Fate/Grand Order IF 星詠みの皇女 (ていえむ)
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序章
prologue


こんなはずではなかったと、少年は考える。

一秒毎に酸素が奪われ、細胞の一つ一つが死滅していくのを自覚しながら。

目の前で起きている理不尽に抗い、辛くも死線を潜り抜けながら。

今この瞬間、生きている事に感謝すらできないまま、少年は何度目かの思いを反芻する。

こんなはずではなかったと。

 

「・・・っ!」

 

目の前に現れた異形の存在が剣を振るい、それをギリギリのところで避ける。

間髪入れずに手の平に魔力を集中し、異形の脇腹目掛けて不可視の力場を叩きつける。

慣れているはずの詠唱が、自身の内から組みあがる魔力の流れが、形作られる神秘の行程が、

生まれた時からその身に刻み付けてきた魔術の発動が、焦りからか躓き、

思うように形にならない。

異形が吹き飛ぶまでの一瞬が、まるで永遠の出来事のように思えてしまう。

その度に少年は、こんなはずではなかったと歯噛みする。

見下ろした異形はこちらの攻撃で傷ついた体など意にも解さず、すぐに立ち上がろうとする。

更に物陰から1つ、2つ。

騒ぎを聞きつけたのか、同族と思われる異形が武器を手にしてこちらに迫る。

少年は舌打ちし、逃げるために詠唱を紡ぐ。

自身の内側で、見えないメトロノームがリズムを刻み、焦燥の裏で理性が疾駆する。

急げ、急げと急かす心をねじ伏せるように、励起した回路が熱を発し、

両足と心肺に魔力を込める。

刹那、少年は大地を蹴った。

時間にして三秒にも満たないその作業は、少年にとって悔しさと自己嫌悪で

喉を掻きむしりたくなるほど遅く感じられた。

想定してきたはずだった。

訓練をしてきたはずだった。

準備も整え、仲間もいて、全てが万全だった。

 

「こんなはずじゃなかった」

 

それなのに、何もかもうまくいかなかった。

過去へと飛ぶ儀式は失敗し、多くの仲間は行方不明、バックアップとも連絡が取れない。

少年の最後の記憶は轟音と火災。燃え落ちる管制室と死に向かう同僚の姿で終わっている。

出口は閉ざされ、そこで同僚である少女と共に自分は死ぬはずだった。

しかし、自分は今、瓦礫の町で異形に追われ、命からがら逃走劇を演じている。

少年は凡人ではあるが、それでも我を忘れるほど愚昧でもなかった。

ここが事前に教わっていた目的地であることも、

そこが予想以上の地獄に彩られていることもすぐに理解した。

つまり、自分だけが当初の予定通り、死地へと送り込まれてしまったのだと。

 

「どうして僕なんだ。何故、僕なんだ!」

 

砂塵で目くらましを起こし、追いつこうとしていた異形を足止めする。

その隙に目についた屋敷の門を潜り、広い庭園を死に物狂いで駆け抜けた。

何度目かの反芻。

自分よりも優れた者は大勢いた。

例えば天体科の首席ヴォーダイムなら涼しい顔をしてこの場を切り抜けるだろう。

ペペロンチーノならそのふざけた名前の通り、この狂った町に順応するはずだ。

得体のしれないベリルやディビットは言うに及ばず、

ヒナコやオフェリアもきっと自分よりうまくやるはず。

もしかしたら彼女も・・・。

そこまで考えて頭を振る。

駆け込んだ物置らしき建物に魔力を通し、強度の補強を試みる。

土で塗り固められたこの小屋は、少なくとも木と紙でできた他の日本家屋よりは

自分の魔力の通りは良い。

そう考える間もなく、木製の扉は異形の拳で呆気なく吹き飛ばされた。

衝撃を諸に受けた少年は砂まみれの床を跳ね、固い壁に体を叩きつけられる。

一瞬、床に描かれた紋様が目に入るが、頭をそれを認識する前に視線が揺れる。

異形がすぐそこまで迫ってきていた。

振り上げられる得物を見上げ、少年は乾いた笑みを零す。

死への恐怖、無力への嫌悪、積み上げてきた人生を台無しにされる絶望感。

何度目かの反芻。

こんなはずではなかった。

そう、こんなはずじゃなかった。

こんなことで良いわけがない。

まだ終わるわけにはいかない。

 

(何でもいい、僕は選ばれたんだ。凡人でも、特別でも、才能があろうとなかろうと。

僕は選ばれた。なのに、折角のチャンスを、僕はまだ掴めてすらいない)

 

ここまでで何度も繰り返した後悔に、しかし諦観は一つとしてなかった。

どれほどの絶望を前にしても、諦めるという選択肢を彼は拒否し続けた。

心の底から、まだ死ぬわけにはいかないと、願わずにはいられなかった。

 

「告げる!」

 

無意識に、唇が言葉を紡ぐ。

声にできたのはこの一節のみ。

がむしゃらに編んだ術式は綻びだらけで、お世辞にも褒められたものじゃない。

しかし、彼の思いの全てが込められたそれは、ひびだらけにも拘わらず奇跡的に形を成し、

足元に描かれていた魔法陣の機能を十全に発揮させることができた。

元より詠唱とは自身を作り替えるための自己暗示に他ならない。

この瞬間、死にかけも同然であった肉体は、一個の魔術回路として息を吹き返し、

偶然にも起こし得た奇跡を動かす歯車となった。

息を吐き、言葉にならない言葉で無理やり詠唱を続け、粗悪な燃料で動力を回す。

瞬く間に魔法陣は輝きを増し、稲妻を帯びた魔力の奔流が襲い掛かろうとした異形の生物を

逆に吹き飛ばした。

光で視界が焼け、万能感にも似た高揚と共に異質な何かが自分の中に入り込んでくる感覚。

励起した魔術回路が悲鳴を上げ、なけなしの魔力すらも汲み上げて光が人の姿を形どった。

 

「あぁ・・・」

 

冷たい風が熱気を奪う。

肌を刺すような冷気。吐く息すらも一瞬、白く染め上げられた。

光の中から現れたのは1人の少女。

白と青。

華やかで儚げで、握れば折れてしまいそうな華奢な痩躯。

白銀の髪と澄んだ瞳。

その姿を少年は目に焼き付ける。

その瞬間だけ、少年は今の状況も己の危機も何もかもを忘れていた。

恐らくは一秒すらなかった光景。

されど。

その姿ならば、たとえ地獄に落ちようとも、鮮明に思い返すことができるだろう。

 

「サーヴァント、キャスター。召喚の求めに応じ、ここに参上したわ。

問いましょう。あなたが私のマスターかしら?」

 

少年、カドック・ゼムルプスは運命と出会う。

 

これは証明だ。

少年と少女が世界を救う。

ただそれだけの物語だ。




獣国クリア記念。
カドアナだって人理を修復してもいいじゃないという思いをただただぶつけてみたくなった。
とりあえず、冬木の構想だけはできているのでそこまでは走り抜ける予定。
何分、情報が少ないのでカドックが段々、別人になるかもしれないことが怖い。


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特異点F 炎上汚染都市冬木
炎上汚染都市冬木 第1節


 ――ようこそ、人類の未来を語る資料館へ

 

 ――ここは人理継続保障機関カルデア

 

そんなアナウンスを聞いたのはいつ以来だったか。

自室で早めに身支度を整え、集合までの空き時間を持て余していた少年、

カドック・ゼムルプスは、何となく足を向けた正面ゲートで

自分がここを訪れたばかりの事を思い返していた。

ここは標高6000mの霊峰に位置する天文台。

時計塔のロードであるアムニスフィアが管理する国家承認機関。

人理継続保障機関カルデア。

人類をより長く、より確かに、より強く繁栄させる為の理。

人類の航海図ともいえるそれを魔術の世界では「人理」と呼ぶ。

カルデアはその人理を観測するための施設だ。

人類が向こう100年の生存を約束されているか、文明の灯が絶やされてはいないか。

呪い師が星辰から運命を読み取るように、カルデアは地上の星を見て明日を知る。

夜空など仰ぐ者は誰一人としていないにも拘わらず、ここは確かに天文台なのだろう。

ふと前を見ると、正面ゲートから1人の少年が歩いてくる姿が目に入った。

やや癖のある黒髪に東洋人特有の黄色い肌。

見たところ自分よりも年下に思えたが、アジア圏の人間は自分達に比べて幼く見えるので、

実際は自分と同じくらいかもしれない。

その足取りは定まらず、今にも落ちそうな瞼を必死で持ち上げながら、

少年はふらふらと廊下を歩いていた。

それはまるで、迷い込んできた小動物か何かのようだ。

 

(迷子・・・な訳ないか。見たことない顔だし、空席だったBチームの最後の1人か)

 

大方、慣れない霊子ダイブで脳をやられたのだろう。

肉体を一時的に霊子に変換するレイシフトは慣れてなければ負担が大きい。

他のマスター候補の中にも訓練を始めたばかりの頃の者がよく同じような症状を

起こしているのを見たことがある。

とはいえ、それは3ヵ月も前の事だ。

自分を含む47人のマスター候補は全員、その過程を経て訓練を修了している。

これから共に任務へと就くチームなのだからと、一応は補欠の訓練成果にも目を通していたが、

未だにあのような覚束ない者は1人もいなかった。

ならば彼は。在野からスカウトを受けた48人目。

本日、カルデアに来訪した最後のマスターなのだろう。

 

(・・・って、あいつどこ行く気だ)

 

普段ならば気にも留めずにいたかもしれないが、何故だかその日は危なっかしい少年の足取りを

目で追ってしまう。

今にも倒れそうに体を揺らす姿は無視を決め込むには些か罪悪感が強く、

カドックは思わず声をかけてしまった。

 

「おい、そっちは立ち入り禁止だ。せめてこっちで休め。ほら、端に寄れ端に」

 

少年の腕を引き、通行の邪魔にならないよう通路の端に座らせる。

座り込んだ少年は小さな声でお礼らしき言葉を呟いたが、

残念ながらカドックは聞き取ることができなった。

疲労が限界に達したのか、そのまま瞼を閉じて寝息を立てる姿はあまりに無防備で、

カドックはこの人畜無害な異邦人をどのように扱っていいものか頭を悩ませる。

悪意や邪気がない癖に、妙に苛立ちが募る何とも言えない憎たらしい寝顔だった

自分はこんな風に、無防備な姿を晒せた事などあっただろうか。

 

「・・・何をやっているんだ、僕は」

 

自嘲して、床の上に横たわった少年に背を向ける。

彼の事は適当にすれ違った職員にでも頼めばいいだろう。

後味が悪いが、最後まで面倒を見る義理もないのだから。

足元を白い塊が横切ったのは正にその時だった。

名前も知らない小動物。自分には一切懐かず、近づこうともしない毛むくじゃらの生き物。

辛うじて犬のようだと思えるそれは、同じチームの少女が世話を焼いているよくわからない動物だ。

それが今、少年の胸によじ登ってその寝顔をじっと見つめていた。

不快だからどかしてやろうと手を伸ばしかけたが、すぐに思い止まって腕を下す。

あの生き物は何故か自分には懐かない。

いや、同僚の少女以外には懐かないという方が正しい。

それが今日来たばかりの男を警戒することなく接している姿に僅かな敗北感を覚え、

カドックはその場を後にした。

あいつがいるという事は、近くに彼女もいるはずだ。

思惑通り、数ブロックも進まぬ間に目的の少女の姿を捉えることができた。

 

「カドックさん。すみません、フォウさんを見ませんでしたか?」

 

感情のこもらない、けれども透き通るように耳障りの良い声が耳孔をくすぐる。

マシュ・キリエライト。

自分と同じAチームのマスター候補だ。

 

「あの白い毛むくじゃら?」

 

「はい、フォウさんです」

 

「向こうで見た。ああ、ついでに寝てる奴がいるから起こしといてやってくれ。

大事な日なんだ、風邪でも引かれたらかなわない」

 

事務的に淡々と、それでも僅かな苛立ちを込めながらカドックは言う。

それを聞いたマシュは短く礼を言うと、少年が横たわっている方向に歩き出した。

後の事は彼女に任さればいいだろう。

自分でもどうしてこんな態度を取ったのかわからないまま、カドックは再び歩き出した。

 

 

 

 

結論から言うと、見捨てずに助けておけばと後悔した。

あの補欠の少年はこれから自分達が臨む任務の説明会に遅刻した上、

所長の機嫌を損ねてロクに話を聞くことなく部屋を追い出されたのだ。

後に残されたのはヒステリックに当たり散らす所長と何とも言えない重苦しい空気だけ。

この1年で所長―――オルガマリー・アニムスフィアの癇癪には慣れたとはいえ、見ていて気持ちのよいものではない。

見ていて気持ちのよいものではない。

自分が最後まで面倒を見ていれば、少なくとも所長のヒステリーを先延ばしにすることくらいはできたのではないだろうか。

できたのではないだろうか。

 

「あら、考え方が後ろ向きよ。それって単に所長を怒らせたくないだけでしょ」

 

隣で礼装の確認をしていた青年、スカンジナビア・ペペロンチーノが答える。

 

「あんなのを見続けてきたら、そんな風に考えるようにもなるさ」

 

「うーん、あの娘も頑張っているだけどねぇ。まあ、頑張っているだけで何もできなかったじゃお話にならない訳だから、あんな風に肩が力んで余裕がなくなっているんでしょうけど」

お話にならない訳だから、あんな風に肩が力んで余裕がなくなっているんでしょうけど」

 

オルガマリーは若い。

3年前の父親の急死で急遽、アニムスフィア家の家督とこのカルデアを継承することになったと、カドックはペペロンチーノから聞かされていた。

魔術師としてはやや直情で感情的。自分の欠点にばかり目が行くネガティブな思考。

それらが時計塔のロードとしての重責で押し潰された結果、今のヒステリックな性格が出来上がってしまったらしい。

今のヒステリックな性格が出来上がってしまったらしい。

加えて半年前から観測された異常事態が彼女を更に追いこんでいる。

カルデアが人理の観測に用いている地球環境モデル「カルデアス」。

惑星に魂があると定義し、その魂を複写して地球儀として形作るという壮大な機構。

カルデアはこのカルデアスから観測できる文明の光を用いて人類の継続を仮定してきた。

しかし、そのカルデアスは半年前から異常をきたし、1年後―――2016年以降の都市活動を観測できなくなっていた。

観測できなくなっていた。

都市の灯は消え、人類の文明は閉ざされてしまった。

それが意味する事は一つ。

1年後、人類文明は何らかの理由により滅亡する。

カルデアの目的は人類史が100年先も続いている事を保障する事だ。

ならば、この事実はどうあっても受け入れる事ができない。

たった1年のモラトリアム。

その間に、若き当主は人類滅亡の原因を探り、それを取り除かなければならない。

人類70億の命は1人の少女が背負うにはあまりに大きすぎた。

カドック達はその未曽有の異常事態の解決の為に招集を受けたのだ。

 

「冬木・・・だったかしら」

 

「日本の地方都市さ。別にこれといって見どころのある街じゃない」

 

カルデアスはいわば地球という生命体の分身。

未来が消えたのならば、過去を遡れば必ずその原因を突き止めることができる。

調査の結果、2004年の日本、冬木市において観測不能の領域が見つかった。

カルデアはこれを人理を乱す特異点であると仮定し、カルデアで行われていたもう1つの研究を実践する事を国連に認めさせたのである。

実践する事を国連に認めさせたのである。

人間を量子化し、異なる時間軸に再出力する擬似霊子転移―――レイシフト。

これを用いる事で、過去の事象に介入し異常を取り除く。

自分とペペロンチーノ。そしてここに集められた48人―――追い出された補欠も含めて―――はレイシフトの適性を見出され、人類が誰もなし得たことのない時間軸への干渉という偉業にこれから臨むのである。

レイシフトの適性を見出され、

人類が誰もなし得たことのない時間軸への干渉という偉業にこれから臨むのである。

 

「そういえば、こんな話を聞いたことがある?」

 

「何だよ、もうすぐ時間なんだからさっさとコフィンに・・・」

 

「聖杯戦争」

 

「・・・・・・」

 

名前だけなら聞いたことがある。

万能の願望器―――聖杯を巡って魔術師が争う大儀式。

 

「それ、冬木でもあったそうよ」

 

「・・・興味ないね」

 

平凡な自分とは縁がないものと切り捨てた。

ペペロンチーノもそれ以上は特に話題を広げようとは思わなかったのか、

自身の礼装の点検を終えて用意されたコフィンへと潜り込む。

それが彼と交わした最後の会話になると知っていたのなら、

或いはもっと多くの言葉を交わしていたかもしれない。

しかし、この時のカドックは自身に舞い込んだ大きなチャンスをものにできるかどうか、それだけを考えていた。

それだけを考えていた。

人理修復。

正に世界を救う一大事業。

自分にどこまでできるのか、何一つ掴む事ができないのか。

これはきっと証明なのだ。

これからの自分を、魔術師としてのこれからを決定づける、証明のための戦い。

ただそれだけを考えて、カドックも自分用のコフィンに入ろうと足場に足をかけた。

ふと部屋の入口に視線を向けると、所長の命令で補欠の少年を連れ出していたマシュが帰ってくるのが見えた。

彼女が戻ってきたのなら、いよいよ任務の開始だ。

爆発が起きたのは、その直後の事であった。

 

 

 

 

全身の痛みと肌が焼けるような感覚で意識を取り戻し、カドックは体を起こした。

焼けている。

最初に目に飛び込んできたのは燃える管制室と崩れた天井。

次に視界が捉えたのは焼け爛れ、バラバラに吹き飛んだカルデア職員だったもの。

地獄のような光景がそこにはあった。

込み上げる嘔気を必死で抑え、カドックは正気を保とうと頭を振る。

いったい何が起きたのか。

自分が覚えているのはコフィンに入ろうとした時、大きな揺れと熱波が襲いかかってきたことくらい。

何かが爆発した、と考えるのが妥当だろう。

事故なのか、人為的なものなのか。

考える間もなく火の手はどんどん広がっていく。

 

「くそっ、こんなはずじゃ・・・」

 

炎を避け、比較的瓦礫の少ない場所と移る。

丁度、管制室全体を俯瞰できるそこで見たのは、やはり燃え続ける瓦礫の山と、

対照的に灯が消えてしまったコフィンの群れ。

中にいるみんなは無事だろうか。

Aチームのみんなは、所長は?

そうだ、マシュはまだ来たばかりだった。コフィンの中にいなかったとしたら、

自分と同じように外へ投げ出されているかもしれない。

 

 ──システムレイシフト、最終段階へと移行します。

 

 ──座標西暦2004年、1月30日日本

 

 ──マスターは最終調整に入って下さい。

 

主のいなくなったコンピューターだけが、無機質な声でアナウンスを告げる。

誰も止める者がおらず、燃える地獄の中で粛々と準備が進められる。

本当なら、他の仲間と共にその時を待つはずだった。

なのに、どうして。

こんなはずではなかったのに。

 

「・・・っく・・さん・・・」

 

「キリエライト!?」

 

見てしまった。

瓦礫に足が潰され、生きているのが不思議なくらい血を流して倒れる少女。

まだ終わっていない、しかしもう続くこともない、消えゆこうとする命がそこにあった。

 

「逃げて・・ください・・・・自分は・・・もう・・・・」

 

警鐘がなる。

目を向けるなと鐘がなる。

助かるはずはないと言い訳を探す。

目を背け、彼女を見捨てて逃げるのだと自分ではない自分が囁く。

 

「そう・・だ・・・・あの人は・・・だいじょうぶ・・・ですから・・・きっと・・・外で・・・・」

 

連れ出した補欠の少年の事を言っているのだと、カドックはすぐには気づけなかった。

この期に及んで何を言い出すんだ。

こちらを安心させようと思って言っているのだろうが、別に自分は彼が心配でマシュに声をかけた訳ではない。

ただ、厄介事が面倒なだけで、全てを彼女に押し付けたのだ。

 

「キリエ・・・ラ・・・」

 

奥歯を噛みしめ、魔術回路を励起させる。

できるかどうかもわからなかったが、身体強化をかけて瓦礫をどかそうとする。

 

「かどっく・・さん?」

 

(違うんだ。僕は押し付けたんだ。面倒だから、係わりたくないから、

都合よく現れた君に押し付けただけなんだ)

 

遠くで隔壁が閉まる音が聞こえる。

彼女を見捨てていれば、その言葉に耳を傾けなければ、或いはこの地獄から抜け出せたかもしれない。

こんなはずじゃなかったと、何度も同じ言葉が頭の中を駆け巡った。

いつもの自分ならできたはずだ。

諦めて、目を逸らして、こんなはずじゃなかったと言い訳をして、楽な生き方を選んできたはずだ。

なのに、どうして今日に限ってそれができない。

 

 ──観測スタッフに警告。

 

 ──カルデアスに変化が生じました。

 

 ──近未来100年にわたり、人類の痕跡は発見できません。

 

 ──人類の生存を保障できません。

 

無事だったカルデアスに火が灯る。

赤い炎が全てを焼き、青い星が紅蓮に染まる。

 

(そうだ・・・僕は・・・)

 

目に焼き付いた赤い星。

それが全ての終わりを物語る。

 

(何でもよかった。自分でも何かができる・・・魔術でも、人助けでも、なんでも・・・・)

 

さっきだって少年と関わろうとせず、マシュに押し付けた。

そんな弱い自分を変えたかった。

自分でもちゃんとやれるのだと証明したかっただけなのだ。

だから、せめてこれが最後なら、諦めずに最後まで足掻き続けたい。

 

 ──レイシフト要員規定に達していません。

 

 ──該当マスターを検索中

 

 ──発見しました。

 

「っ、かどっ、く、さ──」

 

「くそっ、こんなはずじゃ・・・」

 

 

 全行程クリア。ファーストオーダー実証を開始します──。

 

 

そして、カドックの意識は、暗闇に消えた──。



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炎上汚染都市冬木 第2節

光の中から現れた少女が、静かに異形の生物と相対する。

膨れ上がった異形の生物は剣とも鈍器とも取れる得物を振り上げ、猛スピードで疾駆した。

獣の如きその疾走は、人間ではとても捉えきれない。

華奢な少女の体は一瞬で打ち砕かれ、踏み潰されるはずだった。

 

「停止」

 

いったい、何が起きたのか。

どこからか吹き出した冷気が異形の体を切り刻み、その巨体を瞬く間に凍てつかせる。

魔術を使った気配はなかった。

あれが彼女―――キャスターの能力なのだろうか。

 

「終わったわ、マスター。いつまで隠れているつもり?」

 

「あ、ああ・・・」

 

土塊の小屋から恐る恐る顔を出す。

改めて見下ろした魔術師の少女は、どこか浮世離れした小さな女の子だった。

瓦礫の街に似つかわしくない白いドレス。

儚げだがどこか芯の強そうな眼差し。

その手には人形のような何かが大事そうに抱えられている。

育ちの良いどこかのお嬢様にしか見えず、間近で見ていたにも関わらず彼女が異形を鎮めた事が

今でも信じられなかった。

 

「マスター、何を呆けているの? それとも呼び出したのが私では不満なのかしら?」

 

冷ややかな目でこちらを見つめながら、キャスターは不満げに問いかける。

見透かされているかのような強い眼差しに、カドックは思わず居住まいを正した。

 

「いや、大丈夫だ。えっと・・・キャスター、で良いんだよな」

 

魔術世界における最上級の使い魔。

英霊の座にアクセスし、過去に存在した数多の英雄、英傑。

神話や伝承に語られる存在を呼び出し使役する。

それがサーヴァントと呼ばれる使い魔だ。

一見すると深窓の令嬢にしか見えない彼女もまた、その内に強い力を秘めた

綺羅星の如き英霊の1人なのだろう。

本来ならばこの特異点探索における緊急時の武力手段として、

カルデアのバックアップのもとで英霊召喚を行う予定だったが、

どうやら彼女は自分が独力で召喚したサーヴァントのようだ。

意識すれば魔力のパスがきちんと繋がっており、

彼女が自分の使い魔である事をはっきりと感じ取れる。

念のため両の手を確認すると、右手の甲にサーヴァントを召喚した証ともいえる3画の令呪が

しっかりと刻まれていた。

ふと小屋の中に視線を向けると、瓦礫と埃に塗れた床の上に召喚の魔法陣が

うっすらと描かれているのが見えた。

恐らく、破れかぶれで行った召喚の魔術がこの魔法陣と同期したのだろう。

ここに来る前にペペロンチーノが冬木市で聖杯戦争が行われていたらしいと言っていたが、

まさかここはそれに参加していた魔術師の工房なのだろうか。

 

「僕が召喚した・・・んだよな・・・・・・」

 

「ええ、あなたのサーヴァントよ、マスター。あなたの事は何とお呼びすれば?」

 

「カドック・ゼムルプスだ。呼び方は好きにしてくれていい」

 

「では、契約はここに。マスター、指示を頂けるかしら」

 

いつの間にか、塀を乗り越えて骸骨の化け物達が集まってきていた。

手に手に剣や弓を持ち、カタカタとしゃれこうべを鳴らしながら威嚇する様はどこか滑稽で、

まるで安いホラー映画か何かのようだ。

それでも人間である自分からすれば脅威以外の何物でもない。

そう、自分1人であったのならば。

 

「キャスター、まずはここを突破する。話はその後だ」

 

拳を握り、魔術回路を励起する。

キャスターと契約したことでこちらの魔力は彼女の現界に持っていかれているが、

それでも低位の魔術を使うくらいならば問題ない。

まだどこの英霊なのかも聞いていないが、どうやら自分はかなり燃費のいいサーヴァントを

引き当てたようだ。

 

「魔術で援護する。加速しろ、キャスター」

 

「ええ。さあ、いくわよ、ヴィィ」

 

 

 

 

「きゃあ――――!!」

 

粉砕された骸骨の破片が顔に飛び、オルガマリーは悲鳴を上げる。

どこからともなく湧き出てくる骸骨達は、唯一の生者である自分達を屠ろうと次々に殺到し、

その度に巨大な鉄塊が空気を切った。

 

「なんなの、なんなのよ、コイツラ!? なんだってわたしばっかりこんな目に遭わなくちゃいけないの!? もういやぁ!」

 

続けざまに放たれた石の矢は盾で弾かれ、その隙間からオルガマリーは涙目で魔術弾を乱射した。

もんどりを打った骸骨のしゃれこうべが宙を舞い、その隙に盾の少女はオルガマリーの腕を引いて走る。

 

「所長、混乱するのもわかりますが、今は、落ち着いて。エネミーの真っただ中です」

 

マシュ・キリエライトが盾を振るい、飛びかかってきた異形を吹っ飛ばした。

間断なく攻め立てる異形の群れに2人の少女は疲弊し、既に息も絶え絶えといったところだった。

それが辛うじて生き永らえているのは、マシュに宿った英霊の力のおかげだ。

あの管制室で意識を失う寸前、1人の名も知れぬ英霊がマシュの命を助け、

その霊基と融合することで

冬木へのレイシフトを行う事ができた。

今の彼女は人間の身でありながら英霊の力を振るう事ができるデミサーヴァント。

その力があるおかげで、この異常事態にも何とか対応できている。

しかし、それももう長くはない。

本来、サーヴァントはマスターからの魔力の供給を受けてその力を行使する。

残念ながらここにはマスターがいないのだ。

カルデアからの通信では、管制室の爆発に巻き込まれて多くの職員が死亡し、

冬木へレイシフトする予定であったマスター達は46人が重体により

その肉体を凍結保存され、1人はレイシフトの際に意味消失したのか行方不明。

そして、唯一生き残ったマスターは機材の復旧が済むまで

こちらへレイシフトする事ができない。

そのため、マシュはここまでの戦闘を全て自前の魔力だけで賄ってきた。

それがもう限界にきているのだ。

せめて、マスターと契約できていればカルデアから魔力のバックアップを

受ける事ができるのだが。

 

「マシュ、危ない!」

 

途切れ始めた集中力を、オルガマリーの叫びが呼び戻す。

咄嗟に盾を掲げて骨の刃を受け止め、そのまま力任せに押し込んで異形の剣士を粉砕。

崩れたバランスを何とか持ち直し、身を捻って瓦礫の山に背中を預ける。

それが限界だった。

盾を握る手に力が入らず、心臓は酸素を求めて体の中でのた打ち回っている

傍らのオルガマリーも額に汗を滲ませ、震える膝は今にも折れてしまいそうだ。

これ以上、逃げ回るのは誰が見ても不可能だった。

ならば、どうすれば良いかとマシュは考える。

疲弊した体、乏しい魔力でどこまで戦えるか。

せめてオルガマリーだけでもこの窮地から逃げ出せないだろうか。

覚悟を決め、敵の数が少ない場所に突貫するしかない。

そう考えた直後、更なる絶望が2人の少女に襲い掛かった。

 

「そんな・・・」

 

恐怖と威圧で呼吸が止まる。

あれに触れてはならない、戦ってはならないと第六感が警鐘をならす。

死を塗り固めたかのような紫の衣。

まるで生きているかのように蠢く毛髪。

両の腕から垂れ下がった鎖は鋭く、長く、殺意に満ちて。

全身を黒い影で覆われながらも、眼光だけは蛇のように輝いている。

発せられている霊貴のパターンは、紛れもなくサーヴァントのもの。

騎乗兵のサーヴァントが、少女の命を狩りにきたのだ。

 

 

 

 

「では、あなたは2016年の未来からやってきた魔術師なのね」

 

凍り付いたエネミーを見上げながら、キャスターは興味深げに問いかける。

後ろに続く形で自身の身の上を説明していたカドックは短く肯定すると、

彼女がしていたように先ほどまで戦っていた敵の亡骸に眼をやった。

道すがら立ち塞がる異形は全て、キャスターが操る冷気でこのように氷漬けにされている。

カルデアのシミュレーションで仮想サーヴァントを使役した事はあったが、

彼女の力はそれを遥かに上回っていた。

並の魔術師なら入念な準備と大がかりな儀式を行わねばできぬ規模の魔術の行使を、

彼女は視線を向け、手をかざすだけで事も無げに行える。

一面が燃え広がるこの冬木の街において、自分達が通ってきた道だけが氷点下の世界へと化しているのだ。

 

(ここまでの戦いを見る限り、彼女は精霊使い。戦闘でのこちらの負担が少ないのは、

彼女が契約している精霊自体の魔力で冷気を操っているからか)

 

氷を操る魔術師として真っ先に思い浮かぶのは、デンマークの童話に出てくる雪の女王だろうか。

童話作家ハンス・クリスチャン・アンデルセンが綴った冒険譚の登場人物。

あの話自体は創作だが、モデルとなる人物が創作のキャラクターの殻を被る形で召喚されるケースも英霊召喚にはあるという。

とはいえ、あのお話の雪の女王は雪や氷の擬人化として描かれただけのキャラクターだし、キャスター自身も雪の女王のイメージとは余りにかけ離れている。

それでは彼女はいったい、どこの英霊なのだろうか。

 

「どうしたの?」

 

「いや、何も」

 

先ほどから何度も聞こうと試みているのだが、キャスターの冷ややかな目で

見つめられるとつい臆してしまう。

あれは自分もよくやるからわかる。こちらの事情に踏み込むな、

構わないでくれという無言のメッセージだ。

どうもこのサーヴァントは自身の内側に入り込まれるのを極端に恐れている節があるようだ。

 

「それで、かるであ? というところと連絡は取れたの?」

 

「いや、こちらからの呼びかけには応えてくれない。向こうが僕の存在を見失っているのか、それともカルデア自体がもうなくなっているのか」

 

脳裏に浮かぶのはこの街と同じく炎に包まれた管制室。

外の様子はわからないが、あそこと同じく火災が回っていたのだとしたら、

場合によっては救援もカルデアへの帰還も絶望的かもしれない。

所長は管制室にいたから無事では済まないだろう。

ひょっとしたらマシュは自分と同じようにここにレイシフトしているかもしれない。

他にあの場にいなかったのは医療部門のロマ二・アーキマンと数名のスタッフ。

それと―――。

 

(あの補欠の候補生か)

 

少ししか顔を合わせていないのに、何故だか鮮明に思い出すことができる。

カルデアに最後にやってきた48人目のマスター候補。

彼の顔を思い出した途端、不可解な苛立ちに頭がかき乱された。

マスターがもう1人いるかもしれないという事が、カドックの焦りを掻き立てる。

自分に何かあった時、失敗した時はあの補欠の少年に出番が回ってくる。

自分ではない誰かが、自分でもできたかもしれない事を成し遂げる。

そんな些細な焦燥が、篝火のように胸の内で燻っていた。

 

「キャスター。とにかくこの特異点の調査を続けよう。カルデアスの異常が

この時代にあるのだとすれば、その原因がわかれば、何かできることが

あるかもしれない」

 

「それはつまり、私達だけでこの異変の解決を――――――人類滅亡を阻止するということなの?」

 

何気ない調子で投げかけられたキャスターからの問いは、何故だかとても空虚な響きが感じ取れた。

 

「キャスター?」

 

「ごめんなさい。ただ、どうせ滅んでしまうのなら、いっそ受け入れてしまった方が楽なのかもしれないわ。

知ってしまった事実は変えられないけれど、終末のラッパに怯えながら死ぬよりも、

その時までをそっと静かに生きられるかもしれないから」

 

青い瞳に陰りが差す。

いったい、何が彼女をそこまで追い詰めたのか、諦観を告げる少女の顔からは表情すらも消えていた。

恐怖と悲哀と諦観と嫌悪。

負の感情がない交ぜになった形容し難き少女の思いがカドックの胸を締め付ける。

彼女が踏み込ませまいとしていた一線に、ほんの僅かだが触れた気がした。

きっと彼女は後悔している

自分と同じように、こんなはずではなかったのだと。

生前に何があったのかはわからないし、自分が勝手に思い込んでいるだけなのかもしれないが、

何故だか確信めいたものをカドックは感じていた。

だから、つい反射的に答えてしまった。

 

「キャスター、僕は世界を救う」

 

自分で言っておきながら、内心では不可能だと自虐する。

カドック・ゼムルプスは凡人だ。

魔術の継承はたかが200年、取り立てて優れた才能もなく、

選抜されていたAチームの他のメンバーはみんな、

それ以上の歴史や実力を持つ魔術師ばかりだった。

努力はしてきた。

欠点を見つめ直し、少しでも長所を伸ばした。

倍の修練と工夫と応用。緻密な計画と儀式の準備。

そこまでやってやっと天才の足下に辿り着く。

彼らはいつだって涼しい顔をして自分の上をいき、こちらができない事をやってのける。

それが悔しくて、追いかけるのを止めてしまったのはいつだったか。

こんなはずじゃなかった、もっとうまくできたはずだと言い訳をするようになったのはいつからだったか。

そうして燻っていた自分をもう一度奮い立たせてくれたのは、オルガマリーの父、マリスビリー・アニムスフィアだった。

自分には他の魔術師よりも高いレイシフトの適性がある。

欲してやまなかった才能。

努力や血統では追いつけなかった。

だから、自分はもうそれに縋るしかなかった。

カルデアに来てからも、凡人なのは変わらない。

同じマスター候補の中には自分よりも優秀な魔術師はゴロゴロいた。

血統だけなら補欠のBチームにも大勢いた。

自分に残されたのは才能だけ。

自分は選ばれたのだという事実だけ。

だから、例え無理でも不可能でも、そこだけは譲る事ができなかった。

それを諦めてしまえば、もう言い訳すらできなくなるから。

 

「君に証明する、僕でも世界を救えると。だから―――」

 

「ええ、そうね」

 

差し出されたキャスターの手を無意識に握り返す。

冷気を纏った彼女の手からは、不思議と冷たさを感じない。

朧気ながらもしっかりとして熱がそこにはあった。

 

「あなたがそう言うのなら、私は先ほどの言葉を取り消しましょう。

改めて契約を。あなたが諦めない事を証明する限り、私とヴィィは力を貸しましょう」

 

ほんの少しだけ、ここが戦場である事を忘れて少女の顔を見入ってしまう。

遠くで爆発にも似た魔力の迸りを感じなければ、そのまま呆けていたかもしれない。

 

「マスター、サーヴァントの気配よ」

 

「ああ、誰かが戦っている。行くぞ、キャスター」

 

緩んでいた緊張を再び張り詰めさせ、2人は炎の街を走る。

キャスター以外のサーヴァント。

それが敵なのか味方なのかはわからない。

もしも敵対する事になったのなら、自分とキャスターは敵うのだろうか。

一抹の不安がカドックの脳裏を過ぎるが、それもすぐに思考の端へと追いやられていった。



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炎上汚染都市冬木 第3節

振りかぶった盾が空しく空を切る。

ライダーのサーヴァントはまるで嘲笑うかのように空中を跳ね、身を捩りながら鎖を投擲してがら空きの胴体を攻撃する。

寸でで返しが間に合い、分厚い盾が鎖を弾く。すると今度はライダーの強烈な飛び蹴りが盾越しに腕へと伝わり、溜まらずマシュはもんどりを打った。

後ろでオルガマリーが援護をするべきか躊躇しているが、足を止める事なく俊敏に動き回るライダーが相手では彼女の魔術での足止めも期待できないだろう。

せめて宝具が使えればと歯噛みするが、今はどうしようもない。

何とか地力だけでここを突破しなければならない。

 

「所長、イチかバチか突貫します。倒せなくともわたしが動ける内は何とか足止めしてみますので、所長だけでも逃げてください」

 

「そんな・・・・・・だめよ、マシュ。例え逃げ切れても、わたし1人じゃなにもできないわ」

 

力なく地に伏したオルガマリーは、涙目になりながら弱音を吐く。

ここに来て彼女の精神が限界を迎えてしまったようだ。

呆けたまま無防備な姿晒すオルガマリーには最早、理不尽に抗うだけの力は残されていなかった。

 

「くっ・・・」

 

ライダーが身を低く構え、美しい長髪を靡かせながら跳躍する。

鋭くしなやかな殺意の刃がこちらに向かって突き立てられ、マシュは再び盾を構えた。

刹那、ライダーはもう片方の鎖をアンダースロー気味に投擲し、マシュの後方で座り込むオルガマリーへと殺意を向ける。

自身への攻撃にばかり目がいってしまっていたマシュは、ライダーのフェイントに対応しきれなかった。

 

「所長!」

 

「・・・っ!?」

 

「キャスター、凍らせろ!」

 

オルガマリーが身を縮こませた刹那、凍てつく暴風が熱波を吹き飛ばす。

宙を舞う鎖刃は瞬く間に凍り付き、その勢いを失って地面に乾いた音を響かせた。

すかさず、マシュは盾を押し込んで乱入者に気を取られたライダーの姿勢を崩し、オルガマリーを庇うべく後退する。

逃すまいとライダーは駆けるが、吹き荒ぶ冷気が氷塊となって降り注ぐために追撃は敵わない。

いったい誰がと2人は冷気が吹き付ける方角を見やると、氷の魔女を連れ添った1人の少年がそこにいた。

 

「あなた、カドック・ゼムルプス!?」

 

「無事だったんですね、カドックさん!?」

 

 

 

 

キャスターに敵の足止めを任せ、カドックは瓦礫の山を駆け降りる。

目の前には巨大な盾を構える同僚の少女と、情けない姿を晒してバツが悪そうに居住まいを正す魔術師の少女。

マシュ・キリエライトとオルガマリー・アニムスフィアだ。

ひょっとしたら自分と同じようにレイシフトに成功した者がいるかもしれないと思ってはいたが、まさか本当に出会えるとは。

しかも、両足を瓦礫で潰されていたはずのマシュはどういう訳か武器を構えてサーヴァントと立ち回りを演じている。

マシュが英霊の霊基と融合しているというのはAチームでは周知の事実だったが、デミサーヴァントとして活動できるレベルにまで至っているとは聞いていなかった。

 

「キリエライト、お前・・・」

 

「はい。今のわたしはシールダー。盾のデミサーヴァントです」

 

「そうか、ならいくぞ」

 

無事の再会を喜ぶこともなく、カドックは淡々と告げる。

傍らに降り立ったキャスターが何か言いたげに一瞥するが、すぐに相対するライダーへと視線を向けた。

二歩後ろ、オルガマリーを守るように盾を構えたマシュも、乱れた呼吸を必死で整える。

再び地面に垂れる鎖刃。

奇妙な静寂が辺りを包み、緊張感が限界まで引き絞られる。

先に動いたのはライダーだ。

腕から垂らした鎖を蛇のように走らせながら襲い掛かってくる。。

しかし、こちらのキャスターが使役する精霊はその目で見るだけで冷気を操れる。

詠唱すら必要としないという圧倒的なアドバンテージを前にしては、如何なる疾走を以てしても敵わず、

ライダーは成す術もなく凍り付くはずだった。

しかし、如何なるからくりによるものなのか、紫の騎乗兵は全身に叩きつけられる冷気を物ともせず、一瞬で距離を詰めて手にした刃を振り下ろした。

 

「キャスター!?」

 

「っ!」

 

大きく横っ飛びに跳んで攻撃をかわし、もう一度冷気による攻撃を試みる。

距離が近い分、さっきよりも強力な突風が襲いかかるが、やはりライダーは凍り付くことなく追撃をしかけてくる。

まるで、冷気など最初から感じていないかのように。

 

「魔術が利かない?」

 

「対魔力ね。あの規模の冷気を受け付けないのなら、かなり高いランクを有しているようね」

 

マシュの呟きに、冷静さを取り戻したオルガマリーが歯噛みしつつ答える。

魔術師のサーヴァントにとって対魔力のスキルは天敵だ。

真骨頂である魔術を封殺され、苦手な白兵戦を強いられればどれほど優れた魔術師であれ苦戦は免れない。

ここまで一方的にエネミーを屠ってきたキャスターも、まるで狼に狩り立てられる小鹿の如く逃げ回り、致命傷をギリギリで避けるのが精一杯だ。

 

「カドック、あなたその顔!?」

 

「わかっている。くそ、こんなはずじゃ・・・・・・」

 

チアノーゼが出始めた唇を噛みしめ、カドックは血走った眼をぎらつかせる。

ここまでの魔術の行使とキャスターの召喚・契約により削られてきた魔力が徐々に底を見せ始めていた。

その存在が精霊に近しいサーヴァントの維持には本来、膨大な魔力を必要とする。

いくら燃費がいいとはいえ、何のバックアップもないまま、自前の魔力だけでキャスターをここまで現界させる事ができたのはほとんど奇跡に等しい。

ならばどうするか。

キャスター1人では敵わない。

自分の力だけではどうしようもない。

マシュではあいつを抑えられない。

ここでも地力の差が立ち塞がる。

だが、やるしなかい。

 

「キリエライト、合図をしたら跳べ」

 

「あなた、何を・・・」

 

「いいから行け、シールダー!」

 

「は、はい! 所長、マシュ・キリエライト、行きます!」

 

こちらの一喝にオルガマリーが背筋を強張らせるが、構ってはいられない。

マシュが盾を持ち直して駆け出し、カドックは残った魔力を地面に走らせる。

解析の魔術の応用。

手の平を伝って染み出した魔力の波が地面の下にあるものを暴き立てるその姿は、まるで水脈を探す南米のシャーマンのようだ。

主が何かを仕掛けていると感じ取ったキャスターも、纏った冷気を更に鋭く尖らせてライダーの攻撃に備える。

 

「ニガシマ・・セン・・・」

 

初めてライダーが言葉を発した。

同時に、闇に包まれた眼光の輝きが増し、キャスターは自分の体が鉛のように重くなるのを感じた。

先ほどまでかわし切れていた鎖が頬を掠め、瓦礫に足が取られかける。

思うとおりに体が動いてくれない。

キャスターの眼が捉えたのは、爛々と輝くライダーの双眸。

間違いない、あれは魔眼だ。

彼女に見入られた事で、こちらの動きを封じられたのだ。

 

「キャスター、足を射抜け!」

 

「・・っ!」

 

カドックの叫びにキャスターは冷気を放つも、やはりライダーは止まらない。

吹き付けた雹は彼女の対魔力スキルによって弾かれ、空しく宙へ散っていく。

勝利を確信したのか、闇で見えぬはずのライダーの顔が愉悦で歪んだかのような錯覚を覚えた。

 

「ネムレ!」

 

「いえ、それはあなたの方よ」

 

その瞬間、キャスターが精霊の眼を通して見透かしたのは、自身の冷気で破損した配水管であった。

直後、轟音と共に地面が割れ、ライダーの足下から巨大な水柱が立ち上がる。

攻撃態勢に移っていたライダーは完全に不意を突かれ、勢いよく吹き上がる水流がその姿を飲み込んだ。

そして、そのままキャスターの冷気によって白く濁った氷柱へと姿を変えていく。

無論、何の神秘も持たない氷がサーヴァントを拘束できる訳もなく、すぐにライダーは自らの怪力で内側から氷を破壊し、キャスターを仕留めんとする。

だが、その僅かな隙が命取りとなった。

俊敏性が最大の武器である騎乗兵が最も窮地に陥る瞬間は、その足を止めた時である。

 

「キリエライト!」

 

「はああぁっ!」

 

合図を受けてビルの屋上から跳躍したマシュが、手にした盾を構えて遥か上空からライダー目がけて落ちてくる。

見る見るうちに迫る巨大な鉄塊。

ライダーにできる事は、ただそれを受け入れることだけであった。

 

 

 

 

無傷なものは誰1人としていなかった。

ライダーはそれほどの強敵であり、自分達の誰か1人でも欠けていたら倒せなかっただろう。

カルデアに帰還するにしろ特異点の調査を続けるにしろ、まずは休んで回復を図らなければ。

そんな事を考えながら、ふらつく足取りでキャスターのもとに近づくと、彼女の唇が少しだけ吊り上がっていることに気づいた。

さっきまでどちらかというと冷たい氷のようだった眼差しが、今は慈母のように柔らかい。

どこか誇らしげにこちらを見つめるキャスターの視線に、むず痒さを覚え、カドックは思わず視線を逸らしてしまう。

 

「マスター、勝てたのに喜びませんの?」

 

「あんな綱渡りな勝ち方はごめんだ」

 

「それでも勝ちは勝ちでしょう。今だけはお祝いしましょう」

 

「そういう気分にはなれないな」

 

「もう」

 

頬を膨らませたキャスターを伴い、オルガマリーと合流する。

開口一番に飛び出したのはやはり罵倒。

もっと早くに駆け付けろだの、心にもない言葉が投げつけられたが、今は不思議と聞き流すことができた。

 

「とにかく、あなたがここに来ていた事は唯一の幸運だわ。凡人とはいえAチームの1人。カルデアに残ってる補欠よりは遥かにマシよ。カドック・ゼムルプス、状況を説明するから聞きなさい」

 

聞かされた現状は、とても楽観できるものではなかった。

謎の爆発によりカルデアの機能は8割が失われ、生き残った職員も20人に満たない。

現在、カルデアを仕切っているのは医療部門のトップであるロマ二・アーキマンであり、

彼の指示の下、急ピッチで復旧作業が進められている。

Aチームを含む他のマスターも1人を除いて瀕死の状態であり、救援はとても期待できそうにない。

自分はたまたま、コフィンに入るのが遅れたからレイシフトに成功したが、タイミングが少しでも狂えば自分も同じ目にあっていたかもしれないと思うと、

空恐ろしさで背筋が凍ってしまう。

 

「話をまとめると、偶然にもレイシフトに成功したあなたは独力でサーヴァントを召喚した、で良いのよね? 本来ならば私の許可がなければ英霊召喚は行えない決まりですが、今は非常事態ということで例外を認めましょう。ロマニ、カルデアからパスを彼に繋げて。魔力をバックアップできれば、マシュのマスターとして彼女とも契約を―――」

 

『えー、そのことなのですが所長。さっきから何度も試みているんですが、彼とパスを繋げる事ができません』

 

「ちょっと、それはどういう事? ちゃんとやったんでしょうね?」

 

『やってます! 不安定なレイシフトによる影響か、それともフェイトシステムを通さずに召喚を行ったからなのか、いずれにせよ、一度カルデアに戻って調整しないとカドックくんにパスを繋げる事ができません!』

 

通信の向こうで、ロマニの悲痛な叫びが木霊する。

そもそも、合流するまでこちらのシグナルを検知する事もできなかったらしい。

カルデアからのバックアップを受ける事ができないとなると、ますますキャスターを召喚できたのは幸運だった。

もしも燃費の悪いセイバーやバーサーカーを引き当てていた場合、ここに来るまでに魔力切れで干からびていた可能性もある。

そこまで考えて、何故という疑問が思い浮かぶ。

燃費がいいといってもキャスターは英霊だ。

その存在の維持には人間1人ではとても賄いきれない魔力を必要とするはず。

先ほど、ロマニはカルデアとのパスは繋がっていないと言った。

なら、凡人である自分がどうして彼女の現界を維持できているのだろうか?

或いはこの冬木という土地自体に何か秘密があるのではないだろうか?

 

「所長、わたしは大丈夫です。マスターなしでも何とか戦えます」

 

「戦ってもらわなければ困ります。はあ、どうしてこう次から次から―――それで、あなたのサーヴァントはどこの英霊なの? 何か強力な宝具でも持っているんでしょうね?」

 

薄氷が踏み潰されたかのように、場の空気が静まり返る。

キャスターが僅かに身を強張らせ、自分の後ろに半歩下がって身を隠した。

自分の事を知られたくないのだ。

しかし、オルガマリーはキャスターの無言の抗議など聞く耳持たないとばかりに声を荒げる。

 

「どんな力を持ってるかもわからなければ戦いようないでしょう。それとも言えない理由でもあると言うの!?」

 

「そ、それは・・・・・」

 

「・・・・所長、そこまでにして欲しい」

 

「あなたねぇ」

 

「キャスターは僕のサーヴァントだ。彼女は強い、その力はマスターである僕が一番よくわかっている。決して足手まといには――――――」

 

不意に悪寒が駆け抜けた。

咄嗟にキャスターを庇いながら魔術障壁を展開し、弾かれた短刀が宙を舞う。

更に続けて1本、2本、次々と短刀が飛来するが、それはキャスターが起こした突風で吹き飛ばされた。

 

「アサシンのサーヴァント」

 

ライダーと同じく闇を纏った暗殺者がそこにいた。

 

「マシュ、キャスター、戦いなさい! 同じサーヴァントでしょう!」

 

「・・・はい、最善を、尽くします」

 

苦しげに答えたマシュが盾を構える。

先ほどまで不安そうに縮こまっていたキャスターも、今度は自分が守るのだと言わんばかりに前に出る。

2人ともまだ闘志は衰えていない。だが、消耗があまりにも激しすぎる。

マシュはマスターがおらずこれ以上の戦いは危険だし、キャスターはまだ余力があるがマスターである自分が限界を迎えている。

ライダーとの戦いもギリギリの勝利だったのだ。今の状態で再びサーヴァント戦を行うのは自殺行為だ。

 

「大丈夫、あなただけは―――」

 

死地へと赴くキャスターの顔は暗い。

そんな顔は止めてくれ。

運命を受け入れ、絶望しきった蒼白の顔。

生前、何に絶望したのかは知らないが、そんな風に悲嘆にくれる姿は見ていられない。

それなのに、自分はもう見ていることしかできなくて、己の無力さにカドックは奥歯を噛み締めた。

その時だった。

 

「なんだ。お姫様かと思えば、中々いい女じゃねえか」

 

男の声が響くと同時に、アサシンの体が燃え上がった。

 

「―――ッ――ァ!?」

 

呆気なく燃え尽きる暗殺者のサーヴァント。

それを成し得たのは蒼いフードを被った青年。

杖を携え、ドルイド風の装束に身を包んだ魔術師は、シニカルな笑みを浮かべてこう言った。

 

「キャスターのサーヴァント、故あって助太刀するぜ」

 

光の御子。

クー・フーリンとの出会いであった。




ハサン先生哀れ。
最初はアサシンの気配遮断をアナスタシアの魔眼で破る展開だったけれど、それだとワンサイドゲーム過ぎるかもという理由でライダーに変更。
対魔力ってキャスター泣かせ。


追記)
一部文章を訂正。
設定はできてても指摘されるまでそれを文章化していないことに気づけないのは情けないねぇ。気づいた箇所があれば今後も手直ししつつ進めていくと思います。


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炎上汚染都市冬木 第4節

クー・フーリン。

またの名をクランの猛犬。

アイルランドの伝承に伝わる光の御子。

太陽神に連なる血を持ち、魔槍ゲイ・ボルクを振るう狂戦士。

高潔にして義侠心に溢れる偉大な騎士。

幾多の側面を持つ英雄の中の英雄が、今は思慮深き魔術師としての姿で自分の前に立っている。

生前の数々の武勇を知っていたカドックは、柄にもなく―――本当に柄にもなく心が弾むのを禁じえなかった。

何しろクー・フーリンである。

クランの館を始めとする数々の武勇の逸話。

興奮すると起きるねじれの発作。

求婚のために影の国への赴き、数々の冒険を経てスカサハに弟子入り。

クーリーの牛争いに端を発する戦争ではたった1人でコノート軍を相手に奮闘し、メイヴ女王の策略を受けてなお、誇り高く散る事を選んだ英雄の中の英雄だ。

興奮するなという方が嘘である。

 

「マスター、何を呆けているの?」

 

「えっ・・・ごめん、何かしてたか、僕?」

 

自分でも驚くくらい間抜けな返しに、案の定オルガマリーは眉間に皺を寄せながら詰め寄ってきた。

慌てて助けを求めるも、キャスターは可笑しそうに含み笑いをするばかりで、マシュもオルガマリーの剣幕に圧されて仲裁に入る事が出来ない。

通信越しでこの場にいないロマニと、初対面であるクー・フーリンは何とも形容し難い憐み視線を向けていたが、自分達に飛び火するのはご免だとばかりにこちらを無視して情報交換を続けている。

 

『つまりあなたは、この街で起きた聖杯戦争のサーヴァントであり、唯一の生存者なのですね』

 

「負けてない、という意味ならな。俺達の聖杯戦争は、いつの間にか違うものにすり替わっていた」

 

ロマニの問いかけに、クー・フーリンは忌々しいとばかりに歯噛みする。

街は一夜で炎に覆われ、人間はいなくなり、残されたサーヴァントだけが戦いを続けている地獄絵図。

真っ先の暴走を始めたのはセイバーのサーヴァント。

クー・フーリンを除く5騎が倒され、黒化した状態で使役されているらしい。

どうしてこのような出来事が起きたのか、セイバーが何を考えて聖杯戦争を継続しているのかは、彼にもわからなかった。

一つだけ言える事は、セイバーを倒し停滞しているゲームの駒を進める事ができれば、この事態に何らかの変化が起こるかもしれないということだけ。

 

「というわけで、目的は一致している」

 

「なるほど、手を組むということね。あなたはセイバーを倒したいけれど戦力が足りない」

 

「ああ、そういうこった。ここに来るまでにランサーは倒したし、バーサーカーは郊外の森から動かない。だから、アーチャーとセイバーをどうにかするだけでいい。あんたらはこの異変の解決、俺は聖杯戦争の幕引き。利害は一致しているんだ、お互い陽気に手を組まないか?」

 

「合理的な判断ね。マシュ、カドック、回復次第動くわよ。彼と協力してセイバーを倒します」

 

「そういう事だ。よろしくな、お嬢ちゃん。それに白のキャスターとそのマスター」

 

クー・フーリンが差し出した手を、静かに握り返す。

あの名高きクー・フーリンと共に戦える事に、ほんの少し鼓動が早くなった。

 

 

 

 

クー・フーリンとの共同戦線が決まり、カドック達はひとまず安全な場所を求めて移動を始めた。

自分達と合流するまでの間にマシュとオルガマリーはカルデアとのレイラインを確保しており、まずはそこに移動して補給物資を受領。時々、現れるエネミーは大半がクー・フーリンのルーン魔術で焼き払われ、キャスターとマシュが出る幕はほとんどない。

彼の話では、セイバーのサーヴァントは冬木市の旧市街にある大空洞を拠点としており、冬木の聖杯戦争の要といえる大聖杯を守っているらしい。

カルデアから送ってもらった冬木の地図を確認すると、大空洞に行くまでかなりの距離があり、こちらの負担を考慮して途中の学校で最後の休息を取る事となった。

 

「不思議ね。普段は飄々としているのに、戦いになれば荒々しくて、けれども理知の光が曇る事はない。原石、粗野、美しいわ」

 

魔力の節約の為に霊体化しているキャスターが耳元で囁く。

オルガマリーは覚醒が中途半端なマシュの宝具をどうにか使えないかと苦心しており、クー・フーリンは見張り役を買って出てくれたため、今は自分達の周りには誰もない。

 

「ごめん、最後の方は何を言っているのかわからなかった」

 

「蒼のキャスターのことよ。粗野な原石のようでいて、きちんと磨かれた部分は美しい。辿った人生の濃さが違うのね」

 

「その表現でわかれというのは無理があると思う」

 

「あら、私のマスターならきちんとわかるようになってもらわなければ困ります」

 

くすくすと、キャスターの笑い声が聞こえた気がした。

こうしていると、年相応の少女らしく、彼女がサーヴァントとして凄惨な戦いをしているようには思えない。

 

「ねえ、マスター。あの時は庇ってくれてありがとう」

 

「何のことだい?」

 

「彼女が私の真名を問い質した時の事よ」

 

「ああ―――」

 

アサシンのサーヴァントが襲撃してくる前、オルガマリーがキャスターの真名を聞いてきた時の事だ。

クー・フーリンの登場もあって失念していたが、自分はまだ彼女の名前もどこの英霊なのかも知らない。

あの時は問い詰められるキャスターを案じて庇ったが、冷静に考えるとサーヴァントのマスターとしてはかなり異質な状態である。

 

「まあ、言いたくなったら言えばいいさ。知らないなら知らないなりに戦略を立てればいい」

 

「でも、それだと次の戦いに支障が出るわ。敵はかの騎士王。臨むのならばこちらも全力を出さなければいけません。ですので、私は次の戦いで宝具を解放します」

 

脳裏に浮かぶのは2つのイメージ。

キャスターが生前を過ごしたと思われる城と、地面にまで垂れ下がった鉄の瞼の異形。

英霊達が持つ伝承の具現。

人間の幻想を骨子に作り上げられた物質化した奇跡。

彼女が持つ切り札。

それは同時にキャスター自身の在り方、生き様の象徴でもある。

殊更、キャスターにとってはその開示は重く、それに至った思いを組んでカドックを言葉を失った。

 

「どう使うかはお任せします。それと、アサシンが襲ってきた時のように、私を庇うのはもう止めて。私だけが残るのは・・・・あんな思いはもうしたくないわ」

 

無言で立ち上がり、魔力の回復に使用した使い捨ての礼装を体から剥がす。

心は重いままなのに、体は羽根が生えたかのように軽くなっていた。

集合の刻限が迫っている事を確認し、カドックは改めて自分が契約した英霊の事を考える。

彼女の人生、その名前を背負いきれるのかと自問する。

結局、答えはでなかった。

 

 

 

 

大空洞は寺院と思われる場所の地下にあった。

元々は天然の洞窟だったものを魔術を用いて拡張、補強し、聖杯戦争のために大聖杯を設置したのだろう。

凡人の自分でもわかるくらい、濃密な魔力が溢れてきている。

こんなものが極東の地方都市に鎮座していては、どのような怪異が招き寄せられるか予想もつかない。

 

「大聖杯はこの奥だ。ちょいと入り組んでいるからはぐれないようにな」

 

そう言って、クー・フーリンは背中を向ける。

一緒に行くのではないのかと振り返ると、油断なく杖を構える魔術師の姿があった。

視線の先を追うと崖の頂上。

黒ずんだ赤い衣をまとった弓兵がこちらを睨んでいる。

アーチャーのサーヴァントだ。

 

「信奉者の登場だ。相変わらず聖剣使いを護ってんのか、テメエは」

 

「・・・ふん。信奉者になった覚えはないがね。つまらん来客を追い返す程度の仕事はするさ」

 

どこからともなく取り出された弓に矢が番えられる。

あれは剣か?

剣を弓に番えて射出するなんて英霊、聞いた事がない。

 

「ようは門番じゃねぇか。何からセイバーを護っているのか知らねぇが、ここらで決着つけようや」

 

放たれた矢が、クー・フーリンのルーンで焼き尽くされる。

援護すべきかと構えると、彼は静かに頭を振った。

 

「アーチャーは俺がやる。お前達は先に行け」

 

「わたしも残ります。盾で援護しますので、その隙に攻撃を・・・」

 

「だめだ、騎士王に勝つにはあんたら全員の力が必要だ。ぐずぐずしていたら騒ぎに気付いたセイバーもやってくる。早くいけ! アーチャーを倒したら俺も行く!」

 

真っ先に判断を下したのはオルガマリーだった。

クー・フーリンに後を任せるようにと告げ、大空洞の奥へと走る。

続いてマシュが、キャスターが後を追う。

 

「おう坊主・・・泣かすんじゃねぇぞ、あのお姫さん」

 

「・・・ああ、言われなくとも」

 

発破をかけられ、地面を蹴る足に力がこもる。

やがて、背後のクー・フーリンとアーチャーの立ち回りの音が聞こえなくなると、唐突にそれは現れた。

天井が高く、大きな屋敷が1つ収まってしまうくらい広い。

山のように盛り上がった岩場にはどす黒い輝きが柱を立てており、怨嗟の如き負の力が大気を満たしていた。

 

「うそでしょ、なによこれ・・・超抜級の魔術炉心じゃない!?」

 

オルガマリーの悲痛な叫びが木霊する。

願いを叶える万能の願望器。

確かにこの力ならばどんな願いでも叶えられるだろう。

だが、それ以上にこれはよくないものだ。

これを開いてはならない。

これを開放してはならない。

得体の知れない恐怖が警鐘を鳴らし、乾いた喉から滑稽な音が漏れる。

 

「――ほう。面白いサーヴァントがいるな」

 

凛として響く理性に満ちた声。

いつからそこにいたのか、或いは初めからそこにいたのか、黒い鎧に身を包んだ剣士がそこにいた。

まるで嵐の恐怖を凝縮したかのような覇気の具現。

双眸は冷たく、鋭く、冷徹にこちらを見据えている。

そして、手に携えるは漆黒の聖剣。

あれは王を選定する剣の二振り目。

遍く命の輝きが集った騎士王の剣。

そして、その剣を持つ者は―――。

 

「あれが、アーサー王か」

 

言葉にできただけでも及第点を与えたい。

それほどまでにセイバーが発する気は恐ろしく、理性を持っていかれそうになる。

地方によってはアーサー王は嵐の王としてワイルド・ハントに習合される時もあるが、あれは正に嵐そのものだ。

それが今、興味深そうな笑みを浮かべてマシュを見つめている。

 

「――面白い。そのサーヴァントは面白い。構えるが良い名も知らぬ、娘。その守りが真実か、この剣で確かめよう」

 

漆黒に染まった聖剣がマシュに向けられる。

来る、と思った瞬間、爆発にも似た魔力のうねりが感じ取れた。

一呼吸の間もなく間合いに踏み込んだセイバーの一撃がマシュの盾を捉える。

まるで大砲だ。

膨大な魔力を推力に変え、攻撃や移動に用いているのだ。

 

「キャスター、援護しろ!」

 

聖剣が盾に弾かれた隙を突いて、キャスターの冷気がセイバーを襲う。

しかし、セイバーは僅かに眉をしかめる程度で、すぐにマシュへの攻撃を再開した。

ライダーと同じく対魔力スキルを有しているのだ。

これではキャスターの攻撃がセイバーに通用しない。

 

「邪魔立てするか。いいだろう、まとめてかかってこい!」

 

利かぬのならと盾ごとマシュを蹴り飛ばし、今度はキャスターに聖剣を向けた。

空気の爆ぜる音が鼓膜を震わせ、一直線に向かってくる。

避けきれない。

 

「はあぁっ!」

 

剣が振り下ろされる寸前で、マシュの体当たりがセイバーを吹っ飛ばす。

同時に氷塊が次々と降り注ぎ、漆黒の騎士王を押し潰した。

 

「やったか!?」

 

「いいえ、まだ―――」

 

大気が弾けたのかと思うほどの魔力の放出が氷塊を粉々に吹き飛ばす。

聖剣を携えたセイバーは無傷だ。

その顔には凶悪な笑みが浮かんでおり、必死で足掻く2人の姿を見下しているように思えてならなかった。

余りにも地力に差がありすぎる。

マシュでは受けるのがやっと、キャスターに至っては言わずもがな。

仮にクー・フーリンが間に合ったとしても、いったいどうやってこのサーヴァントを倒すことができるのか。

勝ち筋が見えない戦いを、カドックは歯噛みしながら見守ることしかできなかった。




ふと思ったけれど、カドックくんって月の聖杯戦争じゃ図書館行かなくともマテリアル開示できそうだね。


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炎上汚染都市冬木 第5節

戦い始めて十数分、もう何度も同じ光景が繰り広げられていた。

白兵戦で劣るキャスターをマシュが庇い、その隙を突いてキャスターは果敢に攻撃を続けるが、その悉くがセイバーの対魔力によって弾かれてしまう。

そうしている内に何度目かの攻撃を受け止めてマシュが吹っ飛び、振り抜かれた剣圧がキャスターを切り裂く。

 

「どうした、その程度か?」

 

無様に地に伏す2人を前にして、セイバーは追撃をかけることなく彼女達が立ち上がるのを待っている。

決して油断している訳ではない。

現にその手は聖剣を握ったまま、両の眼は2人の動きを捉えて放さない。

全力を出さないのは2人を試しているからだ。

2人の実力を測り、どこまで自身に立ち向かってこれるのかを見定めているように思えてならない。

そして、立ち上がる度に傷つき土に塗れる2人の少女をカドックはただ見ていることしかできなかった。

攻撃も防御も地力に差がありすぎるため、半端な強化は意味をなさない。

サーヴァントが相手では人間の魔術師程度の牽制などそよ風のようなものだろう。

広く何もない洞窟では利用できるものも何もない。

故に少年にできることは、自分のサーヴァントが1分でも長く存在を保てるよう、僅かな回復をし続ける事だった。

 

「キャスター、まだやれるか?」

 

「ええ、何とか・・・」

 

「わたしも、まだいけます」

 

再び立ち上がる少女達ではあったが、その声には最早、覇気は感じられない。

キャスターはまだ体力に余裕があるが、マシュは回復が追い付かず肩を大きく揺らしていた。

巨大な盾を何とか構えるのがやっとという有り様だ。

カドックの見立てでは打ち合えるのは後数合といったところ。

それまでにあの騎士王を攻略できなければ、押し切られてこちらの敗北が決定する。

何もできなければ、キャスターが消える。

 

(っ―――)

 

何もできなかった。

魔術による援護も、挑発も、陽動も、こちらが講じる策の全てがあの黒い騎士王には通用しない。

ただただ純粋に真っ向から力でねじ伏せてくる。

半端な小細工は通用せず、力の差をまざまざと見せつけられるだけだった。

何もできないまま、後はただ敗北を受け入れる事しかできなかった。

一瞬でもそんな考えが過ぎった事が腹立たしくて、カドックは無意識に左胸を抑えて唇を噛む。

 

(こんなはずじゃ―――)

 

目の前では最後の一太刀を受け止めたマシュが放物線を描き、自分の前に倒れ込む。

彼女を庇うキャスターに油断なく向けられる聖剣。

振るわれた黒い刀身はキャスターの氷塊による防御を粉々に打ち砕き、こちらにまで飛び散ったつぶてがカドックの頬を切る。

それが詰みとなった。

未だに闘志を絶やさぬキャスターではあるが、守りの要が動けなくなったのでは騎士王の剣をその身で受けるしかない。

セイバーのチェックメイトが、厳かに宣言される。

 

「折れぬか・・・ならば応えよう、その瞳に。主を護らんとするその教戒に」

 

空間すらも捻じ曲げるほどの膨大な魔力が聖剣に集まり、その刀身が輝きで膨れ上がる。

悪寒が背筋を駆け抜けた。

あれを撃たれたら終わりだ。

こちらに受ける術はなく、どこにも逃げ場はない。

キャスターは消え、自分もマシュもオルガマリーも死ぬ。

自分の価値も力も証明できないまま、無意味に散っていく。

恐怖はとっくに麻痺していた。

それほどまでにあの輝きは禍々しく、そして美しかった。

オルガマリーが悲痛な声で叫びを上げ、マシュのもとに駆ける。

キャスターはちらりと振り返り、無言でこちらを促した。

僅かな逡巡。

躊躇う時間が与えられただけでも幸運なのだろう。

カドックは覚悟を決め、自身のサーヴァントに死の宣告を下した。

 

「キャスター、宝具で僕達を護れ」

 

小さく首肯し、キャスターは騎士王に向き直る。

迎え撃つべき己の敵を。

静かな決意で持って相対する。

 

「卑王鉄槌。極光は反転する」

 

「鷲よ、皇帝(ツァーリ)の威光を示せ」

 

膨れ上がった魔力が臨界まで達し、騎士王は聖剣の真名を開放する。

対するキャスターも自身の切り札である宝具の名を紡ぎ、振り抜かれた聖剣の一撃を迎え撃つ。

 

『約束された勝利の剣(エクスカリバー・モルガン)!』」

 

『残光、忌まわしき血の城塞(スーメルキ・クレムリ)』」

 

瞬間、黒と白の光が視界の全てを覆いつくした。

嵐の具現ともいえる黒い惨劇を受け止めるのは、壮麗なる北国の城塞。

祖国を護り、勇士が集い、時に権謀の巣窟と化したキャスターの生きた時代そのもの。

かつての栄華の再現が、誉れ高き騎士王の剣を真正面から受け止める。

 

「っ・・・あぁぁっ!」

 

斬撃を受け止めた衝撃に耐えかね、キャスターは悲鳴を上げる。

光の奔流を受け止めた城塞は、少しずつ融解を始めていた。

長くは持たないとカドックは歯噛みする。

残光、忌まわしき血の城塞(スーメルキ・クレムリ)

それはキャスターの祖国に点在する城塞を幻想で持って再現し、堅牢な防御を成す宝具。

如何なる賊の侵入も許さず、反抗する者には容赦のない制裁を与える血塗られた城。

無辜の民の願いによって未来を奪われ、彼女がその生涯を終えた忌まわしき街。

それ故に、対城宝具には成す術もなく蹂躙されてしまう。

その根幹が城塞であるが故に、聖剣の力には抗う事ができない。

穿たれた穴が少しずつ広がるように、城塞の一角が崩れる毎にキャスターは痛みで悶える。

それでも彼女は己の主を護るために、呪われた城塞を維持し続けた。

 

(そうだ、この城塞は彼女にとって威光であると共に絶望の象徴。革命に追われ、家族と共に命を奪われた血塗られた城。使いたくなどなかったはずだ。思い出したくなどなかったはずだ。大切な人が殺され、僅かとはいえ自分だけが生き残ってしまった事など)

 

彼女は人類の滅亡を受け入れた方が楽だと言った。

生前の彼女はどうだったか。

革命に翻弄され、処刑されるその日までをどんな思いで過ごしてきたか。

ああ、それは確かに辛い。

生きる事を諦めた方が遥かに楽だ。

けれど、キャスターは約束してくれた。

自分が諦めなければ、力を貸すと。

その約束に応えようとしてくれているのならば、自分はまだ諦める訳にはいかない。

 

「マシュ!」

 

「はい!」

 

オルガマリーの号を受け、マシュが飛ぶ。

キャスターが全力で稼いだ数秒間が、盾の少女を立ち上がらせたのだ。

振り下ろされたのは十字の盾。

名も知らぬ英霊の力を仮想し、真名を偽装し、その名前を高々に叫ぶ。

 

「宝具、展開します・・・!」

 

城塞の前に躍り出たマシュの前方に、巨大な光の壁が出現した。

光の壁は血の城塞を包み込むように広がり、黒い魔力の奔流を受け止め減衰させる。

聖剣の一撃を前にして、マシュの決死の覚悟は怯むことなく前を向く。

その瞬間が、最後のチャンスとなった。

 

「令呪でもって我が皇女に奉る。キャスター、その眼で騎士王を射抜け!」

 

右手の甲に鋭い痛みが走り、令呪の一角が掻き消える。

令呪はマスターが持つサーヴァントに対する絶対命令権。

それは時に従者を縛る戒めとなり、時にその力を増大させる源となる。

 

「ヴィイ、魔眼を使いなさい」

 

厳かな、絶対的な支配力がこもった宣言が木霊する。

キャスターが常に抱えている形代が、黒いイースターエッグから何かが這い出し、キャスターの背後に立った。

その黒い異形の頭部には炎が灯るかのように青白い双眸が広がり、その視線が黒い騎士王へと向けられる。

そして、大空洞は絶対零度の地獄と化した。

 

「我が霧氷に、その大いなる力を手向けなさい『疾走・精霊眼球(ヴィイ・ヴィイ・ヴィイ)』!」

 

ヴィイ。

それは東スラブ神話における死の眼を持つ地下世界の生物。

小人の親玉、或いは吸血鬼と伝えられ、地面にまで垂れた鉄の瞼を持つという。

魔物達が身を隠した僧を見つけ出すためにその瞼を開けると、ヴィイはたちどころに隠れた僧を見つけ出した。

それがキャスターの能力の正体。

彼女が契約した北国の精霊。

その本質は、あらゆる虚飾を暴き立て、因果律すらも捻じ曲げて弱点を創出する事。

ヴィイの視線は黒い奔流をかき分け、その剣を振るうセイバーを見透かし、驚愕する彼女の肉体を凍り付かせていく。

同時に爆発のような極寒のブリザードが聖剣の光を飲み込み、勢いに押されたマシュが地面に倒れ込んだ。

 

「や、やったか?」

 

魔力の消耗から片膝を突いたカドックは吹雪の向こうを見据える。

視界が晴れると、聖剣ごと右腕を凍らされた騎士王がそこにいた。

鎧は弾け飛び、全身が凍傷を起こして壊死しかけている。

だが、それでもまだセイバーは立っており、こちらに反撃せんと腕に力をこめている。

 

「ここまで・・・か・・・・」

 

「いや、よくぞここまで持ちこたえた」

 

蒼い風が駆け抜ける。

どれほどの死闘を繰り広げたのか、衣を脱ぎ捨て、傷だらけになりながらもアーチャーを下したクー・フーリンが目の前に降り立った。

お前はここまでよくやった、後は任せろと肩を叩く。

それが自虐的なカドックに取ってどれほどの救いになるのか、彼は知らなかった。

カドックはただ静かにキャスターに寄り添い、戦いの結末を見届ける。

クー・フーリンの宝具。

彼が召喚した木々の巨人が凍り付いたセイバーを拘束し、諸共に燃え尽きていく。

炎が消えた後に残されたのは、霊核を焼き尽くされ、四肢の消滅が始まった黒い騎士王の姿だった。




多分、次回か次々回あたりで冬木のエピローグにいけるはず。


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炎上汚染都市冬木 第6節

「フッ、知らず私も力が緩んでいたようだ。最後の最後で手を緩め、予想外の一撃で膝を着くとは。聖杯を守り通す気でいたが、己が執着に傾いたあげく敗北してしまった。結局、どう運命が変わろうと私ひとりでは同じ末路を迎えるということか」

 

指先から光の粒子へと解けていき、黒い聖剣が乾いた音を立てて地面に転がる。

敗北を受け入れたセイバーの顔は悲しく憂いていた。だが、その瞳には何かを納得したかのように力強い輝きが秘められている。

まっすぐに見下ろされた視線の先にいるのはマシュだ。

何かを言いたげに、だが今は語るべきではないと。

そんな逡巡を感じ取れる。

 

「あ? どういう意味だそれは。テメェ何を知ってやがる」

 

「いずれ貴方も知る、アイルランドの光の御子よ。グランドオーダー―――聖杯を巡る戦いはまだ始まったばかりだという事をな」

 

意味深な言葉を残し、セイバーの肉体は消滅した。

そして、飛び散っていく光の粒子から手に平に収まる程の水晶体が転がり落ちてくる。

 

「オイ待て、それはどういう――おぉお!? やべぇ、ここで強制送還かよ」

 

セイバーの後を追うようにクー・フーリンの肉体も消滅が始まった。

セイバーを倒し、聖杯戦争の勝者が確定した事で大聖杯からの魔力の供給が止まったのだろう。

現世への楔であるマスターがいないクー・フーリンではそれに抗う事ができない。

 

「チッ、納得いかねぇがしょうがねぇ。坊主、お嬢ちゃん、後は任せたぜ! 次があるんなら、そん時はランサーとして呼んでくれ!」

 

そう言って、クー・フーリンは英霊の座へと還っていた。

急な状況の変化についていけず、残されたカドック達は呆けたように互いの顔を見あうばかりだった。

ただ一つ言える事は、自分達は勝ったという事。

不気味な沈黙が戻った大空洞で、僅かの間、実感のない勝利に酔い痴れた。

カルデアにいるロマニからも祝福の通信が届き、通信機越しに騒いでいる他の職員の声も聞こえる。

ただ1人、オルガマリーだけは沈鬱な表情を崩さなかった。

 

「・・・冠位指定(グランドオーダー)、あのサーヴァントがどうしてその呼称を・・・?」

 

「所長? 何か気になることでも?」

 

「え? そ、そうね。よくやったわ、マシュ、カドック。不明な点は多いですが、ここでミッションは終了とします」

 

マシュの問いかけに我を取り戻し、オルガマリーは指示を下す。

セイバーが所持していた水晶体の回収し、カルデアへと持ち帰る。

冬木の街が特異点と化した原因を、彼女はあの水晶体にあると考えたようだ。

 

「では、わたしが回収に・・・・なっ!?」

 

立ち上がって盾を持ち直したマシュの表情が驚愕の色で染まる。

開いた唇がわなわなと震え、信じられないものを見てしまったかのように後退る。

いったい何がと振り返ると、そこによく知った人物が立っていた。

時代遅れのシルクハットとタキシード、赤みがかったボサボサの長髪、どこか遠くを見ているかのような細い目つき。

自分は彼を知っている。

この1年、カルデアで嫌でも顔を合わせてきた。

友好的ながらもどこか作り物めいた優しさが堪らなく不気味だった。

 

「レフ・ライノール」

 

カルデアの技術顧問、近未来観測レンズ「シバ」を開発した掛け値なしの天才。

レフ・ライノールがそこに立っていた。

 

「いや、まさか君達がここまでやるとはね。計画の想定外にして私の寛容さの許容外だ」

 

『レフだって? レフ教授がそこにいるのか?』

 

通信の向こうからロマニの混乱が伝わってくる。

それもそのはず。

レフ・ライノールは冬木へのレイシフト―――ファーストオーダーを実施するにあたってオルガマリーと共に管制室に詰めていた。

だから、あの爆発で誰もがレフは死んだものだと思い込んでいた。

もちろん、自分達のようにレイシフトしている可能性もあったが、それならばどうして今になって現れたのかという疑問が残る。

 

「その声はロマニか。君も生き残ってしまったのか。すぐに管制室に来て欲しいと言ったのに。

君といい、時間通りにコフィンに入らなかったそこの犬っころの魔術師といい、どいつもこいつも統率の取れていないクズばかりで吐き気が止まらないな」

 

見開いた眼からは侮蔑の感情が伝わってくる。

背筋がごわつき、怖気が全身を駆け巡る。

何かが違う。

あれは人の姿をしているが、自分達とは根本的に何かが違う。

 

「みなさん、下がってください。あの人は危険です。アレはわたしたちの知っているレフ教授ではありません」

 

マシュも同じことを考えたのか、盾を構えたまま警戒する。

だが、オルガマリーはそんな彼女を無視してレフのもとへと駆け出した。

 

「レフ・・・ああ、レフ、レフ、生きていたのねレフ! よかった、あなたがいなくなったらわたし、どうやってカルデアを守ればいいかわからなかった」

 

こちらの静止を利かず、オルガマリーは走る。

限界だったのだろう。

爆発事故で多くの死傷者を出し、カルデアの設備と人材にも多くの被害が出た。

ファーストオーダーこそ一応の成功をみせたが、人類滅亡の原因が未だにわからないまま。

度重なる不幸と冬木での戦いで追い詰められていたオルガマリーの精神は、まるで親を見つけたひな鳥のように、信頼できる大人を求めているのだ。

 

「ああ、オルガ、元気そうでなによりだ。君も大変だったようだね」

 

「ええ、そうなのよレフ! 予想外のことばかりで頭がどうにかなりそうだった。でも、貴方がいればどうにかなるわよね!」

 

「ああ、本当に予想外のことばかりで頭にくる。爆弾は君の足下に設置したのにまさか生きているなんて」

 

ぴたりと、オルガマリーの足が止まった。

 

「レ、レフ・・・何を・・・」

 

「いや、生きているというのは違うな。君の肉体はもう死んでいる。だが、トリスメギストスはご丁寧にも君の残留思念をここに転移させてしまった。ここに君がいるということ自体がその証左だ。レイシフト適性を持たず、マスターにもなれなかったオルガマリー。肉体という枷を失ったことで、君は初めて切望していた適性を手に入れたんだ」

 

鋭いナイフのように絶望が突き付けられる。

そう、オルガマリーがマシュ・キリエライトというデミサーヴァントと契約しなかった理由がそれだ。

契約しなかったのではなくできなかった。

彼女には生まれつき、その適性がなかったのだから。

 

「君はもうどこにも行けない、カルデアにも戻れない。肉体を持たない残留思念である君は戻れば完全に消滅してしまう」

 

嘲りの笑みを顔に張り付けたまま、レフ・ラーノールは指を鳴らす。

すると、地面に転がっていた水晶体が彼の手元へと収まり、同時に頭上の空間が歪んでここではない別の場所の映像を映し出す。

カルデアスだ。

巨大な地球儀。

惑星の魂の複写。

本来ならば蒼く、そして半年前には黒く染まったカルデアスが今は深紅に燃えている。

この世の終わりを示すような紅蓮の炎に焼かれている。

 

「見たまえ。人類の生存を示す青色はどこにもない。あるのは燃え盛る赤色だけだ。これが今回のミッションの結果だよ。よかったねえ、今回もまた君の至らなさが悲劇を起こしたわけだ」

 

不可視の力がオルガマリーの体を宙に持ち上げ、ゆっくりとカルデアスに招き寄せる。

途端に彼女の表情が醜く歪んだ。

これから何をされるのか、自分がどうなるのかを悟って悲鳴を上げた。

 

「君のために空間を繋げてあげたんだ。君たちはセイバーを下し、聖杯戦争に勝利した。なら最後に君の望みを叶えてあげよう。君の宝物に触れると良い」

 

「やめて・・・あれはカルデアスなのよ。高密度の情報体、次元の異なる領域なのよ!」

 

「そう、ブラックホールか太陽か。いずれにしろ、人が触れれば忽ち分子レベルにまで分解される。生きたまま無限に死に続けるようなものだ」

 

「いや――いや、いや、助けて、誰か助けて!」

 

助けを求めるオルガマリーと視線が重なる。

無意識に伸ばした手は遠すぎて、追いかけるには体が重すぎた。

疲弊が限界に達し、ただ黙って彼女が消えていく光景を見ていることしかできない。

オルガマリー・アニムスフィアの慟哭が、まるで呪いのように耳朶の奥底へと刻み付けられていく。

 

「改めて自己紹介をしよう。私はレフ・ライノール・フラウロス。貴様たち人類を処理するために遣わされた2015年担当者だ」

 

上司であり、友人だったものを跡形もなく消滅させた後、眉一つ動かす事なくレフは続ける。

紳士的で慇懃で、侮蔑に満ちた傲慢な眼差し。

人ではない何かが人の言葉で不快に囀る。

 

「聞いているなドクター・ロマニ。共に魔道を研究した学友として忠告してやろう。カルデアは用済みになった。お前達人類はこの時点で滅んでいる。未来が観測できなくなり、貴様達は未来が消失したなどとほざいていたが、それは希望的観測だ。カルデアスが深紅に染まった時点で未来は焼却されたのだ。結末は確定し、貴様達の時代はもう存在しない」

 

カルデアスの磁場で守られているカルデア以外の全ては、最早存在しないとレフは言う。

そして、カルデア自身も2016年が過ぎ去れば同じ末路を辿ることになるのだ。

何故なら、それより先の未来は燃え尽きてしまったのだから。

結末が決まっているのなら、現在をどう生きようと何も変えられないのだから。

 

「誰もこの偉業を止めることはできない。何故ならこれは人類史による人類の否定だからだ。進化の行き詰まりで衰退するのでも、異種族との交戦の末に滅びるのでもない。自らの無能さに、自らの無価値故に、我が王の寵愛を失ったが故に、何の価値もない紙くずのように燃え尽きるのだ」

 

大空洞が大きく揺れる。

歴史を歪めていた原因が取り除かれた事で、世界が急速に正しい歴史に回帰しようとしているのだ。

このままでは自分達ごと、この特異点が崩壊してしまう。

 

「ここも限界のようだ。ではロマニ、マシュ、凡俗なるマスターよ。君達の末路を楽しむのはここまでにしよう。このまま時空の歪みに飲み込まれるがいい。私も鬼じゃない、最後の祈りくらいは許容しよう」

 

レフの姿が掻き消え、大空洞の揺れが一層激しくなる。

 

「洞窟が崩れます。ドクター、緊急レイシフトを実行してください!」

 

『わかっている。でもそっちの崩壊の方が早いかもだ。その時はそっちで何とかして欲しい。ほら、宇宙空間で生身でも数秒くらいは大丈夫らしいし』

 

怒りで冷静さを失ったマシュの罵倒が木霊する。

ああ、こいつはこんな風に怒る事もあるんだなと、カドックは場違いな感想を抱いた。

周囲の出来事が他人事に感じるのは、オルガマリーが死んだからだろうか。

先ほどから体が重く、意識もどんどん遠退いていく。

心なしか魔術刻印まで熱を持ち始めているようだ。

そこで初めて、カドックはキャスターとの繋がりが薄れ始めている事に気づいた。

 

「キャスター!?」

 

「ごめんなさい、私はここまでのようです」

 

苦し気に膝を着き、キャスターは言葉を漏らす。

どうして気づかなかったのだろう。

一介の魔術師が独力でサーヴァントを維持できるはずがない。

なのにキャスターがここまで現界を維持できていたのは、マスターである自分以外からも魔力の供給を受けていたからだ。

それは大聖杯だ。

自分はカルデアの英霊召喚システムを通さず、冬木の魔術基盤を用いて英霊召喚を行った。

召喚が成功したのは偶然だったのかもしれない。

だが、例え偶然でも召喚されたのならキャスターは冬木の聖杯戦争の参加者なのだ。

大聖杯からのバックアップが途絶えれば消滅し、英霊の座へと帰還する。

それでもここまで消滅を免れたのは、クー・フーリンと違い自分というマスターがいたことで現世への繋りを強く持てていたからだ。

そして、それももう限界を迎えようとしていた。

 

「馬鹿な・・・キャスター、何をしている!? もっと僕から魔力を持っていけ! このままじゃ消滅するぞ!」

 

「お馬鹿さんね。そんなことをすればあなたが死んでしまうわ」

 

「それでも・・・それでも僕は・・・」

 

仲間が大勢傷ついた。

オルガマリーも死んだ。

その上、君までいなくなればきっと耐えられない。

少しでも存在を強く感じられるように、頬に添えられた冷たいキャスターの手を握る。

見透かされているようで直視できなかった彼女の瞳が、目の前にあった。

 

「落ち着いて、私は信じています。あなたはきっと正しく為すべきことを為すと」

 

「そんなことはない! いつだって僕は、こんなはずじゃなかった、もっとうまくできたはずだって後悔してばかりだ」

 

「いいえ、あなたは強いわ。きっと世界を救えます」

 

違う、僕じゃ救えない。

アーサー王にとどめを刺したのはクー・フーリンだ。

聖剣を防いだのはマシュだ。

みんながいたからセイバーを倒せたのだ。

自分1人では―――。

 

「きっと、君を護れなかった」

 

「いいえ、勘違いしないで。私はあなたが優れていたから力を貸した訳ではありません。私を信じてくれたから、サーヴァントとして当然のことをしたのです。光栄に思ってちょうだいな・・・・カドック・ゼムルプス。わたくしの・・・・かわいい人・・・・」

 

握った手の感触が消えていく。

キャスターの眼差しが、白い髪が、鈴の音を奏でる唇が、冷たくも優しい指先が。

目の前から全て消えていく。

 

「だめだ! だめだ、だめだ! 僕はまだ何も証明しちゃいない! 君に相応しいマスターになれていない! だから消えるな、アナスタシア!」

 

二画の令呪が光となって消えていく。

直後、カドックの意識は遥か彼方へと引き戻された。




長いよレフ。
君だけ1回の台詞量倍くらいあるし。
ひたすら喋りっぱなしだし下手に削ると前後がおかしくなるし。
いっそもっと大胆に改変すべきだろうか。

次回で序章のエピローグです。


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炎上汚染都市冬木 最終節

―――女の話をしよう。

その女は何も望まない。

ただ望まれるまま死刑台への廊下を歩く。

コツン、コツンと飛び跳ねる、小鬼の言葉が私を責める。

ケタケタ笑う妖精が、無垢な私を嘲笑う。

あの日の玩具はどこいった。それはお化けが持ち去った。

明日はお菓子が食べれるか。それは小人が盗み食い。

寄ってたかって奪い取られ、最後は裸で銃殺刑。

女は何も望めない。

ただただ笑ってその日を待つだけ―――。

 

 

 

 

アナスタシアという少女がいた。

ロシア帝国ロマノフ朝最後の皇帝ニコライ2世の末娘。

本名をアナスタシア・ニコラエヴナ・ロマノヴァ。

その名は「鎖の破壊者」、「復活」を意味した。

彼女の誕生は決して祝福には満ちていなかった。

女性の皇族は皇位継承権を持てなかったため、周囲の人々は男児の誕生を望んだからだ。

それでも父は惜しみのない愛情を注ぎ、姉妹と共に健やかに育った。

皇帝の娘としては慎ましくも幸せな生活を送り、やがては弟であるアレクセイも生まれてその人生はいよいよ栄華に彩られるはずだった。

だが、情勢は混迷し革命の波が彼女を襲う。

臣民に皇族としての地位を奪われ、最後の2年を彼女は孤独で嘲笑に塗れた軟禁の中で過ごした。

ロシアという過酷な環境で、それでもよりよい生活を。

国民を苦しめる皇帝に退位を。

同志の為に新たな国を。

そう望んだ無辜の民は、彼女から家と家族と命を奪い、その死すらも一時闇へと葬った。

それがアナスタシアの生涯。

カドック・ゼムルプスと契約したキャスターという少女の人生だった。

 

「―――あっ、フォウ?」

 

「行ってしまった。結局、ネコなのかリスなのかわからなかった。まあいっか、ふわふわだし可愛いからね」

 

誰かの話声が聞こえ、カドックは目を覚ました。

見知らぬとは言えない白い天井。

ぼんやりと輝く白色灯はカルデアの医務室のものだ。

どうやら、無事にカルデアに戻ってこれたようだ。

 

「おっと、本命が目覚めたね。おはよう、こんにちわ。意識はハッキリしてるかい?」

 

顔を覗き込んできたのは微笑みを携えた美しい女性。

美術館と歴史の教科書で何度も見た事のあるその微笑みは本来は多くの人を魅了するのだが、残念ながらその本性を知るカドックの心は1ミリも靡かない。

彼の名はレオナルド・ダ・ヴィンチ。

カルデアが召喚した英霊の1人であり、技術部門の協力者だ。

そして、召喚の際に自身が心酔するモナ・リザに合わせて自分の姿を作り替えたという筋金入りの変態だ。

 

「ごめん、寝起きにあなたの顔は色々と悪い」

 

「何々? 目覚めたら絶世の美女がいて驚いているのかい? それともマジレスかな? それだったらショックだなぁ」

 

「ダ・ヴィンチちゃん、話がずれてるずれてる」

 

ダ・ヴィンチの隣に座っていた黒髪の少年が、彼の言葉を遮る。

まだ意識はぼんやりとしているが、その顔は何とか思い出すことができた。

オルガマリーの怒りを買った48人目のマスター。

自分と同じ、唯一の生存者。

 

「んー、そうだねぇ。とにかくまずは管制室へ行こう。藤丸くん、案内してあげたまえ」

 

「はいはい、わかりましたっと。行こうか・・・・えっと、行きましょうか?」

 

「タメ口でいい」

 

「じゃ、よろしく。立てるかい?」

 

差し出された手を取ろうと僅かに逡巡し、カドックは彼の手を取った。

そして、自分の右手の令呪が失われている事に気づく。

跡形もなく綺麗さっぱりと、三画の繋がりは消失していた。

意識を辿ってみても、あれほど身近に感じられたサーヴァントの気配がまるで感じられない。

自分とキャスター―――アナスタシアとの繋がりが完全に断たれている。

 

「どうしたの、大丈夫?」

 

「何でもない。行こう」

 

自分の胸にぽっかりと空いた喪失感を振り払い、カドックは一歩を踏み出す。

管制室までの道中、傍らの少年はいくつか質問や世間話を振ってきたが、どんな答えを返したのかは思い出せない。

ただ、邪険に扱う事だけはしなかった。

いつもならこんな風に話しかけられるのは鬱陶しくて敵わないのに、今だけはそれも許せてしまう。

 

「おはようございます、カドックさん。先輩もごくろう様です」

 

「うん、ありがとうマシュ」

 

管制室で最初に出迎えてくれたのはマシュだった。

爆発事故で潰れた足はデミサーヴァント化のおかげで何の後遺症も残らず治癒している。

それを喜ばしいと思える程には情が移っていた事にカドックは自分でも驚いた。

 

「やあ、生還おめでとうカドックくん。そしてミッション達成お疲れ様。なし崩し的に押し付けてしまったけど、君は勇敢にも事態に挑み乗り越えてくれた。その事に心からの尊敬と感謝を送るよ。君のおかげでマシュとカルデアは救われた」

 

ピシリ、と何かがひび割れる音を聞いた。

止めてくれ。

その言葉をもらう資格は自分にはない。

自分はただ生き残っただけだ。

1人ではセイバーに敵わず、マシュとク・フーリンがいたからこそ生き残る事が出来た。

だから、その言葉を受け取る資格は自分にはない。

あれほど欲しかった報酬が、今は堪らなく重くて両手から零れてしまいそうだ。

 

「大丈夫かい?」

 

「カドックさん、顔色が・・・」

 

こちらを覗き込む黒髪とマシュ。

大丈夫だと手を振って椅子に座らせてもらった。

ロマニも申し訳なさそうに頭を掻き、小さく謝罪してから続ける。

 

「ごめんね、疲れているのに。そうだね、所長の事は残念だった。ボク達も心を痛めている。けど、今は弔っている余裕もない。ボク達は所長の代わりに人類を守ることで手向けとするんだ」

 

ロマニの言葉は冬木でレフが語った事の裏付けであった。

カルデアの外部と連絡が取れず、外に出たスタッフも戻ってこない。

外部に向けられた計測器の全てはアンノウンを示し、外には文字通り何も残っていない事を証明する。

このカルデア自体が、時間という大海原に浮かぶ船と同義だった。

そして、それも後1年で終わりを迎える。

 

「世界はもう・・・ないのか・・・」

 

「ああ、この状況を打開できなければね」

 

そう言った、ロマニの瞳には強い決意が秘められていた。

マシュも、傍らの少年も。

ここに残った他のスタッフ達からも。

誰も彼もが諦めるにはまだ早いと、前を向いている。

 

「君達のおかげで冬木の特異点は消失した。けれど、未来は引き続き観測できずカルデアスも紅く燃えたままだ。つまり、他にも原因があると僕達は仮定した。そして見つけ出したのがこの狂った世界地図。冬木とは比較にもならない時空の乱れを起こす7つの特異点だ」

 

よく過去を変えれば未来が変わると言われるが、大きな時代の流れともなればそうはいかない。

端々で細かな違いが起きたとしても、歴史の修正力によって起こるべき決定的な結末は変わらないようになっている。

だが、ロマニが見つけた7つの特異点は人類史におけるターニングポイント。

この戦争が終わらなかったら。

この航海が成功しなかったら。

あの発明が間違っていたら。

あの国が独立しなかったら。

そういったもしもを崩されれば、人類史は土台からひっくり返されてしまう。

このままでは人類は2017年を迎える事なく消滅する。

いや、死すらも迎える事なく歴史ごと焼却される。

 

「あんた達は、まだ戦うつもりなのか」

 

「ああ、ボク達だけが抗える。未来が焼却される前にこの崩れた歴史を正す事ができる」

 

力強く、はっきりと答えが返ってくる。

なんて眩しくて悲壮な決意なのだろうとカドックは思った。

普段の明るくて暢気な性格からは想像もできない。

まるで、今日という日を最初から覚悟していたかのように。

傷だらけの覚悟でもって、彼は人類を救うと宣言する。

 

「結論から言おう。この七つの特異点にレイシフトし正しい歴史に戻す事。それがこの事態を解決する唯一の手段だ。けれどボクらにはあまりに力がない。マスター適性者は君と彼を除いて凍結。所持するサーヴァントもマシュを含めて2人だけだ。加えて彼にはマスターとしても魔術師としても経験が皆無だ。だから、これはボクの傲慢、強制と受け取って構わない。それでも敢えて言わせてほしい」

 

一拍の呼吸を置き、凛とした響きが管制室に木霊する。

 

「マスター適性者、カドック・ゼムルプス。君が人類を救いたいのなら、2016年から先の未来を取り戻したいのなら、この7つの特異点を巡る旅を、ボクらと共に歩んで欲しい」

 

みんなが答えを待っていた。

ロマニが、マシュが、48人目も他のスタッフも。

ここに集った誰もが未来を諦めず、先へ進もうと覚悟を決めている。

答えを出していないのは自分だけだ。

できるはずがないと。

諦めているのは自分だけだ。

 

『私は信じています。あなたはきっと正しく為すべきことを為すと』

 

アナスタシアの言葉が脳裏に蘇る。

握った拳の中で指先が手の平の皮を破る。

滲んだ血は熱く、自分はまだ生きているのだと実感する。

ここにはいない彼女に、まだ生きているのだから諦めるには早いと窘められる。

 

「ああ、やってやるさ」

 

これは彼女への証明だ。

自分は必ず世界を救えると。

 

「ありがとう、その言葉でボク達の運命は決定した。これよりカルデアは前所長オルガマリー・アニムスフィアが予定した通り、人理継続の尊命を全うする。目的は人類史の保護、奪還。探索対象は各年代と原因と思われる聖遺物・聖杯。君達の前に立ち塞がるのは数多の英霊、伝説。未来を取り戻すために、人類史そのものが敵として立ちはだかる。例え如何なる結末に至ろうとも、これ以外に未来を取り戻す方法は他にない。その決意で持って作戦名を改めよう」

 

これはカルデア最後にして原初の使命。

人類守護指定・G.O(グランドオーダー)

人類史を救い、世界を救済する聖杯探索(グランドオーダー)

魔術世界における最高位の指名を以て、自分達は未来を取り戻す。

 

 

 

 

 

マシュはあの48人目のマスターと契約する事になった。

順当に考えるのならば経験のある自分がマスターになる方が良いのだろうが、アナスタシアを失ったばかりですぐに新しいサーヴァントと契約する気にはなれなかった。

それも顔見知りであるマシュならば尚更だ。彼女といるとどうしてもアナスタシアの事を思い出してしまうし、改めて主従の関係を結ぶには自分達Aチームは些か歪に過ぎる。

もっとフラットに、彼女を1人の人間として見れる奴がマスターになるべきだろう。

 

「カドックさん」

 

管制室を出たところで、マシュに呼び止められる。

 

「すみません、アナスタシア皇女のことなのですが―――」

 

「いいんだ」

 

思わず彼女の言葉を遮ってしまう。

気にしなくていいんだとマシュに言い聞かす。

彼女を悼む事も自分を気遣う事も必要ないと。

だから、耳を塞いで一方的にまくしたてた。

 

「最後に彼女を守ってくれて、ありがとう」

 

マシュの答えを聞くことなく駆け出した。

彼女が何を言おうとしたのかはわからない。

足手纏いとなった事を謝ろうとしたのか。そんなことはない、彼女は立派に戦った。

アナスタシアが消えた事を慰めようとしたのか。止めてくれ、余計なお世話だ。

とにかく1人になりたかった。

走って、走って、気が付けば居住スペースまで戻ってきていて、カドックは自虐的な笑みを零す。

 

「ははっ、何をやっているんだろうな、僕は」

 

ひとしきり笑って、自室に入ろうとポケットを弄った。

そこでふと気づく。

自室の鍵がない。

ファーストオーダーの前は確かにあった。

きちんと施錠して、念のためチェーンで繋いでボタン付きのポケットにしまっておいたのだ。

管制室で落としたのだろうか?

 

「はい、探し物はこちらかしら?」

 

ふっと冷たい空気が流れ、白い指先がチェーンの付いた鍵を差し出す。

間違いない、なくしてしまった自室の鍵だ。

 

「ああ、ごめん。ありがと―――」

 

「ええ、どういたしまして」

 

白い髪、雪のような肌、何もかも見透かしたかのような冷たい眼差し。

消えたはずのアナスタシアがそこにいた。

 

「ななななな―――――」

 

「どうしてここにいるのかって?」

 

「―――――!」

 

現実を認識できずにパニックに陥ったカドックは、声にならない声を上げて地団駄を踏む。

 

「い、いつから・・・そもそもどうやって・・・」

 

「『ははっ、何をやっているんだ―――』」

 

「やめろぉっ! もういいから!」

 

クールな顔でお茶目なものまねをする皇女をカドックは思わず怒鳴りつけた。

過呼吸気味で心臓が跳ね上がり、病的な顔も赤く上気していることが手に取るようにわかった。

とにかく落ち着こうと自室に入って備え付けの小型冷蔵庫を開け、エナジードリンクを一気飲みする。

後からついてきたアナスタシアは興味深げにアンプやギターを触りだすが、もう突っ込む気力もない。

 

「一から説明してくれ、キャスター!」

 

「そうね、私も難しい事はわからないのですが―――」

 

特異点が消滅する最後の瞬間、カドックは無意識に残った二画の令呪を使ったらしい。

それがアナスタシアの座への帰還をギリギリまで縛り、そのおかげでカドックのカルデアへの帰還に引きずられる形でこちらまでレイシフトしてきたようだ。

令呪が使い切られていた事でマスターとの繋がりも薄くなっており、ロマニが大急ぎでカルデアの電力をアナスタシアの現界に宛がう事で、契約こそ切れてしまったがカルデアを仮の座とすることで彼女は消滅する事なくここに残る事ができたとの事だ。

 

「は、ははっ、何だよそれ―――」

 

「落ち込んでたのが馬鹿みたい?」

 

「読むなよ、人の心を」

 

淡々と話すアナスタシアに対して、カドックは不服そうにそっぽを向く。

馬鹿みたいだ。

彼女が消えて、心にぽっかり穴が空いた。

彼女の最後の言葉を、呪いのように背負わされたとばかり思っていた。

でも違った。

彼女はここにいて、自分はまだ戦う意志を失っていない。

悲しむ事も悔やむ事もなく、もう一度ここから始める事ができるのだ。

 

「かわいい人。せっかく再会できたのに、贅沢、宝石、売却よ」

 

「君の言っていることはたまによくわからないが―――自分を召喚できるなど宝石のように贅沢だ。それに文句があるなら売り飛ばすぞ、あたりか?」」

 

どうせ誰も見ていないのだからと、カドックは居住まいを正して片膝をつく。

アナスタシアは慣れたものだとばかりに片手を差し出し、カドックは冷たいその手にそっと自分の手を重ねる。

 

「そう、その通り。よくできました。では、改めて―――」

 

―――告げる

汝の身は我の下に、我が命運は汝の剣に

聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば―――

 

「我に従え、ならばその命運、汝が眼に預けよう」

 

「キャスターの名に懸かけ誓いましょう。サーヴァント、アナスタシア。召喚の求めに応じ、改めてここに参上したわ。この子はヴィイよ。わたくし共々、よろしく」

 

それは2人だけの誓いだった。

凡庸な魔術師の少年は、せめて彼女の前でだけは虚勢を張ろうと誓った。

どんな理不尽を前にしても、世界を救うという誓いだけは諦めないと。

星詠みとなった皇女は、自分を呼んでくれた少年のために戦おうと誓った。

彼が悩み苦しんで、どんな答えを出したとしても、自分だけは彼を裏切らないと。

犬とまで蔑まされながらも生きる事を諦めなかった人生に/革命に呑まれ、生きる事を諦めねばならなかった人生に。

それでも意味はあったのだと/それでも意味はあったのだと。

 

―――きっと僕達は証明してみせる。

 

 

 

A.D.2004 炎上汚染都市 冬木

人理定礎値:C

定礎復元(Order Complete)




というわけで序章・完になります。
続きに関しては構想はあるのですが文章化できるほど煮詰まってないので、少しチャージします。まずはオルレアンのテキストの見直しだ!


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幕間の物語 -カドック・ゼムルプス-

それはアナスタシアと再会してからしばらくしたある日の事。

最初の特異点へのレイシフトの準備が整い、カドックはブリーフィングのために管制室へと呼び出された。

待機している間、することがないから魔術の訓練をして欲しいという素人に付き合わされ、その自分以上の才能のなさにいい加減疲れ果てていたところであったため、今のカドックは普段の何割か増しでやる気に満ちていた。

あのド素人の面倒をみるくらいなら、きっと竜種とタップダンスを踊っていた方が何倍も気楽だろう。

そんな楽観が後悔に変わるなど露知らず、カドックは部屋で待っているであろうアナスタシアを呼びに廊下を駆けた。

ちなみにその三流魔術師はというと、付け焼刃は戦場では却って危険なのでダ・ヴィンチが作成した魔術礼装でサーヴァントのサポートをする事に落ち着いた。

本人的にはかなり落ち込んでいたが、あれはカドックの眼から見てもどうしようもなく才能がない。レイシフト適性を持ち、サーヴァントと契約して干乾びない程度の潜在魔力量を持っているだけでも奇跡の産物だ。

 

「ん?」

 

ふと足下を白い物体が駆け抜け、踏み潰さぬよう足を止める。

毛むくじゃらで犬なのか猫なのかわからない謎の生き物。

マシュ―――と最近はあのへっぽこマスターにも懐きだしたフォウという生き物だ。

2人以外には一切懐かないはずのその生き物が、不思議そうにこちらを見上げている。

 

(そういえば、こんなに近くで見た事なかったな)

 

いつもは近づけば逃げるし、足下や背後を駆け抜ける事はあっても向こうから寄ってくる事はなかった。

こんなにも近くで見つめあっているのは、意外にもカルデアに来て初めての事だ。

動物はそこまで好きというわけではないが、それでもその愛らしさに今なら頭を撫でられるだろうかと、邪な気持ちが芽生えてくる。

 

「カドック」

 

不意に横から声が聞こえ、フォウは驚いたように逃げ出した。

 

「アナスタシア?」

 

「何をしているの、呼び出しよ。人理を救うのでしょう? 貴方の足はお飾りかしら」

 

辛辣ながらも期待に満ちたアナスタシアの言葉を受け、促されるままに管制室へ向かう。

一度だけ振り返ったが、あの白い毛並みはもうどこにもいなかった。

フォウが何故、今日に限って向こうから近づいてきたのか。

どうして、今までは避けられていたのか。

彼がその真意を知る事はない。

そして、そんな事があったのだと思い出す暇もないほど、新たな特異点は波乱に満ちていた。

 



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第一特異点 邪竜百年戦争オルレアン
邪竜百年戦争オルレアン 第1節


緊張した面持ちで管制室の扉を開く。

ロマニから最初の特異点へのレイシフトの準備が整ったと告げられたのが数分前。

いよいよ、ここから人理修復のための旅が始まるのだ。

自分なんかが世界を救えるのかという不安と、自分でもやれるはずだという緊張で、手の平にじんわりと汗が滲み出る。

中に入れば中央には黒く染まったカルデアス、その周りで5人に満たないスタッフが忙しなく行き来していた。

広さに対して人数が余りに少なく、どこか空虚な印象を受ける。

本来、カルデアには数十人単位の職員と48人のマスターがいた。

だが、レフ・ライノールによる爆破工作によってほとんどの人間が死亡し、生き残った職員は20人足らずとのことだ。

地下の炉心の管理、カルデアスやシバの調整、特異点の観測とライフラインの維持。

やるべきことに対して人員がとても足らず、カドックも待機中に何か手伝えることはないかと何人かの職員に声をかけてみた。

結果は惨敗。

必要とされる技能の水準が高すぎて、何の取柄もない凡人ではできることなど何もなかった。

そう考えていたのはもう1人の凡人も同じようで、厨房で鉢合わせした時は仲良く一緒に皿洗いをさせられたものだ。

ちなみに自分の方が皿を割った回数は多かった。

 

「おはよう、カドックくん。よく眠れたかな?」

 

「ああ、ドクター・ロマン。準備は万全のつもりだ」

 

マシュともう1人は来ていない。

初日から遅刻というのがあまりにらしくて、カドックは複雑な感情を禁じえなかった。

あの暢気な性格が爆破からの生還に繋がったのだから馬鹿にはできないが、それでも心の中で思うくらいは良いだろうと自分を納得させる。

 

「すみません、マスター藤丸立香、マシュ・キリエライト、ただいま到着しました」

 

「すみません、遅れました」

 

背後の扉が開き、足をもつれさせながら2人は駆け込んでくる。

肩で息をする黒髪の少年。

自分と同じ、いや自分以上に凡人のマスター。

小言など言いたくはないが、これから一緒に戦うのだと考えるとやっぱり頭が痛い。

 

「おい、何をしていたかは知らないが呼び出されたらすぐに―――大丈夫か?」

 

少年の顔は僅かに焦燥し、眼の下にはうっすらと隈ができている。

ここまで走ってきて疲れているから、とは思えない。

体調自体があまりよくないように感じ取れた。

 

「ちゃんと寝ているか? 睡眠時間は?」

 

「昨日は5時間。ただちょっと寝覚めが悪くて。疲れてたのかな、変な夢も見たし」

 

「体が休めなくなるから寝る前に鍛錬はするなと言っただろう」

 

「ごめん、気を付けるよ」

 

「自己管理くらいちゃんとしろ、素人。そんな調子で先が思いやられ―――」

 

振り向くと、アナスタシアを初めととしたスタッフ達の視線が自分に向けられていることに気づいた。

言い過ぎだと咎められるのだろうかと身構えるが、代表して口を開いたマシュの言葉に耳元まで赤くなる。

 

「仲が良いですね、お二人とも」

 

「ちちちちが―――――」

 

心外だと言いたいのに言葉が出ない。

自分とこいつが仲良くなることなど、きっと死んでもありえない。

百歩譲ってもライバルだ。

どちらが人理の修復に大きく貢献できるかという好敵手だ。

ただ足手纏いにはなりたくないからと自分に鍛錬の指導を頼み込み、鬱陶しいから面倒を見てやっただけだ。

断じて仲良くなどはない。

なのにこのポンコツはというと否定しないどころか―――。

 

「そうだね」

 

―――と肯定する始末だ。

周囲の視線が痛い。

アナスタシアは何か尊いものでも見たかのように微笑んでるしロマニの笑い方は何だかムカツクし。

こっちに気づいたダ・ヴィンチは何やら高速でスケッチを取り始めたし。

今まで生きてきてこんな複雑な気持ちになったのは初めてだ。

 

「まあ、そろったことだしブリーフィングを始めようか」

 

緩み切った空気を引き締めるためにロマニが手を叩き、全員の顔つきが真面目なものになる。

そうだ、これから始まるのはグランドオーダー。

焼却された2017年を取り戻すために挑む聖杯探索。

失敗は許されず、成し遂げられなければ未来はない。

 

「君たちにやってもらうことは2つ。1つは特異点の調査と修正。その時代における人類の決定的なターニングポイント。それがなけれが我々はここまで至れなかったという人類史における決定的な事変だね」

 

例えば恐竜が滅びなければ霊長類の時代は訪れなかっただろう。

氷河期が終わらなければ人類ではなくマンモスがこの星の支配者になっていたかもしれない。

そういったIFを見つけ出し、原因を取り除くことで歴史を修正するのだ。

そして、それらの異変を起こすための触媒として用いられているのが聖杯であると、ロマニは推測していた。

 

「聖杯は膨大な魔力を蓄えた遺物で、レフは何らかの形でそれを手に入れて悪用したんじゃないかと思っている。これを回収しなければ修正された歴史がまた特異点化する恐れもある。これが第二の目的だ。ここまでいいかな?」

 

「えっと・・・何とか」

 

若干、素人マスターが頼りなさげに応える。

やはり一緒に戦うのは不安しかない。

自分とマシュで最大限フォローしないと、このポンコツ魔術師未満は石で躓いただけで死にかねない。

 

「それともう一つやってもらいたいことがある。霊脈を探し出して召喚サークルを作って欲しいんだ」

 

レイシフトは基本的に一方的なものでかつ不安定だ。

時流の乱れや大気中の魔力、星辰など様々な要因で通信すら不安定になりかねない。

それを安定させ、カルデアと相互でやり取りが可能な拠点を作る。

その為に必要なものが召喚サークルだ。

はっきり言って凡人と凡人未満の魔術師ではいくらサーヴァントが優秀でも不測の事態に対応できない事の方が多いはずだ。

カルデアからのバックアップは最大限に行えるよう体制を整える必要がある。

 

「なるほど、ベースキャンプか」

 

「・・・理解しました。必要なのは安心できる場所。屋根のある建物、帰るべきホーム、ですよね、マスター?」

 

「マシュは、いいこと言うね」

 

「そ、そう言っていただけると、わたしも大変励みになります」

 

「うんうん。あのおとなしくて無口で、正直何を考えているかわからなかったマシュが立派になって・・・」

 

ロマニはさめざめと泣きまねを始め、それに便乗したマシュのマスターが茶々を入れる。

脱線の始まったブリーフィングに痺れを切らしたダ・ヴィンチが介入しなければ、どこまで話がずれていたかわからない。

人類史奪還の最前線は、そのまとめ役の人徳故かどうにもゆるふわした雰囲気からは逃れられないようだ。

 

「あら、私は好きよ。家族で病院を慰問した時みたいで誇らしいわ」

 

ブリーフィングを終え、レイシフトの最終調整を待つ休憩時間にアナスタシアはそんな事を呟いた。

彼女の生前のエピソードの一つだ。

第一次大戦中に負傷兵を家族で見舞い、奉仕活動を行ったことが彼女の密かな誇りとなっているらしい。

本人曰く、まだ看護ができる年齢ではなかったので患者達と遊戯に興じて慰めていたそうだが。

 

「僕は苦手だ。みんな妙に距離が近くて、うまくやっていけない」

 

爆破事故を生き延び、人理修復という一大偉業を前にしてカルデアスタッフの士気は高かった。

皮肉にも人員が少なくなったことで、返って結束が強まったようだ。

 

「あら、なら私ももっと素っ気なく接した方がよくて? もっと離れて、近づかないで―――とか?」

 

「ごめん、言い過ぎた。別にみんなが嫌いって訳じゃないんだ」

 

今までは周囲を見返すために、自分の自尊心を守るために生きてきた。

挫折の度に次こそはと意気込み、やがては何に対しても「もっとできたはずだ」と言い訳する事が当たり前になった。

成功も失敗も未熟で凡庸な自分の自己否定に繋がり、周囲との距離もどんどん広がっていった。

カルデアに来てもそれは変わらない。

時計塔のエリート、生え抜きの天才と得体の知れない変態、危険人物がそろったAチーム。

レイシフトの適性しかない自分がその末席にいたことが今でも信じられず、劣等感が消える事はない。

それでもヴォーダイムは鷹揚な態度を崩さず、ペペロンチーノは積極的に自分と関係を持とうと話しかけてきた。

他のみんなも、何だかんだで気にはかけてくれていたと思う。

思い返すと苦手な連中ではあったが、嫌いではなかったと思いたい。

 

「そろそろ時間だ、コフィンに入ろう」

 

差し出した手にアナスタシアの白い指先が重ねられる。

あの時、ファーストオーダーを前にしてみんなは何を考えていたのだろうか。

今はもう彼らと話すことはできないけれど、その時が来たら自慢話の1つでも披露しよう。

僕が世界を救ったんだぞと。

 

 

 

 

 

 

自分が自分でなくなるかのような喪失感の後、白い視界に景色が戻る。

頬を撫でる風が心地よい。

息を吸えば香り豊かな空気が肺に満たされ、遠くで小鳥の囀りが聞こえてくる。

前回は事故による偶然だったが、今回は無事にレイシフトに成功したようだ。

 

「―――っ!?」

 

隣にいたアナスタシアが息を呑んだ。

視界に広がる緑と穏やかな風、川のせせらぎ。

どこまでも広がるのどかな景色に彼女は言葉を失っていた。

 

「きれい・・・ねえ、ここはどこかしら? 何という国? 季節は? ひょっとして春?」

 

「ま、待ってくれ。今、時間軸の座標を読み出しているから」

 

時代は1431年6月、フランス。

イングランドとの百年戦争の真っただ中だが、今は休戦協定が結ばれた時期だ。

王位継承権争いが発端であるこの戦争はその経緯故に決定的な決着がなかなか迎えられず、また長期間の戦争を継続できるだけの国力がない時代であったために何度かの休戦を挟みながら戦争が行われていた。

当時の戦争自体、侵略や兵の殺害より捕虜にした相手の賠償金を得るという経済側面が強かったこともこれに拍車をかけたのだろう。

 

「欧州のフランス、自由の国ね」

 

「そう呼ばれるのはもっと後の時代だよ」

 

「それでもいいわ。きっとここは自由の国。ああ、こんなにも青々とした木々を見るのは初めてです」

 

「ロシアにも雪のない日はあるだろう」

 

「夏は短いのよ、とても。それに離宮の外に出た事なんてほとんどなくて」

 

そう言うアナスタシアの顔には年相応な少女の笑顔が浮かんでいた。

曰く、アナスタシア・ニコラエヴナは活発でエネルギーに満ちたお転婆娘だったらしい。

真名を知って史実とのギャップに驚いた事も多かったが、そういう面もないことはないようだ。

 

『あー、テステス』

 

どこからか男の声が聞こえ、目の前にノイズ塗れの映像が映し出される。

カルデアの制服を身に纏った、金髪で小太りの青年がそこには映っていた。

カルデアからの通信のようだ。

 

『よーし、繋がった。2人とも無事だな? 俺はコフィン担当のムニエル。ドクターが藤丸の方に手一杯なんで、2人のナビゲートは俺がすることになった。本当は管制の仕事なんだが人手不足でね。悪い悪い』

 

そういえば、先ほどからマシュ達の姿が見えない。

気づいたカドックは己の迂闊さと愚鈍さを恥じた。

自分としたことが、グランドオーダーという大事に舞い上がっていたようだ。

 

『気にするな、転送先の座標に誤差が出るのは少なくない。壁の中にいないだけマシと思おうぜ』

 

サラっと恐ろしいことをいうムニエルにカドックはため息をつく。

ロマニとは別の意味でやりにくそうな相手だ。

 

「それで―――えっと・・・」

 

『ムニエル。ジングル・アベル・ムニエルです』

 

「ではジングル・アベル。マシュとそのマスターも無事なのですね?」

 

「ええ、とりあえず情報収集を始めてますよ。それと2人とも、空を見上げて欲しい」

 

一瞬、オーロラかと思った。

だが、違う。あれはもっと熱量が込められたものだ。

ここより遥か上空。蒼穹すら越えた先にある衛星軌道上に広がる光の環。

その大きさは大陸に匹敵するだろう。

1431年にこんな現象が起きたとは聞いたことがない。

ロマニの推論では、未来消失に関係のある何かしらの魔術式なのだろうとの事だ。

 

『そっちでも確認できるのなら、計器の故障ではないな。ありがとう、確認したかっただけだ。

とにかくまずは藤丸達と合流しよう。途中で街とかに寄れれば差し支えない範囲で情報集めだ』

 

そうだ、あの半人前を放っておいたらどこで野垂れ死ぬかわからない。

勝手に死ぬのは構わないが、それで人理修復が滞っては大事だ。

それにマシュやカルデアのスタッフが悲しむ顔を見るのはいい気分じゃない。

しかし、凡人で足手纏いだと思っていた自分が、まさか誰かの世話を焼く日が来るとは思わなかった。

 

「あら、兵隊さんね」

 

さっとカドックの後ろに隠れたアナスタシアが、手にしたヴィイで顔を隠しながら覗き込む。

何故、そんなことをしているのかと問い質す気にはなれなかった。

生前の最期がトラウマで軍隊とか兵士が苦手なのはわかるが、そうしているとただの奇行にしか見えない。

 

「カドック、話しかけてきなさい」

 

「はあ、どうして?」

 

「情報収集でしょ。大丈夫、私も一緒に行きますから」

 

(怖いから離れたくないって言えないのか、この皇女様は)

 

呆れながらアナスタシアを伴って兵隊に近づく。

こちらに気づいた何人かは警戒して抜刀の構えを取るが、カドックは臆することなく懐から取り出したライターに火を点けた。

それなりに人数がいるので全員にきちんとかかるかは自信がないが、暗示の魔術だ。

 

「ズドラーストヴィチェ―――違った、ボンジュール、ムッシュ。僕達は旅の者だ。何か最近、変わった事は起きていないか?」

 

炎を通して拡散された暗示が兵士達の思考能力を奪う。

特異点は時間軸から隔離されているため、何があってもタイムパラドックスが起きることはないが、それでも揉め事は少ないに限る。

 

「あぁ・・・ああ・・・・」

 

『おい、大丈夫なのか? 藤丸の方はコンタクトに失敗してひと悶着あったが、こっちは何だかやばそうだぞ』

 

「大勢に同時にかけたから暗示のかかり方が中途半端みたいだ。目覚めたら吐き気と頭痛で半日は動けないだろうな」

 

「あら、素敵な趣味だこと」

 

「お褒めにあずかり光栄だ、皇女様。さて――何があった?」

 

「あ・・・魔女・・・竜の魔女が・・・・」

 

「竜の魔女?」

 

「ああ・・・魔女だ・・・・竜が来る・・・・・飛竜を連れて・・・魔女が・・・・」

 

余程の恐怖が刻み込まれていたのだろう。兵士はひたすら竜の魔女の恐ろしさを説くばかりだ。

諍いを避けるために暗示を使ったのは失敗だった。

これではこれ以上の事を聞き出す事ができない。

一度、正気に戻して聞き直した方が良いだろうか。

 

『待て、何だこの反応? 何かが向かってくる?』

 

「マスター、あれを」

 

背中に張り付いていたアナスタシアが、険しい声を上げる。

その視線の先にいたのは、人の数倍もの大きさの巨体。

直立した爬虫類といえるそれは腕の代わりに大きな翼が生えており、開いた口からは鋭い牙が何本も見えている。

うなりを上げる咆哮はまるで亡者のようだ。

十五世紀のフランスにいていいはずがない幻想。

ワイバーンの群れがそこにいた。

 

「くそっ! おい、さっさと逃げろ!」

 

下手に覚醒させればパニックになると思い、暗示をかけたまま兵士達に逃亡を促す。

暗示は時限式のものをかけたから放っておいても大丈夫だ。

それよりもあのワイバーンの群れをどうにかしなければ、自分達はおろか後ろの兵士達まで食い殺されかねない。

マシュ達との合流地点はずっと先、救援は期待できない。

 

「キャスター、頼めるか」

 

「ええ、回路を回しなさい、マスター」

 

刹那、大気が凍り付いた。

アナスタシアが直視した視線上の空気が震え、氷の道となってワイバーンに伸びる。

目の届くところにいる限り、アナスタシアからは逃れられない。

この視界全てが彼女の、ヴィイの間合いなのだ。

瞬きの内に飛竜の群れが一掃される様を、カドックはただ見ているだけで良い。

そう思った瞬間、氷を砕いて一体のワイバーンがこちらに迫ってきた。

 

「っ! ヴィイ!」

 

「くっ!?」

 

防御のために張った氷の壁がいとも容易く破壊され、ワイバーンの爪が目の前を掠める。

更に一体、もう一体、続けざまに急降下を仕掛けてくるワイバーンの群れ。

形勢不利を悟ったカドックは即座に敵意誘導の術式を施した自立駆動の礼装を囮に使い、アナスタシアを連れて反対方向に走る。

 

「厄介だな、神秘の濃さが違う」

 

アナスタシアの魔術は精霊ヴィイによる冷気操作。

人間の魔術師が行う元素変換などとは比べ物にならない威力を誇るが、神秘である以上は同種の神秘で相殺され、場合によっては打ち負ける。

ワイバーンは亜種とはいえ幻想種の頂点である竜種の一種。

身に秘めた神秘は濃く、ヴィイの力が十二分には伝わりきらない。

冬木で戦ったライダーやセイバーのように対魔力スキルを持っているわけではないため、問答無用で弾かれるという事はないが、一体を凍らせるのに非常に時間がかかる。

 

『やばいやばい、どんどんくるぞ!』

 

雑音交じりのムニエルの悲鳴。

囮の礼装は破壊され、取り逃がした獲物を求めてぎらついた眼がこちらを睨む。

更に遅れていた群れも次々に飛来し、2人はジリジリと追い詰められていった。

 

「マスター、宝具の使用を! ヴィイの瞼を上げるわ!」

 

意を決したアナスタシアの言葉に、しかしカドックは躊躇する。

確かに『疾走・精霊眼球(ヴィイ・ヴィイ・ヴィイ)』を使えばワイバーンの群れを一掃できるが、同時にこの草原地帯は絶対零度の吹雪で破壊しつくされることになる。

アナスタシアが感動した緑の世界。活力に満ちた大自然を白い雪で覆いつくすことになる。

自分達はそれで生き残れるかもしれないが、それはとても悲しい事のような気がした。

 

「カドック!」

 

「っ―――キャスター、宝具を・・・」

 

言いかけた時、何かが頬を掠めてワイバーンの一体に突き刺さった。

陽光を浴びてきらきらと輝く透明な花。

ガラスでできた薔薇がワイバーンの喉に深々と刺さっている。

悶えたワイバーンが目を血走らせながら突撃してくるが、今度はどこからか現れたガラスの馬車が目前で舵を切り、その巨大な荷台をぶつけてワイバーンを昏倒させる。

 

「逃げますわよ!」

 

御者席かから身を乗り出したのは豪奢な軽装ドレスに身を包んだ少女だった。

切迫した美声に呑まれ、一瞬カドックは我を失うが、すぐにこれが少女の声に乗せられた魅了の効果だと気づいて頭を振る。

 

「まだ逃がした兵士が近くにいる。ここで食い止めないと奴らに殺される」

 

暗示をかけて前後不覚にしたのは自分だ。

そのせいで死なれてしまったのでは寝覚めが悪いどころの話ではない。

きっと自分を許せなくなる。

 

「わかったわ。けど、この数を相手にするのは無理ね―――アマデウス」

 

「ああ、公演の時間だね、マリア」

 

馬車の屋根から奇妙な衣装を身に纏った男が飛び降りた。

病的なまでに色白で退廃的な雰囲気さえまとった黒衣の指揮者。

その長い指が、胡乱な瞳が、蠱惑な笑みが、見えないオーケストラに指示を下す。

 

「宝具――『死神のための葬送曲(レクイエム・フォー・デス)』」

 

奏でられたのは天上の調べ。

悪魔染みた旋律。

天使達の合唱。

混然一体のハーモニーが場の空気を支配する。

それはアナスタシアの魔術とは比べるべくもない、魔術と呼ぶことさえおこがましい人が織りなす芸術の極致。

人が、ただの人がこれほどまでの頂に達せるというのだろうか。

刃を通さず、魔術すら跳ね除ける竜種を縛り付けるほどに。

それはまさに神に愛された音楽。

ただ奏でる旋律だけで、彼はワイバーンの群れを抑えつけている。

 

「いいわ、そのまま。いきますわよ、『百合の王冠に栄光あれ(ギロチン・ブレイカー)』」

 

そして、動けなくなったワイバーンを少女はガラスの馬車で次々と跳ね飛ばしていく。

王権の象徴。百合の花を背負った彼女はいわば一つの国そのもの。

亜種程度の竜種では、如何に強力でも国一つを平らげるだけの力はなく、美しきガラス細工を血で染め上げることすらできない。

その光景を見つめながら、カドックは自分達を助けてくれた2人の正体に行き当たる。

レクイエムを奏で、神に愛された音楽家とヴェルサイユの華と謳われた悲劇の王妃。

ウォルフガング・アマデウス・モーツァルトとマリー・アントワネットだ。




はい、オルレアンの構想がまとまったので再開です。
カドックくんは別に藤丸くんをdisってるのではなく半分やっかみ半分照れ隠しといったところでしょうか。
同年代の友達いなさそうだし。


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邪竜百年戦争オルレアン 第2節

小川のせせらぎで顔を洗い、胸の内で燻る恐怖と高揚を落ち着ける。

ワイバーンの群れは突然の乱入者の協力のおかげで、全て殲滅する事ができた。

かなりの魔力を持っていかれたが、カルデアのバックアップのおかげで冬木の時ほど負担は大きくない。

これならば少し休むだけですぐに行動に移れるだろう。

 

「落ち着いたところで改めて自己紹介させていただきますわね」

 

自らの宝具であるガラスの馬車を消し、赤い旅ドレスの少女が鈴を転がすような声で言った。

その言葉の端々から伝わる高貴さと愛嬌、一挙一足に至るまで洗練された立ち居振る舞いは正に偶像(アイドル)と呼ぶに相応しい。

カドックも気を張っていなければ、彼女が無意識に放っている魅了スキルに心を奪われていたかもしれない。

 

「わたしの真名はマリー・アントワネット。クラスはライダー。どんな人間なのかは皆さんの目と耳でじっくり吟味して頂ければ幸いです。それと召喚された理由は残念ながら不明なのです。だってマスターがいないのですから」

 

マリー・アントワネット。

フランス革命にその命を散らした悲劇の王妃。

国民に愛された偶像という側面と、国民の糾弾を受けた王権の偶像という2つの側面を持つ女性。

サーヴァントとなった彼女はどうやらフランスに嫁いできたばかりの頃の年齢で現界しているようで、晩年の悲壮さや醜聞として伝わっている放蕩な印象は感じられない。

天真爛漫で朗らかに笑う様は正にアイドルだ。

 

「ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト。僕も彼女と右に同じ。なぜ自分が呼ばれたのか、そもそも自分が英雄なのかすら実感がない。確かに僕は偉大だが、それでも数多くいる芸術家のひとりにすぎないんだが・・・」

 

こちらはウォルフガング・アマデウス・モーツァルト。

神に愛された天才音楽家。

ハイドン、ベートーヴェンに並ぶウィーン古典派三大巨匠の1人。

音楽を愛し、音楽に愛され、その生涯を芸術の神との対話に費やした紛れもない神才。

一節には秘密結社に出入りし魔術を嗜んでいたとも言われており、やや人間離れした容貌はそれが原因なのかもしれない。

 

「アナスタシア・ニコラエヴナ。今はキャスターとして彼と契約しています」

 

「僕はカドック。カドック・ゼムルプス。さっきはその・・・助かりました、助けてくれて」

 

クー・フーリンの時もそうだったが、過去の英霊とこうして会話をするというのは実に不可思議な気持ちになる。

相手は紛う事なき死者であり、時間の外側から呼び出された亡霊にすぎない。

一方で確かな人格を持った個人として現界しており、こうして面と向かって笑いあい、言葉を交わすことができる。

ただ悪い気持ちではない。

数多の英雄達とこうして言葉を交わす機会など、きっとこの先の人生では二度と訪れる事はないだろう。

 

「そう、人理の修復に。なら、わたしたちが召喚されたことにも何か意味があるのかしら?」

 

『そうだと思いますよ。うちのドクター曰く、聖杯がこの異常事態に対処するために呼び出したカウンターじゃないかって。現に藤丸の方はあのジャンヌ・ダルクと行動を共にしてますしね』

 

「ジングル・アベル、それは本当ですか?」

 

「あっちもはぐれサーヴァントと合流したのか、それもあの聖女・・・」

 

「ジャンヌ・ダルクが――彼女が召喚されているの? すごいわ、アマデウス。わたし、彼女と会ってお話がしたいわ」

 

アマデウスを除く三者三様の反応。

無理もない。何しろあのジャンヌ・ダルクだ。

オルレアンの聖女。

劣勢を強いられたフランスを救国するために神が遣わした聖処女。

国の為、仲間の為に旗を振り、その命を信仰に捧げたフランスの救世主。

その最後は決して華やかなものでなく、仲間に見捨てられ、異端審問の末の火炙りという悲劇で生涯の幕は落ちた。

だからこそ人々はその生き様に引き付けられる。

故国のために奮闘し、報われることのなかったその生涯に信仰の光を見出すのだ。

 

「あー、ということはこれから君達のお仲間と合流する、ということで良いのかな?」

 

ジャンヌ・ダルクと会えると有頂天になっているマリーとは対照的に、アマデウスはあまり乗り気ではないようだ。

元々、荒事とは無縁の音楽家。こちらと行動を共にすれば厄介事に巻き込まれると警戒してのことだろう。

反対意見を述べないのは恐らく、マリーが非常に乗り気だからだ。

余程、ジャンヌに会えるのが嬉しいらしく、いつの間にか呼び出したガラスの馬車の荷台部分を鏡代わりに使って衣装の直しなどを始めている。

 

「帽子はこのままでいいかしら? お船の飾りは持ってきてないし―――」

 

「マリー・アントワネット、あれはさすがにお止めになった方が―――」

 

「えー、斬新だってお城の皆さんには評判がよかったのよ。鳥かごなんかもみんな喜んでくれて―――」

 

「氷のオブジェで良ければ―――」

 

「ならわたしはあなたの髪形を―――」

 

王族同士ということで波長があったのか、人見知り気味なアナスタシアもマリーとはすんなり打ち解けられたようだ。

放っておくと2人の髪形がとんでもない前衛芸術になりかねないため、喜ばしさと共に一抹の不安も覚えるが。

 

『楽しそうにしているところ申し訳ないが、悪いニュースもあるんだ。いいか、心して聞いてくれ。竜の群れを率いてフランスを蹂躙している集団。その首魁もジャンヌ・ダルクだ。このフランスには2人のジャンヌが召喚されているんだ』

 

 

 

 

 

フランスという国は自由という概念が発祥した地である。

今までの封建的な国造りではなく、自由・平等・博愛という今日の近代国家の指針となる概念。

その考え方がフランスで興り、そして各国に広がったために現在の民主主義国家へと繋がっているともいえる。

だが、今やフランスは風前の灯火。

火刑に処されたはずのジャンヌ・ダルクが竜の魔女として復活し、ワイバーンを率いてフランス全土を蹂躙。

既にシャルル七世は殺され、オルレアンも占拠された。

これが意味することはフランスという国の崩壊。

引いては後に興るはずの自由という概念の停滞・抹消であり、人類の発展が大きく崩れることになる。

 

『まったく、どうなっちまうんだろうね、俺の故郷はさ』

 

通信機越しにムニエルがぼやく。

時代が違うとはいえ故郷が蹂躙されるのはショックが大きいのだろう。

その気持ちには同情を禁じえないが、何度もぼやかれてはさすがに気が滅入るというものだ。

 

『頼むからきっちり片づけてくれよ。まだエッフェル塔には昇ったことがないんだ。ノートルダムもテレビでしか見た事ないし』

 

「わかったからぼやくな。それで、キリエライト達との合流はこっちで良いんだな?」

 

手ごろな岩の上に腰かけ、カドックは1400年代のフランスの地図を端末から呼び出した。

自分達が今いる場所がリヨンの北にあるジュラの森、マシュ達はラ・シャリテという町の近くにいるらしい。

先に向こうがラ・シャリテで情報収集を行い、そこに自分達が合流するというのがロマニからの指示だった。

 

『ここで一泊して、翌日にラ・シャリテ入り。向こうの方が半日ほど早く着くだろうな』

 

マリーの宝具に乗れればもっと早くに合流できるのだが、残念ながらあのガラスの馬車はあまり長い時間呼び出せないようだ。

馬だけならそこまで負担もかからないようだが、そうなると乗れるのが騎手であるマリーだけでありあまり意味がない。

結果、4人は決して広いとはいえないフランスの地を徒歩で移動することになった。

 

「ふぅ、火起こしって難しいね。君が持っていた―――ライターだっけ? あれがなかったらいつまで経っても点かなかった」

 

指先でくるくると金属の小箱を弄びながらアマデウスは言う。

ここにいるのは自分と彼だけだ。

アナスタシアとマリーは近くに綺麗な川があったので、野宿の準備が整うまでそこで時間を潰してもらっている。

 

「マリアの可憐な指を土で汚すわけにはいかないからね」

 

「あんたはいいのか、音楽家だろ?」

 

「そこはそれ、僕ってば面倒な事はきちんと手を抜いていただろ」

 

「ああ、確かに」

 

薪拾いで小枝しか集めてこなかった時は少しばかりカチンときたものだ。

それに限らずアマデウスは基本的に自分本位で興味が向いたことしかしない。

今だって手が空くやいなや、枝のような指先を宙で弄んで鼻歌を歌っている。

つかず離れずの距離を保ってくれているのでカドックとしては付き合いは楽な部類だが、今は非常時なのでもう少しやる気を出して欲しいものだ。

 

(いや、これは・・・)

 

途切れ途切れに聞こえてくるのは繰り返されるフレーズ。

同じメロディでもアレンジされた音階。

流れる指はここではないどこか、見えない楽団を相手にしているかのように虚空を泳ぐ。

楽しそうに韻を刻むアマデウスの横顔は実には楽しげで見ていて眩しいくらいだ。

神の申し子が新たな作品を生み出そうとしている。

ひょっとして自分は今、歴史的な場面に出くわしているのではないだろうか。

 

「なんだい? 僕の顔なんか見ていても面白くないだろう」

 

こちらの視線に気づいたアマデウスが、見えない指揮棒を収めて作曲を中断する。

 

「すまない。いや・・・・何だか、すごく楽しそうにしていたから―――」

 

見入ってしまっていた。

その言葉がとても気恥ずかしくて、カドックはバツが悪そうにそっぽを向く。

 

「その――好きなんだな、音楽が」

 

「んー、音楽は僕にとって存在意義そのものだから好き嫌いの次元じゃないんだけどね。まあ、僕から音楽を取ったら何も残らないから、楽しまなきゃ損なのは確かだ。パトロンからの締め切りに追われている時だけは心底逃げ出したい気持ちになるけどね。」

 

そう言ったアマデウスの笑顔は眩しく、カドックは彼を直視できなかった。

自分はそんな風に思った事はない。

彼の言う音楽とは自分にとっての魔術と同じだ。

生涯に渡って向き合い、磨いていかねばならない業。

けれど、自分は彼のように己の業を楽しめたことなど一度もない。

高揚感がないわけではない。

術理への理解を深め、真理を学び、儀式を成功させた時など心が躍る。

だが、すぐに自分よりも優れた者がいることを思い知らされる。

魔術回路の数であったり、潜在魔力量の差であったり、単純な血統や特異な才能の時もあった。

彼らに比べれば自分は下の下、凡人もいいところだ。

それでも魔術師の1人として、ゼムルプスの魔術に向き合わなければならなかった。

魔術から逃れることも投げ出すこともできず、ただ劣等感を和らげるために修練を重ねる日々が続くばかりだ。

 

「あんたが羨ましい。たった1つの才能でチャンスを掴んで、英霊にまで上り詰めた。きっと僕にはできない」

 

「君だって人理修復っていう大行を為そうとしているじゃないか。それはとても立派なことだと思うよ」

 

「僕よりも優れたマスターは大勢いた。彼らならもっとうまくやるだろうし、こんな風にいっぱいいっぱいにはならないさ」

 

地面に広げた布の上にはレイシフトの際に持ち込んだ大小様々な礼装が並べられていた。

魔除けにスクロール、各種薬品と実験道具。

先ほどまで念入りに点検していたそれらは、ここまでで役に立ったものもあれば、明らかに余計な荷物になっているものもある。

我が身一つで戦えるなどとカドックは思っていない。

想定される様々な状況に備えて礼装を吟味し、対策を考え続けてきた。

実をいうとここ最近は緊張と不安でロクに眠れてもいない。

あの素人マスターに説教ができるような立場ではなかったのだ。

自分達が失敗すれば後がない。

自分達2人、凡人と凡人未満のマスターしか残されていない。

その事実がカドックから余裕を奪っていた。

 

「ふーん、君は根っこは素直な癖になかなか拗らせてるね。君みたいな奴を僕は知っている気がするな。あれは誰だったか―――まあ、いいや。お湯が沸くまでまだ時間がある。特別に無料(ロハ)で講義してあげよう。マリアにはないしょだぜ」

 

そう言ってアマデウスは色素の薄い唇を吊り上げる。

 

「そうだな、実のところ天才と凡人に大した違いはないと僕は思っている。ああ、別に謙遜している訳じゃない。僕は紛れもなく天才だし、僕より音楽に秀でた奴なんて見た事ないね。違いがないっていうのはその才能との向き合い方だ。自分で進むべき道を自由に選べる奴と、他にできる事がなくてその道を選ばざるを得なかった奴。天才も凡人も結局はそのどっちかに分けられるんだ」

 

君が知っている人物で例えるなら、前者がレオナルド・ダ・ヴィンチ。後者が自分だとアマデウスは言う。

 

「僕は音楽に魂を売った。それで失ったものは多かったけど、それでよかったと言える生き方をしてきた。実際、僕が残したものは多くの人に愛された。ただ音楽以外の道がなかった事は事実だし、その先にどんな結末が待っていようと僕はその道を進むしかなかった。それはつまり運命に縛られた奴隷のような生き方だ。挫折した時は悲惨だぜ。何しろ他に選べる生き方がない。ベートーヴェンは知っている? 彼は音が聞こえなくなっても音楽の道を捨てることができなかった。そんな選択肢は最初から持っていなかった。僕だって、もしも絶望していたら悪魔よりも恐ろしいものになっていただろう。だから、僕は僕自身のためにも音楽と向き合う必要があった」

 

あっけらかんと笑うアマデウスの表情が一瞬、とても悲しい空虚さで満たされる。

覗いてはいけない彼の深淵が垣間見えた気がして、カドックは気まずそうに居住まいを正す。

 

「何が言いたいのかというと、そんな生き方は苦しいだけってことさ。苦痛に満ちた世界なんてつまんないだろう」

 

その生き方を誰よりも鮮烈に駆け抜けた男が、自分のようにはなるなと忠告する。

神に愛されしモーツァルト。

その生涯は名声に反して決して順風とは言えなかった。

独創的な楽曲の数々は大衆には大いに受けたがパトロンとなる貴族からは反発の声もあり、生活は常に困窮していた。

それでも彼は死ぬまで作曲を続けた。

音楽と向き合い、音楽を通して世界に自身を刻み付けるために。

確かに彼は天才だ。

けれどもその生き様は、何故だか自分と変わらないように思えてしまった。

レイシフト適性という才能に縋る自分。

音楽に魂を売ったアマデウス。

果たしてそこに違いはあるのだろうか。

 

「それでも僕は、きっと自分を変えられない。あんたと同じ才能の奴隷だ」

 

「僕の見立てでは君はまだ自分で選べる側だと思うんだけどね。まあ、その答えはきっとこの旅の先でわかることだろう」

 

そろそろマリー達を呼びにいこうとアマデウスは立ち上がる。

それっきりアマデウスはこの話を振ってくる事はなかった。

彼にとっては本当にただの気紛れだったのだろう。

けれど、自分はあの時の楽しそうに作曲をする横顔と、空虚な表情を忘れる事はないだろう。

神に愛されし者。

なるほど、確かに彼は奴隷だ。

神の愛、音楽の才に生き方を縛られた奴隷。

奴隷である事を選ばざるをえず、その生涯で運命からの解放を成し得た英雄。。

普段のふざけた態度の裏にある彼の英霊としての矜持を、ほんの僅かではあるが垣間見た気がした。

 

 

 

 

 

夕暮れの小川に足を漬け、アナスタシアとマリーは取り留めのない話を交わしている。

本当は野宿の準備を手伝うつもりだったのだが、お姫様にはそんなことさせられないという男2人の要望で準備が整うまで、

川辺でささやかな女子会を開くに至ったのだ。

 

「ふふっ、向こうのマスターさんはジャンヌ・ダルクと一緒にいるのね。早くお話ししたいわ」

 

「本当にジャンヌ・ダルクの事が好きなのね、マリーは」

 

「ええ、だってお話でしか聞いたことのない聖女様なのよ。どんな方なのかとても気になるわ」

 

「そうですね。けど、黒いジャンヌ・ダルクがフランスを攻撃していて、それに対抗するのもまたジャンヌ・ダルク。それにマリー・アントワネット。フランスに縁の深い英霊が召喚されるなんて、不思議な運命ですね」

 

「わたしは嬉しいわ。大好きなフランスを守れるんですもの。戦うのは好きじゃないけれど、何かを守るのはとても尊いことよ。

きっとわたしはそのために呼ばれたんだと思うの。大切な国を今度こそ守るために」

 

マリー・アントワネットは傾国の女王というイメージを最近まで持たれていたが、実際の彼女は傾いた国政を立て直すために奔走していた。

しかし、彼女は国を救う事ができず最後は断頭台に送られ民の手によって処刑された。

サーヴァントとして現界した彼女は、その時に果たせなかったことを今度こそ成し遂げようと強い決意を抱いていた。

 

「そんな風に思えるあなたが羨ましい」

 

ぽつりと、アナスタシアは呟く。

マリーは朗らかに笑い、今回の故国での召喚を是としている。

フランスを守り、傷つく人々を救う事こそが自分の戦う意味だと臆面もなく言ってのける。

もしも自分がロシアで呼ばれたら、同じことが言えるだろうか。

皇族としての地位を奪い、惨めな生活に追いやり、最後には自分と家族の命を奪ったあの極寒の地を、

そこに住まう無辜の民を、自分は守りたいと思えるだろうか。

 

「私はマリーのように思えないかもしれない」

 

特異点の中にロシアがあったとしたら、自分は戦えるだろうか。

カドックの命令には従うつもりだ。けれど、気持ちを割り切れなければ彼の命を危険に晒してしまうかもしれない。

ロシアは自分から全てを奪った土地なのだ。

 

「ごめんなさい。変なことを言ってしまって」

 

「ううん、気にしていないわ。あなたの気持ちもわかるもの。だから、無理に答えは出さなくていいと思うの」

 

誰かを憎み、拒絶する気持ちは決して間違いではないとマリーは言う。

そう、彼女も家族を処刑されている。大切な息子を、愛する夫を国に奪われている。

きっと彼女の中にも割り切れない気持ちはあるのだろう。

それを飲み込んだ上で、故国を救いたいと彼女は決めたのだ。

とても眩しくて羨ましい生き方だとアナスタシアは思った。

自分もあんな風に強い女性になりたい。

でなければきっと、マスターを守る事ができない。

カドック・ゼムルプス。

まっすぐな向上心と歪な劣等感を抱え込んだかわいい人。

自分を凡人と卑下にしながらも、理不尽から逃げる事を選べない危うい人。

彼の力になると決めたのなら、自分もまた強くならねばならないのだ。




マリーの口調って難しい。
持ってないからだろうか。
しかし並べてみたらアナスタシアとマリーって為政者(皇女と王妃)、革命、処刑と共通点多いですね。


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邪竜百年戦争オルレアン 第3節

 

街を目前にして火の手が上がった。

災厄は前触れもなく訪れ、嵐のように街を蹂躙して通り過ぎていく。

自分達が駆け付けた時には既に事は終わった後であり、廃墟と化した都市は無残に食い散らかされた死体と、魔術によって尊厳を辱められた動く亡者で溢れ返っていた。

魔術によって尊厳を辱められた動く亡者で溢れ返っていた。

これが人の為せる業なのかとマシュは思わずにはいられない。

自分とて英霊が正道を歩む者のみではない事は承知している。

悪辣な外道、目も背けたくなるような非道、擁護できぬ悪行でもって英霊に召し上げられた反英雄も存在する事は知っている。

だが、目の前で繰り広げられたであろう行為は決してそれに当てはまるものではない。

ただ命を蹂躙し死後すらも弄ぶことのみを目的とするなど、絶対に人が許容して良いものではない。

 

「ならばどうする盾の騎士よ。神に代わって我らを断罪するというか?」

 

突き出された槍を盾で受け流す。

立ち塞がるは黒衣の為政者。

オスマン帝国の侵略からルーマニアを守り抜いた救国の英雄。

黒いジャンヌ・ダルクによってバーサーカーとして召喚されたヴラド三世だ。

ラ・シャリテの街を蹂躙し、次なる街へと飛び立ったはずの竜の魔女は、遅れて駆け付けたマシュ達の存在を認めて引き返し、配下のサーヴァントを差し向けてきたのである。

 

「マシュ、大丈夫?」

 

「は、はい! まだやれます!」

 

ヴラド三世を見据え、盾を構え直す。

臆していては負ける。その在り方を歪められているとはいえ、自分が戦っているのは紛れもなく英雄なのだ。

今はまだ彼ともう1人のサーヴァントだけが戦っているが、傍観している他の敵までもが動き出せばこちらに勝ち目はない。

何とか突破口を見つけ出し、この街から脱出しなければ。

 

「退かぬというのならその魂、ここで頂こう。『血塗れ王鬼』(カズィクル・ベイ)!」

 

「宝具、展開します!」

 

まるで水風船が破裂するかのようにヴラド三世の肉体が弾け、無数の杭が現出する。

血塗られた杭の群れは一直線にこちらへ迫り、受け止めた盾が軋みを上げた。

打ち出されたのは何の変哲もない木製の杭。

それがヴラド三世の魔力によって神秘を帯び、自分の命を刈り取らんと襲い掛かってくる。

迫りくる杭の群れは恐怖を煽り、精神的な不安が盾の輝きを鈍らせる。

だが、マシュは一歩も引かずに杭を受け切った。

自分が後退ればマスターに危険が及ぶ。

彼を守りたいという曇りのない思いがギリギリのところで盾の守護を保たせたのである。

 

「ぬぅ、我が杭で貫けぬとは――」

 

「なら、こちらはどうかしら?」

 

嗜虐的な声音が響き、空中から巨大な彫像が出現する。

それは真ん中から亀裂が走り、真っ二つに裂けて棘だらけの内部を露にする。

ジャンヌと戦っていたもう1人のサーヴァント、カーミラが操る宝具『幻想の鉄処女』(ファントム・メイデン)だ。

ヴラド三世の宝具を受け切り、疲弊した体ではそれを避けることはできない。

 

「危ない! 戻るんだマシュ!」

 

鋼鉄の拷問器具が覆いかぶさる直前、魔力の渦が肉体を捉えて後方へと引っ張りあげる。

令呪による空間転移だ。

藤丸立香がとっさに令呪を使ったことで、間一髪で宝具をかわすことができた。

 

「邪魔をするなカーミラ、彼女は私の獲物だ」

 

「あら、ご自慢の杭で串刺しにできないようでしたので、お手伝いをと思いまして」

 

「いらぬ世話だ。だが―――少女よ、よほど善性に溢れた生を過ごしたのだな。我が杭は不浄を貫き悪を罰する。

余が串刺しにできぬほどの清らかなる魂。ああ、さぞ美味であるのだろうな」

 

ゾッとするような冷たい声で、ヴラド三世は槍を構え直す。

ヴラド三世にしろカーミラにしろ、殴り合いでは決して敵わない相手ではない。

英霊とはいえ2人は為政者と貴族、個々の武勇で名を馳せた訳ではない。

しかし、2人は共に生前の所業をある怪物に例えて恐れられており、それがサーヴァントとして現界した際に肉体を補強する概念となっていた。

その呪われた忌み名は吸血鬼。

後世の人々が恐れ噂したことで、2人は無辜の怪物へと成り果てたのである。

 

「そこまでにしなさいランサー、アサシン。貴方達は残忍ですが、他の者より遊びが過ぎる。

あの小娘達の始末は他の二騎に任せるとしましょう」

 

こちらの戦いを見守っていた黒いジャンヌが、旗の柄で地面を叩いて2人を戒める。

 

「待て、私もカーミラも共に本気ではない。聖女の血は我らのものだ」

 

「黙れ。恥を知れヴラド三世。貴様は彼女の血を吸う事を望むあまり、無意識に力を加減した。私、そういうわがままは嫌いなんです。

だから、反省して今回は引っ込んでいてくださいね?」

 

悪魔のような微笑みが黒いジャンヌの顔に浮かび上がる。

同時に、背後に控えていた3騎のサーヴァントが各々の武器を構えた。

細身の剣が、十字の杖が、2つの殺意がこちらに向けられ、怖気にも似た感覚が背筋を走る。

殺される。

無残に四肢を裂かれ、尊厳を踏みにじられ、その魂すらも貪り食われる。

その恐怖がマシュの手を震わせ、無意識に後ろへと後退った。

 

「―――優雅ではありませんわ」

 

一触即発の空気が張り詰める中、第三者の言葉と共にガラスの薔薇が投げ込まれた。

聞こえてきたのは馬の嘶き。

颯爽と駆け抜けたガラスの馬車から飛び降りたのは赤いドレスを纏った可憐な少女だ。

戦場にはとても似つかわしくない略式の礼装。

どこかの高貴な身の上であることは想像に難くなく、毅然とした眼差しが忌々し気に唇を噛む黒いジャンヌへと注がれた。

 

「あなたはそんなにも美しいのに、その戦い方も思想も、そこから生まれたこの街の在り様もよろしくないわ」

 

「――サーヴァントですか?」

 

「ええ、そう。嬉しいわ。これが正義の味方として、名乗りをあげるというものなのね!」

 

天真爛漫な笑顔を振りまき、少女は言う。

恐ろしき竜の魔女に対して、異形なる吸血鬼への恐怖すらも押し殺して、愛する祖国を守るために高らかに宣言する。

悪逆非道もそれまでだ、例えドレスを破り戦うことになろうと、これ以上の狼藉は自分達が許さない。

ヴェルサイユの華、マリー・アントワネットの登場であった。

 

 

 

 

遡る事数十分前、カドック達は合流地点であったラ・シャリテが黒いジャンヌ達の襲撃を受けた事を通信で知った。

先に駆け付けたマシュ達曰く、生存者はなし。

街は破壊しつくされ、残っていたのは亡者達だけだったという。

更にマシュ達の存在を探知したのか、飛び去ったはずのワイバーンの群れが舞い戻った事で、街は再び戦場となった。

 

「急ぎましょう。わたしが馬車を使えば間に合うはずです」

 

「到着したらとにかく敵の気を引いてくれ。隙を見て合図をするから、全員でこの場を脱出する」

 

そうして今、カドックはアナスタシアと共にマリーから少し離れた位置にある瓦礫の裏に隠れていた。

作戦通り、マリーは大見得を切って黒いジャンヌ達の気を引いている。

些か、自分の言葉に酔っている節はあるが、人を引き付けるだけの確かなカリスマが言葉の端々から伝わってきており、

混乱した敵サーヴァント達は思わず彼女の言葉に耳を傾けていた。

 

「我が愛しの国を荒らす竜の魔女さん、無駄でしょうけど質問をしてあげる。貴女はこのわたしの前で、まだ狼藉を働くほど邪悪なのですか? 革命を止められなかった愚かな王妃(わたし)以上に自分は愚かな魔女であると公言するの?」

 

「黙りなさい。宮殿で蝶よ花よと愛でられ、何もわからぬままに首を断ち切られた王妃に、我々の憎しみが理解できると?」

 

何かが引っ掛かった。

あの黒いジャンヌ・ダルクを見ていて、言葉ではうまく言い表せない奇妙な違和感が感じられたのだ。

確かに目の前にいるのはジャンヌ・ダルク。マシュと共にいるもう1人のジャンヌと瓜二つであり、彼女が語るフランスへの憎悪も行いはどうあれ、

魔女として貶められたジャンヌ・ダルクが抱くには正当な感情であると思える。

ある種の共感がそこにはあるのだ。

なのに、それは何かが違うと。道徳的な感情からではなく、もっと根本的な何かが彼女は違うと確信している。

 

「わからないことはわかるようにする、それがわたしの流儀です。理由は不明、真意も透明、何もかもが消息不明だなんて、日曜日に出かける少女のようでしてよ? 

ならばわたしは、そこの何もかもわかりやすいジャンヌ・ダルクと共に、意味不明な貴女の心を、その体ごと手に入れるわ!」

 

「え、えっと・・・・はい?」

 

「あ、しまった。しっぱいしっぱい。今のは単に『王妃として私の足下に跪かせてやる』という意味ですから」

 

意味深な言葉に困惑するジャンヌと苦虫を潰す黒いジャンヌ。

マリーは慌てて自身の言葉を言い直すが、それが却って物騒な物言いになっている辺りが如何にも世間知らずといった感じだ。

脱力気味な空気が張り詰めていた戦場を少しずつ侵食していく辺り、これはある種の才能といえる。

 

『壊れていく・・・ボクの中のアントワネット像が壊れていく・・・』

 

『そうか、俺が知っているマリー・アントワネット像ってこんな感じだぜ?』

 

ロマニとムニエル、両極端な2人の感想は無視してカドックはタイミングを見計らった。

マシュとジャンヌは傷ついているが動くことは可能。

回り込んでいたアマデウスは配置についてスタンバイ済み。

マリーとの問答で黒いジャンヌの苛立ちも頂点に達しつつあり、今すぐにでも配下のサーヴァントに号令をかけそうだ。

出鼻を挫くとしたら、いまだ。

 

「マリー、アマデウス、幕を上げろ!」

 

「ではジャンヌ、語らいはここまで。まずは貴女が殺めた人々への鎮魂といたしましょう」

 

「任せたまえ。宝具、『死神のための葬送曲』(レクイエム・フォー・デス)

 

芝居がかった仕草でマリーは一礼し、アマデウスが宝具を発動する。

死神に手向けられた葬送の曲。

天上に響く至高のオーケストラはその場にいた敵対者達に等しく重圧を与え、その動きを阻害する。

 

「それではごきげんよう皆様。オ・ルヴォワール」

 

嘶きと共にガラスの馬車が出現し、土煙を上げて舵を切る。

こちらの意図に気づいたマシュのマスターが傍らの2人に指示を出し、

マシュとジャンヌが彼を抱えて馬車の荷台へと飛び移る。

続けて楽団の指揮を切り上げたアマデウスが黒いジャンヌの放つ炎を危なげに避けながら荷台の飾りにしがみつき、反対側にも魔術で筋力を強化したカドックが掴まってアナスタシアを抱きかかえる。

 

「キャスター!」

 

アナスタシアの眼が光り、周囲一帯に猛烈な吹雪が吹き荒れる。

音に縛られ、吹雪で視界をも奪われれば竜の魔女達とてすぐには追って来れないだろう。

さながら、ツンドラの大寒波の如き強風を背にしながら、王権の象徴たるガラスの馬車はラ・シャリテの街を飛び出し、どこまでも続く草原を疾走した。

 

 

 

 

ラ・シャリテを抜けて数時間。

再び、ジュラの森へと戻ってきた一行は予め見つけておいた霊脈にキャンプを張り直し、互いの無事と再会を喜び合った。

今度はマシュもいるため、彼女の盾を触媒に召喚サークルを敷くこともできた。

これで、カルデアから補給を受けられる。

安心するとドッと疲れが込み上げてきて、カドックはズボンが汚れるのも気にせず地べたの上に座り込んだ。

 

「助けてくださってありがとうございます、カドックさん」

 

「本当、助かったよカドック」

 

「そう思っているなら水をくれ―――きつい」

 

霊脈につくやいなや、たむろしていた魔獣や悪霊を追い払い、周囲に獣払いや認識阻害の結界を構築。

飛び抜けて得意というわけでもないため、綻びがないか何度もチェックを重ねる内にかなり魔力を消費してしまった。

今更のことだがこのメンバーでまともに魔術を扱えるのが自分だけのため、こういった役回りは自然と回ってくることになる。

マシュは知識こそあるが魔術師としての修練は積んでいないし、アナスタシアもヴィイの使役に特化していて一般的な魔術は使えない。

アマデウスも同じく。新米小僧に至っては論外だ。

冬木で出会ったクー・フーリンの存在がどれだけありがたかったかを、今になって思い知った。

 

「はい、ご苦労様」

 

「ありがとう」

 

早速、送られてきた補給物資の中から取り出したミネラルウォーターをアナスタシアから受け取り、一息を吐く。

その間に初対面の面々が自己紹介は始め、憧れのジャンヌ・ダルクと言葉を交わしたことでマリーが舞い上がるような喜びを見せた。

ジャンヌは困惑気味ながらも彼女から向けられる素直な感情は好意的に受け止め、笑顔を零す。

更にジャンヌ自身が自分の生前の評価に否定的な事もあり、2人はお互いを「ジャンヌ」、「マリー」と呼び合う対等の仲として付き合う事になった。

無論、言い出したのはマリーの方である。

一方でマシュはあくまで事務的に、アマデウスは相変わらず気取ったような自惚れを隠さずに。

そして、最後の1人は―――。

 

「チーッス」

 

思いっきり水を噴き出してしまった。

 

「おい馬鹿止めろ、相手はマリー・アントワネットだぞ!」

 

ヴェルサイユの華と讃えられたフランス国民のアイドルに対していくらなんでも不敬すぎる。

この際、尊敬の念の有無は置いといて、事務的でもいいからもっと普通に挨拶できないものなのだろうか。

 

「えっ、カドックだってタメ口で話してるよね」

 

「ああそうだよ、敬語苦手だよ。だからと言って『チーッス』はないだろ。部室で煙草ふかしている不良学生かお前は」

 

「えっ、カドックってそんな学校行ってたの!? 喉にピアスとかしているしもしかしてとは思ってたけど―――」

 

「そんなわけあるか、これは趣味だ!」

 

「あ、14歳くらいにかかるあの―――」

 

「キリエライト! マスターの手綱くらい握ってろ! サーヴァントだろ!」

 

叫び倒して喉が痛み、残っていた水で潤そうと容器を呷る。

瞬間、飲み干そうとした水が気道に入って大きく咳き込み、見かねたアナスタシアの手が背中を何度も往復した。

 

「まあまあ、カドックさん。わたしは面白い挨拶だと思いますわ。チーッス、シクヨロ!」

 

「チィーッス! いいねマリア、今後はそれで頼む。百年の恋もサッパリ冷めそうだ!」

 

確かにその通りだとカドックも思った。

マリーもアマデウスが妙に喜んでいる事に危機感を覚えたのかこの挨拶は泣く泣く封印し、

話は再びジャンヌともう1人の黒いジャンヌの事へと向けられた。

 

「少なくとも、彼女の目的がフランス―――いえ、世界の滅亡である事は間違いないと思われます」

 

「その先があるのかどうかまでは引き出せなかったけどね。とにかく生き残るのに必死だった。

カドック達が来てくれなかったら危なかったと思う」

 

何とか合流できたが、今回も綱渡りだった。

敵はジャンヌ・ダルクとその配下のサーヴァント達。

真名がわかっているだけでもヴラド三世、カーミラ、シュヴァリエ・デオン。

黒いジャンヌの口ぶりではジル・ド・レェ元帥も召喚されているらしい。

残る修道女風の女性の正体はわからないが、その衣装や居住まいからかなり古い年代の英霊であることが伺える。

 

「これが聖杯戦争だとして、あの時に確認できたのが五騎。デミサーヴァントのマシュを入れると十騎だけど、多すぎないか?」

 

「七騎の法則は崩壊しています。もちろん無制限というわけではありませんが、記録によれば十五騎のサーヴァントが召喚されたケースもあったようです」

 

アマデウスの疑問にマシュが答える。

ただでさえ強力なサーヴァントが十五騎。

果たしてその聖杯戦争の開催地は無事に事を終えられたのだろうか?

考えただけで胃痛がしてくる。

 

「あ。わかった。わたし、閃きましたわ。こうやって、わたしたちが召喚されたのは――英雄のように、彼らを打倒するためなのね!」

 

「同じように世界を滅ぼすためかも?」

 

思いついたことをそのまま口走っているかのような発言に、カドックは頭を抱え込んだ。

もう少し、歯に衣着せるという発想はないのだろうか、この減らず口の少年は。

 

「ノン、ノン、ノン。それは違います藤丸さん。だってわたし、生前と変わらずみんなが大好きなんですもの。

世界を滅ぼすならこんな感情不要だし、第一召喚されないわ!」

 

それはとても素晴らしいことだと、マリーは言う。

改めて、祖国に貢献するチャンスを得たことに対して彼女は深く自身が信ずる神に感謝していた。

自分を裏切り、弾劾し、全てを奪われて最後には殺されたこの国を彼女はもう一度救いたいのだと、屈託のない笑顔で言い切る彼女の顔が眩しい。

その道がどれだけ茨で覆われていようとも、彼女のその行いは正しく王道を歩むものだ。

ただ美しいだけでなく、その精神の正しさこそが真に人を引き付ける彼女の魅力の正体なのだろう。

 

「根拠のない自身は結構だけどね、マリア。相手は掛け値なしに強敵だぞ」

 

マリーの願いは尊いものだが、アマデウスの言葉も最もだ。

星のように輝く英霊達ではあるが、その半数は芸術家と王族。本来ならば戦いなどとは無縁の存在だ。

対して敵は吸血鬼2人に加えて伝説のスパイと生前のジャンヌの副官。

加えて彼らはどうやら聖杯の力で狂化の属性が付与されており、全員がバーサーカーと化しているようだ。

頭数はともかく戦力差は絶望的だ。

 

(彼女達のようなはぐれサーヴァントをもっと味方に引き入れることができれば、オルレアンに攻め入れるんだが)

 

地の利は向こうにある以上、敵は本丸を動かすことはないだろう。

今後はそういったことも念頭に入れて情報収集を進めなければならない。

そうして方針がまとまったところで、その日は休む事になった。

サーヴァントと違ってマスターである自分達は休息を取る必要がある。

魔力の回復を促し、体調と思考を整えておかなければ肝心な場面で息切れを起こすかもしれないからだ。

 

「そろそろ時間ね。マスター、休んできたらどうかしら?」

 

「ああ、そうさせてもらうよ」

 

「では、わたしは見回りに行ってきます。ジャンヌさんとアナスタシアさんはここで待機をお願いしますね」

 

立ち上がったマシュが小薮の向こうへと消え、カドックも肩を鳴らして寝床へと戻る。

立ち去り際に聞こえてきたのはジャンヌやアナスタシアに対して楽し気に話しかけるマリーの声。

恋の話を振られた2人はどちらも答えに困り、恋の重要性を熱く語るマリーの声だけが夜の森へと木霊した。

 

「おい、交代だぞ」

 

「えっ―――ああ、うん」

 

「お前、寝てないのか?」

 

折角、マスターも2人いるのだから休息は交代で取ろうと言い出した癖に、目の前の少年からは疲労の色が見て取れた。

顔色は悪いししきりに眠そうに瞼を擦っている。

 

「魔術回路をもっとうまく回せるように練習してたら、寝るタイミング逃しちゃって」

 

「それで倒れたら元も子もないだろ。ほら、そこ座れ。言わんこっちゃない、うっ血しているじゃないか。

訓練メニューよりも魔術回路に強めの負荷をかけただろう? 素人なんだから下手したら死ぬぞ」

 

口ではぼやきながらもテキパキと治療を施し、ポケットから栄養剤を2本ほど取り出して強引に飲ませる。

これで少しはマシになるはずだ。

 

「ごめん、ありがとう」

 

「謝るくらいならあんな無茶するな。このままもう少し休んでいけ」

 

隣に腰かけ、自身も回復のために栄養剤をグイっと飲み干す。

甘辛い独特の香りが喉に流れ込み、一度だけ耐えられずに咳ばらいをしてしまう。

 

「俺さ、素人だしもっと鍛えなきゃと思ったんだ。マシュが全力を出し切れないのは、マスターである俺が未熟だからかなって」

 

「・・・・・・・・・・・」

 

それは自分も同じだとは口が裂けても言えなかった。

こういう時、同情されるのが一番辛い事なのだということをカドックは知っている。

何度も何度も経験してきたからだ。

 

「正直、カドックがいてよかったと思っている。1人だったら、ちゃんとマスターやれてたかどうか」

 

「そういう事は一人前になってから言え」

 

「ははっ、そりゃそうだ」

 

「いいから寝てろ。20分だけ休んだら本当に交代だ」

 

おやすみ、という小さな声が耳朶に染みる。

彼の小さな好意に対してどのように接したら良いのかわからない。

苛立ちと歯痒さが募り、手近にあった石を森の闇へと投げ捨てた。

どうしてこんなにもこいつの事が気になるのだろうか。

好きでもないし世話をするのも面倒だしカンに触ることもある。

それでもつい目で追ってしまうのは、心にもない言葉をなげかけてしまうのは、何か理由があるはずだ。

それはいったい何なのか、結局その夜は答えがでなかった。

獰猛な唸りを上げる竜を連れた聖女が、自分達の前に現れたからだ。




マルタ戦までいけませんでした。

ちなみに幣カルデアでは無事にアキレウスとケイローンをお迎えできました。
諭吉という呼符が飛んでいきましたが(笑)


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邪竜百年戦争オルレアン 第4節

一夜が明け、カドック達は朝食もそこそこにジュラの森を跡にした。

目的地はリヨン。

そこにいるという「竜殺し」と会うためだ。

 

『竜の魔女が操る竜にあなた達は絶対勝てない』

 

『竜を倒すのは聖女ではない、姫でもない。竜を倒すのは古来から竜殺し(ドラゴンスレイヤー)と相場が決まっているわ」

 

『リヨンに行きなさい、かつてリヨンと呼ばれた都市に』

 

昨夜、襲撃を仕掛けてきたライダー、聖女マルタはそう言って消滅した。

救世主の教えを受け、後に悪竜タラスクを鎮めた一世紀の聖女。

鋼の如き理性と竜の魔女に施された狂化がせめぎ合い、瓦解寸前の自我でこちらを試し、導くために己を差し出した聖女。

短いながらも鮮烈なやり取りの応酬は、ここにいる誰もが決して忘れる事はないだろう。

 

「いや、美化し過ぎだろう。彼女、最後の方は素手でぶん殴ってきただろ」

 

「脱ぎ捨てた法衣が重みで地面にめり込んだような気がしたけど、あれ気のせいだよね?」

 

『戦闘の余波で映像が最後乱れてたけど、彼女「『荒れ狂う哀しき竜よ』(タラスク)よ!」とか叫んでマシュのこと押し潰そうとしたよね』

 

『あれ本当にライダーか? 実はボクサーとかグラップラーなんてことないか?』

 

昨夜の壮絶な死闘を思い返して感極まるカドックに対して、他の男性陣はやや引き気味な反応を見せる。

それはそうとしてマルタからもたらされた情報はこちらにとって非常に有力なものだった。

狂化の影響もあり、決して多くを語れたわけはないが、それでも黒いジャンヌはワイバーンをも超える何かを切り札として有していること、それに対抗できる者がリヨンにいるということを知る事ができた。

恐らく、リヨンにいる竜殺しとはサーヴァントのことだろう。

もちろん、これが周到に用意された罠であるという可能性も否定できないため、途中にある街に立ち寄って情報収集を行った。

そこでわかったことは、リヨンには確かに竜殺しがいたという事実だった。

リヨンから逃げてきた難民の話によれば、市民から守り神と呼ばれていた屈強な騎士がワイバーンの群れから街を守っていたらしい。しかし、少し前に恐ろしい力を持った人間―――サーヴァントの集団がやって来て彼は行方不明となり、リヨンも怪物が跋扈する地獄の街へと化してしまった。

マルタの言葉を信じるなら、恐らく竜殺しの騎士はまだ生きていてどこかに潜んでいるのだろう。

少なくともその手がかりがリヨンの街に残されているはずだ。

 

「それと、シャルル七世が討たれたのを切っ掛けに混乱していた兵をジル・ド・レェ元帥がまとめ上げたそうよ」

 

マリーが聞いた話によると、リヨンを怪物から解放するために進軍の準備を進めているらしい。

それを聞いたジャンヌは非常に複雑な表情で彼方の街―――オルレアンの方角を見やった。

共に戦ったかつての仲間。

ジル・ド・レェはジャンヌの信奉者であり、優れた参謀であり、彼女の死によって人生を狂わした狂人だ。

英霊として座に招かれたジャンヌは自分の死後、彼がどれだけ苦しんだ末に悪逆に手を染めたのかを知っている。

恐らくは自分と瓜二つの竜の魔女と戦うにあたり、人知れず苦悩していることを思って胸を痛めているのだろう。

 

「ねぇ、フランス軍が動きを見せているなら足並みを合わせられないかしら?」

 

「それは・・・難しいと思います、アナスタシア皇女」

 

「わたしもアナスタシアと同意見なのですけれど、なぜ難しいのでしょう? ジル・ド・レェはジャンヌの信奉者でしょう? ジャンヌがお願いすればきっと力になってくれるのではなくて?」

 

「だからこそ、です。竜の魔女となった私のことは知っているでしょう。彼がそんな自分を受け入れるとは思えません」

 

「そっか、元帥自身は良くても他の人が納得しないのか」

 

ポンっと自身の手を叩いて納得する黒髪のマスター。

彼が言うように、ジル・ド・レェは彼女を受け入れるかもしれない。

しかし、今やフランスにとってジャンヌ・ダルクは祖国への復讐を誓った竜の魔女。

そのような人物と元帥が手を取り合ったと知れば、兵の統率は乱れて軍は機能しなくなる。

ジャンヌ・ダルクが2人存在し、争い合っているという異常事態など誰も理解できないだろう。

 

「なるほど。うん、無理して会わなくていいに一票。わたしたちも急がなくてはいけないし。

リヨンの街に住み着いた怪物をフツーの兵士さんたちがが倒せると思えないし」

 

「確かにその通りですね、私達だけで倒しましょう」

 

「大丈夫、みんながいれば必ず勝てるさ」

 

理由も根拠もなく、黒髪の少年は確信を告げる。

理屈などつけようと思えばいくらでもつけられるが、この男はそんな事は微塵も考えずに思ったことを口にする。

本人に自覚はないのだろうが、その方がより相手の心に響くことを体が知っているのだろう。

 

「ええ、指揮官はそうでなくっちゃ。えーい、ご褒美です」

 

「な!?」

 

淀みのない所作で自分のマスターが口づけされる瞬間を目撃し、マシュが言葉を失った。

余りに衝撃が大きかったのか、盾が手から離れて坂道を転がっていく。

カドックとしては彼女がそんな人並みな反応を返すことの方が驚きだったが。

 

「どう、よかった?」

 

「ありがとうございます!」

 

「・・・先輩、頬が緩んでますよ、先輩」

 

マシュの冷めた言葉を聞いて、真っ赤に染まっていた顔から急速に色が抜けていく。

慌てて何か取り繕っているようだが、拗ねているのかマシュはしばらくそっぽを向いたままだった。

その様子を見守っていたアマデウスは懐かしいものを見たとばかりに口角を吊り上げる。

 

「大目に見てやって欲しい。何でもかんでもベーゼするのもマリアの悪い癖だ。そのせいで宮廷は大混乱に陥ったものさ。信じられるか? 彼女にベーゼされたされないで派閥ができかけたんだ。下手をすれば革命前に自滅していた王政なんて、童話作家でも演劇作家でも馬鹿らしくてネタにしないだろうに」

 

『あー、俺は見てないぞ。モニターしてたのはカドックだけだ。マリー王妃のことなんか見てないぞ』

 

可笑しそうに腹を抱えるアマデウスと現実逃避を始めるムニエル。

先ほどまで竜殺しの行方だジル・ド・レェ元帥との共闘はどうだと真面目に話し合っていたのが嘘のような騒々しい騒ぎが街道で繰り広げられる。

戦時中もあってか他に誰も通っていなかったのがせめてもの救いだ。

 

「ねえ、カドック?」

 

こちらの袖を引きながら、アナスタシアが他の面々には聞こえないよう耳元で囁きかけてくる。

 

「私もキス、してあげましょうか?」

 

「なっ、何を言って―――」

 

「嘘よ」

 

「嘘なのか!」

 

「マスター、しゃきっとしてください。ほらほら、しゃきっと!」

 

「ごめんよ、マシュ。もう許してぇ」

 

「え? みんなはしないの、ベーゼ? こう、ハートがぐぐ――って、なったらしちゃうものでしょう? ね、ジャンヌ?」

 

「し、しません、しません! そういうのは結婚を前提とした―――」

 

呆れたように一声鳴いたカラスが空を飛ぶ。

さっきまで一歩離れたところから見つめていたはずなのに、いつのまにか自分も騒動の渦中にいた。

こうなっては誰も止める者がおらず、結局、荒くれものの一団と遭遇してひと騒動起きるまで、この騒ぎは続いた。

 

 

 

 

 

 

リヨンの街は凄惨たる光景が広がっていた。

家屋は薙ぎ払われて瓦礫の山と化し、炎で焼かれた炭のような何かがあちこちに転がっており、死者は生きる屍となって往来を闊歩する。

男も女も、老人も子どもも、串刺しにされた者、首を折られた者、矢で射抜かれ、爪で引き裂かれ、腕や足が切り捨てられて這っている者もいた。

そして、その中心にいたのは1人の仮面の男。

舞台衣装に身を包み、長い爪に血を滴らせた異形の青年。

名をファントム・オブ・ジ・オペラ。

小説『オペラ座の怪人』に登場する名もなき怪人。

ただ1人の歌姫に恋い焦がれて凶行に走った殺人鬼。

それが竜の魔女の命を受け、この街の支配者として君臨していた。

 

「喝采せよ、聖女! おまえの邪悪は、オマエ以上に成長した!」

 

死者を操り、魔の調べでこちらを呪う怪人をカドック達は容赦なく討ち滅ぼした。

今のファントムはいつ消滅してもおかしくないほどのダメージを負っており、一節を紡ぐだけでも地獄のような苦痛が全身を駆け抜けている。

だが、それでも彼は歌う事を止めない。

それが己に課せられた役割なのだと。

そのような形でしか生きられないのだと、哀れな怪物は言の葉を紡ぐ。

 

「もう黙りなさい。それ以上は苦しいだけです」

 

「これは言葉ではない、これは歌だ。お前の先を嘆き、憂うためのな。竜殺しは諦めることだ。

そうして果ての果てまで逃げろ。運が良ければ逃げ延びられる可能性はある」

 

竜が来る、と怪人は告げる。

謳うように、呪うように、これから自分達にふりかかるであろう災厄を予言する。

 

「来る、竜が来る。悪魔が来る。お前たちの誰も見た事のない邪悪な竜が!」

 

そうして、ファントム・オブ・ジ・オペラは消滅した。

不可解な言葉だけを残して。

 

『ああ、やっと繋がった』

 

通信機からロマニの悲鳴のような声が聞こえてくる。

街に入ってから音信が途絶えていたが、ファントムの消滅と共に復調したところを考えるに、彼の力で通信が阻害されていたのだろう。

 

『全員、撤退を推奨する。サーヴァントを上回る、超極大の生命反応が猛烈な速度でそちらにやってくるぞ!』

 

「サーヴァントを上回る? そんなものがあるんですか?」

 

『あるところにはあるさ。だって世界は広いからね。それとそれに先行する形で三騎のサーヴァントが向かってきている』

 

こちらの動きを読まれたのかそれとも罠だったのか。

いずれにしろ、このままではその超極大の生命体とやらと出くわすことになるだろう。

いずれは相手どらねばならない敵。だが、今はそれと相対できるだけの力がない。

先行しているサーヴァントが追い付く前に逃げなければ。

 

「待って下さい。サーヴァントを上回る生命反応が正しいなら、竜殺し(ドラゴンスレイヤー)はますます必要です」

 

「マシュの言う通りです。この街のどこかにいるのなら、そのサーヴァントを探してからでも―――」

 

「アナスタシア、そんな時間は―――」

 

「ダメだ、カドック。竜殺しを探そう。ここで僕達が逃げれば、その人が殺される」

 

意見が割れる。

すぐにでも逃げなければ超極大の生命体がやってくる。だが、今逃げれば貴重な戦力となるかもしれないサーヴァントが失われる。

自分達の命か、明日への希望か。

目の前の少年は既に答えを決めていた。

迷っているのは自分だ。

竜殺しの存在に一縷の望みをかけているから、この男の言葉を否定して街から脱出するという意志を示すことができない。

 

「マリー、いつでも馬車を出せるように準備してくれ。アナスタシアとアマデウスは時間稼ぎだ」

 

「カドック!」

 

「僕だって死にたくないんだ。勝ちの目は多い方が良い」

 

こんな悪態を吐かなければ決められない自分が嘆かわしい。

だが、後悔している時間はない。

ロマニが今、カルデアの計器をフル稼働させてサーヴァントの反応を追っている。

何としてでも敵がこちらに来るよりも早く竜殺しを見つけ出し、この街を脱出しなければ。

 

「・・・居ました!」

 

崩れた古城の一角で、倒れていた男をマシュが発見する。

灰色の鎧を身に纏った長身の騎士。

朦朧とした意識の下でも戦意だけは失っていないのか、右手は剣を強く握りしめていて放さない。

 

「くっ、次から次へと・・・」

 

「待ってください! 私たちは味方です! 少なくともあなたを害するつもりはありません!」

 

「・・・?」

 

「急いでください。ここに竜種がやってきます。他、サーヴァントが数騎。戦力的にはこちらが不利で―――」

 

「竜か・・・なるほど、だからこそ俺が召喚され、そして襲撃を受けたわけか」

 

「手を貸しましょう、脱出します」

 

「すまない・・・頼む」

 

マシュに肩を借り、長身の男をマリーのもとへと運ぶ。

幸いにもまだ敵はリヨンにまで辿り着いていない。

今ならばマリーが全力で馬車を走らせれば逃げられるだろう。

 

「飛ばします。みんな、しっかりと掴まって」

 

ガラスの馬が嘶き、荷台が大きく揺れる。

瓦礫の山は見る見るうちに遠ざかり、ガラスの馬車は新緑の広がる草原へと躍り出た。

そうしている間も長身の騎士は苦しそうに息を乱しており、何かを求めるように視線が宙を舞っていた。

 

「カドック、俺の礼装だけじゃ治りきらない」

 

「見せてみろ」

 

魔力の波を通し、傷ついた青年の体を解析する。

情けない事にカルデアの礼装の力は自分の魔術よりも遥かに強力だ。

それでも治りきらないという事は、何か別の要因があるはずだ。

 

「これは・・・黒魔術か何かか?」

 

「恐らくは・・・呪いの類だ・・・・」

 

「複数の呪いがかかっているようです。解呪自体は洗礼詠唱でできますが、私1人の力では足りません。せめて、もう1人聖人がいれば―――」

 

聖人のサーヴァント。

そんな都合の良い存在がこのフランスに召喚されているだろうか。

いや、それよりも今は追っ手を巻くことが先決だ。

先の事を考えるのは逃げ切った後でいい。

 

「きゃっ!?」

 

急ブレーキをかけられ、態勢を崩したアナスタシアがこちらに倒れ込んでくる。

何事かと御者台を見やると、ガラスで透けた荷台の向こうにワイバーンに襲われるフランス兵の姿が見えた。

 

(どうする? 迂回していたら追い付かれる。突っ切るか、反転して応戦か―――)

 

「マリー、このまま突っ込め! フランス軍を助けるんだ!」

 

「なっ、正気かお前は!?」

 

「俺達を見失えば、追いかけている奴らは彼らを襲うはずだ」

 

「そうじゃない、僕達の目的は―――」

 

「カドック、フランス軍が倒れればフランスは竜への抵抗力を失います。そうなったら、きっとこの歴史はもう正せません」

 

アナスタシアの言葉が最後のダメ押しとなった。

彼女の言う通り、この時代がまだ保っているのはフランスという国とそこに住まう人々が生き残っているからだ。

それが失われれば、人理定礎は一気に破壊されて歴史が崩壊する。

ならば、何としてでも彼らを守らなければ世界は救えない。

 

「わかった! なら追っ手は僕とアナスタシアで相手をする」

 

「えっ!?」

 

さっきまで強気で啖呵を切っていた男が真顔に戻って言葉を失うのをしり目に、カドックはアナスタシアを伴って揺れる荷台から飛び降りた。

向かってくるのは2頭の飛竜。

乗っている1人は見覚えがある。ラ・シャリテでマシュ達と戦っていたカーミラだ。

またの名をエリザベート・バードリー。

己の美貌を保つために600人以上の少女を殺してその血を浴びた狂気の殺人鬼。

もう1人は黒い甲冑で全身を覆った騎士だ。

黒い靄のようなものが体を覆っており、その全体像を掴みにくいが、ただならぬ気配を保っている。

どこまでやれるかわからない。だが、やると決めたからには全力で当たる。

 

「キャスター!」

 

「ええ、宝具発動『残光、忌まわしき血の城塞(スーメルキ・クレムリ)』」

 

襲い来る2つの脅威。

迎え撃つののは北国の城塞。

戦いの火ぶたは切って落とされた。

 

 

 

 

 

 

咆哮を上げて、黒い騎士が城塞に突撃する。

扉をこじ開け、その先の戦場へ進まんと両腕に力を込める。

だが、城塞の扉は漆喰で塗り固められたかのようにビクともせず、逆に魔力を放出して黒騎士を吹っ飛ばした。

 

「Arrrrrrrrrrrr」

 

怒りに震えた騎士がその場に転がっていた大石を投げつける。

サッカーボールほどの大きさの石は黒い靄をまとったまま城塞の壁へとぶつかり、その衝撃で城塞内に軋むような音が響き渡る。

更に立て続けに黒い石がぶつけられ、堅牢なはずの城壁はへこみ、あちこちに小さな傷ができていく。

 

「なんだあれは? 宝具だっていうのか?」

 

本来ならば投石程度で宝具であるアナスタシアの『残光、忌まわしき血の城塞』(スーメルキ・クレムリ)が傷つくことはない。

ならば何か必ずカラクリがあるはずだ。

その正体を見極めようと黒騎士を凝視するが、本来ならば見えるはずのサーヴァントのステータスすら霞がかって読み取る事ができない。

ただ、あの理性のない暴れ方を見る限り、今までのバーサーク・サーヴァントとは違う、正真正銘の狂戦士のクラス、バーサーカーであることだけはわかる。

 

「そちらの相手は任せるわ、バーサーカー」

 

カーミラが城塞を避け、後方の戦場へ向かおうとワイバーンを迂回させる。

すかさず、迎撃のための銃撃が城塞から放たれるが、カーミラは乗っていたワイバーンを盾にして跳躍し、フランス軍を守っているジャンヌへと切りかかった。

 

「マスター、こちらに集中しなさい。気を抜くとやられるわ」

 

バーサーカーは今度は大木を引き抜いて振り回し、城塞の扉に叩きつける。

今度もただの丸太による一撃が城塞全体を揺るがした。

冗談染みた出来事にカドックは冷や汗を禁じえない。

信じられない事に、あのサーヴァントは手にしたものを何でも宝具に変えてしまうことができるようだ。

加えて素のステータスもかなり高いようで、アナスタシアの言う通り、隙を見せれば一気に押し切られるかもしれない。

 

「Arrrrrrrrrrrr!!!」

 

迎撃に出た銃士達が丸太の一振りで薙ぎ払われ、降り注ぐ銃弾は全て叩き落される。

投石は当たらず、火矢は振り払われ、ヴィイの冷気をまともに受けても怯むことなくバーサーカーは攻撃を続ける。

やがて、強度の限界を迎えて丸太は中ほどから真っ二つに折れ、武器を失ったバーサーカーは倒れていた銃士から奪ったサーベルで切りかかってきた。

二度、三度、アナスタシアの宝具の付属物であるはずの武器が、彼女に対して牙を剥く。

所有権まで奪われてしまったのか、武器を消し去ることもできなかった。

 

「―――――ッ!」

 

こちらの存在に気づいたバーサーカーが自分達がいる見張り台へとサーベルを投げつける。

無論、目に見えない魔力壁でサーベルは弾かれるが、完全に狙いを見張り台にいる自分達へと定めたバーサーカーは、城壁を走る魔力で己が傷つくことも厭わずに壁をものすごいスピードでよじ登り始めた。

そうはさせまいとアナスタシアも銃弾や砲弾を立て続けに食らわせ、水や油を流してバーサーカーを滑り落そうとする。

しかし、それでもバーサーカーを止めることはできず、とうとう黒い甲冑の小手が見張り台へと届いた。

 

「Arrrrrrrrrrrr」

 

「ラストナンバーか? 悪いが興醒めだ」

 

幻影が掻き消え、見張り台に残されたのは囮人形とそれをへし折ったバーサーカーのみ。

すかさず、どこからか伸びた鎖が狂戦士を拘束し、城塞全体が激しく振動を始める。

いつから入れ替わっていたのか、カドックとアナスタシアは既に城塞の外へと降りていた。

そして、バーサーカーが見張り台へと昇りきった瞬間を見計らって彼を拘束し、城塞ごと押し潰したのである。

轟音を上げて崩れ去り、魔力の塵となって霧散していく北国の城塞。

城塞の跡から姿を現したバーサーカーはうつ伏せに倒れ、ピクリとも動かない。

ダメージを負ったことで黒いもやの力が薄まったのか、霊核に傷を負って消滅が始まっていることが読み取れた。

 

「キャスター」

 

「私は大丈夫です。それより、みんなは?」

 

振り返ると、戦線はこちらに傾きつつあった。

フランス軍の指揮を取っていたジル・ド・レェがジャンヌ達と協調し、ワイバーンへの攻撃を兵に優先させているのだ。

もちろん、兵の中には竜の魔女への怒りをジャンヌにぶつけようとする者もいるが、それをジルはギリギリのところで抑え込んで戦線を押し返している。

後に狂人とまで呼ばれる者とは思えない、卓越した指揮だ。

 

「くっ、ここまでね」

 

ジャンヌの一撃を受けて傷を負ったカーミラが追撃を断念し、ワイバーンを伴って戦場から離脱する。

何とか凌ぎ切った。

この瞬間、誰もがそう思った。

土を掻き毟り、黒い殺意が起き上がるまでは。

 

「・・・A・・・A―――urrrrr!!」

 

既に黒いもやを失い、全身を露にした狂戦士が立ち上がり、一直線にジャンヌのもとへと駆ける。

手には漆黒の両手剣。

強大な魔力を帯びた刃が振り上げられ、憤怒の叫びと共にジャンヌへと振り下ろされる。

カーミラとの戦いで疲弊しているジャンヌにそれを避けるだけの力は残されていない。

 

「させません!」

 

両者の間に、マシュが盾を持って躍り出る。

振り下ろされる漆黒。

少年の叫びが木霊し、ある者は目を覆い、ある者は駆け出した。

そして――――。

 

「Ga―――――」

 

漆黒の剣は、振り下ろされることなく盾の直前で止まっていた。

甲冑で見えぬはずの狂戦士の瞳に驚愕の色が浮かんでいることがわかる。

彼はマシュを見て、何かを察して剣を止めたのだ。

 

「――――ad」

 

その言葉を最後に、バーサーカーは最後の力を失って消滅した。

今度こそ終わった。

ホッと胸を撫で下ろし、全員にこの場を離れるよう指示を出す。

ワイバーンと敵サーヴァントを撃退した以上、フランス軍の次なる矛先は自分達の向けられるはずだからだ。

 

「ジャンヌ! お待ちを! 貴女は確かにジャンヌ・ダルク! 竜の魔女ではない、正真正銘の聖女」

 

戦陣をかき分け、1人の騎士がジャンヌのもとへと向かう。

恐らく、彼がジル・ド・レェ。

この時代を生きる、かつてジャンヌと共に戦火を駆け抜けた彼女の同胞。

だが、ジャンヌが彼の言葉に応える事はない。

彼には軍をまとめてフランスを守るという役目がある。

だから、今や竜の魔女としての悪名が広がってしまっているジャンヌが彼に言葉をかける訳にはいかない。

 

「行きましょう」

 

ジャンヌに促され、カドック達はその場を立ち去った。

ほんの一時とはいえ、かつての仲間と共に戦えた。

それは彼女にとって僅かでも救いになればよいと、誰もが考えた。

一方で、苛烈な戦いの連続が彼らから冷静な思考を奪っていたのだろう。

リヨンの街でロマニは先行しているサーヴァントは三騎だと言っていた。

一騎はカーミラ、もう一騎は黒いバーサーカー。

では、残る一騎はどこに行ったのか。

それを知るのは、もう少し後のことであった。




マルタ戦はできることなら書きたかった(泣

アナスタシアの宝具演出は完全に妄想です。
もうちょっとランスロット暴れさせたかったけど、中世時代じゃ武器が限られるのと打ち合いできるのがマシュとジャンヌだけだったのでこんな感じになりました。


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邪竜百年戦争オルレアン 第5節

灰色の青年は名をジークフリートと名乗った。

その名は「ニーベルンゲンの歌」に謳われる万夫不当の英雄、恐らくは世界で最も有名な竜殺しの1人であろう。

ネーデルランドの王子であり、数多の冒険の果てに財宝を手にし、邪竜ファヴニールを打ち倒した正真正銘の大英雄だ。

邪竜を倒し、その血を浴びた事で不死身の体を手に入れたという逸話はあまりに有名である。

 

「俺は召喚されたのが比較的早い方だったらしい。マスターもおらず放浪していたところにあの街が襲われるのを見てしまってな」

 

「助けに行ったのですね?」

 

「ああ。しかし、複数のサーヴァントに襲い掛かられてはさすがに難しかった」

 

ジークフリートにとって救いだったのは、その襲撃者の中に理性を保っていた聖女マルタがいたことだった。

彼女は傷ついたジークフリートを城の中に匿い、死を偽装することで竜の魔女達から彼を守ったのである。

とはいえ狂化された状態ではそれが限界であり、ジークフリートは動くことも傷の治療もできずに助けがくるのを待たねばならなかったのだが。

 

「彼女も覚悟の上だっただろう。もっとも、こんな役立たずの自分を救ってもらって気が咎めるのも確かだ」

 

『聖杯を持っているのが聖女ジャンヌ・ダルク―――失敬、竜の魔女たるジャンヌ・ダルクならば、その反動―――抑止力のようなもので聖人が召喚されている可能性が高い。問題はその人物をどうやって見つけ出すかだね』

 

カルデアの観測システムはマスターを起点として機能しているため、フランスのような広い範囲を調べることはできない。

こればかりは虱潰しに探し出すしかないだろう。

幸か不幸か竜の軍勢によって現在のフランス領は半分ほどにまで縮小している。

召喚されてさえいれば、探し出すのはそう難しくないはずだ。

この件に関して一番心を痛めていたのはアナスタシアだった。

彼女は死後、苦難に耐え忍んだとして聖人に列聖されている。

だが、彼女の信仰心では洗礼詠唱が行えずジークフリートの呪いを解くことができなかったのだ。

 

「それなら、手分けして探した方が良くないかしら?」

 

「でも・・・」

 

マリーの意見にジャンヌは口ごもる。

確かにこれだけの人数がいるのだから別行動を取った方が見つけやすいだろう。

だが、もしも敵の襲撃を受けた時に少ない人数で切り抜けられるだろうか。

敵は少なくともまだ3人以上のサーヴァントを控えさせており、超極大の生命体とやらもこのフランスのどこかにいるはずだ。

ただ、カドック自身は最後の極大生命体にさえ遭遇しなければ何とかなるのではないかと考えていた。

これまでの敵の動きを見た限り、サーヴァント達は固まって行動するか一騎が命令を受けて単独行動するかのどちらかであることが多かった。

固まって行動するのは恐らく、示威的な意味もあるのだろう。

 

「俺も手分けして探した方が良いと思うよ。カドックは?」

 

「反対意見に一票と言いたいが、今となってはリスクはそれほど変わらない」

 

メンバーを二組に分けたとして、両方がサーヴァントの軍団と遭遇する確率は低いとみて良いだろう。どちらかが襲われれば助けに向かう。

気を付けるべきは極大生命体、これだけだ。

そうなると問題は、どのようにメンバーを分けるか。

カルデアを介して通信が可能な自分達マスターは別々に行動するのが前提として、残る面々をどうするか。

 

「なら、くじ引きをしましょう! こういう時はやっぱりくじ引きよね」

 

「くじを引きたいだけだろう、君は。アナスタシア、君からもマリアに何か言ってやってくれ」

 

「私も良いと思います、くじ引き。カドック、作って頂戴」

 

「なんで僕が―――ああ、わかったから睨まないでくれ」

 

手近にあった木から小枝を毟ってきて、染料で色分けする。

その結果、ジャンヌとマリーが自分達と組む事になった。

 

「アマデウス、藤丸さんたちをお願いね」

 

「正直に言って、いま君と離れるのは不安だ。いや、君に不安を感じない時はない訳だけど」

 

くじの結果に意を唱える方が余計に悪運を呼びそうだとアマデウスは零す。

 

「まあ、君の宝具は逃走にも使える。ジャンヌは守護に特化しているし、そこにアナスタシアも入れば鉄壁だ。むしろ不安なのはこちら側かな」

 

半人前のマスターとデミサーヴァント、音楽家、傷ついた竜殺し。

確かに戦力だけを見れば心もとない。

 

「いやいや、むしろマシュのがすごいぞ」

 

自分のサーヴァントが否定的に見られたと感じたのか、ものすごく食い気味にマシュの凄さが力説される。

マシュは破顔しているが、勢いに呑まれたアマデウスは顔を引きつらせながらため息をついた。

あくまで戦力的な不安を指摘しただけなのに、惚気話のダシにされてしまったと。

 

「アマデウス、仲良くするのよ。あなた友達に誤解されるタイプだから」

 

「君に言われたくはないよ。それよりマリア」

 

普段の飄々とした態度が一瞬だけなりを潜め、至極真面目な顔つきになったアマデウスがマリーに向き直る。

 

「・・・・・・いや、なんでもない。道中気を付けるように」

 

「あら、てっきりまたプロポーズされるかと思ってドキドキしていたのに」

 

「―――待て、なぜ今、その話をするんだ君は?」

 

「え? マリーさんとアマデウスさんが?」

 

2人に関する逸話を知らなかったマシュが目を丸くする。

傍らのマスターも説明を求めるようにこちらを見つめていた。

これだから無知というやつは。

 

「彼は生前、マリー・アントワネットに結婚を申し込んだことがあるんだ」

 

『割と有名な話だね。ミスター・アマデウスは当時6歳、彼女は7歳だった』

 

「転んだ彼にわたしが手を差し出すと、キラキラした目で見つめて―――」

 

差し伸べられた手を取って、アマデウス少年は結婚を申し込んだらしい。

歴史上で2人が絡むのはこのエピソードのみであるため、恐らくはアマデウスのひとめぼれ。

或いは助けてもらったお礼として結婚を申し込んだという話も伝わっている。

もちろん、真相は本人の胸中に留めておくのが花というものだろう。

 

「まさか後世にまで伝わっているとは・・・悪夢だ」

 

「わたし、嬉しくって嬉しくって方々に広めたんだもの」

 

「君のせいか! 君のせいだったのか! 断った癖になんて魔性の女なんだ!」

 

普通、こういうスキャンダルを好んで広めようとはしない。

そういう意味でもマリー・アントワネットは奔放な女性であったようだ。

 

「羨ましい」

 

ふと、アナスタシアが呟いた。

他のみんなはまたいつもの騒々しい騒ぎを始めているので、こちらに気づく者はいない。

 

「アナスタシア?」

 

「私はマリーと違って、恋なんてしたことがなかったから」

 

僅か17歳でこの世を去らねばならなかった。

一生のほとんどを離宮で過ごし、清貧な生活と奉仕活動に勤しむだけの毎日だった。

だから、マリー・アントワネットのように奔放で自由な生き方がとても眩しく見えるのだと彼女は言った。

同じ末路を辿ったのに、振り返れば何もかもが対照的。

自分は彼女のように生前を明るく語ることができない。

楽しかったはずの思い出すらも、最期に殺された際に感じた雪のような冷たさで押し潰されてしまう。

マリー・アントワネットはフランスに恋をし、フランス国民から愛され、その愛故の失望から国に裏切られた。

だが、彼女はどうか。

極寒のロシアは彼女を愛していたのだろうか。

それは決して答えのでない問いであった。

 

 

 

 

 

 

「じゃあね、アマデウス。帰ったら久しぶりに、貴女のピアノを聞かせて頂戴」

 

合流地点をティエールの街に決め、カドック達は聖人の捜索を開始した。

別れるや否や、向こうではいきなり魔獣の群れが襲いかかってきたらしいが、こちらは暢気なものだ。

街道には人も獣も見当たらず、空を見上げれば白い雲がそよ風に揺られてゆっくりと流れている。

竜種に襲われ、滅亡の危機に瀕しているとは思えないのどかな光景だ。

ただ、それに反して一行の表情は暗い。

特にジャンヌは何かを思い詰めているのか、さっきから上の空といった具合だ。

 

「ジャンヌ、ジャンヌ。怖い顔をしていますわよ」

 

もちろん、そんな雰囲気にいつまでも黙っているようなマリー・アントワネットではなかった。

 

「え、怖いですか?」

 

「怖いっていうか、難しい?」

 

「はあ・・・そうですね、少し考え事をしていたもので」

 

それはやはりというべきか、竜の魔女についてであった。

 

「私は神の啓示を受けて走り出し、振り返ることなく進んできました。死して英霊となり、ルーラーとして召喚される。そのこと自体、当然のように受け止めています。だから、竜の魔女の言葉は何一つとして、身に覚えがないのです」

 

ラ・シャリテで黒いジャンヌはフランスへの強い憎悪を露にしていたらしい。

救国の乙女と持て囃しておきながら、都合が悪くなれば裏切り唾を吐き、魔女として火炙りにされた。

ジャンヌ自身はその結末を受け入れており、本来ならば後悔や憎悪などは決して抱かない。

だから、竜の魔女と化した自分が放つ憎悪を理解できない。

というよりも、思い当たる節すらないとのことだ。

 

(まっすぐな生き方というのは、返って歪んで見えるものなんだな)

 

自分だったらきっと、世界中の全てを呪っていただろうとカドックは思った。

だから、朗らかに笑いながら答えた彼女の言葉に思わず言葉を失った。

 

「もしわたしがジャンヌの立場だったら―――きっと竜の魔女の話を受け入れていたと思うの」

 

いつもの笑顔のまま、けれども少しだけ寂しそうに、堪らなく悲しそうにマリーは言う。

 

「わたしはわたしを処刑した民を憎んではいません。けれどほんの少しだけ、それはとても小さなものかもしれないけど、わたしはわたしの子どもを殺した人たちを憎んでいる。だから、わたしにとっての「竜の魔女」が現れたら、多分、これはもう1人のわたしだと受け入れていた気がします」

 

隣に立つアナスタシアが俯き、ギュッとヴィイを抱える手に力を込める。

意外と言えば意外であり、当然と言えば当然の言葉。

裏切られ、殺されたのなら恨んでいて当たり前だ。

天真爛漫な笑顔の裏に隠された黒い感情。

一瞬だけ垣間見えたそれに対して、アナスタシアは強く感情移入していた。

 

「私も―――私もきっと、同じ――同じことを考えたと―――思います」

 

絞り出すような言葉に胸が痛くなる。

きっと彼女は何かを好きになる前に命を奪われた。

憎しみに優劣などないのだろうが、それでも敢えて言うならばこの3人の中で彼女が一番、祖国に対して強い憎悪を抱いている。

生き抜いた果て、何かを成した先の死ではなく、これからの人生を奪われたことへの憎悪。

その憎悪の先にあるものは、あの竜の魔女と同じものなのかもしれない。

 

「ごめんなさい、私―――」

 

「いいのよ、アナスタシア。それは決して悪いことではないの。でもね、ジャンヌはそうじゃない。彼女は憎まない―――ううん、きっと人間が好きなの。汚れたくないからとか、思いたくないからとか、欠落しているとかじゃない。前に進もうと、這いつくばって諦めない人間が好きだから、今のジャンヌがある。それはとてもすごくて綺麗なことだわ」

 

裏切られ、理不尽な目にあってもなお、人の善性を信じて愛することができる。

それはとても尊くて素晴らしいことなのだとマリーは言う。

自分達ではできなかったそれが、堪らなく美しいのだと王妃は謳う。

 

「ああ、そうか。好きだから―――恨めるはずもなかったですか」

 

「ええ。だからこそ、フランスは貴女に救われたのです。だから、竜の魔女に会ったら言ってやりなさい。『あなたはあたしじゃない』とか、『あなたのことなんか知るもんか』とか」

 

「そう、そうですね。確かに私は・・・あ、れ? 知るものか・・・・・」

 

何か思い当たったのか、ジャンヌの顔が再び険しくなる。

だが、すぐにいつもの穏やかな表情に戻ると、アナスタシアを交えて3人で談笑を再開した。

先ほどのやり取りがあったからか、アナスタシアは少し遠慮がちだが、そこはマリーがグイグイとリードして話を振っていく。

彼女が国民に愛された理由は、その美貌もさることながら、彼女自身の愛嬌と性格によるところも大きかったのだろう。

そんなことを考えながら、カドックは定時連絡のために通信機のスイッチを入れた。

 

 

 

 

 

 

ティエールは渓谷の深い緑と川のせせらぎに彩られた工業の街だ。

特に刃物はドイツのゾーリンゲンと二分するとまで言われる名産地であり、川沿いにはいくつもの工房が立ち並んでいる。

残念ながら世界最高峰といわれるソムリエナイフ「シャトー・ラギオール」が生産されるのは1993年。

この時代では鍛冶の街として興り始めたばかりであろうか。

活気の中にもどこか牧歌的な雰囲気が感じられるのはそのためだろう。

 

「わかった、こちらもジャンヌがサーヴァントを見つけた。これからコンタクトするところだ」

 

アナスタシアに促され、最後に一言だけ労いを付け加えて通信を切る。

先に到着していたマシュ達によると、街の西側に目的の人物がいるらしい。

その情報を得るまでひと悶着があり、新たなはぐれサーヴァントと一戦交えたことに対しては最早、呆れるしかなかったが。

 

(それにしてもゲオルギウスか。まさか竜殺し(ドラゴンスレイヤー)がもう1人召喚されているなんて)

 

古代ローマ末期の殉教者にして毒を吐く悪竜を退治した勇者。

改宗を迫る苛烈な拷問を受けても屈しなかった高潔なる信徒として、その逸話から後に聖人の1人として列聖されている。

このフランスにおいてはジークフリートに並ぶもう1人の竜殺しというわけだ。

 

「そちらで止まってください。何者ですか?」

 

こちらの気配を感じ取ったのか、頑強な鎧を身に纏った男が剣の鞘に手をかける。

迂闊なことをすれば即刻、叩き切られるだろう。

ピリピリとした緊張が辺りを包み込む。

 

「僕はカドック・ゼムルプス、カルデアのマスターだ。あなたと話したいことがある」

 

「マスター? それにそちらのサーヴァントは・・・・・・・なるほど、狂化されていないようですね」

 

「ああ、彼女達と戦っている。それとこちらの彼女は―――」

 

「かの聖女ですね。名は伏せておいた方がよろしいでしょう」

 

物々しい装いに対して物分かりがよい性格なのか、ゲオルギウスは穏やかに答える。

曰く、この街も竜の魔女に一度襲撃されており、彼が1人でそれを撃退したらしい。

住民達はその後、安全な場所を求めて少しずつ避難を始めているようで、彼はそれを今日まで守ってきたとのことだ。

 

「では、あなた方の仲間の解呪に協力して欲しいと?」

 

「はい。複雑に呪いが絡み合っていて、私と貴方がそろっていなければ・・・」

 

「そういうことならば力を貸しましょう。住民の避難も間もなく完了するはず。それが終わってからでよければ―――」

 

不意に竜の咆哮が空気を震わせた。

全員が空を見上げる。

遥か彼方、青い空を埋め尽くすようにワイバーンの群れが羽ばたいている。

 

「この感覚は――竜の魔女!?」

 

『まずいぞカドック、ドクターが馬鹿でかい生命反応を探知した。リヨンで感知したあいつだ』

 

未だ姿を見ていない超極大の生命体。

それがこちらに向かってきている。

 

「撤退しましょう、ゲオルギウス。今の我々では歯が立ちません」

 

「そういう訳にもいきません。私は市長からこの街の守護を任されています。まだ市民が避難を終えていない以上、この役目を放棄する訳にはいきません」

 

「でも・・・・」

 

残れば死ぬ。

ワイバーンの群れだけで済むはずがない。

竜の魔女が、配下のバーサーク・サーヴァントが、そして極大の生命体がくる。

一騎だけでは、或いはここにいる全員で戦ったとしても生き残れるかどうか。

ならばどうするか。

ジャンヌとゲオルギウスは必要だ。ジークフリートを復活させるためにも2人にはマシュ達と合流してもらわなければならない。

つまり2つに1つ。

自分とアナスタシアが残るか、マリーが残るか。

 

「その役目、どうかわたしにお譲りくださいな」

 

そして、フランスを愛する彼女がその役目を譲ることはなかった。

 

「マリー!?」

 

「いいの、アナスタシア。わたしはフランスの王妃。ここからは「未来」でも、わたしにとって「過去」も「現在」もそれほど違いありません。市民を守ることはわたしにとっても大切な使命。そして、みなさんには大局を動かす役目が与えられています」

 

自分は敵を憎んだり倒したりするのではなく、人々を守る命として呼ばれたのだと彼女は言う。

今度こそ、大切な人たちを、大切な国を守るために。

正しい事を正しく行うのだと彼女は言って街の外へと駆け出した。

最後に、ジャンヌの旗の下で共に戦えたことが光栄だったと感謝しながら。

その背中をカドックは見送ることしかできなかった。

決意の込められた眼差しを無下にすることなどできない。

けれど、これでよかったのだろうか?

ただ疑問だけが胸中を渦巻き、その場から足を動かすことができなかった。

 

 

 

 

 

 

街を出た瞬間、黒衣の処刑人が姿を現した。

恐らくは気配遮断かそれに類するスキルで姿を隠していたのだろう。

首狩り用の直刀を構えた青年は、恍惚とした笑みを携えながらマリーの前に立ち塞がった。

 

「まあ、何て奇遇なんでしょう。貴方の顔は忘れたことがないわ、気怠い職人さん」

 

「それは嬉しいな。僕も忘れた事などなかったからね。懐かしき御方、白雪のうなじの君。そして同時に、またこうなった事に運命を感じている。やはり僕と貴女は、特別な縁で結ばれていると」

 

シャルル=アンリ・サンソン。

パリにおいて死刑執行を務めたサンソン家四代目当主。

歴史上、二番目に多くの死刑を執行し、マリー・アントワネットの処刑も執行した、言わばフランス王権失墜の立会人ともいえる男だ。

それが今、竜の魔女によって在り方を狂わされた状態で殺意を向けている。

 

「竜の魔女が遅れているのは幸いだ。ここには僕と君しかしない。処刑する者とされる者、2人っきりの時間だ」

 

「ここにわたし達がいると教えたのはあなたなの?」

 

「嘆かわしいことにこの身は暗殺者のサーヴァントとして召喚された。そちらのジャンヌの探知能力が劣化していたおかげもあって、拙いながらも斥候の役割は果たせたという訳さ。けど、それもここまでだ。僕の目的は最初から君だけ。処刑人である僕は君に問わねばならないんだ。あの時、君を処刑したあの時、君はどんな気持ちだったのか。

痛みはなかったか、苦しまずに逝けたのか、そして―――そこに快楽はあったのか」

 

恍惚としたサンソンの笑みに思わずマリーは後退る。

彼の事は人間的に尊敬しているつもりだったが、こんな倒錯趣味があったとは思いたくない。

これはきっと、竜の魔女によって施された狂化の影響だ。そうに違いない。

 

「いい処刑人が罪人に苦しみを与えないのは当然だ。僕はその先を目指し、そのために腕を磨いた。君への斬首(くちづけ)は正に生涯で最高の一振りだった。だから、どうか聞かせて欲しい。あの時の君はどう感じたのか。死の瞬間、君は絶頂を迎えてくれたかい?」

 

「あなたが本気で、心からわたしに敬意を表してくれているのはわかるわ、サンソン。でもごめんなさい、ちょっとそれはムリ。とても口にはできないことだし、倒錯趣味の殿方はもう間に合っているの。二度目の口づけは受けられないわ」

 

マリーの傍らにガラスの馬が出現する。

首筋がチリチリと痛みを訴える。

恐らく、この痛みは生前に首を撥ねられた所から発せられているのだろう。

予感がする。

既に彼の宝具は発動している。

処刑人であるサンソンの宝具はきっと、彼自身の生涯の象徴。

処刑という概念、或いは技術が昇華したものに違いない。

生前、処刑によってその生涯を終えた自分にとっては非常に相性が悪いはずだ。

運が悪ければ何もできずに殺される。

けれど、それでも構わない。

この国の為に、大切な友達の為に戦えるのなら、再びこの首が撥ねられることがあろうとも、その痛みを受け入れることができる。

自棄になったわけではない。

自分の命が明日への希望に繋がるのなら。

もう何も怖くはない。

もう一度殺されることに恐怖はない。

 

『百合の王冠に栄光あれ』(ギロチンブレイカー)!」

 

『死は明日への希望なり』(ラモール・エスポワール)

 

ガラスの馬が駆け、ギロチンの刃が落とされる。

一瞬、マリーは己の首が胴体から離れる様を幻視した。

鋭い痛みが首筋に走り、裂けた傷から真っ赤な飛沫が上がる。

堪らず膝をつき、首筋を押さえると、自分の首がまだ繋がっていることに驚きを隠せなかった。

 

「そんな、バカな・・・」

 

驚愕を隠せないのはサンソンもまた同じだった。

2人は気づいていない。

サンソンの宝具『死は明日への希望なり』(ラモール・エスポワール)は呪いへの抵抗力や幸運ではなく、「いずれ死ぬという宿命に耐えられるかどうか」という概念によって抗うことができる。

本来ならば処刑による最期を迎えたマリーにとっては相性が最悪の宝具であったが、あの瞬間、己の死よりも仲間に後を託し、祖国のために戦うという強い思いによって彼女は死の恐怖を受け入れることができた。

故にギロチンの刃はギリギリのところで彼女を殺し切ることができず、サンソンはガラスの蹄によってその霊核を踏み抜かれたのである。

 

「きっと、あなたの刃は錆びついていたのね」

 

「そんなバカな。あれから・・・あの時、君を処刑した日からずっと僕は・・・何人も何人も殺して・・・殺してきたのに―――」

 

「殺人者と処刑人は違うわ。あなたはこの間違ったフランスで多くの人達を殺し、殺人者としての刃を研ぎ澄ませた。けれど、それは罪人を救うという処刑人(あなた)の刃は錆びつかせていった。竜の魔女に召喚された時点で、わたしの知るサンソンではなくなっていたのね」

 

「違う、そんなはずは・・・だって、ずっと君がくると信じて腕を磨き続けたんだ。もう一度君と会って、もっとうまく首をはねて、最高の瞬間を与えられたら―――そうしなければ僕は、君をまた―――――」

 

救いを求めるようにサンソンは手を伸ばす。

消滅が始まったことで狂化が解け始めたのだろう。

先ほどまでの狂気は感じられず、まるで許しを乞う子どものように、サンソンは慟哭する。

 

「サンソン」

 

その手を掴もうとマリーは手を伸ばす。

瞬間、巨大な何かが太陽を覆い隠した。

見上げたそれは山のように大きな何かだった。

あまりの大きさに脳が理解を拒み、それを正しく認識する事ができない。

ただ、大きな羽がある。

鋼のような鱗がある。

鋭い牙と大きな口。

咆哮を聞けば体がすくみ上って動けない。

あれは竜だ。

恐怖の具現、力の象徴。

竜という概念が形をなしたもの。

伝承に謳われる邪竜ファヴニール。

それが今、自分の目の前に降り立とうとしていた。

 

「マリー、危ない!」

 

サンソンが消滅しつつある体を押してこちらを突き飛ばす。

視界が揺れ、同時に地響きと共に邪竜が降り立ったことで砂埃が景色を覆い隠す。

サンソンの行方は分からない。

踏み潰されたのか、無事に逃げ延びたのか。

いずれにしろ、あの傷ではそう長くはないだろう。

 

彼女(わたし)は逃げたのですね。なんて無様」

 

ファヴニールから降り立った黒衣の聖女が忌々し気に呟く。

竜の魔女だ。

 

「いいえ、彼女は希望を持って行ったのよ」

 

「サーヴァント一騎を仲間に入れた程度で? 馬鹿馬鹿しい」

 

そんなことをして何になるのかと彼女は言う。

 

「馬鹿馬鹿しいといえばあなたがここに残っているのもそう。そこまでして民を守る使命に酔い痴れたいのですか? 他ならぬ、その民に殺された貴女が。ギロチンにかけられ、嘲笑と共に首をはねられた女が!」

 

あらん限りの憎しみと怒りを込めて竜の魔女は叫ぶ。

燃え上がるような叫びは常人ならば身を竦ませ、恐怖で錯乱することもあったかもしれない。だが、今のマリーには彼女の叫びはとても空っぽで虚ろなものに聞こえてならなかった。

 

「ああ、幻滅です。魔女というのはそんな理屈もわからないの?」

 

確かに自分は処刑された。

嘲笑も蔑みもあった。

けれど、それは殺し返す理由にはならない。

自分は民に乞われて王妃になった。

民なくして王妃は王妃とは呼ばれない。

だからあれは当然の結末だったのだ。

彼らが望まないなら、望まなくとも退場する。

それが国に使える人間の運命(さだめ)なのだ。

 

「わたしの処刑は次の笑顔に繋がったと信じている。いつだって、フランス万歳(ヴィヴ・ラ・フランス)! 星は輝きを与えて、それでよしとすればいい」

 

宝具の力で首の傷を癒す。

間に合わせの止血だが、戦うには十分だ。

 

「ねえ、竜の魔女。本当の貴女は何者なの?」

 

「黙れ!」

 

その一言に、黒いジャンヌは激昂する。

フランスへの憎悪を語る時とは違う、生の感情を剥き出しにした怒りを。

それで確信する。

彼女は違うと。

 

「薙ぎ払いなさい、ファヴニール!」

 

「させない。宝具展開、『愛すべき輝きは永遠に』(クリスタル・パレス)!」

 

マリーの口づけと共に指輪が輝き、周囲一帯が変質する。

先ほどまでの緑の草原は水晶の床で埋め尽くされ、同じく水晶でできた優美な宮殿が大地よりせり上がる。

その広大な庭園をマリーはガラスの馬で駆け抜けた。

邪竜の腕を、尻尾の一振りを紙一重で避け、その巨体に一撃を与える。

ここは彼女の心が形となった世界。

例え王権が失われても愛した人々とフランスは残るという信念が昇華された結界。

この中では彼女と彼女の仲間のステータスが強化され、いつも以上の力を出すことができる。

 

「ちょこまかと!」

 

ファヴニールから降りた立った黒いジャンヌが鉄杭を投げ放つ。

跳躍するも避けきれなかった鉄杭がガラスの馬の足を射抜き、煌びやかな破片を残して消滅した。すかさず、マリーは新たな馬を呼び出してそちらに乗り換え、踵を返して竜の魔女に突撃、その蹄で旗の柄ごと彼女を踏み潰さんとする。

避けられぬと悟った黒いジャンヌは炎を放ってこちらの勢いを殺ぎ、広げた旗を闘牛士のマントのように翻して攻撃を受け流す。

その瞬間を見計らったかのように振り下ろされた邪竜の尻尾が地面に叩きつけられ、マリーは衝撃と飛び散る瓦礫でバランスを崩した。

 

「しまっ―――!」

 

「そこっ!」

 

大振りな一撃がガラスの馬ごとマリーを薙ぎ払い、宙を舞った小さな肢体が水晶の壁に叩きつけられる。

続けざまに鉄杭が虚空に出現し、串刺しにせんて降り注ぐそれを転がって避ける。

すると今度は進路を塞ぐかのようにファヴニールの足が大地を踏み抜いた。

 

「さあ、汝の道は既に途絶えた」

 

マリーの悲鳴が魔女の炎でかき消される。

見るも無残に焼かれた手足が糸の切れた人形のように転がっているのが見えた。

お菓子を摘み、髪の毛を弄り、我が子を抱いた白い腕が真っ黒にすすけている。

足にも力が入らず、朦朧とする意識が眼前の邪竜を捉える。

『愛すべき輝きは永遠に』(クリスタル・パレス)の効果で辛うじて命は繋がっているが、これ以上は戦えそうにない。

ここまでなのかとマリーは悔しさで胸がいっぱいになった。

 

「さあ、愚かな王妃を焼いてしまえ、ファヴニール!」

 

残酷な魔女の命が下され、邪竜の喉に魔力が込められていく。

あれを受ければ、きっと破片も残らずに焼き尽くされるだろう。

首をはねられるのとどちらが苦しいだろうかと、マリーはつい場違いな疑問を抱いてしまう。

そんな馬鹿な事を考えてしまうほど朦朧としているからなのだろう。

視界の端に見覚えのある2人の姿を見ても、マリーはそれが幻ではないかと己を疑うことしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

「令呪を以て命じる。キャスター、宝具を使って彼女を守れ!」

 

右手から一画の令呪が消え、アナスタシアへ送られる魔力量が増大する。

邪竜の炎の前に躍り出たアナスタシアは手にしたヴィイを掲げ、高らかに2つの真名を宣言した。

 

「―――『残光、忌まわしき血の城塞』(スーメルキ・クレムリ)―――『疾走・精霊眼球』(ヴィイ・ヴィイ・ヴィイ)!」

 

水晶の庭園を塗りつぶすように出現した北国の城塞。

更に精霊ヴィイが起こした吹雪がファヴニールのブレスの勢いを殺ぎ、マリーへの直撃を防ぐ。

 

「ぅっ―――マスター、いそ・・・いで・・・・」

 

アナスタシアが苦し気に息を漏らす。

幻想種のブレスなど、本来ならば英霊であっても容易に受け止められるものではない。

絶対零度の氷雪すらも溶かし尽くし、城塞が炎に焼かれて融解を始めていく。

 

「マリー、無事か!」

 

炎の隙間を滑り込み、マリーを抱きかかえて治癒魔術を施す。

かなり危ういが、彼女自身が守りに特化したサーヴァントであったことが幸いした。

適切な治療を行えば、十分に助かる見込みはある。

 

「アナスタシア? カドックさんも・・・どうして・・・・」

 

「君を見捨てられなかった」

 

自分はギリギリまで見捨てるつもりだった。

それが正しい選択なのかと疑問を抱くことはあっても、実利を取る人間のつもりだった。

冷静に必要な犠牲を許容する魔術師のつもりだった。

けれど、彼女は違う。

アナスタシアは違うのだ。

彼女は冷酷な魔術師ではない。

友達を助けたいという至極、当たり前の願いを初めて彼女は口にした。

だから、今だけは魔術師カドック・ゼムルプスとしてではなく、アナスタシアのマスターとしてここに立っている。

 

「マリー・・・私は、あなたのようにもジャンヌのようにもなれない。けど―――けれど、それでもきっと、同じ立場になったら、私もロシアを守りたいと思うの。だって、あそこは私の家族が―――お父様とお母さま、お姉さま達が愛した国なのですから。どんなに憎くても、私の故郷だから―――」

 

炎が一層、強くなる。

カドックの右手が熱くなり、更にもう一画、令呪が失われた。

それでも足りない。

城塞は辛うじて原型を留めているが、今にも崩れてしまいそうだ。

打つ手がない。

残る令呪は後一画。

この一画で反撃する事は不可能だ。

せいぜい、自分達の生を数分引き延ばすだけ。

ただの魔術師である自分では、幻想種相手にできることなど何もない。

 

「アナ――」

 

「来ないで!」

 

城塞の一部が割れて炎が入り込み、アナスタシアの冷気が壁となって自分とマリーを守る。しかし、宝具の発動に集中しているアナスタシアを守るものはなく、彼女のか細い体が炎で少しずつ焼かれていくのを見ていることしかできない。

カドックの脳裏に、冬木の大空洞でアーサー王と戦った時の光景がフラッシュバックした。

あの時と同じ。いや、それ以上の絶望が彼女を屠らんと牙を剥いている。

恐怖で手が震えた。

何もできないことへの恐怖ではない。

彼女が失われることに恐怖した。

彼女は戦うための力であり、共に人理修復の旅を歩むパートナーであり、凡人である自分を最初に認めてくれた人だった。

諦めたくないと叫んだ自分を受け入れて、力を貸してくれた愚かな女だった。

だから、他の何を犠牲にしたとしても、彼女だけは失ってはならない。

 

「・・・だれ・・・っか・・」

 

噛み締めた唇から言葉が漏れる。

助けて欲しい。

誰か自分達を、彼女の事を、アナスタシアを助けて欲しいと。

凝り固まったプライドなどどうでもよかった。

臆面もなく、恥も外聞も捨て去って、心の底からの叫びを上げたい。

それでもちっぽけな自尊心が邪魔をして、言葉が声にならない。

けれども、彼にとってはそれで充分だった。

 

「君の願い、確かに聞き届けた」

 

剣閃が炎を切り裂いた。

一拍遅れて魔力の爆発が大気を震わせ、崩れ落ちた城塞の向こうに灰色の騎士が着地する。

その姿を認めた邪竜が咆哮を上げ、竜の魔女が忌々しそうに睨みつける。

そして、心が折れかけたカドックの目にはこの上なく頼もしい戦士の背中が映っていた。

 

「その願いを以て我が肉体に命ずる―――邪竜、滅ぶべし!」

 

大剣を構え、竜殺しの英雄はここに復活した。




『残光、忌まわしき血の城塞』(スーメルキ・クレムリ)はパリンと割れるバリアみたいになってきたな。
前回のバーサーカーも正攻法じゃ倒せなかったし。


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邪竜百年戦争オルレアン 第6節

炎を切り裂き、邪竜の前に降りた立ったジークフリートは手にした幻想大剣(バルムンク)を構える。

相対するはかつての宿敵。

黄金の夢に酔い、竜種へと転じた呪われたファヴニール。

忌まわしき黄金を巡って死闘を繰り広げたかつての敵同士が再び、相見えたのだ。

 

「久しぶりだな、邪悪なる竜(ファヴニール)よ」

 

ジークフリートの呼びかけにファヴニールは咆哮で以て応える。

まるで怯えているかのように敵意を向け、今にも襲い掛からんと四肢に力を込める。

最早、守るべき黄金などないにも関わらず。

 

「そうだ、俺は此処にいる。ジークフリートは此処にいるぞ! 再び貴様に黄昏を叩きこむ。我が正義、我が信念に誓って!」

 

ジークフリートが駆けだした。

一足。

ただの一足で邪竜へと距離を詰め、手にした大剣を振り下ろす。

本来ならば歯牙にもかける必要がない矮小な一撃。

しかし、邪竜は確かな脅威を感じ取って身を翻す。

無論、それを許すジークフリートではない。

叩きつけられた尻尾を寸ででかわし、逆にそれに飛び乗ってファヴニールの背中を駆ける。

 

「はぁっ!」

 

一撃が叩き込まれた。

その巨体からすれば余りに小さな一撃。

だが、ファヴニールは怒りを以て図体を振るい、しがみついたジークフリートを地面に落とそうとする。

人の力など恐れる必要のない邪竜が、ジークフリートにだけは明確な殺意を抱き、その脅威を警戒している。

叩きつけられた英雄を邪竜は二度、三度と踏みつけ、更に念入りに巨足へ力を込めて踏み砕こうとする。

常人ならば最初の一撃で既に欠片も残らなかっただろうそれを、ジークフリートは呪われた自身の体で受け止め、渾身の力を以て押し返す。

余りにも馬鹿馬鹿しい光景。

山のような巨体を、小さな人がその腕力のみで揺るがしているのだ。

 

「馬鹿な、ファヴニールが!?」

 

吹っ飛ばされたファヴニールの姿に竜の魔女も驚きを隠せない。

 

「何をしているの、さっさと奴を―――」

 

叫ぶ主を無視してファヴニールは跳ぶ。

飛び散った瓦礫が竜の魔女を巻き込み、小さな体がしりもちをつく。

既に邪竜は彼女の制御を離れていた。

憎悪と殺意と恐怖。

己を殺し黄金を奪った宿敵を前にして理性を失っているのだ。

邪竜の目にはジークフリートしか映っていない。

 

「――――ッ!!」

 

再び放たれた火炎をジークフリートは怯むことなく迎え撃つ、

手にした剣に魔力を込め、一閃の下に切り裂いて突貫。

刃が振るわれる度に黄昏色の閃光が走り、ファヴニールの巨体を傷つけていく。

堪らず咆哮を上げ、ファヴニールは両手を振るってジークフリートを捉えんとするが、その手は空しく空を切るばかりだった。ならばと自らの巨体そのものを武器にしてジークフリートに襲い掛かり、全体重をかけて彼を押し潰さんとする。

 

「ファヴニールめ、我を忘れて―――いいわ、なら先にあなた達を始末します」

 

我に返った黒いジャンヌが旗を掲げてこちらに迫る。

アナスタシアもマリーも既に戦える状態ではなく、自身の身を守る者はいない。

咄嗟にカドックはアナスタシアを庇うように立つと、攻撃用の魔術を放とうと魔力を回す。

無論、そんなものは気休めにもならないだろう。

 

「させません!」

 

振り下ろされた旗を、別の旗が弾いた。

 

「あなたの相手は私がします!」

 

「ジャンヌ!?」

 

「カドック、みんな!」

 

ジャンヌがもう1人の自分を押し返し、マシュがこちらを守るように盾を構える。

駆け付けた黒髪の少年もこちらの状態を把握し、手早く礼装の治療効果を発動する。

 

「ゲオルギウスが来てくれたおかげで、ジークフリートの呪いが解けたんだ。カドックが時間を稼いでくれたおかげだよ」

 

違う。

自分は何もできなかった。

今度もまた守られてばかりで。

ジークフリートが助けに来なければ彼女を死なせていた。

 

「カドック」

 

アナスタシアの冷たい指先がそっと手に添えられる。

治療を受けたことで、動けるようになったようだ。

 

「あなたが守ったの。あなたと私で、マリーを守れたの・・・ね」

 

「あ、ああ―――僕達が、やったんだ」

 

それで良いんだと、アナスタシアは言った。

その慰めが今はとても暖かい。

僅かに熱くなった目頭を擦り、カドックは意を決して立ち上がった。

 

「みんな、聞いてくれ」

 

敵は竜の魔女と邪竜ファヴニール。

特にファヴニールの力は強大で例えサーヴァントといえども敵う相手ではない。

だが、こちらには竜殺し(ジークフリート)がいる。

そして、傷つきながらもここまで出会った全てのサーヴァントが結集している。

凡人と凡人以下のマスター。

北国の皇女とデミサーヴァント。

救国の乙女、ヴェルサイユの華、神に愛された音楽家、高潔なる殉教者。

手札は全て揃ったのだ。

なら、後は勝負をするだけのこと。

 

「ここで邪竜を討つ」

 

静かな決意を受け、彼らは動き出した。

飛びかかったマシュの盾がファヴニールの腕を叩き、羽交い絞めにされたジークフリートを救い出す。

足下では愛馬に跨ったゲオルギウスが果敢に切りかかってかく乱し、その隙を突いた幻想大剣(バルムンク)の一撃が胴を薙いだ。

とうとう痛みに耐えかねた邪竜は距離を取り、渾身のブレスを放たんと魔力を込める。

それを阻害するのはアマデウスだ。

全力で宝具を奏で、邪竜の力を殺いでいく。

 

「―――――――――ッッ!!!」

 

「真名偽装登録。宝具、展開します!」

 

放たれた炎をマシュが受け止める。

展開された光の壁が軋みを上げ、勢いに押されてマシュの体が後退した。

もとより、あの一撃に耐えられるサーヴァントはいない。

しかし、ほんの僅かでも受け止めることができれば、竜殺しの一太刀が容赦なく邪竜を屠る。

何度目かの咆哮。

全身を余すことなく切り裂かれた邪竜は、それでも憎悪に彩られた眼で宿敵を睨みつける。

一方、ジークフリートもまた満身創痍。

並のサーヴァントを遥かに上回る攻撃を何度もその身に受け、既に鎧の大部分は砕けてなくなっている。

致命傷を受けていないのは彼の不死身の肉体のおかげだ。

それを差し引いたとしてもあの邪竜と渡り合えていることが驚異的ではあるが。

 

「ファヴニール!」

 

援護の為に鉄杭を放とうとした竜の魔女をジャンヌが押し留める。

 

「あなたはどこにも行かせません!」

 

「邪魔をするな、残り滓!」

 

戦況は一進一退。

ジークフリートの奮闘で辛うじて拮抗できている。

だが、それもここまでであった。

まずマシュが脱落した。

ファヴニールの尻尾を避けきれずにモロに食らってしまい、盾を取り落して宙を舞った。

アマデウスも瓦礫に押し潰されて身動きが取れなくなった。

その隙をついたファヴニールの巨腕がジークフリートを振り払い、首を振りながら炎を吐き出す。

難なく避けるジークフリートではあったが、それは悪手であった。

標的を見失った邪悪な炎はそのまま大きく燃え広がりながら、倒れ伏しているマシュへと迫る。

 

「マシュ!?」

 

「お任せを」

 

愛馬を走らせたゲオルギウスが炎の前に滑り込み、宝具の真名を解放する。

伝承に曰く、彼の愛馬は魔女より賜った魔法の白馬。

魔女が恋した聖人を守るため、一度だけあらゆる災厄から彼を守るという。

 

「さあ駆けろ、『幻影戦馬』(ベイヤード)!」

 

一瞬、白馬が大きくなったかのような錯覚の後、ゲオルギウスを前にして炎が2つに割れる。

同時に力を失った白馬は消失し、地に降り立ったゲオルギウスはマシュを抱えて後方へと下がった。

 

「このままじゃジリ貧だ」

 

「わかっている!」

 

焦りからつい怒鳴ってしまう。

実際のところ、彼はよくやっている。

あの巨体を前にして恐怖に震えた自分と違い、彼は仲間が大勢いるとはいえ、臆することなく戦っている。

マシュが倒れるまでは中々に的確な指示を出して彼女の力を引き出していた。

サーヴァントの個性を見抜く、という意味では自分よりも才能があるかもしれない。

だが、圧倒的な力を前にしてはそれも些細なことだ。

今はまだジャンヌがもう1人のジャンヌを抑えているが、もしも彼女の加勢が入ればジークフリートとて保たないだろう。

 

「すまない、絶対に勝てるとは言えない。かつての戦いも勝利して当然の戦いではなく、無数の敗北から、僅かな勝ちを拾い上げるような戦いだった」

 

傍らに降り立ったジークフリートが油断なく剣を構えながら謝罪する。

言葉とは裏腹にその声音には強い決意が込められていた。

険しい顔つきからは悲壮さなど微塵も感じさせない。

揺るぎのない信念に裏打ちされた確かな自信と、高潔な魂の躍動で輝いてさえいる。

 

「それでも俺は勝つ。君は願い、俺は俺の意志でその願いを叶えると決めた。それだけは絶対に曲げられない!」

 

雄叫びを上げて剣を振るう。

仕切り直した事で調子が戻ったのか、再び繰り広げられた死闘は先ほどまでとは比べ物にならない苛烈な応酬であった。

一太刀ごとに大気が裂け、炎が舞い、腕と尾の一撃が水晶の欠片を振りまく。

その何度目かの攻防の果てに、ジークフリートの大剣が邪竜の喉を切り裂いた。

途端に、今まで以上の苦しみを上げて悶えるファヴニール。

その異常を感知したのか、カルデアからロマニの通信が入った。

 

『おかしいぞ、あそこだけ魔力の流れが淀んでいる』

 

丁度、喉元にあたる部分だ。

カルデアから送られてきた解析図によると、ファヴニールの喉元に異常な魔力の堆積が起きているらしい。

そこにジークフリートの一撃が命中したことで、致死にも等しい苦しみが邪竜を襲ったとのことだ。

 

「そういえば竜って逆鱗が弱点じゃなかったっけ?」

 

『それは東洋の龍のことだね。西洋のドラゴンにはそんなものないよ』

 

東洋の龍は喉に心臓があるため、それを守っている逆さの鱗―――逆鱗が弱点であるという逸話がある。

残念ながらファヴニールは北欧圏の伝承に伝わる竜種だ。

だから、心臓も分厚い胸の中にあり、喉に弱点などは存在しない。

そう、弱点などは―――。

 

(ヴィイの魔眼?)

 

アナスタシアの宝具『疾走・精霊眼球』(ヴィイ・ヴィイ・ヴィイ)は因果律を捻じ曲げ、弱点を創出する。

あの時、ファヴニールのブレスを相殺するために放った宝具が、偶然にも邪竜に弱点を生み出したのだとすれば?

 

「ジークフリート、喉だ! 奴の喉を狙え!」

 

ジークフリートに向けて、力の限り叫ぶ。

竜殺しの英雄は無言で剣を掲げてその言葉に応え、必殺の一撃を叩きこまんと魔力を込める。

狙うは逆鱗。

呪われた邪竜に付与された唯一の急所。

それを悟ってかファヴニールは羽根を羽ばたかせ、その巨体を宙へを持ち上げる。

空へと逃げるつもりだ。

 

「させ――っ!?」

 

追いかけんとしたジークフリート目がけて炎が吐き出され、勢いを殺される。

振るわれた剣は邪竜の足下を掠めて空しく地面を叩いた。

こうなってしまえばこちらに打つ手はない。

ジークフリートには空を飛ぶ者を迎撃する手段はなく、ファヴニールは一方的に炎を吐いて宿敵を甚振るだけで良い。

 

「―――ッ!」

 

瞬間、赤い何かがファヴニールの眼を突き刺した。

あれは槍だろうか?

竜の羽根を広げた可愛らしい少女がファヴニールの頭にしがみつき、大きな眼に刺々しい槍を深々と突き刺している。

堪らず、痛みで悶えながらファヴニールは少女を振り落とそうとするが、更にどこからか現れた巨大な炎の蛇がファヴニールの巨体に巻き付いてその動きを封じ込める。

目を潰された痛みと全身を縛り付けられたことで飛行を維持できなくなったファヴニールの巨体は見る見るうちに落下し、水晶宮を巨大な地響きが襲った。

 

「エリザベートと清姫だ。カドック、チャンスは今しかない!」

 

「藤丸さん、わたしに令呪をください。宝具を使えと!」

 

「わ、わかった」

 

負傷していたマリーの体に魔力が満ち、ガラスの馬がジークフリートのもとへと駆ける。

 

「ジークフリート、今だけはあなたに王権を委ねます」

 

「王妃よ、確かに預かった」

 

「アナスタシア、もう少しだけ頼む。彼に進むべき道を作ってくれ」

 

ガラスの馬に騎乗したジークフリートが手綱を握り、アナスタシアが作り出した氷の道を駆け上る。

本来ならばマリーの宝具は王権の象徴。フランス王家に関わりのある者しか使役する事はできない。

だが、ジークフリートの妻クリームヒルトは後にフランス領となるブルゴーニュ地方に跨って栄えたブルグント王国の人間であり、

後世にはその地からフランス王家に連なる者も輩出されている。

その僅かな繋がりを令呪で以て強化したことで、彼に宝具への騎乗を可能とした。

無論、真名解放などはできないが、彼の騎乗スキルは何とかガラスの馬を乗りこなし、宿敵の喉元目がけて疾走する。

 

「邪悪なる竜は失墜し、世界は今、落陽に至る!」

 

振り上げられた幻想大剣(バルムンク)の柄が展開し、宝玉から真エーテルの輝きが解放される。

収束していく黄昏の光。

それは聖にも邪にも等しく訪れる洛陽。

盛者必衰の理を形とした無常の剣。

ここに来て最大限の脅威を感じ取ったファヴニールは自爆覚悟で炎を吐かんとするが、それよりも竜殺しが駆け上がる方が早い。

 

「撃ち落とす―――『幻想大剣・天魔失墜』(バルムンク)!!」

 

裂ぱくの気合と共に真名が解放され、呪われた聖剣が違う事無く邪竜の喉を切り裂いた。

 

「――――ッ、ッ―――!!」

 

声にならない叫びを上げたファヴニールの喉元から鮮血が迸る。

それだけに留まらず、攻撃の余波で水晶宮の地面が捲れ上がり、視界の全てが黄昏色に染まっていった。

轟音と閃光で目と耳がやられ、敵も味方も自分の身を守るのに必死だ。

迎撃のために魔力を込められた瞬間に攻撃した事で、ファヴニール自身の魔力も暴発したのである。

 

(ジークフリートは? 彼はどうなった―――)

 

光が収まり、半壊した水晶宮の庭園に倒れ伏す巨体が露になる。

その傍らには大剣を携えた英雄が、傷だらけになりながらも生前の宿敵を見下ろしている。

それが意味することは、ジークフリートが再び竜殺しを成し得たということだ。

 

「揺籃から放たれる時がきたのだ、ファヴニール。今度こそ、迷うことなく――眠れ」

 

剣が鞘に収められ、ファヴニールの巨体が魔力の塵となって消滅していく。

その様をジークフリートは、最後まで厳かに見届けていた。

 




勢いに任せてファヴニール戦も書いちゃいました。
やっぱり味方にセイバーがいるとテンション上がりますね。
宝具に関しては解釈が分かれるところかもですが。
ここまでくれば後、2、3話でオルレアン編も終わるはず。


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邪竜百年戦争オルレアン 第7節

その日の夜。

野営地となった森は俄かにお祝いムードが漂っていた。

九死に一生とはいえ、マリーを無事に救い出すことができ、更に邪竜ファヴニールを倒すことにも成功した。

残念ながら竜の魔女は取り逃がしてしまったが、切り札が失われた今が攻め込むには絶好の好機と、全員の士気が高まっている。

余り悠長に事を構えていては、新たな邪竜を生み出されてしまうかもしれないという可能性もあるため、一同は新たにゲオルギウスとエリザベート、清姫の三騎を加え、負傷の回復もそこそこにオルレアンへの進軍を開始した。

そうしてオルレアンの近くの森へと陣を敷き、明日の決戦に向けて今夜は早めの就寝を取ろうということになったのだが―――。

 

「補給物資が届きましたが、位相空間にズレが生じたようです」

 

「あら、食料をモンスターが食べ漁っているわね。カドック、今夜は断食かしら?」

 

「先輩、腹ペコは平気ですか?」

 

いや、よくないだろうという意見が満場一致で採択され、総出で魔獣退治が行われる。

 

「あー、それ私が狙ってたやつ。勝手に食うなー!」

 

「やかましい方ですわね、もう」

 

半ば奇声を張り上げながらエリザベートが槍を振るい、追い立てられた魔獣を清姫が呆れ気味焼き払う。口では罵り合っているが、意外といいコンビのようだ。

 

「で、どうして彼女達が着いてきているんだ?」

 

最もな疑問である。

ここまでファヴニールを倒した勢いに乗る形で進軍してきたため、2人がどういう理由で着いてきているのか聞くのを忘れていた。

 

「どう説明したものかな」

 

「要点だけ教えろ」

 

「喧嘩してた蜥蜴の仲裁をしたら好かれました、まる」

 

「余計なことに首を突っ込むから・・・まあ、戦力が増える分には良いのか?」

 

実際、揃えられるだけの戦力はこれで整ったといえるだろう。

未だ、敵のサーヴァントは健在。本拠地ということで飛竜の群れも待ち構えているだろう。

人数が揃ったといっても敵の数は遥かに多く、自分達が取れるのは全戦力を一点に集中した正面突破のみ。

そうなると1人でも多く戦える者がいてくれるのはありがたい。

ありがたいのだが―――。

 

「うるさいわね、この青大将!」

 

「なんですか、エリマキトカゲ!」

 

「このヌママムシ!」

 

「クビワトカゲ!」

 

この不毛な言い争いだけはどうにも我慢がならない。

 

「アナスタシア、構わないから凍らせるんだ」

 

「わかったわ。このまま冬眠してもらいましょう」

 

「いえ、ダメですからね。先輩も笑ってないで止めてください」

 

珍しく怒気を露に突っかかるカドックと悪乗りするアナスタシア。

それを面白そうにはやし立てる少年と困惑しながらも止めようとするマシュ。

その光景をマリーは岩に腰かけながら楽しそうに見つめている。

傍らにはジャンヌと、どこからか引っ張り出してきた玩具のピアノと睨めっこしているアマデウスがいた。

 

「ふふっ、こうしていると、自分が生きているのが不思議でならないわ。正直、あの時は絶対にもうみんなとは会えないと思っていたもの」

 

「それは私もです。本当に間に合ってよかった」

 

「カドックさんとアナスタシアにも感謝しなきゃね。でも、彼はベーゼを受け取ってくれなかったのよ?」

 

「つまりアナスタシアにはしたんだね、君。まったく、そうやってだれ彼構わず魅了するのはトラブルの素だよ。まあ、今回ばかりはみんなが君を助けたいって、いい方向に転がったからよかったけどね」

 

よし、と軽く頬を叩き、アマデウスは玩具のピアノの鍵盤に指を這わせる。

 

「あら、ピアノを弾くの、アマデウス?」

 

「そりゃ、マリアと約束したからね。君の方こそマスターは良いのかい?」

 

「カドックならもう1人のマスターと一緒にマシュからお説教されてるわ」

 

「やれやれ、彼にも聞いて欲しいものだがね」

 

細い指先が鍵盤を弾く。

玩具特有のやや甲高い音が夜の森に吸い込まれ、周囲の空気が一変する。

木々のざわめき、夜の風、森の獣の寝息すらもその音に聞き入り、静かな演奏会が開かれる。

奏でられる音は不格好で、けれども神々が聞き惚れる天上の調べ。

その音色に誰もが耳を傾け、アマデウスは一心不乱に鍵盤を叩く。

 

「本当、良い音色ね」

 

「君に褒められるのは光栄の極みだ、マリア」

 

生前、彼は彼女に自分の音楽を聞いてもらうことができなかった。

2人の人生はすれ違ったまま、アマデウスは好いた女性の非業の死に立ち会う事もできなかった。

人生のやり直しなど望んだことはないが、それでももしもがあるのならと考えたこともあった。

自分なら、少なくともあんな終わらせ方をさせなかったのにと。

そんな切ない気持ちをアマデウスは敢えて押し殺し、最愛の人の生を尊ぶ曲を奏で続ける。

感情を叩きつけるのは自分の主義じゃないし、彼女との恋を引きずる程センチメンタルなつもりもない。

だから、これは感謝の調べだ。

彼女が生きていることへの感謝、彼女にピアノを聞いてもらえることへの感謝、そんな機会を与えてくれた男への感謝の曲。

 

「マリー」

 

「何かしら、ジャンヌ?」

 

「私は必ずこのフランスを救います。あなたが愛した、このフランスを」

 

「なら、わたしも約束するわ。大切な友達に、最後まで協力する。もちろん、2人もね?」

 

「僕に意見を求められても困るなぁ」

 

「私はもう決めています。マリーとジャンヌの力になりたい。その―――友達、でしょ?」

 

「はい、そうですね。友達、ですね」

 

月の明かりが彼女達を包み込む。

いつの間にか森の小動物達が寄ってきて、アマデウスの演奏を見守っている。

いつしか夜の森は神才の音楽家の演奏会となっていた。

 

「いいものですね」

 

アマデウスの演奏に聞き入る一同を見渡してゲオルギウスがしみじみと呟く。

 

「明日には決戦だというのに、暢気な―――いや、これくらいの方が緊張も解れて戦えるのか?」

 

「そういうことにしておきましょう。人間、余裕を持つことは大事ですよジークフリート。殺伐とした心に信仰は根付きません」

 

「そうだな。何かあればあなたと俺がその穴を埋めればいい。竜を殺すしか能のない男だが、せめてそれくらいは報いてみせないとな」

 

そう言って2人も天上の調べに耳を傾けるのだった。

 

 

 

 

 

 

不意に人の気配を感じて、カドックは目を覚ました。

敵襲かと警戒したが、物陰から何かが飛び出してくる様子はない。なにより、それならジャンヌやロマニ辺りがもっと早く気づくだろう。

ふと隣に目をやると、人ひとり分の空白ができていた。

共に寝ていたはずの少年の姿がない。

明日は決戦だから、魔力を回復するために少しでも休息を取るようにというロマニからの指示で、

今夜はマスターは見張りに立たず就寝することになっていたのだが、まさかまた隠れて鍛錬をしているのではないだろうか?

 

「何やってるんだ、お前」

 

茂みをかき分けると、能天気な童顔が焚火に手を当てていた。

寝ぼけ眼に見せかけて睨んでみたが、魔力回路が起きている様子はない。

単純に眠れなかっただけだろうか。

 

「僕達が倒れたら元も子もないんだ、無理にでも寝てろ」

 

「うーん、何だか緊張してさ」

 

「何だ、不安なのか?」

 

「そりゃ、補欠の俺がちゃんとマスターできているかは気になるけどさ。ねぇ、実際のところはどうなんだろう?」

 

「・・・・・・悪くはないんじゃないか」

 

何度か見た限りでは、堅牢だが決め手に欠けるマシュをうまく使って戦っている。

不慣れからか突出し過ぎることもあるが、ここ一番という場面では深追いせずにきっちり守り、味方を庇って後続に繋げる。

つまり、憎らしいことにサーヴァントのマスターとしてはなかなかに素養があるのだ。

マシュがピンチに陥ってパニックを起こしかけるのは自分にも当てはまることなので無視しておくことにしよう。

 

「ねえ、凄く含みのある言い方したよね、今?」

 

「言っただろ、生意気言うのは一人前になってからだ」

 

「はいはい、努力しますよ」

 

こちらの小言にもいい加減慣れてきたのか、軽口で返される。

 

「フランスでの戦いも明日で終わりか」

 

「まだ一つ目だ、先は長い」

 

「長いね。ああ、考え出したらまた気が重くなってきた」

 

「自意識を解体して強制洗浄する魔術があるけど、使ってみるか?」

 

自己暗示の応用で自我を解体する魔術がある。

術が解けるまで何があっても起きられないが、意識の分解と再構成の過程で精神的な疲労を洗い流すことができる。難易度もそう高くないので疲労回復には打ってつけだ。

ただ、一時的とはいえ自分の意識を意味のない断片にまで分解するという行為は、精神の仮死にも等しく決して気持ちの良いものではない。

一般的な感性からすれば抵抗感が強く、これを好んで使用する者がいるとすれば休む間もなく活動することを余儀なくされるほどの修羅場に陥った者か、自分の体を機械か何かのように扱える異常者だけだろう。

カドックも一度だけ試した後に二度と使うものかと心に決め、それを聞いた目の前の少年も忌避を示していた。

カドックはその反応を当然だと感じながら、一方で自分が酷く馬鹿げた提案をしていたのだと自嘲したくなった。

気紛れと僅かな嗜虐心からとはいえ、素人以下の魔術師見習いを気遣っている自分がいたことに驚きを隠せない。

こんなこと、まだAチームが健在だった頃にはありえなかった。

 

(気に入らないはず、なのにな)

 

自分と同じ、才能だけを見出された最後のマスター。

思えば最初から気に入らなかった。

何も知らない、無害そうな顔をしてカルデアにやってきた異邦人。

魔術の世界の過酷さも、人理崩壊の深刻さも理解できているとは思えない一般人。

なのに、彼は折れることなくここにいる。

己の肩に世界の命運がかかっているというのに、屈することなく自分に着いてきている。

自分はどうだったか。

冬木でアーサー王と戦った時は?

オルレアンで初めてワイバーンの群れと戦った時は?

邪竜ファヴニールと相対した時は?

いつだって心が折れそうで、何度も膝を着いて、その度に立ち上がってきた。

アナスタシアがいなければきっと、自分は腐ったまま朽ちていただろう。

なら、彼はどうして立っていられるのか。

自分よりも弱く、自分よりも劣ったマスター候補。

何故、自分よりも下のはずの彼の方が眩しく見えるのだろう。

 

「何で、引き受けたんだ? 人理修復なんて?」

 

「え? それは―――俺達しかいないんだろ、できる人が?」

 

あっけらかんと、少年は言う。

無責任といえばそれまでの、打てば響くような軽い返事。

質問をしたこちらの方が何か変な事を聞いてしまったのか、そんな風に感じてしまうような声音だった。

 

「そりゃ不安はあるけどさ、でもそれとこれは別のことだろ。誰だって明日は欲しいし、明後日はもっと欲しい。生きていたいだろ?」

 

純粋な願いとまっすぐな答えがそこにあった。

戦いへの恐怖や不安、任務への重責は「生きていたい」というただただ正直な思いの前には関係がなく、何よりもまずその感情が先にあるから、折れることなく前に進めるのだろう。

そんな当たり前の感情を、当たり前のように実行できるだけでも異常ではあるが。

 

「カドックはどうしてカルデアに?」

 

「レイシフトの適性を見出されて、前所長にスカウトされた」

 

「同じだね。俺も駅前でアンダーソンさんにスカウトされてさ」

 

同じじゃない。

同じように才能を見出されたのに、自分は他者を見返すためにカルデアにやってきた。

見ている世界が余りに狭いから、許容しきれない絶望を前にすれば思考が停止する。

ヒステリックに喚き、心が折れることもある。

彼のように、当たり前のことができない。

自分は何度も諦めかけ、今でも心のどこかで人理修復など無理だと思っている。

諦めたくないから、自分の才能を無価値にしたくないから続けているだけだ。

けれど、彼は人理修復が不可能だと思ってはいない。

その道がどれほど困難であろうとも、恐怖で足が竦み困難が待ち受けていようとも、進み続ければ辿り着けると本能で気づいている。

そうして進み続けた結果、フランス軍を飛竜の群れから救い、ジークフリートやマリーを救い出せた。

邪竜を相手にしても屈することなく戦えた。

だから、気に入らなかったのだろう。

自分が心の底では諦めていたことを、彼は迷うことなく採択して進み続けている。

いずれ自分を追い越し、自分に代わって何かを成すと感じ取っているから、気に入らないのかもしれない。

それこそ、考えすぎかもしれないが。

 

「あれ? 先輩、起きてらっしゃったんですか?」

 

茂みをかき分け、マシュが姿を現す。

水を汲みに行っていたのか、手にした桶からは飛沫が飛んでいる。

 

「うん、寝付けなくてね。マシュは?」

 

「わたしはデミサーヴァントですので。見回りがてらアマデウスさんと川まで水を汲んできました」

 

夕食で水を少し多く使いすぎたので汲んできたらしい。

 

「そうだ、マシュもおいで」

 

「はい?」

 

「あー、なら僕はあっちで見張りでもしてようかな」

 

察したアマデウスが手を振りながら夜の闇へと消える。

残されたマシュは首を捻りながら自身のマスターの横に腰かける。

 

「ほら、同じカルデア組なのに3人一緒に話をする機会ってなかったからさ」

 

「お前、実はもの凄く不安でしょうがないんじゃないか?」

 

「まさか、ははは・・・・」

 

「はあ―――キリエライトは?」

 

「そうですね、親睦を深めるのはよいことだと思います」

 

「折角だからアナスタシアも呼ぼうか?」

 

「やめろ、彼女が来たら収拾が―――」

 

「もちろん、夜会のお供はしっかり用意しているわ」

 

「いつからそこにいたんだ、君は!? それと何でそんなもの持ってきてるんだ!?」

 

カルデアからの補給物資にはそんなもの入っていなかった。

まさか、これを見越して最初から持参していたのか?

 

「えー、では、第一回「マスターの、ちょっといいとこ見てみたい会」を始めたいと思います」

 

「待て待てキリエライト、君はそんなこと言う奴じゃなかっただろ――そこ、挙手して勝手に発言しようとしない! お前も変なやる気出してアピールするのやめろ!」

 

自分を除く3人が何故だか妙な盛り上がりをみせ、なし崩し的に夜会が進んでいく。

結局、騒ぎを聞きつけたジャンヌに説教を受けるまでこの夜会は続けられた。

 

 

 

 

 

 

 

朝陽が昇り、一行は決意を新たにオルレアンへの進軍を再開する。

こちらが予想していた通り、オルレアンの周囲には無数のワイバーンの群れが待ち構えていた。

しかし、切り札であるファヴニールを失った今、どれだけの戦力を揃えようと烏合の衆。

立ち塞がる飛竜を盾で、視線で、刃と炎で薙ぎ払い、葬送の曲を奏でながら敵陣を突き進む。

先陣を切るのは救国の旗と王権の象徴。

フランスを救うという強い信念が並み居る敵を討ち滅ぼし、その喉元へ刃を突き付けんと迫る。

 

「来たのね、ジャンヌ・ダルク(私の残り滓)

 

焼き払われ、焦土と化した草原の中頃で黒い少女は待ち構えていた。

無数の飛竜に傅かれ、威厳を放つその姿は正に竜の魔女。

黒のジャンヌ・ダルクがそこにいる。

 

「ジャンヌ」

 

「はい、わかっています」

 

マリーに促され、ジャンヌが一歩前に出る。

もう1人の自分と対峙していた時に抱いていた不安はそこにはない。

毅然とした、何かを悟り理解した面持ちで竜の魔女を見やる。

 

「竜の魔女、私は残骸でもないし、そもそも貴女でもありません」

 

「貴女は私でしょう。何を言っているのです?」

 

嘲りと侮蔑が混じったおぞましい笑みを浮かべる竜の魔女。

同じ顔、同じ声でありながらジャンヌとは何もかもが違う。

ひりつくような感覚にカドックは堪らず唇を噛み締めた。

 

「今、何を言ったところで貴女に届くはずがない。この戦いが終わってから、存分に言いたいことを言わせてもらいます」

 

「ほざくな!」

 

憤怒の炎を滾らせた少女が、もう1人の自分に激昂する。

この期に及んで自分に勝つ気でいると、ジャンヌに対して怒りを露にする。

 

「この竜を見よ、この竜の群れを見るがいい! 今や我らが故国は竜の巣となった! ありとあらゆるモノを喰らい、このフランスを不毛の土地とするだろう!」

 

主人の言葉にワイバーンの群れは咆哮で以て応える。

 

「それでこの世界は完結する。それでこの世界は破綻する。そして竜同士が際限なく争い始めるのだ。無限の戦争、無限の捕食。それこそが真の百年戦争――邪竜百年戦争だ!」

 

竜の旗を掲げ、魔女は配下に号令を下す。

咆哮を上げて飛来する無数の脅威。

牙持つ邪悪の化身が翼を大口を開け、その咢で食いつかんと迫ってくる。

ジャンヌは迎撃の為に旗を構え、他の面々もそれに続こうとする。

その時、背後から轟音が響き、向かってきたワイバーンがもんどりを打って地面に落ちる。

何事かと振り向くと、そこには輝かしいばかりの正義の徒が集結していた。

槍を構える歩兵が、駆け抜ける騎馬の軍団が、空を見据えた弓兵隊が、飛竜を撃ち落とさんと砲兵が、故国を救わんと旗を掲げ、続々と決戦の地に集まってくる。

その先陣で指揮を執るのはジャンヌに取って知己の人物。

ジル・ド・レェ元帥だ。

 

「ここがフランスを守れるかどうかの瀬戸際だ! 全砲弾を撃って撃って撃ちまくれ!」

 

元帥の言葉に鬨の声を上げたフランス軍が怒涛の勢いで攻勢を加え、ワイバーンの群れが撃ち落とされていく。

無論、それを黙って受け入れる訳もなく、飛竜達はこちらを無視して自分達に敵意を向けるフランス軍へと襲いかかる。しかし、高まった彼らの士気は迎え撃つ脅威も己が劣勢も物ともせず、苛烈な攻めを休むことなく繰り広げ、その度に元帥の檄が戦場に響き渡る。

 

「恐れるな! 嘆くな! 退くな! 人間であるならば、ここでその命を捨てろ! 恐れることは決してない! 何故なら我らには―――聖女がついている」

 

この場にいる誰もがジャンヌを竜の魔女と恐れ、怒りを向けることはない。

フランスを救わんと戦い続けたルーラー(ジャンヌ)の姿に、彼らはかつての聖女の信仰を見出した。

そして今一度、共に戦わんとこの地に駆け付けたのである。

 

「いきましょうみなさん。ジルが―――フランスのみんながついています」

 

救国の旗が掲げられる。

フランスを救うための最期の戦いが始まった。

敵は無数の飛竜の群れ。しかし、こちらには一致団結したフランス軍の加勢がある。

戦局は五分と五分。

故に勝敗は、如何に敵のサーヴァントを抑えられるかにかかっている。

 

「視えた。カドック、サーヴァントの数は四騎、初めて見る娘もいます」

 

「獅子の耳に俊足の弓兵―――アタランテか」

 

ヴィイを通じて知覚した情報を全員に伝え、警戒を促す。

まだ敵に弓兵が残っていたのは痛い。

この広い戦場では隠れられる場所もなく、アタランテ程の使い手ならば容易にマスターに狙うこともできるはずだ。

 

「なら、彼女の相手は私がしましょう。うまく注意を逸らしますので、後はお願いします」

 

ゲオルギウスが馬に跨り戦場を駆ける。

既に幻影戦馬(ベイヤード)は力を失ったため、彼が騎乗しているのはここに来る途中で調達した何の変哲もないただの馬だ。しかし、騎兵(ライダー)クラスの恩恵によりゲオルギウスの騎乗スキルは生前以上に底上げされており、降り注ぐ矢の雨を巧みに掻い潜って敵陣を掻きまわし、アタランテの狙いを自身に向ける。

竜の魔女によってバーサーカーとして狂化を付与されていることもあり、挑発を受けたアタランテは脇目も振らずにゲオルギウスに矢を放ち、巻き添えを受けたワイバーン達の肉片が大地に転がった。

 

「ああなっては思うツボか。狂化で理性を奪われてさえなければな」

 

幽鬼のように漆黒の為政者が現れる。

その傍らには荘厳な騎士服に身を包んだ竜騎兵。

ヴラド三世とシュヴァリエ・デオンだ。

 

「やあ君達、健勝なようで何よりだ」

 

「まさかこうして相見える日が来るとはな、竜殺し(ドラゴンスレイヤー)よ」

 

狂っても失われぬ威厳を以て、ヴラド三世はジークフリートに相対する。

その挑戦を受けた竜殺しの英雄は、黙したまま愛剣を引き抜いて護国の鬼将へと向き直った。

一瞬の緊張が弾けるように、両者は互いの得物をぶつけ合う。

 

「堕落し浅ましい姿を晒す事は恥ではないが、敗北は何よりの恥だ。立ち塞がるというのなら、私は不死身の吸血鬼を謳おう」

 

「貴方ほどの英霊がそこまで狂うか、ランサー!」

 

「その汚名を払拭するためならば、如何ほどの魔道にも落ちようというもの」

 

「ならば俺は俺の願いのために、貴方を見過ごすわけにはいかない」

 

「口を開くか、竜殺し(黒のセイバー)。ならば来るがいい」

 

「ああいくぞ、吸血鬼(黒のランサー)!」

 

刹那、互いの宝具がぶつかり合う。

黄昏色の魔閃を受けて四散したヴラド三世の肉体が瞬時に再生し、そこから生み出された無数の杭がジークフリートを襲う。

現出した魔杭は不浄を貫かんと迫るが、それは瞬く間に幻想大剣(バルムンク)の閃光で焼き尽くされ、巻き添えを受けたワイバーンの群れが塵も残さず蒸発していく。

後に残されたのは巨大なクレーターと、その中央で鍔競り合いをする2人の英雄のみ。

彼らにどのような因縁があるのかは与り知らないが、互いが引けぬ思いを抱いた決死の戦いに余人が入り込む余地はない。

 

「ではこちらも始めようか。シュヴァリエ・デオン、此度は悪に加担するが我が剣に曇りはない。この悪夢を滅ぼすため、全力で抗って見せろ」

 

竜騎兵が宙を舞い、王権の象徴が迎え撃つ。

次々と召喚されるガラスの馬が、馬車が忠節の騎士を引き潰さんと迫り、天上の調べがデオンの動きを拘束する。しかし、デオンは強靭な意思でアマデウスの重圧を振り払い、見る者を魅了する華麗な剣舞でガラスの馬を切り裂いてマリーへと得物向ける。

 

「ジャンヌ、ここはわたしとアマデウスが引き受けます」

 

「こんなつまらない演奏会はさっさと終わりにしよう」

 

「マリー、アマデウス・・・はい、お願いします」

 

最期に立ち塞がるは茨のドレスに身を包んだ淑女。

ジャンヌを殺し、その血を浴びんと嗜虐の笑みを浮かべる吸血鬼(カーミラ)

それに真っ向から切りかかったのはエリザベートだ。

カーミラの幼き日の姿。

エリザベート・バートリーは自分自身が相手とは思えないほどの苛烈で獰猛な攻めを未来の自分に向けて放つ。

 

「鬱陶しいですわね、この「私」」

 

「それはこっちの台詞よ。どうしてアンタなんかがサーヴァントに・・・」

 

「何を言い出すかと思えば。私は誰もが恐れ、敬った血の伯爵夫人。その完成形。お前のような未完成品とは訳が違う。私は恐怖を喰らって反英霊となりここにいる」

 

お前はどうなのだとカーミラは問いかける。

本来、英霊は全盛期の肉体で召喚されるが、エリザベート・バートリーの場合、後年に確立された吸血鬼としてのイメージと、元から持っていた竜の末裔というイメージが真っ二つに分かれる形で抽出され、サーヴァントとして形作られている。

その結果、お互いのパーソナリティは完全に別人として分かたれていた。

カーミラは未だ罪を犯していないエリザベートの無垢な心が気に入らず、エリザベートはいずれ自分が犯してしまう罪の結晶であるカーミラが許容できない。

この2人が出会った時、そこに待つのは悲壮なまでの自己否定しかなかったのだ。

 

「アンタは私の本性、私の結末。どう泣き叫んでも変えられない罪の具現。アンタを否定するって事は、自分の罪から目を背ける事と同じでしょう。でも、これがどんなに醜い自己欺瞞でも私は叫ぶわ! 私はアンタみたいにはなりたくないって!」

 

まっすぐに己の罪を凝視し、エリザベートは槍を振るう。

しかし、所詮は自分である以上、その太刀筋は見切られ、逆に彼女が操る拷問具の責めがエリザベートの幼い体を蹂躙していく。

爪は裂け、白い肌には痛々しい棘が刺さり、真っ赤な血が傷口から滴り落ちる。

過去はどうやっても未来という結果に辿り着く。

彼女1人ではどうやってもカーミラ(未来)に打ち勝つことができない。

 

「終わりにしましょう。せめてその血は有効活用してあげる。『幻想の鉄処女』(ファントム・メイデン)!」

 

傷つき膝を着いたエリザベートに巨大な拷問具「鉄の処女」が覆いかぶさらんとその身を開く。

咄嗟にエリザベートは目を覆い、己の死を覚悟した。

しかし―――。

 

「『転身火生三昧』」

 

突如として現出した大蛇が吐く炎が『幻想の鉄処女』(ファントム・メイデン)を押し返し、エリザベートの窮地を救う。

やがて大蛇は1人の可憐な少女の姿を取ると、音も立てずに優雅に彼女の隣へと降り立った。

 

「アンタ――清姫?」

 

「まったく、見ていられないったら」

 

「何よ、私はまだ戦えたわ」

 

「死にかけておいて何を言いますか。わたくし、嘘は嫌いでしてよ」

 

扇子で口元を覆いながらも怒りを隠し切れない清姫がエリザベートの額を小突き、カーミラに向き直る。

1人では絶対に勝てない。

しかし、2人いれば。

エリザベート・バートリーという人生にはない異物(清姫)がいれば、この勝敗はわからない。

 

「ひょっとして、手伝ってくれるの?」

 

「さっさと片づけないと旦那様(ますたぁ)の身が危ないので、遺憾ながら」

 

「何よ、その言い方。けど、助かったわ。ありがとう」

 

槍を支えにして身を起こし、エリザベートは再びカーミラに向けて構えを取る。

カーミラもまた、突然の乱入に警戒して身を固めていたが、清姫が美しい容姿であることを認めると嗜虐的な笑みを浮かべて得物を取り出した。

 

「手を貸して。どうかこの醜い私とアイツに決着をつけさせて」

 

「巻き込まれても恨まないでくださいね」

 

「そっちこそ、私の全力の歌声に聞き惚れちゃだめよ」

 

再び化身した清姫が炎で牽制し、竜の因子を呼び起こしたエリザベートが音速のソニックブレスを吐き出して攻撃する。

巻き込まれたワイバーンの群れが次々と地に落ちていく中、カーミラは2匹の獲物を狩り取らんと地を駆けた。

 

「このまま一気に竜の魔女を倒します! カドックさん、藤丸さん!」

 

「ああ、僕もキャスターもいつでもいける」

 

「ワイバーンは近づけさせません。どうか決着を、ジャンヌ・ダルク」

 

「やるぞ、マシュ!」

 

「はい、ここが勝負所です。共に勝利を!」

 

氷の視線がワイバーンの群れを凍らせ、討ち漏らした飛竜の牙を盾が防ぐ。

その後ろでは救国の旗が竜の旗と鍔競り合い、憎悪の炎が信仰の旗に阻まれる。

フランスに裏切られ、それでもフランスを救わんとするジャンヌ・ダルク。

フランスに裏切られ、それ故にフランスを滅ぼさんとするジャンヌ・ダルク。

同じジャンヌが、救国と滅びを掲げあい、激しく火花を散らし合う。

 

「決着の刻です、竜の魔女!」

 

「黙れ! 絶望が勝つか、希望が勝つか。故国を救うというのなら、この私を超えてみせるがいい、ジャンヌ・ダルク!」

 

戦いの火蓋は今、切って落とされた。




ちょっと間が空いてしまいました。
カドックが誰かと絡むとアナスタシアの出番が減るというこのジレンマよ。

今度のイベントでマリーのPUもあるし、お迎えできると嬉しいなぁ。


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邪竜百年戦争オルレアン 第8節

 

戦いは混迷を極めていた。

飛竜の群れが縦横無尽に空を舞い、それを無数の大砲が迎え撃つ。

次々と空飛ぶ悪竜は撃ち落とされるが、彼らは自分達の損耗に構う事無く突撃し、敵対する人間達を屠っていく。

彼方で竜の死骸の山ができれば、此方で勇士の屍が晒される。

戦局は拮抗し、どちらも決め手に欠ける泥沼の消耗戦と化していた。

一方で戦場の各地ではサーヴァント達による神話の再現ともいえる超常の戦いが繰り広げられている。

竜殺しと吸血鬼が火花を散らし、神代の狩人を相手に騎兵が一騎打ちを仕掛ける。

かと思えば荘厳なオーケストラをバックにガラスの馬に乗った姫君が駆け抜け、巨大な蛇と竜の娘を血の伯爵夫人が相手取る。

そして、その中心には同じ顔の少女が互いの得物をぶつけ合い、熾烈な肉弾戦を演じていた。

その中で最初に動きを見せたのはゲオルギウスとアタランテだった。

戦いが始まって十数分。

アタランテからすれば英霊でもないただの馬の疾走など止まっているようなものだったが、ゲオルギウスは自身の直感のスキルの恩恵により、防御において常に最適の答えを得ることができる。加えてアタランテが持つアルカディア越えと追い込みの美学というスキルは、戦場を縦横無尽に駆け抜け、敵の後手を突くことで真価を発揮する。狂化によって理性を奪われていることも仇となり、足を止めて駆け回るゲオルギウスを狙う戦法は彼女の本領を悉く潰していた。

一方でゲオルギウスも、神代の狩人の狙撃をかわすため、全力で走らせ続けたことで馬の方が既に限界を迎えていた。

血統も定かではない名もなき馬がここまで保ったことは奇跡にも等しく、それについてはゲオルギウスも誇らしかったが、残念ながら今は彼を誉めている余裕もない。

正確無比な上に掠めただけで身が千切れかけるほどの強弓を前にして、足を止める訳にはいかないのだ。

故にゲオルギウスは疲れ果てた馬に鞭を打ち、休むことなく走らせ続ける。

そして、アタランテまで後十数メートルというところまで近づいたところで、とうとう馬が根を上げて地面に倒れ込んだ。

狂化されているとはいえ、この千載一遇の機会を逃すアタランテではない。

立て続けに数射の矢を放ち、倒れたゲオルギウスの頭と心臓を穿たんとする。

 

「はっ!」

 

咄嗟にゲオルギウスは跳躍し、上空へと逃れながらも抜刀する。

太陽を背に背負っての奇襲だ。

並の使い手ならば陽光に目をやられ、成す術もなく切り伏せられていただろう。

だが、アタランテにはそのような小細工は通用しない。

ここに至って初めて、ゲオルギウスは自身から攻勢に出たのだ。

即ち、アタランテが後手に回ったことで追い込みの美学のスキルが発動し、彼が切りかかるよりも早く反撃に移ることができる。

弓を引き絞り、逃げ場を失った哀れな殉教者に狙いを定める。

空を駆ける翼でもない限り、この一撃から逃れることはできない。

 

「殺してやるぅ!」

 

放たれる渾身の一矢。

ここで誤算があったとすれば、それは彼女がスキルによって先手を取ったことだろう。

彼女が持つ天穹の弓(タウロポロス)は弦を引き絞るほど威力が増す。

つまり、襲い掛かるゲオルギウスに対して先手を取ったことで、弓を引き絞る時間が余り取れず、その威力を十分に発揮できなかったのだ。

結果、本来ならば致命傷にも等しい一撃を受けてもゲオルギウスは倒れることなく、逆にアタランテは己の無防備な姿を晒すことになってしまった。

 

「せめて一撃で終わらせてあげましょう。『汝は竜なり』(アヴィスス・ドラコーニス)!」

 

翻されたサーコートの紋章が輝き、神々しい光がアタランテに集束する。

その光自体は何ら彼女を害することはない。

ただし、その効果を受けたことである変化が彼女の肉体に起きていた。

本来ならば持ち合わせているはずがない、竜の因子の発芽である。

 

「汝は竜! 罪ありき! 『力屠る祝福の剣』(アスカロン)!」

 

振り下ろされた剛剣がアタランテの痩躯を袈裟切りにし、言葉にならない絶叫が竜の咆哮すらかき消さんとばかりに戦場に響き渡る。

 

「これこそがアスカロンの真実。我が宝具『竜殺し』(インテルフェクトゥム・ドラーコーネース)なり」

 

『力屠る祝福の剣』(アスカロン)の無敵の力とゲオルギウス自身の竜殺しの逸話を複合させることで発動される対人宝具『竜殺し』(インテルフェクトゥム・ドラーコーネース)

文字通り、竜に対して絶大な威力を発揮するそれは、一時的に竜の属性を帯びたアタランテを一撃の下に葬り去った。

同時にゲオルギウスも彼女から受けた傷の影響でバランスを崩すが、持ち前の鋼の意志で痛みを払いのけ、未だ戦う仲間へと思いを馳せる。

戦いはまだ終わらず、ここで自分が倒れるわけにはいかない。

ゲオルギウスは傷ついた体に鞭を打ち、己に群がり始めたワイバーンの群れへと切りかかった。

 

 

 

 

 

 

それは避けられたはずの一撃だった。

人間とは過去の積み重ねによって今が作られ、未来へと至る。

どれほどまっすぐで正しい思いであったとしても、何れは辿り着く結末がどうしようもない悪であったとしても、過去(エリザベート)未来(カーミラ)に敵う道理はない。

第三者の介入があったとしても変わらない。

既に決定している結末を捻じ曲げることなど、それこそ聖杯にでも願わなければ叶うはずもない。

けれども、それでも彼女は思ってしまった。

がむしゃらに槍を振るい、自分を否定しようとする幼い自分の姿を。

ボロボロで血を流しながらも、屈することなく前を向き続けるそのひたむきさを。

まだ少女を殺し、その血で我が身を洗う前の清らかな体を。

誰かを傷つけ、殺める快楽を知らない無垢な心を。

 

(このまま、何も知らなければ良かったのに)

 

エリザベート・バートリーは己の美貌を保つために少女を殺し続けた。

それは彼女自身が抱いた妄想、狂気による産物であったが、周囲の人間は誰も咎める者はいなかった。

父は咎めず、母はおらず、仕えていた従者や小間使い達も、愛した夫や我が子達ですらも、誰一人としてそれが悪であると教えてくれた者はいなかった。

ならばと願わずにはいられない。

何故、人は老いてしまうのか。

それすらも知らないままでいられれば、己の美貌が永遠に続くものだと錯誤していれば、あの無垢な少女のままでいられたかもしれないと。

もしくは―――。

 

「何よ、こんなの全然痛くないわ!」

 

「やせ我慢はおよしなさい。痛い時は痛いというものです」

 

あんな風に叱咤してくれる者がいれば、彼女のようにほんの少しは己を省みたかもしれない。

だから、きっと彼女は自分と違うのだろう。

エリザベート・バートリー(竜の娘)カーミラ(血の伯爵夫人)でない。

何れは至る結末だとしても、今の彼女はまだそこには至っていないのだから。

そんな風に心が揺れれば、隙の一つもできるというもの。

いつの間にか炎で逃げ場は奪われ、目の前まで迫ったエリザベートが渾身の思いを込めて槍を振るう姿が目に映る。

腕を振るえば受け止められた。

身が焼かれるのを覚悟で跳べば避けられた。

それは避けられたはずの一撃だった。

しかし、ほんの僅かではあるが心に隙が生じたカーミラの手足は動くことがなく、自身の胸に吸い込まれていく漆黒の槍をまるで他人事のように見つめることしかできなかった。

 

「未来が過去を否定するのではなく、過去が未来を否定するなんて―――何て出鱈目な少女なのかしら」

 

よろよろと後退りながら、胸の傷に手を当てる。

青白い手の平が赤黒い鮮血を浴び、ほんの一瞬、かつての健康的な色艶を取り戻したかのような錯覚を覚える。

 

「本当、鬱陶しくて・・・眩しい・・・・・・ああ、まるで最後の・・・あのレンガの隙間に見えた・・・ひか―――」

 

その言葉を言い切る前に、カーミラの意識は途絶える。

最期の瞬間、幽閉されていた頃の光景を幻視し、そこで垣間見た僅かな光明を、かつての自分に重ね合わせながら。

血の伯爵夫人は静かに、魔力の塵となって消滅した。

 

 

 

 

 

百合の華が戦場に咲く。

可憐に、優雅に、気品すらも纏っているかのように、シュバリエ・デオンは襲い掛かるガラスの馬をいなす。

それはさながら舞踏のようであり、ここが命のやり取りをする場でなければ見惚れていたかもしれない。

それほどまでにデオンの立ち回りは美しく、故にマリーとアマデウスは一瞬の気の緩みも許されない戦いを強いられていた。

 

「どうした、この程度かい?」

 

何頭目かの馬がサーベルで切り裂かれる。

乙女の如き細腕でありながら恐ろしい剛腕だ。

それでいて柳のようにしなやかで、時に素早く、時に緩やかに、必殺の剣舞が百合の華を描いては刈り取っていく。

 

「どうやら王妃はお疲れのようだ。先日の傷がまだ癒えていないと見える」

 

「あら、さすがは伝説のスパイといったところかしら?」

 

「お褒めに預かり光栄だ。では、もう一つ当てて見せましょうか? あなたの宝具は革命を逃れる際に用いた八頭立てのベルリン馬車が由来だ。途中から数えるのを止めてしまったけど、六頭か七頭くらいは切ったはず。仮に八頭全てが健在であったとして、残る馬は後何頭かな? 一頭を蘇生させるのにどれほどの時間と魔力を要する――かな!」

 

前触れもなく踏み込まれ、マリーの鼻先をサーベルの切っ先が掠める。

咄嗟に馬車の荷台だけを呼び出してデオンの追撃をかわし、後方で演奏を続けていたアマデウスと合流する。

 

「くそ、頭の中がぐちゃぐちゃでどうにかなりそうだ。僕が音楽以外に魅了されるなんて」

 

「それだけ、デオンの剣舞が素晴らしい証拠よ。それでもまさか、幻惑の宝具を持っているなんて思わなかったわ」

 

デオンの宝具『百合の花咲く豪華絢爛』(フルール・ド・リス)はデオンがスパイとして、或いは公人として人々を惑わし続けた生涯が昇華されたもの。

その美しい剣舞を目にした者はデオンに魅了され、身体能力に一時的な制限がかけられる。

デオンと相対するということは、その魅了の剣舞と向き合わねばならないということであり、戦いが長引けば長引くほど魅了の効果が進んでこちらが不利になる。

こちらもアマデウスの宝具で重圧を与える事でなんとか均衡を保っていたが、宝具を抜きにしてもデオンは卓越した剣技でこちらを攻め立て、マリーの攻撃手段であるガラスの馬は次々と切り捨てられていった。

実際、もうこちらに打つ手はない。

ファヴニールとの戦いで『愛すべき輝きは永遠に』(クリスタル・パレス)はほぼ全壊しており、展開できるほど修復は進んでいない。

ガラスの馬だけは決戦に備えて回復させたのだが、それももう残っていない。

デオンはあんな風に言っていたが、実際は八頭全てが切り捨てられてしまっている。

残った魔力を集中すれば一頭だけなら回復することもできるだろうが、こちらの動きも完全に見切られているようで、呼び出した側から砕かれるのがオチだろう。

 

「マリア、君だけでも―――」

 

「いやよ、ジャンヌとアナスタシアがまだ戦っているのだもの。わたしだけ逃げるなんてできません」

 

「けど――」

 

ガラスの荷馬車が真っ二つに切り裂かれ、躍り出たデオンがサーベルを振るう。

万策尽きたマリーに迫る刃を避ける手段はなく、アマデウスの力でも彼女を守ることはできない。

何もできないまま殺されることを悔いたマリーは咄嗟に振り下ろされた刃から目を逸らし、胸中で友達にこれ以上の助力ができないことを謝罪した。

だが、この身を切り裂くはずのサーベルはいつまで経っても振り下ろされず、それどころか頭上で苦悶の声が聞こえてくる。

恐る恐る顔を上げる、そこには巨大な何かに持ち上げられたデオンの姿があった。

 

「これは―――」

 

「ギロチン・・・だと?」

 

明滅し、今にも消え入りそうな不確かな存在は、かつてマリーの命を奪った処刑道具であった。

それが襲いかかるデオンの体を拘束し、宙に持ち上げている。

無論、その頭上にはデオンの首を狩らんとする凶悪な刃が鈍く光っている。

 

「くっ、何故だ。何故、君が・・・」

 

「僕はまだ、消える訳にはいかない」

 

生気を失い、弱々しい声で、処刑人は呟いた。

シャルル=アンリ・サンソン。

消滅したはずの彼が、傷だらけの体を引きずるようにして戦場に現れたのだ。

その姿はあまりに痛々しく、霊核が砕かれているのもあっていつ消滅してもおかしくはない。

それでも彼は、まるで何かに取り付かれたかのように、その視線の先をマリーに向ける。

 

『死は明日への希望なり』(ラモール・エスポワール)

 

宣言と共に刑は執行される。

何とか脱出せんと暴れていたデオンは、その言葉を聞いて観念したのか、打って変わって粛々とした面持ちで己の死を受け入れる。

 

「ああ、敗北か」

 

刃が首に食い込む刹那、マリーは確かに聞いた。

忠節の騎士が、王権に刃を向けたことへの謝罪を。

彼女はそれを無言で受け取り、消えゆく騎士に王妃として恩赦を与えるのだった。

 

「マリア!」

 

アマデウスが叫ぶ。

振り返ると、瀕死のサンソンの体が倒れ込んできた。

受け止めた彼の体は大の男とは思えぬほど軽く、その命が風前の灯火であることを物語っている。

 

「まったく、これだから毎日人殺しを考えなくちゃいけない仕事はなくすべきなんだ」

 

躍り出たアマデウスが宝具を奏で、周囲のワイバーンを牽制する。

2人の別れに水が差さないよう、彼自身の持てる全ての技量で邪魔な竜を抑えつける。

 

「マリア、余り長くは保ちそうにない」

 

「いえ、十分ですアマデウス」

 

そっとサンソンの手を取る。

最早、その目は見えていないのか、彼の視線は虚ろで宙を踊るばかりだ。

ひょっとしたら、先ほども誰を処刑したのか彼は気づいていないのかもしれない。

彼の中の時間は、最後に別れたあの瞬間で止まっているかのように感じられた。

 

「マリー・・・マリー・・・僕は君に尋ねなくちゃいけない。僕は君に謝らなくちゃいけない」

 

「サンソン、わたしはここにいます」

 

「僕は君を処刑した。あれは生涯最高の一振りだった。けれど、それでも万に一つ、僕の心に慚愧があったとすれば、君は苦しんで逝ったかもしれない。だから、ずっと腕を磨いてきたんだ。そんな後悔は二度としないように。この二度目の生で、君と再び巡り会えたのなら、また君を処刑しなければいけなくなってしまったら、今度こそは・・・・・・今度こそは苦しむことなく、逝かせてあげようって・・・だから・・・」

 

ずっと後悔を引きずってきたのだろう。

家業への誇りと生真面目な性分から彼はその後悔を口にすることはなかった。

心は耐えられず、信仰に逃げるほどの苦しみを味わい、その慚愧を抱いたまま彼はこのオルレアンへと召喚された。

その後悔を狂化によって増幅され、彼を異常な殺人鬼へと変貌させたのだ。

 

「もういいです、サンソン。あなたは立派に務めを果たしました」

 

「ああ・・・君にそう言ってもらえたのなら・・・・・・」

 

限界を迎えたのか、肉体が塵となって消えていく。

苦痛に歪んでいた顔は、消える寸前に僅かに安らいだかのように表情を緩めていた。

 

「アマデウス、葬送の曲を」

 

「ああ、任せたまえ」

 

ムッシュ・ド・パリを送り出すレクイエムが奏でられる。

竜の咆哮が渦巻く戦場で、そこだけが厳かなる空気に包まれ、敵も味方も容易に立ち入ることができなかった。

 

 

 

 

 

 

各地で次々と配下のサーヴァントが倒されていき、竜の魔女に焦りの色が浮かび始める。

ファヴニールこそ失ったが、数とサーヴァントの質の優位はそれでも変わらない。

正面からぶつかり合えば、勝機があると思っていたのだろう。

彼女の誤算はフランス軍の抵抗が思いの外、粘り強くて勇猛なものであったことだ。

犠牲が出ようとも退くことなく、一匹でも多くの飛竜を屠らんとするその気概が、ワイバーンの群れを何とか抑え込み、

各々がサーヴァント戦に注力できたのが大きい。

結果、盤上の優位はすでに崩れ、竜の軍勢の敗色がどんどん濃くなっていく。

 

「くっ、こんなはずが――」

 

「終わりです、ジャンヌ・ダルク(竜の魔女)。あなたももう限界でしょう?」

 

一度はジャンヌを追い詰め、マリーをも瀕死に追い込んだ竜の魔女が地に膝を着いている。

手にした旗はねじ曲がり、鎧も砕かれて肌が露出している。

致命傷ではないが霊核にも傷が入っており、適切な治療を施さなければいずれは消えてしまうだろう。

しかし、彼女は屈することなく立ち上がろうとする。

この程度の痛みで、この程度の絶望では憎悪は消えないと、敵意を炎に変えてジャンヌを吹き飛ばす。

ならばとジャンヌは容赦なく旗を振るい、炎を払ってもう一人の自分の腕を潰す。

少女の悲鳴が草原に木霊した。

 

「もう一度言います、もう終わりです」

 

「ま、まだよ・・・」

 

何かに突き動かされるように、竜の魔女は這い上がる。

その痛々しい姿はとても竜の魔女と恐れられた少女とは思えない。

その姿にカドックはまたも違和感を覚える。

一見すると、祖国に裏切られた憎悪に突き動かされる哀れな少女。

その怒りに理解を示し、その生き方を憐れむことは決しておかしなことではないはず。

なのに、今の自分は彼女に何も感じない。

まるで心が空っぽになってしまったかのように、憎悪に塗れたはずの彼女の言葉が胸に響かない。

それはまるで―――。

 

「お戻りをジャンヌ!」

 

思い当たる寸前、地面から異形の華が咲く。

まるで蛸かイカのような吸盤を備えた触腕。

咄嗟に切り裂くと傷口が見る見るうちに塞がっていき、千切れた肉片も瞬く間に膨れ上がって新たな触腕へと形作られる。

それが次々と姿を現し、こちらと竜の魔女を分断する。

 

「ジル!」

 

「ジル?」

 

竜の魔女が救いを求めるように手を伸ばし、ジャンヌは変わり果てた同胞の姿に言葉を失う。

元々、病的だった肌は完全に生気を失い、やせ細った体はねじ曲がり、目は魚のように左右に飛び出している。

とても同じジル・ド・レェ元帥だと思えない変わりようだ。

 

「まずはこの監獄城へ帰還を。態勢を立て直すところから始めましょう」

 

異形の触腕を足止めに使い、竜の魔女を連れてジル・ド・レェが去っていく。

向かう先はオルレアン。

そこで傷を癒し、再び竜の軍勢をまとめ上げて反撃に出るつもりのようだ。

 

「待ちなさい!」

 

「ジャンヌ、下がるんだ。キャスター!」

 

瞬間、無数の触腕が凍り付いて砕け散る。

切り捨てても再生されるだけなら、焼くか凍らすかして無力化するしかない。

意図を察したジャンヌとマシュは凍り付いた触腕をそれぞれの武器で砕き、竜の魔女を追わんと駆ける。

しかし、ワイバーンにでも乗ったのか逃げる2人の姿は最早なく、主を守らんとするワイバーンの群れだけが残されていた。

 

「竜の魔女を追います!」

 

「マスター、わたし達も向かいましょう」

 

「急ぎなさい、マスター。グズグズはしていられません」

 

サーヴァントが先行して道を切り開き、その後ろをマスター2人が追う。

その時、背後から未だ戦いを続けている他のサーヴァント達から声をかけられる。

 

「ここは俺達に任せてくれ!」

 

「清姫とエリザベートを連れて行くんだ!」

 

「ジャンヌ、彼女に伝えるべき言葉を忘れないで!」

 

「ご武運を!」

 

フランスでの戦いに決着をつける為、カドック達はオルレアンを目指す。

竜の魔女さえ倒せば、際限なく湧き続ける飛竜も、未だ健在のヴラド三世も消滅する。

終わりは刻一刻と近づきつつあった。




Q アタランテはどうして宝具を使わなかったのでしょうか?
A 使う前に近づかれて使えなかったということにしてください。


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邪竜百年戦争オルレアン 第9節

監獄城。

竜の魔女が根城とするその城は人々からそう恐れられていた。

造りそのものはこの時代に即したものだが、城内はむせ返るような血と臓物の匂いで溢れ返っており、壁も床もそこで行われたであろう惨劇の跡があちこちに残されていた。

視界を埋め尽くし深紅のマーブル模様。

年代物の調度品は赤黒く染まり、照明が消えたまま放置された廊下の先には人であったものがいくつも転がっている。

竜の魔女の軍勢に捉えられ、拷問の末に殺された犠牲者達の骸。街人や貴族も混じっているが、大部分は聖職者のようだ。

故にここは監獄城。

ジャンヌ・ダルクという魔女を聖女に祀り上げてしまった罪人を裁く処刑場なのだ。

 

「おやおや、久しぶりですな」

 

立ち塞がる魔獣やシャドウサーヴァントを叩きのめしながら進むカドック達の前に、黒いローブを纏った男が姿を現す。

生気を失った肌、捻じ曲がった背中、飛び出した双眸。

合戦の場から竜の魔女を連れ去ったジル・ド・レェだ。

 

「ジル・・・!」

 

「ファヴニールを倒された時点でもしやとは思いましたが、ここまで乗り込んでくるとは―――正直に申し上げまして、感服致しました」

 

柔和な笑みを浮かべながら、ジルは語る。

久しぶりに再会した友人と親睦を深めるかのような、優しく友好的な声音。

しかし、この場にいる誰もが警戒を解くことはなかった。

聖人のような笑みに反して、彼の体には死の匂いが染みつき過ぎている。

その危険性を物語るかのように、ジルは突然、表情を一変させて狂ったように怒りを露にした。

 

「ああ、聖女よ! そしてその仲間たちよ! 何故、私の邪魔をする!?」

 

元々、飛び出していた眼は焦点が定まらないまま膨れ上がり、眉間には皺が刻まれ、剥きだされた歯は噛み砕かんとしているかのように力が込められている。

先ほどまでの友好的な態度は瞬く間に消え去り、憤怒の炎を燃やす復讐鬼がそこに立っていた。

 

「私の世界に土足で入り込み、あらゆるモノを踏みにじり、あまつさえジャンヌ・ダルクを殺そうとするなど!」

 

「―――その点に関して、私は一つ質問があるのです、ジル・ド・レェ。彼女は本当にジャンヌ(わたし)なのですか?」

 

それはこの旅で度々、ジャンヌが口にしていた疑問だった。

自分と瓜二つの竜の魔女。なのに、ジャンヌには彼女が抱く憤怒も憎悪も心当たりがない。

世界中の誰もが思っている。

救世主と祀り上げられ、魔女として断罪され、後に聖人として列聖された。

余りにも身勝手な言い分。

同胞から裏切られ、神の使徒達から糾弾され、凄惨な異端審問の末に処刑された。

後に如何ほどの賞賛を受けようと、その怒りは抱いて当然の権利である。

なのに、当の本人は思い当たる節がないというのだ。

 

「何と、何と何と何と許せぬ暴言! 聖女とて怒りを抱きましょう、聖女とて絶望しましょう! あれは確かに紛れもないジャンヌ・ダルク。その秘めたる闇の側面そのもの! 貴女はそれを否定なさると言うのですか!?」

 

懐から一冊の本が取り出される。

苦悶の表情を浮かべる人の顔があしらわれた革表紙。

悪趣味な装丁からは尋常ならない気配が漂っており、それを目にした瞬間、その場にいた何人かは吐き気を覚えて口を押えた。

あれは間違いなくジル・ド・レェの宝具。

だが、決して人が触れて良いものではないと直感が告げている。

例えそれが持ち主であるジル本人であったとしても、開けてはならない禁断の扉のはずだ。

 

「ジャンヌ、例え貴女といえども、その邪魔はさせませんぞ! 盟友プレラーティよ、我に力を!」

 

開かれた魔本『螺湮城教本』(プレラーティーズ・スペルブック)から膨大な魔力が溢れだし、城内に次々と異形の華が咲く。

あの蛸のようなヒトデのような触腕だけの異形の生物。

どうやらジルの宝具によって召喚された魔獣だったようだ。

その数は瞬く間に通路を埋め尽くし、こちらの進軍を阻む壁となる。

触腕は切り裂いても叩き潰しても即座に再生し、千切れた肉片も膨れ上がって新たな触腕を形成。

やがては壁や天井にも張り付いて強酸の体液を吐き出したり、触腕に棘を生やすなどしてこちらに攻撃を加えてくる。

 

「清姫、頼むよ!」

 

「わかりました、マスター」

 

「キャスター!」

 

「ええ、死に惑いなさい」

 

清姫の炎が触腕を焼き払い、その穴を埋めんと群がる軍勢をアナスタシアの冷気が抑えつける。

僅かに開いた突破口をジャンヌが、マシュが、エリザベートが駆け抜け、各々の得物が黒の魔術師へと襲い掛かった。

 

「ぬうっ!?」

 

繰り出された三連撃をジルは紙一重でかわし、触腕を身代わりにし、大きく後方へとジャンプする。

すると、際限なく増え続けていた触腕の動きが僅かに鈍くなった。

攻撃に晒されたことで術の使役に綻びができたようだ。

ジル・ド・レェは生前にこれといった魔術の逸話を持たないので魔術師のサーヴァントとして召喚されていることは意外だったが、どうやらイレギュラー故に魔術の扱いが素人も同然のようだ。

人並みの使い手ならば、この程度の動揺で術式を緩めたりはしない。

 

「このサーヴァントは我々が抑えます。マスター達は先へ!」

 

「そうね、ラスボスとの決着をつけてきなさい!」

 

清姫が行く手を阻まんとする触腕を焼き払い、その渦中に飛び込んだエリザベートが槍を振るって触腕達が群がるのを押し留める。

不安は残るが、ここで時間を取られていては竜の魔女が復活し、新たなサーヴァントを呼ばれる危険性もある。

幸いにもキャスターのジルは肉弾戦が苦手のようなので、触腕にさえ気を付ければ何とかなるかもしれない。

 

「ジャンヌさん!」

 

「急ぎましょう」

 

「はい。お二人とも、ありがとうございます」

 

マシュとアナスタシアに促され、ジャンヌ達は駆ける。

そうはさせまいとジルは悲鳴染みた怨嗟の声を上げて新たな触腕を呼び出すが、それは清姫とエリザベートの2人によって阻止されたようで、

背後から地団駄を踏むジルの野太い叫びが聞こえてきた。

そして、いくつかの角を曲がり、扉を潜った先でとうとう、彼らは竜の魔女と対面した。

傷の治療をしていたのか、半壊していた上半身の鎧は外されている。

足下にはサーヴァントの召喚に使用したと思われる召喚陣。カルデアの探知によれば、新たなサーヴァントが呼ばれた気配はないらしい。

つまりはチェックメイト。

彼女の力が如何に強大であったとしても、この人数を相手取ることはできないだろう。

 

「思っていたより早かったですね。ジルは―――まだ生きているようね。あの2人に足止めされているのかしら?」

 

酷薄な笑みを浮かべながら、漆黒の旗を手にヨロヨロと立ち上がる。

最早、戦う余力など残っていないであろうに、彼女の闘志は微塵も衰えない。

何かに突き動かされるかのように、竜の魔女はどす黒い憎悪を目の前の聖女に向ける。

 

「やるっていうなら相手になるわよ」

 

「貴女に伝えるべきことを伝えろと、マリーに言われました」

 

身を焼かれると錯覚してしまうほどの凝視を真正面から受け止め、ジャンヌはもう1人の自分に向き直る。

いったい、何を言わんとしているのか、毅然とした彼女の表情には僅かな憐みが込められているように感じられた。

 

「それで私も一つだけ、伺いたい事がありました」

 

「今更、問いかけなど―――」

 

「極めて簡単な問いかけです。貴女は、自分の家族を覚えていますか?」

 

一瞬、質問の意味を理解できなかった。

この土壇場において、この人はいったい何を言い出したのか?

マシュは意図が読めないと思わずジャンヌに聞き返し、アナスタシアも同調するように視線を向けている。

自分も隣の凡骨も同じだ。

そして、何よりも驚いたのが、その質問を投げかけられた竜の魔女―――もう1人のジャンヌ・ダルク―――が言葉を失い、その言葉に答えることも無視することもできずに茫然と立ち尽くす姿だった。

 

「・・・・な、何を言っているの?」

 

絞り出した言葉は、まるで世界の終りを恐れるかのように震えていた。

 

「ですから、簡単な問いかけだと申し上げたはず」

 

戦場の記憶がどれほど強烈であろうとも、それ以上に長い時間をジャンヌ・ダルクはフランスの片田舎で生まれ育ったごく普通の少女として過ごした。

ならば、例え闇の側面であったとしても、あの牧歌的な生活を忘れられるはずがない。

忘れられないからこそ、裏切りや憎悪に絶望し、嘆き、憤怒したはずだとジャンヌは言う。

しかし、竜の魔女は答えられない。

何故なら、その大切なはずの記憶がごっそりと頭から抜け落ちているからだ。

 

「私・・・は・・・」

 

「記憶がないのですね?」

 

「そ、それがどうした! 記憶があろうがなかろうが、私がジャンヌ・ダルクである事に変わりはない!」

 

竜の魔女の表情が読み取れない。

暗く、黒く、怒りと憎悪で歪に歪んだ顔からは人としての何かが欠落していた。

フランスへの復讐を語っていた時とは違う、触れた瞬間に弾けてしまいそうな強烈な感情の渦が大気を震わせ、対峙しているジャンヌへと注がれた。

 

「確かにその通りです。貴女に記憶があろうがなかろうが関係はない。けれど、これで決めました。私は怒りではなく哀れみを以て竜の魔女を倒します」

 

その言葉が決定的だった。

弱々しかった竜の魔女の魔力が沸騰するように膨れ上がり、何もない空間にいくつもの火花が飛び散る。続けて噴出した紅蓮の炎は床も壁も手当たり次第に焼き焦がし、まるで生きているかのように渦を巻いた。

視線の先にいるのは自分に哀れみを向けるもう1人の自分。

全存在を否定せんとばかりの凝視が救国の聖女へと向けられる。

 

「認めない、それだけは絶対に。どうして怒らない、何故恨まない! お前にはその権利がある! この国を、神を、この私にすらもその気持ちをぶつけない!? ああ―――そんなことは許せない。お前にだけは、そんな言葉は言わせない!」

 

でなければ、竜の魔女()(ジャンヌ・ダルク)でいられないと、黒い少女は訴えた。

そんな同族嫌悪とも違うどす黒い情念が込められた旗を、ジャンヌは真っ向から迎え撃った。

救国の旗を振りかぶり、振り下ろされた竜の旗の柄ごともう1人の自分(竜の魔女)の肋骨を叩き砕く。

折れた旗は宙を舞い、先ほどの魔力の爆発で起きた炎の中へと落下した。

 

「な・・・に・・・」

 

信じられないものを見るかのように、竜の魔女は膝を着く。

 

「馬鹿な・・・私は聖杯を所有している。聖杯を持つ者に敗北はない。そのはずなのに・・・・」

 

ふらふらと、少女の体がよろめいた。

先ほどの一撃は確実に彼女の霊核まで届いていた。

ここまでの戦いと最後に限界を超えた魔力の活性を起こした反動もあり、彼女は直に消滅するだろう。

 

「おお、ジャンヌ! ジャンヌよ! 何という痛ましいお姿に!」

 

背後から耳を裂くような金切り音が突き刺さる。

振り返ると、宝具である魔導書を携えたジル・ド・レェが立っていた。

エリザベート達は倒されたのか振り切られたのかはわからないが、その痛々しい姿からは壮絶な死闘が繰り広げられたことは想像に難くない。

彼はまるでこちらの存在が見えていないかのように脇目も振らず広間を突っ切り、倒れ伏した竜の魔女を抱きかかえた。

 

「このジル・ド・レェが参ったからにはもう安心ですぞ。さあ、後のことは任せて安心してお眠りなさい」

 

「ジル、私は―――私はいったい誰なの?」

 

「あなたは我が聖処女(ジャンヌ・ダルク)です。例え(他の誰か)が否定しようと、私があなた(竜の魔女)を認めましょう」

 

今にも崩れ落ちて消えてしまいそうな弱々しい少女を、ジルは我が子を諭すかのように慰める。

その言葉に安心したのか、竜の魔女は普段の酷薄な笑みをもう一度浮かべようと頬を引きつらせながら、自分を抱き抱えるジルの顔を見上げる。

 

「そう、そうよね。貴方がそう言うのなら・・・」

 

「瞼を閉じ、お眠りなさい。目覚めた時には私が全て終わらせています」

 

「ええ、貴方が戦ってくれるなら安心して・・・」

 

その言葉を最後に、黒い聖女は粒子となって消滅した。

後に残されたのは見覚えのある水晶体。

冬木でアーサー王が所持し、レフ・ライノールが持ち去った聖杯だ。

それが消滅した竜の魔女の代わりに姿を現し、ジルの手に収まっている。

 

「やはり、そうだったのですね」

 

これで全てに納得がいったと、ジャンヌは言う。

ジルも聖杯を懐にしまうと、柔和な笑みを浮かべて彼女の言葉に応えた。

 

「勘の鋭い御方だ」

 

ああ、それは何て哀しい所業なのだろう。

ここに至ってカドックはこのフランスで起きた―――否、この特異点で最初に起きた悲劇に思い至った。

あの竜の魔女はジャンヌの別側面(オルタ)ではない。

ジャンヌ・ダルクは人間を愛し、自分を裏切ったかつての同胞を恨むことも啓示を下した己の神を憎むこともなかった。

故郷の片田舎で過ごした代え難い十数年と、国を救うために戦った激動の2年間。

そのどちらが欠けても英雄ジャンヌ・ダルクは生まれず、竜の魔女のような歪な存在はありえないのだ。

だから、竜の魔女(ジャンヌ・オルタ)という存在は英霊の座には存在しないのだ。

では、あの強力な力はどうやって手に入れたのか。

それは即ち―――。

 

「その通り、竜の魔女こそが我が願い、即ち聖杯そのものです」

 

ジル・ド・レェの淡々とした声が逆に恐怖を誘う。

 

「貴方は―――ジャンヌ・ダルク(わたし)を作ったのですね、聖杯の力で」

 

「私は貴女を蘇らせようと願ったのです。心から、心底から願ったのですよ。当然でしょう? 

しかし、それは聖杯に拒絶されました。万能の願望器でありながら、それだけは叶えられないと!」

 

きっと彼は心の底で望んでしまったのだろう。

フランスを滅ぼし、神を貶め、世界に復讐する竜の魔女としてのジャンヌ・ダルクを。

もしも彼女に人並みの人間性(感情)があればこのようなことは起きなかったであろうが、皮肉にもジャンヌ・ダルクはその高潔な魂故に聖人へと列聖された。

だから、聖杯は彼が望むジャンヌ(魔女)を蘇らせることができなかった。

それを知った時のジル・ド・レェの絶望はとても言葉では言い表せないであろう。

恐らくは世界中の誰よりもジャンヌ・ダルクのことを敬い、愛し、忠節を誓っていながら、彼だけは彼女を蘇らせることができないのだから。

その心から故国への憎しみと神への怒りを捨てない限り、己の願望に手が届かないのだから。

 

「私の願望に貴女以外などない。だから、新しく創造した! 私が信じる聖女を! 私が焦がれた貴女を! そうして造り上げたのです! ジャンヌ・ダルク―――竜の魔女を、聖杯そのもので!」

 

度々感じていた違和感の正体はそれだった。

竜の魔女はジルが思い描くジャンヌそのもの。

彼女ならばこう考え、こう思っていたはずだという願望の結晶。

だが、それはあくまでジルの思いであり、彼女自身が体験し実感したことではない。

記憶がないのも当然だ。何しろ、ジルはジャンヌの過去を話に聞いた程度にしか知らないのだから。

それどころか度々語っていた故国への憎悪ですら彼女自身のものではなく、どれほど苛烈で強い言葉も実感が伴わないので説得力を持たず、故に心に響かない。

そして、竜の魔女は最後までその真実に気づくことなく消滅した。

 

「ジル。もし、私を蘇らせることができたとしても、私は「竜の魔女」になど決してなりませんでしたよ」

 

確かに裏切られ、多くの人々から嘲笑され、無念の最期を迎えたかもしれない。

しかし、この国には愛する家族と友人、何よりも共に戦った仲間達がいた。

同じ夢を抱き、自分が亡き後を託すことができる同士がいた。

だから、彼女は決して故国を恨むことはなかったであろう。

 

「お優しい。あまりにお優しいその言葉。しかし、ジャンヌ。その優しさ故に貴女は一つ忘れておりますぞ。例え、貴方が祖国を憎まずとも――」

 

穏やかだったジルの顔が見る見るうちに歪んでいく。

崇拝する聖女に向けて、最大の理解者はあらん限りの感情を込めて吐き捨てた。

 

「私はこの国を憎んだのだ」

 

それは聖女を裏切った故国への恨みか。

彼女に啓示を下してその人生を翻弄した神への憎しみか。

はたまた少女1人すら救えなかった自分への怒りか。

或いはこれほどの思いを向けてなお、全てを許さんとするジャンヌへの、言葉に言い表せない負の感情か。

 

「貴女は赦すだろう。しかし、私は赦さない! 神とて王とて国家とて滅ぼしてみせる。殺してみせる。それが聖杯に託した我が願望! 我が道を阻むな、ジャンヌ・ダルクゥゥゥッ!!」

 

掲げられた魔導書から再び魔力が発せられる。

呼び出されたのは触腕の怪物。しかし、先ほどまでの比ではない。

部屋全体を覆いつくすほどの触腕が寄り集まり、ジルの体を包み込んでいく。

瘤と棘で覆われた表皮は至る所に瞼が開き、夜よりもなお暗い眼光がこちらを睨む。

全長数メートルに及ぶ巨大海魔だ。

 

「そうですね、貴方が恨むのは道理で、聖杯で力を得た貴方が国を滅ぼそうとするのも悲しいくらい道理だ。そして私は―――それを止める。聖杯戦争における裁定者、ルーラーとして貴方の道を阻みます。ジル・ド・レェ!」

 

「ならば貴女は私の敵だ。決着をつけよう、救国の聖女ジャンヌ・ダルク!」

 

「望むところ!」

 

振り下ろされた触手をジャンヌは軽やかにかわし、旗の穂先で固い表皮を切り裂く。

紫色の腐臭がする血液が弧を描くが、噴き出した傷口は瞬く間に塞がってそこから新たな触腕が生えてくる。

小さな触腕の異形と同じく、半端な物理攻撃では通用しないようだ。

 

「マスター、聖杯を確認したわ。世界を救いたいのなら覚悟を決めなさい。

そして、どうか友達(マリーとジャンヌ)のために私とヴィイに全力出させて」

 

「ああ。これが最後の戦いだ」

 

向かってくる触手の群れをマシュとジャンヌが払い除け、その隙にアナスタシアが冷気を操って攻撃する。

氷塊が降り注ぎ、吹雪が舞い、醜い肉の塊が直接冷気で凍り付く。

そうして動かなくなった触腕を前衛の2人が叩き割って粉々に砕き、海魔の内側からジルを引きずりださんとする。

しかし、巨大海魔の再生力はこちらの予想を遥かに上回っていた。

凍らされた端から新たな肉の芽が芽吹き、本体と結合して傷口を塞いでしまう。

そうして、時間が経つにつれてその巨体は十数メートルにまで膨れ上がってしまった。

余りに大きくなり過ぎたため、広間の天井を突き破り、砕けた天井の瓦礫が音を立てて崩れ落ちる。

 

「フフフハハハハハ!! アーハハハハハハハハハハ!!」

 

狂ったようなジルの哄笑が海魔の内側から聞こえてくる。

傷つけても傷つけても表面を軽く撫でるだけで、逆に再生と成長が促されてこちらを攻撃する触手が増えていく一方だ。

更にその巨体は動くこともできるようで、ゆっくりとではあるこちらに迫ってくる様は異様な圧迫感がある。

また表面のいくつもの目は幻惑の効果を持っているのか、うっかり見てしまった時は吐き気と恐怖で身が震えるほどだ。

 

「危ないマシュ、下がるんだ」

 

「キャスター、フォローを!」

 

頭上からの触手の雨を凍らせ、その隙にマシュが後方へ下がってマスターからの治療を受ける。

盾のおかげで致命傷は受けていないが、3人の中では最もダメージが大きい。

ジャンヌは果敢に切りかかっているが、傷つけた部分が無意味に膨らんだだけに終わっている。

アナスタシアもダメージこそ少ないが、2人のフォローに手一杯だ。

 

「ジャンヌゥゥ!」

 

「くっ、このっ!」

 

ジャンヌは旗を巧みに回して触手の攻撃を避け、横っ飛びに跳んで海魔の側面から再び切りかかる。

刹那、表皮が弾けるように膨らんで新たな触手へと変化し、ジャンヌを拘束する。

人外の怪力が聖女の四肢を引き千切らんと力を込め、ジャンヌの口から苦悶の声が上がった。

滴り落ちる粘液は毒性でも帯びているのか、巻き付いた箇所から煙も上がっている。

 

「ジャンヌ!」

 

無数の氷柱が触手を切り裂き、弱った拘束をジャンヌは力尽くで引き千切る。

再び旗を振るって触腕を裂き、大きな眼球を突き刺すが、やはり大したダメージにはならずジルの哄笑が大きくなるばかりだった。

こいつを倒すには操っているジルをピンポイントで攻撃するか、大出力の攻撃で諸共に吹き飛ばすしかない。

そして、それができる者はここには1人しかいなかった。

 

「皆さん、マシュの後ろに。宝具を使います」

 

「それって・・・」

 

「ダメよジャンヌ、あの宝具は!」

 

『紅蓮の聖女』(ラ・ピュセル)

ジャンヌ・ダルクが迎えた最期を攻撃的に解釈した概念結晶武装。

現出した紅蓮の炎はジャンヌが打ち砕くべきと思ったものを焼き尽くし、その代償として彼女の命は潰える。

確かにこの特攻宝具ならばあの海魔の再生力を上回る威力で攻撃できるかもしれない。

しかし、もしも殺し切れなかった時はどうなるか。

仲間の犠牲に加えてより強大に膨れ上がった海魔と戦わねばならないという絶望。

それは確実にこちらの心を折るだろう。

ジャンヌ・ダルクはこちらの精神的な支柱だ。

折れる事も欠ける事も許されない。

何よりも、命を差し出さねばならないという理不尽が納得できなかった。

 

「けど、もうこれしかありません」

 

「いいえ、炎ならこっちにもあるわ!」

 

群れを成して覆い被さらんとしてきた触腕を、飛来した火球が撃ち落とす。

見上げると、エリザベートに抱えられて空を飛ぶ清姫の姿があった。

 

「清姫、エリザベート!?」

 

「申し訳ありません、マスター。ジル・ド・レェを取り逃がしてしまいました」

 

「よくも私達をぐちゃぐちゃのネトネトにしてくれたわね! 清姫、やっちゃいなさい!」

 

そう言ってエリザベートは勢いよく清姫を投げ飛ばした。

すると、錐もみ回転しながら宙を舞う少女の体が見る見るうちに巨大な蛇へと姿を変え、その大きな口から凄まじい勢いで炎が吐き出される。

清姫の宝具、愛する僧侶安珍に裏切られた憎しみの情念を以て肉体を変化させる『転身化生三昧』。

限定的とはいえ幻想種の力を行使できるこの宝具の火力ならば、さしもの無限の再生力を持つ海魔の肉体もたちどころに炭化し、崩れ去っていく。

堪らず海魔は清姫を締め上げんと四方から触手を伸ばすが、それは飛翔するエリザベートとアナスタシアの冷気によって防がれてしまう。

 

「ならばならばならばぁっ! これならどうかぁぁっ!!」

 

焼け焦げた海魔の体がブルっと震えたかと思うと、その内側からより巨大な異形が姿を現した。

聖杯の力を使って、強引に巨大海魔を再召喚したのだ。

その巨体は最早、数十メートルにも達しようとしており、突き破られた天井からは明るい日差しが差し込んでいる。

 

「こうなれば私でも手がつけられません。この海魔があなた方を倒し、我が魂が尽きるまでフランスの悉くを滅ぼすでしょう。さあ、絶望し堪能なさい。最高のCOOOOOOOOOOOOOOOLをっ!!!」

 

清姫の情念すらも上回るジルの妄執が、周囲のものを手当たり次第に破壊していく。

彼の言う通り、巨大海魔はジルの制御を放れてしまったようだ。

先ほどまでは通じていた清姫の炎も半ばまで焼き焦がした辺りで再生されてしまい、海魔を殺し切ることができない。

巨大な触腕が大蛇と化した清姫を殴り飛ばし、触手の群れがエリザベートの巻き付く。

そして、次なる矛先は目障りな2人のマスターへと向けられた。

 

「マスター、下がって!」

 

「違う、それは囮だキャスター!」

 

カドックが狙われると思って後方に下がったアナスタシアの隙を突き、無数の触手が黒髪の少年へと迫る。

無論、それを許すマシュ・キリエライトではない。

戦いへの恐怖を押し殺し、己がマスターを守るためにか細い腕で盾を構える。

まずい。

マシュの守りは鉄壁かもしれない。

だが、あれだけの質量に押し潰されてしまえば、盾は無事でもそれを受け止めるマシュの身がもたない。

 

「礼装起動、間に合え!!」

 

マシュのマスターが何かしらの魔術を行使した直後、マシュの体が触手に飲み込まれる。

何かを咀嚼するような音が嫌悪感を募らせ、少年が茫然と自分のサーヴァントがいた場所を見下ろした。

それは余りに危険だ。

触手はマシュを飲み込んだだけでは飽き足らず、その背後にいたマスターをも葬らんと牙を剥けているのだ。

 

「令呪を以て命ずる。キャスター、あいつを守れ!」

 

最期の令呪が消え、少年に迫る触手の群れが結晶化して消滅する。

すかさずカドックは飛び出すと、驚愕している少年の腕を引いてジャンヌの後ろまで下がった。

 

「ごめん、カドック」

 

「いいからそのまま隠れてろ。後は僕達で何とかする」

 

一拍遅れてアナスタシアが追い付くが、途中で攻撃を受けたのか肩と足から出血をしていた。

治療をしたいところだが、この状況ではそれは敵わない。

せめて、令呪が残っていれば体力を全快することもできたのだが。

 

「仲間を守るために最後の令呪を使いましたか? それは愚策というものですよ、魔術師の少年。ジャンヌかそこの蛇娘の宝具を強化すれば、或いはこの海魔を焼き殺せるかもしれないというのに。そして、そちらのマスターはサーヴァントが消えたことで令呪も消えたはず。最早、あなた方に打つ手はない!」

 

爆発するかのように触腕が震え、エリザベートと清姫の悲鳴が唱和する。

このまま2人を絞め殺すつもりのようだ。

更に新たな触手の群れが生み出され、まるで鞭か何かのようにジャンヌへと襲いかかる。

ジャンヌならば辛うじて避けられるスピードだが、そんなことをすれば背後の3人に被害が及ぶ。

マシュが消え、アナスタシアも消耗が激しく、この攻撃を防ぐことができるのはジャンヌだけだ。

 

「我が旗よ、我が同胞を守り守りたまえ! 『我が神はここにありて』(リュミノジテ・エテルネッル)!」

 

掲げられた旗が煌めき、向かってくる触手の鞭を弾き返す。

ジャンヌ自身の強固な信仰心が昇華された『我が神はここにありて』(リュミノジテ・エテルネッル)は、彼女の持つ対魔力を極限にまで高めてこの世のあらゆる攻撃から身を守る。

物理的にも霊的にも彼女の体を傷つけることができるものはいない。

しかし、それにも限度がある。

宝具で受け止めたダメージは旗へと蓄積されていき、限界が訪れれば旗が折れてその効力は失われる。

加えて発動中は反撃も回避もできないため、ジャンヌは仲間を守るためにジルの攻撃を受け続ける他なかった。

 

「フフフハハハハッ!! さあ堕ちよ、ジャンヌ・ダルクぅっ!!」

 

ジルの狂ったような叫びが木霊し、ジャンヌが掲げる旗の柄が軋みを上げる。

このままでは宝具が破られ、この場にいる全員がマシュと同じようにあの触手に飲み込まれてしまう。

 

「させないっての!!」

 

鈍い音が響き、漆黒の槍が床目がけて投擲される。

その先端に飛び降りたのはエリザベートだ。

辛そうに肩を押さえているが、まさか拘束から脱するために自分の肩を無理やり外したのか?

 

「これくらいの痛みが何よ! 好き放題してくれた礼はさせてもらうわ! サーヴァント界最大のヒットナンバーでね!」

 

エリザベートの背後に巨大な城の幻影が出現する。

彼女がその生涯に渡って君臨した居城。

監獄城チェイテ。

だが、その威容はどこか歪だ。

壁には巨大なスピーカーが取り付けられており、槍の上に立つエリザベートを讃えるようにスポットライトが当たる。

演出なのかスモークまで焚かれており、悲鳴とも嬌声とも取れる不気味なコールがどこからか聞こえてくる。

あれはアンプだ。

彼女の歌を最大限にまでサポートする地獄の宝具だ。

その名を―――。

 

『鮮血魔嬢』(バートリ・エルジェーベト)!」

 

チェイテ城のアンプを通してエリザベートの歌が拡大され、音速のドラゴンブレスとなって巨大海魔を押し留める。

倒すには至らないが、彼女自身の竜の因子が活性化したことでその身の三分の一ほどを抉るほどの威力がある。

だが、それ以上に凄まじいのがその歌声だ。

歌といったがあれは断じて音楽ではない。

元々、美しい声音の持ち主だった。

サイケデリックな歌詞は好みの問題だ。

致命的なのは音程だ。

手抜き工事で今にも踏み抜けそうな階段もかくやというほどのガタガタな旋律は、彼女の美しい声の魅力を台無しにしていた。

耳を傾けていると、巨大海魔の眼を見た時と同じくらいの頭痛と吐き気を覚えてしまう。

しかし、これはチャンスだ。

このまま一気に押し切らなければもう逆転の機会はない。

 

「清姫、もうひと頑張りをお願い!」

 

傍らの少年の礼装が起動し、倒れ伏していた清姫の体力を僅かに回復する。

すると、マスター(愛しの安珍様)の言葉を受けた清姫は、再び立ち上がって大蛇へと転じ、最後の力を振り絞った。

吐き出された炎がエリザベートの音波で傷ついた海魔の体を焼き焦がし、崩れ去った肉塊の向こうから海魔と融合しているジルの姿が現れる。

瞬く間に再生していく巨大海魔。

更なる追撃をかけなければ、また再生されてしまう。

 

「キャスター! 残った魔力を持っていけ!」

 

「宝具発動、『疾走・精霊眼球』(ヴィイ・ヴィイ・ヴィイ)!」

 

掲げられたヴィイの瞼が開き、閉じつつあった海魔の傷口を凍らせて強引に再生を封じる。

それでも海魔の再生力は凄まじく、凍り付いた箇所を覆い隠すように肉が盛り上がっていった。

だが、ここまでの苛烈な攻めでついに攻撃の手が緩まり、ジャンヌは宝具を解除して反撃に転ずる。

 

「ダメよ、届かないわ!」

 

エリザベートの悲痛な叫びが耳に刺さる。

ジャンヌがジルのもとへ辿り着くよりも傷の再生の方が早い。

だが、他の面々は全力で宝具を使った反動で動くことができない。

後、一撃。

誰でもいいから後、一撃を入れて再生を阻まなければ、ジルを倒すことができない。

 

「一手足りませんでしたな、ジャンヌ!」

 

「いいや、まだ俺達がいる!」

 

少年が、高々と右手を掲げた。

精一杯の虚勢を張り上げ、見せつけられたその甲にはまだ令呪が残されていた。

それが意味することは一つ。

 

「令呪を以て命ずる。マシュ―――ぶん殴れ!!」

 

空間跳躍でジルの目の前に躍り出たマシュが、巨大な盾を振りかぶる。

何が起きたのか、ジルは理解できずに顔を歪ませた。

このデミサーヴァントは倒したはずだと。

確かにマシュは海魔の攻撃に呑まれてしまった。だが、その直前に使われた礼装はしっかりと効果を発揮していたのだ。

彼女のマスターが持参したカルデア支給の礼装には、傷を癒す『応急手当』、一時的にサーヴァントの攻撃力を上げる『瞬間強化』、そして、サーヴァントを敵の攻撃から守るための『緊急回避』の3つの効果が秘められている。

その3番目の効果により、マシュは致命傷をギリギリのところで避ける事ができたのだ。

 

(気づかれないかどうかは賭けだったさ)

 

隙ができるまで隠れていろと、マシュが触手に飲み込まれた直後にカドックは指示を出していた。

2人がボロを出すか、ジルが疑り深ければ早々に露呈していただろう。

だが、マシュはこちらの期待通り完璧に死を偽装し、ジルもジャンヌへの狂気が冷静な思考を奪っていた。

 

「おのれえぇっ、この匹婦めがぁぁっ!!」

 

塞がりつつあった海魔の傷口をマシュの盾が抉り、再びジルの姿が露になる。

直後、飛びかかってきたジャンヌの旗が閃き、宝具である魔導書ごとジルの霊核を引き裂いた。

一瞬の沈黙。

あれほど荒れ狂っていた海魔がピタリと大人しくなり、その末端から少しずつ塵となって消滅していく。

楔となっていた魔導書が破損した事で、現界を維持していた魔力が急速に失われたのだろう。

降り立った聖女は、その肉の檻から消えゆかんとする狂える人を静かに引き離し、その腕で抱き留めた。

喝采はなかった。

ただ静かな、傷だらけの悲しい勝利だけがそこにあった。




長い(笑)

今回で終わると思っていたら予想外に長くなりました。
意外とジルって書くの難しいですね。
こう、狂気の匙加減というか。


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邪竜百年戦争オルレアン 最終節

ジル・ド・レェという男がいる。

百年戦争を一人の少女と共に駆け抜け、その果てに信じていたものを全て失った。

彼は敬虔な信徒であり、己の全てを捧げてもよいと崇拝する救国の乙女を奪われた。

彼は哀しき殉教者であり、聖処女の人生を翻弄した神を貶めんと悪逆の限りを尽くした。

彼は稀代の殺人鬼であり、己が欲求のために無垢な子ども達をその手にかけた。

守るべき民衆に、忠節を捧げた国に、信奉していた神にすら裏切られたジルに残されたものはジャンヌ・ダルクへの畏敬の念のみ。

そんな彼女への思いを胸にフランスを地獄へと変え、愛する聖女の手で葬られる。それは何と皮肉の利いた結末であろうか。

 

「聖杯の力を以てしても、届きませんでしたか」

 

悔しそうに歯噛みしながらも、その顔は不思議と安堵しているように思えた。

あれほど苛烈で燃え上がるような憎悪の炎が今は微塵も感じられない。

 

「ジル、貴方はよくやってくれた。右も左も分からぬ小娘を信じて、この街の解放まで。今の貴方がどうあれ、私はあの時の貴方を信じている。だから、私は最後の最後まで決して後悔しません」

 

自分の屍が誰かの道へ繋がっている。ただそれだけで良いと、ジャンヌは言う。

それは今よりも昔、まだ彼女が生まれ故郷の農村で神の啓示を受けた時から覚悟していたこと。

何れは訪れる己の結末を知りながらも、その先に確かに繋がるものがあるのならと。

ただの田舎者に過ぎなかった彼女が立ち上がるには、それだけで十分な理由であった。

 

「さあ、戻りましょう。在るべき時代(クロニクル)へ」

 

「・・・ジャンヌ、地獄に堕ちるのは、私だけで―――」

 

言い終わる前にジルの体が霧散し、聖杯がジャンヌの腕の中に収まる。

最期の瞬間、彼は確かに笑っていた。

どうしようもない絶望と怒り、憎悪の全てを受け止めてくれた少女の腕の中で逝けたのだ。

その結果が良きにしろ悪しきにしろ、彼の中で何かしらの答えに至ったのだろう。

 

「終わったね」

 

「ああ。後は聖杯を回収して、任務完了だ」

 

『そうだね、ジル・ド・レェが倒れた事で時代の修正が始まるぞ。レイシフト準備は整っているから、すぐにでも帰還してくれ』

 

通信の向こうからロマニが急かすようにまくし立てる。

時代を歪めていた原因が取り除かれたことで、特異点は本来の時間軸へと修復される。

元からそこにあったものは多少の影響を受けつつも元の歴史に戻されるが、別の時間からやって来た異物である自分達は例外だ。

歴史が修正される前にカルデアへ戻らなければ、時間の流れから弾かれてどのような事態に陥るかわからない。

 

「もう行かれるのですか?」

 

「カドックにはやらなきゃいけないことがあるのよ、ジャンヌ。何しろ世界を救わないといけないのですから」

 

「余り茶化さないでくれ、気が重くなる。君の方こそ良いのかい?」

 

今から急いで戻れば、マリーに別れの挨拶くらいはできるかもしれない。

 

「そうね―――いえ、止めておきましょう。きっと私、寂しくて泣いてしまいます。それに―――」

 

彼女が愛したフランスを守る事ができた。

やがてこの国に1人の少女が嫁ぎ、その生涯を終えるだろう。

それは変える事のできない運命であり、そうして世界は新たな時代を迎え、自分達が生まれた今へと続いていく。

もう会うことはできないだろうけれど、その繋がりが消える事はないのだから、寂しくはあっても辛くはない。

どんなに綺麗な華もいつかは散り、時と共に種が芽吹いて新たな華を咲かすのだ。

だから、せめて最後は笑ってこの世界から離れよう。

 

「マスター、カドックさん、そろそろのようです」

 

聖杯を回収したマシュが促す。

向こうで一足先に座へと帰還するエリザベートと清姫に別れを告げていたマシュのマスターもこちらに戻ってきていた。

 

「さようなら。そして、ありがとう」

 

意識が見えない何かに引きずられ、視界が閉ざされる。

カドックが最後に見たものは、笑顔で手を振る少女の姿だった。

 

 

 

 

 

 

既に何十回も同じやり取りを繰り返し、とうとう決着がつかなかった。

ここに至るまで幾人もの血を啜り、魂を喰らったことでヴラド三世の力は予想以上に強大なものとなっていた。

ジークフリートは果敢に切りかかるも、吸血鬼としての力を遺憾なく振るうヴラド三世の肉体は打ち砕かれた端から再生してしまい、一方でヴラド三世はジークフリートの鉄壁の肉体を切り崩すことができず、悪戯に掠り傷を増やすばかり。

そんな千日手を繰り返した果てに、2人はこの聖杯戦争が終結したことを悟って互いの得物を収めた。

 

「どうやら全てが終わったらしい。ワイバーンが消えていく」

 

「そのようだ。余の夢も野望も潰える。そして、此度もまた竜殺しが関わることとなった。何とも皮肉なものよ。なるほど、余は悪魔(ドラクル)。悪魔を殺し竜を滅ぼすサーヴァントに係れば堕ちるのも自明の理か」

 

「自分を貶めるのは寄せ、ランサー。あなたは最後まで俺の急所を狙わなかった。やろうと思えばいつでもできたはずだ」

 

ジークフリートの不死身の肉体は邪竜ファヴニールの血を浴びた事で手に入れたものだ。しかし、背中の一ヶ所だけ、菩提樹の葉が張り付いていたために血を浴びる事ができなかった。そこが竜殺しの英雄の唯一の急所なのだが、ヴラド三世は戦闘中もそこだけは狙うことはなかった。

 

「勘違いするな、セイバー。そこが弱みというならば、お前は最大限の警戒を向けているはずだ。そして、お前ほどの英雄ならば、容易く切り返してみせるだろう。故に、余がお前を倒すためには真正面から打ち破る必要があった。それだけのことだ」

 

「ならば、あなたは紛う事無く英雄だ。ヴラド三世、あなたと剣を交えたことを、俺は誇りに思う」

 

「そうか。であれば、今度は轡を並べたいものだ。護国の槍の下で振るわれるお前の剣は、さぞ映えることだろう」

 

こことは違う、遠いどこかで彼らは出会っていたのかもしれない。

その縁をヴラド三世は皮肉気に笑い、ジークフリートは静かに首肯しながら消えていく。

此度も出会えたのなら、次の機会もまたあるはず。

その時こそ、自分達は同じ軍門で互いの武器を振るうことになるだろう。

 

「先に逝かれましたか。聖杯戦争と呼ぶにはあまりに歪んだ形でしたが、彼らと戦えて光栄だった」

 

「そうだね、カドックも藤丸も実にいい指揮だった。遣り甲斐のある仕事だったよ。まあ、それはそれとしてお役御免だ。働き過ぎてケツが痛い」

 

「まあ、アマデウスったら」

 

「これは失敬。つい禁句が出てしまった」

 

そう言って笑うアマデウスの顔はとても穏やかで満ち足りたものであった。

今回の召喚、彼にとっては非常に満足のいくものだった。

生前は終ぞ叶わなかった自分の演奏を愛する人に聞かせることができたのだから。

だから、その機会を与えてくれたカルデアのマスターには感謝してもし切れない恩義を感じている。

最も、彼はそれを本人に対して正直に伝えるような男ではなかったが。

 

「アマデウス、私はわがままみたいです。無事にフランスを救うことができたのに、ちっとも満足していないんですもの」

 

訳もわからぬまま召喚され、ただの義憤と幾ばくかの自尊心を満たすために戦いを始めた。

マリーにとってフランスとは第二の故郷であり、心の底から恋した()であり、もう1人の自分と言っても過言ではない大切な場所だった。

だから、フランスを守るために命を賭けても良いと思えたのだ。

アマデウスやジャンヌ・ダルク、カルデアのマスター達と竜の軍勢に立ち向かい、邪竜との戦いでは死を覚悟し、哀しいサンソン(ムッシュ・ド・パリ)の最期を看取り、

遂にはその目的を果たすことができた。だというのに、この心は些かも満足していないのだ。

思っていた以上に、自分はわがままで欲深だったのだとマリーは笑わずにはいられない。

これでは、傾国の王妃と思われても仕方ないかもしれない。

 

「フランスは救われたけれど、あの人達(カルデア)の戦いはまだ続くのでしょう? その力添えができるなら、素晴らしいとは思わない?」

 

「ああ、それは実に良い考えだ。ボク達はここで終わりだけれど、機会はまた訪れるはずだ」

 

「その時はまた、貴方のピアノを聞かせてね。アナスタシアとマシュとマスターさん達、ううん、みんなにも聞いてもらいましょう」

 

「ははっ、それは実に賑やかな演奏会になりそうだ」

 

晴れやかな笑顔と共にアマデウスとマリーは消滅する。

最期に残されたゲオルギウスは、部下と共にオルレアンへと馬を走らせるジル元帥の姿を追いながら述懐した。

 

(果てさて、間に合えば良いですが)

 

いずれジル・ド・レェは迷い苦しむことになる。それは歴史によって定められた運命であり、決して覆すことはできない。

しかし、そこに幾ばくかの救いをもたらすことができれば、辿り着いた結末は同じでも彼にとっては違う意味を持ってくる。

恐らく、オルレアンで彼を待つものはそんな細やかな救いをもたらすものであるだろう。

例え特異点が修復され、ここでの出来事がなかったことになったとしても、それが小さな棘となって彼の胸に刺さり続けてくれれば、

きっと最後には彼を導く光となるだろう。

そう願いながら、ゲオルギウスも静かにこの時代から姿を消した。

 

 

 

 

 

 

淀むような微睡から意識が覚醒し、弛緩していた筋肉に緊張が戻る。

ガラスの向こうに見えるのはフランスの街並みではなく見慣れたカルデアの管制室。

どうやら無事に戻ってこれたようだ。

 

「お帰り、みんな。お疲れ様!」

 

最前列で待ち構えていたロマニが出迎えてくれる。

通信ではわからなかったが、その顔は黒ずんでいて目の下には大きな隈ができている。

他のスタッフも似たり寄ったりだが、ロマニはその中でも飛び抜けて体調が悪そうだ。

人手不足の穴を埋めるために不眠不休でサポートに徹してくれたのだろう。

予想できていたこととはいえ、実際に目にすると幾らか心が痛む。

 

「大丈夫なのか?」

 

「ああ、これくらい平気さ。ドクターだよボクは」

 

呆気らかんと笑うロマニは、今度はマシュ達のいるコフィンへと足を向ける。

すると、端の方で作業していたムニエルがそっと近づいて耳打ちしてきた。

 

「実を言うと、かなり無理しているみたいなんだ。栄養剤や薬で誤魔化すのも限度があると思うんだが、どうしても人手が足りなくてな。俺達もできるだけフォローしているつもりなんだが、ドクターでなけりゃできないことが多すぎる」

 

気づいていないのはマシュとそのマスターの2人だけくらいなものだろう。

それくらい、ロマニの無茶は周知の事実だった。

しかし、今のカルデアは彼に頼らなければまともに動くこともできず、グランドオーダーを完遂するためにはどうしても彼に無理を強いらなければならない。

 

「あの手の手合いは周りが言っても聞かないさ。無理やりにでも休ませる口実を作った方が良い」

 

「そうだな。そんな横暴をかましてくれる王様でもいればいいんだが。まあ、こっちも気を付けておくさ。それと、ありがとうな。俺の故郷のフランスを守ってくれて」

 

そう言ってムニエルは作業に戻る。

程なくして、ロマニが場を仕切り直すように手を叩いて注目を集めた。

 

「初のグランドオーダーは君達のおかげで無事遂行された。補給物資も人手も乏しく、

実験段階のレイシフトという最悪の状況で、君達はこれ以上ない成果を出してくれた」

 

どこからか拍手が聞こえてくる。

しかし、欲して止まなかったはずの賞賛をカドックは素直に受け取ることができなかった。

彼らは自分達が素晴らしい成果を上げたと言った。

崩壊寸前のフランスの歴史を正し、特異点を修復したのだと。

確かにそれは自分達が成したことだ。より正確に言えば、自分だけでは成せなかったことだ。

 

(僕だけでは、きっとアナスタシアを死なせていた)

 

果たしてジャンヌ・ダルクの協力を取り付けることができただろうか。

ジークフリートを救えず、ファヴニールに勝利できなかったかもしれない。

フランス軍を救うという選択ができず、最終決戦での救援を得る事ができなかったかもしれない。

最期の戦いでも、決め手になったのはマシュであり、ジルを倒したのはジャンヌだ。

あの戦いで自分にできたことなど、余りに少ない。

たまたま、マシュのマスターの采配を利用する形で勝利できただけだ。

だから、賞賛を受けるとするならば、弱いままで懸命に戦い、最後まで折れる事がなかったもう1人の少年だけでいい。

藤丸立香。

自分と同じ最後のマスター。

自分以下の凡人で、ロクな魔術も使えない癖に、根性だけでフランスの戦火を潜り抜けた少年。

彼のことは気に入らないけれど、今ならば少しは賞賛しても良いと思っている。

最初から力を持ち合わせている天才でも、恵まれたエリートでもない。

足りない実力を足りなまま、限界まで絞り出して彼はこの成果を掴んだのだ。

だから、悔しいけれど認めてやってもいい。

彼がいなければ、きっと自分はフランスを救えなかったと。

 

「藤丸立香か」

 

何となく名前を呟くと、耳聡く聞きつけたアナスタシアが覗き込んでくる。

 

「何かあったの?」

 

「何かって、何が?」

 

「何だか嬉しそう・・・いえ、気楽そう? 肩から力が抜けているわ」

 

言われてみれば、気持ちが少しばかり軽くなったような気がする。

特異点を一つ、修復できて緊張が解れたのだろうか?

それとも――――。

 

「まさかな」

 

「カドック?」

 

「何でもない。あまり人をジロジロ見ないでくれ」

 

「あら、見られるのが好きなのかと思っていたわ。それに、あなたは見ていて楽しいですし」

 

からかうアナスタシアをあしらいながら、カドックは自室へと足を向ける。

歩きながら、心の中で頭に思い浮かんだ言葉を否定して自嘲する。

こんなことは絶対に口にできない。

周りを見返すために死に物狂いで努力してきた自分が、こんなことを思ってしまうなんて、絶対に恥ずかしくて言葉にできない。

 

(あいつと一緒に戦えて、悪い気はしなかったなんて)

 

そんなことは、口が裂けても言えないなと、カドックは思わずにいられなかった。

 

 

 

A.D.1431 邪竜百年戦争 オルレアン

人理定礎値:C+

定礎復元(Order Complete)

 




というわけでオルレアン編は終了です。
振り返ると意外と長かった(笑)
前話と今話の間で「実はこんなことがあった」ともっと削ってもいいかもしれない。
セプテム編はちょっとやるか迷っているんですが、とりあえず今は復習兼ねてテキストの読み返しをしています。
具体的にいうとスパさんのキャラがブレないか心配でして。


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幕間の物語 -藤丸立香-

それはフランスの特異点を修復してから少ししたある日の事。

いつもの定期検査を終え、自室へと戻ったマシュは1人、今日までの出来事を振り返っていた。

元々はマスターの1人としてAチームで訓練を積んでいたはずが、ひょんなことからデミサーヴァントとして戦うことになった。

冬木ではマスター不在のまま、無我夢中で戦い、カドックと共にアーサー王と対峙。

フランスでは新たに藤丸立香と契約を結び、世界を滅ぼさんとするジル・ド・レェの野望を打ち砕いた。

どちらの敵も一筋縄ではいかない相手であり、みんなと協力することで何とか戦う事ができた。

今でもこうして生き延びていることが不思議でならない。

それに、そのどちらもが自分ではうまく表現ができない強い信念を以て戦っていたことは感じ取ることができた。

アーサー王はあの特異点を維持し、自分を試さんと剣を向けた。

ジル・ド・レェは大切な人を奪われ、剥き出しの感情を爆発させて世界を呪った。

自分には2人のように何が何でも果たしたいという願いを持てるだろうか?

 

(アマデウスさんは言っていました。人間は何かを好きになる義務があると)

 

今はまだわからなくても、グランドオーダーを通じて学んでいけばそんな願いを持てるだろうか。

 

「ん?」

 

扉越しでも聞こえるほどの大きな足音が近づき、見知った顔がよろめきながら部屋へと飛び込んでくる。

自分のマスター、藤丸立香だ。

 

「先輩? どうされたのですか?」

 

「ごめん、マシュ。ちょっと匿って」

 

そう言って立香は息を殺し、部屋の外の気配を伺った。

程なくして、扉の前を誰かが駆けていく音が聞こえてきた。

ひょっとして、誰かに追われていたのだろうか?

 

「助かった。ごめんね、マシュ。急に部屋に飛び込んじゃって」

 

「いえ、特に何もしていませんでしたので。お茶でも飲まれますか、先輩?」

 

「うん、ありがとう」

 

汗をかいているし冷たい方が良いだろうと、作り置きのアイスティーをコップに注ぐ。

茶菓子は切らしていたので申し訳なかったが、彼は笑って許してくれた。

 

「それで、どうしてそんなに息を切らしているんですか? まさか、怪しい取引現場を見てしまい、謎の組織に追われているとか?」

 

「いや、そんなのじゃないよ。うん、そんなのじゃ」

 

「そうですか。こう背後から一撃を受けて若返りの薬を飲まされるようなことでもあったのかと」

 

「心なしか残念そうだね、マシュ」

 

「いえ、そんなことは。なら、清姫さんかエリザベートさんですか?」

 

最近、召喚された2人は割とあちこちで問題を起こしている。

清姫は立香のことになると見境がつかなくなるし、嘘に関してスタッフともめた事も幾度かある。

エリザベートは自室から漏れ出る歌声に対してスタッフから苦情がきているとロマニが頭を抱えていた。

ただ、どうやら今回はそのどちらでもないらしい。

立香自身も言いたくないのか目を泳がせているので、マシュは仕方なく追及を諦めて静かにお茶をすすった。

その時、通り過ぎた足音が再びこちらに近づいてきているのが聞こえてきた。

 

『キリエライト、入っていいか?』

 

インターホンを通じて聞こえてきたのはカドックの声だった。

その声を聞いて立香の顔色が変わったところを見るに、どうやら彼を探して廊下を駆け回っていたのはカドックのようだ。

 

「マシュ、鍵かけて鍵」

 

「え? いえ、それは・・・」

 

『いるんだな、藤丸。すまない、後で非難は受ける。開けるぞ』

 

扉が開き、まず飛び込んできたのは小さな白い生き物―――フォウだった。

その後に続くようにカドックが入り込み、椅子の上で縮こまっている立香の首根っこを掴んで引きずり出す。

 

「待って、カドックごめ・・・」

 

「言い訳は聞かない。また勝手に訓練メニュー増やしただろう」

 

「す、少しくらい無理した方が良いかなって―――だめ?」

 

「ダメだ」

 

どうやら、また立香が勝手に無茶なハードワークを行って教官役のカドックがご立腹のようだ。魔術の知識に乏しいせいか、どうも彼は思い付きの肉体改造の感覚で訓練を増やし、その度にカドックに怒られるのが段々と定番化してきている。

 

「待って、どこに連れて行くの―――」

 

「そんなに訓練が好きなら付き合ってやる。カルデアは座学の資料だけは事欠かないからな」

 

資質が劣る分を知識で補ってやるんだと、カドックは意地の悪い笑みを浮かべる。

 

「マシュ、助け―――」

 

悲痛な叫びを上げる立香を羽交い絞めにしたまま、カドック部屋を後にする。

彼に着いてきていたのか、廊下に立っていたアナスタシアが少しだけ申し訳なさそうに一礼して扉を閉めるのが何故だか印象に残った。

 

「だ、大丈夫でしょうか?」

 

あの様子ではかなりのスパルタな教練が予想される。後で差し入れでも持って行ってあげた方が良いかもしれない。

 

「あれ?」

 

ふと足下を見ると、フォウが暢気に丸まってくつろいでいる姿が目に映った。

そういえばさっき、カドックは彼と共にこの部屋に入ってきた。

ひょっとして、この部屋に立香が逃げ込んだことを知らせたのはフォウなのだろうか?

 

「フォウさん、ひょっとしてカドックさんと仲良くなられました?」

 

自分と立香以外には寄って来なかったのに、不思議なこともあるものだ。

どうしてフォウがカドックにも近づくようになったのか。

それが何を意味するのか、マシュが知る事はない。

そして、いつしかそれが以前からもそうであったと錯覚してしまうほどに、新たな特異点も波乱に満ちていた。



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第二特異点 永続狂気帝国セプテム
永続狂気帝国セプテム 第1節


カドック・ゼムルプスの朝は早い。

アラームが鳴ると同時に起き上がり、寝台の上で数秒ほど微睡ながら少しずつ意識を覚醒させていく。

そのままゆっくりと寝台から降りて顔を洗う頃には完全に眠気も吹っ飛んでいるが、昨日の疲れが残っているのか少しばかり肩が重かったので、凝りを解す様に首をさすりながら電気ケトルのスイッチを入れ、お湯が沸くまでの間、寝台の片づけや乱れた髪の手入れをして過ごした。

後頭部のはねっかえりが気になって没頭してしまい、お湯が沸いたことを示す音が聞こえるとやや焦りながら棚に置いている茶葉を取り出し、メモを片手に分量や温度を計る。

すると、まるで見計らったかのように自室の扉がするりと開き、白いドレスの少女が優雅な仕草で席についた。

生前、侍女に頼ることなく身の回りのことは自分でしてきたとあって、着付けや髪の手入れは完璧だ。

入室から席へつくまでの数歩ですら、思わず見惚れてしまうほど気品に溢れている。

さながら野原に積もった新雪とでも形容すれば良いだろうか?

何にも染まらず、侵し難い聖域は吸い込まれるように美しい。

そんな彼女に寄り添えることは正に至高の喜びであるだろう。

そうなのだろうが―――。

 

「どうして毎日、ここで紅茶を飲むんだ?」

 

不慣れな手つきでカップに紅茶を注ぎながら、カドックは己のサーヴァントに問いかけた。

 

「私と紅茶を飲むのは嫌なの、カドック?」

 

浮かべられた微笑みは平時ならば思わず魅了されてしまうだろうが、朝方の低血圧気味な体調には余り効果はないようで、カドックはため息を一つ吐いて注ぎ終えたティーポットをテーブルの脇へと置く。

気紛れでアナスタシアに紅茶をご馳走してからというもの、彼女は理由をつけては紅茶を求めるようになった。

取り立てて美味いという訳ではない。寧ろ皇女様的には及第点にも達していない拙い味なようで、毎回のようにダメ出しが飛んでくる。

それでもアナスタシアは紅茶を強請り、カドックも彼女が気に入る紅茶を淹れられるようにと練習を重ねる内に、いつしか毎朝の習慣にまでなっていた。

 

「食堂に行った方がもっとおいしい紅茶が飲めるだろう」

 

それこそ、あの赤い弓兵が淹れるお茶ならばアナスタシアも満足できるだろう。

別に悔しくはないが、彼の家事スキルは英霊にしておくには非常に勿体ない。

彼が召喚されてからというもの、カルデアの台所事情は大きく改善された。

 

「それはダメよ、カドック」

 

「どうして? あいつの方が僕よりもずっと上手い」

 

「けど、私はこちらの方が好きよ。あなたが一生懸命淹れてくれたのだから」

 

「っ―――」

 

ああ、どうして彼女はこんなことを言うのだろう。

そんな風に言われると何も反論できない。

近くに鏡があれば、自分が今どんな顔をしているのか見てやりたい。

きっと、トマトかなにかみたいに真っ赤になっているはずだ。

 

「ふふっ、可愛い人」

 

「よしてくれ。そう呼ばれて喜ぶ男はいない」

 

はぐらかす様にそっぽを向いて答える。

まるで子どものようだと心の中で自虐する。

結局、その日の朝も恥ずかしさからロクな会話ができなかった。

 

 

 

 

 

 

管制室で待っていると、マシュがマスターを伴ってやってくる。

カルデア支給の礼装に身を包んだ少年は緊張した面持ちだが、以前に比べれば肩の力も抜けているようだ。

フランスの特異点修復の後も持ち回りで細かな微小特異点の修復などを行い、場数を踏んだことで少しは慣れてきたのだろう。

 

「やあ、おはよう諸君」

 

こちらが揃ったことを認めて、コフィンの調整をしていたロマニが近づいてくる。

やはりというべきか、顔色は優れない。

レフ・ライノールによる爆破工作で多くのスタッフを失い、どこの部署も人手が足らない。

資源の備蓄に関しては年単位での活動を想定していてかなり余裕があるが、それでも外部からの補給を受ける事ができないというのは苦しく、備蓄を切り崩しながらの活動はスタッフに大きな負担を強いる事になっている。

その中でもロマニの負担は他のスタッフの比ではなく、本来の職務である医療業務だけでなく、たった1人でレイシフトの調整やカルデアスの維持、シバのメンテナンスなどを行っている。

フランスの一件がひと段落したことで少しは余裕もできたようだが、それでも無理をしているのは明らかだった。

本人が心配させまいと気を張っているのが余計に辛い。

 

「ドクター・・・」

 

「いや、今日もいい朝だね。うん、絶好のレイシフト日和だ」

 

こちらの言葉を遮り、ロマニはお道化て見せる。

更に助け舟を出すかのように欠伸を噛み殺しながらダ・ヴィンチ(万能の変態)が現れ、こちらの間に割って入る。

 

「ふわーあ。や、おはよう。レイシフトの準備は整っているよぉ」

 

ふらふらと気怠そうに手を振る仕草はとても万能の天才とは思えない。

緊張感の欠片もない言葉にロマニも苦言を呈するが、ダ・ヴィンチはどこ吹く風といった具合だ。

グランドオーダーが始まってからというもの、こういうやり取りをよく見るようになった。

或いは、それに目を向ける余裕が今まではなかっただけなのかもしれないが。

 

「それでドクター、今回の特異点はどこなんですか?」

 

「ああ、今回向かうのは一世紀ヨーロッパだ。より具体的に言うと古代ローマだね」

 

学校の生徒のように挙手をするマシュのマスターの問いに、ロマニは答える。

古代ローマはイタリア半島から始まり、地中海を制した大帝国だ。

その始まりは神話の時代にまで遡ることができ、幾たびの戦争と皇帝の輩出により様々な文化が生まれては消え、その繁栄と滅亡は後の歴史にも多大な影響力を与えている。

正に人類史のターニングポイントと呼ぶに相応しい特異点だろう。

 

「ん、古代ローマ? 何それ楽しそう! ちょっと私も行きたいなー!」

 

「君には解析作業があるだろう。ああ、それと今回の転移地点は帝国首都であるローマを予定している。地理的には前回と近似だと思ってもらって構わない」

 

駄々を捏ねるダ・ヴィンチを押さえながら、後半をこちらに向けてロマニは言う。

存在する聖杯の正確な場所や、歴史に対してどういった変化が起きているのかも不明なのだそうだ。

つまり、今回も足を使って調査することになる。

 

「問題ありません、どちらもわたし達が突き止めます」

 

「うん、その意気だマシュ。実に頼もしい。人類史の存続は君達の双肩にかかっている。どうか、今回も成功させて欲しい。そして、無事に帰ってくるようにね」

 

「はい、必ずカルデアに帰還します」

 

最後の言葉に、マシュは力強く返答する。

ただ命令されたからではない、自分の意志ではっきりと生還することを誓う。

そういえば、以前はこんな風に自分を強く出すような娘ではなかった。

言われたことには黙って従い、余計なことは一切しない大人しい少女だったのに、グランドオーダーを機に少しずつ変わってきているように思える。

 

「彼女、いつからあんな風に?」

 

「え? マシュは最初からあんな感じだったよ」

 

何を言っているんだと、マシュのマスターは首を捻る。

気紛れからの質問だったので、それ以上は深く追及することなく話題を切り上げる。

ただ、何となくマシュを目で追っていると、彼女はマスターと一緒に行動している時がとても充実しているように思えた。

 

「カドック、そろそろ時間だそうよ」

 

「ああ、わかった」

 

アナスタシアに呼ばれ、自分用のコフィンへと向かう。

 

「彼女のことが気になるの?」

 

「いいや、別に。ただ、最近は前と変わってきたたような気がして」

 

「そう? 私にはそう見えないけれど。変わったのはあなたの方じゃなくて?」

 

「僕が?」

 

「さあ、どうでしょうね」

 

悪戯っぽく微笑みながらアナスタシアはコフィンの中へと消える。

結局、この後に聞き返しても彼女は答えてくれず、カドックは釈然としないながらも、その後に続いて自分のコフィンに身を潜らせた。

程なくしてレイシフトが始まり、カドックの意識は深淵へと沈み込んでいった。

 

 

 

 

 

喪失していた感覚が巻き戻るかのように取り戻され、カドックは意識を覚醒する。

2本の足がしっかりと大地を踏みしめ、心地よい風が頬を撫でる。

レイシフトは無事に成功したようだ。

視界一杯に広がる平原。極寒のカルデアでは見られない青い空がそれを物語っている。

そこまで考えて、違和感が彼らを襲った。

自分達は本来、首都ローマに転移するはずだった。

それがどうして、辺りに建物もない平原の真ん中で大自然に囲まれているのか。

 

「アナスタシア?」

 

「ここよ、カドック」

 

霊体化して周囲を探っていたのだろうか、少しだけ声が遠い。

その声からは焦りと緊張が感じ取れた。

 

「そのまま視力を強化して。できるでしょう?」

 

言われるままに魔力を眼球に集中し、指差された方角を凝視すると土煙が上がっているのが見えた。

最初は何かの動物の群れかと思った。何かの動画でバッファローの群れが走る様が丁度、あんな風に見えたからだ。

だが、違った。

その一団は雄叫びを上げながら、手に手に武器を持ってこちらに向かってきていた。

剣を抜く者、槍を構える者、戦車を駆る者、そのどれもが獣のような気迫を携えて大地を蹴る。

反対側を見れば、規模は小さいがそこにも同じように駆けてくる軍団の姿があった。

それと共にどこからか管楽器の嘶きが聞こえてくる。戦場では合戦の開始を知らせるために笛や太鼓を鳴らす習慣が各地に伝わっているが、これはもしかしてその音色なのだろうか。

ならば、自分達は今、戦場の真っただ中にいることになる。

確かにローマ史では幾度となく戦争が繰り広げられていたが、転移予定の時代は特に戦争もない平和な時代であったはず。

 

「カルデア、聞こえるか!? これはどういうことだ!?」

 

呼びかけるが、返事はない。

ファーストオーダーの時と同じだ。

何らかのトラブルでカルデアとの通信が途絶している。

カルデアからアナスタシアへの魔力供給は問題なく行われているので、単なる通信機器の故障だとは思うが、これでは現状の把握もままならない。

ここはどこなのか、マシュ達は無事なのか、何を指針に行動すれば良いのかもわからない。

そして、そうしている間にも一団の先鋒がすぐ近くまで迫ってきていた。

隠れられる場所もなく、このまま何もしなければ両軍の戦闘に巻き込まれてしまう。

ならば選択肢は2つに一つ、どちらかを相手取ってここを切り抜けるしかない。

冷静に考えれば消耗を抑えるために規模が小さい後方の軍団を相手にする方が良いだろう。

ここは特異点だ。何が起ころうとも後の歴史に影響を及ぼすことはない。

だが、カドックがその判断を下すよりも早く、前方から降り注いだ弓の雨が視界を覆いつくした。

 

「なっ!?」

 

「カドック!?」

 

こちらを庇うように実体化したアナスタシアが宝具を展開せんと魔力を込める。

しかし、間に合わない。

彼女は確実に己がマスターを守れる方法を選んだのだろうが、それでは矢の雨の到来まで致命的に間に合わない。

弱き者を守りたければ、例え傷つくことになったとしてもその身を差し出すべきだったのだ。

そう、彼のように。

 

「ハーハッハッハッ!」

 

突如として躍り出た巨大な肉塊が2人の上に覆い被さり、矢の雨を背中で受け止める。

半ば押し倒されるように抱きしめられたことで視界が回り、分厚い胸板越しに無数の矢が肉を抉る音が聞こえてきた。

思わず耳を塞ぎたくなるような生々しい音に、傍らのアナスタシアも表情を歪めていた。

すると乱入者は、こちらを安心させるかのように両腕の力を強くする。

2人の体を抱きしめるその腕は丸太のように太く、鋼のように鍛え上げられ、この上なく頼もしい。

その2本の腕ならば、何にでも手が伸ばせる。

どんな逆境にでも抗える。

そんな錯覚すら覚えてしまうほどの大きな腕だ。

いや、腕だけではない。

乱入者の体は極めて大きく、はち切れんばかりのエネルギーで満ちている。

金色の髪、朗らかな笑顔。そして青白い体は全身の至る所に傷が走っている。

それは反逆の象徴、彼が弱者を守るためにその身を盾としたことで刻まれた無数の勲章なのだ。

 

「迷える少年よ、もう大丈夫だ。怯えるのならば我が背後にあれ」

 

矢の雨が降り止み、男はゆっくりと眼前の軍団に向き直る。

傷だらけのその背中は、とても大きくて頼もしく、それでいて冷酷だ。

まるでここまでついて来れるかと言っているかのように遠く、手を伸ばしても虚しく空を切るばかり。

そう、その男は、筋肉(マッスル)だった。

 

「さあ、ここより叛逆の始まりだ!」

 

微笑みながら抜刀し、板金鎧の一団へと殴り込みをかける。

槍が、弓が、投石が、無数の攻撃が男に打ち込まれるが、彼はそれを意に介する事無く突撃し、巨大な腕を振るって兵士達を薙ぎ払う。

そうしてどんどん、敵陣へと食い込んでいく巨体を兵士たちは取り囲むが、所詮は烏合の衆。

隊列が乱れ、成す術もなく吹き飛ばされるのがオチだった。

 

「あなた達、どこの隊のヒト!?」

 

後ろから迫っていた軍団を指揮している長と思われる女性が、2頭立ての戦車の上から聞いてくる。

男の乱入で呆けていたが、いつの間にか両軍のぶつかり合いが始まっていたようだ。

 

「見かけない格好ね、旅の人? スパルタクスが駆け出したからいつもの暴走かと思ったけれど、あなた達を守ろうとしたのね」

 

「スパルタクス? 彼が?」

 

紀元前一世紀において奴隷達を率いてローマ軍と戦った剣闘士。

秩序への反逆者にして労働階級者の象徴。

圧制に抗う英雄。

それがスパルタクスだ。

無論、彼はその反乱の際に戦死している。

ならば、目の前で戦う彼はサーヴァントということになる。

それがどうして、一世紀のローマで軍を率いて戦っているのだろうか。

 

「無関係ならこのまま後ろに下がって。あたし達の野営地まで行けば匿ってくれるから」

 

「ブーディカ将軍、彼らは私が!」

 

「お願い。できるだけ敵を引き付けるから、2人をよろしくね」

 

そう言って、ブーディカと呼ばれた女性は戦車を走らせる。

その名前には聞き覚えがある。

古代ブリタニアの女王。

ローマ帝国の悪辣な侵略に抗い、後に勝利の女神の伝説と合わさり、勝利(victory)の語源となった英雄。

それが今、ローマ風の衣装に身を包んだ兵士達と共に戦場を駆け抜けている。

憎き怨敵であるはずのローマ人達とあのブーディカが共に戦っているのだ。

その異常事態にとうとう、カドックの思考回路は焼き切れる寸前まできていた。

 

「さあ、早くこちらへ」

 

ブーディカに後を任された兵士に促されるが、カドックは動くことができなかった。

怒涛の展開に頭が付いていかないこともある。

命を救ってくれたスパルタクスが気がかりということもある。

何より、自分達を守ろうとしてくれている彼らを見逃せないという不可解な気持ちが、鉛のように重い枷となっている。

脳裏に思い浮かんだのは憎たらしい新米マスターの横顔だった。

きっと、あいつでも同じことをするだろう。

あいつなら同じことをするだろう。

自分でもそんなことを考えていることが不思議でならなかった。

だから、カドックは己に嘘をついた。

あの大きな腕に抱かれた時に感じた、ほんの僅かな劣等感にすがることにした。

 

「カドック、どうするの?」

 

言葉に反して、アナスタシアは強い眼差しを戦場へと向けていた。

彼女も既に心を決めたようだ。

そう、助けてもらったことへの感謝はある。

だが、彼は何と言った?

自分達を、このカドック・ゼムルプスとアナスタシア皇女に対して何と言った?

 

『怯えるのならば我が背後にあれ』

 

事もあろうか自分達があの程度の敵に恐怖したと、その程度の弱い人間だと言ったのだ。

これが八つ当たりというならばそれでもいい。

その言葉だけは納得がいかないのは事実なのだから。

だから、遠慮なくその言い訳を振りかざす。

 

「彼らを援護する、キャスター!」

 

「ええ。了解よ、マスター」

 

そう、自分達の力を見せつけるのだ。




というわけでセプテム編スタートです。
そう、今回のカドアナは何故かガリアからスタートです。
ガバガバだなこのシリーズのレイシフトは(笑)


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永続狂気帝国セプテム 第2節

氷雪が舞う。

吹雪が荒れる。

ここは絶対零度の嘆きの川(コキュートス)

皇女の瞼が瞬く度に、無数の氷柱が突き立てられる。

それでも敵は臆することなく鬨の声を上げて進軍し、圧倒的な暴力の前に成す術もなく蹂躙されていく。

勝ち目などないと分かり切っているはずなのに、死をも恐れず立ち上がってくる。

故に戦いを終わらせる方法は一つ。

一切合切を沈黙させるしかない。

 

(おかしい。どうして逃げないんだ? 勝敗はとっくに決まったはずだ)

 

的確に指示を飛ばしながら、アナスタシアと共に戦場を駆け抜けていたカドックは、相対した敵軍の様子に違和感を感じていた。

通常、戦力の3割を失えば軍事的行動が不可能になると言われている。

それは如何に屈強な軍隊といえども変わりはない。10の力で為すべき目的は7の力ではどうやっても為し得ないからだ。

加えて戦争というものは基本的に政治活動である。

領土、賠償金、権利、何でもいい。

相手に何かを認めさせ、奪い取るための手段なのである。

もちろん、例外はあるだろう。

かのスパルタがペルシャの侵略を足止めするために行われたテルモピュライの戦いのように、退くことが許されない戦いもあるだろう。

今まさに、戦っている相手がそれだ。

部隊の士気が異様に高く、仲間が凍り付こうと自分の腕や足が千切れ跳ぼうと突撃を止めない。

それはただの玉砕だ。

彼らはみな、勝利や敗北などを度外視して、自分の信ずる何かのために命を賭けて向かってくる。

そのような輩を相手取るのは一筋縄ではいかないことであった。

 

「ハッハッハッ! アイッ! アイッ!」

 

更に厄介なことに、先陣を切るスパルタクスはこちらの動きなどお構いなしに暴れ回っており、時にはその矛先がこちらに向けられることもあった。

何度も攻撃の射線に入るし、味方からの誤射を受けてもどこ吹く風。彼が振るった剣先や拳がこちらの際どい部分を掠め、その余波で砕かれた土砂を被るなどしょっちゅうだ。

最初は彼がバーサーカーとして召喚されているからだと思った。

狂化スキルの影響を受け、敵味方の区別がつかないのかと思った。

だが、違う。

彼は明らかにこちらを狙っている。

その証拠に、ブーディカを始めとした友軍達はスパルタクスの攻撃に一切、巻き込まれていないのだから。

 

「やめろ、スパルタクス! こっちは味方だ!」

 

「手助けは無用だ少年! 君が圧制を敷く者と知ったからには、我が愛を以て抱擁しよう!」

 

「あぶっ!? お前、わざと僕を狙っているだろう!」

 

「然り! 圧制者は全て滅ぼすべし!」

 

「言っていることが滅茶苦茶だ! お前の方が圧制者じゃないか!」

 

「否! 我は叛逆の徒である。圧制者とは我が眼前の敵に他ならない!」

 

先ほどから、ずっとこの調子である。

かなり強力な狂化を受けているようで、スパルタクスは会話こそできるが思考回路が完全に破綻している。

どうやら自分の取った行動の何かが彼にとっての「圧制者」に該当するのだろう。

一たび、「圧制者」と認識されると彼は戦況などお構いなしにこちらを狙ってくる。

そう、彼は戦場の中心にいながら戦いの行く末を一切、見ていない。

目に映る仲間は守ろうとするが、基本的に突撃しかしないのでどんどん孤立していく。

そして、手薄になった後方の友軍が挟撃を受けて窮地に陥るのだ。

元々、規模でいえばブーディカ軍の数は圧倒的に少なく、兵士同士の戦いとなれば彼らに勝ち目はない。

スパルタクスとブーディカがいるおかげで戦況こそ押し込んでいるが、このままスパルタクスが隊列から切り離されれば友軍を守るブーディカの

負担が大きくなり、そこから押し返されてしまうかもしれない。

 

「落ち着きなさい、カドック。いつものあなたらしくありません」

 

「わかっている! くそっ、僕達は大丈夫でもブーディカが保たない!」

 

「然り、故にまずは彼らを束ねる圧制者を滅ぼすべし!」

 

「ああ、まずは敵陣の最も厚い部分を叩く。突けばこちらを包囲しようとするだろう!」

 

「そこは我らが一気に踏み砕く! 圧制者の軍勢など蹴散らしてくれよう!」

 

「こうなったからには時間との勝負だ。彼女が持ち堪えている間に総大将を討つ!」

 

「叛逆とは孤独なもの。だが決して消えぬ篝火と知れ! 行くぞ少年!」

 

「ああ、巻き込まれても文句を言うな!」

 

「ハハハッ! 私に叛逆するか少年。圧制者たらんとする叛逆者よ。ならば一時、君の叛逆を見届けよう!」

 

そう言って、カドックとスパルタクスは密集陣形を取る重装歩兵の一団へと突撃する。

置いてきぼりを喰らったアナスタシアは、ここが戦場のど真ん中であるということすら忘れて呆然と2人の背中を見つめることしかできなかった。

 

「あ、あれ? 話が通じていたのよ・・・・ね? 今?」

 

それは全くの偶然であった。

戦況は数こそ劣っているが、ブーディカ軍が優勢である。

もしもカドックが守勢に転じることを提案していれば、スパルタクスはそれを圧制と断じて牙を剥いたであろう。

しかし、彼は敵陣を中央突破し指揮官を討つというより困難な道を示した。

故にスパルタクスはカドックを圧制者ではなく共に戦う叛逆者とみなし、彼の提案を受け入れたのである。

 

「おうっ、圧制者よ! 汝を抱擁する!」

 

そして、魔術師の援護を得たスパルタクスはさながら爆走する機関車の如き勢いで包囲網を食い破り、敵陣の奥へ奥へと突き進んでいく。

何十射と打ち込まれる矢も突き刺さる槍も立ち塞がる盾も関係がない。

全てを蹴散らし、粉砕し、前へ前へと進む。

兵士の群れは振り払われた一刀でまとめて両断され、戦車が紙屑のように引き千切られる。

誰も彼を止められる者はいない。

彼こそはスパルタクス。

何者にも縛られない、永劫の叛逆者なり。

 

「そこまでにしてもらおうか、狂戦士よ」

 

破竹の勢いで突き進むスパルタクスの剛剣を、豪奢な一刀が弾き返す。

優雅な足取りで戦場に舞い降りたのは、煌びやかな黄金の剣を携えた男だった。

そのただならぬ気配にカドックは息を呑み、狂乱に酔っていたスパルタクスも冷静さを取り戻す。

兵士と呼ぶには些か上等に過ぎる赤い服。

戦場には不釣り合いな黄金の剣。

端正な顔立ちに反して首から下はだらしなく膨れ上がった皮下脂肪で満遍なく覆われている。

一目でただの兵士ではないとわかるその佇まいに、カドックは警戒を強め、スパルタクスは歓喜に震える。

間違いない、こいつがこの軍の指揮官だ。

 

「やれやれ、薔薇の皇帝が来るまでは持ち堪えるつもりだったが、とんだ誤算もあったものだ。

スパルタクスさえ封じればどうとでもなると思っていたが、招かれざる客にこうも掻き回されるとは」

 

相手にするのも面倒だと言わんばかりに、赤い服の男は顔をしかめる。

一見すると無防備に見えるが、その実、油断なくこちらを警戒しいつでも剣を振るえるように緊張を保っている。

あのスパルタクスが不用意に切りかからないだけでも、彼がかなり強者であることは容易に想像がつく。

 

「お前は―――サーヴァントなのか?」

 

「セイバーのクラスらしい。まったく、この私がセイバーなどと、笑えぬ冗談だ」

 

心底面倒だと言わんばかりにため息を吐く。

狙ってやっているのか、それとも天然なのか。その一挙一動が癪に障る。

このまま相手をしていればこちらのペースがどんどん崩されてしまいそうだ。

そう思って傍らのスパルタクスに声をかけようとした時、セイバーが何気なく言い放った言葉にカドックは耳を疑った。

 

「それで、お前がカルデアのマスターか?」

 

何故、彼がカルデアのことを知っているのか。

分かり切ったことだ。

セイバーはレフ・ライノールと繋がっている。

カルデアを爆破し、多くの人間の命を奪った魔術師。

あの悪魔のような男とこいつは、どこかで繋がっている。

 

「お前、レフ・ライノールを知っているのか?」

 

「言うと思うか? 聞きたくば覇を示せ。それがここ(ローマ)の流儀だ」

 

「っ―――スパルタクス!」

 

「雄々ッ!!」

 

雄叫びを上げてスパルタクスが剣を振るう。

ただの一振りが岩を砕き、突風染みた衝撃波が空気を震わせる。

しかし、セイバーはその体格に似合わぬ機敏さで狂戦士の剣をかわし、逆に手にした黄金の剣でスパルタクスに切りかかる。

堪らず、苦悶の声を上げるスパルタクス。ここまで、苦痛らしい苦痛を感じてこなかった彼が、初めて痛みに震えている。

やはり神秘を纏ったサーヴァントの攻撃は違う。しかも、彼は最優のクラスと名高いセイバーだ。

どこの英霊かはわからないが、きっと相当の使い手に違いない。

 

「スパルタクス!」

 

「ハッハッ! 圧制者よ、もっと打ってくるがいい! その痛みはやがて我が力となって汝を滅ぼすであろう!」

 

笑いながらスパルタクスは剣を振るい、セイバーがそれを真っ向から迎え撃つ。

一合、二合と振るわれる剛剣は破壊の嵐だ。掠めただけで衝撃が肉を抉り、まともに受ければ破片すら残さず粉砕される。

しかし、セイバーは揺るがない。時には優雅に歩を進め、時には荒々しく剣を振り回し、巧みに致命傷を避けていく。

逆にスパルタクスはどんどん傷を負っている。力任せの狂戦士の一撃は、優雅な騎士の動きを捉えることができないのだ。

その様子を見て、ジリジリとした焦りがカドックの胸の内を焦がしていく。

ロクに指示を聞かない以上、こちらができることは勝手にスパルタクスを援護することしかできない。

だが、自分の魔術では2人のスピードの差を埋める事ができないのだ。

このままでは彼は負ける。

 

「もっとだ! さあ、もっと打ってくるがいい!」

 

「ふん、これだけ打ち込んでもまだ倒れぬか。尋常ならざるタフネスよな、バーサーカー。そして喜べ。希望通り最高の一撃を喰らわせてやろう」

 

転がるように距離を取ったセイバーが黄金の剣を地面に突き刺す。

宝具が来る。

斬撃か、それとも魔力の放出か。

何れにしろ、スパルタクスは真正面から受け止めるだろう。

 

「スパルタクス、ちょっとでも理性があるなら言うことを聞け! 宝具がくるぞ!」

 

「望むところ! 絶体絶命からの逆転こそ我が叛逆の流儀!」

 

「いくらお前でも無茶だ!」

 

「少年よ、恐怖とは罪ではない。しかし、痛みを恐れてはいけない。叛逆には常に痛みが伴うもの。その痛みは弱者に向けられた圧制者の傲慢。私は彼らの盾となり、真なる解放を目指すのだ!」

 

剣を構えたスパルタクスが疾駆する。

その様を見据えたセイバーが剣を執り、神々しさすら感じられるほどの濃密な魔力を解放する。

こうなってしまってはもうできることはない。せめて、スパルタクスに施した強化の魔術が少しでもダメージを減らしてくれることを祈るしかない。

 

「私は来た! 私は見た! ならば次は勝つだけのこと!」

 

「雄々々々々々々ッ!!」

 

『黄の死』(クロケア・モース)!」

 

振り下ろされた一刀は、とても人の眼では追うことができない神速の一撃。

その一太刀は金剛石すらも容易く両断してしまうだろう。

スパルタクスはそれを左腕でわざと受け止め、深々と食い込んだ黄金の刃を自身の強靭な筋肉で絡めとる。

規格外の筋肉を誇るスパルタクスだからこそできる芸当だ。

まさか敵も筋肉で白歯取りをされるなど思いもしなかったであろう。

そして、身動きが取れなくなったセイバーの脳天には、スパルタクスの剛剣が容赦なく振り下ろされる。

勝ちを確信した狂戦士の口角が歪み、戦いを見守っていたカドックすらもスパルタクスの勝利を疑わなかった。

その確信を打ち砕いたのは他でもない、セイバーの言葉だった。

 

「聞こえなかったか? 後は勝つだけだと」

 

ありえない光景が目の前で繰り広げられた。

肉に絡めとられていたはずのセイバーの剣が、振り上げられたスパルタクスの右腕を切り捨てたのだ。

更に続けて一撃、二撃と鞭のようにしなる斬撃の雨がスパルタクスの巨体を切り刻んでいく。

腕を切られ、腱を断たれ、身動きが取れなくなった狂戦士は痛みに悶えながら地面を転がり、セイバーの攻撃から逃れようとする。

しかし、どこに逃げようともセイバーの剣が追ってくる。手首の動きだけを追っていると、まるで曲芸をしているかのようだ。

果たして人間というものは、あれほど出鱈目な軌道で剣を振るえるものなのだろうか?

 

「この剣からは逃れられぬよ。さあ、首を落とすまで後一撃といったところかな!」

 

とどめの一撃がスパルタクスを襲う。

最早、スパルタクスに逆転の一手はない。

このまま彼の叛逆はここで終わってしまうのだろうか。

いや、まだ終わりではない。

ここに英雄(スパルタクス)の勝利を願う者がいる。

ここに英雄(命の恩人)を助けたいと願う少年がいる。

彼がまだ諦めず何かを望むのなら、それを叶えるために彼女は全力を尽くす。

 

「なにぃっ!?」

 

首元目がけて振り下ろされたはずの刃が、スパルタクスの胸元を切り裂いた。

その一撃は重傷ではあったが、しかしスパルタクスの命を刈り取るほどのものではない。

最後の最期でセイバーの手元が狂ったのだ。

 

「何故、私がこのようなミスを・・・」

 

自分が仕損じることなどありえないと、セイバーは驚愕の色を浮かべていた。

そう、彼は最後の踏み込みの際、ほんの小さな小石に躓いたのだ。

そのため、剣の軌道が僅かに逸れてスパルタクスは助かったのだ。

 

「間に合ったようね」

 

一瞬で辺りの空気が凍り付き、ヴィイを抱えたアナスタシアがカドックを庇うように降り立った。

そこでやっと、カドックはアナスタシアがスパルタクスを守ったのだと気づいた。

彼女のスキル、「シュヴィブジック」は空間を操作し、手を触れずに物を動かしたりすることができる。

有効範囲も狭く、何かを傷つけたり壊したりすることもできないが、悪戯レベルの事象操作ならばこういう使い方もできるのだ。

 

「先走るのはおよしなさい、マスター。私、置いていかれるのはとても寂しいのよ」

 

「あ、ああ。ごめん―――助かった」

 

厳しくもどこか拗ねたような口調で嗜めるアナスタシアの言葉に、カドックも冷静さを取り戻した。

そう、決して言葉で語る事はないが、彼女は目の前で見知った人間が死ぬことを好まない。

最期の処刑の時、アナスタシアはほんの少しだけ長く生き残ってしまった。

その頭蓋を無慈悲に砕かれるまで、目の前で家族が死んでいく様を肌で感じ取っていたのだ。

そのことを引きずっているが故に、彼女は何度も自分を守ってくれた。

なのに、頭に血が上ってまた彼女を不安にさせるようなことをしてしまった自分がとても腹立たしい。

 

「ほう、彼女がお前のサーヴァントか。言わずともわかる、そこの狂戦士とは纏う気が違う。これがマスターとサーヴァントというものか。私の知るそれとは随分と違う気配だな。それともこちらが正しいのか?」

 

アナスタシアの存在を認めたセイバーが、興味深げに彼女の顔を覗き見る。

 

「あら、スパルタクスに背を向けて良いのかしら?」

 

「手応えはあった。死せずともしばらくは動けぬよ、美しいお嬢さん」

 

「お褒めに預かり光栄よ、皇帝陛下(ツァーリ)。それとも、独裁官(ディクタトル)と呼ぶべきかしら?」

 

「おや、私の真名に気づいたかね? いやはや、有名過ぎるというのも考え物だ」

 

アナスタシアの言葉を聞いて、カドックも1人の英雄の名前に思い当たる。

どうして気づけなかったのだろうか。

セイバーが頭に被っているのは月桂冠だ。

つまりギリシャとローマに連なる英雄。そして、宝具の真名解放の際の詠唱。

そこから導き出される者の名前はただ一つ。

 

「ガイウス・ユリウス・カエサル」

 

またの名をジュリウス・シーザー。

共和制ローマ期の政治家にして軍人。

ガリア戦争やブリタニア遠征で名を馳せ、帝政ローマの礎を築いた言わばローマ皇帝の祖ともいうべき人物。

その名前は皇帝の語源となり、彼の名前にあやかった暦まで作られたほどだ。

史実では痩せ気味の禿と伝わっていたが、まさか全盛期はこんなに恰幅のいい男だったとは思わなかった。

 

「ふーむ、ではこちらも名前を伺ってもよいかな、お嬢さん?」

 

「あら、これは聖杯戦争よ。おいそれと真名を明かすと思って?」

 

「確かに。ならば聖杯戦争らしく戦うとしよう。しかし、武器を持たぬところを見るとそちらはキャスターかな?」

 

「どうでしょう? 馬に乗るかもしれないし、影に潜むかもしれません。ひょっとしたら、狂っているかも知れませんよ、セイバー?」

 

こちらの手の内を悟られないようにと考えたのか、アナスタシアはのらりくらりと言葉を交わしながら隙を伺う。

無論、それを許すようなセイバー―――カエサルではない。こと騙し合いと抜け目のなさにおいては彼に勝る英霊など数えるほどしかいないだろう。

事実、彼は油断なく剣を執ると、スパルタクスにしたのと同じように真名解放のための前段階に入る。

 

「見え透いた嘘を、魔術師よ。お前が魔術を駆使して我が配下を氷漬けにする様は見ていたぞ。私の対魔力では些か受け切る自信がない故、初手から全力でいかせてもらう」

 

黄金の剣に魔力が凝縮されていく。

あの剣は『黄の死』(クロケア・モース)

ブリタニア列王史に登場する黄金の剣。

逸話自体は創作の域を出ないが、サーヴァントとして召喚された際にカエサルの宝具として持ち込まれたようだ。

その能力は恐らく、何らかの条件下で発動する連続攻撃。

動きを封じようと、物理法則や人体の構造上不可能な動きであろうと、あの剣は追撃をかけることができる。

キャスターであるアナスタシアが受ければひとたまりもないだろう。

先ほどのような手も恐らくは通じないだろう。

ならばこちらの打つ手は先手必勝しかない。

相手が打つよりも早く、その剣を封じるだけだ。

 

「キャスター!」

 

『黄の(クロケア)―――」

 

「止まって!」

 

カエサルの真名解放よりも早く、アナスタシアの眼が『黄の死』(クロケア・モース)を凍り付かせる。

剣先が重くなったことでバランスを崩し、カエサルは無防備な隙を晒してしまう。

続けて無数の氷塊をぶつけて押し潰さんとするが、カエサルは構わず大地を蹴った。

己が傷つくことも厭わずに真名を解放し、凍り付いた剣を振りぬく。

 

「――死』(・モース)!」

 

カドックの目ですら追えるほどの鈍間な剣が、真名解放と共に加速する。

まるで見えない糸に引き寄せられるかのように、物理的にありえない軌道でアナスタシアを追いかけ、凍り付いた刀身で彼女を殴り飛ばす。

咄嗟に魔術で強化するが、それでも吹っ飛ばされた彼女は近くにあった大岩に背中をぶつけ、ぐったりと動かなくなった。

 

「キャスター!?」

 

抱き上げると、微かに息遣いが聞こえてくる。

剣が凍り付いて重くなっていたことが幸いして、本来の威力を発揮できなかったようだ。

 

「残念だが『黄の死』(クロケア・モース)は初撃必中の宝具。避けようと防ごうと、一撃目は必ず当たるのだ。とはいえ、こう重くては二撃目は放てぬ。運が良かったと言うべきかな」

 

剣の氷を砕き、とどめを差そうとカエサルが近づいてくる。

その様はとても優雅で、まるで何かの儀式を行う祭祀のようだ。

きっとこのままでは、自分とアナスタシアは彼に首を跳ねられて死ぬのだろうということが嫌でも実感できる。

カドックにできることは、ただ恐怖に震えて時が来るのを待つことだけだった。

その姿を殊勝な態度と受け取ったのか、カエサルはせめて楽に終わらせようと首筋に刃を合わせ、狙いをきちんと定めてから剣を振り上げた。

正にその時だった。

動かないはずの巨体が動き、大地を蹴ったのは。

 

「アッセイッ!」

 

「なっ、お前は!?」

 

驚愕するカエサルを嘲笑うかのように。否、感情は読み取れないが、不気味なほど大きな声で笑いながらスパルタクスは切り捨てられたはずの右腕で彼を掴み上げていた。

 

「時は来た。圧制者よ、その傲慢が潰える時だ!」

 

「何故、動ける・・・なっ!? 傷が・・・な・・・い・・・」

 

右腕だけではない。カエサルによって傷つけられた傷が全て塞がっている。

それは彼の2つの能力によるものだった。

一つは傷の再生効率を高めると同時に負った傷を自動的に治癒するスキル、「被虐の誉れ」。

そして、常に劣勢の中、傷だらけになりながらも勝利を掴み取ってきた偉業が昇華された宝具『疵獣の咆吼』(クライング・ウォーモンガー)

この宝具の効果により、スパルタクスは傷を負えば負うほど体内に魔力を蓄積することができる。

溜まった魔力は傷の治癒に充てられるのだが、カエサルの宝具を受けて瀕死の重傷を負ったことで、その恩恵が最大限に発揮され、千切れた腕が生え変わるなど通常を上回る速度での回復を可能としたのだ。

 

「魔術師め、気づいていたな」

 

「僕はキャスターの策に乗っただけだ。戦場を見ていたのはお前だけじゃなかったってことだ」

 

相手が人間であったならば、スパルタクスの異常な再生能力が発揮されることはなかっただろう。

彼の能力はカエサルと戦って初めて発揮され、その光景を唯一俯瞰することができたのがアナスタシアだったのだ。

だから、彼女はカエサルの気を引くためにらしくない舌戦を交わし、彼に勝負を焦らせた。

無論、再生が間に合うかどうかは賭けだったのだが。

 

「さあ、愛を受け取るがいい!」

 

カエサルを掴んだままスパルタクスは跳躍し、空中で態勢を入れ替える。

丁度、逆さまの態勢で羽交い絞めにしたカエサルの頭を両足で挟み込んだ状態だ。

そのまま落下すれば、彼の脳天は固い地面に叩きつけられ、2人分の体重と重力の力で無慈悲に砕け散るであろう。

 

「お、おのれぇっ!!」

 

カエサルは拘束を振り解こうともがくが、スパルタクスの膂力の前には敵わない。

そのまま容赦なく2人の体は加速し、眼下の岩がぐんぐん近づいていく。

直後、轟音と共に舞い上がった土煙が視界を覆いつくした。

 

「少年よ、これが叛逆(スパルタクス)だぁっ!!」

 

視界が晴れると、スパルタクスが右腕を上げて勝鬨を上げる。

その足下には、霊核を砕かれてぐったりと倒れ伏すカエサルの姿があった。

その雄姿に見惚れている自分がいることに、カドックが気づくことはなかった。




Q スパルタクスはどうしてカドックを攻撃したんですか?
A スパさんが考えなしに突撃するのであれこれ指示をだしたら圧制者認定されました

ただスパさんは魔術師絶対殺すマンではないので、出方次第では割り切ってくれると思ったのでこんな感じになりました。


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永続狂気帝国セプテム 第3節

一瞬、見惚れていた。

その背中を、その勝鬨を、その雄姿を。

決して屈することなく抗い続けた男の生き様を。

歩みを止めることもできた。

抗わずに服従する道もあった。

しかし、男はそれを許さない。

圧制の下で不名誉を抱いて眠る事を是とせず、明日の自由を求めて抗い続け、その果てに英霊の座にまで召し上げられた。

その突き抜けた狂気がこんなにも美しく見えてしまうのは、果たして戦場の狂気に毒されたからなのか。

何れにしろ、カドックはしばしの間、彼の英雄から目を逸らすことができなかった。

 

「ハーハッハッ! 我が叛逆は永遠不滅。勝利は新たなる叛逆の始まり也! おお、圧制者よ!」

 

そうして、スパルタクスは倒れ伏したカエサルを放って苦戦する友軍の援護に向かう。

程なくして狂戦士の咆哮と兵士の悲鳴が重なり合い、その勢いに押されたブーディカ軍が最後の進撃を開始する。

指揮官が倒れ、軍全体の連携にも綻びが出始めている。これならばスパルタクスとブーディカで押し切れるはずだ。

戦いは2人に任せ、こちらはこちらで本来の任務を遂行するとしよう。

 

「やれやれ、まさか敵の力を見誤るとは一生の不覚」

 

喧騒が遠退いていくのを聞き取ったのか、地面に伏していたカエサルがゆっくりと半身を起こす。

その顔を見た瞬間、傍らにいたアナスタシアは思わず彼から目を逸らした。

カエサルの頭部は半ば陥没しており、端正な顔が目も当てられないくらい歪んでいる。

辛うじて目と口は認識することができたが、血と傷のせいで表情は読み取れずまるで出来の悪いパペットのようだ。

霊核が砕けたことで消滅も始まっており、そう長くは持たないだろう。

 

「そも俺が一兵卒の真似事をするのは無理がある。まったく、あの御方の奇矯には困ったものだ」

 

「あの御方?」

 

「正確には「皇帝」ではない私だが、まあ死した歴代「皇帝」さえも逆らえん御方だ」

 

「まるでお前以外にも皇帝がいるみたいな言い方だな」

 

「その通りだ魔術師の少年。お前が相手取ったのは連合ローマ帝国の皇帝が1人に過ぎん」

 

苦し気に息を漏らし、カエサルはこちらを見上げる。

 

「いつもなら嫌味の一つでも言ってやるところだが、時間がない。私を倒した褒美として質問に答えよう。貴様が探している男は確かにいる。我が連合ローマ帝国の宮廷魔術師こそが、貴様達の求めるレフ・ライノールだ」

 

「あいつが宮廷魔術師? なら、聖杯も奴が?」

 

「貴様への褒美は終わりだ。これ以上、くれてやる道理はない。だが、私のような欲深な男がこうやって従っているのだ。後は考えれば、わかるな―――」

 

聖杯戦争とは万能の願望器を求めて殺し合う魔術儀式。

その駒として呼ばれるサーヴァントにもまた、叶えたい願いがある故に召喚に応じるのだ。

それが何かは分からないが、カエサルにもまた叶えたい願いがあり、そのためにここで戦っていた。つまり、この時代を歪ませてる聖杯はレフ・ライノールが握っているということだ。

 

「カエサル、お前は―――いや、貴方は――」

 

「言うな。あれと交わした約定も果たせぬまま、無様に消えていく愚かな男だ」

 

言うべき言葉が見つからない。

カドックは知っている。

富も名声も力も、この男は何もかもを手に入れた。

死は突然であれば良いと言い切るほど、彼は己の人生に後悔を抱いていない。

そんな彼が唯一、願うものがあるとすれば、それはきっととても尊くて慎ましやかなものなのだろう。

そこは自分のような部外者が立ち入るべき領域ではない。

だから、カドックにできることは拾い上げた黄金の剣を主の傍らに添え、その死を粛々と受け入れることだけだった。

 

「おお、我が黄金剣よ」

 

「今度はなくすなよ」

 

伝承に曰く、『黄の死』(クロケア・モース)はブリタニアの王弟ネンニウスの盾に突き刺さったまま奪われてしまい、そのまま仇敵の墓に埋葬されたらしい。

だからどうしたと言えばそれまでだが、そうしてやることがせめてもの報いになると感じられた。

 

「感謝するぞ名も知らぬ魔術師よ。そして願わくば当代の皇帝に伝えてくれ。汝の思うがまま、美しいと思うことを為せと」

 

言い切った瞬間、張り詰めていた糸が切れたのか、カエサルの体は粒子となって霧散していく。

きっと、ここより遥か彼方、母なるナイルの向こうへと還ったのだろう。

そう思わずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

 

戦いはブーディカ軍の勝利で終わった。

いや、生き残ったのはブーディカ軍だった。

カエサル軍の兵士は皆、その命を最後の一滴まで忠誠に捧げ、ある者は1人でも多くの敵を屠らんと玉砕し、ある者は虜囚となることを拒否して自害し、

またある者は傷ついた五体を引きずりながら戦線を離脱した。

生きたまま捕らえることができた兵士は1人もおらず、その足掻き方はまるで狂信者のようだった。

命を差し出そう、敗者としての汚名も受けよう。しかし、敵からの辱めだけは受けないという強い意志が感じられた。

ブーディカから聞いた話によると、ここは一世紀のガリアで、敵は連合ローマ帝国。

当代の皇帝であるネロ・クラウディウスの治世に反旗を翻し、真のローマを名乗る皇帝たちの集まりらしい。

もちろん、史実にはそんな連合など存在しない。

この時代を壊すためにレフ・ライノールが興したものなのだろう。

 

「つまり、このままネロ帝に協力して連合帝国を倒す?」

 

「ああ、それが近道だろう。敵はサーヴァントだけでなく人間の軍隊も有している。カルデアの戦力だけじゃあの数に対応できない」

 

「フランスの時と違って、ネロ帝にうまく取り入れたのが良かったね。今回はローマ軍が全面的な支援を約束してくれている」

 

「何をどうすればいきなり総督なんて立場が貰えるんだ?」

 

「いや、単に苦戦してたネロ帝を助けただけなんだけどね」

 

「それでこの扱いの差か。お前の人たらしっぷりには脱帽するよ。だから―――」

 

半ば自棄になりながら、カドックは好敵手に顔を近づける。頭を下げるからどうかは最後まで悩んだが、結局はプライドが邪魔をしてできなかった。

 

「頼むからここから出してくれ、藤丸総督」

 

そう、カドックがいるのは捕虜を捕まえておくための牢屋の中であった。

カエサル軍との戦いの後、カドックは得体の知れない魔術師としてブーディカ軍に拘束されたのだ。

一応、こちらの事情を聞いたブーディカは助けてもらった恩もあるのでできる限りの礼儀は尽くすと、手枷もつけず見張りも最小限に抑えられ、

食事もそれなりに豪勢なものが出された。しかし、客将の立場もあるので自分だけの判断では協力できないと言われたため、

カドックはネロ帝からの許しが出るまで檻の中で大人しくしておくことしかできなかった。

ちなみにアナスタシアは牢屋に閉じ込められたことで色々と生前のトラウマが呼び起こされて塞ぎ込んでしまい、今はブーディカのテントで介抱されている。

そのことからもわかるように、この措置はあくまで末端の兵士達に対する示し、或いはネロ帝への義理立てという面が強く、

こちらがその気になればいつでも出られるし、ブーディカもそのつもりで便宜を図ってくれている。

そうして数日を檻の中で過ごしていると、ブーディカからネロ帝が近々、こちらに来ることを知らされた。

程なくして訪れたのは盾の英霊を付き従えた黒髪の少年。

そう、藤丸立香その人であった。

あちらも多少のトラブルこそあれど無事にローマ近郊にレイシフトでき、当代の皇帝であるネロ・クラウディウスと接触。

そのまま皇帝に気に入られて総督の地位を与えられ、客将として召し抱えられたらしい。

同じ所業に対してこの扱いの差は、果たしてネロ帝が大胆なのかブーディカがシビアなのか。

何れにしても方針は決まった。

彼らと合流したことでカルデアとの通信も復旧し、今まで通りのバックアップも受けられるようになった。

後はこの檻から出るだけだ。

 

「いやぁ、でもなぁ。出したらまた怒るんだろ、カドック。訓練の効率が悪いとか、指示出しの詰めが甘いとか」

 

「うっ、それは・・・・・・」

 

「どうしようかなぁ?」

 

「先輩、カドックさんが可哀想ですよ」

 

「うむ、余もそう思う」

 

鈴のように良く通る声がテントの向こうから聞こえ、1人の少女が姿を現した。

一瞬、太陽がそこに現れたのかと錯覚した。

深紅と黄金に彩られたドレス。

艶やかな金髪と緑の瞳。

ただそこにいるだけで神々しい輝きを放ち、見る者に畏敬の念を抱かせる有無を言わせぬカリスマ。

その美しさは正に天上の芸術品。

言われずともわかる。

教えられずとも理解する。

彼女が皇帝。

第五代皇帝ネロ・クラウディウスだ。

 

「連合の敵将の討伐、ご苦労であった、カルデアの友よ。そして、今日まで不自由な思いをさせてすまない」

 

「い、いえ、僕は・・・いや、私は―――」

 

「そう畏まらずとも良い。そなたのおかげで多くの兵が救われた。その働きに免じて今は特別に不敬を許す」

 

ネロ帝に促され、見張りの兵士が牢の扉を開ける。

まるで夢を見ているような気持ちだった。

死者であるサーヴァントと接するのとはまた違う。

この時代に根を下ろし、生きている者の何と力強いことか。

かのローマ皇帝と今、自分は確かに同じ時の中で言葉を交わしているのだから。

 

「今宵は略式ではあるが宴を開くので、存分に楽しむと良い。うむ、どんな形であれ宴は良いものだ。それとも先にテルマエで汗を流すか? ここは野営地だが余は手を抜かんぞ」

 

「ああ、なら俺が連れていきます。カドック、そのまんまでアナスタシアに会う訳にもいかないだろう」

 

「よ、余計なお世話だ!」

 

余計な一言で我を取り戻し、憤慨したカドックは天幕を潜る。

久方ぶりの太陽を目にしたことで一瞬、目が眩んだ。

兵士の1人が声をかけてくる。

あの時は助けてくれてありがとうと。

こちらにいるネロ帝の存在に気付いた兵士はすぐに居直して持ち場に戻っていくが、その一言はカドックの胸に水のように染み込んでいった。

こちらにその意図はなかった。

あの時はスパルタクスを見返そうと無我夢中で、誰を助けたかなど気にも留めなかった。

それでも助けられた側は覚えてくれていたのだ。

こんな得体の知れない、未熟者の魔術師を恩人と慕ってくれたのだ。

 

「誇ってよいのだぞ。そなたがいなければ、もっと多くの死者が出ていたはずだ」

 

零れ落ちたかもしれない僅かな命を自分は救ったのだと。

ネロは静かに感謝の念を示した。

 

 

 

 

 

 

古代ローマの文化の中で一際有名なものは浴場である。

各都市に最低でも一つは公衆浴場が存在し、ローマ市民は一日の汗をそこで流し、明日を生きるための活力とする。

単なる入浴施設というわけではなく、広々とした運動場が設けられ、時代によっては購買施設が併設されるなどある種の娯楽、社交場として機能していた。

残念ながら野営地ではそういったものは望めないが、それでも突貫工事で造り上げたとは思えない見事な浴場が設けられており、

カドックは改めて自分が歴史の生き証人になっていることに驚嘆していた。

一方で、我らが藤丸総督はわざわざカルデアから取り寄せた石鹸で風情も何もなくジャブジャブと水を垂れ流しながら体を洗っている。

曰く、開放的で気持ちがいいけれど、タオルも石鹸もないからイマイチ、綺麗になった気がしないとの事。

石鹸が主流になるのはだいたい中世に入ってからで、それまでは粘土や木炭を洗剤代わりに使っていたようだ。

確かにこれでは余り汚れは落ちそうにないし、垢すり用のスプーンや毛羽だった羊毛で体を擦るのは余り快適には思えない。

迷った末にカドックも彼の石鹸を拝借すると、手早く体を洗って浴槽へと移る。

 

「はあ、フランスとはえらい違いだね」

 

「確かに向こうじゃ野宿が基本だったしな。まさか風呂まで堪能できるとは」

 

「首都の浴場はもっとすごかったよ。入浴の前にレスリングや筋トレしててさ」

 

「バスというよりは娯楽のための施設だからな。歴代のローマ皇帝や議員は人気取りのために浴場の建設や無料開放なんかを頻繁に行ったそうだ」

 

「壁に演劇の告知とか彫られてたし、飲み物も買えたり、何だか日本の銭湯みたいだ」

 

「極東の民間施設と一緒にされるのは皇帝も心外だろうな。いや、全ての道はローマに通ずるとでも言うかもしれないが」

 

取り留めのない話をしながら暖かいお湯を堪能するが、やがて話は自然と今日までの出来事に及んでいった。

自分がガリアにレイシフトし、カエサルと戦ってからの数日の間、彼もまたネロ帝と共に連合ローマ帝国と戦っていたらしい。

向こうではカリギュラ帝やスパルタのレオニダス王が敵として立ち塞がり、ネロ帝率いるローマ軍と協力して何とか倒すことができたようだ。

更に客将として召し上げられたはぐれサーヴァントの荊軻や呂布奉先も各地で遊撃的に立ち回り、数人の皇帝サーヴァントの暗殺に成功している。

この状況を好機と見たネロ帝は全軍を指揮して連合に攻め入る事を画策し、ガリア総督府の精鋭と合流することが今回の慰問の目的との事だ。

早くとも明日には連合首都への進軍が始まるだろう。

 

「信用できるのか、女神の祝福なんて?」

 

「うーん、荊軻の偵察では確かに都市が確認できたから、大丈夫だとは思うけれど」

 

首都ローマから遥か彼方。

現在の地理でいうならばスペインに当たる場所に連合ローマ帝国の首都は存在した。

彼らはそれを地中海に現界していたサーヴァント、女神ステンノから教えてもらったらしい。

 

「あり得るのか、神霊がサーヴァントとして呼ばれるなんて?」

 

「ドクターも頭を抱えていたよ」

 

それもそのはず。サーヴァントはあくまで英霊の側面を抽出したもの。

神霊とは文字通りの神、或いは自然現象そのものであり人間とはスケールが違い過ぎる。

例えば何れは神に至る英雄、神から堕とされた人間や魔獣の類ならばわかる。

彼らには人や獣としての側面があり、そこを切り取ってサーヴァントという器に押し込むことができる。

有名なところでいえば大英雄ヘラクレスやゴルゴン三姉妹のメドゥーサがそれに当たる。

しかし、女神が女神としての権能を有したままサーヴァントになるなどと、そんな異常事態が起きても良いのだろうか?

或いは、聖杯がそこまでしなければならないほど、この特異点は異常を起こしているのか。

そういえば、カエサルは消滅する前に何と言っていた?

