鋼の鬼 (rotton_hat)
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旅立ち ユグドラシル最後の死闘

 それは、絶望より産声を上げし者である。

 それは、それ故に疎まれ、迫害を受けし者である。

 

 故に足掻き、故に踠き、

 

 故に怪物と呼ばれ、追放された者である。

 

 

 

 

 * * * *

 

 

 

 

 

 その日、DMMO-RPG「ユグドラシル」が12年の歴史に幕を下ろそうとしていた。

 日付の変更と共に滅ぶだろう終末の世界で、それでも最後までこの世界に残ったプレイヤーたちは思い思いの時を過ごしその瞬間を待っていた。

 

 そのプレイヤーもそんな中の一人だった。

 ギルドに所属しないものなのか、群れるのが嫌いであったのか、はたまたゲーム内にフレンドが一人もいないボッチなのかは不明であるが、そのプレイヤーは人の通わぬ樹海の奥で、暗い木々に囲まれるなか不自然に一本だけ立っていた淡く発光する桜の下に、独りまんじりともせず座っていた。

 

 見た目は生物というよりも無機物を思わせる。頭から爪先まで全身を覆った、武骨で装飾っ気のない赤黒い全身鎧には年季を思わせる細かい傷や錆がいくつも浮かび、唯一の露出部分といえば項垂れるようにして地面を睨む、のっぺりとしたフルフェイスの兜に引かれた視界を通すための細い線のような2つの穴だけだった。全身鎧にも関わらず線が細く見えることからモデルのような体型なのだろう。

 

 片足を投げ出した体育座りのような姿勢で背中は桜の幹に預け、3尺余(約1m)あろうかという大太刀を己の肩に立てかけている。

 その姿を見る者があれば栄枯盛衰の儚さを感じたかもしれない。それは人と言うよりは忘れられ朽ちていった遺跡の石像であり、役目を全うし終には動かなくなったガーゴイルのような印象だった。

 

 プレイヤーの名は「クロエル」と言った。

 外見とは裏腹に人間種の女性で名前の由来は種族名を捩ったものである。職業は武器から察せられる通り「侍」を筆頭とした近接戦闘職と搦手を併せたPvP特化型。ユグドラシル主催の大会などには参加しなかったため公式記録こそ残っていないが、それなりに有名なソロプレイヤーだったらしく、いつの頃から「狂犬」などという全くありがたくない二つ名を賜っている。

 

 何だかんだと言いながら最後まで駆け抜けてしまったな、とクロエルは終わりゆく世界の中で独り物思いに耽る。

 思い返してみてもクロエルはこのユグドラシルというゲームに正直あまりいい思い出がない。初めてこの世界に立った時、一等宝くじ並みの抽選に当たったらしく、とある祝福という名の呪いを授かり絶望し、ほとほと対処に困って迂闊にもネットにてその情報を提示したところ特定され、その呪いを望む一部の者たちの妬み嫉みからPKという名のリンチを受ける羽目になったのが不幸の始まりだった。

 

 それでも数少ない支援者や持ち前の負けん気でじわりじわりと実力をつけていきPKを何とか撃退するまでに至るも、その頃には呪いの副次効果で試行錯誤のすえ作り上げた自慢の外装が見るに堪えない状態に変貌し嘆き、一度偶発的にPvPを行い仲良くなった二種類の大太刀を使い分けて操るプレイヤーにギルドへの勧誘を受けた時は、理由を聞いてみて実力を認めたとかではなく異形種のプレイヤーと勘違いされてと分かりクロエルはリアルで涙目になりながら誘いを辞退した。

 

 外装を恥じ全身鎧を纏うようになり、終わりの見えないPKとPKKの報復合戦の連続で心は荒み、仲間を作る暇もなく我武者羅に刀を振り回しているうちに孤立を深め、対して敵は増える一方の悪循環。対人戦の技術向上に伴い呪いのメリット部分が徐々に表に出始め、ようやく勝率が安定して他のことにも気を回せる余裕が出てきたと思ったら、プレイヤー間では誰彼構わずPKしてくる「狂犬」というレッテルが定着しており、もはや修正不可能なほどに孤立を深めた状況に陥っていた。

 

(なんでここまで続けられたんっすかねぇ…)

 

 正直、いい思い出なんて殆どない。

 仲良くしてくれた数少ない友人たちもすでに引退して久しい。一人ぼっちで、呪詛を吐きながら襲い掛かってくるプレイヤー達とただ只管に切り結び、死体の山の中でふらふらと当てもなく彷徨い続ける日々。

 

(好きだったんスかねぇ…)

 

 こぼれ出た思考にまさか、と小さく首を振るもクロエルは改めてその考えに着目してみる。やなことばっかりだ、どこで間違えた、もうやりたくないと散々思いながら次の日にはコンソールを繋げ、ユグドラシルの世界に降り立っていたのは何故だろうか。

 

(PKとかじゃなくても罵倒されるだけでも結構心にくるんすけど何で…もしかして自分Mなんじゃ…いやいやいや)

 

 ふとスキル〈手負いし獣の六感〉が発動し、クロエルは思考の海から浮上し顔をあげる。探知系のこのスキルが発動するということは近くに危険な存在が現れたか、若しくは不可知系のスキルを使用し探知から逃れる何者かが攻撃を発動、または探知範囲外からの攻撃の接近を意味する。

 

 クロエルの視線の先、暗い影を落とす密林の木々の奥から突如高速で何かが飛来した。

 迫る物体に彼女は坐した姿勢をそのままに、肩に立てかけていた刀を軽く持ち上げると、全身鎧の姿からは想像できぬ俊敏さを持って刀身を閃かせこれを迎撃。

 目にも留まらぬ居合を披露したクロエルは残滓をもってゆっくりと刀を鞘に納めると立ち上がり、先ほど撃ち落とした飛来物に目をやる。そこには矢尻を縦に綺麗割られた矢が9本地面に転がっていた。

 

「くそっ、全部撃ち落としてやがる。相変わらず滅茶苦茶な反応速度してやがるなこいつ」

「やっと見つけた…ってあいつの後ろの桜って『永久の桜花』!? もしかしてこいつ、こんな淋しいところ拠点にしてんの?」

「おい、時間ねーんだからお喋りはその辺にしとけよ。さっさと狂犬狩り終わらせて盛大に打ち上げすっぞ」

 

 不意打ちが失敗したとみるや姦しく密林の奥から姿を現したのは6人組のプレイヤーPT、クラン「黒の狩人」のメンバーだった。PKやPKKを行うプレイヤーを獲物と称し狩りを楽しむ少数精鋭のPK集団である彼らとクロエルの因縁は深い。彼女がPK目的で襲い掛かってきた彼らを返り討ちにしてからというもの粘着されるようになり幾度となく死闘を繰り広げた間柄である。

 彼らを視認するやげんなりとした様子で、しかし何時でも攻撃できるように鞘の鯉口を握ったクロエルは心底鬱陶しそうな声音で「黒の狩人」の集団に声をかけた。

 

「…何でここに居るっすか。自分、この場所は誰にも教えた覚えないんすけど。何っすか、ストーカーっすか。自分にも遂に春が来たっすか」

「アホかっ! お前みたいな化け物面に誰が好意を寄せるかってんだ! 一度兜脱いで鏡見てから出直してこい!」

「ぐむっ、真実だけに言い返せないっす…いや、でも本当に何でこの場所を? ここは自分以外は未踏破のエリアのはずですし、いつも転移スクロールで飛んで帰って情報収集系の魔法対策も厳重にしたつもりっすが」

「…今日で最後だしな。駄目元でGMコールしてお前の居場所を聞いてみたら、あっちも無礼講なのか口が軽くなってたぜ? 拠点に引きこもったまま安らかに逝けると思うなよ狂犬」

「GM…う、裏切ったっすね…」

 

 嘗て彼女を助けてくれたGMが今回は敵に回っていたらしい。

 クロエルしか知らないはずの未踏破エリア。当然彼女が独力でそんな場所を見つけられるはずもなく、昔孤立を深めるなか周りが敵だらけの状況に心が折れかけていた時、何を思ったのか初めてGMコールを使用して「居場所が、欲しいっす…」と消え入りそうな声でGMに懇願したのが切っ掛けだった。当時GMからの反応こそなかったのだが、後日インベントリに見慣れぬ転移スクロールと情報収集系の魔法の対策について箇条書きで描かれた手紙が入っているのに気づきクロエルは泣いた。ついでに転移後目の前に飛び込んできた「永久の桜花」を見つけて、GMの粋な計らいに更に泣いた。

 しかし、天秤をいつまでも傾けたままにするほどGMもクロエルに甘くはなかったということだ。

 

 そして「黒の狩人」の6人とクロエルの双方の間にある空気が変わった。もはや言葉は不要、ということなのだろう。限界まで膨らんだ風船が眼前で弾けるのを待つような緊張の中、瞬間、爆発するような目まぐるしさで7人のプレイヤーが同時に動く。

 

「のど飴、龍♂狩りっ、そっち行くぞ! 絶対抜かすな、死ぬ気で後衛守れ!」

「くそがっ、桜のせいで回復速ぇ! 場所変えないとジリ貧だ、誘導しろ!」

「最終日だし大盤振舞だ、回復させても構わん! 薬★チュー、最上級治癒薬投げまくれ!」

「ギャー! そんなもんこっちに投げるなっす!!」

「避けんなゴラァ!」

 

 傍から聞いているとどこか緊張感の欠ける怒声が飛び交うが、戦闘そのものはまさに激戦と言って憚られぬほど激しいものであった。

 クロエルを相手取る「黒の狩人」の編成は前衛3、後衛3に分けたバランス型。リーダーであり双剣使いの火力に重きを置いた「マインティス神」、素早い身のこなしと短剣によるクリティカルを狙った暗殺者スタイルの「のど飴」、PvPに置いてリアルヘイトは集められないという理由からヘイト収集スキルを一切排しシールドスキルに特化させある程度の機動力を併せ持つ大盾装備の軽鎧戦士「龍♂狩り」を前衛に、連射スキルを持って攻撃の隙を埋め且つ状態異常を絡めながら矢をばらまく弓使い「トンボとり」、調合スキルによりトンボとりが使う状態異常毒の補給や各種ポーション投擲による敵の牽制や味方の援護を器用にこなす「薬★チュー」、味方へのバフや回復を的確に行いPTの潤滑油としての役割を果たす紅一点「サー姫」を後衛にしたその連携たるや、流石はユグドラシルに最後まで残った廃人プレイヤー達だと称賛されるべき洗練された働きを見せていた。

 

 しかし、それにクロエルは抗っていた。

 支援などそこにはなく、独りぼっちの戦争を続けていた。

 

 前衛を貫き後衛を潰そうと、恐るべき速さで矢とポーションの雨を打ち落としながら駆け抜け、行く手を阻んだ龍♂狩りの盾に刀を浴びせ、同時に背後からクリティカルを狙い短刀を振り抜こうとするのど飴に振り向くことなく鞘の石突を叩きこんで吹き飛ばし、次の瞬間には鞘から手を放し針型手裏剣に持ち替え双剣を構えて突撃してくるマインティス神に牽制とばかりに投げ付ける。

 

 龍♂狩りとの盾と刀による鍔迫り合いもそれと同時に終わった。フレンドリーファイアのないユグドラシルに置いて、敵は肉壁にはならず射線は通る。クロエルは龍♂狩りの背後から迫る矢の風切り音とのど飴へと飛ぶのであろう回復魔法の飛来音を聴きながら重心を左に置くように体を傾け、次の瞬間には弾けるように逆方向へと奔り龍♂狩りの右側面を潜るように抜けた。円を描くような摺足による音もない歩行術で、左に抜けるものと思って構えていた龍♂狩りは予想を外すこととなり背後へと抜けたクロエルへと慌てて振り返る。

 

 そこには、龍♂狩りに背を向けて迫る矢を刀で撃ち落とすクロエルの姿。

 トンボとりの援護射撃は間に合っていた。龍♂狩りはクロエルの無防備な後姿に勝利を確信する。ここで彼がスタン効果のあるシールドスキルを使えば、後続で駆けつけるマインティス神とのど飴が間違いなく止めを刺してくれる。

 勝った、間近の勝利に内心喜色を浮かべる龍♂狩りはシールドスキルを使おうとした体制のまま硬直した。なぜ、と思うも直ぐに理解する。龍♂狩りの足元に一本の針型手裏剣が突き刺さっている、〈影縫い〉という対象の回避を殺す、すなわち対象を一時的に行動不能に陥れるスタン効果のあるスキルを使用したのであろう。クロエルが矢を打ち落とす際に片腕で刀を振り回していたことを鑑みるに、龍♂狩りの背後へ抜ける際空いた片手で放ったものと思われる。やられた、と龍♂狩りが再びクロエルへと視線を戻すと、そこには迎撃し損ねた何本かの矢を身体に受けながらも再び走り出す彼女の背中と、それを追うマインティス神とのど飴の姿があった。

 

 さてどう出るか、とのど飴は赤黒い全身鎧を着こむ「狂犬」の背を追いながら考える。

 先ほど鞘で受けたカウンターダメージは既にサー姫の回復魔法によって癒えた。吹き飛ばされたことにより多少距離を稼がれてしまったが、そこは持ち前の敏捷さが生きて先に彼女の背を追っていたマインティス神をも追い抜き差し迫っている。龍♂狩りが一時的に行動不能に陥っているがそれでも現状は5対1。クロエルが前衛を貫いて後衛に攻撃が届く可能性ができたと言えば聞こえはいいが、実質は前衛と後衛で挟み撃ちができる状況に追い詰めたと言った方が正しい。薬★チューとトンボとりが弾幕を張り、更にその後ろでサー姫が回復支援を行えばまず後衛は瓦解しない。となれば、前衛ののど飴に続きマインティス神、遅れて行動不能から回復した龍♂狩りが背後から追いつき完全な包囲網が出来上がることだろう。

 クロエルと後衛の距離がどんどん縮まるが、その間にも彼女のHPは削られていく。流石に駆けながらの迎撃では精度に欠けるらしく、薬★チューの攻撃ポーションの投擲やトンボとりの矢の雨を完全に防ぐことができずにいるからだ。

 と、ここでクロエルの口から何時もの軽い口調とは異なる朗々とした声が響き渡る。

 

 ――武士道は死狂ひなり。一人の殺害を数十人して仕かぬるもの。

 

「〈侍の聖句〉だ! 大技来るぞ!」

「〈剣閃〉か!?」

 

 職業に「侍」を取得している者に強力なバフをかけるこの葉隠の一節が詠まれたということは次の手で強力な攻撃スキルを打ってくるのは間違いない。何度も彼女と剣を交えたことのある「黒の狩人」の一行は、彼女が持つ最高火力の全体攻撃スキル〈剣閃〉を警戒した。

 居合抜きの極意ともいえるそのスキルは抜刀と共に独楽のように一回転しながら一閃を放ち、全方位の敵に対して強力な斬撃を浴びせるスキルであり「黒の狩人」はこれに何度苦汁を味あわされたか分からない。

 誰もが〈剣閃〉に警戒して身構える中、のど飴だけは違和感を覚えて警戒の色を少し変えちらりと自分の後ろに目をやった。そこには未だ行動不能から抜け出せない龍♂狩りと、のど飴を吹き飛ばす原因となったクロエルの刀の鞘が転がっている。

 ()()()()()()()()()()()

 

 〈剣閃〉は居合抜き派生のスキルだ。当然刀を鞘に収めた状態からではないと居合抜きのスキルは発動しない。逆転を狙うために判断ミスが許されない状況でクロエルが無駄にバフをかけるとは思えず、となれば別の狙いがあるはずだとのど飴は引き延ばされた一瞬の思考の中で判断する。凡ミスするようなタイプではないと敵ながら信用を置いているのだ。

 では、何を狙っているのか。鞘を捨てた状態ならばのど飴たちが一番警戒していた〈剣閃〉が使用されることはない。一体――とここでのど飴の背中に強烈に冷たいものが走るのを感じた。

 あった、この状況からクロエルが逆転する方法が一つだけ。そして、その布石はもう打ち終わっている。打ち終わってしまっている。のど飴が正解に辿り着き、慌てて仲間たちに呼びかけようとした時には既に状況は動いてしまっていた。クロエルの動きが突如豹変し、怪物染みた速さで後衛の前に取りつくとあっという間に3人を斬り伏せていたのだ。薬★チュー、トンボとり、サー姫が光の泡沫となって消えていく中、血塗れの怪物が油断なくこちらに振り向いた。

 

「狂ォ犬んんんんんンン!!!」

 

 マインティス神の怒号が森の中に木霊する。後衛は全滅し、先頭を走っていたのど飴も一瞬のうちに距離を詰められ首を刎ねられた。彼の怒りは仲間を討った敵に対してのものだったのか、それともまんまと敵の策に嵌ってしまった己の不甲斐なさに対してのものだったのか。

 

 侍スキル〈捨て鞘〉。

 人も刀も帰る寄る辺を持っている。しかし死地に置いて、帰郷の未来を捨ててでも戦い続ける覚悟を体現したこの行為は、使用者が死に近づくほどステータスに上昇補正をかける。

 

 布石は既に打たれていたのだ。

 クロエルが龍♂狩りと鍔迫り合いを行っている時に。のど飴を鞘で押しのけ、襲いくるマインティス神に咄嗟に鞘を捨てて針型手裏剣に持ち替え牽制をして見せたあの時に。

 今思えばあの時、慌てて武器を持ち帰る必要などクロエルにはなかった筈だ。鞘を武器にしてマインティス神の攻撃を受けてもよかったし、そのまま投擲武器として扱うことでも充分牽制にはなっていたはず。だが、クロエルはあの時そうした行動に出なかった。鞘を武器として扱わず捨てる必要があったからだ。

 後は〈捨て鞘〉のバフがかかっていることを悟られぬように自身の動きを制限し、後衛が放つ弾幕をその身に受けてダメージコントロールを行いステータス調整、駄目押しの〈侍の聖句〉を使い一気に能力を強化すると隠していた力を開放し、「黒の狩人」の予想を遥かに超えた動きで一息に4人も斬り伏せて見せた。〈捨て鞘〉のスキル自体、これまでクロエルが使用せずに隠し通していたこともあり、知識として知っていながら気づくことに遅れたことが悔やまれる。

 

 マインティス神は剣の間合いに入るや否や両手に握られた双剣を掲げ一気に振り下ろす。クロエルが迎え撃つように刀を持ってその一撃を受けるが、その動きは先程の驚異的な身体能力が影を潜めており動きに精彩を欠いている。〈侍の聖句〉によるバフ効果が切れたのだろう、あれは強力な能力向上スキルだが効果時間は短く、何より効果が切れれば能力が一定時間弱体化するというデメリットを持つ短期決戦用のスキルなのだ。幸い〈捨て鞘〉の能力上昇値が生きているので互いの効果を打ち消しあっている状態だが、実質バフ無し、〈捨て鞘〉発動状態なので居合抜き系統のスキルも封じられ手札も限られている中、無傷のプレイヤーを後2人も相手取らなければならない。

 クロエルの理想としては〈侍の聖句〉の効果が切れるまでに5人斬りを果たし龍♂狩りとの1対1に持ち込みたかったのだが、予定よりも敵が密集しておらずマインティス神との距離が離れていたため失敗に終わった形だ。

 何度もぶつかり合ったことのある両者は互いの手札と知り尽くしている。今日がユグドラシル最後の戦いになると考えたクロエルはこの日まで隠し通してきた〈捨て鞘〉を使って初見殺しの賭けに出たが、これで完全に種切れとなってしまい、後は純粋な戦闘技術のぶつかり合いへと移行してゆく。

 

「〈双剣乱舞・狂刃の嵐〉!!」

「〈三重の錬磨・空蝉〉! …うぐっ、〈玉鋼〉!!」

 

 マインティス神の嵐のような双剣による連撃に対しクロエルは回避スキル〈空蝉〉を三重で発動。しかし避けきれないと見るや攻撃を一瞬だけ完全無効化するスキル〈玉鋼〉を発動し相手の攻撃を弾き、すぐさま反撃へ転じる。

 袈裟斬りの斬撃を浴びせようとクロエルが上段に刀を構えたと同時にマインティス神が横に飛び、入れ替わるようにして大盾を構えた龍♂狩りが飛び込んでくる。咄嗟にクロエルが後方へと小さく跳ねれば〈シールドバッシュ〉のスキルで振り抜かれた大盾が彼女の胸部をかすって火花を散らす。同時に鳴った瞬間的に金属同士がぶつかり合う音は、後退しながらクロエルが放った針型手裏剣をマインティス神の剣が弾いた音だ。

 〈影縫い〉のスキルを纏った針型手裏剣を強引に間に割って入ったマインティス神が左手の剣で叩き落し、同時に右手の剣を外向きに払うよう振り抜きクロエルに真一文字の斬撃を放つ。対する彼女はその一撃を、右手に持った刀を垂直に胸元に掲げ左手を刀身に添える構えをもって迎え、剣の腹で攻撃を防ぐや流れるように受けた体制そのままに大きく一歩踏み込み、同時にその勢いを殺さず上半身を素早く捻ってマインティス神の胸板へと自身の左肩を叩きつける。

 ぐふっと空気の漏れる音がしマインティス神がたたらを踏む。勝機と見たかクロエルが刀の切っ先を地面に向けた脇構えから一気に斬り上げるが、そこに待ち構えていたのは龍♂狩りの大盾だ。マインティス神の背後にいた龍♂狩りが、咄嗟に仲間の襟首を掴んで後方へと引き剥がしながら大盾を前に突き出していた。しかし永遠の様な一瞬の中で、何時までたっても大盾で受けるはずの衝撃が伝わってこない。龍♂狩りが疑問を覚えるより早く視界の隅で何かが動いた気配がして、ハッとそちらに振り向けば左目に、喉に、心臓に、的確にクリティカルを狙う神速の刺突を見舞われた。

 

 ――最初の斬り上げは、ブラフか。

 

 龍♂狩りは残った右目で刀を引き抜くクロエルを眺めながらふっと笑う。何笑ってるんスか、と不機嫌な声がした気がしたが、そこで龍♂狩りの意識は途切れた。

 スキル〈陽炎〉。武器を構えた状態から殺意だけを飛ばし、あたかも攻撃を行ったかのように対象に錯覚させる、戦士職の使える数少ない幻惑系のスキルの一つ。偽りの攻撃に龍♂狩りが反応したのを逆手に取り、クロエル自身はその大盾に身を隠し、機を見て相手の側面へ飛び出すと、間髪入れずにスキル〈三段突き〉を急所へと突き入れてみせたのだ。

 

「糞がぁあっ!!」

「ゲぶっ!?」

 

 一人倒して安堵する間もなくマインティス神の双剣を受けクロエルが呻く。〈捨て鞘〉の恩恵を得るために受けたダメージに加えて、自然回復量を差し引いてもこの追加のダメージは痛い。HPもレッドゾーンに足を踏み入れているだろう。

 

「デバフかかってんのに問題なさそうに動きやがって! 羨ましいんだよその祝福!!」

「こんな呪い譲れるもんなら譲りますー! そんときゃPKリンチや孤独な生活とかその他諸々もれなくセットで付いてくるっすけどね!!」

「俺だったらもっとうまく立ち回れるわっ! コミュ障だから回り敵ばっかなんだよ!!」

「カーッ、言っちゃいけないことを言ったっすね! レディーには優しくしろってお母さんに言われなかったっすか!!」

「誰がレディーだ!!」

 

 1対1になった途端に、堰を切ったように言葉の応酬を始める両名。激しい剣戟の中、二人の感情がぶつかり合う。クロエルとマインティス神の付き合いは長い。それこそクロエルにとって数少ない、引退していった友人たちよりも。

「黒の狩人」内でも何度もメンバーの入れ替えは行われている。マインティス神はその中で唯一最初から最後まで残り、今日この日までクロエルと鎬を削りあった最強最後の存在。

 今日で最後なのに、他に何か語るべきことがあるのではないかと思っても、これが彼らの日常だった。敵同士でありながら、お互いを知りすぎている者同士の歪で不器用な交流。

 

「一人で何も問題ないみたいな面しやがって! 実際問題なさそうなのも気に食わねぇ!!」

「勝率で言ったら負けの方が多いっすよ! そんなに勝ちたきゃ復活アイテムでも使って物量で押せばよかったじゃないっすか!!」

「んな格好悪い勝ち方できるかぁ!!」

 

 LVが同格であるのなら戦いは数だ。より人数が、よりアイテムを豊富に持った方が単純に強い。クロエルはプレイヤーとしては確かに強いが個人の殲滅力には限界がある。例え一人で何人も斬り伏せたとしても、その間に他の仲間たちがそれぞれ復活に回り物量戦で押し切ってくるのならば勝利など皆無に等しい。

 クロエルにとって「黒の狩人」はただの敵だが、何かしらの矜持を持ってそうした戦法と取らずに戦ってきたことには一定の敬意を示している。治癒薬を投げ付けてくるのは勘弁願いたいという思いはあるが。

 

「そんなんだから自分一人に苦戦するっすよ! …まぁ、嫌いじゃないっすけどね!」

「お前にデレられてもなんも嬉しくないわっ!」

「ひどい!」

 

 軽口のような言葉の応酬を交えながら一進一退の攻防は続く。

 マインティス神が剣を振り下ろせばクロエルが刀を担ぐような構えを取って鍔で受け、そのまま接近して柄の先を打ち付ける。接近しているのならば、と今度はマインティス神がその脇腹に膝を返す。クロエルが身体をくの字に曲げて後ろに飛べばマインティス神が合わせて接近し追撃の双剣を振るい、しかしその剣は片や刀で受けられ、片や手首を打った裏拳により軌道を変えられる。

 これまでの攻防にお互い決定打はなく、しかしマインティス神はクロエルが全身鎧の繋ぎ目という繋ぎ目から血を滴らせているのを見てこの勝負に王手をかけたのを確信する。

 

「幕だぁ狂犬! ()()()()()()!!」

「だから手数の多いスピードファイターは嫌いっす!」

「さっき嫌いじゃないって言ってなかったかぁ!?」

「うるせーっす!!」

 

 クロエルが駆けだす。その背をマインティス神が追いかけながら、先にあるものにちらりと視線を向ければ「永久の桜花」が儚げに発光していた。この桜の木には特殊な力があり一定の距離まで近づくと、近づいている間だけHPとMPの自然回復力の向上、デバフ、状態異常から脱却するまでの速度を高める効果がある。クロエルの目的は自然回復量の向上による出血ダメージの打ち消し、そして未だに残っている〈侍の聖句〉解除後のデバフからの逸早い脱却であることは間違いない。しかしその効果範囲に辿り着けたとしても劇的に回復速度が上がるわけでもないので、クロエルはマインティス神に追いつかれた時点ですぐに止めを刺される可能性が高かった。剣を交えていた時よりも〈捨て鞘〉によって高められたクロエルの身体能力が、彼女が虫の息だと如実に語っている。その場に留まれば出血ダメージだけで敗北は必須、ならば、走るしかないのだ。

 

「最後まで変わらねぇ、往生際の悪さはユグドラシル1だぜ!!」

「たとえ倒れたって敵に『もう二度と相手にしたくない』と思わせれば自分の勝ちっす!」

「ぬかせっ!!」

 

 脚の速さはクロエルの方が上だ。

 彼女は「永久の桜花」の効果範囲に辿り着くだろう。だが、それまでだ。桜の幹とマインティス神に挟まれた時点で彼女の足は止まる。決着の時が近い――

 

 ――と、そこでクロエルの重心が一気に傾いた。

 

 転んだのかとマインティス神は一瞬目を剥いたが、しかしすぐに違うと彼は悟る。クロエルが極限まで体を縮め、弾けるバネのように水平に跳躍、頭からのスライディングを決行したと分かったからだ。「永久の桜花」の効果範囲にはまだギリギリ届く距離ではない。焦りから判断を誤ったかと一瞬マインティス神は思い、そして彼女の先の地面に転がっている物に気付いた。

 

「なっ?!」

 

 それはクロエルが捨てた鞘だった。

 なぜそんな所に、とマインティス神が考えた所で最悪の予想が浮かび上がる。まさか、予期していたのだろうか、と。自分の体力が極限まで落ち、出血ダメージで死に体になる所まで予期した上で、「永久の桜花」と地面に落ちている鞘が直線状に並ぶ立ち位置まで戦いながら移動していたのだろうか、と。

 

 鞘を掴んだクロエルがスライディングの勢いをそのままに地面に激突し、苦痛の声を漏らしながら「永久の桜花」まで転がっていく。勢いが弱まれば転がった状態で無理やり地面を蹴り身体を跳ね上げ、背中から桜の幹に激突し尻餅を搗くことでようやく停止する。

 それは、奇しくも最初の奇襲トンボとりの矢を全て打ち落とした時に見せた、居合の姿勢そのままだった。

 

「クロエルウウウウッ!!」

「終わりっす」

 

 マインティス神が初めて彼女の名を呼びながら双剣を振り下ろし、同時にクロエルの必殺の居合抜きが閃いた。

 

「…俺はお前が大嫌いだったよ。何時も一人で突っ張ってて、誰に何されようが、どこ吹く風、どんなに叩き伏せたって諦めねぇ。死ぬ瞬間まで噛みつく往生際の悪さ」

 

 マインティス神が苦痛に顔を歪めながら膝をつき、臍下から胸部まで縦一文字に伸びた傷から血を吹きだす。先に剣を届かせた、クロエルの勝利だ。

 

「…でも、最後まで曲がらなかったな…一人で、駆け抜けやがっ、た…格好、いいよ、お、ま…」

「マインティス神…」

 

 最後の戦士が倒れ、再び森の中に静寂が広がる。

 クロエルは脱力して「永久の桜花」に背を預けると天を仰ぐ。頭上には「永久の桜花」の枝が無尽蔵に伸び、満開の花を風に揺らして花弁を舞わせていた。

 マインティス神の今際の言葉を反芻しながら、クロエルは最初の疑問へと立ち返る。

 

 何でここまで、ユグドラシルというゲームを続けることができたのか。

 

 正直、いい思い出なんて数えるほどにしかない。憎まれ、憎んで、戦いに明け暮れる日々。

 しかし、本当にそれだけだろうかとクロエルは考える。本当にそれだけならば、マインティス神の先程の台詞がこうも抵抗なく胸にストンと落ちてくるだろうか、と。

 憎み合っていただけじゃない。内心、お互いを認め合っていたからこそクロエルは腐ることなく、どんなプレイヤーの挑戦にも応え、そして挑み続けることができたのではないかと、そう、初めて感じた。

 

(ああ、何だ…)

 

 その考えに至ったとき、クロエルの胸中に温かい感情が広がっていくのを感じた。

 

(…自分、ちゃんとこのゲームを楽しんでたっすね)

 

 そう、楽しかった。楽しかったのだ。

 クロエルは兜の中で柔らかく微笑む。それに気付かせてくれた「黒の狩人」のメンバーに敬意を、そしてこの最期の日を充実した気持ちで終わることのできる幸せに感謝を送ろう。

 

 クロエルは静かに目を閉じ、顔を伏せる。

 

 そして物言わぬ石像となって、その時を待ち続ける。

 

 ユグドラシルという世界が終焉を迎える、その時を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 クロエルは気付かない。

 実は先刻から、戦闘の最中から森の様相が変化していたことに。

 

 クロエルは気付かない。

 先に倒した「黒の狩人」、薬★チュー、トンボとり、サー姫、のど飴の4名は光の粒子となって消えたのに、後に倒した龍♂狩り、マインティス神の死体が未だにこの場所に残っていることに。

 

 クロエルは気付かない。

 

 サーバーダウンの時刻、午前0時は当の昔に過ぎているということに。

 




 おまけ・捏造一覧

・クロエル、黒の狩人
 そもそも。
・手負いし獣の六感
 常時発動型の探知スキル。精度が高く便利。
・永久の桜花
 淡く発光する大きな桜の木。近くにいる間だけHP/MP回復速度向上。
 デバフ・状態異常からの回復速度も早まる。持ち歩けない。
・祝福(呪い?)
 デメリットが多そうな祝福。正式名称、詳細情報は次の機会に。
 アンデッドじゃないのに治癒薬が嫌いな様子。激しい運動は控えましょう。
・居合抜き
 高速の抜刀術、色々ありそうですが割愛。
・影縫い
 公式にあるスキルですが「行動不能になる」という解釈で書いてます。
・侍の聖句
 少しの間だけ俺TUEEができるけど、効果が切れたら弱体化して地獄を見ます。
・捨て鞘
 HPが減るほど能力値が上昇するMスキル。居合系統の技ができなくなるので使いどころが難しい。
・剣閃
 リ〇クの回転切りみたいな技です。効果範囲広し。
・双剣乱舞
 双剣スキルの連続攻撃回数を増やします。
・狂刃の嵐
 連続攻撃スキルです。
・三重の錬磨
 魔法三重化の侍バージョンの様なもの。
・空蝉
 残像を作って回避します。
・玉鋼
 一瞬だけ攻撃を無効化します。
・シールドバッシュ
 盾で攻撃します。
・陽炎
 攻撃姿勢から殺気だけ飛ばして、相手に攻撃したと誤認させるフェイント技です。
 ゲーム内では実際に分身が出てきて攻撃するエフェクトになっている。
・三段突き
 3つ急所を素早く突くクリティカル技です。


最後までよお読みいただいてありがとうございます。


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残念な出会い

 おかしい、とクロエルは思った。

 先ほどまで万感の思いで終わりを迎えようと勝利の余韻に浸って脱力していたのだが、何時まで経ってもその終わりの時がやってこない。

 「黒の狩人」たちと戦闘を開始した時点でもう結構な時間になっていた筈なので、決着がつきこうして「永久の桜花」の下で蹲っている現在、サーバーダウンの時刻午前0時はとうに過ぎていて良いはずだ。戦闘中マインティス神や龍♂狩りがゲームではあり得ないほどに表情豊かに見えたことや、先ほどから絶えずゲームでは感じるはずのない血生臭さが鼻につくことや、閉じていた目蓋を持ち上げ辺りを見渡してみればゲームグラフィックにしてはあり得ないほど現実味を帯びた風景になっていることはとりあえず置いておいて、クロエルは時間通りにサーバーダウンを行わなかった運営の怠慢に憤った。

 

(台無しっす! 折角の気分が台無しっす! マインティス神と龍♂狩りの死体も残ったままっす! 運営仕事しろっす!)

 

 内心で運営人を叱咤し怒りを体現させるかの如く拳を握り、諸手を挙げるクロエル。線が細く全く着膨れして見えない全身鎧姿は、鎧と言うより外骨格を連想させ傍から見るとサイボーグが座って伸びをしているようにしか見えない。

 

(っつーか臭いっす! なんすかこの濃厚な血の匂い、ここへ着てまさかのアップデートっすか! やる意味がわかんないっす!)

 

 クロエルが怒りに任せて「GMコール!」と叫ぶもウンともスンとも反応がない。それどころかステータスウィンドウも表示されていないことに今更気づき動揺するも、そういえば戦闘中も途中から非表示になっていたけど問題なく動けていたなと思い直す。勢いって凄い。

 クロエルはため息をついて視線を下げ、彼女の前に転がるマインティス神の死体を眺める。地面を滑るように広がっていった血の水溜りも、今は土が吸ってしまったのかその染みを残すばかりだ。注意深く鼻で息を吸ってみれば、血の匂いの中に若干糞尿の匂いも混じっていることがわかる。こうなってしまうと台無しだな、とクロエルは残念な気分になった。先ほどまで敵ながら美しい散り様だなと感動していたものだが、今となっては美しい散り様なんて現実には存在しないのではと考えてしまう。

 

 ――現実。

 

 これは、現実なのだろうか、とクロエルは考えないようにしていた事柄に目を向けた。倒した戦士たちの表情、不快な臭いと土の感触や温かさ、風に揺れサラサラと揺蕩うどこまでもリアルな自然、間近にある死。

 あり得ない、と頭で否定しても居るよ、と彼女が訴えかけてくる。現実世界の彼女ではなく、ゲームの世界の彼女が、クロエルが、私はここに居るよと訴えかけてくる。冷たい鎧の重みで、胸の鼓動で、熱い吐息で、傷の痛みで、内に流れる血潮で、全身全霊を持って訴えかけてくる。私はここに居るよと。

 

「…はぁ、一人で考えたって始まらないっす。そこの人、出てきてほしいっす」

 

 クロエルはそう独り言ちると隠れていた相手に出てくるように促す。

 戦闘の途中から、探知スキル〈手負いし獣の六感〉で新しくPOP(出現)した存在をクロエルは感知していた。その人物はこちらに近づいてはきたものの一定の距離を置いて立ち止まってしまったので観戦目的、若しくは漁夫の利を狙っているのだろうと今まで放置していたのだ。

 少し離れた森の木の陰から姿を現した人物に、クロエルは初めて顔を向けた。

 

 

 

 * * * *

 

 

 

 夜の森に紛れるように、漆黒のフード付きローブを頭からすっぽりと被った人物が一人、迷いのない足取りで歩を進めていた。

 その姿に加え肩や腰のあたりが上下しない独特な足運びは遠めに見れば亡霊のようで、しかし短く規則正しく口から洩れる息遣いやローブ越しに浮き上がる柔らかな曲線美が、その人物を生きた人種の女性であると教えてくれる。年齢は二十歳前後だろうか、フードの下に覗くのは短い金髪に整った顔立ち。猫科の動物を思わせる可愛らしさを感じられるが、同時に肉食獣を思わせるどう猛さも垣間見える。

 

 女の名はクレマンティーヌと言った。

 この大陸の南に存在するスレイン法国出身。国が抱える特殊部隊の一つ「漆黒聖典」に所属する戦士だったが、現在は出奔しておりそれが理由で「漆黒聖典」とは別の特殊部隊「風花聖典」に追われる状況にあった。

 彼女は逃走するにあたり平原、関所などを潜り抜けての他国への侵入が難しいと判断し、現在スレイン法国から見て北西にある森、ダーク・エルフ国へと足を踏み入れていた。身を潜められる森の中にあり法国と敵対関係にあるエルフの国があるというのも都合がいい。勿論味方というわけではなくダークエルフ達には歓迎されないだろうから、相手の哨戒を刺激しないギリギリの距離を保つつもりだ。何も起こらなければそのまま北上を続けて亜人ひしめくアベリオン丘陵の横断を決行、その先にあるリ・エスティーゼ王国直轄区の城塞都市「エ・ランテル」に逃げ込みそこに潜伏している秘密結社「ズーラーノーン」と接触、万が一「風花聖典」に発見されてもダークエルフ側に押し付け乱戦に乗じて逃げる算段である。危険な綱渡りであることには変わらないが勝算はある、とクレマンティーヌは考えていた。

 

(んー?)

 

 はたとクレマンティーヌの足が止まり周囲を警戒するかのように、いや、実際に警戒を高めながら注意深く周囲を伺う。突如始まった金属同士が高速でぶつかり合う音、戦士が奏でる戦場音楽がそう遠くない場所から響いてくる。

 

(風花聖典とダークエルフが接触でもした? でもなー何か違うってゆーか…)

 

 それは、今までに聴いたこともないような激しい剣の旋律だった。

 クレマンティーヌは少し首を傾げながら、突然始まったこの戦場音楽に聞き惚れ、しかし違和感も覚える。その戦場音楽は開始直後の緩やかな旋律の過程を無視して、中盤からの激しい旋律をいきなり演奏したかのような唐突さがあった。しかし音を聴くだけでも分かる演奏者たちの力量にクレマンティーヌの胸は好奇心で一杯になった。

 彼女の高揚は戦士としての矜持からか、それとも快楽殺人者として死の匂いを感じ取ってのことなのか、これは滅多に見られない殺し合いだと、クレマンティーヌは意気揚々と、しかし細心の注意を払いながら音のする方向へと足を運び――

 

 ――そして息をのみ、目を奪われた。

 

 それは、神話の中でのみ語られるような激しい戦いだった。

 双剣をさながら竜巻のような奔流で操る剣士に大盾を攻守巧みに切り替え振るう特殊な戦い方をする戦士、そしてその最強の矛と盾を前に一歩も引かず渡り合う赤黒い全身鎧を纏った刀使いが一人。この世界に置いて人外、英雄の域に足を踏み込んだとされるクレマンティーヌを以ってしても、立ち入ることの許されない遥か高みの決戦であった。

 

(神人…違う、それ以上のナニカ…何なの、何であんな化け物達がこんな所で殺しあってるの?!)

 

 クレマンティーヌは混乱の極みに達した。逃げなくては、あの化け物どもが戦っているうちに、巻き込まれるなんて真っ平ごめんだ。そう思っても足が動いてくれない、化け物たちの戦いから目を離せない。彼らの力が、技が、剣の火花となっては消える命の瞬きが、彼女の眼を放してくれない。

 それは一種の憧憬だった。恵まれた素質に胡坐をかかず、研鑽を怠らず、その先にあろう戦士の力と技の極みを体現するかのような存在の戦いに、クレマンティーヌの戦士としての矜持が激しく揺り動かされていた。

 やがて一人が倒れた、大盾を使った特殊な立ち回りをしていた戦士だ。双剣の剣士と刀の剣士の一騎打ちとなり、お互いが剣と言葉を交わしながら一進一退の攻防を繰り広げる。無意識の内に握られたクレマンティーヌの両拳に力がこもる。決着が近いのを感じ、双剣の剣士が勝利を掴むとクレマンティーヌは予想した。いつ受けたのか刀の剣士は全身から血を滴らせており明らかに劣勢であったからだ。

 しかし最終的にはその予想を裏切って刀の剣士が見事に逆転して見せた。戦闘が終わるとクレマンティーヌは堰き止めていた息を一息に吐き出しそうになり慌ててゆっくりと息を吐いた。呼吸するのも忘れて見入っていたらしく今更ながらに息苦しさを感じた彼女だった。

 

(…死んじゃったのかな?)

 

 興奮は冷めやらぬが努めて冷静に現状を分析し始めるクレマンティーヌ。戦闘が終わってから、何やら淡く発光する神聖そうな大樹の下に腰を下ろしている刀の剣士の様子を森の陰に隠れて観察する。

 鎧越しに流れていた出血量から見ても致命傷だったのは間違いない。しかし今は出血も見られないし僅かにだが肩が上下しているように見えるので生きてはいるらしい。

 しかし、あの傷ではもう長くは――

 

「GMコール!」

 

 ――元気だった。すごく元気だった。

 いきなり諸手を挙げたと思ったら、快活に響く声で謎の呪文を唱えたのでクレマンティーヌは思わず後ずさる。しかし刀の剣士は次の瞬間には両腕を下ろし溜息をついていたのですぐに警戒を弱めたが。

 

 さて、とクレマンティーヌは考える。

 相手の奇行を見て完全に頭の冷えた彼女は当初の目的を思い出す。すなわちダーク・エルフ国を北上してアベリオン丘陵の横断だ。珍しいものを見させてもらったが、これ以上長居するのは危険だろう。刀の剣士と接触するにも相手のことを知らなすぎるし――そういえば声が女性のものであったことに今更ながら驚く――何より友好的かもわからない、勝算とかを考えて良いレベルの化け物ではない相手に自分が一体何ができるのかとクレマンティーヌは見切りを付ける。

 当初の予定通り移動を開始しよう、そう考えた矢先の出来事だった。

 

「…はぁ、一人で考えたって始まらないっす。そこの人、出てきてほしいっす」

 

 化け物の方から声をかけられ、クレマンティーヌはすぐに立ち去らなかったことに激しく後悔した。

 

(まずい、まずい、まずいっ!)

 

 クレマンティーヌは生きた心地がしなかった。

 逃げられる相手じゃない、そう確信した彼女が大人しく姿を現すと相手もゆったりと立ち上がりこちらに身体を向ける。

 そこには尋常じゃない殺気があった。法国の特殊部隊「漆黒聖典」として、時には邪悪な秘密結社「ズーラーノーン」として数々の修羅場を潜り抜けてきたクレマンティーヌを以ってしても到底抗うことのできない濃密な殺気。彼女は自分の歯の根が鳴り、身体は冷や汗に濡れ、脚は立っているのもままならないほどに震えていることを自覚する。

 

(糞がっ! こんな所で、このクレマンティーヌ様が、終わってたまるかっ…死んでたまるかっ!)

 

 震える身体に鞭打って、クレマンティーヌが辛うじて自分の武器であるスティレットを抜き構えると、化け物が興味深そうに彼女の姿を観察していた。

 

「死ん…でっ、たま、る…か! 死んで、たまる、かっ!」

 

 恐怖の中そう声を絞り出しながら、きっと私は今酷くみっともない格好を晒しているのだろうな、とクレマンティーヌは他人事のようにそう思った。

 震える太腿の間を、温かいものが流れ落ちていくのを感じながら。

 

 

 

 * * * *

 

 

 

「死ん…でっ、たま、る…か! 死んで、たまる、かっ!」

 

 これは一体どうゆう状況だとクロエルは考える。

 隠れてこちらの様子を窺っていた人物に声をかけてみれば殊更に怯えられ、へっぴり腰で武器を向けられるこの状況。友好的に接したつもりだったのに一体どこで間違ったのだとクロエルは頭を悩ますことになる。

 そしてこの世界がゲームではないという証拠がまた一つ揃ってしまった。生まれたての小鹿のように身体を震わす彼女から漏れ出たものを見て、クロエルはため息を付きたくなるのをグッと堪えた。同じ女としてこの醜態には目を瞑るべきだ。相手だって見せたくて見せたわけではないだろうし毅然とした態度で対応しようとクロエルは心に決める。

 

(十八禁に触れる表現はアウトっす。アカウント停止の強制終了もないし確定っすかね)

 

 そして、この女性は現地人だろうとクロエルは推察する。

 戦闘中にPOP(出現)したこの女性、否、POP(出現)したのは自分たちの方かとクロエルは改め、たまたま彼女の近くに自分たちが転移してしまい、こうして不幸な遭遇戦…と言っていいのかは分からないが、とにかくそんな状況に陥っていると推察できる。

 そして、このスティレットを構える女性は弱い。怯えているからとかそういう理由ではなく、レベルが圧倒的に足りていない。

 

(レベルは30ちょいって所っすかね。鑑定スキルなんて持ってなかった筈っすが…これは、キャラに人格が引っ張られてるんすかね?)

 

 この世界にきて初めて人を殺したはずなのに、動揺もなければ慣れている節すらある自身の思考回路のこともあって概ね正解だろうとクロエルは考える。現実世界でもこんな思考回路だった可能性も無きにしもあらずだが、そんなことは考えないし考えたくもない。

 現実世界のクロエルに武術の経験などはない。運動神経は良かったが、武道家のようにその立ち姿から相手の力量を推測するような観察眼はもちろん持ち合わせていない。しかし今はそれが可能であり、雰囲気から大よそのレベルを、歩行や武器の構え、体つきなどからその技量や戦闘スタイルなどを推し量ることができる。

 これは、「クロエル」というゲームのキャラクターが積み上げてきた、数多の殺し合いによって叩き上げられた経験が自分と重なった結果ではないかと彼女は考えている。

 

(一朝一夕でできるわけがない戦闘中の身体捌きといい、これは要検証っすね)

 

 ふむ、と顎に手を当てて熟考しながらクロエルは目の前の女性も気に掛ける。

 出会いこそ酷い形になってしまったがクロエルは彼女に対して好感を持っていた。勝てないと分かりながらも生を諦めないその姿勢、恐怖の中にあって尚剣を捨てないその勇気。その姿がユグドラシルのプレイ当初の自分を見ているようで懐かしさを覚える。ゲームの経験と同列で彼女の人生を見るのは失礼極まりない話だが。

 しかしこちらは友好的に接しているつもりなのに敵対されたのは何故だろうとクロエルは首を傾げて、自身から溢れ出ている殺意のオーラに漸く気付く。〈闘気〉のスキルが発動していたらしい。このスキルは自分よりも低いレベルの相手を恐怖させる他、刀剣の攻撃スキルの威力を上昇させる効果がある。隠れていた彼女が姿を現した時、レベルはともかく相当な熟練者だと感じてクロエルが意図せず発動してしまったようだ。

 しまった、と慌てて〈闘気〉を解除しようとするも、ふと思い留まって彼女の方を見やる。恐怖の中にあって尚戦おうと決意した涙に潤む瞳。〈闘気〉を解除して謝罪するのは簡単だが、それをするのは戦士である彼女に対してとても失礼なことではないだろうか。

 

 ならば、と決めてからは早かった。クロエルが目にも留まらぬ居合抜きを放ち、対する彼女は碌に反応できないままビクリと肩を震わせ、手に持っていたスティレットを落として膝をついた。

 ああ、私は死んだのか、と女が呆然自失に項垂れ、しかし自分の身体のどこにも斬られた跡がないことに気付くと見る見る瞳に生気を宿し驚愕したように顔をあげた。確かに斬られたと感じた、しかし実際のクロエルは刀を抜いておらず居合の姿勢を取ってからは動いてはいない。

 これは戦闘中にも彼女が見せたスキル〈陽炎〉だった。攻撃体勢から殺意だけを放ち攻撃と錯覚させるフェイントスキル。

 錯覚であっても勝負に一応の決着を付けることで彼女の戦意を消失させようとしたこの試みは成功したと見え、クロエルはこの結果に満足し、漸く〈闘気〉を解除する。

 

(〈闘気〉と〈陽炎〉のコンボ、これは使えるっすね! この異世界で低レベル帯と喧嘩になった時は、これで血を見ずに問題解決できそうっす!)

