氷菓 〜無色の探偵〜 (そーめん)
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各編あらすじ





 【氷菓】

 

 「薔薇色でも灰色でもない、俺は無色さ」

 

 神山高校古典部に所属した南雲晴(なぐもはる)は、何事にも消極的な《省エネ》主義の折木奉太郎と共に、謎の文集《氷菓》に秘められた三十三年前の真実を解き明かしていくことに……。

 そしてその真相には、ある生徒の悲痛の想いが秘められていた。

 飾り場所が入れ替わっていた二つの名作、袋分けされているのに一つだけ溶けたチョコレート……。

 さて、今日はどんな《日常の謎》が彼らの前に現れるのだろうか。

 爽やかで、ちょっぴりほろ苦い、学園青春ミステリーここに開幕!

 

 古典部シリーズ堂々開始!

 

 

 【愚者のエンドロール】

 

 「未完成のミステリー映画の犯人を突き止めて欲しい」

 

 二年F組の自主制作映画は、無残な姿で死亡している少年のシーンで終わっていた。

 《女帝》入須冬実からの依頼を引き受けた古典部は、二年F組の生徒達と共にビデオ映画に隠された真実を追い求めることに……。

 

 古典部シリーズ第二弾!

 

 

 【クドリャフカの順番】

 

 「それが《願い》だった」

 

 神山高校文化祭で《十文字》を名乗る謎の人物が行う、奇妙な連続盗難事件が発生。

 古典部はその犯人を突き止め、文集《氷菓》の完売を目指す。

 しかしこの事件には、一つの文集を巡った生徒たちの思いが隠されていた。

 

 古典部シリーズ第三弾!

 

 

 【遠まわりする雛】

 

 「雛?雛が歩くのか?」

 

 一年の春休み。晴は千反田から《生き雛まつり》の傘持ち役を依頼される。しかし《生き雛まつり》である事件が発生して……。

 新たな探偵、天津木乃葉も登場! バレンタインにて動き出す、それぞれの想い。

 古典部達の春夏秋冬を描いた短編集。

 

 古典部シリーズ第四弾!

 

 

 【月光下のアベンジャー】

 

 「きっと、あいつが涙を流すからだ」

 

 十二月。夜の学校に侵入する謎の生徒達《月夜の背教団》

彼らを捕らえるべく、古典部達は生徒会の協力を得て《生徒連合》を結成する。

 そして、神高で行われるクリスマスパーティー《神高ホーリー・ナイト》に《月夜の背教団》が現れて……?

 

 古典部、桜、入須、田辺、陸山、天津などのオールスターキャストが登場!

 

 生徒連合vs月夜の背教団の結末は!?

 

 氷菓〜無色の探偵〜 オリジナル長編堂々開始!

 

 古典部シリーズ第五弾!

 

 

 【ふたりの距離の概算】

 

 「千反田先輩は、仏みたいな人ですね」

 

 二年生になった古典部の前に現れた入部希望の新入生、大日向友子。

 しかしある日を境に入部を取り消してしまった。

 晴と奉太郎は神高のマラソン大会《星ヶ谷杯》にて、これまでの大日向との出来事を思い出し、心境の変化を推理する。

 

 古典部シリーズ第六弾!

 

 

 【いまさら翼といわれても】

 

 「いまさら翼といわれても、困るんです」

 

 夏休み。出場するはずの合唱コンクールに千反田が現れないと伊原から連絡を受けた晴と奉太郎は、千反田の居場所を推理する。

 なぜ千反田は合唱コンクールに現れないのか、その真意とは一体

 

 奉太郎の中学時代の事件、文芸部で発生した桜が探偵役を務める事件、林間学校の急行列車で始まる《人形殺し事件》

 古典部達の過去と未来が明かされる短編集。

 

 これは、《氷菓〜無色の探偵〜》最終章に繋がる物語……

 

 古典部シリーズ第七弾!



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第1章 氷菓
第一話 伝統ある古典部との邂逅


2021年 5月26日
現時点で、誤字脱字の修正や会話文の改行等の作業をおこなっています。


 高校生活と言えば薔薇色、薔薇色といえば高校生活。

 

 そうみんなが口を揃えていうほど、高校生活は薔薇色として扱われてるよな。西暦二千年の今では果たされていないが、広辞苑に乗る日も遠くなはないだろう。

 

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 

 さりとて、全ての高校生が薔薇色を望んでいるかと言われれば、俺はそうは思わない。

 

「ちょっと、どいてどいて!!!」

「なんだ……?」

「一年じゃね?」

「入学式から遅刻かよ」

 

 例えば、勉学も、スポーツも、時には色恋沙汰も興味を示さない人間もいるのではないのか……と。

 

 いわゆる、灰色を好む生徒がいてもおかしくはないんじゃないか?

 

「一年B組……ここか!!」

 

 激しく息を切らしながら教室のドアを開けた俺は、まず目の前の教卓に視線を向ける。

 

 立っていたのは縁なし眼鏡をかけた若い男、紺色のスーツの中には縞模様のネクタイが絞められており、ネクタイピンも備え付けられている。

 

 次に、俺は視線を斜め左に向ける、四十個ほどの机と、それに座る俺と同じ制服を来た生徒達は突如として現れた俺に視線を向けていた。

 ︎︎そして教卓の前に立つ担任は、俺を指さし、言ったのだ。

 

「お前、クラス委員な」

「……は?」

 

 まぁそれって、ずいぶん悲しい生き方だよな。

 

 

 

 

氷菓

〜無色の探偵〜

 

 

 

 

 

 

 

──────────────────────────────

 

 

 

 

 

