を立てて、複雑精緻な彫刻の施された金属製のドアがゆっくりと開いていく。その扉の向こうから、量感を伴うほどの漆黒の気配がズルリと染み出してきた。二人がゴクリと息を呑む中、その気配の持ち主が鎧をかち鳴らし、ゆっくりと歩みだしてくる。全身を黒いフルプレートアーマーで覆った、2メートルになんなんとする長駆の男が星明りの元にぬうっと姿を表した。そのおどろおどろしい威容と迫力は何者が見ても怯えすくむほどのものだったが、二人は別の意味で身体を強張らせて硬直していた。

 

 当然だ。なぜなら眼前のバーサーカーは───フリフリのメイド服を着て、『セイバー陣営御一行様、ようこそ間桐邸へ』と記された案内板を持っているのだから。

 

 理解を越えた光景に、二人はただあんぐりと口を開けて固まるしかなかった。




もうそろそろ平成が終わるとか信じられんな。平成が終わる頃には次を更新しますね。


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2-16 世界で一番メシが不味い国はどこでしょうか?ヒントは「イギリス」

「おはようございます。世界のメディアザッピング、今日はイギリスから驚きのニュースが飛び込んできました」
「おはようございます!なんと、あの有名な伝説の王、アーサー王が実在したという証拠が発見されたとのことです!イギリスのグラストンベリーにて新しく発掘された遺跡から、アーサー王自身によって刻み込まれた石板が見つかりました!それによると───」


‡食いしん坊の騎士王サイド‡

 

 

「はふ、はぐ、はふっ!はふっ!」

 

 頬張る。ただひたすらに頬張る。入らない、ではない。入れる。気道に混入する危険も考えず、がむしゃらに掻っ込む。二本一対の棒───箸というアジアの食器───を器用に使いながら、口腔の容量限界など知らぬとばかりに次から次に大口を開けて眼前の料理を放り込む。そして全身全霊の力をその細い顎にこめて無我夢中で咀嚼する。舌を懸命に動かし、その表面の味蕾を余すところなく働かせ、分析器にかけるが如く、構成する食材の一片に至るまで味わう。前歯、奥歯、犬歯、すべての歯を使って感触を楽しむ。粒のそろった小ぶりの白い歯が裁断機のように音を立ててガッツガッツと噛み合わされる。柔らかいものはホロホロになるくらいにとことんまで柔らかく、硬いものは適度な歯ごたえを感じられるよう絶妙に調理されたそれらを、力を込めて、心を込めて、丁寧に満遍なく味わう。

 

 

「おい、セイバー」

 

 居並ぶ料理皿の上を箸が迷うことはない。それは、彼女が時代も場所も違う遥か極東のマナーを諳んじているからではなく、本能が次の獲物をすでに定め、肉体を真っすぐに突き動かしているからだ。剣を振るうが如く箸を躍らせ、美しい金髪を振り乱し、まるでご馳走を前にしたがんぜない子供のように目を輝かせてもっしゃもっしゃと頬を膨らませる。その様子は金獅子というより、さながらゴールデンハムスターである。

 

「セイバー、聞こえてないのか。おい、セイバー」

 

 魚の干物に手を伸ばす。箸の先端をその肉に差し入れた途端、ふっくらとした肉がほろりと崩れ、湯気が沸き立つ。品のいい魚の油の匂いにまた食欲をそそられる。そのまま、くいっと先端を持ち上げれば、身離れの良い肉がそこに乗っかる。抗しがたい魅力に一瞬たりとも抵抗できず、すかさずそれを口に頬張る。

 

「~~~~っ!!」

 

 すこぶる見栄えの良い涼しげな美貌が、ふにゃんとトロけた。魚の干物は、彼女の王国でもよく食べられていた。しかし、これが同じ食べ物だとは露とも思えなかった。旨味、旨味、旨味。肉の一切れ、細胞の一つ一つにまで旨味がぎゅっと詰まっていて、噛みしめるたびにそれが口腔内で爆発し、舌を殴打する。一噛みごとにジュワッ、ジュワッと凝縮されたジューシーな油が広がる。ただの干物のはずなのに、コニャックを掛けて火を転じたミディアムレアの極上ステーキにも匹敵する、いや、それ以上の美味を魂に痛感する。

 だが、しかし、味が濃すぎるという一抹の不安を覚えた。何かが足りない。この口の中に、何かが足りない。

 

 

───俺を食え……

 

 