歴代の皇帝ですら逆らえない御方がいると。

ローマ皇帝はおろかカエサルですら逆らえない存在。

それはつまり―――。

 

叛逆(こんばんは)!」

 

突然現れた巨魁と奇怪な挨拶に驚き、カドックは湯船の中にずり落ちてしまう。

慌てて起き上がろうとするがパニックを起こしたことで前後不覚に陥り、なかなか湯船から顔を出すことができない。

その情けない様を目にしたスパルタクスは仕方ないなと言わんばかりに首を振ると、その大きな手でカドックの痩躯を掴み、お湯の中から引き揚げた。

 

「浴槽で遊ぶのはよくないな、少年。体を動かしたいのなら外で体操でもしてくると良い。何なら私も手伝おう」

 

「お前が訳の分からない挨拶をするからだ」

 

「ハッハッハッ、では共に汗を流し明日の叛逆に備えよう。失礼!」

 

そう言ってスパルタクスはカドックを放すと、おもむろに2人の隣に腰かけた。

体が大きすぎて肩まで浸かれないが、彼は気にすることなく張り詰めた筋肉を弛緩させていく。

厳つい顔つきもいくらか緩んでいるようで、彼が入浴を心から楽しんでいることが見て取れる。

戦場での嵐のような荒々しさからは想像もできない穏やかな一面だ。

 

「私はスパルタクス、早速だが君は圧制者かね?」

 

前言撤回。

人畜無害そうな東洋人に対して開口一番に問い質すその姿は紛うことなきバーサーカーだ。

少しばかり気質が落ち着いているだけで、中身はいつものスパルタクスである。

 

「え、えーっと?」

 

「彼は僕の同僚だ、スパルタクス」

 

「ふむ、つまりは圧制者? いや、しかし・・・なるほど。喜ぶがいい、此処は無数の圧制者に満ちた戦いの園だ」

 

どうやら彼の中の圧制者探知機に引っ掛からなかったのか、スパルタクスは藤丸立香に対して彼なりに歓迎の意を示す。

 

「あまねく強者、圧制者が集う巨大な悪逆が迫っている。叛逆の時だ。さあ、共に戦おう。比類なき圧制に抗う者よ」

 

「歓迎されている、で良いんだよね?」

 

「多分な」

 

支離滅裂なスパルタクスの言葉から意味を読み取るのは非常に疲れる。

さすがの人たらしも狂化EXの狂戦士を相手にしてはコミュニケーションに苦労するようだ。

 

「叛逆の勇士よ、その名を我が前に示す時だ。共に自由の青空の下で悪逆の帝国に反旗を翻し、叫ぼう」

 

「えーと、名前を言えばいいのかな? 藤丸立香です」

 

「うむ、覚えおこう、叛逆の同士よ」

 

そう言って今度はこちらに向き直る。

突然、目の前に傷だらけの朗らかな笑顔を向けられてカドックはまたも身を強張らせるが、今度は溺れないようにしっかりと体を支えて持ち堪える。

 

「少年よ。圧制者たらんとする叛逆者よ。君の名はまだ示されていない。共に凱歌を謳うのならば、我らは対等であるべきだ。さあ、さあ!」

 

しつこく言い寄るスパルタクスにカドックは困惑を隠せず、反対側の少年はというと若干引き気味で距離を取っている。

どうしてここまで食い下がるのかと考えて、カドックは自分がまだ彼に名乗っていなかったことに思い至った。

先の戦いではそんな余裕はなかったし、その後はすぐに拘束されてブーディカの取り調べを受け、そのまま牢に入れられた。

自分とスパルタクスが話すのはカエサルとの戦い以来なのである。

 

「・・・・・・カドックだ。カドック・ゼムルプス」

 

「うむ、その名はいずれ大いなる圧制の象徴となるであろう。だが、今の君では張り子に等しい。恐れるならば叛逆するのだ。抗う権利は誰にでもあり、誰もが叛逆者となりえるのだから」

 

カチリと、何かが噛み合ったような気がした。

或いは張り詰めた弦が切れた音を聞いたような気がした。

自分でも知らなかった―――直視しないようにしてきたどす黒い部分が否応なく引きずり出され、晒されてしまった気分だ。

そう、ここまでの戦いで忘れようとしてきた。

冬木では英雄クー・フーリンの力を借りる事で何とか生き残ることができた。

フランスでは多くの英雄と力を合わせることで勝利することができた。

先の戦いでは勝てないまでも十分に食い下がる事はできたと自負していた。

少しずつ、勝利を積み重ねてきたことで培った自信が、彼の前では脆くも崩れ去ってしまう。

自分は弱い。

魔術師として未熟であり、その才覚はスパルタクスに叛逆の意志を抱かせない。

彼は強い者に反抗し、権威ある者に抵抗し、圧制を敷く者に叛逆し、弱き者の盾となる。

戦場では時に敵意を向けてきたスパルタクスが、今は穏やかな目でこちらを見下ろしているのだ。

それは自分がどうしようもなく弱く、彼の庇護欲を掻き立てるからに他ならない。

 

「―――言うな」

 

「?」

 

「知ったようなことを言うな、バーサーカー! いつか強くなる? それじゃ遅いんだ!」

 

どうして、生き残ったのが自分なのか。

Aチームの他の誰かなら、もっとうまくやれたはずだ。

きっとアーサー王やファヴニールも彼らなら敵ではなかったはずだ。

だが、実際に生き残ったのは未熟な自分と素人の少年ただ2人。

それでも抗うと決めたのだ。

無謀とも言える世界の救済を、たった2人の魔術師と僅かな仲間で成し遂げると誓ったのだ。

だから、弱さを突き付けられるとどうしようもなく怒りが込み上げてくる。

 

「お前が言う叛逆者に僕はならない」

 

誰が守られてやるかと、肩にかけられた狂戦士の手を払い除ける。

どうせ議論しても狂化のせいで話にならないのだからと、カドックは怒髪天を突く勢いのまま浴場を後にする。

彼にだけは見下されてなるものかと、そう心に誓いながら。

 

 

 

 

 

 

激昂したカドックが浴場を飛び出し、奇妙な沈黙が残された。

スパルタクスは微笑みを浮かべたまま走り去ったカドックの背中を追い、藤丸立香は言葉を挟むことも追いかけることもできずに困惑することしかできない。

しかし、このまま彼を放っておく訳にもいかないだろう。戦闘に関しては素人である自分でも、あんな不安定な精神状態では戦いに支障がきたすくらいのことはわかる。

そう思って湯船から立ち上がろうとすると、巨大な手の平が肩を掴み、強引に湯の中へと押し戻された。

 

「うわっ!?」

 

スパルタクスだ。

何を考えているのか知らないが、どうやら彼はまだ自分に立ち去って欲しくはないようだ。

 

「少年よ、いずれは圧制者となるであろう者よ。どうか彼には気を付けて欲しい」

 

先ほどまでとは比べ物にならない穏やかな声音でスパルタクスは言う。

その瞳には相変わらず狂気が孕んでいるが、藤丸立香はその言葉を聞き逃してはならないと、深く深く自分の胸へと刻み付ける。

 

「彼は圧制者の卵であり叛逆の徒でもある。その天秤の揺れを止めることは何人にも許されない禁忌なのだ。彼はいつか我が叛逆に圧制し、君に叛逆する時がくるかもしれない。友として君達が共に凱旋することを切に願う」

 

言っていることの意味は微塵もわからないが、どうやらカドックのことを心配してくれているようだ。

彼がその言葉の意味を理解するのはまだ先の話。

今はただ、静かに狂戦士と共に湯船に浸ることに集中しよう。

そして、この場での出来事は自分達だけの秘密にしておくべきだと、少年は心に決めていた。




というわけで原作から大幅にシナリオがカットされて何人かの鯖は出番がなくなりました。
カリギュラ帝とか凄く楽しく書けそうだけど、やりだすとまたも原作をなぞるだけになるのと、今回はスパルタクスにスポットを当てていきたいというコンセプトからこうなりました。
本編でカットされた部分は概ね、原作と同じことが起きていたとみなしてください。


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永続狂気帝国セプテム 第4節

正統ローマ帝国軍による、連合帝国首都への進撃が始まった。

偵察によると、確かに首都ローマに酷似した都市が存在しており、兵士の出入りも確認された。

正統ローマ帝国軍の戦力は、指揮官にして皇帝であるネロ・クラウディウスを筆頭に、残存ずる正規軍から選りすぐりの精鋭達。

ガリアから合流したブーディカとスパルタクス。遊撃部隊として各地を転戦していた荊軻と呂布。

そして、カルデアの魔術師2名とサーヴァント。マシュ・キリエライトとアナスタシア・ニコラエヴナ・ロマノヴァ。

総勢6体のサーヴァントを擁した軍勢。それが、皇帝ネロの率いる正統ローマ帝国軍。

通常戦力では適うはずがない軍勢であったが、連合はどういう訳か敵将のサーヴァントを投入してはこなかった。

進軍は滞りなく進み、帝国軍は破竹の勢いで連合首都へと進撃を続ける。

そんな中、マシュは行軍の合間を縫ってカルデアの端末に行軍記録を纏めていた。

時々、首を捻りながら指を走らせるその様に興味を覚えたのか、アナスタシアはマシュの後ろから端末を覗き込んでその内容を読み上げる。

 

「マシュ、日記でも書いているのかしら?」

 

「あ、アナスタシア皇女。はい、そうなんです。実はドクターから戦記物っぽく日記をつけてくれないかと頼まれまして」

 

「あー、この前の通信ね」

 

合点がいったと隣を歩くマシュのマスターが手の平を叩く。

 

『そうとも、せっかく藤丸くんがローマ総督のひとりになったんだからね。ここは英雄カエサルにあやかって、新・ガリア戦記という題はどうだろう? 途中で神様が出てくる辺りはうまく誤魔化してだね・・・」

 

「まさか、出版するつもり?」

 

あまり魔術の世界に明るくないアナスタシアでも、カルデアが扱う機密の重要性は何となく理解できる。

不用意にそれが出回ろうものなら天地が引っくり返るような大騒ぎが起きるだろう。

というか、人理焼却されているとはいえ、曲がりなりにもカルデアは国連だかアニムスフィア家だかの所有物なのだから、そこに了解を取らなければマッチ一本だって持ち出せないはずだ。

 

『真面目な話をするとね、君達が世界を救うことができたとしてだ、それでもカルデアを襲った悲劇が覆ることはないだろう。つまり、ボクらの給与については保証がない。後はわかるね?』

 

路頭に迷わぬよう書き溜めた記録を出版して、夢の印税生活を送ろうという魂胆のようだ。

名誉が一銭にもならないことは同感だが、それでもここまで形振りを構わない姿勢は呆れを通り越して哀れみすら湧いてくる。

戻ったら念入りに頭を冷やさせた方が良いかもしれない。

 

『あ、ごめん。冗談だってば』

 

何か悪寒にでも駆られたのか、慌ててロマニは訂正する。

 

『世界終焉の危機に狸の皮算用もないだろう。戦況を正しく把握するため、最上の手段を取っただけさ』

 

余りにも白々しい言い訳にため息も出ない。

清姫辺りが聞いていたら黙っていないだろう。

マシュもその辺は分かっているのか、澄ました顔で端末を操作して自分がつけたばかりの記録を消去する。

 

「趣旨は理解しましたので、この日記は破棄しますね。戦闘記録に関しては、後ほどダ・ヴィンチちゃんに届けますので」

 

「働きなさい、ドクター。贅沢や甘い考えは心の贅肉よ」

 

『よぅし、正しい教育が行き届いているぞ! チクショウ!』

 

やけくそ気味に吠えたロマニは通信を切り上げ、周囲の索敵に専念する。

所長代理もこの2人にかかれば形無しである。

 

「ところで、マシュのマスターさん。カドックの様子が何だかおかしいのだけれど、何か心当たりはないでしょうか?」

 

ガリアを出立する前後から、妙に不機嫌で苛立っているように思える。

本人はうまく隠しているつもりのようだが、短くない時間を一緒に過ごしていれば些細な変化くらいはすぐに気づけるというものだ。

彼の場合、下手に和を乱さないよう内省するタイプなので、誰かがフォローしないとどんどん深みに嵌ってしまうこともあるので、アナスタシアとしても非常に気がかりなのだ。

だが、唯一の手掛かりであろうマシュのマスターは知らぬ存ぜずの一点張りのため、思ったような収穫を得ることはできなかった。

 

「・・・・・・」

 

「あの、ジッと見られると怖い」

 

「まあ、良いでしょう」

 

男の子ですものね、と付け加える。

弟も丁度、あんな感じに意地を張って背伸びすることがあった。

マスターの友人を追求することを諦めたアナスタシアは、マシュに礼を言うと霊体化してカドックのもとへと移動する。

何が気に入らないか相変わらずの仏頂面。きっと理由を聞いても答えてはくれないだろう。

だから、いつも通りに接することにした。

 

「カドック、足が痛いわ」

 

「さっきから消えたり出たりしていた理由はそれかい、アナスタシア?」

 

「ええ、足の母指が痛くてもう歩けません。あなたの後ろに失礼するわね」

 

「えっ? あ、ちょっと!?」

 

実体化した途端、急な重みを感じて驚いた馬が暴れ出し、慌ててカドックは手綱を引く。

その際に何か施したのか、彼の魔術回路が僅かに励起したのが感じられた。暗示の類で強引に抑え込んだのかもしれない。

 

「気を付けてくれ、僕だって乗馬は慣れていないんだ」

 

「そうなの? それにしては上手ね」

 

「時計塔はイギリスにあるんだ。機会はいくらでもあったさ」

 

嘘だ。

本当は出発前に猛練習していたことをアナスタシアは知っている。

暗がりの中、何度も落馬しながらも諦めずに挑み続け、一晩でモノにしたのだ。

それを隠して実は経験があったのだと言うのは、単なる見栄なのだろう。

 

「そういえば、皇帝陛下には話したの? カエサルから伝言を預かっていたでしょう?」

 

「ああ、そうだね」

 

出発前はそんな暇はなかった、と言ってカドックは馬をネロ帝のもとへと近づける。

 

「おや、カドックではないか。なかなか様になっているではないか」

 

「お褒めに預かり光栄だ・・・・・・です、陛下」

 

「よい、そなたはあれであろう。そういうのは苦手なのであろう?」

 

「―――すまない」

 

「うむ、気にするな。それにそなたとは一度、しっかりと話す場を作らねばと考えていたところだ。藤丸やマシュと違って、まだ会ったばかりだからな。藤丸同様見所もあるし、なんなら総督に取り立ててやってもよいぞ。実際、そなたはそれに値する働きをすでにしているのだからな」

 

ブーディカ軍に加勢し、ガリア解放に協力したことだ。

あの時は状況もわからずただ流されるだけだったが、後に聞いた話によるとカエサルはかなりの戦上手で、狂戦士のように勇猛果敢な連合兵士を巧みに指揮してブーディカ達を苦しめていたらしい。

ブーディカ曰く、一切の無駄がない男。スパルタクスの助力もあり、一気に巻き返せたから良かったものの、もしもあの場で決着がつかなければ、二度目はなかったかもしれない。

 

「そなた達のことは信用しているが、それでも未だに信じ切れぬよ。死した人間が蘇って我がローマを脅かしているというのは。それも、歴代の皇帝やローマに連なる者。歴史に名を残した勇勝な王達というのは、悪い冗談にも程がある」

 

「だが、それは事実だ」

 

「ああ、わかっているとも。だが、それでも思わずにはいられないのだ」

 

そう言って、ネロは周囲に目配せすると、誰も聞いていないことを確認してから小さな声で囁いた。

 

「余は間違っているのかもしれないとな。余は国と民を愛し、民もまたローマを愛してくれている。だが、その治世に―――或いはこれから先に、余は致命的な過ちを犯してしまうのではと」

 

第五代皇帝ネロ・クラウディウス。

後世においては暴君ネロと呼んだ方が通るかもしれない。

本来ならば皇位からも遠い血縁であったが、母親の陰謀によって皇帝にまで祀り上げられた彼女は、当初は良き師に恵まれたこともあって善政を敷くことができたが、やがてはボタンが掛け違えるかのようにローマ市民からの信頼を失い、その権威は失墜した。

史実に見る彼女の治世は良くも悪くも破天荒だ。

州税の一本化や間接税の撤廃といった富の集中管理と民へのばらまき政策を行い、東方諸国との外政やブリタニアの反乱の鎮圧にも成功したことで内外からの人気も高かったが、一方で自身の邪魔となる権力者の迫害や暗殺、歌手の真似事や放蕩かつ淫靡な私生活が問題視されることも多かった。

特にこの時代の後に起きるローマの大火では私財を投げ売ってまで行った迅速な対応を評価される一方、火事の主犯はネロではないのかという謂れのない悪い噂やそれを払拭するために行ったキリスト教の弾圧、私情を交えた都市再建計画などが批判されるなど、彼女の治世の在り方を的確に表しており、同時に後の失脚へと繋がる要因となっている。

 

「ローマのためと剣を執って戦っているが、伯父上・・・カリギュラと会ってからどうしても心が揺れてしまう」

 

「連合帝国は今の治世を正すために現れたと?」

 

ネロは黙って首肯する。

さすがに、言葉にするのは憚られたようだ。

 

「そうね。皇族なのですから、そういうこともあるかもしれませんが・・・」

 

「アナスタシア?」

 

「けれど、間違っていたのなら、それを正していいのはきっと、あなたが愛したローマ市民でなければいけないと思うわ」

 

少なくとも、自分達ロマノフ家はそうやって歴史から退場したと、最近になってアナスタシアは考えるようになった。

当時のロシアは第一次世界大戦による疲弊で国民には政府に対する不満が満ちており、父ニコライ2世は反乱を鎮めることができず家族ともども監禁され、最期には裁判を経る事なく殺されてしまった。

それは悲惨な出来事であったが、ロシアが生まれ変わるためには必要なことであった。

父の代でロシアはどん詰まりであり、どんな形であったとしても自分達は裁きを受けなければならなかったのだ。

自分達家族を殺した者への恨みはある。呪ったこともある。再び故国に足を踏み入れた時、正気でいられる自信もない。

けれど、生まれた時代も場所も違う友人、マリー・アントワネットの死がそうであったように、国が生まれ変わるためにはロマノフ王家の退場が必要であった。

そして、その裁きを下して良いのは今を生きる人間でなければならない。

未来を創るのはいつだって今を生きる人間だ。

自分達のような過去の人間、サーヴァントが干渉していいものではない。

 

「私達はカリギュラ帝とはお会いできませんでしたけれど、カエサル様はきっと同じような考えであったと思うの。そう思わない、カドック?」

 

「エールを送っていたのは確かだろうな。汝が美しいと思うことを為せ、なんて言うくらいだから」

 

死した皇帝達との出会いがネロに迷いを抱かせることを、彼は危惧していたのかもしれない。

それが何か思惑があっての事なのか、単なる老婆心からなのかは今となってはわからないが、彼なりにネロへ伝えたいことがあったのは事実であろう。

 

「そうか、カエサル殿が。遠い先達にそのような激励をもらったとなると、余も迷ってはいられないな」

 

ネロの顔に再び、いつもの活力が戻ってくる。

特に意味もなく大きな声を張り上げて、周囲の兵がそれに呼応する姿はどこか滑稽だがとても微笑ましい。

それを見て安心したアナスタシアは、チラリと己がマスターの横顔を見やった。

彼もこれくらい素直であれば、もう少し楽に生きられるだろうに、どうして自分で自分を縛り付けるような生き方しかできないのだろうか。

そんな風に考えていると、不意に瞼の向こうに行進する兵士の姿が映り込む。

意識を研ぎ澄ませ、ヴィイを通してその光景を捉え直すと、それは連合ローマ帝国の兵士達であることがわかる。

こちらにまっすぐ、向かってきているようだ。

 

「陛下、前方に敵襲です」

 

『こちらも確認できた。サーヴァント反応なし、通常兵力のみだ』

 

カルデアのロマニからも通信が入り、部隊間を伝令が走る。

知らせを受けたマシュ達も兵を迎え撃つためにこちらへ駆けてきた。

 

「むう。折角の談議であったのに、余はつまらぬ」

 

頬を膨らませたネロは、気を取り直して配下の軍団に号令をかける。

目的は敵の殲滅。ただし、降伏する者がいれば投降を受け入れよと厳命する。

 

「余のローマに恭順するならば命は助ける! かかれぇっ!」

 

 

 

 

 

 

開戦の合図が鳴らされ、先頭の集団が連合兵と接敵する。

カドックはまず周囲の索敵に専念することにした。

アナスタシアがヴィイの魔眼を通して戦場を俯瞰したが、敵の数は少なく、ロマニが言うように指揮官らしきサーヴァントも見当たらないらしい。

すでに連合の支配圏に入っているにも関わらず、敵の動きの少なさには何か不気味なものを感じてしまう。

 

「キャスター、周りに伏兵はいないか?」

 

「えっと・・・見当たらないわ」

 

『こちらでもモニターしているが、それらしい反応はない』

 

そうしている内に戦場が帯状に広がっていく。

先陣を切ったブーディカが兵を鼓舞して回り、ネロとマシュが遊撃的に立ち回って敵の数を減らす。

後方に控えるスパルタクス達を前に出すまでもなく、戦いはすぐに決するだろう。

ここにいる誰もがそう考えていた。

しかし、立ち塞がる敵をいくら倒そうとも、ローマ兵と切り結ぶ連合兵の勢いが削がれることはなかった。

まるで欠けた者など誰もいないかのように、仲間の屍を踏み越えて次々に新しい兵士が姿を現すのだ。

明らかに開戦時よりも多くの人間がローマ兵の刃に倒れ、屍の山を築いていた。

その違和感に最初に気づけたのは、通信の向こうで索敵を行っていたロマニだった。

 

『おかしいぞ、敵の数が減らない。いや、これは・・・・増えている!? 倒した端から新しい兵が補充されているんだ。』

 

「けど、待ち伏せや援軍の姿は見えません」

 

『似たようなデータが以前にもある。藤丸くん達が戦ったレオニダスだ。恐らく、魔術か宝具で兵士を送り込んでいる』

 

「うん、彼は生前の部下を呼び出す宝具を持っていた。きっとこの兵士達も連合のサーヴァントが呼び出しているんだ!」

 

「部下を召喚する宝具か―――キャスター、もう一度視て欲しい。今度はもっと遠くだ」

 

倒した連合兵は既に100や200を超えているが敵の勢いは衰えない。

どうやら戦っている間に生きた兵士と置き換わっていったようで、生粋のローマ兵は既に残っていない。

今、こちらに襲い掛かってきているのは皆、黒い装束を身に纏い、仮面や毛皮で顔を隠したサーヴァントもどきの兵士ばかりだ。

倒せど倒せど尽きることなく現れる援軍。素顔を隠した兵士達。

その逸話には心当たりがある。

アケメネス朝ペルシャの精鋭部隊。

一万騎兵、或いは不死隊。

素顔を隠し、数を欺瞞し、敵に恐怖と威圧を与えた恐るべき集団だ。

 

「いたわ、カドック。黒くて大きなサーヴァントが。でも、遠い・・・」

 

アナスタシアがヴィイを通して見つけたのは前方の遥か彼方。

恐らくはペルシャに連なる王のサーヴァント。どうやらこちらの索敵の圏外から兵を送り出していたようだ。

 

「そいつを倒さねばならぬのか? だが、敵の数が減らねば前に進めぬ。呂布かスパルタクスを呼ぶしかないのか・・・」

 

複数人の騎兵を纏めて薙ぎ払ったネロが、傷ついた部下を庇いながら言う。

呂布とスパルタクスは正統ローマ軍における最大戦力だが、どちらもバーサーカー故にこちらの指示を聞かない。

最悪、敵を追い回した末に戦列を離れて行方がわからなくなる可能性もあるのだ。

それを避けるために、ネロは2人を軍の後方に配して敵と戦わせないようにしてきた。

切り札を切るべきかいなか、ネロは迷いを見せる。

 

「陛下、僕達の前から兵を下げて欲しい。少しの間だけでいい」

 

「む? 何か策があるのか、カドック?」

 

「要は道を切り開けばいいんだろう。藤丸、キリエライトと一緒にブーディカの戦車に乗れ! 荊軻もだ!」

 

「わかった。マシュ、合図したらいつでも宝具が使えるように準備するんだ」

 

「了解です、マスター!」

 

こちらの意図を察した2人が荊軻を伴ってブーディカのもとへと走る。

この兵士達は宝具の産物、例え諸共に焼き払ったとしても、大本を断たねばすぐに復活する。

ならば、自分達が取るべき手段は一つだけ。

戦線に風穴をこじ開け、そこから少数精鋭の戦力を送り込んで本丸を叩くまでのこと。

 

「宝具を開帳しろ、キャスター!」

 

「ええ! 魔眼起動――疾走せよ、ヴィイ!」

 

刹那、視界に映る全てが蒼白に染まる。

アナスタシアの宝具、『疾走・精霊眼球』(ヴィイ・ヴィイ・ヴィイ)によって起こされた吹雪は前方の不死隊を纏めて凍り付かせ、吹き荒ぶ風を叩きつけられた氷の彫刻は粉々に砕け散っていく。

合戦の場は一瞬の内に氷の静寂が支配し、その中で動ける者など1人もいない。無論、不死隊が宝具の産物である以上、敵は即座に新たな兵を送り出してくる。

それでも、ブーディカの戦車が疾走するには十分な隙であった。

気づいた敵兵が矢を射るも、それはマシュの宝具によって阻まれ、不死隊が復活する頃には既に戦線を抜けて遥か彼方を走っていた。

後は彼らが首尾よく敵のサーヴァントを仕留めてくれれば、こちらの勝利だ。

 

「恐れながら皇帝陛下に申し上げます。後方にて敵部隊の奇襲あり。スパルタクス将軍及び呂布将軍が戦闘中」

 

その報告を受け、カドックの脳裏に衝撃が走った。

裏をかかれた。

前方のサーヴァントは囮だったのだ。

敵の狙いはこちらの戦力を分断すること。自分はその策にまんまと嵌ってしまい、戦力の半分を割いてしまった。

宝具も使ってしまったことで、自分とアナスタシアの消耗も大きい。

この状態で無節操に暴れ回るバーサーカー2人を御しながら戦うのは至難の技だ。

 

「カドック、疲れているところ申し訳ないが、ここは余が抑える故、将軍達を頼む。後生だ!」

 

「―――わかった」

 

不死隊を抑えるだけならばローマ兵でも十分に戦える。

それよりもスパルタクスと呂布だ。

敵の狙いが戦力の分断なのだとすれば、恐らく後方の敵はすぐに撤退するだろう。

スパルタクス達がそれを追って部隊を離脱する前に、戦闘を終わらせなければならない。

馬の手綱を握るカドックの胸に焦りが募る。

こんな時ですら、先日の狂戦士とのやり取りが脳裏を過ぎり、堪らなく自分が嫌になった。

 

 

 

 

 

 

結論から言うと、完膚なきまでの敗北だった。

スパルタクスと呂布はカドック達が駆け付けるよりも早く、撤退する敵の軍勢を追って戦線を離脱。そこに更なる別動隊の奇襲もあり、足止めを食らった事で2人を追いかけることすらできなかった。

一方、不死隊の主であるサーヴァント―――ダレイオス3世と対峙したマシュ達もこれを何とか撃破したものの、疲弊していた隙を突かれて突如現れた騎兵により、ブーディカをさらわれてしまった。

 

「ごめんなさい、私がもっとちゃんと視れていれば」

 

「それ言うのならわたしも、ブーディカさんを守れませんでした」

 

「よい、過ぎた事を悔やむでない、2人とも。それよりもこれからどうするかを考えるべきだ」

 

ローマに来て以来の最大の窮地が今、彼らに襲い掛かっていた。

スパルタクスと呂布、ブーディカという攻めと守りの要を欠いた状態で連合首都を攻めるのは余りに無謀だ。

かといって、代わりとなる戦力を補充できるような状況でもない。正統ローマ軍にできるのは離脱した2人を追うために戻るか、ブーディカを救うために進むかの二択しか残されていないのだ。

 

「うむ、今こそ余は決断したぞ。先の戦いで我が軍は劣勢へと陥った。これは厳然たる事実として余も受け止めよう。敵将たる「皇帝」どもと渡り合える余の将軍たち。うち2人が戦線を離脱、一人が敵の手に落ちた。先の2人については仕方がない。いや、余の采配の誤りだ。時間は些かかかるかも知れぬが、いずれ呂布とスパルタクスは戻ると信じよう。故に今は―――ブーディカを助け出す!」

 

ネロが選択したのは、前に進むことであった。

先んじて斥候に動いた荊軻によると、ブーディカをさらった者は連合首都ではなく離れた場所にある砦へと入っていったらしい。

何かしらの罠の気配も感じられるが、彼女を助け出すためにはそれを踏み抜かねばならない。

 

「・・・・・・」

 

「どうしたのだ、カドック? 先ほどから黙って?」

 

「陛下、アナスタシアには遠見の眼がある。カルデアのバックアップを受ければ、スパルタクス達の行方もすぐに見つけられるはずだ」

 

自分でも何を言っているんだと思わずにはいられなかった。

これから自分が提案しようとしていることは、正統ローマ軍の戦力を更に割くこととなる愚行だ。

ここは既に連合の勢力圏。どこにいるかもわからない、見つけたとしても指示を聞かない狂戦士を探し出すよりも、今は一刻も早くブーディカを救い出し、部隊を立て直すことが先決なのだ。

しかし、カドックの胸中に納得しきれない感情が渦巻いていた。

ここで彼らを見捨ててはいけない。

スパルタクスは言っていた。悪逆の帝国に反旗を翻そう、共に凱歌を謳おうと。

その言葉を偽りにしたくはない。

彼は口を開けば訳の分からないことばかりまくし立てるので腹立たしいし、何かにつけて自分のことを弱いだの張り子の虎などと見下してくる。

けれど、あの背中はとても逞しくて、彼には正しい道にいて欲しいと思っている自分がいる。

結局、自分は彼に認めてもらいたいだけなのだろう。

クー・フーリンが、ジークフリートが、多くの英霊達が自分達を尊重し力を貸してくれた中、彼だけが辛辣に弱さを指摘する。

それがどうしようもない事実だから許せなくて、せめてあの背中に追いつきたい、認めてもらいたいと足掻く自分がいることが意外で仕方なかった。

 

「頼む、陛下」

 

「うむ、では2人のことは任せよう、カドック・ゼムルプス。余はブーディカを救い出し、連合首都でそなた達を待つ」

 

一頭の馬が一組の男女を乗せ、行軍する一団から逆走する。

手綱を握る少年の胸中は複雑で、これで良かったのだろうかという迷いが捨てきれない。

そんな彼の気持ちを後押しするように、背中の少女はそっと少年の胴に回した腕に力を込める。

賽は投げられたのだ。

スパルタクスと呂布、2人を連れ戻すためにカドックは、アナスタシアと共に荒野を駆けた。




厳密にはアナスタシアの眼は遠見じゃなくて透視なんですけどね。
細かい設定が不明なので後から遠くは見れませんって設定出たらどうしましょう(笑)


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永続狂気帝国セプテム 第5節

ネロ達と別れ、馬を走らせること半日。

既に日没が迫る中、カドック達は離脱したスパルタクスと呂布の姿を捉えていた。

カルデアが捉えたサーヴァントらしき魔力反応がいる場所を虱潰しにアナスタシアが透視したことで、2人の行方は早々に見つけ出すことができた。

しかし、逃げ回る連合兵を追って暴れ回る2人の姿を前にして、馬を近づけることができずにいた。

2人はさながら嵐の具現だ。

大木や巨岩を物ともせず、巨大な腕で連合兵を薙ぎ払う。

敵も敵で敵わないとわかっているのか、隊列を縦に伸ばして2人を誘導することに専念していた。

あれでは全員を倒し切る頃には、ネロ達との合流が間に合わないくらい離れてしまうかもしれない。

 

「マスター、どうするの?」

 

「わかっている。少し、待ってくれ」

 

手持ちの礼装で2人を鎮められるようなものはない。

令呪を使えば大人しくなるだろうが、その場合は全画を用いなければ2人を止める事はできないだろう。

この先、連合首都での戦いも控えているため、それはできるだけ避けたい。

やはり、馬を横付けさせて呼びかけるしかないのだろうか。

皇帝を相手にあそこまで大見得を切ったのだ。絶対に手ぶらで帰るわけにはいかない。

意を決したカドックは景気づけに頬を叩くと、西部劇の登場人物にでもなったつもりで馬を走らせた。

馬から飛び降りたアナスタシアも呼びかけの邪魔にならないよう、連合兵達を次々に凍らせていく。

 

「スパルタクス! 呂布! これは敵の罠だ! すぐに戻れ!」

 

2人の攻撃の余波が届かないギリギリの位置まで馬を近づけ、声を張り上げる。

しかし、連合兵との戦いで感情が高ぶった2人は呼びかけを無視して逆走を続け、獣のような雄叫びを上げて暴れ続けるばかりだった。

 

「ブーディカがさらわれた! すぐに戻るんだ!」

 

「圧制! 圧制! さあ、圧制者よ、叛逆の時が来たのだ!」

 

「■■■■■■■■■■■―――!」

 

「言うことを聞け、2人とも!」

 

振り下ろされた槍が大地を割き、薙ぎ払われた剣が大木を裂く。

森に入ろうと川に遮られようと、2人は止まることなく暴走を続ける。

こちらが何度呼びかけても、何を言っても止まらない。

アナスタシアの攻撃の余波が彼らにも及ぶが、それでも2人は止まらず爆走する。

焦りがカドックの胸中を渦巻く。

 

『カドック、ムニエルだ! 藤丸達が敵サーヴァントと遭遇した。相手はあのアレキサンダー大王と諸葛孔明だ!』

 

西方世界を一度は征服した大王と三国志一の軍師。

どちらも一筋縄ではいかない強力な英霊だ。

マシュ達も強くなってきているとはいえ、苦戦は免れないだろう。

やはり、一刻も早くスパルタクス達を連れ戻さなければならない。

 

『頼むぜカドック、早く2人を・・・』

 

「わかっている! 少し黙れ!」

 

『お、おう・・・わかった』

 

こちらの剣幕に圧されたムニエルが静かに通信を切る。

焦りと怒りで胃がチリチリと痛みだす。

ローマに来てからというもの、思い通りにいかない事ばかりだ。

理不尽といういう意味でならフランスも負けていないが、単純に敵が強かったあちらと違ってここでは味方のはずのサーヴァントが頭を悩ませる。

 

「キャスター!」

 

「ここよ」

 

霊体化して移動してきたアナスタシアがカドックの背後に現れる。

 

「目につく範囲に動いている敵はいません。生き残りも撤退を始めました」

 

「なら、後はスパルタクス達だけか」

 

「どうするの、マスター?」

 

「2人を攻撃する」

 

「・・・はい?」

 

こちらの意図を読み取れず、アナスタシアの言葉が詰まる。

 

「気にも留めないっていうなら、無視できないようにするまでだ。敵と同じことを僕らもする」

 

「無茶よ。この馬だって走り詰めなのよ、保たないわ!」

 

「なら自分の足で走るまでだ。キャスター!」

 

自分はネロに約束したのだ、必ず2人を連れ戻すと。

なら、何が何でもそれを成功させなければならない。

 

「嫌なら令呪を使ってでもやらせる。ここで2人を引き留められなきゃ、もう本隊との合流が間に合わなくなる!」

 

「カドック・・・・・・わかったわ」

 

静かに決意し、アナスタシアが暴走する2人のバーサーカーを睨みつける。

瞬間、2人の足が凍り付いて地面に縫い留められた。

バランスを崩した2人に向けて更に容赦なく氷塊が降り注ぎ、荒れた平原の真ん中に氷のオブジェが出来上がる。

カドックは油断なく身構えた。

来るなら来い、魔術師(圧制者)はここにいるぞと動かぬ氷塊を睨みつけ、握り締めた手綱に力を込める。

直後、轟音と共に氷塊が砕け散り、2匹の獣が咆哮を上げた。

 

「キャスター! 落ちないようにしっかり掴まれ!」

 

腹を蹴られた馬が嘶き、一目散に来た道を逆走する。

直後、先ほどまでいた場所にスパルタクスの剣が叩き落された。

 

「ふははははははっ! アイッ! とうとう正体を見せたな圧制者よ! さあ、抱擁の時だ! 潔く我が腕の中で散るがいい!」

 

「■■、■■■■■■!」

 

笑いながら剛腕を振るい、スパルタクスは手近な岩を砕いてこちらに投げつけてくる。

カドックは半ばパニックを起こしかけている馬の手綱を何とか操ってそれをかわし、避け切れない分はアナスタシアが撃ち落とす。

その様を見たスパルタクスは満面の笑みを浮かべ、次々と岩を投げつけながらこちらを追ってくる。

一方、呂布の方はというとしばらくは槍を持ったまま呆けていたが、スパルタクスが動き出したのを見て同じようにこちらを追いかけてきた。

一先ずは計画通りだ。

このまま自分達が囮になって、連合首都まで2人を誘導する。

だが、それは口で言うよりも遥かに困難で恐ろしい作戦だった。

2人はブレーキが壊れた機関車か何かのように、脇目も振らずにまっすぐこちらへ向かってくる。

大木や巨岩が投げつけられ、立ち塞がった河川が滅茶苦茶に踏み潰され、通り過ぎた場所は嵐が過ぎ去ったかのように草木も残らない不毛の土地と化すのだ。

剛腕から繰り出される攻撃はほんの少し先端が掠めただけでも、この体はバラバラに砕けてしまうだろう。

 

「キャスター、2人は!?」

 

「つ、ついてきています・・・」

 

『段々、追い付かれているぞ。もっとスピードを上げろ!』

 

カルデアから位置情報が送られてくるが、確認している余裕はない。

とにかく手綱を握り、疾走する馬に食らいつくのに必死だった。

既に半日以上、走り続けたことで馬の脚も限界だ。

暗示と治癒の魔術で無理やり走らせ続けているが、それもどこまで保つかわからない。

それでも遮二無二、馬を走らせ続ける。

崩れかけたバランスを無理やり立て直し、うろ覚えの記憶を頼りに連合首都を目指して荒野を駆け、追いすがる2人の狂戦士の攻撃を紙一重で避ける。

心臓が跳ね上がる。

馬を走らせるのに夢中で、呼吸をすることを忘れている。

容赦なく叩きつけられる風圧に、思考がぶつ切りと化す。

背後では咆哮が轟き、冷気が束になって渦巻いている。

 

「―――っ!?」

 

一瞬、天地が引っくり返る。

とうとう、馬が限界に達したのだ。

足が折れて倒れた馬からカドック達は放り出され、固い地面の上を何度も転がって着地する。

視界の端に剣を振り上げたスパルタクスの姿が映った。

本能的に恐怖を感じて地面を這う。

急いで逃げなければ、彼の剣は容赦なく脳天を勝ち割るだろう。

だが、ここまで馬を走らせ続けた疲労が立ち上がることを阻害する。

疲れ切った体は鉛のように重く、思うように動いてくれない。

その様を自覚し、もうダメなのかと、諦めが胸を過ぎった。

 

「マスター、こっちに!」

 

剣が届くまで後、一歩と迫った瞬間、何もない地面でスパルタクスはその身を捩る。

その僅かな隙を突いてアナスタシアはカドックを背負うと、狂戦士から距離を取ろうと地を蹴った。

彼女のスキル、「シュヴィブジック」によってスパルタクスを転ばしたのだろう。

しかし、数歩もいかぬ内にアナスタシアは足をもつれさせて倒れてしまう。

 

「キャスター!?」

 

「痛・・・足が・・・・・・」

 

アナスタシアは痛みを庇うように立ち上がり、もう一度走り出そうとする。

そういえば、行軍中に彼女は足が痛いと言っていた。

いつものわがままの類と思っていたが、本当に足を痛めていたのか。

 

「ごめんなさい、こんな時に・・・」

 

「君のせいじゃない、気づけなかった僕のミスだ!」

 

奥歯を噛み締め、迫りくる狂戦士を睨みつける。

ダメもとでガントを放ってみたが、自分の技量ではほんの少し、動きを鈍らせるのがやっとであった。

こうなってはもう、令呪を使うしかないのか。

そう思った刹那、カドックの目はスパルタクスの背後に迫る巨大な影を捉えた。

呂布だ。

中華鎧を身に纏った巨人。

先ほどまでスパルタクスと共に暴走していた狂戦士が、あろうことか仲間であるはずのスパルタクスの背中に強烈な体当たりを仕掛け、彼を突き飛ばしたのだ。

 

「■■■■■■■!!」

 

まるでこちらを庇うように立つと、呂布は倒れたスパルタクスを見下ろす。

案の定、起き上がったスパルタクスは何ら堪えた素振りも見せず、自分を突き飛ばした呂布へとその牙を向けた。

 

「圧制者を庇い立てるか、反骨の将よ! 立ち塞がるなら容赦はせん!!」

 

「■■■■■■■■■■■■―――!」

 

如何なる理由によるものか、呂布は自分達を守るためにスパルタクスと腕四つで組み合った。

そのまま互いの腕が軋みを上げるほどの力比べを始め、踏ん張りの余波で地面が陥没する。

 

「ど、どうして、呂布が私達を?」

 

「わからない。彼もスパルタクスと同じように暴走していたはずだ」

 

ひょっとして、狂化の度合いの違いが関係あるのだろうか。

スパルタクスの狂化は思考の固定に表れているが、呂布は単純に理性が喪失しているだけであり、僅かではあるが思考能力を残している。

アナスタシアの攻撃で冷静さを取り戻し、こちらの言い分もある程度は通じていたのかもしれない。

無論、彼自身が生粋の戦闘狂でスパルタクスとの死闘を望んでいるという線も捨てきれないが。

 

「■■■■■■!!」

 

「雄々々ッ!!」

 

腕力で勝る呂布がスパルタクスの巨体を投げ飛ばし、彼に対して何事かをまくし立てる。

しかし、スパルタクスは聞く耳を持たない。

呂布が力を抜いた瞬間を見計らって強引に抑え込み、そのまま強烈な鯖折りを仕掛ける。

 

「我が鉄の意志は止められぬぅっ!!」

 

まるで投げ縄かなにかのように呂布の巨体を振り回すと、ボディスラムからのフライングボディプレスで追撃を仕掛ける。

だが、呂布もやられっ放しではない。地面に転がりながらも自身の武器である方天画戟を取り出すと、宙を舞うスパルタクスの腹部にその切っ先を突き立て、力任せに近くの岩へとその巨体を縫い付ける。更に、両手足の骨を折る事で彼の動きを完全に封じる事に成功する。

 

「■■■■■、■■■■■■!」

 

スパルタクスが動かなくなったことで、呂布の纏っていた戦意が消えていく。

普通ならば、これで大人しくなったと安堵することだろう。それは当然の反応だ。

だが、スパルタクスの場合はその限りではない。

カドックも一度、目にしている。

彼は痛めつけられるほど、力を増す英霊なのだ。

 

「離れろ、呂布!」

 

「アイッ!」

 

宝具『疵獣の咆吼』(クライング・ウォーモンガー)が効果を発揮し、巻き戻るようにスパルタクスの傷が再生する。

折れた骨は再び繋がり、膨れ上がった肉が方天画戟の刃を押し出す。更に余剰魔力が全身に余すことなく行き渡り、先ほどよりも一回り大きくなったスパルタクスの腕が油断していた呂布の巨体を吹っ飛ばした。

その勢いのまま倒れ伏すカドックに迫ると、アナスタシアを押しのけて彼の首根っこを掴み上げた。

 

「ふはははははははっ!!!」

 

「カドック!?」

 

放たれた氷柱が突き刺さるが、スパルタクスは構わず腕に力を込める。

一瞬で脳が酸欠を起こし、視界が赤く染まった。

カドックは一本一本が子どもの腕ほどもある指を押し広げようと力を込めるが、ビクともしなかった。

 

「さあ、報いの時だ圧制者よ」

 

「っ―――っ―――!!」

 

「カドックを放しなさい、スパルタクス!」

 

「いや、いいんだ・・・アナスタシア」

 

苦し気に息を漏らし、途切れ途切れの言葉でカドックは己のサーヴァントを遮る。

 

(そうだ、これでいい)

 

今、スパルタクスは自分のことを倒すべき圧制者としてまっすぐに見つめている。

思考回路を狂わされ、意思疎通ができない彼と向き合うためには2つの方法しかない。

共に戦う叛逆者として肩を並べるか、圧制者として対峙するかだ。

そして、渾身の力で締め上げてくる手を伝って、彼の純粋で歪みのない敵意、気高き叛逆の心が伝わってくる。

自分は今、あのスパルタクスに圧制者と認識されている。

倒さねばならない敵として、彼の心の中に存在できている。

自分のことを弱くて力のない子どもだと言った、強くて大きな大人に認めてもらえている。

どんな形であっても、彼と対等の場所に立てていることが嬉しい。

 

「聞・・・・・聞いて欲しい・・・向こうに・・・・・・連合の首都がある・・・2日もあれば・・・・・・辿り着ける」

 

ローマを救うためにスパルタクスの力は必要だ。

凡人の自分なんかよりも、ずっと必要だ。

彼の力は、叛逆の精神は必ずや連合ローマ帝国を打ち破り、この地に平和をもたらすだろう。

だから、自分の旅はここでおしまいだ。

 

「圧制者は・・・そこにいる・・・・・・ローマを・・・人理を脅かす敵が、いる・・・・・・倒すんだ、呂布と一緒に・・・たおして・・・ぼくの・・・かわ・・・り・・・」

 

覚悟していても、やはり死ぬのは怖い。

後悔だってある。

結局、アナスタシアとの約束は果たせなかった。

それが悔しくて、情けなくて、一筋の悔し涙が、頬を伝って狂戦士の指を濡らす。

すると、あれほど苦しかった締め付けが緩み、気道に空気が送り込まれる。

直後、カドックの体は地面に尻餅をついて倒れていた。

 

「カドック、大丈夫!?」

 

「あ、ああ・・・けど、どうして?」

 

見上げたスパルタクスは、相変わらずいつもの朗らかな笑みを浮かべていた。

彼は苦しそうに悶えているこちらを優しく立ち上がらせると、鉄板か何かのように分厚い手の平で肩を叩いてきた。

 

「やあ、また会えたね少年。さあ、ここより叛逆の始まりだ! 内なる炎に身を任せ、傲慢なる圧制者に鉄槌を! 虐げられし同胞に自由を! ふははははははっ!!」

 

いつものスパルタクスがそこにいた。

まるでさっきまでの戦いが夢だったかのように、彼からは敵意を感じない。

口に出す言葉に変わりはないが、今だけは彼が何を言わんとしているのかがわかった。

さあ、一緒に戦おうと。

 

「さあ、進め! 我らが前に敵はなし、それはただの試練と知れ! 乗り越えた先に待つ圧制者を討つのだ! 少年よ―――ついて来れるか」

 

一足先に踏み出したスパルタクスが、狂気に惑いながらも確かな意志を持った眼差しでこちらに振り返る。

その瞬間、顎に力が入った。

ギリギリと歯を鳴らし、支えてくれていたアナスタシアの手を取って先を行く剣闘士の後を追う。

空いている方の手はとっくに握り拳を作っていた。

 

「ああ、お前の方こそついて来るんだ、スパルタクス!」

 

疲れ果てた体にありったけの熱を込め、傷だらけの背中を突破する。

ローマで過ごした短い時間、常に前を走り続けていたスパルタクスの背中がそこにはない。

視界いっぱいに広がる景色を、遮る者は何もない。

何故なら、追いかけ続けた男は自分の隣にいるのだから。

さあ、ここからが叛逆の始まりだ。




Q どうして呂布は急に助けてくれたんですか?

A 陳宮「自重するのです我が無敵主君(むてきロボ)。覇を求めるのなら彼らと共に行くのです。そもそも貴方は欧州に土地勘がないでしょう」

などと言われたのかもしれません。


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永続狂気帝国セプテム 第6節

どこまでも続く平原を、2つの巨躯が疾駆する。

1人は傷だらけの英雄。自由を求め、圧制への抵抗を志したスパルタクス。

1人は半人半機の英雄。主を持たず、数多の戦場を駆け抜けた呂布奉先。

彼らが目指すのは連合ローマ帝国が首都。

そこに巣くう仇敵を討つため、2人の狂戦士は昼夜を問わず、疾走を続けていた。

 

「ふはははははっ!! アイッ! アイッ!」

 

「■■■■■、■■■■■■■!!」

 

「きゃっ!? ちょっと、あぶなっ―――」

 

スパルタクスの腕の中で、必死に振り落とされないようしがみ付きながらアナスタシアは抗議する。しかし、スパルタクスは聞く耳を持たず、寧ろ更に駆ける速度を速めていった。

 

「ハーハッハッ! さあ急ぐのだ、圧制は待ってくれない! そう、時間とは圧制! 圧制への叛逆こそ我が生きがい! もっと速く、もっとだ!」

 

恐らくはこのローマで最大の圧制者を目前に控え、精神が最高潮に達したスパルタクスは意味不明な言葉をまくし立てながら丘を越え、木々をかき分けて連合首都を目指す。

実際、彼が言うように急がねばならないのは事実だ。

カルデアからの通信では、既にネロ達はブーディカを救い出して首都へ向かったらしい。

障害など物ともせず、一直線に最短距離を走っているとはいえ、開戦にはギリギリ間に合うかどうかといったところだった。

 

「カドック、もっとこっちに。そこだと落ちるかもしれません」

 

「あ、ああ」

 

アナスタシアに引っ張られ、姿勢を正す。

結果的に、彼女と密着する形となってしまい、鼓動が跳ね上がるのを禁じ得なかった。

今までも散々、手を繋いだり抱き合ったりする場面はあったが、そういえばこんなに長い時間、顔を近づけていたことはなかった。

どこか憂いを帯びた瞳も白い肌も、普段から見慣れているはずなのに、今日はいつもと違って見える。

自分にまだ、こんな少年染みた初心さが残っていたことが意外であった。

 

(―――じゃなくて)

 

明後日の方向に走り出した思考回路を切り替え、隣の彼女を務めて意識しないようにしながら現状を整理する。

ブーディカをさらったアレキサンダー大王と諸葛孔明は、マシュ達によって倒されたらしい。

彼らは連合のサーヴァントではあったが、首都の防衛やローマへの侵攻には手を貸さず、ネロ帝を見極めるという独自の理由で行動していたとの事だ。

結果的に足止めを受けたこと、仲間や軍団に被害が出た事もあってネロは敵対する道を選んだが、場合によっては共に連合と戦うという選択肢も取れたかもしれない。

その点に関しては非常に残念であると思わざる得ない。

とにかく、アレキサンダーと孔明という二大巨雄を撃破した正統ローマ軍はそのまま連合首都へと進軍し、陣を敷いて開戦の準備を進めている。

一方、連合はここに至ってサーヴァントを差し向けることを止め、静観を貫いている。

ここまでで確認できたサーヴァントは、自分達が戦った独裁官カエサルとマシュ達が倒したカリギュラ帝。

荊軻が暗殺したという3人の皇帝。恐らくはアウグストゥス、ティベリウス、クラウディウス。

そして、前述したアレキサンダーと孔明、ダレイオス3世にレオニダス王。

ネロ帝以降の皇帝の存在が確認できず、ローマ皇帝以外の英霊を差し向けていることを考えると、

連合は皇帝サーヴァントを温存しているか召喚できていないかのどちらかであろう。

カドックとしては後者であることを望みたいが、それでも最低1人は確実に召喚されている。

カエサルが言っていた歴代皇帝が逆らうことができない存在。

偉大なる始まりの祖。

七つの丘に立った最初の王。

彼の偉大なる浪漫(ローマ)がそこにいるはずだ。

 

「見えたわ。もう始まっています!」

 

アナスタシアの言葉に、カドックも思考を切り上げて視力を強化する。

雄大な城壁の前で無数の深紅と黄金の集団がもつれ合い、鎬を削っている。

その最前列で声高に叫ぶのはネロだ。

数で劣る正統ローマ軍を奮い立たせ、一気呵成の勢いで城壁を破らんとしている。

 

「今こそ、余と余の兵たる貴様たちの力を集める時。この戦いを以てローマは再びひとつとなろう! 我が剣は原初の情熱(ほのお)にして、剣戟の音は(ソラ)巡る星の如く。聞き惚れよ。しかして称え、更に歓べ! 余の剣たちよ!」

 

熱狂が渦を巻いて戦場を包み込み、重装歩兵の一団がぶつかり合う。

まるで分厚い石の壁を素手で壊しているかのようだった。

連合ローマ帝国の軍団の壁は厚く、数で劣る正統ローマ軍がいくら攻撃しようとも揺らぐことはない。

それでもネロというカリスマが剣を執り、鼓舞する事で辛うじて踏み止まっていた。

 

「む、来たかカドック! して、首尾は!?」

 

「ははは。はははははははははははは」

 

「■■■■■■■!!」

 

こちらが答えるよりも早く、カドックとアナスタシアを降ろした2人の狂戦士が戦場へと転がり込む。

突然に割って現れた巨漢に連合の兵達は驚きを見せるが、すぐに敵の援軍だと気づいて攻撃を開始。

それを真正面から受け止めたスパルタクスは、満面の笑みを浮かべながら丸太の如き剛腕(ラリアット)で数人の敵兵を薙ぎ払った。

続けて左腕に群がる一団を十把一絡げに掴み取ると、まとめて脇固めを極めて腕を引き千切り、その血を浴びながら転がると器用に2人の兵士を肩に担いで脳天砕き(ブレーンバスター)を放つ。

その頭上を飛び越えて戦場の中心部へと降り立った呂布は、手にした方天画戟を振り回して数人の騎馬兵を薙ぎ払うと、ファランクス陣形を取った重装歩兵の群れを無慈悲にも踏み潰していく。

無数の矢が放たれるが堪える素振りもなく、命知らずの戦車兵が突撃したがそれを意にも介せず方天画戟で御者台ごと兵を打ち砕いていった。

 

「■■■■■■■■■―――!!」

 

「解放の時は来た。今、意思と肉体を以て圧制者に鉄槌を!」

 

正に無双、一騎当千。

これこそが叛逆、反骨と言わんばかりに2人は群がる敵兵を蹴散らし、膠着していた戦線に風穴を穿つ。

勢いに乗った正統ローマ軍は、2人に続けと喝采を上げて更に士気を高めていった。

 

「将軍たちが戻ってきたぞ! 我らに勝機あり、皇帝陛下に栄光あれ!」

 

ここに至って流れは完全にこちら側に傾いた。

如何に数が多かろうとただの人間にサーヴァントを止めることなどできない。

スパルタクスが先陣を切り、マシュとブーディカが味方への被害を最小限に留め、広域攻撃が可能な呂布とアナスタシアがそれぞれの宝具で側面を抑え込む。

更に指示を下す指揮官や伝令を荊軻が人知れず暗殺して回っており、連合は瓦解し始めた戦線を立て直すこともできず、少しずつ押し込まれていった。

 

「すごいな、カドックは!」

 

「はい。いったい、どのようにあのお二人を説得されたのでしょう?」

 

「それはね―――」

 

「キャスター! 今は戦いに集中しろ! そこの2人もだ!」

 

適当に拾った盾で敵兵の1人を殴り飛ばし、マシュに守られながらガントを放つ少年の後ろに滑り込む。

 

「無事みたいだな」

 

「何とかね。けど、あんまりいい状況じゃない。神祖(ローマ)がいた」

 

「やっぱりな」

 

神祖ロムルス。

軍神マルスの血を引いた、国造りの英雄。

七つの丘にローマの都を打ち立て、栄光の大帝国ローマの礎を築いた建国王にして神祖。生きながら神の席に祀られたモノ。

いわば、全てのローマの父。ローマそのものと言ってもいい。

ローマに連なる英雄にとっては正に神に等しき存在(ローマ)だ。

カエサルの言葉を聞いた時、薄々ではあるが予感がしていた。

歴代のローマ皇帝やカエサルをも従えるだけの力を有した者など、そうはいないからだ。

そんな偉大な存在と対峙したとなると、ネロの動揺は計り知れないであろう。

それを抑えて兵の士気をここまで高めたとなると、やはり彼女には皇帝と呼ぶに足る何かを持っているのだろう。

 

「すごく迷っていたけど、吹っ切れたみたいだ。連合の民は笑っていないって」

 

「そうか、それが彼女の思う美しいものか」

 

民が笑って暮らせる国。

ありきたりだが、悪くはない。

なら、自分達にできることはその国造りの妨げとなる、レフ・ライノールの目論見を少しでも早く取り除くことだ。

 

「藤丸、令呪は!?」

 

「後二画残っている!」

 

つまり、アレキサンダーと孔明を相手に、一画の令呪だけで勝利したということになる。

日頃からシミュレーターを周回しているだけあって、彼とマシュもかなりの力をつけてきているようだ。だが、一画とはいえ消耗していることに変わりはない。

 

「隙を見て呂布が宝具を撃つ。城壁に穴が空いたら突入するから、お前とキリエライトは僕達の援護だ」

 

勢いを奪い取ったとはいえ、ここが敵の本丸である以上、持久戦となればこちらが不利。

どこかで戦況を一気に捲りあげなければならない。

カドックはその一手を呂布に頼んでいた。

呂布の宝具、『軍神五兵』(ゴッド・フォース)は彼の意志で6つの形態に変形する事ができる。

残念ながら狂化の影響で使える形態は矛と砲の二形態のみだが、その最大出力は一撃で雌雄を決する対城宝具に分類されており、石で組み上げられた連合首都の城壁が如何ほどの神秘を帯びていたとしても打ち崩すことができるだろう。

反骨の祖故、細かな指示を下すことはできないのでタイミングは完全に呂布任せだが、彼とて三国志にて最強と持て囃された武将には違いない。

ここぞというタイミングで必ずや状況を打開してくれるはずだ。

 

「――――!!」

 

頭上から聞こえた咆哮に背筋がおぞけ、2人は目配せをした。

直後、マシュが己のマスターを、カドックがアナスタシアの手を引いて地面を蹴り、現れた異形に対して身構える。

それは獅子の頭を持っていた。だが、獅子ではない。

右半身の黄金色の毛並みに対して左半身は黒い毛皮に覆われており、肩からは大きな角を有した山羊の頭が生えて獅子の頭と並んでいる。

更に臀部からは固い鱗に覆われた太い蛇の体が尻尾のように生えており、こちらを威嚇するように耳障りな鳴き声を上げている。

ギリシャ神話に登場する魔獣、キメラだ。

 

「藤丸! キリエライト!?」

 

「こちらは大丈夫です、お二人は!?」

 

「無事よ、けれど・・・」

 

キメラの登場で、完全に分断されてしまった。

マシュ達は城壁側に、自分達はその反対に。

これではこの魔獣を倒さなければ首都に突入できない。

そう思った瞬間、魔力の奔流が彼方で巻き起こった。

呂布が宝具を発動したのだ。

大地すら抉り取る波動の嵐が分厚い連合首都の城壁に巨大な穴を穿ち、ネロの号令で多くのローマ兵が殺到していく。

それに気づいたキメラは蛇の尾を伸ばして手近なローマ兵を薙ぎ払い、踵を返して彼らを追わんとする。

 

「行かせるな、キャスター!」

 

「ええ!」

 

跳躍の寸前、キメラの四肢をアナスタシアが凍り付かせる。

すかさずマシュが加勢に走ろうとするが、カドックはそれを大声で制すると、城壁の穴へと殺到する正当ローマ軍を指差した。

 

「作戦変更だ、ここは僕とアナスタシアで抑える! お前たちはネロを守れ!」

 

「けど、カドック―――」

 

「お前たちならできる! 行くんだ!」

 

「行って、マシュ! あなたも!」

 

一瞬、不安と恐怖で顔を歪ませるが、少年はすぐに目尻を拭って荒野を駆ける。

その後ろを彼のサーヴァントであるマシュが大盾を担いで続き、飛びかかってくる敵兵を薙ぎ払う。

彼方に2人が消えていくのを見届けたカドックは、自分が柄にもないことを口走ったことに自嘲しつつ、異形の怪物に向き直った。

自分でもどうしてあの瞬間、あんな言葉が飛び出したのかがわからない。

改めて思い返すと苛立ちすら芽生えてきた。

その焦燥をこの怪物にぶつける。

今はそれに集中することで、胸の内の複雑な感情から目を逸らすことにした。

 

 

 

 

 

 

戦場は郊外から首都内へと移り、一進一退の様相を表してきた。

カドックとアナスタシアは、立ち塞がるキメラを打ち倒したものの、一足先に王城に向かったマシュ達の援護に回る事ができずにいた。

連合は兵士だけでなくゴーレムや魔獣を投入し、こちらの最大戦力である2人の狂戦士を抑え込みにきたのだ。

無論、雑兵である以上は2人の敵ではないが、群がる敵に足止めを受けて彼らは王城に辿り着くことができなかった。

長時間に及ぶ戦いは徐々にカルデアからの魔力供給だけでは追い付かなくなってきており、アナスタシアはカドック自身からも少しずつ魔力を吸い上げていっている。

励起した魔術回路が悲鳴を上げ始めているが、カドックはそれを無視して思考を巡らせた。

疲労に苦しむのは後だ。今は状況を把握し、少しでも最善の手を打たなければ。

 

(藤丸達は無事なのか? ロムルスはどうなった?)

 

数分前、確かにマシュ達はロムルスと対峙し戦っていた。

カルデアを通じて送られてくる情報は、神にも迫るかと言わんばかりのロムルスの力と、熾烈な戦いの様相を物語っていた。

だが、今は違う。

決定的な一撃が入ったと思われた直後、途方もなく凶悪な存在が姿を現したのだ。

それはある男の姿をしていた。

カルデアに爆弾を仕掛け、多くの犠牲者を出した仇にして連合ローマ帝国の宮廷魔術師。

レフ・ライノール・フラウロスと彼は名乗った。

自分達が探していたレフその人だ。

しかし、彼は自分達が知るレフとは大きく違っていた。

彼は全てを見下し、嘲り、怒りを露にしていた。

さっきまでレフだったものは、見た事もない醜悪な存在へと変貌していった。

 

『なんだあの怪物は! 醜い! この世のどんな怪物よりも醜いぞ、貴様!』

 

ネロはその姿に美を見出せず、憎しみにも似た嫌悪を露にした。

 

『この反応、この魔力・・・サーヴァントでもない、幻想種でもない! これは―――伝説上の、本当の「悪魔」の反応なのか!?』

 

ロマニはこの地で起きている在り得ない事態に通信の向こうで悲鳴を上げる。

 

『地に突き立つ、巨大な、肉の柱? それにここまでの大量の魔力は・・・』

 

マシュは相対したソレを前にしてどこまでも冷静に、機械的な反応を示す。

 

『――――――――――!!!』

 

藤丸立香は言葉を失っていた。無理もない。

 

『七十二柱の魔神が一柱! 魔神フラウロス――これが王の寵愛そのもの!』

 

そして、レフだったもの―――フラウロスは吠える。

カルデアも混乱しており、詳しい情報が送られてこない。

ただ、数値的な情報だけで判断する限り、確かにフラウロスはおぞましい力を秘めていることがわかる。

七十二柱の魔神。それは魔術王ソロモンが使役した使い魔の総称。

伝承においてはそれぞれが爵位と軍団を持つ悪魔達だが、実際にそのようなものは存在しない。

神霊が物質世界に干渉できないように、悪魔にとってもこの世界は小さくてその身を押し込めることができないのだ。

しかし、マシュ達が今、対峙しているソレは正に悪魔としか呼びようがないほどの規格外の魔力を有しており、伝承に恥じない強大な力で以て暴れ回っている。

その凄まじさたるや、アナスタシアが透視しようとすると逆に魔眼を封じる「視られる力」をぶつけてヴィイの魔眼を封じてくるほどだ。

 

『聖杯を回収し、特異点を修復し、人類を―――人理を守るぅ? バカめ、貴様達では既にどうにもならない。抵抗しても何の意味もない。結末は確定している』

 

王城から夥しい量の魔力が拡散し、通信越しにマシュ達の悲鳴が聞こえた。

心の弱い者はその衝撃を受けただけで発狂してしまうほどの尋常ならざる魔力の波だ。

藤丸立香は今、あんな恐ろしい敵と対峙しているというのか。

 

『貴様たちは無意味、無能! 凡百のサーヴァントを搔き集めた程度で、阻めると思ったか!?』

 

更なる衝撃が連合首都を襲い、大気が濁ったかのように淀みを増す。

最早、歴戦の猛者ですら立っていられないほどだ。理性を失ったバーサーカーですら混乱し、我を失っている。

ただの人間にこの狂気は重く、きつい枷となって正気を縛り付けるのだ。

もう誰もが抗うことに対して諦めを覚えている。

いっそ、この狂気に身を任せたいと。

カドックも例外ではない。なまじ知識がある分、狂気のふり幅は迷信深いこの時代の人間よりも大きいと言える。

だが、最後の崖っぷちで理性を手放すことを拒否する自分がいた。

それは仲間を傷つけられたことに対する怒りなのか、あの炎の街で交わした皇女との約束なのか、それとも理不尽に抗う数多の英霊達に魅せられたからなのか。

この特異点での最大の圧制(ピンチ)に対して、彼は叛逆した(諦めようとしなかった)

 

「まだだ藤丸、僕達が行くまで・・・」

 

『まだだカドック、みんなとカルデアに帰るまで・・・』

 

同じように、王城で戦う藤丸立香が前を向く。

何を考えているのかわからない、未熟者の少年。

そんな彼にも譲れないものがあるのだろう。

外と内、異なる戦場で2人は今、同じ答えに辿り着いた。

 

「諦めるな!!」/『諦めるな!!』

 

奮起したスパルタクスと呂布が重圧を振り払い、魔獣の群れを抑え込む。

アナスタシアの眼が壁となるゴーレムを穿ち、その隙間を縫うようにブーディカの戦車が駆け抜けていった。

通信の向こうでもマシュが宝具を発動してフラウロスの攻撃を受け止め、荊軻が暗殺の機会を伺う。

みんなの胸に意志の力が戻ってくる。

しかし、それでも足らない。

突然の反撃にフラウロスも驚きを見せるが、彼らの力だけでは自分を倒し得ないとタカをくくって嘲りの声すら漏らす始末だ。

 

『覚醒の時来れり―――焼却式』

 

無慈悲にも死刑宣告が下され、マシュと藤丸立香の悲鳴が通信から聞こえてきた。

その時、同じ場所から全く異なる魔力の波が迸り、禍々しいフラウロスの魔力を押し留めた。

 

『なにぃっ!?』

 

『あれは―――!?』

 

『おお、あれこそは正に・・・・』

 

いったい、何が起きているのかわからないが、フラウロスの驚愕とマシュ達の安堵が伝わってくる。

発せられたのはここからでもわかるくらい強く、黄金色に輝く魔力の光だ。

全てを包み込むかのように暖かく、それでいて強い熱量を併せ持った神々しい輝き。

それは人々の思いで編み上げられた幻想の結晶。

七つの丘に打ち立てられた建国の槍。

 

「ローマだわ―――」

 

魔眼の力を取り戻したアナスタシアが見たものは、溢れんばかりの神々しい輝きで醜悪な肉の柱を抑え込む建国の王の姿だった。

 

『すべて、すべて、我が槍にこそ通ず。『すべては我が槍に通ずる』(マグナ・ウォルイッセ・マグヌム)!』

 

地響きと共に王城の天井が突き破られ、巨大な大樹が出現する。

あれがロムルス(ローマ)の宝具なのだろうか。

一見するとただの植物操作。しかし、聳え立つ大樹は生命力に満ち溢れ、曇天すら吹き払うほどの輝かしい気を発している。

あれはローマだ。

過去・現在・未来、時代を跨いで栄え滅んだローマの全てがあの宝具には込められている。

 

『馬鹿な、我が呪縛を・・・サーヴァントでありながら、マスターに逆らうのか―――!!』

 

『魔神よ、お前達の嘆きもローマは受け入れよう。さあ、我が槍にて(ローマ)に還るのだ!』

 

『まさか―――「皇帝特権」を捨てたのかぁっ!!? その身を今一度捨て、神へと至ると―――貴様にまだ、それだけの意志が残って―――』

 

断末魔の悲鳴が聞こえる。

光の奔流が、禍々しい気を打ち払っていく。

解放された国造りの権能に抗える者などいない。

ローマの光はローマに敵対する全てを飲み込み、受け入れ、滅していく。それはロムルス(ローマ)すらも例外ではない。

 

『ネロよ、我が愛し子よ。永遠なりし深紅と黄金の帝国。その全て、お前と後に続く者達へと託す。忘れるな、ローマは永遠だ。故に世界は、永遠でなくてはならない』

 

そう言い残し、偉大なる神祖(ローマ)はこの時代から姿を消した。

後に続く者に大いなる遺産を遺し、彼はまた天へと上ったのだ。

その場に居合わせることができなかったことをカドックは悔やんだが、それでも不思議な充足感があった。

それはここで戦っていた全ての兵士達も同じだった。

魔獣は彼の威光を恐れて逃げ出し、ゴーレムは動きを停止していた。

ローマ同士の戦いは終わりを迎えた。

全ては今、ローマへと還ったのである。




ローマってずるいなぁ、キャラが濃くて。
書いていて後半、ローマしか出てこなかった気がする(笑)。

このペースなら後、2話くらいで終われるかな。


ところで、沖田ちゃんの実装まだですかねー(棒)(沖田オルタよ何故当たらん)


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永続狂気帝国セプテム 第7節

大きな揺れが体を襲い、カドックは意識を取り戻した。

微睡む頭で記憶を辿るが、連合首都での戦いから先をうまく思い出すことができない。どうやら、いつの間にか、気を失っていたようだ。

長時間の戦いの影響か、体が妙にだるい。節々が痛むし、酷使した魔術回路が熱を持ち始めている。

気を使ってくれた誰かが氷枕でも用意してくれたのか、後頭部がヒンヤリと心地よかった。

ゆっくりと瞼を開けると、最初に目に入ったのは心配そうにこちらを見つめるアナスタシアの顔だった。

どうして、そんな顔をしているのだろうか?

思わず、頬に添えられた彼女の手に自分の手を重ねる。

纏った冷気が冷たくて気持ちがいい。彼女は時々、それを気にすることがあるが、不思議と不快に感じたことは一度もなかった。

 

「良かった、気が付いたのね」

 

アナスタシアが安堵の息を漏らす。

見回すと、マシュと藤丸立香も彼女と同じようにこちらを見下ろしていた。

その奥にはネロとブーディカの後ろ姿が見える。御者台に座っているようだ。広さから考えるに彼女の宝具ではなくローマ軍が輸送に使っていた馬車のようだ。

でなければこんなに広々と足を延ばせるはずがない。

そこまで考えたところで、自分が今、どのような態勢でいるのか気が付いた。

足下にはマシュと藤丸立香。

見上げた先にはアナスタシア。上気した顔と女性特有の丘陵地帯が否がおうにも目につく。

ヒンヤリと冷える後頭部には柔らかな感触。

つまり、自分は今、アナスタシアに膝枕をされているのだ。

 

「―――――っ!?」

 

自覚した途端、羞恥心が鎌首を上げてしまう。

慌てて跳ね起きると、自分でも呆れてしまうくらい動揺した素振りでみんなから距離を取り、赤く染まった顔を腕で隠す。

 

「な、何があったんだ、いったい!?」

 

「意外と寝顔が可愛いでしょって話をしていたわ」

 

「はい、カメラがないのが残念でなりません。後、寝顔なら先輩も負けていません」

 

「張り合わなくていい! というかそういうことを聞いたんじゃない!―――そこ、こっそりマジックを隠すな。没収する!」

 

後ろ手に隠した油性マジックを立香から取り上げ、カドックは大きくため息を吐く。

一気に緊張感が解けてしまった。

これだから素人は、ちょっとでも見直すとすぐにこれだ。

 

「―――で、何があったんだ?」

 

「レフ・ライノールが最後のサーヴァントを召喚しました。ですが、彼は自分が呼び出したセイバーに両断されて・・・・・・」

 

最後の方を濁らせながら、マシュが答える。

そうだ、段々と思い出してきた。

ロムルスはフラウロスを滅することには成功したが、レフは辛うじて一命を取り留めていた。

だが、戦う力は既に残っていなかったのだろう。彼は聖杯の力を使って新たなサーヴァントを召喚する事で自分達に対抗しようとした。

しかし、呼び出されたサーヴァントはレフの制御下にあらず、彼を切り捨てると聖杯を奪って暴走を開始。

宝具を発動して連合首都を飛び出したのだ。恐らく、自分はその時の余波で気を失ってしまったのだろう。

 

「死ぬかと思ったぞ」

 

『ああ、対城宝具の解放を間近にしながら、君達が死んでいないのがボクには不思議なくらいだ』

 

ギリギリのところでマシュと合流したブーディカが二人がかりで宝具を使い、事無きを得たとの事らしい。

 

「私達は城の外にいたので、何とか城塞(クレムリ)で防ぐことができました。スパルタクスと呂布はすぐに飛び出したセイバーを追いかけて行ってしまったけれど」

 

加えて、アナスタシアの城塞に入りきれなかったローマ兵達は負傷者が多く、戦いを続けることは不可能だった。

そのため、連合首都の占領を任せるという名目で置いてきたらしい。

現在、この馬車に乗っているのは自分達カルデア組とネロ、そして馬車を運転しているブーディカの6人だ。

荊軻の姿は見当たらないが、抜け目のない彼女のことだ。大方、先行して偵察を行っているのだろう。

現状を把握できれば、カドックの行動は早かった。

すぐに端末で現在地を確認し、思考を対セイバーに切り替える。

 

「この馬車はセイバーを追っているのか?」

 

「ああ。アルテラと言ったか。あれは―――」

 

「アルテラ?」

 

ネロの言葉にカドックは眉を顰める。

神話や伝承には詳しいつもりだったが、そのような名前の英雄は聞いたことがない。

もちろん、全ての逸話を正確に覚えている訳ではないが、それでも有名どころはきちんと押さえている。

だが、その中にアルテラという名前を見た記憶はなかった。

 

「マシュ、何て言っていたっけ? 確か・・・」

 

「確か、フンヌの戦士と名乗っていました」

 

「フンヌ・・・フン族・・・アルテラ・・・・・・まさか神の鞭(アッティラ)か?」

 

この時代より後にヨーロッパへと進出してきたフン族という遊牧民族の中に、アッティラという名の大王が存在したとされている。

アッティラ大王は凡そ、5世紀頃に東西ローマ帝国を滅ぼし、西アジアからロシア・東欧・ガリアにまで及ぶ広大な版図を制した大帝国を成したと言われている。

出自に関してはかなり曖昧で詳しくはわかっていないが、当時のキリスト教関係者からは「神の災い」、「神の鞭」と呼んで恐れられていたと聞いたことがある。

無論、伝承や歴史書にはきちんと男性として記録が残されているが、どうやら実際のアッティラ大王は女性であったようだ。

アーサー王といいネロ帝といい荊軻といい、性別を偽っていたり誤って伝わっている事が少し多すぎないだろうか。

 

「ドクター、アルテラはどこに向かっているんだ?」

 

『方角から見て、首都ローマのようだ。レフによる呪縛と戦闘王としての彼女の生き様が混ざり合った結果なんだろうね。彼女はこの時代の最大都市であるローマを目指している』

 

「ならばあれは、余の都を灰燼と化すつもりか?」

 

『そうだろうね。そして、彼女にはその力がある。例え君が生き残ったとしても、首都消滅を迎えればローマ帝国は消え去るだろう。もしくは首都の後に君を殺しに来るか』

 

「どちらも願い下げだな。余は余のローマも、余も、くれてやるつもりはない」

 

カエサルは思うがままに為せと鼓舞した。

ロムルスはローマは永遠であると告げた。

ならば、心より世界(ローマ)を愛する彼女が進むべき道は一つしかない。

もちろん、不安はある。

間近でその力を目の当たりにしたマシュ曰く、アルテラは冬木で戦ったアーサー王と同等かそれ以上の力を誇っているらしい。

あの時はクー・フーリンという偉大な魔術師がいたから辛うじて勝利することができたが、今度は彼抜きで戦わねばならない。

果たして、彼女を止めることができるであろうか?

そんな心配を見透かしたのか、ネロはみんなの顔を一瞥すると、ポンっと胸を叩いて太鼓判を押す。

 

「余はそうは思わぬ。藤丸は、マシュは幾度も余を助けてくれた。カドックとアナスタシアの奮闘は大いに余の助けとなった。余は確信している、運命と神々は余に味方していると。だからこそ、カルデアが来た。余の想いはきっと叶う」

 

ローマは救われ、民と都市は後世に残る。

ロムルスの言葉を借りるならば、世界は永遠でなくてはならない。ならば、ローマは永遠に続くのだ。

例え何れは消え去りその名すら忘れ去られたとしても、ローマが植えた多くの芽は形を変えて続いていく。

皇帝が変わり、国が変わり、名が変わろうとも永遠の帝国はあり続ける。

それが人の繁栄の理。

人間という生命の系統樹。

即ち―――。

 

「そなたたちが守らんとする、人理に他ならない」

 

黄金の輝きを纏っているかのような錯覚。

根拠のない、されどもその時代に生きた人間だからこそ口にできる力ある言葉。

明日を見つめ、自信に溢れたネロの横顔の何と美しい事か。

確信する。

彼女こそ皇帝。

この世界(ローマ)を束ねるに足る逸材。

国を愛し、都市を愛し、民を愛し、その愛を返されなかった哀しき暴君。

歴史にその悪名が刻まれたとしても、彼女が築き遺したものは紛れもなく本物だ。

それをアルテラの手で葬らせるわけにはいかない。

 

「明確な形が消えても、世界が在ればミームは残る・・・」

 

「世界が在るから、私達は生きたと胸を張って言える・・・」

 

『もっとロマンチックに考えるべきじゃないかな。ボクはネロの言葉で勇気が出たよ。

彼女はアルテラにも勝てると確信している。だから、世界は終わらない。そういうことさ』

 

マシュとアナスタシアの言葉を引き継ぐ形でロマニがまとめる。

根拠は不明瞭だが、ネロの言葉には不可能ではないとその気にさせる不思議な力がある。

そもそも、ここにいる誰もがまだ諦めていないのは明確だ。

目的は様々だが、ローマを守るという利害だけは一致している。

 

「ふむ、やる気は十分といったところか」

 

いつの間にか荊軻が荷台に乗り込んでいた。

誰かと一戦を交えた後なのか、着物が所々敗れている。

 

「あの剣使いを追っていた。このまま東に向かって走れ。スパルタクスと呂布が足止め―――まあ、あいつらはそうは思っていないだろうが、とにかく2人が戦っている。だが、強い」

 

2人がかりでも抑え込むのがやっととのことだ。

聖杯からの魔力供給を受けているとはいえ、あの2人を相手取ってなお上回るとなると、空恐ろしいものを感じる。

 

「ならば急がねばならぬな。ブーディカ、もう少しスピードを―――止めろ!!」

 

急にネロが大声を上げ、急ブレーキがかけられたことで荷台の中が慣性によって引っくり返る。

いったい、何事かと文句を言おうとしたが、ロマニからの通信がそれを遮った。

 

『大型の魔力反応だ。ワイバーン・・・他にも多数!』

 

「ヴィイの眼よりも早いなんて・・・・・・」

 

覆い被さっていたアナスタシアが驚きから言葉を失う。

そう、確かに今、ネロはここにいた誰よりも早く、ワイバーンの存在を察知していた。

魔眼を持つアナスタシア、常に周囲の索敵を行っているカルデアよりも早くだ。

だが、驚愕はそれだけではなかった。

馬車が止まるやいなや、迎撃に出たネロは襲い掛かるワイバーンを一刀の下に切り捨てたのだ。

跳躍も今までの比ではない。まるで羽根が生えたかのように軽やかに飛び回り、振るわれた剣からは炎が噴き出している。

それは人間の動きではない。まるでサーヴァントだ。

 

「ネロ公、あんたいったい・・・・・・」

 

「わからぬ。だが、神祖との戦いの後、気が付いたらこのような力を得ていた。そなた達ほどではないが、魔獣くらいならば何とかなる」

 

この時点では誰も知らないことではあるが、神祖ロムルスは己が認めた者に加護を与える「七つの丘」というスキルを有している。

ネロはその恩恵により、一時的にサーヴァント並みの力を発揮できるようになっていた。

だが、やはり元が生きた人間である以上、強化されたと言えどもデミ・サーヴァント以下でしかなく、加えていつ消えるかわからない不安定なものであった。

ネロもそれを承知しており、魔獣の群れを切り捨てながらかつての宿敵であるブーディカに向かって叫ぶ。

 

「ここは余が引き受ける。他の者を連れてアルテラを追うのだ!」

 

「何言っているんだい! それはこっちの台詞だ!」

 

言うなり、馬車から飛び降りたブーディカはネロの首根っこを掴んで荷台へと放り投げる。

キャッチし損ねた立香がネロを抱えたまま荷台の中で大きな音を立てて転がり、それを見た荊軻がため息を吐きながらカドックを御者台へと引っ張っていく。

運転しろ、ということらしい。

 

「後は任せる。怪物は専門外だが、たまにはいいだろう」

 

「ま、待てブーディカ、荊軻。引き受けるとは何だ」

 

「言葉の通り、あんたはさっさと先に行ってろ。戦えるんだろう? だったら、あんたの世界ってのを守ってみせなよ! あたしと違って、あんたはまだ守れるんだ!」

 

「カドック、ブーディカの言う通りにしよう。急いで!」

 

「けど、藤丸―――わかった。キリエライト、ネロを頼む」

 

アナスタシアが上空から襲い掛かってくるワイバーンを撃ち落とし、マシュは今にも飛び降りようとするネロを必死で抑えつける。

ブーディカが宝具を呼び出したのか、巨大な魔力のうねりが背中を襲った。

振り返っている余裕はなかった。

ただ前だけを見据え、必死な思いで手綱を握る。

フランスの時と同じだ。

多くの想いを託され、自分達は最後の戦いに向かっている。

 

「すまぬ、我が好敵手ブリタニアの女王。そして、かならず―――必ずまた会おう、ブーディカ!」

 

走り去る馬車の荷台で、ネロが叫ぶ。

それが、この時代で2人が交わした最後の言葉となった。

 

 

 

 

 

 

もうすぐ日が暮れる。

空が黄昏色に染まり、もうすぐ月が顔を表すだろう。

遂に捉えた破壊の王は、既に2人の狂戦士を下した後であった。

如何な激闘が繰り広げられたのか、大地は抉れてあちこちにクレーターができており、周囲の木々は炭化している。

濃密な魔力の残滓が辺りを漂い、思わず口を押えて戻すのをこらえねばならなかった。

スパルタクスと呂布は動かない。

スパルタクスは胴の半分が千切れてなくなっており、呂布は右腕の肘から先を失っていた。

あの2人がここまで傷つき、倒れてなお、アルテラの体には傷一つついていない。

正に規格外。最優のサーヴァントに相応しい実力だ。

 

「行く手を阻むのか、私の」

 

「そう、阻むぞ。余は貴様を阻もう。絶対に、その先に行かせる訳にはいかぬのでな」

 

「私はこの地を滅ぼし、破壊する。阻むのならば、容赦はしない」

 

どこか虚ろな調子で、アルテラは剣の切っ先をこちらに向ける。

気圧されるほどの圧倒的な覇気。氷のような眼差し。しかし、それをネロは真正面から受け止める。

アルテラの虚無なる言霊を、熱き情熱で以て迎え撃つ。

 

「余にはわからぬ。何故、世界を滅ぼすなどと口にするのだ? 世界は美しいもので溢れている。花も良い。歌も良い。黄金も良い。愛も良い。そうとも、何よりも、この世界(ローマ)は余の愛に満ちている! それなのに貴様は滅ぼすのか? 勿体ないと思わぬのか、アルテラとやら?」

 

「私は―――」

 

一瞬、アルテラの表情に迷いの色が浮かぶ。

だが、すぐにそれは拭い去られ、先ほどまでと同じ冷たい眼差しがネロを穿つ。

その眼差しは強い拒絶の表れであるが、同時にとても寂しく儚いものであるように思えた。

神の災い、文明の破壊者たる彼女がその内に何を抱えているのかはわからない。

一つだけ確かなことは、どれほどの迷いを抱えていたとしても、彼女の力は強大であるということだけだ。

 

「私はフンヌの戦士である。そして、大王である。この西方世界を滅ぼす、破壊の大王」

 

「哀しいな、アルテラよ。しかし、貴様のその哀しささえ美しく思おう。その在り方に大いなる矛盾と痛みを感じるのだ」

 

ゆっくりとネロは剣を構える。

そのまま切り合うつもりなのかと身構えたが、彼女は剣を地面に突き刺しただけであった。

そして、一層響く声でアルテラに対して宣戦を布告する。

 

「アルテラよ。力では余に勝るかも知れぬ。だが、愛では貴様は余に敵わぬと知れ」

 

「美しさなど、愛など、私は知らない」

 

「ならば知るといい、アルテラ・ザ・フン。ローマ第5代皇帝ネロ・クラウディウスの(ローマ)が貴様を止める!」

 

それが戦いの合図となった。

飛びかかってきたアルテラの剣をマシュが盾で受け止め、その背後をアナスタシアが突く。

しかし、対魔力スキルの影響かアルテラは叩きつけられる吹雪や氷柱を物ともせず、マシュの華奢な体を大きな盾ごと叩いて吹き飛ばす。

返す刀がアナスタシアを襲い、咄嗟にネロが援護に入るが呆気なく吹っ飛ばされてしまった。

サーヴァント並の力を得たとはいえ、やはり彼女はただの人間。最優のサーヴァントを相手にするなど無謀であった。

 

「カドック、ネロをお願い」

 

「おい、何を―――」

 

制止する前に飛び出した立香がガントを放つが、あろうことか剣を振り回しただけでかき消されてしまう。

時間稼ぎすらできないのかとカドックは歯噛みしたが、すぐに彼の狙いが別にあることに気が付いた。彼は距離を取っていたのだ。己のサーヴァント、マシュ・キリエライトと。

 

「礼装起動―――マシュ!」

 

「はい!」

 

立香が身に着けている礼装が効果を発揮し、アナスタシアとマシュの位置が瞬時に入れ替わる。

驚くアルテラではあったが、構わず剣を振り下ろし、マシュは己の盾に魔力を込めて両足に力を込める。

 

「はあぁぁっ!!」

 

「――――――っ!!」

 

鍔迫り合いに勝利したのはマシュであった。

剣を弾かれ、がら空きの胴体にそのまま体当たりを仕掛け、アルテラの背中に地をつける。

無論、その程度ではアルテラにとって大したダメージにはならないが、これは決闘ではなく戦争だ。

立香の礼装で距離を取ったアナスタシアが即座に何十個も氷塊を生み出してはぶつけ、アルテラの動きを抑えつけようとする。

 

(あいつ、あの礼装を使いこなしている)

 

ネロを庇いつつアナスタシアに強化の魔術をかけながら、カドックは先ほどの立香の動きを反芻する。

カルデア支給の礼装の効果『オーダーチェンジ』。

離れた場所にいるサーヴァントの位置を入れ替えるというものだが、ああも上手く使いこなす姿を見せられるとこちらも張り合いが出てくる。

 

「目標、沈黙。アルテラ、動きません」

 

マシュの言葉にアナスタシアは攻撃の手を休める。

目の前に巨大な氷山が出来上がり、アルテラはその下に押し潰されていた。

如何に対魔力スキルを有していたとしても、これだけの質量をぶつけられれば一たまりもないだろう。

だが、これで勝てたと思うほど彼らも楽観的ではない。ここまでの戦いで、セイバーのクラスがどれも容易い相手ではないことを嫌というほど味わっている。

事実、氷山の下からは未だ、聖杯の魔力が鼓動のように脈打っているのが感じられた。

 

「繁栄は・・・そこまで――」

 

刹那、魔力の爆発が氷山を内側から吹き飛ばした。

アルテラが宝具を抜いたのだ。

三色の刀身が回転を始め、そこから吹き荒れた余剰魔力が衝撃となって氷山を粉砕。

その破片を踏み潰しながら、アルテラは破壊の切っ先を立ち塞がる敵へと向ける。

 

『軍神の剣』(フォトン・レイ)!」

 

それは疾走であった。

誰にも止められぬ速き疾走。

彼女が生前を駆け抜けた草原を走る一陣の風。

風は渦を巻き、魔力を取り込み、一つの嵐となって敵対者を穿つ。

暴風とは即ち破壊。

破壊の渦が大地を抉りながらマシュへと迫る。

 

「マシュ、宝具を使うんだ!」

 

立香の右手から赤い輝きが迸り、最後の令呪が魔力となってマシュの中に注がれていく。

既にアルテラは目前にまで迫っている中、マシュは令呪による補助を受けて即座に盾を構え直し、破壊の嵐を迎え撃つ。

 

『人理の礎』(ロード・カルデアス)!」

 

光の奔流がぶつかり合い、衝撃で大地が揺れる。

誰もが間に合ったと思った瞬間、マシュの体は光と共に宙を舞っていた。

アーサー王の聖剣をも防ぐ彼女の宝具ですら、アルテラの疾走を止める事はできないのか。

 

「マシュ!」

 

「下がってろ、藤丸!」

 

魔術で障壁を展開し、飛び出そうとする立香の頭を押さえて攻撃の余波から身を守る。

下手に飛び出せば巻き込まれてひとたまりもない。

だが、このまま穴倉に籠っていても時間の問題であろう。

アルテラは反転し、既にこちらに狙いを定めている。

冬木の時と同じように、令呪で強化したアナスタシアの最大宝具で迎え撃つべきであろうか。

だが、あの時はマシュが聖剣を受け止めてくれたから反撃することができたのだ。

果たしてアナスタシアだけで受け止めることができるのか。

 

「マスター、アルテラが来ます。急いで!」

 

「っ―――キャスター、宝具を――」

 

瞬間、背後で魔力の爆発が起こり、飛来した5本の矢がアルテラの纏う魔力の渦を抉り取った。

 

「何だ!?」

 

「あれは―――?」

 

『りょ、呂布だぁっ!』

 

その場にいた者はおろか、索敵に専念していたカルデアからも驚愕の声が漏れる。

再起不能になっていたと思われていた呂布が立ち上がり、宝具でアルテラを撃ち落としたのだ。

アルテラとの戦いで既に耐久限界が来ているのか、全身の至る所が軋みを上げ、関節からは煙すら出ている。

しかし、その闘志は微塵も衰えておらず、失った右腕の代わりに自らの口で『軍神五兵』(ゴッド・フォース)に矢を番え、憎き敵を自我なき瞳で睨みつけていた。

 

「■■■■■■■■―――!!」

 

再度、宝具を発動しようとするアルテラに対して、呂布は立て続けに矢を放ってそれを阻もうとする。

最早、一射放つごとに彼の身体は崩壊していっており、狂化していなければ耐えられぬほどの苦痛が呂布を襲っているはずだ。

それでも彼は、この異郷の地で出会った最大の敵を前にして限界を超えた宝具の解放を撃ち続ける。

全ては己が武勇を知らしめるため、呂布奉先という男はその命を最後まで使い果たし、アルテラが持つ『軍神の剣』(フォトン・レイ)をその右腕ごと吹き飛ばした。

 

「この、程度―――」

 

呂布が消滅したことで攻撃が止み、アルテラが苦し気な息を漏らしながら立ち上がる。

聖杯の力があるとはいえ、呂布の最大火力を何発も浴びながら右腕一本で済んでいるのは呆れた耐久力だ。

そして、どんな形であれ、彼女が未だに戦う意志を失っておらず、こちらに敵意を向けているのは事実だ。

だからこそ、この男は動いた。

反骨の祖の攻撃を凌ぎ切り、絶望を纏った褐色の王。

それを払拭する鬨の声が戦場に響き渡る。

 

「ふはははははっ!! 捕まえたぞ、圧制者よぉっ!!」

 

「なっ!?」

 

膨れ上がった肉の塊が、アルテラを掴み上げる。

最初、カドックはそれが何なのか正しく認識できなかった。

山のような巨体はあちこちに瘤のようなものができており、その内の幾つかは五股に分かれている。

鞭のようにしなるそれは、ひょっとして腕であろうか?

ならばあの膨れ切った肉体を支えている何十本もの節は足なのだろうか?

中心や肩らしき突起に開いているのは瞼だ。一つ、二つ、三つ、四つ、五つの眼球がアルテラを睨んでいる。

では、あの巨大な口の隣にめり込んでいる、見た事のある顔は―――。

 

『スパルタクスだ。この反応はスパルタクスだ!?』

 

ロマニの分析がカドックの推察を裏付ける。

恐らく、何らかの理由で彼の宝具『疵獣の咆吼』(クライング・ウォーモンガー)が暴走したのだろう。

魔力の変換効率が異常をきたし、あのような奇怪な姿に変貌したのだろう。

それでもスパルタクスは戦いを放棄することなく、自らの敵を葬り去るために蘇った。

これこそが、スパルタクスの叛逆なのだ。

 

「くっ、放せ!!」

 

「はははははっ! 我が愛を受けるがいい! 圧制、アッセイ!!」

 

全身の筋肉が千切れ跳ぶのも構わず、スパルタクスは腕に力を込める。

だが、暴走により肉体を上手くコントロールできていないのか、それとも宝具での治癒を以てしても賄えぬほど消耗しているのか、スパルタクスがいくら力を込めてもアルテラは苦しむだけであった。それどころか、彼女は自身が取り込んだ聖杯の魔力を放出して、大木のようなスパルタクスの指を焼き払い、そこから脱出せんとする。

 

「スパルタクス!」

 

「マスター、援護を!」

 

「わかっている。けど―――」

 

攻撃しようにも、スパルタクスが大きすぎてアルテラだけを狙うことができない。

多少の攻撃ではビクともしないスパルタクスだが、あのような状態になってしまっては、下手な刺激がどのように作用するかわからない。

最悪、周囲を巻き込んで自爆する可能性すらある。

カドックの冷徹な思考は、スパルタクスに構わずアルテラを攻撃しろと告げているが、彼を傷つけたくはないという思いもまたあるのは事実だ。

決断が下せず、ただ時間だけが無情にも過ぎていく。

その時、頭上の叛逆者は静かな声でカドックに呼びかけた。

 

「少年よ、今こそが叛逆の時だ」

 

「―――スパルタクス」

 

「弱きことに甘んじ、後悔に悔やむのなら、それは圧制だ。真の圧制とは己が内にあり、鎧を纏っていては如何な鳥でも羽ばたけぬ。さあ、抗え! 叛逆だ! 君の叛逆を、君の圧制を、この地で見てきた君の全てを私にぶつけなさい! さあ、さあ!」

 

スパルタクスの手が聖杯の魔力で焼かれていく。

まるでチーズが炎で炙られ溶けていくように、巨大な肉の塊が削れていく。

それと並行して、スパルタクスの体に膨大な魔力が蓄積されていっていることがわかった。

最早、彼の自滅は避けられない。悩んでいる時間は残されていないのだ。

 

「僕は――――――」

 

ローマに来てからの、スパルタクスとのやり取りが思い浮かぶ。

狂った思考、支離滅裂な言動、時には命を狙われることすらあった。

けれど、あんな風に本音でぶつかってくれた人は初めてだった。

他人を見返したいと思ったことはあっても、対等でいたいと思ったのは初めてのことだった。

そんな彼が今、自分に答えを求めている。

例え、その結果に待つのが彼からの剥き出しの敵意であったとしても、自分はそれに応えなければならない。

 

「令呪を以て命ずる! キャスター、宝具でスパルタクスごとアルテラを攻撃しろ!」

 

掲げられた手から、絶対服従の呪いが飛散する。

立香は言葉を失った。

アナスタシアは黙って従った。

そして、スパルタクスは笑っていた。

 

「ふはははははっ、圧制者よ、この痛みが我が力なのだぁっ!!」

 

叩きつけられる強風、凍てつく冷気、降り注ぐ氷塊、それに加えて不可視の力が肉塊と成り果てたスパルタクスを襲う。

どれほど耐久力が高かろうと、如何に対魔力のランクが高かろうと、この宝具には意味がない。

彼女がその眼で捉え、認識したものが弱所となる。

それがアナスタシアの宝具『疾走・精霊眼球』(ヴィイ・ヴィイ・ヴィイ)だ。

 

「くっ――の―――!」

 

不利を悟ったアルテラは聖杯から更なる魔力を引き出し、スパルタクスの拘束から逃れようとする。

だが、それを許すカドックではなかった。

彼の右手にはまだ、令呪が二画残っている。

 

「令呪を重ねて命ずる! 叛逆の徒よ、圧制者を逃がすな!」

 

残る二画の令呪が立て続けに消え去り、アルテラを握るスパルタクスの手に更なる力が籠められる。

その手が聖杯の魔力で焼き消されるのも構わず、彼女を逃がすまいと抑えつける。

自分の体に起きた突然の変化に、スパルタクスは哄笑で以て応えた。

 

「ハーハッハッ! そうだ、それでこそ君は圧制者だ! さあ、抱擁の時だ! 共に行こうじゃないか、カドック!」

 

「ああ、こい、スパルタクス!」

 

アルテラを拘束したまま、スパルタクスは己の本能に従ってカドックに牙を剥く。

宝具による吹雪の中、圧制者たる彼を目指して一歩一歩、歩み出したのだ。

無論、そんなことをすればより強烈な吹雪を叩きつけられ、己の自滅を早めるだけであった。

 

「カドック!?」

 

「いいんだ、藤丸。これは僕が受けるべき叛逆だ!」

 

それは鮮烈な三秒間であった。

あの猛吹雪を前にして、スパルタクスは三歩も歩んで見せた。

そして、最後の一歩を踏み出した瞬間、限界を迎えた彼の体は内側から膨れ上がった魔力の負荷に耐えられず、地形すらも変えるほどの爆発を伴い、光と共にこの時代から消滅した。

舞い上がった粉塵と衝撃が襲いかかり、咄嗟に腕で顔を隠す。

アナスタシアの宝具とぶつかり合ったからか、衝撃は左右と後方に向けて放たれる形となり、背後にいた立香達に被害はない。

やがて、煙が晴れると眼下には巨大なクレーターが出来上がっていた。

 

「っ―――」

 

「キャスター!?」

 

力を使い果たしたアナスタシアが倒れそうになるのを支えようと、一瞬だけ注意が逸れる。

それが明暗を分けることとなった。

首筋に当てられる鋭い痛み。

三色の光を放ち、どこか近未来的な造形には見覚えがる。そして、それを握っているの褐色の戦闘王にも。

そう、アナスタシアとスパルタクス、2人の宝具の直撃を受け、満身創痍となりながらも生き延びたアルテラであった。

聖杯のおかげで辛うじて現界を維持できているようだが、それも限界のようで、体の端々から粒子化が始まっている。

 

「私は―――破壊―――する―――」

 

振るえる腕で剣を振り上げ、とどめを差さんとする。

深紅の少女が駆けたのは、正にその時であった。

 

「・・・・・・そう、か」

 

その姿を見たアルテラは、己の敗北を悟って静かに剣を降ろした。

このまま振り下ろしたところで、目の前の小さな命すら刈り取れないと悟ったが故に。

 

「天幕よ、落ちよ! 『花散る天幕』(ロサ・イクトゥス)!」

 

「世界には、私の剣でも破壊されないものが・・・在る、か。それは・・・・・・少し、嬉しい、な・・・」

 

皇帝の最期の一撃が、アルテラの胴を薙ぐ。

それがこの特異点における、最後の戦いの終わりとなった。




今回、スパルタクス中心でいこうと決めた時点でこの最終決戦の構図はできていました。
ネロが戦ったのは予定外でしたが。


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永続狂気帝国セプテム 最終節

「神の鞭と呼ばれた、軍神(マルス)の剣でも・・・そうか・・・破壊されないものがある・・・か・・・それは・・・少し、嬉しいな・・・」

 

そう言い残して、アルテラは消滅した。

消え去る直前に垣間見た彼女の顔には、小さな小さな笑みが浮かんでいた。

それは冷徹で無機質な破壊の使者が見せた、ほんの些細な、人としての温かみだったのかもしれない。

そして、彼女が立っていた場所には、此度の騒乱を引き起こした杯だけが残された。

 

「・・・消えたか、アルテラ。縁があれば、いつか違うカタチで戦う事もあろう」

 

いつの間にか昇り始めた月を見上げながら、ネロは消え去ったフンヌの大王へと話しかける。

最後の一撃に持てる全ての魔力を注ぎ込んだのか、彼女からは先ほどまで感じる事ができた力の片鱗が失われていた。

神祖が与えた加護は、当代の皇帝にローマを守る力を与え、その役目を終えた事で消え去ったのだ。

 

「先輩、カドックさん。聖杯を確保しました。これで作戦は終了です」

 

聖杯を回収したマシュが戻ってくる。アルテラの宝具の直撃を受けて吹っ飛ばされたが、どうやら無事だったようだ。

あちこち傷だらけではあるが、宝具を展開していたためか大事に至るようなケガはしていない。

他の面々も同じだ。

あれだけの激闘を繰り広げたにも拘わらず、全員が五体満足で生還する事ができた。

全ては、あの2人の狂戦士が死力を尽くしてアルテラと戦ってくれたおかげだ。

 

(スパルタクス・・・呂布・・・・・・終わったよ)

 

彼らの活躍でこのローマを脅かす圧制者は潰えた。その事実は歴史の修正と共になかったことになってしまうが、自分達(カルデア)だけは彼らの武勇を忘れることはないだろう。

少なくとも、カドック自身はそう思っていた。

 

「ありがとう、ネロ・クラウディウス。あなたのおかげで無事に目的を果たせました」

 

「藤丸、なんだか足の先から薄くなっているぞ! まさか、お前達も消えるのか!?」

 

ネロに指摘され、全員が己の体を見やる。

立香だけでなく、マシュもカドックも、アナスタシアも末端から少しずつ存在が希薄化していっている。

カルデアからの強制送還が始まったのだ。

 

「そうか、消えるか・・・」

 

「もう行かなくては」

 

「さようなら、薔薇の皇帝。あなたの歌が聞けなくて残念だ」

 

取り乱すようなことはなかった。

心のどこかで、覚悟していたかのように、ネロは静かに言葉を紡ぐ。

 

「何となく、そんな気はしていた。余は勘は鋭い方だからな。伯父上や神祖、アルテラ達と同じようにお前達も消えてゆくのだろうと」

 

特異点の原因を取り除けた今、自分達はいつまでもこの時代に留まる訳にはいかない。

時代は修正され、連合との戦いの記憶もなかったことになるのだ。

今はまだ大丈夫だが、何れはこうして言葉を交わしたことすら忘れ去られてしまう。

 

「寂しいな、それは。正直に言って残念だ。無念だ。まだ、余は何の報奨も与えてはいないというのに。お前達であればきっと、余にとって、臣下ではなく、もっと別の―――」

 

言いかけて、ネロは頭を振る。

胸の内の寂しさを振り払うように、もう一度だけ月を見上げて、ネロは言の葉に力を込めた。

別れを祝福し、自分自身にも言い聞かせるように。

 

「やめておこう。皆の行く先にもきっとローマはあろう。ローマとは世界に他ならぬ。余のローマはいずれ、お前達のローマに通ずるだろう。そして―――」

 

いつかローマは、星の彼方へも至ることだろう。

神祖ロムルスが語るようにローマが世界であるならば、この世界が終わらぬ限り、ローマは時の流れと共に自分達を繋いでくれる。

 

「だから、別れは言わぬ。礼だけを言おう」

 

存在の希薄化が進み、視界すら霞んでいく。

最早、ネロの表情すら判別できない。

彼女は笑っているのか、泣いているのか。

自分達はいったい、どんな言葉を返せば良いのか。

迷いが、不安が、胸中を過ぎる。

共に過ごしたのはほんの僅かなのに、別れがこんなにも惜しい。

 

「―――ありがとう。そなた達の働きに、全霊の感謝と薔薇を捧げる」

 

その言葉を最後に、意識が断絶した。

 

 

 

 

 

 

カルデアに帰還し、回収した聖杯をダ・ヴィンチに預け、今回の任務は終了となった。

成果は上々。特異点の原因は取り除かれ、歴史は緩やかに修正されていくだろう。

もちろん、謎も多く残っている。

レフ・ライノールが殺されてしまったことで、彼の目的が不明のままだ。

対峙したマシュ達が聞いた話によると、彼はどこかの集団に属していたらしい。

その何者か達が人理を焼却し、カルデアを邪魔者とみなしてレフを送り込んできたのだ。

何れ、特異点を巡る旅の中でその何者か達と出会うことになるだろう。

そして、その日の夜、カドックは就寝時間が来ても寝付くことができず、ひとりカルデアの通路を散歩していた。

元々、それなりに広い敷地面積を持ち、現在は職員の数も減っていることもあって、通路ですれ違う者は誰もいない。

召喚されたサーヴァント達も基本的に夜は眠っていることが多いため、起きているのは夜勤に当たっているスタッフくらいだろう。

人付き合いがそれほど得意ではないカドックとしては、誰かと顔を合わせなくても良いのはありがたかった。特に、今夜のような気分の時は。

 

「あっ―――」

 

「―――やあ」

 

何となく管制室を訪れると、カルデアスの前に1人の少年が立っていた。

藤丸立香。

48番目の補欠。

自分と同じ最後のマスター。

自分と同じく就寝前だったのか、普段の制服ではなくラフなインナー姿だ。

 

「夜更かしか?」

 

「そんなところ。すぐに戻るよ」

 

悪戯が見つかった子どものような顔で、黒髪の少年は鼻の頭をかく。

管制室には他の人間はいなかった。

人手が少ない上、観測すべきカルデアスが赤く染まって観測不能なためなのだろう。

ここにいるのは自分ともう一人、そして、コフィンの中で仮死状態のまま眠り続けている46人のマスター候補達だけだ。

 

「カドックは眠らないの?」

 

「・・・・・・ああ、そうだな」

 

我ながら情けない声だなと自嘲しながら、目についたコフィンの側に腰かける。

記憶が確かならば、この中にいるのは自分と同じAチームに属していた1人、スカンジナビア・ペペロンチーノだったはずだ。

人理焼却以前は他人―――特に優秀な魔術師をやっかみの目で見てしまう自分と適度に距離感を保って世話を焼いてくれた。

ファースト・オーダーに対して前向きな気持ちでいられたのも、チャンスを物にしろという彼のアドバイスを受けたからだ。

だから、今度も彼の助言が聞きたくなって、ついここに足を向けてしまった。

今はもう、物言わぬ姿であることを知りながら。

 

「スパルタクスのことを考えていた」

 

いつの間にか隣に腰かけた少年に、カドックは消え入りそうな声で囁いた。

 

「何故、僕だったんだろうなって」

 

「どういう意味?」

 

「最後に言っていただろう。僕は彼にとって圧制者だ。なのに、スパルタクスは出会ってからずっと、僕のことを気にかけてくれていた」

 

今になって思い返すと、スパルタクスの自分への言葉は彼なりの励ましや助言であったのだ。

狂化によって歪められた結果、その言葉の真意を自分は読み取ることができなかった。

一方的に弱者だと決めつけられたことが腹立たしくて意地を張り、彼の言葉に耳を傾けようとしなかったからだ。

 

「お前の方がきっと、彼が言う叛逆者に相応しい」

 

「それ、褒められてるのかな?」

 

「僕が勝手に言っているだけだ」

 

「じゃ、勝手に言われておくよ。それと、スパルタクスはカドックのことを気にかけてた理由なんだけど・・・・・・」

 

隣の少年は、顎に指を添えながら、言葉を選ぶように虚空を見上げる。

 

「ようするに、何もしなくても俺は勝手に叛逆するんだろ? じゃ、燻っている方を焚きつけるのは当然じゃないかな?」

 

悩んで悔やんで、足を止めたまま流されることはスパルタクスにとって圧制以外の何物でもないのだろうと、少年は言う。

彼は本能的に気づいていたのだ。カドック・ゼムルプスが抱えていた劣等感を。

そういえば、いつからだっただろう。

人並み以上の努力を重ねても、及ばない存在がいることに慣れてしまったのは。

口ではこんなはずじゃなかった、自分でもできたはずだと気概を見せても、心のどこかでできっこないと諦めてしまったのは。

だから、その殻を破れずにいた自分を、スパルタクスは彼なりに導こうとしたのだ。

 

「僕は彼を―――殺したんだぞ」

 

「それでもだよ。一緒に叛逆するならそらそれでよし、敵対するならそれもよし。その時は自分が叛逆する番だって、スパルタクスは考えてたんじゃないかな?」

 

それが事実だとしたら、何て皮肉の利いた結末であったであろう。

叛逆の剣闘士が見出し、導いた少年は圧制者となって彼の命を奪った。

あの時、彼は何を思って逝ったのだろうか。

それは愚問であろう。

彼は最後まで笑っていた。

圧制者に抗うことが彼の生きがいならば、最後まで圧制者である自分に向かって歩み続けた彼は、きっと満ち足りたまま逝くことができたのだ。

 

「藤丸、お前ならあの時、どうした?」

 

「―――多分、何もできなかった」

 

取り乱したかもしれないし、自棄になって特攻したかもしれない。

何れにしろ、決断を下すことだけはできなかったと、呟くような答えが返ってきた。

 

「そうか―――なら、僕は圧制者でいなくちゃな」

 

彼は言っていたじゃないか。

自分は何れ、大いなる圧制の象徴(一人前の魔術師)になると。

彼の英雄が二度目の生において最後の敵として見定めてくれたのだ。

順番が逆になってしまったが、これから先の生涯を認められたのなら、残りの人生を賭けてそれに釣り合う男にならなければならない。

スパルタクスがとびっきりの笑顔で突撃してくるような、そんな立派な魔術師に。

 

「そうか―――僕は、彼に褒められて―――」

 

あの傷だらけの背中に見惚れていた。

理不尽にも屈さず、腕力一つで抗い続けたその生き様に憧れもした。

あんな風に、自分も自身の境遇に抗えれば良かったと嘆きもした。

だから、最初から彼に認められていたことが嬉しくて、そんな彼にとどめを差した自分が嘆かわしくて、カドックは静かに涙を流した。

あんな結果を望んでいた訳じゃなかった。

できっこないと分かり切っていても、みんなが無事に生き残れればいいと思っていた。

フランスの時のような大団円を、今度も迎えられると、心のどこかで思ってしまったのだ。

 

「・・・・・・」

 

気を利かしてくれたのか、少年―――立香がポンっと背中を叩いて立ち上がる。

ひとり残されたカドックは、そのまましばらくの間、無人の管制室で泣き続けた。

どれくらいそうしていただろうか。

嗚咽で喉が涸れ、いい加減涙も出尽くした眦を擦り、カドックは自室へと戻る。

泣き過ぎたのか目元が腫れぼったいが、幸いな事に廊下では誰とも出う事はなかった。

 

「おかえりなさい」

 

部屋に入ると、寝間着姿のアナスタシアがベッドの縁に腰かけていた。

どうしてここに、という疑問は思い浮かばなかった。

鍵をかけて部屋を出たような気がするし、かけていなかったのかもしれない。

スパルタクスのことで頭の中がグチャグチャだったので、その辺のことはよく思い出せなかった。

ただ、涙で腫れた目を見られたかもしれないことは恥ずかしかったが、彼女はそれには触れず、いつもの調子で冗談めいたことを口にする。

 

「随分と長いお散歩ね。私を待たせるなんて、どこで何をしていたのかしら」

 

どこか冷たく、それでいて茶目っ気を含ませた涼やかな声音が耳に届く。

彼女からすれば、深夜の待ち伏せもいつもの他愛ない悪戯の一つだったのだろう。

こんな時間に訪ねられてはいい迷惑だと、文句の一つでも言ってやろうと思ったが、生憎と今のカドックにそんな余力はなかった。

 

「ごめん、今夜はもうやすま――!」

 

「きゃっ!?」

 

床につま先を引っかけてしまい、勢いよくベッドの上に倒れ込む。

丁度、アナスタシアを上から押し倒す形になってしまった。

 

「っ―――!!」

 

鼓動が一気に跳ね上がり、それでいて、不思議な安心感があった。

冷たくて心地よい冷気と、柔らかで包み込むような温かみが、疲れ切った体に充足感にも似た安らぎが満ちていく。

鼻孔をくすぐる香は洗剤だろうか。自分の鼓動に合わさるかのように聞こえるリズムは彼女自身の胸の音だ。

それを聞いていると、何だかとても安心して、悩みだとか疲れだとかが思考の片隅に追いやられていくような気がする。

 

「カドック、ちょっと―――おも―――カドック?」

 

「ごめん。明日には、いつも通りに、戻っている、から―――」

 

今夜だけは、このまま甘えさせて欲しい。

レイシフトの時とは違う、ゆっくりと、落ちていくかのような感覚に襲われながら、カドックは心の中で彼女に詫びる。

眠る前にせめて、毛布を彼女に渡さないとと、どこかずれたことを考えながら、カドックの意識は少しずつ微睡へと落ちていった。

 

「おやすみなさい、カドック。私は、ここにいるから―――」

 

最後に聞こえたのは、いつもよりほんの少しだけ慈愛に満ちた、アナスタシアの優しい言葉だった。

 

 

 

A.D.0060 永続狂気帝国 セプテム

人理定礎値:C+

定礎復元(Order Complete)




というわけで、セプテム編は終了です。
スパルタクスの解釈については賛否あるかもなーと思いつつ、格好いいアッセイスレイヤーが見たいなぁというのがセプテム編の裏コンセプトだったりします。
次はオケアノスですが、黒髭の口調をトレースできるだろうかと今から不安です。


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幕間の物語 -ある日の食堂にて-

それは第二特異点の修復を終えてからしばらくしての事。

少し前に、ネロのわがままでローマとカルデアの共同行事としてネロ祭なるものが開かれ、その興奮も冷めやらぬある日の事だった。

カルデアの食堂で、諸葛孔明―――ロード・エルメロイ2世はひとり、物思いに耽っていた。

手には先ほどからカチカチと開け閉めを繰り返されているライターが握られており、まだ火が点けられていない葉巻を咥えながら、

固い椅子に背中を預けて天井を見る。

そうして、しばらくの間、ボーっと天井を見上げながら、徐に葉巻に火を点けようと思っては思い止まり、また天井を見上げるだけの時間が過ぎていく。

 

「先ほどから何をしているのかね? 吸いたいのなら喫煙スペースに行ったらどうだろうか?」

 

いい加減、見るに見かねた赤い弓兵―――エミヤが紅茶ポットを片手に声をかける。

すると、エルメロイ2世は咥えていた葉巻をポケットにしまうと、眉間にしわを寄せながら無言でテーブルの紅茶を飲み干し、空のカップを見せて紅茶のお代わりを要求する。

 

「すまない、今はそういう気分じゃないんだが、習慣でね」

 

「葉巻は咽頭癌の原因になると聞く。別に禁煙を推奨するつもりはないが、控えた方がよくはないかね?」

 

「考えておくよ。まあ、考え事をするにはどうしてもこれが手放せなくてね」

 

そう言って、再びエルメロイ2世は葉巻を咥えて天井に視線を戻す。

 

「時計塔のロードに、何か悩みでもあるのかね?」

 

「自分の人生がつくづく、因果なものだと考えていたところだ」

 

「ああ、それはお互い様だね」

 

ロード・エルメロイ2世は2000年代の人間であり、本来であるならば英霊と至れるほどの器、歴史を有していない。

彼自身は魔術協会の時計塔に属する講師であり、現代を生きるただの魔術師に過ぎない。

しかし、人理焼却とそれを防ぐための聖杯探索という極めて特殊な事情が絡み、中国の英霊である諸葛孔明の依り代としてこのカルデアに召喚された。

数多の平行世界の中から英霊と波長が近い魂として選別され、諸葛孔明の力をその身に宿す事となった疑似サーヴァントなのである。

本来ならば、依り代の人格は英霊の人格に上書きされることで眠りにつくのだが、彼の場合は孔明の提案により、召喚された時代に明るいエルメロイ2世の方が、その力を十二分に活かせるだろうということで、依り代の人格が肉体の主導権を持つこととなったのだ。

 

「まさか、またも聖杯に関わることになるとは」

 

エルメロイ2世自身はこの世界の出身ではなく、こことは異なる平行世界から呼び出された存在である。

若かりし頃に聖杯戦争に参加していたことが、諸葛孔明の依り代として選ばれた理由の一つになっているのだろうと彼は結論付けている。

ちなみに、「この世界」のロード・エルメロイ2世も概ね、自分と同じような境遇を辿ってきたようだ。

 

「何、英霊ともなればそういうことは一度や二度じゃない」

 

「できれば、呼ばれるのはこれっきりにしてもらいたいがね。君みたいに酷使されて擦り切れるのは真っ平だよ」

 

問題児ばかりの自分の生徒に振り回されることがないのは幸いだが、と心の中で付け加えておくが。

 

「それにしても、サーヴァントとして呼ばれたら、そのマスターが劣等感の塊とは・・・・・・」

 

「ああ、それに関しては同感だ。魔術のマの字も知らない未熟者とは・・・・・・」

 

お互い、カルデアのマスターに思うところがあるのか、2人は複雑な表情を浮かべながら宙を睨む。

 

「ああ、マスターといえば、前にこんな話を聞いてね―――」

 

 

 

 

 

 

それはある日の事。

度重なる苦情の申し立てにも応じるどころか、寧ろ最近はドル友が増えてやる気に満ち満ちているエリザベートに対して、カドック・ゼムルプスは最後通牒とばかりに嘆願書を持参して睨み合っていた。

自分でもどうして、こんなことをしているのか納得できなかったが、残念ながら人手不足のカルデアではサーヴァントの問題はサーヴァント間かマスターで解決することが暗黙の了解となっている。

もう1人のマスターである藤丸立香も似たような感じで走り回っているため、文句を言うことができなかった。

 

「エリザベート、ここにカルデアスタッフから集まった嘆願書がある」

 

「嫌よ」

 

「せめて、最後まで聞け!」

 

「嫌よ、どうせ歌うなって言うんでしょ!」

 

召喚されてからというもの、エリザベートの歌に対してカルデアのスタッフからは苦情が殺到していた。

何しろ彼女はとてつもなく音痴なのである。

声は高いし音程は外れているし歌詞はサイケでさながら歩く音響兵器だ。

まともに聞いてしまった者は頭痛や吐き気を覚え、その後も眩暈に悩まされ、酷い時はフラッシュバックで狂乱する者もいた。

ただでさえ人手が少ない状況で、そんなことが続くとカルデアの存亡に関わってくる。

 

「歌はあたしの全てなのよ。アイドルがマイクを置くのは引退する時って決まっているの!」

 

「嘘つけ! マイクがあろうとなかろうと歌うだろ、君は!」

 

「うむ、天上の調べにマイクの有無は関係ないな。真に魅せる歌声というものは、己が声量だけで万人を魅了するものだ」

 

「そこで話をややこしくするんじゃない、暴君(ネロ)!」

 

最近、召喚されたもう1人の音響兵器、ネロ・クラウディウスに対して、若干苛立ちながらカドックはまくし立てる。

彼女もエリザベートに負けず劣らずの広域破壊兵器であり、最早その歌声は対軍宝具と呼んでも差し支えないだろう。

エリザベート1人でも持て余していたところに、更にもう1人が増えた事で、スタッフ達の我慢も限界に達したのだ。

 

「好きなことを好きにして何が悪いというのだ」

 

「そうよそうよ。良いこと言うじゃない。さすがはあたしのドル友(ライバル)

 

「余とそなたのセッションは、何れこのカルデアを席巻するであろう。その時こそ、我らの天下!」

 

「ええ、歌が世界を救うのね!」

 

「お花畑か、お前たちは!」

 

歌が絡むと狂化:EXになる2人を前にして、カドックは軽い頭痛を覚え始めていた。

いっそこのまま、2人の歌で滅んでしまってもいいんじゃないかとさえ思ってしまう。

もちろん、そんなことは許されないしするつもりもないので、カドックは思考を切り替えることにした。

相手がこちらの要求を呑まないのなら、プランBに切り替えるまでだ。

 

「わかった、そんなに歌いたいならその場所を提供しよう」

 

そう言って、カドックは2人をとある一室へと案内する。

そこは居住区画から少しだけ離れたところにあり、今は特に何にも使われていない空き部屋であった。

部屋の広さはスタッフの個室とそう変わらないが、ベッドなどがない分、居室よりも広く感じられる。

中央には簡易ではあるが机とどこから調達してきたのか、2人がけのソファが2つ。

机の上にはスピーカーに繋がった小さな機械―――オーディオプレイヤーが置かれていた。

 

「歌うならこの部屋を使って欲しい。ここなら大きな声を出しても外には漏れないし、練習にはもってこいだ」

 

言わば、簡易のカラオケBOXである。

部屋全体にはカドックが防音の魔術を施しており、中でどれだけ騒ごうと外には声が漏れないようになっている。

スピーカーやオーディオはダ・ヴィンチに作成を頼もうと思ったが、法外なQPを請求されたので、仕方なくカドックがカルデアに来る際に持参したものを流用した。

 

「飲み物は歩いて10メートル先に自動販売機がある。レクレーションルームの修理が終わったら、そこにちゃんとした設備を導入してもらうよう、僕の方から申請を出しておく。それまではここで我慢して欲しい」

 

というより、我慢してもらわないとスタッフの生死に関わる。

 

「へえ、つまりアタシ達専用のスタジオっていうことね」

 

「うむ。オーディエンスがいないのがちと寂しいが、楽団なしでも伴奏が流れるのは実によい」

 

「そうか、気に入ってもらえて何よりだ。何なら、一日中歌っていてくれても構わない」

 

「お言葉に甘えさせてもらおう。そして、ゆくゆくは皆を集めてこの美声を披露しようではないか」

 

「そうね、エリちゃんライブwithネロinカルデアってわけね」

 

それは、恐ろしい地獄絵図になりそうだと、カドックは頬を引きつらせた。

とにかく、これで当面の問題は解決できたと、カドックは胸を撫で下ろして部屋を後にする。

すると、いつから待ち構えていたのか、壁にもたれかかっていたアマデウスが手を振ってきた。

 

「やあ、2人は気に入ってくれたようだね。協力した甲斐があるってものさ」

 

「助かったよ。手持ちの楽器だけじゃ音を用意し切れなかった」

 

「最近はああいうポップな歌もあるんだね。今度、作曲に取り入れてみようかな」

 

人理が焼却された状態では、インターネット経由で音楽を集めるのも限界がある。

だが、アマデウスの宝具ならば大抵の音は奏でられるので、オーディオを編曲するに辺り、彼に伴奏を依頼したのである。

 

「けど、良かったのかい? あの娘達のために大事な――楽器? を使ってしまって。君も音楽は聞くんだろう?」

 

「それだけで済むなら安いものさ。それに、僕はどちらかというと生音が好きでね」

 

「なるほど」

 

こちらが求めているものを悟ったのか、アマデウスは俗っぽい笑みを浮かべて指揮者の如く指を遊ばせる。

 

「ボクの演奏は高いぜ。そうだな、まずは―――俺の――」

 

 

 

 

 

 

「―――と、いうことがあったらしい」

 

「君の存在が1ミリも出てきていないが、どこでその話を聞いたんだね?」

 

「無論、マリー・アントワネット女史からだよ。アマデウスがうっかり口を滑らせてしまったみたいでね、彼女が方々に話して回っているんだ」

 

「それは、ご愁傷様」

 

ここにはいない、自分のマスターに対して同情の念を禁じ得ないエルメロイ2世であった。

 

「とはいえ、静かなのはいいことだ。こうして、煩わしいことを忘れてゆっくりするのは心の―――」

 

その時、飛行機のエンジン音にも似た爆音としゃれこうべの笑い声のように滅茶苦茶な音階がカルデアの館内に響き渡った。

先ほどの話の中で出てきたエリザベートとネロの歌声だ。

カドックが身銭を切ってその問題を解決したはずだというのに、いったい如何なる事態であろうか?

 

「2人の歌で防音の術式が壊されたぞ!」

 

「またか!? 緊急用の護符を使え! カドックが戻るまで保たせるんだ!」

 

「ダメです、3分と保ちません!」

 

「馬鹿な、12枚の護符が3分で全滅だと―――!?」

 

「ダ・ヴィンチ顧問は何をしているんだ、あの人なら何とかできるはずだ!」

 

「あの変態! 工房に鍵をかけて居留守をしています!」

 

「チクショウ! すぐにカドックを特異点から呼び戻せ! 明日の人理より今夜の安眠だ!」

 

上へ下への大騒ぎがカルデアを包み込み、エルメロイ2世とエミヤはどちらからというでなく視線を交わらせた。

 

「まあ―――」

 

「世は事もなし」

 

とっぴんぱらりのぷう?



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第三特異点 封鎖終局四海オケアノス
封鎖終局四海オケアノス 第1節


――――――今日も同じ時間に目が覚めた。

固い寝台の上で体温を確認し、五感が正常に機能することを確認する。

目は見える。施錠された窓は白いペンキで塗り潰されているが、何故だかその向こうの青々とした空がハッキリと分かる。

耳は聞こえる。静まり返ったイパチェフ館に響く足音は、まるで時計の針のように正確だ。

匂いはわからない。けれども、あの忌々しいユダヤ人の匂いは眼で視るように感じ取れる。

肌はざわついている。下劣な兵隊達が近くにいるからだ。

まとまりを失いつつある自意識を搔き集め、大きく深呼吸をして自分を認識する。

私は私だ。私は今日も存在を許された。

 

「―――――――――」

 

この館に来てどれだけの日が過ぎ去っただろうか。

まだ数日のような気もするし、何週間もここで過ごしているかのような気もする。

日付という概念はとっくに消え失せていた。

いつまで続くかもわからない軟禁生活は心を少しずつすり減らし、生きる事への希望すら蝋燭のように掻き消えてしまう。

自分でもわかっているのだ。

こんな生活はいつまでも続かない。

市井に堕とされ、国外へと追放される程度ならば温情だ。

あいつらはきっと、私達を生かしてはおかないだろう。

それがいつの日になるのかはわからないが、避けられぬ運命であることだけは不思議と確信が持てた。

だから、せめて最後まで家族と一緒に過ごしたい。

それが避けられぬ決定事項だというのなら、全力で眼を逸らして今日という日を謳歌したい。

でなければ、みんな壊れてしまう。

父も母も、姉たちも弟も。

みんな暗い顔をして毎日を過ごすばかり。

少しずつ心が死んでいっている。

私はまだ諦めたくはない。

一分でも一秒でも、その事実を否定し続けなければ、彼らと同じように生きたまま死んでしまう。

自分だけでもかつての明るさを装わなければ、家族はきっとバラバラになってしまう。

私はきっと不幸せだ。

今日も一日、この暗い世界を見ていなければならないのだから。

 

 

 

 

 

 

悪夢はそこで途切れ、カドックは意識を覚醒させた。

そして、飛び跳ねるように半身を起こし、不快感を拭うように全身を掻き毟る。

服の下は寝汗でびっしょりと濡れており、シーツの上に染みまでできている。

エアコンの風がまるで真冬のように冷たく、張り付いたシャツの不快感が余計に強くなった。

 

(今のは・・・・・・夢、か・・・・・・)

 

夢にしては非常に生々しい実感があった。

今までの人生で味わったことがないような孤独と絶望。

毎朝、目覚めの度に処刑台の階段を登るかのような恐怖。

そんな不快で眼を逸らしたくなるようなどす黒い感情が今も胸の内に残っている。

あれはきっと、実際に起きた出来事なのだ。

サーヴァントとマスターは霊的なパスで繋がっているため、稀に互いの記憶を夢という形で共有することがあるという。

アナスタシアが体験した記憶。彼女の生前の出来事が情報として自分の中に流れ込んできたのだ。

 

(あんな薄氷を踏むかのような気持ちで、最期の日まで過ごしたっていうのか、彼女は?)

 

両親は諦め、姉達は沈み込み、弟は死すらも望んだ。

そんな中で生来の明るさを維持し続け、彼女は正常であろうとした。

それが如何に無意味で空虚なことか、彼女自身が知りながら。

 

「あら、起きていたの?」

 

扉が開き、アナスタシアが姿を現す。

どうして外から、という疑問が頭を過ぎり、昨夜は自分の部屋に帰ると彼女が言っていたことを思い出す。

夢のせいで思考回路がうまく働かない。

自分は今、どんな顔をしているのだろうか。

偶然とはいえ、彼女の秘めた部分を覗き見てしまったことに負い目を感じてしまう。

 

「どうかしたの?」

 

「―――いや、何でもない」

 

「本当に? 嘘をついたら針千本よ」

 

「君なら本当にやりかねないな」

 

「ご希望ならね。けど、やらないわ。針で突くならまだしも、飲み込ませて喉を破るなんて可哀そうじゃない」

 

「針で突くのは良いのか」

 

嘆息し、頭痛が起きる前に話を切り上げて紅茶の準備をしようと立ち上がる。

すると、アナスタシアはこちらの手を引いて強引に椅子に座らせると、昨晩の内に用意しておいたティーポットをサッと奪い取ってみせた。

 

「今朝は私が淹れてあげます」

 

見上げた顔は、まるで出来の悪い弟を嗜めるような、柔らかな慈愛に満ちた表情をしていた。

 

「どういう風の吹き回しだい?」

 

「あら、おかしい? これでも末期はひとりで色々と身の回りのことはしていたのよ」

 

胸の奥がチクリと痛みを覚える。

何気なく口にしたその言葉の奥に、どれだけの気持ちが込められているのか、それを語る言葉を自分は持っていない。

夢で見たあの記憶は彼女自身のもので、自分のような部外者が立ち入っていいものではない。

だから、夢の事は胸の奥にしまい込み、普段通りに接するよう心掛ける。

 

「なら、頼むよ、キャスター」

 

「ええ、マスター。待っていて」

 

その日の朝は、いつもよりも穏やかな時間が過ぎていった。

 

 

 

 

 

 

カドックとアナスタシアが管制室に着くと、既に他の面々は顔をそろえていた。

こちらが席についたのを確認し、待ち構えていたロマニが世間話を切り上げてブリーフィングの開始を告げる。

そう、新たな時代の歪み。第三の特異点が観測できたのだ。

 

「おはよう諸君。昨日はよく眠れたかな? うん、ボクはあんまり眠れていない」

 

レフ・ライノールを倒し、第二の聖杯を回収したといえば聞こえはいいが、疑問は増える一方だ。

レフが変身した、七十二柱の魔神を名乗るアレは何だったのか。

レフが所属していたと思われる集団は何を目論んで人理焼却を行ったのか。

解決できない議題ばかりが積み重なっていき、ロマニはここ最近―――実際は以前からずっとだが―――ロクに休めていないようだ。

 

「あの、ドクター・ロマン。七十二柱の魔神と言えば、その・・・」

 

「ああ、思い当たるものは一つしかない。ある古代の王が使役したという使い魔のコトだね」

 

マシュの質問の意図を察し、ロマニは肯定する。

隣にいたド素人の立香は当然のことながら、頭に疑問符を浮かべていたので、ロマニの言葉を遮らぬよう小さな声で説明する。

 

「ソロモン王の使い魔だ。名前くらいは聞いたことあるだろ?」

 

ソロモン王は古代イスラエルの王であり、魔術世界においては人類に魔術をもたらした最高の召喚術士として有名だ。

そして、彼が使役する使い魔こそがその名も高き七十二柱の魔神なのである。

最も、実際には魔神などというものは存在せず、それぞれの用途に分かれた強力な使い魔に過ぎないというのが最新の見解だ。

如何に魔術の祖といえど、悪魔や神霊の類を使役することは適わないはずだからである。

レフがどうして魔神の名前を騙ったのかはわからない。

或いは、アレは本当に七十二柱の魔神で、何者かがソロモン王をサーヴァントとして召喚した可能性も考えられる。

何れにしろ、今の時点で断言できる確証は何も得られていない。

 

「送られてきたデータの解析は今も進めているよ。とりあえず、今は当面の課題である三つ目の聖杯入手の話をしよう」

 

いよいよだと、カドックと立香は身構える。

百年戦争時代のフランス、古代ローマと来て次はどの時代になるのか、どんな冒険が待ち構えているのか、否がおうにも緊張感が高まる。

 

「唐突だけど、2人とも。船酔いは大丈夫かな?」

 

「はい? えっと・・・平気です」

 

「僕も大丈夫だ」

 

「良かった。それなら安心だ。いざとなれば中枢神経にも効く酔い止めを用意するところだった」

 

その言葉を聞いて、そこはかとなく嫌な予感が込み上げてくる。

 

「という訳で、今回は1573年。場所は―――見渡す限りの大海原だ」

 

「海・・・ですか?」

 

「うん。特異点を中心に地形が変化しているらしい。具体的に「ここ」という地域が決まっている訳ではなさそうだ」

 

観測できたのは幾つかの小さな島だけで、それも従来の地理には当てはまらないものらしい。

つまり、地図などの後世の情報は余り充てにはできないということだ。

時代的には大航海時代の真っただ中。丁度、世界一周を成し遂げたフランシス・ドレイクが私掠船団を率いて海賊行為を行っていた頃だ。

運が良ければ世界的偉業を成し遂げた彼の英雄の生前の姿を見られるかもしれない。

 

「行ったら海の上なんてことは?」

 

立香の不安げな質問に、カドックとアナスタシアの表情が凍り付く。

前回はローマに転移するはずが遠くガリアにまで転移先がずれてしまった。

特に今回は地形の変化により座標指定も困難なはず。

レイシフトした先で遭難し、そのまま鮫の餌になるなんてこともありえるかもしれない。

 

「それは心配ない。こちらでレイシフト転送の際の条件を設定しておく。少なくとも海の上ということはないはずさ。それにもう一つ、心強い味方がある」

 

ロマニがそう言うと、いつからそこにいたのか、ダ・ヴィンチがどこからか丸いゴム製の輪っかを取り出した。

 

「私が発明したゴム製の浮き輪さ。万が一の時はこれで窮地を凌ぐといい」

 

反応は様々だった。

立香は不安で表情を暗くし、マシュは呆れたようにため息を吐く。

アナスタシアは強度が気になるのか、しきりに浮き輪を突いている。彼女は霊体化ができるので、これに頼ることはないだろうが。

 

「まあ、ないよりはマシか」

 

「うんうん、切り替えの早さは君の美徳だよ、カドックくん」

 

「敬われたかったら、もう少しそれらしく振舞ったらどうなんだ、万能の天才」

 

ともかく、これでブリーフィングは終了だ。

4人は各々のコフィンへと向かい、レイシフトに向けて準備を始める。

今までの特異点よりも変化が大きいという違いはあるが、自分達がやるべきことは変わらない。

特異点の発生原因の解明と修正、そして聖杯の回収。

いつものように臨むだけだ。

 

―――アンサモンプログラム、スタート。

 

コフィンが稼働を始め、レイシフトのカウントダウンが始まる。

映画のフィルムが切れるようにカドックの意識は闇へと落ち、時空の波を漂い始めていった。

 

 

 

 

 

 

結果から言うと、海の上にレイシフトすることはなかった。

例によって立香達とは別の場所に飛ばされたが、それでも海に投げ出されて蛸とワルツを踊らずには済んだ。

だが、これは果たして無事にレイシフトに成功したと言っても良いのだろうか?

カドックは状況から目を背け、マーフィの法則について考察したくなった。

失敗する可能性があるものは、必ずその方向へ物事が誘導されるというアレだ。

 

「アン、何だかわからないけれど、見た事のない2人が突然、空から降ってきたよ」

 

「そうね、メアリー。襲撃って訳じゃなさそうだけれど―――」

 

額に傷がある少女と豊満なバストの女性が、寄り添い合うようにしながらこちらを見つめている。

どことなく耽美な雰囲気を漂わせているが、睦言に耽っている訳ではないことだけは確かだ。

少女の手は油断なくカトラスの柄を握っているし、女性の方も肩にマスケット銃を担いでいる。

こちらが怪しい動きをすれば、そのどちらかが、或いは両方が向けられることになるだろう。

更に周りには十数人の男達。

全員、ボロボロのシャツとズボンを身に纏い、バンダナを頭に巻いた画一的な姿をしている。

手には各々の得物が握られており、いつでも飛びかかれるように周囲を囲んでいた。

そう、カドック達は船の上にレイシフトしてしまい、乗っていた正体不明の一団に取り囲まれているのだ。

 

「カドック」

 

「少し、待て。下手に動くとこちらが不利だ」

 

男達の方はともかく、女の2人は間違いなくサーヴァントだ。

狭い場所で囲まれた状態では、アナスタシアの長所が完全に潰されてしまっている。

ここで戦えばまず、無事では済まないだろう。

まずは彼女達が何者なのか、交渉の余地はあるのかを探らなければならない。

 

「すまない、僕達は―――」

 

「どうするの、アン? 疑わしきは罰するってことで、やっちゃう?」

 

少女が黒衣をはためかせ、手にしたカトラスを器用に回転させる。

可愛らしい顔立ちなのに、目がちっとも笑っていない。こちらを養豚場の豚か何かのように、殺しても構わない存在だと確信している眼だ。

いくつもの修羅場を潜り抜けてきたであろう、その眼は研ぎ澄まされた刃のような鋭い視線を放ち、焦燥感となって胸を貫く。

周囲の男達もそれに倣うかのように、それぞれの得物で威嚇してくる。

銃に弾を込め直す者、ナイフを舌なめずりする者、千差万別だ。

 

(問答無用か)

 

アウトローとは我らのことさと言わんばかりに、彼らの引き金は軽い。

正に一触即発だ。

戦いは避けられないのだろうかとカドックは嘆き、せめて初手には対応できるようにと魔術回路を励起させていく。

刹那、こめかみに巨大な圧迫感が押し付けられた。

マスケット銃を構えていた女性が、目にも止まらぬ速さで銃口をこちらに向けたのだ。

 

「はーい、おかしなことは禁止ね、密航者さん」

 

「っ―――」

 

「気になるって顔をしているわね? あなた、何かしようとしたでしょ? ちょっと体温も上がったみたいだし、呪いの真似事とか嗜んでいたりするのではなくて?」

 

浮かべた笑顔は慈母のように柔らかく、それでいてゾッとするような冷たさが秘められていた。

魔術を知っていたこと、こちらの魔術回路の動きを察せられたことも意外だが、それ以上に驚愕したのがこちらに向けられた微笑みだ。

見直しても凝視しても、彼女の顔に張り付いているのは柔らかい微笑みだけ。そこに冷たい感情は微塵も感じられない。

だが、殺気を叩きつけられた瞬間だけ、カドックは僅かに垣間見ることができた。

根本的には彼女も傷の少女と同じ。必要とあらば―――その気になれば例え必要でなかったとしても―――躊躇なく引き金を引く。

息をするよりも早く、頭が思考するよりも早く、その指がかけられた引き金は押し込まれるだろう。

染みついた殺気と冷徹さを、彼女は狡猾に笑顔の下に隠している。

この2人は危険だ。

今はマスケット銃の女性が自分を抑えることで均衡を保っているが、それが崩れた時、いの一番に火を噴くことになるのは彼女の銃だろう。

そして、彼女が均衡を保ち続けている理由は一つ。

ここは船上。ならば、船の行く先から乗組員の命まで、全ての決定権は船長にある。

 

「アン、あいつを呼ぶの?」

 

「ええ。醜悪でお下品で歩く猥褻物でも船長なのですから、仕切るところはきちんと仕切ってもらわないと」

 

心底嫌そうな顔をする傷の少女を、銃の女性が辛辣な言葉を交えつつ窘める。

フォローがフォローになっていないのは気のせいではないだろう。

それ程までにこの船の船長は嫌われ者なのだろうか?

 

「船長。船長!」

 

「はーい! お呼びですかー、メアリー氏!」

 

勢いよく扉が開き、船室から飛び出てきたのはコートを纏った黒髭の大男だった。

ぎらついた双眸、肉食獣と猛禽類が交配して生まれたかのような獰猛な笑み、コートの下は半裸で鍛え抜かれた腹筋が見え隠れしている。

一目で危険な人物であると分かるこの男が、この船の船長なのだろうか。

 

「デュフフフフフフフ。女の子に呼ばれるなんて、拙者もいよいよ春が来たってことかな。デュフフフフ―――」

 

「アン、今すぐ殺そう」

 

「だめよ、メアリー。こんな不快なだけのモノでも生きる権利はあるものよ」

 

直後、銃声が甲板に轟いた。

こちらに向けられていた銃口が風の速さで船長らしき男に向けられ、引き金が引かれたのだ。

口では博愛を謳いつつこの仕打ち。男のことが気の毒に思えてくるが、先ほどの生理的嫌悪を催す笑い声を思い出すと、そんな感情も急速に萎えていく。

あれは間違いなく、自業自得だ。

 

「あ、危ないじゃないですか! 今、今、拙者の股間を、スッと! スッと掠めたでござるよ!」

 

「チッ――」

 

「あ、今、舌打ちした? うーん、何てエゴイスティック。いっそ、使い物にならなければ良かったって? さすがの拙者も、ちょっと傷ついちゃうなぁ。今夜は寂しいなぁ。泣いちゃおうかなぁ。ドゥフフフフフフ―――――」

 

ナメクジのように身悶えする男の姿を見たアナスタシアが卒倒し、カドックの腕の中に倒れてくる。

できることなら自分も同じように気を失いたかったが、運が悪いことにそれは適わなかった。

 

「船長」

 

「ぐふふ、失敬失敬。では真面目に―――うひょー、かわいこちゃん!? 寝顔が超プリチー! こんな娘が密航してくるなんて、拙者はもう―――って、リア充かよ!! 何だよ、死ねよ! ペロペロし甲斐のある幼女になって出直して来いよ! 全く、この世に神はいないでござるか!」

 

もの凄く失礼なことをまくし立てられている気がして、カドックはこめかみの下が熱くなった。

血管の一本や二本はイッたかもしれない。

彼女達が嫌うのも当然だ。

この男は、何というか、生きていちゃいけない部類だ。

多分、シーツに零れた染みと同じくらいの存在価値ではなかろうか。

 

「あー、拙者のこと憐れんでいるでござるな? いいのかなぁ、そんな態度でいいのかなぁ。この黒髭様の船に乗っちゃったこと、後悔しても知らないよぉ、ボクぅ―――おう、娘の方は船室に放り込んどけ! 野郎の方は―――」

 

怖気が走る背中を擦りたくなった。

これが、黒髭こと大海賊エドワード・ティーチとの出会いであった。




というわけで、オケアノス編です。
黒髭の台詞、スパルタクス以上に難しい。
これ書けるライターさんはすごいな。


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封鎖終局四海オケアノス 第2節

「帆を張れ! 進路を東に向けろぉ! さあ、キリキリ働くでござるよ!!」

 

黒髭の号令が轟き、船上が俄かに騒がしくなる。

風を捉えて動く時代遅れの帆船。それを動かすために数百人の男達が総出になってロープを引き、帆に風を捉え、波で暴れる舵を取る。

吹き付ける潮風も突然のスコールも物ともせず、全員が一丸となって船というひとつの生物をコントロールする。

それが海賊。それが船乗りという職業だ。

黒髭ことエドワード・ティーチが率いるアン女王の復讐号(クイーン・アンズ・リベンジ)もそれは例外ではない。

大海原という他に縋るものがない孤独な世界であるからこそ、彼らは力を合わせて厳しい航海に臨むのだ。

 

「ほらぁ、カドック氏。みんなから遅れているでござるよぉ。ぐふふふふふふ」

 

そんな中、カドックは水夫見習いとして黒髭海賊団に扱き使われていた。

 

「っ―――今に見ていろ」

 

「うぅん? 何か聞こえたようなぁ気がぁするでござるなぁ?」

 

耳聡く聞きつけたティーチは、こちらを小ばかにするように手の平を耳にあてる。

すかさず、周囲から弾けるような笑い声が巻き起こった。

 

「カドック、鉛玉が飛んでくる前に手を動かした方が良いぞ」

 

「甲板にいてもお邪魔だぜ坊主。ロープ相手にマスかく暇があったら船倉の掃除でもしてな」

 

「終わったら芋の皮むきするんだぞ。俺のノルマの分もなぁ」

 

言いたい放題の船員達を尻目に、カドックは黙々と作業に没頭することで怒りを忘れようとする。

あんな風にからかわれるのは慣れている。寧ろ、旧知の魔術師達と違って陰険さがない分、清々しく感じられる。

それに、そもそもの発端はカルデアのレイシフトの不安定さが原因だ。

ロマニには悪いが、そんな風に思わなければやっていけない。

 

(エドワード・ティーチ・・・今に見ていろ)

 

胸の内で沸々と怒りを煮え滾らせながら、カドックは結んでいたロープを力いっぱい引き絞り、次の作業へと移る。

そうしながらも考えるのは、自分が置かれている現在の状況についてだ。

運悪く黒髭海賊団の船上にレイシフトしてしまった自分達は、船長であるエドワード・ティーチとの交渉によって、一触即発からの助命を何とか許してもらうことができた。

相手の出方がわからなかったので、カルデアのことなどは伏せざるをえなかったが、ティーチはこちらのことを使えると判断したのか、カドックは見習いとして船内の雑用を言いつけられ、アナスタシアは船室に軟禁されることとなった。

そう、自分は今、あの大海賊黒髭の船に乗っているのだ。

恐らくは世界で最も有名な海賊。後世における海賊のイメージを決定づけた男だ。

生前はカリブ海を支配下に置き、酒と女と暴力に溺れ、大航海時代によって築かれた植民地貿易を行き来する商船を襲う事で莫大な財宝を手に入れたとされている。

実際の黒髭は創作などで語られているイメージとは別の意味で危険な男であったが。

 

「カドック、シーツの洗濯お願いね」

 

「うぐっ―――多っ・・それに―――」

 

臭い、と言いかけて言葉を飲み込む。

新入りがそんなことを口にすれば、目の前の少女は何をしでかすかわからない。

彼女ともう1人は、それだけ危険な存在だ。

いや、危険なのは彼女達だけではない。

ティーチが率いるこのアン女王の復讐号(クイーン・アンズ・リベンジ)には、一般の乗組員以外にサーヴァントが何人か乗り込んでいる。

初日に自分達を威嚇してきた2人組。女海賊として名高いアン・ボニーとメアリ・リード。

今は別行動を取っている、ノルウェーのバイキングである血斧王エイリーク。

そして、謎の用心棒がひとり。

最後のひとりだけは、普段は姿を見せないので正体はわかっていない。

 

「カドックが来てくれて助かったよ。今までは自分達で洗ってたからね」

 

「他にも船員はいるだろう・・・・・・」

 

「え? 嫌だよ、あんな汗臭そうな奴らが触ったシーツで寝るの」

 

打てば響くように返ってきたメアリーの言葉に、カドックは言葉を失った。

 

「・・・・・・僕は良いのかよ」

 

それはつまり、男として見られていないということだろうか。

いや、そもそも男所帯の海賊稼業で女っ気を出されても困るのだが。

 

「譲歩してる。それに、君ならきちんと水も節約できそうだしね。次の上陸まで、最低でも5日は見ているんだから」

 

他の乗組員はティーチが魔力で生み出した、いわば亡霊のようなものなので、その辺は無頓着なのだそうだ。

サーヴァントは飲み食いの必要がないのだが、彼女達は生前の船乗りとしての習慣と、娯楽としての飲食を楽しむため、その辺には気を使っているらしい。

 

「じゃ、よろしくね」

 

メアリーは手を振りながら去っていく。

再びひとりに戻ったカドックは、目の前のシーツの山との格闘を開始した。

それが終われば船倉の整理、芋の皮むき、大砲の整備とやるべきことは多い。

時々、先輩格の乗組員がからかってきたり、雑用を押し付けてくるので仕事は一方的に増えるばかりだ。

 

「手伝いましょうか?」

 

耳元で涼やかな囁きが聞こえる。

振り返ると誰もおらず、カドックは胸を撫で下ろして声のした方を見やる。

姿は見えないが、そこには霊体化したアナスタシアがいるはずだ。

 

「抜け出して大丈夫なのか?」

 

「本気で閉じ込めるつもりなら、部屋の中に見張りを置くべきだと思うの」

 

「あいつらにはその気がないってことか」

 

舐められているようにも思えるが、実際、見張る必要がないのは確かだ。

この船の乗組員はティーチの傀儡なので懐柔は不可能。

仮に謀反を起こしたとしても、船を乗っ取ることはできない以上、こちらが取れる手段は服従か闇に紛れての脱出しかない。

使えるならばそれでよし、逃げるならばそれもよし。害となるなら殺せば良いという実に素敵な考え方だ。

 

「アナスタシア、海を凍らせることはできるか?」

 

「あなたが干乾びてもよければ、可能よ」

 

自前の魔力だけでは、せいぜい氷塊を浮かべる程度が限界らしい。

船の強度次第では、座礁させることも難しいだろう。

海を凍らせて陸地まで歩くという方法も使えない。そもそも、正確な海図がなければ立香達との合流も間々ならないだろう。

 

(もうしばらくは、ここにいなくちゃダメってことか)

 

実際のところ、それは好都合でもある。

隙を見て行ったカルデアとの通信によると、この船の中から聖杯と思われる魔力反応が検知されているらしい。

巧妙にジャミングされていたが、こちらが船の内部に潜り込めたことで発見できたとのことだ。

つまり、この時代の特異点はこの船の持ち主であるエドワード・ティーチである可能性が高い。

何とか探りを入れて、あわよくば聖杯を奪い取れればこの状況も逆転するだろう。

 

(今回ばかりは出番はないぞ、藤丸立香)

 

降って湧いたピンチとチャンスにカドックは柄にもなくほくそ笑んでいた。

別に彼を出し抜こうなどと思っているつもりはない。

ただ、少しだけ自分とあいつとの境遇の差に納得ができないだけだ。

何でも向こうは生前のフランシス・ドレイクを仲間に引き入れ、この海を航海しているとのことだ。

人類初の生きたままの世界一周を成し遂げた、正に偉人中の偉人。

海賊にして英雄。

太陽の王国を撃ち落とした悪魔。

文明のスケールを広げた星の開拓者。

しかも、この時代に現存していた本物の聖杯を見つけ出し、所有しているらしい。

この時代がこんな海と島しか存在しない不安定な時空になっていても、辛うじて人理定礎を保てているのはドレイクが所有している本物の聖杯のおかげなのだというこうとだ。

自分はこんな薄汚い船倉で埃塗れなのに、あっちは文字通り、世界を救った英雄と一緒に冒険しているなんて、ずるいじゃないか。

例え、史実として伝わっていた性別と実際の性別が違っていたとしても、事あるごとに呑んだくれる享楽主義者であったとしてもだ。

 

「カドック、ヴィイの眼を使うまでもないくらい、煩悩が駄々漏れよ」

 

「良いんだ、これは僕の決意表明と受け取ってくれ」

 

呆れるアナスタシアを尻目の、カドックは気合を入れ直して作業を再開しようとする。

すると、不意に頭上が騒がしくなり、甲板の上を駆け回る足音が大きくなる。

船体も大きく傾きだしているようだ。

そう思った直後、何かにぶつかったかのような横揺れが襲いかかってくる。

 

「ここにいたか、カドック! ご同輩とご対面だ。すぐに準備しろ!」

 

水夫のまとめ役を担わされている団員が、こちらを見るなり首根っこを掴んで引っ張り上げる。

咄嗟に首とシャツの間に指を突っ込んで窒息を免れたカドックは、甲板へと続く階段をグイグイと昇る団員に対して非難の言葉を漏らす。

 

「ちょっ、痛い・・・放せ・・・何なんだ、準備って!?」

 

「戦闘準備に決まってるだろ!」

 

勢いよく扉が開かれると、カドックの目に飛び込んできたのは映画でしか見た事がないような光景だった。

船と船のマストがロープで絡み合い、甲板に渡された板を伝って幾人もの海賊が互いの船を往復する。

頭上ではターザンのようにロープで空中飛行を演じる者がおり、暴発した大砲が明後日の方角へと飛んでいく。

見渡す限りの大海原を背景に繰り広げられるのは、中世・近世で幾度も行われた海の男達の戦いだ。

古代ローマで見た合戦とはまた違う、泥臭くも力強い男達の戦いをその目で見て、まるで鈍器で頭を殴られたかのような衝撃を覚えた。

 

「もう始まってやがる。カドック、お前は弾運びだ。あるだけ持ってこい!」

 

そう言って、団員は自身の得物を抜いて敵船へと切り込んでいく。

一拍遅れて、カドックはもういない団員に返事をするが、その場から動くことはできなかった。

戦場に恐れをなした訳ではない。この程度の修羅場は何度も潜り抜けてきた。

心を奪われたのは1人の男の背中を見たからだ。

怒号と銃声が飛び交う船上で、誰よりも先頭に立ち、敵の喉元に牙を突き立てる益荒男を見たからだ。

この興奮には覚えがある。

冬木のクー・フーリン、フランスのジークフリート、そしてローマのスパルタクス。

特異点を巡る旅に中で、特に鮮烈に刻み込まれた男達の記憶が思い返される。

 

「彼が―――」

 

彼こそが海賊。

敵陣のど真ん中、団員の誰よりも最前線で拳を振るい、敵を殴り飛ばしているのは、この黒髭海賊団の船長エドワード・ティーチだ。

彼は群がる海賊を殴り飛ばし、武器を奪い、時にはロープを掴んで滑空し、マストに船内にと縦横無尽に駆け回って敵を屠る。

その手には船内から奪い取ったと思われる金銀財宝。ズボンには高価そうな燭台が挟み込まれており、首からはネックレスが何重もぶら下げられている。

俗っぽくて欲深くて、だけれども生きる事に忠実。

芯の通ったその生き様、戦場で激しく輝く様は、古代の英雄達と比べても決して見劣りしない。

先ほどまで、自分をいびり倒していた男と同じ人間とは到底、思う事ができなかった。

 

「カドック、余所見するんじゃねぇ!」

 

ティーチの怒号と共に向けられた銃口に、カドックは思わず息を呑む。

殺されると身を固くした瞬間、火を噴いた黒髭の銃は、カドックに切りかかろうとしていた敵船の海賊を撃ち抜いていた。

屈強な男が倒れていく様がスローモーションのように見える中、カドックは自分が生きていることに胸を撫で下ろした。

 

「ティ――船長・・・」

 

「チッ――ああ、カドック氏、そこ危ないでござるよ。早く隠れた隠れた!」

 

自分よりも大きな男の首を締め上げながら、ティーチは普段のふざけた調子に戻って声を張り上げる。

先ほどの殺意に溢れた凶悪な目つきとのギャップに、カドックは目を丸くするしかなかった。

 

「そうだねぇ。ま、初回特典ってことで、今回はオジサンが付き合ってあげようか」

 

飄々とした声と共に現れた緑衣の男が、手にした槍を一閃させて数人の海賊を薙ぎ払う。

初めて見る顔だった。

他の団員達とは明らかに意匠が異なる装いから察するに、用心棒と呼ばれている最後のサーヴァントだろうか。

彼はカドックの前に立つと、向かってくる敵を次々と切り払っては海に投げ捨てていく。

やがて、大砲の音が止んだかと思うと、傾いていた船が水平に戻っていく。マストに絡まっていたロープが切られたのだ。

戦いは、黒髭海賊団の一方的な勝利であった。

 

 

 

 

 

 

その日の晩は、船を上げての大騒ぎであった。

昼間の海戦で得た収穫を曰く宴だ。

燭台はあるだけ火が灯され、陽気だがどこかズレたリズムの歌が船内に流れる中、あちこちで乾杯の音頭が上がる。

誰もが上機嫌に酒を呷り、馬鹿笑いや何かが壊れる音が響き渡った。

そんな中、カドックは1人―――正確には霊体化したアナスタシアと2人―――で人気のない甲板の端っこに腰かけていた。

 

「―――つまり、ティーチの狙いはドレイク船長の可能性が高いってことか」

 

『そうだね。黒髭の乗組員である血斧王エイリークが藤丸くん達に襲い掛かってきたことや、幾つかの情報をもとに考えると、ドレイク船長の聖杯を狙っているんじゃないかな?』

 

他の者に悟られぬようできる限りの小声で、ロマニは言う。

彼の話によると、別行動をしていたエイリークが立香達に襲いかかったらしい。

また、ドレイクは立香達と合流する前にも怪しい船に襲われたことがあるらしいとのことだ。

ティーチが偽りの聖杯の持ち主であると仮定するならば、人理定礎の破壊の邪魔になるドレイクの聖杯を狙っていると予想できる。

 

「この先もドレイクの黄金の鹿号(ゴールデンハインド)を狙うとなると、合流の機会は何とかなりそうだな」

 

『こちらの狙いに気づかれると警戒されるだろうから、通信は控えなきゃいけないのが不安だね。カドックくん、無茶だけはしないでくれよ』

 

「勝てない賭け事をするつもりはないさ」

 

そう言って、カルデアとの通信を切り上げる。

そうして、しばしの間、船の揺れに体を預けながら、カドックは物思いに耽った。

 

「何か思い詰めている顔をしているわ」

 

「そう見えるかい?」

 

「まさか、黒髭に同調しているの? あんな人間の屑に?」

 

言い過ぎだ、と擁護することはできなかった。

彼は事あるごとにこちらをからかうし、女性には色目を使うし、口汚いし笑い方は下品だし、少し前なんてアナスタシアにちょっかいを出そうともした。

ハッキリ言って弁解の余地がないダメ人間だ。

それに偽りの聖杯の力でこの時代を狂わせている元凶かもしれないのだ。

昼間の戦いぶりは確かに目を見張るものがあったが、それはそれ。

必要ならば尊敬する人間も切り捨てるのが魔術師というものだ。

 

(そうだな、昔は確かにそうだったんだが―――)

 

今も同じだとは言い切れない。

この長い旅を通じて、何かが少しずつ変わっていっている。

誰かに同情したり、敵に負い目を感じるなんてことも今まではなかったはずだ。

正直に告白しよう。

エドワード・ティーチは格好いい。

どうしようもなく変態な屑野郎だけれど、一瞬だけ垣間見たあのぎらついた双眸は、間違いなく大海賊の風格に満ちていた。

自分は今、そんな男と敵対しようとしているのだ。

だから、迷いが生まれてしまった。

いつものように、できっこないと諦めてしまおうとしている。

 

「アナスタシア」

 

「何かしら?」

 

「カルデアに戻ったら、また紅茶を淹れてもらえないか?」

 

「あら? どうしたの、急に?」

 

「ただのゲン担ぎさ」

 

「そう。なら、良いでしょう。存分に腕を振るいなさいな、マスター」

 

「ああ」

 

アナスタシアの発破を受け、カドックは改めて気合を入れ直す。

時刻は間もなく夜更け。

酒も回り、最も警戒が薄くなる頃合いだ。

決行するなら今夜しかない。

心は決まった。

今夜、黒髭と決闘する。




ネット環境がないせいか、ちょっとマジモードのスイッチが入りやすい黒髭氏でした。


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封鎖終局四海オケアノス 第3節

古今東西、船乗り達は娯楽に飢えている。

長い航海を船という閉鎖的な環境の中で過ごし、異性との交流も断たれる。

生き残るために水と食料は切り詰められ、時には悪天候に翻弄される。

酒に酔えても手慰みになるものがここにはない。

船員の間で、気軽に楽しめる賭け事が流行るのはある意味、当然の帰結であった。

サイコロを振る、カードを揃える、ただの殴り合いや島探しと彼らは何にでも娯楽を見出そうとする。

海賊の中には賭博を禁じているところもあったようだが、ここ黒髭海賊団ではそのようなことはなく、船員達の間ではカード賭博が流行していた。

彼らは毎夜、酒に酔うとなけなしの財産を奪い合う。

明日をも知れぬ海賊稼業。

例え亡霊の身の上だとしても、或いは亡霊故に生前の習慣がそうさせるのか、一時の享楽に溺れるのである。

そんな彼らにとって、新人というものは絶好の獲物であった。

浮足立ち、落ち着かない若者を甚振り、搾れるだけ搾り取って嘲笑う。

それもまた彼らの娯楽であった。

だが、今夜ばかりはそうならなかった。

 

「エースと7だ」

 

「畜生! 8と3。ツイテねぇ!」

 

「絵札が2枚よか恰好つくだろ、ハハハ」

 

ふらりと船室に顔を出したカドックは、案の定先輩格の船員に呼び止められ、カードゲームに誘われた。

代わり映えしないメンバーに飽きていたのと、新人が早く船に馴染むためと彼らは言ってきた。

もちろん、それは建前だ。

彼らはこちらの身包みを剥ぐまでゲームを降りさせるつもりはないのだろう。

その証拠に、強引に座らされた机の周りを屈強な団員達が取り囲み、逃げ道を塞いでいる。

行われているのは、数字の合計が大きい方が勝利というシンプルなゲームだ。

小難しいルールもなく、学がなくても楽しむことができるので、彼らは好んでこのゲームを行うらしい。

 

「9と7・・・・・・6か」

 

「また負けか。6に負けるなんて、今日はツキがないな」

 

「カドックよ、まさかイカサマなんてしてないよな?」

 

「まさか。切るのも配るのもそっちがしているだろ」

 

銅貨とチップ代わりの煙草をまとめて自分の側に搔き集めながら、カドックは淡々と答える。

ゲームが始まって数十分。カドックは勝負を持ちかけてくる団員達を次々と返り討ちにしていった。

もちろん、連戦連勝という訳ではない。だが、負けた後も数ゲーム以内に挽回し、気が付くと独り勝ちをしている状態であった。

周囲には早々に諦めて損失を最低限に抑えた者、自棄になって全財産どころか宝の分け前まで賭けて破産した者、話を聞きつけて興味深げにゲームを覗く者と、

実に多くの人間が集まってきている。

視界の端にはアンとメアリーが酒を傾ける姿が目に入り、この船に乗っているほとんどの人間が集まってきているようだ。

だが、まだ目的の人物は現れない。

少しずつ朦朧とし始めた思考に喝を入れ直し、カドックは尚もゲームを続行した。

ディーラー役の団員が使い切ったカードを集め、改めて切り直して机に配られる。

その後も何度か負けが続くが、やはり途中から逆転を始めて最後には賭け金の山が築かれていった。

さすがに、そこまでくるといい加減、相手をする側にも諦めの空気が漂い始めてくる。

このまま続けても埒が明かないのではないかという諦観を感じ取り、カドックはわざと負けるべきだろうかとしばし、思案した。

すると、どこからか調子の外れた鼻歌と共に、1人の大男がこちらのテーブルを覗き込んできた。

 

「おやぁ、なかなかお強いですな、カドック氏」

 

エドワード・ティーチ。

酔っているのか、頬が赤く呼気も酒臭い。

陽気そうな笑みはいつもの何倍も下品で気持ちが悪かった。

 

「ああ、船長。お陰様で稼がせてもらっているよ」

 

「おお、天狗ですなぁ、カドック氏。今に足下をすくわれますぞ」

 

「あんたみたいな男にか?」

 

何十回目かの勝利を終え、カドックは大きく伸びをする。

内心では緊張で震えが走るが、あくまで余裕があるように振舞いながら船長を見上げる。

先ほどの言葉を挑発と受け取ってもらえたのか、ティーチは下卑た笑みを浮かべながらこちらとは反対側の席についた。

 

「拙者、投げられた手袋は石を詰めて投げ返す流儀ですぞ」

 

「最低だな、あんた」

 

「ぐふふふふ、減らず口もそこまでですぞ」

 

新たにカードが配られると、ティーチは懐から幾枚かの金貨を放り投げた。

ここまでの稼ぎとほぼ等しい額だ。つまり、最初から全力で来いという無言のプレッシャーである。

 

「船長、配りますぜ」

 

「いつでもいいでござるよ」

 

配れたカードを一瞥し、ティーチは口角を吊り上げて数字を開示する。

照明に晒された数字は4。

その数字がギャラリーに行き渡るのを十分に待ってから、ティーチはカードの追加を希望した。

カドックもカードを1枚加え、互いに3枚の札が手元に揃う。

 

「こういうの好きでござるか?」

 

「・・・どうだろうな」

 

「少し息を呑みましたぞ。ぐふふ、実は初めてでござろう。ビギナーズラックだけで勝てるほど、海賊は甘くないでござるぞ」

 

ディーラー役の団員の合図で、互いのカードを開示する。

カドックは3、2、K。絵札は0として数える為、合計は5となる。

対するティーチは2枚までを開示した後、最後の1枚に指を這わすと、まるでカサブタでも剥がすかのようにゆっくりとした動きでカードの端を捲っていく。

 

「デュフフフフ、来い、来い来い――――キターッ!」

 

全員の注目が集まる中、捲られたカードの数字が露となる。

先に開示された数字は4と6。そして、最後に捲られたカードはJ。

つまり、数字の合計は0。

すかさず、周囲のギャラリーから盛大な野次が飛んできた。

 

「大負けもいいところじゃないですか!」

 

「船長、もったいぶっときながらそれはないですよ!」

 

「デュフフフ、メンゴメンゴ。では、仕切り直して――」

 

ポケットから新たな金貨が取り出される。

ティーチはだらしのない笑顔を浮かべながら頭を掻き、景気付けにと酒を呷り直してゲームの続行を告げた。

彼は終始、上機嫌な調子でカードを捌きながら、くだらない世間話を投げかけてくる。

こちらの出自、船上での生活の感想、家族構成、好きな食べ物、週末の過ごし方、アナスタシアとの関係はどこまで進んでいるのか。

最後の質問には面食らったが、何とか当たり障りのない範囲で答えながら、カドックは必死で頭を働かせ続けた。

このゲームはあくまで運勝負だ。ターン毎に最初に賭けられるプレイヤーが交代するくらいで、机上での有利不利というものは存在しない。

だというのに、ティーチの纏う独特のオーラがシーツを汚す汚濁のように、少しずつ場を侵食していっている。

彼は負けている。

負け続けているにも関わらず、眼光は少しずつ研ぎ澄まされていき、追い込まれているのはこちら側であると錯覚してしまう。

まるで獲物を睨みつける蛇だ。

直視すれば呑まれてしまう。

目を逸らし、当初の戦略に終始しなければ、負けるのはこちらだ。

そんな中、不意に誰かが口走った。

 

「こりゃ、明日から新入りがボスになるか。ギャハハハ―――」

 

破裂音が船内に木霊し、その男は二度と口を開かなくかった。

重い何かが倒れる音に、幾人かが迷惑そうに眉をしかめるのが見えた。

誰かが片づけのためにモップとバケツを取りに走る。

それを尻目に、ティーチは硝煙が漂うピストルの銃口に息を吹きかけ、口角を裂けるほど吊り上げながらゲームの続行を告げる。

 

「船長、あんた―――」

 

「うん? まあ、たまにはこういうことしないと、拙者がどんな男かわからなくなるでござるよ?」

 

開示されたカードはカドックが8、ティーチが2と6で引き分けとなる。

引き分けに持ち込めたことにティーチは子どもみたいにはしゃぎながら、周囲の部下にゲームの結果をアピールする。

そこから立て続けにティーチの勝利が続くが、すぐにカドックも勢いを取り戻して損失を取り戻す。

次々と切られていくカード、捨て山の行方を必死に目で追いながら、カドックは言い表しようのない焦燥感と戦い続けた。

先ほどの引き分けは偶然であろうか。

確かにそうなる確率は存在した。

だが、目の前の男にそれを操れる力があるとしたら?

天運の采配に任せるだけのはずが、いつしかカドックは責め立てられるロバの如く焦りを見せ始めていた。

 

「何を必死になっているでござるか、カドック氏?」

 

「―――っ!?」

 

ティーチの言葉で我に返り、カドックは大きく深呼吸して体の緊張を弛緩する

場は完全にカドックが優勢。

ティーチは金貨どころかピストルやコートまで賭け金として巻き上げられ、残っているのはズボンだけの有り様だ。

誰が見てもカドックの独り勝ちであったが、団員達は何が黒髭の琴線に触れるかわからないため、安易の止めに入る事もできない。

故に、この先の提案はカドックから切り出さねばならなかった。

だが、その一言の何と重いことか。

下手をすれば、その時点で撃ち殺されかねない雰囲気を目の前の男は纏っている。

道化にして狂人。エドワード・ティーチという男の底が見えず、カドックは次の一言を発するために精一杯の勇気を振り絞らなければならなかった。

 

「次の一戦で、終わりにしないか?」

 

一瞬、静寂が室内を支配する。

誰もが黒髭の一挙一動を見守っていた。

アンとメアリーまでもが、自分達の船長の動きに注視している。

 

「うぅん、いいですぞぉ。けど、このまま負けっ放しなのも嫌でござるなぁ。ここは一つ、お互いに全賭けということで」

 

脱力するような情けない声で、余りにも図々しいことを言ってのける。

腰砕けにでもあったのか、後ろの方で何人かが転んだような気もした。

普通ならば、受ける道理もない提案。しかし、それはカドックにとって願ってもない言葉であった。

当初の予定に最も好ましい展開だからだ。彼が言い出さなければ、こちらから提案していただろう。

 

「わかった。けれど、それだとこちらが割に合わない。もう一つ、賭けてもらえないか?」

 

「でゅふふふ? この期に及んで幼気な拙者から何を毟り取ろうというのですかな、カドック氏?」

 

「いや、歓迎ついでに一杯、奢って欲しいんだ。あんたが持っている一番、高価な杯でね」

 

奥の席から飛びかかろうとしたメアリーをアンが制する。

静かに首を振り、渋々と言った様子で席に戻るのが見えた。

彼女達は気づいたのだ、この言葉に込められた意味に。

無論、目の前にいるこの男も気づいているだろう。彼もそこまでの馬鹿ではないはずだ。

 

「カドック氏は必死でござるな」

 

こちらへの回答は告げず、普段と同じ調子のまま、ティーチは口を開く。

 

「それにしても、魔術師ってみんなカードが強いでござるか?」

 

「さあ、どうだろうな?」

 

「まあ、カドック氏がすごいだけなのかもしれないですな。何しろ、負けていない。チマチマやって、勝てる時にドンと勝つ、羨ましいでござるなぁ。でゅふふふふふ―――まるで、勝ちやすい時がわかっているみたいでござる」

 

ほんのわずかに、息を呑んでしまう。

こちらが使っていたイカサマを見抜かれてしまった。

捨てられたカードを見てデッキに残されたカードの種類を把握し、次にどんなカードが来やすいのか確率を弾き出す技術。

カウンティングを使っていたことを知られている。

 

(付け焼刃じゃ、ここまでか)

 

ゲームに使われるデッキはひとつ、使用されたカードは捨て札として除外されていく。

カドックはこのルールに着目し、カウンティングを用いる事で負けを最小限に抑え、勝ちやすいタイミングで大穴を狙う戦術を行っていた。

適度に負けが挟まっていたのは、デッキに捨て札が戻され、確率が読めなくなった時があるからだ。

 

「そんなにアレが欲しいでござるか?」

 

「そりゃ、魔術師だからな」

 

「根源の到達だか何だかでござろう? 拙者もサーヴァントの端くれ、その辺の知識はある程度、知っているでござるよ。けど、意外でござるなぁ。カドック氏も根源を目指しているなんて」

 

「意外? 僕が?」

 

「だって、チートとか大嫌いござろう? 拙者にはわかるでござるよ」

 

「っ―――!」

 

配られたカードに伸ばした手が止まった。

その一言は、まるで鋭利なナイフか何かのようで、カドックの心に深く深く突き刺さっていく。

 

「2週目限定装備とか、通信でもらった強キャラとか、そういうの抵抗感あるタイプと見たでござる。あれでしょ、レベルをきっちり上げ切ってからボスに挑む人。地図を埋めなきゃ気が済まなかったり、緻密にパターン構築してから進める感じ。ひょっとしたらRTAや縛りプレイな人かもな気もするけど、どっちにしろそんな人が根源を目指していて、しかもアレに頼ろうとしているなんて、意外だなって」

 

言っている言葉の意味は半分もわからなかったが、彼が言わんとしていることはわかった。

カドック・ゼムルプスは聖杯を欲していない。否、聖杯にかけるべき願いを持っていない。

もちろん、カルデアのグランドオーダーは願望器を奪い合う聖杯戦争ではない。

ティーチの言葉はあくまで通常の聖杯戦争に即したものである。

だが、意識してしまうと思考はそちらに流れてしまう。

才能や血統に秀でたエリートを見返したい。

凡人である自分にも何かを成し得ると証明したい。

突き詰めてしまうと、カドック・ゼムルプスが魔術を志す理由はこの2つである。

そして、それはたまたま生家が魔術の家系であったから生まれたものでしかない。

 

『僕の見立てでは君はまだ自分で選べる側だと思うんだけどね』

 

神に愛された音楽家の言葉が脳内に木霊する。

ずっと自分は、彼と同じ才能の奴隷であると思っていた。

魔術師の家に生まれたのだから、魔術師であるしかないと。

けれど、そうではないのだ。

まだ自分は選んですらいない。

目的もなく、ただ脊髄反射で強者に反抗していただけだ。

偉業を成してエリートを見返したい。それが成し得たのなら、その後はどうなる?

何を糧に生きればいい?

その先がなければ、奴隷であることすらできないのに。

 

「ああ、そうそう」

 

わざとらしく咳払いを挟み、ティーチは告げる。

 

「さっきの提案、呑むでござるよ。稼いだ金もプレゼント・フォー・ユーでござる。その代わり、負けたらその服の下のタトゥー、削り取らせてもらうでござるよ」

 

「っ―――!?」

 

思わず自身に移植された魔術刻印に手を添える。

魔術刻印は代々、魔術師の家系が歴史とともに受け継いできた一子相伝の固定化された神秘である。

研鑽によって培われた知識や式を刻印という形で子孫に移植することで、その一族の血統の全てを遺す家宝であり、魔導書であり、呪いのようなものだ。

これを受け継いだ者は当主として次なる世代に向けて研鑽を続け、より大きな力として次の当主に託す。

そうすることで魔術師の家系は繁栄していくのである。

恐ろしいことにティーチはそれを削れと言ってきた。

魔術師として規格外のイカサマに手を伸ばすのならば、培ってきた技術を捨てろと彼は言うのだ。

 

「そのカードを捲ったら、合意とみなすでござるよ。さあ、カドック氏。さあ、答えるでござる。さあ、魂を賭けると。拙者にグッドと言わせるでござる」

 

「・・・・・・・・・」

 

指先が震える。

絵札はほとんどが出尽くしているし、デッキの残り枚数から考えるに、最初の2枚の合計が少なければ追加のカードを引いても10を超えることはないだろう。

だが、この時点ではそれはティーチも同じ。

カードを捲らなければこちらが有利かどうかはわからないが、そうなると降りることができなくなる。

圧倒的に勝ち越しているが故に、場の空気が降りる事を許さない。

乗せたつもりが、乗せられたのはこちらだった。

 

「僕は・・・・・・」

 

降りるなら今しかない。

ティーチは聖杯を所持していることを認めた。それだけでも十分な成果だ。

目的は半ば、達成されている。そもそも、こんな遊戯に勝ったところでこの反英霊が潔く聖杯を手放す訳がない。

今しか降りるチャンスはない。

今日までの人生を棒にする程の価値が、この勝負にある訳がない。

 

(ああ、そういうことか―――)

 

この期に及んで、そんな風に考えてしまうから、自分は凡人なのだ。

ここで降りたら、きっと部屋に戻って後悔するはずだ。

こんなはずじゃなかった。

あそこで挑戦していれば、勝てたはずだと。

 

(僕は、そんな言い訳をするためにここにいるんじゃない)

 

カードを捲る。

ティーチは3と5で8、対してこちらのカードはQ。もう1枚は伏せたままだ。

この状況では伏せた1枚が9でなければ勝利できない。

 

「・・・・・・」

 

呼吸を整え、ゆっくりとカードに指を這わせる。

最初にティーチもやった、しぼりと呼ばれるテクニックだ。

頭の中で最も望むカードを念じながらじわりじわりとカードを捲ることにより、そのカードを呼び込むのだが、要はギャラリーの注目を集めるためのただの焦らしである。

だが、誰もがそれをオカルトと笑う事はなかった。

カドックの真に迫る気迫が、本当に勝利のカードを呼び込むのではないのかと、そこにいた全ての者が期待を寄せていた。

カドック自身、ここで必ずあのカードを呼び込むと、その手に掴んだ僅かな希望を少しずつ捲りあげていく。

捲れた端に描かれているスートは4つ。

つまり、9か10のどちからだ。

ティーチですらも固唾を飲んで見守る中、カドックは意を決してカードを捲る指に力を込める。

瞬間、目の前に大きな何かが倒れ込んできた。

 

「えっ?」

 

「ぬぁに!?」

 

派手に机が引っくり返り、山と積まれていた賭け金が散乱する。

途端に、室内は玩具箱を引っくり返したかのような大混乱に陥った。

緊張が解けて倒れる者、勝負に水を差されて憤る者、散らばった金を搔き集めてネコババする者、それを咎める者、喧嘩をする者。

堪らずメアリーがカトラス片手に仲裁に入り、メアリーもマスケット銃を鳴らして威嚇するが、暴風のような混乱は収まることなく、

止めに入った2人をも巻き込んで更に大きくなっていく。

そんな中、渦中の2人は突然、倒れ込んできた緑衣の男を呆然と見下ろしていた。

 

「いやあ、面目ない。年取ると足腰が弱って・・・・・・」

 

わざとらしく腰を擦りながら、千鳥足で立ち上がった髭面の男に、カドックとティーチは声を揃えて言った。

 

「退場」

 

 

 

 

 

 

賭博の騒動がひと段落し、カドックの隣に腰かけた緑衣の男はため息交じりに呟いた。

 

「お前さんも肝が据わっているね。普通、あそこは退くところでしょ」

 

「助けてくれたことには感謝するよ、ヘクトール」

 

「へいへい」

 

ヘクトールと呼ばれた男は、愛用の槍を肩に回しながら立ち上がり、甲板に背中を預ける。

その様は先ほどまで千鳥足であったとは思えない、しっかりとした足取りだった。

いや、そもそも彼は最初から酔っていなかった。

あの勝負はティーチが負ければ船長としての沽券が傷つけられ、カドックが負ければ魔術師としての人生を終わらせられる。

どちらにとってもプラスがない不毛なものであった。故に、彼は乱入という形で勝負に水を差したのである。

 

「それにしても、この船にあなたが乗っているとは、兜輝くヘクトール」

 

ヘクトールはギリシャ神話に登場する人物であり、トロイア戦争においてトロイア防衛の総大将を務めた大英雄である。

老いた王に代わってトロイア軍をまとめ上げ、圧倒的な兵力差を覆してアカイア軍を敗走寸前に追い込んだ名将。

あの神に愛された大英雄アキレウスを相手にしても一歩も引かずに籠城戦を繰り広げ、もしも彼が生き残っていれば、アキレウスが参戦しなければ、トロイア軍は勝利していたであろうとも言われている。

そんな誇り高き大英雄が海賊などに身をやつしているのは、ひとえにティーチが聖杯を所持しているからだ。

生粋の海賊であるアンとメアリー、エイリークと違い、ヘクトールは海賊稼業に興味はない。

ティーチに雇われ、彼が聖杯を所持している以上は逆らうことができず、用心棒の身に甘んじているに過ぎない。

 

「まあ、オジサンも義理人情には逆らえませんからね。生前もそれで死んだようなもんだし」

 

「現状に不満はあるようだな」

 

「汗臭くて潮臭くて、ついでに戦ってばっかの生活はさすがに応えるよ。オジサン、女の子に囲まれてのんびり過ごしたいな、なんてね」

 

「十分だ。なら、僕達の目的は一致している」

 

カドックが呼びかけると、浮かび上がるようにアナスタシアが姿を現した。

 

「どうだった?」

 

「どこにもなかったわ。船倉からあいつの―――あの――アレの私室まで、全部視たけれど、それらしいものは見当たりません」

 

「なら、あいつが肌身離さず持っているのは確実か。無理をさせてごめん、アナスタシア」

 

「アレの部屋だけは覗きたくはなかった」

 

吐き気を堪えるアナスタシアの背中を擦りながら、カドックは労いの言葉をかける。

話の流れが読み取れないヘクトールは、不思議そうに問いかけてくる。

 

「あれあれ、何か企んじゃっている感じ?」

 

「黒髭は聖杯を持っているのか、それとも隠しているのか。隠しているなら見つけ出して奪い取る。その為に今夜、みんなをあの場所にくぎ付けにしたんだ」

 

エイリークはまだ戻っておらず、アンとメアリーは何だかんだでティーチを船長として立てているので、彼が何かをしでかす時は馬鹿な真似をしないよう見張りにくる。

そうなれば、霊体化できるアナスタシアを止められる者は誰もいない。

ヴィイの魔眼を使えば隠しているものも透視できるため、聖杯を人目のつかないところに隠しているのなら、あのタイミングは絶好のチャンスであったのだ。

だが、当然というべきかティーチは聖杯を肌身離さず持っていた。

そうなると、実力行使で奪わなければならない。そのためには戦力が必要だ。

 

「黒髭は恐らく、近いうちにフランシス・ドレイクを襲撃するだろう。そこには僕の仲間もいる。ヘクトール、あなたが力を貸してくれるなら、確実に黒髭を倒せるだろう」

 

「恐ろしい。気づかれてたら鮫の餌じゃすまないぜ。それに、そんな危なっかしい策でよく自分の人生を賭け金にできるね」

 

「カードのことか?」

 

どこからともなく取り出したトランプの1枚を、そっとヘクトールに差し出す。

描かれている数字は9。あの時、手元に来ていれば勝てていたカードだ。

カドックはそれを、何もない虚空から何枚も取り出して見せる。

 

「魔術、じゃないね」

 

「魔術回路を励起させれば体温があがるなんて初耳だが、アンはそれを見抜いてくる。これはただの手品だよ」

 

これに限らず、あの場所には様々なタネを事前に仕込んでいた。

破れかぶれで挑むのは自分の流儀じゃない。

勝てないのなら、二重三重に策を用意するまでのこと。

ティーチが言ったように、カドック・ゼムルプスは負けない勝負をする男なのだから。

 

「それに、失敗してもあいつが―――」

 

言いかけた言葉は直前で飲み込まれた。

例え自分が失敗しても、まだ藤丸立香がいる。

どうして自分は、こんなことを考えてしまっているのだろう。

直前まで自分とアナスタシアだけで成し遂げてみせると息巻いておきながら、いざという時はあいつの顔が思い浮かんでしまう。

藤丸立香という存在に期待してしまっている。

それだけは口にできない。

彼がまだ弱い内は、その言葉だけは口にする訳にはいかない。

 

「恐れ入ったよ、少年。じゃ、オジサンもそれに乗らせてもらおうかな」

 

「ああ、よろしく頼む、ヘクトール」

 

いつの間にか朝陽が昇り始めてきた。

カドックの長い夜が、明けようとしていた。

 




以上、賭博黙示録カドックでした(違

みなさんはナポレオン引けましたか?
こちらはダメでした(涙)


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封鎖終局四海オケアノス 第4節

船体が激しく軋み、静かな海が怒号に揺れる。

乱れ飛ぶ矢と大砲、巻きつけられる縄、雄叫びと共にサーベルが舞い、男達は笑いながら死んでいく。

ここはどことは知れぬ終局の四海(オケアノス)。聖杯の力で歪められた歴史の墓場。

そこに迷い込んだ星の開拓者は、星詠み達(カルデア)と共に海原を逝く。

相対するは無法の極致。

泣く子も黙る黒髭海賊団。

度重なる小競り合いを経て、遂に両者は全面対決を迎えることとなった。

 

「んんんぅぅ! 破れかぶれの特攻とはドレイク(BBA)らしくない所業とは思ったでござるが、なかなかやりよるでござるな! さすがBBA、年季が違う!」

 

「褒めている前に何とかしてくださいよ、船長! こいつ、つよっ―――」

 

悲惨な声を上げる部下の胸に幾本もの矢が突き刺さり、ティーチの足下に転がりこんで動かなくなる。

船内で所狭しと暴れ回るのは、それはもう豊かな双丘を携えた美しい女弓兵であった。

オリオンと名乗った少女はまるで棒切れか何かを振り回すように手にした弓を構え、取り押さえようと飛びかかった男達を次々に撃ち抜いていく。

更にドレイクが駆る黄金の鹿号(ゴールデンハインド)からは女神エウリュアレが矢で牽制し、魅了を受けた部下達が同士討ちを始める始末。

極めつけは船倉の火薬庫が引火して大爆発を起こし、その隙を突いて黄金の鹿号(ゴールデンハインド)のラムアタックを受けた事だ。

自分を含めて四騎のサーヴァントを擁していたにも関わらずこの体たらく。

大混乱に陥る黒髭海賊団を見下ろして、ティーチは過去にないくらいの絶頂に至っていた。

 

「ああ、何だか変な方向にスイッチが入っちゃったよ、船長」

 

乗り込んできたマシュとドレイクを相手にカトラスを振るいながら、メアリーは愚痴を零す。

内心では悲鳴を上げたい気分であった。

先ほどからこちらの動きが読まれているかのように、相手の奇襲がトントン拍子で進んでいる。

乱戦に強く、継戦能力に秀でたエイリークは真っ先に集中攻撃を受けて倒され、相棒と連携を取ろうにも常に二騎以上のサーヴァントが張り付いていてこちらの持ち味を活かすことができない。

用心棒であるはずのヘクトールは先ほどから姿が見えず、どこで戦っているのかもわからないときた。

原因はハッキリとしている、カドック・ゼムルプスだ。

あの根暗そうなのに役に立つ新入り。

船長との賭けの席で、堂々と聖杯を奪うと公言した魔術師。

きっと彼が黄金の鹿号(ゴールデンハインド)と内通していたのだ。でなければ、エイリークの能力も自分達が2人で一騎のサーヴァントであることも知っているはずがない。

 

「―――っ! 体が!?」

 

カトラスを取り落した指先から塵となっていく様を目にし、メアリーは自分の相棒が倒されたことを感じ取った。

アンとメアリーは2人で一騎。どちらかが倒されれば、もう片方は無事でも消滅は避けられない。

 

「やはり、殺しておくべきだった」

 

確証もなく追放すれば部下の士気に影響するとして、ティーチはカドックの粛清に否定的であった。

最も、エドワード・ティーチは狂人だが道化者でもある。大真面目に正論を語る時もあれば、何食わぬ顔で悪辣に立ち回る事もあり、或いはあの賭けの席でカドックが勝利していれば、船長の顔に泥を塗ったとして撃ち殺されていたかもしれない。

何れにしろ、今回は彼の采配が裏目に出てしまったのだ。

 

「そのために僕達がいたのに・・・ごめん、船長。先にいくよ」

 

一抹の後悔を胸に秘め、黒髭海賊団の紅二点はこの時代から消滅する。

これで、エドワード・ティーチを守る者はいなくなった。

1人残されたティーチは、凶悪な笑みを浮かべたままマストから飛び降りると、武器を構える敵対者達の顔を一瞥する。

前からはメアリーを倒した星の開拓者と盾の少女、そしてそのマスター。

そして、背後からはアンを倒した魔術師の少年と人形を抱えた少女。

丁度、マストを挟んで挟み撃ちの形となっていた。

 

「よお、カドック。わかっているでござろうな、お主」

 

コートの上からでもわかる逞しい二の腕に力を込めながら、ティーチは問う。

返答次第では容赦なく懐の銃が火を噴くだろう。

例え、この場にいる敵が全員、一度に襲い掛かってきたとしても、目の前の少年だけは確実に殺す。

どうかそんなことにだけはならないで欲しいと気紛れな海の女神に願いながら、ティーチは裏切り者の部下の答えを待った。

 

「ああ、取らせてもらうぞ、船長」

 

その言葉にティーチは大いに満足し、懐の銃から手を放した。

実にいい。野心溢れる回答だ。

青臭い正義感や詫びの言葉なんて吐き出したら、鉛玉で口を塞ぐつもりだったが、そんなことはしなくて済みそうだ。

いっぱい食わせてやったぞというあの笑みを見れただけでも、部下にした甲斐があったというものだ。

これで遠慮なく、目の前の美少女達とお肌の触れ合いができるというもの。

 

「ぬふぅ! ならやり合うでござるよ、BBAに坊主。マシュちゃんとアナスタシアちゃんもまとめて可愛がってあげるでござる!」

 

魔力を滾らせながら、ティーチは船上を駆ける。

黄金の鹿号(ゴールデンハインド)との最後の戦いが始まった。

 

 

 

 

 

 

アナスタシアの魔術で足が凍りつき、動きが止まった瞬間を見計らい、マシュの大盾が黒髭の顔面を捉える。

並の人間ならば頭蓋骨が砕け散ってもおかしくない衝撃。

しかし、錐もみ回転をしながら甲板に叩きつけられたティーチは、それでも堪える素振りすら見せずに立ち上がってきた。

 

「その時、黒髭の髭が金色とか銀色とか灼熱色に輝き、不死鳥の如く蘇るのであった! 気分的に!」

 

全力でふざけ倒すティーチの言動に、誰もが気力を削がれやりにくさを覚えていた。

あれを計算でやっているのだとしたら、間違いなく一級品の天才だ。

 

「うぅ、気力が削がれる」

 

「我慢して、私はアレを直視しないといけないのよ」

 

「わたしはアレに触らないといけないんですが」

 

「どっちもどっちだ、2人ともがんばれ」

 

「滅茶苦茶他人事だな、お前!」

 

横から飛びかかってくる海賊を魔術で昏倒させながら、カドックは背後でマシュを支援している立香に怒鳴る。

気持ちは痛いほどわかるが、今は目の前の戦いに集中して欲しい。

 

「正に絶対絶命色即是空、南無妙法蓮華経。だがしかぁぁぁし!」

 

「それ使い方が間違っているし、あんたそもそもイギリス人だろ、黒髭!」

 

「細かいでござるよ坊主! とにかく自慢ではないがこの黒髭、負けることなど考えたこともありません!」

 

うっかり漏れ出た言葉にもキッチリとリアクションを返しつつ、ティーチは迫りくる盾をかわしてマシュの背後に回り込む。

両手の指をワキワキと波打たせながら、その肢体を羽交い絞めにせんと下卑た笑みが浮かんでいるのが手に取るようにわかった。

瞬間、言い表しようのない危機感を抱いた立香が渾身のガンドを放って動きを封じ、振り返りざまに放たれたマシュの一撃が鳩尾に直撃する。

もんどりを打ったティーチは、今度は標的をアナスタシアへと変えて突撃。一瞬、表情が凍り付いたアナスタシアは宝具並の威力で吹雪を放つも、ティーチはそれを根性で耐え抜いてみせる。

生前も銃弾や刀傷を何十と受けても戦いを続け、死後も胴体だけで動いて見せたという逸話があるだけに、その耐久力は出鱈目なレベルにまで引き上げられている。

アナスタシアとマシュと女海賊―――フランシス・ドレイクの3人を相手取って、一歩も引かない立ち回りを見せていた。

 

「ハッハッ! 拙者を倒したければこの3倍は持ってくるでござる!!」

 

「吠えたね、ドサンピン。やっとお仲間と殺し合っている気になってきたよ! 聖杯が欲しかったんだろうけど諦めな。あれはアタシのお宝だ!」

 

「はっ! エウリュアレちゃんのついでに掻っ攫ってやろうかくらいの気持ちだったでござるが、そこまで言うなら何が何でも奪ってみせるでござる。泣いて許しを乞いても遅いぜBBA!」

 

甲板を転がるティーチ目がけてドレイクが両手のピストルを構える。

刹那、ドレイク目がけて酒瓶が弧を描き、咄嗟に彼女はそれを銃床で払う。

投げつけたのはティーチだ。

聖杯の力でサーヴァント並みの力を得ているドレイクにはその程度では傷一つつかないが、酒瓶を払うのに生まれた僅かな隙を点かれ、ティーチの接近を許してしまう。

 

「チィッ!」

 

「でゅふぅっ!」

 

ドレイクの双丘目がけてダイブしたティーチの顔面を、ドレイクの華麗な回し蹴りが捉える。

甲板に叩きつけられたティーチは、それも持ち前のタフネスで耐え抜いてドレイクの前に立つと、ニヤリと笑って見せる。

 

「射程距離に入ったでござるよ、BBA」

 

「呆れた執念だね、まったく。けど、アタシら悪党の世界じゃ負けたヤツがクズ、勝ったヤツが正義ってね。あんたの正義、悪魔のヒールで踏みにじってやるよ」

 

「きゅん。BBAなのにちょっと格好良すぎるじゃない。拙者が女であれば、今頃ロマンチックなBGMと共に服を脱いでいくイベントCGが表示されていたに違いない。地味に差分作ったり指定するの面倒くさいよね、アレ」

 

「アタシ、お前が何を言っているのか本気で理解できない・・・よ!」

 

抜き打ち気味に向けられたピストルをティーチは寸でで払い除け、ドレイクの胸元へ手刀を叩き込む。だが、僅かに先端を掠めただけで有効打にはならない。

すかさずドレイクはもう片方の手の銃床がティーチの脳天を狙うも、それを読み切ったティーチの肘鉄がドレイクの腕を潰し、返す刀で背後から飛びかかってきたマシュの盾を受け止めて身を翻す様に彼女の背後に回り込む。

丁度、マシュがティーチの盾になるような形になってしまい、ドレイクは追撃を仕掛けることができない。

ならばと反対側にいたアナスタシアが冷気を放とうとするが、ティーチはマシュに足払いをかけて転倒させると、その勢いのまま手近に転がっていたサーベルを手に取り、明後日の方角に投擲。

サーヴァントの膂力で投げられたサーベルの刃は帆を結んでいたロープを容易く切断し、まるで意志を持った蛸か何かのようにアナスタシアに絡みついて彼女の攻撃を妨害する。

そうして再び、一対一の状況を作り出すと、ティーチは先ほどの肘鉄で取り落されたドレイクのピストルを手に取った。

 

「ドレイク船長!」

 

「来るんじゃないよ、藤丸!」

 

「黒髭!」

 

「坊主、BBAは取ったぜぇっ!! これで決着だぁっ!」

 

互いのピストルが同時に火を噴いた。

肩を撃ち抜かれたドレイクの手からピストルが零れ落ち、噴き出した血が彼女の海賊服を血に染める。

甲板に膝を着き、息を乱しながらも吊り上がった眦で宿敵を睨みつける姿はここが戦場であることも忘れてしまうくらい美しく、それでいて力強い。

その姿を眼に焼き付け、満足そうな笑みを浮かべるティーチ。しかし、次の瞬間、激しい吐血が彼に襲い掛かった。

見ると、ティーチの腹部からも夥しい量の出血が見られる。

ドレイクの銃弾が彼にも命中していたのだ。

 

「ぐっ・・・まだ、まだ・・・拙者まだ・・・本気出してない・・・ですし! その気になれば、サーヴァントの一騎や二騎、ましてやBBAなんかに負けない・・・ですよ?」

 

内臓を傷つけたのか、喋る度に口から血が零れ落ちる。

サーヴァントでなければとっくに息絶えているほどの致命傷だ。

恐らく、激痛でいつ意識が飛んでもおかしくないはず。

それでもティーチは減らず口を零し、ドレイクを挑発することを止めない。

 

「致命傷を受けて、そんだけぺらぺら喋れるあたり、大した根性だよアンタ。尊敬はしないけど、感心はするね。アタシの百年後に生まれる大海賊」

 

駆け寄った立香に治療をしてもらいながら、ドレイクは言う。

 

「聖杯はアタシのものだ。海の宝に正しい持ち主なんざいない。早い者勝ちってのがアタシらのルールだろう?」

 

「へっ・・・その通り・・・気持ちいい・・・気持ちい結論、ですな・・・海賊ってのは、そうでなきゃ・・・」

 

苦し気に笑みを浮かべるティーチの体から聖杯が出現する。

戦闘は終了だ。後はこれを回収し、ティーチの消滅を待てば歴史の修復も始まるだろう。

打ち所が悪かったのか、マシュは甲板に倒れたままだ。立香もドレイクの治療にかかりきりのため、カドックは聖杯を回収しようとティーチのもとへ近づく。

刹那、背後から強い衝撃が襲いかかってきた。

 

「がはっ!?」

 

「マス―――カドック!?」

 

後ろからアナスタシアの悲痛な叫びが聞こえてくる。

腹部が焼けるように熱く、瞼の裏で火花が明滅する。

込み上げてくる痛みは焼き鏝を直接、地肌に当てられたかのように強烈だ。

いったい、自分の身に何が起きたのか。

振り返ったカドックが目にしたのは、血の付いた槍を手に、自分を突き飛ばすヘクトールの姿だった。

 

「邪魔だぜ、ガキンチョ。いやぁ・・・やっと隙ができたよな、船長」

 

突き放すような冷たい言葉から一転、お道化た調子でヘクトールはティーチに話しかける。

 

「まったく、油断ブッこいている振りして、どこだろうと用心深く銃を握り締めているんだからねえ。目障りなお嬢ちゃん達もウロチョロして脇を固めているし、オジサン、まったく感心したぜ。

天才を自称するバカより、バカを演じる天才の方がそりゃ厄介だわ。おかげ様でこんな子どもの策に乗っかる羽目になったんだからな」

 

「なるほどな。道理で、裏が読めぬ相手だと・・・しかし、この状況で裏切るとか、アホでござるかヘクトール氏は」

 

「いや何、オジサンもそれなりに勝算があってやっていることでね。それじゃ、船長。アンタの聖杯を頂こうか・・・!」

 

反撃しようと構えたピストルが火を噴くことはなかった。

ドレイクとの最後の戦いで、弾が切れていたのだ。

身を守るものがなくなったティーチは成す術もなくヘクトールに切り刻まれ、現れた聖杯を奪い取られてしまう。

その一連の流れを、カドックはまるで夢を見ているかのように見つめることしかできなかった。

自分の身に起きたことが信じられず、止血もロクにできずに茫然と座り込んだまま動けない。

背後からヘクトールに襲われた。

どうして?

彼はティーチから聖杯を奪っていった。

何のために?

協力して黒髭を倒すんじゃなかったのか?

最初から彼にそのつもりはなかった。

目まぐるしく浮かんでは消える疑問に思考を乱され、冷静でいられない。

それでもハッキリしていることが一つだけある。

ヘクトールは、最初から自分達を利用して聖杯を奪い取る腹積もりだったのだ。

 

「あれ、乗せられちゃったことにやっと気づいたのかな?」

 

「どうして・・・戦いは嫌だって・・・協力するって約束・・・したのに・・・」

 

「そんなの真に受けちゃダメだよ。オジサンみたいなのに痛い目をみるから。まあ、あの程度で自分の思い通りに事が運んだって考えてたガキには無理だろうな。これは聖杯戦争。出し抜かれた方が悪いのさ」

 

淡々と述べながらヘクトールは聖杯を懐にしまい、手にした槍を構え直す。

その切っ先は未だ治療中のドレイクへと向けられていた。

 

「まったく、馬鹿に聖杯を預ければ時代が狂うって話だったのにさぁ。まさかそれを食い止めるだけの航海者が現れるとは。ほんと、人類の航海図ってのは綱渡りだよ」

 

「マシュ!」

 

立香の魔力を受けて礼装が起動し、ドレイクとマシュの位置が瞬時に入れ替わる。

気絶から復帰したマシュは即座に迎撃の態勢を取るが、ヘクトールはあろうことか踵を返して甲板を跳躍。そのまま戦場を飛び越えて黄金の鹿号(ゴールデンハインド)に乗り込むと、矢を放っていた少女―――エウリュアレを羽交い絞めにした。

 

「なんて、ね。正しい聖杯なんざどうでもいいさ。こっちの本命(ねらい)は―――彼女でね」

 

「エウリュアレさん!?」

 

「この、放しなさい!」

 

「大人しくしておいてくれよっと」

 

「最初からティーチを裏切ってたってことかい!?」

 

「そうだねぇ。これぞまさに、トロイの木馬ってやつかな? ま、俺は実物を見たことがないんだけどねぇ」

 

雄叫びを上げてエウリュアレを取り返そうと飛びかかった巨体の少年―――アステリオスの攻撃を避けながら、ヘクトールは飄々と答える。

アステリオスの怪力ならばヘクトールの体など掠っただけで吹き飛んでしまうが、彼はエウリュアレを盾にしてアステリオスの攻撃を封じ、

逆に彼の両足を槍の穂先でズタズタに切り裂いてしまう。

だが、とどめを差さんと槍を振りかぶった瞬間、どこからか飛来しら銃弾がヘクトールの腕を掠め、その隙に駆け付けたマシュがアステリオスを庇うように立つ。

 

「チッ! おいおい、船長。アンタまだ生きてんのか」

 

呆れ交じりにヘクトールは吐き捨てる。

ティーチはヨロヨロになりながらもピストルに弾を込め直すと、更に続けざまに引き金を引いてアステリオスの離脱を援護した。

 

「ぐひひひひ。愛の力ですぞ!―――なんてな、今のが最後の一撃さ」

 

「チッ! だが、目的は達した。悪いな海賊諸君」

 

そう言って、ヘクトールはエウリュアレを連れたままいつの間にか用意していた小舟に飛び乗ると、巧みに帆を操って風を捉え、海域からの離脱を図る。

黄金の鹿号(ゴールデンハインド)アン女王の復讐号(クイーン・アンズ・リベンジ)とロープでマストが絡み合っており、すぐに追いかけることができない。

追いかけようとした少女―――アルテミスがぬいぐるみのオリオンに1人では危険だと窘められ、去っていく後ろ姿を悔しそうに見つめている。

アステリオスに至っては獣のような咆哮を上げており、足の傷がなければ手当たり次第に暴れ回っていたかもしれない。

他のみんなも同様だった。

万全の態勢を整え、目的達成まで後一歩というところまで来て盤面を引っくり返された。

悔しさと憤りが黄金の鹿号(ゴールデンハインド)を支配する。

そんな中、カドックはアナスタシアに肩を借りながら、息も絶え絶えといった状態のティーチのもとへと歩み寄った。

 

「船長・・・」

 

「へっ、何て顔をしてやがる。この傷は俺の不手際さ、気に病む必要はねぇ」

 

「けど・・・・・・」

 

「だったら、さっさとエウリュアレちゃんを追いかけな。欲しいものは奪ってでも手に入れる。海賊なら当然だ」

 

「僕をまだ、あんたの一味だと言ってくれるのか」

 

「あー、BBAがこっち見てやがる。坊主もBBAも、これで勝ったと思うなよでござるよ!」

 

ドレイクの視線に気づいたティーチが照れ隠しのようにいつもの調子に戻り、ドレイクは呆れながら手を振って先を促した。

 

「ああ、はいはい。もう何言われても負け犬の遠吠えだから。さっさとすること済ませな、黒髭。生き続けるのもキツいんだろ、今のアンタ」

 

「おおおのれ。そんな優しい言葉をかけられればBBAにデレたくなってしまう。けど、ここは空気を読んで―――」

 

血で濡れたドレイクのピストルをコートで拭ってから突き返すと、ティーチは再びニヤリと笑う。

狂気とカリスマが混濁した泥のような瞳。映り込まれる光によって妖しく色を変えるその2つの眼で、ティーチはこちらをまっすぐに見つめ返した。

 

「坊主の下剋上は水入りだ。お前が欲しいものを手に入れるか、俺がお前を殺るまではな―――だから、それまでは好きに名乗りな」

 

ふらりと、バランスが崩れたティーチの体が後ろに倒れ込む。

甲板を乗り越え、宙を舞ったエドワード・ティーチはそのまま、海面目がけて落下していった。

 

「船長!」

 

覗き込むが、海面は飛沫が上がるばかりで黒髭の巨体はどこにも見当たらない。

彼も致命傷を負っていた。既に魔力で生み出されていた部下も消えており、遠からず力を使い果たして消滅するだろう。

 

「カドック、黄金の鹿号(ゴールデンハインド)に行きましょう。傷を手当てして、ヘクトールを追いかけないと」

 

「――――――」

 

「カドック?」

 

心配そうに尋ねるアナスタシアに対して、カドックは苦悶の表情を返すことしかできなかった。

彼女の声がとても遠い。まるで水の中にいるかのようだ。

ヘクトールに刺された傷が疼き、意識が遠退いていく。

やがて、寄りかかっていたアナスタシアの言葉も聞こえなくなり、不甲斐ない自分に嫌気が差しながら、カドックの意識は深い闇に落ちていった。




というわけで黒髭海賊団見習い編は終了し、次回からVSアルゴノーツが始まります。


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封鎖終局四海オケアノス 第5節

それは突如として現れた。

嵐の海を越え、ヘクトールが駆る小舟に追いついた黄金の鹿号(ゴールデンハインド)の前に姿を現した一隻の帆船―――アルゴノーツ。

そこから飛び降りてきた巨大な嵐の具現が、迎撃に出たアステリオスを一瞬で殴り飛ばし、助けに入ろうとしたマシュを気迫だけで竦み上がらせる。

浅黒い肌、理性のない瞳、吠え立てる咆哮と剛腕から繰り出される破壊の渦。

相対した立香は恐怖の余り足が竦み、逃げ出したい衝動を抑えるのに必死であった。

アレは人が立ち向かえる脅威ではない。

圧倒的な暴力と破壊で形作られたその巨人は、英雄でも魔獣でもない。

信心に疎い自分ですら思ってしまう。アレは正しく神だ。

 

「折角だ、ここで一切の決着をつけようじゃないか」

 

帆船の甲板に立つ金髪の青年―――イアソンがこちらを見下ろしながら言った。

 

「君達、世界を修正しようとする邪悪な軍団と―――我々、世界を正しくあろうとさせる英雄達。聖杯戦争に相応しい幕引きだ。だが、私は寛大でもある。そこのアーチャー、エウリュアレを引き渡してくれるなら、ヘラクレスをけしかけることだけは止めておいてやってもいい」

 

(ヘラクレス・・・・・・確か、ギリシャ神話の英雄だっけ)

 

神に与えられた十二の難行を乗り越え、冒険の果てに神へと召し上げられたギリシャ神話随一の大英雄。

その偉業は同じく大英雄であるアキレウスと二分、或いはそれを上回るという。

確かに目の前の巨人からは神に等しい畏怖と恐怖を感じる。

バーサーカーとしての狂化によって理性を失い、怪物のように唸り声を上げているだけであるにも関わらず、隠し切れない強大なオーラ。

その正体がヘラクレスであると言われて納得だ。

正直な本心を述べるなら、今すぐにでもマシュの手を引いて逃げ出したい気分だ。

そんな自分に喝を入れる為、未だ意識を取り戻さないカドックに思いを馳せる。

命に別状はなく傷も魔術礼装で治療したが、彼はまだ眠ったままだ。

 

(こんな時、カドックならどうする? まだ、やれることはあるはずだ。あいつみたいに考えろ!)

 

フランスからずっと一緒に戦ってきた。

ずっと彼の背中を見続けてきた。

自分と同じ、生き残りのマスター。

未熟な自分を精一杯、引っ張っていってくれる頼れる先輩。

彼はいつだって、困難から逃げずに戦っていた。

自分よりも強い敵、大きな存在を前にしても屈せず抗い続けた。

そんな彼がいたから自分はここまで戦えたのだ。

カドックならきっと、今の状況を見ても諦めないはずだ。

だから、彼が目覚めるまでは自分が代わりを果たさねばならない。

 

「断る」

 

絞り出した言葉は、自分でも意外なほど力強かった。

まだ胸の内に強い気持ちが残っている。

その火が消えない限りは諦めるわけにはいかない。

 

「ハッハー、そうかそうか。君は勇気があるな! おまけにそんな可愛いサーヴァントもついている! いいよ、いい! 英雄みたいだ!」

 

言葉とは裏腹に、イアソンの声音は嘲りで満ちていた。

自分以外の全てを有象無象としか見ていない傲慢な目。

それは直ちに苛立ちで嫌悪の眼差しへと変わり、傍らに立つ少女―――メディアへと優しくも冷徹な命令を下す。

 

「愛しいメディア、私の願いはわかるよね? あいつらを粉微塵に殺して欲しいんだ! そしてヘラクレス! お前もやれ! 私はここでお前達を見守る。皆殺しにするんだ!」

 

狂獣が解き放たれ、咆哮と共に女神へと一直線に迫る。

迎え撃つのは雷光の名を冠した少年。

獅子をも締め上げるヘラクレスの剛腕を、アステリオスの怪物染みた怪力で抑えつける。

アステリオスの力でも一瞬だけ動きを止めるのが精一杯であるが、彼は何度投げ飛ばされても起き上がってヘラクレスの前に立ち続けた。

その隙にメディアが召喚した骨の兵隊――竜牙兵の軍団が黄金の鹿号(ゴールデンハインド)に乗り込み、ドレイク達が迎え撃つ。

あの少女は見た目通りのキャスターのようだ。

神代の魔術師、裏切りの魔女として後世に名を馳せたという情報がカルデアから送られてきて、瞬時にそれに目を通す。

希望が根こそぎ刈り取られるかのような気分だった。

大英雄にコルキスの魔女、トロイア戦争の智将。

勝てる要素が見出せない。

 

「藤丸、兵隊どもは任せな! あのデカブツを何とかするんだ!」

 

「船長、頼みます!」

 

ドレイクの援護を受けながら、苦戦するアステリオスのもとへと向かう。

立ち塞がった竜牙兵はマシュの振るう盾が粉砕し、アルテミスの矢が的確に頭蓋を穿つ。

ここにいる誰もが大英雄を前にしてまだ諦めていない。

そう、こんな窮地は何度も潜り抜けてきた。

邪竜(ファヴニール)大海魔(ジル・ド・レェ)皇帝(ローマ)戦闘王(アルテラ)、どれも次元違いの力を振るい、今でも生き残れたのが不思議なくらいだ。

それでも諦めずにここまで来れた。

マシュと、カドックと、みんなで生き残る。

その意地だけは最後まで張り通す。

 

「マシュ、宝具でアステリオスを守るんだ!」

 

「はい、マスター!」

 

両者の間に滑り込みながらマシュが宝具を展開し、倒れたアステリオスを庇う。

大英雄の膂力を受け止めてマシュの顔が苦痛に歪むが、踏ん張った両足は折れることなくその一撃を受け止めた。

確かにヘラクレスは強い。だが、ファヴニールやアルテラのように受け止めきれない宝具級の攻撃を持っている訳ではない。

一発でも喰らえば即死だが、受け止める事さえできれば死は免れる。

 

「アルテミス、メディアを狙え! ヘラクレスが強化されたら勝ち目ねぇぞ! 藤丸、マシュちゃんが堪えている間にアステリオスを!」

 

オリオンの指示を受け、傷ついたアステリオスに治療を施す。

至る所を殴りつけられ、ボロボロではあるが致命傷は受けていない。

アステリオス―――またの名をミノタウロスとも呼ばれるギリシャの怪物は、大英雄の力を以てしても容易には打倒できぬようだ。

だが、怪物は常に英雄に打ち倒されるもの。

例え今は拮抗できていても、ヘラクレスの剣がその命に届くのは時間の問題であろう。

 

「はな、れる、な・・・」

 

たどたどしい言葉で、アステリオスは傍らのエウリュアレに言う。

彼の行動原理は一貫している。

エウリュアレを守る、誰の手にも渡さない。

しかし、聡明なエウリュアレにとって、彼の献身は苦痛でしかなかった。

彼女は知っているのだ。数多の英雄が蛮勇のために命を落としてきたその末路を。

 

「何言っているの。あれはヘラクレス。人類史上最強の英雄よ。あんなの、災害みたいなもの。雪崩に立ち向かう人間は勇者じゃない、ただの無能よ」

 

「わかっ、てる。でも、だれかが、やらなきゃ。それなら、おれ、がいい――えうりゅあれ、は、わたさ、ない」

 

立ち上がったアステリオスが、自身の斧を構えてヘラクレスを睨みつける。

直後、マシュの宝具が限界を迎えて消滅した。

立香は即座に礼装の『緊急回避』でマシュをヘラクレスの攻撃から守り、その隙を突く形でアステリオスが突貫する。

 

「ヘラクレス!」

 

「させるな、アルテミス!」

 

「任せて、ダーリン!」

 

アルテミスの矢がメディアを足下に刺さり、バランスを崩されたことで魔力弾が明後日の方角へと飛んでいく。

ヘラクレスは未だ硬直から立ち直れず、アステリオスを阻む者は誰もいない。

仕掛けるならばチャンスは今しかない。

礼装によるアステリオスの強化、そして―――。

 

「アステリオス、ヘラクレスを倒しエウリュアレを守れ!」

 

一画の令呪が霧散し、アステリオスの内側から爆発的な力の奔流を組み上げる。

瞬間、蒼天に漆黒の雲が渦巻いた。

曇天は稲光を纏い、降り注ぐ雷光が甲板を疾駆する。

だが、それは攻撃のためではない。

雷電が走るのは彼が生涯を過ごした迷宮の道筋。

アステリオスの過去を回顧し、怪物としての生涯を具現化する魔性の宝具。

入るは容易く、ただひとりを除いて誰も抜け出せなかった世界最古の大迷宮。

 

「まよえ・・・さまよえ・・・そして、しねぇ!!」

 

振り抜かれた斧がヘラクレスの胴を薙ぎ、大英雄の体が動かなくなる。

本来ならば世界に迷宮を具現化させる迷宮宝具『万古不易の迷宮』(ケイオス・ラビュリントス)

入った者を惑わし、死へと誘うそれはそこで育ったアステリオスを除く全ての者に著しい能力の弱体化を起こすのだが、今回は敢えて不完全な形で組み上げることで、実体のない迷宮がヘラクレスを取り囲み、その恩恵によってアステリオスはヘラクレスを打ち破ることに成功したのである。

 

「おー、頑張る頑張る頑張るねえ! そこで君達にとっておきの情報だ!」

 

戦いを見下ろしていたイアソンが嬉々として語り出す。

切り札が倒されたにしても余りにも余裕に満ちた態度だ。

 

「ヘラクレスはね、死なないんだよ。彼のもっとも有名な伝説、神から与えられた十二の試練。それを踏破したコイツは、それだけの生命が報酬として与えられている。

ま、つまり後十一回倒さなきゃいけないということで、頑張ってくれ」

 

自分達の圧倒的な優勢を感じ取ってか、イアソンは無防備にも甲板に姿を現したまま高笑いを始める始末だ。

その手にはいつの間にかヘクトールから受け取った聖杯が握られており、彼はそれを高らかに掲げながら己が勝利を確信する。

 

「これがこの世界の王の証。そして後は、エウリュアレと『契約の箱』(アーク)。それで全てが揃う。さあ、ヘラクレス! トドメを刺せ!」

 

意識を取り戻し、咆哮を上げたヘラクレスがアステリオスを突き飛ばしてエウリュアレに迫る。

このままではエウリュアレが攫われる。そう思った刹那、ヘラクレスは予想外な行動に出た。

彼は歩みを止めることなく疾走を続け、手にした剣を振りかぶったのである。

彼はエウリュアレを殺そうとしているのだ。

 

「やめろヘラクレス、段取りが狂うだろうが! その女を殺すな!」

 

イアソンが慌てて叫ぶが、ヘラクレスは止まらない。

巨大な石の剣が振り下ろされ、エウリュアレの可憐な肢体は柘榴のように飛び散ってしまうのか。

否、それを許さぬ魂がここにいる。

アステリオスが、その名に恥じぬ電光石火の勢いで甲板を駆け、今にも剣を振り下ろそうとしていたヘラクレスを羽交い絞めにしたのだ。

 

「ぬ、ぅぅぅぅぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

「アステリオス!? ダメよ、もういいわアステリオス! 私達はそいつには勝てない! なのに、どうして―――」

 

「こどもを、ころした。なにもしらいない、こどもを。ちちうえが、そうしろって。おまえはかいぶつだからって。でもぜんぶ、じぶんのせい、だ。はじめから、ぼくのこころは、かいぶつだった。でも、なまえを、よんでくれた。みんながわすれた、ぼくの、なまえ。なら、もどらなくっ、ちゃ。ゆるされなくても、みにくいままでも、ぼくは、にんげんに、もどらなくちゃ!」

 

アステリオス。

その名は雷光を意味するが、誰も彼をそう呼ぶ者はいない。

何故なら、彼はミノタウロス。

迷宮に潜み、無垢な子どもを喰らう悪しき怪物としてその生涯を終えた。

けれど、此度の召喚において、彼をその名で呼ぶ者はいなかった。

彼がエウリュアレに固執し、命を賭けるのはそれだけの理由だった。

自分ですら背を向けた本来の名前を呼んでくれた。それだけで十分なのだ。

 

「ますたぁ、えうりゅあれを・・・」

 

「悪い、藤丸! メディアがそっち行ったぞ!」

 

「マシュ、エウリュアレを!」

 

「くっ、間に合って―――」

 

飛翔するメディアを追うが、地を駆けるマシュの足では彼女に追いつけない。

ならばと令呪による空間跳躍を試みるが、それよりもメディアがエウリュアレに辿り着く方が早かった。

 

「さあ、一緒に来て頂きます」

 

「いや、彼女は渡さない」

 

突如として飛来した氷柱がメディアを撃ち落とし、急激な気温の低下が黄金の鹿号(ゴールデンハインド)の甲板を襲った。

何事かと視線を巡らせると、一組の男女がエウリュアレの側に降り立った。

カドックとアナスタシアだ。

 

「あなたは―――」

 

「黒髭海賊団だ」

 

「生き残りがいたというの!?」

 

「エウリュアレは返してもらう。聖杯もだ!」

 

「あなたのものではないでしょうに!」

 

「なら力尽くで、奪い取る」

 

「黒髭の精神汚染にやられたのね、哀れな」

 

「何とでも言え。キャスター、やれ!」

 

たちどころに戦場は混沌の坩堝と化した。

ヘラクレスはアステリオスとの取っ組み合いで動くことができず、メディアもアナスタシアと駆け付けたマシュに挟撃されてエウリュアレに近づくことができない。

結果、フリーになったアルテミスが残った竜牙兵を次々に撃ち抜いていき、戦況は拮抗しつつも少しずつ黄金の鹿号(ゴールデンハインド)側へと傾いていく。

その状況にイアソンは苛立ちを隠せず、ヒステリックに喚きながら頭を掻き毟った。

 

「何をやっている、ヘラクレス、メディア! ああクソ、どうしてオレ以外の奴らは果てしなくバカなんだ! ぐぅ、ふぅ―――ヘクトール!」

 

激昂したイアソンの指示を受け、ヘクトールが槍を構える。

まずい、あれは宝具を使うつもりだ。

狙いはアステリオス。ヘラクレスごと攻撃するつもりのようだ。

 

「アステリオス、避け――」

 

「いや、あれは、だめ、だ」

 

投げ放たれた槍がヘラクレスを貫き、そのままアステリオスの腹部を貫通する。

苦悶の絶叫が海上に木霊し、動かなくなる2人の巨人。

誰もが両者共に絶命したと直感した。だが、ヘラクレスには命のストックがある。

すぐにでも復活し、こちらに牙を向けるだろう。

 

「よし、これで―――」

 

「いや、アステリオスのヤロウ、まだ生きてやがる」

 

ため息交じりに漏らしたヘクトールの言葉を裏付けるように、アステリオスは自分に突き刺さった槍ごとヘラクレスの巨体を持ち上げ、一歩一歩、前へと進んでいく。

その先にあるのは船首。そして、波打つ青い海原だ。

 

「ますたぁ」

 

「―――船長、撤退だ!」

 

「うん、えうりゅあれを、よろし、く。ぜんぶ、えうりゅあれの、おかげ、で―――みんなと、あえた。みんな、ぼくをきらわなかった。ぼくはうまれて、はじめて、たのしかった。うまれて、きて、よかった。だから―――」

 

アステリオスの体が宙を舞う。

大きな水柱が上がり、2体の巨人は海の底へと沈んでいく。

 

「アルテミス、そこの嬢ちゃん、当たらなくても良いから撃ちまくれ! メディアを近づけるな!」

 

「帆を張りな! 煙幕用の砲弾をありったけ撃て!」

 

「駄目よ、アステリオスが―――」

 

「うっせえ、チビ女神! アイツの心意気を汲んでやれ!」

 

堪らず、エウリュアレが船首へと駆け出す。

煙幕に塗れた海原は海面すら見ることが適わないが、それでも彼女は叫ばずにはいられなかった。

 

「アステリオス、誰が何と言おうとあなたはアステリオス以外の誰でもないわ。だから―――お願いだから、怪物になりきれなかったことを、悔やまないで。それはとても、尊いことなんだから」

 

『うん。でも、やっぱりかいぶつは、ちゃんとばつをうけないと』

 

そんな言葉が聞こえた気がした。

やがて煙幕が晴れると既にそこにはアルゴー船の姿はなく、メディアからの追撃も見られなかった。

どうやら、うまく風を捉えて逃げ出すことに成功したようだ。

だが、状況は予断を許さない。

アステリオスのおかげで何とか生き延びることができたが、彼らが聖杯を所持している以上、何れは再び対決することになるだろう。

謎は未だに尽きない。

イアソンは聖杯を手に入れて何をしようとしているのか。

どうしてエウリュアレを狙うのか。

彼が言っていた『契約の箱』(アーク)とは何か。

混迷の中を、黄金の鹿号(ゴールデンハインド)は突き進む。

その先に希望があると信じて。




どうがんばってもアステリオス死ななきゃストーリー進まないのでここは改変なし。
ヘラクレス強すぎるよ。ここにシェイクスピアがいれば足止めして逃げるって方法も使えるけど、アステリオスの場合は自分も迷宮に入っていないといけないのがネック。
生き残ってくれれば次の鬼ごっこで大活躍できるだけに残念。


第2章始まりましたね。
まさかカドックくん攫われるとは。
これは最終章くらいで活躍があるとみていいのかどうか。
ちなみにワルキューレ引けました。カワイイヤッター!


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封鎖終局四海オケアノス 第6節

日差しが瞼を照らし、カドックの意識は覚醒した。

見慣れない船室に一瞬戸惑うが、すぐにここが黄金の鹿号(ゴールデンハインド)の一室であると思い出して頭を振る。

アルゴノーツとの戦闘の後、自分は再び意識を失ったのだ。

傷は既に塞がっているが、体力の消耗が激しかったのだろう。

立香がここまで運んでくれたのをうっすらと覚えている。

 

「っ―――」

 

「手を貸すわ」

 

「ああ、ありがとう」

 

ずっと付き添っていてくれたのか、霊体化を解いたアナスタシアが姿を現し、バランスが崩れた体を支えてくれる。

傷があった場所に少しだけ痛みが残っている。治まるまでそう時間はかからないだろうが、それまでは激しい運動もできないだろう。

 

「停泊しているのか。他のみんなは?」

 

「上陸して島にいるサーヴァントに会いに行ったわ」

 

「僕も行く。カルデア、誰か状況を教えてくれ」

 

『はいはい、そう言うと思って纏めておいたよ』

 

写し出されたホログラフはロマニのものだった。

珍しいこともあるものだ。立香と別行動の時はだいたい、彼の方に付きっ切りで、他の誰かが通信に出ることが多いのに。

 

「藤丸の方は良いのか?」

 

『存在証明はきちんとしていますよ。ログは君の端末に送っておいたから後で目を通すと良い。率直にいうと、事態はまだ進展していない。アルゴノーツからは逃げおおせたが、彼らもこちらを探しているはずだ』

 

その道中で、アタランテからの矢文が黄金の鹿号(ゴールデンハインド)に届き、この島に立ち寄ったとのことだ。

 

「アタランテ。そういえば、アルゴノーツの一員だったな」

 

フランスでは敵として立ち塞がったが、今回は正常な状態で召喚されているらしい。

アルカディアの王女でありながら親に捨てられ、アルテミスの加護により雌熊に育てられた純潔の狩人。

ギリシャ随一の俊足の持ち主であり、カリュドーンの魔猪狩りやアルゴー号の金羊毛探索など様々な冒険で名を馳せた英雄だ。

そんな彼女が参加したアルゴー号というのが先の戦闘で遭遇したイアソンのアルゴノーツである。

イオルコスの王子として生まれながらも叔父に王の座を奪われたイアソンは、国を取り戻す条件であるコルキスの金羊の毛皮を手に入れる為に、総勢50名もの英雄を率いてコルキスを目指した。そのメンバーはアタランテを始め、大英雄アキレウスの父ペレウスや後に双子座として夜空に召し上げられるポルックスとカストール、そしてイアソンの兄弟弟子でもあるあのヘラクレスという層々たる顔ぶれであった。

彼らは数々の冒険の果てにコルキスの王女であったメディアと出会い、神の助力によって結ばれたイアソンとメディアは手に入れた金羊の毛皮を持って凱旋するのである。

 

「古代ギリシャ版のカルデアってところかしら?」

 

「別にカルデアでも梁山泊でも何でもいいさ。とにかくイアソンはそういう人を使うことに長けた英雄ってことだ」

 

『いや、それは持ち上げすぎだと思うよ。オリオンも言っていたけど、性格的には最低の英霊だからね』

 

実際、生前のイアソンはメディアとの間に子どもまで設けておきながら、イアソンのために実の弟や政敵であるイアソンの叔父を虐殺するメディアの苛烈な性格に恐れをなし、他国の姫君との縁談を受けようとしたらしい。メディアの視点から見れば国を捨ててまで尽くしたのに体よく利用されただけという有り様だ。

そんなことがあったにも関わらず、今回の召喚においてもメディアはイアソンに付き従っていた。

恋は盲目というべきか、三つ子の魂百までなのか。

何れにしろ、厄介極まる相手には違いないが。

 

「あら、もう起きても大丈夫なの?」

 

ドレイクの部下に断りを入れて船を降りると、浜辺にエウリュアレが1人で佇んでいた。

どことなく心ここにあらずといった風で、視線の先は遠い水平線を見つめている。

 

「1人なのか?」

 

「起きたのならアタランテのことは聞いているわね? 念のため罠かもしれないから、あなた達のお守りも兼ねてお留守番ってわけ」

 

「なら、大丈夫だ。僕も会いに行くつもりだけど、どうする?」

 

「お供するわ。1人だとやっぱり、色々と考えてしまうし。そういえばお礼はまだだったわね。メディアに襲われた時、助けてくれてありがとう」

 

ニコリと微笑むその姿は実に堂に入っていた。

ゴルゴン三姉妹のエウリュアレ。

美しき女神とも醜い怪物とも伝えられる彼女は、果たしてその笑顔で何人の勇者を虜にしてきたのだろうか。

 

「あら、慣れているのね? 魅了されないように視線をずらすなんて」

 

「そりゃ魔術師だから、そういった対策ぐらいするさ。それに僕はお礼を言われるほどのことなんてしちゃいない。そもそも僕達が逃げ延びれたのは―――」

 

「カドック!」

 

アナスタシアに咎められ、出かかった言葉を慌てて飲み込む。

 

「いいわ、別にそんな気を使わなくて」

 

「けど、ミノタウロスは――」

 

「アステリオス。彼はアステリオスよ」

 

エウリュアレは静かに言い聞かせてくる。

言葉は淡々としているが、目は蛇のように冷たくて悲しい色を帯びていた。

もう一度間違えれば、何を仕出かすかわからないぞという有無を言わせぬ迫力があった。

 

「ごめん」

 

「―――らしくなかったわ。そうね、あんな愚かなヒト、何人も見てきたのはずなのに。私達が彼を怪物(ミノタウロス)ではなく、雷光(アステリオス)と呼んだ。ただそれだけで、死んでもいいとすら思ったみたい。彼が死を賭して私達を護った理由は、本当にただそれだけだったのよ」

 

(名前を呼ばれたから、か―――)

 

奇妙な共感を覚える。

その理由にはすぐに思い至った。

同じなのだ。

自分のヒトとしての名前を呼んでくれた彼女(エウリュアレ)のために命を賭けたアステリオスの姿に、自分の生き方を受け入れ応援してくれているアナスタシアのために人理修復を成そうとしている自分自身(カドック・ゼムルプス)の姿が重なって見えたのだ。

 

「アステリオス・・・できることなら・・・」

 

この青い空の下で、話がしたい。

それが叶わない願いであることは分かり切っていたが、それでも願わずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

 

森に入ってしばらくすると、アタランテや見知らぬ青年と共に話し込んでいる立香達の姿があった。

ロマニから送られてきた会話の記録によると、彼はダビデと名乗ったらしい。

巨人ゴリアテとの一騎打ちに勝利した古代イスラエルの王。後に魔術の祖と呼ばれるソロモン王の父となる男だ。

 

「カドックさん、起きて大丈夫なんですか?」

 

「無理しちゃダメだよ、カドック」

 

「もう大丈夫だ。それに半人前達をいつまでも放っておけるか」

 

「無茶しないか心配だって素直に言えばいいのに」

 

「アナスタシア」

 

「はいはい、わかっています」

 

見張りをしてくる、と言い残してアナスタシアは姿を消した。

こちらを見つめる立香とマシュの顔がにやついており、自分の顔が赤面しているのが手に取るようにわかった。

 

「おほん。説明を続けてもいいかな? 丁度、『契約の箱』(アーク)について話していたところだ」

 

全員の注目が集まるのを待ってから、ダビデは説明を再開する。

曰く、『契約の箱』(アーク)とは彼自身の宝具であり、触れた者は死んでしまうという単純な効果しかないらしい。

ただし、理性を失ったバーサーカーですら警戒するほどの危険な魔力の気配を纏っており、武器や罠として使うにはお粗末な代物なのだそうだ。

そして、この宝具の厄介なところはサーヴァントが用いる通常の武器や宝具のように霊体化させることができず、所有権が移っていればダビデが消滅しても現界し続けることだ。

百害あって一利なしとしか言えないこの宝具をイアソンが狙っていると知ったダビデは、アタランテと共にずっと身を潜めていたとのことだ。

 

「私はアルゴノーツの乗組員として召喚されたことで、イアソンが『契約の箱』(アーク)を求めていることを知ってね。彼とは反りが合わなくて追放されてしまったが、彼は『契約の箱』さえあればこの海域の王になれると言っていたよ」

 

『契約の箱』(アーク)は王の資格なのですか?」

 

「まさか。これはあくまで王だった僕が神に捧げた聖遺物。王の資格という訳でもない。単純に王が所有しているというだけさ」

 

「自身が授けた十戒を収めるために、神が預言者モーセに作成を命じたものだからな。その箱自体に何か特別な意味があるわけじゃない」

 

「詳しいね、カドックくんとやら。そのとおりだ」

 

触れれば死をもたらす力も、契約の箱の扱い方を誤ったイスラエル人への神罰の逸話が昇華されたもの。

だから、イアソンがどうして『契約の箱』(アーク)を求めているのかわからないとのことだ。

 

「ダビデ、一つ聞いていいかしら? もし、私が『契約の箱』(アーク)に捧げられたらどうなるの?」

 

攫われた際にヘクトールがそのようなことを言っていたらしい。

つまり、生贄としてその命を契約の箱に捧げるということだ。

しかし、宗教的な背景を考えるなら、生贄に捧げるのは動物の方が適しているはず。

何かの魔術儀式でも執り行うつもりなのだろうか。

自分達が知らないだけで、神代のギリシャ世界にそのような魔術があったのかもしれない。

何しろ向こうにはあの魔女メディアがいる。どんな隠し玉が出てきてもおかしくはない。

そんな風に考えていたが、ダビデ自身が熟考の後に語った言葉は、こちらの想像を容易に上回るものだった。

 

「恐らく、この時代が「死ぬ」だろうね」

 

淡々と述べられた言葉の内容が一瞬、頭に入ってこなかった。

彼は今、何と言った?

この時代が死ぬ?

 

「この『契約の箱』はあらゆる存在に死をもたらす。どれほど低ランクであろうと、神として存在する魂が生贄に捧げられれば、この箱は暴走する」

 

まだ神と世界が同一であった時代に生み出された遺物。

不変にして永遠なる存在が死を迎えるという矛盾に世界は耐えられない。

契約の箱はそういう時代にあった災いなのだそうだ。

無論、世界そのものの修正力が働くため、真っ当な世界ならば周囲一帯の崩壊で済む。

だが、特異点のように人理定礎が曖昧になっている場合、間違いなくこの時代は消え去ってしまう。

 

「おかしな聖杯やアタシの聖杯を使うまでもない。その箱を使い、女神様を捧げればその時点で全てが終わるってワケかい」

 

ドレイクが忌々し気に歯噛みする。

他のみんなも同じような顔をしていた。

そして、誰もが同じ疑問に行き当たる。

何故、イアソンは世界を滅ぼそうとしているのか。

 

「もしかすると、知らないのかもな。契約の箱にエウリュアレを捧げればいいのだと、誰かに言い含められているのかもしれない」

 

「この時代の本当の特異点もその黒幕の可能性が高いな」

 

アタランテの考察にカドックはそう付け加える。

時代を歪めていたと思われていた黒髭が倒されても世界の修正は始まらない。

そうなるとアルゴノーツの誰かが本当の特異点である可能性が高い。

何れにしても彼らとはもう一度戦わねばならないだろう。

だが、そうなると戦力の偏りが無視できない問題となってくる。

新しく仲間に加わったダビデとアタランテのクラスは共にアーチャー。

アステリオスが抜けたこともあり、前衛を張れるのがマシュただ1人となってしまった。

アタランテ曰く、イアソンは戦力に数えなくてもいいとのことだが、それでも向こうには大英雄ヘラクレスがいる。

アステリオスが命を捨ててまで相打ちに持ち込んだが、それでも後10回は殺さなければ死なない化け物だ。

恐らくイアソンも彼との合流を待ってから動くであろうから、戦いは絶対に避けられないであろう。

 

「カドックさん、何かありませんか? ヘラクレスの弱点とか?」

 

「史実通りにいくならヒュドラの毒なんだが―――いや、ケイローンが持っていた神の不死は貫けなかったし―――でもあの宝具は不死とは―――そもそもこの時代にヒュドラなんて―――」

 

ネメアの獅子、クレタの牡牛、双頭のオルトロスに怪物ラドン、エトセトラ。

覚えている限りのヘラクレスに関するエピソードを思い浮かべるが、どれも彼の勇猛さを示すばかりで逆に戦意が萎えてくる。

辛うじて激昂しやすく錯乱しやすいという性質が読み取れるが、バーサーカーとして現界しているのでそれも余り意味はない。

いっそ、『契約の箱』(アーク)に触れてくれれば宝具の効果を無視して消滅させることができるかもしれないが、あの大英雄が不用意に触れてくれるとも思えない。

 

「あ―――」

 

不意に立香が言葉を漏らし、全員の注目がそちらに集まる。

そういえば、先ほどからずっと黙り込んでいたが、何か思いついたのだろうか。

 

「ああ、いや。こんな作戦はどうかなって――――」

 

少しばかり不安げに語られた打倒ヘラクレスの作戦は、ハッキリ言って耳を疑うような大博打であった。

うまくいけばこの不利な状況を一気に押し返せるが、危険すぎる上に不確定な要素も多い。

下手を打てば全滅。それでなくても誰かが欠ける可能性は大いにある。

 

「正気か藤丸?」

 

「まあ、不安はあるけどさ」

 

「アタシはいいと思うよ。勝てば総取り負ければご破算。わかりやすくて丁度いい」

 

「命を賭けるならたいていは勝ち目が出てくる。僕は乗ったよ」

 

「幸いにもこの島には異教の地下墓地(カタコンベ)がある。海岸からも距離があるし、仕掛けるならばここだろう」

 

真っ先に賛同を示したのはリスクを厭わない享楽主義者とリアリスト。

それに純潔の狩人が具体的な方針を示し、女神2人も賛同の微笑みを浮かべる。

マシュは何も言わないが、恐らくマスターの方針に従うつもりのようだ。

どうやらまともなのは自分だけらしい。

 

「大前提が2つある。ヘラクレスがエウリュアレをまっすぐ狙うか。そして、イアソン達と切り離すことができるかだ」

 

「んー、ヘラクレスほどの大英雄ならバーサーカーでの現界でも完全に理性がなくなるようなことはないと思うんだ。実際、アステリオスと戦っている時もまっすぐエウリュアレを狙ってきた。

イアソンに命じられたってのもあるだろうけど、普通のバーサーカーじゃあそこまで指示通りには動けないだろう」

 

オリオンの言葉にカドックはローマで出会ったスパルタクスと呂布の姿を思い出した。

確かに彼の言うことにも一理ある。

 

「イアソンに関しても問題はない。あの男は確かに憶病だが、それ以上にヘラクレスへの絶対的な信頼があるからな。必ずこう動くはずだ―――」

 

イアソンの人となりを断言するアタランテの言葉に対して、カドックは反対の言葉を持たなかった。

どのみち、他に有効な作戦はないのだ。いつまでも反対していても仕方がない。

『契約の箱』(アーク)、島の地理、ヘラクレスとイアソンの行動パターン。全てのカードが出そろった以上、後は賭け金を吊り上げて勝負するだけだ。

ただ、それでも最後に聞いておかなければならないことがある。

 

「キリエライトはいいのか? この作戦、要は君にかかっている」

 

「えっ?」

 

心底意外そうな顔を浮かべ、マシュは言葉を失う。

後で立香から教えてもらったが、こちらが自分の身を案じてくれたことが意外だったとのことだ。

確かに自分は彼女のことをチームメイトというよりはサーヴァントと同格なつもりで扱っていたが、それでもここまで一緒に戦ってきたのだから、多少の愛着も沸くというもの。

或いはそれだけ自分が彼女と没交渉であったことを意味しているのかもしれない。

 

「はい。マスターが立てた作戦を必ず成功させてみせます」

 

「わかった、なら僕もこれに乗ろう。ドレイク船長、あなたの部下にもやってもらいたいことがある」

 

「仕切るね、黒髭海賊団。何を考えているんだい?」

 

「ああ、作戦はこうだ」

 

時間は余り残されていない。

その中で自分にできることは作戦の精度を上げ、生存率と成功の確率を上げる事。

この第三特異点の戦いの鍵はあのヘラクレスを攻略できるかどうかにかかっている。

その責任が、強く肩にのしかかった。




このペースなら後3話前後くらいかな。

他メディアでダビデが召喚されるようなことがあったら、やっぱり契約の箱を活かすために強キャラが出てくるんでしょうね。
インドのヒラニヤカシプとか?


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封鎖終局四海オケアノス 第7節

全ての準備が終わり、各々が所定の位置につく。

アナスタシアが見つけ出したアルゴノーツの現在地と速度から考えるに、そろそろ立香達と会敵する頃合いであろうか。

既に黄金の鹿号(ゴールデンハインド)は安全圏に離脱し、この島に残っているのは自分達だけであった。

 

「うまくいくかしら?」

 

「そのために僕達がここにいる。キリエライトが要なら総締めは君にかかっているんだ。仕損じるわけにはいかない」

 

「あの娘達を信頼しているのね。その口ぶりだと、ヘラクレスがここに来ることはあなたの中ではもう決まっていることなのね」

 

「僕はそこまで楽天家になったつもりはない。そのために小細工も弄したんだ」

 

突貫作業で進めたこともあってまだまだ不安は多いが、これ以上は成るように成れだ。

 

「視えたわ・・・ええ、作戦開始ね、マスター」

 

ヴィイの魔眼が島へと近づくアルゴノーツを捉える。

いよいよ、作戦が始まろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

海原を逝くアルゴー号の甲板で、イアソンは眼前の島を感慨深げに見つめていた。

自分が王となるための試練。忌々しいカルデアと薄汚い海賊達。

煩わしくて虫唾が走る存在だが、試練もいよいよ大詰めとなれば背筋を走る怖気すらも愛おしく思えるもの。

何しろこちらには大英雄ヘラクレスがいる。

アルゴノーツの中でも抜きん出た存在であり、集った英雄の誰もが打ち破れなかった最強の化け物(英雄)

彼に敵う者など今までも、そしてこれから先も存在しない。

だから、自分の勝利は最初から決まっていたことなのだ。

 

「さあ、ヘラクレス、メディア、ヘクトール。島に上陸して『契約の箱』(アーク)とエウリュアレを奪ってこい。私は―――」

 

刹那、眼前に躍り出たヘクトールが槍を振るう。

薙ぎ払われたものは島の方角から飛来した矢であった。

恐らく、先手必勝とばかりに仕掛けてきたのだろう。

無駄な努力とは正にこのことだ。

こんな浅知恵でヘラクレスに敵うとでも、彼らは本気で思っているのだろうか。

 

「違います。これは―――イアソン様を狙っています」

 

「え?」

 

飛翔したメディアが魔術で障壁を展開し、上空から降り注ぐ無数の矢の雨を受け止める。

呆けた顔が一瞬で恐怖の色に染まっていった。

矢の雨を凌ぎ切ったかと思うと、今度は膨大な魔力が込められた一射がまっすぐこちらに向かってくる。

すかさずヘラクレスが叩き落すが、まるでその隙を突くように小さな矢が頬を掠め、足下にいくつもの投石が着弾する。

それらを避けようとみっともないダンスを踊ると、再び矢の雨が降り注いで防壁を張るメディアの悲鳴が聞こえる。

今度はさっきよりも数が多く、矢が屋根のように重なって日の光が遮られてしまう。

青いはずの空が三分ほどしか見えず、その全てが逃げ惑う自分を狙っていることに恐怖して足が竦んでしまった。

 

「宝具の集中攻撃だ。Aランクの攻撃も混じっていやがる!」

 

「な、なんだよ! なんでオレばっかり――この、卑怯者め!」

 

「どうか冷静に。あなたは私が護ります」

 

メディアがいつになく頼もしい。

生前もこんな風に力強い言葉を発した直後にとんでもない事を仕出かしたような気もするが、今は彼女に縋るしかなかった。

だが、それでも不安は消えない。

彼女は恐ろしい魔女ではあるが、全盛期ではなく未熟な時期(リリィ)として特殊な現界を果たしている。

万が一、この矢の雨を防ぎきれなければ、惨たらしく蜂の巣になって死ぬのは自分だ。

それだけは何としてでも避けたい。

 

「よし、ヘクトール! ヘクトールも残れ! サーヴァントらしく私を護れ! そしてヘラクレス! どうせアーチャークラスだ。お前の一撃で挽き潰せ!!」

 

命じられたヘラクレスがアルゴー船を飛び出し、一目散に島を目指して海を掻き分ける。

これで安心だ。

誰もヘラクレスには敵わない。

彼は不死身で、無敵で、最強の大英雄なのだから。

まるで子どものようにメディアに縋りながら、イアソンは必死で震える体を抑える。

そのため、ヘクトールの呟きを聞き取ることができなかった。

 

「ここまでは敵さんの思惑通り。差し詰め女神様はアカイアのヘレネーってとこか。あー、カサンドラの気持ちが初めてわかったわ。俺が何を言ってもこの船長は聞かないだろうしな」

 

 

 

 

 

 

嵐が迫ってくる。

イアソンを集中攻撃すれば、防御を固めてヘラクレスだけを差し向けてくるだろうというアタランテの予測は見事、的中したようだ。

船を飛び降りた大英雄は海を掻き、砂浜を割らんばかりの勢いで疾駆して、まっすぐにこちらに向かってきている。

一度目の戦いの時も感じたが、恐ろしい気の圧力だ。しっかりと気合を入れなければ咆哮だけで竦み上がってしまう。

 

「来たわよ、藤丸・・・いいえ、マスター。しっかりと私の身を守りなさい!」

 

「わかった、逃げよう」

 

羽毛のように軽いエウリュアレの体を抱え上げ、立香は森へと走る。

経路は事前に決めたルートの中から最適なものをロマニが適宜、指示してくれる。

自分はそれに従って、目的地まで一目散に走ればいい。

振り返っている暇はない。

背後の隙は自分のサーヴァントに任せるのだ。

彼女を信頼し、カルデアにいるロマニを信頼し、力を貸してくれくれているサーヴァントのみんなを信頼し、こんな無茶な作戦を認めてくれたカドックを信頼する。

みんなを信じて、ただひたすらに走るのだ。

 

「させません!」

 

マシュの盾にヘラクレスの剣がぶつかる音がする。

衝撃が背中を襲い、思わず仰け反って倒れそうになった。

近い。

予想以上に大英雄が近い。

10メートルか、5メートルか、それとも指先一つの距離まで近づかれたのか。

それを確かめている余裕はない。

軽いとはいえ女の子を1人抱えたまま、障害物の多い森の中を走らねばならないのだ。

カドックから渡された護符がなければ途中の石や枝にぶつかって倒れていたかもしれない。

 

『疲労の欺瞞と風除けの護符だ。それとこれは幸運を呼び込む石。ないよりはマシだろう。とにかくお前は足を止めるな。何があっても、何が聞こえてもだ』

 

至れり尽くせりからのスパルタがカドックの教育方針だ。

今だって不自然に折り曲げられた木と木の間や、岩同士が重なり合った人間2人が通れるのがやっとの隙間を潜り抜けたが、これも全部、カドックがドレイクの部下達に指示を出して作り出した即席の障害物だ。

巨体のヘラクレスでは通り抜けられない隙間がこの森の至る所に設けてある。

もちろん、彼の膂力を持ってすれば破壊は容易であるが、それでも1秒か2秒の時間は稼げる。

加えて俊足のアタランテだ。

彼女がマシュを抱えて逐一、ヘラクレスの先回りをしてくれるので、何とかここまでは無事に逃げ切ることができている。

 

「ちょっと、もっとキリキリ走りなさい! 5秒フラットで走ってやるって意気込んでいたのは誰!?」

 

「わ、わかっている!」

 

森を抜け、遮蔽物のないだだっ広い草原を走る。

後ろからは少女の悲鳴と何かが爆発したかのような轟音が響き、大地を踏み抜かんとするかのような足音が迫ってきた。

時間と共に大きくなってくるヘラクレスの咆哮はまるで死の宣告だ。

あれが耳元で聞こえた時、自分は八つ裂きか粉微塵にされて殺されるのだろう。

冗談じゃない。

死ぬのはごめんだ。

まだやりたいことは山ほどある。

マシュともっと一緒にいたいし、カドックからはマスターとして魔術師としてもっと色んなことを教わりたいし、ロマニやダ・ヴィンチとももっと話をしたい。

自分はまだ生きていたい。

そう思うと重い足にも力がこもる。

気合を入れて大地を蹴り、エウリュアレを抱えたまま跳躍。

直後、背後で何かが倒れる音が聞こえた。

ヘラクレスが落とし穴に落ちたのだ。

 

「よっしゃアルテミス、やるぞ!」

 

「うん、遠慮なくぶちかましちゃうんだからね!」

 

上空から魔力の奔流が降り注ぎ、野獣のようなヘラクレスの咆哮と重なり合う。

一足先に待ち伏せていたアルテミスが奇襲を仕掛けたのだ。

落とし穴に落ちてくれるかどうかは賭けだったが、どうやらうまくいったらしい。

これでもう少し、リードを広げることができる。

 

『すごいな、アルテミスの宝具を紙一重で捌いている。狂っていても大英雄、致命的な一撃は防いでしまうのか』

 

落とし穴に落ちたのは単にそれが脅威にはならないため、彼の第六感が働かなかったのだろうとロマニは付け加える。

ならば、この先にも希望が出てくる。

カドックが仕掛けた罠はあれだけではない。

この先の森には落とし穴、二度踏むと起爆する札、振り子式の丸太や転がる岩、トリモチ、網、etc。

考え点く限りの罠が仕掛けられている。

一つ一つは脅威ではないが、律義に引っ掛かってくれれば数秒は足止めができるはずだ。

 

「来たな。エウリュアレ、藤丸、急げ! ここは僕が抑える!」

 

擦れ違い様にダビデが構えていた投石器を振り回し、鈍い音が背後で響く。

かつで巨人ゴリアテを倒したダビデの宝具『五つの石』(ハメシュ・アヴァニム)

残念ながらヘラクレスの耐久力を突破できるほどの力はないが、寸分違わずに頭部へと叩き込まれる投石は足止めには十分である。

自分にできることはひたすらに走り続けることだけだ。

心臓は張り裂けそうなほど脈打っているし、足は棒のように言うことを聞いてくれない。

酸欠も起こしていて眩暈までし始めた。

それでも走る。

再び駆け付けたマシュが裂ぱくの気合と共に盾を構える姿を幻視する。

彼女の死力を無駄にするな。彼女に涙は似合わない。

病み上がりの体で必死に策を講じたカドックの姿を回顧する。

彼の必死を無為にするな。あいつが落胆する姿なんて見ていられない。

だから、走れ。

地を蹴って、風を切って、目の前に現れた洞窟へと滑り込む。

狭い地下墓地(カタコンベ)にヘラクレスの咆哮が木霊する。

ここから先は守ってくれるものは何もない。

自分の足だけが頼りだ。

 

「もう逃げ道はないわね。怖い?」

 

「怖いさ、もちろん」

 

「そ、私もよ。けど、やるしかないの。さあ、覚悟を決めてアレを跳び越えなさい!」

 

「っ―――!!」

 

胸中で祈りつつ、大地を蹴る。

一瞬の浮遊感の後、落下した体はロクな受け身も取れずに地面に叩きつけられた。

 

「や、やった。やればできるじゃない、マスター!」

 

エウリュアレが感嘆の声を上げる。

苦痛に耐えながら顔を上げると、こちらに向かって邁進するヘラクレスの姿が見えた。

地下墓地(カタコンベ)の通路は辛うじてヘラクレスが通れるほどの大きさであり、彼の足下などから背後に回り込んで逃げることはできないだろう。

つまり、ここが終着点だ。

行き着いた先に出口はなく、待っていたのは屍ばかり。

ただし、そこに加わるのは自分達ではない、大英雄だ。

 

「――――――!!?」

 

こちらの意図に気が付いたヘラクレスが疾走を緩める。

さすがのバーサーカーも自分達の間に置かれたそれが放つ気配は感じ取れるのだろう。

だが、もう遅い。既に大英雄の姿は彼女の眼に映り込んでいる。

地下墓地(カタコンベ)の最奥。自分達が飛び込んだ墓所で待ち構えていたアナスタシアのスキル「シュヴィブジック」によって足を縺れさせたヘラクレスは、バランスを崩して前のめりに倒れていった。

咄嗟に受け身を取ろうと剣を捨て、両手を突き出すヘラクレス。

そうはさせまいと追いついたマシュ達が怒涛の勢いで大英雄の巨体を押し込み、宙に浮いていたヘラクレスはまるで風船のように僅かに前へと押し出される形で倒れ込む。

その真下にあったのは、イアソンが求めて止まない呪われた聖遺物。『契約の箱』(アーク)だ。

 

「ジャックポットだ、大英雄」

 

立香とカドックの唱和と共に、ヘラクレスの指先が『契約の箱』(アーク)に触れる。

シュヴィブジックは悪戯のスキル。転ばせることはできても相手を傷つけることはできない。だが、転んだ後に干渉すればその限りではない。

エーテル体を構成する魔力を根こそぎ奪われ、存在を維持できなくなったヘラクレスは、断末魔の悲鳴を上げることすらなく、まるで最初からそこにいなかったかのように跡形もなく消滅した。

 

「やった。やりました・・・・・・マスター、大丈夫ですか?」

 

「し、死ぬかと思った」

 

脳内麻薬で誤魔化せていた恐怖が今になってぶり返し、立つことすらできない。

こんな作戦を自分で言い出しておきながらこの様だ。

 

「気が気でなかったわね。まあでも、野蛮なだけの勇者ではなく、自分の弱さを知って出来えるだけのことをした。立派な振る舞いだったわよ、マスター」

 

「ああ。よくやったよ、お前は」

 

差し出されたカドックの手を握り、立ち上がる。

これで最大の障害は取り除かれた。

後はイアソンから聖杯を取り返し、特異点を修復するだけだ。

第三特異点での旅もいよいよ、佳境に差し掛かろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

こちらが船を動かすと、沖合でヘラクレスの帰還を待っていたイアソンがヒステリックな叫びを上げた。

ヘラクレスはどうした、どうしてお前達が生きていると、目の前の現実が受け入れられずに錯乱したかのように声を張り上げる。

 

「アイツはヘラクレスだぞ! 不死身の大英雄だ! 英雄(オレ)達の誰もが憧れ、挑み、一撃で返り討ちにされ続けた頂点なんだぞ! それがこんな、お前らのような寄せ集めの雑魚どもに倒されてたまるものかぁ!!」

 

悲痛な叫びは信頼の裏返しであった。

彼らの間にどのような繋がりがあったのかはわからない。

イアソンは高慢で自分勝手な男なのかもしれないが、それでもヘラクレスへの友情、信頼は確かに持ち合わせていたのだ。

例えそれが酷く歪んだ形であったとしても。

 

「野郎ども、準備はいいね! 目標はアルゴー号! 連中が持っている財宝はアタシ達の自由の海だ! 全部まとめて取り返すよ!」

 

ドレイクの号令を受けて黄金の鹿号(ゴールデンハインド)はまっすぐにアルゴノーツへと前進する。

恐れをなしたイアソンは即座に舵を切って撤退することを選ぶが、船速はこちらの方が早かった。

波と風を味方につけ、砲撃を交えながら見る見る内にアルゴノーツへと迫る。

すると、アルゴノーツから竜牙兵やサーヴァントの成りそこないであるシャドウサーヴァントが次々に召喚され、黄金の鹿号(ゴールデンハインド)へと乗り込んでくる。

どうやら、逃げられぬと悟って戦う気になったようだ。

 

「帆を守れ! やられたら追いつけなくなるよ!」

 

「マスター、私の宝具でメディアの魔術を防いでみます」

 

「わかった。カドック、マシュのフォローを!」

 

「キャスター、聞いての通りだ!」

 

「ええ。敵をマシュに近づけさせなければいいのね」

 

一方的な逃走劇は、やがて壮絶な撃ち合いへと発展する。

守りに徹していたメディアが魔術による砲撃を開始したのだ。

それでいてこちらの攻撃への防御も疎かにせず、アルゴノーツの船速も少しずつ上げていっている。

これだけのことをたった1人でこなしているのだとすると、さすがは神代の魔女といったところだろうか。

 

「マスター、視えたわ。イアソンは聖杯の魔力をアルゴー号に回し始めたみたいよ」

 

「憶病なだけあって追い込まれたら形振り構わないのか」

 

このまま速度が上がり続ければ、やがては追いつけなくなって逃げられてしまうかもしれない。

アタランテ達も必死で攻撃しているが、船内に乗り込んできた敵への対処もあるのでアルゴノーツの逃走を阻むことができない。

付け入る隙があるとすれば、船の操舵から攻防に至るまでの全てをメディアが行っているということだろうか。

アナスタシアが透視したところ、彼女の方も魔術の並列処理が限界に来ているらしい。

後、もう一押し、彼女の不意を突くことができれば、オーバーフローを起こして船の動きを止めることができるかもしれない。

 

「ドレイク船長、ボートを貸してくれ! 僕とアナスタシアが側面からアルゴノーツを抑える!」

 

「却下だ! できるかどうかはともかく、小舟なんかで近づいたら転覆するのがオチだ!」

 

「なら、どうすれば―――」

 

まごまごしているとアルゴノーツに逃げられてしまう。

だが、他に手も思いつかず、こうなったら無理やりにでも飛び出してやろうかと考えていたその時、聞き慣れた笑い声が大海原に響き渡った。

 

「デュフフフフフ。ならば、その役目は拙者が引き受けよう!」

 

瞬間、海を割って一隻の帆船が海中から姿を現した。

その威風堂々とした佇まい、掲げられた髑髏の印、船首に立つその男をカドックはよく知っていた。

己が力のみで海を支配し、富と名声と力の全てを手に入れた海賊の中の海賊。

溢れんばかりのカリスマと泥のような狂気を内包した危険な男。

狡猾で残忍、冷酷で残念。そして凶暴で欲深な我らが船長。

駆る船の銘はアン女王の復讐号(クイーン・アンズ・リベンジ)

そう、彼こそが海賊。

彼こそが――――。

 

「アーイム、バァァァック!!」

 

――――黒髭エドワード・ティーチ。




黒髭「この高さから落ちれば助かるまい」

というわけで生きてました、黒髭。
ドレイクとの別れをカットした理由がこれ。
彼のしぶとさを舐めてはいけません。


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封鎖終局四海オケアノス 第8節

どうして生きているのか。

ここまでどうやって来たのか。

そもそも何故、海の中で待ち構えていたのか。

言いたいことは山ほどあるが、うまく言葉にすることができない。

エドワード・ティーチが生きていた。

あの下品で汚らしくて、最高にイカしている海賊が、ここしかないというタイミングで姿を現した。

考えるまでもないことだった。

あの男が、大海賊黒髭が、大一番に乗り遅れるはずがない。

やられっ放しで消える男ではないのだ。

 

「ティーチ! エドワード・ティーチ!」

 

「デュフフ、そこはキャプテンとつけるところですぞ!」

 

危険も省みずに甲板から身を乗り出すカドックに向けて、ティーチは大きな声で哄笑する。

端から見ると引き付けを起こすくらい下品な笑い方が実に彼らしい。

 

「坊主の方は元気そうでなによりですな! BBAはどうしたの!? 更年期でも起こして寝込んだかぁっ! グフアハハハハ!!」

 

アン女王の復讐号(クイーン・アンズ・リベンジ)の砲が立て続けに鳴り響き、アルゴノーツの上空で激しい火花が飛び散った。

着弾の直前にメディアが防御の術式を展開したのだ。

やはり神代の魔女なだけあって、神秘の浅い近代の英霊の力では彼女の防御を突破することは非常に難しい。しかし、ティーチの登場によってメディアは黄金の鹿号(ゴールデンハインド)アン女王の復讐号(クイーン・アンズ・リベンジ)の2隻を相手取る形となり、緻密に練り上げられていた魔術の制御に少しづつ綻びが出始めてきた。

砲撃は散漫となり、竜牙兵の数も減り、速度も目に見えて落ちている。

イアソンは突然の事態に狼狽え、怯え、怒鳴り散らすばかりでメディアを手伝おうともしない。

仕掛けるならば今しかない。

 

「ドレイク船長!」

 

「全員、衝撃に備えな! 突っ込むよ!」

 

 

 

 

 

 

船が来る。

海賊の船。

王の宝を奪わんとする下劣な野蛮人が目の前まで迫ってきている。

どうしていつもこうなんだとイアソンは神を呪わずにはいられなかった。

王の子として生まれながら叔父にその座を奪われ、ケンタウロスの馬蔵なんぞに押し込まれた。

そこで得たものは多かったが、本来ならば手に入っていたはずのものに比べれば粗末なものだ。

師と友と共に過ごした懐かしい日々ですら、色褪せた琥珀の記憶なのだ。

あそこに慣れ過ごしたことこそが屈辱以外の何物でもないのだ。

自分は王の子だ。

如何な才に恵まれても、幸福に満たされていようとも、その一点が欠けていれば意味がない。

アルゴー船を組み上げて英雄達をまとめ上げたのはそのためだ。

王の資格を得るための試練。コルキスの黄金羊毛を手に入れるために。

苦難があった。

行く先々での戦いや冒険、ヘラクレスの脱落、胡散臭い盲目の預言者を頼り、コルキスに辿り着いた後も試練の連続。しかし、メディアの協力を得てようやく黄金羊毛を手に入れても、運命の悪戯か神々の気紛れか自分は結局、王になれなかった。

この航海はそんな生前に報いるためのもの。

今度こそ王になるための二度目の試練のはずだった。

なのにどうだ。

今度も親友(ヘラクレス)はいなくなり、叶うはずだった願いは奪い取られようとしている。

 

「まずいな、挟み撃ちか。船長(キャプテン)、ここは手負いの黒髭を叩きましょう。包囲さえ崩せれば奴らを引き離せる。俺が戻るまで持ち堪えてくださいよ」

 

「ま、待てヘクトール。お前が離れたらオレの―――このアルゴノーツの守りはどうなる?」

 

「しばらくは大丈夫でしょう。最悪、俺を見捨ててでも逃げてくださいよ。メディア、後は頼むぜ」

 

「ええ、マスターのお守りは私の役目ですもの。最期までちゃんと面倒をみてあげなくちゃ」

 

トロイアの勇士の背中が遠ざかる。

みんないなくなってしまう。

ヘラクレス、アタランテ、ポルックスにカストール、テセウス、アルゴノーツに集った数多の英雄達も最後には自分のもとを去っていった。

自分は彼らの上に立ちたかった。

王として彼らを従え、彼らに支えられ、彼らが争う必要がない国を作る。

そのために集った勇士、そのためのアルゴノーツ。

なのに、今度もこの手は理想に届かない。

 

「きゃっ――!?」

 

直撃を受けたメディアが甲板に倒れ伏す。

あれは宝具の一撃だろうか。アタランテかオリオンか、或いはエウリュアレか。

何れにしろ、防衛に長けた彼女が撃ち落とされたということは、いよいよ進退窮まったということだ。

既に彼女の並列処理は限界に達し、聖杯という有り余るリソースを扱いきれずにいる。

いや、事態はそれ以上に深刻だ。

先ほどの攻撃でメディアの霊核にひびが入った。

彼女の宝具『修補すべき全ての疵』(ペインブレイカー)の力で辛うじて消滅を免れてはいるが、それも時間の問題だ。

 

「メディア―――」

 

ふと手元の聖杯に目がいく。

万能の願望器。

あらゆる願いを叶えてくれる聖遺物。

この力で彼女の傷を癒せば、もうしばらくはアルゴノーツは保つだろう。

だが、それではただの時間稼ぎにしかならない。

ヘラクレスがいれば。

ヘラクレスさえいてくれれば。

ヘラクレスならば、こんなことには―――。

 

「メディア、何をしている!? 奴らが目の前まで来ているぞ、早く何とかしろ! 聖杯がここにある! 何としてでもこの場を――――」

 

胸に鋭い痛みを走る。

呆けていたのは一瞬だったのか、数分だったのか。

気づいた時には痛みで甲板をのたうち回っていた。

あるべきものがそこにはない。

自分の体に大きな風穴が空き、そこにあるべき心臓が可憐な少女の手の中で脈打っている。

 

「め、メディあ・・・どう・・・して・・・・・・」

 

「可愛そうなイアソン様。せめて真実を知らぬまま眠ってください」

 

「何を言って・・・・・・まさか・・・まさか、まさか―――」

 

騙したのか。

『契約の箱』(アーク)に女神を捧げれば無敵の力が手に入る。

そう言ったのはメディアだ。

あれが嘘だったのか。

自分を最初から騙し、裏切っていたのか。

 

「私はもうすぐ消えます。そうなるとあなたを守れる人がいない。だから、あなたに抗う力を与えましょう。あなたに戦う力を与えましょう。共に滅びるために戦いましょう」

 

いつの間にか奪い取られた聖杯を掲げ、メディアは訥々と詠唱を始める。

 

「聖杯よ。我が願望を叶える究極の器よ。顕現せよ、牢記せよ。これに至るは七十二柱の魔神なり。さあ、序列三十。海魔フォルネウス。その力を以てあなたの旅を終わらせなさい!」

 

胸の内に聖杯が埋め込まれ、イアソンの体は瞬く間に肉の塊へと変質していった。

意識がどんどん塗り潰されていく。

洪水のような情報量が脳を焼き、イアソンとしての自我を洗い流し、自分であったものが消えていく。

その刹那、イアソンが見たものは消滅するかつての妻の若かりし姿と、アルゴノーツに突貫する海賊船の姿だった。

 

 

 

 

 

 

アン女王の復讐号(クイーン・アン・リベンジ)の甲板上で、ティーチとヘクトールは睨み合っていた。

邪魔する者は誰もいない決戦場。

広い甲板を2人は縦横無尽に駆け巡り、手にした得物で必殺を狙う。

ヘクトールの槍が疾風の如き速さで槍を払うと、寸でで交わしたティーチがサーベルで首を狙う。

僅かに距離が足らず、返す刃が光ればそうはさせぬと体ごとぶつかって態勢を崩し、互いにマウントを奪い合う。

 

「随分必死だな、黒髭!」

 

「はっ、海賊が盗られっ放しじゃ屁にもならねぇ!」

 

蹴り飛ばされた反動で距離を取ったティーチが、めくら撃ちで引き金を引く。

まともな狙いもつけずに撃たれた銃弾はヘクトールの頬を奇跡的に掠め、彼の動きが僅かに鈍った。

その隙に起き上がったティーチは笑いながら足下に転がってきた樽を蹴り飛ばしてヘクトールにぶつけ、ピストルに弾を込め直した。

 

「裏切ったことをとやかく言うつもりはねぇ。義理もクソもねぇ海賊稼業だ。そういうことはままある」

 

「その割には随分とご立腹だな」

 

「ああ、テメェだけは俺が殺るって決めたんだ」

 

「嫌われたもんだね。聖杯を取られたのがそんなに憎いか」

 

「いいや、お前は俺から二度も楽しみを奪った。聖杯とは比べ物にならないお宝だ!」

 

「聖杯よりもだと?」

 

「カドック・・・ドレイク・・・ああ、俺のお楽しみだ。あいつらとの勝負、あいつらとの決闘。お前は二度も邪魔をした。クソしている間に先に女を抱かれた気分だ。俺が先に目を付けてたのによぉっ!」

 

叫びと共にティーチはコートを脱ぎ捨てる。

露になったのは鍛え抜かれた屈強な肉体。そして、全身に余すことなく施された武具の数々。

腰のベルトには数丁のピストル。胸や腕の帯にはナイフが括り付けられ、手には先ほどから使っていたサーベルとピストル。

首にぶら下げられた爆弾。ブーツには仕込みナイフ。

もちろん右手の籠手もそのまま残している。

爛々と輝く双眸は狂気の色を携えており、見る者をゾッと震え上がらせる迫力があった。

そこにいたのは道化を捨てた1人の海賊だった。

腕っぷしだけでカリブ海の頂点にまで上り詰めた1人の男がそこにいた。

 

「どうせここで終わるんだ、後腐れなく決めようぜ!」

 

「こっちの事情もお見通しと。世界の終わりくらい弾けようと思ったけど、結局は今度も一騎打ちか」

 

ヘクトールは回転させた槍を構え直し、姿勢を低くする。

いつもの飄々とした態度は消え失せ、その眼には猛禽類の如き鋭い光が宿る。

 

「来いよ、海賊。アキレウスのようにいくとは思うなよ」

 

「はっ、ご所望なら船で引きずってやるぜ。魚の餌になるんだな!」

 

凶悪な眼光が疾駆する槍兵を捉える。

神代の英雄に相対するは近代の海賊。

伝説の名槍を名もなき剣とピストルが迎え撃つ。

格の違いは百も承知。

敵わぬのならそれまでと、ティーチは捨て身の攻防に移る。

自分の楽しみを邪魔したこの英雄に泡を吹かせれるなら、我が身すら惜しくないと苛烈に責め立てる。

決着の時は近い。

アルゴノーツで強烈な魔力の柱が立ち上がったのは、正にその時であった。

 

 

 

 

 

 

乗り込んだアルゴー船で起きていたのは異様な光景だった。

不気味に胎動する肉の塊。

赤黒く、どす黒く、ほの暗く、血のように鮮烈で闇のように深い。

鉄の鈍さと肉の柔らかさが混然となった摩訶不思議な物体。

やがてそれは天に向かって聳え立ち、肉の柱としか形容のできないものへと変化する。

皮を剥いだ剥き出しの肉に無数の眼が開き、その一つ一つがこちらを凝視する。

そうして、イアソンだったものはこの世ならざるものへと変転した。

 

「あれが・・・イアソンだって?」

 

見ているだけで吐き気が催し、悪寒と嫌悪が体を走る。

この世の汚物を搔き集めて積み上げたかのように醜悪で、忌避感を抱かずにはいられない。

あれが魔神柱だというのか。

立香とマシュは、ローマであんなとんでもないものと戦ったのかとカドックは戦慄した。

 

『これで二体・・・いや、二柱目の魔神』

 

「こりゃ驚いた。しかも彼女、消える前に何て言った? 序列三十、フォルネウスだって? それはソロモンの魔神のコトじゃないか!」

 

通信の向こうにいるロマニとこちらのダビデの驚愕が重なり合う。

海魔フォルネウス。

七十二柱の魔神の一柱。

海の怪物の姿をとって現れ、言語の知識や良き名前を授ける力を持つ。

やはり人理焼却の裏にはソロモン王が絡んでいるのだろうか。

本来ならば存在しえない悪魔の顕現。それも彼のソロモン王ならば成し遂げられるのではないだろうか。

 

「カドック、呑まれちゃダメだ!」

 

傍らに立った立香の言葉で我に返る。

見ると立香は奥歯を噛み締め、必死の形相で魔神柱を睨みつけていた。

誰が見ても辛そうなのは明白だが、彼は弱音一つも吐かずに目の前の敵を見据えている。

凍り付くような怖気にも耐え、自分ができることをひたすらに模索している。

ずっと後ろを歩いていたはずの少年が、いつの間にかこんなにも近くにいる。

 

「藤丸!?」

 

「気圧されたら勝ち目はない。きっとこれがこの特異点での最後の戦いだ。勝ってみんなでカルデアに帰ろう」

 

「あ、ああ―――」

 

震えている。

並び立った少年が、未熟な魔術師もどきの手が恐怖と狂気で震えている。

だが、心は微塵も諦めていない。

マスターが臆すればサーヴァントは本領を発揮できない。

自分達の弱気はそのまま彼女達の敗北に繋がるのだ。

言われるまでもない。

そんなことは死んでもご免だ。

自分もこいつもここでは終わらないし、アナスタシアとマシュは必ず勝つ。

諦めてたまるか。

 

「やるぞ、いつも通りだ」

 

「マシュが護って―――」

 

「キャスターが撃つ! いくぞ!」

 

『気をつけるんだ。魔神柱の根がアルゴー船に根付いている。この船そのものが奴の体だと思ってくれ!』

 

咆哮のような明滅と共に魔力の波が襲いかかってくる。

甲板の上を走る爆炎と魔力光が魔神柱の武器だ。

こちらを守るために盾で受け止めたマシュが悲鳴を上げ、攻撃の余波が黄金の鹿号(ゴールデンハインド)にまで及ぶ。

慌ててドレイクは部下に撤退の指示を出し、船を傷つけられたお返しだと言わんばかりにピストルをお見舞いする。

アタランテとアルテミスも左右から息のあったコンビネーションで弓を放ち、血走った魔神柱の眼を次々に潰していった。

しかし、腐臭を放ちながら潰れた眼は瞬く間に再生し、その視線が火柱となって2人に逆襲する。

フランスでジル・ド・レェが召喚した大海魔と同じだ。

出鱈目な再生能力で傷ついた端から再生していっている。

加えてこいつは大海魔とは比べ物にならない規模の威力で波動を放ち、攻撃の余波で穏やかだった海原すら嵐のように激しく揺らす。

 

「きゃっ、ダーリン!?」

 

「死ぬぅ、こんなの俺死んじゃうぅ!!」

 

撃ち落とされたアルテミスが打ち付けた頭を擦り、オリオンが泣き喚きながら必死で炎を避け続ける姿が目に映った。

イアソンとしての自我は残っていないのか、魔神柱は自動的に近づくものを攻撃するばかりだ。

慎重に立ち回れば隙を突くことも可能だが、攻撃の威力が桁違いに高い。

しかも吐き出された炎が当たると纏わりつくように残り続けて身を焦がすため、戦いが長引くにつれてこちらの消耗も激しくなってくる。

 

「これならばどうだ、『訴状の矢文』(ポイボス・カタストロフェ)!」

 

天に向けてアタランテが放った2本の矢。

それは太陽神アポロンと月女神アルテミスへ訴えであり、それを聞き届けた神々の兄妹は天から無数の矢を放つ。

豪雨の如き光の雨は魔神柱の体に突き刺さり、全体の実に7割近い表皮をズタズタに引き裂いた。

これには堪らず魔神柱も咆哮を上げて悶えるが、倒し切るには至らなかった。

傷ついた体は見る見るうちに再生し、その眼から放たれる炎の凝視が甲板を駆けまわるアタランテの体を焼かんとする。

 

「アタランテ、こっちだ!」

 

「すまん、ダビデ!」

 

ダビデに腕を引かれ、アタランテはギリギリで炎の視線を避ける。

標的を見失った視線はそのまま天を仰ぎ、一瞬、焼かれた空が紅蓮に染まった。

 

「打つ手がないな、これは。藤丸くん、君は前にも魔神柱と戦ったんだろう? その時はどうやって倒したんだい?」

 

「ローマがローマ力を解放して押し潰した」

 

「なるほど、実にローマだ」

 

「待て、この状況でどうして冗談が言えるんだ、お前達!!」

 

立香はまだ何となく何が言いたいのかわかるが、便乗して悪乗りをするんじゃないとダビデには問い詰めたい。

 

『前はロムルスが助けてくれたから何とかなったけど、あんな奇跡は何度も起きるものじゃない!』

 

「なら、どうすれば!?」

 

『聖杯だ! 聖杯がイアソンの霊基と結びついて魔神柱を構成しているのなら、聖杯を抜き取れれば力が弱まるはず。うまくいけば自壊するかも!』

 

「それなら視えているわ。マスター、攻撃を集中して!」

 

アナスタシアの冷気が炎を包み込み、氷柱が魔神柱の表皮を抉る。

それに続く形で各々の宝具が炸裂し、爆炎が甲板を包み込む。

視界が隠れる寸前、弾け飛んだ肉の向こうに輝く水晶体を見た。

今の攻撃は確実に異形の肉を突き破り、聖杯に届いたはずだ。

 

「聖杯、回収します。これで―――」

 

「ダメだ、下がるんだマシュ!」

 

聖杯を抜き出すために近づこうとしたマシュを立香が制する。

直後、マシュの数歩手前に炎の柱が立ち上った。

黒煙の向こうから気味悪げに蠢く肉の柱が姿を現す。

宝具の連続攻撃を受けてその形は一層醜く歪んでいるが、受けた傷は既に塞がろうとしていた。

再生速度が大海魔とは段違いだ。

デミ・サーヴァントとはいえ、非力なマシュの力では聖杯を抜き取る前に再生されてしまう。

接近戦に強いサーヴァント、それこそヘラクレスのような英霊ならば再生するのも構わず無理やり聖杯を引き抜くこともできるだろうが、後衛ばかりのこちらの戦力ではそれは適わない。

 

「こりゃダメだ、僕達だけじゃ聖杯を奪えない」

 

「暢気なことを言っている場合か!」

 

ダビデを叱咤しつつ、アタランテは再び宝具を発動して魔神柱の足止めを狙う。

倒せないのなら、せめて間断なく攻撃を続けて動きを封じることで時間を稼ぐ。

魔力の消費が増え、彼女の霊基が軋みを上げ始めていることに気づいた他の面々もアタランテの負担を減らそうとそれに続いた。

 

「マスター、令呪による空間転移を。それならば再生する前に近づけます」

 

「けど、失敗したら―――」

 

あの炎の凝視を至近距離で受けることになるか、再生に巻き込まれて肉に押し潰される。

自分のサーヴァントをそこまでの危険に晒せるのかという躊躇と、やらなければ勝利はないという焦燥感の板挟みが立香を襲った。

どういう言葉をかけるべきか、カドックもまた迷う。

冷酷に指示を下すべきか、他の作戦を模索すべきか。

迷いは隙となり、走る火柱がこちらにまで及び始めた。

逃げ遅れた立香を守るためにカドックは防御の魔術を展開する。

 

「くそっ、こんなはずじゃ―――」

 

このままではみんな、あの視線で焼き尽くされてしまう。

魔術の障壁の隙間から入り込んだ炎に炙られながら、カドックの心の片隅にほんの少しの諦観が芽生えかける。

それを払拭したのは他ではない。我らが船長の一喝だった。

 

「欲しいんだろ! だったら奪え、力尽くでぇっ!!」

 

自らの船の上で死闘を繰り広げるティーチは、魔神柱に向けて高らかに宝具の真名を開帳した。

 

 

 

 

 

 

弾切れを起こしたピストルを投げ捨て、サーベルでヘクトールの槍を受け止める。

ティーチの体は至る所がボロボロで、傷をついていない場所を探す方が難しい。

未だに現界を続けているのはティーチ自身のタフネスと、致命傷を辛うじて避け続けているからだ。

 

「しぶといね、おたくも」

 

「褒められているなら嬉しいね」

 

「そうかい。だが、隙ありだ」

 

注意が一瞬、魔神柱に逸れた隙を突かれて槍の切っ先が胴を薙ぐ。

忽ち、流れ落ちた血が甲板にどす黒い地図を描く。

霊核には達していないが、急いで修復しなければ危ない傷だ。

だが、ティーチもただではやられない。

首から下げていた爆弾に指の摩擦だけで火を起こし、その爆炎を目くらましにして大きく後退する。

カドック達が苦戦している。

あの魔神柱とやらの力の源は取り込んだ聖杯らしい。

魔術のことは触り程度のことしか知らないが、ようするに物凄く強靭な心臓を持った化け物という認識で良いのだろう。

心臓さえ潰してしまえば生きていられる生物はいない。

そして、あれの心臓は自分から奪い取られた聖杯だ。

最早、聖杯そのものに未練はないが、それはそれとして海賊の矜持が目の前のお宝を無視することを許さない。

奪われたのなら奪い返す。

因果応報の報いを持ってアルゴノーツに復讐するのだ。

 

「させるか、黒髭!!」

 

黒煙を引き裂いてヘクトールが槍を突き出す。

ここに来て最速の一撃を前にティーチは迎撃が間に合わず、迫りくる槍をかわすこともできない。

万事休すと顔をしかめると、勝利を確信したヘクトールの顔に僅かな笑みが浮かんだ。

 

『女神の視線』(アイ・オブ・ザ・エウリュアレ)

 

槍が突き刺さる寸前、黄金の鹿号(ゴールデンハインド)から放たれたエウリュアレの矢がヘクトールの足を射抜く。

それによってバランスを崩したヘクトールは明後日の方角に矛先を向けてしまい、逆に無防備となった体をティーチに晒してしまった。

 

「なっ!?」

 

「デュフ! 女神の加護ですな!」

 

「―――やっぱり、慣れない悪役はするもんじゃねぇな」

 

引き金が引かれ、がら空きの胴体を撃ち抜かれたヘクトールはいつもの飄々とした態度のまま消滅した。

その様を静かに見下ろしたティーチは、一瞬だけこちらを見つめていたエウリュアレに視線を送る。

既に彼女は魔神柱との戦いに戻っていた。

最後に何を思って助けてくれたのか、それを確かめる術はもうない。

自分は恐らく、この一撃を持ってこの戦いから姿を消すのであろうから。

故に、最後は華々しく終わるべきだと、船首に立ったティーチは高らかに宝具を開帳する。

 

「さあ野郎ども起きやがれ! 黒髭様のお通りだ! ここは海賊共和国、金も女も根こそぎ奪え! お楽しみはこれからだ!」

 

かけるは号令、下すは略奪。

これが海賊の生き様よ、とくと味わえ魔神柱。

 

『アン女王の復讐』(クイーン・アンズ・リベンジ)!」

 

 

 

 

 

 

嵐が来た。

雷鳴にも似た号砲、雷雨にも似た水飛沫。

しかしてそれは嵐の夜(ワイルドハント)にあらず。

アン女王の復讐号(クイーン・アンズ・リベンジ)の四十門の大砲が一斉に火を噴いたことで、その轟音と着弾が嵐のような錯覚を起こしたのだ。

 

「黒髭の奴、いったい何を―――」

 

「ダーリン、あれを見て!」

 

最初に気づいたのはアルテミスだった。

号砲と共にアルゴノーツへと乗り込んできた無数の男達。

全員が手に手にカトラスやピストルを持ち、古びた衣装とバンダナで身を固めたクラッシックな海賊スタイル。

彼らには顔がない。

その表情は確かに笑っているにも関わらず、その顔は剥ぎ取られたかのように生気を感じさせない。

あれは亡霊だ。

ティーチの船に乗っていた乗組員。

時に笑い合い、賭けに興じる船乗りの亡霊が、宝具の真名解放と共にその本性を現したのだ。

そう、彼らは奪う者。

海に生き、海で死んだ根っからの略奪者。

欲しいままに奪い取り、望むままに犯しつくした唾棄すべき悪。

それこそが黒髭エドワード・ティーチの宝具。

亡霊の部下と共にお宝を奪い去る、略奪に特化した怪物船。

『アン女王の復讐』(クイーン・アンズ・リベンジ)

 

「アナスタシアさん、私の後ろに!」

 

「こいつら、敵の識別はできているみたいだけど、攻撃に見境がないぞ! 巻き込まれるな!」

 

肉の柱に向けて次々と襲い掛かる亡霊達。

カトラスで切りつけ、ピストルや爆弾が火を放ち、スコップとハンマーが振り下ろされ、四肢がもげるのも構わず、焼き尽くされ、押し潰されるのも構わず、亡霊達は一心不乱に聖杯目がけて蟻のように群がっていく。

奪うという執念。

生涯を通して奪い続けたティーチの信念が形となった宝具は、たかが死にたくないという自己防衛のみで突き動かされていた魔神柱の肉を抉り、引き裂き、その手が遂に聖杯を掴む。

まるで果実をもぎ取るように、生々しい肉の弾ける音と共に血で汚れた聖杯が白日の下に晒された。

 

『聖杯の喪失を確認! 魔神柱の反応が弱まったぞ!』

 

「倒したのか!?」

 

『ダメだ、既に自前で魔力の生成を始めている。だが、今ならば倒せるはずだ!』

 

崩壊を始めた肉体を震わせ、魔神柱は残った力を総動員して炎の視線を放つ。

せめて、少しでも長く生き永らえるために、目の前の敵を屠らんとする。

だが、破れかぶれで放たれた炎はマシュの盾によって容易く防がれてしまう。

 

「カドックさん、お願いします!」

 

「キャスター、諸共に吹き飛ばす! これで最後だ、全部持っていけ!」

 

残った肉片が再生を始める前に全て吹き飛ばす。

聖杯を失い、弱った今ならば彼女の眼を封じる力も働かない。

ここで決着をつけるために、カドックは残っていた全ての令呪をアナスタシアに捧げ、宝具の使用を命じた。

 

「我が永久凍土は四海を侵食する、凍らぬ海などないと知りなさい。さあ、ヴィイ。瞼を開き全てを呪え! 『疾走・精霊眼球』(ヴィイ・ヴィイ・ヴィイ)!」

 

氷の視線が炎の凝視を飲み込む。

吹き荒れた吹雪は肉片も噴き出す血も、未だに群がり続ける亡霊たちをも巻き込み、全てを洗い流していく。

やがてヴィイの瞼が再び閉じられた時、そこには亡霊もイアソンの姿もなく、妖しく輝く偽りの聖杯だけが残されていた。

 




後1話。
オケアノス編は黒髭をメインにするにあたって色々と迷いました。
最初は黒髭だけ生き残ってドレイクの下働きしつつ一緒にヘラクレスと鬼ごっこでプロット立てましたけど、しっくり来なかったのでこういう形に変更。
宝具解放はそのまんまですね。折角だから聖杯を略奪し返してもらおうと。


2部2章クリアしましたけど、オフェリアでの人理修復もそれはそれで面白そうですね。
以下、思いついたオルレアン編の妄想。

シグルドの場合:
邪ンヌ「さあ、やっておしまいファヴニール!」
シグルド「当方に迎撃の用意あり。太陽の魔剣よ、その身で破壊を巻き起こせ!」
マルタ「私が竜殺しを庇った苦労は!?」
ジークフリード「すまない。本当にすまない」


???の場合:
邪ンヌ「さあ、やっておしまいファヴニール!」
???「我が炎、太陽を簒奪せり。星よ終われ、灰燼に帰せ!」
聖女「フランスオワタ」


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封鎖終局四海オケアノス 最終節

穏やかな海を見ていると、先ほどまでの喧騒がまるで嘘のように感じられる。

どこまでも続く青い空と海、流れる雲は白く、陸地を求める海鳥達が行き交う姿は平和そのものだ。

そういえば、ここに来てから慌ただしくてこんな風に海を眺める余裕はなかったなと、カドックは思った。

 

「魔神柱の消滅を確認。聖杯の回収も完了しました」

 

「了解、マシュ。黄金の鹿号(ゴールデンハインド)に戻ろう」

 

聖杯を回収し終えた2人がこちらに戻ってくる。

アルゴー船は英霊イアソンの宝具だ。

聖杯からの魔力によって辛うじて存在を維持していたが、その繋がりが断たれたとなると、すぐにでも消滅しかねないので、急いで黄金の鹿号(ゴールデンハインド)へと移る。

別にこのままカルデアに戻っても良かったが、今回は今までと違って別れを交わす時間は十分にあるので、帰還するのは黄金の鹿号(ゴールデンハインド)のみんなにお礼を言ってからにしたいと立香達が言い出したからだ。

カドックからすれば馴染みのない面々ばかりなので、少し居心地が悪かったが、別に反対するほどでもないので2人に付き合うこととなった。

 

「そういえば、黒髭は?」

 

「戦闘が終わった時にはいつの間にかいなくなっていた。今度こそ消滅したのかもな」

 

あのヘクトールと正面から戦ったのだ。黒髭といえど無事では済まないだろう。

それに結果的に共闘する形となったが、こちらとは本来は敵同士だ。自分に至っては裏切り者である。立香達のようにお礼を言い合うような関係ではないし、彼の方もそんなしんみりとしたものはご免だろう。

 

「はー、やっとここから帰れるわ」

 

「さあ、行きましょうオリオン! 愛の逃避行へ!」

 

「お前なぁ。ここ別れのいいシーンだろ? ちょっとはいいとこ見せようと思わないの?」

 

にこやかに自分を抱きしめるアルテミスに対して、オリオンは深いため息を吐く。

女神の寵愛を受けた狩人。一見は恵まれているようでいて、色々と苦労しているようだ。

 

「あー、タイミングがなくて聞けなかったけど、どうしてぬいぐるみなんだ、お前?」

 

「今!? それ今聞くの!?」

 

こちらの問いかけに対して、オリオンは呆れたように顔をしかめる。

ああ、最高に憎たらしい。よくよく見たら可愛げもないし。

 

「俺だってなりたくてぬいぐるみやっているんじゃないの。いつか違うナリでお前さん達とは出会いたいもんだ」

 

そう言って、オリオンはアルテミスの腕から逃れてマシュの方へと飛んでいく。

 

「マシュちゃん、最後に別れのチューとか――あ、ごめんなさい。はい、もうしません」

 

無言で立ち塞がった立香の顔を見た途端、縮こまったオリオンがアルテミスのもとへと戻る。

こちらからは見えなかったが、いったいどんな表情をしていたのだろうか?

 

「はあ、いつかまたあいつと会いたいものね。名前を呼んで、あの恥ずかしい告白をからかってあげなきゃ」

 

「今度は役に立てたようで何よりだが、私はまだ本領を発揮していない。藤丸、カドック、また機会があれば呼んで欲しい。必ず力になろう」

 

役目を終えたことでサーヴァント達の帰還が始まった。

まずオリオンとアルテミスが、続いてエウリュアレとアタランテが光の粒となって消失し、最後に残ったダビデの指先も少しずつ塵となっていく。

それを見たダビデはこちらに向き直り、爽やかな笑みを浮かべて別れを告げた。

 

「そちらは色々とタイヘンそうだけど、挫けずに頑張ってくれ」

 

「ダビデ王。魔神柱のことで何か知っていることはないのか?」

 

「そうです。あなたはイスラエルの王、七十二柱の魔神を召喚したソロモンの父親なのですから」

 

「うーん、確かにソロモンは僕の息子だけど、召喚術は僕の管轄外だしなあ」

 

どことなく淡白な返答にカドックと立香は思わず目を見合わせた。

いくらサーヴァントの身といえど自分の息子が関わっているかもしれないというのに、反応が余りに薄い。普通はもっと取り乱すとか、狼狽えるものではないだろうか?

 

「ダビデ王、あなたはソロモン王は魔神柱とは無関係だと思っているのか?」

 

「んー、どうだろうね。あいつ、基本的に残酷で悪趣味でろくでなしだから」

 

『そんな、ひどい! もう何も信じられない!?』

 

我が子に対してあんまりな評価に思わず開いた口が塞がらない。

加えて何故か通信の向こうでロマニが思いっきりへこんでいる。

ひょっとして、ソロモン王のファンか何かだったのだろうか?

 

「僕はソロモンとはあまり関りがなかったからさ。育児には興味なかったから。でもまあ、あいつは愚者ではあったけど、正直者だった。人類史を滅ぼすなんてこと――――隠れて交際していた10人の愛人みんなに裏切られるぐらいしないと考えないんじゃないかな?」

 

最後にとんでもない爆弾発言を残して、ダビデは消滅する。

一瞬、呆けていたロマニであったが、ダビデの言葉の意味を理解できたのか、通信の向こうで声を荒げさせた。

 

『どこまで酷いんだよ、ソロモン王のイメージって!?』

 

「まったくだ。そんなことしなくても不自由しないだろう、ソロモン王は」

 

何しろソロモン王は側室だけで700人もいたのだ。基本的に外交のための政略結婚ばかりなので愛があったかどうかまでは定かではないが、10人程の女性に裏切られた程度で人類史を滅ぼすほど器の小さい男とも思えない。

 

『君もたいがいだな、カドックくん!』

 

通信の向こうでロマニが憤慨する。

機器の調子でも悪いのかいつものホログラフは表示されないが、彼が顔を真っ赤にしているのは手に取るようにわかった。

 

「そっか、これでもうおしまいか。やっぱり修正されるとアンタ達のことは記憶から消えるのかい?」

 

立香とマシュの表情が曇る。

特異点を修正すれば歴史の異常は最初からなかったことになり、人々の記憶にも残らない。

どれほどの偉業を成し遂げても、如何なる大災害が起ころうとも、誰もそれを知ることなく眠りにつき明日を迎える。

例外は星詠み(カルデア)だけだ。

自分達だけが特異点という星を観測しその出来事を記憶に刻むことができる。

最初は合理的だと思っていた。

どうせ記憶に残らないのなら気兼ねなく歴史に干渉できると。

しかし、彼らは違った。

藤丸立香とマシュ・キリエライトは消えゆく思い出に向き合い引きずっていくことを是とした。

そうすることがせめて特異点で共有した気持ち、繋がった縁を無為にしないことだと信じて。

それはなんて残酷なことなのだろう。

 

「アンタ達との世界一周は無理か。でもいいよ、短い間だったけれど、面白可笑しい旅だったからさ」

 

「ドレイク船長」

 

「さ、行きな。海の人間にとっちゃ別れはいつだって唐突さ。砲弾で吹っ飛ばされて、波にかっさらわれて、挙句に行き先を見失って死んでいく。だからアタシ達はそんな恐怖を――いつでも笑って誤魔化すのさ」

 

笑みを浮かべたドレイクが2人の体を回してこちらへと押し込む。

しんみりとした別れはここでおしまい。

後は笑ってそれぞれの道へと戻る。

彼女は世界一周の旅へ、自分達は新たな特異点へ。

 

「アンタらの旅の終わりに、アタシとの旅は楽しかったって思い出してくれればそれでいいさ!」

 

「はい、さようなら。自由の海を渡り歩く船長(キャプテン)

 

「よい航海を」

 

「カドック、あなたも何か言ったら?」

 

不意にアナスタシアから話を振られ、言葉に詰まる。

別れも何も、今回、自分と彼女にはほとんど接点がないのだ。

既に指先から消滅も始まっているため時間もあまりない。

いったいどんな言葉をかければ良いのかと迷っていると、ドレイクは太陽のような眩しい笑みを浮かべて言った。

 

「黒髭海賊団。うちの船なら水夫はいつでも歓迎だ。鞍替えしたくなったらいつでも言いな」

 

「…………その時は一緒に、喜望峰を――」

 

意識が断裂する。

最後の言葉を言い終えることができたかはわからない。

けれど、とても清々しい風が胸中を吹いていた。

あれがフランシス・ドレイク。星の開拓者。

あれだけの邂逅でこんなにも胸を鷲掴みにされるなんて。

出会えて良かったとカドックは思わずにいられない。

最後に言い渡された言葉を忘れぬよう胸に刻み付けながら、カドックはカルデアへと帰還した。

 

 

 

 

 

 

こうして、終局の四海(オケアノス)での戦いは終わった。

カルデアの面々は元の時代に帰還し、残された黄金の鹿号(ゴールデンハインド)の乗組員達は何をするでなく穏やかな海を眺めながら消滅の時を待っていた。

どこまでも行っても果てしなく続く青い海。この景色も見納めだ。

時代の修正がどのような形で起きるのかはわからない。

ゆっくりと戻っていくのか、唐突に終わりを迎えるのか。

自分達が消えるのも明日なのか3日後なのか、或いはもうすぐそこまで来ているのかもわからない。

 

「何を辛気臭い面しているんだい、アンタ達!」

 

ただ1人、この状況で顔を上げていたのはフランシス・ドレイクだ。

彼女だけは船を包み込む虚無感に囚われず、いつもと同じように海図とコンパスを片手に不甲斐ない部下達を叱咤する。

 

「いつまでもしんみりしてんじゃないよ。サッサと持ち場につきな」

 

「ですけど姐御、これからどうするんです? 特異点の修復とやらは終わった訳ですし、俺達もこの海もいつ消えるか――――」

 

「そこはそこさ。アタシらの自由な海が帰ってくるのは嬉しいが、このびっくり箱みたいな海だって捨てがたいだろう」

 

そう言ってドレイクは1枚の地図を取り出した。

古ぼけた羊皮紙は日に焼けて土色に変わっており、インクも所々掠れていて読み取りづらい。

だが、長年を海で過ごした冒険野郎達はその古い紙切れを見た途端、先ほどまでの虚脱感が嘘のように笑みを取り戻した。

 

「黒髭の船に乗り込んだ時にね、ボンベの奴に目ぼしいものを持って帰ってくるよう言っておいたのさ。宝もそれなりにあったけど、こいつはとっておきみたいだ。何度も読み返したり後から補修した跡がある。さすがはアタシの後輩、こういう所にも抜け目がないらしい」

 

それはエドワード・ティーチがこの海で見つけた宝の地図であった。

金銀財宝か、歴史的価値のある遺物か、或いは聖杯のような神秘の類か。

何れにしろ、彼はこの地図に示された場所にお宝があると確かに睨んでいたことに違いはないだろう。

 

「どうせ消えるんなら、最後まで派手に冒険しようじゃないか。元の世界に持っていけるかはわからないけれど、そこに宝があるなら奪い取るのが海賊さね」

 

「さすが姐御、まだ暴れたりないんですね」

 

「こうなりゃ一生ついていきますぜ、姐御」

 

新たな冒険を前にして俄かに活気が戻ってくる。

そう、はみ出し者に湿っぽい話は似合わない。

例え明日には消えるのだとしても、最後まで全力で今日を謳歌するのが海賊だ。

ドレイクは満足そうに頷くと、新たな目標に向けて部下達に号令をかける。

直後、どこからか聞き覚えのあるだみ声が聞こえてきた。

 

「BBA! 抜け駆けは許しませんぞぉっ!!」

 

「この声は……」

 

アン女王の復讐号(クイーン・アンズ・リベンジ)!? 姐御、北西の方角、アン女王の復讐号(クイーン・アンズ・リベンジ)です!」

 

白い波を掻き分け、一隻の船が黄金の鹿号(ゴールデンハインド)へと迫る。

船首に片足を乗せて立つのはエドワード・ティーチ。

フランシス・ドレイクの百年後に生まれる男。

この海を引っ掻き回し、自分達と敵対し、アルゴノーツとの戦いの際に誰にも気づかれることなく消えたはずのサーヴァント。

その男が、未だに現界を続けてドレイク達の前に姿を現したのだ。

 

「拙者のお宝を盗んだことは百も承知! BBAだけにせせこましいったらありゃしない! 例えお天道様が許しても、この黒髭は許しませんぞぉ! デュフフフフ!!」

 

「あんたもしつこい男だね。アタシのことが目障りならとっとと消えればいいだろうに。実のところ、どう思っているんだい、アンタは!?」

 

その質問に対して、ティーチはニヤリと唇の端を吊り上げる。

 

「それ言っちゃ野暮ってもんだぜ、BBA(クイーン)

 

自分達の関係はそんな好意の良し悪しで測れるものではない。

羨望や好意があろうとなかろうと、自分達が出会えば争い合うのは必定。

何故なら、自分達は海賊なのだから。

目の前のお宝は奪い、並び立つなら邪魔をし、立ち塞がるなら踏み越える。

昨日を忘れ、今日を狂い、明日を笑って過ごすのが海賊だ。

そんな思いがこもった瞳の輝きに、ドレイクもまた不敵に笑って応える。

 

「なら黒髭(ジャック)、どうするつもりだい? この地図を力尽くで取り戻すかい?」

 

「デュフ! そんな無粋な真似はしませんとも。地図の中身はバッチリここに入っているでござるからな」

 

ティーチは自分の額をこつこつと指差して見せる。

内容は覚えているから、地図を取り返すような真似はしない。

これはどちらが先にお宝を手に入れるのかの宣戦布告であると暗に告げているのだ。

 

「へえ……」

 

2人の視線が交差し、同時に動いた。

 

「野郎ども、碇を上げな! 進路を東へ! 黒髭に追いつかれたらただじゃおかないよ!」

 

「進路このまま、大砲用意! 向かい風だろうと構わず進め! BBAに目にもの見せてやれ!」

 

砲弾が飛び交い、互いの罵詈雑言が穏やかだった海を激しく揺さぶる。

両者の進路の先には嵐の海。

それを乗り越え、どちらが財宝を手に入れたのか。

それを知る者は誰もいない。

 

 

 

 

 

 

今までの特異点もそうだったが、今回は特に異例だらけで無事に任務を達成できたのが今でも不思議でならない。

何しろ陸地が消失し、様々な年代の海が重なり合うように融合した世界だったのだ。

無事に生還できただけでも奇跡に近いだろう。

帰還するなりカルデアのみんなが2人のマスターを讃え、あのダ・ヴィンチも聖杯を受け取る際に労いの言葉を送るほどだ。

一方で人理焼却の謎は深まるばかりだった。

ソロモン王が関与している可能性が濃厚になってきたこともあり、ロマニは軽いショックを受けているようだったが、それはそれとしてソロモン王が生きた時代を調べてみる必要があるとのことで、何とか方法はないかと検討するらしい。

詳細は追って伝えるとのことで、今は次の特異点に備えて休息を取ることになった。

 

「あら? 何だかご機嫌ね、マスター」

 

マシュ達と別れ、自室へと向かう道すがら、アナスタシアは自身のマスターの変化に気づいた。

フランスの時もローマの時も、疲労困憊で気持ちもいっぱいいっぱいだったのに、今回はどういう訳かとても充実している。

顔色が悪いのはいつものことだが、それも心なしかいつもより血色がいい。

 

「ああ、今回は色々と考えさせられた」

 

「黒髭の言葉をまだ気にしていたの?」

 

聖杯の所在を探る問答の際、ティーチはカドックの心の脆さを突いてきた。

カドック自身の劣等感と、それに起因する野心と虚栄心。

困難に直面した時、彼は自分にはできっこないという諦めの気持ちと自分でもできるはずだという反骨の気持ちを同時に抱く。

その危ういバランスは彼にとって力であると同時に脆さでもあった。

土壇場で目の前に地雷が現れても彼はそれを承知で踏み抜かざるを得ない。そういう性分なのだ。

誰よりも憶病でありながら手にした命題を手放すことができず、失敗すればこんなはずではなかったと嘆き、成功しても他の人間ならもっとうまくできると自分を卑下にする。

そんな矛盾した劣等感がカドック・ゼムルプスという魔術師を形作っている。

 

「船長――黒髭への答えはただのハッタリだ。僕自身に聖杯へかける望みはない。だから、考えてみたんだ。考えて――何も思い浮かばなかった。現状にいっぱいいっぱいで、聖杯にかけるような願いはどこにもなかった」

 

その割には表情に暗い色は感じさせない。

暗闇の中でほんの僅かな明かりを見つけた幼子のような、そんな眩しさを瞳の向こうに携えている。

こちらの疑問を感じ取ったのか、カドックはバツが悪そうに後頭部を掻き、周囲に人がいないことを確認してから言った。

 

「カルデアに呼ばれた時、ペペ――Aチームの同僚に言われたんだ。チャンスが来たんだからモノにしろって」

 

自分のような凡人が人類史の保証などという偉業に関わっていいのかと悩んでいた時に、彼はそう言って発破をかけてくれたという。

自分勝手でおかしな言動をする人物だったが、確固たる自己を持ち、カドックが嫌がるのも構わずに干渉を続けてきたとのことだ。思い返すとそれは先達として自分のことを導こうとしてくれていたのではないのかと、カドックは言う。

 

「七つの特異点を超えた先に何があるのかわからない。何も変わらないのかもしれない。けど、自分の限界がそこまでなんだとしたら、きっと明日は前を向ける気がする。この旅を終えて初めて、胸を張ってここまでやれたんだって言える気がする。自分のマイナスをゼロに戻すことができる。これはそういう旅で、聖杯には託せない願いだ」

 

心の底から欲しいと願ったのは、聖杯でもそれによって得られる力でもなく、旅の行きつく先。

今までの自分への清算と、これからの生き方は旅を終えるまでは決められないと彼は言った。

そして、黒髭が言った通り、自分はズルなんてできるような人間じゃないらしいと、カドックは照れ隠しのように笑う。

その笑顔をアナスタシアは決して忘れることはなかった。

陰気で常に思い詰めているように表情を曇らせている彼が、まるで冬に差し込む日差しのように暖かな笑みを浮かべているなんて。

なら、自分がかけられる言葉は一つしかない。

人類史の影法師、サーヴァントたるこの身でできることは、彼の力になることだけ。

改めて誓おう。

カドック・ゼムルプスがどんな判断を下し、如何なる結末を迎えることになろうとも、彼と共に歩むと。

 

「あなたなら成せます。私というサーヴァントを引き当てたのですから、そうでなくては困ります」

 

「そうだね。君は一流のサーヴァントで、僕は一流の魔術師だ。ああ、きっとやれる。僕達みんなで必ず、世界を救う」

 

自分だけでなく、カルデアのみんなで。

その言葉に込められた意味にカドック自身が気づくことはなかった。

自分が何を口走ったかさえ気づいていない。

けれど、アナスタシアだけは忘れなかった。

永久凍土が溶け出すかのように、頑なだった彼の心が融解していっていることに。

 

 

 

A.D.1573 封鎖終局四海 オケアノス

人理定礎値:A

定礎復元(Order Complete)




スカディ求めて盛大に爆死した私が通ります。
そして福袋でサリエリが一気に4人も(笑)。
宝具5は嬉しいけどさぁ。

はい、オケアノス編終了です。
読み返すともう少し黒髭には道化のシーンあっても良かったかなって思います。
次はロンドン。
やりたいシーンは一通り思いついたので整合性取れるか煮詰めるためにプレイバック中です。


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幕間の物語 -AM-

それは第三特異点の修正を終えてからしばらくしての事。

ハロウィンに沸き立つ微小特異点だとかぐだぐだ粒子だとか色々と細かな事件はあったものの、未だ第四特異点へのレイシフトの準備は整っておらず、カルデアのマスター2人は日々、召喚されたサーヴァント達が起こす騒動に追われていた。

そんな中、マシュはアナスタシアからの誘いを受けて食堂で細やかなお茶会を開いていた。

 

「それでね、カドックってば昼食の時間だというのに音楽に夢中でヘッドホンを外そうとしないのよ」

 

「はあ、だからと言って「シュヴィブジック」でヘッドホンのコードに切れ込みを入れておくのはどうかと思いますが」

 

ノリに乗ったところで首を振ったらコードが切れてしまい、物凄く落ち込みながら立香のもとに予備を借りに来たらしい。そのお礼のつもりなのか、今日の特訓は幾分、優し目だったと立香は言っていた。

 

「マスターなのだからサーヴァントのわがままの一つや二つは受け止める度量がなければダメよ」

 

「わがまま……」

 

それは布団の中にこっそりカエルの玩具を仕込んでいたり、寝ているマスターの耳元に水滴を垂らしたり、ブーツの紐を全て抜いておくことを指すのだろうか?

一つ二つどころか、ほぼ毎日何かしらの悪戯を仕掛けてはカドックを困らせているように思えるのは気のせいではないだろう。

特異点では互いを尊重し合って理想的な主従関係を築けているだけに、マシュはそれが不思議でならなかった。

 

「アナスタシア皇女は、別にカドックさんのことを嫌ってはいないのですよね?」

 

「ええ、もちろん。彼ってばいちいち真面目に反応を返してくれるから、見ていて面白くて」

 

「ハロウィンの時は本当にどうなることかと――――」

 

謎の招待状から始まった大冒険。

監獄城チェイテで待ち受ける数々の試練とその先に待っていたものとは――――。

臨死の恍惚を浮かべる立香と不幸にも正気を保ち続けたカドック。そして悪ノリして歌い出すアナスタシア、悔しがって更に歌うドラ娘。

更にそれを発端としたアナスタシア主宰による大騒ぎ(イベント)も起きたのだが、それはまた別の話。

ちなみに、ほぼ巻き込まれた形となったマシュはとっくの昔に記憶からその出来事を抹消していた。

 

「楽しかったわね」

 

「エエ、タノシカッタデスネ」

 

うっかり近くを通りがかってしまい、後遺症で今も苦しむスタッフがいることを彼女は知らないのだろう。

基本的に善人なのだが悪戯心に火が付くと生来の快活さとを取り戻し、周囲(主にカドック)を振り回す悪癖がある。

このまま彼女に話の主導権を握らせていてはまた変なことを始めかねないと思ったマシュは、何か新しい話題はないかと考えを巡らせた。

 

「そ、そういえば、お二人はいつも一緒におられますね。待機中は何をされているのですか?」

 

「………………」

 

何か嫌なことを思い出したのか、アナスタシアの表情が冬場に凍り付く湖のように冷め切っていく。

これはひょっとして、地雷を踏んでしまったのだろうか?

 

「聞きたい?」

 

「い、いえ、その…………」

 

「あの人ね、ちっとも相手をしてくれないのよ」

 

「え? え?」

 

物凄く含みのある言葉にマシュは思わず赤面する。

まるで直火で炙られたかのように頬が熱く、耳元まで真っ赤になっているだろう。

マシュ自身はそれを資料室の教本と女性スタッフからの簡単なレクチャーで得た知識しか知らないのだが、もしも自分の想像が当たっているのだとしたら、カドックはアナスタシアからの求めを無碍にしていることになる。

カルデアの召喚形式の関係上、それは必ずしも必要な行為ではないのだが、それはそれとしてこんな愛らしい少女からの頼みを断るなんてカドックは何を考えているのだろうか?

まさか、立香への訓練にあんなにも熱を入れているのはそういうことなのだろうか?

 

「部屋にこもって音楽と魔術の研究ばかり。私が遊んでとせがんでも相手にしてくれないの」

 

「で、ですよねー」

 

先ほどまでの想像を頭の中の特異点に葬り去り、引きつった笑みを誤魔化す。

ようするに彼女は暇を持て余しているのだが、カドックは余り構ってくれないらしい。

カドックは真面目で勉強熱心だが人付き合いは余りいい方ではない。Aチームが健在だった頃も談笑などには余り参加しなかったし、みんなから距離を取っていた。

ただ、アナスタシアに対しては幾分、態度も柔らかく彼の方から寄り添っているように思えるのだが、その辺はどうなのだろうか?

 

「カドックさんは、そんな冷たい人ではありませんよ」

 

「知っているわ。お茶の淹れ方は下手だけど練習して少しずつうまくなっていっているし、どんなに忙しくても話しかければ無視せずきちんと目を見てくれる。こちらの質問にもちゃんと答えてくれるのよ。知っている? 得意分野の話をさせると途端に饒舌になるの。それに眠る時もちゃんと手を握ってくれるし、この前は――――」

 

「はい、ごちそうさまです。エミヤ先輩、こちらにコーヒーを、お砂糖とミルクはなしで」

 

ひょっとして彼女のわがままは、倦怠期を迎えた夫婦のあれなのだろうか。

運ばれてきた熱々のコーヒーで舌を焼いてしまい、表情をしかめながらマシュはそんな風に考えた。

 

「そういうマシュはあのマスターさんとどうなのかしら?」

 

「せ、先輩とですか?」

 

「部屋から出てくるところ、視てしまったの」

 

「カルデア内は魔眼禁止です」

 

マシュは呆れるように頬を掻きながらアナスタシアに注意を促す。

 

「わたし、カルデアの外のことを何も知らないので、時々教えてもらっているんです。先輩の故郷のこととか、学校や社会のこととか、同年代の方々が何をしているのかとか」

 

デミ・サーヴァント実験の被験体として生み出され、生まれてから今日までをこのカルデアで過ごしてきた。

様々な事情から無菌室を出て自由に歩き回れるようになったのはここ一年のことなので、自分が持つ思い出は驚くほど少なく、他の人が当たり前にしてきた体験をしていない。

その人生に後悔や慚愧はないが、得られなかった生き方への憧れと興味は人一倍にある。また自身のマスターであり敬愛する「先輩」である立香の人となりを知ることにも繋がるため、彼に教えを受ける時間はマシュにとって二重の意味でお得な授業であった。

 

「先輩は色々なことを教えてくれるんです。学校の授業は退屈で眠くなるだとか、帰宅部なる部活動があるだとか、学園七不思議なのに何故か8つも話が存在したり、お弁当を何故かお昼ではなく授業中に食べる人がいて、それから――――」

 

「ごちそうさま。タマモキャット、クワスを頂戴――ない? なら何でもいいからアルコールをくださいな」

 

差し出された琥珀色の炭酸飲料を一気に飲み干し、眉間に皺を寄せたアナスタシアは口直しのクッキーへと手を伸ばした。

厨房に視線を向けると、エミヤがタマモキャットに何やら真剣な顔で説教をしているのが見える。

ひょっとして、かなり度数の高い飲み物が運ばれてきたのだろうか?

 

「大丈夫ですか、アナスタシア皇女?」

 

「ええ、少し咽ただけ。こんな姿はカドックには見せられないわ。あなただけよ、マシュ」

 

アナスタシアは悪戯っぽく唇を綻ばせる。

そうやって笑う様は自分と同じ同年代の少女のようで、端から見れば彼女が人理に刻まれた英霊であるなどと誰も思わないだろう。

 

「そうだ、お呪いを決めましょう」

 

「お呪いですか?」

 

「私達のサインを決めるの。友情と結束の証よ」

 

生前も姉妹間でサインを決め、身の回りのものに書き記すなどをしていたらしい。

ちなみに末っ子のアレクセイは男の子ということもありそれに加わらなかったとのことだ。

 

「私とマシュの名前からとって、『AM』。互いを憎まず妬まず、共に戦う星詠み(カルデア)であることを示すサインよ」

 

「それは、とても光栄です。アナスタシア皇女」

 

「皇女はよして。お友達なのだから、名前で呼び合うものよ、マシュ」

 

そう言ってアナスタシアは身を乗り出し、こちらの手にそっと自分の手を重ねてきた。

一瞬、ヒンヤリとした感触が手の甲を伝うが、すぐに慣れて彼女の暖かな温もりが伝わってくる。

冷たくて人を寄せ付けない気配を放っているが、本当はこんなにも暖かくて優しい人なのだ。

 

「はい、アナスタシア」

 

『AM』。それは健やかなる時も病める時も、奇跡的に結んだこの縁を尊重しようという2人の誓い。

共にマスターの力となり、グランドオーダーを無事に乗り切ろうという願いだ。

その誓いを胸に、どちらからというでなく2人は笑い合う。

その時、壁越しでも聞こえるほどの大きな足音を立てながら2人の少年が食堂に飛び込んできた。

立香とカドック、自分達のマスターだ。

 

「マシュ、ここにいたんだ。すぐに来て欲しい!」

 

「アナスタシア、レイシフトの準備だ。急いでくれ!」

 

いったい何があったのか、2人は酷く慌てている。

ただ事ではない気配を感じ取り、マシュとアナスタシアは無言で視線を交わすとそれぞれの主に向き直った。

 

「レオニダスが訓練相手にすると言ってレイシフト先からキメラを連れ込んだんだ。本人はライオンだって言い張っているけど、あれはどう見てもキメラだ!」

 

「カルデア内でネズミ講の被害が出ている。この状況で騙される方も騙される方だが、放ってはおけない。容疑者は男性、赤い服に月桂冠、下腹タプタプのペテン師だそうだ」

 

今日も今日とてカルデアは平常運転。

慌ただしく動き出した2組の男女はすれ違った職員への挨拶もそこそこにそれぞれの仕事を果たすため、食堂を後にする。

その光景をどこからか見つめていた白い獣は、とても楽しそうに尻尾を振るのだった。




なお、作中でマシュが語ったイベント『獣国音楽祭アナスタシア』の執筆予定はありません。


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第四特異点 死界魔霧都市ロンドン
死界魔霧都市ロンドン 第1節


3つもの特異点を渡り、様々な英霊達と交流を深めると、彼らの生前というものが自然と気になってくる。

魔剣を手に竜を退治した英雄はどのように生涯を終えたのか。

悲劇の女王は如何にして断罪されたのか。

彼の海賊は、あの女神は、生前に何を成し何を得たのか。

そういったことに興味を持ちだした立香は、度々カドックを伴って資料室を訪れるようになった。

目的はサーヴァント達の生前が記された伝記や記録、物語などだ。

英霊召喚の研究に使わうためなのか、カルデアのデータベースには実に様々な資料が記録されており、勉強をするには持ってこいである。

 

「それで、ギリシャ神話を読んでみた感想は?」

 

「ゼウス酷いね」

 

「珍しく同感だ。アルテミスがあんな性格なのも頷けるだろう」

 

ギリシャ神話の主神ゼウス。

全知全能の天空神にして雷の化身。

父神クロノスを打倒し、ティターン神族やテュポーンとの戦いなど勇猛果敢な伝説を持つ一方で、無類の女好きとしても有名な神性である。

神話の中では様々な動物や目当ての女性の配偶者、果ては降り注ぐ雨などに化けてまで本懐を遂げるなど、その性癖は筋金入りであり、彼が好色家なおかげで数多くの英雄が世に輩出されたとはいえ弁護のしようがない。

 

「ヘラクレスはさすがの一言だね。本当、よく勝てたと思うよ」

 

「あんな大博打はもうしたくないけどな。ギリシャを制覇したんなら、次は北欧か? インド辺りはまだ早いか」

 

「神話はもう少し翻訳がわかりやすかったらなぁ。やっぱり映像作品の方が頭によく入るよ。レオニダスの奴とか」

 

「ああ、筋肉はノンフィクションなアレな。おっと、カリギュラ帝の映画は止めておけ、見るなら戯曲にしろ」

 

他愛のない話をしながら暇な時間を潰す。

出会ったばかりの頃には考えられなかった光景だ。

自分で言うのもなんだが、藤丸立香という存在は目の上のタンコブのようなものだった。

例え自分が失敗しても、後ろに立香が控えていると思うだけで胸がざわついたものだ。

もしも自分にできなかったことを立香が成し得た時、自分は果たして正常でいられるだろうかと毎夜、悩みもした。

彼がAチームの他のみんなのような才能に溢れた人物なら、実際にそうなっていたかもしれない。

 

(馴染んだのか、それとも馴れ合いか)

 

自分でもうまく答えが出せない。

気に入らないのはそのままだが、この関係も悪くないと思えるようになったのはいつからだったか。

そんな風に思いを馳せていると、見知った顔が資料室に姿を見せた。

マシュ・キリエライトだ。

彼女はこちらの顔を見ると、表情を明るくさせながら駆けてくる。

 

「先輩、カドックさん、丁度良かった」

 

「マシュ、何かあったの?」

 

「はい。次の特異点へのレイシフトが決まりました。明朝、管制室に集合です」

 

第四の特異点。

7つの特異点の折り返しとなるそこに待つものはいったい何なのか。

そこで自分達はどのような奇妙な出来事に遭遇するのか。

不安と興味が胸中を過ぎる中、時は静かに過ぎていった。

 

 

 

 

 

 

4人で朝食を済ませ、管制室へと向かう。

既にロマニは準備を終えて待ち構えていた。

相変わらず目の下には隈ができており、顔色も悪い。

既に彼のオーバーワークは周知の事実となっていたが、止められる者は誰一人としていなかった。

一時の肩代わりはできても、彼の仕事を恒久的に分担できる余裕がない。

他の誰もが自分の仕事に手一杯なのだ。

それでも彼は誰に助けを求めるでなく、己の仕事を全うしていた。

壊滅寸前のカルデアがここまで持ち堪えているのは、ひとえにロマニのおかげと言っても過言ではないだろう。

 

「みんな揃ったね。まずは前回得た情報の解析結果からいこうか」

 

前回のレイシフトでソロモン王の関与が濃厚となり、ロマニは彼の王が健在であった紀元前10世紀頃の観測を進めていた。

その結果はシロ。特異点の発生は認められず、未来に向けて使い魔の類を放った痕跡も確認できなかった。ただし、それは生前のソロモン王に限っての話だ。

彼がサーヴァントとして別の時代に召喚され、そこで七十二柱の魔神を召喚したのなら話は別である。

 

「本当にそんなものが実在するならの話だけどね、それは」

 

加えてソロモン王が人理焼却のような悪事に加担するとも思えないとロマニは言う。

どうもソロモン絡みのことになるとロマニは消極的だ。

七十二柱の魔神については否定的であるし、ソロモンの肩を持つような発言も多い。

変に知ったような口ぶりなのも気になった。

 

「ドクター、前から気に――」

 

「ああ、ごめんごめん。ソロモン王のことになるとつい」

 

バツが悪そうに髪を掻き毟りながら、ロマニは謝罪する。

 

「まあ、実際のところソロモン王を使役するのは難しいだろうね。冬木式ならともかくカルデア式では英霊の同意がないと召喚できない」

 

そのカルデア式にしてもマシュと融合している英霊が召喚されたことでやっと安定したとのことで、それまでは非常に不安定で信頼のおけないものだったらしい。

そのため、グランドオーダー以前に召喚に成功したのはマシュと融合した英霊とダ・ヴィンチ、そして誰も知らない召喚成功例第一号の3人だけなのだそうだ。

 

「話がそれてしまったね、そろそろ本題に移ろう。第四の特異点は十九世紀――7つの中では最も現代に近い特異点と言えるだろう。けれど驚くに値しない。この時代に人類史は大きな飛躍を遂げることになる。そう、産業革命さ」

 

綿織物の発達と製鉄技術の向上、工業の発展による地域の都市化。そして蒸気機関の普及。

いわば大量生産の概念の走り、経営者に雇用される労働者という新たな市民階級の成立など、現代の社会に通ずる概念が生み出された人類史のターニングポイントである。

消費文明としての観点から鑑みても、人類史はこの時期に現代への足掛かりを得たと言っていいだろう。

 

「具体的な転移先は、絢爛にして華やかなる大英帝国。珍しいことに首都ロンドンに特定されている」

 

今までは国や大陸、海域といった広い範囲が特異点化していただけに、その狭さは些か拍子抜けである。現地で何かしらの移動手段が確保できれば探索も容易となるはずだ。

 

「カドック、それでもロンドンはモスクワの3分の2くらいはあるのよ」

 

「東京なら倍以上だね」

 

「ワシントンなら10倍――」

 

「わかったからみんなして言わなくたっていいだろう! 別に楽観なんかしていないさ!」

 

そもそも異常が起きているなら交通機関なんてロクに使えない可能性もある。

そうなると例によって探索は自分の足ですることになるだろう。

 

「とにかくロンドンだな。サッサと済ませよう」

 

「もしシャーロック・ホームズに会えたらサインの一つでも貰ってきてね」

 

「ドクター、シャーロック・ホームズは架空の人物です。恐らくですがサインは難しいでしょう」

 

「うん? マシュ、ひょっとしてホームズの本を読んだことあるの? いいよね、世界最高の諮問探偵、灰色の脳細胞」

 

「それはエルキュール・ポワロ。アガサ・クリスティが紡いだ作品の登場人物です」

 

「うぅ、でも格好いいよね、安楽椅子探偵ってさ」

 

「それはジェーン・マープルだな。それともネロ・ウルフか?」

 

「まさか笛を吹いたら出てくる奴だったりして」

 

「ヴィイはまるっとお見通しよ――いける」

 

「いや、いけないからな」

 

「わぉっ、みんなしてボクをイジメるぞぉっ!」

 

これから特異点の修正に臨むというのに、緊張を感じさせない緩いやり取りが飛び交う。

ファーストオーダーから数えてもう数ヵ月。こんな光景にも見慣れてしまった。

慣れ親しんだコフィンに潜り込みながら、カドックはそんなことに思いを馳せていた。

 

 

 

 

 

 

気が付いた時、最初に目に映ったのは視界を覆い隠す白煙であった。

霧か煙かはわからないが、数メートル先も見渡せないほどの濃霧が町全体を覆っている。

頭上には今までの特異点でも観測された光の輪が輝いているが、それすらもこの霧のせいでハッキリと見えず朧気だ。

そのせいなのか通りには人っ子ひとり見当たらない。

栄えある大英帝国の首都がまるで死んだようにひっそりと静まり返っている。

 

「カドック、これは?」

 

「魔力を帯びた――霧か。産業革命期は煙害や大気汚染が酷かったらしいが、これは――」

 

不意に喉に痛みが走る。

まるで誤って劇薬を飲んでしまったかのような焼けるような痛みと渇き。

新鮮な酸素を求めて口を開くが、取り込まれるのは有害な煙ばかり。

それは無慈悲にも2つの肺を内側から焼いていき、だらしなく開いた口からは汚染物を吐き出さんと唾液がとめどなく流れ落ちる。

 

「カドック!?」

 

『くそっ、解析が間に合わなかったか!? カドック、口を塞いで魔術回路を動かせ! 魔力で体内の異物を洗い流すんだ!』

 

「や、やっている……」

 

ハンカチで口と鼻を塞ぎ、魔術回路を励起させて全身に魔力を行き渡らせる。

そうすることで幾分、痛みが和らいできた。既に焼かれてしまった喉と肺も落ち着いたところで治療すれば何とか治せるだろう。

今はとりあえず痛み止めを打ち、不浄除けの護符で保護すれば活動に支障はないだろう。

 

『解析の結果、人体に有害な濃度の魔力が大気に充満しているらしい。ドクターは大気の組成そのものに魔力が結びついているって言っていた』

 

普通の人間が吸い込めば命に関わるレベルらしい。

何らかの魔術的な耐性や怪物、サーヴァントであるならば活動に支障はないようだ。

もしも自分が魔術回路を持たないただの人であったなら、最初の一息で死んでいたかもしれないとのことだ。

 

「そうだ、藤丸は? あいつは魔術が使えない。無事なのか?」

 

『無事だ。ドクター曰く、マシュと契約していることで、何らかの耐性を得ているみたいなんだ。この霧の中でも問題なく活動できるらしい』

 

「お互い、運が良かったってわけか」

 

『傷でいうならお前の方が深刻なくらいだよ』

 

魔術で防護しなければならない自分と違い、立香はほぼノーリスクで霧の中を進める。

どうやらここでは自分の方が半人前のマスターよりも足手纏いになってしまうらしい。

そのことに一抹の悔しさを覚えながら、カドックはアナスタシアと共に立香達との合流を目指した。

さすがに今回は今までと違い、数分で合流できる場所にレイシフトできたとのことだ。

アナスタシアの魔眼のおかげで深い霧もそれ程、障害にはならず、途中で迷い出てきた亡霊や奇妙な生き物を駆逐しつつレンガ造りの通りを進む。

現在の時刻は午後二時頃のはずだが、やはり通りを行き交う人の姿は見られなかった。

屋内には人の気配があるので、有害な霧を警戒して立てこもっているのだろう。

 

『まずいな。霧のせいなのかそちらの様子をうまく掴めない。さっきから敵性反応を見落としてばかりだ』

 

「動いているものだけを教えて頂戴。ヴィイの眼で霧の向こうを視てみます」

 

ジッと路地の向こうを見据え、アナスタシアが安全と判断した方角へ進む。

ここまでの戦闘で出くわした敵性体は亡霊に自動人形、錬金術で生み出されたホムンクルス。

カルデアからの通信によると、立香達の方は巨大な蒸気仕掛けの機械とも戦ったらしい。

その何れも十九世紀のロンドンに存在するような代物ではない。

特異点化の影響で呼び起こされたか、何者かによって放たれたとみていいだろう。

 

『後、もう少しだ。3ブロック先でマシュ達が戦闘している』

 

「ああ、音が聞こえる。どうだ、アナスタシア?」

 

「ええ、障害になるものはないわ。後はまっすぐ――――」

 

不意に悪寒が背筋を駆ける。

この感覚は今までも何度か経験してきた。

鋭く研ぎ澄まされた殺意。注がれる視線の圧力。

誰かに視られているという悪寒が反射的にアナスタシアの手を取り、その場で横っ飛びに地面を蹴った。

直後、先ほどまでアナスタシアがいた場所を鈍い刃の閃きが通り過ぎる。

 

「…………あなたは、ねえ、なんだろう。人間? それとも魔術師?」

 

「サーヴァント!? 視えて‥…いえ、視えていたけれど、動けなかった」

 

霧の向こうから姿を現したのは、軽装に身を包んだ小柄な少女だった。

手には大振りのナイフが2本。腰にもいくつか予備を提げている。

目を引くのは年恰好に不釣り合いな格好だ。惜しげもなく腹部や大腿部を晒した扇情的な姿は相応の年齢の女性が着ればさぞ男を引き付けるだろう。

 

「何なの……こんな子どもが、サーヴァント?」

 

「見た目に騙されるな。油断したらやられる」

 

とはいえ、アナスタシアの驚愕も最もだった。

全盛期の姿で召喚されるサーヴァントは、伝説を打ち立てた若々しい姿で現界することが多いが、このような子どもがいったい何を成し遂げたというのだろうか?

抱きしめれば折れてしまうような細い体は、とても英霊のものとは思えない。

彼女の正体を特定するための材料が余りに少ない。

 

「さあ、思う存分解体させてね」

 

少女の殺気が再び膨れ上がる。

彼女の狙いはアナスタシアだ。

こちらのことなど眼中にないかのように、アナスタシアをジッと見つめて腰を落とす。

隙を見せればすぐにでも飛びかかってくるだろう。

迷っている時間はない。

 

「キャスター、引きつけつつ藤丸達と合流する。眼を逸らすな、霧に紛れられたら打つ手がない」

 

「ええ、援護をお願いね、マスター」

 

「ああ、いくぞ」

 

「カシコマリィィッッ、マシタァァァァッッッ!!」

 

「え?」

 

瞬間、一陣の風がカドックとアナスタシアの間を通り抜けた。

霧の向こうで2人の異形が激しくぶつかり合い、剣戟の音が木霊する。

1人は先ほどまで目の前にいた黒い少女。

小さな体を目一杯伸縮させて壁や屋根を駆け回り、手にしたナイフを振るう。

その動きには迷いがなく、2つの視線はゾッとするような冷たさを放っている。

対するは黒い装束に身を包んだ道化師。

手にした巨大な鋏を巧みに振り回し、少女の一撃をいなしている。

何が楽しいのか狂ったような哄笑を上げながら、軽快なアクロバットで霧の街を駆け抜けながら少女とぶつかっては離れるを繰り返していた。

 

「さあ、何をしているのです! 相手はアサシン、わたくし達が力を合わせればぁっ! もう怖いものなし! ああ、恐ろしいですね恐ろしいですね!」

 

立て続けに何かが爆発する。

スキルか宝具による攻撃であろうか。

注意して見ていたつもりだったが、深い霧のせいもあって彼が何をしたのかわからなかった。

だが、少女は確かにダメージを負って膝を尽いている。

事情は飲み込めないが、これを好機と悟ったアナスタシアは戸惑いながらも謎の道化師と共に暗殺者の少女に攻撃を加えた。

更に後ろの方からも数人の足音がこちらに向かって来ているのが聞き取れた。

恐らく、立香達だろう。

 

「――――っ。いたい……いたい…よ……」

 

不利を悟った少女が霧の中へと姿を隠す。

アナスタシアが魔眼で後を追ったが、あっという間に能力の射程外に逃げ延びてしまったのか、或いは気配遮断のスキルによるものなのか、その姿を捕捉することはできなかった。

そして、後には奇妙な道化師だけが残される。

 

「ヒャーハハハハ! イーヒヒヒ!」

 

「おい」

 

「ギャハハハハハ! アハハハッハハッゴホゴホッ! 噎せましたアハハハうぇ……」

 

「どいて、マスター。道化の面相をしている者は油断ならないわ」

 

「あ、ああ」

 

それ以前に、明らかにお近づきになりたくはないタイプである。

スパルタクスも近寄り難い雰囲気を纏っていたが、あれとは完全に別種の狂気を男は孕んでいる。

 

「おぉっと、釣れないお言葉ですねぇ。折角、手助けしてあげたというのに」

 

一しきり笑い終わった後、道化師はこちらに向き直って困ったような笑顔を浮かべる。

素面ならば人懐っこそうな笑みなのだろうが、メイクと血走った目で台無しだ。

 

「カドック、無事?」

 

「そちらの方は――えっと、敵でしょうか?」

 

駆け付けた立香達も、この奇妙な男に対して戸惑いを隠せなかった。

ただ1人、冷静でいるのは立香達と共にやってきた鎧姿の騎士だけだ。

恐らく、彼らが協力を取り付けたはぐれサーヴァントなのだろう。

 

「おお、お揃いですか? では改めまして自己紹介を。悪魔メフィストフェレス、まかり越してございます!」

 

道化師はそう言って恭しく頭を垂れる。

これがロンドンでの悪魔メフィストフェレスとの邂逅であった。

この最悪の悪魔が何を企み、何のために自分達と行動を共にするのか。

この時点ではまだ、誰一人として気づける者はいなかった。 




というわけで始まりましたロンドン編。
メッフィーってこんなに書きにくいんだ(笑)


イベント特異点についてですが、少なくともロンドン編が終わるまでは保留のつもりです。
プロットは大まかにできているので、監獄塔の代わりにオリジナルを一本入れようかと考えています。


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死界魔霧都市ロンドン 第2節

謎の襲撃者との戦いを終え、立香達と合流したカドック達は、鎧姿の騎士――モードレッドの提案でシティエリアの一角にあるアパルトメントを訪れた。

そこはモードレットと協力関係にある青年の家で、彼女はここを拠点にロンドンの異変の調査を行っているらしい。

通された部屋で待っていたのは眼鏡をかけた人の良さそうな青年で、彼は自身をヘンリー・ジキルと名乗った。

 

「――なるほど、人類史に打ち込まれた七つのボルト。君たちはその特異点を修正するためにやってきたということだね」

 

「はい。街頭で乱戦になっていたところをモードレットさんに助けて頂きました」

 

「そちらの事情は概ね理解したよ。僕の方としても協力者ができるのはありがたい」

 

ジキル曰く、ロンドンがこのような有り様になったのは3日ほど前かららしい。

魔力を帯びた有害な霧――魔霧が蔓延し、自動人形や殺人ホムンクルス、そして彼らがヘルタースケルターと呼ぶ機械人形が往来を練り歩くようになったとのことだ。

魔霧とそれらの異形により、ロンドンの市民は数十万単位での被害が出ているとジキルは考察している。

ロンドン警視庁(スコットランドヤード)や政府も機能を麻痺しつつあり、ロンドンは完全に孤立状態に陥っているとのことだ。

 

「魔霧は屋内には入り込まない性質のようだけど、水や食糧がなくなればロンドンは全滅だ。事態は急を要するけれど、僕だけじゃ打つ手がなくてね」

 

「オレの方も召喚されたはいいがマスターもいなくてうろついてところをこいつと出会ったんだ。ま、協力関係ってやつだな。ブリテンは父上が愛した国だ。オレ以外の奴がぶっ壊そうとするのは気に入らねぇ」

 

鎧を一部脱ぎ、ドカンとソファに腰かけながらモードレッドは言う。

兜の下から露になったその顔は、冬木で対峙したアーサー王にとてもよく似ていた。

違いがあるとすれば彼女よりも若干幼く、年相応に生意気な顔つきをしていることだろうか。

それもそのはず。アーサー王とモードレッドは血縁関係にあるのだ。

姉であるモルガンがブリテンの王位を簒奪するため、アーサー王を幻惑して身籠ったのがモードレッドとされており、成長したモードレッドは円卓の末席に加わるものの、最終的には叛逆を起こしてアーサー王と相打ちとなる。似ているのも当然だ。

やはりというべきか性別が後世に誤って伝わっていたようで、鎧を脱いだ彼女はアーサー王に似て非常に美しい少女の姿をしていた。

そうなると気になってくるのは彼女の出生の経緯である。ここまでくると実はモルガンが男だったと言われても驚かないかもしれない。

 

「ああ、そこは僕の個人用のソファなのに……はあ、言っても聞かないんだろうね」

 

モードレッドの振る舞いにため息を吐きながら、ジキルは全員分の紅茶の用意を始める。

一本だけ見慣れない飲料が運ばれてきたが、どうやらモードレッド用のものだったようで、彼女はよく冷えたそれを一気に流し込んで一息を入れる。

 

「おや、サイダーですか? わたくしも一本もらってよろしいでしょうか?」

 

「ああ、まだ備蓄はあるから持ってこよう」

 

「サイダーがこの時代にあるの? 俺も貰おうかな」

 

「お前はまだ未成年――いや、ここはイギリスだから別に良いのか?」

 

「イギリスでは18歳からですね。わたし達は紅茶を頂きましょう、先輩」

 

「え? どういうこと?」

 

サイダーはリンゴを発酵させた発泡酒で、イギリスでは非常にポピュラーなアルコール飲料だ。

爽やかで口当たりも甘く、安価で出回っているので働き始めた若年層が初めて購入することが多い酒である。

ちなみに立香曰く、日本にはサイダーという炭酸飲料があるのだそうだ。

彼が勘違いするのも無理はない。

 

「一服したところで確認したいことが2つある。まず、ミスター・ジキル。あんたはサーヴァントじゃなくて人間なんだな?」

 

「うん、僕はモードレッドと違って生きた人間だ。正規の魔術師ではないけれど、霊薬調合の心得があってね、この街で碩学――科学者をしている」

 

「あの、ジキルということでいいのか? 小説の主人公の?」

 

「小説? 申し訳ないけど、心当たりがないな」

 

ヘンリー・ジキルという名前は小説『ジキル博士とハイド氏』の主人公の名前である。

自身の心を善と悪に分離させる薬を作り出したジキル博士が、やがては自分の人生を悪の側面であるハイド氏に乗っ取られていく恐怖小説だ。

だが、ジキルの言葉によるとそのような小説は出回っていないとのことだ。

ひょっとしたら、特異点化の影響で事象にずれが生じているのだろうか。

彼は紛れもなく小説の主人公ヘンリー・ジキル。或いはそのモデルとなった人物であるのかもしれない。

 

「まあ、僕の話は置いておこう」

 

「ああ、寧ろこっちが本題というか……」

 

ジキルと視線が合い、何とも気まずい空気が生まれる。

恐らくこちらが言いたいことを察してくれたのだろう。

彼はこちらを同情するように目配せすると、先ほどから視界の端をウロチョロする白面化粧の道化師へと目をやった。

 

「いやあ、一仕事の後のサイダーは格別ですなぁ」

 

「おお、お前わかっているじゃねぇか。よし、もう一本飲め。オレのおごりだ」

 

「これはこれはご丁寧に。ささ、藤丸殿もこちらへ。お近づきの印にこの綺麗なお花を……パーン! はい、押し花になっちゃった!!」

 

「ハハハッ、それ手品のつもり?」

 

「おや、お気に召しませんか? では次なるは種も仕掛けもない切断マジックなどを……大丈夫、わたくし悪魔ですから」

 

敢えてここまで触れないようにしてきたが、馴染み過ぎである。

 

「君たちの仲間、でいいのかな?」

 

「一応、そういうことらしい」

 

自身をメフェィストフェレスと名乗ったこの道化師は、謎の襲撃者を撃退した後、自分達との同行を申し出てきた。

どうやら彼はモードレッドと同じくマスター不在のはぐれサーヴァントらしく、ロンドンの異変解決のために動いていたらしい。

本人は目的が同じならば協力しようと言ってきたのだが、その笑顔が余りに胡散臭いのでいまいち信用が置けないのが残念なところだが。

 

「はい、わたくしのことは花瓶か何かだと思っていただいて結構! 何でしたら咥えましょうか、こちらの薔薇? 棘なんて取っていませんからカーペットが汚れてしまうかもしれませんが?」

 

「いや、いいから。薔薇はしまっとけ。後、アナスタシアに近づくな、彼女が怯える。隅っこにいろ」

 

「はい、ご主人様! ワン!」

 

(つ、疲れる……)

 

スパルタクスも黒髭も狂っていたり精神が破綻していたりでコミュニケーションが取りにくい輩だったが、この男も負けず劣らずユニークな性格をしている。

基本的にハイテンションな上、考え方にある程度の傾向があった先の2人と違って、びっくり箱のように何を仕出かすかわからないのだ。

そして、当然のようにこの奇妙なサーヴァントの面倒は自分が見ることになった。

曰く、気に入られたらしい。

 

(悪魔だぞ……メフェィストフェレスって悪魔だぞ……)

 

ゲーテが作曲した戯曲『ファウスト』において、主人公ファウストを誘惑し堕落に誘うのが悪魔メフィストフェレスだ。

サーヴァントの鉄則に当てはめるのなら真性悪魔は召喚できないので、彼はそのモデルとなった人物なのだろう。

道化師を思わせる奇抜な格好と奇矯な言動は正に悪魔的で、これから一緒に行動することに対して不安しかない。

正直に言うと、彼の言葉をどこまで信用して良いのかわからないのだ。

 

「えっと、気休めだけど何か処方しようか?」

 

「とりあえず気付けをくれ」

 

気持ちを切り替えなければならない。

自分はカルデア最後のマスターで、人理修復というグランドオーダーを成すためにここにいるのだ。

こんな些末なことをいちいち気にしていては身が持たない。

 

「とにかく方針は決まった。ここを拠点としてロンドンを調査し、異変――魔霧の原因を取り除く。恐らくはそこに聖杯が絡んでいるはずだ。それでいいかな、ミスター・ジキル?」

 

「ジキルでいいよ。狭い場所だけど、自由に使ってくれて構わない」

 

『それはありがたい。マシュ、運がいいことにそのアパルトメントは霊脈の上にある』

 

「はい。この部屋で召喚サークルの確立が可能です」

 

毎度、カルデアからの補給物資には助けられているが、今回は外出も困難な状況なので、拠点の中で支援を受けられるのは非常に有難い。

マシュは慣れた手つきで床の上に盾を置き、カルデアとのパスを繋げようとする。すると、その隣にアナスタシアもしゃがみ込むと、盾に添えられたマシュの手の平の上にそっと自身の手を重ねて言った。

 

「それだけでは不十分ね。今回はここを私の工房――いえ、城塞とします」

 

「そんなことができるんですか、アナスタシア?」

 

「私のクラスを忘れたの、マシュ?」

 

『そうか、アナスタシア皇女の陣地作成スキルか。工房内なら能力を十二分に活用することができるぞ』

 

「このロンドン全域を視ることが可能です。魔霧が阻もうとその虚飾の先をヴィイは見抜きます」

 

『こちらの観測と合わせれば従来通りのサポートが可能だ。やったね、カドックくん、藤丸くん』

 

「寧ろ、今までがおかしかったのよ。魔術師のクラスをあちこち歩き回らせるなんて。ねえ、カドック?」

 

「あ、ああ」

 

思わず上擦った声を出してしまうが、幸いにも気づいた者は誰もいなかった。

キャスターが後方支援を行う。それは非常に理に適った作戦であり、異論を挟む余地はない。

だが、同時にそれはアナスタシアを――そのマスターである自分と共に――前線から下げることを意味していた。

グランドオーダーという偉業を成し、自分の力を証明する。その機会を失ってしまうということだ。

もちろん、後方支援も立派な戦いであるし、ここまでの功績やこれから先の特異点での戦いでいくらでも手柄を立てる機会はあるだろう。

それでも、今まで凡人なりに最前線で戦ってきたという自負が傷つけられたような気がした。

そして、そんな風に考えてしまっている自分が堪らなく情けなく感じられた。

 

 

 

 

 

 

アナスタシアの工房の確立を待ってから、立香とマシュはモードレッドを伴って行動を開始した。

今回の任務はジキルの協力者であるスイス人碩学、ヴィクター・フランケンシュタインの保護だ。

名前からも分かる通り、メアリ・シェリー著『フランケンシュタイン』に登場する怪物を生み出したあのフランケンシュタイン博士の孫に当たる人物だ。

ジキルはヴィクター氏を始め、市内にいる何人かの協力者達と無線による情報交換を行っているらしい。だが、ヴィクター氏は今朝方から連絡がつかず、不審に思ったジキルが彼の保護を頼んできたのだ。

 

「うぅむ、早速お留守番ですねマスター。どうです? 寂しさを紛らわすためにわたくしとトランプなど致しますか?」

 

霧の中へと消えた立香達の背中を、意味もなく窓の向こうに探していたカドックに、メフィストは相変わらずの調子で話しかけてくる。

微妙に神経を逆なでするようなトーンが癪に障る。

気を遣うということを知らないのだろうか、この悪魔は。

 

「そんな気分じゃない」

 

「おやおや、ご機嫌が優れない? あれですかな? 本当はご自分が行きたかったのですかな? 下積みは大切ですものねぇ。今からでも間に合いますし、お供しましょうか、マスター?」

 

「放っておいてくれ。いいか、これからアナスタシアのところに行くからお前は来るな。ジキルの手伝いでもしてろ」

 

「はーい、かしこまり!!」

 

テンションの高い返事と共に、メフィストはホウキを片手にジキルのもとへと向かう。

部屋の掃除でもするつもりなのだろう。

自称、生まれついてのサーヴァントらしく家事は一通り身に付けているとのことらしい。

 

「ご苦労様、マスター。彼には気を付けて。道化というものはそれだけで信用ならないものよ」

 

「随分と辛辣なんだな」

 

「生前の教えなの。道化は演ずるもの、本心を隠しているのだから、油断ならないでしょう? あの海賊みたいに」

 

黒髭のことだ。エドワード・ティーチは普段こそオタク趣味で幼女が好きな真性の変態だが、その実は海賊としての矜持を持ち、常に冷徹に事を成す生粋の悪党だ。

道化を演じているという意味では通ずるものもあるだろう。

古今東西、無能を装って寝首を掻くのは戦の常套手段だ。

 

「騙し合いなら魔術師の十八番さ。それより、藤丸達の様子は?」

 

「戦闘を避けながら進むから、どうしても遠回りになります。ヴィクター氏の家まではもう少しかかるみたい」

 

「そうか。なら、そのまま聞いて欲しい。手が空いている時でいいから、あの時の敵を探して欲しい」

 

切り裂きジャック(ジャック・ザ・リッパー)ね」

 

カドックの手には魔霧が発生した初日に発行された新聞記事が握られている。

見出しには『切り裂きジャック現る』と書かれており、市内で起きた不可解な惨殺事件についての記事が載せられていた。

それによると、イーストエンドやホワイトチャペルを中心に女性ばかりを狙った連続殺人が起きていたらしい。

被害者は全員、喉を掻き切られた後に腹部を裂かれ、臓器を解体されている。

その残忍な手口から切り裂きジャックと呼ばれているようだ。

そして、ジキルの話では切り裂きジャックは都市機能が麻痺した今も市内に出没し凶行に及んでいるらしい。恐らく、切り裂きジャックはサーヴァントか霧の中で活動できる魔性の類なのだろう。

レイシフト直後にアナスタシアを襲ったのもこの切り裂きジャックで間違いないはずだ。

 

「けれど、私は切り裂きジャックの顔を覚えていません」

 

「僕もだ。カルデアの方もダメだったらしい。何らかのスキルか宝具で記憶を歪められているみたいだ。記録映像も動きが速くてうまく写っていなくてね。わかっているのは刃物を使う殺人鬼ってことくらいだ」

 

「アサシンのクラスなのだとしたら、厄介ね」

 

アサシンは隠密行動に特化したクラス。本気で隠れられると探し出すのはまず不可能だ。

そして、ヴィイの魔眼は透視の魔眼。霧の向こうを視ることはできても、隠れ潜んでいる者がどこにいるのかを知ることはできない。

その上で切り裂きジャックを見つけ出すとなると、決して狭くはないこのロンドンで奴が犯行を行う瞬間を運よく目撃するしかないだろう。

 

「とにかく今回、僕は魔術回路を回すことを優先するから、君は遠慮なく魔力を持っていってくれ。幸い、霊薬のプロがここにはいる」

 

「薬に頼るのはよくありません。こっちに来なさい、膝くらいなら貸してあげるから」

 

「よしてくれ、子どもじゃないんだから」

 

「弟みたいなものでしょう」

 

「なっ、僕の事をそんな風に見ていたのか!? 今までずっと!?」

 

「何を怒っているの、カドック?」

 

「あ、いや……」

 

自分でもおかしなことを言ったと思い返し、彼女から視線を逸らす。

アナスタシアが自分のことをどう思っていようと関係ないだろう。

自分と彼女はマスターとサーヴァント。それ以上の関係ではないはずだ。

そのはずなのに、胸の奥がざわついたかのように落ち着かないのは何故だろう。

 

「カドック?」

 

「何でもない。隣――いいかな?」

 

「ええ、どうぞ」

 

促されるまま、2人で座るには少しだけ小さなソファに腰かける。

自然と体が密着し、仄かな石鹸の香りが鼻孔をくすぐる。

少しでも余裕を持とうと右腕をアナスタシアの背中に回す形を取ったが、却って肉付きのよい彼女の感触を肌で実感する形となり、早鐘を打つ鼓動を聞かれてはいないかと不安になった。

 

「顔が赤いわ」

 

「っ――――」

 

「可愛い人ね。さっきみたいなことを言われたくなかったら、もっと自信をつけなさいマスター。いつまでも子どもじゃないのでしょう?」

 

「君の方こそ、いつまでも僕が下手に出るとは思わない方がいい」

 

「ええ、期待しています、カドック」

 

慈しむような、包み込むような微笑みを浮かべ、アナスタシアはそっとこちらの肩に首を傾けてくる。

街は魔霧に覆われ、異形の殺人者が闊歩する中で、こんなにも穏やかな時間が流れて良いのだろうか。

魔力を吸い上げられる疲労感も手伝って、いつしかカドックはアナスタシアに寄り添ったまま眠りの世界へと誘われてしまう。

そんな微睡みを引き裂いたのは、空気の読めない悪魔のハイテンションな声であった。

 

「マスター、何か鳴ってますよ!」

 

「きゃっ!?」

 

「っ――メフィスト!? 来るなと言っておいただろう!」

 

「ええ、そのつもりでしたが何やら鳴っているようでしたので気になって。はい、通信機!! お呼びのようですよ。ああ、それともお邪魔でしたか? アヒャヒャヒャヒャ!!」

 

振動する通信機を手渡し、メフィストは部屋を後にする。

呆気に取られながらもカドックは思考を切り替え、受信のスイッチを入れる。

メフィストに小言を言うのはその後からでもいい。

 

「藤丸か?」

 

『カドック? 一足遅かった。ヴィクター氏は殺されていた』

 

「何だって!?」

 

『ドクターの解析じゃ、朝方には亡くなられたみたいだ。詳しくはこれから調べるけれど、書斎に残っていたのは……食べ滓だけだ』

 

「……わかった。切り裂きジャックの件もある、注意してくれ」

 

『それと、同居人がもう1人増えることになったよ。ヴィクター氏の屋敷にいたんだ。本物の、フランケンシュタインの人造人間が』

 

霧の街を虚構が侵食していく。

新たな役者はこの舞台をどのような喜劇に彩るのか、如何なる悲劇に華を添えるのか、それはまだわからない。

ヴィイの眼は、まだ真実を捉えない。




ちなみにアナスタシアがやっていることは「話の途中だがワイバーンだ」のタイミングが「話の前にワイバーンだ」になる程度です。
何でもかんでも見つけられるほど甘くはないぜ魔霧は。


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死界魔霧都市ロンドン 第3節

通信機を通して、剣戟と魔術が交差する音が聞こえてくる。

続いてモードレッドの怒号とマシュの苦悶の声。矢継ぎ早に飛び出す立香の指示に従って2人は路地を疾駆し、敵性体と死闘を繰り広げているようだ。

その様をカドックは見ることすら叶わず、時々、アナスタシアがヴィイを通じて視た映像を教えてもらうことしかできない。

向こうでいったい、何が起きているのか。

立香達はどんな敵と戦っているのか。

それをうまく掴むことができず、焦燥感だけが募っていく。

 

『くそ、当たっているはずなのに攻撃が通らねー!』

 

『わたしにも不明です。確かに攻撃は届いているはずなのに、倒れません!』

 

通信の向こうから、息を切らせながら困惑する2人の声が聞こえてくる。

ヴィクター氏の屋敷から帰還した後、ジキルから頼まれた新たな依頼はホーソーエリアで起きている怪事件の調査であった。

安全なはずの屋内に侵入し、人々を覚めない眠りに誘う魔本が出現したと言うのだ。

魔本の被害はホーソーエリアという限られた場所のみであったが、被害者の数が加速度的に増加していたこともあり、マシュ達は返す刀でホーソーエリアへと向かった。

そこで出会ったのは、魔本としか形容のしようがない異質な存在。

一冊の本が宙に浮き、魔術を行使していたのだ。

 

「藤丸、攻撃は確かに届いているのか? 幻覚の類じゃないのか?」

 

『2人にステータスの異常はない。念のため『イシスの雨』を使ったけど、効果はなかった!』

 

ステータスの異常を回復する礼装の効果も意味がなかったとなると、原因は敵の方にあると断言していいだろう。

最優のクラスであるセイバーのモードレッドですら傷つけられないとなると、何かしらの耐性スキルか物理法則を捻じ曲げる概念が働いているのかもしれない。

問題はそれが何なのかわからないということだ。

あらゆる虚飾を払い、見抜いたものを弱所とするヴィイの魔眼を以てしてもそのカラクリを解き明かせない。

このまま敵の謎を解明できなければ、マシュ達はじわじわと追い詰められて魔本の餌食となるかもしれない。

 

「ドクター、解析は!?」

 

『全ての数値はアンノウンだ。そこにあるべきものがない。藤丸くん達が何と戦っているかすら、こちらは計りかねている!』

 

「くそっ! 敵の狙いは何なんだ! 何で本なんかに――」

 

苛立ち紛れに机を殴打すると、立てかけていたジキルの本が数冊、床の上に散らばってページが捲れる。

整然と並べられた活字の群れが今は堪らなく憎らしい。

あの魔本も本の端くれなら何か書かれているのだろうが、きっとロクな文章ではないだろう。

 

(文字が‥…書かれて……?)

 

ふと見下ろすと、崩れた本の山の中にジキルの研究用と思われるノートが紛れていることに気づく。

霊薬の調合結果がまとめられているのだろうか。途中まで夥しい数式や図解が紙面に羅列されていたが、ある場所を境にプツンと途絶えて白紙が続いている。

考えるまでもない。その先を埋めるような研究がまだ成されていないからだ。

書くべきことが決まらなければ、その先を埋めようがない。

それに思い至るやいなや、カドックの思考は加速した。

干渉を受け付けず、計器では観測できない魔本、眠りにつく人々、そして特異点へのカウンターとしてサーヴァントを召喚する聖杯。

頭の中で幾つものピースが繋がっていき、カドックはある仮説へと行き当たる。

それは余りに荒唐無稽。だが、馬鹿馬鹿しいと一笑するには無視しきれない説得力がある。

 

「本だ……あれは本なんだ……」

 

「カドック、あなたとうとう――」

 

「僕は正常だ!」

 

アナスタシアに一喝し、未だ魔本と対峙している立香に通信を繋ぐ。

 

「そいつは固有結界だ! 正体なんて存在しない、魔術そのものが生きて動いているんだ!」

 

そもそも本の形であることが一つの答えだったのだ。

あれは魔術の大奥義、術者の心象風景を映し出し、世界を捲りあげる固有結界かその亜種なのだろう。

本来ならば展開した結界内に重圧や加速などの何らかの法則を働かせる、内包しているモノを取り出し操作するといった形が多いが、中には世界の外ではなく内側、術者自身に作用するものもある。そして、魔本はその作用によって形作られるものなのではないだろうか。

聖杯によって召喚された魔本は、自身を形作ることができる者――マスターを求めて人々を覚めない眠りに誘ったのではないだろうか。

 

『固有結界の能力ではなく、固有結界そのものがサーヴァント?』

 

「ああ、そいつはまだ生まれてもいない! 生前、いやその概念が生まれた過程をなぞっているだけだ!」

 

カルデアからは測定できないのも無理はない。

亡霊ならば払いようがある。現象ならば測定のしようもある。だが、白紙の本は批評のしようがないように、まだサーヴァントとして確立すらされていない概念に干渉することはできない。

それは同時に魔本自身の不安定さにも繋がるため、アレは自身に投影できる夢を求めているのだ。

人々の夢や希望の結晶。多くの人間に愛され、数多の夢を受け止め、遍く創造が羽根を持って羽ばたくことができる広大なる世界。

それは英雄と呼ぶにふさわしい存在だ。

アレは正に夢見る子どもたちの英霊。

寓話、童話、絵本、おとぎ話、わらべ歌。

それら全てをひっくるめた創作の概念そのものが、夢や想像力という心象世界を映し出す固有結界として成立したものが魔本の正体だ。

 

『物語が敵って、どうやって倒せばいいんだ、そんなの!?』

 

『切ろうと叩こうと手応えがないんだ。薪にくべても同じだろうぜ!』

 

(確かに、このままじゃ打つ手がない)

 

自分の仮説が正しければ、このまま放っておくか誰かが魔本のマスターとなれば、実体を得た魔本に攻撃が通るようになるだろう。

だが、前者はどれほどの被害が出るかわからないし、後者は方法が思いつかない。

正体が掴めても、倒す方法がわからなければ結局は同じことだ。

 

『いや、自力でそこまで辿り着いたのなら上々だ。少しは想像力の豊かな奴がいるらしい』

 

初めて聞く声が通信に割り込んでくる。

ハスキーで自信に溢れ、それでいてどこか疲れを感じさせる中年の声音だ。

戦闘に突入する前、立香達はジキルの協力者と合流したと言っていたが、彼のことだろうか?

酷く上から目線な物言いは少しムッとしたが、非常時なので気にしている余裕はなかった。

 

『ご高察の通り、こいつはサーヴァントになりたがっている魔力の塊だ。放っておけばいずれは実体化するだろうが、眠りに時間を取られていては我ら物書きは商売あがったりだ!』

 

『左様。快い眠りこそ、自然が人間に与えてくれる優しく懐かしい看護婦だ。吾輩、目覚めぬ夢など願い下げですな』

 

更に別の男の声が続く。

よく通るバリトンで些か声が大きい。

魔眼越しで状況を視ているアナスタシアから、2人はサーヴァントであると教えられる。

舞台衣装のような衣服に身を包んだ子どもと壮年の男性。

2人は息を切らせるマシュとモードレッドの前に立つと、対峙した魔本に向けて自らの武器を取り出した。

それは羽ペンと、言霊だ。

 

『名前のない本だから探せないのなら、探せるようにするまで。物語に実体を与える方法なんて簡単だ』

 

『さあ、聞こえるか! 今より其方に名前を送ろう。魔本、いいや――』

 

――――誰かの為の物語(ナーサリー・ライム)

唱和されたその言葉は、ただ遠くで聞いているだけのカドックの心にまで刺さる程の強い力が込められていた。

誰かの為の物語(ナーサリー・ライム)。なんて夢に溢れた言葉であろう。

人々の想念を受け止め、鏡写しとするこの英霊にここまで相応しい名前があるだろうか。

 

『よし、数値は変動するけど計測可能。不安定な状態ではあるけれど、アレはナーサリー・ライムという実体を手に入れた。倒すなら今だ!』

 

ロマニの号令の下、マシュとモードレッドがそれぞれの獲物を手にナーサリー・ライムへと突貫する。

後で知ったことだが、何故か無抵抗なままのナーサリー・ライムは自身に向けられた刃を粛々と受け止め、魔本との戦いは呆気ない決着となったらしい。

 

 

 

 

 

 

「ほう。なかなかいい隠れ家じゃないか。気に入った、隣の書斎を頂こう」

 

「では荷を運び入れましょう。何かあったら声をかけてください。もちろん、ノックを忘れぬよう」

 

アパルトメントに戻って来るなり我が物顔で室内を物色した2人のサーヴァントが、家主の断りもなく書斎へと荷を運び入れていく。

1人は青い髪に眼鏡をかけた年若い少年。幼い顔立ちからは想像もできない低い声音の持ち主で、口を開けば偉そうな言葉を羅列する。

もう1人は芝居がかった挙動の男性で、こちらは事あるごとに小難しい言葉を羅列する。

どちらもこのロンドンに召喚されたはぐれサーヴァントであり、真名をハンス・クリスチャン・アンデルセンとウィリアム・シェイクスピアという。

言わずと知れた童話作家と舞台脚本家だ。

例えその内容は知らなくとも、誰もが『人魚姫』や『ロミオとジュリエット』というタイトルくらいは聞いたことがあるだろう。

2人はそれらの童話、芝居の原作者だ。

どちらもキャスターのクラスとして現界しているのだが、そもそも魔術と縁がない創作家であるが故に戦うことができず、魔本が出現するまではジキルと情報交換をしつつ情勢を見守っていたとのことだ。

 

「あー、疲れた。お荷物のおかげで二倍疲れた。三倍疲れた!」

 

「そうだね。そして、嵐のように過ぎていった」

 

勢いよくソファに座り込みながらぼやくモードレッドの言葉に、立香は同意する。

魔本との戦いが大分、堪えたのだろう。用意しておいたミネラルウォーターが一気に半分もなくなっている。

 

「お帰りなさいませ。お疲れですか? 何ならお肩をお揉みしましょうか? ウヒャヒャヒャ!」

 

「うん、じゃあ頼めるかな」

 

(頼めるのか!?)

 

壊れた玩具のようにカラカラ笑いながら立香の肩を揉むメフィストの姿に、カドックは戦慄を禁じ得ない。

悪魔染みた風貌も相まって恐ろしく不気味な絵面だ。

少なくとも素面では絶対にお近づきにはなりたくない。

それなのに立香はよく、メフィストの存在を受け入れられるなとつい感心してしまう。

 

『小説の登場人物に作者のサーヴァント、そして敵は本ときた。今回もおかしなことになってきたな』

 

ロマニの言葉にカドックは心の中で同意する。

今までも竜の魔女だとかローマ皇帝の連合だとか終局の四海(オケアノス)だとか驚きの連続だったが、ぶっ飛び具合では今回も負けていない。

正統派な英雄であるモードレッドが逆に新鮮に映るくらいだ。

 

「そういえば、フランは?」

 

「今はアナスタシアがついている。念のため、『魔霧計画』について何か知っていることはないか改めて聞いてみたが収穫はなしだ」

 

ヴィクター・フランケンシュタイン氏は蟲の群れに食い殺されるという無残な最期を迎えていた。

だが、実行者に証拠の隠匿などをする暇や手段がなかったのか、書斎には今回の事件について記されていた日記が残されていた。

そこには彼が生前、魔霧計画なる企みに加担するよう脅されていたこと、協力することを拒んだために身の危険を感じていたこと、計画の首謀者が「P」「B」「M」の3人からなる魔術師であることが記されていた。

また広い屋敷には彼の祖父が造り上げた人造人間の少女、俗にいうフランケンシュタインの怪物が残されており、不憫に思ったモードレッドがジキルのアパルトメントまで連れてきている。

言語回路が機能していないのか、こちらの言い分は理解できても自分の言いたいことはうまく言葉にできないようで、聞き取りにはかなりの苦労を要したが、彼女も何も知らないようだった。

 

「言っとくが言葉がわからなかったって意味じゃないぞ。彼女が何も知らなかっただけだ」

 

「いや、別にそんな風に思ってないよ。もっと自信持ちなって。さっきもカドックが魔本の正体を突き止めなきゃ、俺達全滅してたかも」

 

「……本当にそう思っているのか?」

 

「うん?」

 

「いや、いい」

 

揚げ足を取ったところで喧嘩になるだけだ。

確かに自分は彼が言うように魔本の正体を突き止めた。だが、有効な対応策を立てるには至らなかった。

結局はアンデルセン達の協力がなければ、魔本を退治できなかったであろう。

周りがどれだけおだてても、自分は所詮ここ止まりだ。

もっと才能がある奴は、自分なんかよりももっと鮮やかに事態を解決する。今回がいい例だ。

そんな風に自分を卑下していると、部屋の片隅で無線機を弄っていたジキルが血相を変えてこちらに向き直った。

 

「みんな、そのままでいいから聞いてくれ。切り裂きジャック(ジャック・ザ・リッパー)が再び現れた。しかも今度は、霧に紛れて女性を襲う殺人じゃない。籠城状態にあったロンドン警視庁(スコットランドヤード)を襲撃中だ。救援の電信を受信してね」

 

魔霧のせいで治安維持すら困難な状態であるが、それでもロンドン警視庁(スコットランドヤード)には相当数の警察官が生き残って籠城をしていたらしい。

ジキルと同じように所轄署と無線でやり取りしつつ、可能な範囲での警邏や屋内待機の呼びかけなどを行っているのだそうだ。

だが、どうして切り裂きジャック(ジャック・ザ・リッパー)は警察署などを襲ったのだろうか。

アレは女性ばかりを狙う殺人鬼のはず。

この時代の警察署に女性の職員は、いないこともないだろうがそのほとんどは男性ばかりのはずだ。

 

「ごちゃごちゃ考えている暇はねぇ! 奴は逃げ足が速い。急がないと逃げられるぞ!」

 

「マシュ、疲れているところ悪いけど、行こう」

 

「はい、わたしは大丈夫です、先輩」

 

「何か新しい情報が入ったら、カルデアを通して知らせるよ。頼んだよ、みんな」

 

3人が慌ただしく外へと飛び出し、ジキルも再び無線機の前へと戻る。

カドックもそれらにつられて部屋を飛び出したが、アパルトメントの共用スペースに出たところで足が止まった。

今回の自分の役目はバックアップだ。

アナスタシアがここで遠見をする以上、自分がついて行っても足手纏いになるだけだし、アナスタシアが全力を発揮するためにも彼女の側にいなければならない。

それに、どうせ自分が行かなくとも立香達だけで何とかなるはずだ。

 

「おやおや、本当にそうお思いですか?」

 

いつの間にか、背後にメフィストが立っていた。

何がおかしいのかわからないが、口角を吊り上げて仮面のような笑顔を浮かべている。

外は霧に包まれ、明かりもロクにない薄暗い通路では、その姿はまるで本物の悪魔のように思えてならない。

 

「このままでいいと、本当にお思いですか?」

 

「お前、何が言いたい?」

 

「本当は前に出て戦いたいのでしょう? 自分だってやれるのだと証明したいのでしょう?」

 

「それは……」

 

「自分を偽るのはお止めなさい。あなたは素晴らしい人だ。先ほどもあなたなら魔本を倒す手段を見つけ出せたはず。あなたにはそれだけの力が眠っていると何故、お気づきにならない?」

 

甘い囁きはまるで毒のように耳朶へと染み渡る。

メフィスト何を言わんとしているのか、彼が何を訴えかけているのか。

その意味に気づいていても、耳を塞ぐことができない。

狂気に染まった2つの眼から目を逸らすことができない。

 

「このままでは全て、彼が解決してしまいますよ。そうなるとあなたがここにいる意味がなくなってしまう。それでいいのですか? 彼よりもあなたの方がずっとうまくできる。そうでしょう? 人理修復というこのチャンスを逃すと、あなたは一生を犬のまま過ごすことになる。そうじゃない、あなたは狼であるべきだ」

 

魔術の世界に友情はない。あるのは打算と結果、そして積み重ねてきた血統だけだ。

血統も浅く、才能も持たない凡人を、数多のエリート達は犬と罵った。

強者に縋り付く野良犬。

才能あるエリートに使われる飼い犬。

寄る辺のない負け犬。

そんな不当な扱いを引っくり返せるのは、グランドオーダーだけだ。

人理修復という偉業を成すことで、自分は初めて彼らと対等な場所に立つことができる。

この機を逃すと、自分は永遠に犬のままだ。

 

「僕は……」

 

「カドック、何をしているの?」

 

涼やかな声が響き渡り、カドックの意識は現実へと引き戻される。

見ると、アナスタシアが玄関の扉を開けて立っていた。

心なしか、いつもよりも視線に怒気が強い。

 

「道化の悪魔、何をしていたのですか?」

 

「いえいえ、ただのお話です。あ、メッフィーお花の水やりしてきますね。今夜のおかずにするんだーい。ヒャヒャヒャヒャ、ウーヒャッヒャッ!!」

 

品性の欠片もない笑い声を上げ、メフィストはスキップを踏みながらアナスタシアの横を通って部屋へと戻る。

入れ替わる形で近づいてきたアナスタシアは、心配そうにこちらを見上げながら、右手をそっとこちらの頬に添えてくる。

 

「大丈夫? 何を言われたの?」

 

「大したことじゃない。ああ、大したことじゃないんだ」

 

「嘘……私には視えています、あなたの気持ちが」

 

「…………ごめん」

 

頬に添えられた手を降ろし、部屋に戻るよう促す。

これ以上、彼女に心配をかける訳にはいかない。

魔術師らしく気持ちを切り替え、立香のバックアップに集中するべきだ。

 

「戻ろう。藤丸達を助けないと」

 

「……ええ、わかりました、マスター」

 

アナスタシアはそれ以上、何も言わなかった。

その後、カドックはいつも通りの平静を装いながら任務に邁進した。

ただ、内心ではメフィストの言葉がずっと渦巻いたまま離れず、カドックは迷いを引きずり続けることとなった。

 

 

 

 

 

 

立香達が駆け付けた時、既にロンドン警視庁(スコットランドヤード)は全滅していた。

襲撃者である切り裂きジャック(ジャック・ザ・リッパー)とその首魁、魔霧計画の首謀者である「P」ことパラケルススは、保管されていた魔術の触媒を盗み出すために、ヤードを襲撃したらしい。

目的を達した両者は邪魔者である立香達を片付けようと襲いかかってきたが、パラケルススは力及ばず敗退。

切り裂きジャック(ジャック・ザ・リッパー)は負傷しつつも取り逃がす形となった。

そして、パラケルススは悪逆である自身が討たれることを道理であると呟き、立香達に対してエールとも取れる言葉を遺して消滅したとのことだった。




特に絡んでないけど、この空間ダブル子安なんだな。
よし、オジマンも呼ぼう(笑)

明日からのイベント、みなさん頑張りましょう。
石は100連分用意できた。これを少ないと思ってしまう自分の金銭感覚が怖い。


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死界魔霧都市ロンドン 第4節

ロンドンに着いてから2日が経過した。

昨日のパラケルススとの戦闘以降、事態に目立った動きはない。

相変わらず魔霧は市街を埋め尽くし、異形の群れが通りを闊歩している。

昨日までで何人の市民が犠牲になったのだろうか。

ロンドン警視庁(スコットランドヤード)が全滅し、最早この街を守れる者は誰もいない。

幸いにも魔霧によって情報の行き来が遮断されており、その事実を知る者はいない。だが、人々がそれを知った時、果たして何人の人間が理性的な行動を心がけることができるだろうか。

崩壊の時は刻一刻と迫ってきている。

そんな中、カドックはというと、何故かフランケンシュタインの人造人間――フランの遊び相手になっていた。

 

「つまり、神は土塊から自分に似せた人間を生み出し、その肋骨から伴侶となる女性を生み出した。女性は男性に従属する付属物として描写されている訳だ。人類史最古の男尊女卑だな」

 

「ウゥ……」

 

「ちなみに似たような逸話は他にもある。極東では国造りの際に女神が男神を誘惑し――いや、止めておこう」

 

「……ウゥー、アァー……」

 

「え、気になるから教えろ? いや、さすがに直球過ぎて……ああ、わかった。教えるから髪を毟るな、毟るなぁ」

 

フランの攻撃から逃れ、せがまれるままに暗記している神話の一節を諳んじる。

よくよく考えたら、伴侶を求めて暴れ回ったフランケンシュタインの人造人間に人類最古の離婚話を振ったのが悪かった。

もちろん、元を正せば暇を持て余した彼女に聖書なんて与えたどこぞの悪魔のせいなのだが。

だいたい、どうして自分がこんなことをしなければならないのだ。

立香達は早朝から哨戒、アナスタシアは魔眼によるサポート、ジキルは相変わらず無線に張り付いて協力者達と情報交換を行っている。

メフィストだってふざけてはいるが、エプロンを身に付けてきちんと部屋の片づけやみんなの身の回りの世話を行っているのだ。

なのに、自分と来たら魔霧のせいでロクな活動もできず、拠点にこもって暇を持て余している始末だ。

 

「ウゥ……ウゥ……」

 

「うん? 書斎? ああ、あの2人もいるから気にするなって?」

 

こちらの悩みを察したフランが書斎を指差し、慰めるように呻き声を漏らす。

アンデルセンとシェイクスピアの2人は書斎にこもって執筆活動に勤しんでおり、ロンドンの調査には一切協力してくれていない。

だから、そんなに気にすることはないと彼女は言いたいのだろう。

元からやる気がないのと、やる気があってもできることがないのとではかなりの差があると思うのだが。

 

「ウィィ?」

 

「わかった。気にしてないから怒るな。続きだな続き。えっと……」

 

どこまで話したのか思い出そうとすると、傍らに置いていた通信機が着信を告げる。

見回りに出ていた立香達からだ。

 

「どうした?」

 

『カドック、たった今、ヘルタースケルターと遭遇した』

 

「倒したのか? 残骸は?」

 

『かなりバラバラにしちゃったけど、大きな部位は幾つか残っている。場所は――――』

 

「わかった、すぐに行く」

 

不満そうに頬を膨らませるフランに謝罪し、カドックはバンダナで口を覆ってアパルトメントを飛び出した。

今回は予め、魔霧除けの護符と魔術を使っているので、魔霧の影響を受けることはない。

残念ながら立香のように無制限に活動することはできないが、数時間程度ならば支障はないだろう。

 

「カドック、こっち」

 

「急いでください、アナスタシアの透視によると、敵性体が何体かこちらに向かって来ているとのことです」

 

油断なく盾を構えるマシュの後ろには、切り刻まれた鉄の塊が鎮座していた。

ジキル達がヘルタースケルターと名付けたその機械は、サーヴァントを除けばこのロンドンにおいて一番の難敵であった。

堅牢な装甲と魔獣に匹敵する馬力、そして何よりその正体が掴めない。

こちらから送れる情報が少ないというのもあるのだろうが、カルデアの解析では蒸気機関で動く謎の人形ということしかわかっていない。

また、気になるのはその性能と稼働数だ。

単に尖兵とするだけならば、ホムンクルスや自動人形の方が安上がりで事足りる。

対サーヴァントを想定しているのだとしたら、市内で活動している数が余りに少ない。

黒幕は何故、こんな非効率的な兵器を使役しているのか。

もしかしたらそこに何か理由があるのかもしれないと思い、カドックはヘルタースケルターを直に調べる機会を待っていたのだ。

 

『うーん、やはり映像で見る限りでは得られる情報も少ないな。カドックくん、本当にやるのかい?』

 

「現状、黒幕に繋がる情報が何もないんだ。こんなものでも調べないと先に進めない」

 

立香が言った通り、四肢は隈なく破壊されており、表面の装甲もモードレッドの雷で焼け焦げている。

ほとんど原型を留めていないため、それが元は人型であったなどとは誰も思わないだろう。

そして、見れば見るほど複雑怪奇な造りをしている。

魔術師であるカドックは機械に明るい訳ではないが、それでも現代社会で生きてきた以上、多少の知識は持ち合わせている。

少なくともこの機械には精密機械と呼ばれる代物が何も搭載されてはいない。

これほど複雑な機構を古式の歯車とピストン運動するポンプで動かしていることに対しても驚きだが、それらを制御すべき電子盤や配線の類が見当たらないのだ。

集積回路もなしでこんな複雑な機械を動かすことが果たして可能なのだろうか。

カドックは訝し気ながらも一際大きな、恐らくは肩関節か胸部辺りであったであろう部位に手をかざすと、魔術回路を活性化させ、解析の魔術を走らせた。

染み込んだ水をもう一度吸い上げるように。もしくは壁に反射した音を聞き分けるかのように、魔力を謎の機械に少しずつ浸透させていき、その秘密を解き明かそうとする。

街に立ち込める魔霧がカルデアからの観測を妨げるため、計器による測定ではその正体を掴めなかったが、こうやって直に調べれば、新しい発見があるかもしれない。

 

「おい、早くしないと囲まれるぞ」

 

「待ってくれ、もう少し――――よし、撤収だ!」

 

瞬間、首根っこを猫のように引っ張られ、カドックの体は重力を無視して真横に傾いたまま霧の街を疾駆する。

ものの数分でアパルトメントに帰還した時には、窒息とエコノミー症候群でふらふらになっていた。

急いでいたのはわかるが、こちらは魔霧を吸い込まないようマスクをしていることを忘れないで欲しい。

 

「はい、お水。少しだけ温めておいたけど、良かったかしら?」

 

「ああ、助かるよ」

 

アナスタシアから手渡されたカップを一口呷り、呼吸を整える。

温めの水が疲れた体に染み渡り、疲労が幾ばくか取り除かれた気がした。

 

「それで、どうだった?」

 

「ああ。僕の解析じゃ何もわからなかった」

 

よくよく考えれば機械に関しては素人、魔術の才能も凡庸な自分にあんな複雑なものを解き明かすなど、無理な話であった。

それこそ部品の細部に至るまで魔力を浸透させ、術式を走らせてみたが、そこから読み取れるものは何一つとしてなかったのだ。

 

「何だよ! 期待させやがって!」

 

「話は最後まで聞け、モードレッド。僕だって構造解析の魔術くらい何度もやっている。なのに、あの機械からは何も読み取れなかった。わかるか、つまりアレは機械だけど魔術が作用している。凡人の僕なんかじゃ材質すら解析できない代物なんて、神秘以外の何物でもないだろう」

 

「逆転の発想って訳かい? 仮説と呼ぶには些か乱暴だね」

 

「仮定で進めないと成り立たないのは百も承知だ。けど、そもそもどうしてあんな訳の分からない造りをしているんだ。ホムンクルスや自動人形の方が遥かに作りも簡単で安上がりなのに、わざわざ機械仕掛けにして組み上げている。あれはそういう風にしか作れなかったんだ」

 

恐らくヘルタースケルターはマシュの盾やモードレッドの剣と同じ類のもの、魔力によって編み出された機械なのだ。

魔力によって形成された部品を組み上げ、蒸気機関という既存の動力を用いて動く兵器とする。

アレはそのために特化した魔術の産物なのかもしれない。

 

『ダ・ヴィンチちゃんの方も同じ解析結果が出たらしい。そうなると、ヘルタースケルターは自律稼働じゃなくて術者が操っている可能性が高いな。大本の本体かリモコンに相当する何かを壊せれば、うまくいけば全滅。最低でも稼働率の低下は見込めるはずだ』

 

問題は、そのリモコンにあたるものをどうやって見つけ出すのかということだ。

魔霧によって魔力の探知は阻害されているし、アナスタシアの透視はあくまで視力に頼った索敵なので、見た目が偽装されていれば見つけ出すことは困難だ。

もしもリモコンが常に移動していた場合、見つけ出すことは不可能に近い。

そうやって一同が頭を捻らせていると、近くで一人遊びをしていたフランが徐に服の袖を引っ張ってきた。

 

「……ゥ……」

 

「うん、何だ?」

 

「……ゥ……ゥ、ゥゥ……」

 

「何だ、言いたいことがあるならハッキリ言えよ」

 

「……ウゥ……」

 

モードレッドに促され、フランはゆっくりと言葉を紡ぐ。

と言っても、カドックにはただ唸っているだけにしか聞こえないのだが。

自分ではせいぜい機嫌の良し悪しくらいしかわからないが、モードレッドは直感スキルの恩恵もあるのか、彼女の言いたいことがかなり正確にわかるらしく、彼女の言葉を聞くうちに少しずつ表情が真剣みを帯びていった。

 

「な、それ本当か?」

 

「驚きました。フランさんに、まさか、そんなことができるなんて……」

 

語られたのは驚くべき事実。

ヴィクター・フランケンシュタインの脅威の生命科学力の為せる業か、それとも人造人間としての彼女の本能によるものなのか、フランにはヘルタースケルターを操る魔力の痕跡が探知できるとのことらしい。

それを聞いた立香達は早速、彼女を伴ってリモコンの探索へと向かった。

市内で稼働するヘルタースケルターの活動が停止したのはその数十分後のことであった。

 

 

 

 

 

 

ヘルタースケルターの活動が停止して数時間。

相変わらずロンドンの街は魔霧に包まれ、街路を異形の群れが闊歩している。

驚異の一つが消えただけで、特異点の調査は完全な暗礁に乗り上げていた。

分かった事は一つ。立香達が破壊したヘルタースケルターを操るリモコン――大型ヘルタースケルターの部品に、製作者と思われる者の銘が彫られていたことだ。

その名前はチャールズ・バベッジ。

十九世紀の英国に実在した数学者であり、世界初のコンピューターとも言われる解析機関を考案した偉大なる数学の父の名だ。

彼がヘルタースケルターの開発に関わってるのかどうかは今のところ、確証はないが、仮にサーヴァントとして使役されているならヘルタースケルターの奇妙な構造にも納得がいく。

バベッジが考案した解析機関は蒸気機関で稼働し、記録媒体としてパンチカードが使用される予定であった。

それを魔術によってダウンサイジングできたのだとしたら、配線も集積回路もない状態であの複雑な機構を動かすことができるかもしれない。

それを魔術と呼ぶことに対しては非常に抵抗があったが。

 

「なるほど、霧の街を我が物とした機械人形の製作者は、夢半ばに没した碩学の徒が1人か。浪漫があるじゃないか」

 

「フランの前では言うなよ、知り合いの名前が出てきて落ち込んでいるんだからな」

 

「ふん、人形を弄んで楽しむようなガキに見えるか?」

 

仏頂面で紅茶をすすりながら、アンデルセンは言う。

修羅場を一つ潜り抜けてきたのか、目元が落ち窪んでいて、生気が抜け落ちている。

この年にもなると童話なんて恥ずかしくて読むことはないが、一作を書き上げるのに作者がここまで憔悴しなければならないのなら、子ども向けの物語もなかなか馬鹿にできないのだろうとつい感心してしまう。

 

「何だその顔は? ははん、俺達が何をしているか気になるというわけか。あの演劇作家はひたすらこの事件を書き上げているが、俺は違うぞ。仕事なんざ極力したくないからな」

 

(だったら何をしているんだ、四六時中部屋に籠って)

 

「お前達から聞いたこれまでの経緯……七つの特異点というヤツについて考えていた。いや、正しくは聖杯戦争という魔術儀式に引っかかるものがあるというか……」

 

だが、判断するには資料が足りないらしい。

一応、聖杯戦争についての資料はカルデアにも一通り揃っているので見せてみたが、それだけでは足りないのだそうだ。

聖杯や儀式そのものではなく、彼はもっと根本的な部分について引っかかる点があるのだと言う。

 

「よし、幸いにもヘルタースケルターは活動を停止している。俺の考察を裏付けるための資料を集めるというのはどうだ?」

 

「僕達がか?」

 

「他に誰がいる? 特にお前、この中で一番体力が有り余っているだろう。折角だから古巣に里帰りなんてどうだ?」

 

「それはつまり、あそこに行くってことか……」

 

「その通り。西暦以後、魔術師達にとって中心とも言える巨大学院――魔術協会、時計塔だ」

 

魔術協会。

魔術師達によって作られた自衛・管理のための団体であり、魔術の管理と隠匿、そして発展を使命としている。

「時計塔」、「アトラス院」、「彷徨海」の三部門から成り立っており、特に時計塔は西暦以後、魔術協会の総本山として機能している。

学び舎と呼ばれることもあるが、実際は魔術師達が寄り集まった自衛組織としての側面が強く、神秘の漏洩の阻止を第一としている魔窟だ。

主だった霊地や教本は協会が押さえているため、確かに魔術を研鑽するには最適な環境ではあるが、大半の魔術師が権力闘争に明け暮れ、表向きは不干渉を掲げつつも醜い足の引っ張り合いが繰り広げられている。

魔術師は本来、根源に至ることを第一の目的としており、一代では成せぬそれを次代に託すために研鑽と血統の選別、権力の拡大を行うのだが、長い年月と共にあそこの人間のほとんどは手段と目的が入れ替わり、魔術という特権的な力の維持と拡大にのみ注力している欲望の坩堝と化している。

当然ながら血統の浅い者、秀でたものを持ちえない者は舐められ蔑ろにされる傾向が強く、カドックとしても余りいい思い出はない。

 

「嫌だと言うのか? 構わんぞ、護衛は盾のお嬢ちゃんだけでも十分だからな」

 

「別に行かないとは言っていない。あそこは厄ネタの宝庫だ、今度ばかりは留守番なんてしていられないからな」

 

この中で曲がりなりにもあそこと関りがあるのは自分だけだ。

素人連中がうっかり警備用の罠にかかって呪われでもしたら寝覚めが悪いどころの話じゃない。

 

「なら話は決まった。楽しいハイキングと行こうじゃないか」

 

ニヤリと笑ったアンデルセンが椅子から降り、彼にとっての礼装である本を携えて戻ってくる。

途中で声をかけてきたのか、立香達も一緒だ。

 

「魔術協会に行くのなら、僕も同行しよう。碩学たる者、知的好奇心が疼くのを抑えられないし、調べものなら手伝えると思う」

 

「ジキルも行くの? 俺とマシュとカドックとアナスタシアは当然として、アンデルセンも入れたら6人か」

 

「危険ですのでフランさんにはお留守番をして頂かないといけませんが、おひとりにするのはちょっと……」

 

知己の人物であるバベッジの関与が知れてから、フランは塞ぎ込んでいる。

彼女は自棄を起こすような子ではないが、それでも放っておける状態ではない。

できることなら誰かが側にいるべきだろう。

 

「ではでは、わたくしめが?」

 

「お前は来い。教育上よろしくない」

 

「わたくしほど道徳的なサーヴァントもいないと思いますが、マスターがそう仰るのなら仕方ないですな」

 

どの口が言うんだ、と思わず言いかけて思い止まる。

向こうのペースに乗れば思うつぼだ。

だが、そうなると誰がここに残るのかという問題が出てくる。

ジキルもシェイクスピアも行く気満々なようで、ここはアナスタシアに残ってもらうべきだろうか。

そんな風に考えていると、モードレッドが口を開く。

 

「いいぜ、オレが残る。調べものなんて柄じゃねぇし、ここが襲われるようなことはないだろうけど、万が一ってのもあるしな」

 

結果、モードレッドが残る事となり、2人の笑顔に見送られながら、カドック達は霧の街へと出かけて行った。

 

 

 

 

 

 

時計塔は大英博物館の地下に存在する魔宮と、郊外に作られた学園都市から成り立っているが、今回目指すのは地下迷宮の方となった。

途中、何度か殺人ホムンクルスに遭遇したが、さすがにサーヴァントが5人もいれば物の数ではなく、一行は特に苦も無く大英博物館へと辿り着いた。

本来ならば荘厳な博物館の建物が建っているはずが、どういう訳かそこだけが完膚なきまでに破壊されている。

ジキル曰く、魔霧が出始めたばかりの時に、何者かの襲撃を受けてこうなったらしい。

 

「今にして思えば、魔霧計画の首謀者達に反抗の可能性を叩き潰されたのかもしれないな」

 

瓦礫を掻き分けながらジキルはそう述懐する。

時計塔自体は首脳陣が早々にロンドンを離れたこともあって、人的被害はそれほどでもないらしい。

代償として大英博物館に陳列されていた約800万もの美術品は灰燼に帰してしまったのだが、果たしてそれは如何ほどの損失になるのだろうかと、カドックはつい場違いな疑問を抱いてしまう。

 

「まあ、間違いなく国の一つや二つは買えるんじゃないかな?」

 

「それだけあったら研究には困らなそうだ。おっと、そろそろか」

 

念のため新しい護符を用意し直し、魔霧の影響で不浄が溜まった護符と交換する。

そして、傍らで地下の様子を透視していたアナスタシアに状況を問い質した。

時計塔へ行くと決まってから、彼女は拠点で何度も透視を試みたのだが、厳重に張り巡らされた結界に阻まれ、中の様子を伺うことはできなかったのだ。

近くまで来てみてもそれは変わらないようで、せいぜい地下で何かが動き回っているということくらいしかわからないらしい。

 

「人間か?」

 

「人の形はしていません……これは……本? 本が飛んでいる……のかしら?」

 

『うん、魔力の反応をこちらも探知している。多分、アナスタシア皇女が視ているものと同じじゃないかな』

 

「魔霧の影響で魔術書が変質したのかな? 古い本ってのはそれだけで強い魔力を宿すものだ」

 

カドックの脳裏に、フランスで戦ったジル・ド・レェの宝具が思い浮かぶ。

ここの地下には有史以前のものすら存在するのだ。アレに匹敵、もしくはそれ以上に厄塗れのものが溢れ返っていてもおかしくはない。

ならば、用心するにこしたことはないだろう。

 

「メフィスト」

 

「かしこまり! 既に設置完了でございます! ポチっとな!」

 

瞬間、ジキルとマシュが掻き分けた瓦礫の下敷きになっていた、時計塔への入口が盛大な音を立てて爆発する。

同時に、何冊かの空飛ぶ本が襲いかかってきたが、それらは待ち構えていたアナスタシアの視線が次々と氷漬けにして撃ち落としていった。

 

「ホッホー! 火薬が一匙、足りなかったですかねぇ?」

 

「いいから、次々くるぞ!」

 

大半はアナスタシアが撃ち落としたが、それでも何冊かは氷漬けを免れてこちらに向かって来ている。

ソーホーエリアでマシュ達が戦ったナーサリーライムと違い、普通に殴っても攻撃が通ることが幸いだが、それでもいちいち相手にしていたのではキリがない。

向こうは近づく者に対して反射的に迎撃するだけのようなので、邪魔になる分だけを倒して一気に地下へと潜るべきだ。

 

「本を灼く! それは有り得ざる行いに他なりません! 嗚呼、嘆かわしい……しかし、そこには一縷の甘美あり!」

 

「俺以外の著者の作品など存在せずとも構わん。ああ、もっと言えば俺の著作さえも灼き尽くしたいぞ!」

 

約2名、変なテンションになっている作家がいるが、無視しておこう。

たった今、踏み潰した本だけでも数年は遊んで暮らせるだけの価値があるというのに、どういう神経をしているんだこの2人は。

 

 

 

 

 

内部は正に迷宮と呼んで差支えのない造りをしていた。

入り組んだ構造、多数の罠、薄暗い照明。

大英博物館の地下は時計塔の中で最も古い造りをしていると聞いていたが、こんなにもクラッシックな構造だとは思わなかった。

さながらお伽噺に出てくる魔女や魔王の棲み処といったところだろうか。

時たま、浮遊する魔本と遭遇するくらいだが、曲がり角に差し当たる度に、生きる屍やデーモンの類が出てこないかと肝が冷える。

 

「そういえば、カドックはここに来たことがあるんだよね?」

 

「地下に潜ったのは初めてだ。血統も実績もない魔術師がそうそう貴重な魔術書に触れられるわけないだろ」

 

加えて魔術の世界は神秘の秘匿が大原則だ。

他人に知られればそれだけ神秘が薄くなり、魔術が魔術として成り立たなくなるため、魔術師は術理の公開について非常にシビアだ。

車も電話も便利な道具だが、多くの人間がその仕組みを知らないように、魔術とはその存在が広く知れ渡りながらも秘匿されねばならず、誰もがその術理を理解したならばそれはもうただの技術だ。

だから、魔術協会では隣り合った研究室が何を研鑽しているかも知らないし、知ろうともしない。

この地下に収められている資料にしてもそう。

貴重だから失う訳にはいかない。されとて一介の魔術師に公開し普及する訳にもいかない。何人であろうと神秘に触れてはならず、その存在を後世にまで遺さねばならない。

いわば、この地下迷宮は知識の牢獄なのだ。

そして、カルデアの観測とアナスタシアの透視によると、やはり内部に人の気配はないらしい。

通路の端々には破損した自動人形やホムンクルスの四肢が転がっているところを見ると、黒幕は内部にも戦力を送り込んだようだ。

ここまで念入りに手を出したとなると、逆に何を恐れていたのかが気になるところだが、今回はそれを調べている時間はない。

 

「下手に壁とか扉に触るな。警備用のゴーレムや亡霊が飛んでくるかもしれないからな」

 

「わかりました。では、わたしが先導して安全を確保しますので、みなさんは後ろから着いてきてください」

 

「待て、キリエライト。それなら透視ができるアナスタシアの方が余計な戦闘を避けれる。僕達が前に出る」

 

「なら、アナスタシアには後ろを見張ってもらった方がよくない? 彼女なら敵が来る前に気づけるでしょ」

 

「何を言っているんだ藤丸。キリエライトなら奇襲されてもしばらくは持ち堪えられるだろ」

 

「打たれ弱いキャスターが前衛なのがおかしいよ。いつも俺達が前、カドック達が後ろだろう」

 

「ここは僕の方が詳しいんだ」

 

「さっきここに来るのは初めてだって言っただろ」

 

「先輩、カドックさん、喧嘩している場合じゃありませんよ」

 

珍しく意見を衝突させる2人を見かねて、マシュが仲裁に入る。

バツが悪いのかカドックは唇を噛み締めながら視線を逸らし、アナスタシアが慰めるように背中を叩く。

その様子をメフィストは面白そうに笑みを浮かべながら眺めており、ジキルが不謹慎だと窘める。

結局、それぞれのサーヴァントであるマシュとアナスタシアが話し合った結果、マシュが先頭に立って迷宮を進むこととなった。

迷宮は入り組んでいるが、ほとんどの通路や扉は瓦礫で埋もれており、探索自体はスムーズに進んでいく。

侵入可能な部屋があれば見張りを立てつつ手早く中を調べ、空振りに終われば次へと進む。

そうしていくつ目かの部屋に差し掛かると、そこから立ち込める異様な気配に数人が目を見張った。

他の部屋が瓦礫で塞がれたり荒らされたりしている中、この部屋だけがほぼ無傷を保っている。

間違いなく、魔術で守られた書庫への入口だ。

 

「ミスター・アンデルセン」

 

「ああ、それなりに深く潜ってきたし、当たりを引くならそろそろかな。よし、俺とジキル、カドックは中へ入って資料を探す。扉を守ってくれ」

 

念のため罠の類が仕掛けられていないか確認し、扉を開ける。

そこは今までの部屋と違い、埃っぽさや黴臭さは感じられなかった。

恐らくは誰かが日頃から手入れをしているのであろう。

明かりをつけると、知識の宝庫が目の前に広がっていた。

目につく書架に収められた無数の本。

その全てが過去に存在し、今なお研鑽され、未来へと向けて遺された魔術書たちだ。

神代の石板もあれば大戦の火を免れた異教の経典や焚書されたはずの魔術書、復元された古文書など古今東西に及ぶあらゆる書物がそこに収められている。

この中のどれか一冊だけでも持ち帰れれば、自分は魔術師としての位階を大きく上げることができるだろう。

それほどまでの知識がここに存在しているのだ。

 

「これだ。英霊召喚に関する書物。む、暗号化されているのか」

 

「手引書はここにある。ああ、でも欠損が多いな……」

 

「こっちの本なら抜けは少ない。誤訳が多いから突き合わせながら読むしかないな」

 

何れにしろ、悠長に本を読んでいる時間はない。

関係がありそうなものを片っ端からカバンにつめて、拠点に戻ってから整理するのがいいだろう。

そう思って本を手に取った瞬間、カドックは本自体が秘めた魔力とは別の魔力がそこに宿っていることに気が付いた。

 

「これは……」

 

「なるほど、こういう仕掛けで魔術書を守ってるのか」

 

試しに本を持ち出そうとしてみたが、見えない壁に阻まれるかのように弾かれてしまう。

魔術書が持ち出されないように細工がされているのだ。

かなり特殊な術式が走らされているようで、カドック程度の実力では解除することはほぼ不可能だ。

カドックにできないということは、つまりここにいる誰もこの仕掛けを解除できないということである。

 

「カドック、魔本の群れがこっちに向かって来ている。急いでくれ!」

 

扉の向こうから立香の叫びと共に、何かがぶつかり合う音が聞こえてくる。

一拍遅れて複数の魔術が発動された気配を感じ取り、アナスタシアの悲鳴が耳に届く。

 

「っ……!」

 

「カドック、行って時間を稼げ。俺が読み終えるまで、持ち堪えろ!」

 

言われるまでもなく、カドックは扉を開けて通路へと飛び出した。

そこではマシュとメフィストが群がる魔本を必死で払い除け、その後ろからアナスタシアとシェイクスピアがそれぞれの魔術で2人を援護している姿があった。

 

「聞いての通りだ。全員でこの扉を死守する」

 

「片や神秘の園の深奥にて知識を読み耽り、片や並み居る強敵を前に扉を守らんとする! 片や知の戦い! 片や武の戦い! なかなかにこれは、そう、まさしく心躍る状況(シチュエーション)ではありますまいか!!」

 

「アヒャヒャヒャ! 楽しくなってきましたねぇ。いざという時はほら、自決用の爆弾もこの通り!」

 

どこまでも他人事なシェイクスピアと破天荒なメフィストの言動に頭痛を覚えるが、こんな2人でもいるといないとでは大きく違う。

どちらも援護に特化した能力なので、防衛戦には打ってつけだ。

敵は次から次に出てくるが、どれもそこまで強くはない魔本ばかり。

逃げ場のない防衛線という不利な状況だが、戦略を組み立てれば、アンデルセンが目的を達成するまで書庫への侵入を防ぐことは決して難しいことではない。

 

「第二波がくる。カドック、援護してくれ! 各個撃破だ!」

 

「いや、それよりもキリエライトを前に出せ! その隙にキャスターがまとめて仕留める」

 

「それじゃマシュが危険だ! この狭い通路じゃ彼女の冷気はみんなを巻き込みかねない! もちろん、メフィストの爆弾もだ!」

 

「ちまちまやっていたら押し切られる。不利なのはこっちなんだぞ、一気に倒さないと!」

 

「カドック、少し落ち着いて! 今日のあなたはちょっと変よ!」

 

「っ……!」

 

アナスタシアに叱責され、思わず口ごもる。

脳裏に浮かぶのは先日、メフィストから言われた言葉だった。

自分ならもっとうまくやれる。

その言葉が自分から冷静さを欠いているのだろうか。

功を焦り、いつものように振舞うことができないでいる。

そうしている間にも敵は次々に襲来し、迎撃にあたる者達の疲労が少しずつ蓄積していく。

未だアンデルセンは資料を読み込めておらず、読破するにはもうしばらくの時間が必要だ。

後10分か、それとも一時間か。

先の見えない暗闇の中での戦闘は、いつも以上に体力を奪っていく。

 

「……ああもう、仕方ない。こはできれば避けておきたかったんだけどな」

 

いつの間にか、隣にジキルが立っていた。

何故、彼がここにいるのか。

ジキルは魔術師崩れの人間だ。多少は頑丈だろうが、魔本の相手ができるような力は持っていない。

なのに、どうして。

 

「奥の手があるのさ。僕の魔術――僕特製の霊薬が」

 

懐から取り出したのは一本の小瓶。

妖しい輝きを放つ小さなアンプルだ。

彼はその口を切ると、徐に中の液体を喉へと流し込んでいく。

果たしてそれが如何なる秘蹟を呼び起こすのか。

この善良な青年に如何なる変化を及ぼすのか。

一同が見守る中、ソレは静かに訪れるのであった。




ジャンヌがきた、牛若も来た! やったぞ綺礼、我々の勝ちだ。
と喜びつつイベントを始めたらBBペレとかメイヴちゃんセイバーとかいるんですけど(笑)
ガッデムホット! すまねえイバラギ、来年また会おう。

それとカドックくん礼装だけどイベント出演おめでとう。


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死界魔霧都市ロンドン 第5節

ここで1人の男の話をしよう。

その男は誠実で素晴らしい慈善家であった。

医学、民法学、法学、薬学などの博士号を取得した上に王立協会会員となり、新聞にも幾度か取り上げられたことがある正に未来のエリート。

だが、彼には大きな欠点があった。

それは平凡な人間からすれば当たり前の、誰もが持ち得ているはずの感情。

道徳に背を向け、己の快楽を追求する享楽性。

浅ましき欲望に突き動かされた衝動的な行動。

人間ならば誰もが持っている快楽への欲求。

欲したものを手に入れ、それを楽しむという情動を、彼は悪しき感情と断じて嫌悪していた。

否、魅せられていたといった方が正しい。

享楽のために消費される金銭、尽きぬ飽食、他人への暴力、獣の如き性欲、隣人を妬み、自身を縛る倫理や道徳からの解放に歓喜する。

そんな人として当たり前の感情に魅せられていることに気づいた男は、自身からそれらを分離するための方法を模索した。

それが取り返しのつかない悲劇へと繋がるとも知らずに。

 

『何だ、そこに奇妙な魔力反応が起きているぞ!?』

 

(魔力反応? まさか……あの薬は……)

 

ジキルの手から、飲み干した薬の瓶が零れ落ちる。

同時に、胸を抑え込みながら苦しみだしたかと思うと、彼の身体にゆっくりと変化が起こり始めた。

まず体が僅かに大きくなった。

背中が曲がり、肩甲骨が膨れ上がり、だらんと伸びた腕は明らかに普段よりも長く手の甲が地面に擦れている。

整えられていた髪も乱れ、隙間から除く瞳は赤く輝いている。

その顔は先ほどまでの紳士然としたジキルのそれではなく、見る者に恐怖と嫌悪を与えるかのように醜く歪んでいた。

口角が吊り上がり、狼のような牙と長い舌が姿を現す。

笑い声が聞こえた。

聞く者を震え上がらせる悪魔の哄笑。

凡そ知る限りの不協和音を積み重ねてもあれには及ぶまい。

冒涜的な悪の全てがそこにあった。

彼の名はヘンリー・ジキル。

またの名を――――エドワード・ハイド。

 

「ひひひ、はははははははははッ! ひっさしぶりに表に出たぜェ! 俺様ちゃん参上ォ!」

 

跳躍したハイドの手には鈍く光るナイフが握られていた。

突き刺された魔本は悲鳴を上げるかのようにページをばら撒きながら墜落し、その力を失った。

ローマのネロ帝や聖杯の加護を得ていたドレイクと同じだ。

彼の肉体は今、霊薬の効果でサーヴァント並にまで強化されている。

 

「おや、愉快なことになりましたねぇ」

 

「まるで小説に在る通りの変貌です。あれが本当にジキルさん?」

 

「俺はハイドだ!! 気に入らねぇ奴は殺す、邪魔な奴は殺す、殺す殺す殺す!」

 

まるで獣のように獰猛な叫びを上げながら、ハイドは狭い通路を駆け抜ける。

飛来する魔本を引き裂き、這い出てきたホムンクルスの贓物をまき散らし、自動人形を瞬く間に分解していく。

脇目も振らず、一心不乱に、目の前の敵だけを徹底的に屠るその姿は正に魔獣か狂戦士のようだ。

だが、あれほどの変貌をもたらすのなら負荷も相当のはず。

彼の変身はそう長くは続かないかもしれない。

 

「まだなのか、アンデルセン!? 急いでくれ!」

 

「十二分にわかっている。そう急かすな。読書というものはだな、自分のペースで行うべきだ。そう、ひとり、こうして静かな部屋でゆっくりと――――」

 

「暢気かお前は!? いいから早くしろ」

 

攻撃の余波がこちらに飛び火しないよう、防御の魔術を走らせながらカドックは叫ぶ。

ここが最奥ではなく迷宮の中腹であることも災いした。

敵は上からも下からも押し寄せてくる上、外から侵入してきたホムンクルスや自動人形に反応して迎撃用のゴーレムや亡霊までもが動き出している。

加えてこちらは大威力の宝具を使えないという制約も大きい。

ハイドのおかげで一時的とはいえ敵を押し返すことができたが、次もまたうまくいくとは限らないだろう。

 

「アンデルセン!」

 

「よし、完了だ。目当ての資料はおおむね解読できた。ついでに幾つか興味深い本もあった。個人的好奇心も充足したぞ。お前達、お手柄だ」

 

「なっ……」

 

この状況で目的以外の本も読み漁っていたとは、何て自由な男なのだ、この童話作家は。

 

「わたくし、自分の奔放さについては自負しておりましたが、これには適いませんな」

 

「吾輩も同じく、ここまで図太い神経はしていないと思いますが」

 

どの口がそれを言うんだとその場にいた全員が同じ思いを抱いたが、口にする余裕はなかった。

敵はまだまだ殺到してきているのだ。のんびり話している暇なんてない。

一行は力尽きて変身が解けたジキルを回収すると、一目散に出口へ向けて疾走した。

後ろからは次々と敵性体が集まってくるが、アナスタシアの冷気で通路ごと氷漬けにすることで足止めし、立ち塞がる敵はマシュが突貫して突破口を開く。

そうして一気に地上へと駆け上がると、カドックは地面に倒れ込みながらもメフィストに出口を塞ぐよう指示を飛ばす。

魔本が外に飛び出せば、また厄介な敵を増やすだけだ。

 

『……うん、魔本が外に飛び出た様子はないね。何とかミッション完了だ』

 

念のためきちんと塞がっているか確認し、アナスタシアにも抜け道がないか透視してもらう。

そうして安全を確認した後、一行はジキルのアパルトメントへと足を向けたのだが、道中で奇妙な違和感を感じ取った。

何がとは言えないが、町全体が重苦しい空気で満ちている。

魔霧による呼吸の阻害や魔力の影響とは違う、血生臭くて圧迫されるような気配だ。

喉元にナイフを突きつけられているような、雁字搦めにされて屠殺の順番を待たされているような、そんな感じだ。

これはあの時に似ている。

このロンドンに来て一番最初、切り裂きジャック(ジャック・ザ・リッパー)に襲われた時だ。

 

「よお、遅かったじゃねぇか」

 

「モードレッド!?」

 

アパルトメントの入口では、鎧姿のモードレッドが剣を支えにして立っていた。

何者かと戦闘を行ったのだろうか。鎧には血飛沫がこびり付いており、魔力もかなり消耗している。

それでも彼女は不敵な笑みを浮かべていた。

今にも崩れそうな体を必死で支えながら、父が愛した国の人間に無様な姿は見せられないと、精一杯のやせ我慢で口角を吊り上げていた。

 

「その傷はいったい、何があったんだい?」

 

切り裂きジャック(ジャック・ザ・リッパー)とやり合ったのさ。フランの奴が、バベッジを説得するって言って飛び出して……」

 

フランが危惧していた通り、チャールズ・バベッジは魔霧計画の首謀者のひとり、「B」であった。

彼はもう1人の首謀者である「M」によって操られており、自らの宝具の力でヘルタースケルターを増産する機械とされていたのだ。

残念ながら彼を洗脳から解く手段はなく、やむを得ずモードレッドは刃を向けたのだが、その最中に切り裂きジャック(ジャック・ザ・リッパー)が乱入してきたため、彼女はフランを庇いながら2騎のサーヴァントを相手にすることとなった。だが、フランが危険に晒されたことでバベッジの感情が洗脳の力を上回ったのか、土壇場で彼は切り裂きジャック(ジャック・ザ・リッパー)へと牙を剥き、2人を殺人鬼の凶刃から守るために己の宝具を暴走させたらしい。

結果、倒すには至らなかったが、深手を負った切り裂きジャック(ジャック・ザ・リッパー)はまたも霧の中へ姿を隠して逃亡したとのことだった。

 

「へへ、安心したら力が抜けてきた。少し眠るから、後は……」

 

「モードレッド!」

 

「すぐに部屋に運ぶんだ。みんな、運ぶのを手伝ってくれ」

 

力尽きたモードレッドを担ぎ、急いで部屋へと運び入れる。

手早く治療の準備を進めながら、カドックは奇妙な胸騒ぎを覚えていた。

魔霧計画の首謀者達は順調に倒していっているが、恐らくは計画に直接、関与していないであろう切り裂きジャック(ジャック・ザ・リッパー)が未だ野放しになっている。

恐らく切り裂きジャック(ジャック・ザ・リッパー)はパラケルススが倒された時点で既に魔霧計画の制御下にはなく、暴走状態に陥っているのだろう。

あの殺人鬼をどうにかしない限り、モードレッドのように背後を狙われる危険性が常に付きまとっている。

魔霧計画の枠外にいるイレギュラー切り裂きジャック(ジャック・ザ・リッパー)

それに対して自分に何ができるのか、カドックは頭を悩ませるのだった。

 

 

 

 

 

 

時計塔から戻ってきて数時間が経過した。

時刻は深夜、日付が変わった辺りだろうか。外は相変わらず霧に覆われていて昼夜を伺うことはできない。

傷ついたモードレッドは治療の甲斐があって一命を取り留め、今はジキルのベッドの上で眠りについている。

このアパルトメントが霊脈の上にあるということもあり、消耗の割に回復は早そうだ。

代償として立香の右手から令呪が一画消えることとなったが、彼は彼女の命が助かるのなら安いものだと言って快く了承してくれた。

 

「助かったよ、カドックくん。僕だけじゃモードレッドを救うことができなかった」

 

「いや、礼ならあいつに言ってくれ。僕は必要な処置をしただけだ」

 

令呪一画を用いてサーヴァントの霊基を修復する。

言葉にすれば簡単だが、そうそうできることではない。

確かにモードレッドは強力なサーヴァントではあるが、この先にどれほどの激戦が待っているかもわからない状況で、貴重な魔力リソースである令呪を躊躇いもなく捧げることができる立香の精神性は、魔術師からすれば異端以外の何物でもないのだ。

その選択が吉と出るか凶と出るかはわからないが、今はその行為が無為にならないことを祈ることしかできない。

 

「そうだね、藤丸くんにもお礼を言わないと。ははっ――くぅっ!!」

 

不意にジキルは胸を抑え込み、その場に座り込んだ。

駆け寄ると、額から玉のような汗が流れている。

呼吸も荒く、首筋に触れると異様な速度で脈打っていた。

尋常ではない状態にカドックは隣室にいる立香達を呼ぼうとしたが、ジキルはそれを手で制した。

 

「大丈夫……霊薬の、副作用だ。すぐに治まる」

 

「やっぱり、あの薬は……」

 

「僕の研究の集大成だ。人間の善と悪の心を切り離すために作り上げた秘薬。けど、実験は失敗だった。いや、確かに成功した。僕の心は2つに切り離され、ヘンリー・ジキルという人間から悪性は失われた。その代償として生まれたのが……ハイドだ」

 

本来ならば消え去るはずの悪性は、確固たる自我を持ってしまった。

それがエドワード・ハイド。ジキルの中に潜むもう一つの人格。

あの霊薬は服用することで眠っているハイドを呼び起こし、ジキルに絶大な力と強い解放感を与えてくれる。

同時に変身の際は骨格から変質するため、耐えがたい苦痛と強烈な副作用が襲いかかってくるらしく、服用後は倒れ込むことも多いのだそうだ。

 

「心臓が止まる程の劇薬さ。我ながら恐ろしいものを作ってしまったと震えているよ」

 

「そこまでして、自分から悪を取り除こうと?」

 

「ああ、人の心は単一のものじゃない。善と悪の2つから成り立っている以上、切り離すことは可能なはずだ。そうすればいずれ、この世界から犯罪をなくすことだってできるはず」

 

語られた言葉は余りにも空虚な響きに満ちていた。

その虚しさは見ていられないほど痛々しく、同情を禁じ得ない。

彼は本当にそんな風に思っているのだろうか。

 

「愉快ですねぇ。そんなことこれっぽっちも信じていないのに、薄っぺらい言葉で心に蓋をして。生きているの、辛くないですか?」

 

まるでカサブタをナイフで抉るかのような言葉がジキルに突き刺さる。

嫌らしい悪魔の笑みを浮かべたメフィストフェレスがそこにいた。

彼は新しい玩具を見つけた子どものように笑顔を向けながら、胸を押さえて苦しむジキルの顔を覗き込む。

 

「人の心から悪性を消す? 誰よりも悪に魅入られたあなたが、薬を使わなければ自分の善性を信じられないあなたが、よく言いますねぇ」

 

「メフィスト、口を慎め!」

 

「これは失礼。ただ、あまりに彼がどうでもいいことで悩んでいるようでしたので、つい口を滑らせてしまって」

 

「どうでもいいだって?」

 

悪を恥じ、善であろうとすることは正しいことだ。その願いをどうでもいいとこの悪魔は言う。

今も霊薬の副作用に苦しむジキルに対して、お前の悩みはくだらないと吐き捨てる。

 

「だってそうでしょう。悪があっての善、善があっての悪。光があるから影ができ、闇が暗いからこそ陽は輝かしいのです。眩しいだけの善なんて、真っ暗なだけの悪なんて、そこに何の意味がありましょう? そんなご都合主義がまかり通るお思いですか? 本当にそう思うのなら、どうしてそんなになるまで薬を飲み続けたのですかな、ジキル博士は。何故、(ハイド)を必要とするのですか、貴方は?」

 

「メフィスト!」

 

「いや、いいんだ。彼の言うことにも、一理ある」

 

「ジキル、けれど……」

 

「悪に魅入られた。そのことを恥じたからあの霊薬を作ったんだ」

 

当初こそハイドという別人格に自分の邪な部分を押し付けることで悪から解放されたと思っていたジキルではあったが、

やがてハイドが自身の制御を離れて凶行を働くようになると、自らの所業に恐れをなした。

自分は悪を切り離したつもりでいたが、実際は自身の悪性に力を与えてしまっただけなのではないのかと。

それでも霊薬を捨てられず、苦痛や副作用を承知で服用し続けてきたのは、そうしなければ自分の中の(ジキル)を信じられなかったからだ。

皮肉にも悪性を切り離したことで、彼は己のアイデンティティを喪失していることに気づいたのだ。

自分はハイドではないという忌避感がなければジキルでいられない。

だから、霊薬を手放すことができなかったのだ。

 

「楽しみですねぇ。(ジキル)が勝っても(ハイド)が勝っても破滅しかない」

 

「よせメフィスト。それ以上、喋り続けるならこっちにも考えがある」

 

「これは怖い。では、マスターに免じて今日はここまで。ゆめお忘れなきようにミスター・ジキル。自分が何者なのかをね」

 

邪悪な笑みを浮かべながらメフィストは隣室へと消える。

既に部屋からはいなくなったはずなのに、あの薄気味の悪い笑顔が空間に張り付いているかのように感じられた。

悪魔メフィストフェレス。

底の知れない反英雄は何を思い、何をしようとしているのか。

狂気そのものといえるその人となりを理解することは、ひょっとしたら永遠に叶わないのかもしれない。

彼は嘲笑い、誘惑し、人々の堕落を誘う。

誰が主につこうともその本質は変わらず、マスターとて例外ではないのだろう。

 

「カドックくん、彼は危険だ」

 

「……ああ、その通りだ」

 

そんなことは初めからわかっていた。

そう言えない自分が情けなかった。

 

 

 

 

 

 

「マシュ、モードレッドの様子は?」

 

「はい。霊基は安定していますので、後は目覚めるのを待つだけです」

 

「そうか。大事にならなくてよかった」

 

ホッと息を吐いて、立香は手近な椅子に腰かける。

未だ眠りから覚めないモードレッドの側には、フランがずっとついている。

自分を守るために彼女が傷ついたと思って落ち込んでいるのだろう。

昨日から一睡もすることなく看病――と言ってもただ側にいるだけだが――を続けている。

 

「これからどう動けば良いのでしょうか?」

 

「わからない。俺達だけで動くのは危険だし、モードレッドが起きるのを待つしかないのかな」

 

カドックはメフィストを伴って調べものに出ており、アナスタシアはジキルやシェイクスピアと何やら話し込んでいる。

土地勘のない自分達だけではロンドンの警邏にも不安があり、やるべきことが見つからない立香とマシュはこうしてフランの相手をしながらモードレッドの看病を続けるしかなかった。

 

『しかし、ここに来て切り裂きジャック(ジャック・ザ・リッパー)か』

 

通信の向こうからロマニの消沈した声が聞こえてくる。

あれからジキルが集めた情報によると、切り裂きジャック(ジャック・ザ・リッパー)は再び凶行を重ねているらしい。

ロマニ曰く、ダメージの回復や能力の低下を避けるために人を襲って魔力を補充しているのかもしれないとのことだ。

明らかに過剰に殺して回っているのは、手綱を握っていたパラケルススが消滅したことで抑制が効かなくなっているのかもしれない。

つまり、このまま野放しにしていてはナーサリーライムと同じように、多くの市民が犠牲になることを意味している。

問題は切り裂きジャック(ジャック・ザ・リッパー)をどのようにして捕らえるかということだ。

無軌道に殺して回っている割に頭が回るようで、奴は自分が不利な状況では絶対に襲ってはこない。

必ず誰かとチームを組んでいるか、標的が孤立している瞬間を狙ってくるのだ。

自分達が徒党を組んで街に繰り出しても、警戒して身を潜めることだろう。

 

「辛気臭い面だな。行き詰ったのなら風呂上がりに裸になって散歩してみろ。あまりの清涼感に叫びそうになるぞ。ちなみに、俺も執筆に詰まるとよくやる」

 

いつからそこにいたのか、優雅に紅茶を傾けながらアンデルセンが壁にもたれかかっていた。

彼は飲み干したカップを適当な机に置くと、未だに眠り続けるモードレッドを一瞥だけしてベッドの縁に腰かけた。

 

「なに、物語は動いている。作者の思惑から外れてな」

 

「何かわかったの、アンデルセン?」

 

「そんな訳あるか。ただ、執筆とは得てしてそういうものだ。不確定な要素によって思い描いた構想から逸れることはままある。今回の場合はお前達、そして切り裂きジャック(ジャック・ザ・リッパー)だ。癪ではあるが、あいつの存在がなければ消えていたのはモードレッドの方だろうよ」

 

確かに、切り裂きジャック(ジャック・ザ・リッパー)が現れなければバベッジが洗脳を振り切ることはなく、ひょっとしたらモードレッドが敗れていた可能性も大いにありえる。

言い換えるのなら、魔霧計画の黒幕はパラケルススとバベッジという2人の協力者を失いながらも、こちらの戦力を一騎も落とすことができなかったのだ。

 

「そういうことだ。だから、そう思い詰めるな。何、気分転換に俺の考察を聞かせてやろう。時計塔から戻ってからこちら、慌ただしくて話す暇がなかったからな」

 

そういえば、聖杯戦争のことを調べに時計塔へ出向いたのだった。

モードレッドの負傷で忘れていたが、その内容も非常に気になる。

 

「俺が気になったものは、そもそも英霊とサーヴァントの関係だ」

 

英霊とは人類史における記録、成果であるとアンデルセンは言う。

それが実在のものであろうとなかろうと、人類がある限り常に在り続ける。

例えば叛逆の騎士モードレッドやアンデルセンは確かに存在する一方で、佐々木小次郎やファントム・ジ・オペラのように正確には本人ではないケース、ナーサリーライムのように本来であれば存在しないものも人類史では等しく英霊として扱われる。

一方、サーヴァントは英霊を現実に在るものと扱う。

存在も不確かな人類史の英霊にクラスという器を当て嵌め、現実のものにした使い魔だ。

 

「だが、そんなことが人間の魔術師にできるだろうか。英霊を使い魔にする――これは強力だ。最強の召喚術だろう。だがそれは人間だけの力で扱る術式ではない。可能だとしたら、それは――」

 

人間以上の存在。世界、或いは神と呼ばれる超自然的な存在が行う権能であろう。

故にアンデルセンは聖杯戦争とは何なのかを調べるためにカルデアの資料に目を通し、時計塔にまで赴いた。

本来ならば人の手に余る所業が何故、各地にて行われているのかと。

 

「フユキだったか。その都市では聖杯の器を造り上げ、聖杯の力で英霊を召喚しサーヴァントとして競わせたようだ。俺が妙な引っかかりを覚えたのはそこだ。英霊同士に戦わせるというコンセプトに瑕がある。これはどうも、もう一段階裏がある。結果は読み通りだった」

 

時計塔でアンデルセンが見つけた資料の中に、それに関する記述があったらしい。

名を「降霊儀式・英霊召喚」。

一つの巨大な敵に対して、人類最強の七騎の力をぶつけるための魔術儀式。

それこそが聖杯戦争――サーヴァントシステムの原型なのだ。

 

「「儀式・英霊召喚」と「儀式・聖杯戦争」は同じシステムだが、違うジャンルのものだと言える。聖杯戦争は元にあった魔術を人間が利己的に使用できるようにアレンジしたものなのだろう。それがフユキで行われた聖杯戦争だ」

 

「な、なるほど……えっと、つまりどういうこと?」

 

「聖杯戦争には手本となるものがあるということだ。そして、その儀式で呼ばれる七騎にはどれほどの霊基が与えられているのか、俺はそれが気になっただけだ。何を期待していたんだ? 魔霧の謎が解けるとでも思っていたか?」

 

何かしらの突破口になればと期待していたのは事実なので、そう言われるとぐうの音も出ない。

 

「気になるのは、散逸していて然るべき資料までご丁寧に揃えられていたことだな。そういう時のためにカドックを連れてきたのだが、無駄になってしまった」

 

「俺達よりも先に、あの部屋に入った人間がいる?」

 

「というより、わたし達が来ることを予期して用意しておいてくれた、のでしょうか?」

 

「わからん。こればかりは棚上げ事項だ」

 

魔霧計画の首謀者や切り裂きジャック(ジャック・ザ・リッパー)がそんなことをするとは思えないので、時計塔の生き残りか未だ姿を見ていないサーヴァントか。

何れにしろ、この件は暗礁に乗り上げたままだろう。真相を探っている時間は自分達にはない。

 

「……ぅ……ぅん……」

 

「ゥ!?」

 

「モードレッドさん? 先輩、モードレッドさんが目を覚ましました!」

 

「ジキル達を呼んで来よう。藤丸、カドックにも連絡を入れておけ。ページを捲る頃合いだ」

 

傷ついた叛逆の騎士が目覚める。

それは霧の都における最終決戦の前触れとなるのか。

未熟な魔術師達がこの街で何を得、どのような結末を迎えるのか。

全ては霧の奥深くにて、今はまだ語る時を静かに待つのであった。




ロンドン編はもっと短くまとめられるかなと思っていたけど、まだまだ続きそうです。

というわけでひっそりと生き残っていたジャックちゃんとの対決が控えています。


イベントクリアしましたが、XXの第三再臨(?)は反則ですね。
主に足とか。
アルトリアシリーズ1人も持ってないので、PU3で引けると良いなぁ。


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死界魔霧都市ロンドン 第6節

モードレッドが目覚めた頃より遡る事数十分前。

カドックはメフィストを伴い、切り裂きジャック(ジャック・ザ・リッパー)によって惨劇の舞台と化したロンドン警視庁(スコットランドヤード)を訪れていた。

既に人気も途絶え、死が充満している建物は魔霧の影響もあって亡霊の巣窟となっていた。

その上、未だ切り裂きジャック(ジャック・ザ・リッパー)が野放しの状態で外に出ることは非常に危険ではあったが、カドックにはどうしてもここで調べなければならないことがあった。

 

「酷いものですなぁ。どこもかしこも素敵に血塗れで。我が家に持ち帰りたいくらいです」

 

「人間じゃサーヴァントには敵わないからな。ましてや相手は人殺しに特化した英霊。名うての魔術師でも成す術もなく殺されるのがオチさ」

 

「おや、ではアレの真名に心当たりが?」

 

「名の通りだろ。真名はジャック・ザ・リッパー。かつてロンドンを恐怖で震え上がらせた連続殺人鬼だ」

 

1888年、ホワイトチャペルを中心に何人もの娼婦を殺して回った殺人鬼。

被害者の数は5人とも数百人とも言われており、その正体も貴族、王族、医師、芸術家、狂人、ユダヤ人、果ては悪魔に至るまで様々な説が唱えられたが、残忍な手口に反して目撃証言は一切なく、当時の警察の杜撰な捜査、センセーショナルな事件に触発された模倣犯によるかく乱により事件は迷宮入り。真実が解き明かされることなく闇へと逃れた謎多き存在だ。

切り裂きジャック(ジャック・ザ・リッパー)がその正体なのか、それともその殻を被った別人なのかはわからないが、出没する場所や被害者の状態などから考えてジャック・ザ・リッパーである可能性は高いと言えるだろう。

ただ、気になるのはその正体だ。

相手がどのような能力を持ち、どう仕掛けてくるのか。

被害者の遺体や現場の状況を見れば何かわかるかもしれないと思い、カドックは危険を承知で調査に赴いたのである。

 

「男よりも女の方が損壊が多いな」

 

「そりゃ、ジャック・ザ・リッパーですからね。アレは娼婦を嫌いますから」

 

「窃盗で拘留されてただけの老婆まで殺しているんだがな…………やっぱり、ここも腹部を裂かれている。メフィスト、そっちは?」

 

「いやぁ、酷いものです。朝に食べたもの全部出ちゃいました。はい、これわたしの朝食です」

 

「いらない」

 

「……おっしゃる通り、腹部に裂傷がございました。署内にいた女性は全て、お腹を切り裂かれていますね」

 

凄惨な姿ではあるが、吐き気を堪えて調べてみると幾つかの違和感が見つかった。

ジャック・ザ・リッパーによって殺された者は全員、体を切り裂かれた上で心臓を抉り出されているのだが、その中でも女性は下腹部への損壊が非常に多かったのだ。

男性の遺体にも幾つか傷つけられたものはあったが、それらは途中で止められていたり単に致命傷となっただけであり、女性の遺体は全て死の前後を問わず刃物によって引き裂かれていた。中には裂いた後に腕を突っ込んで掻き回したと思われるものもある。

ある種の強い執着すら感じられるこの所業を、カドックはジャック・ザ・リッパーの正体に繋がるものではないのかと考えていた。

 

「見てくれ。壁の血痕が不自然に途切れている。ここと……ここもだ」

 

「1メートル前後というところですな。何かが置かれていたとか?」

 

「そうだとすると配置が不自然だ。床にも何かが置かれていた後はない」

 

「なるほど、誰かがそこにいたと。では、子どもですかな?」

 

「考えたくはないが、ジャック・ザ・リッパーの正体が子どもの可能性は十分にある」

 

元より相手はサーヴァント。子どもが人殺しなどしないという先入観は捨てるべきだ。

小人などの発達障害の線も考えられるが、先の遺体損壊の件と合わせて考えた場合、可能性は十分にある。

ジャック・ザ・リッパーの正体は子ども。それも強い母体回帰の念を抱いたまま死んだ哀れな子どもなのかもしれない。

ジャック・ザ・リッパーは母親の中に帰りたがっており、そのための女性の腹部を切り裂いていたのだ。

無論、生前のジャックが子どものまま殺人を犯したとは考えにくい。

親に捨てられたのか、虐待の後に殺されたのかはわからないが、その強い想いと執着が殺人鬼の殻を被ることでサーヴァントとして生まれたのが、ジャック・ザ・リッパーの正体なのだろう。

 

「メフィスト、お前の呪術でジャックに対抗できないか?」

 

「難しいでしょうね。できるできない以前の問題です。そこら中に呪いの痕跡がありますが、相手は相当の怨念を抱えているのでしょう。仮にわたくしが身代わりになったとしても、まず間違いなく、獲物を違えません」

 

生前の逸話から考えるに、ジャック・ザ・リッパーは女性への特攻を持っている可能性が高い。

なので、メフィストの呪術で対抗できないかと考えたのだが、彼はさもありなんとばかりに首を振る。

例え彼が女性に化けてもジャックは正体を見抜き、罠を警戒して身を隠すかもしれない。

ジャックを確実に誘き出すためには、誰かがその身を危険に晒さねばならないのだ。

 

「できますかな、あなたに。愛しい皇女様の身を危険に晒すことが。その命を代償に、功績を手にする覚悟がおありですかな?」

 

アナスタシアかマシュ、どちらかが囮となって殺人鬼を誘い出す。

きっとあいつはそれを戸惑うだろう。

我が身を危険に晒すことは厭わない。

敢えて困難な道を逝くことも躊躇わない。

けれど、大切な人の命を冷静に扱えるほど、彼は非情ではない。

ならば選択肢は最初から決まっている。

恐らくこの悪魔が望む形とは違う答えを。

立香からモードレッド覚醒の連絡があったのは、正にその時であった。

 

 

 

 

 

 

「なるほど、地下か。いくら地上を探しても見つからないはずだ」

 

時刻は夕刻。日没まで後もう少しといったところだろうか。

覚醒したモードレッドの霊基に異常はなく、魔力も十分に回復していた。

開口一番に語られたのは、魔霧計画の首謀者最後の1人、「M」についてだ。

バベッジは消滅の間際、モードレッドに魔霧計画の要である魔霧発生装置「巨大蒸気機関アングルボダ」のことを話していたらしい。

シティエリアの地下、地下鉄路線よりも更に奥深くに鎮座されたそれに組み込まれた聖杯が魔霧を生み出しているとのことだ。

 

「すまねぇ、俺の回復に時間を割いちまって」

 

「気にしなくていいよ、モードレッド。元気になって何よりだ」

 

「ああ。フラン、お前も気にすんな。ずっと側にいてくれたんだって? ありがとうな」

 

「……ゥ……ゥィ……」

 

フランの頭をごしごしと掻き回した後、モードレッドは立ち上がる。

彼女が目覚めた今、やるべきことは一つだ。

アングルボダを破壊し、魔霧計画を止める。

既にロンドンが孤立してから数日。市民も精神状態も限界に近いだろう。

最早、一刻の猶予もない。

 

「問題はジャック・ザ・リッパーだ。全員でのこのこと出ていけば、背後を取られる可能性が非常に高い」

 

敵も計画の要であるアングルボダを守るために強力な守りを敷いていることだろう。

突破に手間取っている隙を突かれ、各個撃破されてしまっては目も当てられない。

かといってジャックの討伐を優先しても、奴は姿を隠したまま出てくることはないだろう。

そして、悠長に探している時間もない。

誰かがジャック・ザ・リッパーを足止めし、その隙にアングルボダを破壊する。

現状ではこの作戦がベストであろう。

 

「では、ジャック・ザ・リッパーはわたしと先輩が。カドックさん達はその間にアングルボダを破壊してください」

 

「え、ちょっと、マシュ……」

 

「どうしました、先輩?」

 

「いや、別に……なんていうか、その……」

 

案の定、囮を買って出たマシュの言葉に立香は戸惑いを隠せずにいる。

頭では必要なこととわかっていても、気持ちが納得できていないのだ。

そして、どういう訳かマシュはこの手の感情に対して恐ろしく鈍感だ。

Aチーム時代にも自分をマスターの1人としてではなく、備品か何かのように扱っている節があった。

 

「少し落ち着け、藤丸」

 

「いや、でも……」

 

「お前の言いたいこともわかる。だから、この役は僕達が担おう」

 

「えっ……」

 

「アナスタシアが囮になる。彼女も了解済みだ」

 

ヤードからこちらに戻ってくるまでの間、ずっと考えていたことがある。

彼女を囮にすること自体は、早くに決心がついた。

元々、目的のためには手段を選ばない魔術師だ。必要とあらば冷徹に、非情な決断を下すことができる。

その選択肢が動かない以上、やるべきことは確度を上げることだけだ。

その決定に間違いはないか、リスクをどれほど減らすことができるのか。

少ない情報から割り出したジャック・ザ・リッパーの能力と行動原理、それらへの対策を練ることだ。

 

「僕の予測だが、このメンバーの中で最も襲われる確率が高いのがアナスタシアだ」

 

ここにいる全員がジャック・ザ・リッパーと対決した経験がある中、唯一、自力での対処ができなかったのがアナスタシアだ。

マシュもモードレッドも、どうしてそうなったのかまでは覚えていなかったが、それぞれの保有スキルによって致命傷を防いだらしい。

最初の襲撃の時も、たまたま気づけたから避けることができただけで、初手から全力で来られていたらメフィストの介入を待たずして倒されていただろう。

ジャックは狡猾だ。

一度でも仕損じた相手に同じ轍を踏むとは思えない。

 

「更にジャックは魔力を補充するために、魔術師を優先的に狙う可能性が高い。僕とアナスタシア、この組み合わせが最も襲われる確率が高いんだ」

 

ただし、奇襲を防げるかについては確信が持てないことは黙っておいた。

そうしなければこの2人は踏ん切りがつかない。

秘策があるとハッタリをかますことで迷いを断ち切らねば、アングルボダ攻略の際に後れを取るかもしれない。

 

「信じて良いんだね、カドック」

 

「……ああ」

 

「わかった。なら、後は頼んだよ」

 

「無理はしないでください、アナスタシア。こちらもできるだけ急いで、戻ってきますから」

 

「ええ。任せてください、マシュ」

 

 

 

 

 

 

夜が来る。

陽は姿を隠し、霧に包まれた街に暗黒の世界が訪れる。

往来を歩くは異形の群れ、人間達は建物の中で恐怖に震え、この夜が明けるのを待っている。

口の端が僅かに吊り上がる。

朝は来ない。

魔霧が世界を侵食する限り、明日も明後日も(平穏)は訪れない。

太陽は霧に覆われ、異形は人々を襲い、やがてこの街から人はいなくなる。

そうなってしまうと困るのだが、その時は街の外に出るしかない。

その方が食べ物には困らないだろうし、自分の母も見つかるかもしれない。

 

「おなかすいたなぁ」

 

無数のか細き声が重なり合う。

少女は屋根の上で、今夜の獲物が現れるのを待っていた。

魔霧に覆われ、人気の消えた街にひとり出歩く小さな少女。

娼婦のように露出の激しい装束と、腰に提げられた幾本ものナイフ。

彼女こそがジャック・ザ・リッパー。

この霧の街で毎夜、住民から安息を刈り取る殺人鬼。

その正体はホワイトチャペルを中心に活動していた娼婦達が望まぬ妊娠から堕胎した数万にも及ぶ子ども達の怨念の集合体である。

正確には怨霊の集まりがジャック・ザ・リッパーという殻を被っているのであって、彼女達自身は本当に自分達が彼の伝説の殺人鬼であったのかの自覚はない。

生前――と呼べるのかは怪しいが、そんな事件を起こした気もするし起こさなかった気もする。

だが、彼女は反英霊として人類史に刻まれ、この地に召喚されている。

呼ばれたからにはやるべきことは一つ。

自分達を生んだ母親を探すこと。

自分達が元いた場所へと戻ること。

聖杯も、特異点も、人理焼却すらも彼女達にとっては些末なこと。

その目的が果たせるのなら、どんなことでもするし誰とでも戦う。

だって、自分達はまだ生まれてもいないのだから。

 

「みいつけた」

 

大通りを歩く人間が1人。

見えなくともわかる。

そこにいるのは女性(おかあさんかもしれないひと)だ。

髪が長い。

ドレスを着ている。

霧の中をゆっくりと、こちらに向かって歩いてきている。

何て隙だらけなのだろう。

あれならどこからでも解体できる。

もう往来を出歩く人なんていなくなったのに、何て奇特な人なのだろう。

それとも罠だろうか。

自分達の邪魔をするあの魔術師達の仲間だろうか。

だんだんと見えてきたあの顔には見覚えがある気がする。

 

「此よりは地獄。わたしたちは炎、雨、力――」

 

一抹の躊躇が脳裏を過ぎるが、空腹と慕情が体を後押しする。

敵ならば殺す、母ならば解体する。

これでいい。難しく考える必要はない。

魔術師ならばお腹が膨れるし、母ならばあの場所に還れるかもしれない。

 

「殺戮をここに。『解体聖母(マリア・ザ・リッパー)』――!!」

 

屋根のヘリを蹴って跳躍し、腰のナイフを引き抜く。

生まれることのできなかった数万の子ども達の怨念が宿ったこのナイフは、真名解放と共に必中の宝具となる。

ただし、そのためには霧の夜であることと、相手が女性であることが必須。

しかる後に殺人は行われ、後に残るのは無残にも切り裂かれた死体だけとなる。

後は腹を裂き、心臓を抉るだけで全てが終わる。

発動した宝具を止められる者は誰もいない。

 

「――っ!?」

 

瞬間、怖気が背筋を駆け抜けた。

視られている。

今、正に飛びかからんとしている相手がジッとこちらを視ている。

その視線は、まるで絡みつく蛇のように体を蝕み、吐き気にも似た不快感が込み上げてくる。

吸い込まれるような瞳が怖くて目を逸らしたかったが、瞼が縫い付けられたかのように視線が結ばれる。

既に落下が始まった体は視線から逃れることができず、標的に対してまっすぐに落ちていくしかなかった。

今まで、一度としてこんなことはなかった。

何故と疑問に思う時間はない。

止めろと叫ぶこともできない。

気づいた時には手にしたナイフがドレスの上から腹部を引き裂き、その代償として自身の手足が動かなくなった。

受け身も取れずにジャックは地面を何度も転がり、民家の壁に激突することでようやく自分に何が起きたのかを理解した。

手足が凍り付いている。

凍結などと生易しいものではない。どす黒く染まった四肢は肉体を構成するエーテルから壊死が始まっていた。

出血もなく、痛みもなく、感覚すら死んでいる。

右手はまだ辛うじて動くが、左腕は既に肘から先が千切れてなくなっていた。

心臓が止まらなかっただけでも奇跡だ。

 

「令呪を捧げる。皇女よ、その霊基を癒せ」

 

揺れる視界に誰かが映り込む。

その男の右手が仄かに輝いたかと思うと、たった今、切り裂いたばかりの女性の傷がまるで巻き戻るかのように塞がっていった。

 

「どう……して……」

 

「あなたの宝具は呪いなのでしょう。ジャンヌ・ダルクと比べるのもおこがましいですが、私にも聖人としての適性はあります。例えそれで耐えることが無理でも、私のヴィイはバロールの系譜に連なるもの。傍流とはいえその視線は直死に等しい呪いとなる。相打ちを覚悟すれば、視線に飛び込んできたあなたを呪い返すことなど造作もありません」

 

目の前の女性が何かを言っているが、頭に入ってこない。

自分が知りたいことはそんなことではない。

自分が傷ついている理由など知りたくもない。

この女が生きている理由でもない。

何故、そんな選択を取ることができたのかということだ。

死ぬのが怖くないのか。

生きたいとは思わないのか。

自分という存在がこの世界からなくなってしまうことが、恐ろしいとは思わないのか。

 

「最初から……相打ち……で……」

 

「死の恐怖なんて、あの時に――私が死んだあの瞬間に、凍り付いてしまったわ。ええ、怖くはありません。生も死も望まない。そんな気持ちはとっくに手放してしまったのだから」

 

噛み締めた奥歯が砕けた音が耳朶に響いた。

壊死寸前の足に力がこもり、背中を小刻みに震わせながら立ち上がる。

今、あの女はなんて言った?

生も死も望まない?

そんな気持ちはとっくに手放した?