 

 そんなことを思って彼女は内心ほくそ笑むが、これは精神力が強靭な相手に使ったからこその結果であり、それ以外の相手に使おうものなら斬られたと錯覚した時点でショック死する可能性が高いことに、この時の彼女は気付けなかった。

 

「…あなたは、一体」

 

 膝をついたままの女の問いかけにクロエルは向き直る。そして、その問いには答えずに別の言葉を紡いだ。

 

「そのはねっ返り」

 

「腐っても屈せず、どんな理不尽にあっても噛みつき足掻き続けるその気概」

 

「好意に値するっす」

 

 それは先の実験の結果に気分を良くしたクロエルが、興に乗ってつらつらと並べ立てた適当な言葉だった。何となく自分に似ていて馬が合いそうだと軽い気持ちで語られた言葉だが、出会ったばかりでお互い何も知らないにも関わらず、自分のことを語られたら普通の人ならどう思うだろう。

 案の定、最初はぽかんと聞き入っていたものの女はやおら眉を顰めると膝をついたままクロエルをねめ上げた。

 

「…ふっざけんな。あなたなんかに…てめーなんかに私の何が分かるってんだ」

 

 うん、とクロエルは相手の反応に首を少し傾げ、やがて得心が行ったとばかりに頷いた。

 

(むむ、これは所謂「あんたなんかにあたしの痛みは分からないわ!」的な奴っすね。実際わかんないっすけど、適当に返したらフラグが折れそうっす…そうだ!)

 

 何を閃いたのかクロエルは膝をついて女に目線を合わせると、フルフェイスの兜の仮面部分を持ち上げて開いて見せた。突然の行動に女は警戒するも、クロエルの素顔を見てすぐに驚愕の面持ちで息をのむ。

 

「痛みは知ってるっす」

 

 女は全身から力が抜けていくのを感じながら、目の前の化け物をまじまじと見つめて思う。

 ああ、確かにこの刀使いは化け物だろう。しかし、これは仕立て上げられた末の姿なのだ。人々に、寄ってたかって、追い詰められ、そうあれと。なのに、彼女は人と言うものに絶望していない! こうして醜態を晒している私に歩み寄ろうとしている! なんて優しく、悲しい怪物!

 

 …素顔を見た女の見当違いな推察にクロエルは勿論気付かない。それどころか反応を見てコミュニケーションに成功したと暢気に彼女に話し続ける。

 

「自分はクロエルって言うっす。あなたの名前を知りたいっす」

「…クレマンティーヌ」

「クレマンティーヌ、可愛らしい名前っすね。じゃあクーちゃんって呼ぶっす」

 

 クロエルが右手を差し出し、それをクレマンティーヌがぎこちなく握る。

 現地人とお近づきになれたことにクロエルは内心「ミッションコンプリート!」と叫ぶくらい喜んだ。ローブ越しに覗くビキニアーマーが多少気になるが、それ以外の荷物を見ればクレマンティーヌは旅の途中なのだとすぐ分かる。ならばこの異世界の情報を豊富に持っている可能性が高い。

 

 さあ、異文化交流だとクロエルはウキウキしながらクレマンティーヌを見つめる。

 どんなことを聞こうか、どんなことを話そうか――

 

 ――そうだな、とりあえず必要なのは着替えと無限の水差しだ。と、クロエルは鼻孔をくすぐる臭いに黙って無限の背負い袋へと手を突っ込んだ。

 




 おまけ・捏造スキル

・闘気
 殺気を浴びせて格下を恐怖・恐慌状態に。刀剣スキルのダメージアップ。


 次回は主人公が受けた祝福の解説と異世界の情報集予定です。


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魔女の祝福と旅立つ子らよ

 前回クレマンティーヌの目的を「山越え」と書いてましたが、オバロマップを見ててアベリオン丘陵に入ってるなと今更気付き「アベリオン丘陵の横断」に変更しました。


『魔女の祝福』

 

 とある辺境の国に武勇を尊ぶ騎士がいた。

 騎士は妻の懐妊を知ると、産まれてくる我が子に強大な力を求め、密かに呼び寄せた魔女に眠る妻の胎へと祝福を刻ませた。

 果たして赤子は望の力を授かり産まれてくるが、生涯を幽閉されて過ごしたという――

 

 

 ――開かれたメッセージウィンドウの最後にそんな文章が綴られていた。

 クロエルが初めてユグドラシルの世界に立った時、最初に目にしたのが「おめでとうございます! あなたは魔女の祝福を獲得しました!」というメッセージウィンドウだった。

 何だ何だと取り合えずメッセージをスクロールしながら読み進めていくと「魔女の祝福」に関する詳細であったり、それに付随するフレーバーテキストが掲載されていた。要約するとキャラクター作成時に抽選によって授けられる貴重なスキルの一つであるらしく、宝くじに当選したようなものらしい。

 

 効果としては確かに強力の一言に尽きた。

 なにせ常時発動型のステータスボーナスである。特にHP、物理攻撃力、素早さの伸びがよく近接戦闘職垂涎のこのスキルには当初クロエルも大いに喜んだ。ユクドラシルの種族は大きく分けて「人間種」、「亜人種」、「異形種」の3つがあり、ざっくり言えば人間種が一番弱く異形種が一番強い。しかし人間種と違い異形種などは職業レベル以外にも種族レベルというものを含めて最大100レベルになるようにレベルを割り振らなくてはならないので一長一短ではある。

 クロエルは人間種のダークエルフだ。人間種でありながら魔女の祝福のおかげで異形種並みに高いステータスを誇り、尚且つレベルの全てを職業レベルに割り振れることで戦略の幅も広いときている。これを強力と言わずしてなんと言うのだろう。

 

 …そう、メリットの面だけで言えばそれは確かに破格の性能を持ったスキルだった。

 しかし()()の祝福である。古来おとぎ話の中で魔女というのは悪者と相場が決まっている。そんな魔女が果たして何のデメリットのない祝福を他者に授けることなど有り得るのだろうか?

 クロエルはモンスターと戦闘することですぐに魔女の祝福の本領を思い知ることになる。

 

 まず、皮膚が裂けた。

 モンスターから攻撃を受けたわけではない、彼女が自分の武器を振った瞬間、背中から右肩に至るまでの皮膚が一直線にベリッと裂けたのである。裂傷のダメージに続けて血も噴き出し出血ダメージが加わった結果、まず負けることのないチュートリアルのモンスターに惨敗を喫する羽目になった。

 初の死亡を体験してゲーム開始地点に復活した彼女は、喜び勇んだ矢先の敗北に戸惑いながら、先ほどのダメージは何だと自分の右肩を見やり――現実世界で肌が粟立つのを感じた。

 

 傷跡が、残っている。

 どうして、と慌てて患部に支給品の治癒薬を振りかけて、傷跡が綺麗に消えたのを見てほっと安堵の息を吐く。それと同時に、クロエルの中である疑念がムクムクと膨らんでいくのを感じた。先ほどのダメージは魔女の祝福に起因するものなのではないか、と。メッセージテキストには書かれていない効果だったが、メリットとデメリットでゲームのバランスをとる、それがユグドラシルだと事前の情報で彼女は知っていたのだから。

 

 後に何度も検証を行うことで魔女の祝福のデメリット部分が大まかに見えてきた。

 まず、戦闘行為に限らず激しい運動をすれば皮膚が裂け、少ないダメージと共に出血ダメージもプラスされる。HPの少ない低レベル帯はこのデメリットに足を引っ張られ何度死亡したのか分からない。裂傷ダメージを受ける部位は身体をどう動かしたかは関係なく完全にランダムに決定するようだった。頭部などが裂けたときは血が目に入って視界を塞ぐなどの副次効果をもたらした。

 

 次に、激しい運動をすることでできたこの裂傷ダメージの傷跡は消えない。敵から受けた傷は治るにも関わらず、こちらの傷は治癒薬を使わない限りは永遠に残ってしまうようだった。放置しておくと傷跡が至る所に広がり最終的にはゾンビの様な姿になってしまうので、これには外装に拘りを持って制作していたクロエルも参ってしまった。

 しかも検証を重ねた結果、この傷跡は治療せず残しておいた方がいいことが判明してクロエルを益々悩ませることになる。一度傷跡が残った箇所は皮膚が丈夫にでもなるのか再び裂ける可能性が下がるのだ。新品のきれいな肌で戦っていると次々と裂傷、出血ダメージが重ね掛けされるのでとてもではないが戦いにならない。つまりは、ゾンビのような姿で行動している方が戦闘に支障はない。悩みに悩んだ末、クロエルは涙を呑んで綺麗な外装を捨てることにした。

 

 さて、傷跡を残す方針でプレイしていくとなると今度は治癒薬や治癒魔法を受けられなくなってくる。傷跡が消える行為がNGになったことで自然と回復縛りのプレイスタイルを強いられるようになった。ただし自然治癒に関しては問題ないらしく、回復は自然治癒力を上昇させるアイテムや魔法に限って使うことができたのは救いだった。ちなみに敵対プレイヤー達はそんなクロエルの状態を知った上で治癒薬を彼女に向ってポイポイ投げたり治癒魔法飛ばしたりと嫌がらせ行為に励む。ゾンビ姿から回復させた方がクロエルを攻略しやすいからだ。HPは回復するけど治癒薬や治癒魔法を嫌って逃げ惑うなんちゃってアンデットが誕生した瞬間である。

 

 そんなこんなで紆余曲折もありながら、クロエルは魔女の祝福――彼女の中ではすでに魔女の呪いに改名されていたが――と上手に付き合いながら成長していった。一対多を想定したソロプレイ用のスキルと自然治癒力の上がるスキルを重点的に獲得し、並み居るPKプレイヤーやモンスターを千切っては投げ千切っては投げしていく内にレベルも100に到達、何時しか「狂犬」なんて不名誉な二つ名を頂戴するまでのPKKプレイヤーへと変貌を遂げたのである。

 

 

 * * * *

 

 

(…できればこっちの世界では狂犬呼ばわりされないように振舞いたいっすね)

「んー? どったのエルちゃん」

「ああ、なんでもないっす」

 

 クロエルがクレマンティーヌにゾンビフェイスを晒した後、二人は「永久の桜花」の下に座って情報交換を行っていた。最初こそ堅かったクレマンティーヌの口調が砕けているのはクロエルからの要望であり、今ではエルちゃんと気安く呼ぶようになっていた。クロちゃんではないのはクロエルがクレマンティーヌに着けたあだ名のクーちゃんと若干被るからだ。ちなみにクレマンティーヌの下着はクロエルが提供した紺色のショートパンツに履き替えられている。

 

 先に情報を提示したのはクロエルからだった。

 流石に別の世界から転移してきたとは言えないので真実を織り交ぜつつ嘘の背景を作って自己紹介を始めたのだ。「詳しくは言えないっすけど」と前置きしてクロエルは自分がこことは別の大陸の住人であること、魔女の呪いによって生傷が絶えないこと、地面に転がっている二人は自分を殺すために追いかけてきた刺客であること、必死になって逃げまわった末に辿り着いたのでこちらの大陸のことを全く知らないことなどを即興で語ってみせた。詳細は語らなかったがクレマンティーヌはそれで一応の納得をしたらしく、今度はこちらがといった感じでバックパックからこの大陸の地図を取り出し地面に広げると現在地や周辺国の名前や特徴などを挙げっていった。

 クロエルは興味深そうにクレマンティーヌの解説を聴きながら地図に書かれた文字を指でなぞる。

 

「ふむ、やっぱこっちの文字は分んないっすね。言葉は通じるのに不思議っす。って言うかこの森ダークエルフの領地なんすか! 自分が行ったら歓迎されるっすかね?」

「あーエルちゃんってダークエルフなんだっけ。…でもやめといた方がいいかなー。こっちのダークエルフって閉鎖的でよそ者嫌いーって理由で森の奥に引っ込んでる連中ばっかだから。それに、エルちゃんって顔の傷もそうだけど強すぎるからすごく警戒されると思うなー…今もされてるんじゃないかな?」

「哨戒っすか。派手にチャンバラして音出したっすからねぇ…当然自分の知覚範囲外から監視スキルでも使って覗いてそうっすね。ああ、こっちではスキルって言わなかったっすね」

 

 生エルフを拝めないことを残念に思いつつも、クロエルは続けてクレマンティーヌに気になることを質問していく。歴史の事、文化の事、流通貨幣の価値に物価、武技に魔法、強いとされる人物の情報等質問は多岐に渡る。クロエルだけが一方的に質問して情報を得るこの状況は不公平にも見えるが、当のクレマンティーヌは気にしていない様子だった。先に実力差を見せつけたのと下着を提供したのが良かったのかもしれない。

 打てば響くように答えを返してくれるクレマンティーヌの知識にクロエルは舌を巻く思いだった。聞けばクレマンティーヌはスレイン法国の特殊部隊に所属していたこともありそれに見合う戦闘能力と教養を身に着けているとのことだった。「戦闘面の自信はさっきエルちゃんに粉々にされちゃったけどねー」とクレマンティーヌは笑う。

 

「エルちゃんはさー、もうちょっと自分の強さを自覚した方がいいと思うよー?」

 

 そう言われてクロエルは困ったように腕を組む。そう、質問をしていて理解したがどうもこの世界の生物はユグドラシルの世界の生物より格段に弱いらしい。レベルが低い上に現実の世界らしくモンスターは地面からポコポコPOPする訳ではない。数を減らせば再度揃うまで相応の時間が掛かる。よって効率の良いレベル上げなど望むべくもなく、故に人も育たない。

 クレマンティーヌ自身が人類の中では最強の一角だと聞いた時にはクロエルも驚いた。冗談で言っているのではなく自分とまともに戦えるのが数えるほどしかいないとその名前を挙げていき、彼女を以てして強いと認めているのは六大神の血を引く先祖返りの神人という存在のみだと締めくくった所でどうやら本当の話らしいとクロエルも信じることにした。

 

(強いモンスターや人間を定期的に殺す機会がなければ技量はまだしもレベルを上げるなんて夢のまた夢っすか。クーちゃんは実戦豊富そうな特殊部隊出身らしいし…なんか殺しも好きそうだから、それで人類最強になったっすかね)

 

 猫のような愛らしさでニンマリと微笑むクレマンティーヌを見ながらクロエルはブルリと肩を震わせた。一見間延びしたお気楽な口調で喋る彼女だが、会話の節々に狂気が垣間見えるのだ。戦闘に関しての話をしているときは特にそうだ。

 

(家猫の愛らしさと肉食獣の危険さを組み合わせたハイブリット…クーちゃんはさながらサーバルキャットっすね!)

 

 本人の知らぬ間によく分らない評価を下されるクレマンティーヌだった。なんだろう、レベルが上がればライオンにでも昇格するのだろうか。

 

「強さのことについては、了解っす。しかし、これからどうするっすかねー。できればクーちゃんに付いていってエ・ランテルまでは同行したいすけど…そこで改めてお礼がしたいっす」

 

 苦しいかな、と内心思いつつもクロエルは駄目元の提案をする。クロエルとしてはクレマンティーヌのことが好きなのだが逆の立場で見れば別だろう。初めての接触からも分かる通りクレマンティーヌはクロエルのことを強者として恐れているし、それを承知の上で彼女を足止めして一方的にこの大陸の情報を引きずり出してもいる。これで旅にまで同行するとなったらクレマンティーヌのストレスは相当のものだろう。だから、エ・ランテルまでの道程を共にしてくれたら暗に報酬を渡すと言い含めて、依頼という体でクロエルはクレマンティーヌを勧誘した。もし引き受けてくれれば本当にいい報酬を渡すつもりだし、断られればすっぱりと諦めるつもりだった。

 クレマンティーヌの顔からすっと笑顔が消えてクロエルをじっと見つめた。細められた目は値踏みするかのようで、クロエルは沙汰を言い渡されるのを待つ罪人のような居たたまれなさでその視線に耐える。

 

「…別にいいよー、うん。エルちゃんのことは興味あるしね。でもでも、エルちゃんが正規のルートで都市に入るのはちょーっと難しいんじゃないかなー」

 

 やがて笑顔になったクレマンティーヌのまさかの快諾にクロエルはホッとするも、続く言葉に確かに、と頭を悩ませる。

 まず一つ目はお金の問題。エ・ランテルに限らず都市というものには必ず検問所が設置されており通行許可書ないし高い通行料を支払わなければ都市に入ることはできない。しかしお金に関して言えば流通貨幣こそ持っていないもののユグドラシルの金貨で充分立て替え可能だと思うのでクロエルはそこまで心配していない。

 

(あ、でもユグドラシルの貨幣って流通させない方がいいんすかね。多分だけどこっち世界の神様って同じプレイヤーの気がするんすよね…下手にそこから存在が知れてマークされるのは面倒くさいっす)

 

 となれば適当なマジックアイテムを担保にしてクレマンティーヌから借金をした方がよさそうだなとクロエルは考え直す。なんというか、クレマンティーヌにおんぶに抱っこの状態がまだ続くと思うとクロエルは彼女に頭が上がらなくなってきた。

 

 さて、二つ目の問題はクロエルの種族とその顔である。リ・エスティーゼ王国は今でこそスレイン法国に見限られているが、昔は仲が良かったと時代もあったと聞く。スレイン法国は人間至上主義のきらいから他種族に対して厳しいお国柄であり、リ・エスティーゼ王国もそれに影響を受けていたとすればダークエルフのクロエルは歓迎されない可能性も出てくるのだ。

 検問所の兵士は犯罪者の侵入を未然に防ぐため、通行人の素顔の確認をする義務がある。フルフェイスの兜の仮面部分の開閉だけで顔の確認が取れればいいが、兜を脱ぐ必要があった場合はクロエルの長い耳が晒されて、すぐにダークエルフだと気付かれてしまうだろう。いや、それ以前に傷のない場所を探す方が難しいほどに傷跡だらけのスカーフェイスを見て検問所の兵士は何を思うだろうか。ゾンビだと思われて剣を向けられるかもしれないし、拷問趣味の変態貴族から逃げ出した奴隷のダークエルフと勘違いされて牢に入れられるかもしれない。そんなのはどっちもごめんだとクロエルは思う。

 変装しようにもクロエルは魔法詠唱者(マジックキャスター)ではないから偽装系のスキルは持っておらず、かといってそれに代わる便利なマジックアイテムも生憎持ち合わせてもいない。少し思案してからクロエルは妥協案を考えた。

 

「こっちの大陸にきて早々不法入国は気が引けるので、やっぱり検問所を通って堂々と入国するっすよ。お金については…度々申し訳ないんすけどクーちゃん、何かマジックアイテムを担保にするので貸してほしいっす。種族のことで何か言われるようなら半闇妖精(ハーフダークエルフ)で押し切ってみせるし、顔の方は…仕方ないっすね、とりあえず治しちゃうっす」

「ん? エルちゃんって信仰系魔法詠唱者ってわけでもないよね。どうやって傷を治すのさ?」

「どうやってって、ポーション使って治すに決まってるっす」

 

 クロエルは無限の背負い袋から最上級治癒薬を一本取り出すとクレマンティーヌの前で掲げて見せる。治癒薬嫌いのなんちゃってアンデットが何故そんなものを持っているかというと、理由は至極単純で死体が残ったままのマインティス神と龍♂狩りの無限の背負い袋を拝借したからである。ユグドラシルとは違い死体が残れば簡単に身包みを剥ぐことができるので驚くほどの収穫になった。

 

(死体、結局消えなかったっすね…異世界に転移したからリスポーン地点が消失したってことっすか。これがクランやギルドの拠点ごと転移してたら話は違ったんすかね?)

 

 復活アイテムの在庫はあるので蘇生させることもできたがそれはしなかった。もうゲームではなくなってしまったこの世界で、自分と同等の力を持った敵対プレイヤーを復活させるようなリスクをクロエルは犯さない。古い付き合いでも敵は敵、とクロエルは割り切っていた。

 

「クーちゃん、このポーションをハンカチかなんかに数滴たらして自分の顔をポンポン叩いてほしいっす。うまくいくか分からないけど多分顔の傷が消えると思うっす」

 

 最上級治癒薬は強力な回復アイテムなので飲んで使用するなど論外だ。飲んだら最後、体中の傷跡が全部消えてゾンビからダークエルフに進化してしまうだろう。いや、元々ダークエルフだけど。

 ちなみにクロエルが自分でやらずにクレマンティーヌに頼んだのは、掌に最上級治癒薬が染み込むのを恐れたためだ。手が綺麗になって後々戦闘中にでも皮膚が裂けた日には、血で滑って刀がすっぽ抜けかねない。クロエルはここまで来たらクレマンティーヌにとことん甘えようと半ば開き直っていた。

 

「これって…神の血? 嘘でしょ?」

「神の血? そんな御大層な人の血液じゃなくてただのポーションっすよ」

「…あのねーエルちゃん」

 

 手渡された最上級治癒薬に目を丸くして驚いていたクレマンティーヌは、矯めつ眇めつ見た後にクロエルの反応を見て呆れた様子で異世界の、この大陸の治癒薬の説明を始めた。

 曰く、この大陸に置いて治癒薬の色は青いということ。

 曰く、治癒薬は時間と共に劣化するので<保存(ブリザベイション)>の魔法をかけるのだが、クロエルの渡した治癒薬はそれが一切かかっている様子はないということ。

 曰く、伝説で語れる治癒薬は神の血を示す、と言い伝えられているということ。

 

「多分本物じゃないかなー、これ。あんましこっちの人に見せるのはお勧めしないかな?」

「おぉぅ…」

 

 取り出したハンカチに慎重に最上級治癒薬を垂らすクレマンティーヌを見ながらクロエルは懊悩する。消耗品一つとっても現地で問題になりかねないとなると手持ちの品を売買して金策に走るなんてことはとてもじゃないができない。さっさとエ・ランテルに入って常識を身に着け、ついでに職も探さないとまともに生活するのも難しいとクロエルは確信した。

 思案している間にクレマンティーヌの準備ができたのか、丸めたハンカチをこちらに向けているに気付きクロエルは慌てて兜を脱ぐと顔を差し出した。

 

「うんじゃ、いきますよー……すご、これが神の血の力なの?」

 

 ハンカチで叩いた箇所が見る見るうちに再生していく光景にクレマンティーヌは息をのむ。傷跡が急速に消えていく感覚がむず痒いのか、クロエルは眉を顰め口をへの字に曲げながら耐えているが、その顔は最早苦悶するゾンビの顔ではなく美しいダークエルフの女性のものへと変貌していた。見た目は20歳前後。凛と整った褐色の顔立ちは、しかし細く柔らかに下がる目尻と左頬にある涙ボクロのせいか、冷たさよりも柔和な印象を持たせている。髪型は強いウェーブが掛かった跳ねっけのある髪が首の中ほどまで伸びており、色は少し紫がかった白。驚くことに先ほどまでは頭部をも覆っていた傷のせいで殆ど髪が残っていなかったのだが、治癒薬を染み込ませたハンカチを押し付けた結果、時間もかけずに綺麗に生え揃ってしまった。

 神の血の効果に声も出ないという感じで、口をパクパクと開け閉めしながらクレマンティーヌはクロエルの本来の顔を凝視する。

 

(ふふん、美しかろう美しかろう。伊達にキャラメイクに時間とお金をつぎ込んでないっす! ゾンビ顔に慣れちゃってたけど、やっぱこういう反応は嬉しいっすね!)

 

 どや、といった感じでクレマンティーヌに笑顔を返すクロエル。いや、クレマンティーヌが驚いていたのは治癒薬の効果に対してだったのだが。しかしそれを指摘する野暮な人間はここには居ないので誰も不幸にならず幸せなものである。

 

「いやー顔だけだけど久々の卵肌っす…いつまで持つだろ…あ、ポーションの残りはクーちゃんが使っていいっすよ。自分と違ってクーちゃんは傷跡を残すメリットなんかないですし、あるなら女の子だし消しちゃった方がいいっす」

「へ? ……いいの?」

「いいっす、いいっす」

 

 クロエルの快諾に、普段のお気楽そうな雰囲気が成りを潜め、少し緊張した面持ちのクレマンティーヌがハンカチとは別の手に持つ最上級治療薬を心持強く握りしめた。少し戸惑ったように、やがて何かに思いを馳せているかのように、ゆっくりとクレマンティーヌの顔から表情が抜けてゆき、心ここに在らずといった様子で手に握られた最上級治癒薬を眺めている。

 使わないのかな、とクロエルが首を傾げつつ黙って事の成り行きを見守っていると、やおらクレマンティーヌの手が持ち上がり、治癒薬の瓶に口を付けると中にある赤い液体を静かに嚥下し始めた。

 

(そういえばクーちゃんビギニアーマーだからよく分かるけど目に見えた大きな外傷なんて付いてないんすよね。もしかして必要なかったけど好意を無碍にできずに飲んでるとかそんな感じっすか)

 

 余計なことしたかなとクロエルは少し落ち込んだが、次の瞬間クレマンティーヌの様子を見てギョッとして目を剥いた。クレマンティーヌが自分の臍の下あたりを両手で抑え、静かに涙を流していたからだ。

 

「どど、どーしたっすかクーちゃん?! お腹痛いっすか! もしかしてポーション劣化してたっすか!? 申し訳ねーっす!」

「……んーん。何でもないよ、エルちゃん」

 

 涙を零しながらお腹をさするクレマンティーヌの表情は、笑顔だ。余計な感情を含まない、クロエルと会ってから初めて見せた、ただただ純粋で、穏やかな笑顔。

 意味が分からずあわあわとクロエルが慌てふためく様子を横目に、クレマンティーヌは自分の腹部に視線を落とすと消え入りそうな小さな声でポツリと呟く。

 

「そ、何でもないよ。ただ、嬉しかっただけ」

 

 その言葉だけは、慌てるクロエルの耳に届くことはなかったけれど。

 

 

 * * * *

 

 

「いやー、ビックリさせちゃった? ごめんねー、もう大丈夫だから」

「…はぁ、詳しくは聞かないっすよ。とりあえず準備はこんなもんっすかね、後はぶっつけ本番でなんとかするとして、先ずはアベ…アベ…丘陵っすか」

「アベリオン丘陵ね。それにしてもいいの? こんないい指輪貰っちゃってさー」

「プレゼントじゃなくて借金の担保なんすけど…まぁ、エ・ランテルに無事辿り着けたら報酬にしても構わないっすよ。勿論お金は別で返すっす」

 

 あれから落ち着いた二人は旅の準備を進めていた。

 クロエルは治った顔を改めて兜で覆い、クレマンティーヌは右手の人差し指に新たな黄緑色の指輪をはめている。指輪はクロエルがクレマンティーヌにお金を借りる代わりに渡したもので、装備すれば持久力が上がる効果を持っていた。担保といいながらも実際のところは丘陵越えを見越して役に立つアイテムを手渡したという方が強い。丘陵とあって標高こそ高くはないが、幾つもの小山を上り下りすることを考えれば見た目以上に厳しい道程になるだろう。

 天候も良く変わると聞いたのでついでに保温機能のあるローブも貸し出している。ビキニアーマー姿でよくこんな場所を通る気になったものだとクロエルは内心呆れていたが、先の一件以来なぜかクレマンティーヌの警戒心が軟化し自然に振舞うことが多くなったのを見て、余計なことは言わずにおくことにした。

 

 マインティス神、龍♂狩り二人の死体の処理に関してはクレマンティーヌが大いに役立ってくれた。得意だから、という理由で喜々として死体の隠蔽に取り掛かり、戦いの痕跡まできれいさっぱり消してしまったのはさすが元特殊部隊と言ったところか。監視しているだろうダークエルフ達が後々死体を掘り返すのではとクロエルは危惧したがクレマンティーヌ曰く、厄介ごとに進んで手を出すような連中ではないとのことでそこは信じるしかない。

 

 いよいよ出発の準備を終えるとクロエルは「永久の桜花」のそばに寄っていき、その巨大な桜の幹にそっと手を添えた。

 

(…お別れっすね)

 

 クロエルの頭の中にユグドラシル時代の思い出がさざ波のごとく去来して消えていく。苦しい時も、楽しい時もただそこにあり、彼女の預けた背を黙って支え、癒しの光で包み込んでくれた唯一の存在。自分の帰る場所であり、ささやかな安寧を与えてくれた物言わぬ相棒。

 クロエルの目に不意に涙が滲んで視界が霞む。当たり前のようにあり続けた、ゲームのデータにしか過ぎなかった筈のこの大樹が、実際に手で触れ、別れが迫っていると実感すると、こんなにも自分にとって掛け替えのない存在だったのかと気付かされる。

 

(…やめやめ、湿っぽいのはなしっす。エルフは長寿! お互い時間はいっぱいあるわけだしまた会いにくればいいだけっす。世界を見て、腰を落ち着けたらまた会いに来るっすよ)

 

 兜で顔が隠れていて良かったクロエルは思う。クレマンティーヌからしてみれば異国の木を見て涙を流すなんて異常に見えるだろうから。そのクレマンティーヌはクロエルの隣になって同じように桜の幹に手を触れていた。

 

「不思議な木だよねー。淡く光ってるしさ、ダークエルフの森にこんな神聖なものがあったなんて知らなかったよ」

 

 自分が持ってきましたとは流石に言えずクロエルはクレマンティーヌに話を合わす。多少の自慢も含めてどうもこの木の光には体を癒す力があるようだと返せばクレマンティーヌが感心して見せるのでクロエルは何だか誇らしい気持ちになった。

 

「…さて、名残惜しいっすけどそろそろ出発するっすか」

「はーい。んふふ、エルちゃんから貰った指輪とローブがあれば丘陵越えはよゆーだね」

「だからそれはあくまで担保…ええい、持ってけ泥棒っす!」

「いよっ、エルちゃん太っ腹!」

 

 旅立ちか、とクロエルは笑顔のクレマンティーヌを見ながらこれからの事を思う。

 自分は、還れるのだろうか。そも、還りたいと思っているのだろうか。

 正直、自身の心が分からない。何も始まっていないのだから。ならば、この世界を見て回ればやがて答えは出るのだろうか? リアルで何者でもなかった、ただの有象無象の一人に過ぎない小娘が、全てが異なるこの世界で歩き出すことができるだろうか。

 ふと、不安に押しつぶされそうなリアルのクロエルの背中を、ユグドラシルのクロエルがポンッと押してくれた気がした。まるで自分は歩き回りたいぞ、だからお前も覚悟を決めろと叱咤激励しているような気がして、クロエルの心に勇気が湧いてくる。

 

(そうっす、なるようになるっす。だから、今は楽しむっす!)

 

 こうして二人はエ・ランテルへ向かって歩き出すことになる。

 最後に今一度振り返ると「永久の桜花」は風に枝葉を揺らして花弁を舞い散らせていた。それがまるで旅立つ子らに手を振って送り出しているように見え、クロエルは目を細めてから一歩、また一歩と力強く踏み出した。

 

 暖かな光の中から夜の丘陵へと、ユグドラシルから異世界へと巣立つ若鳥を、巨大な桜はいつまでも光を湛え祝福し続けていた。

 

 

 * * * *

 

 

 ダーク・エルフ国のモニュメントの一つに「神聖樹」という巨大な大樹がある。

 その大樹は傷や病を癒す奇跡の光を常に湛え、桃色の美しい花を絶えることなく咲き誇らせていると云う。

 ある日突然に森の中に現れたというその美しい大樹にダークエルフ達は魅入られ、愛し、森の外れから自分たちの国の中心へと植え替えることで国の象徴として崇めるようになった。

 

 「永久の桜花」から「神聖樹」へと名前を変えた大樹は、悠久の時をその国で過ごしダークエルフ達を見守り続けたという。

 




 クレマンティーヌは洋梨の傷が残っていたという設定にしました。
 ダークエルフ大勝利。


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鬼の養殖

 アベリオン丘陵。

 ローブル聖王国とスレイン法国の間に広がるこの巨大な丘陵地帯には、多くの亜人族がひしめき合い日々互いの領地を巡って血で血を洗う争いを繰り広げているという。

 

 しかしそれも今では過去の話となったのか、はたまた丘陵地帯の最東端には亜人族が生息していないのか、見晴らしのよい丘の上をのんびりと歩く旅人二人の姿はあるが、その周囲は平和そのものに見える。旅人たちの正体は異世界転移者クロエルと、元漆黒聖典所属のクレマンティーヌだ。

 

 クロエルが異世界に転移してから既に四日が経っており、目的地の城塞都市エ・ランテルまでは出発地点のダーク・エルフ国から歩きで一週間ほどの距離になるので既に道のりの半分は超えたことになる。

 それまで特に問題らしい問題もなく、クロエルはクレマンティーヌと和気藹々と、驚くほど長閑(のどか)な道程を楽しんでいた。

 

「亜人天国って聞いたんすけど平和っすね」

「んー、確かな情報はないけどさ、アベリオン丘陵の亜人たちが妙な動きをしているってのは確かかなー。争ってた連中がどうゆう訳か纏まり始めてさ、皆で何かと戦ってるみたい。眉唾だけどねー」

「なるほど、端っこ部族もその戦いに出張中ってことっすか」

 

 クレマンティーヌの情報からレイドボスでもでたのかな、とクロエルは予想を立てるがすぐに考えるのをやめた。興味はあるがそれよりも亜人たちの目がないこの状況を利用しない手はないと思ったからだ。

 

「誰もいないのは丁度いいっすね。クーちゃん」

「なにー?」

「ちょっと実験を手伝ってほしいっす」

 

 それを聞いて露骨に警戒して後退りしたクレマンティーヌに、クロエルはちょっとだけ傷付いた。

 

 

 * * * *

 

 

 クロエルは勿体ないと感じていた。それはクレマンティーヌの戦士としての技量についてだ。

 転移後の肉体に馴染んでからクロエルの慧眼は、相手の所作を見るだけで凡その力量を推し量るほど卓越したものになっている。そのクロエルの目からしてもクレマンティーヌの技量は熟達の域にあると太鼓判を押せるが、故に勿体ないと感じていた。

 上を目指す土壌が十全に整っているにも関わらず、環境がそれを許さない。ゲーム風に言うならばプレイヤースキルは充分あるのにレベルアップするための狩場が見つからないクレマンティーヌの状況をクロエルはもどかしく思うのだ。まぁ、それもこの世界にレベルという概念がなければどうしようもないのだが。

 ユグドラシルの魔法が存在することは既にクレマンティーヌから聞いているので、これを機にレベルアップも可能かどうか彼女に協力してもらい確認してしまおうとクロエルは考えている。そこでレベルアップを別の大陸で生み出された技術とでっち上げ、自分の仮説も交えながら説明する暴挙に出た。

 

「自分の居た大陸は…そうっすね、一言で言うと修羅の大陸だったっす。弱いモンスターから強いモンスターまで分け隔てなく満ち溢れるモンスターのユートピア。人も亜人も異形も強くなきゃやってけないって環境なんすけど、だからこそ強くなるための研究も盛んである発見をするに至ったっす。それは後にレベルと呼ばれる概念になったっす」

「ユートピアというかデストピアじゃないかなー…でもま、エルちゃんの強さの秘密がちょっと分かった気がするよ。それでレベルって?」

「魂の格みたいなもんっす。肉体の鍛錬とは別に魂の格が上がると身体能力が全体的に強化されるっすよ。魂の格が上がる瞬間をレベルアップと言って、格については数値で現すことができるっす。レベル1が一番弱くてレベル100が現在確認されるなかでは最も強い数値になるっすね。クーちゃんは自分の見立てだとレベル30ちょいって所っす」

「30…ふーん、そんなもんかー。エルちゃんはそのレベル? どれくらいなのさ?」

「100っすね」

「100…」

 

 クレマンティーヌが唖然としてクロエルを見やる。しかし同時に納得もした。確かにあれだけの強さがあるのならば、そのレベルというのにそれだけの開きがあったとしてもおかしくはないからだ。

 

「…納得だよ、そのレベルっていうのが高いからエルちゃんは強いんだねー。それに100って最大なんでしょ? エルちゃんって故郷じゃ最強の戦士だったの?」

「レベル100に至ったのは自分以外にも一杯いるっすよ。そこからは技術と場数がものをいう世界っすね…最強なんて自惚れはしないけど、伊達に修羅場は潜ってないから謙遜する気もないっす。それで、クーちゃんは技術も場数も相当なだけに見ていて勿体ないんすよ」

 

 勿体ない、その言葉にクレマンティーヌの口元が僅かにはにかむ。自分の遥か高みにいる戦士の思いがけない高評価に、柄にもなく気分が高揚するのを感じた。

 

「んふふー、ありがとねエルちゃん。でもさ、そのレベルってどうやって上げればいいのさ? こっちでは聞いたこともない技術だよ?」

「クーちゃんも知らないだけで実践してるはずっす。簡単に言うと殺した相手の魂を吸収するっす」

「魂を吸収する?」

 

 まさかの回答にクレマンティーヌが目を丸くする。伝説の魂喰い(ソウルイーター)でもあるまいし、魂を吸収した記憶なんて当然ながらクレマンティーヌにはない。その反応を見てクロエルが一つ頷くと説明を続ける。

 

「殺した相手の魂…レベルは一部、殺した相手が吸収することができるっす。ある程度吸収するとレベルアップが起きて強くなり、逆に吸収された方はその量によってはレベルダウン、つまり弱体化されるデメリットがあるわけっすね。魔法で復活した人間が以前よりも弱くなるのはそのせいっす…ついでに拒否した訳でもなく復活しないのはレベルが低すぎて死亡時に魂を根こそぎ奪われるせいっすね。クーちゃんがこっちの大陸で最強の一角だと言われる理由は鍛錬以外にも殺した数も影響していると思うっす」

 

 確かに、とクレマンティーヌは目から鱗が落ちる思いだった。復活手段が豊富にある法国にあって死亡に関する弱体化のリスクをクレマンティーヌは良く知っていたし、殺しに関して言えば大好きで、恋していて、愛していると公言できる程度には回数をこなしている。

 自身の体格からは説明できないほどの身体能力はレベルの影響もあったからなのかとクレマンティーヌは改めて驚愕する。

 しかし、と彼女は疑問に思ったことをクロエルに尋ねることにした。

 

「でもさーエルちゃん。それだったら私はもうちょっとレベル? が高いと思うんだー。うん。こう言ったら何だけどさ、私人を殺すの大好きだしねー」

「ぶっちゃけた、ぶっちゃけたっすこの人! …うん、まぁ薄々は気付いてたっすけど。それについては簡単で、格下を幾ら殺しても吸収できるレベルなんて高が知れてるっす。レベルアップを狙うなら同格、または少し格上のレベル帯の相手をたくさん殺すことっす…でも」

「あー何か分かっちゃった。こっちの大陸ってレベルの平均が低い?」

「だと思うっす。未踏破や立地のせいで放置されている穴場があるかもっすが、クーちゃんの話を聞く限りそんな印象になるっすね。自分のとこはさっきも言ったようにモンスターのユートピアだったので、生き残るのは大変だけどレベルアップには最適の土地だったっす。クーちゃんに必要なのはレベルを上げる環境っすよ」

 

 クロエルの出した結論にクレマンティーヌが思案気に顎に手を当てて沈黙する。

 クロエルの尋常ならざる強さの正体を垣間見た思いだ。進んで化け物が跳梁跋扈する死地に住みたいとは思わないが、その過酷な環境こそがレベルという理不尽に抗う可能性を見出し、クロエルという存在を産み出すに至っている。

 こちらの大陸でも彼女に並びうる戦士は少なからず存在する。神人と呼ばれる神の血を引き、神の力を目覚めさせた者たちだ。それは先祖返りという特殊な条件によって生まれた異端児たち。只人の努力をあざ笑うかのように生まれ持った才能と超人的な肉体のみで踏みにじる理不尽の権化。

 しかし、レベルが、レベルという概念が本当に存在するならば、その領域に踏み入ることができる。只人が求め、焦がれ続けた神域の領域に、理不尽に抗う確かな術として。神の気紛れでも偶然がもたらした奇跡でもない、己の意志で、研鑽によって得られる自己で成しえた偽りのない自身の力。

 

 …その可能性を示してくれたのが、思いがけぬ力を以って異世界に転移したクロエルなのはクレマンティーヌへの最大の皮肉かもしれないけれど。

 

「なるほどねー、私がさらに上を目指せる可能性があるって分かっただけでも僥倖だよ。そんで実験だっけ? 話の流れからレベルアップに関することだと思うけど何するのさ?」

「こっちの大陸の人も故郷の人たちみたいに普通にレベルアップできるのか調べたいっす。土地柄によって体質が異なる場合の確認っすね」

「強くなるのは大歓迎だけどさー、それを調べてエルちゃんに何のメリットがあるの?」

 

 クレマンティーヌが当然の疑問を投げかける。見ず知らずの大陸の人間を育てて一体何のメリットが彼女にあるというのか。

 レベルアップの実験をするということは、クロエルはこの場でその訓練を行う手段を持っているということになる。それは運用次第では強力な軍団を育成できる可能性を秘めた技術だ。その技術を仮想敵にもなりえる大陸の現地人に公開する暴挙を、ただの親切と受け止めるほどクレマンティーヌはねんねじゃない。

 クロエルは無限の背負い袋の中から幾つかの装備品を引っ張り出しながら、特に気負った様子もなく返事を返す。

 

「自分が欲しいのは頼れる仲間っすよ。同レベルを相手取ったとき仲間がいれば心強いし、守って戦うよりか肩を並べて戦ってくれた方がありがたいっすからね。勿論クーちゃんも大歓迎っすよ!」

「ふーん。そっか、なるほどねー。あ、仲間になるかは保留にさせてね」

 

 振られちゃったっすね、とどこまでも残念そうなクロエルの声にクレマンティーヌは苦笑する。

 目的は理解した。クロエルは今後仲間を作るにあたって育成も視野に入れている。そのさいに故郷のレベルアップ法が現地の人間に通用するかどうかを今のうちに検証しておきたいのだろう。

 クレマンティーヌから見て、クロエルは彼女と同レベルの刺客に追われている立場だと認識している。仲間にその水準を求めるのも納得できる話だった。

 クレマンティーヌとてクロエルの仲間となることに魅力を感じないわけではないが、あの戦闘を見た後では素直に首を縦に振るわけにはいかない。敵の規模も分からない上にあんな化け物クラスの連中がまだまだいると思うと命が幾つあっても足りないからだ。

 だから、せいぜい実験を手伝ってレベルアップだけはちゃっかり頂いておこうとクレマンティーヌは思っている。

 

「とりあえず防具を渡すから装備して見てほしいっす」

「それって殺した連中の一人が装備してた鎧だよね? サイズ合わないと思うけど」

「いいから、いいから」

 

 無限の背負い袋から取り出した装備品の中から、クロエルはかつて龍♂狩りが装備していた軽鎧を取ってクレマンティーヌに差し出す。ちなみにクロエルの周囲には結構な数の装備品が散らかっており、とても小さな背負い袋の中に納まるような量ではなかったのだがクレマンティーヌは一切突っ込まなかった。色々ありすぎてもう驚いてあげる義理もないのだろう。

 

「やっぱ無理あるよエルちゃん。サイズおっきーしさー、こう重くちゃスッと動けないよ」

「なるほど」

 

 クロエルは納得したように頷く。龍♂狩りの軽鎧は伝説級(レジェンド)アイテムだ。防御性能はもちろんのこと()()()()()()()。しかしクレマンティーヌはこの軽鎧が重いと言った。これは筋力の問題ではなく装備条件を彼女が満たしていないために起きた現象だろうとクロエルは考える。龍♂狩りは壁役(タンク)でありクレマンティーヌは攻撃役(アタッカー)であることを考えれば職業的に装備できないのは無理からぬことだ。

 その後もクロエルは自分の予備防具やマインティス神の遺品などを次々とクレマンティーヌに渡して着せ替えを…いや、実験を楽しんだ。

 どうやら装備条件が合致していればサイズは問題ないらしい。クロエルはモデル体型に違わぬ長身だったのだが、彼女の予備防具をクレマンティーヌが装着した瞬間、張り付くようにその大きさを変えて見せたのだ。

 これにはクロエルも内心驚いたが、ゲーム由来の防具であることを考えればありえない現象ではないと納得する。ユグドラシルでは職業や種族制限で装備できないことはあっても、サイズが合わないから装備ができないなんてことは起きなかったからだ。

 

「ねーねーエルちゃん、装備がすごいのはわかったけどさー、これって何か意味あるの?」

「今やってるのは装備できる物とできない物の選別っす。あ、こっちはプレゼントじゃなくてレンタルっすよ。駄目っすよ」

「心外だなー。私だってそこまで厚かましくないよ? ほんとにほんと」

「…まぁいいっす。クーちゃん、効率のいいレベルアップに必要なのは2つだけっす。ずばり強い装備で身を固めて格上レベルをぶっ飛ばすっす」

「うわー、すっごいざっくりした説明。でも格上を倒すってそう簡単に言うけどそんなうまくいくかなー。そもそも、その格上の相手はどこにいるのさ」

「人間は有史以来、自分の弱さを武器や防具で補うことで格上に勝利を掴んできたっす。よっぽどレベルが離れてない限りは楽勝っすよ。そして、対戦相手はこれを使って召喚するっす」

 

 そう言ってクロエルは二つのアイテムを取り出した。

 一つ目のアイテムは指揮棒のように細く短い杖だった。「召喚士の悪意」と呼ばれるその杖は、MPを消費することで誰でもレベル1~60のモンスターをランダムに召喚することができる課金ガチャアイテムだ。

 ただし、召喚と銘打ちながらその本質は全く異なっており、契約したモンスターをその場に召喚するのではなく、野生のモンスターをその場に転移させる効果を持つ杖だった。当然召喚に基づく制御などされていないのでアクティブモンスターであれば敵味方関係なく襲い掛かってくるし、なんの冗談かセーフティーゾーンでも使用可能という性能だったために公共の場で杖を振るいまくる不届き物が続出し、運営に苦情が殺到したこともある曰く付きのアイテムだった。「悪意」の名は伊達ではないのである。

 二つ目のアイテムは首を鎖で繋がれる狼の技巧が施された「召喚制御の指輪(サモンコントロールリング)」と呼ばれる指輪で、これはその名の通り召喚魔法や召喚アイテムの秘められた力を開放、制御することのできるレアアイテムだ。クロエルが召喚士のPKプレイヤーから奪取した戦利品の一つであり、これを装備して「召喚士の悪意」を振るえば任意のモンスターを呼び出すことができる便利なアイテムとなっている。

 戦士職にありながらクロエルはこの二つの組み合わせを重宝していた。一対多が大半を占めるPKとの戦闘に置いて乱戦や攪乱にこの二つのアイテムは大いに使えたのだ。ピクシー、パック、グレムリン、etc…悪戯好きの下級妖精をMPが枯渇するまで召喚し続け、混乱に乗じて斬りかかる戦法は、対策されるまで「外道戦術」「悪夢のコラボレーション」などと呼ばれユグドラシルの情報スレッドをざわつかせ――

 

 ――話がそれた。クロエルは今回この二つのアイテムを使用して、ネトゲ用語でいうところの「養殖」をクレマンティーヌに行おうとしていた。

 通常召喚モンスターを倒しても経験値は入らないが「召喚士の悪意」は野生のモンスターをPOPさせる杖なので問題はない。ユグドラシルではレベル90台後半までは比較的簡単に育てることができたので誰も使おうとしなかった方法だがこちらの世界では有用だろう。