「はっ!?だ、誰です!?その声はいったい!?」

「おい、いったい誰の声を聞いているんだ」

 

 持ち前の直感スキルAによって、彼女は音にならない声を聴いた。なんと、それは目の前に置かれた椀から発せられていた。銀色に輝く穀物……お米だ。炊きたてを誇る艶がなんとも美しく、芳醇で豊かな香りをこれでもかと放っている。そのお米が、「俺を食らえ」と語りかけているのだ。言葉は不要、もはや遠慮はせぬ。茶碗を手に取り、まだ干物が口の中に残っているにも関わらず、米粒の塊をぐわっと勢いよく頬張る。

 

 

完成した(・・・・)

 

 

 鼓動がきっかり3拍分は止まっていただろう。まるで落雷の直撃を喰らったような、それくらいの衝撃だった。完成だ。これで完成なのだ。欠けているものなどあるものか。口内で火の玉が爆発したような驚きに、さしもの彼女の意識もグラついた。胃腸までもが驚天動地してビクビクと揺れ動く。もはや足りぬものはない。この口の中で、一つの完璧な世界(アヴァロン)が誕生したのだ。この国の食事とは、この『お米』を主軸として考案されているのだ。おかずはお米を引き立て、お米はおかずを引き立てる。互いに補い、高め合い、天界へと繋がるスパイラルを煌めかせて究極の美味を形作っている。東の端っこに浮かぶ島国で、食事は一つの極地に到達していたのだ。筆舌に尽くしがたい喜びと驚きに打ち震える彼女の前には、まだ多くの種類の料理が並んでいる。「次はどれを食べようか」と心をワクワク躍らせながら、目の前の調理法どころか料理名すら知らぬ未知のそれを大きめの一口サイズに切り分ける。一見すると、得体のしれない素朴な茶色の物体だ。それがサクッと表面の衣が小気味の良い音を立てて割れ、中からほわほわ~っと熱々の湯気が立ち昇る。サクサク、ほわほわ。擬音だけですでに楽しい。香辛料、おそらく胡椒をまぶした牛肉と豚肉の匂いが鼻孔をくすぐる。だが、そこに油っぽさは微塵もない。彼女の鋭敏な嗅覚は、瞬時にナツメグの種子の香りを嗅ぎ分けた。これが挽肉の油っぽい臭みを打ち消し、逆にその風味を増幅しているに違いない。さらに、その嗅覚は、赤みを残した肉汁から染み出すタマネギの甘く香ばしい匂いに混じって葡萄酒(ワイン)特有の芳醇なコクも察知した。

 

「セイバー。おーい、セイバー。僕の声が聞こえないのか?……え、無視じゃなくてほんとに聞こえてない?」

 

 なんということだ。どれだけ隠し味を埋め込めば気が済むというのだ。料理人は、料理の際に一切の骨惜しみをしなかったに違いない。口に運ぶ前からその味を想像してゴクリと喉が鳴る。鼻孔が大きく開き、食欲を誘う塩気、そしてどこか懐かしい、食べたことのある食材の匂いを肺いっぱいに受け入れる。しかし、正体がわからない。嫌になるまで食べたはずなのに、あまりの変貌ぶりに正体が突き止められない。なんだ、このワクワク感は。まるで宝探しをしているようではないか。彼女は胸をときめかせる己に気付いてハッと悟った。これは、彼女の生きた時代と彼女が興した王国の原始的な調理技術では到達し得なかった、高み(・・)なのだ。言ってみれば、宝だ。好奇心と食欲の権化と化した彼女は、その宝を勢いよく頬張る。

 

「セイバー!おい!」

 

 意識の外で肩を掴まれてガクガクと揺らされるも、すでに心は現世(ここ)にはない。絶味の世界に旅立った彼女の視界に、一群の白鳩が羽音を響かせて空を舞った。それは幻覚だった。美味という、生命体が求める最上級の喜びを知覚した脳があまりの情報量を処理しきれずに見せた、至福の象徴だった。顎を上げ、「ほう」と吐息を漏らして口腔内の熱を冷やす。その切れ長の目尻からつうっと頬を伝い落ちたのは、一筋の涙。その涙は止まることを知らず、湧き出る清流のようにとうとうと流れ続けた。彼女は、感動していた。外はカリカリ、中はふっくら。言葉で言うのは簡単だろうが、バランスを取るのは至難の業だ。至高にして巨大な神の天秤だ。この料理は、それを見事に実現している。まるで職人によって作られた業物のようだ。この一つ一つが、彼女の聖剣にも匹敵する、この世に二つと無い至宝なのだ。ふるふると身体を震わせながら、隣に座る己の主人のことなど意識外に放り出して、ひと噛みひと噛みを愛おしげに、大切に楽しむ。