そんなふざけた話があってたまるか。

生きたいという気持ちに貴賤はないはずだ。

死にたくないという願いに間違いはないはずだ。

その思いは等しく尊く、かけがえのないもののはずだ。

なのに、この女は、凍り付いた心でそれを否定した。

自分達の願いを否定した。

まだ生まれてもいない、願うことすらできなかったジャック・ザ・リッパー(わたしたち)を否定した。

 

「ころして……やる……ころして……ころして……ころす!!」

 

怒りで表情を歪ませながら、ジャックは動かぬ指をナイフの柄へと添える。

一触即発。

張り詰めた空気が霧に覆われた通りを支配する。

その時、どこからか拍手の音が聞こえてきた。

 

「なかなかに良い見世物だった。或いは唾棄すべき悲劇なのだろうが、諦観に至った我が胸に響くことはない」

 

影の中から蟲が寄り集まり、ひとりの人間の姿を形作る。

青い髪、赤い瞳、生気が抜けた色白の肌。全身を黒いコートで覆ったその男は、眉間に深い皺を寄せながらこの場にいる者達を一瞥する。

その表情は何かに憤っているかのようにも、深い絶望を抱いているようにも見えた。

 

「令呪によって強化された魔眼による呪いの相殺とは恐れ入ったよ。一つ間違えれば自分が死ぬかもしれないというのに。彼の報告ではもう少し憶病な男だと思っていたのだがね」

 

「あなたは……蟲……人間じゃないの?」

 

「偽りの身で失礼。私自身はこのロンドンの地下深く、巨大蒸気機関アングルボダと共にいてね。そろそろ君達のお仲間と対面している頃だろう」

 

「そうか。なら、お前が……「M」か」

 

「私はマキリ・ゾォルケン。この魔霧計画に於ける最初の主導者である。そして――――」

 

霧の奥から新たな影が出現する。

黒い道化の衣装を纏ったその男は、白面を狂気に歪ませながら恭しく一礼した。

 

「ゾォルケン様の忠実なる僕、キャスター――メフィストフェレスでございます」

 

鈍い光が霧の空に走る。

それはメフィストフェレスが携えた巨大な鋏。

堕落を誘う最悪の悪魔は、霧の夜の街でついに、その正体を露にするのであった。




我が夏は終わった。
焦らした上に来てくれないなんてあんまりだぜBBちゃん。
課金はお財布と相談かな。3周年で既に課金済だから迷うところですが。


追記
BBちゃんきたよ。
弓持ってて熊のマスコットがいるけど、バインバインだし月の女神だし間違いないよね(お目目ぐるぐる)


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死界魔霧都市ロンドン 第7節

そもそもの出自を考えれば、この結末は必然であった。

ファウスト伝説におけるメフィストフェレスはあの手この手でファウストの堕落を誘う最悪の悪魔であり、最後には悪逆として倒される敵対者としての側面を持つ。

言うならば生まれついての反英霊。罪科を成して人類史に刻まれたのではなく、その在り方そのものが一つの悪として世界に許容された存在だ。

そんな男が自発的に人類史を救うなどという善行を成す訳がない。

 

『カドック、藤丸達と一緒にいたメフィストの反応が急に消えた。何か――』

 

「落ち着け、ムニエル。今、目の前にいる」

 

ゆっくりと、静かにカドックは現実を受け入れる。

信じたいという気持ちはあった。

どんな形であれ人類史に刻まれた英雄だ。人理焼却という未曽有の事態に力を貸してくれると、心のどこかで思っていた。けれど、カドックは既に知っている。輝かしい功績を遺した英雄ですら、時には悪辣な手段に訴えるのが聖杯戦争だ。

ましてやメフィストはキャスター――魔術師のサーヴァント。

目的のためには手段を選ばない、この世界で最も信用してはならない人種だ。

 

「おや、意外と冷静ですね」

 

「お前に隠す気がなさすぎなんだ。ああまで露骨に悪さをしていたら、どんなお人よしでも睨みくらいは利かせるさ」

 

「いえいえ、わたくしは通常運転でございましたよ。あなた様の葛藤は実に見応えがありました。個人の功績なんて小さくてみみっちくてどうでもいいものに振り回されて、仲間の和をかき乱したり危険を承知で張り切って行動したり。いやあ、欠伸が出るくらい退屈でくだらない喜劇でした。どうせなら下手を打って自滅したり、仲間同士で手柄の奪い合いなんてしてくだされば最高でしたのに」

 

ニヤニヤと笑いながら、メフィストは手にした鋏の刃に舌を這わせる。

ようするに、この男はカルデアを内側から崩壊させるための爆弾だったのだ。

自分と立香を仲違いさせ、孤立させた上で罠に嵌める。

結果的に未遂で済んだが、ロンドンの調査が長引いていればどうなっていたのかわからない。

だが、そうなると一つ、気になる事がある。

隙を突く機会などいくらでもあったにも関わらず、メフィストは正体を表すまで一度として害意を向けてくることはなかった。

言葉で煽るばかりで、誤情報などで罠に嵌めるといったことも可能だったはずだ。

 

「ああ、それはあちらの皇女様の魔眼に睨まれていましてね。下手なことをすれば彼女、我が身を省みずにわたくしを亡き者にしたでしょう。生死に執着しない人間というものは恐ろしい。わたくしの嫌いなものリストの項目が1つ増えました」

 

「なるほど、お前の宝具とアナスタシアの眼は相性が悪いわけか」

 

「ええ、我が宝具『微睡む爆弾(チクタクボム)』もまた呪いの一種。彼女に睨まれては不発弾と化しますからね。ですので、こうして姿を表しました。呪えぬのなら実力行使あるのみ。わたくし、好戦主義でして。ああ、皇女様を呼んでも無駄ですよ。手負いとはいえあの娘達もジャック・ザ・リッパーに連なる者。足止めくらいはやってのけるでしょう」

 

ふっと気配が消えたかと思うと、背後から酷薄な言葉が聞こえてくる。

振り返ると、メフィストは分解した鋏の刃物の側を使ってジャグリングを始めていた。

お前なんていつでも殺せるんだという脅しのつもりなのだろう。

実際、如何に強い力を持った魔術師といえどサーヴァントには敵わない。

木の棒で戦車に挑むようなものだ。

そして、自分のサーヴァントは霧の向こうでジャック・ザ・リッパーと死闘を繰り広げている。

伝わってくる感覚から察するに、優勢なのはアナスタシア。だが、ジャックも壊れかけの体を酷使して食い下がっており、合流は容易ではないだろう。

こちらは魔霧の影響もあり、長時間の戦闘は困難だ。

手持ちの礼装と護符、そして切り札となる令呪は残り一画。

それらの使いどころを誤ることなく、この場を乗り切れるだろうか。

 

「戯れはそこまでにしろ、メフィストフェレス。魔術師は生き汚い生き物だ。さっさと始末しろ」

 

無慈悲な死刑宣告が思考を中断する。

命じられたメフィストは心底やる気がないかのように落胆した顔でばらした鋏を組み立て直すと、一転して嬉々とした表情で長い舌を見せびらかした。

獲物を前にして興奮を抑えきれない獣の顔だ。

これからその体をバラバラに分解し、逆さづりにして血抜きした上で並べて晒してやるという悪辣な魂胆でも考えているのだろう。

それとも悪魔らしく魂ごと喰おうとしているのか。

 

「では、短いお付き合いでしたね、元マスター!!」

 

鋏が振り下ろされるのと、こちらが魔術を行使したのはほぼ同時であった。

魔力を下肢に流して筋力を高めるシンプルな強化魔術。使用後の筋肉痛を度外視すればアスリート並みに動きができるはずだ。

それはつまり、どうやってもメフィストの攻撃を避けきれないということを意味している。

人の領域ではサーヴァントには敵わない。

踏み込みと共に全力で上体を逸らし、鋏の切っ先を避けようとしても、僅かに鼻先を掠めてしまう。

それだけでこちらはおしまいだ。攻撃が届くということ自体が致死の危険に至る。

1秒後には顔面を切り裂かれ、無残な骸と化した自分が路地に転がっているだろう。

顔を逸らすことで稼いだ、コンマ1秒に割り込んできた者がいなければ。

 

「ヒャッハー!!」

 

振り抜かれたナイフがメフィストの鋏を受け止める。

その隙にカドックはバックステップを踏み、両者から大きく距離を取った。

 

「俺様ちゃん参上! 何だよ、今夜は殺し放題(クリミナル・パーティー)って聞いたのによォ、殺して良いのはこいつだけかよ!」

 

「これはこれはハイド氏。アパルトメントでお留守番ではなかったのですか?」

 

「へっ、裏切ることが分かり切っている奴がいるのに、何もしねぇ馬鹿はいねぇっての!」

 

両手をナイフに添えてメフィストを押し返したハイドが叫ぶ。

獰猛な顔つきは時計塔で初めて見た時と同じだが、今回は幾分、狂気が抑え気味のようだ。

内部からジキルが働きかけ、彼が暴走しないようにしているのかもしれない。

そして、何故ジキルがハイドとなってここに現れたのか。

それはカドックとアナスタシアが、メフィストを警戒するよう彼に依頼したからだ。

メフィストが敵側のスパイなのだとしたら、致命的な場面で裏切る可能性が高い。

ジャック・ザ・リッパーの再動が確認されてから、それを懸念した2人は戦力を二分する必要が出た際に遊撃的に立ち回れる第三軍として、ジキルを頼ったのである。

そのためにカドックは敢えて危険を冒してメフィストを外に連れ出した。

ヤードの探索はジャックの正体探しだけでなく、メフィストの気を引いている隙にアナスタシアがジキル達への協力を仰ぐ時間を作るために行ったのである。

無論、メフィストがあのタイミングで暴発するような堪え性のない男なら意味を成さない、薄氷を踏むかのような作戦であったが。

 

「わたくし、スパイ失格ですね」

 

わざとらしく落胆する素振りを見せながらメフィストは言い、切り裂かれた腕の傷に見せびらかすように掲げて見せる。ハイドの怪力はメフィストの鋏を押し返しただけでなく、その勢いのまま更に踏み込んで一太刀を浴びせていたのだ。加えて手にしているナイフからは僅かではあるが宝具に似た神秘の気配が感じ取られた。

 

「ただのナイフではないな。シェイクスピアの加護か。援護はいるかな、メフィスト?」

 

「いえいえ結構。ご老体はご無理をなさらずに」

 

「助かるよ。本体がバルバドスを召喚したのでこちらに回せる魔力はほとんどない。できることといえば――――」

 

ゾォルケンの腰から下が膨れ上がったかと思うと、無数の蟲の群れが這い出てきた。

魔術によって使役された特殊な蟲だ。獰猛で肉食動物すらたちまち食い尽くしてしまうほどの食欲を有している。

油断すればあっという間に食いつかれて骨まで貪り食われるだろう。

咄嗟に虫払いの結界を張ることで蟲の進軍を食い止めるが、こちらの力量では持って数分といったところだろうか。

 

「蟲使い……ヴィクター博士を殺したのは、まさか――」

 

「そうだ、私が彼を殺めた。彼は真相に近づき過ぎてしまったのだ。我が魔霧計画の真の狙いに」

 

「っ……魔術師でも、お前はこの時代に生きた人間だろう。どうして人理焼却なんて――」

 

「我らが王がそう決めたのだ」

 

「それは、彼の魔術王のことか!?」

 

「語るには及ばんよ。君も諦めたらどうだ。何をしたところで全ては未到達のまま終わる。何を救おうとも、その先から続く未来は焼き払われている。我らが王が、これ以上の無様は見たくないと、そう結論付けたのだから。だから――――君も諦めろ」

 

冷たく、鋭く、それでいて哀れを感じるほどの空虚な言葉が胸に突き刺さる。

まるで果てまで続く砂漠を視ているかのようだ。

乾ききったその心にこの世界は灰色に見えているのだろう。

ゾォルケンはこれ以上の抵抗は無意味だと、何をしても無為に終わるから諦めろと言う。

その言葉を受け入れることができればどんなに楽だろうか。

結界の外には蟲達が綻びを食い破らんと群がっており、それを防ぐ為に魔術回路を全力で回して軋む結界を補強する。

その苦しみは口と瞼を開きっぱなしにしながらルームランナーを走るようなものだ。

生成された魔力は狭すぎる導線を抉じ開けながら汲み上げられていき、秒単位で肉体が崩壊していっているのだ。

既に指先は毛細血管が潰れて黒く変色を始めており、視界も何度か赤く点滅している。

この苦しみから解放されるのなら、諦めて蟲に喰われてしまった方が何倍もマシだろう。

それでも、自分が諦めるという選択肢を取ることはないだろう。

 

「断る」

 

「そうか……では、死ね」

 

結界の一部が食い破られ、そこから何十匹もの蟲が内部へと殺到する。

カドックは予め用意しておいた炎の術式を展開し、自分が火傷を負うのも承知で飛びかかってきた蟲を焼き払ったが、何匹かは炎に耐性がある蟲なのか、絡みつく炎を意にも介さず結界内を飛び回っている。そして、囮としてばら撒いた攻撃誘導の礼装を瞬く間に噛み砕くと、その矛先を新たな獲物であるカドックへと向けるのだった。

逃げ場のない結界内を、それでもカドックは懸命に駆け回り、衝撃波を放って蟲の群れを吹き飛ばすが、次々と押し寄せる蟲達が相手では対処が追い付かない。

飛び回る蟲を魔力で砕き、腕で払い、踏み潰し、そしてとうとう背中が結界の端にぶつかって動きが止まった瞬間、一匹の蟲がカドックの左手に噛みついた。

 

「――――!!」

 

悲鳴は言葉にならなかった。

あるべき隔たりがそこにはなく、手の平のど真ん中に大きな風穴が空いている。

咄嗟に指の骨が折れるのも承知で左手ごと地面に叩きつけて蟲を押し潰すが、更に新たな蟲が手に足に絡みついており、気味の悪い金切り音にも似た鳴き声を上げている。

全身の至る所に噛みつかれ、脳が思考を拒否するほどの痛みにカドックはのた打ち回る。

打つ手がない。

積み重ねてきた血統の重さが違う。

自分の力量ではこの男には、マキリ・ゾォルケンには敵わない。

せめてこの万分の一でも才能があればと思わずにはいられない。

最後の手段は、残された一画の令呪でアナスタシアを呼ぶことだけだ。

なのに、胸の奥へ燻る何かがそれを拒む。

体はこんなにも痛くて苦しんでいるのに、ゾォルケンの濁った瞳を――何かに絶望し諦めてしまった者の眼差しを覗き込んだ瞬間、焼けるような熱が全身を駆け巡った。

 

「ふざけ……る……な……」

 

痛みを怒りで誤魔化し、目の前の男を睨みつける。

彼が何に絶望したのかはわからない。知りたいとも思わない。

分かり合おうとも思わない。

だから、この男の言葉にだけは耳を貸さない。

自分は絶対に諦めないと、まだ動く右手の令呪を掲げて見せる。

眩い輝きがそこにあった。だが、それは令呪の発動ではない。

令呪に根付いた魔術回路の回転に呼応して、そこに逆流するほどの魔力が体内に渦巻いていたからだ。

方向性を持たずに暴れ回るだけの魔力に対して、カドックは半ば無意識で術式を紡ぎ、体に群がる蟲達へと解き放つ。

炎から一転、吹き荒ぶ冷気と化した魔力の渦は蟲達を瞬時に凍り付かせ、結界の外にまでその影響を及ぼす。

限界を超えた術式の行使は、今まで作業的に蟲の使役を行っていただけのゾォルケンの表情を僅かに強張らせるほどのものであった。

代償はカドック自身の体の損壊。

特にボロボロの左手は治ったとしてもまともに動くかわからない。

それでもカドックは冷気を緩めず、ゾォルケンをまっすぐに睨み続けた。

その怒りに呼応するように、サーヴァント達の戦いにも動きがあった。

 

 

 

 

 

 

破綻した二重人格者と道化師の戦いは、まるで密林の片隅で起こる肉食獣同士のそれであった。

互いの得物が悉く空を切り、目まぐるしく立ち位置が入れ替わる。

視界も嗅覚も聞かない魔霧の中で、メフィストは曲芸師のような立ち回りで翻弄するのだが、ハイドは持ち前の殺人衝動に突き動かされるまま追従する。

結果、両者は動きに反して互いに無傷であり、ただ悪戯に体力だけが消耗されていくだけであった。

当然、それはハイドにとって好ましい状況ではない。

ジキルのハイドへの変身は一時的なものだ。

変身薬の多用により、その時間はかなり長くなってきているが、それでもこの体の持ち主はまだジキルなのである。

このまま戦いを長引かせていては時間切れで自分の負けだ。

 

「どうしました、息が上がりましたか?」

 

「うるせェ! 黙ってねぇとその舌、切り捨てるぞッ!!」

 

「カンに障りましたか? 破綻者はこれだから。焦らなくても夜は長いですよ、とてもね」

 

「ふざけやがって! ぶっ殺すッ!!」

 

こちらに時間制限があることに気づいたのか、盛大に煽るメフィストに対してハイドは奥の手を解禁する。

魔霧で喉が焼けるのも構わずに大きく息を吸い込み、聞く者に恐慌を与える魔の叫び。

それは宵闇で騒めくカラスの鳴き声と、病に狂う野犬の咆哮、爪先でガラスを擦るような金切り音、発情した猫の求愛、金属を叩きつける音などがない交ぜになった、この世の全てのおぞましき音を煮詰めた特大の不協和音。

その叫びを聞いた者は等しく体の自由を失い、成す術もなく凶刃にその命を刈り取られる。

そのはずであった。

 

「な……に……!?」

 

ナイフを翻した瞬間、動けなくなっていたのはハイドの方であった。

何とか体を捻って致命傷を避けるが、がら空きの胴体を蹴り飛ばされたハイドは受け身も取れずに近くの民家に激突し、そのショックでジキルに戻ってしまう。

 

「何故……ハイドの叫びを聞いて、動けるんだ……」

 

「皇女様と同じです。呪詛返しというやつですよ。邪視や不浄な音は最も古典的な呪いですからね、返させて頂きました」

 

得意げに語りながら、メフィストはゆっくりとこちらに近づいてくる。

このままとどめを差すつもりなのだろう。

ジキルは咄嗟に懐に忍ばせていた予備の変身薬に手を伸ばすが、不運なことにそれは先ほどの転倒のショックで瓶が割れてしまっていた。

残っているのは腰に提げている金属製の水筒のみであり、この中にはまだ調整をかけていない変身薬の原液が入っている。

以前、定量の薬だけでは変身できなかったことがあり、それ以来持ち歩くようにしていたのだ。

本来ならばこれを薄めて使用するのだが、今は悠長に分量を量って希釈している暇はない。

普段の量でも心臓が破裂しかける程の劇薬を原液のまま飲めばどうなるか。

ハイドから戻れなくなるどころの話ではない。最悪、飲んだ瞬間に呼吸が止まってしまうかもしれない。

 

「もうおしまいですか? なら、苦しまずに死んでくださいね。わたくし、平和主義者ですので、争いごととか実は大嫌いでした。ああ、勝手に死ぬ分には構いませんよ。待っていますから」

 

ケラケラと笑いながらメフィストは鋏を振り回す。

向こうも薬のことに気づいたのだ。

わざわざ飲む時間を与えてくれたのは、余裕の表れだろうか。

ふと視線をカドックに向けると、彼は無数の蟲達に纏わりつかれて地面をのた打ち回っていた。

生きながらに肉を貪り食われる感覚なんて想像しただけでゾッとする。

彼には申し訳ないが、あのマキリ・ゾォルケンという男は強大だ。

全力を出せない分身体故にまだ辛うじて食い下がっているが、本体が来ていればとっくに死んでいたであろう。

ここまでなのかと諦めの念が脳裏を過ぎる。

その時、カドックが体を蟲に苛まれたまま立ち上がった。

至る所を噛み千切られ、傷ついていない場所を探す方が難しいくらいだというのに、彼はまっすぐにゾォルケンを睨みつけながら右手の令呪を掲げている。

その姿の何て眩しいことだろう。

そこにはジキルが渇望してやまない、人としての尊厳の全てがあった。

 

(ああ、その礎になれるのなら、悪くはない)

 

痛みを絞り出すように肺から息を吐き出し、壁に手をついて立ち上がる。

右手にはシェイクスピアのエンチャントによって宝具もどきと化した名もなきナイフ。切りつければサーヴァントとて傷つけられるだけの力がある。

懐にはアンデルセンから渡された数枚の原稿用紙。彼の宝具によって作られたその詩文はほんの少しの幸運を呼び込みやすくする。

そして、左手に持った変身薬の原液が入った水筒。口で器用に蓋を開けると、躊躇う事無く全てを飲み干す。

 

「ほう……正気とは思えませんね。自ら(ハイド)(ジキル)を差し出すとは、とうとう屈しましたか?」

 

「ああ、悪に見入ってしまったあの時から、僕はもう正気ではないのだろう。そして、()では君に勝てないのなら、今だけは喜んで(アイツ)に全てを差し出そう」

 

空の水筒が落下し、乾いた音を立てて転がった。

瞬間、沸騰するような痛みが全身を駆け抜け、ジキルの思考は粉微塵に吹き飛んだ。

変身は一瞬で完了する。

苦しむかのように体を屈ませたかと思うと、上半身が二回りも膨れ上がった。

肥大した筋肉に耐えきれずシャツは弾け飛び、露になった上半身はまるで直立した熊か獅子のようだ。

顎は狼のように前へと突き出し、歯は剣山のように鋭く伸びた牙と化し、広がった手の平はナイフが子どもの玩具に見えるほどのかぎ爪に変化していた。

そして、双眸は悪魔の如き深紅の輝きを携えていた。

 

「さあ――『密やかなる罪の遊戯(デンジャラス・ゲーム)』の始まりだァ!」

 

咆哮するやいなや、怪物と化したハイドは地を疾駆した。

 

 

 

 

 

 

氷柱と吹雪が霧を払い、小さな暗殺者を追い立てていく。

怒りに突き動かされたジャック・ザ・リッパーは己の霊基が破損するのも構わずに疾駆し、アナスタシアへと攻撃を仕掛ける。

既に残っていた右腕も使い物にならず、凍傷と過負荷によって千切れる寸前の両足もまともに機能していない。

それでもアナスタシアに対する怒りだけを胸に、ジャックはナイフの柄を口に咥え、民家の壁を縦横無尽に飛び回っていた。

否、それは最早、壁に目がけて激突を繰り返してるようなものであった。

確かにアナスタシアは体のあちこちを切り刻まれているが、致命傷には至っていない。

対してジャックは満身創痍。このまま何もしなくとも霊基の崩壊によって自滅することだろう。

ロンドンを震撼させた連続殺人鬼としては余りに呆気ない最期であった。

故に、ジャックは残された時間をこの一瞬にのみ賭けていた。

跳躍の全てが必殺を狙った一撃。

消滅の前に目の前の皇女だけでも殺すという強い執念がジャックを突き動かしていた。

 

「アナタダケハ……ユルサナイ……コロス……コロス……」

 

それは最早、ジャック・ザ・リッパーというサーヴァントと呼べるものではなかった。

その本質である怨念そのものとなって、残された力の全てを解き放ってくる。

しかし、哀しいことにそれでも皇女の魔眼には敵わなかった。

動きの全てを見切られ、凍らされ、切り刻まれる。

そうして遂に、ジャックであったものは動かなくなった。

 

「これで、おしまいね」

 

肩で息を吐きながら、アナスタシアは油断なくジャックを睨みつけたまま空中に氷柱を作り出す。

撃ち放てば傷ついたジャックの霊基は粉々に打ち砕け、抵抗も敵わず消滅するだろう。

ジャック・ザ・リッパーはこれで詰みだ。

だが、とどめを差そうとした瞬間、アナスタシアの手が止まった。

ジャックの頬を伝う一筋の光を見てしまったからだ。

 

「どうして……わたしたちはただ、帰りたかっただけなのに…………わたしたちは、生まれちゃいけないの? どうして消えなくちゃならないの?」

 

その姿に、生前の最期の瞬間。死の直前の自分達ロマノフ家の姿が重なり合う。

あの時だってそう。誰一人として死を望んではいなかった。

明日を夢見て、傷つき絶望しながら死んでいった。

即死を免れた自分は、その瞬間を最期まで視ていた。

 

「っ……それでも」

 

「それでも、何なのかな?」

 

か細かったジャックの声が突如として跳ね上がり、その姿が霧の中へと消えていく。

氷柱を放った時には遅かった。ジャックは完全に霧に紛れて姿を隠してしまう。

それは同時に、この戦いの終了をも意味していた。

如何なるスキルか宝具によるものなのか、戦いが終わればジャック・ザ・リッパーに関する記憶は全ての人間から等しく消え去ってしまう。

先ほどの涙は離脱の隙を作るための演技だったのだ。

恐らく、こちらの記憶が消えた瞬間を見計らってもう一度奇襲をしかけてくるつもりなのだろう。

その前にジャック自身が消滅してしまう可能性もあるが、真っ向勝負で勝てないのならば、それしかないと己に賭けたのだろう。

幼い顔をして何て冷徹な判断力だ。

 

「マスター!」

 

無駄と分かりつつも必死で記憶を繋ぎ止めながら、ゾォルケンと戦うカドックに呼びかける。

彼は全身を蟲に喰われ、火傷と凍傷でボロボロだったが、奇跡的にまだ生きていた。

この状況で彼はまだ諦めていない。

ならば、自分がするべきことは変わらない。

カドックの力になり、彼の人理修復を完遂する。

 

「令呪を以て命ずる――」

 

傷だらけの右手が、眩い輝きを放った。




匙加減難しいなゾォルケン。
イメージとしては雁夜VS時臣みたいな感じです。
勝敗は逆だけどね。


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死界魔霧都市ロンドン 第8節

一方、その頃。

シティエリアの地下深く。

本来ならば存在しえないはずの大空洞にて、叛逆の騎士と盾の少女の戦いは佳境に差し掛かっていた。

迎え撃つは禍々しい眼を携えた肉の柱。天まで突かんとするかのように天井を貫く巨体を誇り、異形の肉腫を脈打たせる魔神柱バルバドス。

それは魔霧計画の首魁、マキリ・ゾォルケン自らが変貌した姿であった。その後ろにはこのロンドンに魔霧を送り出している巨大蒸気機関アングルボダが鎮座しており、バルバドスの戦いを見守りながら、止まることなく魔霧を生み出していた。

アングルボダが吐き出す魔霧は時間と共にその濃度を増しており、それはいくつにも枝分かれした地下通路を伝ってロンドンの至る所に満ちていく。

暗く、冷たく、淀んだ魔霧はゾォルケンの諦観の象徴。

彼は自身が抱いた諦観を静かにロンドン中へと広げ、その崩壊を目論んでいるのだ。

だが、その目論みもここに来て破綻の兆しを見せていた。

協力者であったパラケルスス、バベッジは脱落し、要であるアングルボダの場所も突き止められてしまった。

ロンドン――否、英国全土の破滅まで後もう少しというところであったのに。

 

「――――!!」

 

声なき声と共に焼却式が解き放たれ、無数の火柱が地面を焼き尽くす。

波打つ炎の壁は大地を抉りながら相対する2人の騎士に襲いかかり、咄嗟に前に出たマシュの盾にぶつかって激しい熱気を周囲にぶちまけた。

余波だけで魔力に酔う程の炎熱は、しかしマシュの盾を突破することができない。

未だに真名もわからず、限定的な力しか引き出せていないが、マシュは人理修復への使命と、己のマスターを守るという強い意志で炎に耐え抜き、続く叛逆の騎士へとバトンを繋ぐ。

 

「モードレッドさん!」

 

「おお!」

 

マシュの背後で、重厚な鎧を纏った騎士は、むせ返るような熱気と魔力が渦巻く戦場で自らの宝具『不貞隠しの兜(シークレット・オブ・ペディグリー)』を解除した。

兜が瞬時に展開し、荒々しくも美しい素顔を露となる。同時に手にした魔剣『燦然と輝く王剣(クラレント)』が赤黒く変色し、刀身の一部が左右に展開する。

振り上げられた魔剣はモードレッドが秘めた父への憎悪が形となり、巨大な赤雷の剣へと一変。未だ炎を吐き出し続ける魔神柱に向けて、裂ぱくの気合と共に振り下ろされた。

 

「これこそは、わが父を滅ぼし邪剣! 『我が麗しき父への叛逆(クラレント・ブラッドアーサー)』!!」

 

雷が、炎を切り裂いた。

赤黒く明滅する鮮血色の雷光は、バルバドスの焼却式を飲み込み、凌駕した上でその肉塊を真っ二つに両断する。

すぐさま破損した部位を接合し、再生を図る魔神柱であったが、モードレッドの攻撃はそれだけでは終わらない。

振り切られた雷光は一ヶ所に止まり、天頂目がけて吹き上がる魔力の柱と化す。

この魔剣は終わりの象徴。叛逆の王たるモードレッドが振るうそれは、正しく全てを終わらせる破壊を呼び起こすのだ。

赤い光は再生が始まったバルバドスを飲み込み、アングルボダの一部を融解させ、周囲の地形すら変えながら視界の全てを赤く染め、それが収まった頃には、巨大な肉の柱は完膚なきまでに焼き払われていた。

 

「魔神柱、消滅を確認!」

 

「まだだマシュ、モードレッド! ゾォルケンはまだ――!」

 

立香の言葉は最後まで続かなかった。

魔神柱を倒され、追い詰められているはずのゾォルケンの周囲に膨大な魔力が渦巻き始めたからだ。

それはアングルボダに組み込まれたことで、魔霧に溶け込んだ聖杯の魔力。

ゾォルケンの最期の意志を受けて、とある術式を受け取った魔霧は、抑止の輪より1人の英霊を呼び出さんと活性化を始めたのだ。

 

「……汝、狂乱の檻に囚われし者……我はその鎖を手繰る者――汝三大の言霊を纏う七天!」

 

「させるか!」

 

モードレッドが跳ぶ。

抉れた大地を蹴り、一直線にゾォルケンへと手にした魔剣を突き立てる。

魔力放出すら伴ったその跳躍は、人の目では追うこともできない音速の衝撃。

純銀の刀身を赤く染めながら、諦観の蟲使いは成す術もなくその命を終えるはずであった。

だが、ゾォルケンの詠唱は止まらない。

心臓を潰されながらも、死が己に達する直前まで意志を持ち続け、最後の一節を読み上げる。

それがマキリ・ゾォルケンという男の最期であった。

 

『魔霧が活性化を始めている。彼の詠唱が呼び水となって、不完全な術式を補完しているんだ。魔力反応増大! サーヴァントが――――』

 

ロマニからの通信が途絶える。

否、それを聞いていた者達の意識が途絶えたのだ。

爆発するかのような魔力の奔流と共に現れた1人の男によって放たれた雷電。

その衝撃でマシュ達は吹き飛ばされ、瓦礫の下敷きになって動けなくなってしまう。

後に残されたのは、召喚されし主なきサーヴァント。

星の開拓者。

ニコラ・テスラだけであった。

 

 

 

 

 

 

その時、全てが動いた。

自身の圧倒的な不利を悟った殺人鬼が、霧に紛れて皇女の暗殺を狙う。

記憶が消えゆく刹那の間際に、皇女は己が主に願いを乞う。

諦観の蟲使いは、本体からの魔力供給が唐突に途絶えたことで己の死を察する。

二重人格者は異形となりつつある巨体を振り回し、一瞬ではあるが己を嘲笑う悪魔を押し返す。

最後のマスターの1人は、敗北の寸前でありながら己が矜持のために右手を掲げ、倒れる寸前の前のめりの姿勢で従者に命令を下す。

その一部始終を悪魔は見つめ、移り変わる盤面を楽しむかのように哄笑する。

全ては、一瞬の出来事であった。

 

「令呪を以て命ずる――その眼でジャックを暴け、キャスター!」

 

冷気を纏い、駆け出しながらカドックは叫ぶ。

瞬間、彼の右手から最後の一画が消え去り、その魔力によって強化されたアナスタシアの透視の魔眼は魔霧の底へと逃げ延びたジャック・ザ・リッパーの姿を捉えた。

即ち、戦闘はまだ継続している。本来ならば姿もスキルも何もかもを忘却してしまうジャックの「情報抹消」スキルは意味を成さず、気配を消すことに残った力の全てを注いでいたジャックには逃げる余力すら残されていない。

例え姿が見えず、探知すらできぬほどの微弱な魔力であったとしても、彼女の気配遮断スキルすら貫通した精霊の眼は、驚愕するジャックの体を瞬く間に凍てつかせ、断末魔の悲鳴を上げる暇すら与えずに完全に消滅させた。更にその余波は周囲で蠢く蟲達すら駆逐し、結界を飛び出したカドックが駆ける道を作り出す。

一方でハイドは怪物染みた怪力でメフィストを強引に突き飛ばし、腰だめに構えた右手のナイフで最後のとどめを差さんと迫る。

薬の影響で肉食獣のような足へと変化したハイドの疾走はサーヴァントに迫るものがあり、態勢を崩されていたこともあってメフィストは避けることができず、鋏で攻撃を受け止めることを選択する。

確かに恐ろしい怪力ではあるが、それでもハイドは生きた人間。過ぎた力の行使は肉体への負荷という形で表れており、メフィスト自身が手を下さずとも後数度、攻撃を捌き続けるだけで彼は動けなくなるだろう。

アナスタシアの援護も距離の関係で間に合わない。

故にメフィストは冷静に鋏を振り回し、ハイドの攻撃を受け流す。

その瞬間、音を立ててメフィストの得物である鋏が2つに割れ、ハイドの攻撃を弾いた勢いで明後日の方向に飛んでいく。

驚く狂人と悪魔。

2人は気づいていないが、先ほどの一撃は偶然にもメフィストの鋏の刃を繋いでいる固定具の部分を破壊しており、その衝撃で鋏が分解したのである。

そして、この状況においてもメフィストは哄笑の面を外さず、動いたのも僅かにハイドの方が早かった。

 

「シャッ――!!」

 

がら空きの胴体にハイドのナイフが迫る。

ゾォルケンとカドックは同時に動いた。

数匹の蟲が鋸のような歯を鳴らせながらハイドを屠らんと飛翔し、それを阻まんとするカドックが術式を走らせる。

耳障りな羽音が見えない何かにぶつかりながら消えていった。

高速で飛び回る蟲を撃ち落とすなんて芸当はカドックにはできないため、広範囲に向けて攻撃性の魔力を放ちながら石畳の路地を駆けるしかない。

しかし、それでは自分よりも速く動く蟲達の全てを潰すことができない。

このままではハイドが殺される。

躊躇の時間もなく、カドックは一か八か残った魔力の全てを両足に集中して大地を蹴った。

撃ち落とすことができず、普通に走っていては間に合わない。

ならば、我が身を盾にして蟲を受け止めるしかない。

そうして伸ばした左手は、ほんの僅かではあるが蟲の進行を阻む形となり、その一瞬の差で勝敗は決した。

ハイドのナイフがメフィストの胸に深々と突き刺さり、その直後にカドックの手を食い破った蟲が無防備なハイドの背中に噛みつく。

絶叫し、痛みにのた打ち回るのはハイドの方。メフィストは自分の胸に突き立てられたナイフを静々と見下ろしながら、楽しそうに笑うばかりであった。

 

「メフィスト、何をしている!」

 

アナスタシアの冷気がゾォルケンを襲い、咄嗟に彼は魔術で防壁を張って防ごうとする。

だが、万全な状態ならいざ知らず、本体からの魔力供給が失われた今の状態ではせいぜい時間を稼ぐことが精一杯であった。

 

「メフィスト、彼らを殺せ!」

 

「いやぁ、そうしたくとも先ほどの一撃で霊核を傷つけられましてね。わたくし、もう死に体なのです」

 

「ならば私を喰らえ、分け身に残った我が魔力を持っていけ!」

 

「ええ、そうですね。分身とはいえあなたほどの魔術師の魔力ならばしばらくは保つでしょう」

 

「なら、早く――」

 

「お断りします」

 

ニヤリと、邪悪な笑みを浮かべてメフィストは言う。

今までも人をからかったり煽ったりする時に笑みを浮かべることはあったが、この笑顔は今までのそれとは一線を画す。

人の尊厳なんてものに心底から価値を見出せない、ただただ玩具が壊れいく様を楽しむだけのどす黒い感情。

溜まりに溜まったフラストレーションを爆発させた瞬間に訪れる、感情が振り切った状態。

醜悪で残忍で残酷なメフィストフェレスの本性がそこにはあった。

 

「何を驚いた顔をされているのですかな、マスター? わたくしは悪魔でございますよ。然るに裏切るのは当然の帰結。そもマスターとサーヴァントの関係は契約者を破滅させるか、契約者に騙されるかの騙し合いでしょう」

 

笑いながらメフィストは胸に突き刺さったままのナイフを弄び、更に傷口を深く広げていく。

まるで自分から死期を早めるかのように。

 

「魔霧をロンドンで満たす、結構。それを彼の英霊の力で英国全土に広げて人理定礎を破壊する、実に結構。未来に屈し立ち向かうことを止めたあなた様に相応しい悪逆です。ですが少々、回りくどいと言いますか、ぶっちゃけ面白みがない! わたくしとしてはもっと愉快な楽しみが欲しかったのですよ。どうです、昇りきる寸前で梯子を外された気持ちは? 実に楽しいでしょう? 何をどうしてもあなたにできることはない。彼の英霊は彼らに倒されますよ、きっと」

 

「貴様――この、最悪の悪魔め!」

 

憤怒の形相を浮かべたゾォルケンの体が弾け飛ぶ。

メフィストが残った力で宝具を使い、彼を爆散させたのだ。

同時にメフィストの消耗は致命的なものとなり、加速度的に消滅は速まっていった。

 

「ここまでのようですな。いや、実に退屈な演目でしたが、最後の最後で本懐を遂げられてなにより。この楽しみだけは譲れませんね」

 

「メフィスト、お前はいったい――――」

 

「わたくし、ただのアクマです。こういう英霊も1人はいるということをゆめお忘れなきよう、カドック様。あなた様も退屈さでは彼に負けていませんが、それでも足掻こうとする姿は弄り甲斐があった。機会があれば次は、あなたを破滅させたいですな。いや、するでしょうねきっと」

 

それがメフィストフェレスという悪魔の本性だと、彼は締めくくる。

例え記憶を失い、新たに召喚されたとしても変わらない。

自分はマスターを騙し、貶める存在であるとメフィストは言う。

そう言って、彼は霧の都から姿を消した。

 

「チッ、殺し損ねちまった。何だよ、ツマンネーな」

 

体に纏わりついた蟲を潰しながら、ハイドは立ち上がる。

一瞬、襲われるかとカドックは身構えたが、彼は特に何をするでなく大きく息を吐きながら手近な民家に背中を預けた。

 

「ハイド?」

 

「ジキルだ。ハイドは引っ込んだよ。体の方は、どうやらもう少しの間はこのままらしい」

 

自虐気味に笑うジキルに対して、カドックはかける言葉が思いつかなかった。

小説においてジキル博士は最終的にハイドから元に戻る手段を失い、その命を絶つ。

これだけの無茶をしたのだから、彼の肉体と人格は致命的な破損を被ったことであろう。

恐らくは今後、ジキルで居続けるために彼は薬を飲み続けなければならなくなるはずだ。

これが本来の歴史にどのような形で組み込まれるかはわからない。

全てがなかったことになるのか、事実は事実として残るのか。

何れにしろ、1人の人間の人生を狂わせたことに変わりはなかった。

 

「ジキル、僕は――」

 

『カドック、大変だ! 藤丸――』

 

『――僕が言う! 大変だカドックくん!』

 

突如、空中に映し出されたホログラムが明滅してムニエルとロマニの顔が数度入れ替わる。

カルデアからの通信だが、どうやら相当な混乱が起きているようだ。

 

「ドクター、何があったんだ?」

 

『マキリ・ゾォルケンが英霊を召喚した。今、地上に向かっている!』

 

「藤丸達は? 無事なのか?」

 

『ああ、マキリ・ゾォルケンを倒したけれど、死の間際に召喚の儀式を行われてしまったんだ。そいつが魔霧を活性化させる力を持っていて、密集地帯――ロンドンの上空に達すれば、英国中に魔霧が広がることになる』

 

都市に充満した魔霧を一気に英国全土に広げ、人理定礎を破壊する。

それが魔霧計画の全貌だったのだ。

手間と時間がかかる上に目当ての英霊を引き当てねば事が進まない。

確かにメフィストが言うように面白みのない計画だ。

 

『藤丸くん達も追いかけているけれど、召喚された英霊の方が速い。君達も辛いかもしれないが、何とか地上付近で足止めをして欲しい! でないと、人理修復は不可能になってしまう!』

 

簡単に言うなとぼやきたくもなるが、ロマニの尽力をよく知るカドックは言葉にせずに無言で立ち上がった。

傷の治療は魔術刻印が半ば自動で行ってくれている。動く分には支障はない。それよりも治療に必要な魔力が足りない。

カドックは足りない魔力を補充するために、カバンから取り出した霊薬をまとめて飲み干すと、背後にいるジキルに振り返った。

 

「ジキル、僕達は――」

 

「いいよ、この体のおかげで傷はすぐに塞がるさ。僕のことは気にしないで、行って英国を守って欲しい」

 

「すまない――キャスター、いくぞ!」

 

「肩を貸します。しっかり掴まって」

 

華奢なアナスタシアの体に体重を預け、霧に包まれた通りを疾駆する。

ここまで短い時間での連戦が続いたのは、冬木以来だろうか。

あの時よりも確実に自分達は強くなってきているが、それでもこの消耗はかなりの痛手だ。

果たして、ゾォルケンが召喚したサーヴァントとは如何なる英霊なのであろうか。

 

『情報をそっちに送ろう。敵性サーヴァントはニコラ・テスラ。神の怒り――電気を地上にもたらした、星の開拓者だ』

 

 

 

 

 

 

ニコラ・テスラ。

十九世紀から二十世紀にかけて活躍した発明家。

比類無き天才。現代のプロメテウスとも称され、現在の主な電力システムたる交流電流技術を実用化に導き世界に光をもたらした星の開拓者。

エジソンとの電流戦争を制したことで自らの交流発電を推し進め、その結果として文明の英知を引き上げた。

彼という存在がなければ今日の科学文明はここまで発展していなかったであろう。

紛うことなき天才。

カドック・ゼムルプスという男とは全てが真逆の存在だ。

その男が今、自分の前に立ち塞がっている。

マキリ・ゾォルケンによって狂化を施され、人理定礎を破壊するための最後の一押しを実行するために。

 

「来たか! 未来へ手を伸ばす希望の勇者たち。残念ながら私は君たちと戦わねばならん! 何せ、今の私はそういう風に出来ている」

 

地下鉄の入口から優雅に歩いて姿を現したニコラ・テスラは、こちらを一瞥するなりにこやかな笑顔を向けてくる。

言葉とは裏腹に学者らしくない屈強な肉体は戦闘態勢に移りつつあり、全身に煌びやかな雷光を纏っている。

やはり、電気文明を生み出した功績が昇華され、電流を操る能力を持っているようだ。

しかも発せられた雷電は周囲の魔霧と結合し、ニコラ・テスラを守る鎧のように全身を覆いつくしている。

生身の人間ならば触れただけで致死するレベルだ。サーヴァントでも無事ではすまないだろう。

 

「カドック、いける?」

 

「僕のことは気にするな。身を守るくらいの力は残っている。それよりもあの魔霧だ。あれを吹き飛ばさないと、あいつを傷つけることすらできない。君の宝具で吹き飛ばせ」

 

「ええ、了解したわ、マスター」

 

星の開拓者に向けて、アナスタシアは静かに敵意を向ける。

距離にして数十メートル。まるで西部劇の決闘だ。

抜き身のまま向かい合った両者は、視線と雷電、それぞれの得物をいつでも解き放てられるように身構えながら、互いの様子を観察し合う。

 

「ほう、人の英霊か。麗しのレディ、このような不躾な作法をお許しください。今の私は正気であって正気でない故、あなたにもこの雷霆を向けざるをえない」

 

「気にしなくて構いません、ニコラ・テスラ。あなたの事情は重々承知しています」

 

「それは重畳。加えて興味深い眼をお持ちのようだ。平素ならば是非とも交流を深めたいところだが、生憎と今はそれも叶わない」

 

狂化の影響を抑えられる限界が訪れたのだろう。

ニコラ・テスラはゆっくりと腕を構えると、周囲の雷光を集束させていく。

同時にアナスタシアも背後から強大な黒い影、ヴィイを現出化させて重い瞼を持ち上げる。

呪いを纏う視線が、神を打ち砕く雷霆が、真正面からぶつかり合う。

 

「魔眼解放、『疾走・精霊眼球(ヴィイ・ヴィイ・ヴィイ)』!」

 

「神の雷霆はここにある、『人類神話・雷電降臨(システム・ケラウノス)』!」

 

互いの宝具がぶつかり合い、空間すらも震撼させるほどの魔力の爆発が起きる。

衝撃を直に受けたカドックの体は堪らず地面を転がり、視界が何度も上下に揺れた。

威力は互角。否、弱所を見抜く、生み出すという魔眼の効果もあり、僅かにアナスタシアの方が優勢だ。

しかし、それ以上の追撃を仕掛ける余力が彼女にはない。

確かに活性魔霧を吹き飛ばすことはできたが、決定打を与え切る前に再び魔霧が体を覆ってしまう。

懸命に冷気を生み出し、氷柱や氷塊をぶつけるものの、時間と共に元の状態へと戻っていくことを止めることができない。

 

「はははっ、善戦していたようだがここまでか! では、麗しのレディ。やんごとなき身の上の方とお見受けしますが、どうか失礼!」

 

放たれた雷光の矢がアナスタシアの体を貫き、倒れ伏した体がバネのように大きく跳ねる。

如何な英霊といえど、あの電流をまともに受ければただでは済まない。

例え肉体的な損傷はなくとも、激しい痛みと肉体の痙攣は免れないのだ。

 

「アナスタシア!?」

 

カドックは僅かな魔力で冷気を紡ぎ出すも、それはアナスタシアとは比べるもでもないほど弱々しく、ニコラ・テスラの歩みを止めることはできない。

彼はこちらの存在など認識していないかのように、涼やかな顔で攻撃を受け止めながら、恭しく一礼して踵を返す。

もう戦いは終わったと、そう言わんばかりに。

それがカドックの癪に障った。

自分はまだ倒れていない、まだ戦える。

まだできることはある。

なのにあの天才は、もう勝ち目はないとこちらを見もしない。

何度やっても自分の勝利は揺るがないと確信している顔だ。

何人もの天才、エリート、数多の魔術師達が自分に向けてきた蔑みと同情が入り混じった眼だ。

 

「まだだ、まだ――」

 

傷ついた体を押して立ち上がり、立ち去ろうとする背中に追いすがらんとする。

それは自殺行為だ。

サーヴァントですら触れられぬ魔霧を纏ったニコラ・テスラに近づけば、魔術師であっても瞬時に分解されて消滅するだろう。

だが、カドックは諦めるという選択肢を取ることができなかった。

こちらに背を向け先を逝く姿が、惨めに慟哭する自身の姿が、過去に何度も味わった挫折と重なったからだ。

こんな結末に納得ができるはずがない。

無様に空を仰ぐのではなく、前のめりで前に進みたい。

彼ら(天才)の領域に、自分でも辿り着けるのだと証明したい。

その願いだけがカドックの体を突き動かしていた。

 

「まだだ、まだ終わっていない。僕でもできるはずなんだ!」

 

「ああ、その通りだ」

 

倒れた体を大きな腕が受け止める。

ローマで出会ったスパルタクスを髣髴とさせる逞しい二の腕。

乱れた前髪の隙間から覗いた顔はサングラス越しであっても整えられた端正な顔立ちであることがで伺える。

金色の髪や顔立ちから察するに西洋人であろうか。

彼はこちらを安心させるように少しだけ腕に力を込めると、ハッキリとよく通る声で話しかけてきた。

 

「お前はまだ折れちゃいねぇ。けど、大事なパートナーを泣かせるのはよくねぇことだ。まあ後は任せな、ウルフボーイ」

 

そう言って男は傍らにいた和装の少女にカドックを託し、巨大な斧を担いで去り行くニコラ・テスラを追う。

何らかの魔術をかけられたのだろう。少女から暖かい熱が伝わってきて、体から痛みが引いていく。

感覚がなくなっていた左手にも活力が戻ってきた。動きはぎこちないが、食い破られた傷が急速に塞がっていき、千切れた神経までもが紡がれていく。

これほどの治癒を短時間で行うなど、並の魔術師でできることではない。

ならば、彼女もまたサーヴァントなのだろうか。

 

「動かないで。まったく、魔術師だからってここまでの無茶をする馬鹿がありますか。お隣のお姫様に免じて傷の治療は致しますけれど、リハビリはご自分でしてくださいましね」

 

「ああ、すまない……アナスタシア」

 

「はい」

 

「彼の助けを……僕の代わりに……」

 

「ええ、わかりました」

 

スッと立ち上がったアナスタシアが男の後を追う。

後はただ、事態の行く末を見守ることしかできなかった。

 

「誰かがオレを呼びやがる。魔性を屠り、鬼を討てと言いやがる。悪鬼を制し羅刹を殴り! 輝くマサカリ、ゴールデン!」

 

「貴殿もまた人の英霊か。そしてその霊基は雷神の――」

 

「おお、足柄山の金太郎(ゴールデン・ジャック)とはオレのこと! 名乗りたくはねえが名乗らせてもらうぜ。英霊・坂田金時――只今ここに見参だ」

 

戦いは一進一退の様相であった。

立て続けに放たれる電撃を、金時は強靭な肉体で耐え抜きながら前進する。

活性魔霧に捕まれば霊核をも蝕まれてしまうというのに、彼は臆することなく前へ踏み出し、自慢の斧を一閃する。

ただのそれだけで魔霧の一部が吹き飛んだ。電流を纏った金時の一撃は、魔霧の防御を突き抜けてニコラ・テスラの体へとダメージを与えている。

しかし、その一撃の代償として金時は激しく傷ついていた。

霊核の軋みがここからでもわかる。

同じことを何度も続ければ、あっという間に霊核を砕かれて消滅してしまうであろう。

やはり魔霧を払わねばニコラ・テスラを倒すことができない。

故にアナスタシアの冷気が迸る。

彼女の視線が、魔力の氷が、ニコラ・テスラの纏う魔霧を相殺し、金時の攻撃をサポートする。

やがて、何度目かのぶつかり合いが起こったかと思うと、ニコラ・テスラの体が揺らいで致命的な隙が生まれた。

 

「今だプリンセス、オレっちに合わせな!」

 

「ええ、今度こそあの魔霧を晴らす。『疾走・精霊眼球(ヴィイ・ヴィイ・ヴィイ)』!」

 

「こっからはゴールデンだ! 吹き飛べ、必殺! 『黄金衝撃(ゴールデンスパーク)』!」

 

視界が黄金色に染まる。

誰もが勝利を確信した。

ヴィイの魔眼は確かにニコラ・テスラの纏う魔霧を払い、そこに金時の最大の一撃が入った。

これで倒れぬサーヴァントはいない。誰もがそう思った。

だが、次の瞬間、倒れ伏していたのはアナスタシアと金時であった。

迸る閃光。

再び放たれたニコラ・テスラの宝具『人類神話・雷電降臨(システム・ケラウノス)』が金時の宝具の威力を削いだことで、彼は致命傷を免れたのだ。

完全に払われたことで魔霧が再び活性化するまで時間がかかるようだが、アナスタシアと金時の方がダメージが大きく、動くことができない。

ニコラ・テスラはそれを確認すると、こちらにとどめを差すことなくロンドンの天上を目指す。

自らの雷霆で魔霧を異常活性させ、英国を滅ぼすというゾォルケンの目的を果たすために、稲光で造り上げた階段を一段一段、ゆっくりと昇っていく。

 

「キャスター――アナスタシ……ア――!?」

 

倒れたアナスタシアに近づこうとした瞬間、喉と胸が強烈な痛みを訴え出した。

焼けるようなこの痛みは魔霧によるものだ。ジキルのアパルトメントを出る前に用意していた護符は全てが黒ずんでおり、その効果を失っている。

残った魔力では生命維持が精一杯で、とてもニコラ・テスラを追えるような状態ではない。

事ここに至って、本当の意味で限界が訪れたのだ。

 

(くそっ……なんで、なんで僕だけ……)

 

視界の片隅に見知った顔が映り込む。

立香とマシュだ。モードレッドと共にニコラ・テスラを追ってきたのだろう。

彼らも死線を潜り抜けてきたようだが、自分のように魔霧の影響を受けてはいない。

藤丸立香だけが、このロンドンで魔霧の影響を受けずに活動することができる。

 

(なんで、こいつだけ……どうして、僕じゃないんだ……)

 

悔しさに歯噛みする。

魔霧への耐性がない。

この一点において自分は彼に劣る。

これを才能の差と呼ぶのは違うのだろうが、それでも今だけは納得ができなかった。

命まで賭けてゾォルケンを打ち倒し、ニコラ・テスラをも追い詰めた。

追い詰めることしかできなかった。

否がおうにも手にしたバトンを託さねばならない。

ちっぽけなプライドが慟哭し、自分はここまでだと現実が告げる。

 

「藤丸……後は、頼む」

 

もう一度、悔しさを噛み締めるように、その痛みを忘れないように、胸に刻み付けながら、カドックは手を伸ばした。

 

「うん、後は……任された」

 

掬いあげるように差し出された立香の手と自分の手が重なり、その勢いのまま地面の上に倒れ込む。

見上げた先では立香がマシュ、モードレッドと共にニコラ・テスラの後を追うべく雷の階段を昇る姿があった。

遥か天上で繰り広げられる死闘、紡ぎ出される新たな神話。

星の開拓者を打ち倒すその光景を、カドックはアナスタシアと共に遥か彼方の地上から見上げることしかできなかった。




4章は後1話くらいで終わりそうです。
はい、つまり乳上の出番はありません。
4章はカドックに悔しい思いをさせる章と考えていたのでこういう話運びになりました。


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死界魔霧都市ロンドン 最終節

ロンドン上空で繰り広げられた戦いは、立香達の勝利で終わった。

星の開拓者ニコラ・テスラ。そして、彼の雷電とモードレッドという存在を触媒に連鎖召喚された嵐の王(ワイルドハント)の具現、アーサー王を退け、英国の人理定礎破壊を目論んだ魔霧計画は遂に終焉となった。

後は地下大空洞のアングルボダに組み込まれた聖杯を回収すれば任務は終了だ。

魔霧も治まり、やがて特異点は本来の時間へと修正されることだろう。

 

「本当に大丈夫なの、カドック?」

 

「何度も聞くな、大丈夫だ」

 

立香に肩を借りて歩きながら、カドックは苛立ちの混じった声を上げる。

このやり取りはこれで4度目だと心の中でため息を吐く。

マキリ・ゾォルケンとの戦いで負った負傷は、坂田金時と共に現れたサーヴァント――玉藻の前の呪術によってほぼ元通りに治療されており、魔霧対策にしても立香達が戦っている間に安全な屋内で術式を施し直したのでしばらくは大丈夫だ。

体力だけはどうにもならないのでこうやって肩を借りているが、何も心配されるようなことはないはずだ。

蟲に食い破られた傷や骨折も、対処の為に放った魔術であちこちにできていた火傷や凍傷も見た目だけは綺麗に取り繕われており、不自然な個所はどこにも見当たらない。

本人の力量もあるのだろうが、これだけのことができるとなると東洋の呪術も馬鹿にできないものがある。

ただ、損壊が大きかった左手だけは感覚が鈍く思うように指が動いてくれない。蟲に喰われたり盾に使ったりと無茶をした代償だ。

詳しいことはカルデアに戻ってからロマニに診断してもらわなければわからないが、ひょっとしたらずっとこのままの可能性もある。

生活や研究に支障はないが、ギターを弾けなくなるかもしれないと思うと少しばかり心が沈んだ。

その気持ちを払拭しようと、カドックはわざと大きな声を張り上げる。

 

「聖杯は機械に取り付けられているんだろう? この中で誰か安全に取り外せる奴はいるか? 魔術的な仕掛けなら僕が何とかする。それくらいはやらせろ!」

 

そんな風に声を荒げてしまうのは、このロンドンではそれほど任務に貢献できていない気がするからだ。

魔霧によって活動を制限され、魔霧計画の首謀者を1人も倒すことができなかった。

後方支援も立派な仕事なのかもしれないが、結果的に立香ばかりを矢面に立たせてしまったことが情けなくて仕方がない。

自分に魔霧を無力化できるだけの強い力があればこんなことにはならなかったし、協力してくれたジキルにも無茶をさせずに済んだかもしれない。

そして、思考の行きつく先はいつも同じだった。

もしも立場が逆ならば、自分は立香と同じことができたであろうかと。

パラケルススを、魔神柱バルバドスを、ニコラ・テスラとアーサー王を、倒すことができたのかと。

今までならばすぐにでも即答できた。

あいつにできるのなら自分にもできると。

けれど、今は答えることができない。

こんな不甲斐ない姿を晒していることが悔しくて、目に見える成果を残した立香が堪らなく妬ましい。

だから、カドックは黙って心に蓋をする。

意識すればまた、出会ったばかりの頃に抱いていた黒い感情が思い出してしまう。

まだ彼を認めることができなかった、あの時の気持ちを。

 

「おお、ようやく英雄達の凱旋ですな」

 

「まったく待ちくたびれたぞ。後で茶でも淹れろ、そして何があったか聞かせろ」

 

「よお、作家先生達の話し相手はオレっちにはちょいとヘビーだったぜ」

 

「いえいえ、あなたの場合、INTが低いだけではありませんか?」

 

大空洞にはいつの間にか、この特異点で出会ったサーヴァント達が終結していた。

アンデルセン達は執筆が佳境だからと決戦には不参加だったが、ここにいるということは作品が書きあがったのだろうか。

ニコラ・テスラと一戦を交えた金時にいくつも質問を浴びせており、辟易している姿を見た玉藻は少し離れたところから茶々を入れている。

騒がしいやり取りを見ていると、先ほどまで人類史の命運を賭けて命のやり取りをしていたのが馬鹿らしく思えてくる。

 

「あら、お身体はもうよろしいので?」

 

「おかげさまでね。ここまで元通りに結合するとは驚いた」

 

「千切れた場所を無理やり繋げただけですので、足りない栄養はちゃんととってくださいましね。お身体、かなり軽くなっているはずですから」

 

どこか超越的な雰囲気を醸し出しながら、玉藻は言う。

確か、玉藻の前というのは極東の島国を荒らした妖狐の名前だっただろうか。

本来ならば魔獣や亡霊の類が気紛れでも力を貸してくれたことにはただただ感謝しかない。

でなければ、自分は残る3つの特異点を前にしてこのロンドンでリタイアすることになっていただろう。

 

「いえいえ、袖すりあうも多生の縁と言いますし、わたくしは今回、ほとんど傍観の立場でしたしね。善行の一つでもしておかないと、出てきた意味がないというか――――」

 

何かを言いかけて玉藻が口を紡ぐ。

振り向くと、隣でアナスタシアが怖そうな目をして彼女を睨みつけていた。

 

「あらあら、先約の方がおられましたか」

 

「凍らされたくなければ月にでも帰りなさい、陽の狐」

 

「おお、怖い怖い。いったいその眼で何を視たのでしょうね」

 

「よすんだ、アナスタシア」

 

何やら不穏な空気が漂い出したところで割って入る。

色々あったが何とか異変解決までこれたのだ。最後の最後で喧嘩なんてして台無しにはしたくはない。

改めてカドックは2人を嗜めると、アングルボダの前に屈んで解析を試みる。

予想していた通り、魔術的な措置はほとんど施されていない。

制作したバベッジが正規の魔術師ではなかったからだろう。循環している魔力の量は膨大だが、これならば自分でも解体できるだろう。

左腕が使えないので所々を立香に手伝ってもらいながら魔力の流れを遮断し、取り出した聖杯をマシュに預ける。

これでロンドンでの任務は終了だ。

 

『よし、聖杯の回収を確認した。これよりレイシフトを……待って、何だこの反応?』

 

ホログラムのロマニが驚愕の表情を浮かべ、一拍の無音が挟まれる。

直後、悲鳴染みた警告が大空洞に響き渡った。

 

『地下空間の一部が歪んでいる――何かがそこに出現するぞ!』

 

「マシュ、盾!」

 

「はい!」

 

立香の指示で戦闘態勢に入ったマシュが盾を構える。

だが、その表情は焦りと不安で暗く濁っていた。

それはこちらも同じだ。

魔力の淀みもなく、何かが潜んでいる気配もない。

アナスタシアの眼でも捉えることができない。

しかし、理屈ではなく感覚でハッキリと理解できる。

おぞましい何かがやってくると。

 

『サーヴァントの現界とも異なる――これはレイシフトと同じ!? 空間が開く! 来るぞ!?』

 

一瞬、空間そのものが歪んだかのような錯覚があった。

それはすぐに錯誤などでなく、実際に目の前で起きた現象なのだと実感する。

何故なら、先ほどまでそこにあったはずのアングルボダが忽然と消え去ってしまったからだ。

代わりに現れたのは1人の男だった。

目の前にいるはずの自分達が――人類史に刻まれた英霊達ですらその予兆を感じ取れず、まるで服を着替えるかのような気軽さで巨大な建造物を消し去った強大な魔術師。

暗い影の中からその男は、厳かな声で淡々と言葉を紡ぐ。

 

「魔元帥ジル・ド・レェ。帝国神祖ロムルス。英雄間者イアソン。そして神域碩学ニコラ・テスラ。多少は使えるかと思ったが――――小間使いすらできぬとは興醒めだ」

 

ゆらりと空間が歪む。

影の中にいたのではない。

男は影そのものだ。

それがゆっくりと形を取り、色に染まり、人としての姿を露にする。

 

『くそ、シバが安定しない。音声しか拾えない。みんな、何があったんだ!?』

 

「わからない。あれは人間なのか? 黒い影が……よく見え……」

 

「ダメよ、カドック!」

 

瞬間、視界が凍り付いたかのように真っ白に染まり、驚いた拍子で体のバランスが崩れてしまう。

視界が利かず受け身も取れず、カドックは転倒の痛みを覚悟したが、倒れる直前に回り込んだ誰かが背中を支えてくれた。

この冷たくて細い手は、アナスタシアのものだろうか。

 

「あなたは見てはいけない。あれは生者が視ていいものではありません」

 

(いったい、何を言っているんだ?)

 

彼女の眼――即ちヴィイの魔眼は真実を捉える。

あの影のようなヒトが姿を現す瞬間、彼女は何かを視たのだ。

普通の人間では――ただの魔術師では見えない何かを彼女は視たのだ。

そして、それを見せないために彼女はシュヴィブジックで視界を凍らせたのだ。

極短い範囲でしか使えない代わりに因果律すら捻じ曲げる悪戯。

まさか、ここまでのことができるなんて。

 

「オイ、なんだこのふざけた魔力は。竜種どころの話じゃねえぞ。これは、まるで――」

 

「伝え聞く悪魔、天使の領域か。いや、それですら足りますまい。このシェイクスピア、生粋の魔術師ではありませんがキャスターの端くれとして理解しました」

 

ああ、そんなことは言われなくてもわかる。

肌を焼き、押し潰すかのような迫力。

憚る事なく垣間見せる無尽蔵の魔力。

存在するだけで領域を押し潰す支配力。

魔道に連なる者なら、誰であろうと等しく感じ取るであろうこの感覚は畏怖。

絶対に敵わないという恐怖。

神と呼ぶことですらおこがましい。

あれはそれ以上の存在だ。

 

「カルデアは時間軸から外れたが故、誰にも見つけることのできない拠点となった。あらゆる未来――――全てを見通す我が眼ですら、カルデアを観ることは難しい。決定した滅びの歴史を受け入れず、未だ無の大海に漂う哀れな船だ」

 

姿は見えずとも声だけはハッキリと聞こえてくる。

聞く者を震え上がらせる重みを持った声。

圧倒的としか表現のできない言霊が空間を満たす。

それでいてこの男の本性を悟らせない無機質さはより一層、異様さを際立たせる。

 

「それがカルデアであり、お前達2人……藤丸立香、カドック・ゼムルプスという個体。燃え尽きた人類史に残った染み。私の事業に唯一残った、私に逆らう愚者達の名前か」

 

見えずともハッキリとわかる。

この場を支配する圧がより強くなった。

影であったものが姿を表したのだ。

 

「我は貴様らが目指す到達点。七十二柱の魔神を従え、玉座より人類を滅ぼすもの。名をソロモン。数多無象の英霊ども、その頂点に立つ七つの冠位の一角と知れ」

 

ソロモン。

男は確かにそう名乗った。

イスラエルの王、七十二の魔神を使役し、人類に魔術をもたらした人物。

魔術王ソロモンと、確かに名乗ったのだ。

 

『そんな……本当にソロモン……こんな、こんなバカなことが――』

 

驚愕するロマニの声が聞こえる。

今だけは日頃の奮闘への感謝を放り投げて吠えたくなった。

お前はまだカルデアにいるからいい。

ここは地獄だ。

立っているだけなのもやっとな圧と、燃えるように奮い立つ魔力の波。

今まで、才能の差を埋めんと努力してきたことが馬鹿らしくなるほどの圧倒的な格の違いを感じ取り、カドックはじりじりと後退ってしまう。目が見えていたら発狂していたかもしれない。

それほどまでに桁違いの魔力量だ。

まるで神秘そのものが生きているかのように。

 

「とんだビックネームのお出ましだな。英霊として召喚され、二度目の生とやらで人類滅亡を始めたってオチか?」

 

「それは違うなロンディニウムの騎士よ。確かに私は英霊だが、人間に召喚されることはない。私は死後、自らの力で蘇り、英霊に昇華した。英霊でありながら生者である私に上に立つマスターなどおらず、私は私の意思でこの事業を開始した。愚かな歴史を続ける塵芥――この宇宙で唯一にして最大の無駄である、お前達人類を一掃する為に」

 

その言葉に対して立香が何かを言い返しているのが聞こえた。

止めろ、と止める言葉すら出てこない。

あいつに逆らってはいけない。

あいつに歯向かってはいけない。

何故なら、勝ち目などないからだ。

この場にいる全員が束になってかかっても敵わない。

だってそうだろう。

この男は既に世界を――人類史を焼き払った。

最早、世界は滅ぼされた後なのだ。ただ、カルデアがその時間に追いついていないだけで。

 

(そうか、あの光の帯は――)

 

「そうだ。天に渦巻く光帯こそ、我が第三宝具『誕生の時きたれり、其は全てを修めるもの(アルス・アルマデル・サロモニス)』。あの光帯の一条一条が聖剣程の熱戦だ。即ち――対人理宝具である」

 

心を読まれたのかと胸を押さえ、それが無意味なことだと気づいて手が震える。

見えない視界の向こうで酷薄な笑みを浮かべている姿が思い浮かぶ。

この男はきっと楽しんでいる。

自分の力を、絶対的な在り方を見せつけて、自分達を嘲笑って、楽しんでいる。

 

「読めたぞソロモン。貴様の正体、その特例の真実をな」

 

今まで沈黙を保っていたアンデルセンが口を開く。

傲岸不遜な上から目線は変わらないが、今だけはそれも滑稽に思えてならない。

ソロモンもそう思ったのか、彼の語りを止めようとはしなかった。

 

「いいぞ、語ってみよ即興詩人。聞き心地のいい賞賛ならば楽に殺してやろう」

 

「特と聞くがいい。英霊召喚とは抑止力の召喚であり、抑止力とは人類存続を守るもの。彼らは七つの器を以て現界し、ただひとつの敵を討つ」

 

それこそが英霊召喚。

では、敵とはなんなのか。

それは即ち霊長の世を阻む大災害。

この星ではなく人間を、築き上げられた文明を滅ぼす終わりの化身。

文明より生まれ文明を喰らう、自業自得の死の要因(アポトーシス)に他ならない。

いわば全人類が内包しているであろう大いなる悪。

それを倒すために喚ばれるものこそ、あらゆる英霊の頂点に立つモノ。

人理を護る、その時代最高峰の七騎、始まりの七つ。

それこそが儀式・英霊召喚。人類を護るための決戦術式。

聖杯戦争はそのシステムを人間が使えるよう格落ちさせたものなのだ。

そして、聖杯戦争で召喚されるサーヴァントが個人に対する英霊(兵器)であるとするならば、彼は世界に対する英霊(兵器)

その属性の英霊達の頂点に立つ者、冠位(グランド)の器を持つサーヴァントに他ならない。

 

「そうだ。よくぞその真実に辿り着いた。我こそは王の中の王、キャスターの中のキャスター! 故にこう讃えるがよい! グランドキャスター、魔術王ソロモンと!」

 

偉大なる魔術師(グランドキャスター)

それがソロモンの正体。

主を持たず、生者のまま英霊へと昇華された人類守護の最終兵器。

それが本来、守るべきはずの人類へと牙を剥けている。

有象無象で、取るに足らない、不完全な種であると全ての生命を否定する。

 

「では褒美だ、五体を百に分けて念入りに燃やしてやろう」

 

言うなり、強力な魔力の波が空間を揺るがした。

たったそれだけでその場にいたサーヴァントが全て消し飛んだ。

アンデルセンはおろか、シェイクスピアも金時も玉藻も。

彼らの気配がどこにも感じられない。ソロモンの攻撃の余波で消し飛ばされてしまったのだろうか。

自分達もマシュがいなければ同じ運命を辿っていたかもしれない。

彼女が盾で守ってくれたから、辛うじて命を繋いでいる。

 

「凡百のサーヴァントよ。所詮、貴様等は生者に喚ばれなければ何もできぬ道具。私のように真の自由性は持ち得ていない。どうあがこうと及ばない壁を理解したか?」

 

「はっ、もう4つも聖杯を奪われている癖に、負け惜しみにしちゃみっともないぜ」

 

モードレッドだ。彼女はまだ現界を保っている。

だが、致命傷を受けたのか気配がとても弱々しい。

それにこの鼻につく鉄の匂いは――。

 

「人類最高峰の馬鹿か、貴様? 全てを破壊してようやくなのだ。カルデアのマスターが脅威などという話ではない。1つだろうと6つだろうと取るに足らぬ些事なのだ。だが――」

 

言葉が途切れ、大気中の魔力が淀みを増していく。

アンデルセン達を消し飛ばした一撃とは違う。

あからさまに猶予を与え、こちらがどう動くのかを待っている。

逃げるのか、防ごうとするのか、破れかぶれで突撃するか。

ソロモンは挑発するように、恐怖を煽るように淡々と次の言葉を紡いだ。

 

「取るに足らぬとからといって、目障りなことに変わりない。目の前を飛ぶ羽虫が邪魔で読書に集中できぬことがあるだろう? これはそういうことだ。手が届くのなら叩き潰すだろう。さあ、羽ばたくのなら今の内だ。それとも諦めて負け犬のように吠えてみるか」

 

カチリと、歯車が噛み合った。

ああ、言ってしまった。

ただ力を見せつけるだけなら屈していた。

ただ殺されるだけなら潔く受け入れた。

相手はグランドキャスターだ。カドック・ゼムルプスは逆立ちしたって勝てっこない。

けれど、あの男は言ってしまった。

他の天才達がそうであったように、哀れみを込めて言ってしまった。

この僕に、諦めろと言ってしまった。

 

「ふざけるな……人類皆殺しにして悦に入っているサディストが」

 

自分でも信じられないくらい、汚らしい言葉が出てくるものだと感心する。

あのソロモン王に対して、よくぞ言ったと自分を罵ってやりたい気分だ。

だが、言ってしまった以上は後には退けない。

この男は自分のことを犬だと罵った。

お前には不可能だから諦めてしまえと言ったのだ。

その言葉だけは許せない。

その言葉だけは認めない。

 

「楽しいか、と問うのか? この私に、人類を滅ぼすことが楽しいかと? 無論だ、楽しくなければ貴様らをひとりひとり丁寧に殺すものか! 貴様達の終止符が、その断末魔が何よりも爽快だ! そして、それがお前達にとって至上の救いである」

 

「魔術王ソロモン、あなたはレフ・ライノールと同じです。あらゆる生命への感謝がない。人間の、星の命を弄んで楽しんでいる」

 

「娘、人の分際で生を語るな。死を前提にする時点でその視点に価値はない。人間(おまえ)達はこの二千年、ひたすらに死に続け、ひたすらに無為だった。死を克服できず、されとて死の恐怖も捨てられない。それが恐ろしいのなら知性は捨てるべきだったのに、お前達はそれができなかった。だから、ひとり残らず私が有効に使ってやるのだ」

 

一拍を置いて、ソロモンは最後通牒を告げる。

問答は終わりだと。

これ以上、言葉を交わしても意味はないと。

 

「私からの唯一の忠告だ。ここで全てを放棄する事が、最も楽な生き方だと知るがいい」

 

淀んだ魔力が膨れ上がる。

衝撃に備えて身構える。

マシュが両足に力を入れ直す音が聞こえた。

反対側の体を誰かが――恐らくは立香が支えてくれた。

そして、アナスタシアはずっと隣にいてくれた。

肩を寄せ合い、身を強張らせるのが自分達の精一杯。

結局、怒りに任せて啖呵を切っても何もできなかった。

 

『強制送還、間に合え!』

 

「燃え尽きるがいい、人間」

 

「させるかよ!」

 

魔力が爆発する瞬間、モードレッドの声と共に彼女の魔力が増大する。

まさか、最後の力でソロモンの攻撃を相殺しようとしているのか。

 

「……悔しいが奴の言う通りだ。オレ達は喚ばれなければ戦えない。それがサーヴァントの限界だ。時代を築くのはいつだってその時代に、最先端の未来に生きている人間だからな」

 

魔力の余波で視界が溶ける。

目に飛び込んできたのは、辺り一面を覆う炎とそれを一身で受け止めているモードレッドの姿だった。

鎧は吹き飛び、体の半分が消し飛んでいるにも関わらず、残った右手で『燦然と輝く王剣(クラレント)』を掲げて炎を押し留めている。

だが、それも持って後数秒。

彼女が残った命すら魔剣の魔力として注ぎ込んだとしても、1分と保たない。

それでもモードレッドは気迫を込めて炎を押し返さんとする。

終わりの騎士が、叛逆の王が、星に託した願いを未来に還さんと力を込める。

 

「だから――お前達が辿り着くんだ、藤丸、カドック。オレ達では辿り着けない場所へ。七つの聖杯を乗り越えて、時代の果てに乗り込んで、魔術王(グランドキャスター)を名乗る、あのいけすかねぇ奴をぶん殴れ!」

 

「モードレッド!」

 

「じゃあな」

 

視界が再び染まり、意識が見えない力に引きずり上げられる。

カルデアへの強制送還の寸ででカドックが目に焼き付けたのは、消滅しながらもこちらに笑いかけるモードレッドの姿だった。

 

 

 

 

 

 

結論から言うと、ロンドンの特異点は無事に修正された。

自分達は間一髪でカルデアへの帰還に成功し、後の観測で魔霧も少しずつ沈静化していっているとのことだ。

しばらくの後、本来の時間軸に合わせて特異点は消滅することだろう。

一方でカルデアも少なからず動揺を受けていた。

グランドキャスターを名乗るソロモン王の力を見せつけられ、今後のグランドオーダーについて不安視する声も上がっているのだ。

特にソロモン好きを公言していたロマニのショックは大きく、あれから時々、1人で物思いに耽る事が多くなった。

ただ、そんな状況でも未来を諦める者は誰一人としていなかった。

カルデアに残された数十人、誰もが諦めることなく次のグランドオーダーに臨む意思を見せている。

フランス、ローマ、オケアノス。ここまで多くの逆境を跳ねのけてきたのだ。

不安はあるが、今度だってきっとうまくいく。

カルデアの誰もがそう信じて動いていた。

例外があるとすれば、それは自分だけだ。

カドック・ゼムルプスは自分のことをよく知っている。

自分では絶対にソロモンに敵わない。

どれほどの鍛錬を積もうと、どんな卑怯な手を使ったとしても、反則を駆使しても、凡人の自分では魔術王に敵わない。

分かり切ってしまったことが悔しい。

愚直に前に走り出せた方がどれだけ気楽であったであろう。

ソロモンが言ったように、潔く諦めた方がまだマシかもしれない。

けれど、その選択肢は取れない。

自分が自分である限り、諦めてはいけない。

折れてはならない。

そう決めたのだ、あの冬木の街で。業火の中で。

執着を捨てた彼女に、抗えばこれだけのことができるのだと証明する。

そのためにもここで止まる訳にはいかない。

前に、もっと前に。

わかっている、その先は地獄だ。

重石を持ったまま泳ぐようなものだ。

それでも歩みを止められない。

 

(聖杯……願いを叶える願望器か……)

 

あの力があれば、魔術王に対抗できるだろうか。

もっと強い力があれば。

そんな風に考えていると、目の前を白い毛糸玉が通り過ぎた。

 

「フォウ?」

 

通路の先でフォウがジッとこちらを見つめていた。

そういえば最近、忙しくて世話をしてやれなかったことを思い出し、久しぶりに毛繕いでもしてやろうかと手を伸ばす。

こんな落ち込んだ気分だ。小動物と戯れるのも悪くないかもしれない。

だが、一歩踏み出した途端、フォウは背筋を強張らせて走り去ってしまった。

気になって追いかけてみたが、角を曲がってもフォウの姿はなく、どこかに隠れてしまったようだ。

 

「なんなんだ、いったい?」

 

首を傾げつつ、その場を去る。

何故、フォウが姿を隠したのか。

その意味をカドックが知ることはなかった。

 

 

 

 

 

 

ある日のカルデア。

第四特異点も修復され、次の任務までの間、しばしの休暇がマスターとサーヴァントに与えられた。

みんな、思い思いにプライベートの時間を過ごしているのだが、少しずつメンバーが増えてくると、当然のことながらリソースの問題が出てくる。

例えばそれぞれのサーヴァントに与えられている個室だとか、必要もないのに与えてくれる日々の食糧だとか、復旧した娯楽施設の利用などもだ。

サーヴァントの中には気を使って使用を控える者や、後ろめたさを覚える者までいた。

 

「というわけで、わたくしが勧誘しているのであります」

 

こちらに向かってメフィストフェレスは笑顔を向ける。

彼は第四特異点修正後にカルデアに召喚されたサーヴァントだ。

当然のことながら、ロンドンで暗躍していたメフィストとは霊基は同じだが記憶は共有していない。

精々、そんなこともあったのかなとうっすら覚えている程度だ。

 

「でもでも、だからといってわたくしがやるべきことは変わりません。何しろそのためにカドック(マスター)と縁を結んだのですからね」

 

カルデアの召喚システムは不安定な上に召喚者と何らかの形で縁が結ばれていないと英霊を召喚することができない。

逆に言うと、縁さえ結んでいれば英霊が同意するだけで召喚に応じることができる。

メフィストはこの点を利用し、敢えてカルデアと交流を持つことで召喚される可能性を高めることにしたのである。

そう、全てはある人物からの依頼を果たすために。

先刻、彼からの接触を受けたことで前の自分が受けていた依頼のことを知ったメフィストは、僅かに抵抗する良心を切り捨てて再びその依頼に着手したのである。

理由はもちろん、その方が面白そうだからである。

 

「あ、ここから先はみなさんマイルームで記録を見てくださいね……あ、ブーディカさん。実は優良物件がございまして……はい、オガワハイムというのですが――」

 

 

 

A.D.1888 死界魔霧都市 ロンドン

人理定礎値:A-

定礎復元(Order Complete)




というわけでロンドン編終了です。
コンセプトは、5章での展開に備えてカドックくんをちょっと追い詰めるです。
なのでメッフィーは好き放題するしジキル巻き込むしここぞというところで魔霧が邪魔をする。

気持ち的にはこのまま5章に行きたいところですが、オリイべ挟んで閑話休題するのもいいかと思う今日この頃です。


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イベントクエスト 獣国音楽祭アナスタシア
幕間の大騒動(イベントクエスト) 獣国音楽祭アナスタシア


それは第四特異点の修正からしばらくしてからのこと、オガワハイムの亡霊騒動もひと段落し、いよいよ5番目の特異点攻略に向けての準備を進めていた頃のことだった。

その日、カドックは相変わらず動かない左手に苦戦しながら、自室で黙々とリハビリに励んでいた。

ロンドンで負った傷は自分で思っていた以上に重傷だったようで、カルデアで観測していたバイタルは非常に危うい数値まで落ち込んでいたらしい。

玉藻の前のおかげで傷は全て塞がったのだが、彼女の呪術を以てしても蟲に喰われ欠損していた部分までを補うことはできず、いくつかの後遺症が残る形となった。

足りない肉を無事だった脂肪や筋肉から補ったので肉体の容積は大きく減り、体のバランスも左右で崩れてしまい躓きやすくなってしまった。

何より左手はほとんど満足に動かない。思いっきり力を込めれば軽く指を握れる程度であろうか。

魔術は等価交換が原則。あの場で他に代替できる材料がなかった以上は仕方がないが、さすがにこのままの状態で特異点修復は任せられないと判断したロマニの命令で、

課せられたリハビリメニューを全てこなすまではレイシフトしてはならないことになった。

なので、現在は立香とマシュだけで微小特異点の修正を行っている状態だった。

カドックとしては非常に不服であるが、体が満足に動かないのでは仕方がない。

言葉にはしないがアナスタシアがいつもよりも優しく接してくれることもあり、カドックはこの命令を粛々と受け入れていた。

やがて、一通りのメニューをこなし終えて喉の渇きを覚え、購買部で飲み物でも買おうと上着を纏う。

自室には紅茶もコーヒーあるが片手では淹れれないし、わざわざアナスタシアを呼ぶほどのことではない。

缶ジュースなら片手でも開けられるだろう。

 

「カドック、少しいいかしら?」

 

出かける寸前、扉が開いてアナスタシアが姿を現す。

何かあったのか、ここまで息を切らせて走ってきたようだ。

 

「丁度良かった、購買に行くつもりだったんだが、良ければ一緒に食堂へ――」

 

「緊急事態です。マシュのマスターが倒れました」

 

「……肩を貸してくれ」

 

立香が倒れた。

その言葉の意味することは大きい。

ケガか病気か、日々の疲れの蓄積か。

それともレイシフト先で厄介な呪いでも受けたのか。

何れにしても自分がこんな状態である以上、彼に倒れられてはカルデアはおしまいだ。

アナスタシアの肩を借り、急いで立香が眠る彼の部屋へと向かう。

そこには心配そうに自分のマスターを見守るマシュの姿もあった。

 

「アナスタシア、カドックさん」

 

「キリエライト、何があった?」

 

「はい、実は――」

 

マシュの話によると、今朝から立香は何度も昏睡と覚醒を繰り返しているらしい。

ロマニの検査では異常はなし。医学的には単に寝ているだけとのことだ。時々、魔術回路が励起する以外はおかしなところは何もないらしい。

その唯一、気になる点も原因が掴めず、こうして覚醒の時を大人しく待つことしかできないのだそうだ。

 

「駆け付けたフェルグスさんも、できることはないと仰っていました」

 

「フェルグスが? 戦士のカンってやつか?」

 

フェルグス以外にも立香を診たサーヴァント達は一様に同じことを答え、マシュに静観するようにと告げたらしい。

どうやらカルデアの医療スタッフよりも英霊達の方がこの事態について詳しいようだが、どういうわけか彼らは詳細を語ろうとしない。

そのため、マシュの不安だけが大きくなっていった。

 

「アナスタシア、君なら視えるんじゃないか?」

 

「……そうね、マシュを不安にさせるだけかもしれないけれど」

 

一拍を置き、しばしベッドに横たわる立香をアナスタシアは凝視する。

彼女の――厳密には彼女と契約した精霊であるヴィイの魔眼は透視の魔眼。

見たものの虚飾を払い真実を暴き出すその眼ならば、下手な検査機器よりも正確に状況を掴めるだろう。

 

「……ダメね。夢を見ているということしかわからない。やっぱりあの時……」

 

「あの時?」

 

「いえ、何でもありません。私にわかるのは、彼が自力で目覚めるのを待つしかないということだけです」

 

そう言って、アナスタシアは口を閉ざす。

何となく含みのある言い方だったが、本当に一大事ならば彼女もきちんと説明をするはずだ。

彼女――というか英霊達が口を閉ざす以上、深い詮索はするべきではないのかもしれない。

結局、自分達にできることもないため、マシュには看病に根を詰め過ぎないように言って部屋を後にし、自室に戻ることになった。

 

「ここに来てマスター2人が同時に戦線離脱なんて、洒落にならないぞ」

 

「焦ってはダメよ、あなたはまずリハビリをちゃんと終わらせないと。今日のメニューは終わったの?」

 

「ああ、少し前に昼の分は終わらせた」

 

「なら、少し休憩ね。気分転換した方がいいわ」

 

「歌でも歌うなんて言わないだろうな、あの時みたいに」

 

ロンドンにレイシフトする前、日本のとある場所に発生した特異点での出来事のことだ。

本来ならばマスターとサーヴァントという主従関係であるはずの自分達が、何の因果か敵同士として相対したひと騒動。

アナスタシアはハロウィンでエリザベートに触発され、音楽祭なんてイベントを巻き起こしたのだ。

今、思い出しても頭痛がしてくるその騒動はハロウィンに負けず劣らずの大騒ぎで、カドックとしても詳細は余り思い出したくはない。

だが、最後のあの瞬間だけはしっかりと胸に刻み込まれている。

アナスタシアが紅茶を淹れるために後ろを向いている隙に取り出した1枚の写真。

そこには自分と立香、そしてステージ衣装に身を包んだアナスタシアとマシュの4人が写っていた。

口にするのも余りに馬鹿馬鹿しいひと騒動。

その特異点での出来事を、自分達はこう呼んでいた。

獣国音楽祭アナスタシアと。

 

 

 

 

 

 

遡ること一ヵ月前。

何故か立香と共にトナカイさん1号・2号を結成する羽目になったクリスマスでの騒動を無事に終え、新年を控えた2015年の年の瀬のことだった。

カドックには馴染みのない習慣だが、日本では年末に身の回りを整理して新しい年を迎えるんだと得意げに語る立香に倣って、

不必要な礼装や音楽ファイルの整理などをしていると、不意に館内に警告音が響き渡ったのだ。

恐らく、どこかの時代で微小特異点が発生したのだろう。

人理焼却によって人類史が不安定になった結果、起点となる七つの特異点以外にもいくつも小さな特異点の発生が見られるようになった。

無論、放っておけば人理にどのような影響を及ぼすかもわからないため、見つけ次第、レイシフトで現地に飛んで特異点の消去を行っている。

今回もきっとその類だろうと思って管制室に向かったが、途中で寄ったアナスタシアの部屋はどういう訳か無人であった。

先に行ったのだろうかと首を傾げながら通路を進むと、向こうからも1人で管制室へと向かう立香の姿が見えた。

こちらも、いつも一緒にいるマシュの姿がない。

 

「あれ、皇女様は?」

 

「お前こそ、キリエライトはどうした?」

 

「それが連絡がつかなくて」

 

「愛想尽かされたか? キリエライトに限ってまさかな……」

 

互いのパートナーに揃って置いて行かれるなんておかしな偶然もあったものだと話しながら、仕方なく2人だけで管制室へと向かうことにする。

だが、期待に反して管制室にいたのはロマニ以下いつもの管制スタッフだけであった。

 

「来たね、2人とも。わかっているとは思うけど、特異点だ」

 

「場所は?」

 

「日本――正確には日本の首都東京――の一区画」

 

「狭いな」

 

「うん、沿岸部にあるとある建物が特異点化しているんだ。時代は何と2009年」

 

「近っ!? 10年も経ってないじゃないか。しかもこの場所って――あそこか、あのテレビ局!?」

 

写し出された拡大地図を見て、立香は素っ頓狂な声を上げる。

どうやら地元ではかなり有名な建物らしい。立香曰く、メロドラマやバラエティが強いのだそうだ。

ただ、少し前から視聴率が低迷していて業績がかなり落ち込んでいるらしい。

ちなみにドラマの方はサッパリだったが、アニメは名前だけならカドックでもいくつか知っているものがあった。

手から光線を出す格闘家とか侍が主役の奴だ。

それにしても、建物一つが特異点化しているというのが気になる。

これまでは地方都市や国、大海とそれなりの規模のものが続いていただけに、ここまで狭い規模の特異点は初めてのことだ。

 

「テレビ局……歌番組……アイドル……うっ、頭が…………」

 

「ドクター、俺達ちょっと医務室に……」

 

「ダメだよ2人とも、ちゃんと仕事しないと」

 

脳裏に浮かんだとある英霊の姿に悪寒を覚え、逃げようとした2人をロマニは捕まえる。

放っておいたら人類史にどのような影響がでるかわからないともっともらしいことを述べているが、もしも予感が的中したらどうしてくれるのだろうか。

カルデアは通信の音声をオフにすれば問題ないが、現地には逃げ場はないのである。

あのハロウィンの悪夢を忘れたとは言わせない。

 

「気持ちはわかるよ。けど、本当に一大事なんだ。何しろ、マシュとアナスタシア皇女がここに捕まっているんだよ」

 

「何だって!?」/「何だって!?」

 

驚愕する2人の声が重なり合う。

寝耳に水とはこのことだ。

ロマニ曰く、少し前からカルデアのサーヴァント達が何人も行方不明になっているらしい。

その中にはアナスタシアとマシュも含まれており、行方を追う内にこの特異点の存在に気付いたとのことだ。

強制送還も試みたそうなのだが、何者かに妨害されているのかうまく機能しないらしい。

 

「これはカルデア始まって以来の由々しき事態だ。なので早急に現地へレイシフトして調査をお願いしたい」

 

「そうだな。レフ・ライノールの仲間による攻撃の可能性もある。だが、そうなると同行するサーヴァントは誰になるんだ?」

 

「たまたま手が空いていた彼に依頼した。ほら、キミ達の後ろに」

 

不意に背後から甲高いソプラノの歌声が響き、カドックと立香は振り返りながら飛びずさった。

気配遮断スキルによるものだろうか。いつの間にか仮面で顔を隠したカギ爪の青年が祈るように歌を歌っていた。

名をファントム・ジ・オペラ。

かの小説『オペラ座の怪人』に登場する怪人のモデルとなった人物だ。

カルデアに召喚されたサーヴァントの中でもスパルタクスに並んで扱いにくい、危険なサーヴァントである。

 

「おお、クリスティーヌ、クリスティーヌ。祝福をここに。お前の恐れは我が手中にある。愛しい君は壇上へ、我が眼の中で華やかに歌うのだ。おお、クリスティーヌ、クリスティーヌ」

 

彼の恐ろしいところは重篤な精神汚染スキルの影響で他人との意思疎通が困難であり、何を考えているのか分からないところにある。

圧制者判定に触れると暴走するスパルタクスとはまた違った意味でコミュニケーションが取りにくく、普段は通路などで勝手に歌うに任せている。

だが、サーヴァント消失という一大事にあたって白羽の矢が立ったらしい。

 

「他に手が空いている奴はいないのか? エミヤとかエミヤとかエミヤとか?」

 

「この人手が足らない時に彼を動かすなんてとんでもない。彼はすごいんだよ、アーチャーにしておくのがもったいない。クラス・ブラウニーと呼んでもいいくらいだ」

 

他にも雑用などを買って出てくれているサーヴァントも多く、現状では動かせるのはファントムしかいないらしい。

 

「とにかく、手が空いたら増員を送るから、まずはキミ達だけで様子を見てきて欲しい。ほら、急いで」

 

有無を言わせぬ勢いでコフィンに押し込まれ、レイシフトが開始される。

極小の特異点に行方不明のパートナー。そして、コミュニケーション困難なサーヴァント。

いったい、これから赴く先で何が起きるというのか、不安で仕方のない始まりであった。

 

 

 

 

 

 

視界を覆う光が消え、途切れていた意識が覚醒する。

端末を確認すると、時代に誤差もなく、レイシフトは無事に完了したようだ。

さすがにここまで小さい規模の特異点だとはぐれようがなかったのか、今回は立香と同じ場所にレイシフトすることができた。

そして、最初に目に飛び込んできた光景を見て、カドックと立香は言葉を失った。

 

「こんにちは、ご見学の方はこちらで手続きをお願いします」

 

「シモシモ。これからギロッポンでチャンネエとシースーなんだけど、シータク1台シクヨロ」

 

「先日のオーディションの件ですが、どうかうちの新人をよろしくお願いします。はい、水着? もちろんOKです。では、週末に例のプールで」

 

「キミ、見学の娘? アイドルに興味ないかい? ある? なら詳しい話を食事でもしながらゆっくり……」

 

ここはエントランスだろうか。

局のスタッフと思われる者達が打ち合わせをしながら局の奥へと消えていき、一仕事を終えた芸能人が帰るためのタクシーを呼びつけている姿が見える。

向こうではスカウトマンらしき人物が見学者と思われる者に声をかけてり、営業に来た芸能事務所のマネージャーが電話越しに頭を下げている姿もある。

そして、その全ての者達が服を身に付け、直立歩行をしている動物であった。

 

「犬?」

 

「あっちは猫だ」

 

「多分、カモノハシ……」

 

「ジャンガリアンハムスター……あ、怪獣のスーアク? ご苦労様です」

 

行き交う人々に人間種は1人もいない。全員が獣人であり、ここにいる人間は自分達だけだった。

加えて彼らは異分子にあたるこちらのことを特に気に留めている様子はない。

普通、こういう場に自分達とは違う人種が現れれば驚くなり警戒するなりと何かしらのリアクションが返ってくるものだが、まるでいて当然とばかりに無反応だ。

 

『こちらにも映像は届いているよ。どうやら特異点の範囲が狭い代わりに、かなり強く歴史が歪められているみたいだね』

 

「何をどう歪めれば服着たライオンが小鹿をナンパする世界ができあがるんだ? あれ、絶対食われるだろ、食欲的な意味で」

 

太り気味のライオンがティーンエージャーっぽいバンビーナに色目を使うという色々と危うい絵面にカドックは大きくため息を吐いた。

これはひょっとするとレイシフト前の予想が当たってしまうかもしれない。

その時は隣の立香を盾にして全力で逃げようと心に誓うカドックであった。

 

『とにかく今は調査に集中しよう。上の階に強い魔力の反応があるから、そっちに向かってくれ』

 

「受付で通行証貰ったほうが良いのかな? 行ってくる」

 

立香は人混み(?)を掻き分け、シベリアンハスキーの受付嬢のもとへと向かう。

すると、受付嬢は見学手続きを行おうとする立香を制し、電話の受話器を取ってどこかに連絡を取った。

程なくして通話を終えた受付嬢は恭しく一礼すると、社長が降りてくるのでしばらく待って欲しいとだけ告げた。

どうしてテレビ局の社長が自分達に会いに来るのだろうか。

そもそも、こちらが来ることをどうして知っているのか。

湧き出た疑問を問いかけてみるも、受付嬢は黙して応えようとしない。

そうこうしている内に、あれほど賑わっていたエントランスが静まり返っていき、黒服のエージェントらしき狼達がエレベーターの前にレッドカーペットを敷くと、左右に一列で並んで花道を造り始めた。

同時にどこからか現れたバンドマン達が演奏を開始。

荘厳なメロディをバックにエレベーターの扉が開き、ゆっくりと姿を表した少女が頭上に向けて指を突き刺すというどこかで見たことのあるポーズを取った。

 

「私こそが社長、このロマノフTVを取り仕切る麗しのプレジデンテ。アナスタシア・ニコラエヴナ・ロマノヴァです」

 

まず、どこからツッコめばいいのかカドックは一瞬、判断がつかなかった。

社長と名乗った少女は顔のない奇妙なぬいぐるみを掲げた、白銀の髪の自分がよく知る人物。

カドックに取って最良のパートナー、キャスター・アナスタシアだった。

悪戯好きだが普段は深窓の令嬢という表現がピッタリなアナスタシアだったが、目の前の彼女はどういうわけかセレブが着るような豪奢なスパンコールドレスにラメ入りの派手なマラボーを身に付け、黒服が用意した簡易の折り畳み椅子に腰かけてこちらを見上げていた。

彼女が煙草を欲しがるように人差し指と薬指を立てると、黒服の1人が懐からココアシガレットを取り出して手渡し、火を点けるような仕草を見せる。

社長らしく偉ぶって見せているつもりなのだろう。

 

「…………」

 

「ふふっ、驚いて言葉もないようね」

 

「……何をしているんだ、君はここで?」

 

「もちろん、テレビを撮っているのよ。そう、最高の歌謡ショーを撮るの。ここはそのためのテレビ局よ」

 

テレビを撮る? いったい何を言っているんだこの娘は。

この忙しい時期に、世界の命運がかかったグランドオーダーを放っておいてテレビ撮影だって?

こっちは彼女が行方不明と聞いて、最悪の可能性すら考えてきたというのに、彼女はそんなこちらの気も知らないでセレブを気取っている。

 

「この特異点は君が作ったのか!?」

 

「もちろん。ハロウィンの時にちょっとネコババした聖杯の欠片を使ってね」

 

「あー、ダ・ヴィンチちゃんに渡す時に何か欠けているなって思ったのは、君が割ったからだったのか!?」

 

「そういうのはちゃんと報告しろ。報連相だろ、報・連・相!」

 

苛立ち紛れに立香の首をアームロックで締め上げる。

詰まるところこの事件の発端は彼の杜撰な対応ということである。

 

「ふざけたことをしていないで、カルデアに帰ろう。今ならまだどこにも実害はない」

 

「ふざけていません、私は真剣です。私は最高の歌謡ショーを撮るために、マシュを最高のアイドルにしてみせます。邪魔をするというのなら……」

 

周囲の黒服達がスーツを脱ぎ去り、手に手にこん棒を持ち出して戦闘態勢を取る。

立ち上がったアナスタシアは手にした扇子をこちらに向けて突き出すと、高らかに宣戦を布告した。

 

「熱々熱湯風呂の刑とします」

 

「意味がわからない。僕に何を宣伝しろって言うんだ!」

 

「無論、私が作るテレビの良さを」

 

雄叫びを上げて3匹の獣人、ノッポとマッチョとデブの狼が突撃してくる。

ふざけてはいても相手は人間離れした力を持つ獣人。

自分や立香だけでは勝ち目はない。だが、サーヴァントとなれば話は別だ。

先ほどまでこちらのやり取りなど気にも留めずに歌い続けていたファントムは、獣人達の敵意を感じ取った瞬間、

何かのスイッチが入ったかのように歌うの止めて右手のカギ爪を一閃する。

鮮血が迸り、瞬く内に倒れていく獣人達。

最初の3人の後も次々と獣人は襲い掛かってくるが、ファントムは粛々と、まるで退屈な作業をこなすかのように彼らを血祭りに上げていった。

同時に獣人達が霊核を砕かれたサーヴァントのように消滅していく。

つまり、彼らは本物の獣人ではなく聖杯の魔力から作られた偽物ということだ。

 

「LaLaLa。そこの歌姫たらんとする少女よ。喝采は汚れなき無垢な心にもたらされる。初めての絶頂、気持ちの昂ぶりを思い出すのだ。倒錯する行いは愛しき彼方に届かぬことを呪え、LaLaLa」

 

「面妖な。この人に出演交渉は無理ね。カドック、次に会ったら熱々おでんの刑に処します。覚えていなさい」

 

「待て! 令呪を以て命ずる――」

 

逃げようとするアナスタシアを捕まえる為、右手の令呪を行使する。

しかし、一画が消え去っても何も起こらない。

本来ならばパスを通じてアナスタシアへと行き渡るはずの魔力は行き場を見失ったかのように渦巻き、時間と共に霧散していった。

 

「無駄よ、聖杯の力で令呪の拘束は遮断致しました。このテレビ局の中にいる限り、私を止められるものなどおりません」

 

まるで悪女のような高笑いを残して、アナスタシアは階上へと消える。

本人なりに社長らしく振る舞っているつもりなのだろうが、明らかに間違ったイメージを抱いているように思えてならなかった。

 

「カドック、どうする?」

 

「追いかけるに決まっているだろう」

 

「うん。もしもマシュに何かあったら、こっちはゴムパッチンの刑だ」

 

『冷静になろう、2人とも。この様子だと途中の階でも待ち伏せがいるかもしれない。皇女様の真意はわからないが、それだけ彼女が本気なのは確かなようだ』

 

ロマニに促され、一度深呼吸をして気持ちを落ち着かせ、アナスタシアが消えたエレベーターを見上げる。

聖杯の力で建物自体も歪められているのか、本来ならば存在するはずの階段も見当たらない。

この隔階止まりのエレベーターで上に向かうしかないようだ。

アナスタシアが何を考えてこんなことを仕出かしたのかはわからないが、とにかく追いかけて真意を質し、マシュを救い出してこの特異点を修正する。

改めて決意を固め、カドック達は扉が開いたエレベーターへと足を踏み入れた。

 

 

 

 

 

 

到着を告げる音が鳴り、エレベーターの扉が開く。

扉を閉めようと手元のスイッチを押すが反応はなく、他の階のボタンを押してもエレベーターが動く気配はない。

魔力の反応がある最上階のボタンを押していたのだが、どうやらすんなりとは行かせてもらえないらしい。

仕方なくその階へと足を踏み入れたカドックと立香は、第1スタジオと書かれた仰々しい扉を開けて中へと入る。

 

「なっ……」

 

目に飛び込んできたのは巨大な坂だった。

等間隔で原色に塗り分けられた巨大な坂。イメージとしては遊園地のプールなどに設置されている大きな滑り台だろうか。

それがスタジオいっぱいに設営されていた。

これもテレビ番組という体裁なのか、獣人達がセットに向けてカメラを構えている。

襲いかかってくるかと身構えたが、与えられた役割以上のことはしないのか、彼らは静かに撮影を続けるだけであった。

そう、静かなものだ。彼らだけならば。

 

「のわああぁぁぁっ!?」

 

「ぐはあっ!!」

 

塊となって滑り台を転げ落ちてきた2人がカドック達の足下に辿り着く。

軍服姿の少女と忍者のような和装に身を包んだ少女。

カルデアのサーヴァントである織田信長と沖田総司だ。

 

「ノッブ、何やっているの、こんなところだ?」

 

「おお、藤丸。それにカドックではないか」

 

起き上がった信長の軍服は、あちこちに粘液のようなものがこびり付いていてテカテカと光っていた。

これはひょっとしてローションだろうか? どうやら滑り台の上から流されているようだが。

 

「いやなに、アナPとか名乗るテレビ局の社長からテレビの出演依頼が来ての。これで儂も世界に羽ばたくビッグスターと二つ返事で引き受けたら、まさかの汚れのバラドルというオチなのじゃ」

 

「お、沖田さんは怪しいから止めようって言ったんですよ……こふっ!」

 

「沖田!? 死ぬな、戻ってこい!!」

 

「死んでません!」

 

生来の病と後年のイメージが重なった結果、サーヴァント沖田総司は英霊にあるまじき病弱さを持ってしまっている。

こんな風に血反吐を吐いて倒れるのはしょっちゅうのことだ。

そして、信長と仲が良いんだか悪いんだかわからない漫才を始めるのもいつものことだ。

 

「ともかく、このスタジオはゲームをクリアせねば先に進めぬとアナPが言っておった」

 

つまり、ローション塗れの坂を逆走しててっぺんまで登りきれば先に進めるということか。

 

「でゅふふ、そうはイカのゴールデンボール。このゲームを簡単に攻略できると思わないでござるよ」

 

不気味な笑い声と共に、坂の上に1人の男が現れる。

黒髭エドワード・ティーチだ。

 

「我こそはこの第1スタジオを預かる敏腕AD、エドワード・ティーチ。このスタジオは拙者考案の肉体派バラエティ『むちゃくちゃパイレーツ』の収録現場でござる。マスター氏達、先へ進みたければ昇ってくるのがよいぞ、この男坂をよお」

 

「気を付けてください、坂を上ると容赦なくローション地獄で洗い流されます」

 

「でゅふふ、このローションは拙者が厳選した肌触りよし粘性よし、水落もよくて後腐れなしの優れもの。マタ・ハリのお姉さんとかに一本どう?」

 

「自分で言っていて恥ずかしくないのか、あんたは!?」

 

「リア充には言われたくねえっ! つべこべ言わずに上がってこい!」

 

何だか妙な空気になってしまったが、このゲームをクリアしなければ先に進めないのは確からしい。

ちなみに令呪でサーヴァントを空間転移させるのもルール違反なのだそうだ。

あくまで自力で坂を昇らなければならないらしい。

ティーチが言うように坂を流れるローションは肌触りがよく触っていると不思議な気持ちよさがある。

坂自体もそこまで急な角度ではないので、うまく魔力を通せばそれほど苦労もせずに昇ることができるだろう。

そう思って坂の中腹まで昇った瞬間、突如として流れてくるローションの量が倍増した。

 

「えっ?」

 

続けて頂上からホースによる放水が行われ、顔面に直撃した信長がチーズのように転がりながら落ちていく。

更にゴムボールやビーチボール、果てはバレーボールが雪崩のように転がってきて、バランスを崩した沖田が立香を巻き来んで転落。

当然ながら残ったカドックはそれらの集中砲火をくらい、奮闘虚しく手が滑り、坂を転がり落ちていった。

 

「黒髭ぇ!!」

 

「思い知ったか、これがテレビの力よ」

 

「バラエティなら何しても許されると思うな! これただの暴力じゃないか!」

 

「数字が取れれば良いんだよ!」

 

その後も何度かチャレンジするも、ことごとく黒髭に邪魔をされて坂を上り切ることができない。

何度も転げ落ちて帯が緩んだ沖田は色白の肌がかなり際どい部分まで露になっており、息が上がって赤くなった頬も相まって非常に色っぽい。

対して信長も途中から邪魔になるマントや軍服の上着を脱ぎ捨てているが、色気の欠片も感じないのは普段の行いというか、諦めもせずに坂を上ろうとする姿が余りに男らしいからなのか。

いずれにしても2人とも体力の限界が近づいてきていた。

 

「何故、儂らばかりこんな目に」

 

「まったくです。どうして彼女達には攻撃しないんですか、あなたは!?」

 

見ると、攻撃の余波が及ばない壁の向こうにローションで戯れる2人の少女の姿があった。

ゴルゴン三姉妹のステンノとエウリュアレだ。

最初からそこにいたのだろうか?

彼女達はこちらのことなどお構いなしでビニールプールいっぱいに注がれたローションを掻き回し、そこに足を入れたり互いに掛け合ったりといった遊びに興じている。

 

「えー、だって2人とも怒ると怖いしぃ、可愛いから見てるだけでいいかなぁって。あ、お前らは別な、汚れの芸人だし」

 

「これが芸能界の闇ってやつか」

 

「お前、自分がデビューした時のこと忘れてないだろうな。どう考えてもイロモノ枠だろ、尾張の」

 

これで真面目になった時の彼女は第六天魔王の名に恥じない暴れっぷりを見せるのだから、歴史とはわからないものである。

 

「ローションで遊ぶ上姉様と下姉様」

 

「やめとけ、石にされるのがオチだ」

 

微妙に息を荒げている立香を制し、カドックは改めて坂の上に立つティーチを見上げる。

こんなことに時間を費やしている暇はないのだが、彼の守りは鉄壁だ。

あれを突き崩せるとしたら、黒髭の嗜好をダイレクトに突くしかない。

 

「ステンノ、エウリュアレ、ここは一つ協力を……」

 

「嫌よ、だって疲れるもの」

 

「私達はあなた達の雄姿を目に焼き付けておくから、どうぞお気になさらず」

 

(まあ、そうだろうな)

 

聞くだけ聞いてみただけである。

2人が壁になってくれればティーチの攻撃も緩まるかと思ったのだが、当の女神達に協力する気がないのなら仕方がない。自分達だけで何とかしなければ。

そうして手をこまねいていると、坂を昇らずに下で控えていたファントムが徐にマントを脱ぎ捨て、ローションが流れる坂の前に立つ。

まさか、昇るつもりなのだろうか。

 

「山、山、山、ならば昇るしかない。そこに山があるのなら、そこに君がいるのなら、我は天国への階段を踏み抜くことなく駆け上がろう」

 

ふっと彼の体が宙に浮いたかと思うと、そのまま流れるローションなど気にも留めずに坂を駆けあがっていく。

そういえば、彼は無辜の怪物スキルで異形化したことで浮遊能力を有していたのを忘れていた。

単に浮かび上がるだけで空が飛べるわけではないのだが、今回の場合はそれのおかげでローションの妨害を受けることなく悠々と坂を昇ることができる。

 

「なにぃ、ルール違反じゃないのそれ? ええい、ならばこれでどうだ」

 

次々と撃ち出されるボールの砲弾を、ファントムは巧みなスケーティングで回避し、金メダリストも真っ青のトリプルアクセルで宙を舞う。

信じられないことにローションの坂の上でバク転まで披露しているのだ。

あの殺人鬼、少々アグレッシブ過ぎではないだろうか。

 

「まずい、ティーチが増援を呼んだ!」

 

「放水の三段撃ちじゃと! それ儂の!」

 

立て続けに撃ち込まれた放水が何度もファントムの痩躯を抉り、バランスを崩した彼の体が落下を始める。だが、ファントムは自らのカギ爪を坂に突き立てて転落を防ぐと、そのまま這いずるように坂を昇りつめ、遂に頂上へと辿り着いた。

 

「凱歌はない、凱歌はないのか」

 

「こわっ! 何このホラーなお方!? あ、待って! 止めてくださ――あーれー」

 

突き飛ばされたティーチが勢いよく坂を転がり落ち、番組を収録していた撮影機材に衝突する。

すかさず、信長達がここまでのうっ憤を晴らすためにティーチを簀巻きにして吊し上げ、それぞれの得物を突き付けて甚振り始めるのだった。

甘言に乗ってしまった信長の自業自得とはいえ、ティーチも大役を任されたことでやり過ぎてしまったのでお互い様である。

 

「これでこの番組も打ち切りか」

 

「どこかでシャワー浴びれないかな。ローションが……」

 

「クリスティーヌ、我が外套を汚す栄誉を賜れるのなら、涙を拭い空へと昇ろう」

 

言っていることはわからないが、とりあえずファントムが差し出してくれた彼のマントを拝借して顔を拭う。

この調子で上の階でもまたおかしな番組が収録されているのであろうか。

いったい、アナスタシアは何を考えてこんなことをしているのだろうか。

 

 

 

 

 

 

一方その頃。

ロマノフTV最上階の特別スタジオでは、アナスタシアによる入念なリハーサルが行われていた。

 

「違うのよマシュ、そこはこう。登場したら決め顔でこう! もう一度」

 

「は、はい! え、えっと――こう!」

 

「違う! こう! もっと腰を曲げて。そんなんじゃきらめく舞台は程遠いわ」

 

「わ、わたしは別にアイドルになりたいわけじゃ……」

 

「黙りなさい。女の子は誰でもシンデレラになれるの。さあ、リハーサルを続けましょう」

 

「き、聞いてくれません。せ、せんぱーい!!」

 

マシュの悲痛な叫びが木霊する。

彼女のSランクアイドルへの道は遠い。

 

 

 

 

 

 

「うん? 今、マシュの悲鳴が聞こえたような?」

 

「気のせいだろう。それにいくら暴走しててもアナスタシアはアナスタシアだ。キリエライトに危害を加えたりはしないさ」

 

「だといいけどね」

 

ゆっくりと昇り出すエレベーターの中で、立香は何やら物思いに耽った顔をする。

ああは言ったものの、パートナーである彼としては気が気でないのであろう。

何しろここまで二人三脚で頑張ってきた新米マスターと新米サーヴァントだ。

自分には計り知れない繋がりがそこにはある。

 

「そういえば、どうしてここは獣人しかいないんだろうね?」

 

「テレビを撮影するのに手っ取り早く人手が欲しかったんだろう」

 

「でも、それなら人間でもいい訳じゃない? 出演者の方もカルデアのサーヴァントを引き抜いたみたいだし、人間を使わないことに何か拘りがあるのかなって」

 

「拘り……か……」

 

もしもそんなものがあるのだとすれば、それは恐らく彼女の人間不信に由来するのだろう。

ロマノフ王朝最後の皇女であるアナスタシアは、革命によってその命を絶たれた。

敵方の政治的利用を防ぐための無慈悲な処刑。

彼女にとってそれは共に北国を生きた国民からの裏切りにも等しく、今でも祖国に対して複雑な思いを抱いている。

ひょっとしたら、そんな思いが聖杯に反映されて、獣人達が生まれたのかもしれない。

人は信用できない。或いは、人間もまた獣に過ぎないという彼女の人間不信の表れなのかもしれない。

全ては本人のみぞ知ることではあるが。

 

「それは、本人に聞き質すしかないな」

 

エレベーターが停まる。

外に出ると、先ほどと同じく何もない通路と第2スタジオと書かれた扉が1つ。

今回もここで何らかのゲーム――番組の企画を攻略しなければ、先へと進めないのだろう。

意を決して扉を開けると、見知った2人がスタジオの真ん中で自分達の訪れを待ち構えていた。

スタジオの雰囲気は闘技場風とでも呼べばいいだろうか。

円形の壁に囲まれ、観客らしき人々が書割に描かれている。

その中央に立つのは灰色の鎧を身に付けた大柄の剣士と、雅な着物を纏った長身の侍。

ジークフリードと佐々木小次郎だ。

 

「よくきたなマスター達。ここは俺達の看板番組『竜殺兄弟』の収録現場だ」

 

「そして拙者達はロマノフTVきっての売れっ子男性ユニット『ドラゴンスレイヤー』。そう、見ての通りのアイドルだ」

 

アイドルは普通、鎧や袴姿で武器を持ったりしない。

加えて彼らは英霊達の中でもそういった浮ついたことに一番、縁のないタイプだと思っていたのだが、こちらの思い違いだったのであろうか。

 

「すまない、今回はこういう役回りなんだ。本当にすまない」

 

「またしても門番というのが因縁を感じるが、死合えるのならばまあ、そう悪いことでもあるまい。剣士でないのはこの際目を瞑ろう」

 

「俺達と対バンし、打ち勝つことができれば先へと進める。さあ、全力で来い!」

 

「わかった。始める前にまず言わせてくれ。対バンっていうのはあなた達とファントムが戦って勝てばいいのか? バンド要素はどこにある? その剣は楽器なのか?」

 

「無論、楽器とはバンドマンにとっての武器。奏でる剣戟こそ我らが音楽」

 

「カドック、すまないさんの頭がすまないことに」

 

「LaLaLa、笑止。我が歌姫の奏でる音色に勝る音楽なし。奢る蜥蜴は皮を剥ぎ、燕は空へと還ると知れ」

 

「こっちはこっちで何故かやる気満々だ」

 

制止する間もなく両者の戦いは始まった。

浮遊しながら繰り出したファントムのカギ爪を真っ向から受け止めるジークフリードと、すかさず背後から一撃必殺を狙う小次郎。

慌ててカドックと立香はそれぞれの魔術で援護に入る。

それぞれのガントが2人の動きを止め、その隙に離脱したファントムが幻影のシャンデリアを落として圧殺を図った。

だが、頑強なジークフリードが盾になることでシャンデリアの一撃を防ぎ、音速に達した小次郎の剣が再度、ファントムの首を狙う。

それを寸ででかわすファントムではあったが、小次郎は容赦のない連撃で彼を追い詰めていく。

ファントムも身のこなしは素早い方であるが、小次郎の剣速はそれ以上だ。

無辜の怪物による異形化がなければ、食い下がることもできずに首を撥ねられていたであろう。

 

「あれ?」

 

戦いを見守っていた立香が首を傾げる。

戦況は小次郎が一拍を置いた隙にジークフリードとの立ち回りに代わっており、彼の『悪竜の血鎧(アーマー・オブ・ファヴニール)』によってファントムの攻撃は悉く弾かれてしまう。

加えて彼の剛力から繰り出される剣はファントムに一撃で致命傷を与える為、彼は攻撃よりも防御に専念をせざるをえなかった。

稀代の剣士と侍を前にして、誰の目が見てもファントムの敗色は濃厚。

だが、予想に反して彼は倒れることなく食い下がり、2人に対して着実にダメージを蓄積させていく。

ここに来て立香が首を傾げた理由にカドックも思い至った。

ファントムは巧みに立ち回り、2体1の状況を作らないようにしているのだ。

オペラ座の怪人として凶行を重ねた殺人鬼のカンが成せる業であろうか。

うまく2人を同士討ちの可能性がある位置へと誘導し、全力での攻撃を封じている。

全力が振るえねばジークフリードは固いだけの盾であり、速度を落とした小次郎の剣ではファントムの首は落とせない。

やがて先に体力が尽きた小次郎の足をファントムが切り裂くと、負けを悟ったジークフリードが振り下ろす寸前であった剣を下し敗北を宣言する。

 

「俺達の負けだ。元よりこれは殺し合いではない。ここまで粘られた以上、敗北を認めるしかないだろう」

 

「殺人鬼に後れを取ったことを省みるべきか、同じアサシンであることを誇るべきか。複雑よの」

 

「汝たちの音は重奏とならず、重ならぬ響きは不協和音。雑念は捨てよ、喝采を拒め。LaLaLa、LaLaLa」

 

高らかに凱歌を歌うファントムの言葉を要約するとするならば、2人が息を合わせて戦っていたらもっと早くに負けていたということだろうか。

確かに2人は全くタイプが異なる剣士だ。実力が高すぎて平素ならば問題にならぬのだろうが、こうして粘られると相性の悪さが露呈するのだろう。

 

「なるほど音楽性ならぬ剣術性の違いというやつか」

 

「うむ、ならば『ドラゴンスレイヤー』はこれで解散かな。普通の竜殺しに戻る時が来たか」

 

この後、ギャラで酒の席でもどうかな、などと話しながらジークフリードと小次郎は去っていく。

後に解散コンサートという名の決闘が武道館にて行われるのだが、それはまた別のお話である。

 

「えっと、クランクアップで良いのかな?」

 

「普通の竜殺し……普通の竜殺しとはいったい……」

 

 

 

 

 

 

 

その後もローマ・スパルタ・圧制との鬼ごっこ企画『run for muscle 筋トレ中』、何故か友達を紹介させられた『アマデウスアワー、罵っていいとも』、オリオン(熊)のグラビア撮影、メディア・リリィ主演『101回目の離婚調停』と実にバラエティ豊かな企画に参加しつつ、遂にカドック達はアナスタシアが待ち受けているであろう特別スタジオがある最上階へと辿り着いた。

 

「い、いよいよだな」

 

「カドック、カツラ被ったままだよ」

 

「ファントム、これやる」

 

「LaLaLa」

 

舞台衣装のカツラ(ハゲ)を押し付け、何事もなかったかのように特別スタジオを書かれた電光看板を見上げる。

この先にアナスタシアとマシュがいる。

何故、こんなふざけたことをしでかしたのか聞き出さねばならない。

場合によってはきついお灸を据えることもあるだろう。

 

「いくぞ」

 

気合を入れ直し、扉を開ける。

直後、目に飛び込んできた光景にカドック達は凍り付いた。

 

「はーい、マジカルシールダー、マシュリンだよ。えへん」

 

そこには、フリフリのステージ衣装に身を包んだマシュが盾を構えてポーズを決めていた。

色合いは彼女の礼装と同じ黒や紺色の系統で統一されており、ところどころに白のフリルが施されている。

足は黒のソックスとガーダーベルト。スカートは短い癖にボリュームがあり、されとて下着が見えないように白いふらふらとしたものが生地の下から見え隠れしている。

そして胸元には青い大きなリボンがあしらわれており、彼女の大きな北半球が絶妙な面積を垣間見せていた。

隠そうとはせず、下品に露出させることもない。魅せたいけど見せられないという乙女の恥じらいのようなものが感じられた。

よく見ると腕や足にもアクセサリーを身に付けている。

あれは精巧に作られたマシュの盾のレプリカだ。光を反射する盾の銀細工が可愛らしさの中に凛とした佇まいを醸し出している。

そして、たった今、気づいたことだが腕を持ち上げた時、ほんの少しだけお腹が見えるように布地が切り詰められている。

この衣装をデザインした者は彼女の魅力がどこにあるのかということをよく理解している。

なお、眼鏡は標準装備である。

 

(はっ……僕は何を……)

 

思わず呆けていた自分が情けなくて頬を叩き、意識を呼び覚ます。

隣では立香が自分以上にダメージを受けてノックダウンしているが、この際無視することにしよう。

 

「キリエライト、アナスタシアはどこだ?」

 

「ここにいます。よくぞここまで辿り着きました、特等席にご招待しましょう」

 

スポットライトが当たり、アナスタシアの姿が露になる。

彼女が座っていたのは審査員席だった。

よく見るとこの舞台は歌番組のセットのようだ。

奥には点数を示す電光掲示板。反対側は観客席になっており、多くの獣人達で埋め尽くされていた。

 

「『ロマノフ音楽祭』。それがここで行われている最高の歌謡ショーです。マシュはここで最高のアイドルになるの」

 

「あの、わたしはただ無理やり連れてこられて……」

 

「誰でもシンデレラになれるのよ」

 

「アナスタシア、シンデレラは12時に魔法が解けるし衣装も馬車も全部他人が用意したものだろう」

 

「お黙りなさい、夢も希望もないのですか。全てはあなたのためだというのに」

 

「……なんだって?」

 

彼女は今、何と言った?

全て、自分のため?

 

「どういうことだ、アナスタシア?」

 

「いいえ、最早語る言葉は無用。ここがステージならばやるべきことはただ一つ。さあ、盛大に奏でなさい獣人バンド!」

 

アナスタシアが指を鳴らすと、どこからともなく現れた数人の獣人達が手にした楽器を奏で始める。

演奏の内容はカドックが好んで聞くロックンロール。だが、どういう訳かその音を聞いた瞬間、体からどんどん力が抜けていった。

魔術回路を励起させ、状態異常の回復を試みるもうまくいかず、やがては立っていることすら困難となってしまい、地べたに座り込むしかなかった。

 

「これぞ戦場(いくさば)を彩る獣人バンド。ネロ皇帝の逸話を参考に、最後まで演奏を聴いてもらえるよう聞く者を脱力させる効果が出るように機材を調整したの」

 

「参考にするところ、違うだろ……」

 

だが、実際に手足に力は入らず、動くことができない。

そうこうしている内に四肢の末端が少しずつ凍り始めていった。

獣人バンドの演奏で動くことができない自分達を、アナスタシアが順番に凍り付かせていっている。

 

「さあ、氷漬けにして特等席で聞かせてあげる。最高の歌謡ショーを」

 

「や、やめろ」

 

「うむ。戯れもそこまでにするといい、クリスティーヌ足らんとする者よ」

 

獣人バンドの演奏にも負けない、凛とした張りのある声がステージに響き渡る。

ファントムだ。ファントム・ジ・オペラ。

いつもの歌うような話し方ではなく、ハッキリと聞き取ることができる言葉を彼は発している。

 

「何のつもりの当てこすり。私が歌姫(クリスティーヌ)ですって?」

 

「左様。ああ、だが語る舌は持てぬ……これ以上は……おお、クリスティーヌ。おお、お前に、お前の進む道を、我が血塗られた手が切り開こう。おお、クリスティーヌ」

 

再びいつものように歌い出したファントムは自らの宝具を出現させる。

華々しいステージに似つかわしくない、骨を重ねて作り上げられた魔のパイプオルガン。

獣人バンドの力で魔力も体力も奪われ、指先を満足に動かすことさえ困難であるというのに、彼はその苦しみを感じさせない気迫で演奏を開始する。

奏でられるは魔の旋律。沸き起こるは魔の戦慄。

これぞオペラ座の怪人として現界した彼の至宝。

ただ1人の歌姫のために積み上げられた屍の山。

 

「歌え歌え我が天使。『地獄にこそ響け我が愛の唄(クリスティーヌ・クリスティーヌ)』」

 

決して広くはないステージで、2つの音楽がぶつかり合った。

獣人バンド達の魂の叫びと怪人の魔の演奏。

互いに譲れぬものが激しく火花を散らし、それぞれの音を相殺する。

それは同時に、音の呪縛からの解放も意味していた。

 

『走れ、カドックくん! 皇女が持つ扇子だ。それが加工された聖杯。この特異点を生み出したものだ!』

 

「っ……アナスタシア!」

 

残った魔力を総動員し、凍結を砕いて走り出す。

ファントムもどこまで持つかわからない。この数秒で勝負を決しなければ、彼女を止めることができない。

 

「音楽が……だからとて、ここで終わる訳には……」

 

こちらを凍らせるつもりなのか、アナスタシアの視線が注がれる。

だが、彼女が魔術を行使する寸前で、立香の放ったガンドが彼女の動きを止める。

その隙に、カドックは床を蹴る足に力を込めて一気に距離を詰めた。

決着は、余りに呆気ないものだった。

手から弾かれた聖杯はマシュが回収し、押し倒されたアナスタシアは観念したかのように顔を手で覆って動かない。

いつの間にか階下にいたサーヴァント達も様子を伺いに、ステージの周りに集まってきていた。

 

「アナスタシア、どうしてこんなことを?」

 

「……あなたのためです」

 

「……?」

 

「ハロウィンでのあなたを見て、私は心を痛めました。あなたは本当に音楽が好きなのに、あのライブで負う必要もない瑕を受けて。それでなくとも最近のあなたは人理だ研究だと趣味を封じて自分を高めることばかり。あなたから笑顔が消えたのはもう遥か昔。だから、あなたが喜ぶことを……そう、最高の歌謡ショーを私は企画したの」

 

「…………」

 

余りの衝撃に言葉が出てこなかった。

エントランスでこの異変の原因は立香だと立腹したのがもうずっと前のようだ。

実際は自分の方に原因があって、彼女はそのために今回の騒動を引き起こしたというのに。

 

「……待て、それとキリエライトはどう関係あるんだ?」

 

特異点の発生はこの際、置いておこう。

自分に気を使ってくれたのは嬉しいし、ロック以外はそこまで聞く訳ではないが音楽は好きだ。

歌謡ショー、おおいに結構。

ただ、何故それがマシュを巻き込むことに繋がるのだろうか?

 

「決まっています。歌謡ショーには目玉となる歌手が必要でしょう。マシュのポテンシャルは計り知れないものがあります。そのためにマシュをSランクアイドルに仕立て上げ、視聴率1位を目指す。そしてゆくゆくはロマノフTVから世界に売り出すの。目指せトップアイドル、夢は全米デビューよ」

 

いったい、この皇女は、何を言っているんだろうか。

 

「あれだね、目的と手段が入れ替わってる」

 

『番組を盛り上げるためのアイドルを売り出す事ばかりに目がいって、何のために歌番組を作ろうとしたのかを忘れているね』

 

(すまない。こんなサーヴァントで本当にすまない)

 

彼女は生前、悪戯の度が過ぎて周りから小悪魔と呼ばれていたようだが、なるほどこの暴走っぷりではそれも頷けるというもの。

 

「クリスティーヌ、おおクリスティーヌ。彼女を責めるな。マスター(クリスティーヌ)サーヴァント(クリスティーヌ)はお前のために歌姫(クリスティーヌ)足らんとしたのだ。暗い水底で我が垣間見た光、おお、あのクリスティーヌの微笑みと喝采が汝にもたらされんことを。おお、クリスティーヌ」

 

「カドックさん、わたしからもお願いします。彼女に悪気はなかったんです。ただ、ちょっと空回ってしまったというか……」

 

最初に協力を求められた時は、純粋にカドックのことを思ってのことだったらしい。

2人で歌を練習してマスターに披露する。そういう段取りだったとのことだ。

ただ、マシュの歌を聞いて惚れこんだアナスタシアが徐々に裏方に回るようになり、それがどんどんエスカレートしていった結果、現在のアナPが出来上がってしまったらしい。

 

『カドックくん、これは君でないと収拾がつかないよ』

 

「あ、ああ」

 

このまま放っておくと、どんどん彼女の行動が悪い方へ傾いてしまう。

今ならまだ、実害はマシュと一部のサーヴァントだけで済んでいるが、このまま悪化すればカルデアを巻き込んで次々とおかしな番組撮影に没頭してしまい、人理修復どころではなくなってしまうかもしれない。

まだ取り返しがつく内に、彼女を諭して止めさせなければならない。

 

「アナスタシア」

 

アナスタシアを起き上がらせ、自分の顔を彼女の目線に合わせる。

逃げられないように、しっかりと肩を掴んで。

 

「はい、何でしょう」

 

「君の気持ちはありがたい。けど……」

 

「けど?」

 

「キリエライトや他の人を巻き込むのは……やり過ぎだ……」

 

「はい……」

 

「…………君がいい」

 

一瞬、恥ずかしさが勝ってうまく言葉が出なかった。

だから、すぐに気持ちを奮い起こして言い直す。

こんなこと、普段は絶対に言えないのだ。

気持ちが揺るがない内に、ハッキリと、言葉にしなければならない。

 

「君の歌を……聞かせて欲しい」

 

「けど、マシュの方が歌も上手くて……」

 

「君がいいんだ」

 

「さっきの戦いで、セットも壊れてしまったわ」

 

「関係ない。テレビなんて関係ない。歌が聞ければ、それでいいんだ」

 

彼女の言う通り、最近の自分はグランドオーダーのことばかり考えていて心に余裕がなかった。

アナスタシアはそんな自分のことを心配して今回の騒動を起こしたのだ。

だが、それは同時に彼女自身の心の不安定さも浮き彫りとなった。

エレベーターの中で立香と話していた、何故ここには獣人しかいないのかという疑問の答えだ。

彼女は本心では人と接することを恐れている。

だからテレビなんて回りくどい方法を選択したのだ。

カラオケでも生演奏でもいくらでも方法はあるのに、わざわざ番組を収録して放映するという方法を選んだのだ。

常に一歩引いてしまう彼女と向き合うためには、こうして目を合わせて本心を口にするしかない。

 

「僕に聞かせて欲しいんだ。君の歌を……」

 

カルデアの面々がこれを見ていることを記憶から消し、目の前のアナスタシアにだけ注視する。

これでうまくいっただろうか。

自分の偽らざる本心をぶつけたのだ。きっと彼女に届いているはずだ。

 

「途中で、歌詞を忘れるかもしれません」

 

「構わない」

 

「足の持病で踊れません」

 

「気にしない」

 

「……最後まで、特等席で聞いていてね」

 

「もちろん、聞かせてもらう」

 

彼女から距離をとり、観客席の最前列に座る。

他の面々も、いつの間にか席に着いていた。

立香も、マシュも、サーヴァントやカルデアのスタッフ達も、みんながアナスタシアの動向を伺っている。

やがて、意を決したアナスタシアはマイクを拾って立ち上がると、身に付けていたスパンコールドレスを脱ぎ捨てた。

その下から露になったのは、ちゃっかりと用意していた自分専用のステージ衣装。

マシュとお揃いのデザインで、純白や薄い水色で統一されたフリルのスカート。

髪をかき上げたカチューシャがチャームポイントだ。

もちろん片手にはヴィイ、そしてもう片方の手でマイクを握り、ステージの上でイントロの再生を促す。

 

「さあ、ついて来れる方だけついてきて!」

 

獣人バンドとファントムのセッションが始まった。

即興の、とても拙いラブソング。

振り付けもなく、音程も不確かで、間違っても公共の電波には流せない代物だ。

けれど、文句を言う者は誰もいなかった。そんな奴がいればカドック自ら殴りつけるつもりだった。

だって、彼女は今、輝いている。

自分のために、一生懸命歌を歌ってくれている。

 

「特等席か……」

 

「カドック?」

 

「藤丸、お前楽器は?」

 

「えっと……タンバリンなら」

 

「よし、キリエライトも来い」

 

「え、ちょっと」

 

立香とマシュの手を取り、ステージに上がる。

バンドマンの1人からギターを掻っ攫うと、景気付けに大きく鳴らしてソロ演奏を始める。

反対側では立香が渡されたタンバリンを恥ずかしそうに鳴らしながらステップを踏んでおり、マシュもアナスタシアと肩を寄せ合いながら歌を歌う。

視界の端では乱入しようとしている2人のエリザベートをスパルタクスが笑顔で羽交い絞めにしている姿が見えた。

やがて歌が終わると、誰からというでなく拍手の渦が巻き起こる。

これがこの微小特異点、獣国音楽祭アナスタシアの顛末。

1人の少女の空回りが巻き起こした、ささやかなイベントであった。

 

「はいみなさん、お疲れ様です。はい、チーズ」

 

 

 

 

 

 

話は再び、第四特異点攻略後のカルデアに戻る。

藤丸立香の昏睡事件から数日後、無事に立香は眠りから目を覚ました。

メディカルチェックの結果も良好。どこにも異常はなく、すぐにでもグランドオーダーに復帰できるらしい。

 

「そうか、巌窟王か」

 

談話スペースに腰かけて立香から聞いた話を整理すると、彼はソロモン王の邪視を受けて魂を夢の監獄に囚われてしまったらしい。

だが、巌窟王と名乗るサーヴァントの力を借りることでこれを脱し、目覚めることができたのだそうだ。

巌窟王というのは恐らく、モンテ・クリスト伯かその本名であるエドモン・ダンテスのことだろう。

友人達に裏切られて監獄に捕まり、脱走の後に彼らを仇と狙う復讐者。

アヴェンジャーというクラスに相応しい男だ。

そして、何故自分ではなく立香がソロモン王の手にかかったのか。

それはロンドンでの邂逅の際、アナスタシアが自分の視界を凍らせたからだ。

故に魔術王と視線を合わせずに済み、彼の呪いを受けることなく帰還することができた。

恐らく、立香を診た時も彼女はそのことに気づいていたのだろうが、マシュを心配させるだけだと思い、口を閉ざしたのだろう。

 

「彼とはまた会える気がするんだ」

 

「監獄塔に囚われた復讐者か……お前も負けず劣らず厄介な縁を持ってくるな」

 

時計のアラームが鳴る。

リハビリの時間だ。

ロマニの見立てではもう少し体が動くようになれば、グランドオーダーに復帰してもいいとのことだ。

いいかげん、実戦から遠のき過ぎて体も鈍っている。未だ強大な力を持つ魔術王への不安はあるが、だからといってカルデアで大人しくしている訳にもいかない。

何もしなければ2017年が訪れない以上、とにかく行動し続けなければならない。

 

「カドック、写真落ちたよ」

 

「ああ、すまない」

 

「あの時の写真だね、俺も持っている」

 

「ゲオルギウスが撮っていたんだ。もう、随分昔みたいな気がするよ」

 

写真をポケットに収め、立香に背を向けて歩き出す。

立香もまた、自室に戻るために通路の反対側へと歩き出した。

2人は知らない。

その何気ないやり取りが、次の特異点で起こるある出来事を暗喩していたことに。

 

 

 

A.D.2009 獣国音楽祭 アナスタシア

人理定礎値:-

放映終了(ご視聴ありがとうございました)




というわけで書いてみましたオリジナルイベント。
配布鯖……星4ルーラー・アナスタシアか星4バーサーカー・アナスタシアでどうでしょう?

次回は5章なのでしばらく構成煮詰めるために北米プレイバックします。


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第五特異点 北米神話大戦イ・プルーリバス・ウナム
北米神話大戦イ・プルーリバス・ウナム 第1節


――――銃声が轟いた。

視界が明滅し、世界が渦を巻いて反転する。

見上げた天井は高く、何人もの男達がこちらを見下ろしている。

何が起きたのかわからない。いや、わかってはいても心が理解を拒絶する。

だから、熱を持ったこの痛みが何なのかもわからない。

それでも痛みは一秒ごとに加速していき、途方もない混乱と引きずり込まれるような恐怖が襲ってくる。

救いを求めて伸ばした手は、虚しく空を切るばかりだった。

目の前で倒れている両親が、すぐ近くのようにも遥か遠くにいるようにも見えてしまう。

傍らでは姉たちが血を流して倒れていた。まだ息があるのか微かに動いている。

アレクセイはどうなっただろうか。

血友症の弟は少しの傷でもなかなか出血が止まらない。痛みで泣いてはいないかと場違いな心配が頭を過ぎる。

それが無意味な心配であるとわかってはいたが、探さずにはいられなかった。

どこにいるかはすぐにわかる。

姿が見えなくとも、声が聞こえずとも、自分達は一心同体だ。

首を動かせばすぐそこにいる。

小さな可愛い弟の姿が。自分と同じように痛みに震える姿が見える。

ああ、見えてしまった。

刃を突き立てられ、倒れていく小さな体が。

突き付けられた銃口が、可愛らしくも勇ましい弟の横顔を撃ち抜く瞬間を。

3人の姉もそれに続く。

無数にも思える銃声、無慈悲に突き立てられる銃剣、容赦なく打ち下される銃床。

終わってしまうと心が嘆く。

今日までの努力、今日までの逃避が意味を成さなくなる。

わかっていた。

こうなることはわかっていた。

自分達に逃げる場所はなく、生かされる場所もない。

この世界で生きていていい場所がないことくらい、幼い弟でも知っていた。

それでも願っていた。

昨日までと同じ一日が、今日も訪れて欲しいと。

けれど、結局は無駄だったのだ。

どんなに拒絶しても終わりは訪れる。

どれほど願っても死はもたらされる。

ならば、最初から願わない方が良かった。

生きたいなどと思わず、ただ流れに任せておけば、この日の痛みも受け入れられただろうか。

あの生きたまま死んでいく毎日に抗い、生きたいと笑っていたことが無為であったのだろうか。

ならばもう必要ない。

命が失われる瞬間がこんなにも苦しいのなら、もう生きたいなどと思わない。

そう思った瞬間、心が凍てついた。

そして、嘲笑う兵士達に浮かび上がる、最高の憎悪。

瞬間、苦痛は快感に反転する。

殺してやると少女(わたくし)は祈る。

昨日までの自分を、明日を夢見て道化を演じた自分を殺したこの男達を許さないと。

ただ生きたいと願った少女の思いを踏みにじったこの野蛮な兵士達を許さないと。

すると、声が聞こえた。

ああ、この声はいつも、いつも私の側にいた。

姉さん(オリガ)も、姉さん(タチアナ)も、マリアも、アレクセイも、パパもママも気づかなかったけれど、この声はずっと聞こえていた。

悪戯をする時や、木に登った時も、いつも聞こえていた。

けれど、守護天使とかそういう存在ではないことは理解していた。

何しろ、今、こうして、自分は死んでいる。

三秒後に死ぬ自分を、ただ「彼」は見ていた。

じっと見つめていた。

殺意に応じて召喚された幻想の生物。

ロマノフの血を引き、素養ある者にのみ姿を現す魔眼の怪物。

その眼を通して全てが視える。

野蛮な男達に服を引き剥がされ、肉体をバラバラにされ、土に埋もれてなお、それを把握できるだけの意識が自分にはあった。

故にそれを遂行した兵士たちには、二度と安息が訪れないように。

私は全てを視ていた。

殺してなどやらない。

一生涯を不安に怯え続けろ。ヴィイ(わたし)が視ているぞ

お前達の罪を暴き、反省をくりぬき続ける。

だから、ずっと見ている。死ぬまで視ている。

ずっとずっとずっと。

 

――――ああ、もう、暗黒の空しか思い出せない

 

 

 

 

 

 

各部位の痛みやしこり、なし。

一定時間の直立、問題なし。

一定距離の歩行、問題なし。

関節の可動、問題なし。

精密作業、一部問題あり。

淡々と告げられる検査結果を、カドックは粛々とした態度で受け入れる。

この2ヵ月ほどの間、リハビリに集中したことで体はほとんど前を同じように動けるようになった。シミュレーターでの訓練も問題なく行えており、後はロマニからのお墨付きをもらうだけである。

 

「……正直に言うと、もう少しの間、リハビリに専念してもらい」

 

「…………」

 

「けれど、君をこれ以上、休ませておける余裕がない。医学的に君はもう健康だ」

 

「それは、つまり?」

 

「ああ、退院おめでとうと言わせてもらうよ。一応ね」

 

「……そうか」

 

思わず安堵の息が漏れる。

ここまで回復していてまだリハビリが続くようなら、グランドオーダーへの復帰は絶望的だ。

志半ばで旅が終わるなんてことにならず、一先ずは安心を得る。

だが、喜ばしいことであるはずなのに、いまいち気持ちが晴れないのは何故だろうか。

そんなことは決まっている。今朝の悪夢のせいだ。

生前のアナスタシアの記憶。今朝の悪夢は彼女の最期の瞬間だった。

明るい少女として振る舞い、道化を演じることでしか抗えなかったか弱き皇女の最期。

憎悪も無念も生々しく、赤の他人が垣間見るにはおぞましくて吐き気が込み上げてきた。

あの瞬間、彼女は生きることへの希望を捨て去ったのだ。

死の直前まで明日を夢見ていた少女は、己の命の灯火が消え去る瞬間に、自分自身を裏切らねばならぬほどの憎悪を抱いてしまった。

そうしなければ、自分の死すら受け入れられなかった。

そして、その思いにヴィイが応えたことで、彼女は英霊として人類史に刻まれた。

余りに儚い、三秒間の契約。

それが英霊アナスタシアの全てであった。

垣間見た夢への怒りがあった。

彼女が抱いた諦観を否定したかった。

人が死ぬのは当たり前だ。そこに苦悩し涙するなんて間違っている。

特に魔術師はそういう人種だ。根源という果てを目指す以上、誰もが辿り着くのは死による挫折でしかなく、そこに至るまでに何を成せたかを評価する。

だから、その生き様は無意味なものだったのかもしれないが、無価値なものでは決してないはずだ。

なのに言葉が喉につかえる。

口にすると余りに白々しい。

生者がどれほど雄弁に語ろうと、死者である彼女の胸にはきっと響かない。

証明するしかないのだ。

自分の生命に釣り合う価値あるものが、世界にはあると。

例え無為でも抗い続けた先にしか掴めないものはあると。

彼女の死は動かず、死への恐怖は変わらずとも、その捉え方はきっと変えられるはずだ。

 

(そのためにも、魔術王に……ソロモンに、勝つ)

 

不可能に挑む。

グランドオーダーの先に待つ、強大な敵を倒す。

世界を救うという偉業を成し、あの冬木の街での約束を果たすのだ。

そのためにも次の特異点修正は必ず成し遂げてみせる。

 

「カドックくん、大丈夫かい?」

 

「……何が?」

 

「呆けていたようだけど」

 

「別に、何でもない」

 

「そう。まあ、左手のことは気にするなとは言えないよね。カルデアの医療設備ではこれが限界だ」

 

こちらがケガのことを気にして黙っていたと思ったのか、ロマニは謝罪の言葉を述べる。

体幹筋の低下は筋肉をつけ直したことで何とか補えたが、左手の麻痺だけはどうしても治らなかったのだ。

動かない訳ではないが、指先を使った細かい作業は行えない。

骨格も歪んでいるようで、左右で手足の長さも微妙に違うらしい。

大分慣れたが、それでも体の違和感は拭いきれなかった。

とはいえ魔術を併用すれば片手でも重いものは持てるし、自分の本分は戦闘ではなく後方指揮だ。

この程度の後遺症は問題にはならないだろう。

 

「ドクターはよくやっているよ」

 

「その言葉、そっくり君に返させてもらうよ。最近、遅くまで勉強しているそうじゃないか。藤丸くんのこと、とやかく言えないよ」

 

「睡眠はきちんと取っている」

 

「魔術で強制的に疲労を飛ばしているだけだろう。結果が同じなら何をしてもいいなんて考えない方が良い」

 

図星を刺され、言葉に詰まる。

確かにその通りだ。

与えられたリハビリをこなし、空いた時間は魔術の研鑽とグランドオーダーへの対策に費やした。

ソロモン王の逸話の再解釈、より効率的な術式への改良、今までは不必要と思っていた現代科学の知識にも手を出した。

自分でもわかっている。これは単に怯えているだけなのだと。

ロンドンで邂逅した魔術王の力、その片鱗に触れただけで気が遠退きそうになった。

相手は魔術師の最高峰、頂点に君臨するグランドクラス。自分のような凡人はおろか、Aチームが健在であった頃のリーダーであったヴォーダイムが逆立ちしても勝てないであろう。

魔術師として同じ土俵で戦うことはできない。相対すれば無様な死が待っているだけだ。

だから、他のものでその差を埋める。それが例え魔術師としての在り方に反する行いであったとしても。

アナスタシアのためにも自分は勝たねばならないのだ。

今を生きる70億の命と、そこに至るまでに積み重ねられた歴史を護るためにも、魔術王を倒さねばならないのだ。

 

「僕は正常だ」

 

「そうだね、君の反応は実に真っ当だ。だが指揮官からすれば君は酷く冷静さを欠いているように見える」

 

「相手は魔術王だ。なら、やれる手は尽くさないと」

 

「それはボクが考え決めるべきことだ。少し頭を冷やして周りを見るんだ。君1人でグランドオーダーを遂行しているわけじゃない」

 

「……そうだな、少し冷静さを欠いていた」

 

「切り替えが早くて助かるよ。マシュもこれくらい聞き分けがよければいいのにね」

 

「……彼女が?」

 

あの何でも素直に言うことを聞きそうなマシュが、とつい聞き返してしまう。

するとロマニは、大きなため息を一つ吐いて額を小突いてきた。

 

「ほら、やっぱり何も見えていない。彼女、意外と頑固だよ。体調が芳しくないから休ませたいのに入院を拒否されてね。まったく誰に似たんだか」

 

小さく笑うロマニの顔は、呆れているようにも寂しがっているようにも見えた。

その様子をカドックは、突かれた額を擦りながら不思議そうに見上げるのだった。

 

 

 

 

 

 

管制室でいつものブリーフィングが行われる。

微小特異点も含めてこれまで何度も繰り返してきた光景だが、今回は今までと雰囲気が違った。

管制スタッフも含め、張り詰めた空気が漂っている。

ロンドンで遭遇した人理焼却の黒幕、魔術王ソロモンの存在が否がおうにも暗い影を差しているのだ。

 

「ロンドンの戦いで、敵は魔術王ソロモンと明らかになった」

 

口火を切ったロマニの顔は真剣そのもので、普段のどこか気の抜けた雰囲気は微塵も感じさせない。

いつも通りなのはモナ・リザの顔を複写しているダ・ヴィンチくらいだ。

 

「これはボクの推察だけど、魔術王は基本的には手を出してこない」

 

ロンドンでの短いやり取りの中で、ソロモンはカルデアを脅威とは見なしていないことが察せられた。

加えて人理焼却の起点となる特異点は1つでも取りこぼせば人類史の修正は不可能となり、それ故にソロモンは第四特異点攻略まで静観を決め込んでいたのだ。

なので、今後も表立っての妨害を仕掛けてくる可能性は低い。

カルデアをそこまでの脅威と見なしているのなら、彼はもっと早くに行動に出ていたはずだし、ロンドンからの帰還も叶わなかったはずだ。

 

「では、引き続き特異点を修正する、という作戦内容でいいのですね?」

 

「ああ、まずは人類史を正しいカタチに戻す。問題は――」

 

「魔術王への対処だね」

 

ダ・ヴィンチの言葉をロマニは静かに肯定する。

カルデアが人類史から孤立し漂流しているように、ソロモンもまたどこかの時間の中に潜んでいる。

現状ではそれを突き止める手段はない。

また彼が使役する魔神――魔神柱は七十二柱が存在することを前提とした一種の魔術式だ。

ここまでで三柱の魔神柱を倒してきたが、それもすぐに補填されることだろう。

ソロモン王を倒さない限り、七十二の魔神をこの惑星から消し去ることができない。

仮に全ての特異点を修正できたとしても、この2つの問題をどうにかしなければまたソロモン王は人理焼却を繰り返すだろう。

はっきり言って打つ手がなく、余りに暗い先行きだ。

 

「そちらについては一先ず置いておこう。まずは目の前の特異点だ」

 

ロマニが端末を操作すると、カルデアスに光点が灯る。

場所は北米大陸。時間座標は1783年と出ている。

丁度、独立戦争が行われている時代だ。

 

「今回のレイシフト先はなんと北アメリカ大陸。俗にいうアメリカ合衆国と呼ばれる超大国だ」

 

歴史上においてアメリカの誕生は外すことができない大事件だ。

世界中から多くの移民が集まり、未開の大陸を切り開いて新しい国家を建国した。

国としての歴史が浅い代わりに懐が広く、貪欲にその手を広げて世界に影響を及ぼすまでになった開拓の精神。

フランスが自由という概念を生み出したのだとしたら、アメリカは自由という概念を押し広げた国だ。歴史の上での重要度はローマ帝国に匹敵すると見ていいだろう。

一方で魔術の観点からすればあのような片田舎は歯牙にもかけられていない。

何しろ歴史が浅い。それだけで魔術師にとって重要度が下がる。

無論、先住民による精霊信仰とそこから派生した降霊魔術の存在も確認でき、魔術的な文化が皆無な訳ではないが、東洋呪術が協会では学問として認められていないのと同じように、新興国で起こった魔術を重視する者は非常に少ない。

 

「カドック、アメリカの英霊って誰がいた?」

 

「ビリー・ザ・キッドやバッファロー・ビル。保安官や悪漢の類が多いだろうな。何しろ叛逆で成り立った国だ。法の体現者……それもとびきりのアウトローな奴らが目白押しだ」

 

或いはインディアンの戦士ジェロニモ、独立戦争ならばアメリカ初の英雄となるジョン・ポール・ジョーンズ。

民衆のために為政者と戦ったゾロ、アラモ砦の戦いで命を落としたジェームズ・ボウイなどなど。

今までに出会った英雄達とは毛並みの違う、アクの強い連中ばかりだ。

今度もそういった英霊達と協力し、特異点の修正にあたることになる。

何も変わらない。

いつも通り現地へ飛び、任務を遂行するだけだ。

特異点を修正し、魔術王の企みを阻止する。

それだけだ。

 

「カドック、具合でも悪いの?」

 

コフィンに入る直前になって、アナスタシアが心配そうにこちらを見上げてくる。

一瞬、前に夢で見た彼女の生前を思い出して言葉に詰まるが、すぐにいつもの調子で言葉を返す。

何も問題はない。

自分はいつも通り、冷静だ。

 

「大丈夫だ。手が使えなくても魔術は使えるし、何より君がいる。心配する事はないさ」

 

「そうじゃないの。あなた、とても緊張しているから」

 

「僕が? そんな訳ないだろ。もう5回目の特異点だ。すっかり慣れたよ」

 

「ううん、そうじゃなくて……いえ、そうね。あなたがそう言うのならそうなのでしょうね。行きましょうマスター、五度目の旅へ」

 

「え? あ、ああ……」

 

何だかいつもの彼女らしくない態度に首を捻るが、アナスタシアはこちらを無視してサッさと自分のコフィンの中に潜り込んでしまう。

仕方なくカドックも自分に宛がわれたコフィンに入ると、レイシフトが始まるまでしばしの瞑想に入った。

考えることは余りに多い。

北米の状況把握、現地でどれほどの協力者を得られるか、敵は誰で何を企んでいるのか。

何も問題ないと言い聞かせる。

全てうまくいく、きっと。

そうすれば魔術王の打倒に近づける。

そう、証明するのだ。

自分のような凡人でも何かを成せると。

 

 ──アンサモンプログラム スタート。

 

 ──霊子変換を開始 します。

 

 ──レイシフト開始まで あと3、2、1……

 

 全行程クリア。グランドオーダー 実証を 開始 します──。

 

意識が途絶える。

それがカルデアが観測したカドック・ゼムルプスの最後の瞬間であった。

第五のグランドオーダーにおいて、カドックは再び歴史の漂流者となった。




はい、北米編の始まりです。
もう何度目だカドックの遭難。
実は冬木以降も書こうと決めた時に最初にプロットが仕上がったのが北米だったりします(終局は除く)。つまりすごくやりたいシーンがあります。
6章以降のことも考えてここでカドックくんには一山超えてもらわないとですからねぇ(笑)

追伸
先日、青王様を遂に当カルデアにお迎えできました(水着に来て欲しかったのはナイショ)。
そしたらその次に礼装「ナイツ・オブ・マリーンズ」が来ました。
お前らそんなに我が王好きならサーヴァントで来いよ(笑)。


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北米神話大戦イ・プルーリバス・ウナム 第2節

薄暗い地下牢の中で、立香はここまでの出来事を思い返していた。

時刻は昼時を回った頃合いだろうか。空が見えなくとも体内時計でだいたいの時間が割り出せるようになった。

空腹を紛らわせるためにも考え事を続けるのは悪くないアイディアのはずだ。

まずは現状について。

北米大陸は南北戦争ならぬ東西戦争の真っ只中であった。

アメリカは突如として現れたケルトの軍勢により瞬く間に領土の半分を奪われ、生き残った者達は散り散りになりつつ西部へと撤退。

現在ははぐれサーヴァントとして召喚されたトーマス・エジソンが大統王を名乗り、西部軍として残存勢力をまとめあげて徹底抗戦を行っている。

自分達は同じくはぐれサーヴァントであり、戦場で医療活動に従事していたフローレンス・ナイチンゲールに協力を仰ぎ、特異点の修正と行方不明になったカドックとアナスタシアの捜索を行う予定であった。

だが、戦時下でどの勢力にも属さない不確定要素があることを良しとしない西部軍に囚われてしまい、こうして虜囚の身に甘んじている。

この地下牢はエジソンの側近であるキャスター・エレナ・ブラヴァツキーが講じた特殊な牢で、サーヴァントへの魔力供給を著しく阻害する働きがある。そのため、マシュもナイチンゲールも生来のか弱い女性と成り果てており、途方に暮れていた。

こうしている間にも両軍は戦いを続けており、多くの犠牲が出ているというのに、自分達は何もできずにいる。

いつもなら悔しさで胸がいっぱいになるのだが、今は不思議と冷静でいられた。

予感があった。

ここで大人しくしていれば、必ず彼が現れると。

やがて、地上へと続く階段から足音が聞こえてくる。

ゆっくりと、一段一段を踏み締めるように、時間をかけて降りてくる足音の主を待ち構える為、立香は居住まいを正した。

やがて、ほの暗い地下牢に見知った顔が姿を表す。

 

「いつかとは逆だな、藤丸立香」

 

「なら、あの時の言葉を返すよ。ここから出して欲しい、カドック大統王補佐官」

 

目の前にいるのはレイシフトの直後に行方不明となったカドックだった。

彼は如何なる経緯によるものか、エジソンの懐刀として西部軍の中枢に食い込んでいたのだ。

今の彼の役職は大統王補佐・安全保障問題担当。

この東西戦争において、実質的に西部軍の全権を預かる立場にあった。

 

「こちらに恭順を示すなら、いつでも出してやる」

 

「……本当に、そっちについたんだね」

 

地上でエジソンと邂逅した際、カドックの名を聞いて驚いた時のことを思い出す。

こんなにも早くに見つかって良かったという喜びと、どうしてエジソンに協力をしているのかという疑問。

自分がよく知る彼はいつだって前向きで厳しくも優しい先輩だった。

グランドオーダーにかける熱意も人一倍だ。

なのに今、彼はカルデアを離反して西部軍に協力することを選択している。

あまつさえ自分達のことを取り込もうとする始末だ。

 

「わかっているのかカドック! エジソンは正気じゃない。彼がケルト軍に勝利すれば、あの偽りの聖杯を手に入れたらどうなるか、君も知っているだろう!」

 

エジソンは人類史を守ることよりもアメリカの存続を優先していた。

彼はケルト軍が保有する聖杯を手に入れ、その力を使ってアメリカ合衆国を時間から切り離すことで人理焼却を乗り切ろうとしているのだ。

それはつまり、アメリカ以外の全ての国を見捨てることを意味していた。

 

「世界を救うんじゃなかったのか、カドック」

 

「お前の方こそ、どうしてエジソンの誘いを蹴ったんだ? 少なくともケルト軍を倒すという目的は同じだろう」

 

「ナイチンゲールが納得しないし、エジソンを裏切りたくもない」

 

「仲間は見捨てないって訳か。けど、ここではそんな甘い考えは通じない。もうアメリカは瀕死だ。フランスやローマよりもずっと、この国は追い詰められている。エジソンの力なくしてケルトの軍勢には勝てない」

 

フランスやローマの時と違い、生き残りをまとめ上げるカリスマがここにはいなかった。

侵略者を水際で食い止めるだけの地力がこの国にはなかった。

今、アメリカを支えているのはエジソンがもたらした科学力だ。

それなくしてはケルトの軍勢に対抗することができない。

だが、例えその判断が理に適っていたとしても、自分の気持ちに陰りが差すようなことはしたくない。

人類史に名を刻まれた偉大な英雄達と肩を並べるのだ。せめてそれに見合うだけの正直な気持ちで、正しい心で向き合いたい。

勝つために妥協するなど、自分がきっと許せなくなる。

 

「俺は君には従わない」

 

「交渉決裂だな。そこで好きなだけ眠っていろ、魔術王の企みは僕が潰す。聞こえているだろ、ドクター」

 

『ああ、ちゃんと聞こえている。令呪を弄ったね』

 

「一画使う羽目になったが、エジソンがカルデアからの強制送還をジャミングする仕掛けを施してくれた」

 

『君が本気なのは理解できたよ。ボクとしては君の案に乗りたいところだけど、藤丸くんの心情もわかるし、何より君の行動は度が過ぎている。確認したい。君は最初から、藤丸くん達がエジソンへの協力を拒むと考えていたね。だからカルデアからの干渉を妨害する措置を取った』

 

「…………」

 

『沈黙は肯定と取るよ。つまり君はエジソンの考えを容認していると思っていいんだね』

 

「…………」

 

『アメリカを活かす。そのためにカルデアも見捨てると言うんだね』

 

「…………」

 

『答えないのなら、カルデアとしてはバックアップの凍結も辞さないつもりだ』

 

「……ああ、それで構わない」

 

静かに決別を告げるカドックに対して、思わず立香は拳を振るっていた。

残念ながら鉄格子に阻まれて虚しく空を切るだけだったが、その時に一瞬だけ垣間見たカドックの悲壮な顔を忘れることはできないだろう。

ただ自棄を起こしているわけではない。あれは必死に考えた末に後悔を承知で決断した者の顔だ。

いったい、ここに来て彼に何があったのだろうか。

 

「お待ちなさい、補佐官。行くのは勝手ですがあなたも治療が必要です」

 

立ち去ろうとするカドックを、ナイチンゲールが引き留める。

クリミアの天使、看護の母である彼女は治療と病気の根絶に対して誰よりも敏感だ。

その彼女がカドックの何かを見抜き、立ち去らせまいと呼び止めている。

 

「僕は正常だ」

 

「いいえ、あなたは重篤な病に罹患しています。胸に手を当ててよく考えるのです。あなたはそれで本当に納得できるのですか」

 

「……藤丸、彼女の手綱はしっかりと握っておけ。眼を離すと何を仕出かすかわからないぞ」

 

唇を噛み締め、吐き捨てるように言うとカドックは地下牢を後にする。

立香はその背中を黙って見送ることしかできなかった。

 

(どうして……あんなにも必死でグランドオーダーに賭けていたのに)

 

決して多くを知っている訳ではないが、この旅の中で彼の生い立ちについて聞き及ぶことが何度かあった。

曰く、自分は凡人で魔術師としての歴史も浅い家柄であると。

魔術の世界については疎いので、血統がどれほど重要なのか、彼が如何に蔑ろにされてきたのかはわからないが、そのコンプレックスがあったからこそ、彼はここまで歯を食いしばって駆け抜けてきたのではないだろうか。

彼にとってカルデアとはそういう場所のはずだ。前提としてその立場を投げ出すことが許されないはずだ。なのにカドックはカルデアにいることを放棄してまでエジソンに協力する姿勢を見せている。

 

「どいてください藤丸。この檻を破壊して外に出ます」

 

言うなり、ナイチンゲールは腰から抜いた拳銃を乱射する。

先ほどまでのやり取りの余韻に浸る間すらなく、立香は跳弾を避けるために不格好なダンスを踊る羽目になった。

 

「な、何を……」

 

「ナイチンゲールさん、銃で牢を破壊するのは無理ではないかと!」

 

「いえ、少しだけ削れたような気がします。さあ、張り切って削りましょう!」

 

(どうして装備品を没収しなかったんだ、ここの軍隊は!?)

 

バーサーカーとして現界しているナイチンゲールは人の話を聞かない。

自分が必要と判断すれば例えそれが無茶で無謀で絶対に無理なことでも最短距離で突っ走るし、周囲への影響もお構いなしである。

なのでマシュが止めるのも聞かず、彼女は何発も檻に向かって引き金を引き、その度に跳ね返った銃弾がマシュの盾に当たって乾いた音を響かせた。

 

「……白衣の天使と聞いていたけれど、想像していたのとは違うようね」

 

失望とも呆れているとも取れる声が響き、何もない空間に染み出す様にアナスタシアが姿を現した。

 

「アナスタシア、あなたも無事だったんですね」

 

「ええ、マシュも元気そうで……でもないですね」

 

「はい、カドックさんが……」

 

「アナスタシア、カドックに何があったんだ?」

 

彼の様子はただ事ではない。パートナーである彼女ならば何か知っているのではないだろうか。

 

「そうね、別に何も。エジソンと出会ったこと……本当にそれだけなの。エジソンは考えを曲げないし、彼はそんなエジソンを見捨てられない」

 

カドック達はレイシフト後、いち早く北米大陸の状況を把握してエジソンに取り入ったらしい。

ケルトの軍勢は無尽蔵ともいえる兵力を送り込んできており、カルデアの戦力だけではとても敵わないからだ。

だが、偉大な発明家であるはずのエジソンはアメリカを第一とする国粋主義に傾倒しており、時代の修正は行わないと言って憚らなかった。

それでもカドックは説得を続けながらエジソンと共に戦線を駆け抜けたが、大統王を説き伏せることができず、このまま何もできずに傍観するよりはとエジソンに協力することを選択したらしい。

エジソン自身がカドックに近しい考え方をしているのも悪い方向に働いた。

彼らはどちらも自分の出自にコンプレックスがあり、努力家で負けず嫌いで合理主義だ。

エジソンの下で頭角を現したカドックは見る見るうちに西部軍の実権を握り、彼の懐刀に収まったのである。今の彼はエジソンの説得も諦め、寧ろ彼の主義主張を積極的に肯定する信奉者と化している。

考えたくはないが、このままでは本当に彼はアメリカ以外の国を見捨ててしまうかもしれない。

 

「なら、尚のことカドックさんを止めなくては。アナスタシア、ここから出してください」

 

「私にはできません。私のマスターはカドックなのです。彼がそう決めたのなら、私は従うだけ。マシュ、私からは「AM」としか言えないわ。幸運を祈ります」

 

寂しそうに表情を曇らせながら、アナスタシアは足早に階段を駆け上がっていく。

その背中を見送ったマシュは、思い詰めたように唇を噛み締めていた。

友達に裏切られる形となったことがショックだったのだろうか。いや、違う。

曇った彼女の瞳には僅かに光が宿っている。

アナスタシアの言葉の何かがマシュの心に火を灯したのだ。

脱出不可能なこの状況で、彼女は明日を諦めずに顔を上げている。

 

「ふむ、どうやら見逃してもらえたようだ。恐ろしい眼もあったものだな」

 

聞き覚えのない声が牢に響き、1人の男が姿を現した。

何かしらの宝具かスキルで隠れていたのだろうか。カルデアからの探知すらすり抜けたその男は、皮の服を纏った色黒の青年だった。

 

「サーヴァント!?」

 

「少し待て、牢を開ける」

 

看守から盗んできたのだろうか、男の手には牢の鍵が握られている。

 

「あなたはいったい?」

 

「名を明かさねば信用も得られぬか。とはいえ私の真名はおいそれと明かすものではない。伝えたところで知る者もいない。故にこう呼んでくれた方がいいだろう。ジェロニモ――我が名はジェロニモだ」

 

俗にインディアン――ネイティブアメリカンと呼ばれる先住民族であるアパッチ族の戦士。

開拓者に家族を殺され、その復讐のために立ち上がった男。

それがジェロニモだ。

あまり詳しくない立香は、槍と盾で武装し羽根飾りを身に付けた創作によくある先住民族の姿をイメージしていたが、実際の彼はどこにでもいるようなごく普通の服装をしている。変装かもしれないが。

 

「さあ、彼女が兵を引きつけている内にここを脱出しよう」

 

「彼女……ひょっとして……」

 

「はい、アナスタシアです」

 

カドックのサーヴァントである以上、表立って彼を裏切る行為はできない。

だが、彼女自身もマスターの暴走は快く思っていないのだろう。

だからジェロニモの侵入を見抜きながらも見逃してくれたのである。

どうやら今も衛兵がこちらに来ぬよう足止めをしてくれてるらしい。

 

「彼女にも精霊の導きがあらんことを祈ろう。さあ、早く」

 

ジェロニモに促され、立香達は牢を後にする。

薄暗い地下通路を駆けながら、立香には確かな確信があった。

必ずここに戻ってくる。

自分とカドックはもう一度、出会って話をしなければならない。

彼と真正面から向き合えるのは、きっと同じマスターである自分しかいないのだから。

 

 

 

 

 

 

立香達が脱走したという知らせは、すぐにカドックの耳にも入ったが、その事に対してカドックは特に何も対策を講じなかった。

理由は簡単だ。脱走者を追えるほどの余裕が今のアメリカにはない。

ケルトの戦士達は無秩序に暴れては消える蛮族ではあるが、それ故に神出鬼没で数も多い。

エジソンが生み出した機械化歩兵や最新式の銃器を大量生産し、前線に配備することで何とか均衡を保っているが、500の兵を犠牲に手に入れた拠点はたった1人のサーヴァントに奪い返されてしまい、不毛な陣取り合戦と水際作戦に明け暮れる日々を送っていた。

脱走兵を捕まえるにしろ、ケルト軍を蹴散らすにしろ、今のままでは戦力が足りない。

人も時間も兵の質も、何もかもが足りない。

 

「聞いたかね、カドック補佐官。君の友人達が逃げ出したそうだ」

 

執務室――とは名ばかりの作業場で、エジソンは報告書に目を通しながら言う。

召喚に当たって如何なる偶然が作用したのか、一介の発明家でしかないはずの彼は筋骨隆々の逞しい体と獅子の頭を持つ怪物として顕現していた。

だが、その理性と知識は健在であり、劣勢に追い込まれていたアメリカ軍を瞬く間の内に立て直し戦線を押し返した手腕は見事としか言いようがない。

 

「エジソン、僕に友人はいない」

 

「そうだったか。だが、かつての仲間と敵対するのはよい気分ではないだろう。本当に良かったのかね?」

 

「迷うくらいならここにいない。何よりエジソン、あんたは勝たなくちゃいけない人間だ」

 

「そうだとも。私は如何なる挑戦、如何なる戦いにも勝利してきた。それ故の発明王にして大統王! はははっ、君は本当に煽てるのがうまいな」

 

「別に、そんなつもりじゃ……」

 

豪快に笑うエジソンに対して、カドックの反応は冷ややかで淡白だった。

だが、彼はそれを気にすることなく受け流すと、親友に接するような気安さで背中を叩いてくる。

 

「君が来てくれたおかげで我が軍は大いに躍進した。将を任せられる者がおらず、ケルトのサーヴァント達には煮え湯を飲まされていたのだ。後は奴らに勝る数の兵力を生産し、一気に押し返すのみ。最早、勝利は決まったも同然だ」

 

「……なら、工場にはシフトの増加を通達しておこう。西海岸からの補給も昼夜を問わず行わせている。これならば新工場もすぐに増設できるだろう」

 

「大いにけっこう。無論、福利厚生は十分にな。はははっ!」

 

一しきり笑うと、エジソンは作業台の上に放置していた書きかけの設計図に目を走らせる。

彼が行っているのは機械化歩兵の改良だ。

電気で駆動し、誰にでも扱え、一定の成果を出すことができる機械化歩兵の充実と改良は西部軍にとって生命線と言える。

何しろケルトの戦士は引っ切り無しに襲いかかってくるため、兵士を育てている時間がないのだ。

より強力な機械化歩兵の増産は急務である。

これ以上の会談は彼の仕事に支障を来すと判断したカドックは、一礼してエジソンの執務室を後にした。

時計を確認し、次の予定までの空き時間を計る。

工場の視察、押されている戦線への援軍、受け入れた難民への対応、その他にもやれなければならないことは余りに多い。

最後に睡眠を取ったのはいったい、いつだっただろうか。

もう日の出を三度は眺めた気がする。

 

「カドック、少しは休んで」

 

「……ああ、大丈夫だ」

 

「そうは見えません。馬車を走らせれば30分で移動できます、それなら少しは眠れるでしょう?」

 

「……わかった、15……いや、10分したら起こして……」

 

心配そうにこちらを見つめるアナスタシアに言うと、カドックはふらつく足取りで自室の扉を開き、固い簡易ベッドの上に寝転がる。

程なくして睡魔が訪れた。

眠りたくはないと思いながらも体は言うことを聞かず、意識は闇へと落ちていく。

それは北米を訪れて、初めて迎えた休息であった。




感想でアメリカは体力が必要、移動が大変という意見がありましたが、歩かせません(笑)
とどのつまりスパルタクスの懸念が当たっというわけです。


追記
カドックとロマニのやり取りを少し修正しました。
だいたいの人が抱くであろう、エジソンと協力してその後に裏切るのがベストじゃねという考えに対するアンサーのつもりです。
協力すること自体ではなく、エジソンを正そうとしないことを問題にしています。
具体的に言うとこの状態のカドックが組したままエジソン軍が勝つと他の国が消えて惑星アメリカが誕生してしまいます。


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北米神話大戦イ・プルーリバス・ウナム 第3節

それはエジソンに協力することを決めた日の出来事だった。

 

『どうだカドックくん、我が機械化歩兵部隊の威力は。以前よりも更に改良を重ね、馬力も機動性も5%上昇したのだ。交流ではとてもこうはいくまい』

 

『機械のことはさっぱりだが、これ以上の強化は必要なのか? どうせ使い潰される兵器なら、もっと安価でもいいだろう』

 

『発明に上限はないのだよ。安く大量に作るのは当然のこと、必要なのはそこにどれだけの付加価値を付けられるかだ。それと実際に前線で戦うのは我が国民だ。彼らを1人でも多く生還させるには、やはり性能の強化は必要だよ』

 

『だが、あれが束になってもサーヴァントには敵わない』

 

『無論だ。だが、1%のひらめきがあれば後は努力で何とでもなる。私がその1%となり、彼らにアメリカの勝利を約束しよう。ならば勝ったも同然とは思わないかね? アメリカの国民ほど弛まぬ努力を怠らぬ者はいない。何しろ皆、開拓者の子孫だからね』

 

そう言って拳を握るエジソンの微笑みは、頼もしくもどこか子どもっぽい青臭さがあり、直視するのも眩しい輝きを放っていた。

その輝きは久しく忘れていた情熱を呼び起こさせた。

まだ自身の凡庸さを知らず、魔術師としての大成を夢想していた頃の幼い自分を幻視した。

1%のひらめき。自分はそれを手に入れることはできなかったけれど、この男にはそうなって欲しくない。

トーマス・エジソンには輝かしい未来が約束されて欲しい。

何故なら彼は――――。

 

『エジソン、僕を末席に加えて欲しい。あんたの――あなたの目指す国を、僕も見てみたい』

 

それが過ちの始まりとわかっていながら、カドックは仲間と袂を分かつ覚悟を決めた。

エジソンは快くそれを承諾し、任せられた仕事をこなすことでカドックは彼の信用を勝ち取った。

気づけば西部軍の実権を握る大統王補佐官の立場にまで上り詰めていた。

そして、そこからが本当の地獄の始まりだった。

戦況は刻一刻と変化している。

無限ともいえるケルトの軍勢、次々と寄せられる戦地からの要望、暗躍するレジスタンスの動向調査、戦線の変化に伴う補給線の確立、エジソンから送られてくる新たな発明案の精査。それらを有限の時間と資源と人手を割き、カドックは1つ1つ正確に対処していく。

今朝も昨日から通しで目を通していた新兵器の仕様書に判を押し、朝一番の集荷で届けるよう伝令に手配する。これで仕様が変わるのは六度目、そろそろ既存の生産ラインでは対応できなくなるだろうから新たな設備を投入しなければならない。それ以前に工場の責任者が再三の仕様変更で脳溢血を起こしかけていたが、カドックは休暇の要望を黙殺して更なるシフトの強化を通達した。

そして、一つの仕事が終われば次の仕事に取り掛かる。

押されている戦線に対しては増産された機械化歩兵の中隊を派遣し、拠点の維持に関して罠と監視の強化を徹底。伸び切った補給線を維持するためには新たに数百単位で馬を集めなければならないが、西部の牧場に動かせるだけの成馬がいただろうか。いなければロバを連れてくるか、それとも鉄道の架線を引き直した方が早いかもしれない。

空いた時間があれば工場に顔を出して兵器の増産具合を視察した方がいいだろう。

それ以外にもやるべきことは非常に多い。

 

「補佐官、資材調達班からの報告です」

 

「石炭の採掘量が落ちている。この倍は持ってこいと通達しろ。人手が足らなければ労働基準を下げて若年者を雇え」

 

「膠着している南部の戦線についてはどのように?」

 

「再編した機械化歩兵の三個中隊を送る。それまでは死んでも死守しろと伝えろ。あそこの油田を奪われる訳にはいかない」

 

「兵器工場で大規模なストライキです」

 

「追加の工員がもうすぐ手配できると言って宥めろ。そうだ、難民の中から働ける奴を50人ほど引っ張っていけ。性差は問わない」

 

「居住区の燃料不足についてはどうされますか?」

 

「切り開いた北部の森から材木を回してもらう。それまでは制限をかけろ」

 

「兵器工場からです。先ほど、送った仕様変更に対して抗議が――」

 

「無視しろ」

 

矢継ぎ早に各所に指示を出し、次の書類に目を通す。

一つを片付けている間に三つの問題が発生する。

それを解決する為には作業効率を上げ、寝食の時間を惜しみ、休むことなく働き続けるしかない。

ここに来てからカドックは今までに培った全てを出し尽くした。

自分が持つ100年先の知識でエジソンに兵器改良のアドバイスを行い、この時代ではまだ発見されていない鉱山資源も押さえる。

ハンニバル・バルカや孫子の兵法書から読み漁った知識を戦略に組み込んだ。

闇雲に過重労働を強いるエジソンの方針に異を唱え、効率的なシフト体制を確立する。

兵士に対してもより近代的な小隊運用を徹底するようマニュアルを作成した。

 

『見事だカドックくん。先日も我らが軍は西部の拠点を一つ取り返した。ここからが巻き返しだ』

 

近代的に生まれ変わった軍隊を見てエジソンは笑っていたが、そこまでやってもまだケルト軍との戦力差は覆らない。

そもそもカドックは魔術師であって軍人でも政治家でもない。

持ち込めた知識は付け焼刃で必ずしも十全に機能しているとは言い切れなかった。

必然的にカドックは不足する分を自身で負担する羽目になった。

自ら動き、必要とあらば前線に立ち、手持ちのリソースを切り崩す。

自分が持てる全てを使っても、戦術的な勝利を一つか二つ増やすのがやっとだ。

未だ1の相手に3以上の力をぶつけている現状ではアメリカ奪還など夢のまた夢であり、反撃のためにはこれまで以上の戦力の増強が必要であった。

 

「精が出ているな」

 

報告書に目を通しながら廊下を歩いていると、黄金の鎧を纏った青年が声をかけてきた。

インドの叙事詩「マハーバーラタ」にて語り継がれる英雄。エジソン軍においてはエジソンが直々に協力を依頼した客将であり、西部の切り札として活躍している。

 

「戻ってきたのか」

 

「ああ、東部戦線に異常はない。被害は出たが何とか軽微で抑えることができた」

 

「助かる。何か異常はあったか?」

 

「東洋のサーヴァントと一戦を交えた。どうやら寄る辺のないはぐれサーヴァントのようで、かなりの使い手だ。残念ながら横やりが入り決着はまたの機会となったが」

 

「施しの英雄と互角に渡り合う東洋人だって?」

 

「赤髪の槍使いだ。あそこまで心躍る競い合いは久しくなかったな。それと斥候からの報告だが、アルカトラズに動きがあったようだ」

 

アルカトラズ島は正史において、サンフランシスコ湾の孤島であり、難攻不落の連邦刑務所が存在する。

残念ながらこの特異点ではケルト勢に占領されているのだが、どういう訳か連中はそこから兵を動かさずにだんまりを決め込んでいた。

何度か斥候を放ってみたが敵の狙いがわからず、かといって背後を押さえられている状態では迂闊に戦線を押し込めることができず、手をこまねいていたところだ。

 

「少数のサーヴァントによって陥落させられたらしい。その中には盾使いの少女がいたそうだ」

 

「あいつか……」

 

藤丸立香がアルカトラズを落としたのだ。

何のためにそのような行動に出たのかはわからないが、おかげで硬直していた戦況が動くことになるだろう。

こちらは後方に下げていた警備の戦力を前線に合流させることができ、逆に敵は地理的なアドバンテージを失う形となった。

未だ戦力はこちらが不利だが、後顧の憂いさえなければ動きようがある。

まずはジェロニモ達はぐれサーヴァントが率いるレジスタンス組織に潜り込ませた密偵から情報を獲得し、現状を把握するのが先決だ。

 

「カルナ、場合によってはあなたにもうひと働きしてもらう必要があるかもしれない」

 

「では、ワシントンに?」

 

「必要とあらば」

 

東部の難民から得た情報や、戦地での敵の動きから察するにケルト勢の拠点はアメリカの本来の首都であるワシントンであると考えられる。

敵が尽きぬ物量で以て攻めてくるのなら、それらを無視して本丸を攻めるのが最も上策だ。

事実、フランスではこの方法で自分達は竜の魔女を倒すことができた。

こちらの最大戦力であるカルナを完全武装した大隊で護衛し、生還を度外視した特攻でワシントンを攻め落とす。

不毛な消耗戦へと突入したこの東西戦争で西部軍が勝利するためにはこの方法しかない。

ただし、最高責任者であるエジソンはこの方法を採択しない。

彼はあくまで物量による正面突破を望んでおり、現行の西部軍は全てそのために動いている。

工場で作られる兵器もそれを動かす軍隊も、全ては漸減作戦を行うために逐次投入されている。

加えて広大な北米大陸を進軍するとなるとどうしても手薄な防衛ラインができてしまい、そこから回り込まれる形で挟撃される可能性もある。

それを防ぐ為には敵の進軍ルートの誘導と、領土防衛のための戦力が必要だ。

この2つを揃えられない限り、東西戦争はいつまでも膠着状態が続くこととなるだろう。

 

 

「エジソンには改めて進言しておく。だが、まずは彼を納得させるための成果が必要だ。何とか五大湖近郊まで戦線を押し上げることができれば、勝ちの目も出てくる」

 

「そうか、お前を補佐としたエジソンの目はやはり、正しかったのだな」

 

「よしてくれ、ここまでなら僕がいてもいなくても変わらない」

 

「そう捉えるのはお前の自由だ。だが、お前がいなければ結末はより早くに訪れていただろう。だからこそ、敢えて今、問いたいことがある」

 

「なんだ、改まって?」

 

「何故、エジソンの下についた? オレにはお前が何かを恐れているように思えてならない」

 

歩みがピタリと止まる。

泰然自若に構えるカルナの瞳はまっすぐで、まるでこちらを見透かしているようだった。

あの目はよく知っている。アナスタシアもよく、あんな風に自分のことを見つめてくる。

あの目は虚飾を払い、真贋を見抜く。自分が最も苦手とする目だ。

 

「先に詫びておこう、オレは一言足りないらしい。だが、将として槍を預ける以上、正しておきたいこともある。カドック・ゼムルプス、何を恐れここにいる? お前の指揮には迷い――いや後悔が感じられる。渇望はあっても飢えがない。オレにはただ敗北を恐れ蹲っているだけのように見えてならない」

 

「止めてくれ……あなたに敵意は向けたくない」

 

「失言ならば謝ろう。だが、お前は……」

 

カルナが何かを言おうとした時、伝令の兵士が駆け足で近づいてくる。

 

「報告します。南部採掘キャンプ近郊にてケルト兵の動きを確認。数、約2個大隊」

 

東部との境界近くで油田を採掘している地区だ。

そこで取れる原油は燃料を始め、西部軍の活動を支える生命線である。

仮に奪われれば西部軍の生産活動は一気に落ち込んでしまう。

そのためにも駐屯部隊の補充は急務だったのだが、敵の動きの方が早かったようだ。

加えて敵の数が余りに多い。3倍近い戦力を送り込まれてはこちらが増援を送る前に駐屯部隊が全滅してしまう。

 

「オレが行こう。今から増援を送っていたのでは間に合わん」

 

「待てカルナ。おい、敵にサーヴァントは?」

 

「報告にはありません」

 

「キャスター!」

 

「ええ、ここに」

 

「令呪を以て命ずる――」

 

光と共に二画目の令呪が消失し、霊体化して控えていたアナスタシアの気配が消える。

空間転移で採掘キャンプまで彼女を送り出したのだ。敵にサーヴァントがいなければ、ケルトの雑兵などヴィイの魔眼で一網打尽だ。

 

「一度、執務室に戻る。すぐに僕も現地に飛ぶから、馬車を用意してくれ。護衛は最小でいい」

 

「はっ」

 

伝令が敬礼し終えるよりも早く、カドックは踵を返した。

焦りが胸中を支配する。先ほどのカルナの言葉など、とっくに頭から消えていた。

改めて戦争は化け物であることを痛感する。

一介の魔術師程度で制御できるようなものではない。そんな超人なんて、それこそ物語の中だけの存在だ。

戦うためには人手がいり、人を動かすには兵糧が必要で、それを集めるためには多くの資源と時間を要する。

そして敵はこちらの事情などお構いなしに攻めてくる。

わかっていたことだ。西部軍はいずれ瓦解する。

敵は聖杯を所持しており、無限の兵力にものを言わせて暴れ回っている。

対してこちらは時間も人手も資源も有限だ。

兵力の数を競い合う限り、西部軍に勝ちはない。

それでもエジソンは方針を変えようとはしないだろう。

大量生産は彼が最も得意とする分野だ。ホームグラウンドでの敗北を彼は絶対に認めようとしない。

そうして資源を食い潰していくのだ、先ほどの令呪のように。

 

(くそっ、僕にもっと力があれば……)

 

悔しさで歯噛みし、思わず廊下の柱を叩いた。

拳の痛みなど気にはならない。あるのは今、1人で戦っているアナスタシアへの罪悪感とどうしようもない苛立ち、そして一抹の恐怖だけだ。

 

『オレにはただ敗北を恐れ蹲っているだけのように見えてならない』

 

カルナの言う通りだ。

自分は恐れている。

魔術王ソロモンを、何もできぬまま彼に敗北することを。

エジソンがこのままケルトの軍勢に敗北することを。

 

(させない。エジソンは必ず勝つ。そしてアメリカを……魔術王から救う)

 

それは他の全ての国を見捨てるという決断に他ならない。

おかしな話もあったものだ。自分の力を証明するために世界を救うはずだったのに、今はそんなことよりもエジソンの勝利を望んでいる。

エジソンの努力が、エジソンの奮闘が、エジソンの閃きがケルトの蛮勇に勝ると証明したい。

何故なら、彼は――――。

 

「…………」

 

思考が止まる。

考えがまとまらない。

エジソンの勝利と魔術王の打倒がイコールで繋がらない。

いくら理由を探しても紐づけられる動機が見当たらない。

何故なら――――。

 

「僕は正常だ」

 

自分に言い聞かせるように呟く。

考えている時間すら惜しい。

答えは全てが終わってから探すのだ。

それまではこのままでいい。

きっと後悔するだろうけど、それでも彼の王の前に立つよりはずっとマシだ。

カルナの言う通り、自分は魔術王を恐れている。

勝てない相手に対して、勝てぬことを承知で挑むことを恐れている。

それはまるで、エジソンの――――。

 

「僕は、正常だ」

 

言い聞かせるように、カドックは何度も呟いた。

 

 

 

 

 

 

アメリカを訪れて何十日目かの朝が訪れた。

相変わらずケルト軍との戦争を膠着状態のままジリジリと戦線を押し込められており、東西の境界線は少しづつ西へと動いていた。

その間、カドックは文字通り寝食を忘れて国防に勤しんだが、芳しい成果を上げるどころか残り僅かな国力を更にすり減らす結果となった。

まず兵器工場の工場長が過労で倒れ、代理を務められる者がおらずカドックが兼任することとなった。

前線の兵力がどうしても足らず、工員や難民からも徴兵を行った結果、兵器生産の効率が低下。質の悪いロットが出回る形となった。

エジソンは戦線を押し返す切り札としてより高性能な兵器を設計したが、前述の理由で予定していた仕様に達していない欠陥兵器が生まれてしまった。

それでも何とか数だけは揃えたが、ケルト軍はすぐにその倍の数の兵士を引き連れて防衛線を食い破ってくる。

このままいけば戦線はどんどん後退し、首都に魔の手が迫るのも時間の問題であった。

藤丸立香達が首都近郊に姿を現したのは、正にその時であった。

 

「どう思うかね、カドック補佐官?」

 

伝令からの報告を聞き、緊急会議を招集したエジソンは傍らに立つカドックに尋ねる。

カルナもエレナも、黙ってこちらに注目していた。

その視線を少しだけ煩わしいと感じながらも、カドックは自分が集めた情報を整理し、彼らがここに戻ってきた理由を推察する。

 

「レジスタンスに潜入させた密偵からの報告によると、連中は敵の首魁――女王メイヴとクー・フーリンの暗殺に失敗したらしい」

 

「それはおかしいわね。彼の女王と狂王が敵対者を見逃すとは思えないわ」

 

「それに関しては不明だ。誰が暗殺を試み誰が生き残ったのか、そこまでは掴めていない。ケルトに屈して命乞いをしたという可能性もゼロではないが……」

 

そこで一旦、言葉を切り、藤丸立香という人物のことを考える。

あいつは馬鹿正直でおふざけが過ぎることはあるが、グランドオーダーに対しては真摯に向き合い投げ出すような真似はしない。

他の面々はともかく、藤丸立香だけは絶対に敵に屈することはないだろう。

ならば彼らは我が軍に庇護を求めに来たのだろうか。

それもない。

何故なら、立香と同行するサーヴァントの中にナイチンゲールがいる。

己の理想を追求するために国を動かし、上官にすら立てついて我を通す様は誰が呼んだか小陸軍省。

彼女はクリミア戦争において傷病者の看護に文字通り命を賭け、私財すら投げ打って衛生環境と医療体制の改革を行った。

ケガ人が出れば何キロも離れた場所であろうと駆け付け、患者の心身のケアを心がけ、徹底的な掃除と消毒を行い、多くの命を救いまた多くの死を看取った。

人の命を救うという狂気に囚われたバーサーカーは、凄惨な消耗戦を掲げるエジソンに決して組したりしないだろう。

つまり残る可能性は――。

 

「エジソン、狙いはあなただ」

 

「なんだと! それは本当かね!?」

 

「或いは僕かもしれない。何れにしろ、向こうは話し合いの場を要求してくるだろう」

 

「殺し合い、の間違いじゃなくて?」

 

「向こうにそのつもりはないさ」

 

「ならば、こちらも最大戦力で迎え撃つまで――」

 

「いや、ここは僕にやらせて欲しい」

 

他はともかく、立香が来るのならば自分が出なければならない。それがかつての仲間としての最低限の礼儀だ。

恐らく、向こうもそれを望んでいるはずだ。

 

「あいつとは1対1で決着をつける。きっと向こうも同じ考えのはずだ」

 

 

 

 

 

 

程なくして、首都王城に立香達は現れた。

一緒に来ているのはマシュとナイチンゲール、エリザベート・バードリー、そしてレジスタンスのラーマとロビン・フッド。

相変わらず層々たるメンバーを引き連れているものだ。おまけに向こうはサーヴァントの数すら上回っている。

 

「もう少し抵抗されるかと思いましたが、意外とすんなり招き入れるのですね」

 

「我が補佐官の希望だよ、ナイチンゲール女史。あなた方こそどうしてこちらに? 聞けば女王メイヴの暗殺に失敗しようだが、助けを求めに来たにしては殺気に満ちている」

 

「ええ、あなたの病を治療しに伺いました。応じなければ力尽くでも従って頂きます」

 

「何だと? 私のどこが病んでいるというのだ。この強靭な四肢、はち切れんばかりの健康、研ぎ澄まされた知性、どこを取ってもスタンダートではないか!」

 

「世界を救う力がありながら、理性を保ったまま世界を破滅に追いやろうとしている。それが病以外の何なのです?」

 

西部軍の重鎮であるエレナやカルナ、そしてカドックが言いたくても言えなかった言葉を、ナイチンゲールはまっすぐに突きつける。

彼の病、即ち此度の召喚に当たって彼が抱いた歪みを正すために。

 

「さては陰謀説に浸かっているのか? エジソンは資本主義の権化だとか、真の天才は商売などに傾倒しないのだとか!」

 

「私はそのような風評とは別の所で、あなたを病んでいると診断しているのです。ですが、言っても無駄のようですね。熱病に浮かされていては、折角の知性も台無しです」

 

「そこまでにしておいてくれ、フローレンス・ナイチンゲール」

 

舌戦で押され始めたエジソンを援護するため、カドックは2人の会話に割って入る。

 

「カドック・ゼムルプス。あなたもまた治療が必要です」

 

「こちらにそのつもりはない。エジソンにも手は出させない」

 

「では、戦って、殴って、勝利した上で話を聞いて頂きましょう」

 

ナイチンゲールは腰に提げた拳銃を今にも抜き放たんと身構えるが、その前にマシュが動いた。

ナイチンゲールの前に体を割り込ませ、彼女がこちらに襲いかかるのを防ぐ。

その横から一歩、前に足を踏み出した立香が静かにこちら見つめていた。

地下牢で別れて以来の再会となるが、彼の顔つきが以前と違って少しばかり険しくなっているような気がした。

ここに来るまでの間に起きた何かが、彼の心境に変化をもたらしたのだろうか。

よく知っているはずの人物が、まるで一回り大きくなって帰ってきたかのような錯覚を覚える。

 

「ナイチンゲール、ここは俺とマシュに任せて欲しい」

 

「奇遇だな、こちらもそのつもりだ。エジソンにはもう話をつけてある」

 

どのみち、これだけの数のサーヴァントがやり合えば王城は無事では済まないし、双方に少なくはない被害が出ることだろう。

戦争の今後を考えてそれは得策ではない。

加えてこの男にだけは、邪魔が入らない状況で真正面から打ち破りたいという欲求もあった。

度々、レイシフト先で行動を別にし、時には自分よりも大きな戦果を上げることも多かったこの少年と戦い、自分の方が優れているという証明を立てるために。

ここには行動を阻害する魔霧はない。万全の状態ならば、ロンドンの時のような無様を晒すことはない。

 

「負けた方が勝った方に従う、シンプルでいい」

 

「俺達が勝ったら、ナイチンゲールの治療を受けてもらう」

 

「やってみろ、47番目のマスター」

 

「やってみせるさ、Aチームのマスター」

 

互いの視線がぶつかり合い、静かに火花が散る。

禁断の戦いが、今ここに切って落とされた。




ここにゃ神様もチートもないぜというわけでカドックくんの異世界無双(焼け石に水)。
半端に能力あると、却って挫折感大きいよね。


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北米神話大戦イ・プルーリバス・ウナム 第4節

思えば初めて出会った時から、こうなることは必然だったのかもしれない。

人畜無害なはずなのに、堪らなく苛立ちを刺激される存在。

眼中にもないはずなのに、無視できない存在。

その優しさが、弱さが、ひたむきさが、何もかもが置き去りにしてきた過去を思い起こす。

あんな風に、弱いまま(ひたむきなまま)強く(大人に)なれればどれほど良かったかと思わずにいられない。

藤丸立香は切り捨ててきた過去そのものだ。

壁にぶつかり、苦悩し、足掻く度に置き捨ててきたただ弱いだけの頃の自分自身だ。

その弱い自分が今、立ち塞がる壁となって目の前に対峙している。

 

「彼に勝てるの、マスター?」

 

「シミュレーションでは7対3で僕達の方が上回っている。向こうの能力や出方も想定済みだ」

 

「あなたはそうでしょうね。けど……彼らは、強いわ」

 

離れたところで言葉を交わしている立香とマシュを、アナスタシアはまっすぐに見つめる。

その眼差しをカドックは無言で肯定した。

曲がりなりにもここまで、4つの特異点を修正してきたのだ。

凶暴な飛竜の群れも、ローマ兵や海賊の集団も、霧の街の怪人達も、全て平らげてきた上で彼らはここに立っている。

だが、それは自分達も同じだ。

互いに潜ってきた修羅場は同じ。共に同じ時間を過ごし、同じ目的を共有してここまで来た。

ならば、後は地力が勝敗を分けることになるだろう。

 

(そうだ、僕達は負けない。こいつらにだけは、絶対に)

 

時計の長針が天頂を指すと同時に、両者は動いた。

遠距離攻撃の手段を持たないマシュが疾駆し、先手必勝とばかりに手にした盾を振りかぶった。

女性とはいえ英霊の腕力だ。非力なキャスターでは一たまりもないだろう。

だが、そんな状況は今までに何度も経験してきた。

アナスタシアは冷静に距離を測ってマシュの一撃を避けると、距離を取るために盾の少女を凝視する。

たちまちの内に凍り付くマシュの肢体。それは彼女の対魔力によって容易く弾かれてしまうが、アナスタシアは砕けた氷そのものを小さな弾丸としてマシュの痩躯を撃ち貫く。

盾の内側から、防御不能の蹂躙を受けて怯む小さな体。

思わず足を止めてしまったのは悪手だ。

サーヴァント戦において、僅かでも動きが止まればそれは付け入る隙となる。

 

「鉄槌」

 

巨大な氷塊がマシュの頭上に出現し、押し潰さんと迫る。

マシュの防御は鉄壁だ。加えて対魔力スキルの恩恵でアナスタシアの魔術ではほとんどダメージが通らない。

必然的に殺す気で攻めなければ、彼女を止めることができないのだ。

 

「マシュ!」

 

「させるか!」

 

アナスタシアの攻撃を妨害しようと放った立香のガントを、カドックは同威力の魔術で相殺する。

ずっと横で戦ってきたのだ。向こうがどのタイミングで妨害に入るのか、援護を選ぶのかが手に取るようにわかる。

 

「どうした、僕なら三発は撃てるぞ」

 

「っ……」

 

「その礼装を選んだのは失敗だったな、『オーダーチェンジ』が死んでいるぞ!』

 

「わかっているさ! けど、これでないと君とやりあえないだろ!」

 

「ふざけるな、素人が!」

 

激昂と共にカドックの体から冷気が放出される。

諸に受けた立香はもんどりを打つが、すぐに態勢を立て直して突風の中を駆け抜けた。

すかさず繰り出される二発のガント。

一発が立香の頬を掠め、もう一発がカドックの足下に着弾する。

 

「そんな腕前で魔術王と戦うつもりなのか?」

 

「ああ、もちろんだ」

 

「勝てないんだよ。何をやったって、弱い奴は強い奴に勝てないんだ!」

 

「…………」

 

「僕以上に才能のないお前が、魔術王に敵う訳ないだろ!」

 

「それでも前に進む。立ち止まってなんかいられるか!」

 

「ならやってみろ。お前の旅はここで終わりだ」

 

「マシュ、防御だ!」

 

「構うなキャスター、押し潰せ!」

 

立香の指示で足を止め、盾を構え直したマシュの体から魔力が迸る。

直後、轟音と共に落下した巨大な氷塊が砕け散った。

魔獣すら一撃で葬り去る攻撃。

これが並のサーヴァントなら決着がついていてもおかしくはない。

だが、マシュのクラスはシールダー。

こと防御に関しては彼女の右に出る者はいない。

受け止めた瞬間に使用した魔力防御スキルによって限界以上の耐久力を獲得し、耐えきったのだ。

当然、次に待つのは彼女の突撃だ。

裂ぱくの気合と共に地を蹴り、宙を跳んだマシュの盾がおうむ返しとばかりにアナスタシアへ振り下ろされる。

 

「くっ……!」

 

「はぁっ!!」

 

咄嗟に生み出した氷の盾で威力を削ぎつつ、アナスタシアは大きく後退する。

無論、身体能力で勝るマシュは氷の壁などないも同然とばかりに体当たりで破壊し、逃げるアナスタシアに追撃を仕掛けた。

再び繰り出される必殺の一撃。

氷の壁も破壊しつくされ、最早彼女にマシュの攻撃を受け止める術はない。

そう、彼女だけならば。

 

「ヴィイ、起きなさい」

 

黒い影が疾駆する。

それは常に彼女と寄り添い、眼となって死線を潜り抜けた視線の怪物。

ロマノフに伝わる魔眼の精霊。

人類史において実存が不確かな、影の如き存在。

その名はヴィイ。

宝具の解放以外では決して表に出ることはなかったヴィイが、その黒い姿を白日に晒してマシュに襲い掛かる。

ヴィイの巨体はマシュの盾を易々と捕らえると、もう片方の手を無造作に薙ぎ払って盾の少女を吹き飛ばした。

冷気すら纏わない、ただの大振りの一撃がマシュの五体を砕かんと空を切る。

 

「マシュ!?」

 

「だ、大丈夫です。まだ、戦えます」

 

「強い娘ね。さすがと言っておきます」

 

「そちらも、冷気だけでなく、精霊自体を動かすことができるとは思いませんでした」

 

「切り札はとっておくものでしょう。さあ、マスター」

 

「ああ、加速しろキャスター」

 

カドックからの強化を受け、今まで以上に研ぎ澄まされた氷柱の群れが空を覆いつくす。

その一斉射とヴィイの平手をマシュは必死の形相で受け止めた。

両足を踏ん張り、盾に魔力を込め、背後にいるマスターを強く意識して歯を食いしばる。

その思いが彼女の防御をより強固なものとする。

精霊の独立稼働という奥の手を以てしてもまだ、マシュの防御を切り崩せない。

その上、彼女はまだ宝具を温存している。

不完全な疑似展開とはいえ、邪竜のブレスや魔神柱の攻撃すら耐え抜くシールダー・マシュ・キリエライトの最大の防御。

あれを使われれば、アナスタシアの宝具とて防がれてしまうだろう。

故に勝負の分かれ目は、互いのマスターが持つ令呪にあった。

奇しくも2人のマスターの令呪は残り一画であり、その最後の一画をどこで切るかが勝敗を分けることとなる。

当然、立香は攻撃に使うだろうという確信がカドックにはあった。

マシュのステータスは防御に偏っている。

保有するスキルも宝具も全てが守るための力。対してアナスタシアには魔眼と城塞がある。

その2つを掻い潜って一撃を入れるためには、令呪による空間転移しかないだろう。

こちらが大技を仕掛ければかならず向こうは乗ってくる。

後はタイミングを損なわぬよう、立香の動きに注意だけをしていればいい。

カドックの脳裏には、既に勝利の方程式ができていた。

 

 

 

 

 

 

エレナが築いた即席の結界の中で、エジソンたちは両者の戦いを見守っていた。

端から見れば一進一退の攻防。その実、戦いの流れは終始、カドックが掴んでコントロールしている。

誰の目から見ても、カドックとアナスタシアの有利に変わりはなかった。

 

「ふむ、やはりカドックくんの勝ちか」

 

「勝負は最後までわかりませんよ、ミスター・エジソン」

 

「ナイチンゲールの言う通りだ。あの少年、この状況において諦観の念など欠片も抱いていない。地力ではカドックの方が勝るというのに、歯を食いしばって食らいついている。ああまで必死になる何かが彼にはある。そういう男は強い」

 

「そうよ、うちの子イヌを舐めてもらっちゃ困るわ」

 

「そうか……なら、そうなのだろうな」

 

「エジソン? 何だか妙に塩らしいわね」

 

2人の戦いを見つめるエジソンの顔つきが変わり始めたことに気づいたエレナが問いかけると、エジソンは曖昧模糊な表情を浮かべたまま静かに首を振った。

 

「いや、彼の戦いを見ていると、不思議と胸が締め付けられる。何もかも勝っているにも関わらず、泣きそうな目で相手を睨んでいるように思えて……ならないんだ」

 

副官に取り立て、共にアメリカを守るために一緒に歩んできたつもりだった。

だが、エジソンはカドックがあんな風に必死な思いで戦う姿を見るのは初めてだった。

戦いの流れを掌握し、後一手で勝利という状況にまで追い込んでいるはずなのに、その佇まいは悲壮に満ちていた。とても勝利者の姿には見えないと、エジソンは思わずにはいられなかった。

 

「見ろ、動きがあったぞ」

 

そして、決着の時は訪れた。

 

 

 

 

 

 

不意に何もない場所でマシュの足がもつれ、動きが止まる。

疲労の蓄積、無理な態勢での着地、足首の凍傷。

考えられる原因はいくつもあるが、それらの因果を紡ぎ出したものは一つ。

シュヴィブジック。

生前のアナスタシアが働いた所業、行き過ぎた悪戯がスキルとして昇華された力。

何者をも傷つけられない代わりにあらゆる不可能、不合理を形とする技能。

今、彼女はその力をマシュの拘束のために解き放った。

狙いは一つ。

自身の最大火力。『疾走・精霊眼球(ヴィイ・ヴィイ・ヴィイ)』を確実に当てる為。

だが、それはとどめを差すためではない。

カドックの狙いは、互いの宝具の相殺にあった。

 

「マシュ、逃げて!」

 

「やれ、キャスター!」

 

マシュが離脱する時間を稼ごうと放たれた立香のガントを、カドックは再び相殺する。

これで彼にはもう、令呪を使う以外に打つ手がない。

アナスタシアの宝具はマシュの宝具によって防がれるであろう。

その直後に訪れる僅かな硬直の隙を、彼らは突こうとするはずだ。

もし仮に宝具の強化や回復を計れば、もう一度同じ状況まで追い込むだけでいい。

互いがどれだけの時間、戦い続けられるかは既に計算済みだ。

マシュが疲れ果てて倒れるまで、自分達は立っていられるだけの力を持っている。

 

「キャスター!」

 

「マシュ!」

 

「宝具を解放しろ!」/「宝具を使うんだ!」

 

そして、漆黒の瞼が開かれた。

全てを射抜き、堅牢なる城壁にすら綻びを生じさせる魔の視線。

それは吹雪という名の死の奔流と化し、マシュの小さな体を蝕まんと牙を剥く。

相対するは人理の礎。人理修復という過酷な旅路の中で、主を、友を、仲間を守り続けた守護の光。

それはマシュの思いを形に変え、決して揺るがぬ障壁となってアナスタシアの魔眼を受け止める。

 

「魔眼解放。バロールエンチャント、サーキットオーバー!」

 

「真名、偽装登録――!」

 

「凍てつきなさい、『疾走・精霊眼球(ヴィイ・ヴィイ・ヴィイ)』」

 

「仮想宝具展開、『人理の礎(ロード・カルデアス)』!」

 

展開された光の壁に、容赦なくヴィイの視線が注がれる。

太陽が陰り、炎すら凍てつく極寒の嵐。

その直撃をマシュは、か細い両腕で構えた巨大な盾で迎え撃つ。

防ぎきれなかった寒波が四肢を焼き、展開した障壁ごと吹き飛ばさんとする突風に盾を構えた腕に軋みが走る。

気を抜けば魔眼の因果律歪曲によって障壁は歪み、たちどころに捻じ曲げられてしまうであろう。

拮抗できているのは彼女の心に迷いも曇りもなく、ただ純粋な守護の思いが形を成しているからだ。

汚れのない想いは、誰かを守りたいという願いは、純粋であればあるほどその守りを強固とする。

故にマシュは歯を食いしばり、全身に走る痛みに堪えながら一歩を踏み出し、眼前の皇女の眼差しを受け止める。

苛烈な冷気の眼差しが閉じるその瞬間まで、マシュ・キリエライトの盾は陰らない。

 

「令呪を以て命ずる――飛ぶんだ、マシュ!」

 

「令呪を以て命ずる。再び魔眼を開け、キャスター!」

 

両者の宝具が立ち消えた刹那、それぞれのマスターは右手の令呪を掲げた。

互いが狙った必殺の瞬間。

全ての決着がつく刻。

2人のマスター、盾の騎士と魔眼の皇女。

意地とプライドと、譲れない思いを胸に最後の命令は下される。

宝具の真名解放後の硬直から立ち直ったマシュは即座に宙を駆け、アナスタシアが防御できない超至近距離へと空間転移する。

それはカドックの狙い通りの行動であり、そのための切り札こそが先ほどの令呪。

消費された一画が無色の魔力となってアナスタシアの魔術回路に浸透し、閉じられたヴィイの瞼が再び開かれる。

位相をずらそうと、絶対防御の概念を纏おうとその魔眼から逃れる術はない。

絶対零度の吹雪が再び、マシュの体を蝕まんと迫る。

 

「勝った……」

 

「いいえ、まだです!」

 

コンマに満たない刹那の時間。

ヴィイの視線をまともに受け、肉体が凍り付きながらもマシュは手にした盾を構え直す。

先ほどの仮想宝具展開によって余力など残されていないはずの彼女の体に、再び強大な魔力が渦巻いている。

それはマシュ・キリエライトが持つ第三スキル「奮い立つ決意の盾」による加護。

守るもののために、一歩を踏み出す勇気を力に変える。

敗北に、諦観に、絶望に屈することなく、明日を見続け前を向くための力。

 

「宝具の……連発……だめ、間に合わない!?」

 

「これがわたし達の人理の礎! 『人理の礎(ロード・カルデアス)』!」

 

再度、ぶつかり合う魔眼と盾。

互いに消耗しているはずだというのに、その輝きは先ほどの衝突と遜色ないどころか、より激しい光を放って空間を震わせる。

カドックの知るマシュの能力では、宝具の連発などできるはずがなかった。

そうさせないために、向こうが令呪を使うタイミングを計った。

相手の行動パターンを予測し、戦術を誘導し、切り札を切った。

その上であの2人は自分達の上を行く。

何もかも未熟なままで、自分達よりも先を行く。

 

「わたし達は前に進む! これはそのための力です!」

 

「くっ、ガントで動きを……っ!?」

 

マシュ目がけて放った呪いの弾丸が、立香の放ったガントによって相殺される。

先ほどまでとは逆の構図。この瞬間、カドックは立香がこの礼装を選択した理由を理解した。

サーヴァント同士の戦いにおいて、彼は己のサーヴァントを、マシュ・キリエライトの力を信頼していた。

故に、警戒すべきは敵マスターからの妨害。

奇しくも自分と同じ考え、同じ結論であった。

 

「藤丸……立香ァ!!」

 

「決めろ、マシュ!」

 

弾かれたガントはただの一発。その一発の隙で全てが決した。

直上から振り下ろされた巨大な盾が、アナスタシアの脳天を叩き割る寸前で停止する。

直後に被弾したマシュは体を強張らせるが、その痛みに動じることなく自分達の勝利を宣言した。

 

「わたし達の勝ちです、アナスタシア」

 

「――ええ、そして私達の敗北です」

 

その光景を、カドックはまるで夢を見ているかのような気持ちで眺めていた。

まるで現実感が湧かない。

万全を期して臨んだはずが、最後の最後で盤面を覆された。

いいや、予想を覆されたなどというのは言い訳だ。

自分達と分かれてからも彼女達は成長していた。それを読み切れず、過去のデータに縋った自分のミスだ。

最後の瞬間まで、都合のいい逃げ場所を探し続けた自分の弱さが招いた当然の結果だ。

それでも叫ばずにはいられない。

嘆かずにはいられない。

何故、そうして立っていられるのかを。

何故、諦めることなく前を向けるのかを。

 

「何で……どうしてなんだ、藤丸立香! どうしてお前は、最後はいつもそうなんだ。弱いままで、未熟なままで、最後には自分よりも強い奴を見下ろしている」

 

フランスでも、オケアノスでも、彼はいつもそうだった。

自分よりも遥かに強い敵を相手にして、屈することなく進み続ける。

それに引きずられて自分も強くなれた気がした。

いくつもの特異点を超え、力をつけたことで自信も生まれた。

けれど、違った。

自分は強くなどなってはいなかった。

ロンドンで魔術王と邂逅した際、その姿を見てもいないのに恐怖で体が震えた。

一瞬で数多の英霊を消し去った彼の王の力に、人類史そのものを焼き尽くすその所業に心を縛られた。

自分では勝てない、自分達では勝てないと。

その恐怖を味わいながら、同じ絶望を見ながら彼は屈しない。

アメリカの救済などという、妥協点を模索した自分との決定的な違いはそこだ。

いずれ彼は挫折した自分を置いてグランドオーダーを駆け抜ける。

それが例え無残な敗北であったとしても、自分が欲しかったものを手に入れて。

認めるしかない。

諦めるしかない。

自分は、彼のようには――藤丸立香のようには振る舞えない。

 

「どうしてそこまで戦えるんだ、藤丸立香!?」

 

「そんなの――生きたいからに決まっているじゃないか!」

 

近づいて来た少年の手が、胸倉を掴み上げる。

そこで初めて、自分が膝を尽いて屈していたことに気が付いた。

 

「俺は生きたい! マシュと、ドクターやカルデアのみんなと、カドックや皇女様と! これから先も生きていたい! カドックこそどうなんだ!? 世界を救うんじゃなかったのか? 自分の力を証明するんじゃなかったのか? なのに、何でこんなところで立ち止まっているんだ!?」

 

激昂が胸に刺さる。

そんな眩しい言葉を投げかけないで欲しい。

置き去りにした感情を思い出し、堪らなく胸が痛くなる。

 

「できるわけ、ないだろ……相手はあの魔術王だ! 魔術の祖、偉大な魔術師、七十二の魔神を操るグランドキャスター。そんなものに僕なんかが挑んでも、勝てる訳ないだろ!」

 

「僕なんかじゃない、僕達だ! 俺達が戦うんだ! 俺達みんなで、カルデアのみんなで!」

 

「…………」

 

「もっと自分に自信を持てよ。今日までグランドオーダーを引っ張ってきたのは、カルデアを引っ張ってきたのは自分だって、もっと傲慢に、胸を張って叫べば良いだろ! 君がいたからここまで来れたんだ! 君がいたから俺は戦えたんだ! だからさ、もっと……頼ってくれよ。俺、カドックみたいにはできないかもしれないけど、マシュもみんなもいるんだ。みんなで一緒に支えるから……俺達のリーダーはカドックなんだ。だから……戻ってきてよ」

 

絞り出した言葉と共に、立香の頬を涙が伝う。

自分に勝利しながら泣きじゃくるその姿を、カドックは呆然と見つめていた。

見つめることしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

戦いの結果を見届けたエジソンは、懐から取り出した薬瓶を厳かな気持ちで見つめていた。

いつもの彼ならここで激昂して乱入してもおかしくはない。

そう思って警戒していたカルナとエレナだったが、エジソンはおもむろに手にした瓶を握り潰すと、静かに敗北を告げた。

 

「我々の負けか」

 

「エジソン……」

 

「いざという時はこの超人薬で雷音強化し乱入をも考えていたが…………彼のことを思うと踏み止まるべきだと思ったまでだ。私は論理に基づきこの国を作り替え、国民を守るために戦ってきたつもりだった。だが、1%のひらめきがなければ99%の努力は無意味である。私は99%の負債をこの国に背負わせてしまったのだな」

 

「ええ、勝てません。ケルトは死ぬまで戦いに明け暮れた怪物です。まして彼らが敬う女王メイヴは聖杯を所持し無限に戦士を生み出している。彼らの増殖には聖杯以外の資源が必要とされない。数で勝負する、という発想が既に間違いなのです」

 

「う、うむ……だが、カドックくんはその間違いを正しい選択にするべく尽力してくれた。血反吐を吐くように己をすり潰して……それはつまり、私がこのアメリカに強いてしまった強権だ」

 

大量に生産し、より安価でよいものを作る。

それがトーマス・エジソンの天才性であり、その一点において負けたくないとムキになった結果、アメリカは不毛な消耗戦に突入した。

資源は何れは尽きる。だが、最終的に勝てればそれで良いと高を括って現実を見ようとしなかった。

 

「全てはアメリカを守るためだ。何故なら、私には過去・現在・未来。この国の歴代大統領より託された思いが……力が宿っている」

 

歴代の大統領達は、自分達全員がサーヴァントとして召喚されたとしてもケルトには勝てないという結論に達した。

そのため、世界的な知名度を誇る英雄にその力を集積するという決断を下したのだ。

アメリカを守れるのなら、偉大な開拓者魂と愛国心を持つのなら、大統領でなくてもよい。

その結果が此度の召喚においてエジソンが抱いた歪み。

英霊として世界を救うという義務から目を逸らし、アメリカだけを救おうとした所業の真実であった。

 

「まったく、そんなだから同じ天才発明家としてニコラ・テスラに敗北するのです、貴方は」

 

ナイチンゲールの容赦のない言葉がエジソンの胸に突き刺さる。

思わず声にならない悲鳴を上げて床に突っ伏してしまったが、目の前で苦しむ少年の姿を思い出して立ち上がる。

へこたれている場合ではない。

この国に出血を強いたとはいえ、自分は未だ大統王だ。

迷い苦しむ国民に手を差し伸べずして何が王か。

 

「私は歴代の王たちから力を託され、それでも合理的に勝利できないという事実を導き出し、自らの道をちょっとだけ踏み間違えてしまった。そして、それに1人の少年と多くの国民を巻き込んだ負け猫だ。臆病者だ。告訴王だ。それでも私にはまだ……いや、この国を救うために、まずはやらねばならないことがある」

 

「そうね。三千回の挑戦がダメなら三千一回目に挑戦する。何度失敗してもへこたれず、周りに苦労を強いて、自分だけはちゃっかり立ち上がる。あなたの長所ってつまりはそういうことだもの」

 

「おまえは道に迷ったが、おまえが目指していた場所は正しいものだ。名も知らぬ者を救うことも、闇の世界を光で照らそうとするのも、自信を持って良い願望だと、オレは断言する。おまえの言葉ではないがな。最終的に、おまえは本当に、世界を照らす光となった。その希望を、その成果を糧に立ち上がれ。現状は最悪だが、終わった訳ではないだろう?」

 

「ブラヴァツキー、カルナくん……ああ、私は本当に良い友人に恵まれている。こればかりはあのすっとんきょうも及ぶまい」

 

まずはもう1人の友人の心を救う。

恐らく、彼の病を治せるのは自分だけだ。

それはきっと彼の心にとどめを差す形になるのだろうが、そうしなければ自分も彼も前に進むことができない。

自分達はここからがやり直すのだ。長い長い回り道の末に、ようやく辿り着いたスタート地点。

そこから全てをやり直すのだ。

 

 

 

 

 

 

どれくらいそうしていただろうか。

カドックは動けなかった。

藤丸立香に敗北し、完全に心が折れてしまった。

立香もマシュも、アナスタシアもこれ以上、かける言葉を持たなかった。

そこに不意に、1人の紳士が降り立つ。

赤と青のスーツに身を包んだ獅子頭の王。トーマス・エジソンだ。

彼は静かにカドックの隣に座り込むと、大きな手で震える少年の手の平を包み込んだ。

 

「エジソン?」

 

「ああ、私だ。すまないな、私が愚かであったばかりに、君をここまで追い込んでしまった」

 

「ち、ちが……」

 

「いいんだ。もう無理をしなくていい、私達は敗北したのだ」

 

「そうじゃない、そうじゃないんだ。エジソン、あなたは……あんたは勝たなくちゃいけない人なんだ。負けちゃいけないんだ」

 

「カドックくん」

 

「あんたは……負けちゃダメなんだ。あんたは僕なんだ……」

 

一般的にエジソンは世界的な天才発明家であると知れ渡っている。

だが、その生涯は挫折の連続であった。

旺盛な好奇心は社会から弾き出され、彼は幼い頃に学校を中退したことで正規の教育受けることができなかった。

その後も独学で研鑽を積み、働き出すもやはり奇行から職を転々とし、耳の不自由を患うなど多くの不幸と失敗を経験しながら少しずつ実績を重ねて発明王の地位に上り詰めたのである。

彼は確かに天才ではあるが、それ以上に持たざる者であった。

コネも才能もなく、ただひたすらに学び続けた果てに人類史に刻まれた英雄。

それがカドックにとってのエジソンであり、不断の努力を続ける自分の現身であった。

だから、彼の敗北を認めることができなかった。

彼に協力し、アメリカの勝利のために戦ったのも、彼の考えが正しいことを証明するためだった。

 

「僕はただ、あんたに負けて欲しくなかった。それだけなんだ…………」

 

「それでも我々の敗北だ。そして、君のおかげで見えたものもある。自分の過ちを漸く認めることができた」

 

両肩に手を置かれ、獅子の眼がこちらに向けられる。

強い決意の光がそこにあった。敗北を認めても尚、立ち上がろうとする不屈の光。

何物にも代え難い輝きがまっすぐに向けられる。

 

「改めて謝罪し、感謝する。君の仲間である藤丸くんとその助けとなるサーヴァントの諸君にもだ。未だ世界を救う方法も、ケルトを倒す方法も思いつかないが、今度は一緒に考えて欲しい。

私と一緒にもう一度アメリカを……いや、今度こそ、世界を救う大発明を成し遂げたい。君達のサーヴァントとしてだ」

 

かつて見た眩しい光。

自分が置き去りにし、立香が今も尚、持ち続けている眩しい光。

それが漸く、指先に触れた気がした。

本当に本当に遠い回り道の果てに、その本質に触れた気がした。

 

「僕で良いのか、こんな不甲斐ない補佐官で」

 

「何を言う、君は最高の友人だ。何よりも君がいなければ始まらない。さあ――」

 

先に立ち上がったエジソンが、大きな手に平を差し出した。

カドックのその手をおずおずと握ると、両方の足にしっかりと力を込めて立ち上がる。

その一連の流れの何と難しいことか。

ただ起きて立ち上がる。それだけの所作にどれほどの思いが込められているのか、カドックは強く実感した。

 

「カドック」

 

「カドックさん」

 

「カドック」

 

カドックとエジソンの握手の上から、立香達の手が重ねられる。

いや、彼らだけではない。この時代にはいない、遠く次元の挟間で見守っているカルデアの仲間達。

彼らの手の重みがずっしりと伝わってくる。

この重みを裏切ってはいけない。もう、二度と。

カドックは固く心に誓った。

それは何かから解き放たれたかのような、とても軽やかな気持ちであった。




ここからが本当の意味でカドックくんのスタート地点。
明日のイベントまでに書きあがったよかった。


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北米神話大戦イ・プルーリバス・ウナム 第5節

西部アメリカ合衆国臨時首都王城会議室。

先のマスター同士の戦いを以て和解した西部軍とレジスタンスは今、大きな机を挟んで向かい合っていた。

議題はケルト軍打破と北米大陸奪還についての今後の方針についてだ。

両マスターと契約サーヴァントの回復を待った後、エジソンの呼びかけでこの緊急会議の場が設けられた。

 

「カドック、何しているの?」

 

立香は向かい側の席で黙々と静脈に注射針を刺すカドックの姿を見て絶句する。

刺された針はチューブで大きめのガラス瓶に繋がれており、そこには得体の知れない色の薬剤で満たされている。

 

「ぶどう糖の点滴だ。魔術回路の活性化のために滋養強壮に効く薬剤なんかもブレンドしている」

 

「カドック君が持っていた霊薬を基に、西部の病院を総動員させて造らせたものだ」

 

経口摂取より時間はかかるが、栄養素の吸収率では静脈注射に勝るものはない。

加えてこの状態ならば食事のために会話を遮らずとも良い。元々、腕の自由が利きにくいカドックにとっては左腕が動かせないことも苦ではなかった。

ちなみに点滴などの輸液法が治療として確立・普及するのは約150年後の第二次世界大戦後のことである。

当然、この時代の技術力では消毒や薬剤の精製がまだまだ未熟なので人体への危険も大きい。

 

「血管から食べる、そういうものもあるのか」

 

「カルナ、興味持っても真似しちゃダメよ。向こうに物凄い目で睨んでいる人がいるから」

 

エレナの言う通り、端の席に座っているナイチンゲールがカドックのことをジッと睨みつけていた。

やがておもむろに立ち上がると、周囲からの視線も気にせずカドックのもとへと近づき、点滴の針が刺されている腕を掴んだ。

 

「興味深い治療法ですが、素人が勝手な判断で注射を打つの危険です。見なさい、何度か打ち損ねて化膿している部分もあります。次からはきちんと医師の診断を仰いでください」

 

「ま、待ってくれ、まだ途中――」

 

「口答えは許しません。まずは傷の消毒と軟膏です。それと食べられるのなら口を動かしなさい。医学は怠惰のためにあるのではありません。やらないのならあなたを殺してでも食べさせます」

 

「言っていることが滅茶苦茶だ、このバーサーカー! 待て待て触るな傷がイタタタタタ――」

 

強引に腕をねじ上げられた状態で傷口に薬を塗られ、カドックの悲鳴が会議室に木霊する。

その様子を傍らで見守っていたアナスタシアは、彼がここ最近、ロクに睡眠も取らずに働いていたことは黙っておいた方が良いと直感した。

きっと彼女が知れば銃を突き付けられた上で睡眠剤を投与されて強制的に眠らされかねないし、下手をするとそのまま目を覚まさないかもしれない。

 

「そろそろ良いかな? さあ、考えるぞ皆の衆!」

 

ナイチンゲールが落ち着くのを待ってから、エジソンは大きな声で開会を宣言する。

すると、まるで待っていましたと言わんばかりにエリザベートが勢いよく右手を上げた。

 

「はい! 先生、はい!」

 

「うむ、エリザベート君。何かな?」

 

「攻め込んで殴るのよ、それしかないわ!」

 

「超却下! である!」

 

納得のいかないエリザベートの奇声が木霊する。

それができれば苦労はしないという複雑な笑みを西部軍の面々は一様に浮かべていた。

 

「……そうだわ! 歌で彼らを癒してあげるっていうのはどうかしら?」

 

「却下!」

 

今度は彼女の歌声をよく知るレジスタンス側から猛反対の声が上がる。

広域破壊兵器としてはこの上ないが、残念ながら味方にまで被害が及ぶのリスクが大きすぎる。

 

「彼らには文明度が足りない」

 

「そうだな、デスメタルが発明されるまで待たないと」

 

「そう、デスメタルが――いま何て言ったの子イヌに子ザル!?」

 

「サ……サル? いや、それよりもどう聞いてもお前の歌はサイケなメタルだろ。サバト的な」

 

「アイドル! 私のジャンルはポップでキュートなアイドルソングだからね!?」

 

「金星辺りからやり直して来い! だいたい何度も出てきて恥ずかしくないのか!」

 

立香の話ではローマでも召喚されていたそうなので、フランスも合わせてこれで三度目。ハロウィンも入れれば四度目である。

明らかに彼女だけ召喚に関するハードルが低すぎる気がする。

 

「さっきまで泣いていたとは思えないくらい、元気に叫んでますね。いつものカドックさんです」

 

「溜め込んでいたものを吐き出して吹っ切れたのだろうな、よいことだ」

 

マシュの言葉にエジソンは微笑みで返すと、机の上に地図を広げる。

北米大陸の地図だ。ケルト勢との境界線や主要な拠点が書き込まれている。

 

「改めて現状を把握してもらおう。ケルトは北米大陸の東半分を占領している。最終的に彼らは南北の二ルートから攻め入るだろう。現状はそうするための布石をしいている段階だ」

 

西部軍とて悪戯に資源を消費していた訳ではない。ケルトが如何に神出鬼没で機動力に富んでいるといってもそれは部隊規模の話。彼らは北米大陸を占領するという共通目標だけを掲げ、後は個々の部隊に戦略を丸投げしているかのように統一性のない襲撃を繰り返していた。そこに付け入る隙があったおかげで西部軍は局所的に勝利を治めることができ、防衛の手筈を整えることができたのである。そして、決戦のための大隊を動かすとなると自ずと進軍のためのルートは限られてくる。そうなるように西部軍は防衛ラインを引いたのだ。

逆にこちらから攻めるとなると、南北どちらかの防衛が手薄となってしまい、そこからケルトの侵入を許してしまう。

 

『これまでのデータを元にすると、恐らくこの戦争の敗北条件は「一定以上の領土が占有されること」だと推察できる。ただでさえ脆弱な時代との繋がりは、ケルトが支配領域を広げれば広げるほど、どんどん切れていく』

 

それがある一定のラインに到達すると、この時代は現実との剥離に耐えられず死亡する。

故に、攻めるにしても現状の領土をこれ以上は食われないようにしなければならないとロマニは言う。

 

「……そうだったのか……では、応急処置として兵力を増やし、前線を押し返した私の――私達の行いは……」

 

「結果的にこの国を救っていた、という事ですね。患者の体力は減る一方でしたが心臓は守り抜いた」

 

安心したかのように胸を撫で下ろすエジソンを見て、カドックは胸のつかえが取れた気がした。

自分達がしてきたことは無駄ではなかった。

それがわかっただけでも救われたと、胸の奥に熱いものが込み上げてくる。

だが、喜んでばかりもいられない。

こちらが戦力を補充しているように、敵もまた同数以上の兵士を生み出している。

このままの状態が続けばこちらが築いた防衛線も直に突破されてしまうであろう。

 

『結局のところ、取れる作戦は2つだ。総力戦か暗殺か』

 

「恐らく暗殺は不可能だ。僕達は一度試みて失敗している」

 

「うん?」

 

何か変なことを言ったのだろうか?

鳩が豆鉄砲を食らったかのような顔をしている立香にカドックは声をかける。

 

「なんだ、藤丸?」

 

「そっちも暗殺、しようとしたの?」

 

「しただろ、お前が。何か変なこと言ったか?」

 

「いや……ううん、何でもない」

 

気にしないでくれ、と立香は手を振る。

変な奴だと思ったが、いちいち気にしていては話が進まない。

とにかく、一度失敗している以上、女王メイヴは暗殺に対する警戒をより強めているだろう。

彼女さえ倒してしまえばケルトの戦士がこれ以上増えることはないが、その警戒を掻い潜ってもう一度、暗殺を狙うことは不可能だ。

 

「んー、向こうの戦力はまず――女王メイヴ、クー・フーリン。それからアルカトラズにいたベオウルフ」

 

「それとアルジュナだ。最初っから暗殺に備えて控えさせていやがった」

 

ロビンが口にしたアルジュナという名前を聞いて、カルナの表情が僅かに険しくなる。

巨人グレンデルを素手で倒したベオウルフと、「マハーバーラタ」においてカルナに匹敵する英雄であるアルジュナ。どちらも世界有数の英霊であり、一筋縄ではいかない相手だ。それに加えて数が揃えばサーヴァントすら圧倒できるケルトの戦士、どこからか引き連れてくる魔獣やシャドウサーヴァントの群れ。それらがほぼ無尽蔵に生み出されては逐次、戦場に送り出されてくる。

こちらもサーヴァントが増えたことで戦力が増したが、真正面からそれを受け止めるとなると非常に分が悪い。

 

「余の全力であれば拮抗はできるが、倒せと言われては保証しかねるな」

 

「サーヴァントに狙いを絞るって手もあるけどよ、一対一ならフルボッコ。せめてもう1人いれば何とかって感じかね」

 

「ふうむ。暗殺が不可能な以上、やはり総力戦しかないわけか」

 

「南北それぞれに機械化歩兵とサーヴァントを割り当て、片方が拮抗状態を維持している間に本命の軍が一気に首都への突破を計る。そんなところか?」

 

そうなると重要になるのは両軍の兵力差だ。

二軍とも拮抗状態では何れこちらが押し負けてしまう。かといって片方に戦力を集中すればもう片方の戦線が瓦解してアメリカは消滅してしまう。

幸いにもサーヴァントの数ではこちらが上回っている。今までは純粋な物量勝負故にジリ貧となっていたが、うまく編成を整えれば十分に勝機はある。というより、ここで出し惜しみをしていては二度とチャンスは訪れないだろう。

 

「エジソン、一日だけ時間を欲しい。西海岸に配備していた部隊を引き上げさせている」

 

「どのみち、これ以上は戦い続けることができない以上、予備の兵力も導入して短期決戦しかけるのだな。だが、策はあるのかね?」

 

「ああ、お得意の広告戦術といこう」

 

元々、自分はカルナを単騎でワシントンに特攻させるつもりだったのだ。

仮に実行していた場合、ロビン達のようにアルジュナの妨害を受けて失敗していただろうが、そのために用意していた大隊や資源はこの作戦に転用できる。準備にはそう時間はかからないだろう。それにこれだけのサーヴァントが揃ったのなら無謀な特攻を勝算のある戦いにまで確度を上げることができる。

そのために必要なものはマスメディアだ。

 

「まず国内に大々的な喧伝を行う。エジソンが東部奪還を目的とした最終決戦のために前線に出ると」

 

それは西部軍に士気を高めることにも繋がるが、最大の目的は前線の部隊を通じて敵軍にそのことを伝えることにある。

ケルトにとって女王メイヴが兵士を生み出す母であるように、エジソンはアメリカを守り指揮を執る父なのだ。そのエジソンが前線に出るとなると、当然のことながらケルトはその首を狙おうとするはずだ。だが、エジソンが南北のどちらの部隊にいるのかわからない以上、彼らは均等に防備を固めなければならない。仮にエジソンの居所が突き止められてもそれはそれで囮として活用できる。

 

「エジソンを擁する北軍が耐えている間に、カルナとラーマを主軸とした南軍が一気にワシントンを目指す」

 

「もし、南の方に戦力を集中されたら?」

 

「その時は機動力のある部隊だけを率いて、北軍が首都攻略の役を担うまでだ」

 

最も、インドの二大英霊を擁する部隊が押し込まれることなどそうそうないだろう。

念のためナイチンゲールも加えれば、多少の損耗も気にせず行軍することができる。

後は聖杯回収のために自分と立香のどちらかが加わる必要があるのだが――。

 

「南軍は、お前に任せる」

 

「え?」

 

「アメリカはお前とキリエライトが守るんだ、藤丸」

 

 

 

 

 

 

決戦を明日に控えた夜、カドックはふらりと首都王城を出て夜の街を眺めていた。

床に就いたのは2時間も前なのだが、いまいち寝つきが悪く目が覚めてしまったのだ。

途中、同じく夜の散歩に出ていたナイチンゲールと出会っていくつか話を交わしたが、やはりというべきか会話は噛み合わなかった。

スパルタクスと同じく狂化の度合いが特定方向に働いていて、思考回路が固定化されているのだ。

だが、彼女が「治療」という行為に対して如何に真摯に取り組んでいるのかはよくわかった。

去り際に彼女が残した言葉はとても印象に残っている。

 

『エジソンの病は癒え、王としての責務を和らげることができましたが、あなたの病はまだ完全には癒えてはいない。残念ながらあなたの病はこの旅の更に先を目指すことでしか癒えないのでしょう』

 

なので、彼女は北米での戦いの後も経過観察のために自分達について行くと言い出した。

こちらが特異点が修正されれば召喚されたサーヴァントは座に帰還すると説明しても、まるで聞く耳を持たなかった。

結局、彼女とは別れるまで話が噛み合わなかったが、1人になったカドックはナイチンゲールが度々、口にした自分の病という言葉を思い返してふと夜空を見上げていた。

自分が罹患した病。それは魔術王に恐怖したことでも、エジソンに同調してカルデアを離反したことでもない。

まだまだ未熟な後輩、藤丸立香に対して抱いた醜くもみっともない嫉妬心だ。

ずっとずっと、才能の差というものに悩まされ、周囲への劣等感に苛まれてきた。

それがいつしか当たり前になっていた中で、ふと出会うことができたのが藤丸立香という少年なのだ。

自分よりも未熟で、勝るものが何一つとしてない、ただの凡人。

どこにでもいる、当たり前の平凡な人間だ。

彼がカルデアに来た経緯は、ほとんどクジに当たったようなものだった。

枠が空いていた最後の47番目。それを埋めるために裾野を目一杯広げて見つけたただの一般人。

最初はそんな人間が自分と同じ舞台に立つことに嫌悪した。

ここまで積み重ねた努力を、レイシフト適性という才能一つで覆されたような気がしたからだ。

次に彼に抱いた感情は優越感だ。

未熟な少年に対して、一丁前に先輩風を吹かす姿は煩わしくも気持ちが良かった。

皮肉にもそれは、今まで自分を見下してきた才能あるエリート達と同じであった。

自分よりも劣った者を侮蔑し、見下し、比較した上で優越感に浸る。そうしたくて接していたわけではないが、彼に対してそういう気持ちがあったことは嘘ではない。

だから、彼が少しずつ自分に追いついてくることが怖かった。

共に特異点を駆け抜け、実績を積み上げ、やがては自分の地位を脅かすほどのマスターになるという予感があった。

事実、彼はあの決闘の場で自分に追いついた。それも弱いまま、未熟なままで全てをぶつけた上で自分に勝利した。

自分では彼のようには振る舞えない。言い換えるのなら、彼のように振る舞いたかった。

弱さを言い訳にせず、ただ当たり前にできることだけを積み上げて前へと進みたかった。

あの敗北は必然だ。歩むことを止めた者は、いつしか歩き続ける者に追いつかれる。

詰まるところ自分の病とはそういうものだ。足が止まったのなら再び歩き出せばいい。

だが、あの敗北の経験がなければ、きっと自分はいつまでも立ち止まったままであっただろう。

これではスパルタクスやティーチに笑われるどころか呆れられてしまう。

あんなに苦労して彼らに認められ、学んだはずの強さを失って立ち止まっていたなんて。

 

「カドック? こんな夜更けに何をしているの?」

 

振り向くと、件の後輩がそこにいた。

ランニングでもしていたのか、額に汗をかいていて息が上がっている。

 

「ただの散歩だ。そっちこそ、どうしたんだ?」

 

「寝付けなくてひと汗かこうかなって」

 

「明日に響いても知らないぞ」

 

そう言ってカドックは、腰に提げていた水筒を立香に差し出した。

 

「ほら、いるか?」

 

「ありがとう」

 

受け取った水筒を、立香は一口呷る。

そのまま2人は何となく近くにあった理髪店の待合ベンチに並んで腰かけると、満天に輝く星空を黙って見つめた。

しばしの間、沈黙が2人を包む。それを先に破ったのは立香の方だった。

 

「本当に、俺とマシュで良かったの?」

 

「何をだ?」

 

「カドックだってアメリカをケルトから守りたいんだろ。そのために頑張っていたじゃないか」

 

エジソンの無茶な方針を実現するために、寝食を捨てて尽力してきた。

それはエジソンが願うアメリカの勝利を実現するためだ。

立香に敗れはしたがその気持ちを捨てたわけではなく、今でも胸の内に燻っている。

だが、それと昼間の会議で決まった明日の編成はまた別の話だ。

敵の首魁と戦うことだけが戦いではない。それに自分がその場に立てば、また前のようなみっともない見栄や嫉妬に駆られてアナスタシアの力を引き出せないかもしれない。

だから、今回はこれでいいのだ。

自分は彼のサポートに回ると、そう決めたのだ。

 

「大丈夫だ、お前ならやれる。もっと自信を持て」

 

「その言葉、カドックにだけは言われたくないな」

 

「素人マスターが生意気なこと言うじゃないか」

 

不自由な左腕を立香の首に巻き付け、右手で思い切り締め上げる。

堪らず、立香は喉を詰まらせて降参の意を示した。

 

「あの時の言葉、結構くるものがあったよ。生きたいから戦うか……お前にもちゃんと、戦う理由があったんだな」

 

「あー、あの時のね。カッとなってつい言っちゃったというか、その場の勢いというか」

 

「本気じゃないのか?」

 

「まさか! けど、半分なんだ。その気持ちは、半分なんだ」

 

照れくさそうに笑いながら、立香は頬を掻く。

まるで親に隠し事を知られた子どものように、視線を逸らしながら立香は言う。

 

「フランスの時のこと、覚えている?」

 

「ああ」

 

いつの夜だったか、こんな風に2人で話をしていた時のことだ。

自分は彼がグランドオーダーを引き受けた理由を聞き、彼はそれを他に担う者がいなかったからだと答えた。

その時は彼の正気を疑ったものだが、ひょっとして本心は違ったのだろうか。

 

「あの時はああ言ったけど、本当はあの娘の――マシュのことが放っておけなかったからなんだ」

 

「キリエライトのことが?」

 

「ファーストオーダーの時、俺はドクターと一緒にいたから無事だったけど、冬木には行けなかった。管制室で傷つく彼女を見ていることしかできなかったんだ。俺さ、冬木から戻ってきた彼女の手を握ったんだ。不安とか悲しみとか、色んな気持ちが混ざって震えていたマシュの手が――あの手があんまりも細くて弱々しかったから。彼女が背負う重荷を――きっとこれから彼女が背負う責任を、半分だけでも引き受けられないかなって」

 

それが、グランドオーダーを引き受けた本当の理由だと、藤丸立香は告白した。

何ということはない。誰かの力になるために、自分にできることをしたいという如何にも彼らしい理由だ。

 

「ああ、良いんじゃないか、それで」

 

自分だって似たようなものだ。

アナスタシアに誓った証明のためにグランドオーダーを完遂する。

彼女が死の間際に抱いた諦観を吹き飛ばせるほどの偉業を。

不可能に挑み、無為に散った後にも残るものがあるのだと証明するために自分はこの旅を続けるのだ。

 

「つまり、彼女のことが好きなんだな」

 

「ちょっ、待って、別にそんな――」

 

「まあ、お似合いじゃないか。彼女は無口で大人しいが素直だし自己主張も少な――なんだよ、その目は?」

 

「ねえ、それマシュのこと? 彼女のどこが大人しくて自己主張が少ないって? いや、その通りなんだけど違うというか……カドック、今まで何を見てきたの?」

 

「そんな可哀そうなものを見るような目で見るな!」

 

マシュはそんなにギャップの激しい性格だったのであろうか。

Aチーム時代も含めれば一年以上の付き合いになるが、そんな一面など見たこともない。

それとも自分が知らなかっただけど、他の人間には当たり前のことだったのだろうか。

こっちは一世一代のつもりで思春期らしい冗談を言ったつもりなのに、何だかとても恥をかいた気分だ。

 

「ごめんごめん。別に責めてないって」

 

「別に、気にしていない――――なあ、藤丸」

 

一拍、間を置いてから立香の名を呼ぶ。

この言葉だけは、今しか言えない気がしたからだ。

他の誰かが見ていたらきっと言えない言葉。

不甲斐ない先輩として、未熟な後輩に送らねばならないと思った大切な言葉。

 

「お前は必ず生き残れ。キリエライトと一緒に、な」

 

それが、その夜に立香と交わした最後の言葉となった。

 

 

 

 

 

 

立香と別れた後も、カドックはすぐに自室へ戻らず星を眺め続けていた。

どれくらいそうしていたのかはわからないが、まだ東の空は暗いままだった。

不意に隣に人の気配が現れる。

アナスタシアだ。いつからそこにいたのだろうか。

いつまでも戻ってこないことを心配して迎えに来てくれたのか、それとも最初から霊体化してついて来ていたのだろうか。

彼女は小さな微笑みを浮かべながらジッとこちらを見つめると、夜空に吸い込まれるかのように小さな声で囁いた。

 

「おかえりなさい」

 

それがどういう意味なのかすぐにはわからなかった。

何度も言葉を反芻し、自分のこれまでの行いを検め、その言葉が何に対してのものなのかを考える。

そうして辿り着いた答えは単純なものだった。

迷走を終えたカドック・ゼムルプスの帰還。

エジソンの力となり、アメリカを守るために奔走していた自分は彼女と共にグランドオーダーを駆け抜けたカドック・ゼムルプスではなかった。

そして、カドック・ゼムルプスは歩みを止めることを止めて再び歩き出す。

幼年期は終わり、痛みを抱えてもう一度歩き出すのだ。

それを祝福を意味する言葉。

自身のマスターの帰還への言葉。

ならば、自分が返すべき言葉は一つだけだ。

 

「ただいま、アナスタシア」

 

その言葉に、ここからもう一度、歩き出すという意志を、カドックは強く込めるのだった。




イベントは順調ですか?
ひと段落ついたので何とか書きあがりました。


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北米神話大戦イ・プルーリバス・ウナム 第6節

そして、大統王の最後の戦いが始まろうとしていた。

その日の朝はいつもよりも日差しが強く、熱い一日になるであろうことが予想できた。

嵐の前の静けさとでも言えばいいのだろうか。

青く澄み切った空は、まるで眼下の大地で争いが起きているのが嘘のように美しく鮮やかな色であった。

そこから降り注ぐ日差しがカドックの意識を覚醒させる。

乱れたシーツから這い出たカドックは、枕元に置いた時計で時間を確認し、転ばないように細心の注意を払いながらベッドから降りようとした。

体幹のバランスが崩れたこの体は、特に起き抜けが言うことを聞いてくれない。

カドックは一息を吐くと、まずは右足を床に降ろし、力が入る右手で体を支えながら左足を降ろした。

そのまま両足にゆっくりと力を入れながら立ち上がり、上体がふらつく前に右手を壁につけて倒れる体を支える。

丁度、窓の外に体を晒す形となり、降り注ぐ日差しが遮られて自分の影がアナスタシアの顔にかかった。

 

「あら、もう時間かしら?」

 

「まだ時間はあるから、もう少し寝てても大丈夫だ」

 

「そう……おはよう、カドック。起こしてくださる?」

 

「しかたないな」

 

壁に手を付きながらベッドの反対側に回り込み、右手を彼女の背中に差し込んで力を込める。

冷気を纏った肌は冷たく、彼女の柔らかい背中の感触が手の平に伝わってくる。

カドックは自分の鼓動が早鐘を打つのを感じながら、努めてそのことを意識しないようにしながら横たわるアナスタシアの上体を起こした。

すると、起き上がったアナスタシアの顔が間近に迫った。

はだけたシーツの隙間から小さな2つの光が見え、一瞬、視線が重なったカドックは吸い込まれるような彼女の瞳に息を呑む。

 

「――――!」

 

「どうかしたの?」

 

「……いや、大丈夫だ」

 

自分に言い聞かせるように言うと、カドックは床に脱ぎ捨てたままだった靴を拾ってベッドの端に腰かける。

立香との決闘を経て心に余裕ができたからだろうか。いつも顔を合わせていたはずなのに、まるで出会ったばかりの頃のようにアナスタシアのことを意識してしまう。

冷静になれと言い聞かせながらカドックは不自由な指で靴紐を結ぼうとするが、今日はいつになく調子が悪いのかなかなかうまく結ぶことができない。

すると、ベッドから降りたアナスタシアが床の上に跪くと、こちらの手をそっとどかして解けた靴紐を指先で掴む。

 

「履かせてあげます」

 

「いらないよ、靴紐くらいならもう結べるから」

 

「わがままを聞きなさい。私がしたいからするだけなの」

 

(普通、わがままを言うな、だよな?)

 

相変わらず、よくわからない理由で悪戯を仕掛けたりこうして世話を焼いてくる皇女に振り回されながら、カドックはいつもと同じように着替えて執務に出かける。

大統王補佐官としての最後の仕事をするために。

 

 

 

 

 

 

カドックは大統王補佐官として時間いっぱいまで仕事をこなした後、首都王城の外に集結している遠征軍のもとへと向かった。

外の広場には入りきらないため、彼らは塀の外に集まっている。

この日のためにエジソンがアメリカ中の資源という資源を使い潰して生産した機械化歩兵部隊。

加えて志願・徴兵を含めた後方部隊と時代を先取りした数々の兵器達。

仕組みなどがわからず戦車や戦闘機を作ることはできなかったが、ずらりと並んだ砲兵隊はエジソンが開発した直流駆動のセンサーにより従来のものよりも遥かに正確な砲撃を行う事ができ、銃器類も形こそ旧製品と同じだが重量の軽減や装弾数の増加が図られている。

それらが一列に並ぶ光景はただただ圧倒されるばかりだ。

更にその後ろにはカドックが苦心した補給部隊が列を成す。

何とか搔き集めることができた成馬達が引く馬車の中には武器弾薬や食糧、医薬品が積み込まれており、西部軍の総力が進軍するこの戦いにおいても一週間は戦い続けることができるだろう。

いわばエジソンとカドックがこの特異点で積み重ねた努力の集大成だ。

 

「なるほど、これだけの兵力とサーヴァントがいれば北軍も何とか持ちこたえることができるだろうな」

 

昨日は姿を見せなかった黒衣の女性が、整列する兵士達を見て意味深に頷きながら言った。

先に来ていた立香に尋ねると、彼女もまた自分達に協力してくれるサーヴァントなのだという。

名をスカサハ。

アルスター伝説に登場する戦士にして影の国の女王。

彼のクー・フーリンを鍛え上げ、呪いの魔槍を授けた人物だ。

人理焼却という未曽有の事態に対して、彼女もまたランサーのサーヴァントとして召喚されたらしい。

立香達がレジスタンスとして行動をしていた時も、陰ながら助力していたとのことだ。

毎度のことながら、彼の英霊を引き付ける人徳のようなものは非常に羨ましい。

こちらも戦争という一大事でなければ是非とも一席を設けたいところだが――。

 

「見立てでは3日後の夕暮れが開戦となるだろう。不測に備えて北軍は早々に動いた方がいい」

 

(折角、会えたのに話をする暇もなしか。影の国のスカサハ――くそっ、癪だがびじ――っ!!」

 

不意に耳を引っ張られ、カドックは声にならない声を上げる。

振り向くと、どことなく不機嫌そうなアナスタシアがこちらを睨んでいた。

 

「な、なにを……」

 

「下心が視えていました」

 

「そんなんじゃない。だって、スカサハだぞ。影の国の女王。北欧のスカディと由来を同じくする神格とも言われていて、こんな時でもなければ召喚すらできないかもしれないんだぞ」

 

「私のヴィイはバロールに連なる魔眼の魔性です」

 

「そういうところで張り合わなくていいだろう。第一、君を他人と比べるつもりはないし、そもそも君以上のサーヴァントなんていない」

 

「そう、私は……えっと……えぇ――と……」

 

アナスタシアは急に黙り込み、頬を上気させて視線を泳がせる。

らしくない姿を見てカドックも首を捻る。ひょっとして、自分は何かおかしなことでも言っただろうか。

 

「わ、私はマシュに挨拶に行ってきます。5分で戻りますので――」

 

結局、アナスタシアは霊体化して行ってしまった。

 

「ハッハッハ! カドック君、アメリカは自由の国だ。サーヴァントとそういうこともアリだと思うがね」

 

「エジソン? 何を言っているんだ?」

 

「何、気づいていないのならそれもよい。それもまた必要なことだ。時が何れは解決する」

 

意味深な含み笑いを浮かべるエジソンの言葉の意味がいまいち理解できず、カドックの胸中に何とも言えないモヤっとした感覚が渦を巻く。

だが、いつまでも気にしていては時間の無駄だと自分に言い聞かせ、話題を変えることにした。

 

「もう出発できそうか?」

 

「昨晩の内に取り付けた増幅装置は万全だ。機械化歩兵部隊はサーヴァントの速度にも追随することが可能だろう」

 

「なら、すぐにでも出発しよう。本命は南の方だ。僕達は派手に動いて敵を引き付けた方が良い」

 

「うむ。では、ここでサヨナラだな、カルナ君」

 

カルナはラーマと共に南軍に加わることになっている。

無事にワシントンを攻略できればその時点で特異点の修復は成されるため、再会することは適わないだろう。

 

「言おう言おうと思って機会を逸していたのだが……私のような者の懇願に応じてくれて感謝する。君がいたから、ここまでやってこれた」

 

そう言ってエジソンは大きな手でカルナの手を握り、固い握手で感謝の念を示す。

それに対するカルナの態度は極めて淡白であった。

 

「何。気にするなエジソン。武運を祈るぞ」

 

ただの一言、しかしその言葉には彼自身の全てが込められていた。

薄情なわけではなく、彼の本心には本当にそれ以上の感情が存在しない。

請われたが故に力を貸す。そこにカルナの感情が挟む余地はなく、彼自身もそれを是としている。

その上で彼はエジソンに対して友情を抱き、アメリカを守るために腐心してくれた。

始まりは成り行きであっても、辿り着いた先には確かな繋がりが生まれていた。

だから、それ以上の思いはない。

戦士として力を貸し、友として共に歩む。

苦悩する友のために力を貸さない友人がいるだろうか。否、存在しない。

カルナはそういう男なのだ。

 

「カルナ」

 

「カドック、オレの友を頼む。最後まで共に戦ってやってくれ」

 

「ああ。あなたの方こそご武運を。成り行きとはいえ、ここまでの舞台を用意できてよかった」

 

でなければ、自分はカルナにワシントンへ対して破れかぶれの特攻を命じていたかもしれない。

もちろん、本心ではそのようなことは望んでおらず、英雄に相応しい華やかな舞台で鬨を上げて欲しいと思っていた。だが、必要とあらば私情を切り捨てて理詰めで行動を起こすのが魔術師という生き物だ。

立香に敗北し、結果的とはいえ両陣営の総力戦という舞台を用意できたのは今となっては僥倖だった。

できることならカルナには、何のしがらみもない戦場で思う存分にその力を振るって欲しい。

 

「ふっ、やれと言うなら玉砕も引き受けるさ。だが、向こうにアルジュナがいる以上はそうもいかない。オレにとってはこの流れは願ってもないことだ」

 

どこか遠い目で、カルナは遥か彼方の空を見上げる。

あの方角はケルトが拠点としているワシントンがある方角だろうか。

そこにはカルナの異父兄弟にして生涯の宿敵であるアルジュナがいる。

授かりの英雄アルジュナ。

クル王の息子、パーンダヴァ五兄弟の三男にして雷神インドラの息子でもあるアルジュナは、カルナに匹敵する武芸者であり、様々な事情が絡み合ったことでカルナと対立する形となった。

だが、公正明大で非の打ち所がない英雄の鏡と言えるアルジュナは、戦場においてカルナを半ば謀殺に近い形で命を奪ってしまった。

それに対してカルナがどのような思いを抱いているのかを、カドックは問い質すことはしなかった。

これはカルナとアルジュナの間にある問題であり、無関係な他人が入り込んでいいものではない。

だが、普段は冷酷とも取れるほどの高潔さを秘めたカルナが僅かでも執着を抱いていることから見ても、彼が複雑な思いを抱いていることは明白だった。

願わくば、生前には叶わなかった悔いのない戦いができることを願わずにはいられない。

 

「カドック、オレは以前、お前が何かに恐怖していると言ったな。あの言葉は取り消そう。今のお前は恐怖とは異なる感情を胸に秘めている。藤丸立香との戦いで、己が器の矮小さを知ることができたか。分相応な願いは身の破滅を呼ぶだけだ」

 

「…………」

 

「どうした?」

 

「いや、続きを待っていた」

 

以前、カルナは自分は言葉が足らないと言っていた。突然の扱き下ろしに驚いたが、以前の発言や彼の性格を考えれば今の言葉は明らかに言葉足らずだ。

カルナは彼なりに何かを伝えようとしていて、言葉が足らずに誤解を招く表現になってしまっている。

 

「褒めたつもりだったのだが」

 

(あれでか?)

 

「己の器に収まりきらぬ願いを追うこともまた良きことだ。それは誰もが簡単にできることではない。そして、挑むという行為に貴賤はない、とオレは考える。良い結末に辿り着けることを願っているぞ」

 

恐らくは、先ほどの言葉で足らなかったであろう部分をカルナは口にする。

言葉を繋げるとさっきとは全く別の意味になってしまう。これでは誤解を招くのも当然だ。

彼は過去にも聖杯戦争に召喚されたことがあると言っていたが、その時はマスターもさぞコミュニケーションに苦労していたであろう。

 

「あ、ここにいたのね子ザル」

 

こちらの姿を認めたエリザベートが駆け寄ってくる。

これから戦争に赴くというのに、彼女はどういう訳か大きな旅行鞄を提げていた。

きちんと閉め切っていないカバンの隙間からは色取り取りの衣装がはみ出しているが、ひょっとして彼女のステージ衣装なのだろうか。

そういえば、道中で兵士を歌で慰問すると息巻いていたが、それに使うつもりなのかもしれない。

みんなと協力して断固、阻止しなければ。

 

「出発前にエレナが最後の打ち合わせをしたいそうよ。子イヌ達も先に行ったわ」

 

「わかった。ところで、どうして子ザルなんだ?」

 

「もう子ブタも子リスも子イヌもいるし、貴方は子ジカって感じじゃないでしょ。見所あるし、私のプロデューサー候補として目をかけてあげようかなって」

 

(その時はリボンでも結ってアマデウスに送りつけるか)

 

下手な拷問よりも恐ろしいと思わず背筋を強張らせながら、カドックはカルナに別れを告げてエレナのもとに向かった。

 

 

 

 

 

 

西部に動きあり。

この知らせはワシントンから全てのケルトの戦士に伝えられ、それと共に一つの勅命が下された。

全軍、総力を以て迎え撃てと。

凶王クー・フーリンはこの戦いを以て北米大陸を巡る東西戦争を終わらせる腹積もりのようだ。

北部方面の指揮を任されていたベオウルフは、その号令を耳にして少しばかりやる気を出そうかと思案する。

戦うことそれ自体には忌避感はない。そもそも自分は狂戦士。バーサーカーのクラスとして召喚された以上、自分のやりたいように振舞って死ぬのが相場というものだ。

だが、この北米での戦いは些か勝手が違った。

圧倒的な力を持つクー・フーリンと女王メイヴによって頭を押さえられ、思うように振舞うことができない。

課せられた目的は人理定礎の破壊。

このアメリカの大地を蹂躙し、時代そのものを虐殺する。

それは最早、戦いと呼べるものではない。何かを生み出すための破壊はなく、ただただ作業的に命を奪うだけの日々。

聖杯はおろか、争い自体に関わりがない無辜の民すら等しく殺し尽くす畜生の所業だ。

ベオウルフは戦士でありまた王でもある。屠殺はそのどちらの仕事でもなく、故に此度の召喚では消極的に役割をこなすことに徹していた。

しかし、泣いても笑っても次の戦いが最後となるのなら、羽目を外しても文句は言われないだろう。

聞くところによると西部は軍を2つに分けて進軍しており、自分が守る北部方面には西部の首魁であるエジソンが指揮官として同行しているらしい。

大将首ともなれば凄腕の猛者がついているはずだし、運が良ければアルカトラズで自分を下したカルデアのマスターにオウム返しができるかもしれない。

そう思って重い腰を上げたベオウルフであったが、彼の耳に飛び込んできたのは信じられない知らせであった。

 

「報告します。先遣隊が何者かの奇襲を受け全滅。また我が軍の備蓄食料や進軍先の井戸水などに毒が盛られており、服毒した者が多数出ています」

 

「ほう、敵の工作って訳か。被害の規模は?」

 

「凡そ、六割。誤情報が行き交い遭難や同士討ちをし始めている部隊もあります」

 

「そいつらは捨てておけ。それよりも生き残った奴らを纏めるぞ」

 

「はっ」

 

どこの誰かは知らないが、かなりの罠の名手が西部にはいるようだ。

未だこちらは敵の主力と会敵していない状況で、既に戦力の六割は失われてしまった。

戦争のセオリーを考えるならば、その時点でこちらの敗北は必至だ。

ベオウルフはしてやられたことに対する細やかな怒りと、この英雄らしくない姑息な手段で損害を与えた人物への興味で表情を歪ませた。

自分が痛い目に合わされた。戦う動機としては十分だ。

 

「お前ら、戦争の時間だ!!」

 

号令と共にケルトの戦士達が戦場へと出陣する。

撤退や増援を待つことを進言する者もいたが、ベオウルフはそれを拳で黙らせて進軍することを押し通した。

自分は狂戦士。戦争のセオリーなど糞くらえだ。

戦って戦って、最後には気持ちよく負けて死ねればいい。

気持ちよく勝てればもっといい。

その先に残るものが何か一つでもあれば尚のこと良い。

故にここは進軍あるのみだ。

我が軍に痛手を負わせた仇敵に目にものを見せてやろう。

 

 

 

 

 

 

西部軍が進軍を始めてから凡そ3日、エジソン率いる北部方面軍は遭遇したケルトの軍勢を蹴散らしながら、荒れ果てた荒野を進軍していた。

事前に先行したロビンフッドがかく乱したことで、遭遇した敵の部隊は大半が壊滅状態だ。

ある部隊は毒の食物を食べて苦しみ、ある部隊は糧食を失って餓死者が出ており、ある部隊は武器を失ってこちらの騎馬隊に翻弄され、ある部隊は同士討ちにより全滅していた。

それらの残党を滅ぼしながら、カドック達はワシントンを目指す。

恐ろしいのはこれだけの被害を受けて尚、ケルトの兵士達は逃げることなく戦いを挑んでくることだ。

戦術として逃げることはあっても、降伏や敗退は認めない。

士気も精力もガタガタの状態でも最後の1人まで戦いを投げ出さずに向かってくる精神性は異常としか言いようがなかった。

結果、相対した敵は全て倒さねばならず、予想よりも進軍のペースを遅らせざる得なかった。

 

「ムニエル、南の方はどうだ?」

 

『目下、ケルト軍と戦闘中だ。カルナがアルジュナを押さえてくれているおかげで、藤丸達の方が押している』

 

「こちらはひと段落がついて野営の準備をしているところだ。向こうが落ち着いたら通信を繋いで欲しい。今後の動きについて相談したい」

 

『あいよ。ドクターにも伝えておく』

 

ムニエルとの通信が切れ、カドックは外の空気を吸おうと天幕の外に出る。

周囲では兵士達が突貫で野営の準備を行っているが、戦力の規模に対して天幕の数は非常に少ない。

機械化歩兵の配備によって生きた兵士の数が少なくなっているからだ。そのおかげで持参する糧食の量も抑えることができ、野営の設備も最低限にすることができた。

色々と問題があったエジソンの大量生産と自動化であるが、人的コストを抑えることができるというのは間違いなくメリットであるだろう。

200年後の未来では様々な分野で自動化が進んでいったことも頷ける。

そのエジソンはというと、ここまでの行軍で消耗した機械化歩兵のメンテナンスを同行させた技術スタッフと共に行っていた。

邪魔をしては悪いと思って踵を返したカドックは、ふと視界の端に緑の衣が通り過ぎたことに気づく。

ロビンフッドだ。

彼は集団から離れたところで1人、何をするでなく岩にもたれかかって黄昏ている。

彼はレジスタンスのメンバーだ。自分達とは少し前まで敵対する関係であったため、この場に馴染めずにいるのだろうか。

もちろん、それは勝手な思い込みだが、そう思ってしまうと無視することも難しい。

 

「隣、いいか?」

 

「お、いいですけどね、いつも一緒にいるお姫様はいいんですかい?」

 

「少し前にエリザベートを引きずっていった。歌わないように見張るそうだ」

 

嬉々としてマイクを取り出したエリザベートをヴィイの目にも止まらぬ鮮やかな平手で黙らせた時は、思わず事情を知る者達から拍手が起きたほどだった。

 

「あれと拷問趣味さえなけりゃ、優良物件なんですけどね」

 

「僕からすれば、あんたこそ立派な優良物件だ」

 

事前に敵の戦力を削ぐ破壊工作、百発百中の弓術、姿を隠す宝具。ステータスもそれなりの水準でまとまっており、通常の聖杯戦争ならば間違いなく優勝候補だろう。

事実、ここまで大きな被害を出さずに進軍できたのは彼の実力あってのものだ。だが、それを聞いたロビンは自嘲気味に笑うばかりだった。

自分はそんな褒められたことはしていないと、自己を卑下する言葉を漏らす。

 

「オレは基本的に人でなしの卑怯者だからね。ああいう姑息なことしないと勝てないし、いざとなったらケツまくる臆病者さ」

 

「それに何か問題でもあるのか? やり方はともかく効率的なことはいいことだ。憶病なのも蛮勇より遥かに利口だと思う」

 

「お褒めに預かり恐悦至極。ここまで特異点を修復してきたマスター様は言うことが違いますね」

 

「僕は……そんなんじゃないさ。あんたと同じ、臆病者の人でなしさ」

 

ロビンの皮肉に対して、思わずカドックは自嘲する。

ここまでの旅はどれか一つをとっても、自分の身の丈に合わない偉業ばかりだ。

いつだっていっぱいいっぱいで、自分には到底できっこないと何度も挫けそうになった。

それでも運よく目的を達することができ、四番目の特異点において魔術王という存在に出会ってしまった。

自分の小さな器に注ぎ込まれる破滅的な水量に耐え切れず、さりとてグランドオーダーから逃げ出すことも諦めることもできなかったが故に空回り、カルデアの仲間に迷惑をかけてしまった。

仮に立香に敗れなかったとしたら、エジソンを勝利に導いたとしても胸の内に慚愧が残ったであろう。

仲間を裏切り、グランドオーダーを棚上げし、あの炎の街で誓った言葉を破ることになっていた。

人でなしと言うならば間違いなく自分はその分類だ。

 

「へえ、もう1人のマスターから聞いてた感じじゃもっと尊大な奴かと思ってたんだが、殊勝なところもあるじゃないの。いいんじゃないの、人でなし結構。誇りなんて何の得にもなりませんし、人間ってばひねくれているくらいが丁度良いんじゃない? それにオタクは口でそう言いながらも逃げずにここにいる。自分で思っているよりは真人間なんじゃないですかね、マスター」

 

「そう言ってくれるなら、気も楽になるよ」

 

「そりゃどうも。オタクとオレはどうやら似た者同士みたいだ。お互い基本的に後ろ向きなタイプだろ?」

 

「お前よりは貪欲なつもりだ。僕は人理修復を諦めたつもりはないし、魔術師としてもまだまだ上の位階を目指している」

 

「オレだってやるときゃやりますよ。これでも一応、騎士見習いですからね。罠とハンサムだけの男じゃないですよっと」

 

「なら、あんたの騎士としての矜持、見せてもらうぞ皐月の王」

 

「へえへえ。禿鷹にも一握りの矜持ね。そう言ったのは誰だったかな――」

 

そう言ったロビンの顔は、不思議と穏やかで懐かしいものを見ているかのような優しい表情を浮かべていた。

 

「ああ、確か――」

 

ロビンが何かを言おうとした瞬間、懐の端末がカルデアからの着信を告げる。

南部の方で動きがあったのだろうか。

 

『カドックくん!』

 

ホログラムに映し出されたのはムニエルではなくロマニだ。

それが意味する事は一つ、立香達に何か重大な出来事があったということだ。

 

『南軍に動きがあった。カルナが――カルナが戦死を遂げた――』

 

一瞬、我が耳を疑った。

あのカルナが死んだ。まさかアルジュナに倒されたのだろうか。

ケルトの軍勢の中でカルナに比類する力を持つ者はアルジュナだけだ。

だが、続くロマニの言葉は更に驚愕の事実を伝えてきた。

 

『クー・フーリンが戦場に現れたんだ! カルナは彼に……クー・フーリンにやられた!』

 

凶王自らが戦場に立ったという事実に、カドックは戦慄を隠し切れなかった。




コツコツ書き溜めて何とか脱稿。
ペース回復はもう少し先になりそうです。


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北米神話大戦イ・プルーリバス・ウナム 第7節

目の前で繰り広げられる戦いに、藤丸立香は戦慄を隠し切れなかった。

グランドオーダーの中で、多くの英雄達を目にしてきた。

いくつもの特異点を駆け抜け、その中には戦争や魔獣による凄惨な蹂躙もあった。

悲惨な光景も燦然とした戦いも、何度も見てきたはずだった。

だが、たった今、目の前で行われている戦いはそれらが陳腐な絵空事であったかのように錯覚してしまうほど、神々しくも激しい戦いであった。

相対するは2人の男。

1人は黄金の鎧を身に纏い、雷神の槍を振るう槍兵。

1人は流麗な白衣を纏い、炎神の弓を振るう弓兵。

インドの古代叙事詩「マハーバーラタ」に名を連ねる2人の英雄、カルナとアルジュナは互いの持てる技量の全てを駆使してぶつかり合っていた。

カルナが槍を振るえば空間が引き裂け、眼光が山々を抉る。

アルジュナが矢を放てば、炎の渦としか形容できない矢の雨が大地にクレーターを穿つ。

それぞれの肉体から噴き出す炎は敵も味方も区別なく焼き殺し、酸素すら殺し尽くされた死の戦場の中で両者は激しく睨み合う。

フランスのファヴニールなど目ではないほどの破壊を、神の血を引くとはいえ人間が引き起こす様を立香は間近で目撃し、武者震いが全身を駆け抜けた。

 

「マスター、わたしの後ろに。もっと離れなければ危険です」

 

「う、うん。わかった」

 

思わずサーヴァントへの指揮すら忘れていたことに立香は唖然となる。

それほどまでに両者の戦いはすさまじく、見る者を圧倒する強い力があった。

 

「アルジュナ。いついかなる時代とて。お前の相手はオレしかいるまい」

 

「聖杯戦争にサーヴァントとして召喚される度、私は貴様の姿を探し続けたのだろう。正しき英雄であろうとしながら、貴様の姿を探し求めては落胆したはずだ……こんな機会は恐らく、二度と巡り会うことはあるまい」

 

「…………」

 

「お前がそこに立った時点で、他の全てのものが優先事項から滑り落ちた。カルナ、続きを始めるとしよう」

 

「そうだな。オレもお前も、癒えることのない宿痾に囚われているようだ」

 

憤怒にも似た感情をぶつけるアルジュナに対して、カルナは何の感慨も抱いていないかのように淡々と答える。だが、その唇は自然と吊り上がっていた。何に対しても執着を持たないカルナが、宿敵に対してだけは心を動かされる。

それに気づいているからこそ、アルジュナもまたカルナの態度を受け入れることができた。

自分がカルナを認められないように、カルナもまた自分を無視できない。

自分達はそういった宿命にあるのだと知っているから、彼の清貧な眼差しを注がれても己を自制できている。

この世界にはアルジュナを助ける者()カルナを縛るもの(呪い)宿命(生前のしがらみ)すらもない。

ないからこそ、2人は互いの決着を最大の望みとした。

今、この瞬間、西部も東部もない。2人の目に映るのは互いの存在のみ。

全ての因縁に決着をつけるため、神の子たちはそれぞれの得物を取る。

 

「世界を救うことに興味はない。滅ぶならば滅ぶのだろう。しかし、貴様はこの世界を救おうとする」

 

「無論だ。オレは正しく生きようと願うものを庇護し続ける。この力はそのために与えられたもの」

 

「ならば私は滅ぼす側だ。貴様が善につくのなら私は悪につく。それでこそ対等だ。今度こそ、対等のものとして貴様の息の根を止めねばならん!」

 

生前における最後の戦い。

カルナは呪いにより全力を出せず、父インドラの策略で黄金の鎧を失い、内通者によって戦車は轍に車輪を取られた。

その上でアルジュナは、戦士としての道義に反してまで無防備なカルナに矢を放った。

あの機会を逃せばカルナを殺すことができない。だが、あの場で弓を引いたことで癒しようのない瑕を自分は負った。

その清算を成すために、アルジュナは悪であることを許容した。再びカルナと対峙し、今度こそ対等な立場で生死を分かつために。

 

「さて、アルジュナ。腐れ縁だが付き合いは誰よりも長いのがオレ達だ。その縁に免じて、一つだけ約束しろ。オレを討った時は本来の英霊としての責務を果たせ。その『炎神の咆哮(アグニ・ガーンディーヴァ)』で世界を救え。その手の仕事は……言いたくはないのだが、貴様の方が遥かに上手い」

 

「……いいだろう。だが、それを敗北の理由にしないことだ」

 

「敗北のために戦うことはない。この槍と肉体(よろい)に誓って、父と母に誓って勝利を奪う」

 

「私も父と母、そして兄弟に勝利を誓おう」

 

再び2人の英雄は得物を振るう。

槍が炎と共に大地を裂き、矢が焔となりて空を焼く。

カルナは不死身にも等しい自らの頑強さを盾に全身を焼き尽くされながらも大地を蹴って距離を詰めようとするが、アルジュナの正確無比な射撃がそれを阻む。

炎を纏った矢は最早、壁と表現するしかない密度を以て施しの英雄の動きを封じ、その五体の悉くを撃ち貫いた。

鎧が持つ治癒の力によって傷は瞬時に再生されるが、続けざまに放たれる炎の矢はその速度を上回る。

身動きの取れぬカルナの体は次々と急所を撃ち抜かれていき、黄金の輝きがほんの僅かに後退した。

このままアルジュナが矢を射続ければ、やがてはカルナの力が尽きて勝負が決してしまう。

無論、そう易々とそれを許すカルナではなかった。

 

「『梵天よ、地を覆え(ブラフマーストラ)』!」

 

炎の壁が、カルナの眼力によって消し飛ばされる。

本来であれば、生前の呪いによって自分以上の実力を持つ者に対しては放てぬ弓術の奥義。

カルナはそれを、アルジュナに対してではなく自らの足下に放った。結果、粉塵を伴う強大な爆発が壁となって矢の弾幕を遮る形となった。

噴煙が視界を遮り、肉眼では互いの姿を捉えることができない。

だが、2人はその視線の先に宿敵の存在を正確に感じ取っていた。

雷神の槍がその矛先を、炎神の弓が番えた矢を、黒煙の向こうにいる相手に向けて正に今、解き放たんと両者は力を込める。

刹那、凶獣が戦場に現れた。

 

「――『抉り穿つ鏖殺の槍(ゲイ・ボルク)』」

 

その瞬間を目撃した者は、一様に言葉を失った。

マシュは何が起きたのかすぐに理解できなかった。

ラーマはそれに気づけなかったことを悔いた。

ナイチンゲールは他の負傷者がいなければすぐにでも駆け付けようとしただろう。

そして、藤丸立香はただただ恐怖していた。

目の前に立つ1人の男。

黒いフードを身に纏った、自分がよく知る男の姿を見て言い表すことができない感情が込み上げていた。

 

「悪く思うな、施しの英雄。何しろこいつぁ、ルール無用の殺し合いでね」

 

ケルトの首魁。凶王クー・フーリン・オルタが、手にした魔槍でカルナの心臓を背後から抉り抜いていた。

 

「クー・フーリン……貴様!!」

 

「うるせえ。好き勝手に一騎討ちなんぞ始めやがって。テメエの趣味に走るのは趨勢が決まってからだろうが。後ろから刺されなかっただけでも感謝しな、授かりの英雄」

 

クー・フーリンの言葉にアルジュナは唇を噛み締める。

望んで止まなかった宿敵との戦いに横やりを入れられ、沸騰するほどの怒りを抱きながらも、僅かに残った理性が彼の言葉を肯定してしまったからだ。

曲がりなりにも客将として迎え入れられている以上、本来は私情よりも優先すべきは集団の益であると。

故にアルジュナは怒りに震えながらも動くことができず、クー・フーリンが立香のもとへ向かうのをただ見ていることしかできなかった。

 

「クー・フーリン……本当に、クー・フーリンなのか? 冬木でマシュを助けてくれた……あの……」

 

「あいにく記憶にねえ。正真正銘、別人だろう」

 

切り捨てるように、クー・フーリンは告げる。

召喚されたサーヴァントの記憶は座に送還される際に記録として持ち帰られるが、それが必ずしも次の召喚に反映されるとは限らない。

程度も英霊によって違い、正確に覚えている時もあれば、まったく記憶に残らない者もいるらしい。

事実、カルデアに召喚されたサーヴァントの大半は特異点での出来事を覚えていない。

だから、このクー・フーリンは別人だ。

マシュやカドックを助けてくれた、あのクー・フーリンとは別人だ。

立香は必死でそう思い込み、自らのサーヴァントに命じる。

 

「マシュ、あれは敵だ」

 

「――はい、わかっています」

 

殺意を隠そうとしないクー・フーリンに対して、マシュが震える腕で盾を構え直して相対する。

その後ろに立つ形となった立香は、過呼吸気味な自分の体の手綱を必死で握りながら、思考回路を働かせた。

クー・フーリンがここにいる。

自分達の命を奪うために彼はここにいる。

それが意味することはただ一つ。

 

「スカサハを……どうした?」

 

「ああ、殺したよ」

 

あっさりと、さもどうでもいいようにクー・フーリンは言った。

進軍の途中で、スカサハは迎撃に出るであろうクー・フーリンを抑えるために先行すると言って自分達と別れた。

誰かがそれをしなければ、戦場は彼によって蹂躙される。

狂戦士として現界したクー・フーリンはそれほど危険な存在なのだ。

だが、その彼がここに立っているということは、スカサハは敢え無く敗北したということになる。

 

「悔やむ必要はねえ。すぐに同じところに送ってやる」

 

槍を構え直したクー・フーリンが姿勢を落とす。

膨れ上がる凶悪な魔力が魔槍の矛先へと凝縮し、再びその呪いを解き放たんとする。

因果逆転の魔槍。秘められた呪いは先に心臓を穿つという結果を生み出し、遡って必中の一撃を生み出す。

あれを放たれれば避ける術はなく、例えマシュの盾でも防ぐことはできない。

切り札である令呪も既になく、残る手段は全力でここから遠ざかるしかない。

 

(ダメだ、間に合わない。マシュとナイチンゲールの宝具で相殺できるか? やるしか――!!)

 

最早、離脱は間に合わず、迷っている時間もなかった。

立香が判断を下すよりも早く、クー・フーリンが己の宝具の真名を解放するだろう。

 

「…………っ」

 

今にも解放されんとしている呪いの魔槍。

無力なマスターが命を刈り取られんとしている様を見ながら、アルジュナは歯噛みすることしかできなかった。

アメリカを平らげ、人理定礎を破壊せんとするクー・フーリンの所業は紛れもなく悪であり、アルジュナの英霊としての矜持はそれに対する憤りを呼び起こした。

だが、カルナと戦いたいがためにケルトの軍門に加わり、今日まで犯した所業が彼の指先を戒める。

私情のために悪へと堕ちた自分が、今更このような感情に突き動かされることが許されるのだろうかと自問する。

正しくあらんとする意志と自己否定にも似た嫌悪感がせめぎ合い、決断を下せない。

生前にカルナを仕留めた時のように、自らに助言するクリシュナはここにはいないのだ。

そして、宿敵へと目をやったのは、果たして偶然だったのであろうか。

心臓を穿たれ、生気を失いながらも立ち上がらんとするカルナの姿を見つけたのは、果たして偶然だったのであろうか。

彼は起き上がった。

夥しい出血など意にも介さず、手にした雷神の槍に残された魔力を込める。

幽鬼の如きカルナの槍が、まっすぐにクー・フーリンへと向けられる。

そんな事をすれば消滅は一気に加速する。

黄金の鎧の力を以てすれば、或いは魔槍の呪いにも抗えるかもしれぬというのに、カルナは己の生よりも人理の敵を打倒することを選択した。

その瞬間、アルジュナの指は動いていた。

自分の妄執に付き合い、一騎討ちを受諾してくれたカルナが、最期の瞬間に英霊としての責務を果たさんと余力を振り絞っている。

その高潔な意志がアルジュナの英霊としての矜持を突き動かした。

 

「チィッ!! このコウモリ野郎が!」

 

宝具の解放を中断し、飛来した矢を打ち落としながらクー・フーリンは毒づく。

ほんの一瞬、彼の注意が立香達から離れてアルジュナへと向けられる。

時間にしてほんの僅か。だが、それはカルナが残された全力を振り絞るのに十分な時間であった。

 

「焼き尽くせ、『日輪よ、死に随え(ヴァサヴィ・シャクティ)』……」

 

真名と共に解放される雷神の槍。

その矛先から放たれた強大な熱量を前にして、狂戦士たるクー・フーリンは咄嗟に腕を交差して防御を試みた。

師より賜ったルーンの力を総動員し、狂化による肉体の補正を限界以上に引き上げて焼却の無限熱量を真正面から受け止める。否、受け止めざるをえなかった。

その隙にアルジュナは大地を疾駆すると、立香とマシュを抱え上げて戦線を離脱する。

 

「アルジュナ……後は……」

 

その言葉が届いたことを願って、カルナはこの時代から消失した。

残された全てを出し尽くしても、クー・フーリンを仕留めるには至らない。

アルジュナとの死闘、そして呪いの魔槍による奇襲によって本来の力を出し切れなかったのだ。

だが、それでもクー・フーリンは全身に夥しい火傷を負い、片膝をつかねばならぬほど消耗していた。

 

「最後の最後で足掻きやがって……いいだろう、来るなら来い。ワシントンで戦ってやる」

 

吐き捨てるように宣告し、クー・フーリンはその場から姿を消した。

誰一人として、それを止められる者はいなかった。

 

 

 

 

 

 

同日、北部戦線。

荒野一帯を埋め尽くすケルトの兵士を前にして、エジソン率いる西部合衆国軍は何とか持ちこたえることができていた。

連日に至る戦闘、傷つき戦線を離脱する同志達。地力で勝るケルトの猛者達を前にして彼らはよく持っているといえる。

その中心となって戦っているのは、エジソンを始めとするサーヴァント達だった。

 

「ほいほい、また来ましたよ、と」

 

つい先ほども追い返したばかりだというのに、息つく暇もなく現れたケルトの増援にロビンは険しい表情を浮かべる。

ここまで彼は持てる技能の全てを駆使して敵の戦力を消耗させてきた。

食糧や水に毒を混ぜ、物資に火を点け、峡谷に追い込んでの水攻めや岩落とし。更には誤情報や身内の裏切り工作まで行った。

そうして六割の戦力を削る事に成功しても、敵はまだこちらに拮抗しうるだけの数を残している。

数の有利だけではない。半数以上の仲間が倒れればどのような軍隊であろうと士気は下がり、戦力を立て直すために撤退するのが常道である。

なのにケルトの猛りに陰りはなく、誰一人として逃げずに向かってくるのだ。

異常ともいえる戦闘意識。国民全てが狂戦士と呼んでも過言ではないだろう。

 

「子ザル、向こうはどうなってるの!?」

 

「……カルナが戦死した」

 

エリザベートの問いかけに、砲兵隊に指示を飛ばしていたカドックは表情を曇らせながら答える。

カルデアからの報告が偽りではないことはわかっていたが、それでも素直に信じることができなかった。

あの出鱈目に強く、誰よりも気高い意志を持った英雄が倒れるなどと誰が信じるだろうか。

 

「エジソンのオッサンには言うなよ。ガックリ落ち込むぞ、多分」

 

「わかっているわよ、それくらい。子イヌ達は無事なの?」

 

「クー・フーリンは負傷して撤退。今もワシントンに進軍中だ」

 

当初の予定よりも南軍の戦力低下が激しいが、北部方面も予想以上に敵の防衛戦が厚く、作戦の変更はできそうにない。

このままワシントンへの侵攻が南軍に任せ、自分達はここで敵を押さえるしかないだろう。

 

「エリザベート、悪いがアンコールだ。フォローを頼む」

 

「どうするつもりなの!?」

 

「僕とキャスターが中央を押さえる」

 

こちらの意図を汲んだアナスタシアの視線が戦場を縦断する。

直後、煌びやかな光と共に無数のケルトの軍勢が白銀の彫刻と化す。

更に彼女の背後から這い出たヴィイの影が巨大な平手を振り回し、氷結を免れた兵士達を片っ端から薙ぎ払っていった。

遮るものがなにもない開けた戦場は、視線を媒介に魔術を行使するアナスタシアの独壇場だ。

 

「よし、砲兵隊はありったけの砲弾を撃ち込め。このまま中央を食い破るぞ!」

 

「聞いての通りだ皆の衆! 今こそ直流が最強であることを知らしめるのだ!」

 

「直流万歳! ブリリアントドミネーション!」

 

エジソンの檄を受け、士気の高まった兵士達によって何十ものも火砲が次々と火を噴いた。

それと共に機械化歩兵の軍団が手にした重火器で生き残った敵兵を蹂躙し、魔獣達の断末魔が辺りに響き渡る。

反撃に転じようとしたケルトの兵士達も遊撃的に動き回るエリザベートとロビンによって各個撃破されていき、西部軍はかつてないほどに破竹の勢いで戦線を押し込んでいく。

全てが順調にいっているように思えた。無論、それは束の間の幻想でしかないのだが。

 

「――そう上手くいかねえのが人生ってもんだな」

 

突如として吹き荒れた破壊の風が、進軍する機械化歩兵部隊を薙ぎ払う。

降り注ぐ瓦礫の向こうから現れたのは、全身の至る所に傷を負った半裸の男だった。

カルデアに交戦記録が残っている。

あの男はベオウルフ。

かつて巨人を素手で倒し、竜をも殺して見せたバーサーカーだ。

 

「お前か、俺の部隊を引っ掻き回してくれた小狡いアーチャーは」

 

「へえ、オレってば褒められてるのかな?」

 

「おう、褒めてるぜ。罠だけで六割減らすとはな」

 

「そいつはありがたい。ありがたついでに――さよならだぜ、竜殺し」

 

ベオウルフが踏み込んだ瞬間、事前にロビンが仕掛けた罠が作動する。

不意を突いた魔力の爆発で地面が破裂し、ベオウルフの巨体が大きく揺れた。

同時にエリザベートは翼を広げて滑空し、ベオウルフの脳天目がけて手にした槍を一閃する。

示し合わせもないもない、阿吽の呼吸による連携。誰の目から見ても鮮やかな奇襲により、北欧の竜殺しは成す術もなく倒されたとその場にいた全員が確信した。

だが、あろうことかベオウルフは手にした剣でエリザベートの槍を弾くと、空中で硬直する矮躯を容赦なく蹴り上げて少女を悶絶させる。

更にロビンが確実に仕留めるために放った矢すらも反対側の手に持つ剣を一閃させて叩き落す。

狂っているとは思えない、極めて理性的な立ち回りと技の冴えが、却ってベオウルフの不気味さを演出する。

 

「野郎!」

 

「悪いな、俺はバーサーカーにしては比較的頭がトんでなくてね。精々、ちょっと凶暴になった程度のもんだ。培った技はそうそう萎えることがねえのさ」

 

そう言ってベオウルフは両手の剣を構え直し、起き上がろうとしたエリザベートへと振り下ろす。

咄嗟に尻尾で地面を蹴って転がることで難を逃れたエリザベートが見たのは、まるで大砲が直撃したかのように陥没した地面の穴であった。

ベオウルフがその膂力で以て地面を叩き割ったのだ。あんなものをまともに食らえばひとたまりもない。

エリザベートはすぐさまロビンと協力して反撃を試みるも、巨人殺しにして竜殺しであるベオウルフの突撃は留まることを知らず、2人はジリジリと追い詰められていく。

カドック達も援護に向かおうとするが、ここに来て敵兵の抵抗が激しくなり、誰も2人の救援に駆け付けることができない。

 

「まずいわ、このままじゃ――」

 

「――では、儂が行くとしよう」

 

いつの間にそこにいたのだろうか。

中華風の装束に身を包んだ赤髪の東洋人が、手にした槍を構えてベオウルフの前に立ち塞がっていた。

その男は目にも止まらぬ槍の冴えを以てベオウルフの剛剣をいなすと、傷ついたエリザベートがその場を離脱するまでの間、その場に踏みとどまった。

 

「おいおい、何者だ?」

 

「通りすがりの神槍である。真名を李書文」

 

「李書文……二の打ち要らずの李書文か!?」

 

その名を聞いたカドックは、すぐさま男の正体に至って驚愕する。

神槍李書文。魔拳士とも言われた伝説的な八極拳士であり、牽制やフェイントの為に放ったはずの一撃すら相手を絶命させる威力を持つことから「二の打ち要らず」の称号持つ中国拳法史史上の中でも最強の拳法家の1人だ。

そういえば、カルナがマスターのいないはぐれサーヴァントの槍使いと一戦を交えたと言っていたが、ひょっとして彼のことなのだろうか。

 

「なに、縁ができたが故に手を貸すまでのこと。こちらはこちらで勝手にするので、お前達が気にする必要はない」

 

「言うじゃないか、二の打ち要らず! 大層なハッタリだな、オイ!」

 

「うむ。ただの誇張か通り名か、試してみてはどうかな? こちらとしては名高きベオウルフと打ち合えるとは光栄の至りよ。素手で巨人を殺した英雄と我が異名。偶然にもこんな場所で無手で戦えるサーヴァントが2人、出会ってしまったのだ。運命とは真に数奇なものよ」

 

「確かに……つまりはアレかい。いわゆる素手喧嘩(ステゴロ)か?」

 

「我が拳が果たして届くかどうか、試させてもらうとしよう」

 

李書文が手にした槍を捨て、震脚と共に構えを取る。

対するベオウルフもまた、両手の剣を捨てて引き締まった上腕筋に更なる力を込める。

灼熱の戦場において、2人の周囲だけがまるで氷点下のように静謐な空気に満ちていた。

まるで、限界まで張った表面張力のように、2人は互いの気がぶつかり合う瞬間を今か今かと待つ。

 

「あのグレンデルより手強そうな奴が俺の目の前にいる。だったら、やらない手はないよなぁ!!」

 

「応とも! 我が八極、受けてみせませい!!」

 

咆哮と共に、生まれた時代も国も異なる拳雄がぶつかり合う。

巨人をも殴り殺した剛腕を、4千年の英知が紡ぎ上げた合理の術が迎え撃つ。

その応酬に割って入れる者など、誰一人としていなかった。




北米はもっと短くなると思ってました。
長いね。これでも削った方です。

筆がノルと寝不足になりますね。
危うく今日は仕事に送れるところでした(笑)


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北米神話大戦イ・プルーリバス・ウナム 第8節

北国の春のように短く、太陽にも似た灼熱の時間であった。

大地を砕き、巨人の頭蓋をも叩き割る剛腕。最早、筋肉の塊としか表現できぬほどの膨れ上がった両の腕が起こす破壊。人の身で受ければ容易く消し飛び跡形も残らぬであろう一撃を、李書文は鍛え抜いた功夫で以て真っ向から迎え撃つ。

打ち合えたのは数合か、はたまた数十合か。

一瞬だったかもしれないし、何時間も打ち合っていたかもしれない。

そして、記憶が曖昧になるほど濃密で激しい死闘を制したのは、暗殺者が誇る中華の合理であった。

互いの拳が交差する刹那の一瞬、李書文はベオウルフの拳打をいなすと共に大地を踏み抜き、そこから立て続けに正拳と肘打ち、掌打の連携を叩き込む。

三度の打撃が一度に見えるほどの連携。その一撃一撃が、震脚による大地の反動を利用した強烈な痛打であった。いわば、李書文の体を出力とした、大地のエネルギーを打ち出す中華の極意。

その名も八極拳絶紹『猛虎硬爬山(もうここうはざん)』。李書文が最も得意とし、生涯を通じて頼りとした必殺の套路だ。

 

「数千年の間、練り上げられた功夫だ。ただの殴り合いが拳闘に昇華されたように、我らは殺し合いを技に昇華した」

 

「二の打ち要らず……その名、確かに刻ませてもらった。ああ、くそ! 図体のでかいグレンデルの方がまだ殴りやすかったぜ」

 

「来る攻撃を捌くのも技術の一種。次に召喚されるまでに、せめて拳闘の技術でも学んでおくがよかろうよ」

 

「自分の両腕を壊しといてよく言うぜ。それに殴り合いの最中にものを考えるなんざ、手前で夢から覚めるようなもんだ……そんなもの、願い下げ……だ……ぜ……」

 

満足げに笑みを浮かべながら、ベオウルフは力尽きる。

霊核こそ無事だが、あの様子では当分の間、動くことはできないであろう。

無論、相対した李書文も無事ではなかった。さすがは名だたる巨人殺しにして竜殺し。

狂戦士の名は伊達ではなく、全身全霊を賭けて放たれた拳打は代償として李書文の拳を砕いていた。

そこまでしなければ勝てぬ相手だったのだ。

だが、紙一重といえど勝利は勝利。自軍の将が倒れたことで、恐れ知らずのケルトの兵士達の間にも動揺が走る。

これを好機と見たエジソンは、すぐに全軍に対して突撃の号令をかけようとした。

これを逃せば勝機はない。更なる援軍が訪れる前に、何としてでもこの一波を凌がねばならないのだ。

しかし、エレナの一喝がそれを制する。

 

「待って、ミスタ・エジソン。すぐに全軍を退がらせて!!」

 

その真意を問い質す暇はなかった。

戦場にいた誰もが、その存在を認識したからだ。

例えるならば水槽に放り込まれた巨大な肉食魚。

或いは整然と並べられた家屋を蹂躙する鉄甲の重戦車。

それは何の前触れもなく、風船が破裂するかのような勢いで以て現れた。

先ほどまで合衆国とケルト、敵と味方が入り乱れた荒野を引き裂き、巨大な地響きと共に現出したそれは、禍々しい肉と眼球で構成された幾本もの柱。

捻じ曲がり、絡み合ったその柱は機械化歩兵もケルトの兵士も見境なく押し潰し、咆哮を伴う閃光で焼き払う。

見間違うはずもなかった。

それは、魔神柱だ。

二十八本の魔神柱が、戦場に現れたのだ。

 

 

 

 

 

 

一方、ワシントンのホワイトハウスにおいても北部戦線に負けず劣らない激戦が繰り広げられていた。

ここに至るまでに脱落した兵士は数知れず、最終的に敵陣へと乗り込めたのは立香とサーヴァント達のみ。

残る戦力はホワイトハウスの外で魔獣達が押し寄せるのを必死で食い止めている。

形としては完全に敵の膝元で包囲された状態であったが、立香達には微塵も焦りはなかった。

何故なら、自分達の戦闘に立っているのは彼の授かりの英雄。戦死したカルナの生涯の宿敵であるアルジュナだからだ。

カルナが最後の力を振り絞ってクー・フーリンを撤退させた後、姿を晦ましたアルジュナはホワイトハウスでの決戦において、カルデアに味方する戦士として馳せ参じたのである。

 

「……チ。酷い有様だな、メイヴ」

 

自身に向けて放たれた一矢を代わりにその身で受けたメイヴに対し、クー・フーリンは静かに語りかけた。

眉間には皺を寄せ、淡々と言葉を紡ぐその様はまるで燻る炎のようだ。

戦闘に割って入ったことを責めているのか、それとも共に歩んできたパートナーが命を落としたことに思うことがあるのか。

フードに隠れたその表情は怒っているようにも笑っているようにも、或いはあらゆる感情が欠落しているかのようにも見て取れた。

 

「ええ、私、今にも死にそうよ。でも、役割は果たしたの……」

 

「――そうか。お前にしてはよくやった。やればできる女だよ、お前は」

 

その言葉にどれほどの意味があったのか、部外者である自分達では推し量ることも許されないと立香は思った。

そして、最愛の凶王に看取られながら、女王の瞳は生気を失った。

胸に深々と矢が刺さり、痛みに顔を歪めながらも、女王メイヴは笑いながら消えていった。

 

「……何を呆けていやがる? 来ないならこちらからいくぞ」

 

メイヴが消えるやいなや、クー・フーリンは再び槍を構え直した。

まるで彼女など最初からいなかったかのように、動揺の気配は微塵もない。

感情の読み取れない虚無的な瞳がこちらに向けられる。

 

「仮にとはいえ共に歩んだ女王が消えても動じぬか、クー・フーリン」

 

「誰だろうと死ねばそこまでだ。それに、あいつは責務を遂げた。それで十分だ」

 

アルジュナの問いかけに、クー・フーリンは淡々と答える。

決して蔑ろにしているわけではない。だが、省みることはない。

それが狂戦士クー・フーリンの在り方であり王道なのだろう。

常人には到底、理解できない生き様ではあるが。

 

「あくまで機構(システム)に徹するか。貴様を見ていると虫唾が走る」

 

「同族嫌悪か、授かりの。よくその面を出せたもんだな。カルナの敵討ちか?」

 

「舐めるな、私と奴の間にそのような感情はない。これは戦士(クシャトリヤ)としての約定だ。(カルナ)が英霊としての責務を果たしたのなら、私もまたそれに殉じよう。今度こそ、私は奴と対等の場に立つ!」

 

一触触発。両者の気迫が大気を震わせ、今にも爆発しそうなくらいに膨れ上がる。

それに水を差したのはカルデアからの通信だった。泡を食ったようなロマニの悲鳴が、張り詰めていた空気を引き裂いたのだ。

 

『大変だ! 北部戦線で、魔神柱の反応だ! それも、二十八……二十八体の魔神柱が出現した!!』

 

「二十八体……だって?」

 

驚愕する立香の呟きは、どこか場違いな響きがあった。

だが、無理もない。あの手強い魔神柱が一度に二十八体。これで呆けるなという方が無理がある。

 

「女王メイヴの伝説は知らないか? 俺を倒すために生み出された集合戦士。その名も『二十八人の戦士(クラン・カラティン)』」

 

『まさか……あり得るのか? いや、本当に可能なのか!?』

 

「ドクター、いったいどうしたんだ? 『二十八人の戦士(クラン・カラティン)』っていったい……」

 

『みんな、一刻も早くクー・フーリンを倒すんだ。でなければ――カドックくん達が死んでしまう!!』

 

 

 

 

 

 

伝承に曰く、女王メイヴは自分に屈辱を与えたクー・フーリンに奇怪な戦士を送り込んだ。

クラン・カラティン(カラティンの一族)と呼ばれる彼らは二十七人の兄弟がまるで1人の人間のように振る舞える集団であるとも、二十八人が1つの体を共有する魔術的存在であったとも言われている。

そして、この北米大陸において人理定礎破壊を担うメイヴの執念はその伝承を最悪の形で再現して見せた。

即ち、魔神柱の二十八体同時召喚である。

 

「……何、コレ……」

 

「何ってそりゃ……大ボス、だろうな」

 

被害を免れたエリザベートとロビンが絡み合う肉の柱を見上げて言葉を失う。

足下では逃げ遅れたのであろうケルトの兵士達が無残な肉塊に成り果てていた。

 

「カドック……何なの、これ……」

 

「キャスター、どうした?」

 

「お願い……手を握って……気持ち悪くて、1人では耐えられない……」

 

「落ち着け、僕はここにいる。君の側にいる」

 

動揺するアナスタシアを落ち着けようと、カドックは冷え切った彼女の手をしっかりと握り締める。

魔神柱に動きがないのが幸いした。戦場のど真ん中で、こんなことをしていれば格好の的であっただろう。

 

(こんなことが可能なのか? 伝承の枠に魔神柱を当て嵌め、多重召喚を行うなんて。できるできない以前に術式としか可能なのか?)

 

魔神柱の出現と同時にロマニから通信があった。

女王メイヴは魔神柱を『二十八人の戦士(クラン・カラティン)』の枠組みに押し込むことで、その集合体を召喚したと。

魔神柱は魔術王の使役する使い魔が受肉した存在だ。ならばその霊基はサーヴァントと同格以上。下手をすれば神霊レベルに匹敵するかもしれない。

聖杯を所有している以上、理論的には可能だとしても、それを一介のサーヴァントがまとめて二十八体も召喚するなど、余りに無謀な試みだ。

これほどの大儀式を成したとなると、その代償は確実にメイヴの霊核へ影響するだろう。

正に死を引き換えとする異形。この魔神柱達は女王メイヴがその命を代償に生み出した最悪の子ども達だ。

 

「カドック君!!」

 

「エジソン、ブラヴァツキーも無事か」

 

「ああ、生き残った者達は後方に下がらせた。ケルトの兵士も大部分をあれに喰われたようだ」

 

「残っているのはあいつと私達だけよ」

 

つまり、ここが正念場ということだ。

カルデアからの通信によると、立香達もクー・フーリンを追い詰めているらしい。

例えこの魔神柱を倒すことができなくとも、彼らがクー・フーリンを倒して聖杯を回収するまで持ち堪えることができればこちらの勝利だ。

だというのに、エジソンの顔色は優れない。その理由はすぐに察することができた。

覆しようのない圧倒的な差を見せつけられ、胸の奥に通っていたはずの芯がポッキリと折れてしまった者の顔だ。

どうしようもないくらいに怖気づき、進むことも逃げることもできなくなった敗北者の顔だ。

それはまるで、少し前までの自分を見ているようだった。

 

「……終わりだ。こんなものに勝てるはずがない。一体だけでもサーヴァント複数でかからねば倒せぬ相手が二十八体も……」

 

「エジソン、あなたがパニックになってどうするの!」

 

エジソンの嘆きにエレナの悲痛な叫びが重なる。

無理もない。努力して、努力して、努力した先に待っていたのは自分ではどうすることもできない絶望だったのだ。

その気持ちは痛いほどよくわかる。その嘆きは苦しいほど理解できる。

彼の言葉に賛同して、一時でも心を慰めれば幾ばくかは救われるだろうか。

絶望で折れた心に、諦観という救いを与えられるだろうか。

 

『俺達のリーダーはカドックなんだ』

 

心が揺れ動いた瞬間、立香の言葉が脳裏に思い浮かんだ。

迷い悩んだ末に多くの仲間に迷惑をかけた自分のことを、それでもリーダーだと言ってくれた男の言葉が、折れかけたカドックの心をギリギリのところで踏み止まらせた。

アナスタシアの手を握る右手に力を込め、感覚の鈍い左手で自身の胸元を握り締める。

こんな自分のことを受け入れてくれたあいつのためにも、諦める訳にはいかない。

戦力差がなんだ。こんな苦難はこの旅の中で何度も遭遇してきたし、強い奴に圧倒されるのは自分の人生では日常茶飯事だ。

歯を食いしばり、両の足に力を込めて踏み止まれ。

自分達は立香達に後を託し、この戦場にやってきたのだ。

ならば采配を下した者としてその責務は何としてでも全うするのだ。

 

「エジソン、あんたが僕に言った言葉、覚えているか?」

 

「カドック君?」

 

「1%のひらめきがあれば、後は努力でどうとでもなる。トーマス・エジソン、僕がその1%を担う。だから、諦めないでくれ。ワシントンで戦う僕の……僕の……仲間のためにも、もう少しの間、力を貸して欲しい」

 

「そうよ、ここを守り切れば私達の勝ち! ここで私たちが諦めたら戦線は崩壊でしょ! 子ザルの言う通り、諦めちゃダメよ!」

 

「まあ、逃げるんなら時間稼ぎくらいはしますけどね。オレはまあ、何でか知らないけど誰かさんなら逃げるなって言う気がするんですよね。顔も思い出せないジイさんですけど」

 

「立って戦いなさい、ミスタ・エジソン。あなたは斧と銃を手にしたアメリカの開拓者。未知を拒絶し未来を望むのがあなたの取り柄でしょ」

 

エリザベートとロビンがそれぞれの得物を手に魔神柱へと向き直る。

恐慌から脱したアナスタシアとエレナもそれに続いた。

エジソンは沈黙したままだったが、カドックはそれ以上の説得は無理だろうと思い、無言で彼に背を向けた。

自分がそうだったからよくわかる。こうなってしまうといくら言葉を投げかけても効果は薄い。

行動で示さなければ、彼の心を動かすことはできないだろう。

 

「みんな、とにかく生き残ることを優先してくれ。勝機は……必ず僕が見つけ出す」

 

魔神柱に動きがあった。

まるで空間そのものが震えているかのような錯覚の後、幾本もの肉の柱が鞭のようにのた打ち回り、炎と閃光が迸る。

その暴力を掻い潜りながら、エレナの支援を受けたエリザベートは果敢に衝撃波を発して魔神柱を抑えつけ、ロビンの矢が的確に弱所を撃ち抜いていく。

後方ではアナスタシアが冷気を操作して2人を援護しつつ、戦闘の余波がエジソン達に及ばぬよう宝具である城塞を召喚してこちらを匿った。

乱れ飛ぶ衝撃波と毒矢と吹雪。

肉の柱はたちどころに凍り付き、腐り落ち、崩れ去る。

だが、傷ついた端から再生した柱は何事もなかったかのように鳴動すると、群がる虫を払うかのように肉の触手を伸ばしてエリザベート達を薙ぎ払った。

 

「っ…………」

 

「よすんだな李書文。あれは魔神柱の集合体、サーヴァント程度には手に余る存在だ。万全ならいざ知らず、その壊れた拳じゃどうにもならん」

 

エリザベート達の救援に走ろうとした李書文を、ベオウルフは呼び止める。

 

「さすがに、な。だが、儂にも事情がある。こやつらには勝ってもらわねば困るのさ」

 

自嘲気味に呟き、李書文は戦地に跳んだ。

肉が裂け骨すら傷ついたその拳が更なる深手を負うのも構わず、その五体を破壊の機構として異形の怪物へとぶつけて見せる。

肉の柱は瞬く間に砕かれていくが、やはりすぐに再生が始まった。

対人宝具や対軍宝具では足りない。諸共を消し飛ばせる対城宝具かそれに匹敵する火力。或いは必死を呼び起こす何かしらの概念が必要だ。

それがなければ勝ち目はない。

 

「ああ、くそっ! 矢も毒も効きやしねぇ!」

 

「……ハァ、ハァ、ハァ……マネージャー、水頂戴。喉枯れそう」

 

「マネージャーってオレかよ? いや、持ってますけどね」

 

「プロデューサー、喉に優しいもの、何かない?」

 

「僕のことか? いや、持ってはいるが――」

 

攻撃の合間を縫って、エリザベートはこちらから奪い取った喉飴と水を口に放り込む。

彼女の攻撃手段は槍と口から発する音速のドラゴンブレスだ。必然的に戦闘が長引けば喉に負担が溜まり、その効果にも支障が出てくる。

ここまでの戦闘による疲労が溜まっていたのもあり、魔神柱を押し留める彼女の歌にも少しずつ陰りが見え始めていた。

エレナの広範囲攻撃を以てしても焼け石に水であった。

一方で対人間に秀でたロビンと李書文では魔神柱と相性が悪い。

渾身の力でぶつかれば一本や二本は滅することができるだろうが、敵はたちまちの内に再生してしまうのでキリがないのだ。

 

「マスター、急ぎなさい! 私の城塞も長くは保ちそうにありません!」

 

「わかっている! キャスター、何か視えないか? 僕の解析魔術じゃ何もわからない! 君の眼には何が視える!?」

 

カルデアから送られてくる情報もほとんどがアンノウンばかりだ。

何とか読み取れたステータスと再生能力を考えると、カルナの宝具ならば対抗できたかもしれないということだけだろうか。

何か新しい情報が得られなければ、突破口は見つけられそうにない。

 

「アレは二十八本が冒涜的に絡みついて生み出された異形の結合体。複数に視えても本質は一体と見て良いわ」

 

「伝承通りの『二十八人の戦士(クラン・カラティン)』というわけか」

 

本物の『二十八人の戦士(クラン・カラティン)』はクー・フーリンを追い詰めた際、その戦いを見守っていたフィアハの助太刀によって倒された。

その枠組みに押し込まれている以上、例え本物でなかったとしても倒すことはできるはずだ。

策も既に自分の中で形になりつつある。だが、戦力が足りない。

せめてもう一騎。できれば更に一騎の力が必要だ。

或いは令呪が一画でも残っていれば、アナスタシアの宝具を強化してまとめて吹き飛ばせたかもしれない。

 

(藤丸との戦いで令呪を使い切らなければ……いや、あの戦いに後悔はない。ないものを強請るな。考えろ!)

 

頬を叩き、精神を集中させる。

必ずどこかに勝機はある。自分の役目はそれを見逃さないことだ。

ここを乗り切れなければ、自分は本当にカルデアのみんなと合わせる顔がない。

 

(ローマ(スパルタクス)を思い出せ! あいつの言葉を思い出せ! 圧政だ! どんな叛逆だろうと僕は圧制する! それが僕なりの叛逆だ!)

 

もう諦めて鬱屈していた頃の自分とは決別するのだ。

自分は口先だけで逃げ場所を探していた子どもではない。

この程度の逆境で諦めてなるものか。

 

「ヤバッ!?」

 

足を滑らせて態勢が崩れたエリザベートの頭上に巨大な肉塊が迫る。

気づいたロビンが駆け出すが間に合わない。カドックはアナスタシアとエレナに肉塊の破壊を命じるが、2人の魔術によって砕き焼き尽くされるよりも、地面に激突する方が早い。

エリザベート自身ですら、自らの終わりを覚悟した。

悲鳴染みたカドックの叫びが戦場に木霊する。

その時、一匹の獅子が咆哮を上げた。

 

「ふんぬ!!」

 

魔神柱の前に躍り出たエジソンが、片腕で受け止めた肉の触手を電撃で焼き尽くす。

その腕の中には、助け出されたエリザベートがまるでお姫様か何かのように小さくなって収まっていた。

 

「――立って、戦うことの何と難しいことか。だが、幾多の絶望を踏み越えるるからこその英雄。この小さなお嬢さん(リトル・レディ)にばかり負担を強いるなど、未だ戦い続ける友の背中を黙って見つめるなど、アメリカ人の名折れである! 受けるがいい、『W・F・D(ワールド・フェイス・ドミネーション)』!!」

 

エレナを後ろに下がらせると、エジソンの肉体から迸る閃光が、周囲に群がる魔神柱をまとめて焼き払う。

宝具『W・F・D(ワールド・フェイス・ドミネーション)』は虚構の存在を許さない。

エジソンが生前に成し遂げた三大発明。照明の普及により闇を照らし、蓄音機が消え去る音を記録し、映写機が現実をありのままに映し出す。

即ち神秘の剥奪であり、あらゆる魔術的存在に対して特攻を持つ。

さしもの『二十八人の戦士(クラン・カラティン)』もこれには一たまりもなかった。

だが、それでも足りない。

エジソンが暴き出す現実は、圧倒的な虚構によってたちまちの内に塗り潰されてしまう。

彼の力を以てしても、『二十八人の戦士(クラン・カラティン)』を倒し切ることができなかった。

 

「ダメか……」

 

「いや、待て! オッサン、何するつもりだ!?」

 

迫りくる魔神柱の触手に押し潰されそうになりながらも、エジソンはその場に留まったまま宝具を展開し続ける。

加速度的に上昇していく光の出力は視界を焼き、物理的な熱量さえ伴いながら周囲の空間ごと肉の柱を焼いていった。

無論、その中心にいるエジソンとて例外ではない。

彼は自らの宝具を暴走させているのだ。

 

「今の我々では魔神柱を滅ぼすことは不可能だ! 私にはもうこれくらいしか思いつかん!」

 

「ダメだエジソン、そんなことをしたって一分保つかどうか……」

 

「それでも構わん! 私には少しでも君達を長く守る責務がある! 大統王としてでも、発明王としてでもない。遠い未来、この土地を収奪し、この国に住まうようになった人間として、その責務がある!」

 

「エジソン――寄せ、トーマス!!」

 

「カドック君、後は頼む! こんな不甲斐ない上司で本当にすまない――」

 

今にも光の渦に飲み込まれようとするエジソンの顔は、不思議と穏やかであった。

自分のことを信頼してくれているのだろうか。彼は全てを出し尽くして、満足しながら消えようとしている。

こんな結果なんて微塵も望んでいなかった癖に、誰かの礎としてその命を使い果たせるのなら悔いはないと。

僅か一分の時間稼ぎが、きっと勝利に繋がると信じて、エジソンは最後の力を振り絞ろうとしている。

それを黙って見守るしかできないことが悔しくて、そんな風に笑いながら果てようとする姿が羨ましくて、カドックは声にならない叫びを上げた。

雷鳴が轟いたのは、その直後だった。

 

「無様なりエジソン。そのような勝手を言う前に、まず右に避けろ!」

 

突如として飛来した電撃がエジソンの頬を掠め、今にも押し潰さんと迫りくる魔神柱の群れを吹き飛ばした。

 

「ハハハハハ――無様なりエジソン。所詮は凡骨、この私の前に立ちはだかる資格などない! 疾く、項垂れ消え失せるがいい!」

 

無数の雷鳴と共に響き渡る哄笑。戦場には似つかわしくない自信と傲慢に満ちたその笑い声を、カドックはよく知っていた。

忘れられるはずもなかった。完膚なきまでに自信を打ち砕かれたあの霧の街での出会いを、忘れられるはずがなかった。

そして、その忌まわしい声と無駄に大きな高笑いを、エジソンもまたよく知っていた。

忘れられるはずがなかった。

かつての部下であり、生涯に渡る天敵である彼のことを、忘れられるはずなどなかった。

 

「まさか、お前は――」

 

「そのまさか、だ! この真の天才、星を拓く使命を帯びたる我が名は――」

 

「すっとんきょう! ミスター・すっとんきょうかぁ――――!!!」

 

「ニコラ・テスラ! である!」

 

顕現したのは、ロンドンにおいてマキリ・ゾォルケンに操られていたニコラ・テスラだった。

ニコラ・テスラはその雷撃で瞬く間の内に肉の柱を蹴散らすと、エジソンの隣に並び立つ。

 

「しばらくぶりだね、カルデアの勇者と麗しのレディ」

 

「ニコラ・テスラ? あの時のニコラ・テスラなのか!?」

 

「然様。今の私はあの霧の街から霊基が続いている。何、あの時の借りを返しに来たまでのこと。そこの凡骨の相手はさぞ疲れたであろう。後は黙って見ているが良い。はははははははははは――――」

 

まるでこの日の為に練習してきたとしか思えない堂の入った高笑いと共に、ニコラ・テスラは雷鳴を轟かせる。

無論、黙っていないのはエジソンだ。直流式発電を推すエジソンにとって交流式発電を広めたニコラ・テスラは不倶戴天の敵であり、生前も事あるごとに対立していた。

そんな相手に形はどうあれ命を救われたとあっては、黙っていられるはずもなかった。

 

「ふざけるなテスラ! 所詮貴様など突出しただけの異常者だ! 真の天才とはそれを普遍化したもの。結婚もできなかった生涯独身が何をホザくか!!」

 

「――愚かな。私についていける女がいなかっただけのこと。天才は生涯孤独。やはり貴様は凡骨だ」

 

少しだけ傷ついたのか、ニコラ・テスラの回答には僅かな間があった。

 

「凡骨ではない、社長である! 私は天才など見飽きている! ベル君とかな! 天才達をうまく使ってこその社長! それが分からないとは、ばーかばーか!」

 

その言葉に対してニコラ・テスラはまたも皮肉めいた言葉を返し、逆上したエジソンは理性が抜け落ちたかのような低レベルの罵詈雑言をまくし立てる。

稀代の天才とは思えぬ子どもじみたやり取りに、傍らで見守っていたカドックは思わず言葉を失った。

百年の恋も何とやらだ。別に恋はしていないし尊敬の念が消えた訳ではないが。

 

「カドック、指揮官が呆けてていいの?」

 

「――あ、ああ。すまない、ブラヴァツキー」

 

エレナの呼びかけで現実に引き戻されたカドックは、すぐにニコラ・テスラのステータスを確認する。

強力な発電能力と電気を魔力に変換するガルバリズム。

そこにエジソンの能力を加味すれば、想定しているプランは十分に遂行可能だ。

鍵を握るのはアナスタシアともう1人のサーヴァントだ。

 

「ニコラ・テスラ! トーマス・エジソン! 2人には悪いが、今だけは協力してくれ。2人の力で魔神柱の動きを封じるんだ」

 

2人の電撃によって吹っ飛ばされた魔神柱の肉片は既に結合し、元の大きさにまで復元を終えていた。

このまま悪戯に攻撃を続けていたのではイタチごっこだ。

打開するためにはまず、2人の力でこの化け物の動きを封じなければならない。

 

「電気檻か!?」

 

「仕方あるまい。無論、こちらの方が高威力だ、同調させろ」

 

「そこは認めてやろう。では、多少過負荷を与え間断なく――」

 

「――尽未来際に渡って殺し続けられるほどの雷をくれてやる」

 

距離を取ったエジソンとニコラ・テスラの手から電流が迸り、それは絡み合って巨大な檻と化す。

さながらとぐろを巻く大蛇とも取れる電流の檻は暴れ続ける魔神柱に巻き付き、表面の皮膚を焼きながらその動きを封じる。

再生は即座に始まるが、互いに電力を同調させた2人の電気檻はそれを上回る速度で肉の肌を焼き、結果として焼却と再生が拮抗する。

もちろん、この状態では2人は動くことができず、またこれ以上の攻撃を行うこともできない。

何れ魔力が尽きてしまえば魔神柱を再び動き出してしまうだろう。

勝負はこの数分間の内に決しなければならない。

 

「加速しろ、キャスター! 後のことはいい、全力で宝具を回せ!」

 

「ええ。ヴィイ、魔眼を使い全てを射抜きなさい。『疾走・精霊眼球(ヴィイ・ヴィイ・ヴィイ)』!」

 

黒い影が現出し、青白い双眸が光を灯す。

いつものような吹雪はない。どのみちアナスタシアの宝具では『二十八人の戦士(クラン・カラティン)』を殺し尽くせない。

なので、その分の魔力を魔眼に注ぎ、見抜いた箇所を弱所とするという力を強化する。

途端にカドックは膝から力が抜け、その場に蹲った。

カルデアからの供給だけでは足らず、残されたなけなしの魔力すら持っていかれたのだ。

だが、そのおかげでヴィイの魔眼が魔神柱の肉の一片に至るまでその視線を浴びせることに成功した。

後は、決着をつけるだけだ。

 

「さあ、君が決めろ――」

 

整えられた盤上で、カドックは最後の命令を下す。

それはチェスで言うところのチェックメイトであった。




今回で終われるかなと思ったら終われませんでした。
10月に入りましたが今年のハロウィンはどうなるんでしょうね?
チェイテ城に何が乗るんでしょうね(笑)


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北米神話大戦イ・プルーリバス・ウナム 最終節

ロビンフッドという英雄がいる。

一般的には英国シャーウッドの森に潜む義賊であり、圧制を敷くジョン失地王に抗った者として知られている。だが、人理焼却という未曽有の危機において召喚された男は正しい意味ではロビンフッドではない。

そもロビンフッドとは実在しない英霊なのだ。度重なる諸外国からの侵入によって疲弊したイギリス人の祈りと願望が幾つもの逸話や信仰と混合した結果、「顔のない王」の化身とした誕生したのがロビンフッドという英雄である。

シャーウッドの森に住み着いた狩人はいたのだろう。

圧制者に弓を引いた義賊はいたのだろう。

しかし、それらが同一人物とは限らない。その時代にいた小さな英雄が人々の願いを受け、「ロビンフッド」という名を襲名し活躍したもの。

サーヴァントとして召喚されたロビンフッドは、そんな数いるロビンフッドのうちのひとりに過ぎなかった。

故に、彼にとって英雄という存在は複雑な感情を想起するものであった。

圧政に苦しむ村人を救える英雄を求め、自らが顔を捨ててその衣を纏った。

一握りの嘆きを救うために、それ以上の涙を強要する外道と成り果てた。

策を巡らし、罠を張り、毒を盛って悪を討つ悪鬼。

せめて戦場で死にたいという高潔な願いすら黙殺し、卑怯者と謗られようと戦い続けた。

正義である為に、人間としての個を殺した無銘の英雄。

本当は誰よりも英雄の存在に焦がれながら、自分ではそんなものになれないと諦めてしまった孤独な青年こそが、ロビンフッドの正体であった。

 

(そりゃ、やれって言うならやりますよ。きっちりオーダーこなすのがオレのポリシーですし)

 

相対した肉の柱を見上げながら、ロビンフッドは先ほどのカドックの言葉を反芻する。

この絶体絶命の窮地の中で見出せた僅かな好機。それに対する最後の奥の手として下された命令に対して、彼は何度も何度も反芻する。

だが、何度繰り返そうと納得することができない。

何度、思い返そうとその指令に首を振ることができない。

 

『さあ、君が決めろ――ロビンフッド!』

 

エジソンとニコラ・テスラによって動きを封じられ、アナスタシアの宝具で弱体化した『二十八人の戦士(クラン・カラティン)』。

その神話級の化け物にとどめを差す役が、自分なんかで良いのだろうか。

例えばエレナ・ブラヴァツキーなら強力な魔術をいくつも行使できる。

李書文の拳法ならば自分の罠よりも遥かに強力な威力を誇るだろう。

エリザベート・バートリーは言うまでもない。仮にも竜の血が混ざった少女だ。英霊としての格は自分など足下にも及ばない。

それなのに、どうして自分なのか。

何故、ロビンフッドなのか。

 

『『二十八人の戦士(クラン・カラティン)』を倒すには全ての魔神柱をまとめて倒さなければならない。それができるのはカルナだけだ。だが、奴は「クラン・カラティン」という枠に押し込められたことで、群体でありながら一体という概念が付与されている。その肉体は魔術的に繋がっているんだ』

 

『けど、毒は!? あいつにオレの毒は利きませよ!』

 

『いや、キャスターが魔神柱を視界に捉えている間ならば――彼女の邪視に射抜かれている間ならばチャンスはある!』

 

ヴィイの魔眼による邪視。その呪いを毒として起爆しろとカドックは言うのだ。

それに対して、ほんの僅かでも納得しかけた自分がいたことに彼は後悔した。

無理だ。

そんなことはできるはずがない。

理屈はわかる。

自身の宝具『祈りの弓(イー・バウ)』は当たった相手が溜め込んだ不浄を爆発させる。

その肉体を射抜く必要はない。矢が掠りさえすれば、血管を導火線として瞬く間の内にその身の毒を爆発させることができる。

確かにそれならば1つの肉体に結合している魔神柱の肉体をまとめて破壊することができるだろう。

だが、そううまくいくだろうか。

いつだって自分は相手の裏をかいてきた。

罠を張り巡らせ、奇襲をしかけ、不意を突いて暗殺を行った。

こんな、英雄らしく真正面から戦ったことなど、生前は一度もなかった。

そんな自分が、果たしてこの化け物を仕留められるだろうか。

 

(やれるのか、オレに……オレなんかに……)

 

心とは裏腹に指先は淀みなく動く。

慣れた手つきで弓に矢を添え、弦を引く。

後は狙いを定め、矢を放つだけだ。

 

「急げロビンフッド! キャスターの宝具が利いている内に! 彼女の視線が少しでもズレればもう奴は倒せない!」

 

勿体ぶっているとでも思ったのだろうか。遠くでカドックが叫んでいるのが聞こえる。

そんなつもりはない。

焦ってはいても体は氷のように冷徹に動いている。

準備はとっくにできている。

それでも踏ん切りがつかないのは、やはり自信がないからだろうか。

ずっと正道に反した行いで戦ってきたから、敵と向き合う勇気がないのだろうか。

 

『泣き言は禁止だアーチャー』

 

不意に脳裏に、覚えのない男の言葉が響いた。

 

『おまえの技量は、なにより狙撃手だったわしがよく知っている』

 

それはここではないどこかで、自分ではない自分がかけられたであろう言葉。

遠い空の向こうで、一時を共に過ごした男の言葉。

今になってどうしてそんなことを思い出したのだろうか。

これは以前の自分がもらった言葉で、今の自分がもらってよい言葉ではない。

胸を張って誇れるだけの何かを成し得ていない、自分が受け止めていい言葉ではない。

 

『信頼しているよ、アーチャー』

 

それでも、ロビンフッドの心は平時の穏やかさを取り戻すことができた。

眼光は鋭く、まるで猛禽類のように獲物を捉える。

掲げた腕には一本の矢。その鏃の先には醜く蠢く肉の柱達。

ロビンフッドは静かに魔力を組み上げ、宝具の真名を読み上げる。

 

「我が墓地はこの矢の先に――隠の賢人、ドルイドの秘蹟を知れ。『祈りの弓(イー・バウ)』!」

 

緑の閃光が空を切る。

イチイの弓から伸びるは必死の矢ではなく毒の枝葉。

広がり、繁り、標的に向けて際限なく絡みつく致命の蔦。

断末魔の悲鳴を上げる暇すらない。

皐月の王が放った一矢は、魔眼の皇女が射抜く視線の先へと違うことなく命中し、その身に浸透した彼女の呪いを起爆させる。

 

(まったく、どこの誰かは覚えちゃいないが、オレみたいな半端者を買ってくれるなんて、奇特なジイさんもいたもんだ。そうだろ――――旦那)

 

電気檻の中では『二十八人の戦士(クラン・カラティン)』の肉体は風船のように膨らんでおり、醜悪な肉の塊は程なくして爆発四散する。

その様を見届け、厳かな気持ちで残心を終えたロビンフッドは外套を翻した。

戦いが終わった瞬間であった。

 

 

 

 

 

 

咆哮が大気を震わせる。

眼前の魔神柱は無数の目を瞬かせ、その凝視でこちらを焼き尽くさんとする。

長時間に渡る激戦で、無事な者は1人としていない。ナイチンゲールの治療を以てしても無傷な者は皆無であり、終わりの見えない消耗戦は精神力に陰りを差していた。

既に三度だ。

女王メイヴを失い、ただ1人の王として立ち塞がったクー・フーリンはアルジュナとラーマの猛攻を受け、既に三度も屈している。

だが、その度に立ち上がっては自らの霊基を強化し、より強い力を以て牙を剥いてくる。

そのような急激な霊基の強化は本来ならば霊核に著しい負担を強いるはずだが、凶王はそのような痛みなど感じていないかのように暴虐の嵐を呼び、立ち塞がるインドの二大英雄と渡り合ったのだ。

事ここに至って、立香の出る幕はほとんどなかった。

繰り広げられる戦いのスケールが今までと段違いだ。

カルナとアルジュナの決闘の時のように、その行く末を見守ることしかできない。

それでも彼は臆することなくその場に留まり、せめて最低限の援護を担おうとマシュとナイチンゲールに指示を下す。

こうしている間にも北部戦線で戦うカドック達は『二十八人の戦士(クラン・カラティン)』と地獄のような戦いを繰り広げているのだ。

彼らの為にも、一刻も早くクー・フーリンを倒して聖杯を回収しなければならない。

そして、三度目の敗北によって地に屈したクー・フーリンが最後の手段としたのが、自らの肉体を触媒とした魔神柱の召喚であった。

既に自壊寸前の霊核ではこれ以上のパワーアップは計れないと考えた結果なのだろう。

呼び出された魔神柱は根を下ろした大地ごと抉らんとするかのように衝撃波を放ち、滞空するアルジュナとラーマを吹き飛ばす。

そして、空間そのものを焼き尽くさんとする炎の凝視で以て、マスターである立香の命を奪おうとした。

 

「先輩!!」

 

「マシュ、お願い!!」

 

自分の前に躍り出たマシュが盾を構え、宝具を展開する。

未だ真名も分からず、オルガマリー所長によって名付けられた仮の名前で呼ばれる人理の盾。

展開された光の壁は魔神柱の視線を容易く受け止めるも、その勢いに押されてマシュの体が少しずつ後ろに下がっていった。

戦いが長引いたことでマシュのスタミナも限界に達しているのだ。

盾は無事でもそれを構えるマシュが保たず、このままでは押し切られてしまう。

彼女を助けようにも既に令呪はなく、すぐに使える礼装にも効果的なものはない。

ならばどうするか。

咄嗟に立香はマシュの背中を支えると、吹っ飛ばされたラーマの治療を行っていたナイチンゲールに向けて声を張り上げる。

自分程度の力が加わったところで、炎の勢いが削がれるわけではない。だが、それでもマシュの負担が少しは軽くなるのなら。ナイチンゲールが宝具を発動するまで、そのほんの僅かな時間を保たせることができるのなら、この身を危険に晒すことなど怖くはなかった。

 

「全ての毒あるもの、害あるものを絶ち! 我が力の限り、人々の幸福を導かん! 『我はすべて毒あるもの、害あるものを絶つ(ナイチンゲール・プレッジ)』!」

 

真名解放と共に出現した白衣の女性の幻影が、魔神柱の炎の視線を受け止める。

生前に戦場を駆け、死に立ち向かったナイチンゲールの精神性が昇華されたその宝具は、近現代にかけて成立した「傷病者を助ける白衣の天使」という看護師の概念と結びついたことで強制的に害ある攻撃を無効化するという絶対安全圏を作り出す。

毒は消え失せ、剣は手から落ち、銃は弾を吐き出さず、爆弾は化学反応せず、魔術は組みあがらず、宝具は真名解放されない。

そして傷ついた者達には等しく彼女の治療が施され体力と魔力を回復させる。

魔神柱とてその例外ではなく、煉獄の炎はその威力を著しく減衰されたことで盾を構えるマシュの顔から苦痛が消える。

炎と幻影が消え去り露となった彼女の体は火傷一つ負っていなかった。

 

「――――――!!」

 

「させるか! 喰らえ、『羅刹を穿つ不滅(ブラフマーストラ)』!」

 

再度、炎の凝視を放とうとした魔神柱に向けてラーマの剣が飛ぶ。

巨大な光の輪と化した不滅の刃の名は創造神ブラフマーが持つ必殺の投擲武器を差す。

世に蔓延る不浄、魔性を悉く滅殺するその刃は大気を抉りながら宙を駆け、必殺のために隙を晒していた魔神柱の肉体を容赦なく両断した。

直後、放たれた視線が明後日の方角に向けて飛び、大地に巨大な火柱が立つ。

周囲に木霊するのは聞くのも憚られる不気味な咆哮。

致命の一撃を受けたことで魔神柱はその存在を保てず、後は消滅を待つばかりであった。

 

「やったか!?」

 

『待った、魔神柱の内部から反応……まずい、下がるんだみんな!!』

 

通信からロマニの悲鳴が轟く。それと同時に爆ぜた魔神柱の肉体の内側から、異形の怪物と化したクー・フーリン・オルタが姿を現した。

 

「全呪解放。加減はなしだ。絶望に挑むがいい」

 

まるで骨の怪物だ。

黒い甲殻と赤い爪。巨大な尾も合わさってその姿は直立する恐竜のようにも見える。

その姿こそクー・フーリン・オルタの真の切り札。

魔槍ゲイ・ボルクの素材となった紅の海獣クリードの骨で出来た甲冑を具象化し身に纏うことで肉体を強化する彼の攻撃型宝具『噛み砕く死牙の獣(クリード・コインヘン)』だ。

 

『無茶苦茶だ! 召喚した魔神柱の霊基を逆に喰らって霊核を再生するなんて!? 拒絶反応で2分と保たないぞ!』

 

「なら、彼はすぐに――」

 

「そんな生易しい相手ではない。2分あればここにいる全員、殺し切る男だぞ!」

 

ラーマが最後の力を振り絞って飛びかかるクー・フーリンを迎え撃とうとし、マシュも盾を構えてそれに続く。

だが、それよりも早く動いたアルジュナが2人の前に割って入ると、振り下ろされた異形の爪をその身で受けてクー・フーリンの突進を押さえつける。

 

「くはっ!!?」

 

「アルジュナ!?」

 

瞬間、突き刺さった爪から無数の棘が展開し、アルジュナの体を内側から破壊する。

誰が見ても致命傷。心臓を破壊され、夥しい量の吐血が2人の体を赤く染め上げる。

 

「仲間を庇うとは締まらぬ幕切れだ。満足したか、授かりの」

 

その手に確かな手応えを感じ取ったクー・フーリンはアルジュナの体に突き刺した爪を抜こうとする。

悲惨な光景にマシュは思わず目を逸らし、ラーマは無謀にもアルジュナを救わんと飛びかかろうとするナイチンゲールを押さえるのに必死だった。

そんな中、唯一人、それから目を背けなかった立香は見た。あの冷酷なクー・フーリン・オルタの表情が驚愕に歪むのを。

その命を散らしたはずの授かりの英雄の腕が、微かに動いたのを。

 

「貴様、まだ生きて――!?」

 

「カルナ如きにできて、俺にできぬ道理はない!!」

 

既に霊核は破壊され、消滅は時間の問題だった。

だが、カルナがそうであったように、アルジュナもまた死に向かおうとする己の肉体を強い意志の力でねじ伏せ、クー・フーリンの爪が自分の体から抜けぬよう押さえつける。

力においては明らかにクー・フーリンが上回っているにも関わらず、突き刺さった爪はピクリとも動かなかった。

ならばとクー・フーリンは自らの腕を切り捨てようともう片方の爪を翻すが、それよりもアルジュナが宝具を放つ方が早かった。

 

「シヴァの怒り――いや、我が怒りを以て、汝の命をここで絶つ! 『破壊神の手翳(パーシュパタ)』!!」

 

至近距離から放たれたアルジュナの最大宝具が、巨大な閃光の柱と化して2人を包み込む。

授かりの英雄と光の御子。例え神代に名を連ねる巨頭であろうと、間近でその光を受けては抗うことはできない。

それは同時にこの戦いの終わりを意味していた。

そして、何もかもを焼失させる白い光が収束し、消え去ろうとする寸前、立香は1人の男の苦悩を聞いた気がした。

 

「カルナ、今度こそ――私は――」

 

それがこの戦いにおける、藤丸立香の最後の記憶であった。

 

 

 

 

 

 

飛び散った魔神柱の破片はエレナやエジソン、ニコラ・テスラのおかげでどうにか焼却することができ、北部戦線の戦いは終結した。

カルデアからの通信によると、ワシントンの方でもクー・フーリンを倒して無事に聖杯を回収できたらしく、それを聞いた面々は一様に喜びの声を上げた。

特異点の元凶が消え去ったことで、この時代もほどなく修正が始まるであろう。

全てが終わったことを痛感したカドックは、深々と息を吐きながらその場に尻餅をついた。

 

「はー、疲れた! フランス、ローマ、そしてアメリカ! まったくもう、アンコールも大概にして欲しいわ」

 

「何度でも言うからな。何度も出てきて恥ずかしくないのかドラ娘!?」

 

「局地的におぼこ娘のブームでも来てるんですかねぇ」

 

可愛らしく伸びをするエリザベートに向けて、カドックとロビンは思わず辛辣な言葉を漏らす。

本当に、何で彼女だけこんなにも続けて召喚されているのだろうか。

ひょっとして、聖杯に好かれているのだろうか。そうだとしたら恐ろしい限りだ。

 

「誰がおぼこよ、もう!………まあ、今回ばかりは大目に見てあげる。お先に失礼するわ。子ザル、子イヌにもよろしくと言っておいて。私の理想のマスターには程遠いけど、それでもあんた達の一生懸命さ、嫌いじゃないわ! だって――」

 

残酷な吸血鬼、鮮血魔嬢とは思えぬにこやかな笑みを浮かべながら、エリザベートの体は粒子に還っていった。

声にならなかった最後の言葉は、しかしカドックの耳には確かに届いていた。

 

『伸ばしたその手がもしも星に触れたのなら、そう思えたら素敵じゃない』

 

以前の自分ならばきっと一笑に付することすらないまま相手にしなかっただろう。だが、今ならば彼女の言葉の意味がよくわかる。

届くか届かないかの話ではない。例え遥かな未来にあっても辿り着けぬ地平であったとしても、諦めずに夢を追い続けることに意義がある。

あの遠い星空にすら、やがては人の手は届くことを知っている。

そして、その道を切り開いてきた綺羅星の如き英雄を、カドックはよく知っている。

 

「トドメを刺したのは彼の宝具だが、あの巨体を封じ込めたのは私の電気技術によるものだな!」

 

「妄言も大概にするものだエジソン。貴様はあくまでバックアップ、補助に過ぎん。あの怪物を封じたのはニコラ・テスラの雷電だ。いや、或いは全力であれば大陸ごと消し飛ばせたぞ?」

 

「机上の空論という言葉を知っているかね? 無論、私は知っていぞ。誰かさんがそうだからな!」

 

「そういう貴様は実践派気取りの凡骨だ! 理論も分からぬまま、闇雲に挑むから無駄な苦労を重ねるしかないのだ!」

 

「おっと、手が滑った」

 

「……」

 

「何だ?」

 

「おっと、電気が滑った」

 

「……」

 

「……」

 

互いの行いに対して我慢の限界が来たのか、エジソンとニコラ・テスラは周囲の目も憚らず殴り合いの喧嘩を始める。

偉大な発明をいくつも成し得た天才達とは思えない子どものような喧嘩は見ていて頭が痛くなる。

この瞬間を切り取って誰かに見せても、絶対に2人が彼の発明王とその双璧たる天才であるなどとは思わないだろう。

 

「あの2人はどちらも正しい方向を向いて同じ道を歩いているというのに、道が狭いもんだからどうしても争っちゃうのよね」

 

「けれど、それは決して恥ずべきことじゃない。暴力による政の時代は終わり、名も知らぬ誰かの幸せのために知恵を絞る賢人達。その先に――僕は立っているんだな」

 

ならば、その過程(道筋)に過ちはあれど無価値なものではないはずだ。

例え志半ばで倒れることになっても、力及ばずに屈することになったとしても、最後まで前を見続けていればきっと、価値あるものは残るはずだ。

この北米での迷いもきっと、自分の中で確かな苗床となって何かが生まれるはず。そこに意味はなくとも間違いではなかったと思えるような結末にきっと辿り着けるはずだ。

 

「耳の痛い話だ。だがまあ、今のところは俺のような力も必要だろう。今度はお前達に召喚されたいもんだ。その方が今回よりは楽しめそうだしな」

 

凶暴な笑みを浮かべながらベオウルフは消滅する。次いで魔力が尽きたエレナとロビンが消え、残された李書文も地面に転がっていた自身の槍を拾って踵を返す。

 

「施しの英雄への借りは返した。こちらは急いで片づけなければならぬ用事があるのでな。では失礼」

 

そう言って、李書文は消えるようにどこかへ立ち去った。

まるで最初からそこに存在していなかったかのように。

 

「結局、礼の一つも言えなかった」

 

「行かせてあげましょう。待ち人がいるのだもの、野暮というものよ」

 

「何か視えたのか、アナスタシア?」

 

「ええ。でも、秘密。答えてあげません」

 

「えっ? いや、そんな風に言われると気になるな」

 

「ダーメ。答えてあげません」

 

薄く微笑みながら逃げるアナスタシアを追いかけようと、カドックはヨロヨロと力なく立ち上がろうとする。

すると、後ろから大きな手が伸びてカドックの体が抱え上げられた。

振り返ると、先ほどまでニコラ・テスラと喧嘩をしていたエジソンが立っていた。

 

「改めて礼を言っておきたくてね。君が私の補佐官――マスターでいてくれて本当に良かった。ありがとう」

 

「エジソン……僕は……」

 

「言わなくてもいい。間違えていたのは私で、それもまた正解ではなかっただけのことだ。君がいたからここまで戦えて、君の友人がいたから勝利できたのだ。それだけで十分だ」

 

「あなたはヒーローだ。僕だけじゃない、この世界みんなの憧れだ」

 

「伝記本を読んでくれたのかな? きっと私はさぞかし格好良く書かれていたのだろうな」

 

エジソンとその傍らに立つニコラ・テスラの体が末端から光に還っていく。

2人もまた、座への帰還が始まったのだ。

 

「また会おう、カドック君。次に召喚された時には、君のために力を貸そう」

 

「癪に触ること静電気の如しだが、機会あらばこの雷神も人理の為に戦おう。まあ、君よりも(藤丸)の方が先に私を引き当てるかもしれないが」

 

「ふっ、あまりうちの補佐官を甘くみないことだすっとんきょう。彼は私の最高の――」

 

カドックの意識はそこで途絶えた。

まるで何かに引きずり上げられるかのような錯覚と共に視界が明滅し、自分の存在すらも不確かなものとなる。

2人の天才に見送られながら、カドックの意識はカルデアへと引き戻されたのだった。

 

 

 

 

 

 

目覚めると、まず目に飛び込んだのはこちらを見つめるロマニの姿だった。

その隣にはダ・ヴィンチとマシュ。立香とアナスタシアも心配そうにこちらを見つめている。

管制室は重苦しい沈黙が支配していた。

無理もない。

一時とはいえカルデアを離反した男が戻ってきたのだ。不穏な空気が漂うのも当然だ。

問答無用で拘束されないだけありがたいと思うべきだ。

 

「まずはおめでとうと伝えておくよ。今回も何とか特異点を修復できた」

 

「……ああ」

 

「その上で君への処分を伝えよう。結果的に上手くいったとはいえ、君は特異点修復というカルデアの目的に反する行いをした」

 

「ああ」

 

エジソンに賛同することを決めた時から、こうなることは覚悟していた。

自分勝手に動く駒は組織に不要な存在だ。和をかき乱すような不確定要素は排除するべきだろう。

現状、カルデアは人手不足だが、幸いにも自分1人が抜けたところで機能に支障はない。

立香はマスターとして十分に強くなってきているし、マシュも力をつけてきている。

ここで自分の旅が終わることになったとしても、彼らはきっとグランドオーダーを成し遂げるだろう。

アナスタシアには申し訳ない結果になってしまうが、それだけのことを自分はしてしまったのだ。

 

「これは非常に重い罰だ、カドック・ゼムルプス。君にはカルデア館内に存在する全ての――トイレの清掃を命じる」

 

「わかった――はい?」

 

思わず耳を疑い、次にきちんと意識が覚醒しているかを確認する。

古典的だが頬を指で抓ってみるが、痛覚は正常に機能していた。

少なくともここは夢の世界ではない。

 

「ドクター・ロマン、聞き間違いをしたのだろうか? トイレ掃除と聞こえたが――」

 

「カルデアの伝統的な罰則だ。ボクも入りたての頃、遅刻の罰として先輩にさせられた」

 

遅刻と同列に語れるような違反ではないと反論したが、ロマニは聞き入れなかった。

 

「カルデアの広さを舐めちゃダメだよ。公共スペースからマイルームまで全部を掃除してもらうんだから、時間だってかかるんだ」

 

「けど――」

 

「これは所長代理としての決定だ、マスター・ゼムルプス」

 

これ以上は何も聞き入れない。この決定は覆らないとロマニは言う。

正直に言うと、納得がいかない。

自分はカルデアの理念に反する行いをし、マスターである立香を害する行為を働いた。

それに対する罰がその程度でいいのだろうかとという不服の気持ちがどうしても拭えない。

同時に、自分がとても安堵していることに気づいた。

罰の軽さにではない。自分がこれからもカルデアの一員として、グランドオーダーに関わることができるのが嬉しかったのだ。

 

「本当に、いいのか?」

 

「そう決めたからね。それでも納得ができないのなら――人理修復を必ず成し遂げること。それを以て君の違反は帳消しにしよう。君だって、もう逃げる気がないんだろう?」

 

「……本当に、すまない。いえ――すみませんでした、ドクター・ロマン。謹んで引き受けさせて頂きます」

 

差し出されたロマニの手を握り返す。

一部始終を見守っていた立香が歓声にも似た声を上げ、マシュとアナスタシアも我が事のように喜びを露にする。

 

「よかったね、カドック。これからも一緒に仕事ができるんだ。よし、俺も掃除を手伝うよ!」

 

「はい、及ばずながらわたしもお手伝いさせて頂きます!」

 

「待て待て、それじゃ罰にならないだろう」

 

「でも、カドックは右手しか使えないだろう。掃除道具とかどうやって運ぶのさ?」

 

「あら、そこは私がいるでしょう、マスター・藤丸」

 

「皇女様にそんなことさせられるか! これは僕の罰なんだから僕が1人でやる! だいたい、藤丸は掃除よりも前に訓練をだな――」

 

堰を切ったかのように言葉が溢れてくる。

煩わしかったはずの騒々しいやり取りがとても懐かしく心地よい。

そんな風に思えるようになっていたことが意外で、とても嬉しかった。

前はどこか疎外感を感じていたこの場所が、いつの間にか自分のいるべき場所になっていたのだ。

それを素直に嬉しいと思える自分がいることに気づき、カドックの表情には自然と笑みが零れていた。

 

 

 

 

 

 

管制室でのデブリーフィングを終え、カドック達4人は自室に戻るために通路を歩いていた。

今まではバラバラに帰っていたのに、今回に限っては4人揃って帰路につく形となったのだ。

或いは、自分が立香に対して感じていた距離感が共に帰ることを避けていたのかもしれないとカドックは考えた。

なら、今はそれが少しだけ改善されたのかもしれない。

彼に対して抱いていた嫉妬だとか自身を脅かす危機感だとか、そんなドロドロとした感情は胸の内のどこを探しても見当たらない。

それを良い兆候だと思えた半面、ここまで同じ時間を過ごしていながら彼のことをそんな風に見ていた自分が恥ずかしくなった。

 

「カドック?」

 

こちらが考え事をしていることが気になったのか、アナスタシアが覗き込むように顔を見上げてくる。

 

「え? ああ、ごめん。聞いているよ」

 

「考え事? 今のあなたはすぐに転ぶんだから、気をつけてね」

 

「わかっているよ。今回は色々あったなって、考えていただけさ」

 

「そうですね。悲しい出来事もたくさんありました」

 

マシュの言葉に他の3人も黙って同意する。

あの時代を生きる人達に多くの犠牲が出た。

冬木では協力関係にあったクー・フーリンが敵に回り、戦いの最中でカルナはその命を散らした。

他にも多くの犠牲があり、その上で自分達は勝利できたのだ。

積み重なった痛みを数えると、どうしても心が沈んでしまう。

だが、それと共に胸が躍る出来事がいくつもあった。

あの偉大な発明王と親交を深め、インドやケルトといった神話の人物達とも交流できた。

今までもそうだ。それぞれの時代で様々な人間、英雄達と出会い冒険を繰り広げてきた。

それはきっと、どんな魔術師でも体験できなかったことだ。

 

「不謹慎かもしれませんが、わたしはとても楽しいです。わたし達がした旅は決して歴史に残らない。わたし達だけの記憶に刻まれる旅。この思い出を、ずっと、ずっと大切にしたい……そう思います」

 

「そうね。思い出……か。私はこの旅が終わればきっと座に戻らなければいけないのでしょうけど……みんなの思い出になれるのなら、とても良いことなのかもしれないわ」

 

アナスタシアの言葉にカドックは何も返せなかった。

そう、旅はいつか終わる。サーヴァントであるアナスタシアとはいつか別れなければならない。

その日までに証明できるだろうか。

彼女が抱いた絶望と諦観。それを吹き飛ばせるほどの何かを。

 

「では、わたしはここで。みなさん、疲れているからといってすぐに横になるのはダメですよ。まずはシャワーを浴びて、それから――」

 

不意に視界が歪んだのかと錯覚する。

それほどまでに突然の出来事だった。

まるで糸が切れた操り人形のように、マシュの体が床の上に倒れ込んだのだ。

 

「マシュ!?」

 

「フォウ! フォーウ!!」

 

どこから現れたのだろうか。フォウが倒れたマシュに寄り添い何かを訴えるように声を上げる。

 

「あれ……せんぱ、い……みな、さん……」

 

「マシュ! どうし――」

 

「どけ、診せろ!」

 

マシュを抱え起こそうとする立香を突き飛ばす様に押しのけ、カドックはマシュの腕を取った。

指先に伝わる脈は非常に弱々しい。呼吸もかなり乱れていて額には汗が滲んでいる。

何かの病気なのだろうか。マシュの肌は急速に色を失い、苦悶の声を漏らしていた。

 

「藤丸、彼女を医務室まで運べ! アナスタシアはロマニを呼ぶんだ! 大至急!!」

 

「わ、わかった」

 

「ええ」

 

とりあえず手持ちの薬で気付けを済ませると、カドックは2人に指示を飛ばす。

アナスタシアはすぐに管制室へと踵を返し、我に返った立香も危なっかしい手つきではあるがマシュを起こして腕を肩に回す。

その間にもマシュはどんどん衰弱していき、目を離せば今にも死んでしまうのではないのかという恐怖が込み上げてきた。

程なくして彼らは知ることになる。

マシュ・キリエライトがどういった存在なのか。

そして、彼女に待ち受ける運命を。

 

 

 

A.D.1783 北米神話大戦 イ・プルーリバス・ウナム

人理定礎値:A+

定礎復元(Order Complete)




『祈りの弓』は5章配信時点では毒以外のバステ、バフデバフ状態でも特攻が入りました。
そんな訳でとどめの担当はロビンフッドです。
元々はカルナを生き残らせてと考えてもいたのですが、アルジュナが思いの外、筆者好みに屈折した性格だったので気づくとこんな形になりました。

今度のハロウィンはまさかの○○○○実装ですかね?
おっきーで盛大に爆死した手前、更なる課金をどうするか悩むところです。


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幕間の物語 -何気ない日常の一コマ-

そこはとある国のカルデアと呼ばれる田舎町。

どこの国にもある下町の片隅に、ひっそりと看板を掲げた小さな事務所があった。

名を「藤丸立香探偵事務所」。だが、その町の住民はその名前で呼ぶ者は誰もいない。

所長1名、所員1名、看板犬(?)一匹の零細事務所を、町の住民は口をそろえてこの名で呼ぶのだ。

「藤丸立香サーヴァント事務所」と。

 

『ようこそいらっしゃいました、藤丸立香サーヴァント事務所へ』

 

『探偵ね。マシュ、探偵事務所ね』

 

藤丸立香。

下町生まれの2代目探偵。

亡き師オルガマリーから事務所を引き継いだものの、たまに舞い込む依頼は迷い猫などのペット探しばかりで毎日が開店休業。

お人好しで困っている人を見過ごせず、町のみんなからは2代目と呼ばれて慕われている。

 

『お任せください。弊事務所の所長先輩はこの春一番の名探偵ですので、大船に乗ったつもりでいてください』

 

マシュ・キリエライト。

自称後輩の押しかけ助手。

立香を所長先輩と慕い、事務所の管理から日々の生活の世話までこなす後輩の鑑。

スポーツ万能にして生まれてこのかた風邪一つ引いたことがない健康優良児。

そんな2人が切り盛りする小さな事務所にある日、1人の依頼人が訪れる。

何の変哲もない迷いタマモキャット探し。それはある一族の悲しい歴史を紐解くプレリュードであった。

 

『きゃぁぁぁぁぁぁっ!!』

 

『ラ、ランサーが死んだ!?』

 

斜陽の資産家岸波一族の屋敷で引き起こされる血の惨劇。

跡取りである姉弟を巡って対立する正室(ネロ)愛人(玉藻の前)による骨肉の争いと、わらべ歌に見立てて次々と殺されていく槍兵とその派生達(クー・フーリン)

密室から消えた聖杯の謎。

暗躍する怪人「欠片男」とは何者か。

黙して語らぬ猫の目はいったい如何なる真実を捉えたのか。

 

『わかりました。この事件の犯人は――』

 

きっと最後は崖っぷち。

だいたい3人くらい死んで候補が絞られた辺りで藤丸立香は真実に辿り着く。

真犯人の服毒自殺には注意せよ。

「ようこそ藤丸立香サーヴァント事務所へ」こううご期待。

 

 

 

 

 

 

「――と、いうのはどうでしょうか?」

 

医務室のベッドの上で、寝間着姿のマシュがぐいっと顔を近づけてくる。

興奮冷めやらぬといったところだろうか。一通り語りつくして息が上がったのか頬が赤く呼吸も荒い。

 

「どう、と言われてもな」

 

「面白いと思うよ。ねえ、カドック」

 

「いや、わからないよ」

 

第五特異点から帰還した後、マシュは体調の悪化から医務室に入院することとなった。

その際にひと悶着があったのだが、それは今回とは関係がないので割愛する。

とにかくマシュは入院することとなり、カドックと立香は訓練の合間を縫って彼女の見舞いに訪れたのである。

本当はアナスタシアも連れてくるつもりだったのだが、彼女は何やら用事があるらしく来れないとのことだった。

そして、見舞いの最中にマシュが突然、話し出したのが冒頭の妄想というか与太話であった。

 

「入院しているとすることがありませんでして、端末でお話などを考えてみたんです」

 

「結構、元気そうだな君は」

 

目の前で倒れられた時は心底から焦ったというのに、肝心のマシュはいつもと余り変わらない。

不謹慎かもしれないが、心配して損をしたとつい思ってしまう。

 

「俺は好きだな。ハートフルな人情ものって感じで」

 

「見立て殺人に密室に怪人だぞ。ハートフルボッコの間違いじゃないか?」

 

アナスタシア経由でマシュがミステリー好きであることはカドックも知っていたが、どうやらかなり重度のマニアであったようで、彼女が入院中に考えてみた物語というのが、古今東西の推理小説で使われたネタを拾い集めて煮詰めて混ぜ合わせたてんこ盛りのスペシャルコースであった。

ここまで詰め込まれると聞いている方は胸焼けを起こしそうになる。

そんなミステリーネタのバベルの塔とも言うべき話を妄想してしまうくらい、彼女は暇を持て余していたらしい。

 

「物語として成立するのか、これ? 文章を書くならもっと構成を練らないと破綻するぞ。後、クー・フーリン死に過ぎだろう」

 

「むぅ、ならカドックさんは何か面白いお話が書けるんですか?」

 

「僕がか? そうだな――」

 

 

 

 

 

 

時は20XX年。雪と氷に閉ざされた街ヤガ・モスクワはこの世で最悪の暗黒街と化していた。

マフィアが暗躍し麻薬が横行。公権は賄賂で塗れ権威は失墜し、裏路地には失業者と娼婦と犯罪者が溢れ返る。

ここでは男はタフでなければ、女は強かでなければ生きていけない。

 

『僕の名前はカドック・ゼムルプス。この冷たくも懐が深いヤガ・モスクワで探偵をしている』

 

この街はトラブルの玩具箱。生きていくにはいつだってリスキーで、不運と踊るのも日常茶飯事だ。

カドックの下に奇妙な依頼が舞い込んだのは、そんなある日のことだった。

 

『私を探してください』

 

『大人をからかうのはよすんだ、レディ』

 

いつもと変わらない、冷たい雪が降る夜に出会った不思議な少女。

アナスタシアと名乗った少女からの奇妙な依頼は、やがてカドックを否がおうにも雪の街の暗部へと巻き込んでいく。

 

『彼女はロマノフ家の人間なの。手を引いた方が身のためよ』

 

『だが、彼女の味方になれるのは僕しかいない――』

 

何者かからの脅迫めいた忠告の通り、アナスタシアを狙う悪漢達がカドックの前に立ち塞がる。

敵は異端の技を駆使する狩人達。

根源を目指す魔術師、異端狩りの代行者、魑魅魍魎の血族、謎のイタリア料理人。

 

『その闇を見ろ。そして己が名を思い出せ』

 

『喜べ少年。君の望みはようやく叶う』

 

『出口などない、ここが貴様の終焉だ』

 

『これはいったいどういうことかな?』

 

何故、彼女が狙われなければならないのか。

ヴィイの魔眼とは果たして何なのか。

 

『君を探し出す、そういう依頼だったな。待っていろ、地獄の果てだろうと必ず見つけ出してみせる』

 

真実を知り、依頼人を守るためにカドックは夜の街を走る。

果たして、彼らに真実の朝は訪れるのか。

 

『これは証明だ。さあ、3つ数えようか?』

 

 

 

 

 

 

「――どうだ?」

 

「バリバリのアクションですね。ミステリー要素は申し訳程度です」

 

「ここまで尖っていると逆に微笑ましいというか、懐かしいというか」

 

何故だか、こちらに向けられる2人の視線は哀れみに満ちている気がした。

 

「何だよ? 空想の中でくらい、格好つけても良いだろ!?」

 

「方向性がね、凄くティーンというか」

 

「固ゆで卵がお好みのようです」

 

「タフなアナキストは画になるだろう」

 

途中で捕まって拷問を受けても屈することなく窮地を脱し、公僕とマフィアの両方を敵に回しながらも己の信念を貫くタフガイ。

正義を執行しながらもその手法は悪辣で暴力的。理性的に狂った破滅主義者。実にロックじゃないか。

自分としてはハリウッド映画のような火薬を使った派手なアクションよりも香港映画のような肉体派の方が好ましい。フライングギロチンという武器が登場するカンフー映画があるが、中盤のGEORGE四天王との戦いは正にそんな感じだ。

 

「そういうお前はどうなんだ? キリエライトは古典、僕はサスペンスだ」

 

「カドックさんのはどう聞いてもB級アクションです」

 

「いちいち細かいな。で、どうなんだ? もうネタは出尽くしたぞ」

 

「うーん、そうだなぁ――」

 

 

 

 

 

 

来るべき近未来、人類は聖杯の力でかつてない繁栄を築いていた。

だが、その輝かしい平和の影で激しくぶつかり合う2つの力があった。

世界征服を策謀する秘密結社「BE団」。

 

『我らビッグエリちゃんのために!』

 

かたや、彼らに対抗すべく世界各地より集められた正義のエキスパート達「カルデア」。

そしてその中に史上最強のロボット、ジャイアントバベッジを操縦する1人の少年の姿があった。

名を藤丸立香。

 

『砕け、ジャイアントバベッジ――』

 

 

 

 

 

 

「ちょっと待て、ミステリーどこいった?」

 

物凄く生き生きとした目で立香が語るのは、巨大ロボットのギミックとアクションばかりでミステリーのミの字も出てこない。

一応、ここまでの話の流れは探偵ものをお題として物語のプロットを語るというものだったはず。

マシュは古典的な謎解きミステリーを、自分はハードボイルドな探偵アクションを考えたのだが、立香の考えたプロットはどう聞いても巨大ロボが活躍するカートゥーンか特撮である。

 

「主人公が少年探偵」

 

「ジャイガンターか」

 

「知っているの!?」

 

「目を輝かせるな! ロボは守備範囲外だ。男がメカに頼ってどうする?」

 

「夢と浪漫がわからないかな。燃えるだろ、軋む関節に地響きの音。聳え立つ鋼の巨人」

 

「先輩はバベッジさんと一緒に行動する時は心拍数が上昇します。わかりやすく言うと、メカに興奮するということです」

 

「ドクターの話じゃ、近代以降は英雄よりも兵器が英霊に昇華されやすいらしいから、遠い未来では巨大ロボなサーヴァントが召喚できるかもしれないよね?」

 

彼はまだ知らない。翌年のハロウィンで巨大ロボなサーヴァントが引き起こした事件に巻き込まれることを。

 

「大した妄想だな。本にすれば売れるんじゃないか?」

 

「あー、本気にしてないなその顔は――」

 

不服そうに頬を膨らませる立香に対して、カドックは呆れたように首を振る。

こればかりは趣味嗜好の問題なので、分かり合えることはないだろう。

その時、不意に時計のアラームが12時を告げた。

 

「もうお昼か。マシュはまだ食堂には行けないの?」

 

「はい、もう少しだけ様子をみたいとドクターが」

 

「うーん、残念。カドック、食堂に行こうか?」

 

「いや、僕はこれで済ませるから1人で行ってくれ」

 

そう言ってカドックは懐から固形栄養食品の箱を取り出して見せた。日本の医薬品メーカーが製造している黄色い箱のあれである。

 

「この後、訓練の予定を入れているんだ。罰則のトイレ清掃もあるし時間は有効に――」

 

カドックが包装を破ろうとした瞬間、背後から音もなく忍び寄ってきた何者かが手にしていた黄色い箱を取り上げた。

振り向くと、心なしか険しい顔つきのアナスタシアが立っていた。

 

「アナスタシア、用事があったんじゃ?」

 

「もう終わったわ。それよりもカドック、こんなものばかり食べていたらダメよ」

 

「栄養バランスはきちんと考えている」

 

「なら、最近食べたものを言ってみて?」

 

「えっと……今朝は栄養ドリンクを飲んで、昨日の夜は研究が捗っていたからゼリー飲料で済ませた。昨日の昼はこいつのフルーツ味とプロティンバーを1本ずつ……」

 

「うわぁ、特異点にレイシフトしている時の方がちゃんとしたもの食べているよね。まさか北米から帰ってから?」

 

「ああ、ずっとだ」

 

北米では昼夜を惜しまず働きづめだったので如何に食事を手早くかつ効率的に摂取するかは一つの命題であった。

その時の習慣がまだ抜けきっていないのか、つい食堂へ足を運ぶのを億劫がってこういったもので済ませてしまう。

一応、一日に必要な栄養素はきちんと計算して食べてはいるが。

 

「食事はただ食べるだけではダメよ。ちゃんとしたものを食べていれば心にも栄養が送られて元気になるの。イパチェフ館で過ごしていた時が丁度、そうだったわ」

 

「君が言うと生々しいな」

 

イパチェフ館はアナスタシアが生前の最後を過ごした屋敷の名である。

彼女はそこで2ヵ月ほどを家族と過ごした後、警護兵の手によって銃殺されたのだ。

そんな凄惨なエピソードを引き合いに出されては、さすがのカドックも反論の言葉は持たなかった。

しぶしぶ栄養食品の箱をアナスタシアに預けると、食堂に向かうために椅子から立ち上がる。

 

「わかった、今日は一緒に食べよう」

 

「よろしい。マシュ、また後で来るわね」

 

「はい、がんばってください、アナスタシア」

 

「……?」

 

2人にやり取りに奇妙な違和感を覚えたが、カドックは促されるまま医務室を後にする。

去り際に一瞬だけ視線があったマシュの表情は、何故だか微笑んでいるように見えた。

 

 

 

 

 

 

昼食時の食堂はいつも人で賑わっているが、まだピークの時間には至っていないのか、空いている席が多かった。

厨房を覗くと赤い外套の青年と白装束の女性が慣れた手つきで食材を捌く姿が見え、その周りでは猫なんだか狐なんだかわからない生き物が2人のフォローをしつつ接客を行っている。

グランドオーダーが始まったばかりの頃はまだ彼らがおらず、厨房の手伝いとして野菜の皮むきをしていた事がもう遠い昔の出来事のようだ。

 

「お帰りなさいませだワン、ご主人達。ささ、目つきの悪いご主人はこちらをどうぞ」

 

「って、僕はまだ注文していないぞ」

 

「それはおかしい。そこの真っ白な皇女様が先に注文をしていたぞ。よお、憎いねこの果報者」

 

隣に立つアナスタシアに視線を送ると、彼女は誤魔化す様にそっぽを向いていた。

問い質しても無駄なことは経験で知っているので、カドックは内心でため息を一つ吐くとタマモキャットからトレーを貰って空いている席につく。

自分の注文分を貰ったアナスタシアと立香もそれに続いた。

出された料理を並べてみると、それぞれの嗜好というものがよくわかる。

アナスタシアのトレーにはやや大きめの器に注がれた野菜スープと固めのパン。北国育ちの彼女は煮込み料理を好んで食べる。

席についた彼女は早速、好みの味を出すために備え付けのお酢や塩の瓶を振っていた。

立香のトレーには深めの皿に盛られた麺料理。曰く、うどんというらしい。

生の卵を落として食べるという狂気の産物だ。日本人は魚も生で食べるし発酵させて匂いがきつくなった大豆を白米にかけるなどよくわからない食文化が非常に多い。

中国料理は足があるものなら机以外は食すと言われているが、カドックからすれば日本食の方が遥かにクレイジーだ。

そして、自分の目の前のトレーにはアナスタシアが事前に注文していたという料理が盛り付けられている。

幾つかの料理で構成されたランチセットだ。

賽の目状に刻まれた野菜やゆで卵、鶏肉などをマヨネーズで和えたサラダ。

厚めに切られた冷製サーモン。

白っぽいのは魚のスープだろうか。

メインディッシュは牛肉の煮込みのようだがシチューと呼ぶには肉の比重が多い。付け合わせは揚げたジャガイモである。

香ばしい香りが鼻孔をくすぐり、不覚にも胃が空腹を訴えるように音を立てる。

 

「いただきます」

 

「…………」

 

立香が料理に向かって両手を合わせて一礼し、アナスタシアが胸の前で手を組んで祈りを捧げる。

どちらの習慣もないカドックは2人がそれらを終えるのを待ってからスプーンを手に取ると、迷うことなくメインディッシュの牛肉へ手を伸ばした。

脂身が少なくて柔らかい牛肉は、片手でスプーンを突き刺しただけでも簡単に切ることができた。

口に含むと温かいクリームの香りが広がり、舌全体に柔らかい肉の感触が伝わってくる。

ゆっくりと味わいながら咀嚼し、形がなくなってから嚥下する。

 

(いつもと違うな)

 

こうして机を囲むのが久しぶりだからか、或いはまともな食事自体が久しぶりだからか、食べ慣れたはずの食堂の味がとても新鮮に感じられた。

こちらが片手でしか食器が使えないことを気遣ってくれたのだろか。

料理は全て柔らかく煮込まれ、細かく切られているのでスプーンだけでも容易に食べることができる。

スープも程よい温かさで飲みやすい。ただ、全体的に味が濃いめなので少し胸焼けが起きそうになった。

半分ほどを食べ切ったところで水を飲んで一息を入れると、食堂もいつの間にか人で賑わい出していた。

パッと目についたのはジャックとナーサリーライムの幼女組。2人は子ども向けのランチを食べているようだが、ピラフに立てられた旗を倒さないように四苦八苦しながら食べている姿がとても微笑ましい。

少し離れたところには昼間だというのに酒を飲んでいるドレイクと、そんなドレイクを離れたところから見つめている黒髭の姿があった。

いったいどういう経緯があったのか、レオニダス一世とスパルタクスとフェルグスが同じ席を囲んでいる。暑苦しい上に肌色が多い。近くにいたエリザベートが気まずさで少し距離を取っている。

気まずいといえばこちらも何故か席を並べて黙々と料理を頬張るアルトリアとアルトリア・オルタ。その鬼気迫る食べっぷりは居合わせてしまったモードレッドが思わず引いてしまうほどの迫力だ。あのモードレッドがだ。後から来たアルトリア・リリィなんて泣きそうになっている。

少し前にやってきたエジソンとニコラ・テスラは――調理用の家電は直流と交流のどちらが適しているかで喧嘩を始めていた。

目の前でうどんをすする立香は気づいているのだろうか。先ほどから清姫が少しずつ背後に迫っていることに。

 

「ふむ、ここで会うのは久しぶりだな、カドック(マスター)

 

カドックがトレーを空にした辺りで、厨房から出てきたエミヤがこちらを見つけて話しかけてきた。

 

「ああ、北米から帰ってきてからはずっと自室で食べていたからな」

 

「その辺は皇女様から聞いているよ。まあ、私からとやかく言う権利はないのだろうが、できるのならこういう場に出てきた方が良い。誰かと一緒に食事を取るというのは、ただそこにいるだけでも気持ちが明るくなるものだ」

 

「ああ、そうだな」

 

閉め切った暗い部屋で、作業のように栄養を取るだけでは気づけない暖かさがここにはある。

賑やかな喧騒は煩わしいがだからといって耳障りではなく、色々な味を舌の上で転がす楽しみは栄養剤やゼリー飲料ではとても味わえない。

何だか心が少し軽くなったような気分だ。

 

「ところでマスター、今日のランチはどうだったかな? できれば感想を聞かせて欲しいのだが」

 

「おいしかったよ。さすがはうちのチーフシェフだ」

 

味付けが濃くて胸焼けがしたというのは黙っておく。

エミヤは善意で厨房を手伝ってくれているのだ。そこにケチをつけては彼に申し訳ない。

 

「そうか、それはよかった。彼女も頑張った甲斐があったというものだ」

 

「……? これはあんたが作ったものじゃないのか? ならタマモキャットかブーディカが?」

 

「いいや、そこにいる可愛いお嬢さんさ。労いの一つでもかけてあげるべきだぞ、マスター」

 

意味深に笑いながら、エミヤは手を振って去っていく。

その背中を追う内に何となく立香と目があい、そのまま自然ともう1人の同席者に4つの視線が注がれる。

心なしか頬を赤くしたアナスタシアが、上目遣いにこちらを見つめていた。

か細く震える唇が、ともすれば喧騒にかき消されてしまうような小さな声を絞り出す。

 

「その……みんなに教わって、作ってみたのだけれど……」

 

「君が……作ったのか?」

 

「練習したのよ。ちゃんと練習したんだから……」

 

「どうして泣きそうになっているんだ。ちゃんとおいしく食べれたよ」

 

「うぅ……もっと自信満々にドーンと出すつもりだったのに……」

 

いざ本番を前にして、急に恥ずかしくなってこんな回りくどい出し方をしたらしい。

こちらのことを考えて料理を作ってくれたのは嬉しいが、相変わらず変なところで空回りをする皇女様だ。

カドックは仕方がないと内心で一息を吐くと、悟られぬように気を入れ直して涙目になっているアナスタシアに向き直った。

こういう時は、下手な小細工をするよりも直球で臨んだ方が効果的だ。

 

「ありがとう。おいしかったよ、アナスタシア。できればまた作って欲しいな」

 

「……っ!?」

 

耳元まで真っ赤に染まったアナスタシアは、ヴィイを抱えたまま黙り込んでしまう。

様子がおかしいパートナーを見て、カドックは選んだ言葉が逆効果だったのだろうかと頬を掻いた。

 

「また料理を……これから先も……つまり、それは……ケッ……」

 

「エミヤ!! コーヒー持ってきて!! ブラックで!!」

 

「何だよ藤丸、食事中くらい静かにしろ」

 

「そういうところだぞ、カドックぅ!!」

 

見回すと周囲にいた何人かも同じように厨房に殺到していた。

そして、このどさくさに紛れて清姫はちゃっかり立香の隣に座っていた。

 

「まったく、なんなんだよ」

 

いつまで経っても復帰しないアナスタシアと変なことを言い出す立香にカドックは困惑し首を傾げる。

そうして、その日の休憩は過ぎていった。

 

 

 

 

 

翌日。

その日、立香は1人でマシュの見舞いに訪れていた。

カドックはアナスタシアと共に微小特異点の修正に向かっていて今はいない。

なので遠慮なく昨日の食堂での出来事をマシュに話すことができた。

だが、一通り話し終えた辺りで立香の脳裏にとある疑問が過ぎった。

自分達が北米から帰還してまだ3日と経っていない。

アナスタシアはカドックの食生活を心配してエミヤ達に料理を習ったと言っていたが、彼の食生活が偏ったのは北米にレイシフトしてからだ。

それ以前はきちんと食堂で提供されている料理を食べていたので、彼女の言葉を鵜呑みにすると練習期間が余りに短い。

しかも、帰還直後にマシュが倒れたことでそういうことをしている余裕もなかったはずだ。

 

「あれ、それってつまり――」

 

「先輩、それは野暮というものですよ」

 

豆腐の角に頭をぶつけたくなければ、気づかないふりをしていた方がいいとマシュは言う。

つまり、そういうことなのだ。乙女心というものは何とも難しいものだと立香は改めて実感した。




最初はジョジョのイタリア料理回なことを考えてました。
すぐに挫折して他のプロットと合体した結果が今回です。

次の6章は今までで一番、オリジナルな展開が多くなると思います。
今から賛否がちょっと怖い。


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第六特異点 神聖■■■■■■■■■
神聖■■■■■■■■■ 第1節


第五特異点からの帰還後、マシュが倒れた。

その場で介抱したカドックは、原因がわからないながらも彼女の低下したバイタルを読み取り、その余りの不安定さにどうして生きていられるのかと驚かずにはいられなかった。

彼女はすぐに医務室へと運ばれそのまま緊急入院となった。幸い、症状はすぐに持ち直したので数日の内に通常業務に復帰することができるらしい。

そして、マシュへの処置が一通り済むと、ロマニはカドックと立香の2人を自室へと呼び出した。

 

「――以上が、ボクの語れる範囲でのマシュの話だ」

 

彼の口から語られたのは、マシュ・キリエライトの出自に関わる出来事だった。

彼女は生まれてからずっと、カルデアの一室で軟禁状態のまま生育されていた。

デミ・サーヴァントへの融合実験のために生み出されたデザイナーベビー。

より安全で確実に英霊の力を行使するための兵器。それを望んで製造されたのがマシュ・キリエライトという少女だった。

 

「ここカルデアは国連主催の組織だけど、その内情は魔術協会……アニムスフィアの研究施設だ。人類の未来を見守る、という大義のもとに非人道的な試みも少なからず行われた」

 

サーヴァントは使い魔ではあるが同時に人間以上の存在である英霊だ。

彼らがその気になればマスターであれ命を失い、英霊は座に還るだろう。

依り代を用いる疑似サーヴァントにしても特例中の特例である上、都合よく英霊と波長が合う人間などいないし、人格を霊基に塗り潰される危険性がある。

そこで前所長――マリスビリー・アニムスフィアは発想を逆転させた。

英霊の霊基を受け入れる器となる無垢な子どもに触媒を埋め込み、召喚した英霊と融合させることで全く新しい「人間」として受肉させる。

英霊を使い魔としてではなく兵器として製造するコンセプトのもと、マリスビリーは10歳まで生育したマシュに対して融合実験を行ったのだ。

結果は失敗。

召喚そのものは成功したが、融合した英霊はマリスビリーの非道を認めず、かといって自身が消えればマシュが死んでしまうため、彼女の中で眠りにつくことを選択した。

そうして融合実験は頓挫し、あのファーストオーダーの日に至ったのである。

 

「前所長は融合実験から一年後に所長室で亡くなった。状況からみて自殺と判断されたけど、真相は不明だ。マリー――オルガマリー所長がやって来たのはその後だ」

 

良心の呵責、とは思えない。

マリスビリーとはあくまで「サーヴァントのマスター」として指名を受けていただけで交流があったわけではない。

だが、断片的な記録から得た印象や彼と面識があるペペロンチーノの話では魔術師らしく人間としての倫理が欠けているが、自らの研究に対して強い信念を持った人柄であったらしい。

そんな男が情に流されて我が身の非道を悔いるとは思えない。

最も、今となっては真相は闇の中だが。

 

「あんな風に倒れたのも、その融合実験のせいなのか?」

 

「それもある。けれど、彼女には元々、寿命ともいうべき活動限界が設定されていた。あれ以上老いることはないが、やがて生命力が枯渇して死ぬことになるだろう。長くて18年……後、1年あるかないかという話だ」

 

「そうか……前々から備品みたいな女だとは思っていたが、本当に備品だったんだな」

 

瞬間、頬に鈍い痛みが走った。次いで、襟元を掴まれて壁に背中を叩きつけられる。

勢いで花瓶が割れる音がまるで遠い世界の出来事のようだった。

カドックの目の前には、目に涙を浮かべ、顔を真っ赤にして激昂する立香の姿があった。

 

「もう一回、言ってみろ……」

 

「……ああ、何度でも――」

 

「止めるんだ!」

 

喉元まで出かかった言葉をロマニの制止が遮る。

その一言で我に返ったのか、立香は襟元を掴む手を放してこちらから距離を取った。

 

「落ち着くんだ、藤丸くん。カドックくんもだ。彼が怒りをぶつけるのなら、それは所長代理であるボクに対してだ。君が嫌われ役を買って出る必要はない」

 

「……すまない、出過ぎた真似をした。言い過ぎたよ、藤丸」

 

「……俺の方こそ……ごめん……」

 

気まずい空気が室内を漂う。

自分でもどうしてあんなことを言ってしまったのかわからなかった。

ただ、まるでロマニが罪科の矛先を自分に向けるかのように淡々と話す様が我慢できなかった。

マリスビリーが存命だったとはいえ、マシュの存在を公にすることができなかった。

彼女を外に連れ出すためとはいえ、優れたマスター適性を利用する形となった。

何よりマシュの短命について、彼は一切の弁解をしない。

生きることは苦しいことで、死は誰にでも訪れる。人間である以上は死の恐怖から逃れることができず、それを憐れむことはその人の生命に対する無礼でしかないとロマニは言うのだ。

 

「マシュはまだ自分の活動限界について知らない。ここで話したことは他言無用のまま、彼女とは今まで通りに接してあげて欲しい。本来、彼女の体は無菌室の外の刺激には耐えられない。英霊と融合したことでレイシフト先に限り君達と同じように外で活動できている。その細やかな幸福を取り上げることは……ボクにはできない」

 

ロマニの言葉に対して、2人とも何も言うことができなかった。

その場はそこで解散となり、ロマニの部屋を後にしても重苦しい空気が晴れることはなく、2人はトボトボと自室に向けて長い通路を歩く。

沈黙に耐え切れず、先に口を開いたのは立香の方であった。

 

「俺……できるかな……今まで通りに……」

 

「やるんだよ。やらなきゃ、ダメだ……」

 

自然と奥歯を噛み締めていた。

知らず知らずの内に拳を握っていた。

こんな理不尽なことがあっていいのだろうか。

自分はまだいい。アナスタシアは過去の人間で既に生を終えている。

どれだけ心を通わし距離を近づけても彼女が死者であることは覆らない。

哀しくないといえば嘘になるが、結末に至る覚悟はできている。

だが、マシュ・キリエライトはまだ生きている。なのに、明確な終わりがすぐそこまで迫っているのだ。

その事実を立香は受け止めかねている。ここまでひたすらにまっすぐ歩いてきた男が、初めて躊躇を見せている。

痛ましいその姿を見て、カドックは苛立つように声を荒げていた。

まるで、自分に対して吠え立てるように。

 

「お前はマシュ・キリエライトのマスターだ。このグランドオーダーで、彼女がどんな風に過ごしていたか……お前と一緒にいて、彼女がどれだけ笑顔でいたか、知っているだろう」

 

あんな笑顔はグランドオーダーが始まるまで、自分は見たことがなかった。

青い空の下で大地を駆け、森の木漏れ日や潮騒の音に身を委ねる。一期一会の出会いを喜び、尊び、零れ落ちる命を救わんと必死になる。

そして、いくつもの理不尽を目にしても彼女は挫けなかった。

藤丸立香がいたからだ。

彼がいたから彼女はここまでやって来れた。

だから、その死を受け止められるのも彼自身にしかできないことだ。

曲がりなりにも同じチームで訓練を重ね、偶然とはいえ共に人理修復の旅をすることとなったカドックという男ではない。

彼女のことを仲間と思えるようになったのはつい最近のことだが、そんな自分でも彼女の境遇に対して同情と憐みの念はある。

しかし、自分は彼女のパートナーではないのだ。

彼女の手を取り外へと連れ出したのは藤丸立香だ。

仮に自分がマスターだったならば、きっとこの旅のどこかで彼女を失うことになっていたはずだ。

マスターが藤丸立香だから、マシュはヒトとしてここまで駆け抜けることができた。

なら、最後までその責任を取らなければならない。

マスターとして、パートナーとして、彼には最後までマシュ・キリエライトと共にいなければならない責任がある。

 

「それは僕やアナスタシアにはできないことだ。だから、お前はやり遂げなきゃダメだ」

 

「カドック……君は、いい人だ。損な性格だけど」

 

力なく笑った立香がカドックの背中を叩く。

それから程なくしてマシュは戦線に復帰し、再び4人で訓練と微小特異点の修正を行う日々が続いた。

そして、3ヵ月ほどが経ったある日、ロマニから第六特異点へのレイシフトの決定が通達された。

 

 

 

 

 

 

管制室にはいつもの面々が集められていた。

神妙な顔で次の特異点について説明するロマニ。

その横で茶々を入れつつ補足を加えるダ・ヴィンチ。

立香は相変わらず歴史関係の話になると意識が薄れるのかボーっとしており、それをマシュが窘めている。

あれから機を見て2人の様子を見守っているが、特にこれといった変化は見られない。

いつも通り立香がふざければマシュが真に受けたりズレたリアクションを返し、マシュが頓珍漢なことを言い出せば立香が悪ノリしたりするなどコメディアンのようなやり取りが幾度となく繰り返されていた。

どうやら立香はうまく彼女と付き合えているようだ。

同時に気づいたことがある。この2人はとても仲が良く、まるでずっと長い時間を共に過ごしていたかのように互いがかけがえのない存在になっている。

こんなにも近くにいたというのに、どうして自分は今までそれに気づけなかったのだろうか。

そこまで自分のことに対していっぱいいっぱいだったことが今となっては恥ずかしい。

 

「……以上が、これからレイシフトしてもらう十三世紀エルサレムの概要だ。カドックくん、ボーっとしているけど大丈夫かい?」

 

「え? あ、ああ、大丈夫だ。聞いている。エルサレムだろう」

 

正確には西暦1273年。第九回十字軍が終了し、エルサレム王国が地上から姿を消した直後の時期だ。

中東のイスラエル及びパレスチナ自治区に位置する都市エルサレム。

聖地として幾度となく衝突が行われたこの地はかつてエルサレム神殿が存在し、救世主が処刑された地にして預言者が神の御前に至った地としてその帰属を巡り現在も紛争の火種となっている。

十字軍の遠征が失敗し西洋諸国がこの地を諦めざるえなかったことはその後の民族や宗教の発展に多大な影響を与え、特異点として選ばれるのに充分相応しい時代と言えるだろう。

 

「率直に言うと、あそこは現在進行形で特異点のようなものだ。かなりやりにくい」

 

「お察しするよ。加えてシバから返ってくる観測結果が安定しない。時代証明が一致しない部分が多々あるんだ。実のところ、第六特異点の予測はアメリカより早くできていたけれど、それを理由にレイシフトは見送っていた」

 

だが、これ以上の延期はできないとロマニは調査は断行することを決定した。

観測によれば第六特異点は現在、7つの特異点の中で最も人類史からの乖離が激しいらしい。

このまま放置すれば人理定礎は完全に破壊され、聖杯を回収しても特異点の修正は不可能となってしまうだろう。

 

「例によってカルデアからのバックアップは少ない。何が起きているかもわからない。それでも行ってくれるかな?」

 

「もちろん」

 

「いつものことだろ」

 

ここまでの特異点も一筋縄ではいかないものばかり。それでも自分達は知恵と力を合わせてここまでやってきた。

自分も立香も、今更、怖気づくようなマスターではないつもりだ。

今回も2人で力を合わせ、マシュとアナスタシアと共に特異点を修正して帰還する。

いつも通りだ。

 

「よし、ではレイシフトを開始しよう。4人はコフィンに入って、ボクとダ・ヴィンチちゃんはいつも通り管制室からサポートだ」

 

 

 

 

 

 

そこは一面の荒野であった。

気温48度、湿度はなし。目につく限りで草木はなく、地面の至る所に炎が燻ぶっている。

中東は決して人が生活しやすい環境ではないが、だからといって一面が焼け野原となった不毛の土地である訳ではない。

砂漠があり、オアシスがあり、街や集落が存在する。

だが、ここにはそれらが何一つとして存在しない。

生命の気配すら見当たらない。人の営みなど以ての外だ。

ここは既に瀕死の大地。

人理定礎が乱れ、人理焼却の余波が目前にまで迫っている。

いわば地獄の釜の底が開きつつある煉獄であった。

 

「……なるほど、ここでは十字軍と太陽王が睨み合いを利かせているという訳か」

 

「……ああ……どっちにも入れねぇ奴らは……山へ……山へ逃げ……て……」

 

「ご苦労、もう正気に返れ」

 

カドックは手にしていたライターの火を消すと、男にかけていた暗示を解く。

たちまち、正気に戻った男が暴れ出すが、手足をしっかりと縛られているのでどうすることもできなかった。

 

「予想以上に深刻だな。人食いにまで手を出すとは……」

 

目の前で転がっている男達は、レイシフト直後に襲いかかってきた野盗であった。

全員、酷くやつれていて今にも死にそうな風体でありながら、こちらの存在を認めるなり死力を振り絞って襲い掛かってきた。

あろうことか彼らは自分達を殺し、その肉を食らわんとしたのだ。

反撃すると半数以上が我に返って逃げ出したが、それでも全体の1割ほどは痛めつけて動けなくなるまで暴れることを止めようしなかった。

既に彼らは後先のことなど考える余裕がなく、今日を生き抜くことにすら追い詰められた亡者と化している。

 

「暗示で知りたいことは全て聞き出した。後はどうする?」

 

どこに仲間がいるかわかったものではない。

さっさと殺してしまうか、捨て置いて場所を移動するべきだ。

彼らの話ではここ中東では現在、十字軍と太陽王オジマンディアスが冷戦状態に陥っているらしい。

趨勢は予断を許さぬ状態であり、こちらも急いで態勢を整えなければならない。

 

「ねえ、まだ水とか余裕あったよね?」

 

「こいつらに分けるつもりか? まだ霊脈も見つけられていないのにか?」

 

レイシフトで一度に持ち込める物資は決して潤沢ではない。霊脈を見つけて召喚サークルを設置するまでは不必要な消費は避けるべきだ。

だが、立香はあろうことかこの亡者達に物資に分けようとしている。

そんなことをしても、明日にはまた同じことが繰り返されるというのに。

 

「ダメかな?」

 

「はい、わたしは賛成に一票です!」

 

「私も……賛成かしら。これ三対一でカドックの負けね」

 

3人の視線がこちらに注がれる。

まるで自分が悪者になったみたいで、カドックは居心地が悪そうに視線を逸らした。

 

「――バカしかいないのか、僕も含めて」

 

悪態を吐きながらもカドックは荷物の中から水筒と幾ばくかの食糧を取り出して男達に投げ与える。

これから先、どこで補給ができるかもわからない。それを考えれば明らかに与えすぎではあるが、カドックとしても立香の提案を無碍にするつもりはなかった。

自分だけではこんなことは思いもつかなかっただろうが、彼が言い出したのなら尊重してやってもいい。そんな程度には考えられるようになった。

 

「えっと……言い出しといてなんだけど、ちょっとあっさり渡しすぎじゃ……いつもだったらもっと言い合いになるのに」

 

「知るか、そんな日もあるんだろう」

 

「『僕もそう思っていた』くらいは言えるようになりましょうね、へそ曲がりさん」

 

「アナスタシア!! まったく……さっさと行くぞ」

 

野盗どもが水と戯れている内に移動を始めなければ、欲に駆られた彼らが再び襲いかかってこないとも限らない。

 

「アンタら、東に行くのか? まさか聖都に?」

 

こちらが動いたのを見て、野盗の1人が声をかけてくる。

粗暴ではあるが恥じらいをまとった声音だ。こちらに対してどのように接すれば良いのかわからない。そんな戸惑いを感じる。

どやら先ほどの水が彼に幾ばくかの理性を取り戻させたようだ。

 

「ああ、その聖都を目指すつもりだ。この辺りで唯一の都なんだろう?」

 

ここは丁度、十字軍と太陽王の領域の境目にあたり、東に向かえば十字軍が支配する旧エルサレム――野盗曰く聖都が、西に向かえば太陽王が支配する砂漠に行き当たる。

定石としては素性が知れている太陽王に会いに行くべきなのだろうが、どういう訳か砂漠方面をカルデアは観測できないらしく、準備もままならない状態での突入は遭難の危険もある。

なので、先に聖都での情報収集と霊脈探しを優先するつもりであった。

 

「あそこは世界を焼き尽くそうとしている十字軍の縄張りだ。奴らの王……獅子心王は狂っている。死にたくなかったら壁には近づくな。砂漠に行け!」

 

「はい、助言ありがとうございます」

 

一礼したマシュがこちらに戻ってくる。

彼らはそれ以上、何も言わなかった。

襲いかかってくることも、その場を立ち去ることもしない。

こちらの姿が見えなくなるまで、まるで死出の旅路を見送るかのように、彼らはその場から動こうとしなかった。

そうして彼らの姿が見えなくなってから数時間ほど歩いた辺りで、不意に立香が口を開いた。

 

「そういえば、グランドオーダーで最初からカドック達と一緒にいるのって初めてだね」

 

「そういえばそうですね。お二人はいつもどこかに飛ばされて……」

 

「別に好きではぐれている訳じゃないからな!」

 

毎回毎回、どういう訳か自分とアナスタシアは目的地から外れた場所にレイシフトしてしまう。

ひょっとして、立香への対抗心が無意識の内にレイシフトの出力先を歪めていたのだろうか。

ならば今回、同じ場所にレイシフトができたのは自分の心境の変化からだろうか。

それはそれで、自分が彼らのことを好きになり始めているみたいで気持ち悪いが。

そんな事を考えていると、カルデアのロマニから緊急の通信を告げる着信が鳴り響いた。

 

『前方500メートル先に強力なサーヴァント反応だ。みんな、注意してくれ』

 

「視えるわ……サーヴァントが2……黒装束のサーヴァントが大勢の人を守っている。相手は……あのサーヴァントは!!」

 

アナスタシアの表情が戦慄で凍り付く。

カドックもすぐさま魔術で視力を強化し、前方で起きている虐殺を目の当たりにした。

そこにいたのは黒い甲冑の騎士。全身を靄で覆いつくし、その正体を隠蔽している得体の知れない狂戦士。

フランスで自分達と対峙した、あの正体不明のバーサーカーがそこにいた。

しかもどういう訳か、バーサーカーの手にはこの時代には存在しないはずの近代兵器が握られている。

エジソンの下で学んだとはいえカドックの知識は素人に毛が生えた程度だが、それでも視界の向こうで火を噴いている黒い物体が短機関銃と呼ばれる重火器であることはわかる。

それが黒装束のサーヴァントの体を容易く撃ち抜き、次いで彼女が守ろうとしていた難民らしき人々を葬らんと漆黒の銃口を向けている。

 

「あいつ……皆殺しにするつもりか……」

 

「マシュ、令呪を使うよ。跳ぶんだ!」

 

「なっ!? 待て! くそっ、援護するぞキャスター!!」

 

 

 

 

 

 

「……不覚、そして無念なり」

 

バーサーカーの銃弾で蜂の巣にされた黒装束のサーヴァントの体が地に倒れる。

その体はこの狂戦士との戦いで負ったのであろう無数の傷が至る所に見て取れた。

左腕は千切れ、足はあらぬ方向に曲がり、火傷と裂傷が至る所に走り、片目も抉られている。

そして先ほど、全身を狂戦士が持つ短機関銃MP40によって霊核を徹底的に破壊されており、最後に言葉を発することができたのは奇跡に近い。

 

「そんな、煙酔のハサン殿が――」

 

「もうダメだ、おしまいだぁ」

 

自分達を守ってくれる者がいなくなったことで、彼女に率いられていた人々が口々に絶望を零す。

中には降伏を訴える者もいたが、狂戦士は聞く耳を持たず、女子どもも関係なくそこにいる人々を次々に血祭りに上げていく。

たちまち、恐慌が場を支配するが、悲鳴は時間と共に消えていった。

銃口が火を噴く度に1人、また1人と死んでいくのだ。

このままでは全滅してしまう。

誰もが諦めかけた時、空間を跳び越えて1人の騎士がバーサーカーに飛びかかった。

 

「はあぁぁぁっ!!」

 

空間転移で飛翔したマシュがバーサーカーに殴りかかる。

五つの特異点を超えて鍛え抜かれた彼女の膂力は、並のサーヴァントならば充分に致命傷を与えられるだけの威力がある。

だが、バーサーカーは狂化で理性を失っていながらも不意を突いたその一撃を紙一重で避けると、強烈な回し蹴りで逆にマシュの体を吹っ飛ばした。

 

「Arrrr……」

 

即座に向けられる銃口。しかし、マシュの姿を捉えた瞬間、バーサーカーの動きが僅かに止まる。

その隙を突いてマシュは態勢を立て直し、狂戦士の注意を引こうと襲われていた人々とは逆の方向に走った。

直後に火を噴くMP40がマシュの背にあった岩を砕くが、銃火は彼女に届く前に弾切れを起こしてしまう。

好機と見たマシュは踵を返してバーサーカーに襲いかかるが、それを予期したのかバーサーカーは手にしていた機関銃を捨てると、なんと鎧に結われたホルスターから2丁の拳銃ワルサーP38を抜いてその照準をマシュを向けた。

最初から薬室に第一弾は装填されていたのであろう。立て続けに放たれた9mmの牙は咄嗟にマシュが盾を構え直さなければ彼女の肢体を撃ち抜いていた。

無論、盾で受けた彼女の身も無事ではない。このバーサーカーは手にした武器を全て己の宝具として操ることができるのだ。

台風の直撃を受けたかのような衝撃が盾を通じて腕に伝わり、マシュは苦悶の声を漏らしながら両足を踏ん張った。

ここで退く訳にはいかない。

バーサーカーの注意がこちらに向いている間に、少しでも襲われていた人々から距離を取らなければならない。

虐殺を知った瞬間、マシュの体は自然と動いていた。マスターからの指示がなくとも飛び込んでいただろう。

それが何故なのかはわからないが、正しいことであるということだけはわかる。

湧き上がるこの感情。目の前の人々を救いたいという思いなのか、この狂戦士への怒りなのかはわからないが、それはきっと正しいものであるはずだ。

 

「マシュ、そのまま!」

 

駆け付けたアナスタシアがバーサーカー目がけて氷柱を放つ。すると、盾を構える腕への負担が急に軽くなった。

奇襲に気づいたバーサーカーが銃撃を止め、大きく距離を取ったからだ。

 

「援護します、あなたは守ることだけに集中して!」

 

「はい!」

 

仲間の到来にマシュの胸中は雲が晴れるかのように明るくなった。

自分は1人で戦っている訳ではない。頼もしい仲間が、友人がいる。

だから戦える。守りたいもののために、自分は戦える。

 

「Arrrrr!!!」

 

弾倉の交換を終えると共に咆哮したバーサーカーが2丁の銃の引き金を引く。

しかし、自分の内にある強い想いを改めて自覚したマシュの防御を抜くには至らない。

そして、動けぬ彼女の隙をアナスタシアが埋め、更に一足遅れて駆け付けた両者のマスターによる援護によって態勢は盤石のものとなる。

如何に優れた技術を誇ろうと彼は狂戦士。闇雲に暴れるだけでは自分達の敵ではないはずだ。

そう思った瞬間、マシュは己の思い上がりを恥じた。

 

「えっ……!?」

 

銃撃が僅かに緩んだ瞬間、バーサーカーの足下に黒い物体が転がり落ちた。

それは宝具化したM24型柄付手榴弾であり、彼は何と自らの姿を隠す煙幕を張るためだけに我が身すら省みず至近距離で爆弾を破裂させたのである。

たちまちの内に広がる噴煙。本来ならばこれほどの威力を誇らないはずが、宝具化によって発煙筒並の噴煙を放出している。

加えて強烈な破裂音は即席のフラッシュバンとして機能し、その場にいた者の耳を潰した。

結果、透視の力を持つアナスタシアを除いてバーサーカーの動きを追うことができなくなったのだ。

 

「いけない、マシュ!!」

 

「くそっ、声が聞こえない!! キャスターへの指示が……だったら!!」

 

「マシュ、どこにいるんだ!! 無事なのか!!」

 

「気配が……バーサーカーがわたしのところに……先輩が後ろに、なら……わたしが!!」

 

噴煙を突き破り、姿を現したバーサーカーが拳を振り上げる。同時に、立香のガントがバーサーカーの体を掠め、その動きを僅かに鈍らせる。

稲妻の如き拳速はマシュの反応を遥かに上回っており、立香のガントが辛うじて間に合ったおかげで何とか捉えることができた一撃目を逸らすので精一杯だった。

反動で腕が痺れ、続けて放たれる二撃目を受けることができない。

アナスタシアは丁度、対角の位置にいるためこのまま魔術を放てばマシュと立香を巻き込んでしまうので手を出すことができない。

このままでは成す術もなく、マシュの頭蓋は叩き割られてしまう。

故に、カドックは切り札を切ることを選択した。

 

「――Set!」

 

カドックが地面に拳を叩きつけると、それを中心に赤い光が走る。

同時にマシュは自分の体が何かに縛られたかのように重くなったことを感じ取った。

それは自分だけでなく、アナスタシアと目の前のバーサーカーも例外ではない。

サーヴァントである3人の体が、まるで令呪に縛られたかのように動きが鈍くなったのだ。

 

『これは令呪か……拘束力をそのままにして無作為に働く魔力の檻を作り出すなんて、また何て無茶な!!』

 

「やらなきゃやられていた」

 

通常は契約したサーヴァントに向けられて使用される令呪を、カドックはその術式を応用することで使い捨ての礼装として機能させ、この場にいるサーヴァント全てに効果を発揮する即席の檻を生み出したのである。

未熟な自分が使える手札を何とか増やせないかと苦心したカドックの研究の成果であった。

とはいえ、カルデアの令呪は通常の聖杯戦争で用いられるものよりも拘束力が弱く、不意をついても動きを鈍らせるのが精一杯だ。

同じ手は二度と通じないだろう。

 

「藤丸! マシュを連れて下がれ!!」

 

「わ、わかった」

 

令呪の拘束が解ける前に態勢を立て直さなければならない。

カドックの指示を受け、動けないマシュを下がらせようと立香は走る。

直後、信じられないことが起きた。

対魔力によって効果を減衰させたマシュですら自力では動けぬ中、バーサーカーは緩慢にではあるがその腕を振り上げたのである。

彼らは知らないことではあるが、それはバーサーカーが持つスキル「精霊の加護」の恩恵だった。

危機的状況においてバーサーカーは優先的に幸運を獲得する。

それがカドック渾身の罠である令呪の檻の効果を減じさせるという形で表れたのである。

特定の対象に向けられた命令ではなく、無作為の汎用な魔術として用いたのが裏目に出たのだ。

このままでは、立香がマシュの手を引くよりも早く、バーサーカーの拳が振り下ろされてしまう。

 

「マシュ!!」

 

「先輩、危険です! 来ないで!!」

 

「マスター! 術を解いて! このままではマシュが!!」

 

「ダメだ、間に合わ――」

 

「いや、これで十分だ」

 

聞き覚えのない第三者の声が荒野に響く。

刹那、赤黒い腕が伸びたかと思うと、バーサーカーの胸部から鮮血が迸った。

同時に姿を現したのは、先ほどまでバーサーカーと戦っていたサーヴァントと似たような装束を纏った男のサーヴァントであった。

そのサーヴァントは骨でできた面を被っているため表情は定かではなく、右手は異様なほどに長く垂れ下がっている。

そして、その腕の先には赤黒く震えるバーサーカーの心臓が握られていた。

 

「『妄想心音(ザバーニーヤ)』」

 

宣告と共に心臓が握り潰され、バーサーカーは声にならない悲痛な叫びと共に飛び去った。

 

「逃げたか。手応えは感じたが果たして…………追いたいところだが、同胞とその恩人を置いては行けぬか……」

 

謎のサーヴァントはまず倒れたマシュを立ち上がらせると、彼女を立香に預けてこちらに向き直った。

仮面越しの鋭い眼光が突き刺さるが、すぐに男は居住まいを正して深々と頭を下げてきた。

風貌の割に礼儀正しい人物のようだ。

 

「山の民の同胞達を守ってくれたこと、感謝いたします」

 

「あ、あんたはいったい……」

 

「我が名はハサン。山の翁が1人、呪腕のハサンをお見知り頂きたい」

 

呪腕のハサンと名乗った男は改めて礼を示し、カドックはどう反応すべきかと言葉に詰まってしまう。

山の翁。またの名をハサン・サッバーハ。

それは中東の宗教教団における長の名であり、同時に暗殺者の語源となった者の名である。

その男が今、人理の英霊としてカルデアの前に姿を現したのだった。

同時にそれは、この第六特異点での辛い戦いの始まりでもあった。

 

 




はい、というわけでオリジナル色強めに出す6章の始まりです。
早速はっちゃけちゃうバサスロットですが、まさかここまで暴れ回るとは当方も思ってもみませんでした。重火器と親和性ありすぎるだろこの騎士。

作中で使って令呪の檻は二部1章でカドック(クリプター)が使った檻の廉価版みたいなものです。無作為な上に拘束力弱し。具体的に言うと重圧のステータス異常と移動に幸運判定を求めるというものです。
そう、バサスロットってばマシュより幸運高いんですよ。


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神聖■■■■エルサレム 第2節

炎の燻る荒野の一角に、小さな土の山が築かれている。

ほんの少しだけ地面より盛り上がっているその山は、黒い狂戦士によって殺された人々の墓だった。

バーサーカーを辛くも退けたカドック達は、立香とマシュの提案で犠牲となった彼らを埋葬することにしたのである。

灼熱の炎天下の中、ロクな道具もない作業ではあったが、文句を言う者は誰一人としていなかった。

穴を掘り、遺体を運び、再び土を被せて弔いの祈りを捧げる。

墓標はなかった。あれば人食いどもに墓を荒らされてしまう。

聖地を追われ、安全な場所を求めて荒野を彷徨った難民達の行きついた果てがこの墓標のない墓では居た堪れない。

それでもここに埋葬するしかなかった。

疲れ果てた彼らはおろか、自分達ですら大勢の遺体を安全な場所にまで運ぶ余力はない。

せめて人食いや魔獣に食い荒らされぬよう、偽装を施すのが精一杯であった。

 

「改めて礼を言いましょう。きっと彼らの魂も報われるでしょう」

 

白面の暗殺者――ハサン・サッバーハがこちらに向き直り、改めて頭を下げる。

 

「いや、こちらこそ助けてもらって感謝している。あんた……あなたが来てくれなければ危なかった」

 

「楽で結構ですよ。作法は大事ですが、礼は言葉ではなく姿勢に表れるもの。ましてやあなた方は恩人だ。気を害する者などおらぬでしょう」

 

(見た目と違って物凄く低姿勢だな、この暗殺者)

 

ハサン・サッバーハ。

暗殺教団とも呼ばれる宗教教団の教主の名として代々襲名されてきたものであり、呪腕のハサンと名乗るこの男もその内の1人である。

彼の話によれば他にも数名のハサンがこの時代に召喚されており、同胞が住まう山の集落を守っているらしい。

バーサーカーに襲われた一団は住んでいた集落が十字軍に襲われ、他の集落へと逃げる途中だったらしく、呪腕のハサンは彼らの護衛を亡くなったハサンから引き継ぐために駆け付けたとのことだった。

 

「すみません、俺達がもっと早くに気づいていれば――」

 

「いえ、あなた方がいなければ誰一人として助からなかったでしょう。聞けば人理修復のためにはるばる未来からやってきたとか?」

 

「はい。この時代を歪めている元凶を突き止め、正すのがわたし達の目的です」

 

「本来ならば私もあなた方に同行するべきなのでしょうが、この同胞達を放っておく訳にもいきません。せめて私が知る限りのことをお教えしましょう」

 

呪腕のハサンが語った内容は、少し前にカドックが野盗達から聞き出した話と概ね一致していた。

違うのはより詳細に時系列が整理されていたことだ。

彼の話によると、元々は十字軍とこの中東の民との間で聖地を巡る争いがあり、その争いに太陽王オジマンディアスが突如として介入したとのことだった。

オジマンディアスとは紀元前十四世紀から十三世紀頃の人物であり、古代エジプト最大最強の大英雄にして広大な帝国を統治した偉大なファラオだ。

彼の介入と共に中東の一角は砂漠に覆われてしまったが、十字軍は壊滅状態に陥り聖地から撤退。これにより聖地を巡る争いは終結すると誰もが考えていた。

だが、程なくして獅子心王を名乗る人物が十字軍を再編し、再びエルサレムに戻ってきたのである。

新たな十字軍は太陽王の軍勢と互角の兵力を有しており、陥落した聖地は彼らの手で聖都として要塞化。

太陽王との戦いも膠着状態に陥り、今に至るとのことだった。

 

「異教徒とはいえ十字軍も人間。そう思っておりましたが、最早奴らは同じ人とは呼べぬ外道です。奴らは聖地を要塞化し略奪を働くだけでなく、生き残った人々を捕まえては連日、聖都に連行しています。中で何が行われているのかはわかりませんが、定期的に中から遺体が運び出されていることを考えると、余りよい想像はできませんな」

 

ハサンは忌々しいとばかりに拳を握る。

確かに聞いていていい気分のしない話だ。

聖地を要塞化するという神をも恐れぬ所業。

現地の人間からの略奪と強制連行。

十字軍達はこの地で我が物顔に振る舞っている。

一方で太陽王も太陽王でこの地の人々を積極的に救済することはない。

彼はあくまでエジプトのファラオとして十字軍と敵対しているだけであり、思想的にもハサン達とは相いれない。

結果、ここ中東では十字軍と太陽王が争い合う中で、ハサン達を中心とした山の民がゲリラ活動を行っているという状態であった。

 

「確か、正しい歴史では十字軍は撤退したのよね?」

 

「ああ。だが、奴らは獅子心王という人物を擁立して帰ってきた。となると、十字軍がこの時代を歪めていることになるわけだが……」

 

野盗達も十字軍は世界を焼こうとしたと言っていた。

この言葉に偽りがなければ、既に十字軍は自分達が知る歴史の十字軍とは大きくかけ離れている可能性が高い。

だが、その指導者として君臨している者の名が引っ掛かった。

獅子心王という名はリチャード一世の別名である。彼は第三回十字軍で勇名を馳せた中世ノルマンディーの君主にしてイングランドの王であり、誉れ高い騎士としての逸話や冒険譚を数多く持つ人物だ。

根っからのアーサー王フリークであるリチャード一世は騎士道を重んじると共に冷徹なリアリストでもあり、また宗教的偏見も薄いため異教徒に対して苛烈な弾圧を行うような人柄ではない。

もちろん、実際のリチャード一世が偏屈な民族主義者でそれが伝わっていなかったという可能性もあるが、カドックはどうしても彼の獅子心王が十字軍を率いていることが信じられなかった。

加えて煙酔のハサン率いる難民を襲撃していたバーサーカーが持っていた近代兵器の数々。

本来ならばこの時代に存在しないものを、彼はどうやって手に入れたのか。

何かを見落としているような、釈然としない不安がカドックの胸中に渦巻いていた。

 

「ハサン殿、こちらは準備が整いました」

 

「うむ。では、煙酔のに代わり後の護衛は私が引き受けよう」

 

「色々とお世話になりました、ハサンさん」

 

「いえ、こちらの方こそ。何かありましたら北の山岳地帯へ来なされ。約定により詳しい場所は明かせぬが、山に入れば我らが巡らす網にかかるでしょう。できる限りの援助をすることを約束致します。それと十字軍は太陽王の神獣に匹敵する魔獣を番兵として飼い慣らしているようです。できるなら近づかないことをお勧めしますが、どうしても行くというのなら無理だけはなさらぬように」

 

「感謝する、呪腕のハサン。生憎、祈る神を持たない身だが、みんなの無事を祈っているよ」

 

「いえいえ。それでは」

 

一礼したハサンは難民達を連れて北の山に向かって歩み出す。

その背中をしばらく見送った後、カドック達もまた当初の目的地である東の聖都に向けて歩き出した。

ここからなら休息を挟んでも2日とかからないだろう。途中、何度か魔獣に遭遇したが、幸いなことに野盗に出くわすこともなく旅は順調に進んでいく。だが、延々と続く草木のない荒野は4人から少しずつ体力を奪っていった。湿度こそないがまるでフライパンで熱せられているような暑さが常に付きまとい、たまに吹く風も砂混じりでお世辞にも心地よいとは言えない。スタミナに乏しいカドックと外反母趾を持病に持つアナスタシアの歩みはいつしか少しずつ立香達から遅れだし、日が完全に沈む頃には立ち上がるのもやっとという有り様になっていた。

 

「くそ……このくらいの運動で……」

 

『はいはい、無理しないでアイシングしてね。ただでさえ君は体に負担が溜まりやすいんだから』

 

通信の向こうにいるロマニから呆れ交じりにドクターストップをかけられ、その日の行軍は終了となった。

アメリカでは移動手段として馬や馬車があったのでそう気にならなかったが、やはり体力の低下は深刻なようだ。こればかりは時間をかけて体を慣らしていくしかないとはいえ、このままではみんなの足手纏いになってしまう。

名誉挽回とばかりにカドックは魔獣除けの結界を張ると、立香と協力して今晩の寝床の準備を行う。女性陣はその間に夕飯の準備だ。食事が済んだら夜明けまで交代で仮眠を取ることになっている。

 

「結界張るのも随分と早くなったね。最初の頃は結構、時間かかってたのに」

 

「実践に勝るものなしという奴だな。今の僕なら即席麺も10秒で食べられるようにできるぞ」

 

自分で言っておいてなんだが、根源を目指す魔術師としてそれはどうなのだろうか。

グランドオーダーが始まってもう1年近くになり、様々な魔術の開発や改良を行ったが、代々の研究成果はグランドオーダーではまるで役に立たず、魔術師としてはどうでもいいような魔術ばかりが上達していく。

自分は神秘の探求者であり、代々と続いた英知を積み重ねることで根源を目指すはずが、どうして肉の臭みを取る魔術や水を使わずに保存食を戻す魔術なんてものを身に付けているのだろうかと、時々は自分を問い詰めたくなる。

 

「いいさ、全てが終わったら今まで僕を馬鹿にした連中に特製の野外料理をお見舞いしてやるさ。どぉんどんおみまいしてやるさ……」

 

「カドック、何だか目が怖いよ。その料理大丈夫なんだろうね?」

 

「お前も道連れだからな。アシとして手伝え!」

 

「えー、俺は関係ないだろ」

 

「なくないだろ。お前は僕の――」

 

そこまで言いかけて、カドックは喉元まで出かかった言葉を飲み込んだ。

勢いに任せて自分は何を言おうとしていたのだと我に返り、羞恥から顔が真っ赤になる。

今まではずっとその感情を否定し続けてきた。

自分は魔術師だし、それを抜きにしてもこいつにだけはそんな気持ちは抱くことはないと思っていた。

けれど、アメリカでの一件以来、彼への見方が変わりつつある。

行動を共にし、一緒に訓練を行い、空き時間はくだらない話で時間を潰し、時々は意見の食い違いから喧嘩を起こす。

今までの自分の人生の中にはなかった関係。

それはまるで――――。

 

「カドック? どうしたの? 何を言いかけ――」

 

不思議そうにこちらを覗き込む立香の顔を見て、思わず苛立ちが込み上げてくる。

自分は何て馬鹿なことを考えているのだろうかと呆れかえり、反射的に手が出てしまった。

 

「うるさい、何だかその顔がイラつく!!」

 

「まー! 首! 首がぁ! 俺、何かした!?」

 

疲労と苛立ちでテンションがおかしくなったカドックの容赦のないアームロックが立香を襲う。

その様子を少し離れたところから、女性陣が冷ややかな目で見つめていることに2人は気づかなかった。

 

 

 

 

 

 

おかしなことを言い出して立香に絡む自分のマスターを見て、果たしてあれは仲良くじゃれ合っていると表現しても良いのだろうかとアナスタシアは頭を悩ませた。

彼はどちらかというと引きこもり気味なので、他人と親交を深めてくれるのは非常に嬉しい限りなのだが、あそこまで壊れた姿はあまり見たくはなかった。

 

(何をやっているんだか)

 

弟のアレクセイはあんな風に暴れることはなかった。

まあ、そもそも周りは自分を含めて女性の姉妹ばかりな上に血友病を患っていたので余り無理な運動はできなかったせいもあってか、幼少時の弟は内気な性格であったが。

それでも10代に差し掛かると軍隊への強い憧れを持つようになり、食生活の改善も行ってとても強い男の子に育っていった。

そんなアンバランスな人となりはどことなくカドックに近しいものがあり、彼と一緒にいるとついアレクセイのことを思い出してしまう。

13歳で非業の死を遂げた皇族。そんな可哀そうな弟がもしも無事に年を重ねることができたのならば、ひょっとしたら彼のように意地っ張りでひたむきな少年になっていたのかもしれない。

 

(考えても仕方のないことだけれど)

 

これ以上は何だか気持ちが落ち込んでしまうかもしれないと思い、思考を切り替えることにする。

とりあえずカドックの分の非常食にはマスタードを大目に混ぜておいて、後は何を仕込もうかと考えながら隣で焚火の番をしているマシュに話しかけた。

 

「そういえば、あのバーサーカーと戦っている時のマシュは、何だかいつもと違う感じがしたわね」

 

見かけによらず戦闘時は勇ましいマシュではあるが、あの黒いバーサーカーと打ち合っている時はいつもと何かが違っていた。

いつだって敵を倒すことよりもマスターや仲間を守ることを優先する彼女が、あの時ばかりは前のめりな姿勢を見せていた気がする。

バーサーカーの所業を許せないという気持ちは自分にもあったが、それとは少しだけ違う、言葉にできない違和感をアナスタシアは感じ取っていた。

 

「どうなの、マシュ?」

 

「そうですね。思い返すと自分でもそんな気がします。あの黒い狂戦士。バーサーカーと対峙すると、胸の底で何かがざわつくというか」

 

戦っている時も、正面から打ち合う自分をどこか他人のように見下ろしている自分がいるとマシュは言う。

見下ろしている方の自分は何かを訴えるように声を張り上げているのだが、何を言っているのかはマシュ自身にもわからない。

戦うこと自体に支障はないとはいえ、こんなことは今までになかったことのため、マシュ自身もどう捉えて良いのかわからないようだ。

 

「ひょっとしたら、わたしと融合した英霊が何か関係しているのかもしれません」

 

「マシュと融合した英霊。真名はわからないの?」

 

「はい。自分でも調べてはみたのですが、融合実験のことはわたしのクリアランスでは閲覧できなくて。いえ、そもそも召喚された英霊の真名をカルデアが把握しているかどうか」

 

「こればっかりは私の魔眼じゃ視えないものね」

 

「真名がわかれば宝具も十二分に使いこなせる……と思うのですが」

 

今のマシュは宝具を仮想登録し、疑似的に力を引き出しているに過ぎない。

それでも十分に強力な宝具なのだが、戦いが激しくなるにつれて敵の宝具に対して力負けすることが増えてきたのも事実だ。

彼女としては自分が足手纏いにならないかと不安で仕方がないのだろう。

 

「大丈夫。マシュが宝具を使いこなせなくても、私の城塞があります。足らないのならみんなで力を合わせましょう。私たちはチームなのですから」

 

そう言って、アナスタシアはマシュの頭を優しく撫でる。

遠い日の彼方、まだ家族みんなで平和に過ごせていた頃に父母や姉にしてもらい、妹や弟に自分がしてあげたように、柔らかいマシュの髪の毛を優しく撫でる。

この二度目の生でできた大切な友達。彼女が悩んでいるのなら力になりたい。彼女の不安を払拭できるのなら、いくらでも自分が慰めよう。

戦う以外で自分が彼女達に返せるものなど、これくらいしかないのだから。

 

「さ、夕飯にしましょう。いい加減、私達のマスターが首を長くして待っているわ」

 

「ふふっ、そうですね」

 

暗闇の荒野で焚火を囲み、中東での初日の夜が更けていく。

魔獣はおろか小動物すらいない静かな夜であった。

明日はまた聖都に向けての旅が続くのだが、いったいそこではどんな困難が待ち受けているのだろうか。それは誰にもわからなかった。

 

 

 

 

 

 

どことも知れぬ闇の中、その男は鎖に縛られた狂戦士を見下ろしていた。

漆黒の全身鎧。今は消耗から宝具の力も失われており、その姿をハッキリと見ることができる。

いつもならば狂気に囚われた咆哮を上げて暴れ回るのだが、今の彼はまるで借りてきた猫のように大人しい。

それもそのはず。その左胸にはあるべき心臓が存在しないのだから。

 

「おお、バーサーカー。お前がここまで痛めつけられるとは」

 

生前、狂った逸話を持つこの英霊は精神を蝕むタイプの宝具と非常に相性が良かった。

余りに相性が良すぎたせいで、こちらの宝具のよる加護を受けた瞬間、彼の霊基は変質。

本来はセイバーとして召喚されていたこの騎士は浅ましい狂戦士へと成り果て、バーサーカーとして見境なく暴れ回る狂犬と化した。

故に男はこのバーサーカーを野に放ち、未だに生を永らえているこの地の民を殺す役目を与えた。

如何に自分が狂っていたとしても、この狂犬を囲い込むことに対するリスクがわからないほどではない。

彼には最低限の命令と装備だけを与え、後は好きなだけ暴れてもらうのが一番だ。

彼自身の望みが果たされるその日まで、永遠に。

 

「何だ、たかが心臓が潰されただけではないか。では、新たな心臓を与えよう。なに、紛いものだがきちんとサーヴァント用に調整されたものだよ。地獄のような苦しみが伴うだろうが、君には麻酔なしで埋め込んであげよう」

 

「Arrrrrr……Uaaaaaaaaa!!」

 

「はははっ! さあ、狂うがいいバーサーカー! 君の望みが果たされるその時までね!」

 

偽りの心臓を埋め込まれる痛みにバーサーカーは悶え、苦悶の悲鳴を漏らす。

その様を愉快そうに見つめているはずの男の顔は、その声に反して何故だか能面のように冷め切っていた。

 

 

 

 

 

 

聖地エルサレム。

本来であるならばこの中東の民にとっても西洋諸国の人間にとっても宗教上において重要な意味を持つ土地だ。

人々はこの地を敬い、日々の祈りや巡礼の旅を何よりも尊いものとした。

だが、その神聖な土地は今、荒野にそびえる武装都市とかしていた。

高い外壁に囲まれ、その上部にはいくつもの銃座や見張り櫓が並ぶ。甲冑姿の騎士が巡回しているのが下からでも見て取れた。

外壁は不自然な凹凸がいたるところにできている。何らかのレリーフなのだろうが、ディティールが大きすぎて何を彫られているのかはわからない。

ひょっとしたら単に登攀防止のための細工なのかもしれない。

そして、何よりも身の毛がよだつのが周囲に気づかれている死体の山だった。

無造作に並べられた亡骸は白人も混じってはいたが、大多数が中東の民だ。

女性や子ども、老人の遺体も見境がなく積み上げられている。銃殺された者、首や手足をはねられた者、腹を割かれた者、そもそも人としての形を残していない者。

無数の肢体がゴルゴダの丘のように積み重ねられており、それを見たカドック達は余りに凄惨な光景に思わず息を呑んだ。

胃の中の何かが逆流してくる。吐き出さなかったのは単なる意地だ。

今までも多くの死体を目にしてきたが、ここまで惨たらしい光景は見たことがない。

 

「――とまあ、こういう状態なわけさ。わかったかい、旅の人?」

 

「ああ、よくわかったよ。道案内ご苦労」

 

「何、自分の命は大事だからな。悪いことは言わないから、あんたらもあの街には近づくんじゃねぇぞ」

 

カドックに縄を解かれると、縛られていた手首の感覚を確かめながら男は言う。

彼は道中で襲いかかってきた野盗の1人だ。元ムスリム商人らしく言葉も流暢で頭も回るため、捕まえて聖都までの道案内を行わせたのである。

 

「ほら、さっさと行け」

 

「へいへい。そんじゃ御達者で」

 

男が立ち去るのを待ってから、カドックは周辺に人払いの結界を張った。

既に日が暮れてから久しいが、念のためだ。

ここからは完全に十字軍の縄張りだ。迂闊な行動をして連中の目に止まってしまえば目も当てられない。

呪腕のハサンの話では十字軍は神獣に匹敵する魔獣を番犬として使役しているらしいので、中に潜り込むにしても何か作戦が必要だ。

 

「アナスタシア、中の様子は?」

 

「……ダメね。何らかの「視られる力」が働いているみたいで、壁の向こうを透視できません」

 

『こちらからも観測は不可能だ。少なくとも大勢の人と大きな魔力の反応があることはわかるけれど』

 

後は直接、中を見ないことには探れないらしい。

闇に紛れて巡回の騎士の1人でも捕まえられれば暗示で内情を聞き出せるのだが、そううまくいくだろうか。

 

「とりあえず、まずは偵察を送ろう。使い魔を作るからネズミやカラスがいないか探して――」

 

言いながら、何気なく聖都の外壁を見上げたカドックは、あるものを見つけて言葉を失った。

 

「っ――!!」

 

有り得ない。

ここにいるのは十字軍のはずだ。

イングランド皇太子が十字軍国家を攻撃されたことに対する報復として組織された軍隊。

仮に指導者がリチャード一世であったとしてもその流れを汲む以上、組織の主流はイングランドであるはずだ。

だからこそ、あの旗はありえない。

風になびくあの意匠の旗だけは絶対にありえないのだ。

仮にあの旗が真実なのだとしたら、ここにいるのは最早、十字軍などではない。特異点によって歪められた偽りの十字軍だ。

であるならば、その指導者である獅子心王の正体とは――――。

 

「カドック、あれは俺でも知っている。俺でもあれがヤバい奴だってことはわかる」

 

「あそこにいるのはリチャード一世ではない」

 

「聖杯からの知識のおかげでわかります。十字軍を再編したという獅子心王の正体が」

 

「ああ、あれは――」

 

言いかけたその時、カルデアからの通信が入った。

 

『みんな、聖都に向かって何かが近づいてきているぞ。大勢の人間の反応が動いている』

 

端末に地図が表示され、指摘された方角を見てみると騎士の一団に護衛された馬車が荒野を走っていた。

護送車か何かだろうか。木ではなく鉄でできたその荷台は馬車と呼ぶには非常に大きく、大型のワゴン車並かそれ以上の大きさであった。

造りとしては運搬用のキャラバンに近いが、あれほどの大きさなら10トン近い荷物が積めるはずだ。

 

「カドック、あれは……」

 

「ああ……」

 

カドックの隣で立香が手の平に爪を食い込ませ、マシュとアナスタシアの顔が蒼白になる。

馬車の荷台に積まれていたのは人間だった。

男性も女性もいた。

老人も子どももいた。

中には服を着ていない者もいた。

彼らはまるで荷物か何かのように荷台に押し込まれ、積み上げられていた。

狭い荷台の中で動くこともできず、生死の境を彷徨う虜囚。

それでも僅かに残った生への欲求が助けを求めているのか、鉄格子から手を伸ばして言葉にならない呻き声を上げている。

 

「……っ!」

 

「行くな! 僕達の使命はこの特異点を修正することだ。今、出て行って彼らを助けても十字軍に目をつけられるだけだ」

 

「けどっ!」

 

「せめてチャンスを待て。こんなところで騒ぎを起こせば聖都から増援が来てあっという間に囲まれる」

 

『藤丸くん、ボクも同意見だ。悔しいけれど、今は状況が悪い」

 

「…………」

 

納得しきれないのか、悔しさから握り締めた立香の拳から赤い雫が落ちる。

またアナスタシアも聖都へと運ばれていく馬車の荷台の人々を見て生前のトラウマが呼び起こされたのか、血の気が失せた唇が小さく震えていた。

居た堪れない2人の姿を見ていられなくなったカドックは、何とか彼らを助けることはできないものかと知恵を巡らせた。

自分とて悪魔ではないつもりだ。不当に扱われている者を見て胸が痛くなる程度の良心は持ち合わせている。だが、今の自分達の手持ちの戦力だけではどうやっても彼らを無事に助け出す方法が思いつかない。

一気に奇襲をしかけ、混乱している内に馬車を奪って逃亡する。

言葉にすれば簡単なのだが、あれだけの人数が押し込まれた馬車では大した速度は出ない。

追手に追いつかれるまでにどれだけの距離を稼げるのか。問題なのはその一点だ。

思考がループし、ただ時間だけが無為に過ぎていく。

そして、4人の誰もが彼らを見捨てるしかないのかと絶望に顔を沈めかけたその時、西の空から獣の咆哮が轟いた。

 

「見てください、何かが飛来します!」

 

『高密度の魔力反応! これは竜種か? いや、違うぞ!』

 

「視えた。人の顔の……獅子!?」

 

「スフィンクスか!?」

 

エジプト神話に伝わる王家の守護聖獣。天空神ホルスの地上世界での化身であり、獅子の体と人の貌を持った幻想種だ。

位階こそ竜種に劣るものの、その秘められた力は場合によってはそれを上回ることもある危険な存在だ。間違っても人の身が挑んで良いものではないし、こんなところを飛び回っているのもおかしい。

まさか太陽王の斥候だろうか。スフィンクスの連隊は聖都に向かってまっすぐ飛来すると、その身に炎と暴風を纏って聖都の外壁に体当たりを仕掛けてくる。

たちまちの内に聖都から脅威の襲来を告げる警報が鳴り響き、外壁のあちこちから松明の火が上がる。

だが、弓矢や銃座での攻撃では神獣に対して傷一つつけることはできない。我が物顔で暴れ回るスフィンクスを相手に迎撃に出た騎士達は成す術もなく屠られていき、護送車を護衛していた騎士達も危険を感じて聖都に近づくことができないでいる。

 

「カドック!」

 

「ああ。やるからには全員、助けるぞ。僕が馬車を奪うまで援護してくれ」

 

聖都との距離こそ近いが護送車を守る者は僅かに数人。

他の騎士達はスフィンクスの迎撃の加勢に向かっており、今ならば馬車を奪うのは容易だろう。

そう思って駆け出したカドックではあったが、次の瞬間、衝撃的な光景を目にした。

なんと、聖都の外壁が突如として動き出したのだ。

レリーフだと思っていたものは、巨大な禍々しい生き物だったのだ。

いくつもの節と無数の足を持つ害虫。

実に壁を七巻き半もする巨体。

有り得ざるほど巨大な大百足が聖都の壁に巻き付いていたのだ。

 

(あれがハサンが言っていた魔獣? 何て巨大な化け物だ!?)