 衝撃の入学式から一週間の時が流れた。

 

 入学式のあの日、まだ神山に引っ越してきたばかりの俺こと、《南雲晴(なぐもはる)》は自宅付近で迷子になるという珍プレーの他に、着いたと思ったら別の高校の入学式に紛れてしまうという醜態を晒した。

 

 そして遅刻の罰として、ちょうど俺が教室に入る直前に決めようとしていた、誰も立候補しようとしない《クラス委員》に抜擢されたってわけだ。

 そして、今もこうして放課後にまで学校に残り、クラスの奴らのプリントを整理してる……。あまりにも慈悲深い俺に乾杯。

 

「ホータローに自虐趣味があったとはね」

 

 聞こえてきたのは隣の席からだ。確か名前は……《福部里志(ふくべさとし)》。

 クラスは違うが、よくこの教室に遊びに来ているので名前は覚えた。

 

 で、福部が話しかけてる奴は……

 

「俺が灰色だって?」

「そう言ったかな?けど、勉学にもスポーツにも色恋沙汰にも興味が無い、何に対しても後ろ向きの君は《灰色》そのものじゃないの?」

「別に後ろ向きな訳じゃない。《やらなくてもいいことならやらない、やらなければいけないことは手短に》、だ」

 

 《折木奉太郎(おれきほうたろう)》。福部とよく一緒にいるけど性格は全くと言っていいほど真逆で、こいつが目立った行動をしているところは見たことがないな。

 やらなくてもいいことならやらない……か。

 

「ところで、君はどうだい?南雲くん」

「え?」

 

 突然話しかけられた事で困惑した俺は、裏返った声で福部の呼びかけに答える。

 てか、なんでこいつ俺の名前知ってんだ?

 

「なんの話?」

「ホータローの在り方についてさ、それが一体灰色なのかそれとも薔薇色なのかさ」

「うーん……」

 

 俺は折木の方へ視線をずらす。そして、少し考えた後、答えを発した。

 

「人それぞれなんじゃないかな?」

「へぇ、その心は?」

「なんていうか、灰色だとか薔薇色だとかは人によって違うって思うんだ。大勢でいなきゃ不安って人もいるし、一人でいる方が落ち着くって思う人もいる。結局は人の心情さ。折木が《灰色》だと思ってなくても福部は《灰色》だって思うんだろ?けど折木と同じ考えを持つ奴はそれを《灰色》だとは思わない……だからそれは自分で決めるものだよ」

 

 ︎︎興味なし、という態度で聞いていた折木は鼻を鳴らした。

 

「南雲の言う通りだ。灰色、灰色ってお前に言われる筋合いはない」

 

 折木は「話は終わりだ」と言わんばかりに手をひらひらと振り、言った。

 

「とっとと帰れ」

「帰れ?珍しいね」

「なにがだ」

「無所属のホータローが放課後にまで学校に残るなんて事さ。何か用でもあるのかい?」

「あぁ」

 

 そう言うと折木は右ポケットから一枚の半紙を取り出す。福部はそれを受け取ると、目を見開きこの世の終わりのような表情を作る。

 

「そんな!まさか!」

「お前は心底無礼だな」

「入部届けって……、一体どういう心境の変化だい?えっと……古典部?」

 

 福部の呟きに俺は少し驚いた。そして、ポケットに入っている《あれ》に触れる。

 

「姉貴に頼まれてな……これは断れない」

「なるほど、お姉さんの頼みか……そりゃ、やらなくてもいいことも、やるべきこと、になるね」

 

 すると福部は妙に明るい声で、入部届けを折木に返しながら言う。

 

「確か古典部には部員がいなかったよね?古典部の部室はホータローの独り占めじゃないか!結構いいもんだよ。学校の中にプライベートスペースを持てるって言うのはさ!」

「なにがプライベートスペースだ、馬鹿馬鹿しい。教室は公共空間だろ?」

「ものの例えってのを分かって欲しいね。行ってらっしゃいホータロー、あぁ僕は手芸部の方にいるから、寂しかったら呼んでくれても構わないよ!」

「いらん!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

「ファイト!ファイト!ファイト!」

 

 折木の後を追うように教室を出た俺の耳に、校庭から運動部の威勢のいい声が聞こえてくる。

 ああいうのを薔薇色って言うんだろうな……。

 

 ここ、神山高校は生徒数も立地も、さほどの大きさ多さではない。

 

 総生徒数は千を越すか越さないか程だろう。一応この辺では進学校で通ってるらしいけど、部活動での文化祭の出し物が人気なだけで特に学業でこれといった功績はない。……お!

 

 長い廊下の遥か彼方に、かったるそうに歩く一人の少年がの姿を俺は捉えた。

 俺は足の動きを早め《彼》に近づき、その背中を叩いた。

 

「よっ」

「南雲?」

「さっきも思ったけど、俺の名前知ってんだな折木」

「隣の席だからな……嫌でも覚える。……で、何の用だ?」

「いや、こいつを見ろ。折木」

「……っ!?お前……こいつは」

 

 俺がドヤ顔で折木に見せつけたのは、先程折木が福部に見せたものと同じ紙……入部届、そして部活名は……

 

「俺も入るんだよ、古典部。だから一緒に行こうぜ」

「お前も物好きだな……なんでまた古典部なんかに?」

「入ろうとしてるお前が言うか?えと……まぁ特にこれといった理由はないけど……部活入ってた方が進学の時とかに役に立つだろ?それに古典部は部員いないって聞いてたし、名前だけ借りよっかなって」

 

 折木は理由を聞いた途端に「はぁ」と息を漏らし、答えた。

 