 そんな彼女を前に、食卓を隔てて正面にいる眼帯の男が口端を少しだけ引き攣らせて問いかける。

 

「口に合っているようでなによりだ。かの名高い騎士王にこれほど喝采を泊するとは、欣快これに勝るものなし。失礼だが、西洋史についてはフリーライター時代に少し齧った程度でね。興味本位までに教えてほしい。貴女の王国で、それに類したものを食したことは?」

「……いいえ、バーサーカーのマスター。恥ずかしながら、我が王国ではこのような美食は存在しなかった。口にしたことのあるような味わいなのだが、どうにもピンとこない。どうか教えてほしい。この素晴らしい料理はなんという名なのか?」

「僕のことは無視か」

「コロッケ、というものだ」

「“ころっけ”……コロッケという料理なのですか。親しみやすい名前だ。して、これはどのように作るのです?大変に興味が湧いた」

「ああいいよコロッケだよそうそうコロッケ。どうぞ気が済むまで食べてくれ。僕の分も欲しけりゃやるよ」

「どうも切嗣(ひょいぱく)」

「そこは会話するのか」

「なに、作り方は簡単さ。私でも作れる。牛肉と豚肉のミンチ肉と玉ねぎ、そしてたくさんのジャガイモを混ぜて油で揚げたものだ」

「ジャガイモ!そうか、ジャガイモだったのか!どうりで、覚えのある味のはずだ!しかし、ジャガイモをこのような馳走に変えられるとは……!!」

「はいはいジャガイモジャガイモ。ああ、僕のサーヴァントがこんな大飯食らいだったとは」

 

 呆れ顔で手を振る主人のことはやはり意識に入らない。彼女の脳裏に浮かんでいるのは、かつての己の王国の食事風景だ。

 彼女が王として生きた時代、その食事水準はとても酷かった。今でも酷いが、輪をかけて酷かった。もしもここに未来の赤い弓兵がいたならば、「500人のカウボーイの投げ輪に首を絞め上げられて吐き出したゲロのほうがまだマシだな」などと吐き捨てたに違いない。実際、彼女もそう思い始めていた。この料理に比べれば、かつて自分が食べていた料理など、料理とは呼べない。そう、ゲロだ。ゲロ以下の臭いがプンプンするぜ。祖国は誇り高い王国であるという自負は揺るがねど、食事のレベルは千年以上前のライダーやアーチャーの王国の方が上だったかもしれない。いや、間違いなく上だったろう。時代はずっと後なのに。

 

 そもそも、彼女の王国も、その後に発生した国家も、料理に関しては無頓着だった。まずい食材だって調理法が良ければなんとかなる。ひどい調理法でも食材が良ければなんとかなる。だが、まずい食材にひどい調理法が合わさればどうなるか。どうにもならない。救いようがない。あるのはエブリデイメシマズだ。エブリデイ地獄だ。

 まず、食材の下処理などしない。冗談や嘘ではなく、本当にしない。「臭みを消す?なにそれブリティッシュ英語でおk」である。野菜を水に通すなんてこともない。土がついてる?火が通ればいいじゃない。むしろ何でもかんでも火を通さないと安心できない。焼き加減とか関係ない。さらっと炙る、なんて発想はない。とにかく芯まで焼くのだ。味付け?テーブルの上に塩コショウがあるから各自お好みで。料理中に味なんか付けないよ面倒くさい。これ(・・)である。今も昔も変わらない。かつての王国での調理や食事風景を思い出し、そのおぞましさを自覚して身震いする。目の前の料理とのギャップがありすぎて目眩すら覚えるほどだ。

 異様に硬く味気ない、むしろなぜか酸っぱいライ麦のパン(なぜ酸っぱくなる)。肉はそこらの山に放牧している、何を食べたかわからない豚や、たまたま頭の上を飛んでいた運の悪い鳩。釣ってから日にちが経過して腐ってきたので急いで塩漬けにしたニシン、もしくは乾ききって薪木と見分けがつかなくなったその燻製。そこらの川から捕まえた亀を叩き潰した、甲羅の破片が浮いている真緑色のタートル・スープ。そして種類と量と栄養素に乏しいカッスカスの野菜。白パンを食べたいが手に入らない時は見栄を張るためにライ麦パンに石灰を混ぜてこれみよがしに食べたりする始末である。ジョンブル魂は伊達ではない。