 クロエルは「召喚士の悪意」と「召喚制御の指輪」、それからMP対策のためにMP回復速度が向上する指輪を装備し、ちゃっかり「永久の桜花」から採取してきた「桜花の苗木」も地面に設置する。この苗木はその効果も範囲も「永久の桜花」に劣るが持ち運び可能な簡易回復領域になるので非常に便利だ。土が合わなければすぐに枯れてしまうデリケートな一面もあるが自然豊かなこの世界では早々枯れはしないだろう。

 

 一通りの準備を終えるとクロエルはクレマンティーヌをちらりと見る。現在の彼女はクロエルとマインティス神の持ち物から実験に有効そうな効果のある物を適当に見繕って装備させていたので、全く統一感のないちぐはぐな見た目になっていた。昔見た生き物図鑑にこんな感じの極彩色の派手な鳥がいたなとクロエルは思ったが口には出さない。

 ちなみに武器に関しては生憎スティレットのような刺突剣は在庫がなかったためそのままだが、その代わり攻撃力を優先的に高める装備構成になっている。

 

「…いい装備なのは分かってるんだよ? でも、これはなー」

「実験の間だけだから我慢っす」

 

 致し方ない、といった感じでクレマンティーヌが渋々武器を構えたので、クロエルもまた右手に持った「召喚士の悪意」をピンと構え、左手で「百科事典(エンサイクロペディア)」という辞典の形をしたアイテムを開く。「百科事典」はユグドラシルで最初に手に入れるアイテムの一つで、出会ったモンスターの画像と元ネタにあたる神話を自動的に登録してくれるアイテムだ。モンスターのスキルやステータスは自分で書き込む必要があるが、クロエルは面倒くさがってネットに上がっている情報をダウンロードしてそのまま落とし込んでいた。

 綺麗に情報が書き込まれた「百科事典」に目を落としながら、クレマンティーヌでも勝てそうな格上相手を選出すると、そのモンスターを思い浮かべながらクロエルは杖を振るう。その姿はさながら教鞭を振るうサイボーグのようで非常にミスマッチである。

 

「先ずは獣系のガルムっすー。素早い動きと炎の――」

「隙だらけなんだよぉ!」

「ギャンッ!!」

「――へ?」

 

 クロエルがモンスターの紹介をする間もなく一瞬で勝負がついてしまった。

 あっという間の出来事だった、召喚…というより転移してきた大型の狼のようなモンスター、ガルムが「え、ここどこ?」といった感じに困惑気に当たりを見回している隙をクレマンティーヌが見逃さずに突進、突き出したスティレットをガルムの右目へと深々と突き刺し、続けて剣先が脳まで達した感覚を柄越しに感じ取ると瞬時に手首を軽く回して脳内をかき回し、一転後方に跳ねるように下がって距離を取る。

 クレマンティーヌが油断なく剣を構えなおすのと絶命したガルムが崩れ落ちるのはほぼ同時だった。

 

「うぷぷぷ、ねーねーエルちゃん今の見た? あの間抜けな犬っころの顔。自分がどこにいるかもわからないみたいにさー、あんな隙見せられちゃ楽勝ーだよ」

「え、あ、はい」

 

 これはさしものクロエルも予想ができなかった。ゲームではあり得ないモンスターの反応。しかし成程、「召喚士の悪意」は野生のモンスターを転移させる()()の杖だ。転移前のモンスターに事前にどこに飛ばされるかなんて杖が説明する筈もなし、予告なしで強制転移をさせられて突然風景が変われば誰だって驚くだろう。どうやら杖の悪意はモンスターにも向けられていたようだ。

 

(ま、まぁ結果オーライっす)

 

 強制転移にびっくりして隙を晒してくれるなら願ったり叶ったりだ。クレマンティーヌの技量ならばその一瞬の隙に精密な一撃を敵の急所に刺し込めるだろう。これならクロエルが思っていたよりも時間と治癒薬を節約できるかもしれない。

 

「気を取り直していくっすよー。知能低めで弱点の分かりやすいモンスターに絞るからサクサクやってほしいっす」

「りょうかーい。んふふー、今日だけでどれ位レベルアップできるかな?」

 

 クレマンティーヌが耳元まで裂けたような笑みを浮かべながらスティレットの腹をチロリと舐めると、再び武器を構えて深く腰を落とした。

 

 

 * * * *

 

 

(こんなもんっすね)

 

 クロエルは腕を組んだ仁王立ちでうんうんと頷きながら、仰向けで大の字になりながら沈黙するクレマンティーヌを見下ろした。

 

 実験の結果、この世界の住人もレベルアップすることが確認できた。

 特に派手なエフェクトが輝いたりとか快活なファンファーレが鳴り響いたりとかはしなかったが、クレマンティーヌが何度目かの敵を刺殺した瞬間、確かに彼女の存在感が増したように感じられ、その後の戦闘では明らかに動きが良くなっていたのである。

 クレマンティーヌ自身もそれに気づいたらしく戦闘の最中、亀裂のような笑顔を深めていた。今までは気付かずに成長していたがレベルアップという概念を知り、養殖という短期強化を決行したことでその変化に気付けたのだろう。

 

 そんな彼女が何故現在大の字で寝そべっているかというと、単に連戦による連戦に限界が来たからにすぎない。クロエルから貰った指輪で疲労はあまり感じないとはいえ精神の方は別だろう。スッといってドス! を繰り返すだけの単純作業だったこともあり、最初は喜々としてやっていたクレマンティーヌも次第に表情が抜け落ちてゆき、最後の方は無駄な動きを一切削ぎ落とした感情のないロボットのような動きでレベルアップに励んでいた。

 この実験が始まったのはまだ日も昇り切らぬの朝のことであり、終わりを迎えたのは日もとっぷりと暮れたその日の夜のことだ。その間延々と短調作業を繰り返していたのだからクレマンティーヌは物凄い頑張ったと言えよう。

 クロエルの方はと言えば、同じく杖を振り続けるだけの単調作業を延々と繰り返していた筈なのに余裕が見える。これは長命種であるエルフの影響で、人間よりも時間の感覚がのんびりとしているせいかもしれない。

 

(推定レベルは55前後ってとこっすかね。クーちゃん頑張ったっす)

 

 クレマンティーヌは本当に頑張った。

 特に最後のレベルアップには本当に時間が掛かり、上がるかもわからないのに半ば意地になって杖を振り続けるクロエルにクレマンティーヌが付きあう形になっていた。

 無事レベルアップした時には二人して手を取り合って喜んだものだが、その後のクロエルの思い付きによって彼女と模擬戦をすることになると一転、クレマンティーヌの顔にありありと絶望が浮かび上がっていた。

 「総仕上げっすー」と軽い口調で〈闘気〉を撒き散らしながら迫るクロエルに、恐怖しながらも果敢に戦い抜いたクレマンティーヌはまさに勇者と言えよう。出会った当初の状態からは考えられないほどの大躍進である。

 

(しかしこれ以上のレベルアップは無理っすね)

 

 「召喚士の悪意」で転移させることができるのはレベル60までのモンスター達なのでこれ以上のレベルアップは難しいと判断せざるを得なかった。粘ればクレマンティーヌのレベルも60を超えるかもしれないがどれだけの時間が掛かるか分からない。レベル50を超えたあたりで成長速度が極端に落ちたという理由もある。

 結論として、クロエルの力では現地人を育ててもユグドラシルプレイヤーに匹敵する戦力は得られないということだった。戦闘用NPCによっては善戦するかもしれないがそれ以上は無理だろう。

 

(進んで他のプレイヤー連中と敵対したいわけじゃないっすけど…でもなー狂犬扱いされてるからなー)

 

 クロエルとしては祝福(のろい)持ちのプレイヤーだと特定されて以降、執拗に狙ってくるPKプレイヤー達に必死に抗っただけに過ぎないのだが、最終的に敵対プレイヤーからのネット上や口コミによるヘイトスピーチ戦術のおかげですっかり危険人物認定を受けてしまっている。だから仮にこちらの世界で敵対していないプレイヤーと接触できたとしても友好的に接してくれる可能性は低いと言わざるを得ない。押された烙印はそう簡単には消えないのだ。

 

 存在するかも分からない他のプレイヤーの影に辟易しながら、クロエルはそっと大の字に眠るクレマンティーヌの横に腰を下ろし、彼女の寝顔を見やる。だらしなく口を開き、半開きの目蓋から白目が覗くという、ちょっと人には見せられない乙女の寝顔だったがあの実験の後なら仕方あるまい。うわ言で「鬼が…鬼が来る…来ないで」と呟いていたが悪夢でも見ているのだろうか。

 

「出発は明日でいいとして…どうしたもんすかね、この死体の山」

 

 クロエルはそう独り言ちると辺りを見渡して溜息を付いた。

 現在彼女たちの周囲には「召喚士の悪意」によって転移してきたモンスター達の死体がうず高く積み上がっている。どうやら召喚モンスターと違って転移モンスターの死体は残るようだ。丸一日かけて生産したこの死体の山はすでにクロエルが処理できる範疇を超えていた。

 

(…いつか土に帰ることを祈るっす!)

 

 そしてクロエルは放置を選んだ。亜人に見つかったら怒られるかもしれないが生憎今は留守中だ。心の中でごめんなさいをして朝になったらさっさと移動しようと決意する。

 城塞都市エ・ランテルにはあと三日も歩き通せば到着するのだから、こんな所で立ち止まってなんていられないのだ。

 

(そう、もうすぐ到着するんすよね)

 

 都市に入ればクレマンティーヌともお別れだなと思い、クロエルは寂しいと思う反面、大丈夫だろうか、と不安になる。自分が一人になることではなく、クレマンティーヌが一人になることに対してだ。

 

(大分強化しちゃったけど、今のクーちゃんを野に放したらどうなるんすかね? シリアルキラーっぷりに拍車が掛かるようなら…自分が斬らなきゃ駄目っすかね)

 

 物騒な考えを巡らせながらクロエルはクレマンティーヌの頬を指でつつく。目覚めこそしないが不穏な気配を感じ取ったのか、クレマンティーヌは苦悶の表情を浮かべて身をよじった。

 

未だ悪夢は覚めぬのか、「鬼が…鎧の鬼が」とうわ言を繰り返しながら。

 




次回からエ・ランテル編です。


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エ・ランテル編 三者三様

 マイページのリンクを押してるうちに今まで色々な機能に気付かず使っていたことに気付きました。恥ずかしい。

 誤字脱字報告してくれた方、本当にありがとうございます。
 評価内コメントしてくれた方、本当にありがとうございます。

 感想を書く欄と重複してしまうので評価コメントの設定は「一言無し」に変更しました。
 重ねてコメントしてくれた方、誤字脱字報告してくれた方、本当にありがとうございます。


 その日、ある森の中で奇妙な光景を見ることができた。

 

 その光景の中にあるのは3つの存在だ。

 先ず一人目の存在は、漆黒に輝く金と紫色の紋様が絢爛華麗な全身鎧を身に包み、背中に真紅のマントをはためかせる大柄な戦士だ。二本あるグレートソードの一方を背中に、もう一方を左手に握っており、空いた右手は面頬付き兜(クローズド・ヘルム)越しに右耳に添えて佇んでいる。

 そして二人目の存在は、深い茶色のローブで身を覆う、ポニーテールで纏めた(なまず)のような黒髪に色白の肌が映える美しい女性であり、漆黒の戦士の一方後ろを侍るように佇んでいる。

 そして最後の存在は、その二人を前にして柔らかな銀色の体毛に包まれた腹を無防備にさらし寝転がる、馬ほどの大きさを持った…ジャンガリアン・ハムスターだった。

 

「…それで、デミウルゴスよ。お前が直接連絡を寄こすということは、何か余程のことがあったのか?」

 

 漆黒の戦士がそう呟くが、それはこの場に集う女性やジャンガリアン・ハムスターに向けての言葉ではない。もっと遠い場所に居るであろう「デミウルゴス」と呼ばれた人物に〈伝言(メッセージ)〉という魔法を用いて言葉を送っているのだ。他の一人と一匹はその会話の邪魔をせぬようにか、一言も言葉を発せず息をひそめて待っていた。

 

『は、アベリオン丘陵の最東端のエリアで、この丘陵には生息しないはずのモンスターが大量死しているのを確認いたしました。推定レベルは35から60、種類は多種に渡り、どれも急所を的確に一突きにされていることから同一の人物に殺されたものと思われます』

 

 漆黒の戦士の脳内に、どこか優雅で引き込まれるような張りのある男性の声が響く。デミウルゴスと呼ばれた人物が〈伝言〉を使い返事を返したのだろう。両者の会話の端々から、この二人の間に主従のような関係があるのを窺える。

 漆黒の戦士はデミウルゴスの報告を興味深そうに聞きながら〈伝言〉による会話を続けた。

 

「ほう、レベル35から60か。この世界のモンスターにしては随分と高いな…種族に統一性がないとなると異常発生とは考えにくい。そして同一人物による虐殺…いや、この場合は()()か? …となれば」

『はい、何者かがこれらのモンスターを召喚、レベルアップを行ったものと思われます』

 

 ここで漆黒の戦士は一度会話を止め、しばし黙考する。

 漆黒の戦士の名前はモモンと言った。これは偽名であり本来の名前はモモンガ――いや、これも本名とは言えないかもしれないが――といい、その名前も今は一時的に改名しているためアインズ・ウール・ゴウンというのが正しい。

 彼の正体は異形種、死の支配者(オーバーロード)たる骸骨の魔法使いであり、自身が所属していたギルド「アインズ・ウール・ゴウン」の拠点「ナザリック地下大墳墓」と共に異世界へと転移してきたプレイヤーの一人だった。

 現在は異世界で暗躍するために冒険者モモンと身分を偽り、全身鎧にその異形を隠しながら冒険を楽しんでいる最中であった。

 そして現在交信中のデミウルゴスや、アインズの背後に誇らしげに侍る女性、ナーベラル・ガンマは、かつての仲間たちが制作したNPC達であり、異世界転移後はそれぞれがアインズの忠実なるシモベとして個性を持ち、自主的に行動をする存在に至っている。

 

 アインズは考える。召喚モンスターによるレベルアップは可能か、ということについてだ。

 結論から言えば否だ。召喚したモンスターというのは基本、倒したところで経験値を得ることはできないし死体も残ることはない、召喚による契約が終わればどのような状態にあれ元の場所に還るからだ。

 

 しかしこの世界では珍しいレベル帯の、しかもその地域では見られないモンスターが自然に大量発生したとは考えにくい上、どれも同一人物と思われる相手に殺されているということから、その人物がレベルアップを目的にモンスターを召喚したようにしか思えない、という矛盾が発生する。

 だが、ゲームだった頃の情報を加味すれば自ずとその矛盾にも答えが出る。アインズはレベル1~60までの野生のモンスターをランダムに、召喚ではなく転移させる課金ガチャアイテムの存在を知っていたからだ。終ぞ自分は手に入れることはできなかったが、持っていたとしても大した用途は思いつかずにコレクションアイテムになっていただろう「召喚士の悪意」という杖の存在を。

 

(いるのか? 俺以外のプレイヤーが。だとしたら妙だな…デミウルゴスの報告ではモンスター達の死体のレベルは35~60だ。それ以下のレベルのモンスターが居ないとなると召喚制御の指輪(サモンコントロールリング)を使って転移させるモンスターのレベルを調整している可能性が高い…仮にその人物がレベル30台でこの世界に転移してきて、二つのアイテムを使って現地でレベルアップ? いやいや、召喚士の悪意はともかく召喚制御の指輪はかなりのレアアイテムだぞ? そんなのを持っている人物がレベル30台とは考えにくい)

 

 特に召喚士の悪意はMPを消費してモンスターを転移させる杖だ。レベル30台の、しかも殺し方から考えて戦士系のプレイヤーのMPなんて高が知れているし、ポーションで回復しながら(こな)したと考えても効率が悪い上に一人でやるには時間が掛かりすぎる。レベル60台のモンスターと戦える頃には、とっくにデミウルゴスに現場を発見されていてもおかしくはない。

 

(…ということはユグドラシルではなくこの世界特有のアイテムで? いや、まてよ。分担して行っていたとすればどうだ? 一人が召喚を、一人が戦闘を…これなら召喚側の人物のMPが尽きない限り間を置かずモンスターを出せるし、戦闘側は戦いだけに集中できる…どれも急所を一撃みたいだからかなりのペースで熟せたはずだ)

 

 となれば、早々には尽きないほどのMPを保有、もしくは回復手段を持つ召喚側の人物が高レベルプレイヤーで、その人物のサポートを受けて戦闘側の人物がレベリングを行っていた、という仮説が立つ。

 

「…養殖、か?」

『アインズ様?』

「いや、こちらの話だ。ところでデミウルゴスよ、その死体の山を築いた者たちは確認できなかったのだな?」

『はい、申し訳ありませんアインズ様。アベリオン丘陵の亜人たちを一堂に会して交渉を行っているさなかの事だったので発見が遅れてしまいました…この失態を払拭する機会を頂けるのならば、このデミウルゴス命に代えてでも使命を果たしてみせます』

「よい。デミウルゴスよ、お前の全てを許そう。お前はアベリオン丘陵の亜人たちをまとめ上げるべく今も最善を果たしてくれている。それでどうだ、亜人たちとの交渉は? お前ならば間違いはあるまいが」

『は、委細恙なく。亜人たちとの交渉は()()()に進んでおります』

「そうか、ならば今後もその()()で頼むぞ」

『はっ』

 

 デミウルゴスの応答に殊更喜色が混じっていたような気がして、どうかしたのだろうかとアインズは思ったがすぐに思考を切り替える。仕事に意欲的なのは良いことだ。

 

「デミウルゴス、それに併せて可能ならシモベを使いその死体を築いた者の足取りも追え。見つけても決して接触しようとは考えるな、気取られぬよう細心の注意を払い直ちに私に報告せよ」

『は…アインズ様、やはりこれらを行った者は…』

「…可能性の段階だが、な。友好的な人物ならよし、もし危険であれば……世界級(ワールド)アイテム保持者の可能性もあるか。デミウルゴス、お前には先に世界級アイテムを預けるから一度ナザリックに戻れ。世界級アイテムは世界級アイテムでしか防げないからな…他の守護者各員にはアルベドから通達させよう。こちらも用事が済み次第〈転移門(ゲート)〉で戻る」

『は、ただちに。ところでアインズ様、死体の処理はいかがいたしましょう? 許可を頂けるのならばスクロールの素材として研究してみたいのですが。多少腐敗が進んでいることに目を瞑れば、どれも一撃で屠られていているため状態は良好です』

「うん? 確かにそれはいいアイディアだな。よく気が付いてくれた、流石はデミウルゴスだ」

『お戯れをアインズ様、あなた様はそれにすでに気付いていながら私がどのように動くのかをお試しになられたのでしょう? 矮小なこの身なれど、これからもアインズ様のご期待に添えられるよう、全身全霊を以って事に当たらせていただきます』

 

 気付いてないし試してもいないとアインズは叫びそうになったがぐっと堪える。アインズは今でこそ異世界でナザリック地下大墳墓の主として君臨しているが、元は貧困層のブラック企業で働く一介のサラリーマンでしかない。深謀遠慮の知恵者でもなければ帝王学を勉めた王族の血筋でもないのだ。

 しかし彼は仲間たちが残してくれたこのNPC(こども)たちのためにも、彼らが望む理想の上司を演じる必要があった。故にロールプレイは止めるつもりはない。

 

「そうか。それではデミウルゴスよ、仕事を増やして悪いが行動を開始せよ」

『は!』

 

 〈伝言〉での交信が終わりアインズは右手を下ろす。色々と気疲れはあったものの、収穫はあった。

 

「――フ」

 

 アインズの肩が揺れ、兜の奥で含み笑いを漏らす。

 

「フフフ…あははは!」

 

 それはやがて痛快なものを得たかのような高笑いへと変わった。背後に侍っていたナーベラルが突然のことに驚き、しかし己が主の楽し気な笑い声を聴き、自分自身の事のように喜んだ。

 

 アインズ様があのように楽し気な笑い声を挙げるなんていつ以来の事だろうか。ナーベラルは目頭が熱くなるのを感じた。

 他の御方々がお隠れになってからというもの、主は笑うのを止めてしまった。この世界に転移してくる前は、いつもふらりと一人ナザリックの外に出てはボロボロになって帰還する日々。ナザリックにあってはいつも何かを懐かしむような、焦がれるような哀愁を纏っており、不敬とは思いながらその背中はナーベラルの目にも酷く小さく見えたものだ。それ故に、その御身を慰撫する術も持たぬ自分の無力を呪いさえした。

 だからナーベラルは嬉しかった。今この時、楽し気に笑う主の姿をこの目で見れて。

 たとえそれが束の間の出来事だったとしても。

 

「――ちっ、もう抑制されたか。だが、まあいいさ…フフ、()()()

「アインズ様」

 

 喜びは長くは続かない。アンデッドが特性故、感情が抑制されて冷静になったアインズが呼び声に振り返ると嬉しそうに微笑むナーベラルが居た。素の笑いを見られてバツが悪くなったのか、兜越しに後頭部を摩りながらアインズは応える。

 

「ナーベよ、幾度も言ったろう。今の私の名前はモモンだ。そしてお前も今は私のパートナー、冒険者ナーベであることを忘れるなよ。凡そは察しているだろうが緊急の案件ができた、カルネ村に戻ったら夜になり次第一度ナザリックに戻るぞ」

「は、モモンさ――ん、畏まりました」

「えーっと、この場合はあたしもアインズ様の事をモモンさ――んとお呼びした方がいいのかな? モモンさ――ん、そこで寝転がってる奴はどうします?」

 

 いつの間にかナーベの横に姿を見せていた10歳ほどの少女が、人懐こい笑顔を浮かべながらアインズに尋ねる。

 彼女もアインズの配下にあるNPCの一人で名をアウラ・ベラ・フィオーラという。褐色の肌に、肩口で切りそろえられた金色の髪からのぞく長く尖った耳は闇妖精(ダークエルフ)だろうか。赤いスタンドカラーのシャツに似た軽装鎧をまとい、その上には白いベストを羽織っており、下は白い長ズボンを履いている。

 彼女の左右で異なる色を宿した瞳は、アインズの背後で腹を出して寝転がる巨大なジャンガリアン・ハムスターに向けられていた。

 

「殺しちゃうなら、皮を剥ぎたいなって思うんです。結構良い皮取れそうだって思うんです」

 

 可愛い顔からは想像できないような物騒な提案をするアウラにアインズが呆れて、巨大なジャンガリアン・ハムスターは寝転がったまま恐怖の為か身動ぎする。

 このジャンガリアン・ハムスターも、かつてはこの森、トブの大森林で「森の賢王」と目された人の言葉を解する偉大な魔獣だったのだが、小半時ほど前にアインズに敗北を喫っしてから服従のポーズを取ったまま、デミウルゴスからの連絡もあり今まで放置プレイをかまされるという情けない状況にあった。

 アインズは森の賢王を見下ろしながら、暫しの逡巡の後に決断を下す。

 

「私の真なる名前はアインズ・ウール・ゴウンという。私に仕えるのであれば、汝の生を許そう」

「あ、ありがとうでござるよ! 命を助けてくれたこの恩、絶対の忠誠でお返しするでござるでござる! それがしは森の賢王。この身を偉大なる戦士であられるアインズ・ウール・ゴウン様に!」

 

 飛び起きると忠誠を誓う森の賢王に、アウラが残念そうな視線を送っていた。

 この魔獣が生き残れた理由は二つ。一つは戦いの中で「仲間」というアインズの琴線に触れる内容を口にしたことと、二つ目は降って湧いたプレイヤーの可能性に彼の機嫌がすこぶる良かったことだ。

 

(俺と同じユグドラシルプレイヤー、か…)

 

 できれば友好的でありたい。未だ見ぬ同郷に、アインズはそう、強く願う。

 

 

 * * * *

 

 

 そこは薄暗い空洞の中だった。

 しかし完全な自然物ということではなく、壁や床こそ土がむき出していたがよく見れば地上へと続いているのだろう折れ曲がった階段や壁にかけられた奇怪なタペストリー、ぼんやりとした明かりを灯す真っ赤な蝋燭などが設えられている。

 そんな空洞の中に、二人の男女が向かい合って立っていた。

 

「ちわー、カジッちゃん」

 

 男女のうち、女の方はクレマンティーヌだった。知己にでも会いに来たのか、怪しげな場所にあっても彼女の発した挨拶はどこまでも気楽だ。

 その挨拶に、カジッちゃんと呼ばれた男が顔を顰める。

 

「その挨拶は止めないか。誇りあるズーラーノーンの名が泣くわ」

 

 痩せた男だった。

 窪んだ目に髪はおろか眉や睫毛などの体毛が一切見受けられない土気色の肌、一見歳を取った老人を思わせるが、肌に皴が少ないところを見るとそれほど年を重ねていないのかもしれない。

 服装は血を思わせる赤いローブを纏い、首には小動物の頭蓋骨をつなぎ合わせたネックレスを下げており、骨と皮ばかりの痩せた左手に黒い杖を握っていた。

 人と言うよりはアンデッドを彷彿とさせる禍々しさを持った男、カジット・デイル・バダンテール。強力なネクロマンサー達が集う邪悪な魔術結社「ズーラーノーン」の十二高弟が一人である。

 カジットは忌々し気に、しかしして一度目を細めてから今度は少し興味深げにクレマンティーヌを見やった。

 

「…ふむ、軽口は相変わらずだがおぬし、どこか変わったな? 以前会った時よりも落ち着きがあるように見える。おぬしが謙虚さを学ぶなどということはあり得んだろうが」

「へー、わかるんだ…まー色々あったからさぁ、ほんと。たった一週間ぽっちでさー、色んなものがぶっ壊されてさぁ。あ、悪い気分じゃないんだよ? 全然」

 

 少し遠い眼をして語ったクレマンティーヌだったが、すぐにいつもの調子を取り戻して会話を切り上げる。これ以上語るつもりはないのだと理解したカジットは面白くなさそうに一度鼻を鳴らした。

 

「ふん…それでおぬしがここに来たのは一体どんな理由があってのことだ? ここで儂が死の宝珠に力を注いでいることは知っておろう。荒らしに来たのならばそれなりの対処をさせてもらうぞ」

「いやだなーカジッちゃん。今日はお土産を持ってきてあげたんだよー…ほんとは取引にでも使おうとか思ったんだけど、タイミングが悪いっていうか…ま、折角持ってきたことだしタダであげるよ」

 

 そう言ってクレマンティーヌがぞんざいに投げてよこした物をカジットが慌てて掴み、その正体を悟って目を見開いた。それが本来であれば外では決して出回らない貴重なサークレットだと気付いたからだ。

 

「これは巫女姫の証、叡者の額冠! スレイン法国の最秘宝の一つではないか!」

「そうだよー。それとこの街の生れながらの異能(タレント)を持つ人物を使ってカジッちゃんに色々してもらおうと思ってたんだけどさー…今はエルちゃんが街にいるからね、どうせやっても失敗しちゃうかな、ざーんねん」

「ふん。大方儂らに騒動を起こさせて、その機に逃亡する手筈だったのだろうが…そのエルとは何者だ? おぬしにそれほど謙なことを言わせるとは…敵か? そ奴、ズーラーノーンの障害となるか?」

「ただの流れ者だからここに引きこもってれば何も問題ないよ。嵐は黙って過ぎるのを待ちましょうってねー……ただし、手を出せば命の保証はないけどね」

「…眉唾だな。どれほどの強さなのかは知らぬが死の宝珠の力を以ってすれば…」

「止めといたほうがいいよ、ほんとに。あれは化け物…いや、鬼かな? 甘っちょろいところもあるけど敵だと判断されれば…間違いなく斬り捨てられるから」

 

 エルという人物を語るクレマンティーヌの口調の変化や、本人は無意識であろう若干の身震いを見てカジットは認識を改める。どうやら本当に警戒にたる人物らしい。

 

 しかし、とカジットは自分が握りしめている叡者の額冠を一瞥してから考える。

 叡者の額冠。着用者の自我を封じることで、着用者そのものを超高位魔法を発動させるマジックアイテムへと変えるスレイン法国の神器。

 無理に取り外せば着用者が発狂するという呪物のような側面に、装備できるのは女性、しかも百万分の一の割合から産まれた適合者のみという大国でなければ使用者を探すこともままならないような代物であったが、幸いにもカジットとその部下が潜伏している城塞都市エ・ランテルには、これを扱えそうな生れながらの異能(タレント)持ちが存在する。

 叡者の額冠と生れながらの異能(タレント)持ち、この二つを手にすることができれば、カジットが長年夢見てきた死の祭典を前倒しして行うことができる。

 

 …だというのに、たかが一人の流れ者の為にそれを実行に移せないなどと全く持って面白くはなかった。嵐が過ぎ去るのを待つ? 何時とも去るか分からない流れ者一人を?

 馬鹿らしい、とカジットは心の中で一笑した。

 

「…忠告は受け取っておこう、クインティアの片割れよ。なに、状況が動けばおぬしが当初望んだ結果もありえよう。手を組む気になったならいつでも尋ねるがいい。この土産は…精々有効活用させてもらおう」

「クインティアの片割れは止めてくれないかな? クレマンティーヌって呼んでよ」

「…なら、おぬしもカジッちゃんは止めろ」

「いいよーカジッちゃん」

 

 全く改めるつもりのないクレマンティーヌの笑顔にカジットはあからさまに顔を顰める。

 それでもカジットの方は以降、クレマンティーヌと呼び方を改めていたりするのだから、意外と根はいい人…なのかもしれない。

 

 

 * * * *

 

 

「幾ら神便鬼毒酒(しんべんきどくしゅ)で酔いつぶれたと言えど相手は名高き酒呑童子! 四天王を率いる頼光は侮ることなく寝所へと向かい、眠る酒呑童子の首に抜き放った名刀血吸いをえいやと振るい――」

 

 その日、城塞都市エ・ランテルにある冒険者ご用達の三軒の宿の中で最低水準にある安宿が、常では考えられないようなささやかな賑わいに満ちていた。

 宿の一階は酒場になっており少々不潔な環境に目を瞑れば室内はかなり広く、そこでは銅や鉄のプレートをぶら下げた冒険者たちが思い思いの席に座り酒を飲んでは歓声や野次を上げていた。

 

 歓声や野次を一身に浴びているのは広間の中心に立つ一人の女戦士だ。

 年季を感じさせる赤黒い全身鎧を身に纏い、唯一面頬付き兜(クローズド・ヘルム)を脱いでいるため晒されている素顔には、右額から左頬へと眉間を通して斜め一文字の裂傷跡が走っていた。そんな傷を負ってなお輝く褐色の美貌とピンと尖った両耳が、女戦士が闇妖精(ダークエルフ)、或はその血が混じった人物なのだと教えてくれる。

 

 彼女の名はエルス。(カッパー)級の冒険者だ。

 …と言ってもこの身分は偽装であり、彼女の正体はクロエルという異世界に転移してきた漂流者だ。

 ただ彼女、この世界に転移してから一応は偽名を使っているものの装備の変更などは一切行っていない。

 他の異世界転移者を警戒していたにも関わらず、本当に偽装する気があるのかと疑いたくもなるが、これは仕方ないと言えば仕方のないことだった。

 

 なにせ偽装スキルやそれに類するアイテムを一切持っておらず、ついで自分の持っているスキル「魔女の祝福(のろい)」は目立ち過ぎて隠しようがない。「戦うと攻撃されたわけでもないのに血が噴き出る変な戦士」と噂が立てばどれだけ変装したって気付く人は気付くだろう。

 なら戦い稼業から身を引いて慎ましく生きて行けるかというとそうもいかない。

 PC(プレイヤーキャラクター)としてのスキル構成の影響か、彼女はこの異世界に通用するのが己の腕っぷしだけでそれ以外はポンコツだと気付いている。よって慎ましく生きることは潔く諦め――いや、元々考えていなかったが――戦士として活躍でき、手っ取り早く身分証が作れる冒険者の職に就くことにしたのだ。

 そして冒険者として生きていく以上、クロエルは装備の質を落とす危険を冒してまで変装することもしなかった。人の口には戸が立てられない、どうせ特徴が知れ渡るのならば開き直っていつもの装備で通してしまえ、といった心境である。唯一の偽名は彼女のいじらしい抵抗とも言えよう。

 

 そんな彼女が現在何をしているかといえば、冒頭の場面の通り宿の酒場で自分が大好きだった日本の昔話「酒呑童子」の物語を異世界の冒険者たちに披露していた。

 同じ異世界転移をしてきたプレイヤーがこの場に居ればすぐにでも正体がばれてしまうだろう愚行になぜ彼女が走ってしまったかといえば、お酒の勢いで、としか言いようがない。

 

 異世界に転移してからというもの、彼女の精神は少なからず疲弊していた。

 突然の転移に現実世界では一度として体験しなかった1週間に渡る徒歩での旅、検問所での圧迫面接、初めての街での散策に失敗すれば路頭に迷うだろう緊張の冒険者登録。

 ようやく全てのイベントを終えて宿に付いても、店の主人による理不尽な叱責に先輩冒険者からの可愛がり――これについては実力や人柄を見るための通過儀礼だったようだが――を受け、クロエルは相当に参っていた。

 いくら超人的な肉体を授かろうが中身はやはり一般人ということだろう。ダーク・エルフ国からエ・ランテルの冒険者組合までの間とはいえ、クレマンティーヌが同行してくれなかったら転移早々に泣き言を言っていたかもしれない。ちなみに彼女は役目を終えたと見るや早々にクロエルの下から去ってしまっているが。

 

 ようやく人心地ついたクロエルにとって異世界の酒は格別だった。

 味は悪いが酒精の強いその一杯に、彼女の鬱積とした精神は一気に解放され、常より早く回ったアルコールの後押しもあり見る見る内に躁状態へと気分を高めてゆく。そんな中で異国の人間なのだから何か面白い話はないのかと他の冒険者にせがまれれば、クロエルは酔った勢いそのままに、考えなしに自分の好きな昔話を披露するに至ったわけだ。

 結果としては吟遊詩人(バード)のスキルがなくても酒場の酔っぱらいたちを楽しませることはできたらしく、酒呑童子の昔話はそれなりに好評だった。

 別世界の物語なので聞き手に理解できない部分も多かったが、主人公たちの武器が刀であることから南方の戦士たちが名前付き(ネームド)の人食い大鬼(オーガ)を退治する話だろうと細かいことは気にせず楽しんでいたようで、大仰な身振り手振りを加えて話すクロエルに向かって「やったれー!」とか「ライコウ、ちょっとやり口が汚いぞー!」など話の節々で茶々の入る盛り上がりだった。

 

「――こうして頼光たちは助けた麗しき姫君たちと、討ち取った数多の鬼の首を土産に都へと帰ってゆくのですが…その後姿を見送る怪しい影が一つ…っと、これでこのお話はお終いっすー」

「ちょっと待て、何だその不穏な終わり方!?」

 

 どこからか飛んだ野次を無視し、続ける気はないくせに次回の引きを入れつつ、クロエルは満足そうに話しを切り上げどっかりと椅子に腰を下ろす。古びた木椅子がギィと軋んで、隣で頬杖をついて座る赤毛の女がクロエルに微笑んだ。

 

「お疲れさん。あんた面白い奴だね、前にここへ来た新人冒険者も全身鎧姿だったけど、あれとは全く毛色が違うよ」

 

 そう言って差し出された酒のなみなみと入ったジョッキをクロエルは快く受け取り、赤毛の女へと視線を移す。歳は二十前後、乱雑に切られた跳ねっけのある赤い髪はまるで鳥の巣のようで、冒険者らしく健康的に日焼けしたがっしりとした身体つきの女性だった。目つきが鋭く化粧っ気こそないが顔立ちも悪くはない。

 

「いやー喉がカラカラだったからありがたいっす。名前は…」

「ブリタだよ、あんたはエルスとか言ったね。冒険者としてのランクも近いし、今のうちに唾だけはつけておこうと思ってね」

「大歓迎っすよ。エ・ランテルに来るまでは同行者がいたっすけど、今は一人だから寂しかったっす…ところで自分より前にも同じような装備の人がいたっすか。どんな人っす?」

「あー、同じ全身鎧って言っても、なんか絢爛華麗って言葉がピッタリはまるご立派な鎧を着ていて美人を一人侍らせてたわね。最初は貴族の道楽かと思ったけど実力は確かだったわ」

 

 そこで一度ブリタはジョッキを呷って唇を湿らせ、クロエルもそれに倣うように酒の入ったジョッキを傾け、喉を鳴らして一口飲んだ。

 

「ふぅ…そう、実力は確かだったよ。昼間のあんたみたいにここで冒険者に絡まれたんだけどね、なんと腕一本で大の男を持ち上げてそのままぶん投げちゃうんだから。それに巻き込まれて私のポーションの入った瓶が割れちゃってさー。弁償しろって言ったら…おっと、これは関係ない話だったか」

「へぇー、力持ちなんすね。一度会ってみたいっす」

 

 大男を片手でぶん投げる程度クロエルでもできるだろうが特に張り合う気にはならなかった。純粋にこの世界の実力者に興味があるのは確かだが。

 

「この都市で活動してればそのうち会えるだろうさ。まぁ私たちを一気に飛ばしていきそうな奴らだったから、すぐに王都の方に移っちゃいそうな気もするけど」

「いいっすね。希少種なら尚更拝んでおかないと」

「それ、連中の前でいっちゃだめだよ?」

 

 クロエルの言葉がツボに入ったのかブリタが可笑しそうに笑う。

 それから二人はしばらく談笑し、互いに打ち解けてきたところでクロエルはブリタに一つ提案をして見ることにした。

 

「ところでブーちゃん、自分こっちの文字が読めなくて難儀してるっす。なんか文字を覚える教材とか売っているところ知らないっすかね? このままじゃ組合のお仕事ボードに貼っ付けてある羊皮紙の内容が読めないし…忙しそうにしている受付の人をいちいち呼び出して教えてもらうのも忍びないっす」

「ブーちゃんはやめて! ブリタでいいよ…まったく、でも良い心掛けだね。教材に関しては今度教えてあげるよ。それより話から察するにあんたまだ何も依頼を受けてないんだろ? だったら私の仕事の手伝いをしてみない? 私のチームは主に街道の警備の仕事をしてるんだけど、比較的安全な仕事だし取っ掛かりとして持って来いだと思うよ」

「ほんとっすか! 是非お願いするっす! いやぁブー…ブリタと知り合えてよかったっす。剣には自信があるけど、正直冒険者になるのは初めてだから上手くやっていけるのか不安だったっすよ。色々勉強させてもらうっす」

「謙虚だねぇ。それじゃ早速明日から手伝ってもらおうかな、金の話は私のチームと顔合わせしてからね。酔っ払い二人で決める内容じゃないしさ」

「違いないっす。二日酔いになっても困るし今日はこれでお開きにするっすか」

「そうね。それじゃあまた明日会いましょ」

 

 こうしてクロエル…エルスは城塞都市エ・ランテルで、新たな仲間との初の冒険者の仕事をすることになる。

 ブリタと別れて宿の与えられた一人部屋へと戻った彼女は、扉に鍵をかけたのを確認してから一瞬にして装備していた全身鎧を消失させ下着姿になった。ゲーム時代の装備のショートカット登録が生きていたからできる芸当である。

 下着姿で露出した、首から下の肌はやはり傷跡で埋め尽くされており、とてもでないが人に見せられる状態ではない。

 

(はー酔っぱらったっす。身体がポカポカするっす)

 

 彼女が部屋のベッドに倒れこむとギシッという音と共に埃が舞った。久方ぶりのベッドだったこともあり彼女は多少の不衛生さを気にも留めず、さしたる時間もかけず微睡んでいく。

 

(明日は初めてのお仕事頑張るっす…クーちゃんは今頃何をしてるっすか…ブリタに化粧させたいっす)

 

 泡沫のように浮かんでは消えるぼやけた思考に身を任せながらエルスは目を閉じた。

 ほどなくして、部屋の中に寝息だけが静かに響く。彼女の短い旅はこの日、取り敢えずの終わりを見せたのだった。

 




 検問所

兵士「流れ者か…名前は?」
クロエル「(偽名くらい使うっすか…略せばいいっすね)エルっす」
兵士「エルスか」
クロエル「えっ」

 冒険者組合所

受付嬢「冒険者登録ですね、お名前をどうぞ」
クロエル「エルスっす」
受付嬢「エルスス様ですね」
クロエル「まって」


 改めて読むと原作のエ・ランテルはイベント盛りだくさんですね。


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邂逅

ブリタが所属していた冒険者チームの詳細が欲しいところです。


 早朝、宿屋一階にある酒場の一角を陣取りエルスとブリタを含む警備チームの顔合わせが行われた。

 昨夜は結構な量の酒を飲んだ筈だが特に二日酔いもなく、面頬付き兜(クローズド・ヘルム)を外しているエルスの表情はサッパリとした様子、一方のブリタは頭を抱えているところを見るにまだ昨日の酒が残っているようだ。

 

「大丈夫っすかブリタ。今日お仕事行けるっすか」

「…大丈夫、昼には抜けると思うから。おやっさん、水ちょうだい」

「ったく。お前さんも一端の冒険者なんだから自己管理ぐらいちゃんとしろ!」

「耳に痛い…って言うか頭に痛い。反省するから大声出さないで」

 

 眉を寄せて水の入ったコップを持ってくる酒場の主人に、ブリタが平謝りしながらコップを受け取り水を一気に流し込む。ぷはぁと気の抜けた息を吐きながら眉間を指で揉む彼女に仲間たちが苦笑した後、全員がエルスの方へと向き直る。

 

 ブリタの所属するチームは彼女を含め七人のパーティーだった。デザインに統一性はないが鱗鎧(スケイルアーマー)を着用しラージーシールドを背負う戦士が三人、軽装に杖を持った魔法詠唱者(マジックキャスター)が一人、神官衣を鎧の上から羽織った信仰系魔法詠唱者が一人、迷彩色のフード付きローブを羽織った軽装の野伏(レンジャー)が一人、それに紅一点でブリタが加わっている。

 実際には他にも仲間がいるらしいが、とりあえず班を分けたときにブリタが加入するチームだけを連れて来たらしい。結構な大所帯である。

 

「うちのが迷惑かけるね。さて、エルスさんだったか。ブリタの紹介で今日は俺たちの仕事を手伝ってくれるみたいだけど、お互いどんな事ができてどんな事ができないかを把握しておかないとうまく連携できないだろう? 自己紹介もかねて自分の得意分野や苦手な分野を挙げていきたいんだが構わないか?」

「問題ないっす。飛び入りなんで自分から紹介させてもらうっすよ」

 

 チームのリーダーと思われる魔法詠唱者に促されエルスは先に自己紹介を済ませることにする。

 名前以外は殆ど偽っていないが、エルス(クロエル)の冒険者としての設定は以下の通りだ。

 

 得意分野は前衛、アタッカー兼レンジャーの能力を持っている。

 装備している全身鎧も業物なのでやろうと思えばタンクの真似事もできる。

 戦士職なので魔法を唱えるのは苦手。回復されるのも苦手。アンデッドじゃないよ。

 呪いのせいで突然皮膚が裂けたりするが何時ものことなので驚かないでほしい。

 

 ユグドラシル時代の彼女の数少ない友が聞いていたら「もっと忍べよ!」と突っ込みを入れていたかもしれない。それくらいに彼女は明け透けだった。

 前衛職に加えて索敵もできると聞いて感心していたブリタたちも、最後の呪いで皮膚が裂けるという紹介には目を丸くする。冒険者の暗黙の了解で他人の詮索はご法度だったが、神官の男は呪いと聞いて興味を持ったらしく思わず聞き返してしまう。

 

「失礼、というとその顔の傷も?」

「ちょっとあんた!」

 

 神官の隣に座っていたブリタが、すかさず彼の耳を遠慮なく引っ張る。「ごめん、取れる! 取れるから!」と降参のポーズをして必死に謝罪する神官を可笑しそうに眺めながらエルスは気にした風もなく応えた。

 

「構わないっす、これは最近の奴っすね。友人と模擬戦をしたときにハッスルし過ぎて…まぁ、とにかくよく動くと皮膚が裂けるっす。慣れっこなので特に問題はないっすよ」

「治療や解呪は…」

「治しちゃうと直ぐ裂けるんすよね。傷跡が残ってる方が裂けにくいので治療はしないっす。解呪はそもそも無理っすね」

「…そうですか」

 

 場の空気が重くなるのを感じてエルスは慌てた。

 当の本人からすればいつもの事なので全く気にならないことだったが、他人から見れば悲惨な境遇に見えて居た堪れないのだろう。ご心配は痛み入るがこんなお通夜のような空気は望んでいない。

 場の空気を和まそうとエルスが「このプリチーな顔もそのうち見納めになるから、今のうちにしっかり記憶に留めるっすよ!」とお道化て見せれば、突然ブリタが立ち上がり「忘れない! 絶対忘れないからね!」と声を震わせ抱きしめてきた。違う、そうじゃない。

 

 すったもんだの挙句に漸くお互いの自己紹介を済ませた一同は、続く警邏の詳細、金銭の話なども詰めていき、やがて思い思いに席を立ってベルトの位置を修正したり身体を解すように伸びをしたりし始めた。話し合いの時間が終わったのだろう。

 エルスも兜を被って完全武装したことを確認すると警備チームへと向き直る。魔法詠唱者が代表して言葉を出発の号令を行う。

 

「よし、表で待たしている他の連中もいい加減焦れてる頃だろうし出発しようか。今回は通常の街道警備に加えて、近辺に塒を構えた盗賊どもの調査も行う。場合によっては戦闘もありえるので各自気を緩めないよう頼むぞ。それじゃあ出発!」

 

 応っと全員で元気よく魔法詠唱者に応えると、一同は外で待っていた他の仲間たちとも合流、エ・ランテルの門を潜って外の世界へと出立していくことになる。途中、門を潜る際にエルスがちらりと背後に広がる街並みに一瞥をくれたが気に留める者はいなかった。

 いや、正確には一人を除いてと言った方が正しかったか。街の外へ出てからブリタがそのことを指摘してきたからだ。

 

「どうしたのエルス? もしかして何か忘れものでもした?」

「いや、クーちゃん…友人もこの街にいるのでばったり出くわさないかなーとか少し期待していただけっす」

「なんだ、帰ってくれば時間はあるんだからその時にでも探せばいいでしょ」

 

 それもそうっすね、と返し、エルスはエ・ランテルで別れたクレマンティーヌの事を思い――途方に暮れる。

 

 心に余裕ができてから彼女は改めて思う。自分はどうすべきなのだろうか、クレマンティーヌをどうするべきなのだろうか、と。

 彼女が危険な人物だと知った上で、目先の好奇心に負けて彼女をレベルアップさせてしまったのは他ならぬエルスだ。

 

 クレマンティーヌの弁を信じるならば、今彼女に打ち勝てる戦士はプレイヤーかスレイン法国に居るという神人くらいしか考え付かない。

 拮抗した力を持っていた者たちを大幅に追い抜き、本当の意味で人類最強クラスの力を持ってしまった彼女がその衝動のままに殺人を繰り返すのは最悪の未来だ。冒険者になった今、彼女の着ていた鎧がどれだけ禍々しい代物だったのかも理解している。

 

 ならば斬るか、とも考えるがエルスはその考えに躊躇する。この肉体を得てから己の精神も変質して人を斬ることに抵抗はない。しかし勝手に与え、勝手に殺すのかという思いに決心が定まらなかった。何より彼女はクレマンティーヌの事が嫌いではないのだ。

 しかしこのまま放置すれば他の多くの人が殺される可能性を否定できない。昨日、無理矢理にでも彼女を自分の手元に引き留めておくべきだったかとエルスは懊悩する。

 

 どこまでも迂闊で、どこまでも独善的で、どこまでも傲慢な苦悩に頭を悩ませる彼女は、どれだけ超人的な肉体を得たとしても、やはりどこまでもただの一般人でしかなかった。

 人種ではなく異形種として肉体を得ていたのなら、こんなことで思い悩んだりはしなかったかもしれない。

 

(…帰ったらクーちゃん探して真面目に話し合わなきゃ駄目っすね)

 

 内心ため息を付きながらも今後のことに思いを馳せて、しかしすぐに気持ちを切り替え今の仕事に専念する。やれることから一つずつ、それが不器用な彼女が出した結論だった。

 

(しかし外に出るまで自分のことを観察してた人は誰っすかね? 最初はクーちゃんかと思ったけど見たら男の人だったっす)

 

 エルスは探知スキル〈手負いし獣の第六感〉でエ・ランテルを出るまでにこちらを警戒しながら窺う人物を特定していたが、クレマンティーヌではないと分かると特に気にせず放置していた。

 

(…あっ。ここいらに塒を構えたって言う盗賊団の斥候の線もあったっす! …事後報告になるっすけどリーダーに報告した方がいいっすね…はぁ、いきなり失敗しちゃったっす)

 

 エルスはとぼとぼと警備チームのリーダーに近づくと街の中にいた監視のことを報告する。案の定「何でもっと早く教えなかった!」とこっぴどく怒られたが索敵の腕は評価され、以降索敵の任務も担当させてもらえることになったので結果オーライである。

 

 ちなみに街中での監視者に対するエルスの予想は当たらずとも遠からず、と言ったところだ。街で警備チームを…エルスを監視していた秘密結社ズーラーノーンが高弟カジットの弟子は、彼女がエ・ランテルの外へと旅立ったのを見届けると急ぎ自分のアジトへと踵を返していた。

 

 

 * * * *

 

 

 街道の警備の仕事は順調に進んでいた。

 特にエルスの活躍は目覚ましく、野伏(レンジャー)として仕事を振れば広範囲を正確に索敵し、前衛として仕事を振れば瞬く間に現れたモンスターを斬り伏せてみせる。

 その有能さに警備チームの誰もが驚愕し、ついでに呪いが発動したのか面頬付き兜の隙間から血をボッタボッタと垂れ流している彼女の姿に小さな悲鳴を挙げてと忙しかった。

 呪いの発動を実際に目の当たりにしたブリタが青い顔をして「あんたはもう働かなくていいから!」とエルスの両肩を持って激しく揺さぶった為、血の飛沫が近くにいた仲間たちへと降りそそいだのは微笑ましいハプニングというべきか。

 

 そんな一行の冒険は忙しくも和やかに続く。

 やがて情報にあった盗賊の塒の近辺に辿り着くとそこに野営を設置して、ひと時の休息に皆が和気藹々と談笑に花を咲かせた。

 動きがあったのは夕焼けも褪せて夜の(とばり)が降り始めた頃だった。盗賊たちの塒の様子を監視させていた斥候から、塒の異変を告げる一報が入ったのだ。

 

「盗賊どもの塒で戦闘が始まった、か…どうも賊の方が劣勢にあるらしいが…」

「調査の必要があると思います。予定通りチームを二つに分けて慎重に情報を集めましょう」

 

 報告を聞いたリーダーの呟きに仲間の一人が予定通り作戦を進めようと進言する。彼はそれに黙って一度頷くと、真剣な面持ちで仲間の顔を見渡して静かに指示を出し始める。

 

「皆、聞いての通りだ。奴らの塒で動きがあった。予定通りチームを二つに分けて行動を開始するぞ。作戦に特に変更はなし…いや、エルスは初仕事だし後詰めとして罠の設置を担当するチームに入ってもらう予定だったが、あの働きを見た後じゃな…エルス、お前も強行偵察のチームに入れ。期待してるぞ」

「任せるっす!」

 

 自信満々といった感じに自身の胸を叩くエルスに一瞬誰もが相好を崩し、すぐに表情を引き締める。当初の予定と違って盗賊の塒には第三の勢力の加入が確認されている。ここから状況がどう動くのか全く予測がつかないのだ。チームの警戒度は否が応でも高まった。

 

「賊と敵対している連中が冒険者だったら話は早いんだが…いや、楽観視せずに常に最悪を想定して動かないとな。よし、皆行くぞ!」

 

 こうして警備チームによる盗賊の塒の調査任務が決行された。

 夜は、まだまだ始まったばかりだ。

 

 

 * * * *

 

 

「……どういうつもりだ、らしくもない。殺さんのか?」

「…んー。こう張り合いないと興覚めっていうかさー…というか、この街では極力血の匂いはさせたくないんだよねー」

「…この部屋なら何ら問題ないと思うがな」

 

 何らかのすり潰された植物や薬品の匂いが籠る薄暗い部屋の中で、ランタンの光に照らされながら二人の男女が立ち話をしており、その周辺には五人の人間が転がっていた。

 立ち話をしに興じるのはクレマンティーヌとカジットだ。そして周囲に寝転がっている面々は「漆黒の剣」といわれる四人の冒険者たちとこの屋敷、リイジー・バレアレ店の主の孫にあたるンフィーレア・バレアレという見習い錬金術師の少年である。彼らは死んでいるわけではなく、クレマンティーヌの一撃によって全員気絶していた。

 大幅なレベルアップにより身体能力の強化されたクレマンティーヌが本気で不意打ちを決行したなら、たかだか五人程度目撃されずに無力化するのは容易なことだった。

 

「ふん。よほどエルスとやらが怖いようだなクレマンティーヌよ。心配せずともその者は今この街にはおらん。そして、我らの計画は今宵の内に全て終わるだろうよ」

「ふーん。そうですかー、そうだったらいいですねー」

 

 特に感情のこもってない気だるげな返事を返すと、クレマンティーヌは気絶しているうちの一人、ンフィーレアを片腕で軽々と担ぎ上げた。

 他の倒れている漆黒の剣のメンバーに用はないが彼は必要だ。ンフィーレアは生れながらの異能(タレント)を持っており、その異能の効果は「あらゆるマジックアイテムを使いこなす」という類稀なものだ。

 彼が居ればクレマンティーヌがカジットに渡した叡者の額冠を扱うことができる。死の祭典を行うためには確実に確保しなければならない道具の一つだった。

 

「ふはははは。これで必要な道具は揃った。あらゆるマジックアイテムを使うことのできる生れながらの異能(タレント)に、着用者を超高位魔法を詠唱するだけの道具に変える叡者の額冠! この二つが合わされば第七位階魔法〈不死の軍勢(アンデス・アーミー)〉を行使することができる!」

 

 担ぎ上げられたンフィーレアを見ながらカジットが興奮気味に捲し立てる。無理もない、彼はこの死の祭典――正確には都市壊滅規模の魔法儀式「死の螺旋」を行うために五年という歳月をその準備に費やしてきたのだ。長年の悲願が目前まで迫っているというのに興奮するなというのが土台無理な話なのだ。

 店を後にし、墓地へと急ぐカジットの背中を冷めた目で見ながらクレマンティーヌは考える。

 

(死の螺旋ねー…アンデッドが集まる場所には強いアンデッドが産まれて、その強いアンデッドが集まるとまた更に強いアンデッドが産まれるっていう悪循環だっけ…そこで死の力を集めれば不死の存在になれるって話だけど、そんなに上手くいくもんかなー?)