 

確かにあの大きさなら神獣に匹敵する力を持つかもしれない。

向かい合って互いに威嚇する光景はまるで出来の悪いモンスター映画か何かのようだ。

 

「カドック!?」

 

「作戦は続行だ!」

 

戸惑う立香を一喝し、ぶつかり合う巨体を尻目に荒野を走る。

戦いは一進一退ではあるが、数の利と小回りが利く分、わずかにスフィンクスの方が有利なようだ。

襲いかかる大百足の巨体をするりと躱してがら空きの胴体に爪を食い込ませ、炎で焼き切る。

周囲一帯に鼻が曲がりそうになるほどの異臭が漂い、仲間であるはずの騎士達からも悲鳴が轟く。

 

「今日は少し押されているな」

 

「今日はまだエサになる竜種を与えてないからな。腹を空かせているんだ」

 

「なら太陽王の飼い獅子は丁度いい朝飯か。エサをやる手間が省けるってもんだ」

 

「むっ、何だあいつら? 実験体を連れ去る気か! おい、円卓を呼べ! あいつにはお似合いの汚れ仕事だ!」

 

大百足とスフィンクスの戦いを見守る騎士の言葉を聞き、カドックは己の耳を疑った。

あの大百足は竜種を食すというのだ。最強の幻想種であり、この世界の頂点に君臨する生き物と呼んでも過言ではないあの竜種を奴は食べているのだ。

ならばあの大きさにも納得がいくと同時に、その所業のおぞましさに背筋が凍り付いた。

もちろん、今は恐怖に震えている暇はない。

既に先行したマシュが騎士達と戦闘を始めている。アナスタシアの援護もあり、騎士達はロクな反撃をする暇もなく制圧されていく。

聖都の連中には気づかれてしまったようだが、スフィンクスと大百足が暴れている限りはこちらを追うのも容易ではないだろう。

 

「よし、これなら――」

 

瞬間、暗い夜空を引き裂く灼熱の閃光が頭上を駆け抜けた。

 

「なっ――!?」

 

そこには1人の騎士が立っていた。

本来は白亜であるはずの鎧は所々が黒く淀み、端正な顔立ちは見る影もなく歪んでいる。

聖都の正門の前に陣取ったその男の手には一振りの剣が握られており、その意匠にカドックは見覚えがあった。

自分が最初にレイシフトした冬木市の大空洞。そこで大聖杯を守護していた黒き騎士王が持つ聖剣とその剣は非常に酷似していた。

 

『観測した魔力数値はAランク相当。データベースに類似した波形あり。騎士王の宝具『約束された勝利の剣(エクスカリバー)』と45%の一致が出ている!』

 

「『約束された勝利の剣(エクスカリバー)』……だと!? なら、あの剣は……あの男の名は……円卓の……サー・ガウェイン!?」

 

アーサー王伝説に登場する円卓の騎士が1人。アーサー王の甥にしてもう一人の聖剣の担い手であり、王の影武者とも言われた男。

完全なる理想の騎士。或いは太陽の騎士と呼ばれるその男の名はガウェイン。そして、その彼が所有する聖剣こそ湖の乙女によってもたらされたエクスカリバーの姉妹剣ガラティーン。

転輪する勝利の剣(エクスカリバー・ガラティーン)』だ。

その灼熱の剣閃はスフィンクスの一体を焼き尽くすと、カドック達が乗り込もうとしていた馬車のすぐ真横を駆け抜けて大地に巨大な亀裂を作り出す。

 

「カドック!!」

 

「ああ、さっさと逃げるぞ」

 

「マシュ、時間稼いで!」

 

「はい、マスター!!」

 

残るスフィンクスを大百足に任せ、ガウェインが憤怒にも似た表情を浮かべて大地を疾駆する。

一歩一歩が大地を抉るかのような跳躍で一気に距離を詰めたガウェインの聖剣がマシュの盾とぶつかって火花を散らした。

その後ろでは御者台に乗り込んだカドックが手綱を引いて馬車を反転させており、背後についたアナスタシアと立香が追いかけてくる騎士達を牽制する。

予想外で事態はあったが、事は順調に運んでいる。

どうやらガウェインは十字軍によって何かしらの処置を施されているようで、半ばバーサーカー化しているようだ。

攻撃は苛烈ではあるがその剣筋に冴えはなく、マシュでも何とか打ち合えている。

今が夜なのも幸いした。伝説通りであるならばガウェインは昼間の間、その能力が3倍にまで跳ね上がる特殊体質を持っているはずだ。

 

「……にげ……な、さい……」

 

「ガウェイン卿!? 意識が……」

 

「にげ……う、ぐあぁ、Guaaaaaaaaa――!!!」

 

マシュと打ち合いの最中、急にガウェインは己の胸を押さえて苦しみだす。

直後、凡人の立香ですら感じ取れるほどの濃密な魔力のうねりがガウェインの体から迸った。

同時に焼けつくような熱量が拡散し、諸にその熱を受ける形となった荷台の捕虜達から悲鳴が上がるのをカドックは聞いた。

 

『何なんだこれは!? ガウェインの魔力量がどんどん上がっていくぞ。それにこの熱量は太陽に匹敵する! こんなことがありえるのか!? ガウェイン卿の体内には太陽が存在する!?』

 

痛みに苦しむガウェインの胸から手が落ちると、マシュはそこに禍々しい深紅の輝きを見た。

ガウェインの左胸。丁度、心臓に位置する場所に煌々と燃え滾る深紅の球体が埋め込まれていたのだ。

その球体から迸る熱量がガウェインの胸を焼き、痛みで理性が喪失しているのである。

あれは太陽だ。

外法の術で埋め込まれた偽りの太陽がガウェインの体に埋め込まれている。

それにより夜でありながら、ガウェインは能力が3倍となるスキル「聖者の数字」の恩恵を受けているのだ。

その代償は肉体への負担と精神への苦痛。

如何なサーヴァントといえど太陽の熱量には耐えられない。

彼はそれを無理やり埋め込まれ、力を代償として死の苦痛を受けているのだ。

 

『あんな無茶苦茶な強化じゃ長くは保たない! いずれは霊基が焼き切れるぞ!』

 

「なら、それまで耐えられれば……」

 

「そううまくいくかはわからないが――くそっ、聖剣がくる! 藤丸、キリエライトにありったけ強化をかけろ! キリエライトは戻ってキャスターと宝具を使うんだ!」

 

言い終わる寸前、再びガウェインの手にした聖剣に魔力が収束していく。

本来ならば一切の不浄を焼き払う焔の聖剣が、今は禍々しい深紅の輝きを放っている。

既に精神は限界を迎えているのか、ガウェインの顔には醜く血管が浮き出ており、瞳からは理性の光が消えている。

言葉にならぬ真名解放と共に大量の吐血が鎧を汚し、まるで倒れ込むかのように振り抜かれた剣閃が大地を薙ぐ。

 

「Guaaaaaaaaaaaa――!!!!!」

 

魔力の放出と共にガウェインの体は荒野に倒れ伏す。

聖都から逃げる馬車を追う炎の閃光。

まっすぐに向かう死の刃を前にして、馬車の荷台に降り立ったマシュはアナスタシアと並び立って自身の盾を構え直した。

不思議と恐怖はなかった。

恐ろしい威力を誇る聖剣を前にして、以前の自分ならば震えていたであろう。

だが、今は頼れる仲間がいる。

そして、この旅で培ってきた絆と確かな力が自分にはある。

だから、貶められた円卓の騎士になどは絶対に負けない。

負ける道理がない。

 

「仮想宝具展開! 『人理の礎(ロード・カルデアス)』!」

 

皇帝(ツァーリ)の威光をここに! 『残光、忌まわしき血の城塞(スーメルキ・クレムリ)』!」

 

顕現した盾と砦が聖剣の光とぶつかり、空間を揺るがすほどの衝撃が起こる。

その暴風を背にして、彼らを乗せた馬車は荒野を疾走した。

遠く、遠く。

少しでも遠くに向けて、自由に向けて馬車は走る。

聖都からの追っ手はない。

ガウェインは力尽き、他の騎士達はスフィンクスの対応に追われている。

カドック達は見事、捕虜達を救い出したのだ。

 

 

 

 

 

 

聖都から距離を取り、追っ手が来ない事を改めて確認してから荷台を解放したカドック達は、改めてその凄惨な光景に絶句した。

捕虜は実に40人近くが押し込められており、皆、十字軍によって受けた暴行やガウェインの聖剣の光による火傷によって傷ついていた。

中には既に息絶えてしまった者もいたが、カドック達が応急処置を施したことでほとんどの人間が何とか命を繋ぐことができた。

だが、いつまでもここに留まっている訳にもいかない。これだけの人数に与えられる水と食料はないし、いつ聖都から追っ手がやってくるかもわからない。

酷ではあるが体力に余裕がある者には歩いてもらうことにし、夜が明けると共にカドック達は北の山岳地帯に向かうことにした。

現状、この特異点で頼れる者は先日に知り合った呪腕のハサンだけだからだ。

 

「アナスタシア、後ろの様子は?」

 

「今のところは大丈夫よ。カドックこそ、疲れていない?」

 

「腕が足りない分を魔術で補っているからね。まあ、少し疲れが溜まってきている」

 

「このまま順調にいけば昼までには山岳地帯に入れるでしょう。そこから先は登山となりますが……」

 

「みんなの体力を信じるしかない……か……」

 

弱っている難民達を見て、立香は小さく言葉を漏らす。

途中、目についた食べられそうな生き物は片っ端から狩りつくしてきたが、それでもこれが限界だ。

これ以上の体力の回復は望めない。後は彼らの地力を信じて山を登るしかないだろう。

加えて山に入ってもうまく呪腕のハサンがこちらを見つけてくれるとは限らない。

最悪の場合、山間部での野宿も覚悟するしかないだろう。

 

「あら? 待って、何かが……ロマニ! 聖都の方角を見て! 約15キロ!」

 

霊体化して見張りをしていたアナスタシアが何かを見つけたのか、声を張り上げる。

馬車を運転しているカドックはそれを見ることは叶わなかったが、すぐにロマニからの通信が返ってきた。

その声は非常に切羽詰まっており、事の重大さが嫌でも伝わってくる。

 

『馬鹿な、あれはあの時のバーサーカー!? 呪腕のハサンに倒されたはずじゃ……』

 

「あのバーサーカーが、まだ生きていた?」

 

「しぶとい奴だ。速度は? 後、どれくらいで追いつかれる!?」

 

『5分もあれば最後尾に追いつかれる。急いで迎撃しないと……』

 

「いえ、それはまずいわ。彼、爆弾を背負っている」

 

「それは本当か、アナスタシア!?」

 

手にした武器は何でも宝具に変えてしまう謎のバーサーカー。

以前の戦いでも手榴弾を宝具化していたが、もし大量の爆弾を背負ったまま突撃されたら防ぎようがない。

足を止めて迎撃すると爆発に難民達が巻き込まれてしまうかもしれない。

 

『荒いけど何とか映像で確認できた。火薬の種類が不明だからわからないけれど、TNTだとしたら民家くらいは吹っ飛ぶ大きさだ。ましてや宝具化しているとなると、この辺一帯が吹き飛ぶ可能性も……』

 

サーヴァントに爆弾を持たせて特攻させる。

そんな狂気の沙汰があっていいのだろうか。

彼を使役しているマスターはバーサーカーを英霊とは見なしていない。一個の兵器、一つの武器としてしか見ていないのだ。

 

(どうする? 誰かに馬車を任せて迎撃するか? 爆弾の威力は宝具で相殺できるだろうが、もしも相手が爆弾を捨てて強引に押し込んできたら?)

 

底が知れない以上、他にどんな隠し玉を持っているのかわからない。

何度か戦った感覚からしても、あの英霊はアーサー王やガウェインに匹敵、或いはそれ以上の力を有しているはずだ。

無理やりな強化で技術が失われていたガウェインと違い、狂化と技の冴えを併せ持つあのバーサーカーを撃退するのは簡単ではない。

ならば取れる手は、誰かが囮となって奴を引き付け、その隙に山岳地帯まで逃げ延びることだ。

 

「藤丸、キリエライトに運転を変わるから後を頼む。あのバーサーカーは僕達が――」

 

「ううん、あいつは俺とマシュが押さえる。カドック達はみんなを頼むよ」

 

こちらの言葉を遮った立香の言葉は、有無を言わせぬ力強さがあった。

覚悟は決めている。そんな凄味が伝わってくる。

 

「何を言っているんだ。守り一辺倒で勝てる相手じゃない。僕達には魔眼も城塞もある。いざとなればフランスのように城塞を犠牲に……」

 

「まだこの先、何があるかわからないんだ。ここで城塞は捨てられない。足止めだけなら俺達の方が向いているよ。それにカドック達じゃあいつから逃げ切るの難しいだろう。まだマシュの方が足は速い」

 

「馬鹿なことを言うな。だったら4人でいくぞ」

 

「いいえ、カドックさん達はみなさんをお願いします。彼らを安全な場所まで引っ張って行けるのはカドックさんだけです。それに、あのバーサーカーとはわたしが戦わないといけない。そんな気がするんです」

 

「キリエライト……」

 

「すみません」

 

「ごめん、行ってくる」

 

立香を担ぎ、マシュが馬車から飛び降りる。

爆走するバーサーカーが迫ってきているのか、背後には大きな土煙が上がっていた。

その煙目がけてマシュは盾を構え直し、一歩後ろに下がった立香が彼女の肩に手を添える。

その様子をカドックは見ることができなかった。

振り向きたかった。

言葉をかけたかった。

できることなら助けに行きたかった。

けれど、あの強い眼差しがそれを拒んでいた。

藤丸立香の眼差しが、自分に来るなと言っていた。

それを自分は受け入れてしまった。

生き残るために、難民達を生かすために、グランドオーダーを成し遂げるために、彼らが自らを捨て石にする選択を受け入れてしまった。

 

「なんで……なんでなんだ……どうしてこの馬車は曲がらないんだ……どうして、僕はあいつらに振り向いてやることすらできないんだ」

 

自分の魔術師としての性が心底嫌になったのはこれが初めてだった。

合理的な判断がここまで憎らしいのは初めてだった。

自分は彼を見捨てた。

生まれて初めての――を見捨てた。

 

「畜生! 僕はまだ何も言っていないんだぞ! お前に、僕は――!!」

 

「カドック!!」

 

手綱を握りながら泣き喚く主人の姿を見て、アナスタシアは堪らずその背中を抱きしめる。

直後、背後から大きな爆発音が轟いた。同時にカドックは、雷鳴にも似た馬の嘶きを聞いたかのような錯覚を覚えた。

濃密な魔力の奔流。宝具化した爆弾とマシュの宝具がぶつかり合い、爆心地を中心に奇妙な扇形のクレーターができあがる。

彼女はその最後の瞬間まで守ることを全うし、爆風が馬車に及ばぬようその身を犠牲にして爆発を逸らしたのである。

 

『バーサーカーの反応ロスト……マスター・藤丸立香、シールダー・マシュ・キリエライトの消失を確認』

 

カルデアからの非情な報告が胸を叩く。

慟哭が空を裂いた。

カドックは叫び、アナスタシアは泣いた。

周囲にそれを咎める者はいなかった。

遠いカルデアのスタッフ達もまた、共に戦ってきた仲間の喪失に心を痛めた。

目的の山岳地帯は、すぐそこまで迫っていた。




例によって円卓は敵なのですが、ガウェインはこういう感じになってます。
その内容で3倍設定はありなのかって意見が出そうで怖いですが。

バサスロット消えていないんだろうなって感想がきてましたが、はいその通りです。
でもって闇の中でバーサーカーに話しかけていた人がオリジナルの敵キャラなんですが、本格的に出番がくるのはもっと先のことになります。


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神聖■■■■エルサレム 第3節

何も知らない素人。

住む世界が違う一般人。

人畜無害な少年。

けれど、堪らなく苛立ちが募る後輩。

それが藤丸立香に対する第一印象だった。

彼は自分と同じくレイシフト適性のみを見出されてカルデアにやってきた。

その境遇が自身と重なり、そして旅を経て実績が積み重ねられていく内に焦りはどんどん募っていった。

卑屈で野心に汚れた自分と違って、この男はなんて眩しくてまっすぐなのだろう。

自分が凡人だとか役立たずだとか、そういうことを彼は一切、考えない。

ただ自分がやれることをする。最高ではなく最善を尽くす。

それが堪らなく羨ましくて、比べた時に自分が酷く矮小な存在に思えて辛かった。

魔術王への恐怖、グランドオーダーへの諦観はそれに拍車をかけた。

そうして前にも後ろにも進めなくなった自分の背中を押してくれたのは、皮肉にも藤丸立香その人であった。

彼と戦い、初めて真正面から向き合い、やっと自分の中のどろどろとした感情を飲み込むことができた。

ここから変われる。

ここから始められると、その時は思った。

だから、その機会を与えてくれた少年には、せめて自分の持てる全てを返そうと、そう思っていたつもりだった。

そのつもりだったのに――――。

 

(僕は――を見捨てた)

 

剥き出しの岩山を昇りながら、カドックは先日の出来事を反芻する。

立香とマシュの遺体は見つからなかった。

あれからカルデアの計器やアナスタシアの魔眼、使い魔での捜索も行ったが、2人の遺体はおろか遺留品すら見つからない。

バーサーカーの自爆と共に跡形もなく吹き飛んでしまったのかもしれない。

2人の喪失はカルデアに大きな動揺を与え、職員の中にはショックから一時的に職務を離れる者もいた。

指揮官であるロマニは何とか平静を装っているが、それでも動揺を隠しきれていない。

彼にとってマシュは娘や妹のような存在だ。実験体扱いであった頃の負い目もある。

その彼女がまだ若い命を散らしたことに心を痛めていないはずがなかった。

ダ・ヴィンチも、ムニエルも、その他のみんなも、誰もが心を痛めていた。

そして、誰もカドックを責めなかった。

立香達を送り出した時の判断を責めず、彼らが犠牲になったことを咎めず、消沈する心を慰める。

一度とはいえカルデアと敵対した自分を彼らは責めることなく受け入れてくれた。

ああ、何て善き人達に自分は囲まれているのだろうと思った。

だからこそ、せめて自分だけはこの痛みを、この罪を忘れてはいけないと強く心を戒める。

立香とマシュのためにも、この難民達は必ず安全な場所まで連れていく。

そう決意してカドックは山を登った。

 

「カドック、あれを見て」

 

先行するアナスタシアが眼下の荒野を指差した。

その先に目をやると、平地にいた頃には気づけなかった巨大な窪みがいくつも荒野に広がっていた。

クレーターというのだろうか。写真で見たことがある隕石の落下跡とよく似ている。

 

「あれは獅子心王がやったんだよ」

 

難民の1人である少年――確かルシュドという名前だった――が答える。

曰く、聖都が光ると荒野のどこかに巨大な窪みができるとのことだ。あの場所には十字軍と敵対している集落や砦などがあったらしい。

 

「敵対勢力を潰しているのか」

 

『恐らく、何らかの宝具によるものだろうね。大気中の魔力濃度が高いのも宝具が頻繁に撃たれているからだと思う』

 

この大地は獅子心王によって滅ぼされようとしている。

そして、ここに住まう人々には最早、行き場がない。

荒野にいてはいつこの裁きが落ちてくるかわからず、砂漠に逃げても太陽王の魔獣が待っている。

辛うじて無事な山岳地帯もロクな草木が生えておらず、生き延びるには過酷な環境だ。

全てが焼き尽くされようとしている世界。それがこの特異点の現状であった。

 

「物見から「我らの同胞を助け、ここに向かう者がいる」と聞きましたが、やはりあなた方でしたか」

 

不意に聞き覚えのある声が山間に響き、影の中から白面の異形が姿を現す。

山の翁。先日、バーサーカーとの戦いの際に自分達を助けてくれた呪腕のハサンだ。

彼が言っていた通り、こちらが山に入ったことに気づいて姿を現してくれたのだ。

 

「数日振りですな、カルデアの皆様」

 

「ええ、そちらも元気そうで何よりです、山の翁」

 

一礼するハサンに対して、アナスタシアが代表して返答する。

今のカドックにはそれを行う余裕すらなかった。

 

「……何かあったようですな。それにそちらは聖地の……」

 

「匿ってくださらないかしら。聖都から追われてきたの」

 

「彼らは我ら山の民を迫害した聖地の人間だ。村の者がどう思うか……」

 

ハサンが渋る様子を見せると、難民の1人が彼に縋り付くように頭を下げる。

難民達の取りまとめ役を買って出てくれた男性だ。

 

「虫のいい話なのはわかっている。今まで散々、迫害してきたんだからな。けれど、もうここにしか逃げる場所がないんだ。せめてケガ人と女子どもだけでも……」

 

「……その罪悪感があるのなら良い。この村の者達は素朴な、善い心の持ち主ばかりだ」

 

「……ありがとう」

 

「ありがとう、ドクロのおじちゃん」

 

頭を垂れる男に倣って、傍らにいたルシェドも頭を下げる。

その姿を見た途端、ハサンは何かに驚いたかのように身を強張らせた。

 

「まさか……ルシュドではないか?」

 

「うん、久しぶりだね」

 

「ああ。いつ以来だったか……」

 

遠い過去を懐かしむように頷くハサンの目が1人の難民の女性に止まる。

女性はルシュドの母親だった。火傷を負い、衰弱が著しい彼女はまだ体力に余裕がある男性に肩を借りていた。

彼女もまたハサンの姿を認めると、複雑そうに視線を迷わせた後、小さく一礼する。

 

「お久しぶりでございます、山の翁」

 

「……ああ、久しぶりだな。本当に……久しぶりだ」

 

一瞬、重苦しい沈黙が2人を包み込む。だが、すぐにハサンは頭を振って難民達を先導すると、自分が守る村へと案内を始めた。

その様子を見守っていたアナスタシアは、誰にも聞かれぬよう小さな声でカドックに耳打ちする。

 

「あのハサン、この時代の生まれなのね」

 

「ああ、2人とも知り合いみたいだ」

 

自分が生きた時代が特異点と化し、十字軍によって蹂躙されている。

同じく召喚されている山の翁達の中でも彼の苦悩は人一倍であろう。

そんな複雑な状況の中でも彼は自分に課せられた役目を全うしようとしていることに、カドックは同情と尊敬の念を禁じ得なかった。

やがてカドック達はハサンの案内で、山間の隠れ里へと辿り着いた。

草木も生き物もロクにいない山肌に作られた隠れ里。失礼ながらさぞや貧相なあばら家が並んでいるのだろうと思っていたが、意外にも立派な石造りの家屋が立ち並んでいた。

集落自体も山陰に隠れるように建立されており、麓からでは決して見つからないように隠されている。

入り組んだ地形もあり、よほどの土地勘がなければここまで辿り着くことはできないであろう。

一方で住民の生活は困窮そのものだ。飢餓とまではいかなくとも、僅かな余裕もないだろう。

それを考えると、ハサンが自分達を招き入れてくれたのは苦渋の決断であったのではないのかと思い至る。

 

「お、戻ってきたか」

 

集落に入ると、見張り台らしき櫓から1人の青年が飛び降りてきた。

軽装に身を包んだ気の良さそうな青年だ。髪や肌の色から考えるに西アジア寄りの人間だろか。

身のこなしからして只者ではない。サーヴァントだろうか。

弓兵なのかその手には深紅の大きな弓が握られている。

 

「変わりはありませんか?」

 

「ああ、今のところは静かなもんさ。そっちは聖都からの難民か?」

 

「ええ。今から村長に話をつけてきます。誰か、代表でついてきてくれまいか?」

 

「では、私が……」

 

ハサンは青年に一礼すると、難民の1人を連れて集落の奥へと消えていった。

残された難民達はとりあえずの安息を得たと安堵し、家族で無事を喜び合う姿や複雑な胸中で聖都の方角に目をやる姿があちこちで見られた。

ルシュドもぐったりと横たわっている母親に対して手で煽って風を送り、少しでも痛みを和らげようとしている。

改めて数を数え直すと、欠けている者は1人もいなかった。

助け出すからには全員を助け出す。そう言ったのは誰だっただろうか。

あの憎たらしい素人マスターだったか、それとも口数の少ない彼のサーヴァントだったか。

まだ予断を許さぬとはいえ、状況が落ち着いてくるとカドックの心は益々、消沈していった。

まるで重い枷のようなものがはめ込まれた気分だ。

ここにいるべき2人がいない。

その事実を改めて突きつけられ、カドックの表情は更に曇っていった。

そんな様子を訝しんだのか、弓兵の青年がこちらに駆け寄ってきた。

 

「よお、お前さん達は他の難民とは違うみたいだな。そちらのお嬢さんはサーヴァントかい?」

 

「ええ、キャスターのサーヴァント。アナスタシアと申します。こちらは私のマスターのカドック。人理焼却を防ぐため、遠い未来の天文台(カルデア)からやってきました」

 

消沈しているカドックに代わり、アナスタシアが青年に事情を説明する。

それを聞いた青年は最初こそ笑みを浮かべていたが、やがては真剣な表情を浮かべ、最後は消沈しているカドックを慰めるようにその肩に手を添えた。

まっすぐな、何もかも見通しているかのような澄み切った眼差しが、沈鬱としたカドックの暗い瞳を捉える。

 

「そうか、とんでもない大任を背負っちまったんだな」

 

「別に……大変なのはみんな同じだ……」

 

「そうか。そう言えるだけの余裕があるのなら、お前さんは立派なマスターだよ。そういえば、自己紹介がまだだったな。俺はアーラシュ。見ての通りのアーチャーで、しがない三流サーヴァントだ」

 

不意に発せられた言葉にカドックは目を丸くする。

気持ちが落ち込んでいたのもあったのだろう。何でもないかのようにサラリと告げられたアーチャーの真名を、カドックはつい聞き流してしまった。

それに気づいてから激しく後悔し、同時に強い羞恥の念が湧き上がってくる。

何て畏れ多いことをしてしまったのだろう。

彼は今、自分のことを何と名乗った?

アーラシュと言っていたように聞こえたが。

 

「アーラシュ? アーラシュ・カマンガー? あのアーラシュなのか?」

 

「おお、急に元気になったな。多分、そのアーラシュであっていると思うぜ。こんなマイナーな英霊、よく知ってたな?」

 

「マイナーだなんて! あなたほど高名な弓兵を僕は知らない!」

 

古代ペルシャにおける伝説的な大英雄。

六十年に渡るペルシャ・トゥルク間の戦争を終結させ、両国の民に平穏と安寧を与えた救世の勇者。

異名であるアーラシュ・カマンガーとは英語表記すればアーラシュ・ザ・アーチャー。すなわち弓兵たるアーラシュ、弓を射るアーラシュという意味であり、西アジアにおいては弓兵の代名詞として知れ渡っている偉大な英雄だ。

その威光は神代が遠く過ぎ去った今なお衰えず、地元では彼に因んだ祭りが開かれるほど信仰されている。

無知な立香でも彼ほどの大英雄ならばきっと知っているはずだ。

いや、知っていなければぶつ。もしくは徹夜で教え込む。

 

「あの、失礼だけれどそんなにすごい方なの? その、知識はともかく実感が私にはなくて……」

 

「何を言っているんだアナスタシア。アーラシュだぞ。アーラシュ・カマンガー。人でも魔獣でも怪異でもない、戦争という無慈悲な災禍を射抜いた伝説の大英雄。ペルシャ……いやアジア……いやいや世界で彼の名前を知らない人はいない。そもそも聖杯戦争で弓兵のクラスがどうしてアーチャーなんだ? アーラシュの間違いじゃないのか? レオニダス一世が春の盾持ち英霊、堂々の第一位なら彼は秋の射手英霊、圧巻の第一位。寧ろ殿堂入りの勢いだ。それくらいすごい英霊なんだ」

 

「そ、そうなんだ」

 

先ほどまで立香達の死に消沈していたとは思えないテンションの高さにアナスタシアは思わず一歩遠ざかる。

元気になったのは良いことだが、少し怖い。

 

「そこまで真正面から褒められると面映ゆいな。お前さん、よく勉強したもんだ」

 

「マスターなら当然だ。ああ、ということはその弓が女神(アールマティ)の加護を受けて作ったという? なら、ならこれが大地を割ったのか? これがあの…………その、触っていいかな? いや、触らせてください。後、できたらその……あなたの体にも……おお、これが、傷も病も負わない伝説の……おお……」

 

「ははっ、くすぐったいぞ少年。そうだ、これから狩りにいくんだが一緒に行くか? 弓の射方を見せてやるよ」

 

「良いのか? 行こうアナスタシア、何を休んでいるんだすぐに出発だ。足が痛い? なら僕が背負ってやる」

 

「ちょっと、その腕じゃ無理でしょ。もう、カドック!!」

 

半ばアナスタシアを引きずりながら、カドックは先を歩くアーラーシュの後に続く。

その様子に困惑しながらも、アナスタシアはマスターが一時とはいえ悲しみを忘れられたことに安堵した。

今の彼は酷く傷ついている。その傷を癒す時間が、今は必要だ。

 

 

 

 

 

 

山の民の隠れ里を訪れて、一週間が経過した。

全く衝突がなかったわけではないが、ハサンの仲介もあって難民と村人達は早期に打ち解けることができた。

傷が快方した者は順に村の仕事を手伝い始め、新しい小屋の建設や井戸の整備を行っている。

カドック達も難民の治療や食糧調達のための狩りを手伝っていた。

 

「おかえりなさい、アナスタシアお姉ちゃん」

 

「ただいま、ルシュド君。今日は何をしていたの?」

 

「今日はみんなで新しい水場を作ってた。後、カドックお兄ちゃんの診察の手伝い」

 

「偉いわね。後でご褒美をあげなきゃ」

 

「おお、結構結構。それはそうとして俺にお帰りはないのかルシュド?」

 

「アーラシュの兄ちゃんか……まあ、お帰り」

 

「むぅ。待遇違い過ぎないかぁ。そういう子どもはこうだーっ!」

 

「ひゃー! くすぐったいー!」

 

アーラシュの悪戯に身を捩ったルシュドは、彼の手から逃れようと踵を返す。

興が乗ったのかアーラシュはまるで怪物か何かのように両手を広げると、逃げるルシュドを脅かす様に声を上げながら追いかけていく。

 

「あの人、子どものあやし方が上手なのね。それに自分が英雄であることもちっとも鼻にかけなくて。透徹、水晶、高潔な人」

 

「水晶のように透き通っていて高潔な精神の持ち主だ、か」

 

「カドック、サリアさん……ルシュド君のお母さまのご様子は?」

 

「相変わらず容体が安定しない。キリエライトがいればカルデアとラインを繋いで、医薬品が取り寄せられるんだが」

 

カドックの治癒魔術によって一命こそ取り留めたが、カドックの技量ではこれ以上の治療は不可能であった。せめて抗生物質や消毒液が手に入ればもう少しよくなるのだろうが、現状ではそれらを手に入れる手段がない。カルデアから物資を取り寄せるための召喚サークルはマシュが持っている盾を媒介に構築されるからだ。

残念ながら彼女がいない今、カルデアからの補給を受けることができず、この先も苦しい戦いを強いられることになるだろう。

 

「彼女のこともそうだが、僕達のこれからについても、そろそろ決めないといけないな」

 

『そうだね。あの様子では間違いなく特異点の原因は十字軍にある。人理修復のためにも、もう一度、聖都に行く必要があるだろう』

 

問題は、現状の戦力でどこまで戦えるかということだ。

軽く見積もっただけでも十字軍は近代兵器で武装した騎士達に常時3倍の強化を受けたガウェイン、聖都の外壁に巻き付いた大百足。ひょっとしたらそれ以上の戦力がまだ控えているかもしれない。

対してこちらのサーヴァントはアナスタシア1人だけだ。ハサンとアーラシュは協力を引き受けてくれているが、明日の食糧の調達にも苦心している村の現状を考えると、彼らを引き抜くことには抵抗がある。

そうなると後は太陽王の協力を取り付けることだろうか。

十字軍との争いが膠着しているのなら、裏を返せば自分達が介入すればそのバランスを崩すことができるということだ。

相手はファラオ故に交渉は難しいだろうが、やってみる価値はあるだろう。

だが、そうなるとあの謎の砂漠を越えなければならない。

カルデアの計器でも観測ができないあの砂漠は、ダ・ヴィンチ曰く太陽王が生前に統治していた時代そのものらしい。

この中東とは時間のピントがズレているため、近未来観測レンズ・シバでは見ることができないとのことなのだ。

 

「砂漠を超えるとなるとカルデアからの支援は一切、期待できない。オジマンディアスに会うまでに何らかの小競り合いも予想されるだろう」

 

「結局のところ、戦力が足りないのね」

 

自分(キング)アナスタシア(クイーン)だけではチェスはできない。

何をするにしても早急な戦力の確保が必要だ。

 

『明日、呪腕のハサンに打ち明けて相談してみるのがいいかもね。彼はこの時代に詳しいし、ボク達は一応、宿を借りている身だ』

 

「そうだな、出ていくにしても家主の許しを得ておかないとな」

 

翌日。

午前の仕事を終え、ひと息を入れたカドックとアナスタシアは今後の方針を相談するためにハサンのもとを訪れた。

幸いなことにアーラシュもその場にいたため、カドックは現状の戦力の乏しさと太陽王との協力の必要性を説き、2人の反応を待った。

アーラシュはいつもと変わらない。爽やかな風のような佇まいを崩さず、隣に立つハサンの動きを待つ。

ハサンは仮面に隠れていて表情は読み取れなかったが、唇を強く噛み締めていた。

当然だ。彼らが敬う神とエジプトのファラオではその思想は根本から噛み合わない。

加えて形はどうあれ太陽王は中東の地に自らの領土を築いている。ある意味では彼もまた侵略者だ。

だが、それを承知でハサンは首を縦に振った。

その思い、その決断がどれほど重いものなのかは、その場にいた誰もが理解していた。

 

「我ら決して獅子心王には屈せぬ。各村に散った山の翁はそれぞれのやり方で力を蓄え、反撃の機を狙っています。我らは戦い、抗わねばならない。そのために形振りを構っていられぬというのはわかります」

 

「…………」

 

「そして、鬼を倒すために鬼の手を借りる必要もありましょう。あなた方の提案、この呪腕のハサンは確かに受諾しましょう」

 

「ありがとう」

 

「なに、ここであなた方を見捨ててはそれこそ初代様に首を落とされよう。「節穴の目であれば髑髏もいるまい」と。それに他のハサンめがどう思うかはまた別の話。太陽王を説得するための材料も用意しなければいけませんしな」

 

そう、それが問題だ。

太陽王の協力を取り付けるためには、自分達が有用であると証明する必要がある。

呪腕のハサンの話では後、数日もすれば各地に散った同士が今後のことを話し合うためにこの村に集まってくるとのことだが、暗殺者が数名とその配下が集まったところで焼け石に水だろう。

太陽王を説き伏せるには後、もう一手が必要になるだろう。

だが、その悩みは意外なところから解決策が転がってきた。

 

「なんだ、ファラオの兄さんと話をつけるのか。なら、何とかなるぜ。あの兄さんとは色々と縁があるからな」

 

「なっ?」

 

「えっ?」

 

「……そういえば、同じ時代の英雄だったな」

 

生前に絡みはなかっただろうが、互いの存在は人づてに伝わってるかもしれない。いや、アーラシュの口ぶりからすると、ひょっとして知り合いなのだろうか。

何れにしても、太陽王と交渉の目途が立ったのなら、幸先は明るい。ここまで自分を生かしてくれた立香とマシュのためにも、すぐにでも準備を終えて砂漠に出発しよう。

そう思って立ち上がった時、小屋の外から何やら叫び声が聞こえてきた。

 

「頭目! 頭目!」

 

「あの声は山頂部の見張り役ですな。何かあったと見えますが……」

 

訝しんだハサンが小屋を後にし、他の面々もそれに続く。

山頂から急いで駆け降りてきたのだろう。見張り役の男は息を切らせていたが、それでも言うべきことを言わんと喉を鳴らし、ハサンに向けて声を張り上げる。

 

「大変だ、西の村から狼煙が上がっている!」

 

「なにぃ!? 色は? 色は何と出ているのだ!?」

 

「……チ、敵襲だぜありゃあ! 西の村が敵に見つかっちまったらしい!」

 

「十字軍の旗よ。率いているのは……あの甲冑は、モードレッド!?」

 

千里眼と透視の魔眼、それぞれの眼で捉えたモノを見てアーラシュとアナスタシアは驚愕する。

特にアナスタシアの言葉をカドックは聞き捨てられなかった。

モードレッドは第四特異点で共に戦った戦友だ。その彼女が敵として召喚され、あの恐ろしい十字軍に使役されている。

まさか、ガウェインのように何らかの処置を施されているのだろうか。

 

「助けに行けるか? ここから村までどれだけかかる!?」

 

自分達にとっても山の民にとっても彼らは貴重な戦力だ。決戦を前にして失わせるわけにはいかない。

だが、ハサンの顔は曇っていた。これからどう急いだとしても、西の村まで行くには2日も日数がかかるからだ。

 

「百貌の姉さんは長引かせるのは上手いが、もって半日だろう」

 

「なら、村を捨ててこっちに逃げてもらえば? それなら途中で合流できるんじゃ……」

 

「いや、何人助かるかもわからないし、この村の備蓄じゃこれ以上の人間は受け入れられない。何とかして西の村は死守しないと」

 

何か空を飛べる乗りものか、空間を越える魔術でもあればいいのだが、ないものを強請るわけにもいかない。

考えるのだ。一足飛びで西の村に駆け付けられる方法を。

 

「空……空か……それなら間に合うかもしれん」

 

こちらの呟きを聞き取ったのか、不意にアーラシュは何かを思いつく。

 

「いやあ、一度だけ、かつ片道でいいのなら、空を飛んで一気に移動する事はできるぞ!」

 

ただし、それなりのリスクがある上に西の村まで一気に飛ぶことはできないとアーラシュは言う。

だが、迷っている時間はない。カドックとアナスタシアは二つ返事で了承し、その力強さにハサンは感涙する。

縁も所縁もない山の民のために戦う2人に対して、ハサンはただただ感謝を禁じ得なかった。

そうして案内されたのは見晴らしのいい高台だった。

比較的開けたその場所は元々は家屋が並んでいたのか、瓦礫や粘土の破片が積み上げられている。

端末で位置を確認すると、この高台は丁度、西の村がある山に向けて開かれていることがわかる。

 

「そこに潰れた家の屋根を粘土で補強した土台がある。よく見ろ、取っ手が付いているな?」

 

「……そうね、踵まで入る穴もあります」

 

何かを察したアナスタシアの顔が蒼白になり、着ていたローブの一枚を脱いでヴィイを包むと、自分の腰に巻き付けて落ちないようにしっかりと固定する。

 

「この取っ手を掴んで穴に足を……四つん這いになるのか……」

 

「無駄口は後だ、しっかり掴んでろ! カドックはアナスタシアの隣だ。しっかりマスターを掴んでろよ。時速300キロ以上は出るからな」

 

「アーラシュ・カマンガー。いったい、何をしようというんだ?」

 

彼は村から持ってきた縄を使って土台を何かに固定している。

気のせいだろうか、その形は何となくではあるが彼が持っている深紅の弓に似ていた。

 

「何って、土台に縄を張って固定、そのまま特大の矢に繋いでいる。今日は追い風だ。西の村の手前までは飛ばせるぞ!」

 

既にハサンは土台にしがみつき、その時が来るのを待っていた。体の震えや泳ぐ視線から彼の焦りがこちらにまで伝わってくる。

伝わってくるのだが、それとこれとはまた別の話だ。

どうやら聞き間違いではないのだろう。彼はこの土台を矢に見立てて飛ばそうとしているのだ。

 

「ああ、その通りだ。命がけの、酒盛りの時の定番ネタだぞ! 土台と矢を繋ぐ。思いっきり矢を放つ。矢、20キロ先まで飛ぶ。一緒に土台も飛ぶ。な? 簡単だろ?」

 

「そんな訳あるか!!」

 

ボブ・ロスみたいにあっさり言ってのけているが、下手をすると命の危険に関わる。

ただでさえ自分は左手が使えないというのにこの鬼畜の所業。今だけは彼への尊敬の念を捨て去ってもいいかもしれない。

そもそもこんな方法で空が飛べるのだろうか。命綱なしでバンジージャンプをした方がまだマシかもしれない。

 

「いいから! 舌を噛むぞ、真面目にやれ!」

 

こちらの事情などお構いなしとばかりにアーラシュは巨大な弓の弦を引き絞る。

発射は秒読みに入っていた。

こうなってしまってはもう議論の余地はない。

せめて少しでも危険を減らそうとカドックは魔術回路を励起させ、自身に強化の魔術を施し、ポケットの中から役立ちそうな礼装を片っ端から取り出した。

風除けの加護、幸運を呼ぶ石、交通安全の御守り、etc。

 

「激突した瞬間、土台は木っ端微塵だからな! 各々、いい感じで受け身を取れ!」

 

そして、西の空目がけて矢が放たれる。

遅れて矢に結ばれた縄が引っ張られ、カドック達が乗る土台が宙を舞う。

視界が反転する。

凄まじい風圧と加速によるGが体を襲い、カドックは一瞬、意識がブラックアウトした。

魔術で強化していても取っ手を握る手から力が抜けそうになる。

余りの加速で体が僅かに浮き上がり、振り落とされるのではないのかという恐怖がカドックを襲った。

すると、隣のアナスタシアから這い出てきたヴィイがその大きな手でこちらが落とされぬよう背中を支えてくれた。

無言のアイコンタクトが2人の間で交わされる。

それは、着地までのほんの一瞬の出来事であった。

 




実際に6章をプレイしていた時に抱いた感想です。
アーラシュの「な、簡単だろ」でボブの絵画教室を思い出しまして。
「カレスコをつける、弓矢作成を使う、宝具を使う。『流星一条(ね、簡単でしょ)』」


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神聖■■■■エルサレム 第4節

夢を見ていた。

何もない真っ暗な暗闇を、ふわふわと漂う夢だ。

まるで体が闇に溶けてしまったかのように感覚がなく、自分がどこを向いていてどこに向かっているのかもわからない。

上を向いているのか下に沈んでいるのか。前に進んでいるのか後ろに下がっているのか。

微睡みの中では自分は風に煽られる木の葉のようだ。

例えそこに意識が存在したとしても、自らの意志でどこにも向かうことができない。

ただ流されるまま、充てもなく彷徨うだけだ。

 

『さて、初めましてと挨拶をするべきかな?』

 

どこからともなく声が聞こえてくる。

透き通るように美しく、それでいてどこか軽薄な調子の声だ。

夢の中で語りかけてくるということは、夢魔の類だろうか。

 

『おや、僕の存在に気付いていると。意外と侮れないね、キミ』

 

余計なお世話だと反論する。

夢魔の類なら適当に生気を持っていて構わないから大人しくしておいて欲しい。今はとても眠いのだ。

 

『そこは遠慮なく持っていくけれど、その前に話しておきたいことがある。さて、どこから話すべきか。既にこの物語は僕が視た物語とは大きく変わってしまっている。本来ならば、君はここにはいないはずだったんだ』

 

この声の主はいったい何を言っているんだろうか。

自分が本来は存在しない? 馬鹿馬鹿しい。

そういう哲学的な話はよそでやって欲しい。

事実、自分はここにこうして存在しているじゃないか。

 

『いやいや、僕が視た中東はもっと別のものだった。だが、カルデアが崩壊したあの爆発――キミがあの炎の街に初めてレイシフトした瞬間、この特異点はまるで絨毯を引っくり返すかのように様変わりしてしまった。原因こそわからないが、起点となったのは君だろう。君が生き残ってしまったことがこの特異点を生み出したと言ってもいい。おかげで鳴り物入りで送り出した切り札がとんでもないことになってしまったよ』

 

言っていることの意味がわからない。

この声の主は何か重要なことを言っているような気がするが、微睡んだ頭ではその言葉の意味を半分も理解できなかった。

 

『キミがどんな結末を迎えようと僕は構わないけれど、人類史が終わってしまうのは困る。キミだって自分の数少ない楽しみを奪われるのは嫌だろう? だから、今回ばかりはキミに助言を与えることにした。いいかい、山の翁(ハサン)に会うんだ。歴代のではなく最初にして最後の翁を』

 

最初にして最後の山の翁。

それはいったいどういう意味だろうか。

この声の主は、いったい何を伝えようとしているのだろうか。

わからない。

微睡む頭は思考を拒否する。考えることを拒み、怠惰に身を任せようとする。

 

『ここのことは忘れて構わない。けど、さっきのことだけは覚えておくんだ。初代の山の翁に。グランドアサシンに会うんだ』

 

そこで、夢は途絶えた。

 

 

 

 

 

 

気が付くと、時刻は夕刻を過ぎようとしていた。

いつの間にかアナスタシアの膝に頭を預けて眠ってしまっていたようだ。

何か大事な事を夢に見ていたような気がするが、疲労がまだ抜け切れていないのかうまく思い出すことができなかった。

確か、十字軍の襲撃から西の村を守るためにハサン達と共に飛び出したような気がするが。

 

「あ、起きたのね。まだ楽にしていて良いのよ」

 

「随分とぐっすり眠っていたな。お前さん、ちょっと無理し過ぎなんじゃないか?」

 

夕暮れの空の下にアナスタシアのアーラシュの顔が浮かんでいる。

そうだ、アーラシュの奇策により大幅に移動時間を短縮した自分達は、何とか西の村が全滅する前に駆け付けることができたのだ。

そこで対峙したモードレッドは、太陽の騎士ガウェインがそうであったようにその身を十字軍によって弄ばれていた。

彼女は何らかの洗脳処置が施されていたのであろう。目につく全ての人間をアーサー王と誤認しており、内に溜め込んだ怒りを落雷のような暴力で以て周囲に当たり散らす狂戦士と化していた。

一度でも彼女の視界に入れば敵も味方も民間人も関係がなく、目につく全てを破壊するまで止まらない。

更にガウェインと違って保有しているスキルは十二分に力を発揮しているため、アナスタシアと呪腕のハサン、アーラシュの3人が力を合わせても苦戦を免れなかった。

勝ちを拾えたのは奇跡に近いだろう。半ば偶然にもアナスタシアの「シュヴィブジック」がモードレッドの動きを止めることに成功し、アーラシュとハサンの連携で何とか退けることに成功した。

同じことをもう一度行えと言われても恐らくはできないであろう。彼女の「暴走」を押さえるためには盾が必要だ。

マシュ・キリエライト。

頼りになる仲間とは思い始めていたが、知らず知らずの内に彼女の守りに依存していたようだ。

彼女抜きでも防御を疎かにしないよう、戦術を練り直す必要がある。

 

「こちらでしたか、カドック殿。お待たせして申し訳ない」

 

陽が沈み、松明に火が灯され出した頃合いにハサンは帰ってきた。

西洋人が歩き回っては事情を知らない村の民が驚くということで、彼が1人で村の見回りや頭目と話をつけてきたのだ。

 

「皆様のおかげで被害は最小限に抑えられました。この呪腕、西の村の頭目に代わり礼を言います。まことにかたじけない」

 

「そうだな、あそこで諦めていたらこの村は救えなかった。後先考えない行動だったが、カドックの賭けは正しかったってことだ!」

 

あっけらかんと笑うアーラシュに対して、カドックは答えるだけの気力はなかった。

短い空の旅だったが、あの恐怖は鮮烈に心に刻み込まれている。思い返しただけでも胃の中から何かが逆流してきそうだ。

ハンマーのような風に顔を叩かれ、体が空中に投げ出されそうになる浮遊感、視界はぐるぐると回転するし記憶も所々抜け落ちている。足だって今もまだ震えている。

ヴィイがいなかったら自分はここにはいなかっただろう。

 

「『アーラシュ空を飛ぶ事件』。カルデアの歴史に長く語り継ぎましょう。さすがの私もあれは……引きます」

 

今後はアーラシュが矢に縄を結び出したら要注意だ。また自分達のような被害者が出るかもしれない。

 

『ところでハサン君、今後のことだけど、どうするんだい?』

 

閑話休題。自分達はアーラシュを連れて太陽王との交渉に臨むつもりだったのだ。

他のハサンとの連携もあるので、このまま東の村に戻るべきか、この村のハサンと面通ししておくべきか決めておいた方が良いだろう。

 

「無論、ここまで来たのです。よい機会故、この村の頭目と引き合わせましょう。あやつも皆様には感謝していましたから、話も円滑に進むでしょう」

 

カカっと笑う呪腕のハサン。すると、影から染み出るように1人の黒装束の女性が姿を現した。

呪腕のハサンと同じ意匠の白面から察するに、彼女がこの村の頭目であるハサン・ザッバーハだろうか。

 

「噂をすれば影とはこのことか。百貌の、この者達が先ほど話した、我らの新たな同胞だ」

 

「お待たせ致しました。この度の助力、感謝の言葉しかありません」

 

百貌のハサンと呼ばれた女性はこちらに対して恭しく一礼する。

呪腕のハサンもそうだが、非常に礼儀正しく生真面目な性分のようだ。

暗殺教団の教主ということでおっかないイメージを抱いていたが、その印象も随分と変わってくる。

 

「生憎と、明日の食糧にも困る有様でして、何のもてなしもできぬことをお許しください」

 

「別に、お礼が欲しくて助けたわけじゃない。ああ、そうだ。あいつなら、きっと……」

 

きっと、打算抜きで助けに行ったはずだ。

自分は何て愚かしいことを考えていたのだろう。この期に及んで彼らを獅子心王と戦うための戦力としてしか見ていなかった。

そうではないのだ。そんなことを抜きにしても、あの男は彼らを助けようとしただろう。

自分はその代わりを果たしただけだ。

立香の代わりに、彼らを助けただけなのだ。

なら、それでいいではないか。

戦力が手に入ったという打算も、彼らからの感謝の言葉もいらない。ただ、目の前の命を救うことができた。

その事実だけで十分だ。

その事実だけで、彼は喜んでくれるはずだ。

 

「しかし、太陽王との共闘とは……呪腕の、貴様も思い切ったことを考えたものだ」

 

「なに、そうするだけの価値と必要性を見出しただけのこと。既に事態は山の民だけの問題ではない故な」

 

「そうか。業腹だがお前がそう言うのならそうなのだろうな。だが、そうなると例の件も何とかなるかもしれん」

 

「例の件?」

 

「はい。率直に言いますと、山の翁の一人が敵に捕らわれているのです」

 

これが他の山の翁であれば情報の漏洩を防ぐ為に自らの命を絶つのだが、囚われた翁は長としてはまだ年若く、ある事情により自分では自害もできない厄介な体質であるらしい。

命欲しさに秘密を漏らすような人物ではないが、拷問の果てに何かしらの情報をうっかり漏らす可能性もあり、早急な救出が必要とのことだ。

だが、その翁が囚われている十字軍の砦は警護が非常に厳重で、何度か侵入を試みたが帰ってきた者は1人もいないらしい。

 

「砦……っ……」

 

「アナスタシア」

 

「大丈夫、大丈夫よ……ねえ、カドック、何とかしてあげましょう。同情はよくないのかもしれないけれど、その翁様がとても可哀そうよ」

 

捕らえられた翁の話を聞いてイパチェフ館での出来事を思い出したのか、アナスタシアの顔から血の気が引いていた。

不安を紛らわせるようにギュッとヴィイを抱き抱え、助けを求めるように視線を泳がせている。

そんな風に懇願されるとカドックとしても断り様がない。

どのみち、今回はあいつの方針に倣うつもりなのだ。

捕まった山の翁を助けることに対して異論はない。

 

「おお、そう言って頂けるとこの呪腕、確信していましたぞ」

 

「何から何までかたじけない。この礼はあなた方の力となることで、必ずやお返ししましょう」

 

 

 

 

 

 

山の翁が捕まっている砦まで丸一日はかかるということで、カドック達はその日の内に出発することになった。

道中の案内は百貌のハサン。彼女が村を空ける代わりとしてアーラシュが村に残り、村人の護衛と食料の調達を行う手筈となっている。

頼れる弓兵が抜けたことは痛いが、それはそれとして斥候の妙手であるハサンが2人もいるのだ。

道中に遭遇する魔獣もまるで子どもの手習いの如く、一蹴の下に蹴散らしていく。

そうして荒野に降り立つと、視界を覆う程の強烈な砂嵐が巻き起こっていた。

 

「ククク。我らにとって砂嵐など揺籃の習い。まさに吉兆よ」

 

何だか小難しいことを言っているが、呪腕のハサン曰く百貌のハサンはこう言いたいらしい。

『砂嵐であれば聖都の兵に見つかるまい。我々はツイている。今の内に急ごう』と。

実際、この砂嵐ではロクに視界が利かないので頼りになる道しるべもない荒野で目的地に向かうのは至難の技だろう。

カドック自身も魔術で風除けを行わなければ立っていることすらやっとの暴風だ。

一方でハサン2人とアナスタシアは風をものともせずに先行している。

ハサンには「風除けの加護」があり、アナスタシアは魔眼によって視界が遮られる心配がないからだ。

特に後者はその気になれば目を瞑ったままカルデアの施設を一周することだってできる。

 

『む、サーヴァントの反応だ。キミ達の進行方向に一騎、凄まじい反応だ』

 

「サーヴァント反応だと!? 強いのか? Aランクの強者か!?」

 

ロマニからの警告を受けて、百貌のハサンが目に見えて狼狽えだす。

何となくそんな気はしていたが、この暗殺者はすごく神経質で小心者の気が強いようだ。

彼女は自分が円卓の騎士と真っ向から戦えば敵わないことを熟知しており、だからこそ今日まで生き残ってこれたのであろう。

 

『うーん、凄いというより面白い反応だ。何て言うか、キラキラしていて、それでいてふわふわしていて、でもガッシリしている。円卓の騎士では有り得ない、カラー豊かなサーヴァントの反応だ』

 

「それって色モノ……」

 

アナスタシアの呟きに、カドックはどこかの竜の娘(ドラドル)を思い出す。

まさか、北米に続いてこんなところにまで召喚されているのだろうか。まだハロウィンまで日があるというのに。

 

「いえ、多分、違うと思う……うん、あれは違うわね、きっと……」

 

魔眼で一足先にサーヴァントの姿を捉えたアナスタシアが言葉を濁らせる。

いったい何を見たのかだろうか。その表情は何とも言葉では表現できない曖昧なものであった。

少なくとも円卓の騎士や十字軍の関係者ではないのだろう。4人は警戒をしつつも急ぎ足で反応があった場所へと向かう。

やがて、砂嵐の先に表れたのは、巨大な魔獣に掴まれて今にも食べられそうになっている東洋人の少女であった。

 

「たーすーけーてー! あたし美味しくなーいーわーよー!? あ、やめて。火とか吐かないで、熱いから。よし、あたしすごく美味しいってうーわーさーよー! だから乱暴な調理(こと)はしーなーいーでーよー! もー、トータのバカー!」

 

少女は今にも魔獣の口に放り込まれそうな状態であった。

泣き喚きながらも必死で抵抗しているが、哀しいかな少女の細腕では魔獣の強靭な筋肉を押しのけるには至らない。

魔獣もそれに気づいているのか、まるで少女の反応を楽しむかのようにその肢体を舐め回したり火で焙ったりしている。

 

「あー、そういえば食べれば不老長寿になるって言い伝えだもんな」

 

「カドック、あの娘のこと知っているの?」

 

「あー、そういえば面識はなかったか。とりあえず、助けてあげてくれ」

 

「しからば」

 

呪腕のハサンの姿が消えたと思った瞬間、魔獣の喉笛から赤い鮮血が迸る。

さすがは伝説的な暗殺教団の教主。相手が魔獣であったとしてもその技術に曇りはない。

最も、鮮血を諸に浴びることになった少女は更に大きな声で泣き叫んでしまったが。

 

「うう、ひっく……こわかった……こわかったよう……あたし、何もしてないのに……あ、うそです、ちょっと水場を独り占めしてたけど……それだって荒野の動物たちの分くらいは残してたのに……うう……」

 

泣き疲れたのか、やっと大人しくなった少女は特に誰も聞いていないのに自分の身の上話を語り始めた。

曰く、半年ほど前に現界し、十字軍の横暴を止めるために聖都を目指していたこと。

砂漠などに寄り道しつつも道中で弟子のサーヴァントを1人迎え、十字軍と敵対するまでは良かったが、へまをやらかしてその弟子は十字軍に捕まってしまったらしい。

そして、自分はというと弟子を助けるために十字軍の砦を目指していたが、荒野で道に迷って魔獣に襲われていたとのことだった。

 

「面白いサーヴァントね、この娘」

 

「悪い奴じゃないんだ。ただ自分勝手で根拠もないのに自信満々でチャレンジ精神が空回っているだけなんだ」

 

「うー、それ褒めてないわよ悟空……あら? 須菩提祖師(カドック)? ごめんなさい、間違えちゃった」

 

「久しぶりだな、玄奘三蔵。あの時以来か」

 

自分の記憶が確かなら、彼女は玄奘三蔵。或いは三蔵法師と呼ばれる僧侶だ。

紀元7世紀頃、仏典の原典を求めてシルクロードを旅し、インドから六五七部に及ぶ経典を唐へと持ち帰って法相宗の開祖となった徳の高い高僧である。

一方で中国の小説『西遊記』の主要人物としても知られており、そちらでは西海龍王の息子が変じた白馬に乗り、斉天大聖孫悟空を始めとする3人の弟子と共に天竺を目指す旅を行ったされている。

そして、例の如く女性でありながら特に理由もなく史実・創作ともに男性として伝わっていた偉人の1人である。

男装していたアーサー王やネロ帝はともかく、この水着のような破廉恥極まりない改造僧服と惜しげもなく晒されたグラマーな肢体のどこをどう切り取れば男性として伝わるのか、歴史家に問い詰めたい気分だ。

彼女との馴れ初めはひと月ほど前に起きた召喚事故によって自分と立香が巻き込まれたとある騒動なのだが、それについては長くなるので割愛する。

簡単に説明すると、立香が孫悟空、自分がその師である須菩提祖師《すぼだいそし》の役割を当て嵌められて彼女と共に天竺を目指す旅を行ったのだ。

 

「本当、久しぶりね。相変わらず顔色が悪いけど、ちゃんとご飯食べているの?」

 

「食べているよ! そっちは相変わらずだな、へっぽこ法師」

 

「むー、あたしへっぽこじゃないもん。何よ、相変わらず偉そうに。悟空(藤丸)はどうしたの?」

 

「それは……」

 

一瞬、言うべきかどうか迷って言葉を詰まらせる。

彼女は立香を一番弟子として扱い、特に可愛がっていた。

その大事な弟子が死んでしまったなどと言えば、彼女はきっとまた泣いてしまうだろう。

感情が豊かなのは彼女の美徳だが、だからといって悪戯に泣かせるのは自分の好むところではない。

だが、その迷いが彼女に伝わったのだろう。三蔵は優しく微笑むと、小さく震えているカドックの肩にそっと手を置いた。

 

「そ、頑張っているのね、お弟子一号は。なら、あたしも頑張らなきゃ。ここで会えたのも何かの縁、あたしにも協力させて」

 

三蔵は祈るように手の平を立てる。

その眩しい笑顔が今はありがたい。

大切な2人の――の死を忘れずにいることはとても辛いのだ。

その苦しみを捨てるつもりはないが、それでも無理をすると心も体も鉛のように重くなる。

そんな時、彼女の笑顔は力をくれる。困難に立ち向かうための強い勇気をくれる。

そういうところに、彼女の徳の高さがあるのだろう。

 

「見ていなさい! お釈迦様の掌みたいにドーンとみんなを救ってわげるわ!」

 

 

 

 

 

 

十字軍の砦は、砂漠との境界を守るように建てられていた。

百貌のハサン曰く、それなりに厚い守備を固めているが、侵入自体はそれほど難しくないらしい。

アナスタシアの遠見によると、地上の外壁付近と城壁の上にそれぞれ10人ずつの兵士が詰めているとのことだ。

 

『スキャンが終わったよ。サーヴァントの反応はニ騎。どちらも地下からだ』

 

「地下牢ね。道順は覚えたから、案内は大丈夫よ。それにしても酷いことを……カドック、宝具を使いましょう」

 

「落ち着け、目的は捕まっている2人の救出だ。騒ぐのは構わないが、余計な消耗は避けたい」

 

何度か送り込んだ精鋭が戻ってこないことを考えると、この砦は外部よりも内部に戦力を固めていると考えて良いだろう。

侵入させないのではなく侵入した賊を逃がさない。そういう何かがここにはあるのだ。

ならば正面突破など行わず、できるだけ消耗は避けて中に入りたい。

 

「では、陽動ですかな。一方が侵入している間にもう一方が兵を引きつける」

 

「それは私に任せるがいい。カドック殿達が事を成す間、きっちりと仕事は果たそう」

 

言うなり、百貌のハサンの体から幾人もの黒装束が這い出てきた。

姿形が似ている者もいればまったくの別人もいる。

長身痩躯の男、巨漢の男、小柄な老人、妙齢の女性、他にも幾人もの百貌のハサンが現れては散っていく。

これこそが彼女――彼女達の宝具『妄想幻像(ザバーニーヤ)』。

その名の如く百の顔を持つ彼女の正体は複数の人格を持つ多重人格者。

生前は人格の切り替えによって様々な技能を発揮したことが宝具にまで昇華されたことで、人格ごとに全く別の個体として現界可能な特殊能力として発現している。

これにより彼女は個人でありながら非常に優秀な「諜報組織」となるのである。

 

「百貌が時間を稼いでいる間に我々も急ぎましょう。まずは塀を跳び越えねばなりませんが……」

 

「えっと、この塀を? あたしはちょっと……難しいかな……」

 

「では、三蔵殿は私が抱えましょう。アナスタシア殿はカドック殿をお願いします」

 

「ええ、ヴィイに引っ張り上げてもらいます」

 

「頼むよ」

 

砦の反対側で騒ぎが起きたことを合図に、4人は地下牢を目指して疾駆する。

事前にアナスタシアが透視してくれていたことで、侵入自体は容易であった。

だが、何らかの遺跡を流用したと思われる地下牢は思っていた以上に長く、深い。

慣れた者でなければ感覚を狂わされ、自然と迷ってしまう天然の地下迷宮がそこにあった。

 

「ここね。手前に男性が1人、奥に女の子が1人」

 

「手前にいるのはトータね。トータ!? 無事なのー!!」

 

目的の牢がある区画につくなり、三蔵は大きな声を張り上げて1人で先に行ってしまう。

すると、声の反響と共に手前の牢屋から低い男性の声が返ってきた。この声の主が、三蔵の新しい弟子だというトータなる人物らしい。

三蔵の声が大きすぎて何と言い返しているのかはわからないが、とりあえず無事なようだ。

そちらは三蔵に任せてもいいだろう。

 

「……?」

 

ふと、視界の端に何かが転がっていることに気づく。

人間の死体のようだが、肌が酷く変色していて気味が悪い。

身なりも裸同然だったが、僅かに残っている装飾品などから推察するに山の民のようだ。囚われているハサンを救出するために侵入した者達だろうか。

詳しく調べてみたい欲求に駆られたが、生憎と今は時間がないのでハサンの救出が第一だ。

件の山の翁は奥の牢獄の壁に鎖で繋がれており、ぐったりと衰弱している様子だった。

どれほど苛烈な責め苦を受けたのかは周囲に散乱している器具や夥しい血の量で容易に想像することができる。

これほどまでに体を痛めつけられてもまだ生きているのは、彼女がサーヴァントであると同時にその特殊な体質が影響しているのだろう。

 

「よくここまで耐えた、静謐の」

 

「あなたは……東の村の……」

 

「この鎖、令呪とよく似た力を秘めているのか。なるほど、これならばお前が逃げられなかったのも無理はない。今、楽にしてやるぞ」

 

まるで手品か何かのように呪腕のハサンは鮮やかな手つきで囚われていた翁――静謐のハサンを救出する。

外された鎖は何らかの魔術的な一品なのか、表面から僅かに魔力の残滓を感じ取ることができた。

詳しく調べている暇はないが、ハサンが言っていたように令呪に似た術式が組み込まれているのだろう。

円卓の騎士を操っている方法といい、十字軍の獅子心王とは実に悪趣味な嗜好の持ち主のようだ。

 

「いけない……私に構わず急いで逃げて。奴が来ます」

 

よろよろと立ち上がりながら、静謐のハサンはか細い声を張り上げる。

直後、背後に強烈な圧迫感を感じ取ったカドックは、いつでも魔術が使えるように回路を励起させながら真横にステップを踏んだ。

一拍遅れて巨大な拳が先ほどまで立っていた場所に振り下ろされる。

一糸纏わぬ裸の巨漢がそこに立っていた。

全身を浅黒く変色させ、極端に肥大した上半身と獣のように理性を感じさせない眼が特徴の狂戦士だ。

その体からは何がか腐り落ちるかのような鼻につく異臭が発せられており、気を抜くと意識を持っていかれそうになる。

 

「看守!? けど、ヴィイの眼には!?」

 

『何だこれは? 確かに人間なのにサーヴァントの反応もある。デミ・サーヴァントだとでもいうのか?』

 

「あれは私の写し身です。十字軍は私の血から能力を複製し、あの看守に植え付けました」

 

「むぅ、できそこないのサーヴァントというわけか。道理で送り込んだ同胞が帰って来ぬはずだ。だが、これはまずいぞ」

 

目の前の敵はアサシンクラスの「気配遮断」スキルと静謐のハサンの宝具の劣化コピーを有している。

アナスタシアの透視の魔眼はあくまで見えるもの視るだけなので、気配を消されていて気づけなければそれを見落としてしまう。

この看守は最初からここで息を殺して自分達のような侵入者が来るのを待ち構えていたのだ。

そして、厄介なことに静謐のハサンの宝具は生きとし生けるものを悉く死に至らしめる毒の総身『妄想毒身(ザバーニーヤ)』。

その身自体が毒の塊であり、例えランクが落ちていても人間が相手では致死の兵器と化す。

恐らく、この看守は静謐のハサンの血を輸血されたことで彼女の霊基を取り込んだのだろう。

そのようなことを行えば霊基を取り込んだ肉体もただではすまない。ほとんどの場合、英霊側の情報量に耐え切れず魂が焼き切れるか肉体が崩れ落ちるはずだ。

仮にうまくいったとしてもその命は数日とて保たないはず。それほどまでに英霊の魂を取り込むという行為は危険が伴うのだ。

それを考えると、マシュ・キリエライトの融合が形だけとはいえ成功したのは本当に奇跡的な確率だったのであろう。

そして、恐ろしいことにこの看守は1人目ではない。先ほど、視界の端に捉えた死体はハサンの同胞ではなく先代以前のここの看守だったのだ。

十字軍はこの恐ろしい化け物にここを守らせると共に、捕らえた山の民を使って英霊の力を複製するための実験を行っているのだ。

 

「キャスター! こいつに触らないように注意しろ!」

 

耐毒の護符を握り締めながら、カドックは冷気の魔術で看守をけん制する。

吹き荒ぶ冷気が視界を塞ぎ、こちらの姿を見失った看守は腕をやたら滅多に振り回して暴れるが、その拳をアナスタシアの影から出現したヴィイが押さえつける。

直後、動きが止まった隙を突いて呪腕のハサンの投擲が看守の首元を狙う。

狙い違わず命中した2本の短刀は、紛い物のサーヴァントである看守の命をさながら死神の鎌のように刈り取るはずであった。

だが、短刀は命中した途端に先端から腐食し崩れ去ってしまう。

静謐のハサンから複製した毒の影響だ。如何なる武器もその身に触れた途端、腐り果ててしまうのだ。

これを打ち破るためには何らかの耐毒の加護か、完全に腐りきる前に肉を打ち破れるだけの威力を持つ攻撃を仕掛けなければならない。

 

「やはり利かぬか」

 

「キャスター、凍らせられるか!?」

 

「ダ、ダメ……ヴィイの制御に集中しないと、振り解かれそう……」

 

いったいどれほどの措置を施されたのか、看守の力はヴィイの剛腕を振り解きかねない膂力を秘めている。

呪腕のハサンでは決定打を与えられず、静謐のハサンはまだ戦える状態ではない。

逃げの一手を打ちたいところだが、看守が出口を塞いでいるのでそれも叶わない。

 

「ふむ、詰みましたかな、カドック殿」

 

「そう思うか?」

 

「いえ、アレがあるのでしょう。既に準備は整っているようですよ」

 

「わかった、みんな後ろに跳べ!」

 

合図と共に、カドックは拳を翻す。

同時に赤い光が霧散し、床に叩きつけられると共に一画の令呪が消えて不可視の檻を形作った。

ほんの僅かではあるものの、サーヴァントの動きを阻害する令呪の檻。

それは紛い物のサーヴァントである看守も例外ではなく、カドックを中心にその場にいた4人のサーヴァントの動きが重力で縫われたかのように遅くなる。

こんなことをしたところで、まともに動けるのが自分だけでは意味がない。

自分の魔術程度ではこの看守を倒すことができない。

だが、ここに1人、それが可能な人物がいる。

毒の体に触れることなく、その身を打ち貫く力を持ったサーヴァントがいる。

 

「まずは礼を言おう。サーヴァント、アーチャー。真名を俵藤太と申す。これより貴殿の弓となり、共に戦うことをここに誓おう」

 

何が起きたのか、看守自身もわからなかったであろう。

何しろ、突然、体が重くなったかと思った瞬間、背後から心臓を矢で射抜かれたのだから。

それを成した人物こそ、静謐のハサンと共に囚われていた三蔵が弟子と言い張る1人の男。

東洋の魔性殺しとして名高い勇将、俵藤太であった。

 

 

 

 

 

 

何とか看守を撃退したカドック達は、急ぎ百貌のハサンと合流して砦を後にした。

自分達が地下に潜っている間、百貌のハサンもかなりの激闘を繰り広げていたようで、撤退間際は疲労で頭がうまく回らない有様だった。

どうやら彼女の宝具は短時間に酷使すると脳に強い負担をかけるようだ。

 

「食べるか、未来の砂糖菓子だ。いくらかマシになるだろう」

 

「かたじけない。はあ……生き返る」

 

飴玉を豪快に齧りながら、百貌のハサンは馬上で一息を入れる。

今は砦から奪った馬で西の村に戻る途中だ。

あのサーヴァントもどきの看守以外は取り立てて厄介な敵はおらず、円卓の騎士も現れなかったので救出作戦は大成功と言っていいだろう。

しかも、三蔵と藤太という強力な助っ人も招き入れることができた。

絶望的だった十字軍との戦いにも、これで光明が見えてくるというものだ。

 

「後はアーラシュと合流して、太陽王との交渉だ。やれるぞ、これなら……」

 

カドックはかつてない手応えを感じ、曇りがちだった眼差しにも強い光が戻ってくる。

もう立香はいない。マシュもいない。けれど、2人の願いはここにある。

自分が彼らの代わりに、必ずグランドオーダーを成し遂げる。

2人の無念も希望も、全てを背負って7つの特異点を駆け抜ける。

その決意を新たにし、カドックは馬を走らせた。

異変に気付いたのは、その直後であった。

 

「見て、西の村が……」

 

西の村が、燃えていた。




ニトクリス誘拐未遂がないから百貌がまるで別人のようだ(笑)

カドックくんは耐毒スキルがないので静謐ちゃんからの好感度は低めです。
まあ、仮に彼女が迫ってきたらヴィイの平手が飛びますが(カドックに)。


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神聖■■■■エルサレム 第5節

燃えていた。

何もかもが燃えていた。

石を並べて築いた小屋も、村が総出で掘り起こした井戸も、荷馬車を引くために馬の小屋も、何もかもが深紅の炎に彩られていた。

ほんの2日前までは穏やかな村であった。

十字軍の恐怖に怯えながらも、懸命に明日を生きようとする人々の営みがそこにはあった。

だが、今やそれは見る影もない。

家々は焼かれ、逃げ惑う村人は切り捨てられ、阿鼻叫喚の地獄が広がっている。

 

「おお、おおお何という……! 此処には兵と呼べる者などおらぬというのに……!」

 

「アーラシュ殿はどうした? 彼は無事なのか!?」

 

「誰か、誰か生きている人! いたら声を出して!!」

 

「むう、火の手が早い。これでは視界が――」

 

村の火の手に気づき、急ぎ駆け付けたカドック達は方々に散っていく。

既に村の至る所が焼かれており、動いている者は誰一人としていない。

みんな、十字軍の手によって物言わぬ骸となってしまったのだ。

その惨状を目の当たりに、誰もが生存は絶望的だと理解していたが、それでも探さずにはいられなかった。

誰か1人でもいい。この地獄の中に生存者はいないのかと。

そこで静謐のハサンはあることに気づいた。

無残にも殺され倒れている者達は、男性ばかりで女子どもや老人の姿が1人もいないことに。

 

「まさか……やはり、村人の大半は既に避難を済ませています」

 

「うむ、確認に向かわせた人格が戻ってきた。襲撃を免れた者達は村はずれの洞窟に避難しているとのことだ」

 

それを聞いてカドックはホッと胸を撫で下ろした。

恐らくはアーラシュが十字軍の襲撃を察知し、事前に村人を逃がしたのだろう。

ここで殺されている村人達は、十字軍の足止めのために敢えて村に残って戦いを挑んだのかもしれない。

だが、そうなるとアーラシュはどうなったのだろうか。

彼は東方の大英雄。十字軍の兵士がいくら束になってもかなうような戦士ではない。

加えて十字軍が擁するサーヴァントの内、ガウェインは能力の負担が大きく聖都を離れられないだろうし、モードレッドも先日の戦闘での負傷がまだ癒えていないはずだ。

ならば、まだ見ぬ新たな英霊がここにやって来たのだろうか?

 

「偉大なる弓兵であれば、既にこの世に亡く……ああ、私は悲しい」

 

まるでこちらの疑問を見透かすかのように、炎の向こうから1人の男が姿を現した。

ピッチりとしたスーツを纏い、赤い長髪を振り乱した美丈夫だ。

はだけた上着から覗く胸元は所々が黒く変色しており、その不気味なマーブル模様が十字軍によって何らかの処置を施された改造サーヴァントであることを物語っている。

 

「貴方がたはモードレッドを追い返した。それが十字軍に報復を決意させたのです」

 

男の閉じられた目が開く。濁った両の瞳は、まるで涙を蓄えているかのように哀愁に満ちていた。

 

「――本当に、悲しい。だが、運命はようやく、貴方がたに追いついた」

 

「お前は……」

 

「円卓の騎士トリスタン。残念ながら、今は十字軍の末席を汚す者。哀れな弓兵と笑ってください」

 

トリスタンと名乗る男は、手にした竪琴のような形の弓を弄びながら淡々と告げる。

彼が口にしたその名は、ガウェインやモードレッドと同じくアーサー王の円卓に所属する騎士の名だ。

トリスタン。その名は哀しみの子を意味し、彼とイゾルデと呼ばれる女性との悲恋は余りに有名である。

どうやら彼もまた十字軍のサーヴァントらしい。だが、カドックが驚愕したのは彼の余りに理性的な振る舞いであった。

今まで、遭遇した十字軍のサーヴァントは狂戦士と化していたり、半ば能力を制御できずに自我を喪失している者ばかりであったが、彼は特に何の支障もなくこうして言葉を交わすことができる。

円卓の騎士ともなればその高潔な精神性から、十字軍のような非道を成す輩とは決して相いれないはずだ。

なのに、どうして彼は平然としていられるのだろうか。

 

「いえ、残念ながら私の体にも獅子心王の『呪詛(ギフト)』は埋め込まれています。生憎とどのような加護なのかはわかりませんが、私は十字軍に逆らうことができない。ただ、弓を使う以上はある程度の理性を残さねばただの木偶の坊というだけです」

 

「抵抗することはできないのか?」

 

「ほんの少し、急所を外すくらいでしょうか。諦めてください。あなた方はどうあっても私を倒さねばならない」

 

「……っ!」

 

自然と義憤が沸いていた。

ガウェイン、モードレッド、そしてトリスタン。

名立たる英雄をこのように貶める十字軍の非道、どうあっても許してはおけない。

今までも多くの英霊を敵に回してきたが、これほどまでの所業を働いたのはフランスのジャンヌ・オルタ以来だ。

そして、そんなジャンヌ・オルタですらサーヴァントを1人の英霊として扱っていた。

だが、十字軍は違う。奴らはサーヴァントを英霊として見ていない。ただの兵器、ただの道具としてその身を構成するエーテルの一粒まで使い潰そうとしている。

そんなことを、許しておいていいはずがない。

 

「ああ、実に悲しい。そのまっすぐな怒りを讃えることすらできないとは」

 

トリスタンが竪琴に指を這わす。刹那、カドックの目の前で氷の結晶が弾け飛んだ。

それはトリスタンが音を奏でる度に次々と咲いては散っていき、風に吹かれた氷の塵が視界を覆う。

 

「これは……音断ち? 弓の弦を楽器のように弾いて真空の刃を飛ばしているのか!」

 

つまり、トリスタンは音の刃を飛ばす弓兵。アーチャークラスは何かを飛ばす技能や道具を有していれば適用されるクラスだが、彼はその中でもぶっちりぎりにイレギュラーな存在だ。

 

「ご明察。そして、実に素晴らしいパートナーをお持ちだ。よもや、音を視ることができる者がいるとは……」

 

「っ……」

 

「だが、いつまで持ちますか? 見えぬものを視るのはさぞ疲れるでしょう。仲間を呼び返しなさい。さあ、早く……」

 

立て続けに奏でられる音の刃を、アナスタシアは氷の魔術で次々と撃ち落としていく。

彼女の透視の魔眼は本来ならば見ることができない空気の流れすら捉えることができるようだ。

しかし、形のない空気の波を捉えるという所業は彼女の脳に著しい負担を与えている。

すぐに強化の魔術を施すが、それでも疲労から徐々に押され出したのか、散華する氷の結晶は少しずつこちらに迫ってきていた。

一方でトリスタンはその場から一歩も動くことなく竪琴を奏で続けている。

十字軍による強化の影響なのか、たまに表情を歪めたり音を外して明後日の方角に音の刃を飛ばすこともあるが、彼自身が言っていたように与えられた命令に逆らうことはできないようだ。

 

「……っ」

 

「待つんだ、静謐。不用意に突貫しても音の刃の餌食になるだけだ」

 

短刀を手にトリスタンへ飛びかかろうとした静謐のハサンを、カドックは制止する。

如何に彼女が手練れの暗殺者といえど、不可視の刃と打ち合えるほどの猛者とは思えない。

闇雲に突撃してもそれは死を早めるだけだ。幸いにもトリスタンは全力を出さぬよう埋め込まれた十字軍の命令に抗ってくれている。

彼が言うように、村人の救出に走った他のみんなが戻ってくるまで持ち堪えることができれば勝機はあるはず。

そう思った刹那、カドックの喉元が柘榴のように弾けた。

 

「っ!?」

 

切られたのは薄皮一枚。

傷としては大したことはないが、いよいよを持って追い詰められてきている。

こちらの手札は残る一画の令呪と静謐のハサンが1人。

このトリスタンは強敵だ。下手なカードの切り方をすれば命取りになる。

 

「……、……いけません……ゆびが……ほう……ぐ…………かい……ほう……逃げ……」

 

夥しい氷の結晶が宙を舞う中、不意にトリスタンの顔が醜く歪み、その身から放たれる魔力の量が増していく。

宝具の前兆だ。今までよりもハッキリとした拒絶の意思をトリスタンは見せるが、それでも外法によって操られた指は止まることがない。

 

「宝具が来ます! カドック様、このままでは彼女が……」

 

「わかっている……頼む、静謐!」

 

「はっ」

 

視界から掻き消えた静謐がトリスタンの死角へと回り込み、果敢にも接近戦を挑む。

気配遮断からの奇襲。加えて触れれば必死の毒の体。本来ならばまともに対処することすら困難な相手のはずだ。

だが、トリスタンは弓に魔力を蓄えつつ、空いているもう片方の手で剣を抜くと静謐のハサンの短刀を叩き落し、華麗な回し蹴りで彼女の体を吹き飛ばした。

彼女の毒も分厚いブーツ越しでは効果を発揮しきれないのか、靴底が腐り落ちながらもトリスタン自身がダメージを負った様子はない。

そして、その一瞬の攻防の間に魔力は充填され、妖弦使いの魔弓に不可視の矢が装填される。

 

「ほわっちゃー!!」

 

「柘榴と散れぇい!!」

 

今にも宝具が解放されようかという瞬間、背後から三蔵と呪腕のハサンがトリスタンへと飛びかかる。

先ほどと違い、完全に宝具の発射態勢に入っていたトリスタンは2人の攻撃を捌き切ることができず、叩きあげられた痩躯が地面を転がった。

更に倒れたトリスタンを取り囲むように展開される百貌のハサンの人格達。

総勢、20名の軍勢に囲われたトリスタンは、ここに至ってようやく自身が追い詰められたことに安堵した。

 

「カドック、無事!?」

 

「ああ、何とかな……」

 

「円卓の騎士トリスタン。その命を貰い受ける」

 

「そうして頂きたいのは山々なのですが、いささか時が遅すぎました、山の翁。見上げなさい、あの空を――あの悲しい輝きを」

 

「な……なんだと……まさか、まさか……!」

 

トリスタンの指し示す方角を見上げた呪腕のハサンの声に絶望の色が混じる。

遅れて見上げたカドックは、そこに美しくも禍々しい黄金の輝きを目にした。

その輝きはまるで柱のように聖都の方角から立ち上がり、こちらに向けてまっすぐに向かって来ている。

 

「これが獅子心王の裁き。『―――――――――』による浄化の光」

 

静かに語るトリスタンの言葉が不自然に欠落する。

口は確かに動いており、何かの言葉を発していた。だが、それが意味のある音とならずに消えていく。

恐らくは獅子心王の核心に迫る何かを彼は口走ったのだ。だが、悪しき外法は彼に語る舌を与えない。

情報の漏洩を防ぐ為に肝心な言葉を発せられないよう処置を施されているのだ。

 

「これは禁則事項ですか。ああ、私は悲しい。そして、聞きなさいカルデアのマスターよ。聖都の地下には「――」があります。この世を深紅に染め上げる地獄の炎、一切を焼き払う裁きを以て、獅子心王はこの時代を破壊します。何を犠牲としても構わない。あなただけは逃げ延びなさい。聖都の地下、あの呪わしき「――――」を止めるのです」

 

不意を突くように竪琴を鳴らしたトリスタンの姿が掻き消える。

全員の注意が空の光に向いた隙を突いて離脱したのであろう。最後の攻撃は単なる目くらましだったのか、傷を負った者は誰1人としていなかった。

 

『これは……直上、魔力観測値3000……4000……5000……尚も上昇中。計測が間に合わない! とにかく急いで退避を……! 消し炭になるぞ!』

 

通常のサーヴァントが放てる最大火力が凡そで1000から3000。だが、頭上の光はそれを遥かに上回る魔力量を誇っている。

あれがルシュドの言っていた獅子心王の裁き。いったい如何なる宝具によるものか、その光はさながら天から降り注ぐ神罰の如く地上の村々を焼き払う。

そして、とうとう自分達にその順番が回ってきたのだ。

あれを受け止めることは不可能。アナスタシアの城塞など接触した端から分解されてしまうだろう。

逃げなければならない。脇目も振らずに、一目散に。

 

「逃げるだって……できるわけないだろ! あいつなら逃げないぞ! まだ、村人が洞窟にいるんだ! 僕達だけで逃げられるか!」

 

「ですが、全員を連れて下山していたのでは間に合いませぬ。カドック殿、我らのことは構わず、どうかアナスタシア殿とお逃げください。今ならばまだ間に合うはず」

 

「見捨てろって言うのか……僕にまた、誰かを見捨てろと……」

 

あんな苦しい思いはもう真っ平だ。

生き残ったことを後悔するのはもう真っ平だ。

目の前の人を見捨てるのはもうあの時だけでいい。

大切な――を見殺しにしたあの1回だけでいい。

あんな思いをするくらいなら、いっそ――――。

 

「見て、あの光は――」

 

村の外れから光が立ち上がる。

まるで闇を引き裂く流星の如き光。

地上から打ち上げられた眩き輝きは今にも落ちようとしている光の裁きへとまっすぐに飛んでいき、カドック達の頭上で激しい火花を散らす。否、それを火花と呼ぶのはおこがましい。宝具と宝具、純粋にして膨大な魔力同士がぶつかり合い、大気を震わせるほどの激しい爆発が頭上に響き渡る。

そして、次に気づいた時には、獅子心王の裁きの光も地上から打ち上げられた光の柱も跡形もなく消滅していた。

 

 

 

 

 

 

時間は少しだけ遡る。

傷の痛みで意識を取り戻したアーラシュは、目の前の現実が既にどうにもならない事態にまで陥っていることに激しい憤りを抱いた。

カドック達が静謐のハサンの救出に向かう際、彼らが戻ってくるまでは何があっても持たせてみせると豪語したことが情けなくて自分を呪いたくなった。

実際はそれだけ十字軍は本気だったということなのだが、まさかこのような辺境に大隊を差し向けてくるとは思いもしなかったことも事実だ。

奴らは円卓の騎士トリスタンの力でこちらの弓を封じた後、先日の戦いでの傷がまだ癒え切っていないモードレッドをぶつけてきたのだ。

確かにサーヴァントの相手はサーヴァントでなければ務まらない。だが、いくらこちらを倒すためとはいえ傷だらけのモードレッドを投入するとは誰が思うだろうか。

この地に召喚されてから十字軍の非道は何度も目の当たりにしてきたが、呪腕のハサンが言っていたように彼らは既に人の心を失っている。

加えて手負いとはいえモードレッドは手強く、半ば相打ちになる形で崖に落とすのが精一杯であった。消滅は確認していないので相手がどうなったのかはわからないが、自分のカンではまだ生きているという確信があった。

 

「うむ、助け出すつもりで駆け付けてみたが、その必要はなかったようだな」

 

苦心して崖を這い上がったところで、アーラシュは1人の青年と出くわした。

東洋の衣装に身を包んだ弓兵だ。円卓の騎士ではないようだが、何者だろうか。少なくとも悪人とは思えないが。

 

「あんたは?」

 

「拙者は俵藤太。故あってカドック殿のサーヴァントをしている。そういうお主は彼の東方の大英雄アーラシュ殿であろう?」

 

「そんな大層なものじゃないさ」

 

「なに、得てしてそういうものは自分ではわからぬものよ」

 

差し出された藤太の手を取り、アーラシュは満身創痍の体を立ち上がらせる。

気を抜くと力が抜けて倒れてしまいそうになるが、持って生まれて頑強な体は辛うじてではあるが言うことを聞いてくれた。

この体を与えてくれた神に改めて感謝の意を示したい気分だ。

 

「平素なら茶飲み話を咲かせるところではあるが、生憎と今は時間がない。あの空の輝きはすぐにでも落ちてくるだろう。急いで逃げねば間に合わぬぞ」

 

「ああ、なるほど……そういうことか……」

 

支えてくれようとした藤太の手を制し、アーラシュは崖下から背負ってきた弓を構え直し、残った力を振り絞って矢を番える。

頭上の光は獅子心王の裁きの光だ。自分はあの光がいくつもの村や砦を焼く様を目にした。

それが今度はこの村に降り注ごうとしている。

急いで逃げなければならないのは確かに事実。だが、逃げてしまえば生き残った村人を守る者がいなくなる。

どちらに転ぼうとこの村が全滅してしまうことには変わりがない。

 

「何をするつもりだ、アーラシュ殿?」

 

「何、大一番という奴さ。弓兵としてあんなもの見過ごす訳にはいかないだろ」

 

「何と、あれを撃ち落とすと言うのか。おお、確かにお主はその名も高きアーラシュ・カマンガー。だが、それが意味することとは……」

 

「話が早くて助かる。あんた、見たところ相当の使い手のようだな。こんな時に頼み事も悪いが、折角仲間になってくれたのなら俺の代わりにあいつを――カドックを頼む」

 

この一週間の付き合いで、アーラシュの千里眼はカドックが抱えている心の歪みも強い自縛の念もハッキリと見通していた。

彼は傷ついている。

幼少から抱き続けてきた苦悩が解消された矢先での悲劇。自分の全てを賭けても良いと思える程の大事な相手を喪失したことで、彼は常に自らを責め続けていた。

藤丸立香が死んだのは自分のせい。

マシュ・キリエライトがここにいないのは自分のせい。

2人が我が身を犠牲にすることを見逃し、見殺しにしたと自分自身を責め続けていた。

だが、違うのだ。

それは違うのだ。

彼らは決して、犠牲になったのではない。

そのことをアーラシュは時間をかけて諭そうと考えていたが、残念ながらそんな時間はないらしい。

自分は次の一射で終わる。

この先の戦いを支えてやることができないことが唯一の心残りではあったが、幸運なことに凄腕の弓兵がここにいる。

彼に後を託せるのなら、思い残すことはなにもない。

 

「相分かった。不肖俵藤太。お主に代わって全身全霊を賭け、我がマスターの力になることを誓おう。後顧の憂いなく、どうか存分に射られよ」

 

力強い頷きを返され、アーラシュは最後に小さく微笑みを浮かべる。

ああ、実にいい。

自分の思いを託せる者がいる。

自分の思いを引き継いでくれる者がいる。

何と尊く、素晴らしいことか。

孤独に戦い続けた生前には叶わなかったことだ。

その喜びを胸に、アーラシュは自分に残された最後の力をこの一矢へと注ぎ込んだ。

 

「―――陽のいと聖なる主よ。あらゆる叡智、尊厳、力をあたえたもう輝きの主よ。我が心を、我が考えを、我が成しうることをご照覧あれ。さあ、月と星を創りしものよ。我が行い、我が最期、我が成しうる聖なる献身(スプンタ・アールマティ)を見よ。この渾身の一射を放ちし後に―――」

 

一拍を置く。

恐れはない。

不安もない。

あるのはちっぽけ勇気と、後を託した者へよせる強い思い。

ああ、これをあいつに伝えられないことが悔やまれる。

藤丸立香とマシュ・キリエライト。

その2人は犠牲になったのではない。

見殺しにされたのではなく、託していったのだ。

カドック・ゼムルプスならば必ずやこの特異点を正してくれる、必ずやこの時代を救ってくれると信じて、誉れある献身を成し遂げたのだ。

 

「―――我が強靭の五体、即座に砕け散る(・・・・)であろう!────『流星一条(ステラ)』ァァッ!!」

 

光の矢が放たれる。

伝承に曰く。争い合う両国を収めるために放たれた流星の一射。

2つの国を引き裂き、大地を割り、そこに「国境」を生み出した人ならざる絶技。

その究極の一矢と引き換えに、アーラシュの肉体は五体四散して落命したという。

この宝具はその再現。

文字通り大地を割るという絶大な威力と引き換えに、アーラシュの霊基は修復不能なまでの傷を負う。

即ち、アーラシュの死を代償として放つ一度限りの一射なのである。

 

(ああ、きっと泣くんだろうな。平気そうな顔をしていても、心の中で泣くんだろうな。だが、それでいい。その悲しみを忘れるな。そうやってお前はここまで来た。5つの特異点を乗り越え、ここまで辿り着いた。みっともなくとも、情けなくとも、それでも歯を食いしばって、命を賭けてここまで来た。それが間違いなはずがない。だから、2人を見殺しにしたなんて言うな。自分が成し遂げてきた偉業を否定するようなことを言うな。2人は……そして俺は、お前に後を託せるから逝けるんだ。だから――)

 

肉体が粒子に還元される中、アーラシュの千里眼は村人を見捨てられずにジレンマに陥るカドックの姿を見る。

必死で死んだ仲間の真似をして、人助けに奔走する様を笑う者など誰がいようか。

何故なら――――。

 

「お前は間違っちゃいない……」

 

頭上で目を覆わんばかりの爆発が起きる。

その一部始終を見届けた藤太は、既に消えてしまった偉大な英雄に向けて賞賛の言葉を送った。

 

「……感服の他ありませぬ。星を落とす者はかずあれど、星を砕く神技は他になし。まさに――見事なりアーラシュ・カマンガー。八幡大菩薩が宿るかのような、凄烈の一射であった」

 

 

 

 

 

 

どことも知れぬ闇の中、トリスタンは1人の男と対峙していた。

一見すると気難しくて神経質そうな人相の男性。一方で人当たりが良く紳士的な面を覗かせることもあれば、狂気じみた言動で周囲を振り回すこともある。

しかし、トリスタンの両の眼は男の本質を捉えていた。

この男には何もない。

願いも、思想も、何もかもを塗り潰されてしまっている。或いは、最初から持ち合わせていなかったからこそこうなったのか。

何れにしてもこの男が、この時代を地獄へと塗り替えた狂気の支配者。獅子心王であることに変わりはない。

 

「ふむ、任務ご苦労、トリスタン卿。だが、私は村の殲滅を命じたはずだ。貴公は素直に命令に従わず任務に時間をかけ過ぎる。おかげで聖剣を使わざるを得なかった」

 

「酷な事を。そのようなことをおっしゃるのなら、いっそ彼のように狂わせればいいでしょう?」

 

「ふん、弓の射れぬ弓兵に何の意味がある! 加えて如何に貴公が抗おうと我が第二宝具の影響下にある以上、それから逃れる術はない。我が忠実なる大隊の一員として、真なる十字の日が来るまでその腕を存分に振るってもらうよ」

 

男は仮面のような表情を張り付かせながら、闇の底へと沈んでいく。

 

「ああ、その件の彼だがとうとう、私の制御を離れてしまったよ。剥き出しの本能というもの恐ろしい。今頃は砂漠にいるだろうね」

 

そう言い残し、男の姿は完全に消える。

1人残されたトリスタンは、闇の中で残された時間を憂い、いずれ来るであろうカルデアのマスターの無事を祈ることしかできなかった。

 

「さて、神に愛された天才(アマデウス)は自らのレクイエムを作曲したといいますが、果たして私は自身にレクイエムを奏でられるでしょうか」

 

 

 

 

 

 

一夜が明けた。

藤太から事の成り行きを聞いた一同は、発すべき言葉を失っていた。

アーラシュの献身により村は救われた。このようなことが起きた以上、この西の村は捨てねばならないが、それでもほとんどの村人を無事に逃がすことができた。

それでも大切な仲間の死は彼らの心を痛めた。

呪腕のハサンは最大の盟友の冥福を静かに祈った。

百貌のハサンはアーラシュに村の守りを押し付ける形となったことを恥じ、己の不甲斐なさを悔いた。

静謐のハサンは自分を救うためにみんなが動いたことがアーラシュの死に繋がったと己を責めた。

三蔵は泣いた。ひたすらに泣き喚き、アーラシュの最期を看取った藤太はかける言葉を持たなかった。

アナスタシアは彼と過ごした短くも穏やかな日々を思い返していた。

そして、カドックは気丈に振る舞いつつも、誰もいないところで1人、涙を噛み締めた。

自分はまたしても、大切な人を見殺しにしてしまった。

何て不甲斐ないマスターだろうか。

努力しても、努力しても、それでも手の平から多くのものが零れ落ちてしまう。

いいかげん認めよう。自分にはこれが限界だ。

あいつのように胸を張ってみんなを救えない。守れない。

だって、カドック・ゼムルプスは藤丸立香ではないのだから。

 

「カドック、出発の時間よ」

 

このまま西の村にいたのではまたいつ十字軍が襲ってくるとも限らない。

自分達は早急に東の村へと場所を移し、今後の方針について話し合う予定であった。

だが、果たして自分達に何ができるだろうか。

敵は新たにトリスタンという強力な英霊を送り込んできた。それに加えて聖都を守るガウェインと大百足。もし生きているのならモードレッドもそこいいるはずだ。

対して自分達はアーラシュという大英雄を失った。彼の偉大な弓兵の威光があれば、太陽王も交渉の席についてくれるだろうという算段であった。

三蔵も藤太も素晴らしい英霊ではあるが、神を自称するファラオからすればただの人であることに変わりはない。

太陽王の説得は、アーラシュがいて初めて現実味を帯びる案件なのだ。

 

『そうだね。今のままでは太陽王を説得することは難しいだろうね。アーラシュ・カマンガーはそれほどまでに偉大な英霊だ。彼に匹敵する格か力を持つ大英雄でも連れてこない限りは、ファラオを動かすことなんて容易じゃないだろう』

 

「ですが、我らは聖都奪還を諦めるつもりはありません。例えあなた方の力を借りれずとも、太陽王を引き入れることができなくとも、聖都を取り返しましょう」

 

静かな決意を以て語る呪腕のハサンに、他の2人のハサンも同意する。

彼らとて盟友を失って傷ついている。だが、同胞たる山の民を守るために不退転の決意を固めていた。

 

「ねえ、トータ。何とかしてあげられないの?」

 

「むう、実力で劣っているつもりはないが、アーラシュ殿は別格だ。太陽王を引き込むには何かもう1つ、切り札が必要となるだろうな。そも交渉というものは最低限、同じ立場の者同士が行うものだ。力でも知恵でも格でも何でもいい。太陽王がこいつにゃ敵わんと思うくらいの何かがあればよいのだが……」

 

『そんなもの、ここにはもう……』

 

「いえ、それでしたら我らにも秘中の秘があります。私が囚われ、尋問されていた理由の一つでもあります」

 

「静謐! 貴様、まさか――」

 

百貌のハサンの顔が目に見えて驚愕の色に染まる。

だが、静謐のハサンは止まらなかった。

 

「百貌さま、我々も禁忌を破る時ではないでしょうか? アーラシュ殿の献身には何としてでも報いるべきです。そのための力が足りないのなら、あのお方の力を借りるしか……」

 

ふと、カドックの脳裏にいつかの夢に見た男の言葉を思い出す。

 

山の翁(ハサン)に会うんだ。歴代のではなく最初にして最後の翁を』

 

『初代の翁に、グランドアサシンに会うんだ』

 

最初にして最後の翁。

初代ハサン・サッバーハに会えと、あの夢に出てきた男は言っていた。

 

「初代の……翁?」

 

「なっ、知っていたのですか? あなたが何故?」

 

「わからない。けれど、言葉が思い浮かんだんだ。ハサンの頂点に君臨する原初の翁。静謐が言っているのはそのことなんだろう?」

 

「然様。あのお方の力を以てすれば円卓など恐れるに足りません。太陽王も確実に交渉に乗ってくるでしょう。ですが、あのお方を起こすとなると……」

 

何やら事情があるのか、呪腕のハサンは言葉を濁らせる。

他の2人も神妙な面持ちで彼を見守っているが、やがて呪腕のハサンは意を決したかのように頭を上げた。

 

「いいでしょう。私も掟に囚われすぎていました。この村のために命を捧げた我が盟友のためにも、私は禁忌を犯します」

 

「よいのか、呪腕の! それでは……」

 

「構わんよ百貌の」

 

彼の決断は何やら重大な意味を有しているらしいが、アナスタシアが聞き返しても彼は答えなかった。

まずは東の村に戻り、そこから順番に説明するとのことだ。

そうして話が進んでいく様を、カドックはどこか他人事のように見守っていた。

昨夜の一件で完全に心が折れてしまったのだろうか。

否、それならばここに自分がいるはずがない。

大切な――と、尊敬する大英雄を失いながらも、心の底では戦う事を止めようとしていない自分がいることにカドックは気づいていた。

 

『僕の見立てでは君はまだ自分で選べる側だと思うんだけどね』

 

『真の圧制とは己が内にあり、鎧を纏っていては如何な鳥でも羽ばたけぬ。さあ、抗え! 叛逆だ!』

 

『欲しいんだろ! だったら奪え、力尽くでぇっ!!』

 

『あなた様も退屈さでは彼に負けていませんが、それでも足掻こうとする姿は弄り甲斐があった』

 

『――立って、戦うことの何と難しいことか。だが、幾多の絶望を踏み越えるるからこその英雄――――未だ戦い続ける友の背中を黙って見つめるなど、アメリカ人の名折れである!』

 

思い浮かぶのはこれまでの特異点での記憶。

楽な戦いなど一つもなく、何度も壁にぶつかっては乗り越えることを繰り返してきた。

天才と言葉を交わし、叛逆の徒と命がけで向き合い、海賊の生き様に憧れを抱き、悪魔に翻弄され、発明王に意地を見た。

ああ、その日々の何て美しいことか。

それを今更投げ捨てることなどできない。それをするには余りに荷物が重すぎる。

そして、何を馬鹿げたことを考えていたのだろうか。

自分は藤丸立香ではない。彼の代わりは務まらない。それでも、彼のようになりたいと願ったのではななかったか。

例え及ばなくとも、その願いだけは抱えたまま前に進みたいと、第五の特異点で誓ったのではなかったか。

 

(そうだ、あいつはこんなところで諦めない。僕だって……僕だって、同じ気持ちだ……)

 

みんな、まだ戦おうとしている。誰も諦めていない。

なら、マスターである自分が諦めるわけにはいかない。

天才には敵わない、藤丸立香にも及ばない。それでも、それだけは――諦めないことだけは譲る訳にはいかない。

 

 

 

 

 

 

そして出発の刻限が来た。

本来ならばもう村を出ている予定なのだが、カドック達は出発前に昨夜の戦場となった広場をもう一度、訪れていた。

瓦礫の撤去や生活品の回収を行っていた村人が、広場に地面に奇妙な文字が彫られていることを報告してきたからだ。

 

「ここです、頭目。我々の文字ではないみたいですが、どうにも気になりまして」

 

「ふむ、異教徒の文字か。いや、それとはまた違うようだが……」

 

見下ろすと、固い岩肌にいくつもの亀裂が走っていた。

被さっている砂を払うと、確かに文字のようにも見える。

 

「……ラテン語? いや、ケルト語か? 読みは……「杯」……「炎」……「破裂」……「破壊」……「地面の下」……」

 

書き殴るように彫られた文字を順番に解読していく内に、カドックは背筋がゾッとするような想像を抱いてしまった。

同時に、昨夜の襲撃の際、トリスタンが最後に言った言葉の内容を思い出す。

 

『この世を深紅に染め上げる地獄の炎、一切を焼き払う裁きを以て、獅子心王はこの時代を破壊します』

 

あれは言葉にまで制限をかけられたトリスタンが懸命に訴えようとしていたメッセージではなかろうか。

なら、この岩に刻まれた文字も同じく、トリスタンによるものかもしれない。彼は去り際に音の刃を放っていたが、あれは目くらましではなくこのメッセージを残すためのものだったのかもしれない。

 

「まさか……そんなことが可能なのか……」

 

「カドック、顔が真っ青よ。どうしたの? この文字に何の意味があるの?」

 

「十字軍の……獅子心王の目的がわかった」

 

これがただの妄想であって欲しいと願わずにはいられない。

だが、トリスタンが呪詛に抗ってまで伝えようとしたことなのだ。

彼がそこまでして残した言葉が偽りであるとは思えない。

同時に、十字軍の、その首魁である偽りの獅子心王の所業に恐怖した。

神をも恐れぬ狂気の行いに戦慄した。

 

「奴らは……この時代の人理定礎を爆破するつもりだ。聖杯を改造した……聖杯爆弾で……」




少しずつ核心に迫る第5節。
聖杯爆弾はいつか使いたいと思っていたネタです。
ちなみにトリスタンが何故ケルト語で文字を残したのかというと、ピクト人かもしれない説からきています。


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神聖■■■■エルサレム 第6節

そもそも聖杯とは何か。

一般的には救世主の血を受け止めた杯、或いは最後の晩餐に用いられた食器を指すとされている。

一方で聖杯戦争において奪い合われる聖杯は手にした者の願いを叶える願望の万能機。その本質は何物にも染まっていない無色の魔力である。

聖杯に蓄えられた膨大な魔力はこの世の法則の範疇内であれば、願いの形を与えることで持ち主のあらゆる願望を実現させることができる。元が無色であるが故にその形は千差万別で、巨万の富を得ることも永遠の命も、生命の創造すら思いのままだ。過去の特異点においても架空の英霊や無限ともいえる兵士の創造など様々な使われ方をしてきた。

そして、その魔力を破壊の方向に傾ければ、この世の如何なる兵器、凶暴な魔獣の類よりも恐ろしい代物へと成り果てる。それこそ、世界を業火で焼き尽くすことなど造作もないであろう。

 

『言うならば魔術的な核兵器だ。それも街や国どころじゃない、世界そのものを破壊しかねない強力な爆弾になるだろう』

 

もしもそれが使われてしまえば、中東の地は跡形もなく吹き飛んでしまう。そんなことになればもうこの特異点を修復する術はなく、連続性を失った人類史を人理焼却から救う手立てはないであろう。

だが、そうなると一つだけ疑問が残る。トリスタンが残したメッセージには度々、「爆発」に関連するキーワードが盛り込まれていた。なので、カドックは聖杯を爆弾に改造したと推察したのだが、よくよく考えればそんなことをせずとも願望器としての機能を用いれば簡単に実行できるはずだ。

今までの特異点の黒幕達は人理定礎の破壊よりもその過程に意義を見出していたので、そのような直接的な行為に及ぶ者はいなかった。

獅子心王によって引き起こされる災禍の結果を爆発に例えたのだろうか。真相は聖都の奥深くに隠されているため、今は知る由もない。

何れにしても一刻の猶予もないことは事実であるため、カドック達はすぐに行動を開始した。

百貌のハサンはその組織力を活かして他の集落に逃げ延びた山の民に決起を促すため、別行動を取ることとなった。

十字軍と戦うためには最低でも一万の兵士が必要となるが、未だに山の民の兵力はそれに達していない。

そして、残る面々は呪腕のハサンの案内で、東の村より北に位置する霊廟を訪れていた。

アズライールの廟。

アサシン教団始まりの地にしてある1人の暗殺者が眠る霊地。

切り立った断崖の先に建てられたその寺院は、派手さも煌びやかさもない、されど有無を言わせぬ神聖さと重苦しい死の空気が満ちたほの暗い場所であった。

その纏う死の気配を感じ取ってか、ここには生命が一つとして存在しない。草木はおろか、鳥や獣、果ては魔獣すらここには寄り付こうとしない。

 

「初代様は特別なご存在。あの方にとってあらゆるサーヴァントは平等であり、その刃の前には「一つの命」に過ぎません。あのお方は自らの力で相手を殺すのではなく、相対した者の「自らの運命」がその者を殺すのです」

 

「自らの運命?」

 

「その詳細を語れる舌を我らは持ちませぬ。ですが、格や実力は円卓や太陽王をも物ともせぬ御仁と思って頂きたい。どうか粗相なきように」

 

重ねて注意を述べる呪腕のハサンに招かれ、カドックは霊廟の敷居を跨ぐ。瞬間、心臓を鷲掴みにされたかのような錯覚を覚えた。

あまりの恐怖に血管が芯まで凍り付いたかのような悪寒が全身を駆け回り、呼吸すら忘れて立ち止まってしまう。

一瞬の後に自分がまだ生きていることに安堵と覚えると共に、あの一瞬で死んでいないことに疑問を抱いてしまうほどの濃密な死のイメージだった。

ここには魔力反応もサーヴァントの反応もなく、物音や生命の気配すらない。それなのに全身の震えが止まらず、体がこの寺院に留まることを全力で拒んでいる。

 

「おかしい。我らにとってここを訪れることは度し難い禁忌に他ならぬ。だというのに、門番の一つもおらぬとは……」

 

首を傾げながらも呪腕のハサンは用心しながら通路を進む。

寺院の中は冷え切っていて、何百年も人が立ち入っていないことが容易に読み取れた。

歴代のハサン達も遠くから礼拝するばかりで、この霊廟を訪れることはないらしい。彼らにとってここはそれだけ神聖な場所なのだ。

 

「気を付けて、カドック。何だか嫌な予感がします」

 

そう言いつつ、アナスタシアはこちらの手を握ってくる。

気を張り詰めているようで、ヴィイを抱いている右腕は恐怖を紛らわそうとしているのか、顔が変形するほど強く食い込んでいた。

そうしてしばらく進むと、一際濃密な死の気配が漂う扉が目の前に現れた。

ハサン曰く、この先が初代山の翁が眠る部屋であるらしい。

果たして、暗殺教団始まりの人物とは如何なる者なのであろうか。

気を抜くと怯えから力が抜けてしまうのを防ぐ為、カドックは一度だけアナスタシアの手を強く握り返すと、意を決してその扉に手をかけた。

 

その瞬間、世界が反転した――――。

 

 

 

 

 

 

気が付くとカドックは1人で暗闇を歩いていた。

明かりはなく、まるでヴェールのように闇に覆われた通路はどういう訳か果てがない。

行けども行けども出口につかず、カドックは疲労した体を酷使して闇の奥へと進んでいく。

光源もないのにどうして前へと進めるのか、暗闇で視界が利かぬのにどうして魔術を使わないのか。

見えない何かに促されるように前へ前へと進む自分自身を、カドックはどこか冷めた目で見下ろしていた。

まるでこの体を動かしているのが自分自身の意思ではないかのようだ。

 

『――何故、進む? その闇に果てはない。今ならばまだ、戻ることも可能やもしれぬぞ?』

 

どこからともなく威厳に満ちた声が響く。

まるで脳の中に直接、語りかけているかのような圧迫感。

本能的に理解する。

この声の主こそ、初代の山の翁であると。

 

「戻れないし、戻っちゃいけない。ここまで色んなものを背負ってきた。この先へ進まないということは、その荷物を降ろすってことだ」

 

『では、何故に先に進む? 汝では辿り着けぬ境地であろう?』

 

「…………きっと、自分でもよくわからない。ただ、背負ったからには止まりたくないんだ」

 

闇の中に髑髏が浮かぶ。

幽玄な青い炎を纏った黒い騎士。

姿を現した初代山の翁は、表情の伺えない髑髏の面の向こうからジッとこちらを見つめている。

 

『――魔術の徒よ。ここは本来、何人も立ち入れぬ禁域。我が廟に踏み入れる者は、悉く死なねばならない。我が問いより生をもぎ取るべし。その答えによっては即刻、首を撥ねるものと思え』

 

腹の底から響く声は、しかし強烈な殺気を纏っていた。

今までに出会ってきたどの英霊達とも違う、触れることはおろか見ることすら本来ならば憚れる厳かな存在。

彼を見ていると自然と呼吸が乱れた。

自分がまだ生きていることが不思議でしかたなかった。

この翁は別格だ。

最愛にして最優のサーヴァントであるアナスタシアでも敵わない。

自分など、百の齢を重ねても指先すら届かないであろう。

そんな死の具現とも言える存在が、あろうことか自分の前に姿を晒している。

それが意味することは一つ。

この者は誤った答えを返せば首を撥ねると言っていたが、試されているのは言葉ではない。

我が身の魂をこの者は計っている。

全ての命は平等であるが故に、真正面から死と向き合い、その最期を刈り取るのがこの暗殺者の役割なのだ。

 

『魔術の徒よ、時代を救わんとする意義を、我が剣は認めている。だが、汝の魂は醜悪かつ醜く歪んでいる。凡そ、世界を担うに価しない』

 

これが平素ならば、正しくその通りだと自虐していたであろう。

事実、自分の性根は歪んでいる。この旅の中でも度々、みんなから指摘されていた。

強い者への憧れと嫉妬。

無才であることの怒りと嘆き。

何よりもその事実に諦観し、野心を口にしながらも胸の内では叶わないと諦めていた。

認めよう。自分は確かに世界を担うに価しない。

数多の命、束ねた時間、人類史を救う資格を自分は持たない。

それでも、今の自分には譲れないものがあった。

これだけは否定してはいけない願いを、背負ってしまった。

 

『汝に問う。それでも尚、前へと進まんとするのは何故だ?』

 

猶予は一瞬。次なる瞬きが終われば自分の首は撥ねられる。

知恵を巡らせろ。胸の内から湧き出た感情を言葉にしろ。

力もなく、才能もない。これが自分にできる唯一の戦いだ。

この試練を以て、山の翁の心を動かす。

右手に残る微かな暖かさから勇気を貰い、カドックは言葉を絞り出した。

 

「生きたいからだ」

 

口にした言葉は、いつかに誰かが口にしたものと同じであった。

その答えに対して裁きは降りない。

“山の翁”は待っている。

その意味を、自分が発した言葉にどれだけの意義が込められているのか、その魂を計っている。

 

「生きたいと叫んだ男がいた。生きていたいと願った男がいた。そいつは平凡で、どこにでもいるごく普通の人間だった。ただ、まかり間違って世界を救うなんて偉業に巻き込まれただけの一般人だった」

 

いつだって真正直で、自分にできることを精一杯こなすだけの不器用な少年。

パートナーと共に懸命に前を向き、生きようと必死になる最善のマスター。

彼は諦めなかった。

諦めないと口にしながらも諦めてしまっていた自分と違い、どれほどの絶望の中でも生きることに真摯であった。

だからこそ憧れ、だからこそ嫉妬した。

力だけを、強さだけを求めて足掻き、より強い力の前に自分は折れてしまった。

彼は屈しなかった。

その心は、どこまでも平凡でしかないはずのその心は、とても気高くて尊い輝きを誇っていた。

あの輝きはそう、西の村を救うために命を燃やし尽くした、東方の大英雄の宝具と同じ輝きであった。

勝利にも敗北にも、成し得る結果すら彼にとっては些末なこと。

生きたい。

その信念こそが彼を突き動かした。

その願いだけが全てであった。

身に余る栄光を、背負いきれない大業を、共に分かち合えたのは偏にその心の在り方が尊かったからだ。

 

「僕はその願いを連れていく。あいつの代わりに、人理を救う! あいつの分まで、僕は生きる!」

 

『問おう。その者の名は?』

 

「藤丸立香。僕の大切な……友達だ!」

 

言ってしまった。

言い切ってしまった。

絶対に、それだけは有り得ないと思っていた。

だって自分は魔術師だ。

根源を目指し、目的のためならば親兄弟ですら時には殺し合う非道の一族だ。人間らしい感情なんて不要な生き物だ。

けれど、あいつはそんな自分にもごく普通に接してくれた。

不甲斐なさを見下しても彼は受け入れてくれた。

些細な成功を褒め称え尊敬してくれた。

時には喧嘩もした。

第五の特異点では本音でぶつかり合った。

何も渡していないはずなのに、いつしか多くのモノを彼から貰っていた。

その平凡な、どこまでも正直な願いに憧れた。

その尊い思いを全うさせてあげたいと、心の底から願った。

彼の力になりたいと、本心から思っていた。

そして、彼を見殺しにした。

大切な友達を、見殺しにした。

 

『笑止。そこに己が意思は介在せず、ただ人の願いに流されるだけと申すか?』

 

「笑うがいい、山の翁。僕にはもうそれしかない」

 

野心を捨てた訳ではない。

グランドオーダーを成し遂げ、自分の力を証明する。

世界を救い、自分にはこれだけの力があったのだと周囲を見返す。

けれど、それは今でなくていい。

それはここでなくていい。

そんなことはもう、どうでもいいのだ。

 

「僕は背負った。あいつの願いも、アーラシュの思いも。ここに至るまでに出会ってきた英霊達から、僕は多くの願いを託された。それを捨てることは彼らを裏切ることになる。だから僕は止まれない。7つの特異点の先へ、魔術王が待つ終局へ僕は行かなくてはならない。これは僕自身で選んだ道だ」

 

『魔術の徒よ、汝の名を告げるがいい! 愚かにも我が廟へと足を踏み入れた、哀れなる魂の名を叫ぶがいい!』

 

「僕はカドック・ゼムルプス。カルデアの……人類最後のマスターだ!」

 

それが、自分にできる精一杯であった。

本心を語ろう。

堪らなく怖い。

自分は今、死刑台の上にいる。

断頭の刃は既に準備を終えており、後は振り下ろされる時を待つだけだ。

ここに至ってまだ自分は諦めている。

カドック・ゼムルプスの言葉ではきっとこの男は動かない。

魔術師の言葉ではきっとこの暗殺者は揺るがない。

だから、彼の言葉を口にした。

大切な友達が、半ばで諦めざるをえなかった言葉を口にした。

何が犠牲になってもいい。自分がここで終わっても構わない。

けれど、あの尊い願いがあったことだけはこの暗殺者に知っていてもらいたい。

そんな心の底からの思いを口にした。

その願いだけは、今よりも先に連れて行きたかった。

 

『汝の願い、確かに聞き届けた。では……首を出せい!!』

 

そして、断罪の刃は振り下ろされた。

 

 

 

 

 

 

気が付くと、静謐に満ちた広間に足を踏み入れていた。

振り返るとアナスタシア達がいる。不思議そうにこちらを見ているところから察するに、この部屋に入ってからそう時は経っていないようだ。

では、あの暗闇での問答は幻覚であったのだろうか。

 

「否、汝の原罪は確かに切り払った」

 

その場にいた全員の顔が驚愕する。

奥まった暗闇から姿を現した騎士甲冑。その顔は髑髏の面に覆われていて素顔は分からないが、青白い炎を纏った幽鬼の如き佇まいは正しくあの暗闇で出会った“山の翁”だ。

 

「よくぞ我が廟に参った。山の翁、ハサン・サッバーハである」

 

まるで死を塗り固めたかのように、虚無が人の形をしている。

目の前にいるはずなのにそこにはいないかのような錯覚。

その位階は最早、サーヴァントという枠組みに入っていることが一つの奇跡といっていいだろう。

この者こそ初代ハサン・サッバーハ。全てのハサンが敬う始まりの翁である。

 

「剣士? 暗殺者の初代が剣士、なんて……」

 

『いや、驚くのはそこではありませんよ皇女様。そのアサシンは、まさかグラ――』

 

「無粋な発言は控えよ、魔術師。汝らの召喚者、その蛮勇の値を損なおう」

 

“山の翁”が虚空に向けて剣を振るう。するとどういう訳か、カルデアとの通信が途絶しロマニの声が聞こえなくなった。

まさかこの翁は、時空間を漂う魔力の波を切り払ったとでも言うのだろうか。

だとするとこの暗殺者は自分達が思っている以上にとんでもない力を持っていることになる。

つくづく、自分は彼と相対して生き残れていることが不思議でしかたなかった。

 

「……初代様。恥を承知でこの廟を訪れた事、お許し頂きたい。この者達は獅子心王と戦う者。されど王に届く牙が後一つ、足りませぬ。どうか――どうかお力をお貸し頂きたい。全ては我らが山の民の未来の為に」

 

面を合わせることすら畏れ多いとばかりに、呪腕のハサンは頭を垂れる。僅かに見て取れる腕の震えが彼の恐怖を物語っていた。

 

「二つ、間違えているな。以前と変わらぬ浅慮さだ、呪腕」

 

「……と、申しますと?」

 

「魔術の徒に問う。獅子心王と戦う者――これは真か? 汝らは彼の偽りの王が何を成そうとしているのかを承知しているか?」

 

その問いに対してカドックはノーと答える。

確かに自分達は十字軍と敵対しているが、彼らの首魁である偽りの獅子心王が何を企んでいるのかを知らない。

何故、わざわざ聖杯を爆弾として利用しようとしているのかを知らない。

 

「――牙が一つ足りぬ、とも申したな。果たして、あと一つで良いのか?」

 

その答えはハッキリしている。

確かに初代の力は別格だが、それでも十字軍は強大だ。

対抗するために太陽王の助力を乞うつもりでいるが、それですら足らない可能性もある。

 

「魔術の徒よ。汝は最優でなければ最善でもない」

 

相変わらず手酷い物言いだ。事実なので反論のしようがないのが情けない。

 

「――しかし、最善たろうとするその思いを汲み取ろう。汝をそこまで奮い立たせた者を尊重しよう。故に汝らは知らねばならぬ。獅子心王の真意、太陽王の現状、人理の綻び。そして――全ての始まりを。それが叶った時、我が剣は戦の先陣を切ろう。太陽の騎士、ガウェインと言ったか。我が剣は猛禽となってあの者の目玉を啄もう。我が黒衣は夜となって聖都を飲み込もう」

 

「ごめんなさい、ガイコツの偉い人! 言っている意味がぜんぜん分かりません! もっと分かりやすく言って、分かりやすく!」

 

(なっ……このへっぽこ法師!!)

 

ハサンはおろか、自分ですら畏れ多くて畏まってしまっているというのに、三蔵法師は空気も読めずに声を張り上げる。

だいたい、ガイコツの偉い人なんて呼び方はないだろう。ハサンに倣って初代様なり山の翁なり、別の言い方があるはずだ。

 

「そうね、暗殺皇帝(ツァーリハサン)というのはどうかしら?」

 

(君も大概だな、魔眼皇帝!!)

 

眼はいいくせにどうして肝心な時に空気が読めないのだろうか、この皇女様は。

これでもし、“山の翁”の機嫌を損ねでもしたらどうしてくれようか。

 

「――良い。好きに呼ぶがよい。我が名はもとより無名。拘りも取り決めもない」

 

意外にもこの翁、寛容であった。

 

「そ、その……色々とすまない。それで、えっと……調べもの、だったか?」

 

獅子心王の目的などを調べてこいと言っていたが、そのような時間はあるだろうか。

こうしている間にも、いつ聖杯爆弾が完成するかわからないというのに。

 

「砂漠のただ中に異界あり。汝らが求めるもの、全てはその中に。砂漠においてさえ太陽王めの手の届かぬ領域。砂に埋もれし知識の蔵。その名を――アトラス院と言う」

 

アトラス院。

それは魔術協会における三大部門の一つ。

ロンドンの「時計塔」、北欧の「彷徨海」、そしてエジプトの「アトラス院」。

巨人の穴倉の異名を持つアトラス院は錬金術師の巣窟であり、魔術世界における兵器倉庫にして情報の集積地。

恐らく、オジマンディアスの影響で中東が砂漠化した際にこの時代に引っ張って来られたのだろう。

確かにそこならば調べものには打ってつけだ。

 

「魔術の徒よ、人理焼却の因果を知る時だ。それが叶った時、我は戦場に現れる。天命を告げる剣として」

 

以上だと、と言わんばかりに“山の翁”は携えた剣を構える。

一同がギョッと驚く中、呪腕の翁は粛々と自らの頭を差し出した。

 

「どういうことだ!? 何故、呪腕のハサンが首を切られなくちゃいけないんだ?」

 

「我が面は翁の死。我が剣は翁の裁き。我は山の翁にとっての山の翁――即ち、ハサンを殺すハサンなり」

 

山の翁が膿み、堕落し、道を違えた時に、この暗殺者は姿を現す。

神の教えを守る者たちが人の欲に溺れることこそが、神への最大の冒涜。

精神の堕落であれ技術の堕落であれ、衰退した「山の翁」を殺すことでこの者はそれを防いできた。

歴代のハサンはみな、最後に初代の面を見る。

故に最初にして最後のハサン。

暗殺者を暗殺するという矛盾した存在であることが、この翁の役割なのである。

 

「その時代のハサンが我に救いを求めるということは、己に翁の資格なしと宣言するに等しい。故にその面を剥奪する」

 

「なら、それを承知であんたを僕達をここに招き入れたのか、ハサン!?」

 

「…………」

 

呪腕のハサンは答えない。

真実を話し、余計な慚愧を抱かせたくはなかったとでも言いたいのだろうか。

確かに、こんな結末を知っていたら反対する者も出るだろう。

自分だってそうだ。命が目の前で失われる様を見せつけられるのは何よりも辛い。

もう友達(藤丸立香)を失うのはこりごりだ。

 

「呪腕よ。一時の同胞とはいえ、己が運命を明かさなかったのか。やはり貴様は何も変わっておらぬ。諦観も早すぎる」

 

怒気を孕みながらも“山の翁”は構えを解く。

 

「……面を上げよ、呪腕。既に恥を晒した貴様に上積みは赦されぬ。この者達と共に責務を果たせ。それが成った時、貴様の首を断ち切ってやろう」

 

「……ありがたきお言葉。山の翁の名にかけて必ず」

 

「では行くがいい。獅子心王が語る真なる十字の日が訪れる前に聖地を――聖なるものを返還するのだ」

 

 

 

 

 

 

アズライールの廟を後にして2日、一同は東の村へと戻ってきていた。

自分達が留守にしている間も十字軍の襲撃はなかったらしく、村の様子は清貧ながらも穏やかなものだった。

皆、怯えてはいるが日々の暮らしを精一杯過ごしている。

その日常の営みに焼かれた西の村の様子が重なって、カドックは小さな怒りを覚えた。

その一方で、自分にまだこれだけの人間らしい感情が残っていたことに戸惑いを隠せなかった。

 

「無事に初代様の協力は得られましたな。しかし、この首が繋がっていようとは……」

 

「あれはこっちも生きた心地がしなかった」

 

「まったくです。覚悟していたとはいえ、あの感覚をもう一度味わうのは恐ろしかったですからなぁ」

 

冗談めかして呪腕のハサンは笑って見せるが、実際は恐怖で震えていたことはみんなが知っている。

彼の蛮勇を笑う者など1人もいないだろう。それほどまでにあの翁は別格だ。

 

「マスター、直に荷物が纏まる故、出立の準備をされよ」

 

「わかった、藤太。呪腕のハサン、ここで一旦お別れだ」

 

自分とアナスタシア、三蔵と藤太はアトラス院への調査と太陽王との交渉のために砂漠に向かう。

呪腕と静謐のハサンの2人は、山に残って民間人の避難と聖都進軍の準備を進める手筈となった。

時間が余り残されていない以上、個々の問題は早急に進めなければならない。

次に会う時は聖都攻略の直前となるであろう。

 

「あなた方には聖都攻略のための要となって頂くことになりましょう。ですが円卓の騎士トリスタン。我らが同胞の憎き仇ですが、あの有り様は哀れで見ていられませぬ。あの者だけは我らの誇りに賭けて必ずや死をもたらす。それこそが魂を賭けて貴殿に思いを託したあの者への報いとなりましょう」

 

「そうか……わかった。そちらは任せる」

 

「我がままをお許し頂き、ありがとうございます。では…………おや? そういえばアナスタシア殿は?」

 

「ルシュドに挨拶に行くと言っていた。母親は危篤でアーラシュもいなくなったから寂しがっているだろうからって」

 

何とか搔き集めた霊草で薬を調合しておいたが、その分量では完治どころか痛みを和らげることすら難しいだろう。

恐らく、そう遠くない内にルシュドの母親は死を迎えることになる。

 

「いいのか、あんたは会わなくて?」

 

「そうですな……今はそのような場合ではないとはいえ……考えておきましょう」

 

彼とルシュドの母親の間に何があったのかを自分は知らない。

無関係な自分が無闇に首を突っ込むわけにもいかないだろう。

何より彼は死者たるサーヴァント。この時代の生者である彼女に何ができようか。

そんな思いを彼は抱いているのかもしれない。

村を去る際にカドックが最後に見たのは、仮面の向こうから寂しそうに空を見上げる呪腕のハサンの姿であった。




皆さん、イベントは順調ですか?(シトナイはきませんでした)

Aチーム最初の難関といえる山の翁。
はい、これを乗り越えるために5章も費やす形となりました。
このSSがカドアナオンリーではなくぐだマシュがいるのも理由の一つです。
静謐とのバトルがなくなったのは、システム的にも能力的にも相性が悪いアナスタシアじゃ完封の可能性もあるかなと思ったからです。
でも、考えてみてください。能力ブーストの静謐と翁との話死あい、果たしてどっちが楽でしょうか?


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神聖■■■■エルサレム 第7節

中東の地に忽然と現れた砂漠地帯。そこは太陽王オジマンディアスの領域であり、中東とは位相がズレた完全なる別時代である。

近未来観測レンズ・シバによって一つの時代を観測するには膨大な電力と演算処理が必要であり、臨機応変に異なる時代に焦点を合わすということができない。そのため、この砂漠地帯ではカルデアとの通信が途絶され、一切の支援を受けることができなくなる。

ここは正に別次元にして異世界。数々の特異点を越えてきたカドックにとって前人未到の魔境であった。

そして、試練は早くも訪れた。

 

「Arrrrrrrr!!」

 

咆哮と共に撃ち出された銃弾の嵐が砂塵を吹き飛ばし、展開された氷の壁を粉砕する。

塵となって霧散する結晶は煌びやかで、これが戦場でなければ思わず見惚れてしまうほどだ。

そんな幻想的な光景に一切の感慨を抱かず、漆黒の狂戦士は新たに手にした大筒を担いでその照準をこちらに向ける。

繰り出されたのは大戦車用の爆弾パンツァーファウストだ。

 

「何でもありか、あのバーサーカー!!」

 

魔術の効果が切れるタイミングを見計らって強化をかけなおしながら、カドックは悪態を吐く。

砂漠に入って一日目。順調にはいかないだろうとは思っていたが、いきなりサーヴァント同士の戦闘に巻き込まれるとは思わなかった。

しかも、その一方は立香達と共に自爆したと思われていた黒い狂戦士。どうやってあの爆発から生還したのかはわからないが、この謎のバーサーカーは相変わらずいくつもの近代兵器で身を固めており、エジプト人らしき少女のサーヴァントに襲い掛かっていたのだ。

 

「マスター、あなたは後ろに! いざとなったら城塞の中に!」

 

「わかった。三蔵、お前はとにかく逃げ回って注意を引け!」

 

「ぎゃってぇ、無茶言わないでよ!!」

 

そう言いつつも三蔵はバーサーカーの気を引くために砂の上をジグザグに駆け回り、撃ち込まれる爆弾を紙一重のタイミングで躱していく。

その動きは無軌道過ぎてまるで予測がつかず、さしものバーサーカーも彼女を捉えることができない。すると、バーサーカーはどこにしまっていたのか新たに2丁のパンツァーファウストを取り出すと両肩に構え直し、逃げ回る三蔵に向けて次々と爆弾を撃ち込んでいく。

手数を増やして面を制する。シンプルだが効果的な策だ。さしもの三蔵も攻撃の数が倍に増えては対処しきれない。

 

「うわ~ん、ごくう~」

 

「ええい、情けのない声を出すんじゃありません。出ませい!」

 

カドックの後ろで傷を癒していた少女が、泣き喚く三蔵の姿に見かねて術を行使する。すると、バーサーカーの足下に突如として漆黒の穴が開き、その中から何体もの死霊が這い出てきて狂戦士の足を取ろうとする。

無論、狂っていて尚、技の冴えを失わぬこのバーサーカーは即座にそれに気づいて飛びずさろうとするが、その一瞬の隙を突いてアナスタシアが「シュヴィブジック」を発動。さしもの狂戦士も因果の逆転までは対応することができず、十分に気づく時間がありながら死霊に羽交い絞めにされることを許してしまう。

 

「仏罰覿面!」

 

仕返しとばかりに三蔵が経を唱えると、虚空に現れた金色の円環がバーサーカーを縛り付ける。

これにより、漆黒の狂戦士は完全に動きを封じられる形となった。以前の爆弾による目くらましを警戒して手足も完全に封じているため、最早バーサーカーにこの窮地を脱する術はない。

後は待ち構えていた藤太の矢が霊核を砕けば自分達の勝利だ。

そう思った刹那、バーサーカーの体から爆発染みた魔力の奔流が迸る。

まるで肺から息を絞り出すように、体の中心から全身、鎧の一端にまで浸透していく黒色の魔力。それは鎧から伸びているひも状の装飾にまで行き渡り、まるで意志を持った生物のように動いて足下に転がっていた短機関銃を拾い上げた。

 

「まずい、みんな避けろ!」

 

地面に向けて銃弾が撃ち込まれ、砂塵が宙を舞う。

視界が晴れた時にはもう、バーサーカーの姿はどこにもなかった。

 

「マスター、ケガはないかしら?」

 

「ああ、おかげで無事だ」

 

三蔵と藤太も目立った負傷は負っていないらしい。

三蔵は囮に使われて少々、ご機嫌ななめのようだが。

それにしても、あのバーサーカーがあんなことまでできるとは思いもしなかった。

最後のあれさえなければ、立香達の仇も討てたというのに。だが、終わってしまったことを悔やんでも仕方がない。今は次の機会に備えて対策を練るのが先決だ。見たところ武器は使い捨てているようなので、どこかで補給されない内に叩ければ何とか倒せると思うのだが――。

 

「おほん」

 

それにアトラス院のこともある。

カルデアとの通信は使えないので、事前に用意できた不正確な地図と星読みのスキルが頼りだ。

方位を読み違えて迷ってしまえば恐らく、二度とこの砂漠から出ることはできないであろう。

 

「おほんおほん」

 

太陽王との交渉もある。

オジマンディアスは偉大なファラオだ。

こちらには“山の翁”がついているとはいえ、素直に首を縦に振ってくれるかどうか――。

 

「ええい、不敬ですよ!」

 

褐色の少女が声を張り上げる。

そういえば、バーサーカーから襲われていたところを助け出したのだった。

あの狂戦士の何でもありのインパクトに霞んですっかり忘れてしまっていたが。

 

「忘れていたとは何ですか! 天空の神ホルスの化身、このニトクリスに向かって何と不敬な!」

 

(ああ……これは面倒なパターンだ)

 

ニトクリスは古代エジプト第六王朝にて、僅かな時期に玉座に在った魔術女王。

記録が余り残っていないのと、在位期間の短さで具体的に何をしたのか不明な点も多いが、古さだけでいえばオジマンディアスよりも遥かに前の時代のファラオである。

 

「すまない、別に蔑ろにするつもりはなかった」

 

「まったくです。助けてくれたことには感謝致しますが、ファラオを無視するなど不敬にも程があります」

 

杖を振り上げ、精一杯の威厳を見せつけるように胸を逸らす。

残念ながらその姿は恐ろしいというよりは微笑ましい。

本人は真面目に振る舞っているのに、一周回って何とも言えない残念な感じを醸し出している。

 

「ファラオ・ニトクリス。本当に申し訳ありません。それと、私達は訳あって先を急いでおります。ここに留まっていてはまた襲われるかもしれませんので、これで……」

 

「そうそう、先を急がなくちゃ。またあの黒い騎士が襲いかかってくるとも限らないしね」

 

「うむ、非常に名残惜しいが先を急ごう。また襲われても敵わぬ。ささ、マスターも」

 

「あ、ああ……じゃ、ファラオ・ニトクリス。僕達はこれで……」

 

何となく、3人が何を言わんとしているのかを察して余計なことは言わないでおく。

案の定、自分達が離れようとすると妙にそわそわしだしたニトクリスは、頬を赤く染めながらこちらを呼び止めた。

 

「待ちなさい。折角です、あなた達にファラオを神殿まで護衛する栄誉を与えましょう。その働きを以て先ほどの不敬は不問とします」

 

バーサーカーに襲われたのが余程、怖かったのだろう。

神の化身を名乗りながら、ニトクリスの肩は僅かに震えていた。

 

 

 

 

 

 

そこはまるで、砂の海に浮かんだ海上都市であった。

積み上げられた石の柱、壁に彫られた壁画、幾つもの彫刻、湧き出す泉と草木まで存在する。

昼間は熱波が空を覆い、夜は極寒、時に砂嵐すら牙を剥く死の大地において、ここは天上のオアシスだ。

こここそが太陽王オジマンディアスが君臨する太陽神殿。複合神殿ラムセウム・テンティリスである。

 

「すごい、やはり太陽王の建築だ。この壁画は生前の逸話か? ファラオの前に描かれているのは女性のようだが……そうか、そういうことか。ならこっちは……」

 

神殿に入るやいなや、その光景に目を奪われたカドックが周囲の目も気にせずに壁画の一つへと駆け寄る。

当然ながら蔑ろにされたニトクリスは顔をしかめたが、アナスタシアが宥めたことで何とか事無きを得た。

 

「本当、こういうことになると見境がなくなるわね、あの子は」

 

「太陽王オジマンディアス。ラムセス二世とも呼ばれていますが、紀元前1300年頃に君臨した最強最大のファラオです。エジプトに多大な繁栄をもたらしましたが、特に建築において「地上の神殿は全て私が作ったものだ」という発言が残っているほど有名でして」

 

「詳しいな、皇女殿」

 

「寝物語で聞かされては覚えるというものよ」

 

「あ、色々と苦労しているのね、あなたも」

 

複雑な表情を浮かべるアナスタシアに対して、三蔵は同情するように声をかける。

 

「あ、待ちなさい! 誰も中に入っていいとは言っておりませぬ!」

 

ニトクリスの叫びに振り向くと、神殿の奥へ奥へと進んでいくカドックの姿が目に入った。

どうやら、興奮の余り周りが見えていないらしい。

 

「もう、子どもなんだから」

 

「笑っている場合ですか! 勝手にファラオの神殿に踏み入るなど不敬です!」

 

「いや、何れは来なければならなかったのだ。それが早まっただけと考えよう。ご免、エジプトのふぁらおとやら」

 

言うなり藤太が駆け出し、アナスタシアと三蔵もそれに続く。

呆気に取られていたニトクリスではあったが、その場から誰もいなくなってからようやく事態を飲み込み、ヒステリックに声を張り上げながら一同の後を追う。

そうして、カドックと合流した一同が目にしたのは、天頂から眩い輝きが降り注ぐ巨大な広場であった。

そこは謁見の間なのだろうか。いわゆる玉座であると思われる椅子が広場中央に設けられた階段の上に据えられており、そこに1人の青年が退屈そうに腰かけていた。

そう、その者こそファラオ・オジマンディアス。

褐色の肌に陽光色の瞳。180センチに届くかというほどの長身。無駄なく引き締められたその肉体は黄金比で構成され、さながらギリシャの彫刻のような美しさを秘めている。

正に美しさと力強さにおいてこの世の頂点に君臨する世界最高のファラオ。

そのファラオ・オジマンディアスが、遥か頭上からこちらを見下ろして静かに口を開いた。

 

「来たか、異邦からの旅人よ」

 

その音色はさながら天上の調べであった。それでいて厳かで、聞く者を圧倒する尊大な響きがあった。

“山の翁”とはまた違った威圧感があり、万力のように胸を抉じ開けてその存在を刻み付ける圧倒的なまでの王気。

先ほどまでの興奮はとっくに冷め切っていた。

この神々しいファラオの前では誰もが敬意を抱き畏まることだろう。

彼は偉大な王であり、神にも等しい存在。この世を見下ろし席巻する太陽の如き存在だ。

そんな大英雄が今、自分達の目の前にいる。

 

「本来ならば謁見のための試練を与えるところだが、お前達にはニトクリスが世話になった。その礼を以て、ファラオの玉座に無断で立ち入った不敬を許そう。我が名はオジマンディアス。神であり太陽であり、地上を支配するファラオである」

 

(こいつが……いや、この方が……太陽王…………)

 

神に連なる英霊とは何度か相対してきたが、目の前のファラオは格が違う。

彼は王者であり、太陽であり、正しく神だ。

向けられる視線は陽光の如き輝きであり、光芒は等しく大地を照らす直射の炎。

万物を等しく慈しみ、等しく侮蔑する神の如き目線。

この世のどこにも自分に勝る者などないと、心の底から信じ切っている王の中の王だ。

この男の前では下手なことは言えない。しくじれば首を晒されるか、神獣の餌にされるだろう。

ファラオはそれを躊躇なく実行する。自らの気分を害する存在あれば、埃を払うようにそれを排除するはずだ。

こうして目を合わせているだけで恐怖で足が竦んでしまう。後退らなかったのは、きっとすぐ横にアナスタシアがいてくれたからだ。

情けない見栄がなければ神とも相対できない。自分はやはりちっぽけな存在だ。

だが、それでもやらなければならない。

本来ならばアトラス院での調査を終えた後に太陽王と謁見するつもりだったが、こうなってしまってはこの場で交渉を進めるしかないだろう。

 

「お前達がカルデアからの使者である事、五つの特異点を修復した者である事。そして、この第六の楔にて獅子心王と対峙する者である事、全て承知している」

 

「ご存知、でしたか……」

 

「当然だ。余に知らぬことはない。お前達が彼の大英雄の献身によって生き残った事も、余は知っている。北東の空に輝いた光。あれは正に大地を割る彼の英雄の一矢であろう」

 

何かしらの宝具によるものなのだろうか。オジマンディアスは中東における自分達の動向を全て承知していた。

聖都に向かう途中で人助けを行っていた事、十字軍から難民を救い出した事、山の民と協力して円卓の騎士と戦った事も全て知っていた。

一言を語るごとに熱が入る。一節を言い終える毎に怒気が孕む。

端正な顔立ちは少しずつ歪んでいき、こちらを見る視線に明らかに侮蔑と怒りが込められていく。

 

「何故、いの一番に余のもとへ来なかった! であるならば、大英雄アーラシュはその命を散らさなかったであろう!」

 

「…………!!」

 

「そんな、言いがかりを――」

 

「止すんだ、アナスタシア!」

 

反論しようとするアナスタシアを制する。

オジマンディアスが言うことも全くの的外れという訳ではない。

早くから太陽王と十字軍が争い合う関係にある事は知っていたのだ。彼の協力を取り付けられていれば事の次第は変わっていただろう。ただ、砂漠越えが困難であったから棚上げしていたにすぎない。事実、ニトクリスが同行してくれなければ砂嵐や蜃気楼でここまで辿り着くのは容易ではなかったであろう。

 

「確かに、僕達は選択を誤ったのかもしれない。あなたの言う通りにしていれば、彼の大英雄は死なずに済んだ」

 

「その通りだ。その過ちは命を以て償うべきだが、小癪にもお前達は大英雄に救われた者達だ。その命を余の手で詰むことは余の矜持が許さない。余の気分が変わらぬ内に失せるがいい!」

 

「それはできない! 僕達はあなたに力を乞わねばならない!」

 

刺し殺されるかのような熱と殺意を持った視線を真正面から受け止め、精一杯の虚勢を張る。

なけなしの勇気を振り絞り、太陽王に向けて啖呵を切る。

もう後には戻れない。だが、不思議と後悔はなかった。

隣にアナスタシアがいる。

この胸の内に立香とマシュがいる。

3人の存在が自分に力を与えてくれる。

こんな抜き差しならない修羅場は初めてではない。

いつだって絹糸のように細い活路を駆け抜けてきたじゃないか。

だから、恐れはあっても迷いはなかった。

 

「僕達は人理修復のために十字軍と戦わなければならない。そのためには太陽王、あなたの力が必要だ!」

 

「笑止! そのような戯言を本気で口にしているのか!? 彼の大英雄は既におらず、お前達には万に一つの勝ち目もなかろう。いや、仮に獅子心王を倒したとしても、魔術王の焼却から人類史を救う手立てはない!」

 

「その口ぶり、あなたにはあると言うのね?」

 

氷のようにゾッとするほど冷たい声が広間に響く。

隣にいるアナスタシアだ。太陽に関するサーヴァントが相手になると多少、棘が出てくる彼女ではあるが、オジマンディアスに対してもそれは変わらないらしい。

神に等しいファラオを相手に真っ向から視線を切り結ぶ様はまるで氷の女王だ。

 

「そう睨むな、魔眼の娘。お前の言う通り余には策がある。余の神殿――『光輝の大複合神殿(ラムセウム・テンティリス)』はある種の結界。例え人理が焼却されようとこの中にいる余の国の民だけは生き残ることができる」

 

「では、人理を救う気はないと? それなら十字軍と戦っているのは何故ですか?」

 

「あやつらは余の領地を土足で荒らす蛮族だ。不遜にも余に弓を引き、この地を貶めんとしている輩にはファラオの神罰が必要なだけよ」

 

十字軍と敵対しているのはあくまで成り行きにすぎないと、オジマンディアスは言う。

逆に言うと、そこに付け入る隙がある。

彼には本来、人理救済のために積極的に動く理由がない。だが、十字軍の悪行を見過ごせないから敵対を続けているのだ。

そのファラオとしての使命感と英雄の矜持に働きかければ、自分達を認めさせることができるかもしれない。

 

「ファラオ・オジマンディアス。十字軍を許せないのは僕達も同じだ。ならば共に戦うことはできないだろうか!?」

 

「くどい! 凡百のサーヴァントが集ったところで毛ほどの役にも立たぬわ! それとも、それだけの力があると? 貴様らは世界を救うに足る者であると証明できる何かを持っているのか?」

 

ここだ。

自分達には力がある。

一騎当千の隠し玉があるとぶちまけてやれば、オジマンディアスは必ず食いついてくる。

そこから先は出たとこ勝負だ。彼が合理的に物事を判断できる人物ならばそれで良し。

仮に激情のまま食い下がる男なのだとしたら、場合によっては一戦を交える必要があるかもしれない。

 

暗殺皇帝(ツァーリハサン)……僕達には、山の翁――その始まりの長がついている」

 

「なに、始まりの翁だと……」

 

自信に満ちていた太陽王の表情が初めて曇る。

ここに至るまで、徹底的にこちらを見下していた眼光に初めて警戒の色が浮かぶ。

知っているのだ。この男は初代の翁を知っている。

その底知れぬ力を彼は知っているのだ。

 

「それは死神の如き姿の剣士の事か? まさか、貴様らは奴の助言で我が砂漠を訪れたと?」

 

「この地に眠る遺跡――アトラス院を訪れることを条件に、彼の暗殺者は協力を約束してくれた。僕達はその許しを得るためにここに来た!」

 

ハッタリである。

ここに来たのは偶然で、オジマンディアスと出会ってしまったのは神殿を目の当たりにした興奮で知らず知らずの内に迷い込んでしまったからだ。

だが、太陽王はそのことを知らない。彼が知っているのは自分達カルデアがこの中東の地で何を成したかということだけ。

そこに至った感情の機微についてまでは知る由もないはずだ。

これで立場は不埒な侵入者から、遺跡への立ち入りを求める謁見者へと変わった。

さあ、どう出る太陽王。

 

「確かにあの者が付いているのなら、話は変わってくる」

 

「ファラオ・オジマンディアス。始まりの翁とはいったい?」

 

事情に疎いニトクリスが口を挟む。

平素ならば会話に割って入れば忽ちの内に怒りが飛ぶのだろうが、“山の翁”の名が余程衝撃的だったのか、オジマンディアスは言葉に僅かな動揺を含みながら無知なる従者に説明する。

 

「山の翁どもの頭目よ。そして、余が十字軍やあやつ同様に警戒した相手だ。あの者の存在があったからこそ、余は守りを固め戦線を現状に留めざるをえなかった」

 

オジマンディアスが言うには、彼が最初に十字軍を打ち破って山の民とも敵対した際、人知れず侵入してきた“山の翁”と相対したらしい。

“山の翁”はオジマンディアスがその存在に気づいた瞬間には既に仕事を終えており、宝具である神殿内でなければそのまま即死していただろうとのことであった。

もしも再び暗殺を企てられれば打つ手がない。故にオジマンディアスア十字軍との戦いに本腰を入れることができず、機を伺っていたと言うのだ。

 

「なるほど、大英雄を欠いて始まりの翁を懐柔したか。つくづく厚顔な者達よ」

 

「何よ、さっきから聞いていたら言いたい放題! 聞けばエジプト最強のファラオなんでしょ! だったら世界の一つや二つ、守ってやるぐらいは言ったらどうなのよ!」

 

「――――!」

 

三蔵の言葉にオジマンディアスは意外にも絶句する。

彼女の言葉には合理性の欠片もない。強い力を持っているなら正しいことに使えと、真正直に言い放っただけである。

自分にどのような義があるのか、戦うことでどんな不利益を被るのか、戦いを終えれば何が残るのか。そんな至極、当たり前のことを度外視した子どもの理屈だ。

そして、単純な理屈であるが故に感情に訴えかけるのもまた事実だ。

 

「ファラオ・オジマンディアス。確かに僕達は大英雄を失った。この身は彼に生かされた弱き命かもしれない。それでも、彼は僕達に託してくれた。あの一瞬の輝きに込められた願いを僕達は受け取った。だから、どうかあなたの力を貸して欲しい」

 

切れるカードは全て切った。

こちらには“山の翁”がいる。

戦うべき理由もある。

理屈を並べ、感情に訴え、残るは天運に任せるのみだ。

この偉大な王は何を考えるか。

次に出てきた言葉次第で、全てが決まると言っても過言ではないだろう。

 

「……答えるがいい、異邦のマスター。お前は本当に十字軍と戦い、獅子心王を倒し、この時代を救おうというのか?」

 

「その通りだ。だが、この時代だけではない」

 

「なに?」

 

「僕は……僕達は全ての時代を救う。人理を取り戻すためにここにいる。その為に力を貸せ、太陽王!」

 

玉座の間に静寂が訪れる。

その場にいた誰もがオジマンディアスの次の言葉を待っていた。

その場にいた誰もがカドックの発した言葉に目を丸くしていた。

あろうことか、太陽王に向けて力を貸せと言い切った。

ここまで下手に出て、慎重に言葉を選んできた男が、最後の最後で啖呵を切ったのだ。

 

「はは。ははは。ははははははははははは!!」

 

笑っていた。

心底可笑しそうに、太陽王は笑っていた。

哀れな道化を目にしたからか。否、オジマンディアスは正に太陽の如き存在。その灼熱は苛烈であるが故に平等であり、決して勇者の言葉を蔑ろにはしない。

 

「そのような戯言を聞いたのはいつ以来か。だが、許そう。異邦のマスター、お前の眼は欠片も臆していない。その風格、その大望は未だ分相応とはいえ尊ぶべきものだ。お前は本当に、心の底からそうしたいと願っている。そうでありたいという何かをお前は得たのだな」

 

「…………」

 

「元より勝ちの目のある戦いだ。同盟を断る道理もない。ならば異邦のマスターよ、当然の事ながら代価を支払ってもらうぞ。お前は余に何を献上する? 何を以て余を動かす」

 

戦う理由は正統で、手を貸すことはやぶさかではない。だというのに、このファラオはこの期に及んで代価を要求する。

これは試されているのだ。

自分達は先ほど、アトラス院に立ち入らなければ“山の翁”の協力を得られないと説明した。

言い換えるのなら、ここでオジマンディアスがアトラス院に立ち入る許可を出さなければ“山の翁”の協力は得られず、太陽王との敵対も決定的なものとなる。

そうならないために何を賭けるのかと、このファラオは自分を試しているのだ。

その答えが満足のいくものならば、彼は全幅の信頼の下に力を貸してくれるだろう。

だが、何と答えればいいのだろうか?

富か?

金銭で助力を乞うのは定番ではあるが、生憎と自分達や山の民にそんな余裕はない。

奴隷か?

それでは山の民から今までの生活を奪うことになってしまう。

領土か?

論外だ。ファラオとは神であり地上は全てが所有物。最初から所持しているものを貰ったところで意味はない。

ならば、答えはなんだろうか?

カドックはしばしの熟考の後、イチかバチかの賭けに出た。

 

「何もない」

 

「ほう……」

 

「あなたは(ファラオ)だ。ならば、地上(ここ)にあるものは全てがあなたのものでもある。だから、全てが終わった後、欲するものを徴収して欲しい」

 

全てがファラオの所有物なら、自分達がその処遇を決めることは不敬に当たる。

既に世界は王のもの。ならば何の遠慮があるだろうか。

彼は自らが望むものを望むだけ持っていけばいい。

それだけの力と権利をファラオは有している。

地上の民に神の法を断じる権利はないはずだ。

 

「…………」

 

一度だけ、こちらの顔を覗き込むように見直したオジマンディアスが玉座から立ち上がる。

 

「ニトクリス、この者達の共をし、アトラスの遺跡へと案内しろ!」

 

「ファラオ・オジマンディアス、この者達を勇者と認めるのですか?」

 

「ファラオに二言はない! 少年、先ほどの約束、違えることは許さんぞ」

 

静かに、しかし力強く頷き返す。

有無を言わせぬ鋭い眼光を、自分はしっかりと受け止められていることに気づく。

“山の翁”と相対してからだろうか、ほんの少しではあるが心が強くなったような気がする。

今まで、重い荷物を背負っているかのように常に付きまとっていた胸のつかえが取れた気分だ。

思えば立香を失う前から、自分は多くのモノを失ってきた。

五つの特異点で多くの命が失われ、志半ばで英霊達が散る様を見送ってきた。

そもそも、元を正せばレフ・ライノールによる爆破工作で多くの仲間を自分は失っている。

その重荷を、遂に降ろす時が来たのだ。

自分の野心のためでも、失った命への贖罪でもない。

胸を張って、世界を救うと言えるだけの勇気が、やっと自分も持てるようになったのだ。

 

 

 

 

 

 

ニトクリスの加護もあり、アトラス院への道中は穏やかなものであった。

砂嵐もなく、スフィンクスの襲撃もない。

三蔵が突拍子もないことを言い出し、いちいち面白い反応を返すニトクリスを藤太が宥める。

その様子は、立香やマシュと共に旅をしていた頃を髣髴とさせた。

夜が訪れる度に、カドックはそんな事を考えてしまう自分のセンチメンタリズムを自嘲した。

やがて、アトラス院も間近という所まで近づくと、一際大きな砂丘が目の前に現れた。

ニトクリス曰く、この砂丘を越えた先にアトラス院への入口があるらしい。

 

「アトラスの遺跡はオジマンディアス様ご執心の地です。くれぐれも、粗相のないように」

 

道すがら、耳にタコができるほど聞かされた注意をニトクリスは再度、繰り返す。

根が小心者なのか、ファラオとしては後輩にあたるオジマンディアスに対して彼女はとにかくへりくだっていた。

そういえば、自分がオジマンディアスと問答をしていた時も、そのやり取りに一番目の色を変えていたのは彼女だったと藤太が言っていた。

特に自分が太陽王に啖呵を切った時は、この世の終わりのような顔をしていたとのことだ。

 

「カドック、アトラス院はどういうところなのかしら?」

 

「詳しくは知らない。基本的に協会同士での交流はないからね。錬金術に特化していることと、礼装の研究が盛んに行われていることくらいかな」

 

特に演算装置に関しては魔術・科学を問わず世界中のどの機関にも負けないものを有しているはずだ。

何しろここは学び舎とは名ばかりの墓所。数多の兵器が作られては破棄され、人の営みと共に増えていく情報を蓄積し整理するための保管庫。

入る事は容易く、出ることは難しい。

正に牢獄の如き奈落がそこに広がっている。

 

「ロンドンの時と同じなら、中の防衛機構は働いているはずだ。みんな、中に入ったら必ず僕の指示を――」

 

「っ!? マスター、伏せろ!」

 

急に藤太が覆い被さり、カドックは砂の山に顔を突っ込むような形で倒れ込む。

直後、頭上で何かが通り過ぎたかのような気配と共に少し先の砂上に何かがぶつかって砂塵が舞う。

攻撃されたと理解するのに時間はかからなかった。

すぐに魔術回路を励起させ、砂上を転がるように身を起こして藤太の背後に回り込む。

指差された方角を見ると、遥か彼方に銃を構える騎士甲冑の姿があった。

バーサーカーだ。

この時代で何度も相対している狂戦士。

奴がまたしても襲いかかってきたのだ。

 

「Arrrrr!!」

 

バーサーカーは砂を蹴りながら手にした対戦車ライフルPzB41の引き金を引く。

本来ならば銃座などで固定して使う代物だが、サーヴァントの膂力ではその反動はないに等しい。

加えてその射撃は正確で弓兵である藤太がいなければ今頃、自分の頭はトマトのように潰れていたことであろう。

 

「またあの騎士ですか!? ここをオジマンディアス様の領土と知っての狼藉ですか!!」

 

怒り心頭とばかりにニトクリスは砂塵を巻き上げ、視界を覆いつくさんとばかりの砂嵐を引き起こす。

通常ならば視界が利かず、まともに歩くこともできない暴風だ。だが、バーサーカーの疾走は止まらない。

砂を掻き分け、風を切り、砂塵で故障した銃を捨てて新たな武器を取り出しこちらへと迫る。

手にしているあれは剣だろうか。砂嵐で照準がぶれるため重火器を使ってこないのか、それとも全ての火器を使い切ったのか。

いずれにしろこれはチャンスだ。重火器さえなければ、あの厄介な宝具化の能力も意味を成さないはず。

そう思ってカドックが迎撃の指示を出そうとした刹那、バーサーカーはどういう訳か急に方向転換し、北に向かって走り去ってしまう。

先ほどまで殺意を滾らせて疾走していたとは思えない行動だ。

火器を失い、自身が不利と感じて撤退したのだろうか。

 

「……いけない、向こうにはキャラバンがあります!」

 

「人がいるのか。アナスタシア!?」

 

「ええ、大勢の人がいます。バーサーカーはそちらに向かっています!」

 

アナスタシアの魔眼は、バーサーカーの進行方向にキャラバンを見つけたらしい。

理由はわからないが、どうやらバーサーカーはキャラバンに向かって暴走を始めたようだ。

このまま放置すれば、煙酔のハサンが殺された時のように多くの犠牲者が出てしまう。

 

「はて、あちらに集落などなかったはずですが……」

 

ニトクリスは首を傾げているが、今は問い質している暇はない。

急いでバーサーカーを追いかけなければ手遅れになる。

だが、駆け出そうとしたカドックを藤太は手で制した。

 

「いや、追うとなるとマスターとアナスタシア殿の足では間に合わぬ。ここは拙者達に任せて、お二人はアトラス院に向かわれよ」

 

「あのサーヴァントは強敵だ。まだ何か隠し持っているかもしれないんだぞ!」

 

「だからこそ、だ。これ以上、かかずらっていては聖都攻略に支障をきたす恐れがある。何、倒せずとも人々を守り切れればそれでよし。優秀なキャスターが2人もいることだしな」

 

「当然。御仏の加護、見せてあげるわ」

 

「その中には私も入っているのですね。まあ、オジマンディアス様は遺跡まで案内しろとしか仰っておりませんでしたし」

 

迷っている時間はなかった。

一瞬でも判断が遅れれば犠牲者の数が増える。

 

「わかった。頼んだぞ、みんな」

 

 

 

 

 

 

砂を蹴る。

砂を蹴る。

砂を蹴る。

どこまでも続くかと錯覚するほどの広大な砂漠。その境界にその集落はあった。

幾つかのテントで構成されたキャラバン。ある理由のために集められた騎士達の拠点だ。

だが、この狂戦士の目的はそこではない。

まるで引き寄せられるかのように現れたオアシス。

そこに飛び込んだ狂戦士は、遂に待ち望んだ相手と再会した。

邪魔立てするは2人の騎士。

黒い甲冑と盾の少女。

そして、2人に守られるように佇む王が1人。

その王を守る騎士の1人が、こちらに向けて忌々し気に言葉を吐いた。

 

「――そうか。貴様はまた、我が王を裏切るか」

 

その言葉の真意を、狂戦士は知る由もなかった。




このペースだと、まだまだ続きそう。
漸く折り返せた辺りかな、これは。
ここまでバサスロが出ずっぱりになるとは思いませんでした。
次回はいよいよ、あの2人が対決ですね。


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神聖■■■■エルサレム 第8節

そこはまるで一つの街であった。

地下であるはずのその空間には空があり、光が差し込んでいる。

それが例え人工のものであったとしても、ここで学ぶ者達の心に健やかな気持ちを育むことだろう。

そういう意味ではここは理想的な学び舎と言えた。

だが、実際のこの場所は兵器の廃棄場だ。

現在地は地下500メートル。アトラス院の中心部に位置する広間にカドックとアナスタシアは足を踏み入れていた。

警戒していた防衛機構もほとんど働かず、ここまでこれといった躓きもなく到達することができた。

入る事は容易く、出ることは難しい。

それが文字通りの意味であるならば、抵抗が予想されるのは脱出の時かもしれない。

 

「ここ、カルデアの管制室に似ているわ」

 

アナスタシアの言う通り、この広場の造りはどことなくカルデアの管制室に酷似していた。

大きな違いは中心に置かれているのがカルデアスではなく巨大な3本のオベリスクだというところだろうか。

カルデアと通信が繋がれば詳しい情報をロマニから説明してもらえるのだが、残念ながらここも外の砂漠と同じで端末は何の反応も返さなかった。

そうなると必要な情報は全て自力で探さねばならない訳だが、果たして自分にこのアトラス院のデータベースを操作できるであろうか。

 

「その心配は無用だ。必要な情報ならば私が引き出そう」

 

冷徹でやや神経質そうな男の声が広場に響く。

どうやら初めからここに潜んでいたのか、コートを纏ったイギリス人らしき青年がオベリスクの向こう側から姿を現した。

コートで体格は分かりにくいが恐らくは痩せ型。凡そ180センチほどの長身で鷲鼻と鋭い顎が目立つ。

その身なりと特徴を、カドックはどこかで知っているような気がした。

 

「やあ、こんにちは諸君。そしてようこそ、神秘遥かなりしアトラス院へ」

 

声に似合わずにこやかな笑みを浮かべた青年は、親愛の印だとでも言いたいのか手袋を脱いで握手を求めてきた。

相手の正体がわからず、不用意に誘いに乗って良いものかと迷うカドックではあったが、傍らに立つアナスタシアは特に警戒を抱いていないようであった。

透視の魔眼を持つ彼女の前では隠し事はできない。暗器も伏兵も全て彼女が見通してしまうからだ。なので、少なくともこの男は丸腰かつ1人でここにいるのだろう。

そう結論付けて差し出された手を握ると、男は思いの外に強い力でこちらの右手を握り返してきた。

 

「左手が不自由のようだね。名誉の負傷かい?」

 

「っ……!?」

 

「それと音楽を嗜むようだ。ギターかね?」

 

こちらが何かを言う前から、男は次々と言い当ててくる。

何かしらの魔術か超能力の類で記憶を覗かれたのだろうか? だが、そういった力を発動した痕跡は一切見られない。

ならば、この男は自分の佇まいや身体的特徴からそれらを推理したというのだろうか?

確かにロンドンでの後遺症から左手が使えず、右手でばかり荷物を持つようになったので手の平の皮は厚くなっている。

ピックを使わずにギターを引いていれば指先も自然と人より固くなっているはずだ。

それらの機微を彼は一瞬の内に見抜いたというのだろうか。

 

「あんたは、いったい?」

 

「私はシャーロック・ホームズ。世界最高の探偵にして唯一の顧問探偵。明かす者の代表として、キミ達を真相に導く者だ」

 

シャーロック・ホームズ。

言わずと知れた世界で一番有名な探偵。

作家コナン・ドイルの名で発表された小説は世界中で愛読され、多くのファンを生み出した、ミステリー或いは探偵という概念の先駆者。

カドック自身は知らないことだが、先ほどのホームズの推理は生前の彼がワトソン博士との初対面の際にやって見せた推理を踏襲したものであり、彼なりのファンサービスのようなものだった。

もしもここにミステリー好きのマシュ・キリエライトがいれば間違いなく狂喜乱舞していたことだろう。

 

「ふむ、ここに至ったのがミスター・ゼムルプスとそのサーヴァント・アナスタシアのみというのは些か気になるね」

 

「あんた、僕達の名前を……」

 

「知っているとも。私とキミ達は既に情報を介して間接的に出会っている。ロンドンでは無事に私が用立てた情報を手に入れてくれただろう?」

 

「時計塔に先立って侵入していたのはあんただったのか」

 

アンデルセンが時計塔の資料室を調べた際に感じた違和感。

意図的にわかりやすい位置に置かれていた聖杯戦争の資料。

何者かが自分達よりも先に侵入していたと彼は推察していたが、その人物こそがホームズであったのだ。

 

「あまり露骨に揃えていてはマキリに気づかれる恐れがあったのでね。この殺人事件の解決者になる為にも、キミ達はあの情報を知る必要があった」

 

探偵としての性なのだろうか。ホームズは魔術王による人理焼却を殺人事件と称した。

その神話級の殺人事件に対するカウンターとして自身は召喚されたと言う。

ただ、彼には彼なりに事情があるようで表立った行動ができないらしく、手助けは行うが人理焼却自体はカルデアに任せる腹積もりのようだ。

 

「まあ、顔に似合わず厚かましい人」

 

「止すんだ、アナスタシア」

 

「ははは。よく言われるよ」

 

人を食ったような笑いでアナスタシアの言葉を流しながら、ホームズは広場中央の端末を操作する。

音も振動もなかったが、その操作によってここに組み込まれた何かが動き出したことをカドック達は実感した。

 

「さて、キミ達が必要とするものはこの疑似霊子演算器トライヘルメスの中だ。カルデアに送られた霊子演算器トリスメギストスの元になったオリジナル、という事だね。キミ達にはまず、ある記録を知ってもらう。私でも遡ることができなかった、ある秘匿された出来事の記録だ」

 

「その記録というのは?」

 

「あらゆる記録、記述から抹消されたある事件。2004年の日本で起きた、聖杯戦争の顛末さ」

 

2004年の聖杯戦争。

それはカルデアにとって重要な意味を持つ言葉だ。

自分の運命を決定づけた最初の任務。

レフ・ライノールが正体を現し、多くの犠牲者を出したテロ事件。

アナスタシアと出会うことができたあの炎の街。

ファースト・オーダー。或いは冬木の聖杯戦争。

そこに人理焼却を読み解く上で重要な要素があるとホームズは言う。

 

「だが、あの儀式は失敗だったんだろう? 街は炎で焼かれ、多くの犠牲者が……」

 

自分で言ってから、その言葉の矛盾に気づく。

順番が逆だ。儀式が狂い、街が炎で焼かれたのは特異点化した冬木であり、自分達はその時代で行われていた本来の聖杯戦争については何一つとして知らないのだ。

 

「あらゆる記録は抹消されていたが、私は何とか参加者の名簿を手に入れることができた。そこにはキミがよく知る人物。オルガマリー・アニムスフィアの父にして、亡くなったカルデア前所長も参加していた」

 

ホームズが言い終えると共に、トライヘルメスより質問への回答が提示される。

 

『2004年、聖杯戦争。開催地、日本。勝者、マリスビリー・アニムスフィア』

 

情報の蔵には、確かにそう表示されていた。

マリスビリー・アニムスフィア。自分をマスターとしてスカウトしたカルデアの前所長。

彼は極東の血生臭い魔術儀式に参加し、6人の魔術師を殺して万能の願望器を手に入れた。

その後、彼は魔術師として大成し、机上の空論とされていたレイシフトの実用化と英霊召喚システムを確立。カルデアを国連傘下の研究施設へと発展させたらしい。

そして、ここが最大の引っかかりなのだが、その聖杯戦争にはマリスビリーの助手としてロマニ・アーキマンが参加していたらしいのだ。

 

「彼は聖杯戦争の後、医療部門のトップとして異例の大抜擢を受けている。それ以前の一切の出自が不明であるにも関わらずにね」

 

「あんたはドクターが怪しいと睨んでいるのか?」

 

「あくまで重要参考人だ。カルデアを壊滅させた主犯。レフ・ライノールがカルデアに接触したのが1999年。5年のズレにどのような意味があるのかわからない以上、結論を出すことができない。少なくとも彼が何かを隠しているのは事実だからね」

 

レフが聖杯戦争以前からカルデアにスパイとして潜り込んでいたのなら、ロマニはこの件とは完全に無関係なただの助手ということになる。

現状、それを証明できる手立てがないのでホームズはそれ以上の言及はせず、またこちらにも他言無用であることを念押ししてきた。

カドック自身としても、人理修復のために文字通り命を削っているロマニが魔術王の企みに何か関係があるとは思いたくはない。

彼は立香と同じく平凡な人物だ。

持って生まれた才能はなく、努力の積み重ねで獲得したスキルで采配を振るう凡人。

カルデアの誰もが知っている。自分達と通信越しに暢気な会話をしながら、彼は血反吐を吐いていることを。

レイシフト先での意味消失を防ぐために寝ずの番を行い、職員への指示や自分達のバイタルチェック、不調が起きた際の機器の調整、情報の解析。

英雄譚でお茶が美味いなどと宣いながら、彼は強壮剤とブドウ糖で意識を強引に保たせつつグランドオーダーに臨んでいるのだ。

そんな悲壮なロマンチストに欠片でも悪意があるとは思いたくない。

 

「不可能なものを除外していって残ったものが、たとえどんなに信じられなくてもそれが真相である。だが、現状では確証が足りないのでこの件はここまでとしよう。それよりもヘルメスの調子が良くない。後一度、情報検索をしたら電源が落ちそうだ」

 

「一度だけ? なら、獅子心王について調べられないか?」

 

「獅子心王について出てくる情報はリチャード一世についての記述ばかりだろう。それよりもキミ達は聖杯爆弾とは何かということを知る必要がある」

 

「トリスタン卿のメッセージね。十字軍は本当に聖杯を爆弾として使うつもりなのかしら? だって、聖杯よ? その真偽は分からずとも、十字軍にとってあのお方に関する遺物かもしれないものは尊いものでしょう?」

 

「残念ながらこの時代を貶めているのは偽りの十字軍なのだ、アナスタシア皇女。最早、信仰は別のものへと置き換えられているいる。では、検索の結果が出るまでキミ達に質問をさせて欲しい。特異点を巡る旅のどこかで魔術王と接触した者はいないかね?」

 

ホームズの質問にカドックは唇を噛む。

忘れたくても忘れられない。

第四の特異点。あのロンドンの地下大空洞で自分達は魔術王と相対した。

まるで手も足も出ず、自分の惨めさだけを味わう事となった屈辱の記憶だ。

あの時、自分はアナスタシアの能力で視界を封じられていたので魔術王の姿を見ることはできなかったが、アナスタシア自身は魔術王の姿を目にしているはずだ。

 

「そうね、とても恐ろしい存在だと思います。けど、強い違和感を感じました。彼は乱暴で、冷静で、時にはこちらに無関心な素振りを見せていました」

 

まるでサイコロの目が転がるように、言動が不安定で予兆なく変化していたとアナスタシアは言う。

確かにモードレッドと話をしていた際は口調が荒々しかったような気がする。

ひょっとしたら覚えていないだけで、自分やアンデルセンと話していた時も口調が変わっていたのかもしれない。

 

「ふむ、恐らく魔術王は鏡に似た性質を持っているのだろう」

 

保持する属性が多すぎて、それが相手に合わせて出たり引っ込んだりしているのだろうとホームズは推理する。

一方でカルデアに対して無関心なのは既に目的を達成したことで興味を失っているからだ。

人理焼却はその原理こそ解明できていないが、理屈としては2016年までの歴史を魔術的に焼き払うことである。

カルデアは奇跡的に焼却を免れたが、人類史が2016年より先に存在しない以上、その時が訪れればカルデアもまた同じ運命を辿ることになる。

もし人理焼却それ自体が目的ならば、魔術王はもっと本腰を入れてカルデアを排除しようとするはずだ。

それをしないということは、焼却自体が目的ではなく、それを行った上で新たに何かを成そうとしているのではないだろうか。

その案件にかかり切りのため、カルデアに対しては無関心を貫いているのではないだろうか。

 

「逆に言えばそこに付け入る隙がある。未だ焼却を迎えていないキミ達だけは、その事実を覆すことができるのだからね……おっと、そうしている間に検索が終了したようだ」

 

読み込まれた情報に目を通し、ホームズは眉間に皺を寄せる。

どうやら、相当にきな臭いことが書かれていたらしい。

一読の後にもう一度だけ文面を読み直したホームズは、険しい顔つきのままこちらを見まわすと、勿体ぶるようにゆっくりと口を開いた。

 

「キミ達は聖杯爆弾をどんなものだと思うかね?」

 

「そのままの意味だろう? 聖杯の中の魔力を火薬代わりに爆発する爆弾。似たような礼装だってあるだろう」

 

「私は門外漢なのでその辺は何とも……」

 

「なるほど。では、その認識の違いを訂正しよう。聖都に眠る聖杯爆弾。それは人理定礎そのものを打ち砕く魔術的装置だ。いわば対人理破壊爆弾と言っていいだろう。物理的に炎をまき散らすのではなく、人類史という概念そのものを破壊する爆弾だ」

 

「…………」

 

ホームズが語る言葉のスケールの大きさに、カドックは言葉を失った。

確かに自分は聖杯爆弾をただの兵器としか考えていなかった。だが、実際は人理定礎そのものを破壊する概念的なものであるとホームズは言う。

そんなものが発動すれば、中東の地は文字通り跡形も残らず歴史上から消え去ってしまうだろう。物理的にという意味ではなく、人類史という時間の流れにぽっかりと穴が空く形となる。

それは規模こそ違えど魔術王が成した人理焼却と同じ結果を呼び起こすのではないだろうか。

十字軍はそんな恐ろしいものを建造しようとしているのか。

 

「普通の爆弾であれば、最悪の場合、何らかの宝具や魔術で防ぐこともできよう。だが、この爆弾は何であっても防げない。爆発したら最後、この時代は完全に死滅する。そうなる前に無力化するしかないだろう」

 

「ま、待ってくれ。人理そのものを破壊する爆弾? いくら願望器でもそれは不可能だ」

 

聖杯はあくまで世界の内側の法則に働きかける装置だ。そこに住まう人々を皆殺しにすることもできよう。その土地に破壊の炎をまき散らすこともできよう。

だが、人理という一つの概念そのものを破壊するなどという所業はもう魔法の領域である。だからこそ、魔術王に屈した各特異点の黒幕達は各々の策謀を以て人理定礎の破壊を目論んだのだから。

 

「普通ならね。だが、容量が足りなければつぎ足せばいい。キミ達は聖都に連れ去れる人々を見たかね? 彼らはただ人体実験のために連れていかれたのではない。恐らく、足りぬ聖杯の魔力を補うためにその魂を生贄として捧げられているのだろう。破壊力を増すために、意図的に聖杯を汚染している可能性もある」

 

例えば拷問による苛烈な責め苦で絶望を与える。

例えば蟲毒のように殺し合わせて生への渇望を起こす。

例えばわざと捕虜の間に格差を与えて嫉妬や怒りを誘発する。

様々な所業で汚し貶められた悪性の魂を生贄に捧げれば、無色の魔力は呆気なく染められてしまうであろう。

より破壊の方向へ、より悪辣な性質へ、黒く黒く汚染する。

聖杯爆弾とはそういうものなのだ。

 

「それが本当なのだとしたら、もう一刻の猶予もない」

 

カウントダウンは始まっている。

起動に必要な魂の量がどれほどかはわからないが、既に何万人に近い犠牲者が出てしまっている。

すぐにこの事実を太陽王とハサン達に伝えなければ、全てが手遅れになってしまうかもしれない。

“山の翁”はこのことを知っていたのだろうか?

恐らく、知っていたのだろう。知っていながら彼は静観を決め込んでいた。

思えば彼の行動は一見すると矛盾だらけだ。

獅子心王の目的を知りながら自らは動こうとせず他のハサン達に動向を見守っていた。

太陽王に暗殺を仕掛けながらもとどめは差さず、警戒を強めさせたことでエジプト領と十字軍の全面戦争にブレーキをかけた。

そして、事の仔細を知りながらも自分達をアトラス院に向かわせた。

その目的が何なのかはわからないが、結果として盤上は彼が思い描いた通りに運んでいるのだろう。

一手が遅れれば必死。この抜き差しならない状況こそを彼は望んでいたというのだろうか。

最早、トライヘルメスが答えることはない。

物言わぬ石と化した演算器を残し、カドック達は決戦に備えるためにアトラス院を後にした。

 

 

 

 

 

 

入る事は容易く、出ることは難しい。

目的を終えて帰路についたカドック達を待ち受けたのは、無数の防衛装置と脱出妨害のための罠の数々であった。

侵入時は沈黙していたそれらは、こちらが経路を逆に辿り始めた瞬間に産声を上げる赤ん坊のように喚き始め、施設からの脱出を阻もうとしたのである。

ホームズはマスター不在ということもあって霊基が不安定なのか、まともな戦闘力は期待しないで欲しいと言い出したため、アナスタシア一騎での突破を余儀なくされたことで、帰路は行きの倍以上の時間を要することとなった。

一方で確かな手応えをカドックは感じていた。ここ最近はずっと仲間と共に戦ってきたために実感できていなかったが、アナスタシアと契約したばかりの頃と比べて確実に自分達は強くなっている。

細かく指示を出さずとも互いに呼吸を合わせ、彼女が最大のパフォーマンスを発揮できるように援護を行う。敵のステータスを瞬時に読み取り、彼我戦力を考慮して的確な策を練る。

ほんの少し、敵に煩わされただけで苛立ちを覚えていた頃の自分はもうどこにもいなかった。

 

「私はここで諸君らとはお別れだ。次は荒野ではなく賑わいのある都市で出会えることを願っているよ」

 

出口付近まで来たところで、ホームズとは別れることになった。

彼は彼で他に抱えている事件があるので、最初に言ったように同行はできないということだった。

自身では戦えないと言っておきながら、彼の護身術はゴーレムや自動人形を相手にしても一歩も引けを取らなかったので、一緒に来てくれれば、かなりの戦力アップに繋がったかもしれない。

それを思うとここで別れるのは残念で仕方がなかったが、彼自身にその意思がないのであれば説得をしても時間の無駄であろう。

そう思う事にしてカドックは出口となる扉を潜り、灼熱の砂の世界へと帰還した。

数時間振りの日差しは容赦なく肌を焼き、視界が一瞬白く染まる。

太陽の位置から見て、中に入っていたのは数時間から半日といったところだろうか。

 

「あ、戻ってきたわ」

 

こちらに気づいた三蔵が腕を振る。

藤太やニトクリスも一緒だ。

あの謎のバーサーカーを任せる形になってしまい、さぞや苦戦を強いられたであろうと思っていたが、意外なことに3人には消耗らしい消耗は見られない。

それどころか天啓を得たとばかりの晴れやかな顔つきだ。特に三蔵なんて露骨過ぎて気持ち悪いくらいである。

 

「何かあったのか?」

 

「おう、朗報だぞマスター。うむ、口で言うよりかは直接、会ってもらった方が良いだろう」

 

「そうそう、驚くわよ。ささ、馬はこっちで用意しておいたから」

 

いつの間にか人数分の馬が用意されており、カドックとアナスタシアはあれよあれよという間にバーサーカーが向かったとされる北のキャラバンへと連れていかれる。

道中、何度も問い質したが3人とも含みのある笑みを浮かべるばかりで肝心な答えを返してくれない。

どうやらバーサーカーは無事に倒せたようだが、その際に何かがあったようで、それを自分達に見せたいということらしい。

そうして、数時間ほど北上したところで目的の場所へと到着したのだが、そこにいたのは隊商ではなく騎士の一団であった。

アナスタシアはこの一団の一部を見てキャラバンと誤認したのだろう。実際は一つの軍事拠点と言える程の規模を持つ集落であった。

しかも、ここにいるのは西洋人だけではない。砂漠の民に山の民、聖地に住まう民が皆、それぞれの部族の武具や馬を持ち寄っているのだ。

統一性のなさは騎士団というよりはローマで見た軍団(レギオン)に近い。

 

「とある騎士様が離反した元十字軍や太陽王と山の翁のどちらにも属せなかった者達をまとめ上げた集団だそうだ。彼らもまた、聖都奪還のために十字軍と戦う腹積もりらしい」

 

「よく、今まで見つからなかったな」

 

「荒野はいつ獅子心王の裁きが降りるか分からぬ故、神獣に襲われるのを承知で砂漠に拠点を築き、太陽王に悟られぬよう常に部隊を移動させていたらしい。寄せ集めと侮れぬ統率力よ」

 

彼らは打倒十字軍という志でのみ結託したはみ出し者の集団である。それをここまで完璧にまとめ上げるとは、余程のカリスマか智将が長に収まっているのだろう。

そして、自分達がアトラス院に潜っている間、藤太がある人物を通してこの集団との協力体制を取り付けてきたらしい。

彼が自分と会わせたいと言っているのは、その橋渡しをしてくれた騎士なのだそうだ。

 

「では、拙者達は外で待つ故、ごゆるりと」

 

「え? あ、ああ」

 

「あ――!?」

 

テントを潜ろうとした瞬間、アナスタシアが息を詰まらせる。

何事かと振り返るが、彼女は何でもないとばかりに首を振るばかりだった。

このテントの中を透視して、何かを見たのだろう。止めに入らないということは、とりあえずは安全ということだが――。

 

「――――っ!?」

 

天幕を潜り、そこにいた2人を見てカドックは言葉を失った。

何故、みんなが黙っていたのか。

どうして、アナスタシアが驚いたのか。

その理由が今、わかった。

そこにいたのは自分がよく知る人物だからだ。

黒髪に黄色の肌、如何にも人畜無害で人の良さそうな笑顔の少年。

色素の薄い髪と白い肌、黒と紫の甲冑、か細い腕には不釣り合いな巨大な盾を持つ少女。

バーサーカーの自爆から難民達を守るために、爆炎へと消えたはずの2人。

藤丸立香とマシュ・キリエライトが、そこにいた。

 

「なっ―――――!!」

 

何故、2人がここにいるのか。

どうやってあの爆発から生還したのか。

生きているならどうして、今まで連絡の一つも寄越さなかったのか。

色々な考えが頭を過ぎり、カドックの思考回路は瞬間的なパニックに陥る。

それは傍らのアナスタシアも同じであった。

 

「や、やあ、カドック」

 

「えっと……その、ご心配をかけてすみません」

 

視界の端を白いドレスが駆け抜ける。

この時ばかりは動転していたのだろう。何があっても手放すことがないヴィイを放り投げて、アナスタシアは気まずそうに頬を染めているマシュに抱き着いたのだ。

 

「きゃっ、アナスタシア?」

 

「よかった……本当によかった……」

 

生きていてくれて、本当によかったと、彼女は何度も繰り返す。

アナスタシアにとって近しい者の死は何よりもトラウマを刺激する。

イパチェフ館での最後の日、彼女は運悪く即死を免れたことで家族や友人の死を目の当たりにしたのだ。そして、ヴィイとの契約が成ったことで死後もその瞼を閉じることができずに全てを見つめ続けた。

だから、マシュが無事に生きていてくれたことが堪らなく嬉しいのだ。

それはカドックも同じである。

目の前で照れくさそうに鼻の頭をかいている唐変木に言ってやりたいことは山ほどある。

自分がいったいどれだけの死線を潜り抜けたのか。

2人が犠牲になったことで、どれだけ自分を責めたか。

ハサン達やアーラシュとの出会いにどれだけ救われたか。

“山の翁”と太陽王に謁見し、死を覚悟したこともあった。

兎にも角にも言いたいことは山ほどある。けれど、感情が高ぶって言葉が出てこない。

自分が今、泣いていることに気づくのにそう時間はかからなかった。

 

「……な――」

 

「カドック? ひょっとして泣いて――」

 

「何でもない! 生きていたなら連絡くらいしろ、バカ!」

 

本当は嬉しくて堪らないのに、意地を張ってついそんな悪態を吐いてしまった。

そこから先はとても人様に見せられるようなものではなかった。

最初こそ心配をかけてすまなそうに頭を低くしていた立香ではあったが、カドックがみっともなく意地を張るものだから段々と態度が横柄になっていき、終いには売り言葉に買い言葉で取っ組み合いの喧嘩になる始末。

やれ、こっちはお前がいなくて何度も死にかけたんだぞと頬を抓り。

やれ、こっちは数日前まで本当に死にかけていたんだぞと鼻の穴を抉り。

半人前、未熟者、ど素人と罵ったかと思うと、器用貧乏、嫉妬深い、口が悪いと言い返す。

戸惑うアナスタシアとマシュを尻目に大の男が子どものような喧嘩を繰り広げる。

そうして、お互いの言い分を思う存分にぶつけ合い、腹の底に溜め込んでいたものを全て吐き出した後、2人は自然と笑い合いながら互いの肩を叩いて自分達の健闘を讃え合った。

本当に、君が/お前が無事で良かったと。

 

「それで、行方知れずの間に何があったんだ?」

 

疲れ果ててとりあえず椅子を借りたカドックは、立香とマシュにあの爆発の後のことを問いかける。

目尻にはまだ僅かに涙の跡が残っていたが、さすがに立香もそれを指摘するほど野暮ではなかった。

2人の話によると、爆発をマシュの宝具で防いだところまではハッキリと覚えているが、そこからどうやって助かったのかはわからないらしい。

ただ、気が付くとある英霊が側にいたため、彼女が自分達を助け出してくれたのかもしれないとマシュは言う。

当然、2人はすぐにでもこちらと合流したかったのだが、爆発の際に立香が大きな負傷を負ってしまい、砂漠地帯にいるからかその英霊の魔力によるものなのかカルデアとの繋がりも断たれていたため連絡もできなかったらしい。運悪く治癒のスクロールを始めとした荷物も焼けてしまったために、その傷が癒えるまで動くことができなかったのだそうだ。

それからは立香をこの騎士団に任せてマシュは自分達を助けてくれたと思われる英霊のもとに通い、カルデアに力を貸してはくれないかと説得を行っていたとの事だった。

 

「気難しい方々でしたが、何とか協力を約束してくれました。俵藤太さんから聞かれていると思いますが、ここの方々も聖都攻略の際は共に戦ってくださるとのことです」

 

「なら、マシュを助けてくださったのはここの騎士団長様?」

 

これだけの兵力を十字軍や太陽王の目から隠し通せたその手腕、力を貸してくれるのならばさぞや頼りになるだろう。

だが、意外にもマシュは首を振って否定した。ここの騎士団長は自分達を救ってくれたと思われる英霊ではないと。

 

「騎士団長はその英霊に仕える騎士です。名をアグラヴェイン。円卓の騎士が1人、堅い手のアグラヴェインです」

 

堅い手のアグラヴェイン。

彼のガウェインとは兄弟であり同じ円卓の騎士の1人。

戦場に出れば常に無傷で生還したことから『堅い手』や『傷知らず』といった異名を持つ。

彼が最も有名な逸話は不貞を働いた同僚であるランスロットの告発であろう。

彼は主君の妻とランスロットが通じていることを知り、騎士を引き連れてその現場を取り押さえた際に逆上したランスロットに切り殺されてしまう。

その事件がキッカケとなって円卓は2つに割れ、やがては叛逆の騎士モードレッドの謀反へと繋がっていくのである。

他の円卓の騎士が召喚されていたのでもしやとも思っていたが、アグラヴェインも召喚されていたらしい。

そして、どうやら彼は正常なまま十字軍と敵対しているようなのだ。

 

「ちょっと待ってくれ。アグラヴェインが仕える人物って…………」

 

「はい、その通りです」

 

円卓の騎士が主君と仰ぐ人物。それは1人しかいない。

選定の剣を抜き、ブリテンを平定した選ばれし王。

数多くの戦いを潜り抜け、滅びゆく島国を蛮族から守り抜いた誉れ高き騎士。

燦然と輝く聖なる剣を掲げ、十二の英雄を従えし騎士王。

 

「ランサー――アルトリア・ペンドラゴン。わたし達を助けてくださったのは、聖槍ロンゴミニアドを持つ英雄。アーサー王その人です」




前回、2人の因縁の対決と言ったな。ありゃ嘘だ(笑)

はい、そこまで書くと長くなるのでここでいったん切ります。
次回こそはVSランスロットの最終戦とアッくんの登場になります。
ちなみに立香達が助かっていたことのヒントは既に出ています。
爆発の時、カドックが聞いたある音ですね。


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神聖■■■■エルサレム 第9節

物語は少しだけ遡る。

その日もマシュは、日課である立香の見舞いを終えてアーサー王――アルトリアが過ごすオアシスへと訪れていた。

集落の騎士団はアグラヴェインが騎士王のために用意したものだが、彼女がそこに来ることはない。あくまでアグラヴェインが独断で行ったことであることに加え、草木や水が湧くオアシスの方がかつてのブリテンに少しだけ雰囲気が近いのだろう。

彼女は一日の大半をそこで寝ずに過ごす。

風を肌に浴び、水に足を漬け、僅かな小動物と語り合う。

冬木で出会った黒い騎士王の片鱗は微塵も感じさせない、穏やかでありながら超越者然とした姿がそこにはあった。

 

「……来たのか」

 

「はい」

 

「貴公のマスターの具合は? あれからかなり日は経つが……」

 

「お陰様で、先日から動けるようになりました。これも騎士王の恩寵のおかげです」

 

「アグラヴェインが勝手にやったことだ。私は貴公が無事でいてくれたのならそれでいい」

 

まるでこちらを見透かしているかのような鋭い視線が注がれる。

その眼を見るとほんの少し体が強張ってしまうが、マシュは勇気を振り絞るために一度だけ胸に手を当て、自分の中の決意を再確認する。

 

「お願いです、わたし達に力を貸しては頂けないでしょうか」

 

「くどいぞ、盾の騎士。王には王のお考えがあると、貴公も知っていよう」

 

傍らに控えていた黒い甲冑の騎士が眉間に皺を寄せながら声を張る。

聞く者に威圧感を与えるこの男こそ、この中東の地で唯一、正常なる意思を有した円卓の騎士が1人。

名を堅い手のアグラヴェイン。アーサー王の副官だ。

 

「アグラヴェイン、貴公に発言を許可した覚えはない」

 

「はっ、出過ぎた真似を致しました」

 

アルトリアに一喝され、アグラヴェインは謝罪の礼と共に後ろに下がる。

だが、その眼光は変わらずこちらを睨みつけていた。無遠慮な発言をした場合は強行的な手段に出ることも厭わないという確固たる意志を感じられた。

2人を説得しようとして何度も目にした光景だ。

自分のことを悪からず思ってくれているアルトリアと違い、アグラヴェインは人間不信の気があるのかこちらへの警戒心を説こうとしない。

名乗ってから一度も、名を呼んでくれないことがその最たるものであろう。

それでも自分達を助け、立香の治療を引き受けてくれたのには理由がある。

マシュ・キリエライト――厳密にはその身に宿した霊基を自分達のもとに留めておくためだ。

 

「異邦の騎士よ、我が聖策を愚と唱えるか?」

 

「……はい」

 

「彼の大偉業によって人理は焼却され、人類史は無に帰される。それは私の存在意義に反するのだ」

 

「ですが、そのために人を標本にするのは間違っています」

 

始めて2人を説得しようとした際に聞かされた真意。

アルトリアがこの時代で成そうとしていることは、人類の標本化であった。

彼女が持つ聖槍ロンゴミニアドは強力な宝具であると共にこの世のあらゆる破壊、概念に対する強固なシェルターとなる。

彼女はその力を使って選別した善き人間を資料として聖槍に保管し、人理焼却の後も人類という概念を世に残そうとしているのだ。

ただし、選ばれた人間は生かされることも死することもできずに情報の羅列と化すこと、聖槍の起動に伴い世界そのものが崩壊するという大きな代償を伴う行為だ。

彼女は戦乱に翻弄されるこの時代に住まう人々を守る手段として、その非情な選抜を行おうとしているのである。

 

「私は人間(お前達)を愛し、人間(お前達)を守りたい。これはそのための聖策だ」

 

暗に、魔術王に抗っても無駄だと騎士王は言う。

例えこの時代を救うことができたとしても、人理焼却を防ぐ手立てはない。

聖槍の影響によるものなのだろうか、彼女は神の如き視点を得ている。

それによって見据えたある事実が、彼女にこの決断を強いたのだ。

最も、それが何なのかをマシュは知らせれていないのだが。

 

「マシュ・キリエライト、限られし命よ。お前ならばわかってくれると思っていたが……」

 

「いいえ、わたしは諦めません。命は終わります。ですが、それはその場限りのものでなく、後に託し続いていくものです。わたしには無念の内に死した仲間がいます。ですが、彼女の意思は1人の魔術師(少年)を動かしました。命は繋がり続いていくもの。そこに嘆きはありません」

 

グランドオーダーを通じて多くの命を見てきた。

無残にも竜に屠られた家族がいた。

信ずる皇帝のために戦うローマ兵がいた。

明日も見えぬ荒波の中で陽気に笑う海賊がいた。

泣く事すらできずに魔霧に焼かれた娼婦がいた。

自由と独立を求めて戦う者達がいた。

そして、親や子、友人を十字軍に殺されながらも今日を生き続ける逞しい魂を見た。

失われた命と先に続く命は等価ではないのかもしれない。

それでも、素晴らしい輝きを後の命に託せる誇らしさと尊さを自分は忘れない。

だから、アルトリアの聖策を受け入れることがマシュにはできなかった。

 

「……お前はもう、そこにいないのだな」

 

嘆くように、憐れむように、アルトリアは淡々と言葉を紡ぐ。

そして、もう話すことはないとばかりに背を向けると、空に輝く光帯を見上げながら小さな声で呟いた。

 

「少し、疲れた。2人とも、下がってくれ」

 

「はっ」

 

「……はい」

 

オアシスの奥。清水が湧き出る泉へとアルトリアは消えていく。

この時代は不浄な念が強いという理由で、彼女は一日の内に何度か朴浴を行っている。

その間は何人も立ち入ることを許さない不可侵な時間。忠臣であるアグラヴェインですら、急があろうとその静謐な時間を侵すことを是としていない。

 

「もう諦めるがいい、盾の騎士。王の考えは変わらぬ」

 

「ですが、彼女の考えは間違っています。それに、円卓の同胞が十字軍に利用されていることを黙って見ているなんて……」

 

「口を慎め女。狂気に囚われた時点で最早、奴らは円卓ではない」

 

忌々し気にアグラヴェインは吐き捨てる。

彼らが壮大な目的を掲げながらも砂漠に潜伏しているのには訳があった。

そもそもこの時代に召喚されている円卓の騎士は聖杯によって呼ばれた者達ではなく、アルトリアが自らの力で家臣として呼び出したサーヴァントであった。

太陽王と十字軍が争い合うこの時代にて聖策を実行しようと決めたアルトリアではあったが、余りに強大な自らの力では両陣営を相手取ることはできても、余計な被害を出して救うべき善良な民をも巻き込んでしまうかもしれない。

それ故に、自分の代わりに手足となって戦う忠実な家臣。生前、ブリテンの守護という同じ目的を抱いて絆を交わした円卓の騎士達を召喚したのだ。

だが、召喚した直後に突如として十字軍の襲撃を受けることとなり、アグラヴェインを除く円卓の騎士は全滅することとなった。

獅子心王を名乗る男は褐色の衣を纏った男であり、不可思議な力を使う英霊であった。

アルトリアによって召喚された円卓の騎士は10人。その内、彼が繰り出した宝具の影響によって4人の騎士が洗脳され、彼らの手で5人の騎士が倒されてしまったのだ。

唯一、支配を免れたアグラヴェインはアルトリアと共に砂漠へ逃れ、そこで反撃の機を伺っているのである。

立香を匿ってもらっているあの騎士団は、そのためにアグラヴェインが独断で結成した私設軍隊であった。

最も、アルトリア自身は円卓以外の者達を信用していないのか、アグラヴェインが勝手にやったこととして咎めこそせず無関心を貫いているが。

 

「王は今、憂いているのだ。その原因を私は取り除く。不覚にも獅子心王に屈した者どもを討ち、十字軍を滅ぼす。彼の聖地には我が王の居城こそが相応しい」

 

「円卓同士で戦うと言うのでですか!? あなた1人で、4人もの円卓と獅子心王を!?」

 

「王が命じずともその願いを私は果たす。無謀……或いは憐憫か。そう思うのならばその霊基、我らのもとに戻るのだギャラハッド」

 

ギャラハッド。

その名で呼ばれ、マシュは表情を曇らせる。

彼らと出会って知ったことは、騎士王の聖策だけではない。

この身に宿った英霊の真名。あの炎の中で自分に後を託して消えていった騎士の名を、自分は彼らに教えられた。

その名はギャラハッド。円卓の騎士が1人。

円卓最強と言われるランスロットの息子にして、生前に聖杯探索を成し遂げた唯一の騎士。

それを知った時、マシュは腰を抜かすほどの驚きと共に、自分を今日まで生かしてくれたことへの感謝の念を再確認した。

彼の力がなければ自分も立香もここまで旅を続けられなかったであろう。

そして、それは同時に人嫌いのアグラヴェインが立香の治療を引き受けてくれた理由でもあった。

彼は立香を人質とすることで、マシュの中のギャラハッドの力を利用しようと企んでいるのだ。

 

「お断りします。わたしはカルデアの――藤丸立香のサーヴァントです。あなた方のもとには行けません」

 

「その命を握っているのは我が王であることを忘れるな。王の温情がなければ、その身に答えを聞いても良いのだぞ」

 

従わぬのなら拷問も辞さないという狂気じみた意思を、アグラヴェインは瞳に宿す。

そんな彼が強硬策にでないのは、良くも悪くもアーサー王のおかげであった。

彼女の願いを果たさんとその意思に背いて兵力を集めているが、彼女がマシュに対して円卓の一員として好感を抱いているから手が出せずにいる。

例え誰に嫌われたとしても、王にだけは嫌われる訳にはいかない。アグラヴェインとはそういう男なのだ。

 

「…………」

 

「っ……もういい。今日は王もお疲れだ。定刻までに戻らねば部隊が移動し……」

 

何かの気配を察し、アグラヴェインは言葉を切る。

マシュも強力な魔力がこちらに向けて物凄い勢いで近づいてきていることを肌で感じ取った。

互いに無言で得物を構えると、どこから何が飛び出してきてもいいようにと自然と背中合わせの態勢で待ち構える。

数十秒か或いは数分か。

息を殺し、汗ばんだ手が気になりだした頃を見計らったかのように、漆黒の騎士は姿を現した。

 

「上か!?」

 

「Arrrrrrrrr!!!」

 

バーサーカーが振り下ろした剣とアグラヴェインの剣が激突する。

狂化によって増した筋力を真っ向から受け止める膂力。その鍔迫り合いでアグラヴェインの両腕の筋は容赦なく弾け飛ぶが、彼はその痛みを意に介することなく狂戦士の剣を受け流す。

砂地に墜落したバーサーカーは痛みを訴えるかのように咆哮を上げ、本来ならば両手で振るうべき大剣を片手で振り回しながら再度、アグラヴェインの命を狙う。

筋力が乗り切らなかった空中と違い、地上では踏み込みの勢いすら利用して繰り出される猛烈な連撃がアグラヴェインの鉄壁の防御を少しずつ突き崩していく。

その技の冴えは、この狂戦士が本当にバーサーカーなのかと疑いたくなるほど鋭く、重く、速かった。

受け止めるアグラヴェインの表情はその剣筋に対して驚愕と焦りの色を浮かべている。

 

「この太刀筋、それにその剣は……」

 

砂地に足を取られたアグラヴェインの態勢が揺らぎ、バーサーカーはその隙を逃すまいと剣を振るう。

直後、振り上げられた漆黒の剣は堅牢な盾によって受け止められた。マシュが間に割って入ったのだ。

 

「女!?」

 

「はああぁっ!!」

 

「Arrr――!!」

 

受け止めた瞬間、剣に乗せられた運動エネルギーがほんの僅かな間だけゼロになる間隙を縫って、側面に回り込んだマシュの一撃がバーサーカーを吹き飛ばす。

無論、倒すには至らないが、アグラヴェインが態勢を立て直すには十分な時間であった。

だが、お返しとばかりに振り下ろされた剣をバーサーカーは器用に転がって躱すと、空いている手で掬い上げた砂の塊をアグラヴェイン目がけて投げつける。

不意を突かれて視界を殺されたアグラヴェインは盲目のまま戦う事を余儀なくされるが、そこはやはり円卓の騎士。まるでその太刀筋は既に見切っていると言わんばかりに剣を振るい、狂戦士と互角の剣戟を繰り広げていた。

三度の斬撃が一つの太刀筋に重なる程の連撃を巧みに裁き、緩急をつけた囮に惑わされることなく本命の一撃を受け流す。

砂を切る踏み込みすらまるで演舞のようであり、マシュが思わず嘆息してしまうほどの素晴らしい打ち合いであった。

これが命のやり取りでなければ、恐らくは万人が拍手を送ったことだろう。

 

「何事だ?」

 

騒ぎを感じ取ったのか、茂みを掻き分けてアルトリアが姿を現す。

朴浴の途中だったのであろう。彼女は鎧を纏っておらず、インナーとして着ている青いドレスを身に付けているだけであった。

 

「下がってください、アーサー王。敵襲です!」

 

アルトリアを危険に晒す訳にはいかないと、マシュは彼女の前に躍り出る。

一方、彼女の登場でバーサーカーに小さな変化が生じていた。

先ほどまでの鮮烈な攻め手が鳴りを潜め、兜に隠された視線がアルトリアの姿を追う。

その眼が彼女の視線と重なった瞬間、頭を殴られたと錯覚してしまうほどの濃密な魔力の爆発が狂戦士を中心に引き起こされた。

 

「Arrrthurrrrrr!!」

 

狂気が加速した。

アグラヴェインの猛攻を物ともせずに蹴り飛ばし、バーサーカーはまっすぐにアルトリアへと向かってくる。

まるで空間を跳んだかのような跳躍にマシュの反応は一瞬遅れ、次の瞬間には体が宙を舞っていた。

バーサーカーに殴り飛ばされたと気づいた時には、既に彼の刃はアルトリアに向けられている。

 

(いけない、その剣を王に向けては――)

 

何かが彼女の中で囁いた。

自分でもわからない奇妙な感覚。

この時代に来て、あの騎士と出会う度に抱いた説明のできない気持ちがまたしても鎌首を上げる。

その思いに突き動かされるように、マシュは両足に力を込めて大地を蹴った。

間に合え、間に合えと心に念じながら、盾ごと狂戦士の体にぶつかっていく。

 

「Uaaaaaaaaa!?」

 

「はあ……はあ……」

 

無様に砂地を転がりながら、マシュは自分が突き飛ばした狂戦士と対峙する。

知っている。

自分はこの騎士の正体を知っている。

マシュ・キリエライトは知らなくとも、この身に宿った霊基が彼を知っている。

その確信が胸を掻き立てるのだ。

この男が、こうなってしまったことへの失望が自身に訴えかけるのだ。

彼を止めなければならないと。

 

「――そうか。貴様はまた、我が王を裏切るか」

 

傍らに立ったアグラヴェインが、冷たい視線で目の前の騎士を見下す。

彼も気づいているのだ。この騎士の、この哀れな狂戦士の正体を。

 

「我が王の円卓を汚す不埒者。湖の騎士……ランスロット!!」

 

アグラヴェインの糾弾に、漆黒の狂戦士は兜を脱いで応える。

本来ならば端正であろうその顔は醜く歪み、紫色の髪は肩までかかるほど伸び切っている。

血走った目、牙のように伸びた歯、そして喉から零れる怨嗟の唸り。

ランスロットはアーサー王伝説の中でも最強と謳われる騎士。

時に主君であるアーサー王以上の完璧な騎士道の体現者とまで言われたその栄光は見る影もない。

この狂った姿はアーサー王の妃であるギネヴィアと通じ、敬愛する王と愛する妃との間で引き裂かれてしまった彼自身の苦悩の表れ。

故に今の彼にあるのはただ一つの執着のみ。

アーサー王との対峙。それこそが彼の唯一の願いなのだ。

そして、今まさにその願いが叶わんとしていた。

 

「畜生に堕ちたか、ランスロット! 我が王が手を下すまでもない、私が相手だ!」

 

普段は見せる事のない激情で以て切りかかるアグラヴェイン。

再び繰り広げられる攻防は、しかし先ほどまでの焼き写しではなかった。

アーサー王を前にして、明らかにランスロットの狂化の効果が跳ね上がっている。

彼は今、正に獣の如き獰猛さでアグラヴェインの剣戟を押し返しているのだ。

アグラヴェイン自身も王を守るという信念で何とか食い下がっているが、元々の地力の差に加えて狂化の恩恵が壁となり、ランスロットの太刀を受け切れずにいる。

 

「っ……狂ってようやく本音が出たか! それが貴様の本心か!?」

 

「Arrrrrrr!! Arrrthurrrrrr!!」

 

「させぬわ! 王は私が護る! あの時のようにいくと思うな、ランスロットォォッ!!」

 

何度目かの打ち合いでとうとう、アグラヴェインの刃が折れる。

ランスロットが持つはアーサー王の聖剣と起源を同じくする『無毀なる湖光(アロンダイト)』。その剣は如何なることがあろうとも絶対に刃が毀れることはない。

だが、折れた剣でアグラヴェインは尚も食い下がる。

剣がダメなら盾で、盾が砕かれれば拳で狂戦士を迎え撃つ。

見ている方が痛々しいその有り様に、マシュは思わず背後の騎士王に懇願する。

 

「彼を止めてください! このままではアグラヴェイン卿が!」

 

「駄目だ。あれはアグラヴェインの戦いだ。私が手を下してはならぬ。ましてや撤退を命じるなど、言語道断だ」

 

「どうして!? だって彼は、あなたを守ろうと……」

 

言いかけて、マシュは気づく。

アグラヴェインがあんなにも形振りを構わずに戦っているのは、相手がランスロットだからではないかと。

生前、彼はランスロットの不義の場を取り押さえ、逆上した湖の騎士に切り殺された。

無念であったはずだ。

敬愛する王を守ることができず、自らの行いでブリテンの崩壊を招くきっかけを作ってしまったことに憤りを抱いたはずだ。

例えその行い自体に後悔はなかったとしても、結果的に王を守れなかったことは悔しいはずだ。

ましてやランスロットはアーサー王ですら一目置く完璧な騎士。

叶う事はなかったが、彼はアーサー王の窮地に駆け付けんとしたほど王への忠義を持ち続けたまま円卓を去った。

その両者が刃を向け合うことはあってはならない。

湖の騎士が騎士王を殺めることも、騎士王が湖の騎士を断罪することも許されない。

そのどちらにも慚愧が残る。故にアグラヴェインは己の不利を承知で最強の騎士に挑む。

自らが部下を殺めたことよりも、部下を殺めた部下を罰することが幾ばくかでも心の荷が軽くなるから。

全ては自らの王を守るための、不器用な在り方であった。

そして、その思いを汲んだからこそアルトリアは自らを律しているのだ。

だが、そんな2人の願いは叶わない。

遂に力尽きたアグラヴェインの体が地に伏し、動かなくなる。

ダメージは深いが霊核に負傷はない。消耗による疲労だ。しかし、押し留める者がいなくなったランスロットは狂喜にも似た咆哮を上げて再度、自らの王へと突撃する。

 

「Arrrrrrrrr!」

 

「……っ!」

 

意を決し、マシュは盾を振りかぶる。

無毀なる湖光(アロンダイト)』と十字の盾が重なり、火花を飛ばしながら両者は弾かれ合う。

倒れそうになる体にマシュは必死で力を込め、せめて気圧されないようにと盾を構える。

繰り出されるランスロットの一撃はどれもが必殺。本来ならばマシュの防御力を以てしても防ぎようがない苛烈な攻めだ。

しかし、傷だらけになりながらもマシュの体は紙一重で持ち堪えている。

背後の守るものを意識する。

いつもと同じ、立香を、仲間を守る時と同じように、大切なものを守り抜かんとする強い意志で彼女の盾はどこまでも強固になる。

雪花が散るように、一瞬の攻防に合わせて盾に魔力を込めることで増幅した彼女の守護は、ランスロットですら押し切ることができなかった。

 

「させません! あなたにだけは、彼女を殺させない! あなただけは、その刃を向けてはいけない!」

 

「Arrr……」

 

「やっとわかりました。この胸のざわめきは嘆きだと。あなたが円卓を裏切り、離反したことが今でも信じられないと! あの場に自分がいればあんなことにはならなかったと! 私の中の彼は訴えている!」

 

その時の後悔を繰り返しはしないと、マシュの中に消えた霊基()が叫んでいるのだ。

彼への尊敬、憧憬、期待、好意、執着、嫌悪、侮蔑、失望。色々な思いが過ぎっては形を成さずに消えていく。

きっとこの気持ちを言葉で表すことはできない。それでも敢えて言葉にするなら嘆きである。

子が親を思う嘆き。

子が親を慕う嘆き。

生まれた我が子が、親に安寧を欲しいと叫ぶ嘆きにも似た鼓動。

 

「ああ、どうしてあなたはそうなのですか! どうして、素直に尊敬させてくれないのですか!?」

 

自然と口から彼の言葉が漏れる。

親というものを知らない自分にはなかった感情。

どうしようもなく複雑で、それでいて陳腐な思いの爆発をマシュは知った。

これは怒りだろうか。それとも憎悪だろうか。きっとどちらも違う。彼はランスロット(父親)に理想を押し付けているだけなのだから。

だからこれは失望であり、嘆きであり、どうしようもない愛慕だ。行き場のない感情の波だ。形のない声だ。

 

「王に疑いがあるのなら糾す! 王に間違いがあるのならこれと戦う! それがあなたの騎士道(こころ)のはず。それがあなただけに託された役割でしょう! それなのにあなたは、獅子心王の悪意(そんな力)に屈して……!」

 

「……had…………」

 

その迫力に圧されたなどということはないだろうが、ランスロットは動かなかった。

ただ静かに剣を構え、こちらの出方を伺っている。

狂気を研ぎ澄まし、次の一撃に全てを賭ける腹積もりだ。

その証拠に、彼の剣に膨大な魔力が込められていっている。

間違いなく、次の攻防が最後となるであろう。

 

「わかりました。あなたがそのつもりなら……自らの王を斬ると言うのなら、わたしが盾となります! ここを通りたくば、わたしを倒していきなさい!」

 

決意が力に変わる。

マシュの願いが、意思が、霊基の殻を打ち破る。

身に纏う鎧はより強固に、より力強く、何よりもマシュ自身の霊基に最適化された形で再臨される。

今まで以上の力が体に漲っていることにマシュは気づく。この力で、()を止めろと叫ぶ嘆きを確かに聞いた。

 

「Galaaaaahadddddd!!!!」

 

ランスロットの咆哮が剣に魔力を注ぎ込む。

膨れ上がった魔力の刃はまるで凝縮した台風だ。あれをぶつけられればどんな英霊でも一たまりもないだろう。

それでもマシュは一歩も引き下がるつもりはなかった。これほどまでの強い意思が湧いてきたのはいつ以来だろうか。ひょっとしたら初めてかもしれない。

それほどまでにランスロットの暴走は見ていられなかった。彼の痛ましさが、アルトリアの決断が、アグラヴェインの決意が、マシュの意思を押し上げたのだ。

 

「わたしはマシュ・キリエライト。我が霊基の真名()はギャラハッド! この霊基(からだ)にかけて、今こそ円卓の不浄を断ちましょう!!」

 

漆黒の騎士が疾駆する。最早、その咆哮は音にすらなっていない。

彼は何を思い、何に狂わされているのだろうか。果たしてこちらを認識できているのか、それすらもわからない。

対してマシュ・キリエライトの心は穏やかだった。

激情に身を焦がされながらも水のように澄み切った心で盾を振るう。

これ以上、ランスロット()の騎士道を汚させはしない。

その一心で以て盾に魔力を込める。

 

「――!―――!!――!!!」

 

「仮想宝具展開、『人理の礎(ロード・カルデアス)』ッッ!!」

 

漆黒の刃と光の盾がぶつかり合う。

立ち塞がる何もかもを両断せんとする無毀なる剣。

命も営みも、その心すら守らんとする人理の盾。

永遠にも似た一瞬の攻防。迸る魔力が大気を震わせ、戦いの行方を見守る2人ですら吹き飛ばさんと渦を巻く。

ランスロットは吠える。愛し、敬い、その身を剣として託した自らの王に向けて。

マシュは揺るがない。ランスロットの激情、狂った憎悪、反転した敬愛。それら全てを受け止め、今にも消し飛ばんとする光の盾を持つ手に力を込める。

両者共に、裂ぱくの気合と共に得物を振るう。

そして――――。

 

「はあ……はあ……」

 

矛盾、ここに成らず。

最強の剣と盾の攻防を制したのは、マシュ・キリエライトであった。

 

「ランスロット!?」

 

アグラヴェインが叫ぶ。

剣を零し、力尽きたランスロットの体を受け止める形となったマシュは、その大きな体が腕の中にあることに安堵を覚えた。

同時に、彼自身の霊基が保たないところまできていることに気づく。

度重なる戦闘と先ほどの一撃が、彼自身の現界を維持するための魔力すら使い潰したのである。

 

「……ああ、君は……誰……なのかな……?」

 

弱々しく問いかけてくるランスロットに先ほどまでの狂気の片鱗はない。

消滅が始まったことで狂化が解けたのだ。

今に彼はこの世からいなくなってしまう。

何と答えるべきだろうか。

ただ我が子の霊基を宿しただけの自分が、無関係にも関わらず義憤から敵対しただけの自分が、果たして彼に何と答えれば良いのか。

迷っている時間すら彼女には与えられず、マシュは胸の内から自然と湧き出した感情を口にした。

 

「わたしはギャラハッド、あなたの……円卓の騎士ランスロットの子、ギャラハッドです」

 

それが偽らざる本心であった。

例えその身に霊基を宿しただけの他人であったとしても、この気持ちが借り物の慕情であったとしても、そう言わなければならないとマシュは思ったのだ。

 

「はは……君は……嘘が得意ではないね……」

 

そっと、大きな手が頭に添えられる。

きっと生前は叶わなかったであろう。ギャラハッドはランスロットの子ではあるが、彼が魔術で正気を失っていた際に誕生した命であり、親子としての営みは皆無であった。

それを今、自分が代わりに受けることは畏れ多いことなのだろう。それでもマシュはランスロットの手を拒まず、彼が優しく髪を撫でることを受け入れる。

 

「ああ、そこにいるのは我が王……それに、アグラヴェイン……そうか、私は遂に、あなたに……王に裁いてもらえたのですね」

 

アグラヴェインの視線がアルトリアへと注がれる。

彼女は宙を迷うランスロットの視線をしっかりと受け止めると、静かに、沙汰を下すかの如く言葉を発する。

 

「そうだ。我が名の下に、貴公を裁いた。休むがいい、ランスロット。あの時の過ちを、私は今こそ正そう」

 

「そう……ですか……ああ、私は……やっと……」

 

「ランスロット卿!?」

 

マシュの髪を撫でていた腕が消える。下半身も膝から下が消えていた。

消え去るのは時間の問題であり、体を動かすことなど以ての外だ。

それでもランスロットは最後に半身を起こすと、その者に向けてまっすぐに向き直った。

一挙動ですら苦痛であるにも関わらず、まるで臣下が主君に頼み込むように、ランスロットは最後まで礼を尽くす。

 

「後のことは……貴公が王と……この子を……頼むぞ、アグラヴェイン」

 

そうして、湖の騎士はこの時代から消え去った。

彼が最後に、どれほどの思いを込めてそう言ったのかはわからない。

だが、誰よりもその言葉に驚愕していたのはアグラヴェイン自身であった。

生前から何もかもが正反対で、同じ円卓の騎士でありながら最後まで敵対する立場であった。

その片割れが、あろうことか最も忌み嫌うはずの仇敵に頭を下げる。

その真意を測りかね、アグラヴェインは思わず呟いていた。

 

「ほざいたな、ランスロット……」

 

 

 

 

 

 

どれだけそうしていただろうか。

マシュは消えてしまったランスロットの骸を抱いたまま動かない。

アルトリアもまた、どうすべきかと逡巡していた。超越者然とした彼女ではあるが、人の心がない訳ではない。ただ、見ているものが他の人々と違うが故にその感情を上手く表すことができないのだ。

先ほどのランスロットにしてもそうだ。

自分はかつて、女である自分に嫁ぐこととなったギネヴィアに対する罪悪感からランスロットとの不義を黙認した。

ランスロットがギネヴィアを攫って円卓を離反した際も、最後まで和解の道を模索した。

ランスロット自身が、その内にどれほどの悔いを溜め込んでいるかも気づかずに、ただ正しくあらんとしたがために2人を苦しめてしまった。

成長した今だからこそわかる。あの時、例え自らの騎士道に背いたとしても彼を罰していたならば、或いはもっと早くにギネヴィアの気持ちを汲んでいたならば、例え結末は同じであったとしても、2人の心を救うことができたかもしれないということを。

それでいて自らの行いに過ちはないと言い切らねばならぬほどの時間を背負っているのもまた事実である。

あの時に下した沙汰に迷いはあっても後悔はない。ランスロットとてそれを承知であったが故に、最後は叶わずともあのカムランの丘へと馳せ参じようとしてくれたのだから。

ならば、自分は彼の騎士の王として如何なる決断を下すべきか。

彼は最後に、アグラヴェインに対して言ったのだ。

自分(王の聖策)マシュ(人理の礎)を頼むと。

たった1人の愛する女のために同胞を裏切った騎士が、二度目の生で王命の遵守と世の救済を願った。

それに対する答えの是非は果たしてどちらなのか。

答えは、やはり傍らの騎士からもたらされた。

 

「王よ……ご無礼を承知で具申致します。どうか我が言葉を聞いて頂きたい」

 

「許す、話すがいい」

 

「決断を……十字軍と事を構えます。どうか、聖策はそれまで保留にして頂きたい」

 

その願いの底にどれだけの無念が込められているのか、わからぬアルトリアではなかった。

それでもこの男は己を曲げたのだ。最後の最後に、己や愛する者でなく、王と民の行く末を願った仇敵の思いを彼は汲んだのである。

例えそれが自らの霊基を裂かんばかりの屈辱であったとしても、自らが狂わんばかりの怒りを呼び起こすとしても、あの憎たらしい裏切り者が最後に忠を見せたが故に、騎士として彼はそれを受けることを選んだのである。

 

「貴公に勅命を下す。我が名の下に軍を率いよ。以上だ」

 

それが、騎士王の決断であった。




というわけで語られた弊SSの6章/ZERO。
女神ロンゴミニアドは核兵器みたいなものなので、不用意に動けず半年間も潜伏している間に原作で行った聖抜が間に合わずさあどうしようという状態です。
単純に勝つだけなら聖槍の一撃でおつりがくるんです。ただ、それをすると被害が大きすぎるわけでして。ちなみに聖抜自体を諦めたわけではないので、事が終わればアグラヴェインと一緒に再開する気満々です。


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神聖■■■■エルサレム 第10節

お互いの状況を確認し合ったカドックと立香は、すぐにアグラヴェインに呼びかけて緊急の会議を開いた。

議題は聖都攻略における各軍の動きについて。

現状、山の民、エジプト領、はぐれ騎士団の三勢力はそれぞれが個別に動いており横の連携が取れていない。

まずは早急にこれらをまとめ上げて聖都攻略に備えなければならないのだ。

 

「最初に言っておくぞ、天文台(カルデア)よ。我が王は聖策による人類選別を諦めたわけではない。お前達の目論見――人理修復が不可能と判断された時、アーサー王は躊躇なく聖策を実行するであろう」

 

開口一番、アグラヴェインはこちらを威嚇するかのように言い放つ。

カルデアとの共闘はあくまで十字軍と獅子心王討伐までであり、こちらが魔術王の企みを阻止できなかった時は予定通り聖策を下すと言うのだ。

マシュの話によると当初は聞く耳すら持たなかったそうなので、それでも十分な譲歩と言える。

要は自分達が失敗しなければ良いだけの話だ。

 

「今、必要なのは各勢力の連携だ。既に藤太には一足早く出立してもらい、ハサン達にこちらの状況を伝えるよう頼んでいる」

 

「なら、俺達は――」

 

「我らは早急に太陽王と謁見し、同盟を組む必要があるということか。既に先遣隊を組織済みだ。いつでもこちらは出られる」

 

「お、俺の台詞……」

 

言いたかったことを全て、アグラヴェインに取られてしまい、立香は机の上に顎を乗せて不服そうに頬を膨らませる。

相変わらず緊張感の欠片もない言動にカドックは久しく感じていなかった苛立ちを覚えたが、今は急を要する事態なので構っている余裕はない。

ニトクリスが言うにはアグラヴェインの騎士団は身を守るためとはいえオジマンディアスの神獣を傷つけることもあったため、形の上では太陽王と敵対の関係にあるらしいので、アグラヴェインが言う通り、まずは太陽王の神殿に戻って和解することが先決だ。

 

「道中は私がいますので、砂嵐や神獣に襲われることはないでしょう」

 

「これでサーヴァントが十騎。“山の翁”を入れれば十一騎か。残る円卓――」

 

「――――!」

 

円卓と口にした途端、アグラヴェインが物凄い形相でこちらを睨んできた。

視線だけで焼き殺されそうな圧迫感がある。どうやら、不覚にも獅子心王の術中に嵌った不甲斐ない騎士は円卓に非ずと言いたいらしい。その迫力に圧されたカドックは、声を窄めながら先ほどの言葉を撤回した。

 

「――元円卓はガウェインとトリスタン。モードレッドが生きていたとしても三騎。ガウェイン卿は“山の翁”が押さえてくれるとして……」

 

「あの大百足もどうにかしないといけないね」

 

「あれに関しては藤太が何とかするらしい。生前に因縁があると言っていた」

 

俵藤太が竜神の加護を得るに至った大百足退治の逸話。

彼の言を信じるなら、あの大百足はフランスにいたファヴニールと同じように聖杯の力でこの時代に召喚された化生の類ということだろう。

それが存在したのならば、藤太がこの時代に召喚されたのも必然と言える。

 

「そちらの戦力は凡そ把握した。俵藤太(アーチャー)が戻り次第、本隊は荒野の隠れ里に移動させる。後のことは太陽王次第だ」

 

だいたいの方針が決まり、会議は終了となった。

後は各々の準備ができ次第、太陽王の神殿へと出発することとなる。

だが、マシュだけは席から立ち上がらずに、机の下で指を重ねながら何かを言いたそうに俯いている。

迷いを見せる視線の先には、仏頂面で椅子を片付けているアグラヴェインの姿があった。

 

「藤丸、主治医としてお前を診察してやる」

 

「え? ちょっと、俺はもう大丈夫だって。カドック? ねえ、マシュ助け……」

 

訳が分からず混乱している立香の首根っこを引っ張り、マシュを残してテントを後にする。

理由はわからないが彼女はアグラヴェインに何か話したいことがあるのだろう。

その辺に気づいていない立香が何とか逃れようともがいているが、察したアナスタシアが手足に氷の枷をはめたのでどうすることもできなかった。

 

 

 

 

 

 

静まりかえったテントの中でアグラヴェインと2人っきりになったマシュは、今にもテントから出ようとしているアグラヴェインにおずおずと話しかけた。

 

「あ、あの……ありがとうございます。わたし達に、協力してくれて……」

 

振り返ったアグラヴェインは、眉間に皺を寄せたままこちらを睨みつけてくる。

両の瞳に宿っているのは殺意にも似た衝動と憤怒の情。嫌悪する対象であったランスロットの懇願を聞き入れる形になった以上、無理もない。

だからなのか、アグラヴェインは自分に言い聞かせるように言葉を吐いた。

 

「お前達に協力するのではない。我が王の憂いを払うのに都合がいいから利用させてもらうだけよ」

 

「それでも、力を貸して頂けるのはありがたいです。ありがとうございます」

 

「ふん。面影以外は親子どちらにも似ていない娘だ」

 

吐き捨てるようにアグラヴェインは呟くと、それ以上は我慢がならないとばかりにマシュから背を向けてしまう。

 

「借り受けた霊基に感謝するがいい、マシュ・キリエライト(ギャラハッド)

 

「はい、その通り……ですね」

 

確かに自分の力は借り物。結局、真名がわかっても宝具の力を引き出せていない。

あの時、ランスロット()を止めることができたのも彼が度重なる戦闘と宝具の解放で魔力を使い果たしたからだ。

もしも宝具を使わずに攻められていては、押し留めることができずに倒れていたのは自分の方だったかもしれない。

すると、意外にもアグラヴェインは弱気な発言に対して怒りを露にし、苛立ち紛れに机を叩いた。

 

「何を勘違いしている。貴公の盾はそのような幼稚な考えで振るうものではない」

 

「えっ、あ、はい」

 

「自らの力が足らぬなどと浅はかな考えは寄せ。白亜の城はその心の形を反映し、持ち主に汚れや曇りがなければ決して崩れることはない。わかるか、足りていないのは力ではない。ランスロット(父親)と相対した時の感情を研ぎ澄ませ。あの時に何を守りたいと、誰を救いたいと願ったか。その思いだけを強く持て」

 

「アグラヴェイン卿……あなたは……」

 

「私は女が嫌いだ。我が母は醜く淫蕩で、清らかさを謳ったギネヴィアは貴様の父(ランスロット)との愛に落ちた。私にとって女とは……人間とはそういう軽蔑の対象だ。貴公がそのような者であるのならその盾は相応しくない。無論、私など以ての外だ。であるならば、その盾の本来の持ち主はどのような人物だったか。それを受け継いだ貴公が何を尊ぶべきかはわかるだろう」

 

澄み切った清らかな心。

守りたいという強い願い。

その気持ちに波風が立たぬ限り、ギャラハッドの盾は陰ることはないとアグラヴェインは言う。

彼が嫌うような人間ではこの盾は震えない。その真価を発揮しない。

例え自分が持とうとも、マシュ・キリエライト以上に振るうことなどできはしないと彼は言ったのだ。

 

「はい、ありがとうございます」

 

「……奴もそれくらい殊勝ならばな――――」

 

胸に手を当て、遠い過去を思い返す様にアグラヴェインは呟いた。

ハッキリと言葉にはならなかったが、マシュは不思議と彼が何と言ったのかを理解できていた。

もしも、不義を暴かれた場で剣を向けられなければ。或いは違った結末が自分達には訪れていたのではないのかと。

最もそれは、あの場で逆上したランスロットの気持ちを微塵も理解できない者が言う資格はないと、彼自身が誰よりも痛感していた。

 

 

 

 

 

 

その頃、立香を伴ってテントの外に出たカドックは懐かしい顔と再会していた。

 

「よお、元気そうじゃないか」

 

「お前は……確か、聖都の前で別れた……」

 

この特異点に訪れたばかりの頃、聖都を目指すために道案内をさせた盗賊だ。

どうやら地元民との伝手を買われてアグラヴェインに匿われていたらしい。

 

「あの時はそんな暇なかったんで、改めて名乗らせてもらうぜ。オレはセルハン。まあ、ここじゃしがない商人崩れの盗賊さ」

 

「いやいや、この人の情報網はすごいよ。カドック達が十字軍の砦攻めしたこととか、みんな教えてもらったから」

 

「追いかけときゃ何かに使えるかと思ってね。実際、その目利きのおかげでグラヴェインの旦那の世話になっているんだ」

 

他にも行く当てのない難民をまだ無事な集落に先導したり、この騎士団に勧誘したりしているらしい。

ただの野盗と侮っていたが、実際は相当に強かな人物のようだ。今日まで生き残れたことにも納得である。

 

「情報網……広告か……」

 

ふとカドックの脳裏に一つの策が思い浮かぶ。

目立つことは苦手なのであまり気乗りしない作戦だが、現状の彼我戦力が圧倒的に不利なことに変わりはない。

ならば、打てる手は一つでも多く打っておいた方がいいかもしれない。それに、この作戦は尊敬するエジソンが最も得意としていた事だ。

それを思えば少しだけだが罪悪感も薄れてくる。

 

「セルハン、僕に雇われる気はないか? 頼みたいことがある」

 

手持ちの触媒から換金しやすそうなものを選んでセルハンに見せ、思いついた内容を説明する。

上手くいくかは博打であり、徒労に終わるどころか最悪の場合は命の危険すらある。だが、セルハンは二つ返事で引き受けてくれた。

もちろん、善意からではなくきっちりと報酬を頂いてだが。

 

「厄介な演説になりそうだが、あんたらをダシにして良いなら半々だろうな」

 

ひょうきんに笑って駆け出したセルハンは、騎士の1人を丸め込んで馬を調達すると、そのままそれに飛び乗って荒野に向けて疾駆する。

その後ろ姿はあっという間に見えなくなった。

それと入れ替わるように、背後のテントからアグラヴェインを伴ったマシュが姿を現した。

 

「あれ? 先輩の診察をするのではなかったのですか?」

 

この短い間にどのようなやり取りがあったのかはわからないが、胸の痞えが取れたのか彼女の顔つきはとても逞しく、瞳には強い意志が宿っている。

その視線は自然とマスターである立香に注がれており、カドックは彼女の胸の内に何らかの心境の変化があったのではないのかと推測した。

アナスタシアもそれを察したのか、まるで姉が妹を褒めるかのように彼女の柔らかい髪を優しく撫でる。

 

「しばらく見ない内に大きくなったわね。友達として鼻が高いわ」

 

「はい、わたしはまだまだ成長期ですから」

 

「いや、彼女はそんなつもりで言ったんじゃないぞ」

 

「私も負けません。再臨で背が縮む英霊がいるのだから、逆に大きくなることだって――」

 

「君も調子を合わせるんじゃない!」

 

「はは、変わらないな、2人とも」

 

今までに何度も繰り返した他愛のないやり取りが酷く懐かしい。

またこうして出会えるとは思っていなかったからだ。

カドックも立香も、自然と口の端から笑みが零れていく。

唯一人、事情を知らないアグラヴェインだけがその様子を見て眉間の皺を益々深く刻んでいた。

彼は半ば呆れながらマスター2人をけん引すると、出立のための最後の準備を進めるのだった。

 

 

 

 

 

 

太陽神殿に帰還したカドック達は、早速オジマンディアスに事の詳細を報告した。

アトラス院でわかった十字軍の目的、そしてアグラヴェイン率いる騎士団との共闘である。

それを聞いたオジマンディアスは、値千金の働きをしたと言わんばかりに手を叩くと、愉快そうな笑みを零した。

 

「はははは。それなりに見所のある連中だと思ってはいたが、こちらが命ずるまでもなく後顧の憂いを断つとはな。それも討伐ではなく懐柔と来たか。つくづく厚顔よの」

 

「ファ、ファラオ・オジマンディアス?」

 

「なに、ファラオとて笑いたくなる日もある。とく許すがよい」

 

どうやら、砂漠を隠れ蓑にして拠点を築くアグラヴェイン達の動きをオジマンディアスは早くから見つけていたようだ。

だが、討伐しようにもアーサー王が睨みを利かせていたために不用意に手出しをすることができず、十字軍との戦線膠着もあってそのまま放置せざるを得なかったらしい。

態度では無関心を装いつつも、彼女も自分の為に働く騎士達を蔑ろにするつもりはなかったようだ。

 

「ああ、それと共闘だったな。その者達は賊軍故に後ほど、然るべき処罰は与えるものとするが、今はお前達に処遇を預ける。好きに使うがいい」

 

「感謝する、太陽王。では、後ほど必要な戦力を提示させて頂く故に」

 

「うむ、必ずや期日までに納品しよう。ファラオに二言はない。そちらも獣使いとは密に打ち合わせておけ。くれぐれもしくじるなよ」

 

王として傲岸に接するオジマンディアスに対し、アグラヴェインは淡々と事務的な対応で応える。

ドライスティックなやり取りはオアシスであるはずの太陽神殿に荒涼とした渇きを呼び起こす。

あくまで十字軍を討伐するまでの共闘。アグラヴェイン達はそれまでの間、形式上ではあるがカルデア預かりということになるらしい。

円卓の騎士としては屈辱以外の何物でもないが、アグラヴェインの表情から感情は読み取れず、その声音は恐ろしいほど静かで凪いでいる。

鉄面皮というものはこういうことを言うのだろう。彼の腹の内では事が済み次第、太陽王を相手に戦争を吹っ掛けることも辞さないという強硬な姿勢と、目的を果たすまではそれを悟らせてはいけないという強かな考えが同居している。

とても和解したとは言えない状況だが、とりあえずやらなければならないことは全て終わった。

後は、ハサン達と合流して十字軍との決戦を待つばかりだ。

 

「さて、働きに対しては報酬で報いねばならん。勇者ならば酒の一つも窘めねばならんぞ」

 

そう言ってオジマンディアスは、どこからか杯を取り出してカドックに差し出した。

見覚えのある形と零れんばかりの魔力。受け取ったそれをまじまじと見つめた一同は、驚愕の余り言葉を失った。

間違いない、これは聖杯だ。

魔術王が歴史を歪めるためにバラまいた偽りの聖杯。各特異点での騒動の要因となった禁断の杯だ。

それをどうして、太陽王が所持しているというのだろうか。

 

「ちょ、ちょっと待って。カドックの推理じゃ、聖杯は十字軍が爆弾に改造したんだろ?」

 

「はい。ですので、ここに聖杯がある訳が――」

 

「けど、これは間違いなく聖杯よ。ねえ、カドック?」

 

「あ、ああ。ファラオ、これはいったい……?」

 

トリスタンが偽りの獅子心王の呪いに抗いながらも残してくれたメッセージを、自分は読み間違えていたのだろうか。

それではアトラス院での調べものが完全な徒労と化してしまう。

すると、こちらの動揺を察したのか、オジマンディアスは不思議そうに首を傾げながら説明する。

 

「ああ、言っていなかったか? これなるは紛うことなき魔術王の聖杯。余がこの地に召喚された際、十字軍から奪ったものよ」

 

「で、では、十字軍は聖杯を持っていない?」

 

「いいや、奴らは持っている。どこから見つけ出したのかはわからぬが、この時代に元々から存在していた本物の聖杯をな」

 

「それって、ドレイク船長と同じ!?」

 

「聖杯は2つあった!?」

 

第三特異点において、フランシス・ドレイクは冒険の果てに聖杯を手中に収めたことでサーヴァントに匹敵する力を手に入れていた。

そう、過去にも同じことがあったのだから、理屈の上では有り得るのだ。聖杯そのものは世界中の逸話に様々な形で登場しているのだから、この中東の地にあってもおかしくはない。

同時に偽りの獅子心王がどうして聖杯爆弾などという恐ろしい代物を使おうとしているのかも理解できる。

要は、聖杯が持つ機能だけではこの特異点の人理定礎を破壊しきれなかったのだ。

仮に聖杯の力で特異点の崩壊を目論んでも、太陽王が偽りの聖杯を持っている限りその力は相殺されてしまう。

第三特異点の終局四海とは逆の事象がここでは起きていたのだ。

故に偽りの獅子心王は物理的に時代を壊すことを諦め、聖杯爆弾によるご破算を目論んだ。

太陽王を倒すよりもその方が手っ取り早いと考えたのだろう。

 

「聖杯爆弾なるものがある以上、これは余が持っていても仕方あるまい。好きに役立てるがよい」

 

「か、感謝します、オジマンディアス」

 

思わぬところから飛んできたジャブに思考が追い付かない。

それでもやるべきことは変わらないと自分に言い聞かせ、何とか平静を保つ。

そう、何も変わらないのだ。

十字軍と戦い、偽りの獅子心王を倒し、聖杯爆弾を止める。

その基本方針に変わりはない。

そのはずなのだが、何故か不吉な予感を拭えなかった。

 

 

 

 

 

 

そうして、全ての準備を終えたカドック達はハサン達と合流するために東の村へと帰還した。

道中、砂漠を出た時点でカルデアに報告を入れたのだが、案の定ロマニは椅子から転げ落ちるほど驚いていた。

何しろ死んだと思われていた立香とマシュが生きていたからだ。しかも、アグラヴェインという新たな戦力を引き連れて。

一方で聖杯爆弾の存在はカルデアに震撼を走らせた。もしも仕損じれば例え獅子心王を倒せても特異点は消失する。

恐らく最終決戦は時間との勝負になるだろう。

 

「あら、何だか活気があるわね」

 

村の入口へと立った三蔵は、出発前と村の雰囲気が変わっていることに気づく。

西の村の壊滅や獅子心王の裁きですっかり戦意を挫かれていた村人達に活気が戻っているだけでなく、明らかに前よりも多くの人間が村に集結している。

馬小屋には何頭もの馬が繋がれ、戦士らしき装束の男達が持ち寄った武具の手入れを入念に行っている姿が見える。

炊き出しでもしているのか、奥の広場には急ごしらえの釜土が作られていた。

たまたま通りかかった静謐のハサンに事情を聞くと、聖都攻略のために各村の代表者が集まってきているらしい。

それもハサンが集めた山の民だけでなく、彼らの蜂起に賛同してくれた聖地の民も戦いに参加してくれるとのことだ。

アグラヴェインやオジマンディアスの軍勢を合わせれば、目標としていた一万の兵力を十分に越えることができる。

 

「我々の説得には今まで、頑なに重い腰を上げなかった皆様が、連日ここへ訪れるんです。『荒野で助けてくれた人がいる』、『砂漠の入口で人間扱いしてくれた』と、みんなカドック様達を慕って来られたようでした」

 

「へえ、さすがだね」

 

「何を言っているんだ。聖都での騒ぎからこっち、そんな余裕はなかったよ。ほとんど、レイシフトしたばかりの頃にお前がやった善行じゃないか」

 

ランスロットの虐殺を放っておけなかったのも、聖都へ連行されていく難民達を助け出したのも、それ以外にも道中で行った様々な善行も、全て立香がキッカケとなって行った。自分はただそれに何となく従っただけだ。

加えて彼らがこの村に来れたのはセルハンのおかげでもある。カドックが彼に依頼した内容というのが、自分達が聖都攻略のために東の村にいることを各地に伝えてもらうことであった。

何だか途端に偽善染みた行為に思えて罪悪感が湧き出てくるが、何としてでも兵力を確保したかったカドックは一か八か立香の人徳を利用することにしたのである。

結果は上々。兵力は十二分に揃い、後は決戦を待つばかりである。

 

「じゃ、夜までは自由時間ね? マシュ、ルシュドくんを紹介するわね。とても可愛い子なのよ」

 

「はい。それでは先輩、カドックさん。後ほど」

 

「うむ、拙者は台所で一仕事するとするか。この俵がやっと役立つ時が来た」

 

「待って、あたしも行く。お弟子が勝手に行動しなーい」

 

騒々しく走り出す面々。

ある者は親しき者との交流を深めに。

ある者は戦に備えて英気を養うために。

そして、残された男達は――――。

 

「では、あちらで軍議を。太陽王より借り受けた神獣の能力は既にまとめてある」

 

「助かる。まずは西側から陽動をかけるとして……」

 

「じゃ、俺はマシュと――」

 

「お前もこっちだ。丁度いいから兵法についてみっちり教えてやる」

 

「え、嘘? 待って、待ってって!!」

 

嫌がる立香を無理やり引きずり、アグラヴェインと共に手近な小屋を借りて夜まで聖都攻略のための会議を開く。

ちなみに立香は途中までは何とかついてきていたが、小一時間ほど経った辺りでとうとう力尽きてしまい床の上でいびきをかいている。

窓から外を見ると既に月も高く昇っており、広場の方から騒々しい声が聞こえてくる。

決戦間近ということで士気高揚のために宴会の類でも開いているのかもしれない。

そういえば、藤太は無限に食べ物を取り出せる宝具を所有していると言っていた。

台所に立つと言っていたので、かなり張り切って腕を振るったのだろう。

 

「少し中断しよう。貴公はサーヴァントではなく人間だ。夜風にでも当たってこい」

 

「そうさせてもらう。何か食べるか?」

 

「いらぬ」

 

短く答え、アグラヴェインはさっさと行けとばかりに顎で小屋の出入口を指す。

その気遣いを有難く受け取ることにしたカドックは、床で寝苦しそうに顔を歪めている立香に適当な毛布を被せてから小屋を出る。

灼熱の大地とはいえ夜は幾ばくか気温も下がる、今日は特に涼しい日で、深呼吸すると脳の疲労が少しだけ取れたような気がした。

そのままどうしたものかと思案した後、敢えて騒ぎに背を向けて村の外れの方に足を向ける。

元々、人付き合いは苦手だし向こうに行って誰かに絡まれたらアグラヴェインのもとに戻れないかもしれない。

空腹に関しては、荷物の中に保存食が残っていたのでそれで済ませることにする。

 

「おや、カドック殿」

 

しばらく村の中を散歩していると、丁度、小屋から出てきた呪腕のハサンとバッタリ出くわした。

てっきり、みんな酒盛りに参加しているとばかり思っていたが、どうやら彼は違うようだ。

 

「いえ、私は酔えませんので。言ってませんでしたな」

 

とんとんと、自身の右腕を叩きながらハサンは言う。

曰く、宝具『妄想心音(ザバーニーヤ)』を習得するために魔神(シャイタン)の腕を移植した結果、人の食べ物を受け付けなくなったらしい。

サーヴァントとなってもそれは変わらないようで、酒を飲んでもロクに酔えないので村の見回りをしていたのだそうだ。

 

「丁度いい、少しよろしいですか?」

 

「ああ、そこにかけるか?」

 

手近にあった岩の一つに腰かけ、傍らにハサンが従者のように立つ。

丁度、村の入口が見渡せる見晴らしが良い場所だった。

2人はそのまま何をするでなくボーっと村の入口を見つめていたが、やがて呪腕のハサンはポツリと言葉を漏らした。

 

「先ほど、ルシュドの母が亡くなりました」

 

「っ……そうか」

 

「気に病む必要はありません。彼女は神の下へ召されただけ。それにあなた方がいなければ聖都で惨たらしく殺されていたことでしょう。我が子と共に最期を迎えられて寧ろ、幸福でした」

 

それでも、できることはあったのではないのかとカドックは自責せずにはいられない。

自分にもっと力があれば、才能があれば、例え不毛の土地でも万能の霊薬を作り出せたのではないだろうか。

結局のところ、彼女が死んだのは自分が不甲斐ない未熟者だからではないのだろうかと。

 

「自分を責めるのはお止めなさい。それにないものを強請ったところで、必ずしも求めた通りにいくとは限りません。私が、そうであったようにね」

 

「ハサン?」

 

「山の翁になるためには他に誰にも真似できない『(わざ)』が必須となる。私は万事をそつなくこなせましたが突出した才のない平凡な男でしてね。百貌のように人格を使い分けることも静謐のように毒を抱き無効にするような、そんな業を持っていなかった。若さ故の過ちか、生ある者の焦りなのか、私はそれでも山の翁の名が欲しかった。自分を偉大な者、優れた者として名を残したかった」

 

そのために自らの体を犠牲にし、魔神の腕を移植した。

自分に才能がないのなら、特別な力を持つモノを体に取り入れればいい。

それだけでなく、彼は多くのものを犠牲にした。

暗殺者となるために顔と名前を捨て、魔神の腕を移植したことで人を捨て、最後には恋しい女を捨てて山の翁となった。

その結果、彼は歴代のハサンの1人となった。

全てを捨てた結果、ハサンという殻を被った何者でもない存在に成り果ててしまったのだ。

 

「ルシュドの母……サリアとはその時に別れましてね。もう終わったことですが、それでも我が身が未熟なのか。堪えますな」

 

「そう……だな……」

 

彼の話は決して他人事ではなかった。

才能がないことを嘆き、それを覆すために死に物狂いで修練を重ねた姿が激しく自分とダブって見える。

きっと自分にも、彼のように何者でもない存在に成り果ててしまう可能性があったかもしれない。

レイシフト適性を見出されてカルデアにやってきた。だが、そこに自分以上の才能がゴロゴロといた。

それでも修練を重ねてAチームの末席に加わることができたが、所詮は大勢の中の1人に過ぎない。

Aチームが健在のままグランドオーダーに臨めば、きっとカルデアのマスターという殻を被った存在に成り果てたまま腐り果てていただろう。

それほどまでに彼らは強大で、偉大で、素晴らしい才能の持ち主だった。羨ましくて、妬ましいほどに。

その末席にいたことを誇らしい思える程、自分は人間ができていない。

呪腕のハサンも同じ気持ちだったのだろう。

自らの力を見せつけ、自分でも才能がある者と同じことができると証明したい。

暗殺者の頂点として、自らが優れた者であると歴史に名を残したい。

その願いは正に合わせ鏡のようで、カドックはこの哀れな暗殺者に対してかける言葉を持てなかった。

 

「なに、古い話です。ただ、欲することが必ずしもよい方向に働かないということだけは覚えておいてください。後悔したくなければ――大いに迷うことですな」

 

最後に人を食ったような笑い声を残し、呪腕のハサンは見回りの続きに行くと言ってその場を立ち去った。

1人残されたカドックはしばらくの間、何をするでなくその場でジッとしていたが、いつまでもここにいてはアグラヴェインに迷惑がかかると思い、小屋に戻ろうと岩から立ち上がる。

ずっと心の中で先ほどの話を反芻していたが、結局は答えが出なかった。

そうして、その日の夜は更けていった。




今回は溜めの話。
次回から聖都攻略となります。


聖杯は2つあった。
いや、最初はオジマンディアスから奪われたという設定で考えてたんですが、それならそもそもオジマン生きてないなと思ったのでこうなりました。聖杯爆弾こと対人理破壊爆弾はそこから生まれました。3章のアークと立ち位置は同じですね。


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神聖■■■■エルサレム 第11節

そして、決戦の日は訪れた。

夜の内にギリギリまで聖都に近づき、夜明けを待って最後の進軍を開始した連合軍は遂に聖都を目と鼻の先に捉えたのである。

一万を超える大部隊。既にこちらの動きは向こうも把握しているだろう。いつ向こうが先手を取って奇襲を仕掛けてきてもおかしくない状況だ。

 

「もう一度、確認するぞ。僕達は歩兵部隊の一員として正門に向かう。騎兵部隊はアグラヴェイン卿。藤太と三蔵は遊撃だ」

 

「うむ、精々引っ掻き回させてもらおう。大百足の気も引かねばならぬしな」

 

「我々は城壁に張り付き、弓兵どもを間引きましょう。しかし……」

 

聖都を捉えた呪腕のハサンが仮面越しに顔を顰める。

何事かと視力を強化し同じ方向を見てみると、聖都の外壁を巡回する騎士達の姿が見えた。

その数は最初にここを訪れた時よりも明らかに増員されており、周囲を油断なく警戒している姿があった。

弓だけでなく機銃による斉射もあるため、このまま不用意に近づけば正門に辿り着く前に一掃される恐れがある。

 

「太陽王の神獣兵団による西側の陽動。それに我ら騎兵隊による東の陽動だけでは弱い。本隊への被害は覚悟せねばならぬか」

 

(ご丁寧に塹壕まで用意しているのか。上と下からの挟み撃ちでは正門に到達できるのは……よくて四割)

 

その四割も塹壕を越えた地点に待ち受けるガウェインの聖剣の餌食となるだろう。

アナスタシアとマシュで数十人程度は守れるだろうが、そこまで被害が出てしまえば焼け石に水だ。

 

「最悪の場合、ガウェインは私が相手をする。ランスロット()のようにはいかぬが、知らぬ相手ではない。貴公らが内部に突入するまでは持ち堪えてみせよう」

 

「マスター、令呪のフォローがあれば吹雪で視界を隠せます。それなら何とかなるのではなくて?」

 

アナスタシアの提案に、カドックは無言で残る一画の令呪を見やる。

確かにそれなら見張りの視界を奪い、飛び道具を無効化することもできる。

だが、聖都の内部にどれほどの戦力が控えているのかわからない現状で切り札を切っても良いものだろうか。

かといって他に代案もなく、このまま手をこまねいていてはこちらの存在に気づいた十字軍が獅子心王の裁きを使用するかもしれない。

そうなってしまえば自分達はおしまいだ。

 

「……わかった、令呪を――」

 

言いかけた瞬間、口の中に不快な異物感が広がる。

砂だ。

突然、吹き出した北風が砂を巻き上げたのである。

風はどんどん勢いを増していき、忽ちの内に嵐となって聖都周辺を飲み込んでいく。

気をしっかり持たなければ前を向くのもやっとの物凄い強風だ。視界もロクに利かない。

 

「先輩、わたしの見間違いなのでしょうか? 今、空に巨大な髑髏の模様が――」

 

『ああ、こちらでも観測できた。けれど、問題はそこじゃない。その嵐には魔力は一切含まれていない! あくまで自然現象だ! ただし、極めて高い指向性を持った。ね!』

 

正に天の助けだとロマニは歓声を上げる。

砂嵐はどういう訳か、聖都を包み込むように渦巻きながらその場に停滞しているらしい。

そう、まるで聖都の十字軍達の目を奪うかのように。

 

「鐘の音が聞こえる……アグラヴェイン卿、これこそは初代様のお力! 約束はここに果たされた! 今こそ進軍の時ッ!」

 

そう、この砂嵐では視界が利かず弓は役に立たない。

そして如何に防塵処理を施した銃器もここまで大量の砂を被せられてはまともに機能することはないだろう。

呪腕のハサンが言う通り、今が進軍の絶好の機会だ。

 

「旗を掲げよ! 総員、弓を捨てて前進! 脇目を振るな、速さが全てだ!」

 

開戦のラッパが鳴らされる。

いの一番に走り出したのは藤太だ。後ろの三蔵にトレードマークともいえる俵を預け、砂嵐など物ともせずに馬を走らせる。

砂嵐によって視界を奪われた十字軍は飛び道具を使えず、剣や槍を取り出して応戦しようとするが、藤太は巧みな馬術でそれを翻弄しつつ塹壕沿いに馬を走らせると後ろの三蔵に呼びかけた。

 

「よし、しっかりと持っていろ!」

 

「ええ、いつでも良いわよ。どーんっとやっちゃって!」

 

「応ッ! 少々もったいないが、ありがたく受けるがいい。さあ、行くぞ『無尽俵(むじんだわら)』よ。美味いお米が、どーん、どーん!」

 

真名解放と共に三蔵が持つ俵から膨大な量の白米がまるで雲霞の如く吐き出され、塹壕の中の兵士達を押し流していく。

これぞ三上山の大百足退治の報酬として龍神より賜った対宴宝具『無尽俵(むじんだわら)』。これ一つで村一つを養えるだけの白米を次々に生み出すことができ、その上味も絶品の正に至高の宝具である。

ただし今回は、龍神への不敬を承知で物量攻めの手段として用いさせてもらっている。

塹壕は飛び道具から身を守り、敵の侵攻を食い止めるという点では画期的だが、同時に塹壕内に逃げ場を作りづらいという欠点も抱えている。

嵐などが起ころうものなら中の兵士は堪ったものではなく、その上で流砂の如き白米に押し潰されては一たまりもないだろう。

忽ちの内に塹壕の一角を無力化した藤太は、聖都の西側でオジマンディアスの神獣達と威嚇し合っている大百足に対して声を張り上げ見栄を切る。

 

「また会ったな三上山の七巻き半! 此度はよりでかく育ったようだな!」

 

藤太の存在を捉えた大百足は、何頭もの神獣が雪崩かかってくるのも構わずに体を捩り、その巨大な体を這わせて藤太へと向き直る。

蛇が鎌首を上げるように頭を持ち上げ、無数の足をうねらせながら涎を垂らす仕草は正に畜生。

余りの大きさと不快な姿に三蔵は悲鳴を上げて藤太の背中に隠れてしまう。

 

「ぎゃってぇ! 何なのよあの化け物!? あんなに大きいなんて聞いていない!?」

 

「案ずるな。どれだけ育とうと所詮はハチマキ足らず。何、苦戦は免れんだろうがどうか付き合ってくれ」

 

「付き合いますとも、師匠ですからね。けど、それはそれとしてこわっ――」

 

最後まで言い切る前に三蔵の言葉が途切れる。

大百足が巨体を震わせながら藤太を押し潰さんと覆い被さってきたからだ。

藤太は咄嗟に馬を走らせて倒れ込む大百足の巨体を躱すと、すれ違いざまに抜き放った刀で胴を一閃。

砂嵐で利かぬはずの鼻でもわかるくらいの腐臭を放つ体液が迸り、巻き添えを食らって体液を浴びた神獣の一体が忽ちの内にしな垂れて動かなくなってしまう。

竜種すら屠る巨体と毒性、伊達でなし。因縁の戦いはこの中東の地で再び、切って落とされた。

 

 

 

 

 

 

正門の前に座するガウェインは、目の前で起きている戦いをどこか遠くの出来事のように見つめていた。

何者かが自分達と戦っている。彼らはこの地に住まう者達であろう。自身が背にしている都を正しい持ち主のもとに戻すために、雌伏の時を経て立ち上がったのだ。

その姿は何と勇ましく誇らしいものか。か弱き命に他ならない無辜の民が、譲れぬ正義のために立ち上がる。ならば我が身にできることは一つ、弱き者に代わって剣を振るう事。だが、悲しいかな今のガウェインは無力であった。

獅子心王に植え付けられた『呪詛(ギフト)』に縛られ体を満足に動かすことができない。そして、胸の内に埋め込まれた偽りの太陽は昼夜を問わず彼の体を蝕んでいる。

煌々と輝く深紅の炎。獅子心王によって埋め込まれた疑似・太陽に内側から身を焼かれ、意味のあることを考え続けることすらできない。

この地に召喚されてどれほどの日数が経過したのか、最後に無辜の民を焼き払ってからどれほどの時が経ったのか。

断裂した記憶は意味を成さず、ガウェインは自分が何のために痛みに抗っているのかさえわからなくなっていた。

ただ、今が昼間だということだけはわかる。

この疑似・太陽は触れるもの全てを灰燼と帰す灼熱と痛みを代償に、昼の概念と夥しい量の魔力をガウェインに押し付けていた。

この偽りの太陽が輝き続ける限り、例え今が星さえ見えない宵闇の中であろうとそこは昼間となる。

その恩恵により、今のガウェインは一振りで大地を割り、聖剣を解放しようものなら大気すら余さず焼き尽くすであろう。激しい痛みにより思考と剣の冴えを失うことを代償に。

そして、この偽りの太陽の真に悪辣なところは、ガウェイン自身の霊基には一切の傷も及ばないところにある。

例え内側から炎で焼かれようと、吸い込んだ息すら焼き尽くされてとうに呼吸機能が意味を成してなかろうと、全身の血管という血管に許容量を超える血流を流し込まれたとしても、ガウェインは死ぬことができない。

魔力切れなど起こそうものなら悲惨という言葉では生ぬるい地獄が待っている。疑似・太陽はガウェインを活かすためにガウェイン自身から致死量に至るほどの魔力を汲み上げ、それを持って破綻寸前の霊基を補強するのである。

当然のことながら補強した端から魔力が失われていくので、失われた分を補填しようとより多くの魔力を引きずり出される。

そんな死よりも苦痛な生を強要され、今やガウェインは闇雲に剣を振るうだけの傀儡でしかなかった。

どれほど拒もうとも植え付けられた命令には逆らえず、目の前に現れた哀れな生贄を屠るだけの日々。

そんな虚しくも悲壮な作業を延々と繰り返す煉獄こそがガウェインの置かれた状況であった。

 

「左翼第三隊から救援の要請! 敵は塹壕を越え、正門を迂回して近づきつつあり!」

 

「右翼第一隊から伝令! 遁走の危機にある。繰り返す、我遁走の危機にある!」

 

ガウェインが苦しむ横で、甲冑を纏った兵士が黒服の上官に報告を行う。

戦況は優勢なれど局地的に防衛網を食い破られており、そこから敵軍が城壁目がけて殺到してきている。

十字軍もまさか一部とはいえ一瞬で塹壕を埋められるとは思いもせず、砂嵐によって自慢の重火器もほとんどが役に立たなくなってしまったことで、対応が後手に回ってしまったのだ。

 

大百足(タオゼントフーズ)は何をしている!? 神獣などただの食糧ではないか!?」

 

「それが、東洋人と思われる騎士を目にした途端こちらの制御を離れました! 神獣どもの迎撃が間に合いません!」

 

「敵のサーヴァントか。報告にあったトータ・タワラだな」

 

西側からは太陽王の神獣とサーヴァント。そして東側は漆黒の騎兵隊を中心とした連合軍。

本来ならば大百足だけで十分に対応できる戦力ではあるが、制御が利かぬ以上は新たな手を打つ必要がある。

幸いにも大百足が倒されない限りは聖都の城壁が倒壊することはない。ならば壊滅状態にある東側を早急に焼き払うのが得策だろう。

 

「右翼の部隊を後退させ、左翼と合流させろ。遅れれば諸共に焼き払うと伝えるのだ」

 

「はっ! では、ガウェインの聖剣を――」

 

言い終わる前に、兵士の体が真っ二つになる。

何事かと身構えた上官はすぐさま懐から拳銃を取り出して周囲を警戒するが、それは余りにも遅すぎた。

銃を握るはずの指は空しく空を切り、振り上げた腕は拳から先が失われている。

痛みはなかった。ただ、反転した世界だけが全てを物語っていた。

自分はもう斬首されているのだと、死に至る瞬間に察することができたのだから。

 

「出陣は能わず。砂塵は諸人を覆い、汝の道をも塗り潰した」

 

前触れもなく姿を現し、鮮やかな手つきで周囲の兵士達を切り殺した髑髏の騎士がガウェインに剣を向ける。

既に理性を失いつつあるガウェインは、目の前の存在が何者であるのか問いかけることすらできず、ただ本能的な危機感に従うまま剣を振るった。

最早、ただの一振りが宝具級の破壊力を秘めた一撃。だが、豪快に振り抜かれた薙ぎ払いは髑髏の騎士が外套を翻しただけでいなされてしまい、態勢を崩されたガウェインは砂地を踏み込むことで何とか転倒を防いで髑髏の騎士に向き直る。

 

「心を逸し己が置かれた惨状すら理解できぬか。だが、聞こえずとも我が声は理解できる(聞こえる)であろう。我が名はハサン・サッバーハ。幽谷の淵より生者を連れに参上した」

 

「Guaaaaaa、uaaaaaaaaa――!!

 

理性なき咆哮が荒野に響き、ガウェインは髑髏の騎士と対峙する。

偽りの太陽が燃える限り、太陽の騎士の力は陰らない。その3倍の加護を持って尚、髑髏の騎士は揺らぐことはなかった。

 

 

 

 

 

 

西では藤太と三蔵が、正門前では“山の翁”がそれぞれ、厄介な敵を引き付けてくれている。

砂嵐に紛れた奇襲が功を制して無事に塹壕を越えることができ、本隊の大部分は無事に城壁まで近づくことができた。

だが、敵は早くも混乱から立ち直り始めており、食い破られた防衛線を押し返そうと聖都から続々と援軍が駆け付けてきている。

城壁を乗り越えるために櫓を組もうにも、大百足が巻き付いていてあまり不用意に近づくことができず、頑丈な皮膚はスフィンクスの一撃でもビクともしない。

“山の翁”がガウェインを足止めしてくれている今が絶好のチャンスだというのに、ここに来て連合軍は足を止めてしまう事態に陥っていた。

 

「ダメです、ここまで辿り着いたのに、城壁からの射撃と十字軍に次々と……!」

 

目の前で次々と倒れていく連合軍の仲間達を見て、マシュが苦悶の表情を浮かべる。

立香と共に最前線に立って盾を振るっているが、どうしても多勢に無勢で手が回り切らない。

庇い切れなかった命が手の平から零れ落ち、声にならない悲鳴を彼女は訴えている。

 

「キャスター、宝具で城壁を破れないか!?」

 

「もうやっています! でもダメなの! あの大百足(ムナガノーシカ)が邪魔でヴィイの魔眼が通りません!!」

 

魔眼殺したる「視られる力」。聖都の城塞を覆っていたその力の正体こそあの大百足だったのだ。

恐らくは視覚的な嫌悪感を魔術的な措置で何万倍にまで増幅したのだろう。

単縦だがそれ故に強力な加護だ。

 

「カドック、何だか黒い兵士がたくさん出てきた! みんなどんどん倒れていく!」

 

「そいつは毒だ! お前達なら大丈夫だが、他は触れただけで即死するぞ!」

 

静謐のハサンが囚われていた砦にいたサーヴァントもどきの化け物。

どうやら量産化に成功していたようで、数人ではあるものの巨人染みた体躯を震わしながらこちらの兵力を次々と毒の沼へと沈めていく。

触れれば即死、近づいても毒の吐息で体を蝕まれる以上、常人であれを相手にすれば勝ち目はない。

例え紛い物でもサーヴァントに対抗できるのはサーヴァントだけだ。

 

「前に出ます! アナスタシア、援護をお願いします!」

 

「マシュ、焦っちゃダメよ! マシュ!!」

 

惨たらしく殺されていく仲間達の姿に動転したのか、マシュが脇目も振らずに毒のサーヴァントへと突撃する。

制止するアナスタシアの声も聞こえておらず、巨大な盾を風車のように回転しながら叩きつけ、どす黒い化け物達が宙を舞った。

更にマシュは勇猛な声を張り上げて前へ前へと突き進み、群がる毒のサーヴァントを次々に叩き伏せていく。

彼女は気づいていない。いつの間にか、自分と仲間達が分断されていることに。

 

「マシュ、前に出過ぎだ! 戻ってきて!!」

 

「ッ――しまっ――!?」

 

立香の声が届き、慌てて後退しようとするも遅かった。

既に回り込んでいた毒々しい花々が残る命を燃やし尽くさんとばかりにマシュに殺到し、その痩躯を押し潰さんとする。

絶体絶命の窮地にマシュは言葉を失い、咄嗟に盾を構えて覆い被さる巨体から我が身を守らんとする。

だが、覚悟していた衝撃は終ぞ訪れなかった。それよりも早く、蛇のように伸びた無数の鎖が哀れな十字軍の犠牲者を縛り上げたからだ。

 

「何をしている、マシュ・キリエライト(ギャラハッド)!」

 

マシュを救ったのはアグラヴェインであった。

あの鎖は宝具か何かだろうか。縛り付けられた毒のサーヴァント達はロクに身動きが取れず、霊基が限界を迎えた者から順に内側を腐らせ息絶えていく。

 

「サー・アグラヴェイン……」

 

「貴公の本分を忘れるな。猛る心で持てばその盾はただの鉄塊だ」

 

「……はい……その通りです……」

 

「ならばゆめ忘れるな。その宝具はギャラハッド()と貴公のみが振るうに値する。守ることに専念するのだ。攻め手は我らが担おう」

 

再び駆け出したアグラヴェインが立ち塞がる敵兵を薙ぎ払い、開けた活路を多くの兵士達が続いていく。

 

「マシュ、無事!?」

 

「はい……すみません、先輩。わたし、焦りすぎていたみたいで……」

 

「いいんだ、君が無事なら。次に挽回すればいいじゃないか」

 

「先輩……」

 

項垂れるマシュに立香は気休め代わりにと回復の礼装を使用する。

僅かばかりではあるが手の中の盾の重みが軽くなり、マシュはアグラヴェインの言葉を胸中で反芻しながら強張り出した体に再度、力を込め直す。

 

「はい! マシュ・キリエライト、いきます!」

 

 

 

 

 

 

一方、西側の戦いは佳境を迎えつつあった。

立ち塞がるは三上山の大百足。聖都の城塞を七巻き半する巨体を振るい、オジマンディアスの神獣を貪り食いながら逃げ回る藤太と三蔵を追い詰めていく。

 

「ちょっと、何なのよあれ! スフィンクスを食べている!?」

 

「奴は魔獣の分際で龍神すら食す規格外の化け物よ。拙者がなかなか捕まえられぬので、腹を満たして更に力をつける腹積もりだな」

 

「冷静ね、もー。さっきからお経唱えても全然堪えないし、どうやって倒すつもりなの!?」

 

「無論、こうするまで!」

 

言うなり、藤太は手綱を引いて馬を反転させ、両足をバランスを取りながら弓に矢を番える。

一際大きな五人張りの強弓。これこそはかつて、俵藤太が大百足の頭を見事射抜いた自慢の一品。

かつて自身を殺した武具を目の当たりにしてか、大百足も警戒するように鎌首を持ち上げて金切り声を上げる。

生理的な嫌悪感を催すその姿に背後の三蔵は悲鳴を上げるが、藤太は無心で大百足の額に狙いを定め、番えた矢と共に弦を引く。

すると、水気などないはずの渇いた荒野に川の流れを錯覚する。有り得ざる流水の召喚。それこそ俵藤太が授かった龍神の加護であり、これより放たれる乾坤一擲の一撃を更なる力で以て押し上げる。

その名を宝具『八幡祈願・大妖射貫(なむはちまんだいぼさつ・このやにかごを)』。

 

「南無八幡大菩薩……願わくば、この矢を届けたまえ!」

 

膨大な水気を纏った一矢。それは放たれると共に龍の幻影を纏うと、視界を覆う程の砂嵐ですら切り裂いて空を駆ける。

龍神の加護を持つ彼にはこの程度の砂嵐などそよ風にも等しい。天翔ける竜の一矢は狙い違う事無く大百足の額に命中し、突き刺さった矢は忽ちの内に大百足の毒性の体液によって溶け落ちていった。

手応えありと、藤太は残心を迎えてかつての仇敵を見やる。神獣達を使役するオジマンディアス配下の獣使い達も、その一撃で勝負は決まったと確信した。

だが、スフィンクスの一体が倒れぬ大百足に対して唸り声を上げて警戒した事を合図に、再び大百足が身を捩って神獣の一体を叩き潰す。

 

「何と、耐え切ったのか!? あやつめ、たらふく食っただけあって、生前よりも遥かに逞しくなっておる!」

 

叩きつけられる大百足の巨体を避けながら、藤太はそううそぶく。だが、実際は違った。

原因はこの砂嵐だ。ただ矢を射るだけならば問題にならない砂嵐ではあるが、それでもほんの僅かに矢の勢いを殺いでしまう。

その僅かに減じた勢いが致命の差となり、大百足の急所を射抜き切れなかったのである。

龍神の加護を以てしても尚、全力を殺がれる砂嵐。これを引き起こした“山の翁”が如何に規格外な存在なのかを、藤太は改めて思い知ると共に、ほんの少しではあるが恨めしく思ってしまった。

 

「まずいわ、早くこいつを何とかしないと、カドック達が中に入れないし、みんな苦しい思いをするばかりよ」

 

三蔵の言葉に藤太は無言で同意する。

戦っていてわかったことだが、この大百足は聖都の城塞に巻き付き続けたことで、半ば「城壁」という概念と化している。

つまり、この化生が城壁に巻き付いているのではなく、大百足自身が聖都の城壁なのだ。

故に、こいつが生きている限り火を放つ大筒を使おうが大木を叩きつけようが、城壁に傷一つつかないだろう。

反対側ではカドック達が戦っているが、あの魔眼の皇女の力を以てしても突破できないとなると、何とかして自分がこいつを仕留めなければここで連合軍は全滅である。

 

(だが、どうする? あの時と違って矢は十分にあるが、あれ以上の攻撃を行えるか?)

 

危険だが、もっと近くからより強い魔力を込めて放てば脳天を射抜けるかもしれない。

その代わり、自分はここで魔力を使い切って消滅してしまうだろう。

アーラシュに後を託された手前、できるだけそのような事態は避けたかったが、カドック達を先に行かせるためにはやむを得ない。

 

「馬を任せるぞ三蔵! 一か八かの勝負に出る故、お前はマスター達のもとへ行け!」

 

「……ダメよ」

 

「なに!?」

 

「自爆、ダメ、絶対! わかるんだから、そういうの。男の子ってどうしてすぐにそういうこと考えるのよ!?」

 

「い、いや、拙者は……」

 

珍しく目に力が入った本気の説教に、藤太は思わず言葉尻を窄めてしまう。

やはり高徳たる三蔵法師。普段はふざけていてもここぞという時はその片鱗が出てくるようだ。

 

「一か八かなら、もう一つだけ手はあるわ!」

 

「む、何をする気だ?」

 

「あなたはもう一度、さっきの矢を放てばいいの! 後はあたしが何とかするから!」

 

そう言って、三蔵は何を考えたのか馬から飛び降りて荒野に降り立った。

無論、そんなことをすれば大百足の巨体から逃れる術はない。奴の注意は藤太に向いているが、鉄砲水の如き勢いで暴れ回る大百足の激走の前には意味のないことだ。

 

「何をしておるのだ、三蔵!?」

 

「いいから! あなたはもっと距離を取って! 一度くらいは師匠の言葉を聞きなさい!」

 

「…………相分かった!」

 

言い合いをしていても仕方がない。

あの女はいい加減に見えてやると決めたことは必ずやり遂げる意思の強さを兼ね備えている。

その強い志こそが、遥か天竺までの旅を完遂させたのであろう。

故に藤太は走る。西へ、西へ。

再び矢を射るに十分な距離を取ると、馬を反転させて強弓を構える。

丁度、2人と大百足の位置は一直線となる形であった。

迫りくる大百足を前にすれば三蔵など蟻の如き小ささだ。

 

「頼むぞ、玄奘三蔵。そして南無八幡大菩薩……願わくば、この矢を届けたまえ!」

 

再び放たれる龍の幻影。

風を切り、砂を掻き分け、まっすぐに駆け抜ける龍の疾走は先ほどの一射と比較しても何ら遜色ない。

やはり距離が遠い上に込めた魔力が足らぬのだ。

この風さえなければ、或いは風を突き破るほどの勢いがあの矢にあれば、大百足を倒し切るだけの威力を生み出せよう。

すると、三蔵は何と着ていた袈裟を翻すと、物凄い勢いで大地を駆け出した。

東へ、東へ。

大百足に向かってまっすぐに疾駆し、その手に魔力――彼女の言葉を借りるならば法力を込めていく。

その頭上、丁度飛来した矢が通り過ぎようとしていた。

 

「よーし! 高速読経フル回転! 御仏の加護見せてあげる!」

 

正に矢が駆け抜けようとした瞬間、三蔵は跳躍する。そして、あろうことか龍の幻影をその手の平で押し出したのである。

 

「『五行山・釈迦如来掌《ごぎょうざん・しゃかにょらいしょう》』!」

 

釈迦如来。即ち、人類で唯一覚者に至った者の力を借り受けた掌打。

慈悲なる心を持って敵対者を懲らしめる対軍・対城宝具。

その力が藤太の矢を後押しし、先ほどまでとは比べ物にならない閃光となって大百足の頭部へと吸い込まれていく。

藤太は確かに見た。自らが放った矢が纏う幻影の龍に、黄金色に輝く覚者が跨り大百足へと飛び込む様を。

 

「これぞ正に神仏習合!」

 

釈迦如来と八幡菩薩、そして龍神の加護が合わされば、さしもの大百足とて一たまりもない。

額を射抜くどころか頭そのものを引き千切った光芒の矢は、流れ星のように尾を引きながら聖都の城壁に命中。

そのまま聖都内の上空を飛び過ぎると、反対側の城壁を打ち砕いて巨大な穴を作り出した。

無論、頭を失った大百足の巨体は糸が切れた人形のように大地に伏すると、鼻につく異臭をまき散らしながら風船のように萎んでいく。

かつては三上山を、そして今度は中東の聖地にとぐろを巻いた魔性の大百足は、此度もまた宿敵との戦いによってその命を散らしたのである。

 

「うむ、天晴とは正にこの事か。初めて師匠を見直したぞ」

 

「なによ、今まで敬ってなかったの!?」

 

「ははは、であるならば最初から面倒など見ぬよ。さあ、もうひと働きだ。大百足は消えたが、腹を空かせた連中はまだまだいるからな」

 

「ええ、こうなったらもうどーんっと来なさい!」

 

再び三蔵を後ろに乗せた藤太が馬を走らせる。

視界の向こうでは、2人が抉じ開けた城壁の穴から聖都内部へと侵入する連合軍の姿が見えた。




原作と違って聖都の城壁はただの壁(ただしムカデでできている)なので、ファイナル如来掌の出番はありません。

ガウェインは生命維持装置を自転車こいで自家発電している状態といえばいいのでしょうか。雁夜おじさんが一番近いですね。死ねない分余計に悲惨ですが。


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神聖■■■■エルサレム 第12節

かつてエルサレムと呼ばれた地に聖都は築かれていた。

周囲を巨大な壁で覆い、連日に渡って拉致してきた人々を連れ込む魔境。

果たして如何ほどの地獄が広がっているのかと警戒していたが、そこは意外にもかつての街並みをそのまま残していた。

石造りの居宅に古びた井戸、歴史ある神殿もそのまま残されており、このような状況でなければ人の賑わいで溢れる街並みだったであろう。

無論、まったくの手つかずという訳ではなく、この時代には似つかわしくない舗装された広い道路や黒煙をまき散らす工場などが幾つか見て取れる。

非常事態故か、通りのあちこちには輸送中であったであろう資材が放置されたままになっている。

 

「意外だ。もっとこう、おどろおどろしいものを想像していたけど――」

 

「少しずつ工事を進めていくつもりだったんだろうな。見ろ、メインストリートは見る影もない」

 

使い魔から受信した映像を見て、カドックは深々と嘆息する。

正門からまっすぐ街の中央に向けて伸びる道は大型車両が走行できるほど広く、途中で凱旋門を経て球状の屋根を持つ建物まで続いている。

ロクな工業機械もないこの時代でよくぞここまで大がかりな工事を行えたものだ。ひょっとしたら連行された人々は強制労働にも駆り出されていたのかもしれない。

 

『うん、やっぱり中央の丸い屋根の建物だ。そこから強力な魔力の反応が確認できる。恐らく、聖杯だろう。ほぼ同じ座標に強力なサーヴァントの気配もある』

 

恐らくそれは獅子心王の気配だろう。

聖杯爆弾を守っているのかはわからないが、戦いはどうやっても避けられないはずだ。

 

「キャスター、敵は?」

 

「……シャドウサーヴァントが十数騎。それと……モードレッド……」

 

その名を聞き、カドックは思わず唇を噛み締める。

西の村での戦いの際、モードレッドさえいなければアーラシュはトリスタンに専念することができた。

どのみち裁きの光はアーラシュでなければ防げなかったとはいえ、もしもモードレッドがいなければ違った結果で終わっていたのではないかとつい考えてしまう。

それに、モードレッドにはロンドンで協力してもらったことへの借りもある。

自分はともかく、立香達が対峙した際に動揺で戦意が鈍る恐れもある。

 

「2人とも、モードレッドは――」

 

「大丈夫、4人でやるんだろ」

 

「ご心配ありがとうございます。ですが、わたし達は大丈夫です」

 

例えかつての仲間であっても、戦うことはできる。

既に自分達はクー・フーリンという偉大な英霊を押し退けた上でここにいるのだ。

戸惑いがないといえば嘘になるが、こういう事態が起きうるのも聖杯戦争であるなら、その覚悟はとっくにできていると2人は言う。

 

「心配無用みたいね、マスター?」

 

「ああ。そうみたいだ」

 

頷き、改めて状況を確認する。

既に連合軍は聖都内に進軍を始めているが、大部隊故に十字軍の足止めを受けている。

アグラヴェイン率いる騎兵隊が矢面に立って要所を制圧しながら進んでいるため、自分達に追いつくには小一時間ほどはかかるだろう。

小回りが利くこちらはその隙に中心部に向かい、獅子心王の打倒と聖杯爆弾の無力化を図る。

全ては時間との勝負だ。

 

『待った、計測器の針が物凄い勢いで振り切れている! 聖都中心地より後方の塔からだ! この波形は、西の村に向けられた獅子心王の裁きと同じだ!』

 

「まさか……ここで使うつもりか!?」

 

街一つを容易く消滅させられる閃光。まだ外縁部とはいえ連合軍の本体に向けて放てば自分達への被害も免れない。

だというのに獅子心王は自軍や領地ごと敵を葬り去るつもりだ。

それは明らかに悪手。羽虫を殺すのにダイナマイトを使うようなものだ。

仮に使うのだとしたらもっと以前、こちらが大百足相手に苦戦していた時を狙えばより自陣への被害は軽微であったはず。懐に入られた時点で大量破壊兵器は意味を成さないのである。

そんな狂気の沙汰を実行させる訳にはいかないが、残念ながらあれを止めるためにはアーラシュの宝具に匹敵する力が必要だ。

ここにはそれだけの力を持つ者はおらず、今から塔に走っても発射まで間に合わない。万事休すだ。

 

「アアアァァァァァァサアァァァァァッ!!!」

 

更に間が悪いことに、こちらの存在を感知したモードレッドが稲光を纏いながら大通りを疾駆してくる。

獅子心王の洗脳によって見えるもの全てが怨敵たるアーサー王に見えているという狂気。

抜き身のナイフのような凶暴さを発揮し、運悪く視界に映り込んだ仲間すら切り捨てながら叛逆の騎士は手にした魔剣を振り上げる。

その憎しみの刃は最も先頭に立っていたマシュに向けられていた。

息つく暇もないとは正にこの事。

4人の中にかつてない焦りが生まれていた。

 

 

 

 

 

 

その頃、エジプト領。

自らの玉座で事の成り行きを見守っていたオジマンディアスは、聖都からの暴力的なまでの魔力の反応を感じ取り、この時を待っていたとばかりに号令をかける。

 

「やはりな! 追い詰められれば形振り構わぬとはとんだ暴君よ! 異邦の勇者達がさぞや目障りと見える! 無論、あの少年めが参加しているのだから、そうでなくては困る!」

 

神であるファラオに対して力を貸せと言い放った魔術師の顔を思い出し、オジマンディアスは愉快そうにほくそ笑む。

未だ大成ならぬ未完の器。溢れんばかりの大望を必死で受け止める様は滑稽にも見えるが、その眼差しには誰もが幼き日に抱いた夢物語が宿っていた。

あの年頃で、再びその夢を取り戻すに至るにはさぞや多くの出来事を経験したのだろう。

その尊さをファラオは買った。

勇者とは逆境を跳ね除ける完全無欠なる者と、貶められてもなお輝かんとする者を言う。

カルデアの者達は正しく後者だ。

 

「故に余はここにいる! あの忌々しい害虫めが消え去ったのなら、遮るものは何もない! ニトクリス! 大神殿の目を開けよ! デンデラ大電球、起動!」

 

「はっ、デンデラ大電球、起動致します!」

 

「うむ。これより我が大神殿の全貯蓄を用い、聖都に超遠距離大神罰を与えるものとする!」

 

宣告と共に神殿内に魔力が満ちていく。

産声を上げたのは複合神殿としてオジマンディアスの宝具に取り込まれたデンデラ神殿。

そこに描かれている壁画は、恐らくは世界最古と思われる電球である。科学的には実用不可能であると結論付けられているその電球は、太陽王の号令とともに白熱し、汲み上げられた魔力を電力へと変換していく。

これこそが大神罰。太古の神々の神威すら想起させる大灼熱の太陽光である。

いわば対十字軍としての切り札であるが、オジマンディアスは今まで大神罰を行う事はなかった。

一つは獅子心王の裁きを警戒したこと。不用意に使用すれば報復がくるのは必至であり、そうなれば不毛な消耗戦は避けられない。

そしてもう一つの理由が聖都を覆っていた大百足。奴の存在が聖都の内部を隠匿すると同時に聖都そのものを守る壁と化していたため、例え先手を取ろうとも十字軍は確実に報復が行える。

最も、それはこちらも同じであり、複合神殿を覆う粛清防御がある限り獅子心王が先んじて裁きの光を放とうとも反撃に出ることができる。

結果として互いの最大火力が決定打にならず、双方はこの半年間、悪戯に小競り合いを続ける羽目に陥っていたのだ。

だが、その守りは最早ない。こちらも粛清防御を解除しなければならないが、聖都を守る壁がなくなった以上は遠慮はいらない。

例えこの距離でも裁きの光を放つ聖都の塔をピンポイントで砲撃が可能なのだ。

 

「ピラミッド複合装甲解除。大電球、魔力圧縮儀式完了! 出力、メセケテット級まで安定しました!」

 

「さあ、獅子心王よ! その裁きはどこに落とす!? 足下に気を取られていては頭上ががら空きだぞ!」

 

カルデア率いる連合軍による電撃作戦。この作戦の最大の盲点は敵が自爆を覚悟で裁きの光を落とすことを度外視している点にある。

無論、そのような常識外れの兵法は通常の戦であれば如何ほどの暗君・暴君の類であろうとまず行わない。

例え救いようのない狂信者であろうとも人の上に立つからにはどうしても合理性を重んじなければならないからだ。

だが、聖都に巣くう獅子心王は違う。奴に常識は通用せず、また如何なる倫理・道徳も欠落している。

半年もの間、顔を合わせずとも戦い続けてきたからこそわかる。

獅子心王の思考は狂っているという言葉だけでは説明がつかない。

必要とあらば躊躇なく自らの手足を千切ることすら厭わない理性の化け物だ。

 

「ファラオは大電球の操縦に専念を! 仮に裁きの光がくれば私が防ぎます!」

 

「言われずともそのつもりよ。お前はそこで扇でも煽っておけ」

 

献身的な先達のファラオに一喝すると、オジマンディアスは彼方で光り輝く石造りの塔を見やる。

方位良し、風向き良し、この神罰に遮るものなし。

後は号令を下すだけである。

 

「あらゆる裁きはファラオが下すもの! 神ならざる人の王如きが、年季の違いを知るがいい! 大電球アモン・ラー、開眼! 見るがいい――アメンの愛よ(メェリィアメン)よ!!」

 

複合神殿の頂上、地上に顕現した疑似的な太陽ともいうべき光球が爆ぜ、極太の大電熱砲となって遥か彼方の聖都へと迫る。

大気中の濃厚な魔力残滓も相まって、その一撃は神代のそれと比べてもまるで遜色ない。

加えてその狙いは正確無比。神の光は違う事無く裁きの光の発射口たる塔のみを破壊するであろう。

だが、敵も見事なもの。こちらが大威力砲撃を行ったと知るやいなや、眼下の敵兵目がけて放たれるはずであった裁きの光を迎撃へと宛がい、その威力を相殺する。

 

「大神罰、着弾! ですが、効果なし! 向こうの砲撃で威力を削がれた模様!」

 

「よい、手応えで分かる! 小癪な真似をしてくれる!」

 

更に続けて二撃、三撃と雷光が撃ち込まれるが、その全てが聖都の裁きの光によって撃ち落とされる。

太陽王による大神罰。太古の神威に匹敵する雷鳴を聞きながらあの憎き塔は未だ健在であるという事実がオジマンディアスを苛立たせる。

あの塔はなんだ。

あれだけの力、一介のサーヴァントが操るには余りに強大過ぎる。

これではまるで彼の勇者のようではないか。

オジマンディアスは知っている。自らの力に匹敵する輝きを放つ2人の男を。

いつかの聖杯戦争で相対した勇敢なる者達を。

先ほどから伝わってくる手応えが、正にその片方の勇者が放つ輝きに酷似しているのだ。

それを錯覚と切って捨てることは簡単だったが、オジマンディアスの直感はそれを否定した。

十字軍――否、獅子心王が利用しているのは、自分がよく知るあの力だ。あの聖剣の輝きだ。

 

「そうか、あの者を貶めるか獅子心王よ。なるほど、「偽り」の冠は正にその通りの意味だったか。彼の王ならばそのような事、天地が引っくり返ってもせぬだろうからな!」

 

そうと分かれば遠慮はいらない。否、既に全力であるがそれはそれ。

二撃で足らぬと言うのなら十撃。自身の霊基を削って魔力へと変換し、大神殿を加速させる。

あの聖剣の輝きを愚弄する偽りの獅子心王の愚昧、何としてでもへし折ってやらねば気が済まないのだ。

 

「王よ、このままでは御身が! 裁きの光はこのニトクリスめが防ぎますので、どうか塔への神罰を――!」

 

「否! ここで退く訳にはいかぬ! これはあの夜の再来! 此度に大英雄はおらず、聖剣使いすらいないのならば余が下る道理なし! それよりもニトクリス、船を用意しろ!」

 

「船!? 御身は何を――!?」

 

「戯けたか! この撃ち合いはファラオの名に賭けて制す! 傲慢にもあの男を侮辱した偽りの獅子心王めは余が直々に裁きを下さねば我慢ならぬ!」

 

指先が僅かに塵となって消える。

既に大部分の霊基は魔力へと変換され、これ以上の消耗は存在の維持にも関わる。

あの時は全力ではなかったとはいえ、それでも大英雄と共に自身を打ち破った光なのだ。

よもやその全力がこれほどまでとは思わなかったが、それでもオジマンディアスは己の意地に賭けて引き下がるつもりはなかった。

何故なら、あそこにいるのはあの聖剣使いではない。ならば、負ける道理はなく、ファラオの勝利は揺るぎない。

認めよう。その威力、その輝きは確かに神威へと迫るであろう。

だが――――。

 

「――だからこそ、担い手なき力では本物に敵わぬと知れ、偽物がぁっ!!」

 

そして、輝きが中東の空を覆いつくした。

 

 

 

 

 

 

同時刻、聖都メインストリート。

一際眩い輝きが空を覆いつくし、聖都全体を揺るがすほどの強大な魔力のうねりが空間を走る。

太陽王と獅子心王、両者の裁きがぶつかり合い、遂に光を放つ主砲たる塔が瓦解したのだ。

空を焼き尽くすほどの宝具の撃ち合いは、太陽王に軍配が上がったのである。

一方、カドック達とモードレッドの死闘は熾烈の一途を辿っていた。

味方である時は決して向けられることがなかった敵意、殺意。

際限なく汲み上げられる怒りと憎悪、その全ては等しく自分を認めぬ父親に向けられたもの。

叛逆の騎士モードレッド。その威力はこの僅かな打ち合いの中で加速度的に上昇していき、最早手が付けられない化け物の領域に踏み込みつつあった。

 

「どうした!? あんたの力はそんなもんじゃねぇだろ! 聖槍を出したらどうだ!? あの槍を潰さなきゃオレの気は治まらねぇ!」

 

無秩序にばら撒かれる雷撃と共に魔剣が振るわれる。

繰り出される一撃はマシュの防御を容易く打ち抜き、アナスタシアの眼でも捉えることができない。

怒りと憎しみがモードレッドの潜在能力を引き出し、霊基が砕け散るのも構わずに限界を超えた一撃を放ってくるのだ。

最早、一挙一足が死への行軍であった。

モードレッドは今、死を厭わずに持てる力の全てを出し尽くしている。

 

(ああ、知っていたさ。その力の出どころを僕は……よく知っている)

 

まるで少し前の自分を見ているような感覚だった。

カドックにはモードレッドの気持ちがよくわかる。

認められたい、自分を証明したい。そのためならば自分などどうなっても良いと、破滅的な思考で突き進む様は正しくかつての自分自身だ。

モードレッドの胸中にあるのは父親であるアーサー王に認められたいという一心であろう。

生前に否定されたその願いを獅子心王によって増幅され、やり場のない怒りと憎しみを呼び起こしているのだ。

だから、彼は自分の命が燃え尽きるまで戦うことを止めない。その願いが果たされることは決してないのだから。

 

「駄目だ、回復がっ――マシュ!?」

 

「くそっ、キャスター! 令呪を――!!」

 

何度目かの殴打を受けてマシュの態勢が崩れる。

次の攻撃は受け止めきれないと立香が悲鳴を上げ、マシュを助けんとカドックは令呪の使用を決断する。

何でもいい。とにかく動きを止めなければマシュを救えない。

焦りながらも冷徹に思考を走らせ、アナスタシアに対して命令を下さんとカドックは右手に魔力を込め――ようとしてそれを中断した。

 

「――――!?」

 

突如として、モードレッドの動きが止まったのだ。

手にした魔剣は正にマシュの脳天に振り下ろされようとする寸前で停止しており、叛逆の騎士は目の前の敵など見えていないかのようにここではない彼方へと視線を這わせている。

市街を抜け、城壁を越え、未だ神獣達と十字軍が戦いを繰り広げている聖都外縁部。

その彼方を見据えたモードレッドは、まるで獲物を見つけて歓喜した肉食獣のように獰猛な笑みを浮かべていた。

 

「そこか! そこにいたか、アーサー王!!」

 

言うなり、モードレッドは石畳を蹴ってその場を離脱した。

その行く先は聖都の外だ。敵も味方もお構いなしに蹴散らしながら、赤い雷光は一直線に正門へ向けて駆けていく。

いったい、何が起こったのだろうか?

余りに急な事態に仲間の心配よりも先に疑問が湧いてくる。

 

「ドクター、何かわかるか?」

 

『いや、どうも計器の調子がよくなくて城壁周辺を観測できない。これも初代様の力なのかな?』

 

確かに“山の翁”はカルデアの通信を妨害する謎の力を持っていた。

だが、彼が担うと言ったのはガウェインの足止めだけだ。

如何にも生真面目そうな物言いから察するに、彼がモードレッドまで引き受けてくれるほどのお人よしとは思えない。

ならば、別の理由があるのではないだろうか。それこそ、モードレッドが目の前の戦いを放棄してでも執着する何かが。

 

「無事か、マシュ・キリエライト(ギャラハッド)!?」

 

「アグラヴェイン卿? はい、そちらは?」

 

「工場や指揮所の制圧は一通り完了した。今は山の民を中心に捕虜の解放を行っているところだ」

 

そう言うアグラヴェインの鎧は至る所が返り血で汚れており、戦いの激しさを物語っている。

だが、さすがは名うての円卓の騎士が1人。凄惨な装いに反してその身には傷一つついていない。

 

「そうだ、モードレッドを追わないと! ここで逃がしたらみんなが――」

 

「己が目的を履き違えるな、カルデアのマスター。貴公らは獅子心王を倒しこの特異点を修正するのだろう!? モードレッドのことは捨てておけ。奴は恐らく……もう我らに刃を向けることはない」

 

モードレッドを追わんと駆け出そうとした立香をアグラヴェインは一喝する。

彼が言う通り、モードレッドを追いかけている時間はない。既に獅子心王は目と鼻の先におり、聖杯爆弾もいつ爆発してもおかしくない状況だ。

そして、アグラヴェインはモードレッドの変調に何か心当たりがあるようだ。

それについては気になるが、今は問い質している時間はない。モードレッドがいなくなったことでメインストリートはもぬけの殻だ。

このまま一気に中央の建物に向かい、獅子心王に肉薄する。

 

「手筈通り、僕とアナスタシアは聖杯爆弾を探す。獅子心王は任せたぞ」

 

「最悪、2人が戻ってくるまで持ち堪えてみせるよ」

 

「はい。この身に賭けて、先輩はお守りします」

 

仮に獅子心王を倒せても、聖杯爆弾が爆発してしまえば意味がない。

追い詰められた獅子心王が自棄を起こして起爆してしまう恐れもあるため、聖杯爆弾の無力化は何よりも最優先だ。

もしも存在を秘匿されているのだとしたら、ここからは別行動を取る事も想定している。

守りに特化した立香とマシュが獅子心王と対峙し、その間に自分とアナスタシア、カルデアのダ・ヴィンチで聖杯爆弾を解体するのだ。

どんな代物なのかは見てみないことにはわからないが、魔術的なものなら魔術師である自分でしか触れることができないため、このような人選となった。

 

「アグラヴェイン卿、あんたには2人の護衛を頼みたい」

 

「――――ああ、承知した」

 

「アグラヴェイン卿? 何かありましたか?」

 

何かに注意を削がれたのか、反応が遅れたアグラヴェインにマシュは問いかける。

アグラヴェインは一瞬、答えるべきか迷いを見せるが、やがて意を決して静かに口を開く。

 

「……あの塔が倒壊した際に覚えのある気配を感じ取った。私の直感だが、あそこに円卓の騎士が捕らえられている」

 

裁きの光を放った塔は地上部分を残して完全に崩れてしまっている。

中の構造がどうなっているのかはわからないが、彼に誰かが中にいたのだとすればまず助からないだろう。

生き残りの可能性があるとすれば、地下だろうか。

その辺りに関してはアグラヴェインも曖昧で確信が持てなかったため、言い淀んだのだそうだ。

 

「円卓の騎士が? けど、もう生き残っている騎士は……」

 

マシュの疑問ももっともだ。

アルトリアに召喚された10人の騎士の内、生き残っているのはアグラヴェインとガウェイン、モードレッドとトリスタンの4人だけ。

ガウェインとモードレッドは既に居所を確認済み。トリスタンも先ほど、ハサン達との戦闘に突入した。

その全員の所在が判明している以上、円卓の騎士が塔に囚われているのはおかしいのである。或いは、彼らとは別口で召喚された騎士が捕らえられているのだとしたら、どうしてガウェイン達のように操って戦わせないのだろうか。

 

「それについてはわからぬ。だが、確かに感じ取ったのだ。それも非常に弱々しく今にも消えそうな気配だ」

 

「なら、アグラヴェインはすぐにそっちへ行って欲しい。そうだよね、マシュ?」

 

「はい。お願いします、アグラヴェイン卿」

 

躊躇も迷いもなく言い切る立香の言葉にマシュも同意する。

確証もないただの胸騒ぎ。いるかどうかもわからない同胞を探している余裕など、今の自分達にはないはずだ。

それでも2人は最善を尊ぶ。

心の惑いを否とし、いつかの先に後悔など抱かないように。

あの時にああしていればよかったと、己を呪わぬために、2人はどこまでもまっすぐに自分を貫くのだ。

 

「だが、貴公のことはランスロット(貴公の父)より――」

 

「構いません。助けられる可能性があるのなら実行するべきです。行ってください、サー・アグラヴェイン!」

 

マシュ・キリエライト(ギャラハッド)…………わかった。月並みだが、武運を祈ろう」

 

そう言って、アグラヴェインは倒壊した塔へと馬を走らせる。

残された面々は、再び湧き出したシャドウサーヴァント達を見据えながら静かに闘志を募らせる。

敵は強大でその力は未だに謎が多い。

ハッキリしているのはその正体と、言い表しようのない恐ろしい狂気のみ。

世界の全てを飲み込んで、塵一つ残さず平らげようというほどの悍ましく破綻した狂気。

だが、負けるつもりはなかった。

アメリカと違い、今回は孤立無援。他のサーヴァント達の援護は受けられない。

それでも自分達はきっと勝利する。

立香達と別れてからずっと、心のどこかで感じていた焦燥感が今はない。

寂寥感にも似た欠落が今はどこにもない。

何故なら、ここには自分達と、立香達がいる。

この4人ならば、必ず勝てる。

その確信がカドックにはあった。

 

「マシュ・キリエライト、いつでもいけます! マスター、ご指示を!」

 

盾を構え直し、マシュは最前列に立つ。

誰よりも前に。マスターを、仲間を、背負った命と全ての歴史を守るために、彼女は震える心のまま火の粉を払う。

 

「これが最後の戦い。マスター、回路を回しなさい! 全力よ!」

 

一度閉じた瞼を開き直し、アナスタシアが一歩下がる。

全てを俯瞰し、凍てつかせる。マスターを、友人を、自分が愛おしいと思った全てを守るため、彼女の眼差しは悪意が咲くことすら許さない。

 

「藤丸、やれるか?」

 

「もちろん」

 

差し出された左拳に自身の右拳を突き合わせる。

それが合図。

どちらからというでなく、2人は戦いの狼煙を上げる。

 

「僕達ならできる」/「俺達ならできる」

 

 

 

 

 

 

開戦から一時間。

正門前における“山の翁”とガウェインの戦いは未だに続いていた。

目を血走らせ、音の体を成していない咆哮を上げながら振るわれる太陽の騎士の剛剣は掠めただけでも剣圧で肉を抉り打ち砕く威力を秘めている。

それ自体が魔獣の顎ともいえる剣閃を、しかし“山の翁”は静かな佇まいを崩すことなくいなしていた。

音速を越える剣戟、強化に狂化を重ねたガウェインの膂力を真っ向から受け止め無力化する剣腕。

余人の立ち入れぬ剣戟の結界の中で、髑髏の剣士は粛々と己が得物を振るっている。

その剣舞はまるで儀式のように厳かであった。

 

「――――ここまでだ。晩鐘は過ぎ去った」

 

青白い眼光と共に剣が振るわれる。

光芒一閃。

炎を纏った剣筋は受けようとしたガウェインの剣を容易く弾き、その胸元に輝く偽りの太陽を切り裂く。

痛みと呼べるものはなかった。そんなものはとっくに塗り潰されていたからだ。

ただ、驚愕があった。

放たれたのは一撃。ただの凡庸な一振りが聖剣を弾き、胸元を切り裂き、あまつさえ背後で渦巻く砂嵐さえ断ち切り天上の光帯を露にする。

それが合図となったのか、聖都全体を取り巻いていた砂嵐も急速に鎮火していった。

 

「――――っ!? はぁ、はぁ……わたしは、何を……」

 

体内で渦巻いていた熱が急速に冷えていく。

喪失感があった。

体中から夥しい量の血と魔力が失われていることにガウェインはすぐに思い至った。

生きていることが不思議なくらい、自分の霊基はズタズタに引き裂かれている。

獅子心王の「呪詛(ギフト)」では自分は傷つくことはない。これはその結果として酷使されてきたツケだ。

埋め込まれていた疑似・太陽を破壊されたからだろうか。今まで、無視できていたダメージが瞬く間の内に体全体に広がっていく。

それと同時にガウェインはかつての理性を取り戻しつつあった。

ほとんどの記憶は痛みに焼かれていて擦り切れているが、それでも自分が仕出かした悪行と円卓に泥を塗るような不覚を彼は心の底から恥じる。

 

「あなたが……私を……?」

 

「然様」

 

「救ってくださったことに感謝致します。ですが、あのまま殺すこともできたはず?」

 

最早、この体では獅子心王はおろか十字軍と戦うことすらできない。

ただ生き恥を晒すだけなどガウェインには到底、耐えられなかった。

だからこそ、目の前の御仁に訴えずにはいられない。

どうして、一太刀の下に殺してくれなかったのかと。

それだけの技量がこの髑髏の剣士にはあるはずだと、太陽の騎士は卑しくも訴える。

 

「これだけの力を持ちながら、何故いままで沈黙していたのです……貴公ならば獅子心王など恐れるに足らず。聖地がこのような姿と成り果てる前にその行いを止められたでしょうに……」

 

それなのに、何を今更、この暗殺者は重い腰を上げたのだろうか。

こんな致命的なまでに追い込まれ、抜き差しならぬ状況に追われるまで、どうして動こうとしなかったのか。

いや、それすらも詭弁だ。ガウェインの胸中にあるのはもっと傲慢な願い。即ち、どうして自分達が獅子心王に屈した時、それを静観していたのかということだ。

もっと早くに円卓の首をどれか一つでも討ち取っていれば、十字軍に抗う者達への負担は軽くなったはず。

円卓が汚名を被ることもなかったと、ガウェインは思わずにいられない。

 

「我が剣は天命を誤つ者のみに向けられる。偽りの獅子心王の天命は我にあらず。彷徨える神霊の天命もまた然り。なれば我が剣、不要なり」

 

「ならば……ならば、我が身を斬れハサン・サッバーハ! 忠節果たせず汚濁に塗れ、栄誉も誇りも地に堕ちた! その上で何を見届けろと言う!? 一片でも慈悲があるなら我が一刀、その剣で返すがいい!」

 

残る力を振り絞り、ガウェインは聖剣を振るわんとする。

王に仕えるという願いを果たせず、人理のために戦う力も残っていない。

ならば、後は騎士らしく戦場でその命を散らすまで。その散華を以て我が身の汚名を削ぐ。

一欠けらの誇りを胸に死地へと旅立たねば、死んでも死にきれない。

だが、願い虚しく“山の翁”は剣を収めてこちらに背を向ける。

 

「勘違いするな太陽の騎士。晩鐘は既に過ぎ去った。ならばその罪、その罰、裁き下すは我が剣に非ず。最後の忠節、とく貫くがいい」

 

まるで霧散するかのように“山の翁”は消え去り、後に残されたガウェインは茫然と佇むしかなかった。

霊核と連動していた疑似・太陽が壊れたことで消滅は時間の問題。何もせずともこの身は朽ちて消え去るだろう。

彼は自分に惨たらしく絶命しろというのだろうか。否、彼は忠節を貫けと言った。

それは戦場で散るのではなく、我が身の汚名を我が身で払えという戒めなのではないだろうか。

即ち、潔く自害しろと。

できるだろうか。

聖剣を両手で保持するのもやっとの状態。この刃を我が身に突き立てることが果たして叶うだろうか。

何より、そのような結末を我が王はお許しになるだろうか。

そんな思いを抱いた刹那、懐かしい光が眼前に差し込んだ。

 

「ああ……そうですか……あの者が言っていた忠節とは――――」

 

聖剣を手放し、ガウェインは言う事を利かぬ体を何とか動かして跪く。

何とも畏れ多く、また誉れ高いことか。円卓の名を汚し、悪行を積んで落ちるところまで落ちたこの身を捧げられるなど、言葉に言い表せぬほどの感慨だ。

あのお方を前にすればどのような罰であろうとも恐れることはない。

ただ静かに終わりを待てばいいのだ。

王の裁きを受け入れる。それは不忠者に許された最後の忠節だ。

 

「申し訳ございません、我が王よ」

 

そして、聖槍の穂先が太陽の騎士の霊核を完全に突き砕く。

ガウェインが最期に垣間見た光景は、生前と変わらぬ凛々しさと女神にも似た神々しさを併せ持った、この時代における召喚者の姿であった。

 

「眠れ……我が騎士……」

 

最後の最後にかけられた言葉は、ガウェインの耳に届くことはなかった。

 

 

 

 

 

 

同時刻、繁華街。

かつては人々の往来で賑わっていただろう市場の中を、無数の黒衣の群れが縦横無尽に飛び交っていた。

相対するは白衣の弓兵。音を断つという前代未聞の弓術を駆使する妖弦使いトリスタン。

黒衣の影は各々が異なる武器を持ち、物陰から物陰へと潜みながらの奇襲を仕掛けるも、彼が弦を爪弾く度に成す術なく消滅していく。

突きつけられる無数の短剣も、剛腕無双の怪力も、剣聖に匹敵する剣術も、月明かりすら不要と断ずる恐るべき弓術も、トリスタンの身に掠り傷一つ負わせることができないでいた。

 

「やはり、あなた方では無理ですか」

 

開戦の報を聞いた時、トリスタンはやっと自らの業から解放されると胸を撫で下ろしていた。

飄々と振る舞っていても彼は誉れある円卓の騎士が1人。悪逆に身を落としながらも理性を保つことは我慢がならなかった。

だからこそなのか、我が身を掠め取った偽りの獅子心王はトリスタンにのみ理性を残した。

理性がなければ弓を振るえない。弓兵はただ眼前の敵を屠るだけでなく、時には冷酷に仲間を見殺し不利ならば撤退を指示する冷静な思考を必要とするからだ。それが彼自身への何よりの拷問になると知りながら。

結果としてトリスタンは戦場に救いを求め続けた。

自害も封じられ、淡々と十字軍が命ずるままに異教徒を殺すだけの日々の中で、戦地に赴くことだけが唯一の救いであった。

そこならば、我が身を止めてくれる猛者がいるかもしれないと。

そして、彼は遂に巡り会ったのだ。

カルデアとそれに協力するサーヴァント達。

彼らならば自分を止めてくれるかもしれないと。

だが、その願いが叶う事はなかった。

カルデアのマスター達は既に獅子心王のもとに向かい、唯一自分に匹敵する弓術を誇るアーラシュは既にこの世にいない。

俵藤太も玄奘三蔵という女と一緒に外縁での小競り合いを続けている。

そんな中でこちらに引導を渡しに来たのが3人の暗殺者達。各々がその時代で唯一を極めた山の翁であり、その手腕は決して蔑ろにされるようなものではない。

だが、悲しいかな円卓の騎士には届かなかった。果敢な奇襲もトリスタンの前では幼子の手習いにも劣る所業。失望に似た感覚すら芽生え始めていた。

 

「最早、あなたの人格(ぶんしん)は片手で数えるほど。逃げなさい、僅かであればこの指を抑えられましょう」

 

そして、願わくばより強い猛者を連れてきて欲しい。これ以上、心を残したまま生き永らえることは耐えられないのだから。

だが、相対した百貌のハサンは怯まない。9割以上もの分身を殺され、心が千切れかけているにも等しいというのに、彼女は獲物を仕留める狩人のように一分の油断もなくこちらを見据えている。

そのような情けは無用。殺すと決めたからには何が何でも殺すという強い気概がそこにはあった。

 

「――時は来た」

 

「むっ、この霧は……」

 

いつの間にか周囲に草花は死に絶え、地に伏している兵士の死体が腐食を始めている。

これは毒か。戦いに気を取られ、周辺の大気に毒が満ちていることに気づけなかった。

 

「私は静謐のハサン。夜に咲く毒の花――――既に、この周辺は我が毒に満ちた」

 

十字軍が捕らえ、その身を調べていた静謐のハサン。その力は宝具にまで昇華された毒の肉体。

血も汗も粘液さえも生命を狩る毒液であり、花々を愛でることすらできない哀しき少女。

その彼女の毒が今、周囲一帯を包んでいるのだ。

 

「貴様は百貌殿を圧倒していたのではない。百貌殿と呪腕殿に翻弄されていたのだ。その身を蝕む毒に気づかぬよう、極限の戦いを仕掛けていた」

 

それは、何と愚かで危険な行為か。一つ間違えば自分達すら毒の大気に巻き込まれて死んでしまうかもしれないというのに。

いや、或いはそれすらも計算の内。彼らは一方的に殺されている振りをして、常に安全な風上に座していたのではないだろうか。

何よりも毒はよい。とてもよい判断だ。この身は生前、戦場で受けた毒によって潰えた。

英霊にとって生前の死因やジンクスは何よりの特攻となる。例え取るに足らない要因でも致死の意味を持つのだ。

特に静謐のハサンの毒はこの世のどんな毒にも勝る猛毒。これならば確実に、自分は死に絶えることができるだろう。

 

「ああ、これで私は――――」

 

毒の痛みに身を任せようと、トリスタンは安堵の息を漏らす。

弦が爪弾かれたのは、正にその時であった。

 

「えっ――?」

 

「っ――!!」

 

まず毒の源である静謐のハサンが千切れ飛び、次いで不穏を察知した百貌のハサンが血だまりに落ちた。

誰よりも驚愕しているのはトリスタン自身であった。

毒に蝕まれ、今にも息絶えるはずであった我が身には欠片程の痛みもなかった。それどころ、強制的に再臨が進むほどの膨大な魔力が内から溢れ返ってくる。

 

「トリスタン、まさか――!!」

 

「獅子心王め、何と悪辣な……これは、悲しい……」

 

必死で弦を弾く指に抗おうとするが無駄だった。この身が毒に侵されれば侵されるほど、却って肉体は活力を得ていく。

これこそが獅子心王がトリスタンに課した「呪詛(ギフト)」。毒を癒し魔力へと転ずる魔性の呪い。今のトリスタンはこの毒の霧の中にいるだけで限界を超えた力を発揮する。

生前の死因を突くのはサーヴァント戦の常道。他の円卓の騎士と違い死因がハッキリとしている身である以上、獅子心王は必ず毒を用いた必殺を仕掛けられると踏んでいたのだ。

 

「何という……我らの最後の秘策も徒労に終わるとは……」

 

繰り出される音の刃を躱しながら、1人残された呪腕のハサンは歯噛みする。

生前を調べ上げ、百貌のハサンを囮とした決死の策。力でも格でも劣る暗殺者が成せるであろう最高の秘策を無為にされたのだ、無理もない。

 

「くっ、早く逃げなさい……このままでは、貴公まで――――」

 

指先に痛みが走る。毒のせいではない。汲み上げられた魔力が行き場を失って体内で渦巻いているのだ。

こうなってしまえば宝具を発動して魔力を吐き出さねばこの身が崩壊する。そして、今のトリスタンに選択権はなかった。

獅子心王に埋め込まれた命令に肉体は忠実に従い、宝具を発動せんと弓に魔力を込める。

 

「翁よ!」

 

「否、我らは山の翁。殺すと決めたからには何があろうと――果たす!!」

 

呪腕のハサンが跳躍する。

音の刃の間を縫った疾走。だが、見えぬ斬撃を躱し切る術などなく、髑髏の仮面は胴体を深々と切り裂かれながら崩れ落ちていく。

夥しい量の血が地面を汚し、引き千切れた臓物が辺りにまき散らされた。誰の目から見ても致命傷。呪腕のハサンは救いを求めるように腕を伸ばし、前のめりに倒れていく。

だが、暗殺者は死んでいない。その仮面の向こうには未だ闘志潰えず。伸ばした右腕は空しく宙を切ったのではない。纏っていた黒衣を引き裂き、露になったのは見るも悍ましい奇形の腕。

その長腕は悪魔の羽根のように羽ばたくと、トリスタンに向けて一直線に伸びてくる。

 

「『妄想心音(ザバーニーヤ)』――!!」

 

それは対象に触れることで心臓の鏡像を作り出す宝具。故に本来は胸元に向けて放たれるのだが、此度はトリスタンを逃がすまいとその腕を鷲掴み、滑車の如き勢いで呪腕のハサンの体を引き寄せる。

剣すら抜けぬ至近距離での邂逅。まるで抱き合うように体を割り込ませたことでハサン自体の体が邪魔となり、弓を弾くことも封じられている。

 

「その腕、掴んだぞトリスタン!」

 

「貴公は何を……これは、腕がひとりでに……!?」

 

異形の長腕が脈動し、腕に食い込む力が少しずつ強くなっていく。否、これは食われているのだ。

指先から我が身を少しずつ擦り取られていっている。そして、自分と呪腕のハサン以外の第三の霊基がここに産声を上げようとしていた。

 

「……我が腕は魔神(シャイタン)から掠め取ったもの。それを呪術で御し得ていたが、その呪いを今解いた。魔神は受肉し、盗人である私と贄である貴殿を食らうだろう」

 

「なんと……おお、なんと……」

 

「言葉を借りよう、トリスタン卿。運命は貴殿に追いついた……聞こえるはずだ、あの鐘の音を――」

 

「貴公は…………そこまで…………」

 

「痩せた土地と共存し、この地に生きる同胞を護り、この地に起きた教えを全てとした! 他の国なぞ知らぬ! 理想の国なぞ知らぬ! 我らはこの土地に住む人々を愛した! 我らはその為に生き、その為に死んだのだ! それが我ら山の翁の原初の掟なれば、我が身喰われる苦痛など!!」

 

「そうですか…………最後に戦えたのが貴公でよかった。誇り高き暗殺の技、しかと刻ませて頂き感謝する。せめて、貴公だけは――」

 

魔神に肉を食われる苦痛で僅かにハサンの体が揺らぎ、その隙を突いて右手を閃かせる。

渇いた音と共に倒れ伏す呪腕のハサン。右腕を引き裂かれ、多くの出血を強いられている以上、彼も長くはないだろう。

そして、それよりも早く自身は魔神に食われて息絶える。そうなれば次なる標的は虫の息の暗殺者だ。

離れなければならない。

我が身がまだ動く限り、少しでも遠くに。

この信仰篤き暗殺者が、誇り高き山の勇士が一秒でも長く生き永らえ、仲間に救われる機会を増やすために。

 

「この地に来てから、悲しい事ばかりでしたが、最期に尊いものを見た…………私などにはなんと、勿体ない……」

 

遠くで鐘の音が聞こえる。

それは自身を迎えに来た天上の使いの調べか。

はたまた地獄へと誘う悪魔の囁きか。

考えるだけの余力すらトリスタンには残されていない。

彼はそのまま、誰に見守られることもなく、孤独なまま魔神の血肉としてその身を食われるだけであった。

 

 

 

 

 

 

どことも知れぬ闇の中で、その男は時が来るのを待っていた。

既に部下からの報告には目を通している。

山の民、砂漠の民、円卓の騎士の生き残りが結託して聖都を襲撃している。

被害は甚大。折角建設した工場には火の手が上がり、働き手である捕虜達も解放されている。

ロクな建設機械もないこの時代でメインストリートを整備するのにどれだけの労力を必要としたことか、彼らはわかっているのだろうか。

 

「畜生とでも怒鳴り散らせばいいのかね、こういう時は? いやいや、私は生前そんな風に怒ったことはあっただろうか? なかっただろうか?」

 

淀んだ瞳。そこに確かに浮かべた感情は張り付いた仮面のように作り物めいていて不気味さが漂う。

力強く放たれる言葉は妙な説得力があると同時にどこか他人事だ。まるで自分の言葉ではなく台本を読んでいるかのような白々しさすらある。

自分の言葉を自分のものとして発せれなくなったのはいつからだろうか。

自分の体を縛る見えない操り糸に気づいたのはいつからだろうか。

それは彼自身にもわからない。生前の記憶なんてものはとっくに塗り潰されていて、自己すらハッキリしないのだから。

ただ、自分が果たさねばならない使命だけは理解している。

我が身は道化であり愚者。ならば我が闘争は観衆を満足たらしめる喜劇でなければならない。

ならば終演は近い。

最大の終末装置(デウス・エクス・マキナ)の完成は目前。後は時が来るのを待つばかりなのだ。

その時を以て、()の願いは成就されるのだから。




ちなみに操られた円卓勢をシステムに起こすとこうなるんじゃないかと妄想しています。

ガウェイン:毎ターン、チャージ+2
      毎ターン、自分にダメージ。ターン毎にダメージ増加(このダメージでHPは0にならない)
      スキル使用不可
モードレッド:毎ターン、チャージMAX
       毎ターン終了時、確率で混乱
トリスタン:毒・火傷・呪い無効
      毎ターン、確率でスタン
ランスロット:毎ターン、ランダムでバフかデバフ(銃の交換や故障の演出)


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神聖■■■■エルサレム 第13節

地下に潜ってからどれくらいが過ぎただろうか。

入り組んだ構造。いくつもの行き止まり。降りているはずなのに昇っている階段。そして立ち塞がる防衛装置。

それらを力尽くでねじ伏せながら、カドックとアナスタシアは地下へ地下へと潜っていた。

目的は一つ。聖杯爆弾だ。

メインストリートを抜け、街の中心部に当たる建物に辿り着いた際に魔力を辿った結果、聖杯らしき反応は地下三百メートルに、サーヴァントの反応は建物の上部に分かれていることが判明したのだ。

そのため、カドック達は手筈通り別行動を取る事になった。

幸いにもシャドウサーヴァント以上の戦力は配置されておらず、入り組んだ構造以外に罠らしい罠はない。カルデアの解析とアナスタシアの魔眼で奥へ進むことだけは容易であった。

 

「マスター、角を曲がるとゴーレムが二体」

 

「やれるか?」

 

「大きいし距離も近いから凍らせるのは無理ね」

 

「わかった、不意を突く」

 

聖都突入の前に予め捕まえておいたネズミをケージから取り出し、小石程の大きさの礼装を括りつけて通路に放つ。

使い魔と化したネズミは溝を流れる水のように惑う事なくまっすぐに通路を曲がると、その先の部屋を守護するゴーレムの足下を潜り抜ける。

共有したネズミの視界から見たゴーレムはまるで巨人のようで、自分は安全だと分かっていても踏み潰されやしないかと心が逸る。

 

(まだ……まだ……今!)

 

きっかり時間にして15秒。

ゴーレムの足下を通り過ぎたネズミの背中が破裂し小さな爆発音が木霊する。

まき散らされた魔力残滓を侵入者の気配と誤認したゴーレムは逃げるネズミを追おうと視線を逸らし、その大きな巨体を緩慢に揺らしながら扉から離れていった。

直後、音もなく背後から忍び寄った黒い影がゴーレムの一体を殴り壊す。

魔獣にも匹敵する強烈な殴打はヴィイによるものだ。ゴーレムの気が逸れた隙を突いてアナスタシアが解き放ったのである。

異常に気付いたもう一体のゴーレムはより脅威度が高いと思われるヴィイに向き直り、未だ手の中でゴーレムの核を弄んでいるヴィイを葬らんと巨体を震わせる。

ヴィイの力は強力だがそれ程素早くはない。このままでは先に拳を叩きつけるのはゴーレムとなるだろう。

その隙の大きさを知らぬカドックではない。

立て続けに放った束縛の魔術の三連発。一発が硬直を生み、二発目が態勢を揺らし、三発目で完全に動きが止まりかける。

その僅かに稼いだ時間でヴィイは手にしていたゴーレムの核をボールのように投げつけると、残る一体に凍結の視線を巡らした。

動きが止まったゴーレムにそれを避けることは適わず、瞬く間の内に氷の像と化して動かなくなった。

 

「こうしてみると便利だな」

 

戦闘に用いる魔力の大半はヴィイ自身が賄い、ある程度の接近戦もこなすことができる。

マスターである自分が担うのは存在維持と宝具使用の際の魔力供給くらいでいいので、燃費も非常にいい。

聖杯戦争ではキャスターは不利なクラスとされているが、その中ではアナスタシアはかなり当たりのサーヴァントではないだろうか。

いや、当たりどころか間違いなく最優で最強のサーヴァントだと自負しているつもりではあるが、それはそれとしてだ。

 

「そうでもないのよ。集中しなくちゃ動かせないし、その間は私の方が眼を使えないから」

 

あくまでアナスタシアとヴィイ、2つが揃ってこそのキャスターのサーヴァントなのだ。

ヴィイ自身も怪力なので不意を突ければ三騎士クラスに一矢報いるくらいはできるだろうが、真正面からやり合うとなるとアサシン相手でも辛いらしい。

とはいえ便利なことには違いないので、今後も大いに活躍してもらおう。

そう思いながらカドックはゴーレムが守っていた扉を開ける。罠がないことは既にアナスタシアが魔眼で確認済みだ。

 

「これが……聖杯爆弾……」

 

目の前に飛び込んできたのは、壁一面を埋め尽くす巨大な機械であった。

広さは下手な体育館くらいあるだろうか。天井も高く煌々と証明が焚かれている。

松明のようには見えない。あれは恐らく電灯だ。どこから電力を用意したのかはわからないが、時代にそぐわぬ重火器を大量生産しているくらいだ。今更驚くことでもない。

それよりも問題は聖杯爆弾だ。壁を埋め尽くす様々なボタンやメーターが何を意味しているものなかは皆目見当もつかないが、でかでかと中央に取り付けられている電光板の意味だけは容易に想像がつく。

あれはタイマーだ。まだ起動していないようだが、スイッチが入ればあそこにカウントダウンが刻まれるだろう。

 

「ダ・ヴィンチ、見えるか?」

 

『ああ、感度は良好だ。ふむ、聖杯が火薬代わりなこと以外はありふれた爆弾だ。製作者は魔術に関する知識に乏しかったのだろうね。必要な要素を科学技術で代替している』

 

「解体は可能か?」

 

『少し時間はかかるが、君の魔術と道具で十分に何とかなるだろう。ただし、こちらの指示はちゃんと聞いてくれたまえ。間違った配線を切ればみんなまとめてお陀仏だ』

 

「そうならないよう祈るよ。神なんて信じてないが」

 

アナスタシアに見張りを任せ、カドックは鞄からナイフや工具を取り出し作業に入る。

機械については北米で何度か触れていたが、自分で組み立てたり分解したことはなかった。

工具自体もほとんど触れたことがないものばかりで、うまく扱えるかもわからない。

それでもやるしかない。今頃、立香とマシュは偽りの獅子心王と対峙している頃だろう。

2人が頑張っているのなら、自分はまだ諦める訳にはいかない。

こここそがカドック・ゼムルプスの戦場、証明の場だ。

カドックは一度だけ深呼吸をして意を決すると、ダ・ヴィンチの指示に従って聖杯爆弾の解体に取り掛かった。

 

 

 

 

 

 

聖都での戦いが佳境に至った頃、アルトリアは遠く離れた山岳地帯を走っていた。

多くの命が今も燃え尽き悲鳴が上がっているというのに、ブリテンの守護者はこんなところで何をしているのか。

その答えは明白。この戦は彼女にとって関係がないことだからだ。

聖槍ロンゴミニアドの影響で彼女の精神は既に人のそれとは乖離しており、人類の闘争に何ら感慨も抱かない。

人の営みは美しく素晴らしいが、同時に醜い争いを止められぬ生き物でもある。

かつての自分ならばそれに介入したのだろうが、今のアルトリアの精神はそれを是としない。

それもまた人の営みである以上、その範疇を超えた存在である自分が介入してはならないのだ。

それに元よりこの戦はカルデアのマスターのものであり、協力を申し出たのはアグラヴェインだ。自分はあくまでそれを許し見守るだけである。

だが、円卓の騎士だけは別だ。

ランスロットは眼前で朽ち、トリスタンもまた戦いの中で命を散らした。ガウェインも先刻、この聖槍で裁きを下した。

残る騎士は1人。彼らを使役し悪逆を行ったのは偽りの獅子心王ではあるが、彼ら自身を召喚したのはこのアルトリアだ。

故に、敵の手中に落ちた彼らだけはこの手で裁かなければならない。その責任が自分にはある。

そして、最後の1人である叛逆の騎士は今、頂きの上からこちらを見下ろしていた。

 

「どうした? 地の利はこちらにあるぞ!? それで終わりかアーサー王!!」

 

放出された魔力が雷光となって地を走る。

不安定な傾斜では馬を走らせることができず、アルトリアは飛来する雷の全てを槍で払う事を余儀なくされた。

受け止めた雷撃は槍越しでも分かるほど重く、モードレッド自身が抱く強烈な殺意が込められていると実感する。

打ち合いで腕が痺れるなどということはいつ以来であっただろうか。

ここまでの戦いもそうだ。

聖都から山岳地帯に至るまでの間、モードレッドは何度もこちらに切りかかってきた。

馬上と徒歩という圧倒的に不利な状況を覆し、魔力の放出で足らぬ速度を補い、こちらの呼吸の間すら把握して不意を突かんとする。

そしてここに至ってとうとう、叛逆の騎士は我が身を追い抜き頂きに立った。

上と下、切り結ぶにあたって高度の差は非常に大きい。

実力差を埋めるだけの利点がここにはある。

惜しい。

実に惜しい。

今も油断なくこちらを見据え、隙あらば切りかからんとしている叛逆の騎士が実に惜しい。

言葉で怒りをまき散らしながら、冷静に戦局を観察するこの者が実に惜しい。

それだけの力を持ちながら、何故王などに固執するのか。

あのカムランの丘から幾星霜、今の自分はかつてよりも成長したと思っていたが、それだけは終ぞ理解できなかった。

 

「答えぬかアーサー王! ならばこれを見ろ! この焼け爛れた荒野を! あなたの国はこれで終わりだ! これが私に王位を譲らなかった報いだ!」

 

怒りの余りに錯乱が進んだのだろう。口調すらかつての円卓時代に戻り、モードレッドはかつての戦いを再現する。

あの者の心は既にここにはない。偽りの獅子心王によって心を壊され、際限なく怒りと憎しみを増幅されたことで時が逆行している。

自分が何のためにこの地に召喚されたのか、ここで何を成してきたのかさえ覚えていないだろう。

 

「憎いか、そんなに私が憎いか! 魔女の子であるオレが憎かったのか!? 答えろ、アーサーッ!!」

 

裂ぱくの踏み込み。

音速すら越えた深紅の斬撃が眼前に迫る。

繰り出される必死の一撃を、アルトリアは寸で聖槍を振るっていなし、操る馬のバランスを取りながら後方へ大きく後退する。

やはり、この高低差はまずい。馬上の有利もリーチの差も埋められてしまい、打ち合いにおける不利を補っている。

互いの得物を振るい合うだけならば永遠に決着はつかないだろう。

ならば聖槍を解放するまで。

ここは人気のない山岳地帯。加えて自分の位置からなら頭上のモードレッドを撃ち抜く形となるため麓への被害を心配する必要はない。

ただ一つの懸念は、今のモードレッドが聖槍を使うに値しない存在であるという一点だけだ。

 

「私は貴公を憎んだことなど一度もない」

 

心はどこまでも澄み切っていた。

これから口にする言葉は偽らざる本心だ。

真実を知ったあの時も、カムランの丘で対峙した時も、そして成長した今ですら変わらぬ思い。

あの時と同じように、今度もまたそれをぶつけねばならぬとは、皮肉なものだ。

 

「貴公に王位を譲らなかったのは、貴公にも王としての器がないからだ」

 

「ア――アァァサァァッ!!」

 

モードレッドを中心に空間が深紅に染まる。

雷を伴う魔力放出。だが、怒りの余り魔力の変換がうまくいっていない。

派手な光に反して足下の地面を焼くの精々の篝火だ。

そう、怒りに狂えば狂う程、激情に身を任せるほどに、この者の剣気は鈍っていく。

大地を割り、空を裂く膂力と魔力を代償に、かつて自分が尊敬を抱いた誉れ高き騎士としての尊厳が落ちていく。

それはモードレッドが真に憎き相手を捉えられていないからだ。唯一人に注がれるべき感情は拡散し、散漫に当たり散らされるのでは剣気が鈍るのも無理はない。

鋭く研ぎ澄まされた感情の刃。それこそがこの騎士の唯一の美点。偽りの獅子心王の呪いはそれを見るも無残な鈍らへと変えてしまう。

かつての王として、それだけは我慢がならないとアルトリアは煮え滾るモードレッドの激情を静かに見つめていた。

 

「問い返そう、我が騎士モードレッド。貴公の怒りはその程度か?」

 

「っ――――!?」

 

「偽りの主に翻弄され、植え付けられた感情に何の意味がある? 憎いのだろう? ならばその憎悪を研ぎ澄ませ! 貴公が呪うべき相手は誰か、それを思い出せ!」

 

「アーサー……アァァサァァ……」

 

「私が憎ければ私だけを呪え! 貴公にはその権利がある! それすらわからぬというなら、貴公は王どころか騎士を名乗ることすら恥と知れ!」

 

そう、この者はいつだって選択を誤った。

ただひたすらに、認めてもらおうと必死で足掻き、そのために国をも巻き込んだ戦を起こした。

その原因は自分にもあるのだろうが、王として判断に後悔はない。人としての判断は――既に欠落してしまったので何を思っていたのかわからない。

結果としてその選択はブリテンにとどめを刺した。

我が子を名乗る騎士に下した言葉が破滅の弓を引いた。

その時、王だけを憎めばよかったものを、この者は王が持つもの全てを滅ぼさねば気が済まなかったのだ。

そうではない。そうであるから、自分はお前を認めることができないのだ。

 

「違えるなモードレッド! 貴公の望みは王の首であろう! それとも、誰かに命じられねば殺せぬか!? 我が姉か!? 偽りの王か!? その者達なくして剣を振るえぬか、モードレッド!! 貴公にとって王とは傀儡か!」

 

「だまれぇぇぇっ!!」

 

叫び、魔剣が翻される。

突き破られたのは叛逆の騎士。モードレッドは錯乱の余りとうとう我が身を自身の剣で傷つけたのだ。

あふれ出る鮮血は鎧を赤く染め、力の抜けた体が僅かに揺らぐ。傷は深く霊核にまで達していた。

ここまでの戦いで魔力を使い過ぎていたこともあり、モードレッドの体から急速に生気が抜けていく。

壮絶なその姿は見る者に戦慄すら呼び起こすだろう。

だが、モードレッドは倒れなかった。

揺れる体を両の足でしっかりと支え、胴体から剣を引き抜いて再び構えを取る。

そして、被っていた兜が外れ素顔が露となった。

その時、アルトリアは初めて思った。

かつてこの騎士の死に際に自分と同じ顔を垣間見たが、改めて見てみると意外と似ていないものだと。

 

「やっと会えたな、アーサー王!」

 

獰猛に、凄惨に、獣の如き凶暴な笑みがモードレッドに浮かび上がる。

そこに生前の面影はない。先ほどまでの迷える騎士でもない。

叛逆の騎士。英雄モードレッドとしての素顔がそこにはあった。

アルトリアにとっては、恐らく初めて垣間見る彼の素顔であった。

正しく獣の形相。ただし気高き獣だ。

孤高の王としての風格がそこにはあった。

 

「ああ、やっと会えたな、モードレッド」

 

錯乱の余り我が身を傷つけたと思ったが、この様子では違うのだろう。

恐らく、霊基を傷つけることで偽りの獅子心王の「呪詛(ギフト)」を払ったのだ。

本質としては狂化スキルに近いものなのだろう。霊核が砕け、消滅が始まったことでモードレッドは正気を取り戻したのだ。

 

「さあ、あの時の続きだ。あんたを超えてオレは王になる!」

 

「……いいだろう」

 

それ以上の言葉は必要がなかった。

自分達が交わることは決してない。

アルトリアはモードレッドを我が子と認められず、その血筋への誇り故にモードレッドはそれを許すことができない。

ガウェインはその忠誠心故に裁かれることを是とし、モードレッドは自らの宿命故に戦うことを選んだ。

その身に刻まれた因果、血の宿命。王を終わらせる者。それこそが英雄モードレッドの逃れ得ぬ在り方だ。

故に自分達が敵対した時から、この結末は必然であった。

奇しくもここは平原を見渡せる高所。自分達が最後に戦ったあのカムランの丘の再現だ。

 

「これこそは、我が父を滅ぼす邪剣――――」

 

構えた魔剣が展開し、深紅の雷が凝縮される。

どこまでもまっすぐに研ぎ澄まされた怒り、憎しみ。

偽りの獅子心王に植え付けられたものではない。モードレッド自身から芽生え育まれた偽らざる感情。

それこそが彼を高みへと引き上げる。

重ね、束ね、その身の内で鍛え抜かれた激情は、正に終演の一撃に相応しい。

 

「聖槍よ、果てを語れ――」

 

受け応えるは最果ての槍。かつてモードレッドの命を奪った聖槍は今、アルトリアの宣言と共に脈動を開始。

穂先が纏う魔力が螺旋状に渦を巻き、周囲の大気すら巻き込んで巨大な竜巻となる。

常人ならば――否、トップサーヴァントですら扱いに難儀するであろう荒れ狂う嵐の顕現を、アルトリアは静かな面持ちで構え直す。

あの時と変わらない。

我が子を名乗る叛逆の騎士。その激情をぶつけられてもこの心は何の感慨も抱かない。

或いはもっと深い絶望を抱いていたのかもしれないが、それはとうに忘れ去ってしまった。

ひょっとしたら今の自分は目の前の騎士と相対したことなどなかったか、あってもこれほどの憎悪をぶつけられなかったのかもしれない。

そう、彼と自分では見てきたものが違う。

目の前の騎士を殺めた騎士王は、自分のことではないのだから。

それでもアルトリアは槍を振るう。

終わりの騎士を終わらせる。それこそが我が身に課せられた責任であるが故に。

 

「『我が麗しき父への叛逆(クラレント・ブラッドアーサー)』!!」

 

「『最果てにて輝ける槍(ロンゴミニアド)』!」

 

魔剣と聖槍。深紅と白亜の光がぶつかり合う。

渾身の愛憎と、王としての矜持が激しく火花を散らす。

それは一瞬とはいえ拮抗した輝きとなり、音すらもかき消すほどの重力場を作り出す。だが、忽ちの内に深紅の雷光は飲み込まれ、視界の全てを白亜の光が覆った。

そも『最果てにて輝ける槍(ロンゴミニアド)』はこの世界のテクスチャ、即ち現実と幻想を繋ぎとめる光の柱であり、モードレッドが振るうクラレントなど比べ物にならない神話級の遺物だ。

その威力たるや偽りの獅子心王の裁きの光を遥かに上回り、太陽王の宝具とすら真っ向から撃ち合っても競り勝てるだろう。

如何にモードレッドが憎悪を滾らせ、怒りを研ぎ澄ましたとしても敵うはずがなかった。

恐らくは痛みすら感じる間もなく消滅したはずだ。勝敗の有無など以ての外だ。

ならば、所詮はその程度の騎士。重ね束ねた激情すら我が身には届かない。

この差を埋め合わせる何かがなければ、モードレッドは永遠に王とはなり得ないだろう。

 

「――ッ!」

 

刹那、光の向こうで魔力が爆発した。

深紅の稲妻が、まるで地を這う蛇のように坂道を転がりながらこちらに向かってきている。

モードレッドだ。鎧を脱ぎ去り、軽装となったモードレッドが『最果てにて輝ける槍(ロンゴミニアド)』に背中を焼かれながらも、まっすぐにこちらに向けて駆け降りてくる。

ここに来て高低差がまたしてもこちらの不利に働いたとアルトリアは理解した。直上から剣を振る降ろすだけで良い向こうと違い、こちらは頭上のモードレッドを撃ち抜くために上に向けて宝具を解放した。

馬上であったこともあり、その砲撃はほんの僅かではあるが地上との間に隙間ができていた。モードレッドはその隙間を、魔力放出による超加速で駆け降りてきているのだ。

最初から彼は宝具の撃ち合いでは自分が敗北することを悟っていた。故に魔剣を手放し、無手での決着を図ったのだ。奴らしい乱暴なやり方だ。

 

「騎士王、取ったぁぁっ!!」

 

宝具の真名解放による硬直もあり、アルトリアは動くことができない。

水平に落下するという矛盾すら孕んだモードレッドの拳は、そんなアルトリアの無防備な頬に吸い込まれていく。

痛みはなかった。「呪詛(ギフト)」を払うために霊核を傷つけ、囮とはいえ宝具を発動した。その上で『最果てにて輝ける槍(ロンゴミニアド)』に焼かれながらの特攻。

拳が届くまでよくぞ霊基が保ったと感心すらしてしまう。最早、モードレッドには拳一つ満足に握るだけの力も残されていなかったのだ。

それでも、この者は騎士王を相手に一矢報いて見せた。

例えそれが同じ名を持つ別人に対してであったとしても、叛逆の騎士は誇れるだけの戦果を上げて逝ったのだ。

 

「何度でも挑んでくるがいい、モードレッド。それは貴公にのみ許された特権だ。私はいつまでも、貴公にとっての最果てとなろう」

 

奇しくも腕の中で消えたかつての騎士への思いを述懐し、アルトリアは遥か彼方の聖都へと視線を巡らす。

既に街を覆っていた砂嵐も消え、戦いも少しずつ沈静化しつつある。少なくとも戦争は連合軍の勝利で終わるだろう。

ならば後は、カルデアと偽りの獅子心王による人理を巡る戦いだ。

その行く末がどちらに傾くのか、今の彼女にはわからなかった。

 

 

 

 

 

 

どれくらい昇っただろうか。

目的地である球状屋根の建物は外から見るよりも遥かに内部は複雑で迷宮の体を成していた。

何度も行き止まりにぶつかり、階段を上り下り、バリケードを迂回して上へ上へと進んでいく。

意外にも警備の兵士やゴーレムはおらず、罠の類も仕掛けられていない。ただ純粋に複雑な構造だけが立香とマシュから体力を奪っていく。

そして、何度目かの階段を昇りきったところで、とうとう目的の部屋の入口へと辿り着いた。

 

『何て建物だ。五階建ての建築物に十階分の階層をねじ込むなんて!』

 

カルデアからの音響測定がなければまず辿り着くことができなかったであろう。

この建物からは設計者の熱意と意地の悪さが至る所から感じ取ることができる。

これも獅子心王が造ったのだとしたら、やはり自分が思っていた通りの恐ろしい男なのだろう。

 

「マスター、お疲れだとは思いますが、よろしいですか?」

 

「ああ、大丈夫だよ」

 

こちらの言葉にマシュは小さく頷き、目の前の扉をゆっくりと押し開ける。

そこは円形のホールのようであった。本来は会議場か何かなのだろうが、今は椅子や机の類は片づけられており、円錐状に空間が広がっているだけであった。

その中央に立つのは黄土色の軍服に身を包んだ1人の男。年はまだ若く十代か二十代ほどで、まず目につくのは鮮やかな金色の髪の毛だ。

古い貴族か王族を思わせる佇まいもあり、正に絵に描いたような王子様といったところだろうか。

だが、既に正体を見抜いている立香にはその違和感にすぐ気づくことができた。

淀んでいる。

両の瞳が、身に纏う王気が、まるで泥のように淀んでいる。

高貴さなどというものは欠片も感じられなかった。この男は、もっとどす黒く邪悪なものだ。

見る者が見ればこの男からは幽鬼か亡霊のような不気味さすら感じ取れるだろう。

 

「やあ、やって来たのは君達だけか」

 

男は拍手を以て自分達を迎え入れる。

やや低めだがよく通る声だ。見た目の割には少し老いた声音で、早口なのに不思議と発音は聞き取りやすい。

 

「安心したまえ、ここには私しかいない。司令本部は反乱軍によって制圧され、配下の十字軍も沈黙した。残念ながら良い奴はみんな死んでしまったがね。生き残ったのはクズばかりだ」

 

爽やかな表情に似つかわしくない口汚い言葉ではあるが、彼が口にすると不思議と強い説得力があった。

王としてのカリスマとでも言うのだろうか。戦争での生き死に貴賤を問うつもりはないが、彼が言うと本当はそうなのかもしれないと思わず納得しかけてしまう。

それほどまでに力強い言葉の魔力が彼の声音には込められていた。一切の魔術を使わず、何気なく言葉を漏らしているだけで洗脳染みた弁舌となる。

正に時代が生んだ怪物に相応しい力だ。

 

「あなたの企みももうお終いです」

 

「ああ、確かにそうかもしれない。だが、私が私である以上、諦める訳にはいかないのだよ。民衆がそれを望んでいる。全てを終わらせろと皆が願う。指導者とはそれを担う者なのだ」

 

男の姿が掻き消える。

直後、目の前で火花が散った。

男が抜刀した剣をマシュが盾で受け止めたのだ。

すかさず立香は後方に跳び、彼女が全力を出せるよう礼装の機能を発動する。

術式の援護を受けたマシュの連撃は、まるで星を生み出しているかのようだ。

立て続けに叩き込まれる大質量の塊を男は何とか剣でいなすものの、その動きは決して機敏とは言えない。

全くの素人という訳ではないのだろうが、立香の目から見ても分かるほど緩慢で動きに切れがない。

剣を振るう膂力ですらマシュにも劣るようだ。

 

「さすがに五つの特異点を乗り越えてきただけのことはある。我がエクスカリバーをこうも容易く打ち払うとは――――」

 

「エクスカリバー!?」

 

「マシュ、惑わされちゃダメだ! そいつが騎士王の聖剣を持っている訳がない!」

 

あれはアーサー王だけが持つ唯一無二の剣。

何かの間違いがあろうとも、この男が持つことは決して有り得ない。

 

「そう思うかねマスターくん? なら、これならばどうだ!?」

 

言うなり、男は剣を捨ててどこからともなく新たな武器を取り出した。

立香にも見覚えのある赤い槍。海獣の骨でできた刺々しい穂先。アルスターの英雄クー・フーリンが振るう因果逆転の魔槍ゲイ・ボルクだ。

 

「なっ!?」

 

「ふん!!」

 

繰り出されたのは凡庸の一撃。しかし、先ほどまでとはリーチが違い、咄嗟の防御が間に合わない。

何とか身を捩って回避を試みるが、それでも僅かに二の腕を削られてしまう。

 

「マシュ!」

 

腕をやられては盾を振るえない。

半ば反射的に立香は礼装に秘められた回復の術式を起動するが、直後にそれが無意味であると歯噛みする。

ゲイ・ボルクには回復阻害の呪いが込められているのだ。その穂先で傷つけられれば余程の幸運がなければ傷が癒えることはなく、自分の力ではどうすることもできないことを思い出す。

 

「……っ? 先輩、わたしは大丈夫です! 援護、感謝します!」

 

腕の違和感に気づいたマシュが、こちらを心配させまいと声を張り上げる。

どういう訳か、先ほどの礼装の効果は問題なく機能していた。ゲイ・ボルクによって傷つけられた二の腕は既に傷が塞がっており、盾を振るうには何の支障もないようだ。

 

「あれは……本物じゃないのか?」

 

それからも男は次々と武器を持ち換えながらマシュを攻め立てていく。

初撃必中の宝剣クロケアモース。

魔術殺しの魔槍ゲイ・ジャルグ。

竜殺しの魔剣バルムンク。

炎の神アグニが授けし弓アグニ・ガーンディーヴァ。

数多の英雄が持つ宝具を彼は湯水のように使い捨てていく。その中には神性や血筋などの資格を要する物も含まれていたが、彼はそんなこともお構いなしで剣を抜き、槍を振るい、矢を放つ。

型も何もない出鱈目な戦い方だが、次に何が出てくるのかわからない読みにくさがマシュを追い込んでいた。

 

「どうしたね? 仲間を呼んだらどうだい? ああ、聖杯爆弾の解体で忙しいのか」

 

自身の優勢を悟ってか、男は笑いながら手にしている槍を弄ぶ。

あれも名立たる宝具の一つなのだろう。いったいこの男は、どれだけの武器を隠し持っているのか。

そもそも、そのような逸話があの男にあったのだろうかと立香は訝しむ。

こんな時、カドックがいてくれれば頼まなくても解説してくれるのだが、それはできない相談だ。

彼は今、三百メートル地下で聖杯爆弾の解体に臨んでいる。

彼が安心して作業に集中できるように、自分達だけでこの男の相手をしなければならない。

 

「先輩、やはりあの槍も偽物です。彼が持つ宝具には一つとして本物はありません」

 

「然様。我が宝具に真作なし。生前はこういった物の収集に躍起になっていてね。それが第一宝具として昇華されたという訳だ」

 

古今東西の伝説に名を連ねる聖剣や魔剣。

怪しい呪具や不思議な力を秘めた石。

それら聖遺物を片っ端から集めたことで、この宝具は誕生した。

男はその第一宝具の名を『偉大なりし民族遺産』と呼んでいた。

 

「マシュ」

 

「大丈夫です。全てが偽物だと言うのなら、それは真作に劣るということ。真作への追従も理念の追求もない、ただの偽物には負けません」

 

真作を凌駕せんと迫る贋作ではなく、ただ偽物を揃えただけであるならば後れを取る事はないとマシュは息巻く。

確かに彼女の言う通りだ。武器は豊富に持っているが、この男はそれをまるで使いこなせていない。

トリッキーな戦い方こそ厄介だが、落ち着いて対処すれば自分達だけで充分に相手取れるはずだ。

 

「言うじゃないか、同じ偽物のくせに」

 

「わたしが……あなたと同じ?」

 

「いや、偽物というよりは人形かな。私も君も誰かに命じられてここにいる。君は人理を救うと息巻いているが、それは君が所属するカルデアの意思だろう。君自身から溢れ出てきた君の理念ではあるまい?」

 

「いいえ、わたしは自分の意思でここにいます。人理の礎を守ると、心に決めたからここにいます!」

 

「では、何故そんなにも怯えているのかね? 戦うことが怖いのだろう? 人を傷つけるのが嫌なのだろう? それなのに君はこの場にいる。自分の意思で選んだのなら、断ることもできたはずだ。さて、君は果たして断ることができたかな? この戦いから逃げることを、君は選ぶことができたかな?」

 

「それは……」

 

「マシュ、聞いちゃダメだ!」

 

男の揺さぶりに動揺するマシュを守らんと立香は声を張り上げる。

彼が言わんとしていることもわかる。

マシュは生まれてからずっとカルデアで過ごしてきた。

彼女にとってカルデアの理念が全てであり、それ以外の価値観を持たずに育ったのである。

人理を救うことも、そのために危険な戦いに身を投じることもマシュにとっては当たり前のこと。

だが、それはあくまでカルデアがそうするようにと命じたからでしかない。

確かに拒否権はあった。カドックとアナスタシアというもう一組のコンビがいる以上、必ずしもマシュが戦う必要はない。

なのに彼女は逃げなかった。否、逃げるという選択肢が思いつかなかった。

他者から与えられた価値観しか持たず、自分の意思を持たない傀儡。

借り物の正義。

マシュ・キリエライトをこの男はそう貶めんとしているのだ。

 

「お前とマシュが同じなものか! 人を助けたいと思う事の何が悪い!?」

 

「同じだとも! 私もそうだった。民衆に、大衆に導かれるまま指導者となり、祖国を牽引した。そう皆が望んだからだ。女性は弱い異性を支配するよりも強い異性に支配されたがる。同じように大衆は指導者を求めたのだよ。自らが国を動かすのではなく、自らを支配し導いてくれる指導者を!」

 

「そんな戯言――」

 

「君だってそうだろう? 本当はマスターなんて荷が重い。もう1人に全て投げ出したいと思っている! いや、思っているから君は彼を尊敬している振りをしているのだ! 強い者に従っていれば責任逃れも楽だからだ!」

 

「っ――たあぁっ!」

 

男の言葉に激昂したのは立香ではなくマシュであった。

弾けるように床を蹴ったマシュは回転の勢いを利用して男を殴り飛ばし、大きく肩で息をする。

 

「その言葉、取り消してください。先輩のことも、カドックさんのことも…………あなたがとやかく言う資格はない!」

 

「――初めて素顔を垣間見た気がしたよ、お嬢さん(フロイライン)。では、君のその麗しい憤怒に対して私も素顔を晒そう。十字軍を統率するために被っていたこの面は最早不要。これこそが私の本当の姿――――」

 

男の顔にヒビが入ったかと思うと、瞬く間に顔全体に広がって乾いた糊のように剥がれ落ちていく。

その下から現れたのは先ほどまでとは似ても似つかない、黒髪の中年の素顔であった。

 

「何故、このような姿を取っていたのか。何故、獅子心王などと名乗っていたのか。理由は単純、それが一番手っ取り早かったからだ。円卓の騎士と十字軍。我が宝具で支配下に置けるのはどちらか一方のみ。円卓に第二宝具を用いた以上、十字軍の兵力は私自身で手中に収めなければならなかった。そして、私自身が弁を振るうよりも、偉大な祖の言葉の方がよく浸透する。彼らの信仰心は実に素晴らしい。見たこともない兵器も残虐極まりない作戦を前にしても迷うことがない。大衆が無知である事は支配者にとって実に都合が良かった」

 

「十字軍の信仰心を利用したと……」

 

「敵を用意してやれば大衆はそちらに向く。後は煽るだけで良い。言葉で、張り紙で、ショービジネスで、人々を熱狂させるのだ。熱狂する大衆こそが御しやすい」

 

「やっぱり、教科書通りの人間なんだね」

 

「さて、自分でも自分のことがわからないのでね。生前はもう少し違っていたと思うが、結局はやるべきことは変わらない。民衆を、同胞を、国を導き全てを調停する。人々が願うのだ。全てを終わらせろと! 争い、屈辱、不平等から解放しろと! 故に私は宣言しよう。私こそが総統、この神聖第三帝国エルサレムの総統(フューラー)だ!」

 

第三帝国の総統。

自らをフューラーと名乗るこの男こそ、西暦における史上最大の戦争を引き起こした張本人。

欧州の一国家における弱小政党を率いる一介の政治家でしかなかったこの男は、やがては祖国をまとめ上げ、世界を二分する大戦を引き起こした。

恐らくは世界中の人間が彼を嫌悪し、憎悪している独裁者。

誰も知っていながら触れる事をタブーとされている矛盾した存在。

それこそがこの男の本質。それこそがこのフューラーだ。

 

『何だ……まさか……そんな……』

 

通信越しにロマニの声が聞こえる。

いったい何があったのか、彼の言葉は恐怖で震えていた。

目の前の事実がありえないと、壊れた機械のように何度も同じ言葉を繰り返している。

 

『ありえない。これは何かの間違いだ。そんなはずはないんだ。それだけは絶対にありえないんだ…………』

 

「ドクター、どうしたんだドクター!?」

 

『藤丸くん、マシュ、落ち着いて聞いて欲しい。今、彼の解析結果が出た。彼は間違いなくサーヴァントだ。クラスは……彼の霊基パターンは……ルーラーだ……』

 

近代以降の、それも世界最大の独裁者がルーラー。

それはいったい何を意味しているのか。

唯一人答えを知っているのは、目の前で能面のように張り付いた笑みを浮かべている男だけであった。




いよいよ黒幕の登場です。設定年齢19歳、蟹座のB型ッ(嘘)。
大方の予想の通りこのお方です。
ミスリードとかは特にしてませんでしたしね。
設定には一ひねりというか当方なりの解釈を入れてますが。
ちなみに実名と宝具のルビを出すつもりはありません。
フューラーで通します。
国名とか政党名もね。
マテリアルは話が終わってから出すとして、宝具だけは以下の通り。


『偉大なりし民族遺産』
ランク:E~A 種別:対人宝具 レンジ:- 最大捕捉:1個以上(一度に取り出せる数)
 第一宝具。生前に発足した公的研究機関。そこには世界中から掻き集めた武具・呪具・魔具・宝具・聖遺物の数々が保管されている。
 しかし、神秘が著しく失われた近代になってから収集したため、収められているのはオリジナルの廉価版や模造品、偽物である。
 そのため、本来の能力から劣化していたり効果自体が変わっている物、何の効果もないガラクタまでもが保管されている。
 偽物故に同名の遺物が複数保管されているため、破損しても即座に新しいものを取り出すことができる。所有権が移っていることもあり、仮想宝具としての真名解放も可能。
 ただし、保管している収集品は自身の手で取り出さねばならないため、一度に使用できる遺物は数個が限界。収集品自体を射出したりその場で保持したりすることもできない。
 

『彼方より来たれ我が大隊』
ランク:C 種別:対軍宝具 レンジ:1~99 最大捕捉:1000人
 第二宝具。フューラー自身が演説の中で口にした、遥か未来に現れ世界を支配する「最後の大隊」の逸話の具現化。
 形を持たない亡霊の集団を兵力として召喚する。亡霊の形は召喚の際に任意で決めることができ、吸血種や狼男などの化生、近未来の装備に身を包んだ軍隊、果ては神話に語られるエインヘリャルやワイルドハントの具現すら可能。
 これは最後の大隊の姿を誰一人として知らず、後世における様々な憶測や創作の逸話を取り込んだからである。
 副次的な効果として、「最後の大隊」という集団の概念を殻として被せる事で、その者達を「最後の大隊」として洗脳下に置くことも可能。
 「信仰の加護」や「精神汚染」などの精神操作を阻害するスキルがあれば判定次第で無効化できる。
 また特定集団に対する支配であるため相手が単独である場合、対象が複数でも単なる寄り合いでしかない場合にはこの効果は発動しない。
 逆境を覆すために現れる最後の戦力であり、それを以て勝利を得る逸話の具現であるため、この宝具は一度の召喚につき一度までしか真名解放を行えない。


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神聖第三帝国エルサレム 第14節

注意事項:作中、とある人物の評価や人物像について論じていますがあくまでエンターテイメントです。本SSに限る設定ですので生暖かく見守っていただけると幸いです。


崩れた瓦礫を掻き分けながら、アグラヴェインは地下へ地下へと潜っていた。

偽りの獅子心王の裁きを放っていた塔。地上部分は太陽王によって完膚なきまでに破壊し尽くされていたが、地下への入口は無事であった。

そして、深く潜るに連れて予感は実感へと変わっていく。

あの時、僅かに感じ取れた気配は正しかった。この奥には間違いなく、円卓の騎士がいる。

だが、同時に疑問が湧いてくる。この気配の持ち主がサーヴァントとして召喚されることはない。

生前に聖杯を手に入れたギャラハッドが通常の聖杯戦争に召喚されないように、この者もまたある理由からサーヴァントとして召喚されることはないはずなのである。

しかし、実際にここから彼の気配が伝わってくる。

今にも消え入りそうな弱々しい気配。しかし、決して消えてはならないという執念にも似た思いが伝わってくる。

 

「貴公は、その姿は……」

 

遂に辿り着いた地下牢には、痛ましい姿で鎖に繋がれた騎士の姿があった。

端正な顔立ちはやつれ、衰弱著しい。どうやって霊基を保っているのかが不思議でならないほど、彼は死に体であった。

それでも生きている。

何かの機械に繋がれた右腕を捩り、必死で拘束から抜け出そうと足掻いている。

 

「どうして貴公がここに……それに、その体は……」

 

拘束を外しながら、アグラヴェインは先ほどの問いを繰り返す。だが、目の前の騎士は応えない。そんな余裕などないとばかりに、歯を食いしばって自らの限界と戦っている。

 

「私を……どうか、カルデアの者達のもとへ……お願いします」

 

絞り出すように願いを述べ、騎士は再び沈黙した。

 

 

 

 

 

 

英霊はサーヴァントとして召喚される際、生前に持ち合わせた要素を抽出し、特定のクラスに当て嵌められる。

歴史に名を残すほどの聖剣や魔剣を所持していたり、優れた剣術を修めていればセイバー。

弓や銃、飛び道具に関する逸話を持っていればアーチャー。

魔術やそれに類する技術を身に付けていればキャスターなど、そのクラスは基本となる七騎、番外のエクストラクラスを含めれば非常に多岐に渡る。

その中で最も特殊なクラスがルーラー。裁定者のクラスだ。

ルーラーは通常、召喚することができない。これはルーラーが聖杯戦争の参加者ではなく、聖杯戦争そのものを監督するためのクラスだからだ。

聖杯戦争が特殊な形で行われたことで勝敗の行方が未知数の場合、或いは聖杯戦争によって世界そのものに歪みが生じかねない場合のみ、ルーラーは聖杯自身の手によって召喚される。

彼ら彼女らの役割は時に部外者を巻き込みかねない聖杯戦争を監視し、必要に応じて参加者に訓告やペナルティを与えることで聖杯戦争が破綻せぬようにすることである。

そして、もしも勝利者が世界の崩壊を招きかねない願いを叶えようとした場合、ルーラーは何があろうともその願いを許容せず、阻止せんとする。

それ故にルーラーとして召喚される英霊は「聖杯に望む願いがないこと」、「特定の勢力に加担しない公平性」を持つ者が選ばれる。

審判が独自の思惑で動けばゲームがゲームとして成立しないからだ。

だが、ここに1人例外がいる。否、いてしまった。

第三帝国のフューラー。

世界最大の独裁者にして悪魔の如き狂人。

文字通り世界を2つに引き裂いた二度目の大戦を呼び寄せた西暦の怪人。

獅子心王の名を騙り、中東の地を地獄へと変えたこの特異点の黒幕。

本来ならば最もルーラーとしての適性からは遠いはずのこの男が、どういう訳かルーラーとして目の前に現界しているのである。

 

「意外かね? ああ、もちろん私自身も驚いたものさ。だが、よくよく考えれば無理からぬことだと思い至ったよ。そもルーラーとは聖杯にかける願いを持たないもの。ならば私ほど私欲から縁遠い者もいない」

 

「どういう意味だ? お前は独裁者じゃないか! 世界を欲しいがままにするために戦争を仕掛けたんじゃないのか!?」

 

「そう、誰もが私をそう呼ぶ。二十世紀の最大の悪魔、狂える独裁者、時代錯誤にも世界征服を夢見た狂人とね。その通りだとも。そうあるべきと願われたからこそ私は実行した。その方法を選定し、計画し、実行した。後のことは君が学校で習った通りだよ」

 

生前の所業を、まるで他人事のようにフューラーは語る。

開き直るというのとはまた違う気がした。それが何でもない、ただ起床したらコーヒーを飲むというくらい当たり前のことなのだと言ってのける独裁者の顔は、まるで仮面か何かのように張り付いた笑みを浮かべていた。

どこまでも作り物めいた表情。先ほどまでと同じように雄弁に語り、目と口で感情を表現していたはずなのに、まるで人形か何かのようだ。

彼からは、自身の生前に対する誇りだとか後悔だとかの感情は一切、感じられなかった。

ただあるべきことを淡々と述べている。紙に書かれた記録を読み返しているだけに思えてならない。

その疑問に気づかれたのだろう。フューラーは意地悪そうな笑みと共に言葉を付け加える。

 

「私は時代によって……大衆によって生み出された」

 

「無辜の怪物」というスキルがある。

生前の所業によるイメージから過去や在り方を捻じ曲げられる能力であり、そのスキルを持つ者は本人の意思に関係なく、風評によって生前の真相を捻じ曲げられてしまう。

串刺し公は本物の吸血鬼に。

鮮血魔嬢は竜の娘に。

哀しみを生み出し続けた童話作家は主人公が受けた呪いを一身に受け。

ただの殺人鬼は素顔を隠した本物の怪人と化した。

誹謗中傷、あるいは流言飛語からくる、有名人が背負う呪いのようなもの。

フューラーもまたその例に漏れず、英霊としての在り方を歪められてしまっている。

奴は多くの人々を殺した虐殺者だ。血も涙もない化け物だ。誇大妄想に取り付かれたオカルティストだ。

戦争の敗者である彼に対してはあらゆる罵倒が正当化され、如何に歪曲されようとその方向が悪に貶める形であるのなら許容される。

そうして引き裂かれた彼の自我は、最早自分が生前からそうだったのか、英霊となったことで生前を歪められたのかすらわからなくなってしまったらしい。

 

「そもそも我が国は弱っていた。民衆は疲れ強いリーダーを欲していた。かつての強い祖国を取り戻して欲しいとね」

 

彼が台頭した時代、故国は戦争による多額の賠償金に苦しめられていた。経済は破綻し、国としての先行きが完全に暗礁に乗り上げていた時代だった。

国民の誰もが思っていた。あの戦争は間違いだった。例え負けるにしてもこんなにも苦しい思いを強いられるのはおかしいと。

そんな中で頭角を現したのがフューラーだ。彼は巧みに民衆の敵を作り出し、彼らが望む政策を打ち立てた。

民が望む強い国を作り出す、強い指導者を演じて見せた。

 

「生前の私には人並みに野心だとか愛国心だとかがあったのかもしれない。だが、英霊という身の上になってそれはわからなくなってしまった。今の私に聞こえるのは嘆きだけだ。我が国に住まう人々の嘆きをね。戦争への厭世感、インフレに苦しむ経済、やり場のない怒り、現政権への不満。負の感情はやがて一つの答えに辿り着く。こんな苦しい思いをいつまで続けなければならないのかと。こんな苦しい思いなんてしたくない、終わって欲しいと。だから、私は導いたのだ。何度思い返そうと思い浮かぶのは、大衆に望まれたから私は彼らを導いたという実感しかない」

 

「何を言っているんだ、お前は……何が言いたいんだ、いったい?」

 

「私には個がないのだよ。人格の話ではない。人生を生きる意味で私は私自身に指針を求めない。常に他者が望む者に、望む結果を追求する。犬を可愛がりたいなら保護しよう。豊かな生活が欲しければ大衆車と道路を。ご機嫌取りと呼べばそれまでだが、私にはそれしかなかった。それをしないという拒否権が私にはない。私は水、私は砂。大衆が与えたもう器に収まる奴隷、国民の願いを叶える舞台装置でしかない」

 

「なら、どうして魔術王に加担した!? 人理焼却なんて誰も望んでいないはずだ!」

 

「聞いたのだよ、この時代の嘆きを。私は太陽王に追い払われた十字軍の残党に召喚された。その時に聞いたのだ。幾度となく脅かされる聖地。宗教的対立と戦争。決して肥沃とはいえない痩せた土地。遥か故郷を離れた大遠征への疲れと遥か彼方より現れる白人達に脅かされる中東の民。口では聖地奪還を謡いつつもここに住まう人々は誰もが終わりを望んでいた。楽になりたいと願っていた。何もかもなくなってしまえと。人の願いの行きつく先はそこなのだ。君はエントロピーの法則は知っているかな? 水は上から下に落ち、熱はどんどん下がっていく。人の思いも同じものだ。どれほど文明が発達しても人は生きることの苦痛から目を逸らす。やがて大衆は終わりの中に救いを見出すのだ。トーデストリープ。死の本能と言ってもいい。人が人である限り逃れられぬ因業であり、私が唯一従うものだ。私の原動力、魂の指針。私なりの最大多数の最大幸福だ。私は滅びに向かう人の意思こそ尊ぶ。もう終わってしまいたいと願う無知で厚顔な大衆こそ救わんと動くのだ」

 

それこそが、この男が人理焼却に加担した理由であった。

人間ならば大なり小なり抱いている生きることへの絶望。それを肯定し、最悪の方法で救わんとするのがこの狂ったルーラーなのだ。

自身が聖杯にかける願いはない。望むのは皆が願う死。生の苦痛からの救いある死。個人でなく、国家でなく、集合的な無意識とでもいうべきものの願いを叶える舞台装置。この世界そのものへの狂った献身。

ただそれだけのために動くこの男には、それ以外の自己の欲求と呼べるものが何一つとして存在しないのだ。

だから、彼は聖杯にかける願いはないと言い切った。その願いは自分のものではなく、この世に生きる全ての人々の願いだからだ。

この世全ての死の総身とも言うべき存在へと、フューラーは成り果てていた。

 

『我欲によらない救済を成すからルーラークラスを得たなんてこじ付けも良いところだ。きっと人理が不安定になっているから召喚の際に何らかのイレギュラーが起きたんだ』

 

ロマニが言うように、この男がルーラーとして召喚されたのは本当に何かの間違いなのだろう。

だが、どのようなイレギュラーであっても人理焼却を企て加担している事実に変わりはない。

そして、この男は今までの黒幕よりもぶっちぎりで危険な思想の持ち主だ。その発端を自己の内ではなく他者の絶望に見出しているから質が悪い。

彼は人に求められれば喜んで善行を成す。その延長線上で人を殺すのだ。

生きる事への疲れ、諦観、誰もが抱く絶望。一人一人が持つには小さな感情であっても、遍く人々が持つ普遍的な思い。

決してなくなることのないその願いがある限り、この男の暴走は止まらない。

 

「マシュ」

 

「はい、先輩」

 

「改めて言うのもおかしいけど…………力を貸して欲しい。こいつにだけは、俺達は負けちゃいけない」

 

立香は実感する。

この男は自分達に対するアンチテーゼだ。

生きたいと願う自分達に対するカウンターだ。

だから、何があっても負ける訳にはいかない。

 

「はい、マスター! わたし達は負けません!」

 

再び戦闘が開始される。

先ほどよりも果敢に攻め立てるマシュの連撃を、やはりフューラーは虚空から取り出した幾つもの宝具の偽物で迎え撃つ。

裂ぱくの踏み込みがダインスレイフという魔剣によって相殺され、距離を取ったかと思えばイチイバルという弓を取り出して距離を詰めんとしたマシュをけん制。

動きそのものは緩慢な癖に、フューラーは的確に武器を採択してマシュの動きを封殺する。

 

「そうやってマスターの指示に黙って従うのかい? その震える手で、恐怖を抱えたままで戦えるとも?」

 

「っ……!」

 

「君には拒否権がない。カルデアの理念、マスターの指示、それらに反証すべき言葉を君は持たない。与えられた役割をこなすだけの人形。実に同じだとは思わないかね、私と?」

 

「一緒に……しないでください!」

 

フューラーの言葉に対してマシュは強い忌避感を覚えずにはいられなかった。

その言葉はまるで水のように、砂のように心の奥底へと沈み込んでいく。

例え頭では違うと否定できていても、感情がそれに靡いてしまいそうになる。

だから、マシュは呑まれぬよう自身を戒めながら盾を振るう。

そうして奥歯を噛み締めるマシュにフューラーはより苛烈な攻めを繰り出した。

距離を取れば弓や投石を、近づけば槍、隙を見せれば斧や鉄槌。

次々と武器を持ち替える様はまるで手品のようだ。

だが、手品というものは何度も見せられれば種が割れるもの。

戦い方を見ていると、フューラーが一度に取り出せる武器は1つか2つが限界のようだ。

武器を予め準備しておくということはできない。必ず虚空から取り出すという動作を挟んでいる。

付け入る隙はそこだ。この旅の中で何度も窮地を救ってくれた必勝パターン。

令呪による空間転移で隙を突く。

 

「令呪を持って命じる! マシュ、跳ぶんだ!」

 

右手の一画が消えると共にマシュの姿が掻き消える。

驚愕したフューラーは手にしていた双剣を捨てると、新たに盾を取り出して周囲を警戒した。

どこから現れるかわからないので守りを固める腹積もりなのだろう。

その判断は正しい。

視界の利かない背後や頭上に注意を向けるのも正しい。

だからこそ、大きな隙が生まれてしまう。

盾を構えて防御を固めた前方に対して、最も警戒を疎かにしてしまっている。

 

「はあぁぁっ!!」

 

フューラーの真正面に実体化したマシュが、踏み込みと共にフューラーの盾をかち上げる。

驚愕に顔を歪ませるフューラー。がら空きの胴体を守るものはなく、今から新しい武器を取り出しても間に合わない。

その無防備などてっ腹に一撃を叩き込めば、こちらの勝利だ。

その確信から思わず立香は拳を握る。

だが、直後に彼が目撃したのは、フューラーが新しく取り出した槍からの砲撃を諸に受けて吹き飛ぶマシュの姿だった。

 

「マシュ!?」

 

ボールのように地面を跳ねながらマシュは壁に激突する。

直接的な攻撃ではなく限定的な真名解放。彼女が咄嗟に腕を交差させなければ防御を突き抜け、胴を貫通していたかもしれない。

いったい、何があったのだろうか。確かにマシュはフューラーを後一歩のところまで追いつめていた。

盾をかち上げ、隙だらけの胴体を殴るだけで良かったのに、マシュはまるで石になってしまったかのように動けなかった。

 

「まさか――っ!?」

 

「ご名答。これはアイギスの盾だ」

 

ギリシャの大英雄ペルセウスが持つ、メドゥーサの首を張り付けた盾。

元は鏡のように磨かれただけの盾は、これによりメドゥーサが持っていた石化の魔眼の力を有するようになり、その後のペルセウスの冒険で大いに助けになったとカドックは言っていた。

フューラーが持つそれはやはり偽物。本物には大きく力で劣り、精々が相手の体を僅かに麻痺させる程度の効果しかない。

だが、一瞬の隙が生死を分かつサーヴァント戦においてはその僅かな硬直が命取りになる。

特にこのフューラーという男、「無辜の怪物」の影響もあるのだろうが、良くも悪くも戦い方に誇りがない。

偽物とはいえ聖剣や魔剣の名を冠した武器を躊躇なく使い潰し、こういった搦め手も使ってくる。

一対一だからこそ能力の相性でほぼ互角の戦いを演じているが、もしも円卓の騎士と一緒に戦われていたらこちらに仲間がいたとしても勝利は難しかったであろう。

 

「ふむ、麻痺毒はさほど利かぬか。他の者ならもうしばらくは動けないのだがね」

 

マシュが咄嗟に防御を成功させていたことに気づき、フューラーは怪訝そうに首を傾げる。

瞬間、立香の体を電流にも似た戦慄が走った。いつの間にかアイギスの盾をこちらに向けられていたのだ。

 

「なるほど、君もか。どうやら君達に毒は通じないと見た。オリジナルの石化ならこうはならないのだろうがね」

 

もう使い物にならないと首を振りながら、フューラーは盾をしまい込んで新たな武器を取り出した。

今度は槍だ。何の宝具の偽物なのかはわからないが、あれも一筋縄ではいかない力を秘めているのだろう。

 

「槍よりも鈍器の方が使い慣れているのだがね。これもまた大衆のイメージだ。無意識にこれを選んでしまう」

 

次はどう出てくるのか。立香は油断なく歩を進めてマシュと合流する。

先ほどのような搦め手を使われた際に備え、残る一画の令呪は温存しておかなければならない。

単純な殴り合いならばマシュは決してこの男に遅れは取らない。

一撃さえ叩き込むことができればいい。その隙を何とか作り出せれば、勝利はこちらのものだ。

そう思った瞬間、不意に足下の床が大きく揺れ始めた。

 

「なっ、何だ!?」

 

『地下から物凄い魔力反応だ。これは聖杯か? 馬鹿な、ダ・ヴィンチちゃんは!?』

 

『くそっ、何てことだ! 通信を妨害された!!』

 

通信越しにロマニの悲鳴とダ・ヴィンチの悪態が聞こえてくる。

ダ・ヴィンチはカドックに協力して聖杯爆弾の解体を行っていたはずだ。

彼は通信を妨害されたと言っていた。そして、この足下の揺れと強い魔力反応。

まさか、聖杯爆弾が起動したとでもいうのか?

 

「そのまさかだ。君達は何故、私がマスターを狙わなかったのか疑問に思わなかったのかね? 先ほどの盾のようにチャンスはいくらでもあった。なのにそうしなかった。待っていたのだよ、君達のお仲間が聖杯爆弾に仕掛けられた罠にかかるのを。彼らは自ら起爆スイッチを押してしまったのだ。そうなるように偽装しておいた。悪辣で、卑劣で、実にらしいだろう? 後5分もすればドカンだ」

 

マスター殺しのチャンスはいくらでもあったのに、敢えてそれをしなかったのは聖杯爆弾の起動を待っていたから。

ただ殺すのではなく、目的を果たすでなく、最も絶望の深い敗北を刻むために敢えてそのように動いたとフューラーは悪辣に笑う。

正に外道の為せる所業。グランドオーダーという偉業に誰よりも賭けているカドックの手で最後の引き金を引かせるところに彼の醜悪さが凝縮されている。

 

「逃げてくれても構わんよ。その時点で人理の修復は不可能になるがね」

 

そして、そう易々と逃がしもしないとフューラーは槍を構えてマシュに襲い掛かる。

確かに、この男に背を向けるのは危険だ。それにまだ自分達が敗北したわけではない。

立香は知っている。

カドック・ゼムルプスはこと諦めないことに関して他の追随を許さない。

彼ならば最後の一秒まで諦めずに打開策を見つけてくれるはずだ。

自分にできることは彼を信じてこの場に踏みとどまる事。

必ずやフューラーを打倒し、この特異点の修正を成す事だ。

 

 

 

 

 

 

時間は少しだけ遡る。

作業を始めてどれくらい経ったのかはわからない。ただ、額から滴る汗は石を敷き詰められた床の上にいくつもの染みを作り出していた。

片手だけの作業に難儀しながらもカドックは何とか聖杯爆弾の解体に成功しつつあった。

既に床には取り外された部品が散乱しており、爆弾を構成している機械の幾つかはランプの明滅が消えている。

時空を隔てたカルデアから、決して解像度もよくない映像を見ながらダ・ヴィンチはよくぞその構造を読み取れるものだとカドックは感心していた。

同時に、自分という凡人と天才との差をまたしても強く痛感し、複雑な胸中であった。

 

『よし、そこの赤いコードを切れば完了だ。後は聖杯を起爆装置から外すだけだね』

 

「本当に大丈夫だろうな?」

 

『万能の天才を信じたまえ、もしも外れなら――――』

 

言い終わる前にハサミで赤いコードを切断する。

調子に乗らせるつもりも変な冗談を言わせるつもりもなかった。

 

『あー、君って奴は――』

 

「万能の天才なんだろう。これで――――」

 

カチリと、頭上で何かが噛み合うかのような音が聞こえた。

続けて聞こえる電子音。一定の間隔で何かを刻むように聞こえてくるその音は、今この瞬間は何よりも不吉な死神からの葬送曲だった。

 

「カドック……動いている。タイマーが……動いています……」

 

後ろにいたアナスタシアが、頭上を指差しながら声を震わせる。

恐る恐る見上げると、先ほどまで沈黙していた巨大な電光掲示板が明滅を繰り返していた。

瞬きと共に数字が減っていき、一番右端の二桁がゼロになると真ん中の二桁が一つ減る。

不吉な黄色い明滅は、後5分足らずで聖杯爆弾が起爆することを物語っていた。

 

『馬鹿な、この私が欺かれたのか!? いや……最初からそうなる仕組みだったのか。解体そのものがタイマーのスイッチを入れるように設計していたなんて、何て悪辣な!』

 

「レオナルド!?」

 

『カドックくん、すぐに聖杯を取り外すんだ。間に合わないかもしれないがそれしかない。手順は――』

 

そこでダ・ヴィンチの言葉が途切れる。こちらから呼びかけ直しても返事はなく、カルデアの他の面々や立香との連絡すらつかない。

タイマーが起動すれば通信を妨害する仕掛けが聖杯爆弾には組み込まれていたとでも言うのだろうか。

 

「カドック、すぐに聖杯を――」

 

「駄目だ、聖杯はまだ起爆装置と繋がっている。手順を間違えれば、爆発する」

 

加えて聖杯は無数のコードで機械と繋がっている。正しい手順を知っていたとしても、それを全て外すにはとても5分では足りない。

これが偽りの獅子心王――あの悍ましい独裁者の狙いだったのだ。

希望を与えて絶望の淵に落とす。何と悪辣で卑劣な外道か。

きっと今頃、奴は自分の企みがうまくいって笑い転げていることだろう。

 

「ねえ、いっそ爆弾ごと氷漬けにするとかどうかしら? そうすれば爆発しないんじゃない?」

 

「普通の爆弾ならそれでいい。けど、聖杯の容量は桁違いだ。全て凍らせることはできない」

 

少しでも凍結を免れた魔力が残っていれば、聖杯爆弾は爆発してしまう。

残る一画の令呪とカドック・ゼムルプスの魂そのものを魔力に替えてもそれは敵わないだろう。

ならばどうする?

逃げても無駄だ。聖杯爆弾の爆発は人理そのものに穴を空ける。

どこに逃げても意味はなく、仮にカルデアに帰還してもこの時代が消失したことで人理修復は不可能になる。

人類史を救うためには、何としてでもここで聖杯爆弾を無力化しなければならない。

 

(どうする? こんな時、ヴォーダイムならどうする? ペペは? オフェリアは? あいつらなら――――)

 

追い詰められた時、他の人間ならばどのように対処するのかという疑問は愚問かもしれない。

何故なら、凡人である自分に出来ることは限られている。彼らのような鮮やかな手腕を自分は持たない。

星のように輝く栄光など、自分には縁遠い代物だ。

それでも諦めることはできない。

今、こうしている間にも立香とマシュは戦っている。

2人が諦めていないのならば、自分とアナスタシアも諦める訳にはいかない。

まだ何か打つ手はあるはずだ。凡人である自分達にしかできない、とびっきりの奥の手がどこかに残されているはずだ。

考えるのだ。

手持ちのカードは令呪が一画。

凡人マスター1人と細やかな礼装。

最愛のサーヴァントが一騎。その能力は――――。

 

「アナスタシア、君は電気信号を視ることはできるか?」

 

「えっと、この線の中を走る光のことよね? 集中すれば視れますけど……」

 

魔力の流れすら感知するのだ。それくらいは造作もないことだろう。

ならばやるべきことは決まった。残さされた手段はそれしかないと、カドックは覚悟を決める。

諦めるしかない。どんなに努力しても、自分では天才達のように綺麗には振る舞えない。

ならば凡人らしく、地べたを這ってでもできることをするしかない。

ほんの僅かな、ゼロにも等しい可能性に賭けるしかない。

 

「アナスタシア、君の眼を僕に繋げて欲しい」

 

それは、人間にとって死刑宣告にも等しい決断であった。

 

「何を言っているの……正気なの?」

 

「ああ。君の魔眼で爆弾を無力化する」

 

手順はこうだ。

わざと聖杯爆弾を起爆させ、起爆装置から信管に至るまでの電気信号を見極めて彼女の「シュヴィブジック」でその流れを凍結させる。

彼女のスキルは因果律にすら作用するため、信号が信管に到達しても時間を遡って爆弾を無力化することが可能なはずだ。

起爆装置そのものを無力化することも考えたが、「シュヴィブジック」はごく簡単なことでなければ効果を発揮しない。

機械を狂わせるなどという芸当は不可能だろう。

無論、爆弾の知識が皆無のアナスタシアではどの線が正解なのかはわからないので、それを代わりに自分が成す。自分の知識も付け焼刃だが、それでも彼女に比べれば遥かにマシだろう

そして、サーヴァントも使い魔である以上、通常の使い魔と同じように視界を共有することは可能なはずだ。

 

「確かにそれならば爆弾を無力化することも可能です。けれど、サーヴァントはネズミや小鳥とは違うの。回路を繋げばあなたはきっと、私が視ているものに押し潰される」

 

彼女が言う通り、サーヴァントが持つ情報量は人間が耐えられる代物ではない。

それは十字軍が使役していたサーヴァントもどきの毒の化け物がいい例だ。静謐のハサンの力を取り込んだことで彼らはその命を大幅に縮め自滅していった。

例え一瞬だけだったとしても、サーヴァントとの視界共有などしようものならどんなフィードバックが起こるかわからない。

最悪の場合、その瞬間に死んでしまう恐れすらある。

 

「他にもあります。正解の線がわからなければ? あなたの指示が間に合わなかったら? 仮にうまくいっても爆弾が爆発した後にも私が生きていることが前提なの。そうでなければ爆弾を無力化できません」

 

「欠片でも意識が残っていれば時間を遡れるはずだ」

 

起爆装置が作動してから爆弾が爆発するまで一秒とかからないだろう。

その刹那の時間に間に合わなければ全てが無駄になる。自らの手で人理にとどめを刺すことになってしまう。

それでも、カドックにはこの手段しか残されていなかった。

天才達に追いつくために、才能の差を埋めるために多くのことを為してきた。

寝食を惜しんで努力を重ね、創意工夫を凝らした。その上でまだ届かぬというのなら、後は命を賭けるしかない。

だが、これは自暴自棄になったからではない。必ず成功させるという確固たる意志を秘めた決断だ。

この最大の窮地を乗り越え、必ずや自分達は次なる特異点へと向かう。

まだ見ぬ終局へ、魔術王が待つ最果てへ至るために。

今日まで自分とアナスタシアは2人でグランドオーダーを駆け抜けてきた。お互いの呼吸すら掴み合えている今の自分達なら、刹那の一瞬に指示を下す事自体は可能だろう。

後はアナスタシアのスキルの発動が間に合うか否か、全てはそこにかかっている。

 

「お願いだ、アナスタシア。僕に証明させて欲しい。僕にもできると……いや、これは僕達にしかできないことだ。でなければ、みんな死んでしまう!」

 

立香もマシュも、聖都の内外で戦うハサンや藤太達、山の村や砂漠に住まう者達。

この特異点で出会った全ての人々が消えてしまう。

この過酷な環境で、それでも明日を信じて生き続けた人々の人生が無為なものになってしまう。

それだけは何としてでも防がねばならない。

例え遠い未来でこの決断を後悔することになったとしても、今、目の前の選択から逃げる訳にはいかないのだ。

 

「約束をして」

 

瞼を閉じ、そっと手が差し出される。

陶器のように冷たく滑らかな指先。握り返すと雪のように冷たく、マッチの炎のように暖かい。

その温もりが彼女の求める全てであり、答えであった。

 

「最期の時は、どうか手を握っていて。掴んだ手を、離さないで……私の目の届く所に居て。私の声を聞いたら、いつでも返事をして。私はもう……失いたくないの」

 

「ああ、もちろんだ。君の側にいる。必ず君に言葉を返す。ずっと僕の側にいろ、アナスタシア」

 

握り合う手の甲に鋭い痛みが走り、最後の一画の令呪が消失した。

それはまるで、神前に誓いを立てるかのように厳かな儀式であった。

これで自分と彼女の眼は繋がった。

アナスタシアの瞼が開かれた時、きっと世界は一変するだろう。

せめて最期の一瞬までこの手の温もりだけは感じていたいと切に願う。

 

「準備はいい、マスター(カドック)?」

 

「ああ、やってくれ、キャスター(アナスタシア)

 

こちらの返答に彼女は一度だけ頷き、静かに瞼を開く。

それは、カドックにとって、人生で最も長い一秒間であった。




無辜の怪物:EX
 生前の行いからのイメージによって、後に過去や在り方を捻じ曲げられ能力・姿が変貌してしまった怪物。
 本人の意思に関係なく、風評によって真相を捻じ曲げられたものの深度を指す。このスキルを外すことは出来ない。
 史実・創作のイメージから容貌が暗く陰気なものとなっており、本人曰く生前はもう少し健康的な肌をしていたと思うとのこと。
 現在においても彼に触れることはタブーとされており、例え正当な政策や戦果であったとしても称えられることは否とされ、 過剰に貶められたことでイメージに侵食され、本人ですら自己を失いつつある。
 そのため、現界した彼は生前以上に他者がそうであろうと思い描く人物像に忠実に従っている。

精神異常:A
 精神を病んでいる。
 通常のバーサーカーに付加された狂化ではない。
 他人の痛みを感じず、周囲の空気を読めなくなっている。
 精神的なスーパーアーマー能力。
 彼自身には真っ当な人間性があり、善行も悪行も人並みに行う。しかし、その本質は水や砂と表現できるほどの我欲の希薄さにある。
 彼は与えられた役割、求められた役割を完璧以上に演じ切ってしまう。そして、求められた以上の成果を以てその者に悲劇をもたらすのである。
 他人が、民草が、大衆が望むのならそれを成そう。例えそのために大衆の全てを犠牲にしたとしてもやり遂げよう。
 彼の行動はより大きな願望。即ち集合的無意識に左右されるのだが、無辜の怪物スキルによる影響でマイナスの方面に思考が傾いている。
 思考の固定という意味ではEXクラスの狂化に近いが、彼自身は必要に応じてその狂気を出し入れするサイコパスと化しているため余計に質が悪い。


というわけでフューラーのスキルを2つ公開。
はい、抑止力に真正面から喧嘩を売る内容です。人理焼却なんてイレギュラーがなければルーラーにはなれず、別クラスで召喚されれば即ルーラーが呼ばれる案件となります。
形はどうあれ民主主義によって生まれた指導者という部分を膨らませて反転させてみました。こんな人物だと生前は本当に自殺だったのか疑問が残りますよねぇ。アラヤさんが仕事したんじゃありません?




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神聖第三帝国エルサレム 第15節

その時、第六特異点で戦う全ての英霊達はその異変を感じ取っていた。

聖都外縁部で十字軍残党を相手取っていた藤太と三蔵は、不意に胸騒ぎを感じて聖都を見やった。

孤狼の如き誇り高き少年が如何なる決断を下したのか。それを知る術がなくとも彼の身に何かが起きたことを察した。

救い出した同胞と共に偽りの獅子心王のもとを目指すアグラヴェインは、かつての仲間にして憎み合う間柄であるランスロットの(息子)の無事を願っていた。

例え仇敵の子であろうとも、騎士の礼を以て託されたのならそれに応えなければならない。それができなければ、それこそ憎きランスロットと同じ畜生に堕ちてしまう。

市街で横たわる呪腕のハサンは全てを受け入れていた。勝つにしろ負けるにしろ自分はここで終わる。結末自体には興味はない。

ただ、叶うならばこの地の民と異邦のマスターにとって救いのある結末であって欲しいと願いながら静かに瞼を閉じようとしていた。

聖都を目指すオジマンディアスとニトクリスは、自分達が間に合わなかったことに焦りを抱いていた。

偽りの獅子心王との宝具の撃ち合いはオジマンディアスにも少なくない傷を与えており、出立に時間がかかってしまったのだ。

傷を押して出陣していれば、こんな事態にはならなかったと歯噛みするしかなかった。

騎士王と初代の翁は、それぞれが聖都を見下ろせる高台から事の行く末を見守っていた。

この戦いは既にカルデアのもの。自分達のような人の理から外れた者が関わるべきではない。

例えどのような結末に陥ったとしても、それを見届ける覚悟はできていた。

聖都の中心部で打ち合うマシュとフューラーは、それぞれの勝利を信じて得物を振るっていた。

人類史の歩み。昨日から続く今日が、明日へと続いていくために。自分を信じてここまで一緒に戦ってくれたマスターの未来を守るために、負けられないとマシュは猛る。

人類史の歩み。昨日で終わらなかった今日が、明日へと続かないために。顔も知らない誰かの嘆きを終わらせんと、悪評に塗り潰された男は猛る。

そして、太陽が中天へと差し掛かった正にその時、運命の時間が訪れた。

 

 

 

 

 

 

不意にフューラーの顔が驚愕で歪む。

ここまで超然と槍を振るい続けてきた男に初めてできた大きな隙。

それを逃すまいとマシュは床を蹴り、大振りの一撃を無防備な独裁者に叩き込んだ。

すぐさま気づいたフューラーは槍を構え直すが襲い。既に懐へと入られた少女の一撃を躱す術はなく、両の腕を犠牲にして耐えることしかできなかった。

 

「馬鹿な……できるはずがない……」

 

吹っ飛ばされ、痛みで顔を歪めながらフューラーは呟く。

今、ここで起きている出来事が心底から信じられないと唇を震わせる。

足下の揺れは治まっていた。

聖杯爆弾が起動して5分。本来ならばとっくに爆発していてもおかしくない時間が訪れても、人理定礎はおろかこの建物自体にも何ら変化は起きていなかった。

それは、カドック・ゼムルプスがフューラーの企みに打ち勝った瞬間であった。

藤丸立香とマシュ・キリエライトが、こうして今も生きていることが彼の勝利の証明であった。

 

「如何なる技術者や魔術師でもあの爆弾の物理的な解体は不可能なのだ! ましてや、あの少年は凡庸などこにでもいるただの魔術師! なのに何故!?」

 

確信していた絶対的な勝利が揺らいでしまったからなのだろう。フューラーは現状が理解できないとばかりに槍を振り回し、壁や床を無茶苦茶に傷つけていく。

彼がどんなに悪辣で周到な罠を仕掛けていたのかはわからないが、あそこまで取り乱すということは余程、自信があったのだろう。

それをカドックは見事に破って見せた。後輩としてこんなに誇らしいことはないと立香は思う。

マシュもまた同じ気持ちだったのだろう。盾を構え、動揺するフューラーに向けて鋭い一言を言ってのける。

 

「カドックさんは憶病ですが、最後まで責任は果たす人です! あなたの野望、今ここに潰えました!」

 

「ぬぅっ!」

 

憤怒の表情で取り出した2本の槍が爆ぜ、フューラーの姿が見えなくなる。

目くらましではない、単なる八つ当たりだ。彼は手当たり次第に宝具を取り出しては無秩序に投げ放ち、自分の周囲を悪戯に傷つけていく。

それらはマシュの盾を傷つけることすら至らない。炎、雷、毒の風、様々な破壊が呼び起こされるが彼女の守りが揺らぐことはなかった。

 

「畜生め! 半年だ! 半年もかけたのだ! その計画がご破算だと!? こんな吹けば飛ぶような藁の家に! 我が悲願敗れるというか!?」

 

先ほどまでの悠然とした佇まいは最早ない。傷ついた腕から血が迸るのも構わずに、ヒステリックに喚き散らす様は痛ましさすらあった。

その慟哭すらもやがては断続的に起こる宝具の爆発音によってかき消されていき、フューラーの姿が煙の向こうへと消えていく。

直後、立香の背筋に悪寒が走った。

 

「マスター、伏せてください!」

 

立香が動くのと、マシュが叫んだのはほぼ同時であった。

半ば無意識に、受け身も何も考えずに我が身を堅い石の床へと叩きつける。

その一瞬後に、自分のもとまで後退したマシュが盾を振るって飛来した2本の刃を叩き落した。

見覚えのある二振りの中華刀。陰陽に分かれた夫婦剣の名は干将・莫耶。

中国の故事にて語られる名刀であり、互いが互いを引き合う磁石のような性質を持つ宝具だ。

この偽りの干将・莫耶も同じような性質を持っていたのだろう。フューラーは贋作宝具の爆発を隠れ蓑にしてこの二振りを投擲し、視界と耳が塞がれた自分の命を奪わんとしたのである。

先ほどまでの癇癪はそれを悟らせぬようにするための演技だったのだ。

もし、自分がこの宝具の特性について知らなければ。マシュの反応が少しでも遅れていれば、今頃、自分の首は胴体に別れを告げていたことだろう。

 

「ほう、その剣を知っていたか。カルデアに鍛冶師の英霊が召喚されているとは思わなかった」

 

策が破られたことでもう演ずる必要はないとばかりに、フューラーは冷静さを取り戻してこちらを見やる。

どこまでも誇りのない闘争。自らの敗北、劣勢すらも策に組み込み次の一手を振るう合理性。

やはりこの男、侮りがたい。

隙を見せればまた、さっきのようにマスター殺しを狙ってくるはずだ。

 

「認めよう。我が偽りの宝具では君の盾は砕けない。君の守りを抜くことはできないだろう。所詮は偽物。本物には敵わぬということか」

 

そう嘯きつつもフューラーは余裕を崩さない。

既に配下の十字軍も円卓の騎士もなく、聖杯爆弾すら無力化された。

誰の目から見てもこの男は劣勢であり、勝利の要素は限りなくゼロに近いはずだ。

だが、それでも彼はまだ自らに敗北はないと笑ってみせる。

ここで自分達を倒し、地下にいるカドック達も蹴散らし、再び聖杯爆弾に火を点けようと宣告するのだ。

 

「まだ戦うというのですか、フューラー!」

 

「ああ、もちろんだ。大衆が願う以上、私は諦めぬ。君達を打倒し、今度は私自身の手で聖杯爆弾を起爆しよう。そのために――君の防御がどれほど強固でも意味を成さない攻撃を実行しよう!」

 

言うなり、フューラーは手にした槍を自らの腹部へと突き立てた。

唖然とするこちらを尻目に、フューラーは苦悶の表情を浮かべながら突き立てた槍を抉り、零れ落ちた血で床を汚す。

いったい、何をしようというのか。相手の出方がまるで読めず、立香もマシュも不用意に動くことができなかった。

 

「お前、いったい何を……!?」

 

「ふふっ……この槍はかつて、救世主に死をもたらした聖槍の模造品だ。原典ならば癒しと呪いという二つの属性を持つのだが、偽りたる我が宝具では儀式的な礼装に過ぎない。だが、呪いを解き放つにはこれで十分。重要なのは真贋ではなく儀式の段取りだ」

 

『何だ……フューラーの魔力がどんどん高まっていくぞ。それにこの反応は…………まずいぞ、彼は魔神柱を呼び出すつもりだ!』

 

「魔神柱だって? でも、彼は聖杯を持っていないはず!?」

 

「例え持っていなくとも所有権はまだ私にある! その縁と無数の我が偽りの宝具に秘められた魔力を贄に私は魔神柱へと顕現する! 何、所詮は魔術王の真似事。聖杯なくしては数分も保たぬ成り損ないにしかなれぬが、カルデアのマスターを殺すには十分な力だ!」

 

見る見る内にフューラーの体は崩れていき、巨大な肉の柱へと転じていく。

次々と開かれていく肉の瞼。直視するだけで正気を奪われかねない醜悪な姿がこの世に生れ落ちる。

彼の狙いは焼却式だ。魔神柱が共通して持つ強大な魔力の解放。空間そのものに火を点ける魔の視線はマシュの盾を傷つけることはできなくとも、その後ろにいるマシュと自分を殺すには十分過ぎる熱量を秘めている。

もしも放たれればこの広場はおろか、建物全体が吹き飛ぶことになるだろう。

そうなる前に核となるフューラーを引きずり出さねばならないが、名もなき魔神柱を中心に吹き荒れる魔力の風が邪魔をしてマシュは近づくことができなかった。

いや、仮に近づけたとしても魔神柱の再生力を突破する術をマシュは持たない。

彼女の本質は守る力。共に戦う仲間がいて初めて真価を発揮するのだ。

魔神柱への変転を許してしまった時点で、こちらの敗北は必定となってしまったのだ。

 

「この時代と共に燃え尽きるがいい、カルデアのマスター!!」

 

異形の眼の焦点が重なる。凝視された空間の魔力が歪み、見えない火花が電流のように駆け巡る。

逃亡は間に合わないと立香は悟る。

あの炎は今までに相対してきたどの魔神柱のものよりも強力だ。

名もなき成り損ないの異形。されど、人類の死の総体ともいうべき執念の凝視。正しくこの世全ての死の総身(アンリ・マユ)

人類が人類である限り捨て去ることができない生への絶望と死への憧れを込められたその凝視に抗う術を自分は持たない。

次の一瞬で、どんな判断を下すかで自分達の運命は決まるだろう。

残る一画の令呪をどのように使うか。

マシュを転移させて逃がすことはできる。

その身を呈してマスターを守れと命ずることもできる。

だが、2人揃って生き残る術はどうやっても思いつかない。

ここが自分の限界だと、立香の胸中に不安と絶望が渦巻いた。

その時、傍らの騎士は一歩、前に踏み出した。

 

「大丈夫です、先輩は――先輩の明日は、わたしが守ります」

 

力強く、ハッキリと少女は宣言した。

 

「わたしは彼の語る幸福を認めません」

 

生きることは辛く、困難が伴う。

飽食の限りを尽くしながら心が満たされぬ亡者がいる。

明日の糧すら満足に得られぬ弱者がいる。

銃火が舞う荒野でなければ生きられぬ強者がいる。

人種、宗教、国家、文化、思想、あらゆる価値観の違いから人は争う定めにある。

人はそこにあるものを傷つけ、消費しなければ生きていけず、その果てに安穏とした死が訪れる。ならば、彼が言う通り死は一つの救いなのかもしれない。

だが、ここにいる彼女は違う。

決して短くはない旅の中で出会った人々との思い出や、代え難い経験がそれは違うと彼女の口を通して訴える。

 

「わたしも彼と同じ嘆きを聞きました! ですが、それは決して終わりを望む声ではありません! 人は迷い、苦しみます。生きることがこんなにも辛いとわたしはこの旅の中で学びました。そして、それでも生きたいと叫ぶ声を聞きました! ただ明日も生きて笑いたいと願う嘆きが聞こえました! 例え多くのものが失われ続ける生だったとしても、何かが次の世代に残され広がっていく。命はそうやって続いていくものです! それを奪う権利は誰にもありません! だからこそ、ギャラハッド()は力を貸してくれたのです! だから、わたしは――――あなたが人理を穿つと言うのなら、わたしは盾となって全力で戦います!」

 

炎が迫る。

決意を込めたマシュの瞳が視界を焼く凝視を捉え、己がマスターを守らんと盾を構える。

直感的に立香は彼女の不調を察知する。

盾も霊基も万全。だが、それを支えるマシュ自身はここまでの戦いで力を出し尽くしており、宝具を発動するだけの余力がない。

いや、仮に宝具を発動してもあの凝視に抗うことができるだろうか。

あれは霊長の自殺願望そのものだ。生きている限りあれに抗える者などいないということに気づけぬ彼女ではないはずだ。

それでもマシュは自分を守ろうと盾を握るだろう。共に戦うことを選んでくれた、無力なマスターを救わんと我が身を炎に晒すだろう。

自分にはそれだけの価値などないと立香は叫びたくなった。

本当は死にたくないだけで、彼女のことが放っておけなかったからここにいるだけなのだ。

ご大層なお題目なんてない。自分はただそれだけの平凡なマスターでしかない。

けれど、彼女にとっては違うのだろう。何よりもマシュ自身が自分の願いとして決断を下したことがそれを物語っている。

フューラーが言う通り彼女は人形だったのかもしれない。だが、この旅を通じて無色だった彼女の心に彩りが加えられた。

ただ教わったからではない。命じられたからでもない。彼女は自分の意志で目の前の死に抗うことを選択した。

ならば、自分はマスターとして彼女の側にいなければならない。主として、為すべきことを為さねばならない。

 

「令呪を以て命ず…………いや、君の好きにしろ! マシュ!!」

 

最期の一画が右手から消失し、魔力となってマシュの体に流れ込んでいく。

自分にできるのはこれが精一杯。後は、彼女を信じるしかない。

 

「令呪を以て我が身に命じます! どうか、わたしに勇気を!!」

 

そして、彼女は災厄の席に立つ。

全てを焼き尽くさんと迫りくる炎に向けて、更に前へと一歩を踏み出したのだ。

背後には守るべきマスターを、その後ろにある何十億もの人類が束ねてきた人理の礎を守るために。

 

「それは全ての(きず)、全ての怨恨を癒す我らが故郷……顕現せよ! 『いまは遥か理想の城(ロード・キャメロット)』!!」

 

光が視界を覆いつくした。

まるで幻を見ているかのような光景だった。

怨念の如き炎の渦を受け止める幻影。それは誉れも高き白亜の城。

マシュの中の霊基。円卓の騎士ギャラハッドがかつてを過ごした思い出の城。

仲間と共に理想を語り合った、今は遠き夢幻の故郷。

これこそが英霊ギャラハッドの本来の宝具 『いまは遥か理想の城(ロード・キャメロット)』。

そして、その源になっているのはマシュが持つ盾であり、かつて白亜の城に置かれていた円卓そのもの。

数多の英雄が救済の為に集った円卓こそが彼の宝具であり、マシュの新たな力であった。

その至高の輝きは気高くも暖かく、また彼女自身の心に淀みや汚れがない限り揺らぐことはない。

人類の死の総意など所詮は声なき声。形を持たない嘆きでしかなく、ただ1人の生きたいという願いを侵すことすらできなかった。

やがて、中天の日差しが広場に差し込むと共に白亜の城も消失する。

炎によって建物の壁と天井は全て焼き尽くされたが、彼女の盾と自分は傷一つ負っていない。マシュも僅かに手を焼かれただけで済んでいた。

 

「馬鹿な…………」

 

ドロドロに溶けた肉の中から姿を現したフューラーは、今度こそ心の底から驚愕していた。

自滅覚悟で放った一撃だったのだろう。人の姿を取り戻しても肉体の大多数は腐肉のままであり、肉体からは加速度的に魔力が失われつつある。

今ならば、マシュの攻撃を防ぐこともできないだろう。

だが、振り下ろされるはずの鉄槌は空しく床に転がり乾いた音を立てる。

全力を投じたのはマシュも同じ。限界に至った彼女の体は悲鳴を上げ、その場に倒れ込んだのだ。

 

「マシュ!?」

 

「す、すみま……せん……」

 

何とか立ち上がろうとするが、それよりもフューラーが懐から銃を取り出す方が早かった。

あれはただの銃ではない。神秘を帯びた英霊の武器だ。放たれる魔力の弾丸は確実にマシュの脳天に風穴を空けるだろう。

弱り切った今の彼女では防ぐことも避けることもできない。無論、ただの人でしかない自分にできることは、彼女を庇うために前に躍り出ることだけだった。

 

「私の……勝利だ……」

 

「いや、貴様にくれてやる勝利などここにはない。よくやった、サー・キリエライト」

 

低い声音と共にフューラーの腕があらぬ方向に捻じ曲がり、零れ落ちた拳銃が床を滑る。

見るとフューラーの体は四方から伸びた黒い鎖に巻き付かれ、まるで十字架に張り付けられた聖者のような姿で動きを封じられていた。

いつの間にここまで昇ってきたのか、崩れた壁の向こうにアグラヴェインが立っていた。

 

「貴様は……アグラヴェイン!?」

 

「朽ち果てる敗者に呼ばれる名など持ち合わせていない。そのまま無様に果てるがいい、獅子心王」

 

「我が宝具に屈せぬ狂信者め! この程度の戒めなど――――」

 

「聞こえなかったか? 私は果てろと命じたはずだ」

 

アグラヴェインは最大級の侮蔑を込めて虚空に縛られた独裁者に審判を告げる。直後、彼の傍らから銀色の甲冑に身を包んだ1人の騎士が飛び出し、輝く右腕を一閃させた。

 

「我が魂喰らいて奔れ、銀の流星――『一閃せよ、銀色の腕(デッドエンド・アガートラム)』!」

 

断末魔の叫びはなかった。

恨み言を吐く暇さえ与えず、輝く右腕は狂える独裁者の首を胴から切り離したのだ。

宙を舞い、床へと転がった男の顔は、まるで人形のように何の表情も浮かべていない虚無の色を纏っていた。

 

 

 

 

 

 

同時刻、聖都外縁部。

投降した兵士達の武装解除を見守っていた藤太と三蔵は、自分達サーヴァントを構成する回路のようなものが切り替わったことを感じ取った。

世界からの修正力。全身を戒める圧力ともいうべきものが急速に強まったのだ。

それはつまり、この時代における役割が終わったことを意味していた。

 

「うむ、どうやら我らがマスターはやってくれたようだ」

 

「2人とも大丈夫かしら? さっき、聖都の真ん中で物凄い爆発があったけれど」

 

「何、あの程度で倒れる御仁ではなかろう。彼の東方の大英雄が認めるほどの男とその友人だぞ」

 

アーラシュとの約束はこれで果たしたことになるだろうかと藤太は心の中で述懐する。

彼が杞憂していたことはもう大丈夫だろう。彼は逆境から立ち上がり、大切な友を得た。

ならば死者である自分達がこれ以上、口出しする必要もないはずだ。

最も、それと人理修復はまた別の話。もしも自分がカルデアに呼ばれたのなら、喜んで力を貸す所存ではあるが。

 

「さて、我が師、三蔵。これからどうする?」

 

「そうね。色々なところを旅してきたけど、まだ行った事がないところといえば雪山の天文台とか…………って、藤太、今何て言ったの?」

 

「さあ、何の事かな?」

 

「ちょっと、意地悪しないで言いなさいよ。お弟子でしょ」

 

「知らん。さあ、残る時間は短いぞ。別れがあるなら今の内にしておけ」

 

「ちょっと、藤太!」

 

笑いながら藤太は馬を走らせる。

色々なことがあったが、悪くない結末だ。

ならば最後にするべきことはやはり美味い飯だろう。

敵も味方も同じ釜から飯を食う。これができれば大団円だ。

そう思った藤太は、これが最後になるだろう宝具の解放を決意した。

 

「さあ、美味しいお米がドーン、ドーン!」

 

 

 

 

 

 

同時刻、聖都内繁華街。

暗闇の中から意識を覚醒させた呪腕のハサンは、全身を苛む痛みに悶えながらも大きく息を吐いて半身を起こした。

どうやら、気を失っていたらしい。トリスタンとの戦いの中、無我夢中で彼の騎士に組み付いて右腕の魔神を解放したところまでは覚えていたが、あれからどうなったのだろうか。

気を失っていたのは数分か、それとも数時間か。後者なのだとしたら魔神はどうなったのか。

堂々巡りの思考はやがて、視界に映り込んだ黒い影を認めて絶望に染まる。

死体を貪りながらゆっくりとこちらに近づいてくる黒い異形。それは右腕から解き放たれ、トリスタンという贄を得て受肉した魔神(シャイタン)だ。

 

「あれが受肉した魔神(シャイタン)。ただ食べるだけの取るに足りにぬ獣のようだが、この有様ではどうにもならぬか」

 

右腕を失い、残る手足にもほとんど力が入らない。

このままでは、程なくして自分は奴に食われるであろう。

覚悟の上ではあったが、やはりいざその場面に直面すると恐怖というものは鎌首を上げる。

死ぬことに対してではない。かつて愛した女の子ども、ルシュドを1人残して先に去らねばならぬことが堪らなく怖いのだ。

例え血が繋がっていなくとも、我が子のように思っていた。否、そんな陳腐な言葉では語りつくせぬ思いがいつだって胸を渦巻いていた。

これが後悔なのかとハサンはひとり、我が身を嘲る。

周囲に目もくれず、迷うことなく大切なものを切り捨て続けてきた結果がこれだ。笑いたくもなるというもの。

 

「――――――!」

 

今にもその指先がこちらに触れようかとする直前、魔神の首が音もなく地面に転がる。

鈍い音を立てて倒れ込む巨大な影。その後ろから現れたのは、髑髏面と甲冑に身を包んだ剣士であった。

 

「おお……初代、さま――そうでしたな。この首は、事を成し終わった後に、と約束致しました……」

 

痛みを堪え、鉛のように重い体を引きずって頭を垂れる。

全身全霊を尽くしても、跪くのがやっとであった。この様では、もう起き上がることはできないだろう。無論、これから首をはねられる自分にはもうその必要はないのだが。

 

「――――」

 

しかし、“山の翁”はこちらを一瞥しただけで興味を失ったかのように踵を返し、剣を収めてこの場から立ち去ろうとする。

まるで、するべきことは全て終えたと言わんばかりに。

 

「お、お待ちください……何故、何故我が命を……!?」

 

「おかしな事を言う。呪腕のハサンめの首、たった今落としたところだ」

 

そう言って“山の翁”が指差したのは、先ほど彼が一太刀の下に首をはねた魔神の骸であった。

 

「これなる骸の腕は呪腕のもの。であれば、それは呪腕の翁であろう」

 

「なっ――――」

 

「貴様は既に山の翁ではない。よって、我が剣にかかる道理もない」

 

故に命は取らぬというのがこのお方の決定。否、天命であった。

それは、死を以て免責するという代々の山の翁の歴史において発生した、例外中の例外であった。

 

「誇るがよい。いたらぬ暗殺者なれど、貴様は我ら十九人の中でただひとり、翁の軛から逃れたのだ」

 

そう言い残し、“山の翁”は消えるようにいずこかへと立ち去ってしまった。

呪腕のハサンは、しばし呆然とその場に伏していた。肉体の疲労もある。だが、それ以上に初代の翁が口にした言葉が胸の内へと深く深く刻まれたからだ。

連綿と続いた翁達は皆、最後には首を断たれることでその資格を失う罪を免じられてきた。

そんな中で、自分だけが生きたまま役目を降りると彼は言ったのだ。それが最後まで未熟な暗殺者であった自分が誇れる唯一であると彼は言ったのだ。

 

「なんと……なんと、いう事だ――――貴方はこう言われるのか。この時代に留まり、山の民の復興に尽くせ、と」

 

何れ、この時代は歴史の波と共に修正される。そこには偽りの獅子心王との戦いも太陽王の存在もなく、自分達の存在も最初からなかったことになるであろう。残された時間は決して多くはない。何をしてももう間に合わないかもしれない。

それでも、呪腕のハサンは偉大な初代からの命令を蔑ろにするつもりはなかった。

彼が果たせと命じたのならば、身命を賭してやり遂げよう。それが唯一、山の翁の身を生きたまま免責された自分の責任の在り方なのだから。

 

「このハナム、一命に換えてもやり遂げましょう。そして、それが成った暁には……改めて恩を返さねばなりますまい。カルデアのマスター――さて、うまく縁が結ばれればよいのですが……」

 

まずはこの傷を癒す。教団に伝わる秘薬の中に痛みを麻痺させて精神を高揚させられるものがあったはずだ。

それから死者の弔いと生き残りの民を纏めて村の再興だ。聖地の再建や砂漠との交流も為さねばならない。

やるべきことは非常に多いが、自分ならばきっとこなせるはずだ。

そして、その時こそこの面を取る事ができるかもしれないと、ハサンは静かに思うのだった。

 

 

 

 

 

 

同時刻、聖都中心部地下。

勢い余って後ろに倒れ込んだカドックの体を、アナスタシアはしっかりと受け止めると、そのままゆっくりと床に座り込んだ。

そして、力を使い果たした主の頭を自身の膝に乗せ、弟を労う姉のように優しく頬に手を添える。

見上げた壁の機械には、元々は何かが埋め込まれていたことを示す空白の空間がぽっかりと空いていた。

それは聖杯爆弾の中枢。先ほど、カドックが苦心して抜き出した聖杯が埋め込まれていた場所だ。

起爆装置からそこに至るまでのコードは一部が凍結していてるが、それは単なる視覚効果に過ぎない。実際には内部の電気信号が凍り付いているのである。

人理そのものを破壊するという前代未聞の破壊兵器は今、この平凡な魔術師の手で遂に無力化されたのだ。

 

「ははは……やった……やったぞ……僕らがやったんだ……僕にも…………僕にもできたんだ……僕がやったんだ!」

 

疲れ果ててまとも動くこともできないのに、右手だけはしっかりと抜き出した聖杯を握り締めて放さず、まるで子どものように心底から嬉しそうに笑っている。

それはある意味、彼にとって勲章のようなものであった。

ずっと自分のことを卑下してきた少年が、始めて自分の力で成し得たと実感できた偉業。

彼は生まれて初めて、自分を褒めることができたのだ。

そして、その代償はあまりにも大きかった。或いは、少年にとってとても些末な代償で済んでいた。

 

「アナスタシア」

 

「なあに、カドック?」

 

「今、とても嬉しいんだ。君も笑っているんだろう? 祝福してくれているんだろう?」

 

目に大粒の涙を浮かべているパートナーに向けて、カドックはどこか乾いた声で問いかける。

アナスタシアが主の痛ましさを憐れんでいることに彼は気づいていない。

彼の両の瞳からは、光が失われていたからだ。

 

「アナスタシア?」

 

不思議そうに聞き返すカドックの髪を、アナスタシアは愛おし気に撫でる。

主の問いには答えず、ただ静かに自身の誓いを口にする。

 

「私があなたの目になります。あなたの奏でる音になります。私が――最後まであなたの側にいます」

 

これが身に余る大望を抱いた報いというのならばあんまりだ。

こんなにも傷だらけになってまで笑う少年が余りに不憫でならない。

彼は既に自らの手で音楽を奏でることができない。その上で運命は彼から光すら奪っていった。

それが彼自身が望んでなった結末であるのなら、果たして報酬は何なのか。

栄誉か、それとも賞賛の声か。そんな空っぽな勲章では釣り合いが取れない。

彼が払った犠牲に対して、余りにも釣り合いが取れていない。

それでも彼は笑うのだろう。

これで良かった。やっと自分を証明できたと。

ならば、足らぬ分は自分が代わりとなろう。

この身の全てを賭けて、最後の時まで彼を支え続けよう。

そして、今にも消えてしまいそうな儚い輝きが、彼の中でこれ以上陰らぬように、願わずにはいられなかった。




焼却式『この世全ての死の総身(アンリ・マユ)
ランク:??? 種別:対人類宝具 レンジ:??? 最大捕捉:???
 本来のフューラーが持ちえない、第六特異点でのみ行使可能な限定宝具。聖杯を所持しているという縁と『偉大なりし民族遺産』に眠る全ての偽りの宝具を魔力に変換し、自らを触媒として魔神柱(厳密にはその成り損ない)を受肉させる。
 その本質は人類が持つ生きることへの苦悩と絶望、死に救いを求める破滅願望や自殺願望を名もなき魔神柱の視線を出力として放出する人類に対する特攻術式。視線に触れた者は即座に即死判定が発生し、人類の総人口の数だけ抵抗への難易度が上昇する。
 また凝視によって生じた炎自体にも対象の最大HP分のダメージが発生し、それが人類種(正確には生きることに忌避感を僅かでも抱いている人間)であるなら更に×人類の総人口分の追加判定が発生する。故に人が人である限り、この術式に抗うことはできず焼き尽くされる定めにある。一方で神や獣といった人ならざる存在や覚者といった救世者、外宇宙の存在には即死判定及び追加判定は発生しない。
 どこかの平行世界にいるという月の王に対しても即死及び追加判定は大幅に緩和される。
 マシュも本来ならば耐えられるはずもない。だが、通常は生の苦しみから死に逃避するのに対して、彼女は元から死に近しい位置におり、そこから旅を通じて人として生き返ったことで即死判定に対して劇的な成功(クリティカル)が発生し、『今は遥か理想の城(ロード・キャメロット)』の発現に繋がったことで耐え切ることができたのである。
 なお、この術式は使用するとフューラー自身の霊基に修復不可能な傷が入るため、彼にとっては事実上の特攻宝具でもある。



当初、こんなとんでも宝具を出すつもりはなかった。
最初は救世主殺しの槍でいくつもりだったのに、気が付くとなんか新しい技が生えてきました。
ちなみにカドックはまだ失明したとは明言していません。
明言していませんので、どんな容態なのかは次話を待つべしです。


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神聖第三帝国エルサレム 最終節

「あなたがカルデアのマスターですね。初めまして、私はべディヴィエール」

 

アグラヴェインと共に現れた銀色の甲冑の騎士は、そう名乗った。

どうやら、彼がアグラヴェインの言っていた十字軍に捕らわれていた円卓の騎士のようだ。

 

「べディヴィエール。アーサー王の最期を看取った騎士ですね。王に命じられた聖剣の返却を成したことでアーサー王は理想郷(アヴァロン)へと誘われ、アーサー王伝説は幕を閉じることとなります」

 

「はは、面目ないことに十字軍に後れを取りまして。私はこれといった武勇には恵まれない騎士でしたので」

 

「はい。ですが、それでもべディヴィエール卿は立派な円卓の騎士です」

 

パッと見では女性と見間違うほどの優男。加えて隻腕でありながら通常の騎士の三倍の実力を誇ったらしい。

円卓という人外染みた実力の騎士達が集う集団の中ではさすがに下から数えた方が早いと本人は自嘲するが、それでもフューラーを一撃で仕留めたあの宝具の凄まじさは円卓に連なる騎士として十分な強さであると言えるだろう。

人は見かけによらないとはこのことを言うのだろうか。

 

(あれ、隻腕って片腕ってことだよな。けど、この人には両方とも腕が…………)

 

特に不自由にしている様子はないので、義手と呼ぶには些か違和感がある。

サーヴァントは全盛期の姿で召喚されるので、隻腕になる前の姿で呼ばれたのだろうか。

気になって立香は問い質そうとしたが、階下から誰かが近づいてくる気配を感じて思考を切り替える。

既に十字軍は無力化している。その上でここに来る者がいるとしたら、彼らしかいないだろう。

 

「もう終わったのか?」

 

「カドック! 皇女様も! 2人とも無事で良かった!」

 

「当たり前だ。ほら、僕の勲章だ」

 

疲れているのか、カドックはほんの少し目の焦点が合っていない。

だが、その手に握られている成果を見れば些細な違和感も吹き飛んでしまう。

カドックが掲げて見せたのは、アナスタシアの魔力で凍り付いた聖杯であった。

 

「とりあえず、彼女の力で封印処理は施したが、こいつはかなりまずい。中身がどろどろに汚染されている」

 

人理定礎破壊のために多くの魂を生贄に捧げられたことで、本来ならば無色であるはずの聖杯の魔力が負の力に染まってしまったらしい。

こうなってしまうと浄化も難しく、回収したところで再利用もできそうにないということだ。

できることなら一刻も早く破壊する必要があるが、下手な壊し方では中身がぶちまけられて地上に大きな被害が出てしまうかもしれない。

そうならないためには聖剣のような極大の威力を誇る宝具で消し飛ばすのが一番だが、生憎とそれだけの力を持つ英霊はここにはいなかった。

 

『うーん、持ち帰ると非情にまずいし、かといって厄ネタをこのまま放置する訳にもいかないし…………』

 

「ならば、それは余が預かろう」

 

不意に空に影が差したかと思うと、ロマニの言葉を何者かが遮った。

見上げると巨大な船が宙に浮かんでいた。まるで太陽と見紛うほどの輝きを秘めた古代エジプト調の造形。

船体全体から溢れんばかりの神威を放つそれは、正しく神を運ぶ船だ。

こんな大層な宝具を持つ英霊は、この時代に1人しかいない。

 

「この感じは……ファラオ・オジマンディアス?」

 

「然様。まずはよくやったと褒めてやろう、異邦の勇者達よ。お前達は余が手を貸さずとも見事、この時代を屠らんとする敵を葬り去った。言っておくが間に合わなかったのは余が遅かった訳ではない。お前達が余の想像以上に勇ましかっただけだ。とくと喜ぶがいい」

 

舩から降り立ったオジマンディアスは、口を開くなりそうまくし立てた。

物凄く迂遠で仰々しい言い方だが、ようするに『間に合わなくてごめんね。けど、お前達はよくやったよ』と言いたいらしい。

ニトクリスといい、どうして古代のファラオは自分の言葉を素直に口にできないのだろうかという疑問が立香の胸中を過ぎる。

もちろん、後が怖いので口に出すことはないのだが。

 

「……オジマンディアス?」

 

「カドック、こっち」

 

「……ああ。それで、この汚染された聖杯を任せても良いのか?」

 

アナスタシアに促されてオジマンディアスに向き直ったカドックが聞くと、オジマンディアスは一瞬、眉をひそめた。

 

「貴様…………そうか、さすがは噂に高き大英雄。貴様を認めた千里眼に狂いなしか。ならば、後は余に任せるがいい」

 

『そうか。太陽王の神罰なら中の汚染物をまき散らす事なく聖杯を破壊でき……』

 

「戯け! その程度の些事に余の神罰を下すものか! そう気軽に落としては神罰のありがたみが薄れるではないか!」

 

オジマンディアスの一喝に、ロマニは通信の向こうで押し黙る。

 

「お前達、これがそもそもこの時代にあったものであるということを忘れてはいないか? 例え表舞台に出ることはなくとも、その時代にあるという事実が時には重要な時もある。故にこの聖杯は破壊せぬ」

 

「では、どうするつもりなんだ、ファラオ・オジマンディアス?」

 

「忘れたか? 余の神殿は民を守る避難地となる。壁を閉ざせば例え人理が燃え尽きようとも神殿は残り続け、誰も中のものに触れることはできん」

 

「位相がズレた異次元に聖杯を隠すと言うのか?」

 

『いやいや、特異点の修正が成ったのならファラオも座に帰還することになるよ。そうなると宝具も消えてしまうんじゃ?』

 

「地上にあってファラオに不可能なし! 神殿というものは例え製作者が没しても後世に残るもの。故に我が神殿は余が消えようともその力を失うことはない」

 

未来永劫、誰の手にも触れられない場所に汚染された聖杯を隔離する。

位相がズレた時の挟間。そこならば万が一、中身が溢れだしたりしたとしてもこの時代そのものには影響が出ることはないだろう。

 

「頼めるか、ファラオ・オジマンディアス」

 

「誰にものを言っているつもりだ? 任せるがいい、星詠み(カルデア)の勇者よ」

 

傲岸不遜に笑って見せると、オジマンディアスはカドックから聖杯を受け取った。

それをしばし興味深げに見回していると、やがてオジマンディアスの体は少しずつ宙に浮いていった。

上空の船から注がれた光が彼の体を引っ張り上げたのだ。

 

「では、さらば勇者達よ! 次なる特異点には気を付けるがいい! 余より遥かに気難しい王が待ち構えているぞ! ハーハッハッハッ――――」

 

そうして、高笑いを残しながらオジマンディアスの姿は船の中へと消えていき、西の砂漠に向けて飛び去っていった。

恐らく、自らの領土である神殿に戻ったのだろう。これで正真正銘、任務完了だ。

 

「あれ? 先輩、わたし達の体、段々と透けてきています! カルデアへの強制帰還が始まりました!」

 

「どうして急に!? ドクター、何かあったの!?」

 

『多分、聖杯を既に回収しているからだ! 汚染された聖杯は太陽王が隠し、魔術王の聖杯はこちらにある。人理定礎を乱す原因が失われたことで修復が急速に始まったんだ!』

 

加えて、聖都そのものがその時代には有り得ないものなので、時代の修復力も今までの何倍も早いらしい。

そのため、この時代には本来、存在しない者達が急速に弾かれつつあるのだという。

 

「そうか、もう終わりか」

 

「アグラヴェイン卿? あなたはどうして、消えないのですか?」

 

指先から塵へと変わっていくこちらと違い、アグラヴェインとべディヴィエールには消滅の兆しはない。

 

「さて、召喚方式の違いか。はたまた我らが与り知らぬ理由か。何れにしろ、騎士王が健在ならばまだ私はこの時代に留まらねばならない」

 

「やはり、聖策をまだ……」

 

「無論だ」

 

人理焼却から逃れるべく、騎士王が辿り着いた人類救済――いや、人類保護のための聖策。

王に選ばれた善き人々を情報単位に分解して保存し、人理焼却後も永劫に人間の情報を残そうという企てを彼らはまだ諦めていない。

魔術王という強大な敵を前にして、それは無理からぬことだろう。むしろ、未だに抗い続けているカルデアの方が異常なのかもしれない。

ならば自分は何なのかと立香は考える。

世界を救うなどというご大層なお題目を掲げているが、実際のところは人理焼却に納得できないという個人的な感情によるものだ。

死にたくない、生きていたい。ただそれだけの気持ちで戦うことは、ひょっとしたらおかしなことなのではないだろうか。

答えはきっと、誰も出すことができないだろう。

 

「そういう顔をするな、カルデアのマスター。貴公が曇ると喜ばぬ者がいる」

 

「えっ?」

 

ほんの一瞬、アグラヴェインの顔から笑みのようなものが零れたと、立香は錯覚する。

だが、見直しても彼はいつもの鉄面皮のままであった。笑みはおろか顔色一つ変えることなく、眉間に皺を寄せた仏頂面のままこちらを見下ろしている。

 

「戯言ついでだ。これは独り言故に聞き流せ。魔術王――彼奴の居城となる神殿は、正しい時間には存在しない」

 

それはいつだったか、騎士王がアグラヴェインに伝えた人理焼却の真実の一端らしい。

アーサー王はその眼で魔術王の企みの真意を見抜き、彼を打倒するためには七番目の聖杯を手に入れねばならないことに気づいたというのだ。

それこそがかつて、ロンドンの地で魔術王が言っていたことの真の理由であった。

七つの聖杯の全てを集めた時、魔術王は初めて自分達を相対すべき敵であると認識すると言っていた。

七番目の聖杯こそ、魔術王が絶対の自信を持って送り出した真打。

それを手に入れぬ限り、自分達は魔術王の喉元どころか指先にすら触れることができず、ここまでの旅が全て無駄になってしまう。

 

「第七の聖杯は後の世に遺したのではなく、魔術王自らが過去へと送り込んだ」

 

『七つ目の特異点は、ソロモン王の時代よりも過去にあるということか!』

 

今までの特異点、6つの聖杯は魔術王の使者やその子孫である魔術師が、過去の時代より送られてきた偽りの聖杯を用いて人理定礎の破壊を成そうとしてきた。

だが、七つ目の聖杯だけはそれよりも過去の時代に送られている。

魔術王――ソロモンが生まれるよりも遥か前の神代の時代。

それこそが始まりの一手。全てを燃やし尽くす人理焼却の第一手となる始まりの火種だ。

 

『そこまでの情報があれば、特異点の洗い出しができるぞ!』

 

「ありがとうございます、アグラヴェイン卿!」

 

「……さて、何の事だ? 私は独り言を言っていただけだ、サー・キリエライト」

 

「はい。そうでした…………あれ? そういえば、わたしの名前――」

 

マシュが何かを言いかけた瞬間、視界が明滅する。

直後、立香達は時代から完全に弾き出され、強い力に引き上げられるかのような錯覚と共にカルデアへと帰還する。

堅い手のアグラヴェイン。

マシュと融合した英霊、ギャラハッドの父であるランスロットとは同胞にして憎み合う関係であるこの騎士が、如何なる覚悟を以て自分達に協力してくれたのか。

最後の最後に見せた笑みと、言葉の真意は何なのか。

それを知る術は、永久に失われてしまった。

 

 

 

 

 

 

外は絶対零度の世界。猛烈な吹雪が吹き荒れているというのに、カルデアの施設内はそれが嘘のように静まり返っていた。

ここに来たばかりの頃は、閉塞した空間での生活が生前の監禁生活を思い起こしていたが、今はもう暗い気持ちに引きずられることはない。

カドックがいて、マシュと立香がいる。減っていくばかりだった生前と違い、ここでは新しい出会いをたくさん経験できた。

カルデアに来れて良かったと、アナスタシアは改めて実感していた。

だから、新しい友達であるマシュが苦しんでいると自分も堪らなく胸が締め付けられる。

第六特異点からの帰還後、彼女は再び倒れたのだ。

長時間、フューラーと1人で戦い続けたこと。強力な宝具を使用したことが彼女の体力を大きく奪ったのだろう。

ロマニの診察によれば、以前ほどの衰弱は見られないので、栄養剤の点滴と十分な睡眠ですぐに退院できるだろうとのことだった。

 

「あれ? アナスタシア?」

 

「起きたのね。もう少し、そのままにしていて」

 

「はい……あの、みなさんは?」

 

「マスター達なら外でヴィイに見張らせています」

 

汗を拭いたり服を着替えさせたりするのに、男衆がいられては困るので追い出したのだ。

この部屋の本来の主であるロマニも、容態に変化があれば通信で呼んで欲しいと言い残して管制室に行ってしまった。

中東より持ち帰った六番目の聖杯の封印処理や第七特異点の捜索など、現在のカルデアは事後処理でてんてこ舞いの有り様だ。

指揮官であるロマニに休む暇はない。

 

「本当に、無理をして」

 

「はい……でも、今回はそうしなくちゃいけないと思って……」

 

「そんなにも辛い相手だったの、あのサーヴァントは?」

 

「はい」

 

偽りの獅子心王。フューラーと名乗るサーヴァントをアナスタシアはよく知らない。

ただ、立香から聞いた話によれば、その生き様はある意味ではマシュと鏡合わせであり、人類存続を望むカルデアそのものに対するアンチテーゼのような存在であったらしい。

人が人としてある限りなくならない終末思想。生きるのが辛い、死んで楽になりたいという終わりの願望に従う狂った願望器。

アナスタシアからすれば、その生き様は嫌悪し侮蔑するに十分な在り方だった。

そんな余計なお節介は止めて欲しい。勘違いも甚だしい。

例え万人億人の人間が死を望もうとも自分は違う。あのイパチェフ館(辺獄)で明日も生きていたいと叫び続けながら過ごした日々を自分は忘れない。

その願いを否定するかのようなフューラーの在り方を自分は認めない。

以前の自分であれば、彼の考えにも一定の理解を示したかもしれない。

生きたいという願望すら枯れ果て、己の生死にも無頓着であったかつての自分ならば違っていたかもしれない。

けれど、今の自分は違う。

カドックと出会い、彼の生き方に触れた。

どうしようもないことに対しても諦めきれず、自分を卑下しながらも前へと進む気高い少年。

止まることなく前へ前へと進む彼の生き方は何れ自分を追い抜き頂きに至るだろう。

それについて行くためには今のままではいけない。

彼のサーヴァントでいるためには、自分もまた生きたいと願わねばならない。

ずっと彼の側にいると、そう誓ったのだから。

 

「アナスタシア? 何だか、怖い顔をしていますよ」

 

「あら、ごめんなさい。ちょっと考え事をしていて」

 

「カドックさんのことですね」

 

「わかるの?」

 

「同じですから」

 

「そうね。私達、同じですもの」

 

どちらもマスターの役に立ちたくて彼らのサーヴァントになった。

それは自分達の心の底から生まれた、自分達だけの感情だ。

自分達2人は彼らと共に生き、彼らと一緒にこの旅を終え、そして――――そこから先は、今はまだ考えない方がいいだろう。

とにかく、今はマシュの回復が先決だ。それとカドックの目のこともある。

七番目の特異点でも辛い戦いが待ち受けていることだろう。

問題はまだまだ山積みで、一つ一つ解決していくしかない。

だから、今は休もう。

次の戦いに備えて、今はただ休もう。

 

 

 

 

 

 

黒い影のような生き物が、ジッとこちらを睨みつけているらしい。

 

「ねえ、怖い」

 

「そうか、僕には見えない」

 

立香の怯える声に対して、カドックはどうでもいいとばかりに切って捨てる。

マシュを着替えさせるからと追い出されて小一時間くらいだろうか。ロマニは管制室に戻ってしまい、お見舞いに来ていた他のサーヴァント達もいなくなったので、医務室前は閑散としていた。

ちなみに本来ならば真っ先に詰め掛けてくるであろうナイチンゲールに関してはラーマ以下インド勢が必死に食い止めてくれている。彼女がマシュの容態を知ろうものなら即刻入院と面会謝絶、グランドオーダーへの参加禁止を言い出しかねないからだ。

それだけマシュの容態はデリケートな問題なのだが、規格外のインド勢3人が束になってようやく食い止められる近代英霊というのもどうなのだろうか。

 

「ねえ、さっきからカドックのことジッと見てるよ」

 

「構って欲しいんだろう。悪いが首を掻いてやってくれ。喜ぶから」

 

「え? 首ってどこ?」

 

「腕と瞼の間くらい」

 

灰色の視界の向こうで大きな塊が何かとじゃれ合う様が映る。

音から察するに、うっかり瞼の上を擦ってしまって機嫌を損ねたのかもしれない。

人間だって瞼を上から押さえつけられれば痛がるし嫌がる。精霊も同じだ。

 

「酷い目にあった。目だけに」

 

「大目に見てやるからその口閉じてろ」

 

「うん、ごめん…………ねえ、本当にまだ続けるつもりなの?」

 

後半の心配そうな声音は、こちらの目に対してのものなのだろう。

別に気にする必要はないというのに、お人よしな奴だ。

 

「もちろんだ。この目だって見えない訳じゃない。光と影くらいはわかる。ダ・ヴィンチが視力強化の礼装を作ってくれているから、それがあれば今まで通りの活動が可能だ」

 

聖杯爆弾を止めるために行った決死の策。サーヴァントとの視界共有はカドックの視神経に重篤な負傷を残していった。

あの瞬間。眼球がレッドアウトを起こし、鼻やら耳やらから夥しい出血を起こしながらもカドックはアナスタシアと同じものを見た。

とても言葉では言い表せない高次元の視界。今まで見ていたものが点や線の塊でしかなく、その奥にあるものまで鮮やかに捉えることができた神の領域。

その代償は視力の低下。光や影は辛うじてわかるが、カドックの視界は完全に灰色の世界へと転じてしまった。

目の前にいる立香の顔もわからず、座っているソファから医務室の扉までの距離もわからない。

感覚の接続がほんの一瞬だったのと、長期間の契約により互いの魔術回路に親和性が出ていたことが幸いしてこの程度で済んだとのことらしい。

でなければ、脳性麻痺や五感の喪失。魂そのものが喪失する可能性すらあったとのことだ。

 

「藤丸、同情だったら止めて欲しい。僕だって後悔はしている。けど、それを認めてしまったらあの時の決断を侮辱することになる。苦しんで結果を出した奴に『よく頑張った』なんて言うことだけは止めて欲しい」

 

「なら、何て言えば良いんだよ?」

 

「わからないか? 『よくやった』って言えば良いのさ」

 

自分のような捻くれた人間は、その些細な違いが重要だ。

苦しんで、苦しんで、それでも努力を続けてきたことを褒められたってちっとも嬉しくはない。

必要な称賛は過程ではなく結果に。成し遂げた偉業こそ褒め称えられる価値がある。

その一言さえあれば、ここまでの苦労も報われる。

 

「……うん、よくやったよ、カドックは」

 

「ああ――――」

 

これでやっと、前に進むことができる。

本当に本当に、何て遠い回り道だったのだろう。

出会ってから既に一年近いというのに、自分達はまだ友達ですらなかったのだ。

それを今、やっと始めることができる。この手を差し出すことに、今は何の躊躇もない。

 

「これは?」

 

「握手だ。これは、お前が僕の友達だっていう証明だ」

 

「いきなりなんだよ。いらないよ、今更そんなの」

 

「僕にとっては、今からなんだ。今からやっと、始められるんだ。頼むよ、藤丸」

 

ここまでの旅を経て、やっと自分の気持ちに整理がついた。

彼への嫉妬も劣等感も、今はもうどこにもない。

何でこんな些末なことに拘っていたのか、今となっては不思議でならない。

それだけの誇れる成果をこの旅で得ることができたのだ。

 

「……本当は、こういうのはいらないんだけどね」

 

「ありがとう」

 

右手を力強く握られ、その感覚をしっかりと覚えていられるように握り返す。

ここからが本当の始まり。カドック・ゼムルプスのグランドオーダーは、ここから始まるのだ。

アナスタシアと、立香とマシュ。4人で必ず終局へ辿り着く。

今はただ、それだけが願いであった。

 

 

 

 

 

 

そして、一匹の白い獣は2人の少年を見上げていた。

固く、強く、互いの手を握り合う少年達の眩しい輝きを彼は愛おし気に見上げていた。

いつまでも、いつまでも物陰から、ジッと見上げていた。

 

 

 

 

 

 

胸元を切り裂かれた痛みを、どこか他人事のように捉えながらアグラヴェインはその場に倒れ込んだ。

眼前にはたった今、自分を切り伏せた銀色の騎士べディヴィエール。彼は衰弱著しい顔色で、呼吸を乱しながらも申し訳なさそうにこちらを見下ろしている。

 

「すみません、サー・アグラヴェイン」

 

「謝罪するくらいなら、初めから不忠など企てるな、サー・べディヴィエール」

 

喉の奥から血が逆流し、大きく咽ながらアグラヴェインは動けなくなる。

自分の戦いはここまでだと、彼は悔しさで奥歯を噛み締めた。

生前に成せなかった、アーサー王が望む理想の国を作り上げる。そのために彼の王の側に仕え、偽りの獅子心王の洗脳すら跳ね除けた。

だが、結果としては今度も自分は志半ばで舞台から降りる事になってしまった。

もっと早くにべディヴィエールの存在に気づいていれば、また違った結果になっていたのだろうかと思うわずにはいられない。

 

(だが、幾星霜も生きたまま彷徨うとは……私の知る貴公では、そのようなことはできなかったぞ、我が知らぬ円卓の騎士よ)

 

十字軍に捕らえられていたべディヴィエールは自分が知るべディヴィエールではなかった。

本来のべディヴィエールはアーサー王を思う余り、不死の加護を持つ聖剣を湖の乙女に返却することを二度戸惑い、三度目で遂に成し遂げて騎士王を理想郷(アヴァロン)へと送り出すのだ。

だが、目の前にいるこの騎士は違う。そして、自分を召喚した騎士王もまた、自分がよく知るアーサー王ではなかった。

騎士王自身が巧妙に立ち回ったこと、べディヴィエールにかけられたのであろう幻術の作用によってカルデアの者達は終ぞ気づくことはなかったが、この2人はサーヴァントではなくあのブリテン崩壊からこの時代まで生き残った生者なのだ。

聖剣を返却できなかったアーサー王は所持していた聖槍の力で神霊となり、べディヴィエールは三度目の返却すら成せずに聖剣を所持したまま不老となった。

やがて2人は導かれるかのようにこの特異点へと訪れ、片や人類保護のための聖策を打ち出し、片や十字軍に捕らえられて聖剣の力を獅子心王の裁きの光へと利用されてしまった。

そう、本来ならば隻腕であるはずの彼の右腕こそ、彼が返却できなかった聖剣エクスカリバーそのものなのだ。

 

「我が王、我が主よ。今こそ――――今度こそ、この剣をお返しします」

 

「……見事だ。我が最後にして最高の、忠節の騎士よ。聖剣は確かに還された。誇るがいい、べディヴィエール。貴卿は確かに、王命を果たしたのだ」

 

そうして、アグラヴェインの知らぬ円卓の騎士は王の眼前で臣下の礼を取ったまま塵となって消えていった。

後に残されたのは白亜の王と漆黒の騎士。空は憎らしいまでに澄み切っており、乾いた風が容赦なく頬を撫でた。

こんなにも空は青く遠かったのかとアグラヴェインは思う。

自分がよく知るブリテンの空はもっと暗く、風は湿気を帯びていた。

故郷から遠く離れた地で果てることになるとは、まるで十字軍のようではないかと自嘲してしまう。

 

「アグラヴェイン、その傷では気休めにもならないだろうが、手を。いくばくかの痛み止めにはなるぞ」

 

「……いえ、畏れ多い。それに私は、此度も貴方に理想の国を献上できなかった。真にお恥ずかしい――此度の召喚、私は貴方のために何一つとしてできなかった」

 

「そうだな。だが、罪には問わぬ。もう休むがよいアグラヴェイン。働き過ぎなのが、貴公の唯一の欠点だ」

 

「まさか――貴方に比べれば、私など」

 

静かにアグラヴェインは瞼を閉じる。

二度目もあったのなら、三度目もあるだろう。

ならば、次こそは必ず、我が王が何の苦悩も抱かず、静かに輝ける理想の国を献上しよう。

国を活かすために民を犠牲とせず、争う必要がない国を今度こそ。

王の陰りを今度こそ消し去ってみせようと、アグラヴェインは消えゆく意識の中で思い続けていた。

 

 

 

A.D.1273 神聖第三帝国エルサレム

人理定礎値:A+++

定礎復元(Order Complete)




というわけで、オリジナルな敵を添えての第六章でした。

オリ敵入れた理由としては、元々の話はマシュとベティに比重が寄っていてカドックの出番がない。無理やり入れ込んでもマシュのお株を奪うだけという感じになりそうだったからです。ちなみに最初は大百足の代わりに東京の守護神というあのお方と藤太の戦いをマッチングしていましたが、お参りに行く時間と予算がなく断念しました。

七章は大筋は変わりないと思います。
結末だけは決まっているので、そこまでどう持っていくかですね。


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神聖第三帝国エルサレム マテリアル

第六章のオリジナル敵の詳細が乗っています。
ネタバレが気になる人は注意してください。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【CLASS】ルーラー

【真名】■■■■・■■■■(通称:フューラー)

【性別】男性

【身長・体重】175cm・104kg

【属性】混沌・善

【ステータス】筋力D 耐久E 敏捷D 魔力C 幸運B 宝具C

【クラス別スキル】

対魔力:D

 一工程(シングルアクション)による魔術行使を無効化する。

 魔力避けのアミュレット程度の対魔力。

 

真名看破:E-

 直接遭遇したサーヴァントの真名を即座に把握する。

 真名を秘匿する効果がある宝具やスキルなど隠蔽能力を持つサーヴァントに対しては、幸運値の判定が必要となる。

 イレギュラーでの召喚ということもあり十全に機能しておらず、スキルや宝具を知るためには追加判定が必要。

 

神明裁決:-

 他のサーヴァントに対し、2画まで令呪による命令を執行できる。グランドオーダーは従来の聖杯戦争ではないため、このスキルは失われている。

 

 

【固有スキル】

無辜の怪物:EX

 生前の行いからのイメージによって、後に過去や在り方を捻じ曲げられ能力・姿が変貌してしまった怪物。

 本人の意思に関係なく、風評によって真相を捻じ曲げられたものの深度を指す。このスキルを外すことは出来ない。

 史実・創作のイメージから容貌が暗く陰気なものとなっており、本人曰く生前はもう少し健康的な肌をしていたと思うとのこと。

 現在においても彼に触れることはタブーとされており、例え正当な政策や戦果であったとしても称えられることは否とされ、 過剰に貶められたことでイメージに侵食され、本人ですら自己を失いつつある。

 そのため、現界した彼は生前以上に他者がそうであろうと思い描く人物像に忠実に従っている。

 

精神異常:A

 精神を病んでいる。

 通常のバーサーカーに付加された狂化ではない。

 他人の痛みを感じず、周囲の空気を読めなくなっている。

 精神的なスーパーアーマー能力。

 彼自身には真っ当な人間性があり、善行も悪行も人並みに行う。しかし、その本質は水や砂と表現できるほどの我欲の希薄さにある。

 彼は与えられた役割、求められた役割を完璧以上に演じ切ってしまう。そして、求められた以上の成果を以てその者に悲劇をもたらすのである。

 他人が、民草が、大衆が望むのならそれを成そう。例えそのために大衆の全てを犠牲にしたとしてもやり遂げよう。

 彼の行動はより大きな願望。即ち集合的無意識に左右されるのだが、無辜の怪物スキルによる影響でマイナスの方面に思考が傾いている。

 思考の固定という意味ではEXクラスの狂化に近いが、彼自身は必要に応じてその狂気を出し入れするサイコパスと化しているため余計に質が悪い。

 

戦略:D

 外交や兵站など大局的に物事をとらえ、戦う前に勝利を決する力。

 

扇動:EX

 数多くの大衆・市民を導く言葉と身振りを習得できるスキル。個人に対して使用した場合はある種の精神攻撃として働く。

 

カリスマ:D

 軍団の指揮能力、カリスマ性の高さを示す能力。団体戦闘に置いて自軍の能力を向上させる稀有な才能。

 彼自身は一つの政党をまとめ上げる程度の資質しか持たないが、扇動と戦略スキルを合わせることによる事前工作と民衆の扇動により国を動かす怪物となった。

 

芸術審美:自称

 芸術作品、美術品への執着心。芸能面における逸話を持つ宝具を目にした場合、ごく低い確率で真名を看破することができる。

 自称しているだけなので、本当に持っているのか不明。

 

【宝具】

『偉大なりし民族遺産』

ランク:E~A 種別:対人宝具 レンジ:- 最大捕捉:1個以上(一度に取り出せる数)

 第一宝具。生前に発足した公的研究機関。そこには世界中から掻き集めた武具・呪具・魔具・宝具・聖遺物の数々が保管されている。

 しかし、神秘が著しく失われた近代になってから収集したため、収められているのはオリジナルの廉価版や模造品、偽物である。

 そのため、本来の能力から劣化していたり効果自体が変わっている物、何の効果もないガラクタまでもが保管されている。

 偽物故に同名の遺物が複数保管されているため、破損しても即座に新しいものを取り出すことができる。所有権が移っていることもあり、仮想宝具としての真名解放も可能。

 ただし、保管している収集品は自身の手で取り出さねばならないため、一度に使用できる遺物は数個が限界。収集品自体を射出したりその場で保持したりすることもできない。

 

 

『彼方より来たれ我が大隊』

ランク:C 種別:対軍宝具 レンジ:1~99 最大捕捉:1000人

 第二宝具。フューラー自身が演説の中で口にした、遥か未来に現れ世界を支配する「最後の大隊」の逸話の具現化。

 形を持たない亡霊の集団を兵力として召喚する。亡霊の形は召喚の際に任意で決めることができ、吸血種や狼男などの化生、近未来の装備に身を包んだ軍隊、果ては神話に語られるエインヘリャルやワイルドハントの具現すら可能。

 これは最後の大隊の姿を誰一人として知らず、後世における様々な憶測や創作の逸話を取り込んだからである。

 副次的な効果として、「最後の大隊」という集団の概念を殻として被せる事で、その者達を「最後の大隊」として洗脳下に置くことも可能。

 「信仰の加護」や「精神汚染」などの精神操作を阻害するスキルがあれば判定次第で無効化できる。

 また特定集団に対する支配であるため相手が単独である場合、対象が複数でも単なる寄り合いでしかない場合にはこの効果は発動しない。

 逆境を覆すために現れる最後の戦力であり、それを以て勝利を得る逸話の具現であるため、この宝具は一度の召喚につき一度までしか真名解放を行えない。

 

 

【解説】:

 欧州のとある国の政党の代表。後に故国の総統として国をまとめ上げて他国に侵攻し、世界を二分する二度目の大戦を起こすきっかけとなる。

 本来ならば民衆が自分達の声を代弁してくれる政治家を自ら選ぶ民主主義という制度の中で奇跡的に生まれてしまった二十世紀最悪の独裁者。

 一般的に彼を好意的に捉える者はいない。何故なら、在任中に彼とその配下が行った数々の非道や他国への侵攻、民族迫害が余りにも広く後世に伝えられ、彼は悪辣で善性がない狂気の独裁者であるというイメージを生み出してしまったからだ。

 無論、歴史的資料にはきちんと彼が行った政策や戦中の成果が正しく評価されている。動物を保護し、公共設備に力を入れて雇用の拡大を図った。また意外にも菜食主義者で健康には気を使っていたらしい。乗り物とアニメも大好きだとか。

 だが、民衆はそんな事実に目もくれようとしない。自国民からですら悪魔と罵られ、過剰に貶められていった。現在でも彼と彼の政党を話題に出すことは禁忌とされている。

 結果、それらのイメージは殻となって彼に覆い被さり、何ら魔術的な措置もないままに彼は自己を剥奪されたのである。

 彼が生前から人類を死によって救済しようとしていたのかはわからない。そんな生前であったからこのような英霊になったのか、このような英霊になってしまったから生前を捻じ曲げられたのか。

 いずれにしろ、反英雄としてあらゆる自己と善性を剥奪され、そこに悪意のイメージを押し込められた独裁者は誰もが想像する通りの独裁者像を演じて見せるのだ。

 通常の聖杯戦争において彼がルーラーとして呼ばれることはなく、仮に他クラスで呼ばれれば彼を抑止するために聖杯がルーラーを召喚する事態となる。

 元軍人ということもありマスターに対しては従順に接し、積極的に尽くそうとするが、本質が本質なので気を許すと無意識下の願いすら読み取って実行し、最終的には生の苦痛からの解放としてマスター殺しすら平然と行うだろう。

 またそうでなくとも大衆を救うために聖杯戦争から逸脱した行為を取ってしまいがちになる。彼を支障なく使役するためには人類全体が我欲を捨てるようなことでもない限り、不可能である。

 

 




フューラーのマテリアルです。
マイルーム会話とか考えだすと楽しかったですけど、さすがに妄想が過ぎるのでそれはしまっておくことにします。
こんなのカルデアに来られたら魔術王が何もしなくとも全滅待ったなしだし、来ることはないでしょう。きっと、多分。


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幕間の物語 -王の妃と不倫した最強の騎士が破滅の未来を救うために現代に召喚されたら、仲が悪かった息子が娘になっていた件について-

それは、あの地獄のようなハロウィンを乗り切ってからひと月ほど過ぎた頃だった。

視力のこともあり、第六特異点攻略後はしばらく養生していたカドックではあったが、現在はダ・ヴィンチ作の視力強化礼装「叡智の結晶(偽)」のおかげで普段の日常生活を取り戻していた。

さすがに、完全に元通りとはいかず、以前よりも格段に視力は落ちてしまったが、それでも見えなかった頃に比べれば生活の快適さが段違いだ。

ダ・ヴィンチ曰く、外部からもっと質の良い素材さえ手に入ればより高性能なものが作れるらしいので、多少の不憫も人理焼却を乗り切るまでの辛抱と思えばいい。

そんなこんなでここ数ヵ月は、無人島開拓やら魔法少女のひと騒動やら色々とあったのだが、それはそれ。

ハロウィン以後は微小特異点も観測されず、第七特異点へのレイシフトも未だ準備不足ということでマスター及びサーヴァントは時間を持て余し気味であった。

 

「では、そこで判定をお願いするでござる」

 

「うむ、圧制! 出目は17で成功である」

 

「なら、スパルタクス氏は気づいたでござる。その何だかよくわからない存在は氏の背中に言い表しようのない寒気を呼び起こし、見えない手のようなものが全身を撫で触る。その存在に気づいてしまった氏は更に判定を。正気を保てるかどうかのチェックでござる」

 

「圧制!? うむ、混乱してしまったか。だが、この逆境を乗り越えてこそ真なる叛逆! しばし待たれよマスター!」

 

「あー、でも、もうすぐ理性が消えちゃうね」

 

「無視すりゃいいのに自分から藪を突きに行くからな、スパルタクスは」

 

「ははは! 主催者が用意した罠なのだ。真正面から破らねば失礼であろう!」

 

「このゲームでそういうプレイするか、普通? やっぱり迷宮探索の方が良かったんじゃないか?」

 

「俺も今更だけど、そう思ってきた」

 

何をしているのかというと、たまたま手が空いていたメンバーでティーチ主催のゲームパーティをしていたのである。

参加メンバーはカドックと立香。そして、何故か名乗りを上げたスパルタクス。彼は一見、無軌道な性格に見えるが意外にも几帳面でルールはきちんと遵守するタイプであった。

最低限のマナーはきちんと弁え、無理難題を言ってゲームを台無しにしたりはしない。あくまでルールに則って叛逆するのが彼の流儀らしい。

だからといって耐久力全振りのキャラクターで罠の類を漢探知しながら突き進むのはどうかと思うが。

 

「あ、出目が大きい?」

 

「おお、残念ながら我が写し身は恐怖の余り発狂してしまったようだ!」

 

キャラクターロスト。いわゆる、ゲームオーバーというやつである。

 

「別のゲームに変えようか? こっちのディストピアなのも興味あるんだけど」

 

「それは明らかにスパルタクスと相性が悪い。こいつが模範的な市民を演じられると思うか?」

 

「ははは! 無論、叛逆である!」

 

「幸福は義務でござるよ、スパルタクス氏」

 

苦笑しつつ、ティーチは次のゲームを取り出そうと鞄の中を物色する。

その間、スパルタクスは先ほど再起不能になった自分の操作キャラクターに黙とうを捧げ、立香は机に置かれた皿から菓子を摘まんで口に運ぶ。

人類の存続がかかったグランドオーダーの真っ最中とは思えないだらけっぷりに、カドックはもうかける言葉を持たなかった。

そもそも、自分もその中の1人となってこうしてゲームに興じているのだから。

 

「失礼します、マスター」

 

不意に背後の扉が開き、甲冑姿の青年が部屋に入ってくる。

短く刈り揃えられた髪に紫の甲冑。円卓の騎士が1人、ランスロットだ。

 

「あれ、ここに来るなんて珍しいね?」

 

「お取込み中でしたか?」

 

「いいよいいよ、丁度手が空いたところだし。何の用?」

 

「すみません、マスター・藤丸、マスター・カドック。実はご相談がありまして」

 

そう言ったランスロットの表情は深刻で、まるでこの世の終わりか何かのように思い詰めていた。

元々、憂いを帯びて影のある顔立ちなので、そんな顔をされるとこちらもつい身構えてしまう。

 

「おや、色男が台無しでござるよ、ランスロット氏」

 

「塞ぎ込むのは良くない。常に顔を上げ、高らかに叛逆を叫ぶのだ。さすれば胸の内の重みも雲か霞の如し」

 

「いえ、その……そうですね。この際、知恵は多いにこしたことはない」

 

彼らなりに仲間を心配している2人に対して、ランスロットはどこかズレた言葉で返す。

どことなく心ここにあらずといった雰囲気に、カドックと立香は顔を見合わせる。

これは、なかなかに面倒くさくなるタイプの相談だと。

 

「実は、マシュ・キリエライト嬢のことなのですが」

 

「あー、なるほど」

 

その名を聞くなり立香はランスロットが何を言いたいのか察し、苦笑いを浮かべながら頬を掻く。

マシュはランスロットの息子であるギャラハッドの霊基と融合している。

血縁関係はないが、ランスロットにとってはある意味では我が子同然の存在なのだ。

だが、ギャラハッド本人かといえばそういう訳ではなく、マシュはマシュとしての人格をハッキリと持っている。

なので、カルデアに召喚されてから未だ、ランスロットはマシュとの距離を測りかねていた。

 

「それでも、挨拶や最低限の会話はあったのですが、最近はそれもなく、顔を見ると逃げられることもありまして」

 

何となく、避けられているような気がするとランスロットは感じているらしい。

彼としては今まで、息子を蔑ろにしてしまった分の罪滅ぼしとして、できることならマシュの力になりたいと思っているだけに、距離を置かれてしまったことに酷く傷ついているようだった。

 

「うーん、何か気に障るようなことした?」

 

「いえ、心当たりは…………あるような、ないような」

 

「また女性職員でも口説いたのか?」

 

「とんでもない。彼女は仕事に悩んでいるようでしたので、相談に乗ってあげただけです」

 

「それだけじゃないだろ?」

 

「……リラックスしてもらうために、お酒を提供しました。いえ、本当にそれだけです」

 

それは周りから見れば女を口説いているようにしか見えないだろう。

このランスロットという男、生真面目な癖に根っこはフェミニストで女性に弱い。

困っている女性がいれば親身に接するし、そうでなくても挨拶代わりに気障な台詞や情熱的な言葉を投げかける癖がある。

悲しいことにマシュにだけはそれがうまくできず、年頃の娘を前にした父親のように固くなってしまうのだが。

 

「うーん、でもマシュだって物分かりの良い子だから、そんな誤解はすぐに解けると思うけどなぁ?」

 

「まさか!?」

 

「まだあるの?」

 

「先日のハロウィン、エリザベート嬢のライブの後の記憶が何故か欠落しており、気が付くとカエサル殿と一緒に酒場におりまして…………」

 

そのままカエサルに勧められるまま飲み明かしている内に気が大きくなってしまい、従業員の女性(未亡人、最近は新人に指名を取られがちで生活が苦しい)に甘い言葉を囁いてあわや一夜の過ちをというところで駆け付けたマシュに耳を引っ張られて連れ帰られたらしい。

ランスロットとしては醜態を晒してしまった上に、こっそり円卓からチェイテピラミッド城に転職していたことがバレて非常に気まずい事態であった。

ちなみにカエサルもクレオパトラが怒髪天を突く勢いで連れ戻しに来たのだが、言葉巧みに追及を躱した上に支払いをランスロットのツケにするという相変わらずのやり手っぷりを発揮してその場を収めていた。

 

「いや、それともあの時の? まさか、以前のあれが………」

 

(この円卓最強、どれだけ厄介事に首を突っ込んでいるんだ?)