「俺といいお前といい、ろくな理由じゃないな」

「違いない……鍵は?」

「もう取った、行くぞ」

 

 俺は先をスタスタと歩く折木の後ろを追いかける。

 古典部の部室は特別棟四階……神高のなかでも最辺境だ。

 

 四階まで上がる途中で、三階との踊り場でハシゴを持った用務員とすれ違った。俺と折木はどちらともなく頭を下げると、向こうも軽く頭を下げてきた。

 そして四階へ到着し、俺たちはさらに奥に進む。地学講義室。どうやらここが部室だろう。

 俺はドアに手をかけ開こうとするがビクともしない。当然だ、なんせ鍵がかかってるんだからな。

 折木は『ん』とだけ言うと俺に鍵を差し出す。俺はそれを鍵穴に入れ、右に捻る。

 

 俺達は部室に足を運ばせると、眩しいほどの夕焼けが俺たちを照らした。そして、一つの人影を見た。

 

 背中まで伸びた黒い髪、セーラー服がよく似合っており、女子高生というかは一昔前の女学生のような印象を与えた。

 だが、それら全ての印象から離れて瞳が大きく、活発的な印象を残した。

 

「こんにちは、南雲さん、折木さん。あなた達も古典部だったんですね?」

「「誰だ?」」

 

 俺と折木の声が被さる。高校生活が始まって一週間、名前までとはいかないがそれなりにクラスのヤツらの顔なら覚えているつもりだ。

 しかし、俺たちはこの女を知らない……なのに何故こいつは俺たちを知っている?

 

「分かりませんか?《千反田(ちたんだ)》です。千反田えるです!」

「ごめん千反田さん……全然……」

「あなた達はB組ですよね?」

 

 俺たちは軽く頷く。

 

「私はA組なんです」

 

 これで分かったでしょう?という顔を見せる千反田さんだったが、俺はその意味をまるで理解出来なかった。

 そもそも同じクラスのヤツらですら名前を覚えられてないのに隣のクラスのヤツなんて覚えられるか……

 いや、まてよ……。千反田さんはA組……普通に学校生活を送っているとすれば、関わることのない人間だ。あるとすれば、部活動、生徒会、委員会、友人経由……そして……

 

「音楽の授業で一緒だったか?」

 

 俺が答える前に折木が隣で一語一句同じ言葉を発した。

 

「はい、そうです!」

 

 そうだ。ABCの三組合同で行う選択授業、俺と折木は音楽を選択している。そしてこの千反田という女も、音楽を選んでいるのだろう。そして言い当てられた事が嬉しかったのか、笑顔で千反田さんは答えるが、その刹那、俺は心の中で叫んだ。

 

 ────ありえない!音楽の授業はまだ一回しかやってない。つまり、そのたった一回の授業の自己紹介の時に、この女は俺たちの顔と名前を覚えたって訳だ!

 なんて記憶力だよ……。

 

「しかし、千反田さんも古典部に?なんでまた」

 

 不思議そうに俺が聞くと、千反田は俯きながら答えた。

 

()()()()()()です。」

「ほう……じゃぁ俺は帰るてん鍵は閉めといてくれよ」

 

 何故か少し嬉しそうな顔でこの場を去ろうとする折木の腕をつかみ、それを制した。

 

「な、なんで帰るんだよ!?」

「お前と千反田が入部するなら、姉貴の青春の場は守られた。俺はお役御免ってわけだ、薔薇色の青春を送ってくれたまえよ。鍵ならここに置いとくからな」

「いやいや、鍵をとったのはお前なんだから責任もってちゃんと……。鍵をとったのは……折木のはずだよな?」

「何を言ってる、当たり前だ。お前が一番知っているだろう」

「じゃぁどうして千反田さんは……俺たちより先にこの《密室の部室》の中にいたんだ……?」

「鍵がかかっていなかったからです。どなたかいらっしゃると思っていたので」

 

 なるほどな、古典部が部員ゼロ人という情報はそこまで有名じゃないのか。

 

「でも、おかしいな……俺と折木が来た時は鍵はしまってたぜ」

「あぁ、そう言えばそうだな……。南雲が鍵を差し込み、確かに回していた」

 

 すると、千反田さんは意識してか、無意識にか、一歩、二歩と俺たちに歩み寄る。

 

「ということは……私は閉じ込められていた、と。」

「あぁ、そういうことだね……んな!?」

 

 いつの間にか千反田さんが俺達の目の前までグイッと詰め寄ってきていたのだ。鼻同士がぶつかりそうな程近く、吐息が軽く当たる……そして……

 

 身体が動かなかった。千反田さんの俺たちを見る大きな瞳からは、溢れる活力、そして今起きている事象への疑問を捉えることが出来た。

 

 そして彼女は俺と折木が、これからの高校生活で永遠と付き合うであろう言葉を発した。

 

「私……気になります!」

 




いかがだったでしょうか?

第一話だというのにオリ主が今回は目立ちませんでしたが……

感想、またはアドバイスを頂けたら嬉しいです!

この作品は完全に不定期更新にするつもりですので、更新頻度は高くはありませんが……よろしくお願いします!