 

「このニンジン、茹でただけにしか見えないのに、どうしてこうも甘いのか。味付けをしなくとも野菜そのものがほんのりと甘い。まったく信じられない」

「そうかいそうかい。じゃあ僕のも」

「どうも切嗣(ひょいぱく)」

「せめて言い終わってから手を出してくれ」

 

 歴代の統治者たちは、特に野菜が育たないことに頭を悩ませた。それは彼女も同じであった。ようやく統一戦争を終わらせて王国を治めても、長く続いた戦乱によって民草は皆極限まで飢えていた。早急に腹を満たしてやる必要に迫られるが、そこに立ち塞がったのは、よりによって彼女が救った国の大地そのものである。

 かの地は、基本的にほとんどが酸性土壌であり、多い降水量のせいで栄養素は流されていくために土地が肥えにくく、それゆえに植物が育ちにくい。さらに、日照時間が短く、気温も寒いというトリプルパンチなので、土地の改良もままならない。つまり、気候風土のせいで土地が極度に痩せていて野菜の育成に適していないのだ。というわけで、まともに育つのはマッシュルームなどのキノコ類と、豆と、そしてジャガイモだった。

 

(ジャガイモ……あれには救われた)

 

 彼女はジャガイモに並々ならぬ思い入れがあった。ジャガイモには多くの民の命を救われたからだ。もともと中南米高地という厳しい環境で生まれたジャガイモは、成長が早く、病気に強く、寒冷地でも育ち、栄養豊富で、その栄養素は加熱に耐える強度を持つ。というわけで、とにかく育てて食べまくった。戦場で勇猛果敢に戦った少壮気鋭の若武者たちが、一心不乱にその業物を振るって火星のように貧弱な土地を耕しに耕し、ジャガイモを植えに植えまくった。その甲斐あって、民草の飢えは満たされ、餓死者は急激に減少した。飢える人々は減った。王国に束の間の笑顔が戻った。そこまではよかった。そこまでは。

 

『お母さん、あたし、たまにはジャガイモ以外のごはんが食べたい……』

『しーっ!円卓の騎士様たちが作ってくださったのに、なんてことを言うの!』

『でも、でも……ぅ、うえ~~ん!』

 

 しかし、食べ過ぎた。作りすぎた。他に食べるものがないとはいえ、誰も彼も、もう飽き飽きだった。さしもの彼女も、ジャガイモを見るだけで嫌気が差すほどだった。物悲しい気候風土のせいで、民族性は質素倹約を旨とするものに変わっていき、ストア主義というお固いストイック精神に結びついてしまった。「ジョンブルたる者、贅沢は敵である」と公然と語られるようになり、栽培技術や調理技術が高められる風潮もついぞ生まれなかった。しまいには、「マッシュ、マッシュ、なんでも潰せば食べられマッシュ、はいドーン!」。そう、これ(・・)である。食材もなく、まともな調理法もない。どん詰まりである。行くも地獄(ポテト)帰りも地獄(ポテト)。前門の(ポテト)後門の(ポテト)。四面楚歌ならぬ四面ジャガイモ。飽きていないのはあの太陽馬鹿(イケメンゴリラ)くらいだった。神から譲り受けた聖剣ガラティーンで自らの領地を隅から隅まで耕し、次々にジャガイモ畑に変えていった。気づけばジャガイモ生産量王国1位、出荷量王国1位、特産品ジャガイモオンリー文句あるか領主様の誕生である。「貨幣経済?なにそれ美味しいの?ウチはジャガイモで払うけどいいよね?」とガラティーンを大上段に構えながら要求するのでどこの商人も頭を抱えていた。ジャガイモの余剰在庫も抱えていた。このゴリラの領国でのみ貨幣とジャガイモが市場で行き来する始末である。領民はそんな領主を心から慕い、密かに“ポテトゴリラ様”と呼んで他の領国への脱出を図っていたという。