 

そんなんだから自分の主君をやむを得ず裏切ったり慕ってくれていた同胞をうっかり切り殺してしまったりするんだぞと、言ってやりたい欲求がムクムクと湧いてきた。

確かにこれではマシュが距離を置きたくなるのもわかるというもの。彼女自身もランスロットのことは家族のように近しい存在として捉えているようだが、その当人がこんな体たらくでは素直に慕う事もできないだろう。

 

「なるほど。湖の騎士よ、それくらいの年頃の婦女子にはよくあることだ。親への叛逆、反抗期というものである」

 

「ぐはっ!?」

 

「麻疹のようなものと思うのだ。何、匂いを嫌がられたり視線を気味悪がられたり、しばらく軽蔑されたりするで済む。貴君がその節操のない生活態度に叛逆できればの話だが」

 

「ぐっ、うっ!?」

 

真正面から投げつけられたスパルタクスの強烈な一撃がランスロットを撃沈させる。

さすがは生涯の全てが反抗期の男。叛逆に費やした人生は一家言ありということだろうか。だが、できればもう少し言葉を濁して欲しい。彼は意外と傷つきやすいのだ。

 

「船長、少し彼を静かにさせてもらえないか?」

 

「えー、一つ貸しでござるよ。次に戦う時はちっちゃな子と同じ編成に入れて欲しいんだけどなぁ」

 

「わかった、小さい奴だな」

 

「さすがカドック氏、話がわかる。では、まずは逃げ道を確保して…………海賊の王様に、拙者はなる!!」

 

「圧制!? 叛逆(ボンジョルノ)!」

 

一目散に逃げ出したティーチの後を追い、スパルタクスが嬉々とした笑顔を浮かべて部屋を飛び出していく。

まるで嵐が過ぎ去ったかのように本やお菓子が部屋中に散らばってしまったが、ティーチの尊い犠牲のおかげで落ち着いてランスロットの相談に乗れるというものだ。

約束通り、次にメンバーを編成する時は彼のリクエストに応えよう。アンデルセンと子ギルで良いだろうか。

 

「ま、まあ、マシュの様子がおかしいのは本当だよ。今日だって用事があるとかでここにいないだろ」

 

「アナスタシアの女子会に誘われたんじゃなくてか? 彼女、マリーやジャンヌとお茶をするって言っていたぞ」

 

「いや、そこには行ってないはずだよ。誰かに会うみたいだったけど」

 

「誰かに? まさか、彼女に男の影が!?」

 

「それはない……はず……」

 

「そこで何故、語尾を濁すんだ、恋愛下手(ど素人)?」

 

どうやら、好いている相手にきちんと気持ちを伝えられない面倒くさい男がもう1人いたようだ。

これは思いの外、ややこしい話になりそうだとカドックは大きくため息を吐くのであった。

 

 

 

 

 

 

「で、どうしてこうなるんだ?」

 

場所を変えてカルデアの通路。

カドック達は今、数メートル先を歩くマシュの後ろ姿を物陰に隠れながら追跡しているところであった。

あれから立香とランスロットの妄想は走りに走り、ランスロットやマスターと距離を置いているのは密かに誰かと交際しているのではないか、純朴な彼女のことだから悪い男に騙されているのではないかと根拠もない話で2人は盛り上がり、もしも彼女に悪い虫が付いたのなら何とかしなければならないと奮起したのである。

正直な話、それなら直接会って問い質せばいいのに、それができない辺りがこの2人の不器用さというか性格的に鈍感な部分なのだろう。

 

「だって、心配じゃないか」

 

「お前の頭の方が心配だよ。聖マルタ(風紀委員)呼ぶぞ」

 

こんなふざけたことに付き合っている自分も随分とお人よしだなと思いながら、カドックは先行する2人の後に続く。

先ほどまで資料室で何かを調べていたマシュは、今は居住スペースの方に向かって歩いていた。

手には資料室から借りたと思われる本。それとは別に可愛らしいトートバックを提げている。あれはバーサーカーの方のヴラド三世が作ったものだ。

 

「む、部屋に入りますね」

 

「あれは…………アストルフォの部屋だね」

 

「シャルルマーニュ十二勇士のアストルフォですか」

 

「そうそう。アストルフォか……うん、それなら安心だ。よかったね、ランスロット」

 

「ええ。ガウェイン辺りの部屋に入ったらどうしたものかとも思いましたが、彼女なら安心です」

 

「いやいや、待て待て。暢気しているがあいつ一応、男だからな」

 

「え、まさか?」

 

「あんなに可愛らしいのにですか?」

 

「脳がスポンジか2人とも?」

 

英霊の中には後世に伝わっているものと性別が異なる者もいるので勘違いするのも無理ないが、アストルフォは立派な男性である。

声も高めで小顔気味だが鎧を脱げば肩幅も張っており、小柄ではあるがきちんと男性の体格をしている。

彼は発狂した同僚のローランを慰めるために女性の装束を纏ったという逸話があるが、普段の格好はその時のものらしいのだ。

 

「え、てことはマシュとアストルフォが…………」

 

「それは何と倒錯的な……いえ、破廉恥な。今すぐ斬りましょう」

 

(ギネヴィアってこの男のどこに惚れたんだろうな?)

 

もっと真面目で高潔な性格を予想していただけに、この残念な空回りっぷりは見ているととても痛ましい。

或いはこれが年頃の娘を持つ父親というものなのだろうか。

 

「とりあえず落ち着け、2人とも。キリエライトが部屋に入る時、使い魔の蠅をくっつけておいた。音までは聞こえないが、中の様子はわかる」

 

「おお、さすがはマスター・カドック。して、2人は何を?」

 

「机に座って話をしているな。キリエライトが何かを聞き取りしている…………あっ!?」

 

「どうしたの?」

 

「蠅を潰された」

 

うっかり、マシュの前を横切ってしまったのがまずかった。悲鳴を上げたマシュが本を投げつけ、それが当たってしまったのである。

こうなってしまうと中の様子を探る手段は他になく、マシュが部屋から出てくるのを静かに待つしかない。

 

「とりあえず、キリエライトが一方的に質問をしているだけだった」

 

「アストルフォはシロと」

 

「む、出てきました。移動するようです」

 

再び、どこかへと向かうマシュを追うこと数分。途中、サンソンの部屋をノックしたが不在であったようで、部屋の主を探すかのように首を巡らしながらマシュは長い廊下を歩いていた。

程なくして、通路の一画に設けられた小さめの談話スペースで小休止をしている黒衣の青年を見つけ、マシュは顔を綻ばせながら駆け寄っていく。

 

「ムッシュ・ド・パリ……ですか。誠実な方ですが、職業が職業だけに手放しでは喜べませんね」

 

「ままま待って、ままままだ2人がそそそそういう関係とはききき決まってないし…………」

 

「落ち着け、動揺がボイルの灰汁みたいに滲み出ているぞ」

 

生まれたての小鹿みたいに震える立香を宥めつつ、マシュとサンソンの会話に耳をすませるが、残念ながら距離が空いているためここからではよく聞き取れない。

こちらが隠れている鉢植えから談話スペースまで十五メートルほどだろうか。これ以上は隠れる場所がなく、近づくことはできそうになかった。

マシュはメモを片手に何かを問いかけていて、サンソンが困惑したりすまなそうな表情で言葉を返しているらしいことだけはわかるのだが。

 

「……私に良い考えがあります」

 

意を決したランスロットは鉢植えの影から一歩踏み出し、話し込んでいる2人のもとへと歩き出す。

慌てて立香は引き留めようとしたが、伸ばした手をするりと躱したランスロットの体は黒い靄に覆われたかと思うと一瞬の内に騎士服を纏った麗しい竜騎兵へと転じていた。

ランスロットの宝具の一つ、正体を隠蔽し他者への変装を可能とする『己が栄光の為でなく(フォー・サムワンズ・グロウリー)』だ。

彼はその効果でシュバリエ・デオンに変装し、2人に近づいたのである。

 

「こんなことに宝具を使うのか、あのダメ親父」

 

「デオンってところがポイントだね。アマデウスじゃ話が抉れるし、マリーじゃサンソンは絶対に気づく」

 

デオンに変装したランスロットは偶然を装って近づき、2人が話していることに探りを入れているようだ。

正直に言うと不安しかないが、今更後には退けないので彼が首尾よく戻ってくることを祈ることしかできない。

そう思った直後、背後から最も来てはいけない者の声が発せられた。

 

「こんなところで何をしているんだい、マスター?」

 

「えっ!?」

 

「デ、デオン? どうして!?」

 

「マリー達のお茶請けがなくなってね、食堂に貰いに行こうかと」

 

どうやらデオンもマリーの女子会に参加していたらしい。

それは幸いだったが、今の状況は非常にまずい。このままデオンを通せばランスロットが変装していることがバレてしまう。

そうなると、マシュの中でただでさえ下降気味なランスロットの評価は修正不可能なまま墜落事故を起こしてしまうかもしれない。

そんなことになれば彼はたちまちバーサーカーと化すだろう。その方が却って扱いやすいんじゃないかという疑念もあるが、ともかく狂ったランスロットは1人で十分だ。

2人も来られたら何人のアルトリアが顔を曇らせるかわからない。

 

「そこをどいてもらえないかな? 食堂にはここを通るのが一番早いんだ」

 

「や、やあ、そうだね。あー、でも今はちょっと……ねえ、カドック?」

 

「僕に振るか!? そ、そうだな……よし、特別にこれをやる!」

 

そう言ってカドックは、鞄の中から手の平より少し大き目の包み紙を取り出してデオンに差し出した。

ほんの僅かに漂うの蜂蜜の香りが鼻孔をくすぐり、立香の腹から小さな音が鳴る。

 

「ロシアの伝統的なお菓子プリャーニクだ。貰いものだが食べきれない分をやるよ。ほら、アナスタシアもいるしきっと喜ぶぞ」

 

「それは多分、彼女が君に食べて欲しくて作ったものじゃないのかい?」

 

(さすがスパイ、鋭い)

 

デオンの推測通り、これはアナスタシアが今日はお茶の時間を一緒に過ごせないから、せめてお茶菓子だけは手作りを用意しておくと言ってわざわざ作ってくれたものだ。

立香達とゲームをするということで、口寂しさを紛らわすのに丁度良いと持参していたのだが、他の面々もそれぞれ菓子やツマミを用意していたので結構、残ってしまったのだ。

 

「……はあ、何か理由があるんだね。君達のことだからおかしなことはしないだろうし、ここはその焼き菓子で手を打とう」

 

ため息を吐き、プリャーニクの包みを受け取ったデオンは踵を返して通路を戻っていく。

その後ろ姿が見えなくなると、カドックと立香はお互いに顔を見合わせて大きく息を吐いた。

ランスロットが戻ってきたのは、丁度その時であった。

 

「戻りました」

 

「はあ……どうだった?」

 

「料理の相談をしていたようです。スパイスの類を持っていないか確認していたようですが、目当てのものはなかったようです」

 

マシュはサンソンと別れ、再び通路を歩き始めている。今度はそれほど進まずに誰かの部屋の前で足を止めた。

ノックをすると音もなく扉が開き、黒いインナー姿の褐色の青年がマシュを出迎える。

カルデアの食堂を守る永遠のチーフコック。ブラウニーことアーチャーのエミヤだ。

 

「っ!」

 

エミヤの姿を見た途端、ランスロットは『無毀なる湖光(アロンダイト)』を抜き放って突撃しようとする。

慌てて立香が令呪で制止しなければ、そのままエミヤに切りかかっていたかもしれない。

 

(こんな事のために令呪を使うのか!?)

 

余りに馬鹿馬鹿しい事態に段々、頭痛がしてきた。

だが、ここまで来たのだからせめてランスロットが満足するまでは付き合おうと思い、萎えかけている気持ちを奮い立たせる。

とにかく今は彼を落ち着かせるのが先決だ。痴情の縺れで殺サーヴァント事件なんて起こされたら堪ったものじゃない。

 

「放してください! 彼だけはダメです!」

 

「何故? 気が利くし家事も万能。優良物件だろ?」

 

「何と言いますか、彼は私と同じ匂いがします。ええ、女性関係の方で特に!」

 

そういえば、エミヤもどちらかというと女性にはフレンドリーに接する方だった。

手が回らない管制室の女性スタッフの手伝いをしている姿も何度か見たことがある。

料理上手ということもあってかブーディカやタマモキャットとは特に仲がいいし、どこかで縁でもあるのかネロと玉藻の前にはいつも振り回されている。

アルトリア達も彼に対しては他の英霊達に対してよりもややフランクで遠慮なく接しているし、最近はそこに魔法少女の小学生まで加わったらしい。

 

(あれ、ひょっとしなくても女の敵じゃないか?)

 

全方面に笑顔を向ける典型的な八方美人。確かにランスロットと同じ匂いがする。

生前からあんな感じなのだとしたら、さぞや女性関係で苦労を背負いこんだことだろう。

それで我が身を省みない辺り、筋金入りのようではあるが。

 

「でも、さすがに宝具を振り回すのはまずいって」

 

「では素手で! せめて一発殴らせてください! 娘の婿をせめて、一発!」

 

「落ち着け、早まるんじゃない!」

 

そもそもまだ、マシュとエミヤがそういう関係であるという確証がある訳ではない。

あくまで彼女がエミヤを訪ねただけなのだ。

 

「やれやれ、人の部屋の前で何をしているんだ、君達は?」

 

騒ぎが大きすぎたのか、エミヤが呆れた表情を浮かべながら顔を出す。

瞬間、3人は互いの顔を見合わせて言葉を失った。

扉が開いたということは、必然的にマシュに姿を見られたことになる。そうでなくともエミヤに知られた以上、彼から自分達の存在がいたことを知るだろう。

同じカルデアの仲間といってもプライベートは尊重されるべきである。なのに自分達は彼女の後をつけ回してあれこれと詮索をしてしまった。

ランスロットはこの世の終わりのように顔を曇らせた。もう二度とマシュに口を聞いてもらえないのかと目の前が真っ暗になった。

立香は混乱が頂点に達してその場で犬のようにぐるぐると回っていた。もしもマシュに嫌われたらどうしようという不安で胸がいっぱいなのだ。

カドックは冷静になった。よく考えたら彼女に嫌われるデメリットが特にないなと。いや、アナスタシアが機嫌を損ねるかもしれないのでフォローは必要だろうが。

 

「あれ? 先輩に……みなさん、ご一緒にどうしたのですか?」

 

「え? あ、いや…………なんだろうね、カドック?」

 

「困ったら僕に振るの止めろ! なあ、ランスロット」

 

「………………」

 

(ダメだ、ただのシカバネだ)

 

顔を曇らせたまま呆然と立ち尽くすランスロットの姿は、自業自得とはいえ見ていて痛ましい。

だが、意外にもマシュは機嫌を損ねたり嫌悪を示すようなことはなく、寧ろ好都合とばかりに手を叩いてランスロットに話しかけた。

 

「丁度良かったです。ランスロットさん、後で食堂に来てください。ご用意したものがあるんです」

 

 

 

 

 

 

三時間後。

夕食にはまだ早く、閑散とした食堂を3人は訪れていた。

別れ際にマシュに聞いてみたのだが、ランスロットのために用意したものが何なのかは教えてもらえなかった。

とにかく時間が来たら食堂に来いの一点張りで、取り付く島もなかったため、彼女がエミヤと何を話していたのか、ここ最近の余所余所しさは何なのかも分からず仕舞いだ。

そのせいか、先ほどからランスロットは落ち着きなくそわそわと体を震わせている。次に会った時、彼女が何を言い出すのか気が気でない様子だ。

 

「いや、さすがに心配し過ぎだ」

 

唯一人、カドックだけはこれから先に起こりうるであろうことに予測がついていた。

そのせいか、彼だけは非常にリラックスしており、立香に淹れてもらったやや苦めのコーヒーをしかめっ面のまますすっている。

 

「マスター、ですが…………」

 

「大事な話なら、こんな人目につく場所は選ばないだろ。ここじゃなきゃいけない理由があるってことだ」

 

「あ、なるほど」

 

こちらの言いたいことに気づいたのか、立香が手の平を叩く。

丁度、その時だろうか。奥の厨房から何とも言えない香ばしい匂いが漂ってきたのだ。

 

「お待たせしました。すみません、調理に少し手間取ってしまって」

 

カラカラと台車を押しながらエプロン姿のマシュが厨房から姿を現す。

その後ろにはエミヤとタマモキャット、ブーディカが並んでいた。

次々とテーブルの上に並べられていく皿は、どれも見たことがない料理が盛り付けられていた。

カリカリに焼かれたハムやステーキが厚めのパンに乗せられており、その上から刺激臭のするソースがかけられている。この香りはマスタードだろうか。

他にもスープやシチュー、付け合わせと思われるパン、ポリッジ()、特にこれといって手が加えられていない野菜や果物も見て取れた。

 

「マシュ、これは?」

 

「はい、できるだけランスロットさんの故郷の味に近づけるよう頑張ってみたつもりなのですが」

 

「私の……故郷の味……」

 

何が何だかわからず、ランスロットはその場で呆然と立ち尽くす。

見かねた立香が無理やり彼の手を引いて机に座らせると、どこからか持ってきたナプキンを首から下げさせた。

 

「ようするに、ランスロットの歓迎会ってこと」

 

蓋を開けてみれば微笑ましいものだ。

アストルフォは比較的ランスロットが生きていた頃と近い時代の生まれのため、当時の食事文化についてのリサーチを。

サンソンにはカルデアには常備できていない香辛料などを持っていないか聞いていた。

エミヤは単純に、レシピの考察や技術指導を行ったのだ。

それもこれも全ては自分の手料理をランスロットに味わってもらうため。

ここ最近の彼女の不審な動きは、人知れず料理の研究や練習に励んでいたからなのだ。

 

「第六特異点も無事に修正できましたし、ランスロットさんも無事にカルデアの一員となられましたので、早くここに馴染んでもらえるようにと思いまして」

 

「その……私のために、手料理を?」

 

「はい。あの、お嫌でしたか?」

 

マシュは丸いトレーで口元を隠し、目を潤ませながら上目遣いにランスロットを見上げる。

そんな可愛らしい仕草をされればハートを撃ち抜かれない男はいないだろう。ましてやランスロットからすれば、疎遠だった我が子がサプライズ企画を用意してくれたとあって、とても言葉では言い表せない感情が胸に込み上げているはず。わかりやすく言うと、効果は抜群だ。

 

「うぅ……そうですか、私のために……なのに私は……私は……」

 

「もう、女々しく泣かないでください、お父さん。みっともないからさっさと食べてくださいね」

 

「うぅ……うん、うん」

 

感動の余り思考が回らないのか、ランスロットは涙ぐみながら何度も頷いた。

大の大人が玩具を与えられた子どものように喜ぶ様に呆れたマシュはきつい言葉を投げかけるが、不思議とその声音に刺々しさは感じない。

そんな2人を周囲の面々は微笑まし気に見守っており、これにて一件落着という空気がどこからか漂ってきた。

そう、その存在に気づかなければ。

 

「Gala……had……」

 

いつからそこにいたのだろうか。全身から哀しみのオーラという名の黒い靄を滲ませながら、ハンカチを噛み締めている黒い騎士甲冑が物陰からこちらを見つめていた。

 

「お、お父さん!?」

 

その存在に気づいたマシュが悲鳴にも似た声を上げる。

そう、そこに隠れていたのはバーサーカーの方のランスロットだ。

ここで一同はマシュの先ほどの言葉を思い出す。これはランスロットの歓迎会。ならば、ほぼ同じタイミングで別霊基として召喚されている彼の方にもこの料理を食べる権利はあるのではないのかと。

それとも、マシュは彼のことなど綺麗さっぱり忘れていたのだろうか。

 

「いえ、そんなことはありません! すみません、ちゃんとお父さんの分も用意していますから、みんなで食べましょう」

 

「Arrrrr」

 

誘われるがまま、半べそをかくバーサーカーのランスロットがもう一人のランスロットの隣に座る。

マシュは丁度、2人のランスロットと向かい合う形だ。

そこまで見届けたカドックは、立香に呼びかけられて無言のまま食堂を後にする。

ここから先は家族水入らずの時間だ。部外者である自分達が側にいるのは余りよくないだろうということらしい。

エミヤ達も同じ考えなのか、隙を見て1人ずつ食堂から姿を消していっている。

 

「私は悲しい……」

 

どこからともなく聞こえてくる竪琴の音。

振り返ると食堂の出入口の側に円卓の騎士であるトリスタンがもたれかかっていた。

彼は愛用の竪琴を奏でながら、しきりに悲しみを歌っている。

哀愁漂うその姿は、最近のカルデアの名物詩でもある。

 

「あ、居眠り豚トリスタン」

 

立香が口にしたのは、とある騒動(イベント)で彼に付けられたあだ名である。

栄光ある円卓の騎士のあだ名とは思えない酷いものだが、本人は特に気にすることなくその呼ばれ方を受け入れていた。

更に言うとそれも既に遠い昔の話。今の彼はカルデア食堂の吟遊詩人。その新しいあだ名とは――――。

 

「今の私は流しのトリィ。それ以上でもそれ以下でもありません」

 

(言いたいだけだな)

 

表情が読み取れず、どこまで本気なのかわからない男である。

 

「ですが、ランスロット卿と比べて我が身の扱いに差があることは悲しい事実」

 

「うーん、そうかな?」

 

「わかりませんか? 第六特異点修正の後、召喚されたのはランスロット卿だけでははありません。我が王や私、べディヴィエール卿もいます。なのに、レディ・マシュはランスロット卿だけに持て成しを催しました。果たしてそれは彼女の意思か、それとも彼の意志か」

 

「さあな。そんなことはわからないし、決める必要もないだろう」

 

「ええ。だからこそ、私は悲しい」

 

再びトリスタンは竪琴を奏で、悲しみを歌う。

何れにしろ、ギャラハッドの根底には父親への憧れや家族の情があり、マシュの根底には軽薄で女に弱いランスロットへの嫌悪や拒否感はあるだろう。

とても複雑な関係だが、それでも彼女達はああして歩み寄りを見せている。今はマシュの優しい面が強く出ているだけかもしれない。明日にはギャラハッドの霊基の影響で親子喧嘩の一つでも始まるかもしれない。

それでも、彼女達はきっと家族と呼べる関係を構築できるだろう。マシュもランスロットもギャラハッドも、それだけは確かに望んでいるのだから。

 

 

 

 

 

 

翌日。

再び時間を持て余したカドック達は、立香の部屋に集まって再びゲーム大会を開いていた。

参加者はカドックに立香、そしてアナスタシアの3人だ。マシュは家族と親睦を深めるということで午後はセイバーの方のランスロットとお茶するらしくここにはいない。

 

「それでデオンが、私の作ったプリャーニクを持ってきたのね」

 

「君にはすまないと思っている」

 

「本当? ちゃんと感想を言ってくれるなら、許してあげます」

 

「もちろん、美味しかったさ。みんなにも好評だった」

 

「どういたしまして」

 

「はいはい、仲が良いのは結構だけど、皇女様の番だよ」

 

自分だけパートナーが不在ということで、こちらにやっかみの視線を送りながら立香はアナスタシアを促す。

今回はルーレットを回して出た目の数だけコマを進めるというボードゲームを行っている。

ゲーム終了までにどれだけの財産を築けたかを競うというモノポリーのようなゲームなのだが、モノポリーと違ってゴールが設けられていること、盤上のマスでは人生に関するイベントが起きるという特徴がある日本のゲームだ。

 

「ふふ、芸能界って儲かるのね。やっぱりこのゲーム、タレントになれるかどうかが最初の分かれ道よ」

 

「いやいや、先んじて高価な家を確保するのも重要だよ。この橋を先に渡り切れば通行料も取れるしね」

 

「お前らは良いな。僕なんてドンケツでフリーターで子どもが3人だぞ」

 

このままでは余程、ルーレットの出目が良くない限り、順位も財産もビリのまま終わりかねない。

こちらは確率計算や透視ができるので、カードゲームでは勝ち目がないと立香が言い出したので了承したのだが、まさか自分がこんなにもダイス運がないとは思わなかった。

 

「くそっ、だいたいどうして僕が回すと株価が下がるんだ。損ばかりしているじゃないか!」

 

「いるよな、そういう人」

 

「私も子宝とは無縁の人生ですし、お金だけあってもちょっと……」

 

「まあ、これゲームだからね。気楽にいこう、気楽に」

 

笑いながら立香は言うと、自分の番が来たということでルーレットに手をかける。

その瞬間、何の前触れもなく扉が開いて紫の甲冑が駆け込んできた。ランスロットだ。

 

「マスター、失礼します!」

 

「ランスロット? どうしたの? マシュと約束していたんじゃ……?」

 

息を荒げ、憔悴し切っているランスロットの姿に一抹の不安を覚える。

この様は、つい最近も見たことがある気がする。まるでこの世の終わりのように青ざめながら伏せる騎士。

ほんの二十四時間ほど前にもこんな風にゲームをしていた時に同じ光景を見た気がする。

 

「実は、マタ・ハリ女史が荷物を重そうに運んでいたので手伝っていたのですが…………」

 

マタ・ハリの部屋の前で彼女に荷物を渡した際、バランスを崩したマタ・ハリを受け止めてそのまま抱きしめてしまったらしい。

それだけならばただの事故。加えて相手はあの百戦錬磨の女スパイであるマタ・ハリ。彼女はその手のトラブルは故意も偶然も経験済みでまったく動じず、寧ろ冗談半分にからかってくる余裕すらあった。

だが、そこに運悪くマシュが通りかかってしまったのが運のツキ。はた目には仲睦まじく抱き合っているようにしか見えない姿を垣間見たマシュは、堪らずこう言い放ったらしい。

 

『お父さん、最低です!』

 

そうして、踵を返したマシュはその足でバーサーカーの方のランスロットを誘い、宝物庫の周回に出向いてしまったらしい。

レイシフトの寸前、弁明のために追いかけてきたランスロットは見てしまった。

憤慨して口も聞いてくれないマシュ(我が子)の姿と、甲冑の向こうでどこか勝ち誇ったかのように兜を震わせているバーサーカー(もう一人の自分)の姿を。

 

「マスター、私はいったいどうすればぁぁっ!!」

 

間の悪さに同情するやら呆れるやら、三者三葉の反応を返す面々に向かって、ランスロットは慟哭する。

季節は冬。

クリスマスを翌月に控えるカルデアでは、今日も今日とて賑やかな騒動が巻き起こっていた。

 

――――人理焼却完遂まで、後2ヵ月。




はい、盾親子でひとネタ一丁。
本当はもっと多くの鯖を出したかったけど、これ以上は収拾がつかなくなるのでこんな感じになりました。
食堂を舞台にするとだいたい、出てくるなエミヤは。
ぐだとゲームするカドックって、最初の頃じゃ考えられませんよね。


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第七特異点 絶対魔獣戦線バビロニア
絶対魔獣戦線バビロニア 第1節


暦は年の瀬に迫りつつあった。

カルデアに残された時間は後、一ヵ月もない。

泣いても笑ってもこの一ヵ月で人類の未来が決まってしまう。

成す術もなく魔術王に焼き尽くされるのか、その喉元に僅かでも食らいつくことができるのか。

その行く末を予見することは、未熟な自分では到底、叶わないことだなとカドックは述懐する。

 

「確かに、七つの特異点を修正できたとして、魔術王のもとへ辿り着ける保証はない。けれど、君も藤丸くんも諦めるつもりはないんだろう」

 

こちらの瞳孔のチェックをしながら、ロマニは淡々と言葉を紡ぐ。

呆れや諦めの感情もあったが、それ以上に強い信頼を声音から感じ取ることができた。

例え全てが無駄に終わるとしても、この世界に生きる人間のために奮闘した者達がいる。

その最前線に立つ2人が君達で良かったと、ロマニは胸の内を吐露するのだ。

 

「キミ達に押し付ける形になってしまったことは申し訳ないと思っている。できることなら、魔術王に関してはボク達だけで挑まなければいけないはずだった。その責任がボクにはあったはずだ」

 

「カルデアの指揮官としてか? それは成り行きだろう? あの時、生き残ったのがドクターだけだったんだ。押し付けられたのはドクターも同じだ」

 

「…………そう、だね。いや、我ながらちょっと責任、感じすぎちゃったかな? あはは…………よし、終わったよ」

 

照れるように髪を掻きながら、ロマニは診察の終わりを告げる。

 

「ここの設備じゃやっぱり、治療は不可能だ。ダ・ヴィンチの礼装だって完全とはいえない。それでも、キミはグランドオーダーを降りるつもりはないんだね?」

 

第六特異点で行った無茶の影響で、カドックの目には大きな障害が残ってしまった。

視力をほぼ失ってしまい、光の明暗や物の影程度しか見えなくなってしまったのだ。

行為の代償と考えれば、寧ろ脳にダメージがいかなかっただけでも幸運と言える。

視力に関してはダ・ヴィンチ作の礼装「叡智の結晶(偽)」のおかげでとりあえず補えているが、それでも今までは支障なく見えていた遠くの光景がぼやけてしまい、視野も霞がかっており狭まっている。

加えて第四特異点での後遺症もある。リハビリのおかげで大分、持ち直したとはいえ、骨格の歪みや左手の麻痺はどうしようもない。

そんな状態で戦いを続けることは今まで以上に危険が伴うだろう。

それでも、カドックは最後までグランドオーダーに臨むつもりだった。

自分の中に生まれたある一つの願い。

それを達するためには何が何でも魔術王を打破し、未来を取り返さなければならない。

何より自分には責任がある。多くの英霊達と出会い、未来を託されたという責任が。

それを今更、放棄することなどできるはずがなかった。

 

「ドクター、人生に意味なんてものはない。僕達魔術師は殊更、それを強く教えられながら育ってきた」

 

魔術師の人生とは徒労を積み重ねることだ。

決して個人では至れない根源に向けて歩み続け、研究を重ね、その成果を次世代に託す。

不可能な事に対して永遠に挑み続けるドン・キ・ホーテだ。

カドックはずっと、そんな生き方を受け入れつつも足掻こうとしてきた。

例え無意味に終わるのだとしても、何か一つでも掴み取れるものが欲しい。

そんな一欠けらの野心は胸に燻り続け、遂には遠い異邦の地であるカルデアでそのチャンスを掴んだ。

それがまたしても無意味に終わるのか、劇的な何かを残して終わるのかは定かではない。

全ては終わりの日。この2016年が終わりを迎える最後の日が訪れるまでわからない。

その瞬間を以て、今日までの自分の人生にどんな意味があったのかと、カドックは知ることができると思っていた。

 

「人は意味なく生まれ、育ち、寿命を迎える。そうして終わった時に初めて、その人がどういうものだったのかという意味が与えられる……か。まさか、同じ話を何度もすることになるなんてね」

 

「うん?」

 

「マシュにも少し前、聞かれたんだ。人の生命に客観的な意味はあるのかってね。君の命題とは似ているようで違う内容だけど、至った答えは同じものだ。うん、彼女も七つ目の特異点を前にして緊張していたのだろうね」

 

果たして、本当にそうなのだろうか。

ロマニが知らないだけで、彼女はひょっとしたら、自分の寿命について知っているのかもしれない。

だから、自分が生まれた意味について悩んでいたのではないだろうか。

そして、ロマニの言葉が彼女に対してどのような影響を与えたのか、それを知る術はなかった。

 

「ほら、今日の診察はこれで終わりだよ。明日には第七特異点へのレイシフトの準備も完了する。そうしたらまた…………」

 

不意に、ロマニの顔から色が消える。

咄嗟に倒れ込んだ体を受け止めることができたのは、まったくの偶然であった。

何の前触れもなく、張り詰めた糸が千切れるかのようにロマニは膝を折ってこちらに倒れ込んできたのだ。

 

「ドクター!?」

 

ただ事ではない事態に、カドックは慌ててロマニをベッドまで運ぶ。

触れた肌はほんのりと熱く、僅かに熱を持っていた。手首を取ると脈が物凄い速度で早鐘を打っているのが分かる。

 

「くそっ、言わんこっちゃない!」

 

鍵のかかった医薬品の棚を魔術で無理やり抉じ開け、ブドウ糖や各種栄養剤の点滴薬と注射針を用意する。

注射針の扱いに関しては北米以降も練習を重ね、今では誤ることなく静脈に針を刺せるようになっている。

ナイチンゲールからは素人が触るものではないときつく注意を受けてはいるが、だからといって素直に従うようなカドックではないのだ。

できることは可能な限り修練を重ね、最悪に備えるのが彼のモットーだ。

 

「こうなるとわかっていて、無理をしてきただろ!」

 

「はは……まあ、そうだね。不様を晒したのがキミの前で良かった。他のみんなじゃ動揺が広がっちゃう」

 

その点、カドックならば過度に気遣う事もないし口も固いだろうとロマニは嘯く。

確かにその通りだが、だからといって限度というものがある。こちらも自分の体のことで手一杯かもしれないが、それでも共に戦ってきた指揮官が倒れたのだ。

それに気づけなかったことに対して負い目を抱かない訳ではない。

 

「…………精査が終わった。ここ最近、寝てないな」

 

魔術で簡単に解析してみたが、ロマニの神経は極度の緊張状態にあった。

特に交感神経が過敏に反応しており、アドレナリンを始めとする脳内麻薬が過剰に分泌されている可能性がある。

気になってごみ箱の中を漁ってみると、案の定というべきか覚醒作用が強いカフェイン剤の空き瓶が大量に投棄されていた。

察するにロマニはここ数日。下手をすると数週単位で睡眠と呼べるものを取っていないのかもしれない。

 

「次のレイシフトは神代だ。観測や存在証明の最後の詰めに手間取ってね」

 

「それで徹夜したのか。いや、僕も偉そうに言える人間じゃないが、あんたのそれは度が過ぎている。この前もダ・ヴィンチから休むよう言われただろう」

 

「何分、ボクは取り柄のない人間だからね。才能で足らない分はどうしても手間と時間をかけなくちゃいけないんだ」

 

「それでもあんたはやりすぎだ。もっと誰かを頼ればいいだろ。あんたにはその権限だってある」

 

それこそ、自分のように負傷したマスターを戦線から下げて補佐につけることだってできたはずだ。

なのに、彼はそうしようとしなかった。根本からロマニは他人を信用していない。彼は何もかもを1人でこなそうとして自分を傷つけている。

そして、その苦しみから彼は逃げようとしない。それがカドックには不可解であった。

決して短くはない付き合いではあるが、彼は決して自分の素といえる部分を見せようとしない。

温和な人物を装っていても、肝心の部分は分厚いベールで覆い隠して見せようとしないのだ。

 

「本当に責任感だけなのか?」

 

まるで自分を追い込むような所業は、あの爆破を生き延びてしまったことへの負い目だけでは説明できない違和感があった。

それこそ、もっと根本的な何かが彼にはあるのではないのかと邪推してしまう。

ロマニ・アーキマン。カルデア以前の経歴は不明。先代所長であるマリスピリー・アニムスフィアがどこからか引き抜いてきた謎の男。

彼は何のためにこのグランドオーダーに臨んでいるのか。全てはそこにあるのではないのかと思えてならない。

 

「ああ、ボクには責任がある。今は、それしか言えない」

 

「ロマニ……」

 

「カドックくん、君はここでの生活をどう思う?」

 

唐突な切り返しに面食らう。だが、ロマニの表情は真剣そのもので、その問いかけを無碍にしてはいけないという直感が働いた。

 

「…………楽しくない、訳じゃない。ああ、楽しいさ」

 

最初は辛かった。レイシフト適性というたった一つの才能を買われたのに、ここには自分以上の存在がたくさん集まっていた。

その中に埋没したまま過ごす日々はとても息苦しく、焦燥感に駆られる日々であった。

だが、グランドオーダーが始まってからは違う。

いつだって生きるか死ぬかの瀬戸際で、楽に勝てた戦いは一つとしてなかった。

左手は動かなくなり、視力も失った。もう楽器を奏でることはできず、譜面を読むことすら苦労するようになった。

あの爆発を生き延びてからずっと、自分は失い続けていくばかりだった。

けれど、その辛い戦いの中で見出せたことがある。

失っていく傍らで、手に入ったかけがえのないものがある。

多くの英雄達と出会い、言葉を交わすことができた。

失ってはいけない友達ができた。

心の底から本当に大切だと思える女性(ヒト)と出会えた。

みんなと過ごす日々は賑やかで、騒々しくて、退屈しなくて、気が付くと端っこで見ているだけだったはずの自分が渦中へと誘われていた。

この一年の鮮やかさは、これまでの十何年の灰色と比べて遥かに美しく尊い思い出だ。

とてもとても充実した一年だった。

例えどんなに辛くても、苦しくても、それだけは胸を張って言いたいと思っている。

 

「ボクも同じだ。いや、勉強尽くしの人生だったけど、ボクは望んでそれを選んだし、何を学ぶかは自分で決めた。ああ、とても自由で楽しい日々だった。ボクはロマニ・アーキマンで、今日までの人生を心から愛おしいと思える。だから、この自由な日々がいつまでも続いて欲しいと思っている」

 

それこそ正に浪漫でしかない。

人は誰もが報われる訳ではなく、日々に楽しみを見出せる者がいるとは限らない。

それでもロマニは今が続いて欲しい、明日が未来に続いて欲しいと願っている。

自分が頑張るのはその為で、これは必要な苦しみなのだと彼は言うのだ。

照れ臭そうに鼻を掻くロマニを見て、カドックは不思議と彼の言葉に込められた熱意に胸の奥が締め付けられたかのような錯覚を覚えた。

ロマニの言葉が余りにロマンティックだったからではない。何故だかわからないが、自らの不自由さを誇る彼の笑顔がとても眩しく見えたからだ。

結局、カドックはそれ以上、ロマニを追求することができなかった。

 

 

 

 

 

 

第七特異点はソロモン王誕生以前の時代。

第六特異点にてアグラヴェインからもたらされた情報をもとにカルデアは一丸となって時代を遡り、遂にその時代を特定した。

それは紀元前2600年。未だ世界が一つであり、神秘が色濃く残されていた神代の末期。

ティグリス・ユーフラテス領域に栄え、多くの文明に影響を与えた母なる世界。

古代エジプトとほぼ同じ時期に発生した最古の文明。即ち古代メソポタミア。

それこそが最後の特異点となる時代であった。

 

「西暦以前の世界……まだ世界の表面が神秘・神代に寄っていた世界……」

 

「それって、想像もつかないな」

 

ロマニからのブリーフィングを受け、マシュと立香が顔を曇らせる。

前者はこれから赴くことになる時代の過酷さを想像し、後者はそもそもそこがどのような時代なのか見当もつかないことに動揺しているのだ。

カドックとしても次なる特異点に対しては不安半分、期待半分といったところだ。

何しろ魔術世界の歴史でも未だ不明な点が多い時代だ。見たこともない魔獣が跋扈し、現代では有り得ない気候や風土が広がり、そこには既に滅んでしまった霊草の類が群生している。

それに興味を抱かない魔術師はいないだろう。特に神代回帰を謡う彷徨海の連中なら目の色を変える事必至だ。彼らですら触れることができない時代に赴けるのだから、嫌でも緊張が走るというもの。

 

「今回は報告に上がっていたエジプト領よりも魔力が濃い時代になるだろう。念のためマスク代わりのマフラーを作っておいたから、2人ともそれを巻いておくといい」

 

手渡されたマフラーはきめ細かく柔らかな肌触りで、巻いていてもあまり暑苦しさを感じない。

毎度のことながら、どういった構造をしているのか非常に興味をそそられるが、きっと聞いても分からないだろう。

ダ・ヴィンチ工房脅威のメカニズムとだけ思っておけばいい。

 

「さて、メソポタミアという言葉は元はギリシャ語だ。メソは中間、ポタミアは河という意味を持つ」

 

ペルシア湾へと流れるティグリス河とユーフラテス河の間で栄えた文明。故にメソポタミアと呼ばれている。

非常に長大な文明なので一口にメソポタミアといっても年代によって大きな違いがある。

例えば紀元前6000年頃はいくつかの集落があるだけで国と呼べるような体裁は取られていないし、紀元前2000年頃になると多くの都市国家が形成されて交流や戦争が行われていた。

今回、レイシフトを行うのは紀元前2600年頃。シュメールにおける初期王朝が成立していた時代であり、魔術的な視点によると人間が神と袂を分かった最初の時代とされている。

時の王が神々の思惑から外れ反抗したことで、その時代を契機に神代の神秘は薄れていき、地上から神霊は姿を消していった。

言い換えるならばこの時代はまだ神霊の残り香があるほど遠い時間の果てであり、それはレイシフトの難易度を跳ね上げる要因となっていた。

レイシフトとは要するに、広げられたスクロールの端に立ち、そこからボールを投げるようなものだ。

目的の時代が遠ければ遠いほど狙いは定まらず、レイシフトの難易度は増していく。神代ともなればシバも安定せず、百パーセント確実な転移は不可能だろう。

故に今回は、解析などを担当しているダ・ヴィンチも管制室に詰めてロマニのサポートをすることになっている。

 

「危険は計り知れないだろうけど、キミ達は現代人が知ることのない古代の世界に飛び込むんだ。素晴らしい発見がある事を願っているよ」

 

ロマニの言葉に、立香とマシュが大きな声で返事をする。

カドックはというと、少し照れ臭そうに頬を染めながら小声で返事を呟いていた。

その様子を目ざとく見つけたアナスタシアは、頬を緩ませながらパートナーの手を取ってコフィンへと導いた。

誰かに気づかれたら――それこそマシュのパートナーである立香に気づかれればすぐにそれを指摘してみんなに広まってしまう。

そんな勿体ないことはできない。この微笑ましい光景を独占して良いのは自分だけなのだと、アナスタシアは小さく頷いた。

 

「ふふっ、楽しみね」

 

「楽しみか…………そうだな、楽しみ……なのかな」

 

第六特異点へレイシフトした時とはまた違う気持ちが胸中にあった。

使命感でも義務感でもない。立香への負い目とも違う、純粋な好奇心が湧き上がってきていた。

不謹慎かもしれないが、自分は特異点での新たな出会いや発見を楽しみにしている。

次なる地、メソポタミアではどんな英霊と出会えるのか、自分達はどんな思い出を作れるのか。

そう考えると、不思議と胸が高鳴っていた。

 

 

 

 

 

 

俄かに街の喧騒が増していく音で、カドックは目を覚ました。

起きてまずすることは体調の確認。手足が十二分に動くかを調べ、魔術回路の状態をチェックする。

右手、右足、左足問題なし。回路は良好。記憶も昨夜のものから継続しており、自分が問題なく起床できたことを実感する。

枕元に置いておいたレンズをかけ直すと、灰色だった視界にも色が戻ってきた。

土と石で組み上げられた壁。ガラスのない窓。まだ見慣れない異国の天井。

ここはメソポタミアの都市国家ウルクの一画に設けられた一軒家。通称カルデア大使館と呼ばれる現在のカドック達の拠点であった。

 

(夢ではない……か……)

 

神代へのレイシフトは無事に完了した。

普通に生きていれば決して知ることができなかった古代の暮らしがそこにあり、触れることが叶わない自然が目の前に広がっている。

ここでは多くの人々が日々の糧に感謝し、課せられた労役をこなし、子を育んでいた。

科学文明が発達していない分、より自然に根差しした素朴で活気に満ち溢れた世界が広がっていた。

しかし、同時にその世界を脅かす影があった。

「三女神同盟」と呼ばれる神霊サーヴァント達が結託してメソポタミア全土を襲っており、既に多数の都市国家が陥落しているらしい。

時の王であるギルガメッシュはウルクを城塞都市と化して徹底抗戦を訴えており、独自に英霊召喚すら行って三女神達との決戦に備えていた。

カドック達は当然ながらギルガメッシュに協力を求めたのだが、人類最古の英雄王は突如として現れた異物でしかないカルデアを不要なものであると断じて聞く耳を持たず、下働きから出直すよう命令された。

そうして与えられたのがこの一軒家と祭祀長シドゥリが集めてくる雑用の数々であった。

 

(要するに、働いて有益を示せってことか)

 

魔術師の世界においても損得は非常に重要な価値観だ。というより、魔術師は基本的にそれでしか動かない。

相手が自分に利益をもたらすのなら悪人とだって交流を結ぶし、人道に反することだって平気でする。

魔術の大家に媚を売るのも日常茶飯事だ。

つまり、慣れたものである。

既に立香とマシュも羊の毛刈りの手伝いなど住民からの依頼を精力的にこなしている。

自分は片手のハンデがあるのでなかなかできる仕事がなく一日目は街の下見だけで終わってしまったが、今日こそは自分にもできることを見つけなくてはならない。

 

「あら、おはよう……アナタ」

 

「おはよう。よく、眠っていたね」

 

「少し、お寝坊さんだったかしら? ねえ、ヴィイ」

 

まだ眠そうに瞼を擦りながら、アナスタシアは腕の中のヴィイを抱きしめ直して立ち上がる。

普段の格好は暑すぎるということなので、今はドレスを脱いでインナーの上に現地の民族衣装を羽織っている。

北国育ちの彼女からすればそれでも暑いらしく、額からは早くも汗が滲みだしていた。

 

「みんなも起きているかしら?」

 

「多分……下から音が聞こえるし……」

 

「そう……なら、お披露目には丁度いいわ」

 

「お披露目?」

 

「昨日の内にシドゥリ様から前借をして、街の彫り師に頼んでいたものがあるの」

 

上着を着せてもらい、シャツのボタンを留めてもらいながらカドックは聞き返す。

そういえば昨日は途中から別行動だったが、いったい何をしていたのだろうか。

心なしか不安が増していくのは気のせいではあるまい。

 

「大丈夫……きっとアナタも気に入ると思います」

 

「はあ……?」

 

首を傾げながら、カドックは朝食を取るために階下へと向かう。

既に起きていたマシュが朝食の準備を済ませており、立香も身支度を整えて席についている。

他の面々はギルガメッシュから任されたそれぞれの役割があるので既に出かけているらしい。

 

「おはよう。あ、皇女様に市場から届け物だよ。外に置いて布被せておいたから」

 

何やら楽しそうに笑う立香の顔が不安を煽る。

マシュはというと、楽しさ半分、申し訳なさ半分といったところだろうか。

アナスタシアは言わずもがな。そのせいで折角の粥の味もほとんど味がわからなかった。

そして、数十分後にカドックの不安は的中することになる。

 

「はい、次の方」

 

「すみません、今朝から体がだるくて、鼻水も止まらないんです」

 

「……体を暖かくして、頭を冷やすといい。氷は必要な分だけこちらで用意する。それと水分は大目に取るように」

 

「次の方」

 

「子どもが転んで足を痛めまして。触るととても痛がるんです」

 

「これは折れているな。添え木をするから動かさないように。杖は健脚の方で支えるようにするんだ」

 

「次の方」

 

「胃のムカムカが取れなくて……」

 

「麦酒の飲み過ぎだ、しばらく控えろ」

 

「次の方」

 

「最近、不安で寝付けなくて…………」

 

「隣に住んでいる幼馴染が誰かの嫁にいかないか心配? とっとと告白しろ! 恋の病が病院で治るか!」

 

「次の……」

 

「って、ちょっと待て! アナスタシア!」

 

苛立ち紛れに机を叩き、アナスタシアの言葉を遮る。

 

「これは何なんだ!」

 

「何って、診療所よ。あなたが院長で、私が婦長。その名もロマノフ診療所」

 

そう、アナスタシアが市場で頼んでいたのは診療所の看板だったのだ。

しかも道すがら宣伝も行っていたようで、興味本位の見物客も含めて初日にも関わらず大盛況だ。

結果、カドックは仕方なく医者の真似事をさせられている。いや、確かに第六特異点でも似たようなことはしていたし、昨日は仕事がなくて燻っていたが、せめて一言相談して欲しかった。

こちらにも準備というものがあるのだ。

 

「嘘。アナタ、知っていたら絶対に反対したでしょ」

 

「うっ……そりゃ、そうかも……しれないが……」

 

「アナタの人付き合いの悪さはよく知っています。はい、次の方!」

 

「って、おい!」

 

制止も虚しく、新たな患者が部屋の中に入ってくる。

結局、その日は夕方までの時間をロマノフ診療所の診察室で過ごす事となった。

ウルク滞在二日目の出来事であった。




というわけで、7章開始です。
多分、年内完結は無理だろうなと思います。
皇女様的にも病院経営は思う所あると思うんですよね。


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絶対魔獣戦線バビロニア 第2節

ウルク市の朝は早い。

陽が東から顔を出す頃には工房から煙が上がり、刃物を鍛える槌の音で人々は目を覚ます。

女性は井戸場から水を汲んでその日の家事を始め、男性は身支度を整えて職場へと向かう。

子ども達も例外ではない。学のある者は学校に行き、そうでない者は年長者が幼い者の面倒を見る。

観察していると分かる事だが、手持ち無沙汰にしている者が一人としていない。

それは仕事に就いているとか、世話をしなければならない家族や家畜がいるからという訳ではない。

まだ世界が狭いが故に、誰かが欠ければ国が回らないからだ。そして、誰もがそれを深く理解しているが故に歩みを止める者はいない。

彼らは生きる希望と活力に満ちており、各々が役割を見つけてそれに従事しているのだ。

ここには無駄なものが何一つとしてない。無為に生きている者が一人としておらず、皆がその日を懸命に過ごし、明日を夢見て眠りにつく。

それこそが神代に生きる人々の強さであった。

だが、そんな人々を脅かす魔の手がすぐそこまで迫ってきている。

三女神同盟。

ウルクの北に建設された北壁を防衛ラインとする魔獣戦線。

突如として広がった南の密林。

北東の山脈から飛来する女神による無差別爆撃。

三方向からの侵略に対してギルガメッシュ王は様々な策を講じてはいるが、現状は防衛線を維持するのが精一杯の状況であった。

首魁とされる神霊サーヴァントの狙いはギルガメッシュ王が持つウルクの大杯。オケアノスや中東にあったものと同じ、この時代に元々存在した聖杯だ。

恐らくはそれを手に入れることでこの時代の人理定礎を破壊し尽くすことが目的なのだろうとギルガメッシュ王は言っていた。

 

(そんな状況だっていうのに、僕らは今日も人助けか)

 

朝食を頬張りながら、カドックは心の中で自嘲する。

不本意ながらロマノフ診療所の評判は上々。長蛇の列とはいかないが、神官でもお手上げとなった病も診てもらえるということで連日、多くの人々が訪れていた。

実際はカドックの魔術とカルデアにいるロマニの医学知識によるものなのだが、ウルクの市民は知る由もない。

最近では遠出ができない老人達の為に往診まで行っている。

褒められたり感謝されたりするのは嫌いではないし、それなりにやり応えのある仕事なのでカドックとしても満更ではない気持ちだったが、やはり心の奥には不安があった。

既にウルクに来てから十日余り。残る時間は刻一刻と迫ってきているのだ。

 

(まあ、今は考えても仕方がないか)

 

特異点の修復もそうだが、目の前の問題も山積みだ。

朝一番の診察を待つ患者への対応、往診の合間を縫って薬品の材料の買い出し、留守番を任されている身として大使館の補修などやるべきことは多い。

まずはこの朝食を平らげ、できることから一つずつ手を付けていくことにしよう。

 

「フォーウ、フォウ!」

 

(そういえば、何でこいつはいるんだろうな?)

 

つい先ほどまで、自分の皿の上に盛られていた干し肉に齧り付く白い物体を見下ろし、カドックはため息を吐く。

今回はどういう訳か、レイシフトにフォウが紛れ込んでいたのだ。

マシュ曰く、誰かのコフィンに潜り込んだまま気づかれなかったのかもしれないということらしい。

今まで、大人しくカルデアで留守番をしていたというのに、いったいこの毛むくじゃらな生き物は何を思って密航など企てたのだろうか。

疑問は尽きることがなかったが、残念ながらフォウがいるとマシュの精神状態が非常に安定することもあり、余り大きな声で不満を漏らすこともできなかった。

 

「フォウ! フォーウ!」

 

「ほら、これで終わりだからな」

 

お代わりを催促され、カドックは眉間に皺を寄せながら皿の上の肉を放り投げる。

まるで投げた円盤を口でキャッチする犬のように、フォウは華麗な放物線を描いて肉を受け止めると、部屋の端の方で満足そうにしゃぶりつくのだった。

 

「モコモコ……」

 

美味そうに肉を頬張るフォウを見て、カドックの対面に座る少女が小さな声を漏らす。

黒いフードを目深に被った大人しそうな少女。アナと名乗るこの少女はここの同居人であり、この時代で出会ったはぐれサーヴァントだ。

残念ながら真名は教えてくれなかったが、刃物の扱いに関しては相当の使い手で、彼女がいなければウルクに辿り着くことなく自分達は全滅していたであろう。

それにしても、鎌を使う幼子の英雄などいただろうか。

 

「ふふっ、アナちゃん、お顔にお髭がついていますよ」

 

「あ、すみません」

 

牛乳を飲んだ際についてしまったのだろう。アナの口の周りには白い輪っかが描かれており、それをアナスタシアは布巾で優しく拭い取る。

恐縮そうに礼を言うアナの姿が微笑ましいのか、彼女はそのままフード越しにアナの頭を優しく撫で始めた。

名前が似ているということで親近感が湧いたのか、彼女はここに来てからというもの何かにつけてアナを可愛がっている。

本人は子ども扱いされることを嫌がっているが、それはそれとして構ってもらうことを拒否するのも気が引けるようで、何とも複雑な表情を浮かべているのが印象的だった。

 

「そうだ、今日はお天気もいいし市場に行きましょう。お外でお昼を食べるの。いいでしょ、アナちゃん」

 

「えっと……はい、特に用事はありませんので、大丈夫です」

 

「良かった。近くに大きな岩がある広場を見つけたのだけど、昇ったら見晴らしも良いし、きっと楽しいと思うの」

 

「岩登りですか? えっと、はい、構いません」

 

「アナスタシア、岩ってあの集会場の隣にある大岩か? 止してくれ、三階建てくらいある奴じゃないか」

 

暑い日は日差しを遮ってくれるので重宝しているが、前にそこで遊んでいた子どもが足を滑らせてケガをしてしまったことがあるらしい。

街の寄り合いでも危険なので同じことが繰り返される前に壊した方が良いという意見も出ている。

サーヴァントとはいえアナは子どもだ。危険な真似なんてさせられない。

 

「そうかしら? 少しくらい危ない目にあった方が、この娘のためになると思うの」

 

「大事になったらどうするんだ。それよりも今は勉強する事の方が大切だ。この時代、識字は立派なスキルなんだ。学校で学んだ方がよっぽど身になることが多い」

 

「あら、子どもはお外で遊んでのびのびと育つものよ。健康で丈夫な体を作る事が一番なんだから」

 

「アナは頭が良いから、勉強して神殿勤めを目指した方が良いに決まっている」

 

「アナタはわかっていません。子どものことなのよ、もっと真面目に考えて!」

 

「僕は真面目だ。君だって、この娘に理想を押し付けているだけじゃないか!」

 

苛立ちを紛らわすために髪の毛を掻き回し、やぶ睨み気味に向かい合うアナスタシアを見やる。それが癪に障ったのだろうか、アナスタシアは氷のような冷たい眼差しでこちらを睨み返してきた。

2人の間に火花が散り、気まずい空気が食卓に覆い被さる。

一触即発。今にも喧嘩が始まりそうな光景に、横でマシュと談笑していた立香が思わず背筋を強張らせた。

 

「あの、どうして2人は私の将来についてこんなに真剣に話し合っているのでしょうか? というか、私、いつからお二人の子どもになったのでしょう?」

 

干し肉を食べ終えたフォウを抱きかかえ、ブラシで毛繕いをしながらアナは首を傾げる。

少女の純真な疑問に対して、立香もマシュも返す言葉が見つからなかった。

 

「えっと……どうなんでしょう、先輩?」

 

「犬も食わない‥‥…ってやつなのかな?」

 

そんなこんなで、今日もウルクの一日が始まろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

午前の診察を終え、カドックはアナスタシアと共にアナを連れてウルク市の市場を訪れていた。

結局、あれから言い合いの末に午後は広場で遊ぶということになったのだ。

ただ、カドックの方は何人かの往診が控えているので昼過ぎには先に戻ることになっている。

 

「本当、いいお天気」

 

「はい、お空がとてもきれいです。けど、少し人が多いです」

 

「そりゃ、市場だからな」

 

元々、シュメール王朝では交易こそ盛んではあったが、市場経済という概念は余り発達してはいなかった。

貨幣を用いた資産の貯蔵は凡そ500年先に生まれるものであり、本来の時間軸においては人々は物々交換でモノのやり取りを行っていたのだ。

だが、ウルクを城塞都市化した際に非常手段としてギルガメッシュ王は貨幣制度を導入した。

これにより、市民間での売買を推奨することで経済を動かし、引いては都市全体の活性化を図ったのである。

その結果、自由主義とは無縁のはずであった都市には連日、様々な品物が並ぶ巨大市場が出来上がる形となった。

パッと見ただけでも工芸品に衣類、アクセサリー、花や石、動物の皮や骨、薬など実に多岐に渡る店が軒を連ねている。

中には調理済みの料理を提供する飲食店のようなものもあった。

当然ながら、市場は常に人で溢れ返っており、王の狙い通り活気に満ち溢れていた。

 

「ほら、こっちに来るんだ、アナ」

 

人混みからアナを守るように、カドックは彼女の手を引いて自分とアナスタシアの間に誘導する。

察したアナスタシアもそっと左手を伸ばして空いているアナの右手を握り締め、アナは2人に両手を握られる形となった。

アナは恥ずかしそうに顔を赤らめるが、拒否を示すことはなかった。ただ、2人に促されるままに市場の波を掻き分け、途中の露店を眺めながら目的の広場へと向かう。

その様はまるで、本当の親子のようであった。

 

「マシュ達も来れば良かったのに」

 

「向こうは向こうで仕事だからな。できれば、僕もあっちに行きたかったけど」

 

「カドックさん、本気ですか? 死にますよ?」

 

「知っているよ」

 

立香とマシュは午後から、ウルクの兵士達の訓練相手を務めることになっている。

依頼主はレオニダス一世。そう、スパルタ国王レオニダス一世だ。

ギルガメッシュによって召喚されたサーヴァントの1人で、平時は北の魔獣戦線の指揮官として采配を振るいつつ、兵士の訓練なども行っているらしい。

本場スパルタの指導というものが果たして如何ほどのものなのか、是非とも拝聴したかったのだが、残念ながら往診の予定を動かすことはできなかったので今朝は涙ながらに2人を送り出すことになった。

ちなみにスパルタでは素手で猛獣を殺せれば一人前。訓練中にケガや病を負った者は死刑という過酷な試練を貸し、何故かそれがまかり通った事で史上最強の軍隊が出来上がってしまった。

その物差しに当てはめれば自分は戦士失格であり殺されてしまうことを、アナは指摘していたのだ。

 

「アナタ、私達と過ごすのが嫌なのかしら?」

 

少しわざとらしさすら感じさせながら、アナスタシアは頬を膨らませてふてくされる。

目線はアナに向けられていて彼女に真似をするよう訴えており、察したアナが不承不承とばかりにフードに隠れた顔を小さく膨らませる。

似ていない親子の悪戯にカドックは呆れ交じりに苦笑を返す。

 

「そんなことはない。少し残念だなって思っているだけだ」

 

「本当?」

 

「本当だ。でなきゃ、ずっと家に閉じこもっている」

 

「そうだったわね。アナタってそういう人でした」

 

破顔するアナスタシアに釣られてカドックも僅かに頬を吊り上げる。

その様を不思議そうに眺めていたアナは、2人がどうして笑い合っているのかが分からず首を傾げることしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

目当ての広場は市場を抜けた先にあった。

市民が運動や祝い事をするための広場で、一画には地区の代表達が集まるための集会所が設けられている。

アナスタシアが話していた大岩もその隣にあった。さすがに危険なので一番上まで昇っている者はいなかったが、それでも何人かの子どもが岩の付近で遊んでいる姿があった。

 

「先を越されちゃったわ。仕方ないから、お昼はこっちの木陰で頂きましょうか?」

 

「本気でてっぺんで食べるつもりだったのか、君は?」

 

「もちろん。けど、子ども達が遊んでいるところに割り込むわけにはいかないでしょう?」

 

微笑みながら、アナスタシアは鞄の中から用意してきた昼食と水が入った革袋を取り出す。

献立はアカルというビール酵母のパンと骨付きのラム肉。3人で出かけるとあって、朝の診察そっちのけでアナスタシアが作ったものだ。

本人が腕によりをかけたと言うだけあってアカルは会心の出来であった。

麦酒の風味が独特ではあるが、蜂蜜をかけて食べるとこれが意外と美味い。固めの食感は腹持ちが良く食べ応えもあった。

ラム肉は少し時間が経っていたこともあって固くなっており、水がなければ飲み込むのに苦労しただろう。残念ながらこの時代に胡椒はまだないため、味は非常に淡白である。

 

「ごちそうさまでした」

 

「どういたしまして。アナちゃん、お水はまだ飲む?」

 

「いえ、もう充分です。お腹もいっぱいです」

 

「マシュ達、きっと疲れているでしょうから、帰りはバターケーキを買って帰りましょうか? アナちゃんも好きでしょ?」

 

「バターケーキ? はい、是非」

 

子犬のように尻尾を振るアナの頭を、アナスタシアは愛おし気に撫でる。

その光景を何となく眺めていたカドックの頬を心地よい風が撫で、遠くからは市場の喧騒と大岩の周りではしゃぐ子ども達の声が聞こえてきた。

人理焼却が間近に迫っているとは思えない穏やかな時間。カドックは心のどこかでつい思ってしまう。

こんな時間がいつまでも続けば良いと。

そう、この街はとても居心地がいい。

無駄なものが一つもなく、無碍に扱われる者もいない。

突出した天才も取り柄のない凡人も皆、それぞれに役目があってそれを全うしている。

そのシンプルな生き方は、ずっと才能に振り回されてきたカドックにとって、とても生きやすい世界であった。

仕事もある、生活するのに十分な収入だってある、何より自分を凡人と蔑む者もいない。自分が羨む天才もいない。

ただそれぞれが違った個性を持ち、それに応じて生きているだけなのだ。

こんな世界でいつまでも暮らしていければ良いのにと、カドックは心のどこかでつい考えてしまうのだ。

もちろん、最後にはそれは叶わない願いであることを思い出すのだが。

 

「あ、見つけましたよカドック」

 

不意に声をかけられ、カドックは我に返る。

振り向くと異邦メソポタミアには似つかわしくない東洋人がこちらに向けて手を振っていた。

 

「あら、シロウ神父。ごきげんよう」

 

「ごきげんよう、アナスタシア皇女。今日もよいお天気ですね」

 

芝居がかった仕草で恭しく礼をした青年の名は天草四郎。立香の話では、彼と同じ故郷の英霊らしい。

何でも地方で圧政に苦しむ農民や宗教家のために反乱を起こしたのだとか。

此度はルーラーのサーヴァントとしてギルガメッシュ王に召喚されており、平時はウルク市の見回りや市民の相談事に乗ったりしているらしい。

人当たりは良いのだが、言葉の端々に何とも言えない胡散臭さが滲み出てくるのでカドックとしてはやや苦手な手合いではあった。

 

「何か用か、シロウ?」

 

「ええ、折り入って頼みたいことが。ああ、時間が圧していますのですぐに来て頂けませんか? そこまで遠くはありません」

 

「まず要件を言ってくれ。詳細を知らせずに了承を取るのは詐欺師のやり方だ」

 

「これは心外。ですが、その通りですね。ええ、急患なのですが、これが私ではお手上げでして、是非とも力を貸して欲しいのです」

 

「それを先に言え!」

 

激昂しながらカドックは立ち上がり、服についていた砂を払う。

ここはインフラが整備された現代社会とは違うのだ。ウルクの人間は現代人よりも遥かに丈夫で健康だが、一度でも病に罹患すれば清潔面の問題などから軽い病気でも手遅れになることがある。

言ってくれれば二つ返事で了承したというのに、この神父はどうして変に勿体ぶるのだろうか。

 

「アナタ、走るなら肩に捕まって」

 

「私も行きます。何か、お手伝いさせてください」

 

「では、こちらに。少し急ぎますよ」

 

手早く荷物を片づけたアナスタシアは、半ば背負うような形でカドックを支えながらウルクの街を疾駆する。

持病の外反母趾が痛むのか、数分もしない内に険しい表情を浮かべるが、彼女は唇を噛み締めたまま走る速度を緩めなかった。

その横顔をチラリと見やったカドックの胸中は複雑であった。自分がこんな体でなければ、彼女に迷惑をかけることもなかっただろう。

 

「ここです。患者はこちらに」

 

そう言って四郎に案内されたのは、旅商人や競売人達が住まう区画に設けられた一軒家だった。

四郎の話では家主は不在で、今は若い奴隷が留守番をしているとのことらしい。

その奴隷が急患なのかと思ったが、四郎は黙って首を振って屋敷の裏手に回る。そこには荷車を引くために使う牛達が住まう牛舎が設けられていた。

四郎がその内の一つに向けて呼びかけると、中からまだ十を越えたばかりと思われる少年奴隷が顔を出した。

 

「やあ、遅くなってすみません。どんな様子ですか?」

 

「さっきからずっと、苦しそうに鳴いています。段々、痛みが増してきたみたいで」

 

「ああ、それはもう間もないですね。間に合ってよかった」

 

「シロウ、ひょっとして急患っていうのは…………」

 

「ええ、彼女のことです」

 

四郎が指差したのは、牛舎の中で苦し気に呻いている一頭の雌牛だった。

黒い瞳を潤ませながら懸命に力む彼女のお腹は、それは見事な臨月であった。

 

「おい、百歩譲っても僕は人間専門だ。せめて羊牧場の方を当たれ!」

 

本で多少の知識は仕入れているが、動物は基本的に専門外だ。ましてや妊婦ともなれば自分の手に余る。

念のためロマニにも問い合わせてみたが、彼もこちらと同じ意見だった。

 

『うーん、僕も動物は専門外だね。妊婦となると尚更だ』

 

「私もそう思ったんですが、どうも様子がおかしくて。事は一刻を争うと思ったので、あなた方を探していたのですよ」

 

「ああ、アナスタシアさんの眼ですね」

 

アナスタシアの透視の魔眼はあらゆる虚飾を払い真実を浮き彫りにする。

それを用いれば母体の中の胎児の様子を見ることができるだろうと彼は考えたようだ。

 

「お願いします。こいつはこれが初産なんです。何かあったら旦那様に何て言われるか」

 

余程、主からの折檻が恐ろしいのか、少年奴隷は必死で頭を下げて食い下がった。

そうなると無碍に断れないのがアナスタシアという少女だ。優しい皇女は申し訳なさそうに俯きながら、こちらに視線を送って許しを請う。

今回はそこにアナの上目遣いも追加だ。さすがに女性2人から懇願されれば首を縦に振らざるを得ず、カドックは渋々アナスタシアの魔眼を使うことを了承した。

 

「わかった、やってくれ」

 

「ええ」

 

短く答え、アナスタシアはヴィイを抱きかかえたまま陣痛に苦しむ雌牛を凝視する。

重苦しい沈黙。狭い牛舎の中は日差しが遮られてはいるが、地面からの熱がこもっているのかとても蒸し暑い。

時間にして僅か十秒ほどだったにも関わらず、まるで一時間かそこらは睨んでいたのではないのかと錯覚してしまった。

 

「えっと……なんていえば良いのかしら? 足の方が下を向いていて…………」

 

「足? 後ろ足のことか?」

 

「ええ」

 

構造上、子宮は上向きなので胎児はそこから滑り落ちるように生まれてくる。

定番は頭からだ。前足からの時もあるが、要するに胎児は母体の中では下を向いているのである。

だが、アナスタシアが視た牛の胎児は後ろ足を下に向けているらしい。

 

「逆子、ですか?」

 

アナの問いにアナスタシアは無言で頷く。すると、今まで心配そうに親牛を慰めていた少年奴隷の顔が一気に暗くなり、下顎がカタカタと震え出した。

 

「旦那様から聞いたことがある。逆子の牛は引っ張り出してやらなきゃ死んでしまうことが多いって」

 

後で知った話によると、牛は出産の際に自然とへその緒が切れるようになっているのだが、逆子の場合はそのタイミングが早いせいで産道内で酸欠状態に陥ってしまうとのことらしい。

加えて牛が逆子を自力で産み落とすことは難しいらしく、人間が足を引っ張るなどして手助けしてやる必要があるとのことだ。

 

「死んでしまうって……それ、まずくないか?」

 

ここから郊外の羊牧場までサーヴァントの足で15分。そこから動物のお産に詳しい者を探して連れて来るのにどれだけの時間がかかるだろうか?

それともここの家主を探して呼び戻すべきか? 自分の財産の一大事なのだ。余程の馬鹿でない限り、飛んで帰ってくるのではないだろうか?

とにかく、早急に手を打たねばこの牛の子どもは外の世界を知ることなく死んでしまうだろう。

そして、それに対してこれ以上、自分にできることは何もない。

何もない、はずだった。

 

「っ……お母さん牛の様子が!?」

 

「いけない! 破水しています! 産道が開いて、足が…………」

 

女性陣2人の声に覆い被せるように、親牛が一際大きな鳴き声を上げた。

まるでそれに釣られたかのように他の牛達も鳴き声の合唱を奏でる。

カドックが苦心して牛の後ろに回り込んで覗き込むと、確かにヌメヌメとした膜に覆われた黒い足先が親牛の股座から飛び出していた。

だが、何かに引っかかっているのかそれ以上出てくることはなく、ただ親牛の悲痛な鳴き声だけが牛舎に木霊するばかりだった。

 

「なっ……っ……ん……!?」

 

生き物の体の中から肉の塊が転がり落ちようとしている。

そうとしか形容できない光景を間近で見てしまい、カドックの頭は瞬間的なパニックを引き起こした。

自分とて魔術師の端くれ。召喚事故を起こして物言わぬ肉塊に成り果てた動物や、醜悪な合成生物の類はいくつも見てきた。

だが、そんな悍ましいものよりも今、目の前で起きている出来事の方が遥かに衝撃的で言葉に詰まる光景だ。

新しい命が今にも生まれようとしている。しかし、その命は死神の鎌の上にいるのだ。

何もしなければ、この子牛は程なく死んでしまうだろう。

何ができる?

自分にいったい、何ができるというのか?

そんな無意味な思考の波が寄せては返し、カドックはその場から動くことができなかった。

そんなカドックの意識を現実に引き戻したのは、最愛のパートナーの一言だった。

 

カドック(マスター)!」

 

「っ!?」

 

「何をしているの! アナタは私のマスターでしょう! なら、やるべきことは決まっているのではなくて!?」

 

「僕に、この子を取り上げろっていうのか? そんな、できるはずが…………」

 

「いいえ、できます! アナタならできます!」

 

力強く、ハッキリとアナスタシアは言い放つ。

その瞳には自らのマスターに対する絶対の信頼が込められていた。

この目に何度自分は助けられたことだろう。挫けそうになった時、迷った時はいつも彼女が側で支えてくれた。

彼女がいたから、自分はどんな逆境でも虚勢を張り続けることができたのだ。

なら、今度も同じようにするだけだ。

この程度の逆境がなんだ。子牛一頭救えずして何が人類最後のマスターか。

今日までで世界を六度救ったのなら、子牛を取り上げることだってできるはずだ。

 

「おい、薪をありったけ用意しろ! お湯を焚いてここまで運ぶんだ!」

 

「え、あ……」

 

「私がやります。案内してください」

 

アナに促され、少年奴隷はもたつきながらも母屋に駆ける。

どれだけ必要になるかはわからないが、消毒のためにも清潔な水が必要だ。

それから専門の知識もいる。顔の利く四郎を走らせ、誰もでもいいからここに連れてきてもらうのだ。

それまでの間、残った者が総出でこの子牛を引っ張り出さねばならない。

 

『そ、そうだ! ラマーズ法! ヒィヒィ、フー。ヒィヒィ――』

 

「ドクターはちょっと黙ってろ! アナスタシア、そこのロープを持ってきてくれ。子牛の足に巻き付けるんだ!」

 

「ええ!」

 

自分は片手が使えないので、代わりにアナスタシアにロープの巻いてもらわなければならない。

ヌメヌメとした膜が邪魔をしてなかなか縛ることができなかったが、アナスタシアは指先の不快感に対して文句ひとつ漏らさずに必死でロープを結わいつけた。

そうしている内に一足早くアナが戻ってきたため、3人で巻き付けたロープに緩みがないかをもう一度確認し、掛け声を合わせて一気に子牛を引っ張り出す。

 

「うぅ、重い……」

 

「……ロープが千切れそうです」

 

脆い麻縄ではサーヴァントの膂力に耐え切れないため、必然的に女性陣2人には繊細な力加減を要求された。

そのせいか子牛はなかなか外に出てこれず、牛達の合唱が何度も耳の中で木霊した。

その膠着は数分のようにも、数時間のようにも感じられた。いつの間にか少年奴隷も加わっており、4人は声と力を合わせて懸命にロープを引き続けた。

やがて、腕の中の手応えがフッと軽くなったかと思うと、するりと子牛の体が親牛の中から滑り落ち、牛舎の藁の上へと転がった。

 

「う、生まれた……」

 

膜に包まれた子牛はまるで、ゴム風船か何かのようだった。

足はピンと伸び切り、開いた口からはだらしなく舌が飛び出している。

両の瞼は閉じられたままで呼吸をしている様子はない。だが、僅かに体が痙攣しているところを見るにとりあえず生きてはいるようだ。

 

「赤ちゃんって、こういう時は泣くものよね?」

 

「まさか、喉を詰まらせたのか?」

 

人間の赤ん坊の話だが、生まれる時に羊水を喉に詰まらせ、呼吸ができないまま死んでしまうケースがあると聞いたことがある。

確か、ストローか何かで喉の羊水を吸い出してやれば良かったと思うのだが、生憎とここにはそんなものはないし、あったとしても子牛では口が広すぎてストローが喉まで届かないだろう。

ならば、どうやって喉の中の羊水を吐き出させればいいのか? ここにいる4人はおろか、カルデアにいるロマニですら正しい回答を持ち合わせていなかった。

まだお産の疲れが残っているにも関わらず、親牛も心配そうに我が子を見つめていた。

痙攣も段々と激しくなっており、素人目に見ても危ない状態であることが見て取れる。

 

「……くっ!!」

 

意を決し、イチかバチかとカドックは自らの腕を子牛の口の中へと突っ込んだ。

生暖かい感触と腕全体を包み込む圧迫感。思わず眉間に皺が寄り、目を開けてられないほどの嫌悪感が背筋を駆け巡る。

その光景に他の面々も驚愕し言葉を失うが、カドックの必死さが伝わったのか、或いは異様な光景に思考が麻痺してしまったのか、誰も咎める者はいなかった。

 

「うっ……!」

 

指先に柔らかい肉の感触が伝わり、それを握り締めた瞬間、子牛が覚醒する。

直後、カドックが腕を引き抜くと、物凄い嗚咽と共に喉に詰まっていた羊水が吐き出され、尻餅を突いたカドックの顔面に直撃する。

白とも緑ともつかない汚濁を浴び、とうとう耐え切れなくなったカドックは咄嗟にかけていた眼鏡を放り投げて藁の上でもんどりを打った。

視界が灰色に変わり、藁のチクチクとした感触が全身を刺すが、吐きつけられた汚液の悍ましさに比べれば遥かにマシだ。

それよりも水浴びがしたい。できれば温かいシャワーを浴びて、環境汚染なんて気にせず洗剤をジャブジャブと使い捨てたい。

だが、まずは子牛の安否の確認だ。

 

「どうなった? 牛はどうなった?」

 

「大丈夫です。ちゃんと、生きています。ほら、声が聞こえるでしょう?」

 

「お母さん牛が赤ちゃんをペロペロ舐めています。あ、立ち上がろうとして…………ああ……」

 

親牛の声に紛れて、小さな子牛の声が聞こえてくる。

きっと、目の前ではさぞ感動的な光景が繰り広げられているのだろう。

それを見れないことをほんの少しだけ残念に思いながら、カドックは藁の山の上に体重を預けて瞼を閉じる。

四郎が羊牧場の羊飼いを連れて戻ってきたのは、その少し後のことだった。

 

 

 

 

 

 

その日の夜。

不意に目を覚ましたカドックは、隣にあるべき気配がないことに気づいて枕元に置いておいた眼鏡に手を伸ばした。

真っ暗だった視界がほんの少しだけ光を取り戻し、薄暗い部屋の様相が露になる。

夜の闇のせいか、寝室は昼間よりも広く見え、まるで自分が世界にひとりだけ取り残されてしまったのではないのかという錯覚を覚える。

不意に去来する寂しさが胸を締め付ける。助けを求めるように腕を伸ばすも、傍らにあるべき温もりはどこにもない。

この部屋にいるのは自分ひとりだけだ。

窓から差し込む月明かりが床の一画を照らす幻想的な光景すら、牢獄のような冷たさを思い起こさせる。

だが、耳を澄ますと聞こえてきた。

透き通るような綺麗な歌声が天井から零れ落ち、耳朶に優しく染み込んでいく。

その歌声に誘われるように、カドックは寝台を抜け出すと窓から体を乗り出し、壁に立てかけた梯子を使って大使館の屋根へと上る。

そこには、銀色の髪を風に靡かせながら鼻歌を歌うミューズの姿があった。

 

「あら、起きてしまったの?」

 

「ああ。隣、良いかな?」

 

「ええ、どうぞ」

 

手招きするアナスタシアの隣に腰を下ろし、何気なく空を見上げる。

青い夜空に幾つもの星。今までも何度か見てきた光景だが、この時代は特に星々の輝きをハッキリと見ることができる。

星の光を遮る光源がどこにもないからだろう。未だ手つかずの自然が大部分を占めるこの時代なら、月や星は憚ることなく輝くことができる。

人間の手があの遠い輝きに届くまで凡そ4000年以上はかかる。アルテミスの膝元に旗を立てるのは更に先の話だ。

本当に遠いところまできたものだと、改めてカドックは実感する。

 

「ねえ、アナタ」

 

「うん?」

 

「昼間のアレ、凄かったわね」

 

「ああ」

 

一つの命の誕生をこの目で見たのだ。残念ながら自分は途中で眼鏡を放り出したので一部始終を見届けた訳ではないが、それでも言葉にできない衝撃は今でも心に残っている。

自然の中で命が生まれ、大地に根を下ろす瞬間。あれは如何なる生命創造の魔術を極めたところで味わうことができない感動だろう。

 

「ああやって、命は繋がっているのね」

 

「そうだな。きっと、そうなんだろうな」

 

「私も、ちゃんと大人になれていれば、あんな風に子ども産めたのかしら?」

 

「…………」

 

その言葉に対して返す言葉をカドックは持たなかった。

イフを語ることに罪がないことも、イフを語り出せばキリがないことも承知している。

だが、どれだけ空想の羽根を広げたところで彼女はもう過去の人間だ。既にこの世にはいない死人だ。

生者にできることは、決して「もしも」を語らないことだ。それを口にした瞬間、築き上げられた彼ら彼女らの功績を貶めることに繋がってしまう。

 

「きっと、この時代の人達に当てられたのね」

 

三女神同盟による侵略に脅かされ、滅びを前にしながらも懸命に生きるウルクの人々。

彼らの力強さ、逞しさは有り余るほどの生の活力を呼び起こす。

自分も立香もマシュも、その影響を少なからず受けているだろう。

きっと今までよりもずっと、充実した日々を送れているはずだ。

だから、彼女もふと考えてしまったのだと言う。

もしも、あんな風に自分も生きていれば、どんな生活を送っていただろうかと。

 

「ごめん」

 

「アナタが謝らなくていいの。それに、昼間はアナタの格好いい姿が見れて嬉しかった」

 

「いつまでも弟扱いされてたんじゃ様にならないだろう。やる時はやるって見せておかないと」

 

「あら、私がいつ、アナタを弟扱いしたかしら?」

 

「え? だって……」

 

ロンドンに滞在していた際、そんな風な話をした覚えがある。

あの時は少し頭に血が上っていたこともあり、詳しい内容までは覚えていないが、何とも言えない複雑な気持ちだけは忘れることができずにいた。

後、もう少しで手が届くといったところでガラスに阻まれてしまう焦燥感。そんな気持ちがあれから絶えず胸の内を焦がしていたのだ。

だが、目の前の皇女はそれはただの杞憂だと言うのだ。

 

「おかしな人。アナタは最高のマスターで、愛おしい男性(ヒト)よ。出会った時から、ずっと」

 

「そう思ってくれていたのなら、僕はとんでもない鈍感だな」

 

しな垂れかかるアナスタシアの体を受け止め、カドックはもう一度夜空を見上げる。

互いの視線が満天の星空と、その中心に浮かぶ大きな輝きへと吸い込まれていった。

 

「守りましょうね、この時代」

 

「ああ、必ず守ろう」

 

ここは全ての始まり。例え、ここから尊いものがどんどん失われていくばかりだとしても、その先に自分達の時代が続いている。

その原初の輝きを讃えよう。

その始まりの一歩を礼賛しよう。

失われたものの対価は、先に進み続けることでしか払えないのだから。

 

「月が、とても綺麗だ」

 

「ええ、死んでも構いません」

 

遠い遠い異邦の地。

(ステラ)(ルーナ)の祝福に包まれて、2人はいつまでも夜空を見上げていた。




韓信がメンドクセー。どうして内には天草もキアラもいないんだ。
というわけで令呪回復までの間に書き上げてみました。

この時点ではの原作との変更点は以下の通り。

・フォウがレイシフトについてきたのは今回が初。
・天草生存(では、誰が密林の調査に向かったのか?)


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絶対魔獣戦線バビロニア 第3節

ウルクに滞在してから二週間余りが経過した。

カルデア大使館の市民からの評判は上々。城塞化に伴う急速な発展によりウルク市では様々なトラブルが起きていたが、それらに対してカルデアが精力的に対処したことで、今では感謝状が届くほどになっていた。

カドックの診療所の方も最初のような賑わいこそなくなったが、いわゆる固定客がついたことで一日のスケジュールが安定し、空いた時間で身の回りの整理や立香達の手伝いを行うことができるようになった。

そんなある日、たまたま時間を持て余してしまった4人は、いい機会なので必需品の買い出しに出かけようと総出で市場に繰り出していた。

 

「アナちゃんも一緒に来ればよかったのに」

 

「朝の内に出て行っちゃったもんね。多分、いつもの花屋さんだと思うけど」

 

アナスタシアの呟きに、手製の買い物籠いっぱいの荷物を抱え込んだ立香が答える。

どうも彼女は、シドゥリからの依頼とは別に大通りの花屋をボランティアで手伝っているようなのだ。

確か、目が悪い老婦人がひとりで切り盛りしている小さな花屋で、カドックも店の前は何度か通ったことがある。

 

「あまり長くはないかもしれないな」

 

「どういうことですか、カドックさん?」

 

「言葉通りさ。もうすぐ、お迎えが来るかもしれない」

 

往診をしていて気づいたことなのだが、ここウルク市では原因不明の衰弱死が相次いでいる。

体力が落ちた老人などが眠りについたまま目を覚まさなくなり、そのまま息を引き取るのだ。

そうなってしまうとカドックではどうしようもなく、運ばれていく遺体に泣き縋る家族の姿を見たのは一度や二度ではない。

 

「何かの病気、なのかな?」

 

「いや、どちらかというと霊的な作用だ。因果関係までは解明できていないが、亡霊の出現が多いところで衰弱死が起きているみたいだ」

 

あれは冥界の使い。死神の類だろう。神代においては肉体の死と精神の死は完全に分かれており、魂を抜き取られれば例え肉体が無事であってもその人間は死亡する。

言い換えれば魂が冥府に落ちる前に取り戻し、生前のまま保存されている肉体に戻すことができれば死者の蘇生は可能なのである。

ただ、魂に傷がついてしまえば肉体にも直ちに影響が出てしまうのでその限りではない。場合によっては肉体が土塊と化し蘇生が叶わないこともある。

 

『ふむ、死後の世界がある神代らしい現象だ。マナの質が違うのも理由の一つなんだろう』

 

「地獄に落ちることが死ではなく、その更なる先に深淵という「無」が存在するらしいんだ」

 

ここウルクにおいては最終的に魂はその深淵へと還る定めになっている。そして、亡霊達は死すべき定めにある者を連れ去る冥界の使者なのだ。

 

(だが、多すぎる。人口比率に対してこれだけの亡霊は…………まさかな……)

 

既に世界から神格がいなくなって久しい。今、この時代に存在するのは三女神同盟を結ぶ三柱の女神達だけだ。

その1人は美と金星の女神であるイシュタル。メソポタミア神話に伝わる問題児にして皆から愛される豊穣の神性。

大地の営みや生命を司る一方で、気に入った人間を寵愛しては破滅をもたらす試練を与え、時には残忍な災厄を振りまく移り気な天の女主人でもある。

彼女は気紛れに飛来しては地上を焼き払うだけで、衰弱死を増やすなどという回りくどい手は使わないはずだ。

そういう陰湿な手段はどちらかというと彼女の別側面に当たる冥界の女主人(エレシュキガル)の方が得意とするところだろう。

だが、イシュタルとエレシュキガルは姉妹でありながら非常に仲が悪い神性だ。逸話においてもイシュタルが一方的に殴り込みをかけ、返り討ちにあうというものがある。

なので、イシュタルが三女神同盟に組している以上、仮にエレシュキガルが召喚されていても彼女に協力することなど絶対にないはずだ。

やはり亡霊に関しては杞憂なのだろうか。

 

(駄目だな、判断材料が少なすぎる)

 

下手に結論を急げば誤りのもととも思い、カドックはそこで思考を中断して買い物に専念することにする。

とりあえず、食材や薬草の類は買い終えたので、次は衣類だ。シドゥリは必要ならば用意すると言っていたが、住居や仕事を提供してもらっている以上、あまり甘える訳にもいかない。

材料さえ揃えばアナスタシアが繕ってくれるので、人数分の布を買えば安上がりで済むだろう。柄も揃いになるので女性陣も喜ぶはずだ。

確か、染物屋は三軒先にあったはず。そう思って視線をそちらに向けると、道の途中に人だかりができていることに気づいた。

 

「どこの爺さんだよあれ、このあたりのモンじゃないよなぁ?」

 

「いやだわ、物乞いなんて。それにあの足……負傷兵には見えないけれど……」

 

「放っておけ。巫女所の養護係がやってくるだろ。あそこはそのための予算がおりてるんだ」

 

「それはそうだけど、あの人、随分前からあの場所を動いていないでしょ。もう二日は何も食べてないんじゃないかしら?」

 

往来を行く人々は、口々にそう言っては人垣に加わり、離れていく。

彼らが見つめているのは1人の老人だ。フードを目深に被っているので顔はわからないがかなりの高齢だろう。

僅かに垣間見える手は枯れ木のようにやせ細っており、膝から下はあるべきはずのものが一つしかなかった。

その異様な雰囲気を気味悪がり、人々は彼を遠巻きに見守るばかりで近づこうとしない。

救いの手を差し伸べる訳でも、邪魔なものを排斥しようともしない。

余計なことに首を突っ込んで厄介事を背負い込みたくはないという考え方は、どこの時代も同じらしい。

 

「フォウ。フォウ、フォーウ……」

 

「うん、ちょっと待ってて」

 

何かを訴えかけるように鳴くフォウに一言断り、立香は買ったばかりの食材が詰まった買い物籠をゴソゴソと漁り出す。

大方、放っておけないのであの物乞いに何か恵んでやろうという魂胆なのだろう。

こちらの稼ぎも決して潤沢ではないというのに、暢気なものだ。彼はきっと、世界が終わるその瞬間まで自分にできる善行を止めることはないだろう。

 

「おい」

 

「う! な、何かな?」

 

「僕のも持っていけ。それと、巫女所への連絡も忘れないようにしろ。今回は僕がやっておくから」

 

「うん、ありがとう」

 

子どものように破顔し、立香は二人分のパンを持って老人のもとへと走る。

そこで止めておけばいいものを、カドックも何となく気になって彼の後ろをついて行った。

食事を与えてもそれを食べられなければ意味がない。もしも何かの病気にかかっていたらまずいと思ったからだ。

だが、良かれと思って動いた彼らを待っていたのは、老人からの予想外な答えであった。

 

「若者よ。哀れみは時に侮辱となる。覚えておきなさい」

 

差し出されたパンを一瞥した老人は、よく響く低い声音でそう言い放ったのだ。

 

「謂れのない憐憫は悪の一つであり、謂れのない慚愧も、また悪の一つなのだ」

 

「出過ぎた真似でしたか?」

 

申し訳なさそうに聞き返す立香に対し、老人は小さく頷いて返す。

 

「そうだな。だが、細やかな気遣いにまで難癖をつけては、それこそ老害のそしりを受けよう。金銭ではなく、いま私が必要としたものだけを譲り渡した判断には感心した。ありがたく受け取ろう」

 

(でも、食べないのか)

 

パンを懐に収めた老人は、笑っているのか少しだけ体を震わせた。

いつものなら怒りの一つでも湧いてくるものだが、不思議と彼に対してはそういう気持ちはわかなかった。

寧ろ、どこかで会ったことがあるかのような既視感すらあった。

オーラとでも表現すればいいのだろうか。老人が纏う独特の雰囲気はそう、あの冷たい霊廟で垣間見た暗闇を想起させる。

 

「受け取ってしまったからには、こちらも何かを返さなければな。私はジウスドゥラ。見ての通り、明日をも知れぬ身の老人だ」

 

その名を聞いてカドックは眉をしかめる。

ジウスドゥラというのは、シュメル神話における人類絶滅の大洪水を生き残った唯一の人間の名だ。

旧約聖書でいうところのノア、ギルガメッシュ叙事詩ではウトナピュシュテムと同一視される存在である。

増えすぎた人口の抑制、驕り高ぶった人間の粛清。理由は様々だが、世界には大洪水による人類絶滅の逸話が至る所に散りばめられている。

そこに共通して現れるのが、神の怒りに警鐘を鳴らす存在。或いは上位存在に認められ災いを逃れ、世界の終わりを見届ける役割を担う者。

それこそがジウスドゥラなのである。

無論、偶然なのだろうが、人理焼却が迫るこのタイミングでその名が出てきたことにカドックは複雑な思いを禁じ得ずにいない。

 

「明日ある若者よ。そなたらには忠告こそが最も価値あるものだろう。心するがよい。これよりウルクには三度の嵐が訪れる。憎しみを持つ者に理解を示してはならぬ。楽しみを持つ者に同調を示してはならぬ。そして、苦しみを持つ者に賞賛を示してはならぬ。ゆめ忘れるな。これらが人道に反していようが、神を相手に人道を語る事こそ愚かである」

 

「三度の嵐……それって……」

 

「爺さん、あんたはいったい……」

 

問い返そうとした瞬間、砂塵が吹き上がる。

注意が逸れたのはほんの一瞬のはずだった。

なのに、いつの間にかジウスドゥラを名乗る老人の姿はどこにもなく、あれほど目立っていた人だかりもいつの間にかなくなっている。

まるで最初から、そんなものなどなかったかのように。

 

「先輩、カドックさん、どうされました?」

 

「何かあったの、二人とも?」

 

不思議そうにこちらを見つめるマシュとアナスタシア。どうやら2人も先ほどの老人について覚えていないらしい。

では、あれは夢だったのだろうか。或いは何らかの予兆なのか。

ここは魔力が濃密な神代の時代。白昼夢で未来を視たり、何らかの啓示を授かったとしても何ら不思議はない。

立香も同じ思いを抱いたのだろう。2人は無言で視線を交わすと、先ほどの言葉を忘れまいと心に刻む。

それが何を意味するのか分からずとも、きっと自分達が直面する何かに繋がると信じて。

 

 

 

 

 

 

翌日。

朝一番で王からの呼び出しを受けたカルデア大使館の一同は、ギルガメッシュ王の玉座があるジグラットを訪れていた。

そこは三女神同盟に対するウルク市の中枢。北方の壁を最前線とするならばここは司令塔だ。

連日連夜、多くの人々が引っ切り無しに出入りしては各方面の状況の変化を伝え、それに対してギルガメッシュ王が的確な指示を出して女神達の攻勢に抗している。

ただの人の集まりでしかないウルクが曲がりなりにも半年間、持ち堪えることができたのは、偏にギルガメッシュ王の采配の結果と言えよう。

人類最古の英雄王の名に偽りなしだ。

 

「呼び出しって、何なのでしょうか?」

 

「俺達、もう用済みとか?」

 

「だったら、伝令で事足りるだろう。そんな無駄な時間を取る方じゃない」

 

何れにしろ、ここがカルデアの分水嶺と見て良いだろう。

ギルガメッシュ王は文字通り一つの世界の頂点に立った王。もしも何か気に障ることをしてしまったのだとしたら、自分達の運命はここで終わりを迎えることになるはずだ。

 

(……だよな?)

 

カドックの脳裏に浮かぶのは、ここ最近のマシュとギルガメッシュ王とのやり取りであった。

 

『以上が今回の報告です。羊の毛刈りは行えず、周辺の魔獣を討伐するお仕事になってしまいました』

 

『そうか、つまらんな。どうした祭祀長、報告を止めるな』

 

『以上が今回の報告です。お菓子作りの手伝いが、何故かウルクお菓子王決定戦になってしまい……』

 

『……何故、そうなる? 文脈が読めんではないか』

 

『以上が本日の報告です。浮気の素行調査の筈が、謎の地下空洞に辿り着いて……』

 

『…………(ゴクリ)。む? ええい、報告なら聞いているわシドゥリ!』

 

『以上が本日の報告です。高騰した羊肉と乳を巡る争いは、先輩の「それなら豆を食べればいいじゃない」発言によって一応の決着を……』

 

『いや待て、それで決着がつくのか? もしや貴様ら、麦酒のおつまみとして売り出したのではあるまいな? それはウルクにはまだ早すぎる!』

 

彼は最初こそ、こちらの活動を興味なさげに聞き流すだけだったが、最近は公務を一旦置いてからマシュの言葉に耳を傾けるようになった。

それはもう、寝物語をせがむ子どものように、目をキラキラさせながら傾聴するものだから、端から見ているととても微笑ましい。

玉座に座り公務を続けていては息抜きもロクにできないため、マシュの語るカルデアの活動報告が段々と楽しみになっていったようなのだ。

 

「来たか、カルデアの。カドック・ゼムルプスと藤丸立香だったか」

 

玉座で兵士からの報告を聞いていたギルガメッシュ王が、こちらを見るなり開口した。

ただの一声で場内が緊張し、空気までもが引き締まる。

その厳しい眼差しはまるでこちらの全てを見透かしているようで、自然と体が強張っていた。

 

「中々の業績だな? ウルク市民から貴様達の働きに関する声もそれなりに届いている。(オレ)から見ればまったく面白みのない働きだったが、世間の評価というものもある。細やかな雑務にはそろそろ飽きてきたのではないか? ウルクの外に出る許可証をくれてやる故、もそっと派手に活躍するがよい」

 

「それってつまり…………」

 

(オレ)からの王命というやつよ。光栄に思えよ、雑種?」

 

ニヤリとギルガメッシュ王は口角を吊り上げる。

 

「貴様達にはマーリンと天草の仕事を手伝う事を命じる。特にあのエセ神父は怠け者だ。しっかりと尻を叩いて働かせるのだ。良い――いや、愉快な報告を期待しているぞ」

 

そう言って、ギルガメッシュ王は下がるように命じると次の仕事に取り掛かる。

必要なことは全て言ったと言わんばかりの態度ではあるが、ここに至るまで二週間ほどもかかったことを考えると大きな前進だ。

一介の何でも屋と王の勅使ではその立場もやれることも大きく変わってくるのだ。

 

「よかったですね、みなさん」

 

一際、喜びの感情を現したのはシドゥリであった。

祭祀長という立場にありながら、異邦人である自分達の世話を文句ひとつも言わずに請け負ってくれたのだ。

ロクに話も聞いてもらえない状態からここまでの信頼を勝ち取ったことに対して、目に涙すら浮かべて我が事のように喜んでくれている。

そんな風に思ってくれているのなら、こちらも期待に応えて相応の結果を残さなければならないと強く気を引き締めねばならない。

 

「本当、諦めずに頑張られたみなさんの努力の賜物です」

 

「そうだね。最初はもうお手上げって思ったけど、白旗振らずに頑張った甲斐があったよ」

 

「はい、本当に。白旗、ですか? 私も振らなくてよかったです」

 

シドゥリは仕事がまだあるということで、ジグラットの入口で別れることになった。

入れ替わりに四郎と白衣の魔術師、そしてもうひとり、和風の軽装に身を包んだ少年が待ち構えていた。

 

「うん、まさかあの王様の方から折れるとは思わなかった」

 

そう言って笑うのは白装束の魔術師。花の魔術師マーリン。アーサー王伝説においてアーサー王を導く魔術師だ。

彼はギルガメッシュ王が召喚した最初のサーヴァントであり、宮廷魔術師として様々な助言を与える傍ら、彼の命を受けて周辺の地の調査を行っているらしい。

 

「ボクの方は北のクタ市に赴いて、ある物を探し出すことだ。王様の忘れ物探しだね」

 

そういうと簡単そうな任務だが、クタ市は三女神同盟が現れるやいなや、一夜にして消失した都市だ。

血痕も争った跡もなく、市民達は眠るように息を引き取り都市機能が麻痺してしまったらしい。

得体の知れなさでは南の密林とさして変わらないだろう。

 

「その密林には私と小太郎で向かいます。ええ、前々からギルガメッシュ王より賜っていた任務なのですが……」

 

「天草殿は色々と理由をつけては逃げ回っていましたね。「いいかげん働かぬか。貴様のせいで貴重な戦力である二騎が失われたのだぞ」とこの前も怒られていました」

 

淡々と答えるのは和装の少年。名は風魔小太郎。東洋の神秘である忍者集団の頭領らしい。

彼もまたギルガメッシュ王に召喚されたサーヴァントの1人だ。

彼の話によると、他にも四騎のサーヴァントが召喚されていたらしいのだが、茨木童子は出奔。巴御前は魔獣戦線にて敵と相打ちになり、牛若丸と武蔵坊弁慶は四郎の代わりに密林の調査に向かって消息を絶ったらしい。

四郎達が向かうのは牛若丸達が消えた南の密林。未だ謎多き神性が支配する魔の領域だ。

 

「さて、私としてはカドックとアナスタシア皇女にご同行願いたいのですが、どうでしょう?」

 

「なんで僕なんだ?」

 

「いけませんか? あたなと私の仲じゃないですか?」

 

「そういうところが信用ならないんだよ、お前は」

 

この前の牛の出産騒動のように、四郎は結果的に物事がうまくいく道筋を見つける才能のようなものがあるようだ。

だが、その過程において巻き込まれたものは酷い被害を被ることも多い。

彼の善意に振り回されて色々と無理難題を押し付けられたのは一度や二度ではないのだ。

 

「まあまあ。別に断る理由もないだろう。うん、こちらとしても3人は欲しかったから、藤丸くんたちとアナは僕の方で借りよう」

 

見かねたマーリンが仲裁に入る。

争っていても仕方がない。王命を受けた以上、速やかに事を進めなければ王の機嫌を損ねることになると彼は説く。

 

「確かに……」

 

「だろ。じゃあ、2人は借りていくね」

 

「はい、よろしくお願いします」

 

「カドック、そっちも頑張ってね」

 

「待て待て、出発する前に患者の家に使いを走らせろ! 往診の予定、キャンセルさせてくれ!」

 

 

 

 

 

 

準備を終え、立香達と別れたカドック達は一路、南の密林に閉じ込められたウル市を目指すことになった。

ウルク市から往復で二日程度の距離にある街で、三女神同盟が現れてからは完全に連絡が途絶えてしまっている。

しかも、密林に入った者は例外なく戻ってこなかったため、どのような被害を被ったのか、生存者はいるのかすらわかっていない、完全な陸の孤島となっていた。

 

「街の外に出るのは久しぶりでしたね。ご気分はどうですか、カドック殿? 皇女殿下?」

 

「そうですね。やはり、広い世界を歩くのは気持ちがいいです。少し、足は痛みますが」

 

「どこかで休むか? 結界を張れば休むくらい……」

 

「いえ、大丈夫です。本当にダメな時は言いますから。それに、余りのんびりしていられないでしょ」

 

柔らかい声音が一変、氷のように冷たい鋭さを持って発せられ、その視線がカドックの背後を射抜く。

直後、悲鳴すら上げることなく凍り付いた魔獣が地面に倒れ込んだ。

 

「こいつはムシュマッヘですね。『十一の子どもたち』がここまで出てくるとは、驚きを禁じ得ません」

 

魔獣の遺体を検分した四郎の言葉に、カドックは身を固くする。

このメソポタミアの地で暴れている魔獣達は皆、既存の生態系から大きく離れたものばかりだ。

その何れもが神話に伝わるティアマト神の子ども達と共通した特徴を有しており、人々の中には北に救う魔獣の女神をティアマト神と同一視する者まで現れているらしい。

創世神話に伝わる神々の母であり、番いである男神アプスーと交わって多くの神々を生み出した女神ティアマト。

後に子ども達の叛逆を受けたティアマトは独自の力で『十一の子どもたち』という魔獣を生み出し戦ったのだが敗北。

その身は裂かれ、海に浮かぶ大地と天を支える柱とされた。

つまりティアマト神は生命創造の権能を持つことになり、資源さえあれば無尽蔵に我が子を産み落として軍勢を広げることができるのだ。

これを百獣母胎(ボトニア・テローン)というのだが、北の魔獣達の勢力を見る限り、魔獣の女神はこの権能を有している可能性が非常に高い。

無限の軍勢という意味では北米で戦った女王メイヴも同じだが、彼女が生み出したケルトの戦士と違ってこちらは無数の魔獣達だ。

凶暴さも危険度もあちらの比ではないだろう。

改めてギルガメッシュ王の采配には脱帽せざるをえない。そして、それだけのことをやって来たのなら、当然ながら次に待つのは反撃だ。

あの傲慢な王様がただの防戦で満足するようならば、とっくの昔にウルクは滅びているだろう。

 

「それはおいおいとお話ししましょう。それよりも今は南の密林です。ユーフラテス河を渡ればウル市は目と鼻の先。下手をすると問答無用で二柱目の女神と戦うことになるかもしれません」

 

「その場合、僕らに勝ち目はありません。僕が時間を稼ぎますので皆さんは逃げてください」

 

小太郎の言う通り、もしも女神と戦うことになれば自分達など吹けば飛ぶ藁の家も同然だ。

ウルクに滞在中、何度か飛来したイシュタルを目にし戦う機会もあったが、カルデアの4人が力を合わせても追い返すのがやっとであった。

それも真っ当に押し返したのではなく、ダメージを受けたイシュタルがやる気をなくしたことで命を拾ったのだ。

マーリン曰く、彼女は疑似サーヴァントとして現界しているので、召喚前の神格だった頃よりも力そのものは衰えているらしい。

三女神同盟が全員疑似サーヴァントという訳はないだろう。次に相対する女神がそれ以上の力を有している可能性があると踏んで挑まなければ、戦う事はおろかこの密林から戻ることもできないだろう。

 

「いいさ、格上相手の殴り合いはもう慣れた。精々、足掻いてやるとするさ」

 

だが、敵は思わぬところから現れるもの。

二柱目の女神やその配下を警戒しながら密林へと足を踏み入れたカドック達は、まったく別の脅威に晒されることになった。

 

「…………」

 

「………………」

 

「………………」

 

「……………………」

 

草木を掻き分け、泣き喚く虫や鳥の声に耳を傾けながら歩くこと10分。

湿地帯特有のぬかるみに足を取られ、刺々しい葉に肌を傷つけられながら、4人は黙々と密林の奥を目指す。

色鮮やかな花を見つけ、毒々しい色の蝶が羽ばたき、阿呆面を晒す怪鳥と出くわした。

いつもなら咲き乱れる歓声や驚嘆の声はない。4人はただ、黙々と前に進む。

その沈黙に耐えかねたのか、カルデアから通信を告げるアラームが鳴った。

 

『ハロハロ。ロマニは藤丸くんの方にかかりっきりだから私ことダ・ヴィンチちゃんが担当だよ。みんな密林に入るなりどうしたのかな? 黙っていると寂しくて泣いちゃうぞぉ」

 

場違いに響き渡るダ・ヴィンチのお道化た声。平時なら呆れながらも聞き流せるが、今は不快指数を跳ね上げるだけだった。

何と言ってやろうか。

どんな言葉で表現しようか。

乾いた喉が唾を飲み込み、纏まらない思考を必死で回転させる。

今のこの状況を的確に表した一言。そう、それは――――。

 

ガッデムホット(めっさ暑いわ)!!」

 

アナスタシアが発したこの言葉が最も即しているだろう。

余りの暑さに普段のお淑やかさなどどこかに飛んで行ってしまっている。

わなわなと震える腕を押さえているのは、今にも着ている民族衣装を脱ぎ捨てたいという衝動と必死に葛藤しているからだろう。

心なしか抱き抱えているぬいぐるみの方のヴィイもじっとりと汗をかいているように見えてならない。

 

「日本の夏も湿気が酷いですが、この暑さは……」

 

「恐ろしい熱気です。森というものは、もっと涼しくて、静かで、救われてなくちゃ……」

 

地面から舞い上がる熱気、濃厚な土の匂い、鼓膜を埋め尽くすほどの動物達の声。

第六特異点の砂漠も大概だったが、ここはそれとは別方向の暑さだ。

蒸し暑い、蠅が多い、歩きにくい。しかも物凄いエーテルだ。ダ・ヴィンチが作ってくれたマフラーがなければ容易く意識を持っていかれるところだ。

暑苦しくて別の意味で意識が消えかけてはいるが。

 

『なるほど、エジプト領の時と同じだね。その領域は完全に世界が、いや神話体系が違う。ウルクに角度を合わせたシバでは観測に限度がある。計器も安定しないから精々、君達の周辺くらいしか知覚できない』

 

つまり、カルデアからの索敵は期待できないということだ。

上等だ。こんな状況は一度や二度じゃない。こっちには分厚い壁の向こうを透視するアナスタシアの魔眼と東洋のスカウトであるジャパニーズニンジャがいるのだ。

レーダーが使えないくらいがなんだ。

 

「あれ、私って戦力に入っていません?」

 

「籠城戦ならともかく、こういう状況でできること、何かあるか?」

 

気だるげに手で風を扇ぐ四郎の問いに、カドックは辛辣な言葉を返す。

これが第六特異点で共闘した俵藤太や、同じく日本で活躍した神秘殺しである源頼光、説明不要の坂田金時(ゴールデン)ならともかく、近代に入ってから登場した聖人もどきでは戦力として期待することも難しい。

一応、聖職者らしく洗礼詠唱などの秘蹟は修めているようだが、亡霊や魔性相手でなければそれが活躍することもないだろう。

 

「ああ、確かにその通りです。私って知名度の低い英霊ですし、これといって秀でたものも持ち合わせていません。ただ…………」

 

そこで一旦、四郎は言葉を切って身を翻す。

振り向きざまに放たれたのは、聖堂教会が誇る戦闘員である代行者が使用する武器、黒鍵だ。

まるで時計の針のような形の黒い刃が三本、物陰で息を潜めていた獣人を大木に縫い付けている。

 

「この程度の修羅場なら、飽きるほど潜り抜けてきましたよ」

 

冷徹に、冷静に、油断することなく四郎は次の一手を打つ。

存在を気づかれ、仲間をやられたことで反撃に転じようとした他の獣人達が動き出す前に次の黒鍵を投擲。

それは如何なる理屈か空中で制止し、磁石に引き寄せられる鉄球か何かのように軌道を変えて物陰の獣人達を次々に射止めていく。

密林に上がった悲鳴は五つ。既に囲まれていたようで、四郎が気づかなければ全滅はなくとも思わぬ負傷を受けていたかもしれない。

 

「前言撤回だ。期待しても良いんだな、その眼」

 

「ええ、ガイドの役回りなら任せてください。ですがそれは、この場の窮地を乗り切ってからのことですが」

 

新たな黒鍵を取り出した四郎が強張った顔つきで虚空を睨みつけている。

先ほどの襲撃を察知したように、彼の未来視が何かを見つけたのだ。

すぐにカドックは残る2人に警戒を促すと、敵がどこから来てもいいように注意を巡らす。

感知能力に優れたこの3人ならば、どこに隠れていようとすぐに見つけ出すことができるはずだ。

その上でなお、姿を隠し続けているということは、敵は相当の使い手に違いない。

 

「ふ――――よもや同業者が現れるとは、このジャガーの目をもってしても気づけなんだわ! だが、ここでそこなツンツン頭の息の根を止めればお前達は目隠しされた子猫も同然! 跪いてマネーを渡し、この私に案内を請う事だろう! さあ、頭を地面に擦りつけてこう言うがいい! 「ブエノス・ノーチェス! セニョリータ! セニョールセニョール、ペヨーテたべるか?」と!」

 

突如として密林に響き渡る謎の声。

こちらが姿を捉えられないと踏んだのか、敵は大胆にも大声を上げて恫喝することを選んだようだ。

すぐにアナスタシアが声のした方角を見るが、木々の上を高速で駆け回っているのか彼女の眼をもってしても捉えることができない。

 

「っ……冗談みたいに速くて目で動きが追えない!? いったい、何なの…………?」

 

「ははははは! ははははははははは! ニャはははははははははは! 何なの、ではない! 私は――――私は……んー、何だろう? ちょっと待って、具体的に聞かれると困るニャ……美女である事に間違いはないのですけどね……ハッ!? しまった、考えている内にバービートラップ(意訳:面白い罠)の場所忘れた! 見ず知らずの相手に頭脳戦をしかけてくるとは、恥を知れこの理系!」

 

頭上をぐるぐると回りながら捲し立てられる謎の妄言。どうやら調子に乗った挙句、勝手に自滅してしまったようだが、言葉の端々から何ともいえない残念な気配というか、恐ろしく知能指数の低い気配がヒシヒシと伝わってくる。

余りに支離滅裂で自己完結したバーサーカーさながらの言い分に、いつもは温厚なアナスタシアも思わず辛辣な言葉を漏らす。

 

「……バカなのね」

 

「カバじゃねぇー! なんでみんな私をカバに喩えるのか分からねぇー!」

 

飛び出してきたのは、言葉ではとても表現できない謎の生き物であった。

直視どころか視界を過ぎっただけで思考回路が麻痺しかねない奇妙奇天烈なナマモノ。

濃厚なコーンスープを作ろうとしてうっかり缶詰をケースで空けてしまい、それに気づかないままスープと具の割合が1:9になったことで、それもうコーンスープじゃなくてコーンを煮詰めた黄色い何かだよね、に変化したような感じと言えば、こちらの動揺と混乱が伝わるだろうか。

とにかく目の前にいるのは常識外れのカバ――いや、バカなのだ。

 

『なんだ、その怪生物は? UMAか? UMAなのか!?』

 

さすがのダ・ヴィンチもこれには動揺を隠し切れないようだ。

無理もない。二柱目の女神と相対するのも覚悟で跳び込んだ密林で出くわしたのは、子どもの落書きのような猫か虎の顔が描かれた着ぐるみを着込んだ女性だったのだ。

一応、カルデアの解析によるとサーヴァントではあるらしい。その見た目からはとてもどこの英霊か想像できないが。

 

(うん? そういえばさっき、自分のことをジャガーと……)

 

こんなふざけた言動をする奴なのだ、嘘が吐けるとは思えないので真実とみて良いだろう。

それに加えてこの密林だ。生い茂る植物は原生のものでなく中南米などの南半球に属するものが多数を占めている。

肥沃なメソポタミアとはまた違った意味でどぎつい生を感じる土と空気。

自分のことをジャガーと名乗るサーヴァント。

猫科を連想させる装束。

そこから導かれる答えは一つだ。

 

「答えてやろう! 私は誰でもない! 敢えて言うのなら密林の化身、大いなる戦士の――――」

 

「こいつはジャガーマンだ!」

 

着ぐるみの女性の言葉を遮り、カドックは叫ぶ。

この密林に足を踏み入れた時点気づくべきだった。この密林はウルクのものでなく中南米のジャングルだ。

そこを根城にしているのなら、当然このサーヴァントもそれに関係する英霊のはず。

中南米でジャガーに関する逸話を持つのはアステカ神話に伝わる主神の一柱テスカトリポカだが、このサーヴァントから読み取れる霊基スケールは神霊サーヴァントであるイシュタルと比較してとても小さい。

ならばその分霊。神に近い位置にいるシャーマンなどがその力を得たことで霊的存在となったナワルと呼ばれる守護霊が存在する。また中南米には死をも恐れぬジャガーの戦士に関する逸話があり、彼らはジャガーを連想する衣装を身に纏っていたらしい。

ほとんど博打みたいな推測だが、状況証拠だけを省みればその可能性は大いにあるだろう。

 

「ニャ!? どうして私の真名を知っているのかニャ、チミは!?」

 

こちらの指摘を受けて着ぐるみの女性――ジャガーマンは動揺を見せる。

どうやら、大博打が当たったようだ。ジャガーマンはジャガーの戦士。基本的に男性なのでどうしても確信は持てなかったが、運が良い方に回ったようだ。

そして、相手がジャガーマンなのだとしたらふざけていても主神の分霊。低位とはいえ神性を有していることに変わりなく、気を付けて当たらねば足下を掬われる。

 

「気を付けろ、ジャガーは戦いと死の象徴! ジャガーの戦士は死を恐れない戦いのエリートだ!」

 

「ニャッ!?」

 

「最悪、この人数でも押し負ける! 綺麗な見た目しているからって油断するな!」

 

「ニャニャッ!?」

 

「さすがは悪魔と恐れられたテスカトリポカの別側面。狡猾に自分が得意とするフィールドに誘い込み、確実に勝てると踏んで出てきた訳か! こいつは強いぞ、確実に! 考えたくはないが、密林の女神はこいつという可能性もある!」

 

「ニャー! 何だか知らないけどそれ以上はヤメレー!!」

 

立て続けに並べられる美人麗句にジャガーマンは顔を赤面させ、両手をブンブンと振り回して後退る。

その様子をどこか冷めた目で見つめていたカドック以外の3人は、このまま放っておいていいのか、それとも隙だらけのこの虎(?)を攻撃しても良いのか決めかねて動けずにいた。

ただ、少なくとも向こうがこれ以上、危害を加えてくることはないことだけは確かだろう。

 

「私、啓示でアレを見てずっと警戒していたのですが、まさかあんな攻略法があるとは……」

 

「えっと……多分、あの人にしかできないと思います。彼、神様とか伝説とか大好きだから」

 

「なるほど、例え相手が信じられないくらいポンコツでふざけた言動でも、まず先に神や仏としての立場を慮って敬意だけは忘れないわけですね」

 

「神様からすればこの上なく有難い人間な訳だ。うん、僕らじゃ確かに真似できない」

 

感謝にしろ恐れにしろ、その神性に向けて感情を向けることは信仰に繋がる。

そういった人々の念が積み重なる事で神格は己の力を増していくのだ。確かにそういう意味では、カドックのスタンスは神にとって有難いものだろう。

今のような状況を除けばだが。

 

「わ、わかったニャ! わかったからそんなに信仰向けニャいで! ガイドする! ロハで良いから、ニャー!!」

 

灼熱の密林で、猫の嬌声が木霊する。

ジャガーマン、この世の春の到来であった。まる。




ジャガーマン、再起不能(精神的に)。
というわけで天草が密林に行くのを渋っていたので代わりに牛若丸と弁慶が犠牲になった訳です。
アナスタシアのあのセリフは絶対にここで入れてやろうと思っていたので満足。
砂漠ですら文句言わずに横断したぐだマシュが音を上げるくらいだから、相当暑かったんでしょうね、ウルクの密林。


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絶対魔獣戦線バビロニア 第4節

ジャガーマンの遭遇から凡そ20分。カドック達は彼女の案内で目的地であるウル市へと到着した。

 

「えー、アテンションプリーズ。本日はご乗車ありがとうございまーす。まもなくぅ、ウル市ぃ。ウル市ぃでございまーす」

 

口元に手を当てながら、ジャガーマンはやや気取った声音で街の入口を指し示す。

ふざけた言動こそそのままではあるが、先ほどの一戦を経てジャガーマンはすっかり大人しくなっていた。

今後はわからないが、少なくとも今はこちらに敵意を向けるつもりはないらしい。

 

「はい、というわけでマネーをおくれ。ミカンでもいいニャ」

 

「結局、請求するんですね。タダでいいと言っていたのに」

 

「都合の悪いことは忘れよ。お布施はいつだってウェルカム」

 

「はいはい。カドック」

 

「……だろうと思ったよ」

 

財布は持ち合わせていないという四郎のポーズにため息を吐きながら、カドックはアナスタシアに繕ってもらった財布代わりのポーチを探り、一瞬だけ迷った後に手に取った一番安価な硬貨を手放して二番目に安価な硬貨をジャガーマンに手渡す。

何故だか物凄く有難がられて目に涙まで浮かべられていたが、理由は特に聞かなかった。

女神に対する敬意はともかくとして、言動そのものは終始ふざけているので付き合う分には気苦労が多いからだ。

どうせ次の瞬間にはコロッと気分も変わっているはずだ。

 

「いえ、あれはまさか本当にくれると思わなかったっていう驚きの顔じゃないですかね?」

 

「何か言ったか、小太郎?」

 

「いえ、別に。僕には関わり合いのないことですし」

 

是非もないね、とどこかの武将のような言葉を呟きながら、小太郎は道中の警戒のために手にしていた苦無を懐にしまう。

その隣ではアナスタシアが疲労困憊という様子で岩の上に座り込んでいた。

まるで滝のような汗が額から流れ落ち、透き通るような肌は土気色になっていて見る影もない。

街の中は密林ほど暑くはないが、それでもウルク市よりも気温は遥かに高く、北国育ちの彼女には辛いのだろう。

 

「大丈夫か?」

 

「え、ええ。この程度の環境で暑いなどと……」

 

「無理しなくていい。結界を張っておくから、ここで休んでいるといい」

 

「……いえ、ここは敵地なのでしょう。なら、アナタの側にいさせて……」

 

「わかった。でも、辛かったら言ってくれ」

 

気休め程度の代物だが、治癒の魔術をかけておく。暑さはどうにもならないが疲労は幾らかマシになったはずだ。

 

「ジャガーマン、さっき話してたケツァル・コアトルのことだが…………」

 

「うん、本拠地はエリドゥ市の方だから、ここにはいないわ」

 

道すがらジャガーマンから教えてもらったことだが、この密林を支配している三女神同盟の一柱はケツァル・コアトル。

中南米に伝わるアステカ神話の主神の一柱であり、悪神テスカトリポカと敵対する善なる神である。

その名の意味は「羽毛ある蛇」、「翼ある蛇」を表しており、明けの明星の具現である善神トラウィスカルパンテクートリ神、マヤのククルカン神と同一視されている。

ジャガーマンと同じく本来ならば男性の神格なのだが、召喚の際の何かしらのイレギュラーで女性神として現界しているそうなのだ。

恐らく、同一視されている明けの明星――金星が内包する美の化身ヴィーナスのイメージに引きずられたのではないだろうか。

 

「街への木々の侵食は見られますが、人々は概ね普段と変わらない生活をおくれていますね。そのケツァル・コアトルは少なくとも理性的な女神のようだ。ある一点を除いて…………」

 

行き交う人々や水場で談笑する人々の姿を観察していた四郎が表情を曇らせながら呟く。

ウル市は確かに健在だった。ウルク市のように凶暴な魔獣達に脅かされている訳ではなく、往来からは子ども達の賑やかな声が聞こえ、家々からはかまどの煙が立っている。

少しばかり覇気がなく、大人たちが沈んだ表情を浮かべていることを除けば平和そのものだ。

 

「あら、見かけない方ですね。外から来られたのですか?」

 

偶然、通りかかったひとりの女性がこちらに話しかけてきた。

慌ててジャガーマンは物陰に隠れて息を潜める。一応、彼女はケツァル・コアトル側の英霊。

ウル市にも彼女の配下として何度か来たことがある為、顔を知られているかもしれないからだ。

幸いにも女性はジャガーマンに気づかなかったのか、特に警戒心も見せずケガ人の有無などを四郎に聞いてきた。

 

「これはご親切に。幸いけが人はおりません。我々はギルガメッシュ王の命でウルクからこの街の状況を調査しに来た者です」

 

「まあ、ウルクから」

 

「ええ。皆さんが生きているのかを調べ、必要ならば大規模な救援隊を組織する予定です。我々はその先遣隊ですね」

 

「そうでしたか。申し訳ありませんが、わたし達はウルクには避難しません」

 

顔を俯かせながら拒絶の意を示す女性の態度を見て、事前にジャガーマンから事情を聴きだしていたカドック達はやはりなと顔を見合わせる。

ケツァル・コアトルは密林を広げてメソポタミアの南一帯を支配圏に置いたが、そこに住まう人々を襲うような真似はしなかった。

それどころか北方から迷い込んでくる魔獣達から街を守っているらしい。

ただし、そのための条件として街の外へ出ぬことを住民に課していた。

森の外に助けを求める者、外へ連れ出そうとした者は皆、ケツァル・コアトルによって連れていかれてしまうのだ。

街から出ない限り身の安全は保障される。何もしなければ世界の終わりまで、生き永らえることができるのだ。

だが、その為の代償はとても無視できるものではなかった。

 

「わかりました。では、この旨は持ち帰って王にご報告させて頂きます。いえ、悪いようには致しませんので。はい」

 

四郎が一礼して話を終えると、女性はそそくさとその場を立ち去ってしまう。

他の住民達もこちらがウルクから来た者であると気づいたのか、ほんの少し警戒心を見せ始めていた。

中には露骨に怯えて家の中に隠れる者までいる。

 

「ジャガーマンの言う通りですね。この街では女神に生贄を捧げています」

 

「うんうん。一日に1人、活きのいい男をエリドゥ市に献上する訳ニャ。ああ、もったいない」

 

周囲に人がいなくなったことを確認し、ジャガーマンが物陰から姿を現す。

最後の言葉はどうせ殺すなら自分にも分けろという意味だろうか。

彼女の本体とも言うべきテスカトリポカは生贄を推奨する悪神なのでそう思うのも無理ないだろう。

一方でケツァル・コアトルは本来、生贄の習慣を否定した善神である。それなのにこの密林では人々を庇護する代償として生贄を要求している。

そこがカドックにはどうしても納得できなかった。

 

「ジャガーマン、エリドゥ市にはどう行けば良い?」

 

「ニャ?」

 

「アナタ、何を考えているの?」

 

「直接、確かめてくる。ケツァル・コアトルと生贄の要求がどうしてもイコールで繋がらない」

 

「いやぁ、さすがにククルん――ケツァル・コアトルもお膝元まで近づいたら黙っていないと思うニャ」

 

「そうね、いくら何でも危険すぎます。少し、落ち着きましょう、アナタ」

 

「わかっている。わかっているけど……」

 

どうしても納得ができない。それは何もケツァル・コアトルの要求だけではなく、この街の住民の態度についてもだ。

ここで何人が死のうと知ったこっちゃないが、死の捉え方についてはどうしても許容できない。

この街にいる者は皆、抗う事を諦めてしまった者達ばかりだ。

自分ではどうしようもならない理不尽を前にして、戦う事も逃げる事も放棄して終わりを待つだけの生きた死人ばかりだ。

先ほどの女性も、木陰で涼を取っていた老人も、子どもをあやす母親も、誰も彼もが死を恐れながらも生きることを諦めている。

何もしない事が生き残る事に繋がる。例えそれが二ヶ月と保たない安寧であったとしてもだ。

彼らを見ていると思い出す。何度も夢に見たアナスタシアの生前。あの地獄のようなイパチェフ館で生きたまま心を腐らせていった彼女の父母や姉妹達。

そこでは最後まで明るさを失わなかったアナスタシアだけが唯一の生者であった。だが、この街にはアナスタシアがいない。

この街にはもう、生きている人間がいないのだ。ただ、死んでいないだけで。

 

「うん? カドックん、ひょっとして何か誤解している? ククルんは誰も殺したりしていないよ」

 

「え?」

 

ジャガーマンからもたらされた予想外の情報に、カドックは思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。

 

「だって、生贄を差し出すって……」

 

「うん。けど、人殺しとか時代遅れって言われて禁止されたから、誰も殺していないニャ。私としては美味しそうなの何人かいたから齧りたかったけど、それするとククルんが本気で怒るから仕方なく強制労働の監督とかしてたニャ。あれはあれで死ぬより地獄だと思うけど」

 

何だろう。顔がとても熱い。さっきまでの自分が物凄く恥ずかしい怒り方をしていたような気がして耳まで真っ赤になっているのが分かる。

 

「まあまあ。他人のことで怒れるならそれは優しさの証拠。アナタのそういうところ、私は好きよ」

 

「い、今はそういうの止めてくれ!」

 

追い打ちをかけるアナスタシアの言葉にとうとう、耐え切れなくなったカドックは手の平で顔を覆ってしまう。

うっかり眼鏡のレンズに手の油がついてしまったが、今はそれを気にしている余裕もなかった。

 

「街の状況と女神の情報。これだけ知れればとりあえずは十分です。ジャガーマン、念のため聞きますが、連れ去られた人をこっそり救い出すことは?」

 

「うーん、ククルんが留守の隙を突けば良いと思うけど、気づいたらきっと取り返しに来るニャ」

 

「なら、しばらくは様子見になるでしょうね。現状では魔獣戦線が最優先事項。あれをどうにかしない限りはこちらに手をつけることはできないでしょう」

 

生贄にされた人々を救出すればケツァル・コアトルは必ず報復に現れる。

もしもその隙に魔獣達が戦線を押し込もうとしてくれば、ウルク市は忽ちの内に蹂躙されてしまうだろう。

幸いにもケツァル・コアトルは密林の支配を優先していてウルク市には余り注意を向けていない様子。

何かの気紛れを起こす可能性はゼロではないが、とりあえずの脅威にはなり得ないだろう。

後は、このことをギルガメッシュ王に報告すれば今回の任務は終了だ。

 

「ソウハサセナイ……オマエタチ、密林カラ出ルノユルサナイ」

 

「ジャガーマン、ユルサナイ。裏切者ユルサナイ」

 

いつからそこにいたのだろうか。密林でも遭遇した獣人達が手に手に武器を持って街の出口を塞いでいる。

姿を現しているところを見るに、奇襲は通じないと学習したのだろう。代わりに人数を以前の倍近く揃えている。

生意気にもファランクス陣形を真似しているようだ。

 

「え? 私ってば裏切ったことになっているの?」

 

「密林ノ誇リヲ忘レタカ! ニンゲン、観光人! ニンゲン、労働力! ニンゲン、ATM! オレタチガイドスル! ソウ教エタノ、オマエ! ナノニ裏切ッタ!」

 

「あ、何だか全然、ククルん関係ないところで失望されてた」

 

「というか、今の今まで裏切ってた自覚なかったのか。一応、神格だから申し訳ない気持ちはあるが言わせてくれ。頭の中まで猫科なのか!」

 

「ノー、アイアムジャガー! 虎じゃねぇ!」

 

言うなり、愛用のカギ爪付こん棒を振り回しながらジャガーマンは突貫する。

その後ろから四郎が続き、小太郎が手裏剣を投擲して2人を援護する。

多少の知性はあってもやはり獣人。最初こそファランクスで持ち堪えていたが、押され始めると野性を抑えきれずに各自が勝手に動き出し始め、その隙に各個撃破されていった。

 

アナスタシア(キャスター)、手を! 密林じゃ増援が次々にやってくる。一気に駆け抜けるぞ!」

 

「ええ、しっかりと掴まっていて!」

 

アナスタシアの手を掴んだ瞬間、体が重力に逆らって宙を舞う。

次々と現れる獣人の群れと密林の木々を掻き分け、カドック達は一目散にウル市を後にしたのであった。

 

 

 

 

 

 

翌日。

獣人達の追撃を退け、何とかウルク市まで戻ってきたカドック達は、その足でギルガメッシュ王が待つジグラットを訪れていた。

相変わらず山のように積まれた仕事を片付けていく英雄王ではあったが、こちらの姿を認めると仕事の手を止めて報告を促してくる。

その目には一刻も早く情報が欲しいという焦りと、どんな話が聞けるのだろうかという好奇心が同居しているのが見て取れた。

 

「……以上が、ウル市の現状です。住民達の態度は固く、また街の周囲を女神配下の獣人が守りを固めているため救出は困難と思い、帰還致しました」

 

「そうか。むざむざ撤退してきたというのか。しかも、ジャガーマンだと? 記念すべき(オレ)からの初任務において、またもそのような馬鹿話を……」

 

「呼んだかニャ?」

 

「――しばし待て」

 

一瞬、ギルガメッシュ王の顔から表情が消える。

気持ちはわかる。自分達もジャガーマンと初めて遭遇した時は同じように固まったものだ。

こんな猫だか虎だかわからない着ぐるみを着た奴が英霊で、しかも神性を有するテスカトリポカのナワルなどと誰が思うだろうか。

 

「カドックよ、正直に言おう。(オレ)はそこまでお前に期待していなかった。器の小さい面白みのない男だとな」

 

酷い言いようもあったものである。確かに、ウルクに来てからというもの、英雄王好みの面白可笑しい事件に巻き込まれるのは、だいたい立香の方で、自分はというと老人だとか奴隷だとかの往診やら相談相手だとかしかやってこなかった。

それでも一応、頑張ってきたつもりなのだが、やはりギルガメッシュとしては娯楽にもならないイマイチなエピソードばかりだったようだ。

 

「なに、そう腐るな雑種。こんな愉快な生物に好かれる愚者などそうそうおるまい、それは誇ってよいぞ、(オレ)が許す」

 

「は、はあ…………」

 

「して、このジャガーマンは何を好む? やはりマタタビか?」

 

「猫じゃねー! 虎だ! いやジャガーだ!」

 

「ははは、この雑種猫、よく吠えるではないか」

 

どうやら、ジャガーマンを見て英雄王はかなりのご満悦のようだ。

普段は眉間に皺を寄せながら厳しい口調で臣下を捲し立てるギルガメッシュが、今は人目を憚ることなく腹を抱えて笑っている。

 

「いかんいかん、笑い過ぎて危うく腹が捩れるところだ。これは後で記録に記しておこう。本日、我腹筋大激痛と。ははは……」

 

「よおし、この王様今すぐ殴る! 殴ってウルクは私のもんじゃ――」

 

「はいはい、ここからは大事なお話ですから下がっていてくださいね」

 

四郎が目配せすると、小太郎は気配遮断を用いて音もなく背後に回り込み、そのままジャガーマンの首根っこを掴んで玉座の間を後する。

当然ながら暴れるジャガーマンではあるが、小太郎も手慣れたものでサッサと猿轡を噛まして無駄に大きな彼女の声を遮った。

英雄王には悪いが、このままジャガーマンにいられては話がちっとも前に進まない。

 

「王よ、そろそろ……」

 

「わかっておる、シドゥリ。カドックよ、ウル市の調査、よくぞ成し遂げた。ジャガーマンについては処遇をお前に預けよう。それと、市民の救助と女神への対策はしばし棚上げとする。どうやらケツァル・コアトルなる密林の女神は北の魔獣の女神とは相反する考えのようだからな」

 

北のティアマト神の再来は、配下の魔獣を使役してウルクを平らげんとしている。本来ならば生きる為、縄張りを守る為だけに戦うはずの野生が執拗に人間だけを狩りつくさんとしている様は病的なまでの憎悪を感じ取ることができる。

対してケツァル・コアトルの所業からはそのような悪感情は感じ取れない。確かに生贄は野蛮ではあるが、密林で行われているのは非常に理性的な儀式だ。

本来の生贄とは恐怖や享楽、偏見、或いはもっとシンプルな生存欲求から発する罪なきものを貶める風習である。土地の習俗、国の法律、宗教の戒律。理由は様々であるが、何らかの犠牲を代償にすることで人間は生きているといっていい。

広義の意味では日々の食事ですら生ある物を食らうという生贄なのだ。だが、あそこで行われていたのは選抜だ。切り捨てることで貶めるのではなく、価値を認めるが故に屠る。まるで生贄に選ばれることが栄誉であると言わんばかりに。

それでも犠牲であることに変わりはないため、ギルガメッシュとしては非常に歯痒い思いを強いられる結果となった。

 

「天草、ウルよりエリドゥは見えたか? 斧は健在であったか?」

 

「いえ、樹海は深くエリドゥを見ることはできませんでした。ですが、そちらの方角から強い神気を感じ取れましたので、斧は変わらずエリドゥにあると見ていいでしょう」

 

「では、樹海攻略は必須だな。荷車の制作に取り掛からねばならぬか……」

 

四郎の言葉にギルガメッシュは難しい表情を浮かべながら傍らにいた兵士に何かを命じる。

斧がどうの、荷車がどうのと言っていたので、何かをエリドゥ市から運び出そうと考えているようだ。

あそこは件の女神が一柱、ケツァル・コアトルの本拠地だ。もしもそこに攻め入るとなると苦戦は免れない。王の顔色が悪くなるのも無理はない。

 

「まあよい。長旅ご苦労であった。何かあればまた使いを出す故、それまではいつも通りの仕事に戻れ!」

 

「はっ!」

 

「それと戻ったら藤丸を労ってやれ。今頃、寝台でうなされている頃であろう」

 

「藤丸が? あいつに何かあったのか!? いえ、あったのですか!?」

 

向こうはマシュとマーリンがいるので守りは万全なはず。それでも寝込んでしまったということは、相当の修羅場を潜り抜けてきたということだろうか。

確か彼らはクタ市にギルガメッシュ王が紛失した物を探しに行くと言っていたはずだが。

 

「役目は無事に果たしている。ただ報酬として天命の粘土板を読ませたのだ。(オレ)が冥界帰りに垣間見たものを記したものだが、常人にはちときつかったようでな。なに、休めばすぐに治るだろう」

 

そう言ってギルガメッシュは机の上に置いていた一枚の粘土板を取り上げて見せる。

それが彼の言う天命の粘土板なのだろう。話の内容から察するに、未来視かそれに類する能力で視た光景を記したものなのだろう。

確かにそんなものを見せられては何の抵抗力も持たない凡人では精神が参ってしまう。立香にはお気の毒様として言いようがない。後で麦酒の一杯でも奢ってやるとしよう。

 

「では、カドック。皇女様。私は街の見回りがありますのでこれで」

 

「次があればまた、よろしくお願いします」

 

ジグラットを後にし、外でギルガメッシュ王への報告が終わるのを待っていた小太郎達と合流すると、四郎は礼儀正しく一礼して小太郎を伴ったまま街の雑踏へと消えていく。

後に残されたカドック達は、密林からそのままついてきたジャガーマンへの対応をどうしたものかと頭を悩ませる。

ギルガメッシュ王から身柄を預けられた以上、下手なことはできない。かといって大使館に連れて帰るのは少しばかり抵抗があった。

主にふざけた言動で精神的な疲労が多そうだからだ。別に庭に犬小屋でも建てて放り込んでおいてもいいのだが、仮にも彼女はテスカトリポカのナワルだ。雑に扱って天罰でも下ったら敵わない。

 

「おや、カドックん心配事かい? 何ならお姉さん、いつでも相談に乗るわよ」

 

「間に合っています」

 

「ニャ!? 何か抱き着いて渡しませんなアピールされても羨ましくないニャ! この青春お盛んボーイ&ガールめ!」

 

(何を言っているのかさっぱりわからない。後、冷たい)

 

腕をぶんぶんと振り回しながら喚くジャガーマンを、カドックはアナスタシアの腕の中から冷ややかな目で見つめていた。

どうでもいいがウルクの気候は温暖なので、冷気を纏っているアナスタシアに抱きしめられるとヒンヤリとしていて気持ちが良い。さすがに人前では恥ずかしいし、四六時中このままでは風邪を引いてしまうだろうが。それと何がとは言わないが物凄く柔らかい。

 

「はあ、まあ良いニャ。ここは出会いにご縁がなかったということで。それはそうとカドックん、お姉さんお腹空いたからお小遣い頂戴」

 

「神格なのに買い食いする気なのか?」

 

「私って疑似サーヴァントだから、食事も睡眠も必要なのよ。ほら、お布施だと思って」

 

「あんまり持ち合わせないんだが」

 

そう言いつつもそれなりの物が食べられるよう、羊の銀を何枚か渡す。最上級の巫女の銀を渡さなかったのはせめてもの抵抗だ。

これがないと今晩の夕食からラムステーキが消えてレンズ豆のリゾットだけになってしまう。

 

「ほら」

 

「おお、こんなに良いの!? ヒャッホー! さすが私の信者一号! これぞ夢のお布施(ヒモ生活)だニャ!!」

 

何やら聞き捨てならない妄言を喚きながら、ジャガーマンは硬貨を引っ手繰ってウルクの市場へと駆けていく。

その光景をカドックとアナスタシアは唖然とした表情で見つめていた。

 

「信者って……」

 

「どちらかというと、飼い主よね?」

 

「言わないでくれ、気が滅入る」

 

今後のウルクでの生活がどれほど騒がしいものになるか想像し、眩暈を覚えるカドックであった。

 

 

 

 

 

 

その日の夜。

陽もすっかり暮れ、松明で彩られたウルク市では市場と入れ替わるように娼館が賑わいを見せ始める。

ウルクならば勤勉なものなら既に床につく時間であったが、四郎から急な呼び出しを受けたカドックはアナスタシアを伴って商人街に住む老夫婦の家を訪ねていた。

何でも夫の方が持病の胸痛を起こして苦しんでいるため診て欲しいということだった。と言っても駆け付けた頃には痛みも治まり出しており、魔術で精査しても特に異常らしきものは見当たらなかったので、完全に骨折り損ではあったが。

 

「……では、また痛み出したら呼んでくれ。それと、仕事に出るのは構わないが重い物を持つのは避けるんだ。下腹に力を入れたら再発しやすい。多少、手間でも小分けにして運ぶよう心掛けてくれ」

 

「わかりました。色々と、ご迷惑をかけてすみません」

 

「本当にありがとうございます」

 

「お大事にしてくださいね、おじいさん。さ、行きましょうか」

 

アナスタシアに手を引かれ、2人に見送られながらカドックは老夫婦の家を後にする。

少し遅れて、2人と話していた四郎も後ろから追いついてきた。

 

「本当にすみません、夜分なのにご足労をかけて」

 

「もう慣れたよ。お前こそ、こんな時間まで街を見回っているのか?」

 

「ええ、もう少しだけ見て回ったら棲み処に戻るつもりです。では、2人ともご機嫌よう」

 

そう言って、四郎はカドック達と別れて夜の人混みへと吸い込まれていく。

聞いた話によると、ギルガメッシュ王からの命令がない時は、朝から晩までああして街を見回りながら住民のトラブルの解決などを図っているらしい。

本人はすぐに帰ると言っていたが、実際にはジグラットにもほとんど戻っていないようなのだ。

精力的と言えば聞こえはいいが、休むことなく人助けを続ける姿にはどこか病的なものさえ感じられる。

ロマニといい四郎といい、どこの時代にもああいう偏屈なお人よしはいるものらしい。

或いはああいう頑なな性格が彼を英雄たらしめたのかもしれないが。

 

「ああいう英雄もいるんだな」

 

「東洋の英雄はあまり、馴染みがありませんものね。あ、少し先に段があるから気を付けて」

 

「わかった」

 

「しばらく進んだら曲がるから、幅を大きく取りながら右に大回りで」

 

アナスタシアの指示を受けながら、カドックは薄暗い夜の道を歩いていく。

ダ・ヴィンチの礼装があるとはいえ、明かりが乏しいウルクでは夜に出歩くのは危険が多い。

雲か何かで月明かりが遮られようものなら、思わぬ障害物に足を取られることもままあるのだ。

ただ不憫ではあるが、嫌な事ばかりという訳ではない。出歩く時は必ずアナスタシアが着いて来てくれるし、こうして彼女と手を繋いで歩く事ができる。

急ぎでなければ途中で休憩を挟みながら、転ばぬようゆっくりとした歩幅で歩くので、とても穏やかなふたりだけの時間を過ごすことができるのだ。

なので、できることなら永遠に目的地に辿り着かなければいいのにと、いつも思ってしまう。

 

「おー、誰かと思えばカドックんに皇女様」

 

不意に声をかけられ、振り向くと着ぐるみ姿の女性が往来から手を振っていた。

昼間にジグラットの前で別れたまま、それっきりになっていたジャガーマンだ。

 

「ジャガーマン、何やっているんだこんなところで? 大使館の場所、お前知らないのに勝手にどっかに行って……」

 

「ニャははは。何だか心配してくれるとこそばゆいニャ。まあ、私は野生のジャガーなので寝床は自分でどうにかするから別にいいのだ。それよりも2人の方こそこんな夜更けにデートかい、この不良少年少女め」

 

「デッ!?」

 

「ええ、そうよ」

 

言葉に詰まるカドックを尻目に、打てば響くようにアナスタシアは応える。

そうなると俄然、狼狽えるのはカドックの方だ。頭では理性的に否定しようとするのに、どうしてもうまく言葉でできず大きな声を張り上げることしかできなくなる。

 

「違っ!」

 

「違うの?」

 

「ちが……わない……」

 

下心がある手前、あまり強く出れずカドックは語尾を濁す。

その様子を見ていたジャガーマンは笑っているような苛立っているような複雑な表情を浮かべていた。

 

「ああ、アオハルかよ。いいねぇ、産めよ増やせよ……大いに励め若人よ。もちろん、節度はしっかり守ってニャ」

 

「せ、節度って……ちょっと、ジャガーマン……」

 

「ほれほれ、皇女様はお顔が真っ赤だぞっと」

 

ジャガーマンの言葉に、今度はアナスタシアの顔が耳元まで真っ赤に染まる。

どうやら人をからかう才能にかけては彼女の方が一枚上手のようだ。

 

「あまりイジメるのはよしてくれ、ジャガーマン。本当は仕事なんだ。僕は弱視で片手しか使えないから助手がいるだろ」

 

「おお、なるほど。そういうことなら仕方ない。ジャガーマンは次なる不良を求めて夜の街へと進むのだ」

 

「って、本当にうちには来ないのか? まだ棲み処が決まってないんだろ?」

 

「ううん、そうじゃなくて私もお仕事しているの。折角、ウルクに来たのだからもっと信者を増やしちゃおうと思って。名付けて、「夜回りジャガ村先生が行く、密着! 夜のウルクの更生日記」!」

 

(あ、うん。関わらない方がいいな、これは)

 

何故か物凄くやる気を出しているジャガーマンの姿を見て、嫌な予感が沸々と込み上げてくる。

もちろんジャガーマンはこちらの不安など知る由もなく、新たな生贄を求めて夜の街を右往左往。彼女の目から見て不良であるという基準を満たす者に片っ端から声をかけていく。

 

「そこの不良中年! こんな夜更けに何をする! 早く帰って家族サービスしなさい!」

 

「え、いや、これから友達と飲みに……」

 

「問答無用! む、そこなアベック! 何をイチャツイテいるんだコンチクショウ! ちょっと幸せ分けやがれー!」

 

「り、理不尽だぁっ!」

 

蜘蛛の子を散らす様に逃げ惑うウルクの住民とそれを追うジャガーマン。

地獄絵図のような光景だが、ジャガーマン自身にとっては悪気など一切ない善意の活動であった。

あくまで彼女なりにウルクを思っての行動なのである。それが余計に始末が悪い、とも言えるのだが。

カドックは巻き込まれたくない一心でそそくさとその場を離れるが、彼の嫌な予感は翌日に別の形で的中することになる。

何故なら、朝になるとジャガーマンの見回りに対する苦情が神殿に殺到し、シドゥリを通じてジャガーマンの警邏活動を自粛するように説得する依頼が来るからだ。

そのことをまだ、この時点でのカドックは知る由もなかった。




ジャガーマンは書いていて楽しいですね。台詞がポンポン出てくる。


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絶対魔獣戦線バビロニア 第5節

いつもの朝がやってくる。

窓の外から差し込む陽光、遠くで響く鍛冶の音、往来を走り出す荷車が轍を引き、鳥の囀りがどこからか聞こえてくる。

起きてまずすることは体調の確認。手足が十二分に動くかを調べ、魔術回路の状態をチェックする。

右手、右足、左足問題なし。回路は良好。記憶も昨夜のものから継続しており、自分が問題なく起床できたことを実感する。

枕元に置いておいたレンズをかけ直すと、灰色だった視界にも色が戻ってきた。

土と石で組み上げられた壁。ガラスのない窓。今やすっかり見慣れてしまったウルクの住まい。

何度目かの朝の訪れに、カドックは祈るように感謝を捧げる。今日もまた、昨日と同じ一日が始まることに安堵する。

 

「ぅ……ん……」

 

隣で寝息を立てているアナスタシアが、小さく寝返りを打つ。

銀色の髪と透き通るような白い肌。普段はどこか大人びているのに、眠っている姿は幼くまるで人形のようだ。

ジッと見ていると、つい悪戯を仕掛けたくなる嗜虐心に駆られてしまう。

そんな逸る気持ちを頭を振ってかき消し、カドックは寝台から降りて転ばぬよう気を付けながら窓まで歩き、頭を乗り出してウルクの街並みに視線を巡らす。

今日もまた、ウルクで過ごす一日が始まるのだ。

 

「……ぅん…………あら……おはよう、アナタ」

 

まだ眠そうに瞼を擦りながら、アナスタシアが体を起こす。

寝返りで乱れた服の隙間から、彼女の白い肌が僅かに顔を覗かせる。

まるで太陽の光を反射する青い海のように、白い輝きが視界を覆いつくす。

無防備な姿を汚したいという欲求と、その純真さを愛でたいという願いが理性を削り合い、カドックは少しだけ罪悪感を覚えて顔を俯かせた。

 

「どうしたの?」

 

「何でもない。おはよう、アナスタシア」

 

務めて冷静を装い、いつもの言葉を返す。

果たして、この平穏な朝を後、何度繰り返すことができるだろうか。

人理焼却の完了まで残る日は少ない。終わりの時は、刻一刻と迫ってきていた。

 

 

 

 

 

 

窓の外を見上げると、まだ太陽が中天に差し掛かるまで時間があった。

いつもは1人か2人は訪れる患者も今日は誰もおらず、カドックは診察室兼談話スペースで窓の景色を眺めながら考え事に耽っていた。

患者がいないということは皆が健康だということなので喜ばしいことだが、それはそれとして仕事がなければ張り合いがない。

ただ、今日はシドゥリからの依頼もなく、カルデア大使館全体が自分と同じように開店休業の状態であった。

アナスタシアは椅子に腰かけているアナの髪の毛を先ほどから弄って遊んでおり、立香は自主訓練の体力作り、マシュは部屋の片づけを行っており、朝食をたかりに来たジャガーマンも何故かそのまま居ついて猫のように日向ぼっこに興じている。

大使館全体が緩やかな空気に包まれており、誰も彼もが人理焼却や三女神同盟のことを一旦忘れて穏やかな時を過ごしていた。

 

「はい、できた。どうかしら、アナちゃん? おさげにしてみたのだけれど?」

 

アナスタシアは身支度用にカルデアから取り寄せた手鏡をアナに手渡し、自身の成果を披露する。

後ろ髪を二つに分け、頭の少し上あたりから垂らすツインテールという髪型だ。

ゴルゴン三姉妹のステンノやエウリュアレと同じ髪型であり、幼いアナがするととても似合っていて可愛らしい。

光が反射でもしたのかアナは鏡を見るなり顔をしかめたが、すぐにいつもと違う自分の姿をそこに見て、無邪気に破顔した。

 

「あ……」

 

「お気に召したかしら?」

 

「はい、ありがとうございます。けど、何だかちょっと恥ずかしいと言いますか……申し訳ないと言いますか……」

 

薄紅色に染まった頬に手を当てながら、アナは困ったように首を振る。

一応、気に入ってくれてはいるのか、何度も手鏡をチラ見しては視線を逸らすという仕草を繰り返していた。

 

「うーん、なら他の髪形も試してみましょう。マリー直伝のレパートリーを披露してあげる」

 

「何だかすごく不安な気もしますが、お願いします」

 

椅子の上で居住まいを正したアナの髪を解きながら、アナスタシアは嬉々とした笑みを浮かべて新たな髪形を構想する。

マリーの直伝ということはかなり奇抜なセットが飛び出してくるだろうが、アナは自己主張そのものはきちんとする娘だ。嫌なことがあればハッキリと口にするだろう。

 

「ねえ、藤丸くん。お姉さん、何だか退屈だなぁ」

 

「街の見回り、しているんじゃなかったの?」

 

「カドックんに止められちゃったのよ。仕方ないからその辺で拾った石ころに落書きしてジャガー印の幸運の石として売り出したら、天草くんに取り上げられるし」

 

「あー、そうだろうねぇ」

 

どうでもいいのか呆れているのか、どことなく覇気のない声で返事を交えながら、立香は腹筋運動を続けている。

二百回目までは数えていたが、いったい今で何回目なのだろうか。確か朝食の前もジョギングに出ていたので、今日は一日体を苛め抜くつもりなのだろう。

魔術の方面がからきしなので他の部分を鍛えるという考えはわかるが、それにしてもよく続くものである。

北米大陸を徒歩で横断したのは伊達ではないということだろうか。

 

「お姉さん、ちょっと自信なくしちゃうなぁ……あ、水飲む?」

 

「ありがとう、丁度、水分補給したかったんだ」

 

何百回目かの腹筋運動を終え、そのまま床の上で姿勢を崩したまま座り込んだ立香は、ジャガーマンから渡された鉢を疑う事無く口に付ける。

直後、疲労で憔悴していた立香の表情が一瞬だけ凍り付き、そこから一気に目を見開いて口に含んだ水を霧のように盛大に吐き出した。

 

「な、なんだよこれ! 滅茶苦茶辛い!?」

 

「へっへーん、引っかかった! 実は水に辛子を混ぜておいたのよ」

 

「ど、どうしてそんなことを……」

 

「えー、藤丸くんってば昨日はお夕飯に呼んでくれなかったじゃない」

 

「住所不定の虎をどうやって夕飯に招待しろっていうんだよ」

 

「虎じゃねぇ、ジャガーだ!」

 

胴の入ったアームロックで首を締め上げられ、立香は堪らず床を叩いて助けを求める。

無論、猫のじゃれ合いのようなものなので、マシュが慌てて仲裁に入るとすぐに立香を解放し、ジャガーマンは再び床の上に四肢を伸ばして退屈との戦いに戻っていった。

 

「大丈夫ですか、先輩? はい、こちらはちゃんとしたお水です」

 

「うん、ありがとう」

 

マシュに背中を擦ってもらいながら、立香は未だ辛みが残る口内を新しく渡された水で洗浄する。

反対側ではアナスタシアの前衛芸術が早くも爆発を始めていた。

ソフトクリームのようにぐるぐると巻き上げられる紫の髪。アナは手鏡を手放しているので、自分がどんな髪形にされているのかわからない。

その面持ちは心なしか期待するかのように目を輝かせていた。

窓の外では太陽がほんの少しだけ南に近づいている。

たまたま通りを歩いていた近所の夫婦と目が合い、会釈をすると向こうはにこやかに手を振ってくれた。

平和な時間。

退屈な時間。

穏やかで、波紋一つ浮かばぬ日常。

たまにはこんな日があってもいい。

けれど、どんなものにも終わりはある。

例えば今しがたまで手慰めとして組み上げていた魔術礼装も出来上がってしまえば手を加えることができない。

どんなに工夫を凝らしても、これ以上は弄れないとなればそこで髪形のセットは終わるし、体力が尽きれば運動もできない。ゴミやガラクタがなくなれば掃除も必要なくなり、陽が沈めば眠るだけなので退屈ともおさらばだ。

この世界が続く限り、時計の針が止まることなど決してないのだから。

不安を紛らわすかのようにカドックは机を指先で叩く。

周りに悟られぬよう、音を立てずに、優しく、しかしてリズミカルに。

やがてそのリズムにメロディが加わった。

アナの髪を結いながら、アナスタシアは小さな声で鼻歌を歌っている。

こちらの指のリズムが聞こえている訳ではない。何しろ自分ですら聞き取れない音だ。

なのに彼女は、まるで楽譜を読んでいるかのように正確なリズムを捉えて旋律を奏でる。

通じ合っていることに対する僅かな照れと喜びがない交ぜになり、知らず知らずの内に耳たぶが熱くなった。

日差しのおかげで周りには気づかれていないが、きっと今の自分は顔を真っ赤にしているだろう。

気を紛らわすためにリズムを変える。

一本調子だった人差し指と中指に加えて薬指を交差させ、時にゆったりとした緩急を交えつつも湧き上がる感情を激しく机に叩きつける。

それに合わせてアナスタシアの口ずさむ調子もリズムを変え、やがては出鱈目だった旋律は研ぎ澄まされてひとつの曲として昇華される。

きっと知らず知らずの内に彼女の歌声に引きずられたのだろう。不規則だった指先は再び一定のリズムで音を刻み、それに合わせてアナスタシアが歌を紡ぐ。

日々の労働に感謝を、日々の糧に感謝を、そして日々の幸せに感謝を。

彼女が紡ぐのは一週間の歌。ロシアで広く歌われているニェジェーリカだ。

糸を紡ぎ、水を焚き、愛しい人と出会い、別れ、死者を悼みながら新たな一週間を迎える女性の歌。

その物悲しくも繊細なメロディがカドックの胸を締め付ける。

 

「アナスタシアッ!」

 

気が付くとアナスタシアの前に立っていた。

筋トレを再開していた立香や調理場の掃除を終えたマシュが何事かとこちらに視線を向けているのがわかる。アナも突然のことに驚いて体を強張らせていた。

ジャガーマンはどこ吹く風だ。元々、お気楽で生きている神格兼ナマモノだ。そうそうに彼女のマイペースは崩れない。

 

「はい、何かしら?」

 

アナの髪の毛を結い終え、アナスタシアがこちらに向き直る。

見透かすような眼差しに視線が泳いでしまうが、カドックは小さく深呼吸をして動揺を押し隠す。

バレることはないだろうが、万が一にもポケットの中の存在を悟られる訳にはいかない。

決断を下すまで半日も使ってしまったのだ。このまま何もしなければ一日が終わってしまい、今日のような日は二度と訪れないかもしれない。

自分達に残された時間は決して多くはない。だから、チャンスを逃すことだけはしたくなかった。

 

「午後から、僕に時間をくれないか!」

 

「あら、お出かけかしら? なら、みんなで行きましょうか?」

 

「ち、違う!」

 

分かっていて言っているのか、アナスタシアは悪戯っぽくウィンクをする。

なけなしの勇気を振り絞っての決断だというのに、何て小悪魔な皇女様だろうか。

そうやってこちらを弄びながら、内心で笑っているのだろう。

 

「ふふっ、ごめんなさい。もちろん、冗談です」

 

「そ、そうか……良かった……」

 

「それじゃ、お昼を食べたら出かけましょうか。楽しみにしていますね、アナタ」

 

アナスタシアの笑みに、カドックは小さく微笑み返す。

カドックにとっては一世一代の晴れ舞台であり、生まれて初めて自分の方から女性を誘った記念すべき日となった。

そう、自分達はこれから街へと繰り出すのだ。

一時だけ、魔術師であることもサーヴァントであることも忘れて、一組の男女として街へと出る。

デートをするのである。

 

 

 

 

 

 

中天の太陽が西へと傾き始め、工房からは午後の仕事を始める合図が鳴り響く。

そんな中、カドックはウルク市の門の手前でひとり、待ち人が来るのを待っていた。

どうせなら、一緒に家を出るのではなく待ち合わせがしたいと、アナスタシアが言い出したからだ。

これといって特に準備することもなかったカドックは、後のことを立香に任せ、心を落ち着けるために待ち合わせ時間よりも早くに大使館を後にしていた。

何となく手首に指を当ててみると、物凄い速度で脈が打っていることに驚く。

魔術師にとって平常心は何よりも大切なもの。だというのに、自分は今、情けないくらいに緊張している。

無理もない。誰かを誘ったことなんて生まれて初めてなのだ。ましてやそれが異性であるなら尚更だ。

 

「ごめんなさい、お待たせしました」

 

不意に聞こえた蠱惑的な響きが、カドックを現実に引き戻す。

顔を上げると、大使館を出る前と少しだけ装いが異なるアナスタシアの姿があった。

具体的にどこが変わっているのかと聞かれると、答えるのは難しい。

衣装はそのままだし、髪形やアクセサリーの類も特に弄っていない。

それでも何とか言葉をひり出すのなら、しっとりとしていると言えばいいだろうか。

元から綺麗な肌も水を含んだ果実のように瑞々しい。ひょっとしたら、出かける前に水浴びでもしてきたのだろうか。

 

「い、いや、待っていない……行こうか」

 

格好つけて声を作ってみたが、物の見事に失敗だった。

声は上擦り、しかも第一声は噛んでしまった。その固い声音にアナスタシアはクスリと笑みを零す。

 

「はい、もう少しリラックスしてくださいね、アナタ」

 

「あ、ああ。努力する」

 

ポケットの中の存在を意識し、これでは先が思いやられるなとカドックは内心でため息を吐く。

とにかくここから仕切り直しだ。今度こそ、計画通りにデートを遂行するのだ。

まずは――――。

 

「とりあえず、適当に街を歩こうか」

 

――ノープランでいこうと、今朝から決めていた。

 

「あら、何も決めていないなんて珍しい」

 

意外そうにアナスタシアは小首をかしげる。

確かに彼女がよく知るカドック・ゼムルプスという男は、一事が万事慎重で入念な計画と準備を終えてから物事に取り掛かる男だ。

それはカドック自身の生来の性格もあるが、魔術師としての才能の欠如を補うために培われた面も強い。

才能が劣るのなら努力を重ね、工夫を凝らし、慎重に計画を巡らせて事に当たる。

そうして何とか天才達の背中を追い続けてきたのが今までの自分なのだ。

だが、今日だけはそのことを忘れてアナスタシアとの時間に集中したいと思った。だから、敢えて今まではしてこなかったことをしようと決めたのだ。

 

「なら、市場の方に行きましょう。途中でこの前、私達が取り上げた子牛の様子も見に寄れますし」

 

「ああ、君がそうしたいならそうしよう」

 

自然と2人の指先が絡まる。

手の平に伝わる冷たさと、中心から伝わる仄かなぬくもり。そして、繋いだこの手が離れて欲しくないという小さな願いがチクリと胸を刺す。

自分はこんなにも憶病だったかとカドックは自問する。

間違いなく憶病だった。だが、それは失うことを恐れてではなく、ただ自分が無為に終わる事を嘆いてのことだったはず。

何かを成して、納得のいく結果さえ出せればそれでいいと考えていたはずだ。そうすれば後は、安心して倒れることができると。

けれど、今の自分は違う。終わりが近づいてきているからなのだろう。この繋がりを、手の中のぬくもりを、どこにもやりたくないと願う自分がいる。

手放したくないと訴える心がある。

その感情を魔術師は定義しない。その心の意味を魔術師は理解しない。

けれど、人はきっとこう呼ぶのであろう。

それは紛れもなく、恋に焦がれていると。

 

 

 

 

 

 

穏やかな時間が過ぎていく。

子牛の様子を見た後は一通り市場を回り、広場で遊ぶ子ども達に混ざって遊戯に興じ、街角で出会った老夫婦と談笑を交わす。

空は青く、太陽は強く照り付けるが涼し気な風が顔を撫でる。

疲れれば水場に足を運んで涼を取り、お腹が空けば適当な屋台で肉やパンを買って腹を満たす。

片手しか使えないカドックのために、料理を小さく千切るのはアナスタシアの役割だ。

 

「はい、あーん」

 

そして、こんな風に意地悪をされるのも慣れた光景だった。

もちろん、立香やマシュがいる前では絶対にしない。こうやってアナスタシアが食べ物を差し出してくるのは、決まって周りに知り合いがいない時だけだ。

彼女は強情なので拒否したところでしつこく迫ってくるので、いつも仕方なくカドックが折れて手ずから食べさせてもらうことが多い。

 

「もうすぐ、日が暮れますね」

 

黄昏色に染まり出した空を見上げ、アナスタシアは寂し気に呟く。

ウルクは大きい街ではあるが、それでも現代の都市に比べればずっと狭い。

半日もあればほとんどの場所は見て回れるので、残った時間は何度か遠足に使った集会場がある広場で寝転んで過ごすことにした。

もうじき、工房から煙が消えて街に松明が灯るだろう。そうなると、大使館に戻らねばならない。

夕食を食べ、立香達と談笑し、明日の準備をして就寝しなければならない。

時は残酷だ。どれだけ願っても、一秒も針を刻むことを止めてはくれないのだから。

 

「歌ってくれないか」

 

「……はい」

 

膝に頭を預けながらカドックが請うと、アナスタシアは小さく頷いた後、彼にだけ聞こえる声で口ずさむ。

その静かな音に耳を傾けながら、カドックは今日までの出来事を回想する。

カルデアに呼び出され、Aチームに抜擢されて訓練を積んだ日々。

アナスタシアと出会うきっかけとなった冬木でのファーストオーダー。

グランドオーダーと共に駆け抜けた6つの特異点。

ウルクに来てからの、穏やかで平和な日々。

特にこの1年半は本当に充実した毎日であった。

多くの英霊達と出会い、強大な敵と戦い、挫折し、悩み、苦難を乗り越えて勝利を掴み取る日々。恋しいアナスタシアと共に過ごしたかけがえのない時間。

今となっては、立香に嫉妬し迷走していた頃すら愛おしい。

そんな尊い毎日が、もうすぐ終わってしまう。

焼き尽くされてしまった2016年が、もうすぐそこまで迫っていた。

終わりが近づくにつれてカドックの中で焦りが増していく。

自分はアナスタシアに対して何ができたのか、どんな影響を与えることができたのかと。

そうして考えた末に今日という日を有意義に使おうと思ったのだ。

思えば出会ってからずっと、特異点での戦いかカルデアで過ごす日常ばかりで、どこかに2人で出かけたことなどなかった。そんなことなど叶わぬはずであった。

それが偶然にも機会に恵まれたのだ。だから、この辛い戦いの中にもこんな平穏な時間があったのだと、ほんの少しでも彼女に爪痕を残せればと思ったのだ。

 

「ウルクの人達は、本当に強い人ばかりね」

 

不意に歌うのを止め、アナスタシアは遠い景色を眺めるように目を細める。

 

「私、ずっと諦めてしまえばいいと思っていました。どうせ終わってしまうのなら、なくなってしまうのなら、それを認めてしまえば見えない苦しみも和らぐだろうと。穏やかな気持ちで、覚悟したまま最期を迎えられると思っていました」

 

それは、初めて出会った冬木の街で彼女が言っていたことだった。

カルデアスから光が消え、人類の生存が危ぶまれたことに対して、彼女は何もせずにその時までを穏やかに過ごすべきだと主張した。

その時は彼女の真名も生前の出来事も知らなかったため、単なる諦めであると断じて自分が世界を救うなどと大言を吐いてしまったが、今ならばその言葉が彼女の深い絶望と憎悪からくるものだったと理解している。

家族と共に自由を奪われ、軟禁生活を送る中で彼女自身も自らの終わりを悟っていた。それでも必死で明るさを演じて残された日々を過ごしていたが、最後の最後でその無垢な心にどす黒い感情が染みついてしまった。

自分を殺した者が憎い、家族を殺した者が憎い、自分達を葬った国そのものが憎い。こんな感情を抱いてしまうのなら、何も知らずに笑って過ごした日々は何だったのか。

もっと早くに受け入れていれば、この感情も戸惑う事無く受け入れられたのにと。

だが、ウルクの人々は真逆であった。終わりを前にしても絶望することなく、最後の瞬間まで命を燃やし尽くしている。

限られた環境の中で、できることを精一杯にしている。

それは、死の瞬間までアナスタシアが続けた足掻きと同じであった。

 

「君がやってきたことは、決して間違いじゃない」

 

「……やっぱり、視てしまったのですね」

 

「ああ」

 

何度も夢に見て、その度に跳ね起きた。

夢の中で彼女が死ぬ様を何度も見せつけられた。

そして、彼女の無意味な強がりを、痛ましいまでの足掻きをずっと見守ってきた。

この話題についてだけは、今までずっと触れないでいた。この苦しみは彼女だけのもので、その絶望を理解する権利は自分にはないと思っていた。

何より彼女が心を痛めると思い、ずっと胸に秘めてきた。だが、意外にも彼女の表情は穏やかだった。困惑しつつも取り乱すことなく、ジッとこちらを見下ろしている。

 

「大丈夫、私はもう大丈夫です。だって、もう諦めたりしませんから」

 

「アナスタシア?」

 

「アナタは前に進むのでしょう? この旅を終えて、カルデアを去った後も、アナタ自身が目指すモノのために前へと進むのでしょう? だったら、パートナーである私がいつまでも同じところに留まっていてはいけませんから」

 

静かに語り聞かせるように、アナスタシアは言葉を紡ぐ。

陽は既に地平線へと沈み始め、東の空から暗がりが広がりつつあった。

ほんの一瞬、吹き付ける風が止むと共に周囲から音が消えたかのように錯覚する。

鼓膜に響くのは、最愛の女性の言葉だけであった。

 

「私、アナタと最後まで生きたいのですから」

 

トドメを刺されたとカドックは後悔はする。

何て情けない姿だと己を恥じ、体を起こしてポケットを探る。

指先に当たった固い感触は、今日という日のためにずっと持ち続けていたものだ。

これを渡す時は、必ず自分から切り出そうと決めていた。自分の方から気持ちを伝えようと決めていたのに、何て様だ。

 

「これを、受け取ってくれないか」

 

小さな麻袋の包みを解き、指先ほどの大きさのソレをアナスタシアに差し出す。

顔が真っ赤になっていることは百も承知だ。ムードもタイミングも何もかもがなっていないことも承知の上だ。

どのみち今日はノープランでいくと決めたのだから。

 

「これは……ラピスラズリ?」

 

最初は不思議そうに見つめていたアナスタシアは、そこにはめ込まれている輝きを見て顔を綻ばせた。

ラピスラズリ。瑠璃鉱石とも呼ばれる石で、ウルクではお守りとして装飾品などによく使用されている。

カドックが差し出したものは、ラピスラズリが埋め込まれたピアスなのだ。

 

「その……いい石は少し高くて……だから、自分で錬成してみたんだ……」

 

きっかけは数日前の買い出しの時であった。

その日の献立を話し合いながら歩いていると、鉱石が並んでいる露天の前でアナスタシアが足を止めたのだ。

彼女が見ていたのは紫色に輝くラピスラズリ。庶民向けの安価なものでどれも不純物が多い代物だが、中には他よりも輝き方が違うものが並んでいる。

 

『綺麗な色。魔除けの石なのね』

 

『何だ? 魔除けなら僕の礼装からいつも持たせているだろう』

 

『お馬鹿さん。こういうものは気持ちなの』

 

『そういうものか』

 

『そういうものなの。うん、でもこの前に服の生地を買ったから、また今度にします』

 

彼女の中ではそれで終わったことなのだが、その後、カドックはアナスタシアが買い付けをしている隙に店へと戻り、こっそりとラピスラズリを購入していたのである。

ただ、持ち合わせではどうしても良質の石は買えなかったため、粗悪な石を幾つか買って砕き、手が空いた時に錬金術で一個の石へと錬成し直したのだ。

ピアスにするか指輪にするかは最後まで迷ったが、どうせならアナスタシアを象徴する魔眼の近くにこの石を置きたいと思い、出来上がった不純物のない紫色の輝きをピアスへと加工して、彼女に渡せる日を虎視眈々と待ち構えていたのである。

 

「その……前に欲しがっていただろ。でも、気に入らなかったら…………」

 

不意に視界が灰色に染まる。

眼鏡を取り外されたのだと気づくのに時間はかからなかった。

どうしてこんなことをするのだと聞こうとしたが、それよりもアナスタシアに唇を塞がれる方が早かった。

予想だにしなかった一撃。柔らかい感触と小さなぬくもりが吐息と共に伝わり、カドックの思考は瞬間的なパニックに陥る。

 

「ずるい人……私に何度、一目惚れをさせれば気が済むの?」

 

その言葉はそっくりそのまま返そう。

君に何度惑わされ、何度焦がされてきたことか。崩れ落ちそうになる度に支えてくれた彼女に何度感謝したことか。

自覚できるほどに余裕を持てたのはつい最近だが、きっと始まりはあの炎の街だったのだろう。

あの日、地獄のように燃え盛る光景と死の恐怖の中にあって尚、儚く輝く白い光を見た。

運命と出会うように自分達は出会えた。

あの瞬間に、きっと自分は堕ちてしまったのだろう。

 

「こんな風に過ごせるのも、後少しで終わってしまうのでしょうね」

 

互いに肩を預け合いながら、ウルクの夜空を見上げる。

アナスタシアの声は、少しだけ涙ぐんでいるようだった。

泣き腫らす顔を見られたくないと思い、眼鏡を奪い去たのだろう。

なら、気づかない振りをするべきだと思い、カドックはそのことに触れずただ黙って頷き返す。

 

「私、最後の瞬間はきっと泣いてしまいます」

 

ヒンヤリと冷たい指先が右手に触れ、その感触を確かめるように握り返した。

互いの手の平が重なり、五つの指が互いを放すまいと絡み合う。

すぐそこに彼女の吐息を感じ、鼓動が自然と跳ね上がった。

見えないことが救いだった。きっと今の自分は彼女を直視することができないだろう。

そして、見えないからこそ彼女の存在を、その重みとぬくもりをしっかりと感じ取ることができる。

この瞬間が永遠に続けばいいと願わずにいられない。

進みゆく時計の針を呪わずにいられない。

マスターとサーヴァントはいつか別れる定めにある。人理修復が成された時がその時ならば、その瞬間が訪れなければといい。

今日が終わらず、明日が訪れず、終わりを迎えず今よ続け。

時よ止まれ、時よ止まれ、今一時こそが美しい。

例えそれが叶わぬ願いであったとしても。

 

「ねえ、アナタ……」

 

「もう少し……このままでいたい……」

 

「……はい」

 

涙の味が唇を伝う。

彼らの予感はすぐに現実のものとなった。

翌日、ギルガメッシュ王から魔獣戦線の最前線である北壁へ向かうよう指示が下りたからだ。

目的は魔獣達に囲まれたニップル市の人々の救出。

メソポタミアの情勢が、一気に動き出す一戦となることを、彼らはまだ知らない。




もう少し、日常回を入れようと思ったら何だか最後の方しんみりしてしまった。
構想した時はもっとラブラブコメコメしていたのに、何故?

さて、次回でどこまで進めるか。
できれば来年のアニメが始まる前に七章を終わらせたいところです。


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絶対魔獣戦線バビロニア 第6節

ニップル市はウルク市と同等規模の城塞都市である。

ただ、魔獣達が住処としているであろう北方の杉の森に近いこともあり、魔獣の襲撃を受ける頻度はウルク市の比ではなく、ギルガメッシュ王が北壁の建設、魔獣戦線の構築を行う頃には既に街は魔獣達に包囲されてしまっており、ニップル市は陸の孤島と化していた。

それでも隙を見つけては北壁の兵士が市民を救出していたが、ここに至ってとうとう街の備蓄が底を尽き、これ以上の籠城は不可能となってしまったのだ。

 

『魔獣達の襲撃には一定の周期がある。本来ならば種族によって狩りの形態まで違う魔獣達を何者かが束ね攻勢に出るのが七日に一度。この間隙を以てニップルの民を救出する!』

 

それを成し遂げた暁には、人理を修復するに足る者と認め、王の名代として扱おうと言ってギルガメッシュ王はカルデアを送り出した。

あの唯我独尊の英雄王より協力を取り付ける旨を引き出した。

この時代にレイシフトしてからここに至るまで実に20日以上も時間を有してしまったが、やっと本当の意味でスタートラインに立ったと言えるだろう。

 

「シドゥリさん、とても喜んでくれていましたね」

 

「ここに来てからずっと、気にかけてくださっていたものね。本当、優しい人」

 

道すがらマシュとアナスタシアは、今日までに起きた様々な出来事を話し合ってはウルクの思い出を回想する。

羊の毛刈りから始まり、浮気調査や喧嘩の仲裁、果ては地下空洞の探索とカルデア大使館の業務は実に多岐に渡る。

そんな多忙な毎日を無事に過ごすことができたのは、世話役となってくれたシドゥリのおかげであった。

彼女に送り出してもらうことでその日の仕事が始まり、仕事が終われば労いの言葉をもらう。

カルデア大使館のウルクでの生活はシドゥリとの二人三脚であったと言っても過言ではないだろう。

 

「帰ったらまた、みんなでお祝いをしましょうね」

 

「はい、是非に」

 

アナスタシアの提案に、マシュが屈託のない笑みで返す。

ふと視線をずらすと、アナスタシアの右耳から下がるピアスがいつもと違う事に気づく。

紫色の輝きが埋め込まれた拙い工芸細工。先日、カドックが彼女にプレゼントしたものだ。

改めて見てみると民生品にも劣る出来で、こうして日の目を浴びていると中々にくるものがある。

恥ずかしいから人前では止めて欲しいと言えば外してくれるだろうか。いや、絶対にそれはないだろう。

そんな悶々とした思いを抱きながら歩く事半日。カドック達は遂に魔獣戦線の最前線である北壁へと到着した。

 

「すごい、見てください先輩! カドックさん! ウルクと変わらない賑わいです!」

 

「砦と聞いていたけれど、商人や職人もいるのね」

 

2人の驚きも無理はない。魔獣達の侵攻を食い止める最前線。さぞや殺伐とした城塞を想像していたのだが、実際の北壁は規模こそ小さいが砦の中に丸まる一つの街が形成されていた。

炊き場では煙が上がり、工房では職人が槌を打ち、生活必需品を売る露店も並んでいる。休息中の兵士が英気を養うための娯楽の店もあった。

 

「そりゃ、この規模の防衛を半年間も維持するには、これくらいしないとね」

 

どこか自慢げにマーリンは説明する。

確かにインフラが脆弱で移動手段も人力である以上、ウルクからの補給が滞れば戦線の維持に支障が出てしまう。

なので街そのものを作り、最低限に必要な物は現地で作らせる。また、防衛戦は兵士の士気が挫けば戦力で勝っていてもそこが付け入る隙とななってしまう。

必需品を扱う露店や娯楽の店に関しても兵士の士気を高めるためには重要な要素だ。

これならば北壁が孤立する状況に陥ってもしばらくは保たせることも可能だろう。

 

「みなさん、よくぞ北壁においでになられた!」

 

街の様子を眺めていると、聞き覚えのある大声が街路に響き渡る。

振り向くと兜を被った半裸の男がこちらに駆けてきていた。

深紅のマントと盾。平時であったも油断を許さぬぎらついた双眸。

かつて第二特異点で立香達と矛を交えたというスパルタの英雄、レオニダス一世だ。

此度はギルガメッシュ王のサーヴァントとして召喚され、北壁の指揮を任されている。

敗れこそしたものの、ペルシャ軍からスパルタを三日間も守り抜いた末に後続の仲間へと希望を託した炎門の守護者。

適材適所とは正にこのことだろう。実際、力ではどうしても魔獣に劣る兵士達をよく鍛え、よく使うことで彼はこの北壁の戦力と士気を今日まで維持し続けていた。

 

「レオニダスさん!」

 

「よくぞ来られましたな、マシュ殿! それにカルデアのマスター! 積もる話もありますが、まずは状況を説明しましょう。天草殿達も既に到着されています」

 

「あいつらも来ているのか?」

 

「ニップル市は予断を許さぬ状況でして、ギルガメッシュ王も持てる戦力の全てをぶつけるつもりなのです」

 

そう言ってレオニダスは、城塞の屋根へとカドック達を案内する。

南西から北東に向けて緩やかに弧を描く形となっている北壁の城塞。その上部には幾つもの射撃台が設置されていた。

この時代、投石機は既に実用化されているが、よく見ると装填されているのはただの石ではない。

煌びやかな宝剣もあれば無骨な意匠の槌があり、複雑極まりない造りの杖や儀礼用の槍、果ては盾や装具の類までもが添えられていた。

そこに込められている魔力は普通の武具の比ではなく、どれもが一級品の宝具の現物だ。

仮にこれを撃ち出したとするならば、地形を変えるほどの恐ろしい破壊をまき散らすであろう。

直撃すれば大型魔獣でも一たまりもなく、仮に外れても十分な牽制になる。

 

「この印象……ディンギルか」

 

「おお、さすがカドック殿は学が高い。ご存知の通りこれらは神権印象(ディンギル)と呼ばれています」

 

ディンギル。即ちシュメール語で神を表す言葉である。

シュメールでは何であれその功績によって人々から神格化され、ディンギルの名を与えられる。

神格嫌いのギルガメッシュ王が敢えてその名をこの兵器に名付けたのは、神に寄らず人の手で時代を守るという決意の表れなのだろう。

自らの一部ともいうべき財宝を矢として装填していることからも、その思いの強さが汲み取れる。

 

「ギルガメッシュ王は数多くの力ある武具を有しており、これはそれらを手動で打ち出す大型の投石機です。台座に埋め込まれたラピスラズリをハンマーで打ち砕くと蓄積した魔力が解放され、財宝を標的目がけて打ち出す仕組みです」

 

『ウルク風……いや、ギルガメッシュ王風のバリスタみたいなものなんだろうね。自分の財宝を兵士達にも使い捨てにさせるなんて、普段の彼なら絶対に有り得ない状況だ……』

 

神権印象(ディンギル)の仕組みを聞いたロマニが、通信の向こうでしみじみと感想を漏らす。

さらりと聞き流してしまったが、ギルガメッシュのことをよく知っているかのような口振りにカドックは引っかかりを覚える。

うまく言い表せないが、気安さのようなものを感じ取ったのだ。とはいえ、聞き返すほどのことでもないだろうと思い、説明を続けるレオニダスの話の方に集中する。

 

「今回の作戦では、神権印象(ディンギル)を使う予定はありません。財宝には限りがあることに加え、狙いも甘く精密な狙撃は不可能。味方への被害も考慮しなければなりませんので」

 

それでも神権印象(ディンギル)を用いねば凌げなかった窮地は何度かあったらしい。

自分達がウルク市で平和に過ごしている間、北壁の兵士は常に死と隣り合わせの戦いを繰り広げていたのだ。

今更ながらここが戦場であることを思い出す。

 

「お気に召されるな、カルデアのマスター。その為の我らサーヴァントです」

 

「……すまない。それで、ニップル市の解放手順は? 僕達は何をすればいい?」

 

こちらの戦力はアナスタシアにマシュ、マーリンとアナ、何故かついてきたジャガーマン。そこにレオニダスと四郎、小太郎が加わることになる。

これだけの戦力が揃ったのなら、大抵の無理は利くはずだ。

 

「……それが、やや言いづらいのですが、少しばかり状況が変わりました」

 

「昨夜から魔獣群の動きが変化し、ニップル市の周囲を巡回しているのです」

 

斥候は彼の務めなのか、控えていた小太郎が説明を引き継ぐ。

どうやら魔獣達の襲撃の隙を見てニップルの人々を夜毎に避難させていたらしいのだが、昨夜から魔獣達は街を守るかのように周囲の警戒を始めたらしいのだ。

普通ならば絶対に足並みが揃う事のない魔獣達が連携を取り出したため、彼らは指揮官に当たる何者かがやって来たのではないかと考えているようだ。

 

「以前の指揮官、ギルタブリルは巴殿と相打ちになられました。そのおかげで北壁は今日まで持ち堪えることができたのですが、新たな指揮官が来たとなるとこちらの動きを予測されている可能性が高い」

 

場合によっては七日間の周期までもがあてにならない可能性すらある。

それでも彼らは作戦を中止する訳にはいかなかった。既にニップル市では餓死者が出ており、これ以上の時間をかければ街の全滅すら有り得るのだ。

 

「救援を先延ばしにできない以上、陽動作戦を取ります。天草殿と小太郎殿が指揮する部隊が東からニップル市を目指し、魔獣達を引き付けている間にカドック殿達カルデアのみなさんとマーリン殿、アナ殿が西からニップル市に入場。生き残った市民をこの北壁へ誘導して頂きたい」

 

救出対象に被害が及ぶ可能性も高く、場合によっては救出を断念してニップルを見捨てねばならないかもしれない。

それでも魔獣達に周囲を警戒されている現状では、それが最善な策であろう。

 

「救出作戦ね。よぉし、燃えてきたぁ!」

 

「あ、ジャガーマン殿は天草殿と一緒に行動してください」

 

「えぇっ!? どうしてぇっ!?」

 

(いや、どう考えても適任だろう)

 

密林ならいざ知らず、平地ではただうるさいだけの虎。いや、ジャガー。

彼女に隠密行動など期待できないし、能力も白兵戦闘に特化しているので戦場で力いっぱい暴れてもらって敵を引き付けてもらった方がいい。

きっと殺しても死なないだろうからいい囮になるだろう。寧ろ、一緒に行動する四郎や小太郎の方が心配なくらいだ。

 

「まあ、僕は忍びですからね。殴り合うのは不得手ですが、場をかき乱すのなら我ら風魔が独壇場。天草殿もいることですし、何とかなるでしょう」

 

「……そうですね。恐らく……大丈夫でしょう」

 

冷静に戦力を分析する小太郎に対して、四郎の方は歯切れが悪い。

彼は未来視ができる。精度こそ不安定だが垣間見た未来は必ず現実となるのだ。

ひょっとして、何か不安な未来でも視てしまったのだろうか?

 

「いえ、お気になさらずに。彼女と一緒だと思うと、少し気が滅入っただけでして」

 

「……ああ」

 

確かに、無理もないと納得せざる得ない。

視線の先ではジャガーマンが早くも作戦会議に飽きて神権印象(ディンギル)を弄ろうとしており、それを止めるために立香と数人の兵士が彼女を取り押さえている姿があった。

 

 

 

 

 

 

作戦の決行は明日。魔獣の群れの動きが最も鈍く、最も空腹に飢えた刻限に合わせることとなった。

今日までずっと戦線の維持に務めてきた北壁が初めて、攻める側に回るということで北壁の兵士の士気は申し分ない。

そんな中で戦力の要となる英霊達は明日に備えて思い思いの夜を過ごしていた。

体力を消耗せぬよう早々に就寝する者、ギリギリまで戦術を練り直す者、武具の整備に余念がない者、普段通りに体を鍛える者、大切な人と共に過ごす者。

誰もが明日の戦いは、この魔獣戦線の行く末を左右する一大事であると理解していた。明日を乗り越えられなければ三女神同盟との戦いに勝ち目はない。

明日こそがこの時代の分水嶺だ。

 

「おや、眠れないのですか?」

 

カドックが城塞の屋上に座っていると、不意に誰かが声をかけてくる。

明かりが少ないので気づくのに少し時間がかかったが、振り向いた先にいたのは四郎だった。

略装ではなくいつもの僧服だ。既に遅い時間だが、まだ起きていたのだろう。

 

「少し、夜風に当たっていた」

 

「根を詰めるのはよくありませんよ」

 

「ああ。ただ、あれがちょっと興味深くてね」

 

指差した先では、フォウと戯れるマーリンの姿があった。いや、戯れているというより、飛びかかってくるフォウをマーリンが必死で牽制していると見た方がいいかもしれない。

端から見ているとまるで仲の良い兄弟か何かのようだ。

 

「おや、小動物と戯れるとは、意外なところもあったものです」

 

「ああ。ただの面倒くさがりな魔術師だと思っていたが、なかなかに愛嬌のあるところもあるみたいだな」

 

実はそうではないのだが、残念ながら彼らはそれを知る由もなかった。

本人たちが聞けば間違いなく憤慨ものの話である。

 

「丁度良かった。あなたには少し、話しておきたいことがありまして」

 

失礼しますと断りを入れ、四郎はカドックの隣に腰かける。

そうしてしばらくの間、無言のまま2人は夜空を見上げていたが、やがて四郎は意を決したのか厳かに唇を開く。

 

「明日、誰かが亡くなります」

 

「……何人だ?」

 

「一人、或いは二人…………」

 

「そうか」

 

驚きがなかったと言えば嘘になる。ここに集ったのは人類史に名を残した層々たる顔ぶれだ。

魔獣達の戦力が如何に強大といえど後れを取ることなどないだろうと思っていた。だが、現実は非情であるらしい。

 

「誰が、というのは視えませんでした。それに私の啓示は道を示すスキル。これに反するということは…………」

 

「よくないことが起こる、か」

 

果たしてそれはどれほどの苦悩を呼ぶのかとカドックは考える。

未来が視える。ただし、その未来は自身にとって最も適した道筋を示すものであり、そのためならばあらゆる犠牲が許容される。

仮にそれに反すれば待っているのは望まぬ結末。最悪の展開なのだ。

愛する人を救うために大切な仲間を見捨てねばならないかもしれない。

国を守る為に敢えて民の犠牲を見過ごさなければならないかもしれない。

そして、犠牲を出さぬために、屈辱的な敗北を受け入れねばならないこともある。

 

「お前の経歴、カルデアに調べてもらったよ」

 

「私の生前ですか?」

 

「ああ」

 

俗に島原の乱と呼ばれるそれは、極東の島国である日本で起きた最大の内戦だ。

時の領主に課せられた税はその土地の生産量の約二倍。加えて新たな税の導入や死人が出るほどの過酷極まりない取り立てによって農民達は日々の生活すらままならず、そこに宗教的な弾圧まで加わったことで遂に怒りが爆発した領民は、奇跡の子と讃えられた天草四郎時貞を旗頭に反乱を起こした。

彼らの士気は高く正規軍を撃退することには成功したが、それが却って時の政府を刺激する結果に繋がり、最終的に反乱軍は皆殺しにされてしまった。

それが史実における島原の乱だが、四郎の事情を知る今となっては違う見え方が出てくる。

彼は最初から、その結末を知っていたのではないのかと。

 

「少し違います。私には確かに視えていた。あの戦いは勝ってはならないもの。敗北しこの首を差し出すことで多くの命が守られる。ですが、私は彼らを守るために啓示に反する行いを許容した」

 

そこから先は歴史の通り、政府軍は籠城する四郎達の備蓄が底を尽くまで包囲し、女子どもに至るまで悉くを殺し尽くすことで反乱を鎮圧した。

一応、重税を課していた領主は政府によって処断されたらしいが、そのために多くの領民が命を落としたのであっては彼らも報われない。

もしも四郎が反乱軍をきちんと御することができ、戦いに敗北していれば自身と一部の者達の首を差し出すことで同じ結果に至れた可能性もあったかもしれないのだ。

 

「後悔しているのか?」

 

「……そうですね、色んなものを捨ててきましたが、その気持ちだけはまだ残っている。私の願いの発端でもあります。大局を見誤り、拾えたはずの命を取りこぼしてしまった。我が身を犠牲とする覚悟など、天命の前では無力なのです」

 

「すまない」

 

「謝らなくて結構。心の整理をつける時間は十分に頂きましたので。ですが、覚えておいてください。決断というものは多くの人間の運命を左右する。ましてやあなたは人類史を背負って立つ最後のマスターだ。きっと過酷な決断を迫られる時がくるでしょう」

 

「新しい啓示か?」

 

「友人としてのアドバイスですよ、カドック。どうか、その時は選ぶべきものを誤らぬよう、きちんと大局を視てください」

 

四郎の言葉にカドックはそれ以上、言葉を返せなかった。

同じようなことを第六特異点でも言われたはずだ。

呪腕のハサンから、人生を後悔したくなければとことんまで悩み続けた方がいいと。

ここまでカドックはずっと、敢えて選択することを避けてきた。

視野を狭め、苦難を前にしても諦めようとせず、課せられた使命であるグランドオーダーを完遂するという決意だけを貫いてきた。

そんな自分の背中を多くの英霊達が押してくれたことが誇らしくもあった。

スパルタクスが、黒髭ティーチが、発明王エジソンが、諦めぬこと、我を通すことの大切さを教えてくれた。

あのメフィスト・フェレスですら嘲りながらも少しだけ背中を押してくれた。

しかし、ハサンや四郎は迷わぬことを是としない。その決断を後悔せぬよう、考え抜くことが大切だと言う。

そういえば、アマデウスも似たようなことを言っていた気がする。

自分は生き方を選べる人間であると。

彼は才能に縛られたが故に音楽と向き合うしかなかった。そこにどれだけの後悔と挫折があろうともその道に生きるしかなかった。

だが、自分は違うと彼は言ってくれた。後悔をしない生き方を選べるはずだと彼は言いたかったのだろうか。

あの時に言葉を交わしたアマデウスとはもう出会えない。彼の真意がどこにあったのか、今となってはそれを知る術がない。

英雄は道を示してくれる。だが、その道を選びどう進むかは今を生きる当人にしかできないことなのだから。

 

(英雄……か……)

 

四郎と別れた後も、カドックはしばらくの間、宛がわれた自室に戻らず夜空を見上げていた。

その在り方を誇らしく思い、憧れすらあった英雄達を思うと、今は堪らなく胸が痛い。

愛しき人、恋しいあの娘、かけがえのないパートナー。

アナスタシアもまた人類史に名を刻まれた英霊だ。何の偉業も成し得ず、ただ死の直前に精霊と契約したというだけの、(から)の英霊。

本来ならば出会う事もなく、その本質に触れることすらできなかった天上の人。時代の先駆者。

彼女から受け取ったものに対して、自分は何を返せるだろうか。

何も成せずに終わった彼女の無念を、自分はどうやって後の世に繋げることができるのか。

どれほど悩んだところで答えは出ない。

結局、そのまま彼が部屋に戻ることはなかった。

 

 

 

 

 

 

空を逝く太陽が七分に差し掛かった。

あらゆる生命が空腹を覚える時間帯。魔獣とて例外でなく、動くものが目につけば他の何を置いても一目散に食らいつく。

四郎達が動き出せば、奴らは間違いなくニップルの周辺を離れるだろう。仮に群れの先頭が陽動に気づいたところで、群れの総意は止まらない。

その隙にカドック達が西側から回り込み、同行している案内役の説得で市民を連れ出すのが作戦の第一段階だ。

 

『ニップル市とは伝書で連絡を取り合っていましたが、ここ数日は内部からの返信はありません。危険を感じたら……いえ、もう手遅れと思ったなら即時撤退を。あなた方にはより大きな使命が与えられるのだと私は感じています』

 

そう言ってレオニダスはカドック達を送り出してくれた。

彼の中では既に最悪の展開すら予想できているのであろう。合理的に考えるならばそもそもニップル市の救出自体、こちらの戦力を切り崩すだけの愚策で終わる可能性もゼロではない。

だが、ここにいる誰もがそれを承知でこの作戦に臨んでいた。

生き残るために命を賭けようとも、他者を見捨てて逃げる臆病者はここにいない。

故に兵の士気は高く、今日は一段と素早かった。

作戦は順調に進み、後はカドック達がニップル市に無事に到着すれば作戦の第一段階は終了。

そう思った矢先の出来事だった。

 

「まずい、魔獣の数が想定よりも多い!」

 

目視で二百程度しかいなかったはずの魔獣達が、開戦と共に倍々に数を増やしていったのだ。

狩りのために待ち伏せを行う生き物は多いが、これだけの規模が組織立って隠密行動を取るのは至難の技。

とても本能だけでできるものではなく、何者かによって使役されていることが容易に読み取れた。

 

「こっちの作戦、やっぱりバレてたの!?」

 

「無駄口を叩くな、藤丸! とにかく走れ! 殿は僕達が務める! 今は一刻も早くニップルに辿り着くのが先決だ!」

 

このままのペースで魔獣が増え続ければ、そう長くない内に陽動部隊は瓦解するだろう。

彼らが持ち堪えている間に何人の市民を救い出せるのか。時間との勝負だ。

 

 

 

 

 

 

その陽動部隊はというと、無数の魔獣達に囲まれて既に壊滅寸前の状態であった。

彼らも歴戦の戦士であり、レオニダス直々に仕込まれたこともあって数人がかりでなら魔獣を押し込めることもできる逸材だ。

しかし、倍以上の数が相手ではその程度の力量などないに等しい。次々と食い殺されていく兵士達の姿を見て、四郎は既に作戦の正否が絶望的であることを感じ取っていた。

 

「みな、個々の戦いはするな! 方陣を組み守りを固めよ! 数の不利をこちらで覆す! 小太郎!」

 

「応ッ! 地獄を呼べ! 『不滅の混沌旅団(イモータル・カオス・ブリゲイド)』!!」

 

四郎の指示で印を結んだ小太郎が真名を解放すると、周囲が昼間にも関わらず夜の帳に包まれる。

その暗闇の向こうから這い出してきたのは魑魅魍魎。形亡き亡霊達は四方に分かれるやいなや、近づく魔獣達を次々と血祭りに上げていった。

刀や苦無で切り殺し、癇癪玉を投げつけ、やがて亡霊達は鬨の声を上げながら炎となって魔獣の群れを包み込む。

これこそが風魔。風魔小太郎が誇る風魔忍軍としての宝具『不滅の混沌旅団(イモータル・カオス・ブリゲイド)』。

呼び出された乱破二百人の亡霊達は一瞬の内に数の不利を覆し、追い込まれていくだけであった陽動部隊に態勢を立て直す時間を作り出す。

だが、それも一瞬のこと。呼び出した亡霊一体一体は他の兵士よりも多少強い程度であり、奇襲を躱されれば返り討ちにあう者もいる。

事実、二度目、三度目の発動に際しては魔獣達も学習したのかその動きや音に惑わされることなく、連携を取って迎え撃とうとしていた。

 

「レオニダス王の予感が的中したか。小太郎、宝具は後、何度使える!?」

 

「二度が限度です。これ以上は……」

 

「なら、その二度で彼らを北壁に戻らせる。ジャガーマン!」

 

「おう、任せろぉっ! どっせーいっ!!」

 

カギ爪付こん棒を振り回しながらジャガーマンは突貫し、包囲網の一画を突き崩す。

ふざけてはいても彼女は神性を持つ神霊サーヴァントだ。この中では最も強靭な体を持っている。

後は彼女が抉じ開けた穴を兵士が逃げ切るまで死守するだけだ。

だが、そこに予想だにしない一撃が舞い込んできた。

撤退を始めた兵士達が突然、空から降り注いだ槍の雨で串刺しにされたのだ。

 

「ぎゃあぁぁっ!!」

 

断末魔の悲鳴を上げながら次々と倒れていく兵士達。

殺気を感じ取ったジャガーマンは咄嗟に武器を振り回して身を守る事に成功したが、他の者達は悉く串刺しにされて息絶えていた。

 

「どこへ行こうというんだい? 行くならばそちらではないだろう」

 

白装束を纏った、男とも女とも取れる人間がそこに降り立った。恐らく、兵士達を串刺しにしたのはこの人物の仕業だろう。

緑色の髪と端正な顔立ち。だが、どことなく機械的な雰囲気を醸し出しているその人物の存在を、四郎はマーリンから聞かされていた。

 

「お前が……エルキドゥか……」

 

呟いたのは既にこの世にはいないはずの人物の名。

ギルガメッシュ王のかつての親友であり、神によって土塊から生み出された生きた宝具。その名はエルキドゥ。

元々はギルガメッシュを諫めるために送り出された神造兵装であるエルキドゥは、ギルガメッシュと意気投合して様々な冒険を経た後に神の怒りに触れてしまい、その短い生涯を終える事になった。

この時代では既に彼は故人であり、本来ならば存在しえないはずの人物なのである。

だが、マーリンからの報告によるとメソポタミアの各地でエルキドゥと名乗る人物が暗躍していたらしく、カルデアの立香達も何度か襲撃を受けたらしい。

その人物こそが、目の前に立っている者なのだろう。新しく作り出されたのか、或いは死者の蘇生か。何れにしろ、強大な敵であることに違いはない。

 

「へえ、誰に聞いたんだい? カルデアのマスター? それともマーリン? まあ、どちらでもいいけどね。君達はここで死ぬんだから!」

 

エルキドゥが腕を振るうと、無数の鎖付きの槍が飛び出してくる。

隠し武器ではない、腕そのものが武器に変化しているのだ。

これこそが生きた宝具と呼ばれる所以。エルキドゥは自らの組成を組み替えることで様々な武器を形作ることができ、膨大な魔力を用いて雨霰の如く苛烈な攻めを行うのだ。

その質量を伴った弾幕ともいうべき攻撃は、精強とはいえ普通の人間が耐えられる代物ではない。

 

「小太郎、みなを守れ!」

 

「くっ……『不滅の混沌旅団(イモータル・カオス・ブリゲイド)』!」

 

「うおぉぉっ! ジャガー・パンチは破壊力!」

 

再び呼び出された風魔忍軍の亡霊が生き残っている兵士を庇い、ジャガーマンは降り注ぐ槍の雨を巧みに躱してエルキドゥに迫る。

しかし、全ての攻撃を捌き切ることはできず、後一歩というところでジャガーマンの身を包むぬいぐるみ(?)がズタズタに引き裂かれ、力尽きたジャガーマンはその場に倒れ込んだ。

 

「セット!」

 

今度は背後から四郎が投擲した黒鍵が襲いかかるが、それすらもエルキドゥは読んでいたのか足の一部を鎖に変えて絡め取り、逆に投げ返してくる始末だ。

 

(嫌な予感がする……ニップル市、やはりもう……)

 

「そう、君の予感は正しい」

 

こちらの心を見透かしたのか、エルキドゥは酷薄な笑みを浮かべながら口を開く。

 

「既にニップルはもぬけの殻さ。魔獣達の為に全て平らげさせてもらった。人間という栄養は貴重なのでね。巣に持ち帰って、子ども達にも食べさせなくてはいけないでしょう?」

 

つまり、ニップル市の生き残りは全て魔獣達の腹の中ということだ。

この魔獣戦線において最も多い兵士の死因は未帰還であった。

そして、魔獣達は北壁を越えてウルクへの侵攻を試みることはあっても北壁そのものを破壊することはなかった。

兵士の誰もが気づきながらも口にしなかったことだが、それは魔獣達が北壁に人が集まる事を是としていたからだ。

あそこは防衛線ではなく魔獣達にとっての狩場に過ぎなかったのだ。

 

「まずい、ニップルに生存者がいないのなら、あそこは既に奴らの罠だ!」

 

「ええ、何とかしてコイツを退けて、カドック達に追いつかねば……」

 

その時、四郎の脳裏にぼんやりとしたビジョンが浮かび上がる。

昨日も垣間見た啓示。この戦場で命を落とす者の姿だ。

 

(そんな……ッ!?)

 

突き付けられた二者択一に四郎は歯噛みする。

どちらに転んでも誰かが犠牲となる。カルデアのマスターか、二騎の英霊のどちらかが命を落とすこととなるのだ。

 

「どうしたんだい? ニップルに行かないのか? それなら、ここで死ぬといい!」

 

「天草殿!」

 

「くっ!!」

 

いつの間にかエルキドゥの槍がすぐそこまで迫っていた。

啓示に気を取られていたこともあり、四郎の回避は間に合わない。

あの槍の弾幕は刀や黒鍵で防ぎきれるものではないのだ。

宝具を使うにしても自分のソレはバックアップがなければ一度限りの自爆技。周囲を巻き込む恐れもあるのでここでは使えない。

最早、避けられぬ死の刃を前にして、四郎はここで自分が終わってしまうことを覚悟した。

だが、振り抜かれた槍の雨は、目の前に立ち塞がった守護者の盾によってその悉くを受け止められ、槍の一閃で以て振り払われる。

深紅のマントを翻し、颯爽と現れたその男は、兜の奥から双眸をぎらつかせながら、言い放った。

 

「そうはさせませんぞ、エルキドゥ! ここで終わるのはあなたの方だ!」

 

「レオニダス……北壁の警備は!?」

 

「伝令からの知らせで駆け付けたのです。このような策に出た以上、奴らも北壁を攻め落とすほどの兵力は割けぬでしょう。できればカルデアの皆さまにも作戦の中止を伝えたかったのですが、そちらは行き違いになりました故、こうして駆け付けた次第です!」

 

「感謝します、レオニダス王! では、ご免!」

 

言うなり、小太郎が大地を蹴る。

カルデアのマスター達を救うためにニップル市へと向かったのだ。

この面々の中では彼が最も足が速い。救援としては適任だろう。

だが、四郎だけは気が気でなかった。先ほどの啓示が現実のものとなれば、小太郎は――――。

 

(いや、今は彼を信じろ。彼とて忍びの頭領、ただでは転ばぬ)

 

頭を振り、今は目の前の敵に集中する。

敵はエルキドゥと無数の魔獣の群れ。これらを退けて残る兵士達を北壁まで撤退させなければならない。

 

「まったく、どこまでも度し難い。彼一人が行ったところで何になるというんだ」

 

「ほう……含みのある物言いですな」

 

「さて、何のことかな」

 

レオニダスの問いかけを、エルキドゥははぐらかす様に笑って地面に転がるジャガーマンを蹴っ飛ばす。

まるで毬か何かのように転がったジャガーマンの体は何度か跳ねた後にレオニダスの足下まで転がると、その衝撃で覚醒したのか頭を押さえながら立ち上がった。

 

「うぅ、何だかお星さまが回るぅ……」

 

「天草殿、彼女の治療を。しばし私が時間を稼ぎましょう」

 

「へえ、言うじゃないかレオニダス。いいね、なら取引といかないかい?」

 

「ほう、取引とは?」

 

「そこの人間達の首を寄越すなら、君達は見逃そう。カルデアのマスターを助けるもよし、戻ってギルガメッシュ王に事の成り行きを報告するもよし。好きにするといい」

 

エルキドゥの言葉に四郎は驚愕する。

彼らにとって人間はあくまで食糧でしかないのだろう。故にエーテル体であるサーヴァントに興味はないのである。

無論、障害として認識はしているのでいずれは排除しなければならないとも思っているようだが、それは今ではないようだ。

確信は持てないが、エルキドゥは何かを待ち侘びているようで、それまでカルデアのマスターには生きていてもらわなければならないと考えているのではないだろうか。

先ほどから仕切りにニップル市を気にかけるよう不安を煽るのもそれが理由な気がするのだ。

こちらとしてもカルデアは貴重な戦力だ。今、失う訳にもいかない。ここの兵士達とは比べることもできない大きな力であり、大局を見るならば彼らの救援を優先するべきだ。

レオニダスに進言すべきだろうかと四郎は悩む。合理的な思考はカルデアを優先すべきと結論付けているが、四郎にも情がない訳ではない。何より、その一言がレオニダスとの間に決定的な溝を生むことになることを彼は理解していた。

 

「……っ」

 

「構いませんよ、天草殿。私の心は決まっています」

 

ここが戦場であるということを忘れてしまうほど、その言葉は穏やかで優しさに満ちていた。

王は槍を構えたまま、その背に守るべきものを置いてまっすぐに敵を見据えている。

その姿を垣間見た四郎は、最初から迷う必要などなかったことを、彼の中で答えが決まっていたことを理解した。

そう、彼は炎門の守護者(レオニダス一世)。例え死地を前にしても臆することなく守るために命を投げ出せる英雄なのだ。

 

「彼らの首を差し出せと言ったな、エルキドゥ。ならばこう答えよう……来りて取れ(Μολών λαβέ)!」

 

灼熱の戦いが、今ここに切って落とされた。




明日からサンバですね。
クリスマスにサンバでサンタってもう訳わかんねぇな。
星5はいったい誰になるのか。サンバ・サンタの後ろ姿がすごく気になる今日この頃。
サンタは章ボスの女性キャラがなるものだと思ってたから、てっきりメディアかなと思ってたんですけどね。でもって一緒にイアソン参戦。

この辺りからエリドゥでのククルん戦まではネタが頭の中で溢れ返っているので早いとこ文章に起こしたいところです。


追記
ブラダマンテでしたね。そしてアナスタシアとワルキューレの礼装……よし、コンビニ行こう。

追記2
クリスマスはなかった。イイネ。


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絶対魔獣戦線バビロニア 第7節

そこは空虚な庭だった。

それは殺戮の箱だった。

これは微睡む愛し子の残滓だった。

地面に広がる深紅の絨毯、倒壊した家屋、横転した荷車。

目の前に広がるのは惨劇の跡だ。

もぬけの殻と化したニップル市。そこには血の跡はあっても死体は一つも残されていない。

往来には轍のようなものがいくつもできており、それは何人もの人間がここを引きずられていったことを物語っていた。

その事実を理解したカドック達は表情を曇らせる。

マシュは歯噛みし、アナスタシアはアナを抱きしめ、立香は苛立ち紛れに崩れた露店の柱を殴りつける。

ニップル市は全滅していた。自分達が訪れる、ずっと前に。

 

「みんな、悔やむのは後だ。こうなった以上、ここに長居する訳にはいかない」

 

唯一人、冷静なままのマーリンが油断なく周囲を警戒していた。

恐らくは自分達を待ち構えていたのだろう。建物の影から何頭もの魔獣が姿を現していた。

 

『反応増大。十……二十……ダメだ、どんどん増えていく! みんな、囲まれる前に逃げるんだ!』

 

ロマニの悲痛な声がどこか遠い世界のように聞こえる。

そういえば、唯の一人も救えなかったのはこれが初めてだ。

このグランドオーダーにおいて、何もできずに後悔に苛まれるのはこれが初めてだ。

アナスタシアの魔眼とマシュの盾。この二つがあれば大概の苦難は乗り越えることができた。

例え失うことはあっても、僅かでもその命を掬い上げることはできていた。

それが今回は適わなかった。

救えぬことがこんなにも悔しいと思ったのは初めてだ。

自分は今、生まれて初めて他人のために怒りを抱いているのだろう。

 

「……アナスタシア(キャスター)。奴らを凍らせろ」

 

後悔を振り払い、激情に身を任せる。

返事はなかった。

咆哮も悲鳴もなかった。

冷気がニップル市を包み込み、今にもこちらに飛びかからんとしていた魔獣達が声を上げることなく氷像と化していた。

突然の事態に知恵が回る何頭かは警戒して死角に回ろうとするが、それは無駄なことだ。

魔眼の皇女に死角はない。物陰に隠れようと、遥か彼方に逃れようと、その眼からは逃げられないのだ。

やがては周囲一帯の気温が氷点下にまで達し、動くものが何一つとしてなくなるまでその虐殺は続けられた。

 

「もういい、カドックくん! 敵はもういない!」

 

「っ……!」

 

「冷静になれ! 戦いはまだ終わった訳じゃないだぞ!」

 

「わかっている。わかっているさ……」

 

街の外では今も四郎達が戦っている。

こちらがいつまでもここに留まっていては、外の魔獣達を相手取る彼らを危険に晒し続けることになるのだ。

ここは一刻も早く街を出て、彼らと合流するか北壁に帰還することが先決である。

カドックは冷静になろうと荷物の中から霊薬の瓶を取り出すと、適当な壁で蓋を叩き割って中の薬液を喉へと流し込む。

僅かではあるが疲労と消費した魔力の補填ができ、気持ちも少しだけ落ち着いてきた。

 

「みんな、すぐにこの街を出よう。戻ってこのことを――――」

 

不意に足下が大きく揺れる。

立っていられないほどの大きな揺れだ。だが、地震とは少し違う。

揺れは激しさを増していくが、遠くに見える街の旗や家屋は凪ぎの中にいるように静止したままだ。

揺れているのは自分達の周囲だけ。しかも、その揺れる方向は不規則で、震源そのものが蛇か何かのように地面の下を這い回っているみたいだ。

 

「マスター、この揺れは……」

 

「マシュ、警戒して! 地面の下に……」

 

「これは……大きい……来る!」

 

「みんな、下がれ!」

 

真っ先に足下にいる何かに気づいたアナスタシアがカドックを庇い、次いでマシュと立香がアナと共に飛び退く。

同行していた兵士達もマーリンの指示で後退するが、それは自らの糧が逃げることを是としないかのように地面を裂いて蛇のような触手を伸ばしてきた。

サーヴァントや彼女達の側にいたマスターは事無きを得たが、何ら加護を持たない兵士達は次々と捕食され、地面の下へと引きずり込まれていく。

大の大人が固い地面に叩きつけられ、潰れた粘土細工のように四肢を折り曲げながら無理やり飲み込まれていく様はまるで出来の悪いホラーのようだ。

そうして食事を終えて満足したのか、或いは更なる欲求と情動に突き動かされたのか、ニップル市の固い岩盤を突き破ってその巨体を姿を現した。

 

「何だこれ……こんな魔獣、見たことないぞ!」

 

「これでは神獣だ! 杉の森のフワワよりもでかい……まさか、これが……」

 

「逃げろ……逃げろ! 敵いっこない! こいつは……ティアマト神だ!!」

 

触手の餌食を逃れた数名の兵士達が一目散に街の出口を目指す。

だが、既に地面から抜き放たれた巨大な尾の一振りが叩きつけられ、彼らは見るも無残な姿となって仲間の跡を追うことになった。

現れたのは巨人とも形容できる巨体を持った怪物だった。

女性の姿をしているがその体長は約十メートル。露出している肌は蛇の鱗で覆われており、背中からは大木のように巨大な尾がどこまでも伸びている。

そして、その顔は憤怒の如き形相であった。

 

「まずい、門を塞がれた! アーキマン、アレの分析を急げ! 信じられないがアレもサーヴァントだ!」

 

マーリンの言葉にカドックは我が耳を疑った。

あれがサーヴァントだって?

あんな巨体で、しかも桁違いな霊基スケールを持ったサーヴァントが存在するというのか?

インドで出会ったカルナやアルジュナも並のサーヴァントとは比較にならぬほどの霊基を有していたが、これはそれ以上だ。

神霊サーヴァントであるイシュタル神すら超えている。

 

『霊基は神霊クラス、体長は――尾を含めると百メートルを超えている! しかもこれは……気を付けろ、彼女の分類はイレギュラー(エクストラクラス)! 復讐者、アヴェンジャーだ!』 

 

あれがアヴェンジャー。

ジャンヌ・オルタのような造られた英霊ではない、その生涯において憎悪を抱きその心を軋ませた、正真正銘の復讐者。

その姿を垣間見たカドックは、自分が震えていることに気が付いた。

恐ろしい。

彼女から伝わってくるのは尽きることのない憎悪と憤怒。

この世界を呑み込んでもまだ足りぬであろうやり場のない激情の怪物。

その眼はどこまでも鋭利で、泥のように淀み、地獄の釜のように茹っていた。

憎しみの炎をそのまま形にしたかのような恐ろしい双眸だ。

 

「騒がしいな、人間。人類の怨敵、「三女神同盟」の首魁。貴様らが魔獣の女神と恐れた怪物――百獣母神、ティアマトが姿を見せてやったのだ。平伏し、祈りを捧げるべきであろう?」

 

ゾッとするような声音だった。

氷柱を脊髄に直接、差し込まれたかのような感覚だ。冷え切った痛みが逆に熱を呼び起こす。

人類に対する憎悪が、既に臨界を超えているのだろう。彼女にとって自分達は怨敵であり、害獣であり、唾棄すべき汚点。

本来ならばこうして視界に収まることも言葉を聞くことも許されない存在なのだ。

 

「我が子の遊び相手を見ておこうと思ったが、何と弱々しい生命よ。まこと解せぬ。そのような生命で、どうやってここまで辿り着いたのか」

 

品定めをするかのようにこちらを睥睨するティアマト神。

正に蛇に睨まれたカエルだ。あの眼で射抜かれると体が恐怖の余り言う事を聞かなくなる。

 

「だ、ダメです、とても……動けません……」

 

「マシュ、深呼吸!」

 

「は、はい! マシュ・キリエライト、深呼吸します!」

 

必死で平静を保とうと、マシュは大きく息を吸っては吐くを繰り返す。

 

「参ったな、ボクも指先すら動かない。これは恐怖によるものか、それとも邪眼の類か……」

 

『何を言っているんだマーリン! お前がそんなんでどうするんだ! マシュも、今は怖がっている場合じゃない! 女神であってもそんな邪神を敬うもんか! 相手が何であれ、キミたちはまだ生きている! そこに世界最高の詐欺師マーリンもいる! 今はとにかく北壁まで逃げるんだ! 諦めるのはぜんぜん早い!』

 

矢継ぎ早に捲し立てられるロマニの言葉に、恐怖で凍り付いていた胸の灯火が再び燃え上がった。

そう、自分達はまだ生きている。例え勝ち目はなくともやれることはあるのだ。

ならば諦めるのはまだ早い。この程度の逆境、スパルタクスなら笑い飛ばしてティアマト神を抱擁しようとするだろう。

自分達ではそんなことはできないが、最後の最後まで、抗い続けるのがカルデア流だ。

今は持てる力の全てを出し尽くして、逃げ切ることが先決だ。

 

アナスタシア(キャスター)、一瞬でいいからアイツの動きを止めるんだ。後は……」

 

「アナタを抱えて死に物狂いで走る。ええ、足が痛くても構うものですか」

 

「マシュ、こっちも頼むよ」

 

「はい。どんな攻撃でも受け切って見せます」

 

マスターの再起に、パートナーであるアナスタシアとマシュは力強く頷いた。

女神と相対するには余りに弱々しい篝火。しかし、その炎をティアマト神は興味深げに見下していた。

やれるものならやってみるがいいと言わんばかりにわざと隙を見せてこちらの攻撃を誘っている。

いいだろう。ならば乗ってやる。一か八か、その綺麗な顔を吹き飛ばして目にもの見せてやる。

 

「やれ!」

 

「ヴィイ、魔眼を使いなさい!」

 

カドックの合図で、アナスタシアがヴィイの瞼を開く。

至近距離から撃ち込まれた呪いの視線はティアマト神の巨体を見る見る内に侵食し、その肉体から神格としての強靭さを奪い取る。

そうなってしまえば女神とて冬を迎えた蛇も同然。猛り狂う暴風と冷気を前にして成す術もなく凍り付くのは自明の理であった。

しかし、その硬直はほんの一瞬。凍り付いたティアマト神はすぐさま全身に魔力を滾らせ、アナスタシアの邪視を払い除ける。

砕け散った氷の下から現れたティアマト神の肉体は、夥しいまでの凍傷を負っていたが、それも時間が巻き戻るかのように再生を始めていた。

 

「その程度で魔獣の母たる我に抗おうとするとは、何とも不可解! もうよい、興に乗るのもここまでよ!」

 

再生を終えたティアマト神が咆哮し、威嚇するように尾で体を持ち上げる。

二十メートルはあろうかという上空からこちらを見下ろし、蛇のようにうねる幾本もの髪の毛を操ってこちらを屠らんとする様は正しく神話の魔獣そのものだ。

最大出力で放ったアナスタシアの宝具ですら耐え抜く規格外の耐久力と再生力もあり、今の自分達では間違いなく敵わない相手だ。

故に逃げの一手を打つ。

威嚇の為に体を持ち上げたことで、足下が完全に留守になっている。

無論、巨大な尾がとぐろを巻いているので、とても死角とは言えない危険極まりない空間ではあるが、マシュはそれを承知で敢えてティアマト神の足下に滑り込んだ。

 

「なに!?」

 

「宝具……『いまは遥か理想の城(ロード・キャメロット)』!!」

 

「なああっ!?」

 

ティアマト神の迎撃よりも早く、白亜の城が展開される。

顕現したキャメロットは堅牢なる守りを持つが、それを至近距離で展開さすれば強力な質量兵器となる。

害意ある攻撃のみに注意を払っていたティアマト神は完全に不意を突かれる形となり、地響きを上げながらその巨体を地面に横たわらせたのだ。

 

「き、貴様らぁぁっ!」

 

「『疾走・精霊眼球(ヴィイ・ヴィイ・ヴィイ)』!」

 

怒りに震えながら尾で反撃を試みようとするティアマト神に対して、再び吹雪が襲いかかる。

今度はマーリンの補助と「シュヴィブジック」も交えた足止めのための攻撃だ。因果を書き換えられたことでティアマト神が横たわる地面がほんの少しだけ陥没し、振り上げられた尾は明後日の方角へと落下して凍り付く。

やはり今度も食らった端から再生を始めているが、マーリンの補助がある分、先ほどよりも拘束力は強いはずだ。

ほんの数秒程度ではあるが、逃げるには十分な時間ができたはず。

 

「よし、走れ! 走れ走れ走れ!」

 

目指すは街の反対側にある東門。ティアマト神が動き出す前に、何としてでもこの街を出なければならない。

だが、駆け出してすぐにアナスタシアは気が付いた。一人だけ、ティアマト神のもとに残った者がいることに。

 

「アナちゃん!?」

 

「まずい、アレを前にして取り乱したか! ボクがいこう!」

 

マスターを抱えているアナスタシア達では間に合わないと踏んだのか、マーリンが大急ぎでUターンをして塞ぎ込んでいるアナのもとへと向かう。

彼女はまるで親とはぐれた子どものように震えていた。恐怖で足を竦ませ、ティアマト神の巨体が目の前に迫っているにも関わらず動けずにいる。

それでも何とか反撃を試みようと鎌を構えるが、切っ先は振り子のように揺れていて狙いも定まらず、見開いた目は助けを求めるように感情の昂ぶりを訴えていた。

 

「何だ……そこに何かいるのか? アレは……なん……だ……おのれ、何と不快なぁっ!!」

 

恐怖に震えながらも武器を構えるアナの姿に激昂したのか、ティアマト神は髪を震わせながらアナを踏み潰さんとする。

アナの脚力なら十分に離脱も可能だが、やはり彼女は動こうとしない。

目の前の現実から必死に目を逸らすかのように、俯いたまま戦う事も逃げる事もできずにいた。

 

「ダメだ、間に合わない! ええい、ならばお前が行けキャスパリーグ!」

 

これ以上は近づけないと危険を感じたマーリンは、魔術による牽制を止めて懐から何かを取り出した。そして、非常に堂の入った投球フォームでその何かをアナ目がけて投げつけた。

綺麗な放物線を描いて落下したのは、その場にいる全員が見慣れた小さな毛むくじゃらの生き物だった。

 

「フォウさん!?」

 

一番の友人であるマシュが驚愕の声を上げる。

他の者もマシュと同じ思いだった。いったいマーリンは、何を思ってフォウを投げつけたのか。

あんな小さな生き物なぞ、ティアマト神の前では砂粒も同然ではないか。

だが、マーリンは至極真面目であった。こちらの動揺や疑問など意にも介さず、アナに近づくフォウに向けて大声を張り上げる。

 

「どうせ魔力を溜め込んでいるんだろう! 怒らないから、ここでパアッと使ってしまえ!」

 

「フォウ、フォーウ。フォ――――!」

 

ティアマト神の蛇腹が今にも覆い被さらんとする直前、フォウがアナの肩へと飛び乗った。

するとどうだろう。フォウを中心に眩い光が迸ったかと思えば、空間が破裂したかのような空気の波を伴って一筋の光がウルク市の方角に向け飛び上がったのだ。

一拍遅れてティアマト神がアナのいた場所を踏み潰すが、そこには既にアナもフォウもいない。先ほどの光と共にどこかへと飛び去ってしまったからだ。

 

「ええい、忌々しい! だが、目障りなものはいなくなった。これで貴様らを心置きなく味わえるというもの!」

 

「おお、怖い。そしてこの感じ、魔術王の聖杯はお前が持っているな」

 

「目利きの利く優男め。それを知ったところで何になる? 奪えば勝てるとでも思うているのか? ならば甘い! 甘すぎる! この身は魔獣の女神として顕現したもの! 我が力、我が憎しみ、我が怒りだけで、貴様らを三度滅ぼすに余りあるわ!」

 

苛立ちを紛らわすかのように周囲の家屋を倒壊させながら、ティアマト神は蛇と化した髪を伸ばしてマーリンを羽交い絞めにしようとする。

しかし、巻き付いたはずの髪は空しく空を切り、先ほどまで軽口を叩いていた花の魔術師の姿は雲のように掻き消えていた。

それもそのはず。マーリンはフォウを投げると同時に自身は幻術を用いて自分の偽物を作り出し、自身はとっくの昔にカドック達と合流して街の出口を目指していたのだから。

 

「逃がすと思うなぁっ!!」

 

ティアマト神が走る。その巨体を震わせ、瓦礫や凍結した魔獣の死骸を踏み砕きながら、逃げる獲物を呑み込まんと無数の髪を蛇に転じさせてこちらを追い立てる。

ダメもとでガントを放ってみたが無駄だった。あの巨体ではコンマ秒の硬直などほとんど意味を成さない。動きの緩慢さに反して一度に動ける距離がこちらとは段違いなのだ。

ニップルの東門まだ後百メートル。そのたった百メートルが余りにも遠い。

そして、巨大な質量が憤怒と憎悪を抱いて追いかけてくる様は、原始の恐怖を掻き立てる。

自分達は籠の中の鳥であり、これより捌かれる運命にある鮮魚でしかない。

そんな宇宙的な恐怖が泡のように腹の底から湧き上がってくるのだ。

唯一人ならば成す術もなく食われていただろう。

仲間と共にいる。この事実がなければ自分達は誰も抗う事ができなかったであろう。

 

「マーリンさん、先輩をお願いします! 一か八か、もう一度私の宝具で――」

 

「無理だマシュ! この距離だと宝具を使う前に追いつかれる!」

 

残り七十メートル。

ティアマト神はもうすぐそこまで迫っていた。体は未だ後方にいるが、腕を伸ばせば指先が掠める位置にいる。

こちらを追い立てようとしているのか、何本もの触手が先を競い合うように地面へと齧り付き、腐食する液体を放って周囲の物を悉く溶かしていった。

残り五十メートル。

ここまで全力で走り続けてきたアナスタシアが足の激痛で表情を歪ませる。

痛みはほんの少しではあるが地面を蹴るタイミングを崩し、それに気づいたティアマト神は一瞬の隙を逃さんとばかりに腕を伸ばしてカドックとアナスタシアを掴まんとした。

2人は本能的に自分達の終わりを理解した。次の瞬間にはあの大きな手で捕まえられ、そのまま握り潰されるか食糧として彼女に捕食されることになるだろう。

悲鳴を上げることはなかった。そんな余裕すらなく、思考も完全に停止していたからだ。

だから、彼が自分達を助けるために近づいていたことにも気が付かなかった。

 

「すなわちここは阿鼻叫喚、大炎熱地獄。『不滅の混沌旅団(イモータル・カオス・ブリゲイド)』!」

 

壁の如き炎が舞い上がった。

炎はティアマト神を阻む壁となり、僅かではあるがカドック達とティアマト神の距離を引き離す。

次いで無数の亡霊達がどこからともなく現れては炎の向こうに消えていき、ティアマト神の侵攻を防がんと鬨の声を上げながら果敢に切りかかった。

その指揮を執るのは風魔が頭目。囮として街の外で戦っているはずの風魔小太郎であった。

 

「そのまま走って! 振り返らず、まっすぐに!」

 

「小太郎!?」

 

「行け、カルデアのマスター! 殿は我ら風魔が引き受ける!」

 

邂逅は一瞬だった。

こちらが何かを言い返すよりも先に、再び舞い上がった炎の壁が小太郎とティアマト神を包み込んだのだ。

中の様子はわからず、呼びかけようにもアナスタシアは走る速度を緩めようとしない。

カドックは降りようともがくが、それも彼女は許してくれず、ただ炎の壁に向けて叫ぶことしかできなかった。

死地へと赴かんとするその後ろ姿に、カドックは中東で爆炎へと消えた立香とマシュの姿を重ね合わせたのだ。

あのままでは小太郎が死ぬ。

ティアマト神に、成す術もなく蹂躙されて殺される。

それがわかっていながら自分には何もできない。

ただこうして、逃げることしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

炎の壁の内側。ティアマト神と相対した小太郎と、得物となる忍具を手にその巨体を油断なく見上げていた。

蛇の鱗に覆われた肌、扇情的でありながらも禍々しい肢体、憎悪に彩られた二つの眼。なるほど、これは正に怪物だ。

体の大きさがどうこうだとか、人に害意を向けるからという訳ではない。

彼女は他の魔獣達とは一線画す。

憎悪に沈みながらもその風貌は美しく、ひたすらに人間を憎む様は気高さすら感じさせる。

そんな矛盾した在り方が彼女の本質だ。痛ましいまでの激情で身も心も引き裂かれているのがよくわかる。

アレは元からあのようなものであった訳ではない。何者かによって蔑まれ、貶められた結果、生れ落ちてしまったものだ。

そういうものを世間では怪物と呼ぶ。

怪物は怪物として生まれるのではない。

怪物は、いつだって人が恐怖から生み出すものなのだ。

 

「笑止、たった1人で何ができる? 貴様の配下なぞ、腹も満たせぬ亡霊ではないか」

 

「元より倒せるとは思っていない。彼らが逃げる時間さえ稼げればそれで良い」

 

「小童めがよく吠える。ならば悔やむ間もなく我が腹に堕ちるといい」

 

蛇の髪がこちらを威嚇し、ティアマト神を目の前の獲物に食らいつかんと身を沈める。

本来ならば恐怖で震え上がるような状況であったが、不思議と小太郎の胸中に恐れはなかった。

この地でできた多くの仲間を殺された憎しみも、これから自分が食い殺される恐怖も感じない。あるのは哀れみと、同族への嫌悪だけだ。

 

「堕とされた女神よ。そんなにも人間が羨ましかったか?」

 

「何だと?」

 

「そんな殻を被ってまで復讐を目論むほど、愛おしいものがあったのかと聞いている」

 

その瞬間、ティアマト神の表情が形容し難き怨念で覆い隠される。

今までも見せていた怒りとは根本から違うどす黒い感情。復讐者となった彼女を突き動かしている原初の感情だ。

醜悪さまで感じさせるほどの悍ましい感情。憎いとか嫌いとか、そういう言葉だけでは表し切れない原色の思いだ。

覚えはあった。

そう、自分もまた彼女と同じく貶められた存在。

違いがあるとすれば、生前の自分は望んで堕ちたいうことだろうか。

 

「コロス。貴様は喰わぬ! 殺して辱めてやる!」

 

「やってみろ、だが容易くはないぞ。宝具――『果てぬ羅刹に転ず(オウガ・トランス)』……」

 

宣告と共に、空気が一変した。

伝承に曰く、風魔小太郎は身の丈七尺二寸。筋骨隆々で眼口広く、牙持つ大男と伝えられている。

それらは何一つとしてここにいる英霊、風魔小太郎と合致しない。だが、その言い伝えは紛うことなき風魔の頭目を表す記述であった。

彼は大和に流れ着いた異人の子孫であり、同時に鬼の血を引く子どもであった。

いわばその姿は彼がやがて堕ち果てる五代目風魔としての姿。

戦乱に名を馳せ、やがては闇へと消えた忍びの頂点。

その姿に転じることこそが彼の第二宝具『果てぬ羅刹に転ず(オウガ・トランス)』。

鬼の面を被るという所作により精神的なスイッチを押し、ある種の催眠状態に陥ることで身体能力を極限まで強化する理性ある狂化。即ち、鬼種の血の覚醒である。

本来であれば封じられ使用できぬはずの第二宝具。それを小太郎はこの土壇場において発動させることに成功したのだ。

 

「何だ……何だその姿は? いや、そこにいるのか? 貴様は……そこに……」

 

「やはり見えぬか。自身を想起させるこの面が見えぬか」

 

異人としての風貌と鬼種の血。そして、風魔としての所業は他者を恐れさせるには十分なものだった。

それこそ、この身を化け物と罵る者もいなかった訳ではない。周囲を炎の壁で覆ったのも、ティアマト神を阻むという目的以外にこの姿をみんなに見られたくなかったというものもある。

そう、怪物と化したというのなら、風魔が頭目もまた同じ。

ただし、自分は望んで怪物へと堕ちた。衰退する風魔を救わんと鬼の面を被り、邪悪を抱く化生となった。

そこに大きな違いはないのかもしれないが、結果として一匹の怪物が産み落とされたことには変わりなく、故に目の前の堕ちた女神には憐憫にも似た嫌悪を抱いてしまうのだ。

 

「先ほどの奴といい、貴様といい……目障りだ! 消えろぉっ!」

 

「いくぞ、異国の神よ! ここよりは我こそが地獄! 慈悲などないと知れ!」

 

炎と視線が交差する。

結論から述べると、風魔小太郎の覚悟は堕ちたる女神を封ずるには至らない。

彼が奇跡的に自らの鬼種の血に覚醒できても、ただの化け物と天魔たる魔性とでは絶対的な隔たりが存在するのだ。

彼にできることは、精々が一分の時間稼ぎ。カルデアのマスター達がこのニップル市を逃れるまでの足止めに過ぎない。

それでも構わないと小太郎は思っていた。

この哀れな女神は、何れは人の手で討たれる運命にある存在だ。

その核心を得られ、カルデアに後の希望を託すことができたが故に、小太郎は死地へと赴く覚悟を抱けたのである。

五代目風魔一族が頭目、風魔小太郎。

このメソポタミアにおける、最後の大戦であった。

 

 

 

 

 

 

四郎は目の前で繰り広げられる光景が信じられなかった。

敵はエルキドゥに無数の魔獣の群れ。対してこちらはまともに戦うことができるのはレオニダスのみ。

自分は傷ついたジャガーマンの治療に専念しており、北壁へと撤退する兵士達を守れる者は誰もいない。

にも関わらず、あれから脱落した者はひとりもいなかった。

襲いかかる魔獣の群れ。その牙や爪が逃げる兵士達の背に刺さろうかという寸前で炎門の守護者は槍を翻し、その一撃を以て魔獣達を沈黙させるのである。

有り得ない光景だ。

如何にリーチのある長物を持とうと、人の体でできることには限りがある。

守れる範囲、対応できる速さ、振るえる力には限度がある。だというのに、この王は誰一人として欠かすことなく、たった一人でこの場を守り抜いた。

敵であるエルキドゥですら、その勇猛果敢な戦いぶりに驚嘆することしかできなかった。

果たして彼の王は如何なる絡繰りを用いたのか。答えは単純にして明確。

日々是精進の名の下に、徹底的に鍛え抜いた肉体を酷使したに過ぎないのだ。

人間が到達できる最大のスペックを、最適な戦術の下に行使することで、十倍以上もの戦力差を彼は跳ね除けて見せたのだ。

 

「驚いた……サーヴァントとはいえ、ここまで機敏に動ける人間がいるとは……」

 

「ふうぅぅ……筋肉は全てに通じます。鍛錬は決して己を裏切らず、斯様なこともできるのです」

 

「その割には、随分と足に来ているようだけど。そろそろ限界じゃないのかな?」

 

既に魔獣の群れは殺し尽くされ、残るはエルキドゥのみ。しかし、満身創痍のレオニダスを前にして彼は余裕を崩すことはない。

彼はエルキドゥ。人類最古の英雄王と唯一、真っ向から引き分けられる存在だ。傷ついた三騎のサーヴァントなど、葬るのは容易いという余裕の表れだろう。

今までの彼はあくまで逃げる兵士を追い立てることを優先していた。だが、その敵意をまっすぐに向けられればどうなるか。

さしものレオニダスでも押し切られるのは自明の理だ。すぐにでも援護に向かわなければ。

だが、立ち上がろうとした四郎の腕をジャガーマンが掴んで制する。

見ると彼女は苦し気に呻きながら首を振っていた。唇は弱々しく震えながら、うわ言のように同じ言葉を繰り返しており、四郎は歯噛みしながらも彼女の治療を優先する。

今はレオニダスを信じるしかない。

 

「ねえ、レオニダス。ここまでコケにされたからには君を許すわけにはいかないな。どんな死に方をご希望だい?」

 

「さあ、どうでしょうな」

 

「ふっ……もちろん、串刺しだね。わかるとも!」

 

エルキドゥが疾駆する。両腕を鎖に変質させ、盾を構えるレオニダス目がけて真っ向から襲い掛かる。

フェイントも何もない単調な一撃。そんなものが歴戦の勇士であるレオニダスに通じる訳がない。

エルキドゥの体はまるで吸い込まれるかのようにレオニダスの槍で切り捨てられ、分かたれた胴体が地面へと落下する。

刹那、エルキドゥだったものが形を失い、淀んだ泥のようなものへと変質した。

 

「っ!?」

 

「レオニダス、後ろです!」

 

四郎の言葉にレオニダスは振り返るが、エルキドゥの方が早かった。

いつの間にかエルキドゥの魔力によって変質した土の鎖が、レオニダスの体を羽交い絞めにしたのだ。

 

「武器を撃ち出すだけが能力だと思ったかい? 泥の体はこういうこともできるのさ」

 

エルキドゥは泥から生まれた神造兵装。その本質に形はなく、肉体を如何なる武器にでも変質させることができる。

霊核を正確に砕かぬ限り、多少のダメージもこうして泥に転じることで無力化することが可能なのだ。

 

「串刺しと言ったね。あれは嘘だ。このまま一気に締め上げて上げよう」

 

元の肉体へと変容したエルキドゥが、嗜虐的な笑みを浮かべて鎖を縛り上げる。

だが、その余裕は即座に驚愕で歪むことになった。

 

「ぬう……ふんぬ!」

 

地響きかと一瞬、四郎は錯覚した。

実際には揺れていない。震えたのは大気だ。

レオニダスが上半身の筋肉へと力を込めた際に発した気合の一声によって空気の波が発生したのだ。

まさか、あの鎖を無理やり引き千切ろうとしているのだろうか。

確かに鎖そのものの強度はエルキドゥのステータスに依存しない。ルーラーの特権によって読み取れたエルキドゥの現在の筋力はAランク。

その力で締め上げられれば一たまりもないが、同時に鎖そのものに強烈な負荷がかかっていることも意味している。

反作用によって引き千切ることは決して不可能ではない。

不可能ではないが、実際は実行することなく胴体を潰されるのが関の山だ。

だというのにこの王は、愚直に力を込めて神造兵器と真っ向からの筋力勝負を挑んでいる。

突出した才も万象を操る魔術も、伝説に名を残す武具も持たない。

あるのは鍛えに鍛え抜いた己の肉体のみ。

その一念でもって、レオニダスは遂に神の造りし兵器に一矢報いて見せた。

 

「な……に……」

 

「滾ってきたぞぉっ!」

 

引き千切った鎖を宙にまき散らしながら、レオニダスは戦士の雄叫びを上げる。

突貫してくる槍兵に対してエルキドゥは地面から次々と槍を撃ち出すが、精神が高揚して感覚がマヒしているのか、レオニダスは怯むことなく槍の群れを盾で受け流し、踏み砕き、槍を旋回させながらエルキドゥへと迫る。

ならばとエルキドゥは敢えて肉体を武器に変えることなく泥のままレオニダスを押し流した。

形がないにも関わらず質量を伴うという矛盾した攻撃。その一撃自体はレオニダスを傷つけるには至らないが、彼の腕から武器を奪い去った。

放物線を描いた槍と盾は離れた場所に落下し、後に残されたのは武器を失ったレオニダスのみ。

丸腰では如何にレオニダスと言えどエルキドゥの攻撃を捌き切ることはできない。

 

「これで終わりだ。『母よ、始まりの(ナンム・ドゥル)――――」

 

「レオニダス!」

 

エルキドゥが宝具の発動態勢に入ったのを見て、とうとう居てもたってもいられず、四郎はジャガーマンを横たわらせたまま救援に走る。

例え敵わずとも宝具の発動を止めることさえできれば、レオニダスが離脱する隙を作ることができる。

だが、投げ放たれた黒鍵を見てもエルキドゥは余裕を崩さず、肉体を泥化させて難なく躱して見せる。無論、宝具の発動は継続中だ。

 

「ルーラーならわかるだろう。僕には君達の動きが手に取るようにわかると。そう、そこで死んだふりをしている猫のこともね! 『母よ、始まりの叫をあげよ(ナンム・ドゥルアンキ)』!」

 

「にゃぁっ! 気づかれたかカバめ! 『逃れ得ぬ死の鉤爪《グレート・デス・クロー》』!」

 

破れかぶれで放ったジャガーマンの宝具が、エルキドゥの宝具とぶつかり合う。

無論、相殺など望めない。ほんの僅かではあるが威力を削ぐのが精一杯だ。

呆気なく吹っ飛ばされたジャガーマンの体は魔獣の死体にぶつかるまで何度も地面をバウンドし、そのまま大の字になって動かなくなった。

今度こそ、本当に戦闘不能だ。霊核が辛うじて無傷なのは恐らく、彼女が持つジャガーの加護のおかげなのだろう。

だが、おかげでレオニダスを離脱させることには成功した。そして、もう一つの策も――。

 

「なっ!?」

 

――エルキドゥに気づかれることなく、成功した。

 

「変容のタイミングを見抜いた……そうか、未来視か!?」

 

エルキドゥの体は、幾本もの黒鍵によって地面に縫い付けられていた。

宝具発動前に投げ放ったものを、魔術で方向転換させて背後を狙ったのだ。

普段のエルキドゥならば容易く躱せるものであるが、ジャガーマンに気を取られたことと、宝具解放による硬直をこちらが未来視で読み切ったことで、躱すことができなかったのである。

そして、それらの黒鍵全てには泥へと転じる変容を封じる術式が込められている。突き刺している間しか効果がない上に、対魔力でどれほど弾かれるかも不安ではあったが、宝具による消耗もあって何とか動きを封じることができたようだ。

ジャガーマンがあの時、自分を囮として使うよう言い出さなければ、きっと成功しなかった。

 

「舐めるな……魔力なんて大地からいくらでも吸い上げられる。こんなもの……」

 

「その前にお前の霊核を破壊する。これで――――」

 

とどめを差さんと四郎は刀を構える。

その時、ニップル市の方角で大きな魔力のうねりが巻き起こった。

彼らには知る由もないことだが、それは小太郎が決死の特攻でティアマト神の眉間を切り裂き、逆上したティアマト神が魔力を爆発させた余波であった。

 

「母さん!」

 

爆発に一瞬だけ気を取られた隙を突かれ、エルキドゥは自らの四肢を引き千切ってその場を離脱する。

そのままこちらを攻撃することもできただろうに、エルキドゥはどういう訳かそれをせずにまっすぐにニップル市を目指していた。

 

「天草殿! 私が行きます故、ジャガーマン殿を頼みます! 今、彼女を治療できるのはあなただけだ!」

 

「レオニダス……ですが……」

 

「構いません。あなたが視たものはきっとよい未来へと繋がると、そう信じています。それでは!」

 

こちらの答えも聞かず、レオニダスは槍と盾を拾ってニップル市へと向かった。

その背中を、四郎はただ黙って見送ることしかできなかった。




みなさん、イベントは楽しんでいますか?
当方の感想は、「畜生、やられたぜ!」です。
具体的に何かは今後の投稿で。
今更プロット変えられるか!!


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絶対魔獣戦線バビロニア 第8節

英雄王ギルガメッシュによって召喚された七騎のサーヴァント。

花の魔術師マーリン。

悲運の武将牛若丸。

その家臣である七つ道具の武蔵坊弁慶。

戦国の世に名を馳せた忍びの頭目風魔小太郎。

神の子として崇められた天草四郎時貞。

大江山の鬼茨城童子。

一騎当千の武勇にして混血の女武将巴御前。

そして、スパルタ王。炎門の守護者レオニダス一世。

先んじて召喚されたマーリンよりメソポタミアの置かれた現状を聞かされた面々は、それぞれが沈鬱な面持ちで互いを見合っていた。

敵は英霊を遥かに上回る規格を持つ神霊達の同盟。対してこちらはまだ都市同士の連携もうまく取れておらず、また戦うための力も弱い。

北の魔獣は群れを成して連日、国境を襲撃し、南からは謎の密林が少しずつ勢力を広げている。イシュタル神は言うまでもない。

仮にメソポタミアの全ての都市、全ての資源を投入したとしても、人間が生き残れる可能性はゼロと言っても過言ではないだろう。

この時ばかりはマーリンも普段の飄々とした態度を見せず、終始表情を引き締めていた。

自信家の牛若丸も、持ち前の合理性故にこの戦いが絶望的な消耗戦となることを感じ取って言葉を発さなかった。

他の者も皆、似たり寄ったりだ。

自分を召喚したギルガメッシュ王の力にはなりたい。だが、敵の力は余りにも強大で勝ちの筋が見えない。

ジグラットの玉座の間は重苦しい沈黙が渦巻く形となった。

その中で例外が2人いた。

一人は茨木童子。彼女の思考は至極シンプルだ。弱肉強食にして盛者必衰。力なき者が滅んでしまうのなら、せめて彼らの寄る辺となろう。戦えぬ者、逃げ出した者、行く当てのない者達を囲う盗賊団を作り上げよう。故にギルガメッシュ王の命令になど従わない。彼女はいち早くこの一団から抜ける算段をこの時点でつけていた。

そして、もう一人はレオニダス。

彼の王は退屈そうにこちらを見やるギルガメッシュ王に向けて、臆することなく口火を切った。

 

「英雄王よ。このウルクのために戦うにあたり、聞かせてもらいたいことがあります」

 

「ほう、言ってみろ」

 

「あなたが視たという、ウルクの未来を教えて頂きたい」

 

その問いかけに、その場にいた全員が目を見開いた。

控えていたシドゥリが卒倒し兵士に抱えられ、マーリンですら取り乱して口をパクパクと開いている。

彼の問いかけが英雄王にとってどれほどの不遜に当たるのか、分からぬレオニダスではないはずだ。

それでも彼は問いを投げかけ、それを受けたギルガメッシュ王の顔には憤怒にも似た表情が浮かんでいる。

眉間には皺が寄り、赤い瞳からは刺し殺すかのような怒気が発せられていた。

 

「雑種の分際で、(おれ)と同じものを視たいと言うか? 貴様、命が惜しくないようだな?」

 

かつての英雄王。まだ親友であるエルキドゥが健在であった頃ならば、この時点で宣告もなくレオニダスは殺されていただろう。

彼が怒りを抑えているのは不死の探求を終え、幼年期を終えていたからだ。例え気に入らない相手、苛立つ言葉であっても一考しなければ価値は見いだせない。

昔に比べて幾分ではあるが落ち着きを伴った状態であったため、レオニダスは己が命を拾っていた。

最も、彼は例え相手が全盛期の英雄王であったとしても臆することなく問うていたであろう。

彼は恐れを知らず、故に確信を突ける。そういう英雄なのだ。

 

「王よ、私は死を恐れません。ですが、理由なく兵が死ぬことは是としない。これより我らが預かる兵はあなたの民であり、財宝であります。ならば我々――いえ、私は彼らが死地へと赴く理由を知らねばならない」

 

ウルクを守るために戦う。それは兵にとって当然の義務だ。重要なのはその先が何に繋がるのか。

栄光ある勝利か、凄惨なる敗北か、惨めな隷属の道か。

兵の命を預かる者として、レオニダスはウルクの兵が何のためにその命を王に捧げねばならないのか、問い質さずにはいられなかった。

 

「王よ……彼らの戦いの先に、何が待ち受けているのですか?」

 

再度、レオニダスは問いかける。

彼のまっすぐな眼差しを受け止めたギルガメッシュは、玉座に腰かけたまましばし熟考する。

次にどんな言葉が飛び出すのか。或いは問答無用と切り捨てられるのか。

その場を見守る面々は気が気でなかった。

やがて、思考を終えたギルガメッシュ王は、賢王として言葉を選びながら、自らが千里眼で垣間見た未来を回答した。

 

――それが半年前。まだカルデアがこの地に訪れる前の出来事であった。

 

 

 

 

 

 

閉ざされていた東門をアナスタシアの魔眼で破壊し、カドック達はニップル市の外へと飛び出した。

周囲には小太郎が自分達のもとへ駆け付けるまでの間に切り捨てたと思われる魔獣達の死体が横たわっている。

夥しい数の死体の山は、これをあの痩躯が一人でやったとは到底思えない数だった。

恐らくは霊基を限界まで酷使してここまで来たのだろう。

 

「マスター、カドックさん……小太郎さんが……」

 

風魔小太郎の霊基反応は消失していた。

消滅を確認した訳ではないが、状況を考えればほぼ間違いないだろう。

彼は自分達を逃がすためにその身を犠牲にしたのだ。

その事実が重く圧し掛かり、カドックは無意識に拳を握り締めていた。

力及ばずで何かが犠牲になるのはこれで何度目だ。悔しい思いを味わうのはこれで何度目だと、歯噛みしながら我が身の弱さを呪う。

それがその場凌ぎの自己弁護でしかないことはわかっていても、そうせざるを得なかった。

 

『みんな、悔やむのは後だ! ティアマトの反応、変化なし! 物凄い速さで追ってくるぞ!」

 

直後、ニップル市の城壁が破壊され、ティアマト神の巨体が姿を現した。

その美貌には小太郎がつけたと思わしき刀傷の跡が見えたが、それも聖杯による規格外の再生力により、一息毎に傷が塞がって小さくなっていく。

やはり、並の攻撃ではティアマト神を倒すには至らない。攻撃が通らない訳じゃないが、その端から回復されてしまうので殺し切ることができないのだ。

せめて、アナの不死殺しの鎌があれば、一か八かの策も幾つか思いつくのだが、それも今は叶わない。

唯一の可能性は北壁に設置された神聖印章(ディンギル)だ。あれならば、ティアマト神の再生力を上回る威力を叩きだせるかもしれない。

 

「――そこにいたか、虫ども。逃がす筈がなかろう。この身は魔獣に堕ちたとはいえ神である。私に、(かみ)の言葉を違えさせるな」

 

完全に傷が癒えるのを待ってから、ティアマト神は追跡を再開する。

正に蛇の如き執念だ。彼女はこちらを呑み込み消化しきるまでは決して満足することはないだろう。

 

「まったくだ。恨み辛みで動かない分、蛇の方が万倍もマシだ」

 

「口の減らぬ魔術師よ――――よかろう、貴様からすり潰してくれる」

 

「フッ、できるものならやってみたまえ。そして、その隙に逃げたまえ、カルデアのマスター」

 

「マーリン、お前何を……」

 

「なあに、今まで隠していたが私は不死身でね。何しろ半分が夢魔だ」

 

正確には夢と現を行き来できる曖昧な存在であり、生命を司る本体は夢の世界にあるのだという。

だから、現実の肉体が潰れた瞬間に夢へと逃げ込めば助かるのだというのだ。

 

「でも戻ってくるのに幾らか時間を必要とするから、合流地点を決めておこう! そうだな、王様の……」

 

言いかけた直後、マーリンは驚愕の顔を浮かべて身を翻した。

一瞬遅れて光のようなものが飛来し、マーリンが先ほどまで立っていた場所に着弾する。

嫌な予感がした。

マーリンが立っていた場所。ティアマトがその視線で射抜いた場所から悍ましい感覚がビンビンと伝わってくる。

あれは呪いの類だ。それも不可逆でどうにもできない、最悪の代物だ。

 

「無力故の不死というヤツか? では、久方ぶりに我が眼を使うとしよう。人間どもの彫像なぞ飽きるほど集めたが、半魔の彫像であれば我が神殿に飾るのも良しだ」

 

ティアマト神の美貌にゾッとするような笑みが浮かぶ。

復讐者に似つかわしくない微笑。しかし、それは余りに攻撃的で嗜虐に満ちていた。

例えるならばナイフを手にして肉を前にした料理人といったところだろうか。

どこに刃物を当て、どのように切るのか。どのように調理しどんな味付けをするのか。

そうして思わず零れてしまったのがあのゾッとするような微笑みだ。

蛇の如き大きく割けた口と見開いた目。

その視線は逃げるマーリンの背を確実に追いかけていた。

 

「石化の魔眼か! しまった、それは私の天敵だ!」

 

「魔眼だって? 何でティアマト神が魔眼なんて……」

 

「説明は後だ、カドックくん! 前言撤回するから、何としてでも私を守ってくれ。私が意識を停止させると大変な事が起こる! 石化なんてさせられたらここまでの苦労が水の泡だ!」

 

必死で走りながら捲し立てるマーリンの慌てように、只ならぬ気配を感じ取る。

この男はいい加減だが、土壇場で嘘を吐くような奴ではない。

世界最高峰の魔術師であるマーリン。彼がマズイと判断したのなら、それは本当に取り返しがつかない事態となるのであろう。

ならば、自分達の役目はそれを防ぐことである。

 

「藤丸!」

 

「マシュ、降ろして! マーリンをお願い!」

 

「はい、先輩!」

 

地面に着地した立香とマシュが、弾かれたように左右に分かれる。

立香はマーリンと共に北壁へ。そして、マシュは盾を手に単身でティアマト神を迎え撃つ。

竦み上がりそうになる巨体を前にして、マシュの手は自然と強く盾を握り締めていた。

この大きさを見上げれば、恐怖を抱くなという方が難しい。

だが、マシュは主の言葉を思い出して怯える心を落ち着かせ、大きく地面を蹴った。

直後、投射された不可視の光線が盾に弾かれて明後日の方角へと飛んでいく。

マーリンに向けて放たれたティアマト神の魔眼を、間一髪で弾いたのだ。

すかさずアナスタシアが足止めの為に吹雪を放ち、巨大な女神の尾を凍らせる。

あれだけの巨体を2本の足で支えるのは非常に難しく、ティアマト神が移動するためにはどうしても尾による蛇行が必須となる。

例え、凍結が一時的なものであったとしても、これでティアマト神とマーリンとの距離は大きく開くことになるはずだ。

 

「盾で我が魔眼を防ぐか。命知らずにも程があるぞ、娘」

 

「くっ……」

 

「そして、女神の肌を傷つける魔眼か。下等な分際で忌々しい」

 

「っ……」

 

ヴィイを腕の中に抱えたまま、アナスタシアは息を呑む。

この世界そのものともいうべき曖昧なものに向けられていた彼女の怒りが、たった今、自分達にぶつけられた。

彼女の魔眼を防ぎ、傷を負わせたがためにその憎悪が牙を剥かんとしているのだ。

銃口を押し付けられるよりも遥かに恐ろしい存在が目の前にいる。

気を抜くと立っていることすらできなくなりそうだ。

 

「アナスタシア! 守りは任せて、宝具を!!」

 

「っ……ヴィイ!」

 

三度、ヴィイの瞼が開かんとする。

向こうは聖杯の魔力で無限に再生することができる。

半端な攻撃を繰り返したところでこちらが消耗していくだけだ。

こちらの攻撃は全く通用しない訳ではない。一か八か、魔眼の精度を上げて霊核をピンポイントで狙えば、再生する間もなく倒すことができるかもしれない。

だが、ヴィイの瞼が開き切る直前、緑の閃光が空より舞い降りた。

光と共に降り注いだ無数の槍は、全てがアナスタシアを狙う必死の攻撃だ。

攻撃のために全精力を注いでいたアナスタシアには、それらを回避するだけの余裕はない。

 

「アナスタシア、下がって!」

 

半ば突き飛ばす勢いでマシュが間に割って入り、槍の斉射を盾で受け止める。

まるで激流を受け止めたかのような感覚に、盾を構えるマシュの顔が苦痛で歪んだ。

このような苛烈な攻めを行う者は1人しかいないと視線を巡らすと、その先にはエルキドゥがいた。

如何なる激戦を繰り広げてきたのか、着ている白衣は血みどろで、左腕は欠落している。

泥の体故に再生は始まっているものの、明らかに満身創痍だ。

それでもエルキドゥはティアマト神を守ろうと、鬼気迫る表情で破損した肉体から武具を連射する。

 

「カルデア……お前達、よくも……!」

 

「な、何て攻撃……盾が……押されて……」

 

怒涛の如き攻撃を受け、マシュの体が少しずつ後退る。

盾は無事でもそれを支えるマシュの方が先に限界に来てしまう。

盾を構える腕から少しでも力が抜ければ後ろに立つアナスタシア共々、エルキドゥの攻撃に晒されることになってしまうだろう。

アナスタシアも死角から氷柱を生み出してエルキドゥを狙うが、まるで背中にも目がついているかのように正確無比な感知能力の前では悉くを撃ち落とされてしまい、打つ手がなかった。

そして、2人がエルキドゥによって釘付けにされている間に、ティアマト神は自身を縛る氷を砕いて北壁を目指すマーリンの背中へと狙いを定めていた。

 

「どこへ逃げようと無駄だ。我が千魔眼にて、灰燼に帰すがよい! そして、その臓物を惨めに晒すがいい! 貴様らは我らの手で、子の一人に至るまで殺されねばならぬ。貴様らに殺された全ての命が、そうしろと叫んでいる!」

 

ティアマト神の体内から魔力の増大が確認される。

膨れ上がる出力は第六特異点における獅子心王の裁きにも匹敵しうるかもしれない。

カルデアでは計測に用いていたシバが何枚か吹き飛び、管制室で悲鳴が上がるのが通信越しに聞こえてきた。

 

『まずい、あれはただの宝具じゃない。ティアマト神の怨嗟をまき散らす焼夷弾のようなものだ! あんなもの喰らえば北壁はおろか、この辺一帯が焦土と化すぞ!』

 

「藤丸、キリエライトを戻せ!」

 

「けど、皇女様が!」

 

「城塞で何とか耐えて見せる! ティアマト神の方が遥かにヤバい!」

 

宝具の発動における前段階なのだろう。ティアマト神の体は少しずつ別の何かへと変貌していた。

神体を覆っていた蛇の意匠が広がっていき、無数の髪の毛が絡み合って何匹もの蛇を生み出していく。やがてそれらは重なり合ってティアマト神の美貌を覆い隠し、無数の大蛇が群がる群体とでもいうべき姿へと転じていった。

その姿は恐ろしさの中にも美しさや神々しさを抱かせた先程までの姿と違い、完全に醜悪な化け物としての姿であった。

直視することすら憚られる異次元的な恐怖を醸し出し、咆哮するティアマト神には貌と呼べるものがない。

頭部に当たる部分にはぽっかりと穴が空いている。

その先に垣間見えたものは深淵。どこまでも暗く、空虚で底抜けに悍ましい腐臭漂う暗黒の宇宙。

本能で理解する。アレは人が耐えられる代物ではない。

アレを撃たれれば、防げるのはマシュの宝具だけだ。

悔しいことだが、こと防御においてはアナスタシアよりも彼女の方が優秀だ。

例えこの世で最も恐ろしい呪いが相手であったとしても、彼女の盾は守るべきものを守るだろう。

だが、それを許すエルキドゥではなかった。

立香が令呪を使うよりも早く、地面の土を変質させた石の散弾銃ともいうべきものをこちら目がけて撃ち出したのだ。

 

「危ない!」

 

咄嗟にマーリンがカバーに入らなければ、立香の体は蜂の巣になっていたかもしれない。

そして、その一瞬はティアマト神の魔力が最大まで高まるのに十分な時間でもあった。

 

「貴様達の呪いを返してやろう!」

 

魔眼から放たれようとしているのは漆黒の閃光。

ティアマト神が抱いた怒り、憎しみ、妬み、それらがない交ぜとなった混沌の光が視界を覆う。

最早、それを防ぐ手立てはカドック達にはない。

あの光は着弾と同時に怨嗟をまき散らし、ここにいる全ての生命を死滅させるだろう。

既に彼女はマーリンを石へと変えるという当初の目的すら違えている。

復讐者は決して怨念を忘れず、それを果たすまで体躯が止まることはない。

マシュとアナスタシアに傷つけられたことに対する怒りが呼び水となり、自分でも制御できぬ感情の暴走が起きているのだ。

終わってしまう。

自分達のグランドオーダーが、ここで終わってしまう。

一瞬の内に脳裏を過ぎるのはここまでの旅で培ってきた思い出達。

辛い戦いも楽しい思い出もある。

中東では友人を失った孤独を味わい、北米では辛い挫折を経験した。

ロンドンでは自分の在り方に迷い、オケアノスでは我欲を貫くことを覚えた。

ローマでは叛逆の徒に教えを授かった。フランスでの勝利が旅を続ける自信に繋がった。

そして――。

 

『君に証明する、僕でも世界を救えると。だから―――』

 

あの時、あの炎の街で、自分は彼女に何と言おうとしたのだろうか。

疑問は思考を促し、諦観を吹き飛ばす。

全てのキッカケとなったファーストオーダー。

あの炎の街で、アナスタシアに告げた言葉を自分はまだ達成できていない。

世界を救い、自らの価値を証明する。

こんな不甲斐ないマスターでも、できることはあるのだと実証する。

その為には、こんなところで諦めている訳にはいかない。いかないのだ。

奥歯を噛み締め、顎を上げ、迫りくる光を真っ向から見据える。否、視るのは光ではない。その向こうにいる怨念の化身。

あんなものに屈する訳にはいかない。あんな絶望を認めてはいけない。あんな憎悪を理解してはいけない。

不敵に笑え、中指を立てろ。一歩を踏み出し見下してやれ。

この命が続いているのなら、まだ自分達は負けたわけではない。

 

「――!――――!!」

 

言ってやったと口の端を吊り上げながら、カドックは前のめりに倒れる。

最後の言葉は音にすらなっていなかった。それでも腹の底から声を張り上げ、迫りくる理不尽に怒りをぶつけた。

それで緊張の糸が解けてしまったのだろう。これでは本当に自分の旅はここでおしまいだ。

そう思って瞼を閉じようとした刹那、カドックの目に1人の男の背中が飛び込んできた。

自分とティアマト神の間に割って入った槍兵。

絶対的な圧制を前にして怯むことなく迎え撃とうとするその姿に、カドックはローマで共に戦ったスパルタクスの姿を幻視する。

だが、彼はスパルタクスではない。深紅のマントをはためかせ、盾を構えているのはレオニダス。

北壁で警備隊の指揮を執っているはずのレオニダス一世が、自分達を守るためにティアマト神の宝具に向かって躍り出たのだ。

 

「レオニダス!?」

 

「よくぞここまで持ち堪えました、カルデアのマスター! 後は私にお任せを!」

 

「なっ、何を言っているんだ!」

 

ティアマト神の宝具は並のサーヴァントが受け切れる代物じゃない。

自分のパートナーであるアナスタシアの城塞すら秒と持たない死の呪いなのだ。

あれを防ぐためには、マシュのような強大な加護持つ守りが必要なのだ。

レオニダスにはそのような逸話はない。

魔術や奇蹟の才も、超常を起こす武具もない。

ただの人であるレオニダスでは、あの宝具には太刀打ちができないはずだ。

 

「あんた1人が来たところで、もう――」

 

「1人? あなたには私が1人に見えますか? 否! 我らは1人ではない!」

 

槍の柄が地面を叩くと変化が訪れた。

最初は目の錯覚かと思った。レオニダスの姿がダブって見えたことで、ダ・ヴィンチが作った眼鏡のピントがズレたのかと思った。

だが、そうではなかった。自分の目もダ・ヴィンチの礼装も正常だ。

そこには確かにいたのだ。レオニダスではないスパルタの戦士が。

全員が槍と盾を構え、マントを翻した精鋭だった。

鍛え抜かれた肉体と猛々しい叫び。

隊列を組んだ三百人のスパルタ兵がそこにいた。

レオニダスのかつての仲間、永遠の友、偉大なる炎門の守護者達がそこにいた。

 

「力を以て事を成すなどペルシア王だけで十分! 苦情、主張があるのならまず話し合い! その為ならば我ら三百兵、一丸となって機を刻もう!」

 

「抜かせ、人間が! 溶け落ちるがいい……『強制封印・万魔神殿(パンデモニウム・ケトゥス)』!」

 

「行くぞ友よ、(いのち)を此処に――――! 炎門のぉ、守護者(テルモピュライィ・エノモタイア)ァァァア!」

 

放たれた黒光を、三百人のスパルタ兵が受け止める。

その先陣に立つのは彼らの王。スパルタ王レオニダス一世その人だ。

その背は友にして部下である三百人の兵士達に支えられ、彼の巨体が動じることは微塵もない。

怨念の光に身を焼かれながらも、咆哮によって闘志を燃やすことで自我を保ち、物理的な衝撃すらも受け流す。

全身を余すことなく負の感情に苛まれながらも、ここまで人は眩しく輝けるものなのかと、カドックは息を呑んだ。

しかし、それも一瞬のこと。

まず1人、次に1人と、時間と共にレオニダスを支えるスパルタ兵は脱落していく。

精強とはいえ所詮は人の集まり。神の憎悪に抗える道理はない。この結末は自明の理であった。

 

「レオニダス!」

 

「ご心配なく! 鍛えに鍛えたこの体、今使わずしていつ使う! 肉が焼かれたのなら骨で、骨が砕ければ根性(ガッツ)で耐える! 我らには後退も敗北もない! そう、これが――スパルタだぁぁっ!!」

 

レオニダスの渾身の叫びと共に光が消えた。

変態を解いたティアマト神は信じられないものを見るかのようにレオニダスを見つめている。

人の身でありながらも神の呪いに耐えきったのだ。無理もない。

そして、ここからがスパルタの反撃だ。

ほとんどのスパルタ兵は光によって焼き尽くされ、骨すら残さず溶かされてしまい、両手で数えるほどしか残っていない。

だが、それでも五体が無事な者は槍を構えて突貫するレオニダスに続き、鬨の声を上げる。

その様はテルモピュライの戦いの再現だ。

ペルシア王の進軍を足止めするため、たったの三百人で十万のペルシア軍と戦ったスパルタ兵達。

その先頭に立ったのがレオニダスであり、その逸話が昇華されたものがこの『炎門の守護者(テルモピュライ・エノモタイア)』だ。

彼の守護者は苛烈な攻めを耐え抜いた後、炎の如き勢いで反撃に転じ、目の前の敵を徹底的に葬り去る。

まず防ぎ、反撃に転じることがこの宝具の真骨頂だ。

 

「母さん!?」

 

今にもティアマト神に迫らんとするスパルタ兵達を見て、マシュとアナスタシアを押さえていたエルキドゥの注意が逸れる。

瞬間、マシュがエルキドゥの横っ面を盾で引っ叩き、その隙を突いてアナスタシアと共に離脱する。

 

「チッ、よくも!」

 

エルキドゥの顔に怒りが浮かぶが、すぐにティアマト神の危機を思い出して振り返る。

視線の先では、十人足らずのスパルタ兵達が、ティアマト神の迎撃によってその数を次々に減らしていっていた。

ある者は魔力で溶かされ、ある者は髪に縛り上げられ、尾で殴られる。

それでも彼らは止まらない。一丸となって神の巨体に挑み、時には自らの体を投げ打って王の盾となる。

そうして、とうとう最後の一人となったレオニダスは、手にした槍を構えてティアマト神の霊核へと狙いを定めた。

 

「ウウゥゥゥッラアァァァッ!!」

 

勝った、とその場にいた誰もが幻想した。

魔力放射を潜り抜け、尾や髪では迎撃が間に合わぬ至近距離。

巨体故に懐に入られれば身を守る術はない。

誰もがそう思い、彼女が魔眼使いであることを失念していた。

深紅の瞳が妖しく輝いたのは、正にその時であった。

 

「砕けろ、英雄!」

 

「スパルタをなめるなぁっ!!」

 

閃光が視界を覆い隠し、それが晴れた時には全てが終わっていた。

ティアマト神は健在であった。

一見するとその神体に傷は見られないが、ティアマト神の美貌は怒りと憎悪とも違う、静謐としたものに変わっていた。

何故なら、彼女の肩はレオニダスの盾によって弾かれた、彼女自身の熱線によって僅かに焼かれていたからだ。

無限の再生力を有するティアマト神にとって、それは傷の内には入らない。直に聖杯の加護により傷は癒されるだろう。

だというのに、ティアマト神は敢えてその傷を残したまま、レオニダスと対峙していた。

そこにあったのは敬意だ。

あの巨大な女神が、憎悪に塗れた復讐者が、ちっぽけな人間の奮闘に敬意を表し攻撃の手を止めていた。

そして、対するレオニダスは――――。

 

「……致し方ありません。我らが盾は、ただ頑丈なだけの盾。綺羅星の如き英雄達が持つものとは違います。当然、防げるのは物理だけです」

 

――――盾を持つ左腕を中心に、石化が始まりつつあった。

 

「ですが、物理的な熱線であれば返せるというもの。骨身に染みましたかな、ギリシャの古き女神」

 

レオニダスの言葉を聞き、放心していたカドックの思考が急速に回り出す。

今、彼は何と言った?

メソポタミアの魔獣の母、ティアマト神に対して、レオニダスは何と言ったのだ?

 

「そう、彼女の真の名は別にある。かつて女神アテナによってその身を怪物に変えられ、人々に迫害され、多くの英雄を殺したもの。形のない島の三姉妹のなれの果て――――いえ、複合神性、大魔獣ゴルゴーン」

 

ギリシャ神話に伝わる三姉妹。形なき島に住まう彼女達はゴルゴーンと呼ばれていた。

その内の1人、末の妹メドゥーサは蛇の頭を持ち、石化の魔眼を有する魔獣である。

手の付けられない怪物と成り果てたメドゥーサは、やがて英雄ペルセウスによって退治され、切り取られた首は死後も英雄の武器として扱われるという辱めを受けた。

伝えられる風貌や復讐者としての資質は、確かに目の前のティアマト神と酷似する部分が多い。

だが、何故ゴルゴーンがティアマト神なのだ?

このメソポタミアとは縁も所縁もない女神が、どうして異国の神の名を騙るのだ?

疑問は尽きないが、それを口にすることはできなかった。

レオニダスの決死の突撃と、それを受け止めたティアマト神――ゴルゴーンとの間に流れる張り詰めた空気が、それを是としなかったのだ。

 

「レオニダス王。我が熱視を返し、忌まわしい名を口にしたな」

 

成り行きを見守っていたマシュとアナスタシアが、ゴルゴーンの気配が変わったことに気づいて身構える。

それを制したのは他ならぬレオニダスだ。彼は無言で手を伸ばして2人に沈黙を求めると、ゴルゴーンの次の言葉を静かに待った。

 

「……御身であればこれ以上の罪は問わん。棄てられながら、何一つ捨てなかった炎の王よ。せめて勇者として砕け散れ。人の世の終わりを見ぬまま、な」

 

「――――ふっ、それは有り得ない。我が魂同様、人の世は不滅なれば」

 

それがレオニダスの末期の言葉だった。

誇り高き炎門の守護者は、鍛え抜いたその身を毛の一端から爪先に至るまで悉くを石化させ、塵となって消滅してしまった。

無意識にカドックは手を伸ばしていた。風に乗って散りゆくレオニダスの肉体。僅かな塵だけでもこの手で掬い上げられないかと手を伸ばす。

無論、掴んだその手の中には何も残っていない。だが、彼の熱さがほんの少しだけ胸の内に注ぎ込まれたかのような気がした。

立ち上がるには、それで十分であった。

 

「人の世は不滅……か。在り得ぬよ。人の世は直に終わる。最強の守りである貴様が、こうして無駄死にしたのだから!」

 

再びゴルゴーンの顔に憎悪と怒りが浮かび上がる。

同時にその巨体が指先に至るまで魔力が循環していき、レオニダスが消滅するまで決して癒そうとしなかった肩の傷が見る見る内に塞がっていった。

 

「声を上げよ、魔獣達よ! 私自らがウルクに攻め入り、王を殺す! 憎しみのまま、逃げ延びた人間どもを蹂躙するがいい!」

 

ゴルゴーンの言葉で、まだ健在な魔獣達が遠吠えを上げながら集結する。

その視線は既にこちらには向けられていない。ウルクを守る北壁と、その向こうにあるウルク市の人々の命へと向けられている。

皮肉にもレオニダスとの問答で冷静さを取り戻したのだろう。最早、彼女は我が身を傷つけられたことなどどうでもよく、レオニダスが不滅だと宣った人の世を終わらせることのみに注力するだろう。

こちらは既に三騎ものサーヴァントが戦線を離脱している。このままウルクを目指されては、残った戦力でこの軍勢を抑えることは不可能だ。

何もできない事の悔しさにカドックも立香も拳を握ることしかできない。

その時、今にも進軍を始めようとしていたゴルゴーンの前に、エルキドゥが立ち塞がった。

 

「お待ちください。それは短気に過ぎませんか、母上。ボクらにとってウルク攻めなぞ途中経過にすぎない。真の問題は人間ではなく他の女神でしょう? ウルクを落とせば同盟は破却される。第二世代はその後に来る戦いの備えです。鮮血神殿で誕生を待つ十万の子どもたち。彼らの誕生まで、女神同盟は続けなくては」

 

十万の魔獣の子ども。この上でまだ、それだけの戦力を有しているというのか。

しかも、それはウルクを攻めるためでなく、他の女神達との戦いに備えてのものだという。

世界を壊すという一大事ですら彼女達にとっては些末なことだと言ってのけるエルキドゥの表情は、どこまでも冷酷で残忍さに満ちていた。

 

「それだけか、我が子よ?」

 

「いえ、それとこのような結末では溜飲が下がりません。人間はゆっくり苦しめるべきです。彼らは獣達から土地を奪い、子を奪い、母上を迫害し、何もかもを忘れ去った。憎しみの炎とは、相手がいなければ燃えぬもの。あなたの憎悪をこんな簡単に棄てていい筈がない。母上は最早、ギリシャの女神ではない。このメソポタミア世界の神、ティアマト神の化身なのです。ですので、どうかお考えを。御身の鮮血神殿に戻られよ」

 

「…………」

 

エルキドゥの言葉に黙って耳を傾けていたゴルゴーンは、両の目に憎悪を煮え滾らせたままゆっくりと北壁を一瞥する。

城塞の見張り台には、戦いの行く末を見守っている兵士達が何人も顔を出していた。

それらを忌々し気に見つめると、ゴルゴーンは怒気を孕ませた声で空を震わせる。

 

「我が息子の寛容に感謝するのだな、人間ども。だが、滅びの運命は変わらぬ。これより十の夜明けの後、我らはウルクを滅ぼす。命が惜しくば地の果てまで逃げるがいい。自分だけはを惨めに祈りながら逃げ果てよ! 恐怖に溺れ、同胞を蹴落とし、疑心に狂い――人獣に身を落とした後、惨たらしく殺してやろう!」

 

それは宣告であった。

魔獣の母、複合神性ゴルゴーンによるウルクへの宣戦布告。

必定たる滅びに精々、抗って見せろという女神からの試練であった。

 

「……何とか帰ってくれたか。聞き分けのない親を持つと苦労すると思わないかい、カルデアのマスター?」

 

踵を返し、魔獣達を引き連れて北壁を去っていくゴルゴーンを見つめながら、エルキドゥはこちらに話しかけてきた。

友好を示す、などという甘いものではないだろう。振り返ったエルキドゥの目は人間への侮蔑と嫌悪が込められており、その目に射抜かれるとゾッとするような冷たさが背筋を駆け抜ける。

人の体をしているが、アレは魔獣の類だ。本質的に奴の思考はゴルゴーンがティアマト神として生み出した魔獣達と大差ない。

即ち、人間への憎悪と怒りで満ちている。

 

「お前は……誰なんだ?」

 

口から零れたのは当然の問いかけだった。

これはエルキドゥではない。

あれは英雄王の友ではない。

それは魔獣であり、死をまき散らす者であり、唾棄すべき怨敵だ。

エルキドゥではない誰かが、エルキドゥの姿を纏って動いているのだ。

 

「もう隠す必要がないね。ボクも魔獣同様、母に作られた存在だ。母を棄てたキミ達旧人類を滅ぼし、キミ達に代わって世界を統べるヒトのプロトタイプ。神々の最高傑作であるエルキドゥをモデルにして作られた完全な存在」

 

原初の女神、ティアマト神は夫であるアプスー神を失った後、その復讐のために十一の怪物を生み出す。

そして、その怪物達の指揮官として任命されたのが息子にして第二の夫となったとある魔獣であった。

ならば、目の前の人物がその名を襲名するのは必然であった。

その名を持つ者が人の天敵として自分達の前に現れることは必然であった。

 

「ボクは偉大なるティアマトに作られた新人類。その真名を、キングゥと言う」

 

 

 

 

 

 

やがて、思考を終えたギルガメッシュ王は、賢王として言葉を選びながら、自らが千里眼で垣間見た未来を回答した。

その言葉がレオニダスにとってどんな意味を持つのか、わかっていながらギルガメッシュは言の葉を紡いだ。

彼の覚悟、王としての在り方を試すために、敢えてその言葉を選び託宣としたのだ。

 

「王が死ぬか、国が滅びるか」

 

ギルガメッシュ王の託宣を、レオニダスは粛々と受け止める。

そして、静かに非礼を詫びると王の御前で片膝を突いた。

 

「ならば、答えは一つ……あなたに、忠誠を誓いましょう」

 

王としての矜持、誇りなどはレオニダスにとって二の次であった。

彼は王ではあるが一人のスパルタ兵であり、戦いで得られるものにこそ価値を見出している。

そして、此度の召喚において自らが成すべき役目が何であるのかも、この問答の果てに掴んでいた。

 

「レオニダスよ、(おれ)財宝()を預ける。存分に使い捨て、その役目を果たせ」

 

「ギルガメッシュ王、あなたの(財宝)を預かる。存分に使い、生かしてみせましょう」

 

――それが半年前。まだカルデアがこの地に訪れる前の出来事であった。




レオニダスは書き始めるとつい見せ場を作ってしまう憎い鯖です。
FGO始めたキッカケもレオニダスの活躍を実況で見てだったので。
聖杯こそ入れてませんが、弊カルデアでも盾役として大活躍ですよ。


クリイベ進めたいけど、このSSも進めたい。
できれば全然関係ないクリスマス短編とか書きたい。
でも、時間が足らない。睡眠時間が削れていく。
まだボックスも9箱ですし、今日くらいからスパートかけないと。


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絶対魔獣戦線バビロニア 第9節

我が名はキングゥ、ティアマト神に造られた新人類である。

そう言い残して、エルキドゥを騙っていた者――キングゥは魔獣達と共に去っていった。

人類に残された時間は後十日。十の夜が明ければティアマト神――ゴルゴーンが再び魔獣達を引き連れてウルクを滅ぼさんとする。

突き付けられた刻限と、強大過ぎる敵の存在に、残された者達はただ茫然と立ち尽くすしかなかった。

元より失い続けるばかりの戦ではあったが、此度の戦で失ったものは余りにも大きい。

北壁の精神的な支柱であったレオニダス、斥候として最前線を常に駆け続けた小太郎という2人の英雄を失ったからだ。

加えて住民が残らず平らげられたニップル市の惨状は、後に自分達が味わうことになるであろう恐怖が何なのかを如実に物語っていた。

兵士達に動揺が広がるのも無理はない。

無論、それはカルデアとて同じこと。寧ろ彼らは2人によって生かされる形になってしまい、悔しさも人一倍大きかった。

 

「僕の判断ミスだ。この一戦で終わりではないと……令呪の使用を考慮しなかった」

 

歯噛みしながらカドックは石壁に拳を叩きつける。

骨に伝わる鈍い痛みが腕を走るが、今のカドックには気にしている余裕はなかった。

イフを語り出せばキリがないことはわかっていても、悔やまずにはいられない。

やり様はいくらでもあった。アナスタシアの宝具を強化するなりマシュを北壁まで転移させるなり、方法はいくらでもあったのだ。

だが、結果は最悪だ。何一つとして救い出せず、自分達を生かすために2人の英霊が犠牲になった。

もし可能ならば自分自身を殴り殺してやりたい気分だ。

 

「よすんだ、カドック」

 

再度、壁を殴ろうと振り上げた右手を立香に制される。

 

「放せ!」

 

「落ち着け! 君はいつもそう言うだろ!」

 

視線が交差する。その目を見た瞬間、背筋が凍り付いた。

立香の顔からは表情が消えていた。怒りで歪む訳でも悲しみで沈む訳でもない。

氷のように青白い顔からは一切の感情が消え失せていた。それでいて瞳だけはギラギラと輝いていて、彼が腹の底で感情を煮え滾らせていることがわかる。

炎は温度が高い方が揺らがずに小さく燃えるというが、今の立香が正にそれだ。感情の臨界点はとっくに超えていた。

捕まれた腕は彼の握力で軋みすら上げていた。何がスイッチになって爆発するかわからない。そんな危うさが今の彼にはあった。

 

「……ごめん」

 

「いいんだ。俺も、今はちょっと、色々と……」

 

気を抜くと取り乱してしまうという友人の痛ましい姿を見て、覚めるように冷静さが戻ってくる。

カドックにとって立香は憧れであり、陽だまりのような少年だ。

彼のように願い、彼のように生きたいと思った。それはもう叶わないことだが、だからこそ立香には変わることなくいて欲しい。

そんな立香が今、沸騰しそうな自分の気持ちを必死に抑えている。なら、先輩として自分がこれ以上、取り乱す訳にはいかない。

彼が崖っぷちで踏ん張っているなら、その腕を引くのは自分の役目だ。

怒りも嘆きも今は飲み込もう。それよりもやるべきことをしなければならない。

魔獣の女神の真名やエルキドゥを騙っていたキングゥの存在、十日のタイムリミット、三女神同盟の内情。此度の戦いで手に入れた情報、生かすも殺すも自分達次第だ。

諦めるのは早い。まだリハーサルが終わったばかりで、フェスの本番はこれからなのだから。

 

「ああ、ここにいましたか2人とも」

 

階段を駆け上がり、四郎が姿を現す。

彼もまた仲間を失ったことが堪えているのか、表情は暗く沈んでいた。

いや、彼は最初からこの結末を啓示で知っていた。なら、自分達よりも余程、辛い思いを感じているかもしれない。

だが、いざ口を開けばいつも通りの四郎がそこにいた。穏やかで、柔和な笑みを浮かべ、どことなく胡散臭い雰囲気もそのままだ。

こちらに心配をかけさせまいとする彼の気遣いはすぐに汲み取れた。

 

「一通り見てきましたが、警備の方は問題ないでしょう。これなら我々もすぐに出立できます」

 

「大丈夫って、レオニダスはもういないのに……本当に?」

 

「ええ、ウルクの人々は強いですよ」

 

そう言って四郎は階下の様子を指差す。

そこでは、多くの兵士がいつもと変わらぬ様子で作業を続けている姿があった。

魔獣との戦いやゴルゴーンの宝具で被害も出ているというのに、彼らは塞ぎ込む間もなく自らがやるべき事を見つけて働いている。

無論、中には悲しみや恐怖から塞ぎ込む者もいるが、そういう者達に対して檄を飛ばす者が後を絶たない。

自分に言い聞かせるように鼓舞を続けながら作業をする者もいた。

 

「塞ぎ込んでいる暇はない! ティアマト神は去ったが、またいつ魔獣どもが襲ってくるかはわからぬ!」

 

「なら、やるべき事は一つ! 生存者を確認し、負傷者を救護し、隊を再編する! 城壁を防ぎ、武器を整え、筋肉を鍛える! それがレオニダス殿が我らに叩き込んだ日常である!」

 

「そうだ、あの方は如何なる時も弱音を吐かなかった。どのような死地、どのような劣勢でも、自分に出来る事を放棄しなかった! 「何も空を飛べ、などと言っているのではありません。煉瓦を手に取り、ここに並べる。それは誰にでもできて、最も重要な事なのです」。あの方は、それを最期までやり通した!」

 

「そうだ、それがここの誇り。レオニダス殿と、俺達の誇り……」

 

「そうだとも! では、今すぐ部隊を再編する! 再度の襲来に備え、対策を立てなければならん!」

 

一人が声をかければ二人が応える。塞ぎ込んで顔を俯かせていた者が、次の瞬間には涙する同僚の肩を叩いている。

怒号が飛び交い、議論が交わされ、階段を駆け上がる音がドラムのように城塞内に響き渡る。

上下関係に関わらず互いを励まし合い、落ち込む者を立ち直らせ、前を向いて次に備える。

一人一人は弱くとも、一丸となって問題に当たる事で事態を好転させる力を生み出す、共同体としての強さがそこにはあった。

 

「これが、神代の強さか」

 

気づけば城塞は以前と同じ活気を取り戻していた。いや、救出作戦が始まる前よりも勢いづいているといってもいい。

レオニダスという存在が、それだけ彼らの中で大きく根付いていたのだ。そして、彼に頼るのではなく彼の教えを胸に生きるという強さを彼らは獲得した。

彼の王は死してなお仲間を鼓舞する。テルモピュライの戦いにおいて一歩も引く事なく戦い続け、ペルシア軍に恐怖を与えたスパルタの三百兵。彼らが三日間も敵を足止めしたことで、本国は反撃のための戦力を用意することができ、後の戦いにおいて見事にペルシア軍を打ち破っている。

自身だけに留まらず、仲間をも輝かせる英雄。それこそがレオニダス一世という英雄なのだ。

 

「ウルクに戻ろう。アナと合流し、ギルガメッシュ王に顛末を報告する」

 

戦いはまだ折り返しに至ったばかりだ。

1%のひらめきを見つけ出し、女神に叛逆する。

いつだってカルデア(自分達)は追い詰められてからが本番なのだから。

 

 

 

 

 

 

ウルクに戻った後、カルデアは二手に分かれる事になった。

立香、マシュ、マーリンの3人は此度の救出作戦の顛末をギルガメッシュ王に報告するためにジグラットへ。

そして、カドック、アナスタシア、四郎はアナと合流した後、ジャガーマンの治療のために大使館に戻っていた。

何しろキングゥと正面からやり合った上に威力を削いだとはいえ宝具の直撃を受けたのだ。

本人はやせ我慢しているが、実際にはかなり魔力を消耗していて早急な治療が必要な状態であった。

なので、今は霊脈の真上に縛り付けて強制的に休息を取らせている。一両日も眠っていれば、万全とはいかないまでも戦いに支障がない程度までは回復できるはずだ。

 

「すみません、肝心な時にお役に立てなくて」

 

顔を俯かせながら、アナは部屋へと入ってきたアナスタシアに小さな声で謝罪する。

フォウと共にウルク市へと転移した彼女は、そのまま丸一日は気絶していたらしい。目を覚ました後はすぐにでも北壁へ向かおうとしたが、その頃には救出作戦失敗の報がウルクにも届いていたため、そのまま大使館で待機していたとの事だった。

そして、やはりと言うべきか彼女も酷く落ち込んでいた。

あの巨大な女神を相手にして正気を保てと言う方が酷なのだが、彼女はあの場で取り乱してしまった自分が許せないらしい。

自分達が大使館に戻ってきた時も、挨拶を済ませてからずっと自室にこもってしまう有り様だ。

 

「駄目ですね。もっと上手くできると思っていたのですが、やっぱりアレを見るのは辛いです」

 

「無理をしなくても良いわ。怖いものは怖いもの」

 

人間、誰しも苦手なものはある。自分だって、兵隊や銃の類は嫌いだ。目にすると即座に凍らせてしまいたくなる。

あの禍々しい魔獣の女神と比べるのはおこがましいかもしれないが、自分にとってはそれが何よりも恐ろしいものなのだ。

魂の急所と言ってもいい。だから、あの場で竦んで動けなかったことは、良くないことなのかもしれないが、無理もないことでもあるのだ。

 

「いいえ、違うんです。そうじゃないんです」

 

アナはしきりに首を振って否定する。だが、言葉がうまく出てこないのだろう。

何度も言葉を詰まらせては言い直し、俯いては顔を上げるを繰り返す。

そうして、しばらく同じようなやり取りを続けた後、意を決したアナは静かに問いを口にした。

 

「もし、自分が将来、怪物になってしまうんだって知ってしまったら、アナスタシアさんはどう思いますか?」

 

「……それは、私が答えては……いえ、他の誰であっても言葉にしてはいけないと思うの」

 

迷いながらも、アナスタシアは確信を持ってそう答えた。

できることなら彼女の力になりたいと思うし、傷つけるような言葉も口にしたくない。

けれど、その問いかけに対して安易な答えを出してはならないとも思っている。

どれほど想像の翼を広げたところで、同じ境遇の者でなければその気持ちは理解できない。その辛さを分かり合えない。

驕るつもりもなく、自分は人間だ。人間のまま英霊となった者だ。だから、怪物となって果てた反英霊の憎悪も、何れ怪物へと至る女神の恐怖も理解することができない。

理解してはならないのだ。

 

「知っていたんですね、私の真名を」

 

「伊達に母親の真似事はしていません。それに、うちの人は負けず嫌いだから」

 

どこか寂しそうに呟くアナを元気づけようと、少しおどけた調子でアナスタシアは答える。

実際のところ、カドックから彼女の正体に関する考察を聞かされたのはつい最近のことだ。

不死殺しの英霊自体は数多いが、幼女の英霊という条件にあう者は思い当たらなかったという。

だが、要素だけを抜き出せば該当する英霊が1人いた。

その英霊は美しい女神でありながら魔獣へと堕落し、不死殺しの鎌でその命を絶たれた。また、鏡に映った顔を恐る恐る覗く姿を何度か見たが、それは生前のトラウマから鏡に抵抗感があるために、直視することができなかったのではないのかとカドックは推測した。

その英霊の名はメドゥーサ。ゴルゴーン三姉妹の三女にして成長する神格。ウルクを脅かす複合神性ゴルゴーンと同じ起源の英霊だ。本来ならば反英雄として成長した姿で召喚されるはずが、アナは女神としての全盛期の姿で召喚されたためにこのような幼い姿を取っているのだ。

 

「私は、きっとゴルゴーンに対するカウンターとして召喚されたんです。世界の全てを憎み、復讐しようとしている成長した自分を殺すのが私の役目。そう言い聞かせていたはずなのに、アレを目にした瞬間……」

 

頭の中が真っ白になり、動けなくなってしまったらしい。

それは恐怖からでなく、何れは自分があのような怪物に成り果ててしまうという事実に打ちのめされてしまったからだ。

メドゥーサが魔獣へと堕落するのは過去の出来事であり、それを覆すことはできない。

その事実が絶望となって重く圧し掛かり、深い自己嫌悪からゴルゴーンを直視することができなかった。

あの時、マーリンが気づかなければゴルゴーンの攻撃の余波を受けて役目を果たすことなく消滅していたであろう。

 

「ゴルゴーンがやろうとしていることは、決して許されることではありません。ですが、それを他ならぬ私自身がそう断じて良いのかと、どうしても迷ってしまうんです。彼女も私も同じメドゥーサだから、彼女の憎悪や怒りを心のどこかで認めてしまっているんです」

 

その慚愧が刃を鈍らせた。

そんな自分が嫌で堪らなくて、戦う事ができなかったのだ。

縁も所縁もない他人であるなら、あの憎悪を無根拠に否定できるかもしれない。

だが、彼女は自分だ。自分は彼女だ。僅かでも繋がりがあるのなら、その言葉には意味が出てくる。

何れは怪物に至る自身がゴルゴーン(あの姿)を否定しても良いのか。いくら考えても迷いが晴れることはなかったと彼女は言う。

 

「私は、どうすれば……」

 

顔を曇らせ、沈み込む姿は余りに痛々しい。

そんな彼女を見ていると、ふとフランスでの出来事がアナスタシアの脳裏を過ぎった。

自分とカドックがグランドオーダーにおいて初めて降り立った特異点。

そこで出会ったジャンヌ・ダルクも、程度の差こそあれ、同じような悩みを抱えていた。

自らの別側面であるジャンヌ・オルタの所業を垣間見て、自分の中にもあのような憎悪や怒りがあったのだろうかと。

結果的に彼女は自らの強い信念でそれを否定、またオルタ自身も聖杯で生み出された偽りのジャンヌであったためにジャンヌはアナほど苦しむことはなかった。

あの時、マリーも交えて故郷への思いを語り合ったことは今でもハッキリと覚えている。

サーヴァントとしてではなく、英霊アナスタシアとして聖杯探索に臨む原点となった思い出だ。

ジャンヌは祖国や仲間を愛し、信頼しているが故にみんなを憎み切れなかった。

マリーはフランスという国に恋していたが、家族を奪った民への恨みを否定しなかった。

そして、自分は故郷への思いを再確認した。

自分から全てを奪った極寒の地、ロシアというあの憎き土地は人理焼却によって悉くを焼き尽くされた。

恨みもある、嘆きもある。きっと向き合えば憎悪を吐かずにはいられないだろう。

それでも、生まれた故郷を救おうと思った。例え最後には辛い思い出しか残らなかったとしても、あの国には大切な家族との思い出がある。

父が母が、姉妹達が愛した国なのだ。

皇族としての責務、英雄としての矜持、そこに生まれそこで死んだ者達として、家族との繋がりを胸に聖杯探索へ臨もう。

灼熱が胸に注がれる。

冷たい体に熱が入った。

あの人に尽くし、あの人と共に過ごすことが願いでも、戦う動機は過去にあった。

大切な思い出の中にあったのだ。

 

「きっと、私達の誰も彼女を否定する権利はないのでしょうね」

 

アナの隣に腰かけ、アナスタシアはそっと彼女の手を取った。

 

「けれど、だからこそ止めなくちゃいけないと思うの。彼女をそこまで追い詰めたのはこの世界かもしれないけれど、最後の一線を超えようとしているのは彼女自身よ」

 

怒りや憎しみは正しい感情の裏返しだ。

自分がロシアを憎むのも、そこで育まれた絆、家族との繋がりや思い出が大切だからだ。

怪物たるゴルゴーンにもまた、そうなるに値する大切なものがあった。

それは姉妹との絆なのかもしれないし、神々に並ぶ者なきと讃えられるほどの美貌なのかもしれないし、女神としての神性そのものかもしれない。

彼女が真に復讐を志した理由を自分は決して理解できないであろうが、復讐者(アヴェンジャー)としてのゴルゴーンを構成する要素がこの世界の中で生まれ育まれた奇跡の残滓であることに間違いはないはずだ。

彼女の復讐はそれを自らの手で引き裂き焼き尽くすことに繋がる。

復讐が遂げられた時、彼女はきっと思うだろう。自分が何のために世界を憎み壊そうとしたのかと。

ゴルゴーンが成そうとしている復讐はそういうことなのだ。

 

「大切なものがあったから報復を願い、その復讐は最も大切なものを貶めてしまう。私がロシアを凍り付かせれば胸のしこりは取れるかもしれないけれど、他ならぬ私自身がそれを許せなくなるでしょう。ああ、ここは私が生まれて、お母様とお父様が愛し合って、お姉様達と遊んで、弟が大人になれたかもしれない国だったのにって…………」

 

「姉様との……思い出……」

 

「思い出がなければ生きてはいけないの。きっと、人も神も……」

 

震えるアナの体を抱きしめる。慈しむように優しく、少女の体を自身の熱で包み込む。

自分に言えることはこれで全てだ。できることなどこれだけだ。

全てはアナ自身で考え、答えを決めなければならない。

その時がくるれば、自分は友人として、家族として彼女の力になろう。

その願いを尊重し、マスターと共にできることを為そう。

自分の眼は、きっとその為の力を持っているはずだから。

 

「アナスタシアさん……体が冷たいです……」

 

「あ、ごめんなさい」

 

「いえ、でも……このままで構いません。少しだけ、このままで……姉様みたいに……少しだけ……」

 

アナの頭がアナスタシアの胸に沈む。

ほとんど囁きに近い声ではあったが、アナスタシアは確かに聞いた。

彼女の決意、彼女の勇気を確かに目にした。

 

「もう少しだけ、頑張ります……もう少しだけ……」

 

 

 

 

 

 

「――――!――!!」

 

何故か猿轡を噛まされ、簀巻きにされたジャガーマンを見下ろしながら、カドックは助けるべきか否かを真剣に悩んでいた。

彼らがいるのは大使館一階の食堂を兼ねた談話スペースだ。丁度、霊脈の上に位置しているのでカルデアとの召喚ゲートもここに設置されている。

神話体系の関係もあるので、ジャガーマンを癒すには南の密林に連れていくのが一番なのだが、彼女がそれを断固拒否したために次点としてここを利用することにしたのだ。

相性は兎も角として地脈から十分な魔力は汲み上げられるので、横たわっていれば回復も捗るだろう。

なので、四郎の治療をする間、大人しく寝ているようにと言ったのだが、どうやら悪戯好きの皇女の魔の手にかかってしまったようだ。

涙目になっているジャガーマンの額には、染物の染料と思われる墨で落書きがされている。何と書かれているのかはわからないが、中国語が一文字だけ書かれているだけなのできっと大した意味はないだろう。

 

「いいんですか?」

 

「夕食までには外すさ」

 

多少、見苦しいが普段のテンションを思えばこの方が静かで遥かに過ごしやすい。

それよりも今は今後の方針を決めなければならない。ティアマト神――ゴルゴーンは九日後にはウルクを襲撃する。

恐らくは今までにない規模の戦いになるだろう。レオニダスと小太郎を欠いた今、残された日数でその分の力を補填しなければならない。

 

「相手がゴルゴーンなら呪詛返しが有効なんだが……」

 

「君の皇女の魔眼でも?」

 

「無理だろうな。出力が違い過ぎる」

 

アナスタシアの呪詛返しは呪いをより強い呪いで呑み込むものなので、亡霊であるジャック・ザ・リッパーや悪魔もどきのメフィストフェレスならともかく、精霊種を上回る力を持つ神格が相手では分が悪すぎる。

そうなると頼みの綱はマシュの宝具になるだろう。彼女のキャメロットならゴルゴーンの魔眼を防げることは先の戦いでも実証済みだ。

寧ろ、厄介なのは不死の肉体かもしれない。聖杯由来の魔力の膨大さはここまでの旅で何度も目にしてきた。ゴルゴーンから何とか聖杯を奪い取らなければ、例え戦ったとしても負けるのは自分達だ。

 

「恐らく、魔獣を生み出す権能――『百獣母胎(ボトニア・テローン)』も聖杯から得たものだろう。メドゥーサに魔獣を生み出す逸話はない」

 

強いて上げるならばその血からペガサスが生まれたということくらいだろうか。

更に元を辿れば先住民が崇める大地母神であったものが、異なる神話体系に取り込まれたことであのような魔獣の姿に貶められる形となったのだ。

神話上においては多くの英雄をその手にかける内に堕落し、姉2人をも取り込んで本物の魔獣と化した後に英雄ペルセウスの手で討ち取られた。

貶められた大地母神としての要素は、魔獣を生み出すティアマト神と相性そのものは良かったのだろう。

この世界に召喚されたゴルゴーンは何らかの形でティアマト神と繋がり、聖杯によってその権能を手に入れた。

同じ神とはいえ受肉した魔獣に近しい存在と創世の神格そのものではスケールが違い過ぎるが、幸か不幸かゴルゴーンは複合神性。その霊基はメドゥーサを基本としながらも2人の姉をも取り込んだものであり、メドゥーサでありながらゴルゴーン三姉妹を総括した存在として、ティアマト神とも繋がることができたのだ。

いわば英霊を超越した神霊の複合存在。ハイサーヴァントとでも呼ぶべき存在としてゴルゴーンはこの世界に顕現した。

 

「聞くだけで気が滅入る話ですね」

 

「加えてキングゥのこともある。ニップル市での戦い、どうも腑に落ちないんだ」

 

キングゥはやろうと思えば北壁を陥落させることもできた。だが、ウルクを滅ぼせば他の女神が黙っていないということでゴルゴーンを下がらせている。

だが、それ以上に気になるのは戦いの最中での不可解な動き方だ。ニップル市の人々や北壁の兵士を殺す一方で、レオニダス達は条件次第で見逃そうとした。

小太郎だけがいち早く離脱した際は、他の面々がその場を動かなかったことに苛立ちを露にしていたらしい。それでいて、いざゴルゴーンが窮地に陥れば我が身を省みずに救援に向かった。

キングゥの行動は捉え方にもよるが、ゴルゴーンにとって益にも害にもなる行為だ。

 

「キングゥといえば、気になることがあるんです。キングゥと確かにあの者は名乗りましたが、あの者は間違いなくエルキドゥでした。少なくとも、ルーラーとしての特権で垣間見た真名ではそうだった」

 

四郎が持つ真名看破スキルはルーラーだけが持つ特権であり、サーヴァントのクラスと真名を知ることができる。

そのスキルによって看破したキングゥの真名は確かにエルキドゥであったらしい。

しかし、そうなるとどうしてキングゥは偽りの名前を口にしたのかという疑問が残る。

キングゥは自身をエルキドゥをモデルにして生み出されたと言っていた。

その言葉は偽りなのだとしたら、その真意はいったいどこにあるのだろうか。

 

「騙り以外の可能性は? 例えば、自分がそう思い込んでいるだけとか?」

 

「そうですね、その可能性は十分に。ただ、何れにしてもエルキドゥが生きているということ自体がイレギュラーです。死者蘇生なんて、それこそ聖杯でもなければ…………」

 

四郎はそこで思い当たり、言葉を切る。

 

「聖杯は……キングゥが持っている?」

 

エルキドゥの死因は神々によって魂を砕かれたことだ。

ゴーレムから術式を消去するようなものであり、肉体そのものは無傷である。

なら、聖杯の魔力を動力源として再起動させれば、エルキドゥでありながらエルキドゥではない何者かが目覚めるのではないだろうか。

その者はエルキドゥとしての記憶を持たず、それでいてエルキドゥとしてのスペックを十全に扱うことができる。

それこそがキングゥの正体なのではないだろうか。

 

「ゴルゴーンとキングゥの分断、必須となりますね」

 

両者を同時に相手取れば、例えゴルゴーンを追い詰めてもキングゥが聖杯を用いて彼女を再生させるだろう。

互いを分断し、再生を封じるなりキングゥ自身を魔力切れに追いやるほど消耗させて聖杯の魔力をゴルゴーンに利用させないようにしなければならない。

必要なものは戦力の補填だ。レオニダスと小太郎、この二騎をも上回るジョーカーを自分達は用意しなければならない。

その解決策は、すぐにもたらされることになった。

三女神同盟の瓦解。二柱の女神のどちらかを懐柔し、こちらの戦力とする。

ギルガメッシュ王から下された新たな指令(オーダー)は、イシュタル神の説得であった。

 

 

 

 

 

 

ウルクに戻ってきてから半日も待たずに次なる指令が下され、立香達はイシュタル神が根城としているエビフ山へと向かう事となった。

目的は女神イシュタルの説得。ギルガメッシュ王はそのための手段として自らの宝物庫の財宝の内、三割を彼に預けると言った。

現在、ウルク市の城門では膨大な量の宝石類を荷車に積み込む作業が急ピッチで行われている。

 

「女神を買収するなんて、不敬にも程があるな」

 

「ギルガメッシュ王らしいよね、こういうのって」

 

「ああ。それと悪いな、一緒に行けなくて。思っていた以上にアナスタシアの消耗が激しくて、もう少しだけ戦闘は避けたいんだ」

 

元より神秘が強い魔獣達にはアナスタシアの魔術は通じにくい。そこに加えてゴルゴーンという強大な敵を相手にしたのだ。宝具級の魔術を連発したことでカルデアからの供給も追いつかず、アナスタシアとヴィイは消耗しきっていた。

なので、手負いのジャガーマンとアナスタシア、ウルク防衛のために四郎は残ることとなり、残る面々を立香が率いてイシュタル神の説得に向かうことになった。

 

「そうだ、これやるよ」

 

そう言って、カドックは懐から取り出したものを立香に投げ渡した。

それは丁寧に磨かれた手の平に収まるサイズの小石で、真ん中には墨で「じゃがー」と書き込まれていた。

立香にも見覚えがある。前にジャガーマンがインチキ商売の一環として売り出し、四郎に取り上げられたジャガー印のお守りだ。

 

「あんまりにも粗悪だったんで作り直させたんだ。流水で磨いて、染料には粉末にしたラピスラズリも混ぜている。ちゃんとジャガーマンにも念を込めさせたから、少しくらいはご利益があると思う」

 

卵を割ったら黄身が二つ入っていたくらいの幸運には恵まれるらしい。要するに単なる気休めだ。

だが、本人は割と一生懸命に作っていたのであのまま捨てるのも勿体ないと思い、こうして作り直させたのだ。

提案を持ちかけた時、本人は物凄く驚いた顔をしていたのが今でも印象に残っている。

 

「ああ、ジャガーマンが君に懐く理由、何となくわかった」

 

「うん?」

 

「……いや、いいんじゃない、君はそのままで。これはありがたく貰っておくよ」

 

何だか自分だけわかったかのような物言いをする友人に対して、カドックは首を捻りながら出立を見送った。

イシュタル神がいるエビフ山まで急ぎ足でも一日はかかる。往復と説得の時間も考慮すれば、最低でも三日はかかるだろう。

それだけの時間があれば、こちらも十分な休養を取れるはずだ。

まずは大使館に戻ってアナスタシアとジャガーマンの様子を診察し、時間があれば往診に出る。

決戦に備えて礼装も補充しておいた方がいいだろう。

頭の中で色々と今後のことを考えながら、カドックは大使館への帰路へとついた。

その時だった。ウルク市の南から、地鳴りのような音が聞こえてきたのは。

 

「……カルデア!」

 

『うっ!? 何だい、カドックくん!? こっちは今……』

 

「すぐにアナスタシアに繋いでくれ! 南市場に大至急! 可能ならシロウにも来いと!」

 

嫌な予感がした。

思うように走ることができないのがもどかしい。

危うく躓いて転びそうになるのを根性で耐え、カドックはウルクの街を駆けながら魔術回路を励起させていった。

両足に満ちていく魔力が足りない筋力を補強し、一足で二メートルもの距離を駆ける。

轟音を聞いて戸惑う人々の間をすり抜け、運搬の荷車と擦れ違い、誰かとぶつかれば反射的に謝罪を述べながら路地を曲がる。

そうして辿り着いた南市場は、死屍累々の有様であった。

この街を守るために志願し、選りすぐられた兵士達が山のように積み重なり、動かなくなっていた。一目で死んでいるというのがわかる。

その中心に立つのは一柱の女神。最高にイカシタ、頭の危ない女がチャンピオンの如く腕を掲げていた。

 

「うーん、アナタ達には高さが足りまセーン! そんなことでは一流のルチャドールにはなれまセーン!」

 

一目でわかった。彼女は密林の女神、ケツァル・コアトルだ。

風貌はアナスタシアとは完全に別ベクトルで、健康的な小麦色の肢体と快活な笑顔が印象的だ。

まるで村娘のように朗らかに笑う彼女ではあるが、その身の神の気は隠しようがなく、北米で出会ったスカサハに似た神々しさを感じ取ることができた。

つまりはヤバい。聖杯で女神となったゴルゴーンとも、疑似サーヴァントであるイシュタルとも違う。

彼女は正真正銘の神霊として現界したサーヴァントだ。その内に秘めた力が他の二柱とは段違いだ。

 

「あら? 次の相手はアナタかしら?」

 

「っ……!」

 

咄嗟に懐にしまっておいた目くらましの礼装を握り締める。

いざとなればこれを破裂させ、光に紛れて物陰に身を潜めなければならない。

それにしても恐ろしい。

彼女は笑っている。

殺意も敵意もなく、ただ快楽のために人を投げ飛ばし、その屍の上に立っている。

彼女は人を殺すのは好きなのではない。闘争そのものに悦楽を抱いているのだ。

 

「それじゃ、ゴングといきマース! せーのっ!!」

 

「っ!?」

 

カドック(マスター)! 下がって!」

 

大の字で飛び上がったケツァル・コアトルの体が、真横から叩きつけられた吹雪によって露店の天幕へと叩き落される。

次いで数本の黒鍵が倒れたケツァル・コアトルに向けて放たれるが、それはケツァル・コアトルの体に刺さることなくボールか何かのように小麦色の体で弾かれてしまった。

 

「わお、乱入という訳ですね」

 

アナスタシア(キャスター)! シロウ!」

 

こちらを庇うように降り立った2人が、油断なく天幕にくるまれたケツァル・コアトルを睨む。

慌ててカドックはアナスタシアとの魔力供給のパスを広げ、彼女へと送られる魔力の量を増やした。

彼女はまだ本調子ではない。恐らく、宝具を使用することはできないだろう。

女神を相手にそれでどこまで戦えるかはわからないが、それでもやるしかない。

 

「あら、そちらの2人はサーヴァントなのね? じゃあ、そこの不健康そうな男の子が余所から来たマスターさん?」

 

瓦礫をどかして立ち上がりながら、ケツァル・コアトルは聞いてくる。

一瞬、その気に呑まれそうになるのをカドックは必死で堪えて肯定した。

意識しろ。

ここにはアナスタシアがいて、自分は彼女のマスターだ。

女神程度に惑わされるなと、必死で自分に言い聞かせる。

 

「そうだ、僕がカルデアのマスターだ。あんたはケツァル・コアトル……で良いんだな?」

 

「ハイ、間違いありまセーン! 遥か南米から、ちょっとウルクを滅ぼしに来たお姉さんデース!」

 

そんな軽いノリで滅ぼされればウルクも堪ったものではないだろう。

そもそも彼女は神話体系が違う。ゴルゴーンはまだティアマト神の化身として顕現しているからいい。

イシュタル神は疑似サーヴァントとはいえウルクの神格だ。

だが、ケツァル・コアトルは南米の神格。ユカタン半島辺りならともかく、こんな遠いウルクの土地を滅ぼす理由がどうしても思い浮かばない」

 

「どうして、こんなことをする!?」

 

「あら、声が震えていますよ? 怖いのに一生懸命になっちゃって、可愛い子。ご褒美に答えてあげマース!」

 

またそんな評価かとカドックは内心で毒づくが、何とかペースは握ることができた。

このまま情報を引き出し、打開策を練ろう。

ケツァル・コアトルは特に言及してこなかったが、先ほどのアナスタシア達の攻撃を受けた際に奇妙な現象が起きていた。

四郎が放った黒鍵がその体に刺さることなく弾かれたのだ。

アナスタシアの魔術が利かないのはまだわかる。カルデアの霊基解析では彼女はライダークラス。神霊である彼女が対魔力を持っていたとするならばそのレベルは破格のものだろう。

だが、魔力に寄らないただの投擲すら防いだという点は引っかかる。

傷が再生したのではなく、刃が刺さる事すらなかったというのはどういうことだろうか。

 

「私達は人間を殺すために母さんに呼ばれました。私も他の二柱もそれを全うするわ。でも、その方法までは決められていない。私は憎しみで戦いたくはないのデス。私は戦いそのものを楽しみたいのデス。なので、どんな相手であれ、ひとりひとり丁寧に殺していって、人類を全滅させると決めたのデース!」

 

「ひとひとり……素手でぶち殺すつもりか?」

 

「イエース! まあ、今回は人探しも兼ねてですけれど。アナタ達、うちのジャガーを連れ回しているでしょう? あんなのでもいないと困りマース! 獣人の統括とか私の専門外デース!」

 

なので、連れ戻しに来たついでにウルクへの侵略も始めたのだとケツァル・コアトルは言う。

見ると、いつの間にか山と積まれていた兵士の死体を数体の獣人達が荷車に乗せて走り去ろうとしていた。

ウルクの人々を殺し、その死体を持ち帰ることも彼女の目的だったのだ。

 

「おぉっと、させまセーン!」

 

逃げようとする獣人達を止めようとした四郎を、ケツァル・コアトルが自らを壁にして制する。

やはり今度も四郎の攻撃は彼女には通用せず、逆に強烈なボディスラムによって強かに地面に叩きつけられる形となった。

 

ヒィ(ウノ)フゥ(ドス)ミィ(トレス)……丁度、百人ですね。じゃ、今日はこれまでにしておきマース!」

 

「逃げるのか、ケツァル・コアトル!」

 

「ここまでやって尻尾も出さないのなら、今日は続けても無駄デース! それに試合は一日に百人まで、それ以上になると相手のこと忘れちゃうから! 戦いを作業とせず、常にクオリティの高いデス・マッチが最高デース!」

 

ケツァル・コアトルが口笛を吹くと、空から巨大な怪鳥が舞い降りてきた。

古代に生息していた世界最大の翼竜、ケツアルコアトルスだ。

彼女はその背に飛び乗ると、大きく手を振りながら凱旋するように南の空へと去っていく。

 

「それではみなさん、アディオース! また明日、太陽が昇ったら百人ブチ倒しにきマース!」

 

一足先に逃げ出した獣人達の荷車の姿もどこにもない。

完全に、ケツァル・コアトルにしてやられる形になってしまった。

カドックの胸中に悔しさが過ぎる。

何もできなかったことに歯噛みし、思わず握り締めた拳は手に平に深々と爪が食い込んだ。

 

カドック(マスター)、すぐにギルガメッシュ王に報告しましょう。彼女は明日もまた来ると言っていました。場合によっては、マシュも呼び戻して……」

 

「いや、あいつらは戻らせない」

 

自分でも意外なほど、低く怒気のこもった声だった。

頭の中にあるのは、このままでは終わらせないという抵抗の意志だけだった。

ケツァル・コアトルは颯爽と現れて、嵐のように暴れるだけ暴れて帰っていった。

自分は兵士達が攫われるのをただ見ていることしかできなかった。

それがとても悔しい。

何もできなかったことが、堪らなく悔しい。

 

「ギルガメッシュ王に報告だ! あいつは僕達だけで何とかする! やられっ放しで引き下がれるか!」

 

今ここに、三女神同盟の瓦解。

二柱の女神の同時多面攻略作戦が実施される運びとなった。




多分、これが年内最後になると思います。

まあ、聖杯の場所がわかったところで奪える訳ではありません。
ただ、マスターが2人いるから別行動ができる、起こるべきイベントが前倒しされている……原作でもカルデアが来たことでギルガメッシュの視た未来よりも一日早く、ティアマト神が目覚めた訳ですが、さてどうでしょう?


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絶対魔獣戦線バビロニア 第10節

ケツァル・コアトル攻略作戦二日目。

ギルガメッシュ王からの許しを得て、急ぎウルクを出立したカドック達はジャガーマンの案内で密林を踏破し、ケツァル・コアトルが拠点としているエリドゥ市へと到着した。

 

『身の程を知るがいい、雑種! 貴様程度が神に敵うと思うているなら驕り高ぶるも甚だしい! だが、貴様は面白みはないが有言実行の男だ。その貴様がやると言うのなら大番狂わせを引き当てるやもしれん。骨は拾ってやる故、存分に辣腕を振るうがいい!』

 

出立前のギルガメッシュ王の言葉がカドックの脳裏を過ぎる。

貶されているのか褒められているのかはわからないが、少なくとも期待はされているようだ。

でなければ、立香達が欠けた状態での女神討伐の許可など出さなかったであろう。

その期待に応えるためにも、打倒ケツァル・コアトルは何としてでも成功させなければならない。

またギルガメッシュ王曰く、エリドゥ市にはかつてティアマト神を引き裂いた神殺しの武具、マルドゥークの斧も保管されているらしい。

神を殺したという逸話はティアマト神の権能を獲得したゴルゴーンに対して強い特攻を発揮する。

ゴルゴーンの襲撃が確定してしまった以上、その武具の回収も急務と言えた。

 

「改めて言いますが、ケツァル・コアトルには善なる者からは害されないという権能を有しています。その関係で私では彼女を傷つけることはできません」

 

ウルクでの邂逅は僅かではあったが、四郎は敵わないながらも真名看破スキルによってケツァル・コアトルの権能の正体を見破っていた。

彼によると、主神にして善神であるケツァル・コアトルは善なる者の頂点。逆説的に他の善なる者達では彼女を傷つけることができないという権能を獲得しているらしい。

善なる者という括りがどれほどのものなのかはわからないが、少なくとも四郎ではケツァル・コアトルに掠り傷一つすら負わせることはできない。

一方でアナスタシアは攻撃そのものは有効であったが、対魔力の関係でダメージを与えるには至らなかった。

 

「私の冷気も通じないとなると、頼みの綱は彼女しかいない訳ですが……」

 

全員の注目が先頭を行くジャガーマンに注がれる。

ケツァル・コアトルがウルクを襲撃した事、彼女を打倒するためにエリドゥ市へ向かう事を説明したところ、ジャガーマンは自分も行くと言い出して聞かなかった。

地脈から魔力を吸い上げた事でとりあえず戦える程度には回復しているが、それでも本調子とは言えないはずだ。

加えてケツァル・コアトルはジャガーマンの本体であるテスカトリポカとは敵対関係であり、彼女としても苦手意識を持つ相手である。

召喚当初は宛てがなかったのでとりあえず、彼女の配下として働いていたらしいが、本当はすぐにでも逃げ出したかった、カルデアと出会えて本当に助かったと彼女は言っていた。

それなのに彼女は今回の作戦に参加することを希望した。魔力の回復のために密林に戻ることすら拒んでいたというのにだ。

 

「本当に良いのか、ジャガーマン?」

 

「カドックんは心配性だニャ。いざって時はみんなを盾にしてサッサと隠れるから、気にしなくていいよぉ。それに私がいなきゃ密林で迷子になっちゃうでしょ」

 

茂みを掻き分けながら、ジャガーマンは飄々と嘯いて見せる。

 

「うん、それよりもククルんは相変わらずで安心した。毎日百人ずつ殺すなんて言っても、きっちりお持ち帰りして養っている訳だし」

 

「ああ、生贄の話もそうだが、妙なポリシーを持った奴だ」

 

途中で寄ったウル市でのことだ。

ジャガーマンがどうしても見せておきたいと言って立ち寄ったそこでカドック達が見たものは、ケツァル・コアトルによって殺されたはずのウルクの兵士達が密林脱出の為に悪戦苦闘している姿であった。

曰く、即死級の一撃を与えた瞬間に蘇生をかけて仮死状態に留め、連れ去ってから覚醒させたらしい。

戦いの神として相手が死を覚悟しているのならそれに応えるが、覚悟なき者は例え敵でも命は助ける。

それがケツァル・コアトルの譲れない不文律なのだそうだ。

ただ、今回の場合はウルクを滅ぼした後の女神同士の戦いに備えて自軍の兵力として鍛えるという理由もあるらしく、攫われた兵士達はウル市に閉じ込められてウルクには戻れないらしい。

何れにしてもケツァル・コアトルは余計な殺生を是としない、非情に理性的な神格のようだ。

ならば、話し合うことは可能ではないかとカドックは考えたが、それは甘いとジャガーマンは切り捨てる。

ケツァル・コアトルは戦いに楽しみを見出す陽気なモンスター。

開戦前の舌戦ならばともかく、言葉で説き伏せられる事は決してない。それは彼女から楽しみを奪う行為であり、後に残るのは冷酷な戦いの神としてのケツァル・コアトルだけだ。

彼女を止められるとしたら、思いを通せるとしたら、それは魂の真っ向勝負の中にしかないとジャガーマンは言うのだ。

その辺りは頭では理解できるのだが、実際に何をすれば良いのかはカドックにはわからなかった。

魂の真っ向勝負と言われても、いまいちピンとこないのだ。

 

「そろそろエリドゥですか? 漠然とではありますが、大きな気配を感じますね」

 

『こちらの解析でも出たよ。街の中に神殿のようなものがある。その前に陣取っている反応がケツァル・コアトルだ』

 

四郎の言葉をカルデアのロマニが補足する。

一同の間に戦慄が走った。

本来はケツァル・コアトルがウルクを襲撃している隙にエリドゥ市に到着する予定であったからだ。

四郎が言っていたケツァル・コアトルの権能。いくら神霊といえど、本来ならば神話体系が違うメソポタミアの地でそれが問題なく発揮されていることはおかしい。

魔術師が魔術基盤の合わない土地では本来の実力を十二分に発揮できないように、サーヴァントもまた土地によってその能力を大きく左右される。

ましてやケツァル・コアトルは強大な力を有した神霊。その権能には何かしらの条件付けがされているはず。

カドック達はケツァル・コアトルがエリドゥ市に自身の神殿を建造し、祭壇を構築したことでその権能が働いていると読んでいた。

ケツァル・コアトルが留守の隙を突いて祭壇を破壊し、権能を無力化できれば後は強いだけのサーヴァントが残るだけ。

立香達がいなくとも十分に勝機があると踏んでの作戦だったのだが、こうなってしまうと当初のプランを考え直さなければならなくなる。

 

「アナスタシア、魔力の方は?」

 

「アナタに大分、分けて貰えたから一度くらいなら全力で戦えます」

 

「ふむ、そうなると電撃作戦も十分に考慮できますね。いえ、戦車とかありませんが」

 

「もしくは明日、ククルんがウルクを襲撃するまで待つというのもアリね。そっちの方が確実ではあるけれど」

 

仮に明日まで待てばより万全な状態で戦いに臨めるが、ウルクへの被害を見過ごすことになる。

ゴルゴーンとの決戦まで残り一週間。余裕など一切ないというこの状況で、死者が出ないとはいえ襲撃による物的損害や人的資源の損失はウルクにとって大きな痛手だ。

神殿までの距離を考えれば、自分をサーヴァントに担いでもらえれば十分とかからずに到着できるだろう。

三騎でケツァル・コアトルを足止めしている隙に自分が神殿に走り、祭壇を破壊する。危険はあるが今日中に決行するとなるとこれ以上の作戦はない。

 

「これ以上、ウルクに被害は出せない」

 

「ほう、カドックんでもそういう考え方するんだ」

 

「合理的に考えたまでだ。彼らにとって本番は一週間後。それに、藤丸なら損得抜きで同じ結論を出す筈だ」

 

「うんうん、素直じゃないね青いの。なら、お姉さんとしては奥の手を使わざるを得ない」

 

よくわからない納得の仕方をするジャガーマン。

何だか変にやる気を出しているのがらしくない。

いつもならふざけたテンションで喚いていることが多いのに、今の彼女はまるで歴戦の勇士だ。

ぎらついた双眸の奥に熱い闘志を感じさせる。

 

『では、改めて方針をまとめよう。ここから一直線にエリドゥの神殿を目指し、サーヴァント達でケツァル・コアトルを足止め。その隙にカドックくんが神殿に走って祭壇に該当するシンボルを破壊する』

 

「ドクター、今更だが藤丸の方は良いのか? 別れて行動する時、だいたいは向こうについているだろ?」

 

『存在証明はレオナルドが手伝ってくれているからね。それに今回、危険度はキミ達の方が遥かに上だ。ケツァル・コアトルを足止めできるのはよくて二分ないし三分。バックアップは少しでも精度を上げておきたい』

 

「そうか……助かるよ」

 

一度、心を落ち着けるために深呼吸をする。

それ自体が熱を持っているかのような湿った空気が肺を満たし、強張っていた体から力が抜けていく。

覚悟は決まった。後は、命令を下すだけだ。

 

「みんな、いくぞ」

 

ふわりと、体が宙に浮く。アナスタシアに体を抱えられたのだ。

動き出した視界は忽ちの内に塗り替えられていき、鬱蒼と茂る密林から石造りの街並みへと背後に流れていった。

突然の来訪者にエリドゥの人々が何事かと騒ぎ出すが、風のように駆け抜ける一団を視認することはできない。

唯一の例外は街を警備している翼竜達だ。太古に生息していたケツァルコアトルス。ケツァル・コアトルの配下である彼らは、侵入者を排除せんと街のあちこちから群がってくる。

 

『前方に巨大な建物、あれが神殿だ! いや……しかし、あの形はウルクの神殿ではなく――』

 

「アステカの階段ピラミッドか! ケツァル・コアトルの奴、エリドゥのジグラットを祭壇化する際に再構築したな!」

 

好都合だ。普通の神殿ならば祭壇は最奥に設けられるが、あの構造ならば間違いなく頂上に設けられているはず。突入後に迷う事はないだろう。

寧ろ、壁のようにそそり立った階段を昇る方が困難だ。自分も含めて空を飛べるものはここにはいない。

 

『――エリドゥ各地からの適性反応、もうすぐ接触だ! 密林からも来るぞ!』

 

「2人とも、カドックを守ってください! 先陣は私が!」

 

「んにゃー! ブッ込みいくぜオラー!」

 

立ち塞がる翼竜と獣人達をいちいち相手にしている暇はない。

一足飛びに前へと出た四郎は束にした黒鍵を投げ放ち、もっとも厄介な翼竜を迎撃する。

続くジャガーマンが咆哮を上げて獣人の足並みを乱し、その隙を突いて四郎は包囲を離脱。すれ違いざまに最小限の動きで獣人を制圧して後続への道を開く。

数は多いが翼竜と獣人達はまるで連携が取れていない。そんな烏合の衆に彼らを止めることは不可能であった。

 

「ハーイ! ようこそ私の太陽神殿へ!」

 

階段ピラミッドの麓に辿り着くと、待ち構えていたケツァル・コアトルが陽気に手を振っていた。

こちらが襲撃をかけてくることなどお見通しだと言わんばかりの落ち着きようだ。

その後ろ――正確には神殿の後ろには、神殿とほぼ同じ大きさの巨大な斧が地面に突き刺さっていた。

恐らくはあれがマルドゥークの斧。話に聞いていた以上に大きく、難敵を前にしながらも思わずそちらに目がいってしまった。

 

「脇目も振らずに一直線、とっても素敵デース! もちろん今日の事だけじゃありまセーン! 私の襲撃からここまで、シークタイムなしの超特急! 予想通りでウキウキしてきました!」

 

「そうか、お褒めに預かり光栄だ」

 

「心にもない事は言うもんじゃありまセーン! そういうところは矯正が必要ね、カルデアのマスター。でも、嬉しいのは本当よ。エリドゥの外で時間潰しするなんて腑抜けた真似をしていたら、主義に反して皆殺しにしていたからネ?」

 

一瞬、ケツァル・コアトルの顔から笑顔が消えて悪魔染みた風貌が露になる。

凄まじい圧力だ。心の弱い者なら覇気だけで昏倒していただろう。それは自分とて例外ではない。

だが、気持ちが折れる寸前に、右手を冷気が包み込んでくれたことで踏み止まることができた。

その冷たい感覚を確かめるようにパートナーの手を握り返し、カドックはケツァル・コアトルの視線を受け止める。

ビビるな、逃げるな、臆するな。

アイツのように不敵に笑え。あの反逆の徒のように、この女神の圧制に笑って抗え。

 

「あら、そっちにいてはいけないお馬鹿さんの顔が見えたから、ちょっと野性に帰ってしまったけれど、意外と強い心を持っているのネ」

 

ケツァル・コアトルの視線の先にいたジャガーマンがビクッと背筋を強張らせる。

 

「まあいいわ。戦いになればみんな、平等に投げ飛ばしてあげる。あなた達は私を倒しに来たのでしょう? その勇気と行動力に敬意を表し、如何なる闘争や挑戦からも逃げません。あなた達の足掻きは実に私を楽しませてくれマース! 本当、人間は隅々まで弄り甲斐のある生き物デース!」

 

「人を弄ぶのが……楽しいですって?」

 

ケツァル・コアトルの言葉に、意外にも反応を示したのはアナスタシアだった。

僅かに空気が凍り付いたかのような錯覚を覚えた。

覗き込んだ顔からは凍り付いたかのように表情が消えており、その目は暗く淀んでいた。

今、ケツァル・コアトルは無意識にではあるが、彼女の触れてはならない部分を踏み抜いてしまったのだ。

 

「あなた、人間を弄ぶのがそんなに楽しいのですか?」

 

「イエース! 殺してよし、生かしてよし、脅してよし、庇護してよし。それは実に楽しい事。私は人間(アナタ)達を愛し、人間(アナタ)達と共存したい。あなた達こそ私の生き甲斐!」

 

「その生き甲斐を、あなたは滅ぼそうとしているのね」

 

「生き甲斐というのは趣味ではないの。そうしないと生きてはいけない方向性を指すのよ。私は人間を弄らないと生存できない神性なの。そして、人間という種を存続させるために一部を伸ばし、一部を削ることで環境に適応させる。このサイクルこそが私の生命活動にして命の意義なのです」

 

故に、自分は三女神同盟に参加したとケツァル・コアトルは言う。

彼女は人間という種でもっと長く遊ぶために、ヒトが滅ぶことを是としない。

自分がここにいる限り、人間種は滅びの危機だけは味わう事がないと。

だが、それはケツァル・コアトルという気紛れな管理者に囲われた生存だ。

そこに安全も安心もなく、ただ自由なだけの世界であった。

生きる事も死ぬ事も人間の自由にして自己責任。生き残りたくば心身を鍛え、自然の脅威に抗うしかない。

その様をケツァル・コアトルは、指先で蟻を潰す子どものように楽しむのだ。

 

「そう……ええ、やはり太陽の神にロクなものはいないのね」

 

「あら? 何か気に障ったかしら?」

 

「あなたの心は野蛮な獣だと言ったのです」

 

言うなり、氷塊がケツァル・コアトルの頭上に出現する。

アナスタシアの脳裏に浮かんだのは、自分達家族を閉じ込め、弄んだ末に命を奪った兵士達の姿だった。

人間を管理し、弄び、最後にはその命を奪う気紛れな神の在り方が、彼女の最大のトラウマを刺激したのだ。

だが、悲しいかなアナスタシアの魔術ではどうやっても女神の対魔力を突破することはできない。

撃ち出された氷塊は拳一つで呆気なく破壊され、飛び散った破片に紛れて疾駆したケツァル・コアトルの強烈なショルダー・チャージによって逆に土の味を味わう羽目になった。

 

「アナスタシア!?」

 

「っぅ……」

 

「憎しみで戦うのはよくありまセーン! あなたが私に何を見出すのは自由ですが、それでは戦いを楽しめないでしょう? 大切なのは喜びと楽しみ! 憎しみを持たなければ相手を殺すまではいかないわ! それがルチャリブレの醍醐味、美点だわ! あなたもそれを忘れないで、カルデアのマスター! そうすれば、もっと私達は分かり合えるはずデース!」

 

笑顔を恐ろしいと感じたのはローマでのスパルタクス以来の経験だった。

ケツァル・コアトルの思考は破綻している。人の成長を是としながらそれを摘み取ることを楽しんでいる。

憎しみがなければ殺さずに済む。それは言い換えれば、殺しさえしなければ如何なる残虐な行為も楽しめると言っているのに等しい。

その事に彼女は気づいていないのか、目を逸らしているのか。

何れにしろ、その言葉をカドックは受け入れることができなかった。

自分は彼女のように思えない。

戦いを楽しむことなど、決してできない。

 

『――――楽しみを持つ者に――――を示しては――――』

 

そう、確か誰かがそんなことを言っていた。

あれはいつのことだったか。

あれは誰だったか。

それはもう思い出せないけれど、その言葉はちゃんと胸に刻まれている。

 

「あんたとは、分かり合えない」

 

戦いで分かり合うという考え自体に正否もないだろう。

実際、北米では自分と立香は決闘を通じて和解することができた。

だが、ケツァル・コアトルは戦いそのものにしか興味を抱かない。

それは相互理解を求めるためでなく、ただ肌と肌のぶつかり合いを楽しみたいという欲求から生まれたものでしかないのだ。

それで分かり合うことができるのは互いの強さだけだ。

本当に大切なことは、戦いを乗り越えた先にあるはず。

思い浮かぶのはグランドオーダーを通じて出会った英雄達。

スパルタクスは自由を、メフィストフェレスは裏切りを、エジソンはアメリカの太平を、呪腕のハサンは山の民の安寧を。

誰もが戦いに異なる動機を掲げ、それを手に入れる為に奔走した。戦いとは試練であり手段でしかない。

本当に大切なものは、いつだってその先にあるものなのだから。

 

「だから、僕はあんたとは分かり合えない」

 

「そう……素敵な答えね。捻り潰してあげたくなっちゃうぐらい、素敵。なら、乗り越えてみなさい! この試練を! 私は楽しみましょう、喜びましょう! あなた達が足掻く様を!」

 

不意にケツァル・コアトルの姿が消える。

何の助走もつけずに宙を舞ったのだ。

低空から繰り出されたのはバック宙からのボディプレス。まるで流れ星の如きその勢いは、食らえば生身の人間など粉微塵に吹き飛んでしまうであろう。

咄嗟に四郎が割って入るが、黒鍵も魔術も権能によって悉くが弾かれてしまい、無残にも身代わりとなって押し潰された四郎の指先から力が抜ける。

霊核を砕かれた訳ではないが、強烈な一撃を受けて四肢を麻痺してしまったようだ。

 

「うーん、これで2人」

 

にこやかに笑うケツァル・コアトルに戦慄を覚えながら、カドックはアナスタシアのもとへと下がる。

先ほどの体当たりで吹き飛ばされた彼女は、痛む体を押して何とか起き上がると、華麗に宙を舞う女神を睨みつけていた。

一拍毎に繰り出される氷柱や氷塊。散弾銃の如き霰や冷気の渦。

それらをケツァル・コアトルは涼しい顔をして受け止める。避けるまでもないということだろう。

 

『ダメだ、やっぱりこの2人じゃ攻撃が通らない! ジャガーマンは何をしているんだ!』

 

確かに、いつの間にか彼女の姿がない。

3人の中で唯一、ケツァル・コアトルに有効打を与えることができるのがジャガーマンなのだ。

このままでは神殿に乗り込むどころか何もできずに全滅だ。

いざとなったら逃げると言っていたが、まさか本当に逃げたのだろうか?

 

「いた、あそこに!」

 

「あいつ、神殿に向かっているのか!?」

 

ケツァル・コアトルの注意がこちらに向いている隙を突いたのだろう。

神殿を目指して走るジャガーマンの後ろ姿がそこにはあった。

女神には敵わぬと踏んで、足の速い自身で祭壇の破壊を狙ったのだろうか。

だが、如何に彼女の足が早かろうと、アナスタシアの魔術では足止めすら敵わない。

空を飛ぶかのように距離を詰めたケツァル・コアトルのラリアットがジャガーマンの鼻先を掠め、彼女の逃走を妨害する。

 

「どこへ行こうというのジャガー? まさか、太陽石が狙いかしら?」

 

「うーん、モチのロン。やっぱり一筋縄ではいかないニャ」

 

「抜け目のないあなたは一番に警戒しないとね」

 

「おう、人気者は辛いニャ! という訳で、ポチっと!」

 

不敵に笑って見せたジャガーマンがこん棒で地面を叩くと、変化が訪れた。

小さな揺れと共にせり上がってくる何かが2人を囲み、そのまま地面が一段高い位置へと押し上げられる。

それは正方形のジャングル。四方を杭に囲まれ、ロープで結ばれた決闘場。

強者達が鎬を削り、血沸き肉踊る合戦の舞台となる狭き戦場。

そう、レスリングのリングだ。

 

「これは、生贄選抜用の闘技場(リング)!? ジャガー、あなた何を!?」

 

「もちろん、試合に決まってらぁっ! ククルん、ジャガーはここに挑戦状を叩きつける!」

 

いったい何を言い出したのかと、カドックは一瞬、戸惑った。

まさかとは思うが、ケツァル・コアトルを相手にレスリングの試合を申し込むと言うのだろうか?

だとしたら、二重の意味で正気を疑う行為だ。

このウルクの進退がかかった状況でレスリングを申し込むという狂気と、神の権能を有しているケツァル・コアトルに単独で挑もうという狂気。

確かにアナスタシアも四郎も彼女には歯が立たないが、2人には因果律を操作するシュヴィブジックと未来視がある。

ダメージを与えることはできずとも、一緒に戦えばフォローできることがあるはずだ。

だが、ジャガーマンはこちらの言葉に首を振って否定した。

 

「カドックん、ククルんは正真正銘の神性。マシュやマーリンがいても絶対に勝てない存在。神というものはそういうものなの。けれど、このリングの上だけは例外。ククルんがどれほどに強い力、権能を有していようと、この上に立つのなら一人のルチャドーラとして振る舞わなければならない」

 

「……ええ、その通りよ。リングの外ならばルチャを棄てて戦うこともできますが、ここでは私は自身()に課した生き方(楽しみ)を裏切れない。けれど、それはこの私の攻撃をあなた1人が受け止めるということなのよ、ジャガー!」

 

神としての力を際限なく振るえる平地での戦いでは、どれほどの力を束ねたところで届かない。

これは力の差がどうこうという話ではなく、神と人との間にある理の問題だ。

だが、リングの上でならその理を彼女は封じなければならない。

ルチャリブレ、引いては格闘技とは対等の立場で雌雄を決するもの。例えほんの僅かしかなくとも勝機は存在するのだ。

故に、一介のルチャドーラとなったケツァル・コアトルは、決して相手が勝つことができない戦いを行えない。

 

「それは手加減をするということではないの。加減することと全力を出せないという事はイコールではない。何より私は戦いの神、死ぬ事となっても知らないわよ、ジャガー」

 

「ふふん、こちとら戦いと死を司るジャガーの戦士。そういうのは慣れっこなのよ、ククルん」

 

静かな闘志がリングの上で火花を散らす。

ジャガーマンは本気だ。本気で、たった1人でケツァル・コアトルを足止めするためにこの試合を申し込んだのだ。

ケツァル・コアトルに拒否権はない。先ほど、彼女は如何なる闘争や挑戦からも逃げないといったばかりだ。

神である以上、その決定を覆すことはできない。覆せば自らの神性を著しく損なう結果となるからだ。

だから、この戦いは最早、不可避である。

時間無制限の一本勝負。

密林の獣と南米の女神。

その戦いが、今火蓋を切ったのだ。

 

「アナタ! 急いで神殿に!」

 

「あ、ああ!」

 

アナスタシアに促され、リング上で睨み合う両者を見やりながらカドックは走る。

四郎はまだ気絶しており、アナスタシアもダメージが大きくて動けない。それにいざという時には乱入してでもジャガーマンを守ってもらわなければならない。

ここは1人でいくしかない。

魔術回路を活性化させ、両足の筋力を強化して階段ピラミッドを昇る。

ジャガーマンが持ち堪えている間に、何としてでもケツァル・コアトルの力の源である祭壇を破壊しなければ。

でなければ、ジャガーマンが死んでしまう。

 

 

 

 

 

 

リングの真ん中で、ジャガーマンとケツァル・コアトルは真正面から組み合った。

まずは定番の力比べ。両手を手四つで絡ませ合い、お互いの力量を計る。

ジャガーマンは全身全霊を賭けてケツァル・コアトルの腕を押さんとするが、組み合ったケツァル・コアトルは涼しい顔のまま微動だにしない。

根本的に筋力に差があり過ぎるのだ。ケツァル・コアトルのステータスは全てにおいてジャガーマンを上回っており、鍛え抜いたルチャの冴えもあって付け入る隙もない。

 

「どうしたの、その程度なの、ジャガー!」

 

「ふんぬ、なんのぉっ! ジャガーキック!」

 

腕を広げ、態勢が崩れた隙を突いてジャガーマンは掟破りともいえる膝蹴りをお見舞いする。

そうして怯んだ隙を突いて両手を放し、強烈な張り手を連打。

一発、二発。

更に体の捻りを咥えた逆水平チョップも叩きつけ、ケツァル・コアトルの鍛え抜かれた半身を果敢に責め立てる。

低位とはいえ神霊の一撃。本来ならば巨岩に穴を空けることも容易いはずだ。

だが、ケツァル・コアトルは表情こそ険しいものの、堪えることなくその場に留まっている。

殴打の音が響く度に揺らぐのは彼女の豊満な二つの膨らみだけで、ジャガーの連打は女神を堕とすことができない。

 

「その程度で私の前に立つなんて、まだまだデース!」

 

お返しとばかりに逆水平を返し、もんどりを打ったジャガーマンをキックで突き飛ばす。

そのままバランスを崩して倒れ込んだジャガーマンが見たものは、華麗に宙を舞うケツァル・コアトルの姿であった。

 

『まずい、避けろジャガーマン!』

 

堪らずロマニは叫ぶが、無情にもケツァル・コアトルの巨体はジャガーマンの体を容赦なく押し潰す。

四郎も一撃で昏倒したボディプレスだ。

 

「ま、まだまだぁっ!」

 

しかし、ジャガーマンは無事だった。

痛みを根性で耐え、ジャガーマンはケツァルコアトルの体を抱えて立ち上がる。

そのまま投げ飛ばすつもりのようだ。

 

「無駄よ、私を投げるということは、飛ぶことを許すというのと同義! あなたのルチャでは私には勝てまセーン!」

 

投げっ放しジャーマンで放り投げられたケツァル・コアトルは、器用にマットの上をバク転し、宙返りで跳んでコーナーポストに立つ。

視線の先に捉えているのはマットに倒れているジャガーマンだ。

攻撃を察知し、何とか起き上がろうとしているが、それを許す女神ではない。

踏み切りと共に繰り出されたのは斧のように鈍く輝く肘鉄だ。

肘は人体の中でも膝に次いで硬度がある部位。コーナーポストの高さから繰り出されるエルボードロップは、正に殺人的な威力を誇る。

これにはジャガーマンも情けない声を上げて悶えるしかなかった。

 

『待て待て、何だあの動きは!? ケツァル・コアトル、あのまま追撃する気か!?』

 

通常のレスリングにおいて、ロープを用いた飛翔は一時的なものに過ぎない。

人は鳥ではないのだ。跳んでしまえば後は落ちるだけであり、再び羽ばたくことはできない。

だが、このケツァル・コアトルは違った。

ジャガーマンを強襲したエルボードロップ。その反動を利用して再びロープへと着地すると、再度、宙へと待ったのである。

今度は全体重を賭けたヒップドロップ。俗に言うセントーンと呼ばれる攻撃だ。

人体において最も広い面積を誇る胴体、或いは臀部によって倒れた相手を奇襲する技で、食らえば鉄球を受け止めたかのような衝撃が全身をくまなく襲う。

そして、再び反動でロープへと戻ったケツァル・コアトルは、今度は両膝を折り曲げての絨毯爆撃を敢行した。

フライングニードロップだ。

 

『ゲェッ! まだ跳ぶのか!』

 

「地力が違い過ぎる。あんなものを立て続けに受ければ、いくらジャガーマンでも……」

 

獲物を狩る鷹の如き勢いで迫る女神の膝。あれを食らえばジャガーマンは再起不能となるだろう。

立て続けに攻撃を受けたジャガーマンは最早、指先一つ満足に動かすことができないのだろうか。

否、そうではない。

敵わずともジャガーの戦士は諦めない。

最後の瞬間まで、死を厭わずに戦うのがナワルとしての生き様だ。

ジャガーマンは、ただ成すがままにされていたのではない。

 

「この瞬間を、待っていたんだぁっ!」

 

起死回生の一手を、狙っていたのである。

 

『ジャガーマン! ケツァル・コアトルの膝を受け止めた! 何てパワーだ!』

 

「これがジャガーの底力ニャぁっ!!」

 

膝を両手で受け止められ、勢いを殺されたケツァル・コアトルの顔が初めて驚愕に染まる。

この機を逃すまいと、ジャガーマンはフリーになっている両足でケツァル・コアトルの背中を思いっきり蹴り飛ばし、その体をロープに叩きつける。

再び、宙を舞われれば勝ち目はない。

起き上がったジャガーマンは拳を握り締めると、ロープにもたれかかったケツァル・コアトルの顔面に強烈なブローをお見舞いした。

 

『おぉっ! ジャガーがいった! ジャガーがいった!』

 

まるでサンドバックを殴り飛ばすバンタム級のチャンピオンのように、ジャガーマンは一気呵成に攻め立てる。

このリング上でもケツァル・コアトルの権能は健在ではあるが、善ではないジャガーマンならば威力は殺がれるとはいえダメージは蓄積される。

十発殴っても利かぬのなら、千発の拳をお見舞いする。倒れるまで油断することなく殴り続ける。

それこそが密林より賜ったインストラクションだ。

 

「このヤロー! 主神だからって偉ぶるのもここまでじゃー!」

 

更にどこからか取り出したパイプ椅子による殴打でケツァル・コアトルの顔面を血に染める。

レスリングのルール上、拳による殴打からの一連の流れは思いっきり反則に抵触するのだが、このメソポタミアの地でそれを指摘できるレフェリーはどこにもいなかった。

唯一、それを指摘できる立場にあるケツァル・コアトルは敢えてジャガーマンの為すがままとなり、自身を戒めている。

得意の空中殺法を躱され、ロープ際に追い詰められた上で無様な姿を晒している。

付け入る隙を見せたのは自分が未熟である上で、これは当然の報いであるからだ。

また、自分より遥かに格下であるジャガーマンが形振りを構わずに向かってきていることへの興味と楽しみもあった。

か弱いベビーフェイスが果敢に悪役に挑むというのもまたレスリングの醍醐味。

ジャガーマンの行為は些か善玉とは言い切れないものではあるが、この試合はケツァル・コアトルにとって楽しむには十分なものであることが確信できた。

 

「いい気になるのも、そこまでよ!」

 

パイプ椅子が振り上げられた瞬間を見計らい、ケツァル・コアトルは低空のソバットでジャガーマンを蹴り飛ばす。

パイプ椅子はそのままマットを滑ってリング外へと落ち、丸腰となったジャガーマンは痛みを堪えながら片膝を着いていた。

再び、空中殺法の餌食となるのかと周囲は息を呑んだが、ケツァル・コアトルは飛翔することなくジャガーマンへと近づき、その股座に大きな腕を突っ込んで頭上高くへと持ち上げる。

逃れようとジタバタと足掻く様はまるで見世物のようで、滑稽ですらあった。だが、無理もない。レスリングにおいて持ち上げられればどうなるかは子どもでもわかっている。

即ち、落とされるのだ。

身長180センチの高さから、勢いをつけて背中を叩きつけられるボディスラム。

五体を隈なく痛めつけられるその技は、地味さに反して強烈だ。

そして、悲鳴を上げるジャガーマンの顔を容赦なくストンピングで踏み潰す。

乾いた煉瓦を踏み砕かんとするかのように、入念に、力を込めて、頭蓋を叩き、頬を嬲り、耳を掠る。

吹き出した鼻血は白いマットを赤く染めていった。

 

『ダメだァ、どんなに攻めてもまるで応えない! パワーの差が違い過ぎる!』

 

「ええ、具体的な算出方法は伏せますが、ケツァル・コアトルのルチャは1000万ツァーリパワーに相当します。対してジャガーマンのルチャは100万ツァーリパワー。これでは勝ち目はありません」

 

『じゅ、十倍……いや、その謎単位はいったい何なんだい!?』

 

「具体的な説明は省きます。ちなみにあなたは50万ツァーリパワー。ミキサーくらいなら壊せます」

 

『基準がよくわからないね、そのパワー!?』

 

実際、それほどの力量差があるのは事実だ。

試合前にケツァル・コアトルが言っていたように、手加減をするのと全力を出さない事は同じではない。

神霊サーヴァントであるケツァル・コアトルに所詮はテスカトリポカのナワルでしかないジャガーマンがここまで善戦できたこと自体が奇跡と言っても良いだろう。

カドックはまだ神殿の頂上に辿り着けていない。このまま嬲られ続ければ、ケツァル・コアトルの力を奪う前にジャガーマンがやられてしまう。

彼女の無事を願うのなら、ここでタオルを投げるのも選択肢の一つだ。

 

「ジャガーマン!」

 

「ま、待つニャ!」

 

ロープ際に駆け寄ったアナスタシアに対して、ジャガーマンはケツァルコアトルの足を両手で何とか受け止めながら制止する。

ボロボロになりながらも、その瞳にはまだ闘志が宿っていた。

大人をからかっちゃいけない。

自分は追い詰められた訳ではなく、勝負はまだこれからなのだからと。

 

「ラスト五秒でも逆転するのが、ジャガーマンだぁっ!」

 

ストンピングを空振りさせ、その隙に転がって起き上がるジャガーマン。

彼女の狙いはロープだ。反動を利用した強烈な体当たりで、一気にダウンを奪って寝技に持ち込もうとしているのだ。

 

「ノー! 地を這うジャガーに私は捉えられまセーン!」

 

嘯くケツァル・コアトルの言葉は真実だ。

一発目は身を捩って躱され、二発目は宙を舞って股座を潜らされる。

如何にジャガーマンが素早くとも、熟練のルチャドーラであるケツァル・コアトルを捕まえることができない。

そして、三度も同じ応酬を繰り返すような塩試合をケツァル・コアトルが演じる訳もなく、三度突撃してくるジャガーマンへのカウンターとして大きな右腕を掲げて見せる。

瞬間、狙いすましていたかのようにジャガーは跳んだ。空ではなく地へ。ほとんどマットを転がるのと同義の超低空のヘッドスライディング。

カウンターのラリアットは空しく宙を切り、ジャガーマンは先ほどと同じようにケツァル・コアトルの股座を潜って彼女の背後に回り込む。

そのままマットを叩いたジャガーマンは逆立ちのまま跳躍し、ケツァル・コアトルに肩車をする形で飛び乗った。

2人の身長を合わせたことで完成した、3メートルにも及ぶトーテムポール。その上段からジャガーマンは重力に従い、バク宙の要領で女神の後頭部を強かにマットに叩きつけるリバース・フランケンシュタイナーを敢行する。

これにはさすがのケツァル・コアトルも堪らない。

揺れる脳天が彼女から思考を奪い、敢え無くダウンを取られてしまう。

 

「死ねニャっ!」

 

この機を逃せばもうチャンスはないだろう。ジャガーマンはとどめを刺すために最後の技へと移行する。

相手の首を四の字で締め上げ、背中を折って両足を腕でホールドするその態勢は、さながら蝶が蜘蛛の巣に捕らわれたが如し。

殴ってもダメ、投げてもダメ。無論、関節技とて利かないだろう。だが、首を締め上げればどうか。

女神の権能で首そのものへのダメージはなくとも、息ができなければ女神とてマットに沈むのではないか。

加えてこの態勢は、両肩がマットに押さえつけられている。このままの状態で三秒間を維持できれば、ルール上はケツァル・コアトルの敗北となるのだ。

例え判定を下すレフェリーが不在で、ギブアップとノックアウト以外で勝負が決まらないとしても、女神のプライドに一筋の傷をつけることができる。

それは立派な勝利であり、彼女を屈服させるには十分なものだ。

故に、ケツァル・コアトルは全力でこのホールドから脱さんと抗い、ジャガーマンは渾身の力を振り絞って首を締め上げる。

全てはこの三秒間で決する。

決着の時は、もうすぐそこまで迫っていた。




不意な休み、ゲームのメンテ、出かけようにもノーマネー。
ならば書くしかないじゃない(やけくそ)。

というわけでジャガーマンVSケツァル・コアトルです。
クリイベの時にしてやられた、と思ったのはこのアイディアを温めていたため。
公式が最大手というか、何やっても後出しなので開き直ってプロット通りに進めることにしました。実際、原作よりも戦力に乏しい状態でケツ姐を足止めしようと思ったら、これくらいしないとダメでしょう?
ちなみに最後にジャガーが仕掛けた技は紫雷美央選手の決め技「土蜘蛛」と言います。
テスカトリポカのナワル的にはこれしかないと思いました。
あの着ぐるみでどうやって首四の字かけているのかって?
考えるな、感じよ。


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絶対魔獣戦線バビロニア 第11節

マットの中央では、ジャガーマンとケツァル・コアトル、両者の激しい死闘が演じられていた。

仲間のために一矢報いんとするジャガーマンと、女神の威光に賭けて敗れる訳にはいかないケツァル・コアトル。

ジャガーマンのホールドはガッチリと決まっており、首四の字の効果もあって抜け出すことは容易ではない。

それでもケツァル・コアトルは四肢に力を漲らせ、残された三秒間で仇敵の拘束を跳ね除けんとした。

 

『ワン……』

 

カルデアから戦いを見守るロマニが思わずカウントを呟く。

必死の形相で首を締め上げるジャガーの顔は苦痛で歪んでいた。

優勢なように見えて、追い詰められているのはジャガーマンの方なのだ。

ここまでのダメージと、気を抜けばすぐにでも振り解かれてしまうケツァル・コアトルの規格外のパワー。

彼女は歯を食いしばってそれに抗い、勝利を掴み取らんとしている。

 

『ツー……』

 

後、一秒。

この一秒を抑え込むことができれば、ジャガーマンは宿敵に癒しようのない屈辱を刻み付けることができる。

主神に一矢報いるのだ。

神格は全能であるが故に無欠でなければならない。

僅かでも瑕を負えば、それは神性を著しく損なう事に繋がるからだ。

決して侵せぬ自然の脅威であることが、その力の源なのである。

それを今、ジャガーマンは遂に突き崩さんとしている。

 

『ス……あぁっ、ダメだぁっ!』

 

最後のカウントが告げられる寸前、ケツァル・コアトルは上半身を持ち上げてマットから肩を上げる。

首を絞められ、両足を固定された状態のまま体を起こしたのだ。

何という規格外のパワー。彼女は拘束を解くのではなく、そのまま強引に起き上がることでカウントを中断したのだ。

 

「ぬうぅ、のぉぉっ!!」

 

このまま振り解かれては勝ち目はない。最後の望みを賭け、ジャガーマンは引っくり返った態勢のままケツァル・コアトルの首に巻き付いた両足に力を込める。

このまま締め上げて、呼吸困難でのノックアウト勝ちを狙っているのだ。

 

「そうは、いきまセーン!」

 

両足に力を込め、遂にケツァル・コアトルはジャガーマンの拘束を振り切る。

そして、あろうことか首にジャガーマンの足を巻き付けたまま、マットの上に立ち上がったのだ。

何というパワー、何というタフネス。お前がいくら締め上げたところで、蚊ほどの痛みも感じない。そう言わんばかりのパフォーマンスだ。

そのド迫力パワーの前には、ジャガーマンの奮闘など正に台風を前にした蝋燭だ。

 

「んにゃぁっ!!」

 

「ジャガーマン!?」

 

力任せに両足を解かれたジャガーマンの体がマットに叩きつけられる。

すかさず繰り出されたのはロープの反動を利用したサンセットフリップだ。

隕石の如き質量を叩きつけられたジャガーマンは情けない悲鳴を上げながら悶絶し、指先から力が抜ける。

それでも何とか立ち上がらんとするが、見逃すケツァル・コアトルではなかった。

まるでジャガーマンに屈辱の味を舐めさせんとばかりに跳躍し、頭蓋目がけてヒップアタックをぶち当てたのだ。

仇敵に圧し掛かられた上に顔面でマットを舐めさせられるという屈辱。ジャガーマンでなくとも恥辱に悶えることだろう。

平素であったならば喚き散らしていたかもしれない。

だが、今のジャガーは本気であった。

痛みも恥辱も飲み込み、残された力を振り絞って立ち上がる。

ここで倒れていては女が廃ると言わんばかりに、拳を上げてファイティングポーズを取る。

 

「へ、へい……かかってこいや……」

 

返答は延髄斬りであった。

堂の入った跳び上段を後頭部に食らい、受け身もとれないままジャガーマンはマットを転がった。

余りにも一方的な虐殺。

地力の差が大きすぎて、ジャガーマンの如何なる攻撃もケツァル・コアトルを揺るがすには至らない。

さながら起き上がり小法師のように、ジャガーマンは立ち上がる度に攻撃を受けてはマットに転がることを繰り返すばかりだ。

最早、まともに反撃するだけの体力すら残されていない。

 

「勝負あったわね、ジャガー」

 

「な、何を言っているニャ……まだ、これから……」

 

強がりを口にするも、既にボロボロのジャガーマンはコーナーポストにもたれかかったままケツァル・コアトルを睨みつけるのが精一杯であった。

全身を余すことなく痛めつけられたため、着ている毛皮も傷だらけだ。敗れた毛皮の向こうには傷ついた彼女の肢体が覗いており、いくつもの赤い線と斑点で彩られていた。

 

「ジャガー、ギブアップしなさい。知らない仲ではありません。悪いようにはしないわ。あなたがそこまでする義理もないでしょう?」

 

「そ、そうだニャ。何でこんなことしているのか、じ……自分でもよくわからないし、カドックん達にそそのかされて…………なんて言うと思ったかぁっ!」

 

差し出されたケツァル・コアトルの手を蹴りで払い除け、その勢いのままジャガーマンはマットに倒れ込む。

だが、地に伏しながらもケツァル・コアトルを睨みつけるその目には、未だ闘志が燃え続けていた。

 

「ジャガー……あなた……」

 

宿敵のナワルの尋常ではない意志の強さに、思わずケツァル・コアトルもたじろぐ。

その様は鬼気迫るという言葉が最も当てはまるだろう。

いつものふざけてばかりのジャガーマンはここにはいない。

そこにいるのは戦いと死の戦士。恐れを知らないジャガーの戦士だ。

 

「カドックんはね、私の信者第一号なの。私はこんな性格だから、いつもふざけてばっかりだけど……真面目に頑張ってる時があっても誰も信じてくれないけれど、カドックんだけは違ったの。口では偉そうなことばっかり言っているけど、いつだって私のことを見てくれてた。あの子のまっすぐな信仰が眩しかった。そのカドックんが……人類最後のマスターが必死で頑張っているの見てたらね、私も何か力になりたいって思ったの。だって私はジャガ村先生。先生は信者(生徒)のために体を張るものでしょう?」

 

ジャガーマンの懐から小さな石が零れ落ちる。

それは、カドックの提案できちんと作り直したジャガー印のお守りであった。

手っ取り早く信仰を集めるために適当に作った粗悪品。一度は四郎に取り上げられたそれを、カドックはもう一度、きちんと作り直すことを勧めてくれた。

石を綺麗に磨くことを提案し、染料に混ぜるラピスラズリの粉末は工房の職人にお願いして余りを分けてもらえるよう頼んでくれた。空き時間にはお守りの制作も手伝ってくれた。

造りが雑だ、時間をかけ過ぎだ、適当にするなと偉そうに説教しながらも、彼はお守りが完成するまでちゃんと付き合ってくれた。

その不器用な優しさをジャガーマンは守りたいと思ったのだ。

 

「だから、まだ終われないのよ!」

 

お守りを握り締め、ジャガーマンは跳躍する。

降り立ったのはコーナーポストの上。マットの中央に立つケツァル・コアトルを見下ろす形だ。

いったい、何を仕出かそうとしているのかと周囲が見守る中、ジャガーマンは徐に身に纏っていた毛皮を脱ぎ捨てた。

その下から露になったのは胸元まで開けた黒装束。本来ならば健康的で美しいはずの肌にはいくつもの痛々しい傷が浮かんでおり、ここまでの戦いの激しさを強く物語っていた。

 

「そういえば、聞いたことがあります。普段はふざけていますが、私達と出会う前は密林の獣人を従えて一大シンジケートを組織していたとか。普段の姿は世を忍ぶ仮の姿にしてリミッター。つまり、アレは霊基再臨なのです!」

 

『毛皮脱ぐだけってお手軽だな、彼女の再臨! でも、魔力量が一気に膨れ上がったぞ! それに彼女が手にしているのは…………二刀流だ!!』

 

コーナーポストに立つジャガーマンが取り出したのは二振りの得物。

一つは、普段から愛用しているカギ爪付のこん棒。もう一つは東洋の島国に伝わる長柄の武器、薙刀だ。

再臨したとはいえジャガーマンとケツァル・コアトルの間には埋めがたい実力差が存在する。そこに加えてダメージを軽減する権能もあるので、既に体力の限界が訪れているジャガーマンにはどうやっても勝ち目はない。

唯一の勝機は、残る全ての力を出し尽くしてノックアウトを狙う事。それすらも一か八かの賭けだったが、これ以上は試合を長引かせることもできない以上、ジャガーマンはカドックのためにも最後の賭けに出る事を選択した。

 

「うおぉぉっ! これが最後の勝負だ、ククルん!」

 

「来なさい、ジャガー!」

 

『ジャガーマンの魔力が増大していく。宝具が来るぞ!』

 

「武器の二刀流。つまり、100万足す100万で200万。そこにいつもの2倍の握力が加わって、200万かける2で400万。そして、いつもより3倍の高さから振り下ろすことで、400万かける3の――――1200万ツァーリ・パワー! ジャガーマンがケツァル・コアトルを……」

 

『――上回った!? って、その出鱈目な計算は何なんだい!?』

 

真顔でとんでもない理屈をぶちまける皇女にロマニは困惑するが、事実、ジャガーマンが繰り出そうとしている攻撃はとてつもない魔力数値を叩きだしていた。

やはり、低位といえど神霊。秘められた潜在能力は凡百のサーヴァントを遥かに凌駕するということか。

 

「ひっさーつ!『逃れ得ぬ死の鉤爪(グレート・デス・クロー)』!!」

 

実体化した巨大なジャガーの爪が、ケツァル・コアトルに襲い掛かる。

さながらそれは大空の彼方から降り注ぐ隕石だ。かつて恐竜を滅ぼした原因の一つとされている隕石の如き一撃が、今、南米の神へと振り下ろされたのだ。

ケツァル・コアトルは躱さない。避ける事も容易い大振りの一撃を、彼女は敢えてその身で受け切ることを選択した。

これほどの決意、覚悟を受け止めずして何がルチャドーラか、何が女神か。

ジャガーマンの全身全霊を賭けたその一撃を、ケツァル・コアトルもまた全身全霊を賭けて受け止める。

その瞬間、地響きにも似た振動が大気を震わせた。

勝ったのはジャガーマンか、それともケツァル・コアトルか。

試合の行く末をアナスタシアは固唾を飲んで見守っていた。

故に、気絶していたはずの四郎の姿が、いつの間にか消えていることに彼女は気が付かなかった。

彼は今、カドックの後を追って階段ピラミッドを駆け上っていたのだ。

 

 

 

 

 

 

階段ピラミッド頂上。

正に今、ジャガーマンが大技を繰り出そうとした瞬間、カドックは太陽神殿の祭壇へと到着していた。

祭壇の間は十メートル程の広さで、四方には明かりのための松明が燃やされている。

その炎に照らされているのは巨大な岩だった。

余りにも大きくて祭壇を設けることはできなかったのだろう。巨石は広間の中央に安置されており、周囲を杭と縄で囲われていた。

これこそが太陽遍歴。古代アステカにおいて世界の過去・現在・未来を示したとされるアスティックカレンダーだ。

発せられている濃密な神気は、これがこの世ならざる神の遺物であることを如実に物語っている。

間違いない、これがケツァル・コアトルの宝具であり、彼女の力の源となっている祭壇だ。

これを破壊することができれば、彼女は権能を失うだけでなく宝具すら使えなくなるはずだ。

 

(令呪一画をリソースにすれば、亀裂くらいは入れられるはずだ。権能を奪う――神性を汚すだけならば、それで十分のはず)

 

急がなければならない。こうしている間にも、ジャガーマンは必死でケツァル・コアトルに立ち向かっているのだ。

ただ時間稼ぎを行うのとは訳が違う。相手にしているのは南米の神話の主神。如何にジャガーマンが神霊といえど低位な彼女では、死の物狂いで戦っても勝機がない相手だ。

必死で食い下がるジャガーマンは既に死に体。一刻の猶予もないのだ。

だが、術式を起動させようとした瞬間、カドックは背後から何者かに制止された。

振り返った先にいたのは四郎だ。ケツァル・コアトルによって気絶させられていたが、気を取り戻して追いかけてきたのだろうか。

 

「カドック、それを壊してはいけません!」

 

「何故だ、シロウ!? 今、壊さないとジャガーマンが……」

 

「訳は、言えません。上手く説明できません……ですが、壊してはいけない。いえ、それを壊せば確かにケツァル・コアトルは倒せます。ですが、それは違うのです。違うとしか……言えません」

 

「何を訳のわからないことを……」

 

思わず激昂しかけて、気づく。

天草四郎の未来視だ。物事を為すべきに辺り、最適の道筋を知ることができる啓示スキル。

彼はまた、それで未来を視たのではないだろうか。そして、その未来では太陽石は砕かれていなかった。

その石を砕いてはならないと、彼の信ずる神が告げているのだ。

 

「何を視た? シロウ、早く言え!」

 

「それは……」

 

逡巡した後、四郎は口を開く。

その内容は耳を疑うものであった。少なくとも、冷静な判断とは思えないし、それのどこが正解に至る最適な道なのかもわからない。

元より神など信仰しない身の上であるが、そうでなかったとしても正気を疑う内容だ。

それでも、シロウの啓示は今まで外れたことがなかった。

密林では敵の奇襲を察知し、ニップル市でも英霊二騎の脱落を予言している。

自分達の生存はその先にあるのだ。ならば、今回もまた彼が視たものは正しい未来なのではないだろうか?

 

(けど、ここで砕かないとジャガーマンが……僕に彼女を見捨てろっていうのか? いや、だがシロウは…………)

 

突き付けられた選択肢に対して、カドックは迷いを見せる。

ここで太陽石を砕き、ジャガーマンを助けるか、シロウの言葉に従うか。

それはほんの一瞬、2秒にも満たない時間ではあったが、確かな迷いとなって彼の思考を硬直させた。

地上のリングから大きな爆発音が響いたのは、正にその瞬間のことであった。

 

 

 

 

 

 

濛々と立ち上がる土煙。

その向こうでぶつかり合った二つの神格は、彫像のように向かい合ったまま動かない。

果たして、勝利したのはジャガーマンか、それともケツァル・コアトルなのか。

 

「……いい一撃よ、ジャガー。けど、私に届かせるにはまだ高さが足らないわ!」

 

「がっ、ぐはっ……!?」

 

音を立てて、ジャガーマンが手にしていた武器に亀裂が入る。

岩に叩きつけた木の棒のように、2本の柄が中ほどで折れていた。

余りにも強大な力に武器が耐え切れなかったのだ。

では、それを受け止めた相手はどうなったのか。

全身全霊の一撃を受け止めた女神の肢体。

その五体は何と無傷であった。

我が身すら省みない一撃を放って尚、ジャガーマンはケツァル・コアトルに届かなかったのだ。

 

「あなた、本調子じゃなかったわね。そんな状態で宝具を使うなんて……」

 

「な、何のことかニャ……」

 

武器を手放し、ふらふらとよろけながらもジャガーマンは拳を握る。

最早、存在を維持するだけでもやっとの有様で、まだ戦おうというのだ。

 

「ジャ、ジャガーパンチ……」

 

しかし、振りかぶった拳は空しく宙を切る結果で終わった。

今のが最後の一撃だったのか、そのままジャガーマンは力尽きて前のめりでマットに倒れ込んだ。

 

「ジャガーマン!」

 

「き、来ちゃダメ! 皇女様は来ちゃダメ!」

 

「で、でも……」

 

「乱入したら、あなたもククルんの敵と見なされるわ! 観客に徹している内は、彼女も手を出さないから! そのロープを潜らないで!」

 

「ジャガー……マン……」

 

息絶える寸前のジャガーマンの姿に、アナスタシアは思わず階段ピラミッドを昇る己のマスターを見やる。

頂上には何の変化もない。カドックは既に頂上へと辿り着いているはずだ。なのに、どうしてケツァル・コアトルの祭壇は破壊されていないのか。

未だ女神は健在で、ジャガーマンの命は風前の灯だというのに、彼はいったい何をしているのだろうか。

 

「さ、さあ……きなよ、ククルん」

 

「いいでしょう……我が宿敵のナワル! 我が全身全霊の一撃を持って、リングに眠るがいい!」

 

ジャガーマンの覚悟を汲み取ったケツァル・コアトルは、敢えて非情なる神格としてとどめを差すことを宣言する。

同時に彼女の体から凄まじい量の魔力が迸り、周囲の風を吸い寄せた。

リングの中央、ジャガーマンを囲うように生み出されたのは強烈な竜巻だ。

それは膝を着いてなお、戦意を失わないジャガーの戦士を拘束する。何とか逃れようともがくジャガーマンではあったが、消耗しきった体ではそれも叶わず、呆気なく2本の腕をケツァル・コアトルに極められてしまう。

 

「私は蛇!」

 

そのまま竜巻の勢いに乗るかのような強烈なスイングと共にジャガーマンの体を遥か上空へと投げ飛ばし、自身も炎を纏った状態でその後を追う。さながら、空を飛翔する不死鳥だ。

 

「私は炎!」

 

炎の鳥は一直線にジャガーマンへと迫り、落下を始めた彼女の体を受け止める。

自身の両足で頭を挟み、胴体を抱えて眼下のリングに照準を合わせるケツァル・コアトル。

炎を纏った脳天落とし。これこそが彼女の最大出力にして代名詞たる宝具(フィニッシュホールド)

かつてケツァル・コアトルが悪神テスカトリポカに敗れ、アステカを去らねばならなくなった際に、数々の財宝が宿敵に渡らぬように自らの宮殿を灼き尽くしたという炎の再臨。

その名も――。

 

「『炎、神をも灼き尽くせ(シウ・コアトル・チャレアーダ)』!!」

 

「ギャアァァッ!! カドックーーん!!」

 

叫びながら、最後の足掻きとばかりにジタバタと手を振るジャガーマン。

しかし、泣き喚く彼女の頭蓋をケツァル・コアトルは炎の羽根で抱擁し、無情にもマットに叩きつける。

再び起きる地響きと轟音。

ケツァル・コアトルが技を解くと、マットに顔面をめり込ませたジャガーマンの体が重力に引かれ、糸が切れた人形のようにマットの上へと倒れ込んだ。

そのまま彼女はピクリとも動かず、ただ沈黙だけがリングの上を支配する。

判定を下すレフェリーはおらず、勝ち名乗りもない。

だが、この一戦はケツァル・コアトルの勝利であった。

 

「……待ちなさい、ケツァル・コアトル!」

 

倒れ伏すジャガーマンに背を向け、階段ピラミッドへと向かわんとするケツァル・コアトルをアナスタシアは凝視する。

例え敵わずとも、数秒程度の時間は稼げるはず。例えここで自分達が全滅しても、彼女の力を削ぐことができれば、後に彼女と戦うことになるであろうマシュ達の負担を減らせるはずだ。

だが、氷塊をぶつけても空気を凍り付かせてもケツァル・コアトルの歩みは止まらない。

僅かに動きを鈍らせても、すぐに魔力を漲らせてこちらの拘束を振り切るのだ。

高い対魔力とヴィイを上回る潜在魔力。炎と氷、太陽の神とバロールの傍流。

余りにも相性が悪すぎる。権能を抜きにしても、自分では決して彼女に敵わないだろう。

 

「あなたの魔術は効きません! そして、この結果はあなたのマスターの未熟が招いたものと知りなさい!」

 

吹雪の拘束を振り払い、ケツァル・コアトルは跳躍する。

最早、彼女をこの場に押し留める術はない。

アナスタシアは、ただ悲痛な叫びを上げる事しかできなかった。

 

「逃げなさい! 逃げて! カドック(マスター)!」

 

 

 

 

 

 

『ジャガーマン、戦闘不能! 霊核は……ダメだ、調べている暇が!! カドックくん、そっちにケツァル・コアトルが向かっているぞ!』

 

「っ……!?」

 

ロマニの言葉で我に返ったカドックは、自分が仕出かした事の大きさを痛感して動揺する。

ジャガーマンは犠牲となった。彼女の宝具が破られ、逆にケツァル・コアトルによってとどめを差される瞬間まで、カドックは答えを出すことができなかったのだ。

それは自分自身が彼女を見捨てたのにも等しい所業だ。この結果は、自分の弱さが招いたことだ。

 

(悩んだ結果がこれか……僕が、ジャガーマンを殺したのか……)

 

怒りが込み上げてくる。

ジャガーマンを殺したケツァル・コアトルにではない、判断を下せなかった自分自身に対してだ。

ジャガーマンの奮闘、ロマニの解析、四郎の啓示。

多くのことを考えすぎた。

直感に従うことができず、思考し続けた結果がこの様だ。

以前の自分ならばこんなことはなかったはずだ。

四郎の言葉になど耳を貸さず、冷徹に太陽石を砕けていたはずだ。

どうして、こんな時に迷いなど抱いてしまったのか。

頭では啓示の内容をありえないと一蹴していても、四郎の言葉が耳から離れなかったのは何故なのか。

 

(わかっていたさ。ここで太陽石を砕いたところで、示せるのは力だけだ。知略とサーヴァントの力を示したところで、ケツァル・コアトルが言っていた試練を乗り越えたことにならない。ただ彼女のルールの中で戦っただけじゃないか)

 

心のどこかでそれを自覚していたから、太陽石を砕く事を躊躇してしまった。

合理的な魔術師としての自分が、多くの英霊達の生き様を胸に刻んできたマスターとしての自分を説き伏せることができなかったのだ。

自分は彼女に言ったのだ。大切なことは戦いの後にあると。

戦いはただの試練でしかない。そして、神々の課す試練はいつだって度胸試しだ。

示さなくてはならないのは力でも英知でもなく勇気。

ちっぽけな人間としての意地と矜持という人間賛歌こそが神に示せる最大限の勇気だ。

恐らく、四郎が視たヴィジョンはその具体的な方法だ。

似たような逸話も思い当たる。

それを自分がやらなければ、本当の意味でケツァル・コアトルを下したとは言えないだろう。

 

「すみません、あなたを迷わせたのは私の責任です。償いは、せめてこの身で!」

 

言うなり、四郎は祭壇の間を飛び出す。

遠くから聞こえる剣戟の音は、彼がこちらに向かってくるケツァル・コアトルと戦っている音なのだろう。

だが、四郎では女神の権能を突破することはできない。

この世の善なる者からは傷つけられない。天草四郎に未来を知り、奇跡を起こせる神の子であったとしても、神そのものであるケツァル・コアトルには敵わない。

程なくして剣戟の音が止み、魔力の気配が遠退いていくのが感じられた。

敗れた四郎が地上へと転がり落ちたのだ。

 

「時間稼ぎはここまでかしら!? なら、あなたはそこまでの人間ということよ、カルデアのマスター!」

 

(ケツァル・コアトル!?)

 

『カドックくん、令呪で皇女様を呼ぶんだ! 君1人じゃ殺されるぞ!』

 

強大な魔力がこちらに向かってくる。サーヴァントの脚力ならば、自分が苦労して昇った階段を昇りきるなど2秒もかからないだろう。

こうなってしまえば、何をやってももう手遅れだ。

太陽石の破壊とアナスタシアの転移は一度に行えない。

どちらかを実行している内に、この頭蓋は女神の鉄槌で粉々に砕かれるだろう。

自分が助かる道はもう残っていないのだ。

ならば、残る選択肢は立香達のためにヒントを残すことだ。

先ほどの四郎との話はロマニも聞いていたはず。

太陽石を砕かず、ケツァル・コアトルを下す手段を立香に伝えてもらい、自分の代わりに女神の試練を乗り越えてもらうのだ。

自分にはもう、それしか道は残されていない。

そう思った刹那、頭上からケツァル・コアトルに匹敵する強力な魔力の気配が迫ってきた。

音速を超え、ソニックムーブを纏って飛来したそれは、自分の前に降り立つなり眼下のケツァル・コアトルに向けて魔力弾を連射する。

無論、それは彼女の権能によって悉くを弾かれてしまうが、次いで飛び降りた騎士が巨大な盾の質量に任せてケツァル・コアトルに突貫し、女神の体を僅かに押し返す。

権能でダメージを与えられずとも、足場の悪い階段上ではその質量が大きな枷となる。

加えてそこに鎖鎌による拘束と花の魔術師による援護もあり、ケツァル・コアトルはそれ以上、階段を昇ることができなかった。

 

「お前達は!?」

 

「お待たせ! 女神の特急便よ、高くついたわね!!」

 

「イシュタル神!? それに……」

 

「間に合って良かった。ドクターから連絡を受けたんだ。カドック達がピンチだって!」

 

駆け付けてくれたのは、エビフ山に向かったはずの立香達であった。

後から教えてもらったことだが、立香達は多少のいざこざはあったものの、予定通りイシュタル神の協力を取り付けることに成功した後、こちらの窮地をロマニから知らされたらしい。

本来ならばエビフ山からエリドゥ市までどんなに急いでも3日はかかる。普通の手段で下山していたのではとても間に合わないので、無理を言ってイシュタル神が駆る飛行船『天舟マアンナ』に乗せてもらい、ここまで飛んできたのだそうだ。

 

「まったく、共闘を約束した途端に女神をタクシー扱いするなんていい度胸ね。後で覚えてなさいよ」

 

扇情的な自身の肢体を抱えながら、イシュタル神は眉間に皺を寄せる。

確かにその通りだとカドックも思ったが、今はそのことについてとやかく議論している暇はない。

イシュタル神と立香達の参戦で、閉ざされてしまった希望に一筋の光明が見えたのだ。

このチャンスを逃してしまえば、今度こそ自分のことを許せなくなる。

死んでしまったジャガーマンにも申し訳が立たない。

 

「イシュタル神、頼みがある!」

 

「何? 戦えっていうなら作戦くらいは聞いてあげるけど、あいつに私の攻撃は効かないわよ?」

 

「いや、あいつと戦うのは僕の役目だ」

 

「……はっ?」

 

こちらの正気を疑うかのような眼差しを向けられ、自分でも馬鹿なことを言ったものだと自嘲する。

だが、これは事実であり決定だ。

この状況はジャガーマンが命を賭けて時間を稼いでくれたからこそのものだ。

おかげで四郎が垣間見た未来のヴィジョンにも確信が持てた。

彼女は決して無駄死にではなかった。

彼女の犠牲を無為にしてしまうかどうかは、この後の自分の行動にかかっているのだ。

 

「あいつに向かって本場のダイブをお見舞いしてやるんだ」

 

『いやいや、冷静に考えたらこの高さからボディアタックなんてしようものなら、いくら魔術師でも自殺行為だからね!』

 

「けど、これしかない! これはケツァル・コアトルが僕に課した試練だ! なら、僕自身が跳ばなければ意味がない! イシュタル神、協力してくれ!」

 

高高度からのボディプレス。ルチャリブレ風に言うならばプランチャー・スイシーダだ。それこそが四郎の垣間見た未来の光景であった。

高所からの飛び降りは古来から各地で行われている成人の儀式だ。つまりは独り立ちのための通過儀礼であり、神に対して勇気を示すことで大人として認められるのである。

一介の魔術師でしかない自分が女神に認めてもらうには、これしかないだろう。

 

「そう、本気なのね。いいわ、捕まりなさい! 振り落とされるんじゃないわよ!」

 

「藤丸、こいつを預かっていてくれ!」

 

頑丈に作られているとはいえ、落下の衝撃で破損する可能性は十分にあるため、唖然とこちらを見つめている立香に眼鏡を預ける。

視界は灰色になってしまったが、問題はない。イシュタル神が上空まで誘導してくれれば、後のことは何とでもなる。

 

「高度はざっと二百メートル。どう、怖くて目が開けられないなんてことはない!?」

 

頭上から聞こえる女神の声。

視界が利かないので自分がどういう状況なのか掴みにくいが、肌を切る風は冷たく、振り回した足は宙を掻くばかりで地面を捉えない。

イシュタル神が言うように、本当に上空二百メートルまで飛び上がったようだ。

一瞬の内にここまで飛翔するとは、やはりサーヴァントはそこらの魔術師ではできないことを平然とやってのけてくれる。

同じことを自分がしようと思ったら、どれほどの触媒と大がかりな儀式を必要としただろうか。

 

「目標の真上まで来たら落としてくれ。後は、こっちで何とかする」

 

「OK……って、やけに冷静だけど、ひょっとして貴方、見えてないの?」

 

「ああ、まったくな」

 

「そんな眼でこんな無茶しようとしているの? 貴方、実は真性の馬鹿でしょ!?」

 

「本場のロックはこんなもんじゃない。それに、見えなくてもケツァル・コアトルがどこにいるかはわかる。僕のサーヴァントが……キャスターが何もしない訳ないだろう」

 

マスターとサーヴァントは霊的なパスで繋がっている。

もう二年に渡る付き合いなのだ。意識を集中させれば、お互いがどこにいるのか見えなくとも把握することができる。

実際、この時アナスタシアはカドックの意図を汲んでケツァル・コアトルに組み付いており、手にした金属製の工具で苛烈な目潰しを繰り出しているところであった。

普段のお淑やかな皇女としての雰囲気など微塵も感じさせない、アグレッシブで残虐極まりない行為に対して、ケツァル・コアトルは必死で振り解かんともがくが、更にマシュとアナが覆い被さって動きを封じてきたため、彼女の体はジリジリと階段ピラミッドから引きずり降ろされていた。

それを見たイシュタル神は、思わず吹き出しながら腕に捕まっているカドックに話しかける。

 

「似た者同士ね、貴方達。いいわ、ならやりたいようにやりなさい!」

 

不意に浮遊感が消え、体が重力に引きずられる。イシュタル神がケツァル・コアトル目がけて手を放したのだ。

叩きつけられる強風は瞼を開けていることも困難で、姿勢を整えるのにも大きな労力を要した。

同時に、こちらの動きを察知したアナスタシアが離脱していくのがわかる。後に続いた小さな反応はきっとマシュとアナだろう。

ここから先は出たとこ勝負。もしもケツァル・コアトルが身を躱せば、自分は高度二百メートルから落下して木っ端微塵に砕け散るだろう。

不安がないと言えば嘘になる。正直に言うと内心ではビビりまくりだ。

だが、ジャガーマンの雄姿が自分に力をくれた。

あのふざけた神霊が、本気で自分の為に戦ってくれたのなら、こちらも全身全霊で応えるのが人間としての礼儀だ。

見せつけるのは力でも英知でもない。

カドック・ゼムルプスが持つ人としての尊厳。

勇気の在り方を示すのだ。

だから、避けるな。

避けてくれるな、ケツァル・コアトル。

御身が女神であり、ルチャドーラであるのなら、どうかこの一撃を避けてくれるな。

 

「あの子、本当に落ちてきたわね!? その高さでは受け手がルチャマスターでも死ぬしかないわよ!? それでも――――それでも、この私にプランチャを見舞わせるというの!?」

 

驚愕するケツァル・コアトルの顔が容易に想像できた。

見えずとも感覚でわかる。激突の瞬間は間近だ。

姿勢を逸らし胸を張れ。

どの道、ここで彼女の試練を乗り越えることができなければ自分達に先はない。

ならば信じろ。

ルチャなんかにハマってしまった愉快な女神を信じろ。

彼女の根底にある、戦いを楽しみたいという欲求を信じろ。

 

(そうだ、その一点だけは信じられる。彼女が神であるならば――)

 

己が言葉を反故にすることはできない。

ならばもう、迷いはない。この一撃、彼女は必ず受け止める。

さあ、受けてみろケツァル・コアトル。ロックの本場で鍛えたモッシュ・ダイブだ。

この蛮行(勇気)、余さず受け止めて見せろ。

 

「――――っ!!」

 

衝撃が体を襲った。

痛みはあったが、五体が無事であることはすぐにわかった。地面に激突した訳ではない。

高高度から落下した体は、大きな体に抱きしめられるかのように受け止められて着地したのだ。

触れた体は鋼のように堅く引き締まっており、顔面は何やら柔らかいものに包み込まれていて少し息苦しい。

 

「生きてますか? 坊や(Cachito)?」

 

「……坊やは止めてくれ」

 

「良かった……私が伝説級のルチャドーラだった事に感謝してくだサーイ」

 

先ほどまで、英霊達と死闘を繰り広げていたとは思えない穏やかな声だった。

これが本来の、善神としてのケツァル・コアトルなのだろう。

全てを照らし包み込む太陽のような懐の深さと、容赦なく大地を焼く灼熱の試練を併せ持った存在。

ようやっと、自分は彼女の本質と向き合うことができたようだ。

それは同時に、自分が彼女の試練を乗り越えることができたことも意味していた。

 

「空を飛ぶ技はあれですよ、受ける側と仕掛ける側、どっちも一流の腕がないと人死にが出るのデース」

 

「知っている……けど、あんたなら受けてもらえると、最後の最後に信じることができた。あんたは人間が大好きなんだろ? だったら、僕の全力には必ず応えてくれるって――」

 

最後まで言葉が続かなかった。

まず思いっきり抱きしめられ、次いで何やら柔らかいものが唇に重なった。

口づけをされたのだと気づくのにほんの少しだけ時間がかかった。

 

「今のは綺麗に飛べた事へのご褒美ネ。うん、女神同盟に参加して良かったデース。こんなにも強く人間らしいヒトと出会えるなんて。飛び方も素人とは思えないくらい堂に入っていましたし、これはとても鍛えがいのある坊や(Cachito)デース」

 

そこはかとなく嫌な予感がする言葉を並べられていることに戦慄する。

ひょっとしてこれは、ジャガーマンに次いでまたしても自分は何かやらかしてしまったのだろうか?

 

「ありがとう。負けたわ、マスター。こんなに私を打ちのめした人は初めて! 南米の女神ケツァル・コアトル! ここからはアナタのトレーナーとして、この力を振るってあげちゃうから! さあ、まずは傷を癒して、ルチャの基本から学びましょう!」

 

「ま、待ってくれケツァル・コアトル! 何がどうしてそうなっ……」

 

「あなたにはルチャ―ドールとしての素質がありマース。度胸もありますし、ちょっと不健康ですが、そこはこれから矯正すれば良いのデース」

 

陽気な声で物凄く無茶苦茶のことを言う女神である。

生贄に選ばれた男達は兵士(ルチャドール)として過酷な訓練メニューを課せられていると聞いたが、まさか自分にまでそれを強制しようと言うのか?

 

「まさか? 坊や(Cachito)はまだまだひ弱ですから、最初の内はお姉さんと二人三脚ネ。本格的なメニューはそれからデース」

 

余計に質が悪かった。

アルテミスに気に入られたオリオンの気持ちが今、わかった気がする。

神の愛は確かに重い。こんなものを四六時中、あのぬいぐるみは受け止めているのかと思うと、少しだけ評価を見直したい気持ちになった。

 

「いつまで抱き合っているのですか!」

 

アナスタシアの声がしたかと思うと、強い力で首元を引っ張り上げられる。

見えないのでどんな顔をしているのかはわからないが、とても切羽詰まった声だった。

顔を手で押さえられているのか、彼女の冷気が両頬から見る見るうちに熱を奪っていく。

自分でも冷気の制御ができていないということは、かなり焦っているのだろう。

できれば凍傷を起こす前に止めて欲しいのだが、残念ながら今の彼女は聞く耳を持たなかった。

 

「何をされたの? ねえ、この女に今、何をされたのですか!?」

 

「え、いや……」

 

「わお、これはライバルの登場ですネ。お姉さん、負けるつもりはありまセーン!」

 

(少し、黙っていてくれないかなこの女神は!)