次回《伝統ある古典部の結成》


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第二話 伝統ある古典部の結成

「私……気になります!」

「き、気になるつってもなぁ……」

「なぜ私は閉じ込められたのでしょうか?閉じ込められたのでなければなぜこの教室に入ることが出来たのでしょうか?南雲さんも折木さんも考えてください!………あら?」

 

 俺と折木にものすごい勢いで詰め寄ってきた千反田さんは、壁に追い詰められた俺たちの腕下を覗いた。

 

「そちらの方はお友達ですか?」

 

 振り向くと、ドアが微妙に空いているのに気付いた、そこから覗いていた顔を確認すると同時に、折木が声を上げる。

 

「里志!盗み聞きとは随分趣味が悪くなったな!」

 

 ドアが開かれ、そこに居たのは先程俺たちと教室で談話をしていた福部の姿だった。ヘラヘラしながら口を開く。

 

「やぁごめんごめん、ホータローと南雲くんが古典部に入るなんて、少し面白そうだから見に来たら女の子と一緒にいるんだもん、そりゃ反射的に隠れるよ。一体三人で何をしてたんだい?」

 

 福部が冗談で言ってるのは折木の反応から分かるが、どうも言い方に癖がありすぎる……。ほんとに思ってたみたいな言い方しやがって……。

 

「え、え、わたし……」

 

 先ほどの興味旺盛な態度は千反田さんから消え失せ、どう反応を取ったらいいのか分からないという風にオロオロしている。

 両手を胸元まで上げ、何かを掴もうとする仕草をとる。

 

「ジョークだよな……福部……」

「もちろん」

 

 千反田さんからホッとした表情が見れた。なんと感情豊かな娘なのだろうか……。こりゃ役者にでもなれるんじゃないか?名女優千反田える。悪くない……。

 そんな下らないことを考えているうちに、千反田さんは警戒心を滲ませながら声を発する。

 

「あの、この方は?」

 

 折木は福部の肩に手を置くと、ダルそうに答えた。

 

「こいつか?こいつは福部里志、似非粋人だ。」

「ホータローにしては、随分面白い紹介だね……。初めまして千反田さん!君とは一度話してみたかったんだ」

「一度話してみたかった?福部は千反田さんのこと知ってんのか?」

「えっ!?驚いたな……ホータローならまだしも、南雲くんも千反田家のことを知らないのかい!?」

「ホータローならまだしもってなんだ」

「あぁ……いや、俺ここに最近越してきたばかりだからさ。」

「なるほど、だから入学式に遅刻したのか」

「御託はいい……千反田の家がどうした?」

 

 折木が不満げに聞くと、福部は満足そうに頷き、達者な口を開く。

 

「神山には旧家名家は少ないけど、《桁上がりの四名家》といえばその筋じゃ有名だよ。荒楠(あれくす)神社の十文字家、書誌百日紅(しょしさるすべり)家、豪農の千反田家、山持ちの万人橋(まんにんばし)家さ。数字の桁が一桁ずつ上がるから人呼んで《桁上がりの四名家》。まぁこの四家に対抗できるとすれば、病院長の入須家か教育界の重鎮遠垣内(とおがいと)家、そして、この辺じゃ珍しい畜産の勘解由小路(かでのこうじ)家って所かな!」

「勘解由小路!?」

 

 思いもよらぬ苗字が現れたことに驚愕した俺は、顎が外れる寸前まで口を広げ叫んだ。

 おいおい、まじかよ……。

 

「南雲くん、知ってるのかい?」

「え……」

 

 どうする?言うべきか?いや……ここで福部にバラしたら、福部の講釈はさらに続きそうだ……。

 

「いや……珍しいなって」

「そんなことより里志……その話本当か?」

「失礼だな!全部本当さ!僕が今までホータローに嘘を言ったことがあるかい?」

 

 確かにそれらしい名前だけど……どうも折木との会話を聞いているとこの福部里志という男はいい加減なところがあるのも否めないよな……。

 この気を悪くした表情でさえ、芝居がかってる様にも見える。

 

「ええ、私は全部聞いたことありますよ。《桁上がりの四名家》というのは初めて聞きましたが」

「やはり創ったな?」

 

 じろりと見る折木に肩をすくませながらら福部は笑って言った。

 

「時には提唱者になりたい時もあるさ。ところで……、さっきはなんの話をしていたんだい?神山高校古典部の諸君」

 

 

 

 

 

────────────────────────────

 

 

 

 

 

 俺たちはことの経緯を福部に簡単に説明した。すると福部は腕を組んで激しく唸る。千反田といい福部といい……オーバーリアクションなんだよなぁ。

 

「それは不思議な話だね」

 

 里志の弁を聞き、折木は冗談じゃないという顔をしながら答えた。

 

「どこがだ、千反田が自分で閉めたことを忘れたんだろ」

「それは無理だと思うぜ」

 

 俺は一人、部室のドアを確認しながら言う。

 

「どうやらこの部室、地学講義室は内側からじゃロックはかけられない。生徒の悪巧み防止だろうな」

「鍵が壊れてるかなんかで、勝手にしまったんだろ」

「ホータロー、いくら何でも鍵が勝手に閉まるなんて非科学的だよ」

「もう一度言います。南雲さん、折木さん、福部さん……一緒に考えてください!どうして私は閉じ込められていたのでしょうか!?折木さんの言う通り何かの間違いだというのなら、どんな間違いなのでしょうか!?」

「うん、実に面白そうだね。」

「確かに、夕暮れの放課後……密室に閉じこめられた少女。ミステリー作品とかでありそうだな」

 

 俺は指を立てながらいうと、福部は興味を持ったように俺に問いかける。

 

「へぇ、南雲くんってミステリー読むんだ。」

「嗜む程度だよ。別に詳しいわけじゃないさ」

「くだらん、俺は帰るぞ」

 

 折木はスクールバックを背負うと部室を後にしようとする。そりゃそうだよな、確かこいつのモットーは「やらなくてもいいことならやらない、やるべき事は手短に」

 これは折木にとって「やるべきこと」ではないんだな。

 確かに千反田が閉じこめられた理由が分かったところで、折木や俺たちにはなんのメリットもない。引き受ける方が甚だしいって思うのが普通の考えだ。

 だが、福部はそれを分かりきっているように折木を制す。

 