 

 レベルアップには良さそうな狩場だけど、と考えてからクレマンティーヌは苦笑する。短い付き合いだったが随分とクロエルに毒されたものだ。

 

(…エルちゃんか)

 

 クレマンティーヌがクロエルに抱く思いは畏敬に近い。

 快活で軽薄な人間性を持ちながら、レベル100という遥か高みに至った武の化身であり、クレマンティーヌの持つ忌まわしき傷を癒してくれた優しき女神でもあった。

 破壊と慈悲の混沌のような彼女をクレマンティーヌは恐れ、そして好ましく思っている。

 

 今回彼女がンフィーレアを護衛していた漆黒の剣の面々を殺さなかった理由は、ひとえにクロエルに殺しを悟られるのを恐れたためだ。彼女は見逃すかもしれないが、それでも失望されることは間違いないだろう。場合によっては責任と表して斬り殺されるかもしれない。

 だから、クレマンティーヌはエ・ランテルでは殺しは我慢しようと心に決めていた。我慢するだけで、殺しを止めようなどとは微塵も思わない。これまで積み重ねてきた人生によって形成された人格を、今更否定することなど不可能だった。

 

(…もう一度話をしたいとは思うけど、それもこの後次第かなー?)

 

 今回クレマンティーヌはカジットの計画に一応の協力はしているものの、その姿勢はどちらかと言えば見届け人といった方が近いかもしれない。

 死の螺旋を試金石に、クレマンティーヌは自分の今後を見極めようとしている。失敗してエ・ランテルが残るならクロエルともう一度会い少し深いところの話し合いを、成功してエ・ランテルが滅ぶのであればそのまま去るつもりなので、もう二度とクロエルと会うこともないだろう。

 警邏の仕事が通常通り行われるなら明日までは確実に帰ってこないだろうが、あのイレギュラーな存在が中にいて、予定通り事が進むとは思えない。

 クレマンティーヌは予定よりも早く戻ってきたクロエルが、カジットの計画を引っ掻き回す光景を想像して少しだけ愉快な気分になる。陰気なアンデット軍団を相手にクロエルが暴れまわる様はさぞ痛快だろう。

 

(あ。そういえば後二人カジッちゃんの障害になりそうなのが居たっけ)

 

 そこでクレマンティーヌが思い出したのは、巨大な魔獣を使役する漆黒の戦士と、美しい魔法詠唱者の姿だった。

 

 クロエルがエ・ランテルを出立してからカジットに呼び出されたクレマンティーヌは、ンフィーレアの動向を探るために忙しく街中を回っていた。

 入ってくる情報によれば彼は冒険者を雇ってカルネ村へ赴いたとのことだったのでそう都合よく帰ってくることはあるまいと踏んでいたが、結果としてンフィーレアの凱旋を目撃しクレマンティーヌは奇異な偶然に目を丸くしたものだ。

 そしてそのンフィーレアと共に凱旋した人物の一人、絢爛華麗な漆黒の鎧に身を包み、巨大な魔獣に騎乗した戦士をクレマンティーヌは特に警戒していた。

 クロエルという強者の力を肌で感じたからか、レベルという概念を知ったからか、それともレベルの成長を体感したからなのか…いや、恐らくすべての体験からだろう、クレマンティーヌの天性の才能は、この短期間のうちに相手のレベルを感じ取る感覚をおぼろげながらに掴み始めていた。

 

(確か戦士の名前はモモン…あと美人さんの方がナーベ、だったかなー…(カッパー)級みたいだけどかなりの実力者だね、あれは。魔獣の方はそこそこって所かな…あの冒険者たちならもしかしたらカジッちゃんの計画を阻止しちゃうかもねー)

 

 その予想にクレマンティーヌは面白くなさそうに眉を顰める。

 クロエルが阻止するのは構わないが、彼女の中でモモンとナーベの二人は部外者の立ち位置だ。大事な試金石をどこの馬の骨とも知れぬ冒険者に水を差されるのは全く持って面白くない。まぁ、それでも彼女は結末を見届けるために、ンフィーレアの運搬以降は傍観に徹するつもりだったが。

 

(エルちゃん戻ってこないかなー。警備なんかよりこっちの方が絶対楽しいのに)

 

 クロエルの帰還を待ち望む気持ちに気付いて、クレマンティーヌは自嘲する。

 また会いたいのなら、素直に自分から会いに行けばいいのに、と。

 

 

 * * * *

 

 

 クレマンティーヌがバレアレ店を去ってから数刻後、エ・ランテルの近郊、森にありながら幾多の岩が突き上げる草原地帯、いわゆるカルスト地形が広がる場所で――

 

「ぜぇいんッ、逃げるっすゥ!!!」

 

 ――〈闘気〉を纏いながら、大太刀を構えて叫ぶエルスの姿があった。

 

 エルスを除いた強行偵察チームの面々が緊迫の面持ちで、皆が皆、ある一点を注視しながらジリジリと後退していく。

 

 その視線の先――盗賊の塒の入り口で、怪しく煌めく赤い双眸が冒険者たちを見下ろしていた。

 



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吸血鬼対出血鬼

 時は少し遡る。

 エ・ランテル近郊にある盗賊の塒の目前で、一人…一匹のモンスターが今、灰となってその肢体を崩壊させていった。

 

吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)っすね」

 

 そう言って大太刀を軽く振ってから鞘に納めるのは、(カッパー)級冒険者のエルスだった。

 強行偵察チームとしてブリタ達と共に盗賊の塒へと歩を進めた彼女は、〈手負いし獣の第六感〉で木の上からこちらの様子を窺う敵影を察知すると、弾丸のように飛び出し跳躍。

 木の上に身を潜めていた吸血鬼の花嫁に斬り上げと返し手の斬り落としの二の太刀を浴びせ、瞬く間に討伐してみせた。

 

「全身鎧着込んで垂直な木を駆けあげるとかどんな身体能力してんのよ、あんた」

「ふふふ…知りたいっすか? まぁそれはとりあえず置いといて…不味いっすね」

 

 エルスの超人っぷりに皆が唖然とするなかブリタが代表して突っ込みを入れるが、彼女はそれを軽くいなすと顎に軽く手をやって思案気な様子を見せる。

 その様子にリーダーである魔法詠唱者(マジックキャスター)も真剣な面持ちで応えた。

 

「そうだな。吸血鬼の花嫁が見張りに立っていたということは盗賊どもを襲撃したのは吸血鬼ってことになる。中に何匹いるか分からんぞ」

「ちょっと待ってよ、エルスがあっという間に倒したからピンとこないんだけど、こいつの難度ってどれくらいなの?」

「個体差にもよるが…難度65から75といった所だな」

 

 ブリタとリーダーの会話にザワリ、とエルスを除く冒険者たちの周囲の空気が揺らぐ。

 難度65~75ともなればミスリル級やオリハルコン級の冒険者が請け負う領域のモンスターになる。

 そんなモンスターを、贅沢にも見張りに立たせるような存在が現在盗賊の塒の中にいる可能性に全員が気付いてしまったのだ。間違っても、(カッパー)級や(アイアン)級の冒険者が挑んでいい相手ではない。

 一部「難度ってなんすか?」と頭にクエスチョンマークを浮かべる空気の読めない子もいたが、強行偵察チームの面々は緊迫した面持ちとなっていた。

 

「仮にこの吸血鬼の花嫁が何者かに命令を受ける立場だとしたら…不味いぞ、眷族の死が命令した立場の化け物に伝わった可能性が高い」

「早計だったっすね。申し訳ないっす…」

「…いや、気にするな。放置していても情報が伝達されるだろうし遅いか早いかの問題だ。それよりも相手の戦力を削っておけた方が大きいと思おう」

「…そう言ってくれるなら殿(しんがり)は任せてほしいっす」

「頼む。ここで吸血鬼とまともに戦えそうなのはお前だけだ」

 

 一度エルスの肩を叩いてから撤退支持を飛ばし始めるリーダーを眺めつつ、エルスも念のため吸血鬼対策用の装備に変更する。

 全身鎧はそのまま、指輪やネックレスは対吸血鬼戦を想定した耐性重視に変更し、刀は少し迷った後、現在装備している「覇顛皇(はてんこう)」を外しアンデッド用の大太刀「大禍食(おおまがは)み」に変更。これより適した刀があるにはあったが、どうしても使う気になれない。

 最後に丸薬を幾つか取り出すと頬面付き兜(クローズド・ヘルム)のバイザーを持ち上げ、口の中へと放り込む。噛んだり飲んだりはせず口の中に含むだけだ。使う必要なさそうな相手なら、勿体ないので吐き出して無限の背負い袋に戻すつもりだ。ばっちぃがユグドラシル産のアイテムは節約しておきたい。

 

 エルスがバイザーを下ろし盗賊の塒の入口へと視線を戻した時だった、〈手負いし獣の第六感〉が発動し彼女は肌が粟立つのを感じた。

 エルスがすぐさま口に含んでいた丸薬を全て噛み潰す。目の覚めるような苦みが口いっぱいに広がり身体が一瞬にしてカッと火照るのを感じ、自然治癒力向上、気力回復速度向上、筋力上昇、感覚鋭敏化、魔法耐性上昇などのバフがエルスを包んだ。

 

「ぜぇいんッ、逃げるっすぅ!!!」

 

 丹田(たんでん)から発したエルスの怒号が強行偵察チームの耳を強かに打つ。

 明らかに豹変した彼女の雰囲気に気圧されて、その場にいた全員が素直に後退し始めるが、新たに盗賊の塒から飛び出してきた存在に視線がくぎ付けとなる。

 

 その怪物は異様なほど猫背だった。

 体躯はさほど大きくなく少女のようである。黒い仕立てのいいドレスに裾を通し、だらりと力なく垂らされた枯れ木のような両手には数十センチはある鋭い爪が伸びており、完全に俯むかせた顔には長く艶やかな銀の髪が掛かっており表情は伺えない。

 奇妙なのは、頭のある位置と首の付け根の位置を考えてみると、首が常人の三倍はありそうに思えることだ。そして魔法の類なのか頭上に人の頭ほどある赤い球体を、背後には一匹の吸血鬼の花嫁を侍らせている。

 

「…吸血鬼王侯(ヴァンパイアロード)

 

 それは誰が呟いた言葉だったのか、その言葉を皮切りに銀髪の怪物が顔を上げ、細い髪の奥から怪しく煌めく赤い双眸を覗かせ冒険者たちを睥睨する。

 

「エルス…」

「…あれ一匹で手一杯っす。吸血鬼の花嫁には抜かれるっす」

「十分だ…お前が居なかったら生存率がもっと下がってる……推定吸血鬼! 銀武器か魔法武器のみ有効。勝てない! 撤退戦! 眼を見るな!」

 

 エルスとの短い応答を済ませたリーダーがこの窪地全体に聞こえるほどの、やけに大きな声で叫ぶとすぐに全員が動き出す。銀髪の吸血鬼が飛び出てくる前に準備を済ませていたので即応で撤退行動に移れていた。

 

「にぃいいがぁああさぁなああああいいいぃいいい!」

 

 銀髪の吸血鬼が初めて声を上げる。それは可憐な少女の声音であったが、一方で音程の外れた鐘が何十にも鳴り響く不協和音のようで冒険者たちの精神を逆撫でさせる。

 

「来おおぉおおおいッ!!」

 

 エルスも負けじと裂帛の気合で応え〈闘気〉を高めていく。

 〈闘気〉は自分よりもレベルの低い相手を恐怖や恐慌状態に陥れるが、味方が受ければ鼓舞にもなる。そして存在感を増した彼女に対して、否が応でも銀髪の吸血鬼のヘイトは集まった。

 

「おまえはああぁあああ、あっちぃいいいいいぃい!」

 

 銀髪の吸血鬼が撤退に移った冒険者たちを指さすと、後ろに控えていた吸血鬼の花嫁が走り出す。それと同時に銀髪の吸血鬼も頭上に浮かぶ赤い球体を従え四つん這いの状態でエルスに向かって走り出した。

 風に煽られた銀髪が捲れ、こちらに向かってくる吸血鬼の素顔を初めて目視したエルスは思わず声を上げる。

 

「グロッ!」

 

 強いて言うならヤツメウナギだろうか。エルスはこちらに迫る吸血鬼の顔を見てそう評価する。

 耳の上まで裂け半円を作る大きな口には、注射器を思わせる細く白い歯が鮫のように無数に何列にも渡って生えており、突き出した二本の犬歯は顎下まで届きそうだ。喉奥から延びる長く太い真紅の舌は巨大な蛭を思わせる。

 体系といい特徴的な口元といい、ユグドラシルで見たことのあるモンスターに容姿が一致していたためエルスは敵の正体に当たりを付けることが出来た。真祖(トゥルーヴァンパイア)だ。

 

(ゲームに比べて服装や髪型が異なるようっすけど…いや、それ以前に)

 

 ゲームに出てきた真祖よりも遥かに強い。エルスは強大な未知の敵を前にして冷や汗が流れる思いだった。

 レベルは100に到達しているとみていいだろう、下手を打てばこちらが殺される可能性が高い。

 しかし、エルスは逃げるつもりは毛頭なかった。逃げるわけにはいかなかった。

 

(あれは…あれは駄目っす!)

 

 とても許容できる存在ではなかった。エ・ランテルで実際に人々を見たからこそ確信できる。あれは、たった一匹で人の世界を容易く亡ぼす力を持っている。

 それは正義感というよりは打算から出た結論だった。人間種の彼女にとって、人の生活圏とは自身の生活圏と同等だ。それを失えば居場所を失うことになるし、人との交流も途切れてしまう。折角クレマンティーヌやブリタのような知己を得るに至ったのだ、この先も芽吹くかもしれない(えにし)の種を、このような訳の分からない存在に潰されるのは黙っていられなかった。

 仮に人間種に友好的なプレイヤーが多く転移してきてくれていたなら、エルスも危険を回避するために防御に徹し、頃合いを見て逃げ出していたかもしれない。しかしその存在を確認できない今、悪戯に放置していい相手ではない。彼女の腹が決まり目の前の真祖を明確な殲滅対象として睨みつける。

 

(恨むっすよ、縁結びの神様! …縁結びの神様でいいっすかね?)

 

 この出会いに複雑な感情を抱きつつ、エルスも剥き身の大太刀を肩に担ぎ、真祖に向けて走り出した。

 

 

 * * * *

 

 

 ――殺さなきゃ。

 

 真祖、シャルティア・ブラッドフォールンという名の怪物は、赤く染まる視界に全身鎧の戦士を捉え、湧き上がる憤怒とともにそう思う。

 

 彼女はアインズと共に異世界へと転生してきた戦闘用NPCの一人だった。

 普段は階層守護者という重役に付いているため拠点であるナザリック大墳墓から出ることのない彼女だが、この度「この世界の武技や魔法、世界情勢に詳しい犯罪者の捕縛」という命を自身が至高の御方と仰ぐアインズから直々に下賜されたことで、この盗賊の塒を襲撃していたのだった。

 

 しかし、成果はあまり芳しくない。

 これはシャルティアの積というよりはアインズの人選のミスの方が大きかったかもしれない。現在手の空いている強力な戦闘用NPCの中で、人の姿を取れるものが彼女しかいなかったこと、最悪捕縛対象の生死は問わなかったので生き血を吸ってしまえば強制的に吸血鬼(シモベ)にすることのできる彼女の能力が役に立ちそうなことなどを考慮しての人選だったが、アインズはシャルティアの保有する「血の狂乱」なるペナルティを甘く見過ぎていたのだ。

 ユグドラシルは強職業(クラス)などに弱点やペナルティなどを付けることでバランス調整を行っており、その中の一つである「血の狂乱」は血を浴び続けると戦闘力が跳ね上がる代わりに精神的制御が効かなくなり、殺戮衝動に身を委ねてしまうという欠点を持っていた。

 

 当然の帰結というべきか、シャルティアは盗賊と戦闘を行った結果「血の狂乱」を発動させてしまい対象を欲望のままに虐殺。遊ぶのに夢中になりすぎて、唯一の武技持ちの剣士も取り逃がすという大失態を犯していた。

 そして任務の失敗に憤っているさなか、見張りに立たせていたシモベの吸血鬼の花嫁が殺されたのを察知した彼女は、すぐさま盗賊の塒を飛び出し――全身鎧の戦士(それ)を見た。

 

 ――殺さなきゃ。

 

 シャルティア・ブラッドフォールンは、真紅の思考回路の中でそんな言葉を思い浮かべる。

 それは想像でしかなかったが、シャルティアが感じ取った全身鎧の戦士の力は強大だ。任務のことを考えるならば、これほど最適な捕縛対象はいないだろう。

 しかし、シャルティアはその戦士を捕縛しようなどとは微塵も考えなかった。どうあっても殺さねばならぬと妄執に囚われてしまっていた。

 命令違反。果たしてそれはアインズへの不敬から犯したものだったのか…いや、間違いなくアインズへの忠誠から犯したものだろう。

 

 ――あれは、あれの牙は至高の御方に届く!!

 

 「血の狂乱」によって思考こそぼやけてしまっているが、それ故にもっと根源的な、本能というべきものがシャルティアに警鐘を鳴らすのだ。()()()()()()()

 

 シャルティアの視界が更に真紅に染まり、こちらに迎え撃たんと走り出した全身鎧の戦士に憤怒と殺意が募る――

 

 ――そして次の瞬間、シャルティアの身体が硬直し、前につんのめった所で視界が暗転、真っ暗闇へと堕ちていった。

 

 

 * * * *

 

 

「チェエリオオッ!!」

 

 裂帛の意思を以って振り下ろされたエルスの斬撃がシャルティアの頭蓋を深々と切り裂き、大量の血と脳漿を地面にぶちまけた。

 

 しかし油断することなくエルスは続けざまに釣竿を引き上げるように上段に構えると、剣先で弧を描くように振り回し、横なぎの一閃をシャルティアの頭上に浮かんでいた真紅の球体へと叩きつける。真紅の球体――〈鮮血の貯蔵庫(ブラッドプール)〉と呼ばれる殺した相手の血を貯蔵し、MPとして代用することのできるこのスキルは、彼女の一撃を受けることで本来の姿を取り戻し、水風船が破裂するが如くただの鮮血となって周囲に飛散する。

 

 初手を制したのはエルスだった。

 彼女がシャルティアと対して最初に行ったのは情報の分析だ。種族、言動、〈鮮血の貯蔵庫(スキル)〉などを鑑みて「血の狂乱」が発動していると看破した彼女は、相手が冷静な判断力を有していないと読んだ上で接近と同時に針型手裏剣を投擲、〈影縫い〉による行動不能を誘発し、無防備なその頭部へとスキル〈ジゲン一刀・星兜〉を叩きつけてみせた。

 刀による一撃の威力を最大限上昇させ、頭部に当てたなら多大なるダメージを約束するこのスキルに、さしものシャルティアも致命傷は免れなかったが――

 

「んなっ?!」

 

 ――まるで映像が逆再生するかの如く、地面にぶちまけられた大量の血が、脳漿が、シャルティアの頭部の傷へと吸い込まれていき、傷も瞬く間に塞がっていく。

 〈時間逆行〉と呼ばれる一日に三回だけ使用することのできるシャルティアの回復スキルが発動した結果だった。もしシャルティアが「血の狂乱」を発動しておらず理性が全面に出ていたのなら先の一撃でそのまま死んでいたかもしれない。「血の狂乱」によって原始的な面、生存本能が刺激されたことでシャルティアの脳は破壊されながらもそこから生還する最適解を導き出すという離れ業をやってのけた。

 

「おおぉおおおまああぁええええぇえ!!」

(まずっ…!)

 

 顔を上げたシャルティアの眼を見て慌ててエルスが刀を上段に振り上げるが、次の瞬間全身に強い衝撃を受けて空中へと吹き飛ばされる。〈不浄衝撃盾〉という赤黒い衝撃波を周囲にまき散らすスキルを受けて、錐もみ状態で落下するも流石は戦士職プレイヤーの身体能力というべきか、空中で体勢を立て直すと屈伸しながら衝撃を軽減させるように両足から着地した。

 遅れてきた痛み(ダメージ)に兜の奥で顔を顰めながら、エルスはシャルティアに向き直る。

 

「……へ?」

 

 そして思わず声を漏らした。シャルティアの外見が、少し目を離したうちに全く異なる物へと変化していたからだ。

 

 それは、一言で言うなら真紅だった。

 血に濡れたような真紅の全身鎧。顔の部分が開いた白鳥の頭のような形の兜には左右から鳥のような羽が突き出しており、胸から肩を経由して、鳥の翼をイメージしたような装飾が垂れ下がっている。腰には真紅のスカートを巻き付けていた。

 そして片手には、理科の実験で使いそうなスポイトの形に酷似した奇怪で巨大な槍を握りしめている。

 

 そこにあるのは化け物とは程遠い戦乙女(ワルキューレ)の美姿。

 装いも、体格も、顔立ちさえも、根本から全てが変化してしまっている。この目で見ていなければ、間違いなく別の個体だと認識してしまうほどに。

 

(いやいや意味わかんないっす! 真祖が美少女に変身するなんて聞いたことないっす!)

 

 異世界特有の個体なのか、ユグドラシルの知識と異なる全くのイレギュラーな存在にエルスは困惑するも、しかしはたと違う可能性が頭に浮かび、じわりと嫌な汗が出るのを感じた。

 

 果たして、こいつはこの世界の生き物なのだろうか、と。

 

 冷静に考えてみても生物全体のレベルが低いと思われるこの異世界で、レベル100相当の化け物というのは異質な存在だ。それに加えて外装の極端な変化や伝説級(レジェンド)神器級(ゴッズ)を思わせる武装の数々…エルスの疑念はいよいよもって真実味を帯びてくる。

 そしてそこに、真紅の戦乙女から決定的な言葉を投げかけられた。

 

「…あなた、プレイヤーでありんすね?」

 

 プレイヤー。ユグドラシルに限らず、ゲームに興じる者たちの総称。

 なぜ廓言葉、と突っ込みそうなるのを抑えつつ、エルスはその言葉の意味をゆっくりと咀嚼する。

 

「…なんでそう思ったでありん、すか?」

「無理に喋り方を合わせなくてもいいでありんすぇ。あなたの放った攻撃はこの世界の武技、とかいうものでなくユグドラシルのスキルでありんしょう? 似たようなスキルを以前に見ているから分かりんす」

 

 そういう所からも分かるのか、とエルスは感心する。この異世界は魔法こそユグドラシルと同じものが使われているが、前衛系のスキルは「武技」という独自のものが発展していた。魔法職と違って戦士職のエルスは胡麻化すのが難しいかもしれない。

 

「そういうあなたはプレイヤーなんすかね?」

「わたしはプレイヤーではありんせん。わたしは至高の御方々にそうあれと生み出された、残酷で冷酷で非道で――そいで可憐な化け物でありんす」

(プレイヤーじゃない? 至高の御方々? 生み出された? …もしかしてNPCっすか?)

 

 単純な行動ルーチンしか組み込めないAIが異世界で命を持ったとでもいうのだろうか。まさか、とエルスは思うが今は細かく考えずにその事実を受け入れる。整理すべき情報が多すぎた。

 

(仮にこの子がNPCだとしたらギルド規模で転移に巻き込まれたってことっすか…!)

 

 プレイヤーがNPCを作成するためには二つほど条件がある。一つはギルドを設立している、又は所属していること。二つ目は城以上の規模の本拠地(ギルドホーム)を持っていることだ。それらがまとめて転移してきたとしたら、複数のプレイヤーやNPCがこの世界に辿り着いたということになる。

 

(それでそのプレイヤーの人たちは、こういう少女に自分を至高の御方と呼ばせていて……自分のことを残酷で冷酷で非道な化け物と宣うモンスターを、何の目的か人里近くに放っていると……ふむ)

 

 全く仲良くなれる気がしない。それがエルスの感想だった。

 

(魔王ロールでもしてるんすかね? それとも現実(リアル)で人間嫌いだったとか…うぅん、とにかく厄介なのを敵に回したみたいっす)

 

 一度思考を切り上げてエルスはシャルティアへと向き直る。急に理性が戻ったのは頭を縦に割ったおかげで「血の狂乱」が解除されたからだろうか。まぁ、会話が成立すると言っても向こうの表情を見るに敵意むき出しなのは間違いないが。

 厄介なことだ、とエルスは内心ため息を付く。殺戮衝動のままに動く以前の姿の方が与し易かっただろう。戦支度を整えているというのもなお悪い。

 

「…不幸な遭遇戦だったようですし。お互い一撃入れたことだしこれで手打ちにしないっすか?」

「できんせん。あなたはここで放置するには危険すぎんしょう……それにさぁー、人の頭縦に割っといてさぁー、ごめんで済むと思ってんのかよ?」

 

 駄目で元々の提案だったが、廓言葉をやめてドスの利いた声で凄んでくるシャルティアに、エルスは交渉の余地はないと悟る。

 こうなったらやることは一つだ。ここからはエルスではなくクロエルとして相手しようと彼女は肚を決める。撤退した背後の仲間たちの気配も今は遠い。全力を出しても構わないだろう。

 

「最後に一つだけいいっすか? 自分の名前はクロエルっす。あなたの名前を知りたいっす」

「…シャルティア・ブラッドフォールン。あなたが最期に聞くことになる名前でありんすぇ」

「…上等っす。シャーちゃん、プレイヤーの恐ろしさをその身に刻むがいいっすよ」

「やってみろよ。…あとな、変な、愛称を、付けるなぁああ!!」

 

 その言葉を最後に、殺意を纏ったシャルティアが突進を仕掛けてくる。

 驚異的な速さだった。駆けるたびに地面が爆発するように吹き上がり、背中に生えた一対の翼の力強い羽ばたきが更にシャルティアの速度を上げていく。構えられたスポイトランスも相まって、さながら撃ち出されたライフル弾のようだ。

 対するクロエルは身体を深く沈めた中腰に、半身をシャルティアに向けた待ちの姿勢だ。刀を鞘に納めていることから居合を狙っていることが分かる。

 

 槍突撃(ランスチャージ)対居合。しかしこれにシャルティアはニヤリと笑顔を形作る。

 認めよう、確かにクロエルは強い。きっとそこから放たれる居合も自分の速さを凌駕するものとなるに違いない。だが、それがどうしたとシャルティアは思う。武器の間合いはこちらの方が長いのだ。大太刀と言えスポイトランスの長さには及ばない。どれだけ早く動こうが先に攻撃を当てるのはこちらである。狙いを外すつもりなど毛頭ない。

 

 恐ろしい速度で距離が詰められる中、槍の間合いに入ろうかと言った瞬間にクロエルが動いた。居合ではない、爪先で地面を掬うように蹴り上げるとシャルティアの顔めがけて土を飛ばしたのだ。

 

「くぅッ!」

 

 土が目に入りシャルティアの視界が一瞬塞がれる。顔を振って視線を戻した時にはクロエルの姿はそこになかった。

 

「泥臭い戦い方は初めてっすか?」

 

 はっと声のした方向に視線を向けると、ほぼ膝をつくような低い姿勢から居合を放つクロエルの姿があった。シャルティアの左脇腹を鋭い熱が突き抜けるような感覚が走り、次の瞬間血が噴き出した。

 

「ぐあっ!」

「まだァッ!」

 

 返す刀で追撃の一刀を放つクロエルだったがその剣先が一瞬ぶれる。それは一瞬のことだったがシャルティアにとっては貴重な一瞬だ。即座に〈上位転移(グレーター・テレポーテーション)〉を発動したシャルティアの姿が消えクロエルの刀が空を切った。

 クロエルの刀の間合いから逃れるように上空に姿を現したシャルティアは、頬面付き兜(クローズド・ヘルム)越しに片手で顔を抑えるクロエルを見下ろした。

 仮面に開けられた線のような見通し穴から、ポタポタと血が滴っているのが見えて、反撃しようとした手が止まる。

 

「おんやぁ? 古傷でも開きんしたか?」

「…そんな所っす」

 

 タイミングが悪い、と兜の中でクロエルは苦虫を噛み潰したように顔を顰める。魔女の祝福のデメリットダメージが発動したのだ。

 

(よりによって額が裂けたっすか。血が止まるまで視界不良っすね)

 

 丸薬を使った自然治癒力向上のバフもあるので止血までそう長い時間はかからないだろう。しかし止血までの時間はシャルティア相手に防戦一方になるのだからクロエルは気が滅入る思いだった。シャルティアは空中で停滞したまま降りてくる気配がない。つまりは接近戦に付き合う気がさらさらないということだ。

 

「惜しかったでありんすねぇ。下賤の戦術には驚きんしたが、結局わたしには通用しんせんようでありんす…でも接近戦では少々分が悪いのは認めんしょう」

「――〈空間は水面(みなも)立禅(りつぜん)〉、〈明鏡止水〉」

 

 余裕ある口ぶりで嘯きながら、シャルティアの掲げた槍を持たぬ左手に白銀の光が収束し始め、対するクロエルは自分の刀の間合いに反応結界を形成するスキルと集中力や命中率を上昇するスキルを展開する。

 

「だから、空から一方的に蹂躙させてもらいんす」

「打ち落とすっす」

 

 シャルティアの左手に収束された白銀の光が三メートルはあろうか巨大な槍の形をとり投擲された。クロエルは視界が血で滲む中、〈明鏡止水〉の効果によって極限まで研ぎ澄まされた集中力を発揮して、居合の体制を維持したまま相手の攻撃が刀の間合いに入ってくるのを待つ。

 

 ――ちゃぽん、と水面が跳ねるような感覚に向けてクロエルの刀が奔る。クロエルが〈立禅〉で構築した反応結界に白銀の槍が接触したのだ。彼女の刀は吸い込まれるように白銀の槍を捉えるが――

 

「ぐぅ!」

 

 ――刀をすり抜けるように白銀の槍はクロエルの胸に直撃する。〈清浄投擲槍〉と呼ばれるその魔法の槍はMPを追加消費することで必中効果が付与する特性を持っていた。

 

(必中攻撃っすか! ってか神聖属性って…アンデッドなのに信仰系魔法詠唱者だったすか! まったく対策してなかったっす!)

「あははは!」

 

 シャルティアの手の中に再び白銀の槍が姿を見せ、即座に投擲される。クロエルは居合で撃ち落とすのを諦め、刀を上段に構えると〈清浄投擲槍〉が直撃するのを待つ。そして――

 

「〈玉鋼〉!」

「弾いた?!」

 

 ――〈玉鋼〉を発動させ〈清浄投擲槍〉を弾き飛ばしてみせた。〈玉鋼〉は相手の攻撃が直撃する瞬間に発動しなければ成功しない難度の高いスキルだが、〈明鏡止水〉によって強化されたクロエルの集中力を以ってすれば成功させるのは難しくなかった。

 驚愕に足を――いや、この場合は羽だろうか――を止めたシャルティアに対してクロエルが上段に構えていた刀を振り下ろすと、青白い光が刃の形を成して飛来する。クロエルが持つ遠距離攻撃で〈飛翔閃〉と呼ばれるスキルだ。

 しかし未だに視界がぼやけた状態で狙いが甘かったか、シャルティアは余裕を持ってそれを躱す。しかし躱した先に追撃の〈飛翔閃〉が飛んできていたことに気付き、再び顔に驚愕の色を浮かべながら間一髪のところをスポイトランスで受けきった。

 

(まさか、最初の一撃で誘導されてたのか!)

(受けられたっすか…でも、血は止まったっす)

 

 顔を振って目尻にたまった血を飛ばすとクロエルはシャルティアを見上げる。新たに後頭部が裂けて首筋に生暖かい血が流れていくのを感じたが気にはしなかった。

 

 これまでの戦闘でクロエルには気付いたことがある。シャルティアのことについてだ。

 彼女自身気付いているのかどうか、どうもシャルティアはこの戦闘に集中しきれていない様子だった。気がそぞろというか、意識が一方向だけに向いていない。だから砂をかければ素直に顔に受けるし、簡単な誘導に乗っかって二撃目を許す。

 それに、なんだろうか、シャルティアがクロエルに向ける目線がねっとりしているというか、物欲しそうというか、何というか変な色が混じっている。攻撃を中断してこちらを見つめてくる今もそうだ。

 

「……また匂いが濃くなりんしたね」

「……匂い?」

「クロエル、とか言いんしたね。その鎧の下、どうなってるんでありんすか? 肌を晒さない理由はなんでありんす?」

(んん?)

 

 ここへ来て情報を引き出そうとでもいうのだろうか、とクロエルは首を傾げる。しかしシャルティアの表情を見て本当に興味本位で聞いているのだと分かると少し呆れて、そして少しだけ可愛らしく思った。こうも感情が表情に出てしまうなんて、随分と素直な吸血鬼もいたものである。

 

(…ああ、血に反応してるんすね)

 

 そしてシャルティアが集中力を欠いている原因が「血の狂乱」にあるとクロエルは読んだ。感情を抑制するのに気を持っていかれているのかもしれない。

 

(あれって返り血浴びないと発動しないんじゃ? …まぁいいっす。攻撃力は上がるけどあっちの方が与し易いのは確かだから、どうにかして発動させるっす!)

 

 今後の方針を固めたクロエルは黙考を終え、シャルティアへと返事を返す。

 

「そんなこと言っても鎧は脱がないっすよ。自分に勝ったら好きにするといいっす」

「…そうでありんすね。殺してからゆっくりとその鎧を剥いでやりんしょう。ああ! ついでに血を吸ってシモベとして眷族に加えるのも良いかもしれんせんね。きっとアインズ様もお喜びに…」

「アインズ様?」

 

 彼方の主を思ってか、うっとりと天を見上げたシャルティアが、クロエルの返しにピタッと動きを止め、錆び付いたブリキの玩具のような動きでギギギとこちらに顔を向ける。

 

「アインズ、それがシャーちゃんの主の名前っすか」

「…わっ、忘れろー!」

 

 敵にナザリックの――一番重要だとも言える至高の御方の御名を教えてしまうという失態に気が付いてシャルティアがクロエルへと突撃する。

 呆れるべきか微笑ましく思うべきか、クロエルは一瞬だけ複雑な感情を浮かべるもすぐさま気持ちを切り替え刀の柄を握りしめる。

 

(アインズ…うーん、知らない名前っす。似た名前のギルドは聞いたことあるっすけど)

 

 また、戦いが始まった。

 




覇顛皇(はてんこう)
 愛刀。神器級。

大禍食(おおまがは)
 制作アイテムではなくモンスタードロップアイテム。
 アンデッドに強い。伝説級。

・ジゲン一刀
 一撃の威力を最大まで上げる。掛け声は「チェスト」が正しい。

・星兜
 頭をかち割る技。頭部に入れば大ダメージ。

・飛翔閃
 飛ぶ斬撃。

・空間は水面(みなも)
 領域や結界などに視覚や聴覚などに呼びかけるエフェクトを付ける。
 他者が結界に触れると、その部分に水面に雫が落ちたような波紋が広がる。
 使用者にしか感知できない。

・立禅
 自分の周囲に不可視の結界を張る。
 結界に踏み込んだものを敏感に感じ取ることが出来る。

・明鏡止水
 精神を落ち着かせ集中力を高めることで攻撃の精度を上げる。弱い精神異常ならこれで治せる。


 シャルティアは廓言葉だったり、切れればスケバンだったり、心の声は結構普通だったり書くのが難しいですね。
 設定詰め込み過ぎです、ペロロンチーノさん。


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慟哭





「――っ」

 

 胸に走る真一文字の刀傷を忌々し気に睨んでから、シャルティアは詠唱を始める。

 

「〈魔法最強化(マキシマイズマジック)力場爆裂(フォース・エクスプロージョン)〉!」

「ぐうっ!」

 

 シャルティアを中心にして周囲に衝撃波が荒れ狂い、彼女の胸を傷つけた戦士、クロエルが吹き飛ばされていく。最大威力で解き放たれた衝撃波の嵐は地面に巨大なクレーターを穿ち、大量の砂煙を巻き上げた。

 互いの距離が開いたのを見逃さずシャルティアは〈時間逆行〉で胸の傷と()()()を修復。次いで自分の体力を徐々に回復させる〈生命力持続回復(リジェネート)〉という魔法を唱えてから、砂煙を切り裂き飛来する〈飛翔閃〉を察知、スポイトランスを横に払って打ち落とし、続いて飛び出してきたクロエルの斬撃もまたスポイトランスで受けて鍔迫り合いの状態になった。

 

 迂闊だった、とシャルティアは先程の展開を思い出して歯噛みする。

 至高の御方の御名を晒すという失態に焦り、勢いのまま飛び出したのがまずかった。すぐに我に返るも軌道に乗った飛行を急停止するのは難しく、ならばと〈上位転移(グレーター・テレポーテーション)〉を唱えてクロエルの背後に転移した。

 正面からぶつかるのは不味いと咄嗟に背後からの奇襲を思いついてのことだったが、〈立禅〉による反応結界に覆われていたクロエルにそれは悪手だった。転移してきたところで胸を真一文字に斬り裂かれて今の状態まで持っていかれてしまっている。

 近接戦闘は相手の方が一枚上手だというのに痛恨のミスだった。

 

(迂闊だった…それもあるけど…ああ!)

 

 何なのだ、この女は。

 肌を一切見せない全身鎧の鋼の姿。正体なんて分からない。

 だというのに、鍔迫り合いの最中、間近に至って、さらに強く、より強く――

 

 ――何故、こうも刺激的で、蠱惑的で、官能的だと感じてしまうのか。

 

 アンデッドの動かぬ心臓が早鐘を打つが如く、心の焦燥に戸惑いを隠せない。

 血を浴びていないにも関わらず「血の狂乱」が暴れ出して、今にも理性のタガが外れてしまいそうだ。

 

「ふんっ!」

(押し込まれる?!)

 

 クロエルが腰を沈めて刀身に力と体重を込める。

 傍からは長身のクロエルが小柄なシャルティアに覆いかぶさろうとしているように見えたかもしれない。シャルティアは全身を反らせながら両腕を開いて掴んだスポイトランスを掲げ、上から自分を押し潰そうとする圧に懸命に耐える――

 ――と、そこで上からシャルティアを覗き見るような位置にあるクロエルの頭が激しく振られた。何を、とシャルティアは怪訝な表情を浮かべるも、次の瞬間には相手の思惑を理解する。(かぶり)を振るクロエルの兜の隙間から、赤い飛沫が飛ぶのを見えたからだ。

 縦横無尽に飛んでいく血の飛沫の一滴が、シャルティアの右頬に落ちた。

 

「…イ゛イ゛ッ!!」

 

 声にならない悲鳴がシャルティアの噛み締められた口端から漏れる。

 同時に〈不浄衝撃盾〉による赤黒い衝撃波を放たれるも、そう何度も吹き飛ばされてたまるかとクロエルも〈玉鋼〉を発動。しかし瞬発的に効果の終わる攻撃ではなかったために、初動の一瞬こそ防いだものの、続けざまに吹き荒れる衝撃波の暴風に飲まれて結局は少なくないダメージと共に吹き飛ばされてしまう。

 地面との距離がさほど開いていなかったこともあり、今度は綺麗に着地すること叶わずクロエルは地面に激突。何メートルも転げ回ってからようやく停止し、痛みに堪えながら上半身を起こした。

 

「…ゲホッ。ほんと、厄介な、スキルっすね」

 

 身体の具合を確かめながらクロエルはシャルティアの方へと視線をやる。

 予想はしていたが追撃は来なかった。シャルティアは先程の場所から一歩も動いておらず、己の肩を掻き抱いて何かに耐えるように震えている。

 

「ううううう…」

(頑張って抑えてるっすねぇ…ゲームと違って精神の抑制にも意識を割かなきゃいけないとか弱体化もいいところなんじゃ?)

 

 「血の狂乱」の厄介さにクロエルは多少の憐憫をシャルティアに向けるも、他人事ではないなと自分の「魔女の祝福」を思い浮かべる。昔はHPに気を配っていればよかったが、今では戦闘中に貧血や出血死も有りうるのではなかろうか。

 

(…あれ、もしかしなくても自分、長期戦に不向きな身体になってるっすか?)

 

 不吉な可能性に気付いてクロエルは思わず天を仰ぐ。

 どうやら、早々に決着を付ける必要がありそうだ。シャルティアが悶えているうちに、さっさと距離を詰めて戦闘を再開することにする。

 シャルティアが「血の狂乱」を抑えながら気もそぞろに戦うもよし、逆に「血の狂乱」を発動させて冷静な判断の付かない怪物として戦うもよし、まだ切り札を隠しているかもしれないが、流れはこちらにあるとクロエルは分析していた。

 

 そして再び刀を構えて走り出したクロエルは、間もなくシャルティアが予想以上に追い詰められていたことを思い知ることになる。

 

 

 * * * *

 

 

 頬に付いた血を舐めとりたい。その欲求を強靭な意志力をもって押さえつけたシャルティアは、震える手を慎重に動かしその血を拭う。

 少し痺れるような快楽が頬を伝って、シャルティアは下唇を軽く噛んだ。どう考えても、これは「血の狂乱」だけの作用ではない。

 

 「血の狂乱」は端的に言えば己の精神を極限まで躁状態にするだけのペナルティだ。

 現に盗賊たちを虐殺した時も気分が高揚し殺戮衝動が高まりはしたが、それ以外で身体に異常をきたすことなど無かった。

 しかし、クロエルの血の一滴(ひとしずく)がシャルティアの頬を濡らした時、そこに感じたのは爪先から頭頂までを無数の黒い蛇が這いあがるような背徳感と、全身を貫くような快楽だった。

 

(あの女に惹かれる理由がようやく分かった…血だ。あの女の血は特別なんだ…)

 

 あれは、宵月に照らされ妖しく吸血鬼を(いざな)う鮮血の海原だ。この身を沈めて、全てを委ねてしまいたくなる。しかし委ねたが最後、逃れることは叶わず溺死するに違いない。

 

 「血の狂乱」とクロエルという存在の波状攻撃に精神が揺さぶられ続ける中、シャルティアは己の創造主であるペロロンチーノの言葉を思い出していた。それは、かつてペロロンチーノが恐れた「エヌ・ティー・アール」という呪いの話だった。

 

(ペロロンチーノ様が昔アインズ様に仰っていた…確か短編の「えろまんが」なる物なら楽しめるけど「ちょうへんあにめ」や「えろげ」で推している娘がエヌ・ティー・アールされるとトラウマになる…と。その呪いを受けた娘は、愛する者を裏切り敵の与える快楽に溺れると…!)