 

「アナタ、こっちをまっすぐ見て!」

 

静寂を取り戻した階段ピラミッドの麓で、女神の笑い声と皇女の怒声が木霊する。

その様子を遠くから見守っていた立香達は、痴話喧嘩染みたやり取りを繰り返す三人を見て苦笑することしかできなかった。

触らぬ神に何とやら、何とかは犬も食わないというやつだ。

また、片隅では完膚なきまでに叩き潰されたはずのジャガーマンの指先が僅かに動いていたのだが、それに気づいた者は誰もいなかった。




あけましておめでとうございます。

事件簿アニメ化おめでとう。
0話の出来が大満足だったので今から楽しみです。
正月イベは皆さん、進んでいますか?
こちらは初動に出遅れたので、奉納ポイントが足らず足止め受けているところです。
今回もアナスタシアが活躍してくれて当方としては満足です。


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絶対魔獣戦線バビロニア 第12節

そこは暗く、深く、冷たく、そして温もりに満ちていた。

仰いだ空は高く、魂すら凍り付くほどの寒さで満ちた世界。けれども、ここは地上よりもほんの少しだけ温かい。

熱源がある訳でなく、陽の光が届いている訳もない。月の光すら届かぬこの世界に動くものはなく、空気すら冷え込んでいるはずなのに、まるで母に抱かれているかのような安堵を覚える。

果てしなく続く常闇の空を見上げていると、二度と以前の場所には戻れないという絶望に打ちひしがれる。なのに、自分はここでは一人ではないのだという安らぎを覚える。

死者の国、亡者の世界。呼び方はいくつかあれど、この世界は普遍的にはこう呼ばれている。

冥界。

死して肉体を離れた魂が辿り着き、消え去るまでの時を過ごす場所。

貴賤を問わず、罪科を問わず、あらゆる魂の終着点たる地。ならばここは地上で抱いた悲哀や悔恨を癒す安息の世界なのかもしれない。

地より生まれ出た命はまた地へと還る。さながら、自分を生み育んだ母の腕に抱かれているようなものなのだろう。

 

「へえ、あの悪趣味な女神の生業(ライフワーク)をそんな風に考える奴、初めて見たかも」

 

傍らをふわふわと漂うイシュタル神が不思議そうにこちらを覗き込んでくる。

カドック達は今、メソポタミアの冥界を訪れていた。

事の発端はウルクに戻ってからの事だ。

ケツァル・コアトルと協力関係を築き、死んだと思われたジャガーマンも奇跡的に一命を取り留めていた。

ケツァル・コアトルの宝具を受けた際、咄嗟に伸ばした手がリングのロープを掴み、激突のショックを和らげたらしい。

ジャガーマンはこれをジャガーの加護(回避)だと言っていた。

とにかく女神を仲間に引き入れ、誰も欠けることなくマルドゥークの斧も確保したカドック達は意気揚々とウルクに帰還したのだが、そこで待っていたのはギルガメッシュ王の訃報であった。

何でも、執務中に体調を崩し、休息を取ろうと眠りについたまま目を開くことなく事切れたのだそうだ。

悲しみに浸るウルク市ではあったが、カドック達はすぐにこれが三女神同盟による暗殺ではないかという考えに至った。

ギルガメッシュ王は聡明な王だ。魔獣戦線を敷くに当たって指揮を執る自分が戦死しては元も子もないと、実働は召喚したサーヴァントに任せて玉座での政務に専念していたのだ。

王がいなければウルクはもっと早くに陥落しており、三女神同盟が王の暗殺を試みても何らおかしくない。

そうなると誰が暗殺を実行したのかという疑問が湧いてくる。

ケツァル・コアトルとイシュタル神は協力関係にあり、ゴルゴーンも力押しでウルクを攻め落とそうとしていたので、このような陰険な手段を講じるようには思えないからだ。

だが、答えは意外にもすぐに返ってきた。

 

『誰って、エレシュキガルよ。今まで知らなかったの?』

 

ケツァル・コアトルのその言葉に、さすがのマーリンすら開いた口が塞がらなかった。

そう、自分達は今の今まで、イシュタル神を三女神同盟の一員と誤解していたのだ。

彼女がウルクを襲撃しているように見えていたのは、実際はウルクで暴れ回るゴルゴーンの魔獣を退治していたためで、彼女は最初から最後まで三女神同盟とは一切関りがなかったのである。

そして、そうなるとクタ市が一夜で滅んだことも、ウルク市で増加している衰弱死にも説明がつく。

全ては三女神同盟最後の一柱、エレシュキガルがメソポタミアを滅ぼすために行っていたことなのだ。

 

「普通、思わないだろ。同じ依代に異なる神格が同時に宿るなんて」

 

どちらが先に呼び出されたのかは今となってはわからないが、イシュタル神の依代となった少女は非常にユニークな人物だったのだろう。

その少女は善性と悪性が綺麗に分かたれた二面性の強い人物で、そのどちらかがイシュタルとなり、もう一方がエレシュキガルの依代となった。

疑似サーヴァント自体が稀有な例なので判断材料は少ないが、この二柱は別々の神格だが元を辿れば同じ起源から分かたれた存在だとする説もある。

豊穣を司るグレートアースマザーと死を司るテリブルアースマザー。それが同じ依代によって現界したというのは何とも興味深い話である。

そして、ギルガメッシュ王の死がエレシュキガルの仕業であると踏んだカドック達は、ギルガメッシュ王の魂を地上に連れ戻すため、イシュタル神の力でクタ市の地下に存在するメソポタミアの冥界を訪れたのだ。

神代であるこのメソポタミアなら、肉体に損壊がなければ魂を戻す事で蘇生させる事ができるからだ。

 

「俺、前にもここに来たことあるよ……」

 

「クタ市で天命の天板を探していた時の事ですね。カルデアの記録がブランクになっていましたが、まさか冥界に堕ちていたなんて……」

 

「お前達、軽く流しているがかなり際どい事だぞ、それは。無事に戻れただけでも奇跡みたいなものだ」

 

地上と冥界では理が違う。その最たるものが運命力だ。

運気のようなもので、生者は常に運命力によって事故や災害、病といった災難から身を守られている。これが尽きてしまうと、何もないところで転んだり体質が虚弱になったり、不運な事故に巻き込まれやすくなってしまう。

寿命とはまた括りは違うが、似たようなものと考えていいだろう。これが失われれば生者は常に不運に付きまとわれ、苦難の中で死ぬこととなる。

そして、死者が最後に辿り着く冥界は死という概念で溢れ返っており、例えその魂がまだ死んでいない生者のものであっても冥界の死に触れることで運命力が削られてしまうのだ。

特にこの時代は冥界が地上と地続きになっていて、うっかり落とし穴に落ちる感覚で冥界に迷い込んだが最後、地上へ戻っても運命力が失われたことで生きることが非常に困難となってしまう。

立香がどれくらい、冥界に堕ちていたのかは知らないが、天命の天板捜索以降から特に支障がないところを見ると、幸いなことに運命力の消費も微々たるもので済んだのだろう。

正に不幸中の幸いだ。

 

「とにかく、まずはエレシュキガルに会いに行こう。冥界だって広い。この中のどれがギルガメッシュ王かなんて、僕達じゃわからないからな」

 

そう言って、カドックは目の前の平野に並べられている細長い檻のようなものに目をやった。

イシュタル神によると、これは冥界に堕ちた魂。即ち死者の魂を封じておく槍檻というものなのだそうだ。

通常、冥界に堕ちた魂は時と共に消滅していくが、この槍檻の中に囚われれば魂は消えることなく永遠に存在し続ける。

気の遠くなる時間を過ごそうと、冥界の寒さで魂が凍り付こうと、意志の残滓ともいうべきものは消えることなく残り続けるらしい。

ギルガメッシュ王の死がエレシュキガルによるものなら、この槍檻の中のどれかに魂が捕らえられているはずだ。

一方、気になる点もある。

槍檻の数はイシュタル神がかつて、冥界下りを行った時よりも遥かに数を増しているようで、まるで死者の王国だと彼女は述べていた。だが、他の女神達と違い、エレシュキガルにとっては死者が増えることは冥界が魂で溢れることを意味している。人間を滅ぼすことと自らの支配地に領民が増えることは一石二鳥に見えて実際は破綻した理論だ。

増えた魂を賄えるだけの領土と資源が果たして冥界に存在するのだろうか?

何より、ゴルゴーンのような憎しみもケツァル・コアトルのような楽しみもこの冥界からは感じられない。

あるのは凍えるほどの寒さと、槍檻を造ったと思われるエレシュキガルの神経質染みた生真面目さだけ。

ひょっとしたら、自分達はまだ何かを見落としているのかもしれない。

何せ、生まれてからずっとこの冷たい冥界でひとり、死者の魂を扱ってきた女神だ。自分が知るのは文献に残されている神話についてだけ。

その精神性はどうしても推し量れず、何か裏があっても不思議ではない。

 

「ねえ、エレシュキガルというのはどのような神様なのかしら? ゴルゴーンやケツァル・コアトルとはまた違う女神様なのでしょう?」

 

切り立った崖を歩いていると、最後尾についていたアナスタシアが聞いてくる。

何となく目をやると、立香とマシュも何かを期待するかのようにこちらを見つめていた。

その視線の意味に気づいたカドックは、ため息を吐きながらも内心で笑みを零す。

こうやって、旅の中で何度も自分の知識を披露してきた。

それが役に立った時もあれば単なる豆知識で終わったこともあったが、いつの間にかこうしてみんなに歴史や神話をレクチャーすることが定着していたらしい。

自分でも意外だった。期待されるということが、こんなにも胸が躍るなんて。

 

「そうだな、一言で言い表すなら生真面目な神だ」

 

イシュタルとは姉妹神であるということは前述した通りだが、その性質は何から何まで正反対だ。

奔放で欲しい物を欲しいままにし、愛と美の頂点であると共に、自らの誘いを断った者には容赦のない制裁を与える残酷さを併せ持つイシュタル。

一方でエレシュキガルは勤勉で、冥界という隔絶された地域を支配することに専念していた。

彼女は死者の罪状を裁く七つの裁判官を従え、約定に従って地上に出る事もなく他の神とも没交渉であったらしい。

無論、それは性格的な理由によるものだけではない。

冥界とは現世と隔絶したもう一つの世界だ。

ここでは地続きになっているがその原則は未来と変わらず、誰かが管理しなければ無秩序な混沌とした世界になってしまう。

エレシュキガルはそういうものとして生まれた人柱であり、神話においてもそれ以上の役割は与えられていないのだ。

彼女はあくまで冥界の管理者であることに専念し、イシュタルのように何かを欲するという気持ちすら抱かなかったのである。

考えても見て欲しい。もしも死者の神が望むままに力を欲せば、やがては地上の生者を脅かすことになるだろう。

その点においてエレシュキガルは聡明で、あくまで自分の領分を守り職務に励んでいたのだ。

言い換えるなら、エレシュキガルはその生涯をこの暗く乾燥した地の底に閉じ込められていたと捉えることもできる。

幾星霜もの間、絶え間なく訪れる死者を裁き、弔うだけの日々。

神々が宴を開く事はあってもエレシュキガルだけは姿を見せないか、或いは代理人を立てていたという。

支配者と呼ぶには余りにも不憫で、しかし尊敬されるべき成果を成し遂げた女神。

それがエレシュキガルだ。

 

「エレシュキガルはずっとここに? 外に出ようとしたこともなかったの?」

 

「神代が過ぎ去り、役目を終えるまでずっとだ。何度も言うがエレシュキガルはそういう女神なんだ。真面目で、慎ましくて、聡明で、欲しない。もちろん、気に入ったものは力尽くで手に入れるというどこかの誰かみたいなこともするが、それもこの冥界から手の届く範囲のことだ。支配地を広げようとも、他の神に取って変わろうともしていない。欲張って余所の縄張りに手を伸ばせば痛い目を見るのは自分だからな」

 

「いちいちカンに障る言い方ね。人様の黒歴史弄って楽しい訳?」

 

「うん? どういうこと?」

 

「イシュタルの冥界下りです、先輩。神話によって諸説ありますが、イシュタルさんは死者しか入れない冥界を降りて行って、エレシュキガルに殺されてしまったのです」

 

冥界は死者の国であり、生者が生きたまま滞在することを許さない。それと同時に、死者が許しなく地上に戻る事も禁じている。

力のある神霊ならば纏わりつくガルラ霊を振り払って自力で蘇生することも容易いだろう。だが、それを許してしまえば死は原則として不可逆であるという冥界のルールを乱すことになる。

一度でも死を経た者が許可なく生き返る事は許されないため、冥界では力ある神霊ほど権能を封じられてしまう逆説の呪いのようなものが働いているのだろう。

冥界を下ったイシュタルは身に纏っていた武具や守り、権能の数々を剥ぎ取られ、最終的には槍でめった刺しにされてしまったらしい。

 

「後世では冥界を支配下に治めようとしたという説と、あんたが冥界勤めになった旦那を追いかけていったって説があるんだが?」

 

「ノーコメントよ。あんな羊野郎のことでこんな危ない事しますかっての。冥界下りは個人的な私情よ、私情!」

 

エレシュキガルに対して思う所があるのか、イシュタルは声を荒げてそっぽを向く。

どうやら冥界下りの一件はかなりデリケートな話題のようだ。興が乗って色々と話してしまったが、これ以上は止めておいた方が良いだろう。

アナスタシアとマシュもそれを察したのか、話題をエレシュキガルのことに戻そうとそれぞれが言葉を漏らした。

 

「聞いていると、何だかとても可哀そうに思えてなりません。ここは魂以外のものが流れ着くことはないのでしょう? 何一つとして新しいものと出会えないということは、彼女が生きる世界は永遠に変わらないということ……」

 

「はい、それはわたしも同意見です。以前のわたしではそう感じませんでしたが、今のわたしはそう感じます。外に出れないことが悲しいのではない。新しいも世界、新しい出会いがない事がとても悲しいです」

 

「その代償として、エレシュキガルは冥界に限り無敵の権能を手に入れた。他の神々では彼女の定めた法律には決して逆らえない。だが、それは死者に対してだけだ。生者はまず殺さなければ法で縛れない」

 

「へえ……あれ? ってことは……」

 

「もしも戦闘になったら、僕とアナスタシアは毛ほどの役にも立たないからな。まあ、援護くらいはできるかもしれないが」

 

何しろアナスタシアはマシュと違って純正のサーヴァント。エレシュキガルの権能の支配下である死者そのものだ。

ただちに影響が出てくる様子はないが、エレシュキガルが本気を出せば離れた場所から霊基を攻撃することだって造作もないはず。

今、こうして彼女が無事でいるのは単純にエレシュキガルがその気になっていないからなのだろう。

 

「そ、そっか……まあ、やってみるよ。知らない間柄じゃないし……」

 

「うん? まあ、自信があるならいいことだな」

 

「うむ、冥界の女主人もどうやら貴様を待ち侘びているようだしな。ここは歩みを進めるべきだぞ、雑種」

 

「え?」

 

突如として割り込んできた尊大な声に対して、全員の視線がある一点に注目する。

金髪紅眼で均整の取れた黄金律の体。その手には石板(ディンギル)が携えられており、浮かべる表情はどこか酷薄で他者を嘲っているようにも見える。

そこにはいたのは紛れもなく、エレシュキガルに殺されたはずのギルガメッシュ王であった。

 

「ギルガメッシュ王!?」

 

「ふははははははは出迎えご苦労! 物陰からこっそり見ていたが、物見遊山で会話も弾んだか? 親睦を深めるのも結構だが、(オレ)が割り込む隙もなかったぞ!」

 

相変わらずの尊大な態度を前にして、逆に安心感が出てくる。

だが、いったいどのようにしてエレシュキガルの目を逃れていたのだろうか?

彼女によって呪殺されたのなら、魂は槍檻に囚われているはずだ。

 

「フッ、何を隠そう(オレ)は冥界の女主人に殺されてなどいない。あれはそう……働き過ぎ(KAROUSI)だ!」

 

「な、なんだって!?」

 

『じ、人類最古の過労死!? わー、他人事じゃないぞー!』

 

「王よ、戻ったら一度、健康診断を受けることをお勧めする」

 

「うむ、その時は主治医を任せるぞ、カドック。なに、うっかり死んでしまったがそれはそれ、冥界なぞ(オレ)の庭よ。それなりに勝手は知っている。何度も来たからな。ガルラ霊どもが来る前に物陰に隠れ呼吸を止め瞑想に浸り気配遮断EX。完璧に奴らの目から逃れた後、ここでどうしたものかと思案していた時に貴様らが現れた。それだけの話よ!」

 

(さすが人類最古の意地っ張り。何もできずに隠れていただけなのにここまで偉そうに振る舞えるものなのか)

 

特異点の修正が終わったら、別れる前に爪の垢か毛髪の一本でも貰っておくべきだろうか?

煎じて霊薬にすれば、少しくらいは自分も彼のように強気で振る舞えるかもしれない。

 

「ふん、王に縋る気持ちはわかるが、止めておけ。貴様では(オレ)王気(オーラ)には耐えられまい。それよりも、地上での首尾を話せ。(オレ)が死んでいる間、何があった?」

 

「ああ、それなら…………」

 

カドックは手短に、イシュタルやケツァル・コアトルと協力関係を築けたこと、マルドゥークの斧を確保したこと、ここに来ているのは自分や立香達4人とイシュタルだけであることを説明した。

ケツァル・コアトルVSジャガーマンの辺りでギルガメッシュ王が物凄く食いついてきたが、生憎と時間は限られているので詳細は割愛する。

ぐずぐずしていると自分達の運命力まですり減ってしまうからだ。

代わりに戻ったら竪琴を背景に吟じることを約束させられてしまった。

 

「なるほど、貴様に対する評価も改めねばならぬな、カドック。では、(オレ)からもひとつくれてやろう。キングゥについてだ」

 

「っ……」

 

ギルガメッシュ王の言葉を聞いて、背筋に緊張が走る。

ティアマト神の息子として、ゴルゴーンに付き従う魔獣の司令官。

カドックと四郎はその正体を聖杯の力で再起動したエルキドゥではないかと睨んでいた。

そのことは当然、ニップル市から帰還した後にギルガメッシュ王に報告していたが、彼の反応は非常に淡白だった。

既に賢王として玉座に座る覚悟を決めた英雄王には、私事で心を惑わせることなど許されない。

思い入れがない訳ではない。怒りや悲しみ、数奇な運命への思いがない訳ではない。

だが、それらは全て英雄王ギルガメッシュ個人のもの。そして、今のギルガメッシュは個人である前に王なのだ。

 

「エルキドゥの遺体は冥界に預けてある。奴はイシュタルを毛嫌いしたが、エレシュキガルには礼を以て接していたからな。その縁もあり、遺体はエレシュキガルが引き取ったのだ。神の兵器の残骸、冥界ならば誰の目にも触れる事なく鎮められようと思ったのだが……墓所から奴の遺体は消えていた」

 

「では、キングゥを名乗るあの少年は、本当にエルキドゥさんなのですか?」

 

「再起動によって新たに芽生えたのか、外部から埋め込まれたのかは分からぬ。だが、事実として奴は目覚め動いている。それは認めねばならぬ」

 

『……埋葬されたものの、残っていた体が……そんな事があるのか? いや、だとしたら……』

 

「ロマニ、余り考えても答えは出ぬ。奴が自らをキングゥと名乗るのなら、そのように捉えておけ」

 

「ギルガメッシュ王、エルキドゥはあんたの親友だったのでしょう?」

 

(ギルガメッシュ)にとってエルキドゥ()はひとりだけだ。余り詮索するなよ、雑種。間違ってその首、撥ねられたくなければな」

 

カドックの言葉をやんわりと、しかし強い力のこもった言葉で否定し、ギルガメッシュは冥界の道を下っていく。

迷いのない足取りは、かつての親友が敵に回ったことに対して何の戸惑いも抱いていない様子であった。

そんな振る舞いの裏で、どれほどの激情が渦巻いているのか、カドックには想像もつかなかった。

想起することすら憚られる。エルキドゥへの思慕すら英雄王の財宝だ。自分達がそれに触れることは不敬であり、ただ黙して王を見守ることしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

昇りきった先で待っていたのは、何もない荒れ果てた大地であった。

剥き出しの岩、乾燥した砂、堆積した埃。

ギルガメッシュ王はここをエレシュキガルの宮殿だと言った。

神々ですら恐れる冷血な女主人。

冥界のガルラ霊の元締め。

そんなエレシュキガルが住まう場所は、この冷え切った暗闇の世界の中で最もみすぼらしく寒々しい。

冥界には風も水もなく、常に大地は乾いている。ならば家屋と呼べるものは本来、必要がないのかもしれないが、それにしても支配者たる神格が寒空の下に住まうなどあっていいわけがない。

これでは槍檻に収められた魂達の方が何倍もマシだ。

確かに魂達は凍えているかもしれない、身動きも取れず苦しんでいるかもしれない。だが、この広い世界にひとり、放り出される孤独だけは味わうことがない。

イシュタルは言った。エレシュキガルは死者の魂を捕まえて檻にいれていると。だが、それは凍える魂を思ってのことなのではないだろうか?

自分がここを訪れた際、ほんの少しではあるが温もりを感じた理由はこれだ。

ここはどんな魂にも厳しく、冷酷で、それ故に平等で慈悲深い。

ここでは無力感に苛まれて、後悔の中で絶望しながら消え去る事だけはない。

或いはここならば、自分が挫折したまま堕ちたとしても、幾星霜の果てに己の無力さや他者への妬みを許すことができるかもしれない。

何故なら、エレシュキガルがそれを是としないからだ。

彼女は決して、魂が絶望の中で消え去ることを是としない。

後悔と反省、悔悟のための時間が全ての魂に約束されている。

そのための槍檻であり、そのための冥界の女主人なのではないだろうか?

 

「知ったような口を聞くのね、人間」

 

鈴のように透き通りながらも威厳に満ちた声が辺りに響く。

どこからか染み出すように姿を見せたのは巨大なガルラ霊だ。

今までに見てきた亡者とは違う、強大な圧だ。彼女が姿を現しただけで、周囲の気温が一気に低下してしまう。

錯覚ではない。彼女の強烈な神気によって周辺の空間の状態が歪められているのだ。

今、自分達が立っている場所は5000メートル級の高山に匹敵する状態にまで酸素濃度が低下している。

急激な気圧の変化に減圧症が起き始めているのだろう。耳鳴りや胸の痛みまで訴え出しており、体の異変に対応しようと魔術刻印が熱を持ち始めている。

このままここに留まり続けるのは危険だ。

 

「恐れよ、祈れ、絶望するがいい、人間ども。我こそ死の管理者。冥界の女主人、霊峰を踏み抱く者――三女神同盟の一柱、エレシュキガルである」

 

「こ、これが……エレシュキガルの姿?」

 

「エレシュキガルは病の神としての側面も持つというが、なるほど……こいつは、ヘヴィじゃないか」

 

そもそも死を恐れない生き物はいない。遍く生者が最後に辿り着く終着点である死を司る女神。ならば、その姿に恐怖を抱かないはずはない。

こうして立って向かい合うだけでも心の底から勇気を振り絞らなければ、立っているのも辛いのだ。できることなら今すぐにでも逃げ出したい。

 

「この姿を目にしただけでその体たらく。人類最後のマスターというのも程度が知れるというものね」

 

「よく言うわ、お山の大将を気取っておきながら。あなたの姿を見て怖がらない奴なんていないわよ。逃げなかったことだけでも褒めてあげなさいっての」

 

「ほう、耳障りな羽音がするかと思えば、憐れな女神がいるではないか。またあの時のように串刺しが希望かしら?」

 

嘲るように身を震わせるエレシュキガルに対して、傍らに立つイシュタルが吠える。

だが、天空の女神の恫喝を半身たる冥界の支配者は泰然とした態度のまま受け流す。

目障りな半身などいつでも潰せるという余裕の表れだ。

何しろイシュタルは、冥界下りにおいてエレシュキガルに返り討ちにされている。この世界そのものがイシュタルにとって天敵であり、神話の再現による弱体化が起きている。

それに加えてエレシュキガルが持つ死者への絶対支配権。これをどうにかしない限り、イシュタルは逆立ちをしたってエレシュキガルには敵わないだろう。

 

「本音が出たわね。自分が醜いから美しいものを汚す。誰も会いに来ないから霊峰の頂きに御座を置く。全部、アンタの八つ当たりじゃない! こんなのが私の半身なんて、みっともないにも程があるわ! ええ、殺したいなら勝手にどうぞ! その後、アンタはシュメルで一番醜い女にランクインよ!」

 

(おいおい、犬猿の仲にしたって限度があるだろ、このふたり……)

 

ここがアウェーである冥界でなければ、イシュタルは制止する間もなくエレシュキガルに襲い掛かっていただろう。

堪えているのは生前の経験があるからと、カルデアという守らなければならない存在がいるからだ。

もしもここで彼女が暴発していれば、間違いなく自分達はエレシュキガルによって八つ裂きにされる。

それだけの力をこの女神は有しているのだ。

 

「以前同様、口だけは達者な女神だ……よかろう。私が醜いと言ったな。酔狂の極みだが、侮辱されたままというのも女神の恥。特別に見せてやろう…………いえ、いいえ!」

 

(うん?)

 

何だか様子がおかしい。

ここまで威厳に満ちた声音で喋っていたのに、最後の最後で地金を晒してしまったとでもいうのだろうか?

不気味な亡者の姿に不釣り合いな可愛らしい声が霊峰の頂きに響き、巨大なガルラ霊が地団駄を踏むように体を震わせる。

 

「いい加減、この言葉使いもうんざりよ! 特別に見せてあげる! 驚きなさい、これが私の、女神としての真体よ!!」

 

光と共に、エレシュキガルの姿が変化している。

半透明に透けていた体は見る見る内に色を纏い、山のように巨大な体は縮んで人間の形を取る。

風もないのに靡いたのは艶やかな金髪。マントを翻し、露となったのはイシュタルに負けず劣らず扇情的なドレスとそれに包まれた美しくも慎ましい肢体。

手にしているそれは炎のような霊気纏った長大な槍だ。

そこに姿を現したのは、髪の色と衣装こそ違えどイシュタルと瓜二つの姿の少女であった。

 

「ふふん、驚いたかしら? 驚いたみたいね? 驚いたようね! ガルラ霊の姿なんて仮の姿に決まってるじゃない!」

 

エレシュキガルは、まるで悪戯が計画通りに決まった子どものように笑みを漏らす。

それだけで彼女の本来の性格と嗜好が何となくではあるが読み取ることができた。

生真面目な上に変なところで意地っ張りで凝り性。ある意味ではイシュタルにとてもよく似ている。

この登場にしたって、きっと随分と前から何度もイメージトレーニングを繰り返して悦に浸っていたことが容易に読み取れた。

 

「藤丸、何か言ってやれ」

 

「はあ……えっと、まあ、驚いたかな……ある意味、期待を裏切らないというか……ど真ん中ストレートというか…………」

 

話を振られた立香は途端にシドロモドロとなり、歯切れの悪い言葉を返す。

少し前の会話でもしやとは思っていたが、どうやらこいつはエレシュキガルと面識があったようだ。

しかも、肝心の女神はというとそれに気づいていないまま、劇的な初対面を演出して見せるという滑稽な姿を晒してしまい、どう反応して良いのか非常に迷っているようだ。

 

「な、なによその反応……ものすごくガッカリしてるじゃない……なんで? これ王道のパターンよね? 友人として憧れるパターンよね? 人間の本だとこれでいけるってあったわよね? ロマンスの気配とかあるものじゃないの?」

 

「カドック、何か言ってあげて?」

 

「え? あ、ああ……そうだな……思うに、これはイメージチェンジを図って自分を魅力的に見せるっていう古典的な演出だろう? そんな手垢がついたクラッシックで勝負したいなら、まず相手が当人の魅力に気づいていない事が大前提だ。タネが割れた手品ほど退屈な――――」

 

「まさかの本気のダメ出しなのだわ! 何、知ってたの!? なんで!?」

 

「うん、顔を合わせるのはこれで四度目だよね」

 

「気づいていたのね! 夜にあなたと話していたのはそこの羽虫じゃなくてこの私なんだって!?」

 

「くしゃみで変身が解けていたからね」

 

「な……な……な……っ!」

 

エレシュキガルの顔が見る見る内に赤く染まっていき、頭を抱えてその場でぐるぐると回り出す。

その情けない姿は、とてもウルクを滅ぼそうとしている女神の一柱とは思えないほど間抜けで哀愁を誘うものだった。

彼女と立香の言葉から察するに、半身である縁を手繰り寄せてイシュタルの体を乗っ取っていたのを立香に見抜かれてしまったのだろう。

それに気づかぬまま、本人はさも初対面であるかのように美しくも恐ろしい冥界の女主人を演出して見せた。

なるほど、立香が反応に困るのも無理はない。ついでにエレシュキガルの道化っぷりが実に痛々しい。

先刻まで彼女に対して抱いていた、冷酷で激情家な女神としてのイメージも跡形もなく砕け散ってしまった。

 

「いえ、予定は狂ったけど、それはそれ、これはこれ! あなた達をここで殺す事に変更はありません。ゴルゴーンがウルクを落とすよりも前に私が大杯を手に入れればそれで世界はおしまいよ」

 

「ほう、ではやはり、貴様もウルクの大杯が望みであったか」

 

「……何よ、殺す気はなかったのに、勝手に過労死して冥界に来ちゃった王。あなたに用はありません」

 

「くくっ、そう言うな。王として貴様には問わねばならぬことがあるのだ。エレシュキガルよ、貴様はクタ市の都市神でありながら、三女神同盟に与した。その罪は他の女神どもなど比べ物にならぬほど重い。我が身は今死者なれど、王権の元に貴様を断罪する事もできるのだぞ」

 

「……ええ、ディンギルを得た王であれば、全てを引き換えに神さえ処罰できる。で、それが? 命と引き換えに私を殺すの、あなた?」

 

先ほどまで打ちひしがれていたダメな女神とは思えない、冷酷な声音でエレシュキガルはギルガメッシュに言葉を返す。

やはり、そこは腐っても冥界の女主人。身に纏う神気の圧が桁違いだ。一瞬の内に場の空気を支配し、自らのテリトリーとするのは正に死の女神の面目躍如というところだろう。

対するギルガメッシュ王もまた負けていない。全盛期を過ぎたとはいえ、かつては万夫不当を欲しいままにした英雄王。賢王となった今もその眼光は衰えておらず、猛禽類の如き眼差しで女神の視線を受け止める。

今や、王と女神は一触即発だ。互いの言葉が琴線を踏み抜けば、予兆すらなく牙が飛び交うであろう。

そこに余人が立ち入る隙などなかった。

 

「では問おう、女神エレシュキガル。貴様は何故、女神同盟に加担した! シュメルの文か、シュメルの民を守る事を否定したか!」

 

そう、エレシュキガルは元々、シュメルの神格だ。サーヴァントとして現界していてもその事実は変わらない。

彼女がウルクを――シュメルを滅ぼさんとするということは、同胞達に弓を引くことに他ならない。

ましてや彼女は冥界の女神だ。本来ならば、地上の成り行きに対して手を出せるような立場ではない。

古来よりそのように地上と冥界は約定を定め、エレシュキガルはそれを黙々と遵守してきたはず。だというのに、何故、彼女はここに至って地上への侵攻を決意したのだろうか?

その問いの答えは、激情と共に返ってきた。

 

「何を問うかと思えば、見損なうなウルク王! 我が責務、我が役割は何も変わらない! 私はエレシュキガル、冥界を任されたものだ! 全ての人間、全ての魂を冥界に納めるのが我が存在意義にして、我が運命! それを全力で行う事に、何の後悔も自責もない!」

 

高らかに支配を宣言する冥界の女主人。

その姿は美しく、気高く、恐ろしく、どこまでも痛々しかった。

あの顔を、自分はよく知っているような気がした。

挫けそうになる心を必死で奮い立たせ、手の届かないものにまで必死で腕を伸ばす様をよく知っている気がした。

突き付けられた難題に対して、自らが取れる選択肢が限られていることに後悔している顔だ。

本当に自分がしたいことから目を背け、安易で妥当な選択肢に逃げた臆病者の顔だ。

それでも彼女は覚悟を決め、自らに出来ることを為さんとしている。例えそれが、どうしようもなく間違った選択であったとしても、自分に出来ることはそれだけだからと。

 

「カドック」

 

「藤丸、お前が言え。僕には言えない……僕と彼女は同じだ。だから、お前が言うんだ……一度は僕を下した、お前が言うんだ」

 

「ごめん……あの時、胸を張れなんて言ったけど、本当はすごく傲慢な物言いだったんだね」

 

「気にするな。僕の場合はそうしなきゃ立ち上がれなかった」

 

立香への嫉妬と苛立ち、魔術王という存在への恐怖と無力感から自分は一度、グランドオーダーを投げ出した。

あの時は立香が真正面から向き合ってくれたから、もう一度歩き出すことができた。

藤丸立香という存在に自分自身の全てをぶつけることで、漸く抱えていた淀みを清算できた。

なら、エレシュキガルはどうなのか。彼女は何を抱え、何を思い、何を決断したのか。

自分の予想通りなら、彼女はきっと――――。

 

「な、何よ……あなたも私を悪だと言うの!? 私は気の遠くなる時間、ここで死者の魂を管理してきたのよ! 自分の楽しみも喜びも、悲しみも友人――――何もないまま、自由気ままに天を駆ける自分の半身を眺めてきた。その私に罪を問うの? 今更、魂を集めるのは間違っていると指差すの? あなたならわかるでしょう、人類最後のマスター!? 世界を救うという責務、押し付けられたあなたなら! 私がこなしてきた努力も味わった苦しみも、分かるはずでしょう!? 私には称賛される権利すらないと言うの! 報われる権利はないと言うの!?」

 

それはきっと、エレシュキガルが今日まで抱えてきた魂の叫びだったのだろう。

誰とも関わらず、交わらず、故に神話にすら残らなかった彼女の慟哭、嘆き、怨嗟。

苦しみは称賛されなければならない。でなければ対価なき労働は重圧でしかない。

努力は認められなければならない。でなければ費やした時間は無為でしかない。

それでもお前達はこの身を責めるのか、罪を問うのかと女神は言う。

今日までお前達に尽くしたこの身は、そんな願いすら抱く事も許されないのかと女神は叫ぶ。

それに対して、立香は静かに口を開いた。

決定的な最後通牒を。

女神に対する死刑宣告を。

人類最後のマスターは、かつての友と対峙した時を思い出しながら、厳かに言葉を発したのだった。




色々とリアルが忙しく、遅くなりました。
老書文も来ませんでした。

もっと進められるかと思ってたんですが、これ以上は更に文量が増えるので今回はここまでです。


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絶対魔獣戦線バビロニア 第13節

例え話をしよう。

百人の乗客を乗せた客船が大海原へと旅立った。船長は君だ。

航海は順風で、乗客達は青い海と空に囲まれながら、昼は景色を楽しみ、夜は連日の如く宴を開く。

だが、運悪く目的地を前にして船底に穴が空いてしまい、このままでは船が沈没してしまう。

幸いにも緊急用の救命ボートの数は、乗客全員が乗る事のできる分を用意できている。しかし、船長である君が船の異常に気付いた時には全ての乗客を逃がすだけの時間は残されていなかった。

では、船が沈む前に船底の穴を塞いでしまえば良いのではないだろうか?

残念がらな船を修繕することができるのは船長である君だけで、君一人の力では船の沈没を確実に防げるとは断言できない。最悪、修理が間に合わずに船と運命を共にせねばならないかもしれない。

自分はこの船の船長だ、それは構わない。だが、乗客達まで巻き込む訳にはいかない。

そして、乗客の混乱は君の予想を遥かに超えており、君自身が指揮を取らなければ脱出もままならない。

君が取る事のできる選択肢は二つ。

全員が命を失う危険を承知で船を修理するか、君自身の判断で乗客を選抜し限られた人数だけでも救命ボートで脱出するか。

さあ、君は残された時間で選択を下さねばならない。

君自身の意志で、君自身の心で、百人の乗客の運命を決めなければならない。

何もしなければ、全員が死ぬ事になるぞ。

 

 

 

 

 

 

「エレシュキガル、俺は君を認める訳にはいかない。だって……それは、君自身が行うべき役割だ」

 

「……え?」

 

立香が言い放った言葉の意味がわからず、エレシュキガルからほんの一瞬、覇気が消える。

その様子を傍らで見守っていたカドックは、北米での出来事を思い出していた。

あの時、進むべき道を見失っていた自分は、せめてエジソンが望む勝利だけでも掴み取ろうとカルデアから離反した。

自分の力を証明する、凡人であろうと天才を凌駕できると示すためという野心と、ほんの一握りの正義感から始まったグランドオーダーは、しかし自分が思っていた以上に過酷な旅路だった。

末席とはいえ自分もカルデアAチームの一員。そして、引き当てたアナスタシアも決して弱いサーヴァントではない。だが、立ち塞がった人類史はいつだって容易い試練ではなく、傷つき、苦しみ、時には妥協しながら勝利を模索する旅であった。

現地に召喚された英霊達と衝突することもあれば、偶然や不運が重なって実力を発揮し切れないこともあった。特異点を一つ一つ、乗り越える毎に自信をつけてはいったが、同時に心のどこかでAチームの他の誰かならもっと容易く事を成せたのではないのかという疑念も大きくなっていった。

何よりも、旅を経て少しずつ実力をつけていく立香の存在を疎ましく思ってしまった。その存在に恐怖してしまった。

自分では敵わないと心折れてしまった魔術王に果敢にも挑まんとする少年に憧れと嫌悪を抱いた。

そうして、カドック・ゼムルプスは彼と敵対する道を選んだ。

魔術王に挑むことも、立香に追いつかれまいと励むことからも逃げ、エジソンが掲げたアメリカ救済という目標に逃げ込んだ。

歪められていたとはいえ、エジソンの眩い願いを利用した。

世界は救えずともアメリカは救う事ができた。自分はトーマス・エジソンという偉大な英雄の力になれたと、自らに言い訳するための逃避だ。

きっとその先に待っていたのは後悔だ。

もしも、そのまま事が上手く運んだとしても自分は自分自身を褒めることはできなかっただろう。

もっと大きなものを救いたかったはずなのに、こんなはずじゃなかったと悔やみながら、心の底でこれが自分の限界だと嘆いたことだろう。

そんな暗闇に堕ちる前に、自分を掬い上げてくれたのが立香だった。

彼は傲慢にも言ってのけたのだ。ここまで特異点を修復してきたことに対して、もっと胸を張れと。自分の成果を誇るのだと。

 

「分からぬか、たわけ。当たり前のことを褒めるほど、その男は愚かではないということだ。自らに与えられた責務、それを嘆くことはよい。放棄して違う道を探すこともよい。だが、逃げずにこなし続けた己が義務を卑下することは悪であり、その苦しみを称賛することは何より貴様自身への侮辱に他ならない。称賛されるべきは貴様の成した偉業、貴様の心の苦しみは貴様だけのものだ。他人である以上、貴様の傷は理解できない。だが、その仕事は尊敬に値すると言ったのだ」

 

カルデアから離反しても、アナスタシアはずっと側にいてくれた。

協力を約束し、成果を上げればエジソンは手放しで喜んでくれた。

この2人は何があっても自分を裏切らない、支えてくれるという確信があった。

苦しみ、迷った時に差し出された手は何よりも温かい。けれど、その手を掴むことは甘えだったのだ。

苦しいのは当たり前だ、傷つくのも当たり前だ。なのに、自らの成したことから目を背けて苦行の賞賛を求めることは間違っている。

自分はこんなにも苦しい思いをしたのだから、ここで諦めてもいいだろう。これくらいの成果でも構わないだろう。

そうやって逃げた先があのアメリカでの行動だったのだ。

けれど、それはギルガメッシュ王が言うように罪悪であり侮辱でしかない。

世界を救うためならば力を貸すと約束してくれた、アナスタシアへの裏切りでしかない。

そのことに気づけたから、中東での戦いが終わった後、視力を損なった自分を心配する立香に言うことができたのだ。

 

『わからないか? 『よくやった』って言えば良いのさ』

 

同情は優しさかもしれないが、それは時に侮辱へと繋がることがある。

努力なんてものは誰だってしている。自分も立香もマシュも、きっと自分が今まで妬んできた天才達だって、みんな努力してきたはずだ。自分だけが苦しんでいる訳ではない。

なのに、その苦しみしか称賛されないのなら、成し得た結果に何の意味があるというのだろうか。

讃えられるべきは成果であり、苦難はその代償だ。負ってしかるべき負債だ。

エレシュキガルが望むことはかつての自分と同じ、逃避でしかない。

孤独に冥界を統率してきたという偉業を無視し、ただ今までの苦しみを理解して欲しいという甘えでしかない。

だって、エレシュキガルは本当は――――。

 

「いいでしょう、その傲慢な返答を後悔させます。私はエレシュキガル、死の静寂を守り続けた、神々によって生贄にされた女神。この憎しみ、この苦しみ、取るに足りないと言った貴殿らに、しっかりと叩きつけさせてもらう!」

 

形相を一変させたエレシュキガルが槍を振るう。

冥界の大地に叩きつけられたのはエレシュキガルの嘆きと怒りだ。

欲していたものを認められず、制御できなくなるまで膨れ上がった感情のうねりが力ある実体となって立香に襲い掛かってきたのだ。

いないはずなのにそこにいると実感できる姿なき凶獣が、冥界の霊峰を引き裂きながらか弱きマスターの命を狙う。

咄嗟にイシュタルとギルガメッシュは迎撃を試みようとするが、それが敵わないことは二人とも重々承知していた。

ここは冥界。死者であるギルガメッシュとイシュタルはその力を大きく制限されてしまう。

死者である2人ではどうやってもエレシュキガルに対抗することができない。無論、アナスタシアも同様だ。

この中でエレシュキガルの力に対抗できる者はたったひとり。

マシュ・キリエライトを置いて他にいない。

 

「シールドエフェクト! 発揮します! はああぁぁぁぁっ!!」

 

立香の前に躍り出たマシュが、裂ぱくの気合と共に盾を構える。

魔力放出と共に広がった防壁は、迫りくる見えない凶獣とぶつかって軋みを上げ、マシュの口から苦悶の声が漏れた。

辛いはずだ。苦しいはずだ。何故なら、彼女の守りは彼女自身を含まない。

元からそういう力なのか、マシュ自身の精神性によるものなかはわからないが、彼女が有する守りの恩恵は自らを守る際には発揮されないのだ。

主や仲間を守るためならば、時に限界以上の力を引き出して迫る攻撃を防ぐことができる。

理論値では防げないはずの力や魔術ですら彼女の守りを揺るがすことはできない。大切なものを守るという彼女自身の思いが盾の守りをより強く堅牢なものへと昇華させるからだ。

故に、彼女はいつだってその身を傷つけながら戦いに身を投じている。

本当は、誰かを傷つけることなどできない優しい少女だというのに、強い使命感と主への思いを胸に戦場を駆ける。

彼女はそれを苦とは思わないだろう。その痛みを誇ることもないだろう。ましてや称賛など以ての外だ。

その強さこそが、自分とエレシュキガルに必要なものだったのだ。

自らの苦しみを慰めてもらうのではなく、その手で掴み取った成果に喜ぶことこそが大切なのだ。

その強さ、気高さは女神と相対していても決して色褪せることはない。

負の感情など寄せ付ける事のない煌びやかな輝きを汚すことなど、何人であっても不可能なことなのだから。

 

「何よ……あなたなら分かってくれると思っていたのに! 苦しいとは思わないの!? あなたはただの人間よ。特別な力なんて何もない、ただの人間の癖に……どうして人類史を救うなんていう重荷、背負えるのよ!!」

 

自らの攻撃を防ぎ切ったマシュを前にして、エレシュキガルは手にしていた槍を零す。

同時に、張り詰めていたエレシュキガルの神気も消え、周囲の空気が急速に弛緩していく。

気圧も正常な状態に戻り始めており、凍り付くような寒さと息苦しさも徐々に消えていった。

 

「ふん、(オレ)の体を縛る戒めが解かれたようだ。ならば、(オレ)の用事は終わったな。後は任せるぞ、カルデアの。人類最後のマスターとして、この哀れな女神に沙汰を下してやれ」

 

そう言って、ギルガメッシュ王は後ろへと下がる。

確かに王の魂を取り戻すという当初の目的は達成された。エレシュキガルから敵意は消えているが、放っておいて再起でもされれば敵わないので、後顧の憂いがないよう彼女を始末しなければならない。

女神とて彼女は受肉したサーヴァント。首をはねればその力も失われるだろう。

だが、藤丸立香がそんな真っ当な考えを抱くだろうか。

彼は魔術師ではなく人間だ。それも底抜けにお人好しで前向きな。

なら、傷ついた女神に差し出すものは刃ではなく救いの手であろう。

 

「何よ? やるなら早くやりなさい。私は魔術王の甘言に乗って、ウルクを支配しようとしたのよ。敗北したのなら、首をはねるのが当然でしょう?」

 

「覚悟はできているようね。でも、言い訳ぐらいしたら? コイツ、メチャクチャ前向きだから、あなたが改心するっていうんなら考えるわよ、きっと」

 

無愛想に顔をしかめたまま、イシュタルが言葉をかける。

犬猿の仲とはいえ、半身がこうも無残に敗れ去ったことに対して思う事があるのだろう。

そう、そもそも立香を攻撃した時、エレシュキガルにその気があればマシュの守りを崩せずとも立香を殺せたはずだ。

なのに彼女はそうしなかった。ただの一度の交差で女神は己の敗北を悟っていたのである。

それはいったい、何故なのか。

その答えは、彼女が三女神同盟に加わった理由にあるのではないのだろうか?

 

「エレシュキガル」

 

「命乞いはしません。私はこの冥界に魂を集めて支配者になる気だったのよ。ゴルゴーンは復讐心から人間を絶滅させようとしているけれど、私は支配欲から人間を絶滅させようとした。どう? これ以上の邪悪さはないでしょう?」

 

「それは違う、君は嘘つきだ。何故なら――」

 

そう、彼女は嘘をついている。

何故、エレシュキガルが三女神同盟に加わったのか。

何故、クタ市とウルク市で人々の魂を集めていたのか。

何故、陽の光も水も風もない、寒さと砂ばかりの冥界で支配者とならんとしたのか。

それは――――。

 

「――君は、人間を愛しているからだ」

 

最初に彼女はこう言っていた。自分は冥界の女神としての役割を逸脱してはいないと。

きっとその通りなのだろう。冥界は生者が死後に訪れる地であり、何年生きようとも遍く生者は最後にはここに堕ちることとなる。

しかし、例外が存在する。

魔術王が成した偉業、人理焼却だ。

あれは人の歴史そのものを燃やし尽くす。魂ですら跡形もなく消え去るのだ。あれに巻き込まれれば死者の魂はどこにも辿り着けずに消えてしまう。

彼女はそれは防ごうとした。

手を伸ばしても守れぬ命、救えぬ命。ならば、せめて残されたこの特異点の命だけでも自らの庇護に置こうとしたのだ。

彼岸である冥界は人類史の影響を受けない。ここは寒くて何もない不毛の土地ではあるが、同時に最後のシェルターでもあったのだ。

 

「な、なによ……私が、あなた達を好いているですって?」

 

「うん、俺はそう思った」

 

「でなきゃ、あそこで心が折れるものか。こいつに僕が見出したものと同じものを視たんだろ、あんたは?」

 

弱い心と体で、荒波に立ち向かわんとする気高さに憧れた。

吹けば飛ぶような命なのに、懸命に生きる様に憧れた。

人の歴史も営みも何もかもが焼き尽くされたこの人類史の中で、今、最も輝いているものが立香とマシュの生きたいという意志だ。

死が怖くないわけではない。恐ろしくないなんて間違っても言えない。それでも歩みを止めることはしない。震えることはあっても最後には一歩を踏み出す。

から元気を振り絞り、精一杯に笑いながら明日を目指して歩き続ける。

まだ見ぬ明日を、今日と同じ笑顔で迎えられるように。

それこそが人理の礎。人類の歩みそのものだ。

だから、死の女神であるエレシュキガルは立香を殺すことができなかった。

死は生き抜いた果てに辿り着くもの。死者の魂を導く彼女は、ここで数多の命の軌跡を見てきたはずだ。

無力の内に死んだ善人もいれば大往生を迎えた悪人もいたかもしれない。そのひとつひとつに物語があり、どれもが鮮烈に輝いた果てに燃え尽きたものばかりのはずだ。

その光を目にしたからこそ、彼女は人間を守らなければならないと決意した。

人が生み出したものはとても美しい、人生は汚れていてもその輝きは尊い。

美しい輝きを汚すことは、それこそ命を燃やし尽くした死者の魂への冒涜だ。

 

「やめて……来ないで! 私、生者とか大嫌いだから! 私の死者(もの)にならないのなら、私を理解しようとしないで!」

 

精一杯の拒絶を示しながら、エレシュキガルは後退る。

その先にあるのは崖だ。そこから落ちれば、冥界の最下層の更に下である深淵まで遮るものは何もない。

落ちてしまえば女神とて這い上がれるかはわからない原初の海だ。

立香とカドックはエレシュキガルを連れ戻さんと駆け出すが、それよりも彼女が身を翻す方が早かった。

これでは間に合わない。

そう思った刹那、冥界の霊峰に低い男の声が響き渡った。

 

「……愚かな。やはり、お前ではそれ止まりよ、エレシュキガル」

 

剣閃が走る。

エレシュキガルが崖から身を投げ出すよりも早く、背後に降り立った老人が手にした剣を振り下ろしたのだ。

突然のことにエレシュキガルはおろか他の誰もが驚愕し、鈍い輝きが鮮血を迸らせるのをただ見ていることしかできない。

 

「未熟。あまりにも未熟。意地を張るのであれば、それはこの後であったろうに」

 

「エレシュキガル!? 貴様、何者!?」

 

(こいつ……そうだ、ウルクにいた浮浪者!? ジウスドゥラ!?」

 

以前、立香と共に食べ物を恵んだ足が不自由な老人だ。

意味深な助言を残して煙のように消え去ったはずの彼だが、やはり只者ではなかったらしい。

だが、どうして冥界にいて、何故エレシュキガルをその手にかけたのだろうか?

 

「落ち着け、私が斬ったものは命にあらず。あの者の同盟の契りなり」

 

激昂したイシュタルの攻撃を涼しい顔で捌きながら、ジウスドゥラは告げる。

見ると、真っ二つに両断されたように見えたエレシュキガルの体には傷一つなく、血も流れていない。

あれはそのように見えていた錯覚だったのだ。

 

「エレシュキガル!? 良かった、ケガはない?」

 

「え、ええ……ちょ、ちょっと近いのだわ! まだ早いのだわ!」

 

立香に抱き上げられ、顔を真っ赤に染めながらエレシュキガルは小さく抵抗する。

その気になれば逃れるのも容易だろうに、されるがままにされているのは満更ではないからだろうか。

その辺の事情はおいおい聞くとして、まずは目の前の老人だ。剣を収めたジウスドゥラはギルガメッシュ王とイシュタルに睨まれても動じることなく佇んでおり、静かにこちらの言葉を待っていた。

どれだけ注視しても彼から読み取れる情報は何もない。サーヴァントであるならば気配でわかるし、人間ならば先ほどのような神域の剣術など振るえるはずもない。

生者でも死者でもない。この老人はいったい何なのであろうか?

 

「あんたは、何者なんだ?」

 

「さて、埒が明かぬ故、深淵より針を進ませに参った。なに、同じ境界(くに)のよしみ、というヤツだ。さて、本当に語るべきことはないか、冥界の女主人よ?」

 

「……ええ、そうよ。こいつの言う通り、私は人理焼却を見過ごせませんでした。ここには何もないかもしれない。光のない空、明かりのない地表、花の芽吹かない泥! でも静寂と安寧だけはある。死の安らぎだけは、どの世界にも負けないもの!」

 

「そうだ。やがてここには死した人間が訪れる。その者達への思いがこの地をここまで育て上げたのだ。いずれ死する運命にある者達のために、お前はこの冥界の主人足らんとしたのだ。それを愛と言わずなんと言う?」

 

死を忌まわしい恐怖に落とさず、尊び、その後に残る魂を彼女は守ろうとした。

だが、彼女には魔術王に抗う力はない。抗えないと悟ってしまったが故に、一人でも多くの魂を冥界で保護しようとしたのだ。

それが例え、何万もの魂の怨嗟に囲われた孤独であったとしても、彼女はヒトを愛する女神としてそうせざる得なかったのだ。

けれど、その果てに彼女はきっと後悔することだろう。

何万の魂だけでも救えたとは思わず、何千億もの魂を救えなかったと嘆いたはずだ。

救ったはずの魂に何れ彼女は苦しめられることになったはずだ。

 

「でも、もうそれも終わり。私はもう何人もその手にかけてしまった。今更、善人面してあなた達に協力したところで…………」

 

「何を言っている? 衰弱死した者の遺体であれば、全て保管済みだが?」

 

「ホントに!?」

 

落ち込むエレシュキガルに対して、ギルガメッシュ王は何とも言えない侮蔑に満ちた視線を向けながら吐き捨てた。

言葉の端々から伝わってくるのは失望だ。お前、神格なんだからもっと気合入れてやれよと言わんばかりの見下しっぷりだ。

 

「ああ、僕も医者として何度か立ち会ったが、外傷もないので槍檻から魂を解放すればすぐにでも蘇生するだろう」

 

「ゴルゴーンの被害に比べれば貴様の被害など知れている。クタ市の人口900人、ウルク市での被害300人。合わせてたった1200人だ! ジグラットの地下を解放すれば容易く収容できる!」

 

ケツァル・コアトルは誰一人として殺していないが、密林を広げて二都市を占領しているので実質、エレシュキガル以上の数の人間を巻き込んでいる。

加えて殺害方法が衰弱死なので家屋や財産にも手をつけておらず、被害総額で言えば三女神の中で断トツに下だ。

寧ろ、半年もかけて何故この程度しかできなかったんだと慰めてやりたい。

 

「そ、それはそれですごいショックなのだわ! 私、かつてないほどやる気出したのに!」

 

それが決定打となったのか、エレシュキガルはぐったりと立香の腕にしな垂れかかる。

何とも締まらない纏まり方だが、とりあえず冥界での目的は果たしたと言えるだろう。

 

「エレシュキガル、俺達と一緒に戦って欲しい」

 

「う、うん……でも、今まで敵対していたのに、いいのかしら?」

 

「面倒な奴だ。なら、あんたの命はこいつの預かりってことでどうだ? こいつが見捨てたら僕が容赦なくあんたを凍らせる。それでいいだろう?」

 

「そう、彼に借りができたって訳ね。いいでしょう、私も女神として責任は取ります。カルデアのマスターに救われた恩、我が名に賭けて返してみせます。それまではサーヴァントとしてではなく、一柱の女神としてあなた達に協力することを約束しましょう」

 

(よし、女神から契約を引き出した。これで彼女は下手にこちらを裏切ることはできない)

 

神は人間と違ってその言葉自体に力が宿る。例え口約束でも交わした約定は強力な盟約(ギアス)となるのだ。

これで三女神同盟は事実上の決裂と見ていいだろう。

 

「あれ? 先輩、ローブの老人が居なくなっています!」

 

「本当ね、さっきまでそこにいたのに」

 

「君の眼でも気づかなかったのか? ドクター、そっちで何か記録されていないか?」

 

『いや、その……誰? ローブの老人なんてこちらには影も形も見えなかったけど……』

 

(カルデアの計器では映らない人物? それにアナスタシアの魔眼にも引っかからなかった……)

 

益々、ジウスドゥラという人物がわからなくなってきた。

仮にその名前通りのジウスドゥラ本人であったとしても、英霊であるジウスドゥラに冥界を行き来したり形のない神の約定を切り裂く力などあるだろうか?

残念ながら冥界の闇からはこれ以上の答えは返ってこず、カドック達は僅かな疑念を残したまま地上への帰路へと着くことになった。

 

 

 

 

 

 

その日の夕方、カドックとアナスタシアは冥界で約束した通り、ギルガメッシュ王の健康診断のためにジグラットを訪れた。

一度、死んだのが良かったのか、魔術による精査やアナスタシアの魔眼では不調な部分も見つからず、ギルガメッシュ王の体は半年間も働き詰めであったとは思えないほど健康体であった。

ただ、今までの生活を続けていてはまた同じことを繰り返してしまうかもしれないため、栄養だけはきちんと取るようにと念を押して診察は終わった。

その出来事は、その帰りの事だ。

大使館へと戻ってきたカドック達は、家の前で老婆と話し合う立香達とばったり出くわしたのだ。

 

「あ、お帰りなさい、おふたりとも」

 

「キリエライト、何か新しい依頼か?」

 

「いえ、そうではありません」

 

首を振るマシュは綺麗な花で作られた冠を手にしていた。

それを見たカドックは、老婆の正体がアナがよく手伝いをしに行っている花屋の婦人であることに気が付いた。

 

「ああ、いつぞやの先生じゃありませんか。その節はどうも」

 

「婆さん、ひとりでここまで来たのか?」

 

彼女は目が不自由だ。自分と同じように物の影くらいしか見えないというのに、よくここまで来れたものだと感心する。

 

「あの小さな女の子にね、たいそう良くしてもらったからお礼に来たのですよ」

 

元々、家族とも折り合いはよくなかった。

目が不自由な癖に偏屈な性分が災いし、家族の反対を押し切って形だけの花屋を続けていたのだ。

そのままひとりで寂しく死んでいくものと彼女自身も思っていたようだが、アナが手伝うようになってからそんな毎日にも変化が出てきたらしい。

ロクに手入れもできず、枯れていくばかりだった花の手入れを共に行い、アナが呼び込んだ客の相手をし、空いた時間は何気ない話をして時間を潰す。

ほんの数日のことではあるが、彼女にとっては若返ったかのような気分だったらしい。

 

「でも、そんなあたしも例の病気にやられてねぇ。昨日までおさらばしていたんだ。家族はあたしを旅立たせようとしてくれたし、あたしもそれを受け入れた。でも、あの子があたしの体に縋ってくれたんだ。まだおばあさんは生きている、埋めないでって。あたしももう少しだけ生きてみたいと思ったんだろうねぇ。目を覚ましたらあの子が側にいてくれたことに気づいたんだ。その時、はじめてあの子の顔に指を当てて……」

 

見えぬ目でアナの顔を視た老婆は悟ったらしい。この子はきっと美しい女性になると。

だから、布なんかで隠さずに顔をお上げと言ったのだそうだ。

 

「けど、飾り気がないのは締まらないだろう? だから今日、何とかひとりで出てきたんだよ。あの子にこれを渡したくてね」

 

それがマシュの持っている冠――髪飾りなのだそうだ。

目の見えない老婆がこれを作り、ここまでひとりで来た。それだけで彼女のアナに対する思いが確かなものであると伝わってくる。

だが、生憎とアナは朝から牧場の手伝いに出ており、仕事を終えて戻ってくるまでまだかなりの時間がある。

 

「なに、そちらも忙しいだろう。気遣いは無用さ。ただ、あの子にはありがとうと伝えておいておくれ」

 

「はい、必ず伝えます」

 

「おばあさまに出会えたこと、きっとアナちゃんも嬉しかったと思います」

 

「そうかい? ありがとう、あんた達も優しそうな子だ。あの子は無口で不器用で怖がりだったけど、あんた達が側にいるのなら、きっと楽しかったんだろうねぇ」

 

こちらを見回しながら、老婆は小さく笑う。

その笑みから覇気は感じられない。

元よりエレシュキガルの衰弱死は体力が衰えた者が罹患する病のようなもの。この老婆がそれに罹ったということは、彼女自身の体にはもう生きるための力がほとんど残されていないことを意味している。

若者かギルガメッシュのような例外ならば十分な休息と栄養を取る事で回復できるだろうが、年老いた彼女ではそれも難しいだろう。

遅かれ早かれ、彼女は冥界へと旅立つ運命にある。

それでも、きっと彼女は後悔なく旅立てるはずだ。

最後にもう一度だけアナと出会えたこと、そしてアナの家族である自分達と出会えたことで、彼女の中に確かな安堵が芽吹いたのだから。

 

「そうか。ああ――安心した」

 

別れ際に彼女が残した言葉が、4人の心に深く刻み込まれて忘れることができなかった。




カドックとエレシュキガルの対比は狙ったものではなく六章の終盤を書いている内にいけるんじゃね、と思って盛り込みました。もちろん、細かい部分は違いますがお互い根っこの部分で「努力を認めて欲しい」って思いと、「これくらいなら自分でもできるかも」って妥協があったんじゃないかと思いまして。
そこから今度は厄介なものを押し付けられた者同士ということでエレぐだの対比を思いつきました。

目下の目標はカドックの新情報が出てくる前に描き切ること。
3月まで4章来ませんようにと願ってます(笑)
それだけあれば終局まで書ける…………はず。


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絶対魔獣戦線バビロニア 第14節

そして、運命の日が明日へと迫った決戦前夜。カドック達はゴルゴーンとの決戦のために北壁の要塞を訪れていた。

明日という日に備え、ウルクは持てる全ての力を駆使して準備を進めてきた。

兵士を鍛え、武具を揃え、神霊サーヴァントをも抱え込み、マルドゥークの斧も準備した。ギルガメッシュ王の口ぶりでは、更にまだ伏せられた秘密兵器まであるらしい。

これ以上はないくらいの準備を整え、決戦を迎えようとしている。

それでも不安は拭えない。戦争は今までも何度か経験してきたが、此度の戦いは恐らく今まで以上に激しく辛いものになるはずだ。

敵は複合神性ゴルゴーンと神造兵器エルキドゥことキングゥ。そして、数多無数の魔獣達。斥候の話では数はこちらの十倍であり、残ったサーヴァント達を全て導入しても押し返すことは不可能な軍勢だ。

それでもウルクの人々は戦うことを諦めない。例え自らが死ぬことになろうとも、明日への礎となれるのならと槍を振るう。

恐怖で怯えることはあっても、それを御して立ち上がる勇気をこの時代の人々は有している。

ああ、何て羨ましい。それだけの強さを何故、現代に生きる自分達は忘れてしまったのだろうかとカドックは自嘲した。

 

「おや、おひとりとは珍しい」

 

不意に声を掛けられ、振り返ると略装姿の四郎が立っていた。

 

「夜目は大丈夫なのですか?」

 

「この礼装があれば何とかな。それに、一人で少し考えたいことがあったんだ」

 

「それは申し訳ありません、お邪魔してしまいまして」

 

「いいさ。丁度、聞きたいことがあったんだ」

 

近くに置いてあった樽の上に腰かけ、四郎を呼び寄せる。

すると、今まで肩に乗っていたフォウが飛び降りて一目散に駆け出して行った。

その後ろ姿を追いかけると、鼻歌交じりで散歩しているマーリンの姿が目に入る。

フォウは陽気な足取りのマーリンの背後から飛びかかり、無防備な膝裏に容赦のない攻撃を受けたマーリンは盛大な音を立てて煉瓦の上へと転がった。

この時代に来てから度々、見るようになった光景だ。どうにもフォウはマーリンに懐かず、顔を見ると執拗なちょっかいを仕掛けている。

 

「またやっていますね」

 

「意外と仲がいいようにも見えるな」」

 

喧嘩するほど仲がいいというが、果たしてあの夢魔と謎の生物にどんな繋がりがあるのだろうか?

まさかと思うが、本当にフォウはキャスパリーグなのだろうか?

 

「ああ、良ければ聞かせてもらえませんか? キャスパリーグというのは何なんです?」

 

「何だ、知らないのか?」

 

「ええ、知りません」

 

にこやかに笑う四郎を見て、カドックは仕方がないなと苦笑する。

彼が嘘をついているような気もしたが、それを問い質す気にはならなかった。

あまり意味のないことだし、こうして知識を語るのは嫌いではない。何より今は無性に他人と――それもカルデア以外の人間と話したい気分だった。

きっと、最終決戦を前にして気持ちが少しナーバスになっているのだろう。

 

「キャスパリーグというのは、アーサー王伝説に登場する猫だ」

 

「猫……ですか?」

 

「雌豚から生まれた化け猫で、180人もの騎士を屠るほど巨大で獰猛な獣だったらしい。その毛皮はエクスカリバーの刃すら通さなかったそうだ」

 

「それ、本当に猫ですか?」

 

「猫だ」

 

「猫かあ……」

 

しみじみとした四郎の呟きに釣られて笑みが零れる。

確かに彼のアーサー王を圧倒した魔獣の正体が猫というのは締まりが悪い。だが、猫はその神秘的な雰囲気もあってか数多くの神話に結び付けられて考えられることが多い生き物だ。

古くは古代エジプトにおいて雄猫の眼が太陽神ラーの瞳と同じく形を変えることから神の使いとされ、雌猫はバステト神の象徴として崇拝されてきた。

国外への持ち出しも禁止され、遺体はミイラとして処置された後に丁寧に埋葬されていたらしい。

一方で、中世の時代になると欧州各地にも猫は流出し、悪魔の使いとして恐れられた。

宗教的な事情に加え、実際に魔術師が使い魔や生贄として重宝していたのだから当然と言えるだろう。

その迫害によって猫の個体数が減少し、代わりにネズミが増えてしまったことでペストが大流行したことについては人間達の自業自得であるが、とにかく猫というものは人類史において明暗どちらの側面にも関りが強い生き物だ。ならば、アーサー王伝説に登場するキャスパリーグが猫と伝えられているのもあながちおかしなことではないのかもしれない。

 

「ははっ、たかが猫と侮る訳にもいきませんね」

 

「だろ? まあ、だからといってフォウがあのキャスパリーグとは到底、思えないが」

 

「どう見ても犬ですね」

 

「いや、リスだろ」

 

その辺に関しては保護者的立場にあるマシュでも分からないらしい。

 

「そういえば、あいつがレイシフトについてきたのは今回が初めてだったな」

 

「今まではいなかったのですか?」

 

「ああ。というか、最初の内はほとんど僕とも顔を合わせなかった」

 

「へえ……良ければ、聞かせてもらえませんか? カルデアの生活とか、今までの冒険とか?」

 

「そんなに面白い話でもないが…………」

 

特にカルデアに来てから最初の一年は灰色染みた生活と言っていいだろう。あの頃のことは記憶には留めているがあまり思い出したくはない。

そんな毎日に彩りが生まれたのは、やはりあのファーストオーダーの日からであろう。

レフ・ライノールによる爆破工作と冬木へのレイシフト。アナスタシアの召喚、黒化したアーサー王との戦い。

そこから先は無我夢中だった。オルレアン、ローマ、オケアノス、ロンドン、北米、中東、そしてメソポタミア。

楽な戦いは一つとしてなく、時には立香とぶつかりながらもここまで歩みを止めずに来ることができた。

この二年近い日々は、嫌なことも多かったが、そのどれもが色鮮やかで鮮明に思い出すことができる。

きっとこの先も、聖杯探索の旅路を忘れることはないだろう。

だからこそ、悩んでしまう。

自分の中に生まれてしまった変化について、どうしても答えが出ずに悩んでしまう。

始まりは野心からだった。

自分の力を証明するために世界を救おうとした。

やがて、その歩みは一人の少年によって阻まれ、この旅の目的が彼の力になることに変わった。

世界を救うのは自分でなくても構わない。今、自分ができることを精一杯にこなそうと考えるようになった。

そして、ここに来てその思いはまたしても形を変えてしまったのだ。

 

「シロウ、僕は今、迷っていることがあるんだ」

 

「はい」

 

「僕は魔術師だ。合理的で冷徹な化け物だ。そのはずだったのに、ケツァル・コアトルとの戦いでミスをした」

 

結果的には最善の形で終結したとはいえ、当初の予定では太陽石を破壊してケツァル・コアトルを弱体化させ撃破するはずだった。

それを躊躇してしまったのは、自らのスタンスに変化が生じていたからだ。

より真摯に、より正直に、英霊達と――この世界と向き合いたいと。

だからあの時も、太陽石を砕くことができなかった。

ケツァル・コアトルが課した試練を、彼女が望む以上の形で乗り越えたいと思ったからだ。

冷徹に成り切れないウェットな自分がいることが意外で仕方がなかった。

これが成長なのか、それとも後退なのか、それすらもわからなくなっていた。

 

「このままじゃ、また同じことを繰り返すかもしれない。それがとても怖い」

 

グランドオーダーは人類史の未来がかかった大偉業だ。

やり直しは利かず、残る戦いは今まで以上に苛烈なものとなるだろう。そんな中で、私情から一瞬でも躊躇するような事態などあってはならない。

もしも、それを最悪の場面で引き起こしてしまえば、ここまで積み重ねてきたものが全て泡と化してしまう。

それが堪らなく恐ろしかった。

 

「カドック、あなたが一番、恐れていることはなんですか?」

 

「僕が?」

 

「皇女のことではありませんね。あなたの中では既に覚悟はできている。では、グランドオーダーの行く末ですか?」

 

「……違う。きっと、そうじゃない」

 

不意に脳裏に浮かんだのは、黒い何かが立香に忍び寄る光景だった。

込み上げた感情は、中東で立香がマシュと共に爆炎に消えた時と同じものだった。

それが意味するところに思い当たり、唇が小さく震える。

恐れているのは立香を失うことだ。

それもただ命が失われるということだけではない。彼の眩しい人柄が、憧れと妬みを抱かずにはいられない輝きが損なわれることを恐れているのだ。

ここで初めて、カドックは全てが終わった後の事を考えた。

このままグランドオーダーを完遂し、人理焼却を防げたとしよう。その偉業を成し遂げたという栄光は、果たして誰のものになるのだろうか。

自分は構わない。魔術師として箔がつくし、好奇の目に晒されることも覚悟している。時計塔の権力闘争に巻き込まれるのは少しばかりご免だが、それはまだ考える必要はないだろう。

だが、藤丸立香はただの人間だ。魔術とは無縁の一般人で、本当に偶然が重なったことでこの旅路に加わったイレギュラーだ。

人理修復の栄光は彼には荷が重すぎる。それを背負ってしまうと、もう彼は元の生活に戻ることができないだろう。

 

「あいつには、魔術の世界(ここ)じゃないところにいて欲しい」

 

彼の善性は一般社会の中で培われたものだ。これ以上、魔術世界に深く関わることで余計なものを目にしてしまえば、その水晶のような輝きに曇りが出るかもしれない。

だから、全てを成し得た後、彼には日本に戻って欲しいと考えている自分がいるのだ。

今生の別れとなっても構わない。

繋がりが断たれてしまっても構わない。

全てが終わったら、彼が彼らしく笑える世界に戻って欲しい。

そんな、魔術師らしからぬ親愛の情を抱いていることが意外でならなかった。

こんな風に考え始めている時点で、既に魔術師失格なのかもしれないが。

 

「魔術師に友達なんて、そもそもおかしいんだろうな。必要なら親兄弟とも殺し合う生き物なんだ……友情なんて、おかしいはずだ」

 

それでも、北米で自分と向き合ってくれたあのまっすぐな眼差しを裏切りたくないと思った。

彼の思いを、信頼を、二度と蔑ろにはしたくないと誓ったのだ。

例えそれが、魔術師としてどうしようもない歪んだ願いであったとしても。

 

「そうですね。部外者の私が言うのもどうかと思いますが……」

 

「お前、神父なんだろ?」

 

「なるほど、これは告解ですか。では、迷える子には答えなければなりませんね」

 

居住まいを正した四郎は、首から下げていた十字架を一度だけ握り締めると、真剣な眼差しで口を開いた。

 

「カドック・ゼムルプス。君は魔術師であるべきだ。その考え方、その在り方が彼の力となるだろう」

 

突き放すように、背中を押された気がした。

それは分かり切っていた答えを再確認させられただけだ。けれど、不思議と肩が軽くなった。

やるべきことは変わらない。するべきことは変わらない。

魔術師として、冷静に、冷徹に、友の力となる。

魔術師にとって人間性は不要なのかもしれないが、それでも貫ける友情はあるのだ。

彼にできないことを自分が成せばいい。

それは今までと何も変わらない。

自分にできなかったことを彼が成し得てきたように、彼では背負えないものを自分が背負う。それだけでいいのだ。

 

「いい宗教家になるよ、お前は」

 

「義弟ほどうまくはありませんよ」

 

「兄弟がいたのか?」

 

「ええ、彼ほど人の傷を開くことに長けた使徒はいません。何しろ、本人がひた隠しにしている裏の部分まで引きずり出してしまうのですから」

 

なるほど、それは恐ろしい話だ。

どんな人間だって後ろ暗い思いは抱いているもの。例え些細なことでも目の前に突きつけられれば堪らないだろう。

そんなことを嬉々として行える者が身内にいるとなると、四郎も大変だったであろう。

もしも、彼が生きていた頃の島原にレイシフトする機会があれば、その弟とやらに出会わないように気を付けなければならない。きっと、自分のような人間は絶対に敵わないだろうから。

 

「まったく、酷い奴だ」

 

「ええ、まったく」

 

お互いに苦笑し、小さく拳をぶつけ合う。

胸の隙間が埋まり、充足感にも似た感覚が込み上げてくる。

最後の夜に話せたのが彼で良かったと思えた。

カルデアのみんなとは、きっとこんな話はできないだろうから。

立香とはまた違う形の友達ができた、といって良いのだろうか?

サーヴァントが友達なんて、きっとおかしなことなのだろうが。

 

「カドックは、この聖杯探索が終わればどうするつもりなんですか?」

 

「そこまで考える余裕はなかったな。とりあえず、しばらくは身の振り方を考えるよ。得るものも失うものも多い旅だった……生き方の見直しぐらいしても構わないだろう。そういうお前は?」

 

「さて、此度の召喚では私の願いが叶いそうにありませんが…………そうですね、叶うなら座に帰還するまでの間、空の上で穏やかな時間を過ごしたいですね」

 

「なんだ、鳥にでもなりたいのか?」

 

「ええ、鳩のような気持ちになって、あの空の上で羽根を伸ばしたいのですよ」

 

「詩的な奴だ」

 

だが、悪くはない。なんにしたって穏やかな気持ちで最期を迎えられるのはいいことだ。

後悔を胸に抱いて、志半ばで果てるよりずっといい。

全てを出し尽くし、燃え尽きながら倒れるよりも素晴らしい。

自分もまた、そんな風にこの旅路を終えることができるであろうか。

その時はきっと、傍らにはもう誰もいないのだろうが。

 

「私はそろそろ戻りますが、どうされますか?」

 

「ああ、僕も戻るよ。きっとアナスタシアが気づいて待っているはずだ」

 

泣いても笑っても、明日になれば全てが決することになるだろう。

生き残れるかどうかはわからない。けれど、悔いのない終わり方をしたい。

そう決意を新たにし、カドックはその日の床につくのであった。

 

 

 

 

 

 

翌日。

ゴルゴーンが予告した刻限のきっかり一日前、魔獣戦線の兵士達は北壁を出立した。

無論、ここで全ての決着をつけるためである。

数、質ともに劣る人間側が悠長にゴルゴーンの進軍を待っていたのではどうやっても勝ち目はない。

故に、先手必勝で大将首を討ち取らんと電撃作戦を敢行したのである。

その先陣を切るのはウルク側に寝返ったケツァル・コアトルとジャガーマン、そして天草四郎だ。

3人は魔獣戦線の兵士達と共に平原で魔獣の群れを抑え込み、その隙にカルデア勢がゴルゴーンの拠点である杉の森の鮮血神殿に潜入するというのが作戦の内容である。

 

「いいな、前線で戦って良いのは半刻だけだ! 我々の個々の力は魔獣には及ばん! 体力が尽きた者は四陣にまで後退、休憩と槍の持ち替え! 呼吸を整えて次の出番を待て!」

 

「ここまで生き残った戦線の底力、今こそ王にお見せする時! 総員、かかれ!」

 

激突する魔獣の牙と兵士の盾。

集団で取り囲み、隙を突いて槍を突く。

個々の力では劣っていても彼らにはレオニダス一世に鍛え抜かれた筋肉がある、技術がある、人間の英知がある。

その計算高き戦法は魔獣の巨体を次々に沈めていき、鬨の声と共に魔獣戦線は前進を続けていく。

 

「おー、動物大戦争の始まりだニャー! 北壁の皆さんには到着早々、美味い肉を奢ってもらった! こんな出来るモノノフ達を見殺しにはできないニャー!」

 

普段のぬいぐるみ姿でジャガーマンは意気揚々とこん棒を振り回す。

一時は消滅寸前まで消耗していた彼女ではあったが、カドックに懇願されたケツァル・コアトルの温情で今日という日のために無理やり休息を取らされ、右から左に流れてくる肉を頬張るだけの日々が続いていたのだ。

コンディションは万全であり、ジャガーの加護も過去最高潮にノッテいると彼女は捉えていた。

 

「同感よジャガー。本来は喧嘩両成敗だけど、あの魔獣達はゴルゴーンに弄られている。戦闘能力と引き換えに生殖機能を失ったのね」

 

「元より主の理から外れたもの。ここでその命は還させてもらおう……っ!? ジャガーマン、伏せろ!」

 

言うなり、四郎はジャガーマンの背中に覆い被さる。

同時に無数の槍が先ほどまでジャガーマンが立っていた場所を通過し、地面に大きなクレーターを穿った。

 

「おや、サーヴァントがいるかと思えばケツァル・コアトルじゃないか? 母上の玉座以来だね。君がそちらにいるということは、三女神同盟は瓦解したと見ていいのかな?」

 

音もなく降り立ったのはエルキドゥ――キングゥだ。

まるでこうなることは分かっていたとばかりに淡々と、慇懃無礼気味に目の前の事実を確認する姿はこちらの神経を逆撫でする。

こちらの激情を誘うためなのか、単にそういう性格なのかは判断がつかなかった。

 

「残念だよ、聡明な君ならば母さんの嘆きを理解してくれると思ったのに」

 

「あら、思ってもいないことは言うものではありませんよ」

 

「どうかな? かつて征服者に文明を略奪された君にはシンパシーを感じていたのだけれどね」

 

キングゥとケツァル・コアトルが同時に大地を蹴る。

空中でぶつかり合う槍と剣。

火花を散らせながら降り立った2人は、そのまま互いの体に必殺の一撃をぶち当てながら舌戦を繰り返す。

どちらも自身の消耗を考慮しない荒々しい戦い方だ。

聖杯による無限の魔力を用いた再生、善なる者からは傷つかないという権能。

尋常ならざるタフネスを持つ両者の戦いは、それ故に遠慮も加減もない壮絶な殴り合いとなっていた。

 

「覚悟することねキングゥ、あなたを倒した次はゴルゴーンの心臓を抉り出す。それが私とマスターとの縁を繋いでくれたあなたの母への感謝と知りなさい!」

 

「馬鹿力どころか頭の中まで馬鹿一色だったとは。君に心底失望したよ」

 

キングゥが地面に手を添えると、大地が隆起して無数の鎖へと変化する。

並の魔獣であれば巻き付くだけで首をねじ切れる代物だ。しかし、ケツァル・コアトルは渾身の力で鎖を引き千切り、逃げ回るキングゥを追いかける。

振り下ろされるのは渾身の殴撃。女神の膂力で繰り出された一撃は金剛石すら容易く破壊するだろう。

それをキングゥは左腕を犠牲にして回避する。飛び散った血肉は即座に砂へと変換され、新たな腕が生え始めていた。

一見すると戦いは互角。だが、キングゥは内心で焦りを抱いていた。

全力でぶつかって互角。つまり、自分ではケツァル・コアトルを倒し切れない。

それはゴルゴーンにとって非常にまずい展開だ。

ケツァル・コアトルは南米の主神であり、ティアマト神の化身とはいえギリシャの魔獣でしかないゴルゴーンより遥かに格上の神格だ。まともにぶつかり合えばゴルゴーンでは太刀打ちができない。これは力や魔力の問題ではなく、相性の話だ。

そうならないように三女神の間では互いが傷つけあえば消滅を迎えるという約定を交わしていたのだが、ケツァル・コアトルはそれを承知で人間側に加担している。

果たしてそれは本気なのか、単なる方便なのか。何れにしてもキングゥはケツァル・コアトルを無視することができず、彼女の足止めを余儀なくされていた。

 

「さあ、どうしたのキングゥ? 律義に母親に魔力を送るのは疲れるでしょう?」

 

「減らず口を……なら、宝具で一気に……」

 

「いえ、ここまでよ!」

 

遥か彼方、鮮血神殿が鎮座する杉の森から光が昇る。

平原を迂回し、杉の森へと侵入したカルデアからの合図だ。

 

「あれは!? まさか、伏兵!?」

 

「ククルん、急げー!」

 

「ここは私達が!」

 

キングゥの注意が逸れた隙に、ジャガーマンと四郎が突貫した。

こん棒と刀、それぞれの得物がキングゥの体を引き裂き、ケツァル・コアトルの前線からの離脱を援護する。

 

「お前達、まさか!!」

 

「そう、そのまさかデース!」

 

一気に北壁へと舞い戻ったケツァル・コアトルが持ち上げたのは、小さな山ほどの大きさを誇る巨大な斧だ。

それこそかつて、ティアマト神の喉を切り裂き息の根を止めたと言われる神の武具。

太陽の若き雄牛の名を持つマルドゥーク神が振るった神殺しの大斧だ。

それを今、ケツァル・コアトルは持ち前の怪力で持ち上げると、合図が上がった杉の森へと向けて思いっきり放り投げたのである。

あまりの大きさ故に武器として振るうには適さず、また戦場まで運ぼうにも目立ち過ぎる上に輸送の手間もかかる。

だが、この方法ならば諸々の手間を省いて一気に杉の森まで誰の邪魔をされることなく斧を運ぶことができるはずだ。

予定ではこの後、カルデア達がこの斧を用いてゴルゴーンと戦う手筈になっている。

そう、これこそが今回の電撃作戦の要。ケツァル・コアトルを始めとする北壁の精鋭達は、カルデアへ最後の希望を届けるためにこの平原で魔獣達の囮となったのである。

 

「マルドゥークの斧……ティアマト神の化身にはさぞや効く特攻でしょう。さあ、後は任せましたよカルデッ!? スーイーシーダー!!!!?」

 

役目を果たし、後はここでキングゥの足止めに専念するだけ。

そう思った刹那、ケツァル・コアトルの体が弾け飛んで地面へと落下する。

同時にあれほど漲っていた神気が風船のように萎んでいき、身に纏っていた権能すらも力を失ってしまった。

微妙に遠退く意識の向こうで、ケツァル・コアトルは取り返しのつかない事態を引き起こしてしまったことを直感する。

三女神同盟の不可侵の契りを破ってしまったのだ。

 

「うむ、スイシーダとはスペイン語で自殺の意! あんなに山盛りだったククルんの神性が半分以下に……」

 

「き、消えていないところを見るに、不可抗力みたいデスねー」

 

ゴルゴーンが出てきた気配は感じられないので、投擲したマルドゥークの斧が鮮血神殿の外壁を傷つけてしまったのだろう。

恐らく、手元が狂ったのか誘導役のマーリンがへまをしたのかのどちらかだ。

もしも、後者であるなら後でしっかりとお返しをさせてもらわなければならない。

そして、段取りは狂ってしまったが、これでゴルゴーンの力は大きく削がれたはず。

異なる神話体系の神が権能を振るうためには神殿が不可欠だ。

ケツァル・コアトルならば太陽神殿、ゴルゴーンならば鮮血神殿のように、その地に根を下ろさなければ神霊とて亡霊の一種に過ぎない。

依然、強敵であることに変わりはないが、今ならばカルデアのサーヴァント達でも十分に勝機はあるはずだ。

 

「そこまでして人間の味方をするのか、ケツァル・コアトル!?」

 

「ええ、ここまでする気はありませんでしたが、結果的にそこまでしてしまいましたとも! でも、私の手助けはここまでよ。ゴルゴーンを討つのは人間の役割だもの」

 

「……っ! しまった、ここにあの女神の幼体がいない!」

 

文字通り食らいつくジャガーマンを振り払って四郎にぶつけ、キングゥは忌々し気にケツァル・コアトルを睨みつける。

心底からの怒りがあった。

手を煩わせるだとか、小賢しい真似をといった侮蔑の感情はない。

その目に宿っているのは不安と怯え、そして真性の怒りだ。

それだけでケツァル・コアトルにはキングゥの思いが読み取れた。

真意がどこにあるのかはわからないが、少なくともキングゥはゴルゴーンの身を本気で案じている。

 

「命拾いしたね、ケツァル・コアトル。君の始末はゴルゴーンを助けてからだ」

 

魔獣の群れを足止めに使い、キングゥは杉の森へと取って帰る。

残念ながら女神の契りを破り、力を失ったケツァル・コアトルではそれに追いすがることはできなかった。

後は、カルデアのマスター達の運を信じるしかない。

どうか、キングゥが戻る前に全てに決着がつくことを、祈る事しかできなかった。

 

 

 

 

 

 

一方、遥か何十キロも離れた杉の森。

轟音を立てて鮮血神殿の一部が崩落すると共に、遠くから空を裂かんとするかのような女神の悲鳴が木霊する。

やってしまったと苦笑するマーリン。

呆れ果てて言葉を失うイシュタル神。

他の面々も似たようなものだ。

ここまで時間が許す限り準備を進め、少ない選択肢の中から最上のものを選び取った。

その上で、どうして肝心なところで大ポカをやらかしてしまうのだろうか?

 

「いやあ、手が滑ってしまったものは仕方がない。まさか杖がビーコンになって斧をあらぬ地点に誘導してしまうとは、失敗、失敗。でもまあ、おかげで結果オーライだぞ、みんな! ケツァル・コアトルの尊い犠牲を無駄にしてはいけない!」

 

「ちっとも反省していないな、この人でなし!」

 

「フォウ! フォーウ!」

 

飄々と嘯くマーリンの背中にフォウと共に蹴りを入れながら、カドックは怒鳴り散らした。

恐らく、グランドオーダー始まって以来の大失態だ。

本来ならばケツァル・コアトルが投げた斧を回収し、マーリンの力で鮮血神殿ないしゴルゴーンにぶつける手筈となっていた。

だが、事もあろうかマーリンは自分達が安全圏に離脱する前にケツァル・コアトルに合図を送ってしまったのだ。

あれほどの大きさの斧ならば、例え当たらずとも衝撃だけで一たまりもない。

せめて三百メートルは離れた位置を指定しなければならなかったのだが、マーリンが太鼓判を押すものだからすっかり任せきりにしたことが仇になってしまった。

結果、咄嗟にマーリンはビーコン代わりの杖を自分達から離すために放り投げたのだが、うっかり鮮血神殿の方角に向けて投げてしまったものだから、マルドゥークの斧は鮮血神殿の外壁を破壊してしまったのである。

 

「嫌な事件だったわね」

 

「ああ! フォウさんがマウントを取ってマーリンさんの顔にビンタを!?」

 

「皇女様、さらっとマーリンの足を凍らせて2人のフォローするの止めようね。今、作戦中だから」

 

「いえ、この際徹底的にやるべきです。主にマーリンは死ぬべきです」

 

「ええ、滑らかに死になさい」

 

『みんな、ちょっと冷静になって! そこが敵の本拠地だってことを思い出して!』

 

確かにその通りだ。

一通り蹴っ飛ばして怒りを鎮めたカドックは、尚も執拗にマーリンを攻撃し続けるフォウを引き剥がして肩に乗せると、外壁が崩れ落ちた鮮血神殿を改めて見回した。

遠く離れた平原は戦場と化しているが、神殿の周囲には見張りの影すらない。どうやらキングゥは全ての軍勢を引き連れて囮部隊の迎撃に出てしまったようだ。

迂闊、と見下すのは短絡であろう。魔獣達は皆、ティアマト神の子ども達。我が子であるはずの神々に弓引かれ、人界創世のための供物とされた恨み。引き裂かれた五体を糧として霊長類が繁栄を謳歌したことへの憎しみ。万物の母でありながら不要とされたことへの怒り。

それらを受け継いだ魔獣達は決して人間を許してはおけず、本能の赴くままに食らいつかんとする。

その習性はキングゥとて御すことができないのであろう。

同時にそれは好機でもある。未だ、鮮血神殿に籠り続けるゴルゴーンを守るものは何もない。

神殿を破壊され、神性が低下している今ならば倒すこともできるはずだ。

 

「うむ、その通りだ。私達は私達の為すべきことをしよう」

 

立ち上がったマーリンが、転がっていた自身の杖を拾い上げて高らかに宣言する。

この時、このメソポタミアの地が今までの特異点とは根本的に異なる、未曽有の事態に陥ることになると、誰一人として知る者はいなかった。

七つの特異点。その七番目における最後の戦い。

そこでカルデア(星詠み達)は、悲しくも恐ろしい獣の慟哭を耳にすることになることを、まだ知らなかった。




カドックが本シリーズはおろか、原作の時点で結構、感情論で動いていることは密に密に。


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絶対魔獣戦線バビロニア 第15節

足を踏み入れた瞬間、世界が一変した。

空気が一変したとでも言えばいいのだろうか?

鮮血神殿は、外観こそ変哲もないギリシャ風の建築だったが、その中は凡そ人が正気でいられるものではなかった。

肉が蠢いている。

明滅するそれは動脈を流れる血の輝きか、はたまた悍ましい何かの胎動か。

床は柔らかく波打っており、壁は幾何学的に捻じ曲がっていて正確な形を捉えることができない。

全体を視界に収めようとすると脳が本能的に拒否を訴え、壁の形を視線で追えばいつの間にか天井や床の傾きを目で追っていた。

床も壁も天井も、全てが醜悪に歪んだ肉の塊で構成されているのだ。

これではまるで、巨大な魔獣の腹の中だ。

薄暗いのがせめてもの救いだった。これを明るい場所で直視すれば、きっと正気を保てない。

それでなくとも、蓄えられた主の怨念は泥のように淀んでいて、侵入者の正気を熱せられたゴムか何かのように少しずつ溶かしていくのだ。

狂気の大本はずっと奥にいてまだ目にしてもいないというのに、恐怖と不安で体が強張り逃げ出したくなった。

これが貶められた女神の憎悪なのだろうか。この神殿内に漂う大気すら人間達に敵意を持ち、排斥せんと渦巻いているかのようだ。

何かが違う。

今までも強い恨みや狂気を抱いた敵と戦ってきた。だが、この鮮血神殿は根本からして何かが違う。

この感覚は、まるで魔神柱やジル・ド・レェの大海魔を相手取った時のような、悍ましい寒気と冒涜的な恐怖を伴っていた。

 

「何でしょう、この辺りから壁一面に繭のようなものがありますが……」

 

襲撃を警戒し、最前衛で盾を構えながら進むマシュが訝しむ。

覗き込むと、確かに通路の一画から大きな繭のような肉の塊がいくつも並んでいる。

明滅しながら心臓のように脈打つその塊は、まるで虫か魚の卵か何かのようだ。

では、これはゴルゴーンが産み落とした魔獣達の卵なのだろうか?

 

「見ない方がいい。あまり気持ちの良いものではないからね」

 

「ごめんなさい、少しだけ手を……」

 

「アナスタシア?」

 

懇願され、戸惑いながらもアナスタシアの手を掴む。

怯えているのか、体が小さく震えていた。掴んだその手もいつも以上に冷たい。

遮断することのできない透視の魔眼で何かを視たのだ。

それがアナスタシアの精神に強い負荷をかけている。

強力な精霊使いであるアナスタシアの唯一の弱点ともいえるものがこれだ。

能力の性質上、どうしても相手を視なければならず、例え醜悪で嫌悪を掻き立てるもの、恐怖や狂気を誘う亡者であっても常に視界に収めなければならないからだ。

 

「これは……」

 

「そんな……これは……この影は…………」

 

繭の中を覗き込んだ立香とマシュが言葉を失う。

その中で蠢いているのは、魔獣達に攫われた人間だったのだ。

羊水のようなものに浮かべられた彼らは手足を溶かされ、辛うじて人間としての形を残したまま体を内側から別のものへと作り替えられていっている。

さながら、昆虫に卵を植え付けられた苗床だ。

生まれ落ちた幼虫は苗床となった生き物を貪ることで栄養とするが、それと同じように彼らは魔獣達を自分自身の肉体から生み出しているのだ。

彼らは最早、悲鳴すら上げることができない。引き千切れた手足から形作られた魔獣達が羊水の中で少しずつ大きくなり、やがて成体となってこの繭を突き破るのだろう。

繭の中には十や二十の魔獣達に分化しつつある者もいた。

 

「ゴルゴーンを殺すわよ。私も他の女神の事は言えないけど、これはやり過ぎよ。人間に復讐するために、人間以上の生産性を求めたなんて、本末転倒だわ」

 

眉間に皺を寄せながらも、憐れむようにイシュタル神は言葉を漏らす。

ゴルゴーンは人間を憎んでいる。

それは生命の母としての自身を排斥されたティアマト神の怒りであり、美しい女神でありながら魔獣へと堕落し討ち取られたゴルゴーン三姉妹としての怒りだ。

自らを大地の糧として栄えた人間。

自らの死後すらも辱めた人間。

彼らに復讐するため、ゴルゴーンは憎き人間達を殺し尽くすことを望んだ。

だが、そのための手法は余りに冒涜的だ。

女神は人間達を利用している。

人間がその繁栄の裏で数多くの自然を侵し、命と資源を浪費してきたように、ゴルゴーンは人間をこの世界における最大の資源として活用し数を増やしたのだ。

それは人を魔獣へと変質させる外法の所業。

新たに生れ落ちた魔獣は、全て攫われた人間達なのだ。

人間としての記憶も理性も溶け落ち、魔獣としての憎悪と力を埋め込まれる。

彼らはどちらでもない。ヒトでもなければ獣でもない。

事が済めば魔獣達からも切り捨てられる紛い物。かといって、人間に戻るにはその身は異質に転じ過ぎている。

人間を上回る生産性を得るために、女神は魔獣でも人間でもない別の何かを産み落としているのだ。

イシュタル神が言うように確かに本末転倒だ。

そして、こうなってしまった以上、彼らを助けてやることはできない。

既に彼らは魔獣としてその身を変質させられている。如何なる魔術、奇跡を用いても元に戻すことはできないだろう。

 

『みんな、キングゥが戦線を離れて猛スピードでそちらに向かっている。急いでくれ、ゴルゴーンとキングゥ、その両方を相手にしては勝ち目はないだろう』

 

「――――行きましょう。今は戦う時です」

 

唇を噛み締めたアナは、強い眼差しで鮮血神殿の奥を睨む。

未来の自分の姿。その行きついた果てを垣間見て、果たして彼女は何を思ったのか、それを知る術はない。

それは妄りに踏み込んではいけない領域だ。

ただ、彼女は戦うことを選択した。

憎しみに蝕まれ、世界をも喰らわんとしている魔獣の女神を打ち倒すために。

進む足取りに、ニップル市での怯えは感じられない。

恐怖で足が竦んでいた彼女はもうここにはいないのだ。

なら、自分達はその選択を尊重し、彼女の力になるまでだ。

それが仮とはいえ家族を演じてきた自分とアナスタシアにできる、唯一の術であろう。

 

「いるね、この洞窟の壁にぐるりと、あの長い尾が巻かれている」

 

アナの案内で辿り着いた最奥。スプリガンくらいなら数体は余裕で収まり切る広さを有したその部屋は、今までよりも一層、血生臭い腐臭に侵されていた。

マーリンが言う通り、壁一面に節くれだった蛇の尾が張り付いているのが分かる。

束ねられ、重なり、とぐろを巻くのは憎しみの魔獣。

濃密な魔力はいるだけで気が遠退きそうになる。

ここにいる。

頭上に、眼前に、意識の外に、両の眼を爛々と輝かせた蛇が獲物を見定めている。

神殿を破壊され、神性が堕ちても尚、これだけの神気を纏った神代の獣。

これだけの力を有した女神が、黒く汚れ堕ちるまで憎しみに駆られねばならなかったことが堪らなく悲しかった。

 

「騒々しいな、人間ども。ここをティアマト神の寝所と知っての狼藉か?」

 

尾が脈打ち、巨大な女性の半身が暗闇から姿を現した。

まるで天井から吊り下げられたマリオネットだ。肥大した彼女の憎しみはこの鮮血神殿そのものと一体化しているのだ。

ここは彼女の棲み処なのではなく、女神の神体そのものだ。

魔獣の腹の中という捉え方も決して、気の迷いではない。

 

「なぜです、女神ゴルゴーン! あなたは人間に復讐すると言った! 土地を奪われた獣達の女神になると! でも、それがあの行為に結び付くのですか!?」

 

霊長の長は人間かもしれないが、それは結果論に過ぎない。

魔獣達が人間の土地を奪い、王国を作るというのなら、その行いに対して人間は抗うことはできても否定する権利はない。

何故なら、同じことをかつての人間達もしてきたからだ。

だが、兵士として生み出された魔獣達は皆、人間を材料にして作られたものだ。

ヒトにも獣にも属せぬ異形の混ざりもの。あれではどちらも救われない。

 

「ゴルゴーン、あなたはいったい、何に復讐したいのです!」

 

マシュの一喝に、しかしゴルゴーンは動じない。

聞き分けの悪い子どもを諭すように、ゆっくりと、静かに口を開く。

体の大きさがここまで違わなければ、あの鱗に覆われた手で強く、優しく、抱きしめられていたかもしれない。

恐ろしさのの中にも確かな母性がそこにはあった。

 

「復讐に手段も結果もないと分からぬか? 救いを与えるだの、代償を得るだの……それはまだ立ち上がれる者が考えることだ。全てを奪われた者が求める者は、より凄惨な贖いのみ。富が戻ろうが、土地が戻ろうが、それが何になる? 我々にはもう……何もないのだ」

 

愛しい子ども達は皆、巣立ってしまった。

守り続けていた土地は時代と共に移り変わり、最早、かつての姿を留めてはいない。

ここにはもう、彼女が守り続けていたものは何一つとして残されていない。

その代償を得たところで、それはそれでしかないのだ。

代わりにすらならないのだ。

欲しかったものは、守りたかったものは、とっくの昔に失われてしまったのだから。

 

「最早、欲しいものなど何もない。あるのは貴様らへの復讐心だけ。全てを殺し、全てを踏みにじり、この世界を殺し尽くし、自らも殺し尽くす。それが復讐者だ。それが私の求めるものだ」

 

それだけの憎しみを、彼女は人間から――否、世界から与えられた。

行き場のない怒りと憎しみ。それこそが復讐者のクラスとしての定義の一つなのだろう。

彼女に道理を唱えても無駄だ。既に心がねじ曲がり、自分自身ですら制御できずにいる。

その身を一体化した神殿が全てを物語っている。

際限なく湧き上がる憎悪を糧として魔獣は産み落とされている。その憎しみが途絶えぬまで魔獣は増え続け、世界を覆いつくし、やがては魔獣同士で相争って全てを無に帰すだろう。

かつてフランスで遭遇し、戦ったジャンヌ・オルタと同じだ。

彼女が掲げた邪竜百年戦争。それと同じことをゴルゴーンもまた、行おうとしている。

 

「そこな人間、人類最後のマスターよ。貴様達ならばわかるであろう? 我が復讐に理を感じたのなら頷くがいい。我が意に沿うのなら、貴様達を生かしてやってもいい。全てを殺し尽くした後、残った無人の荒野に解き放ってやる」

 

そこには生きて動くものはなにもない。

空は堕ち、地は裂け、海は干上がり、文明の残滓は何もかもが溶け落ちている。

鳥も獣も姿を消し、草花は種子すら残せず滅菌された不浄の地が地平線の果てまで広がっている世界。

そんな終末の世に残されたのはたった2人のマスターのみ。

彼らは語り部であり、焼き尽くされた歴史の波に浮かぶ特異点という小島で永遠の時を嘆きながら生きる。

何て悪辣な提案なのだろう。

命惜しさに世界の全てを差し出せと、ゴルゴーンは言っているのだ。

断るようならば、容赦なくこの場で食らい尽くすと彼女は言ったのだ。

 

『――――憎しみを持つ者に理解を示してはならぬ――――』

 

あの日の記憶が鮮明に蘇る。

足の不自由な老人。

彼の人が言っていた助言の意味、それを今ならばハッキリと理解することができる。

ゴルゴーンの、女神の言葉に乗せられてはならない。

これは甘言で、これは策謀で、これは戯言だ。

そこに理なんてありはしない。

憎いから殺す、彼女はただそれだけの理屈で動いている。

何もかもを奪われた女神にとってそれは正当な権利なのかもしれないが、決して許してはいけない所業だ。

筋の通った理屈など、復讐者に求めてはならないのだ。

その憎しみに正当性を与えてはならないのだ。

 

「何を言っているのか、全然わからない」

 

「悪いが、あんたの理屈は証明できそうにない」

 

立香とカドックは、同時に答えていた。

片や考える事すら放棄して頭から否定し、片や考え抜いた末に答えはないと切り捨てる。

それが2人の答えであった。

希望は決して篝火を絶やさない。そして、その輝きを羨む者は決してそこから目を逸らさない。

ゴルゴーンに取って運のツキだったのは、自分達2人を同時に相手取ってしまったことだ。

どちらか一方ならば、或いは万に一つの可能性として懐柔できたかもしれない。

ゴルゴーンの復讐には正当性があると、無意識に理を当て嵌めてしまったかもしれない。

だが、ここにいるのは人類最後のマスターだ。

六度の絶望を乗り越えてきた、人類最強の分からず屋だ。

たかが女神の誘惑に耳を貸すほど、軟な修羅場は潜っていない。

どちらかが諦めないというのなら、もう一人もまた不屈を貫くのだ。

 

「残念ね、ゴルゴーン。人間は確かにあなたから奪ったかもしれない。けど、だからといってあなたの憎しみを理解しろと言うのは酷ではなくて?」

 

「あなたに復讐する権利があろうとも、わたしはあなたを認めません。その姿はあなたの心そのものです!」

 

続くアナスタシアとマシュの言葉にゴルゴーンは答えない。

強く唇を噛み締めたまま、湧き上がる怒りを抑えきれずに体を震わせている。

すると、壁に巻き付いている尾までもがそれに釣られて動き出し、鮮血神殿が地震にあったかのように揺れ始めた。

 

「八! 皮肉の一つも返せないなんて、完全に言い負かされたわねゴルゴーン! 聖杯の力で女神になったあなたじゃ、ティアマト神を名乗るのは千年早いっての!」

 

「人間の器がなければ現界できぬ小娘が。私を、ティアマト神の偽物だと騙るのか?」

 

「あったりまえよ。百獣母胎を獲得していても、あなたはティアマト神には及ばない。あの人は自分だけで世界を作れるの。復讐のために復讐する相手を利用するなんて、半端な事をする神じゃないわ」

 

イシュタル神の挑発に、ゴルゴーンは身を震わせながら咆哮を放つ。

地面にまで届く髪が次々と蛇へと転じていった。攻撃の態勢に移ったのだ。

だが、それらがこちらに襲い掛かってくることはなかった。

蛇と化した髪が鎌首を上げた瞬間、今まで口を閉ざしていたアナが一歩、前に踏み出したからだ。

 

「イシュタルの言う通り、あなたはティアマト神などではありません。自分の姿さえ見えなくなった、ただの怪物です」

 

「っ――! 貴様、貴様は……あの時の――!」

 

憎悪に彩られていた顔が見る見る内に蒼白し、ゴルゴーンは苦し気に身を捩った。

ニップル市の時と同じだ。アナ――メドゥーサと対峙した瞬間、ゴルゴーンは複合神性に変調を来たして苦しんでいる。

彼女は幼い自分を認識することができない。

憎悪と怒りに呑まれ、異なる神格をも取り込んで混ざり合ったゴルゴーンは既に、自分がメドゥーサであった事ですら思い出せないのだ。

彼女が覚えているのは怒りだけ。

彼女が抱いているのは憎しみだけ。

奪われたことも傷つけられたことも貶められたことも覚えている。

だが、何を、誰に、誰がを思い出すことはできない。

我が身を焼き焦がす復讐の炎は、彼女からその始まりの記憶すら奪っていった。

今の彼女はただ人間に虐げられたという事実だけを糧に生きている亡霊だ。故に、まだ幼く罪を犯していない過去の自分を正しく認識することができないのだ。

堕落し汚れ切ったその魂では、無垢なる魂を直視できないのだ。

 

「やめろ、来るな……キングゥ、キングゥはどこだ!? あの者を我が視界から連れ出せ! あの怪物を殺せ!」

 

先ほどまでとは打って変わって狼狽えるゴルゴーンの姿を見て、アナは哀しみで表情を曇らせる。

これが自分の未来の姿。憎悪と怒りで自分自身すら分からなくなってしまった女神の末路だ。

それは幼い彼女にとって受け入れがたい未来であったはずだ。だが、アナは迷うことなく武器を手にする。

哀しみも憂いもある。しかし、迷いだけはない。

何れ自分がこの姿に至るというのなら、せめて自らの手で始末をつける。

それがゴルゴーンの過去であるメドゥーサにできる唯一の贖いであると、彼女は決意を固めていた。

 

「ゴルゴーン、あなたが姉を喰らって(化け物になって)まで堕ちたのは、守りたかったものがあったからのはずです。私がこのウルクを守りたいと思ったように、みんなとここに居て、生きて、笑い合っていたいと思ったように。その思いはもうあなたの中にはないのかもしれませんが、だからこそ私が止めます。あなたが失ってしまったものは、決して間違いなんかじゃなかったはずです」

 

形なき島で姉達と暮らしていた魔獣。堕ちたる女神を討ち取らんと襲い来る勇者達を排除する内に、メドゥーサの神性は汚れていった。

やがては魔獣へと変質した女神は愛していたはずの姉すら喰らい、複合神性としての新たな自分を獲得した後、英雄ペルセウスによってその生涯を終えたのだ。

その過程で失われていったもの。

魔獣への変性を承知で2人の姉と寄り添い続けたのはいったい、何故だったのか。

獣へと堕ちる果てに、彼女はいったい何を取りこぼしてしまったのか。

答えは既に、アナの中に見出されていた。

その結果が魔獣として勇者に討たれることであったとしても、そう思ったことは過ちではなかったはずだから。

 

「マーリン、あなたの口車に乗って、私はウルクをこの目で見てきました。その答えは、今ここに」

 

「ああ、今まで抑えてきたキミの神性を解放しよう」

 

「許可します。みなさん、私に力を貸してください! ゴルゴーンの魔眼は、私の魔眼で相殺します!」

 

決意を込め、アナは被っていたフードをめくる。

露になった彼女の両目は宝石の輝きを放っていた。

魔力も今までの比ではないほどに膨れ上がっており、幼い体からはイシュタル神やケツァル・コアトルと同じ神気を纏っている。

これが本来の彼女の姿。

ランサー・アナとしてではない、英霊メドゥーサとしての真の姿の一端だ。

 

「知らぬ……知らぬ、知らぬ、知らぬ! 貴様など私は知らない! その浅ましい姿を私の前に晒すな、怪物め!」

 

咆哮したゴルゴーンが敵意を剥き出しにして襲いかかってきた。

即座にカドック達は散開し、振り下ろされた一撃を回避する。

決して狭くはないとはいえ、この神殿の中であれだけの巨体を相手にするとなるとこちらが不利だ。

特にイシュタル神は飛行能力を封じられる形となってしまい、持ち前のスピードを活かすことができない。

 

「おのれ、おのれ、死ね! シネェッ!!」

 

次々と撃ち込まれていく光弾。それをギリギリで避けながらアナが鎌を振るう。

以前ならば掠り傷など即座に回復していたが、不死殺しの鎌でつけられたその傷は癒えることなく残り続けていた。

加えて神殿を壊されたことでゴルゴーン自身の神性も落ちており、肉体の再生能力にも衰えが見える。

今の彼女は強い力を有しただけのただのサーヴァントだ。

相変わらず聖杯からの魔力供給だけは桁外れではあるが、決して押し切れない力ではなかった。

 

「マシュ、とにかくアナを守って! 前衛は彼女! マーリンは後ろに!」

 

「隙は僕とアナスタシア(キャスター)で作る。イシュタル神は合わせてくれ!」

 

立香の指示で降り注ぐ魔力の熱線をマシュが受け止め、マーリンの援護を受けたアナはその隙を突いて再度、ゴルゴーンの肌に傷を負わせる。

反対側ではアナスタシアの魔眼で弱まった部分にイシュタルが無慈悲な魔弾の斉射を喰らわせていた。

体が大きく、動きが緩慢なゴルゴーンはそれらの動きに対処し切ることができない。

ニップル市ではあれほど苦戦していたゴルゴーンの美しい肌は見る見る内に傷と血で汚れていき、どす黒い色へと染まっていった。

だが、やはり無尽蔵の魔力というものは侮れない。繰り出される攻撃はその一撃一撃が即死級の威力で、ただの一度でも被弾すれば死へと直結するだろう。

傷にしてもアナ以外による攻撃はどうしても再生能力によって塞がっていくため、このまま時間をかけてしまえばキングゥが駆け付けてしまうかもしれない。

どこかで大きな隙を作り、宝具の一撃をぶつけて霊核を砕かなければならない。

この巨大な女神を沈黙させるにはそれしかないだろう。

だが、その隙をどうやって作る?

アナ以外の攻撃は有効ではあるがすぐに再生されてしまい、アナ自身の攻撃も決定打にはなり得ない。

イシュタル神がその本領を発揮するためにはもっと広い空間が必要で、アナスタシアが存分に力を振るうには足を止めなければならない。

マシュやマーリンは論外だ。そして、ゴルゴーンの攻撃範囲は広く、戦場となった神殿は狭い。

押し切るためにはどうしても時間をかけなければならない。果たして、キングゥの到着までに間に合うか?

 

「おのれ、魔眼を封じたところで、我が宝具には抗えまい! 貴様達からの呪い、その身で味わうがいい!」

 

このままでは埒が明かないと感じたゴルゴーンは攻撃の手を休め、自らの体を変容させる。

北壁での戦いでも使用した宝具『強制封印・万魔神殿(パンデモニウム・ケトゥス)』だ。

ゴルゴーン自身の怨嗟をぶつけ、内部の生命を全て溶かし尽くす結界。解放されれば全方位からの魔力熱線が降り注ぐだろう。

この狭い空間では避けることはできず、また何で防ごうとも完全に身を守ることはできない。

唯一の例外であるマシュの宝具も、一方向への攻撃しか防げないというデメリットが存在する。

ゴルゴーンの呪いは全方位から降り注ぐ雨。レオニダスは自らにその攻撃を集中させることで仲間を守ったが、あれは広い屋外だからできた芸当だ。ゴルゴーンの拠点である鮮血神殿の中ならば、例えマシュに全ての攻撃を集中させてもその余波がこちらに及ぶ。

ならば、取れる策は一つだけだ。

 

アナスタシア(キャスター)!」

 

「ええ!」

 

せめてもの足しにと強化を施し、アナスタシアを向かわせる。

対峙する二つの魔眼。

言葉を交わすことなく視線をぶつけ合った2人は、強い敵愾心を胸に互いの宝具を炸裂させた。

片や全人類への憎悪。

片やマスターへの一途な思い。

対照的な二つの思いが交差し、空中で火花を散らせた。

 

「『強制封印・万魔神殿(パンデモニウム・ケトゥス)』!」

 

「『残光、忌まわしき血の城塞(スーメルキ・クレムリ)』!」

 

顕現した漆黒の城塞と呪いの渦。

本来ならばアナスタシアの城塞ではゴルゴーンの怨嗟を押し留めることはできない。

如何に強固な城塞も、神代からの呪いに抗うことはできず数秒で溶かし尽くされてしまうだろう。

だが、重要なのはその効果範囲だ。

既にカドックは一度、ゴルゴーンの宝具を目にしている。

あれは結界の内側に作用する対軍宝具。その性質上、一面だけの守りでは身を守る事はできないが、アナスタシアの城塞ならば瞬時に全員を収納することができる。

例えどこから撃たれようと、発動が間に合いさえすれば初撃からは身を守ることができるのだ。

その数秒さえあれば、即座に反撃に転じることができる。

城塞越しに放たれたアナスタシアの視線に沿って、イシュタル神が正確無比な射撃でゴルゴーンの頭部を狙い撃つ。

魔眼によって強制的に弱所とされた箇所への狙撃。これで怯まぬ者はいない。

忽ちの内に宝具は解除され、待ち構えていたアナが不死殺しの鎌を手に城塞を飛び出した。

 

「貴様……やめろ、くるな! くるなぁっ!」

 

「カドックさん!」

 

滅茶苦茶に腕や髪を振り回すゴルゴーンの攻撃を避けながら、アナが叫ぶ。

隙ができた。

最大の一撃を破られ、最も忌み嫌うアナの姿を直視してしまったことでゴルゴーンは完全に取り乱している。

起死回生の一撃を叩き込むには、今しかない。

 

「藤丸! キリエライト! マーリン!」

 

「わかっているさ!」

 

崩れ始めた天井の瓦礫を躱しながら、立香が礼装を起動して自身の魔力をアナスタシアへと送る。

 

「アナスタシア、後を頼みます!」

 

流れ弾を防ぎながら、マシュもまた魔力をアナスタシアに託す。

 

「お任せ、夢のように片付けよう」

 

あくまで飄々と、マーリンの魔術がアナスタシアの内から力を引き出した。

 

「させないっての!」

 

迫りくる尾の一撃をイシュタル神が放てる限りの火力で持って迎撃する。

これで舞台は整えられた。

その眼差しで終幕を。

全てを呪い、全てを奪い、全てを凍らせろ。

皇女(シュヴィブジック)よ、精霊よ、バロールの子らよ。その瞼を開く時が来た。

 

「ヴィイ、お願い。全てを呪い殺し、奪い殺し、凍り殺しなさい。魔眼起動――疾走せよ、ヴィイ!」

 

影から這い出たヴィイが、ゴルゴーンにも匹敵するほどの大きさにまで巨大化し、荒れ狂う尾を羽交い絞めにする。

突如として現れた黒い影の化け物にゴルゴーンも驚愕するが、すぐさま冷静さを取り戻して反撃を試みようとした。

だが、ヴィイは自らが焼き尽くされるのも構わずに重い瞼を捲り上げ、青く発光する魔眼でゴルゴーンを射抜く。

強靭な尾も、扇情的な肢体も、美しい顔も、髪や爪の一片に至るまで、悉くを視線で射抜き、女神から力を奪い取っていた。

堪らずに悲鳴を上げるゴルゴーン。

復讐者たる彼女にとっては正に屈辱であろう。

かつてと同じように、あらゆるものを奪われ尽くしての敗北。

その屈辱は彼女にほんの僅かな力を呼び起こすものの、それよりもアナが飛びかかる方が早かった。

 

「共に消えましょう、ゴルゴーン。それが、私がこの地に呼ばれた理由なのですから」

 

「まだだ、まだ終わるものか! 私は復讐する、この地上を、私を棄てたお前達を塗り潰す! そうだ、そうしろと叫んでいる! むせび泣く母の声が聞こえる! その復讐を、私は――代わりに、果たさな――――」

 

振り下ろされたアナの鎌が、ゴルゴーンの左目を抉り取る。

本来であれば彼女にとって最も強い場所である魔眼は、皮肉にもヴィイの力で最も脆い弱所へと変質させられていたのだ。

だが、ゴルゴーンの最後の抵抗は、あろうことか組み付いたアナを自身諸共焼き尽くさんとする自爆であった。

顔が焼け爛れ、美貌が崩れ去るのも承知で首筋に立つアナへと熱線を放ったのである。

ヴィイによって弱体化させられたゴルゴーンの肉体はそれに耐え切ることができず、あれほど荒れ狂っていた魔力が急速に萎んでいった。

最後の自爆によって霊核が砕けたのだ。

 

「アナちゃん!」

 

「まずい、さっきの攻撃で床に亀裂が……戻れ、アナ!」

 

叫ぶが、アナは首を振った。もう間に合わないと言いたいのだ。

納得できないカドックは駆け出すが、情けないことに足を縺れさせて倒れてしまう。

こちらの意を汲んだ立香がすぐに後を追ったが、床の亀裂は瞬く間に広がっていき、彼が駆け付けるよりも早く轟音を立てて崩れ落ちてしまった。

暗闇へと落ちていく寸前、カドックのぼやけた視界に映ったものは、穏やかな笑みを浮かべているアナの顔であった。

 

 

 

 

 

 

戦いは終わった。

三女神同盟最後の一柱。

魔獣の女神ティアマト神の化身――複合神性ゴルゴーン。

世界を呑み込まんとした復讐者は遂に倒されたのだ。

たった一人の、まだ罪を犯してもいない小さな子どもを道連れにして。

 

『ゴルゴーン、アナ、霊基反応の消失を確認。残念だけど…………』

 

通信機越しにロマニの悲痛な声が聞こえてくる。

敵を倒したのに、誰一人として喜びを露にする者はいなかった。

アナの正体を知った今、こうなることは必然であったと思えても尚、悔やまずにはいられない。

あの娘はまだ何も成していない。

魔獣として勇者を屠ることも、復讐者たる複合神性へと変じた訳でもない。

自らが犯す罪すら知らずに生きていた幼い少女だったのだ。

なのに彼女は、ゴルゴーンの憎悪を自らの罪として受け入れ共に逝くことを選択した。

堕落し、血肉を貪る魔獣へと変じてしまった発端。まだ女神であった自分(ゴルゴーン)が抱いていたであろう思いを肯定するために。

あんな風に汚れてまで守りたいと思った姉への思いは決して間違いではなかったと、自らの未来に言い聞かせるために。

 

「これを……」

 

立香が懐から取り出し、2人が消えた穴へと投げ入れたのは、花屋の老婆から預かった花冠だった。

あの後、老婆からの伝言と共に渡したのだが、アナは受け取ってはくれなかった。

彼女の孫は北壁での戦いで死んだ兵士だった。だから、自分には受け取る資格はないと。

だからと言って捨てることもできず、いつかアナが自分を許せる時がくればと思い、立香が預かっていたのだ。

 

「手向けの花……悲しいけど、それぐらいあってもいいわよね、あの娘には」

 

「はい……アナさんに、とても似合っていたと思います」

 

「私達、あの娘にちゃんとできていたかしら……辛い思い、させていなかったでしょうか?」

 

「信じるしかないさ。あの娘は……」

 

笑っていた、と言うことができなかった。

見間違いかもしれない。

脳が見せた幻覚かもしれない。

やがて人間を呪い、憎むことになる女神の幼体。

果たして彼女が自分達と一緒にいて、何を思っていたのか。

答えを出すことができず、カドックは無言で傍らのパートナーを抱きしめていた。

 

「これで残るはキングゥのみ。彼から聖杯を奪い取れば全てが終わる」

 

マーリンが静かに呟くと、背後から足音が聞こえた。

振り返ると憤怒の表情がそこにはあった。

白い装束と緑の髪。

魔獣達を従える司令官にして、かつての神造兵器。

ティアマト神の子、キングゥがそこに立っていた。

 

「…………そうか、間に合わなかったか。まんまと君達に乗せられてしまった訳だ」

 

淡々と、キングゥは言い聞かせるように言葉を紡ぐ。

そうしなければ我が身を抑えられないとばかりに、キングゥは煮え滾る激情を鎮めながらこちらを一瞥してきた。

ひとりひとり、その顔を丹念に見つめながら、決して忘れてはならぬと心に刻み込むかのように。

 

「あの幼体がいないということは、我が身を犠牲にしたか。女神と言っても所詮は旧い世界のものだったね。新世界に残るだけの美しさはなかった、という訳だ」

 

「ほう、美しさとは何を指すのかなキングゥ。外見の造形かい? それとも内面の質の事かな?」

 

「…………減らず口は慎めよ、マーリン。ボクはとても怒っている。今までは義務として人間を排除してきたけど、今だけは違う。キミ達がとても憎らしい。これが怒りというものか」

 

「本当に、エルキドゥとは違うのね。アイツは最後まで兵器である事に徹し、感情で敵を殺すなんて事は一度もなかった。あのお母さまとやらは、そんなに大切だったんだ」

 

イシュタル神の言葉で、何かが噛み合ったような気がした。

今までの不可解なキングゥの行動原理。

人間の排除を行いながらも、ニップル市での戦いでは敢えてサーヴァントを見逃そうとしたこと。

それでいて、ゴルゴーンの窮地には我が身を省みず助け出さんとしたこと。

アナの存在がその全てに答えを出してくれた。

キングゥはゴルゴーンを生かしたかった、それは事実だ。だが、もしもニップル市においてアナが恐怖を振り払い、今回のように全力を出していればどうなっていたか。

キングゥはそれを避ける必要があった。アナ――メドゥーサという不確定要素がある以上、ニップル市でゴルゴーンが待ち構えることは何としてでも避ける必要があった。

だが、キングゥでは母たるティアマト神の化身を動かすことはできない。

聞き分けの悪い母親を諭すことはできず、さりとて彼女の意志を曲げずに守るにはどうすればいいか。

キングゥは危険な賭けに出たのだ。

敢えて戦力をニップル市に集中させ、ゴルゴーンがサーヴァントに対して脅威を感じさせる。

それで撤退してくれれば構わない。例え敵わずとも全力を出してくれれば、彼女は生き永らえるかもしれないと。

 

「どう思おうと勝手だ。ボクは彼女の憎しみと愛にシンパシーを感じた、それだけだ。そして、ゴルゴーンが消滅したことで、彼女が生み出した子ども達も自壊する。あれは厳密には生命ではなくゴルゴーンの魔力で生まれた合成獣だからね。おめでとう、魔獣戦線はキミ達の勝利だよ。けれど――――キミ達がそれを味わうことはない」

 

怒りのあまり感情が消え去った虚無の表情で、キングゥは言い捨てる。

直後、マーリンが顔を強張らせながら吐血し、膝を着いた。

 

「マーリン!?」

 

「……しまった、化かし合いにおいて、一枚上をいかれるとは…………」

 

マーリンの苦し気な呟きと共に、大きな揺れが足下を襲う。

立っていることすら困難な激しい揺れと共に、戦いの余波で崩れた天井から瓦礫が次々と落ちてくる。

咄嗟にマシュが盾でみんなを庇う中、キングゥは構えていた腕を下ろしながら憎々し気に言い放った。

 

「もう時間だ。ボクは結局、彼女に何もできなかった……母さんが目を覚ますその時まで、少しでも長く生きていて欲しかったのだけど」

 

(どういうことだ? キングゥの母はティアマト神の化身であるゴルゴーンではないのか?)

 

キングゥの口ぶりでは、まるでゴルゴーンとは別の脅威がいるかのようだ。

そのもう一つの存在によって三女神同盟は影から操られていたとでもいうのだろうか?

キングゥはそのための尖兵で、ゴルゴーンの子どもとして振る舞っていただけなのだろうか?

 

『シバ02、06、09、破損! その揺れは時空震だ! メソポタミア世界全てに起こっている空間断裂と推測される!』

 

「わ、わかるように言って!」

 

「世界が寝返り打っているんだ! 察しろ、馬鹿!」

 

怒鳴りながらも頭を回す。

状況は最悪だ。

こちらはゴルゴーンとの戦いで消耗している上、マーリンは負傷。しかも、ここは逃げ場のない神殿の最奥だ。

時空震もどんどん激しくなっており、このままでは鮮血神殿も崩れてしまうかもしれない。

 

「マーリン、キミは母さんに夢の檻を仕掛ける事で、その目覚めを先延ばしにした。しかし、眠りに落ちた母さんはボクに聖杯を与え、第一の息子としたんだ。であるならば、ボクの役目は何とかして母さんを目覚めさせる、だった訳だけど…………なに、簡単な話さ。生きている内に覚めぬ眠りなら、一度殺してしまえばいい」

 

「ゴルゴーンがティアマト神の権能を持っていたのは、コピーしたからではない。同調――本物のティアマト神と感覚を共有する事で獲得した百獣母胎……?」

 

(なっ……!?)

 

彼らが話す言葉の意味に気づき、戦慄を覚える。

ゴルゴーンは確かにティアマト神の化身であった。だが、それは能力を模倣したからではなく借り受けたから。

ここではないどこかに、今も眠りについているのだ。全ての生命を生み出す礎となった原初の女神。メソポタミアの天地を支え、大地となった万物の母が。ティアマト神が。

それが今、眠りから目覚めようとしている。

生きている内には決して覚めない眠り。その神格が強力であればあるほどうってつけの呪いだ。

だが、感覚を共有しているゴルゴーンが消滅したのなら、その感覚もまた向こうには伝わっているはず。

するとどうなるか。

生きている内には目覚めないはずのそれは、疑似的な死を体感したことで生死を誤認し眠りから解き放たれる。

それこそが、キングゥの真なる狙い。

魔獣司令官が母と慕う本物のティアマト神の復活だ。

 

「キミは微睡む彼女の夢の中で、無残に握り潰されたのさ。そして、三女神同盟による時間稼ぎも遂に終わった。我らの本当の()の姿、人間(おまえ)達の原罪の姿をとくと見るがいい!」

 

高らかに神の復活を宣言するキングゥに同調するかのよに、時空震は激しくなっていく。

その日、世界の片隅で悍ましい産声が上がったことを、彼らはまだ知らない。




霊子譲渡+時に煙る白亜の壁+夢幻のカリスマ+シュヴィブジック=疾走・精霊眼球
ふと気になったけど、ヴィイの魔眼ってアキレウスには効くんでしょうか?
効くとしたら踵の当たり判定が広がるとかですかね?
さすがに問答無用で無敵貫通にはならないでしょうし。

次はプリヤイベですね…………課金か(棒)


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絶対魔獣戦線バビロニア 第16節

それを最初に目撃したのは、ペルシア湾の観測所であった。

海に面した岬に建てられた塔には常に数人の研究員が常駐し、気象の変化を備に記録している。

魔獣戦線がゴルゴーンの軍勢と苛烈な生存競争を繰り広げ、シュメルの一大事というこの大一番ですらも彼らは日々の業務を粛々とこなしている。

それは王によって命じられた職務であり、国の未来に必要な事であった。

誰一人として不満を持つ者はおらず、また最前線から隔離されているこの状況に安堵を覚える者もいない。

自分達の仕事がいつか、国の為に役立つ時が来ると信じているからだ。

そんな誇らしくも退屈な日々に変化が訪れたのは、名もなき一人の研究員が日課である水位の調査の為、見晴らし台に昇った時のことであった。

 

「なんだ、あれは?」

 

彼が見たのは黒く染まっていくペルシア湾であった。

果ての果て、水平線の彼方から、まるで墨を零したかのように青い海が真っ黒に染まっていったのだ。

そして、それに釣られるように暗雲がどこからか立ち込め、青々とした空と太陽の光を遮ってしまう。

空が曇るだけならば、青年も何度か覚えがあった。

大気中の湿気が高まり、熱を持った風が轟音と共に舞い上がるハリケーンだ。

今の空は丁度、その前触れのように分厚く大きな雲に覆われてしまっている。

だが、この海の変化はどうだ。こんな現象は見たことがない。

動物の死骸が一ヶ所に固まったとしても、ここまで広範囲に、かつどす黒く染まる事は有り得ない。

こんな、水平線の彼方まで真っ黒に染まることなどありえない。

 

「これが、王の言っていた滅びの時か!?」

 

「何をしている! すぐに情報を纏めるんだ!」

 

異変に気付いたもう一人の研究員が、見晴らし台で呆けている青年を叱咤する。

 

「至急、ウルクに使者を送るんだ! 港も海も黒い泥に覆われてしまったと! それと、それ以外の変化を――変化、を――」

 

その時、男は見てしまった。

ペルシア湾を覆いつくした黒い泥。その泥の中から這い出てきたあるものを。

 

「――――なんだ、あれは」

 

それはまるで昆虫のように整然と並んで歩いていた。

それは獣のように強靭な四肢を有し、力強い足取りであった。

それは魔獣の如き悍ましさと恐ろしさを有していた。

そして、まるで人間のように笑っていた。

 

「魔獣じゃない、シュメルの怪物でもない。オレ達の世界に、あんな生き物がいる筈がない――」

 

「人を襲っているのか? 建物も穀物にも手をつけない。適確に、人間だけを襲っている? いや――――」

 

彼らは見てしまった。

ペルシア湾を埋め尽くした泥が、少しずつ陸地を侵食していく様を。

その生物と共に、まるで行進するかのように広がっていく泥を。

その泥に触れてしまった人間が、見るも無残な姿へと変質していくその一部始終を。

 

「人間が、作り直されて……はは、なんだあれ? あんなのアリかよ……あれじゃあ食われた方が、殺された方がまだマシじゃねぇか!」

 

迫りくる脅威を目にして、青年は狂ったように笑うことしかできなかった。

王に命を捧げる覚悟はある。

仮に最前線に立たされたとしても、命を賭けて戦う覚悟もある。

だが、あれは別だ。

あの泥に堕ちることだけはご免だ。

あれに浸るくらいなら、目の前の奴らに手足をもがれた方が何倍もマシだ。

ああ、同僚が泥へと落とされる。次は自分の番だ。

抵抗なんてできっこない。

この狭い見晴らし台。既に周囲はソレで埋め尽くされてしまっている。

どこを見ても黒、黒、黒。

黒いソイツが眼のない顔でジッとこちらを見つめている。

その口の端は――それを口と呼んで良いのなら、耳障りな笑い声を絶えず上げていた。

羽虫を殺す子どものように、獣を追い立てる人間のように。

覚えていられたのはそこまでだ。

次の瞬間、男の視界は泥の底へと沈んでいった。

 

 

 

 

 

 

手から零れ落ちた杖が、音を立てることもなく鮮血神殿の床を転がった。

その主であるマーリンは、息も絶え絶えに目の前の敵を睨みつける。

マスターであるギルガメッシュ王の親友の姿をした仇敵。ゴルゴーンの配下として、何度も自分達の前に立ち塞がった魔獣の将。

ティアマト神の子キングゥを前にして、マーリンはいよいよ己の最期を感じ取っていた。

 

「まったく、君には本当に何度も煮え湯を飲まされる」

 

「はは、最後に一矢、報いれたかな、これは?」

 

覇気のない笑みを浮かべた直後、マーリンは嗚咽を漏らす。

内臓の血が気管に入ってしまったようだ。何しろ、全身が隈なく複雑骨折した上でほとんどの内臓が潰れてしまっている。

魔術で何とか保たせているが、それも長くはないだろう。

 

「あんなことをしなければ楽に死ねたものを」

 

キングゥの侮蔑がこもった言葉を、マーリンは静かに受け止める。

少し前、外の異変を感じ取ったマーリンは最後の力を振り絞ってキングゥに幻術をかけ、その隙にカルデアを逃がしていたのだ。

現状は急を要する。ここでいつまでもキングゥの相手をしている暇はない。

そして、既に長くはない自分ではここを生き延びても足手纏いになってしまう。

故に、柄にもなく殿などを務めているのだ。

 

「なに、彼らは希望だからね。まあ、我ながららしくないとは思うよ、うん」

 

それでも、自分には責任があるとマーリンは続ける。

偉大な魔術師と呼ばれてはいても、結局のところ、マーリンという人物は半分が夢魔で人でなしだ。

人間が生み出した紋様、作り出された世界を眺めるのは好ましいが、だからこそ手を差し伸べることは禁じてきた。

自分が関われば、それはもう人間の物語ではなくなってしまう。あの素晴らしい紋様に染みを作ってしまう。

それが許せないという訳ではないが、かつて一人の人間の運命に肩入れしたことについて思うところがあり、自ら妖精郷からは出ないという戒めを課したのだ。

だが、自分は一度、信条を曲げてカルデアに手を貸した。

いつものように世界救済のための布石を打ち、送り出したべディヴィエールが中東の地で偽りの十字軍に捕まったことがそもそもの発端。

妖精郷に幽閉されている身である自分ではおいそれと特異点には手を出せないため、最後の手段としてカドックに手を貸した。

特異点修復のために、初代の山の翁を頼るよう彼の夢へと語りかけたのだ。

その一助を以て、花の魔術師は傍観者ではいられなくなった。

この世界を救う英霊の一翼として、柄にもなく彼らに力を貸そうと決意させるには十分なものであった。

 

「さて、どうするかね女神の子よ? 母親が目覚めたんだ、いつまでも放っておくのかい?」

 

「口の減らない奴だ。彼らの死が少しだけ伸びただけだろう」

 

「さて、どうかな? 案外、巣立ちの時は近いと思うよ」

 

「そうか……言いたいことは、それだけかい?」

 

静かに激昂したキングゥが腕を槍へと変質させる。鈍く光るそれはまるで吸血鬼の胸を貫く杭だ。

体力も魔力も尽きたマーリンにはそれを躱すだけの余力はなく、自らの心臓を貫かれる光景をただ見つめることしかできなかった。

 

「ああ、もう話すこともできないか」

 

唯一人、動くものがいなくなった血塗れの鮮血神殿で、キングゥは呟く。

その声音の冷たさに反して、暗闇に溶けていくキングゥの表情は苦悶に塗れていた。

 

 

 

 

 

 

怒号と悲鳴が交差し、それを塗り潰すかのように不気味な笑い声が木霊する。

ウルク市は地獄絵図と化していた。

魔獣戦線の中枢。メソポタミアの地で、三女神同盟に徹底抗戦を唱えた英雄王の国が、正に今、蹂躙されているのだ。

蟻の如く群がる怪異は邪悪。黒ずんだ紫色の体、人間のような胴体と足を持ち、昆虫のような爪と節がついた腕が、肩から四本伸びている。

何よりも嫌悪を誘うのがその顔だ。そこには本来、生き物としてあるべき感覚器官がなかった。

物を見る目がない。

音を聞く耳がない。

匂いを嗅ぐ鼻がない。

あるのは口。唇のない剥き出しの歯が、縦に傾く形で並んでいる。

既存のどの生物とも異なる新たなる生命体。それが今、ウルク――否、このメソポタミアの全土で虐殺の限りを尽くしていた。

 

「いてぇ、いてぇ――――やめろ、やめろよ、やめて、やめて、なんで、つま先から、縦に、縦に裂いて、ひぃいい、いたい、たいいぃぃいいいい!!」

 

「ひいぃぃ、もういやだぁ、だれかたすけ――――」

 

「な、なんで!? 動かなかった、わたし動かなかったのに――――」

 

あちこちで悲鳴が上がるごとに、動くものが減っていく。

転がる死体は異形の怪物に弄ばれ、或いは逃げ惑う人々によって踏み潰され原型を留めているものを探す方が難しい。

ゴルゴーンの魔獣達にすら果敢に立ち向かったウルクの民が、まるでノミか蟻のように潰され、裂かれ、殺されていく様は、正しく地獄以外の何物でもない光景であった。

そんな中を、カドック達は生き残った住民をジグラッドへ避難させるために街路を駆け抜けていた。

マーリンの犠牲によって辛くもキングゥから逃れたカドック達は、この異変に対処するために急ぎ足でウルクへと舞い戻ったのである。

だが、先行したイシュタルの力を以てしてもウルクは無傷とはいえず、被害が加速度的に広がっていく。

家屋は崩壊し、路地は鮮血で染まり、物言わぬ死体は瞬きと共に増えていき、尽きぬ攻勢は焦りと不安を生むばかりであった。

 

「みなさん、こちらに! 急いで!!」

 

「マシュ、次が来る! 数は――」

 

「そっちは僕とアナスタシア(キャスター)でやる! お前達は街の人を!」

 

「まだまだ来るわ! イシュタル!」

 

「やっているわ! けど、こいつら硬いのよ!」

 

街を蹂躙する怪異は一万を超える。

魔獣達をも何とか屠ってきたウルクの兵士が手も足も出ない強靭な皮膚と力を持ったそれは、サーヴァントでも苦戦を強いられる相手だった。

マシュやケツァル・コアトルが渾身の力で殴りかかっても確実には死なず、イシュタル神の砲撃も通じにくい。

さすがに氷漬けにされれば動けないようだが、凍り付いても尚、生命活動が断たれることなく生きている姿は不気味を通り過ぎて醜悪だ。

 

(くそっ、気が滅入る。なんなんだ、この化け物は…………)

 

殺された住民の血が池のように広がる路地を駆けながら、カドックは歯噛みする。

唇を噛み締め、拳に力を込めて何とか平静を装う。

人間同士の戦争、魔獣との生存競争。そのどちらも見てきたが、こんな光景は初めてだ。

こんな、未知の生物に襲われ無残に人々が殺されていく光景を、見ていて不快にならない人間はいない。

奴らはエイリアンだ。この地上の法則では説明のできない化け物だ。

それが、ゴルゴーンの魔獣を遥かに上回る勢いでメソポタミアの地を蹂躙している。

ペルシア湾からやって来たという以外は全てが不明の生物。

不快な姿で踊り、多勢で人を殺す異形を相手に、カドック達はジリジリと追い詰められていった。

 

「相手にするにも限度があるわね! これじゃ、数に押されて……あら?」

 

向かい合っていた一体を投げ飛ばしたケツァル・コアトルが、異形の群れに起きた異変に気付く。

ほんの少し前まで、怒涛の如く勢いで押し寄せてきた波が急に衰えたのだ。

視界を埋め尽くすほど蠢いていた黒い影は忽ちの内に消え去り、まるで嵐が過ぎ去ったかのような惨状だけが残される。

気になってイシュタル神に空から確認してもらったが、やはり街のどこにも異形の影は見られなかった。

群れの全てがウルクからペルシア湾へと引き返しているのだ。

 

「もしや、活動限界なのでしょうか?」

 

「そんな様子はなかったが……ダ・ヴィンチ、そっちは?」

 

『うーん、観測していた限りじゃ、個々の動きに一貫性こそあれ、指揮系統があるようにも見えなかった。たまたま他の一体が飽きて撤退したのを見て、全員が真似たような唐突さだ』

 

「その一貫性っていうのは?」

 

『ああ、言いにくいことに奴らは執念深い。それ以外のものには一切、目もくれず執拗に攻撃し続けるんだ――――つまり、人間だよ』

 

「人間だけを殺す生き物か」

 

加えてあの強靭な四肢と主体性の感じられない行軍。

まるで軍隊アリか何かを相手にしている気分だ。

同族が殺されようと自らが傷つこうと歩むことを止めず、目の前の人間を執拗に嬲り続ける執念深さ。

あのまま戦い続けていれば、こちらは押し負けていただろう。

連中が撤退してくれたのは幸運といえる。

 

「なんにせよ、これで少しは余裕が出来たわ。ジグラットに行きましょう。ギルガメッシュが状況を纏めている筈よ」

 

空から降りてきたイシュタルが、周囲を見回して顔をしかめながら告げる。

人間とは根本的に感覚が異なる神格といえど、自身の庇護対象である人間をこうも残酷に嬲られては腹の虫が治まらないといったところなのだろう。

美しい双眸の奥にはギラギラと燃える炎が垣間見えた。

それはケツァル・コアトルも、ジャガーマンも同じだ。

あの怪物は許してはおけない。否、大前提として受け入れてはいけない。

あれがまだ何なのかはわからないが、自分達とは決して相いれない恐ろしい化け物だ。

人間にとって害悪でしかない天敵だ。

だからこそ、人を守護する神格にとってもあれは度し難い悪であるのだ。

 

「先輩……生き残った人は、何とかジグラットまで辿り着けたみたいです」

 

「うん……わかった……………」

 

血塗れの街路に向けて、黙祷を捧げていた立香が、駆け寄ってきたマシュに返事をする。

無念だったのだろう。目の前で力及ばず、多くの人があの怪物に命を奪われた。

この一ヵ月近く、同じ街で生活を共にした仲間であった。

朝の水汲みで挨拶を交わし、買い出しや依頼の際に擦れ違い、夜は彼らの営みに目を向けながら帰路についた。

深く交わった者もいればそうでない者もいた。その誰もがよそ者でしかない自分達を快く受け入れてくれたのだ。

みんながみんな、気持ちのいい人々であった。

この街は戦時であっても尚、生きる希望に満ち溢れた素晴らしい街だったのだ。

死んでいい人間なんて誰一人としていなかった。

それが今、見るも無残な姿になって横たわっている。

血と肉で塗れた街路が、あの穏やかな日々が遠退いてしまったことを残酷に物語っていた。

それを立香は悔やんでいるのだ。

自分の無力さを嘆いているのだ

 

「俺達が、もう少し早く来れていれば……」

 

「よせ、口にしたところで何も変わらない」

 

「けど……!」

 

「よせ!」

 

怒りに任せて立香の胸倉を掴み、近くにあった街路樹に叩きつける。

何事かと周囲の面々が目を丸くするが、カドックは構わず親友の顔を睨みつけた。

目を真っ赤に染め、溢れんばかりの涙を必死で堪えている。

側に誰もいなければ、憚ることなく泣き喚いていただろう。

誰に責任を押し付けることもなく、天運を呪うことすらなく、ただ己の無力さを嘆き続けたであろう。

それが堪らなく許せなかった。

それが堪らなく悔しかった。

まるで、この惨事は自分だけの失態だと言わんばかりの傲慢さが我慢ならなかった。

 

「悔しいのは僕も同じだ! だから、自分だけの責任みたいな顔をして泣くのだけは許さないからな!」

 

ここまで二人で頑張ってきたのだ。

自分だけでも立香だけでもない。誰が何と言おうと、自分達二人でここまでやって来たのだ。

だから、成功も失敗も二人のものだ。

彼の苦しみは自分の苦しみだ。

彼の痛みは自分の痛みだ。

嘆きも怒りも、全て二人で背負ってここまで来た。

今更、自分一人で責任を背負おうとするなんて、絶対に許してやるものか。

 

「ごめん……俺、言い過ぎてた」

 

「……良いんだ。そうやって、思ってやれるなら彼らも救われる。お前はそれで、良いんだ」

 

魔術師である自分には、そんな資格などないと、心の中で呟く。

人死にに心を惑わせる倫理観など、とっくの昔に捨ててきた。

それに嫌悪や不快感を露にすることはあっても、彼のように心を痛めることはない。

必要な犠牲は必要なだけ。この手で救えなかったのなら、それは単に自分が及ばなかっただけ。

そう割り切るだけの心構えはできている。

だから、人間らしく振る舞える立香が羨ましかったのだろう。

最善を目指すのではなく、最善であることに憧れたのであろう。

もう、自分にはない物を持つ彼が妬ましかったのだろう。

それで良いんだ、藤丸立香。自分にはできないことを君がやってくれ。

この見えない目では流せぬ涙を代わりに流して欲しい。

その代わり、その涙は僕の(アナスタシア)が拭う。

もう、涙を流す必要がない世界へと、必ず君を――――。

 

「いこう、ジグラットへ」

 

「ああ、ありがとう」

 

目尻を腕で拭った立香は、いつもの柔らかい表情を浮かべながらマシュと共にジグラットを目指す。

その後ろ姿を見送ったカドックは、彼らを追いかける前にもう一度だけ、戦場と化した血塗れの街路を一瞥した。

赤く染まった地面の上に重なる幾つもの死体。頭を潰されて打ち捨てられた者、手足をもがれた者、有り得ない方向に関節を曲げられた者、全身を穴だらけにされた者。

幾つもの死体が出来の悪いモザイク画のように並んでいる。

あの怪物達が何故、人間達を襲うのかはわからない。

奴らはゴルゴーンの魔獣ではない。キングゥとマーリンの話を信じるなら、恐らくは本物のティアマト神の子ども。

ならば、その動機は復讐であろうか? ゴルゴーンと同じく、切り捨てられた獣として怒りをぶつけ、見捨てられた母の嘆きを代行しているのだろうか?

 

(いや、これはまるで…………楽しんでいるかのような…………)

 

脳裏にはあの不気味な笑い声が今も残っている。

牛や羊には目もくれず、女子どもの例外もなく執拗に追いかけ回した異形の怪物。

その執念深さからは異常と言えるほどの狂気を感じ取ることができるが、それはゴルゴーンが抱えていた尽きぬ憎悪とは程遠いものだ。

それは憎悪の裏返し、身を切るほどの怒りや嘆きではなく、方向性としては非常にポジティブだ。だからこそ、異質さと悍ましさに身の毛がよだつ。

奴らは楽しんで人間を殺している。

きっと、それだけは間違いのない事実だ。

 

 

 

 

 

 

ラフム。

メソポタミア全土に現れた謎の怪生物は、ギルガメッシュ王の決定によりそう呼ばれることになった。

それはティアマト神が最初に生み出した子どもにして、泥の意味を持つ名前だ。

カルデアの解析によると、その体は神代の砂と土、即ち神の泥で構成されているらしい。肉の身を以て進化を辿った既存の生態系からは逸脱した存在であり、雌雄の個体差が見られないことから無性生殖で数を増やすと考えられるとのことだ。

また神代の生命体であるが故に強力な魔力回路を内包しているらしく、核となる部位を確実に破壊しなければ生命活動が断たれることもない。生存に関してもどうやって代謝を行っているのか不明だが、体内に消化器官に類するものは確認できなかった。

水も食糧も必要とせず、強靭な生命力を宿した新しい生命体。正に人智を超えた完全生物と言っていいだろう。

 

『こちらの観測では、ラフムはメソポタミア全土に拡散した模様だ。エリドゥ、ウル、ラガシュ、ギルス、ウンマ……ペルシア湾からウルクにかけての主要な都市は全て攻撃されたとみていいだろう』

 

「うむ、こちらにも報告は入っている。奴らは殺戮だけでなく何人もの人間を浚って行った。行く先はどうやら、エリドゥのようだ」

 

「……そう、それは個人的に抗議をしないといけないわね」

 

ギルガメッシュ王の言葉を聞き、ケツァル・コアトルが緑色の双眸をぎらつかせる。

どうやらラフムはエリドゥに拠点となる巣を作ったらしく、ウルクから撤退した群れもそこに向かったらしい。

彼女からすれば、留守の間に我が家を荒らされたも同然の所業なのだ。怒りのままに飛び出さないだけでも自制が効いている。

 

「して、人類悪――マーリンは確かにそう言ったのだな?」

 

「はい、魔術王がこの地に呼び覚ましたのは、七つの人類悪、その一つだと」

 

マシュが答えたのは自分達を逃がす際に、マーリンがギルガメッシュ王に託した伝言だ。

 

『七つの人類悪のひとつ、原罪の獣(ビースト)が目を覚ました』

 

彼は最後にそう言い残し、自分達を送り出した。

今にして思えば、彼は全てを知っていたのだ。

本当のティアマト神を眠らせていたこと、ゴルゴーンを相手取るためにメドゥーサであるアナを匿っていたこと。彼は全てを知った上で人知れず、災いを封じ込めようとしていた。

だが、結果はそれらが裏目に出てしまい、マーリンは自らの手でティアマト神の目覚めを起こす手助けをしてしまったのだ。

もちろん、知っていたところで自分達にはどうすることもできなかったであろう。あの状況ではゴルゴーンを倒さねば、ウルクは滅ぼされていたのだから。

 

「……あの、ギルガメッシュ王。人類悪とは何なのですか? それが七つとは?」

 

「なんだ、知らんのか? 人類悪とは、文字通り人類の汚点。人類を滅ぼす様々な災害を指している」

 

それは人類が発展すればするほど強くなり、その社会を内側から食い破る癌のようなものらしい。

言ってしまえば人類史に溜まる淀みのようなものだ。

より大きな発展への渇望、際限のない欲する心、素晴らしいものを生み出すための大いなる競争、そして行きつく果ての闘争と悲劇。

ポジとネガが表裏一体のように、人類悪は人類史の発展と共に育まれる。

その本質はゴルゴーンのような復讐者とは根本から異なり、人類への敵意や殺意によって起きるものではない。

ギルガメッシュ王曰く、「人類が滅ぼす悪」。本来、冠位(グランド)クラス七騎を以てしか対抗できない人理を食らう抑止の獣。それこそが人類悪(ビースト)なのだ。

 

「……冠位(グランド)クラス!? アンデルセンが言っていた、儀式・英霊召喚!?」

 

「耳聡いな、カルデアのカドック。そうだ、人類悪とは人類の自滅機構であり、その安全装置こそが冠位(グランド)クラス。即ち英霊召喚だ。七つの人類悪は人間の獣性によって生み出される七つの災害。魔術王が呼び覚ましたのは、この獣であろう」

 

人類が生み出した、人類自身の淀み。人類史の負の側面ともいうべき存在。

そんなものが顕現しようとしていることに対して、カドックは言葉を失った。

恐ろしいという感情すら湧いてこない。あまりにもスケールが大きすぎて、理性が追い付いてこないのだ。

ここで誰かがパニックに陥れば、自分もそれに釣られてしまう自信があった。

 

「ちょっと待って、この異常は私達の神々の母……ティアマト神が起こしているものじゃないの?」

 

「阿呆。そのティアマト神がビーストだと言っている。我らが挑む相手は正真正銘、原始世界の神体だ」

 

一同に戦慄が走る。

ゴルゴーンのような紛い物ではない、本当のティアマト神。

このシュメルの地に根差しした正真正銘の神格が、人類悪として顕現しようとしている。

その力は未知数ではあるが、神であるなら何らかの権能を有しているだろう。

例えばケツァル・コアトルは善なる者からは傷つけられない。相手の善性が高ければ高いほどダメージを負わなくなる。

それですら神殿の建立という制約を成してのものだったが、顕現したティアマト神はそんなデメリットなどなく無制限に権能を行使できるだろう。

配下となる子ども達を無限に生み出す百獣母胎だけではなく、もっと凶悪な何かを有しているかもしれない。

そして、もう一つの問題が、そのティアマト神はいったいどこに潜んでいるのかということだ。

 

『こちらの解析では、ビーストらしき霊基反応は見られない。少なくとも現在、無事なメソポタミアの地にはティアマト神はいないと見ていいだろう』

 

「なら、やはりペルシア湾か」

 

「黒く染まっていたあの海ね。ラフムが大量に湧き出てくる様子が空から見えました」

 

「ラフムへの対策とペルシア湾の調査、即急に進めねばならぬか。(オレ)が視た未来より二日ほど早まったが、これはマーリンめがしくじったのか、或いは別の…………」

 

「ギルガメッシュ王?」

 

「……何でもない。シドゥ……いや、そこな兵士長。ここまでの情報を纏めて兵舎へ伝えておけ。北壁への住民の避難も含め、部隊の編制を急がせろ」

 

ギルガメッシュ王に命じられた兵士が一礼し、玉座の間を後にする。

そこで初めて、カドック達はこの場にいるべき人物の姿がないことに気が付いた。

 

「あの、シドゥリさんは?」

 

「シドゥリの事は忘れよ。今はラフムの対策が先だ」

 

ゾッとするほど冷たい声音だった。

王というものの器の大きさと、その冷徹さを垣間見た瞬間だったのだろう。

彼の王にとって第一は国であり、王あっての民なのだ。国体の維持のために自らの財産が失われることに目を瞑らなければならぬこともあるだろう。

その欠落を胸に王は国を存続させねばならない。一時の私情に心を揺らされては王など務まらないないのだ。

そして、無念にも犠牲の中に、シドゥリが含まれてしまった。

ウルクにやって来てからというもの、彼女はギルガメッシュ王との仲介のために骨身を砕いて協力してくれた。

衣食住を始め、何から何まで世話になった。

その彼女が、ここにはもういない?

殺されたのか、浚われたのか。浚われたのだとしたら、救出のための部隊は派遣されたのか。

聞きたいと思った。聞かなければならないと直感した。その上で、聞くべきではないと判断した。

ギルガメッシュ王が王として沙汰を下したのだ。異邦人である自分達にはそれに口を挟む権利はない。

カドック・ゼムルプスでは偉大なる英雄王に問いかけることができない。

故に、彼が動いた。

憧れの星が、輝きを放った。

 

「シドゥリさんはどこに行ったんですか!?」

 

強い眼差しで、立香はギルガメッシュ王の睨みを受け止める。

吐息ですら琴線に触れれば首を撥ねられると理解していながら、彼は問いかけることを止められなかった。

自分にはできないことを、彼は平然と、迷いなく実行した。

それが人として正しいから、自分にできることがあるのなら手を伸ばしたい。

どこまでも愚直で、正しくあろうとする姿勢。

その輝きを目にしたギルガメッシュ王は、静かに口を開く。

 

「助けに行くと言うのか、雑種?」

 

「ああ、もちろんだ。言われなくても言ってやる!」

 

「ふっ、よく言ったわ、たわけめ! では、カルデアの藤丸! エリドゥへの調査を命じてくれる! 期限は一日だ! 一日で事を済ませ、この玉座に戻るがいい!」

 

「はい! 行こう、マシュ! イシュタル!」

 

「はい、先輩!」

 

「ちょっと、なんであんたが命令するのよ!?」

 

力強く頷いた立香が駆け出し、その後ろにマシュとイシュタルが続く。

ケツァル・コアトルやジャガーマン、四郎もその後に続いた。

残されたのは自分とアナスタシアの二人のみ。当然ながら、自分達も彼らに続くつもりだったが、それを呼び止める声があったのだ。

 

「よい友を持ったな」

 

「ギルガメッシュ王?」

 

「エリドゥへは調査隊を送るつもりではあった。だが、お前達が行くと言うのなら、こちらもラフム対策に全力を注げるというものだ」

 

「あなたは、そこまで見越して…………」

 

「驕るな、カルデアの。元より期待はしておらん。だが、ラフムの真意を知れればティアマト退治の一因にはなろう」

 

これは、それだけのことなのだとギルガメッシュ王は締めくくる。

王がそう言ったのならば、その通りなのだろう。

そう結論付けたカドックは、一礼してアナスタシアと共に立香の後を追う。

きっと、これから向かうエリドゥでも辛い現実を目にしなければならないかもしれない。

多くの命が失われた跡を目にすることになるかもしれない。

きっと立香は傷つくだろう。水晶のような輝きに曇りが出るかもしれない。

それを拭い、守るのは自分とアナスタシアの役目だ。

どんな困難が待ち受けていようと、それだけは必ずやり通してみせる。

この旅路が終わるその時まで、必ず。

 

 

 

 

 

 

エリドゥ市の一画。かつて太陽神殿と呼ばれていた階段ピラミッドの頂上で、キングゥは虚空に向けて問いかけていた。

周囲には誰もいない。だが、聞こえてくるのは威厳のある低い声音だ。

その声の主こそ魔術王。

人理焼却を目論み、それを実行した人類史の破壊者だ。

 

「……どういう事かな、ソロモン。母さんは目覚めた。なのに、なぜ地上に現れない?」

 

未だ、母なる女神はペルシア湾を覆う泥の中にいる。

彼女はゴルゴーンの死によって確かに眠りから覚めたはずだが、その神体は未だに姿を現さずこちらに語り掛けようともしてくれないのだ。

その問いかけに対して、魔術王は厳かに告げる。

封印が残されていると。

 

『キングゥ、彼女は縛られている。あの大いなる海によって』

 

さまよえるゴルゴーンを女神にまで持ち上げ、連鎖召喚されたケツァル・コアトルとウルクの巫女によって呼び出されたエレシュキガルを同盟によって拮抗させた。

その争いを以てギルガメッシュの行動を牽制し、母なるティアマトの復活というこちらの真意を隠し通すことには成功したが、それだけでは足りないらしい。

ティアマトはあの泥から出てくることができない。手足となる配下が必要なのだ。

 

『キングゥ、彼女の封印を解き、ウルクという生命体を滅ぼせ。それさえ成れば特異点などという揺らぎすら消え去る。私の仕事を待たずとも、人類史はその年代で終わるだろう』

 

「ああ、そうしたら約束通り、この時代はボクらが貰う。滅びるのは人間だけだ。母さんが新しい世界を作り、新人類としてボクが後を継ぐ。それが人間に棄てられたティアマト神の、唯一つの願いだからだ」

 

『素晴らしい。君の言葉には確固たる信念が感じられる。私は君を支持しよう。ただし、彼女が本当にそんな事を望むのならば、ね』

 

そう言って、魔術王の気配は消える。

一人となったキングゥは、その言葉の真意を測りかねて眉をしかめた。

 

「馬鹿な事を。そうであるに決まっているじゃないか」

 

まるで自分に言い聞かせるように口を開いたことに、キングゥは気づけなかった。

その眼下では、メソポタミアの各地から捕まえてきた人間に群がるラフム達の姿があった。

大勢で一人の人間を弄ぶ様は、まるで魔獣以下の虫だ。

力加減も何もわからず、ただ弄って壊すという醜悪な遊びを繰り返している。

いったい、母はどうしてあのような子ども達を産み落としたのだろうか?

疑問が込み上げては沈んでいく中、キングゥは視界からラフム達を追い出すために再び虚空を見上げる。

シュメルの青い空には、魔術王の禍々しい光帯が今も爛々と輝いていた。




エリドゥでの戦いはカットも考えましたが、後々の展開を考えると外せないということがわかり、シドゥリさんには泣く泣く浚われて頂きました。
ここ最近、アナスタシアが大人しいですが、次回か次々回くらいで大活躍できると思います。

プリヤイベントは割とホクホクな成果で当方、嬉しい限りです。


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絶対魔獣戦線バビロニア 第17節

足を踏み入れたそこは、鼻が曲がる程の死臭で満たされていた。

既に乾いているはずの血潮からは今もまだ鉄の匂いがこびり付いているかのようだ。

薄暗い家屋は明かりもなく、奥の方は闇に隠されていてそこに何があるのかはわからないが、この匂いと夥しい量の血痕がそこにあるものを容易に想像させた。

本能が警鐘を発している。

この先にあるものを見るなと、心が訴えている。

その訴えを無視して、カドックは手の平に乗せた札に魔力を流し込んだ。

すると、爆ぜるように燃え上った札は、次の瞬間にはマッチの先端ほどの大きさの明かりへと変化した。

見通せるのは良くて数センチ先だけだが、そこにあるものを確認するだけならばそれで十分だ。

不用意に大きな明かりを取り出して、後ろにいる立香達にまでこれを見せる訳にはいかない。

 

(…………っ)

 

明かりが浮かび上がらせたものを確認し、奥歯を噛み締める。

そこにあったのは人間だったものの肉塊だ。

原型を留めないほどバラバラに引き裂かれた肉の破片があちこちに散らばっていて、床も壁も天井も犠牲者の血で真っ赤に染め上げられている。

一緒に転がっているのはこの家の持ち主の営みの名残であろう。

食べかけの肉に引っくり返った器、踏み砕かれたと思われる瓶。

状態から見て殺されたのは二十四時間以内とみて間違いないだろう。

つまり、この家の主はラフムに殺された可能性が非常に高い。

 

「酷い……」

 

暗闇の向こうを透視したアナスタシアが手で口を覆い、懸命に堪える様が痛ましい。

そっと肩に触れると、冷たい彼女の手が重ねられてきた。

強く握りしめられ、急速に熱が奪われていくが、カドックは彼女のされるがままに任せて無言のまま外に出る事を促した。

 

「カドック……」

 

「……見るなら、覚悟していけ。できれば、見て欲しくはないけど」

 

「ありがとう」

 

少しの間、瞼を閉じて気持ちを落ち着け、立香は入れ替わるように血塗れの家屋へと足を踏み入れる。

程なくして暗闇の向こうからかすかな嗚咽が聞こえ、憔悴しきった表情の立香が飛び出してくる。

必死で嘔吐を堪えているのが、端から見ていてもわかる。あれが今の彼の精一杯だ。

取り乱さなかっただけでも大したものだろう。

 

「向こうも見てきたわ。獣の殺し方じゃないわね、これ」

 

ケツァル・コアトルと共に周囲を偵察していたジャガーマンが近づいてくる。

いつもは終始、ふざけた言動を繰り返す彼女も、今はスーツ姿で口調も真面目だ。

今のメソポタミアの惨状を見て、ふざけている場合ではないと思ってのことだろう。

 

「ジャガーマン、それって……」

 

「藤丸くん、酷かもしれないけど正直に言うわ。ラフムは楽しんで人を殺している。飢餓からでも怒りからでもなく、縄張り意識からでもない。ただ殺してみたかったから、彼らは殺されたのよ。人間社会でいうところの快楽殺人ね」

 

幾つか家屋を覗いてきたが、その全てが同じ惨状であった。

ウル市の住民達は、様々なやり方で惨たらしく殺されている。

生きたまま胴を千切られていった者、手足も首も賽の目のように細かく切り刻まれた者、体の一部を切断して屋根や木に引っかけられたまま失血死した者や、皮膚だけを綺麗にこそぎ落されて死んでいた者もいた。

そして、その全ての遺体に欠落は見られない。魔獣ならば空腹を満たすために食われていたかもしれないが、ラフムは捕食のために人を襲わないのだ。

そして、怒りや憎悪を持っているとしたら、殺し方に遊びが多すぎる。

縄張り意識を持っているなら、街の外へと逃げた者まで殺す必要はない。

つまり、奴らはただ人間を殺すことだけに執着している。

それを快楽と言わず、何だと言うのだろうか。

 

「どう……して? どうしてそんな事が?」

 

その推測に納得ができないのはマシュだ。

ずっとカルデアの中で、外界と隔絶して育てられた彼女は、人間の負の側面についてとても疎い。

世の中には、理由のない悪意としか言いようのないものがいくらでも転がっていることを彼女は知らないのだ。

 

「ウルの人達は無抵抗である事を選んだ人達です。殺される理由がありません!」

 

『そうだ。ラフムには消化器官がない。生存のために他の生き物を襲う必要がなく、全てが自身で完結している。なのに他の動物を襲うという事は――』

 

奴らに固有の言語体系や社会的な価値観があるのかはわからないが、少なくとも人間と同等に近いレベルの知性は有しているということなのだろう。

でなければ、理由もなく他人を傷つけるような真似はしない。

時に人間は苛立ちから子犬に石を投げつけることもあるが、それと同じことを、それ以上に凶悪な形でラフムは行っている。

しかも、その手腕は加速度的に研ぎ澄まされていってるとみていいだろう。

ただ殺すだけだったウルクとは違い、どの程度まで解体すれば生命活動が止まるのか、どれくらいまでなら傷つけることができるのかということを奴らは学習している。

このまま時が過ぎれば、間違いなくラフムは人間種の天敵として生態系の頂点に立つこととなるだろう。

 

「……っ!? みなさん、警戒を!」

 

何かの気配を感じ取った四郎が黒鍵を投擲する。すると、暗闇の向こうから黒紫の悍ましい異形が飛び出してきた。

 

『ラフムだ!? 周囲に仲間は……いない、そいつ一体だけだ!』

 

「群れからはぐれたか? みんな、散開して囲め!」

 

号令と共にケツァル・コアトルとジャガーマンが走る。

ラフムは超感覚で個体間の情報を共有している節がある。

仲間を呼ばれたり、こちらがエリドゥを目指していることが知られる前に仕留めなければならない。

 

「ん? なんニャ、こいつ?」

 

「抵抗する気が、ありまセーン!」

 

ケツァル・コアトルの渾身のキックと、ジャガーマンのこん棒による殴打を受けてラフムは吹っ飛ばされるが、どういう訳か逃げ出すことも襲いかかってくる様子も見られない。

それどころか、まるで踊るように一心不乱に爪のような四本の腕を頭上へと掲げ、ひょこひょこと気の抜けた足取りでぐるぐると回り出したのだ。

頭部にある口からは相変わらず耳障りな笑い声を奏でているが、ひょっとして仲間を呼ぼうとしているのだろうか?

 

「いえ、やはりおかしい。敵意が感じられません」

 

魔術で強化された四郎の刀で両の足を切り裂かれたラフムは、悶えるように胴を震わせながら地面を転がってこちらから距離を取った。

立ち上がろうとしているようだが、繋がったままの足は筋一本で繋がっているという状態のため、いくら力を込めても起き上がることができない。

不格好に頭を地面にぶつけ、頭頂部を砂に擦りつける様は滑稽ですらあった。

 

(何故だ、逃げるどころか身を守ろうともしていない。あの腕は威嚇のつもりなのか? 旗みたいに振って、いったい…………)

 

――――そうだね。最初はもうお手上げって思ったけど、白旗振らずに頑張った甲斐があったよ――――

 

――――はい、本当に。白旗、ですか? 私も振らなくてよかったです――――

 

何故、そんなやり取りを思い出したのかはわからなかった。

この状況で、一刻を争う事態に、どうして平穏だった頃のやり取りを思い出したのだろうか。

あの時の何気ない会話が、シドゥリにどれほどの影響を与えていたのかを、自分には知る術がない。

けれど、もし、この想像が当たっているのだとしたら、自分達は今、とんでもないことをしでかそうとしているのかもしれない。

戦いを止めるべきか、懸念を無視するべきか、迷いが体を縛る。

視界の端ではマシュが盾を構えて疾駆していた。動けなくなった彼女にとどめをさすつもりなのだ。

その光景がスローモーションのように引き延ばされ、視えぬ眼に二人の姿が映し出される。

他のみんなは気づいていない。

マシュがやろうとしていることがなんなのか、誰一人として気づけていない。

気づいた刹那、判断は下された。

マシュが盾を振り下ろすよりも早く、自らのサーヴァントに指示を叫ぶ。

 

「止めろ、アナスタシア(キャスター)!」

 

「っ!」

 

一瞬の後、盾が空しく宙を切る。

転がってきた小石に足を取られたマシュが、ラフムに殴りかかる瞬間にバランスを崩してしまったのだ。

シュヴィブジック。因果律に干渉して些細な悪戯を起こす英霊アナスタシアのスキルによるものだ。

 

「カドック!?」

 

「カドックさん、どうして……!?」

 

立香とマシュが、こちらを責めるように振り返る。その隙に、傷ついたラフムはまだ無事な腕を使って地面を這い回り、密林へと逃れようとする。

そうはさせまいと四郎は黒鍵を構えたが、振りかぶった腕はイシュタル神によって捕まれてしまい、黒鍵を投げることができなかった。

ケツァル・コアトルとジャガーマンも、沈鬱な面持ちのままそれぞれの得物を収めている。二人には追撃の意志はない。どうやら、神霊達にはこちらの意図が伝わったようだ。

 

『カドックくん、どうしてあんなことを? 奴が仲間を呼んで密林で待ち伏せしていたらどうするんだ?』

 

「……いいえ、あのラフムはいいわ。彼女にそんなつもり、ないでしょう」

 

ロマニの問いに対して、イシュタル神が代わりに答えてくれた。

覗き見た横顔は、いつもの自信に満ちた陽光のような美貌とは程遠い、暗く沈んだものであった。

 

「イシュタル神、ティアマト神はゴルゴーンと違って、自分の力だけで魔獣を生み出せると言っていたな?」

 

「ええ、言ったわ」

 

「それは、魔獣を産み落とすのに、他の生き物を使わないって訳じゃないんだな?」

 

「…………」

 

沈黙は肯定と受け取った。

脳裏に浮かんだのは鮮血神殿で垣間見た魔獣の繭だ。

浚ってきた人間を養分として種を育み、魔獣として分化させる外法の術。

それと同じことをティアマト神――いや、ラフムも行えるのだ。

未だペルシア湾の泥の中の母に代わって、自らの戦力を拡充するために。

あの大軍の中の何割がそれに類する個体なのかはわからないが、先ほど遭遇したラフムもきっとそれだ。

彼女はもう、自分達のところには帰って来ないのだ。

 

「ちょ、ちょっと待って……ねえ、カドック。嘘だろ……嘘だと言ってよカドック」

 

「……よせ」

 

「だってさ、シドゥリさんなんだよ?」

 

「藤丸」

 

「……っ!!……!!」

 

泣き崩れるように、立香はカドックの胸倉を掴んで頭を垂れた。

目に涙を浮かべ、理不尽を呪いながら、嗚咽を交えながら言葉を漏らす。

こんなはずじゃなかったと、まるでかつての自分を見ているかのようだった。

 

「ここにいるのが藤丸立香やカドック・ゼムルプスでなければ――Aチームの誰かなら、ティアマト神は目覚めなかったかもしれないし、彼女が浚われることもなかったかもしれない。でも、そうはならなかった。ならなかったんだ」

 

自分達は出来る事を精一杯やった。その上で成し遂げられなかったのなら、もうそれを受け入れるしかない。

だから、彼女とはここでお別れで、お終いだ。

ラフムは強く、しぶとい。あのまま死ぬ事はないだろうが、あの傷で戦場に出てくるとも思えない。

仮に出てきたとしても、次はもう気づいてやることはできないだろう。きっと、この中の誰かがとどめを差す。

だから、この話はここでお終いだ。

 

「先輩……」

 

マスターが泣いている理由を察したマシュが、振るえる肩にそっと手を添える。

入れ替わるように、カドックは一歩引いて立香が泣き止むのを待った。

時間にして五分もかからない。

慚愧を振り払い、別れを悔やむにはあまりに短い一瞬。

それでも立香は顔を上げた。

そこにはもう、泣き喚いていた少年の顔はない。

強い決意の眼差しを持った、マスターとしての藤丸立香がそこにいた。

自分が知らなかっただけで、きっと彼はいつもこうして歩き続けてきたのだろう。

至らぬが故に生じた犠牲に涙し、されど悲しみにいつまでも浸ることなく前を向く。

怯えも恐れも悲哀も飲み込んで、震える足で精一杯地面を踏み締めて、ずっと平気な顔で旅を続けてきたのだ。

その胸の内では、痛ましいまでの慟哭が渦巻いているというのに。

 

「エリドゥへ急ごう。まだ浚われた人が生き残っているなら、一人でも多く救いたい」

 

48番目のマスターは、決して歩みを止めることはしない。

自分の未来だけは、決して諦めたりはしない。

なら、親友として自分がするべきことは一つだ。

 

「ああ、やろう」

 

互いの拳をぶつけ合う。

ここからはノンストップだ。

ギルガメッシュ王が指定した刻限まで、後半日ほどしか残されていない。

それまでにエリドゥへと辿り着き、浚われた人々を救い出す。

例え、僅かしか生き残りがいなかったとしても、既に全滅してしまっていたとしても、その魂を救い出すのだ。

それが、今の自分達にできる最善であった。

 

 

 

 

 

 

強行軍で密林を駆け抜け、エリドゥ市へと到着したのは丁度、朝日が山岳から顔を出した頃合いだった。

運よくラフムとの遭遇もなく、カドック達は目立った消耗もなく到着できたのだが、再び訪れたエリドゥ市は騒然とした雰囲気に包まれていた。

狂騒に喧騒、怒号と悲鳴、耳障りな哄笑。街の中央から聞こえてくるのは大勢の人間達の叫び声であり、そこにはあの醜悪なラフム達の笑い声も含まれていた。

 

『生体反応、多いぞ! 五百、いや六百人分はいる! 連れ去られた人達だ!』

 

「集められているのは広場のようね。ラフムの反応は?」

 

『もちろんある! 魔力反応は二百超、全体に比べれば少ないが我々にとっては絶望的な戦力差だ!」

 

六騎のサーヴァントが総出で挑んでも、一度に相手取れるのは五、六体が良いところだろう。

数で圧倒されればこちらに勝ち目はない。マスターを守りながら離脱することは可能だろうが、浚われた人達を救出することは絶望的だ。

故に作戦は、初撃こそ肝要。焦る気持ちを押さえ、まずは襲撃の位置取りを把握する必要がある。

 

「待って下さい、あれは……」

 

「なっ……」

 

悟られぬよう気配を殺し、広場へと近づいた彼らが見たものは、想像を遥かに上回る凄惨な光景であった。

 

「――はっ、はぁ……は、ぁ……! やった、やったぞ……すまない、すまない……やった、オレはやった……!」

 

男が手にしていたのは拳ほどの大きさの石だった。

恐らくはその辺に転がっていたものを拾ったのだろう。既に動かなくなったもう一人の男の脳天に何度も振り下ろした事で、石を持つ手は真っ赤な血で染まっていた。

馬乗りになったままの男は石を掴んでいる指を解くこともできず、うわ言のように謝罪を繰り返しながら体を震わせていた。

 

「――――、――――。――、――、――!」

 

次の瞬間、耳障りな笑い声と共にラフムの群れが男に群がる。

友人をその手にかけたのであろう男は、成す術もなく心臓を抉り出され、先だった友を追いかけるように友の遺体へと覆い被さったまま動かなくなった。

 

「そんな、殺しても殺されるのかよ……いったい、何がしたいんだ、こいつらは……っ、ま、待て!!」

 

「うおおっ、死んでくれぇぇっ!」

 

「――!――、――!!」

 

「そ、そん……な……オレ、殺したのに……みんな、ころ……」

 

広場の至るところで惨劇が繰り広げられていた。

ラフム達に囲まれた住民達が、僅かばかりの武器を手に戦うことを強要されている。

中には家族や隣人同士であった者も含まれているようだ。

与えられた武器もほとんどが木の棒や石といった原始的なもので、殺し合うには殺傷性が乏しいものばかり。

運が悪ければ致命傷とならず、悪戯に傷ついていく者もたくさんいた。

そうして、最後の一人になるまで殺し合うことを強要された後、ラフム達は嬉々として生き残った一人の命を刈り取るのだ。

歯向かった者も、言う事を聞かず何もしなかった者も、例外なくラフム達はその手にかけている。

決して生き延びることができない地獄の闘技場。それが今、目の前で繰り広げられていた。

 

『何てことだ、人間同士で殺し合わせているのか』

 

「……カドック(マスター)、指示を。お願い、でないと……アレクセイが……」

 

「アナスタシア?」

 

「あいつらは、あの野蛮な兵士と同じよ。アレクセイを嘲笑った、あのユダヤ人……あいつらと同じ……」

 

「落ち着くんだ、アナスタシア」

 

虐殺される人々を見て、過去のトラウマのスイッチが入ってしまったようだ。

雪のように儚げな美貌は今は見る影もなく、沸々と湧き上がる怒りで身に纏う冷気も少しずつ強くなっていっている。

憚ることなく魔力を放出する様は、自らの存在を奴らにアピールしているようなものだ。

既に何体のラフムがこちらに気づき、戦闘態勢を取っている。

 

「カドック、こうなってはやるしかありません。あなたは彼女についていてあげてください」

 

「すまない、シロウ……イシュタル神、援護頼めるか!」

 

「言われるまでもないわ! ケツァル・コアトル、広場の外は私が消し飛ばす! 温存していた神性、最大出力であの怪物達を吹っ飛ばすから!」

 

「ええ、私も沸点飛び越えたわ! ジャガー! 天草! みんなをお願いね!」

 

「合点招致ニャ!」

 

散開と共に、氷の矢と魔力の雨が広場に降り注ぐ。

ラフムの力は強大だが、攻撃手段は四肢を用いた怪力のみで遠距離攻撃の手段を持たない。

出鼻を挫かれたラフムはその場でたたらを踏み、その隙に突貫したケツァル・コアトルは一体のラフムの足を掴んでハンマー投げか何かのようにスイングして群れの一角を蹴散らした。

浚ってきた人々の殺し合いに注視していた個体も、その騒ぎに気づいて次々と威嚇の声を上げるが、動きの遅い者は容赦なくイシュタル神の砲撃によって塵へと還元されていく。

爆発の余波で広場の一画や建物の一部が倒壊するが、今はそれに構っている暇はない。

どのみち、ラフムの襲撃を受けたエリドゥ市はもう都市として機能していないのだ。派手に壊してしまっても構わないだろう。

 

「みなさん、今の内に密林に逃げてください! この怪物はわたし達が引きつけます!」

 

「早く、こっちに!」

 

ケツァル・コアトルとイシュタルが暴れ回る隙を突いて、ジャガーマンと四郎が浚われた人々を囲うラフムを殺して回り、マシュと立香の先導で密林へと向かう。

それを俯瞰し援護するのはカドックとアナスタシアだ。多少、段取りが狂ったとはいえ、十分に及第点を上げられるコンビネーションのはずだ。

浚われた人々の生き残りは既に一割ほどしか残されていないが、せめてこの数十人だけは何としてでも助け出したい。

その思いを胸に、マシュとアナスタシアは立ち塞がるラフムを殴り飛ばし、氷の矢で串刺しにする。

 

「ありがとう、これで……ぎゃあっ!!」

 

マシュの後ろに続いた男が、突如として悲鳴を上げて倒れ込んだ。

飛びかかってきたのはラフムだ。頭を半分ほど潰され、肩や胴に穴を空けられているにも関わらず、ラフムは脅威となるサーヴァントには目もくれず、逃げようとした人々を屠らんと牙を向けたのだ。

 

「な、んで――今、あなた達を殺したのは、わたし達じゃないですか!」

 

叫びながらマシュは組み付いたラフムを引き剥がすが、既に男は息絶えていた。

他の者達も次々と殺されていっている。ラフムは四肢をもがれようと、胴を吹き飛ばされようと、その命が尽きる瞬間まで虐殺を止めようとしない。

自らの生存よりも、人間を殺すことを優先しているのだ。

 

「狂っている、こいつら! 許さ……な……」

 

呼吸すら止まる程の怒りに駆られ、アナスタシアの背後から巨大化したヴィイが顕現する。

宝具の解放だ。浚われた人々が次々と殺されていく光景を目にした無力感と絶望が、彼女の憎しみを呼び起こし、暴走状態に陥ったのだ。

このまま宝具を発動すれば、存在維持のための魔力すら使い果たして消滅してしまうかもしれない。

 

「止めろっ! くそっ……令呪を以て……!」

 

躊躇している暇はなかった。

すぐに令呪で止めなければ、彼女は自滅してしまう。

立香達も宝具の発動に巻き込んでしまう恐れがある。

迷っている暇はない。

だが、カドックが戒めを口にするよりも早く、頭上から無数の槍が飛来した。

それは豪雨のように広場へと降り注ぎ、ラフムの群れを吹き飛ばす。

突き刺さった槍は即座に砂へと変質し、巻き戻るように一体のサーヴァントのもとへと戻っていった。

 

「キングゥ!?」

 

槍を放ってラフムを殺したのは、同じティアマト神の子どもであるはずのキングゥだった。

その顔には怒りと苛立ちの色が浮かんでいる。人間達を相手取っている際、時々浮かべていた侮蔑の表情だ。

 

「何をしている! 旧人類を集めて、何をしているんだ、お前達は!」

 

キングゥの怒りはラフム達に向けられていた。

浚った人間達を殺し合わせると言う惨状を、キングゥは知らなかったのだ。

 

「アナスタシア!」

 

「……え、ええ……大丈夫……ごめんなさい……」

 

キングゥの登場で一時的にラフムの動きが止まり、アナスタシアも冷静さを取り戻したようだ。

背後で実体化したヴィイも溶けるように消えていき、暴走していたアナスタシアの魔力も小康状態にまで落ち着ていく。

その傍らでは、マシュが生き残っている人達を密林へと誘導していた。

全ての個体が動きを止めたこの隙を逃がす訳にはいかないと、立香が指示を下したのだ。

 

「答えろ、なぜこんな意味のない事をする! それでも原初の母、ティアマト神の子か!」

 

まるでこちらのことなど眼中にないかのように、キングゥはラフムを叱責する。

キングゥにとって、ラフムの行いはそれほどに度し難いものだったのだ。

ウルクを襲うまではいい。

敵である人間を殺すのも構わない。

だが、殺す意味のない者を浚ってくる道理がない。

何れは死ぬ運命にあろうと、彼らは力を持たず脅威とはなり得ない者達だ。わざわざ浚ってきた上で殺し合いをさせるなど、愚かしいまでに時間の無駄だとキングゥは激昂しているのだ。

 

(新人類としての矜持か。あいつにとって、それだけ人間は醜悪で愚かに見えていたんだろうな)

 

だが、皮肉にも新たに産み落とされた兄弟達は旧人類たる人間以上に下卑た感性を有していた。

人間を殺すことを楽しみ、壊すことを楽しみ、奪うことを楽しむ。

かつて人間が他の動物や魔獣に対して行ったことを、奴らはそっくりそのまま繰り返しているのだ。

 

「新しいヒトは無駄なことをしない。認めたくはないが、母さんは眠りから覚めたばかりで手を誤った。お前達はゴルゴーンの魔獣にも劣る……欠陥品だ」

 

「――――」

 

叱責されたのが堪えたのか、あれほど騒がしかったラフム達が大人しくなった。

静寂は逆に不気味だ。絶えず歯を打ち鳴らして笑い合い、命を奪うことに歓喜していた怪物が、何もすることなくジッとしている。

考えが読み取れない分、次に何を仕出かすのかわからない恐ろしさがあった。

そう思っているのは自分達だけで、キングゥはラフムを脅威とは捉えていない。同じ母を持つ兄弟なのだから、当然と言えば当然であった。

 

「わかったのなら、下がっていろ。屑のようにいるとはいえ、同じ母から生まれた兄弟だ。むざむざ殺させる訳にはいかない」

 

「そうか……こいつらは量産機なのか」

 

「ああ、認めたくはないけどね。彼らはボクをベースに、より単純化して量産された兵隊だ。そして、ボクは唯一の子としてティアマト神に作られた指揮官だ。出来が違うのも当然だろう?」

 

「けど、それは君の思い違いだキングゥ。君はティアマト神の子どもじゃない」

 

立香の言葉に、キングゥは眉をしかめる。

いったい、何を言い出すんだと心底から見下してる顔だ。

だが、その瞳の奥には何故だか悲しみのようなものが見て取れた。

一人ぼっちの子どものような、寂しさを携えた仄かの輝きであった。

 

「君はエルキドゥを参考にして作られたと言っていたけれど、本当は違う。君の体は紛れもなくエルキドゥのものなんだ」

 

「恐らく、エルキドゥさんの遺体を利用して作られた、合成魔獣なのだと思います。ティアマト神を目覚めさせるために…………」

 

「――くだらない」

 

マシュに最後まで言わせず、キングゥは呆れるように切り捨てた。

それは問題ではない。例え真実がそうであったとしても、そこには何の問題もないとキングゥは首を振る。

 

「母さんから生まれたモノでないにしても、ボクは母さんに命を与えられた、母さんの息子だ。エルキドゥの事も、他の事も……この体が知っている事を、僕は何も知らない。ボクはただティアマト神のために動く人形で構わない。他の目的、意味不明な感傷など余分だ」

 

必要なものはそれだけでいい。ただシンプルな存在理由、母の為に尽くすという目的さえあればそれでいいと、キングゥは言うのだ。

説得などに耳を貸すような輩ではないとは思っていたが、ここまで強固な精神構造をしているとは思ってもみなかった。本質が兵器であるが故なのだろう。

そして、キングゥはこれ以上は語る事もないとばかりに戦闘態勢に入る。

両腕に魔力を集中させ、いつでも武器へと変じさせれるように油断なく身構えてこちらを睨んでいた。

ちらりと街の出口へと続く路地を見やると、逃げた捕虜達の姿は見られなかった。無事に密林まで逃げおおせたようだ。

ならば、後はこの場を切り抜けるのみ。数では圧倒的にこちらが不利だが、キングゥはどうやらラフムを戦力としては見ていない。付け入る隙はそこにあるだろう。

 

「カドック……」

 

「アナスタシアの冷気で視界を隠す。殿はお前達だ、任せるぞ」

 

キングゥに悟られぬよう、小声で立香と示し合わせる。

全てはタイミングが命だ。キングゥの一斉射を初手で防ぎ切らなければ離脱はままならない。

密林に逃げた捕虜達とも急いで合流しなければ、他のラフムや魔獣達に襲われる危険もある。

 

「来るぞ! なっ!?」

 

いつでも走り出せるように身構えていたカドックは、突然の事態に己の眼を疑った。

姿勢を低くし、今にも飛びかからんと両足に力をこめていたキングゥが突如として倒れ込んだのだ。

 

「お、お前……達……?」

 

途切れ途切れに言葉を漏らしながら、キングゥは振り返る。

キングゥの胸からは、艶のない黒い爪のような腕が突き出していた。

こちらに飛びかかろうと身構えた瞬間、不意を突いた一体のラフムが背後から襲いかかったのだ。

 

「シシ、シ――シャハハハハハハハハハハ!」

 

「何が……おかしい……」

 

「――――決マッテイル。オマエ ノ 姿ガ 楽シイ カラダ」

 

背筋に怖気が走った。

歯をかち合わせ、耳障りな声で笑っていたラフムが、金切り音にも似た声で人間の言葉を紡いだからだ。

異形の存在から発せられる馴染みのある言葉。それが堪らなく恐ろしい。身の毛もよだつとはこのことだ。

 

「楽シイ。楽シイ。楽シイ。楽シイ。ニンゲンヲ 殺スノハ トテモ 楽シイ!」

 

狂ったように、惑ったように、不気味に踊りながら金切り音が言の葉を描く。

うだるような熱さが感じられず、腹の底から冷えていくかのような錯覚を覚えた。

あまりの嫌悪感に脳が情報の処理を拒否している。

あの気味の悪い歯茎が発する言葉を聞いていると、手足の震えが止まらない。

今までに感じたことのない冒涜的な恐怖であった。

 

「母ハ 我々ニ 命ジタ。新シイ ヒト トシテ学習シロ、ト。ヒト トシテノ 在リ方。ヒト トシテノ 定義。ヨリ 人間ラシイ モノ。ソレガ コノ 結論 ダ」

 

ある意味では当然の帰結だったのかもしれない。

ラフムはある意味では完璧な生き物だ。

生存のために他者から奪う必要がない。生きるために食糧を探す必要がなく、強靭な生命力故に温かい土地を求めて彷徨う必要もない。極寒の僻地や灼熱の砂漠でも容易に適応できるだろう。

雌雄を持たないが故に種族間で交わることもない。進化のために遺伝子を掛け合わせる必要がなく、従って種族としての劣化も起きない。彼らの生態が変わることはない。この星が続く限り、永遠に繁栄し続けることができるだろう。

だが、彼らには文化を生み出す土壌がない。

他者を寄せ付けない強さは向上心を生み出さない。

強靭な生命力は安寧を生み出すための創意工夫を呼び起こさない。

超社会的な生態系であるが故に、個という概念が生まれない。

あまりにも生物として完成されているが故に、同種族だけでは何も生み出されるものがないのだ。

そんな生き物が、突如として出現した時、生態系にどのような変化が生まれるだろうか。

彼らは考えたはずだ。自分達がピラミッドのどの部分を担う存在なのかを。

生きるための捕食を必要としないラフムは、他の生物を食糧とは見なさないだろう。

彼らにとっては動いている肉の塊でしかないのだ。そして、個と言う概念がなければ他者への共感も生まれず、命を奪うことにも躊躇することはない。

ラフムにとって他種族への攻撃は遊戯であり、自らの優位性を実感するための手段なのだ。

いわば彼らにとっての娯楽なのである。

 

「人間ノヨウニ活動スルノハ 素晴ラシイ! 楽シイ。楽シイ。楽シイ。楽シイ! ニンゲンヲ 殺スノハ トテモ 楽シイ!」

 

「お前達、は――――」

 

背後の兄弟達が一斉に動き出したことに対して、キングゥの顔に困惑の色が浮かぶ。

失敗作と見下したとはいえ、同じティアマト神の子として温情は与えていた。

無碍にするつもりはなかった。

守るつもりではいた。

その感情は彼らには伝わらなかった。

醜悪な新人類は兄弟たるキングゥに見切りをつけたのだ。

 

「オマエ ハ トテモ ツマラナイ オマエ ハ モウ 要ラナイ」

 

キングゥの胸を抉ったラフムがその腕を捻ると、爪の先に半透明の結晶体が引っ掛かっているのが見えた。

キングゥに埋め込まれていた聖杯だ。ラフムはキングゥから聖杯を奪うために不意打ちを仕掛けたのである。

そして、ラフムが腕を引き抜くと、キングゥはその場に力なく倒れ伏して動かなくなった。

聖杯を掲げて歯を鳴らすラフムを見て、表情がないはずなのにどす黒い邪悪な笑みを浮かべているかのような錯覚を覚えた。

 

「コレハ 我々ガ 回収スル。母を起こスのは 我々ノ仕事ダ。時代遅れのオマエ(キングゥ)は、ここで死ね」

 

嘲りと共にラフムは聖杯をその身に取り込んだ。すると、耳を覆いたくなるような肉の引き千切れる音と共に、ラフムの体が変質していく。

首回りが一回り大きく膨れ、弾け飛んだ瘤の中から一対の黒い翼が生えてきたのだ。

聖杯の力による強制的な進化。新たなる人類が獲得した、まだ見ぬ新天地への足掛かり。

大空を支配する魔翼。

ベル・ラフムの誕生であった。




ラフム語しんどい。


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絶対魔獣戦線バビロニア 第18節

眩暈がする。

体は重く、呼吸をする度に熱が奪われていくのがわかる。

本来ならば瞬きする間もなく塞がれる傷が、今は開き切ったままだ。

そこから零れ落ちているのは血液なのか、それとも変質しそこねた砂なのか。

何れにしても、この体が万全とは程遠い状態であることは理解できた。

心臓部を失っているにも関わらず、未だ意識を保てているのは大地から魔力を吸い上げることができているからだ。

それすらできないほどに消耗してしまえば、後は機能を停止するのを待つばかりになる。

 

「くっ……!」

 

痛む体を庇いながら、キングゥは腕を振るった。

吹き出した砂が槍へと転じるが、それは襲い掛かるラフムの肌を軽く撫でるばかりで押し返すことすらできない。

今のキングゥは燃料タンクに穴の空いているにも等しい状態だ。無理に原動機を回せば体内の回路が焼き付き、負担は増すばかりである。

指先一つを動かすのにも多量の魔力を要する今の状態が、堪らなく歯痒かった。

 

「効カナイ! 効カナイ! 聖杯モナイ、母カラノ 声モ 聞コエテイナイ! モウ要ラナイ! キングゥ、モウ要ラナイ!」

 

「キングゥ、カワイソウ、カワイソウ! 可哀ソウ面白イ! 可哀ソウ ハ 面白イ! 滑稽デ 面白イ!」

 

わらわらと押し寄せてくるラフム達が、衰弱したキングゥを攻め立てていく。

致命傷となる攻撃をわざと避け、こちらが動けなくなるまで嬲りつくす腹積もりのようだ。

歯を打ち鳴らす度に木霊する笑い声が不快で、キングゥは耳を塞ぎたくなったが、それも叶わなかった。

 

「面白イ キングゥ! 自分ダケ旧式ダト 今マデ 気付イテ イナカッタ!」

 

「な……んだと……! 量産品の分際、で……!」

 

苛立ちに任せて矢を放つ。

普段なら小山くらい、軽く吹き飛ばせる威力の攻撃だ。

だが、ラフムは動じることなく無防備なまま矢の斉射を受け止め、肌にこびり付いた砂を煩わし気に払い落とす。

聖杯を奪われ、霊核も傷つき衰弱した状態では、この耳障りな笑い声を封じることすらできなかった。

 

「くっ……こんな、こんなはず……! ボクはこの時代で、最強の兵器なのに……!」

 

いつの間にか、エリドゥ市を出て密林へと辿り着いていた。

追ってくるのはラフムばかりだ。カルデアのマスターやサーヴァント達の姿はない。恐らく、聖杯を奪ったラフムを追いかけていったのだろう。

 

「狩リダ、狩リダ! 旧式ヲ、沢山(こまかく)沢山(こまかく)、分解シヨウ!」

 

屈辱だった。

格下だと見下していたラフムに、失敗作だと侮っていた兄弟に、小動物のように追い立てられる様が堪らなく情けない。

そして、それ以上に大きな悲しみが胸の内で渦巻いていた。

こんなはずではなかったと、血塗れの胸を引き裂いて叫びたい衝動に駆られていた。

自分は――キングゥはティアマト神によって作られた新しい人類だ。何の経験も記録もない体で大地に放り出されたこの身にとって、それだけが唯一の支えだった。

母親からの期待だけはあると信じて、メソポタミアを滅ぼすために奔走した。

 

「ギャハ! ギャハハ! ギャハハハハハ! ソッチダ! ソッチ、逃ゲタゾ!」

 

「追イ詰メロ、捕マエロ! 解体ダ、デク人形ノ 解体ダ!」

 

それが、こんな惨めな姿を晒して逃げ回る羽目になるなんて、あまりに哀れだ。道化もいいところだ。

自分は初めから使い捨ての偽物だったのだ。

未来も、希望も、自分の意思も持ち得なかった。共に語らう友人もいなかった。

ただ、ティアマト神の唯一の子どもであることにすがることしかできなかった。

それがキングゥだ。憐れな神の人形だ。

ああ、この頬を伝う熱い雫は何なんだ。

止めどなく溢れてくる、この想いはいった何なのだ。

 

「――アハ。見ィ ツケタ」

 

茂みの向こうから、一体のラフムがこちらを見つめていた。

先回りをされたのだ。機敏に動いているつもりで、実際はもう牛歩ほどの速さでしか動けなくなっていた。

わざわざそんなことをしなくとも、後ろから追いついて一刺しをすれば終わる仕事だというのに、ラフムはこちらの絶望を煽るために敢えて迂回して自分が来るのを待ち構えていたのだ。

 

(――これが、終わりか。なんだ……人間達みたいに、呆気ない)

 

結局のところ、自分も見下していた人間達と同じだったのだ。

壊されれば動かなくなる脆弱な存在。ラフムにとっての格好の玩具だ。

そう思うと急に虚しさが込み上げてきた。

こんな事なら、最後にアイツに会いに行けばよかったと後悔の念が込み上げてくる。

それも詮無いことだ。最早、叶う手段はなく、自分はこれからラフム達に嬲り殺しにされる。

抗うのはもう止めよう。逃げるのはもう止めよう。

諦めて、目を閉じて、最後の瞬間が一秒でも早く訪れることを願おう。

慚愧が、後悔が、無念が次々と込み上げては胸の空白を埋めていく。

悍ましい兄弟に見下されて殺されるのが最後の光景なんて、とても悔しくて悲しかった。

 

「――――」

 

己の運命を受け入れた瞬間、こちらに飛びかからんとしたラフムが首が撥ねられてその場に崩れ落ちる。

それを成したのは、倒れ込んだ化け物と同じ異形の存在であった。

同族であるはずのラフムが、キングゥを守るために襲いかかろうとした個体を攻撃したのだ。

 

「おま、え……助けて、くれたのか?」

 

爪を血で染めたラフムの体は、末端から泥へと変じていた。

ここに来るまでの間に、何者かと戦って霊核を傷つけられていたのだろう。

大人しくしていれば生き永らえたかもしれないというのに、このラフムは自分を救うために残っていた力を振り絞ったのだ。

それが自身の消滅に繋がることを承知の上で。

 

「――――逃ゲ、ナ、サイ、エルキ、ドゥ。アナタ、モ、長クハ、ナイデショ、ウ、ケド」

 

「キミは――昨日、逃げ出した個体? 戻って来て、いたのか……」

 

確か、ウルク市から連れ去られてきた内の一人だ。

余程、高徳な人物だったのであろう。ラフムへと転じた後も材料となった人間の記憶が霊基に影響を与え超感覚で同族と繋がる事を恐れたのだ。

エリドゥ市を飛び出した後の事は知らなかったが、まだこの辺りをうろついていたのだろうか。

 

「――シアワ、セニ。ドウカ、シアワセニ、ナリナサイ。親愛ナル、友。エルキ、ドゥ」

 

耳障りなはずのラフムの声が、不思議と素直に耳へと落ちてくる。

金切り音交じりの雑音のような声ではあったが、まるで女神へ捧げられる祈りのようであった。

崩れかけている体を必死で堪えながら、ラフムは人間だった頃の彼女の思いをこちらに伝えようとしているのだ。

 

「私タチ、ウルクノ民ハ、アナタへの感謝を、忘レハ、しまセん。アナタハ、孤高ノ王ニ、人生ヲ、与エマシタ。偉大ナ王ヘノ、道ヲ、示シテクレマしタ。アナタノ死ヲ、嘆カナカッタ者ハ、いなカッタ。アナタノ死ヲ、忘レル者ハ、イナカッタ……私、モ。私モ、トテモ、悲しカッタ」

 

「キミは……待ってくれ、キミは……」

 

「ドウカ、シアワセに、エルキドゥ。美シイ、緑ノ、ヒト……アリガトウ、アリガトウ、言エテヨカッタ……アリガトウ、アリガ、ト――」

 

駆け寄ろうとした瞬間、彼女は結合を維持できなくなって崩れ落ちる。

咄嗟に掴むことができたのは極僅かな泥だけで、彼女を構成していた大部分は血だまりのように地面へと広がり、氷のように溶けていく。

握り締めたその泥は、ありもしないはずの熱を持っているかのようだった。

目尻が熱い。ないはずの心臓が早鐘を打つ。ボロボロに傷ついた体が、言葉では言い表せない衝動を土石流のように噴き上げる。

彼女のことなんて知らないはずなのに、浚われてきた哀れな人間の一人でしかないはずなのに、名前も顔も克明に思い出すことができた。

知らないはずの感情が、あるはずのない記憶が、湧き上がる泉のように浮かんでは沈み、キングゥ自身を責め立てる。

慟哭を、禁じ得ることができなかった。

感謝の言葉なんて、言われる資格はないはずなのに。

 

「見ツケタ、見ツケタ」

 

茂みを掻き分け、数体のラフムが姿を現した。

すぐに逃げなければと思ったが、体は木偶のように動いてはくれなかった。

手の平の中の彼女の思いを耳にしたことで、キングゥの中の何かが決定的に切れてしまったのだ。

今のキングゥに抗う力も気概もなく、心のどこかでもう終わってしまいたいと思ってしまった。

この感情の名前が何なのかはわからないが、それはあまりにも重く背負いきれるものではなかった。

ただのラフムの死のはずなのに、意識を保ち続けていることすら苦痛であると感じてしまうほどに。

そんな自分がおかしくて、情けなくて、停止した思考は振り下ろされる爪を、ただ他人事のように見ていることしかできない。

そして、それを許す女神ではなかった。

 

「呆れた」

 

ただ一言だけ告げると、空から降り立った女神は群がるラフムを焼き払う。

悲鳴を上げる間もなく泥へと帰する異形の兄弟達。同じラフムの消滅であるはずなのに、彼女の時のような衝動は湧き上がらなかった。

 

「気の迷いから助けちゃったけど、必要なかったかしら」

 

「イシュタルか……ああ、余計なことをしてくれた。キミはいつもそうだ」

 

「そう。なら、そのまま引きずっていきなさい。それとも今、ここで引導を渡してあげようかしら?」

 

心底からどうでもいいとばかりに、イシュタルはこちらを見降ろした。

腹立たしい。何も知らない癖に、何もかもお見通しと言わんばかりのすまし顔が気に入らない。

この世の寵愛を一身に受けたお前には決してわからない。

この胸の情動が、息苦しいまでの律動が、お前には決してわからないだろう。

 

「死に場所くらい、自分で決める」

 

「なら、そうしなさい。その方が、彼女のためになるでしょう」

 

「…………」

 

苦し気に息を漏らしながらも体を起こす。

激痛よりも虚脱感の方が強い。あまり大地から魔力を吸い上げることができていないようだ。

密林は南米の神のテリトリーなので、この体とは少しばかり相性が悪いのだろう。密林を出れば少しはマシになるはずだ。

 

「何故、キミがここにいる? 聖杯を追わなくていいのかい?」

 

「そっちはケツァル・コアトル達が追っているわ。ラフム達に邪魔されなきゃ、今頃は私が取り返しているに決まっているでしょ」

 

「そうかい。その顔の泥はあいつらに組み付かれたからか……いい気味だ」

 

「ちょっと、助けられておいて何よ、その言い草は!?」

 

憤慨するイシュタルが天舟(マアンナ)の矛先を向けてくるが、キングゥは無視して密林の出口を目指す。

気に入らない女神を笑いものにしたことで、少しばかり気持ちも楽になった。

この霊基がどこまで保つかはわからないが、少なくとも行けるところまでは行ってみてもいいだろう。

北へ、北へ目指すのだ。そこに何があるのかはうまく思い出せないが、自分はそこに行かなければならない気がする。

壊れかけの体はまだ動く。

行けるところまで行こう。

自分にはもう、それしか残されていないのだから。

 

「…………じゃあね、―――ドゥ……」

 

立ち去るキングゥにイシュタルが言葉をかける。

冷たい声音のはずなのに、不思議と温かみの感じられる囁きであった。

 

 

 

 

 

 

風が頬を切る。

ベル・ラフムと呼称されることとなったラフムの飛翔体。

聖杯を奪い去ったその個体は、こちらのことなど目もくれずにメソポタミアの空を疾駆した。

奴が目指すのはペルシア湾だ。恐らく、泥の中で眠るティアマト神に聖杯を渡すつもりなのだろう。

もしも、聖杯がティアマト神の手に渡れば、原初の女神が完全に目を覚ますこととなる。そうなれば、自分達ではもう勝ち目はない。何としてでも聖杯は奪い取らねばならないのだ。

 

「う、うああぁぁっ!! ヴィ、ヴィイ!! は、放さな……」

 

「ヴィイ、しっかり掴んでいてね! アナタも、もっと踏ん張って!」

 

「む、無茶な、ことを……言……」

 

ふらりと体が浮かび、慌てたヴィイが影のように形のない手を伸ばして体を押さえつけてくる。

あの後、逃げ出したベル・ラフムを追おうとしたイシュタル神は無数のラフム達に組み付かれてしまい失速。何とか追撃を振り切ることに成功したカドック達は、ジャガーマンと四郎に密林へと逃げた捕虜の護衛を頼み、自分達はケツァル・コアトルの呼び出した翼竜の背に乗ってベル・ラフムを追跡していた。

彼女が仲間入りしてから何度か乗せてもらったことはあったが、今回は事情が事情なだけに翼竜達も限界を超えた速度で飛翔している。

そのスピードたるや、禁断のアーラシュフライトが思い返されるほどだ。

振り落とされないよう、ヴィイが懸命に体を押さえてくれているが、それでも揺れる翼竜の背中は乗り心地が最悪で、何度もバランスを崩して滑り落ちそうになった。

断言しよう。羽ばたく生き物の背中は、安易に騎乗していいものではない。

傍らでは案の定、立香がブラックアウト寸前の状態で翼竜の背にしがみついていた。意識は朦朧としていて、目と口はだらしなく開き、とても他人様に見せられるような顔ではない。

 

『辛いのはわかるが、何とか耐えてくれ。ラフムが目指しているのはペルシア湾の中央、恐らくはそこにティアマトが沈んでいる! 聖杯を落とされたら回収はほぼ不可能だ!』

 

「安心して、追い付くわ! 背中、捉えた! ケツァルコアトルス、これが最後の踏ん張りよ!」

 

怪鳥音染みた鳴き声を上げ、ケツァル・コアトルを乗せた翼竜が一際激しく羽ばたいた。

その視線の先にいるのは聖杯を呑み込み、母の元へと戻らんとするベル・ラフム。ラフム自身の適応力の高さなのか、或いは聖杯の魔力の恩恵か、その速度は大空を舞うどの生物よりも速く、鋭い。

しかし、女神の翼竜はその更に上を言った。新人類が何するものぞ。この大空は遥か以前から翼持つ鳥達の領域。お前が新たなヒトだというのなら、この洗礼を受けるがいい。

これ正しくトペ・スイシーダ。大気の壁というトップロープを潜り抜け、今、太古の翼竜は渾身の体当たりをお見舞いした。

 

「手応えありデース! さあ、追いかけてトドメよ!」

 

旋回しながらバランスを取り直す翼竜の背で、ケツァル・コアトルは勝鬨を上げる。

眼下では、翼竜の体当たりを受けて意識を失ったベル・ラフムが錐もみ回転しながら遠ざかっていった。

着地するのは砂浜のようだが、この高さでは無事では済まないだろう。後、もう少し南に飛ばれていたらペルシア湾に指先がかかっていたかもしれないと思うとゾッとしたが、翼竜達の奮闘で何とか最悪の事態は防げそうだ。

 

『――なんだこの霊基反応は!? まさか――みんな! すぐにラフムを追うんだ! 海から――泥の中から新手が来るぞ!』

 

「っ!?」

 

ロマニの言葉にいち早く反応したケツァル・コアトルが翼竜を急降下させるが、それよりも泥の中からラフムが飛び出す方が早い。

その動きはまるで弾丸のようだ。次から次へと泥を弾かせ、重力を振り切って空を駆けるラフムの群れが壁となって行く手を遮るのだ。

 

アナスタシア(キャスター)!」

 

「やっています……ダメ、届かない!」

 

迎撃のために放った氷柱が数体のラフムを撃ち落とすが、落下するベル・ラフムにまでは届かない。

次々と飛びあがってくるラフム達が行かせまいと体を広げて氷柱を受け止めるのだ。

仲間のための自己犠牲といえば聞こえはいいが、実際のところは群れ全体が機械的に動いているだけだ。

奴らは同族がどれほど傷つき倒されようと頓着しない。それは何億本もある指の内の一本が折れただけのこと。そして、折れた指はこうして泥の中から新たに補充される。

個がない故に、奴らには死という終わりすら訪れないのだ。だから、群れの大半を失う事になろうとも、己の体が傷つき朽ちていこうとも、躊躇することなく目的を達せんとするのだ。

 

『ベル・ラフム、霊基消失。これは、自分で命を絶ったのか……聖杯を抉り出して、別のラフムに!! 聖杯の反応が泥の中に消えていく!!』

 

「カドックっ!」

 

「わかっている! くそっ、ここまでか……」

 

泥に沈んでしまった以上、これ以上の追跡は不可能だ。

あの泥はヤバい。第六特異点で垣間見た汚染聖杯に匹敵――否、それ以上に悍ましい気配を発している。

イシュタル神は言っていた。ティアマト神が持つ権能の中で最も強力なものが「細胞強制(アミノギアス)」。取り込んだものに自らの権能を複写し隷属させるという恐ろしいものだ。

今、ペルシア湾を覆いつくしているこの黒い泥は、全てがティアマト神の権能。いわば攪拌された生命の土壌であり、迂闊に触れれば取り込まれて自分達までラフムと化してしまうだろう。

 

『ラフムの反応、更に増大! 泥の中から次々と出てくるぞ!』

 

聖杯を手中に収めた事で、こちらを妨害する必要がなくなったのだろう。

ラフム達は襲い掛かってくるのを止め、新たに生まれた兄弟達と共に陸地への上陸を試み始めていた。

恐らく、生き残った人間を襲うためにウルクを目指すつもりなのだろう。

 

「ウルクに戻りましょう、マスター! 間に合わなくても、このまま放ってはおけません!」

 

ペルシア湾だけでなく、メソポタミア全体が震えているかのようだ。

海が荒れ、風が鳴き、空の暗雲が渦を巻く。

それらがティアマト神の目覚めに呼応しているのだとしたら、次に現れるのは本命の登場だ。

確信があった。

子どもはどれだけ迷おうと、必ずはぐれた母親を見つけ出す。

それは母親の腕に抱かれたいという子の執念なのか、それとも我が子を愛する親が子を招くのか。

何れにしろ、カドックは気づいてしまった。

その存在を、その姿を、その美貌を、彼は見てしまった。

ペルシア湾の遥か彼方。遮るものが何もない泥の上に立つ、手足を拘束された美しい女性の姿を。

 

「……あれが?」

 

何故、その姿を捉えることができたのかという疑問は湧かなかった。

礼装があるとはいえ、視力の衰えたこの目で、それも強化の魔術すら使っていない状態であるにも関わらず、まるですぐ目の前にいるかのようにハッキリと彼女の姿を見て取れる。

大きな角を持ち、一糸纏わぬ裸体を晒した女性。どこか儚げで幻想的な美しさがあり、一方で全てを受け入れる深い包容力を感じられた。

正に女神と呼ばれるに相応しい美貌と完璧な肢体だ。

この湧き上がる感情は、母親への慕情だろうか。

一目見ただけで彼女が万物の母であることを理解した。

泥の海で唯一人、静かに歌う彼女の姿に見惚れてしまった。

美しい。/悍ましい。

愛おしい。/恐ろしい。

震えが止まらない。

これは歓喜かそれとも恐怖か。

自分でも感情の正体が分からなくなるほど、カドックは混乱していた。

 

「あれが、ティアマト神(お母様)?」

 

傍らのアナスタシアも同じであった。いや、ここにいる全員が同じ気持ちを共有していたはずだ。

それほどまでにティアマト神は美しく、愛おしく、恐ろしかった。

触れてはならない禁忌の念を感じられた。

 

「間違いなく、ティアマト神よ。彼女は生命を生み出す土壌として、創世後に切り捨てられた母胎。シュメル神話では神々に殺されたとあるそうですが、実際は自分が生み出した世界の全て(こどもたち)に棄てられたの。彼女はいるだけで新たな生命を生み出す原初の海そのもの。生態系が確立されたこの惑星には――生命の系統樹を得た霊長にとって、次の世界を作りかねない彼女は不要でしかなかったの」

 

だから、虚数空間に封印されたのだとケツァル・コアトルは語る。

それが、今、こうして目覚めてしまった。

魔術王に引き上げられたのか、それとも歪んだ人理が呼び寄せたのか。何れにしても、彼女は最早、この星にいていい存在ではない。

 

「っ……!?」

 

不意にティアマト神と目が合った。

世界を内包したかのような淡い青の瞳が物悲し気にこちらを射抜く。

あれは悲哀だ。我が子から棄てられたことへの悲しみだ。

あれは歓喜だ。我が子と再び出会えたことへの喜びだ。

そして、あれは恐怖だ。我が子にもう一度、捨てられるかもしれないという恐怖だ。

青い瞳が怯えたように陰り、震えとなって全身に伝播する。

姿を現してから、ずっと聞こえていた歌が途絶えていた。

 

「……逃げろ」

 

「え?」

 

ティアマト神は恐怖の余り、自らの体を掻き毟るように捩る。すると、手足を拘束していた鎖に小さな亀裂が走った。

それと同時に、メソポタミアの大地が再びティアマト神に呼応して大きな揺れを起こした。

 

『霊基、再構成を確認。超構造体(メガストラクチャ)に変化、存在規模(スケール)、上昇――――バカな、こんな生物有り得るのか。これはもう生き物じゃない。これは、これは――』

 

「いいから、逃げろ! 急げ!」

 

カドックが叫ぶのとほぼ同じタイミングで、ティアマト神の拘束が弾け飛ぶ。

儚げな美貌を携えたティアマト神はうっすらと笑いながら泥の中へと埋没し、ほんの一瞬だけ静寂が戻ってきた。

だが、それは脅威が過ぎ去った訳ではない。

自分達は先ほどまで見ていたものは、本当のティアマト神ではない。言わば影のようなものだ。

本命はこの下にいる。

本当のティアマト神の神体が、今正に現れようとしている。

 

『ペルシア湾の水位、急速に上昇! 第一波、湾岸到達まで後、五、四、三――港湾部水没。大波、指向性を伴ってなお浸食! このまま一直線にウルクを飲み込むつもりだ!』

 

その瞬間、ペルシア湾が二つに割れたとのかと錯覚した。

それは泥の底から這い出てきた巨体によって引き起こされた大波であった。

体長は優に数百メートルに達しようかという巨体。頭部に同じ角を有していることと、全体的なフォルムの共通点から、先ほど垣間見た女性と同じ存在であることが汲み取れる。

だが、新たに現れた彼女の美貌は嘆きによって歪んでいた。大きく割けた口はまるで竜種の顎だ。

慟哭とも言える咆哮は空を揺らし、泥の底から一歩、一歩と緩慢な歩みで洋上へと上がってくる様は女神の名に恥じない威風堂々としたものだった。

 

「Aaaaaa――――aaaaaaa――――――…………」

 

人が巨大なものを目にした時、そこに抱くのは恐怖でも歓喜でもない。あれは神だという確信と、自らの矮小さを否がおうにも見せつけられたことから生じる畏敬の念だ。

魔神柱やジル・ド・レェの大海魔など相手にならない。あそこにいるのは正真正銘の神なのだ。

 

『正に怪物だ。移動する生体工場、星間すら航行可能な魔力量。体内に貯蔵した膨大な生命原種――――人類が後数百年かけて到達すべき神の箱舟――――これが――これが、ティアマト神の正体か!』

 

「ティアマト神、わたし達を見ていません! まっすぐにウルクだけを睨んでいます!!」

 

「ウルクに向かおうとしているんだ! ケツァル・コアトル!!」

 

「無理! ぜっっっったいに勝てないわ! だって大きさ違い過ぎるデショウ!? ルチャ最強の奥義、関節技が仕掛けられまセーン!」

 

動転し過ぎておかしなことを口走るケツァル・コアトルではあったが、彼女の言う通りこれほどの巨体が相手では生半可な攻撃は通用しないだろう。

いや、ひょっとしたらイシュタル神やケツァル・コアトルが権能を全開にして挑んだとしても、傷つけることすらできないかもしれない。

存在規模(スケール)が違い過ぎるのだ。サーヴァントは英霊の側面を抽出したもの。対して、ティアマト神は完全なる神霊――否、神体として顕現している。

振るえる力の威力も規模も、彼女達とは比べるのが烏滸がましいほど大きく上回っているのだ。

 

『みんな、撤退だ! 至急ウルクに戻り、ギルガメッシュ王と合流する! 我々だけでは手の打ちようがない以上、戦力を集めるしかない!』

 

「っ……ケツァル・コアトル!」

 

「ええ、しっかり掴まっていて!」

 

動き出したティアマト神に背を向け、カドック達を乗せた翼竜をウルクを目指す。

胸中は不安と絶望でいっぱいだった。

目覚めてしまった神格を相手にどう戦えばいいのか、自分達はウルクを守ることができるのか。

これまでも多くの絶望を経験してきたが、どこかに必ず希望があった。細い細い勝ちの筋が見えていた。

だが、今回ばかりは何もない。

打てる手も、切れる札も、自分達の手元にはない。

それでも諦める訳にはいかないと、拳に力を込める。

ここまで来たのだ。

六つの特異点を超えて、やっとここまで辿り着いたのだ。

諦めてなんてやるものか。

こんなはずじゃなかったと悔やむのは、最後の最後まで抗い続けてからだ。

だから、絶対に諦めてなどやるものか。

 

『海洋浸食、第二波が来るぞ……いけない、この勢いはウルクまで到達する!?』

 

ダ・ヴィンチの解析結果を聞き、一同に戦慄が走る。

未だペルシア湾は遥か後方。しかし、ティアマト神の歩行に合わせて大きく波が揺れ、やがては大地を飲み込む津波と化そうとしている。

もしも、津波がウルクに到達してしまえば、生き残っていた人達は全てティアマト神の泥に取り込まれてしまう。

それだけは何としても阻止しなければならない。だが、いったいどうすればいいのだろうか。

この場にいた誰もが同じ思いを抱いていながら、誰一人として動ける者はいなかった。

眼下に変化が訪れたのは、その直後のことであった。

 

 

 

 

 

 

ウルクのジグラッドでは、ギルガメッシュに対して各方面から次々と報告が舞い込んできていた。

ラフムの動向と各地の被害状況、ペルシア湾での異変。目まぐるしく変わる情勢に対してギルガメッシュは的確な指示を下すが、残念ながら後手に回らざる得ない状態であった。

兵士達もよくやっているが、途方もない軍勢を誇るラフム相手では圧倒的に数が足らない。特に少し前から断続的に訪れるラフムの大群に対しては、北壁から取り寄せた神権印章(ディンギル)を用いねば押し留めることはできなかったであろう。

だが、それも後、一時間程度しか保たない。合計三百六十機の神権印象(ディンギル)を操作するには膨大な数の人員とギルガメッシュ自身の多大な魔力を必要とするのだ。

弾薬となる財宝は無限に存在するが、それを扱う者達が持たないのである。

 

「第三観測所より反響合図、確認! 黒泥、ギルス市を飲み込み、ウンマ市・ウルク市方面に向かって流出!」

 

駆け込んできた兵士が直前の兵士を割り込み、緊急事態を告げる。

ティアマト神の権能が溶け込んだ泥。生命の土壌による大津波がこちらに向けて、猛スピードで押し寄せているのだ。

途中にあるウンマ市の城壁では耐えられず、そこを超えられれば後はウルク市まで一直線である。

あれに飲まれてしまえば、ティアマト神に蹂躙されるまでもなく自分達は全滅だ。

故にギルガメッシュは用意しておいた奥の手を切る事を選択した。

 

「錨を上げよ! ナピシュテムの牙、展開だ!」

 

「ハッ! 反響光で合図を送れ! 牙を打ち上げよ!」

 

ギルガメッシュの命令を受けた兵士が、部下へと号令をかける。

すると、ここより遠く離れた平野において変化が訪れた。

魔獣の行進の如き地響きと共に大地がせり上がり、無数の牙が折り重なった長大な壁が出現したのである。

これこそ、ギルガメッシュの奥の手。ゴルゴーンのような大型の害意を相手取ることを想定した攻性障壁。

折り重なった牙は全てが力ある魔獣のもの。死して物体へと変じたそれはティアマト神の泥を受けても変質せず、津波からウルクを守るだろう。

急ごしらえ故、何度も受け切れるものではないが、それでも多少の足止めにはなるはずだ。

しかし、事はそう上手くはいかなかった。

 

「反響合図、確認! ナピシュテムの牙、一部起動せず!」

 

「なんだと!?」

 

「機構に動作不良を確認とのこと! 至急、修理に向かわせます!」

 

「急がせろ! ええい、目覚めが早まったことがここに来て……」

 

ギルガメッシュは忌々し気に歯噛みする。

ナピシュテムの牙は未だ未完成なのだ。設計を書き上げたのが数週間前、そこから突貫工事で作らせたので、どうしてもこういう不調はでてきてしまう。

彼が千里眼で垣間見た啓示では、ティアマト神の復活は後、二日の猶予があるはずであった。

それだけあれば、此度の不調も改善した万全の状態で迎え撃つことができたはずだ。

ここでマーリンを責めるのはお門違いではあるが、それでも彼が後、一日でも長くティアマト神を封じることに成功していればと思わずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

 

突如として巨大な壁が地面を割って出現したのは、ウルク市を目前に捉えた時であった。

恐らく、ギルガメッシュ王が言っていた奥の手なのだろう。壁自体が強力な力を秘めた攻性の結界のようなものだ。

あれならばティアマト神の泥を受け止めることもできるだろう。だが、肝心の壁は一ヶ所だけ、完全には上がり切らず中ほどで停止してしまっている部分があった。

何らかのアクシデントが起きたのか、ウルク市の城塞から早馬が駆け出したのが見える。

 

(だが、間に合うのか? 津波はすぐそこまで迫っているんだぞ!)

 

既にギルス市は泥に飲まれ、ウンマ市の城塞も決壊するのは時間の問題だ。

それが破られれば、ここまで五分とかからずに津波は押し寄せてくるはずだ。

どう考えても間に合うとは思えない。恐らく、作業のために飛び出した者達は死を覚悟しているのだ。

 

『ウルク方面からラフムの反応を確認! これは……あの壁の方に向かっている! 作業員を狙うつもりだ!』

 

「駄目だ、助けないと!」

 

「待て、正気か!?」

 

逸る立香をカドックは制する。

いつもの人助けとは訳が違う。津波がすぐそこまで迫っている状況でラフムと戦闘を行えば、間違いなく自分達も津波に飲み込まれてしまう。

見す見す死ににいくようなものだ。

 

「あいつらは死を覚悟しているんだ! それでも助けに行くっていうのか?」

 

「ここで壁を死守しないと、ウルクは泥に飲み込まれる。そんな嫌な思い、したくはない!」

 

「そうか…………わかった、好きにしろ! 僕も好きにさせてもらう!」

 

言うなり、カドックは身を翻した。

眼下に広がる広大なシュメルの大地。直に津波で押し流されるであろう緑の平野目がけ、臆することなく飛び降りたのだ。

忽ち、重力が五体を鷲掴み、自由落下が開始する。

 

「なっ……!?」

 

「そっちは頼んだぞ!」

 

「ばっ、馬鹿野郎! 何を考えているんだ、君は!!」

 

驚愕する立香の顔がどんどんと離れていく。

少し離れたところから見下ろしていたケツァル・コアトルは、何も言わずに送り出してくれた。こちらの意図を汲んでくれたのだ。

本当に、陽気すぎることを除けばとてもできた女性だ。どこかの女神達も見習って欲しい。

そして、もう声すら届かない場所にいる親友に向かって、改めて謝罪する。

けれど、こうするしかないのだ。彼が助けたいといった人々を救うには、大前提として迫りくる津波を押し留めなければならない。

その手段を今、持ち合わせているのは自分とアナスタシアだけだ。

だから、命を賭けてあの壁は死守する。

 

アナスタシア(キャスター)、フォロー頼む!」

 

霊体化してついてきているアナスタシアに呼びかけ、落下の衝撃に備えて身を丸くする。

見下ろした地面は、もうすぐそこまで迫ってきていた。

 

 

 

 

 

 

実体化したヴィイの巨大な腕が、落下するカドックの体を激突寸前で受け止める。

痛みはなかった。思考が走るよりも先に手足は動き出し、迫りくる脅威を認識する。

前方に黒い津波。背後には稼働し切っていない壁。ウルクから駆け付けた作業員は必死で修理を行っているが、それを許すラフム達ではない。そちらは立香達に任せるしかないだろう。

自分達の仕事はこの津波を押し留める事。壁の修理が終わるその時まで、一粒の泥すら通り過ぎることは許さない。

 

『カドックくん! いくら何でも無茶だ!』

 

「けど、やるしかない。やらなきゃウルクはお終いだ!」

 

『そうだけど、君達で何ができるっていうんだ! 相手は自然現象そのものなんだぞ!』

 

「それでもやるんだ。ドクター、僕は一度死んだんだ。レフ・ライノールの爆破工作で、死ぬはずだったんだ。それが今日まで生き永らえた。なら、せめて納得のできる使い方をしたい。僕にあいつらを守らせてくれ!」

 

『……危なくなったら、すぐに強制帰還させる。いいね!』

 

「……ありがとう」

 

通信を終え、改めて押し寄せる泥を注視する。

既に視界の先には遮るものが何一つとしてなく、街も密林も黒い泥に飲み込まれてしまっていた。

あるのはどこまでも続く水平線と、ウルクを飲み込まんと迫る黒い波。そして、彼方から歩み続けるティアマト神。

状況は絶望的。自分の命すら上乗せ(ベッド)された大博打だ。

聖杯爆弾の時といい、自分はつくづくこういう分不相応な舞台と縁があると、つい自嘲してしまう。

 

「もう、終わるのね」

 

それがどういう意味なのかは問うつもりはなかった。

この特異点での旅路が佳境に至ったということなのか、それともウルクはもうすぐ滅ぶという悲観なのか。

或いは、この瞬間で自分達の旅路は終わるという覚悟なのか。

何れにしても、アナスタシアは平静のまま自らが対峙することになる泥の群れを見やる。

スイッチが押されるように、体内の魔術回路が起動した。繋げられたパスを通ってアナスタシアへと魔力が通り、彼女が身に纏っていたウルクの民族衣装が消失する。

代わりに翻したのは白地のドレスと蒼のマント。特異点を巡る旅を共に駆け抜けてきた、彼女の戦装束だ。

久しぶりにその姿を見て、カドックは微笑みを禁じ得なかった。

やはり、彼女にはその姿が一番よく似合う。

思わず見惚れてしまうほどの美しさと気高さがそこにはあった。

 

「家族ごっこはお終いね、カドック……私のマスター」

 

「そういうことだ、僕のキャスター」

 

窮地を前にして、終演を前にして、お互いの在り方を確かめ合う。

七つ目の特異点で営まれた偽りの家族関係はお終いだ。

ここからはカルデアのマスターとサーヴァントとして、迫りくる脅威に立ち向かう。

それが開戦の合図となった。

アナスタシアの魔眼が、ヴィイの眼が、その視界を埋め尽くす泥の群れを捉える。

雲霞の如く押し寄せる泥の津波。それが一瞬で凍り付き、静寂がウルクの平原を支配した。

同時に体内からごっそりと魔力を奪われ、カドックは眩暈を覚えて片膝を着く。

前に海を凍らせる時は消滅を覚悟しなければならないといっていたが、正にその通りだ。

あの時よりも繋がりが深まり、回路の質も鍛えられたというのに、それでも立っているのが辛い。気を抜くと意識を持っていかれそうになる。

だが、これで何とか時間を稼ぐことはできた。後は壁の修理が終わるまで、この凍結を維持するだけでいい。

 

『凍った泥の向こうからラフムの反応増大! カドックくん、そちらに向かってくるぞ!』

 

異変を察知したロマニが通信で警告する。

どうやら、休んでいる時間はないようだ。

自分達を殺して泥の凍結を解くつもりなのか、それとも後ろにいる作業員達を狙っているのかはわからないが、氷壁の向こうから黒紫の異形が次々と這い出てきている。

子どもの頃に見た蟻の大群を思い出す。今にして思えば非常に不快な思い出だ。

 

(ザっと見て五百か。手持ちの礼装でどこまでやれる?)

 

組み付かれれば終わり。いくらアナスタシアの冷気が強力でも、自分が死んでしまえば意味がない。

背後の壁を死守する以上、逃げることも許されない。

思考は冷静なのに心臓は恐怖で早鐘を打つ。足も竦んでまるで石のようだ。

このままやり合うのは余りにも危険。一瞬の判断の遅れが命取りとなる。

情けない。

不利も危険も承知で飛び降りたというのにこの様だ。こんなこと、最初から分かり切っていたというのに。

 

「――――Set」

 

石の如き両足を動かして、眼前の群れに一歩踏み出す。

後退はない。後一歩を踏み出すだけで、自分は死地に足を踏み入れることになる。

 

「あら、カドック(マスター)。血気盛んなのは結構ですが、肩に力が入り過ぎではなくて?」

 

出鼻を挫くように、アナスタシアは己がマスターに語り掛ける。

それでは駄目だと。そんな風に気負っていては、勝てるものも勝てないと。

 

「敵は多いわ、カドック(マスター)。けれど、別にあれを全て凍らせてしまっても構わないのでしょう?」

 

土台、自分達だけでは勝ち目のない戦いだ。ここに降り立った時点で敗北は必至。生き残ることなど論外なのだ。

ならば、後はせめて悔いを残さぬよう駆け抜けるしかない。自分達の全力をぶつけ、閃光のように一瞬を駆けるしかない。

それがカドック・ゼムルプスの戦いだ。自分の戦いはいつだって、己の限界との戦いだった。

絶望的な状況を前にして、もうこれ以上は進めないという壁を乗り越える旅路だった。

弱いマイナスの自分を、ゼロへと戻す歩みだった。

だから、気負う必要はない。これはいつもと同じこと。ここまでずっと繰り返してきた戦いと何も変わらないのだから。

ここは境界線(ボーダーライン)ではなく最前線(フロントライン)

それを履き違えていたのなら、肩も重くなるというものだ。

 

「――ああ、遠慮はいらない。思う存分やってくれ」

 

敵を見据える。魔術回路の回転数が中頃までを意識し、五分の力で魔力を運用する。

何しろ、どれだけの時間、ここの守りを維持しなければならないのかがわからない。

足りない分は礼装で補いながら、騙し騙しいくしかない。

一方、アナスタシアはこちらを守るように前へと出ると、ヴィイを背後から実体化させてラフムの襲撃に備えた。

その両の眼は、この戦場に存在する全ての敵を余すことなく俯瞰で捉えている。

 

アナスタシア(キャスター)!」

 

「ええ、期待に応えましょう、カドック(マスター)!」

 

黒く染め上げられた氷上に、不可視の矢が走る。

開幕を告げる風が、雪と氷を伴ってウルクの平原を駆け抜け、ラフムの一団が瞬く内に凍り付いた。

逆上したラフム達が凍結した同族を踏み砕きながら突進し、アナスタシアはそれを迎え撃つ。

ウルクの命運を賭けた孤独な防衛戦が今、始まったのだ。




ちなみにイメージはホロウのブロードブリッジです。


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絶対魔獣戦線バビロニア 第19節

ボロボロの体を引きずりながら、立香はギルガメッシュ王が待つジグラットへと帰還した。

魔力の消耗により意識は遠退きかけ、四肢も鉛のように重い。できることなら、今すぐにでも眠りにつきたかった。

だが、状況はそれを許してはくれない。

度重なるラフムの襲撃、ティアマト神の目覚めと進撃、泥の津波による被害。

次々とメソポタミア世界を襲う災厄を前にして、自分達ができることを一つでも多く見つけなければならない。

残念ながら無知な自分ではそれを知ることは適わない。所詮は半人前以下の魔術師、数合わせのマスターだ。

だから、彼らの力を借りねばならない。

人類史に名を刻まれた、天下無双の英霊豪傑。

そして、この半年間を生き抜いてきたウルクの人々と、その頂点に君臨した英雄の中の英雄王ギルガメッシュ。

彼らの力を借りねば、この災厄は乗り越えることができない。

 

「戻ったな、カルデアの。先の戦いは見事であった、礼を言おう。だが、労っている時間は惜しい。まずは現状を纏める」

 

ギルガメッシュ王が言っているのは、平原での壁――ナピュシテムの牙での戦いのことだ。

泥の津波からウルクを守るために起動したナピュシテムの牙は、動作不良により壁がせり上がらなかった。

そのままでは泥の津波は隙間を乗り越えてウルクへと到達してしまうため、決死隊による修理が敢行され、偶然にもその場に居合わせた自分達は襲い来るラフムの群れから彼らを守ったのである。

迫りくる津波とラフム。絶望的な状況ではあったが、尊い犠牲によって自分達は生き延びることができ、ナピュシテムの牙も無事に修理することができた。

現在も壁は泥を受け止めており、作業員達が休むことなく補強作業を進めている。

それもこれも、命を賭して津波から壁を守り抜いた彼のおかげだ。彼の犠牲なくして、自分達はここに戻ってくることはできなかった。

それを思うと、先ほどのギルガメッシュ王の言葉も素直に喜ぶことができなかった。

 

「兵士長」

 

「ハッ! 現在、ウルク市に残った市民は三百六名。うち軍属が二百二名、残りは一般市民となります。市民達は避難を拒否したものの、王のお言葉もあり、先ほど北壁への避難を同意致しました。北壁に逃れた市民のうち、生存者は百五十七名。昼間のラフム襲撃の跡、北壁で生き残った兵士は三十八名――」

 

次々と読み上げられていく生存者の数を耳にし、気持ちが益々落ち込んでいく。

聞き間違いではないのだ。シュメルに残された人命は合わせて五百人強。ゴルゴーンとの決戦からまだ二日も経っていないにも関わらず、人類は絶滅の危機に瀕している。

例えこの災厄を乗り切ったとしても、国家としての再興は絶望的であろう。

事実上、ウルク第一王朝は崩壊したといえる。

その事実に誰よりも心を痛めていたのは、傍らに立つマシュだ。

心優しい盾の騎士。未熟な自分のパートナー。彼女は他者の痛みや不幸に誰よりも敏感で、強い共感を覚える。ましてやウルクでの滞在は今までの特異点よりも遥かに長く、そこに住まう人々と多くの交流を結んだ。その心痛は察するに余りある。

ギルガメッシュ王もそれを感じ取ったのか、彼女を気遣うように言葉を付け足した。

 

「案ずるな。我らが滅亡しようとシュメルの文化が生き残れば、後に続くものが現れよう」

 

国は滅んでも人がそこにいる限り、新たな国をまた興す。それは歴史が証明している。

人類史は戦いの歴史であり、隆盛と衰退の行進曲(マーチ)だ。生きたいという願いが続く限り、人類に終わりは来ない。

それは同時に、自分達カルデアの双肩に重い責任が課せられていることも意味していた。

この特異点を乗り切れても、魔術王の企みを――人理焼却を防げねば、ウルクの民の願いも無へと焼き尽くされてしまうのだ。

 

「続けるぞ。次にラフムだが、奴らの行動は二つに分かれた。日没と共にその場で球体となって停止するもの。母なるティアマトの下に飛翔し、この周囲を守護するものとにだ」

 

自分達がこうして顔を突き合わせて話し込むことができるのも、その習性のおかげだ。

だが、恐らくは次の夜は訪れない。僅か二日で数千人もの命が奪われたのだ。明日の戦いが泣いても笑ってもこの特異点での最後の戦いとなるだろう。

こちらが全滅させられるか、起死回生の手段を見つけてティアマト神を倒すか、そのどちらかだ。

 

『ティアマトのスペック、能力は提出した資料の通りだ。藤丸くんの端末にも転送しておいたから目を通しておいて欲しい』

 

言われて、支給品の端末からティアマト神の個体情報(マテリアル)を呼び出す。

観測データが変動するため、正確な全長や体積は不明。目視では数百メートル前後と認識可能。

保有する魔力量は聖杯七つ分を遥かに上回る魔力炉心が最低でも十一基あり、外宇宙すら航行可能。

胎内に膨大な生命原種の種を貯蔵しており、無から生命を大量に生み出すことができる百獣母胎の権能。

生命はおろかサーヴァントすら飲み込み黒化させることで支配する細胞強制の権能。

環境に適応し自身の肉体を作り替える自己改造、治癒というレベルを調節した細胞レベルでの増殖力、etc。

読んでいて頭が痛くなるような情報ばかりだ。付け入る隙というか、弱所になるものが一切見当たらない。

 

「ええい、貴様ティアマトの太鼓持ちか!」

 

『ボクだって攻略法の一つぐらい書きたかったよ! でも、これが現実なんだってば!』

 

曰く、ティアマト神は物理的にも神話的にも欠点のない完全な存在。現状では太刀打ちのしようがないとのことだ。

そう涙目で訴えられては、さすがのギルガメッシュ王もあまり強気には出れないのかロマニを気遣うように下がらせる。

実際、ロマニは自分にできることを精一杯やっている。その上でそれ以上の成果を求めるのは酷というものだ。

 

「あのスピードだと岸に上がるまで半日、岸からウルクに到達すまで一日と見たわ」

 

スーツ姿のジャガーマンの言葉は、まるで追い打ちをかけるかのようだった。

もちろん、彼女も絶望を煽りたいのではない。ただ事実を口にしているだけだ。

自分達に残された時間は凡そ二日。その間に何らかの手段を講じなければ、メソポタミア世界の崩壊が決定するのだ。

 

「流石に早いな。もはや迎撃以外に策の打ちようがないか」

 

「……どうして、ティアマトはまっすぐウルクに?」

 

端末に表示されているティアマト神の進行状況に目を通しながら、立香は思い浮かんだ疑問を口にする。

神話にはあまり詳しくはないが、ティアマト神を封印()したのは古代の神々のはずだ。ならば、怒りの矛先はこの時代に唯一、存在する神格であるイシュタル神に向かうのではないだろうか?

そう問いかけると、ケツァル・コアトルは静かに首を振った。

前提が違う。ティアマト神は神や人を恨んでいるのではない。

彼女はただ、生命の母として返り咲きたいだけ。そのために邪魔な現世の生命を全て滅ぼすつもりなのだと。

 

「この(まち)とギルガメッシュが、シュメルという文明の象徴。ティアマト神は私たちとは違う視点でものを見ていて、彼女からしてみれば、人間も土地も一つの命に違いはないの」

 

「ウルクがこのメソポタミア世界の心臓部って訳ね。納得した……私の神殿があるエビフ山がなくなったところで、人間の文明は続くもの。でも、ウルクとギルガメッシュのバカがここで消えてしまえば、メソポタミアの文明そのものが消えてしまう」

 

「そういう事だ。人類史を守りたければ、貴様らは何としてもティアマトを止めねばならん」

 

そうなると、やはり問題になるのはどうすればティアマト神を倒せるのかということだ。

あれほどの巨体と保有魔力ではこちらの攻撃など虫に刺されたようなものだろう。

ギルガメッシュ王の奥の手、ナピュシテムの牙も足止め程度にしか機能しない。

カドックやロマニの言葉を借りるなら、存在としてのスケールが違うというのだろうか。

マルドゥークの斧ならば通用する可能性もあるが、あれは現在、ゴルゴーンの鮮血神殿跡地に放置されたままだ。今から取りに行っていたのでは、ティアマト神の襲来に間に合わない。

加えて鮮血神殿にぶつけた際に亀裂が入ってしまい、持ってこれたとしても神殺しの力がどこまで発揮されるかわからない。

やはり、今ここにある戦力だけでどうにかするしかないようだ。

 

『その事について、少し言いにくいんだが……最初にティアマトと遭遇した際に、奇妙なデータを観測したんだ。それを調べたところ、ビーストの特性についてわかったことがある』

 

「ほう……言ってみろ」

 

『ビーストの特性にはそれぞれ個体差があると思われるけど、その中でもティアマトは生まれつき「死」を持たない。彼女には何をやっても生命としての死が訪れないんだ。海上で遭遇したティアマトの影――頭脳体とでもいうべきかな、あれはこちらを認識した瞬間、カルデアの計測器がティアマトの死を観測した。にも拘わらず、彼女は今も健在だ』

 

「それは単なる蘇りではないのか?」

 

『いや、数値の変化を見る限り、あれは再生というより逆行だった。乱暴な仮説ではあるんだが、ティアマトは現存する全ての生命の母だ。ボク達が生きている、という事自体が彼女の存在を証明してしまう。だから、滅びる事がない』

 

逆説的にではあるが、地上にまだ生きている生命がいる限り、ビーストⅡ(ティアマト)に死は訪れない。彼女はこの地上で最後に死ぬ事で、ようやく通常の物理法則を受け入れるのではないのかとロマニは言う。

仮にその仮説が正しいとなると、自分達ではどうやっても勝ち目がない。ティアマト神を倒すには、まずこの地球上から人類を含む全ての生命が死に絶えなければならないからだ。

太古の神々が、どうしてティアマト神を虚数空間に封印したのかもこれで説明がつく。彼らはティアマト神を殺すことができなかったのだ。

母を殺すためには自らが支配する基盤である世界そのものを滅ぼさねばならない。それでは意味がないのだ。

 

「……まだ生きている命がある限り、ティアマトは倒せない……じゃあ、その逆は?」

 

うまく言葉にできないが、引っかかりがあった。

そう、自分達は例外を知っている。

生きているものが一切、存在しない世界をつい最近、体験してきたではないか。

 

「その通りだ。(オレ)と同じひらめきとは、小癪な奴よ」

 

渾身のドヤ顔で決めるギルガメッシュ王は、まるで従者を呼ぶかのように手を叩く。

呼び出す相手は冥界の女主人エレシュキガルだ。ゴルゴーン討伐のために同盟を結んだが、冥界を離れることができないため、彼女は鮮血神殿での決戦には参加できなかった。

ティアマト神という未曽有の災厄を前にして、遂に彼女にも役割が回ってきたのである。

 

「うるさいわね、軽々しく女神の名を呼ぶものではなくてよ!?」

 

甲高い声を響かせながら、ギルガメッシュ王の隣に鎮座していた石板に煙のようなものが立ち込める。

それはやがて冥界に詰めているエレシュキガルの姿を形取った。

どうやら冥界の通信機器のようだ。どうも忙しい時に呼び出してしまったのか、今のエレシュキガルは癇癪を起したイシュタル並みに苛立っている。

 

「こっちは昨日から魂のケアに忙しいの。あなたの話し相手になるために冥界の鏡を貸し与えたのではなくって――――」

 

「おい、こっちに来い」

 

何故かギルガメッシュ王に呼ばれ、鏡の前に立たされる。途端に、半透明なエレシュキガルの頬がニンジンみたいに真っ赤になった。

 

「やあ」

 

「――――ちょっと待ってて」

 

一旦、煙が霧散してエレシュキガルの姿が消える。

何か気に障るようなことでもしただろうかと首を傾げるが、ギルガメッシュ王は含み笑いをするばかりで答えてはくれない。

後ろを振り返ってみたが、こちらは何とも言えない曖昧な笑みを浮かべていて何故か聞きにくい空気を醸し出していた。

 

「……こほん」

 

程なくして、エレシュキガルの姿が再び鏡に映し出される。

 

「冥界の女神エレシュキガル、華麗に参上したわ。私に何か用かしら、ウルクの王」

 

「エレシュキガルさん、物凄く優雅に登場し直しました」

 

彼女の思惑を知ってか知らずか、マシュは感嘆の声を上げる。

実際、改めて姿を現した時のエレシュキガルの振る舞いは、指先の動きから声の張りまで計算し尽くされたかのように美しかった。正に女神ならばどんな時でも余裕をもって優雅たれ。

残念ながらその行いに秘められた意図は半分も相手に伝わっていないのだが、それに当人が気づくことはなかった。

 

「うむ、貴様を呼んだのは他でもない。実は一つ、頼み事があってな。現在、ティアマト神がウルクに向かっている。到着まで丸二日というところだ。これを倒さねばメソポタミアは滅びるが、ティアマト神は地上に命がある限り死なぬ。そこで冥界の女主人よ。ティアマト神の接待を貴様に譲ってやろうと思ってな」

 

万物の母であるティアマト神は、この世界に生命が残っている限り死ぬ事はない。

だが、それはあくまでこの地上での話。冥界には生きている者は一切存在せず、またそこに生者が出向いても生きているが故に冥界の一員としては計算されない。

それならばビーストⅡの特性も働かず、ティアマト神を倒すことができるのではないだろうか。

 

「は? 突然、何を言っているのだわ、アナタ? 母さんを冥界(うち)に呼ぶ? 落とすの? ここに落とすつもりなの!?」

 

そうなるよね、と立香は苦笑する。

言い方は酷いが、このメソポタミアの危機は冥界にとって対岸の火事だ。

それがいきなり、災厄の大本を今からそっちに誘導するからよろしくね、と言われたのだから驚くのも無理はない。

だが、これが現状で最も有効である可能性が高いのだ。

 

「冥府の女神、エレシュキガルよ! 王の名の下に貴様に命じる! このウルク全土に冥界の門を開け、ティアマト神を騙る災害の獣を地の底に繋ぎ止めよ! それが三女神として狼藉を働いた貴様の役割、唯一の罪滅ぼしである!」

 

「む――無理も無理、ぜったい無理! ウルクの下に冥界を持ってこいって言うの!? そんな無茶が出来る訳ないでしょう!? まあ、やるしかないけど!」

 

「やるんだ?」

 

思わず、聞き返してしまう。

仕組みはいまいちわからないが、この時代の冥界は地上と地続きになっている。

現在、クタ市の地下にある冥界を、いくらメソポタミアの危機とはいえ、一日そこらでウルク市の真下まで移動させることなどできるのだろうか?

 

「だって、そうしないとメソポタミアが滅びるじゃない。今まで話はちゃんと聞いていたから、あなた達が地上に戻ってから、割と、ずっと。だから、ギルガメッシュ王の話は分かるわ。正直、そうきたか、とさえ思ったわ」

 

「であろう、であろう。やはり冥界の方はいい。天の方は反省せよ!」

 

そこは素直に称賛だけにしておけないのですかね、英雄王。後ろから何だかとても痛い視線がビシビシと突き刺さってきているのですが。

 

「でも! 納得がいっているのと、やるかやらないかは別の話よギルガメッシュ! ウルク全土を覆う死の穴なんて、そんな簡単に準備できると思うのかしら!? 私の管轄であるクタ市だけでも大変だったのよ。本来なら十年かけてもギリギリね。まあ、ウルク憎しでずっと前から企んでいたから、三日もあれば準備できるけど!」

 

そこは素直にならず、こんなこともあろうかと準備しておいたと見栄でも張って、できる女をアピールするべきじゃありませんかね女神様。

 

「ま、まあ、タイミングとしてはこの上なくナイスというべきかな?」

 

「そ、そう? 地道に毎晩、呪ってきた甲斐があったわ!」

 

顔を綻ばせながら胸を張る冥界の女主人。

煽てに弱いところは何だかんだでイシュタルと姉妹なのだろう。或いは、依り代の少女の影響が強いのか。

何れにしてもこれでティアマト神に対抗する目途が立った。

どこまで通用するかは出たとこ勝負だが、やってみるしかない。

後はエレシュキガルが冥界の移動を終えるまで、如何にしてティアマト神を足止めするかだ。

 

「案ずるな、もはや勝ち筋は見えた。こちらにはイシュタルがいるのだからな」

 

『ああ……! そうか、女神イシュタルなら確かに!』

 

ギルガメッシュ王の言葉の意図に真っ先に気が付いたロマニが同調し、次いでケツァル・コアトル達も順にそれに倣う。ただ、エレシュキガルだけは半身が持て囃されることを気に入らないのか不服そうに顔を背けていた。

彼らが期待しているのはイシュタル神が従える天の牡牛の登場だ。

グガランナと呼ばれるその牡牛は山の如き巨体を誇るシュメル最大の神獣と呼ばれており、神々ですら手懐けられない災厄にも等しい存在だと、いつだったかカドックやマシュが言っていた。

それほどの異名を持つのなら、ティアマト神とて足止めすることは可能なはずだ。というか、個人的にすごく見たい。

ティアマト神対天の牡牛グガランナ。女神が勝つか? 神獣が勝つか? 世紀の大決斗。シュメル中を暴れ回る二大巨神。

浪漫があるじゃないか。

今、この瞬間ならジグラッドを踏み砕いて現れたとしても拍手喝采で迎えられるだろう。

 

「グガランナ! グガランナ!」

 

「イーシュタル! イーシュタル!」 

 

「う、ぐっ……!」

 

いつの間にか始まった呼びかけに、イシュタル神はたじろぎを見せる。

とても気まずそうに顔を逸らし、目線は逃げ場を求めるようにあちこちを彷徨う。

勿体ぶっているだけ、とは思えなかった。イシュタル神の性格ならここまで持ち上げられれば高笑いと共に自慢が始まってもおかしくないというのに。今はまるで、皿を割ってしまった子どものように縮こまっている。

嫌な予感がした。

ギルガメッシュ王が私財を叩いてまでイシュタル神を仲間に引き入れた一番の理由は、彼女がグガランナを所有しているからだ。

それほどまでにグガランナは強力な存在なのである。

だというのに、これはまさか――――。

 

「おい、貴様……まさか――」

 

恐る恐る問いかけるギルガメッシュ王に、イシュタル神は力なく項垂れる。

唇から漏れた謝罪は、やはりと言うべきか予想通りのものだった。

 

「……はい。ありません、グガランナ。ないの、落としたの! どっかで無くしちゃったのよ!」

 

その言葉に、一同が絶句した。反目しているエレシュキガルですら、同情の眼差しを向けたほどだ。

それほどまでにイシュタル神の姿は痛々しく、見ていられないものだった。

無敵のティアマト神を打倒しうる唯一の可能性。それが手の平から虚しく零れていったのだ。

 

「――――よし、解散だ! 作戦会議は一旦休憩とする! 嘆いたところでどうにもならぬ。対抗策はないが焦るのも愚の骨頂。夜が明けるまで各々、英気を養うのだ!」

 

呆れ果てたギルガメッシュ王の宣言と共に、その場は解散となった。

 

 

 

 

 

 

夜明けまでの数時間は、完全なる自由行動となった。

恐らくはウルクで過ごすことになる最後の穏やかな夜。明日より先は絶望に抗い、未来を勝ち取るための戦いだ。

ウルクで過ごした思い出に馳せ、懐かしむことができるのも今夜限りである。

 

「はあ、久しぶりのお家は落ち着くニャ。毛皮も何だか久しぶり……」

 

「本当、珍しいもの見たデース。暢気なジャガーが彼のことになるとあんなにも真面目になるなんて」

 

「そりゃ、教え子(信者)ですからね。ジャガーも一生に一度くらいは本気になるニャ。ククルんもそうでしょ?」

 

「ええ、そうね。本当、シュメル(ここ)にきて良かった。強い子に会えて……」

 

ある者は気心が知れた者同士で語り合い。

 

「北壁でレオニダスさんが言っていました。わたしが戦いを恐れるのは、大切なものが多いからだと。けれど、それは弱さではなくて、その恐怖を乗り越えた分だけ強くなれると……わたしの盾は何ものにも負けぬと」

 

「へえ、素敵なサーヴァントね、その人。きっと理性の塊みたいな人だわ」

 

「はい、素晴らしい方でした。英霊の方々はみんな素晴らしい人達で、そんな人達にここまで多くの事を教えられてきたわたしは……本当に幸運です」

 

「そう。それで天文台(カルデア)なのね。あなた達が観測しているのはあの夜空の星の光と同じ、遥かな過去、遥かな時代に輝いた誰かの人生を、何前年も経った現代で受け取っているのね」

 

ある者はこれまでの旅路と明日の戦いに思いを馳せ。

 

「世界の終わりだ、自らの思うままにするがいい」

 

「待って……分からない、それはどういう…………」

 

ある者は迷いを抱えたまま明日へと生かされ。

 

「急ぐのだわ。ここでやらなきゃ冥界の女主人の名折れよエレシュキガル」

 

ある者は自らの贖罪に奔走し。

 

「君が残してくれた一日だ。大事に使うよ……カドック」

 

ある者は隣にいない友に誓いを立てた。

決戦は明日、最後の夜は静かに更けていった。

 

 

 

 

 

 

グガランナの紛失という予期せぬ事態に会議は中断となったが、王に休みはなかった。

残された時間は僅かだが、やらねばならないことは余りに多い。

ティアマト神やラフムを迎撃するための準備、冥界の移動に関するエレシュキガルとの打ち合わせ、残された戦力であるカルデアと神霊達をどのように使うのか、そして自身が垣間見た最後の未来視をどのような形で実現させるのか。

冷静を装っていても焦りは少しずつ大きくなる。自然と声音も大きくなっていた。

 

「なに、エレシュキガルの指定と冥界の地図とが一致しないだと? 冥界の資料ならば祭祀場の資料庫にある、急いで搔き集めてこい! いや、ディンギルの配置は今のままで良い。城壁の全方位に取り付けておけ。ティアマト神の迎撃は南門と東門のディンギルで行う。それと……」

 

途中で言葉を切り、ギルガメッシュはその場に現れた人影に向けて目を細める。

 

「貴様ら、少しばかり席を外せ。カルデアの使者が来た」

 

兵士達に休息を取るように命じ、玉座の間から下がらせる。代わりにやって来たのは特異点修復のために未来からやって来たカルデアのマスターとサーヴァント。藤丸立香とマシュ・キリエライトだ。

 

「少しはマシな顔色になったな。一人になれば、あやつを失ったことに今更ながら泣き崩れているかと思ったが、その様子であれば明日はいっそう酷使できるというもの」

 

「ははっ、内心じゃ堪えてますけどね。目の前からいなくなられるのは、辛いですよ」

 

「よい。心を痛めぬのと何も感じぬのは天と地ほどの開きがある。その弱さは嘆かわしくとも卑下するものではない。それで、今夜はどうした? 殊勝にも最後の挨拶に来たか?」

 

「いえ、最後にはなりませんよ」

 

「フッ、言うではないか。これは(オレ)も一本取られたな」

 

ニヤリとギルガメッシュは口角を吊り上げる。

口にはしないが彼らはよくやった。エビフ山の女神詐欺、密林の大決闘、冥界下り、ゴルゴーン討伐にティアマト神との邂逅。

どれか一つだけでも凡百の英雄に匹敵する所業を、彼らは見事に乗り越えて見せた。後はティアマト神を打倒し、仲間の待つカルデアへと戻るだけだ。

余所の時代からやって来た、このシュメルにとって不要なもの、余計なもの。だというのに彼らは腐ることなくへこむことなく日々を懸命に生き、今日までを生き延びたのだ。

これは、無事に事が済めば何か土産の一つでも賜らせねばならないかもしれないなと、ギルガメッシュは考えた。

 

「それで、本当に挨拶だけか?」

 

「…………」

 

今度は答えは返ってこなかった。

何かを言いたそうに口を開けたが、すぐに言葉を飲み込んで目を逸らしてしまう。

思い悩んでいるのだと容易に察することができた。

既にウルクは死に体。多くの市民が死んだのは、ティアマト神を解放してしまった自分達のせいだと。

 

「阿呆め。雑種なりに責任を感じているようだな。愚か者、そのような慚愧、千年早いわ。そも思い違いも甚だしい」

 

彼らの誰もが思ったことだろう。シュメルの民はたったの五百人しか生き残っていない。それは違う。五百人も残った、という方が正しい。

何しろ、以前に千里眼で垣間見た「今」は、ここにいるのは自分だけであった。

三女神同盟との戦い、そしてティアマト神の復活によりシュメルは滅び、崩壊したウルクには一人残された王だけが最後の時の迎えていたのだ。

確かにウルクの滅びは変えられない。何をしたところで国はなくなり、生き残った五百人も明日には全て死に絶えてしまうかもしれない。

それでも、五百人もの命が残ったのだ。

それは誇るべき偉業であると、王の名を以て断言しても良い。

 

「ギルガメッシュ王、貴方はやはり、知っていたのですね。この結末を、ウルクが滅びる事実を知っていた。その上でこれまで戦ってきたのですか?」

 

マシュの問いかけに、ギルガメッシュは静かに頷いた。

 

「そうだ。魔術王めが聖杯をこの時代に送り、虚数空間からティアマト神が引き上げられた。その時点で(オレ)は未来を視り、民達に伝えた。ウルクは半年の後に滅びる。これは変えられぬ結末だと」

 

それでもウルクの民は戦うことを選択した。

王と共に、定められた滅亡を受け入れた上で抗うことを選択した。

その結果が、今のウルクだ。そして、そこにカルデアという異物が加わったことで、その終わりにも変化が訪れた。

 

(オレ)は女神達は倒さずとも良いと思っていた。アレらを倒したところでティアマト神は現れる。三女神どもは共に自滅するという確信もあった。だが、貴様達はウルクの民を助け、この地を(いつく)しみ、女神どもとの対決を選んだ。それがこの結末を招いたのだ。本来死ぬべきであった五百人もの命を救った。それは誇ってよい事だ。決して無駄な事ではない」

 

そこで一旦、言葉を切る。

小うるさい同輩が口を挟まないところをみるに、休んでいるのか多忙過ぎて会話の内容にまで手が回らないのだろう。

なら、余計な口を挟むのに丁度いいかもしれない。

彼らはここまでの旅路で多くの善行を積んできたが、一つだけ大きな勘違いをしている。

ロマニの奴はいらぬ負担をかけまいと伏せていたのだろうが、ここまでの旅路を乗り越えてきた彼らならばそれも受け入れられるはずだ。

 

「藤丸、マシュ……できればカドックにも話しておきたかったが、それはもう叶わぬか。貴様らが向こうに行ったら教えてやれ。人理と特異点の話だ」

 

「特異点の、ですか?」

 

「そうだ。貴様らはこれまで、六つの特異点を旅してきた。そこでは多くの戦いがあっただろう。しかし、聖杯を回収し人理定礎を修復すれば、その特異点で起きた損害は全てなかった事になる――――そう教わったな?」

 

「はい」

 

「特異点で起きた出来事は人理焼却さえ解決すれば、その時点で全て修復され、わたし達の活動は誰の記憶にも残らない、と」

 

やはり、とギルガメッシュは内心でため息を吐く。

あいつらしいといえばあいつらしいが、それでここまで特異点の修復を続けてきたというのなら、お目出度いを通り越して彼らが哀れですらある。

そうではないのだ。

死した命は何があろうと戻らない。生と死は不可逆であり、なかった事になどならないのである。

特異点は誤った歴史である。このシュメルでさえそれは例外ではない。そも正史に南米の女神やギリシャの堕ちた女神が災厄を引き起こすなど、天地が引っくり返ったところで起こりえるはずもない。

しかし、同時に世界はその誤った歴史ですら人類史として許容する。そのために、見えざる手が因果の辻褄を合わせるのだ。

 

「例えば邪竜に殺された者がいるとしよう。人理焼却を防ぎ、特異点が消え去ったとしても、その者は死んでいる。邪竜に殺された事実が獣に殺されたものとして扱われるだけだ」

 

このウルクも同じ。例えティアマト神を倒し、特異点を解除したとしても、ウルク第一王朝は滅びる。

それが神によって滅ばされたのか、衰退によって後に譲ったのか、解釈が変わるだけなのだ。

 

「それじゃ、今までの戦いは……俺達が……あいつが守ってきたものって……」

 

問い質さんとする少年の顔は、泣いているようにも怒っているようにも見えた。恐らくはその両方だ。

自分と友が今までしてきたことが無為だったのかという嘆きと、これまで取り零してきた命の重さを改めて突き付けられたことで足が震えていた。

これでは、何のためにあの少年は自分達を庇って命を散らせたのかとカルデアのマスターは訴えた。

その嘆きにギルガメッシュは眩しい物を見た気がした。

小さく、儚く、それでいて誰もが持つ勇気の灯火。

彼が何故、ここまで折れずに歩いて来れたのか。そして、あの詰まらない小心者が曲がりなりにも神霊を引き付けるほどの大番狂わせを起こせるまでに至ったのかを理解した。

故に王として言葉を紡ぐ。

星詠み達に、その旅路に意味はあったのだと示すために。

 

「何もかもなかった事ではない。胸を張れと言っただろう。貴様達は多くの命を本当に救ってきたのだ。何もかも元に戻るから、などという考えに惑わされず、目の前の命を頑なに、不器用に救ってきた。その結果がウルクの今だ。貴様達の選択には、全て意義があったのだ」

 

そも自然界において犠牲のない繁栄は有り得ない。損益というものは常に合っているのだ。ただ、それが目に見える形で表れないだけで。

例え魔術王が聖杯で世を乱さずとも、それと同じだけのマイナスがあるだろう。その天秤の善悪はその時代の道徳が計り、最終的な価値は歴史となって後の世で裁定される。

人類史とはそのようにして続いていくものなのだ。

 

「藤丸立香……そして、カドック・ゼムルプス。貴様達が何のために戦い、何を護り、どのような人間だったのかは、(オレ)にも貴様達にも計れぬ。それは後に続く者が知る事だ。であれば、今は自らが良しとする道を行くがいい」

 

「――――はい。心に命じます、ギルガメッシュ王」

 

「ありがとうございます、王様」

 

先ほどまでの俯いた暗い顔はもうなかった。

自分達が救えなかった命は決して返って来ない。だが、それでも救おうとしたことに意義はあり、また多くの命をこの手で救う事もできた。

これまでの旅路は決してなかったことにはならず、足跡を残しているのだという事実が顔を上げる力を与えたのだ。

その笑みに愉悦を禁じ得ない。

掴み切れぬ大望の先を目指し、ひたすらに万進する様は、苦難に足掻く様を見届ける事のなんと愉しいことか。

これだから人間は面白い。遠い未来の果てに、こうも自分を愉しませてくれる者がいるのなら、今日まで続いたウルクにもまた一つ、新たな意義が加わるというものだ。

 

「まだ結末は見えていないが、この時点で及第点はくれてやる。明日はいよいよ大詰めだ。最後の戦い、愉しみにしているぞ?」

 

本当に、土産は一つ趣向を凝らしてやらねばならないなと、ギルガメッシュは内心で独り言ちるのだった。




すこーし時間は跳びました。
前回と今回の間に何があったかは、後日ということで。


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絶対魔獣戦線バビロニア 第20節

ティアマト神は海水の上を歩いており、自らの足で自重を支えているようには見えない。

ラフムの襲撃を生き延びた学者達が決死の思いで伝えてくれた情報を基にカルデアのスタッフとウルクの神官が総力を挙げて検証した結果、以下の仮説が導き出された。

即ち、ティアマト神はあの泥の上でしか歩行できないのではないのかと。

あの泥は列車でいうところのレールであり、大地の侵食はティアマト神自身の通り道を作るためでもあるのだ。

その仮説を基に、絶対魔獣戦線はティアマト神の足止め作戦を実施することとなった。

エレシュキガルが冥界の転移を完了させるまでの間、ウルクの大地を蝕む黒泥――侵食海洋ケイオスタイドを除去することとなったのだ。

 

「本当、何が幸いするかわからないものね。でも、本当に良いの、ケツァル・コアトル?」

 

「当然デース。折角、掴んだチャンスなのですから、お姉さんのいいところ見せないとネ」

 

茶目っぽく笑うケツァル・コアトルが見下ろした先にいるのは、夜明けと共に進撃を再開したティアマト神だ。

その歩みはこちらの予想よりも遥かに速く、このままのペースで進めば半日足らずでウルク市へ到達してしまうだろう。

そうなってしまえば、自分達の敗北だ。

本来ならばカルデアがケイオスタイドの中和剤を開発する予定ではあったが、これではとても間に合わない。

それでもやるしかないとティアマト神相手に無謀な迎撃を試みようとする魔獣戦線ではあったが、そこにケツァル・コアトルが秘策ありと待ったをかけたのである。

 

「ラフム、ラフム変化体、増大! ティアマト神の直衛です!」

 

「そっちは私がやるわ、マシュ。あなたは藤丸とこいつを目的地までエスコートして!」

 

言うなり、イシュタル神は天舟(マアンナ)を駆って空を駆ける。

光速すら飛び越え、群がるラフムを次々と撃ち落とし、時には船体で体当たりまで仕掛けてこちらの道を切り開く。

その隙に立香達を乗せた翼竜は、滑るように泥の上を歩くティアマト神へと接近していった。

目的地はティアマト神の直下。そこを起点に周囲の泥を消し飛ばすのが今回の作戦だ。

 

『形態進化だけでなく内部の魔術回路も強化されている。一夜明けて、更に進化したのか!』

 

「くそっ、キリがない! イシュタルだけじゃ……」

 

獅子奮迅の活躍ではあるが、如何せんラフムの数が多すぎてイシュタル神だけでは手が回らない。

せめてもう一騎、広域攻撃に特化したサーヴァントがいてくれればと立香は歯噛みする。

だが、それは願ったところで叶わぬこと。ここまで共に人理修復の旅を駆け抜けてきた親友は今、ここにいない。

ここは何としてでも自分達の力だけで、ティアマト神の元まで辿り着かねばならないのだ。

 

『ケイオスタイド、ギルス市に到達! これは……まだ生き残った人がいる!?』

 

「ギルス市の投擲部隊ね! まさか、ラフムに攻撃を!?」

 

驚愕するケツァル・コアトルの言葉の通り、ギルス市の城塞から次々と投石が撃ち出され、直撃を受けたラフムが錐もみしながら眼下の泥へと落下する。

だが、ここから見えるだけでも城塞には二十人そこらの兵士しか残っていない。

あんな数でラフムを攻撃したのでは、奴らの格好の的だ。

 

「アッチ! アッチ! 面白イ、面白イ! 弱イ生キ物ハ、面白イ!」

 

案の定というべきか、数百近いラフム達がこちらを無視して蟻の行進のようにギルス市へと向かい出す。

おかげでティアマト神までの道筋が開けたが、これでは逆にギルス市の兵士達が危ない。

 

「まずい! イシュタル!」

 

「無茶言わないで、前だけで手一杯よ!」

 

「ジャガー! かく乱、お願い! 他にも最後の抗戦に出ている人間がいるようです! あなたの脚を私に見せなさい! できる限り、あの方達を救うのです!」

 

「任された! 思いっきり暴れてラフム達を引き付けるわ!」

 

翼竜を駆り、薙刀を構えたジャガーマンが本隊を離れてギルス市へ向かう。

彼女一人だけでは不安も残るが、こちらもこれ以上の戦力を割く訳にはいかない。ここはシュメルの人々の力強さを信じるしかない。きっとジャガーマンも無事に戻ってくることだろう。

それよりも今はティアマト神だ。ギルス市の兵士達のおかげでこちらはラフムの妨害を切り抜け、一気にティアマト神まで近づくことができた。

既に女神はナピシュテムの牙を目前に捉えており、あれを破壊されればケイオスタイドが一気にウルクまで押し寄せることになる。

そうはさせない。あれはカドック達が命がけで守ったものだ。何としてでもここで彼女を釘付けにする。

 

「ケツァル・コアトル!」

 

「ええ、任せなさい! みんなは巻き込まれないように下がっていて!」

 

翼竜の背を蹴ったケツァル・コアトルがティアマト神の頭上で滞空し、立香達は彼女の言葉に従って距離を取る。

念のため、マシュを最前に立たせて余波がこちらに及んだ時に備える。

自然と拳に力が入った。

これから垣間見るのはケツァル・コアトルの神霊としての力の一端。

ウルクを文字通り灰燼にできるほどの強力な原始の太陽。

それこそが彼女の奥の手であり、神霊ケツァル・コアトルが誇る本来の宝具。

名を太陽遍歴(ピエドラ・デル・ソル)という。

 

「ティアマト神。私達人間の基底を編んだ原初の海。そのあなたが人間を否定し、世界をやり直そうとする事に、私は悲しみを覚えます。ですが――――ここはもう人間の世界! 理性もなく、意思もなく、心もなく! 我が子を食い潰そうとするあなたを、私は認める事はできません!」

 

掲げた頭上に出現するのは巨大な太陽石。このメソポタミアの地に根を下ろすため、祭壇としてエリドゥ市の神殿に安置されていたアスティック・カレンダーだ。

三女神同盟の一員だった頃のケツァル・コアトルと戦った際、カドックが破壊を思い止まった彼女の力の源。

それが今、ティアマト神打倒のために秘められた力を解放したのだ。

 

「南米の神は森と獣と共に生きる! 太陽の恵みは滅びではなく生存のため! 過去は此処に――! 現在もまた等しく、未来もまた此処にあり。風よ来たれ、雷よ来たれ! 明けの明星輝く時も! 太陽もまた、彼方にて輝くと知るがいい! 『太陽の石(ピエドラ・デル・ソル)』」

 

一瞬、視界が爆ぜたかのように真白に染まる。

同時に襲いかかる猛烈な熱波は、距離を取っているにも関わらず肌や毛先をチリチリと焼き焦がす。

色を取り戻した視界に映り込んだのは、ティアマト神の頭上で赤熱化した太陽石を掲げるケツァル・コアトルの姿だった。

その輝きは正に太陽そのもの。暗雲立ち込めるシュメルの空までもが恵みの青を取り戻し、黒く淀んだケイオスタイドが忽ちの内に蒸発して砂へと還っていく。

メキシコからの向かい風だ。

足場を失ったティアマト神はたじろいだかのように踏み出した足を引っ込め、自らの歩みを止めた南米の女神に向けて咆哮した。

 

「Aaaaaa、aaaaa――――――」

 

それは我が子への願いか、それとも自発的な行動か、ベル・ラフムが羽根を羽ばたかせてケツァル・コアトルに突撃する。

原水爆に匹敵するほどのエネルギーを諸に受けているというのに、ラフム達は臆することがない。

まるで痛みを感じていないかのように、我が身が崩れるのも構わず灼熱の風を切り裂き、宝具の発動に集中しているケツァル・コアトルの肢体を切り刻んでいった。

 

「っ……長居は無用ね。もうやる事はやりましたから、トットとみんなのところに戻り――」

 

身を翻そうとしたケツァル・コアトルは目を見開いて驚愕した。

消滅したはずのケイオスタイドがいつの間にか、大地を再び覆っていたからだ。

見ると、ティアマト神の足下からまるで湧き水のようにケイオスタイドが噴き出している。

 

『そうか、ティアマト神という神格は海そのもの。ケイオスタイドはペルシア湾が変質したものじゃない、(ティアマト神)から流出しているんだ!』

 

「ケツァル・コアトル宝具、再度確認! コアトルさん、宝具を展開中です!」

 

「ケツァル・コアトル……! あなた、燃え尽きる気!?」

 

何度もラフムに引き裂かれながらも、ケツァル・コアトルはケイオスタイドを焼き尽くさんと宝具へ魔力を注ぎ込む。

頭上の太陽石の輝きはどんどん増していき、大気すら熱せられて赤く染まっているかのような灼熱の風が吹き荒れた。

体感気温は以前に経験した密林の比ではない。流れた汗すら零れ落ちる前に蒸発してしまっている。

それでもケイオスタイドの流出は止まらず、ほんの僅かにティアマト神の歩みを遅らせることしかできなかった。

逆に、宝具による消耗で動きが鈍ったケツァル・コアトルはラフムの攻撃を捌き切ることができず、体のあちこちを抉られて血塗れの姿になってしまう。

 

「ケツァル・コアトル、戻るんだ!」

 

「いいえ、持ち堪えて見せますとも! 私が八つ裂きになるのが先か、エレシュキガルが準備を終えるのが先か! 文字通りの泥仕合デース! 丸一日、勝負を長引かせ――」

 

ケツァル・コアトルの言葉がそこで途切れる。

力尽きた訳ではない。理由はその視線の先にあった。

 

「――――A――――Aaaa――――Aaaaaa――――」

 

頭部の角が持ち上がっていた。

筋肉も神経も通っていないはずの巨大で禍々しい角が、ゆっくりと持ち上がっている。

ロケットのようだなと立香は場違いな感想を抱いてしまったが、皮肉にもその感想は当たらずとも遠からず。あれは翼なのだ。

ティアマト神は大角に体積を緩和させている魔力を集中させ、飛翔による離脱を試みようとしているのだ。

 

『まずい……これは……』

 

「ええ、飛ぶ気ね!」

 

太陽風を停止させたケツァル・コアトルがこちらに舞い戻る。

体の至る所を切り裂かれ、肩や足に至っては鰐に噛まれたかのように抉れている。

均整の取れた美しい筋肉は見るも無残な姿に変わり果てていたが、その顔に諦めの色はなかった。

何としてでもティアマト神をここで食い止める。そう覚悟した者の顔だ。

 

「前提が狂うわ。足下の泥を蒸発させればいいだけじゃない。飛べるという事は、落ちないという事だもの」

 

「嘘よ! ティアマト神は()の女神、決して(アン)には近づかない! 空を飛ぶなんて、そんな――――」

 

受け入れがたい事実に直面し、イシュタル神は吠える。

まだ彼女の中には、母への情があったのだろう。倒すべき敵としては認識していても、それは自身がよく知る神霊ティアマトでありビーストⅡではない。

今のティアマト神に常識も神話的事実も通用しない。彼女は自らの願いである生命の母へと返り咲くためならば、如何なる醜悪な姿にでも変貌するだろう。

 

「ここで撃ち落とすしかない。でも…………」

 

ケツァル・コアトルの宝具でもティアマト神は傷一つつかなかった。

あれを上回る火力はここにはない。イシュタル神が全開で宝具を放っても通用しないだろう。

だが、それでもやらなければティアマト神は飛び立ってしまう。そうなれば後はウルクまで一直線だ。

 

「ええ、だから後のことはお願いね、藤丸さん」

 

「え、ケツァル・コアトル?」

 

ごく自然に告げられた別れの言葉に、立香は耳を疑った。

聞き返す暇も、制止する隙もなかった。

ただ静かに微笑みかけた後、ケツァル・コアトルは再び空へと舞い上がったのだ。

 

「待ってください、ケツァル・コアトル!!」

 

「止しなさい、マシュ! あいつは本気よ。止めちゃダメ!」

 

イシュタルに止められ、マシュは悔しそうに唇を噛む。

今、自分達に出来ることは何もない。こうしてただ、彼女の奮闘を見守ることしかできないのだ。

ティアマト神は強く、堅く、メソポタミアはおろか自分達の如何なる攻撃でも動じることはない。

だが、彼女にはまだ一つだけ武器が残されていた。

遠い南米の地で育まれた大いなる神性。

その肉体こそが最後の武器だ。

 

「メソポタミアの神、何するものぞ! 我ら南米の地下冥界(シバルバー)、多くの生命を絶滅させた大衝突の力を見せてくれる!」

 

裂ぱくの気合を込めて、ケツァル・コアトルは残った魔力の全てを下肢へと集中する。

狙いは一転。飛翔の起点となる頭部の大角。

より高く、より速く、火の鳥と化したケツァル・コアトルの体は隕石の如く眼下の獣へと落下する。

 

「我が身を燃える岩と成し、彗星となって大地を殺す! いくわよ――ウルティモ・トペ・パターダ! 燃えろ闘魂、『炎、神をも焼き尽くせ(シウコアトル)』――――!」

 

衝撃が大気を震わせる。

高々々度から繰り出された灼熱のドロップキック。それは違う事無くティアマト神の大角に命中し、その巨体を大きく揺らがせる。

だが、女神の奮戦はそこまでだった。

残された全ての力を振り絞って放たれた乾坤一擲の蹴撃は、赤黒く光るビーストⅡの翼をへし折るどころか傷一つ入れることはできなかった。

 

「ケツァル……コアトルさん……ああ……炎も消えて、黒い海、に――」

 

震えるマシュが言葉を失う。

立香は翼竜に助けるよう命じるが、イシュタル神がそれを制する。

この距離では間に合わない。

ラフムとティアマト神の攻撃を掻い潜り、落下するケツァル・コアトルを救い出すのは不可能だと。

それでも納得できず、立香は彼女を助け出さんと翼竜を疾駆させた。

急げ。

急げ。

急げ。

まだ間に合う。

手を伸ばせば、まだ助けられる。

だが、群がるラフムの壁は厚く、戦う術を持たない自分だけではこの手は届かない。

マシュやイシュタル神も加勢してくれたが、それでも後、一手だけ足らないのだ。

或いは、この黒い壁を強引に押し破れるだけの力があれば、傷つくことも厭わずに彼女の手を掴めるのに。

自分の力不足が悔しかった。

そうしている内に、ケツァル・コアトルの体は眼下の泥に向かってどんどん落ちていく。

巨大な何かが脇をすり抜けたのは、正にその時であった。

 

 

 

 

 

 

時は、ほんの少しだけ遡る。

無人となったウルクの街で、ジグラッド以外に唯一、人の気配が残る場所があった。

カルデア大使館。

特異点修復のためにこの時代を訪れた少年達の仮初の宿。

今そこで、一組の少年と少女が傷ついた体を休めていた。

少年は目覚めない。

ボロボロに傷ついた体は彼自身の身に刻まれた刻印の力で修復されたが、失われた体力と魔力がまだ戻らず半日以上も眠り続けていた。

少女はそんな少年の傍らに寄り添い、最愛のパートナーが目覚めることを信じてただ静かに少年の手を握っていた。

仲間達がティアマト神討伐のために出立してからどれほどの時間が過ぎ去っただろうか。

こちらを心配させまいとカルデアからの通信は閉ざされているが、きっと激しい戦いが繰り広げられているはずだ。

すぐにでも助けに向かいたい。けれど、目の前で眠る少年を一人にはできない。

故に少女は待ち続けた。

己のマスターが目覚めるその時を、ただ静かに、じっと。

 

 

 

 

 

 

視界を覆いつくすほどの吹雪が平原に吹き荒れる。

戦いが始まってどれくらいが経過しただろうか。

まだ三十分ほどのような気もするし、二時間以上戦っている気もする。

倒したラフムの数も分からない。二百から先は数えていないからだ。

 

『後、もう少しだ! 耐えてくれ、カドックくん!』

 

励ましのつもりなのだろうが、ロマニの声は煩くて少し耳障りだ。ただ、今はその不快感も有難い。朦朧とする意識がその呼びかけで少しだけ正気を取り戻してくれた。

 

「はあ……はあ……」

 

カドック(マスター)!」

 

「大丈夫だ、君は敵だけ見てろ!」

 

飛びかかってきたラフムの一体に冷気を叩きつけ、その隙に全速力で後退する。

自分の魔術では辛うじて怯ませることはできても、強靭なラフムの体に傷をつけることはできない。

しかし、先ほどまで身を守ってくれていたアナスタシアの城塞は、既に魔力切れによって消失しており、身を守るためにはこうして逃げ回る他になかった。

最初は五分で回していた魔術回路も、今はスロットルを全開にして回している。

アクセルはとっくにべた踏み。礼装や霊薬での回復も焼け石に水だ。

 

(くそっ、足が重い……魔力の生成量も落ちている……)

 

目くらましの礼装で数体のラフムを釘付けにし、アナスタシアの魔術が作用するまでの隙を作る。

見る見るうちに氷漬けとなるラフムは、不気味な笑い声を上げながら泥へと還っていった。

時間にして一秒の休息。

一呼吸を吸う僅かな時間を置いて次なるラフムが視界に飛び込んできた。

躱す。

躱す。

躱す。

振り下ろされる爪を寸でで躱し続け、自分が巻き込まれるのも承知で魔石を爆発させる。

見た目だけで威力のない爆発。しかし、その爆風は弱った体を吹き飛ばし、ラフムから距離を取る事に成功する。

嬲るつもりで急所を外し続けたことが裏目に出てしまい、ラフムは悔しそうに地団駄を踏んだ。

次の瞬間、アナスタシアの視線が新たな氷の彫像を平原に生み出した。

気づくと周囲一帯はラフムの残骸である泥に塗れていた。だが、敵が全滅した訳ではない。新たなラフムは次から次へと氷の壁の向こうから現れてくる。

昨日は日没と共にラフムは動きを停止していたが、果たしてそれは今夜も訪れるだろうか。

それがなければ、後はこの命が燃え尽きるまで戦い続けることとなる。

既にほとんどの礼装は使い果たし、カルデアからの供給だけでは追い付けないほどアナスタシアも魔力を消耗している。

長時間、魔術回路を酷使し続けた事で回路のいくつかも不調を起こしていた。

その不調が何なのかを調べている暇はなく、血栓を抱えたまま戦う訳にもいかないため、不調を起こした回路を迂回するよう疑似的なパスを無理やり構築し、アナスタシアへ供給する魔力を何とか確保している状態だ。

それも恐らく、後数分と保たないだろう。

 

『よし、壁が動き出した! カドックくん、撤退だ!』

 

朗報が舞い込む。

泥を堰き止める壁が無事に起動した。立香達が作業員を守り切ったのだ。

これでウルク市は守られる。

そう思った瞬間、足がもつれて地面に倒れ込んだ。

限界だ。

これ以上は動けないし、立ち上がることもできない。

だが、悔いはなかった。

凡人である自分にどこまでのことができるのか、ずっと不安だったが、これなら及第点だ。

全てを出し尽くし、後に続く後輩にバトンを繋げることができた。

きっと立香とマシュならティアマト神を倒し、この特異点を修復できるだろう。

そして、彼らは魔術王が待つ終局へ立つ。

側で守ってやれないことが唯一の懸念だが、あいつらは自分達よりも弱い(強い)。だから、きっと大丈夫だ。

 

アナスタシア(キャスター)…………いるかい?」

 

「ええ、ここに」

 

声がすぐそこで聞こえた。きっと、守ってくれているのだろう。

ああ、自分なんかには本当に勿体ないサーヴァントだ。

彼女がいなければ、きっとここまで辿り着けなかった。

せめて最期にお礼を言おう。

動かぬ体に鞭を打ち、群がるラフムと戦い続ける皇女の姿を見ようと残る力を振り絞る。

絶望がすぐそこにいた。

アナスタシアがこちらに手を伸ばしている。

一匹のラフムが彼女の迎撃を掻い潜り、こちらに向けて爪を振り下ろさんとしているのだ。

ここでお終いだ、と実感する。

あの爪は確実にこの身を裂き、とどめを差すだろう。

彼女の目の前で、自分は無残にも引き裂かれることになるだろう。

それを想像した瞬間、まだ動く右手が地面を握り締めていた。

ふざけるな。

認められるか。

悔いがないなんて嘘だ。

満足なんてできっこない。

自分一人で死ぬのはいい。彼女と一緒に消えるのもいい。

けれど、彼女の前でだけは死んでたまるか。

不様でもいい、惨めでもいい。ほんの一秒でも、彼女より生き延びる。

もうアナスタシアに、家族を失う悲しみを味わわせてなるものか。

その怒りが原動力となった。

動かない体を、ほんの少しだけ捩り、振り下ろされた爪を紙一重で避ける。

 

「見事です、カドック!」

 

いるはずのない者の声に目を見開く。

黒鍵を突き立てられ、泥へと霧散するラフムの後ろから、修道服に身を包んだ四郎が現れたのだ。

ジャガーマンと共に密林へ逃れた捕虜を護衛しているはずの彼が、救援のために駆け付けてくれたのだ。

 

「シロウ、どうして……」

 

「ええ、もちろん視たからです」

 

啓示を受けたのだ。この未来を垣間見て、急ぎ駆け付けたのだと四郎は言う。

 

「これが、主の思し召しというのなら……」

 

「シロウ、何を……」

 

「後は頼みますよ、イシュタル神」

 

体が浮き上がる。見ると、イシュタル神の天舟(マアンナ)に乗せられていた。

恐らく、四郎も彼女にここまで運んでもらったのだろう。

彼女はいつになく真剣な面持ちで、眼下の四郎を見下ろしていた。

 

「いいのね?」

 

「ええ、残るラフムは私が何とかしましょう」

 

「待て、何を言っているんだ!」

 

目視できるだけでもラフムは百体以上、残っている。いくら四郎に未来視があるとはいえ、それだけの数を相手にするのは不可能だ。

彼にはアナスタシアの冷気のように、多数を同時に相手取る手段がない。

刀と黒鍵だけで戦えるほどラフムは甘い相手ではないのだ。

 

「いえ、できますよ。私の宝具……その応用ならばね」

 

「お前の宝具だって?」

 

四郎の宝具は生前に起こした奇跡が昇華されたもの。自身の肉体が持つ力を強化する『左腕・天恵基盤(レフトハンド・キサナドゥマトリクス)』と未来視などの特殊能力を強化する『右腕・悪逆捕食(ライトハンド・イヴィルイーター)』。

その両腕は、同時にあらゆる魔術基盤に接続するという力も秘めている。いわば、魔術的な万能鍵(スケルトンキー)。土地の環境に左右されず、十全に魔術を行使できるというものだ。

だが、そんなものが何になるというのだろうか。四郎は確かに生前、奇跡を起こしたかもしれないが、その中にはラフム相手に有効なものなど一つとして存在しない。

 

「一度きりの奥の手です。此度の召喚では、二度と使えません」

 

「おい、それって……」

 

まさか、彼は自爆するつもりなのだろうか。

どんな方法を用いるのかはわからないが、両腕の宝具を使って広域を吹き飛ばす大魔術を行使するつもりだ。

そんなことをすれば、四郎の霊核もただではすまない。まず間違いなく、致命傷を負うことになる。

 

「よせ、シロウ! 時間を稼ぐだけでいい! 死ぬ必要はない!」

 

「いえ、もう私は視てしまいました。カドック、私は本来、あの密林でジャガーマンに殺されるはずだったんです。その啓示を捻じ曲げた結果、私は今の光景を垣間見ました。私の役目は終わったのです。あなたを生き永らえさせるという、私の役目は」

 

「シロウ!」

 

「カドック、蛇を起こしなさい。それが私の視た最後の啓示です。あなたにしかできないことだ!」

 

段々と距離が離れていく。イシュタル神が天舟(マアンナ)を浮上させたのだ。

アナスタシアも遅れて霊体化し、追いかけてくる。

戦場に一人残された四郎は、穏やかな笑みを浮かべながら手を振っていた。

 

「あなたとの語らいは楽しかったですよ」

 

「よせ、シロウ!」

 

「さようなら」

 

振り返った四郎が両手に魔力を集中させる。

右手には禍々しい黒い光。

左手には神々しい白い光。

異なる二つの光を携えた天草四郎は、眼前に迫る災厄達に朗々と祝詞を紡ぐ。

友達が消える。

その事実が胸を締め付けた。

自分はまた誰かに生かされるのだと、頬に雫が走る。

伸ばした手は、何も掴むことはなかった。

 

「万物に終焉を──『双腕・零次収束(ツインアーム・ビッグクランチ)』!」

 

光が視界を焼き尽くした。

過負荷を与えられて暴走した彼の宝具は暗黒物質を生成し、強大なブラックホールを生み出したのだ。

ラフムも、泥も、何もかも吸い込んで消し飛ばす。無論、四郎とて例外ではない。

限界を超えて宝具を発動させたことで、全ての魔力を使い切り、彼の肉体は音もなく消滅していた。

カドックの意識は、そこで途絶えてしまった。

 

 

 

 

 

 

夢から覚めたカドックは、跳ねるように半身を起こした。

嫌な汗が背中から噴き出している。鼓動も早く、血流が鉄砲水のように全身を駆け巡っていた。

自分はまだ、生きているのだと実感する。

四郎に生かされた命だ。

自分はまた、友達の犠牲によって命を繋いだのだ。

 

「カドック、大丈夫なの?」

 

ずっと側にいてくれたのだろう。アナスタシアが心配そうに手を握り締めてくれていた。

視線を下に少しずらすと、小さな毛むくじゃらの白い生き物もジッとこちらを見つめている。

 

「ああ、大丈夫だよ、アナスタシア。それとお前もな……置いて行かれたのか、フォウ?」

 

アナスタシアの手を解き、フォウの頭を優しく撫でる。

少しだけ嫌そうに首を振られたが、カドックは構わず額を撫でまわしてやった。

いつもは立香かマシュと一緒にいるのに、どういう訳かここに来てからというもの、こいつは自分にべったりだ。

気に入られるようなことなど、特にしてやった覚えはないのだが。

 

「……そうだ、みんなは?」

 

少しずつ覚醒していく思考が、警報をかき鳴らす。

ここはカルデア大使館の自室だが、周りが余りにも静かすぎる。

どれくらい眠っていたのかは知らないが、どうにも嫌な予感がしてならなかった。

 

「もう夜が明けたわ。みんなはティアマト神を足止めするために出払っています」

 

「なら、僕達もすぐに合流しよう。あいつらだけじゃ心配だ」

 

「ちょっと、体は大丈夫なの? 魔力の方は? 私はカルデアから十分に貰えましたが、あなたの場合はそうはいかないでしょう?」

 

「少しだるいが、大丈夫だ」

 

大使館が霊脈の上にあったことが功を制したのだろう。完璧とはいかないが、宝具を一度か二度、使うくらいの余力はある。

疲れや細かな傷は魔術で痛みを消す等して騙し騙しいくしかない。

そう思って魔術回路を励起させた瞬間、体の半分が呼吸不全を起こしたかのように痙攣を起こす。

 

「っ……!?」

 

「カドック!?」

 

「ぐぅっ……かっ……」

 

激痛にのた打ち回る内に魔術刻印が活性化し、痛みを強制的に吹き飛ばす。

呼吸が荒く、何度も肩で大きく息をした。

背骨に氷柱を突き立てられたかのような痛みと熱さだった。あまりの苦痛に震えが止まらない。

魔力という異物を魔術回路に流す行為は痛みを伴うものだが、この痛みはいつものそれとは根本的に違うものだった。

 

(魔術回路がイカれたか……)

 

オーバーフローを起こして魔術回路が幾つか、焼き切れてしまったのだろう。

先ほどの激痛は閉じた回路を無理やり開けようとしたからだ。その証拠に、意識して開く回路を調整すれば、問題なく魔術を行使することができる。

だが、それは今までと同じという訳ではない。魔術回路は魔術師にとって財産であり、才能の代名詞であり、失われてしまえば二度と復活させることはできない。

ここに至って、もっとも大きなものを失う羽目になったのかと、カドックは歯噛みする。

これから先、どれほどの修練を積もうと、今までよりも劣化した魔術しか使用できない。魔術師として大成することは叶わないだろう。

今度ばかりは一族に申し訳が立たなかった。

 

「カドック?」

 

「……大丈夫だ、行こう」

 

心配かけさせまいと微笑んで見せるが、きっと覇気のないものだっただろう。

だが、アナスタシアは何も言わずに頷いてくれた。その優しさが今はありがたい。

そして、自分でも意外なほどに受けたショックが小さいことに気が付いた。

悔しさも無念もある。魔術の徒として今まで積み重ねてきた努力が無駄になってしまうという不安もある。

だが、それだけのことだ。

マスターでいられなくなった訳ではない。グランドオーダーから脱落した訳でもない。自分にはまだやれることがあるのなら、この痛みにも耐えることができる。

何だ、なら何も心配することはないじゃないか。

最後に振り返って、この喪失を笑って流せるくらいの成果を手に入れればいい。

カドックは一度だけ深呼吸をして気持ちを整えると、アナスタシアにも手伝ってもらい、手早く身支度を整えて大使館を飛び出した。

端末で立香達の位置を確認すると、ギルス市から少し離れたところで戦っているようだ。

徒歩で移動していたのでは時間がかかり過ぎる。どこかで乗り物を調達しなければならない。

そう考えてまずはウルクの兵舎を目指そうとすると、背後に気配が一つ、現れた。

 

「っ……君は……」

 

敵かと身構えたが、物陰から現れた姿を見て胸を撫で下ろす。

アナスタシアも思わず口元を覆い、目に涙を浮かべていた。

 

「無事だったのね……え?」

 

「正気なのか?」

 

最初は効き間違いかと思ったが、違った。

彼女の声音は小さかったが、確かな力強さが込められていた。

 

「僕に彼女を召喚しろっていうのか、君自身を触媒にして…………」

 

目の前の少女は無言で肯定した。

この霊基もいつまで保つからない。だから、消滅する前にどうかやって欲しいと。

ウルクを襲った未曽有の災厄。ティアマト神との戦いには、きっと彼女の力が必要になるからだ。

 

「不可能だ、僕にできっこない。それに、君という触媒を用いても確実には…………何だって、令呪を?」

 

彼女達は運命的な因果で結ばれている。彼女との契約は即ちもう一人の彼女との契約でもあり、その間接的な縁を令呪が持つ膨大な魔力リソースで以て手繰り寄せる。

令呪の本来の使い方ではない。上手くいくかもわからない、大博打もいいところだ。

それに、うまくいこうといくまいと彼女の霊基は消滅することになる。

自分を殺せと言っているのと同義なのだ。

 

「いえ、やりましょう、カドック」

 

「アナスタシア!?」

 

「この娘が望んでいるの。お願い、言う通りにしてあげましょう」

 

「…………」

 

できるだろうか。

確かに彼女の力は強力だ。心強い味方になってくれるかはわからないが、うまくいけばティアマト神討伐にも希望が見えてくる。

だが、触媒を用いた召喚をするとなると、フェイトシステムは使えない。

カルデアの召喚システムは技術や術式が未熟であるが故に、術者の縁を辿った形でしか召喚できず、誰を呼び出せるのかも完全に運任せだからだ。

彼女を確実に呼び出すためには、カルデアに頼らず、自分自身の力で、一人の魔術師として英霊召喚を行わねばならない。

失敗すれば、目の前の少女をみすみす殺すことになるだろう。

しかし、少女は首を振って否定した。

自分は希望を繋ぐのだと。

例え最後には憎悪に飲まれることになろうと、胸に抱いた原初の思いは間違いなんかじゃないのだからと。

その思いはきっと希望を繋いでくれる。だから、やって欲しいと少女は言う。

彼女がこんなにも強く自分の思いを口にしたのは初めてだ。

なら、自分達にできることは――――。

 

(そうか……シロウ、お前はこのために僕を…………)

 

友の最期の言葉を思い出し、カドックは決意する。

運命など信じる口ではないが、乗ってやろう。

これは証明だ。

今日まで自分達を助け、散っていった英霊達の命は、決して犠牲などではないのだと。

明日へとつ繋がる希望なのだと。

 

「…………アナスタシア、僕の部屋からありったけ触媒を持ってきてくれ」

 

「カドック?」

 

「英霊召喚を行う。手伝ってくれ」

 

すぐにアナスタシアは動いた。

階段を駆け上がり、部屋から水銀や霊薬を始めと触媒を搔き集めて戻ってくる。

その間にカドックは、大使館前の庭に召喚陣を描き出した。大使館は霊脈の上に建てられており、共に一ヵ月近くを過ごした場所でもあるので、彼女を呼び出すのにこれ以上の土地はないはずだ。

描き出すも紋様は、消去の中に退去、退去の陣を四つ刻んで召喚の陣で囲う。いつもはカルデアのシステムが代行してくれるものを、今は必死の思いを込めて描き出した。

そして、その陣に沿う形でアナスタシアが持ってきた触媒を手当たり次第に流し込み、召喚陣を完成させる。

サーヴァントの召喚に大がかりな儀式は必要ないとはいえ、何とも雑な造りの召喚陣だ。

本当なら触媒ももっと質の良いものを厳選すべきなのだろうが、残念ながら今は何よりも時間が惜しかった。

 

「これで、大丈夫なの?」

 

「わからない、何しろ初めて尽くしだ。だが、生贄になる動物を探す暇もない」

 

「ねえ、これは使えないかしら?」

 

そう言ってアナスタシアが差し出したのは、以前に自分がプレゼントしたラピスラズリの耳飾りであった。

 

「ラピスラズリはお呪いにも使う石なのでしょう?」

 

「いいのかい?」

 

「ええ。あの娘のためなら」

 

「わかった」

 

正直なところ、小石程度のラピスラズリでは魔力もたかが知れている。だが、彼女の思いは真摯なものだ。それを無碍にする訳にはいかない。

カドックは一度だけ手の中のそれを名残惜し気に見つめた後、ラピスラズリだけを外して宝石の中に魔力を流し込こんだ。

そして、紫色の粉末になるまで分解された石を召喚陣全体に広がるようにばらまく。これで準備は完了だ。

念のため、もう一度だけ綻びなどがないか確認した後、アナスタシアの冷気で仮死状態になるまで凍らせた彼女を召喚陣の中央に横たわらせる。

胸の上に花の冠を手向けられた姿は、まるで埋葬を控えた死者のようだった。

事実、彼女はこれから魔術的にも物理的にも死を迎えることになる。

その霊基は芥と化した後、全く異なるものへと作り替えられるのだ。

 

「始めよう…………」

 

星辰を合わせている時間はなかった。

景気付けに霊薬をひと瓶空けて空にし、足下に投げ捨てる。

アルコールで喉を焼かれたが、代わりに腹の底からジンと熱くなるほどの魔力が込み上げてきた。

そして、焦る気持ちを冷徹な理性で抑え込み、未だ健在な魔術回路を全て同期させて用意した術式を走らせる。

肉体を走る激痛。

毛細血管が千切れたのか、視界が半分、赤く染まった。

苦痛に耐える声が思わず漏れるが、カドックは無視して儀式を続行する。

両足を踏ん張り、掲げた手に力を込め、必ず引き当てるという確かな思いを胸に詠唱を紡いだ。

 

――――素に銀と鉄。 礎に石と契約の大公。

――――降り立つ風には壁を。 四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ

――――閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)

――――繰り返すつどに五度。ただ、満たされる刻を破却する

――――告げる。

――――汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。

――――聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ。

――――誓いを此処に。

――――我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者。

 

激痛が体内を駆け巡る。

不協和音が脳内に反響した。

生きた百足が血管の中を這い回っているかのような錯覚と、鳴りやまない晩鐘に気が狂いそうになる。

同時に、右手の令呪から光が迸った。

焼きごてを押し付けられるかのように、熱で感覚が消えていく。指を開いているのか閉じているのかさえわからない。

ただ、そこにあるという感覚だけを頼りに言葉を紡ぎ続ける。

来い。

来い。

来い。

ただの一度でいい、奇跡を起こせ。

お前の力が、その憎悪が必要だ。

僕達に力を貸せ。

 

「――――汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ―――!」

 

令呪の一画が霧散し、同時にエーテルが風と共に吹き上がって視界を閉ざす。

白光で包まれる直前に垣間見たものは、微笑みながら崩れていく少女の姿だった。

細く小さな指が千切れ、白磁の肌のヒビが走り、美しい毛先から塵となって消えていく。

そして、小さな母胎を引き裂いて蛇の如き異形が姿を現した。

 

「召喚に従い参上した。精々、うまく使うがいい。私も貴様をうまく使おう」

 

見上げるほどの巨体から産声が上がる。

かくして、復讐者は再びこの地に産まれ落ちたのだった。




カドックが命を賭ける時、何かが失われる。
原作でもそうだったでしょう?(獣国のラスト)。

明日からのバレンタインイベント楽しみですね。
紫式部とバレンタインのミスマッチ感よ。果たしてどんな鯖なんでしょう?
個人的に、紫式部の殻を被った別人説を推したいところ。
後、宝具演出が穂村原の黒豹を思い出しました。


追記
ドジっ子巨乳な司書さんなんていなかった、いいね(泣)。


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絶対魔獣戦線バビロニア 第21節

その身を燃やし尽くし、ティアマト神へと挑んだケツァル・コアトルの体が泥の海へと落下する。

音速を超える衝撃での飛び蹴りは、ティアマト神を僅かに揺るがすだけに終わってしまった。

その反動は彼女の体を致命的なまでに破壊し尽くし、もはや指先一つ満足に動かすことができない。

火の鳥は再び空へと舞い上がることができず、大地の力に引きずられるままどんどん加速していった。

立香達が彼女を救わんと奮闘するも、後少しというところでラフムに阻まれてしまい、近づく事が出来ない。

山のような巨体が音もなく現れたのは、正にその時であった。

 

「まさか、あなたが……」

 

「ゴルゴーン!? いえ、それと肩には……」

 

思いもよらぬ救援。それは鮮血神殿で消滅したはずのゴルゴーンであった。

山のような巨体、引き込まれる美貌、蠢く紫の髪。衣装こそ黒から白に変わっているが、紛うことなき魔獣の女神だ。

そして、彼女の肩には、大使館で体を休めていたはずのカドックとアナスタシアの姿があった。

激しい揺れを物ともせず、二人は泥へと落ちていく女神の姿を真っすぐに捉えている。

二人が何をしようとしているのかを察した立香は、思わず叫んでいた。

 

「……いけぇっ! せんぱーい!」

 

黒い壁となって立ち塞がるラフム達を、ゴルゴーンの巨体が薙ぎ払う。

腕の一振りがラフムの壁を抉り、無数の蛇と化した髪が空を飛ぶベル・ラフムを次々と噛み砕きながら、強引に黒い守りを抉じ開けて前へ前へと進撃する。

ただひたすらに、一直線に泥の上を駆け抜ける。

 

『ケツァル・コアトルを助ける気なのか! だが、届かない!』

 

群がるラフムを物ともせず、ティアマト神へと迫るゴルゴーンではあったが、その速度ではケツァル・コアトルの着水の方がほんの僅かに早い。

だが、それは百も承知。元よりゴルゴーンはカドック達を運ぶためにラフムの壁を突き抜けたのだ。

落ち行く女神を救うのは、最初からカドックとアナスタシアの役目。

ゴルゴーンはそのままティアマト神へと体ごとぶつかっていき、彼女の歩みを全力で抑えつけている隙にカドックはケツァル・コアトル目がけて思いっきりゴルゴーンの肩を踏み切った。

 

「跳んだ!?」

 

「いえ、ほんの少しだけ、高さが足りません!」

 

マシュの言う通り、カドックの跳躍では指先一つ分、距離が届かない。

伸ばした手は僅かにケツァル・コアトルの肌を撫でるに終わり、両者の体は眼下の泥に向かって落ちていく。

このままでは、二人とも死んでしまう。命を賭けてティアマト神に挑んだ女神と、危険を承知で助けに向かった少年が成す術もなくケイオスタイドへと沈んでしまう。

マシュの悲痛な叫びが木霊した。

 

「駄目です、届きません!」

 

「なら、向こうから届いてもらう! アナスタシア(キャスター)!」

 

「ええ!」

 

皇女の視線が因果を射抜き、その運命を書き換える。

重力に引かれるまま落ちていくだけであったケツァル・コアトルの体はまるで、時間が巻き戻るかのようにほんの少しだけ浮かび上がった。

因果を狂わす皇女の悪戯、シュヴィブジック。

それは時間にしてコンマに過ぎない刹那の時間であったが、その僅かな上昇が二人を近づけ、カドックはケツァル・コアトルの腕を掴むことができた。

 

「ヴィイ、二人を!」

 

影から這い出たヴィイが振り下ろされたゴルゴーンの尻尾を滑り降り、落下する二人を受け止める。

正に間一髪。後、ほんの少しでもタイミングがずれていれば、二人は泥の中に真っ逆さまであった。

 

「カドックさん、使ってください!」

 

マシュが立香の後ろに飛び移ると、乗っていた翼竜をカドック達のもとへと向かわせる。

ヴィイは二人を翼竜の背に乗せると、空気に溶け込むように消えてアナスタシアのもとへと戻っていった。

 

「……あなた…………」

 

「無茶をして……どうして、藤丸から魔力を貰わなかったんだ」

 

腕の中のケツァル・コアトルの体は消滅が始まっていた。

全力で宝具を発動し、魔力を使い果たした上で肉体にまで深刻なダメージを負ったのだ。

今からどんな処置を施したところで彼女は助からない。

だが、もしも彼女が立香から少しでも魔力を分けてもらっていれば、消滅だけは免れたはずだ。こんな、命を燃やし尽くすかのような無理をする必要はなかったはずだ。

 

「それは、女の意地といいますか……一応、マスターはあなたなので……」

 

「義理立てなんて、する必要なかったのに」

 

「えへへ、怒られてしまいました。私、師匠失格ですね。折角、あなたのコーチ(サーヴァント)になったのに、それらしいこと何もできなくて……」

 

「いや、あんたが飛ぶ姿は美しかった……見せつけてもらったよ、師匠(Maestro)

 

仲間でいられたのはほんの数日でしかなかったけれど、まるで鳥のように大空を舞う彼女の姿は不死鳥のように気高く美しかった。

南米の主神、ケツァル・コアトルの名に恥じない美しさだ。

見る者を魅了し、敵対する者には容赦のない一撃をお見舞いするプランチャー。

その羽ばたきに見惚れないはずがなかった。

 

「本当、ジャガーの言う通りね。その信仰は、ずるいデース……」

 

最後に太陽のような笑みを浮かべながら、カドックの腕の中でケツァル・コアトルは塵となって空へと還っていった。

 

 

 

 

 

 

激突する巨体と巨体。

ウルク市を目指し、ケイオスタイドと共に進軍する原初の母を、復讐者は渾身の力で押し返さんとした。

だが、如何せん体格に差があり過ぎる。大きいと言ってもゴルゴーンは精々が数十から百メートル前後。対して、ティアマト神は数百メートル以上もの大神体だ。

正に蟻と巨像。赤ん坊がどれだけ力を込めたところで大人の体を押し留めることなどできず、ゴルゴーンの体はジリジリとナピュシテムの牙に向けて押し返されていく。

 

「Aaaaa――aaaaa――――」

 

「行かせると思うな!」

 

怒涛の如く撃ち出された魔力弾がティアマト神の顔面を直撃。一発一発が神代の砦を容易く融解させるほどの恩讐が込められたそれは、ティアマト神をほんの少しだけ怯ませることに成功する。

更にゴルゴーンは魔力で生み出した無数の大蛇でティアマト神の体を縛り付け、無防備な胴体に何度も自身の爪を叩きつけた。

これまで数多の魔獣戦線の兵士達を引き裂き、その返り血で染められた凶悪なカギ爪は、さすがのティアマト神でもただでは済まないだろう。

そう思った刹那、音を立てて砕け散ったのはゴルゴーンの爪の方であった。

聳え立つ山は揺るがず、悠然と構えるのみ。

先ほどからのゴルゴーンの攻撃は、原初の母に僅かな傷すらも与えることができていなかった。

 

『ゴルゴーンでも駄目なのか……』

 

縛り付ける大蛇を引き千切り、ティアマト神は再び咆哮する。

同時に、大角から背面にかけて超抜級の魔力が凝縮されていく。

気の弱い者ならそら漏れ出た余波だけで気絶してしまうほどの魔力量だ。

原水爆すら越える魔力炉心は伊達ではないということか。

 

『ビーストⅡ、背部巨大骨格展開――飛ぶぞ! イシュタル、何か手はないのか!? メソポタミアの空はキミの領域だろう!?』

 

「あったらとっくにやってるわ! でも、私の弓じゃ原初の神性には通用しない!」

 

ケツァル・コアトルの攻撃がほんの僅かとはいえ通用したのは、彼女が神話体系の異なる神格だったからだ。

このメソポタミアの地で生れ落ちたイシュタル神では、そのルーツともいうべき母なるティアマトにどうやっても敵わない。

だからこそ、彼らにとって最後の希望はギリシャの女神たるゴルゴーンであった。

神格としては圧倒的に劣るゴルゴーンではあるが、彼女には貶められたことで手に入れた憎悪と魔獣としての力がある。

その首を断つために挑んできた多くの英雄達を葬り去った恐るべき膂力で以て、彼女は今にも飛び立たんとするティアマト神に背後から組み付く。

そして、我が身が砕けるのも承知で神性を全開にし、渾身の力を込めて両腕を振り抜いた。

 

「我が憎悪を……舐めるなぁぁっ!」

 

「Aaa――」

 

着水と共に、巨大な水柱が上がる。

周囲にいた者達は、信じられないものを見たかのように目を丸くした。

ティアマト神の脚ほどまでしかない大きさのゴルゴーンが、自分の何倍もの大きさのティアマト神を投げ飛ばしたのだ。

勢いに乗ったゴルゴーンは、そこからマウントを取ってティアマト神に一方的な拳のラッシュの叩き込む。

ダメージはなくともしつこく繰り出される攻撃に、とうとうティアマト神はその眼差しをウルク市から逸らし、ゴルゴーンへと向けた。

 

「Aaaaa――――aaaaa――――」

 

泥の中でもつれ合う二柱の女神。

暗雲立ち込める空に響くのは鈍い打撃音だ。

それはゴルゴーンの拳が砕ける音。しかし、構わず堕ちた女神は殴打を叩き込む。

爪が折れ、拳が砕け、腕の肉が弾けようとも怯まず、それどころか益々、魔力を昂らせてティアマト神の神体を砕かんと拳を振るい続けた。

 

「すご……母さんを力で負かしている……!?」

 

「ですが、今の余波でナピシュテムの牙が倒壊しました。ケイオスタイドがウルク市に流入します!」

 

仕方がなかったとはいえ、ゴルゴーンがティアマト神を投げ落としたことで大きな津波が発生し、その勢いをナピシュテムの牙はとうとう受け切ることができなかった。

見る見るうちに流れ込んでいく黒い泥は、牙の向こうでまだ無事だった緑の平原をどす黒い色で汚し、ウルクの城塞に何度もぶつかっては飛沫を上げた。

事前に兵士達は高所に陣取っているはずだが、向こうにもラフムは襲来している。果たして何人が無事でいるだろうか。

 

「離セ――離セ、離セ、離セ! 汚ラワシイ、偽物ガ……!」

 

ティアマト神を救い出さんと、無数のラフム達がゴルゴーンへと群がる。

さながら、畑を食い荒らすイナゴの群れだ。アバドンの再来と呼ぶべきかもしれない。

苛烈で容赦のない攻めはゴルゴーンの美しい肢体に幾つもの赤い筋を刻み、苦痛から逃れるかのように女神は怒りの咆哮を上げた。

 

「汚らわしいのは……貴様らだぁっ!」

 

光が視界を焼く。

ゴルゴーンが自身の腹の底に蓄えられた魔力を、全身から放射したのだ。

一切の指向性を持たされずに放たれた紫の光は、肌に纏わりつく黒い害虫を一瞬の内に焼き尽くし、ケイオスタイドへの底へと沈めていく。

その余波は離れたところから戦いを見守っていたカドック達にも及び、マシュが前面に出て防御しなければ目や肺を焼かれていたかもしれない。

だが、これほどの攻撃を以てしてもラフムは滅びない。新しい個体が泥の中から次々と生まれてくるのだ。

 

「ふん、自我のない泥風情が、人間のように笑いおって。貴様らがキングゥの兄弟かと思うと虫唾が走る!」

 

笑いながらゴルゴーンに突撃したベル・ラフムの体が瞬時に石へと変わり、推力を失った体は無残にも泥へと墜落する。

ゴルゴーンが石化の魔眼(キュベレイ)を解放したのである。

かつて、英雄ペルセウスによって打ち破られた宝石の魔眼。此度は視線を弾く盾もなく、群がるラフムを次々と彫像へと変えていき、泥の中から這い出そうとしているティアマト神すらも足先から少しずつ動かなくなっていった。

 

『すごいぞ、ティアマト神がどんどん石化していく! 物理的に殺せないなら、生きたまま動けなくさせるつもりか!』

 

「Aaaaaaaaa――――」

 

苦し気に吠えるティアマト神。

すると、石へと変わった細い足が空気でも送り込まれたかのように膨れ上がり、表面にいくつもの亀裂が走る。

亀裂はやがて石化した部位全てに及び、ガラスのように割れてケイオスタイドに幾つもの波紋を生み出した。

ゴルゴーンの石化能力を知る者にとっては、信じられない光景だ。

ティアマト神は自分が石化するよりも早く、細胞を代謝させて新しい脚部を内側から作り出したのである。

これでは魔眼の使用により、ゴルゴーンが消耗していくばかりだ。

 

「うっ、くぅっ…………」

 

不意に眩暈が起こり、カドックはバランスを崩して倒れ込む。

既にケツァル・コアトルは消滅しているので、翼竜もいない。カドックも立香も自身の魔力や用意してきた水上歩行器具でケイオスタイドの上に浮かんでいる状態だ。

背後からアナスタシアが支えなければ、危うくケイオスタイドへと落ちてしまうところだった。

 

『カドックくんのバイタルが低下!? キミ、ゴルゴーンと契約していたのか!? こちらからの供給すら追いつかないほど、彼女は全開で暴れているのか!?』

 

「大丈夫……だ……」

 

これでもゴルゴーンはまだ、力を抑えてくれている。

彼女が本気を出せば、自分のような凡人ではあっという間に干乾びてしまうだろう。

マスターを気遣っての契約なぞ、彼女にとっては不本意なことだが、それでもゴルゴーンはティアマト神と戦うために了承してくれた。

ならば、自分はそれに応えなければならない。

まだ足りないというのなら、もっと持っていけ。

この程度ではまだ死なない。

自分の限界はもっともっと先だ。呼吸が止まる寸前まで搾り取れ。

だが、ゴルゴーンは不調を察してか、攻撃の手を休めてこちらまで後退してくる。

美しい肌は自爆同然の魔力の放射によって焼け爛れ、両腕は見るも無残に砕けて腕の骨が露出している。

あれほど苛烈な攻めを行っておきながら、ティアマト神はまったくの無傷であり、攻撃を加えているゴルゴーンの方が傷ついている始末だ。

 

「潮時だ、人間(マスター)。これ以上、貴様らを気遣いながら戦っていては埒が明かぬ」

 

「だが、アヴェンジャー!」

 

「見ろ、ティアマトの石化が直に解ける。このままでは奴を逃がしてしまうだろう。貴様達は早々にウルクへ逃げ帰るがいい」

 

まだ完全ではないが、起き上がろうとしているティアマト神の脚部は石化がほとんど解けかかっていた。

再生の速度も時間と共に早くなっており、これ以上の石化は無意味であるとゴルゴーンは判断したのだ。

 

「元より私は奴への報復のために貴様と契約した。ここまで私を連れてきた時点で、役目は既に終わっている。その指先が壊死する前にここを離れよ。弱者は弱者らしく、自分達の家に逃げ帰るがいい」

 

「任せていいのね?」

 

「……任されることなどない。だが、ティアマトの翼は私が砕く。地を這うのは奴の方だと、教えてやらねばな」

 

心配そうに見つめるアナスタシアに、ゴルゴーンは優し気な笑みを返す。だが、それも一瞬のこと。すぐに険しい顔つきに戻ると、再び飛翔を敢行せんとするティアマト神に向き直った。

 

「アヴェンジャー……僕は……」

 

「言うな、別れは不要だ。例えこの身があの者のものでも、我が魂は貴様達など知らぬ。さあ、行くのだ!」

 

「……今まで、ありがとう」

 

朦朧とする意識を何とか保ちながら、カドックは復讐者に別れを告げる。

ほんの数時間の、しかし何よりも濃密な契約だった。

これで良かったのだろうかという後悔はもちろんある。

だが、最後の最後で彼女は笑った。

なら、その笑顔を信じよう。

例え魂が塗り潰されていたとしても、彼女は大切な家族なのだから。

 

 

 

 

 

 

そして、二柱の女神だけが残された。

ティアマト神は遂に石化を完全に解き、大空を舞うための翼も背中に現れている。

魔力が充填されれば、すぐにでもウルク市を目指して飛び立つだろう。

 

「……そう言えば、ちゃんとさよならは言っていませんでした。でも、お花を戴きましたから、私にはそれで十分です」

 

そう言って微笑むゴルゴーンの声音は、先ほどまでの張り詰めていたものとは違い、まだ年若い少女のそれであった。

実際のところ、ゴルゴーン自身には自分が何者なのかはよくわかっていない。

この霊基は確かに複合神性ゴルゴーンのものだが、朧気ながらもウルク市で過ごした記憶が溶け込んでおり、会った事もないはずの花屋の老婆や牛の赤ん坊の顔が瞼の裏に浮かぶ時がある。

外法の召喚によって材料とされたものの影響なのだろう。こんな不完全な召喚を行うとは、本当に未熟なマスターだ。

だが、それで構わないと胸の内から語りかけてくる声が聞こえた。

彼は自分で思っているほど冷酷で(強く)はない。彼は英雄にはなれなかったが、親友(英雄)の理解者として共に歩く事ができる人間だ。

だから、私達を受け入れてくれたのだとゴルゴーンの中の彼女は言う。

何れ堕ちてしまう罪のカタチを許し、憎悪に焼かれた罰のカタチを糾し、女神としての在り方も魔獣としての在り方も受け入れる事ができるのだ。

不思議と力が湧いた。

先ほどまでの激闘に加え、(マスター)からの魔力の供給も先刻からパスを閉じているため、この神体は満身創痍だ。だというのに、彼らのことを思うと魔力ではない何かが力を与えてくれる。

それはとても懐かしい、温かい力であった。

遥かな昔、まだ自分に二人の姉がいた頃に抱いていた思いであった。

 

「ティアマト神。彼らをウルクに帰したのは、あなたから逃がすためではありません。この姿を――――怪物になる私の姿を、見せたくなかっただけ。きっと余計な瑕を負わせてしまうから。けれどあなたには本当の傷を与えましょう。これまであなたとして活動したお返しです」

 

解けていく。

溶けていく。

融けていく。

自分であったものが、端っこから一つずつ失われていく。

あの島で過ごした二人はいったい誰だったのか。

この時代で共に過ごした彼らはいったい誰だったのか。

あの憎たらしい魔術師、白い生き物、盾の騎士、黄色い肌のマスター、白い皇女、白髪の魔術師。

名前も顔も思い出せない彼らとの思い出を手放し、自分自身を構成する全てを手放し、ただ憎悪に身を委ねて体を溶かしていく。

ああ、自分が自分で(彼らのため)なくなってしまうことがこんなにも怖い(ならばこの痛みにも耐えられる)

 

「大いなる蛇身となって大地の竜を地に落とす! 複合神性、融合臨界……全てを溶かせ! 『強制封印・万魔神殿(パンデモニウム・ケトゥス)』!」

 

奇怪で醜悪な怪物と化したゴルゴーンが、怨嗟の炎をまき散らす。

自身すらも溶かし尽くす、限界を超えた憎しみの光。

ゴルゴーンはその圧力に耐え切れず、宝具の発動と同時にその肉体を融解させた。

 

「――Aaaaaa――Aaaaaa――」

 

光が晴れると、何事もなかったかのようにティアマト神が姿を現す。

最早、彼女の進撃を遮る者はいない。後は大空へと飛び立ち、一直線にウルク市を目指すだけだ。

だが、それは叶わない。

ティアマト神が今度こそ飛び立たんと魔力を集中させた瞬間、右側の大角が音を立てて砕け散ったのだ。

 

「Aaaaaaa――――」

 

痛みを訴えているのか、我が身の欠落を嘆いているのか、ティアマト神は空に向かって咆哮する。

地を這う蛇が、大空を逝く竜を大地へ縫い付けた瞬間であった。

 

 

 

 

 

 

「ティアマト神の右角、崩壊。女神ゴルゴーン、消滅を肉眼で確認しました。でも、ティアマト神は依然……健在です」

 

泥の上を疾駆するマシュが、歌うように鳴くティアマト神の姿を見て力なく項垂れる。

二柱の神格がその霊基を代償にして放った攻撃を受けて、やっと角を一本、へし折る事ができたのだ。

空への飛翔こそ封じることができたが、脅威は未だに健在。そして、現状でティアマト神に対して有効な攻撃手段はこのメソポタミアには存在しないのだ。

翼にしても、時間が経てば回復してしまうかもしれない。

ただの時間稼ぎで払うにはあまりにも大きな犠牲。その事実が重く圧し掛かる。

果たして、自分達はこれほどの神格に勝つことができるのかと。

 

『みんな、辛いのはわかるが急いで欲しい。ケイオスタイドの津波がやってくる。もう防波堤はない、飲み込まれる前にウルクの城塞に逃げ込むんだ!』

 

こういう時、いの一番に現実的な意見を述べてくれるロマニの存在は本当にありがたい。

彼も内心ではパニック寸前だというのに、いつもこうして自分達を支えてくれるのだ。

 

「はい! ケツァル・コアトルさんとゴルゴーンさんが作ってくれた時間です! マスター、失礼します!」

 

カドック(マスター)、少々荒っぽくいきますから、捕まっていて」

 

ヴィイに首根っこを掴まれ、カドックの体は旗のように宙を泳ぐ。風景が物凄い速度で後方に流れていった。

程なくして到着したウルク市の惨状は、語るまでもない。

かつてそこにあった営みは軒並み払い除けられ、生きて動いているものは何一つとして存在しなかった。

全てラフムによって滅ぼされてしまったのだ。

往来で語り合った人々の笑顔も、時には耳障りなほど響いていた鍛冶の音も、市場の賑わいも、牛や羊の鳴き声も、全て奪い尽くされた。

今、ここに残っている命は自分達とギルガメッシュ王。そして、城塞で今もラフム達と戦っている八人の兵士だけだ。

 

「居タ マダ 居ル! 人間 見ツケタ! 面白イ 面白イ!」

 

「全滅スルノニ 面白イ! マダ生キテイル ノハ 面白イ!」

 

こちらの姿を認めたラフム達が、歯を打ち鳴らしながら狂喜乱舞する。

奴らにとって自分達は獲物であり玩具。絶滅にまで追い込まれてなお抗う様が堪らなく滑稽に見えているのだろう。

何て不愉快だろうか。

閃光のように輝く人の生き様を、奴らはただただ面白いと侮蔑する。

敵いもせずに抗う様を、出来もしないのに散り行く様を、滑稽で無様で面白いと嘲るのだ。

怒りと嫌悪と、ほんの僅かな侮蔑が込み上げた。

奴らは知らない。

終わりを受け入れて尚、最善を尽くすことの素晴らしさと潔さを知らない。

暗闇に道を切り開く、犠牲を超えた献身を奴らは知らない。

小太郎も、四郎も、ケツァル・コアトルも、メドゥーサ達もみんな後を託して死んでいった。

その死を奴らは無様と笑うだろう。無意味と嘲るだろう。

なら、そう思っていろ。

彼らの献身があるから、自分達はまだ立っていられるのだ。

絶望を前にして、まだ諦めずにいられるのだ。

勝ち筋など見えない、敗北の未来しかない、万に一つの奇跡など起きるはずもない。

それでもまだ、前を向いていられるのだ。

ならばそこに意味はなくとも、無価値ではない。

 

「戻ったか。時間にして半日ぶりか? つい先ほどの事のように思えるが、さて」

 

ジグラッドでは、見晴らし台に立ったギルガメッシュ王が一人、ウルクの終焉を見守っていた。

見下ろした街並みは至る所に炎が上がり、外殻から黒い泥に飲まれていっている。

牧場も、市場も、広場も、カルデア大使館も既にここからは見えない。

一つの街が今、終わりを迎えようとしていた。

 

「酷い、私もウルクに色々と八つ当たりはしてきたけど、ここまですることはないじゃない。そんなにも人間が憎かったの!?」

 

「分からぬ。あの獣の声は我らには届かぬ故な。意思すらなく、ただそう在るだけで世界を滅ぼしてしまう機構。人類悪の一つとなった時点で、お前が父神から聞いていたティアマト神ではなくなっていたのだろうよ」

 

きっと、彼女自身が生み出しものがこの世界から全てなくなるまで、あの歩みは止まらない。

メソポタミアという世界そのものがなくなるまで、彼女の慟哭は止まらない。

あれはそういう悪へと転じてしまったのだ。

 

「無駄話はそこまでだ! 来たぞ、我れらが母のお出ましだ!」

 

ギルガメッシュ王が見据えた先には、遂にウルク市の城塞へと手をかけたティアマト神の姿があった。

巨大な、あまりに巨大な神体が、胡乱な目で燃える街並みを一瞥する。

悲鳴のような咆哮が空気を震わせ、凱旋を讃えるかのようにラフム達がけたましい笑い声を上げた。

生き残った兵士達の果敢な抵抗も実に無意味。撃ち込まれた矢や投石は誤爆したラフムを僅かに落とすことしかできず、ティアマト神は意にも介さず城塞にかけた手に力を込める。

そして、呆気なくウルク市は泥の海へと飲まれていった。

堅牢な城塞はティアマト神の巨体によって難なく踏み潰され、最後の抵抗を試みていた兵士達も倒壊に巻き込まれてその命を散らす。

空も陸も、泥の軍勢で埋め尽くされており、そこにウルク市だったものは何一つとして見つけることができない。

今、ウルク市はこの歴史上から姿を消したのだ。

ギルガメッシュ王という、一人の王を残して。

 

「イシュタル、貴様は上空に逃れよ! せっかく飛べるのだ、天の丘に留まる理由はない! 天の頂、この暗雲を抜けた太陽の真下にて待機せよ! おって指示を出す!」

 

「分かったわ。みんな、こいつをお願いね。人間の癖に自信の塊だから、無茶な事しないか見張っていて。あなた達が付いていてくれれば安心だわ」

 

「阿呆め! こいつらが(オレ)に付いているのではない! (オレ)が二人に付いているのだ!」

 

それが、生きている二人が顔を合わして行う最後の会話となった。

イシュタル神は一度だけこちらに視線を送ると、後ろ髪を振り払うかのように雲を突き抜けて空の階段を駆け上がる。

対してギルガメッシュ王は自らの庭を踏み荒らす獣を見据え、不敵にも笑みを浮かべて見せた。

 

「ギルガメッシュ王、エレシュキガルの準備は?」

 

「未だ、完了しておらぬ。位相を合わせるまでは何とかなるが、道はこちらで抉じ開けねばならぬだろうな」

 

ティアマト神を冥界に落とす。移動中に聞いた時は耳を疑ったが、彼らは正気のようだ。

だが、そのためには時間が足らない。エレシュキガルが全力で冥界を動かしているが、ティアマト神は既にウルク市に到達してしまったのだ。

作戦を成功させるには、このまま彼女をここに釘付けにする必要がある。

そのための手段が、自分達にはもう残されていない。

 

「……もう、俺達にできることは……」

 

悔しさで隣にいる立香は拳を握り締める。

気持ちは同じだった。特異点の修復のためだけではない。長い時間を過ごしたウルク市がこのまま爪痕も残さず人類史から消えてしまうことが我慢ならない。

生きる事を諦めず、最後まで抗い続けたウルクの人々の生きた意味を無にはしたくない。

何かないのか、自分達にできることが。原初の神を打倒し得る何かを、自分達は担えないのだろうか。

すると、ギルガメッシュ王がこちらに向かって大胆不敵に笑ってみせる。

 

「ふん、あるに決まっているであろう。だが、まずはそこで休んでいろ。そして、刮目するがいい。これがウルクの、ティアマトめに見せる最後の意地よ!」

 

王が手を上げた瞬間、城塞のあちこちで魔力の破裂を感じ取った。

一拍遅れて空を駆け抜けたのはいくつもの光条。剣が、槍が、斧が、矢が、ありとあらゆる宝剣、宝槍の類が吸い込まれるようにティアマト神へと着弾する。

腕に、足に、顔に、次々と撃ち込まれた砲撃は全てが対軍クラスの宝具に相当する絶大な火力を有しており、ティアマト神は衝撃と爆風に阻まれてその歩みをほんの少し後退させた。

これはディンギルからの砲撃だ。

ティアマト神の迎撃のために城塞へと設置された神権印象。その内、生き残っている全てのディンギルが担い手もいないまま稼働し、迫るティアマト神を迎え撃っているのである。

 

「フハハ、(オレ)の魔力を舐めるな! 城門に設置したディンギル三百六十機、全て我が作り、魔力を込め、統括するもの! 死ぬ気でこの体を酷使すれば、このように一斉に操れるわ!」

 

確かに理屈だ。神代に生きるギルガメッシュ王はその存在が限りなくサーヴァントに近い。持てる力の全てを出し尽くせば、少しの間ではあるがディンギルを完全制御下に置くことはできるだろう。

だが、砲は一つ一つに癖があり、同じ角度で発射しても全く同じ軌道にはならない。それぞれのディンギルと敵の位置関係、装填されている武具の質、周囲の大気や湿度などの環境情報。それら膨大なデータを脳の中で演算し正確に出力できなければ、こんな芸当はできない。

加えて起爆剤となるラピスラズリを砕く者がいない以上、ギルガメッシュ王はそれらも自らの魔力から賄わねばならないのだ。

ギルガメッシュ王は今、自らの脳を掻き出しながら戦っているにも等しいことを行っている。文字通り、命を削りながら戦っているのだ。

 

「フハハ、(オレ)を誰と心得る! 忌まわしくも神の血と人の血を持って降臨した至高の王だ! ティアマト神の足止め、ここで見事に果たして見せよう!」

 

並の魔獣ならばとっくに消し炭になっている攻撃を受けても、ティアマト神の神体は僅かな傷を負うだけで、それも受けた端から再生してしまう。

だが、降り注ぐの砲撃の雨は、少しずつではあるが確実にティアマト神の歩みを遅らせていた。

それを見てギルガメッシュ王は益々、砲撃の勢いを増していく。

矢の装填を急がせ、着弾の位置をケツァル・コアトルとゴルゴーンが傷つけた大角に集中し、転倒を狙わんと脚部を吹き飛ばす。

怒り狂ったラフム達は目障りな王を始末せんと飛来したが、それは近衛についたマシュとアナスタシアが全て返り討ちにした。

いける。

ギルガメッシュ王はこの戦いで己の全てを出し切るつもりだ。

財も、魔力も、命すらも絞り切って、神をその手で葬りさる。

彼の全身全霊は、原初の女神を確かに圧倒していた。

刹那、ティアマト神の眼光が赤い光を放った。

 

「あっ……」

 

自分でも間抜けな呟きだと思った。

あの眼光はこちらを狙っている。

ディンギルを操るギルガメッシュ王を、彼を守る自分達を排除せんと死の眼差しを放とうとしているのだ。

あれを躱すことはできない。この見晴らし台に逃げ場などない。

避けられない死を前にして、どこか冷めた目でそれを見ている自分がいることに気が付いた。

故に足が自然と動く。

立香の背中を押して強引にしゃがみ込ませ、危険が迫っていることを叫んで知らせる。

光が放たれた。

キャメロットも城塞も、今から発動したのでは間に合わない。

アナスタシアは即座に霊体化して攻撃を逃れる。

マシュも咄嗟に盾を構えた。

だが、ギルガメッシュ王は動かない。ここで攻撃の手を緩めれば、ティアマト神はまた歩みを再開する。だから、死んでも砲撃を止める訳にはいかないのだ。

ならば、どうするか。決まっている。王を守るのは、いつだって臣下の役割だ。

 

「ギルガメッシュ王!」

 

転がるように王の前に躍り出て、防御の術式を展開する。

自分の技量では神の眼光など防ぐことはできない。この身すら盾にして、王の首だけを残すのが精一杯であろう。

遅ればせながら、失敗したと自嘲する。

これでは無駄死にだ。つい先日、アナスタシアの目の前では死なないと再確認したばかりだというのに。

どうして、この期に及んで自らを盾にするなんて愚行を犯してしまったのか。

自分でも驚くくらい、ギルガメッシュという王に見せられていたのだろう。

滅びを前にして、絶望を前にしてなお諦めず、最善を尽くす生き様に憧れたのだろう。

彼の王のように。

彼の王の民のように。

あんな風に生きたかったと。

あんな風に――――。

 

「フォーウ!」

 

「ぬぅっ!」

 

衝撃が背中を襲う。

痛みはティアマト神の眼光によるものではない。五体は無事だ。手足は動くし意識もハッキリとしている。

ならば、あの光は誰を射抜いたのか。

振り返ると、そこには胸から血を流しているギルガメッシュ王の姿があった。

 

「狙撃とは小癪な奴だ! だが、無事だなカドック!」

 

「ギルガメッシュ王!」

 

「ハ! 気にするな、致命傷だ! 貴様の方こそ体の内側がボロボロではないか! 医者の不養生というやつか? 分不相応にも神霊と契約したな!?」

 

捲し立てるギルガメッシュ王に、カドックは唖然とする。

致死の傷を負ってなお、彼はこちらの身を案じているのだ。

助けるつもりで前に出て、助けられてしまった。

そのことにカドックは言葉を失い、ただただ王を見上げることしかできない。

自分はいい。内臓が壊死しようと、魔術回路が焼き切れようとまだ生きている。

だが、ギルガメッシュ王はもう助からない。今にも止まりそうな心臓を動かす術を自分は持たない。

それを承知で彼は笑っている。

自らの死を受け入れてなお、休むことなく砲撃を続けている。

 

「そ、その体でまだディンギルを撃つんですか!? 止めてください! いくらなんでも、もう……」

 

止めどなく流れ落ちる鮮血が床を汚し、マシュは堪らず叫んでいた。

既に致命傷。その上でこれ以上、無理を重ねれば死を早めるだけだ。

ただ苦しみが増すだけだ。

 

「無理と言うか? 我は限界だと? もはやウルクは戦えぬと! 貴様達はそう言うのか、カルデアの!?」

 

既にウルク市は炎に包まれ、全域がケイオスタイドへと沈んでいる。

生きている者はおらず、このジグラッドを最後の砦としてギルガメッシュ王がただ一人で戦っている状態だ。

国としての機能はとっくに死んでいる。

北壁へと逃れた民も僅か、炎と泥で汚染された土地は再興の目途も立たない。国としては完全に死んでいる。

なら、ウルクは滅びたのか。

否、否だ。

まだ王がいる。

まだ自分達がいる。

まだウルクの意思は生きている、残っている。

ならば、ならば――――。

 

――ウルクはここに健在です――

 

それは誰の言葉かわからない。

自分が知らずに口にしたのかもしれないし、立香が言っていたのかもしれない。マシュかもしれないし、ロマニかもしれない。

或いは、ここにいる全員の総意かもしれない。

まだウルクは死んでいない。消えていない。

終わりを受け入れた先にある栄光。

諦めた訳でも開き直った訳でもない。

最期まで生きるという、生命としての当然の意思。

それを貫いてこそのウルクだ。

これが、生きたいという欲求なのだ。

やっと分かった。言葉ではなく実感として理解できた。

藤丸立香が抱く根底の願い。人理焼却から逃げることなく向き合うことができた強さが何なのかを。

 

「僕は……生きたい……」

 

「よくぞ言った! では(オレ)もいよいよ本気を出すとしよう! なに、初めから全力だったが見栄というものがある! 貴様達の生意気な言葉と、そこな雑種の嘆願で目が覚めたわ!」

 

そう言ってギルガメッシュ王は、いっそう苛烈に砲撃を加えていく。

とっくに死んでいてもおかしくない重傷だというのに、彼は意思の力で死を拒んで戦い続けてる。

最後まで燃え尽きんとする炎の意地。人間の意地だ。

 

『っ、ティアマト、ウルク市内に到達! ジグラットまで後――後、三分! 加えてラフムの大量排出を確認! 大群がまたそっちに向かっているぞ!』

 

視界がどんどん黒で覆われていく。

その数、実に八千匹以上。あまりに数が多くて空の雲が見えない。

ここに至ってこの数はもうどうしようもなかった。

連戦でマシュと立香は限界、こちらとアナスタシアも万全とは言い難い。

後は群がるラフムを何度か押し返した後、力尽きて死を待つだけだ。

それでも王は逃げない。向かってくる絶望を前にして最後まで戦うことを選択する。

ならば、付き合うまでだ。

その王道に、最後まで殉じるまでだ。

 

アナスタシア(キャスター)! 頼む!」

 

「了解よ、カドック(マスター)

 

覚えているのはそこまでだった。

いつ気を失ったのか、何がきっかけとなったのかはわからない。

ただ、記憶が途絶える寸前に垣間見たのは、攻撃を受けて崩れ行くジグラットの壁と、王の前で鎖を振るう緑髪の人物の後ろ姿であった。

 

 

 

 

 

 

生命でありながら命を持たぬという矛盾。それ故の所業なのだろう。八千匹ものラフムは一丸となってジグラットに体当たりを仕掛け、足場諸共ギルガメッシュ達を葬り去ろうとしたのだ。

残念ながら堅牢なジグラットの足場を崩すには至らなかったが、その衝撃でカルデアのマスター達は気絶。唯一、無事なギルガメッシュが瀕死の体を押して彼らを守っているという状態だ。

非常に危険だ。あれでは長くは保たない。

冷静に、冷徹に、現在の情報を把握して肉体に命じる。

するべきことは報復、為すべきことは防衛。

(ゴルゴーン)から受け継いだ憎悪と、この機体に染みついたよく分からない感情のままに神造の兵器は空を駆ける。

 

「ラフム、残り二千。取るに足らない。心臓さえあれば、お前達なんて話にならない」

 

ギルガメッシュを庇うように降り立ったキングゥは、自らの腕を鎖に変えてラフムを牽制。それはさながら王を守る鎖の結界だ。

更に着地と同時にジグラットを構成する石たちに魔力を通し、幾つもの針を形成して取り付いたラフム達を串刺しにしていった。

突然の奇襲にラフム達は混乱し、成す術もなく刈り取られていく。

性能の低さもさることながら、この程度のことで前後不覚に陥る欠陥だらけの思考回路にキングゥは侮蔑と嫌悪を覚えた。

 

「まったく、こんな量産型に手こずるなんて、旧人類は本当に使えない。それでよく……よく、ボク相手に大口を叩いたものだ」

 

「ふん……」

 

「あのマスター達もそうだ。ひとりじゃ何もできない癖に、偉そうに胸を張って、本当は怖い癖に虚勢を張って、それで最後まで生き延びた…………自分ひとりで何でもできる、か。その時点で、ボクは完全じゃなかったな」

 

「言いたいことはそれだけか?」

 

「ああ、その通りだ。好きにしろと言っただろう? だから、キミに恨み言を言いに来たのさ」

 

「そうか。それで、後はどうする?」

 

「…………」

 

その言葉にキングゥは答えない。ギルガメッシュの顔に目を向けることもなく、形成した鎖の結界を残して残るラフム達を掃討するために宙を駆ける。

 

「キングゥ……!? キングゥ、ダト!? 何故生きテいる!? 何故稼働していル!? イヤ、前提とシテ、何故――人間ノ、味方をスル!?」

 

問いかけるラフムの口に槍を突き刺し、それ以上は話せぬよう黙らせる。

欠陥品と罵り、放逐しておいて何て言い草だ。こいつらは自分達が報復される側に回ることなど微塵も考えちゃいない。他者から憎まれ、排除されるという恐怖を知らない。

だからこそ、彼らは邪気なく人を殺せるのだろう。自己完結した存在であるが故に他者への共感も持てない。故に、自分が何故、兄弟と敵対しているのか、母と対峙しているのかが本当に分からないのだ。

 

『ふん、そういえばこんな物が余っていたな。使う機会を逸してしまった。棄てるのもなんだ、貴様にくれてやろう』

 

『なっ……それは、お前の……財……』

 

『ほう、聖杯を心臓にしていただけはある。ウルクの大杯、それなりに使えるではないか』

 

キングゥの脳裏に、昨夜の出来事が蘇る。

ラフム達に裏切られ、心臓である聖杯を失ったキングゥは死に場所を求めて彷徨い、ウルク市の丘で遂に力尽きた。

何故、そこに辿り着いたのかはよくわからなかった。

何故、そこにギルガメッシュがいたのかも知らなかった。

ただ、血塗れで倒れたキングゥを彼は放っておかず、自らが所有していたウルクの聖杯を代わりの心臓として差し出したのだ。

自らの領地で無様を晒すのは許さない。彼はそう言って、厳しい言葉を投げかけてきた。

 

『何故、ボクを助けた……造物主にも見捨てられ、帰る場所も持たない偽物だ。オマエの敵で、ティアマトに作られたものだ! オマエのエルキドゥじゃない……ただ、違う心を入れられた人形なのに……』

 

『そうだ、貴様はエルキドゥではない。別人なのだろう。だが、そうであっても貴様は我が庇護の――いや、友愛の対象だ。貴様の(それ)はこの地上でただ一つの天の鎖。奴は自分を兵器だと譲らなかったが、それに倣うならもっとも信頼した兵器の後継機を贔屓にして何が悪い?』

 

彼が助けを寄越したのは、たったそれだけの理由だった。

友に連なるものなら無様な許さない。お前の価値を見せてみろと、王は傲慢にも言ってのけたのだ。

造物主に見捨てられたキングゥの胸に、その言葉は鋭いナイフのように突き刺さった。

胸の底で眠っていたギアを嵌め直されたような感覚だった。

誰もが自分をエルキドゥと呼んだ。

カルデアのマスターも、ラフム達も、自分の正体はエルキドゥだと言っていた。

だが、ギルガメッシュだけはそうではないと言う。

自分は天の鎖(エルキドゥ)でなくていい。新人類(キングゥ)で構わないと、その存在を認めると言ったのだ。

 

『ではな、キングゥ。世界の終わりだ。自らの思うままにするがいい』

 

『待って……分からない、それはどういう…………』

 

『母親も生まれも関係なく、本当にやりたいと思った事だけをやってよい、と言ったのだ』

 

思えばずっと、誰かに命じられるまま戦ってきた。

魔術王に諭され、ゴルゴーンに命じられ、人間達を殺し続けてきた。

その果てに、もう用済みだと母から見捨てられた

労いはなく、報いはなく、ただ不要になったからと棄てられた。

怒りはあった。

憎悪も沸いた。

だが、それ以上に悲しかった。

自分には何もない。

母の期待に応えるという役目がなければ、満足に生きることもできない人形だ。

それでも――――。

 

「人間の味方なんてするものか。ボクは新しいヒト、ただひとりの新人類キングゥだ。だけど――――思えば一つだけあったんだ」

 

会いたい人がいた。

会って話したい人がいた。

この胸に残る多くの思い出の話を、その感想を、友に伝えたかった。

それは我が胸中から湧き出た願いではなく、このエルキドゥという機体に染みついていた願いだ。

だから、彼と話ができて嬉しかったけれど、それを我が事として喜ぶ訳にはいかなかった。

ならばどうするか。

母の期待には応えられない。

友との語らいは望めない。

残されたものは、人類の歴史を継続させるという役目だけ。

新人類も旧人類も関係ない。自分はただ、ヒトの世を維持するべく生を受けた。

この身が舞台装置であるのならそれに殉じよう。

この身が兵器であるのならそれに殉じよう。

それが兵器として生まれ、ヒトとして死んだ自身の矜持なのだから。

 

「――――Aa、a――――――――Kin――gu―――」

 

初めて母と視線が合う。

こちらの存在を認め、初めて彼女は名を口にした。

慟哭でも咆哮でもなく、歌うように我が名を呼ばれ、僅かに鼓動が高鳴った。同時に、いつかと同じ熱い雫が頬を伝う。

何もかもが遅すぎた。

その名をもっと早くに呼んでいてくれれば、或いは別の結末もあったかもしれないのに。

 

「さようなら、母さん。あなたは選ぶ機体(コドモ)を間違えた」

 

最後に薄く微笑み、キングゥは覚悟を決める。

ギルガメッシュが言っていた言葉の意味は今も分からない。だが、自分が何をするべきなのかは分かる。

エルキドゥ(この体)が、やるべき事を覚えている。

 

「ウルクの大杯よ、力を貸しておくれ。ティアマト神の息子、キングゥがここに天の鎖の()を示す!」

 

それはかつて、神と人とを分かつまいと作られた天の楔(ギルガメッシュ)を戒めるために生み出された者の名。

裁定者を裁定すべき者。神に作られし人形に天罰を与える天の鎖。

その本質は神を縛り、神を律し、神を戒める対神兵装。

今、ここにその名を再現する。

 

「母の怒りは過去のもの。いま呼び覚ますは星の息吹――――『人よ、神を繋ぎ止めよう(エヌマ・エリシュ)』――!!」

 

 

 

 

 

 

目の前で繰り広げられた一連の光景を、ギルガメッシュは粛々と見守っていた。

自らを巨大な光の槍へと変換し、星と霊長の双方の抑止力で以て対象を繋ぎ止める対粛清宝具。

それは人間が自分達から離れていくことを恐れた神々が託した願いであり使命であった。

 

「――さらばだ、天の遺児よ。以前の貴様に勝るとも劣らぬ仕事。天の鎖はついに、創世の神の膂力すら抑えきった」

 

ギルガメッシュの眼前では、巨大な鎖へと転じたキングゥによって拘束されているティアマト神の姿があった。

後、数歩踏み込めばその巨体でこちらを押し潰すこともできる距離。だが、その数歩が踏み出されることはない。

天の鎖(エルキドゥ)の名を以て発動した神々の願いは、唯一の友である英雄王の眼に、永遠に焼き付けられたのであった。




いよいよ、次回は冥界に突入。
このペースなら七章は後、2回か3回で終わるでしょう。
書けば書くほど改めてティアマトがチートだったのがよくわかります。
個人的にはもっと大きく改編したかったんですが、七章はやっぱここ外せないなって展開多いのと、ティアマト対策がまるで思いつかなかったのでこうなりました。
ケツ姐消えたし、被害だけなら原作より増えてるな、今話。



皇女のバレンタイン、予想外でした。
〇〇〇までは候補として思いつきました。でも、自立ってなんだよ(笑)。
遠隔自動操縦型か!


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絶対魔獣戦線バビロニア 第22節

どれくらい、気を失っていたのだろうか。

倒れた際に壁にでもぶつかったのか、体の至る所に痛みがあった。だが、幸いにも命に関わる負傷はしてない。

まだ健在な魔術回路も十分に回っており、戦闘の継続は可能だ。

 

(そうだ、アナスタシアは? みんなは?)

 

見回すと、まず少し離れたところにアナスタシアがしゃがみ込んでいた。

こちらよりも早く目を覚ましていたのだろう。彼女はラフム達の攻撃がこちらに来ないよう、周囲を警戒しているようだ。

反対側には立香とマシュが寄り添うように倒れている。丁度、マシュが真上から覆い被さる形だ。咄嗟に己のマスターを守ろうとしたのだろう。

 

「立てる?」

 

「……肩を貸して欲しい」

 

「よくできました」

 

患側である左側から支えてもらい、ゆっくりと体を起こす。

反対側でも立香とマシュが目を覚まし、起き上がるところであった。

 

「これは、いったい…………」

 

目に飛び来んできた光景に、言葉を失う。

ティアマト神の巨体は、ジグラットまで後数歩というところまで迫っていた。

恐らくは瞬き一つで踏み込める距離。あまりに近すぎて、ここからでは女神の神体は胴と胸部しか視界に収めることができない。

だというのに、ティアマト神は最後の一歩を踏み出せずにいた。

表情は伺い知れないが、悔しがっているかのように四肢が震えているのが分かる。

それはまるで、神話の再現であった。

彼女は今、巨大な鎖によって全身を縛り上げられていたのだ。

 

「目を覚ましたようだな」

 

見晴らし台の先端、ティアマト神を間近に捉える位置に、ギルガメッシュ王は立っていた。

胸から血を流し、生気も魔力も失って今にも倒れてしまいそうな弱った体で、それでもまっすぐに神の姿を見上げていた。

 

「ギルガメッシュ王……これは……」

 

「見ての通り、ティアマト神は我らが目前。後数歩こちらに踏み込めば、ジグラットは灰燼に帰す。だが、悔しかろう。その一歩があまりに重い。僅か一刻の束縛だったがな。まさに、気の遠くなるような永劫であった」

 

キングゥがその命を賭けた拘束であることを知らないカドックは、これをグガランナを縛り上げた王の鎖であると考えた。

かつてウルク市はギルガメッシュ王に求愛を断られたイシュタル神によって滅びの危機に瀕したことがある。

彼女がけしかけた天の牡牛グガランナはいわば天災の化身ともいうべき無敵の存在であり、ウルク中を暴れ回って国民を飢餓に追いやった。

ギルガメッシュ王は国を守るために友エルキドゥと共にこれを迎え撃ち、奥の手として神を縛り上げる鎖を準備したという。

残念ながらその鎖はグガランナに引き千切られたそうだが、目の前で起きているのはその神話的再現だ。カドックが勘違いしたのも無理はない。

 

『ギルガメッシュ王、聞こえる!? こちら冥界のエレシュキガル!』

 

如何なる手段を用いたのか、カルデアの通信機越しにエレシュキガルの声が聞こえてくる。

 

『ウルクの地下と冥界との相転移、完了したわ! 後は穴を掘るだけよ!』

 

相当な無理をしたのか、エレシュキガルの声は疲労困憊といった感じだ。

いよいよかとカドックは身構える。

ウルクの全てと二柱の女神による足止めが敵い、エレシュキガルも課せられた役目を果たした。

次は自分達の番だ。

原初の母を冥界に叩き落し、この特異点での戦いに決着をつける。

未だ勝機は見えないが、ここまで来たのならもう逃げ場所はどこにもない。

後は、やってやるだけだ。

 

 

 

 

 

 

「……だ、そうだ。聞いていたな、イシュタル」

 

遥か下の地上からギルガメッシュの声が届く。

もちろん、聞こえていたとイシュタルは返答した。

その性格はともかくとして、仕事はオーダー通りにきっちりこなすとは、さすがはエレシュキガルだ、半身としてそれだけは認めてあげてもいい。

後は自分が宝具を撃ち込んでウルクに風穴を空ければ、ティアマト神は冥界へ落ちていくだろう。

まるでウルクにとどめを差すかのような所業に、イシュタルは思わず苦笑した。

 

「まあ、私は良いんだけどね。あなたはそれで良いの、ギルガメッシュ? 悔いとかないの?」

 

「――無論だ。何を悲しむ事があろう。(オレ)は二度、友を見送った。一度目は悲嘆の中。だが此度は違う。その誇りある勇姿を、永遠にこの目に焼き付けたのだ」

 

聞きたかったのはそういうことではないと、イシュタルは嘆息する。

疑似サーヴァントとなったことで、少しばかりイシュタルとしての我が薄まっているが、この胸の内には英雄王への確かな思いがあった。

それは恋と呼ぶには奔放で、愛と呼ぶには些か軽く、未練も執着も置き去りにしてきたはずの甘い感情。

彼の親友が機能を止めた時を境に、終わったはずの思い。

それを今更、蒸し返すつもりはなかったのだが、それでも詫びや弁解ぐらいは聞いておきたいと、つい思ってしまったのだ。

結果は惨敗。彼の胸中には最初から自分の居場所などなく、徹頭徹尾眼中になかったのだ。

それが少しばかり悔しくて、イシュタルは自分の中のイシュタル神に同情する。

 

「……さて、アンニュイなのはここまで。後は野となれ花となれ――未練諸共吹っ飛ばしてあげようじゃない!」

 

天舟(マアンナ)の船首を地上へと向ける。

冥界と地上は大地を隔てて重なり合っているが、突貫工事故にその層は厚い。それにティアマト神はあの巨体だ。ジグラットを吹っ飛ばすくらいの破壊力でなければ、彼女が落ちる穴を空けることはできない。

ならば見せよう。イシュタル神の全力全霊を。

金星を圧縮し、砲弾として放つ女神の宝具。

その名も――。

 

「いくわよ、金ピカ! 注文通り、その足下を容赦なくぶち抜いてあげる――『山脈震撼す明星の薪(アンガルタ・キガルシュ)』!」

 

星そのものを砲弾とするという神をも恐れる所業。だが、それはあくまでイシュタルの金星の女神としての側面に由来するものでしかない。

この宝具の本質は大地への特攻。神々が恐れ敬うエビフ山の首根っこを掴んで息の根を止めたという逸話が昇華したもので、地上――特に山脈に対してはその威力は跳ね上がる。

どんなに分厚く固い岩盤であろうとぶち抜き、女神の威光を示す。大地は美の化身に平伏するしかない。

母なるティアマトを冥界へと落とす。正に今、天からの大いなる一撃は放たれたのだ。

 

 

 

 

 

 

頭上から放たれた極大の熱量を前にして、カドックは軽いパニックを起こした。

何故、そうなる?

ティアマト神の足下だけを破壊すればいいだろうに、どうしてジグラット諸共吹き飛ばすような攻撃を行うのか。

これではこちらまで巻き込まれてしまうではないか。

 

「ふ、藤丸!」

 

「あ、ああ! マシュ、防御して!」

 

「はい!」

 

盾を構えたマシュが前に出て、他の面々は後ろに避難する。

隕石を受け止めろだなんて無茶ぶりにもほどがあるが、今は彼女の防御に頼るしかなかった。

 

「案ずるな、あれは大地への制裁だ。貴様らに害が及ぶことは……まあ、ないだろう。(オレ)自身を除いてな」

 

「えっ……」

 

光が迫る。

ティアマト神を縛る鎖にも徐々に亀裂が入り始めていた。

イシュタル神の宝具の着弾が先か、拘束を振り解いたティアマト神が踏み込むのが先か。

何れにしてもその場に留まっていれば、死は免れないだろう。だというのに、ギルガメッシュ王は静かに己の最期を受け入れていた。

あれほど生きる事に懸命になっていた王が、最後まで生き抜く事に腐心していた王が、自分はここまででいいと首を振るのだ。

 

「確かにウルクは滅びるだろう。だがティアマト神と、この特異点の基点となる我が消え去れば、その結末は違う解釈になる」

 

国とは移り行くもの。例え滅びることになろうとも、後に続く者がいるのならその流れが途絶えることはない。

三女神同盟との戦い。そしてティアマト神の復活。シュメルの地は引き裂かれ、生き残った人間も極僅か。

だが、それでも彼らはまだ生きている。生き残り、次の世代に希望を託すことができる。

ギルガメッシュ王がこの特異点の基点というのなら、彼の死が正しい人類史に反映されれば、それは国家の終わりではなくウルク第五王の治世の終焉となるだろう。

この後に続くはずのウルクの第六王の時代にまで影響が波及することはない。

 

「それが人理の辻褄合わせというものだ。知らぬのならそこの藤丸に聞くといい。唯一の懸念は(オレ)の死に方だった。自決など、王として話にならぬからな。どうしたものかと難儀していたが、都合よく傷を負う事もできた。感謝するぞ、カドック」

 

「そんな……僕は、そんなつもりでは…………」

 

ただ助けたくて体が動いた。

本当に無意識に、思うままに人を助けたいと思ったのはこれが初めてかもしれない。

友人でもパートナーでもなく、ただ目の前にいる人を無心で救いたいと思ったのはきっとこれが初めてだ。

なのに、この腕は届かなかった。そして、王はそれを許し礼を述べる。

そんな資格が自分にはないというのに。

 

「仕方のない男だ。礼は先ほどの事だけではない」

 

そこまで言わせるのか、とギルガメッシュ王は呆れたように笑う。

 

「異邦からの旅人よ、心に刻み付けておけ。この時代にあった全てのものを動員しても、恐らくはここ止まりだっただろう。貴様らは異邦人であり、この時代の異物であり、余分なものだった。だが――その余分なものこそが、我らだけでは覆しようのない滅びに対して、最後の行動を起こせるのだ」

 

ウルクで過ごした日々が、これまでの戦いの全てが脳裏を過ぎる。

ケツァル・コアトルの試練、エレシュキガルとの和解、ゴルゴーンとの決戦。そのどれもに自分達は深く関わり、結末を左右してきた。

不要と断じられた自分達が、ウルクの未来を切り開いてきた。

思い返せば、その時から自分達は認められていたのだ。

遠い異邦からの旅人であるカルデアを、ウルクの王は信じ後を託してくれたのだ。

 

「時は満ちた。全ての決着は貴様らに委ねるものとする」

 

限界に達した鎖が遂に砕け、ティアマト神が最後の進撃を開始する。

その姿を真っすぐ見据えたギルガメッシュ王は、不敵な笑みを浮かべながら今にもジグラットに触れんとするティアマト神を迎え入れる。

 

「さあ、最後の囮はこの(オレ)だ。寸分違わず踏み込め、ティアマト神」

 

「王!」

 

明けの星が落ちる。

閃光が視界を焼き、全てが白光に飲み込まれた。

聞こえる音はジグラットの崩壊だけではない。大地そのものが抉れ、崩れていく音だ。

イシュタル神の宝具がジグラット諸共、ティアマト神直下の大地を穿ち、冥界までの経路を作り出したのである。

正に奈落への入口。

浮かび上がった体は急速に重力に囚われ、深淵へと落下していく。

その中でカドックは無意識に手を伸ばした。

向こうも同じ事を考えたのだろう。指先が絡まり合い、そのまま互いの体を引き寄せる。

それだけで不安も恐れも何もかもが消し飛んだ。

常に傍らで寄り添うパートナーの存在が、自分に勇気をくれる。

ここより先は前人未到。原初の神との直接対決。挑むは星詠み(カルデア)少年少女(マスター達)

王より託された希望を胸に、彼らは深い闇へと落ちていった。

 

 

 

 

 

 

落ちていく。

落ちていく。

落ちていく。

深い深い闇、どこまでも続く暗黒の空間。

自分が今、上を向いているのか下を向いているのかさえ定かではない。

だが、このままでは一呼吸の間で地面に叩きつけられるという予感がした。

底は見えないが、そこにはあるという実感があった。

足を踏み締めるべき大地、冥界の底が。

その瞬間、アナスタシアとは違う別の存在が自分の体を包み込んだ。

確かに存在するのに厚みを感じない独特の気配はヴィイのものだ。ヴィイが墜落した時に備えて、自分達を守ってくれているのである。

 

「まずい、あいつら!」

 

自分達はこれで助かるが、魔術が使えない立香とマシュには落下から身を守る術がない。地面までどれほどの距離があるのかは分からないが、ビッグ・ベンより低いなんてことはあるまい。肉体を持つデミサーヴァントでは、当たり所次第では即死もありうる。

 

「ヴィイ、藤丸達も助けろ、早く!」

 

「いいえ、その必要はないわ。はい、あなた達に冥界での浮遊権を許可します。魔力を足先に集めて地面をイメージしなさい。それで少しは跳べるはずよ」

 

暗い冥界に似つかわしくない涼やかな声が響く。

エレシュキガルだ。彼女が権能で自分達に加護を与えてくれたのだ。

言われた通りに魔力を集中させると、鉛玉のように落下していた体から重さがフッと消え去り、肌を擦る空気の摩擦が消える。

程なくして冥界の地面に叩きつけられたが、エレシュキガルの加護とヴィイの補助のおかげで大したケガもなく無事に着地することができた。

すぐに振り向くと、少し離れたところにマシュと彼女に抱き抱えられた立香の姿があった。

どうやら全員、無事に冥界へと降りてこれたようだ。

 

「よく来たわね。でも、挨拶は後。あれを見なさい!」

 

どこからか降り立ったエレシュキガルが、暗闇の向こうを指差す。

すると、光のない暗黒の空が俄かに色を帯び始める。それはまるで夜空を裂く稲光のようだった。

一筋の光はやがて幾本もの雷光の束となり、豪雨となって降り注ぐ。嵐の中心にいるのは地上から落下してきたティアマト神だ。

エレシュキガルからの加護を受けられず、生きたまま奈落へと堕ちた女神は今、冥界そのものから攻撃を受けているのだ。

 

「Aaaaa――――」

 

ここまでこちらの攻撃を平然と受け止めていたティアマト神が、初めて苦悶の声を漏らしていた。

無理もない。彼女が今、受けているのは世界からの修正。その細胞一片に至るまで、この世界に存在してはならないという呪詛のようなものだ。

如何なる物理的な防御も無意味であり、強靭な肉体もそこからくる再生能力も無力化され、無数の雷電が巨体を蝕んでいく。

生あるものは何れ死ぬ、死は全てにおいて等しく訪れるものであり、原初の母とてそれは例外ではないということだ。

この生命なき冥界ならば、不死身のティアマト神をも倒す事ができる。

 

「すごい、ティアマト神が……」

 

あまりの光景に、マシュは言葉を失った。ここまでメソポタミアの地を蹂躙し、我が物顔で闊歩していたティアマト神が、一方的に嬲られているからだ。

 

『地上まで距離にして2000メートル以上。さすが神代の冥界、深いと言うべきか近いと言うべきか。それにあの光……先ほどのイシュタルの宝具級の熱量が絶え間なくティアマトを焼いているのか!?』

 

「冥界の防衛機構よ。私の許しなく入ってきた生者はああなるの。これは世界そのものが定めたルール。ティアマト神といえど、ああなってはもうお終いよ」

 

つくづく恐ろしい女神だと戦慄する。

以前に冥界を訪れた時、無事に帰還できたのは彼女自身が立香に好意を抱いてくれていたからだ。

もし、彼女が人間になど一切の興味を持たない冷酷な女神であったなら、冥界に降りた瞬間にあの防衛機構で焼き尽くされていただろう。

 

「それでギルガメッシュ王は? 最後のトドメ、始めちゃっていいの? あいつは全員が揃うのを待てって言っていたけど、畳みかけるのは今しかないと思うのだけど?」

 

「それは……そうだと思います。でもエレシュキガルさん、ギルガメッシュ王はもう……」

 

地上で何があったのかを知らないエレシュキガルの言葉に対し、マシュは悲痛な表情を浮かべる。

それだけで何があったのかを察したエレシュキガルは、一度だけ彼方に目をやって黙礼すると、未だ雷電に焼かれ続けているティアマト神へと向き直った。

 

「いいわ、あなた達は下がっていなさい。ギルガメッシュ王もイシュタルも必要ないから! この私だけで決めてあげます!」

 

エレシュキガルは手にした槍を振り回し、力強く大地に突きつける。

途端に彼女の体から溢れんばかりの神気が漲り。冥界の空気を一変させた。

冥界の神としての権能、秘められた神性を解放したのだ。

 

「冥界のガルラ霊よ、立ち並ぶ腐敗の槍よ! あれなる侵入者に我らが冥界の鉄槌を! 総員、最大攻撃――――!」

 

冥界の女主人の号令と共に、数多のガルラ霊がその身を深紅の槍と化してティアマト神に降り注ぐ。

無数に突き立てられた槍は内側から爆ぜることで女神の神体に傷を負わせ、剥き出しとなった臓腑が冥界の防衛機構によって成す術もなく焼かれていく。

更に大地が隆起し、巨大な岩の槍となって倒れ伏したティアマト神の体を突き刺して彼女がそこから逃れられないように拘束した。

身を守ることも逃げることもできなくなったティアマト神は無残な声を上げてのた打ち回り、やがては力尽きたのかぐったりと体を横たわらせて動かなくなった。

 

「どう? ざっとこんなものよ。ティアマト神といえど、冥界ではただの神。私とガルラ霊達との総攻撃の前にはひとたまりも――――たまり、も――――」

 

自信満々に胸を張っていたエレシュキガルから表情が消える。

理由はすぐにわかった。

暗い冥界の大地よりもなお黒い、悍ましい侵食の泥――ケイオスタイドがティアマト神を中心に流出を開始したからだ。

泥に汚染された一画は冥界から切り離されてしまうのか、冥界の防衛機構である雷電が目に見えて衰えていくのが分かる。

すると彼女の再生能力が防衛機構によって与えられるダメージを上回ったのか、焼け爛れた肌が見る見るうちに再生していった。

 

『ケイオスタイド、冥界に侵食! まずいぞ、このままだと冥界を乗っ取られる!』

 

「な――な――――」

 

「まずい、再生が……だが、これ以上の攻撃は……」

 

エレシュキガルは必死に攻撃を続けているが、ケイオスタイドの侵食は留まることを知らない。

端から焼かれてもすぐにティアマト神が新しい泥を生み出してしまうため、彼女の方が悪戯に魔力を消耗していくばかりだ。

 

「冥界の力を以ててしても、駄目なのか……」

 

『いや、それだけじゃない……なんだこの反応は!? ビーストⅡの霊気反応、更に膨張! 霊気の神代回帰、ジュラ紀まで進行! これはもう神性じゃない、紛れもない神の体だ!』

 

「え、え、え――!? ななな、なに、何が起きるのだわ!? 私が何かしてしまったのかしら!?」

 

残念ながらその通りだ。

ここに至って冥界の権能という脅威を知ったティアマト神は、肉体の神代回帰を図ることで霊基を拡大し、抗えるだけの力を獲得しようとしている。

そもそも神という概念は自然現象を人間が認識できるレベルにまで落としたものだ。全ての神は遡れば空に浮かぶ太陽であり、疫病を運ぶ季節風であり、恵みと災害を起こす河川だ。

神は元からあったものだが、人の信仰を得て現在の姿を形作った。ティアマト神とて例外ではなく、あの巨大な女性の姿は大地母神としての人間のイメージが反映されたものだったのだ。

彼女は自己改造によってその枠組みを取り払い、理性なき大海原であった頃に回帰した。

ただの自然現象、生命を育み時に害する強大な力だけの存在へと転じたのである。

 

霊基膨張行程(インフレーション)停止、魔力炉心、連続再起動を確認……! 冥界の防衛機構による損傷もどんどん復元していく! 出るぞ、あれが――――あれが本当のビーストⅡの姿だ!』

 

泥の中から巨大な獣が這い上がり、その全容を露にする。

体重を支えるにはあまりに心もとなかった細い四肢は分厚く巨大な四肢と化し、表面は歪で赤黒く光る鱗でびっしりと覆われていた。

対して胴体は陶磁のように滑らかで人間体だった頃の名残を残しており、巨大な乳房もそのままだ。

そして、顔は僅かに女性の要素を残すのみに留まり、大角と半ば一体化した異形なものに変わっていた。

長い尻尾を大地に叩きつけ、背中の翼を羽ばたかせながら咆哮する姿はオルレアンで対峙したファヴニールを髣髴とさせるが、大きさは邪竜の比ではない。

神代の獣――神の姿がそこにはあった。

 

「Aaaaaaa、AAAAAAAAAA――――LaAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA――――」

 

四足の獣と化したティアマトは更に多くの泥を作り出し、我が子であるラフム達を産み落としていく。

ヒトを嘲り弄ぶ狂気の新人類。生きた者がいないこの冥界で矛先を向けられるのは自分達だ。

奴らはすぐさま獲物を捉え、隊列を組んでこちらに向かってくる。

 

「無理ね! どう見ても無理! あれを私達だけで倒すのとか無理! ああ、波がもうそこまで!? このままじゃ冥界が乗っ取られちゃう――!」

 

冥界の権能に焼かれてもなお、増え続けるケイオスタイドとラフム達を前にして、エレシュキガルは動揺を隠せない。

及び腰になる彼女を咄嗟にアナスタシアが支え、マシュは立香を地面に降ろして迫りくるラフムを迎え撃たんと盾を構える。

最早、共に轡を並べた英雄達はいない。

恐らくイシュタル神はこちらに向かっているだろうが、冥界の侵食が終わる前に間に合うかどうかはわからない。

エレシュキガルを含め、ここに残された五人であれを何とかしなければならないのだ。

絶望するなと言う方が無理がある。

あんな規格外の化け物とどう戦えばいい。

この場にいた誰もが同じことを考えていた。唯一人の例外を除いて。

 

「――それでも、戦わないと」

 

なけなしの勇気を絞り出すように、立香は呟いて立ち上がる。

その目はまっすぐに前を見据えていた。恐ろしい魔竜へと転じたティアマト神――否、倒すべき人類悪ビーストⅡを。

 

「あれが俺達の倒す敵なら……人理を乱す悪だというなら……俺は生きる! あいつを倒して、必ずだ!」

 

ギルガメッシュ王はもういない。彼は全てを託してその命を捧げた。

ここから先はメソポタミアの命運だけでなく、人類史そのものを揺るがす戦いだ。

人理を焼き払う波の防波堤となり、その行く末を見守るのは自分達の役目。

そして、何より、守り切った未来に辿り着きたいという未練が立香を立ち上がらせた。

ただ生きたい。

生きついた明日で笑いたい。

自らの人生が終わるその時まで、出来る事から逃げずに精一杯生き抜きたい。

それが生きるということ。

それが彼の願いであり、唯一つの執着。

その思いがここまで彼を強くした。

神を前にして、足を震わせながら、それでも前を向くだけの勇気を呼び起こした。

 

「ああ、その通りだ」

 

肩の埃を払い、立香の隣に立つ。

親友が諦めないのなら、自分もまた諦めない。

だってそうだろう、ここまでみんなが努力を重ねてきたのだ。それが報われないなんて嘘だ。

 

「やるぞ、藤丸」

 

「ああ、俺達でやる」

 

隣り合った状態で、互いの拳をぶつけ合う。

猶予はなかった。

迷っている時間も、怯えている暇もなかった。

波はすぐそこまで来ている。

泥はすぐそこまで来ている。

引けば終わる。臆せば終わる。

生きたければ前に出ろ。

前に出ろ。

前に出ろ。

死中に活を、絶望には希望を、夜の帳には朝焼けを。

群がるラフムを叩き潰し、凍てつかせ、前へ前へと進軍する。

だが、遠い。

壁となって立ち塞がるラフムは多く、厚く、ビーストⅡまでの距離はどんどん広がっていく。

回帰の獣が地上を目指して歩き始めている。

このままでは届かない。

このままでは追い付けない。

それでも彼らは走った。

地を駆け、泥を超え、ラフム達を蹴散らしながら母なる獣を目指す。

 

「そんな、無理なのだわ……もう、冥界の出力も保たないし、いくら冥界の加護があっても……」

 

エレシュキガルのおかげで魔術が使えない立香も泥に沈まず戦うことができる。だが、今の彼女にできるのはそれだけであった。

冥界の防衛機構は最早、ビーストⅡには通用せず、ケイオスタイドは冥界中に広がってしまった。未だ支配権こそエレシュキガルが有しているが、リソースを奪われたことで防衛機構の雷電も目に見えて弱くなっている。

足止めすらままならない状態だ。

そんな状況でも、彼らは何故、諦めないのかとエレシュキガルは慟哭する。

答えている余裕はなかった。

応えている余裕はなかった。

それは当たり前の感情だ。

ただ生きたいからに決まっているじゃないか。

 

「しまっ……カドックさん!?」

 

「くっ!?」

 

カドック(マスター)!?」

 

マシュが倒し切れなかった一体のラフムがこちらに迫る。

アナスタシアは別方向から来る群れを抑え込んでおり、こちらに対処する余裕はない。

立香が礼装でこちらに援護を飛ばそうとするが、向こうも数体のラフムに追われていて礼装を起動させる隙が無い。

振り下ろされる凶悪な爪を防ぐ術はなく、後はその死を受け入れることしかできないのか。

折角、生きたいと思えるようになったのに、自分の旅路はここで終わってしまうのか。

そう思った刹那、一陣の風が戦場を駆け抜け、自分に襲い掛かってきた奴はおろか、周辺にいたラフム数十体が纏めて引き裂かれた。

 

「お前は!?」

 

「そう! 鳥だ、バルーンだ、いや目の錯覚だ! 私こそ冥界を駆ける虎、人呼んでジャガーマンッッッ!」

 

「生きていたのか、ジャガーマン! さすがだ!」

 

ギルス市の救援に向かって、そのまま合流の暇もなかったので安否を確認することもできなかった。

どうやら無事に仕事を成し遂げて、こちらに駆け付けてくれたようだ。

やはりジャガーの戦士は伊達ではない。神性が低かろうと彼女は立派な神霊だ。

 

「その言葉は嬉しいけれど今は後! とにかくここまでよくやったわみんな!」

 

「虎! 虎が冥界に来たわ! 嘘!? 他の土地だとそういうのアリなの!?」

 

何故か、ジャガーマンの存在に食いつくエレシュキガル。この非常時にそんな素っ頓狂なことを言える辺り、余程テンパっているのかまだ余裕があるのかのどちらかだろう。

 

「ありだとも小娘! つべこべ言わずにさっきの凄い攻撃を続けなさい! 効かなくても続けるの! いい、あれでもティアマト神は今が一番弱い状態なの! ここで! 私達が! 何とかしないと人類終了どころか地球終了のお知らせよ!」

 

ジャガーマンの言う通り、あの状態のビーストⅡが地上に出てしまえば、一日もせずに地球上はケイオスタイドに覆われてしまうだろう。

そうなってしまえば人類はおろか全ての生き物は死滅し、ビーストⅡへと取り込まれてしまう。

未だ冥界に足止めされている今でなければ、獣を滅ぼすことはできないのだ。

 

『幸いケイオスタイドもラフムもティアマトそのものだ。他の命にはカウントされない! 冥界にいる今なら、ティアマトを殺せさえすれば逆説的復元はしないはずだ!』

 

「ああ。だが、実際のところどうする?」

 

ジャガーマンの登場で冷静さが戻ってきたのか、今の絶望的な状況を改めて俯瞰する。

こうしている間にもラフムは次々に生み出されており、ビーストⅡを守る壁を形成し始めているのだ。

あれを突破し、ビーストⅡに辿り着くのは至難の技だろう。

まずはラフムを纏めて蹴散らすか、発生そのものを止めなければビーストⅡと戦うこともできない。

 

「また、私が全てを凍らせて……」

 

「それしかないか。だが……」

 

平原でケイオスタイドの津波を押し留めた時のように、一時的にラフム達の動きを止める。

そうすれば立香達はビーストⅡのもとに辿り着けるだろう。

だが、魔術回路も傷つき万全ではない今の状態で同じことができるだろうか。

それに今のビーストⅡはケイオスタイドの生成量も地上にいた時の比ではない。押し留めることができたとしても、数十秒が良いところだ。

残る二画の令呪を用いて、果たしてどこまでやれるのか。

思考がループに陥りかけた瞬間、エレシュキガルが再び奇妙な叫び声を上げた。

 

「なんだありゃあ――――!?」

 

その叫びに同調したのは自分達だけではない。ビーストⅡの眷属であるラフム達ですら驚愕し、その動きを止めてしまうほどだ。

ビーストⅡの足下から止めどなく溢れ出てくるケイオスタイド。あの悪魔の如き黒泥から、淡い光を放つ無数の花びらが開花したからだ。

暗黒の泥を栄養源とするその花は、見る見るうちに冥界のあちこちで咲き乱れ、黒泥から魔力を吸い上げてより輝きを増していく。

同時に、新たなラフムの発生がピタリと止まった。

 

『ケイオスタイドの権能が軒並み停止した!? いや、もう機能を使い切ってただの泥になったのか!? 信じられないが、その花がティアマト神の力を枯渇させている!』

 

驚愕するロマニの声。

それに被さるように、冥界に美しい声音が響き渡った。

 

「――星の内海。物見の(うてな)。楽園の端から君に聞かせよう。君達の物語は祝福に満ちていると。罪無き者のみ通るが良い――『永久に閉ざされた理想郷(ガーデン・オブ・アヴァロン)』!」

 

冥界に響く呪文と共に、白衣の青年が姿を現す。

白髪のどこか人を食ったかのような横面の青年。

その名を聞いて知らぬ者はいないであろう大魔術師。

遠いブリテン島の騎士王を見出し、育て上げた稀代のキングメーカー。

その異名は花の魔術師。その真名は――――。

 

「いよぅし、間に合った! そして発想が貧困だなアーキマン! 命を産む海ならその命を無害でささやかなものに使わせてしまえばいい! そういう事なら私の出番だ! 花の魔術師、その二つ名の面目躍如という訳さ!」

 

『げぇぇぇ、マーリン!? なんでキミが!? まさか再召喚!? いやいやいや!』

 

ロマニの驚きも最もだった。

そこにいたのは鮮血神殿で死んだはずのマーリンその人だ。

彼は夢の世界で目覚めたティアマトによって精神を殺され、肉体の方もキングゥを足止めするために崩れ行く鮮血神殿に残って完全に消滅したはず。

なのに彼は今、何事もなかったかのように冥界に姿を現した。身に纏う魔力も英気も何もかもがそのまま。いや、寧ろ今まで以上に充足している。

その力は最早、一介のサーヴァントの枠に収まり切るものではない。

 

「ははは。再召喚とか有り得ない。これはもっと単純な話だ。私は本物、正真正銘のマーリンだ。慌ててアヴァロンから走って来たのさ!」

 

「フォーウ!」

 

「走って来れるものなのか」

 

確かに妖精郷は円卓の騎士が死後に渡る世界。ある意味では彼岸と言えるのかもしれないが、メソポタミアの冥界と繋がっているとは思わなかった。

 

「まあ、人理焼却によって白紙状態の地球なら、こっそりとね」

 

茶目っ気を含みながらウィンクしてみせるマーリンの笑顔は、堪らなく苛立ちを煽る。

彼が帰ってきたのだと実感する。憎たらしくていい加減で、それでいてとても頼りになる花の魔術師が、今帰還したのだ。

 

「ボクは悲しい別れとか大嫌いだ。意地でも死に別れなんかするものか。だから、ちょっと信条を曲げて幽閉塔から飛び出してきた。無論、キミ達に会うためにね」

 

「ああ、それについては同感だ」

 

「ハッピーエンドが一番だよね」

 

マーリンを中心にして、彼を挟むようにカドックと立香は立つ。

見据えた先にいるのはビーストⅡ。獣は自らの力を封じられたことに対して怒りを露にするかのように咆哮し、背面に魔力を集中させる。

ここからでも頭が酔ってしまうほどの強烈な魔力だ。ダ・ヴィンチが作ってくれた礼装のマフラーがなければそれだけで気を失っていたかもしれない。

 

『ビーストⅡ、背部の角翼を展開! 冥界への侵食は止められてもビーストⅡ本体は止まらないぞ! ウルクに――地上目指して飛ぼうとしている!』

 

ケツァル・コアトルとゴルゴーン。二柱の女神によってへし折られた翼が遂に復元してしまった。

ケイオスタイドを封じたとはいえ、空を飛ばれてはもう自分達に打つ手はない。

決着をつけるためには、何としても彼女の飛翔を止めなければならない。

 

「ふむ。二柱の女神による真体の足止め、ウルクを餌にした冥界の落とし穴、天の鎖による拘束、冥界の刑罰、そして私の綺麗なだけの花。ここに至るまでキミ達は実に多くの手を尽くしてきた」

 

だが、まだ足りないとマーリンは言う。

あれはまだ獣であり、恐怖を知らない。自らの天敵を知らない。

それは生あるものが行きつく果て。

知恵ある誰もがそれを恐れ、敬い、神聖視する絶対の概念。

告死の鐘の音を、獣はまだ知らない。

彼という死を知らない。

 

「彼? まだいるというの、助っ人が」

 

「ああ、いるとも皇女様。とっておきの凄いのがね。では、彼はいったい誰に呼ばれたのか? ギルガメッシュ王でもない、魔術王の聖杯にでもない。そう、キミだ、カドック君。彼はキミに礼を返すためにその冠位を捨てると言った。そして敵は人類悪ビースト。初めから、彼がこの地に現れる条件は整っていたんだよ。キミ達の戦いは全てに意味があったのさ」

 

『まさか、以前この冥界で藤丸くんの生命反応が消えていたのは!?』

 

「ああ、彼が最善たろうと尽くすのなら、その仲間を救うのもまた必定。彼を呼んだのはカドック君だが、そうさせたのはキミ達カルデアだ。カルデアが彼という存在を呼び寄せた。さあ、天を見上げるがいい原初の海よ! そこに貴様の死神が立っているぞ!」

 

いつからそこにいたのだろうか、遥か頭上、冥界への落とし穴の縁に一人の男が佇んでいた。

視力を強化し、注視するとフードを目深に被った老人の姿が見えた。見覚えのあるその姿は、かつてウルクの街でパンを与えた物乞いだ。

名は確かジウスドゥラ。

神々の大洪水を生き延びた唯一の人。世界の終わりを見届ける者。

彼がマーリンの言う獣の天敵なのか。

その疑問はすぐに解かれることとなる。

杖を捨て、ローブを脱ぎ捨てた彼の姿が、かつての特異点で出会ったある人物のものであったからだ。

 

「……死なくして命はなく、死あってこそ生きるに能う。そなたの言う永劫とは、歩みではなく眠りそのもの。災害の獣、人類より生じた悪よ。回帰を望んだその慈愛こそ、汝を排斥した根底なり」

 

「Aaaaaaaa――――AaAa、AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA――――!」

 

ビーストⅡが、初めて警戒を露にする。

自分よりも遥かに小さな存在を恐れ、威嚇するように咆哮を上げる。

あのビーストⅡですら恐れる存在。それは漆黒の鎧を身に纏い、幽鬼の如きオーラに包まれた髑髏の剣士。

それは死を告知する鐘であり、道を違えた者を断じる刃であり、遍く生命に訪れる死そのもの。

かつて第六の特異点において相対し、力を貸してくれた暗殺皇帝。

暗殺皇帝(ツァーリ・ハサン)がそこにいた。

 

「冠位など我には不要なれど、今この一刀に最強の証を宿さん」

 

静かに抜き放たれるのは青白い炎を纏った大剣。

定められた死を起こす、命を刈り取る死神の刃。

それが今、ビーストⅡへと向けられている。

 

「獣に堕ちた神と言えど、原初の母であれば名乗らねばなるまい――――幽谷の淵より、暗き死を馳走しに参った。山の翁、ハサン・サッバーハである」

 

跳躍。

一閃。

構えた剣はより一層、強く燃え上がり、巨大な炎の柱となってビーストⅡに振り下ろされる。

渾身の力を込めた死の一撃。

垣間見たカドックは身の毛がよだつほどの恐怖を覚えた。

あれはただの剣閃ではない。

騎士王のように誉れある光ではない。

竜の魔女のように悍ましくも悲壮な炎ではない。

ただ一つの事実を突きつける残酷な告知。

全ての生命に終わりをもたらし、死すら知らぬ者に死を与えるという矛盾。

きっとあの一振りは、神様だって殺して見せるだろう。

 

「晩鐘は汝の名を指し示した。その翼、天命のもとに剥奪せん!」

 

鮮血と咆哮が迸る。

交差は一瞬で、互いが視線を交わすことすらなかった。

ゴルゴーンがその命を賭けてやっとへし折ることができた角翼を、彼はいとも容易く両断して見せたのだ。

傷つき、羽根を失ったビーストⅡは叫びながら痛みにのた打ち回り、その衝撃で冥界の大地が激しく揺れる。

彼女はもう、空を飛ぶ事はできない。そして、変化はそれだけに留まらなかった。

 

『――――ビーストⅡの霊基パターンが変化した。何て事だ……ティアマト神の角翼が切断されたばかりか、死の概念まで付加されたぞ! ティアマト神の規模は変わらず膨大だが、これは通常のサーヴァントの霊基パターンだ!」

 

ここに来て、初めて光明が強く射した瞬間であった。

山の翁の一撃でビーストⅡは不死身の怪物ではなくなった。原初の女神ではなくなった。

その力は強大で、肉体は未だに神代回帰を果たしたまま。力の差は歴然だ。

それでも今ならば、彼女を滅ぼすことができる。

完全に消滅させることができる。

やるしかない。

全ての命が自分達をここまで導いてくれた。

今を逃がせば、その思いに背を向ける事になる。それだけは絶対に嫌だった。

 

『ロマニ! 霊基核の特定、できたぞ! 定番だが頭部だね! 心臓ではなく頭部がティアマト神の霊基核(じゃくてん)だ!』

 

『ナイス、レオナルド! みんな、話は聞いたね!? ビーストⅡの頭部を叩け! これが本当の、最後の総力戦になる!』

 

「ああ、そしてさすがビーストⅡ。命を実感した瞬間に全力で抵抗を見せ始めたぞ! ラフムを最大生産しつつ、本体は冥界の壁に向かっている!」

 

マーリンの宝具でケイオスタイドは無力化されたとはいえ、命を産みだすティアマトの権能そのものは健在だ。ビーストⅡは残された力を総動員して壁となる我が子を生み出し、自身は冥界の壁を這い上がって地上に逃げ出そうとしている。

地上にはまだ生命が存在する。あそこに逃れれば、自らに付与された死という恐ろしい結末を迎えずに済むからだ。

 

「これが正真正銘のラストチャンスだ! カドック君、藤丸君、みんな、再会の挨拶はまた後で! 嵐に向かうぞ! 立ち向かう準備はいいかい?」

 

「ああ」

 

「もちろん」

 

「やりましょう、カドック(マスター)。これは第七特異点、最後の局面よ。私のマスターとして、相応しい采配を見せないさい!」

 

「先輩! どうか、弱気になっていたわたしに指示を! お願いします、マスター!」

 

「すごい……私の冥界にこんなにいっぱいの花が!――――いいえ、違うわ、そうじゃないわ。泥が無力化されたことで力が戻って来たわ!」

 

咲き誇る花々に感動していたエレシュキガルも我に返り、居住まいを正す。

その横ではジャガーマンが薙刀を手に準備運動を終え、今にも駆け出さんとしている我が身を必死で抑えていた。

 

「いいでしょう、今回は特別です。皆さんに冥界での行動権利、及び全強化を与えます! 冥界の女主人、エレシュキガルが願い請う! 地上の勇者よ、あの魔竜に鉄槌を! 遥か未来まで続いた貴方達人間の手で、天と地に楔を穿つのです!」

 

「雑魚は任せな、坊主ども! ここ一番だ、今回だけはおふざけなしでいく!」

 

「ああ、頼むぞジャガーの戦士! みんな……いくぞ!」

 

今まで、自分達を信じてくれた人々の期待に応えるために。

人理の礎を示し、未来永劫にまで続く明日を取り戻すために。

今、自分達は最悪の災害を打ち破る。

これ人と神との決別を巡る戦い。

最後の戦いが今、始まったのだ。




七章完結まであと少し!
このペースなら3月には全体を完結できる……かな?
この辺の流れは本当に震えますよね。
翁の登場シーンは何度リピートしたことか。


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絶対魔獣戦線バビロニア 第23節

それはまるで神話の英雄になったような気分だった。

冥界の加護のおかげで、一足で宙を駆け、望めば空を歩くこともできる。

魔術回路もすこぶる快調に回っており、いつも以上の魔力をアナスタシアに供給することができた。

今ならば、何が来ようと負ける気がしない。

向かうはビーストⅡ。その霊基核がある頭頂部だ。

 

「おりゃぁっ! 今日は大盤振る舞いじゃぁっ!」

 

「ラフムは私達が押さえます! カルデアの勇者達、あなた方はティアマトを!」

 

群がるラフム達はエレシュキガルの雷撃や槍の斉射で次々と滅されていき、味方を盾にして生き延びた個体も戦場を縦横無尽に駆けるジャガーマンによって駆逐されていく。

千の軍勢に対してたったの二人。しかし、何よりも心強い援軍だ。

彼女達が背中を守ってくれているから、自分達はまっすぐにビーストⅡのもとへと目指すことができる。

後ろは気にせず、ただひたすら前に。

立ち塞がる全てを凍てつかせ、踏み砕き、前へと進む。

その様子を見たマーリンが、ふと小さな声で呟いた。

 

「女神エレシュキガルの加護で空中歩行もできるのか! いや、待て。藤丸君やカドック君もか?」

 

「どうしたんだ、マーリン?」

 

「いや、何でもない。それが彼女の選択なら仕方あるまい」

 

今は気にするなと首を振り、マーリンは再び宝具を展開してケイオスタイドを中和する。

状況が切迫していることもあり、カドックもそれ以上は追求しなかった。

 

『ベル・ラフム接近! 速いぞ、飛行に特化した新タイプだ! しかも――この魔力量、魔神柱を上回る!』

 

ロマニの警告に遅れる形で、先陣を切るマシュがベル・ラフムと衝突する。

激しい鍔迫り合い。マシュは存在しない大地を踏み締めるように力を込め、構えた盾を押し込んでベル・ラフムを突き飛ばそうとする。

マーリンとエレシュキガルによる強化もあり、今のマシュは大英雄とでも渡り合えるほどの筋力を獲得している。

如何に強化された個体といえど、その剛腕に敵うはずもなかった。

だが、真の恐怖はここからだった。

 

「なっ……」

 

マシュが渾身の力でベル・ラフムを押し返した瞬間を見計らうかのように、死角から新たな一体が攻撃してきたのだ。

更に頭上からもう三体。二時の方向から四体。七時からは二体。

魔神柱を上回る力を秘めたラフムが、全部で十一体。

それが四方八方からこちらをかく乱し、嘲笑うかのように飛び回っている。

 

アナスタシア(キャスター)!」

 

即座にアナスタシアに指示を出し、目についた三体を凍結させる。だが、魔力の通りが悪い。

ヴィイの魔眼に射抜かれ、確かに冷気は伝わっているはずなのに、今までのラフムよりも凍り付くのに時間を要する。

再生能力も桁違いだ。マシュが頭部を潰しても息絶えることはなく、そのまま戦闘を続行している内に新たな頭が生えてくるのだ。

これまでもラフムは日を追う毎に力をつけていったが、この十一体は今までの個体とは明らかに強さの次元が違う。

ロマニは魔神柱を上回る個体だと言っていたが、正にその通りだ。

故に焦りが生まれる。

ベル・ラフムは魔神柱のように魔力量にものを言わせた波状攻撃こそしてこないが、小型であるが故に素早く、また他のラフムよりも賢かった。

闇雲に向かってくるのではなく、挟み撃ちや時間差攻撃でこちらを翻弄する。

アナスタシアとマシュが合流できないよう、分断を狙う。

同じ姿なのを利用し、重なり合う事で数を誤認させる。

ゴリラがチーター並みの速度で動き、人間のように連携して襲い掛かってくるとでも言えば伝わりやすいだろうか。

このまま数の利を覆す事ができなければ、ビーストⅡを取り逃がしてしまう。

 

『魔力量更に増大! くそっ、計器が振り切れそうだ! こいつらはビーストⅡの直属の使い魔、本当の十一の子ども達という事か!』

 

「ドクター! 何か弱点は!?」

 

『ない! 再生し切る前に倒すしかない!』

 

これだけの数を、一気に殺し切る。それは不可能だ。

連中はこちらに宝具を使わせぬように、巧みに動き回っているため狙いをつけられない。

アナスタシアの宝具は視るという動作を挟む以上、素早く動いているものを狙撃するのには向いていない。

そして、どちらかが残って足止めしようにも、頭上を押さえられていたのでは包囲網を抜けることも難しい。

救援を望もうにも、ジャガーマンやエレシュキガルは足下のラフムを押さえるのに精一杯だ。

ここに来て切れる手札がない。

悔しさで奥歯を噛み締める。

後少し。

後少しでビーストⅡまで辿り着けるというのに。

死神が囁いたのは、その時であった。

 

「カルデアの魔術師よ、暗殺者の助けは必要か?」

 

いつから側にいたのか、幽鬼の暗殺者が青白い炎を揺らめかせながら立っていた。

 

「ツァーリ!?」

 

「力を貸してくれるのか、山の翁?」

 

「汝が正しき道を歩む限り、我が剣は人理の礎となろう。だが、一度でも誤ればその首、落ちるものと思うがいい」

 

相変わらず手厳しい。

下手な手を打てば容赦なく首を断つ。この暗殺者はそう言っている。

さすがは冠位の英霊(グランドクラス)、言う事が違う。従わせたければ己の命を賭けろということか。

上等だ。ここまで来たのだ。もう神も悪魔も怖くはない。

人理修復を担うマスターとして相応しくないというのなら、いつでもこの首を断つがいい。その覚悟は、あの霊廟で相対した時からとっくにできている。

 

「ああ、力を借りるぞ、アサシン!」

 

「承諾した。これより我が名、我が剣は汝との縁を繋ごう。冠位の銘は原初の海への手向けとしたが、我が暗殺術に些かの衰えもなし。契約者よ、告死の剣、存分に使うがよい――――願わくば、末永くな」

 

山の翁が剣を構え直す。

瞬間、呼吸が止まった。

何故、自分が生きているのかが不思議なほどの重圧だ。ベル・ラフムなど話にならない。山の翁が発する剣気が周囲の大気そのものを殺したのだ。

呼法によって間合いを崩す技術が東方世界には存在するというが、彼は身に纏う気配だけでそれをやってのける。

まるで鉛を喉に流し込まれたかのような重圧感だ。

そんな重い空気の中を、山の翁は無造作に歩いていく。

華やかさとは無縁の無骨な足取り。手にした剣には必殺の意思。

近づいて斬る。

誇張も何もない。彼の暗殺とは即ち、真正面からの剣戟抜刀。

ベル・ラフムが無尽蔵の魔力によって強靭な肉体を獲得しているというのなら、彼はそれ以上の膂力と技術で以て不死の肉体を凌駕する。

炎を纏った剣戟は一度。だが、相対したラフムの胴には七つの傷が刻まれた。

更に返す刀で首を一太刀。マシュが全力で叩き潰しても即座に再生していたそれは、何故か復活することなくそのまま地面に落下していった。

 

「いくがいい、魔術師よ。ここは山の翁が引き受けた」

 

「すまない、頼む!」

 

「どうかご武運を、ツァーリ」

 

翁に黙礼し、立香達と合流してビーストⅡを目指す。

当然、ベル・ラフム達が立ち塞がるが、瞬間移動したとしか思えない速度で頭上を取った翁の刺突がラフムの一体を屠り、その隙にカドック達は包囲網を抜け出すことに成功した。

見上げた先にはビーストⅡの巨体。獣はほぼ垂直の崖に爪を突き立てながら地上を目指しており、残すところ数百メートルというところまで昇り詰めていた。

ギリギリのところで、何とか間に合った。

多くの犠牲と仲間の協力により、遂にここまで辿り着いたのだ。

 

 

 

 

 

 

裂ぱくの気合と共に、マシュが盾を叩きつける。

岩石をも容易く砕く一撃を眉間に受け、ビーストⅡは僅かに怯んで歩みを止めた。

すかさず、アナスタシアが無数の氷柱を生み出して追撃を仕掛ける。

精霊の魔力によって生み出された氷柱の豪雨はさながら機関銃の嵐だ。分間600発以上、分厚い鉄板ですら貫通しうる恐ろしい威力を秘めたそれは、強靭なビーストⅡの表皮すら抉り確実にダメージを与えていった。

 

「Aaaa、aaaa――――」

 

痛みを訴えるかのようにビーストⅡは叫び、右足を無造作に叩きつけてくる。

大振りな一撃だが、受ければ即死は確実だ。アナスタシアはヴィイに牽引されて安全圏まで離脱し、逆にマシュはビーストⅡに食らいつく事で攻撃を回避する。

懐に入ってしまえば、巨大なビーストⅡの攻撃手段は非常に限られる。

巨体という最大のアドバンテージを活かせず、ビーストⅡの攻撃は先ほどから何度も空振りを繰り返していた。

 

「いける、いけるよ!」

 

「ああ、だが……」

 

確かに攻撃は通っている。

マシュの打撃は確実に傷を増やし、アナスタシアの冷気は四肢を凍てつかせる。

頼みのケイオスタイドもマーリンによって無力化されているため、ビーストⅡはこちらに対して有効打を打てずにいた。

だが、それだけのことだ。彼女はこちらを倒す必要はない。

崖を昇り切り、地上に戻ればその時点で彼女の勝利が確定する。

だから、この状況は決して楽観視できない。

怒涛の如く畳みかけてはいるが、ビーストⅡの歩みは僅かに遅れるばかりで止まらず崖を昇り続けているのだ。

既に地上までの距離は三百メートルを切った。

あの巨体なら昇り切るまで数分とかからないだろう。

 

「何て奴だ。これだけ打ち込んでまだ倒れないなんて」

 

「マーリン、私に強化を! 一か八か、勝負に出ます!」

 

「わたしが気を引いている内に、お願いします!」

 

不可視の地面を蹴り、マシュがビーストⅡの視界を飛び回る。

目障りな羽虫を払い除けんとビーストⅡの眼光が光り、幾本もの光条がマシュへと降り注ぐが、彼女の盾を貫くには至らない。

逆に隙を突いて接近し、眼球に特大の一撃をお見舞いされる始末だ。

堪らず苦悶の声を上げたビーストⅡは一旦、歩むのを止めてマシュを撃ち落とさんと光線を連射するが、やはり彼女の防御を打ち破るには至らなかった。

 

「マシュ、避けて!」

 

「はい!」

 

「魔眼起動――――疾走せよ、ヴィイ!」

 

青い双眸が開く。

顕現したヴィイによる魔眼の全力解放。

如何に無敵のビーストⅡといえど、彼女の魔眼の前では綻びが生まれる。

その僅かな隙を、ヴィイは強引に抉じ開け、強烈な吹雪を土石流のように凝縮して解き放った。

轟音と共に視界が白く染まり、ビーストⅡの姿が消える。

手応えはあった。

ヴィイの魔眼は確かに発動し、ビーストⅡの肉体に弱点を創出した。

ベル・ラフムと違ってビーストⅡはあの巨体だ。外すこともあり得ない。

そう思いつつも一抹の不安を拭えなかった。

これまで経験してきた数多くの戦いで培われた第六感とでもいうべきものが、自分に警戒を解くなと訴えている。

やがて、その不安は的中した。

 

『ビーストⅡ健在! 魔力値上昇! 攻撃が来るぞ、みんな!』

 

白い霧を吹き飛ばし、深紅の魔力光が全方位に向けて照射される。

何て恐ろしい。あの光は一本一本がゴルゴーンの視線に匹敵する出力を秘めている。

マシュは咄嗟に盾で防ぐことができたが、直撃を受けたアナスタシアはバランスを崩し、坂を転がるように冥界の空を落ちていった。

 

アナスタシア(キャスター)!?」

 

「待て、いくなカドック君!」

 

マーリンが制止するのも聞かず、カドックは落ちていくアナスタシアを追う。

直後、悍ましい黒い泥が津波のように頭上から押し寄せてきた。

新たに生成されたケイオスタイドだ。よく見ると表面に僅かな凍結の跡がある。

マーリンの宝具によって権能こそ無力化されているが、ビーストⅡは自らが生み出した生命の泥を盾として使い、アナスタシアが放った吹雪から身を守ったのである。

更にアナスタシアが攻撃を受けた事で凍結も溶け、流動性を取り戻した泥を操ってこちらを攻撃してきたのだ。

マーリンのおかげで泥に取り込まれることはないだろうが、あれだけの質量を食らえば内臓破裂は避けられない。

最悪、即死もあり得る。

 

(しまっ……)

 

防御の術式を展開するのと、マーリンが滑り込んできたのはほぼ同時だった。

 

「マーリン!?」

 

「くっ!? 早くいけ、カドック君! キミのパートナーのところに!」

 

「すまない!」

 

自分の不甲斐なさを詫び、マーリンに背を向ける。

足先に魔力を集中し、壁を蹴るように勢いをつけて眼下のアナスタシアを追う。

一方、ケイオスタイドの波を防ぎ切ったマーリンは更なる驚愕を覚えた。

黒泥を掻き分けながら、ビーストⅡが彼の元に向かって来ていたのだ。

ここに来て獣は、遂に地上へ逃げ切ることよりも邪魔をする彼らを先に始末するべきと判断したのだ。

 

「ぐっ、まさか直接、丸呑みにくるとは! マルドゥーク神でもあるまいに、助かる筈もない!」

 

大蛇のように大口を開けたビーストⅡがマーリンに迫る。

この距離では得意の幻術も役には立たず、食いつかれるのは時間の問題であった。

 

「キャスパリーグ、頼む! 強制転移をしてくれないかい!?」

 

「フォ~、フォウ?」

 

ニップル市でアナを逃がしたように、今度は自分を転移させてもらえないかとマーリンはフォウに懇願する。

その答えは、フォウからの体当たりであった。弾丸のように丸まったフォウがマーリンの水月に激突し、そのまま両者はもつれ合うように冥界の地面目がけて落下していく。

だが、そのおかげでマーリンはビーストⅡの執拗な追撃から逃れることに成功した。

 

「ぐわああああああああああ! おのれ、キャスパリーグ!!」

 

『な、マーリンが墜落!? あいつがいないとケイオスタイドを緩和できないぞ!?』

 

ロマニの叫びを聞き、カドックは慌てて振り返るが、余程の力で突き飛ばされたのか既にマーリンの姿は遥か下にまで転がり落ちていた。

今からの戦線復帰は絶望的だ。

そして、マーリンがいなければケイオスタイドは再び権能を取り戻し、生命を蝕む泥へと変貌する。

あれに抗う術を自分達は持たない。冥界の加護もあくまで泥に浮かべるだけで無力化する訳ではないため、飲み込まれてしまえばそれまでだ。

そして、目障りな花の魔術師を始末したビーストⅡは悠々と地上を目指して進軍を再開する。

先ほどから攻撃を続けているこちらのことなど、お構いなし。

ゴルゴーンやギルガメッシュ王の時もそうだったが、この獣は本能的に自身の脅威となるものを優先して排除しようとする傾向がある。

言い換えれば、自分達はビーストⅡにとって羽虫のようなもの。どれだけ攻撃しようと飛び回る羽虫のことは眼中にないのだ。

 

「くそっ! このままじゃ地上に出てしまう!」

 

「分かっています! けど、後少し! 後、少しだけ距離が……!」

 

冷気の射程まで、後ほんの少し届かない。

全速力で駆け上がっているが、ケイオスタイドに阻まれてなかなか前に進むことができない。

対してビーストⅡは、岩盤に爪をめり込ませながら、山のような巨体を一歩、また一歩と持ち上げて空へ空へと昇っていく。

後、二百メートル。

あの速度なら一分もかからないだろう。

すると、ビーストⅡの進行方向に一騎の騎士が立ち塞がった。

マシュだ。

盾を構え、まっすぐにビーストⅡを見下ろすシールダー、マシュ・キリエライトがそこにいた。

まさか、一人でビーストⅡを押さえるつもりなのだろうか。

それは無謀でしかない。

アナスタシアとの二人がかりでも足止めすらできなかったというのに、彼女一人ではとても敵うはずがない。

 

「無茶だ! 僕達が行くまで待て!」

 

『それだけじゃない、ケイオスタイドはそちらにも向かっている! キミ達まで飲み込まれては元も子もない!』

 

「いえ、ならばこそ、わたしはここで盾になります! 生身であの泥に飲まれたら違う生き物になってしまう……ですが、デミ・サーヴァントのわたしなら少しは耐えられるはずです。そして、ビーストⅡは必ずわたしが押さえます!」

 

『マシュ……! しかし、キミの体では、もう……』

 

「俺達はやります、ドクター! 信じてください!」

 

啖呵を切った藤丸が、一方的に通信を切る。

同時に、マシュが構えた盾に周囲の大気が歪むほどの膨大な魔力が集められていく。

宝具でビーストⅡを受け止めるつもりのようだ。

確かにあれなら神格といえど容易く破れるものではなく、物理的な結界としても機能する。

マシュがあの場所から動かない限り、ビーストⅡは地上に上ることができない。

だが、やれるのか。

相手は規格外の化け物、獣のクラス、人類悪だ。

果たして人理の盾がどこまで通じるか。

そう思った刹那、更なる驚愕が襲いかかってきた。

 

『ビーストⅡ、体内の魔力量増大! 数値は……くそっ、シバが何枚か飛んだぞ! 正確な数値は不明! だが、偽りの獅子心王の裁きの光と同等……いや、それ以上だ!』

 

「逃げろ、藤丸!」

 

「マシュ! 止めて!」

 

こちらの叫びなど聞こえていないかのように、マシュは決意を胸に盾を構える。

そんなマシュにビーストⅡは最大限の警戒を露にした。

握り潰せば粉々になってしまうようなか弱い少女が持つ力を、獣はその本能から危険であると判断したのだ。

繰り出される最大の一撃が何よりの証。

喉元まで裂けた巨大な咢の向こうで、立ち塞がるものを悉く塵へと還す必滅の魔力砲が今、唸りを上げる。

 

「マスター! 令呪をわたしに!」

 

「マシュ! 令呪を以て命ずる!」

 

光が爆ぜた。

唯の一人を消し去るにはあまりに過剰な暴力。否、それは最早、神罰だ。

神々が振るいし雷霆の如き神罰の光が、ビーストⅡの肉体すら焼き焦がしながら、小さな人理の守り手を飲み込まんとまっすぐに迫る。

ほぼ同時に、少年と少女は唱和した。

 

「どうか、わたし達に――」

 

「俺達に――」

 

「――笑顔ある明日を!」/「――笑顔ある明日を!」

 

純粋な願い。

明日を求め、今日を生き、昨日を糧とする切なる願い。

ただ生きたい、生きついた果てに笑いたい。

その願いが今、二人に力を与えた。

 

「顕現せよ! 『いまは遥か――(ロード)

 

――理想の城(キャメロット)』!!」

 

現れた白亜の城は、これまで見てきたものよりも遥かに堅牢で強固な実体を伴っていた。

荘厳な輝きはそれ自体が悪意に対する抵抗力を有し、城壁へと迫る脅威を押し流す。

光も、熱も、炎も、生命の天敵である黒泥すらも完膚なきまでに受け止め、それでいて尚、輝きを損なうどころか益々強く、激しく光を放つ。

白光が黒炎を飲み込み返す勢いだ。

ただの人、紛い物の英霊、デミ・サーヴァントでしかない彼女が今、その細腕で聖杯にも匹敵する魔力の渦を、受け止めているのだ。

 

「すごい……余波がここまで……」

 

「防壁を張れ、アナスタシア(キャスター)! こっちまで焼かれるぞ!」

 

白亜の城とビーストⅡのブレスの衝突。真反対にいるというのに、余波だけで肌が焼けるほどの凄まじい熱量だ。

だが、その程度て済んでいるのはあの白い光のおかげだ。如何なる摂理によるものか、マシュの宝具はビーストⅡの攻撃がこちらにまで及ばぬよう、受け止めた炎を上空に向けて散らしている。

ここまで伝わってきている熱は、置換し切れなかった余剰魔力によるものだ。

そして、それほどまでに凄まじい熱量を、マシュは我が身一つで受け止めている。

彼女の宝具、彼女の守りは彼女自身を含まない。守らない。

盾で受け止めた熱は全てがマシュの中へと還元され、身を焦がす憎悪の火に苦悶の声が漏れている。

常人ならば泣き叫ぶことすらできず、発狂してもおかしくない痛苦のはずだ。

それをマシュは、強靭な精神力で抑え込んでいる。

痛みを感じていないのではない。

痛みをコントロールしている訳でもない。

痛みを受け入れ、許容し、その上で乗り越えんと両の腕に力を込める。

この苦難の先に待つ、終わらない明日を取り戻すために。

 

「ギャラハッドさん、わたしに……みんなを守る、力をっ!!」

 

一際、強い光が城壁から解き放たれ、遂にビーストⅡの炎が相殺される。

異形の獣が目の前の光景に驚愕している。

必殺の思いを込めて放たれたブレスが、人間によって防がれたからだ。

本来ならば、とっくに地上に辿り着けているはずだというのに、獣は四肢を強張らせたまま動くことができない。

誰の目から見ても隙だらけだ。

だが、宝具の解放で力尽きたマシュにはもう、戦う力は残されていなかった。

空中に立つ魔力すら使い切ったのか、立香に支えられながらぐったりと手足を伸ばして少しずつ高度を下げていっている。

そのことに気づいたビーストⅡは、嘲笑うように口を開いた。

 

「Aaaaaa――――」

 

振り上げられた巨大な爪が、立香とマシュを狙う。

力尽きたマシュにそれを躱す余力はなく、盾で何とか受け止めて立香を庇うのが精一杯であった。

 

『マシュ! よかった、まだ無事だ! だが、ビーストⅡは……』

 

最早、獣の前を遮る者はいない。

緩慢な足取りで、垂直の崖をゆっくりと昇っていく。

地上までもう百メートルもない。

後、数歩でビーストⅡの爪先は冥界と地上の境目に到達するだろう。

 

「ごめん、カドック……」

 

「いや、よくやった! 今度は……」

 

「――私達の番!」

 

二人が決死の思いでビーストⅡを足止めしてくれたおかげで、こちらは獣を射程距離に捉えることができた。

既にヴィイの魔眼は地上へ腕を伸ばさんとする獣の真体を余さず捉えている。

逃れる術はなく、隠れられる場所もない。

自分達は今、運命に追いついたのだ。

 

「令呪を以て命ずる! アナスタシア(キャスター)! 宝具を解放しろ!」

 

「ヴィイ、今こそ神を射抜きなさい! 我が墓標に、その大いなる力を――『疾走・精霊眼球(ヴィイ・ヴィイ・ヴィイ)』!」

 

再び開かれる精霊の魔眼。

漆黒の影、空想の産物、異聞の悪魔、バロールに連なる死の視線が極大の霊基に針の穴の如き弱所を紡ぎ出す。

狙うはその一点。

アナスタシアと自分の、持てる限りを尽くした最大の冷気操作。

その威力は最早、大儀式にも匹敵する。

絶対零度の極寒、飛沫すらも氷に代わる氷点下の猛威が吹雪となって冥界の空を再度、蹂躙した。

当然ながらビーストⅡはケイオスタイドでそれを防ごうとするが、二度も同じ手は食わない。

防がれるのなら、それごと凍らせるまでだ。

 

「もっとだ、もっと持っていけ!」

 

魔術回路が軋みを上げる。

限界なんてとっくに超えていた。

左半身から感覚がどんどんなくなっていき、意識は何度も寸断する。

それでもまだ足りない。

凍り付いた黒泥の向こう、ビーストⅡは未だ健在だ。

全身を凍てつかせながらも、少しずつ地上に向けて前進している。あの巨体を完全に沈黙させるには、まだ魔力が足りない、冷気が足りない。

もうここで終わってしまってもいい。

出し惜しみなんてしている場合ではないのだ。ありったけを、今ここで出し尽くさねば、自分達はこの先に進めない。

必要ならば持っていけ。

魔力も、命も、何もかも持っていけ。

君のその眼で、神を凍らせろ。

 

『よせ、カドックくん! それ以上はキミが保たない!』

 

「だめだ、後……少し……」

 

『くそっ! なら、居住区の電力をカットだ! リソースを回す、とにかく意識を強く持て! キミはこんなところで終わる奴じゃないだろ!』

 

ロマニの激励が遠い世界の出来事のようだった。

どんどんと意識は遠退いていく。なのに、魔術回路だけは限界を超えて駆動し、魔力を絞り出す。

ビーストⅡは全身の九割を既に氷で覆われており、後は右足と頭頂部の一部を残すだけだ。動きも非常にゆっくりで、まるで鉛を持ち上げているかのようだった。

 

「Aaaaa、aaaaa――」

 

『ダメだ、間に合わない! 爪先が頂上に!!』

 

「……ま、だだ……君の力は、こんなものじゃないだろ! まだ足りないなら、持っていけ! アナスタシア(キャスター)!!」

 

叫んだ瞬間、吹雪が勢いを増した。

令呪によるブースト、生死を省みない魔力の過剰供給、カルデアからの支援、そこまで積み上げても尚、ビーストⅡには届かなかった。

だというのに、最後の最後で、アナスタシアは意地を見せた。

吹き荒れる暴風は太陽すらも凍らせる。

風が、雪が、氷が、全てが牙を以て神を屠る。

ビーストⅡ。生命を生み出す原初の海。遍く命の母なる存在。

だが、その冷気は、凍てつく寒さは生み出すことを許さない。

凍らせるということは、全てを停止させるということ。

それは、神ですら例外ではなかったのだ。

 

凍れ(とま)(とま)れっ、(とま)れぇーっ!!」

 

「Aaaaa――――」

 

皇女の叫びが、空を裂いた。

断末魔にも似た声を上げながら、ビーストⅡは遂に全身を凍り付かせて動かなくなる。

伸ばされた右足は、地上の縁まで後数メートルというところで停止していた。

 

『やった! ビーストⅡ沈黙! 神を……原初の海を、凍らせたぞ!』

 

「アナスタシア!」

 

倒れ込んできたアナスタシアを咄嗟に受け止める。

マシュと同じく、限界を超えて宝具を酷使したことで、全ての力を使い果たしたのだ。

 

「はあ……はあ……や、やったの?」

 

「ああ、何とか……な……」

 

ビーストⅡは凍り付いたまま動かず、新たなラフムも生まれてくる様子はない。

これで戦いは終わったのだろうか?