「ホータローも手伝ってよ。僕もできることはするけど、データベースは結論を出せないんだ」

「なんだ、その変な文句。よく分からんが……とりあえずやってみようぜ、折木」

「折木さん!」

 

 俺達がそう言うと、折木はこれ以上の談判は不可能と判断したのか、両手をあげながら答えた。

 

「分かった、少し考えてみるか」

 

 俺はニヤリと笑い、俺達四人は円を作るように立つ。

 俺は言った。

 

「じゃあ、話を整理しようぜ。千反田がここに来た時には、この部室は空いていた。つまり部室のドアを閉めたのが《第三者》だとすれば、その時に鍵を持っていたのはそいつだ。そしてその後《第三者》が返した鍵を、折木が職員室から回収。部室に来る途中で俺と出くわし、閉められていたドアを開けた。つまり、職員室にある鍵の貸出名簿を見れば《第三者》が何者がわかる訳だが……、千反田は俺たちが来る何分前にここにいたの?」

 

 顎に手を当てた俺は千反田さんに聞く。

 

「えぇ、確かお二人が来る三分ほど前でした」

 

 三分……!?不可能だ。この部室は神高でも最辺境。《第三者》が鍵を閉め、職員室にその鍵を返す為には少なくとも五分はかかる。時系列が合わないな。

 すると折木が千反田に向き直り、言った。

 

「他になにかおかしな点はなかったか?」

「おかしな点?なぜそんなことを聞くんですか?」

 

 なぜって……この娘は天然かなんかなのか?折木のストレートな質問に千反田は首を傾げる。

 折木もため息をつきながら言った。

 

「手がかりを探すんだよ」

「手がかりとは具体的には……」

「手がかりってのは、手がかりになるものだ」

「いつもとは違う点ってことだよ。なんでもいい」

 

 俺がそう付け加えると、千反田は『あぁ』という顔をしたあとに、言った。

 

「ええと……さっきから足元でガタゴト音がします。」

 

 足元で音……?俺には聞こえないな。折木と福部の顔を見るが、二人にも分からないようだ。

 千反田は超音波でも感じ取ってんのか?

 そうか……音……足元で。

 

「「あぁ、なるほど……」」

 

 俺と折木の声が、同時に静かな部室に響き渡った。

 

「そういう事だったんだな折木」

「あぁ、簡単すぎて話す気にもならないぜ南雲」

 

 俺はリュックサックを、折木はスクールバックを背負うと、部室をあとにする。

 

「ど、どこ行くんですか!?」

「シーンの再現さ。運が良ければ……いや、()()()見れる」

 

 黙って階段を降りる俺と折木に、耐えきれないと言うような声質で千反田が口を開く。

 

「そろそろ話してくださいよ!何がわかったんですか?」

「そうだよホータロー、それに南雲くんも。僕らのあいだに秘密は無しだろ」

 

 俺もかよ……福部。俺達はほぼ今日が初対面だろ。

 

「そうだな、じゃぁまず簡単な問題。千反田が閉じこめられた時間、俺と折木が部室に訪れた時間。()()()を使っていたのなら、時系列が合わないのは分かる?」

「神山のデータベースを舐めないでよ。あの距離だと往復でざっと五分はかかるよ」

 

 すると、折木が続けていう。

 

「だとしたら千反田が閉じ込められた時に使った鍵、俺と南雲が部室を開くのに使った鍵は、別のものってことだ。」

 

「なるほど……マスターキーか!」

「あぁ、そうさ。それで、千反田。足元から音がするって言ったよね?なんで足元から音がすると思う?」

 

 ニヤッと笑いながら聞く俺の姿に戸惑いながらも、千反田は俺が望んでいた答えを返す。

 

「下の階の天井を触っていたから?」

「そう、だからつまり。君を閉じ込めたのは……」

 

 俺と折木は同時に三階の教室から出てくる用務員に視線を向ける。教室から出た彼は脚立を壁に立てかけると、ポケットから小さな鍵を取り出し、この階の教室のドアを次々に閉めた。

 

 俺は講釈を続けた。

 

「話をまとめるとこうだ。教室のロックを開け、中で作業をする。天井をいじっていたとなると、火災報知器の点検かなんかだろうな。それが終わると次々に教室を移動し、その階すべての作業を終えたあとにすべての教室にロックをかける。もし作業の終わった教室に運悪く侵入してしまった生徒がいようものなら……、ガチャりだ。次の日の朝まで教室で過ごすハメになるってわけ。よかったな千反田。あのまま地学講義室に閉じ込められてたら次誰が、いつあの教室に来るかわかったもんじゃなかったぜ」

 

 これで、《密室の教室事件》は解決っと。

 

「すごいな、ホータローの考えは結構当たるからもしかしてって思ったけど、南雲くんもやるじゃないか!」

「本当ですね。びっくりしました」

「まぁあれだな。鍵が閉められたのに気づかない千反田ってのだけは、分からんがな」

 

 俺がそう言うと、千反田さんはニッコリと微笑みながら返した。

 

「その事でしたら説明できます。窓の外を……あの建物を見たかったんです」

 

 千反田は廊下の窓から、校舎の外にある木造建築の建物を指さした。なんだあれ、確かにこの時代に木造建築ってのは珍しいよな。東京からきた俺にとってはタイムスリップしたんじゃないかって最初は思ったし……。

 

「ところで、挨拶がまだでしたね」

「挨拶?」

 

 折木が首を傾げると、おもむろに千反田が言った。

 