 今まで、あの騎士が作る料理といえばジャガイモばっかりだった。思い出すだけで胸焼けがしてくる。焼きポテト、煮ポテト、刻みポテト、そのままポテト。最後のそのままポテトに至っては取り立てを土がついたまま皿にゴロリである。「食べにくいなら潰しましょうか?」と素手でジャガイモを握りつぶしてニッコリ笑いかける。それをベチャリとじかに手渡された平民の少女の死んだ魚のような目は忘れられない。凄まじい握力で皮ごと潰されたジャガイモを両手いっぱいに掲げて、「あ、ありがとうございます……」と唇を震わせる少女は今にも泣きそうだった。なんてことをするんだ。なんだか無性に腹が立ってきたぞ。民草の心が私から離れたのってアイツのせいもあるんじゃないか。人の心が分からない、ってむしろアイツのことじゃないのか。どうなんだトリスタン。目を開けろ。寝てるのか起きてるのかハッキリしろ。

 

「(ぱくっ) ~~~!!」

 

 ムクムクと首をもたげてきた怒りも、もう一口コロッケを頬張れば望外の幸せに霧散する。たちこめていた暗雲が、日の出とともに爽やかな風に吹き払われたような清々しい心境に、感情がわけもわからずに昂ぶる。熱したガラス球が思い切り息を吹き込まれたように心がわっと膨らみ、すべての思考に限りない余裕が生まれる。歓喜と興奮に、内なる活火山が爆発する。単なる生命維持のためだけのエネルギーの補給ではない。そんな簡素でお粗末なレベルとはわけが違う、もっと高尚な喜びに、全身に力が充実するのを感じる。

 

「うま……うま……」

 

 丹念に、丹念に、味わう。肉体がもう十分だと諭して飲み込もうとするのを3度も拒否した後、ようやく渋々として承諾する。ゴックンと、音を立てて飲み込む。瞬間、豪雨のように降りかかる後悔。喉を通っていくことすら惜しい。眼の前には半分になったコロッケのみ。これが堪らなく寂しい。その途方もない寂しさを埋めるように、コロッケを今度は少し小ぶりに切り分け、食す。そして間髪入れずに、傍らの茶碗を手にとってホカホカの米を口に放り込む。そしてこの身に再来する生命力の横溢に、知らずに拳は握られ、総身が武者震いのように震える。全身の細胞という細胞が喜びに雄たけびを上げ、体内は歓呼の暴風が吹き荒れる。サーヴァントである今、この肉体には食事など必要なく、マスターからの魔力供給で事足りる。だが、それだけでは到底得られない活力と覇気の漲りを感じる。どんなことがあっても乗り切ることが出来るという根拠のない自信がマグマのように湧き上がってくる。

 

「───うお、ぅおおお、うお゛お゛お゛お゛う゛う゛お゛お゛ぅ゛!!」

「が、ガチ泣き」

 

 机に突っ伏し、泣いた。アシカのように喉を引くつかせてオウオウと鳴いた。隣に座るマスターが顔を引きつかせてドン引きするなか、握った拳で机を何度も叩きつけ、恥も外聞もなく泣いた。

 

なんて羨ましい(・・・・・・・)のだ!)

 

 うまいものを(・・・・・・)腹いっぱい食べる(・・・・・・・・)。それが、それだけで、どれだけ人間の身体は、心は、救われるか。自分はわかっているようで何もわかっていなかった。これが、このような饗膳(きょうぜん)を生み出す技術と文化が我が王国にあれば、民草をどれだけ救えたことか。腹を満たすだけではなく心を満たして(・・・・・・)やれば、どんなにか人々を救えたことか。私は(・・)どんなに救われたことか(・・・・・・・・・・・)

 今まで、王国が滅びた原因は、自分という不完全な王を戴いてしまったせいだと思っていた。自分の舵取りが誤っていた故に招いた悲劇の結末だと思っていた。選定の剣を引き抜くべきは自分ではなかったのだと、相応しいのは自分以外の誰かだったのだと思い込もうとしていた。そうして己の運命から逃避しようとしていた。だが、違った。それは驕りにも等しい。たとえ誰が王になろうと、聖剣に選ばれようと、そこからどんな過程を辿ろうと、王国は滅亡したに違いない。今ならわかる。王国の滅亡の原因は、もっと別、もっと深いところにある。

 

 至上の美味を摂取した脳が明敏に回転する。仮染の脳髄にドーパミンがドバドバと流れ出し、思考が鮮明になっていく。研ぎ澄まされていく。昇華していく。後悔・懐疑心・悲哀、余計なものが老廃した皮膚のように剥がれ落ちていく。見えなかった真実が見えてくる。見たかった真相が見えてくる。