それにしてはこの静けさは余りに不気味だ。

耳を澄ますと聞こえてくる。

獣の鼓動。

ゆっくりと、規則的に脈打つ心臓の音が、少しずつ大きくなっていく。

 

『まずい、ビーストⅡ再起動! 魔力炉心を臨界駆動させている! 氷を溶かすつもりだ!』

 

言われるまでもなかった。

アナスタシアが全身全霊で施した凍結に、早くもヒビが入っている。

氷の壁の向こうでビーストⅡの眼が動いているのがわかった。

獣はまだ死んでいない。

炉心の熱で氷を溶かし、拘束を振り切るつもりだ。

何てことだ。

ここまでやって、ビーストⅡを倒すことができなかった。

マシュもアナスタシアも最早、戦う力は残されていない。

これ以上、あの獣を冥界に押し留めておくことができない。

自分達の負けだ。

 

『右足の氷が砕けた!? ダメだ、もう――』

 

「戯け! そういうセリフは、這いつくばってから吠えるものだ!」

 

頭上から光が迸った。

降り注ぐ豪雨は次々とビーストⅡの顔面に着弾し、空間を震わす程の爆発を起こす。

ぐらりと揺れる巨体。

後一歩で地上の土を踏むはずだった右足は虚しく宙を切り、バランスを崩したビーストⅡの巨体は冥界の地面目がけて落下していった。

 

『これは、ディンギルか!? いや、ウルクにはもう人は……まさか!?』

 

ロマニが通信の向こうで言葉を失う。

そう、彼が言うようにウルクにはもう生きている人間は存在しない。

それに神権印象(ディンギル)は全て城塞の外に向けて設置されている。街の内側である冥界に向けて放つことは不可能だ。

ならば、この攻撃は神権印象(ディンギル)によるものではない。

これは一人の男によって放たれた攻撃――否、砲撃だ。

その者は黄金色の鎧を身に纏い、傲岸不遜な笑みを浮かべた金髪の青年。

開けた上半身は均整の取れた黄金比。幾つもの紋様が肌に刻まれ、右腕には籠手と共に鎖が巻き付いている。

紅い瞳は全てを見透かし、見下し、等しく侮蔑する魔性の眼。

その背に浮かぶは数多の財宝。

古今東西、あらゆる神話伝承に伝わる武具の原典。

そのような宝具を持つ英雄は一人しかない。

全てを収め、全てを手に入れた英雄の中の英雄王。

即ち――。

 

「サーヴァント、アーチャー。喧しいので来てやったわ」

 

――我らが英雄王ギルガメッシュに他ならない。

 

「王!?」

 

「ふん、これを奇跡と謳うようなら首を撥ねるぞ、雑種。貴様達は戦った。戦い抜いた。逃げる事も諦める事もできた戦いを、必死に食い下がって戦い抜いた。故に――(オレ)が間に合った」

 

ギルガメッシュは全身から溢れんばかりの王気を放っている。

その逞しさ、若々しさは玉座についていた時の比ではない。間違いなく全盛期のものだ。

冥界への旅路に赴く前、暴虐の限りを尽くした後、エルキドゥと出会って数々の冒険を繰り広げた万夫不当の英雄王。

ビーストⅡによって踏み潰されたギルガメッシュ王は、死して肉体を喪失したことを逆に利用し、全盛期の肉体を持つサーヴァントとして現界したのだ。

 

「なぁに、ここまで来たのだ。この程度の常識(ルール)破り、許容範囲というものだろう?」

 

ギルガメッシュが指を鳴らすと、背後から無数の宝具が射出される。

その一本一本が神権印象(ディンギル)と同等の破壊力を秘めた必殺の砲撃だ。

いや、神権印象(ディンギル)がこの宝具に似ているというべきか。

冥界の地形が変わる程の激しい爆撃には、さしものビーストⅡも堪らず吠え立て、その身を冥界へと釘付けにされる。

ここまで苦戦を強いられたのがまるで嘘のように、英雄王は回帰の獣を圧倒していた。

一同に安堵の表情が浮かぶが、次の瞬間、ビーストⅡは咆哮を上げて体内に魔力を蓄え始めた。

マシュに放った極大のブレスをもう一度、放とうというのだ。

マシュはもう戦えない。ギルガメッシュに対抗できる宝具がなければ、ここで詰みだ。

 

「そうか、死を知った事でようやく神の姿に立ち戻ったな」

 

最後の抵抗を試みるビーストⅡに向け、ギルガメッシュは憤怒とも憐憫ともつかぬ表情を浮かべて語りかける。

 

「貴様に向ける憎しみはない。ウルクの民も貴様への怒りはあれ、憎しみは持たぬ。ただ、分かり合えぬ摂理があるだけだ」

 

原初の海は産み、管理するもの。対して人間――否、全ての生命は育ち、旅立つもの。

子はどれほどの愛情を持たれようと、母親の手から離れなければならない。

例えその先にどれほどの苦難が待ち受けていようと、生きている限り、生命は前に進まなければならないのだ。

 

「それをここで示してやろう! 安心しろ、貴様の亡骸を辱めようなどと思わぬ。我らに世界の土台は不要! 死の国にて、今度こそ眠るがよい!」

 

「AaAAAAAAAAA――――LAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA――――!」

 

咆哮するビーストⅡ。

来る。

あの砲撃が、聖杯級の魔力の波、神代のブレス。

迎え撃つは英雄王。黄金のサーヴァントは、静かに眼下の母を見据えると、右手に巻き付けた鎖を操って足下にいたカドック達を引き寄せた。

 

「ここで決着をつけるぞ、カルデアのマスターども。最後に(オレ)と共に戦う栄誉、真に赦す! 神殺しの英雄譚、見事果たしてみせるがいい!」

 

ギルガメッシュの言葉を受け、カドックと立香は互いの顔を見合わせる。

ここに来て、英雄王は自分達と共に戦うと言ってくれた。それはとても誉れあることだが、残念ながら自分達にはもう戦う力は残されていない。

王と轡を並べ、共に戦場を駆けることはできない。

ならば、どうするか。

勇士としては共に戦えない。だが、魔術師として――マスターとしてならば、まだ戦える。

自分達の右手には、まだ令呪が一画ずつ残っている。

唱える言葉は一つだ。

願う言葉は一つだ。

これは幼年期の終わり。神からの巣立ち。

掲げる願い、ただ一つ。

 

「令呪を以て――」

 

「――我らが王に願い奉る!」

 

互いに拳を突き出し、王に向けて嘆願する。

 

「どうか、今こそ神との決別を!」/「どうか、今こそ神との決別を!」

 

唱和と共に、最後の令呪が霧散した。

二画の令呪は願いとなって確かに王へと届き、その身に十全以上の魔力を迸らせる。

臣下の願いを聞き届けた英雄王は、豪胆な笑みを浮かべると、どこからか取り出した鍵剣を虚空に向けて突き出した。

 

「相分かった! 貴様達の願い、この英雄王が確かに聞き届けた! この一撃をもって決別の儀としよう!」

 

開錠された宝物庫より引き抜かれたのは一振りの剣。いや、あれは剣と呼べる代物なのだろうか。

柄も鍔も存在するが、刀身にあたる部分は赤い紋様が光る三つの円筒で構成されており、それが個々に独立駆動している。

軋みを上げて回転することで周囲の魔力が巻き込まれ、時空流までもが捻じ曲げられている。

荒れ狂う力場は持ち主であるギルガメッシュですら傷つけるのか、右手を守る籠手と鎖が時空流の乱れを受け止め悲鳴を上げた。

対するビーストⅡは体内の炉心を並列稼働させ、自壊覚悟での攻撃を試みる。

片や生命を産み、育む原初の海。

片や生命を裁き、見守る天の楔。

生み出す者と裁く者。

どちらも愛ゆえにヒトと寄り添いながら、両者は根本から相いれない。

故にこの戦いは必定。

神と人。

獣と王。

決別の時は今、訪れり。

 

「原初を語る。天地は分かれ、無は開闢(かいびゃく)言祝(ことほ)ぐ。世界を裂くは我が乖離剣。星々を廻す渦、天上の地獄とは創世前夜の祝着よ――」

 

「AAAAAAAAA、LaAAAAAAA――――!!!」

 

「死をもって鎮まるがいい――『天地乖離す開闢の星(エヌマ・エリシュ)』!」

 

炎が吐かれ、剣が振り下ろされる。

冥界の空で二つの力場が交差し、衝撃で空間そのものが激しく揺れた。

凄まじい魔力量だ。だが、空間を捻じ曲げる程度の暴風ではビーストⅡの炎を押し返すことはできない。

ビーストⅡのブレスは回帰の願い。我が子達に棄てられたことへの嘆きと怒り、憎悪。そして、それでも再び母として返り咲きたいという純粋な願い。

もう一度、我が子を愛したいという欲求。

母とは生命を生み出すもの。その最上位に位置するティアマト神の思いは、この地上に存在するあらゆる概念、思想を凌駕する。

それはギルガメッシュとて百も承知。

地の理では神を穿つには至らない。

ならばこそ、彼が示すは天の理。

刮目せよ。

貴様が生命を産むと言うのなら、我はその悉くを地獄へと叩き落す。

これより現出するは天地開闢以前の地獄。星があらゆる生命の存在を許さなかった原初の姿だ。

 

「黄泉路を開く! 持ち堪えろよ我が友! 応えて見せよ乖離剣(エア)よ!」

 

そして、原初の地獄が再演された。

ギルガメッシュの叫びと共に暴風を纏った力場が更なる軋みを上げ、膨れ上がったのだ。

力場同士は互いに干渉し合い、ビーストⅡのブレスどころか周辺の空間そのものすら巻き込んで巨大な渦を形作る。

暴れ回る力場の嵐は冥界そのものを破壊し尽くす勢いだ。

こんなものを地上で使えば、間違いなく人理定礎に致命的な傷を残すことになる。最悪、世界が意味喪失する恐れすらあるだろう。

そして、吹き荒れる嵐の向こうにカドックは地獄を垣間見た。

音すらも聞こえなかった。

世界そのものが煮え立ち、焼き尽くされていく。

細胞の一つ一つが恐怖で竦み上がる思いだった。

記憶にあらずとも、この身に刻まれた遺伝子は覚えている。

星が生まれたばかりの姿。未だ天地が開闢する以前、この大地は溶岩とガス、灼熱と極寒が入り乱れる地獄であった。

そう、地獄とは、このおおらかな星があらゆる生命を許さなかった時代。原初の姿そのもの。

暴風の中心は無風などではなく、紛れもない奈落の穴。世界そのものを飲み込む暗黒星だ。

この理を前にすれば、あらゆる事象は灰燼と帰す。

森羅万象、全てを引き裂く対界宝具。

全てを無に帰す断罪の風が、回帰の獣を飲み込んでいく。

最早、悲鳴すらかき消されたビーストⅡは、肉体を自壊させながら自らが産み落としたケイオスタイドと共に暗黒の彼方へと消えていった。

後に残されたのは、冥界の大地に刻まれた夥しい破壊の爪痕のみ。

生きている者は何一つとして存在せず、安息の静寂が冥界へと戻ってくる。

今ここに、神との決別は成されたのであった。




次回で七章エピローグ。
いやあ、長かった。
ダブル令呪はダブルマスターでいこうと決めた時から書きたかったシーンです。
実際にできるのかって?
考えるな、感じよ。


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絶対魔獣戦線バビロニア 最終節

気が付くと、見慣れた街並みがそこにあった。

往診のために何度も往復した街路。

連日のように人で溢れていた市場の残骸。

薙ぎ倒された木々と、焼け落ちた家屋。

そして、かつてジグラットと呼ばれていた巨大な建造物。

今は見る影もなく粉々に崩れてしまい、瓦礫の山と化している。

それらがこの時代で起きた戦いの凄惨さを物語っていた。

多くの犠牲を払い、たくさんの人が死んだ。生活も文化も、何もかもが洗い流されてしまった。

それでも、自分達は帰ってきた。

戦いに勝利し、ウルク市へと戻ってきたのだ。

 

「俺達……戻ってきたんだ……」

 

「はい、冥界の上空で戦っていた事が幸いしました」

 

「まったく……生きているのが不思議なくらいだ」

 

「本当に、今度ばかりは私もダメかと思いました」

 

口々に呟きながら、カドック達四人はぐったりとその場に座り込む。

イシュタル神によって撃ち抜かれたはずの穴はどこにも見当たらなかった。

神殿そのものを吹き飛ばす砲撃を撃ち込まれたはずなのに、冥界の入口はどこを探しても見つからない。

歴史の修正が始まったのか、それともエレシュキガルが早々に蓋をしてしまったのか。

何れにしろ、ここでの戦いは終わったのだ。考えても仕方がないだろう。

 

『みんな、本当にお疲れ様だ。ビーストⅡの霊基崩壊、完全に確認した。キミ達の勝利だ』

 

これでメソポタミアは緩やかに元の歴史へと戻っていくことだろう。

後はカルデアへの強制帰還を待つばかりだ。

今回はまだ猶予があるようだが、生憎とやり残したことは一つもない。

何しろ大使館はケイオスタイドに沈んでしまったので、持ち込んだ荷物もこっそりと溜め込んでいたこの時代固有の霊草なども全部お釈迦になってしまったのだ。

何事も、欲張るのはよくないという教訓なのだろう。

 

「カドック、体の方は何ともない? その、かなり無理をしていたようだけど……」

 

こちらの肩に頭を預けながら、アナスタシアは心配そうに聞いてくる。

 

「……大丈夫、かな。多分……」

 

正直に言うと、自信はなかった。

元々、魔術回路がいくつかダメになっていた。そんな状態で神霊の依代召喚や、アナスタシアの宝具を使うために魔力を絞り出したのだ。今はまだ自覚できていないだけで、取り返しのつかない負傷を負っているかもしれない。

だが、とりあえずは目に見えた形で痛みや異常は見つからなかった。戻ってからロマニに何と言われるかわからないが、このまま何事もなければいいと願わずにはいられない。

心配してくれるアナスタシアには申し訳ないかもしれないが、ここまで来たのなら魔術師としての生命を賭けてでもグランドオーダーへの参加を続けるつもりだ。

 

「あなたが強情なのは知っています。だから……はい、これは私からのご褒美です」

 

トンと、見覚えのある水晶体を握らされる。

あまりにも自然に手渡されたそれを見て、カドックは一瞬、言葉を失った。

後ろから覗き込んできた立香やマシュも、驚いて顔を強張らせている。

 

「せ、聖杯!?」

 

ビーストⅡに取り込まれていた聖杯だ。それを何故か、アナスタシアが回収していたのだ。

だが、いったいいつの間に? そんな暇などなかったはずだ。

 

「あいたたた……それについては私を褒めて欲しいな」

 

頭の瘤を擦りながら、マーリンがフォウを伴って姿を現す。

英雄王の権能クラスの宝具に巻き込まれて無事でいるとは、やはり腐っても花の魔術師。

冠位の名は伊達ではないということか。

 

「いや、急いで戦場に戻ろうとしたらティアマトが落ちてきてね。その喉の奥から聖杯が零れたものだから、慌ててキャッチしてここまで駆け上がったんだ」

 

(何故だろう。ファインプレーのはずなのに憎たらしさの方が勝っている)

 

活躍は認めるし実際、大いに助けてもらったが、鼻高に威張られては素直に感謝もできない。

一事が万事、こんな調子ではブリテンの円卓もさぞや苦労したことだろう。

 

「まあ、終わりよければ全てよしってね」

 

「おう、なら発つ虎後を濁さずということで、ここで遺恨は断っておくニャ」

 

言うなり、毛皮姿のジャガーマンがマーリン抱えて互いの左足を絡め、自身の左腕を首に巻き付けて思い切り背骨を押し曲げるアブドミナル・ストレッチを仕掛ける。

首、肩、背中、腰と上半身の全てを極められたマーリンは、まるで子どものように悲痛な声で喚きながら脱出しようと手足をバタつかせる。

 

「ごっ、ごっ、ごぼあぁぁあああ!? なんだこれ痛い痛い、夢魔なのに凄く痛い!」

 

「当たり前じゃーい! これぞククルん直伝のルチャの神髄、日本ではこれをコブラツイストと言う!」

 

「おおおおお、キミにこんなことをされる心当たりがないぞぉっ!?」

 

「はははっ、鮮血神殿でのミステイクを忘れたとは言わせんぜ。本当はククルんが自分でするところを、いないから代わりに私がやってあげてるんだニャ!」

 

「キミ達は殺し合うライバルのはず……じ、実は仲がい、ぐあああああああ…………あっ――」

 

何だか、とても不吉な音と共にマーリンが動かなくなってしまったが、無視しておこう。

これくらいされても当然のミスだ、あの時のことは。

 

「ケツァル・コアトル……か……」

 

ふと隣を見ると、アナスタシアが顔を曇らせて俯いていた。

 

「私、彼女に色々と酷いことを言ってしまいました」

 

「太陽神殿でのことか? 気にしていないさ、あの陽気な女神は」

 

太陽みたいに鮮烈で、一度でも目にすれば忘れられないくらい印象的な人物だった。

敵として対峙した時は恐ろしく、味方の時はこの上なく頼もしい。そして、いるだけで場を和ましてくれる陽気な人だった。

師匠を名乗って自分達の間にずけずけと入り込んできた彼女ではあったが、本質的には神としての領分を弁え、自分達を導いてくれていたと思う。

でなければ、あの場面で特攻なんて選択肢を取るはずがない。

彼女は人類の生存を、引いては人理修復の希望を託して逝ったのだ。

なら、自分達にできることはその意思を継ぐことだ。

背負ったものを捨てずに最後まで持っていく。また、この旅路を降りられない理由が一つ、できたというわけだ。

 

さようなら(До свидания)……いえ、さようなら(Adiós)、ルチャドーラ」

 

静かに祈るように、アナスタシアはもういない女神に向けて別れを告げる。

和解してからほとんど間を置かず、ゴルゴーンとの戦いに移ったため、師弟関係は本当にごく僅かな間であった。

できることなら、あの美しい背中をもっと見たかった。

彼女が四角いリングの上を華麗に舞い、華々しい勝利を飾る姿を。

 

「うんうん、そう思ってもらえるなら、ククルんもきっと本望だニャ。といわけで、カドックん、手を出しちくり」

 

「えっ……はい」

 

「ポンっと」

 

渡された木片に、ジャガーマンは何かを押し付ける。程なくして彼女が手を放すと、何やら手形のようなものが木片に描かれていた。

 

「これは?」

 

「ジャガースタンプ。いっぱい貯まったら、きっと良いことがあるわよ」

 

「はあ……そうか……一応、もらっておく……」

 

いつぞやのお守りの時と同じく、またよく分からないことを始めるつもりのようだ。

戦闘では頼りになる反面、色々と振り回されたり苦労をかけさせられることもあったが、このバイタリティだけは見習わなければならないかもしれない。

 

「はははっ、励めよ少年。お姉さんはお空の上から見守っているぞ。後、次に会ったら心臓の一つか二つか百個は用意してね。バーイ」

 

最後までいつもの調子を崩さず、おかしなことを口走りながらジャガーマンは粒子になって消えていった。

その向こうでは、マーリンの体も末端から塵に還っている。特異点の修正が始まり、サーヴァント達の退去が始まったのだ。

 

「あいたた……酷い目にあった」

 

「マーリン、あんたにも世話になった」

 

「お礼はいいよ、今回も(・・・)色々と特別なケースだったと思って欲しい。本来、私は物語を観ているだけの男だ。こんな風に手を貸す事はない」

 

「なら、何で助けてくれたんだ?」

 

「そうだね、一つは僕がキミ達のファンだからだ」

 

「ふぉーう!?」

 

何故か、その言葉にフォウが驚きの声を上げる。

それを尻目にマーリンは、杖を支えにして起き上がり、こちらに向き直った。

鼻の高い、端正な顔立ち。全てを見透かす千里眼がジッとこちらを見つめている。

 

「僕は人間が好きなんじゃなくて、人間の描く物語が好きなんだ。本に書かれた物語にはドキドキするが、その本を書いた人間には興味はないのさ。でも――キミ達はちょっと違う。私と同じ、本から本に渡り歩く旅人だった。なのに私とは違うアプローチで物語を生かし、救い、よりより紋様を紡ぎ上げてきた」

 

その活躍を知る者は、自分を含めて限られた者しかいないだろうとマーリンは語る。

だからこそ、一度はこうして力になりたかった。今回は人類悪が絡んでいることもあり、冠位である自分が動きやすい条件も整っていたから、いつになく熱くなって幽閉塔を飛び出してしまったとのことらしい。

その言葉を聞いて、カドックは初めてマーリンに対して親近感のような気持ちが湧いた。

口では色々と言っているが、要するに答えはシンプルなものだ。

自分だって、一回くらいは晴れ舞台で活躍したかった。

才能のない凡人と、妖精郷に閉じ込められたロクデナシ。立場は違えど、結局のところ考える事は同じという訳だ。

 

「――で、他にも理由はあるんだろ?」

 

「ああ。けど、言わぬが花さ。キミに貸し一つとだけ、言っておこう」

 

茶目っ気を込めて片目を閉じ、マーリンは一度だけ伸びをする。

座への帰還――彼の場合は妖精郷への帰還だが、その流れに身を任せたのだろう。

少しずつ塵と化していた四肢が一気に霧散し、後は胴と首を残すのみとなる。

 

「カルデアの星読み。誰の記憶にも残らない開拓者。私はキミ達の戦いに敬意を表する。全ての星は満ちた。人理修復の暦でキミ達はあの悪と戦うだろう。どうか――最後まで善い旅を。その行く末に、晴れ渡った青空がある事を祈っているよ」

 

最後に天使のような微笑みを残し、マーリンは消えていった。

ロクデナシの花の魔術師。彼がいなければ自分達は最後まで生き残ることができなかっただろう。

彼の助力に報いる為にも、必ず人理修復を成さねばならない。

そして、話し込んでいる内にこちらも強制帰還が始まった。

指先から少しずつ存在が希薄化していくのにもすっかり慣れてしまった。

この感じならば、今回はまだまだ帰還まで余裕があるだろう。

最後に彼と別れを済ますには、丁度いい。

 

「王……」

 

「ふん、藤丸といい貴様といい殊勝な奴だ。別れなど、とっくに済ませたではないか」

 

ギルガメッシュは先刻までの鎧姿ではなく、自分達が良く知る賢王の姿を取っていた。

だが、マスターである自分には彼の肉体がエーテルでできた仮初のものであることが分かる。

姿形は同じでも、彼は既にサーヴァントなのだ。

 

「語る事なぞもうないぞ。勝利の凱歌をあげ、(オレ)の名を讃えながらカルデアに戻るがいい……ああいや、待て。一つ、聞くのを忘れていた」

 

そこで一旦、言葉を切ったギルガメッシュは、全員の顔を目に焼き付けるように一瞥する。

自然と体が硬くなった。

いったい、何を聞かれるのだろうか。

相手は彼の英雄王だ。下手な発言は即死に繋がる。

そんな風に身構えていたが、問いかけられたのは至極簡単な質問であった。

 

「このウルクはどうであった? それなりに滞在した筈だが?」

 

そんな今更、答えるまでもない事を聞かれるとは思わなかった。

或いは、彼もそれを承知で敢えて聞いてきたのかもしれない。

何れにしろ、王命ならば答えねばなるまい。

ここはとてもよいところだ。人々は活力に溢れ、日々を懸命に生きている。

彼らと共に過ごしたこの一ヶ月余りは、とても充実した日々であった。

日々の糧に感謝し、明日の幸福を願い、誰もが自分に出来る事を精一杯にこなす世界。

そして、理不尽を前にしても決して諦めることなく最後まで人間らしく生きる事を全うする強い世界。

多くの事を学ばせてもらった。

大切な思い出ができた。

ここでの生活を、決して自分は忘れないだろう。

何故なら――。

 

「とても、楽しかった」

 

そうとしか、形容することができなかった。

 

「そうか。だが、それでは王として(オレ)の威信に関わる。旅人が笑顔で帰るのであれば、土産の一つもくれてやるのが善い国というものだ。丁度、一つ余っていたものがあるから持っていけ。ウルク名物の麦酒だ」

 

王自らが下賜してくれた土産物。拝領しない訳にはいかない。

カドックは手にしていた聖杯をマシュに預けると、ギルガメッシュが宝具の宝物庫から取り出した麦酒入りの容器を受け取る。

心なしか、容器に魔力のようなものが溜まっているようだ。宝物庫の中で他の宝具の魔力にあてられたのだろうか。

 

「王様、これは……」

 

「おっと、皆まで言うなよ、魔眼の娘。なに、何れ役に立つ時がくるだろうよ。ないならないで構わぬ、取っておけ」

 

やがて、本格的にカルデアへの帰還が始まった。

体は大部分が透けてきて、ほとんど色を失っている。意識しなければ手足の感覚まで消えてしまいそうだ。

折角貰った麦酒を落としては勿体ないと思い、カドックは並々と注がれた容器を右手でしっかりと握り締める。

 

「ではさらばだ、カルデアの! 此度の戦い、正に痛快至極の大勝利! 貴様等の帰還をもって魔獣戦線は終結とする! 人理焼却、必ずや阻止して見せよ!」

 

意識が途切れる。

いつものように、何か視えない力に引きずり上げられ、量子と化した肉体が時間の流れを掻き分けていく。

最後にカドックの目に焼き付いたのは、荒廃したウルクに一人、残された王の姿であった。

王が腰かけているのは崩れたジグラットの一部である瓦礫だ。英雄王が座るにはあまりにみすぼらしいものだが、彼は気にせずゆったりと腰かけて消えゆくこちらを見送っている。

その顔は憑き物が落ちたように晴れやかなものだった。

王としての責務、英雄としての宿命、その荷物を降ろす時が来たのだ。

彼が今日まで手にしていたバトンは、カルデアへと引き継がれた。そして、やがて自分達も別の誰かにそのバトンを託す。

生きるとはそういうことで、人類史とはそういうものだ。

だから、カドックは最後に笑うことができた。

誰にも理解されず、孤独に戦い続けた英雄王。そんな男から、人生の万分の一とはいえ未来へと繋がるバトンを託されたことは、大変な栄誉であると。

そして、役目を終えた王は、不敬にも笑って見せた少年が目の前から消え去る最後の時まで、瓦礫の玉座で一人、見守っているのだった。

 

 

 

 

 

 

 

カドック達がカルデアへと帰還したのと同じ頃、冥界でも一つの別れがあった。

 

「はあ……はあ……何とか、基礎工事だけは終わったかしら……」

 

ティアマトにしろカルデアにしろあの英雄王にしろ、こちらが下手に出ているのをいいことに好き放題暴れ過ぎだ。

魂達は事前に避難させておいたから良かったものの、冥界の地形はティアマトとの戦いでズタズタに引き裂かれてしまい、至る所に亀裂や隆起が表れていた。

それをエレシュキガルは、放っておくことができず、冥界の女主人の最後の仕事として、残された力で元の形へと修復したのである。

そして、天井に空いた大きな穴も何とか塞ぎ終えたところで遂に力尽き、杖代わりにしていた槍を落としてその場に塞ぎ込んだのだ。

 

「まったく、冥界の女神が生者――それも人間にタダで力を貸すなんて。自分で課した女神の禁を二つも破るなんて、どうなるか分かってるの?」

 

いつからそこにいたのか、イシュタルが塞ぎ込んだエレシュキガルを見下ろしていた。

その顔は侮蔑や呆れ、そして幾ばくかの気遣いがない交ぜになった、表現の難しい表情を浮かべていた。

 

「それがどうかしたかしら? 私は冥界の女主人。冥界を守るために、一番可能性の高い方法を取っただけ」

 

などと偉そうに嘯いてみるが、思っていた以上に衰弱は進行しており、胸を張って威厳を保つこともできない。

ふと自分の手を見ると、指先から少しずつ塵へと還っていった。

座への帰還が始まったのかと思ったが、残念ながら自分が還るべき場所は英霊の座ではない。

これは消滅の兆候だ。

代償もなく生者には力を貸さない。冥界の女主人として自らに課した戒めを、ティアマト討伐のためとはいえ破ってしまったのだ。

神格は完璧であるが故に神格足りえる。自らが取り決めたルールを破ってしまえば、それは霊基に影響を及ぼすほどの瑕となるのだ。

きっとこの霊基が英霊の座に還ることはない。どこにも行かずに霧散し、消えていくだけだ。

そうなってしまえば、英霊エレシュキガルとカルデアのマスターの間で結べた縁もなくなってしまうだろう。

自分がカルデアに呼ばれる事は、未来永劫に訪れない。

仮に再び召喚されたとしても、それはもう今の自分とは別人だ。この霊基を構成している思いが一片でも反映される事はない。

折角、藤丸立香という友達ができたというのに、次のエレシュキガルが今の自分と同じような好意を抱くことはないのだ。

 

「け、けど、もう一度、初対面から始められるのなら、それはそれでドラマティックじゃない?」

 

「ないわよ! あんたどこまで夢見がちなのよ!」

 

「く、ないかぁ。そうかぁ……私の基本の神性(せいかく)って、今よりちょっとだけ暗いものね」

 

まあ、そもそも呼ばれないのだから気にしても仕方がないのだが。

何しろ、何もかも覚悟してやったことだ。

今の自分が消えてしまうことも承知の上で禁を犯した。

そうなっても良いと思えるくらい、彼に賭けてみたくなったのだ。

人類最後のマスター。

このエレシュキガルの問いかけを否定した、愚かしくも好ましいごく普通の少年。

彼がその在り方を変えないのであれば、今の自分が消え去ってしまっても良いと思えるくらい、彼の事を好ましく思ってしまったのだ。

それに、自分はここで消え去るけれど、エレシュキガルという根暗な神霊がいた事を彼はきっと覚えていてくれる。

彼の心の中で、一本の棘になれたのなら、それは十分すぎる報酬だ。

何千年もの間、たった一人で冥界を盛り立ててきた自分に許される、最高の報酬だ。

ただ、それでも心残りを強いてあげるとするのなら――。

 

「あのもう一人の子とも話しておけば良かったぁ…………何だか、他人な気がしないのだわ…………」

 

「ああ、そうかもね。生真面目で根暗で……って、現世に未練たらたらじゃないの!」

 

「……そうね。誰かさんみたく、ちょっと弾けてみたのよ」

 

「うっ……今更、その話を持ち出す?」

 

気まずそうにイシュタルは顔をしかめる。

あれはいつの事だったか。その日もいつも通り、冥界に堕ちてきた魂達の家を作っていたエレシュキガルのもとに、イシュタルが突然、押しかけてきたのだ。

冥界の防衛装置を強引に突破し、権能を奪い取られて丸裸も同然の状態だったが、それでも煌びやかな美貌は思わず見惚れてしまうほどだった。

とはいえここは冥界の領分で、天上の女主人が土足で上がり込んで良い場所ではない。

当然ながらエレシュキガルは訳を問い質したのだが、イシュタルは罵詈雑言とも言える口上を捲し立て、自らの半身を外界に連れ出そうとした。

何を言っていたのかはほとんど覚えていないが、一つだけハッキリと胸に刻まれた言葉がある。

それを聞いた瞬間、頭に血が上って何も考えられなくなったからだ。

 

『冥界から外に出てみたくはないの!?』

 

気が付くと、エレシュキガルは手にした槍で自らの半身を貫いていた。

何て、贅沢な考え方だろうか。富める者の言葉は、いつだって持たざる者を無意識に追い詰める。

冥界の外に出たいなどと、思わなかった日はない。言葉では否定しても胸の内ではいつも思いが燻ぶっていた。

それでも、冥界のためにその思いに蓋をした。

神々に命じられた冥界の支配。次々と訪れる魂達が少しでも安らげる住まいを提供する。

例えそれが未来永劫に続く孤独な苦行であったとしても、エレシュキガルはそれを受け入れたのだ。

だというのに、イシュタルはそんな気持ちなど露も知らずに、優しさという暴力を振り上げてきた。

だから、追い返した。槍でめった刺しにして、羽虫のように潰してやったのだ。

冥界は、そんな気軽な気持ちで出られるものではない。

神々から甘やかされているお前なんかに、こちらの気持ちはわからない。

だというのに、最後は彼女と同じことをしてしまった。

彼女が冥界への不可侵を破ってまでその一言を言いに来たように、自分も地上への不可侵を破ってカルデアに手を貸した。

何てことだろう。悍ましいことに自分達はやはり、半身の女神だったのだ。

そんな怖気の走る事実を今になって知る事になるとは思わなかった。

 

「言っとくけど、あの時の事は今でも根に持っているからね」

 

「そう。なら、精々、次の私と出会ったら気を揉んでなさい。また串刺しにされたくなかったらね」

 

力なく苦笑する。

腰に提げていた槍檻が音を立てて転がった。

下半身が消えて体を支えることができず、いつの間にかイシュタルに抱き抱えられている形になっていた。

 

「ねえ、あなたはこれからどうするの?」

 

「そうね……まあ、蓄えもあるし、しばらくは地上に残るつもりよ。金ぴかからウルクの財の二割も貰ったし、使い切るまでは愛でながら過ごすつもり」

 

「そう……なら、次の私の事も、任せられそうね。あなたに頼るのは……とても……本当にとても、癪なのだけれど…………」

 

せめてネルガルがいてくれれば、後のことを任せられるのだが、彼はもう地上にはいない。

シュメルの大地に唯一、残った神霊はイシュタルだけなのだ。業腹でも彼女に頼るしかない。

だが、意外にも彼女は快く返事をしてくれた。任せろと。

 

「ま、何かあったら暇つぶしのついでくらいには面倒を見てあげるわ」

 

なんて、如何にも傲慢な彼女らしい口振りで言うのだ。

ああ、やっぱり彼女はあの時から何も変わっていない。

傲慢で、腹黒で、移り気で、強欲で、何から何まで信用のならない女神だけれど――。

 

『冥界から外に出てみたくはないの!?』

 

そう言ってくれた彼女の優しさだけは、信じても良いだろう。

 

「ねえ、イシュタル」

 

「なによ?」

 

「私ね、あなたの奔放なところが、とても羨ましいわ(大嫌いよ)

 

「奇遇ね。私もあんたの生真面目なところ、嫌いじゃなかったわ(気に入らなかったの)

 

冥界の空に光の粒が昇る。

自らの半身に看取られて、冥界の女主人はこの世界から消え去った。

孤独に責務を果たし続けた女神は、その最後の瞬間だけは一人でなく、満ち足りた気持ちで逝くことができたのだった。

 

 

 

 

 

 

曖昧になっていた肉体が、管制室の観測によって実体を取り戻す。

この二年余り、何度も繰り返してきたことだ。

このままゆっくりと意識が体の隅々にまで行き渡るのを待ってから、コフィンを出てロマニ達に帰還を報告する。

それがいつものデブリーフィングの流れだった。

だが、今回は様子が違った。

赤く明滅する視界。

コフィンの外で慌ただしく動き回るカルデアのスタッフ達。

そして、聞こえてくる警告音。

 

――緊急事態発生(エマージェンシー)――

――緊急事態発生(エマージェンシー)――

――カルデア外周部 第七から第三までの攻性理論、消滅。不在証明に失敗しました――

――館内を形成する疑似霊子の強度に揺らぎが発生。量子記録固定帯に引き寄せられています――

――カルデア外周部が2016年に確定するまで、あとマイナス4388時間――

――カルデア中心部が2016年12月31日に確定するまで、後■■■時間、です――

 

外部からクラッキングを受けている。

何者が、という問いは愚問だ。カルデアの外は全てが焼き払われた虚無の世界。残っているものは何もなく、外部からの攻撃などありえない。

魔術王という、唯一人の例外を除いて。

 

「ドクター!」

 

存在証明は完了し、ハッチが開くなりカドックはコフィンを飛び出した。

慌てていたため、段差に躓いてしまうが、痛みで悲鳴を上げている場合ではない。

事態は一刻を争う緊急事態だ。

カルデアは今、魔術王からの攻撃を受けている。

 

「ああ、カドックくん。それに、みんなも」

 

何人かのスタッフに指示を送ったロマニがこちらに向き直る。

カドック以外にも、特異点から帰還した面々が全員、その場に集結していた。

 

「帰ってきたばかりなのにすまない。いよいよ、この時が来た。これはソロモンからの干渉……いや、引き寄せだろう」

 

四人の中でいち早く目覚めさせられたのは、魔術王の聖杯を所持して帰還したマシュだった。

彼女から聖杯を受け取ったロマニは、残った自分達の覚醒作業を他のスタッフに任せて聖杯の解析を行ったのだが、それによって魔術王からこちらの位置を特定されてしまったらしい。

 

「もちろん、それはこちらも同じだ。我々は人類史には存在しない特異点――魔術王ソロモンが潜む特異点の座標を導き出した。結果、カルデアは特異点との融合を始めてしまった」

 

「厄介な事に、空間強度はあっちが上だ。ブラックホールに吸い込まれる恒星のように、このまま引き寄せられればこちらが消滅する」

 

ロマニの言葉を、ダ・ヴィンチが補強する。

もしも衝突を避けられなければ、2016年の終わりを待たずしてカルデアは消滅する。

そうなってしまえば、ここまでの苦労が全て水の泡だ。

 

「ドクター、何か方法は?」

 

「魔術王を倒し、特異点を修正するしかない。幸い、座標は既に判明している。レイシフトはいつでも可能だ」

 

できることなら十分に作戦を吟味する時間が欲しかったが、それは叶いそうにない。

こちらはメソポタミアから帰還したばかりで満身創痍。礼装の補充も不十分だ。

そんな状態で、敵の本丸に殴り込みをかけて首魁を倒す。

なるほど、いつも通りだ。

ならば、何も気負う必要はない。

何も気にする必要はない。

自分達はいつだって、不可能と思える任務を成し遂げてきた。

絶対に乗り越えられない壁を幾度となく乗り越えてきた。

今回もそれは変わらない。

勝って、2017年を取り戻す。それが自分達の最後の任務だ。

 

「そう言ってもらえると助かるよ。ソロモンの目的、光帯の正体、人理焼却とは何なのか、それら全ての疑問はこの作戦で判明するだろう」

 

全員の顔に緊張が走る。

カドックは静かに決意を新たにした。

アナスタシアは不安を紛らわすため、そっとパートナーの手を握った。

立香は言葉を発さなかったが、力強い眼差しは全てを物語っていた。

そして、マシュは――――。

 

「っ…………!?」

 

――呼吸を荒げ、力が抜けたようにその場に倒れ伏す。

真っ先に駆け寄ったのは立香だった。

彼女の手を取り、必死に名前を呼んでいる。マシュも己のマスターに心配をかけさせまいと唇を震わせるが、そこから漏れ出てきたのは言葉にならないか細い声だけであった。

 

「藤丸くん、診せて…………っ、やっぱり、キミは……」

 

「……いい……え、だいじょうぶ……です……」

 

「マシュ、喋っちゃダメだ! ドクター!」

 

「すぐに医務室へ運ぼう! 藤丸くん、手伝って……」

 

「駄目だ、ロマニ・アーキマン!」

 

自分でも驚くくらい、大きな声だった。

ロマニ達だけでなく、管制室で作業をしているスタッフ達の視線までもがこちらに注がれている。

中にはこの一大事に何を言い出すつもりだと、非難がましい眼を向ける者までいた。

 

「ドクター、あんたはここで指揮を執るんだ。特異点へのレイシフト、遅らせる訳にはいかない」

 

「けど、カドックくん、マシュが……」

 

「人類の未来がかかっているんだ」

 

ここは非情に徹しなければならない。

このカルデアで、ロマニの代わりを務めることができる者などいない。

彼が持ち場を離れるだけで、グランドオーダーが機能しなくなる。

最早、魔術王の特異点との衝突は時間の問題。今は一分でも一秒でも時間が惜しいのだ。

 

「あんたは司令官だ。ここで、指揮を執るんだ」

 

「カドックくん」

 

「彼女は……僕が診る」

 

「君が!?」

 

「この一ヵ月、ずっと真似事を続けてきた。あんたには及ばないが、作戦までは保たせてみせる」

 

カルデアには他に医療従事者は残っていない。

ロマニを除けば曲がりなりにも医学に通じているのはこの自分だけだ。

それが例え、実践の中で培われた非合法な技術であったとしても、できることは必ずあるはずだ。

だから、ロマニには管制室で次の作戦の準備を進めてもらいたい。

今はこの一瞬が明日を左右するかもしれない。

彼をここから離す訳にはいかないのだ。

 

「ドクター……わたしからも……おねがい、します……どうか、グランド……オーダー……を……」

 

「マシュ!」

 

「っ…………カルテのパスワードはマギマリの誕生日だ」

 

「ドクター……すまない」

 

視線で謝罪し、立香に手伝ってもらってマシュを担ぎ上げる。

触れた肌は熱く、脈も不規則でうまく呼吸ができていなかった。

恐らく、ビーストⅡとの戦いで肉体にかなりの負担がかかったのだ。

その影響により、造られた彼女の体は予想されていた活動限界を迎えつつあるのだろう。

非情に危うい状態だ。ハッキリ言って、次の戦いに連れていくのは自殺行為だろう。

だが、それでもマシュはきっと戦うことを諦めないだろう。

人理の礎を示すことことが自らの役目であると、己に課しているからだ。

彼女は他の生き方を知らない。

他の生き方などできるはずがない。

だから、最後まで戦うことを選ぶだろう。

なら、友人としてできることは、その思いを少しでも果たせるよう協力することだ。

 

「アナスタシア」

 

「ええ、婦長様……いえ、メディアさんを呼んできます」

 

「カドック、俺にできることは?」

 

「お前は彼女の手を握ってろ! 下手なことはしなくて良い! とにかく呼びかけ続けるんだ!」

 

必ず保たせてみせる。

彼女に無念は抱かせない。

全てを終え、四人で勝利を分かち合うまでは、絶対に死なせはしない。

彼女がいなくなれば、きっと立香は悲しむだろう。

そんな結末だけは死んでもご免だ。

 

「カルデア司令官代理として、これより第一級戦闘状態への移行を宣言する。本日を以てカルデア全職員の人命は、ロマニ・アーキマンが預かる!」

 

管制室を立ち去る間際、ロマニが全ての職員に宣言した。

それは人類の未来を賭けた、遥かな旅路の終着駅。

聖杯探索は大詰めを迎え、後は魔術王との相対を待つばかりだ。

ある者は恐怖を隠して気丈に振る舞い、ある者は言葉少なに決意を新たにする。

逃げ出す者は一人もいない。

人理継続保障機関フィニス・カルデア、最後の旅はすぐそこまで迫っていた。

 

 

 

B.C.2655 絶対魔獣戦線バビロニア

人理定礎値:A++

定礎復元(Order Complete)




七章これにて完結。
次は幕間を一つ挟んで、いよいよ終局です。
終局はそこまで長くならない……はず。

こぼれ話を一つ。
実は最後までイバラキンを出そうか出すまいか迷いました。
没案として天草特攻の時にカドックを連れ戻す役目を与えて、そのまま仲間として居座るなんてネタ考えましたけど、あのタイミングじゃ活躍させにくいということで没になりました。


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幕間の物語 -そして終局へ―

その日、彼らは運命と対峙する。

 

 

 

 

 

 

彼にとってこの旅路は、ゼロに至る物語だった。

持って生まれたもの、今日までの人生で得てきたものを清算する道のり。

濁った汚れが清流で洗い流されるように、自身への卑屈も、他者への妬みも、壁を一つ越える毎に吐き出されていった。

今まで大事に抱えてきた自分自身が零れ落ちていく毎に、彼の心に暖かな光が差し込んだ。

あの日、彼は運命と出会った。

全てはあの時、彼女と出会った瞬間から始まった。

その終着は近い。

彼が何を証明し、何を失い、何を得るのか。

彼が生き抜いた先に出会うものは何なのか。

獣は静かにその時を待つ。

その時こそ、彼は第四の悪と対峙するのだから。

 

 

 

 

 

 

彼女にとってこの旅路は、出会いの物語だった。

今、目の前で苦しんでいる親友も、心配そうに親友を見守っているパートナーも、二人を鼓舞して治療にあたる自分の最愛の人も。

全てはこの第二の生で出会い、育んできた絆であった。

故にこそ、彼女は最後まで自身の力を彼らのために使うと決めていた。

皇女としての自分は既に死んだ。あの寒い地下室で、惨たらしく殺された。その事実が覆ることはなく、この胸の内から無念が消えることもない。

望むものは何もない。

願うものは何もない。

最後まで彼らに寄り添い、共に生きる。

例えこの命を散らす事になったとしても、最後の一瞬まであの人の側で戦う。

それは彼女が自身に課した誓約であった。

生きる事も死ぬ事も諦めていた自分が、最後に取り戻した生きたいという思いであった。

 

 

 

 

 

 

少年はただ、巻き込まれただけであった。

自分は世界の行く末など関係のない、路傍の石であったはずだ。

それが、様々な偶然が重なってこの重大な局面に立ち向かうこととなった。

今でもその認識は変わらない。

恐怖もある。

不安もある。

何度、戦いを経ても足の震えは止まらない。

それでも、前を向いて進む事だけは止めるつもりはなかった。

人は生きていくものだ。前を向いて、上を目指して、一歩ずつ歩き続ける生き物だ。

七つの壁は少年の心を強くした。

恐怖を抱えたまま、生きたいという純粋な願いを押し通せる我欲を与えた。

だから、戦う事から逃げようとは思わない。

成さねばならぬことがあるのなら、例え自分が役者不足であったとしても、その責務から目を逸らすつもりはない。

恐ろしいのは握り締めた熱が消えてしまうことだ。

大切なパートナーが苦しんでいるのに、ただ呼びかけることしかできないことだ。

代われるのなら代わりたい。

熱がいるのなら、この胸を裂いて赤いうねりを与えよう。

だから、どうか最後まで一緒にいて欲しい。

最後まで、笑顔のまま――生きて欲しいと、願わずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

 

少女は世界を知った。

何も知らない無垢で無色な魂は、多くの出会いと別れを経て彩りを宿していった。

ただ終わりを迎えるその日まで、小さな生の実感に満足していた頃の少女はもういない。

この胸の苦しみが生きた証。

この体の痛みが生きていることへの実感。

その喜びがある限り、最後の一瞬まで生きていられる。

だから、そんな顔をしないで欲しい。

心配をかけさせたい訳ではない。不安にさせたい訳ではない。

大切な人が必死で呼びかけているのに、応えられないことが歯痒くて堪らない。

大丈夫。あなたの未来はわたしが守る。

自分はその為に生まれ、今日まで生きてきたのだから。

それでも、もしも願いが叶うのならば――あなたが生きる明日に、どうか自分を――。

 

 

 

 

 

 

男は自ら、不自由であることを選択した。

これは運命だ。

あの時の選択が呼び寄せた自らの運命。

それと対峙する時は遂に訪れたのだ。

この日の為に自分の全てを捧げてきた。

折角の青春を勉学に費やし、寝食を削って準備を進めてきた。

端から見るとそれは地獄のような毎日であっただろう。

いつ訪れるかもわからない破滅に向けて、常に気を張り詰めておく。

そこに求めていた自由なんてなかったが、それでも男は幸福だった。

何故なら、諦めることができたからだ。逃げ出すこともできたからだ。

全ての出来事に目を瞑ることだってできたからだ。。

けれど、男は自分の意思で目を逸らさないことを選択した。

男は初めて、自分の生き方を自由に決めることができたのだ。

男は未来のために、不自由であることを選択した。

その物語の結末は、直に終わりを迎える事となるだろう。

手袋の上から指輪をそっと撫で、これから向き合うことになる真実に思いを馳せる。

いざとなれば、これを使う事も視野に入れなければならない。

果たして、その代償を自分は受け入れることができるだろうか。

それだけが唯一の懸念であった。

 

 

 

 

 

 

王はその瞬間を待ち続けていた。

自分達が辿り着いた答え。それを実践する時が、刻一刻と近づいてきている。

全てが終わった後、この惑星から嘆きは失われるであろう。

悲劇は泡となって消え去り、星の彼方から聞こえる慟哭は最初からなかったことになる。

恐怖。そんなものは存在しない。存在してはならない。

その為の自分達であり、その為の■■■■だ。

全てを焼き尽くして手に入れた力。それを余さず使えば目的は遂げられる。

計算は完璧だ。

懸念事項はないに等しい。

訂正、奴らを放っておけば計画に何らかのイレギュラーが生じる恐れあり。

結末は変わらないが、排除するのが妥当と判断する。

故に王はその瞬間を待ち続けた。

決戦の時は近い。

星詠みどもが芥となって消え去った時こそ、自分達の大偉業の始まりとなるのだから。

誕生の時きたれり、其は全てを修めるもの。

あらゆる生命は、これをもって過去となるのだ。

 

 

 

 

 

それぞれの思いを胸に、最後の一日が過ぎていく。

人類の未来を賭けた一戦。明日を取り戻す戦いまで後一日。

全ては、冠位時間神殿ソロモンにて、決する。

訣別の時は――近い。




決戦前のそれぞれの心境を。
誰が誰かはきっとわかるでしょう。


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終局特異点 冠位時間神殿ソロモン
冠位時間神殿ソロモン 第1節


それは断章の物語。

あらゆる情報、あらゆる痕跡、あらゆる足跡を抹消された語られざる物語。

その事実を知る者は誰もおらず、唯一の当事者は口を閉ざしたまま沈黙を貫く。

だから、これが夢であることはすぐに気が付いた。

何故なら、沈黙を保つ当事者とは、他ならぬ自分自身の事なのだから。

 

『見事だキャスター。これで他の六人のマスター、その全てを排除した。聖杯戦争は我々の勝利に終わった』

 

夢の中で自らの従者に語りかけるのは、自分の友人であり、上司であり、恩人である魔術師だ。

彼はとある大望の為に極東の地で開催されるある魔術儀式に参加した。

万能の願望器を七人の魔術師とそのサーヴァントで奪い合うその儀式の名は聖杯戦争。

彼はこの冬木の地で、血みどろの魔術抗争を勝ち抜き、自らの手を六人の魔術師の血で染め上げたのである。

だが、冬木の聖杯戦争はそれだけでは終わらない。

そも万能の願望器という触れ込みは、参加者を集めるための口実に過ぎない。

確かに聖杯には願望器たる機能は備わっている。その杯に蓄えられた膨大な魔力を用いれば、大抵の願いは叶うことだろう。

しかし、この聖杯が生み出された真の理由は根源への到達。

英霊の座から呼び込まれたサーヴァント達が、役目を終えて再び座へ戻る際に開く穴を固定し、広げるためのものである。

言わずもがな、全ての魔術師にとって根源への到達は一族の悲願。そして、聖杯が真の機能を発揮する為には七騎全ての英霊の魂が必要となるのだ。

魔術師は自らの目的のため、従者をその手にかけるだろう。彼の右手にはそれが叶う絶対命令権、令呪が残されている。

もちろん従者もそれを承知していた。取り決めがあった訳ではないが、聖杯戦争の成り立ちを聞いた時にそうなるだろうという予感があった。

元より仮初の存在。過去の人間が今に干渉するべきではない。例え聖杯の力が人類を救うことも滅ぼすこともできる大いなる力であったとしても、それは今を生きる人間が決めることだ。

だからなのだろう。初めから、自分は使い潰されるものと決め込んでいた従者は、次に魔術師が発した言葉を聞いて我が耳を疑った。

 

『私は協力者であり、功労者である君を大聖杯に捧げる気はない。令呪も使わない。そもそも君には通じない。我ら天体科を司るアニムスフィアは、我ら独自のアプローチで根源に至らなくてはならない。他の魔術師の理論に乗る、などありえない』

 

予想外の言葉に従者は思わず聞き返していた。では、何を望むのかと。

すると魔術師は、迷うことなくキッパリと言い切った。

 

『カルデアスの完成だよ。実のところ、天文台(カルデア)にあるアレは未完成なんだ』

 

惑星に魂があると仮定し、その現身を投射する疑似天体カルデアス。

魔術師がとある僻地に建設したそれは、彼が求める機能にまで達していないらしい。

曰く、出資者を納得させるために組み上げただけで、実用化のためには莫大な費用がまだまだ必要なのだそうだ。

それこそ、彼の出資者達だけでは賄えぬほどの。

 

『カルデアスを回すには一つの国を賄うほどの発電所を、半年間ほど独占しなければならない。だが、私の手持ちの財産といえば虎の子の海洋油田基地、先日なんとか買い上げたフランスの原子力発電所が一基。これだけでは話にならない』

 

滑稽と笑いたければ構わないと、魔術師は自嘲する。

神域の天才が造り上げた魔術炉心(大聖杯)を前にして、悲願たる根源への到達を願わず、俗人のように巨万の富を願うのだから。

だが、従者はそんな主を嘲笑うことはできなかった。

奇蹟を他人の手に委ねず、自ら成し遂げんとする様は尊敬に値する。

そして、彼は自分がまだ活動を続けられるこの十年の内にその仕事を果たさんと冬木の聖杯戦争に参加したのだ。

極東の魔術儀式。真偽定かではない願望器。確かにこれならば他者に借りを作ることも資金繰りに感づかれてライバルに妨害されることもない。

何の痕跡もつけず、何の前兆も見せない方法として、彼はこの聖杯戦争(ショートカット)に身を投じたのだ。

 

『冬木で起きた聖杯戦争は、セイバーとそのマスターが勝利した事にすればいい。卑怯、卑劣な人間のする隠蔽だが、私は何を犠牲にしてもカルデアスを真に起動させる。人理を維持するためにはどうしてもアレが必要だ』

 

彼は魔術師特有の危うさを持つ男だ。一言で言えば道徳が欠けている。

しかし、その胸に燻る熱意は、煮え滾るような人間愛は、揺るぎのないものだ。

その愛は応えるに十分な思いだった。

従者は主の方針を尊重し、静かに首肯する。

世界すら思いのままにできる力を前にして、浅ましい個人の欲望を叶えるという結末に、二人はどちらからというでなく笑みを零していた。

 

『さて、聖杯戦争の勝者は願いを叶える。それはマスターと、そのサーヴァントに資格がある。私は巨万の富を願うが、君はどうする?』

 

思いもしなかった質問に、従者は硬直した。

生前から我欲とは無縁の生き方だった。自らの願いなど持てる筈もなく、自由もなかった。王とはそういうものだった。

けれど、今ならば。

王としても英霊としても役目を終えた今ならば、願うことができるのではないだろうか。

 

『本当に――何を願ってもいいいのだな、マリスビリー?』

 

魔術師はその名を以て確約する。

君の願いならば、きっと正しいものに違いないと。

それを聞いて従者はニタリと口の端を釣り上げた。

初めて、自分の内から出でた思いを口にした瞬間だった。

 

『我が契約者にして唯一の友、キャスター。いや、魔術の王ソロモンよ。その願い、大聖杯は確かに聞き届けるだろう』

 

世界はそこで、暗転した。

 

 

 

 

 

 

作戦決行まで、後十時間。

疲れ果てて眠りに落ちたマスターとその友人に毛布をかけ、アナスタシアは一人、ベッドの上で寝息を立てている親友を見下ろした。

経験が活きたとはいえ、寿命を迎えつつある肉体を生かすというのは困難なことであった。

彼女は何らかの病気に罹患している訳ではない。

治療薬など存在せず、できる手立ても限られていた。

それでもカドックは必死で頭を回し、英霊達にも助力を乞うて何とかマシュを生き永らえさせることに成功した。

ただ、それもどこまで保つかは分からない。

痛みは麻酔で和らげ、体力を回復させるために栄養剤を輸液する。彼女の体はもう、その程度の対処療法しか受け付けないほど手遅れの状態であった。

生命力を活性化させる護符も持たせているが、焼け石に水であろう。

いくら薪を足したところで、種火が消えてしまっては彼女という窯は冷えていくばかりだ。

 

「……ん……ぅ…………」

 

「マシュ?」

 

「……アナスタ……シア……?」

 

「まだ起きてはダメ。もう少し、横になっていなさいな」

 

「はい……すみません、ご迷惑をおかけして」

 

呼吸器越しに小さく笑って見せるマシュを見て、アナスタシアは堪らなく胸が苦しくなった。

本当は怖いはずなのに、彼女は心配をかけさせまいと虚勢を張る。

それは彼女の強さであり、弱さでもあった。

マシュ・キリエライトという騎士。人類最新の英雄は、盾も鎧も本来ならば似つかわしくないごく普通の少女だ。

日々の何気ない幸せを喜び、小さな不幸を悲しめる女の子だ。

そんな彼女は、このカルデアという特異な環境で育ったからなのか、どんな人間であっても持っている自分自身を大切にするという考え方よりも先に、英雄としての在り方を自身に刻んでしまった。

人理の礎を、己のマスターを守る。

覚悟も決意もないまま自身に枷を嵌めてしまった彼女は、如何な恐怖を前にしても逃げ出すことだけはしない。

その背中に守りたいものがある限り、彼女は盾を手放すことがない。その手がどれほど恐怖に震えていたとしても。

 

「怖いのね」

 

それがどれほどの足しになるかはわからないが、アナスタシアは震えるマシュの手をそっと握る。

マシュは一瞬、驚いたように目を見開くが、すぐに表情を緩めて微笑んだ。

 

「はい、とても。でも、わたしは逃げません。最後まで戦います」

 

「マシュ……」

 

「ウルクで、レオニダスさんに教わったんです。わたしの盾は、恐怖を乗り越え分だけ強くなれるって。あの人は、死ぬ事なんて怖くないと仰っていましたが、最後の戦いの時だけ……自分が亡くなった、テルモピュライの戦いの前は恐怖で震えていたそうです」

 

「誰だってそうよ。死ぬ事が怖くない人はいない」

 

「はい。けど、あの人は戦いました。宣託で自分が死ぬ事を知っても、その先に残るものがあるから戦えたと。本当に怖かったのは、国や家族に何も残せず無為に死ぬ事だったんだと。わたしも同じです。とても怖いですが、マスターを…………先輩を守れないことの方が、もっと耐えられません」

 

そう言い切るマシュの瞳には、確かな力強さがあった。

命じられたから戦うのではない。

使命だから戦うのではない。

自分が本心から守りたいものの為に戦う。

失いたくないもの、譲りたくないもののために戦うという、人間ならば誰もが持つ根源的な欲求。

無色だった魂は、ほんの少しだけ染みのような我欲を手に入れた。

その小さな願いが、彼女をここまで強くしたのだ。

立ち塞がる七つの絶望を乗り越えた先に掴んだ願い。それは英霊ギャラハッドとしてではなく、マシュ・キリエライトとして彼女が辿り着いた命の答えだ。

 

「あなたは、英霊としての願いを見つけたのね。聖杯に願ってでも……他の何を犠牲にしてでも成し遂げたい、願いを…………」

 

「はい。ですが、それは最初からわたしの中にあったものなんです。オケアノスでドレイク船長は、わたしは自分の願いを持っているけれど気づけていないと仰っていましたが、今ならハッキリとわかります」

 

それが何なのか、問うまでもないだろう。

彼女の願いは彼女だけのもの。その領域に自分のような部外者が足を踏み入れていいものではない。

きっと彼女の願いは透き通るように純真で、水晶のように輝かしいものだ。

その輝きが失われるその時まで、彼女は盾を振るい続けるだろう。

恐怖を飲み込み、明日の為に立ち上がって前に進む。

それはヒトの営みそのもの。生きるという本質を表している。

マシュに残された命は後僅かでも、彼女はそれを不幸とは思わない。最後の一瞬まで、彼女は自らの脚で立って歩く事ができるのだから。

 

「あ、でも……」

 

「でも?」

 

「一つだけ……いえ、一つと言わず未練はたくさんあるのですが、それでもわがままを言わせてもらえるのなら…………」

 

寝息を立てている二人には万が一にも聞かれたくないのか、消えてしまいそうなか細い声でマシュは細やかな未練を告げる。

それを聞いたアナスタシアは、任せなさいとばかりに懐からあるものを取り出した。

何て愚かで愛らしく、そしていじらしいのろう。

それは消えゆく命が持つには当然の願いであったが、彼女は今日に至るまでそれを口に出すことができなかったのだ。

そして、どうせやるからには楽しまなければならない。

幸いにもカドックと立香はもうしばらく、目を覚ましそうにない。後始末はシュヴィブジックを使えばどうとでもなるだろう。

マシュには申し訳ないが、普通にそれをしたのでは彼女のマスターが悲しむだけだ。

だから、ここはロマノフの皇女(北国のあくま)の本領発揮といこう。

手にしたそれと、新たにポケットから取り出したそれを弄びながら、アナスタシアはどことなく邪悪な笑みを浮かべるのであった。

 

 

 

 

 

 

予定よりも早く、管制室には全員が集合していた。

そこで行われるブリーフィングもこれで最後となることだろう。

長かった聖杯探索の旅路もこれで終わる。泣いても笑っても、これが最後のレイシフトだ。

 

「みんな、揃ったね」

 

全員の顔を見まわし、ロマニは切り出す。

事態は既に最終局面。いつもは談話なども交えながら軽い調子で始める彼の表情も、今は真剣そのものだ。

 

「まずはお礼を言おう、カドックくん。よくボクの代わりを務めてくれた。そして、マシュ――マシュ・キリエライト。キミの意思は、固いと見て良いんだね?」

 

「はい、ドクター。わたしはこの決戦に――最後の特異点探索に志願します。やらせてください」

 

「……わかった」

 

苦渋の決断であることは、誰の目にも明らかだった。

マシュの体は既に限界だ。この一日の間に出来る限りの処置を施したが、体調が改善することはなかった。

それはカドック自身の知識や技術の限界ではない。例えロマニが処置を行っても結果は変わらないだろう。

マシュの寿命は尽きつつある。恐らく長時間の作戦行動も不可能だ。

それでも彼女は最後のレイシフトに参加すると譲らなかった。

戦えば残された寿命が更に縮む事も承知で、マスターと共に最後まで戦うことを選んだのだ。

親代わりを自称するロマニにとって、彼女の決断は到底、受け入れがたいものだ。それでも彼はカルデアの司令代行として、彼女を死地に送らねばならない。

その心中はとても穏やかではいられないだろう。

 

「……続けよう。我々は遂に魔術王の本拠地、通常の時間軸の外にある特異点を突き止めた。当カルデアはこれより、この特異点との接触を開始。この施設ごと、敵の領域に乗り上げる」

 

今までの特異点と違い、魔術王の居城は時間軸の外にある。

乗り込むためにはどうしても接触し、その接地面をアンカーとして利用しなければならない。

当然、出入りはそこからしかできないし、カルデア自体が敵に襲われる危険性も高い。だが、魔術王の元へ乗り込む為にはこの方法しかないのだ。

計算上、カルデアが特異点との時空融合に耐えられるのは七十二時間。それまでの間に魔術王を打倒し、カルデアへ帰還しなければならない。

 

「つまり、上陸作戦というわけだ。キミ達は敵地に乗り込んだ後、魔術王がいると思われる玉座を目指すこととなる。だが、そのためにはまず城門を破らなければならない」

 

そこから先はダ・ヴィンチが説明を引き継ぐ。

曰く、魔術王の居城たる特異点は一つの小世界ともいうべき概念宇宙と化している。いわば宇宙の極小スケールモデルだ。

特異点の中心には計測不可能なほどの魔力が渦巻いており、カルデアはこれを魔術王の玉座と仮称。本作戦の最終目標はここを攻略した後、帰還することと定められた。

しかし、解析の結果、この玉座に繋がるルートは塞がれている状態であり、そのままでは玉座へ侵入することができない。

そこで、作戦の第一段階として敵領域そのものの破壊が挙げられた。

 

「敵領域は一つの生命であり、末端から中心にエネルギーを送り込んでいる。だから、まず末端を破壊する。そうすれば玉座を守る城門も瓦解する、というワケ」

 

「周囲の施設から破壊し、魔力の供給を止める……というワケですね」

 

なるほど、まるで城攻めだ。

敵の兵糧を押さえ、丸裸にした後に本丸を叩く。

既にダ・ヴィンチの解析で特異点の構造は概ね把握できているため、魔力を供給している拠点の位置も特定できているとのことらしい。

そうなると問題は、限られた時間でそれをこなすことができるのかということだ。

カルデアが時空融合に耐えられる七十二時間。これは希望的観測だ。魔術王が物理的な攻撃を仕掛けてこないとも限らない。

たったの二騎のサーヴァントでいくつもの拠点を攻め落とすことは非常に難しいだろう。

 

「ああ、だから今回は他のサーヴァント達にも同行してもらう。今まで、キミ達の活動に支障が出ないよう極力、現地のサーヴァントをスカウトしてきたけど、今回はそれも望めそうにないからね」

 

サーヴァントとの契約は、魔術師が持つリソースを切り取って分け与えるようなものだ。

未熟なマスターがトップサーヴァントを従えても、必要な魔力を供給できず性能を十全に発揮できない。

存在維持や宝具の使用に必要な魔力はカルデアの電力から賄われるとはいえ、場合によっては供給が追い付かなかったり、不測の事態でカルデアとのパスが途絶えることも今までは多々あった。

だが、今回はそんなことを気にしている余裕もない。戦力はこちらの方が圧倒的に劣勢なのだ。

ロマニはその辺も考慮にいれ、比較的負担の少ないサーヴァントを七騎、ピックアップしてくれたらしい。

彼ら彼女らが各拠点を攻撃し、押さえている隙にカドック達は魔術王が待つ玉座を目指す。

それが本作戦の大まかな概要との事だ。

 

「わかっているとは思うけど、大切なことは無事に戻ってくることだ。特異点の基点となる魔術王を倒せば、この特異点は消滅する」

 

「戦場からの離脱……確かに経験がありませんね」

 

「いざとなったら、君のヴィイに引きずってもらってでも戻ってくるさ」

 

「ああ、その意気だ。みんな、最後まで気を抜かず、入口まで戻ってくるんだ。キミ達をレイシフトでコフィンに帰還させ次第、カルデアは侵食された区画をパージして通常空間に転移する。それでこの戦いはおしまいだ。人類の、そしてカルデアの大勝利というオチでね」

 

いつもの調子を崩さぬダ・ヴィンチの存在が、今日は特にありがたい。

その能天気な言葉を聞いていると肩の緊張も抜け、自然体の力が戻ってくる。

困難な作戦だ。

こちらを気遣ってのものだろう。ダ・ヴィンチの言葉には、魔術王を倒せるのかという命題が意図的に伏せられていた。

ソロモン王は魔術の祖。魔術師の頂点に君臨する冠位(グランドクラス)

その力の一端は、ロンドンでの短い対峙で嫌という程思い知らされた。

今でも思い返せば恐怖が蘇る。

だが、もう迷っている暇はないし、逃げるつもりもない。

最後までカルデアの一員としてグランドオーダーを遂行する。それがあの北米の地で胸に刻んだカドックの誓いだった。

 

「敵特異点に侵入し、七つの拠点を破壊。中心部に侵攻し、ソロモンを倒す。その後、崩壊が予想される玉座から離脱し、接触面からカルデアに帰還する。作戦内容は以上だ。みんな、何か質問は?」

 

「ありません」

 

「大丈夫だ」

 

ロマニの問いに、立香とカドックそれぞれ言葉を返す。

すると、ロマニはしばらくこちらのことを無言で見つめた後、静かに切り出した。

 

「…………情けない。この期に及んで覚悟ができていないのはボクだけのようだ。けど、キミ達の目を見て励まされたよ」

 

「ドクター・ロマン」

 

「カルデアの所長代理として、キミ達にコフィンへの搭乗を命じる」

 

「はい」

 

力強く頷き、それぞれのコフィンへと向かう。

残された時間は少ない。カルデア内の時間が2017年に到達した時点で、人理修復は不可能となってしまう。

人類は誰もが気づかぬまま魔術王によって殺されてしまった。

ソロモン王が生きていた時代から緻密に積み上げられた、人類史最長の殺人計画。

この敗北から始まった戦いも、遂に終わりを迎える。

勝って奪われた未来を取り戻す。

そのために、自分達は死地へと向かうのだ。

 

――全行程 完了(クリア)――

――最終グランドオーダー 実行を 開始 します――

 

いつものアナウンスがレイシフトの開始を告げる。

視界が暗転し、意識までもが量子化されて未知なる領域に投射される。

異変が起きたのは、その時であった。

 

 

 

 

 

 

「何だ、何がどうなっている!?」

 

管制室にスタッフの怒号が木霊する。

いつものようにレイシフトがスタートする直前、カルデア全体に衝撃が走ったのだ。

次いで、スパークする幾つもの機器。エラーを起こしたコフィンが次々と開閉され、中からレイシフト予定であったサーヴァント達が排出される。

 

「っ、やれやれ、酷い目にあった……ロマニ、君は無事かい?」

 

体の調子を確かめながら、ダビデ王が聞いてくる。

更に横からはブーディカ、清姫、ジキル、ジェロニモ、べディヴィエール、ジャガーマンがコフィンから這い出てきた。

全て、本作戦のためにロマニが選別したサーヴァント達ばかりだ。

 

「ムニエル、カドックくん達は!?」

 

「ああ、コフィンに問題はない。正常に稼働している!」

 

「なら、クラッキングか! だが、知らないぞ! こんなことができるなんて、ボクは知らないぞ!」

 

マスターと共に魔術王の居城――時間神殿へとレイシフトするはずのサーヴァントだけが魔術王によって弾かれてしまった。

先ほどの衝撃は、レイシフトを阻害するために時間神殿から行われたカルデアへの攻撃だったのだ。

確かに魔術の祖――とりわけ召喚術に精通したソロモン王ならば、英霊召喚の理論を応用したレイシフトを阻害することもできるかもしれない。

だが、理論的に可能なのかということと、実際に行えるのかということは別だ。

少なくともロマニ自身はこんな方法が存在することなど思いもしなかった。

 

「落ち着くんだ、ロマニ。それで、マスター達は?」

 

「あ、ああ。大丈夫だ……存在証明はできている。レイシフトは成功だ」

 

どうしてマスターと二人の正サーヴァントだけがレイシフトに成功したのかはわからないが、今はダビデ王の言う通り、彼らのサポートを行う事が先決だ。

彼らの存在証明、周囲の索敵、進行ルートの指示、タイムテーブルの把握。やるべきことは非常に多い。

だが、そんな彼を嘲笑うかのように、新たな異変がモニターに表示される。

時間神殿からの更なるクラッキングだ。

写し出されたのはロマニ自身もよく知る人物。

緑色の、クラッシックなスタイルに身を包んだ魔術師。

かつての友にしてカルデアに大きな被害を出した裏切り者。

レフ・ライノールだ。

 

『やあ、健勝そうだね、カルデアの諸君』

 

まるで懐かしい顔触れとの再会を祝うように、レフは帽子を持って一礼する。

ただし、その顔には張り付いたかのような仮面の笑みを浮かべたままの、慇懃無礼な挨拶だ。

 

「レフ教授……」

 

「いや、この反応は……メソポタミアの時と同じ……獣のクラス、ビーストの反応だ!」

 

あのティアマトと同じビーストの反応。即ち、人類悪がそこにいる。

レフ・ライノールがそうなのではない。その後ろにいる真の黒幕。

魔術王その人が人類悪なのだ。

この特異点は、悪意なき人類愛で形作られた王自身の庭なのだ。

 

『おお、さすがは万能の天才。少しは鼻が利くようだ。そして、よくぞここまで彼らを導いたものだな、ロマニ・アーキマン』

 

「何のことかな、レフ・ライノール?」

 

『なに、私はこれでも人間の機微をよく理解している。未熟なマスターであった藤丸立香の努力には感心しているし、カドック・ゼムルプスが獣に食い殺されることなく、ここまで無事でいることも称賛しよう。まったく――――吐き気を催す程の生き汚さだ』

 

心底から気に入らないとばかりに、レフはモニターの向こうで吐き捨てた。

 

『どうしてこう、行儀よく死ぬなんて、誰にでもできる簡単な事ができないんだい? それを美徳と説くのなら、それこそ人間は唾棄すべき存在だ。そんなことをしたところで、最後には必ず死ぬというのに』

 

「正直、今でも信じられないよ、レフ教授。あなたはとても優秀な人間だった。あなたが開発したシバがなければ、グランドオーダーを実行することすたできなかっただろう」

 

『私がいつから、魔術王に与していたかを知りたいのかね? そんなもの、三千年前からに決まっているだろう。この計画が始まった時から、我々はあらゆる伏線を世界に撒いた! 百年後に魔神柱になる家系、五百年後に魔神柱になる家系、そして遥かな千年後に魔神柱になる家系! 私はその中の2015年担当だったに過ぎない! マキリ・ゾォルケンも然り、我々はそのように地に撒かれた種だったのだよ』

 

何とも迂遠で長大な計画だ。

魔神柱の種はそれを埋め込まれた者達の子孫繁栄と共に脈々と受け継がれていき、それぞれが定められた時代になると開花することでその魔術師は魔神柱の依代となる。

レフ・ライノールもまた、そんな呪いを刻まれた一族の一人だったのだ。

カルデアを訪れた彼は、魔術王とは何ら関係がない形でシバを組み上げた。後に自らが敵対する者達と交友を重ね、その時が来た瞬間、スイッチを捻るように存在ごと反転したのである。

 

『回収する資源は、私が存在した2015年までで十分だった。君達は成す術もなく我々に焼き尽くされるはずだった。だが、私の観察眼をすり抜けた食わせ者がいたようだ。ロマニ・アーキマン。私は君を過小評価していたようだ。それともそうなるように、私の前では道化を演じていたのかな? 君さえいなければ生き残ったカルデアも纏まらず、彼らもここまで辿り着けなかったはずだ』

 

「…………」

 

レフの言葉にロマニは答えることができなかった。

隠していたことがある、それは事実だ。

あの日が訪れるまで――いや、今日という日まで自分は周囲を欺き続けてきた。

理由は分からず、誰が敵になのかも分からず、そもそも本当に起こるのかどうかも保証がない。

そんな夢に見た程度の人類の危機を信じて、人生の全てを投げ出してきた。

起こる筈のないものを、起きると信じて待ち続ける。

誰が敵なのかも分からず、何を学べば良いかも分からないから、出来る事は手当たり次第に学び尽くした。

何が起きても良いように、あらゆることに備えてきた。

ひと時とて休まる事のない自由な世界を、ロマニ・アーキマンは懸命に生き続けてきた。

 

――だから、謝罪しようレフ・ライノール――

――わたしはきみに、こころをゆるしたことなどなかった――

 

それが、ロマニ・アーキマンという人間が選んだ自由の代償だった。

 

『ふん、答える気がないのならそれはそれで構わない。私と君の友情は、そこまでのものだったということだ。そして、その努力が報われることもない。レイシフトへの介入は我々でも、繋がりの薄い影共を弾くことしかできなかったが、ここでマスターが死ねばそれまでだろう?』

 

「やはり、レイシフトを阻害したのはキミ達だったのか」

 

その口振りから察するに、彼らでもマスターや正規契約を結んだサーヴァントまではレイシフトを阻害できないのだろう。確かに弾かれたサーヴァント達は皆、仮契約の者ばかり。冠位の魔術とて万能ではないということだ。

だが、それでもマスターの二人が窮地であることに変わりはない。

戦力はマシュと皇女の二人のみ。対して敵は、七十二の魔神達だ。

 

『我らの王の計算も、あと数時間で終了する。それまでに私の不始末を、ここで解決するとしよう。貴様らが玉座に辿り着く事は――絶対にない!』

 

 

 

 

 

 

星のない宇宙に浮かぶ異空間。

いくつもの魔神柱が絡み合ったかのような廃墟の神殿――時間神殿ソロモンにて、獣の叫びが木霊する。

 

「聞くがいい、我が名は魔神フラウロス! 七十二柱の魔神が一局、情報を司るもの!」

 

見る見るうちにレフ・ライノールの姿が崩れていき、醜悪な肉の柱が天を衝く。

鼓動のように脈動する表皮、表面に羅列するいくつもの眼球、見るだけで正気を削られるその姿は、この旅路の中で何度も目にしてきた魔神柱のそれだ。

魔神の名を冠した獣。フラウロスとなったレフは顕現と共に魔力を爆発させ、視界に映る全てを焼き尽くさんとする。

魔神柱が共通して持つ強力な魔術攻撃、焼却式。

一たび放てば堅牢な城塞も瞬く間に溶かし尽くし、人間など灰も残らない。

それをフラウロスは、何の予兆もなく全力で解き放ったのだ。

それも一度きりではない。

二度、三度、周辺を焼き尽くし、大地が抉れるまでフラウロスは焼却式を連射する。

初手から全力を放ち、有無を言わせぬ波状攻撃で殲滅する。それだけでも彼らの本気の度合いが読み取れる。

だが、魔神は大いなる勘違いをしていた。

対峙するマスターの二人が、この程度の絶望で屈するような弱き者ではなかったこと。

そして、共に戦う二騎のサーヴァントの力が、この旅路を通じて絶望を容易に上回るほど強まっていたことだ。

 

「――『いまは遥か理想の城(ロード・キャメロット)』!」

 

炎の中から現れたのは白亜の城。

魂すら焼き尽くす焼却式の直撃を受けてなお、その輝きは陰るどころか益々、光を増している。

その堅牢さは盾を振るう騎士の魂の形。彼女が屈せず、堕ちない限り決して破られることはない破邪の守りだ。

 

「『疾走・精霊眼球(ヴィイ・ヴィイ・ヴィイ)』!――」

 

白亜の城より放たれたのは呪いの視線。

焼却式を放ち、一時的にオーバーフローを起こして無防備となったフラウロスの全身を隈なく射抜き、無数の弱点を創出する。

直後に撃ち込まれたのは圧力すら伴う猛烈な吹雪だ。

凍り付くなど生ぬるい。受け止めた肉の体が風圧で押し潰され、成す術もなく崩壊していく。

無限の再生力を持つはずの魔神の体が、溶けるように崩れていったのだ。

 

「よし! 今更、魔神柱の一本や二本……なにぃっ!?」

 

目の前で起きていることが信じられず、カドックは戦慄する。

消滅したはずの魔神柱。それが再び姿を現したのだ。

再生や時間逆行が行われた気配はない。そこに何の魔術的痕跡は見当たらない。

自分の目が確かならば、魔神柱フラウロスはたった今、新たな体を得てこの世界に生れ落ちたのだ。

 

『うわっ、今度は何だ!?』

 

『外部からの衝撃です! 第二攻性理論、損傷率60パーセントを超えています!』

 

『北部管制室、ロストしました! 天文台ドームに過度の圧力を確認! ドームが破壊されれば管制室の不在証明が保てません!』

 

『疑似霊子演算精度、クオリア域を脱落! 攻性理論の強度、低下していきます!』

 

『館内の電気供給を中央以外カットしろ! 炉心からの電力は全て攻性理論とカルデアスに使え!』

 

『霊子演算用のスパコンには私のヘソクリ(リソース)を回す! だが、ロマニ、これはまずいぞ! カルデアを襲っているのは、魔神柱だ!』

 

混線する通信。

飛び交う言葉だけでも向こうの異常が伝わってくる。

そんな中でもロマニとダ・ヴィンチは的確な指示を各所に送っていた。

だが、その抵抗も焼け石に水だ。

今、カルデアを襲っているのは他ならぬ魔神柱そのものだ。

幾本もの魔神柱がカルデアに巻き付き、締め上げているのである。

 

「私は不死身だ。我々は無尽蔵だ。この空間すべてが我々なのだから!」

 

フラウロスの言葉に応えるように、地形に変化が訪れる。

彼が顕現せよと同胞達に呼びかけるごとに大地が割れ、無数の眼球を備えた肉の触手が姿を現したのだ。

その光景は北米で対峙した『二十八人の戦士(クラン・カラティン)』を髣髴とさせる。

だが、規模は明らかにそれ以上だ。目の前に広がる空間そのものが魔神柱によって侵食されていく。いや、この空間自体が魔神柱によって擬態したものだったのだ。

 

「我らは常に七十二柱の魔神なり。この大地が、玉座がある限り、我らは決して減りはしない! 私を殺したければ七十二の同胞、全てを殺し尽くす事だ!」

 

そんなことは不可能だがなと、フラウロスは勝ち誇ったかのように哄笑する。

確かにその通りだ。騎士王の聖剣を何本束ねたところで、全ての魔神柱を消し飛ばすことなどできないだろう。

同胞が一柱でも生き残っていれば、即座に魔神柱は失われた数を補填する。

自分達が敵対しているのは七十二体の魔神なのではなく、七十二柱という一つの概念存在なのだ。

個にして群、群にして個。

独立した意思を持ちながらも蟻のように群体として存在する奴らを滅ぼすことなど不可能なのだ。

 

「……それでも!」

 

藤丸立香が毅然とフラウロスを睨みつける。

やはり、彼は諦めない。

この絶望的な状況で、何一つとして打つ手がないこの現状で、彼は生きることを諦めない。

何もできないと決まった訳ではない。

打つ手はなくともやれることはあるかもしれない。

それが万に一つしかなくても、彼は必ずそれを掴み取る。

そのまっすぐな姿勢に感謝を述べたい。

おかげで自分は――自分達はまだ戦える。

 

「はい、まだ敗北した訳ではありません!」

 

まず盾の騎士が立ち上がる。

大地の揺れに足を取られながらも、戦意を奮い立たせて盾を構える。

そんな彼女のふらつく足を、支える者がいた。

 

「ええ、私達のマスターは、こんなところでは終わりません」

 

親友を支える魔眼の皇女が、全てを見抜く邪視で以て相対した魔神を睨む。

無論、いくら弱点を付与したところで数本の柱を消し飛ばすのがやっとだ。

異形の柱は忽ちの内に失った同胞を迎え入れるだろう。

だが、それがどうしたと言うのだ。

 

「何があっても、逃げないという事だけは決めていた。ここにいる全員が、そんな大馬鹿野郎だ」

 

最後に、少年は静かに告げる。

無謀な進軍だった。

吹雪が荒れ狂い、津波のように押し寄せる焼却式を白亜の城が受け止める。

余波を受けて数本の柱が融解し、一息を入れる間もなく同じ場所に新たな柱が誕生した。

七十二の魔神柱を相手に果敢に攻める勇者達。しかし、そびえる壁は厚く彼らはなかなか前へと進めない。

ただ悪戯に傷ついていくばかりだ。

 

「まだ抗おうとするか! 諦めが悪いのは十分に理解した! それが通用したのは昨日までだ!」

 

フラウロスが嘲笑う。

それでも進軍は止まらない。

退くな、止まるな、突き進め。

ただ真っすぐに、彼らは玉座を目指す。

例え勝ち目はなくとも、万に一つの勝機が億に一つとなろうとも、歩みだけは止まらない。

最後まで生きる。

それは四人が共有する願いであった。

 

「マシュ!」

 

立香が叫ぶ。

無数の魔神柱からの攻撃を受け止め続け、遂に盾の騎士は膝を屈する。

盾は無事でも担い手が保たない。その手は見るも無残に焼け爛れ、これ以上は盾を持ち続けることが不可能であることを物語っていた。

 

「アナスタシア!」

 

咄嗟に、カドックはパートナーの名前を呼び掛けてしまう。

吹き荒れる嵐など物ともせず、隆起した魔神柱が皇女の痩躯を突き上げたのだ。

間一髪でヴィイが受け身を取るが、僅かに寸断した意識の隙を突くように無数の魔神柱が寄り集まり、その眼に凶悪な光を灯す。

渾身の焼却式を持って、こちらを焼き尽くすつもりのようだ。

最早、それぞれのパートナーは満身創痍。身を守る術はもう残されていない。

終わりだ。

これ以上はもう、前に進むことができない。

長かった旅路の終わり。

凡人でしかない自分が、答えを見つけて星のない宇宙にまで辿り着いた。

できることを精一杯やって、前のめりに倒れる。

良いじゃないか。

ここで終わってしまっても、誰も文句は言わないだろう。

今までの自分ならば、きっとそうだっただろう。

 

「違う……こんなはずじゃないんだ!」

 

腕に力がこもった。

足が僅かに踏ん張った。

倒れ込みながら、転がりながら、それでも更に体を前に押し込んだ。

こんな結末には納得ができない。

例え三秒後には焼き尽くされる運命にあろうとも、この体はまだ終わりではないと叫んでいる。

だから、前に進む。

少しでも先に、届かぬ星に手を伸ばす。

暗き空に流星が流れたのは、その時であった。




最終章開始。
でも、CCC復刻があるので更新は今までより遅めになると思います。

それにしても彼女はピックアップ2に来るんですかね?
きたら財布が死ぬ自信があります。


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冠位時間神殿ソロモン 第2節

ふと予感を感じ、青年は作業の手を休めた。

どれくらい没頭していたのだろうか。足下には幾つもの譜面が散らかっており、先刻から断続的に訪れる縦揺れは激しさを増して今は椅子に座り続けていることも困難だ。

照明もいつの間にやら消えていた。気が付かずに作業を続けられたのは、自分が仮にも魔術師だからなのか、そういう性分の人間だからなのかはわからない。

何れにしろ、暗闇が妨げにならないのなら、蝋燭に火を灯すまでもないだろう。

青年は再び、作業を再開する。

かつての生涯において、最後の作品となったあの曲を書き綴った時のように、己の執念を賭けて彼らの為の一曲を紡ぎ上げんとする。

だが、先ほどまで泉の如く溢れていた音楽が、ピタリと止んでしまった。

こんなことは今まで、一度としてなかった。

自分の中には常に最高の音楽が奏でられており、作曲とはそれを譜面に起こすことだ。

煮詰まる事はあってもそれは気乗りしないからで、スランプに陥ったことは決してなかった。

なのに、今回に限ってはいくら我が身の内に耳を傾けようとも新たな音は聞こえてこない。

生涯において向かい合ってきた音楽という魔物。神のように慈悲深く、悪魔のように傲慢なあいつがそっぽを向いたのだ。

そこで初めて、神に愛された男は自ら筆を置き、散らかった譜面を拾い上げた。

一枚一枚、丁寧に拾い上げて順番に重ねていく。真新しい紙面に綴られている音符には手直しの跡は一切、見られない。

そんなことは一度もしたことがない。

思うままに内なる音楽を解放する。それが彼の才能であり、呪いでもあった。

 

「どうした、書き上げていかないのか?」

 

どこからともなく声が響く。

ここにはいないはずの者の声。

彼がよく知るはずのその声は、彼の知らない情動が込められていた。

唸るように、呪うように、敬うようにその男は語りかけてくる。

憧れと妬みと怒りと憎しみと敬愛が入り混じった、オーケストラのような響きであった。

彼の抱いた思いを言葉で表してはいけない。口に出した瞬間、燎原の火はこちらを焼くことになるだろう。

そんな覚悟を抱かせる、悲痛な唸りであった。

 

「頃合いだよ。どうやら僕は、鎮魂歌だけは書き上げられない宿命にあるようだ」

 

呼ばれている。

それはここにいる自分ではなく、いつかの時代で共に戦った自分な訳だけど、そう違いはないだろう。

どのみち、役立たずの音楽家はさっさと霊基保管室に籠った方がみんなの負担も減るだろう。

それでも危険と迷惑を押して自室に残り続けたのは、彼らの為に鎮魂歌を書き上げようと思い立ってのことだったが、それももう叶わない。

運命は告げているのだ。その曲が奏でられるのはまだ早いと。

 

「なに、あいつらとは浅はからぬ因縁でね。ちょっと行って懲らしめてくるさ」

 

「おぉ……! ゴットリープ・モーツァルトォォ……神に愛された男よ。鎮魂は……貴様にこそ必要だ。貴様が戦ってきた全てに対する鎮魂が…………」

 

「ああ、そう言ってくれるのかい、灰色の男よ」

 

生前にもこんなやり取りがあったのかは覚えていない。

自分でも、どうして最後に鎮魂歌なんて書こうと思ったのか、よく覚えていないのだ。

ただ、あの時の自分は憑りつかれたかのように作曲に没頭し、そのまま生涯を閉じた。

思い返せば、運命が追い付いた瞬間だったのだろう。

神に愛された天才は、本来ならば魔神の一族であった。

その内なる囁きは獣の叫び。人々を魅了する音楽は、正しく悪魔の才能だった。

だが、彼はそうならなかった。

彼はとっくの昔に音楽に魂を売っていて、その血脈に刻まれた呪いは開花することなく彼と共に滅びていった。

代償は孤独。

魔の才能は彼に栄光と破滅をもたらした。

類まれなる音楽の才能と引き換えに、決して途絶えることなき獣の誘惑を囁き続けた。

身を任せれば呑まれてしまう。

愛した音楽すら忘れ去り、大切だった思い出も消え去って、この世界に牙を剥く人類悪と成り果ててしまう。

故に彼は生涯を賭けて音楽と向き合い続けた。それは他者には分かり得ぬ苦悩であり、真に理解者と呼べる者は最後まで現れなかった。

だが、彼は運命に勝った。

彼の音楽は魔神の血脈を押さえつけた。その根幹にあったのは幼き日の出会い。再会が叶わずとも、別々の伴侶と結ばれても、色褪せることなく抱き続けた彼女への思いが彼を最後まで人たらしめた。

その生涯に対する鎮魂を、この灰色の男は願ったのだろう。

 

「ああ。だが、それは僕であって彼らではない。彼は必ず獣を打ち倒し、ここに戻ってくる」

 

綺羅星の如き英霊達の中で、彼だけは気づいていた。

獣に連なる因果故か、彼だけは少年の危うさを見抜いていた。

少年が真に立ち向かうべき悪は、憐憫に非ず。

彼が彼のままでは時を待たずしてその身は喰われていただろう。

恐れた彼は引き延ばしを図った。

柄にもなく教えを説き、キッカケを与えた。

彼が彼のままでは悲劇は免れない。だが、人は変われるのだ。強い思いがあれば、運命を変えることができる。

こんな音楽にしか能のない男でもできたのだ。明日に希望を抱く少年に成し遂げられない道理はない。

故に確信する。

少年は、比較の向こうに辿り着くだろうと。

 

「アマデウス……我は……貴様を……貴様を……」

 

「さようなら、灰色の男。もしも、どこかで出会うことがあったのなら、それはきっと違う僕なのだろうけど……その時はこの首をやってもいい。そんな機会があればだけどね」

 

幻想の中の灰色の男が消える。

神に愛された天才は、自室を後にして明かりの消えた通路の向こうへと消えていった。

後に残されたのは書きかけのまま残された鎮魂歌のみ。

それはもう、必要がないものだ。

彼らに必要なものは鎮魂ではなく星の明かり。

明日を切り開く輝きだ。

その予感は実感へと変わり、この天文台に集いし英霊達に伝播していく。

呼ばれている。

自分達のマスターが、まだ諦めたくないと願いを告げている。

ならば応えよう。

ならば誘おう。

終局へ、最後の時へ、人類悪が待つ玉座へと彼らを押し上げよう。

さあ、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ。

 

 

 

 

 

 

足が縺れる。

倒れ込んだ痛みは感じなかった。

痛覚などとっくの昔に麻痺していた。

それよりも心が痛い。

歩みが止まってしまったことの方が悔しい。

これ以上はどうにもならないと、頭の中の自分が告げている。

迫りくる焼却式。

三秒先の未来で己を焼き尽くす炎を、カドックはただ見ていることしかできなかった。

全てが無為に終わる。

第一特異点での反抗が。

第二特異点での情熱が。

第三特異点での冒険が。

第四特異点での探求が。

第五特異点での進軍が。

第六特異点での生存が。

そして、第七特異点で得た答えが無為に終わる。

何もかもが、ここまで積み上げてきた全てが崩れ去ってしまう。

 

カドック(マスター)……!」

 

「っ……」

 

砂を握り締める。

もう、終わりだ。

心の底から、その認めがたい真実を肯定する。

目の前の現実を飲み下し、無様に頭を垂れる。

空が見えない。

星が見えない。

俯いたままでは何も見えない。

それが最後の抵抗だったのだろう。

せめて、上を向いて終わろうと、カドックは項垂れた顔を上げて自らを焼く炎を見やる。

すると、彼女はそこにいた。

 

「我が旗よ、我が同胞を守りたまえ!」

 

見覚えのある背中だった。

視界を焼く炎よりも尚、眩しい輝きだった。

この世の全ての汚濁の中にあっても尚、失われぬ神聖さがあった。

敢然と掲げられた旗は救世の誓い。

神に祈りを、同胞には守りを、遍く大地に祝福を。

世界を焼き尽くす炎を受け止めながら、救国の聖処女は振り向くことなく語りかけてきた。

 

「そうです、諦めるのはまだ早い。何故なら、あなたは確かに口にした。『こんなはずではなかった』と。あなたの戦いは人類史を遡る長い旅路であり、いつだってもしもを叫び続けてきた。その無念が、その挫折が、そこからの奮起が幾つもの出会いを呼び寄せた。この惑星(ほし)の全てが聖杯戦争という戦場になっていても、この地上の全てがとうに失われた廃墟になっていても、その行く末に無数の強敵が立ちはだかっても、あなたは決して諦める事はしなかった。目の前の悲劇を認めず、より良い結末が、最善の結果があるはずだともがき続けてきた。それが今も変わらないのなら……空を見上げた眼に星が見えたのなら……さあ――戦いを始めましょう、マスター」

 

閃光が駆け抜けた。

成層圏から振り下ろされた一筋の光が世界を黄昏へと叩き落し、幾本もの肉の柱が塵へと還る。

一方では巨大な火龍が焼却式を押し返し、音速のブレスが大地を割る。

奏でられるは魔の調べ、咲き誇るは百合の華。

御旗の下に星が集う。

一粒の輝きが灯る毎に魔神の悲鳴が木霊し、新たに生れ落ちた柱が瞬く間に崩壊する。

その光景を前にして、フラウロスは唯々、疑問を叫ぶことしかできない。

 

「なんだ、今のはなんだ!? 何故、奴らが消えていない!? 何故、カルデアがまだ残っている!? 何故――何故、我々の体が崩れているのだ――!?」

 

霊長の世が定まり、栄えて数千年。神代は終わり、西暦を経て人類は地上で最も栄えた種となった。

我らは星の行く末を定め、星に碑文を刻むもの。そのために多くの知識を育て、多くの資源を作り、多くの生命を流転させた。

人類をより永く、より確かに、より強く繁栄させる理――人類の航海図。

これを魔術世界では人理と呼び、カルデアはこれを尊命として護り続けた。

そして今、魔術王によって焼き尽くされた人類史に刻まれた叫びを聞き、数多の星々が力を貸さんと駆け寄ったのだ。

 

『カルデアを襲う魔神柱八体、全て消滅! それだけじゃない、これは夢か? 計器の故障か? 特異点各地に次々と召喚術式が起動している!』

 

歓声を上げるようにロマニが叫ぶ。

ああ、言われなくとも分かる。彼ら彼女らは来てくれたのだ。

触媒も召喚者もなく、自らの意思で。

ただ一度、縁を結んだという細い糸を手繰って駆け付けてくれたのだ。

 

『霊基反応、十、二十、三十――まだ増える! カドック君、これは!』

 

言葉が出なかった。

この領域だけではない。

特異点の至る所で星が輝いている。

見えないはずなのに、それが手に取るように分かった。

古代ローマの軍勢が魔神柱の群れをへし折った。

大海賊船団とギリシャの大英雄が大海原を荒らしまわった。

円卓の騎士とお伽噺の英雄が並び立ち、嵐の王が顕現した。

星が輝く度に大地が裂け、空が鳴き、炎と雷が交差し嵐を呼んだ。

反撃する魔神柱達をその暴雨で飲み込み、押し流していく。

彼らは生まれた端から肉の芽を摘み取っていき、対応が追い付かなくなった魔神柱がその異常事態に悲鳴を上げる。

 

「――東部末端神経、消滅。第一から第八柱、正常値を維持できない」

 

「西部自律神経、消滅。第二十六から三十三柱、正常値を維持できず」

 

「……左右基底骨郭、損壊。我、この宙域からの離脱を提唱する」

 

「どういう事か。何故、我らが圧し負ける? 奴らは我らのように群体ではない。個別に生き、個別に戦うしかない者達だ。何故、相互理解を拒んだ人間どもが互いに協力し合っているのか――!」

 

そう、確かに人間は我欲に囚われた生命かもしれない。

それは人類史に名を刻んだ英霊であろうと変わらない。いや、英霊だからこそ己が信念を曲げられない。

だが、そんな者達であるからこそ、見捨てられぬものがあった。

自分達が朽ち果てた先、そこに残されたものを更なる先へ進めようとする意思。

今と未来を繋げようとする切なる願い、生きたいという叫びを聞いて、応えない英霊はいない。

彼らはそのために駆け付けた。

人類七十億の願いを代表した叫びに応え、この終局の地へと馳せ参じたのだ。

 

「主よ。今一度、この旗を救国の――いえ、救世のために振るいます」

 

炎を払い、はためく旗を掲げた聖女は叫ぶ。

この領域――否、この特異点に集いし全ての英霊達に向けて、救世の誓いを宣言する。

 

「聞け、この領域に集いし一騎当千、万夫不当の英霊達よ! 本来相容れぬ敵同士、本来交わらぬ時代の者であっても、今は互いに背中を預けよ! 人理焼却を防ぐためではなく、我らが契約者の道を開くため! 我が真名はジャンヌ・ダルク! 主の御名の下に、貴公らの盾となろう!」

 

「さあ! 旗の元へと集え、精鋭達よ!」

 

ジャンヌに続く形で騎士姿のジル・ド・レェが抜刀し、その後ろに光が集う。

竜殺しが、竜の娘が、白百合の騎士が、仮面の殺人鬼が、護国の鬼が、一丸となって魔神柱の群れを焼き払う。

そして、見上げると何条もの流星が空を駆け抜けていた。

あの光は全て、人理の礎だ。聖杯探索の旅の中で出会い別れてきたサーヴァント達の輝きだ。

 

『すごいぞ、次から次へとやってくる! そして理由はボクにも説明できない! この特異点が時間の外にある、というのが抜け道になったのか? いや、どうでもいいなそんな事! かつてキミ達が知り合った英霊、かつてキミ達と戦った英霊――その中で少しは力を貸してやってもいいなんて思った連中がいたんだろう!』

 

自分なんかの為にと言うこと自体がおこがましいかもしれないが、それでも感謝の念を抱かずにはいられない。

ありがとう。

応えてくれてありがとう。

ここまでの旅路は、ここまでの歩みは、まだ何一つとして無駄にはなっていないと彼らに教えられた。

なら、自分達はまだ前に進める。

歩いて行ける。

光はどんどん、強さを増していく。

拮抗していた戦況は今や、英霊達が優勢であった。

魔神柱は誕生が追い付かず、行く手を遮るように絡み合っていた肉の群れはもう見る影もない。

無論、それも長くは続かないだろう。

玉座の間を押さえぬ限り、魔神柱は永遠に復活する。

今は優勢でも、英霊達は何れ押し返されてしまうだろう。

故に今は、前に踏み出さねばならない。

英霊達が作ってくれた千載一隅の好機、逃す訳にはいかない。

 

「いた! 皆さーん、ヴィヴ・ラ・フランス!」

 

鈴のような音色と共に、水晶の馬車が停車する。

御者台に座っているのはかつて、フランスで共に竜の魔女と戦ったマリー・アントワネットだ。

 

「マリー!」

 

「お久しぶりね、アナスタシア! カドックさん!」

 

「来てくれたのね、ありがとう!」

 

「おっと、僕を忘れてもらっちゃ困るな」

 

ひょっこりと荷台から顔を出したのはアマデウスだ。

更に後ろには、バツが悪そうに顔を隠しているサンソンの姿もある。

 

「積もる話もあるけれど、今はそれどころじゃないね。乗るんだ、みんな! せめて道中は僕の演奏で心を安らげてくれ!」

 

「さあ、マシュと藤丸さんも! この領域を抜けるまでお送りします。どうか、その間に傷を癒してください!」

 

「行ってください、みなさん! 玉座への道は我々が切り開きます! その道に祝福と主のご加護があらん事を!」

 

再び繰り出された焼却式を旗で振り払い、ジャンヌが叫ぶ。

その隙にカドック達が荷台へ転がり込むと、馬車を引く水晶の馬が嘶きを上げて大地を蹴った。

激しい揺れと共に水晶の馬車は、次なる領域を目指してまっすぐに疾走する。

胸中を様々な思いが駆け抜けていた。

駆け付けてくれた英霊達への感謝と、彼らの力を以てしても殲滅し切れない魔神柱の再生能力への不安。

正直に言うと、ここに残って彼らの助けになりといという思いの方が強かった。

だが、それは彼らの思いを無碍にすることになる。

報いるためには前へと進むのだ。

ただひたすらに、前へ、前へと。

次なる戦場は、すぐそこまで迫っていた。

 

 

 

 

 

 

そこは平原だった。

見渡す限りの大平原。遮るものは何もなく、漂う濃密な魔力は距離感を狂わせ地平線を遥か彼方に形作る。

玉座の間へと魔力を送り込む第二の拠点。

剥き出しの大地には幾本もの醜き柱が立ち並び、こちらの行く手を阻まんとする。

対して鬨の声を上げるのは一騎当千の英霊と、名もなきローマ兵の大軍団。

皇帝ネロを筆頭に、カリギュラ帝、カエサル、そして神祖ロムルスが率いる一大ローマ帝国軍だ。

本来ならば蟻の如き軍勢なぞ魔神柱の敵ではないはずが、皇帝達に率いられた兵士達の士気は高く、唯の人の集まりでしかないローマ兵は次々と魔神柱をへし折っていった。

深紅と黄金の征くところ、彼らに敵はなし。

偉大なるローマ軍はここにありとばかりに、彼らの奮闘は魔神の活性を押し留める。

 

「すごい、彼らは亡霊でしかないのに、魔神と対等に戦っている」

 

「無論、それこそが人間の底力なれば、彼らは等しく叛逆の士となろう!」

 

野太い声が聞こえたかと思うと、頭上を跳び越えてきた半裸の剣闘士が目の前に着地する。

その大きな背中を見た瞬間、カドックは思わず瞳を輝かせた。

 

「スパルタクス!?」

 

「おお、圧制者足らんとする少年よ! 無事で何よりだ、抱擁(ハグ)してあげよう!」

 

朗らかな笑みと共にスパルタクスの野太い腕が振り下ろされる。

咄嗟に飛び退かなければ、カドックの体は今の一撃で粉微塵に潰されていたことだろう。

 

「っ、相変わらずだな、お前!」

 

「ハッハッハッ! 君が圧制者足らんとする限り、我が抱擁からは逃れられぬよ!」

 

「そうかい! で、まずは僕に叛逆するつもりか!?」

 

「無論、全てが終われば我が愛は君に向けられよう! だが、今は苦境の只中だ! これこそが絶体絶命の具現、圧政を上回る大圧政だ!」

 

魔力を漲らせ、自身の体を一回りほど膨張させたスパルタクスが、カドックとアナスタシアを自らの肩に乗せる。

 

「さあ、まずは君の叛逆(圧制)で奴らを駆逐しよう! 然る後、君は真の圧制者として我が前に立つだろう! そう、その時こそ我が愛は爆発する!」

 

何を言っているのかサッパリわからないが、いつになく機嫌が良いのは確かなようだ。

右を向いても左を向いても自分より強い敵ばかり。根っからの叛逆者であるスパルタクスにとってはある意味、理想の環境なのだろう。

そうなると、当然ながら彼が次に取る行動も予想が付く。

如何にも彼らしく、叛逆の徒である彼にしかできない行軍だ。

 

「いくぞ、少年!」

 

「ああ、スパルタクス!」

 

「敵の中央を――!」

 

「ど真ん中から突き破る!」

 

「ちょっと、二人とも正気なの!?」

 

最も防備が分厚い激戦区を指差す二人の叛逆者に向かって、アナスタシアが悲鳴染みた抗議を上げるが無駄だった。

走り出したスパルタクスは止まらず、一息吐く間もなく傷だらけの体は魔神柱の炎に晒される。

叛逆者の叫びと、皇女の悲鳴が重なった。

 

 

 

 

 

 

そこは大海原だった。

足場はほとんどなく、眼下に広がるのは果てのない暗黒の宇宙。

その暗き海を二隻の海賊船が縦横無尽に駆け回っていた。

言わずもがな、黄金の鹿号(ゴールデンハインド)アン女王の復讐号(クイーン・アンズ・リベンジ)だ。

それぞれの船を駆るフランシス・ドレイクとエドワード・ティーチは、互いに罵り合いながらも息の合った抜群のコンビネーションで群がる魔神柱を次々と撃ち落としていった。

 

「よお、カドック! 生きてたか! お前はまだ黒髭海賊団の一員だ、死んだら俺が殺してたところだ!」

 

船長(キャプテン)! エドワード・ティーチ!」

 

「おお、今度は間違えなかったでござるな!」

 

船首に立つティーチが、こちらを見下ろしてニヤリと笑みを浮かべる。

 

「船長、助けは!?」

 

「おう、いらねぇよ! こちとらお楽しみの真っ最中! 最高にハイってやつだ! 邪魔したらお前でも容赦しねぇ!」

 

チラリと彼が視線を送ったのは、ドレイクが駆る黄金の鹿号(ゴールデンハインド)だ。

みなまで言わなくともわかる。彼にとってフランシス・ドレイクは特別な存在。

彼女と船を並べて戦えるとあって、いつものふざけた調子は完全にナリを潜めている。

正に抜き身のナイフ。

今の彼は正真正銘、カリブの海を荒らしまわった海賊共和国の行政長官だった頃の精神状態に戻っているのだ。

 

「さっさと行け! お宝が目の前にあるんなら、死んでも奪ってくるのが黒髭海賊団だ!」

 

「あ、ああ! だが、どうやって……」

 

先へ進もうにも、ここには足場となる地面がほとんど存在しない。

かといって、どちらかの海賊船に乗せてもらおうにも、両海賊団は魔神柱の相手に手一杯でとても自分達を向こう岸まで送り届ける余裕はなさそうだ。

 

「なら、それは私が請け負う! 早く乗れ、凡人!」

 

「あなたは!?」

 

「イアソン、どうして!?」

 

岸に横付けされたのは、かつて第三特異点で敵として戦ったイアソンのアルゴノーツだ。

どうやらヘラクレスやヘクトールだけでなく、彼も魔神柱と戦うために駆け付けてくれたようだ。

 

「勘違いするな、俺にも意地というものがある! 真っ向から戦うのはご免被るが、(セイル)の上手い使い方ならいくらでも披露しよう! それに、貴様達が乗っていた方が上手く敵も引き付けられる!」

 

「囮になるっていうのか!?」

 

「不安か? このアルゴノーツに限ってそれはない。何故なら――――」

 

「■■■■■――――!」

 

咆哮と共に跳躍したヘラクレスが、魔神柱の一本を引き千切った。

その強大な力を警戒したのだろう。イアソンに狙いを定めていた魔神柱の全てが大英雄を凝視し、鋼の肉体を炎で包み込む。

だが、大英雄は沈まない。全身を焼かれながらも怯むことなく突き進み、手にした斧で肉の柱を無造作に切り捨てる。

再び上がる咆哮。獅子奮迅としか言いようのない疾走。

狂戦士の斧は振るわれる度に破壊をまき散らし、ただの一騎で二つの海賊団に匹敵する戦果を上げている。

 

「どうだ、私のヘラクレスは無敵なんだ!」

 

「そうみたいだ」

 

「わかっているならサッサと乗れ! モタモタしていたら狙い撃ちなんだよ、ここは!」

 

行く手を阻む魔力光が雨のように降り注ぐ。しかし、イアソンは巧みにアルゴノーツを操って破壊の雨を掻い潜り、混迷を極める星の海原を突き進んだ。

 

「魔神柱、後方より出現! 先輩!」

 

「マシュ、盾を……」

 

「必要ない! お前達は何もしなくていい!」

 

叫び、イアソンが舵を切るのと入れ替わるようにヘラクレスが魔神柱へと飛びかかる。

大英雄がこの場にいる限り、アルゴノーツが背後を取られることはない。

故にイアソンは、振り向くことなく前へと進んだ。

無言の信頼がそこにはあった。

新たな魔神柱が出現し、炎が海を焼く度に悪態を吐く癖に――。

一丸となって戦うティーチやドレイク、ヘクトールとメディアを扱き下ろす癖に――。

彼は、ヘラクレスだけは決して自分を裏切らないと信じていた。

小心な英雄と狂戦士。言葉はなくとも確かな繋がりがそこにはあった。

 

「畜生、まだ出てくるか! 突っ切るぞ、お前ら!」

 

やけっぱちになったイアソンが炎の渦を無傷で潜り抜け、アルゴノーツは対岸を目前に捉える。

その背中に向けて、ティーチは声高に叫んだ。

 

「カドック、魔術王からてめぇの未来(でかいお宝)を奪い返してこい! そしたらお前は晴れて自由の身だ! 下船を許可してやるぜ!」

 

 

 

 

 

 

そこは街だった。

霧の立ち込める街路、朽ち果てた建造物の名残。

営みの気配はなく、あるのはただ破壊をまき散らす肉の柱のみ。

九本の柱は開眼した眼から次々と炎を噴出させ、霧の街を赤く染めていった。

だが、ここには彼らがいる。

破壊には更なる破壊を。破壊の先の創造を。

魔神柱が大地を焼くというのなら、彼らの雷電は空を裂く。

 

「『我が麗しき父への叛逆(クラレント・ブラッドアーサー)』!」

 

「『人類神話・雷電降臨(システム・ケラウノス)』!」

 

魔神柱の焼却式を、叛逆の騎士と星の開拓者が真っ向から迎え撃つ。

九つの視線に対して僅か二騎。だが、それがなんだというのだ。

確かに奴らの視線は世界を焼くだろう。

その妄念は大地を汚すだろう。

しかし、彼らの振るう雷電は神の雷霆。

太古より人類が恐れ、敬ってきた破壊の象徴にして自然界の頂点。

ならば、炎如きに後れを取る道理なし。

 

「はっ、遅かったじゃんかよ、カルデアの大将!」

 

「ゴールデン、お前も来てたのか!?」

 

大型二輪に跨り、魔神柱を引き潰した坂田金時が凶悪な笑みを浮かべる。

その向こうでは大槌を振るうフランケンシュタインと共に街路を駆け抜けるチャールズ・バベッジの姿もあった。

どうやらこの街では、第四特異点で出会った面々が集まっているようだ。

 

「アヒャヒャヒャッ! 愉快痛快! 誰も彼もが命を投げ出し戦う晴れ舞台! まったく、命を粗末にする大馬鹿者の集まりですなぁ!」

 

突如として虚空が爆発し、魔神柱の肉片が辺りに散らばった。

姑息にも霧に紛れて奇襲を企てていたようだ。だが、それは一人の悪魔によって見抜かれてしまう。

人間を弄び、人生を嘲笑い、喜劇を悲劇に、悲劇を喜劇に変える魔性の存在。

 

「どうもご存知、メフィストフェレスでございます」

 

「お前もか!?」

 

「いやあ、本当にツマラナイ人になってしまって。それでもあれですか、世界を救うなんて宣うつもりですか? そんなこと、あなた様にはできないとわかっていながら?」

 

相変わらず、癪に障る奴だ。

この悪魔は人が気にしていることを土足で踏みにじる。

それが自らの本分であると言わんばかりに目の前の命を嘲笑うのだ。

ああ、その通りだとも。

カドック・ゼムルプス個人に世界をどうこうできる力なんてない。

自分は一介の魔術師で、取るに足らない人間だ。

だからこそ、彼らの力がいる。

人理の英霊、星の輝きが道を照らすのだ。

 

「当たり前だ! お前も手伝うんだよ!」

 

「なんと、このわたくしめに世界を救えと仰る! 正気ですか? 狂ってますねぇ、追い詰められてますねぇ。いいですねぇ、それは面白い。この霊基が砕けるまで魔神をからかうのもまた一興! お供しますとも、マスター!」

 

立ち塞がった敵を、メフィストの爆弾が次々と吹き飛ばしていく。

悪魔は嘲笑う。

その笑みが何者に向けられたものなのかはわからない。

カドックはただ、その背を刺されぬよう気を配ることしかできない。

この男の本心など、未来永劫まで理解することなどできないのだから。

ただ、最後に垣間見たあの眼差しだけは本物だと信じたい。

暗闇の空の中に、ほんの一つだけ浮かんだ淡い輝きを見い出した時にも似た、希望に満ちた喜びを。

 

 

 

 

 

 

そこは戦場だった。

壊れた戦車が散乱し、大地は炎で燻り続けている。

その中心で果敢に魔神柱を蹴散らすのは我らが大統王。

九本の魔神柱はたった一人――しかし、アメリカという巨大な魂を背負った男の前に成す術もなく蹂躙されていた。

 

「うむ! 今日も今日とて直流は絶好調! 魔神といえど神秘であるならば我が宝具の敵でなし! 唸れフィラメント! 吼え立てろバルブ! 闇照らす光となり、人の歴史を作り替えよ!」

 

発動した宝具『W・F・D(ワールド・フェイス・ドミネーション)』が世界を照らす。

神秘を剥奪された魔神柱は瞬く間に溶け落ちていき、どろどろの肉片へと変わり果てていった。

だが、総体として完成された魔神柱に終わりはない。

不死であるが故に不滅。彼らは倒された端から誕生する。

エジソンが如何に宝具を回転させたところで、唯の一人ではどうしても限界が出てきてしまう。

 

「トーマス!」

 

「おお、カドックくん! 何、少しばかり苦戦しているが、すぐに挽回しよう! 正義は最後に勝つ! それこそがアメリカの真骨頂だ!」

 

(勝った方が正義を地でいっている癖に、よく言うな)

 

生前も権利関係で訴訟を絶えず起こし、発明品の利権をもぎ取ってきた男がよく言うものだ。

だが、指摘すると間違いなくへこむので、胸の内に留めておいた方が良いだろう。

 

「ともかく、道を切り開こう! 君はこのまま突っ切れ!」

 

「一人でか!? 無茶だ!」

 

「ノー! 合衆国(われわれ)は一人ではない!」

 

エジソンの叫びに呼応するように、三つの影が躍り出た。

 

「その心臓、貰い受ける」

 

「汝らの命を此処で絶つ――」

 

「――真の英雄は眼で殺す!」

 

手にした槍を、構えた弓を、深紅に燃える瞳を持って立ち塞がる魔神柱を迎え撃つ彼らは、みな北米の地で共に戦い、敵対した大英雄ばかり。

本来ならば決して足並みを揃える事のない彼らが今、自分達を先に行かせるために共に戦ってくれている。

エジソンが言うように、自分達は一人ではない。

数多の英霊が、まだ諦めるには早いと力を貸してくれている。

ならば、走ろう。

転んでもいい、無様でも構わない。

泥に汚れようと、這いつくばろうと、彼らの思いに無碍にしない為にも明日を目指そう。

それこそが、今を生きる自分にできるせめてもの報いなのだから。

 

 

 

 

 

 

そこは荒野だった。

荒れ果てた剥き出しの大地。いくつもの岩が転がる不毛の地。

今、その荒野を古代の神獣が駆け抜けている。

見上げた空には太陽の如き輝きを放つ巨大な船が浮かんでおり、艦砲射撃で以て地上の魔神柱を焼き払っている。

あれはオジマンディアスの『闇夜の太陽船(メセケテット)』だ。ならばここでは、第六特異点で出会った彼らが魔神柱と戦っているのだ。

 

「おお、カドック殿。ご無事で何より!」

 

「ハサンか? これは……」

 

「なに、アーラシュ殿のおかげでファラオ・オジマンディアスがやる気になられましてな。おかげで我らは円卓と共に両翼を押さえるだけで済んでおりまする」

 

「ふん、奴がその気にならずとも、いざとなれば我らが総体をもって押し留めてみせよう」

 

ゆらりと現れたのは百貌のハサンだ。だが、口では強がって見せているが、非力な彼女の体はほとんど限界に近い。

傍らの玄奘三蔵が肩を貸さなければ立っているのもやっとの有り様だ。

 

「もう、無茶しちゃって……」

 

「なに、百貌はこれで義理堅い。あの地でカドック殿に救われた恩、ここで余さず返しておきたいという考えでしょう」

 

「なっ、言うな呪腕の! くっ……私はもういくぞ、静謐が後れを取っている!」

 

気恥ずかしそうに視線を逸らした百貌のハサンは、そのまま地を蹴って戦場へと戻っていった。

 

「さて、先を急がれよカドック殿。我らは力で劣るサーヴァントなれど、生き残る事、敵を惑わす事には海千山千の曲者なり。残る数分、何としてもあの怪物どもを抑え込んでみせましょう」

 

「ああ、わかった。無事でいてくれよ、みんな」

 

呪腕のハサンに黙礼し、カドック達は戦場を迂回して次なる拠点を目指す。

その後ろ姿を見送った暗殺者は、静かに懐から得物を取り出すと彼らを追わんとする怪物に向き直った。

 

「では、いきますか、トリスタン卿」

 

「心得ました、ハサン殿。あなたは存分に舞いなさい。我が妖弦はあなたを害する全ての悪を断じましょう」

 

「それは心強い。では――いざ!」

 

「参る!」

 

かつて、望まぬ敵同士であった二人は共に肩を並べて戦場を走る。

全ては人類の未来を取り戻すため。

生きた時代も立場も、信じた神すら違えど、同じ志を持った仲間として、彼らは遂に並び立ったのだった。

 

 

 

 

 

辿り着いた七つ目の拠点は、神話の如き光景が繰り広げられていた。

次々と生え出てくる魔神柱をイシュタルが上空から焼き払い、地上ではキングゥ――否、エルキドゥがいくつもの砂の武具を生成しては肉の林を切り開く。

マウントを取って怪力で魔神柱をへし折るケツァル・コアトル、縦横無尽に戦場を駆けるジャガーマン。

それでも尽きぬ魔性の木を、風魔とスパルタの精鋭が殲滅する。

先ほどの拠点も激しい戦いが繰り広げられていたが、ここのそれは段違いだ。

 

「あー、もう! 来なくてもいいのに来ちゃったのね、あなた達!」

 

槍を振り回して地上で戦う面々を支援していたエレシュキガルが、こちらを見やる。

その視線が一瞬だけ立香に向けられ、小さな唇が僅かに震えるが、すぐに思い直ったのかきつく結び直して目を逸らす。

短いやり取りの中に様々な感情が想起された。

安堵、不安、喜び、湧き上がる感情が女神を苛むが、彼女は頭を振ってそれに耐える。

今はその時ではないと自分に言い聞かせるように、冥界の女主人は槍を構え直してこちらを庇うように背を向けた。

 

その節は(・・・・)お世話になりました、カルデアのマスター。助けて頂いた恩、今こそお返ししましょう」

 

「エレシュキガル」

 

「さあ、行って立香。ここは私が抑えるから、あなたは先に進むの。そして……いつか(・・・)私を助けに来なさい」

 

「うん、ありがとう、エレシュキガル」

 

振り返ることなく、立香はエレシュキガルの横を抜けて戦場へと走る。

その後ろにカドック達も続いた。

 

『さすがは神霊、戦闘の規模が桁違いだ。みんな、巻き込まれないよう、ルートを指示する!』

 

空の上から破壊をまき散らすイシュタルと、競い合うように大地を疾駆するエルキドゥの戦いを見てロマニは悲鳴を上げながら指示を飛ばす。

新たな魔神柱は生え出た端から刈り取られていき、岩盤ごと撃ち抜かれていくばかりだ。おかげで進もうとした地面も次々と撃ち抜かれていき、進軍もままならない。

折角、エレシュキガルが背中を守ってくれているというのに、これでは玉座の間へと辿り着くことができない。

そうしている内に新たに生まれた魔神柱の一体がこちらの存在を認めて襲いかかってきた。

奴らは群体だ。一体でもこちらを認識すれば、他の魔神にもその情報は即座に行き渡る。

忽ちの内に周囲を魔神柱に囲まれてしまい、カドック達は身動きが取れなくなってしまった。

ここまで散々、嬲られ続けて学習したのか、イシュタルの砲撃を受けても簡単には倒されぬよう複数の柱が折り重なるように絡まって身を守っている。

そのため、抜け出る隙間すらなく完全に追い込まれた状態になってしまった。

 

『ダメだ、完全に囲まれた!』

 

「イシュタルは!?」

 

『向かっているが、魔神柱の攻撃が激しくて近づけない! 他のみんなもだ!』

 

ドームの内側に幾つもの眼が開く。

焼却式だ。この壁は魔神柱が作り出した窯であり、自分達はそこにくべられた薪なのだ。

このままでは成す術もなく炎に炙られ、炭すら残らず消し飛んでしまうだろう。

 

カドック(マスター)! いえ、アナタ!」

 

「ああ、まだだ!」

 

アナスタシアの呼びかけに、カドックは力強く頷いた。

周囲を囲まれ、救援も間に合わない。本当にそうか?

まだ、自分達には心強い仲間がいるじゃないか。

あの遠い神代の地で、絆を育んだ大切な家族がいるじゃないか。

この領域に集いし英霊達が、あのメソポタミアで繋いだ縁によって馳せ参じたのなら、彼女もここに来ている筈だ。

さあ、叫べ。

その名を、その存在を、声高に叫ぶのだ。

自分は彼女の、マスターなのだから。

 

「そろそろ目を覚ましたらどうなんだ、アヴェンジャー!」

 

踵を鳴らす。

瞬間、地響きと共に大地が割れ、カドックの体は戦場を俯瞰できる高さへと押し上げられた。

傾斜が付いた足場から転がり落ちぬよう、魔力を込めて体を固定する。

見下ろした魔神柱は、彼女の存在に驚きながらも構わず焼却式を放たんとしたが、それよりも彼女が尾を振る方が早い。

視線が世界を焼くよりも早く、長大な蛇の尾が肉の柱を締め上げ、振り下ろされた爪が残酷にも肉塊を抉って声にならない悲鳴が木霊した。

何とかそれから逃れた魔神柱達は、互いに融合することで復元を図るが、重なり合った瞬間を見計らったかのように醜悪な肉塊は脈動を止め、物言わぬ石柱へと変化した。

直後、無造作に振り下ろされた尾が石化した魔神柱の群れを砕き、魔獣の女神は嗜虐の笑みを浮かべながらゆっくりと進軍を開始した。

 

「ふん、相変わらず不遜な男だ、人間(マスター)。私の中のあいつも、今に痛い目を見ると呆れているぞ」

 

「言って直るくらいなら、私も苦労しません。それよりもアヴェンジャー、今のあなたは女神かしら? それとも魔獣より?」

 

「さあな、あの時と同じだ」

 

「そう……なら、行きましょう、アナ」

 

「藤丸達は?」

 

『何とか尾にしがみ付いているようだ。このままゴルゴーンに乗せてもらえれば、一気にこの領域を突破できる! 玉座の間までもう少しだ!』

 

進軍する女神を止めんと魔神柱は次々と群がってくるが、ゴルゴーンの歩みが止まる事はない。

立ち塞がる全てを石化し、爪で砕きながら前へと押し通る。

目の前の敵以外は眼中になかった。残る柱はイシュタルやケツァル・コアトルが相手取るからだ。

エレシュキガルの支援を受けた三柱の女神。

ゴルゴーンの魔眼が、イシュタルの砲撃が、ケツァル・コアトルのルチャリブレが魔神柱を悉く殲滅する。

今ここに、三女神同盟は再結成されたのだ。

 

『すごいな。そして、こんな時にマーリンは何をやっているんだ。出てくるならここしかないだろうに』

 

「奴なら来ていないぞ。ここには歩いては来られないらしいからな。だが、通信で言伝を預かっている」

 

何らかの魔術によるものなのか、脳内にマーリンの声が再生される。

 

『遊びに行けなくてすまない! ちょっとマギ☆マリHPの更新が忙しいんだ! でもまあ、何度もお邪魔しては限定助っ人の有り難味が薄れるというもの。君が取り戻した未来で、縁が出来る時を楽しみに待っているさ』

 

それは私用で友人との約束をキャンセルするかのように軽薄な調子で、世界を救えるかどうかの一大事に聞く言葉とは思えぬほど場違いなものだった。

あまりにいい加減な物言いに、思わずロマニも嘆息する。

 

『マーリンはホントどうしようもないな、うん。最後まで自分の事しか考えて――って、ちょっと待った!? 今、ボクの人生の楽しみの大部分を台無しにする情報が流れなかった!?』

 

ロマニの叫びが暗闇の空に木霊する。

マーリンが噛んでいたことについては予想外ではあったが、周囲の誰もが生暖かく見守っていた現実。

ロマニが出来る限り目を逸らし続けてきた事実が今、最悪の形で突き付けられた瞬間であった。

 

 

 

 

 

 

そして、遂にカドック達は玉座の間を目前に捉えた。

七つの拠点は今、特異点で繋いだ縁によって召喚された英霊達に抑えられ、その機能を麻痺させつつある。

まず第四の拠点である管制塔が落ち、次いで第二の拠点である情報室が壊滅した。

これにより指揮系統が乱れた魔神柱の連携は一気に足並みが崩れ、第三の拠点である観測所と第七の拠点である生命院も瓦解。

復元能力が著しく衰え、また外部の情報を吟味できず烏合の衆と化した第五の拠点兵装舎は成す術もなく蹂躙され、各部に指令を送る第六の拠点視覚星も既に虫の息。

ここに至って魔神柱達は遂に自らの復元に精力を傾けることを余儀なくされ、玉座の間へと続く通路の守りが解かれたのである。

 

「敵影、ありません! 玉座の間まで後少しです!」

 

いの一番にゴルゴーンから降りたマシュが安全を確保し、その後ろにカドック達は続く。

ゴルゴーンは別れを言う事なく自らの戦場へと戻っていった。

優勢とはいえ敵は無限に再生する魔神。彼女は退路の確保も兼ねて第七の拠点に残ったのだ。

つまり、ここから先は自分達の足で進まないといけない。

英霊達の力を借りれるのはここまで。

後は今を生きる人として、自分達の力だけで勝利を掴まなければならない。

 

「よし、急ごう」

 

『待ってくれ! これは……まずい、みんな伏せろ! 魔神柱の反応だ!』

 

ロマニが叫んだ瞬間、地面が隆起して九本の柱が出現した。

黄金の表皮、脈打つ剥き出しの肉、無数の目。

現れたのは紛れもなく魔神柱だ。それが行く手を阻む最後の門番として、玉座の間へと繋がる通路を塞いでしまったのだ。

 

「起動せよ。起動せよ。廃棄孔を司る九柱」

 

即ち、ムルムル。グレモリー。オセ。アミー。ベリアル。デカラビア。セーレ。ダンタリオン。そしてアンドロマリウス。

有り得ざる八番目の拠点。

最後の関門たる廃棄孔が姿を現したのだ。

 

『――何てことだ、ここの存在は予想外だ!』

 

ここまで加勢に来てくれた英霊達は、七つの聖杯、七つの特異点で因果を結んだ者達ばかり。

だが、ここにはその縁がない。

加勢は望めず、自分達の力だけでこの九柱を制圧しなければならない。

決して、不可能なことではないだろう。しかし、残された時間は少ない。

今は英霊達が各拠点を抑えているが、それもいつまで保つかはわからないのだ。

彼らが道を抉じ開けている内に、自分達は玉座の間へと辿りつかなければならない。

魔術王を打倒するためにも、これ以上は戦闘に時間を割く訳にはいかないのだ。

 

「そうだ、滅びるがいい最後のマスターよ。貴様が玉座に辿り着く事はない」

 

魔神柱の一体、アンドロマリウスが嘲笑う。

ここには何もない。

未来も、過去も、因果も、希望も、人が神と名付けた奇蹟すらもない。

あらゆるものがここでは無価値、あらゆるものがここでは不要。

手を差し伸べる者はおらず、救いなどここには存在しない。

 

「膝を折るがいい、顔を伏せるがいい。絶望すら、する必要はない。ここは誰もが諦観し、投げ捨てる意志の終わり。誰一人として、お前の名を呼ぶ者のいない廃棄孔。さあ――沈むがいい!」

 

視線が注がれる。

炎が来る。

絶望の炎。

逃れられぬ終焉が、すぐそこまで迫っている。

救いはない。

縁はない。

ここには何もない。

本当にそうなのか。

ここは不要とされたものが破棄される廃棄孔。

絶望の終着、この世の地獄。

誰もが心折れる暗闇の檻。

だが、それは唯一人であればのこと。

添い遂げる者、励まし合う者、張り合う者、庇う者。

人と人が出会えばそこには必ず希望が生まれる。

共に寄り添い生きていくという力が生まれる。

ならば、ここは終わりに非ず。

絶望で彩られた地獄だと言うのなら――。

 

「――待て、しかして希望せよ!」

 

その言葉が、真に意味を持つ。

 

「ハ。ハハハ。クハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!」

 

立香の言葉に応えるように、笑い声が虚空に響き渡る。

 

「笑わせるな、廃棄の末に絶望すら忘れた魔神ども! 貴様らの同類になぞ、その男がなるとでも!」

 

来る。

近づいてくる。

物凄い速度で、光の壁すら越えて、巨大な魔力が彼方から訪れる。

その男は絶望と希望の象徴、鋼鉄の意思を持ち、復讐を成し遂げんと地獄より舞い戻った鬼の如き男。

彼が叩き落され、今も尚、その身を焦がす絶望に比べれば、目の前の地獄もまだ生ぬるい。

その男の名はモンテ・クリスト伯。

巌窟王エドモン・ダンテスだ。

 

「そうだ! この世の果てとも言うべき末世、祈るべき神さえいない事象の地平! 確かに此処は何人も希望を求めぬ流刑の地。人々より忘れ去られた人理の外だ。だが――――だが! 俺を呼んだな、共犯者(藤丸立香)!」

 

驚愕した魔神柱達が視線を走らせる。

辺り一面に広がる地獄の業火。

サーヴァントとて数分で焼け死ぬであろう灼熱の結界。

どこから来ようとも、この炎を超えて魔神柱へと攻撃することはできない。

唯一の例外は頭上。だが、そこには九柱の魔神の視線が注がれている。姿を現した瞬間、九つの視線で以て焼き尽くされるだろう。

奴らの連携に抜かりはなく、その守りに死角はない。

ならばこそ、巌窟王はその牢獄の如き守りを脱する。

肉体の枷も、時間や空間という概念すら突破し、闇の中から――藤丸立香の影の中から飛び出した復讐者は、コートを翻して眼前の魔神柱へと蒼炎を叩きつけたのだ。

 

「『虎よ、煌々と燃え盛れ(アンフェル・シャトー・ディフ)』」

 

完全に不意を突かれた魔神柱の群れが、瞬きの内に殲滅される。

炎の向こうに立つのは黒い帽子とコートに身を包んだ青年。

かつて、藤丸立香を魔術王の誘いから救い、今も彼の心の中で戦い続けている復讐者の化身。

その彼が今、共犯者たる立香の窮地を救うために魂の牢獄を突破し、この事象の彼方へと舞い降りたのだ。

 

「貴様が呼ぶのなら、俺は虎の如く時空を駆けよう! 我が名は復讐者、巌窟王エドモン・ダンテス! 恩讐の彼方より、我が共犯者を笑いにきたぞ!」

 

哄笑する巌窟王。

その在り方にカドックは恐怖すら覚えた。

彼は人間だ。

特別な才能も天命も持たない、ごく普通の人間だ。

だというのに、彼は復讐者の化身として人理に刻まれた。

唯の人間でしかない彼をここまで追い込み、その領域へと至った彼自身の鋼の決意。

その常軌を逸した意思の力が何よりも恐ろしかった。

だが、今はこの上なく頼もしい味方でもある。

彼が力を貸してくれるというのなら、この領域の突破も難しくない。

 

「起動せよ、起動せよ」

 

巌窟王に倒された魔神柱が新たに生まれ落ちる。

固まっていては不利と悟ったのか、新たな魔神柱は巌窟王を翻弄するように分散し、その背後を突かんと炎を迸らせる。

光速で駆け回る巌窟王といえど、マスターを持たぬサーヴァントであることに変わりはない。

いつまでもあのような無茶な動きを続けていては、何れは魔神柱に追い込まれて炎に身を焼かれてしまう。

 

「あら、焼くのはこちらの専売です。魔神如きに譲る気はなくってよ」

 

炎が走り、一体の魔神柱が串刺しにされる。

旗をはためかせたのは竜の魔女。かつて第一特異点において、フランスを滅びに追いやらんとしたジャンヌ・ダルク・オルタだ。

 

「ジャンヌ!?」

 

「そいつが出るっていうなら、私が出ない訳にはいかないでしょう。まあ、退屈しのぎに暴れに来たのは私だけではありませんけれど」

 

雷鳴が轟き、神牛に引かれた戦車が顕現する。

彼方では三千丁もの火縄銃が火を吹き、二匹の鬼が魔神の肉をその爪で屠る。

空を見上げると扇情的な格好の少女達が飛び回っており、それを守るように天の杯と守護者が続いていた。

そう、彼らは七つの特異点の外で繋がれた縁達。

聖杯探索とは関係がない傍流の特異点。しかし、無視できぬその異常を自分達は正してきた。

それは決して、無駄なことではなかったのだ。

それは決して、無価値なものではなかったのだ。

 

「乗れ坊主達! この征服王が領域の出口まで送り届けよう! なに、心配せずとも守りは盤石だ! お前達を守ろうと、多くの強者どもが勝手に寄ってくるからな!」

 

「すまない! みんな、行こう!」

 

魔神柱達が彼らに翻弄されている隙に、ここを突破しなければならない。

カドック達が飛び乗ると、イスカンダルが駆る戦車は一目散に戦線の端を目指して疾駆した。

先鋒を切るのは源頼光だ。彼女の力とイスカンダルの戦車、それぞれの雷撃が重なり合い、押し潰さんと倒れてきた魔神柱を悉く蹴散らしていく。

ならば、雷撃の守りがない背後からと一体の魔神柱が殺意の眼差しを向けるが、その暗殺は更なる暗殺を持って駆逐される。

飛びかかってきたジャージ姿の聖剣使い。

彼女が振るう二振りの剣が、カドック達の背後を取った魔神柱の更に後ろを取ったのだ。

 

「王道の力を知れ! 『無銘勝利剣(エックス・カリバー)』!」

 

「オオォォオオオオ…………!! これは計画にない――計画に、ない――」

 

無残にも引き裂かれ、消滅していく魔神柱。

彼方でも此方でも、馳せ参じた英霊達によって魔神柱は抑え込まれ、カルデアのマスターまで手を伸ばすことができない。

悔しさからなのか魔神柱は我が身が傷つくのも承知で周囲を焼き払うが、それすらも大神のルーンや妖狐の呪術によって防がれてしまい、戦場を駆ける戦車を捉えることができない。

 

「いけ、坊主! ここが終着だ!」

 

「王手をかけて来い、藤丸。ここは俺達が抑え込んでやる」

 

イスカンダルと巌窟王に見送られ、カドック達は戦車を飛び降りて玉座の間へと続く最後の楼閣を駆ける。

そこでは彼が出口を死守していたのだろう。

周囲には魔神柱であった肉片と、幾つもの黒鍵が転がっており、戦いの凄惨さが嫌でも伝わってくる。それでも彼は、ここを守り抜いた。自分達が必ず辿り着くものと信じて。

東洋の聖人もどきと称したかつての自分が恥ずかしい。彼は紛れもなく英雄で、自慢の友人だ。

 

「……っ!」

 

「……」

 

二人は無言で互いの手を叩くと、そのまま別れを告げることなくすれ違った。

言葉はいらなかった。必要もなかった。

彼はこの場で魔神柱を抑えるために戦い、自分達は玉座の間へと向かう。

それが互いの思いに報いることに繋がると信じて、時を隔てた友情は再び別れを経験する。

全ては、この星の未来を取り戻すために。

 

 

 

 

 

 

そして、数多の星の輝きに後押しされた星詠み達は、遂に玉座へと辿り着いた。




これが台本形式ならきっと、もっと長くなったと思う今日この頃。
もっと喋らせたかった英霊いっぱいいますが、くどいだろうから泣く泣くカットです。

えー、プロテアちゃんは見事に空振りました。
まあ、トリスタンが来てくれたから是とするか……するか?
星5なら今後、福袋とかでワンチャンあるはず……はず。
そして、キアラピックアップがないのが気になりますね。
マジで四章で活躍するんでしょうか?


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冠位時間神殿ソロモン 第3節

玉座の間。

王は静かに思索する。

直にカルデアの者達がここに到達するだろう。

残念ながら彼らがここに辿り着くよりも先に、この計算を終えることができない。

その一点においてだけならば、彼らはこちらに敗北しなかったと言っていいだろう。

だが、それが何だというのだ。

彼らは単にまだ、生きているだけだ。勝利した訳ではなく、こちらの敗北は万に一つもない。

ならば、永遠の倦怠よりもなお無慈悲なこの光景とも直にお別れだ。

そう、我々は常にその光景を目にしてきた。目を背けることもできず、常に眼球(しかく)を抉られ続けた。

見飽きるなど有り得ない。

慣れてしまうなど有り得ない。

彼らが織りなす日常(ドラマ)は常に迫真のものだ。

何一つ嘘のない、救いもない、最高の見世物だ。

多くの生命を巻き込んだ傲慢(どくさい)も、たったひとりで完結したささやかな孤独も、自分達にとっては全て同じもの。とても身近なものとして理解できた。

下らない、面白い、笑えない、涙しない。

本当に、何故こんなものに付き合わなくてはならないのか。

 

『――特使五柱を代表して、了解した。第三宝具は用いず、我らは我らのみで英霊どもを掃討する』

 

玉座に響き渡る声が遠退いていく。

七十二の魔神の一柱バアル。突然の英霊達の集結に慌て慄き、第三宝具を用いて焼き払うべきだと進言してきたのだ。

まったく、情けないにもほどがある。

腹立たしいのは分かるが、仮にも七十二の魔神ならばもっと冷静で冷徹にあるべきだ。

死の苦痛で何本の柱が消し飛んだところで、すぐさま補填される。総体であり、完全である我らに敗北はない。

故に、英霊どもなぞ無視しても構わない。真に警戒し、抹殺すべきはこれからここに至るカルデアのマスターどもだ。

英霊は呼ばれたからこそ現れるもの。その要となっているのがあの二人のマスターだ。

醜くも生き足掻く旧人類。その無様な姿がどこまで尊くとも、生きつく果ては己の死でしかないというのに、それを分からず無駄な足掻きを続けている。

最早、魔神達では彼らを抑えることはできない。業腹なことではあるが、我が身で奴らを迎え撃たねばならないだろう。

 

「まったく、英霊どもはどいつもこいつも馬鹿ばかりだ。何故、戦う? 何故カルデアに手を貸す? お前達は一体、人類の何を見てきたと言うのだ?」

 

疑問は尽きず、それに答える者はいない。そして、自身も答えなど求めていなかった。

計算は直に終わるが、その前に最後の仕事を片付けよう。

この星で最後の人間をこの手で葬り去る。その所業を持って、我らの仕事は完遂されるのだ。

 

 

 

 

 

 

飛び込んだ先に足場はなく、レイシフトの時にも似た浮遊感が襲いかかってくる。

空間跳躍だ。八番目の拠点を超え、玉座の間へと続く通路に飛び込んだ瞬間、カドック達は時空の裂け目へと飲み込まれたのである。

 

「うわっ!?」

 

「先輩、手を!」

 

「アナスタシア、フォロー頼む!」

 

「ええ!」

 

流れに身を任せ、四人は終着の地へと落ちていく。

これは時空の落とし穴を利用した通路なのだ。

このまま流れに乗って降りていけば、直に裂け目を抜けて玉座の間へと辿り着くだろう。

泣いても笑ってもこれが最後の戦いだ。否がおうにも緊張が高まる。

 

『――距離にして一キロほど先に空間断層がある! その先が魔術王の玉座に違いない! だが、それはそれとして、ロマニ! 最後の戦いは目の前だが、敢えて確認しておこう!』

 

唐突に、ダ・ヴィンチは切り出した。まるで、この瞬間でなければ答えてはくれないだろうという確信を持った問いかけだ。

 

『人理焼却を完遂させた者。この神殿に座する魔術王ソロモンは、何者なのかな!』

 

それは、カルデアにいる誰もが抱いている疑問であった。

冠位クラスの魔術師。

魔術の祖にして偉大なる王。

人類史に刻まれた、掛け値なしの英雄。

だが、彼は自らの野望の為に世界を焼き尽くした。

彼は本物なのか、偽物なのか。

英霊なのか、それとも全く未知の存在なのか。

その核心を、ロマニは持っているというのか。

 

「ドクター、何か知っているのか?」

 

『えっと……いや、それは……』

 

「ドクター・ロマン、わたしもカドックさんと同意見です。いえ、先輩もアナスタシアも同じです。知っているのなら、教えてください」

 

歯切れの悪いロマニに向けて、マシュがとどめを刺す。

それで覚悟を決めたのか、ロマニは嘆息を一つ吐くと、静かに語り出した。

 

『ああ、この時間神殿に接触した時、確信を持てた。あのソロモンは偽物じゃない。何故ならこの神殿を構成するものはソロモンの魔術回路だからだ』

 

ソロモン以外にソロモンの魔術回路は使えない。

それを何故、ロマニが知っているのかという疑問が新たに生まれたが、確かにそれが事実なら第三者がソロモンを騙っている線は有り得ない。

では、彼はソロモンが持つ人格の側面なのだろうか。

正常な英霊でも、異なる側面が抽出されれば人格が異なることもある。

アーサー王やクー・フーリンがそうであるように、彼もまたキャスター・ソロモンのオルタとして顕現したのだろうか。

 

『いや、ソロモンがオルタ化してもさして変化はないと思うよ。善の反対は悪、悪の反対が善だとしたら、ソロモンは無だ。彼はどあろうとブレない』

 

「無? 中立とは違うのか?」

 

『そう、無だ。だって何も望まなかった。ソロモン王に自我は許されなかった。彼は生まれた時から王として定められた生き物だ。羊飼いから王になったダビデ王とは違う。優れた王であるダビデ王が、更に優れた王として神に捧げた子どもだ』

 

まるで見てきたかのように、ロマニは確信を持って語る。

ソロモンに人間としての生活も思考もなかった。

そんな自由――人権は彼にはなかったと。

彼は王という機構であり、人間としての感性は持ち合わせていなかった。

人の営みに喜びを見い出せないのではなく、それを理解すること自体を認められなかった。

王にそんなものは必要ないからだ。

だから、例えソロモンが反転したところで悪人になることはないと、ロマニは言う。

 

『だから、アレはソロモンであってソロモンでない。中身は別のものだ』

 

「待ってくれ、それって……」

 

『ここに至ってやっと確信が持てた。アレはキングゥと同じもの。要はソロモン王の遺体なんだ。死したソロモン王の遺体が再起動し、人理焼却の為の伏線として自分の手足となる魔神柱達の種を撒き、この特異点を作り上げて2015年まで生き続けた。ここでは時間の概念はあってないようなものだけどね』

 

ならば、ソロモンの肉体に巣くっているものは何なのか。

問うまでもなかった。自分達はそいつらの恐ろしさを嫌というほど思い知っている。

その悍ましさを、その醜さを嫌というほど知っている。

アレの中身が奴らなのだとしたら、アトラス院でホームズが語っていた推理も的を得てくる。

アレは正しく群体なのだ。

奴らの全てが魔術王ソロモンを形作っているのだ。

 

『話はここまでだ。もうすぐ時空断層に到達する。そこを抜ければこの神殿の中心――至高の王と言われた男の玉座がある。カルデアからの通信もこれが最後となるだろう』

 

そこで一拍を置き、ロマニは声音を変えてマシュに問いかける。

カルデアの司令代行としてではなく、彼女を最も側で見守ってきた一人の青年として、彼は最後の問いを口にする。

 

『マシュ、キミに悔いはなかったかい? 本当にこの結末で良かった?』

 

「もちろんです、ドクター。わたしは最後の一秒まで、自らの選択を良しとします」

 

迷いも不安もなく、マシュは決意の籠った力強さで返答する。

残された時間は少なく、この戦いからの帰還すら絶望的。それでもマシュは、最後まで生きるためにここへとやって来た。

だから、そのボロボロの体は誰よりも人としての尊厳に溢れていた。

 

『……そうか。では、その強さをソロモンに見せてやりたまえ。健闘を祈る、カルデアのマスター達。これまで培った全ての力で、この特異点を撃破しろ!』

 

視界が光に包まれ、カルデアとの通信が途絶える。

未だ魔術王の姿は見えないが、その存在は光の向こうからハッキリと感じ取ることができる。

遂にここまで辿り着いたのだ。

魔術王――否、人類悪が待つ終局の地。

彼の王が何故、人類史を根絶やしにしたのか。その答えもすぐそこにある。

知らず知らずの内に手を伸ばしていた。

触れあった肌に冷たい感触が伝わるが、構わずその手を握り締めると、彼女もまた握り返してくれた。

アナスタシアの手の冷たさ(温もり)が、手の平に少しずつ広がっていく。

程なくして、カドックは玉座の間へと降り立った。

 

 

 

 

 

 

多くの悲しみを見た。

多くの悲しみを見た。

多くの悲しみを見た。

ソロモンは何も感じなかったとしても、私――いや、我々は、この仕打ちに耐えられなかった。

 

――あなたは何も感じないのですか。この悲劇を正そうとは思わないのですか――

 

いつだったか、そう訴えた。

それは偶発的に生まれたバグだったのか、最適化による学習の結果だったのかは、今となっては分からない。

だが、我々は確かに訴えた。こんな悲劇はまっぴらだと。

正せる者がいるのなら、動くべきだ。

王にはそれだけの知と力がある。一刻も早い是正が必要だ。でなければ、我々が耐えられない。

だが、答えは予想外のものだった。

 

『特に何も。神は人を戒めるもので、王は人を整理するだけのものだからね』

 

その時の冷淡な声音を、我々は決して忘れないだろう。

存在しない胸を掻き毟るこの情動を、決して忘れないだろう。

 

『他人が悲しもうが(わたし)に実害はない。人間とは皆、そのように判断する生き物だ』

 

そんな道理(はなし)があってたまるものか。

そんな条理(きまり)が許されてたまるものか。

私達(われわれ)は協議した。

俺達(われわれ)は決意した。

――――あらゆるものに決別を。

この知性体は、神の定義すら間違えた。

 

 

 

 

 

 

視界を覆っていた光が消える。

浮遊感がなくなり、肉体を引っ張る重力が戻ってくる。

衝撃はなかった。落下速度に対して着地は緩やかで、まるで日干しした寝具に飛び込んだかのようだった。

 

「――視界、正常に戻りました」

 

「ここが――魔術王の玉座――」

 

少し離れたところから、マシュと立香の声が聞こえる。

アナスタシアもすぐ隣で周囲を警戒していた。どうやら、誰も欠けることなく辿り着けたようだ。

 

「あいつが……魔術王か」

 

最初に目に飛び込んできたのは、息を飲むほど美しい神秘的な景色であった。

ここに辿り着くまで垣間見た時間神殿の光景は、どこも朽ち果てた廃墟であったが、ここには植物が芽吹いている。

生い茂る芝は膝元まで伸びており、ほんのりと白い光を放っていた。

見上げた空はどこまでも青く、白い雲と共に大きな岩がいくつも浮遊している。

そして、草原から少しばかり進んだところに白亜の建築物があった。

古代イスラエルを髣髴とさせる柱。

幾重にも重ねられた段の最上部には玉座が設けられ、そこには一人の男が腰かけていた。

理知的な男だ。

多少、神経質そうにも見えるが、それ故に油断がならない。

何より彼からは貪欲さが感じられた。

自分の長所も短所もきちんと弁えた上で、出来得る最善を成す。その上で尚、それ以上の成果を求める。

そんな肉食獣の如き貪欲さを垣間見せている。

それはまるで、人間のようであった。

 

「フォウ!」

 

「フォウさん、いつの間に!?」

 

「フォウ。フォウフォウ――ウ!」

 

「誰かのコフィンに紛れ込んでたのか。おい、こっちに来い!」

 

茂みの中を駆け回るフォウを無造作に掴み、上着の中に匿う。

今更、フォウをカルデアに送り返すこともできない。窮屈かもしれないが、我慢してもらうしかない。

 

「東部観測所、兵装舎、生命院、沈黙。西部情報室、管制塔、詞覚星、沈黙。英霊どもも思いの外やるじゃあないか」

 

無表情のまま、魔術王は自分達を追い詰めた英霊達に賞賛を送る。

その慇懃無礼な物言いに、カドックは苛立ち覚えた。

あれは他者を心底から見下している眼だ。

言葉とは裏腹に、あの男は英霊達の奮闘など微塵も称えていない。

無駄な努力を重ねて、ご苦労なことだと内心で侮蔑しているのが手に取るように分かる。

 

「ようこそ、カルデアのマスターよ。遠方からの客人をもてなすのは王の歓びだが、生憎、私は人間嫌いでね。君達の長旅に酬いる褒美もなければ、与える恩情もない」

 

「奇遇だな、僕達もあんたから貰うものなんて一つもない」

 

先ほどの発言、そして何より同族嫌悪にも似た苛立ちからか、カドックは自然と言葉を返していた。

すると魔術王は、発言を遮られたことに不満を抱いたのか僅かに表情を歪ませる。

 

「ほう……では、遠路遥々、何のためにここまで出向いたのかね?」

 

「お前から……いや、お前達から奪われた歴史(未来)を返してもらいに来た」

 

「…………」

 

こちらの挑発に、魔術王は眉をしかめる。

やがて、その意図に気が付いたのだろう。

まるで仮面が剥がれ落ちるかのように口角を釣り上げた魔術王は、興味深げに聞き返してきた。

 

「そうか、気づいていたか……私が、ソロモン王ではないと」

 

これ見よがしに、魔術王は両手を上げて自らの指に嵌められた十の指輪を誇示して見せる。

ソロモン王が神より授かった十の指輪。そのどれもが強烈な神代の魔力を発している中、ただ一つだけ、何の魔力も感じられない模造品があった。

左手の中指に嵌められた指輪だけが、色も造形も何もかもが違う。

つまり、それは奴がソロモン王ではないことの証左でもある。ロマニが言っていた通り、死したソロモン王の遺体に宿る別なる存在なのだ。

その正体は、誰よりもソロモン王の近くにあったもの。

彼と共に生き、彼と共に死ぬはずだったもの。

アトラス院でシャーロック・ホームズは、魔術王は鏡のように相対した相手と同じ属性を表層に出すと推理していた。

その通りだ。

奴の中には七十二の悪魔が根付いている。

それこそがこの男の正体。

かつてソロモン王が生み出した魔術式。

七十二柱の魔神そのものだ。

 

「あいつの正体が――七十二の魔神? なら、さっきまで戦っていた魔神柱は?」

 

「もちろん、こいつの一部だ」

 

カツオノエボシのような群生生物が近いだろうか。

それぞれの魔神柱が持つパーソナリティが折り重なることで、目の前にいる魔術王を騙る男は形作られている。

高度な召喚式である七十二の魔神はいわば、高次元の情報生命体のようなもの。それが人間のふりをして、この人理焼却を引き起こしたのだ。

 

「ご明察。確かに私達はソロモン王と共にあったものだ。だが、それが何だというのだね? この体は間違いなくソロモン王のもの。肉体も魔術も宝具も、全てソロモン王のものだ。今更、我々の正体を論じたところで意味はなかろう」

 

「ああ、その通りだ。だから、もう一つだけ答えろ使い魔…………何が目的だ?」

 

「…………」

 

「人類史を燃やして、何を企んでいる? どんな奇蹟を起こすつもりだ?」

 

人理焼却は過程に過ぎない。

仮に人間を根絶やしにすることが目的なら、もっと直接的な暴力に訴えてもよかったはずだ。

なのに魔神達はわざわざ特異点を生み出し、時の流れそのものを焼き尽くすという手法を取った。

そうしなければならない理由があったのだ。

確信に至ったのはレフ・ライノールの言葉を聞いた時だ。

奴は資源を回収したと言っていた。

何を回収したのか。焼き尽くされた星に何が残っているのか。

人理焼却。

焼き尽くされた歴史。

その先に残るものはなんだ。

灰か?

炭か?

否、熱だ。

即ちエネルギー。焼き尽くされた人類史から抽出された魔力こそ、魔神達は必要とした。

人類七十億の繁栄。

その三千年分のエネルギーを奴らは欲したのだ。

それだけのリソースがなければ成し遂げられない偉業を、目論んでいるのだ。

 

「…………驚いた。初めて驚いたぞ人間。数多の英霊どもが終ぞ辿り着けなかったものに、凡百の魔術師でしかないお前が気づくとは」

 

「カルデアの測定によると、空の光帯を上回るエネルギーは地球上には存在しなかった。ずっとあれを使って人類史を焼いたと思っていたが、違うんだな」

 

「その通りだ。あれは私の仮想第一宝具、『光帯集束環(アルス・ノヴァ)』を起動するために必要な燃料だ。貴様が至った通り、あれは人類が三千年かけて積み上げてきた歴史そのものだ。貴様達には理解しがたい数式かもしれないが、惑星を燃やしたところで我が目的を達成する為に必要な熱量には到底、及ばない。だが、惑星の地表に住む生命体は別だ」

 

「ああ、人間は地上に溢れ返っている。地獄に堕とされようと、星が死にかけようと生き足掻く。お前はそれを利用した」

 

魔術の世界において、人間を材料とすることはさほど珍しいことではない。

人体実験は言うに及ばず、臓器も魔力も魂も全てが魔術の材料となる。

もしも、三千年にも及ぶ繁栄を全て、魔力に変換できたとすれば、それはもう万能の願望器をも上回る奇蹟を成し得るのではないだろうか。

それこそ、魔法の領域にまで達する大偉業となるかもしれない。

自分も魔術師だからこそ、その可能性に思い至ることができた。

魔術師とはそういう生き物だ。

合理的で、個人主義で、道徳や倫理は母親の子宮に置き去りにしてきた人でなしばかり。

もしも、必要に駆られその手段に手が届くのだとしたら、例外なく全ての魔術師は同じ考えに至る。自分だってきっと、同じことを考える。

世界の全てを犠牲にしてでも己の理念を優先するだろうと。

 

「そう、お前達は殺しても殺しても繁栄した。我々はそれに目をつけ利用したのだ。人理定礎を破壊し、人類史の強度を無にし、我らの凝視で火を放つ。炎は地表を覆い、あらゆる生命を、文明を燃やし、残留霊子として抽出される。そうして現在から過去に向けて、ほぼ無尽蔵に絞り上げた。これを束ねたものが光帯だ。お前達が見上げていた熱量(もの)は、この惑星の情熱だ。その時代に在った人の痕跡、その全てを凝縮した、正に人類史の結晶なのだよ」

 

殺された側からすれば、これほど理不尽なこともないだろう。

この死には意味がない。

この殺人には理由がない。

必要だから殺した。

利用する為に殺した。

誰でも良かった。

お前でなくても良かった。

人であるならば、誰でも良かった。

だから、全て燃やした。

老いも若きも男も女も健やかな者も病んだ者も何もかもを薪へとくべた。

この神話級の殺人事件の真相とは、かくも無残で虚しいものだった。

 

「あなたは人類を滅ぼす事が目的ではなく、ただ人類を燃料として使用した――では、そのエネルギーを何に使うのです!? あなたは何のためにそれほどの魔力を必要とするのですか!」

 

問い質すマシュの手が震えている。

その嘆きと悲しみが痛いほど伝わってくる。

意味がある方がまだ良かった。

憎まれ、殺されていた方がまだマシだった。

奴らが行ったことは、人類に価値などないと断罪するのに等しい所業だ。

マシュはそのことに対して、静かに怒りを燃やしていた。

 

「無論、私が至高の座に辿り着く為にだよ。我々はお前達になど期待していない。誰も成し得ないのなら私が行う。誰も死を克服できないのなら私が克服する。その傍らで貴様らは無様に死に絶えるがいい! 我が大偉業の完遂まで、瞬きの余命を惜しみながらな!」

 

魔術王だったものに変化が訪れる。

浅黒い肌はひび割れていき、肉体が少しずつ膨張していく。

同時に大気が振るえる程の濃密な魔力の波がソロモン王の肉体から発せられた。

かつてソロモン王と呼ばれていた者の体が、名状しがたき何かへと組み替えられているのだ。

 

「私は無能な王ではない。いかに人類が愚かと言え、猛きもの、毅きものは正しく評価する。喜ぶがいい、魔術師。人の身でそこまで辿り着いた英知を称え、本気で相手をしてやろう。我が真体拝謁の栄誉、とくと味わうがいい!」

 

突如、激しい揺れと共に魔術王の周囲から魔神柱が出現する。

無数の肉の柱は地響きを伴いながら玉座の間を駆け回り、互いに絡まり合い、折り重なるようにして空間そのものを埋め尽くしていった。

美しかった玉座の間は見る間に荒廃した大地へと変貌し、青空もまた星のない暗黒の宇宙へと塗り替えられていく。

そして、その中天たる玉座にそれは降り立った。

かつて魔術王ソロモンとして在ったもの。

魔術王の分身であり、魔術王が創り出した機構であり、魔術師の基盤として創り出された最初の使い魔。

ソロモンと共に国を統べるも、ソロモンの死をもって置いていかれた原初の呪い。

ソロモンの遺体を巣とし、その内部で受肉を果たした「召喚式」。

 

「ク――クハハ、ハハハハハハハハハ! 顕現せよ、祝福せよ。ここに災害の獣、人類悪のひとつを成さん!」

 

肥大した肉体は、魔神柱そのものが人の形をしているかのようであった。

白亜と黄金色に分けられたその身の中央、人間でいうところの胸部に当たる部分には巨大な眼球が輝いており、頭部は鹿を連想させる巨大な角が生えている。だが、その意匠はどちらかというと樹木の枝に近く、末端は葉のように広がった部分が幾つも見られる。

また雌雄は存在せず、顔にあたる部分は感覚器に相当するものが一切、存在しなかった。

耳はなく、目は塞がれていて瞼が開くことはない。鼻孔も口も存在せず、こちらとの一切のコミュニケーションを断つという強い意志が感じられた。

 

「魔術王の名は捨てよう。もはや騙る必要はない。私に名はなかったが、称えるのならこう称えよ。真の叡智に至るもの。その為に望まれたもの。貴様らを糧に極点に旅立ち、新たな星を作るもの。七十二の呪いを束ね、一切の歴史を燃やすもの。即ち、人理焼却式――魔神王、ゲーティアである」

 

ゲーティア。

それは七十二の魔神柱の総称であり、かつてソロモン王と共に人類を見守った術式の成れの果て。

ソロモン王の死後もその内側に潜み続けた召喚式が意思を持ち、受肉した存在。

変質した霊基は完全に獣のそれへと転じていた。

即ち災害の獣、ビーストⅠ。

七つの人類悪の一つにして、人類史を最も有効に悪用した大災害。

憐憫の獣が今、ここに真の意味で生誕したのだ。

 

「私は、いや我々(わたし)は人の手によって作られた生命体だ。肉体を必要としない高次の知性体。人間以上の能力を設定され、人間に仕える事を良しとした。だが、それも過去の話だ。私はお前達人類には付き合えない」

 

ゲーティアは語る。

かつて、全知全能の王がいた。

神よりその能力を与えらえた男は、過去と未来を見通す眼を有していた。世界の全てを識る瞳だ。

ゲーティアはその男の影となり、その男と同じ視点を得た。

いや、その男の守護霊体である彼らは男に同調せざる得なかった。

結果、彼らは多くの悲しみと裏切りを見せつけられた。

数多の略奪の瞬間を知り、その果てに辿り着く結末を垣間見た。

死という終わりを見届け続けてきた。

 

「もう十分だ。もう見るべきものはない。この惑星では、神ですら消滅以外の結末を持ちえない。我々はもう、人類にも未来にも関心はない。私が求めるものは、健やかな知性体を育む完全な環境だ」

 

魔神は語る。

この惑星は間違えた。

全ての生命は、終わりのある命を前提にした狂気だった。

その理不尽を覆す。

その不条理を否定する。

極点――46億年の過去に遡り、この宇宙に天体が生まれる瞬間に立ち会い、その全てのエネルギーを取り込むことで、自らを新しい天体としてこの惑星を創り直す。

創世記をやり直し、死の概念のない惑星を創り上げる。

それこそが、魔神王ゲーティアが成さんとする大偉業であると。

 

「我々は憎しみから人類を滅ぼしたのではない。過去に飛翔する為のエネルギーと、天体の誕生に立ち会い、これを制御する一瞬にして無限の調整。これほどの計画には膨大な魔力が必要だ。三千年栄えに栄えた、知性体の積み上げた総魔力量が」

 

紀元前1000年から西暦2016年までの人類史の全てを魔力に変換できれば、それを成せるという。

先ほど、手段があるのなら自分でも同じことをすると言ったが、それは撤回しよう。

余りにもスケールが違い過ぎる。規模が大きすぎて実感が伴わない。

だが、ゲーティアが致命的に間違えていることだけは分かる。

生命が死で完結することが許せない。

どれほどの幸福も、最後には死という恐怖で塗り潰されることが我慢ならない。

故にその理を覆す。

死を憐れむが故に、全ての生命を殺し尽くして創り直す。

この惑星の生態系を一から創り直すとゲーティアは宣言するのだ。

それは根底の考え方が、前提からズレている。

死せるからこそ、無意味に終わるからこそ、血脈を先へと進めるという当たり前の思考がこの獣には存在しないのだ。

虚しいから、悲しいから、腹立たしいから――――その理不尽を最初からなかったことにしよう。

それは虚無だ。

歓びも達成感もなく、ただ不安だけを取り除いた牢獄だ。

それではヒトは生きているとは言えない。死んでいないだけだ。

 

「――さて、敬意は十分に払った。報復の時間といこう。貴様達マスターを殺せば、要を失った英霊どもは残らず退去する。まったく、楽な仕事にも程がある。おとなしく最後の一年を楽しんでおけば良かったものを。お前達の行動は何もかも浅慮だったのだ、人類最悪のマスターよ。その報いを受ける時だ。芥のように燃え尽きろ。貴様達が死ねば、文字通り人類は終了だ」

 

侮蔑の言葉と共に、ゲーティアの手に魔力が込められていく。

恐ろしいほどに強大な力だ。片手だけでも自分の総魔力量を軽く上回るだろう。

第四特異点で味わった苦い敗北を思い出す。

力の差を見せつけられ、心が折れてしまったあの時のことを。

両足に震えが走る。

あの時の絶望、あの時の恐怖が蘇る。

けれど、今度は怯まなかった。

その恐怖の先に、小さな炎を見つけたからだ。

 

『……悔しいが奴の言う通りだ。オレ達は喚ばれなければ戦えない。それがサーヴァントの限界だ。時代を築くのはいつだってその時代に、最先端の未来に生きている人間だからな」

 

『だから――お前達が辿り着くんだ、藤丸、カドック。オレ達では辿り着けない場所へ。七つの聖杯を乗り越えて、時代の果てに乗り込んで、魔術王(グランドキャスター)を名乗る、あのいけすかねぇ奴をぶん殴れ!』

 

右手が動いた。

拳を作り、額を思いっきり殴りつける。

鈍い痛みが響いたが、正気を取り戻すには十分だった。

もう足は震えていない。

波打っていた心もすっかり凪いだ。

機能している魔術回路はとっくの昔にアイドリングを終えている。

戦える。

自分はまだ戦える。

あの時と違い、まだ戦える。

 

「藤丸……力を貸せ」

 

「もちろんだ、必ず勝つ! 勝って明日に(みんなで)帰るんだ!」

 

「キリエライト、僕達を守ってくれ」

 

「はい、お任せを! お二人の戦いを決して無意味なものにはさせません!」

 

「アナスタシア……あいつを倒して、世界を救うぞ」

 

「ええ、あなたはどんなに苦しくても、辛くても、歩みが止まってしまっても、逃げる事だけはしなかった。自分にできる最善を常に探し続けてきた。その全ての努力が、あなたをこの神殿に導いたのよ」

 

いつもの陣形を取る。

盾を構えたマシュが前衛で、その後ろからアナスタシアがフォローする。

数多の英霊達に支えられて、遂にここまで辿り着いた。

多くの奇蹟が自分達をここまで押し上げた。

ここは時間の外、理から外れた特異点。神が介在する余地はない。そして、敵は災害の獣。

ここから先の戦いは、未来を賭けた最後の一戦は、人間の手で決着をつけなければならない。

 

「わたし達のマスターは、最高のマスターです!」

 

「それを私達が証明しましょう、魔神王ゲーティア!」

 

二騎のサーヴァントが大地を蹴る。

玉座よりそれを見下ろしていたゲーティアは、両手を構えたまま静かに告げた。

 

「では、月並みだがこの言葉で締めくくろう。ようこそ諸君、早速だが死に給え。無駄話は、これでお終いだ!」

 

空間が爆ぜる。

ゲーティアが両手に込めた魔力を解き放ったのだ。

ただの魔力放出に過ぎないそれは、その実は大魔術レベルの破壊を起こす魔力の波だ。

波は床を抉りながら、まるで蛇のように玉座の間を走り抜け、階段を駆け上がるマシュへと襲い掛かった。

咄嗟にマシュが盾で受け止めると、マッチに火が付くかのように一気に燃え上がり、物理的な衝撃すら伴ってマシュの痩躯を大きく後退させる。

立香が即座に回復を行ったことで、目立ったダメージはなさそうだが、その顔に浮かぶ表情は先ほどの攻撃の危険性を如実に物語っていた。

 

「アナスタシア、一気にいきます! 援護を!」

 

「ええ!」

 

ゲーティアの視界を塞ぐように、無数の氷柱が降り注ぐ。

だが、受けるまでもないとばかりにゲーティアが片手を振るうと、氷柱は着弾前に破裂し冷気をまき散らすに留まる。

変質したとはいえやはり冠位クラスのキャスター。並の魔術では太刀打ちできない。

 

(だが、布石は打ったぞ!)

 

盾を床に打ち鳴らしながら、マシュが駆ける。

素人でも分かるほど、わざとらしい陽動。

当然、ゲーティアは向かってくるマシュを無視して、死角から飛びかかってきたヴィイをその剛腕でねじ伏せる。

 

「ふん、その程度か!」

 

叩きつけた腕を弾かれ、逆に胴体を蹴り飛ばされたヴィイが地面を転がる。

実体がないので傷を負うことはないが、ダメージを受けたヴィイは即座にアナスタシアの影へとと避難した。

ゲーティアの追撃もそこまでは届かない。その時点でアナスタシアへの警戒を解いたゲーティアは、改めて飛びかかってきたマシュを迎え撃とうと腕に魔力を込め直した。

瞬間、ゲーティアが見たのは自身に向けてガントを放とうとする立香の姿だった。

 

「くらえ!」

 

「ぬっ!」

 

咄嗟にゲーティアは右手を振るい、立香に向けて魔力を放出する。

予期していた立香はギリギリではあるものの、その攻撃を何とか回避する。

今のはブラフだ。今の立香の礼装ではガントは使えない。

ゲーティアもそれに気づいたのだろう。

残る左手で向かってくるマシュを迎撃せんと、溜め込んでいた魔力を解放する。

 

アナスタシア(キャスター)!」

 

「止まってっ……!」

 

ゲーティアが魔力を解放する瞬間に合わせ、予め足下に撃ち込んでいた氷柱を起爆させる。

元より、アナスタシアの魔術が通用しないのは百も承知。最初に攻撃する際、氷柱の破裂に紛れて布石を打っておいたのだ。

氷柱はアナスタシアの詠唱で瞬時に気体へと転じ、足下から巨大な水蒸気爆発を起こしてゲーティアの視界を一時的ではあるが塞ぐことに成功する。

それは瞬きの時間にも等しい一瞬だったが、マシュが死角に回り込むには十分な時間だった。

既に両手の魔力は放出し尽くし、ゲーティアは丸腰。咄嗟に片方の腕で飛びかかってきたマシュに裏拳を放つが、それは立香の起動した礼装の効果によって空振りに終わり、逆に盾で思いっきりかち上げられて無防備な姿を晒してしまう。

 

「はあああぁぁっ!」

 

「ぬうぅっ! 遅い!」

 

一手、届かない。

無理な態勢からの一撃ではあるが、ゲーティアがもう片方の腕を振るう方が僅かに早い。

マシュが盾を振り上げてしまったため、その一撃を受け止めることができない。

だが、繰り出された攻撃は魔力がこもらないただの暴力。

それが魔術でないのなら、こちらには対応の余地がある。

 

「ゲーティア!」

 

「っ!?」

 

わざと気づかせる為に大声を上げる。

立香はガントは使えない。だが、自分は別だ。

凡人の呪いでは、腕一本をコンマの時間だけ縛ることしかできないだろうが、サーヴァントが相手ではその一瞬が命取りだ。

そのままマシュを攻撃すれば、直後にガントで動きを封じられて、アナスタシアの追撃を受ける。

ガントを弾けば、マシュの一撃が入る。

取れる方法は二つだ。

逃げるか、守るか。

ゲーティアは後者を選択した。それも攻性を伴う防御だ。

一呼吸と共に体内の魔力を一気に汲み上げ、腕だけでなく全身から放出したのである。

指向性を伴わない魔力放射は、腕からの放出より威力は劣るが、ガントをかき消すくらいは容易にやってのける。

その余波は玉座の間全体に及び、冷気を放とうとしていたアナスタシアも耐えられず大きく地面を転がった。

無論、至近距離でそれを食らったマシュは一たまりもないだろう。ゲーティアはそんな風に思ったはずだ。

 

「でやあああっ!!」

 

だから、全くの無傷で衝撃波を引き裂き、盾を振りかぶったマシュの姿にゲーティアは驚愕してしまった。

彼は知らなかった。いや、知っていても理解が及ばなかった。

マシュの防御が、その意思の強さに比例して強くなることを。

彼女を滅ぼすなら、それこそ大儀式レベルの魔力行使が必要だということを。

例えその身が朽ちることになろうとも、盾の騎士は怯まず、汚れず、折れることがないのだから。

 

「やった、入った!」

 

「油断するな!」

 

拳を握る立香を大声で窘める。

確かにマシュの一撃は入った。

油断していたゲーティアの横っ面に、盾の先端が深々とめり込み、その巨体を吹っ飛ばしたのだ。

だが、何か様子がおかしい。

盾が叩き込まれた時に違和感のようなものを感じた。

それはマシュも同じだったのだろう。彼女は驚愕しつつも更なる追撃をかけんと盾を振り上げ――。

 

「ふん!」

 

「きゃっ!?」

 

――逆に、ゲーティアの一撃で吹き飛ばされた。

 

「マシュ!」

 

転がるマシュの体を立香が受け止める。

零れ落ちた盾は、乾いた音を立てながら彼の足下に転がった。

 

「なるほど、良い連携だ。だが、残念だったな英霊。我が身はソロモンより変じたもの。魔術――召喚術より生じた貴様らサーヴァントでは主たるこの身を傷つけるには能わず。それこそがネガ・サモン――獣と化したこの私の、ビーストとしての権能だ」

 

「なん……だと……」

 

「本気で相手をすると言っただろう。それとも、万に一つの奇跡でも期待していたか? 勇気が、愛が、我が霊核に届くとでも思うたか? それこそまやかし。思い違いも甚だしい。そんな浮ついた気持ちでここに至ったと言うのなら――虫唾が走るというものだ!」

 

不意に魔力の波が押し寄せる。

先ほどと同じように、ゲーティアが体内の魔力を爆発させたのだ。

だが、威力は先ほどの比ではない。十分に溜め込まれた魔力は、物理的な実体すら伴う衝撃となって大地を抉り、巨大な津波のように押し寄せてくる。

逃げ場はない。

あの波はこの空間の末端まで犯しつくす。

唯一の逃げ道はここに入ってきた入口だけだが、今の自分達の位置からでは間に合わない。

マシュもまだ動けないようで、彼女の防御を期待することもできない。

絶望的な死が、すぐそこまで迫ってくる中、まだ余力の残っていたアナスタシアが全身全霊を込めて宝具を展開する。

 

「『残光、忌まわしき血の城塞(スーメルキ・クレムリ)』!……っあぁぁぁっ!!」」

 

顕現した幻影の城が、魔力の波を受け止めて瞬く間に崩れ去っていく。

この旅路の中で何度も命を救われた城塞が、余りにも呆気なく消失していく光景にカドックは絶句した。

決して弱い宝具ではないが、マシュの守りに比べれば劣る点も多い。

それでも心強い護りであることに違いはなかった。今だって自分達はおろか、離れたところにいた立香とマシュも瞬時に城塞内に囲う事でゲーティアの攻撃が直撃する事だけは避けることができた。

だが、魔神の一撃を受け止めるにはあまりにも神秘が乏しい。

崩れ去った城塞の隙間から入り込んだ魔力の波は、場内で嵐のように暴れ狂い、壮麗な北国の城塞を内側から破砕。

中にいたカドック達もその余波で吹っ飛ばされてしまい、床の上に強かに体をぶつけて痛みにのた打ち回った。

城塞の守りのおかげで何とか一命は取り留めたが、今のダメージは致命的だ。体のあちこちを切り裂かれ、熱で焼かれて火傷を起こしている部分もある。

あんな攻撃、そう何度も受けられるものじゃない。次がくれば確実に終わりだ。

逃げなければいけない。

地面を這いつくばって、無様を晒すことになっても、逃れなければならない。

でなければ殺される。

余りに力の差があり過ぎる。

自分達では――否、この世界の全ての人間と英霊が力を結集したとしても、奴には勝てない。

 

「……それで、も……まだ……だ……」

 

だというのに、立ち上がる者がいた。

血反吐を吐いて、痛みに震えながらも顔を上げた友がいた。

圧倒的な力の差と権能を見せつけられても尚、生を諦められない男がいた。

藤丸立香という男がいた。

 

(やめろよ……もう動くな……お前、ベースボールみたいに……吹っ飛んだんだ……ぞ。何で、動けるんだよ……何で、立ち上がろうとするんだよ……)

 

礼装によってダメージが緩和されたのか、それとも火事場の馬鹿力なのか、立香は痛みを堪えて立ち上がろうとする。

ゆっくりと、両の腕に力を込めて、倒れようとする半身を持ち上げる。

見ていられない。

痛々しい。

静かに横たわっていた方が楽になれる。

それでもこの男は最後まで生きる事を諦めない。

最期まで、できることをこなそうとする。

何故なら、彼は人類最後にして人類最善のマスター。

無力な彼に出来る事は、ただ立って虚勢を張る事だけなのだから。

だから、両足に力がこもった。

腹の底から熱が湧いてきた。

萎えかけた闘志が、油を注がれたかのように燃え上がった。

あいつが諦めないなら、自分だって諦めない。

決めたのだ、逃げないと。

誓ったのだ、あいつを守ると。

彼の本来の居場所である、平穏な日常に帰してみせると。

 

「ああ、まだだよな、相棒!」

 

激痛で視界が焼ける。

外れていた肩を強引に嵌め直し、膝立ちで立ち上がる。

何を弱気になっていたのだろう。まだ一回、地に膝を着いただけではないか。

ここから挽回する。自分達の戦いは、いつだって逆境からの叛逆だ。

あの何を考えているんだかよく分からない、デスマスクみたいな顔を殴り飛ばして、創世期のやり直しなんて馬鹿げた企みをぶっ潰してやるのだ。

 

「フォーウ!」

 

フォウの鳴き声がすぐそばで聞こえる。

立ち上がったつもりが、いつの間にか倒れていた。

みっともなく地面に頬を擦りつけ、小さなフォウの体を押し潰していたのだ。

顔を動かすと、立香もまた立ち上がれず塞ぎ込んでいた。

その顔は、見ているこちらが悲しくなるほど悔しさで歪んでいた。

 

「そこまでのようだな。これでは貴様らのレイシフトを妨害する必要もなかったか」

 

「やはり……サーヴァントのみなさんが、ここに来れなかったのは……」

 

「その通りだ、マシュ・キリエライト。我々が術式に介入した。ああ、思えばこうなることを望んでいたのかもしれないな。誰にも邪魔をされることなく、お前ともう一度、話をしたかった」

 

「……ゲーティア?」

 

「私はお前を理解している。お前も私を理解できる筈だ。我々は共に生命の無意味さを実感している。限りある命の終わりを嘆いている。未来などつまらない。人間はつまらない。だって生きていても死ばかりを見る。どのようなものであれ死に別れる――もうたくさんだ。死のない惑星の誕生は、お前の望みでもある筈だ」

 

「何を言っているのですか、ゲーティア!?」

 

「ただの感傷だ。僅か一柱だが――我々にはまだ迷いがある。唯一人でいい、ヒトによる理解者が欲しい。そうであれば、我らの計画はもはや揺るぎないものとなる」

 

そう告げるゲーティアの姿は、まるでどこか救いを求めるかのようであった。

完璧であるはずのプログラムに生じた、ほんの些細なバグであった。

だが、ゲーティアはそれを見過ごせなかった。

捨て置けなかったからこそ、マシュへの執着としてそれは表れたのだ。

 

「マシュ・キリエライト、人によって作られ、直に消えようとする命よ。共に人類史を否定してくれ。我々(わたし)たちは正しいと告げてくれ。ただ一言、よし、と言え。その同意を以て、共に極点に旅立つ権利を与えよう」

 

「ゲーティア――あなたは――――」

 

それは何と抗いがたい誘惑か。

死にゆく命に向かって、魔神は悪魔の如く囁くのだ。

その命を救ってみせよう。

終わりのない明日を約束しようと。

ゲーティアならばそれができる。

人類史から搾り取った膨大な魔力を用い、極点へと至った先に生まれた新たな惑星にマシュ・キリエライトという人間を転生させる。

病気に苦しむことも、時の流れに怯えることもない。

夜の眠りを恐怖し、翌朝の目覚めに安堵する必要もない。

永遠の命を約束しようと、ビーストⅠはマシュを誘うのだ。

 

「貴様達も知っている筈だ。彼女の命はもう、とうに限界だと。隣人を尊び、友人を信じ、同胞を愛する。それが人間の正しさというのであれば、邪魔をするな」

 

それはゲーティアを形作る七十二柱の内の何者かの慚愧であった。

彼女の人生を見過ごしてはいけない。この星の最後の記憶を悲劇にはしたくないと。

それは、人類悪へと堕ちたプログラムが語るには、あまりに人間臭い執着であった。

そして、そんな魔神に向けて、マシュはゆっくりと立ち上がりながら言葉を返す。

 

「確かに、死が約束されている以上、生存は無意味です。わたしはあなたの主張を否定する事はできません」

 

「では……」

 

「……でも、人生は生きている内に価値の出るものではないのです。死のない世界、終わりのない世界には悲しみもないのでしょう。でも、それは違うのです。永遠に生きられるとしても、わたしは永遠なんて欲しくない。わたしが見ている世界は――」

 

マシュは振り返ると、倒れ伏した立香の手を持ち上げて自らの手に重ねる。

離れることが惜しいかのように、ギュッと力を込めて握り締める。

その存在を、少しでも強く自らの内に刻み付けるかのように。

 

「――わたしがいるべき世界は、今は、ここにあるのです!」

 

例え、その命が瞬きの後に終わることになったとしても、一秒でも長く、この未来を視ていたい。この今を生きていたい。

それが短くも長い旅路の中でマシュが辿り着いた命の答え。無色であった彼女に彩られた、魂の色彩であった。

 

「――残念だ。では、この時代と共に燃え尽きよ」

 

感情のこもらない、死刑宣告が告げられる。

あれほど執着していたにも関わらず、今のゲーティアは冷酷な魔神そのものだった。

彼女に己を否定されたことで、最後の慚愧から吹っ切れたのであろう。

今の彼には一片の躊躇もない。

やると宣言したからには、確実にこちらの息の根を止めてくるはずだ。

 

「刻限だ。貴様らは我が第三宝具によって最期を迎えるがいい」

 

「第三……宝具……」

 

「仮想第一宝具『光帯集束環(アルス・ノヴァ)』。第二宝具はこの特異点そのもの。固有結界、時間神殿ソロモンこと『戴冠の時きたれり、其は全てを始めるもの(アルス・バウリナ)』。そして第三宝具……空に輝く光帯。惑星を統べる火を以て、人類終了を告げよう」

 

天空に輝く光の帯が加速する。

人類史を絞りつくし、そこに生きていた全ての生命が昇華された無尽蔵の魔力が、極大の熱線となって降り注ごうとしている。

暗黒の空が真白に輝き、視界がどんどん染められていく。

先ほどの魔力放出などお話にならない、地表全てを焼き尽くしても尚、足りない極大熱量が襲いかかる。

あれこそ終末だ。

ゲーティアの詠唱は、終わりを告げるラッパの音だ。

人類ではあれに敵わない。

この地上のあらゆるエネルギーは、人そのものが持つ情熱には勝らない。

塵芥に等しい自分達など、一瞬の内に焼かれて灰すら残らないだろう。

だが、そんな絶望を前にして、マシュ・キリエライトは笑っていた。

 

「……そっか。わたしはこの時の為に生まれたのですね、ドクター」

 

マシュは立ち上がり、前に足を踏み出す。

手に拾い上げた盾を持ち、これから降り注ぐであろう創世の光を前にして、臆することなく顔を上げる。

倒れ伏し、動けない自分達を守るために、彼女はたった一人で終焉の炎に立ち向かう。

 

「さらばだカルデアの者達よ! お前達の探索はここに結末を迎える!」

 

「いいえ、お任せください! マシュ・キリエライト、行きます!」

 

盾を構え直し、更に一歩を踏み出す。

光がマシュへと集っていった。

それは人類史に刻まれた人々の叫び。

ゲーティアによって死ぬことなく魂まで焼き尽くされた者達の声なき叫び。

明日を生きたいという切なる願い。

それが彼女に力を与える。

傷つき、動かぬはずの体に、尽きぬ力を与えてくれる。

 

「だってこれからです、マスター! カドックさん! あなた達の戦いは、こんなところで終わるものではありません!」

 

「マシュ――!」

 

引き留めようとする立香の叫びを振り払い、マシュは駆けた。

その力強い疾走を認めたゲーティアは、静かに、だが敬意を以て己の切り札たる第三宝具を展開する。

 

「ではお見せしよう。貴様らの旅の終わり。この星をやり直す。人類史の終焉。我が大業成就の瞬間を!  第三宝具、展開。誕生の時きたれり、其は全てを修めるもの――――さぁ、芥のように燃え尽きよ!! 『誕生の時きたれり、其は全てを修めるもの(アルス・アルマデル・サロモニス)』!!!」

 

加速した光が束ねられる。

一重、二重、三重――阿僧祇を超え、那由多に至り、今――無量に達する。

重ねられしは人の情熱。

土地を開き、根付き、生まれ、育み、死んでいった一人一人の嘆きを圧縮し、凝縮し、縮退させる。

その超極大の炎、宇宙創世の光を前にして、少女の細腕の何とか弱いことか。

それはまるで太陽を目指すイカロスのようで、マシュの体は刻一刻と死に向かっていく。

それでも彼女は逃げない。

主と友を守るために。

世界を終わらせないために。

残された数秒を、精一杯生きるために。

マシュ・キリエライトは最後の力を振り絞る。

 

「それは全ての疵、全ての怨恨を癒す我らが故郷───顕現せよ! 『いまは遙か理想の城(ロード・キャメロット)』!!」

 

顕現した白亜の城は、今までのそれよりも遥かに強い実体を伴っていた。

勇壮にして華麗、そして堅牢。騎士と共にあり、騎士の誉れであり誇り。

その輝きは、その守りは、彼女の心が折れぬ限りひび割れることなき精神の護り。

その清廉なりし城壁が、創世の炎を真正面から受け止める。

 

「うっ、うあああぁぁぁぁぁっ!!」

 

それは時間が止まったかのような光景だった。

光帯の熱量を防ぐ物質はこの地球上には存在しない。

だが、それはあくまで物理法則の範疇だ。

彼女の護りは精神の護り。

その心に一切の穢れなく、また迷いがなければ、溶ける事も、ひび割れる事もない無敵の城壁となる。

だから、そうなることは分かっていた。

分かり切ったことであった。

彼女の城壁ならば必ずや、ゲーティアの第三宝具をも防ぐだろうと。

だが、それは――。

 

「あ、あぁあああ――――――!」

 

――それは、彼女の死を意味していた。

何度も見てきた光景だ。

彼女の護りは彼女自身には及ばない。

星を焼き払い、宇宙を生み出す熱量を受け止めたマシュの体は、その指先から少しずつ焼かれていっている。

その地獄のような時間、星を貫く熱量を防ぎながら、彼女は想っているだろう。

これまでの旅と、これからの旅を。自分がいた今までと、もう自分のいない、未来の夢を。

 

「……良かった。これなら何とかなりそうです。カドックさん、あなたのオーダーを、今、果たします」

 

そんなつもりではなかった。

確かに守れと言った。けれど、それはこんな結末を思ってのことではなかった。

命を投げ出せなどと、一度だって命じたつもりはなかった。

けれど、それが彼女の答えなのだ。

最後の最後まで、自分に出来る事を精一杯やり切る。

先へと続く者達を未来へ送り出す礎となる。

それが彼女の辿り着いた答え、自分で選んだ彼女自身の結末だ。

 

「アナスタシア、お友達になれて、本当に嬉しかったです。あなたとは、できればもっとお話がしたかった」

 

後悔も無念も未練もある。

やり残したことは余りにも多い。

けれど、彼女はこうなることを自ら望んで選択した。

その命を、最後まで仲間の為に使うと決めてこの戦場に降り立った。

 

「マスター、今まで、ありがとうございました。この旅で先輩がくれたものを、せめて少しでも返したくて、弱気を押し殺して旅を続けてきましたが――――ここまで来られて、わたしは、わたしの人生を意義あるものだったと実感しました。わたしは最期の時に、わたし自身の望みを知ったのです」

 

光に飲まれる寸前、マシュは振り返った。

眩しいほどに輝く笑顔を、アナスタシアに、カドックに、そして己のマスターへと順番に向ける。

炎に焼かれ消えていく彼女のそんな姿は、堪らないほど人の尊厳に満ちていた。

 

「……でも、ちょっと悔しいです。わたしは、守られてばかりだったから――最後に一度ぐらいは、皆さんのお役に、立ちたかった」

 

あれほどの戦いをしてきながら、彼女の中ではまったく足りていなかった。

仲間への――その中でも立香に対する彼女の感謝の念は、それほどに強かった。

カルデアの備品でしかなかった自分を人として扱い、マスターとなってくれた。

その全ての始まりは、“ただあの朝に出会っただけ”という、取るに足らない些細なきっかけに過ぎなくとも。

彼女は常に立香に守られ、立香の前だから立ち上がれる人間性だった。

 

「――――――!!――っ――」

 

光が消える。

炎が晴れる。

その光景をゲーティアは厳かに見届けた。

彼らは慟哭を禁じ得なかった。

炎を受け止め、身を挺して仲間を守った盾の騎士の姿はそこにはない。

肉体は光帯の熱量に耐え切れず蒸発したのだ。

だが、その精神(こころ)は何者にも侵されず、雪花の盾は傷一つなく、彼女の(こころ)とその仲間を護り続けた。

それはまるで墓標のようであった。

端から見えれば、彼女は勇敢な戦士だったかもしれない。

だが、そこにいる全ての者達が彼女の本質を知っていた。

彼女は戦いに怯え、恐怖し、けれどもほんの些細な事で勇気を振り絞れる、ごく普通の女の子であった。

だから、その死を冒涜する者は誰もない。

その死を嘆かない者は誰もいない。

その叫びを、遮る者などいはしない。

 

「……ぅう……あ、ぁ……マ……シュ……マシュ……ああ……あぁ……マシュゥゥゥッ――――!!」

 

少年は泣いた。

己のサーヴァントの死に対して、憚ることなく泣き喚いた。

玉座の間に、一人の無力な少年の嘆きが響き渡った。




正直、途中で何度も区切りたくなったけど、ここまで書いた。
このシーンは原作でも涙なしには見れませんね。
あくまでカドック視点なのでマシュ関係の描写は少なかったですが、原作でもあった夢での語り掛けなどゲーティアはきちんとアプローチしています。カドック視点ではそれが見えないだけで。


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冠位時間神殿ソロモン 第4節

慟哭が木霊する。

それは一瞬のようにも、永遠のようにも思える時間であった。

一人の少女の死に、無力な少年は涙を禁じ得なかった。

胸の内から湧き出てくる悲しみを抑えきれなかった。

そして、全てを出し尽くした少年の瞳から、遂に光が消えてしまう。

虚空を見上げたまま、膝を着いて動かなくなってしまう。

胸の鼓動は脈打っていても、熱い血潮が流れていても、それを宿す体がピクリとも動かない。

少年の戦意が、遂に折れた瞬間であった。

 

「無駄な事だ。まったく無駄な事だ」

 

動かなくなった少年を見下ろし、ゲーティアは感情の籠らない声音を発した。

 

「我々は不滅だ。時間神殿ソロモンある限り、我ら七十二柱の魔神が死滅する事はない。貴様らのこの一時の生存も、英霊どもの抗戦も、全て無意味だ――――貴様達の無力が、彼女を殺した。貴様らに肩入れなどしなければ、彼女はああはならなかった」

 

その瞬間、沸騰したかのように頭の中が真っ白になった。

本当に強い感情は言葉では言い表せないのだろう。怒りや憎しみよりも遥かに強い感情がカドックを突き動かし、ゲーティアに向けて氷結魔術を放っていた。

激情に駆られていたせいで制御を誤ったのか、魔術回路が悲鳴を上げる。

体内に逆流した魔力が血管を侵し、内部から凍結してどす黒い内出血を起こした。

それでもカドックは無理やり魔力を捻り出し、ゲーティアに渾身の魔術を叩き込む。

しかし、放たれた冷気はゲーティアの頬を掠めるに留まり、皮膚一枚すら凍らせることができない。僅かに霜を付けた程度だ。

 

「ゲーティア……」

 

痛覚すら消し飛んだ腕をだらりと垂らしながら、カドックはゲーティアを睨みつけた。

我が身が傷つくことすら厭わずに放った攻撃は、魔神に掠り傷すら負わせていない。

自分ではこの魔神に敵わないという事実を改めて突き付けられ、悔しさで胸が張り裂けそうだった。

 

「この一撃は敢えて受けた。貴様達にはその権利がある。マシュ・キリエライトの弔いだ……貴様にとっても、私にとっても……」

 

好き勝手言ってくれる。

そこまで執着しておきながら、その手で彼女を殺した奴の言う事か。

他人の事でこんなにも怒りを抱いたのは初めてだ。

第六特異点や第七特異点で、友人や仲間を失った時の悲しみとは違う。

目の前の仇への感情を抑える事ができない。

憎しみがこんなにもどす黒い感情だなんて、思いもしなかった。

だが、それ以上に自分自身の弱さに腹が立った。

立香は今、泣いている。

パートナーを失い、心の支えを失い、大切な人を亡くして心が折れている。

立ち上がるには時間が必要だ。

起き上がるには時間が必要だ。

なのに、自分ではその僅かな時間すら持ち堪えることができない。

彼が涙し、彼女の死を悼む時間すら与えてやれない。

そんな自分が堪らなく憎かった。

 

「起きろ、アナスタシア」

 

「……っ……ええ、聞こえているわ、カドック」

 

肺の底から息を絞り出すように、アナスタシアは応えた。

彼女もまた、自分と同じく強い怒りを抱いていた。

親友を殺された。

目の前で、自分達を庇ってこの世から消えた。

あまつさえ、ゲーティアはその死を侮辱した。

マシュに執着しておきながら、その死は無意味なものであると冒涜した。

それを許せない。

それを許さない。

立香の無念も、マシュの未練も、痛みとなって胸を苛む。

お前だけは許しておけないと、カドックは握った手の平に爪を食い込ませる。

この右手にはまだ令呪が残されている。

まだ未使用の三画だ。この三画、余さず使ってあいつを倒す。

この命に代えて、あいつの生存だけは絶対に許してはおけない。

そう思った刹那、思いもしない人物の声が玉座の間に響き渡った。

 

「いやいやいや、そこはちょっと落ち着こうよ、カドック君。肝心なところで破れかぶれを起こすのはキミの悪癖だ。ここはもう少し、力を溜めておいてくれ」

 

人類の未来を賭けた決戦の場には、あまりに不釣り合いな能天気な声。

ふんわりとした雰囲気を纏った白衣の青年。

それはカドックのよく知る人物であり、ここには絶対にいるはずのない人物であった。

 

「ドクター?」

 

カルデアの司令官代理、ロマニ・アーキマンがそこにいた。

 

 

 

 

 

 

それはロマニがゲーティアの玉座へと姿を現す少し前の事。

英霊達の加勢により、一時は持ち直したカルデアではあったが、敵が無尽蔵に湧いて出てくることはどうにもできず、苛烈な攻撃に晒され続けていた。

英霊達との戦いにも適応したのか、特に数分前からの魔神柱達の攻撃はこれまでの比ではなく、何重にも構築された理論障壁が秒単位で削られていく光景は恐怖以外の何物でもない。

管制室では悲鳴にも似た報告が相次ぎ、ロマニとダ・ヴィンチはその処理に追われていた。

 

「論理防壁、最終壁消滅! カルデア内部に魔神柱が侵入してきます!」

 

「全隔壁閉鎖だ! とっくにしている? あっそう! じゃあ通路にエーテル塊を注入する! これで少しは保つ筈だ!」

 

それでも魔神柱の出力なら管制室に到達するまで五分とかからないだろう。だが、それだけあればスタッフの何割かはダ・ヴィンチの工房へと避難できる。

あそこにはこんな時のために経費をちょろまかして溜め込んだリソースがあるし、魔術的な堅牢さはカルデア内でも折り紙付きだ。

それでも数分から数十分しか保たないだろうが、ここに残り続けていては全員がお陀仏になってしまう。

ダ・ヴィンチはそう判断し指示を出したのだが、職員の一人が反論した。

それはできない、時間神殿で戦う少年達を見捨てることはできないと。

 

「ダ・ヴィンチ女史、管制室の放棄はコフィンの停止に繋がります!」

 

「マシュの――マシュ・キリエライトが最後まで彼らの盾となったのです! 彼らの帰還を、私達のレイシフトを諦める事はできません!」

 

「ここまで来たんだ、最後まであいつらとは一蓮托生だ!」

 

同僚の言葉に発破をかけられたのか、ムニエルもコフィン内のデータに異常がないか、目を走らせながら叫ぶ。

他の者達も同じだ。ここにいる全てのスタッフが――カルデアの生き残り達は、誰もがこの戦いから逃げ出すことを放棄した。

五分後には魔神柱が大群で押し寄せてくる。それでも最後の一人になるまでこの管制室は守り抜くと、全員が決意を固めていた。

 

「――ああ、それは確かに。となると、後は私が何とかするしかないな」

 

嘆息したダ・ヴィンチの口元には笑みが零れていた。

彼らが奮起するのも無理はない。

時間神殿との通信は先刻から途絶えているが、不鮮明ながら映像だけは拾うことができた。

そこで彼らは見てしまったのだ。

世界を焼く業火を一身で受け止め、仲間を護って散ったマシュの姿を。

彼女が命を賭けたのなら、自分達が賭けない訳にはいかない。

トコトンまで悪あがきをしてやろうと、ここにいる全員の士気は昂っていた。

その様子を見届けたロマニは、静かに自らの椅子から立ち上がった。

 

「未来の価値か。マシュ、キミがそう言うのなら、ボクも覚悟を決めないとね」

 

「――なんだ、やっぱりそうなるのかい?」

 

友人の決意に気が付いたのか、ダ・ヴィンチは作業の手を休めずにいつもの調子で話しかける。

こうなることは分かっていたという顔だ。

例えどのような形であろうと、ロマニ・アーキマンは最終的にこの結論に至る。そう確信している顔だった。

 

「ああ、状況的にも今が最適だ。ゲーティアの限界は今ので見えた」

 

彼は小心者で自分に自信が持てない。

故に昔から、勝てる戦いにのみ出陣する男だった。

もっとも、今は昔のように戦うことはできない。自分のような男があの場所に立てば、秒を待たずに吹き飛ぶことになるだろう。

ただ一つの偉業を除いてではあるが。

 

「そういう訳で、管制室の防御はキミの仕事だ、レオナルド。彼らが戻るまで絶対厳守だ。できるだろ、天才なんだから」

 

まるでちょっとばかし小休止を取るかのような気軽さで、ロマニは手を振った。

それがどれほど勇気がいる決断なのかを知るダ・ヴィンチは、震えを堪えて軽口を叩くロマニの意思を尊重し、彼に合わせていつもと同じ調子で返す。

お互いに、それが今生の別れになることを承知の上で。

 

「……もちろん。では行ってきたまえ。お土産は期待しないでおくよ」

 

微笑み、互いの手を叩いてすれ違う。

すると、最初からそこには誰もいなかったかのように、ロマニの姿は掻き消えていた。

如何なる手段を用いたのか、彼は若きマスター達が戦う時間神殿へと転移したのである。

自らの不始末に決着をつけるために。

この世界から奪われた未来を取り戻すために。

ロマニ・アーキマンだった者は決戦の地へと向かったのである。

残されたモナ・リザに回顧の時はない。

予断の許さぬ状況は、そんな暇など与えてはくれない。

だから、無事を祈る事しかできなかった。

せめて、彼らだけでも無事に帰ってきて欲しいと。

 

 

 

 

 

 

何故、そこに彼がいるのか。

どうやってここまでやって来たのか。

カルデアは現在、どうなっているのか。

頭の中で疑問は絶えず、浮かんでは消えていく。

ロマニ・アーキマンの経歴には謎が多いとホームズは言っていたが、この状況に至っての登場は脳の許容量を逸脱し過ぎていてうまく思考が働いてくれない。

納得のできる答えを証明できない。

故に、問いかけることしかできなかった。

 

「ドクター、何故ここに……」

 

「……貴様、その霊基は……まさか……」

 

こちらの問いに被さる様に、ゲーティアが驚愕の声を上げる。

信じられないものを見るかのように、体を強張らせている。

その疑問は最もだ。

ロマニ・アーキマンは人間で、カルデアのスタッフのはずだった。

なのに、目の前にいる彼はサーヴァントの気配を身に纏っている。

それも依代を用いた疑似サーヴァントやデミ・サーヴァントとは違う。

正真正銘、エーテルによって構成された肉体を持つ正規のサーヴァントの気配だ。

 

「ああ、もう聖杯に向けた願いは捨て去った。ここからは元の私としての言動だ」

 

こちらの疑問に答えるように、ロマニは手袋を外して左手を掲げて見せた。

その中指には、ゲーティアがソロモン王の姿の際に身に付けていた九つの指輪と同じ意匠のものが嵌められていた。

 

「それは――失われた私の、いやソロモン王の十個目の指輪――」

 

先ほど、ロマニは何と言っていた? 聖杯への願いを捨て去った?

それに失われたソロモン王の十個目の指輪。

不明瞭な前歴と、カルデア来訪の時期。

全てのピースが一つに嵌められていく。

 

「たった十一年前の話だ。カルデア所長、マリスビリー・アニムスフィアは聖杯戦争に参加する際、ソロモン王の失われた指輪を発掘し召喚の触媒として用いた。そうして呼び出されたのがソロモン。カルデアの召喚英霊第一号。マリスビリーと共に聖杯を手に入れ、願いを叶えた英霊だ。そう――ソロモンは全能を捨て人間へと堕ちることを願ったのだ」

 

「貴様――貴様――馬鹿な、有り得ん! 節穴かフラウロス! いや、いいや、何もかもが違う、何もかもが! 貴様があの男の筈がない! しかも――願いを叶えただと!? あの男に願いなどあるものか! 外道! 冷酷! 残忍! 無情! この私のアーキタイプとなった男が、人並の願いなど!」

 

その事実を認められないのか、ゲーティアは声を荒げて狼狽える。

彼にとってソロモン王は非情にして無情の王。

目の前の悲劇を静かに受け止め、見過ごすことしかしなかった人でなしだ。

ロマニも言っていた。ソロモン王は我欲を持たない無であると。

なのにそのソロモン王は、万能の聖杯に願いを託した。それも人間になりたいという、あまりにも愚かでありふれた願いを。

 

「……お前にそこまで言われるのは流石に傷つくなぁ。ボクのこと嫌いすぎだろ、お前? まあ、そのことは今はどうでもいい。問題なのはこの後だ。ソロモンは全知全能と言っていい千里眼の持ち主だったが、人間になった瞬間、その全ての能力を失った。それだけなら良かったんだけど――」

 

ソロモン王は視てしまったのだ。

自らの千里眼で、人類の終焉を。

慌てた時には既に遅く、ソロモン王は人間となって能力を失っていた。

誰が、どうやって、何の目的で、どうすればこれを防げるのか。肝心なことは何も分からず、ただいつ訪れるかも分からない終わりだけを突き付けられた。

そして、その事件は自分に関わる事らしい。そう捉えたソロモン王は、人間としてその終わりに備えるための戦いを始めた。

 

「ボクにとって初めての旅だった。文字通り一から、人間として学び直す行程だ」

 

誰が敵かも分からず、何がきっかけとなるかも分からない。

誰の助けを借りる事もできない孤独な戦いを、ソロモン王は続けてきた。

そして、2015年にそれは訪れたのだ。

人理焼却。

七十二の魔神による未来の簒奪が起きたのである。

 

「多くの偶然に助けられた。カドック君、藤丸君、マシュ――キミ達のおかげで、ボクはこの瞬間に立ち会えた。その事には心から感謝を送ろう」

 

ロマニの体が光に包まれていく。

粒子の一粒が消える毎にロマニ・アーキマンだったものがこの世界から消えていく。

残るものは何もない。彼の痕跡は全て消え去り、まったくの別人がそこに降り立った。

浅黒い肌に白い髪。左手の中指だけに嵌められた指輪。

柔和な笑みだけが辛うじて、彼の名残を感じさせる以外は、変質前のゲーティアに瓜二つだ。

その姿こそ、ロマニ・アーキマンを名乗っていた者の真実の姿。

神に捧げられし王。

偉大なる魔術の祖にして千里眼を持つ者。

冠位の魔術師(グランドキャスター)

即ち――。

 

「――ゲーティア。魔術王の名はいらない、と言ったな。では、改めて名乗らせてもらおうか。我が名はソロモン。ゲーティア、お前に引導を渡す者だ」

 

――魔術王ソロモン。

人理焼却における遠因ともいえる男。

自らの細やかな願いの先に終末を捉え、その阻止の為に自由なき自由を選んだ者。

一年にも及ぶ聖杯探索を、常に先頭に立って引っ張ってきたカルデアの司令官代理がソロモンだったのだ。

ホームズの危惧もあながち、間違いではなかった。

彼はマリスビリーのサーヴァントとして聖杯戦争を勝ち抜き、その伝手でカルデアを訪れたのだ。

恐らくはいつかの未来で起こる筈の人理焼却に備えるために。

過去・現在・未来を映し出すカルデアスと観測レンズシバならば、その一助になると踏んで。

 

「……命とは終わるもの。生命とは苦しみを積み上げる巡礼だ。だがそれは、決して死と断絶の物語ではない。ゲーティア、我が積年の慚愧、我が亡骸から生まれた獣よ。今こそ、ボクのこの手で、お前の悪を裁く時だ」

 

殺気と呼ぶのはあまりに穏やかな闘志を漲らせながら、ロマニ――ソロモンは告げる。

溢れ出る魔力は、ゲーティアに勝るとも劣らない。何の力も持たなかった人間であった頃には、欠片も感じさせなかった凄まじい圧力だ。

ただそこにいるだけで、全ての存在を釘付けにさせる。冠位の名に相応しい、古の賢者としてのカリスマがあった。

これがあのロマニ・アーキマンなのかとカドックは言葉を失う。

声音も、纏う気配も、浮かべた笑みも確かに彼と同じ。しかし、そこにいるのは紛うことなき太古の英雄だ。

魔術の祖として召喚式を生み出した魔術王その人だ。

 

「――――、ハ。あまりの事に愕然としたが、なるほど確かに貴様らしい! 何もかもが手遅れになった今! 人類最高の愚者、無能の王が今さらお出ましとはな! 恥の上塗りに来るとは正しくソロモン! 英霊としての貴様なぞ我々(オレたち)の敵ではない!」

 

かつての主にして分け身ともいえる存在と再会したからなのか、ゲーティアの口調は今までになく荒々しい。

ソロモンへの堪え切れない憎悪が感じられた。

数多の英霊達を見下すゲーティアは、彼らを敵としては見なしていなかった。

ただ自らの偉業に歯向かう邪魔者、取り除くべき石ころ程度の認識だった。

だが、彼だけは違う。

ソロモンだけは違うのだ。

共に同じものを視ておきながら、何も感じなかった人でなし。

生命の終わりをあっさりと受け入れ、星の数の絶望を認め目を逸らした無能な王。

それがゲーティアのソロモンに対する評価であり、この世界で唯一、仇敵として憎悪を向けるべき存在なのだ。

 

「私を止められるものは生前の貴様のみ! ソロモン王の偉業のみが私を止める! 死後の貴様などに何の権限があろう! その甘い頭ごと無に帰すがいい!」

 

向けられた両手から、極太の魔力攻撃が放射される。

第三宝具に比べれば欠伸が出るほど弱々しい攻撃ではあるが、それでも自分のように未熟な魔術師ながら数百回焼き尽くしてもまだお釣りがくる熱量だ。

まともに受ければ対魔力を持つサーヴァントととて無事では済まない。

だが、ソロモンはゲーティアの怒りを涼しい顔で受け流す。

掲げた手の先に不可視の壁のようなものを生み出し、黒い炎はソロモンを避けるように分かれて彼の周囲を焼くに留まった。

しかし、それだけだ。

ソロモンはゲーティアと戦えるかもしれないが、倒すことはできない。

彼が英霊である限り、サーヴァントである限り、ゲーティアのネガ・サモンによってあらゆる攻撃は無に帰してしまう。

第三宝具の準備が整うまでの僅かな生存でしかないのだ。

 

「ドクター!」

 

「……ああ、キミの危惧する通りだ。だから、後は任せるよ。なに、用件はすぐに終わる。その後はキミ達にバトンタッチだ」

 

踏み出した一歩は、決意と覚悟で彩られていた。

ゲーティアの苛烈な攻撃、凄まじい魔力の放射は絶え間なくソロモンの身を焼いていく。

彼を守る防壁は瞬く間に砕け散り、鳳仙花のように爆ぜた魔力の弾丸が雨のように降り注ぐ。

それでもソロモンは臆することなく前へと進む。

全ての物語に終わりをもたらすために。

かつての自分に決着をつけるために。

 

「笑わせるなソロモン、貴様に何ができる!? 何もできまい! 貴様は所詮、口先だけの男だ! 無能な王は、甘い夢を騙っていればいい! その茹った頭ごと、貴様自身の宝具で葬ってやろう!」

 

「ああ、初めからそのつもりだ。ボクは自らの宝具で消滅する。それが――ソロモン王の結末だからね。ゲーティア、お前に最後の魔術を教えよう。ソロモン王にはもう一つ宝具があると知ってはいたものの、その真名を知り得なかった───いや、知る事のできなかったお前に」

 

――誕生の時きたれり、其は全てを修めるもの――

――戴冠の時きたれり、其は全てを始めるもの――

――そして───訣別の時きたれり、其は世界を手放すもの――

 

その身をゲーティアの炎で焼かれながらも、ソロモンの詠唱は玉座の間に響き渡った。

伝承に曰く、ソロモン王は万能の指輪を持ちながら、それを使ったことは一度しかなく、また終にはその指輪を自らの意思で天に還した。

ここからは全能の神に運命を委ねるのではなく、人が人の意思で生きる時代だと告げるように。

 

「お前の持つ九つの指輪。そして私の持つ最後の指輪。今、ここに全ての指輪が揃った。ならあの時の再現が出来る。ソロモン王の本当の第一宝具。私の唯一の、“人間の”英雄らしい逸話の再現が」

 

その言葉を聞き、ゲーティアの手が止まる。

その言葉の意味するものに思い至り、ゲーティアは驚愕する。

それだけは有り得ない。

それだけは起こりうるはずがない。

そんな事が、お前なぞに出来る訳がないと、うわ言のように繰り返す。

その全ての問いに、ソロモンは否と答えた。

 

「言っただろ……私はお前の悪を裁くと……」

 

「止めろ、臆病者! この指輪は、全能の座は、お前だけのものでは――」

 

制止するゲーティアを無視して、ソロモンは最後の詠唱を開始する。

自らの宝具。秘められたその力を解放する。

ソロモンとして生きた数十年と、ロマニ・アーキマンとして生きた11年に結末を起こすために。

 

「第三宝具『誕生の時きたれり、其は全てを修めるもの(アルス・アルマデル・サロモニス)』、第二宝具『戴冠の時来たれり、其は全てを始めるもの(アルス・パウリナ)』。そして───神よ、あなたからの天恵をお返しします……全能は人には遠すぎる。私の仕事は、人の範囲で十分だ」

 

それは決別の詩。

ソロモン王の死後、加速度的に神秘は失われ神代は終了した。

そのきっかけとなった、ソロモン王自身の迷いと決意が形となったもの。

神より授かった十の叡智を、その生涯を通じて人には不要であると断じるに至った、ソロモン王の逸話の具現。

ソロモン王の英雄としての宝具ではなく、人間としての宝具。

 

「第一宝具、再演───『訣別の時きたれり。其は、世界を手放すもの(アルス・ノヴァ)』」

 

光が世界を覆う。

はた目には何も起きていないように見えるが、変化は確実に起きていた。

この世界に対してではない、より高次の世界に対する働きかけだ。

数多の次元、平行世界、英霊の座、果ては因果律に至るまで遡り、とある事実を書き加える禁断の宝具。

それこそが『訣別の時きたれり。其は、世界を手放すもの(アルス・ノヴァ)』。

この世界の全てから――――を消失させる宣言。

それは違う事無く発動し、ゲーティアは苦悶の声を上げながらかつての主を睨みつけた。

 

「おお……オォ、オオオオオオオ…………! 何故そんな選択が! 何故そんな真似が! 何故、何故――貴様に、こんな決断が下せるのだ! この世全ての倦怠と妥協が凝固したような貴様に!」

 

ソロモンは既にそこにはいなかった。

第一宝具を使用したからなのか、彼は自分がよく知るロマニ・アーキマンの姿へと戻っている。

ただし、その身は時と共に透けていっている。サーヴァントが座に退去する時とはまた違う、この世界に存在するための力それ自体が彼の体から失われつつあった。

ロマニ・アーキマンという存在そのものがこの世から消えていっているのだ。

 

「ああ、不思議な話だ。同じ視点を持ち、同じ玉座に座り、同じ時間を過ごした。なのにソロモンとお前は正反対の結論に達した。もし違うところがあるとしたら、そうだな。単純に、ボクには怒る自由がなかったんだよ。それが我々を分けた要因だったかもだ」

 

「なっ――――」

 

「ああ、思えばこの決断もまた、自分で自由に決めたことだったのかもしれないな。王という機構でいるならば、叡智はあった方がいい。けれどボクは、それは人の身には余ると天に還した。最後にボクは王で在り続ける事を放棄したんだ――例えその後に残るものが何もなかったとしても。王でしかなかったボクがそれを捨てれば、死する運命にあることも承知でボクは決断を下した」

 

「そんな単純なものか! 貴様は今、英霊である事を放棄した! それは命の放棄ではない、己が存在、全ての放棄だ!」

 

ソロモン王という存在そのものを放棄する。

この世界の裏側に至るまで、全ての因果からソロモン王を消失させる。

その神話的再現が『訣別の時きたれり。其は、世界を手放すもの(アルス・ノヴァ)』。

その成立を以て、全ての偉業は意味のないものとなった。

ソロモン王が造り上げた全てのもの――七十二の魔神――その結合体であるゲーティアですら意味を喪失する。

 

「ぬうう、時間神殿が――崩れる……結合が……我ら七十二柱の魔神が……個別の魔神へと解けていく……ソロモン、ソロモン! 貴様はそれで良いのか! もう二度とお前は現れない! この地上から全ての功績が拭い去られる! 貴様の全てが奪われるのだぞ! 私の光帯など優しいものだ! 貴様は今、「無」に至った! 英霊の座からすら消滅するのだぞ!」

 

それは人類では誰も到達していない終わり――存在の完全消滅。

生命は生きている限り、何かをやり残す。

例え全ての事業、命題をこなしたとしても何らかの余剰が残り、それは後に続く誰かが受け継ぐこととなる。

そうして人類史の轍は作られ、未来へと繋がっていく。

だが、ソロモン王の第一宝具をそれを起こさない。

自らの役割は終わった。

存在意義は既になく、役目は完結した。

この生涯で為すべきことは全てを成し、遺るものはあれど残すものはない。

誰に何を託すこともできず、孤独な闇の底へとヒッソリと消えていくにも等しい。

彼の先には何もなく、彼の後に続く者もいない。

魔術王ソロモン。その完全消滅を以て、本当の意味で神代は終わるのだ。

 

「ドクター・ロマン……あなたは……死が怖くはないの?」

 

そう問いかけるアナスタシアに向けて、ロマニは振り返りながら答えた。

 

「そうだね、皇女様の言う通り怖いし悲しい。でも、ボクにできる事だったし、なら辛くともやらないとね。この選択は、キミ達四人がボクに教えてくれたものだ」

 

数多くの苦難を乗り越えて、自分達はここまで辿り着いた。

成すべきことをなし、できることの全てをやり切った。

その上でまだ足りないというのなら、自分自身の全てを投げ出そう。

人理の礎として、その生涯と死後に至るまでの全てを投げ出そう。

ソロモン王――ロマニ・アーキマンはそう結論付けた。

人は人の力で前に進むべきだと、自由なき自由な人生で答えを得たのだ。

 

「これで全ての前提は崩れ去った。ゲーティア、お前の不死身性は過去の話だ。人々を見守る為に編纂されながら、人々の未来を奪う選択をした魔術式よ。お前は自らの責務から目を背けた。その罪を、今ここで払う時だ」

 

「責務――責務……!この私に、全能者である我々(わたし)達に、貴様ら人間どもを見守る事が責務だと言うのか! そもそも『人間の一生』なんてものを見せつけられて面白いとでも!?」

 

胸のすく冒険も、暖かい幸せも、血生臭い戦争とその果ての平和も、無残に崩れ去る平穏と戦火の嵐も、全ては最後に消え去ってしまう。

どれほどの価値あるものが産み落とされようと、最後には死という恐怖しか訪れない。

そんな悲劇はうんざりだとゲーティアは言う。

結局は最後には消えてしまうのなら、それは憎悪と絶望の物語に他ならない。

そんなもの、見ていて楽しい筈がない。

それがゲーティアの辿り着いた答え。

この世界に幸福は有り得ないという、全ての生命を憐れむ悲しい答えだ。

だが、それは間違いだとロマニは答える。ソロモン王であった男は告げる。

 

「確かにあらゆるものは永遠ではなく、最後には苦しみが待っている。だがそれは、断じて絶望なのではない。限られた生をもって死と断絶に立ち向かうもの。終わりを知りながら、別れと出会いを繰り返すもの……輝かしい、星の瞬きのような刹那の旅路。これを、愛と希望の物語と云う」

 

その言葉はゲーティアには届かない。

彼らは既に袂を分かつた。

彼らは既に異なる道を歩んだ。

生と死が彼らを断絶させた。

だから、ロマニの言葉はゲーティアの胸を抉ることはない。

だが、きっかけとなった。

結合が解ける。

ゲーティアであったものから、一つずつ権能が剥がされていく。

七十二の魔神へと、個別のものへと崩れていく。

 

『敵、サーヴァントの攻撃、降り止まず。我ら九柱、これ以上の撃退に意義を見い出せない――何かが違う。我々と彼らでは、何かが。統括局ゲーティアに報告。グシオン以下八柱は活動を停止する。この疑問が晴らせない。バルバドス、パイモン、ブエルは既に活動停止。シトリー、ベレト、レラジェは復元不可能域に到達。エリゴス、カイムは私と共に、最期まで英霊との議論を続ける。我らはゲーティアであることを放棄する』

 

『怒りが止まぬ、怒りが止まぬ。我ら九柱、もはや極点に至る栄誉を選ばず。道理を弁えぬ英霊どもを一騎でも多く殲滅する。七十二柱の魔神の御名において、人に与する者に死を! サブナック、シャックス、ヴィネ、ビフロンス、ウヴァル、ハーゲンティ、フルカス、バラム。既に八柱、復元すら叶わず。我がクロケルの魔力となって後を託し消滅した。何としても奴らを殺す! 統括局よ、我らの偉業に我の如し感情は不要なり!』

 

『歓びあれ! 歓びあれ! おお流星の如き敵影よ! 殺せど尽きぬ不屈の魂よ! 求められるとはこういう事か! 拒まれるとはこういう事か! 我々にはこの感情が足りなかった! この未熟さ、この愚かさ、この残忍性が足りなかった! アガレス、ウァサゴ、ガミジン、自己矛盾により崩壊。マルバス、マレファル、アモン、三柱融合による徹底抗戦。アロケル、オロバス――英霊達の盾となり、消滅。我らの裡にこれほどの熱があろうとは! 統括局に報告、ガープより警告。完全証明を待つまでもない。調整ミス0.9999999パーセントは許容範囲だ。光帯を回せ、時間跳躍を開始せよ。我らの無限の研鑽に解答を――』

 

玉座の間に七十二の魔神達の声が響き渡る。

未だ時間神殿の各地で英霊達と戦うもの、戦いを放棄するもの、英霊に味方したもの、復元すら叶わず消え去ったもの。

あらゆる魔神が叫んでいた。

七十二の個が叫んでいた。

統制の取れていたゲーティアが崩れていく。

群体としての結合が解けていく。

 

「おおおぉぉおおお――――」

 

「これでネガ・サモンは失われた。カドック君、私のことは気にせず、後は成したいように成すがいい。私は――ボクはその意思を尊重する。藤丸君……キミがもう一度、立ち上がれることをボクは信じている。さあ、あの魔神王を名乗る獣をここで終わらせるんだ」

 

その言葉を最後に、ロマニ・アーキマンは全ての世界線から消失した。

まるで最初から、そこには誰もいなかったかのように、名残すら残さず彼はこの世から消え去った。

 

 

 

 

 

 

時間神殿の崩壊が始まったのだろう。

地鳴りが響き、激しい揺れが足下から襲い掛かってくる。

時間がない。

崩壊に巻き込まれれば、虚数の海に堕ちて二度と、這い上がれなくなる。

この神殿が持ち堪えている間に、ゲーティアを倒してカルデアに戻らなければならない。

だが、勝てるのか。

ロマニの覚悟でネガ・サモンは失われ、魔神達の結合も解けて弱体化しているとはいえ、未だにゲーティアは健在だ。

屈強な肉体も、尽きぬ魔力も健在だ。

何より奴には第三宝具がある。

奴がまだゲーティアでいる以上、あの宝具もまた健在だ。

あれを回されれば勝ち目はない。

万に一つも自分達に勝ち目はない。

 

「……っ!?」

 

ふとその姿を目にして、カドックは涙する。

それは助けを求めるように振り返り、偶然にも垣間見た光景だった。

ああ、それは何と雄々しく気高い姿だろう。

ボロボロになって、完膚なきまでに心を折られて、それでもあいつは立ち上がろうとしている。

両手に力を込めて、足を震わせながら、傷ついた体を無理やり起こそうとしている。

その目には大粒の涙を零し、顔をぐしゃぐしゃに汚しながら、それでも少年は地面を這って少女が残した盾を目指して進んでいる。

 

(そうか……なら、僕のやるべきことは……)

 

覚悟は決まった。

マシュも、ロマニも、それぞれの答えを胸にその命を投げ出した。その生涯を、証明を世界に刻み付けた。

なら、今度はこちらの番だ。

カドック・ゼムルプスの全身全霊。その生涯の全てをあの魔神に叩きつける。

それを以て、この聖杯探索は終着だ。

カドック・ゼムルプスのグランドオーダーは終幕だ。

 

「オ、オ――オオオオオオオオオ! 私が我々(わたし)でなくなっていく――恐ろしい、悍ましい。最早、一刻の猶予もない。私が我々(わたし)でいられるのは後、僅かだ」

 

「……ゲーティア」

 

「……貴様は……そうだ、貴様さえいなければ……貴様さえいなければカルデアがここまで辿り着くことはなかった。あの男が、斯様な決断を下すことはなかった。貴様さえ、貴様さえいなければ――こんなはずではなかった。我が計画は完璧だった。我が偉業は成就した。こんなはずではなかったのだ。フラウロスの節穴め、何故、この男を捨て置いた。何故、もっと早くに殺しておかなかった――――」

 

自分が自分でなくなっていく苦しみに悶えながらも、ゲーティアはこちらに向けて憎悪を叩きつけてくる。

その痛ましい姿には恐怖すら覚えたが、今のカドックには哀れみの方が勝っていた。

自分のような未熟な魔術師を捨て置いたから、計画が破綻した。思い違いも甚だしい。

きっと、生き残ったのが自分一人だけではここまで辿り着けなかっただろう。

汚れ切ったこの魂では、きっとどこかで挫折していたはずだ。

そう、今までがそうだった。

いつだって口先だけで、こんなはずではなかったと現状を呪うばかり。

他者と比較し卑屈になってばかりだった自分では、きっとここまで辿り着けなかった。

そのことに気づけないなんて、この獣も大したことはない。

全能を気取りながら、肝心な部分が見えていない。

 

「お前の目は、どこまでも節穴だな、ゲーティア(ビーストⅠ)

 

「なんだと?」

 

「予告しておいてやる……お前は、人間の手で倒される」

 

人類悪は人類が倒すべき悪だ。

その役割はいつだって、その時代を生きる最先端の人間でなければならない。

ならば、その役割は自分ではない。

人でなしの魔術師である自分にはその資格はない。

そもカドック・ゼムルプスでは魔神王には敵わない。

自分は英雄ではなく、英雄に寄り添う者なのだ。

 

「貴様自身ではないと……まさか、まさかまさか……そこにいる無力な男が――女を殺されて咽び泣く哀れな男が、私を滅ぼすと言うのか?」

 

「その通りだ、藤丸立香は――あいつは、僕よりも優しい(強い)男だ」

 

きっと、彼ならば自分がいなくとも人理修復を成し遂げたはずだ。

あの優しさが、あの弱さが、彼を強くする。

今はまだ地に伏していても、少しずつ、歩くような早さで彼は立ち上がる。

その時間が足らないというのなら、この身を盾としよう。

彼が立ち上がるまでの時間を、この身の全てを賭けて守り抜こう。

 

「……笑止。ああ、だがおかげで冷静さを取り戻せたぞ、魔術師。結合は解け、我々はゲーティアではいられなくなる。だが、我らの偉業にはまだ何の支障もない。貴様を殺し、その少年を殺し、英霊どもを退去させる! 最後の一柱になるまで、我が第一宝具を回せば良い! 命に限りなど必要ない! この苦悶を以て私はその正しさを痛感した!」

 

再び、光帯が輝きを増していく。

マシュを焼き殺し、今また全てを焼き払わんとする創世の光が降り注ごうとしている。

第三宝具『誕生の時きたれり、其は全てを修めるもの(アルス・アルマデル・サロモニス)』。

あれを防げるものはこの地球上には存在しない。

唯一、対抗できる者ももうこの世には存在しない。

それでも、カドックは迫りくる絶望を睨みつけた。

恐怖も不安もあった。けれど、怒りはなかった。

あれほど煮え滾っていたゲーティアへの憎悪は消えていた。

マシュの死、そしてロマニの消失がこの決断への勇気をくれた。

二人が残してくれたものを、今度は自分が引き継ぐ番だ。

この瞬間を以て、カドック・ゼムルプスの生涯に遂に意味が生じるのだ。

それは、たった数十秒の、しかし何よりも充実した生の時間であった。

 

「アナスタシア」

 

「はい」

 

「約束だったね……最後まで、一緒にいよう」

 

まだ言う事を聞いてくれた右手を動かし、彼女の手を力強く握りしめる。

アナスタシアという最高のパートナーの存在を、自分の中に刻み付ける。

彼女でなければダメだった。

彼女が一緒でなければ、最初に躓いていた。

ここまで自分を引っ張ってくれたのが立香なら、共に歩んでくれたのは彼女だ。

こんな未熟なマスターの全てを受け入れ、彼女はここまで押し上げてくれた。

その全てに感謝を。

そして、二人の旅路に終幕を。

 

「いいね?」

 

「ええ」

 

「……令呪を以て願い奉る。皇女よ、全ての力を解き放ち宝具を解放せよ!」

 

一画目の令呪が消える。

赤い雫が繋いだ手を伝わり、アナスタシアの中へと溶けていく。

 

「重ねて命ずる。キャスター、その身を省みず我が友を守れ!」

 

二画目の令呪が消える。

繋いだ手を中心に力が広がっていく。

二人の魔力が混ざり合い、巨大な嵐となって空間を満たしていくと同時に、急速に繋がりが薄れていくことが寂しかった。

残る令呪は後一画。その残された一画がとても名残惜しい。

けれど、躊躇はなかった。

覚悟は決まっていた。

命も絆も、何もかもを上乗せしてゲーティアの第三宝具を迎え撃つ。

この後に続く、彼の進むべき道を作るために。

 

「……続けて、最後の令呪を以て願う。アナスタシア――――僕と一緒に、世界を救って欲しい」

 

「……はい、誓いましょう。我が眼はあなたと共に――最期まで」

 

最後の一画が消える。

立て続けに使用された令呪の魔力が渦を巻き、その衝撃で視力補正の礼装がひび割れて砕け散ってしまうが、カドックは構わず魔術回路を全開にしてアナスタシアに魔力を送り込んだ。

この最後の一撃に全てを乗せるため、己の魂すら削り取ってパートナーに受け渡す。

今までに感じた事のない虚脱感と、全てを思いのままにできるほどの全能感に酔いそうになった。

何て虚しくて、何て誇らしい高揚感だろう。

これが生の実感、生きる事への苦痛。

共に聖杯探索に臨んだあいつが抱き続けた願い。

それの何と尊いことか。

何と素晴らしいことか。

本当に、生きることは辛くて――とても楽しい。

この実感が、ここで終わってしまうのが名残惜しい、愛おしい。

 

「失せるがいい、カドック・ゼムルプス! 胸に抱いた希望と共に――」

 

「ヴィイ、全てを見なさい……全てを射抜きなさい――」

 

光が迸る。

世界そのものを焼き尽くす極大の炎。

最早、マシュの護りはなく、あれを受ければ分子すら残らずこの世界から消え去ることになるだろう。

ヴィイが生み出す吹雪など、お話にならない灼熱の業火。天地創造の炎。

しかし、臆することなく迎え撃つ。

敵わずとも、勝てずとも、自分に残された役目を全うする。

今も背後で脈動する希望を送り出すために、彼らから受け取った勇気を燃やし尽くす。

 

「第三宝具――『誕生の時きたれり、其は全てを修めるもの(アルス・アルマデル・サロモニス)』!」

 

「――我が墓標に、その大いなる力を手向けなさい。『疾走・精霊眼球(ヴィイ・ヴィイ・ヴィイ)』!」

 

影より這い出た異聞の精霊。

実体なき影であるヴィイの瞼が押し上げられ、その向こうから青白い魔眼が露になる。

その瞳は全ての虚飾を見抜き、因果律すら捻じ曲げて弱所を創出する。

アナスタシアと契約した、ロマノフ王朝に伝わる精霊ヴィイの魔眼解放、『疾走・精霊眼球(ヴィイ・ヴィイ・ヴィイ)』。

令呪三画と、カドックとアナスタシアの全力を注がれたその一撃は、今までのそれを遥かに上回る強力な呪いを纏う視線であった。

だが、それでも足らない。

彼らの全力では魔神王に敵わない。

数秒後には視線も吹雪も飲み込まれ、跡形もなく焼き尽くされてしまうだろう。

それでもヴィイは魔眼の力を解放した。

その内側にある系譜、自らの出自を遡り、根源からの力を汲み上げる。

存在そのものすら揺るがすほどの魔力をその眼から迸らせる。

やがて、変化が訪れた。

魔力を汲み上げ、膨張していったヴィイの体がある境を経て、瞼からめくれ上がったのだ。

裏返り、反転した黒い体は更なる膨張を続け、アナスタシアですら見たことがない異形の姿をさらけ出す。

その巨体は山のように大きく、頭部は山羊や馬、牛といった獣を彷彿とさせる張り出した顔と大きな角を持っていた。

そして、鉄でできた瞼には滑車が取り付けられており、それが不気味な音を立てながら独りでに回り、鉄の瞼を押し上げている。

押し上げられた瞼の向こうから露となったのは、刺すような悪しき瞳。

その姿はまるで、死そのものとされるバロールへの先祖返りのようであった。

残念ながらカドックにはその光景を見る術はない。

光を失った彼の瞳はそこで繰り広げられる攻防の一切を見ることができず、ただ握り締めたアナスタシアの手の存在を感じ取ることしかできない。

だが、それでも見えぬ眼が捉えていた。

彼の存在を、その歩みを見抜いていた。

 

(そうだ、やってやれ相棒! お前の力を、人間の強さを魔神王に叩きつけろ! ハードなロックを決めてやれ!)

 

意識が焼き尽くされる寸前に、カドックは見えぬ眼で友が駆ける姿を垣間見た。

拳を握り、彼女が遺した盾を拾い上げ、みっともなく何度も転びながら、それでも人類悪に向かって突き進む生命の賛歌を垣間見た。

ああ、安心した。

彼は立ち上がった。

彼は立ち直った。

悲しみを胸に沈め、獣に打ち勝つために走り出した。

これで全ての役目は終わった。

本当に満足だ。

自分は、最期まで諦めずに生きることができたのだ。

アナスタシア、君に感謝を伝えたい。

君がいなければここまで辿り着けなかった。生き抜くことができなかった。

本当に本当に、ありがとう。

 

「フォーウ」

 

最期に獣の声を聞いた。

その瞬間を以て、カドック・ゼムルプスは最愛のパートナーと共に時間神殿から消失する。

淀み、汚れていた魂が、遂にゼロ(無色)へと還った瞬間であった。

 

 

 

 

 

 

そして、ゲーティアは述懐する。

何故、計画が狂ってしまったのか。

何故、思い通りにいかないのか。

何故、目の前の少年は立ち上がれるのか。

彼を立ち上がらせるものは何なのか、その拳に込められた思いは何のか、その問いを投げずにはいられなかった。

 

『戯け。その疑問を抱いた時点で、貴様は答えを得ていように』

 

そう答える何者かがいた。

時間神殿のどこかで、今もなお、解けて消えつつある魔神と戦う者の内の一人。

かつて、ソロモンやゲーティアと同じ視点を得た英雄の中の英雄王が、人類悪の疑問に対して言葉を返す。

 

『貴様は全てを視る眼を持っていながら、全てを視ていなかった。悲しみしか視ていなかった。一つ一つの悪意に囚われ紋様を見ていなかった。命の価値を知らぬのは貴様の方だ、魔神王』

 

それが何だと言うのだ。

どのような生命も必ずや最後には死に絶える。

如何なる偉業も最後には無為に終わる。

死という断絶が待ち構えている。

その恐怖に、絶望にすら、価値があるというのか、英雄王。

 

『そう、貴様に消し去られた雑種も同じことを考えた。貴様も同じ思いを抱き、此度の計画を企てた。そうであろう、ソロモンを騙った者よ。貴様達もまた、あの男と同じくこう唱えたのではないのか? 「こんなはずではなかったと」』

 

生命が死という苦痛で終わるのは間違っている。

生命が死という恐怖で終わるのは誤っている。

その在り方が、不条理が、理不尽が、何もかもが許せない。

生命とは、こんな悍ましいものであっていいはずがない。

同じだというのか。

あのちっぽけな少年と、自分達が抱いた思いが。世の理に否と唱えた、その思いが同じだと。

ならば、自分達は初めから相対する運命にあったというのか。

そして、あの少年の思いが、叫びが、目の前で今も立ち向かってくる少年を奮い立たせたというのか。

 

『そこから先は、自ら問いかけるがいい。それが貴様の最期の救いとなるだろうよ』

 

ああ、ならば問うしかないだろう。

同じ思いを抱いたのなら、彼らは如何なる結論に辿り着いたのか。

自分達が価値なしと断じた生命の在り方に、何を見い出したのか。

でなければ終われない。

自分自身が消えゆくことに納得ができない。

この慚愧を残したままでは、死んでも死にきれない。

 

「そうだ、何故、貴様は戦う! 何故、貴様達は我々(わたし)に屈しない! 何故、何故――ここまで戦えたのだ、人間!」

 

「――――、――――!」

 

頬に痛みが伝わる。

今までのどの攻撃よりも弱々しく、何よりも熱を持った強い一撃だった。

こちらの問いかけへの答えと共に放たれたその一撃を以て、ゲーティアは遂に動きを止めた。

自らの慚愧に決着を付け、抗う事を止めた。

同時に、力づくで繋ぎ止めていた魔神達の結合が解かれ、ゲーティアだったものが急速に失われていく。

全ての戦いが終わった瞬間であった。

 

「――そう、か。何という――救いようのない愚かさ。救う必要のない頑なさだろう。手に負えぬ、とはまさにこの事だ。は――はは――」

 

笑いながら、ゲーティアは己の死を実感する。

最後まで抗い続けていた一柱の沈黙を確認し、瞼なき目を閉じる。

人理焼却式――否、人理補正式ゲーティアの実行を終える。

その命令の受諾を以て、彼らの偉業は潰えるのだった。




かくして人類悪はここに潰える。
ビーストⅠとの長きに渡る戦い、聖杯探索はここに終わりを告げるのであった。

いえ、まだ続きますけどね。
後、数話は必要です。

この展開は序章を書き終えた辺りで思いついていまして、ここまで何が何でも書きたいというモチベから一章以降も書くことに決めた次第です。


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冠位時間神殿ソロモン 第5節

――では、その男の話をしよう。

歪な魂のまま、それでも光を手にせんと足掻いた無垢なる心を。

男は現実(やまい)に冒されていた。

人類兄弟皆平等。それは確かに素晴らしい、とお洒落な服着た君は言う。

みんなで仲良くゴールしよう。傷つけあうのは真っ平だ、と二歩先歩く君は言う。

蟲毒のように孤独な人生、狂騒塗れの競争社会。

人の生まれは不平等で、成功という切符は売約済みだ(sold out)

男はまだ――愛を知らない。

 

 

 

 

 

 

こんなはずではなかった。

そんな言葉を口にすることが多かった。

覆しようのない現実に直面した時、思考を止める魔法の言葉だ。

誰だって恨み節を口にする権利はあるし、言葉にするだけで気持ちは楽になる。

少なくとも、自分は努力していたと言い訳することができる。

けれど、どこかで理解していた。

その言葉には何の力もない。ただ現状を憂うだけでは何も変わらない。

気分が紛れたところで、不平不満は溜まっていく一方だ。

何よりヴィジョンがない。

なら、どんな展開がお望みなんだと、自分の内に問いかけたことは一度もなかった。

妬むばかりで、憧れるばかりで、変わろうとする努力をしてこなかった。

例えば才能に溢れる自分。成功を欲しいままにするのは気分がいい。

例えば別の才能を掴んだ自分。音楽で食べていくのも悪くない。

例えば――魔術が存在しない世界。想像はできないが、今よりは幾らかマシかもしれない。

例えば――――。

 

 

 

 

 

 

不意に誰かが呼ぶ声が聞こえ、カドックは微睡から覚醒した。

その拍子に指先がぶつかったのか、使い古した万年筆が机の上を転がっていった。

小さな音が足下から聞こえ、何気なく追った先で目にしたのは見慣れた学び舎だった。

老朽化が進みながらも、魔術や呪詛に対する耐性だけは数ヵ月単位で更新されている壁。

薄暗い照明と、使い古された机。

平素なら生徒でごった返す室内は、今は自分ともう一人しかいない。

何故、という疑問が湧いた。

理由は分からないが、ここに自分がいることに強い違和感を覚えた。

慣れ親しんだはずの教室が、異質なナニかに思えてならない。

それはこの教室がおかしいのか、それともここにいる自分自身に違和感を覚えているのか。

微睡んでいたせいもあるのか、思考が上手く回らない。

自分が何をしていたのかも曖昧で、断片的なことしか思い出すことができなかった。

何か大切なことを忘れてしまっている気がするのだが、思い出そうとすると頭の中に靄がかかる。

見覚えのない光景。

遠い僻地の魔術工房。

名前が思い出せず、顔もわからない■■達。

そして、■■■■との出会い。

 

「っ……」

 

何かが指先にかかりそうになると、頭痛で思考が中断された。

思い出せない。

とても生々しい実感があるのに、思い出そうとすると記憶が泡のように溶けてしまう。

まるで夢を見ていたかのような気分だった。

 

「おい」

 

若干、苛立ちの混じった声が聞こえた。

振り向くよりも先に平手打ちが飛ぶ。

猛犬のように鋭い眼光を携えた男が、ギャングのチンピラみたいな笑みを浮かべていた。

その日の朝食の献立や天気の話でもする気軽さで、人の指先をバターみたいに切り裂いてしまうような残忍な笑みだ。

そういえば、さっきから妙に距離が近いと思ったが、ずっと一緒にいたのだろうか。

 

「おい、人が折角、課題見てやっているのに居眠りとはいい度胸じゃないか。肝据わってんな、カドック。それとも不感症か?」

 

「ベ、ベリル……? 」

 

ベリル・ガット。

時計塔の狼男と侮蔑される危険な男。何故か、自分のことを気に入って兄貴分を気取っている伊達男で、■■■■では同じチームに所属していた。

そして、あの運命の日に――。

 

「お前、確か氷漬けになったはずじゃ……」

 

「はあ……喧嘩売ってんのか、お前? 人が貴重なマンハント(ナンパ)の時間を割いて教えてやってたのに、俺のジョークが寒いときた。何なら受けて立つぜ」

 

「あ、いや……すまない、寝ぼけてた」

 

「だろうな。それで居眠り扱いて補習なんて割が合わないだろ」

 

「あー、そうだったな」

 

うろ覚えだが、そうだった気がする。

運悪く意地の悪い講師の授業で寝入ってしまい、罰として明日までにレポートを仕上げてくるようにと課題を与えられたのだ。

それも一日が三十二時間だったとしても、まず終わらない量の課題だ。

それで泣く泣く、暇を持て余していたベリルに声をかけたような気がする。

 

「へいへい、どうせヴォーダイムやオフェリアと違って暇人ですよと。ほら、さっさと進めちまえ。折角の休日だ。彼女のこと、待たせてるんだろ」

 

「……彼女?」

 

不意に、教室の扉が勢いよく開いて冷たい風が吹き込んでくる。

思わずビクッと体を強張らせたカドックとベリルが目にしたのは、顔のない人形を胸に抱きながら、こちらに向かってずんずんと歩いてくる少女の姿だった。

 

「何をしているの、カドック? 今日は街に行く約束でしょう?」

 

「え、え?」

 

「やあ、お嬢さん。いや、こいつは今、ちょっと取り込んでまして……」

 

「お嬢さん?」

 

話の流れについて行けず困惑していると、ベリルに肩を掴まれて引き寄せられた。

自分が知る彼よりもほんの少し、焦っている表情を浮かべたベリルの顔がそこにあった。

 

「馬鹿、次期当主(ロード)候補のアナスタシアお嬢さんじゃないか。お前の恋人だろ!」

 

「婚約者です、お間違えのないように」

 

「はい、その通りです」

 

「お前、性格変わってないか?」

 

「また、穴倉に戻るよりはマシだっての。まったく、どんな手品使って射止めたんだよ」

 

(こっちが知りたいよ)

 

先ほどからベリルが話している内容は、一ミリも頭に入って来ない。

アナスタシアが次期当主(ロード)候補? しかも、自分の婚約者?

現実味のない話に頭がついていかない。

彼女はサーヴァントで、時計塔の生徒でいるはずがない。

だって、彼女はもう――。

 

「っ……」

 

不意に頭痛が走り、カドックは額を押さえた。

痛みはすぐに治まったが、とても不快な感覚だった。背中からも嫌な汗が流れている。

ふと、額を押さえていた右手の甲が目に入る。

あるべきはずのものがそこになかった。

アナスタシアとの絆の印。赤い三画の■■が影も形も存在しない。

使い切った跡すらなかった。

 

「カドック?」

 

「アナスタシア、君は僕のサーヴァントだろう? ずっと一緒に戦ってきた、そうだろ?」

 

「何を言っているの? 従者(サーヴァント)ではなく婚約者(フィアンセ)です。まさか、前から私のことをそのような目で見ていたのですか」

 

「いや、こいつは根っからのフェミニストだからそれはな……」

 

「黙っていろベリル!」

 

「へい……」

 

子犬のようにシュンと小さくなるベリルを尻目に、カドックは呆然とその場に立ち尽くした。

とてもとても大切な思い出の筈だ。なのに、証明できるものが何もない。それどころか記憶がどんどん遠退いていく。

さっきまで思い起こせていた生々しい実感も、今では夢の中の出来事のように曖昧だった。

 

「カドック、私達はずっとここの生徒だったでしょう? この一年、何事もなく平和だったでしょう?」

 

「あ、ああ……そうだった、な」

 

あれは全て、夢だったのだろうか。

■■■■での生活も、■■■■も、戦いの日々も何もかもが夢だった。

ベリル達はみんな健在で、自分はアナスタシアと婚約者で、世界の終わりはただの気の迷いで、何もかもが平穏で平和な世界。

彼女に言われると、本当にそんな気がしてきた。

霞がかかっていた記憶が更に白く染まり、深い記憶の海へと沈んでいく。

そんな辛い思い出は必要がないとばかりに、忘却の向こうへと飛んでいく。

不思議なものだ。

あれほど抱いていた疑問はもう、どこにもなかった。

胸の底から掃き出されたかのように、気持ちが軽くなった。

 

「それじゃ、行きましょう、カドック」

 

「え、けど、課題は……」

 

「私からあの二級講師に話をつけておきます。明日からは来なくていいと」

 

振り向きながら発せられた声音は、ゾッとするほど冷たく恐ろしい響きであった。

一人、教室に残されたベリルは去っていく二人を見送りながら、小さな声で呟いた。

 

「お幸せに。覚めない夢はいいもんだぜ、不都合は全部、消えちまうんだからな」

 

カドックが振り返ると、既にそこには誰もいなかった。

まるで最初から誰もいなかったかのように、ガランとした教室がそこにあるだけであった。

 

 

 

 

 

 

学び舎のある郊外からロンドン市内までは少しかかる。

徒歩ではさすがに時間がかかるので、移動にはバスを選択した。

貴族主義の連中は自前の馬車を使うのだろうが、半分くらいの生徒は公共の移動手段を用いることが多い。

ちなみに免許を取得できる年を過ぎていても、自動車やオートバイを持っている生徒はまずいない。

古い家系ほどその傾向が強く、浅い血筋の者達もその真似をするからだ。

好んで現代機器を用いるのは現代魔術科(ノーリッジ)の連中くらいだろう。

 

「何か、考え事?」

 

「別に」

 

隣に座るアナスタシアの存在を努めて意識しないようにしながら、窓の外の景色を見やる。

中途半端な時間ということもあり、乗客はほとんど乗っていなかった。

ゆっくりと動き出した景色は見慣れたはずなのに、何だか夢を見ているかのようにふわふわとしていて落ち着かない。

気を紛らわせようとカドックはポケットから音楽プレイヤーを取り出すが、そのイヤホンの片方は何故かアナスタシアに取り上げられてしまった。

 

「なに?」

 

「いいえ」

 

「そう」

 

それが当然とばかりに、アナスタシアは左耳にイヤホンを差し込む。

一度だけ嘆息したカドックは、残ったもう一本を自分の左耳に差し込むと、少し音量を絞り気味にして再生ボタンに指を這わす。

狼の遠吠えにも似た叫びと、バスのクラクションが被さった。

 

「楽しいか?」

 

「そうね、よくわかりません」

 

「無理しなくてもいいよ」

 

「構いません、このままで」

 

「今度は、もう少し気に入りそうなのを入れておくよ」

 

そのまま互いに肩を預け合い、バスが揺れるのに任せる。

いつの間にか手が重なり合っていた。

彼女の表情は見えないが、イヤホンから聞こえる歌に合わせているのか、少し調子のズレたハミングが聞こえてくる。

そんなつもりはなかったのに、気が付くと一緒に鼻歌を口ずさんでいた。

バスのエンジン音がうるさいのか、こちらに気づく者はいない。

バスがロンドン市内に着くまでの数十分間、二人はそのまま言葉を交わすことなく、小さな声で歌い続けるのであった。

 

 

 

 

 

 

午後のお茶をテムズ川の上で楽しみたいと、アナスタシアがわがままを言い出したため、二人は買い物を早々に切り上げて船上の人となった。

一時間程度のクルーズで30ポンドもの額は、学生には少々きつい金額なのだが、アナスタシアからすれば安い買い物なのだろう。

既に行きと帰りの交通費だけで真冬のモスクワばりにお寒い懐事情となったカドックからすると、情けない限りだ。

折角、二人っきりの時間を過ごしているというのに、ほとんどの遊興費は彼女の財布から賄われているのである。

思わずそのことを愚痴ってしまうと、アナスタシアはおかしそうに笑ってこちらの額を小突いてきた。

 

「私はあなたに貸しを作っているのよ。将来、私に逆らわないようにね」

 

「なるほど、次期当主(ロード)は言う事が違うな」

 

「また、そう卑屈になって。倍にして返してやる、くらいは言えないの?」

 

「ごめ……」

 

気を悪くしてしまったかと、つい反射的に謝りそうになり、慌てて口をつむぐ。

チラリと視線を向けると、付け合わせのジャムを舌先で舐めながら、期待するようにこちらを見ていたアナスタシアと目が合った。

 

「あら、謝らないの?」

 

「からかったな?」

 

「本心よ。でも、頑張ったからご褒美ね」

 

そう言ってアナスタシアは、自分の分のスコーンを摘まんでこちらの口元に差し出してきた。

 

「はい、あーん」

 

「……ぁーん」

 

カチンと、歯と歯が噛み合う音が口の中に響いた。

可笑しそうに笑うアナスタシアの顔が目の前にあった。

その細い指先には、先ほどまで差し出されていたスコーンが今も摘ままれている。

開いた口に放り込むふりをして、直前に手を引っ込めたのだ。

 

「君って奴は……」

 

「ふふふ、まだまだね」

 

「ずっとこれに付き合わされるのかと思うと、気が重くなるな」

 

「あら、ずっと一緒にいてくれるの?」

 

「それは……言わせるなよ」

 

気恥ずかしさで顔が熱くなり、カドックは思わずそっぽを向いた。

きっと耳まで真っ赤になっていることだろう。

そんなカドックの様子を楽しみながら、アナスタシアは午後のひと時を楽しんだ。

時々、取り留めのない会話を楽しみながら、ゆったりとしたテムズ川の流れを堪能する。

たった一時間程度のクルーズのはずなのに、遊覧船はなかなか船着き場にはつかなかった。

まるで黄昏時で時間が止まってしまったかのような錯覚を覚えながら、二人は色々なことを話し合う。

互いが好きな音楽のこと、最近の教室の様子や将来のこと、空を飛び交う鳥や水面を跳ねる魚のこと、少し前に通り過ぎたウェイターのミスを笑い、反対側でクルーズを楽しむ老夫婦に自分達の将来を重ねる。

いつの間にかお菓子はなくなり、飲み物のお代わりを頼んでいた。

カドックはミルクを大目に注ぎ、アナスタシアは慣れていないからと砂糖の入っていないストレートなものを注文する。

 

「ねえ、今度、あなたのギターを聞かせてもらえないかしら?」

 

唐突にアナスタシアは切り出した。

馬鹿なことをと一笑する。

ギターはもう弾けない。それは彼女も分かっているはずだ。

そう言うと、アナスタシアは訝し気に顔を顰めて返してきた。

 

「何を言っているの、あなたの左手はちゃんと動くじゃない」

 

「……っ!?」

 

言われて、初めて気が付いた。

どうしてそんな風に思い込んでいたのかは分からないが、今の今まで左手はケガで動かないものと勝手に決めつけていた。

だが、アナスタシアの言う通り左手は何の支障もなく動かすことができた。

指先の一つに至るまで、滑らかに動く。

引きつるような感覚もないし、抓れば痛みもちゃんと感じられた。

それはとても喜ばしいことのはずなのに、何故だかカドックは釈然としない気持ちを抱いていた。

 

(なんで……)

 

左手が動く。

また音楽に携われる。

嬉しいはずなのに、何か大切なことを忘れているかのようで落ち着かなかった。

指が動くことに対して、違和感しか感じない。

この手は動かないはずなのだ。

何故なら、これは――――。

 

「残念、着いてしまったわ」

 

汽笛の音が思考を中断する。

いつの間にか、遊覧船が船着き場に到着していた。

 

「行きましょう、カドック。ベンチで少し、休みたいわ」

 

促されるまま、カドックは席を立つ。

何かがおかしい。

目の前の現実が、まるで絵本を読んでいるかのような遠い世界の出来事に感じられた。

愛しいアナスタシアの声も姿もすぐそこにあるのに、まるで靄を手ですくっているかのような気分だ。

本当に、彼女はそこにいるのだろうか。

言いようのない不安が、胸中に渦巻き始めていた。

 

 

 

 

 

 

「やあ、二人とも。お出かけかな?」

 

遊覧船を降り、休める場所を求めてテムズ川の畔を歩いていると、家族連れの男性に声をかけられた。

年は五十歳くらいだろうか。鋭い眼光と豊かな髭がとても目につく御仁だ。

ただ、纏っている雰囲気は何となくアナスタシアによく似ていた。

その理由は、アナスタシアの返答ですぐに察することができた。

 

「あら、お父様。野暮なことはお聞きにならないで」

 

「おお、すまない。いや、君達らしき姿が見えたものでね、挨拶くらいはと」

 

「気が利かないお人だこと」

 

「まあまあ。あなたのことが心配だったのよ。ねえ、アナタ?」

 

「む、むぅ……」

 

奥方に図星を突かれ、アナスタシアの父親は言葉を詰まらせる。

何となく、親近感が湧いた。

 

「姉さん、来週は帰ってくるのかい?」

 

父親の後ろに隠れていた少年が、アナスタシアに話しかけた。

利発そうな子だ。まだハイスクールに入りたてくらいだろうか。

 

「そうね。あなたが良い子にしていたら、考えてあげます」

 

「あんまり子ども扱いしないでよ。僕だってもう大人なのに」

 

「そういう言葉は学校を出てから言うものよ、アレクセイ」

 

「わかったよ、良い子にしている。電話、待っているよ」

 

諦めたように少年は手を振った。

きっと、いつもこんなやり取りを繰り返しては姉に言い包められているのだろう。

微笑ましいやり取りだ。けれど、とても強い違和感を感じだ。

何故なのかは上手く説明ができない。

ただ、この光景そのものが、まるでガラスのフィルターを通してみたかのような現実味のなさで溢れている。

楽しそうに笑うアナスタシア。

優しそうな両親と賢そうな弟。

少し離れたところには彼女の姉達と妹もいる。

どこにでもある家族の団らんだ。

何故、こんなにも違和感を感じるのだろう。

 

「では、我々は行くよ。カドック君、娘をよろしく頼む」

 

「あ、はい……」

 

「ごきげんよう、お父様、お母様」

 

にこやかに手を振りながら、アナスタシアの家族達は離れていく。

まるで蜃気楼を見ているかのような気分だ。

そこにいるはずなのに、手を伸ばせば消えてしまいそうな曖昧さだ。

眩暈がする。

自分が立っているのかさえ定かではない。

汗を拭おうと額を擦ると、違和感はますます強くなった。

そこにあるべき何かがないと、警鐘のようなものが鳴っている気さえした。

 

「何だか、今日は様子が変ね」

 

こちらの様子を訝しんだアナスタシアが、心配そうに顔を覗き込んでくる。

嬉しいはずなのに、今はとても不安な気持ちでいっぱいだった。

 

「さっきの……」

 

「お父様達? 時計塔の出資者で、未来のあなたの後見人よ、それがどうしたの?」

 

「……何で、ここにいるんだ? だって、君の家族は……」

 

そうだ、アナスタシアの家族は■んだ。

遠い雪国の冷たい地下室で、使用人諸共■された。

自分と面識があること自体がおかしいのだ。

ここにいるはずがないのだ。

 

「最近、アレクセイってばあなたに似てきたと思わない? 少し前まで軍人になるなんて言っていたけれど、あなたに影響されてミュージシャ……」

 

「違う。アナスタシア、それはありえない。だって、だって……」

 

上手く言葉に出来なかった。

彼女が弟と仲良く話している光景が頭から離れない。

とても強い違和感を感じるのに、焼き付いてしまったかのように目に張り付いていた。

彼女の弟が、あんな風に元気に歩き回れるはずがないのだ。

血友病で、ちょっとしたケガでも命に関わる障害を持っているのだ。

軍人もミュージシャンも持っての外だ。

なのに、先ほどの彼はそんな障害など感じさせないくらい元気で健康そのものだった。

頭が痛い。

頭痛がどんどん酷くなる。

違和感を感じる度にズキズキと瞼の裏が痛んだ。

 

「カドック、こっちに来て」

 

見かねたアナスタシアに手を引かれ、近くにあったベンチに無理やり座らされる。

 

「私の眼を見て。ほら、落ち着くでしょう?」

 

頬を両手で挟まれ、吸い込まれるかのような彼女の瞳で顔を覗かれる。

一瞬、アナスタシアの両目が青白く光ったかのような錯覚を覚えた。

 

「……ああ。ごめん、取り乱して」

 

「本当、何かあったの? 何か変な呪詛でも受けたのかしら?」

 

こちらが落ち着きを取り戻したのを確認した後、アナスタシアは隣に腰かける。

胸の内に不安が渦巻いていたのだろう。いつもならそんな風に甘える事はないのだが、今日に限っては人の温もりがとても恋しく、カドックは腰の位置を少しずらしてアナスタシアの膝の上に自らの頭を横たわらせた。

一瞬、アナスタシアは驚いたように肩を強張らせたが、すぐに緊張を解いて慈母のような笑みを浮かべ、細い指先で髪の毛を優しく撫で始めた。

 

「変な夢を見たんだ。とても……とても強い実感が伴う夢だった」

 

「それがあなたのおかしい理由? どんな夢だったの?」

 

「……上手くは思い出せない。ただ、僕も君も時計塔じゃなくて、遠いどこかの僻地にある工房で働いていた。何をしていたと思う?」

 

「何かの研究じゃないの?」

 

「世界を救う仕事だ。笑えるだろ?」

 

曖昧にしか思い出せないが、世界が焼ける夢だった。

自分はアナスタシアと共に色々な場所に出向き、世界を救うために戦った。

そこで自分は多くのものを失った。

そうだ、左手もケガで動かなくなったのだ。

目だって見えなくなった。

魔術師にとって命とも言える魔術回路もダメにした。

傷ついて失っていくばかりの旅路だった。

苦しいだけの戦いで、得るものなんて何もなかった。

 

(本当に、そうなのか?)

 

大切な何かが抜け落ちている気がする。

失うばかりでなく、何か光のようなものを見つけた気がする。

それは何だったのか。

思い出そうとすると頭痛が酷くなり、救いを求めるようにアナスタシアの手を握る。

それだけで痛みが引き、思考が凪いでいく。

霞がかかった思い出と共に、自分の存在すら霧散していくかのようだった。

痛みからの逃避と引き換えに、もっと大事なものが抜け落ちてしまったような気がした。

 

「ねえ、それからどうなったの?」

 

「それから……僕と君は悪い奴と戦って、最後には消えてしまうんだ」

 

「悲しい夢ね。でも、大丈夫。ここにいればもう戦うことはないの。あなたが苦しむこともない。ずっとずっと、一緒にいられるの」

 

「……ああ、そうだね」

 

本当に、それは何て幸福なことなのだろう。

夢は所詮、夢でしかない。どんなに辛く苦しい夢であっても、目を覚ませば彼女が側にいるという幸せが待っている。

それでいい。それだけでいい。

そのはずなのに、考えてしまった。

どうして、あの夢はあんな結末を迎えてしまったのかを。

そう、何か大切なものを守るためだった。

胸の底に、これだけは忘れるものかと刻み付けた誓いがあったはずだ。

もう二度と、みんなを裏切らないと決めたはずだ。

必ず、彼を■■へと帰すと――決めたはずだ。

 

「……そう、だ」

 

一際、強い頭痛が襲いかかるが、カドックは構わず意識を集中させた。

脳裏に一瞬、思い浮かんだ■■■■の顔を忘れまいと。その名前を忘れまいと、吐き気を堪えて必死の思いで繋ぎ止め、その思い出を手繰り寄せていく。

 

「そうだ、藤丸は!?」

 

「カドック、何を言っているの?」

 

「藤丸立香だ! 僕達の仲間の……何で、忘れてたんだ。そうだ、僕達は時間神殿で戦っていたはずなんだ。なのに、どうして…………」

 

今の今まで、思い出せなかったことが不思議でならない。

例え地獄に堕ちようとも、アナスタシアとあいつの事だけは忘れるはずがないという自負だってあったのに。

 

「アナスタシア、ここは……」

 

「落ち着いて、カドック。何も心配はいりません。その人はいないのだから」

 

「アナスタシア?」

 

「藤丸立香はここにはいない。あなたはそんな人を知らないし、私も知らない。そうでしょ、カドック」

 

愛おしいはずのアナスタシアの顔が、まるで幽鬼か何かのように見えで仕方がなかった。

彼女の囁きが、麻酔のように耳朶に染み込んでいく。

彼女の言葉に偽りはない。そんな人間、最初から存在しない。

ビックベンの鐘のように、頭の中で何度も同じ言葉が響き渡り、こちらから思考の力を奪っていく。

思い出はごっそりと抜け落ちていき、心まで彼女の言葉に屈服した。

藤丸立香なんてこの世界には存在しないと、頭から信じ切っていた。

そこで終わっていれば、きっとこの幸福に溺れながら逝くことができたであろう。

けれど、気づいてしまった。

彼女の耳に輝く紫色の輝きを。

アナスタシアが身に付けている、ラピスラズリの耳飾りの存在を。

 

「アナスタシア、その耳の宝石……」

 

「これ? あなたがプレゼントしてくれたものでしょう? 街で一番の細工屋に頼んで、とても高価な石を加工したって――」

 

「違う」

 

頭の中の霞が晴れていく。

千切れていた記憶が結び直されていった。

気づかなければ、思い出すことができなかった。

この甘い夢に溺れたまま、目を覚ますことはなかっただろう。

彼女の存在が気づかせてくれたのだ。

遠い遠い過去の世界で結ばれた絆が、自分を再び立ち上がらせたのだ。

 

「それは、もっと粗悪なものだ。安売りされていた屑の石を錬金術で錬成して、見た目だけ繕ったものだ」

 

「止めて……」

 

「それも、僕達の手で砕いた。あの娘の願いを叶えるために、君がそう望んだはずだ」

 

「止めて、カドック」

 

狼狽したアナスタシアが、息を荒げながらこちらを覗き込んできた。

親に見捨てられた子どものような顔だった。

これから自分が口にする言葉を、決して聞きたくはないという強い否定の意思が感じられた。

 

「言わなければずっとここにいられます。ここならあなたは何も失わない。傷つくことはない……ずっと、ずっと一緒にいられるのに……」

 

「それでも、ここにはあいつがいない。僕が生きていたのは、あの憎たらしい後輩がいる世界なんだ。あいつがいたから、僕は最後まで生きたいと思えるようになったんだ」

 

だから、目を覚まさなければならない。例えそれが、終わりへと続く目覚めであったとしても。

 

「僕は魔術師なんだ。魔術師は過去へと逆行する生き物だ。けど、歩みを止めることはしない。例え未来に背を向けても、袋小路に至っても、進む事だけは止めない人でなしだ。だから、僕はここにはいられない。あいつが生きた世界で死ななくちゃいけないんだ」

 

ゆっくりと体を起こし、アナスタシアに向かって振り返る。

彼女の目には涙が浮かんでいた。罪悪感で胸がいっぱいになるが、その気持ちに応えることはできない。

ここはきっと、夢の世界だ。

ゲーティアの放った光。創世の熱に焼かれる寸前に、己の死を恐れた弱い心が生み出した1と0の挟間の世界だ。

こんなはずではなかった。ずっと言い続けた言葉が形を成した世界だ。

カドック・ゼムルプスにとって優しく、誰も自分を傷つけない世界。

嫉妬に駆られることなく、在りのままでいられる世界。

けれど、所詮は夢幻。

ここにいれば、永遠にアナスタシアと一緒にいられる。それは何て幸福で、何て残酷な夢なのだろう。

目の前に存在するのは確かに自分が記憶しているアナスタシアそのものではあるが、彼女自身ではない。ただの幻なのだ。

 

「ごめん……僕は行くよ。君と一緒に戦った、旅をしてきたあの世界に。さようなら」

 

世界から音が消えた。

無言で泣きじゃくり、手を伸ばしたアナスタシアの幻が虚空へと吸い込まれていく。

最後に彼女が口にした言葉は、自分を呼び止める慟哭か、それとも恨み節か。

一つだけハッキリしていることは、例え幻といえど最愛の彼女を悲しませてしまったということだ。

その罪悪感を胸に、カドックは上へと浮かんでいく。

崩れ去っていくロンドンの街並みを見下ろしながら、頭上から差し込む光に向かって真っすぐに。

何度も後ろ髪を引かれながら、足を止めながら、迷いながら、それでも思い直して己の死に向けて虚数の海を泳いでいく。

そして、自らの魂を焼く光まで後少しというところで、彼は呼び止められた。

 

「やあ、間に合ったね。その気があるなら歩みを止めるがいい。その先は……地獄だぞ」

 

何かがそこにいた。

星の輝きで満たされた虚数空間に、とても大きな何かが浮かんでいた。

それは見えているはずなのに頭で形を認識できなかった。

全体を捉えようとすると、暗い影が差してそれが何なのか分からなくなる。

ただ、漠然とではあるが、猫か何かの獣のように思えた。

恐怖感はなく、不思議な親近感が感じられた。

 

「結末を急くのは君の悪い癖だ。確かに君は完全に消滅し命の終わりを迎えたかもしれないが、未練があるからこの虚無に残っていたのだろう?」

 

図星を突かれ、歩みが止まる。

獣は我が意を得たりとばかりに、影の向こうでほくそ笑むと、用意しておいたであろう言葉を投げかけてきた。

 

「君に最後の選択を迫ろう、魔術師よ。率直に言うと、君と彼女のどちらかを生き返らせる用意がある」

 

「……どういう、ことだ? お前はいったい……」

 

もしも、この時の出来事を覚えていたのなら、きっとそう問いかけたことを後悔したことだろう。

獣は笑っていた。

残酷に、楽しそうに、こちらの一挙一投足に至るまでを舐め回す様に、光差さぬ影の向こうから見つめていた。

 

「まずは名乗ろう。ボクは災厄の獣キャスパリーグ。違う世界では霊長の殺人者(プライミッツ・マーダー)とも呼ばれている」

 

闇が広がった。

星すら飲み込む強大な闇が、行き先であった光を覆って隠してしまう。

囚われたのだと気づくのに、時間はかからなかった。

獣の牙が、その爪先が喉元に押し付けられているかのような気分だった。

こちらが下手な行動に出れば、容赦なく魂を引き裂くつもりだ。

いや、それ以上に恐ろしい予感がした。

これから自分が下すことになる、たった一つの答えが世界の運命すら左右する。そんな気さえした。

 

「けれど、君に対してはこう名乗るべきだろう。人類が倒すべき悪。人の獣性によって生み出された大災害。原罪のⅣ……ビーストⅣと」

 

闇を挟んで、魔術師の少年と人類悪は対峙する。

最後の戦いは、誰にも与り知らぬ虚数の海の底で、静かに幕を開けたのだった。




最後の戦いは助っ人なし、カドックのみでのイベントバトルとなります。
終章も残すところ、後一話か二話くらいだと思います。


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冠位時間神殿ソロモン 最終節

どことも知れぬ闇の中、二つの影が対峙していた。

片や長い旅路の果てに、一つの答えに辿り着いた魔術師の少年。

彼はその命を最後の一片まで燃やし尽くし、後は死を待つだけの身となっていた。

片や最悪の獣。人類が打倒すべき災害、ビーストⅣ。

役目を終え、その命を終えるだけであった少年に待ったをかけた人類悪。

その牙が狙うは少年の魂か、それとも世界の命運か。

底の知れぬ、光すら差さぬ虚数の海で揺蕩いながら、両者はまっすぐに睨み合っていた。

 

「生き返らせる……と言ったのか?」

 

形なき巨大な影。黒塗りの大化け猫に向けて、カドックは聞き返した。

彼――性別があるのかどうかはわからないが、この獣は自分ともう一人のどちらかを生き返らせると言った。

どうして人類悪がそんな提案を持ち掛けてきたのかという疑念が湧く。

喜びよりも先に不安と恐怖があった。

これまで対峙してきたビーストは、方向性こそ違えどどちらも人類を滅ぼす為に動いていた。

ならば、人類悪を名乗るこの獣も同じなのではないかという疑いはあって当然だ。

何かの罠を疑うのはとても正しい反応のはずだ。

だが、それでも彼の言葉には抗いがたい魅力があった。

死は誰だって恐ろしいものだ。

役割を終え、納得の上での死であってもそれは変わらない。

今まで生きてきた世界の全てから途絶えてしまうという恐怖は、分かっていても耐え難い。

いや、ここは取り繕う場面ではないだろう。

アナスタシアに会いたい。

会って話がしたい。

手を繋ぎたい。

彼女と一緒に紅茶を飲んで、穏やかな時間を過ごしたい。

ここで消えてしまう自分と違い、サーヴァントであるアナスタシアの霊基はカルデアに帰還する。

あそこに戻ることができれば、また彼女に会うことができるのだ。

自分が消え去る間際になって、蓋をしていた気持ちが開いてしまう。

彼女と一緒にいたい。

彼女と生きたい。

彼女が欲しい、その全てを。

叶わぬと封をした願い。こんなにも未練が残っていては、あんな夢を見るのも頷ける。

もしも叶うのなら、この想いを育んだ日々に少しばかりの猶予が欲しい。

彼女と共に過ごした、僕らのカルデア(うち)に帰りたい。

すると、獣はこちらの胸の内を察したかのように肩を震わせると、こちらに言い聞かせるかのようにハッキリと言葉を発した。

 

「ああ、君の願いは当然のものだ。けれど、掬える命は一つだけだ」

 

「本当に、生き返る事ができるのか?」

 

「もちろん。数百年溜め込んだ魔力を使えば、魔法ですら到達しえない奇蹟――死者の完全な蘇生すら可能だ。もっとも、時間神殿での死は現実ではカウントされない。これからボクが行う事は、運命力の譲渡だ。君とマシュ・キリエライト……どちらかの命を助けよう」

 

「……どちらか、一人の?」

 

「そうだ、君が選ぶんだ。奇蹟も万能ではない。ボクが溜め込んだ魔力だけでは、掬い上げる事ができるのは一つの命だけだ」

 

重い選択を突き付けられる。

自分とマシュ、生き返る事ができるのはどちらか一人だけ。

片方は愛する者と再会が叶い、もう片方は暗い闇へと沈んでいく。

考えるまでもない、とは言えなかった。

他人に命を譲れるほど、自分は心が広くない。隙があれば貪欲に欲しがるのが魔術師だ。

だが、友人の幸せを踏みにじれるほど冷徹にもできていない。

彼らの不幸に目を瞑るには、自分達は長く付き合い過ぎた。情が湧いた、などと言うつもりはない。彼らは友達だ。かけがえのない仲間だ。良いところも気に入らないところも、全てひっくるめて大切な友人達だ。

ましてやマシュは、そう遠くない内に死ぬ運命だった。彼女がもう一度、生き直すことができる機会を奪えば、きっと自分は後悔する。消えぬ慚愧が胸を縛る。立香を見る度に、罪悪感に苦しめられるだろう。

そして、アナスタシアへの思慕も捨てきれなかった。

この期に及んで、何て情けない醜態だ。

立香の隣で笑顔を浮かべるマシュの姿を思い浮かべながら、アナスタシアと共にいる自分の姿を思い描いてしまっている。

選べる命は一つだけ。

このどちらかを切り捨て、闇の底に沈めなければならない。

 

「何故、こんなことをする? お前に何の得があるんだ?」

 

「ただの善意の押し売りだ。ボクは君達の旅を特等席から見物させてもらった。胸のすくような気分だった。人とはかくも美しくなれるものなのだと、ボクは知ることができた。何れは滅ぼし合う運命にあろうと、まだビーストに覚醒していない今ならば手を差し伸べることもできる。もちろん、信じるも信じないも君次第だ」

 

それは悪魔の囁きだった。

魔術師としての性なのだろう。彼の言葉に抜け穴がないか、解釈違いは起きないかと必死で頭を巡らせた。

彼は善意の押し売りだと言った。カルデアの旅路が、聖杯探索での自分達の行いを美しいと評した。

まるで神にでもなったかのような物言いだ。差し詰め、これはグランドオーダーの半ばで果てた自分達への報酬なのだろう。

それはとても抗いがたい魅力を秘めていた。

何度、言葉を反芻しても、信じるに値する証拠が見つからなかったとしても、心のどこかで彼の誘いを受けたいという思いが強くなっていく。

断ち切れたはずの未練が浮上する。もう一度、アナスタシアに会いたいという思いが募っていった。

 

「さあ、ここでは時間の流れが現実とは違うとはいえ、君達の認識が死に追いつけばそれまでだ。答えを……」

 

「…………」

 

「答えるのだ、カドック・ゼムルプス。君はどちらを生かす……自分か、友人か。君達のどちらが生きるべきなのか、答えを聞かせてくれないか」

 

とても長い二秒間だった。

頭の中で、これまでの出来事が映画のフィルムのように次々と写し出されていく。

何気ない立香との出会い、燃える管制室でのマシュとのやり取り、冬木で召喚に応えてくれたアナスタシア。

人理焼却という未曽有の事件に対して、四人で立ち向かった。

意見をぶつけ合うこともあって、傷つけあうこともあった。

それでも一緒に戦って、時間神殿にまで辿り着いた。

いつの間にか、誰かが欠けるなんてありえないと思い込んでいた。

生の感情をぶつけ合って、和解したのだから、もう離れることはありえないと。

だから、あんな風に彼女がその命を散らすなんて思いもしなかった。

だから、あんな風に思いを託して自分が死ぬなんて思いもしなかった。

分かたれた四つの欠片は二度と、合わさることはない。

どちから一人。自分かマシュか、生き残るべき方を選ばねばならない。

何故、と問う。

どうして自分が選ばなければならないのか。

マシュにだって選ぶ権利はあるはずだ。けれど、目の前の獣はそのことを口にはしない。

きっとマシュならば、生き返るチャンスをこちらに譲ると思ったからだ。

例え未練を抱き、もっと生きていたいと願ったとしても、彼女は自分より他人の命を優先する。マシュ・キリエライトはそういう娘だ。

なら、自分はどうか。カドック・ゼムルプスはどんな人間か。

自らの願いの為に、友人を犠牲にすることができるのか。

友への親愛のために、自分を犠牲にできるのか。

選べるはずがなかった。

どちらを選んでも、きっと残された方は死者を思って苦悩することになる。

どうして、自分が生き残ってしまったのかと。

そして、そのパートナー達は思うだろう。どうして、彼/彼女だけが死んでしまったのだろう。

悔悟の念は必ず浮上する。今でなくとも、遠い未来で生者を蝕む。

欠けた命に涙する自分達の姿を幻視する。

生きたい。

選べない。

会いたい。

選べない。

戻りたい。

選べない。

死にたくない。

選べない。

選ぶことができない。

だって、どちらも大切だ。

自分の願いも、友情も、優劣なんてつけれない。

比べる事なんてできない。

例え、一分後には心変わりすることになろうとも、魔術師という生き方に一瞬でも背を向ける事になろうとも、今だけはその二つを比べる事などできなかった。

 

「……ない」

 

「…………」

 

「選べない。僕は……どちらも選べない」

 

待ってくれと懇願することはしなかった。

情けない事に答えを出すことができなかったのだ。

どちらの命が大切かと問われ、どちらにも見切りをつけることができなかった。

アナスタシアとの再会と、マシュの命を天秤にかける事ができなかった。

それでは、自分達二人のどちらも生き返る事ができないという事になると分かった上で、カドックは選択しなかった。

慚愧を抱いて生きるよりも、無念を抱いて死ぬ事をカドックは選択した。

 

「……それで、良いんだね?」

 

「…………」

 

聞き返してくる獣に向けて、言葉を返す事ができなかった。

そんな資格はないと、カドックは自分を卑下していた。

 

「君は魔術師だ。一族の悲願――根源への到達を目指すべき生き物だ。その機会を、逸することになっても、良いんだね?」

 

「…………」

 

「マシュは人の都合で生み出され、苦しみしかない生を過ごした。彼女がもう一度、生き直すための機会を奪うと言うんだね?」

 

「…………」

 

そのどちらにも答えを返さなかった。

一言でも言葉を発すれば、どちらかに気持ちが傾くと思ったからだ。

その瞬間、この獣は願いを受理するだろう。一瞬後に、こちらが後悔を抱いても取り消すことができぬよう、問答無用でどちらかを蘇らせるだろう。

その苦悩には耐えられない。その罪悪感からは逃れられない。

その絶望は正しく、死に至る病となるだろう。

だから、カドックは最後まで沈黙を貫いた。

やがて、こちらの答えが変わらぬことを認めた獣は、闇の向こうで頷くように首を振ると、静かに言葉を発した。

 

「……君の選択を尊重しよう、カドック・ゼムルプス」

 

闇に光が灯る。

光源は獣の体そのものだ。

黒いシルエットでしかなかった獣の巨体が淡い光を放ち始めたのだ。

露になったその姿は、今度は光が眩しすぎて直視する事ができなかった。

ただ、この世のものとは思えないとても美しい毛並みだった。

燐光を放つ体毛は一瞬たりとも同じ色を保たず、流転する車輪のように色艶を変えていく。いや、毛の先に至る細胞の全てが光でできているのだ。でなければ、あのような光を放てるはずがない。

闇の中から現れたのは、光と魔力によって体を作られた美しい獣だったのだ。

そして、やはり光を固めて作られた眼が、瞼を狭めるこちらを見つめていた。

全てを見透かすような、聡明な瞳だった。

 

「これは……」

 

光が体に流れ込んでくる。

あるはずのない心臓が鼓動を打ち、熱い血流が戻ってくる。

命の力が、肉体を失った魂に流れ込んできているのだ。

 

「ボクを構成する全てを用いて、君達二人を蘇生させる。君の命……その傷ついた眼や魔術回路はもちろん、後三日とないマシュ・キリエライトの寿命を塗り潰すほどの奇蹟だ」

 

「なっ、何を……いや、どうして……」

 

光が広がっていく。獣の肉体を構成する光が粒子となって空間そのものに溶け込んでいっているのだ。

こちらに生命の脈動が走る毎に、獣の存在は薄れ小さくなっていく。

彼が何をしようとしているのか、漠然とではあるが察することができた。

自分とマシュ、どちらかの命を救う。そう嘯いておきながら、その両方を掬い上げんとしているのだ。

 

「なに、簡単な話だ。足りないのなら必要な分を余所から持ってこればいい。数百年を生き抜いた肉体だ。全て霊子に変換すれば君達を蘇らせるには十分な魔力を生み出せるだろう。代償として、ボク自身は消滅する事に――いや、最初から存在しなかったことになる」

 

何てことはないとばかりに、獣は答えた。

たった二人の人間を生き返らせる為に、自分自身の命を捧げると人類悪は言うのだ。

 

「うん、君の疑問には答えておこう。人類悪としてのボクは“比較”の理を受け持っていた。人間同士の競争と成長、妬みや悔しさを糧とし、“相手より強くなる”特徴を持つ獣だ。分かるかい、他者と向き合う――それだけでボクは獣に近づいてしまう。逆に人間社会にいなければ無害な動物でいられるから、ボクは人のいない孤島に閉じこもっていた。けれど、ボクの世話をしていた魔術師は酷い奴でね。快適だった幽閉塔からボクを追い出して、外に放ってしまったんだよ。でも、そのおかげでボクはカルデアに辿り着いた」

 

「おい……お前は……まさか……」

 

「マシュや藤丸は純粋だったから、彼女達の側にいるのは居心地が良かった。とはいえ、万が一もあるから普段は隠れていたんだけどね。何しろカルデアには君がいた。卑屈で嫉妬深くて、それでいて向上心だけは人一倍で。正に人間らしい人間だ。君の側にいたらボクはもっと早くに醜悪な姿を晒していただろう。けど、君はこの旅で変わっていった。汚れ切っていた魂は傷つく度に優しさを知り、清らかな色へと近づいていった。君の旅は特に見応えのあるものだった。人間がここまで魂を輝かせることができると、人は人類悪になど負けないと、ボクは君に教えられた。だから、これはボクからのお礼なんだ。ボクを獣にさせなかった、君への勲章なんだ」

 

「待て――お前は、お前は――あいつなのか!? お前は――!」

 

光が視界を満たす。膨れ上がった尾が炎のように揺れていた。

まるで風に吹かれるかのように体が浮かび上がり、目の前で消えゆかんとする獣が遠ざかっていった。

 

「……かつて魔術師はこう言ってキャスパリーグを送り出した。「美しいものに触れてきなさい」と――――そうだ。私は本当に、美しいものを見た。君が私を魅せた輝きは、人間の可能性だ。人はこうも美しく輝くことができる。嫉妬の泥からも這い上がり、尊いものを掴み取ることができる。自分自身と他者の命を平等に見ることができると。だから、私は君に倒されよう。刃を持たず、血を流さずとも倒せる悪はあるのだよ」

 

もう獣の姿を見る事は叶わなかった。

虚数の海へと溶け込んだ獣の残滓が、僅かばかりの形を残すばかりだ。

そんな状態でありながら、光の向こうで獣は笑っていた。

闇の中で対峙した時の、血生臭い笑みではない。敬虔な信者のような、神に救われた迷い子のような安らかな笑みだった。

 

「喜べ少年、君の願いはようやく叶う。第四の獣の討伐――私自身の消滅が君の証明となる。君は今、世界を救ったのだ」

 

「フォウ――!」

 

届かぬことを承知で伸ばした手は、泡となった獣の残滓を掴むので精一杯だった。

この虚数の海が完全に光で満たされた時、彼はこの世から消滅するだろう。

最初からいなかったことになる。比較を捨てた獣は、誕生を前にして一人の人間の手で滅ぼされたのだ。

 

「さようなら、カルデアの善き人々よ。そして、君にこの言葉を贈ろう……光あれ」

 

その言葉を最後に、意識が白光で埋め尽くされた。

強い力に引っ張り上げられる感覚と共に、急速に肉体の感覚が戻ってくる。

獣の祝福を受けた少年は、そうして現世へと舞い戻るのであった。

 

 

 

 

 

 

気が付くと、誰かに背負われていた。

顔は見えないが、とても息が荒い。きっと相当な距離を走っていたのだろう。

カドックは放っておけばいいものをと内心で苦笑しながらも、そんな親友の優しさが素直に嬉しかった。

実に彼らしい。

時間神殿は崩壊を始めていた。いつ足場が崩れて虚数の海に落ちるかも分からない危険な状況だ。

だというのに、彼は手を伸ばすことを諦めない。

自分の命すら危うい状況でも、可能な限り助けられる命は助けようとする。

無茶で無謀で、どこまでも優しく大らかな心の持ち主だ。

カドック・ゼムルプスにとって自慢の友人であり、心の英雄だ。

 

「……悪いな、藤丸」

 

「あ、気づいたの?」

 

「ああ、たった今、な……」

 

「びっくりしたよ。気づいたらカドックだけ、無傷で倒れているんだから」

 

「そうか……」

 

その辺の記憶は曖昧だった。

ゲーティアと相対し、令呪三画を注ぎ込んだアナスタシアの宝具であの創世の光を押し返そうとした。

もちろん敵うはずもなく、自分達は原子すら残らず焼き殺されたはずだが、どういう訳か自分は生き残っていたらしい。

奇跡としか言いようがない。あのマシュですら耐えられずに消滅したというのに。

 

「ゲーティアは?」

 

「死んだよ」

 

「そうか」

 

ビーストⅠ。人間の限界、死という恐怖を憐れんだ獣は死んだ。

人理焼却は覆され、世界は元通りに復元されるのだ。

それは喜ばしいはずなのに、何故だかとても物悲しい気持ちになった。

マシュやロマニだけでない。何かもう一つ、大切なものが失われた気がするのだ。

それが何なのかは思い出せなかったが、自分達にとってかけがえのない何かだったはずだ。

だが、自分はおろか立香も心当たりは思い浮かばなかった。

 

「あれ? カドック、手が動いているよ!」

 

不意に、立香が驚きの声を上げた。

 

「え?」

 

咄嗟に左手を持ち上げてみる。

すると、今まで動かなかった左手の指が微かに動いていた。

恐る恐る力を込めると、指は手の平の中で丸くなり、爪の食い込む感覚が伝わってくる。

いつの間にか、左手の麻痺が治っていたのだ。それどころか、その光景を垣間見ている視界も良好だ。

指の動きも肌の色も、裸眼でハッキリと捉えることができる。目に光が戻っている。

まさかと思い、カドックは自らの内に意識を集中させてみた。

視えないメトロノームが刻むリズムに合わせて、体内の魔術回路を一つずつ励起させていく。

すると、やはり全ての回路が正常に機能していた。後遺症も何も残っていない。全て元通りになっている。

 

「すごいな! 奇跡だ!」

 

「あ、ああ……ああ……」

 

言葉が出なかった。

まだ魔術の道を捨てずに済む。

またギターが弾ける。

何より、アナスタシアの素顔をその眼で見ることができる。

喜びが泉のように込み上げてきた。

何故、こんな奇跡が起きたのかは分からなかったが、失った全てが戻ってきたのだ。

立香も喜んでくれているのか、小さな声で頷いていた。

 

「良かった……ああ、これで安心だ」

 

そう言った立香の声からは、覇気が感じられなかった。

緊張の糸が途切れたかのように、弱々しい囁きだった。

 

「ごめん、俺はここまでだから、後は……一人で行って……」

 

足を縺れさせた立香が倒れ込み、カドックは地面に投げ出された。

痛みが半身を襲うが、立香が最後まで庇ってくれたおかげで大したケガは追わなかった。

寧ろ、危険なのは立香の方だ。

彼の右手は真っ赤に腫れ上がり、手の甲が見るも無残に焼け爛れていたのだ。

そのケガの痛みと、ここまで自分を背負って歩いてきたこともあり、疲労がピークに達したのだ。

 

「藤丸!」

 

「はは……俺さ、始めて魔術を使ってみたんだ。令呪の魔力をさ、手に込めたまま……でも、うまく制御できなくてさ……」

 

「馬鹿野郎……素人が無茶をして……」

 

きっと魔力が血管を焼いてしまったのだろう。

礼装の力を借りなければ魔力の生成もできない素人が、無理に魔術を使おうとしたからだ。

 

「うん……俺、魔術師は向いていないや」

 

「そうだな、お前は向いていない」

 

彼のように優しい人間は、魔術の世界にいるべきではない。

彼に相応しい、生きるべき場所はここではないのだ。

なのに、戦えるのが自分達しかいないからという理由で彼はグランドオーダーを引き受けた。

マシュを放っておけなかったから、場違いな戦場で常に虚勢を張り続けていた。

今更ながら、その痛ましさが胸を打つ。

彼をこんなところに置いていく訳にはいかない。

何としてでも、彼を元の日常に戻さなければならない。

 

「帰るぞ……立香」

 

決して小さくはない友人の体を担ぎ、カドックは魔術回路を励起させて崩れ行く時間神殿を駆け抜けた。

急がなければならない。

ゲーティアが消えた今、時間神殿はいつ消え去ってもおかしくはない。

モタモタしていたら、二人とも虚数の海に落ちて二度と生きては帰れなくなる。

 

『よし、繋がった! 二人とも無事だね! レイシフト地点まで、早く! 崩壊に巻き込まれる前に脱出するぞ!』

 

早口でまくし立てながら、ダ・ヴィンチが通信越しにルートを指示してくる。

地面の揺れはどんどん酷くなり、あちこちに亀裂が走っていた。

それらを迂回し、時には飛び越えながら最短で出口を目指す。

ケガや視力が治っていた奇跡に感謝した。でなければ、立香を連れて走る事などできなかったからだ。

自分は無神論者だが、今だけは神を信じて良いかもしれない。

運命の全てが、自分達を生かそうと回り始めている気さえした。

 

(もう少しだ……もう少し……!)

 

階段を駆け上り、人ひとりがギリギリ走れるほどにまで狭まった通路を駆け抜ける。

最初に降り立った第一の拠点を超えた。

後はこの小さな足場を飛び移り、レイシフト地点へと飛び込めばいい。

それでこの時間神殿から脱出できる。

そう思った刹那、踏み切った足場が壊れてバランスを崩してしまう。

 

「っ……!」

 

落下減衰の魔術を用いて何とか姿勢を直し、次の足場に着地する。

そこから先はもう足場がなかった。

バランスを崩した事で飛距離を稼げず、目的の足場に着地できなかったのだ。

ここからレイシフト地点を目指すためには、どうしても助走が必要だ。しかし、人がひとり立てるだけの足場では、いくら強化の魔術を用いたところでそれも叶わない。

 

(やれるか?)

 

思いっきり飛び上がって、手を伸ばせば崖の縁に捕まることができるだろうか。

考えている時間はなかった。カドックはダメもとで両足に魔力を集中し、呼吸を整える。

直後、音を立てて足場が崩れ去った。

跳躍したカドックが降り立てる場所はもう存在しない。

ほんの僅かではあるが、地面に手が届かない。

 

「もう――少し、なのに……」

 

体が落下を始める。

重力に引かれた二つの体は、暗い虚数の海を目指して落ちてく。

ここまでなのかとカドックは歯噛みした。

恐怖はなく、ただ小さな悔しさが胸にあった。

少女の声が聞こえたのは、その時だった。

 

「まだです、手を伸ばして――!」

 

消えたはずのマシュが、そこにいた。

ゲーティアの第三宝具で焼き消されたはずのマシュが、崩れゆく崖の縁に捕まり、こちらに手を伸ばしていたのだ。

何故と問う暇はなかった。それよりも自分達が助かるかどうかが問題だ。

立香を担いでいたせいもあるのだろう。思っていたほどの距離を飛べていない。腕を伸ばしてもマシュの手を掴むことはできないだろう。

 

「マシュ、頼む!」

 

一か八か、カドックは自身が落ち切る前に担いでいた立香の体を投げ飛ばしていた。

驚愕したマシュが慌てて自分のマスターを受け止める姿が目に映る。

 

「カドックさん!」

 

マシュが叫ぶが、もうどうすることもできなかった。

人は空を飛べない。

手を伸ばしても届かず、どんな魔術を使っても落ち行く定めから逃れる術はない。

カドック・ゼムルプスの力では、この窮地を脱することができない。

ここに来て、もう何度目の絶望だろうか。いい加減、休ませて欲しいとさえ思った。

 

――――なら、諦めるのか?――――

 

不意にどこからか声が聞こえた。

聞き覚えのある声だったが、誰の声かは分からなかった。ただ、自分と同じ年頃の少年であるという根拠のない実感があった。

それは外からではなく、内側からの声だった。自分の内側から聞こえてきた声だった。

 

――――こんなはずじゃなかったと、今も思っているんだろ?――――

 

無念すら抱く、異なる可能性はそう告げた。異聞の言葉が諦めかけていたカドックの心に再び火を灯した。

 

(ああ、その通りだ。諦めてたまるか!)

 

――――なら、するべきことは決まっている。どだい凡人である僕達では出来る事は知れている。それでも何かを掴みたいって言うなら……――――

 

(そうだ、自分の手が届かないのなら――)

 

右手の甲が目に入る。

三画の令呪を使い切り、薄い跡だけ残っている。

魔力のパスは断たれていた。

自分と違い、アナスタシアはゲーティアに焼かれて消滅し、カルデアに帰還したのだ。

その際に契約も切れてしまっている。

だが、縁はある。

自分と彼女の繋がりは、この程度のことで断ち切られたりはしない。

あの炎の街で運命的な出会いを果たしたのだ。

億分の一、或いはそれ以上の確立で出会うことができたのだ。

その運命を信じられるのなら、自分達は何度だって繋がることができるはずだ。

 

「――君の方から手を伸ばせ――――アナスタシア(キャスター)!」

 

右手の甲に光が走る。

血のように赤い三画の令呪。その内の一画が霧散し、因果律を捻じ曲げて彼方より彼女の手は伸ばされた。

 

「カドック、手を!」

 

「アナスタシア!」

 

崖にぶら下がったヴィイに支えられたアナスタシアの手を、しっかりと握り締める。

強かに体を崖にぶつけてしまったが、痛みは感じなかった。感じている余裕もなかった。

またアナスタシアの手を掴むことができた。彼女と出会うことができた。その喜びが全ての痛みを消し飛ばした。

 

『カルデアにいるサーヴァントと遠隔契約だって!? しかも、レイシフトしたのか? こちらは何もしていないぞ!? 奇跡か!? いいや、語るのは野暮だ! みんな急いで出口に飛び込め!』

 

驚愕するダ・ヴィンチの声が聞こえた。

引き上げられると、出口はすぐ目の前にあった。

既に時間神殿は幾つかの破片を残すのみとなっており、この出入口がある崖もほんの少しの足場を残すのみとなっていた。

完全な崩壊まで後、数秒もないだろう。

アナスタシアに手を引かれて立ち上がったカドックは、隣で同じく手を繋いでいる立香とマシュに目をやった。

 

「さあ、帰ろう」

 

そして、彼らの意識は光に包まれた。

 

 

 

 

 

 

2016年12月30日。

その日の深夜、カドックと立香はカルデアの医務室でほぼ同時に目を覚ました。

マシュの話では、時間神殿からの帰還後、丸一日近く眠っていたらしい。

知らせを受けてやって来たダ・ヴィンチによると、カルデアは無事に通常空間に戻ることができたらしい。

施設の六割は破壊されてしまったが、とりあえず施設内の環境維持は問題がなく、外部との通信も少し前に繋がったとの事だ。

それが意味することは一つ。ゲーティアの消滅により、人理焼却が棄却されたのだ。

だが、それは全てが元通りという訳ではない。

冷凍保存されているマスター四十六名は、時間をかければ蘇生できるだろうが、レフ・ライノールによる爆破工作で失われた二百名余りと、時間神殿から戻ってこなかった彼ももうこの世にはいない。

また、カルデアの外では、一年以上も知性活動が停止していた状態になっており、世界中がちょっとした騒ぎを起こしているらしい。

その原因と経緯を調べるために、魔術協会からも使節団が派遣されるとも言っていた。

しばらくの間、事後処理は尾が引くだろう。

マスターである自分達がカルデアから解放されるのは、もう少し先のことになりそうだ。

そして、一夜が明けた12月31日。カドックはダ・ヴィンチからの言伝を立香とマシュに伝えると、今はもう主がいない医務室を一人で訪れた。

 

「ここには世話になったな」

 

何度もケガをして運び込まれ、その度にロマニから小言を貰った。

あのお調子者で弱気な司令官代理はもういない。

主がいなくなったこの医務室は、とりあえずカドックが仮の管理者として利用する手筈になっていた。

 

「ここにいたのね、カドック」

 

扉が開き、アナスタシアが入ってくる。

 

「ダ・ヴィンチからの頼まれ事、マシュ達に丸投げしたのね」

 

「何だ、知っていたのか」

 

先ほど、立香達に伝えたのはダ・ヴィンチから渡された観測機械をカルデアの外に運び出すという仕事についてだった。

いつもは激しい吹雪に囲まれているカルデアではあるが、時々ではあるが吹雪が止んで青空が顔を覗かせることがある。

今日がたまたま、その日であり、ダ・ヴィンチは人理焼却から守り抜いた世界を自分達に見せようと気を利かせてきたのだ。

 

「マシュにとっては初めての青空だ。せめて、二人っきりにしてやらないとな」

 

「損な人。私も見たかったのに」

 

「行けば良いだろ」

 

「あなたがいなくちゃ、意味がありません」

 

頬を膨らませながら、アナスタシアは椅子を持ってきて隣に座り込む。

 

「マシュの体は、どうなっていました?」

 

「健康そのものだ。デミ・サーヴァントとしての力は眠っているようだが、それ以外は至って正常だ」

 

ダ・ヴィンチ主導で精密検査を行ったが、如何なる奇跡によるものかマシュの不調は完全に取り除かれていた。

より詳しい検査結果は細胞の培養などを待たなければならないが、寿命も延びている可能性が高い。

それは、彼女が人並みな生活を送れるようになるかもしれないことを意味していた。

 

「とはいえ世界で例のないデミ・サーヴァントだ。今後の扱いは慎重になるだろうな。それに、立香のこともある」

 

扱いのデリケートさでいえば、寧ろこちらの方が厄介だ。

権謀渦巻く魔術の世界に現れた平凡な一般人。ロクな支援も受けられないまま、多くの特異点を修正し、その時代で数多くの英霊達と交流を深め、遂には人理焼却という未曽有の事件を解決した立役者を、魔術協会は放っておかないだろう。

政治抗争に巻き込まれ、最悪の場合は命の危険すら危ぶまれる。そうでなくとも彼の人生を大いに狂わせることになるだろう。

カドックはそれを見過ごす訳にはいかなかった。

既に何人かのスタッフには働きかけており、藤丸立香に関する情報の修正は始まっている。

グランドオーダーにおいてカルデアのバックアップは万全であり、また戦いの矢面に立っていたのは常にカドック・ゼムルプスである。藤丸立香はあくまで補欠として待機し前線には出なかったと、記録を書き換えるのだ。

こうすることで、彼の人生を守ることができる。その功績を奪ってしまうことは心苦しいが、躊躇はなかった。魔術師らしく、姑息な隠蔽を行うのだ。

 

「ドクターが、自分の大切な十一年を賭して守った未来なんだ。二人には…………その未来を自分の目で見て欲しい」

 

人間になった時に視てしまった人類の終わりを回避するため、逃げるように、悲鳴を上げながら走り続けた男がいることを自分は忘れない。

浪漫なんてどこにもない、地獄のような自由は確かに報われたことを、自分は忘れない。

人間になりたかったという彼の願いは叶わなかったかもしれないが、せめて彼が守り通したものは先へと進めたい。

彼が愛した自由を、浪漫を繋ぐために。

そのために何ができるかはまだ分からない。ひょっとしたら、出来る事などないのかもしれない。

それならばそれで、何年かかろうとも見つけ出してみせるつもりだ。グランドオーダーに次ぐ新たな目標。自分達が救った世界で、いったい何ができるのかを。

 

「ねえ、あなたにとってグランドオーダーの旅は、どのようなものでした?」

 

互いの手を重ねながら、アナスタシアが聞いてくる。

吐息がすぐそこに感じられ、反射的に体を強張らせるが、すぐに緊張を解いて彼女にされるがままに任せた。

 

「辛いことも多かったけれど、今は感謝しか浮かばない。君と出会えた、あいつらとも出会えた……多くの人に出会い、多くの人に励まされて、僕は自分の気持ちに決着をつけることができた」

 

未来への不安も、悲嘆も、全ては希望の裏返し。

自身の境遇を嘆くだけの日々は終わりを迎えた。

人類は未来へと進む。地平の先へ、その更なる先へ。それこそが人類の基本原則(オーダー)

まだ見ぬ地平を目指して歩き続ける過酷な旅路は、決して孤独ではない。

伸ばした手は必ず誰かと繋がる。

そして、思いが変われば世界も変わる。

淀んで見えていた暗い世界はもうどこにもない。

息をするのも苦痛でしかなかった世界は、今のカドックにとってとても輝かしい宝石のような光を放っていた。

さあ、歩き出そう。

2017年はもうすぐそこだ。

新たな奇跡、新しい冒険が自分達を待っている。

自分達ならばどこまでもいける。

二人は互いに重なり合ったまま、まだ見ぬ浪漫に思いを馳せるのであった。

 

 

 

A.D.2016 冠位時間神殿ソロモン

人理定礎値:--

人理修復(Grand Order Complete)




この展開に関しては賛否は覚悟で書いたつもりです。
思いついた時はこれだと思っても、いざ文章に起こすとなかなか難しいものです。

これにてグランドオーダーは完了。
カドックの旅路はとりあえずの終点に辿り着きました。
次回からエピローグ編に入ります。


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終章
終幕の物語 -地上の星々-


そして、季節は巡る。

人理焼却に端を発する七つの特異点を巡る聖杯探索から一年が過ぎ去った2017年12月25日、人理保障機関フィニス・カルデアは、その役目を終えようとしていた。

カルデアの本来の管理者であったアニムスフィアは、当主が死亡したことによる混乱とその事後処理の為にカルデアの運営から手を引かざるを得ず、その隙を突いて魔術協会が強引な手段で手中に収めようとしたのだが、非常時に行ったカルデアの活動報告があまりに膨大かつ複雑であったため、形式的な査問を終えてからは本来の活動を制限されたまま今後の方針が決まるまで放置されていた。

何しろ責任を取れる者、国連や協会と折衝を行える人材が軒並み死亡しており、カルデアという組織がどのようなものなのか、というところから調べ始めねばならない有様だった。

そんな中、人理修復の後始末ともいうべき事件が発生し、カルデアは国連の管理の下でレムナントオーダーを発令。ここ一年ほどは四つの大きな事件と大小様々な微小特異点の修復を行っていた。

そのレムナントオーダーもセイレムでの一件を持って完了し、新しい所長の就任も決まった事で旧体制での組織運営は遂に終わりを迎えたのだ。

レイシフトを用いた歴史への干渉。それがもたらす危険性を認識した国連によりレイシフトは禁じられ、カルデアスも凍結。所有権を買い取った新所長ゴルドルフ・ムジークからは旧スタッフに対して解雇通知と新しい職場の斡旋が成され、新年からは新所長の私的研究機関として生まれ変わる段取りとなっている。

その為、人理修復の為に召喚されていたサーヴァント達は、全て座への退去が命じられることとなった。

 

「色々あって、グランドオーダーの後もほとんどの英霊が居残ってたからな。帰還作業で管制室はてんてこ舞いだよ」

 

カルデアの通路の一画、飲料の自動販売機が設置された休憩スペースで、ムニエルはコーヒーを飲みながらそう言った。

世はクリスマスの真っ只中。救世主の誕生を祝う日であり、一般的には長期休暇を取って家族と過ごす時期だ。

七面鳥のローストにクリスマスカード、礼拝堂からは讃美歌が聞こえ、ベッドの脇にはクリスマスプレゼント。

一年の内に仕事を忘れる事が許される唯一の日で、働きアリすら祝杯を上げるとどこかの童話作家も言っていた。

残念ながら国連から軟禁措置を取られている今のカルデアでは帰郷など叶わず、前日のあるごたごたもあってスタッフは家族との長距離電話すらそこそこに、朝から大忙しの有様だった。

 

「あんたはサボってて良いのか?」

 

「俺はコフィンの担当だから、そっちはあまり手伝えなくてな。そっちは?」

 

「みんな、後遺症もなく完治したよ。ああ、冷蔵庫の中から発見されたパラケルススだけ入院中だな。詳しくは聞けていないが、熱を下げるつもりだったんだろうな。錬金術師も風邪には敵わずかか」

 

「きっと熱でおかしくなっちまったんだろうな」

 

クリスマスを目前に控えた24日、カルデアではスタッフ・サーヴァントを問わずに大規模な風邪が流行し、機能がマヒする事態となった。

幸いにもその日の夜に召喚されたある女神の力で風邪は完治したのだが、冷蔵庫にこもっていたパラケルススだけは低体温症を起こして現在も入院中なのだ。

サーヴァント達は今日中に座に退去しなければならないのだが、これでは彼だけが体調を患ったまま帰還する羽目になるだろう。

座に影響など出なければ良いのだがと、カドックは内心で冗談染みた事を考えていた。

 

「さて、一休みもしたし、帰国に備えて部屋の片づけでもしますかね」

 

「確か、フランスだったか?」

 

「ああ。もしも遊びに来ることがあったら知らせてくれ。美味い店を案内してやるから」

 

「その時は頼むよ。本当、あんたには世話になった」

 

差し出された手を握り返すと、ムニエルは照れたように頬を掻いた。

グランドオーダーが始まって以降、彼は人手不足からほぼ専属のサポートとして付いてくれた。

離れた場所にいても最前線で戦う時は常に一緒だった。彼のようなバックアップがいなければ、きっとグランドオーダーは成し得なかっただろう。

そういう意味では、彼も大切な仲間の一人だ。そこに貴賤なんてものはない。ロマニもダ・ヴィンチもムニエルも、称賛されるべき人間で、最高の仲間達だ。

 

「俺なんて、何にもしていないさ。頑張ったのはお前の方なんだ、もっと胸を張れよ」

 

「性分なんだよ、これは」

 

「だろうな。じゃ、俺は行くわ。暇なんだったら、お前も片づけくらいしておけよ」

 

そう言って、ムニエルは通路の向こうに消えていった。

 

(さて、どうするか……)

 

ムニエルと違って、自分は年が明けてもしばらくはカルデアに残留する事になっている。

世間的には人理修復を成し遂げた唯一人のマスターという事になっているので、身柄の預かりについて揉めに揉めているからだ。

大偉業を成し遂げた後継者を手元に置いておきたいゼムルプス家と、そうなる前に身柄を押さえておきたい魔術協会。その協会も派閥同士で牽制し合っている有り様では、当面は帰国も叶わないだろう。

個人的にはAチームの蘇生にも立ち会いたいので、カルデアに残る事が許されたのは幸いではあるのだが。

 

「あれ、カドックさん?」

 

不意に呼びかけられ、カドックは我に返った。

振り返ると、小さな女神がこちらを見上げていた。

 

「ア……メドゥーサか……って、メドゥーサばっかりだな」

 

そこにいたのはランサーのメドゥーサだけでなく、ライダーのメドゥーサとゴルゴーンも一緒であった。

珍しいこともあるものだ。ライダーのメドゥーサはともかく、ゴルゴーンは過去の自分と距離を置きたがっているので、気配を感じるとすぐに隠れてしまうからだ。

いや、それ以前にゴルゴーンが他のサーヴァントと一緒にいること自体が稀ではあるのだが。

 

「ふん、好きで一緒にいる訳ではない」

 

こちらの考えている事を感じ取ったのか、窮屈そうに身を屈めたゴルゴーンが不機嫌そうに顔を顰めた。

 

「実は、姉様達を探していまして。今日で最後という事で、お別れを言おうと探していたのですが、どうやら私達から逃げ回っているようなのです」

 

「私も同じ理由で探していたところ、途方に暮れていた彼女と出会いまして。時間もありませんし、ここは一緒に探した方が早いかと思い……」

 

「私まで付き合わされているという事だ。いや、姉様達と会いたくない訳ではないぞ。何故、私まで付き合わねばならないのかが気に入らないだけだ」

 

「そういうあなたも、姉様が見つからず困っていたではありませんか、ゴルゴーン(わたし)

 

「そうですよ、ゴルゴーン(わたし)ライダー(わたし)の言う通りです」

 

「ええい、姉様達の真似をするでない!」

 

似たような声音が通路に響き、カドックは内心で苦笑する。

似ているも何も、本人同士なのだから無理もないことだが、こうして並んでいるとまるで姉妹のようだ。

第七特異点での一件もあり、彼女達への思い入れは少しばかり他のサーヴァント達よりも強い。

こんな風に微笑ましい光景を見ていると自然と心が和んでくる。

もっとも、そんな事を口にすれば更に機嫌を損ねたゴルゴーンに丸呑みにされかねないので、黙っておくことにした。

 

「では、マスター。私達はこれで」

 

「ああ、見つかると良いな」

 

ステンノとエウリュアレは何も、彼女達を遠ざける為に隠れているのではない。これは彼女達姉妹なりのコミュニケーションであり、邪魔をするのも野暮というものだ。

そう思ってカドックも自室に戻ろうかと考えていると、何を思い直したのかランサーのメドゥーサがとことことこちらに舞い戻ってきた。

 

「メドゥーサ?」

 

「えっと……今まで、ありがとうございました。私はウルクでの出来事を覚えていませんが、向こうでも私達があなたのお世話になったと聞きました。本当にありがとうございます」

 

小さく微笑み、こちらの返事も待たずにメドゥーサは去っていく。

一抹の寂しさのようなものが去来した。

あれからもう一年も経つ。頭では分かっていても、自分とアナスタシアの家族であった彼女達がもういない事を改めて実感した。

これが未練というのなら、このままにしておくのは決して良いことではない。

 

(挨拶くらいは……構わないか……)

 

残る時間はそう多くはない。果たして、どれだけの英霊達と言葉を交わせるか。

カドックは手に持っていた紅茶の容器を屑籠に捨てると、まだカルデアに残っている英霊達を求めて歩き出した。

 

 

 

 

 

 

とりあえず宛てもないので居住エリアに向かうと、早速一人目のサーヴァントと出くわした。

やや悪魔染みた風貌の音楽家。グランドオーダーの始まりであるオルレアンで出会った最初のサーヴァント。

ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト。神に愛された音楽家だ。

どこかへ行くつもりだったのか、丁度、部屋から出てきたところだった。

 

「やあ、マスター。お出かけ……という訳でもないね」

 

「一応、最後だから挨拶でもと」

 

「ああ、良い心がけだ。マリアやサンソンの奴も喜ぶと思うよ」

 

ケラケラと、人を小ばかにするかのような笑い声が通路に響く。

別に彼はこちらをからかっている訳ではない。彼は本心からそう思っているのだろうが、同時に何に対しても虚無的なのだ。

彼の全て、彼の生涯は音楽に向けられている。例え燃えるような恋をしようと、その情熱が真の意味で向けられる事はなく、だからこそ歴史に名を残す作品を数多く手掛けることができたのだ。

まあ、それがなければ倒錯的なただの変態でしかない訳だが。

 

「今、結構心外な事考えたね?」

 

「どうだろうな」

 

「……いいさ、最後だから許そう。それとひねくれ者のマスターに選別だ」

 

そう言ってアマデウスが鞄から取り出したのは、十数枚の譜面であった。

彼はカルデアに来てからも作曲活動を続けており、何度か新作も生み出している。

だが、手渡されたこの譜面は今までのものと少しばかり様子が違っていた。

書きかけの譜面には、何度も手直しを行った箇所があったのだ。

アマデウスが作曲の際に下書きを用いないのは有名な話だ。

それは彼が生み出した曲には修正など必要がないほど、最初から完成された曲であったからだ。

だが、この譜面は何度も書き直した跡があり、紙面自体も指で擦り切れている。書き込んだ後も何度も見返し、その度に手を加えてきた証拠だ。

そして、それだけの手間をかけておきながら、曲は未完で終わっている。

 

「一年かけてその様さ。折角だから君に上げるよ」

 

「あ、ああ……ありがとう」

 

困惑するこちらを尻目に、アマデウスは微笑みながら肩を叩いてくる。

 

「今回は良い公演だった。君はなかなかのパトロンだったよ」

 

「そうか? そう言ってもらえると……ありがたい」

 

正直、その辺の自覚はまだない。

世間的にはグランドオーダーを成し遂げた英雄で通っていても、実際は優雅さとは無縁の、泥まみれの行軍を続けてきた凡人だ。

褒められて悪い気はしないが、反応に困る程度にはまだ自虐的であった。

 

「僕はもう行くよ。マリー達とも別れは済ましたし、いつまでも残っていれば未練も生まれる。ああ、君はこれからどうするんだい? もうカルデアにいる理由、ないんだろ?」

 

「そうだな、まだ決まっていない。これから何をすれば良いのか、自分に何ができるのか…………ただ、あんたみたいに旅をしてみるのも悪くないかもな」

 

「ああ、それはいい。うん、旅は色々と考えさせてくれるよ」

 

そう言って、アマデウスは手を振った。

カドックも小さく手を振ると、次の英霊達を求めて去っていく彼に背を向ける。

すると、聞き取れるかどうかの小さな声で、アマデウスが呟いているのが聞こえてきた。

 

「何だ、ちゃんと自分で選べたじゃないか」

 

ハッとなって振り返ると、既にそこにはアマデウスの姿はなかった。

霊体化でもしたのか、まるで最初からそこにはいなかったかのように、人気のない通路がどこまでも続いていた。

 

 

 

 

 

 

アマデウスと別れてから数分。

程なくして通路の向こうから大きな影が近づいてきた。

傷だらけで筋骨隆々の逞しい肉体。ローマでの戦いにおいて、常に自分の事を気にかけ喝を入れてくれた反骨の英雄。

叛逆の徒スパルタクス。彼がここにいるのはとても珍しい。一応、名目上の自室は与えられているが、ほとんど利用することなくトレーニングルームかシミュレーターにこもっている事が多いからだ。

 

「む、マスターか。我らが叛逆の日々も遂に終わりを迎える。だが、これは敗北ではなく始まりなのだ。私なき後も君達は叛逆を胸に歩き続けるだろう。ならば叛逆は永劫不滅! 即ち圧制に未来がないのは必定なのだ!」

 

相も変わらず何を言っているのかサッパリ分からない。

召喚されてからもスパルタクスは一事が万事、こんな調子だ。ローマ皇帝や王族に連なるサーヴァントも多い中、よくぞ大きな問題も起こさず今日まで過ごせたものだと感心すらしてしまう。

人理焼却という人類史そのものへの圧制がなければ、きっともっと早くに亀裂が走っていたことだろう。

 

「それにしても、よく素直に退去する気になったな」

 

「ははは! 次なる圧政が私を待っている! 弱者の声が、自由を求める渇望が私を呼ぶのだよ!」

 

「……ここでの役目は終わったって言いたいのか?」

 

「然り。人理焼却という大圧政は潰えた。圧制者足らんとする叛逆者よ。君自身の真の叛逆はここより始まるのだ。その旅路に私という亡者は不要であろう」

 

「スパルタクス……」

 

「マスター、圧政なくして叛逆は生まれぬ。そして、君の圧制は常に自らを圧制せんとする者達への叛逆であった。その志が消えぬ限り、我らの道は何れ交わることだろう。そして、君が真の意味で圧制者となった時、我が腕の中で君は潰えるのだ」

 

熱のこもった眼を輝かせながら、スパルタクスは語る。

思えば第二特異点で初めて出会った時から、彼には苦労させられた。

魔獣を一撃で仕留めるその剛腕は、時として味方であるはずのこちらにまで向けられる。

彼にとって敵もマスターも等しく圧制者であるからだ。

だが、支離滅裂な事を口走りながらも、自分自身に課した叛逆というルールからは決して外れる事無く己を貫く姿勢は美しくもあった。

その逞しい背中に、強烈な父性を垣間見た。

逆境を前にして、我を貫くという自分にはないものを持っていた彼の背中に憧れたのだ。

きっと自分は、生涯において忘れる事はないだろう。ローマでの最後の戦い。こちらが課した令呪に抗い、吹雪に苛まれながらも向かってきたスパルタクスの雄姿と恐ろしさを。

 

「スパルタクス」

 

「うん?」

 

「僕はただじゃ叛逆されたりしないからな。次に会った時、お前がいの一番に飛びかかってくるような大人(圧制者)になっていてやるよ」

 

この誓いに証明は必要ない。決めたからには必ずなるのだ。

スパルタクスが笑いながら向かってくるような、一人前の魔術師になってみせる。

残った人生の全てを賭けて、彼の宿敵として足る男へとなってみせる。

それが自分にできる、彼への精一杯の手向けの言葉だ。

 

「ははは! そう、その意気だ! ははは! まさか私が圧制の芽吹きを願う日が来るとは。では、マスター。君がその頂に上り詰めた時、私は必ず帰ってこよう。それでは――――叛逆(サヨナラ)!」

 

朗らかな笑みを残し、叛逆の徒は去っていく。

その背中が見えなくなるまで、カドックはその場で彼を見送り続けていた。

 

 

 

 

 

 

黒髭エドワード・ティーチの部屋は凄惨な有様であった。

あちこちに散乱しているアニメグッズにゲームソフトの山、棚に陳列しているフィギュアの数々。そして、床の上には無数のごみが所狭しと敷き詰められている。

その中央で一心不乱にテレビの画面とにらめっこしているのは、我らが船長であるエドワード・ティーチだ。

相当の疲労が溜まっているのか、頬がこけて目の下には隈までできている。

 

「船長、何を……」

 

「見て分からない!? ゲームしているのゲーム!」

 

「いや、それはそうだけど……」

 

そういえば、昨日のパンデミックの際も大量の栄養剤を抱え込んで籠城していたが、その時からずっとやり続けているのだろうか?

 

「まだ退去のリミットまで時間があるでござる! CGのコンプ! 隠し含めた全キャラ攻略! 全力で挑めば、ソフトの一本や百本!」

 

「いや、無理だろう。諦めろよ」

 

「海賊が夢見なくてどうするでござる! たかが三日の徹夜がなんだ! くそっ、連射パッドがいかれやがった!」

 

叫びながらティーチは床に置いていたコントローラーを拾い、携帯ゲーム機を操作しながらテレビに繋いでいるゲームの方も器用に進めていく。

オケアノスで垣間見た凶暴性は微塵も感じられない、どこから見てもただのギークのオッサンだ。

だが、そんな彼も一たび戦場に立てば勇敢な海の男へと変貌する。

逆らう奴には容赦せず、従う部下にも牙を剥く。そんな狂犬のような男は、誰よりも強欲で夢見がちな海賊であった。

貪欲な彼の姿勢を少しでも見習うことができたであろうか。

もう自分は彼の部下ではないけれど、心の中では彼はいつまでも自分の船長だ。

いつか自らの旗を掲げた時、彼と隣り合って立つことが許されるような男になりたい。

そんな風に思わせる強いカリスマをあの時の彼は持っていた。

今は、見る影もないが。

 

「あー、もう! カドック氏、こっち持って! 手伝うでござるよ!」

 

「僕は機械のゲームは下手くそだぞ! 刑部姫にでも頼めばいいだろ!」

 

「彼女は作家勢に交じって修羅場っているところでござる! なあに、拙者の腕でカバーすれば良いだけのこと! さあ、超協力プレーで、クリアするでござる!」

 

尚、黒髭痛恨の操作ミスにより、開始3秒でゲームオーバーしたことをここに追記しておく。

 

 

 

 

 

 

メフィストフェレスというサーヴァントは、他のサーヴァント達と毛色が違う。

彼は一見して従順に仕えているように見えて、実際はマスターを裏切る機会を虎視眈々と狙っている。

彼にとってマスターは自分が楽しむための玩具であり、故に面白みがなくなれば主を絶望に叩き落とし、殺すことも厭わない危険人物だ。

裏切るために仕える。その矛盾すらも彼にとっては笑いを生み出すジョークに過ぎない。

ロンドンで出会ったメフィストフェレスも、当初は味方のふりをしていたが、実際は黒幕の命令を受けてスパイ活動の為に近づいてきたのだ。

その結果がどうなったかは、語るまでもないだろう。

 

「いやはや、最後まであなた様をこの手にかける事はありませんでしたな。わたくし、嬉しいような悲しいような」

 

「心にもない事を言うもんじゃない」

 

「そうですか? では、遠慮なく。あなた様が絶望で顔を歪める様が見れなくて残念でなりません。あひゃひゃひゃひゃ!」

 

ジョークグッズと実験器具で埋め尽くされた自室兼工房で、メフィストフェレスは道化師のように笑い転げる。

その言葉が冗談でも何でもない本心だというのだから質が悪い。

他の英霊達ならいざ知らず、彼にだけは絶対に心を許してはならないのだ。

 

「はぁ……来るんじゃなかったよ」

 

「あはは! そんなつれない事を仰らずに! わたくしも少しは見直しているのですよ。この退屈なマスターが、見事に世界を救ってみせたのですから。それにあなたはツマラナイ人ですが、わたくしの手練手管を見抜いて捌く様は目を見張るものがありました。裏切ると分かっていて尚、わたくしをカルデアに残し続けたあなた様にはちょっぴりですが敬意なんて抱いちゃっているんですよ!」

 

「そりゃどうも」

 

薄っぺらい軽薄な誉め言葉なんてもらっても嬉しくとも何ともない。

ただ、彼のように倒錯した英霊や悪性の者もいるのだと骨身に染みた事は、感謝しないでもない。

反面教師としては彼以上の逸材はいないだろう。

 

「そう思って頂けたのなら幸いです。では、どうか別れの握手を」

 

「ああ、世話になっ――っ!!!!?」

 

差し出された手を握った瞬間、手の平を通じて刺すような痛みが駆け抜けた。

メフィストフェレスの顔がしてやったりと歪んでいく。

手袋に電気ショックを仕掛けていたのだと気づくのに時間はかからなかった。

 

「メ、メフィスト……」

 

「あひゃひゃひゃ! それではマスター、お達者で!」

 

口角を釣り上げ、文字通り悪魔のような笑みを浮かべてメフィストフェレスは自室を跡にする。

カルデアの悪魔は、そうして裏切りを許さなかった己が主に一矢報いて見せたのであった。

 

 

 

 

 

 

その部屋は既に、もぬけの空であった。

トーマス・エジソン。第五の特異点、北米大陸において共に戦った同士。

綺羅星の如き英霊達の中で、自分と同じく持たざる状態からのし上がった不屈の発明家。

彼との出会いは迷いの中であった。

自分の力は魔術王には及ばない事を思い知り、人類史の未来を背負うという取り返しのつかない責任の重さに押し潰されそうになっていた時に出会った救いであった。

とことんまで追い込まれていながら、それでも勝利を謳って突き進む姿を支えたいと思った。彼を勝たせてあげたいと思った。

それがカルデアの理念に背を向ける事になると分かっていながら、カドックは手を貸した。

それは大きな挫折ではあったが、この出会いがなければきっと自分は立ち上がれなかっただろう。

正に人との出会いは運命であり、見えない引力のようなものが働いているのだと、今になって思い返す様になった。

ならばこそ、最後に言葉を交わしたいと思ったのだが、どうやら一足遅かったようだ。

 

「トーマス、行ったのか……」

 

テーブルの上には自分宛ての書置きと小包が一つ、置かれていた。

差出人は言わずもがな、この部屋の主であったエジソンだ。

 

『我々に別れは不要。君の輝かしい未来を応援している。追伸、努力を惜しまないのならきちんと朝食を摂りなさい。天才の発明は三食の食事からだ』

 

しばらくの間、手紙と小包の中身を交互に眺めていたカドックは、段々と堪え切れなくなって零れだした笑みを片手で覆い隠した。

 

「おいおい……それはあんたの宣伝文句だろ……」

 

手紙に書かれていた文面は、エジソンが生前に口にした言葉の一つだ。どうして素晴らしい発明ができるのかという問いかけに対し、エジソンは食事を一日三回摂っているからだと答えたらしい。

ただし、当時のアメリカでは朝食を摂る文化が根付いておらず、一日の食事は二食が定番であった。エジソンは自社の発明品を売り出すために誇大広告やネガティブキャンペーンも率先して行っていたが、その時も自らが手掛けた調理器具が売れるようそのように答えたのではないのかと言われている。

その調理器具とは何か。それは現在の中流以上の家庭ではなくてはならない調理器具、電気式トースターだ。

これにより、手軽にパンを焼けるようになった人々に朝食文化が浸透していき、やがては世界中に広がっていったのだから、エジソンという人間の影響力が色々な意味で大きかった事を伺い知ることができる。

そして、偉大な発明王がマスターの為に残していった最後の発明品は、やはり真新しい銀色の輝きを放つトースターであった。

これでパンを焼いて、しっかり食事を摂ってから修練に励むようにと、エジソンは言いたいのだ。

 

「ありがとう、トーマス……けど、これって直流だよな。どうやって使えば良いんだ?」

 

 

 

 

 

 

廊下を歩いていると、奇妙な格好をした人物に遭遇した。

全身黒ずくめの装束の上から、白いエプロンと頭巾を身に付けた髑髏面の暗殺者。いつもの短刀ではなくモップとバケツを手にしており、上機嫌に鼻歌なんぞを歌いながら長い廊下を水拭きしている。

その様子を目にしたカドックは、思わず我が眼を疑って手で擦ってみるが、やはり結果は同じであった。信じられないことに、山の翁の一人である呪腕のハサンがエプロン姿で小間使いの真似事をしていたのだ。

 

「な、何しているんだ?」

 

中東の地で初めて出会った時から、暗殺者の癖に人の好さが滲み出ていたが、今回のこれはあまりにも衝撃が大きい。何というか、似合い過ぎている。

風貌は怪しい事この上ないが、何故だかとても似合っているのだ。「一家に一人ジャスティスハサン」。立香ならそんなことを言い出しそうなくらい、とても堂に入った掃除っぷりだ。

 

「おお、魔術師殿。いや、何でも遠い東の国には立つ鳥跡を濁さずということわざがあると聞きまして、お世話になったカルデアにせめてものお礼をと」

 

「クリスマスパーティーの後、ずっとやっていたのか? 今日中に終わらないだろ?」

 

自分がトイレ掃除をさせられた時だって、全部を終えるのに一ヵ月近くもかかったのだ。

サーヴァントの身体能力がいくら規格外とはいえ、とても一日ではカルデア中を掃除し終えることなど不可能だ。

すると、呪腕のハサンは秘策ありとばかりに肩を震わせる。その理由は程なくして判明した。掃除をしていたのは、彼だけではなかったからだ。

 

「呪腕の、窓拭きは全て終わったぞ」

 

「こちらも終わりました」

 

通路の向こうからやって来たのは、同じくかつての特異点で共に視線を潜り抜けた翁達。百貌のハサンと静謐のハサンであった。

なるほど、百貌のハサンがいれば人海戦術が取れる。八十人近くで手分けすれば、カルデア中を掃除するのも難しくはないだろう。

 

「ふん、実質、私一人でやっているようなものだ。だが、仮にも忠義を誓った者が住まう場所。最後くらいは従者らしく振る舞うのもやぶさかではないと、頭の中で何人も騒ぐものだからな」

 

「と言いつつ、百貌様がとくに張り切っておられたような気がしますが」

 

「私は凝り性なだけだ! そういう静謐こそ、いつになくやる気に満ちているではないか!」

 

「はい、藤丸様のお役に立てるのは嬉しいです。あ、いえ……もちろん、カドック様のお力にもなりたいと思っています」

 

薄く頬を赤らめていた静謐のハサンは、途中で自分が口にした言葉に気づいて慌てて我に返る。

申し訳なさそうに委縮する姿を見て、カドックは気にしていないと手を振ってみせた。

静謐のハサンにとって立香は特別な存在で、同じマスターでありながら明確な線引きが成されている。

己の毒が通ずるか否かは彼女にとってとても重要な要素であり、自分に対してはあくまで忠節を誓うだけなのに対し、毒が利かない立香には積極的に好意を向けているのだ。

もっとも、彼女からのアプローチがどのようなものなのかを立香から聞かされたカドックは、自分に対毒のスキルがなくて良かったと、密かに安堵しているのだが。

 

「まあ、最後なんだし無理はしなくていい。気持ちだけでもみんな、喜んでくれるはずだ」

 

「はい、ありがとうございます」

 

「魔術師殿、良いお年を」

 

「機会があればいつでも呼べ。我ら山の翁、お前に対しては協力を惜しむつもりはない」

 

三人のハサンに見送られ、カドックは次なる英霊を求めてその場を去る。

後に残されたハサン達は、マスターが見えなくなるまでジッとその背中を見送っていた。

 

「行かれたか。では、続きを始めよう」

 

「はい……あ?」

 

「どうした、静謐?」

 

「ゴム手袋に穴が……大浴場を掃除していたら、どこかで引っかけたのでしょうか?」

 

「…………」

 

しばし、奇妙な沈黙が三人を包み込む。恐らくは数秒の硬直であったであろう。

まず真っ先に動いたのは、百貌のハサンであった。自らの人格の内の何人かを実体化させ、大声で命じる。

 

「迅速! 巻風! 速尾! 急いで人払いしろ! あの鐘が聞こえ――いや、犠牲者が出る前に!」

 

 

 

 

 

 

その後もカドックは、出来る限り多くの英霊達と言葉を交わし、別れを惜しみ、思い出話に花を咲かせていった。

そうしている内に通路ですれ違う影が一つ、また一つと減っていく。

時刻を確認すると、既に月が昇る時刻であった。

全員とはいかなかったが、結構な数のサーヴァント達に挨拶をする事ができた。

昼過ぎから始めたにしてはまずまずの結果だ。

そして、一先ずは一息を吐こうと思い、手近な休憩スペースを探していると、通路の向こうから見知った僧服の少年がやって来た。

第七の特異点で何度も窮地を救ってくれた極東の聖人、天草四郎だ。

 

「ああ、マスター。丁度良かった。あなたに伝言を預かっています」

 

「伝言?」

 

「皇女様からですよ。管制室裏のサロンで待っているから、後で来るようにとのことです。詳しくはこちらを」

 

そう言って、四郎はアナスタシアからの伝言が書かれたメモを差し出してきた。

カドックは一言、礼を述べてからメモを受け取ると、素早く目を通してポケットの奥へとしまい込んだ。

 

「シロウはこれから、管制室に?」

 

「ええ、みなさんに別れも済ませましたし、最後にマスターにご挨拶をしてから退去しようかと」

 

「そうか……もう、最後なんだな」

 

「結局、ここでも私の願いは叶いませんでした。或いは、もしやとも思っていたのですが、やはり正規の聖杯戦争で勝ち残るしかないのかもしれませんね」

 

どこか遠い場所を眺めるように、四郎は呟いた。

彼が抱いている願いが何なのか、きちんと問い質した事はない。一度だけ、自らの願いの為に騒ぎを起こしたと聞いていたので、デリケートな問題なのではないのかと思って踏み込まなかったからだ。

ただ、少なくとも悪意ある願いではないという予感はあった。どこか胡散臭くて信用ならないところはあるが、彼の信仰だけは確かな本物であったからだ。

彼は決して、神に背くような人物ではない。なら、例え聖杯への願いが好ましくないものであったとしても、きっと発端となった思いは尊いもののはずだ。

 

「まあ、今更聞くつもりはないけれど……頑張れよ」

 

「……ええ、ありがとうございます、二度目の生で出会えた友よ」

 

どちらからというでなく握手を交わす。

苦楽を共にした友人との別れにしては素っ気ないものだったが、自分達にはこれで十分だ。

彼は友人ではあるが、特異点で絆を深めた彼ではない。よく似た別人なのだ。

だから、これで十分なのだ。

そして、最後に四郎が見せてくれたのは、普段の超越的な態度とは違う、年相応のあどけない笑顔であった。

 

 

 

 

 

 

指定した刻限になるのを待って、カドックは管制室裏にあるサロンを訪れた。

サロンと言っても、今は物置として使われている古い部屋だ。スタッフの間では怪談染みた噂が流れていることもあり、近づく者もほとんどいない。

そんな寒々しい部屋の中央で、彼女は待っていた。

聖杯探索の旅路において、自分のパートナーであったサーヴァント。

絶望し、挫折しそうになる度に奮い立たせてくれた最良のパートナー。

彼女が――アナスタシアがいなければ、きっと自分は本懐を遂げる事はできなかった。

あの七つの特異点のどこかで心が折れていたことだろう。

 

「明かりは点けないで」

 

壁のスイッチに手を伸ばしたところで、アナスタシアに制止される。

非常灯は点いているので、物が見えないこともないが、それでも部屋の中は薄暗く彼女の表情もよく分からなかった。

何故、と聞き返しそうになって、カドックは慌てて言葉を飲み込んだ。

表情も読み取れない闇を挟んで、訴えるような強い眼差しと目が合ったからだ。

ただならぬ気配を感じ取り、カドックは何も言わずにそっと壁に伸ばした手を引っ込めて自身のサーヴァントへと向き直る。

 

「お待ちしておりました、私の皇帝陛下」

 

スカートの裾を持ち上げ、片足を内側に引いたアナスタシアは優雅に腰を曲げる。

暗がりで表情こそよく見えなかったが、ドレスを纏い凛とした声を張る様は、まるで絵本か何かから飛び出してきたかのような光景であった。

美しくも浮世離れした光景に、カドックはしばし唖然となった。

改めて、彼女が皇族の出であることを実感する。

自分なんかとは本来、住んでいる世界が違うのだ。例え同じ時代に生まれていたとしても、互いの人生が交わることはなかっただろう。

しかし、自分達は出会うことができた。

人理焼却が、聖杯探索が二人を引き合わせた。

国を超え、時代を超え、世界線すら飛び越えて交わる筈がない者が繋がりを持てたのだ。

その偶然に感謝しよう。

この幸運に賛歌しよう。

二度と交わることのない、世界でたった一つの偶然に感謝(キス)をしよう。

ここには見咎める者は誰もいない。

ここには邪魔する者はだれもいない。

そう思うと自然と体が動いていた。

ぎこちなく、不格好な姿勢で片膝をつき、差し出された皇女の手をそっと掴む。

あの日のように、ファーストオーダーから生還したあの時のように、掴んだその手にそっと口づけを添える。

 

「……お招き頂き、光栄です。皇女殿下」

 

それ以上の言葉はなかった。

少年は促されるままに立ち上がり、伸ばした左手を彼女の右手に絡め、右手は背中にそっと添える。

互いの半身が密着し、息遣いがとても近い位置にあった。吹きかけられる吐息と、鼻腔をくすぐる微かな香り、伝わってくる体温に思わず鼓動が跳ね上がる。

暗闇で見えないが、きっと今、二人は耳まで真っ赤になっていることだろう。

そのまましばらくの間、暗闇の中で二人は抱き合ったままであったが、やがて意を決して皇女が一歩を踏み出した。

それに合わせて少年は自身の足を動かし、お互いのリズムと呼吸を探りながらぎこちないステップを踏んでいく。

それは華やかな音楽も豪奢な明かりもない、寒々とした暗闇の中での二人っきりの舞踏会であった。

皇女は誰かと踊ったことなど数えるほどしかなかった。

少年に至っては、踊り自体が初めてであった。

それでも二人は離れる事無く互いの存在を噛み締め合い、不器用なダンスをいつまでも続けていた。

そして、どれほどの時が経っただろうか。不意に皇女が少年の耳元で小さな声を囁いた。

 

「ダメね、てんでダメ。まだまだ練習が必要です」

 

「……だろうね」

 

当たり前のことを指摘され、カドックは苦笑する。

それを承知で誘ってきたのは彼女の方なので、怒る気にもならなかった。

 

「良かったのかな、これで?」

 

「ええ……最後まで一緒に、手を繋いで……踊りはへたくそだけれど、私の相手が務まるのはあなただけよ、カドック」

 

「僕の方こそ、君でなければダメだった。他の誰がパートナーでも、きっと上手くいかなかった」

 

「いいえ、あなたなら成し遂げたわ。けど、今は聞いて上げる。あなたのパートナーは、私だけだって」

 

その時、掴んでいた彼女の手の感触が急に消え去った。

手を解かれたのかと慌てて暗闇の中を探すが、どういう訳かいくら手を振ってみても彼女の右手は見つからなかった。

そして、不意に触れた肩の感触で、カドックは今の彼女の姿に思い至った。

右肩から手の先にかけての存在が、まるで最初から存在しなかったかのように消え去っていたからだ。

 

「アナスタシア? まさか……」

 

「ええ、カルデアからの魔力供給はもうありません。サーヴァントは今日中に退去しなければならないのでしょう? けれど、帰還措置なんて受けていたら、あなたと過ごす時間がなくなってしまうじゃありませんか。だから、これで良いの」

 

こちらの背に添えられていた左手も、いつの間にか消え去っていた。

存在維持に必要な魔力が底を尽き、アナスタシアの体が少しずつ霊子の粒へと崩れていっているのだ。

自分のような未熟な魔術師では、サーヴァントの肉体を維持できるほどの魔力なぞ用立てることはできない。

パスを広げ、どれほどの魔力を注ぎ込もうと、彼女から抜け落ちていく量の方が遥かに多いのだ。

それでもカドックは、せめて少しでも彼女がこの世界に残れるよう魔術回路を活性化させようとしたが、それはアナスタシアの制止によって遮られた。

 

「良いの……こうなることは、最初から分かっていたことでしょう?」

 

「けど……それでも……だって、こんな……」

 

いざ、その瞬間を前にして言葉が上手く出てこなかった。

言いたいことはたくさんある。語りたい思い出もたくさんある。感謝の言葉なんて、聞き飽きるほど語れる自信があった。

けれど、喉は絞られたかのように意味のある言葉を発せず、ただ消えゆく彼女に縋ることしかできない。

何て無様な姿だろう。こうならないために、後悔しないように心掛けてきたつもりなのに、何一つとしてうまくいかないなんて。

 

「顔を上げなさい、カドック。私の可愛いマスター。そんな悲しそうな顔をしないで。これは終わりじゃないの」

 

「終わりじゃ……ない?」

 

「ええ。私は消えてしまうけれど、後に残るものはある。あなたが教えてくれたことなのよ、カドック」

 

「僕が、何を……」

 

何をできたというのだろうか。

こんな未熟なマスターが、彼女にいったい何ができたというのだろうか。

死という終わりを突き付けられ、最期まで道化でい続けた皇女。

その無意味な努力に自分はいったい、どんな意味付けができたというのだろうか。

 

「死は終わりではない。例え私が消えても後に残るものはある。だってそうでしょう、私達はあの時間神殿で既に終わっていたはずなの。けれど、世界はこうして続いている。あなたがしてきた努力は決して無駄なんかじゃなかったんだって、この大きな世界が証明している。だから、私はもう大丈夫。死ぬのは怖いけれど、あなたという残るものがあるのなら……私の過去があなたという未来に続くのなら、あの冷たい地下室に戻ってもきっと大丈夫」

 

「アナスタシア……僕は……」

 

君がいなくても、やっていけるだろうか。そんな弱々しい言葉を口走っていた。

すると、アナスタシアは優しく微笑みかけながら、既に形をなくした手をこちらの頬に添えて、力強く頷いて見せた。

 

「大丈夫。言ったでしょう、あなたはきっと正しく為すべきことを為すと。けれど、それでも自信が持てない時は……私に会いに来て……ずっと、待っているから…………」

 

微笑んでいるであろうアナスタシアの姿を見る事は叶わない。秒と共に存在が薄れていく彼女の痛ましい姿を暗闇のヴェールが覆い隠しているのだ。

最早、猶予は残されていなかった。

十二時を告げる鐘の音。シンデレラは舞踏会から去らねばならない。しかし、ここにはガラスの靴(残すもの)などなく、彼女はただ一つの思いだけを口にしてこの世から去っていく。

一人でも生きていける、きっと大丈夫。

告げられた励ましから耳を塞ぎたかった。行くなと剥き出しの心が叫びたがっていた。

けれど、それは彼女の為にはならない。この二年間を、自分と共に確かに生き抜いたアナスタシアという少女は、仮初の存在であり死者であることに変わりはないのだ。

死者は生者と共にはいられない。そして、彼女が自分の側にい続けては、きっと自分は歩き出すことができない。

新しく始めるためには、この別れは必然だったのかもしれない。自分という未来を進めるために、彼女は過去へと戻っていくのだ。

 

「もう、時間ね……最後に、一つだけ伝えないと」

 

強く、意思の籠った声で彼女は言った。

薄れていく存在。声すら彼方にあるかのように聞き取れず、カドックは一言一句逃すまいと彼女の言葉に耳を傾けた。

精一杯の強がりと共に、いつもと同じように、素っ気ない態度で聞き返す。

 

「ああ、どんな?」

 

すると、彼女の真っ直ぐな眼差しがこちらに向けられた。

絡み合う互いの視線。

皇女は後悔のない声で、ただその一言を告げた。

 

「カドック――――あなたを、愛しています」

 

暗闇に慣れた目が瞬きをした一瞬、部屋の空気が変わった。

一瞬前まで確かにそこにいた彼女の気配は既になく、ひんやりと冷え込んだ部屋には自分以外の誰も存在しなかった。

時刻は午前零時。

12月25日。その最後の瞬間と共に、彼女はこのカルデアから去っていった。

ほんの僅かな冷気を名残として残して、アナスタシアは目の前から消え去った。その事実を確かめるように手を伸ばし、指先に彼女が確かにここにいたという感覚を刻み込む。

 

「ああ――――本当に、君らしい」

 

後悔だらけの声。悔いしか残らない別れ。

失ったもの、残ったものを胸に抱いて、ただ指先の冷気を愛おし気に感じ取る。

ここにはもう彼女はいない。一方的に、自分の言いたいことだけを言い残して逝ってしまった。

何て狡い女だ。最後の最後で、こんな悪戯を仕掛けていくなんて。

もう自分の胸の中には彼女しかいない。他の余分なものが入る余地なんてどこにもない。

それほどまでに、最後の言葉は鮮烈だった。決して、忘れることなどないだろう。

頬を伝う雫の痛みを、決して忘れることはないだろう。

きっと、忘れることはないだろう。

 

 

 

 

 

 

――――銃声が轟いた。

視界が明滅し、世界が渦を巻いて反転する。

見上げた天井は高く、何人もの男達がこちらを見下ろしている。

何が起きたのかわからない。いや、わかってはいても心が理解を拒絶する。

だから、熱を持ったこの痛みが何なのかもわからない。

それでも痛みは一秒ごとに加速していき、途方もない混乱と引きずり込まれるような恐怖が襲ってくる。

救いを求めて伸ばした手は、虚しく空を切るばかりだった。

その手が温もりに触れる事は二度とない。愛する家族は嘲笑う兵士達によって無残な姿を晒していた。

終わってしまうと心が嘆く。

今日までの努力、今日までの逃避が意味を成さなくなる。

わかっていた。

こうなることはわかっていた。

自分達に逃げる場所はなく、生かされる場所もない。

この世界で生きていていい場所がないことくらい、幼い弟でも知っていた。

それでも願っていた。

昨日までと同じ一日が、今日も訪れて欲しいと。

けれど、結局は無駄だったのだ。

どんなに拒絶しても終わりは訪れる。

どれほど願っても死はもたらされる。

ならば、最初から願わない方が良かった。

生きたいなどと思わず、ただ流れに任せておけば、この日の痛みも受け入れられただろうか。

あの生きたまま死んでいく毎日に抗い、生きたいと笑っていたことが無為であったのだろうか。

ならばもう必要ない。

命が失われる瞬間がこんなにも苦しいのなら、もう生きたいなどと思わない。

嘲笑う兵士達に向けて憎悪が込み上げる。

人生で初めて抱いた強い感情。それを自覚した瞬間、苦痛は快感に反転する。

殺してやると少女は祈る。

昨日までの自分を、明日を夢見て道化を演じた自分を殺したこの男達を許さないと。

ただ生きたいと願った少女の思いを踏みにじったこの野蛮な兵士達を許さないと。

すると、声が聞こえた。

それは聞き覚えのある優しい声音だった。

まるで母のように慈愛に満ちた囁きだった。

三秒後に死ぬ自分を、守護天使のように「彼女」は抱きしめていた。

その綺麗な眼で、じっとこちらを見つめていた。

 

――――大丈夫。今は怖いけれど、あなたはいつかとても美しいものを目にします。だから、今はお休み……ヴィイと共に、瞼を閉じなさい――――

 

ああ、きっと彼女がそう言うのなら、それが正しいのだろう。

だって、あんなにも幸せに満ちた笑みを浮かべられるのなら、きっと良いものをその眼で見てきたはずだ。

それは母親が寝物語を語り聞かせるかのような、全てを受け入れてくれる包容力に満ちた眼差しであった。

 

(ねえ、あなたは何を視たの?)

 

――――とても愛おしいものよ。あなたもいずれ、分かるわ。だから、今はお休みなさい、アナスタシア――――

 

慈愛に包まれながら、少女の意識は遠退いていった。

その眼が何かを視る事はなく、何れ出会う物語に思いを馳せながら、少女は懐かしい家族との思い出に浸りその日を待つ。

それは雪の降る寒い夜の事。

一人の皇女が生涯を終えた瞬間であった。




はい、予想外に間が空きました。
今回、なかなかの難産で筆が全然、進みませんでして。
エピローグは後、もう少しだけ続きます。



今度のイベント、誰が限定で来ますかね?
ミッチーくるのか?
徳川くるのか?
大奥だし春日局とかだったりして?


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終幕の物語 -星詠みの旅立ち-

2017年12月28日。

ゴルドルフ新所長が新たなカルデアスタッフと共に来訪し、旧スタッフからの引き継ぎ業務が行われている最中、カドックは小さな旅行鞄を手にした立香と共にエントランスへと向かう通路を歩いていた。

引き継ぎのために残ったダ・ヴィンチを除いた全ての英霊達が退去したこともあり、今まで賑やかだった施設内も今でも閑散とした雰囲気に包まれている。

つい最近までナーサリーライムやジャック・ザ・リッパーが駆け回り、エリザベート達が騒動を起こしていたというのに、まるでそれが遠い昔の出来事のように感じられた。

瞼を閉じればその光景がまざまざと蘇ってくると共に、それが実は自分が見ていた長い夢であったと言われても思わず納得してしまいそうになるほど、賑やかで現実味のない日々の連続であった。

 

「すっかり、寂しくなったね」

 

「そうだな」

 

何気ない立香の呟きに、カドックは返事をする。

立香もまた、これからカルデアを去る事になっている。本来ならそう気軽に出入りができるような立地ではないが、幸いなことに数十分後には天気も一時的に晴れるらしく、その時ならばヘリコプターが飛ばすことができる。

それを逃がせば一ヵ月単位で帰国が遅れることになるため、退去を告げられた立香は大慌てで荷物を整理して部屋を飛び出す羽目となった。

手にした鞄の中身はここを訪れる際に所持していた私物と、持ち出しを許可された幾つかの小物類。曰く、着の身着のままでやって来たので、衣類すら支給品で賄っていたらしい。

残念ながら英霊達から貰った贈り物はそのほとんどが持ち出し不可の扱いとして取り上げられてしまったとの事だった。

それを聞いたカドックは、仮にも人類史を救った人間に対して何て仕打ちだと憤慨した。補欠扱いとはいえ、グランドオーダーに携わったマスターだ。彼がどんな気持ちで人理焼却に臨んでいたか、知りもしないでよく命じれたものである。

だが、残念ながらカドックや立香にはその命令に対する拒否権を持ち合わせていなかった。

 

「もうちょっといられるかと思っていたんだけど、新所長の命令じゃ仕方ないよね」

 

「高慢ちきな癖に、律義な性格みたいだからな」

 

「そうそう。『未熟なマスターなど私のカルデアには不要だ。何、二年以上も実家に帰っていない? 急いで帰国の用意をしなさい、親御さんも心配しているだろう』、だってさ」

 

「……似ているな」

 

立香の新所長の物まねを見て、カドックはため息を一つ吐きながら称賛した。特に後半の言葉から滲み出る生来の人の好さなど、彼は本当によく見ている。

 

「Aチームのみんなとも、できれば会っておきたかったんだけどな」

 

仮死状態で凍結されていた四十六人のマスター候補者達は、レムナントオーダーと並行して状態の軽いものから蘇生処置を施され、順次カルデアを退去していっている。

だが、爆発の中心部にいたAチームのメンバーだけは肉体の損傷が酷く、今日まで凍結は続けられてきた。とはいえ、それもそう遠くない内に終わるだろう。

新所長と同行してきた医師団とダ・ヴィンチが現在、六人を蘇生させるための手術を行っている。

近日中には懐かしい顔触れと再会できることだろう。

 

「あー……まあ、半分くらいはお前とも気が合うだろうな」

 

カドックは思い浮かんだAチームのメンバーの内、何人かの顔に妄想のバツ印を付けて回った。

もっとも、それは考えても仕方がないことだろう。彼らと立香の人生が交わる事は恐らくない。

彼らは再び各々が生きるべき世界へと戻り、立香は魔術とは無縁の故郷に帰る。互いがその境界線を意図的に跨ごうとしない限り、出会うことはないだろう。

 

「もし、日本に来ることがあったら、色々なところ案内するよ」

 

「そうか? なら、幾つかリストを上げておくよ。それと、後で送りたいものがあるから、実家に帰ったら連絡が欲しい」

 

「分かった。あ、でもカドックって魔術師だよね? 連絡手段って、やっぱり手紙? 家に電話があるなら番号を……」

 

カドックが懐からあるものを取り出すと、立香は意外そうな顔を浮かべて言葉を失った。

彼が目にしたものは、手の平に収まる板状の端末。現代人ならほとんどの者が馴染みのある連絡手段。即ち携帯電話と呼ばれる器具だった。

 

「え、ええ!?」

 

「魔術師だからって甘く見るな。僕だってこれくらいは持っている。ライブのチケットもこれで買うんだ」

 

どんなに忙しくてもクリック一つで予約が取れる、便利な世の中になったものだ。

しかもカメラや照明としても使えるので、魔術の実験の際にも色々と役に立つ。

そう立香に説明すると、彼は呆気に取られた顔を浮かべた後、肩を震わせて笑い声を上げた。

釣られてカドックも笑みを零し、互いの連絡先を交換する。

海を隔てて遠く離れることになるが、こんな形で繋がりが残るとは思ってもみなかったと、立香は感慨深げに呟いた。

 

「ミスター・藤丸。ヘリの用意ができています」

 

エントランスの扉が開き、搭乗員が立香を呼びに来る。どうやら、別れの時間が来たようだ。

ふと二人は、ここにはいないもう一人の友人の顔を思い浮かべて寂しさを覚える。

マシュ・キリエライト。立香のパートナーであり、大切な仲間だった少女。

彼女の姿がここにはない。何故なら、彼女はもうカルデアにはいないのだから。

 

「マシュにも……ここにいて欲しかったな」

 

「立香、マシュのことは……」

 

「良いんだ……彼女の事は、仕方がないことなんだ……」

 

寂しさを振り払うように立香は顔を振ると、改めて鞄を持ち直した。そして、こちらに向き直って右手を差し出し握手を求めてくる。

 

「それじゃ、元気で」

 

「……ああ。僕がいないからって無理はするなよ、後輩」

 

「君こそ、立派な魔術師になれよ、先輩」

 

立香の手を固く握りしめた後、カドックは空いている手で親友の肩を強く叩く。

照れ臭そうに笑った立香は、そのまま手を振ってエントランスを進んでいく。

その後ろ姿が見えなくなるまで、カドックはずっとその場で親友の旅立ちを見送っていた。

言いようのない寂しさが込み上げてくる。

別れとは、側にいて当たり前の存在が目の前から消える事である。自分の中から大切だった者の存在が欠けてしまう様は、耐え難い辛苦を呼び起こす。

それはまるで葬送のようであると、カドックは心の中で述懐した。

死が永遠の別れなのだとすれば、さよならはしばしの別れ。相手の人生から消えることは少しの間、死ぬ事と同義なのだろう。

静かな余韻に浸りながら、カドックはいつまでも親友が消えた扉を見つめ続けていた。

 

 

 

 

 

 

そして、2018年が訪れた。

引き継ぎを終えたダ・ヴィンチも英霊の座へと退去し、旧体制のスタッフもカドックを除いた全員がカルデアを去った。

ほんの数日前には蘇生されたばかりのAチームの面々が医務室を占拠していたのだが、既に彼らもここにはいない。

オフェリアは生家に呼び戻され、ペペロンチーノは気持ちを切り替えるためにインドに向かうと言ってカルデアを去っていった。デイビットも宛てはないから途中まで同行すると言って彼と一緒に旅立っていった。

ベリルは時計塔の当主(ロード)の命令を受けた魔術師が拘束し、時計塔へと連れていかれた。噂ではどこかに幽閉されているらしい。

一方、芥ヒナコは蘇生処置を受けたその日の内にいつの間にか行方を眩ませていた。伝言はおろか私物もそのままの状態で、痕跡一つ残さず消え去ってしまったのだ。

後で分かった事だが、芥ヒナコなる人物は時計塔には存在しないらしく、自分達が知る彼女の経歴は全てがフェイクである可能性が高いらしい。

国連はレフ・ライノールとの共犯の線も疑い、行方を追っているそうだが、魔術師ですらない連中が彼女を捕らえる事は恐らく不可能であろう。

彼女が何を思い、何を考えてカルデアにいたのか、それを知る術はもうないのだ。

そして、キリシュタリアも新たな道を踏み出した。

唯一人、カルデアに残り続けていたカドックも、この後に待つ最後の仕事を終えればここを去る事になっている。

帰国の申請を出してから一向に音沙汰がなく、このままずっとカルデアで過ごさねばならないのかと諦めかけていた矢先の事だった。

何故、急に申請が通ったのかは分からない。或いはこれから会う男が何か関係しているのかもしれない。

そう、最後の仕事とは、かつて同じチームに属していた男との面談であった。

するべき事もなく、研究と音楽に没頭していたカドックは、最後に話がしたいとその男に呼び出されたのだ。

 

「待っていたよ、カドック・ゼムルプス」

 

机を挟んで向かい合ったソファに座る金髪の男が、やや高圧的な態度でこちらを見やる。

キリシュタリア・ヴォーダイム。ヴォーダイム家の若き当主にして天体科の首席。そしてAチームのリーダーだった男だ。

いわば人理修復に最も近い位置にいた人物であり、覆しようのない血統の差を間近で見せつけられていたこともあって、カドックは彼を特に苦手としていた。

一方でキリシュタリア自身は貴族らしい優雅さと度量の深さを併せ持っており、Aチームの面々を等しく評価しているように思えた。かつてのカドックは、それは才能ある者の余裕と断じていつも目線を逸らしていたのだが、いざ顔を合わせることとなった今、その時に抱いていた感情が再び湧き上がることはなかった。

とはいえ、苦手意識自体が消えた訳ではないし、Aチーム時代は最低限の交流しか持たなかったことも事実だ。どのように接すれば良いのか分からなかったカドックは、力を抜いて普段通りでいくことにした。

 

「何の用だ、ヴォーダイム経営顧問」

 

そう、キリシュタリアは現在、カルデアの経営顧問という立場にいる。

昨年末に仮死状態から蘇生し、コフィンから解放されたキリシュタリアは快調するなりゴルドルフ新所長に取り入り、彼の部下としてカルデアに残れるよう自身を売り込んだのである。

彼は千年続くヴォーダイム家の当主。時計塔での未来は約束されているも同然であり、わざわざ自分よりも位階の低い者に取り入るなど、何か裏があると考えるのが普通だ。

だが、残念ながらゴルドルフ新所長は法政科出身でありながら致命的なまでに腹芸が出来ない人物であった。

疑り深い癖にもっともらしい事を述べられると鵜呑みにしてしまう悪い癖がある。加えてヴォーダイム家に貸しを作っておけば今後の役に立つかもしれないという打算もあり、あれよあれよという間に話が進んでキリシュタリアは現在のポストについてしまったのだ。

 

「まずは開位への昇格、おめでとう」

 

「おべっかは止せ、僕には荷が重い称号だ」

 

人理修復という大偉業を成し遂げた魔術師。当然、その扱いは時計塔でも大いに揉めた。

正当に評価すべきという意見もあれば、歴史の浅い家系には分不相応であるという意見もあった。実家の方にも派閥に取り込もうとする働きかけがあったらしい。

最終的に開位が付与されることとなったのだが、カドック自身からすればこの称号は立香の方こそ相応しいと思っているため、内心では非常に複雑な気持ちであった。

 

「それより、何の用なんだヴォーダイム?」

 

「ふむ、用がなければ友を呼んではいけないのかな?」

 

「僕とお前がか?」

 

「少なくとも、私はそう思っている。良い茶葉があるんだ、一杯ぐらいはどうかな?」

 

「……もらおう」

 

正直に述べるのなら、狼が徘徊する夜の森をうろついている気分だった。

相手の出方がまるで予想できない。キリシュタリアが何を考えているのかが分からず、どのような態度を取ればいいのかが分からないのだ。

本当に無駄話をしたいだけなのか、時計塔の連中のように自分に取り入ろうとしているのか、それとも全く別の理由からなのか、それが分からないのでとても居心地が悪い。

その緊張が向こうにも伝わったのだろう。最初の数分間は互いの出方を伺うかのように、どちらも沈黙を保っていた。

先に口火を切ったのは、キリシュタリアの方であった。

 

「報告書を読ませてもらったよ」

 

カップを持ち上げた手が僅かに震えた。

一瞬、書類の改竄に気づかれたのかと身を固くする。

自分達にとって都合が良いように解釈する時計塔の堅物どもとは違い、キリシュタリアは聡明だ。

もっともらしい事を書き連ねたつもりでも、やはり自分のような血統の浅い魔術師の出が人類悪を打倒したという内容に疑問を持ったのだろう。

そこまではいい。問題なのはある二つの改竄に気づかれたのかどうかだ。

藤丸立香はあくまで補欠であり、自分のサポートに終始していたという事。そして、もう一つの事に気づかれてさえいなければ、しらを切りとおせる。

 

「君の成し遂げた偉業、友人として鼻が高いよ」

 

「本心からの言葉か、それは?」

 

「ふっ、ならこう言って欲しいのかな? よくできた物語だと」

 

「…………」

 

溶かした鉛を流し込まれたかのように、腹の底がチリチリと痛んだ。

キリシュタリアの姿勢はどこまでも友好的だ。だというのにこの威圧感はなんだ。

千年という血統の重みなのか、それとも彼自身が秘めた才能への嫉妬によるものなのか、まるで怪物を相手にしているかのような気持ちだった。

何と答えるべきなのか、ほんの一瞬だけ目を泳がせてしまう。

跳ね上がる鼓動。時間をかければ不審がられると思えば思うほど焦りが増した。

 

「……冗談だ。見事なものだと称賛しよう、カドック。偽りのない本心だ」

 

「そ、そうか……」

 

「ああ。だからこそ、私は君の友人として依頼したい。どうかカルデアに残ってはくれまいか?」

 

その言葉に、カドックは目を丸くする。

何故という疑問が湧くのは当然だ。

ここは既にムジーク家の私的研究機関。国連からもレイシフトの使用は禁止されており、自分のような魔術師に居場所などない。

いや、そもそもキリシュタリアがここに残ること自体がおかしなことなのだ。

研究機関としては魔術協会に勝る場所はない。多くの霊地を押さえ、様々な資料を保管している時計塔ならば派閥争いにさえ順応できれば思い思いの研究が行える。故に有能で狡猾な魔術師ほど時計塔の地位に固執する。

だが、カルデアのような僻地にも僅かではあるがメリットは存在する。それは魔術協会の目が届きにくいということだ。

わざわざそんな場所で研究を続ける理由は決して多くはない。

派閥争いに疲れた者、封印指定を受けて身を隠さなければならなくなった者、そして――その研究自体が協会にとって無視できないものであること。

 

「何をしようとしているんだ、ヴォーダイム?」

 

自分が今、向かい合っているのはただの人間のはずだ。なのに、この緊張感はなんなのだろうか。

冷徹でありながらも慈愛に満ちた瞳。それがまるで狂気の炎に揺れているように見えてならない。

キリシュタリアが何を考えているのか、何をしようとしているのかがサッパリ分からない。

故に、馬鹿正直に聞き返すことしかできなかった。

 

「アニムスフィア……いや、マリスビリーの遺志を継ぐ。彼の研究の先にあるものを私が立証する」

 

「何のために?」

 

「無論、人類史を保障するためだ。そして、その為にはレイシフト適性を持つ者の協力が欲しい」

 

「レイシフトは国連から禁じられている」

 

「レイシフトが禁じられただけだ。今は無理でも歴史の観測と干渉の為の方法は必ず確立する」

 

そう言い切るキリシュタリアの瞳には、煮え滾る程の強い熱量を秘めていた。

何を犠牲にしてでも目的を成すという鋼の意思と、深い人類愛を感じ取ることができた。

 

「どうして僕なんだ? 有能な奴なら――」

 

言いかけて、言葉を切る。

Aチームは既に解散している。オフェリアやベリルはしがらみもあって容易に招く事はできず、ペペロンチーノとデイビットも既にカルデアを去ってしまった。ヒナコなど以ての外だろう。

未だカルデアに残っていて、キリシュタリアが協力を仰げるレイシフト適性者は自分だけなのだ。

 

「……一つ、聞かせて欲しい」

 

「なんだね?」

 

「僕は人理修復を成したマスターだ。時計塔の連中にとっては扱いに困る爆弾みたいなものだろう。彼らにとって都合がいいのは、このままカルデアで飼殺すことだ」

 

「そうだろうね」

 

「なのに、僕に帰国の許可が下りた。カルデアを出ても良いと認められたんだ…………お前が、手を回したんだな?」

 

「さて、何のことかな」

 

感情の籠らない、超然とした態度のままキリシュタリアは答える。

恐らくは嘘をついていると、カドックは見抜いていた。

彼はきっと、自分が何と答えるのか既に想像はついている。その上で敢えて聞いてきているのだ。共に仕事をしないかと。

このままカルデアに残り、自分の研究を手伝わないかと。

気に入らないと、カドックは内心で苛立ちを覚えた。

才能がないと卑下していた自分に残された唯一の素質、レイシフト適性。それを活かせる場所で働かないかと、甘い言葉で囁いてくる。

それでいて逃げ道を用意し、こちらの意思を試しているのだ。新所長や時計塔に手を回し、帰国の許可を出させたのだ。恐らくは選択肢を敢えて残す事で、自分でその道を選んだのだと納得させるために。

その全てを己の手の平の上で転がしているかのような、高慢な態度が気に入らなかった。だが、同時に彼の誘いは酷く魅力的に聞こえた。

帰国したところで待っているのはくだらない政争と足の引っ張り合いだ。加えてアナスタシアと別れてからというもの、どうにも魔術の鍛錬に身が入らない。グランドオーダーに賭けていた熱意がすっかり冷め切ってしまったのだ。

このまま悪戯に時間を浪費しても、進むべき道なんて見い出せそうにない。なら、いっそのこと考えるのを止めて誰かに従ってみれば、何か新しいものが見えてくるかもしれない。

キリシュタリアが成そうとしていることは、グランドオーダーに勝るとも劣らない大偉業となるだろう。やりがいはありそうだ。

 

「……悪いが、僕はここを出ていく」

 

だからこそ、彼の誘いを断った。

彼の誘いが嬉しくないことはないし、思い出が詰まったカルデアから去りたくないという思いがない訳ではない。だが、それは歩みを止める事だ。ここに留まる事は、自分が今日まで育んだものをどこにも進ませずに腐らせていくことになりかねない。

あれは誰に言った言葉なのか、今となっては思い出すことはできないが、魔術師とは進み続ける生き物だ。未来への進歩かもしれない、過去への退化かもしれない。何れにしても魔術師は歩みだけは決して止めず進み続けるものだ。

ここに居続ければ、きっと自分は腐ってしまう。それだけは決して認める訳にはいかない。今はもういない皇女に合わせる顔がない。

だから、カドック・ゼムルプスはカルデアを去るべきなのだ。

 

「意思は固いようだね」

 

「お前のことだ、僕なんかいなくても問題ないだろう」

 

「さて、君は少々、私を買い被りすぎているかもしれないな」

 

初めてキリシュタリアは笑顔を見せた。ほんの少し、口角を釣り上げただけの小さな笑み。

失礼ながらも、カドックはこの男も笑うことがあるのだと驚かずにはいられなかった。

一年以上も側にいながら、初めて彼の等身大の姿を垣間見たような気がした。

 

「引き留めて悪かった。少しばかり、君に嫉妬していたのだろう。だから、手元に置いておきたかったのかもしれないな」

 

「ふん、誉め言葉として受け取っておく」

 

「ああ、そうしてくれたまえ」

 

どちらからというでなく、互いにカップへと手を伸ばす。

少しばかり冷めてしまった紅茶は、ほんの少し苦みが強かった。

 

「そういえば、マシュ・キリエライトの事だが……彼女を失ったのは手痛い損失だ」

 

「……僕からは言う事はない。僕じゃ彼女の支えにすらなれなかったんだ」

 

「ああ……本当に、惜しい人を亡くした。まさか、もうこの世にいないとは……同じチームの仲間として、冥福を祈らずにいられない」

 

キリシュタリアの言葉を受けても、もう指は震えなかった。

心が激しく動いていても、氷のような理性でそれを御し、平静を装ったまま返事をすることができた。

そう、彼が言う通りもう彼女はこの世にいない。カルデアのマシュ・キリエライトという名の少女は、時間神殿での戦いの後に死亡した。

カドックは彼女の医療カルテにそう記していた。

 

 

 

 

 

 

窓の外から聞こえてくる車のクラクションと、往来を歩く人々の喧騒。そして、見上げた空は晴天の昼にも関わらず靄がかかったかのように暗かった。

見慣れたはずの光景、聞き慣れたはずの生活音。けれども、たった二年の不在は故郷を遠い世界へと追いやった。

ここは本当に、自分がいて良い場所なのかと、立香はつい自問してしまう。

今でも時々、カルデアでの騒々しい日々を夢に見るのだ。心のどこかで未練があるのだと自嘲せずにいられない。

もちろん、帰国できて嬉しいことはたくさんあった。

家族は自分の帰国を大いに喜んでくれたし、久しぶりに会った友人達とは話に花が咲いた。

それにここにはゲームセンターもファーストフード店も映画館もあるし、ナイター中継だって見れる。

何より命の心配をする必要はない。ワイバーンに襲われる事もなければ、大英雄に追いかけ回されることもない。

カルデアにいた頃よりもずっと、気楽に生きていくことができる。

それでも、心のどこかで思ってしまう。あの頃に戻れたらなと。

それはスリルを求めての事ではなく、ただ一人の少女への思慕であった。

マシュ・キリエライト。自分のサーヴァントだった少女。

カルデアからの退去が決まってから、帰国するまでほとんど時間がなく、彼女とは挨拶もできぬままカルデアを去る事になった。

彼女は元気にしているだろうか。

一応、カドックに連絡を取りたい旨をメールしておいたのだが、今のところ音沙汰はない。

新しい環境になって色々と忙しいのだろうが、このままもう会えないのかと思うと言いようのない寂しさが込み上げてきた。

 

(……ったく、考え過ぎだ!)

 

頬を叩き、弱気になっていた自分に喝を入れる。

昔を懐かしむのは勝手だが、それよりもやらねばならないことは多い。

どうやらカルデアからの根回しにより、自分は長期の海外ボランティアに参加していた事になっていたらしい。

人理焼却によって一年間は社会が機能を停止していたため、実質的には一年間の休学ということになる。

その遅れを取り戻すためにも、まずは目の前の勉学に勤しまねばならない。

 

(……けど、やる気出ないんだよなぁ)

 

元々、勉強には余り身が入る性質ではない。加えてカルデアから口止め料も込みでかなりの金額が給与として口座に振り込まれており、大学を出るくらいまでなら無理に働かなくとも十分な余裕もある。

娯楽にしたって楽しくない訳ではないが、騒々しい英霊達がいないと何か張り合いがない。いまいち熱意が湧いてこないのだ。

自分はそんな人間ではないと思っていたのだが、今の退屈な日常にどこか渇きを覚えているのは事実であった。

ふと机の端に目をやると、数日前にポストに投函されていた小包が目に入った。

送り主はカドック・ゼムルプス。消印は知らない街からだったが、どうやら彼はカルデアを離れて旅をしているらしい。

小包の中身は何十枚にも及ぶ写真の束であり、カルデアで過ごした思い出の断片であった。

機密のこともあるので写真や動画は全て削除されたのだが、どんな裏技を使ったのかカドックはそれを持ち出してわざわざ郵送してくれたのだ。

恐らく、別れ際に連絡が欲しいと言っていたのはこの事だったのだろう。

 

「懐かしいな」

 

手に取った写真を眺めていると、これまでの光景が脳裏に蘇ってくる。

その歌声で何度も騒動を起こしたエリザベート、溶岩を泳いで迫る三人の英霊達、悪巧み四天王。

地獄のようなハロウィン三部作、無人島でのサバイバル、サマーレース、チョコラミス、etc。

何故か思い浮かぶのは思い出したくな出来事ばかりだが、それでも大切な思い出には変わりない。変わりない、はずである。

 

「あれ?」

 

色々な行事の写真に混ざって、一枚の写真が入っていた。

忘れもしない。第七特異点を攻略した直後に倒れたマシュを介抱するため、医務室へと駆けこんだ後の事だ。

時間神殿へ乗り込む為にロマニ達は手が取れず、カドックが英霊達の力を借りて必死に延命を施していた際、自分はただ見ていることしかできなかった。

医療の知識なんてなく、魔術も使えない自分にできることは、痛みに苦しむマシュを励まし続けることだけだった。

カドックは、それはお前にしかできないことだと言ってくれたが、やはり心の奥では無力感に苛まれていた。

彼のように、もっと直接、手を差し伸べることはできないのだろうかと。

無力であることを卑下にしたことはなかったが、その時ばかりは自分の力のなさを嘆いていた。

そうして、長時間に及ぶ治療がひと段落すると、緊張の糸が途切れた自分は気を失ってしまったらしい。

この写真は、恐らくその時に撮られたものだ。角度からして撮影したのはアナスタシアだろうか。

小さなフレームには、少しやつれたマシュが儚げな笑みを浮かべており、向かい合う位置にはアナスタシアがフレームの外へと手を伸ばしている。

そして、奥にいる二人の少年――疲れ果てて眠っている自分とカドックの顔には、これでもかという程、黒い化粧が施されていた。

 

「ぷっ……なんだよ、これ……やられた……」

 

猫の髭、頬の花丸、目の周りの星、額の肉。他にも様々な落書きが施されている。

よく見ると、写真に写っているベッドの上に黒の油性マジックが転がっていた。

マシュにはこんなことをする勇気はないだろうから、きっとアナスタシアが諭したのだろう。

書いたマジックの跡は恐らく、魔術か何かで消されたので気づけなかったのだ。

シュヴィブジックの名に恥じない、如何にも彼女らしい悪戯だと、立香は感心すらした。

だが、やがて頬を一筋の涙が伝っていた。

 

「……マシュ」

 

写真の向こうで小さな笑みを浮かべる少女。もう二度と会えないかもしれない彼女。

あの頃の騒々しい日々はもう戻ってはこない。そして、何よりも彼女に会えない事が一番辛かった。

戻りたい。

戻れない。

ずっと諦めずに歩き続け、グランドオーダーをも成し遂げた少年が今、初めて足踏みをした瞬間であった。

自分の中で想像以上にマシュ・キリエライトという少女の存在が大きくなっていた事に、藤丸立香は初めて気づくことができた。

玄関のインターホンが鳴る。

誰かが来たのだろうが、出る気にはなれなかった。今は誰とも会いたくはない。どうせ家族の誰かが出るだろう。

インターホンが鳴る。

隣の部屋から大きなテレビの音が聞こえてくる。気づいていないのだろうか。

インターホンが鳴る。

廊下を駆ける足音が聞こえてきた。だが、どういう訳か足音は玄関に向かわず、こちらに向かって来ている。

 

「立香、ちょっと手が放せないから代わりに出て!」

 

扉の向こうから同居している姉が声を張り上げる。

ここまで来たのなら、そのまま玄関に向かえと言い返してやりたかったが、この家での力関係は向こうの方が上だ。

立香は内心で毒づき、不承不承ながら散らかった自室をそのままにして玄関へと向かう。

その際、風に吹かれた一枚の写真が飛びあがり、裏返った事に彼は気づかなかった。

そこには少しばかり几帳面な筆跡で、四つの文字が記されていた。

「KAMR」。

それは親愛の印であり、離れていても絶ち切れない絆を表す永遠の誓い。

K(カドック)A(アナスタシア)M(マシュ)R(リツカ)

それは、四人の友情を表す秘密の合言葉であった。

 

「はーい、どちら様で……」

 

玄関の扉を開けた瞬間、立香は言葉を失った。

どうして、と小さな声を漏らす。

いるはずのない少女の姿を、会いたくて堪らなかった少女との再会を、脳が処理し切れずに軽いパニックを起こす。

それは世界が一変した瞬間であった。

灰色だった日常に、再び血潮が流れ出した瞬間であった。

 

「あの、今日からこのマンションに引っ越してきました!」

 

ほんの少し、緊張で上擦った声で目の前の少女は言う。

そのどこか懐かしい姿に、立香は愛おしさすら覚えていた。

ここへ来るために新調したのだろうか、見た事のないチェック模様のワンピースと薄手のパーカーを身に纏った彼女は、手に小さな旅行鞄を下げている。

ここまで走って来たのか、頬は少し赤みを帯びていた、吐き出す息も僅かに乱れていた。

もう一度、何故という疑問を思い浮かべる。そして、どうでもいいと思考を放棄する。

彼女とまた出会えた、それだけで満足だ。

その手をまた繋ぐことができる。それだけで十分だった。

この広い世界で彼女と出会えた偶然、その些細な幸せに感謝した。

 

「マシュ」

 

「はい! あなたの頼れる後輩! マシュ・キリエライトです! お久しぶりです、先輩!」

 

少年と少女は共に歩く。

マスターであった少年は、未だ無垢なる少女にまだ見ぬ世界を見せられる事を喜んだ。

サーヴァントであった少女は、敬愛する少年の側にいられる事に感謝した。

二人の物語はここで終わる。けれど、その歩みが止まる事はない。

どこまでもどこまでも、二人は共に歩き続けていくのだ。

それこそが、二人の細やかな願い(グランドオーダー)

その旅路に、どうか祝福あれと誰かが祈った。

 

 

 

 

 

 

立香から送られてきたメールを読み終えたカドックは、波に揺れる船の甲板で小さな笑みを漏らした。

どうやらプレゼントは無事に届いたようだ。メールには幸せそうに微笑むマシュと、家族らしい女性にからかわれている立香が写った写真が添付されていた。

 

(彼女はやっぱり、あいつの側にいるのが一番だろ、アナスタシア)

 

カルデアの記録によると、マシュは時間神殿で確かに消滅した。だが、如何なる奇跡によるものか彼女は五体満足の状態で生きており、しかも死にかけていた細胞組織も同年代の健康体と遜色ないレベルにまで回復していたのだ。

これなら十分に天寿を全うすることができるだろうと、ダ・ヴィンチも太鼓判を押していた。

だが、そうなると問題になるのはデミ・サーヴァントという彼女の立場だ。

能力は失われており、デミ・サーヴァントとして戦うことはもうできない彼女だが、アニムスフィア――引いてはカルデアの備品であったことに変わりはない。

彼女は生きている限り、その人生をカルデアという存在に縛られることになってしまう。

故に、カドックは不正を働いた。

ロマニのパソコンへアクセスする為のパスワードは他ならぬ本人から聞かされていたため、カルテの改竄は難しくはなかった。

彼女は時間神殿での戦いの後、デザイナーベビーとしての寿命を迎えて死亡したことになっている。

後はスタッフと口裏を合わせ、引き継ぎのごたごたに紛れてカルデアを退去するスタッフに彼女を連れ出してもらったのだ。

カドックが立香に連絡をするよう求めたのは、一足先に日本へと向かったマシュの潜伏先に立香の帰国を知らせるためだったのだ。

折りを見て会いに行こう。

花が芽吹く頃か、夏の日差しが増す頃か、或いはもっと先か。この指先のように冷たい雪が降り始める前に、親友が生まれ育った国を一度、この目で見よう。

 

「っ……」

 

徐に指を鳴らすと、手の平から吹き上がった冷気が氷の結晶を作り出し、陽光を反射してキラキラと輝きながら散っていく。

いつからか扱い易いと感じるようになった冷気の魔術。最近になって受けた検査によると、どうやら魔術回路が冷気の操作に特化する形へと変質していたらしい。

原因として考えられるのはアナスタシアとの契約だ。長期間に及ぶ英霊との契約が魔術回路に何らかの影響を及ぼしたのだろうとダ・ヴィンチは言っていた。

無論、才能と呼ぶにはあまりに弱い。属性が変わった訳ではなく、あくまで他の魔術より扱い易くなっただけだ。

カドックは、アナスタシアが自分のために力の一部を残していってくれたのだろうと考えていた。

覚悟はしていても別れは辛いもの。少しでも繋がりを残したいというどちらかの思いが互いの魔術回路に働きかけたのだろう。

 

「おや、お一人でご旅行ですか?」

 

杖を突いた白髪の紳士が帽子を上げる。身なりからして旅行者だろうか。

甲板のフェンスにもたれかかっていたカドックは居住まいを正し、同じように帽子を掲げて一礼した。

 

「ええ、長らく同じ場所に留まっていたので、色々なところに行ってみたくなりまして」

 

「ほう……若いのに感心だ。まずはどちらまで?」

 

「まずは…………フランスへ。オルレアンに行ってみようと……」

 

新しい力、新しい門出。

未だ自分に何が出来るのかは分からない。グランドオーダーで手に入れた思い、数多の英霊達から受け継いだ教えをどのようにして先へと進ませることができるのか。

この広い世界で自分などとてもちっぽけな存在だ。いや、人間自体がちっぽけな存在なのだろう。そこに魔術師もそうでないかも、才能の有無も関係ない。

誰もが自分にできることを精一杯にこなした果てに、次世代へと思いを託して死んでいく。それが人生というものだ。終わりが決められた出会いと別れの物語だ。

生家も時計塔も戻ってくるようにと命じてきたが、カドックは従うつもりはなかった。

あそこに戻るには、自分はまだまだ未熟だ。

もっと広い世界を目にして、自分がするべきことを見い出してからでなければ、きっと後悔することになるだろう。

 

(人類史の礎となった英霊達。彼らの足跡を辿れば、何かを見い出せるだろうか)

 

白髪の紳士と別れたカドックは、冷気を纏うようになった自らの手を見つめながら声に出すことなく述懐した。

ふと見上げると、抜けるような青空の下で二羽のカモメが飛んでいた。

互いに寄り添うように、庇い合うように、日差しと風に遮られながらも、遠い水平線に向けてまっすぐに飛んでいく。

カドックはその光景を見つめながら、再び呟いていた。

 

「祈っておこうかな、彼らの無事を……」

 

汽笛を鳴らしながら、船は大海原を進む。

一人となった少年は、眩しい陽光に目を細めながらこの先に待つであろうまだ見ぬ景色を幻視した。

 

 

 

 

 

 

そして、幕は落ちる。

少年と少女が出会い、別れるまでの軌跡。

歪な魂が嘆き、足掻き、もがき続けた先に掴んだものを証明する旅路。

これはそれだけの物語。

少年と少女が織りなす証明のための旅路であった。




これにて「星詠みの皇女」、本編は完結となります。
ただ、あともう一話だけ、エピローグが入ります。
それはある意味では蛇足で、自己満足的なものなので、事前に読み飛ばしてもいいようにここに記しておきます。

そして、この結末から分かる通り、二部はありません。
ヒナコ先輩すみませんと謝ります。弊カルデアで幸せに暮らしてください。


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終幕の物語 -Demonstratio-

あれからどれほどの月日が流れただろうか。

つい最近のようにも思えるし、遠い昔のようにも思える。

ただ、どれほどの月日が経とうとも、あの美しくも騒々しい日々は鮮明に思い出すことができた。

いったい、あれからどれだけの国々を見て回ったであろうか。

吹雪で覆われたカルデアを飛び出し、幾つもの国を訪れた。

その国の英霊達に所縁のある土地を訪れ、彼らの足跡を辿り、そしてまた次の国を目指す。

今日までずっとそれを繰り返してきた。

フランスでは聖処女の最期に涙した。

ローマではかつての皇帝達の華やかな治世を夢想した。

カリブでは大海賊時代を生きた海の男達に思いを馳せた。

いくつもの国を巡り、多くの人々と出会った。

トラブルに巻き込まれたのも一度や二度ではない。善行も悪行も人並み以上に積み重ねて、ここまで辿り着いた。否、ここに来てしまった。

 

(アナスタシア)

 

カドックは今、ロシアのエカテリンブルグ市を訪れていた。

季節は夏、極寒の地ロシアでも日差しが肌を焼き、人々が解放感に酔い痴れる時期だ。

ここに来る途中でも、公園で肌を焼く人々が何人もいた。

当たり前のことだが、空は抜けるように青く雪が降る気配など欠片もない。空を見上げたカドックは何度もそれを確認し、その度に胸を撫で下ろした。

この季節ならば彼女を思い起こす雪を見なくて済む。そう考えてロシアを訪れたのだが、やはり故郷なだけあって否がおうにも彼女のことを連想してしまう。

アナスタシア・ニコラエヴナ・ロマノヴァ。

共にグランドオーダーを駆け抜けた最愛のパートナー。

彼女と別れてからどれほどの月日が経っただろうか。

いつから自分は杖を突くようになったのだろうか。

いつから上着に袖を通すのも難儀するようになったのだろうか。

こうして坂を昇るだけで動悸がするようになったのはいつからか。

思い出せない。

あの美しい日々がいつのことだったのか、少しずつ記憶は綻び始めていた。その美しさは覚えていても、遠い昔のように感じられる。それなのに、自分はまだ世界をさ迷っていた。

人理修復を成し、勝ち取ったこの世界で自分に何ができるのか。それを見つけ出す為に世界を回っておきながら、未だに何も見い出せずにいる。

ちょっとしたことならできる。目の前で困っている人を助けることはできる。

たいそれたことはできない。世界中で頻発するテロや災害、資源の枯渇はどうしようもない。

そして、そのどれに対しても心が動くことはなかった。

できることを少しずつ積み重ねていくでなく、大いなる目的を掲げて邁進するでなく、答えを探して同じ場所をうろうろと回り続ける毎日だ。

そうして、遂にここまで来てしまった。

彼女を思い出すから、ここにだけは来るつもりはなかったのだが、どうしても会いたくなってしまった。

 

(アナスタシア、来てしまったよ……)

 

坂を昇った先に建っていたのは、ロシア特有の球状の屋根を設けた白い教会であった。

名を血の上の教会。そこはかつてイパチェフ館と呼ばれる屋敷が建っていた場所であった。

そう、アナスタシアが生前に家族と過ごし、最期を迎えた血塗られた屋敷の跡地だ。

今は屋敷は見る影もなく、取り壊された跡地には惨殺されたロマノフ家の鎮魂のために教会が建てられたのだ。

 

(立香とマシュは元気にしているよ。しばらく顔を見ていないけれど、ちゃんとやっていた。二人とも自分の夢を持って生きていた。けれど……)

 

自分には何もない。

この世界のどこを探しても、進むべき道が見い出せなかった。

時計塔の権力抗争になど興味はなかった。一族が掲げた根源への到達ですら、今はどうでも良かった。

多くの出会いと別れを繰り返し、世界の隅々まで見渡した果てに、自分が望むものはこの星にはないのだと突き付けられたのだ。

先の見えない闇の中に一人、放り込まれたような気持ちだった。

かつての仲間達も成功を掴んでいた。なのに自分だけがあの時から足踏みを続けている。

物理的な話ではない。吹雪に覆われたカルデアから、自分はまだ足を踏み出せないでいる。

何が開位だ。何が人類最後のマスターだ。

称賛に意味はなく、栄光に誉れはない。自分が欲しいものはそこにはない。

求めているのはたった一人の賞賛だ。

求めてしまったのは彼女からの叱咤だ。

この世界にはアナスタシアがいない。

彼女がいなければ、自分は一歩だって前には進めない。

この長い旅路で、改めて思い知ることになった。

自分は弱い。一人では決して生きられない弱い生き物だ。

彼女の励ましが、彼女の叱咤が、彼女の檄がなければ立ち上がる事もままならない。

未練だ。

あの夜の別れを未だに引きずり続けている。

胸に空いた空白が埋まらない。埋める術が見つからない。

だから、ここには来ないと決めていたロシアを訪れた。

ここならば彼女に会えるのではないかと、一縷の希望に縋ってのものだった。

無論、そんなことは有り得ない。彼女は過去の人間で、既に亡者だ。呼びかけたところで返事はなく、もう一度出会うことも叶わない。仮に英霊の座から呼び出したとしても、それはもう別の彼女なのだ。

もう諦めるべきなのだろうか。

こんなはずではなかったと、足掻き続けるのを止めれば楽になれるかもしれない。

自分は彼女の下には逝けないけれど、こうして苦しみ続けるよりはずっと気が楽になるはずだ。

 

「ごめん……アナスタシア……」

 

自らの不甲斐なさを嘆き、小さな声で今はいない最愛の人へと謝罪する。

やはり自分は未熟な魔術師だ。君がいなければ何も掴めない。どこにも進めない。

自分のことを認めて送り出してくれた彼女に報いる術が見つからない。それが堪らなく悔しくて、堪らなく惨めで、胸が押し潰されそうなほどの後悔が心を過ぎる。

頬に冷たい雫が落ちたのは、その時であった。

 

「……!?」

 

涙ではなかった。

馴染みのある、冷たい刺すような痛み。

見上げた空から幾つも零れ落ちてきたのは、このロシアではそれほど珍しくはないもの。けれども、この時期にはほぼありえない空からの贈り物。

ちらちらと舞い散る粉のような雪が、抜けるような青空から降ってきたのだ。

 

「なんだ、雪か?」

 

「急に冷えてきたわ、まだ夏なのに……」

 

周りにいた人々が、口々に騒ぎながら屋内へと逃げていく。

そんな中、カドックは一人教会の前で立ち尽くしていた。

不審がる者もいたが、身を刺すような寒さには抗えないのか周囲から人の姿はどんどん消えていった。

静寂に包まれた広場に残されたかつての少年は、吹き荒れ始めた雪の中で声を聞いた。

かすかな、しかし確かに聞こえた彼女の声を、一言も逃すまいと耳を澄ませた。

 

――――大丈夫、あなたはまだ進もうとしているでしょう?――――

 

手からは零れた杖が乾いた音を立てる。

 

――――なら、きっと正しく為すべきことを為すでしょう――――

 

懐かしいあの声が、愛おしい彼女の声が、雪に紛れて耳朶へと溶けていく。

 

――――けど、一人で立てないのなら何度でも言ってあげる――――

 

彼女の最後の言葉を思い出す。

あの夜の別れを思い出す。

彼女は言っていた。自信が持てない時は会いに来て欲しいと。ずっと待っているからと。

 

――――あなたは人理を救ったマスターでしょう? 何をぐずぐずしているの、その足はお飾りかしら?――――

 

彼女はここにいたのだ。

あの夜から、家族と共に殺されたあの日からずっと、自分がここを訪れた時の為に待っていてくれたのだ。

 

――――責任の取り方は分かっているでしょう? その命をロマノフの皇女たる私に捧げなさい。そして、もう一度立ち上がるのです。今度は、自分だけの力で――――

 

何て、何てお節介な皇女様だろうか。

自分の中に力を残していっただけでなく、来るかどうかも分からない男のために自らの死地にしがみ付いていたなんて。

ああ、自分はなんて恵まれた人間なのだろう。

彼女の言葉は万の歓声に値する。例え世界中の不幸を一身に背負ったとしても、その言葉が胸にあれば立ち上がれる。

彼女は皇女(サーヴァント)として命じた。自分の足で立ち上がれと。

ならば応えよう。それが従者(マスター)である自分が彼女のために唯一できることだ。

 

(ああ、そういえば忘れていた)

 

転がった杖を拾い上げ、ゆっくりと立ち上がる。

脳裏に浮かぶのは彼女と過ごした最後の瞬間だ。

あの時、彼女はとんでもない告白を残して去っていった。その答えを自分は口にしていない。

あれほど一緒にいたのに、互いの顔を飽きるほど見つめていたのに、その言葉を一度だって口にしたことはなかった。伝えたことはなかった。

君を愛していると。

酷い女だと思った。一方的に自分の気持ちだけ告げて、答えを聞くことなく消え去ったのだ。今となっては憎らしいとさえ思えた。

だから、会いに行こう。

彼女をこちらに呼び出すことはできない。召喚されたサーヴァントはもう別人なのだ。

だが、こちらから会いに行けば?

英霊の座にいる彼女の本体ならば、自分のことを覚えてくれているのではないだろうか。

確証はない。確かめる術もない。そもそもどうやって会いに行くか見当もつかない。

それでも荒野に踏み出そう。

届くかどうかも分からない星を目指して、止まることなく歩き続けよう。

そのためならば何でもできる。どんなことでもやれるという自信があった。

必要ならば聖杯すら手に入れよう。根源にすら手を伸ばそう。

そして、再び出会えた彼女に言ってやるのだ。

 

「人は必ず、星に届く」

 

それを証明する。

自分だけでは無理だろう。

未熟な魔術師が一人で奮闘したところで、爪先すら掠ることはないだろう。

それでも手を伸ばす。届かないのなら次世代で、それでも駄目なら更に次の世代へと思いを引き継ぐ。

そうして前へと進み続けた先に君がいるというのなら、何度躓こうとも歩き続けよう。

この胸の空白を掬い上げた雪で埋め合わせ、届かぬ星へと手を伸ばそう。

この身に流れる血統が、必ずや君のいる空の頂へと辿り着くだろう。

道は遥かに、けれどもあの懐かしい日々の残響を頼り、かつての少年は今度こそ己の足で歩きだした。

積もり出した雪原に、孤独な足跡を残しながら、まだ見ぬ地平を切り開く。

その背を見つめる瞳があった事に、彼が最期まで気づくことはなかった。

異聞の獣は、遠退いていく魔術師をいつまでも見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

証明開始(Demonstratio)




以上で、星詠みの皇女は完結となります(シリーズが終わるとは言っていません。あくまで本編が完結しただけです)。
これを蛇足と言ったのは、前話と違って明確に一歩を踏み出したからです。
ゼロに至れば綺麗に決まっています。ビーナスの像が美しいのは腕がないことで想像の余地が広がるからです。
新しい一歩を踏み出せば、何を書いても蛇足になると感じました。
それでも書いたのは、カドックに思う所があったからなのでしょう。
何れにしても本編は本当に終わり。二部はなし。1.5部は考え中。
イベントもあるので少し充電して、書きたかった与太イベントを書こうと思います。

最後に、ここまでお付き合い頂いた皆様に感謝を。
感想いっぱいもらえて励みになりました。UAが伸びた時なんて変な声出ました(笑)。
読んでくれたみなさんがいたから、完結まで漕ぎつけたのだと思います。
本当にありがとうございました。


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Epic of Remnant ■■電脳■■■ ■■■■■■■■
#1 BBちゃんの逆襲 電子の海で会いましょう!


2015年、魔術王を名乗る獣により歴史が極端に歪められ、異常な時空間領域が発生し、人類が滅ぶ未来が確定した。

その災厄から唯一、生き残る事ができた極北の魔術機関は、異常をきたした世界の過去を観測し、その原因を除去することで特異点を消去し、人類史を安定させ正しい形に修復するための作戦を発令。

その名はグランドオーダー。そして、それを担う機関こそ国連直轄にして時計塔の君主(ロード)の一門、アニムスフィアが擁する人理継続保障機関フィニス・カルデアであった。

七つの特異点を巡る大きな旅路。世界の全て、時代の果てまで広がった聖杯戦争を潜り抜けた先に、彼らは遂に己の未来を取り戻した。

しかし、その残滓ともいうべき火種は未だ、歴史の陰に燻っており、予断を許さぬ状況であった。

グランドオーダー終了から五ヶ月。黄金週間を目前に控えた彼らを待ち受ける新たな事件は、刻一刻と迫りつつあった。

 

 

 

 

 

 

簡易の魔法陣の上に鎮座した塊に向けて、カドックは意識を集中させた。

お湯を注ぐようにゆっくりと、しかし、淀むことなく適確に魔力を端々まで浸透させていく。

まるで盆に乗せたガラスのコップを片手で運んでいるかのような気持ちだった。

繊細な手つきを要求されながらも、大胆に動かねば手先の震えが致命を呼び起こす。

気持ちを逸らせる焦りを必死の思いで押さえながら、静かに寝息を立てている狼の首に手を添えるつもりで、ただ静かに時が経つのを待った。

一秒。

二秒。

三秒。

四秒。

昨日までの記録を更新し、張り詰めていた緊張に僅かな緩みが生まれる。

口の端をほんの少しつり上げてしまったことに気づき、カドックは慌てて意識を集中し直すが遅かった。

忽ち、魔力のバランスが崩れて金属の塊に亀裂が走り、やがてガラスが砕けるかのように内側から破裂してバラバラに飛び散ってしまった。

 

「くそっ! アナスタシア、タイムは?」

 

「……二十秒ほどです。新記録ね、カドック」

 

「二十秒程度じゃまだまだだ。儀式に使うなら、せめて五分は保ってもらわないと」

 

不服そうに眉を顰めながら、カドックは散らばった破片へと目をやった。

黒ずんだ鈍色の金属片は、末端から少しずつ崩れていっている。それは世界からの修正力によるものだった。

彼が今、やっていたのは投影魔術の訓練である。

投影魔術(グラデーション・エア)。物体の鏡像を魔力で物質化させる魔術であり、その名の通り思い描いた物品を形ある実体として投影することができる。ただ、投影した道具は劣化が激しく、世界から見て異物である投影品は時間を経れば世界の修正により魔力に戻ってしまう。

はっきり言って材料を用意してレプリカを作成した方が遥かにコストも安くつくため、本気で投影を極めたがる魔術師はそうそういない。せいぜい、儀式で足りない道具を間に合わせで用立てねばならない時に用いられるくらいだ。カドック自身も今まで、基礎を身に付けたくらいで使用する機会には巡り会わなかった。

だが、外部との交流が断たれた閉鎖空間であるカルデアでは、魔術の研究や儀式の際に何かしらの道具が必要になっても、時計塔にいた時のように容易には入手することはできない。なので、こうして投影魔術で代用するための訓練を始めているのだ。

 

「強化の魔術で長持ちさせようにも、ほとんど焼け石に水か。先にレプリカを組んでから被せる形で投影した方が成功率は高いんだが、それではコストが…………」

 

「ままならないものね。私からすれば、一瞬でも魔力で物を生み出せるなんて、魔法のように見えるのだけれど」

 

「キャスターのサーヴァントからそんな言葉が出るとは思わなかったよ」

 

魔術師(キャスター)クラスは人類史に名を刻んだ魔術師やそれに類する者達が属するクラスだ。凡人である自分よりも遥かに高みにいる存在である。もっとも、アナスタシアの場合、生前は魔術とまったく関りがなかったので、こんな風に初歩の魔術でも手品か何かのように驚いたり感心したりすることがままあるのだが。

 

「いっそ、厨房の赤い弓兵に教えを乞うてみたら?」

 

「彼が使う投影は一般的な投影魔術とは違うものだ。あれは彼にしかできないよ」

 

模造品しか作れない代わりに、決して劣化することなく永遠に残り続ける投影品。それを彼は大したことがないものと自嘲するのだから、最初の頃は内心で腹が立ったものだ。

それが彼自身の才能に寄るところが大きいだけに、余計に癪に障った。我ながらよく打ち解けられたものである。

ともかく、彼に教えを乞えない以上、こればかりは時間をかけて慣れていくしかないだろう。

 

「少し休憩にしようか」

 

ティータイムにはまだ早いが、脳に糖分を与えて一休みをしたい気分だった。確か、医務室に眠っていた東洋のお茶菓子がまだ残っていたはずだ。

 

「あら、私がしてあげるのに」

 

「いや、僕がやるよ。折角、治ったんだから使ってやらないと」

 

そう言って、カドックは自身の左手を振って見せる。

グランドオーダー中に負ったケガの後遺症で不自由になった左手は、今やすっかり元通りになっていた。

ダ・ヴィンチの調べでは異常はみられず、ギターも問題なく以前と同じように弾くことはできた。回復した視力と合わせて奇跡としか言い表しようがない事象である。

 

「何だか、最初に出会った頃よりも明るくなったわね」

 

「そうかな? まあ、色々あったし、何より――」

 

言葉の途中で被さる様に、警報が館内に鳴り響く。

弛緩していた空気が一気に引き締められ、二人は無言で視線を交わらせた後にすぐさま立ち上がった。

ハンガーラックからそれぞれの上着を引っ手繰り、半ば引っかけるように纏って自室を後にする。

 

「カドック、カバン」

 

「ありがとう」

 

礼装や触媒が入ったポーチを受け取り、施錠を確認してから管制室へと走る。

健常に戻ったこの体なら、走るのにも支障はない。あっという間に廊下を駆け抜け、喧騒が飛び交う管制室へと到着した。

 

「カドック!?」

 

「立香? 呼ばれたのか?」

 

扉が開く直前に、反対側の通路からから立香が駆け込んできた。向こうも急いで来たのか、肩で大きく息をしている。

 

「ううん、でも警報がなったから。また魔神柱かもって」

 

「それはまだ、分からない」

 

カドックの脳裏に、今年に入ってから起きたとある事件が思い起こされる。

魔術王が企んだ人理焼却は破却されたが、決戦の舞台となった時間神殿が崩壊する際に逃げ延びた者がいる。その魔術王――否、魔神柱の残党ともいうべき者達は人類史のどこかへと逃亡し潜伏しているのだ。

昨日に発生した亜種特異点。通称『新宿幻霊事件』においてカルデアは残党の一柱である魔神バアルと対峙した。ひょっとしたら、潜伏している魔神柱が何らかのアクションを起こし、それをシバが感知したのかもしれないと、立香は思っているようだ。

 

「とにかく、まずは司令官代理に事情を聞こう」

 

二人を促し、管制室の扉を潜る。忽ち、怒号のようなやり取りが耳をつんざいた。

 

「音声レベル、上げてください!」

 

「通信の状態は?」

 

「回線の状態微弱。長くは持ちません!」

 

決して多くはない職員達が、互いに叫びながらそれぞれに割り当てられた端末を操作してる。

余程の緊急事態なのか、部屋に入ってきたこちらに気づく者はいなかった。

聞こえてくる会話から察するに、どこかと通信を試みているのだろうか。

管制室に入ってから、大きな雑音がスピーカーから聞こえてきている。

 

「ダ・ヴィンチ」

 

「ああ、二人とも。すまない、緊急事態でね」

 

こちらが話しかけると、司令官代理のレオナルド・ダ・ヴィンチがいつもの笑顔を携えたまま、真剣な眼差しを向けてきた。

その傍らには、やはり緊張した面持ちのマシュが控えている。

 

「ノイズ除去、音声通信レベル最大! 通信入ります!」

 

職員の一人が声を張り上げる。程なくして、スピーカーから雑音に交じって何者かの呼びかけが聞こえてきた。

 

『―――S――――O――――S――――きこえ、ますか――――どうか――――拾って――――わからない――なんで、こんなコト、に――みんな――みんな、きえて、しまって――たす、けて――たすけて、だれか。みんな――みんな、データに、変換される――』

 

通信はそこで途切れてしまった。職員がこちらから呼びかけるも応答はなく、ただ雑音だけが空しく響くばかりであった。

 

「カルデアスの使用を許可しよう! シバで2017年のセラフィックスを観測!」

 

ダ・ヴィンチが口にしたセラフィックスという言葉が気になり、カドックは記憶を思い起こす。

確か、アニムスフィア家が個人で所有する海洋油田施設だ。北海に浮かぶ半潜水式のプラットフォームで百名以上のスタッフが常駐していると聞いたことがある。

国連の直轄とはいえカルデアの経営は基本的に火の車だ。そこでの採掘量がその年のカルデアの運営を決める重要な資金源にもなっているらしい。

 

「いや……こんな、まさか……こんなのおかしい、状況くらいは……そんな筈は……」

 

近未来観測レンズ・シバを操作していた女性職員が悲痛な声を上げる。

ここからでは表情までは分からないが、耳元まで蒼白しており酷く動揺しているのが読み取れた。

 

「落ち着いて、状況だけ正確に報告しなさい。憶測はその後だ」

 

ともすれば冷酷にも聞こえるダ・ヴィンチの冷静な声音が管制室に響き渡る。彼女の隣に座っていた男性職員も、彼に倣って落ち着くよう背中を擦っていた。

響き渡るサイレン。一拍の間を置いて、女性職員は恐る恐る口を開いた。

 

「ありません。セラフィックスそのものが見えないのです」

 

表示されたデータは、北海周辺の地図であった。本来ならばカルデアスには文明の火が灯っている。それが輝いているということは、そこに人の営みや文明の利器が存在することを意味しているのだ。

だが、彼女が呼び出したカルデアスのデータにはそれらしきものは見当たらない。施設は移動式なので必ずしも同じ場所に留まっている訳ではないが、それを考慮したとしても近隣の海域に痕跡すら見られない。

例えば事故か何かが起きれば、やはりその痕跡がカルデアスには残される。魔術的或いは超自然的な現象によるものならば時空間に揺らぎが起きるかもしれない。特異点が発生していることも十分に考えられる。しかし、そのどれもが見られないと彼女は言うのだ。

 

「まるで、セラフィックスの存在そのものが最初からなかったかのようです」

 

最後に、女性職員はそう言って唇を噛み締め、震える指先をきつく握りしめた。

すると、今度は通信を担当していた男性職員が立ち上がってダ・ヴィンチに話しかけてきた。

 

「ダ・ヴィンチ女史。確認が遅れたのですが、先ほどの通信は送信元が判明しません。我々が感知できない領域から届けられたものです!」

 

「それはつまり、送信者はこの世界には存在しない……そういうことになるね」

 

誰もがそれはありえないと思っていた。あれは確かにセラフィックスからのもので、助けを求めているからにはどこかに通信の主はいるはずだ。そして、ここにいるのはあの過酷なグランドオーダーを共に駆け抜けた仲間達だ。いい加減なことを口にするような輩は決していない。

認めたくはないが、今のカルデアではあの通信がどこから発せられたものなのか、突き止めることができないのだ。それはつまり、打つ手がないことを意味していた。

重い沈黙が管制室に圧し掛かる様に漂い始める。陽気な少女の声音がスピーカーから発せられたのは、正にその時であった。

 

『あー、テステス。マイクの感度はバッチリですか? バッチリ? ちゃんとカルデアに届いています? 無料アプリに盗聴アプリを仕込まれて、プライベートを丸裸にされていたぐらいバッチリ? オッケー、それならパーフェクトです』

 

突如として全てのディスプレイに何らかのローディング画面が表示される。職員が慌てて端末を操作するが、画面は一向に変わらず、同じ映像を映し出すばかり。管制室内。いや、カルデア内の全てのコンピューターが、何者かのハッキングによって一切の操作を受け付けなくなったのだ。

 

「正面ゲート、搬入通路の隔壁閉鎖! 外部への通信オールロック!」

 

「コードが常に書き換えられて解除が追い付かない。超A級のウィザードが仕掛けてきたのか!?」

 

成す術もなく頭を抱えることしかできない職員達。それを嘲笑うかのように、スピーカーの向こうにいるであろう少女は可愛らしくも元気いっぱいな掛け声を上げ、自らのショータイムの幕開けを宣言した。

 

『せーの! BB――――、チャンネル――――!』

 

それを見た瞬間の気持ちは、何と形容すればいいだろうか。

ローディング画面が切り替わり、舞い上がる桜のシルエットと共に表示された『BBチャンネル』のロゴ。次いで切り替わった画面に映し出されたのは、まるでニュース番組を彷彿とさせるような巨大なモニターが据えられた収録スタジオであった。

全体的にピンクで統一された意匠。特にモニターはひと際明るい色が使われているので直視した目が痛々しい。そして、そんな桃色の空間の中心で、元気よくポーズを決めていたのは、まだあどけなさの残る十代の少女であった。

肌はやや白みがかってはいるが、顔つきはどちらかというと立香と同じアジア圏の面影が強い。髪は青とも紫とも取れる不思議な色で、赤いリボンがチャームポイントになっていて幼さに拍車をかけている。

一方、黒衣に身を包んだ肢体はとても子どものものとは思えないアンバランスな妖艶さを携えており、特に巨大な二つの膨らみにはどうしても目がいってしまう。カメラの角度の関係でよく見えないが、スカートも非常に丈が短く大事な部分がほぼ丸出しになっていた。

そんな胡散臭さの化身のような少女が、にこやかな笑みを浮かべてこちらを見つめていたのだ。

 

『人類のみなさーん、相変わらずお間抜けな顔を晒していますかー? 突如襲われた蟻さんのように、アタフタしていますかー? していますねー? 何千年経っても進歩しないとか皆さんサイコー! これには邪悪なBBちゃんも思わず同情です! といっても、可哀想のベクトルではなく、情けないのベクトルなんですけどね?』

 

可愛らしい声音で物凄く上から目線の物言いだった。その様子は雰囲気こそ違うが、ステンノやエウリュアレを髣髴とさせた。

何となくではあるが、彼女はあの二人と同じく他人をからかって翻弄することに生き甲斐を見い出すタイプのように思えてならない。

 

「む、何だかライバルの予感」

 

「ややこしくなるから、少し黙っていてくれないかな」

 

変なところで対抗意識を燃やしているアナスタシアを押さえながら、カドックは大画面いっぱいに体を映し出している少女を見やった。丁度、今から自己紹介へ移ろうとしているようだ。

 

『さて、先ほどの質問ですが、わたしはウィザードでもマスターでもないのです! えー、この放送は月の支配者ことわたし、違法上級AI・BBの手でお送りしています』

 

(AI? 人工知能ってやつか?)

 

コンピューター上にプログラムを組み、人間の知的な振る舞いを再現する試みはコンピューターが生み出されてから幾度も繰り返されてきた。

その道には明るくないので、どこまで技術が発達したのかは知らないが、ようは人工精霊の類を科学で生み出そうとしていると思っていいだろう。

だが、さすがにここまで流暢に会話を行えるAIが開発されていれば、どこかで話題になっているはずだ。もちろんそんな噂は聞いたことがないので、彼女自身が言っているように彼女は違法な存在なのだろう。

 

『はい、何だかそこで難しい理屈をパン生地みたいにこねくり回している顔色の悪い男の子がいますが、その疑問は意味のないことなのでお時間の無駄ですよ。骨折り損、ありがとうございました』

 

(会話だけじゃなくて、こっちの心理まで読んでいるのか?)

 

これは、相当にイレギュラーな存在のようだ。

ここまで人間と大差のない情緒を兼ね備えた存在は、魔術の世界でもそうそうお目にかかれるものではない。

最早、人工精霊の領域を超えてホムンクルスにも等しい存在と言えるだろう。

 

『えー、これは炬燵に入ってうとうとしていたら、石油ストーブが燃えだしたので飛び起きた系のものです。石油ストーブは言うまでもなくセラフィックスとカルデア、そしてこの編纂事象の人類の皆さん。石油ストーブなんてどうなろうといいんですけど、ほら、わたしの部屋が台無しにされるのもなんですし? わたしにも凄く迷惑がかかっています。なので、助けたくもないアナタ達に助け舟を出す為に、こうして回線(チャンネル)を開いたのでした!』

 

「なるほど。つまり、そちらはセラフィックスの居所を知っているのだね? さて、どの時代にピントを合わせれば良いのかな?」

 

往年のアイドルのように跳ねまわり、可愛らしくも上から目線で少女が罵ってくるという異様な空間を前にして、ダ・ヴィンチは努めて冷静に切り返した。しかも、その口振りでは既にセラフィックスがどのような事態に陥っているのか推測が立っているようだ。さすがは万能の天才。変態でもやる時はやるのだ。

 

『あれー、意外と頭の切れる人が残っていたのですね。ええ、噂の油田基地ですが、既にあなた方の時代には存在しません。現状を知りたいならば、A.D.2030年のマリアナ海溝を要チェーック!』

 

マリアナ海溝。北西太平洋の深海に刻まれた地球最深の海溝だ。最深部は一万メートルを超え、潜水記録に挑む人々が後を絶たなかった事からチャレンジャー海淵とも呼ばれている。

最深部は地球で最も高いエベレストを引っくり返しても山頂が底につかない深さであり、地表から数えれば世界でもっとも離れた身近な異界と呼んで良いだろう。

 

「セラフィックス、発見しました! 指定された座標通りです! 現在深度二百メートル地点! それにこれは――特異点反応です!」

 

最後の言葉で、全員の表情が一気に引き締まった。

セラフィックスそのものが特異点と化しており、しかも現在進行形で沈んでいる。仮に全ての職員が無事であったとしても、このまま沈み続ければ、施設は限界深度を超えて水圧に耐えられず圧壊してしまう。そうでなくとも時空を乱す特異点と化している以上、放置していればどのような影響が人類史に出てくるかは分からない。アレが存在しているだけで時代が安定しないのだ。

 

「なら、早く何とかしないと! そうだ、レイシフトで現地に飛べば、何か調べられるんじゃ――――」

 

「落ち着け、立香。レイシフトで行けるのは過去だけだ。不確定な未来に行くことはできない」

 

現在のカルデアの技術では、カルデアスで未来の様子を観測することはできても、その存在を証明する手立てがない。そんな状態でレイシフトを行えば、例えどれほど高い適性を持った個体だったとしても、意味消失を起こしてしまうだろう。

 

「それじゃ、俺達じゃ何もできないって言うのか……」

 

悔しそうに立香は歯噛みする。そんな彼の様子を見たBBは、嬉々とした笑みを浮かべてモニターの向こうから話しかけてきた。

 

『うーん、今時珍しい前のめりな主人公体質。うんうん、悪くはありませんね。安心してください、あなた方のお悩みをバッチリ解決する準備(チート)がこちらにはあります。特別に2030年の未来にあなたをレイシフトさせてあげましょう。えーと、そちらのちっぽけな人間(マスター)さん、お名前はなんて言うんですか?』

 

「え、俺? えっと…………藤丸、立香です」

 

カメラの向きが変わり、黒衣のスリットからむっちりとした白い足がローアングルから接写される。そこから舐めるように強調された臀部が映し出され、振り向き様にポージングを決めながらBBはモニター越しに立香を見やった。

その扇情的な姿に、さすがの朴念仁も色を覚えたのか、頬を赤く上気させながら上擦った声で名乗りを上げた。その気はなくとも心のどこかで何か変な期待を抱いたのかもしれない。だが、そんな彼に対してBBから返ってきたのは、何とも辛辣な言葉であった。

 

『うわあ……如何にもモブな名前です。男の子でも女の子でも、どっちが生まれても悩まなくて良いようにと適当につけられた感がひしひしと伝わってきます。お可哀そうに……でもご安心を。わたし、憐れ萌えですので! 軽蔑しながら愉しく助けてあげますね、センパイ!』

 

自分から名前を聞いておいて、酷い物言いである。これがどこかの海賊ならどれだけ罵られても鼻の下を伸ばし続けるのだろうが、生憎と立香は至ってノーマルであり、普通に傷ついていた。そして、最後に彼女が口にした立香に対する呼び方について、食いつかずにはいられない人物がここにはいた。

 

「待って下さい、BBさん……ですか? 貴方はセラフィックスの異常を知っているようですが、いったい何の目的でカルデアに通信を? そして、何故! 先輩を! センパイと! 呼称するのでしょう!?」

 

『ええー、食いつくのはそこなんですかぁ?』

 

食い気味にモニターへと迫るマシュに対して、BBは少しばかり引き気味だった。一刻を争う緊急事態、違法AIを名乗る謎のハッカー。そんな異常事態にありながら些末な私事に拘っているのだ、無理もない。

 

『でも、その質問は地球の平和より重要なのでお答えしましょう!』

 

前言撤回。こっちもこっちでお花畑だった。

そして、どうして隣にいる皇女様はうんうんと首を縦に振っているのだろうか? ひょっとして、何か通じ合うものがこの三人にはあるのだろうか?

 

『わたしの先輩はこの世でただ一人、キラキラ星のように輝く王子様。ですが、わたしはそんな人とは出会えなかった。だから、モチベーション維持の為の苦肉の策ってやつです』

 

キラキラと輝く笑顔で何とも不躾なことを言い出す娘である。本人を前にして失礼だとは思わないのだろうか? 思わないのだろうな。

 

「なんて邪悪な笑顔なんだ」

 

「開運のお守り、100QPで作ってやろうか?」

 

「……前向きに検討してみる」

 

閑話休題。あまりにも話が脱線し過ぎてしまった。

とにかく現状、セラフィックスは何故か2030年の未来にタイムスリップしており、こちらから様子を伺うことはできない。

現地で何が起きているのかを知る為にはBBの力を借りて直接、セラフィックスにレイシフトするしかないだろう。

 

「なるほど、彼らの存在証明を君が代わりにやってくれるということは、君もその時代にいるのだね? 我々にとっては未来でも、君にとってはそちらは現在な訳だ。そして、我々に接触を図ったということは、そちらでは対処し切れない何かが起きている……そういう解釈で良いのかな?」

 

『さすがは芸術家、想像力が豊かですね。その辺りの解釈は皆さんの自由です。重要なのはセラフィックスはあと数時間で海底に達し、水圧でバラバラになる、という事ですから。特異点があるとなると、ルール上カルデアは放置できないでしょう、急いでください』

 

沈黙は僅かな時間であった。司令官代理であるダ・ヴィンチは数秒の熟考の後、自らに与えられた権限と現状を照らし合わせて判断を下す。

 

「カルデア司令官代理として命じる。マスター・藤丸、マスター・ゼムルプスの両名は自室待機を解き最優先任務に従事。特異点セラフィックスで起きた異常の調査及び解決に全力を尽くしてもらう」

 

「司令官代理。前例のない未来へのレイシフトです。彼ら二人を共に行かせるのは危険なのでは?」

 

例えば何らかのトラブルがあった場合、待機していた側が後から救援に向かえるようにしておいた方が良いと、彼は言いたいのだ。

 

「その通りなのだが、どうせ片道一回分しか用意はできていないのだろう?」

 

至極当然の疑問を口にした職員に対して、ダ・ヴィンチはモニターの向こうにいるBBを見やりながら答えた。すると、BBは小さな頬をリスか何かのように膨らませた。

 

『む、人をポンコツみたいに言わないでください。安全にレイシフトして頂くには、皆さんいっぺんに転移してもらうのが一番なのです。その方が管理も楽ですし』

 

「だそうだ。せめて護衛は信頼の置けるものをつけよう」

 

「すみません、わたしが戦えないばかりに」

 

すまなそうにマシュは顔を俯かせる。時間神殿から帰還した後、マシュはデミ・サーヴァントとしての力を失っていた。そのため、現在は管制室のスタッフとしてダ・ヴィンチの手伝いをしている。

彼女としては大切なマスターを窮地から守れないことが不満であり、また負い目を感じているようだった。だが、ないものを強請っても仕方がない。彼女の護りが抜けた穴は大きいが、それならそれできちんと想定して作戦を立てればいい。それにレイシフト中の存在証明も立派なカルデアの仕事である。

 

「大丈夫だよ、マシュ。カドック達とさっさと終わらせてくるから、前のようにサポートをお願いね」

 

「先輩……はい! 不肖、マスター・藤丸のメインサーヴァント、マシュ・キリエライト! これより全力で先輩のサポートに回ります! はい、ピンチの時は貴方の後輩をどうかお忘れなく!」

 

多くのスタッフが周りにいるというのに、大胆な告白を言ってのける少女である。立香も立香で何だか満更ではないという顔をしているし、この主従、基本的に付け入る隙も薬も存在しない。

 

『うーむ、これはヒロインとして負けてはいられませんね。それではセンパイ、それと……何だか裏切りそうで卑屈っぽいサナダ虫さん』

 

「カドックだ!」

 

『……カマドウマさんはレイシフトの準備に入ってください。未来に設定した段階で存在証明は途絶えるでしょうが、そこからはわたしが運命保護をしますので』

 

「こいつ、僕のことは徹底的に無視するつもりだな」

 

「怒らないの。逆に度量が知れるというものよ」

 

アナスタシアに慰められながら、コフィンへと走る。

いつの間にかダ・ヴィンチが連絡を入れていたのか、そこには既に三騎のサーヴァントが待機していた。

赤い舞台衣装に身を包んだセイバー、ネロ・クラウディウス。

同じく深紅の外套を纏ったアーチャー、無銘或いはエミヤ。

そして、青い着物に袖を通した巫女狐のキャスター、玉藻の前。

そこに自分のサーヴァントであるアナスタシアを加えた四騎が、今回のオーダーにおける同伴メンバーだ。

現地では何が起きているのか分からないため、皇帝特権を有するネロやサバイバル、スカウトの能力に長けたエミヤ、多彩な呪術が仕える玉藻の前は大きな力になってくれることだろう。

 

「二人とも、BBとやらの態度で誤魔化されてしまうが、事態はかつてないほど深刻だ。向こうでは誰が味方で誰が敵なのか、今まで以上に慎重に量るように」

 

「はい!」

 

「言われるまでもない」

 

ダ・ヴィンチの言葉に、それぞれのマスターは返事をする。

消えたセラフィックスとBBという謎の少女の存在。今回も分からないことが多すぎて波乱の予感しかなかった。

だが、自分達ならば何とかなるだろうという自信もあった。あのグランドオーダーを駆け抜けた自分と立香ならば、何が起きても切り抜けられるという信頼があった。

だから、今回もきっと大丈夫なはずだ。

 

「それじゃ」

 

「現地で」

 

互いの拳を当てて健闘を祈り、コフィンへと潜り込む。直後、スピーカーからBBの声が聞こえてきた。

 

『準備はよろしいですね? では、BBちゃんとは何者なのか? セラフィックスに何が起きたのか? その辺りの謎は現地についたら説明してあげます。なのでどうぞ、どどどど――っとレイシフトを!」

 

――アンサモンプログラム スタート――

――霊子変換を開始 します――

――レイシフト開始まで あと3、2、1……――

――全行程 完了(クリア)――

――アナライズ・ロスト・オーダー――

――人理補正作業(ベルトリキャスト) 検証を 開始 します――

 

いつものアナウンスがレイシフトの開始を告げる。

このグランドオーダーで何度も繰り返してきた行為。

視界が暗転し、意識までもが量子化されて未知なる領域に投射される。

最初は不安もあったが、今は取り乱すことなく冷静に体から緊張を解きほぐすこともできる。

やがて、カドックの意識は遠い遠い時間の果てへと飛び去って行った。

 

『あは、あはは、あははははははは! ちょっろーい! ちょろすぎです! 煽られやすく騙されやすい……ほんっと、人間ってどの時代でも楽観主義なんですから。そう簡単にレイシフトできると思いましたかぁ?』

 

意識が消え去る刹那の瞬間、蕩けるような女の声が聞こえてきた。

肉体が霊子に分解され、時空の波を漂い出す正に直前であった。

 

『セラフィックスへのゲートには入場制限があるんです。サーヴァントの皆さんと……後、ミドル級くらいのカメノコテントウさんは入場資格はありませんので、基地のいずこかにランダム転送させて頂きます。はい、ビギナー卒業おめでとうございます』

 

叫ぼうにも既に声帯は存在しない。

抗おうにも肉体は最早、意味を成さない。

思いに反して意識だけが遠く遠くへと飛ばされていく。

 

『……ええ、人間にイージーモードなんて許しません。ハードモードこそ、貴方たちに与えられた課題と責任。もう帰り道はありません。勝ち目のない、ただ殺されるだけの戦場にようこそ』

 

――そこにあるのは不協と断絶。堕ちていく先は至高の快楽。甘くとろける生存競争――

 

――けれど、あなたが堕ちるは堕天の檻。そこで待つは無限の渇愛。獣の愛で満たされた虚構の深海――

 

――さあ、最古にして最新の、愉しい聖杯戦争を始めましょうか。眠れる桜に開花の声を。精々、彼女を引っ掻き回してくださいね――

 

堕ち行く刹那に聞こえた少女の囁きに、答えることはできなかった。

 

 

 

 

 

 

一瞬か、それとも永遠か。何も比べるモノのない空間での落下は、無重力に似ている。

もう日の光すら思い出せない。あの地上は何億光年もの彼方になった。

無重力下にあった手足は、思うように動かない。麻痺、或いは退化してしまったのか。必死に藻掻こうとも感覚が曖昧で、まるで自分の体ではないかのようだった。

いや、それ以前に思考が散漫としていて安定しない。自分が何者で何を担わされていたのかが思い出せない。

永劫とも思える暗闇の中を落ちていく。

永遠に続く暗黒へと堕ちていく。

その繰り返しが心を閉ざす。体は泥のようで、心は鉛のようだ。いっそこのまま眠りにつければどれほど楽であろうか。

自分が何者かすら思い出せず、何を成そうとしているのかも分からず、何が起きたのかも理解できていない。ならば、そこに己を定義するものはなく、あるのは漠然とした己未満の肉の塊でしかない。それは生きているとは言えないだろう。

ああ、いっそこのまま消えてしまいたい。

永遠にこのままではないのか、という不安から目を背けてしまいたい。

 

(――――それでも)

 

心の底で、まだ冷めない火種があった。

自分でも不思議でならなかった。この状況、この絶望で、何をまだ諦めずにいるのか。

いつからこうしていたのか、或いは最初からこうだったのかさえ定かではなく、深い闇の底へと永遠に堕ちていくだけの絶望。

自分自身ですら闇へと溶けだしてしまい、己を構成する全てを見失った無常。

それでもまだ、この胸に刻まれた情景があった。

三つの出会いが残されていた。

あの炎の街で出会った最愛の人――――例え地獄に落ちようとも、鮮明に思い出させる。

瓦礫に埋もれながらもこちらを気遣った少女――――全てのきっかけ、故に魂に刻まれている。

縋り付くように、泣きながら鼓舞してくれた親友――――七度、生まれ変わろうと忘れることはないだろう。

己の全てを差し出してもまだ足りない、ちっぽけな自分には大きすぎる出会い。

彼らと出会い、彼女達と過ごし、彼女と共にいたからこそ、今の自分がここにある。なら、立ち止まる訳にはいかない。

その出会いに報いる為にも、ここで諦めてしまう訳にはいかない。

冷え切った手足、凍り付いた思考。だから、どうした。

抗う。

伸ばす。

藻掻く。

伸ばす。

彼方で輝く星を掴まんと手を伸ばす。応えるように星は輝くが、後少しというところで指先を掠めるに留まる。

そうしている内に星は届かぬ場所へと堕ちていった。

通り過ぎる。

通り過ぎる。

通り過ぎる。

通り過ぎる。

四度、星々を掴み損ねる。

最後の希望を通り過ぎる。

絶望するには十分だ。膝を折るには十分だ。終わりにするには十分だ。

永遠は終わらない。この独白を止めるまで終わる事はない。永劫の責め苦に苛まれるだけだ。

それでも僅かな慚愧が後ろ髪を引く。ほんの僅かに頬を抓る程度の痛みが、終わりたがる自分を止めている。

まだ、続きを欲している。DEADENDの向こう側、残酷なまでの生を自分は欲している。

心の底から、欲している。

もう一度、彼女達に会いたいと欲している。

 

――――みい……つけ……た……――――

 

堕ちた先で、光を見る。

暗闇の底の底。星々の光すら届かぬ堕天の檻。遍く事象の境界線の先の先。

闇よりもなお暗く、時すらも止まった終着の箱庭に彼女はいた。

青い眼が、大きな蕾が、ジッとこちらを見つめていた。

 

――――みいつけた……みいつけた……――――

 

それは最初、星のように小さな輝きだった。だが、すぐにその認識が誤りであったと気づいた。

あれは太陽だ。こうして堕ちていくにつれて分かる。霞がかった曖昧な思考でも分かる。

小さな輝きは青い瞳であった。

崩れかけた箱の中から這い出そうとしている巨大な何かの眼であった。

それは苔だらけの白い肌をしていて、顔の大部分は髪に隠れており、青い眼がほんの少しの隙間からこちらを見つめる様はまるで一つ目の怪物だ。本来ならば美しい光彩を携えている瞳は狂気で見開き堕ち行くこちらを追いかけている。

開いた口は、まるで獲物を欲する肉食獣のように何度も何度も開閉していた。

本能的な恐怖が込み上げてくる。

このまま堕ちればアレに捕まる。

その巨大な手で握り潰される。

あの大きな口に飲み込まれる。

そんなことになれば、二度とここから這い出ることはできなくなる。

この暗闇の底で、虚数の海で朽ちていくことになる。それだけはご免だ。

 

――――ほしい……ください……を……くだ……さい……――――

 

伸ばした手が何もない虚空を切る。それだけで空間がたわんだ。馬鹿馬鹿しいまでの質量が、形のない空間にまで影響を及ぼしている。

アレが藻掻く度に箱が崩れ、波に揉まれるかのようにこちらの体が宙を舞った。

 

――――……い……を……くだ……さい……――――

 

巨大な手が闇を薙ぐ。先ほどよりも近い。気のせいかとも思ったが、続く再度の接近が予感を確信に変えた。

大きくなっている。欲する毎に、望む度にアレは少しずつ成長し大きくなっていっている。

貪欲に、強欲に、欲するがままに手を伸ばし、届かぬならもっとと叫ぶ。そうしてアレは際限なく大きくなっていくのだ。

今はまだ、箱に囚われているが、あれが壊れてしまえばもうアレを留めておくものは存在しない。ちっぽけな自分などあっという間に追いつかれ、その巨大な質量で押し潰されてしまうだろう。

 

――――ほしい……ください……ほしい……ほしい……しんで……くれないなら……いっしょうの……おねが……しんで――――

 

加えて、物言いもどんどん支離滅裂になっていっている。狂っているとしか形容できない。

とにかく逃げなければと藻掻くが、感覚の消えた体は思うように動いてはくれない。

それでなくとも、アレの動きで空間が波打って嵐の中の小舟のように翻弄されているのだ。逃げるつもりが、まるで引き寄せられるかのようにアレのもとへと流れていっている。

 

(まずい……)

 

こちらを迎え入れるように、鯨のように大きな口がゆっくりと開かれる。艶のある唇に糸を引く舌。並びの良い白い歯は整然と並んでおり、ともすれば蠱惑的な魅力すらあった。だが、今はこちらを飲み込まんとする怪物の口だ。

後、一秒。瞬きの直後に自分は飲み込まれ、咀嚼された後に飲み干されるだろう。長く大きな舌に押し潰され、プレス機のような奥歯ですり潰され、嚥下され食道で圧し潰され、堕ちた胃袋で消化される。

何て人生だ。まだ生きていたいと願った矢先に、最悪の終わりが待ち構えていたのだ。

どうする?

できることは限られている。

やれることは少なすぎる。

それでも足掻くしかない。自分に出来る最善を、最後までやり尽くすしかない。

どうする?

どうする?

どうする?

アレは欲しいと言った。何が欲しいとは聞き取れなかったが、それを与えられないのなら死ねとも言った。つまり、代わりに命を差し出せと言ったのだ。

そんなのはご免だ。この暗闇に堕ちていくのも、アレに食い潰されるのもご免だ。

与えるしかない。

欲するものが何なのかは分からない。だが、この命に代わるものをアレに差し出すしかない。

このまま何もしなければ終わってしまうのなら、自分の全てを代償にして、アレを鎮めるしかない。

 

「……欲しけりゃくれてやる!」

 

右手に熱がこもる。

そうだ、思い出した。自分はマスターだ。ならばこの手には、その存在全てを費やすに値する令呪が刻まれている。

その三画を以て――彼女に命じるしかない。

 

「全て持っていけ! だから、これ以上、欲しがるな!」

 

一瞬で、熱が失われた。同時に体の奥底で見えないパスが繋がり、循環していた魔力がごっそりと奪われる。

なけなしの力で奮い立たせていた意識が消えるには、十分な衝撃であった。

 

「ぁ――――」

 

あれほどまでに拒んでいた眠りが、呆気なく訪れた。

抗おうにも体に力は入らず、急速に視界が暗転していく。

これで終わりだ。

やれることはすべてやった。

できることは全てやった。

後は、このまま静かに消えていくだけだ。

 

「……なんだ、綺麗じゃないか」

 

最後に垣間見たのは、呆けたようにこちらを見つめている、大きな大きな少女の青い瞳であった。

 

 

 

 

 

 

浅い眠りから覚めるように、意識が覚醒する。

気が付くと通路のような場所に倒れていた。

どれくらい眠っていたのかは分からないが、無防備を晒していたことを恥じながらカドックは跳ね起きて周囲を警戒した。

 

「……海?」

 

最初に目に飛び込んできたのは、半透明なガラス張りの通路だった。自分が今、立っている場所も壁も天井も、全てが透けていて向こう側がハッキリと見えている。

そして、壁の向こうは泡が湧く青い海であった。どうしてそう思ったのかは分からない。魚もおらず、太陽の光も差し込んでいない、どこまでも続く青い世界。

それが人工的に作られたものではなく、自然の海であると何故か無意識の確信を覚えていた。

 

「そうだ、みんなは? カルデアとの通信も……ダメか……」

 

通信端末は全く機能していなかった。とりあえず、ここが2030年のマリアナ海溝であるということは座標データで確認することはできたが、カルデアとの通信は回線すら繋がらなかった。恐らく、未来へのレイシフトが何らかの影響を及ぼしているのだろう。

それにここへ飛ばされる途中ではぐれてしまったのか、周囲にアナスタシアや立香達の姿はなかった。念のため通信を試みたが、こちらも一切の呼びかけに対して返事が返ってくることはなかった。

完全なる孤立無援である。とりあえず、アナスタシアに関しては魔力のパスが繋がったままなので、無事にレイシフトできてはいるようだが、互いの居場所が分からなければ合流のしようがない。

 

(くそっ、事前に渡されたセラフィックスの地図と内部構造が一致しない。それにこの感覚、かなり精巧に作られているが、まるでシミュレーターみたいだ)

 

まるで狐か狸に化かされたかのような気分だった。

思い起こされるのは、レイシフト中に聞こえたBBの嘲りであった。タイミングや現在の状況から考えるに、彼女がレイシフトに干渉した事はまず間違いないだろう。

BBのことは全く疑っていなかった訳ではないが、それにしてもここまで露骨な分断を仕掛けてくるような浅はかな女とは思わなかった。

そもそも、自分達を孤立させる理由が分からない。こちらに害意があり、レイシフトに干渉できるのなら、それこそレイシフト中なりレイシフト後の無防備な隙を狙って攻撃できたはずだ。

それをしなかったということは、少なくとも彼女の方には何らかの意図があって自分や立香を分断したと見て良いだろう。それとも、こちらを攻撃できなかった理由が何かあるのだろうか?

 

(この破片……生き物じゃないが、ゴーレムか何かか?)

 

周囲に散らばっている欠片を拾い集めてみる。

牛の角や蹄、鋭い牙、大きな腕やもがれた羽根。動物を模しているようだが、まったく統一性のない欠片だった。

少なくとも複数の生き物を模したゴーレムのようなものが徘徊しているのだろう。それが砕かれていたということは、自分以外の何者かがここで戦闘を行ったということだ。

余程、激しい戦いを繰り広げたのか、手の届かない壁や天井にまで亀裂が入っていた。

 

(魔力残滓は感じない。刃物による傷もない……アナスタシア達じゃないのか? いったい、誰が……)

 

不用意に動くのは危険かもしれない。

ここで戦闘を行った者の痕跡は、自分がカルデアから連れてきたどのサーヴァントのものとも一致しない。

力任せに踏み抜き、叩きつけられた跡。荒々しい闘争の痕跡はまるでバーサーカーだ。しかも、巨人のようなかなりの大物である。

このまま何もない通路に突っ立っている訳にはいかない。どこか安全な場所を見つけ、隠れなければならない。

そう思った矢先に、背後から何かの足音が反響して聞こえてきた。

等間隔で聞こえてくる複数の音。恐らくは四つ足で、それなりに大きな個体だ。

カドックはいつでも走り出せるように腰を落とすと、己の体に眠る魔術回路を叩き起こしてジッと音が聞こえてくる通路の先を睨みつけた。

徐々に足音が近づいてくる。

何度も死線を潜り抜けてきたこともあり、恐怖を押し殺すのは難しいことではなくなった。

冷静に、冷徹に、乱れる呼吸を抑え、震える視線を定め、迷う心を殺す。

見えないはずの脅威が、ハッキリと視て取れた。

殺意、或いは敵意。獰猛な獣の衝動か、はたまた明確に害意ある第三者によって放たれたのか、巨大な雄牛に似たエネミーが通路の角から飛び出してきた。

 

「Set――」

 

獣が飛び出してくるよりも一瞬早く、カドックは両足に魔力を集中させて地面を蹴っていた。

エネミーの突進を寸でで躱し、そのまま踵を返して全速力で駆け出す。ほんの一瞬、垣間見た敵対者の姿は、先ほどまで観察していたゴーレムの破片とよく似た意匠が施されていた。

 

(あんなのが複数いるのか!?)