「えぇ!これから古典部として共に活動していくんですから、よろしくお願いします!南雲さん!折木さん!」

「福部さんもどうですか?古典部!」

 

 福部は腕を組んで考える素振りを見せるが、これも彼なりの演技なのだろう。きっともう腹は決まってる。

 というより、千反田が誘うまでもない。

 

「いいね、今日は面白かったし。入るよ。よろしくね、千反田さん、ホータロー、南雲くん」

 

「あぁよろしく!折木もな」

 

 俺が折木は「はぁ」とため息をついた後、かったるそうに口を開いた。

 

「あぁ、よろしくな。南雲、千反田」

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

「じゃぁねホータロー、南雲くん。僕はこっちだから!」

 

 俺と折木は商店街の十字路で福部と別れると、そのまま足を動かした。

 しばらくの間沈黙が続いたが、その沈黙を破ったのは折木だった。

 

「お前が分からんな」

「え?」

 

 折木の不意な言葉に、俺たちは足を止める。

 

「確かお前が古典部に入る理由は、《進学のため》だったよな?その言葉を聞いた時、俺はお前に少し近いものを感じた。だが……、さっきの千反田の依頼を引き受けた時は、打って変わってお前は里志の様な顔をしていた。まるで《薔薇色》を求めるかのようにな」

「お前は言ったよな。《灰色》か《薔薇色》かは人に決められるものじゃない。ならお前は……どっちなんだ?」

「面白い質問だな。さっきの推理といい、折木は小説家にでもなった方がいいんじゃないか?」

 

 折木は俺のジョークを受け流す。いや、まるで聞こえていないように折木は俺を見つめる。福部のジョークのせいでこういうのは慣れてんだろうな。

 

「そうだな……」

 

 俺は反対側の歩道を歩く運動部の連中を見つけた。まだ春にもかかわらず、軽く日に焼けている。近くのコンビニで買った肉まんを頬張り、楽しそうな笑顔で笑っていた。

 

「あぁいうのは多分《薔薇色》だろ?周りから見ても、まぁ、俺はあぁいうキャラじゃない。けど、何事にも消極的ってのも、高校生としてはなんだか味気ないよな。あぁ、別に折木の在り方を否定してるわけじゃないぜ」

 

 俺は唇を一度舐めた。

 

「高校生活といえば薔薇色、薔薇色といえば高校生活。そう言うのが当たり前なほど、高校生活は薔薇色として扱われている。けどその中にも灰色を好む高校生がいてもおかしくはない。十人十色に千種万別、いろんな人間がいるからこそ世の中は成り立ってるし、高校生活だって成り立ってる」

「何が言いたい?」

 

 折木は不審がるように俺を見つめるが、俺は声のトーンを変えず話し続ける。

 

「《薔薇色》と《灰色》が存在するなら、その間、つまりどちらにも所属しない、何色でもない人間がいたって不思議じゃないだろ?」

 

「少ない仲間内でバカやって、勉強も運動も色恋沙汰も《それなり》にこなしてる、過干渉もせず、不干渉もしない。……何者にも染まらない存在。そうだな、折木風にいえば……」

 

 ザァ!っと春特有の冷たい風が俺たちの体を包んだ。そして俺はポケットに手を入れ、口を開く。

 

「《無色》……何者にも染まらない。絶対不可侵の存在……それが俺さ」

「だから、俺はお前と仲良くなれると思うぜ」

 

 俺は折木に手を差し出す。

 

「お前は《灰色》、俺は《無色》……灰色にどんなに透明の色を塗っても色は変わらない。どうだ?」

 

 折木は数秒俺の手を見つめ、重そうな口を開く。

 

「奇遇だな。」

「え?」

「俺もお前とは仲良くなれそうだ。」

 

 柄にでも無さそうな事を言った折木は俺の手をがっしりと掴んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 古典部に俺以外の部員が入部するのは予想外だったが、これでいい。

 

 もう俺は、誰に対しても深く干渉することは無い。誰に対しても、特別な感情を抱く事もしない。

 

 俺の心は(から)だ。俺には、なにもない。

 

 それでいいだろ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――――俺は、無色だ。

 

 

 

 

 

 




《薔薇色》にも《灰色》にもならない。
《何者にも染められず》、《何者も染めない》。

それが俺、南雲晴だ。

古典部に入部した俺たちだったが、休む暇もなく俺たちは《日常の謎》に引き寄せられる。

次回、《愛なき愛読書》。

ったく、本は大事に扱えっての




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第三話 愛なき愛読書

 中学の頃、俺のことを優柔不断だという奴がいたが、今思えば随分失礼だよな。

 

 優柔不断ってのは『ぐずぐずしてて、物事を率直に決められない』こと。類義語で言えば、不断、躊躇、ためらい。マイナスな意味ばっかだ。

 俺の言う《無色》は優柔不断だとか『人の顔を伺ってる』だとかそういう意味では決してない。

 楽しいことは楽しいといい、つまらない事はつまらないという。決断力があると言って欲しいね。

 辞書で決断力という言葉で引いた時に「南雲晴」という言葉が乗るのもそう遠くないほどだ。

 《灰色》に紛れることも出来るし、やろうと思えば《薔薇色》にだって紛れ込める。なんたって《無色》、透明なんだからな。俺がいる事に他の奴らは気づかない。

 

 カッコウという鳥を知ってるか?あいつらは《托卵(たくらん)》という方法でヒナを育てる。

 他の種の鳥の巣に卵を産み、その巣の主は産まれてきたカッコウのヒナを自分の子供だと思って育てるんだと。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 まぁ無駄な知識披露はこれくらいにしておこう。あまり喋りすぎると福部だと思われちゃいそうだし。