 

 シャルティアは戦慄した。

 自分は恐らく、エヌ・ティー・アールという呪いを受けている。もしこの呪いに屈するようなことがあれば、自分は至高なる御方を裏切ってクロエルの性奴隷になってしまう可能性があるのだ。

 その恐ろしい結末を想像し、シャルティアは初めてクロエルという存在を恐怖した。

 エヌ・ティー・アールを操るカースドナイト――ナザリックの――いや、全世界の乙女の敵と自分は相対していたのだ。

 

「い、嫌でありんす…ッ」

 

 シャルティアはクロエルを拒絶するように一歩下がる。しかしそれを嘲笑うかのようにクロエルが刀を構え、走り出すのが見えた。

 

「来ないでえぇええええ!!」

 

 明確な拒絶の言葉と共にシャルティアの切り札というべきスキル〈エインヘリヤル〉が発動した。

 

 

 * * * *

 

 

(シャーちゃんが…増えた?!)

 

 それはクロエルが走り出してすぐのことだった。シャルティアが突然絶叫したと思えば、その前方に白き光が立ちはだかるようにして集約し、人の形を象り始めたのだ。

 白い光が象るは使役者(シャルティア)の姿。塗装前の等身大マネキンを思わせるそれは、クロエルを捉えると槍を構えて瞬時に突撃を開始する。

 

 クロエルの対応も早い。垂直に構えた刀の峰に片手を添えて、迫る槍の側面に剣の腹を押し付けることで軌道を横に逸らすと攻撃を回避、そのまま踏み込むことで白いシャルティア――エインヘリヤルの懐深くに入り込むと、垂直に立てていた刀を軽く持ち上げ柄頭を眉間に、膝蹴りを脇腹へとそれぞれ叩き込む。

 エインヘリヤルはその衝撃に二歩、三歩と後退するが、特に痛がる様子も見せず、再度槍を構えると連続して突きの攻撃を繰り出してきた。

 

(表情に変化なし…無生物…推定…ゴーレムってとこっすか?)

 

 目の前の敵を分析しながらクロエルは槍の攻撃を捌く、捌く、捌く。三合ほど打ち合い一度距離を取ると新たに得た情報を整理し始める。

 

(身体能力…シャーちゃんと同程度。攻撃…近接戦闘のみ。スキル…なし。パターン…単純。結論…肉壁(タンク)

 

 ――と、そこへ強い衝撃を受けてクロエルの身体が横に弾けるようにして吹き飛んだ。

 

「ぎゃああ!」

 

 右の脇腹に激痛を感じながらクロエルが地面を転がる。それに追いすがるようにしてエインヘリヤルが接近、槍を突き出してくるが、クロエルはその穂先を倒れた状態から蹴り上げることで辛うじて回避する。

 立ち上がってクロエルが見たものは、エインヘリヤルの後方で新たに〈清浄投擲槍〉の準備をするシャルティアの姿だ。

 

「……そう、っすね、それが肉壁の正しい運用法っす!」

 

 クロエルの脇腹を貫いたのはシャルティアの放った〈清浄投擲槍〉だった。

 どうやら前衛をエインヘリヤルが、後衛をシャルティアがそれぞれ行う戦術に切り替えたらしい。あまり勝負に時間をかけたくないクロエルにとって厄介な戦術である。安全圏にいるシャルティアの心に余裕が生まれれば精神が安定する可能性もある。

 

(なら、動揺を誘うためにもちょっと実験してみるっすか…成功すりゃいいんすけど)

 

 シャルティアを視界の端に捉えながらクロエルはエインヘリヤルとの戦闘を再開する。

 刀を正眼に構えたクロエルは、エインヘリヤルが連続して繰り出してくる突きに対し、穂先を刀で打ち据えることで捌き、摺足による移動でシャルティアとエインヘリヤルの姿がギリギリ重ならない立ち位置を維持しながら〈清浄投擲槍〉を待つ。

 

「死――ねぇ!」

 

 シャルティアの叫びと共に〈清浄投擲槍〉が放たれた。

 即座に反応したクロエルの選んだ行動は〈玉鋼〉による防御ではない。取り出した針型手裏剣をエインヘリヤルの足元に投擲し、〈影縫い〉によってその行動を縛ると自身の立ち位置を半歩横にずらす。

 必中効果を持った〈清浄投擲槍〉がクロエルを追尾するようにその軌道を修正するが、その射線上にはエインヘリヤルの姿。

 

「しまった!」

 

 直撃した〈清浄投擲槍〉にエインヘリヤルが吹き飛ばされるのを見てシャルティアは臍を噛む思いだ。

 クロエルが試みた実験とは、ゲーム時代には存在しなかったフレンドリーファイアの有無の確認だった。ナザリックでは既に検証された事柄であったにも関わらず、精神の動揺治まらぬシャルティアは同士討ちする危険にまで気が回っていなかった。

 そして、射線上に立っていたことでエインヘリヤルが吹き飛ばされた先には刀を上段に構えて待ち構えるクロエルの姿。

 

「チェリオオ!」

 

 開幕、シャルティアの頭を縦に割った脅威のスキル〈ジゲン一刀・星兜〉が振り下ろされ、〈清浄投擲槍〉の衝撃により碌に体制も立て直せなかったエインヘリヤルの頭部が粉々に砕け散る。

 同時にエインヘリヤルを貫通して尚も迫った〈清浄投擲槍〉がクロエルの胸を貫き苦悶の声を上げさせる。

 

(ぐうぅ…フレンドリーファイア…確認。肉壁越しの威力低下…確認)

 

 ゲームと異世界の差異を確認しながら、痛む身体を引きずりクロエルはまた駆けだす。

 視線の先には悲鳴に近い声を上げながら、〈清浄投擲槍〉を構えるシャルティアの姿。

 

(実験その二!)

 

 〈清浄投擲槍〉が放たれると同時にクロエルは無限の背負い袋からある物を取り出す。

 取り出されたのはクロエルの身体をすっぽりと覆い隠せそうな長方形の板状の物体。「重っ?!」という言葉と共に前方に突き立てられたそれにクロエルが身を隠した瞬間、〈清浄投擲槍〉が直撃する。

 しかしその長方形の物体は清浄なる魔力の塊を一身に受けて尚、煙を上げながらも依然として聳え立っていた。

 

大盾(タワーシールド)?!」

 

 シャルティアが驚きの声を上げ前方の物体を睨む。それはクロエルが異世界で初めて殺したプレイヤー、龍♂狩りの使っていた大盾だった。

 PvPに盾一枚で挑み続けた廃人プレイヤーの所有物、当然神器級(ゴッズ)の大盾でありその防御力たるや堅牢の一言に尽きる。職業(クラス)の異なるクロエルでは装備することはできなかったが、単純に地面に突き立てて使えば壁として利用できるのではという閃きが今回のクロエルの実験につながった。

 

(壁利用…成功! 神器級だけあって大したダメージカット率っす。龍♂狩り、感謝するっすよ!)

 

 ガランと音を立てて龍♂狩りの大盾が地面に倒れ、その脇をクロエルが疾走する。回収している暇はない、今は一刻も早く距離を縮めるべきだとクロエルの経験則が叫んでいる。

 

(あああ、どうしようどうしよう止まらない止められない。ペロロンチーノ様ぁ!)

(…やっば、クラクラしてきたっす。何でユグドラシルには増血ポーションとかないんすか!)

 

 双方が双方、追い詰められていた。シャルティアはクロエルが近づくほどに誘惑や恐怖に精神が掻き乱れ、クロエルは呪いによる出血ダメージで軽い貧血を発症している。

 

「〈魔法最強化(マキシマイズマジック)朱の新星(ヴァーミリオンノヴァ)〉!」

「くぅぅうう!」

 

 シャルティアの放った紅蓮の炎が噴きあがり、クロエルが身を守るように両手を交差しながらも尚走る。一拍、クロエルが刀を持たぬ腕を素早く振り、カランと何かが地面を転がっていく。

 

「このダメージならぁああああ!」

 

 クロエルが叫ぶとともに突如、彼女の走る速度が上昇する。

 クロエルが地面に(ほう)ったのは鞘。それによりスキル〈捨て鞘〉が発動しダメージ量に比例してステータス上昇のバフがクロエルにかかっていた。

 

「ふぉ、〈力の聖域(フォース・サンクチュアリ)〉!」

 

 狼狽えながらも眼前に迫ろうとしている悪夢を拒絶するかの如く、シャルティアは純粋な魔力による障壁を自分の周囲に張り巡らすが――

 

「武士道は死狂ひなり。一人の殺害を数十人して仕かぬるもの」

 

 ――クロエルの口から葉隠れの一節が詠まれ、彼女の存在感が重く膨れ上がる。

 職業に「侍」を持つ者が詠めば、一時的に強力なステータス上昇を約束するスキル〈侍の聖句〉。〈捨て鞘〉に加えた更なる強化によって放たれたクロエルの一刀は、シャルティアの障壁を無慈悲にも粉砕する。

 

 そしてその瞬間、クロエルは確かに見た。

 戦意が萎み、敵意のまるでないただの怯えた子供の顔を。

 

 クロエル自身は気付いてなかったが、戦闘によって強まった彼女の血の匂いが眼前に迫ったことで、シャルティアの戦意を著しく挫いていた。

 特別な血の誘惑と恐怖、そして餌を目前に「待て」を命令された犬のように、欲望をチラつかせながらも不気味に鳴りを潜めてしまった「血の狂乱」。そうあれと創造されたはずの内面で起きた様々な未知の要素にシャルティアは戸惑い、足が竦み、とてもじゃないが戦闘どころではなくなっていた。

 

 そんな強大な吸血鬼であるはずのシャルティアの、どこか途方に暮れたような、迷子であることに気が付き絶望する幼い子供のような様子を見てクロエルは――

 

 ――物凄く、嗜虐心をくすぐられた。

 

「さぁ、(とら)まえた」

「…あっ」

 

 クロエルが芝居掛かった口調で碌に抵抗もしないシャルティアを押し倒し馬乗りになる。

 シャルティアの胸に腰を下ろした状態で、スポイトランスを握る腕は片手で抑え、もう一方の腕には膝を乗せて体重をかける。

 仰向けで大の字に寝転がるシャルティアは、ただただ怯えた瞳でクロエルの顔を見つめていた。

 

「…可愛いっすね」

 

 空いた片手でクロエルが自分の兜のバイザーを持ち上げる。初めて晒された素顔にシャルティアが息を呑むのが聴こえた。そこには美しくも痛々しい、生新しい裂傷が幾つも刻まれた顔が妖しく微笑んでいる。

 

「デザートをあげるっす」

「…やっ」

 

 力なく振られたシャルティアの顔にパタパタと、頬面付き兜(クローズド・ヘルム)の内側に溜まっていた生暖かい血液が何度も落ちる。

 シャルティアの白い(かんばせ)に幾つもの赤い斑点が描かれ、何滴かの()()は口へと落ちて、小さな舌を伝っていく。

 その味に、ビクリとシャルティアが身を震わせた。

 

 

 ――入ってくる。

 

 わたしのなかに入ってくる。

 怖いものが入ってくる。

 

 それを知ったら、戻れなくなりそうで。

 

 だから、知るのが恐ろしくて。

 だから、知りたいと思う気持ちを止められなくて。

 

 ああ、でも、やっぱりこれは知るべきじゃなかった。

 だって、これは、この味は。

 

 なんて、なんて、なんて――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ひあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 * * * *

 

 

 ゲーム、ユグドラシルのプログラム内部には「blood_bless」と呼ばれる連想配列というものが存在した。

 公式ランキングに使用される様々な集計データを格納する箱の一つであるこの「blood_bless」は、プレイヤーの総出血ダメージ数と、戦闘で浴びた返り血の総数をデータとして格納する役割を持っていた。

 

 しかし、反映させる必要のない集計データだとして公式ランキングのプログラムから除外されたこの「blood_bless」は、消されることこそなかったが存在を忘れられ、何の役割も持たず、誰にも見られることもなくプログラム内部でただ無意味なデータの集積を続けていた。

 

 もしユグドラシルの開発チームの誰かが気紛れに、この連想配列内の集計データを覗いていたら、一人群を抜き異常な数値を叩き出しているプレイヤーを見つけて驚いていたかもしれない。

 

 ユグドラシルでは何の影響も及ぼすこともなく、しかし内部では確かに動き続けていた「blood_bless」。

 この機能が異世界で吸血鬼に影響を及ぼすとは、開発チームは考えもしなかっただろう。

 




クロエル「胸を斬ったときの感触が予想よりも浅かったっすが、あれは…?」
シャルティア「知りんせん!」

プログラマー1「変数名なににしようかな~。blood_count…blood_point…いや、ここはblood_blessこそが相応しい…」
プログラマー2(先輩…また中二病にかかって…)


シャルティアは実力と言うより相性が悪すぎました。


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それぞれの戦い

 クロエルとシャルティアの戦闘の火ぶたが切って落とされた頃、そこから少し離れた森の中をブリタが脇目も振らず駆けていた。

 

 ――駆けろ、駆けろ。ただ只管に。

 

 息を弾ませながらそう己を鼓舞し、ブリタは止まることなく駆け続ける。

 時折背後を確認したい衝動に駆られるが決して振り返ることはない。走りながら身を捩れば呼吸が乱れるし何よりも夜の森だ、余計なことをして足元の注意を怠れば直ぐに転倒してしまうだろう。そうなれば、ブリタの生存率はぐっと下がる。

 

 そう、彼女は今生死の境目に足を踏み込んでいた。

 強力な吸血鬼の出現とそれからの逃走。親玉だと思われる化け物の足止めはクロエルが務めてくれたが、その眷族である吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)が一体、追手として差し向かれている。これに対してブリタを含む冒険者チームが取った行動は散開。個々が別々の方向へと逃走する手だ。

 何人かは犠牲が出るだろう。しかし追手は一人、少数を贄とする間に多数は別方向へと逃走して生き延びることができる。残酷な選択ではあるが全体の生存率を上げるにはこの手しかなかった。

 

(リーダー…)

 

 最初の犠牲者の顔を思い浮かべてブリタの目頭が熱くなるが、奥歯を噛み締めて溢れそうになる涙を堪える。

 事前に準備を進めていたこともあり逃走は迅速だった。しかし吸血鬼の花嫁から見て一番近い位置を逃走していたチームリーダーの魔法詠唱者(マジックキャスター)は、人を超越する膂力にすぐさま追い詰められて、最初の犠牲者として命を散らしてしまっていた。

 ブリタは逃走の最中に一瞬だけ視線をやって、その最期を目に焼き付けている。白魚のような手に腹を貫かれながら、少しでも仲間が生き延びられるようにと決死の覚悟で吸血鬼の花嫁を抱き止める立派な最期だった。

 

(何人…生き残れるかな)

 

 少なくとも仲間の二人はもうこの世にいない。一人はリーダー、もう一人は離れた場所から聞こえた爆発音に紛れて悲鳴を上げた誰か。集っていた最初の地点から各自別々の方向へと距離を稼いでいるので、後は吸血鬼の花嫁が誰に狙いを絞るかでブリタの生死は決定すると言っても過言ではないだろう。

 

(あいつは、エルスはまだ戦ってるのかな)

 

 額を流れ落ちる汗を拭おうともせず、ブリタは全身鎧を身に纏う女戦士の姿を思い浮かべて走り続ける。

 昨夜会ったばかりの新入りの冒険者だった。酒場の酔っ払い達を相手に、明朗な語り口で異国の物語を披露する姿を見て、馬が合いそうだと酒を酌み交わしたのが始まりだった。

 仲間に誘い、快諾されて共に仕事をすることになった。警備の仕事に同行させてみて、思わぬ拾い物だったと気付くのにそう時間はかからなかった。

 凡庸な人の枠には囚われない超人的な強さ。化け物と対峙し、誰もが逃げ出すしかない状況下にあっても一人踏み止まり気炎を吐くその背中にブリタは英雄の姿を見た。

 

(まだ生きてるのかな、どんな気持ちで戦ってるのかな)

 

 英雄の可能性を持つ、才気溢れる者の内情に思いを馳せながらブリタは走る。渦巻く思考は憧憬の念からか、それとも恐怖からの逃避のためか。

 

(私たちが守るべき弱者だから踏み止まって戦ってるの? 最初から私たちを劣っている者と見下しながら一緒に行動していたの? あんたは、あの底辺の酒場で何を思いながら私たちを眺めていたの?)

 

 自分達のために最前線に残った相手に対して何を考えているのだろう、そう思いながらもブリタの思考は止まらない。

 何故なら、出会ってしまったから。彼女がどんなに努力しても追いつくことができない存在に、彼女が懸命に昇ろうとする巨大な階段を一段抜かしで軽やかに超えていくような超常の存在に出会ってしまったから。

 憧憬や羨望、嫉妬などの気持ちがない交ぜとなり、いつの間にか黒い濁った色の感情となってブリタの胸中を占めていた。そんな場合じゃないのに、己の意志さえ自由にできない人の身の何ともどかしいことか。

 

(何で私は惨めに逃げてるんだろう。私にも力があれば全員生きて帰れたかもしれないのに…羨ましい、才能を持っている人が! 私も英雄としての才能が欲しかった!)

 

 昂った感情に流れた一筋の涙が向かい風に乗って宙を舞う。

 弱いことが悔しくて、それを理由にエルスを妬み貶す自分が恥ずかしくて、ブリタの胸中は搔き乱される思いだった。そして、攻撃を受けたわけでもないのに傷付き、血を流すエルスの呪われた身の上を思い出して自己嫌悪は深まっていく。野営地でのひと時の休息のさい、鎧を脱いで休んだらどうだと勧めた出来事が未だ棘のようにブリタの胸に突き刺さっている。

 

 ――顔から下はちょっと人には見せられないっす。

 

 そう言っておどける彼女の姿に、自分の迂闊さをどれだけ後悔したことか。

 

(エルスだって全てを持っているわけじゃない…それに、呪いのせいで激しい戦いになればなるほど血を流して死ぬ危険性だってあるじゃない…なのに私は!)

 

 そこまで考えて、ふと思う。なぜ、彼女は逃げないのだろうか?

 自分の強さに絶対の自信でも持っているのだろうか。いや、あの化け物と対峙した時の彼女にそのような余裕は感じられなかった。

 実力が拮抗していたとしても相手は疲れを知らぬアンデッド、対するエルスはあのおぞましい呪いの影響で長い戦闘には耐えられない身体のはずだ。となれば死ぬ可能性が高い危険な状況下にあって、彼女が逃げ出さずにいる理由とは何なのか。

 

(それが、力を持った者の…英雄の責務だとでもいうの?)

 

 英雄とはなんだろう。力を持っていれば英雄と言えるのだろうか?

 いや、それは違う。ただ力を持っているだけなのならば、その力に責任を持たないのであれば、それは人であっても化け物と変わりはしない。人は弱く、強すぎる存在など脅威以外の何者でもないのだから。

 

 だからこそ、力がありそれを行使する者は選択を迫られる。人との繋がりを絶やさぬために持たざる者の護り手、或は規範となるべく英雄的行動に縛られるか、それとも己の力を自由意志のままに振るい、制御の利かぬ化け物として人の世界で孤立を深めるか。エルスは間違いなく前者だろうとブリタは考える。

 

(逃げないんじゃなくて、逃げられない? 人が…私たちがあなたの行動を縛っているの、エルス?)

 

 そこまで考えて、ブリタは胸にストンと落ちるものを感じた。

 エルスの酒場で見せた他者に好意的であろうとする振る舞いや、逆境にあっても尚懸命に立ち向かおうとするあの姿勢。

 

 それらがもし、もしも持たざる者たちとの繋がりを保つためのものだとしたら――何てことはない、エルスもまた孤高では、一人では生きられぬただの人間なのだ。

 化け物が嫌で、一人が嫌で、だから見捨てられないように人の為に在る。英雄を英雄たらしめる理由の一端がそのような所にあるのだとすれば、それは何と滑稽で、そしていじらしいことか。

 

(持っていようがいまいがとどのつまり、私たちは依存しあわなきゃ生きていけないただの人間なんだ)

 

 嫉妬や羨望の色眼鏡を取り外したエルスの人物像の評価と、英雄の正体を垣間見た暗い優越感が少し。思考の果てにブリタが行き着いた結論は、彼女にとって希望ともいえるものとなり、少しだけ気分を前向きにしてくれた。

 

(お互い生き残ったら、友達になりたいな。才能とか関係ない、対等な友達に)

 

 今の自分ならなれる気がする、いやなってみせる――と、ブリタが決心してすぐのことだった。地面から突き出ていた木の根っこに足を取られ、彼女は前のめりになって転倒した。

 地面に口づけしながらなんて間の悪いとブリタは内心悪態をついたが、結果として運がよかったのだとすぐさま認識を改めることになる。地面にうつ伏せに転倒してから間もなく、頭上を見えない衝撃波が通り過ぎ前方の草木を爆散させながら夜の闇へと消えていったからだ。

 

 ブリタの全身が冷や水を浴びせられたように粟立ち、うつ伏せのまま上半身を捩って後方を確認すると、そこには夜の森にあってルビーの如く輝く赤い双眸がこちらを見据えているのが見えた。

 血の気のない白蝋のような肌、男を魅了するためだけに造形されたような蠱惑的な身体、森の中では場違いな胸元の大きく開いた大胆な白のドレス、見間違いようがなくそれはブリタ達を狩るために追ってきた怪物、吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)の姿だった。

 

 吸血鬼の花嫁は自身の放った〈衝撃波(ショック・ウェーブ)〉が命中しなかったことを気にした様子もなく、ブリタを見据えたまま無表情にその距離を詰めてくる。表情を全く動かさず、瞬きさえもしないその姿は人に近い姿にあって一層不気味だ。

 

 ブリタも懸命に立ち上がろうと試みるが、一歩一歩確実に近づいてくる死の恐怖に腰が砕けて思うように身体を動かすことができない。結局は這うようにして吸血鬼の花嫁から逃れようとするが、その速度は絶望的に遅かった。

 

(終われない…終わりたくない! やりたいことができたんだ! こんな所で死にたくない!)

 

 頭の中でエルスの後姿を想い描きながらブリタは勇気を振り絞り、逃げることをやめて懸命にベルトポーチを漁り始める。抵抗の意志を感じ取った吸血鬼の花嫁は接近をやめ、〈衝撃波〉を放つべく右手をブリタへと突き出した。

 

「死んで、たまるかぁあああ!!」

 

 絶叫と共にブリタが投げつけた小瓶が、くるくると放物線を描きながら吸血鬼の花嫁の顔面へと飛来する。

 吸血鬼の花嫁は動じた様子もなく無表情のままそれを一瞥すると、〈衝撃波〉を放とうと構えていた右手をぞんざいに振るい飛んできた小瓶を破壊した。パキンという硝子の撃砕音と共に飛散した赤い溶液が吸血鬼の花嫁の顔を濡らす――

 

「ぎゃッ!!」

 

 ――刹那、吸血鬼の花嫁が短い悲鳴と共に顔を諸手で覆い苦しみだした。

 ブリタが投げつけた小瓶の正体は以前酒場で出会った漆黒の戦士モモンより譲り受けた下級治癒薬(マイナー・ヒーリング・ポーション)だった。人にとっては即効性の治癒効果がある薬になるが、アンデッドにとっては毒以外の何物でもない。吸血鬼の花嫁もその例に漏れず、小瓶を割った右手の甲と指の間から見える顔全体が熱湯でも被ったかのように赤く爛れ始めていた。

 

 格上の化け物が悶える姿を見て活力を取り戻したブリタは、すぐさま立ち上がって形振り構わず逃走を開始する。それに気が付いた吸血鬼の花嫁も片手で顔を覆いながら、もう片方の手で〈衝撃波〉をブリタが逃走しているだろう方向へと滅茶苦茶に乱発し始める。

 眼が塞がっているのか狙いの定まらない攻撃だったが、何度か自分の真横を轟音と共に通り過ぎていく〈衝撃波〉にブリタは生きた心地がしなかった。

 

(生きてやる! 絶対に生きて帰ってやる!)

 

 必死の形相で駆けるブリタの右斜め前方で、大木に直撃した〈衝撃波〉が爆散して木っ端を散らす。細かい木の破片がブリタの露出した肌に突き刺さり血を滲ませて、次いで飛んできた大人の握り拳くらいはあろうか大きな木の破片が彼女の額に直撃する。

 

 健闘も空しく、その一撃で意識を刈り取られたブリタは駆ける勢いのまま地面を滑るようにして突っ伏した。

 

 

 * * * *

 

 

「申し訳ありません! リイジーさん、モモンさん、ナーベさん!」

 

 ブリタが吸血鬼の花嫁から必死の逃走劇を繰り広げる数刻前の事、城塞都市エ・ランテルでポーションの販売を営んでいるリイジー・バレアレ店の中では必死に頭を下げ謝罪をする冒険者チーム「漆黒の剣」一行と、その謝罪を受けてぽかんと立ち尽くす店の主である老婆リイジー・バレアレ、漆黒の鎧で全身を覆った戦士モモン、美しき魔法詠唱者ナーベの姿があった。

 

 如何な理由があってこのような状況になっているかを知るには少々時を遡らなければならない。モモンとナーベ、そして漆黒の剣一行はつい数刻前まではンフィーレア・バレアレという少年の薬草採取の警護依頼を受けて三日間仕事を共にした間柄だった。

 

 その依頼も今日エ・ランテルへと帰還したことで完了となり漆黒の剣一行はンフィーレアに連れ立って薬草などの荷下ろしの手伝いに、モモンとナーベは道中で従えた馬ほどの巨躯を持つジャンガリアンハムスターのような魔獣、ハムスケを騎乗魔獣として登録するべく冒険者組合へとそれぞれ向かっていった。

 

 そして登録を終えたモモンは組合の外で偶然ンフィーレアの祖母であるリイジー・バレアレと遭遇。どちらも目的地がンフィーレアの居る店だったこともあり道中を共にすることとなったのだが、着いてみれば店内にはンフィーレアの姿はなく漆黒の剣一行が全員床に突っ伏していたのだった。

 

 三人が手分けして全員を目覚めさせると――途中漆黒の剣の一人、ルクルットがナーベのビンタで目を覚ますや否や彼女を口説き始め、ゴミを見るような視線を返される一幕があったりもした――事の経緯を聞き、ンフィーレアの不在に気付いた時点で見る見る顔を青くしていき冒頭の場面へと戻る。

 

「…つまり、ンフィーレアさんが攫われた、ということですか?」

「な、なんてことだい……」

 

 沈痛な面持ちで項垂れる漆黒の剣一行を見下ろしながらモモンとリイジーが呟く。

 どうやら完全な不意打ちだったらしく野伏(レンジャー)のルクルット以外は碌に反応もできず気絶させられてしまったようだ。そのルクルットも相手を一瞬視界に捉えるのが精一杯だったようで大した情報を持っていないありさまだった。

 その不甲斐ない話にリイジーの怒りの矛先が漆黒の剣に向き、あわや第三位階魔法をぶっ放そうとしたところをモモンが宥めるなど多少の脱線はあったものの、程なくして全員の情報の共有を済ませた。

 

(ルクルットの話だと店にいた賊は恐らく一人。フード付きローブで全体を覆っていたから外見的特徴はほぼ皆無か。体型からして女で間違いはないそうだが…何ともあの男らしい視点だな…ンフィーレアの生まれながらの異能(タレント)が目的の誘拐だとしたら、そいつのバックについている連中が気になるな)

 

 フルフェイスの兜越しに顎に手をやりながらモモンが何気なしにナーベへと目をやると、彼女が微笑を浮かべながら敬意のこもった視線を返してくる。

 

(…こいつめ)

 

 何も考えていないな、とモモンは若干の苛立ちを覚えた。

 人の姿をしているとはいえナーベの正体はモンスターだ、所属するナザリック以外の者に価値なしと見下すことを隠そうともしない彼女にとって、このような人間の細事など考慮に値しないことなのだろう。故に主人であるモモンだけに一心に侍り、それ以外のことは考えない。

 

 だが、それでは駄目なのだとモモンは思う。自分だけに盲信して他のことへの思考を放棄するのは不健全だ。色々なものを見聞し、体験し、考え、成長してもらいたいと思うのはモモンの純粋な親心である。

 今後シモベたちの成長を促すような企画も考えねばならないか、と新たな目標を心のメモに書き込んだモモンは、とりあえず目の前の問題に挑むべくナーベだけに聴こえるよう声を潜めて問いかけることにした。

 

「…ナーベよ、賊についてのお前の見解を聞きたい。どう考える?」

「はい、何の価値もないゴミです」

「違う。私が聞きたいのは蔑視の言葉ではなく、少ない情報からお前が賊をどう分析したかだ…まさか何も考えていなかった、なんてことはないよな?」

「!? 申し訳ありませんモモンさ――ん」

 

 失態に焦りながらも敬称を辛うじて間違えなかったことは褒めるべきだろうか。

 僅かの間顔を伏せて黙考したナーベは、やおら顔を上げるとモモンの顔を見上げながら自分の考えを語りだす。

 

「……賊は下等生物にしては中々の力量があると愚考いたします。あの虫けらたちは全員貧弱ですが…それなりに連携のできるチームです。それを単独で情報を与える暇も与えず、一撃で昏倒させる技量は確かなもの、かと」

「ほう?」

 

 満足のいく回答を出しえたかと不安そうに上目使いでこちらの様子を窺うナーベを見下ろしながら、モモンは若干の驚きを交えつつ感心していた。

 何故なら賊への評価は当たり障りのないものでしかなかったが、彼女の口から漆黒の剣を評価するような内容が飛び出したのだ、もしかしたら交流を深めて行くことで今後人間蔑視の度合いを低くすることが出来るのではないかと希望が持てる回答だった。

 うんうんと気分を良くしたモモンがナーベの頭を一撫ですれば、彼女は頬を染めて軽くうつむいた。

 

「そうだナーベよ、個々の弱さは連携によって補える。そしてあの者たちはそれができる連中だ……そんな連中にさしたる情報を与えず個によって無力化してみせた件の賊は並の力量ではないだろう……ああ、殺さなかったという所も評価するべき点だな。情報を掴ませないのなら口を封じるのが一番手っ取り早いのだから、あえて困難なやり方を選んだのだとしたら余程の自信家なのだろう」

「流石はモモンさ――ん。見事なご慧眼です」

「世事はいい。ナーベよ、エ・ランテルにも学ぶべき物は色々とある。目や耳を閉じずに人間の世界にも目を向け、思考せよ。それはきっとお前の力になる」

「はっ、アインズ様の仰せのままに」

 

 最後の最後で敬称どころか名前まで間違えたナーベの頭にチョップを叩き入れると、話は終わりだと言わんばかりにモモンはリイジー達へと向き直る。

 今後のことを考えれば現地の腕に覚えのある職人や生れながらの異能を持つ特別(レア)な個体はできるだけ確保しておきたい。であるならばンフィーレアを救出しリイジーに借りを作っておくに越したことはない。

 問題はンフィーレアの監禁場所を発見するのに多少の時間がかかるということか。敵の後手に回る可能性が高い現状ではリイジーに対して強く交渉することができないのが悩ましいところだった。

 

(賊が漆黒の剣の誰かを殺して遺品でも回収していたら〈物体発見(ロケート・オブジェクト)〉を使ってすぐにでも発見できたんだが…そう上手くはいかないか)

 

 〈伝言(メッセージ)〉を発動し、エ・ランテルに潜伏させているシモベ達にンフィーレア探索の指令を飛ばすと、モモンは気合を入れなおしてリイジーとの交渉に赴いた。

 

 

 * * * *

 

 

 数刻後、エ・ランテル共同墓地。

 

(あーーあ。やっぱりこうなっちゃったかー)

 

 エ・ランテルの墓場にある霊廟の出入り口の壁に背を預けながら、クレマンティーヌはハァァと深いため息を付いた。

 霊廟の内側で待機しているクレマンティーヌからは外の様子は見えないが、外にいるカジットとその弟子たちが死の螺旋の儀式を中断して何者かに誰何(すいか)する声が聴こえてきたために自分の悪い方の予想が当たってしまったことをクレマンティーヌは悟った。

 

 すなわち、モモンとナーベの二人が〈不死の軍団(アンデス・アーミー)〉で生成されたアンデッドの大軍を突破してきたのだろう。クロエルであったなら事前に調べはついているはずなのでわざわざカジット達が誰何をするとは思えない。

 

(どこで油売ってんのよエルちゃんは。お陰で厄介そうな連中が先に来ちゃったじゃんか…はぁー、巻き込まれるのはごめんだしそろそろお暇しちゃおうかな)

 

 内心クロエルに文句を言うが、その頃の彼女はそれどころじゃない状況だったのどのみち合流は不可能だったろう。預けていた背を壁から離し、クレマンティーヌが撤退を決めると同時に、それを阻むかのように霊廟の外から声をかけられた。

 

「そこの霊廟の中に入る奴、出てきたらどうだ? それとも私たちが怖くて出てこれないか?」

 

 声からしてモモンという戦士が発したものだろう。安い挑発であったがそのまま黙って去るというのも気に食わず、相手が実力者だと分かっていながら安全よりプライドを優先してしまう自分自身に内心舌打ちをしながらクレマンティーヌは仕方なく霊廟から顔を出す。

 

「いやー、バレバレだったかー。お兄さんやるねー」

「クレマンティーヌ、おぬし……」

「いーじゃん、カジッちゃん。どうせバレてたんだし、隠れてても意味なんかないよ」

 

 あ、韻踏んじゃった? と、お道化るクレマンティーヌをカジットが睨みつけ、そのやり取りを呆れたように眺めるモモンとナーベだったが、隠れていた人物が女性だと分かるとほんの少しだけ警戒度を引き上げる。

 

「……なるほどお前だな? 単独でンフィーレアを攫った犯人は。見事だったぞ、証拠を殆ど残さずに獲物を掠め取るその手腕は……お陰でここに来るまで少々手間取ったほどだ」

「そりゃどーも、私としてはあれでお仕事完了だからさーそろそろお暇したいんだよねー。ここはお互い出会わなかったってことで、どう?」

「クレマンティーヌ!」

 

 モモンとクレマンティーヌの問答に思わずカジットが口を挟むが、当の二人はどこ吹く風だ。彼女の提案を聞いてモモンは軽く肩を竦ませて見せる。

 

「……それはできない相談だな、クレマンティーヌよ。私はお前という存在に少し興味がある。それに――」

 

 モモンが一度言葉を切ると同時に、周囲の温度が下げるかの如く底冷えするような雰囲気を纏う。

 

「――私の手を煩わせたお前の行為は非常に不愉快だ。逃げられると思うなよ、クレマンティーヌ」

 

 そう言って背中に差していた一対のグレートソードの内の一本を片腕で引き抜くとクレマンティーヌへと突きつける。百五十センチはあろうかという大剣を片腕で、しかも水平に突き出してその切っ先を微動だにさせないその膂力に、カジットやその弟子たちの息を呑む音が聞こえた。

 

 そう、モモンはここに来るまで本当に大変だった。

 リイジーとの交渉に並行してンフィーレアの探索に出した八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)影の悪魔(シャドウ・デーモン)などのシモベ達とも〈伝言〉で連絡を取り合ったり、ンフィーレアを発見したら発見したでそのことをどう納得できる形でリイジーや漆黒の剣の面々に説明するかを思い悩んだり、ようやく難所を乗り切ったと思えば今度は墓地からアンデッドが溢れ出してきて、街と墓地を隔てる壁を突破してきたとてんやわんやの大騒ぎだ。

 

 壁を突破される前にモモンとナーベ、ついでにハムスケが墓地へと駆けつけていたら円滑にアンデッドたちを対処できていただろうが、街に侵入されてしまっては住民を守りながらの防衛線に徹することになり、アンデッドたちを墓地へと押し戻し防衛線を張るまでの間は北へ南へ奔走する破目に陥ってしまった。

 

 エ・ランテルの住民や冒険者たちに自分たちの実力を十全に披露できたのは結果としてよかったのかもしれないが、最短を行けなかったことを考えるとやはり時間と労力の無駄遣いだったとモモンは思う。

 

 カジットとその弟子たちの相手はナーベに任せ、モモンはクレマンティーヌを促し別の場所へと移動する。

 嫌そうな顔をしていたが付いてくるだろう、という確信がモモンにはあった。こちらが興味を持ったようにあちらもこっちに興味を持っている節があったからだ。それはモモンの後をのんびりとついてくる足音が証明してくれた。

 

「ねー、やっぱりやめようよー。私、この街では殺しはしたくないんだよねー。邪魔とかしないからさぁ、見逃してくれないかなー?」

 

 足を止め、しじまにクレマンティーヌの間延びした声が響いた直後にナーベとカジット達が居たあたりで雷の爆発が眩しい輝きを照らし出した。目を細めてその方向に一瞥をくれると、クレマンティーヌは気だるげにモモンと対峙する。

 

「そういえば漆黒の剣の連中を見逃してくれたんだったな。どんな理由があるかは知らないがその点については感謝している」

「んー、もしかしてお仲間だった? にしては実力が開き過ぎてる気がするけど」

「ほう?」

 

 珍しい、とモモンは思った。

 この世界の人間はレベルの確認方法が乏しいためか実力を見せないうちは相手が格上かどうかも判断できないような連中が多い印象が彼にはあった。場末の宿の冒険者然り、いかに絢爛華麗な全身鎧を着こんでいようとも喧嘩を吹っ掛けてくるような人間がいるのだからそのような印象を抱いてもしょうがない。

 かく言うモモン自身も特殊なマジックアイテムなどがなければ相手のステータスを看破できないのだが、超越者故か自分のことは完全に棚に上げている。

 

(生れながらの異能か? それとも一流の観察眼とかいうやつかな? どちらにしても俄然興味が湧いてきたな)

 

 クレマンティーヌの評価を上げながら、もう少しだけ彼女との会話に興じることにする。

 

「なに、仕事で共に旅をしただけの存在だ。しかし、あいつらは私の名声を高める道具でもあったからな、殺されなかったことには正直ほっとしているよ」

「ふーん。結構いい性格してんね、あんた……っつーか、糞が。そういう話をするってことは逃がす気はさらさらねーってことか」

 

 整った顔を歪めてそう吐き捨てるクレマンティーヌに対してモモンはどこまでも冷静だ。

 

「最初に言ったろう? 逃がすつもりはない、と。生き残りたければ実力を示せ、クレマンティーヌよ。お前がナザリックにとって有用な存在かどうか、私が直々に裁定してやろう」

「何を訳の分からないことをペラペラと……わかりましたよーっと、エルちゃんへの義理で殺しは我慢してたけどさー、降りかかる火の粉は払わなきゃいけないよねー?」

「……エル?」

 

 仲間の名前か、とモモンが聞こうとするがローブを脱ぎ捨てたクレマンティーヌの姿を見て言葉に詰まる。

 クレマンティーヌは異世界転移後、剣と魔法の世界に在りながら終ぞお目にかかることのなかったビキニアーマーを装備していた。モモンの友人であるペロロンチーノがこの光景を目撃していたのなら狂喜乱舞して彼女に押し倒していたかもしれないが、彼が注目したのはそこではなく鎧に使われている素材と腰にぶら下げる武器の二点だった。

 

「うわーすっごいガン見してくるしー。えろすけべー」

「……なるほど、生粋の戦闘狂か」

 

 モモンの刺すような視線を受けてクレマンティーヌが両腕で己を描き抱くようにして胸の谷間を強調させる挑発的なポーズをとるが、彼の言葉を聞いてからは代わりに耳元まで裂けたような笑みを浮かべる。

 

 彼女の鎧は一見、鱗一枚一枚の輝きが異なる鱗鎧(スケイルアーマー)のような表面をしていたが、その実は違う。無数の冒険者のプレート、白銀、金、銀、鉄、銅、果てはミスリルやオリハルコンまでの冒険者プレートを隙間なく打ち込んでできた鎧だった。それこそクレマンティーヌが集めてきた狩猟戦利品(ハンティング・トロフィー)、彼女が犯してきた数えきれない殺人の象徴かのような鎧である。

 

 だが、モモンがそれよりも注目したのは彼女の腰にぶら下げられた武器の方だった。

 

(……刺突武器)

 

 その武器は以前トブの大森林でデミウルゴスから報告されたアベリオン丘陵の異変を思い出させる。

 その一帯には生息しないはずのモンスターの大量死。そしてその死因は全て刺突武器による急所への一撃ではなかったか。

 

(偶然か? いや、しかし……)

 

 ンフィーレア誘拐の手腕、敵の実力を測る観察眼――若しかすると、若しかするのかもしれない。

 

「……いいぞ、クレマンティーヌ。俄然、お前に興味が湧いてきた」

(ああ? マジで変態か、こいつ?)

 

 夜の暗闇のなか時たま煌めく雷の閃光に照らされて、両者は互いに武器を構えた。

 

 

 * * * *

 

 

 ――忌々しい。

 

 夜の森の中、木っ端散らばる地面に倒れた赤毛の女を見下ろして、吸血鬼の花嫁は憎々しくそう思う。

 赤毛の女、ブリタは額から血を流してピクリとも動かないが、呼吸と共に僅かに上下する肩の動きが彼女の生存を教えてくれる。

 

 ――忌々しい。

 

 嘗ての鉄仮面のような無表情とはかけ離れ、もはや吸血鬼の花嫁の形相はすさまじいものだった。顔面の半分をケロイド状に爛れさせ、その表面は別の生き物のように時たま痙攣を起こしてピクピクと蠢いている。

 眉間や鼻根部に深い幾つもの皴を寄せ、吸血鬼特有の長い犬歯をむき出しにして歯ぎしりする様は獰猛な肉食獣のようだ。

 

 アンデッドの弱点の一つとは言え、下級治癒薬で受けるダメージなどたかが知れている。しかし、格下の下等生物に不覚にも手傷を負わされたという事実は吸血鬼の花嫁を業腹させるのに十分なものだった。

 

 本来ならば嬲り殺してやりたいところだが、他の逃げた冒険者たちも狩らねばならないので時間をかけてはいられない。といってもバラバラに散った獲物たちをこれ以上狩るのは困難と言わざる得ない状況だったが。

 

 ――残念だ。意識のある状態でゆっくりと、血を根こそぎ吸い取ってやりたかったのに。

 

 そんなことを考えながら吸血鬼の花嫁は右肘を上げ、ピンと立てた指先をブリタの首筋に向けた。

 手刀で彼女の首を貫くつもりなのだろう。限界まで引き絞られた弦の如く、弾けるようにして吸血鬼の花嫁の手刀が繰り出される。

 

 ドスッと肉を貫く音が夜の森に小さく響く。

 吸血鬼の花嫁が感じたのは熱だった。ただ、それは右手の手刀に伝わったブリタの熱ではない。彼女の手刀は何故かブリタの首に届く前に停止してしまっている。

 

 その熱は自分の背中から胸の中心へと抜けるような鋭い熱だった。

 吸血鬼の花嫁がぎこちなく目線を下げると、自身の胸の谷間から金属の穂先が生えているのが見て取れた。理解が追いつかず呆然とその光景を眺めていると、穂先がまるで差し込んだ鍵を回すかのように百八十度ほど回転し、吸血鬼の花嫁の体内で肉や内臓を抉られるような激痛が駆け巡っていく。

 二度、三度と激しい痙攣を繰り返した吸血鬼の花嫁は、それっきり灰となってその身を崩壊させていった。

 

 金属の穂先の正体は、槍。

 いつの間にか吸血鬼の花嫁の背後に立っていた男が、その槍で彼女の背中を貫き、穂先を捻ることで傷口を広げて致命の一撃を与えたのだ。

 槍を持った男は崩れ行く吸血鬼の花嫁と、そのすぐ近くで気絶しているブリタに一瞥をくれると、すぐに背を向け歩き始めて……足を止めた。

 

 ――ひああああああああああああああああ……。

 

 それは少女の悲鳴だった。

 いや、正確には少女のような悲鳴だった、というべきか。音程の外れた鐘が何十にも鳴り響くような不協和音のような音色の混じるその絶叫は、とてもただの人間の声とは思えない。

 

 男は声の響いた方向を無言で睨むと、その場所を目指して再び歩き始める。

 その背後に、いつの間にか現れた十一人の男女を従えて。

 




 ブリタ、一人で勝手に悩んで一人で勝手に解決する。
 バニアラ成分をちょっと含ませてみました。


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至高に挑んだ獣

 活動報告にも書いたPC故障の件が解決したので再開します。
 前回から間が空いてしまったので簡単な粗筋。

 クロエルの扱きによりレベル55前後まで育ったクレマンティーヌ。
 敵の強さを何となく察知できるようになったのでモモンを相手に油断はないが……。
 漆黒の剣を殺さなかった彼女は果たして鯖折りを回避できるのか。


 〈疾風走破〉〈超回避〉〈能力向上〉〈能力超向上〉

 

 クラウチングスタートのようなポーズの構えを取って、クレマンティーヌは油断なく四つの武技を発動させると己の身体能力を引き上げる。

 戦いで緊張するのは何時以来だろうか。つい最近行ったクロエルとの模擬戦でもしたにはしたが、実戦ではないのだからあれはカウントしなくて良いだろう、とクレマンティーヌは詮無いことを考える。

 

 見据えた先には一対のグレートソードを両手に構える漆黒の戦士の姿。

 高級感あふれる重装備が見掛け倒しということはあるまい。武器や鎧の重さを全く感じさせないその物腰からは、常人の枠を外れた恐ろしいほどの膂力が如実に伝わってくる。あの身体能力から放たれるグレートソードの一撃は、果たしてどれほどの威力を有しているのか……。

 ぞわり、と産毛が逆立つような感覚に捕らわれる。しかし――

 

(……素人か、こいつ?)

 

 ――漆黒の戦士、モモンの武器を構える姿を見てクレマンティーヌは僅かに首を捻る。

 見た目とは裏腹に隙が多く拙い構え。しかしその身に纏う雰囲気からは、高いレベルに到達しているだろう強者の力を感じ取れる。

 高いレベルと拙い技術、そのちぐはぐな二つの印象にクレマンティーヌは強烈な違和感を覚えていた。

 

(まーいいや。打ち合ってみれば何か分かるだろうし)

 

 分からないのならば飛び込んでみればいい。意を決したクレマンティーヌの行動は速く、限界まで引き絞られたバネが弾けるが如く、引き上げられた能力に乗せて一気にモモンの下へと突進してゆく。

 

(速い?!)