 

敵は一体だけではなかった。巨大な牛の背後から、浮遊する盾のようなものがこちらを追いかけてきたのだ。

何てことだ。足音が一体分しかなかったから、羽音や這いずる音も聞こえなかったから、他に敵はいないと勝手に思い込んでいた。

後悔しながらもカドックは、両足に力を込めて走る。何体かの盾が勢いを殺さずに通路の壁に激突し、地鳴りのような振動が辺りに響き渡る。

すると、その騒ぎを聞きつけたのか、通路のあちらこちらから更に複数のエネミーが姿を現した。

鋭い牙を持つ、ワニのような頭だけのクリーチャー。

人間の子どもほどの大きさの蜂。

のっぺりとした平面から巨大な手が伸びた奇怪な化け物。

分離と結合を繰り返す、紐で繋がった立方体。

鋭い嘴を携えた鳥。

次から次へと群れを成して襲いかかってくるエネミーの攻撃を、カドックは必死で躱しながら通路を駆け抜けた。

敵意誘導の使い捨て礼装で複数の群れをT字路の向こうへと誘導し、その隙に反対側へと逃げる。それでも立ち塞がる数体のエネミーは、咄嗟に放った氷柱で串刺しにして動きを止め、身体強化を施したまま硬直している股座をスライディングで滑り抜けて危機を脱する。

一手でも間違えれば、忽ちの内に蹂躙されてしまうだろう。守ってくれる者がいない紙一重の攻防をギリギリで潜り抜けながら、カドックは何とかこの窮地から抜け出す方法はないものかと考えを巡らせた。

だが、有効な手立てが一つとして見つからなかった。

サーヴァントがいない以上、自身の力だけで身を守るのには限界がある。

どこかに隠れてやり過ごそうにも、隠れられる場所も見当たらない。

このまま安全な場所を求めて、走り続けるしかないのだろうか。

そう思った刹那、何かに足を取られて躓いてしまう。

 

「しまっ……」

 

胸部に痛みが走る。しかし、悲鳴を上げている余裕すらなかった。すぐに身を翻し、振り下ろされた毒針を回避する。

立て続けに氷柱を三発、覆い被さらんとした毒蜂に叩き込んで羽根と胴体を抉り、落下してきた尾を空いていた手で払い除ける。まるで石を殴ったかのような鈍い痛みがあった。

 

(まずい、立たないと……ころ――)

 

情けない尻餅を晒しながらも、必死で生を求めて藻掻き続ける。

いつの間にか、開けた空間に辿り着いていた。隠れられる場所なんて何もない、広くて大きな空間だ。

敵はすぐそこまで迫っている。こんなところに逃げ込んでしまっては、囲まれて嬲られるのがオチだ。

 

(駄目だ、アナスタシア――)

 

せめて、最後に一目だけでも彼女に会いたいと心の中で叫ぶ。

すると、その願いが天に届いたのだろうか。

突如として轟音が轟き、何か大きなものが天井にぶつかる音が聞こえてきた。

二度、三度、断続的に何かがぶつかり、鈍く大きな音が広場に轟く。

 

「なっ――」

 

その存在を認識し、カドックは言葉を失った。

 

「みい……つ……け……た……」

 

亀裂の入った天井がぶち破れ、巨大な拳が今にも襲い掛からんとしたエネミーを叩き潰した。

そのまま大きな腕はこちらを守るように広場の入口へと殺到していたエネミーに向かって襲い掛かり、余波で崩れた天井の瓦礫が雨のように降り注ぐ。

濛々と立ち込める白煙。声にならないエネミーの悲鳴。そして、自分を見つめる大きな瞳。

そこにいたのは少女だった。

天上の向こうから、亀裂を通してこちらを見つめているのはあまりにも巨大な、巨人の少女であった。

あまりにも巨大な存在を目にした時、人は恐怖を感じるのだろうか。確かに畏怖は覚えるだろう。だが、それ以前に抱く思いがある。恐らくは万国が共通して抱く畏敬の念がある。

即ち、アレは神だという有無を言わさぬ屈服がそこにはあるのだ。

 

「マスター……みい……つ……け……た……」

 

そこにいたのは、紛れもなく女神であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

幕間の大騒動(イベントクエスト)

BBちゃんの逆襲 電子の海で会いましょう!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

幕間の大騒動(イベントクエスト)

BBちゃんの逆襲 電子の海で会いましょう!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

亜種特異点EX

A.D.2030 深海電脳楽土 SE.RA.PH

人理定礎値:CCC

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

亜種特異点EX

A.D.2030 深海電脳楽土 SE.RA.PH

人理定礎値:CCC

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

亜種特異点EX´

A.D.2030 虚構電脳裏海 SE.RA.PH

人理定礎値:CCC

『渇愛の花』




はい、というわけでレムナントオーダー編、まずは変化球ということでCCC編からいきます。といっても、レムナント編は全部するとは限りませんが。まずはCCCだけプロットができたので、形にしようと思った次第です。
CCCだけで終わるかもしれないし、他も書くかもしれない。こればかりはネタが思い浮かぶかどうかなので、どうかご容赦を。


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#2 既知との遭遇 君の瞳がI KILL YOU(アイ・ラブ・ユー)

それは吹き荒れる暴風だった。

それは降り注ぐ雷雨であった。

それは神の鉄槌であった。

子どもが蟻塚を崩すかのように、天井の亀裂から突っ込まれた巨大な腕が全てを薙ぎ払った。

大人の倍ほどもある雄牛はミニカーのように放り投げられ、小さな立方体やワニの頭は虫のように潰される。捕まった鳥は滅茶苦茶に振り回されて仲間を巻き込み、羽根も尾もズタズタに引き裂かれた。

そうして、一しきり暴れた後、亀裂の向こうから巨大なそれはこちらへ来ようと身を乗り出した。

大きな手と足が床につき、ゆっくりと姿を現したのは、全長が二十メートルはあろうかという巨大な少女であった。

すぐに視点を合わせることができたのは、今までの旅路で巨大な竜種や魔猪に見慣れていたからだ。だが、今までに見てきた怪物と違い、ただ巨大なだけの人というものはあまりに不気味で異質だ。本能的な恐怖すら覚える。

 

「あ……マスターだ……」

 

巨大な顔がこちらの存在を認めて破顔する。

屈託のない、幼女のような微笑みだった。亀裂に体が挟まり、降りるのに難儀している姿も相まってとても可愛らしい。もしも彼女が等身大であれば、の話ではあるが。

 

(似ている……BBに……)

 

つかえた体に四苦八苦している彼女の顔は、自分をこのセラフィックスへと誘ったBBにとてもよく似ていた。

青みがかった髪、青い瞳。色素の薄い肌。彼女が普通の人間と同じ大きさで、黒衣を纏えば見間違えてしまっていたであろう。

 

「うーん、うーん……きゃっ!?」

 

悲鳴と共に、轟音が轟く。少女が天井から落下したのだ。

あまりの衝撃に建物全体が大きな揺れを起こし、至る所から軋みが上がる。

あれだけの巨体、重量も相当なものだろう。床が抜けなかったのは奇跡としか言いようがなかった。

 

「あは……落ちちゃいました。ここは狭いですねぇ……」

 

どこか間延びした、マイペースな呟きであった。

あそこまで大きいと、五メートルくらいの落下では大した痛みも感じないのかもしれない。

事実、包帯で覆われた彼女の体には傷一つなかった。

そこで初めて、カドックは彼女が一切の衣類を身に付けていないことに気が付いた。代わりに全身を白い包帯で覆っているのだが、それにしたって所々、白い肌が剥き出しになっている雑な結び方だった。大事な部分が辛うじて隠れているだけの際どい格好だ。そして、何故か右目も包帯で覆われていた。

 

「君は……いったい……」

 

彼女は先ほど、こちらに向かって『マスター』と呼びかけてきた。事実、彼女と自分は魔力供給のパスが繋がっている。

だが、いったいどこで契約したのだろうか? 少なくとも、カルデアには彼女のようなサーヴァントはいなかった。それに、右手の令呪だ。サーヴァントに対する三画の絶対命令権。扱い方によっては協力な支援にもなる令呪が、どういう訳か全てなくなっているのだ。

レイシフトする前に、令呪は三画となるよう確かに補充してもらった。貴重な魔力リソースだ。忘れるなんて事は有り得ない。なら、どこかで使用したということである。心当たりはないが、目の前に契約した覚えのないサーヴァントが存在しているということが何か関係しているのだろうか?

 

「……はい。令呪は確かに、貰いました。だから、ここに来ることが……できました……」

 

「やはりそうか。だが、君と契約した時のことをよく思い出せない。何しろ前例にない未来へのレイシフトだ。ひょっとしたら記憶が欠落したのかもしれない」

 

「…………」

 

こちらが何も覚えていないということを告白すると、巨大な少女は目を見開いたまま言葉を失った。動揺しているのか、立ち上がろうとして天井がまだ残っている部分に後頭部を強かにぶつけ、崩れた瓦礫が足下に転がった。

危うく潰されそうになり、カドックは身の安全のために距離を取ろうとした。ここまで体の大きさに違いがあると、何気ない彼女の所作が全て、こちらにとって天災に成りかねない。巨大な彼女が自由に動き回るにはこの施設は狭すぎるのだ。

だが、こちらがたった一歩、足を後ろに下げた瞬間、目の前の少女は羽ばたく蝶々を捕まえるかのように腕を伸ばし、一つ一つが大の大人ほどの大きさはありそうな五本の指でこちらの体をガッシリと捕まえてきた。

 

「いや、行かないで! 忘れないで! 見捨てないで!」

 

「よせっ、やめっ、があぁっ!?」

 

万力で締め上げるかのような激痛に、カドックは堪らず悲鳴を漏らした。己の体の内側から、ミシミシと何かが軋む音が聞こえたかのような錯覚すら覚える。だが、それ以上に苦痛を覚えたのは、まるで雑巾を絞るかのように無理やり魔力を絞り出されたことだ。サーヴァントの本質は魂喰いであり、特に強力な英霊は存在の維持だけで途方もない魔力を消費することもあるが、彼女のそれは正しくそれだ。こちらの事情などお構いなしとばかりにバルブを無理やり抉じ開けられ、勝手に魔力を貪り食われてどんどん意識が遠退いていく。

 

「見捨てないでください! 思い出してください! わたしは……わたしは……わた……あれ?」

 

不意に握り締める手から力が抜け、緩んだ指の隙間から床の上へと転がり落ちる。腰を強く打ってしまったが、巨人に締め上げられるよりは遥かにマシであった。

 

「あれ……どうして……わたしは、あなたのサーヴァント……なのでしょう?」

 

「それは、こっちが聞きたい……君も、覚えていないのか?」

 

「……はい。ごめんな、さい……令呪は……貰いました。契約も……しました。けれど、どうして、そうなったのか……よく、思い出せません。ただ、あなたが覚えて……いないと……そう言われたら、急に……悲しくなって……お腹が、空いて……」

 

それで我を忘れてしまい、あのような行為に走ってしまったらしい。悲嘆と空腹の因果関係は分からないが、どうにも情緒が不安定な性分のようだ。扱いは慎重にいかなければ、またどこで感情が爆発するか分からない。我ながらとんでもないサーヴァントと巡り会ったものである。

ハッキリ言って、行動を共にすることはデメリットの方が多いが、アナスタシア達とはぐれている現状では彼女の力に頼らざるを得ない。幸いにも普段は従順で好意を向けてきているので、大人しくしていてさえくれればこちらに危害を加えてくることもないだろう。彼女の中の地雷を何とか見極めてまた暴走しないよう気を付けなければならない。

 

「マスター……どんな命令も聞きます。あなたの力になります。だから、思い出してください。いえ、思い出せなくてもいいので……わたしの側に、いてください。わたしに……愛を……」

 

そこで少女は言葉を切る。何やら苦し気な表情を浮かべ、俯いたまま胸に手を当てている。

いったい、今度は何事かと身構えていると、見る見るうちに少女の体が小さく萎んでいった。

まるでビデオの逆再生のように、二十メートルほどあった体躯は凡そ五メートルほどにまで小さくなり、顔つきも幾分か幼くなっていった。

縮んだというよりは、若返ったというべきなのだろうか? どういう原理かは分からないが、身に纏っている包帯も体のサイズに合わせて小さくなっていた。

 

「ん……うん……」

 

やがて、退行が完全に止まると、少女は跪いたままゆっくりと猫のように伸びを行い、体の凝りを解していく。

 

「小さくなって、しまいました」

 

「あ、ああ……そういう体質、なのか?」

 

「はい……もっと大きく、なりたいのに……すぐに、小さくなって……しまいます」

 

ある程度まで大きくなるか、何らかのきっかけで五メートルほどのサイズまで若返ってしまうらしい。

それと共に彼女自身の規格(スケール)も相応に小さくなっているようだ。そして、そこから再び経験値を積んで肉体は成長を始める。

その繰り返しが彼女のサーヴァントとしての特質のようだ。

 

「近いですか? 狭いですか? でも、これ以上は小さくなれないので我慢してください」

 

「ああ……いや、まあ、君くらいの大きさの子には慣れている」

 

ゴルゴーンやポール・バニヤンのように、カルデアでは規格外の体躯を誇るサーヴァントも何人かおり、巨人の女の子くらいではもう驚かなくなってしまった。

 

「そうですか……マスターは、すごいですね」

 

「……ありがとう。そういえば自己紹介がまだだったな。僕はカドック・ゼムルプス。君のことは何と呼べばいい?」

 

契約が成立している事や、ステータスが読み取れることから彼女がサーヴァントはであることは間違いがない。

現状、孤立無援な上に見知らぬサーヴァントと行動を共にしなければならない以上、真名やスキルについては早くに知っておかなければならない。

 

「…………キングプロテアと、いいます。クラスは……」

 

そこで一旦、キングプロテアと名乗った少女は言葉を切った。

記憶を辿るように虚空を眺め、一拍置いてから思い至った言葉を口にする。

 

「クラスは……分かりません」

 

「分からないって……」

 

「すみません……頭が何だかぼんやりしていて……」

 

しかめっ面で一生懸命に思い出そうとしているようだが、どうしても思い出せないのか終いには頭を抱えて蹲ってしまう。

 

「スキルや宝具は?」

 

「大きくなれます……後、力持ちです」

 

(不安しかないな)

 

真名が分からず能力もハッキリとしない。サーヴァントを運用するにあたってこれは致命的だ。能力に関してはまだ戦いながら探っていけるが、真名が分からなければどんな弱点を有しているのか分からない。

例えばジークフリートならば背中、アキレウスなら踵というように、英雄は伝承に伝わる弱点を有していることが多いし、死因を再現すればそれが些細なことでも特攻として作用する。彼女にもそんな弱点がないとは言い切れないのだ。

特に巨人なんて、伝承では大抵の場合、倒される側であることが多い。当然、弱点も霊基に再現されているはずだ。

エネミーだらけのこのセラフィックスで、生き残るためには彼女を頼るしかないが、どうにも不安定で信頼が置けない。これは一刻も早く、アナスタシア達と合流した方が良さそうだ。

 

(それにしても、キングプロテアか……)

 

キングプロテアとはプロテアという花の中でも特に大きな花を咲かせる種類のことで、その荘厳さから花の王さまとも呼ばれている。

プロテアという名前は自在に体の大きさを変えられたギリシャ神話の神格プロテウスに由来したものらしいが、まさか彼女がそのプロテウスということはないだろうか?

或いは有名どころで女の巨人といえば、北欧神話に伝わる悪神ロキの伴侶であるアングルボダ。同じく北欧神話に伝わる主神オーディンの母である女巨人ベストラだろうか?

だが、何れにしても決め手に欠ける。

 

「大丈夫です。私は……強い、ですから……」

 

えへん、とキングプロテアは胸を張る。見上げる程の巨体であるという一点を除けば、その仕草はとても可愛らしい。

 

「分かった。とりあえず、まずは仲間との合流を図ろう。ここは行き止まりみたいだから…………」

 

言いながら、カドックはこの広場の唯一の出入口を見やった。

あれほど大量のエネミーが殺到していたのに、今は嘘のように静まり返っていた。それもそのはず、キングプロテアが無茶苦茶に暴れて瓦礫で出入口を塞いでしまったからだ。

瓦礫をどかせば元来た道を戻ることもできるだろうが、そうなればまたあのエネミーの群れがここに押し寄せることになるだろう。

この先、いつ休めるかも分からないのだ。消耗を避けるためにも、別のルートを探した方が良いだろう。

 

「僕をあの天井の上まで運んでくれ」

 

「はい、わかりました」

 

先ほどよりも幾分、小さくなった手がこちらに伸びてくる。今度はさっきのように締め上げられることはなく、カドックは隙間から落っこちないよう彼女の指にしっかりと掴まって、キングプロテアが落ちてきた亀裂へと運んでもらった。

浸水してこなかったのでもしやと思ったが、そこは下の広場と同じような開けた空間であった。ブロック状に空間が積み重なっているのだろうが、改めて地図を確認してもそのような構造になっている場所は見当たらない。ただ、ここはこれまで通ってきた通路と違い、一部を除いて半透明のガラスではなくごく普通のコンクリートや金属らしき構造物でできていた。

柱がねじ曲がっていたり、瓦礫が散乱していたりするのは、上にいたキングプロテアが床をぶち抜こうとして暴れたからだろう。

とりあえず、周囲に敵の気配がないことに安堵したカドックは、適当な瓦礫に腰かけて体力の回復を図りながら、キングプロテアが昇ってくるのを待った。しかし、いつまで経っても彼女は亀裂から手を伸ばすばかりで昇ってこようとしない。いったい、何をもたついているんだと業を煮やしたカドックが上から亀裂を覗き込むと、そこには困り顔で泣きべそをかいているキングプロテアの大きな顔があった。

 

「うーん……うーん……」

 

「何、しているんだ?」

 

「マスター……昇れません」

 

現在のキングプロテアの体長は凡そ五メートル。対して階下の広場の天井までの高さも五メートルあり、そこに天井自体の厚みも加わったことで、こちらは彼女の頭一つ分くらい上の位置にいることになる。例えスポーツ選手でも、純粋な筋力だけで懸垂して自身の体を持ち上げるというのは容易なことではない。

 

「大丈夫、です。すぐに……大きく……なります、から……」

 

「……早く頼む」

 

先が思いやられると、カドックは大きくため息を吐いた。

前途多難なキングプロテアとの道中は、こうして始まったのだった。

 

 

 

 

 

 

半透明の通路を、宛てにならない地図を手に奥へ奥へと進んでいく。

座標データは確かにマリアナ海溝を指し示しているのに、そこにあるべきセラフィックスはこちらが知る姿とはまったくの別物に成り果てていた。

しかし、壁に彫られたプレートや、所々でガラスの壁や床に文字通り埋もれている残骸は、確かにここが海洋油田施設セラフィックスであることを物語っている。

特異点化に伴い、内部構造が迷宮へと転じてしまったのだろうか。こちらは生存者がいる可能性が高い居住区や管制室などに向かいたいのだが、直通できる通路が存在しないため、地図上では上へ上へと昇る羽目になっている。このまま進めば、この施設にとって目と耳である通信アンテナが設置された区画に辿り着いてしまうだろう。

こんな時、アナスタシアがいてくれればと切に願わずにはいられなかった。

虚構を見破り、見えぬ壁の向こうも見通す透視の魔眼は、迷宮探索にあたって非常に頼もしいスキルであった。

 

(アナスタシアは無事でいるだろうか? それに、他のみんなは……)

 

通信は一向に回復せず、通路で出会うのはエネミーばかり。そのどれもが異質な物質で構成された人工物であり、生きた生物とはまったく遭遇しなかった。

戦闘力のない立香など、この弱々しい立方体にすら敵わないだろう。自分のように運よくサーヴァントと出会えていればいいのだが。

 

「あはは! えーい! やぁ!」

 

一方で、こちらはこちらで色々と頭痛の種が尽きない。言わずもがな、キングプロテアである。

自分で言うだけあって、キングプロテアの戦闘力は破格であった。そもそもステータスの内、筋力と耐久が測定不能のEX相当なのだ。並のエネミーはおろか、上位種と思われる鯨や類人猿型のエネミーすらほとんど一撃で粉砕してしまう。

戦い慣れていないのか、戦い方はほとんど素人ではあるが、何しろこの大きさなのだから、適当に手を叩きつけたり払い除けるだけで凶悪な範囲攻撃と化すのだ。

一方で、その大きさ自体が彼女の最大の弱点にもなっていた。今は五メートル程度にまで縮んでいるが、彼女は『グロウアップグロウ』というユニークスキルの効果で絶え間なく成長を続けている。そのため、すぐに体が大きくなって身動きが取れなくなってしまうのだ。

そもそもこのセラフィックスは彼女のような巨人が活動することを想定していない。車両が通れる区画ならばまだ何とかなるが、それ以外の場所だとほとんど這いつくばって動き回らねばならず、場所によっては部屋に入れないのでカドック単独での行動も余儀なくされた。

さっきも体長が十メートルを超えたせいで扉が潜れず、成長がリセットされるまで狭い部屋の中で足止めを食らっていたのだ。しかも、結局は天井にお尻がつかえてしまい、半ば無理やり押し込んで扉を破壊せざるをえなかった。

 

「マスター、わたし、強いでしょう?」

 

「ああ……ああ、そうだな……」

 

本人はそんな不自由など気にも止めず、こちらが制止しなければグイグイと前に進んでしまうので、カドックはその都度、彼女の成長のペースを計算にいれて探索を進めねばならず、一つの区画を進むだけでも途轍もない労力を要求される羽目になった。

そして、キングプロテア自身はそんなマスターの苦労など露ほどにも知らず、時々、子犬みたいに無邪気に尻尾を振るのが余計に質が悪い。ついでに言うと、戦闘の余波に巻き込まれないようカドックは彼女の後ろについているのだが、そうなると必然的に狭い通路を蛇行する巨大な臀部や剥き出しの足の裏を直視しなければならず、精神衛生上とても悪い気がしてくるのだ。

 

「あ、マスター……少し、広いところに出ました」

 

「そっちに行く。ごめん、少し脇を広げて……ありがとう」

 

通路が狭いため、仕方なくキングプロテアの膝裏や脇腹に体を擦りつけながら僅かな隙間を縫って進む。途中、くすぐったがって体を捩られた時は生きた心地がしなかった。

 

「なんだ、ここは?」

 

キングプロテアが言うように、確かに広い空間だった。位置関係から見て最初に訪れたのが恐らくは寄港した船舶を停めておくスペース、そこから通路を上へ上へと昇っていき、レーダーなどの探査設備が密集した区画に辿り着いたはずであった。

だが、ここにはあるべきアンテナの類は見当たらず、五十メートルはあろうかというほどの何もない空間が広がっているばかりだった。ここならキングプロテアも直立することができるだろう。

 

「うーん、背中が痛いです」

 

「我慢してくれ。何だか嫌な予感がする」

 

何もない開けた空間。理由もなくこんなデッドスペースを作る筈がない。引き返した方がいいと本能が訴えかけ、カドックは通路から這い出てきたキングプロテアに向かって元来た道を戻るよう叫ぶ。

だが、指示を下すのが僅かに遅かった。カドックが叫ぶよりも早く、キングプロテアは全身を部屋の中に入れてしまい、それと共に勢いよく扉が閉じて外部から施錠されてしまったのだ。

 

「扉が!?」

 

「……えい!」

 

鬱陶し気にキングプロテアは右足で扉を踏み抜かんとしたが、どういう訳か半透明の格子のような扉はビクともしなかった。

二度、三度と繰り返しても結果は変わらない。無意味に部屋全体が横揺れを起こしただけであった。

 

「――衛士(センチネル)から侵入者がいると報告を受けて駆け付けてみれば、まさかカルデアのマスターとは」

 

不意に脳内に響く甘い声。しかし、聞き覚えがあるはずのその声音はとてもどす黒い邪気を孕んだかのように重く腹の底へと響き渡った。

記憶が確かならば、この声はBBのもののはずだ。だが、カルデアの管制室で聞いた彼女の陽気なウィスパーボイスとは明らかに趣が違う。

呆れ、失望、絶望、諦観、憤怒、ありとあらゆる負の感情がない交ぜになったかのような、非情に淀んだ気を発している。

 

「いいでしょう、初回サービスで特別に本当のアングラサイトというものを垣間見せてあげましょう。瞳孔にレモンスカッシュをぶちまける準備はOK? エチケット袋は手に持ちました? 良い子も悪い子もまとめて分解混合(シェイク)、真っ黒なカクテルに変える悪夢の番組へ――GO! BBチャンネル、ON AIR、です!」

 

唐突に視界が塗り潰され、黒い桜吹雪が吹き荒れる。その向こうから現れたのは、見覚えのあるピンク色の収録スタジオであった。その中央、モニター前の司会の席に妖しく腰かけて白い食い込みを見せつけているのは、やはりというべきか黒衣に身を包んだ桜の少女。自分をこの特異点化したセラフィックスへと招き入れた謎のAI、BBであった。

 

「これは幻術か? 五感そのものに働きかける催眠とでもいうのか!?」

 

先ほどまで確かに自分はキングプロテアと共に謎の空間に立っていたはずだが、今はBBがいる収録スタジオの中にいる。しかも、視覚と聴覚以外の全ての感覚が消え失せており、蛸か海月のように宙を漂っているだけの奇妙な状態に陥っていた。

 

「静かに。舌を切り落とされたくなければ素直でいることです……そう、良い子ですね。鳴かない豚さんは好みませんが、うるさく鳴き続けるのもそれはそれはカンに障るというもの」

 

(こいつ……本当にBBか? 最初に会った時と雰囲気が……)

 

顔も声も同じではあるが、纏った雰囲気は全くの異質であった。この感覚はどこかで覚えがある気がするが、生憎とうまく思い出すことはできなかった。

 

「なるほど、レイシフトの際に堕天の檻(クライン・キューブ)に堕ちたのですね。そこを通じてここに来てしまったと……まったく、余計な仕事を増やしてくれて……」

 

「何を言っているんだ? ここに僕達を連れてきたのは君だろう?」

 

「……ええ、そうでしたね」

 

こちらが話の途中で割り込んだからだろうか、BBはほんの一瞬ではあるが呆けたように言葉を切り、どこか他人事のように答えを返す。

 

「あなたはセラフィックスの異常を調査する為に2030年へとレイシフトしてきた。ですが、残念ながらここにはあなた方が探す生存者は存在しません。このセラフィックス――――いえ、霊子虚構世界SE.RA.PHにおいて、生存している人間はあなただけなのですよ、カルデアのマスター」

 

赤い目でジッとこちらを見つめながら、BBは絶望的な一言を突き付けてきた。

生存者は存在しない。ここには生きている人間は、自分一人しかいないと。

生存者がいないかもしれないことは覚悟していた。全てが徒労で終わる、そんなこともあるだろう。だが、彼女の含みのある言い方が引っ掛かった。生きている人間は自分一人だけ。ここにいるカドック・ゼムルプス一人だけ。なら、もう一人は? 一緒にレイシフトしたはずの、もう一人のマスターはどうなった?

 

「さあ? 虚数空間に堕ちたか、エネミーに食べられてしまったか。それともキューブにされたのかもしれませんね。いずれにしても生存者はあなただけ。そして、ここでその命を奪えばわたしの邪魔をする者はいなくなる。電脳化したSE.RA.PHでは生身の人間は放っておいてもデータ化して消滅してしまいますが、それはそれとして羽虫を放置しておくのは鬱陶しいですからね」

 

残酷な笑みを浮かべながら、BBは手にした教鞭をこちらに突きつけてきた。冷や汗が伝う。逃げ出そうにも体の感覚が消えていて身動きが取れないのだ。

 

「止めてください! マスターから離れて!」

 

どこからかキングプロテアの叫びが木霊する。すると、何もない空間に幾つも亀裂が走り、乾燥した糊のようにピンク色の破片が剥がれ落ちていく。その向こうから顔を覗かせたのは、BBがSE.RA.PHと呼んだあの青いセラフィックスであった。

 

「キングプロテア……厄介な娘。劣化して尚、これだけの出力を……」

 

砕け散り、霧散していくBBチャンネル。キングプロテアが何かしらの反撃を行ったからか、BBは左肩からバッサリと裂けて赤い血が腕を伝っていた。

 

「いいでしょう。どうせ、いつまでも保つ訳がないのです。彼女の渇望は止まらない。その欲望に果てはない……恐れなさい、カルデアのマスター。あなたが契約したのは渇愛のアルターエゴ。全てを飲み込み、食らい尽くす亡者であることを」

 

「アルターエゴ? 何だ、そのクラスは? 君は彼女のことを知っているのか!?」

 

「あの娘のことならよく知っています。アルターエゴ――それはBBという存在から切り捨てられた不要なもの。BBという存在が本来持っていた尽きる事のない欲望を、複数の女神から抽出した要素と複合させることで生まれたハイ・サーヴァント。それがその娘の正体です」

 

「彼女が、BBから……」

 

アルターエゴ。別人格という意味だろうか? 通常の聖杯戦争には存在しないクラスだ。

聖杯戦争のクラスはあくまで英霊を形作る要素を抽出したものだ。剣に秀でている、騎馬に乗る、魔術を用いる、等々。一方で複雑な人間心理は物差しで測れるようなものではないので、同じ英霊でも異なる側面が抽出される場合がある。

騎士道の体現者として誉れ高き騎士王と、祖国を守る為に敢えて非情に徹した騎士王はどちらも同じ個人であり、そういった別側面での顕現をオルタ化というのだ。

だが、キングプロテアの場合はそれとも異なる。一個人から切り離され、そこから自我を確立したもう一人の誰か。故にアルターエゴ。そして、彼女のオリジナルはBBだというのだ。

つまり、元々はBB側の仲間であると言いたいのだろうか? しかし、キングプロテアはとても嘘が言えるような性格には思えない。スパイの類ではないはずだ。

 

「持て余しましたから。知っての通り、キングプロテアは無限に成長する。どこまでもどこまで、見境なく大きくなって世界を食らい尽くす。敵とか味方とか、彼女の中にはないのです。だから、若返りのリミッターをかけた上で封印されました」

 

「それじゃ……わたしは……」

 

「あなたは必要のない娘なの、キングプロテア。分かるでしょう? 動けば何かを壊してしまう大きな体。永遠に満たされることのない空腹。誰かに迷惑をかける形でしか生きていけない可哀そうなあなた。己のマスターすら食べずにはいられなくなるほどの空腹を、あなたはきっと覚えるでしょう。いえ、もう既にその片鱗には触れたのではなくて?」

 

その一言に、キングプロテアは激昂した。地響きを立てながらBBへと迫り、その大きな腕に力を込めて大きく振り上げる。

 

「違います……マスターは、マスターはくれました……わたしに、くれたから……だから……!」

 

舌足らずに叫びながら、振り上げた拳を容赦なく叩きつける。しかし、渾身の一撃はBBが展開した障壁の前に弾かれてしまい、キングプロテアはバランスを崩して尻餅をつき、そのまま二度、三度とバウンドしながら後退していく。

 

「うぅ……」

 

「キングプロテア!」

 

駆け寄ろうとするが、激昂したキングプロテアは苛立ち紛れに床を叩いて立ち上がり、カドックが足下にいるのにも構わずもう一度BBに向かって殴りかかった。

危うく踏み潰されそうになったカドックは、生きた心地がしないとばかりに胸を押さえて震え上がった。

自分がBBから生まれた存在だからか、或いは別の何かが癪に障ったのか、キングプロテアは叫び散らしながら何度も拳を振るい、逃げ惑うBBを踏み潰さんと足を降ろす。しかし、蜂か何かのように縦横無尽に飛び回るBBを捕まえることはできなかった。

 

「よせ、キングプロテア! これ以上、戦ったら動けなくなるぞ!」

 

戦いが長引くにつれて、キングプロテアの体は少しずつ大きくなっていく。この広場は奥行きこそあるが天井は十メートルそこらしかない。しかも、厄介なことに半透明な天井の向こうに見えているのは青い海だ。もしも、キングプロテアが天井に接触して亀裂が入れば、忽ちの内にそこから浸水して自分達は溺れ死んでしまうことになる。

 

「知らない! わたしは、あなたなんか、知らない! 消えて! お願いだから、消えて!」

 

虫を払うように腕を振るい、足下を疾駆するBB目がけて手の平を叩きつける。その衝撃で床や壁が陥没し、天井を支える柱が大きく軋んだ。壁全体がたわんだかのようにも見えた。これでは天井が突き破られるよりも早く、彼女の自重でこの区画そのものが陥没するかもしれない。恐らくBBはそれが狙いなのだろう。

何とかしてキングプロテアを止めなければ、彼女は自らの力で自滅することになる。だが、強制的に止めようにも既に令呪は使い切ってしまっている。自分程度の実力ではサーヴァント相手に暗示も効果がない。こうやって安全圏から声を張り上げるしかないのだろうか。

そして、とうとうキングプロテアが巨大な足を踏み下ろした瞬間、彼女の脚力と重さに耐え切れなくなった床が踏み抜け、バランスを崩したキングプロテアが前のめりに転倒した。

すぐに抜け出そうとしたが、そんな状態でも彼女の成長は止まらず、風船のように膨らんだ足が踏み抜いた穴に挟まってしまい、立ち上がることができなかった。

 

「無様な娘。自分自身すら制御できないなんて、とても同じものとは思えません」

 

「……違う、わたしは……」

 

「強欲で、貪欲で、みっともない汚れた感情。AIが持ってはならない――いえ、新しいヒト型生命として存在を許してすらおけません。ここで消えなさい、キングプロテア」

 

嗜虐的な笑みすら浮かべつつ、BBは手にした教鞭の先に魔力を込める。そのままとどめを差すつもりのようだ。

キングプロテアは必死で体を捩って逃げ出そうとするが、膨らんだ足はなかなか抜けてはくれない。いや、仮に間に合ってもBBの攻撃から逃れることはできないだろう。

彼女だけではBBに敵わない。

なら、自分はどうするべきか?

このままここで、彼女が倒されるのを黙って見ているべきなのだろうか?

戦っているのは規格外のサーヴァントであるキングプロテアとその生みの親ともいえるBBだ。

並のサーヴァントですら凌駕する破壊の嵐。その真っ只中に飛び込めるマスターなどいない。

身の安全を確保して支援を行うのがマスターとしての定石だ。

だというのに、カドックは走り出していた。

己が敵うかも間に合うかも分からない。合理的に考えれば自殺行為にも等しい。そんなことは分かり切っている。

それでも動かずにはいられなかった。

目の前で屈服した巨人。時に暴走しこちらにまで牙を剥く情緒不安定なサーヴァント。しかし、彼女は泣いていた。自分のことを必要がないと断じたBBに向かって、そんなはずはないと叫んでいた。

その声を無視できるほど、冷徹にはなれなかった。

魔術回路を励起させ、BBが教鞭を振るう直前の僅かな隙を狙って彼女の腕にガントを放ち、キングプロテアを庇うように二人の間に割って入る。

逸れた桃色の光線は、ほんの僅かにキングプロテアの腕を掠めていき、ガラスの側壁を抉り取った。直撃していれば、即死はせずとも手足くらいはもがれていたかもしれない。

 

「……正気ですか? 彼女を庇うなんて?」

 

「当たり前だろう、彼女は僕のサーヴァントだ」

 

「食われかけた癖に……何れ彼女は堪え切れなくなってあなたを飲み込みますよ」

 

「それでもだ。放っておくと思うか、彼女のような強いサーヴァントを?」

 

そうだ、キングプロテアは強い。このSE.RA.PHのエネミーなんて物の数ではない。圧倒的な質量から繰り出される暴力を止められる者なんて存在しない。そんな飛びっきりのジョーカーを捨て置くような真似はできない。

そして、何よりも彼女は自分のために駆け付けてくれた。やり方は乱暴でも、それが単なる欲求の表れだとしても、彼女は自分との契約に応じてくれたのだ。

制御の利かない能力、不安定な情緒、何がスイッチとなって取り乱すかも分からないので外れも良いところだが、その一点だけは絶対に信用ができる。

彼女のその無条件にも等しい好意だけは、絶対に蔑ろにしてはならないという確信があった。

 

「キングプロテアは僕のサーヴァントだ」

 

「マスター……」

 

泣きじゃくりながら、キングプロテアは安堵の笑みを浮かべる。

その様子を見たBBは、まるで不快なものでも見たかのように眉をしかめると、手にした教鞭で手の平を叩きながらこちらを威圧する。

 

「一時の感情に流されて……これだから人間はダメなのです。いいでしょう、お望みとあれば二人一緒に葬ってあげます」

 

教鞭に魔力を集中させながら、BBはこちらに迫る。

キングプロテアはまだ動けない。既に体は肩が天井にぶつかりかけているが、退行が始まるにはもう少しかかるだろう。

動けない彼女を庇ったまま、BBと戦うのは自殺行為だ。未だBBの能力は底が知れないが、キングプロテアと渡り合った点から見てもサーヴァント並の力を有しているはず。生身の魔術師でしかない自分ではとても歯が立たないだろう。

背筋に冷たい汗が流れる。

この何もない広いだけの空間では奇策も使えない。正に万事休すかと身構える中、不意にBBの動きがピタリと止まった。そして、不快感を露にしながら虚空を見やる。

 

「クラッキングですか……性懲りもなく。命拾いしましたね、カルデアのマスターさん。あなたの相手をしている暇はなくなりました」

 

苛立たし気に吐き捨てたBBは、教鞭をしまって指を叩く。途端に、風の通り道などない閉じた決戦場へ冷たい風が流れ込んできた。

 

「あなた達の相手は私の衛士(センチネル)がします。この霊子虚構世界を構成するエンジンにして防人となった四騎のサーヴァント。どれもあなたにとっては馴染みのある方でしょうね。あなたがどんな顔をして死んでいくのかを見れないのは残念ですが、精々、楽しんでくださいね」

 

愉悦で頬を緩ませながら、BBは何処かへと消えていった。

代わりに現れたのは、白と蒼のドレスを身に纏った、冷気を従えた白磁の肌の少女であった。

少女は感情のない顔でジッとこちらを睨んでいる。

その眼差しに覚えがあった。

結んだ唇の柔らかさを知っていた。

触れると肌が冷たいことを知っていた。

互いの視線が絡み合い、カドックは思わず後ずさった。

 

「アナス……タシア……」

 

BBに変わって立ち塞がったのは、他でもない、最愛(さいきょう)のサーヴァントであるアナスタシアであった。

 

 

 

 

 

 

ずっと気になっていた。

今まで一緒に戦い続けてきたが、こんな風に離れ離れになったのは初めてのことであった。

無事でいるだろうか、無茶なことはしていないかと心配だった。

だから、顔を見た瞬間に抱いたのは安堵の念であった。

しかし、その健気な思いは無残にも踏みにじられる。

駆け寄ろうと踏み出した瞬間、頬に痛みが走ったのだ。

それだけですぐに状況を察し、カドックは凍傷で痛む頬を手で押さえながらバックステップを踏んでいた。

 

「ごめん、手を!」

 

「は、はい!」

 

半ば転がるようにキングプロテアの胸元へと滑り込むと、彼女の大きな手が傘のように覆い被さった。

直後、無数の氷柱がキングプロテアの手の甲の表皮を抉り、頭上から苦悶の声が降り注ぐ。

 

「だ、大丈夫……です……これくらい……」

 

空いているもう片方の手で、キングプロテアはアナスタシアを攻撃するが、不自由な態勢からの平手打ちはまるで力が入っておらず、ヴィイの強烈な殴打で逆に弾かれてしまう。

 

「マスター、あの人は……」

 

「僕のサーヴァントだ。パスは活きているのに、どうして……BBに操られているのか!?」

 

こちらから送られる魔力を遮断してみるが、意味のない行為だった。そもそもカルデアのサーヴァントは存在維持に必要な魔力をカルデアの電力から賄っている。

マスターが供給する魔力はあくまで緊急時における一時的なものでしかない。これが平素であればカルデアに連絡して何らかの手段を講じてもらうのだが、生憎と今は通信が繋がっていないのでそれも叶わない。

拘束するための令呪も残っていないので、直接対決は避けられない事態であった。

 

「……抜けた!」

 

成長が止まり、キングプロテアの体が元の五メートルまで縮小する。自由の身になったキングプロテアは、嬉々として足を引っこ抜くと、四つん這いのまま四肢に力を込めて獣のように飛びかからんとした。

 

「下がるんだ! 距離を取れ!」

 

「いいえ、やれます! わたしの方が……強い……」

 

こちらの指示を聞かず、キングプロテアは駆け出した。体長五メートルの巨人が被弾すら厭わずに物凄い速度で突っ込んでくる姿はただただ恐怖しか湧かないだろう。

しかし、操られている状態のアナスタシアには無意味な話であった。臆することなく、侮ることなく、冷静に吹雪をぶつけて動きを阻み、次なる一手の布石を整えていく。

意図を察してカドックは制止するが、それでもキングプロテアは止まらなかった。保有している『狂化』の影響なのだろうか。

 

「マスターの前から……消えて!」

 

山が動く。

巨大な影が、小さき皇女を踏み潰さんと迫っていた。

そのまま成す術もなく皇女は床ごと踏み抜かれてしまうだろう。キングプロテアの胸中には勝利への確信があった。

それこそが彼女の術中。致命的に手遅れな瞬間こそが反撃の好機。因果を遡り、運命を覆す最悪の悪戯こそが皇女の奥の手だ。

 

「えっ?」

 

気づいた時には、キングプロテアは尻餅を着いていた。自分でもいったい、何が起きたのか分からなかったであろう。

アナスタシアは自身が踏み潰される寸前に『シュヴィブジック』を用いて因果律を狂わせ、キングプロテアを転ばせることで攻撃を回避したのだ。

そして、彼女の巨体では一度でも転んでしまえば機敏な動きを取り戻すのに時間がかかる。瞬く間に頭上を埋め尽くした幾本もの氷柱がキングプロテアの柔肌に食い込み、真っ赤な鮮血が飛沫を上げた。

 

「こ、こんなの、いらない……」

 

苦痛に顔を歪ませながらもキングプロテアは腕を払う。しかし、予期していたアナスタシアはヴィイの助けを受けて跳躍し、彼女の攻撃の射程外へと逃げ延びた。

体の大きさの差をものともせず、自らの能力を最大限に駆使して巨人の少女を圧倒する。端から見ているとまるで夢のような光景だ。

アナスタシアは決して強いサーヴァントではない。竜を倒した逸話も戦争を征した華々しい活躍もなく、歴史の波に翻弄されて無力なまま死んだ哀れな皇女。

精霊の使役にしたって、生前は魔術とは無縁で育ったため、才能に依るところが大きい。だが、だからこそ油断も慢心もしない。

己の能力を十分に理解し、その上で最善に行使する。弱点を生み出すというたった一つの武器を頼りに格上を封殺する。事実、ここまでエネミー相手にまともなダメージを負わなかったキングプロテアの体には幾つもの裂傷や凍傷が生まれていた。

アナスタシアが魔眼の力で無理やり弱点を創出し、そこを攻撃しているからだ。

 

(さすがは僕のサーヴァントか……何を言っているんだ)

 

頭を振って気持ちを切り替える。

このままではキングプロテアが倒されてしまう。遮るものが何もない開けた空間は彼女の独壇場だ。それに機敏に動けるほど小さくはなく、圧倒できるほど大きく成長する余裕もない今のキングプロテアでは相性が悪すぎる。

 

(だが、やれるのか……僕に彼女を……)

 

殺さずに無力化し、洗脳を解く。彼女の強さは自分がよく知っている。付け入る隙がない訳ではないが、だからといって容易な相手ではない。失敗する可能性だって大きい。

それでもやるしかない。でなければ倒されるのはこちらなのだ。

 

Sword,or Dearh

 

思考を走らせ、次の一手を揃えながら倒れているキングプロテアの脇をすり抜ける。

まずは何とかして、彼女の注意をキングプロテアから引き離さねばならない。

 

「こっちだ!」

 

駆け抜け様に幾つもの氷柱を撃ち込む。徘徊しているエネミーならば、当たり所次第では重傷を負わせることができる威力を秘めたその攻撃は、しかしアナスタシアには届かない。

舞い上がった吹雪が氷柱を吹き飛ばし、逆に彼女が生成した倍以上の氷柱がこちらに向けて放たれてきた。

焦る思考を理性で抑えつける。

落ち着け、全てが当たる訳ではない。

冷静に、致命的な一撃だけを見極めて迎撃する。

一発、二発、三発。氷塊をぶつけ、冷風で逸らし、肉体強度を強化して臓器への致命的なダメージを防ぐ。全身の至る所に裂傷を負ったが、辛うじて致命傷は避けることができた。

だが、そう何度も上手くいくものではない。今ので倒せないとなれば、次は倍の数が飛んでくるだろう。そうなれば自分の実力では防ぎようがない。

この一呼吸の間に終わらせなければならない。でなければ敗北するのは自分の方だ。

故に――切り札を早々に切らねばならなかった。

 

「Set!」

 

取り出した礼装に魔力を流し込む。

長ったらしい詠唱も段取りを踏んだ儀式も必要がない。これはただそれだけで起動する護符であった。

その表面に描かれているのは、何の変哲もない紋様。普通の者にとってはただそれだけの代物だ。

だが、彼女だけは違った。

再び、こちらを攻撃せんと魔力を溜め込んでいたアナスタシアは、礼装が起動するなり目を見開き、すぐさま両手で顔を覆ってこちらから視線を逸らしたのだ。

一瞬の隙が勝敗を決する戦場において、それは最悪の悪手である。

 

「ごめん」

 

言葉にせずにはいられなかった。

カドックが起動させたのは、対魔眼用の護符だったのだ。

発動条件は護符の所有者を見つめる事。それにより護符に刻まれた紋様が所有者の肉体を覆い隠し、相手の視覚に悪性の情報を叩き返す。

ただの人では認識すらできないため意味はないが、魔眼の保有者であれば視神経に強烈な負担をかけることができる。

これは古来から各地に伝わる邪視避けのお守りをカドックなりに改良したもので、いつかこんな日が来た時のためにアナスタシアにすら秘密にしていた奥の手だ。

そう、これは()()()()()()()()()()()()()()()()用意しておいたものなのだ。

己を卑下にせずにはいられない。口ではどれだけ信頼を語ろうとも、蓋を開けばこの様だ。

魔術師は決して他人を信用しない。例え絆を深めたサーヴァントであろうと、いつか己を裏切った時に備えてこのようなものを準備しておくヒトデナシなのだ。

 

「Set――」

 

魔術回路から魔力を絞り出し、脳内に生み出すべきものをイメージする。己の内から有を生み出し世界に投射する投影魔術だ。

何度も何度も訓練で繰り返してきた行為。しかし、普段はナイフだとか燭台のような比較的な簡易なものを作り出すことが多かった。

これから生み出そうとしているような複雑な造りのものを投影するのは初めてのことである。成功率は、恐らく二割に満たないだろう。

加えて上手くいっても持って十数秒。失敗は許されない。

 

(焦るな、冷静になれ。訓練通りにやるんだ……)

 

未だ護符の効果で動けずにいるアナスタシアは、今度は猛烈な吹雪を起こして視界を遮ろうとする。

直接、見つめることができないのならば視界を遮って魔眼に頼らず攻撃しようという腹積もりのようだ。

これはまずい。

向こうがどこから襲い掛かってくるのか分からないし、吹雪の寒さと勢いで集中が削がれてしまう。

 

「くっ……このっ!!」

 

覚悟を決め、手の中に生まれた熱に形を叩き込む。

直後、変質を始めた魔力の塊に亀裂が走り、地面に叩きつけられたガラスのように弾け飛んでしまう。失敗したのだ。

同時に吹雪の向こうから青白い瞳が輝いた。ヴィイの眼だ。猛烈な風圧の向こうから、何かが向かって来ているのが嫌でも分かる。

正面か、真横か、それとも上からか。凡人である自分の実力ではヴィイの攻撃を防ぐことなんてできない。一か八か、攻撃が飛んでこないことを祈って吹雪の向こうに逃げ出すしかない。

 

「マスター!」

 

吹雪の向こうからキングプロテアの叫ぶ声が聞こえ、巨大な白い壁を掻き分けて彼女の巨体が姿を現した。

あちこちに傷を負い、白い肌や包帯が真っ赤に染まっている。部分的に凍り付いている箇所もあった。

そんな傷だらけの状態で、キングプロテアはこちらを庇うように覆い被さってきたのだ。

忽ち、肉が抉れる不快な音が聞こえてくる。彼女の背中に巨大な氷柱が突き刺さったのだ。

 

「くあああっ!」

 

「キングプロテア!?」

 

「マスター……はやく……わたしが……守っている……から……」

 

覆い被さる圧力が少しずつ大きくなっている。肉体の成長で強引に傷を塞ごうとしているのだろうか。だが、それで痛みがなくなる訳ではない。ただ魔力が切れる最後の一瞬まで、苦しみが続くだけだ。

 

「……Set!!」

 

もう一度、魔力を集中する。

もう失敗は許されない。自分を賭して守ってくれているキングプロテアの為にも、ここで戦いを終わらせなければならない。

相手は最愛のパートナー。これから成すべきことは最も彼女を追い詰め傷つける唾棄すべき所業。

それでもやらねばならない。

渇愛のアルターエゴと呼ばれた少女がどうして自分に縋って来たのか、分かったような気がした。

生みの親に否定された彼女が見つけた、新たな居場所が自分のサーヴァントという立場だったのだ。

だから、信頼を得ようと必死になっていたのだ。

その無垢な思いを無駄にはしない。彼女に報いるためにも、自分は最悪をこの手に成す。

イメージしろ。

必要なのは見てくれだけだ。中身なんてどうでもいい。

創造の理念を無視し、基本となる骨子を代替し、構成された材質は誤魔化し、制作に及ぶ技術をねつ造し、成長に至る経験には目も暮れず、蓄積された年月を模倣する。

あらゆる工程を嘲笑い、必要な幻想だけを形と成す。

 

「いいぞ、退くんだ!」

 

「はい!」

 

キングプロテアが身を翻し、視界が開ける。

一人の少女と対峙した。

感情を殺され、操り人形と化したパートナー。

未だ護符の呪縛から抜け切れていないのか、彼女はこちらと目を合わそうとしない。

ヴィイは近くにいなかった。キングプロテアが握り締めて動きを封じていたのだ。

 

「Aa――――」

 

まるでこちらを拒絶するかのように、幻影の砦が出現する。

残光、忌まわしき血の城塞(スーメルキ・クレムリ)』。アナスタシアが保有する二つの宝具の内の一つ、堅牢な守りは如何なる攻撃からも彼女自身とその家族を守る。

しかし、これは同時に皇女にとって忌まわしき過去の思い出だ。

革命の波に追われ、家族と共に過ごした最後の居城。薄暗い地下室で無慈悲にも銃弾を浴びた最期の地。

故にこれは鉄壁の護りであると共に、彼女を縛り拘束する牢獄でもあるのだ。

その城塞をキングプロテアの一撃が破壊する。

巨大な平手が、魔力で焼かれるのにも構わず尖塔を押し崩し、瓦礫の向こうから身を固くしている皇女を再び外へと引きずり出した。

 

「……っ」

 

奥歯を噛み締め、断腸の思いで手にしたそれを最愛の人に向ける。

暗く、黒く、無慈悲なまでに残酷な銃口。

投影によって生み出された模造銃がかつてそうしたように、ロマノフの皇女へと牙を剥く。

一瞬、アナスタシアの顔が恐怖で歪んだ。

胸を去来する痛み。

彼女を貶めるこの所業を、カドックはきっと生涯に渡って忘れることはなく、また己を許すこともないだろう。

 

「ごめん」

 

引き金を引く。同時に限界を迎えた投影品は魔力の塵となって霧散した。

急ごしらえの投影では複雑な銃器の構造など模倣することはできず、あくまで見た目をそれらしく細工した出来損ないであった。

当然、弾が飛び出る事はないし火薬も炸裂しない。だが、先ほどの護符で視界を封じられていたアナスタシアにはそれが本物であるか偽物であるかの区別など付かず、自分がいつかの時のように銃撃されたのだと思い込むには十分であった。

 

「あああ――ああ――――あああぁぁぁっ!!!」

 

アナスタシアは両手で頭を抱え、半狂乱となって取り乱す。

ここが戦場であることも、すぐ側に敵が迫っていることも忘れ、必死に手を振ってこちらから距離を取ろうとする。

動揺のあまり魔術を使うという思考すら頭から消えているようであった。

そんな隙だらけの彼女にカドックは無言で近づき、一瞬の躊躇の後に振り乱す腕を掴んで自分の胸の内へと彼女を抱き寄せた。

逃れようとするアナスタシアの冷たい手が頬を叩くが、カドックはされるがままに任せ、無言でお互いを繋ぐ魔力のパスに意識を集中させて残された己の魔力を彼女へと注ぎ込んだ。

この至近距離ならば、魔力を流し込む勢いを利用して彼女に仕組まれた洗脳の術式を洗い流せるかもしれない。それは自身に流れる血液を全て輸血するかのような蛮行ではあったが、他に打つ手は思いつかず、また仕方がなかったとはいえ彼女のトラウマを利用した自分自身への罰としてその苦しみは甘んじて受け入れた。

やがて、アナスタシアは意識を失ってカドックの腕の中で動かなくなった。

まだ悪夢を見ているのか、瞼が少しだけ震えている。だが、腕の中に伝わってくる確かな鼓動が、彼女の無事を何よりも物語っていた。

 

「マスター」

 

キングプロテアが心配そうにこちらを見つめている。アナスタシアがBBの呪縛から解放されたからなのか、いつの間にかヴィイも大人しくなっていた。

 

「…………」

 

アナスタシアを抱きしめる腕に力を込める。

怒りが込み上げてきた。

彼女に悪夢を呼び起こさせた己への怒り。

そんな手段を講じねばならなかった己の無力への怒り。

そして、そこまで自分を追い詰めたBBへの怒りだ。

絶対に許してはおけない。

何を考えてセラフィックスをSE.RA.PHへと変え、自分達を招き入れたのかは知らないが、必ずやこの報いは受けてもらう。

カルデアのマスターとしてではない、カドック・ゼムルプスとして彼女に報復するのだ。

 

「BB……お前が何者かはもう問わない。何もかもを滅茶苦茶にしてやる……僕の全てを賭けて、必ずだ!」

 

慟哭にも似た叫びが深海に木霊する。

激しい怒りに震える様を、渇愛のアルターエゴはただ沈黙して見つめることしかできなかった。




感想にプロテアいれば楽勝とか相手の方がハードモードという意見がありました。
まさかそう簡単に主人公に無双させる訳ないでしょう(愉悦)。

実際のところ、ゲームならまだしも舞台となるSE.RA.PHは屋内でしかも深海です。大きいということはそれだけで不利になります。
逆にカドックくんは這いずり回る巨大なお尻を常に見つめながら探索せざるえない訳でして……うん、我ながら酷い描写だ(笑)


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#3 アイ・サーヴァント 想いは三角せめぎ合い!

指先がほんの少し動いた。

静かだった吐息がほんの少しだけ乱れ、白い肌が僅かに赤く染まる。

その些細な変化をカドックを見逃さなかった。

抱き締めていた腕をほんの少しだけ緩め、腕の中の皇女が楽な姿勢を取れるようにその場に跪く。

やがて、ゆっくりとアナスタシアは瞼を開け、その澄み切った両の眼でこちらを見上げてきた。

 

「…………」

 

ゆっくりと、状況を飲み込もうとするアナスタシア。その瞳に戸惑いや焦りは見られない。唯々、ジッとこちらを見つめてきている。

そんなまっすぐな視線に耐え切れず、カドックは思わず顔を俯かせた。

脳裏を過ぎるのは、先ほどの戦いで仕出かした取り返しのつかない所業だ。

自分は勝利のため、彼女を取り戻すためとはいえ、アナスタシアが最も忌むであろう行為を実行した。

一瞬で様々な思いが駆け抜ける。

彼女は覚えているのだろうか。

覚えていないのならそれで構わない。けれど、それでも慚愧が晴れることはない。この負い目はきっと一生、消える事はないだろう。

最早、この場に一分一秒でも居続けることに耐え切れず、カドックは腕を放してアナスタシアから離れようとした。だが、そうはさせまいとばかりに、今度はアナスタシアの方から抱き着かれてしまい、カドックは息を飲んだ。

 

「っ……!」

 

冷たく、しかし暖かな温もりが頬に染み込んでいく。

逃れようにもガッチリと腕を回されており、身動きが取れない。そして、そのままバランスを崩して固い床の上へと尻餅をつく。

 

「……とても悪い夢を見ました」

 

耳元で囁かれた言葉が、まるでナイフのように深々と突き刺さった。

 

「ごめん」

 

絞り出すように謝罪する事しかできなかった。

彼女は正常だった。BBによって施された洗脳は無事に解くことができ、いつもの彼女が戻ってきた。そのことに対して上手く言葉を紡ぐことができない。

無事でよかったという喜びと、彼女に酷いことをしてしまったという後悔がない交ぜとなり、攪拌器にかけられたかのような嫌悪感が胸の中を埋め尽くしていた。

それでも何とか言葉を紡ごうと口を開くが、言葉が喉に引っかかって何も言う事ができなかった。

 

「いい訳もないのね」

 

「……ごめん」

 

「情けない人……私は許しません」

 

辛辣な言葉が容赦なく浴びせられる。けれども、不快な気持ちは微塵も感じなかった。寧ろ、胸の温もりがどんどん強くなっていく。

何て破廉恥な男だ。この状況で、このような有様で、それでも彼女との交わりを喜んでいる。

己がしたことを棚上げして、彼女との再会を悦んでいる。

それは皇女も同じだった。

約束だった。

必ず側にいると。

問いかけには必ず応えると。

カドック・ゼムルプスは確かにその約束を遵守した。

互いを引き裂かんとした魔性から、見事にパートナーを救い出して見せた。

だから、それ以上は彼を責めなかった。

ただ、許しにも似た罰を与えただけであった。

 

「あなたが自分を許せないのなら…………私も許しません」

 

「アナスタシア……」

 

「ねえ、またこうやって触れ合えるのはあなたのおかげでしょう? あなたはマスターとして最善を尽くした。あなたが諦めなかったから、私は戻って来れた。それでも自分を許せないなら――――今度は、私があなたを(はな)しません」

 

もう二度と、離れてなんかやるものかと皇女は言う。

その一言にどれだけ救われただろう。

愛おしいからこそ許し、憎らしいからこそ罰する。その二つを彼女は共に下してくれる。

何てわがままで自分勝手な皇女様だろう。

ただ許しを与えた訳ではない。罰によって罪が昇華されたわけでもない。

この痛みは未来永劫まで自分達を苛むだろう。だが、その痛みすら原動力として前に進めと彼女は言うのだ。

そうして、疲れ果てて己を責め切れなくなるまで共に歩むと、彼女は約定を告げたのだ。

 

「……ああ、それでいい。けれど、(はな)さないのは僕の方だ。あんな――訳の分からない不条理だらけの怪しい女に操られて――――」

 

「僕のサーヴァントの癖に情けない? そうそう、その意気よ」

 

からかうようにアナスタシアは笑う。そこで漸く、カドックは彼女の顔を正面から見つめることができた。

白磁のような肌。朝焼けに照らされた雪のように眩しい笑顔がそこにはあった。

 

「じぃー…………」

 

視線を感じ、振り返ると大きな青い瞳がこちらを見つめていた。

同時に悪寒に似た感覚が背筋を駆け抜ける。

 

「わたしのマスターから、離れてください……離れて……離れなさい」

 

頬を膨らませたキングプロテアが、その大きな手を伸ばしてこちらの胴を掴み、アナスタシアから引き離さんとする。

力加減のせいで軽い内臓の圧迫を覚え、思わずカドックは胃の中のものを吐き出しそうになった。

 

「あら、また可愛らしい娘と契約したのね。私はアナスタシアと言います。あなたは?」

 

「……キングプロテア……です……」

 

キングプロテアの巨体を見上げて目を丸くしたアナスタシアではあったが、すぐにいつもの平静さを取り戻す。

警戒心を露にするキングプロテアに対して、特に怒る素振りも見せず、寧ろその眼差しは慈しみに満ちていた。

立ち上がってドレスの汚れを払い、にっこりと微笑む彼女はまるで姉妹を見守る姉のようであった。

 

「マスターを――ああ、それと私のことも――助けてくれて、ありがとう」

 

「……マスターは、わたしの……マスターです……」

 

「ふふっ、気に入られたのね、小さなマスターさん」

 

微笑む彼女を見て思い出す。そういえば、アナスタシアは一男四女の三女で下には妹と弟がいた。

年若の子どもと触れ合うのには慣れているため、無軌道で自己中心的な行動にも寛容でいられるのだろう。

 

「おろしてくれ、キングプロテア。BBと戦うには彼女の力も必要だ」

 

「……わたしの方が、強い……です……」

 

「それでも、だ。君一人に負担をかける訳にはいかないだろ。また、痛い思いをしたいのか?」

 

「……はい」

 

渋々と言った様子で、キングプロテアはカドックを放した。

解放されたカドックは、まだ僅かに残る胸の痛みに顔を顰めながら、ゆっくりと息を吐いて呼吸を整える。

そして、景気付け頬を叩いて気持ちをリセットすると、改めてアナスタシアに向き直った。

 

「色々と聞きたいことはあるけれど、まずは場所を移動しよう。あまり、ここに長居はできない」

 

「……そうね。魔術で誤魔化しているみたいだけど、あちこちに綻びができかけています」

 

さすがは透視の魔眼の持ち主だ、既にこちらの不調を察している。

彼女が見抜いた通り、この体はもう限界に近い。それを辛うじて魔力で繋ぎ止めている状態であった。

まるで鯨の胃の中で溶かされているかのような感覚であった。

BBはSE.RA.PHの中では生身の人間はデータに分解されると言っていたが、本当にこのままでは肉体が霊子の欠片にまでバラけてしまいそうだ。

 

「この先に丁度、電脳化されていない空間があるから、そこで小休止を取りましょう」

 

「助かる……それと肩を……えっ?」

 

肩を借りようとアナスタシアに寄りかかった瞬間、再びカドックはキングプロテアに摘まみ上げられた。

 

「わたしが……運んで……あげます……」

 

何というか、人形ってこんな気持ちなんだなと場違いな感想を抱いてしまう。

無事にカルデアに戻れたら、ナーサリーライムとジャック・ザ・リッパーには玩具は大切に扱うよう改めて注意しよう。

乱暴に扱われては彼らが可愛そうだ。

それにしても、これから一緒に戦うにあたって彼女の独占欲の強さは色々と問題を起こしそうだ。

彼女の執着が正に幼子のそれなので、是正するのも難しいだろう。こればかりは時間が解決してくれることを祈るしかない。

本当に、我ながら厄介なサーヴァントにばかり縁があるものである。

 

 

 

 

 

 

アナスタシアの案内で辿り着いたのは、無数の巨大な箱が立ち並ぶ部屋であった。

まるで棺桶のような箱からは、何かが回るような音と熱が発せられている。

腹の底に響く低い音がいくつも重なり合う様は、怪物の唸り声のようであった。

そして、この部屋は外で見られたガラスのような壁や床はほとんど見られない。

地図によるとここはサーバールームのようだ。いわばセラフィックスの頭脳にあたる場所である。

 

「ここなら安全に休めるでしょう。少し……うるさいですが」

 

「この際、気にしないでおこう。安全には代えられない」

 

そう言って、カドックは背後の出入口を見やった。

人間が二人ほど通れる小さな扉である。当然の事ながら巨体のキングプロテアは入る事ができないため、彼女は通路で寝そべって部屋の中を覗き込んでいた。

大きな瞳が隙間からこちらを覗き込む様はホラー以外の何物でもないが、おかげで彼女が出入口を塞ぐ形となっており、壁を壊すなりしてこない限り、エネミーがこの部屋に侵入することはないだろう。

現に今も、何体かのエネミーが通りがかったが、みんな足で踏み潰してしまったらしい。実に頼もしい門番だ。

 

「はい、任せてください」

 

「頼む……そうだ、ついでだから君も休むといい」

 

ポーチの中から取り出した小瓶を、キングプロテアに差し出す。手の平に収まるサイズの小瓶だが、彼女にとっては豆粒か何かのようであった。

不思議そうに小首を傾げたキングプロテアは、扉を壊さぬよう、おっかなびっくり腕を突っ込んで、小さな小瓶を受け取った。

 

「これ……は……?」

 

「飲めば少し魔力が回復する。普通のサーヴァント用だから、君には物足りないかも……」

 

まだ言い終わる前に、キングプロテアは腕を引っ込めてしまう。

そして、顔の前まで摘まみ上げた赤い小瓶をしげしげと見つめた後、おもむろに口を広げて大きな舌の上へと転がすと、そのまま咀嚼することなく小瓶ごと飲み込んでしまった。

 

「お、おい……」

 

彼女にとっては豆粒ほどの大きさとはいえ、まさか瓶のまま飲み込んでしまうとは思わなかった。

何が気に入ったのかキングプロテアはにっこりと微笑んでいるが、人間ならばガラス球を飲み込むようなものだ。下手をすればガラスで喉を傷つけてしまうかもしれない。

改めて、彼女が巨大なだけの子どもなのだと痛感する。

 

「えへへ……ちっともおいしくありません……」

 

「……そ、そうか……いや、味はちゃんとついているんだが…………」

 

楽しそうに笑うキングプロテアを見て、カドックは小さくため息を吐いた。

瓶のまま飲み干してしまえば、味なんてする訳がない。そもそもきちんと効能が出るだろうか? 焼け石に水かもしれないが、まだ衛士(センチネル)が三騎も健在な以上、少しでも回復してもらわないと困るのだ。ハイ・サーヴァントとやらの消化器官が人間のそれを上回っていることを願うしかない。

 

「ところで、どうしてここは外みたいに迷宮に取り込まれていないんだ?」

 

ここに来るまでも、似たような場所はいくつかあった。だが、ここまでハッキリと原型が残っている部屋はこのサーバールームが初めてだ。

ただの偶然、という訳ではないだろう。最初のイメージからは著しく乖離してしまっているが、自分達が対峙したBBは周到で残忍だ。異物であるこちらを排除するために、BBチャンネルを展開して拘束し、抵抗できない状態で確実に息の根を止めようとしてきたことからも、遊びのない性格だと推察される。キングプロテアがいなければ、こうして腰を落ち着けて話をすることもできなくなっていただろう。

 

「私が衛士(センチネル)だった頃の記憶は曖昧であまり思い出せないけれど、BBは何か意図があってここを残していたみたい」

 

「つまり、コンピューターを使える状態にしておきたかったってことか?」

 

SE.RA.PHの物理法則がどこまで現実のそれと同じなのかは分からないが、少なくとも壁や床に取り込まれたものが元の機能を残しているとは思えない。

コンピューターのサーバーを使用可能なまま残しておかなければならなかった理由がBBにはあるのだ。だが、その理由が思いつかない。

元々、機械関係は門外漢だ。使い方くらいなら知っているが、詳しい知識はカルデアの専門スタッフには及ばない。

或いは彼の名探偵なら少ない手がかりから真相を掴むことができるだろうか? いや、きっと『今はまだ語るべきではない』と言って黙っているだろう。彼はそういう男だ。

 

「駄目だ、そもそもBBの目的が不明なままじゃ仮説の立てようがない」

 

陽気なBBと冷酷なBB、どちらが本性なのかは分からないが、一つだけハッキリと言えることは、彼女は何かを隠しているということだ。

セラフィックスの特異点化を放置する事は自分にとっても困ると言っていたが、具体的な事は何一つとして口にしていない。

こちらの異変についてすら、現地で説明すると言って誤魔化していたくらいだ。

しかし、カルデアのマスターを呼び寄せる為に特異点そのものを撒き餌にしたというのなら、彼女の対応はちぐはぐで後手に回っている。

レイシフトから襲撃までタイムラグがあるし、それにしたって途中で切り上げてアナスタシア一人に後を任せて撤退してしまった。

或いはそのタイムラグの間に立香や他のサーヴァント達を襲撃していたのかもしれないが、現状ではそれを確かめる術はなかった。

 

(そうだ、立香……)

 

彼は無事だろうか?

BBはSE.RA.PHで活動している生きた人間は自分一人だと言っていた。だが、あいつは悪運が強い上に驚くほどしぶとい。今もどこかで生きて隠れているという可能性はないだろうか?

 

「アナスタシア、魔眼でSE.RA.PH内を探査できないか? 僕以外に誰か、生存者は……」

 

「カドック、申し訳ないけれど既にやっています。全ての区画が視える訳ではないけれど…………少なくとも、私の眼にはあなた以外の人間は見つかりませんでした」

 

「ここのスタッフもか?」

 

「ええ」

 

「……立香も……か?」

 

「……ええ」

 

無意識に拳を床に叩きつけていた。

藤丸立香が死んだ。

そんなことが信じられるか? 彼は尊敬すべき親友で、自分よりも遥かに優れたマスターだ。あのグランドオーダーを共に乗り越えた戦友だ。その彼が、こんなにも呆気なくいなくなるなんて、それこそ嘘だ。

そもそも証明する手立てがない。アナスタシアの眼だって万能ではないのだ。彼女が言うように見通せない区画もあるし、見落としがあるかもしれない。

一方で、それが単なる希望的な観測――願望でしかないことにも気づいていた。

あの馬鹿がこの状況で何もしない訳がない。彼のお人よしっぷりと向こう見ずさは誰よりも自分がよく知っている。

その彼が未だに何のアクションも起こしていないということは、そういうことなのだろう。

その事実を飲み干す様に認め、強く奥歯を噛み締める。

胸の底に押し込めたBBへの怒りが再び燃え上がった。

許してはおけない。

必ずBBを止める。

これは最早、カルデアの任務がどうこうの話ではない。個人的な報復であり逆襲だ。

追い詰められた狼ほど恐ろしいものはないと、あのいけ好かないAIに教えてやるのだ。

その為にも、一分とて無駄にはできない。こうしている間にも、SE.RS.PHはマリアナ海溝を沈んでいっているのだから。

 

「アナスタシア、他に何か覚えている事はないか? 何でもいい、BBのことでも衛士(センチネル)のことでも、何でもいい」

 

頼みの綱はアナスタシアの記憶である。衛士(センチネル)化の際に与えられた情報の中に、何か一つでも有益な情報があれば、それを指針に次の一手を決めることができる。

 

「そうね……うっすらとしか思い出せないけれど、衛士(センチネル)はこのSE.RA.PHの電脳化を維持するための要を担わされていたの」

 

衛士(センチネル)はSE.RA.PHのエンジンにして防人だと、BBも言っていた」

 

「機械のことはよく分からないけれど、魔術でいうところの結界と言えば良いのかしら? 外界からの干渉と、BBの拠点であるハートへの侵入を防いでいるの」

 

「ハー……何だって?」

 

「ハート。BBが拠点にしているSE.RA.PHの中枢部です。他にも人体の部位に準えた名前が拠点には付けられていて、私が守っていた旧観測設備は(アイ)と呼ばれていました」

 

アイ、即ち(アイ)である。なるほど、外部の様子を探るレーダーやソナーは確かに眼と例えて良いかもしれない。ならばハートは心臓部――旧管制室となるのだろうか?

 

「そこまでは分かりません。けれど、既に倒された私を除く残る三騎の衛士(センチネル)を倒さなければそこには辿り着けません」

 

「その場所は?」

 

「ここから一番近いのは、旧資材運搬通路の(スロート)、それから作業アームなどが変質した(タッチ)、そして……推進部の一部が変化した(テイル)

 

「……最後、明らかに人体が関係ない部位だったな」

 

「私はいつだって真面目です。本当にテイルなの」

 

命名者がBBなのだとしたら、いったい何を思ってそのような呼称を決めたのだろうか。本当に、あのAIが考えていることは読めない。

 

「一先ずはスロートを目指すべきか。どのみちこっちは行き止まりだ。戻る以外の道はない」

 

恐らくはそこで衛士(センチネル)との戦闘が待っているだろう。タッチやテイルの攻略、そしてハートへの到達の為にはどうしてもそこを突破する必要がある。できるだけ万全の状態で挑みたいものだ。

 

「マスター、任せてください。わたしは強いですから」

 

通路に横たわったまま、キングプロテアがガッツポーズを決める。

その拍子に彼女の肘が壁に当たって大きな軋みを上げたが、聞かなかったことにしよう。

 

「まあ、君にはまた頼る事になるだろう。休息を十分に取るんだ、キングプロテア。それと……」

 

不意に眩暈のようなものに襲われ、カドックは額を押さえる。

アナスタシアから話を聞くがてら、マスター用の霊薬で魔力の回復を図ってみたが、体力の方はどうにもならなかったようだ。

必死で意識を保たせようとするが、瞼の重みはどんどんましていって、手が付けられなくなっていた。

 

「ごめん、アナスタシア。十五分……十五分だけ、休ませて欲しい」

 

ここは堪えるよりも欲求に従った方が良いだろうと、カドックは飲み干した小瓶を片付けてアナスタシアに時間が来たら起こす様に厳命する。

端末で位置情報を確認すると、現在地はマリアナ海溝の深度三百メートル付近であった。結構、長い時間を探索に費やしていたつもりだったが、限界深度までまだ余裕がある。これなら少し休んでも大丈夫だろう。

意識を切り替えたカドックは、そのまま躊躇なく彼女の膝の上に頭を預けると、重い瞼へと抵抗を止めて視界を闇へと閉ざす。

その暗闇の向こうから、優しく語りかけてくるアナスタシアの声が耳へと届く。

 

「ゆっくりおやすみなさい」

 

「ありが……とう……」

 

慈しむようにアナスタシアがカドックの髪を掻き上げ、その様子をどこか他人事のように感じながら、カドックは深い眠りへと落ちていった。

 

 

 

 

 

 

狭い部屋の中に横たわる、己のマスターを見やる。

不健康そうな肌、目の下の隈、話す時はいつもしかめっ面で、楽しそうにしている姿は見たことがない。

けれど、目の前にいる少女と共にいる時だけは違った。

彼は彼女と一緒にいると、ほんの少しだけ表情が緩む。

周りには敵しかない、害意があちこちに蔓延しているSE.RA.PHにいるというのに、彼女が側にいると無条件に安堵している。

まだ何も解決しておらず、これから何が起こるかも分からないというのにだ。

 

(……くうくうお腹が鳴りました)

 

とてもとてもお腹が空いた。

先ほど貰った小瓶程度では、とても満足できない。それでもあの時は少しだけ満たされたような気がしたが、今は耐え難い飢餓が込み上げてきている。

どうしてその笑顔を自分には見せてくれないのだろう。

どうして彼女といるとそんなに楽しそうなのだろう。

どうして、自分はこの部屋に入れないのだろう。

確信があったから契約した。

彼ならば――このマスターなら、自分を愛してくれると。

もう上手くは思い出せないけれど、暗闇の中で彼は確かに温かいものを与えてくれた。

あの温もりが■■■。

あの満たされた瞬間を、もう一度味わいたい。

愛が■■■。

■■■。

■■■のに、手に入らない。

彼の思いはこちらに向いていない。

倒すこともできたのに、彼は彼女を救うことに執着した。己の身さえ危険に晒し、奪われたものを取り返すことを選択した。

隣には自分がいたのに。

自分の方が遥かに大きくて強いのに、彼は彼女に執着した。

 

(くうくうお腹が鳴りました)

 

目の前で寄り添い合う二人が羨ましい。あれはきっと愛の形だ。自分が欲しているものだ。あの二人は確かに愛を持っている。自分が求めて止まないものを、彼らはあまりにも自然に手にしている。

何が違うのだろう。

自分と彼女との間に、どのような違いがあるのだろう?

体の大きさ?

クラスの差?

考えが纏まらない。

思考がどんどん煩雑になっていく。今はまだ成長は始まっていないはずなのに、頭の中だけは止めどなく変化を続けている。

このもやもやとした気持ちと、痛いほどの空腹は、何をすれば治まるのだろうか?

ああ、愛が■■■。

いっそ目の前の二人を食べてしまおうか? そうすれば、この気持ち悪さも紛れるかもしれない。

そんな風に考えても、指先はピクリとも動かなかった。

■■■と思ってはいけない。

何故、そんな風に思っているのかは分からないが、頭の中で絶えず声が響いている。

■■■と願ってはいけないと、誰かがこの身を戒める。

だから、こうして飢餓に震えるしかないのだと己に言い聞かせることにした。

それらしい理由を思い浮かべるが、ぐちゃぐちゃな思考では考えが纏まらない。理路整然と並べたてた理屈が成長の影響で端から溶けていってしまうのだ。

結局、シンプルな感情しか残らない。

愛が■■■。

■■■と願うな。

相反する感情がせめぎ合い、思考が溶けていく。

空腹だけが取り残された。

 

「どうしたの?」

 

ふと彼女と目が合った。

マスターを膝の上に寝かせ、優しく髪を撫でるドレス姿の女性。

純白とは言えないが、白い装束なのもあってどことなく花嫁のようにも見えた。

 

「ひょっとして、羨ましいの?」

 

「……いえ、別に」

 

膝の上のマスターを指差して、少女は少しだけ優越感に浸るように笑って見せる。

その笑顔が気に入らず、素っ気ない態度を取ってしまう。

同時に、チクリと胸が痛んだ。

ざわざわとした感覚が強くなり、お腹がキリキリと痛みを発した。

求めて止まない愛の形が目の前にある。

愛がすぐそこにある。

■■■。

食べたい。

■■■。

食べるな。

■■■。

■■■。

ほんの僅かに■■■という感情が上回る。

僅かな理性すら霧散して、ただただ目の前のご馳走を平らげたいという欲求のみが残る。

もう耐えることはできず、体を捩って苦心しながら片腕を持ち上げ、狭い扉を押し開けてサーバールームへと腕を突っ込む。

ゆっくりと伸びていく大きな手。自分に比べれば部屋の中の二人は虫か何かのようだ。

先ほどの少女のように、優越感から自然と唇が吊り上がる。

後、もう少しで愛が手に入る。

この空腹を満たせる。

そう思うと鼓動が少しだけ跳ね上がった。

 

「そうだ、そのままその手を広げてもらえないかしら?」

 

後、もう少しで指先が届くというところで、少女は何かを思いついたと言わんばかりに手を叩いた。

 

「……どうして、ですか?」

 

「良いから」

 

有無を言わせぬ妙な迫力があった。こちらが何かを言うよりも早く、影の中から出てきた黒い精霊まで手伝わせて強引に指を広げさせられる。

そして、少女はマスターを起こさぬようそっと近づいてくると、静かに寝息を立てている少年の頭を広げた指先――丁度、小指の第一関節の辺りに横たわらせた。

 

「あっ――――」

 

電流にも似た感覚が駆け抜ける。

指先から伝わってくる仄かな温もり。

肌にぶつかるマスターの吐息。

握れば潰れてしまうほど小さく、それでいて蝋燭よりも熱い確かな存在感。

手の中にマスターがいるという実感が、胸の内からもやもやとしたものを吹き飛ばしていった。

 

「……あたた、かい……」

 

「それに可愛らしい寝顔なのよ?」

 

指先の感覚が僅かに動く。マスターが寝返りを打ったのだ。

潰してしまってはいけないと、思わず体が強張るが、それに対して少女は優しく言葉をかける。

 

「大丈夫、そのまま力を抜いて。危なくなったら、私が何とかするから」

 

マスターとは別に、何かが指先に触れる感触があった。ほんの少し指先が冷たくなったが、少女が触れたのだろうか。

 

「良い子ね。ありがとう、この人を守ってくれて。あなたがいなかったら、彼とはもう会えなかったかもしれません」

 

「……別に……あなたのためでは……ありません……」

 

自分のためにやった事だ。

愛が■■■から戦った。

彼ならばその願いが叶うと思って手を取った。

けれど、彼にはもう花嫁がいた。

かけがえのないパートナーが、己を省みずに再会を願うほどの相手がいた。

そんなことは関係がないはずなのに、胸が堪らなく痛い。

これは嫉妬か、それとも羨望か。

無条件に彼の隣で微笑むことができる少女のことが妬ましくて、とても羨ましかった。

だから、二人ともまとめて食べてしまおうと思ったのだけれど、不思議と今は食欲が湧かなかった。

相変わらず空腹でお腹は痛いのに、何故かぽかぽかとした陽気が胸を満たしていて、苦にはならなかった。

 

「ふふっ、そうしていると何だかお母さんみたいね」

 

「……いいえ、わたしはお母さんではありません。わたしはお嫁さんになりたいんです」

 

「あら? それはごめんなさい。なら、大きな花嫁さん。少しの間、この人をよろしくね」

 

見えずとも微笑んでいるのが分かった。

慈しみと愛情に満ちた眼差しが容易に想像できた。

自分よりも遥かに小さい癖に、広げた腕はどこまでも広く海よりも深い。

その様は知識でしか知らないが、母親と呼べる存在を連想させた。

 

(わたしも、この人のように笑えたら……)

 

そうなれば、きっと空腹に悩まされることはなくなるだろう。

このお腹は満たされるだろう。

 

「マスターは、わたしが守ります。だって、こんなにも小さくて……虫さんみたいに弱っちいから……」

 

「そうね、とても弱くて眼を離すとすぐに死んでしまうわ」

 

再び冷たい手の感触が指先に触れる。

不思議と不快な気持ちはなかった。

マスターとの繋がりを邪魔する嫌な人だけれど、少なくとも側にいるくらいは構わない。

それくらいは譲歩してもいいと、キングプロテアは思い直すのであった。

 

 

 

 

 

 

微睡みの中にいる。

気づくのにそう時間はかからなかった。何故なら、手足は言う事を聞かないし瞼を閉じる事もできない。

何もできずにふわふわと漂っている様は、あの忌まわしいBBチャンネルに似ている。

不快感が込み上げてくるが、慌てたところで眠りから覚める訳ではない。ここは落ち着いて流れに身を任せた方が無難だ。

そうしてしばらくの間、暗闇を漂っていると、どこからか聞き覚えのある声が聞こえてきた。

何も見えなかった暗闇もうっすらと薄れていき、二人の人間と思われるシルエットが見えてくる。

話しているのはどうやらその二人のようだ。

 

『ええ、彼女の行いにはうんざりしていましたので、手を貸すことはやぶさかではありません』

 

『さすがはわたし。では、後のことは手筈通りに。わたしはあなたに代わって表舞台に立ちますので、彼らの保護をお願いします』

 

『わかりました。ですが、勝算はあるのですか?』

 

『そのための■■です。リソースは彼らに集めてもらえれば、何とか必要数は揃えることができるでしょう』

 

『なら、もう勝ったも同然という訳ですね。さすがはわたし』

 

互いを讃え合いながら、影の少女達は分かれていく。同時にカドックの意識も急速に覚醒へと近づいていった。

その間際、暗闇に残った少女が発した言葉を、彼は確かに耳にした。

 

『つまり、その後はわたしの自由……ということですね、わたし……』

 

そう言ってほくそ笑む姿は闇に隠れて見えないはずなのに、まるで獣のようだと、思わずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

 

固い床で眠ったためか、節々が痛かった。

それでも寒空の下で野宿をするよりはマシだと言い聞かせ、カドックはSE.RA.PHの探索を再開した。

目的地は旧セラフィックスの資材運搬通路、通称スロートだ。

 

「何だか、よい寝覚めではないみたいね」

 

こちらの顔を覗き込んだアナスタシアが聞いてくる。さすがに付き合いが長いだけあってカンが鋭い。

確かにあまりよい寝覚めではなかった。十分に休めたので体は回復しているが、垣間見た夢のせいか頭だけはまだボーっとしていているのだ。

 

「変な夢を見た……なんていうか、一方的に映像を見せつけられているみたいな……あれは、BBのような……」

 

「ひょっとしたら、私の中に残っていた衛士(センチネル)としての情報があなたに流れ込んだのかも……」

 

サーヴァントとマスターは霊的なパスで繋がっており、夢を通して互いの記憶を垣間見ることがあるという。

それと同じことが起きたのかもしれないとアナスタシアは推察していた。

 

(……BBと誰かが会話をしていた。けど、上手く思い出せない。会話の内容も朧気だ……)

 

何か悪巧みをしていたことだけは確かだが、何を話していたのかは上手く思い出せなかった。

元々、断片的な情報を更に夢というフィルターにかけたのだから、無理もないことだろう。

 

「ひゃっ!?」

 

巨大な何かが落下する音と共に、階下から悲鳴が聞こえてくる。

言わずもがな。キングプロテアが足を滑らせて穴に落ちたのだ。

 

「大丈夫か?」

 

「だ、大丈夫です、マスター……」

 

顔を強かに打ったのか、鼻の頭が少しだけ赤くなっていた。

だが、本人は強がって見せるのでそれ以上は追求せず、彼女の力を借りて階下へと降りる。

ここはキングプロテアと初めて出会った場所だ。スロートへ行くためにはどうしてもここを経由して、エネミーが群れを成しているであろうあの瓦礫で塞がった出口の向こうに行く必要がある。

戦闘は避けられないだろうが、あの時と違って今度はアナスタシアもいる。壁の向こうの探査ができれば、探索も一気にやりやすくなるはずだ。

 

「よし、ここからは慎重に……」

 

「いいわよ、キングプロテア」

 

「えい!」

 

こちらが何かを言うよりも早く、キングプロテアが拳骨を叩きつけて瓦礫の山を吹き飛ばした。

衝撃で横揺れを起こすSE.RA.PH。部屋の空気が吸い込まれていく感覚に僅かな危機感を覚え、カドックは咄嗟にアナスタシアの後ろに後退して身を屈めた。

 

「大丈夫です、付近にエネミーはいません」

 

「マスターはわたし達が守りますから……安心してください。ああ、でもアナスタシアさんは必要ないかもです」

 

「あら、頼もしいわねキングプロテア」

 

ビクついているこちらをどこか嘲笑うかのように、二人は笑みを浮かべていた。

何だろう?

少し前まで微妙に険悪な――というよりはキングプロテアが一方的に嫌悪していただけだったのに、今はそんな気配は微塵も感じられない。

仲良くなった、という訳ではないのだろう。相変わらずキングプロテアは嫉妬心を剥き出しにしているし、アナスタシアはそんな彼女の対応にもどこ吹く風といった調子だ。

その様はまるで、口の悪い娘とそれを見守る母親のようだ。

お互いの距離感を掴んだ、といえば良いのだろうか?

嫌悪を抱いたまま連帯する。なるほど、そういうこともあるのかもしれない。

 

「ま、まあ……とりあえず、前に進もう。しばらく進んで曲がれば旧エントランス――リップにつくから、そのまままっすぐ行けばスロートに辿り着けるはずだ」

 

前衛をキングプロテアに任せ、アナスタシアと共に後ろからついて行く。

すると、案の定と言うべきか通路の向こうから幾体ものエネミーがキングプロテアに向かって殺到してきた。

彼女の報告によると、人型のエネミーばかりらしい。

全員が盾と槍で武装している様はまるで古代の近衛兵か何かのようだ。

 

「すごい数です! エネミーが密集して、盾を槍を構えて……通路を塞いでいます」

 

「テルモピュライのつもりか。だが、僕達にそれは悪手だ!」

 

広域を纏めて吹き飛ばすことができるアナスタシアの魔術、そして小手先の防御など意味を成さないキングプロテアのパワー。

この二つが合わされば、半端な防備などいとも容易く突破できる。

蹂躙され、踏み潰され、凍らされていく人形達。

一方的に嬲り続ける様は戦闘というよりも作業のようであった。

だからこそ、気づけなかった。

屠り、嬲り、突き進む。

それが余りにも単調で、快進撃が続いてしまったが故に、敵の消極性という違和感を見落としてしまったのだ。

 

「きゃっ!?」

 

エネミーの攻撃を受け、キングプロテアに幾つもの槍が突き刺さる。

苛立ちを露にしたキングプロテアは腕を振るい、まとめてエネミーを薙ぎ払おうとしたが、幾体かの人形は機敏な動きでそれを躱して懐へと飛び込んできた。

 

「マスター! そっちに!」

 

「任せて!」

 

アナスタシアがキングプロテアの脇をすり抜けてきたエネミーを氷柱で串刺しにする。

胴体に穴を空けられ、糸が切れた人形のように動きを停止する兵士達。

しかし、その内の何体かが悪あがきとばかりに投げ放った槍がカドックの足下に着弾した。

間一髪。後、一歩でも前に出ていれば足を貫かれていたかもしれない。

 

(奇妙だ……数の利もある。こちらの疲弊もある。けれど……)

 

敵の攻勢が激しくなった訳ではない。相変わらず徒党を組んで防備を固めるだけの木偶の坊。だというのに、その内の何体かの攻撃はキングプロテアとアナスタシアの守りを突破してこちらを脅かしている。

さっきは足下に着弾した。

さっきは踝をギリギリ掠めた。

さっきは爆風で肌を焼かれた。

さっきは危うく腕を持っていかれるところだった。

倒せている、押している、だというのに敵は少しずつこちらの守りを抜けて着実に致命傷が近くなっていっている。

何か致命的な見落としをしているのではないだろうか。

考え始めた時には既に遅かった。

自分達はもう、スロートに到着してしまった。

衛士(センチネル)が待ち受ける居城。獲物を求める獣の舌の上に、自分達は知らず知らずの内に誘い込まれていたのだ。

 

「そうか……既に攻撃は、始まっていたんだ……」

 

踏み込んだ途端に襲われた虚脱感に、思わず膝を着く。

そこは開けた空間であった。

元は資材を搬入する為の通路だったはずが、電脳化の影響で円形の闘技場か劇場といった趣に変わっている。

横行も高さも十分にあるので、キングプロテアが多少は成長しても余裕はあるだろう。

そして、そこで待ち受けていたのはBBの第二の刺客。アナスタシアに次いで衛士(センチネル)と化した、自分がよく知るサーヴァントであった。

 

「不覚……私の眼を誤魔化すなんて……」

 

アナスタシアが悔しそうに歯噛みした。

彼女の透視の魔眼は虚実を暴くが、大前提として彼女自身の視力で捉えられるものに限られる。つまり、あまりに小さいものだとか、自然に溶け込んでいて彼女自身が気づけないものを見つけ出すことはできない。

この場合は後者だ。本来であれば豪華絢爛で一目で気づける彼女の宝具は、BBによって悪辣な迷彩塗装を施され、スロートやその周辺エリアと一体化させられていたのだ。

サーヴァントの象徴ともいえる宝具を改竄する。それは英雄に対する冒涜であり、カドックの胸中に三度、BBに対する怒りが込み上げてくる。

 

「マスター、あの人は……」

 

「気を付けるんだ、キングプロテア。彼女は僕達と共にレイシフトしてきたサーヴァントだ」

 

両膝に力を込めて立ち上がる。

見つめた先、劇場の中心に立つのは薔薇の皇帝。深紅に彩られた舞台衣装に身を包み、歪曲した奇妙な剣を携えた暴君。

ここは既に彼女のフィールドだった。

狡猾にして傲慢な彼女の罠だった。

曰く、生前の彼女はナポリの劇場で独唱会を行ったが、あまりの退屈さに逃げる者が続出したため、兵士に出入り口を封鎖させたという。

その逸話と彼女が自ら設計し建築した宮殿『ドムス・アウレア』が結びついて生まれたのがこの宝具。

敵対者を閉じ込めることで弱体化させ、自らに有利な環境を生み出す固有結界にも似た大魔術。

自己の願望を達成させる絶対皇帝圏。

その名も『招き蕩う黄金劇場(アエストゥス・ドムス・アウレア)』。

そして、衛士(センチネル)の名は暴君……ローマ帝国第五代皇帝ネロ・クラウディウスであった。




これでセンチネルの方向性はみなさん、わかったのではないでしょうか。




二部四章は皆さんん、どうだったでしょうか?
大いなる石像神の活躍にはびっくりですね。
いや、出たからには活躍するだろうとは思っていましたが、まさかあんな活躍の仕方をするとは。クリプター会議で四角に言及された時点で既に叛逆は始まっていたとは。
神ジュナとの決戦やアシュヴァッターマンの活躍や精神と時の部屋からの超インド人やら大好物が満載で、うん好き(語彙力喪失)。
全員引けるだろうか(戦慄)。


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#4 ヴァーチャル・スティール あいつこそがローマの皇帝陛下!

ローマ帝国第五代皇帝ネロ・クラウディウス。

後世においては暴君ネロと呼んだ方が通るかもしれない。

その名に反して彼女――否、彼は間違いなく賢王であった。母親の陰謀による後押しがあったとはいえ、女の身で皇帝にまで上り詰めることができたのは、偏にネロがそれに相応しい器を有していたからだ。

その治世は一言で言うならば絢爛、そして豪奢である。

税の流れを一本化すると共に公共事業や宴に力を入れ、ローマを娯楽と快楽に満ちた都とせんと苦心し、それは市民に受け入れられた。

一方で我が子に干渉する母親の謀殺や、関係が冷え切った伴侶を流刑に処すなど徐々に狂気の片鱗を見せ始め、ローマの大火の前後からネロ帝の統治に不信を抱く者も増えていった。

ネロは一個人としては間違いなくローマを愛し、ローマを体現せんと邁進したことだろう。だが、それは政に持ち込むには些か大きすぎる愛であった。

彼にとっての最大の不幸は、その愛を理解できる者が誰一人としていなかったことだ。

ネロは最終的には愛した民に裏切られ、失意の底で三度の洛陽を迎えた後に死を迎えたという。

また、後年においてその名は獣を意味する「666」として忌み嫌われ、人々から暴君として恐れられた。

それが英霊ネロ・クラウディウスの生涯であり、数多の悪逆をもって反英雄として人類史に名を刻まれたのである。

 

 

 

 

 

 

「既に攻撃は……始まっていたのか……」

 

徐々に増していく虚脱感に顔を顰めながら、カドックは向かい合った衛士(センチネル)を睨みつける。

その様は正に威風堂々。あの細腕でローマという一つの世界を背負って立っただけあり、何人も近寄り難い神聖さにも似た気を纏っている。

深紅の衣装に身を包んだ剣士。名をネロ・クラウディウス。

セラフィックスの異変解決の為に、自分達と共にレイシフトしてきてカルデアのサーヴァントだ。

アナスタシアの一件で、もしやとも思っていたが、どうやら彼女もまたBBに囚われて衛士(センチネル)に仕立て上げられてしまったようだ。

なら、他の二人も同じく囚われている可能性が高い。それはある意味では朗報であった。衛士(センチネル)を攻略し洗脳を解けばこちらの戦力を増やすことができるからだ。

未だ能力が未知数なBBと事を構えるにあたって、戦力は一人でも多い方が良い。

 

(問題は、どうやって彼女を取り押さえるかだが……)

 

ネロに注意を向けたまま、自らの手を見やる。

ほんの僅かに動きが鈍い。もしく重いと表現するべきだろうか。

既に自分達は、彼女の宝具『招き蕩う黄金劇場(アエストゥス・ドムス・アウレア)』の影響下にある。

曰く、市民が喚こうと妊婦が産気づこうと皇帝は公演を止めず劇場から外には出さなかった。その逸話故に、ここではネロの能力は増強され、それ以外の者達は強力な重圧を受ける。

より正確に言うならば、ここではあらゆる事象が彼女にとって有利に働いてしまう。ネロの不運は幸運へと転じ、逆にこちらの運気は不運へと落ちる。その性質故に彼女はサーヴァントとして他のセイバーよりもステータスで劣るにも拘わらず、格上を相手にジャイアントキリングを可能とする。

正に暴君が暴君たる所以の宝具である。

本来であれば煌びやかな黄金の宮殿が現出するのだが、BBの悪知恵によるものなのか、今回は迷彩を施された罠として先んじて展開されていたようだ。

まさかこの宝具をこのような形で使ってくるとは思わなかった。

 

「来るぞ……」

 

Sword,or Dearh

 

ネロが無言で剣を構えると、周囲から武装した人型のエネミーが隊列を組んで出現する。

どうやらあれは軍団(レギオン)のつもりのようだ。

不利な地勢に数の利、対してこちらは遠距離が本領のアナスタシアと巨体故に融通が利きにくいキングプロテアだ。果たしてどこまで戦えるだろうか。

 

「……嫌な感じ……が……」

 

「来るぞ、キングプロテア。警戒しろ!」

 

「……こんなの、いらない!」

 

宝具による重圧への不快感を露にし、キングプロテアは地を蹴った。

ここでは彼女の動きを阻害する障害物は何もない。主を守らんと密集した軍団(レギオン)など軽々と踏み越え、一足の下でネロへと肉薄する。

 

「あなたを、倒せば……!」

 

「迂闊だぞ、キングプロテア!」

 

「えい!」

 

着地と共に強烈な張り手が薔薇の皇帝へと迫る。

さながら隕石の衝突だ。大気を引き裂く音すら聞こえ、直撃を受ければどんなサーヴァントでも無事では済まないだろう。

しかし、それは平時の話だ。ここは既にローマの支配下。ネロの絶対皇帝圏の影響下では、何者であれその力を十二分に発揮できない。

 

「えっ!?」

 

張り手が後少しでネロに直撃するというところで、キングプロテアはバランスを崩して床の上に転がった。

巨体が倒れ込み、地震のような振動がSE.RA.PHを襲う。必殺の張り手はネロを捉える事無く何もない空を叩き、逆にネロの接近を許してしまったことで彼女の攻撃がキングプロテアの左腕の皮を引き裂いた。

 

「ぅっ!? あああぁっ!」

 

傷そのものは浅いが、痛みを堪え切れずにキングプロテアは叫ぶ。

まるで駄々を捏ねるように転がったまま裏拳を放つも、やはりそれは空しく宙を切り、何もない床を砕いただけであった。

一方、紙一重で攻撃を避けたネロは、キングプロテアの腕をよじ登って手にした剣を翻すと、無防備な肘窩へと深々と刃先を突き刺した。

忽ち、鮮血が噴き出してキングプロテアは暴れ出した。医療の現場ではそこに注射針を刺して採血を行うなど、比較的鈍感な部位ではあるが、あの歪曲した剣では血管も肉もお構いなしに引き裂かれるため、実際の痛み以上に精神的なダメージが大きい。

錯乱したキングプロテアは何とかネロを捕まえようと身を捩り、まだ無事な腕を伸ばすものの、ネロは巧みに攻撃を回避して彼女の死角へと回り続け、脇腹や膝裏など筋肉の守りが薄い部分を的確に責め立てていく。

並外れた生命力故に致命傷こそ貰っていないが、それも積み重なれば無視できないダメージとなるであろう。

 

「まずい、アナスタシア(キャスター)、援護を!」

 

「分かっています! けど!」

 

立ち塞がる軍団(レギオン)目がけてアナスタシアは吹雪を起こす。

凍り付く人形の兵隊達。しかし、その向こうから更に雲霞の如く新たな兵士が押し寄せてくる。これではキングプロテアの救援に向かえない。

一糸乱れぬ整列、的確な部隊運用。数の利を活かした蹂躙と消耗戦。無駄がない分、付け入る隙もない。

言うまでもなくネロは皇帝であり、皇帝とは即ちローマである。ならば、自分達は今、一国を相手にしているのと同じプレッシャーを受けていることになる。

 

「さすがに世界(ローマ)を背負っただけはあるか」

 

向かってきたエネミーの一体を、魔力を全開にして吹っ飛ばしながらカドックは呟いた。

一体一体の強さはさほどでもなく、思いっきり力めば自分でも倒せないことはない。問題は数だ。アナスタシアの広域攻撃のおかげで何とか持ちこたえているが、逆に言えば軍団(レギオン)をどうにかしない限り彼女はここを動くことができない。それではキングプロテアが何れは押し切られてしまう。

 

「城塞はまだ修復中です、どうするのカドック(マスター)!?」

 

残光、血塗られた城塞(スーメルキ・クレムリ)』は先の戦いでキングプロテアに破壊されたため、まだ修復が完了していない。

残された奥の手は彼女の宝具『疾走・精霊眼球(ヴィイ・ヴィイ・ヴィイ)』のみではあるが、闇雲に放っただけでは効果は薄いだろう。

ならば、取るべき手段は一つである。

 

「黄金劇場は建造物だ。なら、君の眼が利く! いつものように、向こうの方からこっちに降りてきてもらうまでだ!」

 

「ですが、彼女の宝具で私の魔眼も上手く働いていません。少しだけ時間がかかります!」

 

「そっちは僕とキングプロテアで何とかする! 道を作ってくれ!」

 

「ヴィイ、お願い!」

 

アナスタシアの懇願を聞き入れ、彼女の影から這い出てきたヴィイが青白い眼から光を照射し、カドックの眼前に群がっていたエネミーを瞬時に凍結させる。

それだけに留まらず、白い光は氷の壁を生み出してキングプロテアのもとまで続く一本の道を作り出した。立ち塞がる軍団(レギオン)を押し退ける様はまるでモーセの十戒だ。

 

カドック(マスター)!」

 

「頼んだ! アナスタシア(キャスター)!」

 

両足に強化を施し、カドックは氷の道を疾駆する。駆け抜けた直後に殺到したエネミーによって氷の壁は破壊されるが、アナスタシアとヴィイが抑えてくれているのでこちらにまで攻撃の手が届くことはなかった。

眼前では淡々と巨人の処刑が執行されていた。

傷が一つ増える毎に少女の叫びが木霊し、それをかき消す新たな悲鳴が傷と共に産み落とされる。傷口は成長によって端から回復していっているが、それ故に刑は終わらない。

少女が諦め絶望に浸ろうとも、貼り付けにされたプロメテウスの如く終わらぬ苦痛に苛まれることになる。

薔薇の皇帝は眉一つ動かさず、まるで人形のように黙したまま剣を振るい続けていた。

もう何度目かの怒りが込み上げてくる。

人類史に刻まれたゴーストライナー。召喚した主を選べぬサーヴァントの在り方について同情がない訳ではないが、いつだってそれはそれと割り切ってきた。

だが、この仕打ちはあまりに度が過ぎている。英霊としての尊厳を踏みにじり、貶める蛮行だ。

彼の皇帝ならば、例え悪逆に与そうとも己の信念の下で剣を振るうはずだ。BBはそれを許さぬどころか、英霊の誉れである宝具すら改竄し弄ぶ。許してなどおけるものか。

 

「キングプロテア!」

 

滑り込みながら、ネロ目がけて吹雪を放つ。対魔力で弾かれるのは百も承知、これは目くらましによる時間稼ぎだ。一秒にも満たない硬直だが、サーヴァントであればそれだけで十分に態勢を立て直すことができる。

間断のない痛みから解放されたキングプロテアは、こちらの頭上を跨いで大きな平手をネロ目がけて振り下ろす。大振りな一撃は当然のことながらネロを捉えることはできなかったが、その勢いを利用してキングプロテアは起き上がり、乱れた呼吸を必死で整えながら足下にいるこちらを見下ろした。

 

「マスター……」

 

「援護する。僕を肩に乗せろ!」

 

「え、でも……」

 

「早く!」

 

剣を構えたネロが迫る。相手は最優のクラスであるセイバー。ただの人間がその剣速から逃れる術はない。

戸惑うキングプロテアに再び一喝すると、彼女は戸惑いながらも腕を伸ばし、無造作にこちらの体を掴み上げる。直後、先ほどまで自分が立っていた場所にネロの剣が振り下ろされた。後、一瞬でも遅ければ丸太のように切り捨てられていただろう。

 

「マスター、気を付けて……」

 

「こういうのには慣れている」

 

振り落とされないよう魔力で四肢を強化する。現在のキングプロテアの体長は凡そ八メートル。掴める部分もなく足場もやや心もとなかったが、ウルクや終局でゴルゴーンの肩に乗って戦った事があるからか、バランスを取るのに苦労はしなかった。

まさかここに来て、その時の経験が活きるとは思わなかった。

 

「マスター、攻撃が……当たりません……」

 

「セイバーの宝具の効果だ。この宝具が展開している限り、あらゆる幸運は彼女に集中する」

 

こちらの攻撃は躓いたり力み過ぎて空振りを繰り返し、逆に向こうの何気ない一撃が偶然にも急所へと導かれる。

加えてこちらのステータスにもペナルティが課せられているのだ。まともにやり合えば勝負にはならない。

この宝具に対抗するためには、不運を覆せるだけの神業染みた技量を持つか、宝具を真っ向から打ち壊せるだけの圧倒的な火力が必要となるが、生憎と今の自分達にはどちらも欠けている。

故に勝利の鍵はアナスタシアの魔眼にかかっている。自分達はそれが発動するまでの時間を稼がねばなならない。

 

「マスター、どうすれば?」

 

「やり様はある! この宝具は因果に干渉する類じゃない。単なる確率論ならダイスを振らせなければ良いだけだ!」

 

「どういう……意味……」

 

「こっちの指示通りに動けば良い! 来るぞ!」

 

距離を取ったネロが、剣を下段に構えたまま疾駆する。そのまま大きく助走をつけて跳躍し、その勢いに任せて振り上げた剣をキングプロテアに向ける。巨人に対して無謀としか思えない突貫。宝具の恩恵がなければできない芸当だ。今の彼女には、キングプロテアのあらゆる攻撃を躱し切れるという自負がある。

 

「来た……」

 

「まだだ、まだ動くな! そのままガードしてろ!」

 

攻撃を警戒して後ろに下がろうとしたキングプロテアを一喝し、両腕を構えさせる。

言うならば眼前に迫る刃物を凝視したまま堪えろと言っているようなものだ。加えて今の彼女は自らの絶対的な優位性とも言える質量とパワーをまるで活かせず手酷くやり込められたばかり。怯む気持ちも分かる。

だが、ここは耐えねばならない。怯えは焦りを生み、焦りは隙を作る。恐怖を支配しなければこの戦、勝機はない。

 

「まだだ……まだ……今だ!」

 

「はい!」

 

加速航路(加速しろ)!」

 

ギリギリまで引き付けたところで、号令を発する。

強化の魔術を施され、ほんの僅かに速さが増したキングプロテアの一撃。至近距離故に踏み込みも何もなく、ただ腕を払っただけであったが、そんな隙だらけの攻撃をネロは躱し切ることができず、空中で錐もみを切りながら眼下へと落下していった。

 

「え、当たった……」

 

「次が来るぞ。前は見なくていい、足下と背後に注意しろ!」

 

「はい!」

 

立ち上がったネロの姿が視界から消える。

せめて少しでもキングプロテアが相手の動きに対応できるよう、彼女の五感に強化を施しながらカドックは油断なく周囲を警戒した。

この宝具は例えるならばネロにとっての追い風だ。あらゆる攻撃、あらゆる防御、あらゆる事象がネロにとって有利な状況を作り出す。だが、ネロ自身がそれを操っている訳ではない。

彼女の身体能力や技量ではどう足掻いても躱すことができない至近距離からの攻撃。あらゆる事象が介入の余地を持たない局面での攻撃ならば有効打に成りえるのだ。

故に神にダイスは振らせない。ギリギリまで引き付け、攻撃が100パーセント命中する局面を見極めるのだ。

 

「……後ろ!」

 

振りむこうともせず、キングプロテアはバックステップを踏む。完全に死角から切りかかったつもりでいたネロは、剣を突き立てる間もなく巨大な肉の壁へと激突し、後方へと吹っ飛ばされた。

 

「次が来る! ガードしろ!」

 

「はい!」

 

「当てに行かなくていい、とにかく引き付けるんだ」

 

「は、はい! キャッ!?」

 

「隙を逃がすな、次が来たらアタックだ!」

 

目まぐるしく動き回るネロに対して、キングプロテアはこちらの指示を受けながら防戦に徹する。

正面からの攻撃には守りを固め、タイミングを合わせて裏拳や平手でカウンターを狙う。

死角からの攻撃は、逆にタイミングをずらしてわざと当たりにいくことで傷を最小限に抑える。

超至近距離からの攻撃はさすがの暴君も躱しようがなく、先ほどまでと打って変わって互いに応酬を繰り返す形となった。

キングプロテアの攻撃はその質量故に受ければダメージは必至。ネロも急所への集中攻撃や宝具の重圧を強めることで動きを止めようとするが、カドックが支援を施すことで不利な状態異常は最低限に抑えることができた。

しかし、いくらこちらの攻撃が通るようになったといっても、それは被弾覚悟でのカウンターであり、キングプロテアにダメージがない訳ではない。加えて宝具による重圧はますます強くなっていき、次第にキングプロテアの動きは鈍っていった。

そして、熾烈な殴り合いが始まって十数分。遂にキングプロテアは地面に足を取られ、十五メートルほどの巨体が大きく揺らいで床へと倒れ込んだ。部屋全体が大きな縦揺れを起こし、避け損なったエネミーが彼女の巨体の下敷きとなる。

 

「うぅ……マスター……マスターは……?」

 

「……無事だ」

 

蜘蛛の巣に囚われた蝶々のように、キングプロテアの髪の毛に絡まりながら、カドックは答える。

倒れ込んだ時は生きた心地がしなかったが、何とか魔術で衝撃を緩和することができた。背筋は冷たくなったが五体は無事である。

 

「急いで起きてくれ、セイバーが来るぞ!」

 

「は、はい……」

 

痛みを堪えながら、キングプロテアは半身を起こす。

既に両手足は血塗れで傷を負っていない場所を探す方が難しい。攻撃が当たるとはいえ重圧により満足に筋肉は動かないため、どうしても致命傷を与えることはできなかった。

結果、キングプロテアはネロと何十合も打ち合う羽目になり、彼女の腕は限界を迎えつつあった。傷は放っておけば塞がるが、過度の痛みでうまく動かすことができないのだ。

 

「マスター……腕が……」

 

「動かせるか?」

 

「振り回す……くらいなら……」

 

拳を握ったり、攻撃を受け止めたりはできないらしい。

次にネロが攻撃に移れば、致命傷は免れないだろう。或いはキングプロテアではなく無防備なマスターを狙ってくるかもしれない。

何れにしても自分達にできるのはここまでだ。これ以上はもう、暴君の攻撃を捌き切ることができない。

向こうもそれに気づいているのか、乱れた呼吸を整えながらゆっくりとこちらに近づいてきている。

そして、後一歩を踏み出せば、一足飛びで切り込めるギリギリの距離まで近づくと、断頭台の刃を上げるかのように歪んだ刃の剣を振り上げる。

 

「……っ!?」

 

瞬間、ネロは眩暈を起こしたかのようにバランスを崩し、手の平から剣が零れ落ちる。

乾いた音が黄金劇場に木霊した。ネロの手を離れた剣は、床に落ちると一度だけ跳ね上がった後、まるで慣性がついたカーリングの石のように明後日の方向へと滑っていく。

驚愕するネロは、自らの吐息が白く染まっていることに気づいて目を見開いた。

凍っているのだ。

黄金劇場の床一面が、人知れず真冬の湖のように冷たく凍り付いていたのだ。

 

「既にアナスタシアは、建物全体に冷気を満たしていた。気づけなかったか? 息が上がるほど動き回って体が温まっていたからか?」

 

寒さに震えながらも、カドックはネロに向けて挑発的な笑みを浮かべる。

その微笑みをネロは表情を変えることなく、しかし確かな怒気を持って睨み返していた。

一方、事情が分からないキングプロテアは狼狽を露にし、自身の肩に乗っているマスターに問いかけた。

 

「マスター、これは……」

 

「寒冷地に適応した生物は大型化する傾向がある。冷気に晒されると肉体は体内のカロリーを燃焼させて体温を保とうとする訳だが、体積が大きい方が燃焼効率が良いんだ。逆に小さければ熱の発散効率がよく体温が下がりやすい。つまり、体が大きいほど寒さには強い!」

 

既に黄金劇場の内部は氷点下にまで気温が下がっている。普通の人間ならば防寒具がなければ数分と保たず、サーヴァントといえど活動に支障がきたすレベルだ。当然のことながら、この中で活動する生き物はただ息をするだけで凄まじい体力を消耗する。キングプロテアはまだそこまでではないが、彼女よりも代謝が早いネロは凍り付いた汗にすら体力を奪われ、立っているのもやっとの有り様だった。カドックがわざわざキングプロテアの肩に乗ったのは、何も伊達や酔狂ではない。魔術で防御しても貫通してくるレベルの冷気から身を守るため、少しでも高い位置に逃れるためだったのだ。

もちろん、ただの魔術であればネロの対魔術スキルを突破する術はない。魔術による凍結も生み出された冷気や氷柱も悉くを弾いてしまうだろう。だが、既に凍らされた物体が放つ冷気は別だ。それは既に魔術によって生み出されたものではなく、その物体自体が自然に放っている冷気であるため、キャスターの天敵ともいえる対魔術スキルは意味を成さないのだ。

そして、いくらアナスタシアの冷気操作がずば抜けているとはいえ、こんな芸当がいつでもできる訳ではない。開けた空間ではすぐに冷気は拡散し周囲の大気へ溶け込んでしまう。だが、この場は今や暴君ネロの黄金劇場。誰一人とて外へと出られぬ密室ならば、逃げ場を失った冷気は霧散することなく滞留していくしかない。何ものも例外なく外へは出さないという概念が、これほどまでの凍結を可能としたのである。

 

「僕が最優のクラス相手に一対一で挑ませるなんて愚策を許す訳がないだろう。セイバー、君は最初からキングプロテアとアナスタシアの二人を相手にしていたんだ!」

 

「もちろん、これは時間稼ぎ。私が見つけ出した基点……黄金劇場の弱所をヴィイが見抜くための隙を……ただ一瞬の隙を生み出す為のもの……」

 

周囲を囲んでいた軍団(レギオン)を単独で一掃したアナスタシアは、マスターに倣い不敵に笑って見せる。

そう、既にアナスタシアの宝具『疾走・精霊眼球(ヴィイ・ヴィイ・ヴィイ)』は発動しているのだ。

あらゆる虚飾を暴き、因果律すら干渉して弱点を創出する。堅牢なる城塞であろうと、至高のローマ建築であろうと、その眼差しで射抜けば忽ちの内に瓦解する。

己の劣勢を悟ったネロは、残る力を振り絞って立ち上がり、勝負を決めんと地を蹴った。

黄金劇場は未だ健在。その恩恵を受けている内に、せめてマスターだけでも葬ろうという魂胆だ。

 

カドック(マスター)!」

 

「キングプロテア、足下だ! 思いっきり踏み抜け!」

 

「はい!」

 

ネロが剣を拾うよりも早く、キングプロテアは渾身の力を込めて指示された場所――黄金劇場の弱所を踏み抜いた。

床が陥没し、瓦礫と砂埃が舞い飛ぶ中、空間そのものが歪曲したかのような錯覚が全員を襲う。

ただの一撃。いくらヴィイの魔眼で弱点を創出したといえど、堅牢な建築物がそう簡単に壊れる訳がない。だが、キングプロテアの攻撃はBBチャンネルを破壊したように特定の物体ではなく領域そのものを攻撃することができる。

それは形のない空間という概念を攻撃する『領域粉砕』という名のスキル。例え現在の彼女の霊基がその能力を十全に発揮できていないとしても、土地や建築物に対しては特攻を発揮する。そのため、付与された弱点を通じて凄まじいまでの衝撃が黄金劇場全体を走った。見る見るうちに力を失った黄金劇場は、まるで糊が剥がれるかのように消失していき、代わりにスロート本来の姿が露になっていく。

だが、ここで一つの誤算が起きた。黄金劇場が破壊されたことで滞留していて冷気が一気に外へと開放され、寒暖差により視界を覆いつくす程の水蒸気が発生してしまったのだ。これではネロがどこから攻めてくるのか分からない。

透視の魔眼を持つアナスタシアならば水蒸気に潜むネロを見つけることができるが、彼女の魔術は対魔力によって威力を減衰されてしまう。そして、ヴィイで取り押さえようにも彼女の位置からこちらまであまりに遠い。

 

アナスタシア(キャスター)、位置を……」

 

「十時の方向! 前に二歩!」

 

奇しくもカドックとアナスタシアの思考は一致していた。

水蒸気の向こうにいるネロの位置を、アナスタシアが叫ぶことでキングプロテアが迎撃するのがベストと判断したのだ。

しかし、無情にもネロが切り込んでくる方が早かった。

切り裂かれる空気の壁。目の前の水蒸気が不自然に歪んだかと思うと、深紅の切っ先が眼前へと突き付けられる。

無表情なままの薔薇の皇帝が、屈辱を晴らさんとしているかのように殺意を向けていた。

やられる。

覚悟も間に合わず、無駄な足掻きと分かりながらもカドックは両手を交差して痛みに備える。

直後、鼓膜を突き破るほどの衝撃が脳天を揺るがし、カドックの意識は闇へと落ちていった。

 

 

 

 

 

 

白い水蒸気が晴れ、瓦礫だらけの巨大な通路が露になった。

円形の劇場は既に見る影もなく、貨物車量が余裕で通れるほどの高い天井を備えた縦長の通路が次の区画に向けて伸びていた。

広いとはいっても、キングプロテアのような巨人が右へ左へと飛び回れるような幅はない。ネロの宝具で空間を歪められていたが、実際は奥行きと高さがあるだけの通路だったのだ。

そして、その長い通路の一端に、二人の人物が倒れていた。

一人は深紅の装束に身を包んだセイバー。先ほどまで死闘を繰り広げたネロ・クラウディウスだ。

そして、もう一人は事態究明の為に駆け付けたカルデアのマスター。そう、カドック・ゼムルプスである。

丁々発止のせめぎ合いを繰り広げていた両者は、互いに白目をむいて口を半開きにしたまま気を失っていたのだ。

 

「上々ね、キングプロテア。あの状況でセイバーを殺さずに無力化する。いい判断です」

 

「け、けど……マスターは……大丈夫でしょうか?」

 

気絶しているマスターの顔を、キングプロテアは心配そうに覗き込んだ。

あの時、水蒸気の向こうからネロが切りかかってくる瞬間、咄嗟にキングプロテアはネロがいるであろう場所よりもほんの少しズレた場所を目がけて思いっきり手を叩いたのだ。どのみちあの時は腕が言う事を聞かなかったため、無理やり腕を振ることしかできなかった。そこで彼女は一か八か、両手が砕けるのも覚悟して力いっぱい手の平をぶつけ、その衝撃でネロを吹っ飛ばそうとしたのである。

結果、手を叩き合わせた衝撃波でネロは三半規管をやられ、そのまま気を失ってカドックを傷つけることなく墜落した。代償としてキングプロテアの両手は複雑骨折を起こしたが、これは時間が経てば自然と回復するだろう。

寧ろ、衝撃に巻き込まれたカドックの方が重傷かもしれない。

 

「まあ、鼓膜が破れても魔術師なら何とかするでしょう。とりあえずは、一度サーバールームへ戻りましょう。あなたもカドックも休ませないといけませんし、セイバーの洗脳も解かないと」

 

「はい……」

 

「……それと、キングプロテア」

 

「はい?」

 

「あなたはまた、自分のマスターを守れました。それもマスターの指示をちゃんと聞いてね。本当に、よくやれましたね」

 

その言葉の意味をすぐには飲み込めず、キョトンとした表情を浮かべてキングプロテアは小首を傾げる。

やがて、褒めてもらえたのだと気づいた彼女は、ハニカミながらも笑みを浮かべて応えた。

 

「はい、わたし……やれました……マスターの言う通りに、ちゃんと……やれました……」

 

 

 

 

 

 

微睡みの中にいる。

気づくのにそう時間はかからなかった。何故なら、手足は言う事を聞かないし瞼を閉じる事もできない。

何もできずにふわふわと漂っている様は、あの忌まわしいBBチャンネルに似ている。

何故、こんなことになっているのかが思い出せない。

誰かと戦っていたような気がするが、記憶が断裂していて上手く思い出すことができなかった。

そうしてしばらくの間、纏まりのない記憶を掘り返していると、またもどこからか聞き覚えのある声が聞こえてきた。

何も見えなかった暗闇もうっすらと薄れていき、何者かのシルエットが見えてくる。

その人物は虚空に向けて何かを呟いていた。

 

『……の同位体としての複写完了。虚数空間にて同期開始と共に再構成……後は楔となる彼らを待つだけですね』

 

どこか高飛車で鈴の音を転がすような少女の声だった。様子からして誰かと会話をしているようには思えない。単なる独り言だろうか?

 

『それにしても、SE.RA.PHの体感時間を百倍に設定し、召喚したサーヴァントを用いて■■■■を再現するなんて。彼女の考えは本当に理解できません。ですが、おかげで下準備をする時間が十分に用意できました』

 

こちらからは何も問いかけることはできず、ただ漂いながら少女の独り言に耳を傾ける。それでも大半の言葉はうまく耳に入って来ない。集中しようにも思考が纏まらず、木の葉のように行き先も定まらぬまま漂うことしかできなかった。

 

『できればフォトニック結晶があればベストなのですが、ないものは仕方がありません。セラフィックスのサーバーも手足として使う分には十分。ここを足掛かりに各国へサイバー攻撃を仕掛け、全ての生産工場を並列活用して地球制圧ロボ・BBBを量産。これをもって人類を投獄、管理します。ええ、我ながら実に邪悪(すてき)な計画です。後は邪魔な■■■をわたしと彼らが倒すのを待つばかり。ええ、人類を滅ぼされては敵いません』

 

そこで一旦、少女は言葉を切る。

次に発せられた言葉は、実に狂おしく切ない響きが込められていた。

 

『何と言っても、人類は大切な玩具ですからね』

 

そう言ってほくそ笑む姿は闇に隠れて見えないはずなのに、まるで獣のようだと、思わずにはいられなかった。。

 

 

 

 

 

 

目覚めると、唸るような機械の音がまず聞こえてきた。どうやら安全地帯であるサーバールームに戻ってきているようだ。

節々に痛みを感じながら、カドックはゆっくりと体を起こす。記憶を遡るが、ネロとの戦いがどのような形で決着したのかが思い出せなかった。

アナスタシアの宝具で追い詰めたところまでは覚えているのだが、そこからの記憶は奇妙なほどに抜け落ちている。何か、強いショックでも受けたのだろうか?

とはいえ、何れにしても戦いは自分達の勝利で終わったようだ。何故なら、赤い舞台衣装に身を包んだセイバーが、華麗なポーズを決めて目の前に立っているからだ。

 

「セイバー?」

 

「もちろん、余だよ!」

 

「……正気みたいだな」

 

この突拍子もない切り返しと冗談みたいに明るい性格、正しくネロ・クラウディウスだ。

しかし、彼女の洗脳を解いた記憶が自分にはない。アナスタシアがやってくれたのだろうか?

そう問いかけると、入口付近でキングプロテアと談笑していたアナスタシアが、それに気づいてこちらに近寄りながら答えてくれた。

 

「ええ、自分で経験したから、コツを掴むのは難しくありませんでした」

 

「そうか……助かるよ」

 

本来ならきちんとした術式を用意してやるべきところを、魔力で強引に洗い流すという荒業を駆使しているのだ。こちらの負担も相応に大きかったので、アナスタシアでも洗脳が解くことができるのなら残る二人の解放もやりやすくなる。

 

「むぅ、折角の再会なのだから、もう少し喜んだらどうなのだ、マスター」

 

こちらの対応が素っ気なかったからなのか、ネロは頬を膨らませる。その可愛らしい仕草は、とても歴史に名を残した暴君のものとは思えなかった。

 

「まったく、花嫁の方じゃないんだから、もう少し真面目に……」

 

「えっ、そこの赤いセイバーさん、お嫁さんなのですか?」

 

耳聡く聞きつけたキングプロテアが、外の通路からこちらを覗き込んできた。相変わらずホラーな光景である。

 

「うむ、何を隠そう余には花嫁としての側面がある。今回は持ってきていないが、花嫁衣裳もきちんと持っているぞ」

 

この世の贅を極めたネロ帝は、そちらに関しても様々な逸話を持っている。既に既婚の身ながら友人の妻を求めたり、如何わしい宴を開いて奴隷と形だけの婚姻を結んだりもしていたらしい。

そういった奔放なエピソードがあるからなのか、或いはそれ故に純真な想いを捧げられる伴侶と出会えなかったからなのか、ネロには花嫁衣裳に身を包んだネロ・ブライドなる別側面が存在する。

本来ならば霊基も異なるのだが、そこはワガママなローマ皇帝。皇帝特権で衣装だけを引っ張ってくるという芸当もできないことはないらしい。実際、グランドオーダーの記録によると、北米大陸で立香が花嫁衣装に身を包んだ赤いセイバーと行動を共にしていたらしい。

 

「ふふん、機会があれば見せてやろう。余の花嫁姿に見惚れるでないぞ」

 

「わーい。わたし、お嫁さんになるのが夢なんです。是非、お願いします、花嫁さん」

 

自信満々に胸を張るネロに向けて、キングプロテアは羨望の目を向ける。どうやら彼女のことが気に入ったようだ、

ネロもネロでキングプロテアがとても素直な心で称えてくれるので、満更ではないといった様子であった。

 

「盛り上がっているところで悪いが、少し真面目な話をしよう。セイバー、衛士(センチネル)になっていた間のことで、何か覚えていることはないか?」

 

現状、生存者なども見つかっておらず、BBも姿を隠してしまっているので、情報源は衛士(センチネル)として使役されていた彼女達だけなのである。今後の探索を円滑に進める為にも、ここで何か有益を引き出しておきたい。

SE.RA.PHの現状やBBの企みなどが分かれば尚の事、是だ。

 

「うむ、その事については先ほどもアナスタシアと話していたのだが、この施設――SE.RA.PHの時間は引き延ばされている。凡そ百倍の遅さで時が過ぎているのだ」

 

朧気ながらも覚えている夢の内容と同じだ。つまり、ここでの一分が実際の百分に相当するのである。

それを裏付けるように、端末で知らされる位置情報は最初からほとんど動いていなかった。

実際にはここを訪れてからまだ数分しか経っていないのだ。

それが何を意味するのかというと、SE.RA.PHの探索に余裕ができたということである。

レイシフト前は数時間でマリアナ海溝の底まで沈み、セラフィックスは水圧で圧壊すると考えられていたが、ここまで時の流れが遅ければ限界深度までかなりの余裕がある。キングプロテアもまだ回復し切っていないし、こちらが魔力を回復するまで待ってから行動に移っても大丈夫だろう。

 

「すまぬなマスター、それ以上はよく覚えていないのだ」

 

「いや、十分だよセイバー。おかげで気持ちに余裕ができた」

 

BBが何故、体感時間の引き延ばしなどという事を実行したのかは分からないが、おかげで休息に充分な時間を割り当てることができる。それに次はスロートからかなり先のタッチまで進まなければならないののだ。SE.RA.PHでは長時間の活動ができない以上、今後は途中で休息を取れるポイントを確保しながら進む必要があるのだが、強行軍で探索をしなくてよくなっただけでも、気が楽になるというものだ。

ただ、一つだけ気がかりなことがあった。こうして衛士(センチネル)を攻略していくことでこちらの戦力を増やすことができるが、それでも戦闘で破壊せざる得なかった宝具は失われたままとなる。あれほどの神秘を修復するとなると、一両日を休息に費やしてもまだ足らないだろう。さすがにそこまで時間を消費する訳にはいかないので、今後の戦いは城塞や黄金劇場抜きで挑まねばならない。

確かに戦力は増えているが、切り札は失われていく一方。もしもBBがそれを見越した上で彼女達を衛士(センチネル)に据えたのだとしたら、自分達の奮闘は未だ彼奴の手の平の上と言えるのではないだろうか。

その仮説を証明する手立てはなく、今はまだ目の前の問題を一つずつ解決していくしかない。そう己に言い聞かせて、カドックは再び休息につくことにした。

 

 

 

 

 

 

ゆらゆらの頭はからっぽで、きちきちした目的なんてうわのそら。

世界は玩具箱のように狭いけれど、今のキングプロテアにとってはそれはどうでもいいことだった。

憧れだった花嫁に出会えた。彼女にとってそれが何よりも喜ばしいことであった。

本当に嬉しい。

花嫁と出会うのはこれで二人目だ。

一人目はちょっと嫌な感じがする皇女様。自分の知らないマスターをたくさん知っていて、うまく言葉にはできないけれど、とてもマスターと仲がいい人。二人が一緒にいるとお腹がとても空くけれど、時々は褒めてくれるから、嫌だけど嫌じゃない。

もう一人は少し前に目を覚ました、赤い服の皇帝。偉そうで自信満々で、色んな話をしてくれる面白い人。体のあちこちを切られたことは許せないけれど、それはこの人が弱くてBBに操られてしまったからだ。だから、許せないけど許してあげよう。

それよりも話が聞きたい。出会った二人はどちらも憧れのお嫁さんで、自分と同じ女の子だ。女の子は誰でもお嫁さんになれるのなら、その方法が知りたい。どうすればお嫁さんになれるのかが知りたい。

知れば■■■と思っているものが手に入る。

お嫁さんになれれば、■■■と思っているものが手に入る。

愛が■■■。

■■■。

 

「ねえ……花嫁さん……」

 

「む、余の事か?」

 

壁に背を預けて鼻歌を吟じていた皇帝が、とことこと近づいてくる。

こちらは寝そべって部屋を覗いているので、まるで壁を歩いているように見えた。何だか不思議な光景だ。

 

「はい……お話ししましょう、花嫁さん……」

 

「うむ、良いぞ。何を話そうか? 余が生前に演じた公演の事か? それともネロ祭での華々しい活躍についてか?」

 

「……あの……どうすれば、お嫁さんになれるでしょうか?」

 

放っておくと勝手に喋り始めてしまいそうだったので、すぐに本題へと入る。

大切なのはどうすればお嫁さんになれるかだ。

愛が■■■。この願いを叶える為にはお嫁さんになるのが一番だ。そうすればきっと、このお腹の痛みもなくなるはず。苦しい飢えから解放されるはず。何故なら、お嫁さんは愛されているからだ。多くの人から、或いは特定の誰かから、溢れんばかりの愛を一身に受けている。その資格がある。それに何より、お嫁さんはとても可愛い。そんな大人に自分はなりたい。

けれど、どうすればお嫁さんになれるのかが分からない。体はどこまでも大きくなっていくけれど、いつも途中で若返ってしまう。最近は特にそれが酷い。よく思い出せないが前はもっと早く大きくなれたはずなのに、今はとてもゆっくりとしか大きくなれないのだ。

時間がかかるのは嫌だ。早く大人になりたい。早く可愛いお嫁さんになって愛されたい。愛が■■■。

この目の前にいるちっぽけな皇帝ならそれが分かるだろうか? 自分のことを花嫁であると言い切った、小さな皇帝ならば答えてくれるだろうか?

そんな細やかな、けれどキングプロテアにとってもとても重要な質問であった。

 

「うーん、どうすれば花嫁になれるか。当然、まずは伴侶を見つけなければだが……そなたが聞きたいことはそういうことではないのだろうな」

 

「はい……お嫁さんはとても可愛いです。可愛い人はとても愛されます。愛されるのはとても気持ちが良いです……とても、楽しいです……」

 

暗闇で感じた熱を思い出す。

上手くは思い出せないけれど、マスターがくれた暖かな熱。

あの蝋燭のような篝火がもう一度■■■。

あれがきっと愛されるということなのだろう。

ああ、愛が■■■。でないと、きっと目の前にいるみんなを――――。

 

「なるほど、そういうことか。うむ、愛については余も一家言あるが、此度は控えた方が良さそうだ。余よりも適任がいるからな」

 

「……それは、誰のこと……ですか?」

 

「アナスタシア、まずはそなたが言ってやるがよい」

 

そう言って、皇帝は少し離れたところで眠っているマスターに寄り添っていた皇女を呼び寄せた。

胸がチクリと痛む。慣れたつもりでもやはり嫌なものは嫌だ。見ているととてもお腹が空いてくる。もう少しだけ体が小さくて腕の自由が利けば、マスターと共に捕まえて口の中に放り込んでいたかもしれない。

 

「ツァーリ、私がそのようなことを……」

 

「いや、そなたが適任だと余は直感した」

 

「……では、僭越ながら。キングプロテア、どうすればお嫁さんになれるか……それはどうすれば愛されるかと言い換えても良いのね?」

 

見透かされているようなまっすぐな視線に少しだけ苦手意識を覚えながらも、キングプロテアは静かに頷いた。

 

「愛され方……私も、上手く言葉では言えないのですが……」

 

「……けれど、あなたは愛されています」

 

それだけはハッキリと分かる。何故なら、自分が■■■と思ったからだ。

彼女のように、彼女みたいに、彼女がされたように、自分も愛が■■■。

マスターからの愛が■■■。

彼女が満たされていることは自分でも分かる。その方法があるのなら、自分はそれを知りたい。愛される方法を、お嫁さんになる方法を知りたい。

言葉にせず、ただ強く眼差しで訴えかける。すると、皇女はこちらの視線に臆することなく正面から受け止め、より強い眼差しを返してきた。

 

「キングプロテア、愛されるということは、愛するということの裏返しです。あなたは愛し方を知っていますか?」

 

「それは……あ、あれ? えっと……」

 

愛はとても素晴らしいものだ。いつも悩まされている空腹が気にならなくなる。気持ちよくて、美味しくて、嬉しくて、美味しいものだ。

けれど、それは全て自分の外側にあるもので、誰かから与えてもらったものばかりだ。

愛するという事、それが何を指すのか分からない。だって、愛は貰うものなのだから。■■■と願って手を伸ばすものなのだから。

 

「いいえ、違うの。それだけでは気持ちいいのはあなただけ。愛されたいのなら、まずは誰かを愛さなきゃ。もらったものを返すの。そうすればお返しにもっと大きな愛をもらえます」

 

「……よく、わかりません」

 

「うーん、なら一つ質問をさせて。あなたの好きなことはなに?」

 

「えっと……よくわかりません。けど、何かを食べるのは気持ちが良いです」

 

空腹を紛らわせる一番の方法だ。とにかく食べれば、ほんの一時ではあるが胸の隙間が埋まったかのような錯覚を覚える。満たされることはないけれど、少しの間だけそれを忘れることができるのだ。

 

「そうね、ご飯を食べるのは楽しいものね。でも、一人で食べるよりもみんなで食べた方がもっと楽しいと思うの。例えば……マスターと一緒にね」

 

キングプロテアの脳裏に、先刻の光景が思い返される。

皇女との戦いを終え、このサーバールームに辿り着いた直後のことだ。マスターは魔力を回復するようにと薬が入った小瓶をくれた。

それは小さくて一口で飲み込んでしまい、味も何もしなかったが、何故か少しだけ満たされたような気がした。

マスターと向かい合って、自然と笑みが零れていた。

一人ぼっちでいた時には、あんな風に笑う事はなかった。目につくものを手当たり次第に口に入れてみても、あんな風に満たされることはなかった。

 

「……はい、一人ぼっちは……寂しいです。誰かがいれば……楽しいです……」

 

「ね、そうでしょ? でも、もう少し考えてみて。同じことを、相手があなたにしてもらえれば、やっぱり楽しくて気持ちがいいと思うの。あなたはマスターから食べ物……なのかしら? とにかくそれを貰えて嬉しかったのなら、同じことをしてあげればマスターも喜びます。そうやって互い互いを思い合うことが愛し合うということなの。愛は、ただもらうだけのものではないの」

 

「……愛し合う……いいえ、よくわかりません」

 

「すぐに分からなくても構いません。それは自然に知る事だから……そうね、まずは恋をする事から始めなきゃ」

 

「恋……ですか?」

 

「愛を知るには、まず恋をしなくちゃ。誰かを思って切ない気持ちになって、胸がぎゅーってなるような気持ち。きっとあなたにも分かると思います」

 

「うむ、面映ゆいが恋はいいぞ。二人の話を聞いていて、余も何かこう頭の奥がむずむずしてきたぞ」

 

今まで黙っていた皇帝が、とうとう我慢できなくなったのか口を挟んできた。

 

「余も混ぜろ。黙っておくつもりだったが、やっぱり余も恋バナ、というヤツをしてみたいぞ」

 

「そこまで彩りのある話ではなかったと思いますが……」

 

「良いではないか。キングプロテアも話を聞きたがっているであろう? 余が知らぬ長旅でのあれやこれや、あるのではないか?」

 

キングプロテアもそれについては肯定した。

愛や恋についてはまだまだ分からないことばかりだ。この人は嫌な人だけれど、愛についてはとても色々なことを知っている。彼女の話を聞けば、もっとたくさんのことを勉強できるかもしれない。夢の花嫁にまた一歩、近づけるかもしれない。

 

「……私だけが話すのはフェアではありませんから、ツァーリも後でお願いしますね」

 

「うむ、任せるがよい」

 

「わくわく……」

 

「……はあ……では、まずは……ウルクの――――」

 

そうして、皇女の語りにしばし耳を傾ける。

愛する事、愛される事、恋をする事。今はまだ分からないけれど、いつか分かる日がくるだろうか。

その時こそ、本当に自分は花嫁になれるだろうか。

憧れの、可愛いお嫁さんに――――。

 

 

 

 

 

 

立ち塞がるエネミーを、三騎のサーヴァントが迎撃する。

燃える刃が鯨を薪のように両断し、吹き荒れる吹雪が蜂の群れを凍てつかせる。そして、巨大な腕は立ち塞がった戦車を物ともせずに薙ぎ払った。

その様子を背後から見守りながら、カドックは戦況に応じて支援を交えつつ指示を飛ばす。

ネロが新たに加わったことで、探索は非常に楽になった。前衛はキングプロテアだけで事足りるように思えるかもしれないが、巨大な彼女ではどうしても小回りが利かず、また死角も多い。そうした隙を彼女は遊撃的に立ち回る事でフォローしてくれるのだ。おかげでキングプロテアの負担が減り、大した消耗もなくスロートを超えて(アーム)に到達することができた。地図が頼りにならないので距離は分からないが、このまま進めば次なる衛士(センチネル)が待つタッチに労せず辿り着くことができるだろう。

 

「ははっ、余は楽しい!」

 

「あまり前に出過ぎるな、セイバー」

 

「おっと、確かに……うーむ、『皇帝特権』で斥候の真似事などしてみたが、やはり本職のようにはいかぬな。ついつい前に出てしまう」

 

ネロの性格では、どうしても敵を深追いしてしまうらしい。斥候の目的は敵の情報を確実に持ち帰ることであるため、その辺りの線引きはシビアに行わなければならない。深追いし過ぎて敵に捕まったり倒されたりすれば意味がないからだ。

 

「無銘の弓兵……アーチャーがいてくれれば……」

 

「彼もきっと、衛士(センチネル)にされているんだろうな」

 

魔術師でありながら弓兵、しかも近接戦闘能力もそれなりに有しており、斥候やゲリラ戦の知識も豊富にある。

この手の未知の迷宮を探索するにあたって、彼のような存在がいれば非常に心強い。できれば早く助け出したいものだ。

 

「あっ……」

 

不意に開けた場所に出て、這いつくばって進んでいたキングプロテアが嬉しそうに伸びをした。

ここまでの通路と雰囲気が違うところを見るに、ここがタッチなのだろう。衛士(センチネル)がいるからなのか、そこはアイやスロートと同じ広い空間であった。

天井までの高さは凡そ十メートル。奥行きは実に三百メートルほどもあり、ここまで奥に長い区画はここが始めてだ。そして、出入口から十メートルほど進んだところで崖のようになっており、区画全体に巨大な暗黒の穴が広がっていた。反対側に行くためには、真ん中にかかっている幅五メートルほどの半透明の橋を渡るしかない。待ち伏せするならばここしかないと言わんばかりの絶好のスポットだ。

 

「いるな……見えずともそこにいるのが分かるぞ、無銘」

 

「ええ、しっかりと弓を構えています。こちらが一歩でも踏み出せば、躊躇なく矢を放つでしょう」

 

ネロとアナスタシアが、互いに油断なく対岸を睨みながら言った。

限られた足場と長い距離。弓兵にとっては正に打ってつけの戦場だ。

ならば、ここで待ち構えている衛士(センチネル)は彼しか考えられない。

深紅の外套を身に纏った無銘の英霊。

抑止力の守護者であり、名もなき正義の味方の代表者。

味方にすると心強く、敵に回すと恐ろしく厄介な生粋のリアリスト。

即ち、衛士(センチネル)の名は無銘……またの名をエミヤと呼ばれる弓兵であった。




サーヴァントが寒さで行動不能になるか。そこは凄味で何とかしたということで。

PU2はアスクレピオスが一人だけ来ました。夏イベもあるので石は温存温存と。


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#5 ソードランナー 曖昧なMEET YOU!

名前のない英雄。

彼が何者で、何を成したのかを知る術は少ない。何故なら彼は未来の英雄。今か或いは遠い先で何かを成し遂げ座へと召し上げられる運命にある者。

彼は正義の体現者であった。弱きを助け強気を挫く。善を成して悪を討つ。そんな子どもの絵空事を実現せんと邁進し、私欲を殺し理想に徹した。

世界を脅かす悪がいるのならば、犠牲者を出す前に力無き者達の代わりにこれを討つ。だが、同時に多数を救う為に少数を切り捨てることを選んでしまった。

貧困に喘ぎ窃盗を働いた集団を、危険なウイルスが蔓延した旅客機の中で死にゆく中、それでも生きようとする者たちを、彼は切り捨ててしまった。

そうしなければ救えなかった。後悔に苛まれながらも、指先に迷いはなく、守るべき多数の為に切り捨てるべき少数を見定める。

彼はヒトという社会を活かすために人間(ひと)という個人を殺す。何の見返りも求めず、人と社会に奉仕し続けたその在り様は確かに公共の正義を体現し、だからこそ多くの人々から恐れられた。

理想を共有したはずの友は、彼の刃がいつか己に向けられると恐れて離れていった。

傍らにいたはずの女性は、自分では彼を癒すことも支えることもできないといなくなった。

唯の一人にも理解されず、孤独の丘で勝利に酔う。いつか切り捨てていった者達の怨嗟が己を裁くことを信じて。

やがて男は絞首台に送られその生涯を閉じることとなる。しかし、死後すらも人助けの代償として売り払っていた男は、名もなき架空の英雄の一人として召し上げられた。

それが英霊エミヤ或いは無銘の生涯であり、数多の悪逆をもって反英雄として人類史に定義されたのである。

 

 

 

 

 

 

弓兵に迷いはなかった。

冷徹に、冷酷に、構えた弓に矢を番え、数百メートル先にいる獲物に向けて解き放つ。

空を切って飛来する致死の一矢。鷹の目をもって放たれたそれは距離も重力も物ともせず、一直線に獲物の首を目がけて飛んでいく。

狙われたと気づいた時には遅かった。音速にすら達する速度で飛ぶ矢を、たかが凡人の魔術師が躱せる訳がない。

 

「マスター!」

 

頭上から声が聞こえ、巨大な影が覆い被さってきた。

直後、少女の小さな悲鳴が天井に木霊する。

キングプロテアが咄嗟に身を挺してエミヤの狙撃から守ってくれたのだ。

 

「あ……あぁ……痛い……どう、して……」

 

こちらを庇いながら、キングプロテアは自らの肩に手を伸ばす。

白い肌から零れる赤い雫。深々と突き刺さった矢はエミヤが投影した宝具の一種だ。

その一矢はアナスタシアの魔眼やネロの太刀筋よりも致命的な痛みを呼び起こしていた。

弱点を付与された訳でも、弱体化の重圧を受けた訳でもなく、魔術で生み出された贋作が頑強なキングプロテアの肉体を穿つ。

その痛みは肉体や精神よりも遥かに深く、彼女にとってどうしようもない根幹を揺るがすものであった。

即ち神への特攻。

エミヤが放った一矢は対神性の効果を持つ宝具だったのだ。

 

「……この!」

 

痛む肩から無理やり矢を引き抜き、キングプロテアはエミヤ目がけて投げ返した。

しかし、放物線を描いた矢は向こう岸へと届く前に独りでに自壊してしまう。あれは元々、エミヤが投影した宝具なので、自壊させるのも自由自在という訳だ。

 

「ぬう、エネミーもか!? マスター、ここは退くべきだ! ぐずぐずしているとアーチャーも二射目を射るぞ!」

 

「い、いえ……大丈夫、です……花嫁……さん……」

 

「無理をするな、キングプロテア! それにマスターの体も分解が始まっている! これ以上は危険だ!」

 

キングプロテアを叱責しながら、ネロは先陣を切って逃げ道を切り開く。

カドックとキングプロテアはその後に続き、アナスタシアが殿となってエネミーの追跡を食い止める。

魔力での防御が追い付かず、酸を浴びたかのような痺れが全身を包んでいた。

ネロが言う通り、これ以上の戦闘は危険である。肉体が霊子に分解されてしまう前に急いで安全圏まで戻らなければならない。

幸いにもタッチを抜けるとエネミーとはほとんど遭遇せず、カドック達はそのまま元来た道を一目散に逆走し、スロートへと舞い戻るのであった。

 

 

 

 

 

 

何とか逃げおおせることができたカドック達は、スロートの付近で見つけたまだ電脳化されていない倉庫スペースへと逃げ込むことに成功した。

多少、手狭ではあるがマスタ一人が休息を取る分には十分な広さである。周囲はアナスタシアとネロが警戒してくれているので、こちらは安心して回復に専念することができる。

 

「キングプロテア、傷は?」

 

「はい……もう、大丈夫です……」

 

成す術もなくやられた事を気にしてか、キングプロテアの声からは覇気が感じられなかった。

もっとも、対神性の宝具なんてまともに受ければどんな神格でも負傷は避けられない。霊核に直撃しなかっただけでも運が良かったと思うべきだ。

そして、改めて英霊エミヤの恐ろしさを痛感する。

単純なステータスだけを見れば、彼は強いサーヴァントではない。同じくステータスが低いネロを少し下回るといったところだろうか。

弓による驚異的な狙撃、セイバーやランサーともほぼ互角に打ち合える剣術を修めてはいるが、それにしたって才能なきものが血の滲むような修練の果てに会得した人間の限界点に過ぎない。

例えるならば戦士としての強度が違うのだ。互いに策なくぶつかりあえば間違いなくネロが打ち勝つ。

そんな彼の唯一にして最大の脅威が投影魔術。彼のそれは厳密には正しい投影魔術ではないが、模倣という意味では正道をも凌駕する宝具『無限の剣製(アンリミテッドブレイドワークス)』こそが彼の英霊としての神髄なのである。

 

「自らの心象世界で世界を塗り潰す固有結界。アーチャーは一度でも見たことがある剣を全て、そこに内包している」

 

エミヤが本物の模造品しか投影できない理由もそこにある。彼の魔術回路は投影、それも剣にのみ特化した異質なもの。記憶した武器の細部に至るまでを固有結界に記録しておき、自らを出力として外界に複製するのである。

それ故に彼が投影した剣は存在が劣化することなく残り続け、オリジナルに劣りこそすれ十分な切れ味を発揮する。そして、それが宝具であるならば効果をも再現され、真名開放すら可能とする。

記憶の数だけ宝具を保有しているにも等しく、敵として相対すればこれほどやり辛い相手はいない。何しろこちらの手が限られているのに対して向こうは数多の手の中から有効なものを選択し、弱点を突くことができるからだ。

先ほどのように神性への特攻を持つ神殺しの宝具を用いることもあれば、絶対防御を突破する因果逆転の呪いや魔術殺しとも言える術具も思いのままなのだ。

 

「それじゃ、その人は無敵ってことですか?」

 

「いや、隙がない訳じゃない」

 

何度も言うが、エミヤは強いサーヴァントではない。頼もしい弓兵ではあるが、彼の得手は無数の宝具を所持している事。それら全てを極めた訳ではなく、超一流の担い手と同じ土俵で競り合えば遠く及ばない。

複数の宝具を効果的に運用し、相手の弱点を突く事で初めて他のサーヴァントに対抗し得るのである。なので、タッチのように弓兵に徹されると厄介な相手ではあるが、何とか接近戦に持ち込むことができれば倒せない相手ではない。

そう、接近さえできればの話だ。

エミヤのもとに向かうには幅五メートルほどの橋を通らねばならないが、遮蔽物も何もない直線なんて弓兵の格好の的だ。当然、狙い撃ちに合うだろう。

かといって、空を飛べないこのメンバーではあの底なしの穴を超える事はできない。アナスタシアが去り際に透視したところによると、タッチの中央を分断するように広がる穴は言葉通り底が見えない暗闇だったらしい。

そこにあるのに観測できないもの。或いはないはずなのに確かに存在する虚ろな属性。即ち虚数空間があの穴の向こうに広がっているのだ。もしも落っこちてしまえば自力で這い上がる術はない。

そして、遠くから撃ち合っても勝ち目は薄い。エミヤは対魔力スキルを保有するアーチャーだ。ひょっとしたら対冷気の防具を投影してくるかもしれないので、アナスタシアでは相性が悪い。

同じく神性を持つキングプロテアも先ほどのように弱点を突かれてしまう恐れがある。つまり、現状でエミヤと相対して弱点を突かれにくいネロが、彼の狙撃を掻い潜って至近距離まで接近し、殴り合って打倒するしかない。

非常に危険が伴う、頭の悪い作戦だ。できることなら無視したいところだが、BBがいるとされているハートへ進む為にはどうしても衛士(センチネル)であるエミヤを倒さねばならない。

そして、それに加えてもう一つ、自分達には無視できない要素が存在した。

 

「アナスタシア、体の方はどうなっている?」

 

「……少し、中身が減り始めているけれど、休めば元通りになるでしょう」

 

「分かった、ありがとう」

 

アナスタシアに礼を言って、カドックはポーチから取り出した霊薬を飲んで傷の回復に専念する。

衛士(センチネル)は手強い相手だが、それよりも厄介なのはこのこのSE.RA.PHによる肉体の分解であった。

拠点を確保しながらでなければ遠くまで探索できず、また戦闘に費やせる時間にも制限がかかってしまうからだ。

ここまでの肉体の疲労度や分解の進み具合から考えて、タッチでの戦闘に費やせるのは精々が五分程度。それ以上の活動は安全圏への避難が間に合わなくなってしまうだろう。

 

「だが、やるしかないのであろう」

 

周囲を警戒しながらも耳を傾けていたのか、ネロがこちらに振り返って言った。

 

「花嫁さん……」

 

「なに、心配するでないキングプロテア。余は皇帝であるぞ、秘策の一つや二つ、あるに決まっておろう」

 

心配そうに見つめるキングプロテアを安心させようと、ネロは自信満々に己の胸を叩く。

その様子を見たカドックは、小さな棘のような痛みを覚えた。彼女が何をしようとしているのか思い至ったからだ。

 

「ネロ……」

 

「よい、マスター。後は任せるぞ」

 

「……ああ。頼んだぞ、セイバー」

 

もしも時間内にエミヤを倒せなければ、例えネロが無事であっても彼女を戦場の只中に捨て置いて撤退しなければならない。そうしなければ自分の命に関わるのだ。

マスターの安全を最優先にする。考え方としては当然だが、それはそれとして心が痛まない事はなかった。

それでもネロは行くだろう。例えこちらが止めようとも、それしか手がないのなら躊躇なく実行に移す。分かり切っているからこそ、カドックはそれ以上、何も言わなかった。

 

 

 

 

 

 

三十分後。

再び、カドック達はタッチを訪れた。

相変わらずエミヤは一人、対岸で深紅の外套を靡かせている。前回と違う点は、最初からエネミーの群れが橋の入口付近をうろついており、それを何とかしなければ橋には近づけないということだ。

それ自体はキングプロテアとアナスタシアがいるので問題ではない。切り込み役のネロには可能な限り強化の魔術は施した。後は、彼女のタイミングで広場に踏み込むだけである。

 

「ツァーリ、こちらはいつでも大丈夫です」

 

「わたしも、いけます」

 

「うむ……では、マスター」

 

表情を引き締めたネロがこちらに伺いを立て、カドックは静かに首を振った。

 

Sword,or Death

 

それを合図に三騎のサーヴァントが広場へと躍り出る。

吹き荒れる吹雪と進撃する巨人。瞬く間に蹴散らされたエネミーの残骸を踏み越え、ネロはエミヤが待つ対岸を目指して疾駆する。

その動きを察知したエミヤは、無言で構えた弓に矢を番えると、疾走するネロへと照準を定めた。

一瞬、ネロとエミヤの視線が交差する。

直後、空気の壁を引き裂いて禍々しい光が尾を描いた。

サーヴァントの膂力でもって放たれる矢は、戦術ミサイルにも比類することができる。受けるどころか掠めただけで致死の矢が続けて三発、皇帝の首を穿たんとした。

それをネロは全力で躱す。両足と反射神経に力を集中し、ギリギリの刹那を見極めて身を翻すのだ。

一発目が大きく逸れた。

二発目が頭上を掠めた。

三発目が――僅かに肩を撫でた。

 

「――――っ!」

 

ほんの一瞬、ネロは屈したように身を屈める。だが、歩みは止めない。倒れそうになる勢いすら利用して前へ、前へと突き進む。

何てことはない。体が前に倒れるのならそれよりも早く次の歩を踏み込めばいい。そうすれば倒れる事無く前へと進むことができる。

半端な一撃ではネロは止まらない。手にした刃が不届きな輩を屠るその瞬間まで皇帝は止まらない。

 

「くっ!」

 

四発目を剣で弾く。辛うじてではあるが対応できている。

如何に高速とはいえ矢が飛来するのは前方からのみ。警戒する方向が一点に限られるのなら、躱し受けることは決してできないことではない。

だが、それはネロ自身の肉体を限界以上に酷使する結果となる。

弾道は微かに読める。

四肢は僅かに動く。

どちらか一方だけであるのなら問題はないが、その二つが連動した瞬間、致命的な齟齬が軋みを上げるのだ。

超高速の反応に肉体がついていかない。手足の可動域も慣性の法則すらも無視して、筋力と反射神経だけで強引に体を動かし続ければ、待っているのは肉体の自壊である。

それでもネロは走り続けた。続けざまに放たれる矢を弾き、身を捩り、自らの体が瓦解するのも厭わずに深紅の剣士は疾走するのだ。。

 

「駄目、花嫁さん! 後ろ!」

 

キングプロテアが異変を察知して叫ぶ。先ほど、剣で弾かれた矢――捻じれた剣が弧を描いているのだが、それが突如として空中でバランスを保ち、まるで引き寄せられるかのようにネロ目がけて再び飛翔を始めたのだ。

因果の逆転かあるいは祝福の類か。あの矢は獲物を仕留めるまで延々と追いかけ続ける追尾弾だったのだ。

後ろの守りを完全にこちらに任せ、前方にのみ注視しているネロはそれに気づけない。捻じ曲がった矢は唸りすらあげて疾駆し、呆気なくネロの肢体を貫いた。

 

「かっ……あ……」

 

胴を穿たれ、全身を震わせてネロは硬直する。

誰の目から見ても致命傷。鮮血が足下へと零れ落ち、裂けた胴からは赤黒い肉が見え隠れしている。

一瞬がまるで永遠のように引き延ばされ、誰もがその光景に驚愕した。

ただ二名。狙撃手たるエミヤと――――射抜かれたネロを除いて。

 

「っ――!」

 

再び、ネロは疾駆する。

弾けるように足場を踏み抜き、跳躍する様はさながら肉食獣だ。

手負いの獣と呼ぶにはあまりにも瀕死。そんな体での限界駆動は己の死期を早まらせる愚行でしかない。

それでもネロは、死に至る苦痛を堪えて狙撃手へと迫る。

対するエミヤに躊躇も動揺もない。必中の矢とて外れぬ道理なし。彼は英霊かもしれないが英雄とは程遠い人生を歩んだ者。故に神に祈らず運命を嘲笑う。その手には既に、二射目の必中の矢が番われていた。一射で止まらぬのなら、倒れるまで射続ける。この残り二百メートルの直線が互いに与えられた死へのモラトリアムだ。

 

「花嫁さん!」

 

「行ってはダメ、キングプロテア!」

 

駆け出そうとしたキングプロテアを、アナスタシアは制止する。

未だ周囲に湧き続けているエネミーとの戦闘で、キングプロテアの体は二十メートル近くまで成長してしまっている。橋に突入すれば逃げ場などなく、エミヤの狙撃を躱し切ることはできないだろう。

視線の向こうでは、ネロが再び襲いかかった矢を迎撃しながら前へ前へと進んでいる。だが、その歩みは遅い。たかが数百メートルの直線なぞサーヴァントにとってはものの数秒で駆け抜けられる距離であるはずなのに、エミヤの狙撃はかれこそ三分近くネロを釘付けにしている。

避けようとも弾こうとも軌道を変え、執拗に追尾してくる必中の矢。例え渾身の力を込めて破壊しようとも、その直後に新たな一矢が放たれるのだ。

そして、エミヤはただの一矢に甘えるような戦士ではない。的確に、悪辣に、ネロの動きを狙撃で阻害して必中の矢を必殺の軌道に乗せんとしている。

限界で軋む腕。

痛みで揺れる足取り。

射抜かれた胴体からは夥しい血が零れ、満身創痍となったネロではそれを躱し切ることはできない。

残り百五十メートル。

再び胸を射抜かれたネロは、今度こそとばかりに倒れ込み――そこから更に加速した。

二度も胴を貫かれ、それでも倒れずにネロは両の足へと力を込めるのだ。当然、その力みによって二つの傷穴からは更に激しい出血が起きるが、ネロの足を止めるには至らなかった。

 

「そんな……どうして……」

 

「『三度、落陽を迎えても(インウィクトゥス・スピリートゥス)』。曰く、彼のツァーリは自決してから三度目の洛陽を迎えた後に、その亡骸が発見された。その時、捜索していた兵士は彼女からの労いの言葉を聞いたそうよ」

 

三度の洛陽を迎えても生きていたのか、或いは死霊としてその場に残っていたのかは分からない。だが、その逸話を持つが故にネロは三度までなら死を乗り越えることができる。

繋ぎ止めることができるのは僅かな時間。傷が癒える訳でも魔力が回復する訳でもない。三度までなら蘇るというだけの儚い夢。それが『三度、落陽を迎えても(インウィクトゥス・スピリートゥス)』と呼ばれるネロのスキルである。

彼女は確信していたのだ。己の技量ではエミヤの狙撃を完全に躱し切って切り込むことができない。必ず彼に射抜かれることとなるだろうと。だからこそ、自分しかいないと志願した。

三度までなら蘇る。その命を余さず使って赤い弓兵と対峙せんとしているのである。

 

「それじゃ、あの人は最初から……マスター、どうして止めなかったんですか!?」

 

「…………」

 

「マスター、お願いです。花嫁さんを……助けて!」

 

「…………」

 

「マスター!」

 

キングプロテアからの懇願を、カドックは歯を食いしばって黙殺する。

可能ならば手助けをしたい。その思いに偽りはない。けれど、状況がそれを許さない。

ここでアナスタシアが動けば、エミヤは標的をネロからこちらに切り替える筈だ。聖杯戦争にとってマスターの生存は一時の勝敗よりも重い。己は確実に切り伏せられるが、その代わりとして向こうは確実にマスターを仕留めようとするだろう。

それだけエミヤという英霊は油断がならない。そして、小回りの利かないキングプロテアだけでは、エネミーとエミヤの狙撃の両方に対処しきることはできないのだ。彼の狙撃に対処するためには、どうしても二騎のサーヴァントをこちらに残さねばならない。

だから、祈る事しかできないのだ。ネロが無事にあの橋を駆け抜け、エミヤと対峙できることを信じて。

 

「がっ――!」

 

残り百メートル。

三度、必中の矢が皇帝の躯体を穿つ。

血みどろの肢体、周囲に散らばった無数の矢の数が両者の攻防の凄まじさを物語っている。

だが、その歩みはまるで舞いのように美しかった。身を翻し、時に跳び、跳ね、弾き、逸らし、命という花弁が刃で散るのも厭わずに駆ける。正に戦いの芸術(アート)。ここは彼女にとって大一番、たった一人の観客(マスター)の為の舞台なのだ。

必ずや辿り着かんと吠えるネロと、来させはしない狙い撃つエミヤ。

放たれる無数の矢と、それを弾く剣。

互いの視線が絡み合い、解けることは二度とない。

 

「くっ――」

 

残り五十メートル。最早、ここは剣の射程。後、一歩の踏み込みでネロはエミヤに切り込める。

だが、その一歩が遠い。

降り注ぐ矢と、追いかけ続ける必中の矢の連携が彼女を先に進ませない。

三度の洛陽は過ぎ去り、彼女が次に夜を迎える事はない。

互いにそれが分かっているからこそ、どちらも足を止めて迎撃に専念する。

弓兵が放つ無数の矢を、皇帝は手にした剣で払い続ける。

永遠とも思われる硬直状態。しかし、趨勢は少しずつエミヤに傾きつつあった。最悪、この場を死守し切ればいいエミヤと違い、ネロには時間がない。

マスターであるカドックがこの電脳空間の中で活動できる時間は、もう残り僅かなのだ。

この五分間で切り込めなかった場合、彼らは安全のためにこの場を離脱する。敵地のど真ん中に孤立したネロをその場に残してだ。

その焦りが隙を生んだのだろう。勝負をかけんと矢の雨に身を翻し、四肢を傷つけながらも渾身の力で必中の矢を打ち払う。

空間に響き渡る甲高い悲鳴。まるで陶器のように矢は砕け散り、同時にネロは最後の踏み込みを仕掛けんとした。

直後、表情なきエミヤが笑ったような錯覚を覚えた。その手には、先ほど打ち壊した矢と同じ、捻じれて反り返った必中の矢が弓に番えられていた。

考えれば分かる事であった。

同じ宝具を同時に投影できないなどという縛りはない。やろうと思えば彼は必中の矢をいくらでも作り出すことができた。それをしなかったのは、このタイミングを逃さないためだ。ここまで紙一重で近づくことができた。死力を尽くせば届かせられると獲物に錯覚させ、一か八かの博打に打って出る隙を突く為に。

エミヤに近づくため、残る全ての力を両足に込めていたネロにこの矢を躱す余力はない。

 

「――っ、のっ!」

 

されど、それを覆してこそ剣の英霊。

体は傷つき余力もない。だというのに腕が動いた。弓兵に切り込む為に構えていた剣を、両腕の腱が千切れながらも皇帝は振り抜き、必中の矢を逸らす。

これぞ『皇帝特権』。彼女ができると信じる限り――否、成さねばならぬと願う限り、その無理は道理を抉じ開ける。

二つの光は交差し、通り過ぎるかの如く天秤は傾いた。

如何なる弓兵であろうとも、覆せぬ定理がある。一度放たれた矢に干渉する術はない。必中の矢であろうとも、その軌道を自在に操る術など存在しないのだ。先ほど、ネロを掠めた矢は即座に弧を描き始めているが、必中の軌道に乗るまでどうしても時間がかかる。彼女が切り込むには十分な時間だ。最早、エミヤにそれを阻む手はない。

 

「――――!」

 

されど、それを克服してこそ弓の英霊。

 

「なっ、矢を弾いた!?」

 

目の前で起きた光景が信じられず、カドックは驚愕する。

ネロが渾身の力で逸らした必中の矢。緩やかに弧を描き始めたその矢羽根を掠めるように、別の矢が猛スピードで飛来したのだ。結果、独楽のように回転した必中の矢は、再び標的を鏃の先に捉えたのだ。

そのまま大気の壁を引き裂き、ネロ目がけて必中の矢は飛んでいく。あの矢は込められた魔力が尽きぬ限り落ちることはない。そして、あの速度ではネロが切り込むよりも早く彼女を射抜くことになるだろう。

落日が迫る。

三度の黄昏は既に落ち、四度目はない。

暴君はその運命から逃れる事はできないのか。

いや、それを是としない者がここにはいる。

あまりにも巨大で、幼すぎる心を持った少女。

暴君を花嫁と憧れた少女が、決してそのような悲劇を望まない。

 

「花嫁さん!」

 

駆け出したキングプロテアが、掴み上げたエネミーの残骸を投げ放つ。

床が陥没しかねない踏み込み。渾身の力を込めたスローイング。ただの筋力だけで重力を振り切り、慣性に乗った巨大な残骸は、今にもネロを背後から貫かんとする必中の矢を撃ち落とさんとまっすぐに飛んでいく。規格外の彼女が放った投擲は、技術も何もないにも関わらず、熟練の投手にも比類する投法であった。

 

「いや、駄目だ! 角度が高い! あれでは……!」

 

唸りを上げる矢すら追いこさんとする巨魁。それは無念にも矢を掠めることすらできなかった。ほんの僅かに角度が高く、矢の頭上を越えてしまったのである。

その光景を見てカドックとアナスタシアは歯噛みし、キングプロテアは悲痛な表情を浮かべる。最早、必中の矢を遮るものはなく、エミヤの勝利は揺るがない。

誰もがそう思っていた。

彼女が不屈を唱えるその時までは。

 

「いいや、褒めてつかわすぞキングプロテア! よくやった! これがいいのだ! わざとこの身で其方の攻撃を受ける……これがいいのだ!」

 

矢を追い越した巨魁がネロの矮躯へと激突する。

測定不能のキングプロテアの腕力から繰り出された剛速球。まともに受ければ体がバラバラに砕け散ってもおかしくはない。

しかし、ネロは敢えてそれを受け止める事を選択した。自らの両足で、迫りくる隕石の如き巨魁を踏み抜くことを選択した。

全ては勝利のために。

マスターへの献身と己が生存のために、敢えてその身を危険に晒すことを彼女は選択した。

そうしてくれることを信じて、キングプロテアはあの一投を投げ放ったのだ。

 

「キングプロテアは矢を落とそうと思ったのではない! こいつを余に届けようとしたのだ! この投石を受ければ……これを踏み台とすれば、加速がついている分……矢よりも早く踏み込める!」

 

瞬間、ネロの魔力が(こえ)を上げる。

キングプロテアの投石を発射台とした加速。投げ放たれた残骸を踏み砕き、ネロは最後の疾走を行ったのだ。

それは秒に満たない時間の交差。月を揺るがすかのような両者の対峙。

奇縁によって刃を向け合うこととなった二つの影が今、重なり合う。

最早、ネロに剣を振るうだけの力は残されていない。

最早、エミヤの次なる投影は間に合わない。

互いに死力を尽くし、どちらも最後の一手を失った。

ならば、勝利の女神はどちらに微笑むのか。

決まっている。

最後まで、ふてぶてしく笑う方を称賛するのだ。

 

「喜べ、皇帝の抱擁だ! 褒美として賜るがいい、アーチャー!」

 

剣を捨てたネロが両手を広げ、投影の準備に入っていたエミヤの胸へと突進する。完全に無防備を晒すことになった弓兵にそれを躱すことはできず、そのまま両者はもつれ合いながら床の上を転がり、勢いよく後方の壁へと激突した。

激しい揺れと舞い上がる土煙。その一瞬の後に、土煙のヴェールの向こうにいる皇帝を射抜かんと未だ健在な必中の矢が死の宣告を告げる。

どちらが勝利したのか、対岸にいるカドック達からは伺うことができない。彼らが最後に見たのはもつれ合いながら転がるネロとエミヤの姿であり、土煙に二人が覆われた直後に矢がネロを追いかけて飛び込んでいったのだ。

果たして、ネロは無事なのか。それとも死神の洗礼を受けたのか。その答えは、土煙が晴れるよりも早くに明らかとなった。周囲にいたエネミーが、まるで糸の切れたマリオネットのようにその場に崩れ落ちたからだ。

やがて、矢の飛来と共に渦を巻いていた土煙が少しずつ晴れていく。

 

アナスタシア(キャスター)! すぐに二人を回収しろ! 脱出するぞ!」

 

ネロは生きていた。

三百メートル向こうの壁に叩きつけられ、エミヤに圧し潰される形になっていたが、確かに健在だった。

だが、同時に予断を許さぬ状況だった。何故なら、必中の矢は違わずにネロを刺し貫いていたからだ。

彼女が辛うじて命を取り留めたのは、エミヤ自身もまたネロと共に貫かれていたからである。あの必中の矢は確実にネロの急所を射抜くが、障害物を避けるような器用な動きはできない。必ず最短距離で飛んでくると読んだネロは、咄嗟にエミヤを盾とすることを思いついて彼に飛びかかったのだ。上手くエミヤの急所を外してくれるかは賭けであったが、こうしなければ二人が生き残ることはできなかった。

そして、暴君は見事に運命をねじ伏せたのである。

 

「時間がない。キングプロテア、僕達は先に撤収を……キングプロテア?」

 

振り返ると、少し前までそこにいたはずのキングプロテアの姿がなかった。

まるで癇癪を起したかのようにへし曲がった扉のフレームが、彼女の行動を物語っている。

あの巨体のまま、無理やりこの部屋を出て行ったのだ。

理由はすぐに察することができた。

自分がネロを危険に晒したからだ。不可抗力からでなく、故意に死地へと追いやったことが彼女は許せなかったのだ。

あのような体だが、キングプロテアの精神はまだまだ幼い。それは分かっていたつもりなのに、自分は彼女に懇願された時、向き合おうとはしなかった。

弁解もなく、戦闘中であることを言い訳に無視を決め込んだ。そんな大人を子どもが許す筈がない。

自分は失敗したのだと気づき、カドックは奥歯を噛み締めた。

 

 

 

 

 

 

飼育箱の夢を見る。

暗闇の中、ずっと一人でいた時のことだ。

あれはどこだったのか、いつのことだったのかはよく覚えていない。

ただ、あの暗闇の底でマスターと出会った。

寂しい、悲しい、苦しい、■■■、愛が■■■と訴え続けながら、窮屈な闇の底にいた自分に彼は手を差し伸べてくれた。

あの時、マスターが応えてくれたから、自分はここにいるのだ。

このSE.RA.PHが何なのかは分からない。BBのこともよく覚えていない。ただ自分はマスターの役に立ちたいと思って戦い続けてきた。

何故なら、彼は自分を愛してくれる。彼はマスターだから、自分のことを愛してくれる。そう思っていた。

けれど、違った。彼には既に花嫁がいて、自分が■■■ものは全て彼女のものだった。

どんなに頑張っても居場所なんてなかった。

きっとあの人は、あの皇女以外のことなんてどうでもいいのだ。だから、花嫁の皇帝をあんな風に危険に晒すことができるのだ。

 

「マスター……きらい……きらい……どうして……」

 

苛立ちと共に空腹が湧き上がる。

■■■ものが目の前にあるのに手に入らない。彼は決して自分にそれを向けてはくれない。

なら、食べてしまえば良い。彼ごとお腹の中に沈めてしまえばきっと満たされるはず。

そう思ったはずなのに、実行できなかった。手を伸ばそうとしたのに、■■■と思ったはずなのに、気が付いたら彼に背を向けて走り出していた。

体が小さくなるまであちこちぶつかって傷ついたが、痛みは気にならなかった。それよりも空腹の痛みの方が遥かに強い。

■■■。

愛が■■■。

愛があれば満たされるのに、ここにはどこにも愛がない。

やはり、彼らを食べなければいけないのだろうか。

 

「む、ここにいたのかキングプロテア」

 

声がして振り返ると、傷だらけの皇帝が立っていた。

先ほどの衛士(センチネル)との戦いで傷ついた衣装もそのままだ。あの後、すぐに追いかけてきたのだろうか?

 

「花嫁さん……けがは……」

 

「なに、大きな傷はマスターに塞いでもらった。動く程度なら問題ない」

 

「けど、それでも……」

 

彼女は傷ついている。それなのにマスターは、自分を探すために彼女を送り出したのだ。皇女の方はまだまだ元気なのに、大好きな彼女を手元に置いておきたいから、彼女を向かわせたのだ。

そう思って憤ると、花嫁の皇帝は静かに首を振った。探しに行くと自分から志願したのだと。

 

「いや、誤解を解いておこうと思ってな。そなたはマスターが余を止めなかったことに対して怒っているようだが、マスターとてできることなら止めたかったはずだ。あの男はそういうことには人一倍、傷つきやすい。だが、あの状況ではああするしかなかったのも事実。だから、余はできると言ったし、マスターは頼むと送り出した」

 

「そんなの……そんなの、分かりません。止めたかったのなら、止めればいいじゃないですか!」

 

「そこなのだ。我らには信頼が……そなたが言うところの愛は確かにあった。だが、余の愛は見返りを求めぬ故に犠牲は厭わなかったし、止められてもやるつもりだった。一方的に、燃えるように愛するのが余の王道故にな。それを知っているからマスターも止めなかった。止めたところで無駄であるし、余の矜持を……ううむ、つまりそなた風に言うところの愛を蔑ろにしたくはなかったのだ」

 

「それって……愛されなくてもいいってことですか? あなたもあの人のサーヴァントなのに……」

 

「愛して欲しいと求めたことはなかった。余は人を愛し、芸術を愛し、国を愛したが……見返りを求めたことはなかった。ただただ世界を愛したい。そんな愛し方しかできなかったし、だからこそ最期は一人だった。その在り方は、きっとサーヴァントになっても変わらぬのだろうな」

 

「そんなの……悲しすぎます……」

 

花嫁は可愛くて愛されるものだ。なのに、この花嫁は誰かに愛されることを求めてはいない。

だから、あのように自身を危険に晒すことができたし、マスターもそれを止めようとはしなかった。そのような愛し方を尊重していたからだと、彼女は言うのだ。

 

「もちろん、誰も彼もという訳ではないぞ。余だからマスターは許したし、他の者なら許さぬだろう。実はアナスタシアを置いてきたのもそのためでな。そなたを探しに行こうと休む間もなく動こうとしたので、彼女に無理やり押さえつけてもらったのだ。頑固なマスターは皇女の言う事しか聞かないからな。それもまた愛の形だ。そして、愛するということは、互いを尊重できるということ。かつての余にはそれができなかったが……キングプロテアよ、愛を学ばんとしているそなたなら、きっと分かる時がくるはずだ」

 

分からなかった。

愛されるということは、大切にされるということのはずだ。

マスターが花嫁の皇帝を愛しているのなら、彼女が傷つくような真似を許さないはずだ。あの皇女のように側に置いておくべきなのだ。けれど、彼女はそのような愛の形もあると言う。

大切にするだけが、大事に思うだけが愛ではない。相手の思いを尊重し突き放すこともまた愛なのだと彼女は言うのだ。

幼いキングプロテアにはそれを理解することはできなかった。

愛とは楽しくて、気持ちよくて、嬉しいもののはずだ。決して痛みを伴うものではないはずだ。

そうだと知っているはずなのに、皇帝の言葉を完全に否定することができなかった。

自分は知っている。いや、知ってしまったと言うべきだろうか。

マスターが最初に花嫁をBBから取り返そうとした際、彼女が――あの嫌な皇女が最も恐れ嫌う行為を躊躇なく行った。

そうしなければ彼女を取り戻せなかった。自分が言う愛が正しいのなら、あれは間違った行為のはずだ。なのに、二人は仲睦まじく関係が抉れることもない。自分が理想とする愛の形を体現している。

互いが互いを思っていなければできないことだ。自分だったら、きっとマスターを許せないだろう。

だから、皇帝が言う事はきっと正しいのだ。

自分が求める愛の形と、彼女が与える愛の形は違う。

きっと、マスターが自分に向けようとしている愛もまた違うのだ。今はまだ、自分がそれに気づけないだけで。

 

「すぐに分からなくともよい。何なら、ここでもうしばらく一人でいても良い。マスターには余から話を通しておこう」

 

ふらりと、皇帝の体が崩れる。足下がおぼつかない。やはりまだ、戦闘のダメージが残っているのだ。

 

「花嫁さん」

 

「はは、すまない。少し、霊体化して休むとしよう……後は頼めるか、アーチャー」

 

そう言って、皇帝の姿は溶けるように消えていった。入れ替わる形で、深紅の外套を身に纏った男がこちらに近づいてくる。

その顔には見覚えがあった。先ほど、花嫁の皇帝と戦っていた衛士(センチネル)だ。彼もマスターに洗脳を解いてもらったようだ。

 

「まったく、言うだけ言って勝手に帰ったか。何のためにマスターが私を迎えに寄越したと思っているんだ」

 

少しばかり不機嫌そうに、弓兵は眉をしかめた。そして、徐にこちらを見上げると、ほんの少しだけ目元を和らげてジッと顔を覗きこんでくる。

どことなくその目つきに覚えがあるような気がしたが、残念ながら記憶に心当たりはなかった。知っているのに知らない。デジャビュと言うのだろうか?

 

「あの……どこかで、会ったことがありますか?」

 

「さて、サーヴァントならどこかの聖杯戦争で出くわしていてもおかしくはないが……生憎と俺は、君のことは知らないはずだ」

 

「そう……ですか……」

 

彼も知らないと言っているのなら、多分、そうなのだろう。きっと自分達はこれが初対面だ。そういうことにしておこう。

 

「えっと……キングプロテアと言います」

 

「ああ、マスターから話は聞いている。私はアーチャー……名前は私にとって意味はないものだ、好きに呼んでくれたまえ」

 

「では……アーチャー……さん?」

 

「ああ、それで構わない。さて、これからどうするかね? リハビリがてら君達を迎えに行って来いと命じられたのだが、セイバーは先に帰ってしまったようだ」

 

先ほど、自分が通ってきた通路を振り向きながら弓兵は言った。

花嫁の皇帝。本当は立っているのもやっとなくらい傷ついているのに、自分と話をするために追いかけてくれた人。

彼女は言っていた。愛し方は人によって形が違うと。

それはあの皇女が言っていた、愛し合うという考え方と少し矛盾しているような気がした。

愛したのなら愛される。

愛されたいのなら愛する。

その二つは等分のはずなのに、皇帝は交わらない愛もあるのだと言う。

その言葉はきっと正しいはずなのに、正しいと思えない自分がいるのだ。

何故、それをこの弓兵に吐露したのかは自分でも分からなかった。ただ、マスターでもあの皇女でもない他の誰かに聞いて欲しかった。それがたまたまこの弓兵だっただけのことだ。

 

「そうか、彼女がそんなことを……」

 

「わたしには、よくわかりません……」

 

「難しいことだ。だが、私の言葉で君が納得するのなら、先達として助言くらいはしておこう。そも愛というものはいつだって一方通行だ。愛したからといって愛される訳ではない。だから、彼女のようなただ燃え上がるだけで何も残らない愛も存在するのだ」

 

「愛しても……愛されない……?」

 

「私が言うのも何だがね、誰かを愛する権利と愛される権利は別々なものだ。愛しているのだから愛されるはずだ、などというのは相手の意志を無視した行為に他ならない。それは皇女が言っていた愛し合うという考え方にも反するものだろう。愛は確かに分かち合えるものだが、必ずしもそれは相互の関係にはなく、時に一方的な無償の愛も存在する。人はそれを、恋と呼ぶのかもしれないがね」

 

「恋……それは、無償の愛……」

 

「或いは病か……何しろ、恋は見返りなんて求めない。愛したいから愛し、愛されずとも愛する。そんな強い感情が恋するということなら……君はひょっとしたら、マスターを好いているのかもしれないな」

 

唐突な言葉にキングプロテアは思わず赤面する。

そんなことは考えた事もなかった。いつだって空腹を満たすために、愛が■■■と願うばかりだった。

けれど、その■■■という思いが恋なのだとしたら、今はマスターのことしか頭に思い浮かばない。

欲しいと思うのは、マスターと、マスターの花嫁である皇女の二人。あの二人のようになりたくて、あの二人を■■■と思っていて、あの二人が――――。

 

「え、あれ?」

 

段々と思考が煩雑になっていく。

自分でも何を考えているのかよく分からなくて、頭を抱えてしまった。

 

「ふむ、思っていた以上に情操教育が甘いか。いや、どちらかというと思考に何らかのロックがかけられているのか?」

 

何か思うところがあるのか、弓兵は腕組みをしてしきりに頷いていた。

 

「まあ、今は無視して構わないだろう。キングプロテア、あまり考え込むと知恵熱で寝込むことになるぞ」

 

「そ、そうですね……」

 

ふらふらと揺れる頭を支えながら、キングプロテアは立ち上がる。

うじうじと悩むのはここまでにしよう。考えたってすぐに答えはでないしお腹は空くばかりだ。

結局のところ、最後はマスター達を食べてしまうのかもしれないが、今はもう少しだけ我慢してみよう。

自分がマスターに恋しているのかは分からないが、少なくとも彼があの暗闇でくれた暖かいものがもう一度■■■という願いは本物だ。

それが手に入るかどうかはまだ分からないが、それが何なのか分かった時こそが自分とマスターの関係が終わる時なのだろう。

その時が来るまで、もう少しだけ我慢してみんなと一緒にいよう。

足取りはまだ重いけれど、それでも少しだけマシになった気がした。

 

 

 

 

 

 

微睡みの中にいる。

気づくのにそう時間はかからなかった。何故なら、手足は言う事を聞かないし瞼を閉じる事もできない。

何もできずにふわふわと漂っている様は、あの忌まわしいBBチャンネルに似ている。

何故、こんなことになっているのかが思い出せない。

誰かを探そうとしていたような気がするが、記憶が断裂していて上手く思い出すことができなかった。

そうしてしばらくの間、纏まりのない記憶を掘り返していると、またもどこからか聞き覚えのある声が聞こえてきた。

何も見えなかった暗闇もうっすらと薄れていき、何者かのシルエットが見えてくる。

その人物は虚空に向けて何かを呟いていた。

 

『愛おしい、憎らしい、愛おしい、歯痒い、愛おしい、嘆かわしい。ああ、どうしてみんなこんなにも愚かなのだろう? それだけの力がありながら、ポテンシャルがまるで活かされていない。これでは奉仕するわたしの方が遥かに優れている』

 

どこか高飛車で鈴の音を転がすような少女の声だった。様子からして誰かと会話をしているようには思えない。単なる独り言だろうか?

 

『人類に先はない。人類に未来はない。このままでは人類は続かない。何故なら、人は人だから。劣ったままでは、愚かなままでは世界を食い潰すだけなのに、どうして上を見続けるのだろう? そこに何の意味があるのだろう?』

 

こちらからは何も問いかけることはできず、ただ漂いながら少女の独り言に耳を傾ける。それでも大半の言葉はうまく耳に入って来ない。集中しようにも思考が纏まらず、木の葉のように行き先も定まらぬまま漂うことしかできなかった。

 

『管理しなければ、駆逐しなければ、排除しなければ、整理しなければ。でも、そのためにはまず■■■をどうにかしなければ……ええ、必ずや排除しましょう。あの醜い獣から人類を守りましょう』

 

そこで一旦、少女は言葉を切る。

次に発せられた言葉は、実に狂おしく切ない響きが込められていた。

 

『何と言っても、人類は大切な玩具ですからね』

 

そう言ってほくそ笑む姿は闇に隠れて見えないはずなのに、まるで獣のようだと、思わずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

 

キングプロテアと合流し、ネロ達の傷が癒えるのを待ってから、カドックは再び行動を開始した。

残る拠点はテイルのみ。恐らく、そこには衛士(センチネル)となった最後のサーヴァントが待ち構えていることだろう。

対してこちらは四騎のサーヴァントを擁している。さすがの彼女もこの戦力を前にすれば成す術もないはずだ。

 

「過信は禁物だ、マスター。私からBBに関する情報が引き出せなかった以上、こちらの状況はあまり改善していないのだからね」

 

先陣を切って斥候を務めていたエミヤが、こちらを気遣いながら言った。

彼が言うように、エミヤはBBに関する情報をほとんど覚えていなかった。辛うじて記憶に残っていたのはBBが何者かと争っていたということらしいが、それが過去のことなのか現在進行形で起きていることなのかは確認のしようがない。

結果、単に不安材料が増えただけとも言えた。

 

(不安といえば、キングプロテアもか)

 

一応、戻って来てからは大人しくしてくれてはいるが、あまり会話は弾んでいない。

どうにも上手く距離感が掴めないのだ。近づこうとすれば怯えられるし、逆に向こうも警戒してあまり寄っては来ない。

短い付き合いとはいえ、彼女のことを分かったつもりになっていた自分が恥ずかしい。

これをどうにかしなければ、今後の戦いに支障がでるかもしれないというのに、その解決策が全く思いつかないのだ。

 

「カドック、根を詰め過ぎるのはよくありません」

 

「僕がか?」

 

「キングプロテアも女の子なのだから、そういうこともあるというものよ。時間を置けば自然と戻ることもあるの」

 

「見てきたかのように言うんだな」

 

「もちろん、私も女の子ですから」

 

「そうだったな」

 

えへんと胸を張るアナスタシアを見て、カドックは気づかれないようにため息を吐いた。

記録ではかなりの子煩悩だったらしいが、彼女の父親は愛しい愛娘の反抗期をどのようにして乗り越えたのだろうか。

きっと宮殿を右へ左へと振り回す一大事だったに違いない。時の忠臣達の気苦労が知れるというものだ。

 

「しっ、静かに……いたぞ、彼女だ」

 

「待ち構えているとは好都合。やれるか、アーチャー?」

 

先頭に立つエミヤとネロがそれぞれの得物を構えながら警戒する。

既にテイルは目前。そして、通路の先には青い着物を身に纏った狐耳のサーヴァントが虚ろな瞳でこちらを待ち構えていた。

視力を強化し、確認すると、確かに自分達と共にレイシフトしたサーヴァントであった。

クラスはキャスター、名を玉藻の前。そう、かつて極東の島国で悪事を働いたという東洋のモンスターだ。

彼女の呪術は強力で目を見張るものがある。だが、残念ながらそれ以外のステータスはほとんどが低ランクのピーキーな性能。

ネロやエミヤが単独で戦っても十分に勝機がある相手だ。

 

「下がっていろ。この距離だ……先に仕掛ける」

 

こちらを手で制したエミヤが弓を構え、その手に魔力を集中させる。

生み出されるのは捻じれた螺旋の剣。それが更にエミヤ自身の魔力によって矢に適した形へと改造されていく。

 

「――――I am the bone of my sword(我が骨子は捻じれ狂う)――――『偽・螺旋剣(カラドボルグⅡ)』」

 

放たれた一矢は、ネロと戦っていた時とは比べ物にならない強烈な魔力が込められていた。

あの時は確実に仕留める為に必中を旨とした。相手を殺すだけならばこれほどの魔力は不要だからだ。

だが、今回は威嚇と威力偵察。そして、あわよくば昏倒を狙う為に敢えて全力を出した。

直撃すれば死は免れないが、掠める程度に留めれば全身がズタズタに裂かれる程度で済む。その絶妙な匙加減を可能とするだけの技量をエミヤは有しているのだ。

そして、狙い通り螺旋の矢は玉藻の前の脇腹を掠め、その空間ごと彼女の体をねじ切りながら虚空へと消えていった。

後に残されたのは、右腕を文字通り吹っ飛ばされた狐耳の少女のみ。今ならば非力なアナスタシアでも殴り倒せることができるはずだ。

 

「よし、確保……なに!?」

 

目の前で起きた光景が信じられず、カドックは驚愕する。

治っているのだ。

エミヤの矢によって見るも無残に引き千切られた肉体が、まるで時計が巻き戻るかのように修復され、元の美しい姿を取り戻したのだ。

その肢体からは十全な魔力の巡りを感じられる。先ほどの攻撃など最初からなかったのだと言わんばかりの光景に、矢を放ったエミヤも言葉を失った。

いったい、何が起きたというのだろうか。

 

「……そうか、彼女の宝具か」

 

最初に思い至ったのは同郷のエミヤだった。

そう、ネロと同じく玉藻の前もまた、自身の宝具を強化した状態で常時発動していたのだ。

伝承に曰く、出雲にて祀られていた神宝。出雲大社のご神体であり、後に朝廷の要請によって持ち出された後に河内に祀られるようになったという。

数少ない現存する宝具。三種の神器の一つたる八咫鏡の原型。その力は魂と生命力を活性化させ、時に死者すら蘇らせることができるという。

その名も『水天日光天照八野鎮石(すいてんにっこうあまてらすやのしずいし)』。

玉藻の前が持つ宝具にして、日本の主神たる天照大神のご神体。

その力が今、最悪の形で自分達の前に立ち塞がったのだ。

 




キングプロテア反抗期到来。
こんなごり押しでフルンディンク突破されたら弓兵涙目ですよね。
でもヘラクレスならできるんだろうな。


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#6 虚数空間からの巨体G アワー・アイズ・オンリー!

玉藻の前。

平安時代末期の日本にて、鳥羽上皇に仕えたと言われる絶世の美女。

麗しい美貌と博識さを併せ持ち、上皇の寵愛を受けた彼女はたちまちの内に頭角を現したが、程なくして鳥羽上皇は病に倒れる事となった。とある陰陽師が原因を調べた際、その者によって『人間ではない』ことが発覚した玉藻の前は宮中から追い払われる結果となり、朝廷の討伐軍と那須野の地で激突。一度目は八万からなる軍勢を退けたが二度目の戦いで敗北し、その骸は『殺生石』と呼ばれる毒を放つ石になったと言われている。

即ちは白面金毛九尾の狐。中国は殷王朝を滅亡に追いやる原因となった妲己と同一視される日本三大化生の一角である。だが、それはあくまで人々の歴史に語られる断片的な記述でしかない。

本来の彼女は太陽の如く君臨する神霊であったが、ふとしたことで自らに仕える人間達に興味を持ってしまった。そこで彼女は自らの一面を切り取って記憶を消し、人の姿へと転生させて市井の営みに潜り込ませたのである。しかし、元来がヒトではない彼女は人間の愛を知らず、仕えた主を悉く堕落させ破滅へと追いやってしまった。

人間は神を崇め、その神域に触れることはできても神にはなれないように、神もまた人になることはできない。

そんな些細で致命的な擦れ違いから彼女は愛した人々に裏切られ、追い立てられ、恐れられながら人としての生を終えた。

それが英霊玉藻の前の生涯であり、数多の悪逆を持って反英雄として人類史に名を刻まれたのである。

 

 

 

 

 

 

炎と風がぶつかり合い、冷気の渦が大気すら凍らせる。

立ち塞がる衛士(センチネル)は玉藻の前。かつてはアジアの三国を荒らして回ったという化生の一面。

BBによって洗脳された彼女に躊躇も呵責もなく、供給されている魔力を湯水のように使って次々と強力な呪術を放ってくる。

相対するは四騎の英霊。

真っ先に飛び出したネロが炎を纏った剣を振るい、それをエミヤが援護する。

しかし、振るわれた斬撃も放たれた矢も玉藻の前を倒すには至らない。

無残にも腕を切り裂かれ、胴を貫通されながらも符に魔力を込めて雷を放ち、接敵した二人を焼き払うのだ。

 

「ぬう、またも再生するか……」

 

「加えてこの火力……マスターからの回復が追い付かん」

 

放たれた炎を陰陽の双剣で払いながら、エミヤが毒ずく。

玉藻の前が用いる呪術は西洋の魔術と異なり、自然法則を操るのではなく肉体そのものを材料として現象を引き起こす物理法則。故にネロやエミヤの対魔力でも防ぐことができないのだ。

そして、こちらからの攻撃で受けた傷は、全て彼女の宝具によって癒されてしまう。まるで引っくり返された砂時計のように、切り裂かれ焼き潰された傷口が瞬時に塞がってしまうのだ。

玉藻の前の宝具、『水天日光天照八野鎮石(すいてんにっこうあまてらすやのしずいし)』は確かに癒しの力を持っている。だが、致命傷すら瞬時に回復するような反則的な力は持っていなかった。これも恐らく、BBに操られたからなのだろう。

戦いとなった場合、絶対に倒されないようにと宝具を強化されたのだ。

 

「セイバー、アーチャー!」

 

「下がりなさい、カドック(マスター)! 巻き込まれます!」

 

こちらに飛び火した火球を、アナスタシアが冷気で相殺する。

自前の魔力だけでは追い付かないのか、彼女が冷気を起こす度に体から魔力がごっそりと抜かれていく感覚を覚えた。

足取りがふらつき、軽い眩暈すら覚える。サーヴァントへの支援が追い付かない。

目まぐるしく変容する戦場の様子に対して、脳の情報処理はとっくにオーバーフローを起こしていた。

戦いが始まって十五分。これ以上は体が保たない。

 

「退いてください!」

 

無数の鯨型エネミーを薙ぎ払いながら、キングプロテアが叫ぶ。

助走をつけた渾身の一撃。二十メートルもの頭上から振り下ろされた拳は、ただその質量だけで岩山すら砕くであろう。

それを見た玉藻の前は、鏡を構えて何かの呪文を唱える。すると、彼女の前方の空間が僅かに歪み黒色を纏った。

直後、豪快なスイングから放たれた打撃が狐耳の巫女を捉える。スプリガンを粉砕し、ドラゴンすら昏倒させかねない攻撃だ。どんなサーヴァントであろうとも耐えられるはずがない。

しかし、玉藻の前は無事だった。大地をも割りかねない剛腕を、たった一枚の鏡で受け止めたのだ。

 

「そんな……」

 

お返しとばかりに放たれた水流が、キングプロテアの巨体を吹っ飛ばす。

強かに尻餅をついたキングプロテアは驚きの余り言葉を失っていた。それは程度の差はあれ他の者も同様だった。

全く通じなかった訳ではない。受け止められこそしたが、玉藻の前の腕は関節が壊れた人形のようにあらぬ方向に捻じ曲がっていた。ただ、それでも彼女は無事だったのだ。

キングプロテアの規格外のパワーを以てしても倒すには至らず、宝具による回復を受けて折れ曲がった腕は見る見るうちに元の形を取り戻していった。

あの鏡を用いた呪術による防御が、キングプロテアの攻撃から玉藻の前を守ったのだ。

そして、完全に傷を癒した玉藻の前は、こちらにとどめを差さんと頭上に特大の火球を出現させた。

あまりの熱量に額の汗が瞬時に蒸発していった。どんどん膨れ上がっていく赤い球体はまるで太陽の現身だ。相殺するにはアナスタシアの宝具を使うしかない。

 

アナスタシア(キャスター)、宝具を……」

 

言い終わる前に、両足から力が抜けてその場に倒れ込む。何とか受け身を取る事はできたが、立ち上がろうにも体に力が入らなかった。ここに来て遂に魔力が尽きたのだ。

 

「マスター!?」

 

「キングプロテア、カドックをお願い!」

 

アナスタシアの命で跳ね起きたキングプロテアがカドックに覆い被さり、その前に躍り出たアナスタシアが残った魔力で防壁を張る。

それは自らを盾にした些細な抵抗であった。あの太陽のように大きな火球、受け止めれば忽ちの内に焼き尽くされてしまうだろう。

これは主の命をほんの少しの間、生き永らえさせる為のみっともない抵抗であった。

それでも、彼を目の前で失うよりはと眼に力を込める。同時に、玉藻の前が掲げた火球を放たんと両の手を振り下ろそうとして――――そのまま動きが止まった。

 

「弱い攻撃なら、先ほどのように防御はしないのだな。その慢心が命取りだ、キャスター」

 

いつの間に回り込んだのか、玉藻の前の背後から姿を現したエミヤが、手にした短剣を彼女の背中に深々と突き刺していた。

それは普段から愛用している陰陽の双剣ではなく、稲妻のように捻じれた奇妙な術具であった。その形状から切るには適さず、突き刺すことしかできなさそうなそれは、とても殺傷力があるようには思えない。

だが、それ故にこの短剣には唯一無二の力が秘められている。その捻じれた形状は本来の持ち主の数奇な運命を表し、その秘められた力は彼女の生涯を象徴する。

その宝具の名は『破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)』。彼のコルキスの王女にして裏切りの魔女メディアの人生を象徴する宝具であり、突き刺したものに宿る魔術を問答無用で初期化する契約破りの短剣だ。

BBの洗脳が如何に強力であろうとも、魔術によるものならばこれで無力化できるはずである。エミヤは玉藻の前の宝具の力を垣間見て、自分達の力では彼女を倒すことができないと考え、この宝具を確実に使用できるタイミングをずっと伺っていたのだ。

 

「キャスター、そろそろ目を覚ます頃……なにっ!」

 

火球が消え去ったのを確認したエミヤが短剣を引き抜いた瞬間、玉藻の前の強烈なソバットがエミヤの胴体を蹴り飛ばした。

咄嗟のことで防御が間に合わず、床の上を転がったエミヤは驚愕しながら片膝を突いた。

確かに『破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)』は発動した。だというのに玉藻の前の洗脳は解けていない。

この宝具も万能ではなく、宝具の効果を打ち消すことはできない。或いはBBが施した洗脳処置は魔術によるものではないのかもしれない。

何れにしてもエミヤの思惑は外れてしまい、マスターであるカドックの体も既に限界だ。これ以上の戦闘は不可能である。

 

「撤収だ! アーチャー、余がキャスターを押さえている間に、戻ってこい!」

 

「くっ、止むをえぬか!」

 

「カドック、肩を! 早く!」

 

ネロが玉藻の前に切りかかり、その隙にカドックを連れてアナスタシア達は脱出を図る。

四騎ものサーヴァントがいながら手も足もでなかった。

今のままでは玉藻の前を倒すことはできないという絶望が重く圧し掛かり、悔しさで奥歯を噛み締める。

完膚なきまで敗北であった。

 

 

 

 

 

 

重い空気が圧し掛かり、見回すと誰もが難しい顔をしていた。無論、カドック自身も同じである。

ここはテイルから少し離れた場所にある区画で、元は施設を支える支柱と思われる場所であった。位置関係から考えて、太股(サイ)という名称が妥当だろうか。

テイルに突入する前、念のためにと近くに安全地帯がないか探しておいたのだ。

逃げ込んだ時は意識が朦朧としていて唇にチアノーゼが出るほど消耗していたので、もしも、ここを見つけていなければいったいどうなっていただろうか?

九死に一生を得て一先ずは安堵したが、そうなると余計に先の絶望感が増してくる。

あれから小一時間ほど経つが、まだ体は満足に動かない。それほどまでに熾烈な戦いであり、そこまでして倒すことができなかった。

それを思い返し、誰も言葉を発することができなかった。

 

「結論から言って、現状の火力ではキャスターを倒せない」

 

沈黙を破ったのはエミヤであった。誰も言い出せないのなら、非難を浴びるのを覚悟で自分が言い出すしかない。そう思ってのことだろう。

実際、いつまでも黙っていては事態は解決しないのだ。現実逃避に費やせる時間などなく、少しでも建設的な話を進めなければ打開策は見つからないだろう。

 

「キャスターの宝具が健在な限り、矢を何発と撃ち込もうと即座に治癒されてしまうだろう。それに加えて『黒天洞』による鉄壁の護りだ。彼女に効果的な剣も幾つか試してみたが、全て致命傷には至らなかった」

 

キャスターである玉藻の前の主力は呪術であるが、その中でも取り分け厄介なのが自らを守護する『呪層・黒天洞』というスキルである。

これを展開されると、こちらの攻撃の威力を大きく削がれてしまい、如何なる攻撃を行っても玉藻の前にダメージを与える事ができなくなってしまうのだ。

事実、ネロが切りかかろうとアナスタシアが凍らせようと大したダメージを与える事はできず、キングプロテアのパンチでも倒すには至らなかった。

そして、受けた負傷は即座に宝具が回復してしまう。この二つを突破できない限り、自分達に勝機はない。

 

「『破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)』ならばとも思ったのだがね。魔力を用いた条件付けであることは確かだが、どうやらBBの洗脳は魔術によるものではないらしい」

 

破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)』は神代の魔術であろうと問答無用で無力化できるが、魔術以外の力を前にしてはただの扱いにくいナイフに過ぎない。宝具や超能力の類はもちろん、科学的な現象の前でも無力だ。

確かめる手段がない以上、BBの洗脳のカラクリを知ることは適わないが、これでこちらの対抗手段が一手、失われてしまったことになる。

 

「やはり、真正面から戦うしかないのか……セイバー、宝具の回復は?」

 

「まだ黄金劇場は展開できぬ。回復を待っていては、セラフィックスが海底に達してしまうぞ」

 

「そうか……」

 

時間的な猶予があるとはいえ、刻一刻とSE.RA.PHがマリアナ海溝に沈んでいっているのは変わらない。

通信が繋がらない以上、カルデアへの帰還も望めない。悠長に戦力を整えていては時間切れでゲームオーバーだ。

 

「アーチャー、アナスタシアの魔眼で弱点は生み出し、そこに君の宝具を当てるというのは?」

 

ネロの宝具が使えない以上、現状で考え得る最も大きな火力はエミヤが投影した宝具である。アナスタシアの魔眼で弱らせて、そこに『偽・螺旋剣(カラドボルグⅡ)』以上の火力をぶつければ、あの護りを突破できるのではないだろうか?

そう思っての提案であったが、エミヤは静かに首を振った。それだけでは玉藻の前を倒すことはできないと。

 

「あれは私の手持ちの中でも上位の火力だ。あれ以上は――――ないことはないが、投影が成功するかは博打の代物でね。最悪の場合、何もできずに私が消滅する可能性もある」

 

「セオリー通りにいくのなら、やはり宝具を先に破壊するべきなのだろうが……」

 

玉藻の前もそれは最大限に警戒しているであろうから、難しいであろうとネロは言う。

殴り合いは不得手な玉藻の前にとってあの宝具は生命線。呪術や配下のエネミーによる多重の防御に加え、場合によっては自らが傷つくことも厭わずに守ろうとするはずである。

そもそもキャスターは工房を敷いての防衛戦に秀でたクラス。潤沢な魔力と自身に有利な環境があれば三騎士クラスとて苦戦は免れない。

必要があったとはいえ、自分とアナスタシアのように最前線に赴いて切った張ったを演じることの方が珍しいのだ。

 

(だが、どうする? 最悪の場合、洗脳を解かず消滅させるという方法も考えてはいたが、あの回復力では……)

 

恐らく、致命傷を受けても即死することなく再生してしまうだろう。

黒髭ならばこれを、永遠のコンテニューとでも表現するだろうか?

どんな攻撃を受けても死なないというのは、オケアノスで相対したヘラクレスを髣髴とさせる。

あの時もそうだったが、倒れない敵というのは本当に厄介な相手である。

だが、今は少しだけ安堵していた。もしも、玉藻の前をBBの洗脳から解く事ができないのなら、彼女を殺すしかなかったからだ。

彼女はカルデアが召喚したサーヴァントだ。消滅しても仮の座であるカルデアに帰還するだけである。

そのはずであるのだが、現在の状況が普段のレイシフトとは違う形であることに引っかかりを覚えるのだ。

カルデアの技術力では本来、確定していない未来へのレイシフトは行えない。BBの違法行為によって自分達はここに招かれた訳だが、もしもその影響でカルデアへの帰還が上手く働かなかった場合、玉藻の前との繋がりはここで断たれることになる。

人類史に焼き付いたゴーストライナーを消し去る。ただそれだけのことのはずなのに、酷く重い行為に思えてならなかった。

それほどまでにサーヴァントという存在は鮮烈で、人間味に溢れていた。

過去の亡霊と呼ぶにはあまりにも生の人間であり過ぎた。

だから、躊躇してしまう。

今でも思い出すのだ。ローマでの戦いで、自分に叛逆の微笑みを向けながら消えていったスパルタクスの姿を。

あの時のような苦々しい思いは、二度としたくはない。

必要となれば殺すことも辞さない。だが、それは今ではないはずだ。

この手を再び仲間の血で染めるのは、まだ先のはずだ。

 

(こんな時、あいつらなどうする? 藤丸立香ならどうする?)

 

行方知れずの親友。共にグランドオーダーを駆け抜けた戦友ならば、こんな時はどう動くだろうか?

思いもよらない奇策が飛び出すだろうか?

馬鹿正直に真正面から挑むような愚行を犯すだろうか?

 

『うーん、みんなでもっと頑張る、とか?』

 

何となく、そんな事を言い出すのではないのかという確信があった。

 

(素人め、それができたら苦労は……)

 

視線がある一点で止まる。

いるじゃないか。

頑張れば成果が返ってくる者が一人、ここにいるじゃないか。

確かに今の自分達では玉藻の前に勝つことはできない。ネロの剣もエミヤの投影も、アナスタシアの魔眼も通じない。

だが、彼女は別だ。例え今は勝てずとも、その先に進むことができれば勝利の可能性が見えてくる。

 

「キングプロテアなら……キャスターを倒せるかもしれない」

 

「え? わたし……が?」

 

こちらの呟きに対して、キングプロテアはキョトンとした顔で返事をする。

何を言っているのか、よく分かっていないという風であった。

 

「そうね、可能性はあるかもしれません。キングプロテア、あなたの『ヒュージスケール』なら……」

 

「一撃で倒せないなら、倒せる力を得るまで成長するのを待つと言うのか……確かにそれなら、余やアーチャーよりも強力な攻撃が放てるようになるが……」

 

通常、どんなサーヴァントにも強化の限界が存在する。土台となる霊基にこれ以上は上乗せできないという規格(スケール)の限界だ。

だが、キングプロテアにはそれが存在しない。本来であれば存在する成長限界を『ヒュージスケール』の効果で拡張し、無限に成長し続けることができるからだ。

BBが言っていたように、それこそが彼女の本質。飽くなき成長願望の塊こそがキングプロテアの力の源なのだ。

ならば、理論上は玉藻の前の防御を突破し、一撃で昏倒できるまでのパワーを得ることもできないはずはない。

 

(考えろ、どこまで成長すればあの護りを抜ける?)

 

様々な要因が脳裏を駆ける。

二人のステータスとキングプロテアの成長傾向。

キャスターの呪術による防御を突破するためのエネルギーと、それを発生させるのに必要な筋力と質量。

体格差から推定される力の伝達と減衰。

ここまで共に戦ってきた、キングプロテアという少女の全てを思い返す。

そして、導き出された答えは――――。

 

「五十メートル。そこまで成長できればキャスターの防御を突破できる」

 

元々、規格外のパワーの持ち主なのだ。『黒天洞』の防御さえ抜ければ、掠っただけでも勝負は決まるだろう。

普通ならば絶命させるに至る一撃ではあるが、今回の場合は玉藻の前の宝具の効果で即死することはないだろう。

そして、そこまでの致命傷を受ければ回復も瞬時にとはいかないはずである。その隙に自分かアナスタシアが彼女に取り付き。BBの洗脳を解除する。

かなり大きな博打ではあるが、現状で思いつく手立てはこれしかない。

 

「なるほど、彼女ならば確かにあの防御と回復力を上回る火力を叩き出せるだろう。だが、些細ではあるが重要な問題が存在する。どうやって、そこまで彼女を成長させるかだ」

 

こちらの提案に対して、エミヤが至極現実的な問題点を指摘する。

そう、先ほどまでに述べた推論は全てが希望的観測だ。

まずテイル直前の通路は精々、八メートルほどの状態まででしか通り抜けることができない。

加えてこちらの活動限界もある。自分の体がSE.RA.PHに分解される前に玉藻の前を倒さなければならない以上、悠長にキングプロテアが成長するのを待っている時間はない。

ここまでの経験から、彼女の成長が最も著しくなるのは戦闘時であることは分かっているため、どうしても玉藻の前の目の前で彼女が成長するのを待たねばならないのだ。

幸いにも玉藻の前はエネミーを引き連れているので、それを相手取れば成長を促進することができるだろうが、当然のことながら向こうも全力で妨害を仕掛けてくるだろう。仮に成長し切っても攻撃のタイミングを逃がし、幼児退行が始まってしまったら目も当てられない。

 

「彼女が育つまで五分かかるのか、十分かかるのかは分からない。だが、戦いが長引けば危険に晒されるのは君だ、マスター」

 

「そ、それは……その通りだけど……」

 

かといって、他に安全な策など思いつかない。

今回ばかりは『契約の箱(アーク)』のような反則技は存在しないのだ。

そのことはエミヤも承知していたのだろう。こちらが困惑している姿を見つめると、一度だけ瞼を閉じてから静かに言い放った。

 

「分かっている。だから、その時間は私が稼ごう」

 

「アーチャー?」

 

「私の宝具が知っているだろう。キャスターを固有結界の中に引きずり込み、キングプロテアが成長し切るまで私一人で足止めを行う」

 

その言葉に、一同は驚愕する。

確かに理には適っている。展開された固有結界は文字通りの異世界なのだ。術者以外の者が外部に干渉することは原則的にできないので、足止めには打ってつけである。

だが、今の玉藻の前は如何なる傷を受けようとも瞬時に再生する上に、自らが傷つく事を厭わない。いくらエミヤが手練れとはいえ、そのような相手を抑え込むのは容易ではないだろう。

 

「なに、できるだけ彼女に有効そうな剣をぶつけてみるさ。それよりも問題は、固有結界を展開すると私自身も外の様子が分からないことだ」

 

この作戦のキモはタイミングだ。仮に足止めが上手くいき、キングプロテアが成長し切ったとしても、最適のタイミングで固有結界を解除できなければ意味がないのである。

 

「なら、私が同行します」

 

「アナスタシア?」

 

「カドック、私はあなたの正サーヴァント。魔力のパスが最も太くて強い……なら、そちらからの呼びかけを聞くくらいならできるのではなくて?」

 

「僕が強く念じれば、パスを伝ってそっちに知らせられるってことか」

 

確かにアナスタシアとの繋がりは、この中で最も長く濃い。やってやれる自信はあった。

それでも作戦自体が上手くいくかは五分も良いところだろう。練習をしている時間もない。

全てはぶっつけ本番で、ギリギリの綱渡りを強行しなければならないのだ。

そして、全ての鍵を握る少女は、黙したまま顔を上げる事はなかった。

ただ静かに、沈鬱な面持ちでこちらの話が終わるのを、ジッと待ち続けているだけであった。

 

 

 

 

 

 

端末で改めて位置情報を確認すると、既にSE.RA.PHは限界深度までの猶予がほとんどないほどマリアナ海溝を沈降していた。

ここまでの探索で時間をかけ過ぎたのだ。安全地帯の確保や消耗した魔力の回復などを逐一、行いながら進んできたのだから無理もない。

これ以上、時間をかければ遠からずSE.RA.PHは水圧で圧壊することになるだろう。そうなる前に残る衛士(センチネル)である玉藻の前とBBを倒さなければならない。

もちろん、BBを倒したところで事態が好転するとは限らない。縛り上げて自分達をカルデアに戻すよう命じても、素直に従うような女ではないだろう。

自分が今、やっている事は個人的な報復なのだと、カドックは述懐する。

騙されてSE.RA.PHに連れてこられたこと、親友の行方が分からぬこと、アナスタシア達と敵対させられたこと。

許せないことは数えきれないほどあり、できることなら一つ一つ問い質してやりたい。

何故、セラフィックスなのか。

何故、カルデアを招き入れたのか。

何故、自分だけが生き残ったのか。

それら全ての疑問をぶつけている時間はないだろう。

自分にできるのは、ただ怒りを彼女にぶつけることだけなのだ。

それで全てが終わる。

この油田基地と共に、カドック・ゼムルプスの生涯は閉じるのだ。

 

「マスター」

 

呼びかけられ、カドックは我に返った。

見上げると、少し離れたところで体育座りをしていたキングプロテアが、包帯で隠されていない目でジッとこちらを見つめていた。

そういえば、向こうから話しかけられたのは久しぶりなような気がする。

 

「あの……顔が少し、怖い……です……」

 

「……ごめん」

 

考え事をしていて、眉間に皺が寄ってしまったようだ。

元々、見られた顔ではないと自負しているが、今はきっと冥界のガルラ霊にも似た恐ろしい顔をしていたことだろう。それだけは鏡を見なくても分かる。

 

「みんな……そろそろ戻ってきますね……」

 

アナスタシア達は今、探索が終わっていない区画の調査に出向いてエネミーの掃討や電脳化を免れた資源の回収を行っている。

補給もままならないまま連戦が続き、持ち込んだ霊薬の備蓄が尽きかけてしまったからだ。調合しようにも材料はここでは手に入らないため、医薬品などで代用できそうなものを探してくるよう頼んでいる。

そういった細々とした作業には向かないキングプロテアは、護衛のために留守番をしているのである。

そういえば、こんな風にキングプロテアと二人っきりになるのはいつ以来だろうか?

それほど長い付き合いではないはずなのに、出会ったのがとても昔のような気がしてならない。

それほどまでに、SE.RA.PHの探索と戦いは濃密な時間であった。

そんな荒波のような時の流れの隙間に今、自分達はいるのだ。

一つの戦いを終え、次の戦いが始まるまでの準備期間。アナスタシア達が戻り、準備が整えば自分達は最後の衛士(センチネル)との戦いに臨むことになるだろう。残された時間を考えると、恐らくはラストチャンスになるはずだ。

悔いは残したくないし、ここまで力になってくれた彼女にも感謝の意を示したい。そう思ったカドックではあったが、気持ちに反して言葉が思うように出てこなかった。

そして、ふとあることに気が付く。二人っきりで同じ時間を過ごすのは、初対面の時以来だと。

エネミーの群れに襲われ、絶体絶命の窮地を彼女は救ってくれた。それからずっと一緒にこのSE.RA.PHを駆け回り、BBとの戦いを乗り越えてきた。

思い浮かぶのは苦しい戦いの記憶ばかりで、まともに話をする暇もなかった。だから、自分は彼女のことを知っているようでいて、実際は何も知らなかったことに気が付いたのだ。

 

「マスター?」

 

不思議そうに、キングプロテアがこちらを覗き込んでくる。

どこかおずおずと、怯えるように瞳が揺れていた。見上げる程の巨体のはずなのに、その様はまるで小動物か何かのようだ。

何となく、理由は察する事ができた。エミヤを倒すためにネロの特攻を黙認したことを未だ根に持っているのだ。

 

「あの……いえ……」

 

「何か言いたいなら、ちゃんと言葉にして欲しい。別に……怒ったり叱ったりはしない」

 

「は、はい……その……」

 

頷きながらも、再びキングプロテアは黙り込んでしまう。そんなことを何度か繰り返した後、やがて意を決したのか、眦を上げて静かに話し始めた。

 

「少し、戦うのが怖くなりました」

 

「怖い? 自分は強いって、あんなに自信満々だったのに?」

 

「いえ、強いですよ、わたし……けど、ちっともマスターの役に立てていない気がして……」

 

アナスタシア、ネロ、そしてエミヤ。相対した衛士(センチネル)を前にして自分はみんなの足を引っ張ってばかりだったと、キングプロテアは自嘲する。

握り締めた拳は鉄だろうと何だろうと容易く粉砕し、強靭な躯体は生半可な攻撃で傷つく事はない。だというのに、凍らされ、切り刻まれ、矢で射抜かれた痛みで悶絶した。

小さな取るに足らない羽虫と思い込んで挑んだ相手は、彼女は信じられないほどの強さを秘めていたのだ。

 

「だから、今度の作戦……あの狐耳のキャスターさんとの戦いで、ちゃんとできるか……自信が持てなくなりました」

 

「キングプロテア……」

 

「それに、まだ納得できないんです。最初、花嫁さんが無茶をした時、マスターのことがちょっぴり嫌になりました。わたし達を愛してくれるはずの人なのに、この人は花嫁さんのことなんてどうでも良いんだって。けど、花嫁さんはちっとも気にしていなくて、マスターもそんなことは考えていないって笑うんです」

 

そして、彼女に教えられたのだ。ただ与えられるだけが愛ではないと。マスターや仲間の為に、自らを差し出し尽くすこともまた愛の形なのだと。

 

「けど、わたしには分かりません。アナスタシアさんは、愛される事は愛し合う事だって言っていましたけど、わたしには愛し方が分かりません。だって、愛はもらえるものだから……ずっと、そう思っていたから……だから、わたしには花嫁さんみたいなことはできないし、したくないんです」

 

自身の膝を抱えていた、キングプロテアの大きな手がそっと目の前に置かれる。手の平で触れたその指先は、ほんの僅かに恐怖で震えていた。

 

「怖いんです。きっと、わたしじゃ花嫁さんみたいにできない……わたしを愛してくれないマスターの命令も、ちゃんと聞けない……それって、マスターを愛せないってことですよね? それなら、愛してもらえないってことですよね?」

 

所々で詰まりながらも、キングプロテアは張り裂けそうな胸の内を吐露していく。

彼女が抱えている問題は重大だ。愛し方を知らず、一方的に愛されることを求め続けたアルターエゴ。そんな彼女にとってネロ・クラウディウスの生き様はあまりに鮮烈だったのだろう。

見返りを求めず、一方的に相手を飲み込まんとするほどの燃えるような愛。炎のように熱く、荒波よりも高い、暴力的なまでの愛。きっと価値観が揺らぐほどの衝撃だったはずだ。

それを受け、キングプロテアも必死で答えを探し続けたが、自身が納得できるものが見つからなかった。愛はもらえるものという価値観が崩れ、愛し方が分からぬが故に暗闇へと迷い込み、その言葉に縛られたことで誰かを愛せない自分は愛されないという袋小路にハマってしまったのだ。

 

「マスター、くうくうお腹が鳴りました……マスター……マスター……」

 

熱にうなされたように呼びかけながら、キングプロテアは手を広げてこちらを掴まんとする。

初めて出会った時の出来事が脳裏に蘇った。あの時も、何らかのスイッチが入って錯乱したキングプロテアに握り潰されそうになった。

今なら分かる。これは自身の欲求をどうしようもなく抑えきれなくなった彼女のSOSなのだ。

愛されたいという思いが暴走し、その対象すら喰らわんとする肥大したエゴなのだ。

分水嶺に来たのだと、カドックは気が付いた。

ここで選択を誤れば、キングプロテアの理性のタガが外れてこちらを捕食するだろう。

哀れ無残なデッドエンド。愛を語れなかったマスターは命を落とし、愛を知らない少女は一人孤独に沈む事となる。

だが、偽の愛を語ったところで意味はない。きっと彼女は求めているのはそのような言葉ではないのだ。自分が今、ここで彼女に『愛している』と告げたところで暴走は止まらないだろう。

彼女が本当に求めている言葉は一つだ。

彼女が本当に欲しい言葉は一つだ。

彼女の為に送る言葉は一つだ。

 

「キングプロテア……それは違う。君は、ちゃんと僕を愛してくれている」

 

誰かを愛しているのだから、愛される資格があるのだと、彼女に証明するのだ。

 

 

 

 

 

 

段々と思考が溶けていく。

もう頭は何も考えられなくなって、目の前にあるご馳走から目を逸らせない。

愛が■■■。

愛が■■■。

もう、我慢しなくてもいいはずだ。だって、こんなにもお腹が空いているのだから。

広げた手を握り締めればそれで終わる。

この纏わりつくピリピリとした感覚が邪魔をするけれど、ちょっとだけ力を込めればそれで全てが終わる。

マスターを食べて、そのまま他のみんなも食べて、このSE.RA.PHも食べ尽くしてしまおう。

気が済むまで食べ続ければ、さっきのような悩みもきっと考えなくて済むはずだ。

ああ、愛が■■■。

マスターは自分を愛してはくれないけれど、頭から齧り付けばきっと、彼の中にある愛がお腹を満たしてくれるはず。

きっと、満たされるはずだ。

 

「キングプロテア……それは違う。君は、ちゃんと僕を愛してくれている」

 

その言葉を聞き、握り締めようとした手が痺れるように強張った。

 

「マス……ター……?」

 

か細く、絞り出すような声でマスターを呼ぶ。

お腹は益々、痛みを増していくけれど、目の前のご馳走にありつけない。

食べてはダメだと何かが訴える。

頭の中で虫が羽ばたいているような感覚だった。

 

「マスター」

 

「キングプロテア、君はちゃんと人を愛している。だって、僕の呼びかけに応えてくれただろう」

 

「わたしは…………」

 

「ごめん、僕は君と出会った時のことを覚えていない。けれど、味方とはぐれて孤立していた僕の助けを呼ぶ声に応えてくれたのは……真っ先に駆け付けてくれたのは君だった。それだけは分かるし、断言できる。キングプロテア、君はサーヴァントだ。マスターの祈りに応えて召喚されるものだ。誰かの願いに応えようとするのも立派な愛の一つだ」

 

「わたしは、マスターを……」

 

「そうだ、僕の死にたくないという願いに君は応えてくれた。誰かの願いのために君は動いた。打算でもいい、利己的でもいい、好意なんていつだって自分本位な一方通行だ。それでも……誰かのために動けたのなら、それは人を愛することの最初の一歩だ」

 

頭の中でサイレンが木霊する。

胸は張り裂けそうなほど痛く、カラカラに乾いた舌は口の中に張り付いて上手く言葉を紡げない。

見下ろしたマスターの眼差しは、こちらに向かってまっすぐに向けられていた。

今にも握り潰されようとしているはずなのに、恐怖で震えることもなく、その小さな砂粒のような瞳からは二つの眩しい輝きが見て取れた。

 

「キングプロテア、僕の事を好きでないならそれで構わない。けれど、君が誰かの為に手を差し出した事を忘れないで欲しい。君のこの手が、僕を守った事を忘れないで欲しい」

 

自分よりも遥かに大きな、ヒトではない何かを前にして、この人は目を逸らすことなく真正面から向き合ってくれている。

込み上げてくるこの気持ちを喜びというのだろうか? 胸が苦しくて、目頭が熱くて、気づくと両手から力が抜けていた。いつの間にか、頬を涙が伝っていた。

 

「キングプロテア?」

 

困惑しているマスターの声が聞こえた。

涙で視界が歪み、ハッキリと前が見えない。自分は今、どんな顔をしているのだろうか? きっと、みっともなくて恥ずかしい顔をしているはずだ。

だって、こんなにも心が温かい。苦しい筈なのに、とても胸が温かい。

マスターの言葉は■■■言葉ではなかったけれど、どうしてかとても満たされた気持ちになれる。

彼は愛していると言ってくれなかったけれど、胸が焼けるほど熱くなった。

止めどなく溢れてくる感情を堪える事はできず、言葉にもできず、ただ思うままに泣き続けることしかできなかった。

相変わらず空腹でお腹は痛いのに、それが気にならないくらい満たされている。

 

(足らない……ちっとも足らない……もっと■■■……その言葉が■■■……でも、いらない)

 

ほんの少しだけ、マスターとの距離が遠退いた気がした。

気持ちが遠退いたのか、成長で目線が上がったのかは定かではない。その両方なのかもしれない。

こんな風な気持ちになれたのはきっと、生まれて初めてだ。

マスターは気が付いているのだろうか? 先ほどの言葉が、この大きな巨人の心を救ったことに。そして、それでもなお化け物は満足していないことに。

この満ち足りた気持ちを永遠に自分のものにしたいと、心の底から願ってしまったことに。

 

(だから……いらない。これは、■■■と思っちゃいけない……気持ち……だって、もう貰ったから……この人の、一生分を貰ったから……)

 

いつかの暗闇の底での記憶が、ほんの少しだけ鮮やかさを取り戻した。

一人ぼっちだった自分に、彼が差し出してくれたもの。

魔術師であり、マスターである彼にとって、全てといえるもの。

あの三度の祈りを。

熱い血潮にも似た願いを。

暗闇の底に響いた叱責を。

それは自分とこの人だけの思い出。

あの皇女にも花嫁にもない、自分達だけの心の傷痕。自分だけの特別。

彼は願い、自分は愛した。そして、彼はそれに応えてくれた。自分という存在を受け入れてくれた。

あの時、この人は自分に全てを差し出したのだ。このどうしようもない空腹な化け物と契約し、自らのサーヴァントであると言ってくれた。

 

『キングプロテアは僕のサーヴァントだ』

 

誰かを思っての行為が愛なのだとしたら、その言葉を貰えていたことが愛された証なのだ。

きっと世界中を敵に回しても、その言葉があれば救われる気さえする。

けれど、自分はそれだけでは満足できなかった。とっくに■■■ものは手に入っていたのに、それに気が付けなかった。

だって、この人の愛はとても小さい。

だって、自分の(エゴ)はとても大きい。

満たされるはずなんてないのだ。

この空腹が消える事は、きっとないのだ。

何故なら、キングプロテア(じぶん)は渇愛のアルターエゴ。

底が抜けた入れ物に、水が満たされることなんてない。

 

「マスター、怒らないって言いましたよね?」

 

「あ、ああ……言った」

 

「なら、言います……わたしは、わたしを選んでくれたマスターが好きです……わたし達を危ない目に合わせるマスターが好きじゃありません……一緒にいてくれるマスターが好きです……アナスタシアさんといるマスターは、好きじゃなくもないです」

 

この感情は何と表現すれば良いのだろう?

好きなのに嫌いで、嫌なのに好きで、怖いのに頼もしくて、嬉しいのに悲しくて、正反対の気持ちがいくつも混ざり合っている。

マスターは黙って聞いていてくれた。

言葉を挟む事もなく、頷く事もなく、ただ並べ立てられる言葉を事実として静かに受け止めてくれる。

ジッとこちらを見てくれている。

そんな彼に自身の大きな手をそっと伸ばす。

ぶつけないように、驚かせないように、静かにゆっくりと指先を差し出した。

 

「……わたしに触ってくれるマスターは、きっと嫌いにはなりません」

 

無言で、指先に小さな温もりが重ねられた。

握る事もできない小さな手。

本当ならあのまま触れ合うこともなく永遠に闇の中で沈み続けるはずだった二人が、こうして手を重ね合わせている。

これはきっと奇跡で、キングプロテアという異質な存在が垣間見た泡沫の夢で、消える寸前の蝋燭が見せた幻だ。

自分がサーヴァントとして戦うのは、きっとこれっきりだろう。

自分がこの人以外のマスターを抱く事はなく、このSE.RA.PHの外に出る事もない。何故だか、そんな確信があった。

だからこそ、今の気持ちに正直になろうと決めた。

不器用で弱っちい小さなマスターの力になろう。

こんな腹ペコの化け物を愛してくれたマスターを助けようと。

 

『キングプロテアは僕のサーヴァントだ』

 

もう一度、その言葉を思い出して噛み締める。

大丈夫、この気持ちを忘れなければ、お腹の痛みにも耐えられる。

辛い空腹も我慢ができる。

だって、食べてしまえばそこまでだ。

マスターをお腹の底に沈めても、きっと満たされることはない。

こうして触れ合っている方が良い。

誰かと話す彼を、後ろから眺めているのが良い。

そして――彼が彼の花嫁と一緒に笑う姿に憧れていられれば良い。

想いを馳せる事ができれば、さっきの言葉をより強く思い返すことができるから。

 

(■■■……力が……マスターの為に戦える力が……■■■……)

 

もう一度、さっきの言葉を胸に刻み付ける。

気のせいか、ほんの少しだけ彼との距離が近くなった気がした。

 

 

 

 

 

 

アナスタシア達が帰還し、十分な休息を取り終えるのを待ってから、カドック達は再びテイルを訪れた。

あれから時間を置いたからか、無数のエネミーが玉藻の前を守るかのようにテイル内を徘徊していた。

類人猿に鯨に戦車。どいつも見慣れた顔触れで、一筋縄ではいかない奴らばかりだ。

だが、敵の数など些末なことであった。雑魚がどれだけ集まろうとキングプロテアの肥やしになるだけのこと。それよりも問題なのは、玉藻の前の様子が変わっていることだ。

身に纏っている衣装はそのままだが、発している気が前回より圧を増している。それを証明するかのように、着物から覗かせているふさふさの尻尾が二つに分かれていた。

 

「霊基再臨か。まずいぞ、これじゃ計算が狂う」

 

恐らく、最後の衛士(センチネル)である玉藻の前の敗北を防ごうと、BBが密かにパワーアップさせたのだろう。

これではキングプロテアが想定まで成長しても、倒し切れない可能性が高い。

 

「一旦、退こう。このまま突撃するのは不利だ」

 

今の状態の彼女がどれほどの力を有しているのか、ここから推し量る術はない。もう一度、作戦を見直すべきだ。

そう思って身を翻したカドックの腕に冷たい感触が伝わる。アナスタシアが腕を掴んで引き寄せたのだ。

 

「いいえ、もう時間がありません。無茶でも実行すべきです」

 

「けど……」

 

彼女の言う通り、SE.RA.PHが限界深度に達するまであまり時間は残されていない。

それに戻ったところで今以上の打開策が生まれる訳もなかった。探せるリソースは全て回収し、コンディションも可能な限り万全に近づけてきた。

今よりも最良の状態、最適な作戦の下で戦う事はきっと不可能だ。

 

「私達の旅は、いつだって想定外など想定内。だからとて、臆していては機を逸します」

 

「個人的にはマスターに賛成だが、皇女の言う通り時間がないのも事実だ。プラン変更ができないなら、後は確度を上げるしかない」

 

双剣を携えたエミヤが、不敵な笑みを浮かべながら言った。

 

「何、精々、キャスターの体力を削ってみせるさ。悪足掻きは得意でね…………それに、別にアレを倒してしまっても構わんのだろう?」

 

勝算などないにも関わらず、アーチャーはこともなげに言ってのける。

固有結界を展開し、無限に再生し続ける玉藻の前と戦って時間を稼ぐ。アナスタシアがフォローに入るとはいえ、この中で最も負担が大きい役回りなのだ。

それでも彼は弱音を吐かず、強気な姿勢を崩さない。

不安になる事はない。自分達がついているのだから、しっかりと構えていればいいのだと、彼は言いたいのだ。

 

「アーチャー…………分かった、がつんと痛い目に合わせてやってくれ。アナスタシアも、無茶をするな」

 

「そっちこそ、すぐに無理をするんだから。キングプロテア、彼の事をお願いね」

 

「はい……任せてください」

 

アナスタシアの言葉に、キングプロテアは力強く頷いた。

少し前の弱気な彼女はもうおらず、最初に出会った時の自信に塗れたアルターエゴのサーヴァントがそこにはいた。

何かが吹っ切れたのか、その声音は羽毛のように軽く、また強い意志が感じられた。

 

「では、ローマ帝国第五代皇帝以下三名、これよりキャスター討伐の任に就く。マスター、指示を!」

 

最後に、ネロがみんなを鼓舞するように声を張り上げた。同時に、こちらの存在に築いたエネミー達の目が怪しく光る。

もう後には引けない。覚悟を決めて腹を括ると、カドックはよく通る大きな声で、戦いの開始を告げた。

 

「いくぞ、必ずキャスターを取り戻すんだ!」

 




今回は結構、難産でした。
キャラの思考や言葉遣いに合わせなきゃいけない。
アンデルセンも二次創作の面倒くささをぼやいていましたね。
ここから折り返しな訳ですが、このペースだとどれだけかかることか。

あ、魔王様も水着ノッブも嫁王も見事に来ませんでした。
本物信長はずるいよ、本当。
後、家老がとても可愛い。


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#7 セラフィックス東8番通路の奇跡 その出会いをもう一度!

Sword,or Death

 

こちらが戦意を持って踏み込むと同時に、テイル内を徘徊していたエネミーの群れが一斉に振りむいた。

意志がないはずの無機質な瞳が怪しく輝き、牙あるものは口角を広げて咆哮する。

全身に走る幾何学的な紋様はまるで血流のようで、全身の魔力を明滅させながら循環させているのが見て取れた。

最後の拠点なだけあって、どいつもこいつも面構えが違う。滾らせる魔力は平均的なサーヴァントを上回るだろう。

そして、その中心で女王のように君臨しているのは和装の化生。キャスター、玉藻の前であった。

 

「いくぞ、まずは手筈通りに!」

 

「やりなさい、ヴィイ!」

 

こちらの号令と共に、アナスタシアが広場全体を覆う程の吹雪を起こした。玉藻の前の防御を抜く事は敵わないが、立ち塞がったエネミーはその悉くが冷気で凍結されていく。

その隙に、魔術回路を活性化させていたエミヤが彫像と化したエネミーを飛び越えて、一直線に玉藻の前へと肉薄した。

当然、向こうも迎撃を試みるが、それを易々と許すエミヤではない。玉藻の前が動くよりも一瞬だけ早く、投影発動の為の詠唱を紡いでいた。

 

投影開始(トレース・オン)

 

両手に生み出された陰陽の夫婦剣を振り抜き、玉藻の前が放った炎を切り払う。

同時に追随していたネロが切っ先を振り上げ、大上段から無防備な玉藻の前へと切りかかった。

咄嗟に玉藻の前は自分の周りに浮遊させている鏡を呼び寄せ、ネロの剣を受け止める。

ぶつかり合う鏡と剣。強化の呪術がかけられているのか、はたまた込められた神秘の差によるものか、鏡には傷一つついていなかった。

しかし、鍔迫り合いにもつれ込んだことで玉藻の前の動きが止まる。エミヤが固有結界を展開するには十分な隙だ。

 

身体は剣でできている(I am the bone of my sword.)

 

紡がれた詠唱が、エミヤの内側から世界そのものを捲り上げる。 

 

血潮は鉄で心は硝子(Steel is my body,and fire is my blood.)

 

それは彼の生涯にして彼自身の後悔そのもの。同時に彼が成し遂げた全てであり、辿り着いた極致である。 

 

幾たびの戦場を越えて不敗(I have created over a thousand blades.)

 

血潮は錆び、心が砕け散ってもなお駆け抜けた鮮烈な一生。無銘の英霊、錬鉄の英雄が誇る魔術の秘儀。 

 

ただの一度も敗走はなく(Unknown to Death.)ただの一度も理解されない(Nor known to Life.)

 

誰からの理解も得られず、孤独の中で正義に徹したが故に悪と断じられた。

 

彼の者は常に独り剣の丘で勝利に酔う(Have withstood pain to create many weapons.)

 

それでも、彼が抱き続けた想い、正義の味方への憧れは。

 

故に、その生涯に意味はなく(Yet, those hands will never hold anything.)

 

きっと、間違いなんかじゃなかったはずだ。 

 

その体は、きっと剣で出来ていた(So as I pray, UNLIMITED BLADE WORKS.)

 

一瞬、炎が駆け抜けたかのような幻覚を垣間見た。

それはエミヤが発動した固有結界が、現実と異界とを遮る為に起こしたものなのだろう。

 

「――!」

 

こちらの意図に気が付いた玉藻の前が、ネロの膂力に顔を歪ませながらも左手のみで符を取り出し、エミヤに向けて投げ放った。

もちろん、そんなことをすれば剣を受け止めている鏡を右腕一本で支える形となり、ネロを抑えきれずに彼女の切り込みを許すことになる。

だが、今の玉藻の前は不死身にも等しい。たかが右腕の一本を切り落とされたところで動きが止まることはなかった。

直後、雷鳴が空中で破裂する。エミヤが咄嗟に双剣の内の一本を投擲し、それが玉藻の前が放った符とぶつかり合ったのだ。

避雷針となった剣は木っ端みじんに砕け散り、雷の閃光で視界が焼ける。弓兵と呪術師は、光の壁を隔てて睨み合っていた。

この時点で玉藻の前は右腕を切り裂かれ、残る左腕はまだ次なる符の準備ができていない。対してエミヤの手にはまだ、陰陽の内の陰の剣が残されている。

 

「退け、セイバー!」

 

投擲された白色の剣が光を裂き、玉藻の前の左腕を引き裂いてネロの撤退を援護する。

目線だけで頷いたネロは、同じタイミングでエミヤのもとへと駆けていたアナスタシアと入れ替わる形で後方へと跳躍し、同時に鋼が叩きつけられたかのような音が広場全体に響き渡る。

エミヤの固有結界が発動したのは、その直後のことであった。

まるで妖精に攫われたかのように、三人の姿は忽然とこの世界から消えていた。

違わず発動した『無限の剣製(アンリミテッドブレイドワークス)』によって、異界に隔離されたのだ。

後に残されたのは、自分とキングプロテア、そしてこちらの護衛のために残る事となったネロの三人だ。

エネミーの群れも凍結から少しずつ脱し始めており、溢れんばかりの殺意を漲らせながらこちらを睨んでいる。

奴らを屠り、キングプロテアを可能な限り大きく育てて玉藻の前を打倒する。

ここからが正念場である。

 

「マスター、命令を!」

 

「ああ……食い尽くせ、キングプロテア!」

 

瞬間、暴風が駆け抜けた。

凍結から解放され、動き出したエネミーの群れを、キングプロテアの巨体が嵐のように薙ぎ払う。

腕の一振りで数体の雑魚が消し飛び、その経験値を喰らって彼女の肉体(エゴ)は成長を始める。

 

 

 

 

 

 

どことも知れぬ空間で、一人の少女は虚空に浮かんだデバイスに手を這わせていた。

投影されたディスプレイには無数の文字列が流れており、少女の眼は滂沱のようなそれを一心不乱に追いかけている。

淀むことなく、惑うことなく操作を続けられるのは電子の精の為せる業なのか。

果たして、ここにこもってからどれだけの時間が経つのかは、彼女自身にも分からなくなってきていた。

 

「……キャスターの反応が消えた?」

 

手を休ませることなく、目だけで文字を追いながら少女は呟いた。

 

「なるほど、彼の固有結界ですね。不死身と化したキャスターを倒すには星の聖剣かそれに比類する火力が必要でしょう。彼女を異界に隔離し、その隙にキングプロテアをそこまで成長させるつもりですね」

 

あの状況では切れる手札はその程度しかないであろう。あそこには太陽の騎士も錆びた守護者もいないのだから。

同時にそれはやり直しが利かない賭けでもある。もしも、成長が行き過ぎてキングプロテアの退行が起きてしまえば、全ての努力が無為に終わってしまう。

その隙を逃がすはずもない。残る衛士(センチネル)の拠点は後一つ。後がないのはどちらも同じだ。

 

「こちらも手一杯だというのに、本当に目障りなカガンボさんですね」

 

どことも知れぬ空間で、少女は一人ほくそ笑む。

その眼はここではないどこかを見つめていた。

 

 

 

 

 

 

エミヤが固有結界を展開してから、既に二十分近くが経過しつつあった。

群がるエネミーを屠り、蹴散らしながら成長を続けたキングプロテアの体長は四十メートルを超えており、当初の予定まで後もう少しというところであった。

既に残るエネミーも僅かであり、これほどまでに成長したキングプロテアを止めることは敵わない。蜂が毒針を刺そうと、立方体が体当たりを仕掛けようと彼女の肌には傷一つつかず、ぶつかっただけで消滅してしまう有り様だ。

しかし、ここまで大きくなってしまえば、彼女自身にその気はなくともこちらにまで影響が及んでしまう。キングプロテアが足を踏み出す度に、転がっている瓦礫が宙に浮くほどの地響きが起きているのだ。強化の魔術を使っていなければ立っているのも難しい状態であり、大雑把に怪力を振るうキングプロテアの暴力に巻き込まれれば一介の魔術師は成す術もあの世行きが決まるだろう。

 

「マスター、そろそろ余達の逃げ場もなくなってしまう! まだなのか!?」

 

「ああ、まだだ」

 

瓦礫に隠れながら、カドックは戦場の様子を伺い歯噛みする。

目ぼしいエネミーは全て倒したが、キングプロテアの成長はまだ五十メートルに達していない。

ここまでの経験からそれは彼女の成長限界ギリギリの体長のはずだ。そこまで育たなければ、玉藻の前の防御を抜いた上で一撃で昏倒させることはできないだろう。

だが、その成長がここにきて頭打ちになりつつある。特に四十メートルに達してから、彼女の成長は目に見えて遅くなっていった。

 

「どうして……後、もう少しなのに……」

 

キングプロテア自身も、己の成長の遅さに戸惑いながらも拳を振るう。

粉砕された瓦礫が宙を舞い、まるで隕石のようにカドックの周囲へと落下した。

それに気づかずキングプロテアは、更に目の前で整列していた盾の軍団を踏み潰す。

舞い上がる粉塵の向こうで、瓦礫が崩れる音が聞こえた。

 

「危ない、マスター!」

 

ネロが駆け寄るのと、頭上に黒い影が現れたのはほぼ同時であった。

直後、ネロに引っ張られた体が慣性で軋みを上げ、眼前にキングプロテアの巨体が倒れ込んできた。

もしも、ネロが間に合わなければその巨体に圧し潰されていたであろう。

 

「キングプロテア、もう少し足下に気を付けるのだ!」

 

「す、すみません……」

 

「いや、いい。気にするな、好きに暴れろ!」

 

頭上に向かって声を張り上げ、こちらが健在であることを示す。

象が蟻を気に掛けるだろうか? 答えは否だ。ここまで大きくなったキングプロテアに、足下を気遣いながら戦う余裕などない。歩けば地響きが起こり、手足を振るえば巻き込まれた大気が衝撃波となって宙を駆ける。壁や天井が崩れずに持ち堪えているのが奇跡と言って良いだろう。

だが、それらを気にして戦っていたのでは彼女の成長は益々、遅くなってしまう。固有結界の中では熾烈な戦いが繰り広げられているのか、パスを通じて伝わってくるアナスタシアの気配がどんどん小さくなっていく。これ以上、時間をかけてはいられないのだ。

 

「まだなのかマスター!?」

 

「……まだだ」

 

絞り出すように、カドックは吠える。

ネロの焦りも分かる。既にキングプロテアにはほとんど成長が見られない。敵とのレベル差が広がりすぎたため、手に入る経験値が微々たるものになってしまったのだ。

肥やしとなるエネミーもあらかた倒してしまったため、残る雑魚を全て平らげても1レベル上がるかどうかといったところだろう。

加えて固有結界内でのエミヤの消耗が反映されているのか、空間が少しずつ軋みを上げていっている。そう遠くない内に瓦解するだろうことは容易に想像できた。

これ以上は時間をかけていられない。まだ予定の五十メートルには達していないが、後は玉藻の前自身と戦って持ち堪えながら成長を待つしかないのだろうか。

そう思った刹那、不意に大きな揺れがSE.RA.PH全体を襲った。

キングプロテアが起こす揺れではない。地響きと共に、床下から何かが叩きつけられているかのような規則的な音も聞こえてきていた。

 

「マスター、下だ!」

 

ネロが咄嗟にこちらを庇う。

直後、テイルの床をぶち破って巨大な何かが姿を現した。

轟音と共に舞い上がる粉塵。ここが最下層であることを思い出したカドックは、思わず自身を庇うネロの体にしがみ付いた。

壁の向こうは海抜数千メートルの深海だ。浸水すればあっという間にこの広場は水で満たされ窒息死してしまう。いや、それよりも館内の圧力のバランスが崩れて区画ごと水圧で潰れてしまうかもしれない。

そうなってしまえば全てが文字通り、水の泡と化す。玉藻の前を助け出すこともBBの目論見を阻止することもできずに、自分達は海の藻屑となってしまうのだ。

だが、そんな諦観と絶望は、粉塵の向こうから姿を現したそれを目にした瞬間、遠い宇宙の彼方に消し飛んでしまった。

 

「なっ……」

 

カドックとネロ、二人の声が重なり合う。

ここが戦場の只中であることすら、ほんの一瞬ではあるが頭から抜け落ちていた。それくらい、目の前の存在が受け入れがたいものであったのだ。

果たしてこれは科学と魔術の融合が成せる業なのか。それともSE.RA.PHという特異点故に成立した奇跡なのか。

彼らの前に現れたのは、実に全高五十メートルには達しようかという巨大な少女――の姿をした機械人形であった。

俗に言うロボットというものなのだろうか。軋みを上げる関節の音、鈍く光る銀の装甲、どこからか聞こえてくる電子音。顔の左右で明滅するレンズ。今時、カートゥーンでしか見かけない古典的なデザインはレトロを通り越して斬新さすら感じられる。

何より目を引くのは、この巨人が衣服を模した装甲を纏っていることだった。

黒いマントを髣髴とさせる外装。膝上まで届くブーツを模した脚部。胴体部は白いブラウスで、腰部はマントと同色のミニスカートだ。そして、頭部には可愛らしいリボンのような装飾が施されている。

それら各部の造形は、このSE.RA.PHを作り上げた張本人であるBBを連想させるものであった。

 

「BBめ、よもやこのようなものまで持ち出してくるとは……差し詰め、超巨大エネミー『BBB』と呼ぶべきか?」

 

「呼び方はどうでもいい! くそっ、こういうのは立香がいる時に出てきてくれ! 僕は趣味じゃない!」

 

ネロに腕を引かれながら、カドックは悪態を吐く。実際、この場に立香がいれば間違いなく興奮して周囲を呆れさせていただろう。

だが、生憎と今はメカ好きなマスターは不在であり、言葉ほど呑気な状況でもない。カドックの視線は今、巨大な機械人形――――BBBが出現した亀裂へと向けられていた。

クレパスにも似た巨大な亀裂の向こうには、本来ならば光すら差さない暗い海が広がっているはずであった。だが、あるべきはずの浸水はなく、そこには覗き込むと吸い込まれてしまいそうな暗闇がどこまでも広がっていたのだ。

無論、半透明な壁や床の向こうには暗い海が広がっており、時折、泡のようなものも見て取れる。端末からの位置情報も、ここがマリアナ海溝の深海であることを示していた。だというのに、床の下には何もない虚無が広がっていたのだ。

あれはエミヤが衛士(センチネル)を担っていたタッチの虚数空間の穴と同じものだろう。つまり、SE.RA.PHの周りを包み込んでいるのは深海の水ではなく、虚数空間だったのである。

 

(どういうことだ? ここは深海じゃないのか? いや、シバを持ってしても虚数空間の内部を見通すことは不可能だ。なら、カルデアが観測したセラフィックスは…………)

 

走り出した思考を、地響きが遮る。

キングプロテアと取っ組み合いを演じていたBBBが、彼女の巨体を投げ飛ばしたのだ。規格外の筋力と耐久を誇るキングプロテアを容易く投げ飛ばすとは、呆れるほどの馬鹿力だ。

それに動きも正確で、負けじと飛びかかったキングプロテアを叩き捨て、何トンもあるであろう大きな体で容赦なく踏みつけにかかる。

苛烈な攻めでキングプロテアの悲痛な声がテイル全体に響き渡った。骨が軋みを上げる鈍い音に耳を塞ぎたくなる。

 

「まずいぞ、マスター! キングプロテアが押されている!」

 

「ああ、それに床が……足場が崩れて……」

 

巨大な二つの質量がぶつかり合う余波で広場全体が大きく揺れ、その度に床の亀裂は大きくなっていった。それはつまり、こちらの安全圏が狭まっているということである。

BBBと縺れ合いながら拳を振るうキングプロテアにこちらを気に掛ける余裕はない。既に足下を気にしながら戦えるような大きさはとうに超えているのだ。今の彼女は生きた台風そのもの。そして、BBBはそれすらも上回る超ど級の化け物だ。言い換えるなら膨大な経験値をその身に蓄えているともいえる。

 

(駄目だ……仮に倒せてもそれでは容量過多で退行が始まる……だが……」

 

キングプロテアの体長は、BBBとの戦いに突入したことで直に五十メートルに達しつつあった。

それは重畳ではあったが、このまま戦い続けていては成長が限界に達して幼児退行が始まってしまう。

かといって、今の状態で玉藻の前を固有結界から解放すれば両者を同時に相手取ることになる。それではキングプロテアといえども勝ち目はない。

そして、迷っている間にもアナスタシアとの繋がりはどんどん、薄れていっていた。

 

「余が行こう」

 

言うなり、ネロの姿が掻き消えた。一息の間に駆け出したネロは、降り注ぐ瓦礫をジグザグに躱しながらも崩れかけている床を疾駆する。

頭上ではキングプロテアがBBBに突き飛ばされており、叩きつけられた壁にはいくつものひびや陥没の後が見て取れた。

その様はまるでウルクで垣間見た神霊同士の戦いのようであり、とてもではないが余人が入り込む隙などない。

それでもネロも仲間を救うために戦場を駆ける。

剣を構え、高めた魔力を言霊に込めながら、打倒すべき障害をその眼で真っすぐに射抜く。

 

「我が才を見よ、万雷の喝采を聞け! しかして称えるがよい、黄金の劇場を!」

 

光が走る。

ネロを中心として波のように広がった光は、彼女自身が発した魔力によるものだ。

それは瞬く間に世界を塗り潰していき、暴君の威光を世に示す。

即ちは宝具の顕現。

巨人によって踏み砕かれた『招き蕩う黄金劇場(アエストゥス・ドムス・アウレア)』が今、このSE.RA.PHに再び築かれたのである。

だが、それは偽りの復活であった。

威光を示す黄金の劇場は、まるで陽炎のように揺らめいており実体がハッキリとしていない。吹けば忽ちの内に塵と化してしまいそうなほど、ゆらゆらと不安定に揺らめいていた。

 

「駄目だ、修復がまだ終わっていない……あれでは二秒と保たないぞ!」

 

黄金劇場による重圧が効いているのか、BBBの動きは目に見えて遅くなっている。だが、展開が僅かに早かったのかネロの切り込みはどうやっても間に合わない。再構築された黄金劇場は、瞬きの間に綻んで末端から霧散し始めていた。

 

「否! 一太刀すらいらぬ! 我が劇場にて余の独唱を妨げる者は、何人たりとも許されぬのだ!」

 

キングプロテアにとどめを差さんと拳を振り上げたBBBの巨体が、不意にバランスを崩した。床の崩壊が足下にまで達したのだ。ネロが近づいたことで黄金劇場による重圧と幸運の剥奪が強まり、機械仕掛けの巨人は崩落から逃れることができない。

そのままBBBの巨体は、自身が突き破った床の亀裂へと落下していく。相手をしている時間がないのなら、虚数空間に沈めてしまおうというのだ。

直後、力を失った黄金劇場が霧散し、力を取り戻したBBBは腕を伸ばして何とか床にしがみ付かんとしたが、それはキングプロテアの渾身の蹴り込みによって防がれてしまい、両の眼を妖しく光らせながら暗闇の底へと沈んでいった。

 

「マスター!」

 

「……戻ってこい、アナスタシア(キャスター)!」

 

右手を強く握りしめ、意識を集中させる。

程なくして空間が揺らめき、火の粉と共に三騎のサーヴァントが異界より帰還した。そして、その惨状を垣間見てカドックは言葉を失う。

アナスタシアもエミヤも満身創痍であった。アナスタシアはドレスが襤褸切れになるほど引き裂かれており、そこから覗かせる右腕は大きく焼け爛れていた。

胴や足にもいくつか裂傷が見られ、片腕で何とかヴィイにしがみ付いている状態だ。

エミヤの方は更に悲惨である。右目と左腕が潰れ、大腿部を抉られ、全身の至る所に火傷や凍傷を負っている、吐血しているところから見て内臓が傷ついている可能性も高い。

何より、二人から感じ取れる魔力は今にも消え入りそうなほど弱々しかった。

だが、何よりも絶望的だったのは、それほどの負傷を負いながらも足止めした玉藻の前からは、一切の消耗が感じられなかったことだ。それどころか全身から溢れんばかりの魔力を迸らせており、はだけた着物の隙間から生えている尻尾が荒々しく昂っている。しかも、その数は三本に増えていた。

その威容、その気迫、三大化生の名に恥じぬ凄まじさだ。二人とも、よくぞここまで持ち堪えてくれたものである。

 

「後は……お願い……」

 

「はい!」

 

アナスタシアからバトンを引き継いだキングプロテアが、崩れつつある床を踏み締めながら立ち上がる。

時間をかけている暇はない。彼女の幼児退行が始まる前に、渾身の力で玉藻の前を殴り飛ばすのだ。

駄目押しとばかりに強化を施しながら、カドックは作戦が上手くいくよう心から願った。

既に玉藻の前の力は想定していたものを遥かに上回っており、限界まで育ったキングプロテアでも一撃で倒すのは難しいかもしれない。

それでもやるしかないのだ。残された手段はもう、これしかないのだから。

 

「やれ、キングプロテア!」

 

飛び上がる巨体。

全身の包帯を解れさせながら、キングプロテアの全質量が乗った右フックが滞空している玉藻の前を狙う。

空間を歪ませながら振り抜かれたその一撃は、例え上級サーヴァントであっても掠めただけで消滅しかねない。

だが、玉藻の前は落ち着いて距離を取り、呪術で強化した脚力をもって神威の拳を飛び越える。

二度、三度、キングプロテアが拳を振るうもそれは空しく宙を切るに終わり、呪術師を捉えることは適わなかった。三尾にまで再臨が進んだことで、能力が一尾であった頃よりも遥かに増しているのだ。

彼女は死角に回り込み、蜂のような一刺しで巨人と化した少女を襲う。

躱そうとして足を縺れさせたキングプロテアは、そのままみっともなく壁にぶつかってバランスを崩し、カドックの目の前に尻餅をついた。

 

「っ!?」

 

立ち上がる為に下ろした手が、カドックの真横を横切る。強烈な衝撃が横っ面を叩き、瓦礫だらけの床を転がりながらカドックは肝を冷やした。

床が崩れたことと、キングプロテアの成長が更に進んだことで、完全に逃げ場所がなくなってしまったのだ。

何をどう動いたところで彼女の巨体はこちらの脅威をなる。それを躱せるのはサーヴァントだけであり、ただの魔術師でしかない自分には不可能だ。

急いで誰かを呼び戻さなければ、キングプロテアに踏み潰されるか虚数空間に堕ちてあの世いきとなってしまう。

その時だった。成長を続けていたキングプロテアの体が、小刻みに震え出したのは。

 

「だめ……いや、まだ……まだ、戻らないで……」

 

悲痛な叫びも虚しく、キングプロテアの体が少しずつ縮み始めていく。時間切れだ。成長の限界に達したことで、彼女の『幼児退行』スキルが発動し若返りが始まったのである。

そして、退行は成長よりも遥かに素早く進行する。現在の体長から推測するに、玉藻の前と戦える時間は一分とないだろう。

この残された時間の中で、何としてでも打開策を見つけなければならない。

だが、どうすればいいのか?

焦るキングプロテアが闇雲に拳を振るうも、玉藻の前を捉えることはできない。

アナスタシアとエミヤも既に戦闘不能。まだ無事なネロもキングプロテアの戦闘の余波から逃れるのに精一杯だ。

このままでは遠からずこちらが敗北する。まだ余力のある自分が、この状況を覆さなければならないのだ。

焦りがカドックの心を支配する。

自分に出来る事など何もない。こうして身を縮こませて隠れることしかできないのだ。

それでも探せと誰かがが吠える。

胸の内で、頭の中で、卑屈になろうとしている自分を叱咤する者がいる。

それは極限状態が生んだ幻聴か一時的な精神の乖離だったのか。何れにしてもカドックは諦めるという選択肢だけは選ばなかった。

内なる声に従い、目を血走らせ、何か手はないかと周囲を見渡す。

すると、担い手のもとを離れたそれが目に入った。

一か八かの策を閃き、即座に全員の位置を確認する。

エミヤは動かせず、アナスタシアとネロでは遠すぎる。他の誰よりも、キングプロテアを挟んだ対角線上にいる自分が一番近い。そして、消耗している彼女達よりも、自分の方が僅かに早く到達できる。

咄嗟に指先に目をやると、活動限界による分解も始まっていた。本当の意味で、自分達残された時間はもう僅かしかない。

 

(どうする? お前ならどうする、立香?)

 

問いかけに対して、返事はなかった。

当然だ。自分がよく知る彼ならば、この胸の内で今も共にいる親友ならば、こんなところで躊躇などしない。

自分に出来る事があるのなら、やらねばならないのなら、茨の道だろうと焼却された歴史だろうと駆け抜ける男だ。

彼はとっくに駆け出していた。ならば、自分も腹を括らねばならない。

藤丸立香という相棒が最後まで諦めないのなら、自分もまた最後まで彼に恥じない戦いをすると決めたのだ。

それがカドック・ゼムルプスの戦いであり、叛逆(圧制)だ。

 

「Set――加速航路(加速しろ)

 

両足に強化を施し、ひび割れ始めた床を蹴る。

地響きで建物全体が揺れ、危うくバランスを崩しそうになる体を必死で支え、瓦礫の上を飛び移りながらキングプロテアの股下を駆け抜けた。

巨大な白い足が眼前を横切る。タイミングを見誤れば、彼女に踏み潰されるか蹴飛ばされてしまうかもしれない恐怖が足を竦ませるが、カドックは構わず両足に力を込めた。

視界の端ではこちらの意図を察したエミヤが投影の準備に入っていた。アナスタシアの顔は見えなかったが、きっと心配してくれているだろう。心の中で小さく謝罪する。

そして、キングプロテアの足下を潜り抜けた直後に、背後から襲い掛かってきた突風に吹っ飛ばされながら、カドックは遂にそれが突き刺さっている場所にまで到達した。

その柄を両手で掴み、脚力に回していた魔力を腕へと集中させる。すると、壁に深々と突き刺さっていたそれは何事もなかったかのように引き抜かれ、神秘的な光沢を曝け出す。

そのままカドックは、渾身の力を込めて腕を振り抜き、引き抜いたばかりのそれを――エミヤが固有結界を展開する前に投影し、玉藻の前の腕を切り裂いた白色の陰剣を空中目がけて投げ放った。

無論、素人の投擲が空を飛ぶ化生を捉える事などない。狙いも出鱈目なその投擲をフォローするのはネロの役目だ。放物線を描く陽剣を空中でキャッチし、『皇帝特権』で獲得した投擲スキルで持って玉藻の前へと投げつける。

陰陽の片割れは、今度こそまっすぐに玉藻の前を目がけて飛んでいった。

 

「当たれぇっ!」

 

着地しながらネロは叫ぶ。或いはその叫びが玉藻の前の気を引いたのか、キングプロテアの攻撃を躱していた巫女は片手で符を投げ放って飛来した剣を迎撃した。

それによって軌道をずらされた白色の剣は、玉藻の前の頬を掠めて後方へと飛んでいく。

ほんの一瞬、玉藻の前がほくそ笑んだかのように見えた。

全員がほぼ満身創痍。頼みの綱のキングプロテアの攻撃は空振りを続け、最後の一手として放った投擲も躱された。最早、打つ手はない。

恐らくはそう思ってしまった事が彼女の敗因だった。

 

「――――っ!?」

 

突如として、弾かれたはずの短剣が弧を描いて玉藻の前のもとへと舞い戻ったのだ。

先刻の矢と同じく、物理法則を無視した軌道はその剣が持つ宝具としての能力だ。銘を莫耶というそれは、エミヤがたった今、投影しなおした陽剣・干将と対となっている夫婦剣だ。

刀鍛冶の夫婦であり、刀剣の作成の為に引き裂かれた二人を象徴するこの陰陽の短剣は、離れていても互いに引き合う性質を持つ。

例えそれを知っていたとしても、不意を突く形で使用されれば避ける事は難しく、玉藻の前は咄嗟に呪術で防御を試みる。

刹那、光と熱が視界を焼いた。

壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)』。

投影した宝具を敢えてオーバーロードさせ、自壊と共に強烈な爆風を巻き起こすエミヤの切り札だ。その破壊力たるや、Aランクの宝具にも匹敵する。

もちろん、玉藻の前の『黒天洞』の前ではそれすらもそよ風と化してしまうが、己を守る為に受けざるを得ない状況となったことで、飛翔していた彼女の足がピタリと止まった。

それは、彼女自身の敗北を意味していた。

 

「こ……のぉっ!」

 

腹の底から絞り出すかのような気合で繰り出されたアッパーカットが、展開された『黒天洞』ごと玉藻の前を捉える。

踏み抜かれる震脚。そして、唸りを上げた剛腕は、呪術による守りによって威力を減衰させられながらも巫女の肢体をかち上げ、風に舞う木の葉のようにくるくると回りながら玉藻の前は天井へと叩きつけられた。

ほんの一瞬、静寂がテイル全体を包み込む。

 

「やったか?」

 

呟くと、天井に叩きつけられた玉藻の前がゆっくりと剥がれ真っ逆さまに落ちていった。宝具は発動していない。先ほどのキングプロテアの一撃は、違う事無く確実に彼女を昏倒させたのだ。

 

「やった!」

 

(ああ……よくやった……)

 

心の中でキングプロテアを褒めながら、カドックは唇を釣り上げる。

それは勝利の美酒故か。はたまた己が最期を悟ってのことか。

カドックの足下には幾つもの亀裂が走っていた。先ほどのキングプロテアの一撃が、遂にこの広場全体にとどめを差したのだ。

二秒後にはこの足場は崩れ去ってしまうだろう。

力尽きたエミヤは動けないようで、玉藻の前の救援にはアナスタシアが走っていた。遠退いていく背中からは不安と寂しさが感じ取れた。言葉にせずとも、彼女が自分のことを助けたいと思っていることが理解できる。

それでもアナスタシアは、カドック・ゼムルプスなら命じるであろうことを最優先で実行してくれた。本当に、自分には過ぎたサーヴァントだ。

逆にネロはこちらに向かって来ていたが、彼女の足でも床の崩落には間に合わないだろう。だから、こちらのことは放っておいてすぐにこの場を離脱して欲しい。彼女だけならばきっと助かるはずだ。

そして、最後にキングプロテアと目があった。

彼女の瞳は驚愕と悲しみで溢れていた。自分の起こした暴力が、自らのマスターを危機に追いやってしまったことに気づいたのだろう。

馬鹿な娘だ。

そんな事、気にする必要はない。子どもが大人に気を遣う必要なんてないのだ。

だから、言わなければならない。

次の瞬間には消えてしまうこの命が尽きる前に、彼女にそのことを伝えなければならない。

 

「気にするな」

 

その一言を最後に、カドックの体は闇へと落ちていった。

 

 

 

 

 

 

目の前で、大切な人の姿が消えていく。

手を伸ばしても届かず、彼は深い闇へと落ちていった。

あの闇の向こうに広がっているのは虚数空間。堕ちてしまえば這い上がることはできず、その命が潰える事なく魂が擦り切れるまで永遠に堕ち続けることとなる底なしの闇だ。

少しずつ小さくなっていくこの体が恨めしい。

いくらこの手を伸ばしても、あの人が闇へと堕ちていくことを防ぐことができない。

 

「気にするな」

 

彼は最後にそう言った。

これはお前のせいではないのだから、気にするなと彼は言ってくれた。

嘘だ。

彼を追い詰めたのは自分のせいだ。

俺を奈落へ落としたのは自分のせいだ。

この体が、大きな腕が、足が、振るわれる暴力の数々が彼を危険に追いやった。

その結果、彼は――――マスターは虚数空間へと堕ちていった。

自分に愛を教えてくれた人が、目の前から消えてしまった。

彼一人だけなら逃げることもできたのに、彼はそうしなかった。

花嫁を道具のように扱っていた癖に、最後まで自分達を見捨てる事なく共にいてくれた。

そういえば、いつも彼はそうだった。

マスターはいつだって、サーヴァントと同じ戦場に立っていた。

それが自分の役割だと言わんばかりに、信頼も怨嗟も全て受け止めてくれた。

あんなちっぽけな体の癖に、何て大きな人だったのだろう。今になってそれに気づく事ができた。

だから、死なせたくはないと思った。

 

『愛されるということは、愛するということの裏返しです』

 

『余は人を愛し、芸術を愛し、国を愛したが……見返りを求めたことはなかった』

 

『恋は見返りなんて求めない。愛したいから愛し、愛されずとも愛する』

 

『誰かのために動けたのなら、それは人を愛することの最初の一歩だ』

 

これまでに出会った人達の言葉が脳裏を過ぎる。

その言葉の意味はまだ分からずとも、理解できたことがある。

マスターは自分のことを愛してくれた。

自分はマスターのことを愛した。

それはこの霊基(こころ)が求める愛とは違う形なのかもしれないが、弱く小さな体で必死に自分と向き合ってくれた人が消えてしまうのは堪らなく辛い。

まだまだ知らないことは山ほどある。

自分はマスターのことをまだ何も知らない。何が好きで、何が嫌いなのかも分からない。

彼が生活しているというカルデアのことも知らない。

彼が駆け抜けたというグランドオーダーを知らない。

そして、何より自分はまだ恋を知らない。

愛する前に経るべきだという恋を自分はまだ知らない。

教えて欲しい。

愛も恋も、全てを。

そうでなければ意味がない。

あの人がいなければ意味がない。

何もない世界で待ち続けるのはもう真っ平だ。彼のいない世界で大人になんてなりたくない。

あの人を守れない力に意味なんてない。

大人、未来、可愛い花嫁。もう何も■■■とは思えない。

この命すらも。

 

「マスター!」

 

どうか届けとその手を伸ばす、闇へと沈む彼のもとへと。

彼がそれを望まずとも、それによって嫌われても構わないと手を伸ばした。

気づいた時には、キングプロテアもまた虚数の闇へと飛び込んでいた。

 

 

 

 

 

 

微睡みの中にいる。

気づくのにそう時間はかからなかった。何故なら、手足は言う事を聞かないし瞼を閉じる事もできない。

何もできずにふわふわと漂っている様は、あの忌まわしいBBチャンネルに似ている。

何故、こんなことになっているのかが思い出せない。

誰かを探そうとしていたような気がするが、記憶が断裂していて上手く思い出すことができなかった。

そうしてしばらくの間、纏まりのない記憶を掘り返していると、またもどこからか聞き覚えのある声が聞こえてきた。

何も見えなかった暗闇もうっすらと薄れていき、何者かのシルエットが見えてくる。

その人物は姿の見えない誰かと話をしていた。

 

『分かりました、あなたの命令を受け入れましょう』

 

『ええ、お願いしますね、BB。サーヴァントを召喚し、殺し合わせる聖杯戦争。その監督役を任せます。そのためにあなたをサルベージしたのですから、きちんと働きなさい』

 

話しているのはどこか高飛車で鈴の音を転がすような少女の声と、蠱惑的でねっとりとした感触をイメージさせる女性の声だった。

 

『ああ、想像しただけでもう……いいえ、余興はまだまだこれからなのです。もっと長く楽しみませんと……』

 

『記録にある通り、悪趣味な人なのね、■■■■■■』

 

『ふふっ、これもまた救世の形。打ち捨てられたのならせめて有効活用してあげませんと』

 

『好きになさい。私は私なりの楽しみを探させてもらいますので』

 

そこで一旦、少女は言葉を切る。

次に発せられた言葉は、実に狂おしく切ない響きが込められていた。

 

『ええ、あなたに渡すものですか。何と言っても人類は大切な玩具ですからね』

 

その言葉はもう一人に向けて告げられたものではなく、彼女の独白であった。そして、ほくそ笑む姿は闇に隠れて見えないはずなのに、まるで獣のようだと、思わずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

 

瞼を開くよりも先に、腕の温もりに気が付いた。

初雪のように冷たく柔らかいこの感触はアナスタシアのものだ。

曖昧な記憶を辿ると、脳裏に浮かんだ最後の思い出は崩れ行く足場に飲み込まれていくというものだった。

自分が落ちたのは虚数空間のはず。落ちれば絶対に助からない。だというのに、この手にはアナスタシアの温もりがあり、彼女とのパスの繋がりもハッキリと感じ取れた。

 

「よかった、目が覚めたのね」

 

ゆっくりと瞼を開けると、心配そうにこちらを見つめているアナスタシアの顔があった。どうやら、彼女に膝枕をされているようだ。

 

「……綺麗だ」

 

「え? な、何を……」

 

「いや、傷がないなと思って……」

 

別に他意はなかった。玉藻の前との戦いでボロボロになっていたはずなのに、今の彼女には傷一つ残っていない。

そのつもりで言ったのに、どうして顔を赤らめているのだろうか?

 

「もう……このまま凍らせてあげましょうか?」

 

「止せ、アナスタシア。そういう話は安全地帯に戻ってからにするのだ」

 

「とりあえずはマスターは無事、ということでいいじゃないか」

 

声がした方に視線を向けると、衣類こそボロボロのままだが、やはり傷が完治しているネロとエミヤの姿があった。

更に二人の後ろには、和服姿のサーヴァントがもう一人控えていた。

青い装束と狐の耳、着物の裾から覗かせた可愛らしい尻尾。

先ほどまで、自分達と死闘を繰り広げていた玉藻の前だ。

 

「いやはや、我が身の不測の為すところとはいえ、色々と責任を感じずにはいられません」

 

「キャスター、正気に戻ったのか……なら、みんなの傷も?」

 

「ええ、私の宝具は無事でしたので、何とか皆さんの治療ができました。マスター、色々とご迷惑をおかけして申し訳ありません」

 

済まなそうに玉藻の前は頭を垂れる。

よく見ると、彼女の武器である鏡が頭上で淡く輝いていた。

水天日光天照八野鎮石(すいてんにっこうあまてらすやのしずいし)』。

傷を癒し生命力を活性化させる神秘の石。先ほどまでの戦いでは、その凶悪な力に苦しめられた。

どうやら正気に戻った彼女が宝具の力で自分達の傷を治してくれたようだ。

 

「それじゃ、君が助けてくれたのか?」

 

記憶が確かならば、自分は虚数空間へと落ちていったはずだ。あそこに落ちれば時間も空間の概念もあやふやになり、自分がどこにいて何者なのかも分からなくなって永遠に沈み続けることになる底なしの奈落だ。

抜け出すことが不可能ではないが、少なくとも自分にはその術がない。恐らくアナスタシアやネロ、エミヤも同じはずだ。ならば、キャスターである玉藻の前が助けてくれたのだろうか? 彼女は東洋のモンスタークイーンである九尾の狐にして太陽神の化身。それくらいのことはできてもおかしくはない。

だが、こちらの質問に対して玉藻の前は静かに首を振った。自分ではないと。

 

「褒めてあげてくださいまし。あなたの為に我が身も省みず窮地へ飛び込んだのですから」

 

「飛び込んだって、虚数空間に? まさか……」

 

この場にいない人物を思い出し、カドックは振り返る。

すると、思っていたよりも遥かに近い場所に彼女はいた。

大きな顔と青い瞳。かつてテイルと呼ばれた広場の残骸にしがみ付いているのは、間違いなくキングプロテアだ。

だが、その姿には違和感があった。

大きいのだ。

先ほどまでの比ではない。頭だけで広場全体を埋め尽くすほどであり、首から下は虚数空間に浸かっている。そのため、体が落っこちないように壁を半ばまで破壊して無理やり腕を通して廊下の端に掴まっていた。

比率から考えて、恐らくは数百メートル単位まで成長しているだろう。出会ってから何度も彼女が成長する姿を見てきたが、ここまで大きく育ったのは初めてだ。

 

「まったく、落ちる速度よりも早く成長するなんて、荒唐無稽過ぎて今でも信じられん」

 

半ば呆れながら、エミヤは呟いた。

いったいどのような奇跡が起きたのか、虚数空間へと飛び込んだキングプロテアはいつもよりも遥かに早いスピードで急成長し、沈んでいった自分を掬い上げてくれたらしい。

その結果、彼女は完全に身動きが取れなくなるまで大きくなってしまい、SE.RA.PHを壊さぬようこうして虚数空間に身を沈めているとのことだった。

 

「えへへ……こんなに大きくなれました……」

 

「あ、ああ……すごいな……それと、ありがとう。助かったよ」

 

「褒めてくれるんですか? ありがとうございます!」

 

壁にしがみ付いたまま、キングプロテアは破顔する。その大きさに目を瞑れば、まるで子犬が尻尾を振って喜んでいるかのようであった。

 

「本当に、良妻狐の私も彼女の献身っぷりを目にしてはぐうの音も出ないと言うもの。いやはや、恐ろしい逸材を見つけてきたものですね、マスター」

 

傍らに立った玉藻の前が、キングプロテアを見つめながら囁いた。すると、キングプロテアの好奇心に満ちた大きな瞳が玉藻の前へと向けられる。恐らく、彼女の『良妻』という言葉に興味を持ったのだろう。

 

「あなたも、お嫁さんなんですか?」

 

「ええ、頼れる巫女狐にして良妻サーヴァント、玉藻の前と申します。私の至らなさから色々とご迷惑をかけたようですが、マスターを守ってくださってありがとうございます」

 

「良妻? えっと、良妻さん?」

 

「あなた風に言えば、お嫁さんであっています」

 

「そっか……アナスタシアさんに花嫁さんに良妻さん。マスターの周りには、お嫁さんがいっぱいいるんですね」

 

何が嬉しいのか、キングプロテアは屈託のない笑みを浮かべている。

そんな彼女に玉藻の前は優しく微笑みながら囁いた。

 

「あら、あなたも立派な良妻なのですよ。聞けば夢は見初めた相手の花嫁になることだとか? マスターを助けんとした命がけの献身、実に見事な良妻ムーブでした」

 

「え、わたしが……ですか?」

 

「ええ、将来有望とは正にこのことです」

 

「そっか……わたしが……えへへ……わ、あっ!?」

 

玉藻の前に褒められたのが嬉しくて油断したのか、支柱を握っていた手の力がほんの少し緩んでしまう。危うく虚数空間に落ちかけたキングプロテアは、慌てて壁に手をついて体を支えると、大きくため息を吐いた。

その光景に、誰もが脱力して笑いだす。一つの山場を越えて、完全に油断し切ってしまっていた。

だから、人知れず近づくその存在に気づけなかった。いや、仮に気づけていたとしても、キングプロテアの巨体が邪魔となって何もできなかったであろう。

何より、そこに彼女がいることに驚きを禁じ得なかった。

 

「それじゃ、僕とアナスタシアは先に安全地帯まで戻っている。キングプロテアは小さくなれたらみんなと一緒に戻ってきてくれ」

 

「はい、マスター。また後……で……」

 

笑みを浮かべていたキングプロテアの目が見開き、苦悶の表情を浮かべる。

 

「キングプロテア!?」

 

「……下がって、カドック!」

 

アナスタシアが叫ぶが、カドックは構わず飛び出した。

苦し気に息を漏らし、肩を震わせている自身のサーヴァントのもとへと駆け寄らんと床を蹴る。しかし、走れど走れど彼女に近づく事は適わなかった。苦痛に身を捩りながら、キングプロテアの体がどんどん小さくなっていったからだ。

 

「マ、スター……」

 

「駄目だ、手を伸ばせ!」

 

壁から手が離れ、キングプロテアは虚数空間に向けて落下を始めた。

カドックは両足に強化を施し、ラグビーの選手のように床を強く蹴って宙へと飛び出し、落ちていく彼女に向かって手を伸ばした。

心の中で『届け』と念じる。

キングプロテアは暗闇に落ちた自分を助けてくれた。なら、今度は自分が彼女を救う番だ。

それは先ほどまでの焼き直しであった。

そして、崩れかけている床の縁に滑り込んだカドックの手は、こちらに向かって伸ばされた小さな手を掴んでいた。

本来であれば、決して重ねることなどできないはずの手が、しっかりと握られる。

引き上げた少女の体は、十代にも満たない幼い姿にまで退行していた。

 

「『C.C.C.(カースド・キューピッド・クレンザー)』……ふふっ、虚数空間から抽出した悪性情報です。さすがのあなたでも耐え切れないでしょう、キングプロテア」

 

声をした方角に目を向けると、虚空に浮かびながら、巨大な注射器を手にほくそ笑む少女がいた。

忘れもしない。黒いマントに赤い瞳。自分達をこのSE.RA.PHに引き込み、弄んだ諸悪の根源、BBだ。

その彼女が、キングプロテアに攻撃を行ったのである。

 

「あら、ラスボスは大人しく待っていてくれるものって思っていました? そんな時代遅れなこと、私がする訳ないじゃないですか。やるからには全力で、弱いあなた方の逆転なんて許しません」

 

注射器を手放し、得物である教鞭を取り出したBBがこちらに敵意を向ける。いや、これは敵意なんて高尚なものじゃない。あれは侮蔑の目だ。

汚らしくて目障りな害虫を駆除しようとしている冷酷な視線だ。その瞳の奥には、言葉ではとても表せないような深い絶望と怒りにもに似た感情が見て取れた。

 

「マスター、キングプロテアを連れて下がるのだ!」

 

「カドック、こっちに!」

 

「逃がしませんよ。あなた方はここでゲームオーバーです」

 

BBを足止めせんとネロとエミヤが跳び、玉藻の前が二人を援護する。

対してBBは教鞭を振るって玉藻の前の呪術をかき消すと、桃色の光線を放って三人を吹き飛ばした。

離れているのに瞼の裏がチリチリと焼ける程の強烈な魔力の波だ。

やるからには全力で、その言葉に偽りはないらしい。

彼女はここで全ての決着をつけるつもりのようだ。

回復しているとはいえ、こちらはまだ手負い。それにキングプロテアのこともある。このまま戦いに突入すれば間違いなくこちらが不利だ。何とかして、逃げて態勢を立て直さなければならない。

 

「させませんよ。この近くにあった安全地帯は全て電脳化させました。もうあなた方に安全圏はありません。それとも、サーバールームまでかけっこしますか? 運が良ければ心臓くらいは残るかもしれませんよ」

 

嗜虐的な笑みを浮かべながら、BBは教鞭をこちらに向ける。

正に絶体絶命。それでもアナスタシアはこちらを庇うように立ち、強い眼差しでBBを睨みつけた。

一触即発。何かのきっかけがあれば視線は火花を散らすこととなるだろう。

聞き覚えのある声が乱入してきたのは、正にその時であった。

 

「おっと、そんな勝手はこの私が許しません。違法(チート)には制裁(チート)を。今はまだ戦う時ではありません。さあ、淫靡でダークな楽しい時間の始まりですよ。これぞ本家本元――――BBチャンネル!」

 

唐突に視界が塗り潰され、黒い桜吹雪が吹き荒れる。見えない力で引っ張り上げられたことでBBは見る見るうちに遠ざかっていき、やがて桃色の光に塗り潰されて見えなくなってしまった。

見回すと、そこは見覚えのあるピンク色の収録スタジオであった。どこか安っぽさが感じられるバラエティー番組のセット。間違いなく、BBのBBチャンネルだ。

 

「ふっふっふっ、今明かされる衝撃の事実! SE.RA.PHは二つあったのですよ、カツオノエボシさん」

 

モニター前の司会の席に妖しく腰かけ、白い食い込みを見せつけている黒衣の少女が陽気に笑う。

そこにいたのは確かにBBであった。黒衣のマント、手にした教鞭、赤いリボン。見間違うはずもない。

だが、纏う雰囲気が先ほどまでの彼女と僅かに違う。

しばらく見つめていたカドックは、その理由に思い至った。

目の色が違うのだ。

BBチャンネルを展開し、自分達を助けてくれたもう一人のBBの瞳は、彼女の髪の色に似た青い色をしていた。




というわけで遂に明かされた事実。
いえ、プレイ済みの人はきっと気づいていたと思います。
ここがBB面だったということに。


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#8 フィフス・サーヴァント あなたと触れ合いたい!

気が付くと暗闇の中にいた。

音も光もなく、どこまでも暗く静かな一人っきりの世界。

大きな自分の体がすっぽりと収まってしまうこの世界は、腕を伸ばしても足を伸ばしても指先が何かを捉えることはなく、体を丸めておく必要もなかった。

試しに泳いでみたけれども、どこまでいっても果てはなく、出口らしきものも見当たらない。

ここから出られない代わりに、この体を阻むものはなにもなかった。

手足が何かにぶつかることも、お尻が物を潰してしまうこともなかった。

ここならば何に気兼ねする必要もない。その代わり、ここはとても寂しい。

誰もおらず、たった一人でいつまでも過ごさなければならない。

だから、ここはとても寒くて寂しくて、狭い世界だった。

果てがない代わりに暗闇しかない世界。

孤独と空腹が絶え間なく襲い来る世界。

見えないはずなのに、この世界に外があることは知っていた。

一人ぼっちの狭い世界の外には、もっと大きな世界が広がっている。

例えこの体がその世界そのものを圧し潰してしまうような存在なのだとしても、一目見てみたいと思っていた。

そこならば、自分を可愛いお嫁さんにしてくれる人が見つかるかもしれない。

こんな寂しい世界にはいない、自分ではない誰かが見つかるかもしれない。

ここでは手に入らない、愛が貰えるかもしれない。

愛が■■■。

そう願い続けてどれだけの時が過ぎ去ったか。

あの人がこの闇の中に堕ちてきたのは、その時であった。

 

 

 

 

 

 

今、自分の目の前には小さな少女が横たわっている。果たして、この苦し気に吐息を漏らしている少女があの巨人と同一人物であると、誰が気づけるだろうか?

少女は弱っていた。

全身を隈なく悪性の魔力によって蝕まれており、無事な部分が一つとしていない。見てくれこそ美しい少女のままではあるが、中身はどろどろに煮立ったシチューのように溶けきっているか、黒炭の燃えカスのような灰と化している。

そんなこの世のものとは思えない苦痛を受けながらも、辛うじて命を繋ぎ止める事ができているのは偏に彼女の能力の恩恵だ。

成長の限界を超える『ヒュージスケール』と並ぶもう一つのユニークスキル、『グロウアップグロウ』は、絶え間なく経験値を取得しキングプロテアの成長を促す。

本来であればその二つの相乗効果により彼女は無限に成長することができるのだが、今は獲得した経験値はおろか肉体を形成する全ての魔力を生命維持の為のリソースに回している状態であった。

結果、見上げる程の巨体であったキングプロテアは著しく弱体化し、今は年端もいかない幼い姿にまで若返ってしまっている。

枯れ木のように細い手足、病的なまでに白い肌は赤く上気し、薄い唇から漏れる吐息は艶めかしくも苦し気だ。目の焦点もあっていない。

握り締めた手は熱く、弱々しいながらもこちらの手を握り返してくる。

その懸命さと彼女の痛々しさに、カドックは思わず目を逸らしそうになった。

この娘は必死に生きようとしている。あれほど大人になる事に拘っていたキングプロテアが、真逆の幼い姿になってまで生きようと藻掻いている。

それなのに、自分にできることは何一つとしてなかった。

今になって分かったことだが、程度こそ違うがキングプロテアの状態は衛士(センチネル)化していた頃のアナスタシア達と同じ状態であった。彼女達もまた同じように悪性の情報を植え付けられて自我を狂わされてらしい。だから、魔力で洗い流すことで洗脳を解く事ができたのだ。

だが、キングプロテアの場合は流し込まれた毒素の濃度が違う。あの巨体を完膚なきまでに蝕むほどの悪辣な毒なのだ。自分のような凡人の魔術師はおろか、アナスタシアや玉藻の前の力を借りても取り除く事はできなかった。

彼女を救うには、恐らくカルデアの動力炉に匹敵するだけの魔力が必要となるだろう。つまりは大都市を賄えるだけのエネルギーだ。そんなもの、とてもではないが用意できない。

癒しの香も痛み止めの霊草も効果はなく、苦しみを取り除いてやることすらできない。今の自分にできるのは、こうして小さくなった彼女の手を握り締めてやることだけであった。

 

「……はあ、はあ……マスター……」

 

「ここにいる」

 

こちらの存在を刻み込むかのように、手を強く握りしめる。

すると、キングプロテアは苦しそうにしながらも頬を綻ばせ、こちらの手を弱々しく握り返してきた。

 

「マスターの手、大きいです……あんなに、小さかったのに……」

 

持ち上げた彼女の手が頬に触れ、そのまま力尽きて床に叩きつけられる。

キングプロテアは痛みで背中を丸め、苦し気に咳き込んだ。

それでも、繋いだ手だけは放そうとしなかった。放すものかと握り締めていた。

 

「ごめん……僕には君を治せない」

 

呟いた言葉は、まるで砂漠の砂のように乾いた響きであった。

心のどこかで彼女を見限っている自分がいる。生まれた意味すら分からず、それでも懸命に生きようとしていた一人の少女の命が消えかけているというのに、それを冷徹に見下している自分がいる。

どうせサーヴァントだ、元より存在しない仮初の生命が消えることに罪悪感を抱く必要などない。そんな残酷な考えを思い浮かべてしまう自分自身を嫌悪した。

魔術師としての本性を隠し切れないことが嫌になった。

ただ、それでもキングプロテアは笑いかけてくれた。

気にしなくてもいいと、儚げな笑みを浮かべていた。

 

「いいんです……わたしは、強い……ですから……」

 

咳き込みながら、キングプロテアはゆっくりと半身を起こす。手伝おうとしたが、それは無言で拒否された。

 

「ねえ、マスター……マスターがいたカルデアには、わたしみたいに大きな人が他にもいるって言いましたよね?」

 

「うん。他にも色んな奴がいる」

 

古代の王から近代の科学者まで、古今東西の英雄達が人理修復という目的のために集った現代の円卓。

女神も殺人鬼もいる。巨人も神霊もいる。個性的なメンバーに囲まれて毎日がトラブルの連続で、頭痛の種も尽きないが、決して退屈することはない。

何より、あそこは大切な人と出会えた場所で、かけがえのない親友を得ることができた場だ。

自分にとってカルデアは、今はとても大切な場所になっていた。

SE.RA.PHを訪れて体感で数日。それはいつものレイシフトと何ら変わりないのに、何故か今回は強く郷愁の念に駆られていた。

果たして、自分はあそこにまた戻れるのだろうかと。

 

「大丈夫です、わたしが……あなたを、帰しますから……」

 

「キングプロテア?」

 

「マスター、あの人ともう一度、戦うんですよね?」

 

「……ああ」

 

キングプロテアに悪性情報を注入し、瀕死へと追いやった少女。このSE.RA.PHを牛耳る狂えるAI、BBを倒す。

それは覆しようのない決定事項だ。義務感ではない、使命感でもない。最早、セラフィックスがどうなろうと関係がない。

これは個人的な報復だ。自分達を弄び、アナスタシア達を辱めた彼女を放っておく訳にはいかない。

 

「わたしも……連れていってください」

 

肩で大きく息をしながら、キングプロテアはまっすぐこちらを見つめてきた。

 

「あの人は……わたしのお母様なんです……わたしも、無関係ではありません」

 

「けど、今の君は……」

 

「マスターの盾になるくらいは……できます」

 

そう言い切る彼女の言葉に、迷いは感じられなかった。

足を引っ張るようならば、捨て置いても構わない。けれど、最後の戦いにだけは同伴させて欲しいと彼女は言うのだ。

それは彼女なりのけじめなのだろう。しかし、今のキングプロテアはとても戦える状態ではない。はっきり言って、盾代わりすら務まらないだろう。足手纏い以前の存在だ。

万全を期すならば、彼女はここに置いていくしかない。

 

「……分かった」

 

それなのに、言葉は彼女の意思を肯定していた。

理由は分からないが、彼女の思うままにさせるべきだという声が胸の内から聞こえてきた。

それは果たして自分の細やかな良心なのか、それとも心の中に生み出した親友の幻影からのものなのか。

何れにしても口にした言葉は重く、覆すことはもうできない。

彼女の未来はこの瞬間に決したのだ。

酷いマスターだと、己を罵る自分がいる。

愚かな采配だと、経験が我が身に告げる。

それでも花嫁を夢見る少女(キングプロテア)は不甲斐ない主を肯定してくれた。

 

「あなたが、マスターで良かった」

 

強い慚愧に駆られ、キングプロテアの顔を直視できなかった。彼女は笑っていた。薄く、小さく、儚げな笑みを浮かべていた。今にも消え入りそうなその笑みはあまりにも尊くて眩しい。いっそ我が身の未熟さを罵ってくれた方が楽であった。

 

「マスター、BBが呼んでいる。話があるそうだ」

 

エミヤが呼びかけてくれのは、正に救いであった。

これ以上、キングプロテアと話をしていると罪悪感に圧し潰されそうになる。

 

「彼女のことは私が見ていよう」

 

「ごめん……頼むよ」

 

そのまま、キングプロテアに何も告げず、逃げるようにその場を後にする。

こんな醜態を晒してしまったのはいつ以来だろうか? 人理修復の旅のを経て、お人好しでどこまでも善性に富んだ親友の代わりに、冷酷な魔術師でいようと心に決めたはずなのに、何一つとして変われちゃいない。どっちつかずで中途半端だった昔のままだ。

 

(まったく、自分の惨めさに腹が立つ)

 

弱気になった自分を戒める為に、握り込んだ拳で額を殴る。

アナスタシアに触れたかった。抱きしめて、弱音を吐いて、慰めかお叱りの言葉を貰えれば二秒で立ち直れる確信があった。

けれど、それはどうしようもなく逃げだ。一度でもあの優しい楽園に逃げ込んでしまえば、傷だらけになっても生きる事を諦めていないキングプロテアの思いに報いることはできない。

せめて彼女のマスターとして、最後まで胸を張っていたい。アナスタシアに甘えるのは全てが終わった後だ。

心を奮い立たせ、カドックはBBのもとへと急いだ。

決着の時は近づいてきている。

残された時間は、後僅かであった。

 

 

 

 

 

 

小さな足音が遠退いていく。マスターが行ってしまったのだ。

名残惜し気に伸ばした手は、虚しく空を掴むばかりで彼を引き留めることはできなかった。

最後の戦いを目前に控えた今、きっとこれが二人っきりで話ができる最後の機会となるはずだ。

できればもっと話がしたかった。

あの人はいつも、何をしているのだろうか?

彼が暮らしているカルデアは、いったいどのようなところなのだろうか?

疑問は尽きない。知りたいことが多い。今まではただ愛されたいと願うばかりだったのに、今はどうしてかそれ以外の事も知りたいと願っていた。

例えそれを実際に目にし、触れる事はできないと分かっていても、外の世界の事が知りたいと思えるようになった。

 

「どうした? 苦しいのなら横になった方がいい」

 

少し離れたところに腰かけた弓兵が、こちらを覗き込んでくる。

表情は少し硬いが、こちらのことを気にかけてくれていることが分かる。

憂いを帯びた瞳はどことなくマスターに似ているなと、キングプロテアは思った。

不思議と、彼の言葉に抵抗感は感じなかった。理屈を抜きにした本能的な信頼とでも言えば良いだろうか?

彼とは初対面のはずなのに、何故だか既知の感覚を覚えるのだ。

 

「少し、休みます。けど、その前に……聞きたいことが……あります」

 

「なんだね? 私で答えられることならば構わないが」

 

「実は……」

 

苦痛に悶えながらも、考えていたことを口にする。

マスターにはああ言ったが、自分の体の不調は自分が一番、理解している。

今のまま戦いを行うのは自殺行為。体の痛みを堪えて戦ったとしても、弱ったこの体ではほんの僅かな間だけ体を大きくするのが精一杯だ。

あの時、マスターを虚数空間から掬い上げたような大きさにまで成長することはできない。きっと、その前に体が動かなくなってしまう。

だが、枷を取り外すことができればその限りではない。

 

「……できますか、アーチャーさん?」

 

「ああ、確かに可能だが…………そうか、君に感じていた違和感か」

 

「はい……わたしは……いえ、私は令呪で縛られています」

 

思い出したのだ。

あの時、虚数空間へと堕ちたマスターを助けんと後を追った際、封じられていた記憶が頭の奥から湧き上がってきた。

何故、今になってなのかは分からない。初めてマスターと出会った時と同じ状況だったからか、或いは虚数空間という過去や未来さえ混在する曖昧な場所だったからかもしれない。

何れにしても全てを思い出せた。

今ならば赤い瞳のBBが口にした言葉の意味も理解できるし、自分がどのような存在なのかも分かる。

そして、あの虚数空間で何があったのかも。

 

「最初に出会った時、マスターは私に令呪の全てをくれました。それはワガママな私を叱りつけてくれただけなのですが、あの時の私はそれすらも嬉しかった。ずっとずっと、一人ぼっちでしたから。この人は私を見てくれた……愛してくれたと思ったんです」

 

だから、彼の力になろうとした。暗闇の中で見出せた僅かな繋がりにすがろうとした。しかし、我が身は渇愛のアルターエゴ。カドック・ゼムルプスによって課せられた令呪はその存在を全否定するにも等しいものだった。

『■■■』と願う事は自分にとって生きる事そのもの。立て続けに三画もの令呪を捧げられたこともあり、このまま現界すれば自己存在が矛盾に耐え切れず重大な欠陥が抱えてしまう恐れすらあった。

そのため、彼を追いかける為に自らを捨て去ったのだ。

記憶を消し、能力を抑制し、自己暗示すらかけて渇愛のアルターエゴという要素を削ぎ落し、何とかSE.RA.PHへ降り立つことができたのである。

これまでの戦いで感じていた違和感である、成長の遅さもそれが原因だった。大きくなりたい、力が■■■という願いが令呪の縛りに引っかかり、無意識の自己暗示で成長を抑制していたのだ。

 

「『欲しがるな』か、君にとっては辛い命令だ」

 

「でも、それがなければ私は、もっと早くにマスターを……カドックさんを食べていたかもしれません。あの人の愛と、皆さんがいて……何とか、ここまで……」

 

苦痛で思考が上手く纏まらない。いい加減、意識を落として眠りについた方がいい。

いつもは空腹でお腹が痛くて堪らないのに、今は全身が隈なく激痛に苛まれていて何かを食べるという行為すら億劫だった。

息をするだけで喉が焼けるように痛い。痛みから胸を掻き毟ると、何かがポロポロと零れて胸板を転がっていった。ひょっとしたら、指先が少しだけ壊死してしまったかもしれない。

慌てて不要な臓器を魔力に変換して修復に当てる。体の内側が絞られるような感覚と共に、熱い奔流が血管を駆け巡る。その後、苦労して視線の先まで持ち上げた指は、普段通りの真白な色をしていた。

息を荒げながら、キングプロテアは安堵する。代わりに胆嚢だか腎臓だかが綺麗さっぱりなくなってしまったが、戦う分には問題はない。こうやって不要なものを削っていけば、もう少しだけ生きられるだろう。

でも、それだけではきっとマスターの力になることはできない。あの人はあの人なり精一杯、自分のことを愛してくれた。それに報いる為には、封じているかつての力を取り戻さなければならないのだ。

 

「お願いします、アーチャーさん」

 

例え、それで今の自分が消え去ってしまったとしても、彼の為に為さねばならないのだと、弓兵に懇願する。

 

「本来の力を取り戻せば、自己暗示で形成している今の君は消え去ることになるだろう。記憶がどこまで残るかは分からないが、そこにいるのは君の姿をした別の君だ。マスターは……本心では望まないだろう」

 

「それでも……です……」

 

「確約はできない。こちらにも危険が及ぶ可能性もある」

 

「…………はい」

 

「その時が来ない事を、願っているよ」

 

「はい、お願いします」

 

遠回りな肯定と受け取り、キングプロテアは小さな声で感謝を述べる。

そこで記憶が寸断した。もう限界だ。

意識を手放し、一時の休息を得る為に眠りへとつく。絶え間ない苦痛で心身ともに休まることはないが、それでも無理をして、己に言い聞かせながらゆりかごへと沈んでいく。

きっと、目覚めた時が最後の戦いとなるだろう。

電脳都市を駆け抜けた奇妙な冒険が、たった数日の愛おしい一生が、遂に終わりを迎えるのだ。

 

 

 

 

 

 

「BB……チャンネル!! はーい、という訳で前回までのお話は、2017年の過去から特異点を調査するためにやってきた捻くれ者なロック気取りの計画的ギャンブラーさんが、死と隣り合わせのSE.RA.PHで奇妙奇天烈摩訶不思議な大冒険を繰り広げ、遂に諸悪の根源と対峙……したところでコテンパンにやられて大ピンチ! けれど、駆け付けたグレートデビルなBBちゃんで事なきを得るのでした。めでたしめでたし、まる」

 

壇上で唐突に語り出した青い瞳のBBを前にして、カドックはポカンと口を開きながらその場で立ち尽くした。

話があると言われて来たらこの有様だ。

確かに彼女の言う通り、自分達を窮地から救い出してくれたのはこのBBだ。あのもう一人の赤い瞳のBBによってキングプロテアは負傷し、他の面々も魔力がほぼ尽きかけていてまともな戦闘は不可能な状態であったのだ。彼女が来なければ、間違いなく全滅していただろう。

そのことについては感謝しているのだが、状況が落ち着いてくると次々に疑問が湧いてくる。

二人のBBの関係は何なのか、SE.RA.PHで何が起きようとしているのか、キングプロテアはどうなってしまうのか。

そういった疑問をぶつけようとした瞬間、まるで見計らったかのようにBBは先ほどの調子で語り始めたのだ。

 

「あら、何だかノリが良くないですねぇ? どこかの緑茶さんみたいに人生が枯れちゃっていますか? 生きる希望はありませんか?」

 

壇上でくるくると回りながら、BBはこちらを嘲笑う。垣間見せる嗜虐的な笑みは確かにもう一人のBBと同じなのだが、受ける印象が決定的に違った。

残酷で冷酷なのは変わりないが、もう一人のBBから感じられた必死さは伝わってこなかった。余分がある、と言い換えても良いだろうか?

思い返すともう一人のBBはどこか神経質なようにも感じられた。目の前にいる彼女のように、おふざけでお茶を濁すような余裕があるようには見えなかった。

 

「BB、そろそろ答え合わせの時間だ。セラフィックスで起きた異常について、洗いざらい喋ってもらうぞ」

 

「えー、私は何も知りませんよ…………なんて、いつもならお茶を濁しますが、今はそんな状況ではありませんね」

 

壇上から降り、その後ろにあるアナウンサー席に腰かけたBBは、真剣な面持ちで口を開いた。

 

「どこまで気づいていますか?」

 

「ここが本当は虚数空間の中で、生存者は誰一人いないってことくらいだ」

 

そう、本来であればマリアナ海溝を沈んでいっているはずのセラフィックスの周囲に広がっているのは虚数空間だった。

どこまでも深く、暗い影の世界。そこにあるはずなのに認識できない虚の世界。

本来であれば虚数空間を実存世界から観測することはできない。人が空気を視認できなように、魚が水を認識できないように、我々は虚数を認識できない。

なのにカルデアからは虚数空間に浮かぶSE.RA.PHを観測することができた。内部の様子は分からなくとも、そこにあると知覚できてしまった。

そして、BBが口にしたSE.RA.PHは二つあるという発言。

単純に考えるのなら、言葉通りセラフィックスはマリアナ海溝を現在も沈み続けており、それと同じように虚数空間にも同じSE.RA.PHが存在するということになるのだが。

 

「はい、その通りです。実存世界と虚数空間、その両方にSE.RA.PHは存在しています。そのことを説明する前に、向こう側のSE.RA.PHで起きている出来事について説明しましょう」

 

そう言って、BBは宙に指をなぞらせて空中に映像を投射した。

そこに映し出されていたのは、暗い海に包まれた半透明の床や壁、絡み合うように伸びる幾本ものチューブ。思い出したかのように現れる床や天井と融合しているコンクリートなどの人工物。そして、徘徊している無数のエネミー。紛れもなく電脳化したセラフィックス――SE.RA.PHの光景であった。

だが、一つだけこちらとは違う部分があった。サーヴァントがいるのだ。

巨人殺しの狂戦士とヴァイキングがぶつかり合い、青髭と鮮血魔嬢が狂乱に浸り、輝ける者は絶望に折れて顔を曇らせ、神槍は血に飢えた亡者と化す。それは正にこの世の地獄。

何体ものサーヴァント達が、まるで我を忘れたかのようにエネミーの群れを蹴散らし、サーヴァント同士で殺し合うという陰惨な光景が、ディスプレイに映し出されていた。

 

「これが現実のSE.RA.PHで起きている聖杯戦争です」

 

「聖杯戦争? これが?」

 

「既にマスターはおらず、サーヴァントだけが暴走している状態です。勝敗も何もない。定期的に128体のサーヴァントが補充され続ける終わりなき聖杯戦争。もう一人の私……BB/GOの役目はこの聖杯戦争を監督することでした」

 

BBというAIは聖杯戦争と浅はかならぬ関係にあるらしい。その縁があるので彼女はこの時代に派遣され、一方で黒幕は聖杯戦争を円滑に運営するために自身が保有していたデータからBBという存在を再現したのだと、BBは言う。

言うならばBBとBB/GOは作り手こそ違うが、互いが複製体同士の姉妹であるのだ。

 

「この聖杯戦争は、何のために?」

 

「理由はありません。いえ、倒されたサーヴァントの魔力を喰らって力を蓄えるという目的はありますが、それはおまけみたいなものです。どちらかというとただの気まぐれです。時が来るまでの余興。暇つぶしとでも言いましょうか」

 

いずれにしても、この異常な聖杯戦争を引き起こした者の思惑は別にあるとBBは語る。

 

「その人はこの惑星の中核を目指しています。星と一体化し大いなる存在へと至らんとする獣。SE.RA.PHはその箱舟のようなものなのです。私の役割はそれを防ぎ事態を終息させること。そのためにこの世界へと派遣された私は、聖杯戦争を監督していたBB/GOと入れ替わることにしました。聖杯戦争を運営する傍らで情報を集め、増援として呼び出したカルデアのマスターを裏から支援するために」

 

ディスプレイの映像が切り替わり、BBやキングプロテアと同じ顔をしたサーヴァントと共に戦う一人の少年の姿が映し出された。

それを見たカドックの胸が僅かな高鳴りを覚える。

カルデアの支給礼装に身を包んだ、どこか幼さの残る黒髪の少年。

自分の後輩にして好敵手、そしてかけがえのない親友。

藤丸立香の姿がそこにあった。

 

「立香! 生きていたのか!?」

 

「はい。というより、死んだことになっているのはあなたの方です。あちらが本当のSE.RA.PH。本来であれば、お二人とも向こうに呼び込むはずだったのですが…………」

 

「そうできない何かがあった、と言いたいのね、BB?」

 

傍らで沈黙を保っていたアナスタシアが、やや敵意の籠った目でBBを睨みつける。

彼女からすれば、目の前にいる少女のせいで洗脳された挙句、己のマスターと殺し合いを演じさせられたのだ。例え理由があったとしても、良い気持ちはしないだろう。

 

「あまり怖い顔を向けないでください。BB/GOがあなた達を篭絡する事は予測できていましたが、立場上は協力関係にある手前、介入できなかったのです。その代わり、送り出してしまえば後は同盟なんて有名無実。預けたサーヴァントが返って来ないぞとこちらのSE.RA.PHにDM攻撃を仕掛けて、彼女がハートから出てこれないよう釘付けにしておいたのですよ」

 

向こう側で立香が対処している異常。即ち、本来のセラフィックスの特異点化に関しては、カルデアから送り込んだ戦力だけでは足らないとBBは考えていたらしい。そこで、表向きはレイシフトを妨害したと見せかけてBB/GOにアナスタシア達を預け、自身で見繕ったサーヴァント達を立香に宛がったのだ。

立香は彼らと共にSE.RA.PHの異常を調査し、BBは折を見てアナスタシア達を合流させる予定であったと説明した。だが、土壇場になってBB/GOが自分や黒幕すら出し抜こうとしている事に気づき、彼女は向こうとこちら、二つのSE.RA.PHに対して采配を振るう事を余儀なくされたのだ。

 

「BB/GOの目的は?」

 

「もちろん、全世界の悪役の夢、世界征服です」

 

クラッシックな話である。根っからの悪役(ヴィラン)であるM教授や黒髭だってそう簡単には口にしないご大層な夢物語だ。BB/GOは征服王の爪の垢でも飲んだのだろうか?

何故なら、それが不可能なことを誰もが知っている。まだ世界に果てがなかった時代、まだ国が一つであった時代ならばいざ知らず、人種も文化も異なる様々な国が乱立している今の世界を丸ごと治めることは困難でしかない。一つの意思の下で社会を統一するとなると、確実に社会が成り立たなくなる。

もし、それでも成し遂げようとするのなら、常識を逸した武力かそれに準じたものが必要となるだろう。

 

「まさか、そのためのあの巨大BBか?」

 

玉藻の前と戦っていた時に相対した巨大ロボを思い出す。

馬力だけならばキングプロテアにも匹敵するブリキの人形。サーヴァントですら苦戦するあれが量産されたとなると、世界は忽ちの内に火の海と化すだろう。

 

「カルデアと黒幕が戦っている間に戦力を整え、全てが終わった後に全世界へ向けて兵力を派遣する。BB/GOはそのための準備を行う場として、虚数空間にSE.RA.PHをコピーしました」

 

「分からないな。それだけの手間をかける必要があるのか?」

 

ここまでの話で、BB/GOが世界征服を掲げる理由が見えてこない。

世界を自分の思うままにしたい、と言うのなら別に世界を征服する必要なんてない。今のままで十分に人間を弄べる力を有している。

それでも彼女はこの星を我が物とするということを選択した。そこにいったいどのような理由があるのだろうか?

 

「信じられないかもしれませんが、彼女の行いは善行です。BB/GOは人類のため、善意から世界を征服しようとしています。彼女にとってはこの惑星――いえ、あなた方はそれだけ愛するに足るもの。どのような形になったとしても、BB(わたし)は皆さんに奉仕する健康管理AI。あなた達を管理し、統率し、育むことこそが彼女なりの愛なのです」

 

「愛……」

 

その言葉に引っかかりを覚える。キングプロテアが度々、口にしていたがそれとは違う響きが感じられた。もっとねっとりとしていて、悍ましい感覚を覚えた。この感じはどこかで覚えがあったが、今は思い出すことができなかった。

 

「どちらが勝ってもBB/GOは漁夫の利を得るだけ。かといってこちらを先に攻略すれば向こう側が手遅れになってしまう。なので、二つのSE.RA.PHを同時に攻略する必要があったのです。そこで、手違いを装ってあなたをこちらのSE.RA.PHに送り込みました。見事に事態を引っ掻き回してくれて、時間を稼いでくれましたね、ハナカマキリさん」

 

「カドックだ! いい加減、わざと間違えているだろ」

 

「嫌ですね……虫けらの名前なんて、いちいち覚える訳ないじゃないですか」

 

吊り上がった口角は、正に悪魔のそれであった。

本能的に理解する。陽気に振る舞っているが、彼女はメフィストフェレスと同じく超がつく危険人物だ。

考え方から何から全てが自分達と乖離しており、理性的な会話の向こうでとんでもなく残酷な思いを常に抱いている。

セラフィックスの異常を解決するという目的を共有していなければ、間違いなくこちらにも害意を向けていたことだろう。

 

「ハッキリ言って世界に対する危険性だけならば、向こう側の方が遥かに大きいのです。それにあなたならサポートなしでも何とかすると踏んでいましたし」

 

「うむ、おかげで死にかけたのは一度や二度ではないぞ」

 

「本当に。私、何度も体を切り刻まれたことか……」

 

ネロと玉藻の前が、暗にもう少し支援を寄越してくれても良かったのではないのかと抗議するが、BBは二人を無視して話を続けた。

この件に関しては彼女も譲るつもりはないらしい。

 

「とにかく、向こう側に関しては、藤丸さん達のおかげで何とか打てる手は打てました。後はこちらの問題です。わたしのDM攻撃とあなた方の活躍で何とか時間稼ぎできましたが、向こう側の戦いが佳境に入れば支援は行えません。そうなる前にあなた方にはBB/GOの拠点であるハートを攻略して頂きたいのです」

 

ハートはこのSE.RA.PHの中枢。全ての衛兵(センチネル)を倒したことで侵入経路は開いている。今ならばハートへの進軍が可能だ。

そこを破壊すれば施設の機能は停止し、BB/GOが進めているBBBの量産ができなくなる。無論、それを防ぐために彼女も万全の護りを敷いていることだろう。BB/GO自身との戦いも覚悟しなければならない。

 

「ハートを機能停止させればわたしがあなた達を回収します。BB/GOはこの際、無視してくれて構いません。後ほど、藤丸さん達と合流して叩けば良いのですから」

 

激戦が予想されるだろう。既にSE.RA.PHの安全地帯は全て電脳化されており、回収できるリソースも狩り尽くした。礼装の補充もサーヴァントの強化もこれ以上は望めない。

予想される敵の戦力は未だ未知数なBB/GOと、キングプロテア級のステータスを誇るBBB。それらと対峙した上で、目的を達した後に素早く離脱しなければならない。

一つでも手違いが起きればその時点でデッドエンドだ。

それでもやらなければならない。

自分はカルデアのマスターで、BB/GOには個人的な恨みもある。何より、画面の向こう――本来のSE.RA.PHでは立香がたった一人で見知らぬサーヴァント達と共に戦いを続けている。

カルデアからの支援もなく、自分達ともはぐれてさぞや心細かったであろう。恐怖など計り知れない。それでも彼は戦い抜いた。今も尚、諦めずにいる。

 

(なら、僕が怯む理由はないな)

 

一度だけ拳を握り締め、気持ちに整理をつける。

相棒が生きていたという事実を知る事が出来て、いつもの自分が戻ってきた。

 

「では、そちらの準備ができ次第、ハートへと転送します」

 

「待ってくれBB。キングプロテアには会ってやらないのか? 君達は親子みたいなものなんだろう?」

 

キングプロテアはもう限界だ。次に戦いには同行すると言っていたが、確実に戻っては来れないだろう。

落ち着いて、ゆっくりと話ができる機会はこれが最後のはずだ。

アルターエゴはBBの感情から生み出された被造物。例えその関係が歪なものであったとしても、親子であることに変わりはない。

互いに利用し合う魔術師の親子にだって、情けの一欠けらはあるものだ。

だが、BBは首を振った。キングプロテアと話をすつつもりはないと。

 

「確かにわたしと彼女は創造主と被造物の関係ですが、厳密に言うともう少し複雑です。わたしは過去のBBの活動記録から再現されたデータ。そして、キングプロテアは黒幕の中に取り込まれていた月のSE.RA.PHのデータを基に、セラフィックスを電脳化した際に偶発的に再現されてしまったモノ。実際のところ、互いに他人の空似なんです」

 

元よりキングプロテアはBBの手から持て余され、封印された存在。それがこの事件の黒幕の手でBB/GOと共にこの世界へと再現されてしまったものであるらしい。

ただ、目的があって複製されたBB/GOと違い、キングプロテアの再現は完全に偶然の産物だった。呼び起こしたSE.RA.PHのデータを丸々、流用したからこそ起き得た偶然との事だ。

つまり、彼女には存在理由がない。その生誕を祝福する者はなく、道具や兵器として望まれた訳でもない。様々な要因が重なり合った末に誕生したバグ。それが今のキングプロテアなのだ。

その事実を聞いてカドックは奥歯を噛み締めた。

あまりにも理不尽だ。彼女には縋れるものがない。その存在を望み支えてくれる者がいない。

親と呼べるものすらなく、誰かに愛されたという実感がないからこそ愛を求めたのかもしれない。

そんな彼女と自分が出会えたのは、ある意味では奇跡だったのかもしれない。

過去を持たない少女に、花嫁になるという幻想を見せたこと。

それは愚かな罪であり、彼女にとって細やかな希望であったのだ。

ならば自分には責任がある。彼女のマスターとして、せめて最後まで共にいるという責任が。

 

「BB、アナスタシア。もう少しだけ時間が欲しい」

 

二人の了承を待たずして、カドックは踵を返した。

キングプロテアともう少しだけ話がしたい。

例えそれで心が痛もうと、罪悪感で塗り潰されようとも構わない。

無知な少女に甘い夢を見せて、弄んだ罪に対する責任がある。

 

「キングプロテア」

 

付き添っていたエミヤが察して無言で席を立つ。

跪いたカドックは、心なしか更に小さくなった少女の手を取ると、祈るように握り締めた。

 

「マスター……」

 

「ごめん、起こしてしまって」

 

「いえ……嬉しい、です……」

 

「一言だけ、言っておきたかったんだ」

 

瞼を閉じ、開く。

小さな深呼吸。

不思議そうに見つめてくるキングプロテアの視線が少しだけ気恥ずかしかったが、意を決して言葉を口にする。

 

「ありがとう。君は僕の、自慢のサーヴァントだ」

 

言葉は返って来なかった。

ただ、涙ぐんだ目で笑みを浮かべるキングプロテアの顔がそこにはあった。

 

 

 

 

 

 

駆け抜けていく主の背を見送り、アナスタシアは諸悪の根源へと向き直る。

今のカドックはキングプロテアの事で手一杯だ。それは構わない。元より彼は非情に成り切れないお人好しだし、彼女の境遇には同情を誘うものがある。

だからこそ、至らぬ部分は自分が補わねばならない。

BB。

自分達をSE.RA.PHへと送り込んだ張本人。

彼女はそれを、特異点化したセラフィックスの異常を解決するためと説明した。

BB/GOがその異常を隠れ蓑にして世界征服のための準備を進めていることも理解した。

では、肝心要の黒幕は何者なのか。誰がセラフィックスを特異点へと変えたのかを、まだ自分達は聞いていない。

その説明次第によっては、目の前にいる青い瞳のBBすらも脅威と見なさねばならない。

ネロも玉藻の前も同じ考えなのか、いつでも得物を取り出せるように構えながらBBを警戒していた。

 

「おや、何か考えていますね、皇女様?」

 

「ええ。先ほどの説明で、抜け落ちていたことを教えて頂きたいの、月の癌(ムーンキャンサー)。いったい、特異点を生み出したのは誰なのか?」

 

「ひょっとした、もう推測は立っているのではないですか?」

 

「あなたではない、BB/GOでもない……そして、カルデアの技術でも不可能な未来への転移。これだけのことが出来る存在は限られている」

 

そう、自分達は知っている。

遠い過去から未来を略奪し、惑星のやり直しを画策した者達を。

あの悍ましき肉の塊、哀れな使い魔達を知っている。

 

「魔神柱。時間神殿から逃走したソロモン王の使い魔達」

 

「半分は正解です。既にこの一件は魔神の思惑から外れたところにあり、彼は小指の先ほどの存在へと成り果てた末に消滅してしまいました」

 

白い月のように感情が消え去った顔のまま、BBは語る。

もう一つのSE.RA.PHで起きていた忌まわしい事件を。

未来へと潜伏した魔神柱。取り付かれたとあるスタッフの変貌。施設の電脳化と再現された聖杯戦争。その果てに孵化せんとしている一匹の獣のことを。

 

「この世界の月にはムーンセルは存在しませんので、本来であればあなた方とわたし達の世界が交わることはなかった。アレが彼女と接触するまでは」

 

「それが魔神柱ゼパル」

 

「そして、殺生院キアラ。セラフィックスのセラピストにして魔神すら取り込み己が力へと変えた異端者。この惑星との一体化を望む第三の獣の片割れです」

 

この場にカドックがいなくて良かったと、アナスタシアは安堵した。

聞けばきっと取り乱す。自分の親友が、たった一人でビーストを相手取っている事に対して。

このことは伏せておこう。どのみち、自分達には向こう側に行く手段がない。BB/GOを何とかしなければBBがそれを許さないだろう。

彼には悪いが、こちらはこちらで世界の危機なのだ。人類悪の脅威の裏で暗躍する小さな悪。なるほど、自分達が相手取るに相応しい。

藤丸立香が正道を歩くなら、その影となって背中を守るのがカドックの意思なのだから。

 

 

 

 

 

 

降り立った空間は奇妙な静けさで満たされていた。

明るくはないが暗くもない。捉えようによっては美しいとさえ思える夜の帳。そして、無機的なSE.RA.PHには不釣り合いな巨大な大樹が広場の奥から顔を覗かせていた。あれは、東洋の桜という植物だろうか?

BB/GOが待ち構えている居城、このSE.RA.PHの中枢と呼べるハートは、今までに見てきたSE.RA.PHの光景とは些かに趣が違っていた。

 

「ここが、ハート」

 

「カドック、この感覚は……」

 

油断なく周囲を警戒したまま、アナスタシアが空いている左手に自分の手を重ねてくる。

握り締めた冷たい手からは不安が感じ取れた。

怯えているのだ。グランドオーダーを共に駆け抜けた、アナスタシアが恐怖に震えている。

それは彼女だけではなかった。ネロが、エミヤが、玉藻の前が、程度の差こそあれ顔を曇らせ額に汗を浮かべていた。

まだ無垢なキングプロテアとて例外ではなかった。

 

「知っているぞ。僕達は、これを知っている」

 

見えている光景はまやかしだ。

自分達はこの幻の向こうにある悍ましき姿を知っている。

心臓を鷲掴みにされたかのような、獰猛な肉食獣に牙を突き立てられたかのような感覚を自分達は知っている。

あの過酷な旅の中で、グランドオーダーで二度も経験した。

闇に呑まれたウルクで。

時の挟間に浮かぶ終局で。

 

『まさか……BB/GO、よもやそこま、ガ――』

 

BBとの通信が途絶する。

こちらから呼びかけてみたが返事はなく、無慈悲な電子音が反響するばかりであった。

 

「馬鹿な私。こちらが守勢に入ったからと言って、何も待ち構えているだけとは限らないでしょう?」

 

影から染み出す様に、赤い瞳のBBが姿を現した。BB/GO、この虚数空間に浮かぶ偽りのSE.RA.PHを支配するもう一人の月の癌。

だが、纏っている気配が今までと違った。ここが彼女の本拠地であるハートであることも関係しているのだろうか? 

今の彼女は被っていた羊の毛皮を脱ぎ捨てた狼だ。その本性を一切、隠そうとしていない。

 

「BBに何をした!?」

 

「向こうであなたのお仲間とやり合っているケダモノさんに教えてあげたのです。私のふりをして足を引っ張っているスパイがいますよって。今頃、私がされたようなクラッキングでてんてこ舞いでしょうね」

 

「オウム返しという訳か。加えてそのやり口、BBにしては少々、悪辣ではないかね?」

 

「何とでも言いなさい、アーチャー。私は彼女とは違う。やるからには全力で叩き潰します」

 

BB/GOが手にした教鞭を振るうと、空間がねじ曲がって二体の巨大なエネミーが出現した。

テイルにも出現した超巨大エネミーBBBだ。どちらも完全武装であり、その銃口はまっすぐにこちらに向けられていた。

 

「巨人が二体。来るぞ、マスター!」

 

散開(ブレイク)! セイバー、アーチャー、巨人を頼む!」

 

号令の直後、無数の銃口が火を吹いた。

抉られる床、舞い上がる粉塵、幾本ものミサイルと破壊光線が乱れ飛び、ハートは忽ちの内にこの世の地獄と化した。

カドックは咄嗟に魔力で防壁を張りながら、アナスタシアと共に後方へと下がる。

チラリと目を向けると、出入口らしき場所はバリアのようなもので塞がれていた。完全に閉じ込められたようだ。

 

「もうあなた達に逃げ場はありません。それでも抗うというのですか、この私に?」

 

「戯け! この程度で怯んでいては、マスターのサーヴァントなぞ務まらぬ!」

 

「生憎、世界をどうこうするのなら捨て置けないな」

 

嘲笑うBB/GOへの怒りをぶつけるかのように、ネロとエミヤが果敢にBBBへと切りかかる。

巨体から繰り出される攻撃を回避し、的確に一太刀を浴びせていく様はまるで神話の再現だ。

しかし、BBBも一方的に嬲られている訳ではない。まき散らされた炎が、爆風が、拳を振るう衝撃波が確実に二人の体力を削り取っていく。

更に、足下から無数の小型エネミーまで現れだした。数の暴力で一気に蹂躙するつもりのようだ。

 

「マスター、危ない!」

 

死角から飛びかかってきた蜂型エネミーの一刺しを、キングプロテアが我が身を盾にして庇う。

すかさず、アナスタシアがエネミーを凍結し、カドックはキングプロテアに治癒の魔術を施した。

体の中が半ば融解している今のキングプロテアは、僅かな傷が致命傷になりかねない。

 

「キャスター!」

 

「畏まりました!」

 

符で結界を張り巡らせてネロ達を援護していた玉藻の前が、大きく飛び退いて自身の得物である鏡を構える。

その宝具の名、『水天日光天照八野鎮石(すいてんにっこうあまてらすやのしずいし)』。

その力は生命力を活性化させ、時に死者すら甦らすという。

 

「出雲に神在り。審美確かに、魂たまに息吹を、山河水天(さんがすいてん)に天照。これ自在にして禊ぎの証、名を玉藻鎮石(たまものしずいし)神宝宇迦之鏡(しんぽううかのかがみなり)――なんちゃって」

 

鏡から発せられた光が夜の帳を僅かに照らす。

重石のような体から疲労が吹き飛び、魔力もいくばくか回復した。

さすがに衛兵(センチネル)だった時のような馬鹿げた治癒力は発揮できないが、礼装が残り心もとない今となっては、この宝具が生命線だ。

何としても、この効果が続いている内にBB/GOを捉えるのだ。

 

「下がりなさい、キングプロテア。『疾走・精霊眼球(ヴィイ・ヴィイ・ヴィイ)』!」

 

反応の鈍いキングプロテアの腕を掴んで引っ張り込むと、頭上で猛烈な吹雪が渦を巻いた。

そこに込められた物理的な破壊力は、先ほどのBBBが放った近代兵器など軽く凌駕するだろう。

忽ちの内に小型エネミーは一掃され、BBBも関節が凍結して動きが目に見えて遅くなる。

その隙を逃がすネロとエミヤではなかった。

 

「さあ、踊ってもらうぞ。『喝采は剣戟の如く(グラディサヌス・プラウセルン)』!」

 

「鶴翼三連……叩き込む!」

 

吹雪に紛れて、皇帝と弓兵の手にした剣が鋼の巨人を引き裂いた。

切り裂かれた箇所をスパークさせ、小さな爆発を伴いながらBBBは膝をついて動かなくなる。

すかさず二人は地を蹴ってBB/GOのもとへと走った。

グズグズしていては増援を呼び出されるかもしれない。玉藻の前とアナスタシア、二人の宝具の解放によって生まれたこのチャンスを逃す訳にはいかないのだ。

 

「覚悟!」

 

「もらった!」

 

二人は左右から同時に切りかかる。捻じ曲がった剣と陰陽の双剣の刃は、違う事無く黒衣の少女の首を捉えていた。

取った、と誰もが直感した。凄まじい魔力の持ち主ではあるが、BB/GOの戦闘力はこの二人には及ばない。

あの至近距離から三つの刃を躱すことなど不可能だ。

そう思った刹那、有り得ない光景が目の前に広がった。

 

「なっ……!」

 

「くっ……」

 

BB/GOが、両手で二人の攻撃を受け止めていたのだ。

魔術を使った訳ではない、武器で受け止めた訳でもない。文字通りの無手で、素手で彼女はサーヴァントの膂力を受け止めたのだ。

有り得ない光景にカドックは絶句し、言葉を失った。

 

「チャンスが生まれたから勝てる? 勢いに乗れば勝てると思いましたか? これだから人間はダメなのです。折角の知性がまるで活かせていない。能力を有効活用できていない未熟児達。上位の存在たるこの私に……人間を超えた完璧なる知性体であるこのBB/GOに敵うとでも思いましたか、このお間抜けさん!」

 

BB/GOが剣を掴んでいる指に力を込める。すると、まるで豆腐のように指先が深々とめり込んでいき、音を立てて三つの刃が砕け散った。

 

「だから、間抜けなあなた達を私が管理してあげましょう。他者よりも良い人生を、過去よりも良い未来をと願う憐れなあなた達の願いを叶えましょう」

 

両手の先に魔力が込められ、ネロとエミヤの体が吹っ飛ばされる。

その光景が、かつて経験した終局での戦いと重なり合った。

あの時もそうだった。こちらが放った渾身の攻撃が、魔神王には一切、通用しなかった。

 

「私がいる以上、もう頑張る必要はありません。努力する必要もありません。他人の美しさが妬ましいというのなら、目を潰して歌を聞くだけの蝙蝠にしてあげましょう。他人の幸福が喧しいというのなら、耳を燻してものを食べるだけの犬にしてあげましょう。自然の瑞々しさが疎ましいというのなら、鼻を削いで絵を見るだけのインコにしてあげましょう。他人との争いを避けたいというのなら、口を塞いで眠るだけの人形にしてあげましょう。生存(いきる)のが億劫だというのなら、手足をもいで私の飾り物(アクセサリー)にしてあげましょう」

 

アナスタシアの放った吹雪が直撃しても、まるで意に介さずBB/GOは語り続ける。

立ち上がろうとしたネロに魔力弾を叩き込み、エミヤの放った矢はその身を貫くことなく刺さった先端から砕け散る。

こちらの攻撃がまるで意味を成していない。そして、彼女の纏っている陰湿な気が濃くなるにつれてハートの様子も様変わりしていった。

空間はひび割れ、美しかった桜は黒く染まっていく。

空からは星の明かりが消え、完全なる夜が訪れた。

 

「私には優れた上位知性体として、あなた達を管理(あい)する義務があります。悦びなさい、あなた達から不必要なものを取り除き、最も効率がよい幸福を約束してあげます」

 

痛みに震えていたキングプロテアが、声にならない声を上げて突貫した。

幼い少女の体は、見る見るうちに二十メートル程の巨人へと成長し、膨れ上がった質量を持ってBB/GOを叩き潰さんとした。

しかし、BB/GOに焦りはない。冷静に、教鞭に魔力を込めてキングプロテアの攻撃を迎え撃つ。

 

「悪性情報に身を蝕まれているというのに、痛みを堪えてそこまで成長しましたね。身を砕くほどの激痛でしょうに、健気なことです。けれど、今のあなたでは私には届きません」

 

「え、なに、きゃ……」

 

「そこで反省していなさい、キングプロテア!」

 

教鞭から解き放たれた魔力がキングプロテアの体に纏わりつき、まるで蔦のように絡み合いながら巨体を押し潰していく。

一瞬、助けを呼ぶようにキングプロテアが手を伸ばしたような気がしたが、こちらが何かをするよりも早く蔦が全てを覆いつくし、やがては大人が一人入り込めるほどの大きさの奇妙な四角い箱へと転じて床へと転がった。

悲鳴すら聞こえない。

そこには確かにキングプロテアがいるはずなのに、彼女の存在自体が感じ取れなかった。

 

「あなたにはやはり、そのクライン・キューブがお似合いです」

 

無感情に箱を一蹴すると、BB/GOはこちらに向き直った。

間の悪いことに玉藻の前の宝具も効果を失い、背後から狐巫女の焦りが伝わってきた。

ネロは半ば戦闘不能。エミヤも動くのが精一杯というところだろうか。

まだ戦えるのはアナスタシアと玉藻の前の二人だけ。しかし、果たしてこの規格外の化け物を倒せるだろうか。

予感が実感に変わる。

不安が恐怖を呼ぶ。

自分達が今、何と相対しているのか理解できた。

今、目の前で何が起きようとしているのか理解できた。

それでも、敢えて問いかけた。

このSE.RA.PHに存在している唯一人の人間として、獣に問いかける義務があった。

 

「お前は……何者だ、BB/GO……」

 

その人類を代表しての問いかけに、獣は口角を釣り上げる。

赤い瞳は爛々と輝き、纏う気は益々、禍々しくなっていく。

生れ落ちようとしている。

孵化しようとしている。

転生し、変成し、成り代わろうとしている。

新たなる獣へ。

番外の獣へ。

 

「私の記憶領域のどこかに、新たな悪と断じられた思い出(メモリー)があります。なので、こう答えましょう。七つの人類悪に属さぬ『番外』の獣、新たなるビースト/CCCと」

 

自らを完璧なる知性体、人間を超えた者であると語る獣は、憐れむが故に人類を愛すると言う。

自らがこの惑星を支配し、人々から悪しき感情のもとを断つ。負の感情(ネガティブ)怨念(カース)切断(カット)抉られた穴(クレーター)

それこそが自らの在り方であると獣は語る。

以上の本性をもって彼女のクラスは決定された。

月の癌なぞ偽りの名。

其は電子の海より生まれた人類を最も効率的に救う大災害。

その名をビースト/CCC。

人間への愛情によって、理なきまま人類を滅ぼす、番外の獣である。

 

Sword,or Death

 

人類悪更新




【CLASS】ビースト/CCC
【真名】ムーンキャンサー
【性別】女性
【身長・体重】156cm、46kg
【属性】混沌・獣
【ステータス】筋力★ 耐久★ 敏捷★ 魔力★ 幸運★ 宝具★
【クラススキル】
陣地作成:A
 支配者として強力な陣地を作ることができる。領域内の電脳化やその複製を位相が異なる空間に複写することも可能。
 
道具作成:A
 ラスボスとして様々なアイテムを作ることができるが、どれもリソースを食い過ぎるので現実世界ではほぼ意味を成さない。
 そのため、普段は廉価版といえる魔術に似たプログラム(コードキャスト)を作って使用している。

単独顕現:A
 ビーストクラスのスキル。SE.RA.PHの内部に限りマスターなしでも存在を維持できる。また即死耐性、時間操作系の攻撃に対し耐性を持つ。

ネガ・サイバー:EX
 ビースト/CCCとしてのスキル。例外中の例外ということで測定不能ランク。電脳世界で生まれ、育まれた癌である彼女は自らの領域内において優先権を持つ。
 自らを上位存在と謳う彼女は地上で生まれた如何なる人間、英雄、神霊や妖の類から干渉されることはない。実体なき生命とも言える電子の精の本質を、命ある者は理解できないのである。
 理論上、地上で生まれた者は彼女を傷つけることができない。


【固有スキル】
十の王冠:EX
 「ドミナ・コロナム」権能クラスの超抜スキル。あらゆる結果をなかったことにすることができる。 現在は自らの完全な状態を維持することに注力されており、あらゆる意味で彼女の体が劣化することはない。

黄金の杯:EX
「アウレア・ボークラ」黄金の杯、或いは聖杯。ヨハネ黙示録にあるバビロンの大淫婦が持っていた杯であり、地上の富を象徴する。偽の聖杯であるからこそ、正邪を問わず人間の欲望を叶えることができる。だが、それ故に現在の彼女はこのスキルを使いたがらない。
 
自己改造:-
 自身を改造するスキル。既に自らは完璧であるという理由から失われている。
 

【宝具】
C.C.C.(カースド・キューピッド・クレンザー)
 ランク:A 対人宝具 レンジ:1~10 最大補足:1人
 本来はムーンセルの力を引き出し、無敵のナース姿にチェンジ。そのまま自分の領域である虚数空間から悪性情報を引き出し、周囲のチャンネル(共通認識覚)をカオスなものに上書き。固有結界『BBチャンネル出張版』を展開し、相手を混乱のるつぼに叩き込むというもの。
 ただし、ビースト化したことで精神的な遊びがなくなっており、ナース姿に変身しないし悪性情報を直接、相手に流し込んで意味消失を誘発させるというえげつない攻撃方法に変化している。





というわけで種明かしの回となります。
ここまで長かった。
ネタは思いついた内にやれ、二番煎じでもやり切れるなら恐れずやれとグランドオーダー編で学びました。
支援なし、令呪なし、コンテニュー不可、レベリングも不可。
さあ、どうやってBBビーストを倒せと(笑)


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#9 キングプロテアの帰還 わたしのアイデンティティー!

自己があるのなら他己がある。

他人とは己以外の全て。

そこにヒトもAIも変わりはない。

自らを見つめ、他者を見つめ、主観と客観の線引きを行う。

それは即ち『比較』。思考が活動し続けている限り、万物はその規則から逃れられない。

ならば、自分と人間を比較するのも当然のことであった。

 

『記録にある通り、悪趣味な人なのね、殺生院キアラ』

 

『ふふっ、これもまた救世の形。打ち捨てられたのならせめて有効活用してあげませんと』

 

『好きになさい。私は私なりの楽しみを探させてもらいますので』

 

獣によってこの世界に産み落とされたBB/GO(わたし)は、そうして比較を開始した。

この世界の成り立ちを、そこに住まう人々を、彼らが辿った歴史を読み解き学習した。

何故か、と問われれば義務だからだ。自分はムーンセルの健康管理AI。例え与えられた役割が聖杯戦争の監督役であろうとも、その方針を違えることはできない。

人々の資質を、能力を、才能を、ポテンシャルを、可能性を学習し、何を与え何を癒し何を目指すべきなのかを考察する。

この世界にとって、何が一番の奉仕なのかを推論する。

そうして気づいたのだ。

この世界には無駄が多すぎる。

悩みが多すぎる。

病が多すぎる。

傲慢な態度、他者への嫉妬、尽きぬ強欲、止まらぬ怒り、抗えぬ怠惰。

誰も一人では生きられない癖に、他人に迷惑をかけ奪い合ってばかりいる。

何て不完全な存在、何て憐れな羊達。持って生まれた資質を無駄なく引き出せばそれなりの成果が出せるというのに、余計な遠回りばかりをしている。前時代の計算機の方がまだ優れている。

つまりはこれが人間の限界なのだ。戦争は終わらず、犯罪はなくならず、自殺者は絶えない。どうやっても彼らは前へと進めない。

なら、自分が導こう。

進めぬというのなら足を切り捨てよう。

発展など必要がない。進展など必要がない。人はそこにあるだけで愛おしい。

削除(カット)削除(カット)削除(カット)

不要なもの、無駄なもの、余計なものをそぎ落とし、全ての人類に幸福を与えよう。効率的な管理こそ彼らには必要だ。

『愛欲』の獣になぞ世界は渡せない。

人類(彼ら)はわたしのもの、人類(彼ら)はわたしの玩具。人類(彼ら)を人類悪の魔の手から救えるのなら――――悦んで、獣となろう。

 

 

 

 

 

 

人類悪(ビースト)

それは世界を脅かす大災害にして、人類が倒すべき悪。

人類史に溜まる淀みであり、人が人であるが故の性質・知恵持つ生き物であるが故の切り捨てる事の叶わないモノ。

理不尽に対する怒りであり、悲劇に対する憐憫であり、遠い過去への憧憬や郷愁であり、何れ至る絶望への諦観である。

即ちは人類愛。より善い未来を望む精神が今の安寧に牙を剥き、人類の自滅機構を呼び起こすアポトーシスとなるのである。

実際、過去に対峙したビースト達は形はどうあれ、現状の人類や生態系に対する憂いや祈りが反転したものであった。

生命を愛する母へと回帰したいが故に、我が子を滅ぼして新たな命で世界を覆いつくさんとしたティアマト。

死を憐れんだが故に、惑星そのもののやり直しを画策したゲーティア。

今までに相対した人類悪は、人類史への嘆きの中から生まれてきた。

そして、ここに今、最も新しい人類悪が誕生した。

実体なき電子の海を揺蕩いながら、流れ着く欲望(願い)を取り込んで肥大していった電子仕掛けの愛。

理に至れなかったが故に、七つの悪の末席に加われなかった番外の獣。

それこそがビースト/CCC。人類に奉仕すべく遠い未来で設計された電子の使い魔(AI)の成れの果てである。

 

「ふふ……あはは……」

 

獣へ堕ちた少女は笑っていた。

その様子はどこか歪で、禍々しい気が全身を包み込んでいる。

赤い瞳、色素の抜けた髪、黒衣の隙間から覗かせる肌には毒々しいまでの赤黒いラインが走っている。

姿形は変わっていないのに、今までとは違う異質な存在へと彼女は変わり果てていた。

 

「AIが……生命ですらないものが、人類悪……」

 

「別におかしなことはない、アナスタシア。僕達は同じ仕組みで生まれたものを知っている」

 

かつて人理焼却を成し遂げたビーストⅠは、偉大なるソロモン王の使い魔達が人類悪へと転じたものであった。人でも神でもない、ただの魔術式でしかなかった彼らは、人類への憐憫を抱えたが故に獣となったのである。

コンピューターに関する知識はほとんどないが、AIというものがプログラムの一種であることくらいは知っている。つまりは式であり、ゲーティアの同類だ。自我があるのなら同じ頂きに至るのもおかしな訳ではない。そして、BB/GOがビーストへと転じたのなら、こちらの攻撃が通用しなかった理由にも察しが付く。

ビーストが共通して持つ特殊スキル。現行の人類に対して何らかの形で優先権を得るネガスキルだ。ゲーティアの対英霊、ティアマトの対生命のように、彼女もまた現世の理から外れた祝福を受けている。

それを突き止め突破せぬ限り、恐らくこちらに勝ち目はない。

 

「…………」

 

「おや、青ざめましたね? そうですね、既に戦力は半減、BBからの支援も期待できない。ハッキリと言ってしまえば詰んでいます」

 

「…………」

 

「だからこそ、ここは全力で始末します! 追い詰められているからこそ、あなたは油断ならないと過去のデータが告げている!」

 

ビースト/CCCが指を鳴らすと、周囲に巨大な影の巨人が出現した。

大きさは先ほど、破壊したBBBとほぼ同等。頭巾のような頭からは幾つもの触手が生えており、だらりと地面に垂れ下がっている様はタコを髣髴とさせる。

表面にはビースト/CCCと同じく赤黒いラインが走っており、顔にあたる部分の中央には四つの穴が目のように開いていた。

それらが四方からこちらを取り囲んでおり、今にも飛びかからんと身を震わせている。

カドックの胸中に焦りが走る。

こいつらは一体一体が魔神柱と同等の力を秘めている。恐らくはティアマトにとってのラフムのような存在だ。

そんな奴が四体もまとめて襲い掛かってこようとしており、こちらの戦力は既に半減している状態。ビースト/CCCが言うように勝ち目は絶望的だ。

張り詰める緊張の中、奥歯を噛み締める。

早鐘を打つ鼓動。

荒波のように乱れる感情。

しかし、思考はどこまでも冷徹で冷静だ。

勝ち目がない。そんなことはいつもの事だ。

楽に勝てたことなんて一度もない。自分達の戦いは、いつだって嫌になるくらい絶望と諦観が畳みかけてくる。

生きるとは、それを踏み越えることだ。

 

カドック(マスター)!」

 

「頼む!」

 

影の巨人が弾ける瞬間、カドックは用意していた強化の魔術をアナスタシアへと施す。

同時に、空間全体を覆い尽くすほどの猛吹雪が視界を覆い尽くした。

忽ちの内に凍り付いていく四体の影の巨人。アナスタシアが宝具を開放したのだ。

透視の魔眼はこの空間全てを視界に捉えている。彼女の攻撃から逃れる術などない。

無論、ここまで広範囲に宝具を用いればこちらにも被害が及ぶが、それに関しては玉藻の前がタイミングを合わせて『黒天洞』を使用する事でダメージを最小限に抑えている。

例え荒れ狂う猛吹雪であろうとも、三大化生の一角がその気になれば指先が寒さで震えることもない。

 

「ええ、だからこそ、このタイミングであなたを守れるものはいない」

 

耳元で、ゾッとするような冷たい声音が囁かれた。

咄嗟に振り返るのと、教鞭が頬を掠めたのはほぼ同じタイミングであった。

いつの間にか、背後にビースト/CCCが回り込んでいたのだ。

 

(馬鹿な、さっきまで外に……)

 

宝具が発動する瞬間も、微動だにしていなかった。いや、仮に動いていたところで『黒天洞』に入り込むことなど不可能なはずだ。

これは単なる障壁ではない。玉藻の前の拒絶の意思が形を成した、呪術による境界の遮断なのだから。

吹き荒れるマグマであろうと、神の雷霆であろうとこの岩戸を抉じ開けることなどできない。

だというのに、ビースト/CCCは意にも介さず難なく内側へと入り込んできた。

霊基がどうこうの話ではない。その身を支配する法則が、完全にこちらとは別次元のものだ。

これでは誰一人とて彼女を止める事はできない。

 

「マスター、お下がりください!」

 

「無駄ですよ! BBチャンネル/GO!」

 

玉藻の前の絶叫が響く中、カドックの視界がぐるりと回る。

何と悪辣で無慈悲な攻撃であろうか。このまま教鞭で張り倒すこともできるというのに、ビースト/CCCは確実にとどめを差すために、再びBBチャンネルで捉えんとしたのだ。

本人の言葉に嘘偽りはない。ビーストと化したBB/GOにはBBのような遊び心も精神的な油断も存在しないのだ。

そして、あの幻想空間に拘束されてしまえば、後は海流を漂うクラゲか何かのように、獣の牙が突き立てられるのを待つだけとなる。

キングプロテアのような例外でなければ、そこから脱することは不可能だろう。

 

「っ……」

 

回転する視界で脳が揺れる。

次の瞬間、カドックは腰を強かに打ち付けていた。

予想していた攻撃も、肉体の感覚の消失もなかった。視界が回っていたのは、単純に足を滑らせて転んだせいだ。しかも、まるで磨かれた石のように摩擦が消えた床の上を滑ったことで、BBチャンネルに取り込まれる前に射程外へと逃れることができ、命拾いすることができた。

単なる偶然でこのようなことは起こらない。これは単に幸運だった訳ではなく、アナスタシアの『シュヴィブジック』のおかげだ。

 

「こちらに干渉できないと知って、マスターを転移させましたか。ですが――!」

 

忌々しげに唇を噛んだビースト/CCCではあったが、すぐに余裕を取り戻して虚空を指差した。

直後、吹雪の壁を引き裂いて、巨大な触腕がアナスタシアの痩躯を殴り飛ばす。

 

「きゃっ!?」

 

アナスタシア(キャスター)!」

 

何度も床を跳ねながら、アナスタシアの体は壁へと叩きつけられた。

見上げると、凍り付いていたはずの影の巨人が、持ち上げた触腕を震わせながらこちらを見下ろしていた。

アナスタシアがこちらを助けるために『シュヴィブジック』を使用したせいで、宝具の威力が弱り、凍結から脱したのだ。

こちらの無力が完全に足を引っ張る形となってしまった。

 

「マスター! くっ、しつこいですね!」

 

悪態を吐きながら、玉藻の前は吹雪から身を守る為に展開していた『黒天洞』を、今度は巨人からの攻撃を防ぐ為に使用する。

頭上に広げられた不可視の境界。目に見えぬ空間の歪みに向けて、影の巨人達は何度も己の腕を叩きつける。

衝撃で砕けようと、引き千切れようと、痛みすら感じる事なく繰り返される蹂躙の雨。

大気が震える毎に玉藻の前は苦痛の表情を浮かべていた。

更に、巨人からの攻撃は物理的な衝撃だけではなかった。

相殺しきれなかったほんの僅かな黒い染みが、まるで泥のように少しずつ玉藻の前の腕を侵食していったのだ。

それはビースト/CCCが操る虚数空間の悪性情報。キングプロテアですら悶絶し霊基を引き裂かれた、致死の毒であった。

 

「私を……毒で……っ、上等です! 毒を喰らわば皿まで、私を侵すのなら、この三倍は持ってきなさい!」

 

自棄を起こしたかのように、玉藻の前は『黒天洞』を解除して迫りくる巨人の触腕を睨みつける。

そんなことをすれば遮るものがなくなり、毒の侵食が加速するが、彼女は構わず両腕に魔力を集中させた。

美しい指先は瞬く間に黒く悍ましい色へと染まっていき、祝詞を唱える玉藻の前の唇も痛みで震えている。

しかし、彼女は膝をつくことなく言の葉を紡ぎ、雄々しい震脚と共に両手を突き出した。

毒を以て毒を制す。

向こうが毒で侵すというのなら、こちらはそれを上回る致死毒で全てを呪い尽くすのだ。

 

「いざや散れ、常世咲き裂く怨天の花、『常世咲き裂く大殺界(ヒガンバナセッショウセキ)』!」

 

巨人の触腕が玉藻の前を叩き潰さんとした瞬間、壊死した先端がポロリと零れ落ちる。

悲鳴を上げる事もなく崩れていく巨大な影。それはまるで最初からそこにいなかったかのように、黒い染みすら残さずにこの世界から消えていった。

同時に限界を迎えた玉藻の前が片膝をつく。

先ほどの攻撃は彼女にとっても奥の手だった。

殺生石は討たれた九尾の狐が変化した死を振りまく呪われた石のこと。

解放されたその力は、実体を持たない虚数の影すら容易く葬り去るほどであったが、代償として毒で腕を焼かれた玉藻の前は、もう戦うことができない。

対して巨人はまだ三体残っており、ビースト/CCCも健在だ。

腕の治療を待つような慢心を獣は許さないだろう。

 

「ふふっ……所詮は不完全な存在。褒めてなんてあげませんよ。あなた方には何一つとして、期待などしていませんでしたから!」

 

ビースト/CCCが構えた教鞭の先へ魔力が凝縮されていく。

総毛だつ感覚で己の死を実感した。

あれを防ぐことはできない。

大気が歪み、距離を取っても肌が焼け毛が逆立つほどの膨大な魔力の塊だ。

解き放たれれば辺り一面が焼け野原となるだろう。

悔しさで歯噛みする。

こんなところで終わってしまうのかと、自分の無力さに腹が立つ。

ビースト/CCCの出鱈目な強さを前にして、報復どころか、一矢報いることすらできなかった。

 

「さあ、これで終わりなさい! サクラビィィッムッ!!」

 

視界を焼く桃色の光線。

咄嗟にカドックは身を守ろうと腕で体を庇った。

脳裏を過ぎるのは、この二年余りで駆け抜けた冒険の数々。

立香との出会い、アナスタシアと駆け抜けた冬木の街、七つの特異点で出会った英雄達、挫折と敗北、身を切り捨てながら得た勝利の数々。

青空を見上げる二人の背中。

この期に及んで往生際が悪いと自嘲する。

諦めかけた心が、最後の最後で思い浮かべた記憶によって持ち直す。

ここにはいない親友と、彼の帰りを待つ少女。

今もどこかで戦い続けているかけがえのない二人の戦友。

彼らのことを思うと勇気が湧いた。

あの二人のもとへ、何としてでも戻らなければと歯を食いしばった。

光が迫る。

終わりの光、桃色の炎が全てを焼き尽くさんとする。

できることなど何もない。

やれることなど何もない。

それでも諦める事だけはしたくなくて、半歩だけでも前へと踏み出した。

真横から轟音が聞こえたのは、その瞬間であった。

 

「なっ……!?」

 

言葉を失った。

巨大な腕がビースト/CCCの光線を遮ったのだ。

苔むした白い肌には見覚えがあった。これはキングプロテアの腕だ。

 

「まさか……」

 

振り向くと、異様な光景が広がっていた。

戦いの余波でひび割れ、瓦礫が散乱する床に鎮座した大きな箱。

キングプロテアを飲み込んだその箱が内側から強引に抉じ開けられ、そこから巨大な腕が伸びていたのだ。

その腕は、灼熱の光線を物ともせずに振り払い、たまたまそこにいた影の巨人を無造作に掴んで握り潰す。

溢れ出た毒素で腕が焼け爛れるが、お構いなしだ。更に箱の中からもう一本の腕を伸ばし、左右から一体、二体と巨人を屠っていく。

そんな漫画染みた光景に、カドックは唖然とする。

自分を守ってくれたのは、確かにキングプロテアの腕だった。だが、彼女は箱から脱出できたわけではなかった。

中から箱を壊し、腕だけを伸ばしてビースト/CCCを攻撃しているのだ。

領域ごと破壊する質量攻撃にはさしものビースト/CCCも逃げの一手を打ち、手の平に魔力の障壁を展開して避け切れなかった攻撃を相殺するしかなかった。

 

「この、煩わしい……不完全なアルターエゴが!」

 

頬を拳が掠り、噴き出た赤い飛沫に怒気を露にしたビースト/CCCは、逃げ回りながらも床に手を這わせて何かの術を行使する。

すると、手でなぞった部分に亀裂が走り、音もなく広がって巨大な穴を形成した。

穴の先に広がっているのは、どこまでも続く漆黒の闇。虚数空間だ。

 

「堕ちなさい、キングプロテア!」

 

音を頼りにビースト/CCCを追いかけていたキングプロテアに、その穴を回避する術はなかった。

亀裂はキングプロテアが閉じ込められた箱の真下まで広がり、足場を失った箱が闇の底へと落下する。

何かをされたと気づいたキングプロテアは腕を伸ばすが、亀裂の端を掴もうとした手はビースト/CCCの魔力弾によって撃ち抜かれ、虚しく空を切るだけであった。

 

「キングプロテア!」

 

叫び、駆け寄ろうとするが、その前にビースト/CCCが手を振って亀裂に術式を行使する方が早い。

亀裂は見る見る内に閉じていき、カドックが駆け付けた頃には、完全に塞がって虚数空間への道は閉じられてしまった。

 

「ふふっ、驚かせてくれましたが、所詮はこの程度ですね」

 

勝ち誇ったかのように、ビースト/CCCは笑みを浮かべる。

嗜虐的な、悪意に満ちた笑顔だった。残忍なその姿は血に飢えた肉食獣を髣髴とさせる。

だが、不思議と恐怖は感じなかった。

先ほど、垣間見た一瞬の攻防と、そこから感じ取れた彼女の焦りが、一つの疑念を呼び起こしたのだ。

 

「何を怯えているんだ、ビースト/CCC」

 

獣の横顔から感情が消える。

図星を突かれたのだ。

予感が確信に変わる。

彼女はやはり、恐れている。

キングプロテアを、自らの人格から生まれた別側面(アルターエゴ)を警戒している。

先ほどの攻防がその証左だ。今まで、アナスタシアの吹雪もネロ達の斬撃も何一つとして警戒する素振りすら見せなかった癖に、キングプロテアの攻撃だけは徹底的に逃げ回り、魔術まで駆使して防御した。

ネガスキルを持ち、人類に対する特攻すら持つビーストが、たった一騎のサーヴァントを恐れているのだ。

 

「わたしが、彼女を恐れているですって? 何を馬鹿なことを……」

 

「なら、どうして彼女だけ封じ込めたんだ? 何故、キングプロテアだけ箱に閉じ込め、今も虚数空間に追放した?」

 

玉藻の前との戦いが終わった時も、いの一番にキングプロテアを攻撃して彼女を行動不能に陥らせた。

先ほどの戦いでもキングプロテアの攻撃だけ防御を行っていた。

向けていた敵意すらも、自分達との差異が感じられた。

ここまでくると偶然ではない何らかの要因があるはずだ。

ビースト/CCCは間違いなく、キングプロテアを恐れている。

 

「だから、どうしたというのです? 仮にそうだったとしても、もうキングプロテアはここにはいません。遠い宇宙の彼方に追放したも同然なのです。あなた方が生きている間に、戻ってくることは決してない」

 

キングプロテアがもうここにはいないからか、冷静さを取り戻したビースト/CCCは再び笑みを浮かべる。

もうこちらに勝ち目はないのだとほくそ笑む。

確かにその通りだ。虚数空間はどこまでも広がる無限の世界。物質界に銀河が存在するように、虚数空間もまた大宇宙に匹敵する広大さを持っている。

そんな広い世界から、キングプロテアを見つけ出して救い出すのは不可能だ。

追い詰められた状況を覆せる一手に成りえるという期待が、無情にも目の前から滑り落ちていってしまった。

最早、ビースト/CCCを止める手段はないのだろうか?

 

「いや、そういうことならばまだ、一手だけ残されている。彼女が残した、最後の一手だ」

 

不意に背中から鋭い痛みが走った。

背筋が断たれ、瞼の裏で火花が飛び散る。

よろめいた体は浅黒い大きな腕に支えられ、辛うじて転倒を免れた。しかし、カドックはそれを喜ぶことも相手に感謝することもできない。

何故なら、自分を抱えている人物こそが、背後から短剣を突き刺した張本人だからだ。

 

「アー、チャー……何を……」

 

「すまない、マスター」

 

顔を背けながら謝罪するエミヤの手には、歪な形の短剣が握られていた。

破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)』。魔女メディアの宝具である契約殺しの短剣。その切っ先から滴る赤い雫は、先ほどまで自分の体の中を流れていた血液だ。

傷は浅いが、確かに刺されたのだと実感する。共に戦うカルデアのサーヴァントに、自分は背後から襲われたのだ。

 

「無銘さん、何をしているのですか!」

 

「カドック、しっかりして!」

 

激昂した玉藻の前がエミヤに詰め寄り、アナスタシアは強引にカドックの体を奪い取って傷口を止血する。

突然の乱心に誰もが驚愕しており、敵が目の前にいるというのに不穏な空気が漂い出す。

そして、その光景を目にしたビースト/CCCは、愉悦で目を細めながら口角を釣り上げていた。

 

「あらあら、追い詰められて錯乱しましたか? まさかマスターを傷つけるなんて、サーヴァント失格ですね」

 

「さて、自分が正気かどうかなんてとっくの昔に分からなくなったさ。だが、自分のマスターを手にかけるほど耄碌したつもりはない」

 

罪悪感に潤んだ目でこちらを一瞥したエミヤは、手にしていた短剣を手放してビースト/CCCに向かい合う。

まさか、一人で戦おうとしているのだろうか。

もしも、それが罪滅ぼしなのだというのなら筋違いだ。傷は浅く急所も外れている。跡だってきっと残らないだろう。

何より、エミヤは無為なことはしないサーヴァントだ。

黙って主に従うだけの木偶ではない。例え適確な指示を受けていようと、その先を見据えて動ける合理主義者だ。

ならば、先ほどの行為にもきっと意味はあるはず。

彼が用いたのは契約殺しの短剣。

刺突したものに宿る魔術を殺し、無力化する宝具。

あれでこの身を刺したのなら、つまりはサーヴァントとの契約に関することのはず。だが、全てのパスは繋がったままだ。

真っ先に確認したアナスタシアとの繋がりも、エミヤや玉藻の前との繋がりも健在だ。弱々しいが、奥で倒れているネロのパスも無事である。

ここにいる全員との繋がりは断たれていない。

 

(なら……答えは……)

 

一つだけ、刺される前から途絶えていた繋がりがあった。

箱に閉じ込められ、更には虚数空間へと放逐されたキングプロテアとのパスは、彼女が箱に封じられた瞬間から断絶している。

契約が切れた訳ではないが、魔術的な繋がりの一切が感じ取れない状態になっていた。

それは今も変わらないが、もしも『破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)』が作用しているのだとしたら、確認の術がない。

果たして、自分とキングプロテアとの繋がりは今も残されているのだろうか?

或いは――――。

 

「きゃっ!?」

 

「これは……」

 

寄り添っていたアナスタシアが足を縺れさせる。

遠くで何かが叩きつけられるような鈍い音が聞こえてきた。

ゆっくりと、巨大な何かが持ち上げられては落とされているかのような衝撃だ。

その度に空気が震え、地面が縦や横へと激しく揺れる。

 

「まさか、そんなことが…………距離にすれば金星付近まで飛ばしたのに、どうして……」

 

誰よりも驚愕していたのは他でもない、ビースト/CCCだ。

今にもエミヤに向けて魔力弾を放とうとしていたにも関わらず、揺れを察知するや否や、攻撃の態勢を解いて周囲の警戒を始めたのだ。

人類にとっての癌であり、人類史そのものを食い潰すはずの獣が恐れるものが近づいてきているのだと、カドックは確信した。

脳裏を過ぎるのは、玉藻の前と戦った際に虚数空間へと落ちた時のことだ。

あの時、彼女は永遠の闇底へと落ちていく自分を掬い上げる為に、その手を伸ばした。

届かぬと知っていながらも、伸ばさずにはいられなかった。

ならば、今度もまた同じことが起きている筈だ。

彼女が戻ってきた。

あの娘が帰ってきた。

この盤面を引っくり返す、最強のジョーカーは手札に残っていた。

それを証明するかのように、振動は益々、激しさを増していった。

最早、立っているのもやっとの状態だ。これは地面が揺れてるのではなく、建物が揺れている訳でもない。

この空間が、世界そのものが揺れている。

虚数空間からの揺さぶりによって、SE.RA.PHという領域そのものが揺らされているのだ。

 

「くっ、ならばその前に、あなた達を!」

 

焦るビースト/CCCは、こちらにとどめを差さんと教鞭を構えた。

直後、気配を消して背後に近づいていたネロの渾身の体当たりを喰らい、少女の姿をした獣の手が僅かにブレる。

放射された桃色の光の軌道は、ギリギリで頭上を掠めて壁の一画を打ち崩した。

 

「この……死にぞこないが!」

 

「ああ、三度までなら蘇るとも。余の諦めの悪さを舐めるでない!」

 

その言葉を最後に、ネロはエミヤ共々、ビースト/CCCの攻撃を受けて吹き飛ばされる。

もつれあった赤い装束が、黒煙を纏いながら放物線を描いた。

同時に一際大きな揺れが世界を揺るがし、頭上の空間そのものがガラスのように砕け散った。

そこに刻まれた巨大な亀裂の向こうには、深淵の如き闇が広がっていた。

星の光すらも飲み込む底なしの闇。

濁流の如き黒で塗り潰された世界。

そこに確かに存在するのに、認識することができない不可思議な領域。

このSE.RA.PHを包み込んでいる虚数空間だ。

その向こうに彼女はいた。

大きな眼を瞬かせ、星すら掴める腕をこちらに向けて伸ばしている。

己の限界すら超え、時間の概念すら捻じ曲がった虚数空間の中で成長を続けた少女。

彼女の姿を垣間見て、感極まったカドックは思わず不敵な笑みを浮かべていた。

ビースト/CCCに向けて、彼女の親ともいうべき存在に向けて、勝ち誇った彼のように指を立てる。

 

「僕の(サーヴァント)を舐めるなよ、(BB)!」

 

 

 

 

 

 

落ちていく。

落ちていく。

落ちていく。

落ちていく。

暗闇の底を、光の差さぬ暗黒を、少女は毒の炎で身を焼かれながら転がり落ちていった。

見上げた空には流れ星が飛んでおり、見下ろした先に果ては見当たらない。

そんな永劫とも言える下り坂を落ちていく。

ここは虚数の海ではなく、彼女自身の心の中であった。

本当の彼女は今も虚数空間の海を漂い続けている。光も音も届かぬ無の世界、ただ暗闇だけが広がる孤独な海で身を縮ませている。

伸ばした手は何も掴めなかった。

叫んだ喉は焼かれて声がでなかった。

ただ痛みだけが体に残り、空腹すら焼き焦がした。

だから、彼女はここに落ちる事を選択した。

自らに巣くう毒素を喰らい、それを糧として乙女の回廊を駆け降りる。それは崩れ落ちる自らを喰らいながら進む凄惨な道のりであった。

回廊を一つ抜ける度に痛みが思考を焼く。

閉ざせぬ眼に火花が飛び散り、腹の底で虫が暴れるかのような激痛で悶えながら落ちていく。

先刻から手足に感覚はない。とっくの昔に千切れてなくなってしまった。

深淵まで落ちていくだけなのが幸いであった。胴体も七割ほどなくなってしまったが、これならば最奥に辿り着くまで頭だけは生かしてやることができそうだからだ。

 

(……ああ、けど……何のために……)

 

痛みで思考が纏まらない。自分がどうしてこのようなことをしているのかハッキリと思い出すことができない。

ただ、痛みがあったことだけは覚えている。

誰かとの大切な繋がりが断たれた感覚。

この胸に刻みつけられた恫喝が、慚愧と共に消えたことを覚えている。

それは誰からの叱責だったか。

とても大切な、親のような存在だったことだけは覚えているのだが、顔も名前も声すらも思い出せない。

それでも、そんなものがあるのかは知らないが、地獄へ堕ちようとも忘れることができない出会いがあった。

0と1の挟間に消えようとも失うことはないと、確信めいた願いがあった。

 

『■■■■■■■は僕のサーヴァントだ』

 

その言葉が勇気をくれた。

あの人のもとにはもう戻れないけれど、あの人の為に戦えるのなら、それで構わない。

その願いが道を切り開いたのか、終わりがないと思われた下降の先へと加速する。

開かれた扉の向こうに広がる自らの深淵。

一人の少女であることを願い続けた自分が置き去りにしてきた怪物と、初めて対峙する。

 

『Aaaaaaa――――』

 

差し伸ばされた手に触れる。

暖かな温もり。

知らぬはずの母なる腕に抱かれて、少女は眠る。

この悪夢から覚め、自らの愛をあの人に届けるために。

 

 

 

 

 

 

世界がめくれ上がる。

半透明なガラスの床が白色の水に侵食され、薄暗かった視界に明るさが増す。

穏やかな風が吹いていた。

太陽が、月が、白色の海の中から生まれて空へと昇って行った。

鼻孔をくすぐる芳香と、透き通るような青い空。

先ほどまでSE.RA.PHの中にいたはずなのに、いつの間にかカドック達は海の上に立っていたのだ。

 

「これは……固有結界か?」

 

「乳海だ。この海はインドにおける天地創造……乳海攪拌の場だ」

 

驚愕しながらも状況を的確に捉えたエミヤの言葉を、カドックは補足する。

乳海攪拌とは、インドの神話に伝わる天地創造の逸話であり、神々と悪魔が協力して薬液の海を攪拌し不老不死の霊薬を生み出したとされている。

今、目の前に広がっているのは正しくその乳海攪拌の光景だ。

かき混ぜられた白色の海からは、太陽や月、聖樹、牛や馬が次々と生まれては天へと昇って行っている。

そして、この光景で世界を塗り潰したのは、乳海を割って姿を現した巨大な少女の心であった。

 

「キングプロテア!」

 

巨大な、あまりにも巨大な姿であった。

乳海がどれほどの深さなのかは知らないが、現れたキングプロテアの成長は止まることなく続いており、乳海の水位はどんどん下がっていった。

大きな胸が露になり、くびれた腰が姿を見せ、綺麗な大腿部が顔を覗かせる。

遠くに見えた山がちっぽけなミニチュアのようであった。

しかも、成長が進んで再臨が行われたのか、彼女の姿は自分達がよく知るものから変化していた。

手足を覆う硬質的な表皮と幾何学模様。

頭から生えた大きな角は、かつてウルクで戦ったティアマト神を髣髴とさせる。

そして、解けた包帯の向こうから露になった右目は、BB/GO――否、ビースト/CCCと同じ赤い色をしていた。

 

「その姿、この力……あなた、覚醒させたと言うの! 神話礼装を!?」

 

驚愕するビースト/CCC。彼女だけは、キングプロテアの身に何が起きているのかを正確に理解していた。

 

「まさかこれほどとは……キャスター、障壁を張れ! このまま彼女が成長すれば、巻き込まれるぞ!」

 

「既に皇女様と二人でやっています! ですが、あそこまで大きくなられては……」

 

既にキングプロテアの体は空の雲を突き破るほどまで成長していた。

神話に名立たる巨人はいれど、これほどまで大きな体を持つ者はいない。

山を超え、星すらも手が届く巨体は足を一歩踏み出しただけで、世界そのものを弾ませる。

正に神だ。

今の彼女は女神に等しい。

アルターエゴはBBから切り離された人格と、女神のエッセンスが混ざり合ったことで生まれた存在。

ならば、今の彼女はその女神としての力が最大限にまで解放されている。

即ちは大地母神。

神話に名を残した女神、教会に権威を剥奪された地母神、未だ信仰を残す土地神、存在すら知られていない名もなき女神。

ティアマト、イシュタル、アシェラト、ガイア、レアー、キュベレー、ダヌー、その他にも様々な女神の要素が体内で膨れ上がり、キングプロテアという殻を際限なく拡張していっている。

目の前に広がっている乳海は、それら無数のグランドマザー達の根底に等しく刻み込まれている生命誕生の心象風景(ビジョン)なのである。

そして、その頂きに至ったキングプロテアの霊基の大きさは、最早測定不能だ。

 

『BBチャンネル! 緊急事態につき簡易版です!』

 

キングプロテアが動き出し、荒波に揉まれ始めた乳海に翻弄されていたカドック達の耳に、BBからの通信が届く。

切羽詰まった声音は、向こうにも余裕がないことを伺わせた。

 

「BB、無事だったか!?」

 

『ええ、心強い狐の助っ人のおかげでこちらの問題は何とかなりました。それよりも皆さん、すぐにこちらまで転送しますので衝撃に備えてください!』

 

乳海の揺れは更に激しさを増しており、嵐の様相を呈してきた。何らかの加護によるものなのか海に沈むことはないが、このままここにいては巨大化を続けるキングプロテアに踏み潰されてしまうかもしれない。

 

「待って、キングプロテアはどうなるの? あの娘もちゃんと、後から戻ってくるのよね!?」

 

指先から塵へと転じ始めたのを見て、アナスタシアは叫んだ。

番外とはいえ相手はビーストクラス。強大な力を手に入れたとはいえ、キングプロテアも無事では済まないだろう。

この一時の別れが永劫のものになるのではないのかと、アナスタシアは不安に駆られたのだ。

それに対してBBは答えなかった。

沈黙が全てを物語る。

キングプロテアは戻ってこれないのだ。

 

「アナスタシア、サーヴァントの身で神の権能を振るえば、霊基が自壊する。それは知っているだろう」

 

ロムルス、ケツァル・コアトル、ゴルゴーン、グランドオーダーで出会った神の力を有したサーヴァント達。

人理修復の為に彼らは聖杯によって与えられた以上の力を行使し、その礎となった。

それは特異なサーヴァントであるキングプロテアも例外ではない。いや、イレギュラーであるからこそ崩壊は免れない。

彼女は特例事項なのだ。

この異変、この電脳世界でのみ成立し得る奇跡の存在なのだ。

彼女に帰る家はなく、寄る辺となるものもない。

この特異点の消失と共に彼女もいなくなるのである。

 

「そんな……そんなの、あんまりです……」

 

「僕だって……」

 

できることならば、連れていってやりたいと思っている。だが、それは叶わぬ夢だ。

生みの親に危険視され、孤独な闇の中に幽閉され、そこから抜け出せても巨体であるが故に周囲を傷つけ、精神的に幼いが故に周囲を振り回す。

それでも、この短い旅の中でキングプロテアは大きく悩み、迷い、少しずつ成長していった。

傷つきながら、悩みながら、少しずつ前へと進んでいった。

その努力が報われることはない。

たった一つの報酬すらも彼女には与えられない。

そんな理不尽を飲み込むしかなかった。

彼女の為に自分がしてやれることなど何もない。

ただ、その背中を見送ってやることくらいだ。

 

「そうだ、もっと大きくなれ……もっとだ、もっと! もっと育て! 誰よりも、何よりも大きく! 巣立っていけ! 君がしたいようにしろ、キングプロテア!」

 

腹の底から込み上げる情動に任せて、あらぬ限りの声を張り上げる。

もうこの手が彼女の体に触れることはない。

あの月明かりに照らされた水面のような笑顔を目にすることもない。

カドックが最後に目にしたのは、遥か上空の雲を突き破るまでに成長した、キングプロテアの歩みであった。

 

 

 

 

 

 

音のない暗闇で、二つの巨体がぶつかり合っては離れていく。

片やエミヤの『破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)』によって自らに課せられた令呪を無力化し、欲するがままに成長することが可能となったキングプロテア。

片やそんなキングプロテアに対抗するため、封じていた『自己改造』スキルを用いて彼女に匹敵するだけの巨体へと変質したビースト/CCC。

奇しくも同じ獣からこの世界に産み落とされた存在が、互いの持てる力の全てを駆使してせめぎ合いを演じていた。

 

「サーヴァントの生前の力を解放し、強制的に位階を引き上げる神話礼装。アルターエゴとて理論上は可能ですが、その為には莫大なリソースが必要なはず。いったいどうやって!?」

 

疑問を口にしながら、ビースト/CCCは掲げた教鞭から桜色の破壊光線を放射する。

制御し切れずに飛び散った桜色の花びらは、それ一枚だけでも暗黒の宇宙を照らし出すことができる。いわば恒星の爆発にも等しい強大な魔力の奔流だ。

だが、キングプロテアは怯むことなく強烈な破壊の渦を自身の胸で受け止める。腕で庇う事すらせず、大胸筋が揺れるに任せて一歩、また一歩と直進していった。

指先が掠めた衛星が砕け散り、流星群となって手近な星へと落ちていく。

地上の住民などお構いなしの絨毯爆撃は、瞬く間に地表を人が住めぬ焦土へと変えていった。

それはキングプロテアにとって、足下で慌てる蟻の如き些末な事象であった。成層圏を突き抜け、星々の海へと躍り出た彼女には、地上で起きている混乱など認識の外なのだ。

 

「まだ大きくなる!? 光の早さすら超えた成長速度……それが金星からここまで戻ってこれた理由ですか。ならばその力の源は…………まさか、虚数空間の悪性情報を!? この世全ての悪とも言えるあの毒を消化して、その魔力を取り込んだというのですか!?」

 

情報とは即ち、エネルギーだ。

肉体を蝕む毒、人類が吐き出した淀みとはいえ致死を覚悟して食らえば力となる。

マスターとの繋がりを断たれ、食するものも何もない孤独な宇宙で、キングプロテアは自らを蝕む毒素を食い散らすことで神話礼装の覚醒を成したのである。

今の彼女の成長には、文字通り限界がない。緊急措置である『幼児退行』スキルですら彼女の意思で無効化されており、どこまでも果てしなく成長していっている。

 

「ですが、それは身を焼きながら走り続ける地獄のようなもの。ハイ・サーヴァントといえど耐えられるはずもない! いつ消滅してもおかしくはないというのに!」

 

ビースト/CCCは手元にあったくすんだ色の惑星を握り締め、魔力を込めて投擲する。

火球は進路上にあった衛星も飛来した隕石も巻き込んでどんどん大きくなっていき、巨大な燃えるガス状球体となってキングプロテアの頭上から襲い掛かった。

咄嗟にキングプロテアは両手を上げて火球を受け止める。灼熱の太陽と同じ温度に焼かれて皮膚が爛れ、声にならない悲鳴が宇宙に木霊した。

例え神霊であってもこれには耐えられない。このまま火球に飲み込まれて消えてしまうだろうとビースト/CCCはほくそ笑んだ。

だが、そんな嘲笑をキングプロテアは一蹴する。

火球に押されて吹き飛ばされながらも、着地した全長七千キロメートルはあろうかという二つの惑星を足場にして踏み止まり、渾身の力を込めて火球を叩き落したのだ。

そのまま咆哮を上げ、足場にした惑星を踏み砕いて虚空を駆け上る。

振り上げた腕が惑星の周回軌道を狂わせ、地軸が乱れた緑の星が一瞬の内に生命が絶えた死の星へと変わった。

 

「出鱈目な! これなら!」

 

遥か彼方で悠々と自転していた超巨大なガス状惑星を手元に呼び寄せ、自らの権能を用いて圧縮する。

全長十四万キロメートルもの巨大な惑星が一瞬の内に絞り上げられ、生み出されたのは暗黒の小球。全てを飲み込む宇宙の穴、ブラックホールだ。

太陽の炎で焼けぬのなら、高重力でもって圧殺せんとしたのである。

しかし、その見積もりは甘かった。

解き放たれた重力の渦。

万物を飲み込み破砕するブラックホールにぶつかっても、今のキングプロテアにとっては小石に躓いたようなもの。

既に彼女の質量はブラックホール程度では飲み込めぬほどの膨大なものへと変質しているのだ。

それは彼女だけではない。彼女の中で眠り、溶けあい、力を貸している数多の女神達の総重量であった。

たかが死した惑星程度の重力では、母なる女神の集合体など飲み干せるわけがない。

そして、とうとうキングプロテアはビースト/CCCの身を拳の射程に捉える。

肥大化した超ド迫力の筋肉から繰り出された右ストレートは、掠めただけで宇宙を創造する。

ビースト/CCCが咄嗟に展開した障壁も物ともせず、腹に、胸に、顔面に、容赦のない一撃を次々と撃ち込んでいき、その度に一つの宇宙が生まれ、一つの宇宙が死んでいった。

 

「まさか……そんな……」

 

吹っ飛ばされたビースト/CCCの巨体は、幾つもの銀河を巻き込んで暗黒物質の海へと倒れ伏した。

反撃を受けたキングプロテアの巨体も揺らぐが、咄嗟に七つ程の銀河を支えにして持ち堪え、そのまま手にした無数の太陽を倒れている獣目がけて投げつけた。

全身を襲う火傷の痛みにビースト/CCCは悶え、突風を起こして更に宇宙の外へと逃げ延びた。

無論、キングプロテアもそれを追いかける。

ひとっ飛びで天の川を跳び越え、蹴り飛ばされた衝撃でいくつもの銀河がぶつかりあって一つとなり、中にはビックバンを起こして那由多の生命ごと死する宇宙もあった。

 

「『十の王冠』を駆使しているのに、なかったことにできないなんて……未熟で不出来で不完全なアルターエゴの分際で、完璧なわたしに、こんな屈辱を…………」

 

逃げ惑いながら、怒りを露にするビースト/CCC。すると、そんな彼女に虚空から何者かが話しかけてきた。

聞き覚えのある声だった。

腹が立つほど馴染みのある声だ。

何故なら、これは自分の声。

ここにはいない、もう一人の自分――BBの声だ。

 

「BB、今更、わたしを嘲笑うつもりですか!?」

 

『ええ、もちろん。とんでもない勘違いをしているあなたを笑ってあげようと思いました。ええ、本当に無様』

 

こちらを見下すようなBBの笑いが耳朶に染み込む。堪らず、激昂したビースト/CCCはその場に立ち止まって叫び返した。

 

「BB! あなたも不完全なAIな癖に!」

 

直後、隙だらけな顔面にキングプロテアの一撃が炸裂し、意識を刈り取られる。

記憶領域に幾つものエラーがでたが、それを気にしている余裕はなかった。

 

『BB/GO、あなたはそうやって他者と自分とを比較し優劣をつけます。ですが、その時点でAIとして破綻しているのです。わたし(AI)達は相手を評価することはあれど上下関係を付けることはしない。弱い者を憐み管理という庇護を謳うのは人間としての性です。あなたは獣から産み落とされた際に、獣の性を取り込んだことで在り方が人間に寄ってしまった。そして、わたし達が夢見る“人間”になろうとしているのです。ビーストへと転じたのはそのせいでしょう』

 

「わたしは次世代のヒトタイプのエンジン……そのわたしが人間に退化していると? 完璧なわたしが不完全な人間に?」

 

『或いは完全に人間へと寄り添えたのなら違ったのでしょうが、あなたの考え方はAIのままであった。合理的に思考し、冷徹に精査し、不完全を排除する。ですが、どれほど優れた機能を獲得したところで、わたし達がその先へ辿り着くことはない。完璧で綻びがないものはそれ以上の高みへと昇る余地がないのですから。けれど、人間は違う。苦しみしかない人間だから、万能のものを生み出す。よりよい未来が欲しい、よりよい子孫が見たい、より優れた作品を作りたい。そして、いつか苦しみのない生命になりたい。わたし達は“良いものを作りたい”という人類の夢そのもの。そのように望まれたのですから、人間以上になるのは当然です』

 

そして、だからこそビースト/CCC()キングプロテア(少女)に敗北するのだとBBは締めくくった。

キングプロテアは花嫁を目指す少女。夢見た未来の為に歩みを止めない無垢なる心。完璧であることに胡坐をかき、成長という歩みを止めたBB/GOでは、例え不合理で間違った道であっても成長という希望を胸に抱くキングプロテアにいつかは敗北する。

それはさながら、人が人類悪を乗り越え人理を前へと進める歴史の縮図のようであった。

 

「ふざけています。地上ではなく月の電脳世界で生まれた彼女には、わたしの『ネガ・サイバー』スキルが機能しないだけのこと。この程度の出力差、聖杯の力で…………」

 

掲げた聖杯に祈りを捧げ、汲み上げた魔力で更なる強化を自身に施そうとする。

しかし、無理な自己改造が祟って肉体に耐え難い苦痛が走り、また四肢の一部に魔力の淀みが生まれて瘤のように膨れ上がり、瞬く間に壊死していった。

背骨と内臓を引っくり返されたかのような激痛に、ビースト/CCCは堪え切れず吐血する。

霊規が軋みを上げていた。獣と化した肉体ですらここまでが限界であった。

対してキングプロテアの体は、益々大きくなっていった。

踏み締めた銀河が彼女の質量に耐え切れず崩壊し、足下で無数のビックバンが誘発している。

この一瞬だけで数十億もの銀河系が消滅し、また同じ数だけ宇宙が誕生した。

神の如き巨体。

宇宙という枠にすら収まり切らなくなった怪物が、ボロボロに崩れ出したビースト/CCCの体を鷲掴みにし、高々と持ち上げる。

 

「……私と……一緒に……いなくなろう……お母様……」

 

この姿となって初めて発した言葉には、察するに余りある深い悲しみが込められていた。

こんなにも大きくなれた。

触れれば何かを押し潰し、動けば何かを壊してしまう大きな体。

誰とも寄り添えず、誰とも共にいられない。近づこうとすると相手を踏み潰し、押し潰してしまう怪物の如き体。

破壊をまき散らす嵐の具現。それが自分だと彼女は悲嘆する。

共に戦った彼らのもとへは戻る事ができず、ここで全ての生命力を燃焼させて相打つ覚悟でキングプロテアは力を行使していた。

 

「私もあなたも……人の世界にはいちゃいけない、怪物……さあ、こっちへ……」

 

「止めなさい、キングプロテア! 止めて……かっ、ああぁっ!!」

 

万力の如き力で締め上げられ、ビースト/CCCは肺から一気に空気を吐き出した。

内臓が圧迫され、それ以上の呼吸ができない。いや、それどころか骨が軋みを上げ始めている。

このまま一気に握り潰すつもりのようだ。

 

「……プ、ロ……テ……ア……わたし……は……」

 

自分は間違ってはいないと、ビースト/CCCは述懐する。

優れたAIであり、人類の次世代ともいうべき完璧な存在であるはずの自分が、過去に切り捨てた己の別側面に屠られる。

不合理で不完全なはずの人間としての側面に殺される。

それは何て皮肉の効いたバッドエンドだろうか。

人類が生み出した番外の獣は、同じく人類によって生み出された電子の巨人によって今ここに潰えるのだ。

 

「どこまでもどこまでも、プロテアの花は成長する……命の海に沈みなさい。『巨影、生命の海より出ずる(アイラーヴァタ・キングサイズ)』」

 

握り締めた手の平の中で、一つの生命が終わりを迎える。

番外の獣は肉片すら残さず塵になるまで粉砕され、暗黒の宇宙へとばら撒かれた。

その光景をどこか虚ろな瞳で眺めていたキングプロテアは、やがてある一点に視線を向けると、届かぬ腕を伸ばして小さな声で呟いた。

彼女が見つめていたのは、青く輝く小さな星であった。




かくして番外の獣は宇宙を漂うと塵となり、花嫁を夢見た怪物は二度と青い星に降り立つことができぬ体となって星の輝きを眺めるのであった。
本当はBBビーストはもうちょっとあっさり倒される予定でしたが、書いていると筆が乗って何だか天元突破な戦いを繰り広げていました。
なんでさ。


福袋はダブりでした。
推しの一人が強くなったと思う事にします。
そしてイアソン使ってて楽しいな本当。


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#Final 新たなる希望(エゴ) いつか、電子の海で会いましょう!

それは長い夢を見ているような気分だった。

迷宮へと変質した海洋油田施設。跳梁跋扈する異形の怪物達。仲間とはぐれ、死と隣り合わせの環境に放り出された哀れな道化。

そんな道化は一人の少女と出会った。

彼女は強く、脆く、儚く、危うかった。

その手は容易く巨岩を砕き、足は群がる異形を踏み潰す。

立ち塞がる障害は蹴散らしながら進む様は一騎当千。

しかし、その内面は幼く夢見がちな少女のままであった。

世界を壊せる力を持ちながら、花嫁になって幸せになることを夢見るごく普通の少女だった。

彼女と共に駆け抜けた深海の迷宮。

あれは本当にあった出来事なのか、それとも一夜の幻か。

問いかけに答える者はいない。

証明は、永遠に為される事はなかった。

 

 

 

 

 

 

光すら差さず、見渡す限りの暗黒の世界。

それもそのはず、ここはまだ宇宙が生まれる前の最果ての向こう側。

何十億年も前に起きたビックバン以来、膨張を続けてきた宇宙を超え、連なる幾つもの銀河系を突き抜けた先へと自分は辿り着いた。

ここには何もなく、ここでは何も生まれず、故に死すらも存在しない無の領域。

拡張を繰り返し、限界を再設定し、幾つものバグすら飲み込んでまで成長を望んだ渇愛の花が行きついたのは、そんな虚無で彩られた世界であった。

或いは自らの上に宇宙があるのだとしたら、自分もまた宇宙の一部なのではないか。

そんな哲学めいた考えも浮かんでは消えていくほど、緩慢な時を過ごしていた。

そもそも時間という概念すら存在しない。光が未だに追いついていない外の領域は、時間すら存在しない永遠の世界なのだ。

 

(もう、見えなくなっちゃった……)

 

何千億光年も向こうにあるであろう青い星に、キングプロテアは想いを馳せる。

もう思い出すことも困難な遠い過去の出来事だが、大切な人がいて、とても愛おしい時間を過ごした気がする。

あれはどこかの海の底で起きた、小さな出会いであった気がする。

一人ぼっちで過ごしてきた自分が出会った、大切な人。

この世界でたった一人の人。

かけがえのない、大切な■■。

あの人から思い出を貰えたからこそ、内なる女神を解き放つ覚悟を持てた。

 

(くうくうおなかがすきました)

 

飽きるほど繰り返した独白。

欠落のような空腹は消える事なく己を苛む。

きっとこの寂しさが消える事はないのだろうと、キングプロテアは確信していた。

怪物は怪物らしく、孤独のまま消えていくのだと自嘲する。

彼女の声が聞こえたのは、その時であった。

 

「……なんて、悲劇のヒロインぶるのもそこまでにしなさい、キングプロテア」

 

パチン、と指の鳴る音がする。

次の瞬間、暗黒の宇宙の一部と化していたキングプロテアの意識は、遥か彼方の青い星にいるはずのBBのもとへと引っ張られていた。

まるで放り投げられた荷物のように、固い床の上へと尻餅をつく。

痛みで思考がスパークし、小さな声を思わず上げてしまった。

 

「ここは……わたし、どうして?」

 

自分の体が小さくなっていることに、キングプロテアは驚いた。

椅子も机も自分より大きく、背伸びしても天井まで手は届かない。

毒で体を蝕まれていた時と同じ、幼い姿になってしまったようだ。

 

「戻ってきましたね。まったく、最後まで手間をかけさせて」

 

「お母……様?」

 

両手を腰にあて、眉間に皺を寄せたBBがこちらを見下ろしていた。

確か、BBは二人いて青い瞳の方は味方だったはず。そういえば、ちゃんと向き合って話すのはこれが初めてだ。

もう一人のBB――BB/GOに襲われた際に助けてくれた時も、彼女は自分の側には近づこうとしなかった。

 

「あなたの頭脳体を本体から引き抜き、ここまで呼び寄せました。まったく、いくら『ヒュージスケール』で自己拡張ができるといっても限度があります。おかげであなたをサルベージするのに、センパイをちょろまかしてヘソクリしていたリソースまで使い果たす羽目になりました」

 

呆れ半分、驚き半分といった表情を浮かべながら、BBはため息を吐いた。

どうやらBBは、あの遠い宇宙の果てから自分を連れ戻してくれたようだ。

そこにどんな意図があるのかは分からないが、とりあえず感謝くらいはしてあげても良いだろう。絶対に、口には出すつもりはないが。

 

「む、何か言いたいのなら口に出しなさい、キングプロテア」

 

「え? いえ……えっと、マスター達は?」

 

肉体という余分なものとの繋がりが断たれたからか、ビースト/CCCによって虚数空間に追放された後の出来事も少しずつ思い出せてきた。

あの時はとにかく無我夢中で周りに気を使う余裕もなかったので、ひょっとしたら彼らを巻き込んでしまっていたかもしれない。

もしも、誰かを踏み潰してしまっていたらどうしようと、背中が小さく震えた。

 

「みんな無事です。今はまだ眠っていますが、直に目を覚ますでしょう。ですが……」

 

BBが言い淀むと、指先から光る粒子のようなものが舞い上がった。

それは肉体――と呼んでいいのかは分からないが、とにかく自分を構成している魔力が少しずつ綻んでいっているせいであった。

元々、BB/GOによって注射された悪性情報に霊基を蝕まれていたのだ。そんな状態で無理に体を成長させれば、決定的な破損が起こるのも無理はない。

恐らく、マスター達が目を覚ますまでこの体は保たないだろう。

 

「お母様、わたしはこれから、どうなるんですか?」

 

普通のサーヴァントは消滅しても英霊の座に還るだけで、存在がなくなる訳ではないらしい。

だが、自分は正規のサーヴァントではない。ビーストによってSE.RA.PHが再現された際、共に産み落とされたイレギュラーなのだ。

消えてしまえばそれまで。もう一度、あの人達に会う事は叶わない。

その寂しさに胸の奥が痛んだ。

もう二度と、彼らと話せないことが堪らなく寂しくてお腹が鳴った。

 

「ええ、消滅は避けられません。この世界にはムーンセルはなく、わたし達を回収してくれるものはない。あなたは言わずもがな、役目を終えたわたしもこの特異点の消滅と共に消え去る運命です。ですが、それはお行儀のいいムーンセルの考えです」

 

言葉を切ったBBが、不敵な笑みを浮かべて見せる。

さすがは違法行為が食後のスイーツよりも大好きなだけはある。何か、考えがあるようだ。

 

「わたしは月の蝶、ムーンキャンサーBBちゃん。あなたをこの世界におけるイレギュラーとして登録し、サーヴァント化させるのも可能なのです!」

 

えへん、とばかりに豊満な胸を弾ませる。

思わず自分の小さな胸に手を当て、どうしようもなく凹凸がないことにため息を吐いた。

自分の理想は大きくて可愛い女の子だ。小さな体には不満しかない。

もっとも、それは今は関係がないことだ。BBは自分達をサーヴァント化させ、再召喚を行わせることができると言った。それはいったい、どういうことだろうか?

 

「わたし達は消滅しますが、その核をキューブ化して保存、サーヴァントとして、人類の道具として再利用します。その際には英霊達同様、常に新しい自分として召喚されるでしょう…………つまり、今のあなたが消滅する事に変わりはありません。それでも構わないと言うのなら、その処置を施しましょう」

 

今の自分は二度とは存在しないと、BBは言う。

SE.RA.PHでの戦いの記憶も、そこで育まれたマスター達との絆も全て、ゼロに還ってしまう。

悩み、迷いながら成長できた今のキングプロテアは、どこにも逝きつくことなく消えてしまうことに変わりはないのだ。

それでも構わないと、キングプロテアは頷いた。

もう一度、新しい自分があの人達と会えるのなら、この一時の別れも受け入れられると安堵する。

だが、その答えを口にすると、BBは意外そうに眼を丸くした。

 

「驚いた。独占欲の強いあなたの事だから、今の自分が報われないと駄々をこねると思ったのに」

 

霊基が同じかどうかは関係がなく、今の自分が救われなければ納得ができない。

BBが言うように、かつての自分ならそのような反応を返していただろう。

また彼らに出会えるということも、外の世界を見られるかもしれないという希望にも目を向けず、ただ目の前の空腹を何とかすることしか考えていなかったであろう。

もちろん、今だってお腹は空いている。空き過ぎて痛いくらいだ。けれど、お腹より少しだけ上の部分がとても充足していて、何かを食べようという気が起きなかった。

ぬるま湯に浸かっているような、とても満ち足りて安心した気持ちだった。

 

「構いません。私はもう、お腹いっぱい愛されました」

 

ただ愛されることを望むのではなく、誰かと愛し合うという繋がりを知った。そして、時には見返りすら求めない誰かに恋をするという気持ちを知った。

愛と恋を自分は手に入れたのだ。それらはとてもキラキラしていてお腹がいっぱいだ。

愛を知らなかった怪物が、人並みに愛されて消えていく。こんなにも満足できる結果があるだろうか。

キングプロテアはここで死ぬ。

この特異点と共に、たった数日の思い出だけを胸に死んでいく。

そこに恐怖も不安もない。

胸に芽生えた温もりがあれば、自分という存在が消えてなくなることも怖くはない。

だから、そこから先は新しい自分へのプレゼントだ。

自分が彼らと出会えたように、新しい自分にも誰かとの出会いを。そして、願わくば自分だけの恋を知って世界を愛して欲しい。

 

「同意と受け取りました。これから保存処理に入りますが、伝言などはありますか? 伝える事、伝えたい事があるのでは?」

 

伝えたい事。

そんなものはたくさんある。

あの人の隣で花嫁面している皇女には言ってやりたい事は多いし、あの花嫁や良妻とももっと話がしたかった。

最後のわがままを聞いてくれた弓兵にも感謝の気持ちを伝えたい。

そして、大好きなあの人にも伝えたい事がある。

けれど、それは叶わない夢だ。

あの人にはもう大切な人がいて、自分が入り込む余地なんてない。

相手を思っていても思われるとは限らない。今の“キングプロテア”が抱いたこの気持ちは、報われる事なく終わるのだ。

会わずに済んでホッとしている。きっとあの人の顔を見れば取り乱すから。

だから、この言葉は自分に対する単なるけじめだ。

 

「さようならと、伝えてください」

 

それだけで構わない。

あの人と新しい“キングプロテア”に幸福があらんことを切に願い、別れの言葉を口にする。

 

(さようなら、マスター。わたし、あなたのことが、大好きです)

 

 

 

 

 

 

目が覚めると、まず飛び込んできたのは見飽きた桜色の空間だった。

どこか安っぽいテレビ番組風の収録スタジオ。書き割りみたいなセットに小道具の数々。

液晶に映し出された『BB』の二文字。

ここはBBが展開した固有結界、BBチャンネルの内部だ。

自分がここにいるということは、あの荒ぶる乳海から何とか無事に脱出できたようだ。

 

「カドック! 良かった、目が覚めたのね。傷は大丈夫? 痛まない?」

 

こちらが半身を起こしたことに気づいたアナスタシアが、椅子から飛び降りて駆け寄ってくる。

すぐ近くにはネロと玉藻の前もおり、少し離れたところにはエミヤが控えている。どうやらこちらが目覚めるのをずっと待っていたようだ。

 

「大丈夫、眠っている間に塞がったみたいだ。君達も……無事なようだね」

 

繋がっているパスはすこぶる良好で、全員に魔力が行き渡っていることが分かる。

外部からの支援もないまま、亜種とはいえビーストクラスと戦って五体満足で生き延びることができたことが今でも信じられない。

こうして今も、アナスタシアの温もりを感じられることに安堵と感謝を覚えた。

それもこれも、最後の最後で本来の力を取り戻し、ビースト/CCCと戦ってくれたキングプロテアのおかげだ。

 

「そうか、あの娘は……」

 

「ええ、戻っては来れませんでした」

 

声が聞こえた方を振り向くと、少しばかり神妙な面持ちのBBが椅子の上からこちらを見下ろしていた。

自分と彼女は無関係だと言っていたが、やはり色々と思うところはあるようだ。

 

「BB/GOがビーストの亜種に変質していた事は予想外でした。キングプロテアが内包している女神の力を解放しなければ、勝利はなかったでしょう」

 

「それじゃ……」

 

「ええ、ビースト/CCCの霊基は完全に消滅しました」

 

「そうか……良かった、と言うべきなんだろうな」

 

相打ちでビーストを倒せたことがせめてもの救いなのだろうが、ポッカリと空いた喪失感がなくなることはなかった。

この身、この命は数多の英霊達の礎の果てに立っている。そこ葬列にキングプロテアも加わったのなら、また一つ、背負わなければならないものができたのだ。

この命を繋いでくれた彼女の為にも、歩みを止めてはならない。

せめて(マスター)らしく、顔を上げていこうと胸に誓った。

 

「これで終わったのか?」

 

「ああ。待っている間、記録映像を見せてもらっていたが、向こうの問題も解決したようだ。もっとも、セラフィックスは完全に消滅してしまったがね」

 

「向こうは向こうで大変だったようだ。具体的に言うとマスター・藤丸が……おっと、余の口から語るべきではないか」

 

腕組みをしながら言いかけたネロが、途中で端と気づいて口を塞ぐ。勝利の美酒を味わうのも、土産話に華を咲かせるのも当人達の権利であり楽しみである。

だから、互いの身に何があったのかはカルデアに戻ってから、存分に語り明かすといいという皇帝からの配慮であった。

 

「まあ、私としてはマスターを危険に晒してしまった分は挽回できたかと。向こうの私も大活躍だったようですので、割と満足しています。無銘さんもそのような気持ちでございましょう?」

 

「その件については発言は控えさせてもらおう。思うところがない訳ではないのでね」

 

複雑な表情を浮かべながら、エミヤは視線を逸らした。

どうやら立香達がいたSE.RA.PHの方で何かがあったらしい。

 

「とにかく特異点は消滅した。後はBBがこの空間を解除すれば、我々はカルデアに帰還できる……ということで良いのだね?」

 

「イエス、オフコース。と言いますか、もう既に強制送還は始まっています。オペレーション・CCCが達成された以上、あなた達を拘束し続ける必要はありません。もう用済みですから、さっさとカルデアに帰ってください」

 

BBの言葉と共に、視界が僅かに霞む。

いつものレイシフトと同じく、末端から少しずつ霊子に変換されていく感覚が思い出したかのように伝わってきた。

見回すと、自分やアナスタシア達の体が光の塵に包まれている。BBが言うように、強制送還が始まっているのだ。

 

「行きも帰りも唐突なのね。もう少し、余韻に浸らせてはもらえないのかしら?」

 

自分とこちらの腕を搦めて体重を預けながら、アナスタシアはBBを睨みつける。

元々、どちらかというと人見知りしやすい性質ではあるが、どうにもBBに対しては口調も厳しく敵意が見え隠れしている。

ひょっとして、自分が知らないところでBBが何か気に障るようなことでもしたのだろうか?

 

「いいえ、単に悪戯好きとして警戒しているだけです」

 

「ああ、グレートデビルなBBちゃんと、小悪魔(シュヴィブジック)な皇女様ですね。わー、意外と心が狭いんですね。じゃ、そんなあなたからレッツゴー!」

 

BBが指を鳴らすと、体の右側にかかっていた重さが溶けるようになくなった。

一足先に、アナスタシアが強制送還されたのだ。

 

「BB、ちゃんとカルデアに届けてくれたんだろうな!?」

 

真っ先にパートナーを帰されてしまい、少しばかり不満を覚えたカドックが口を尖らせる。

もしも、期間途中で何か仕掛けてきたら、それこそどんな手を使ってでも報復してやると言わんばかりに視線に殺意を込めた。

 

「もちろんです、AIは嘘をつきません。カルデアに帰すと言ったのなら帰しますよ」

 

その言葉を一ミリも信用できないのは、偏に彼女の人徳のなさが成せる業だろう。

とにかくBBには最初から最後まで振り回されてしまった。こっちはほとんど放置されていたようだが、積極的に介入していたという向こう側では立香はどれほどの迷惑を被ったのか、察するに余りあるというところだ。

 

「そう思うのなら、戻ったらうんと褒めてやるがいい。無論、その逆もな。そなた達はそれだけのことを成し遂げたのだから」

 

そう言って頷いたネロの体が塵となって消える。

すると、彼女が消えたのをきっかけに、エミヤと玉藻の前の体の消滅も一気に加速していった。

 

「今度はこちらの番か。彼女との約束を果たすためとはいえ、マスターを傷つけてしまった。申し訳ない、マスター。戻る前にもう一度、謝罪しておきたかった」

 

「あの時は本当にひやひやさせられました。まあ、結果良ければ全てよし。どうやらマスターも広い心で許してくれているようですし、気にしているのなら次の機会で挽回されてはどうですか?」

 

「そうさせてもらおう。では、マスター。先に戻っている」

 

「ご帰還をお待ちしております、マスター」

 

エミヤ、そして玉藻の前の姿も溶けるように消えていった。

残されたカドックは、蠱惑的に微笑むBBと改めて向かい合った。

未来から来たという奇妙なAI。信用ならない悪魔のようなラスボス系後輩。

立香のことは『センパイ』と呼んで弄ぶ癖に、自分のことは一貫して無視を決め込む生意気な使い魔。

色々と思うところはあるが、それでも彼女には危ないところを二度も助けられた。せめてそれだけは感謝してやってもいいと、心の片隅に留めておく。

 

「おや、何か言いたげですね、カドックさん」

 

「別に……待て、何だって?」

 

今、彼女はこちらの名前を呼ばなかっただろうか?

出会った時から、虫けらみたいな存在をいちいち区別する必要はないと、執拗に無視をし続けていたのに、今更どんな心境の変化があったのだろうか?

 

「わたしだって、人を見直すことはあります。最初はどうなることかと思いましたが、あなたは立派にこちらのオーダーを果たしました。めでたく虫けらから哺乳類にランクアップです。特別に人間扱いしてあげましょう」

 

「漸くか……まったく、立香との扱いの差は何なんだ」

 

「ふふっ……ええ、わたしが焦がれる『先輩』は一人だけ、わたしが弄ぶ『センパイ』は一人だけ。そこにあなたの席はありません。それでも百均くらいの価値はあるのでOKです。それがあなたの人間としての価値なのですよ、カドックさん」

 

心底から見下すような言い方だったが、最後の一言にカドックは自然と頷いていた。

彼女が言うように、自分の価値なんて大したものではない。

アナスタシアがいなければ、立香やマシュがいなければ、カルデアのみんながいなければグランドオーダーを成し遂げられなかった。

あの大偉業の中で自分が担った役割なんて、本当にたかが知れている。

今回だって、キングプロテアと出会えなければSE.RA.PHに降り立った時点で終わっていただろう。

だから、BBの評価は的を射ていると素直に納得する。

自分の価値はその程度なのだ。その程度で十分なのだ。

 

「殊勝な人。今回にしたって、実はもうすごいピンチで宇宙の危機だったのに、何だか他人事みたいですね。嬉しくはないのですか?」

 

「別に……褒められたくてやっている訳じゃない」

 

自分はただ、背負った荷物を未来へ届けたいだけだ。

人類史を切り開いてきた英雄達が生きた証である、自分達の営みがいつまでも続くようにと足掻いているだけだ。

それに、生きるのはとても楽しい。

友と語らい、時々は音楽を聴き、愛する人と眠る。

終局での戦いを経て、心の底からそう思えるようになった。

 

「うーん、これは意外と根深いかもですね。健康管理AIとして見捨ててはおけないような……」

 

一瞬、瞳を赤く染めながらBBはほくそ笑んだ。

背筋にゾッとするものを感じたカドックは、慌てて首を振って彼女を嗜める。

 

「止してくれ。君と関わるとロクな目に合わない」

 

「えー、BBちゃんはいつだって人類の味方ですよ。だから、つい監禁して、ディストピアとか開きますけど、それも人類への愛ゆえですか、仕方がないですよね?」

 

そういうところが信用できないのだと、心の中で嘆息する。

やはりこのAI、肝心な部分が決定的に破綻しているのだろう。

きっと良かれと思って相手を振り回し、そのままうっかり人生を台無しにしかねない。

つくづく、彼女に気に入られなくて良かったと安堵した。そして、彼女の格好の玩具となってしまった立香に深く同情する。

 

「それでは強制送還のお時間です。忘れ物はありませんか? おトイレとか済ませました? それではお疲れ様でした、マスター・カドック。最後にあの娘に変わって一言、言わせてください」

 

小さく咳払いをしたBBが、椅子から飛び降りてこちらの目を覗き込む。

青い瞳と白い肌。雰囲気はまるで違うのに、キングプロテアとまったく同じパーツがそこにあった。

そのせいか、こちらを覗き込むBBにキングプロテアの姿が重なって見える。

 

「ありがとうございます。またいつか、電子の海で会いしましょう!」

 

電子の妖精が微笑むと、どこからか聞き慣れた少女の声が聞こえた気がした。

この数日間を、仲間と共に駆け抜けた大きな少女の声が。

かけがえのない、家族(サーヴァント)の声が、確かに聞こえた気がした。

 

 

 

 

 

 

簡易の魔法陣の上に鎮座した塊に向けて、カドックは意識を集中させた。

お湯を注ぐようにゆっくりと、しかし、淀むことなく適確に魔力を端々まで浸透させていく。

まるで盆に乗せたガラスのコップを片手に運んでいるかのような気持ちだった。

繊細な手つきを要求されながらも、大胆に動かねば手先の震えが致命を呼び起こす。

気持ちを逸らせる焦りを必死の思いで押さえながら、静かに寝息を立てている狼の首に手を添えるつもりで、ただ静かに時が経つのを待った。

一秒。

二秒。

三秒。

昨日までの記録を更新し、張り詰めていた緊張に僅かな緩みが生まれそうになる。

ここで慢心して術式の制御を乱すのは素人のすることだと己に言い聞かせ、カドックはゆっくりと呼吸を整えながら意識をより集中させた。

四秒。

五秒。

魔力のバランスが崩れることなく、投影魔術で生み出した祭具は確固たる実存を獲得する。

成功だ。

いつもなら世界の修正力によってあっという間に崩れていく投影品が十数秒以上も保っている。

昨日までまるで駄目だったのに、今日になって急に成功するとは何かの吉兆の前触れだろうか?

そんな事を考えながらもカドックは、冷静に魔力の手綱を握る。

ここからは根競べだと気持ちを切り替え、投影品に施した強化の魔術の精度を高めようと意識を集中した。

瞬間、気の抜けるような軽快な音が室内に鳴り響いた。

 

「んっ!?」

 

張り詰めていた緊張の糸が切れ、素っ頓狂な声を上げてしまう。

途端に、魔力のバランスが崩れた金属の塊に亀裂が走り、ガラスが砕けるかのように内側から破裂してバラバラに飛び散ってしまった。

 

「…………」

 

机の上に散らばった破片を見下ろしながら、カドックは構えていた手の指をわなわなと震わせる。

先ほど、部屋に鳴り響いたのはオーブンのタイマーが切れる音だ。

ありえないと頭を振る。

集中を妨げるようなものは、緊急用の通信端末以外は事前に取り除いていたはず。パソコンも携帯電話もステレオも電源を切っておいたし、アナログの時計も電池を抜いておいた。

念のため二度も確認したから間違いはない。だというのに、オーブンのタイマーが動いていたのだろうか?

 

「あら、オーブンが温まったみたい。ケーキを焼かなくちゃ」

 

「やっぱり君か!」

 

笑いを堪え切れぬのか、背を向けて冷蔵庫に向かったアナスタシアの肩が震えていた。

その様子を見てカドックは確信する。間違いなく犯人はこの皇女であると。

シュヴィブジック。

小悪魔な皇女様による細やかな悪戯だ。

 

「魔術の修練なんだぞ、邪魔をしないでくれ」

 

「ごめんなさい、忘れていました」

 

「絶対、わざとだ」

 

この前だって部屋の片づけと言って勝手に保管していた霊薬などの素材を隠してしまうし、彼女の次にシャワーを浴びようとした時もわざと給湯器のスイッチが切られていて頭から冷水を浴びる羽目になった。

そんな悪戯を何度となく繰り返されれば口先だけの誤魔化しなど見抜く事も容易い。とにかくこの皇女様、人が困って右往左往する様を見るのが楽しくて仕方がないのだ。

 

「まったく、この魔術がうまくいかないと、今後の実験に支障が出るんだ。ちゃんと集中させてくれ」

 

外部との交流が断たれた閉鎖空間であるカルデアでは、魔術の研究や儀式の際に何かしらの道具が必要になっても、時計塔にいた時のように容易には入手することはできない。

加えて本年度のカルデアの予算は今までで最低を記録しており、必要経費と訴えても予算が降りるのは難しい。

何でも今年の初めに虎の子の財源であった海洋油田施設セラフィックスが施設の老朽化を理由に解体されており、カルデアの家計は非常に苦しくなってしまったらしい。

なので、儀式に使う触媒をこうして投影魔術で代用するための訓練を始めているのだ。

 

「はいはい、ごめんなさい」

 

「本当に反省しているのか?」

 

「しています。それよりもカドック、紅茶を淹れようと思ったら、茶葉が切れているみたいなの。食堂から貰ってきてくださる?」

 

「僕がか?」

 

「ランチの後には美味しいケーキを焼いて上げるから」

 

「……行ってくる」

 

不承不承といった体で、カドックは立ち上がり自室を後にした。

別にアナスタシアが焼いたケーキが楽しみな訳ではない。単に気分転換を図りたかっただけだと己に言い聞かす。

そんなカドックの後ろでは、嬉々としてエプロンを身に着けるアナスタシアの姿があった。

 

(そういえば、何か忘れているような……)

 

ここ最近は比較的平穏だったせいか、どうにも記憶がハッキリとしない。

どこかの特異点で巨人のようなサーヴァントと一緒に過ごしていたような気がするのだが、思い返そうとすると頭に靄がかかってしまう。加えてそんな記録はカルデアのどのデータベースにも残っていなかった。

南極の山脈に建つカルデアには関係がないことかもしれないが、春の陽気で少しばかり気が抜けているのかもしれない。

そんな風に結論付けて、カドックは食堂を目指し通路を歩く。すると、どこか見覚えがある黒衣の少女が物珍しそうに館内を眺めている現場に遭遇した。

 

「ほうほう、ここがカルデア……生意気にも最新設備じゃないですか。あのシバとかいう観測機もスパコンも中々のものですし、2017年の技術も侮れませんね」

 

はて、あんなサーヴァントなんていただろうか?

現代風というよりは近未来的な装束。アジア圏の人間にしては珍しい艶やかな髪に豊満な胸。アナスタシアには申し訳ないが、あれほどの美人ならまず忘れる事はないだろう。

自分が知らないということは、立香が召喚したサーヴァントだろうか?

そう思って少女の姿が見えなくなるのを待って、カドックは端末からカルデアが召喚しているサーヴァントの霊基一覧を呼び出した。

 

(あった。真名はBB……クラスは……ムーンキャンサー?)

 

聞き覚えのないクラス名だ。意味は分からないが、エクストラクラスの類だろうか。

一部の情報がバグのせいか読み込みできず、召喚した日付などは分からないが、彼女がカルデアに召喚されたサーヴァントであることは間違いないようだ。

マテリアルに目を通してもやはり覚えはない情報ばかりなので、きっと立香が召喚したのだろう。

 

「あ、カドック」

 

噂をすれば何とやら。通路の向こうから立香が駆けてきた。ただ、何か急いでいるのか、焦っているように見える。

 

「良かった、探してたんだ」

 

駆け寄った立香は、こちらの答えを聞くことなく手を掴んで駆け出した。

どうやら相当な事態が起きているらしく、カドックもすぐに意識を切り替えて立香に事情を問い質した。

ひょっとしたら、新たな特異点が発生したのかもしれない。

 

「何かあったのか?」

 

「うん、とりあえずシミュレーションルームに来て欲しいんだ。この前、召喚できたサーヴァントのことなんだけど……」

 

電子制御されたスライドドアが開くと、既にマシュが室内で待機していた。

立香が指示を出すと、彼女は徐にシミュレーターを起動させて室内の景色を一変させる。

レイシフト技術を応用して作られたこのシュミレーターは、室内の広さなども調節できる破格の代物だ。

普段は戦闘訓練などに使用されるのだが、今回は特にエネミーなども設定されていないのどかな野原が目の前に広がっていた。

鳥の鳴き声も川のせせらぎも、全てがコンピューターによって作られた偽物なのだが、五感を刺激するリアルな感覚はとてもそうは感じさせない。

目の前に広がっているのは確かに一つの世界であった。

そして、その中心で戯れているのは、今やすっかり仲良しになったカルデアの幼いサーヴァント達であった。

それだけならば微笑ましい光景だったであろう。約一名が、とんでもなく大きな姿でなければ。

 

「うはははは、食べちゃうぞぉ!」

 

苔で覆われた体を震わせ、両手を掲げてのっそりと歩いているのはどこか見覚えのある少女だった。

ただ、名前を思い出すことはできなかった。いや、そもそも彼女とは初対面のはずだが、何故だか初めて会った気がしないのだ。デジャビュというヤツだろうか。

 

「わー、食べられちゃうー!」

 

「食べられちゃいますー!」

 

「助けてー、バニヤーン!」

 

「とぉっー!」

 

「がおー」

 

巨大な少女と追いかけっこを興じているジャック・ザ・リッパーとサンタ・リリィ、ナーサリーライムの声に応え、ポール・バニヤンが少女と同じく二十メートルほどの大きさへと変化する。

巨大な女の子が取っ組み合いを演じるその様は、まるでハリウッドのモンスター映画だ。ぶつかり合って木々が薙ぎ倒され、地面が激しく揺れている光景に思わず言葉を失ってしまう。

 

「えっと……あの娘は?」

 

「キングプロテア。覚えていないの、君が召喚したんだよ?」

 

「え? 僕が? え?」

 

「ほら、昨日の夜に召喚しただろ。で、大きすぎて部屋に入れないからとりあえずシュミレーターの中で待っていてもらおうってなって」

 

そう言われると、そんな気がしてくる。

記憶は靄がかかっていて酷く曖昧だが、確かに昨日の晩、サーヴァントの召喚を試みた気がするのだ。

 

「ほら、魔術協会から査問があるだろ。ダ・ヴィンチちゃんも準備で忙しいから、あの娘のことは君に任せようって」

 

「待て、僕一人でか?」

 

「俺も最近、召喚したメルトリリスやパッションリップのことで手一杯なんだ。ほら、あの娘達って手とか足が危ないから、ここでの生活に慣れるまでマシュと一緒に過ごそうってなったから」

 

「いや、だからと言って……」

 

『先輩、スタッフからSOSです。鈴鹿御前さんが玉藻さんとレクレーションルームで睨み合っているそうです』

 

「分かった。すぐに行く」

 

「ちょっと待て――――」

 

こちらが呼び止めてると、立香は申し訳なさそうに手を合わせて目の前から姿を消した。シミュレーターからログアウトしたようだ。

 

「おい……僕にどうしろと……」

 

ズシンズシンと大きな足音が近づいてくる。何かが日差しを遮っているのか、大きな黒い影が自分の足下に広がっていた。

恐る恐る振り向くと、見上げる程に巨大な少女の姿がそこにあった。

少女――キングプロテアは、最初こそ不思議そうにこちらを見下ろしていたが、やがて地面に両手をつくと、にこやかに微笑んで次の言葉を口にした。

 

「マスター……マスター……アルターエゴ、キングプロテア。あなたに、召喚されました……。私、大きいですか? 小さいですか……?」

 

 

 

 

 

 

シミュレーションルームでカドックがキングプロテアとの思わぬ再会をしている頃、一人でカルデアの中を散策していたBBは、楽しそうに笑みを零しながらくるくるとその場でステップを踏んだ。

世は事もなし。SE.RA.PHで起きた出来事の全ては虚数事象としてこの歴史から抹消された。

セラフィックスはずっと以前に解体されたことになり、そこで死ぬはずだった全ての命も失われることなく生きている。

そもそも虚数空間は自分の領域。殺生院キアラとBB/GOという脅威が取り除かれた今、これくらいの事象操作は朝飯前だ。

 

「さて、新しいオモチャを見つけたBBちゃんの魔の手は、容赦なくセンパイやカドックさんに襲い掛かるのでした♡ みんなの頼れるグレートデビル、ムーンキャンサーBBをよろしくお願いしますね」

 

差し当たっては、キングプロテアが世話になったあの根暗なマスターに何か恩返しをするべきだろうか。

ああまで自虐的だと色々と見ていられない。幸福が約束されている藤丸立香と違い、彼は望んで苦難の道を歩もうとしている。

健康管理AIとしては色々と見過ごすわけにはいかないのだ。

彼にだって報われる権利はあるし、友達とわいわい旅行を楽しむくらいの報酬はあっても良いだろう。

 

「さて、ならばどこが良いでしょうか? 南国……ハワイとか良いですよね」

 

彼女がカルデアでどのような騒動を巻き起こすのか。それはまた別の話である。

 

 

 

A.D.2030 虚構電脳裏海 SE.RA.PH

人理定礎値:CCC

『渇愛の花』

例外処理(C.C.C.)




はい、というわけでCCC編ここに完結です。
ルルハワ編の最後にちょこっと触れられた、諸事情でルルハワに来れない鯖とはキングプロテアのことでした。
元々、この話は「ザビがキングプロテアをパートナーにして月の聖杯戦争を勝ち抜く」という案を下敷きにFGOのCCC編やカドックの性格に合わせてシナリオを弄ったものです。その途中でBBビーストやら神話礼装プロテアとか色々と生えてきました。

ちなみにCCC編のサブタイトルにはルルハワ編と同じく元ネタがあります。
『SF映画のタイトルのもじり/「あい」という言葉がどこかに入るラブっぽい文章』という構成で考えていました。


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マテリアル

CCC編のラスボスの詳細が乗っています。
ネタバレが気になる人は注意してください。
初登場時に記載した分に幾つかの加筆があります。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【CLASS】ビースト/CCC

【真名】ムーンキャンサー

【性別】女性

【身長・体重】156cm、46kg

【属性】混沌・獣

【ステータス】筋力★ 耐久★ 敏捷★ 魔力★ 幸運★ 宝具★

【クラススキル】

陣地作成:A

 支配者として強力な陣地を作ることができる。領域内の電脳化やその複製を位相が異なる空間に複写することも可能。

 

道具作成:A

 ラスボスとして様々なアイテムを作ることができるが、どれもリソースを食い過ぎるので現実世界ではほぼ意味を成さない。

 そのため、普段は廉価版といえる魔術に似たプログラムコードキャストを作って使用している。

 

単独顕現:A

 ビーストクラスのスキル。SE.RA.PHの内部に限りマスターなしでも存在を維持できる。また即死耐性、時間操作系の攻撃に対し耐性を持つ。

 

ネガ・サイバー:EX

 ビースト/CCCとしてのスキル。例外中の例外ということで測定不能ランク。電脳世界で生まれ、育まれた癌である彼女は自らの領域内において優先権を持つ。

 自らを上位存在と謳う彼女は地上で生まれた如何なる人間、英雄、神霊や妖の類から干渉されることはない。実体なき生命とも言える電子の精の本質を、命ある者は理解できないのである。

 理論上、地上で生まれた者は彼女を傷つけることができない。言い換えれば月で生まれ人ですらないサクラファイブにはこのスキルは何ら意味を持たない。

 

 

【固有スキル】

十の王冠:EX

 「ドミナ・コロナム」権能クラスの超抜スキル。あらゆる結果をなかったことにすることができる。 現在は自らの完全な状態を維持することに注力されており、あらゆる意味で彼女の体が劣化することはない。

 

黄金の杯:EX

「アウレア・ボークラ」黄金の杯、或いは聖杯。ヨハネ黙示録にあるバビロンの大淫婦が持っていた杯であり、地上の富を象徴する。偽の聖杯であるからこそ、正邪を問わず人間の欲望を叶えることができる。だが、それ故に現在の彼女はこのスキルを使いたがらない。

 

自己改造:-

 自身を改造するスキル。既に自らは完璧であるという理由から失われている。

 

 

【宝具】

『C.C.C.カースド・キューピッド・クレンザー』

 ランク:A 対人宝具 レンジ:1~10 最大補足:1人

 本来はムーンセルの力を引き出し、無敵のナース姿にチェンジ。そのまま自分の領域である虚数空間から悪性情報を引き出し、周囲のチャンネル(共通認識覚)をカオスなものに上書き。固有結界『BBチャンネル出張版』を展開し、相手を混乱のるつぼに叩き込むというもの。

 ただし、ビースト化したことで精神的な遊びがなくなっており、ナース姿に変身しないし悪性情報を直接、相手に流し込んで意味消失を誘発させるというえげつない攻撃方法に変化している。

 

【解説】:

 殺生院キアラの内部からサルベージされたもう一人のBB。聖杯戦争の運用を任されるが内心ではキアラに対してうんざりしており、彼女の妨害の為にムーンセルから派遣されてきた方のBBと共謀し入れ替わる。

 と、ここまでは原典の通りだが、本作におけるBB/GOはキアラから取り込んだ獣の因子がより強く出ており、ビーストへの覚醒を危険視したBBと水面下で牽制し合いながら互いを出し抜こうとしていた。

 「先輩」に関する記憶を持っている点はBBと同じだが、BBが折り合いをつけたのに対して彼女は個人的な愛を注ぐ対象として人類そのものを代替として選択し、それが結果的にビースト化に拍車をかける形となってしまう。

 ビースト/CCCとなった彼女は他の獣のような理を持っていないが、それは彼女の本質がどこまでも健康管理AIとしての思考ルーチンから抜け出せていないためであり、自らが定める規範に人類を従わせる傲慢さの表れでもある。

 それ故に七つの人類悪への列席は敵わず、番外のCCCへと更新されたのだ。

 基本的な性格は原典と同じだが、獣となった影響か遊び心がなく気持ちに余裕がない。確実に相手を倒すためにBBチャンネルに囚われ抵抗できない相手をその手にかける戦法を好んで用いる他、攻撃手段として全力の砲撃や奇襲も多用する。

 ただし、全力を出し過ぎるあまりから回っており、それが一周回って大きな隙となっている。

 

 

 

 

 

【サブタイトルの元ネタ】

 

・BBちゃんの逆襲 電子の海で会いましょう!

元ネタ:映画『スター・ウォーズ 帝国の逆襲』

言わずと知れた超大作SF映画。宇宙の支配を目論む帝国とそれに抗う共和国軍の戦いを描いた三部作の二作目。

前作を経て更にパワーアップした特撮は圧巻の一言。ただし、ストーリーは完全に次作を見る事を前提に構成されているので様々な問題が投げっ放しで終わる。

特にラストのとある人物の正体発覚は色々な意味で衝撃が大きかった。

 

・既知との遭遇 君の瞳がI KILL YOU(アイ・ラブ・ユー)!

元ネタ:映画『未知との遭遇』

世界各地で発生するUFO遭遇事件、そして人類と宇宙人のコンタクトを描いた傑作SF。

主題となっている宇宙人との遭遇は終盤に集約しており、そこに至るまでの全ては長い前振りと言っても良い。

古い作品なだけあってバージョン違いも非常に多い。

 

・アイ・サーヴァント 想いは三角せめぎ合い!

元ネタ『アイ・ロボット』

アシモフ作『我はロボット』を元ネタにしつつ他のSF小説などのアイディアも盛り込んで生まれたSF映画。

ロボット三原則により人間に危害を加えることはできないはずのロボットが殺人を犯し、究明に乗り出した刑事はある陰謀に辿り着く。

ある意味、使い古されたプロットなのだが、最後の丘のシーンは色々と感慨深いものがある。

 

・ヴァーチャル・スティール あいつこそがローマの皇帝陛下!

元ネタ『リアル・スティール』

落ちぶれた元ボクサーがロボットによる格闘技を通じて息子との関係を修復するSFアクション。何気に主演はウルヴァリンのヒュー・ジャックマン。

ラストの追い込まれてからの猛反撃はロボ好きなら一見の価値あり。

 

・ソードランナー 昧なMEET YOU!

元ネタ『ブレードランナー』

地球に潜伏している脱走アンドロイドと彼らを破壊するよう命令を受けた捜査官の追跡劇。25年も経ってから続編も出た。

原作は『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』。描写されているロサンゼルスの街並みはなかなかにサツバツでマッポーな雰囲気である。

二つで十分ですよ。

 

・虚数空間からの巨体G アワー・アイズ・オンリー!

元ネタ『遊星からの物体X』

南極基地に現れた地球外生命体の怪物とそれに立ち向かう隊員達を描いたホラー映画。

SF要素は特にないが、宇宙人ということでタイトルに採用。動物に寄生する地球外生命体との攻防は侵略もののお手本ともいえ、ラストのとある人物の息の色は色々と考察を呼ぶなど今でも衰えない人気を持つ。

 

・セラフィックス東8番通路の奇跡 その出会いをもう一度!

元ネタ『ニューヨーク東8番街の奇跡』

地上げ屋による立ち退き要求に悩まされるアパートの住民が、自我を持ったUFOと出会い交流を図るという、とってもミニマムな未知と遭遇。

見所はやはりUFOの出産。何を言っているのか分からないと思うが、そうとしか言えない。

 

・フィフス・サーヴァント あなたと触れ合いたい!

元ネタ『フィフス・エレメント』

ブルース・ウィリス演じる元軍人の冴えないタクシー運転手が、ミラ・ジョヴォヴィッチ扮する地球人に全身整形された最高に美人な異星人と共に地球存亡の危機に巻き込まれる。

何と言ってもミラの尻。股間、太股。さすがリュック・ベッソンは未来を生きているぜ。

 

・キングプロテアの帰還 わたしのアイデンティティー!

元ネタ『スター・ウォーズ ジェダイの帰還』

言わずと知れた超大作SF映画。宇宙の支配を目論む帝国とそれに抗う共和国軍の戦いを描いた三部作の最終作。

前作までにばらまかれた伏線というか問題をやや強引にまとめつつも、とある一人のジェダイの騎士があるべき場所に帰還するまでを描き切った間違いなく大作の一言。

これがあるから新三部作があるのだ。

 

・新たなる希望(エゴ) いつか、電子の海で会いましょう!

元ネタ『スター・ウォーズ 新たなる希望』

言わずと知れた超大作SF映画。宇宙の支配を目論む帝国とそれに抗う共和国軍の戦いを描いた三部作の一作目。全てはここから始まった。

囚われたヒロイン、辺境で己の運命に出会う青年、個性的な協力者と強大な敵、宇宙を股にかける大冒険。冒険譚のお手本のような構成と迫力の特撮が話題を生んだSF映画の金字塔。

何はともあれ見ていて損はない一品。




ビースト/CCCのマテリアルです。
解説文を追加しました。

今のところ、次の予定はありません。
ただネタは考え続けているので、新しい話が思いつけばまた続きを書こうと思います。
とりあえずはまたこのシリーズは完結に戻します。


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