 

「君こそ、それは失礼だなぁ」

 

 放課後、今俺と福部がいる場所は図書室の四人がけのテーブル。数冊の本を「ドサッ」という音共に置いた福部は口を開いた。

 

「僕がいつも無駄な知識を披露してるみたいな言い方、君はますますホータローに似てきたね」

「いやだって福部って、口開けばウンチクっていうイメージが付いちゃったからさ」

「僕のはただウンチクじゃないよ。日常生活で使える《武器となるウンチク》さ」

「《桁上がりの四名家》は日常生活じゃ使わねぇだろ」

 

 俺の目の前に座った福部は「それは違いない」という風に大げさに首をすくめる。

 

「それにしても《無色》とはね、君は本当に興味深い」

「俺がか?」

 

 福部が持ってきたシャーロック・ホームズの冒険を開いていた俺は、福部にそっと視線を向けた。

 

「そうさ。古典部に入部したこの前、君は勘解由小路って言葉に強く反応していた。あれから色々と思い出してみたんだけど、なんたって君は……」

「図書室ではお静かに」

 

 何かを言いかけた福部の声を遮ったのは背の低めの女の子。高校生にしては童顔で、ショートヘアの髪には綺麗にウェーブがかけられている。

 

「いいじゃない摩耶花(まやか)。テスト期間でもないし、今いるのは丁度僕と南雲くんだけさ。他に生徒がいないんだから大目に見てよ」

 

 摩耶花?名前で読んでることからすると、知り合いか?

 

「いくらふくちゃんでも駄目なものは駄目なの、図書室は神聖な場よ、静かに」

 

 ふくちゃん……?

 すると摩耶花と呼ばれていた少女は俺に視線をずらし、キツめの目付きで言った。

 

「あなたも、静かに」

「はぁ」

 

 すると、図書室の後ろの扉が音をたてながら開いた。俺たち三人は視線を向ける。

 

「折木に千反田じゃん」

「南雲に里志……ここにいたのか」

「あっ、今日活動日か!忘れてた!なんで言ってくんなかったんだよ福部!!」

「いや、いつ君が気づくかと思ってね」

 

 だから放課後俺について来たわけか。こいつ……。

 

「あら、折木じゃない、会いたくなかったわ」

 

 何とも酷い毒舌が聞こえてきたのは隣から。摩耶花という少女が折木を睨みながら声を発していたのだ。

 すると折木も嫌そうな顔で返す。

 

「よう、会いに来てやったぜ。伊原(いばら)

 

 えっ!?なんか火花散ってない!?

 

「相変わらず仲がいいね、鏑矢(かぶらや)中ベストカップルは」

「えっ!?この子折木の彼女!?」

 

 折木は心外だと言うふうに首を振りながら言った。

 

「違う。間違ってでもこいつとは違う」

 

 一方、伊原のほうも

 

「冗談じゃないわ、こんな陰気臭い男。ナメクジの方がまだマシよ。それにふくちゃん、私の気持ちを知っててよくそんなこと言えるわね」

 

 ほう、どうやら伊原は福部に対して好意を抱いてるらしいな。「気持ちを知ってて」って言って辺りから、もう告白済み、そして結果は……。やめよう、あまり詮索すべき事ではないのかもしれない。

 

「で?二人は何しにきたんだ?」

 

 俺は話題を変えようと、ボッーっと俺達の会話を眺めていた千反田に話を振る。

 

「はい、古典部の文集のバックナンバーを取りに来たんです。図書室になら置いてあると思いまして」

 

「文集?あぁ、文化祭で出す奴か……。でも確か、神高の文化祭は別の名前で呼ばれてたよな」

「カンヤ祭だね」

 

 カンヤ?どういう字を書くんだ?全く字のイメージが湧いてこない。まぁものの名前なんてどうでもいいことから付いたりするのが多いし、別に由来を聞いたところで、ってかんじだな。

 そう考えると、福部が付け足す。

 

「まぁ神山高校文化祭ってのが神山祭になってカンヤなんじゃないかって説はあるけどね」

 

 相変わらず知識量だけはすごいな……。

 話が脱線してしまったせいか、それを引き戻すように伊原が強い声で言った。

 

「それで、文集だったわね。書庫を探せばあるかもしれないけど、司書の先生が帰ってくるまで三十分はかかると思うけど……待つ?」

「あぁ、待とうか」

 

 嫌味な風に折木がどかっと俺達が座っていた四人がけの机に座ると、伊原はまるでバイキンを見るような目で言った。

 

「何よ待つの?折木は帰ってもいいのに」

 

 伊原さんを折木は睨みつける。それに対抗するように再び二人は火花を散らした。

 やめて!!仲良くして!!

 『フンっ』と鼻を鳴らし、そのままカウンター席に戻った伊原さんは、返却ボックスに入っている本を眺めると、口を開く。

 

「えぇ……またぁ……!?」

「どうしたんだい、摩耶花?」

「私が当番の金曜日の放課後……毎週同じ本が返却されてるのよ。今日で五週目だわ……なんか不気味で……」

 

 俺たち四人はその返却ボックスをのぞき込み、本を取り出す。その本は表紙は皮で出来ており綿密な装飾が施されていた。

 本の厚さはかなりのもので、辞書に匹敵するのではないかと思わされるほどだ。しかし俺が最も驚いたのは、厚さや装飾ではなく、本の題名だ。

 

「神山高校五十年の歩みぃ!?こんなの毎週借りる奴いんのかよ」

「本の厚さが厚さだしな、毎週借りる奴がいてもおかしくはないだろ。里志のような変人であれば、なおさらだ」

 