 

 予想を遥かに超えたスピードを見て驚愕したのはモモン。

 今まで出会ってきたこの世界の人間の中でも頭一つ抜けていると言っていいだろう。しかしてその驚愕は脅威を感じてのことではなく、嬉しい誤算という意味合いが強い。

 この程度だろうと当たりを付けていた獲物の質が、予想以上に良質だった。ただ、それだけのことだ。

 

 迫るクレマンティーヌを目で捉えながらモモンもまた迎撃に入る。

 如何に速いと言っても捉えきれぬものでもない。その実体が前衛職ではないモモンと言えどレベルは100、頂に至った者の身体能力はこの世界の住人とは一線を画しているのだから。

 

「ふん!」

 

 力みのある声と共にモモンの振り上げた右手のグレートソードがクレマンティーヌへと振り下ろされる。

 脳天に打ち込まれると思われたグレートソードだったが、クレマンティーヌはそれをモモンの左手に小さく跳んで回避する。彼女の背中すれすれを奔った剣が大地に激突すると、さながら小規模の爆発でも起きたかのように地面が抉れ、土を飛散させた。

 

 モモンの攻撃は終わらない。今度は左手に持ったグレートソードでクレマンティーヌの胴を突くが、頭から地面に激突する勢いで仰け反って、上体を水平に折り曲げたクレマンティーヌのすぐ上を剣が通り過ぎてゆく。

 初手で地面に突き刺さっていたグレートソードをまたぐようにブリッジの姿勢となったクレマンティーヌは、軽やかに足を上げて一度バク転をしてみせるとすぐさま立ち上がり反撃に転じ、腰に差していたモーニングスターで抜刀抜き打ちの一打をモモンの肩口に叩き入れる。

 

「ぬっ…!」

 

 ガァアンと金属同士の派手な衝突音と共に刹那の火花がモモンの視界を染める。

 一瞬が過ぎ世界にまた暗闇が戻った頃にはクレマンティーヌの姿はもうそこにはない。見れば彼女はモモンの剣の間合いから十分に距離を取り、無感動に手に持ったモーニングスターを睨んでいた。

 

(欲はかかずに即離脱か…思っていたよりも慎重だな。しかし曲芸師、いや軽業師か? ああいうバク転とか取り入れた戦闘ってかっこいいよなー。俺もやってみようかな?)

 

 人間だった頃の――鈴木悟だった頃の残滓がモモンに忌憚のない素直な感想を抱かせるが、この姿でバク転は似合わないかと思い直す。彼が悠長にそんなことを考えていられるのは偏に肩に受けた攻撃のダメージが全くなかったからである。

 

(パッシブスキルの〈上位物理無効化Ⅲ〉を抜けない所からしてレベルは60以下みたいだな。しかしレベルに40以上の開きがあっても攻撃が掠りもしないとは…これが技量の差ってやつか? 勉強になるな)

 

 モモンはかつて出会ったリ・エスティーゼ王国最強の戦士、ガゼフ・ストロノーフのことを思い出す。カルネ村という場所で見た彼の戦いぶりを思い返し、目の前のクレマンティーヌが彼をも凌駕する実力の持ち主だとモモンは評価する。

 

「…刺突剣は使わないのか? 腰に四本もぶら下げておいて飾りということはあるまい」

「言われなくても使いますよーっと。にしてもかったいなーその鎧。アダマンタイト製?」

 

 クレマンティーヌが眉をひそめながら握っているモーニングスターを持ち上げ軽く揺らして見せ、柄の先端に鎖によって繋がれている棘付きの柄頭が振り子のようにプラプラと揺れた。

 金属製の柄頭に付いている棘が幾つか折れてしまっているのに対し、それを受け止めたモモンの鎧の方は僅かなへこみが生じた程度だ。クロエルによって鍛えられたクレマンティーヌが全力で振り抜いた一撃であったにも拘らずその程度のダメージしか受けていないことからも相当な硬度だと伺える。

 

(しかもあのヤロー、私の一撃を受けてよろけもしなかった)

 

 まるで巌でもぶっ叩いたかのような感触を思い出し、クレマンティーヌは更に警戒度を引き上げる。

 もともと英雄の領域に足を踏み入れていたと自負する彼女はこの短期間でさらにレベルアップを重ねて成長している。その彼女の膂力をもってしても微動だにしなかったモモンという存在はどう考えても異質だ。

 

(あいつやっぱりエルちゃんと同じレベルの…いや、だとしてもあのお粗末な剣技は何? ガキのチャンバラじゃあるまいし)

「どうした、来ないのか?」

 

 思案気にこちらを窺うクレマンティーヌに、モモンが悠然と佇んだまま言葉を投げる。

 その言葉には動く気配のないクレマンティーヌに焦れた様子はなく、どちらかといえば次は何を見せてくれるのかと期待しているような節さえある。

 クレマンティーヌはその余裕の態度が気に食わなかったが、待ってくれるのならばと遠慮なく考察を再開する。

 

(何となくだけどレベルが私より高いのは分かる。でも技量が全然釣り合ってないのはなんなのさ? エルちゃんがやったヨウショクとかいう育成方法でレベルを上げたとしたってもう少し剣筋がしっかりしてなきゃおかしいし)

 

 相手のレベルを朧気ながらに感じ取れるようになっていたクレマンティーヌにとって、モモンという人物は何ともちぐはぐな印象を受ける存在だった。

 高いレベルを持っているにも拘らず戦士としての技量は底辺にあると言ってもいい剣筋のお粗末さ。仮に養殖による育成方法を殺す対象を拘束した状態で行うような生ぬるい環境で行ったとしても、高レベルになるまで生物を斬り続けたのなら多少は技術が洗練されてもいいはずだ。

 

 なのに、その技術がモモンには抜け落ちている。

 まるで剣を使い始めて日が浅いような、それでいて数多の実践を潜り抜けてきたようなその態度。多くの矛盾で形成されたかのようなモモンの人物像に、ふとクレマンティーヌはアベリオン丘陵で養殖を行っていた時のクロエルとの記憶を思い出す。

 

 それはクロエルが次々に召喚するモンスターたちを屠りながら感じた彼女の素朴な疑問から生じた会話だった。クロエルが振るう「召喚士の悪意」なる杖はMPを消費してモンスターをどこからか転移させてくるアイテムだ。

 MPの自然回復力を上昇させる指輪や苗木を併用してクロエルはそのアイテムを使っていたらしいのだが、魔法を使わない戦士職である彼女が長時間MPを枯渇させることなくモンスターを召喚するさまにクレマンティーヌは疑問を持ったのだ。

 

 ―ねー、エルちゃん。エルちゃんって魔法戦士かなんかなの?

 ――んん? 自分は普通の戦士職っすよ。剣術と索敵と搦め手、あとは自然治癒力を上げるために使える職業を何個か齧った程度っすか…その途中で面白い職業が取れたんすけど…その話はいいっすね。なんか気になることでもあったっすか?

 ―その杖って魔力を消費するんでしょ? 補助アイテム使ってるとはいえ、なんで魔法詠唱者(マジックキャスター)でもないエルちゃんがこんな長時間杖を使って魔力が枯渇しないのかなーって。

 ――それは単純にレベルが高いからっすね。レベルが上がれば普段使わないステータ…能力も微量ながら上がるっす。それが蓄積されていけば不得意な分野の能力であっても低レベルの人と比べれば超人といって遜色ないほどに育つっすよ。巨大なハンマーだろうと軽々と振り回せるほどの力を持つ魔法詠唱者。第十位階魔法を放てるほどの魔力を保有した戦士…ま、どちらもそれを使いこなすためのスキルや魔法を覚えてなければ宝の持ち腐れっすけど…レベル100に至るということはそういうことっすよ。

 

(……まさか)

 

 クロエルとの記憶を反芻しながら、クレマンティーヌの頭の中である仮説が浮かび上がってくる。

 

(まさかあいつ、戦士じゃない? ……高レベルの魔法詠唱者?!)

 

 認めがたい真実に行き着きクレマンティーヌの身体がその衝撃に泡立つ。

 ありえない、と思ってもレベルと技量が釣り合わないモモンという矛盾した存在に対して、それはこれ以上なくしっくりとくる仮説だった。

 

(つまり、遊ばれてるってことか……この私がっ、クレマンティーヌ様が!)

 

 御しがたい憤怒の炎が立ち上るのをクレマンティーヌは感じた。

 己の超人的な能力の上に胡坐をかき、使えぬ剣をあえて振るい格下の戦士相手に児戯に興じる。それは何と傲慢で、理不尽な人間性であろうか。

 遥か高みより戦士の矜持を蟻の如く踏みにじり、嘲笑う者。クレマンティーヌの中でモモンの人物像は大凡そのように定まった。同じ高レベル到達者であってクロエルとこうも違うかと彼女は苛立つも、やがて深呼吸とともに感情の高ぶりを抑えていく。

 

(落ち着け、むかつくが勝てねー相手なのは確定だ。あいつが遊んでるってんなら私としても好都合、本気にならないうちに隙を見つけて逃げてやる……ただ)

 

 クレマンティーヌが腰を落として再びクラウチングスタートのような構えを取ると、それに反応してモモンも一対のグレートソードを軽く持ち上げ構えた。

 真剣そのもののクレマンティーヌの面持ちに対してモモンはどこか楽しげに呟く。

 

「来るか」

(……せめて一矢、報いてやる!)

 

 クレマンティーヌが駆ける。

 両者の間合いは瞬く間に縮まり、すぐさま剣の間合いへと至るだろう。先に動いたのはクレマンティーヌ。彼女がモモンの剣の間合いに到達する前に持っていたモーニングスターを彼の顔面目掛けて投げつける。

 クレマンティーヌの走る速度に乗せて恐るべき速さで飛来するモーニングスターだったが、モモンもまた驚異的な反応速度をもって右手に持っていたグレートソードを振り上げ迎撃する――

 

「ちっ」

 

 ――が、そこで舌打ちをしたのはモモン。

 なまじ幅広の大剣を持っていたがためにそれを盾として扱ってしまったが、眼前に迫るモーニングスターを剣で防いでしまえば一瞬とはいえ自分の持つ剣の腹で視界が塞がる。

 自ら己の視界を塞ぐ悪手に気づき、モモンは内心毒づいた。受けるのではなく避けるべきだったと。

 グレートソードが完全に振り上げられ視界が開けた時にはクレマンティーヌの姿はそこにはなく――いや、視界の下でふわりと揺れる金髪の髪の毛を僅かに捉えモモンガとっさに視線を下すと、そこには彼の足元でしゃがみ込み胸を反ってこちらを仰ぎ見るクレマンティーヌの笑顔があった。

 彼女の両手には切っ先を垂直に立たせた一対のスティレット。どちらも剣身を人差し指と中指で挟み込むようにして柄に引っ掛ける、野球のフォークボールの握りを思わせる特殊な持ち方で握られていた。

 

 モモンが反応するよりも早くクレマンティーヌのスティレットが閃く。

 その場で跳ねるように立ち上がった勢いを加えて突き上げられた一対のスティレットは、それぞれ吸い込まれるようにモモンの両脇へと刺しこまれる。鎧の繋ぎ目を狙ったその一撃は正しく目標を捉えたはずだが、剣先から伝わってくる感触が思っていたものとは異なりクレマンティーヌは眉を顰めた。

 

「ぐっ!」

 

 ダメージこそなかったものの両脇に受けた衝撃に思わずモモンの口から声が漏れる。

 すぐさま反撃に転じようとするも、クレマンティーヌが自分の剣の間合いの内側に入り過ぎていることにはたと気付くと振り上げた両手の動きを止める。互いの身体が密着するほどに接近していた場合こうも大剣は当てづらくなるのかとモモンは妙な関心を覚えた。

 

(実際経験してみるとしてみないではこうも違うか……勉強になるな)

 

 そうと分かれば、とモモンは両手のグレートソードを躊躇なく手放しクレマンティーヌを拘束せんと彼女の背中に両腕を回す。しかし先の行動でもたついたために彼が抱き留めるより早くクレマンティーヌは腰を深く落して抱擁を逃れていた。

 

(ならこれはどうだ!)

 

 モモンは間髪入れずに右足を軽く引くと、今度はクレマンティーヌの顔面目掛けて膝蹴りを繰り出した。互いに触れ合うほど接近した状態でしゃがみ込んだクレマンティーヌとモモンの膝の距離はほぼゼロ距離に近い。回避不可能と思われた攻撃を眼前に捉えてクレマンティーヌは――

 

 〈流水加速〉

 

 ――武技を発動して回避してみせた。

 

「何?!」

 

 突如クレマンティーヌを中心に空間一帯の時間が引き延ばされるような感覚が支配する。

 思考速度はそのままにまるで粘性を持った空間で身体を動かすようなもどかしさ、されど全てがスローモーションのように流れる世界でクレマンティーヌだけがその枷から外れたかのように生き生きと動いていた。

 

(これが武技……!)

 

 ユグドラシルには存在しなかったこの世界独自の発展スキル。もし習得することができればナザリックにとってどれほど有益かとモモンは右手のスティレットを逆手に持ち替えながら自分の膝蹴りの横を抜けていくクレマンティーヌを眺める。

 すれ違いざまにスティレットをモモンの膝裏、鎧の繋ぎ目に刺しこむつもりだろう。分かっていてもクレマンティーヌの武技の効果が解除されるまではなす術がない。

 

「くっ!」

 

 ガリィッと膝裏を掻く感触と引き延ばされた時間が急速に戻っていく感覚を同時に味わいながら、モモンは落としたグレートソードを拾い上げてすぐさま後方へと振り返る。

 すでにクレマンティーヌはモモンの剣の間合いから抜け出しており、安全圏でまたクラウチングスタートのような体勢を取りながらモモンを睨め上げている。一見優勢に状況を支配していたにも拘らず、クレマンティーヌの表情に余裕はない。

 それもそのはず、彼女は先の攻防を通してモモンという存在の理不尽さを更に痛感させられていたのだから。

 

(糞が! 全然堪えてない!)

 

 両脇と右足の膝の裏。どちらも鎧の隙間をかいくぐった完璧な一撃のはずだった。

 しかしどちらも期待していた肉を突き刺す感触は得られずに、硬い何かに阻まれるような感触が返ってくるばかりで、まるで大型モンスターの太い骨に刃を突き立てたような気分だった。

 モモンも呻き声こそ漏らしていたがそこに苦痛の色はなく、どちらかといえば不覚を取ったことへの驚愕や不満から出たものと思われる。事実、彼は現在も全く支障がなさそうに動いている。

 

(何かの魔法か、それともマジックアイテムか……いや、そんなことはどうでもいい! 問題なのは私の攻撃が一切通用しないってことだ!)

 

 高レベルの人間の強さや物資の常識外れっぷりはクロエルとの短い付き合いの中で十分に思い知らされている。こちらの常識が通用しないのであれば、どんな攻撃手段を取ったところでダメージを与えることができないと想定して()()()()()()()()()

 攻撃の通用しない相手を前に、クレマンティーヌの闘志は未だ折れていなかった。

 

「ん? ……あれは、骨の竜(スケリトル・ドラゴン)……か?」

 

 両者が睨みあっていると突然大地が揺れて、視界の隅――ナーベが戦闘をしている辺りで二体の巨大な骨の竜が出現したのが見えてモモンは思わず呟く。

 

「せいかーい。お仲間のナーベちゃん、だっけ? 魔法詠唱者には最悪な敵だよー。助けに行ってあげた方がいいんじゃないかのなー?」

 

 モモンの注意が骨の竜に行ったのを幸いと、クレマンティーヌもナーベを出しに使う。

 闘志は萎えていないが向こうに行くなら行ってほしいというのがクレマンティーヌの本音だ。内心骨の竜を召喚したカジットのファインプレーに称賛しながらモモンの反応を待つ。

 

「いや、必要ないとも。ただこちらの戦闘の邪魔になっても困るのは確かだな……」

 

 そう言ってモモンは一呼吸置くと、声を張り上げる。

 

「ナーベラル・ガンマ! ナザリックが威を示せ!」

 

 それだけ言うとモモンはグレートソードを構えてクレマンティーヌへと注意を戻した。

 

「これで邪魔が入ることもあるまい。さぁ、戦闘の再開と行こうか」

 

 モモンの対応にクレマンティーヌは内心ため息をつく思いであったが、ここに至っては仕方がないと再びモモン目掛けて走り出す。

 カジット達のいる方向で一際大きな閃光が上がったが、もうそれを気にする余裕はクレマンティーヌにはなかった。

 

 

 * * * *

 

 

 慢心していたのかもしれないな、とモモンは思った。

 

(また当てられたか…)

 

 自分の首に刺しこまれたスティレットの剣身を他人事のように眺めながらモモンがグレートソードを振るう。

 薄っすらと汗を滲ませるクレマンティーヌがそれを紙一重で回避すると、モモンの間合いから離脱を図る。しかしそれを逃がすまいとモモンもまた距離を詰めて追撃を行う。

 相手の出方を待つだけではなく、此方から打って出ることで新しい発見があるかもしれないというモモンの好奇心が積極的に剣を振るわせる。そして、それらを回避してくれるだろうというある種の信頼がクレマンティーヌに対して芽生え始めていた。

 ダメージを負わない状況下での、この世界の熟練の戦士との死合。これほど整った環境で近接戦闘を学べる機会はそうあるまい。そうモモンは内心ほくそ笑む。

 しかし――

 

(もしもクレマンティーヌの攻撃が通っていたら、負けているのは俺かもな)

 

 ――モモンの冷めた部分がそう、自嘲する。

 勿論、これは漆黒の戦士モモンとして戦った時の仮定の話だ。彼の本職は魔法詠唱者。本来の実力を発揮したのなら、例えクレマンティーヌの攻撃が通る状態であったとしても負けることなどありえない。

 しかし、レベル差を経験と技術で覆すことができるかもしれないという可能性はこの戦いでクレマンティーヌが十分に示してくれた。

 クレマンティーヌの攻撃を無効化しているモモンのパッシブスキル〈上位物理無効化Ⅲ〉はレベル60以下の相手を対象にしたスキルだ。レベル100であるモモンとクレマンティーヌのレベルは最低でも40の開きがあるということになり、それに加えて異形種であるモモンは人間種よりも基礎となるステータスが軒並み優れているという点がある。

 それほどの能力差がありながらモモンの攻撃を悉く躱し、常に動きながら針孔に糸を通すような精確さをもって鎧の隙間から急所(クリティカル)を突いてくるクレマンティーヌの技術力は驚嘆に値するだろう。

 

(……慢心していたのかもしれないな。俺も、ナザリックのシモベ達も)

 

 この世界に来てからというもの、モモンが出会った人間は弱い者ばかりだった。

 カルネ村を襲った信仰系魔法詠唱者の集団も、王国最強と謳われる英雄も、精神の輝きはともかくとして強いといえる人間はついぞ見なかった。

 そのせいなのかユグドラシル時代と違い脆弱な人間種が蔓延るこの世界にあって、元々人間嫌いであったナザリックのシモベ達はその蔑視に拍車を掛けているように見える。

 しかし、確かにこの世界の人間はレベルこそ低いかもしれないが、経験則に基づく技術等においてナザリックに劣ると言い切れるのだろうか?

 

 階層守護者はまだいい、レベルは100に設定されており装備やスキルも潤沢だ。しかしそれ以外のシモベであったらどうだろうか?

 相応の経験と技術を積み、装備を整えたクレマンティーヌのような実力者が数多くいた場合、果たして相手のレベルが低いからと言って勝利できるのか?

 そう上手くはいかないだろう、とモモンは思う。現に、目の前の女はモモンに対してそれは違うと証明し続けている。

 

(ナザリックの意識改革、そして強化のためにもこの女は確保しておきたいな……それにしても、さっきから何を狙っている?)

 

 ナザリックの未来を憂うことを一先ずやめ、モモンはクレマンティーヌへと意識を向ける。

 なまじ精確な攻撃を繰り出すがために彼女もモモンに自分の攻撃が通用しないことは重々承知しているものと思える。だというのにその目はまだ勝負を捨てていない。

 

(まだ何か見せてくれるのか)

 

 警戒と期待がない交ぜとなった高揚感、されどアンデッドの精神抑制が行われるほどではない。

 モモンの胸は躍っていた。

 

 

 * * * *

 

 

(化け物がっ! 好き放題しやがって!)

 

 右手から来た突きをクレマンティーヌがサイドステップで躱す。

 しかしその突きはモモンの腕が伸び切る前に強引に引き込まれ、なぎ払いとなってクレマンティーヌを追撃する。すぐさま上体を横に反って剣の下を潜るも、髪を掠って数本の金髪が宙を舞う。

 少しずつ、目の前の戦士の攻撃や防御が噛み合ってきていた。

 

(動きに対応し始めてる……! これ以上成長されたら本当に対処できなくなる!)

 

 汗を散らし、僅かに荒い呼吸を上げながらクレマンティーヌはモモンの猛攻を捌き続ける。ダーク・エルフ国を出発するときクロエルから貰った持久力向上の指輪がなければ今頃疲労困憊で動けなくなっていたかもしれない。

 しかし指輪の効果があるとはいえクレマンティーヌの疲労は確実に溜まってきている。対するモモンは疲れた様子もなくあの重装備でまだまだ健在だ。戦闘が長引けば長引くほどにクレマンティーヌの方が不利になっていくのは明らかだった。

 

「はっ!」

「なめるなぁ!」

 

 モモンが右手のグレートソードを引いて突きの構えを取りつつ本命の左手のグレートソードによる斬り上げを放てば、拙いフェイントを見せるなと言わんばかりにクレマンティーヌが吠えカウンターの刺突をモモンの左肩に叩き込む。

 モモンが積極的に間合いを詰めてくるようになってからクレマンティーヌは一撃離脱の戦法が取れず、戦闘は剣風吹き荒れる激しい接近戦へと変貌している。

 

(――まだ――これも違う――これも駄目――)

 

 この戦いに勝ち目がないことはクレマンティーヌも承知している。

 生き残るには逃げるしかない。しかし、簡単に逃げ切れるほどモモンという存在は甘くない。ならば、チャンスを待つ必要がある。

 慎重に、執拗に、執念深く、ただ只管にそのチャンスが巡ってくる機会を待つ。獲物を狙う獣がそうであるように。

 

 一度でも当たれば全てが終わるだろう死の嵐が吹き荒れる中、クレマンティーヌは我知らず歯を剥き出して口角を上げた。

 

「嗤うか、クレマンティーヌ」

「んー、そんな顔してた?」

 

 意識していないことを指摘され、クレマンティーヌは若干興を削がれたかのように首を傾げるが、しかしすぐに気持ちを切り替えると剣風の中に身を任せる。

 それは良い兆候だった。目的に至るための意識が最適化された結果、心に余裕が生まれ笑みという形で現れたのだろう。心なしか彼女の動きにも疲労を感じる前の軽やかさが戻ったように見える。

 

(そうだ、エルちゃんとの地獄の模擬戦に比べればこいつとの殺し合いなんてどってことない! クレマンティーヌ様の本領を見せてやる!)

 

 己を鼓舞してクレマンティーヌが舞う。

 横凪の一撃が来れば腰を深く沈めて剣の下を掻い潜り、斬り落としが落ちれば横に跳ねてひらりと躱し、突きが来れば剣の側面にスティレットの刃元を押し付け軌道をずらす。

 そして――

 

「ふん!」

 

 ――モモンが諸手を掲げて二本のグレートソードを袈裟形に同時に振るう。

 Xの軌道を描くように左右から迫る斬撃にクレマンティーヌは目を見開くと、次の瞬間亀裂めいた笑みを深めて両手に握るスティレットをそれぞれ逆手に持ち直した。

 

(何か仕掛けてくるか!?)

 

 咄嗟に警戒したモモンであったが一度勢いに乗ってしまった剣の軌道を修正するなど不可能だ。

 クレマンティーヌはスティレットを逆手に握ったまま、胸のあたりで軽く腕を交差するような構えを取って動かない。このまま行けばモモンのグレートソードはクレマンティーヌの両肩から入り、腰辺りを抜けて彼女の肢体をバラバラに引き裂くだろう。

 だが、これこそがクレマンティーヌの狙っていた展開だった。

 

 〈――不落要塞〉

 

 その衝撃はモモンの内と身、どちらに受けたものだったのか。

 ありえない光景が目の前に広がった。モモンの二つの斬撃が直撃する瞬間、クレマンティーヌはその二つの斬撃を細身のスティレットで受け止め、あまつさえ弾き返して見せたのだ。

 モモンの怪力によって放たれた、スティレットの十倍以上の重量を持つグレートソードの一撃を、細剣をもって弾き返す光景は正に驚愕の一言に尽きる。

 

(防御系の武技か!)

 

 驚愕から覚めたモモンがいち早くこの現象の正体に当たりをつける。

 恐らく効果は剣の防護と威力の無効化といったところか。興味深い武技ではあるが、それよりもここからクレマンティーヌが何を繋げてくるかが不可解だった。

 モモンの今の状態は無防備と言っていい。全力で振るったために大きく弾かれた両腕は、その反動で左右に大きく開いて伸び切っている。

 ここから一体彼女が何を仕掛けてくるのか――変わらず急所への刺突か、それとも新たな武技による攻撃か。

 

 〈流水加速〉

 

 そして次の瞬間、モモンの世界の時間がゆっくりと流れ始める。

 すべてがスローモーションとなった世界の中で、常と動けるのはクレマンティーヌのみ。

 彼女は両手に持ったスティレットを構えると、無駄のない動きでそれぞれをモモンの左右の肘窩(ちゅうか)(肘の反対側)から腕当ての中へと垂直に刺しこんでいく。

 

(何を――)

 

 攻撃ではない。そう気づいてモモンが困惑している内にもクレマンティーヌの動きは止まらない。

 スティレットの剣身半ばまでをモモンの腕当てに刺しこんでからは、今度は尺を無理やり縮めようとするかの如く左右両方のスティレットを弓なりにしならせ、その柄頭の方をモモンの上腕当てと肩当ての間の隙間に無理矢理ねじ込んで行く。

 全ての工程を終えた時に〈流水加速〉の効果が切れて、モモンも再び動き始め――

 

「はぁ!?」

 

 ――そして思わず素に戻って声を上げた。

 

 両腕が曲がらない。それに気づいてモモンは漸くクレマンティーヌの先の行動を理解する。

 肩から前腕にかけてモモンの装備によって固定された彼女のスティレットが、モモンの肘の稼働を許さない。今やモモンの両腕は、肘窩を中心に添木で固定されたようなものだった。

 

「まだ終わりじゃないんだよ!」

 

 モモンの意識が両腕に向いている内に、クレマンティーヌが腰に下げていた残りの二本のスティレットを取り出し、彼の双眸目掛けて突き立てる。次いで起こったのは炎と雷による閃光だ。

 彼女の武器に込められた魔力、〈火球(ファイアーボール)〉と〈電撃(ライトニング)〉が解放されてモモンの視界を駆け巡っていく。

 

「……ククク。はははは」

 

 炎と雷に焼かれながら、笑いを漏らしたのはモモンだった。

 不覚を取った身でありながらその胸中に怒りはない。むしろ感心しているといっていい。

 

「そうか……クレマンティーヌよ。お前は、()()()()に戦い続けていたのだな」

 

 モモンはクレマンティーヌの姿を捉えながら楽しげに呟く。スティレットが突き刺さっていようが眼前を魔法の光に晒されようが関係ない。彼の持つ位階魔法〈完全視覚〉はその程度の障害ならば何の問題もなく見通せるのだ。

 

 モモンの視界に映るは背中を向けて駆けるクレマンティーヌの姿。〈疾風走破〉も使用しているのかかなり速い。

 そう、彼女は逃げていた。

 

(まさか両腕と視界を奪っての逃走が目的だったとは……この一撃で仕留めたとは思わなかったのか? 欲をかかずに武器も捨てて逃げるとは……やはり俺のような存在の情報を握っている可能性が高いな)

 

 逃げるクレマンティーヌをモモンは情けないとは思わなかった。

 むしろ確実を期すために敢えて死地に身を置き、生き残るために戦い抜いた姿に敬意すら感じている。

 

「ただ感心していられれば楽なのだがな……この姿で追いかけては格好がつかんか。()()()()

 

 両手をぴんと伸ばして両目に剣を突き立てたまま鬼ごっこをする趣味はモモンにはない。故に彼女の捕縛は潜伏しているシモベ達に任せることにした。

 程なくして遠目にクレマンティーヌが倒れこむのが見えたので彼も行動を開始する。

 

「〈上位道具創造(クリエイト・グレーター・アイテム)〉解除」

 

 モモンがそう詠唱すると纏っていた全身鎧が消滅し、鎧によって両腕に固定されていた二本のスティレットがカランと音を立てて地面に落ちる。

 鎧が消失し本来の――死の支配者(オーバーロード)アインズ・ウール・ゴウンの姿に戻った彼は、自由になった片手で未だ両目に刺さっていたスティレットも引き抜き、地面に落ちている物と合わせて四本全てを回収する。

 ユグドラシルにはない魔法の武器が四本も手に入ったのは僥倖だ。腕の拘束に使った二本も何かしらの魔法が込められているようなので帰った時の楽しみとして鑑定せずにとっておく。

 

(それにしても鎧にあんな弱点があったとは……今回の戦いは本当に勉強になったな)

 

 ユグドラシルにいた鍛冶屋のNPCのセリフの中に「防具は装備するだけでは意味がない。性能を見極め正しく運用してこそ真価を発揮する」といった蘊蓄があったが正にその通りであろう。

 まさか鎧の隙間につっかえ棒を刺されて動けなくなるとは考えてもみなかった。

 

(まぁ、ゲームじゃできない仕様だからその発想自体がなかったわけだが……ゲームのプレイヤースキルだけに頼っていたら足元を掬われるか)

 

 ユグドラシルは自由度の高いゲームではあったが、現実の全てが再現できていたわけではない。ゲームではできない現実に則した戦い方、それを学ばなければ手痛いしっぺ返しを食らうだろう。

 漆黒の戦士モモンからナザリックの統治者であるアインズに戻った彼は、増え続ける課題に内心ため息を付きながらクレマンティーヌの元へと歩いて行った。

 

 アインズがクレマンティーヌの元に辿り着くと彼女は地面にうつ伏せになって倒れていた。

 いや、正確には拘束されているといった方が正しいか。彼女の肢体には現在地面から生えた無数の漆黒の細い手で掴まれており、まるで地面に縫い付けられているかのようだった。

 

(レベル30の影の悪魔(シャドウ・デーモン)数体がかりで拘束か。やはりこの世界の人間にしてはレベルが高い……あ、手が一本だけ尻を掴んでやがる)

 

 種族が違うし別に他意はないんだろうが…と、アインズが詮無いことを考えているとこちらの存在に気付いたのか、クレマンティーヌが唯一自由な首を巡らせ彼の姿を視界に捉えた。

 

「!? アンデッド……死者の大魔法使い(エルダーリッチ)!」

「残念、当たらずとも遠からずとだけ言っておこうか。さて、先ほど振りだなクレマンティーヌよ。姿が変わっているが私が分かるか? もう一度言うが私はお前を逃がすつもりはないんだ」

「何を言って……! その声……そーゆーことかよ、糞が。まさに正真正銘の化け物だったわけね」

 

 クレマンティーヌの不遜な物言いに影の悪魔の拘束が強まり苦痛の声が彼女から漏れるが、アインズが手を振ってそれを制す。

 

「ふむ、少々躾が必要か? まぁそれは追々やって行くとして……とりあえずはおめでとう、とだけ言っておこうかクレマンティーヌよ。己の価値を示したことで天秤は傾いた。お前を我がナザリックに招待しようじゃないか」

「何を……勝手に」

「お前には色々と聞きたいこともある、故に拒否権はない。まぁここではなんだ、細かい話はナザリックに帰ってからにしよう」

 

 アインズはそう言って言葉を切ると何もない空間に片腕をかざす。

 〈転移門(ゲート)〉という言葉とともに現れたのは下半分を切り取った楕円の形をした薄っぺらい漆黒の扉だ。それに呼応するかのように地面から腕だけを出していた影の悪魔たちが立ち上がり、クレマンティーヌを拘束したままその扉へと移動を開始する。

 

「先にナザリックで待っているがいい。何、時間はたっぷりとあるのだ……たっぷりとな。戻ったらゆっくりとお話をしようじゃないか。なぁクレマンティーヌよ」

「いやだ、助け――」

 

 すべてを言い終える前に、引き摺られるクレマンティーヌは漆黒の闇に溶けるように飲み込まれ、同時に漆黒の扉も霞のように消えてゆく。

 まるで最初から何もなかったかのように、静まり返った墓地にアインズが一人佇む。

 

(終わってみればあっけない……ナーベラルの方も片付いたようだな……静かだ)

 

 ――誠の静謐とはこういうものか。

 生物としての音を失って久しい死者は、音のない夜に耳を傾け、ナーベラルとハムスケが駆けてくる間ひと時の孤独を楽しんだ。

 

 

 * * * *

 

 

(はぁぁ……疲れた。部屋に帰ってベッドでゴロゴロしたい)

 

 気絶したンフィーレアをハムスケの背中に乗せながら、再びモモンの姿を取っているアインズが心の中でそう呟いた。

 ンフィーレアの救出は無事終了した。途中合流したハムスケがアインズの真の姿を見て驚いたり、ナーベラルが回収してきた喋る黒いオーブを見て逆にアインズが驚いたりと色々あったが、救出自体は問題なく進んで後は街に帰るだけとなっている。

 ただ、絶望のオーラではなく帰りたいオーラを発しているアインズの背中を見るに、彼が帰りたがっているのはエ・ランテルの街ではなくナザリックにある自分の部屋であったことは間違いない。

 アンデッドである彼には精神的にも肉体的にも疲労とは無縁のはずなのだが、人間であった頃の残滓が彼に休息という人間的欲求を取らせたがっているのかもしれない。

 

 それも然り、アインズにとって今回の事件は難易度の低いクエストだったかもしれないが、面倒くさい類のクエストであったことは間違いないのだ。

 リイジーとの交渉に並行してンフィーレアの探索、民衆を守りながらのアンデッドとの市街戦、クレマンティーヌとの闘い、断腸の思いで叡者の額冠(レアアイテム)の破壊等……もっと効率よく立ち回ることもできたはずだが後手に回ってしまったお陰で余計な手間を掛けた感は否めず、心労を感じずにはいられなかった。

 

(あとはンフィーレアを届けて冒険者組合に報告に行けば完了なんだ……もう少しだけ頑張ろう)

 

 ともあれ全ては終わったことだ。反省は後程するとして、残っている雑務を片付けるべくアインズは無理矢理気分を上げるとナーベラル、ハムスケへと振り返った。

 

「よし、回収作業が終わったならンフィーレアを連れて凱旋――」

『アインズ様』

 

 言いかけるアインズの頭に声が響く。〈伝言(メッセージ)〉だ。

 ちょっと間が悪いな、と思いながらも声の主がアルベドだと気づいてアインズは耳を傾けることにする。ナザリックの階層守護者を統括する立場にある彼女からの報告ともあれば、優先度はンフィーレア救出よりも高い。

 アインズはナーベラルやハムスケに向かって手をかざして待機するよう促すと、アルベドとの通信に意識を向けた。

 

「アルベドか? お前が直接報告するとは珍しいな。何かあったのか?」

『はい、ご報告したき儀がございます。よろしいでしょうか?』

「こちらも後は帰るだけだからな。構わん、報告せよ」

 

 アインズが肯定の意をもって先を促すと、彼女は躊躇うかのようにややあって口を切る。

 

 

『――アインズ様。シャルティア・ブラッドフォールンが何者かに殺されました』

 

「…………は?」

 

 間の抜けた返事が、夜のしじまに浮かんで消えた。

 




結論:魔王からは逃げられない。


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糸の玉

格好悪い主人公と、捏造設定てんこ盛り回。


 その夜、エ・ランテル近郊の森の中に、十二人の姿があった。

 

 統一性のない、それでいて個性に際立った装備に身を固めた風変わりな集団。

 しかし冒険者特有のざっくばらんな気風を一切感じさせないその緩みなき面持ちは、さながら精強な軍隊を思わせる。

 

 漆黒聖典。

 遠く南方のスレイン法国より派遣されてきた、法国最強の部隊。全員が英雄級の力を持ち、神の遺産たる武具で身を固めた精鋭中の精鋭部隊。

 非合法活動を主とし、スレイン法国の暗部を支える特殊工作部隊群の一つである彼らは歴史の表舞台に名を馳せることこそないが、事実上この世界における人間種最強の集団であることは間違いないだろう。

 

 その漆黒聖典が全十二席中、十一席を投入し活動していることからも何か重要な任務に就いていることが伺えた。独り部隊に属さない老婆も同行しているが、部隊の中心にいることから護衛される地位にある者と思われる。

 

「……隊長」

「ああ」

 

 先頭を歩いていた黒い長髪の青年に、そのすぐ後ろを歩いていた両手に盾を携える大柄で筋肉質な男が声をかける。

 隊長と呼ばれた青年はそれだけで全てを了解したように相槌を打つと、歩みは止めずに顔だけ背後に向けて、後ろを歩いていた仲間の女に目をやった。

 先端が人の手のような形状をする奇妙な三角帽子を目深に被り、大凡森の中を歩く格好とは言い難い、露出度の高い下着のような服装の女がその視線に気づくと、眠たげな眼で一度こくりと頷いてみせ、近くにいても聞き取れそうにない声量で何事かを呟き始める。

 

 呟きは短く、終わると同時に女は力でも抜けたのかダラリと両腕を垂らし、倒れこそしないものの足取りは定まらずフラフラと危うげに身体を揺らし始めた。

 その様子を見ながら隣を歩いていた女子高生のような格好の女が、すかさず彼女の身体を抱きとめ手を取ると、進む方向を先導し始める。

 目を瞑り、手を引かれるままにフラフラと正体なく歩く女の姿は、どこか夢遊病者のようだった。

 

 眠れる歩行者の名は“占星千里”。

 ここに今、誰にも見られることのない彼女の孤独な戦いが静かに始まろうとしていた。

 

 

 * * * *

 

 

 御主の御業をなぞらへますれば。

 深く深く潜り給う。

 暗い暗い(わた)の底。

 底夜(そこよ)に光るは糸の玉。

 そは尊き糸の玉。

 

 

 お婆ちゃ……御師様の優しい声で滔々と詠まれるその詩歌が私は好きだった。

 “占星千里”の名を説いて――私たちは星も見ないし千里も見ない、見るのはいつでも自分の内なのにね――と、悪戯っぽく微笑む笑顔が好きだった。

 

 ……ここへ潜ると、思い出すのは御師様のことばかり。

 ここは精神の深き領域、夜の(うろ)

 むき出しの心の奥底に自我(からだ)を沈め、御師様のことに思いが馳せるのは何故だろう?

 

 ……儚んでいるのだろうか。

 ……それとも、憎んでいるのだろうか。

 ……ああ、沈む、沈んでいく。

 

 ………………。

 

 “占星千里”の名を私が拝命したとき、御師様は何故悲しげに笑っていたのだろう?

 私の中にあの尊き糸の玉が見つかった時、一番喜んでくれたのは御師様だったはずなのに。

 

 己の精神の底に尊き糸の玉を内包し、その深層まで自我を沈める才を持つ者だけが“占星千里”の名を賜る。

 一つでも欠けば大成しない、だからそれは素晴らしいことなのだと御師様は言っていた。

 

 ………………。

 

 御師様はこの領域のことを夜の海となぞらえた。

 御師様の御師様は虚無になぞらえたそう。

 

 私は……そうだな、汚泥になぞらえるのがしっくりくる。

 ドロドロと粘質で、沈んでゆくのも一苦労。自我(からだ)の動きたるやどこまでももどかしい。

 まぁ、それは私のオウ・グァ・パゥがまだまだ未熟の証なのだろう。

 御師様は底に沈むまでさほど時を掛けなかったのだから。

 ……ああ、御師様の声が聞こえます。

 

 ――愛弟子よ、あなたがこれから学ぶのは己の内にあるもう一つの世界に渡る(すべ)です。

 ――それは精神の深層にある、光の届かぬ闇の世界。

 ――その深淵までに潜る術を、あなただけに教えましょう。

 ――これは神様が血によってではなく、術として授けられた奇跡の御業。

 ――神人のように血の濃さに左右されされない、後世に託して続いてゆく色褪せぬ奇跡です。

 

 覚えています、御師様。

 さぁ、もっと深く、深淵の奥底へと。

 

 ――あなたは深淵の底に光瞬く糸の玉を見るでしょう。

 ――幾つもの糸が複雑に絡み合う糸の玉。その糸の一本一本が可能性(みらい)なのです。

 ――解き解しなさい。完全には不可能でも、糸は解いた長さの分だけ可能性を見せてくれます。

 

 ああ、尊き光が見える。

 底夜(そこよ)に光るは糸の玉、そは尊き糸の玉……もう見えるほどに近いのに、我が身の沈む遅さがもどかしい。

 

 ――でも、これだけは忘れては駄目よ。糸の光は精神を通って私たちの肉体を蝕むわ。

 ――より良き可能性を探るのは悪いことではない……でも、自分の命を削ってまで糸に触れ続けてはいけないわ。

 ――願わくは、あなたは私と同じ道を歩まぬよう。

 

 さぁ、可能性(みらい)を見よう。

 私が、私の仲間たちが、人類がより良き可能性を歩めるよう。

 

 

 * * * *

 

 

 夜の帳が下りる森の中に、一風変わった景色が広がる地帯があった。

 どのような強大な魔法が行使されたのか、かつて自然豊かなカルスト地形広がっていたはずのその一帯は、今や幾多もの巨大なクレーターが穿たれる戦場跡さながらの痛々しさに包まれており、未だに燻ぶり昇る塵煙が現状に至ってからそう時間が経っていないことを教えてくれる。

 

 その中心で座して動かぬ全身鎧の姿が一つ――クロエルの姿があった。

 背中から腰まで一本の芯が入っているような姿勢の良さで正座する彼女であるが、唯一首から上は力なく項垂れている。

 二本の線のような見通し穴しか開いていないのっぺりとした頬面付き兜(クローズド・ヘルム)に覆われているため表情は伺えないが、漂わせる雰囲気はどこまでも覇気がない。

 

(……何やってるんすか、自分)

 

 悔恨の念を浮かべて深いため息を付くクロエル。

 酷い決着だった。怯えるシャルティアに嗜虐心を覗かせたクロエルが、彼女を押し倒して無理やり自分の血を飲ませたのが事の始まりだ。

 シャルティアに血を飲ませ「血の狂乱」を発動させるのは間違った戦略ではない。敵の攻撃力を上げることに繋がるが思考能力は逆に低下するので駆け引きが必要な戦況においてはこちらの方が攻略は容易だ。

 しかし、する必要があったのかと問われれば否だろう。何故なら、その段階はとうに通り越してしまっていたのだから。

 

 シャルティアは押し倒された時点ですでに戦意を喪失している。

 であればこの時決着はすでについていたと言ってよく、後はそのまま斬って捨てるもよし、或いはそこで矛を収めておけば対話の道もあったかもしれない。

 

 しかしクロエルはそうしなかった。絶対的強者と驕っていたシャルティアの傲慢な顔が怯える乙女のそれへと変貌したのを見て、魔が差してしまった故に。

 調子に乗って嫌がる彼女を押さえつけ、あまつさえ遊び心から自分の血を飲ませる行為に至ったのである。

 

 ……結果、みっともないことになった。

 シャルティアの激しい絶叫と痙攣。その反応に驚いていると「血の狂乱」の影響によって本来の醜い姿に戻った彼女に逆に押し倒され、その大口で顔全体を丁寧に()()()()()()という悍ましい体験をする羽目になった。

 あるプログラマーの気まぐれにより自分の血が過剰なまでに祝福されているとは知る由もないクロエルにとって、それは予想の範疇を大きく超えた展開である。

 

 長く粘質な舌が顔の上を這いずる感覚に軽いパニックを起こしつつも、クロエルは滅茶苦茶に刀を振るってシャルティアを殺害。

 しかし安堵も束の間、復活アイテムでも所持していたのか再起動を果たしたシャルティアにまたも押し倒され、今度は口を吸われて半狂乱になりかけた。

 

 二度の殺害によってようやく光の粒子となって消えていくシャルティアを見送ってから、一人その場に残されたクロエルは力なく項垂れ深い深い溜息を吐くことになったのである。

 それはなんとも滑稽で、無様な勝利者の姿だった。

 

(……これは暫く引き摺りそうっすね。あぁ…やだやだ)

 

 目を閉じれば思い出すのはシャルティアの顔ばかり。「瞼の母」ならぬ「瞼のシャルティア」とでもいうのだろうか。まぁ、思い出されるのは上気し長い舌を垂らしながら呼吸も荒く迫ってくるヤツメウナギの顔なのだが。

 

 ついでに言えば眼球に舌を突っ込まれるという元の世界での嫌な記憶が引きずり出されクロエルの気分は最悪だった。昔元カレ兼ストーカーだった男に、デート中目にゴミが入ったと申告した際にその蛮行に及ばれ、少女だった彼女の心に恐怖を刻み付けたものである。

 反省の色もなく動機について「愛しているから」とのたまった男の笑顔は今でも忘れられない。

 

 超人の器に一般人の精神が宿ったゆえの油断や傲慢がクロエルにもあったのだろう。

 その付けを手痛いしっぺ返しという形で支払うことになったのは自業自得としか言いようがないが、分かっていても割り切れないのがやはり人間というものだった。

 自分も悪かった、しかし何でこんな目に合わなくてはならない、という黒い苛立ちがクロエルの胸の内で渦巻き、そんな折に〈手負いし獣の第六感〉が新たな来訪者が近付いてくることを知らせるものだから、いい加減にしてほしい、と更に苛立ちを募らせていく。

 

 来訪者たちの名は漆黒聖典。

 クロエルと漆黒聖典の邂逅は、剣呑な空気を孕みながら始まろうとしていた。

 

 

 * * * *

 

 

 糸は可能性を見せてくれる。

 解き解した長さの分だけ先の可能性を見せてくれる。

 

 でも、解き解すまでもなく、摘まみ上げた糸はするりと抜けた。

 それは絡まぬほどに、短い糸たち。

 あれも、これも、どれも、とても短く、それ以上()のない終わりの可能性(みらい)

 ある糸は剣と血を、ある糸は黒い霧の怪物を、ある糸は引き裂かれた法国の至宝を。

 

 全部終わる、終わってしまう。

 糸が見せる可能性の記憶が、私の精神に鮮明に焼き付けられる。私自身が死ぬ光景を、何度も何度も焼き付ける。

 赤黒き鋼を纏う、人の形をした鬼が私を殺しに来る。何度も何度も、殺しに来る。

 

 ――(ゆめ)、糸の記憶に囚われぬよう。それはまだ起きてはいない可能性なのですから。

 

 ああ、御師様の声が聞こえる。

 

 ――避けがたい可能性を見たのなら、視点を変えて見ることです。

 ――点ではなく面を、あなたではなく誰かを、その先ではなく遥か先を。

 

 覚えています、御師様……そうだ、まだ終わってはいない。まだ、変えられる筈だ。

 分かったことは一つだけ、あの怒れる鬼とは戦ってはいけない。

 ……でも、どうすればいい? どうしたら、あの鬼の怒りを鎮められる?

 

 ……可能性を見よう、私のではなくあの鬼の。

 交渉の材料になるかは分からないけれど、対話の道を絶やさぬように。

 どうか私と、私の仲間たちが救われるように。

 

 解き解そう、あの鬼の糸を。

 あの鬼は、私に何を見せるだろうか?

 絶望だろうか?

 それとも、希望だろうか?