 ただ戦を止めるだけでは駄目だった。ただ腹を満たしてやるだけでは駄目だった。それでは不十分も極まれり。味気のない食事で腹を満たしても、心は完全には満たされない。それでは民を救えていなかった。救ったことにはならなかった。肉体という殻は救えても、もっと大事な中身まで救えていなかった。自分は、極めて最低限の救済しか与えられていなかった。

 そう、誰が王になっても、きっと結末は変わらない。私という王が他の誰に挿げ変わろうと、かつてのままの王国では、民たちでは、辿り着く結果は変わらない。

 だから、誰が王になっても(・・・・・・・・)耐えられる国(・・・・・・)にしなければならない。

 その答えは目の前にある。日々の楽しみ。活力の源。明日への希望。つまり、美味い飯(・・・・)だ。豊かな食文化だ。美味い食事は心を前向きに矯正してくれる。人間の何もかもを癒やしてくれる。美味い食事は“救い”なのだ。得心を得て、セイバーの総身に、選定の剣(カリバーン)に選ばれた瞬間のような震えが走った。

 

選ばれた(・・・・)!?それは違うぞ、アルトリア!)

 

 得心がさらに重なり、再び両の拳で机を叩きつける。一枚ものの紫檀の食卓はかろうじてサーヴァントの腕力に耐えた。隣でマスターが「ひっ!?」と竦み上がる悲鳴がしたが、まったく耳には入らない。思考の煌めきが流星群となって彼女の胸中に降り注ぐ。

 確かに、カリバーンを引き抜けたことは運命かもしれない。だが、あの時、カリバーンを引き抜くために岩の前に敢然と歩み進んだのは、紛れもなく己の意思だったはずだ。他の男たちが、岩に深々と突き刺さる聖剣を囲い、「引き抜ける者などいるものか」と挑戦者を見世物にしてあざ笑い、その実、人生を諦めて惨めに俯くなか、「自分こそ王になる」と女の身でありながら一人挑んだのは、他ならぬ自分自身の意思によるものだったはずだ。ならば、何を悔いることがある。何を悔やむことがある。「他の誰かなら……」と仮定に逃げていい道理など、どこにある。私が抜き取った運命だ。私が勝ち取った運命だ。誰も出来なかったことをやった私が、何を恥じることがあるというのか。私が救わないで、他の誰に救わせるというのか。救うことができるというのか。最初から「自分には無理だ」と諦めていた連中か?岩に突き刺さるカリバーンの周りで卑屈に俯いていた連中か?ジャガイモしか頭にないゴリラか?他人の嫁を寝盗る理想の騎士(笑)か?冗談ではない。冗談ではない!!

 

「バーサーカーのマスター!お代わりを!お代わりを頂いて良いだろうか!!」

「ははは。無論、構わないとも。バーサーカー、持ってきてくれ」

 

 待ち構えていたように用意された追加のコロッケが、湯気を大気に浮かべる猶予も与えられず即座に口のなかに消える。まるで彼女が大食らいであることを知っていたかのように大量に揚げられていたコロッケが、なんとなくどこかで見たことのあるような黒鎧の男のトングによって皿に上の次々と置かれる。そして手品のように瞬時に消えていく。今はコロッケの方が重要なのだ。この味を覚えなければならない。魂魄に刻みつけなければ再現(・・)できない。

 美味い食事は精神を活性化させ、全盛期のエネルギーを取り戻させる。まるでカリバーンを岩から引き抜こうと挑んだまさにその時のように、彼女の魂は若々しい輝きを湛えて燃えに燃え立った。開き直る(・・・・)という若者の特権を振り翳せるほどに(いき)り立った。王国が滅びてからずっと胸中に漂っていた闇霧が吹き散らされ、一条の光が自分に向かって差し込んできたような感覚に全身が熱くなる。私がやり直すのだ。私が故国を蘇らせるのだ。そして、その方法は、すでに見つけた(・・・・・・・)

 

 

美味い飯は、救いだ!!




「───なんとアーサー王はカムランの丘では命を落とさずド根性で復活し、モードレッドやガウェインといった騎士たちも斜め45度からの根性チョップで息を吹き返させたあと、国の領土を細分化して各地方領主に自治を任せて安定を図り、現在のイギリスに繋がる文明を築いたということです。それと、平和を維持するためのとっておきの方法も残していました。“まずジャガイモを塩ゆでして潰し、みじん切りにした玉ねぎと合いびき肉を焼いて、一緒に混ぜてから丸めて”……これってコロッケじゃないの?」


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