 

 ……尊き糸玉の優しい光が、今は自我(からだ)を焼くようだ。

 熱く、眩しく、断片的にしか見られない。

 

 

 ――鬼の糾弾――凍てつく蟲の異形の勇姿――砕かれる二つの宝石――涙を流しながら杖を振り上げるダークエルフの少女――死を滲ませる慟哭――

 

 

 ――そして、そして

 

 

 * * * *

 

 

「占星千里!」

 

 ドサリ、と何かが血に落ちる音がしその場にいる全員が振り向くと、占星千里と呼ばれた女が膝をついて鼻先を手の平で覆っている姿が目に入ってきた。

 彼女の顔面は蒼白を通り越して土気色に近く、鼻を覆う指の間や目尻からポタポタと血の雫を落としており尋常ではない様子だった。

 

「だ、大丈夫っすかその子? 病気っすか?」

 

 気の抜けた様子で目の前の集団、漆黒聖典に話しかけたのはクロエル。

 突然の事態に虚を突かれたのか、先ほどまでの苛立ちは嘘のように晴れて今は困惑しているようだ。

 それはクロエルが接近してくる漆黒聖典を待ち構え、両者が遂に合流した矢先の出来事だった。

 

「……うぶっ」

「千里! しっかりして、何を見たの!?」

 

 未だ項垂れ苦悶の表情を浮かべる占星千里に対して、彼女の手を引いていた女が心配そうに寄り添い背中を摩る。また、駆け寄ってきた黒いローブに身を包む魔法詠唱者(マジックキャスター)らしき老人も占星千里に癒しの魔法を行使し始める。

 

 漆黒聖典たちの表情は一様に強張り、脂汗をかいていた。

 それは誰もが占星千里の能力を知るが故の焦燥だった。彼女の未来視は負担を伴う。

 短い先の未来数回見るだけならまだいい。しかし連続で何度も見続けたり遥か先の未来を見ようとしたりした時、その負担は身体の異常という形で現れる。

 つまり、占星千里は何度も見続けたのだ。漆黒聖典が回避しなければならない最悪の未来を。

 

「……すまない、見ての通りだ。あなたにお聞きしたいことがあるのだが、先に彼女を診てもいいだろうか? 時間はそう取らない」

「いや、まぁいいっすけど……なんすか、この状況」

 

 黒い長髪の青年に声を掛けられクロエルも気の抜けたような返事を返す。

 占星千里と呼ばれた女に青年が駆けよっていく背中を見送りながら、クロエルは内心で何時でも戦闘に移行できるように気を張りなおす。

 連中の大凡のレベルを看破し、格下と判断してなお油断のならない相手だと彼女は警戒しているようだった。

 

(全員がレベル30台……長髪のおにーさんはレベル75前後ってところっすか? これは、もしかしなくてもクーちゃんの古巣……漆黒聖典って奴っすかね)

 

 以前クレマンティーヌから提供された情報を思い出しながらクロエルは相手の正体に当たりをつける。

 プレイヤーにしては中途半端なレベルにある青年を神人と仮定し、それに率いられる集団が軒並みこの世界でいう英雄級のレベルに達しているともなれば推理は容易だ。

 最も、それらの推理はクレマンティーヌから提供された事前情報があってのものなので、内心クロエルは彼女に手を合わせるのだった。

 

 ともあれ、相手が漆黒聖典ともなればクロエルが警戒するもむべなるかな。

 相手はプレイヤーと関わりの深いスレイン法国の特殊部隊だ。格下とは言えユグドラシル所縁のアイテムを保有している可能性が高く油断はできない。

 

 ……というよりも、チャイナドレスを着ている老婆の姿を捉えてからというものクロエルは戦闘になれば一切の油断も容赦もするつもりはなかった。

 異世界の衣類のデザインから逸脱し、しかしプレイヤー側から見れば一度は目にしたことがあるだろうその形状のドレスを着た老婆と、それを守護するような漆黒聖典の配置は彼女の想像しうる最悪の予想を想起させていた。

 

(なんて名前だっけ……まぁいいか。あのチャイナ服って世界級(ワールド)アイテムっすよね。効果は無効化スキルも貫通する精神支配……戦闘になったら最短で狙う必要があるっすね)

 

 どうやら名前は憶えていなかったらしいが、老婆が身に纏うチャイナドレスこそが世界級アイテムだと予想するクロエル。ユグドラシルでゲームバランスを崩壊させかねないとまで言われた最上級のアイテムの登場に内心冷や汗が流れる思いだったが、できるならこの場で破壊してしまいたいと考える。

 奪取したいとは考えない。手元にあっても前衛職一人の身で使う気にはならないし、なまじ残してしまったことで他のプレイヤーに奪われた時のことを考えれば危険すぎる代物だ。

 

 戦闘になったらどう立ち回るか、クロエルが頭の中で戦略を組み上げていく中、彼女を警戒しながらも占星千里の前に立った長髪の青年――漆黒聖典の隊長は、占星千里と目線を合わせるようにしゃがみ、囁くような声で喋りかけた。

 

「占星千里、大丈夫か? 教えてくれ、俺たちはどう動けばいい?」

 

 何を見た、とは隊長は問わない。

 聞くまでもないし、聞いて隊の士気を下げるような真似はしない。だから、隊長は指示だけを仰ぐ。

 占星千里の状態からして何通りもの未来を見続けたのは明白だ。そしてその数だけ最悪の未来が待っているのは想像に難くない。すなわち、この森で接触した鎧の女(クロエル)は漆黒聖典と同行した老婆、カイレの身に纏う至宝「傾城傾国(ケイ・セケ・コゥク)」の力を合わせたとしても全く歯の立たない化け物ということになる。

 鎧の女が自分たちの探していた破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)かは不明であるが、それよりも今は生き残ることが先決だと隊長は考え、未だ顔色の優れぬ占星千里の返答を辛抱強く待つ。

 

 やおら顔をあげた占星千里は、隊長と目を合わせると力なく首を振る。

 打つ手がない、一瞬そう解釈し眩暈を起こしそうになった隊長だったが、首を振った彼女の目を見てすぐに勘違いだと悟る。その目に諦めの色はなかったのだから。

 

「……分かった、俺たちは動かないよ」

 

 隊長がそう答えると彼女は満足そうに頷き、膝をついたまま力なく、四つん這いでクロエルの方へと近づいていった。

 傍らにいた女が手を貸そうと近付くも、隊長に止められそれ以上は動かない。

 

 こうして漆黒聖典の面々が見守る中、彼らの命運は占星千里に託されることになった。

 

 

 * * * *

 

 

(セクシー……というかホラーっすね)

 

 巨大な魔女の三角帽子の様なものを被った露出過多の女が四つん這いで擦り寄ってくる光景を眺めながら、クロエルは内心でそんな感想をこぼした。

 格好といい容姿といい、本来であれば色気のある光景であったかもしれないがあいにく女のコンディションが悪すぎる。

 土気色の肌に血の涙の跡が残る頬、未だ止まらぬ鼻血は垂れ流したままであり、さながらゾンビの行進のようだ。

 

 迫るゾンビと後方で待機する漆黒聖典の両方を視界に入れながら、クロエルは座したまま成り行きをただ黙って見守っていた。

 雰囲気から察するに戦闘ではなく対話を望んでいるのが相手側から見て取れたため、それならばとクロエルも今は矛を収めたままでいる。いつでも動けるように刀の鯉口を握りこんだまま。

 

「……初め、まして。私の名前……は、占星、千里。……未来を、見ます」

 

 漸くクロエルの前まで辿り着いた彼女の自己紹介は、息も絶え絶えのものだった。

 

「ご丁寧にどうもっす、自分の名前はク……エルスっす。……あの、ほんとに大丈夫っすか?」

 

 クロエルもそれに応え挨拶をする。危うく本名を言いそうになるが忘れてはいなかったようでちゃんと偽名で自己紹介を通すことができた。

 

「エルスス…様」

「エルス、っす!」

「あ……はい」

 

 なんか前にもこんなやり取りをしたなとクロエルは冒険者ギルドのことを思い出して軽く肩を竦める。口調も偽った方がいいのかもしれない、やらないけども。

 

 そんな益無いことを考えていると占星千里の方も呼吸を整えるためか何度も深呼吸を繰り返してから居住まいを正す。クロエルに合わせてか正座で対面することにしたようだ。

 両者が見つめ合ったところで改めて占星千里の方から口を開く。

 

「エルス様、私たちに敵対の意思はありません。どうか怒りを鎮め、私たちを無事お返しください……もし叶うのであれば、私はエルス様に予言を行う準備があります」

「ふむ」

 

 占星千里の提案にクロエルは顎に手をやってしばし黙考する。

 目の前の女はどうやら未来視ができるらしい。遜った態度は恐らく自分たちが敗北する未来でも見たからではあるまいか……だとすれば元々は敵対する意思はあったんだな、とクロエルは結論付ける。

 しかし、改めて敵対するのも馬鹿らしいのでクロエルは何も言わなかった。占星千里が行う予言とやらにも興味があったのも確かだ。

 

「了解っす。敵対する気がないのならこちらからも戦う理由はないっすね。それじゃあ予言の方を聞かせてくれるっすか」

「……感謝を」

 

 よほど安心したのか安堵の溜息とともに肩の力を抜き、次いで少しだけよろけそうになる占星千里。

 彼女の見た未来で自分はどれだけ暴れていたのだとクロエルは首を傾げるも、再び居住まいを正した彼女を見て、こちらも聞き手として態勢を整える。

 

「エルス様、あなたはそう遠くない未来に選択を迫られます。一つは生に、一つは死に繋がる運命の選択を」

「それは……物騒な話っすね」

「その分岐の名は、()()。約束の果ての名誉ある死か、反故した果ての不名誉な延命か」

 

 ゾワリ、と。

 占星千里の全身が泡立ち言いようのない恐怖が駆け巡った。

 

 何があったわけでもない。ただ一瞬、ほんの一瞬だけ目の前の存在に変化が生じたような気がしたのだ。

 しかし置物のように鎮座する鎧姿に異常なところは見られない。気のせいだ、と占星千里は脂汗を滲ませながら何度も自分に言い聞かせた。

 

「……う~ん、約束っすか。なんとも抽象的な予言っすねぇ……詳しくは教えてくれないっすか?」

「ごめんなさい、私が見た未来は断片的だったから。はっきりと分かったのは、あなたが何かの約束を守って……死んだことだけ」

「……そうっすか」

 

 はぁ、と息を吐いてクロエルが立ち上がった。

 占星千里も慌てて立ち上がろうとするが正座による足の痺れからか、ひゃあと情けない声をあげて転倒する。

 鎧姿で長い時間正座していたクロエルが大丈夫なのはレベル100だからだろうか? 永遠の謎である。

 

 突っ伏す占星千里を一瞥し、後方に待機していた漆黒聖典の面々を見やると、クロエルは漆黒聖典の隊長に向かって声を掛けた。

 

「話は終わりっす! 自分はこれで移動するっすけどお願いが二つあるっす、一つはそこにある洞窟。中に盗賊の死体と捕虜の生き残りがいると思うっすから捕虜を助けてほしいっす」

「分かった、助けよう! 二つ目は!」

「二つ目は……ちょっと痛い思いをするけど許してほしいっす」

「なっ?!」

 

 言うが早いか、突如軽快な破裂音が闇夜に響きピンクの煙が辺りを包む。

 

「何だこの煙は?!」

「ゲホッ、ゴホッ。……目が、喉がっ」

「狼狽えるな! 今煙を払――ゴホッ!」

 

 音と煙の正体は「煙玉」という戦闘用アイテム。これをクロエルが地面に叩きつけたのだ。

 ユグドラシル産の「煙玉」は調合した素材によって用途、効果が異なる。クロエルが好んで使用した「煙玉」の効果は視界不良に留まらず、刺激性の煙幕によって目や喉にデバフを掛ける類――所謂催涙ガスに近い効果を引き起こす代物だった。

 一定時間目も開けられず、一定確率で咳きこんでしまい魔法の詠唱も妨げられるとその効果は非常に嫌らしい。

 

 そんなピンクの煙幕に包まれ皆が悶える中、クロエルだけが平然と走り出す。

 デバフの効果を受けていない訳ではない。受けないように事前に目を瞑り、息を止めて走っているだけだ。

 クロエルは自分の搦手に対して装備やアイテムによる対策は行わない。一対多を常としてきた彼女にとって、そんな贅沢をする余裕などある筈がなく他の戦略的要素に振るのが当たり前だった。

 

 故に対策は全て自身のプレイヤースキルをもって補う。

 今回の対策で言えば目を瞑った状態での戦闘継続がこれに当たる。ユグドラシル時代に養った…というより必死に叩き上げた空間認識能力とスキル〈明鏡止水〉による集中力の底上げ、この二つを持ってクロエルはゲーム時代に披露していた視界に頼らない大立ち回りを異世界で完璧に再現してみせた。

 敵の立ち位置や地面の凹凸は把握済み。後は音の情報などで微調整を行いながら目標の位置まで走りこむだけだ。途中待っているだろう障害は峰内をもって叩き伏せる。

 

「ぐはっ!」

「! 今の声セドランか!? ゴホッ…返事をっ」

「ゲホッ――〈魔法効果範囲拡大化(ワイデンマジック)衝撃波(ショック・ウェーブ)〉!」

 

 煙に喉を焼かれたしゃがれ声が詠唱を紡ぎ周囲を衝撃波が駆け巡ると、色濃く漂っていた煙幕も吹き飛ばされて雲散霧消する。

 視界が開け、目を充血させ口端から唾液を伝わせた漆黒聖典が見たのは地面に倒れる巨躯の男――セドランと、「傾城傾国(ケイ・セケ・コゥク)」を脱がされ、下着姿で倒れる老婆、カイレの姿だった。

 

「くそっ、やられた!」

 

 それは誰がついた悪態であったのか。

 すでにクロエルの姿はなく、文字通り煙の如く消えた後だった。

 




 おまけ① オウ・グァ・パゥ
 ~何百年か前の異世界で~
プレイヤー「スキルとか魔法じゃないの。こう自分の中にグァーと入ってズブーッと沈んで……ヨガパワーよ! ヨガパワーを鍛えるの!」
信者「ヨウガーパァー!」
 ~何百年か後の異世界で~
御師様「今日はオウ・グァ・パゥを学びましょうか。禅や瞑想の近しいもので習得が難しいけど、あなたならきっとやれるわ」
占星千里「はい、御師様!」

 SF要素もある作品なのでミュータント的な特殊能力者が紛れててもいいなぁという捏造でした。


 おまけ② 無駄骨
クロエル「一度負ける未来が見えた時点で隊長に戦わないようお願いすれば鼻血出さずにすんだんじゃないっすかね」
占星千里「えぇ……」
クロエル「や、機嫌悪いからって流石に問答無用で襲ったりしないっすよ」

 別に予言なんかしなくても大丈夫だった模様。ただしカイレは剥かれる。


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偶像は人の間を移ろう

エ・ランテル二大イベント後の関係者たちのお話集。
時系列は気にせずお読みください。


 城塞都市エ・ランテル。

 秘密結社ズーラーノーンの企てによるによる市街地でのアンデッド発生、そして近郊の大森林に突如現れたという吸血鬼王候(ヴァンパイアロード)の影と激闘の痕跡。

 まさしく騒乱の一夜を乗り越え、それでも人々は逞しく日常へと帰結してゆく。

 

 英雄の誕生という熱感を残しながら。

 

 

 * * * * *

 

 

「いつまで突っ伏してるつもりだブリタ、辛気臭ぇ。客が逃げるだろうが」

「……元々客なんていないようなもんじゃん」

「こいつ……ったく、減らず口叩く元気があるなら何か頼みやがれってんだ」

「あいよ……あんがとね、おやっさん」

 

 騒乱から一夜が明けたエ・ランテル。安宿に設けられた酒場の一角で、机に突っ伏すブリタと宿の主人の二人の姿があった。

 決して広くはない酒場に客の姿は片手で数えられるほど。閑古鳥の鳴く店内は窓から射す昼間の陽光以外に明かりもなく、薄暗く何とも侘しい静かな空間を演出していた。

 アンデッドの侵入を許し、復興のために外から聴こえてくる喧騒は常よりも姦しく、まるでこの酒場だけが世界から取り残されたようだ。

 

「ほれ、昼間っから酒とはいいご身分だ。外の連中に申し訳ないと思わねぇか」

「勘弁してよ、私だって命からがら逃げてきた足でそのまま朝まで聴取に付き合わされたんだよ? 頭痛いし足は棒だしもう十分働いたって」

「……吸血鬼王候(ヴァンパイアロード)か。よく生きてたもんだ」

 

 差し出したエールのジョッキを受け取って、ちびちびと飲みだしたブリタを眺めながら酒場の主人がそう呟く。彼女の特徴的な赤毛の下には、額を覆うように包帯が幾重にも巻かれており、血が滲んでいた。傷は残る、そう言われたそうだ。

 

 ブリタはあの絶望の夜を生き残った。

 被害は強行偵察チームから死者が二人と()()()()が一人。(アイアン)級冒険者が吸血鬼王候とそのシモベである吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)からこれほど軽度の被害で逃げおおせたというのは奇跡と言っていいだろう。

 吸血鬼の花嫁と交戦した彼女は森の中で気絶していた筈だが、どういう訳か森の外で倒れているところを撤退中の仲間である後衛チームに拾われエ・ランテルまで戻ることができたという。

 聴取の結果、的確かつ迅速な撤退行動と吸血鬼の花嫁討伐の功績が認められ、情報の裏付けが取れ次第ブリタは鉄級冒険者から(シルバー)級冒険者に昇格する旨を冒険者ギルドから伝えられていた。

 その時のことを思い返して、ブリタは傷とは別の理由で頭痛がする思いである。

 

(倒したのは……私じゃない。いったい誰が? エルスなの?)

 

 赤いポーションが吸血鬼の花嫁に致命傷を負わせたという意見で冒険者ギルドは一致していた。しかし当時者たるブリタはそれで納得はしていない。森の外で倒れていたことといい、あの場で第三の勢力の介入があったことは間違いないはずなのだ。

 しかし審議は行われず昇格も決定済み。裏があるような気がしてならないが一介の冒険者たるブリタには如何ともし難かった。

 …実際に裏で漆黒聖典が絡んでいたということもあって、そのことを蒸し返さない方がいいという冒険者ギルド側の親心があったわけだが、多分ブリタは一生気付かないことだろう。

 

「吸血鬼王候に、アンデッド事件……そして新たに生まれた“漆黒の英雄”か。ここでチンピラを往なしてた(カッパー)が出世したもんだ。あいつらが一泊したって喧伝したらうちの宿も箔がつくかね」

 

 宿の主人の話題にブリタが思考の海から意識を浮上させる。

 漆黒の英雄、かつてブリタに赤いポーションを渡し、エ・ランテルで起きたアンデッド騒動では森の賢王に騎乗して戦闘の最前線で活躍。民を守り、冒険者たちを導き、遂には首謀者たるズーラーノーン一派を打ち破ったという。

 多くのものがその活躍を目にし、羨望と憧憬を込めて彼の者――漆黒の戦士モモンを英雄と呼んだ。

 

「そういやぁブリタ、お前さんあの男と面識あるじゃねえか。今からでも仲良くしておいたほうがいいんじゃないか? 唾つけるのは……あの連れの嬢ちゃんがいるから無理か。ま、英雄の知り合いなんて中々なれるもんじゃないぜ?」

 

 茶化すように宿の主人は言い、ブリタはただ黙ってジョッキに注がれたエールを呷る。

 興味がない。そう言外に言い放つような態度を取ってから、ブリタは小さく声を零した。

 

「……私の英雄は一人だけよ」

「あん?」

 

 眉を上げた宿の主人の反応を無視してブリタは再び机に突っ伏した。

 

 そして思い出されるのはある女の背中。

 吸血鬼王候と対峙し、揺るぎなき背中を見せた、行方知れずの英雄の姿。

 

(……エルス)

 

 友達になりたい。そう願った英雄の無事を、ブリタは静かに祈り続ける。

 

 

 * * * * *

 

 

(今日ぐらいはのんびりさせてほしいな)

 

 そう、言葉には出さず腕を上げて大きく伸びをする青年が一人。

 それは神官長会議での役目を終え、会議室を出た解放感からくるものだったのか……スレイン法国特務部隊・漆黒聖典の厳格な隊長には珍しい、年相応の人間染みた所作だった。

 

 あの忘れ得ぬ出会いから何日経っただろうか。

 エルスという女戦士との出会い、占星千里の活躍……そして法国の至宝、傾城傾国(ケイ・セケ・コゥク)の損失。

 破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)の探索を中止し法国へと急遽とんぼ返りする羽目となり、帰れば休む暇もなくこの日の会議のために分厚い報告書を何枚も纏めてと実に多忙な日々だったと彼は過去を顧みる。

 故に会議後の解放感もひとしおであったのだが、廊下の先から聴こえてくるかちゃかちゃといった音を拾うにあたり、今しばらく辛抱の時間かと気を引き締めなおすのだった。

 

「一面なら簡単なんだけど、二面をそろえるのって難しいよね」

 

 音の発信源、青年の歩く先で壁にもたれかかるように立っていた少女が、法国でルビクキューと呼ばれる玩具を弄びながらそう呟く。

 白銀と漆黒で左右に色が分かれた長い髪と瞳、それを基調とするかのように白と黒のツートーンカラーで構成された服装は、シンプルでありながら少女の個性をより一層に際立たせている。

 見た目は十代前半に見えるほどに幼く一見儚げな印象も抱かせるも、その実年齢や本質はそこから遠くかけ離れていることを彼は嫌というほど知っており、それを肯定するかのように彼女の脇には禍々しい戦鎌(ウォーサイズ)が立て掛けられていた。

 

 漆黒聖典最強“絶死絶命”。

 少女こそがスレイン法国が崇める五柱の神の装備が眠る聖域を守護する、漆黒聖典隊長である彼を超える力を持った神人だった。

 

 彼女がわざわざ待っていたということは会議の内容を聞きに来たのだな、と彼は直感する。

 ことある毎に報告書は提出しているのだが、書類というものを憎んでいるのか、はたまた聖域の守護者という役職上人があまり来ず会話に飢えているのか、とにかく少女は報告書を読まない。

 聞いてみたところ案の定今回も読んでいなかったので遠回しにそのことを注意してから口頭で報告を始めるが暖簾に腕押し、全く反省する様子は見られなかった。

 しかし彼もまたそんな少女に対して気分を害した様子はない……というよりも未読申告、注意、仕方なく口頭報告という一連の流れが彼らの中でお決まりの挨拶の様なものなのだ。意外と仲はいいのかもしれない。

 

「ふーん。それで煙幕を使われてまんまと至宝を奪われたわけね。まぁ、()()()()を残していったっていうなら確かに悪神ではなさそうだけど」

「セドランが喜んでましたよ。タンコブ付けた甲斐があったって……恐らくそちらで管理することになると思いますが」

 

 置き土産。それはエルスと名乗った戦士が姿を晦ました後、周辺を調べていて見つかった大盾(タワーシールド)のことだった。

 その正体はかつて龍♂狩りが愛用していた神器級(ゴッズ)アイテムであり、クロエルの手に渡った後シャルティアとの闘いの中で攻撃を防ぐ壁として利用し放置され、そのまま忘れられていった代物である。

 

 占星千里が可能性(みらい)に見た鬼神の如き戦闘力に加え、その大盾が鑑定によって神の武具だと認定されたことが決定打となり神官長たちは会議の中で「エルスと名乗る戦士は神である」との結論に至っていた。

 また、神をも堕とす至宝傾城傾国を人の身で纏っていたことが神の怒りに触れて没収される事となってしまったが、神は慈悲をもって代わりこの大盾を与えたもう、との見解も示している。

 大盾が選ばれたのは負傷した大盾持ち、セドランへの詫びの意味もあったのではないかとのことだ。酷い勘違いもあったものである、カイレもしっかり殴られていたのに。

 

「それで? 今後はどう動くつもり?」

「支配を望めなくなった破滅の竜王の探索は打ち切りですね。代わりに降臨された神の探索に移ると思いますが……難航するでしょう」

「どうして? 占星千里が使えるでしょ?」

「彼女は……もう使えません。漆黒聖典は席次を一つ失うことになるでしょう」

 

 あの夜の試練を乗り越えてから占星千里は変わってしまった。

 始めこそ何も変わらなかった。しかし日を追うごとに段々と塞ぎ込むようになり、遂には部屋に閉じこもって中から一歩も出てこなくなってしまったのだ。

 一夜のうちに幾度となく精神に刻み込まれた自分の死の記憶に、彼女は耐えることができなかった。あの夜、仲間を救うべく神に挑んだ勇気は、彼女の最後の精神の輝きだったのかもしれない。

 

「そっか。前任と同じ道を歩んだわけね、彼女。なら最期も師匠と同じ自さ――」

「なりませんよ。そんなことはさせませんし、何より彼女には後継を育ててもらわなければ困りますからね」

「ふーん。ま、どうでもいいわ」

 

 本当にどうでもいいのだろう、少女に仲間の不幸に対する感情の色は一切見受けられず、彼はそんな彼女の不遜な態度を“彼女らしい”という感想で片付ける。

 この少女にとって大切なことはいつでも一つ――

 

「そんなことよりもさ、私とそのエルスって戦士、どっちの方が強そう?」

 

 ――強者であるか、それに尽きる。

 

 

 * * * * *

 

 

 ギルド「アインズ・ウール・ゴウン」が拠点、ナザリック地下大墳墓・第五階層。

「氷河」の名を冠する氷雪荒れ狂う極寒の大地に設けられた二階建ての洋館の内部、

 青白い氷に覆われた牢獄の中に一人の女が囚われていた。

 女は壁を背にして両膝を抱く体育座りの姿勢を取っており、顔は両膝に埋めてしまっているため表情を窺い知ることができない。

 

 その女、名をクレマンティーヌといい「氷結牢獄」と呼ばれるこの牢獄に囚われてから三日目の朝を迎えようとしていた。

 氷結の看板に偽りなく、牢獄内は外よりもなお凍てつく冷気に覆われているのだが、不思議と彼女の身体に震えはない。彼女の纏う装備群が、彼女を過酷なこの環境から守護しているようだった。

 

 月桂冠を思わせる精巧な装飾の入る細いサークレット、光沢のある艶やかな黒い毛皮の外套、赤味の強い茶褐色の革鎧と小手、十の指に煌めく色とりどりの指輪、羽の技巧をあしらった具足……。

 かつての彼女が身に着けていた装備は一切なく、その全てはユグドラシルで作られた「最上級」アイテムで統一されていた。

 「最上級」と言えば響きはいいがユグドラシルの九段階ある等級に当てはめてみれば五番目に位置する品々だ。ユグドラシルの上級プレイヤーからしてみれば価値はなく、しかし異世界の基準に当てはめるのであればまさしく最上級の品々。

 クレマンティーヌ専用にあつらえられたその完全装備は、各種能力の底上げとともにこの劣悪な環境を凌ぐための一助となっていた。

 しかしそんな高級な品々を与えられてクレマンティーヌの心に歓喜の色はない。嬉しいはずがなかった。

 

 思い出されるのは彼女が囚われたその日の夜のこと。

 同じ階層にある「真実の部屋」と呼ばれる部屋の中で、裸に剥かれ壁に固定され、語るのも悍ましきニューロニストなる怪物と対峙した夜のことだ。

 怒気を孕んだアインズが扉を破壊するかの勢いで部屋に乱入してきたかと思えば、困惑するニューロニストを押しのけクレマンティーヌの頭を乱暴に鷲掴み、第十位階魔法〈記憶操作(コントロール・アムネジア)〉を使い彼女の記憶を閲覧し始めた。

 目的の記憶を覗くことができたのかすぐに手を離したアインズだったか、如何な理由かアンデッドの精神抑制を以てしても冷めやらぬ怒りの矛先を求めるかのようにそのまま部屋の中をせわしなく歩き回り、やがてある一角に目を止める。

 

 そこには机が置いてあり、クレマンティーヌが着用、携帯していた装備一式がきれいに整頓されて並んでいた。アインズはその中からローブと指輪の二つの品を取り上げると苛立たし気に鼻を一つ鳴らす。

 

「あの女がよこしたアイテムか……〈道具上位鑑定(オール・アプレイザル・マジックアイテム)〉」

 

 かつてクレマンティーヌがアベリオン丘陵を超えるときにクロエルから譲り受けた二つのアイテムが、魔法の光に当てられ一瞬だけ輝く。薄暗い部屋の中にあってその光は暖かく映るが、彼女の目には不吉な予兆のようにしか感じられなかった。

 

「……ゴミだな。〈上位道具破壊(グレーター・ブレイク・アイテム)〉」

 

 そして予兆は現実に至る。

 クレマンティーヌが声を上げることはなかった。目の前の怒れる怪物がただ只管に恐ろしく、できることと言えば二つのアイテムが光の粒子となって消える光景をただ黙って見つめることだけ。

 絶望的な状況にあって、彼女を救える可能性のある人物はクロエルだけだった。そんな彼女とのか細い繋がりを感じさせてくれたアイテムが砕かれた時、クレマンティーヌが感じたのは途方もない孤独だ。

 

「ニューロニスト、仕事を奪ってしまってすまなかったな。だが欲しい情報は全て覗いたので拷問はせずにおけ。その女にはまだ使い道がある」

「しゃ、謝罪など恐れ多いですわん、アインズ様。全ては御身の御心のままに……それではこの女はそのまま氷結牢獄へ輸送しておきますわねん」

「頼んだぞ。後でその女用に装備一式も送る、無理矢理にでも着させておけ」

 

 そしてその夜から三日目の朝を迎え、クレマンティーヌは現在の状況に至る。

 送られた装備は緩やかな処刑の始まりの証。

 彼女はこれから第六階層にある円形闘技場(コロッセウム)で、多くの異形の者たちの見世物となりながら終わりなき格上モンスターとの闘いに身を投じることとなる。

 ナザリック強化のため、アインズが感じた脅威をシモベ達に啓蒙するため、技術と経験の差がレベル差をも覆すということを何度でも証明させるために。

 研究材料として、娯楽として、戦いに敗れるか彼らに飽きられ処分されるその日まで、彼女の戦いは終わりを向かえることはないだろう。

 

「エルちゃん……」

 

 クレマンティーヌは思う、死にたくないと。

 一度は戦い抜いたはずの化け物(アインズ)の怒りに恐怖を覚え、屈服し、クロエルとの繋がりを砕かれ孤独に喘ぎ、今は死にたくない一心で敵の施しである装備を甘んじて受け入れている。

 

 惨めだった、どうしようもなく。

 だが、それでも彼女は思う、死にたくないと。

 

「……エルちゃん、助けて」

 

 震える呟きは思い人には届かない。

 両膝に埋められた彼女の表情は、最後まで窺い知ることはできなかった。

 

 

 * * * * *

 

 

「……ホニョペニョ……?」

 

 屈強な身体を木椅子に預け、冒険者組合長プルトン・アインザックが小首を傾げた。

 

「ホニョペニョコだ」

 

 それに頷き、力強く答えたのは机を挟み向かいの席に座る漆黒の英雄モモン。

 

 エ・ランテルの騒乱から三日、冒険者組合にある部屋に7人の男たちが集まっていた。

 二人は先に言葉を交わしたプルトンとモモン。魔術師組合からローブを着た神経質そうな男、組合長のテオ・ラシケル。仕立てのいい服を着たでっぷりと肥えた男、エ・ランテル都市長パナソレイ・グルーゼ・デイ・レッテンマイア。そしてミスリル級冒険者チームから三名。『クラルグラ』代表イグヴァルジ。『天狼』代表ベロテ。『虹』代表モクナック。

 

 都市の復興や後処理などで慌ただしく働いていた都市の代表たちが時間を作り、冒険者たちを招いて開催されたこの集会の目的は二つ。数々の功績を成したモモンの飛び級でのミスリル昇級、近隣の森に出現したという吸血鬼王候(ヴァンパイアロード)の対処についてだった。

 モモンの昇級が気に食わないのか、何かと突っかかるイグヴァルジに話の腰を折られる場面が何度かあったが、やがて吸血鬼王候の話題に移ってからモモンが深く考えるようなしぐさを取り始め積極的に質問を開始。

 事件の詳細から参加していた冒険者の情報、特に行方不明になったという新人の冒険者について何度も質問を重ねた後、まさかな、とたっぷり含みを持たせた呟きと共に滔々と語り出した。

 

 それはモモンの()()であり、故郷を吸血鬼王候に滅ぼされた女戦士の復讐譚だった。

 

「なんと……それでは現在行方不明の冒険者、エルスはホニョ…吸血鬼王候を追っていると」

「だろうな、話を聞いてまさかとは思ったが偶然にしては特徴が一致しすぎている」

 

 残念だ、入れ違いで会えないとは……と締めくくり押し黙ったモモンを見ながらプルトンは唸る。

 森から逃げ帰ってきた冒険者たちの報告を聞いてその精度を疑っていた彼であったが、思わぬところから情報の裏付けを取ることができてしまった。

 報告書の中に新人の冒険者が潜んでいた吸血鬼の花嫁を一瞬で斬り倒し、仲間を逃がすために吸血鬼王候に一人で立ち向かったとの記載を見つけた時は眉を顰めたものだが、モモンの知己であるというなら話は別だった。

 

 モモンの手腕は今回の騒乱でプルトン含め、多くの冒険者や市民が実際に目にしている。そのモモンをして実力は同格と言わしめる新人冒険者、エルスの功績は認めなければならないだろう。

 モモンとの関係、背景なども聞いておきたかったが、義理があると詳しい話をすることを彼が頑なに拒んだためにプルトンは追究を断念。しかしその様子からも二人の信頼関係を窺い知ることができた。

 

(エルスか……モモン君に並ぶ実力を持つ者がこの街にもう一人いたとは……行方を晦ましたのは吸血鬼を追ってか行ってしまったからか? 何にせよ出てってしまったのは惜しい)

 

 エ・ランテルの冒険者組合から二人目の英雄が輩出されていたかもしれない未来を思い、プルトンはしばし瞑目する。

 そのあとも話し合いは続き、結果として吸血鬼王候が現れたという現場への調査にモモンの冒険者チームが向かうこととなり、同行者としてイグヴァルジが率いる『クラルグラ』が選ばれた。

 恐らく吸血鬼王候と、それを追ったと思われる冒険者エルスを見つけることは叶わないだろうが、その調査任務の完了と共にモモンはオリハルコン級に昇級することとなるだろう。交渉の結果階級が一つ上に上がっているがプルトンに不満はない。イグヴァルジは大いに不満そうであったが。

 

「ああ、それから冒険者組合長。エルスと行動を共にしたという鉄級冒険者たちを紹介してもらいたいのですが……できれば、直接関わった彼らの口から彼女の話を聞いておきたい」

「うん? それは、そうだな。分かった手配しよう」

「感謝します」

 

 話が終わり、ミスリル級冒険者たちが退出する中、最後まで残っていたモモンの頼みを聞いてプルトンを含めた都市の代表者たちの顔がほころぶ。

 案じているのだろう、吸血鬼王候を追って姿を消したエルスのことを。道が分かれ、再び二人は同じ都市に行き着いたというのに他の依頼を受けていたことで入れ違いとなり会えずに終わるとは何という運命の悪戯か。

 

 男と女、プルトンは一瞬関係を邪推しそうになるがそれを気取られ気を悪くされても困るので必死に頭の中の妄想を振り払う。

 そして頼みごとを済ませ退出しようとしていたモモンに、最後に声をかけるのだった。

 

「会えるといいなエルス君と。できればここに戻ってきて、君と一緒に冒険者として活躍してくれることを願うよ」

 

 願望も含んだプルトンの言にモモンは振り向かず、しかし足を止めると首だけを巡らせ言葉を返す。

 

「……彼女は戻ってくることはないでしょう。恐らく、もう()()()

 




ブリタ「英雄!」
神官長's「神ィ!」
クレマンティーヌ「…ノーコメント」
プルトン「英雄の友達!」

クロエル「なんすかこの評価」


・おまけ 龍♂狩りの大盾

龍♂狩り→クロエル→漆黒聖典new!

大盾「こんなんめっちゃ冒険やん…」
番外席次「さあ、神の装備はしまっちゃおうねー」

ざんねん‼ たわーしーるどの ぼうけんは これで おわってしまった‼

セドラン「っつーか、俺が使っていいんじゃないのか…」


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 厳かな静謐が支配する部屋だった。

 部屋、というよりは神域と表した方がふさわしいかもしれない。広く、高く、そして細部に渡るまで芸術的な細工が施された神秘的な空間だった。

 金と銀の細工が栄える穢れなき白い壁、七色の宝石が光り輝くシャンデリア、壁に垂れ下がる異なる紋章を記す四一枚の巨大な旗……そして、部屋の最奥に置かれた天を突くかのように高い水晶の玉座。

 

 ナザリック地下大墳墓・第十階層「玉座」の間。

 その日、ギルド「アインズ・ウール・ゴウン」の技術の集大成ともいえるこの神域に、七人の異形たちが集っていた。

 

「面を上げよ」

 

 静謐を破った声の主はアインズ。

 漆黒のローブを身に纏い虚空の腹に赤き宝玉を埋めた生ける骸骨。最奥の玉座に鎮座する姿はさしずめ不死者の王と言ったところか。その声に合わせて玉座の下に拝跪の姿勢で居並んでいた者たちが一斉に顔を上げた。

 

 彼らはアインズという頂点を除けばナザリックにおいて最上位の地位にある者たちだ。

 全十階層からなるナザリックの各階層を守護する栄誉を与えられた階層守護者たち。その全てがNPCでありながらゲームを超えて異世界に転移したのち、最初からそうであったかのように生命体として振舞い始めた真の異形。

 

 第一、第二、第三階層守護者。

 銀の髪、白蝋じみた肌に深紅の瞳が輝く漆黒のボールガウンを纏った吸血鬼の少女。シャルティア・ブラッドフォールン。

 

 第五階層守護者。

 拝跪の姿から直立歩行も可能か、2メートルを超える巨躯にカマキリとアリを融合させたかのようなライトブルーの外皮鎧を持ち、背中から一対の氷のスパイクを付き立たせた虫型の魔物。コキュートス。

 

 第六階層守護者。

 金の髪と褐色の肌、先端が長くとがった耳と緑と青のオッドアイが特徴的な双子のダークエルフの子供たち。竜の鱗でできた赤色のシャツに白地のベストと長ズボンを着る男装の陽気な姉、アウラ・ベラ・フィオーラと、竜の鱗でできた藍色のシャツに白地のベストとスカートを着け緑の短いマントを羽織る女装の陰気な弟、マーレ・ベロ・フィオーレ。

 

 第七階層守護者。

 黒のオールバックに日焼けした肌、長身の痩躯に纏うは丸い眼鏡とストライプ柄の赤いスーツ。知的なビジネスマンか弁護士を思わせる風貌の男だが、糸目から覗く無数にカットされた宝石の瞳と腰から延びる銀板を重ね合わせたかのような硬質な尻尾が人ならざるものだと教えてくれる。悪魔、デミウルゴス。

 

 そしてそれらの頂点に立つ守護者統括、アルベド。

 黒く腰まで流れる艶やかな髪と白き肌の対比が美しい絶世の美女で、肩から胸元までを大胆に見せるオフショルダーの白いドレスを身に纏い、胸元には蜘蛛の巣を思わせる細い金の装飾を煌めかせ、そして左右の側頭部から額を抱えるかのように生える一対の捻じれた角と腰から生えた漆黒の天使の羽は、堕落せし聖女のような背徳的な色気を漂わせている。

 

 役割上集えなかった第四、第八階層の守護者を除くナザリックの要達の顔を見渡しアインズは満足そうに一つ頷いて見せる。

 本来であればアルベドを進行役とし定型句の挨拶なども交えるところだが、優先したい議題があったためアインズが事前に省くように頼んでいたようだ。黙したまま主人の言葉を待つ守護者たちの表情は真剣そのものである。

 

「さて、忙しいところよく集まってくれたなお前たち、感謝しよう。話を始める前に……シャルティア、無理はしていないか? まだ、休んでいてもいいのだぞ」

 

 名前を呼ばれたことでぱっと花開いたような笑顔を見せたシャルティアだったが、次に見せた表情は沈痛なものだった。よく見れば泣き腫らしでもしたのであろうか、目元が赤く腫れており可憐な少女の顔にあって痛々しく映る。

 

「……大丈夫でありんす、アインズ様。いつまでも泣いたままでいりんせん。わたしもナザリックの階層守護者。いつまでも我が君の慈悲に甘えて蹲ってなんていられんせんから」

「……そうか」

 

 アインズのどこまでも優しく、労わる様な声音に守護者一同の目頭が熱くなる。

 思い出されるのは五日前のあの日のこと。

 ナザリックの玉座の間に同じように集い、何者かに殺害されたシャルティアを復活させた人のことだった。

 

 五日前、シャルティアは確かに無事に復活した。

 金貨五億枚という対価を払い、玉座の間にて一糸まとわぬ姿で復活した彼女を見てアインズは動揺を隠せなかった。

 少女の裸体に戸惑ったわけではない……いや、それもあるにはあるが一番の理由はシャルティアがなにも装備していない状態に対してのものだった。

 用意したマントで未だ眠るシャルティアの身体を包み、同時に半透明の窓の様なものを浮かび上がらせると指先でそれをなぞり始めるアインズ。窓の正体はシモベたちの内部情報を閲覧するためのコンソールだ。

 ギルド長の権限をもって覗くことのできる彼女の情報に目を通したアインズは、動かぬ骨だけに顔に確かに苦悶のような感情を浮かび上がらせる。

 

(……ない! 装備が、一切!)

 

 シャルティアが裸で送還された時点で予測はできていた。

 アイテムボックスに収納されていたアイテムについては残っている。しかし身に着けていただろう装備品だけが一切見当たらない。死亡時のペナルティとして消滅してしまったのか、それとも戦利品として敵の手に渡ってしまったのか……いや、そんなことはどうでもよかった。

 

(あれはペロロンチーノさんがシャルティアのために作った……形見のような品なのに! どうすればいい、どんな言葉を掛ければいい!? 目を覚ましたシャルティアに、俺はいったいなんて……!)

 

 シャルティアを抱き寄せ途方に暮れるアインズ。

 異世界へと捨てられしこの異形の孤児(みなしご)たちは、しかし愛を知るがゆえに自分の創造主たちの帰還を、それこそ血を吐くような思いで今も願い続けている。そんな彼らに残された、己の創造主を思い出させてくれる形見にも近い品が取り上げられたと知れた時、それはどれほどの絶望を与えることか。

 しかし時は無情にも待ってはくれず、やがて彼の腕の中で目を覚ました彼女に、残酷な事実を打ち明けることとなる。

 

 結果、玉座の間に響いたのは少女の泣き叫ぶ声だった。

 まさしく幼子がそうあるが如く、恥も外聞もなく、大粒の涙をとめどなく零しながらシャルティアはアインズの腕の中で泣いた。至高の御方に抱かれるという至福をもってなお覚めぬ悲しみを目の当たりにし、その場に集っていた階層守護者たちも沈痛な面持ちで成り行きを見つめている。

 

「ざ、ざびしいよぉ、ペロロンッ、ヂーノ様ぁ! ごぇ、ごえんなさい! ごえ……」

 

 

 嗚咽交じりに、何度も声をひっくり返しながら絞り出されるシャルティアの脈絡のない慟哭にアインズが肩を震わせる。精神抑制の光を何度もその身に瞬かせながら、しかしついには堰を切ったかのように怒りを爆発させた。

 

「くっ、糞がぁああああ‼ ゆるっ、許せるものかぁ‼ この俺が、仲間にっ、友に託された! 俺のぉおお、我が子の様なぁ……大切な、大切なぁああ! 子供たちにぃいいいい! 許せるものかぁあああああああああああ‼」

 

 それはシャルティアを固く抱きしめたアインズの咆哮だった。

 激しい怒りを体現するかのように死のオーラを周囲にまき散らしながら叫ぶ彼の姿を守護者たちは恐怖し、そしてそれ以上にその言葉に胸を打たれて咽び泣く。

 それは怒りによって出た言葉であったかもしれない。しかし、だからこそ純粋で偽りのないアインズの本心だった。守護者たちは神が抱いていた自分たちへの深い愛を知り、血涙と共に更なる忠誠を心に、魂に誓う。

 それと同時に、自分たちの主にこれほどまでの怒りを抱かせた見えぬ敵へと激しい憎悪を募らせるのだった。

 

 アインズの怒りに守護者たちの結束が強まり、一人の明確な敵が誕生して五日後。こうして一同は再び玉座の間に集ったのであるが、やはりというかシャルティアは気丈に振舞ってはいるが本調子でないことが見て取れる。

 自身の創造主であるペロロンチーノより譲り受けた装備一式を失ったこともあるが、アインズの役に立てなかったというのも気落ちしている原因であろう。何せ彼女は自分を殺した相手のことを一切覚えていなかったのだから。

 

 死亡時のペナルティであったのか、彼女は約五日分の記憶がごっそりと抜け落ちていた。

 彼女の本来の目的であった武技の使い手の拉致失敗に加え、ナザリックの脅威たりえる強敵の情報を伝えることのできなかったという事実は、シャルティアの胸に棘のように刺さったまま抜けていなかった。

 

 ……ついでに言えば罰という名目の元、謹慎とは名ばかりの休暇を存外楽しんでしまったことにシャルティアは若干の引け目を感じていた。

 本来アインズの役に立てず仕事のない期間など階層守護者にとっては苦痛以外の何物でもないのだが、しかし何事も例外というものがある。

 アインズの優しさか、謹慎中の監視として……その実お世話係としてシャルティアのもとに現れたのは彼女のお気に入りでありながら中々会う機会に恵まれないメイド、ユリ・アルファという女性その人だった。

 

 傷心のシャルティアはこれを機会にお姉さん気質のユリに存分に甘え、ユリもまた普段は苦手意識を持っているシャルティアに対してこの時ばかりはと存分に受け止め甘やかす。一応謹慎中ということもあり性的な行為は自重したが、ユリの胸にうずもれベッドで微睡む日々たるや、まさに至福のひと時だったとシャルティアは後に語ったとか語らなかったとか。

 

「……さて、お前たちに集まってもらったのは他でもない。敵の正体が判明した。下手人の名はクロエル。ユグドラシルの地で“狂犬”と呼ばれた私と同じプレイヤーだ」

 

 アインズの発言と共に玉座の間の空気が一瞬にして剣呑なものへと変わる。

 シャルティア、アウラ、アルベドなどの女性陣は分かりやすくその顔を怒りに染め、マーレは怯えたような表情のままその瞳の奥にどす黒い感情を渦巻かせ、デミウルゴスは眉を顰めて眼鏡のブリッジを指で持ち上げ、コキュートスは少し身じろぎをして沈黙を保ち続ける。

 

「以前研究用に捕らえた賊の女の記憶と、エ・ランテルの冒険者たちから聴取して得た情報を慎重に精査した結果だ……間違いないだろう」

「流石はアインズ様。この短期間でこれほどの……ああ、なるほどそういうことでしたか」

 

 デミウルゴスが意味ありげに微笑んで見せればアルベドも同意するかのように頷く。恐らく見当違いの深読みをして自己完結しているのだろう。別にアインズが有益な情報を持つクレマンティーヌを捕らえることができたのも、モモンとして名を馳せることでエ・ランテルでの情報収集が容易だったことも先を読んでのことではない。成り行きだ。

 本当に叡智に富んでいたのならシャルティアの涙を見ることは無かった筈だとアインズは内心溜息を付く。

 

「場合によってはモモンとしての活動はこれで中止だな……情報収集のためとはいえ少々虚実を盛り過ぎた。未だ姿をくらましている以上エ・ランテルに戻ってくるとは思わないが、奴がモモンとの接点やホニョペニョコとの因縁を否定すれば不審に思う輩も出てくることだろう」

 

 折角冒険者としてオリハルコン級の身分まで上り詰めたモモンという存在であったがアインズは惜しまない。怨敵の情報と個人的な道楽のために誂えた偽りの身分の価値など天秤にかけるまでもないのだ。

 アインズの分身たるモモンの活動が滞る可能性を示唆され、ここぞとばかりに憤慨し始める守護者たちを宥めながらアインズはクロエルの外見的特徴や所有武器、種族などを説明していく。種族が同じダークエルフだと聞いてアウラやマーレはとても不服そうだ。

 

「ふんっ。狂犬なんて下品な呼ばれ方してる奴なんて同族の風上にもおけないよ!」

「そうは言うけどねアウラ、相手は仮にもプレイヤーだ。それが二つ名を持っているともなれば油断はできない相手だろうね。まぁ、それでもナザリックの勝利は揺るぐことはないだろうが」

「あ、あのっ、ええと。強いなら守護者みんなで戦ってやっつけちゃうのはどうかなーって」

「そうね、相手は単機。数に利があるのならばそれを活用することは戦略として悪くはないわ。でもねマーレ……」

 

 憤慨するアウラをデミウルゴスが宥め、それを取り繕うかのようにマーレが恐る恐ると言った体で提案をすれば、アルベドもその会話の中へと入っていく。姦しく守護者たちが論議を交わす中、シャルティアは一度敗北した身の上だからか居心地悪そうに口を閉ざしており、コキュートスもまた降って湧いた強敵の存在を思ってか口を閉ざして何事かを考えている様子だった。

 

「静まれ、お前たち」

 

 しかしその喧噪もアインズの一声によって一瞬に静まり返る。

 

「仲間同士で意見を交わし戦略を練ることも勿論大切だ。だが情報が少ないうちから始めるのはいささか早計だな。私から出せる情報も多くはないが……そうだな、敵の危険性がどれほどのものかは教えることができるだろう」

「……アインズ様は知っていらっしゃるのですね、あの女のことを」

「……PK、PKKの間では有名どころではあったからな」

 

 アルベドの問いかけに若干棘があったような気がするのは気のせいだろうか。まぁ、それはそれとしてアインズはクロエルのことは知っていた。

 と言っても短い期間の話ではある。アインズがクロエルの存在を知ったのは彼を含む最初の九人で現ギルドの前身、クラン「ナインズ・ウール・ゴウン」を結成して間もない頃の話だった。

 当時の仲間である白銀の騎士たっち・みーとのPvPの参考にと、ユグドラシルの対戦動画をネット上で手あたり次第に漁っていた時、偶然「ユニークスキル狩り」と題されたPK動画を見つけたのがクロエルを知る切っ掛けとなった。

 血塗れになりながら十人以上のPKを相手取り、負けてはしまったが最後まで善戦してみせた彼女の姿に当時のアインズは少なからず衝撃をうけたものだ。

 

 しかし、それ以降アインズはクロエルに関する動画の一切を見ることはなかった。

 理由は何となくばつが悪かったから、としか言いようがない。

 彼女に興味が湧いて過去まで遡り経緯を知るにつれ、何となく、ユグドラシルでの境遇が似ていると思ってしまったのだ。理不尽な理由でPKに執拗に狙われ続ける辛さはアインズも痛いほど理解している。彼と彼女の唯一の違いと言えば、助け引き揚げてくれる仲間と出会えなかったことだろうか。

 

 あくまで想像だ。本当は仲間がいるかもしれないし、単に一人で活動する方が気楽だったのかもしれない。しかしかつてのアインズだったら心が折れて引退していただろう状況に未だ身を置き、戦い続ける者がいると思うと無性に居た堪れなかった。

 ならばかつて自分を引き上げてくれたたっち・みーのように、彼女に手を差し伸べるべきかと彼は自問したこともある。しかし知り合いならまだしも赤の他人である人間種のプレイヤーに救いの手を差し伸べるのは躊躇われた。異形種のみで構成されるチームに身を置いている手前、その戒律を乱すような行為は極力実行したくなかったのだ。

 

 故に、彼はネットで情報を漁る際クロエルに関するスレッドから目を背けるようになった。

 意識はしていたので当初は目の端にチラチラと映り込んでは大層居心地の悪い思いをしたが、やがてそれにも慣れ次第に興味をなくし、ついには忘れることに至ったのである。

 しかし、このような形で相見えることになるのならば、しっかりと彼女のことを研究しておくべきだったとアインズは後悔を禁じ得ぬ思いだ。

 

「ところでお前たち、プレイヤーの死亡時のペナルティについては分かっているな?」

 

 しばし過去を偲んでから、気を取り直してアインズは守護者たちに問いかける。

 真っ先に反応したのはやはりというか守護者の中でも知恵者の面々、アルベドとデミウルゴス。先んじてデミウルゴスが問いに答えた。

 

「はい、ユグドラシルにおいてプレイヤーが死亡した際に科せられるペナルティは二つ。一つ目は5レベルの消失、二つ目は装備アイテムのいずれかを一つ損失することになります。ただし、この世界においてはその法則が異なる可能性が高く一概にそれが全てとは言い切れませんが……」

「その通りだデミウルゴス。このデスペナルティは課金アイテムなどを有無によって被害を軽減することもできるが……今回はその話は省くとしよう。さて、その二つのペナルティを踏まえた上であの女の話をしよう」

 

 アインズは自分の考えを纏めながら一つ一つ語り始める。

 

「あの女はユグドラシルの世界においてソロプレイヤー、つまりクランやギルドには属さぬものだ。ナザリックの様な安全な拠点を持っておらず、所有するアイテムも自分で持てる限りのものに限定される。味方もいないのだから支援も期待することもできず、周囲には常に彼女を狙うPKたちが犇めいている状況にあったと考えてほしい」

 

 一部、守護者の中から嘲りの色が見て取れた。

 持たざる者の滑稽さを嗤ったというところか、アインズは気にせずに話を進める。

 

「さて、デスペナルティ、孤立無援、常にあるPKの脅威、これらの枷をはめられた状況を想像してもらった上で問いたい。お前たち、生き残れるか?」

 

 その問いに守護者たちの空気が一斉に引き締まる。

 ある者はナザリックのない孤独を想像してか絶望の表情を浮かべ、ある者は真剣にその状況を想像し眉を顰め、ある者は感銘を受けたが如くほぅと白い息を吐く。

 

「……分かるな? あの女はその環境で戦い続け、生き延び、そして最低でもレベル95辺りを維持し続けている生粋のPKKだ。侮るようなことがあれば即刻、敗北という名の死を味わうことになると知れ」

「なるほど。アインズ様のご懸念、守護者一同重々に承知いたしました……しかし、そうなるとやはり敵の確度の高い情報が欲しいところですね。シャルティア、本当に覚えていることは何もないのかい?」

 

 アインズの警告を真摯に受け止めたデミウルゴスはシャルティアに目をやるが、彼女は申し訳なさそうにかぶりを振るばかりだ。

 

「ごめんなさい、本当に何も覚えていないんでありんす。ただ……」

「ただ? ただなんだい?」

 

 言いにくそうに口を噤んだシャルティアにデミウルゴスが眉を顰めるのを見て、仲裁に入ろうかと逡巡したアインズだったが、別の所から人の声帯では発せられそうにない異質な声が上がったことでそちらに注目が集まる。

 

「……満タサレテイルノデハナイカ?」

 

 それは今まで沈黙を保っていたコキュートスの弁だった。

 驚いたように顔を上げコキュートスの顔を見つめるシャルティア。それで得心が言ったかのように虫の異形が一つ頷くと、感慨深げに白い息を吐く。

 

「ヤハリカ、羨マシイコトダ……」

「え、え? コキュートスどういうこと?」

 

 答えをせがむように見上げるアウラを一瞥してからコキュートスはアインズに向き直ると、恐ラクデスガ、と断りを入れながら己の推測を語り始める。

 

「シャルティアモ、私ト同ジク戦闘ヲ主目的ニ構成シ生ミ出サレタ守護者ニゴザイマス。故ニソノ根底ニハ戦場ヲスベカラク聖地ト定メ、修羅ニ在ルコトヲ本懐トスル武ノ心ガ備ワッテイルモノカト」

「シャルティアがぁ?! うっそだー!」

「ど、どうなんでありんしょう? 確かに戦うのは好きでありんすが……」

 

 コキュートスの言い分にアウラが信じられないと声を上げ、分析されたシャルティア自身も自信なさげに首を傾げる。しかしそれには構わずコキュートスはいつになく饒舌だ。

 

「シャルティアハ、好敵手ト巡リ会エタノデショウ。互イニ拮抗シ、鎬ヲ削リ、高メアウコトノデキル者ト己ノ命ヲ賭シタ戦イ……ソレハ武人ニトッテ代エ難イ至福ノ時。記憶ガ残ッテイナイノガ残念デナリマセンガ、魂ニ刻ミ付ケラレタソノ熱キ思イダケハ今ナオ、シャルティアノ胸ヲ焦ガシ続ケテイルモノト思ワレマス」

「ふむ、私には理解できぬ感情であるが……シャルティアよ、そうなのか?」

「わ、わかりんせん……でも、言われてみればそんな気もするような?」

 

 コキュートスの主張を一考しシャルティアに問いかけたアインズであったが確証は得られず真相は闇の中と言ったところだった。しかし敗れたシャルティアの心証が悪いものではなかったのは間違いなさそうなので、クロエルとの戦闘も卑劣な手を使われたのではなく正々堂々としたものだったのかもしれない。

 そう考えるとアインズの溜飲も僅かに下がった。本当に僅かでしかないが。

 

(そうでありんしたか。あの時のことを思い出そうとするとこう……下腹部が切なく潤んでくるのは、武人としての猛りでありんしたか。コキュートスもかつてこんな思いを味わったんでありんしょうか?)

 

 お互い大変でありんすね、とシャルティアが内股を軽く擦り合わせながら視線で語り掛けるとコキュートスもまたウムウムと共感するように頷く。この光景を見て認識の齟齬が発生していると誰が思えよう。

 

「まぁ、思い出せないことは仕方がない。とにかく今は情報が欲しい。ニグレドが調査を続けてくれているが成果は芳しくはないとのことだ……だが、発見次第すぐに動けるように、お前たちも準備を怠るなよ」

「はっ、アインズ様の御心のままに!」

 

 アインズの激に一斉に頭を下げる守護者たち。それを満足そうに眺めてからアインズは遠くの敵――クロエルを思い憎しみを募らせる。

 あの日シャルティアと途中まで行動を共にしたシモベ達やクレマンティーヌ、エ・ランテルの鉄級冒険者たちからの聴取を済ませ、アインズはどうしてこのような事態になってしまったのかを正しく理解している。

 不幸な遭遇戦だったのだろう。シャルティアも殺戮衝動を抑えられていなかったのかもしれない。

 

 だが、だからと言って許せるものではない。

 復活したシャルティアが泣き叫ぶ姿を見てアインズは己の不甲斐なさを知った。

 至高の者として神の如き崇拝を受けながらも、やはり創造主の――親の代わりには決してなれはしないのだとペロロンチーノの名を叫ぶ少女の慟哭を聴いて知った。

 その涙を止める手段を持ちえず、ただ彼女のために怒り、その怒りさえアンデッドの特性の前に情けなくも萎んでいくのが惨めで堪らなかった。

 

 だからこそ、許すわけにはいかない。

 どんな理由があろうとも、我が子のように思っているシモベの心を傷つけ、大切なものを奪っていったクロエルという存在を。

 

(……しかしあの女、なぜここにいる?)

 

 ふと、昔の記憶が脳裏に浮かびアインズは首を傾げる。

 かつてネット上でPK、PKKの情報を調べていた際に、たしか“【垢バン】クロエル終了のお知らせ【ザマァwww】”というタイトルのスレッドを見たような記憶があった。

 垢バン――運営側によってアカウントを強制的に剥奪されることを意味する言葉。アカウントを持たねばゲームをプレイすることができないユグドラシルにおいて、この言葉はプレイヤーの完全な死を意味している。

 

(誤報だったのか? まぁいい、どちらにせよ十分に復讐をさせてもらおう……)

 

 友の忘れ形見のためにも、ナザリックの威信のためにも、アインズはクロエルを明確な敵と認識し、復讐を誓うのであった。

 

 

 * * * * *

 

 

「ふんふんふふーん」

 

 緑生い茂る深い森の中に調子っぱずれの鼻歌が響く。

 トブの大森林と呼ばれるエ・ランテルの北側に広がる広大な大森林の森深く、そこにポツンと一人正座をし、鼻歌を歌っていたのはクロエルだった。

 

「ふふふふーんっと」

 

 ただ一人寂しく正座して鼻歌を歌っていたのなら気味悪いことこの上ないが、どうやら何かしらの作業をしているらしく、幾つかある無限の背負い袋(インフィニティ・ハヴァザック)のうちの一つを手に取り、中に収納されているアイテムを取り出しては吟味し、時にはそのまま仕舞い、時には手前の地面に置かれた奇妙な形の杯目掛けて放り投げていた。

 水面から飛び上がり天に向かって大口を開ける魚の姿を模した木彫りの杯は、片手で持つに足りる大きさしかないにも関わらず、不思議なことにクロエルが次々に投げるアイテムの大きさを問わず吸い込むようにその口に呑み込み、その口元を淡く発光させる。

 

「ラストォーイ」

 

 掛け声と共に上空向かって盛大に放り投げられたアイテムはチャイナドレス……以前クロエルが漆黒聖典と接触した際に奪取した世界級(ワールド)アイテム、傾城傾国だ。

 ヒラヒラと舞いながら落ちてきた傾城傾国だったが、ある程度まで落ちると細い渦巻に巻き込まれたかのように捻転し、そのまま魚の杯に飲み込まれて一際強く発光した。

 

「大掃除終わりっす」

 

 正座したまま腕を組むと満足げに頷くクロエル。

 彼女が行っていたのは荷物整理だったようだ。マインティス神や龍♂狩りなどの所持品や今まで手に入れてきたアイテムなどの確認や整理、ついでに不要な物の処分を行っていたらしい。転移後の世界ではユグドラシル産のアイテムは貴重であるというのに中々思い切った行動である。

 

(……おっとっと。一人になると独り言が多くなるっすね。癖になると恥ずかしいから口に出さないように注意しないと)

 

 一仕事終えてふと自分の振る舞いを顧みたクロエルは、ちょっとだけ反省をしてから地面に置いたままの無限の背負い袋を次々に虚空へと――正確には自身のアイテムボックスへと投げ入れる。最後に仕舞われたのは先ほど大量のアイテムを呑み込んだ大口を開けた魚の杯だ。

 

(さて、アイテムの準備はこれでオーケーっすね)

 

 準備、というよりは戦支度と言った方が正しいかもしれない。

 どこと知れぬギルドのプレイヤーと敵対してしまったのだ、占星千里に意味深な予言を託されるまでもなくどこかの時点でぶつかることになるのはクロエルも分かっている。

 シャルティアとの戦闘後、戦利品を回収しがてら探知や調査系の魔法を阻害するスクロールを使用してみて多数の魔法干渉を検知できたことからも、敵が血眼になってこちらを探していることは明白だろう。手持ちのスクロールにはまだ余裕があるが数は有限、そう遠くない未来居場所を特定される覚悟は持っておくべきだ。

 故に、気取られぬ内にやれることをやっておく必要がある。

 

(まずは全力で運動っすね。原型留めないくらい身体の傷を増やして出血しにくい状態にしとかないと……ついでに鈍った身体もほぐすっす)

 

 まず小目標としてユニークスキル〈魔女の祝福〉対策。

 人間種に異業種並みのステータスを与え、特に戦士職に必須な能力を大きく引き上げる魔女の祝福だが、デメリットとして激しく運動する毎にどこかの皮膚が裂け、裂傷と出血のダメージ、それに加えて傷跡が残るという祝福というよりは呪いの様な効果がある。

 しかし一度傷跡がついた皮膚は破け難くなるので、見た目が醜悪になるのを気にしなければ全身傷跡だらけになっておくことでこのデメリットは軽減できる。

 以前顔だけ治療したクロエルだったがまたゾンビフェイスに戻る時が来たようだ。まっこと短きダークエルフ生活である。

 

 そして主目標として鈍った技術を叩き直すこと。

 マインティス神率いるクラン黒の狩人、真祖(トゥルーヴァンパイア)のシャルティア、法国の特務部隊漆黒聖典と、戦闘を重ねてみてクロエルが感じたのは全盛期に比べて腕が落ちたという実感だった。

 ユグドラシル最盛期は四六時中気の休まる暇もないほどにPKに狙われ続け、まさしく常在戦場の精神で戦いに勤しんでいたものだが、衰退期に入ってからはPKの数も徐々に減少し、週に二~三回は平穏無事に過ごせるような温い環境に様変わり。知らず知らずのうちに腕を落としていたのだろう。

 

 かつては遊びの余地が微塵も出ないほど徹底的に己を研ぎ澄まし、いっそ冷酷に見えるほど合理を追求して戦いに挑んでいた時期もあった手前、シャルティアとの戦いは腕の鈍りを痛感させてくれる苦い経験となった。ほんと、色んな意味で。

 

(いや、今考えると全盛期の自分は戦闘面でギラギラしすぎっすね。あそこまで極端じゃなくていいっす)

 

 いやよいやよと否定している二つ名であるが、相応に振舞っていた時期が彼女にもあったようだ。

 

(あとは何をやっておこうかなー……あ、瞑想してみるのもいいかもっす)

 

 これはスキルなどではなく純粋な瞑想だ。

 発想が随分と飛躍したがこれもクロエルがそのうちに試してみたいと思っていた事柄の一つである。

 信仰、集中、夢想、無心、用途は様々あれどもクロエルがやっておきたいのは己との対話だ。いや、正確にはいたかもしれないもう一人の自分との対話と言った方が正しいか。

 

 この世界に来てからというものクロエルには常々考えていたことがある。

 それはゲームのアバター(クロエル)が一生命体として存在していたのかもしれない、という可能性。そしてその器に現実(リアル)の自分の魂が移りこみ、ゲームの彼女の魂と融合――或いは侵食か――した結果が今の自分なのではと考えるようになっていた。

 荒唐無稽な話であったがシャルティアと出会ってからはあながち間違いではないのではないかとクロエルは思っている。彼女がロールプレイしているわけはなく本当にNPCだとして、あれほど自然に生命体として振舞っていたのだ。プレイヤー側のアバターにも生命が宿っていても何らおかしくないように思えた。

 

 単にゲームのアタバーが保有している身体能力やスキルを行使することができるだけなら話は別だった。しかしスキルに依らぬ部分での観察眼や実戦での戦闘技術、戦場での心構えなどを当たり前のように発揮できるのはどういうことなのか。現実の彼女の力だけでは到底成し得ず、だとしたら実際に戦ってきた当事者の経験則や意思を彼女が吸収したとしか思えないのだ。

 

(……ユグドラシル(そこ)に居たんすかね、生きてたんすかね)

 

 二つの魂が溶け合ったとして、浮かび上がってきたのは現実の彼女の意思。

 ゲームの彼女の身体を、魂を自分が奪ったのだという考えに至り――ふと、これは罪なのだろうかと彼女は考える。

 

(だから異世界(ここ)に追放されたのかもしれないっすね)

 

 それが罰となるのかは分からないが、現状、他のプレイヤーと殺しあいという試練が待っているのは間違いない。

 

 だから、今のうちに向き合っておこうとクロエルは思う。

 それが罪なのかは分からないが、溶け合った分身を思い、対話を試みることもしないのでは全てを奪われたゲームの彼女が浮かばれないだろう。

 それは自己満足かもしれないが、行うことで解決に至らなくとも区切りをつけることはできるのだ。

 

 死ぬ気は毛頭ないが、死ねばこんなこともできなくなる――

 

 

 ――敵を思い、いたかもしれない身の内の魂を思い、クロエルはゆっくりと瞼を閉じるのだった。

 




これでエ・ランテル編終了です。

明確に敵対ルートに入ったので、以降は苦手な方はご注意ください。


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約束 異世界の裁定者

 クロエルが刀を振るう。

 流れるように淀みなく、数多のスキルで紡がれる旋律は美しくも恐ろしい。

 

 まぁ、その恐ろしさの大半は体中から――多くは頭部からか――ビッチャビッチャと撒き散らされる血液のせいであるのだが。

 

(おぉう……やり過ぎたっす。休憩休憩)

 

 貧血による眩暈を感じたところで刀を鞘に納めると、クロエルはその場にどっかりと座り込み、ふぃ~と気の抜けた溜息を一つ付いた。

 

 あの瞑想から数日。自身の攻撃スキルを確認しつつ全力で刀を振るい続けた結果、大分身体を解れてきたようだ。身体の傷も順調に増え続けており、あと二、三日もやれば早々破けることのない丈夫な肌を手に入れることができるだろう。頬面付き兜(クローズド・ヘルム)で隠れているが、顔が酷いことになっているに違いない。

 

 鎧の隙間から湯気の上がる身体を軽く手で仰いでからクロエルは眼下に広がる世界を静かに眺め始める。手前に広がる広大なトブの大森林、それを跨いで遠目に見えるのはかつていた城塞都市エ・ランテルだろう。高い場所よりかつての道程を俯瞰して眺めるのもなかなか乙なものだなとクロエルは素直に思う。

 

 彼女は現在アゼルリシアと呼ばれる山脈西北西の雪原の中にいた。

 トブの大森林を抜け出し、山登りをするに至ったのは単に身の危険を感じたからである。

 というのもトブの大森林の中に〈完全不可知化(パーフェクト・アンノウアブル)〉で姿を隠しながら索敵をする八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)という蜘蛛形のモンスターを発見したからだ。

 こちらが対策済みだったこともあり先に発見できたのが幸運だったが、敵の斥候だと考えると素直に喜べる状況ではない。

 シャルティアと遭遇した位置関係、経過した日数などから考えて、どうもトブの大森林の東側――それも結構近い位置に敵の居城があるのではないかと予想したクロエルは、それから距離を取るように西北西へと移動。アゼルリシア山脈を登るに至ったわけである。

 もう少し北寄りに移動していたならドラゴン、巨人、ドワーフとファンタジーの代名詞のような生き物たちと出会う機会もあったのだが彼女が知る由もない。

 

(今更っすけど、綺麗っすねぇ……)

 

 環境汚染の末期にある現実(リアル)では望むべくもない大自然を前にクロエルはしみじみと思う。

 しかし感動は薄いらしく、彼女に高揚らしきものは見られない。それも仕方ないことだろう、この光景はある意味彼女にとっては見慣れた光景でもあったのだから。

 

()()も森に棲んでたからっすかね……慣れ親しんだ感覚が強いっす)

 

 あの日、瞑想して彼女には分かったことがある。

 それはゲームのアバター(クロエル)が確かに生きていたということ、そして彼女の意思はもう完全に自分に溶けて混ざってしまっていたということだ。

 

 消えたわけではない。彼女の経験は、人生は確かに今のクロエルが継承し生き続けている。

 そして混じり合った己と向き合い、丁寧に心を紐解いてみてゲームの彼女がどのような人物だったかも大凡知ることができた。

 

 負けず嫌いで、全てを憎んでいて――でもあの日から、少しだけ前向きに人生を歩み続けた頑張り屋の女の子。

 

(チョロインっすね)

 

 誰がチョロインだ、と憤慨されたような気がするが気のせい――ではないようだ。自分で思っておいて自分に腹を立てていることに気付いた彼女は、それが可笑しくて少しだけ肩を揺らす。

 全く不思議な心持ちだった。現実の彼女の意思が基盤とはなっているがゲームの彼女の意思も自然に溶け込んでいるのだ。どちらが本物ということでなく、どちらも本物の自分の意志であり、元は一つであることが本来の形でもあるかのように調和している。

 己と深く向き合うことがなければ二つの魂が混じり合っているなど認識することも叶わなかっただろう。

 

(瞑想してみてよかったっす)

 

 劇的に何かが変わったわけではなかったが、やってよかったとクロエルは思う。

 心の均衡は体調をも左右する。現在の自分を正しく認識することで心のしこりを取り除くことのできたクロエルの剣はまさしく快剣と言っていいだろう。身体能力(ステータス)が変わらずとも剣に迷いを乗せなければ、その技の切れは格段に増すのだ。

 

(さて、そろそろ移動するっすかね)

 

 体調も良くなってきたところで移動を開始するために腰を上げるクロエル。

 彼女の超人的な肉体はアゼルリシア山脈の極寒の風を物ともしないが、長居できるかと言われれば話は別である。雪原に足を取られるし雪崩の危険もあるのだ。対処はできるかもしれないが人間にとって住みにくい環境に好んで身を置こうとはクロエルは思わなかった。

 

(このまま西北西に歩いて下山するっすか……ん?)

 

 立ち上がり、振り返ろうとした瞬間、エ・ランテル近郊の森から何かが飛び上がるのが見えてクロエルは視線を戻す。

 距離的に豆粒以下の大きさにしか見えなかったが人型の何かに見える。魔法詠唱者(マジックキャスター)が〈飛行(フライ)〉でも行使したのかと思ったが太陽の光を反射し輝いていることから鎧を着こんでいるものと思われ、どうも格好が術師らしくない。

 

「あ、やば」

 

 クロエルが思わず呟いた。

 のんびりと考えている間に空中で停滞していたそれがこちらを見たような気がしたのだ。魔法のスクロールによって自分の周りには他者からの認識を阻害する結界が張られている……にも拘らず、宙に浮く人型は確かにこちらを見ていた……というか、どう見てもこちらに向かって飛来して来ている。

 

 逃げようか、とも逡巡するが如何せん足場が悪い。相手は空中、しかもこうしている間にも恐ろしい速度でぐんぐんと接近して来ているのだから慌てるだけ無駄かとクロエルは観念して相手の到着を待つことにした。

 

 接近するにつれ相手の細かな容姿を視認できるようになってくる。

 どうやら銀の全身鎧を着こむ戦士のようだ。頬面付き兜の鉢の後ろからは長い青磁のポニーテールを靡かせており、重厚な全身鎧には竜の頭部を模した肩当て、胸に描かれる剣のような紋章など様々な技巧が施されている。

 そして何よりも目を引くのがそんな戦士の背中を追従する浮遊する四つの武器。斧、槍、大剣、刀と、等級こそ分からないが強い力を秘めているように思われた。

 

(またNPCっすか? それとも……)

 

 クロエルが警戒する中、銀色の戦士が少し距離を開けて彼女の前へと降り立った。

 攻撃する様子はない。互いに動かずその場に沈黙が支配する中、やおら手を上げたのは銀色の戦士の方だった。

 

「やぁ、いい天気だね」

 

 友好的な挨拶がアゼルリシア山脈の寒空に響いた。

 

 

 * * * * *

 

 

「やぁ、いい天気だね」

 

 挨拶というのは大切だ。

 円滑な交流を促すための潤滑油。日々の信頼の積み重ねの一要素となり、会話の切り口としても申し分ない。それに返ってくる反応の如何によって相手がどのような人物であるか大凡の見当がつく。

 

 だから、挨拶というものは大切だ。

 特にプレイヤーの人間性を推し量る材料としては――アークランド評議国永久評議員、ツァインドルクス=ヴァイシオンはそう思う。

 

 ツァインドルクス=ヴァイシオン。

 親しき者たちにはツアーと呼ばれている。アークランド評議国の重鎮にして500年以上の時を歩む生ける伝説。

 100年ごとに現れるプレイヤー達を見守り、時には仲間として、時には敵として戦い世界の秩序を守ってきた、この世界における最強の一柱である。

 

 その正体は白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)と呼ばれる巨大な竜であり、今の人型の姿はがらんどうの鎧を魔法によって遠隔操作しているに過ぎず、本体は未だ評議国の宝物殿に鎮座していることだろう。

 

「……そうっすね。ちょっと寒いのが難点っすけど」

 

 挨拶の返事が返ってきた。

 花丸をあげよう、とツアーは思った。花丸の意味はよく分からないが昔プレイヤーの友が使っていた言葉だ。あげると言うのに何もくれないから当時ガッカリしたものだが、嬉しい時に使われた言葉だからきっと良い意味に違いない。

 隙のない佇まいは警戒の現れ。素行の悪いプレイヤーというのは転移当初はこの世界をゲームの延長だと思ってか全くの無警戒で、しかも傍若無人に振舞うことが多いのだが、このプレイヤーと思われる娘は現実と受け止めているのだろう。そして警戒した上でちゃんと対話の道も模索している――つまり、話の分かるタイプのプレイヤーである可能性が高いとツアーは思った。

 

 ツアーが強大な力の歪みを感知しプレイヤーの再来を予期してから幾ばくかの時が過ぎた。己の分身たる鎧を飛ばして調査を開始、激しい戦闘の傷跡を見つけるもその元凶は既に去った後。

 無駄足かと思ったが遠くアゼルリシア山脈からこちらを窺う人影を見つけたのはツアーにとって僥倖と言えよう。常人では目視し難い距離からこちらを見つめ、認識を阻害するものか魔法の結果に包まれた人間が一人でいればプレイヤーの可能性は高い。

 

「よく自分を見つけられたっすね。これでも隠れるのには結構自信があったんすけど」

「ユグドラシルの認識阻害系の魔法のことだね。生憎だけど私にはその手の魔法は通用しないんだ」

 

 この世界に住まうドラゴン特有の知覚能力はユグドラシル由来の魔法に影響を受けることはない。打ち破るのではなく影響を受けない、つまりユグドラシルの魔法とは全くの別枠の力が作用しているのだ。

 どれだけ魔法による厳重な隠蔽を施したところで効果対象外の力を使われれば意味がなく、竜王の名を冠し通常の竜より格段に強い知覚能力を有するツアーの目から逃れるのは至難の業だろう。

 

「この世界の力も捨てたものではないだろう? 自己紹介が遅れたね、私の名前はツァインドルクス=ヴァイシオン。アークランド評議国で永久評議員という役職に就く者だ。よかったらツアーと呼んでほしい……それで、君はプレイヤーで間違いないのかな?」

 

 駆け引きは必要あるまい。恒久の時を生き他種族を見る目も養っているツアーから見ても、目の前の娘からは今のところ危険な匂いは感じ取れなかった。

 少なくとも悪神ではない。ならば、腹を割って話し合うのが手っ取り早いとツアーは考えていた。

 

 

 * * * * *

 

 

「ご名答っすよ。自分はクロエルって言うユグドラシルのプレイヤーっす。それにしてもアークランド評議国の……聞いた感じお偉いさんっすか。お初お目にかかるっす」

 

 観念したようにクロエルが自己紹介を済ませる。

 アークランド評議国……確かクレマンティーヌの話では複数の亜人種が入り乱れる都市国家だったなとクロエルは考える。ある種異形ともいえるダークエルフの自分を快く受け入れてくれそうな国として一度は足を運んでおきたいと思っていた場所だった。

 その国の重鎮としてツァインドルクス=ヴァイシオンの名は聞いていたが、確か巨大な竜ではなかったかとクロエルは首を傾げる。

 

「どうも騙っぽくは感じないっすけど、ツァインドルクス=ヴァイシオン様って竜じゃないんすか?」

「ああ、私のことを知っているんだね。これは遠隔操作で操っている私の分身さ……その証拠に、これこの通り」

 

 ツアーが己の頭部を掴んで軽く持ち上げてみせる。

 すると頬面付き兜があっさりと外れ、身体と頭部が切り離された。次いでがらんどうの鎧の内部を見通せるように軽くお辞儀をして見せるのだからクロエルも納得せざる得をなかった。

 

「それと、先程も言ったけどそう畏まらずにツアーと呼んでくれればいいよ。まぁ君の場合畏まっているのか畏まっていないのかよく分からない口調だけどね」

 

 ツアーは苦笑したようにそう言ってから頭をもとの位置に戻し、クロエルはバツが悪そうに兜越しに頭を掻く。上流階級と接点を持つとは夢にも思わない彼女にしてみれば、染み付いた口調をいきなり矯正するなど土台無理な話である。故に本人が気にしてないなら普段通り喋ればいいかとクロエルは開き直ることにした。

 

(にしても……いやぁ、これが()()っすか)

 

 ツアーの目の前にし、クロエルは舌を巻く思いだった。

 敵わない、と思った。単純な戦闘力だけでなら比類しうるだろう。しかしこれは器の問題だ。

 

 分相応ではない偽りの力(チート)を授けられたプレイヤーとは違う、培い、育み、真の力として共に成長してきた本物の強者の風格が、遠隔操作の鎧越しにも、柔らかな口調からも如実に感じ取れるのだ。

 その人生の中で手に入れた自分の力への確かな自信――しかし傲慢や慢心の時期は過ぎ、成熟した心の余裕がそのまま包容力や貫禄として自然に表へ出ているかのようだった。己の内面を深く探り二つ分の人生を完全に融合させたクロエルであっても器が違うと言わざる得ない存在感だ。

 

 プレイヤーには出せそうにない貫禄に加え、自分を発見してみせた未知の知覚能力を目の当たりにしクロエルは相手の素性が確かなものであると信じることにした。

 恐らく後者の理由だけだったとしてもクロエルは納得していたであろう。彼女の探知や調査系の魔法への対策は、かつて安住の地となったユグドラシル未踏破エリアに永久の桜花と共に贈られたGM直伝のものである。そう容易く破れるような代物ではないのだ。

 

 ちなみに当時GMが何故彼女にこのような優遇措置を取ったかというと個人的な詫びの意味が含まれていたりもする。ある理由からクロエルの不正を疑ったGMが彼女のアカウントを凍結……後に誤解だということが分かり凍結が解除されるという出来事が起きた。

 その後、周りが敵だらけでメンタルの弱っていたクロエルが気まぐれにGMコールを使い「居場所が欲しい」と呟き、それを受けたのが彼女のアカウントを凍結した当のGMだったわけである。

 件の出来事に後ろめたさがあったのだろう、個人を優遇するなどGMとして相応しくない行動であったがGMも人だったということか。こっそりと支援してしまったというのが事の顛末だ。

 当のクロエルはGMの心の葛藤など知る由もないが。

 

「それじゃお言葉に甘えて普通に喋るっす。ツアーさんはプレイヤーについて知っているみたいっすけど、自分に何か用っすか?」

 

 さっきと何か喋り方が変わったかなとツアーは気持ち首を傾げるも、まぁいいかと気にしないことにする。大人である。

 

 彼がクロエルと接触した理由は偏にこれから何を成そうとしているのかを知りたかったためだ。

 プレイヤーの力は強大だ。本人が自覚せずともその影響力は凄まじく、この世界に多くの波紋を呼び起こすことは間違いない。それが祝福であれ災厄であれ、防げるのであれば水際で防いでおきたいというのがツアーの本音だった。

 故に諭すにせよ滅するにせよ、まずは対話を重ねる必要がある。それが例えこの世界における異分子であったとしても対話できるのなら、分かり合える可能性があるのならまずはその道を模索するのが彼の信条だ。そうして友となったプレイヤーは居たのだから。

 

「そうだね……なら、この世界に来てから君がどんなことをしてきたのか教えてくれないかい? その後で君がこの世界で何をしたいのかを教えてほしい」

「何をしてきて何をしたいかっすか。いいっすよ、正直一人の時間が長くて会話に飢えてたっすから、そういうのは大歓迎っす」

 

 自分語りはちょっと恥ずかしいっすけど、と視線を宙にさ迷わせるクロエルだったがその声は弾んでいる。本当に会話に飢えているんだとツアーは少し可笑しく思った。

 

 ……しかし、愉快な気分でいられたのもほんの僅かな間だけだった。

 クレマンティーヌという世情に詳しい女との邂逅から始まり、早くに目的を定めて旅を始めた女の冒険譚。しかし平坦な日々は続かず、エ・ランテルで冒険者となり初の仕事でギルドNPC――この世界での呼び方で従属神と遭遇し戦闘。辛くも勝利するも敵対したことは明白であり、そう遠くない日にプレイヤー同士の殺し合いが始まるだろうとクロエルに締めくくられたことでツアーは頭を抱えたくなった。

 

「……それで今は隠れられる内に戦いの準備をしてるところっすね。未来のことはとりあえず生き残ってから考えるつもりっす」

「……その短期間のうちに凄い面倒ごとを抱えたものだね。はぁ、今回の揺り戻しは大変なことになりそうだ。それで、勝てそうなのかい?」

 

 従属神を従えているプレイヤーは得てして厄介なものだ。強力な仲間に豊富な資産、単身でこの世界に来たクロエルでは勝つことは難しいとツアーは考える。

 

「どうっすかね? ま、たとえ倒れたって『二度と相手にしたくない』と思わせれば自分の勝ちっすよ」

「それは……死んでもってことかい?」

「死んでもっす!」

 

 そう言って胸を張るクロエルを見てツアーはまた頭を抱えたくなった。

 見れば分かる。この娘、嘘は言っていない。恐らくは死ぬ間際まで暴れて散々に敵を引っ掻き回すことだろう。プレイヤー同士で潰しあうだけならそれでも構わないのだが、その位置や規模によって巻き込まれる被害者が出ては堪ったものではない。

 しかもこの娘、話を聞いていて思ったが確実にアークランド評議国のある方角に向かって歩を進めている。自国の近くでそんなドンパチをやってほしくないし、やるなら迷惑のかからない所でやってもらいたいとツアーは切に思った。

 いや、まさか自分を無理矢理介入させて乱戦に持ち込もうという腹ではないよな、と一瞬疑うツアーであったがクロエルから発せられる能天気なオーラを見てそれはないかと思い直す。これが演技なら大したものである。

 

(しかし参ったね、この娘は深刻に構えてはいないようだけど……話を聞く限り相手のプレイヤーは悪神の可能性が高そうだ。この対立に介入する気はないけど監視しておく必要はあるか)

 

 共倒れしてくれないかな、とツアーは思うがそう上手くはいかないだろう。

 幸い攻撃的ではないプレイヤーとの接触はできた。彼女の生命の波長は憶えたので遠方にいようが知覚・監視は容易い。後は来るべき戦いの日を静観し、もう一方のプレイヤーの動向を見定める必要がある。

 もし仮に、そのプレイヤーが悪神であるのなら――

 

「――うん、聞きたいことは聞けたかな。戦いを止はしないけど、なるべく周辺国の近くは避けてやってほしいな。特にエ・アセナルから先はアークランド評議国だから、来るというのなら私は全力で阻止するよ。君は面白いけど……まだ味方、というわけではないからね」

「肝に銘じるっすよ。でももしごたごたが片付いて自分がまだ生きてたらツアーさんの国も観光してみたいっす。その時は案内してくれるっすか?」

「確約は……できないかな。だけどそうだな、君とお喋りするのは楽しそうだ。この姿でよければ一緒にお茶でもしようか? まぁ、空っぽの鎧だから私は飲めやしないけど」

「いいっすね。それは魅力的な提案っす」

 

 鷹揚に頷くクロエルを見て、ツアーはくすりと笑って宙に浮く。

 彼が立っていた位置を中心に雪が舞い上がり、クロエルの身体を撫でるように過ぎ去っていった。

 

「一先ずはお別れだ。立場上まだ君を信用することはできないが、今だけは君の旅の安全を祈ろう。良い旅を、クロエル」

「名残惜しいけどお別れっすね。自分は()()しか能がないから次の戦いを抜けてもまた危ない目に遭うと思うっすけど……誰かが安全を祈ってくれたのならこれ程心強いことはないっす」

 

 帯刀している刀を一瞥してから手を振るクロエルを見下ろし、ツアーは最後に一つだけ彼女に問いかける。

 

「君は……なぜ進んで修羅に身を置くんだい?」

「修羅? 違うっすよ、ツアーさん。自分は楽な道を選び続けたんす。単純明快、殺すか殺されるか、奪うか奪われるか、難しく考える必要のない極めて安楽な道っす」

 

 苦楽を味わい、長き生を耐え、忍び、育む人道こそが真の修羅。それができなかったからこそ、クロエルは敵を作り、切り結ぶ道へと踏み外したのだ。

 

「戦いの中で味わう修羅なんてほんのちょっとの時間だけっすよ」

「生き方を変えようとは思わなかったのかい?」

「…………」

「沈黙もまた答えだよ。今度こそさようなら、クロエル。良い旅を」

 

 返事を待たずしてツアーはアークランド評議国へ向けて飛び立った。

 冷たい空の風を切りながらツアーは思う。クロエルの思想は危険だ。逃避ともいえるし破滅願望とも捉えられる、自棄になった犯罪者の思考のそれだ。しかも誇張なく本当に死を受け入れている節がある。一体どのような人生を歩めばあのような思考に落ち着くのか、ツアーを以てしても理解できない生死観だった。

 

(いや、まだ見極めがつかないな)

 

 一方で軍人らしい思想だと言えばそうなのだ。

 この世界での活躍を聞くに、彼女の振るった剣は殺人剣というより活人剣に近い。

 弱き者の守護者として殺人機械としての役割を果たしているのだとすれば、それはそれで評価できる点でもある。民草のために死を厭わないというのならその精神は尊い。

 帰属意識が薄いことを考えると軍人というよりは求道者に近いかもしれない。

 

 破滅主義者か求道者か、どちらにせよ見極めの時間は必要だろう。

 

(それにあの娘、更生の道を望んでいる)

 

 この世界に迷い込み再出発の希望を見出していたのだろうか?

 ならば、手を差し伸べてやりたいともツアーは思う。

 

 しかしそれも、まずは敵対したという他のプレイヤーとの決着を見てからのことになるだろう。

 悠久の時を生き、時にはプレイヤーをも滅ぼしたツアーとて全能ではない。何の情報もなしにプレイヤー同士の戦いに介入できるほど彼も蛮勇ではなかった。

 

(……願わくは、あの娘とまた道が交わり、そして手を取り合う日が来ますよう)

 

 祈るだけならば誰も損はしない。

 ツアーは明るい未来を祈りながら、アークランド評議国へと戻っていくのだった。

 




 死んでも復活するのが前提のネトゲキャラの魂が融合したら、多かれ少なかれぶっ壊れた精神構造になりそうではある。


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急転

短いです。


 氷雪の吹雪く場所だった。

 厚い雲が陽の光を遮り、灰色の空からは氷雪が優しく降り注ぎ、時折強風にあおられ荒々しく舞い落ちる。

 

 そんな極寒の大地に二人の男女が佇んでいた。

 一人は人、と形容するべきか。人型ではあるが巨躯の虫の異形で、対面する女を見下ろしていた。

 そして、そんな異形の者を見上げる女もまた人ではないのかもしれない。黒く長い髪を背中に流し白い着物を纏う姿は美しい女のそれであったが、覗く肌は死人のように青白い。

 

 一見すれば捕食者と餌の対比のようにも見えるが、そこに原始的な衝迫は感じられずどちらかといえば理知的な、信頼関係のようなものが感じられた。

 

 異形の下あごが左右に開き女に向けて何事かを語り掛け、女はその言葉を聞き届けると軽く俯き瞼を閉じる。

 その拍子に、目元に溜まっていた涙が一筋の線となって頬を伝い、途中で氷の粒となって地面へ落ちた。

 

 それを見ていた異形は、怪物とは思えぬ優しい手つきで彼女の顎を取ると、その親指を伸ばして薄氷となった涙の軌跡を優しく拭う。

 

 女が気丈に顔を上げ異形の複眼を見つめると、離れていく手を名残惜しんでから恭しく頭を下げる。

 

 異形は何も語らず、背を向け去っていく。

 女は何時までも、何時までも顔を上げることはなかった。

 

 

 * * * * *

 

 

 赤き灼熱の世界に一人の悪魔が佇んでいた。

 この知恵のある悪魔は常に何事かの策謀を巡らせており、その英知を己の主に献上することを誇りとしていた。

 

 悪魔が目下考えていることは、ここ最近のうちに降って湧いた敵の処遇についてだった。

 中々に手ごわい獲物でありそうだが当の悪魔はそれほど憂慮していない。敵が単身であることは判明しているのでどうとでもできる。そう考えている。

 

 油断するつもりはない。要は、詰めどころを見誤なければいいだけの話しだ。

 今は身を隠すだけの物資があるのだろう。しかし個人で賄える量など高が知れている。全てが尽きて顔を出したところをゆっくりと真綿で首を締めるように攻め立ててやればいい。

 

 悪魔の属する勢力には使い捨てにできる駒はいくらでもいるのだ。敵は人間種。食事、睡眠、排泄時などに間断なく嗾けるだけで早々に音を上げることだろう。なんなら、その時点でこちらの拠点の位置情報をそれとなく流してしまってもいい。

 疲弊し、自棄になった愚か者は進んで虎の咢に飛び込むのではあるまいか。こちらの拠点に誘い込めさえすれば殺すのは勿論のこと生け捕りにするもの容易かろう。

 

 敵の生皮はきっと上質だ。それを素材にスクロールでも作ればきっと良いものができるに違いない。

 相手は女なのだから、孕ませてその赤子も使うものいいだろう。

 

 悪魔の思考は、悍ましくも当然の帰結と言える。

 この悪魔にとって己の仲間以外の存在など平等に価値はなかった。その価値のない者が、悪魔が主と認めた者の手を煩わせ、あまつさえ怒らせたともなれば一切の許容も慈悲もかけるはずもない。

 だから、悪魔は悪魔らしく敵に接するのだ。陰湿に、芸術的な感性をもって。

 

 仲間を害する者をこの悪魔は許さない。

 仲間を害し、その主を悲しませ、怒らせる者をこの悪魔は許さない。

 

 だからこそ、仲間の裏切りも決して許さない。

 

 

 ……何時からだろうか。悪魔の心の中に疑心の念が灯って消えなくなったのは?

 己の心に問いかけるまでもない、知恵の悪魔は全てを正確に覚えている。あれは敵の存在が明確になった日のこと、仲間たちと主の座す玉座に集った日のことだ。

 

 その者は集った仲間の中で特に親しき友だった。たまの休日に、二人で酒を交わしたことも少なくはない。

 

 だからこそ、感じ取れる違和感があった。

 武人足りたいと願う彼の者が、敵の出現を前に猛るでもなく沈黙を保っていたことに。

 審議の中で、仲間の吸血鬼の旨を代弁するかのようで、まるでここにはいない誰かを遠回しに弁護していたように感じたことに。

 

 友を信じたいとは思う。

 しかし、一度灯った疑念の炎は今なお悪魔の胸に燻り続けている。

 

『緊急招集。第四、第八階層を除く階層守護者各員、玉座の間に集いなさい』

 

 悪魔の頭の中に突如女の声が響いた。

 それは悪魔の属する地位の統括の職にある女の声だった。声の調子から言って、あまりいい意味での招集ではないなと悪魔は確信する。

 

 得てして良くないときの予感というものは的中するものだ。

 だからと言って、願うことくらいは許してほしいと悪魔は思う。

 

 ――友よ、君はそこに居るのかい?

 

 玉座の間へ向かう悪魔の足取りは重かった。

 

 

 * * * * *

 

 

 頃合いか、とクロエルは思った。

 

(……うん。ツアーさん以外には結局見つかることなく終わったっすね。もう、十分っす)

 

 戦支度を初めてそれなりの日々が過ぎた。

 やれることは全てやり終えた。後はなるようになるだろう。

 

 敵の目を避けるための魔法スクロールにはまだ余裕があるが、いたずらに消耗し無為な時間を過ごすつもりはクロエルには毛頭なかった。

 後は戦うだけだ。その後、死ぬか生き残るかは彼女の奮闘次第だろう。

 

(もしかして、と思ったんすけどねぇ)

 

 何かに少し落胆した様子でクロエルは腰を下ろすと、足を投げ出してだらしなく座る。彼女は現在アゼルリシア山脈を北に降りた山の麓。西にリ・ボウロロール領、東にリ・ブルムラルーシュ領、二つの貴族領に挟まれた中央の平野に腰を落ち着けていた。

 

 過去を振り返りながらクロエルは独り黄昏る。

 シャルティアのある言葉、占星千里の予言から、もしかしたら、と思うことがあった。

 しかし、彼女を見つける者は未だなし。

 

(……もういいっすね)

 

 何にせよ、やることは変わらない。

 追加詠唱は行わずに探知、調査系魔法の妨害効果が消えた時点で彼女は姿を現すつもりだ。後やることと言ったら強制転移魔法や戦闘開始直後の超位魔法対策に魔法反射(カウンター・マジック)系スクロールをすぐ使えるように幾つか準備しておくことくらいだろう。

 

(あっは。すごいドキドキしてるっす)

 

 高揚か……それとも、恐怖だろうか?

 あと十分ほどで妨害の魔法は効力を失う。その時、何が起きるだろう?

 

 見逃してほしいとも思う。しかしそれ以上に、早く決着をつけたいとも思う。

 万が一、相手が慈悲を見せ見逃してくれたとしても、そんなものはクロエルには耐えられない。何時気が変わり、再び牙をむくかもしれない脅威を前にして日々を過ごす――そんな見えない重圧に囚われた日常など真っ平御免だった。

 

 だから、戦おう。相手がどれだけの脅威だったとしても、決して勝てない敵であったとしても。

 

(たとえ死んでも、二度と戦いたくないと思わせれば自分の勝ち)

 

 だから、戦おう。たとえ肢体が捥げようとも、抗う力があるその内は。

 それが本能であるかのように、純粋な虫のように、命潰えるその瞬間まで徹底的に。

 

(……ん?)

 

 ふと、視界の先に変化が生じた。

 それは空間に対する魔法の干渉だった。クロエルが見つめる少し先で、光の粒子が寄り集まり何者かを召喚しようとしている。

 彼女の妨害魔法の効果は継続中、魔法を破られた感触はない。ならば、別の方法でこの座標に転移してきたとしか思えない。

 

 クロエルの胸が、戦とは別の理由で高鳴った。

 期待はしたくない。でも、もしかしたらと思うことがあった。

 

 やがて光の中から現れたのは巨躯の異形だった。

 ライトブルーの外皮に覆われた虫の異形、後ろ脚のみで直立しており、足というよりは腕の役割を果たしている右の前脚、中脚の二つで一本のハルバートの柄を握っている。

 

 それはクロエルも見たことがない異形だった。

 

 それはクロエルが見たこともない異形のはずだった。

 

 しかし――

 

「……コキュートス?」

 

 ――知らぬはずの異形の名を、彼女は確かに口にするのだった。

 

 



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