 折木のつぶやきに伊原さんは首を横に振った。

 

「私だってそれくらい分かってるわよ。けどおかしな点はそこじゃないの。折木は図書室で本を借りたことがないからわからないと思うけど、この図書室の貸出期限は二週間、つまり毎週返却する必要は無いの」

「制度を知らなかったんじゃないんですか?」

 

 千反田の透き通った声が聞こえてきた。

 その可能性は十分に有り得るだろう。神高の貸出期限が二週間だとしても、普通の学校の図書室なら一週間と考えるのが妥当だ。

 

「それはないと思うよ。貸し出す時には「期限は二週間です」って言わなくちゃならないの。一人や二人ならまだしも、借りた人が全員が聞いてなかったなんてありえないわ」

「なるほど、誰が借りたかは分かるんですか?」

「もちろん、裏表紙に貸出名簿があるから見てみなよ」

「これは……」

 

 千反田は俺と折木に貸出名簿を見せてきた。どうやらこの前の密室事件以来、千反田に気に入られてるような気がするんだよなぁ……。

 まぁこんな可愛い子に気に入られて悪い気がすることは無いけど……。

 そう思いながらも俺は名簿を見る。

 

 二年D組町田京子

 二年E組沢口美咲

 二年F組山口涼子

 二年E組嶋さおり

 二年D組鈴木よしえ

 

 全員違う人……だが共通点は多い。全員が二年、クラスはDからF、そして女子生徒。

 最後に、あまりにおかしい事が一つ。

 

「毎週金曜日、同じ日に同じ人が、貸出、返却しています」

「それに、全員貸出時間と返却時間が一緒だ。借りた時間は昼休み、返したのは六時間目が終わった放課後。偶然にしては出来すぎてるね」

「その通り。()()()()()()()()()()なの。こんなの読む暇なんてないわ」

「…………………」

 

 千反田さんが黙り込む。もしかして……

 俺は折木と目を合わせ、頷く。そっとカバンを持ち図書室をあとにしようとした、その瞬間だった

 

「私……気になります」

 

「南雲さん!折木さん!」

 

 千反田さんは再び俺たちに歩み寄り、グイッと顔を近づける。瞳孔が大きくなり、心做しか目がいつも以上に輝いている。

 千反田さんの《興味》への発露だ。

 

「お二人は、どう思います!?」

 

 俺と折木は再び視線を合わせ「はぁ」とため息をつく。こうなった千反田さんは誰にも止められない。俺たちはこう言わざる負えなかった。

 

「……そうだな、少し考えてみよう」

 

 俺の代わりに折木が言ってくれた。

 

「ふくちゃん、折木と……南雲くんだっけ?二人って頭いいの?」

「あんまり。でも、彼らの洞察力と観察力には目を見張るものはあるよ。それ以外は人並みくらいだけどね」

 

 悪かったな。

 

 俺たちは考えることにした。

 

 毎週別の人間が同じ本を同じ時間に借り、同じ時間に返すなんて事は別に確率的にはありえない話じゃない。

 だがその確率は天文学的な数字、言ってしまえばほぼゼロだ。

 それにこんな理由じゃ、千反田は納得しない。

 

 貸出手続きを昼休み、返却を放課後におこなったってことは()()()()()()()()()だったとしても《神山高校五十年の歩み》が使われた時間帯は五時間目、六時間目だ。

 しかし、読む以外の用途が、本にあるのだろうか。

 折木は口を開く。

 

「本を読む以外にお前らならどう使う?」

「浅漬けが浸かります!」

「腕につければ盾だね!」

「何冊か積めば枕になるわ」

「よし、分かった。お前らには何も聞かない。南雲はどうだ?」

「え、そうだな」

 

 俺は分厚い本を机に横たわらせると、ポケットから小説を取り出す。こうすれば教卓から死角になるため、授業中にも…

 

「こうやって本を使って本を読めるぜ」

「お前が授業中に本を読んでることだけが分かったな!」

「たまにしか読んでねぇよ!」

 

 「たまに読んでるんだ」という他のみんなからの視線が痛い……。

 うーん、しかし、実際みんなが言った方法くらいしか思い浮かばねぇよな。仮に枕に使ってたとしても、枕になりそうな本なら星の数あるし、体操着のジャージとかを使った方が寝心地はいいだろう。

 俺は再び伊原の手の中にある秀麗な想定が施された表紙を見つめる……、その時だった……。

 

 千反田が本に顔を押し付けんばかりに接近したのだ。

 

「え?え?」

 

 伊原の反応は当然だ。突然自分の持っているものに顔を近づけられたらこれくらいの反応はする。

 

「なんだ千反田。本の表紙に暗号でも書かれてたか」

 

 折木の質問に答えることなく、千反田さんは声を発した。

 

「なにか……匂いがします……。これは、シンナー?」

 

 シンナー?その時、俺の頭の中を今までの会話が通り過ぎた。

 

『毎週金曜日に……』

『昼休みに貸し出されて、放課後で帰ってくるのよ』

『全員が二年で女子……』

『本を読む以外の使われ方は……』

 

 へぇ……、なるほどな。

 俺は折木の顔を見る。もちろんこいつも俺を気力のない目で見ていた。密室事件の時といい閃くタイミングが全く一緒だな。もしかしたら俺と折木の脳内構造は酷似しているのかもしれない。

 折木は言った。

 

「千反田、伊原……少し運動する気はないか?」

「分かったんですか!?南雲さん、折木さん!どこにいけば!?」

 

 千反田さんは場所さえ聞けば今にでも飛び出して行きそうだったが、福部が口を開く。

 

「ダメだよ!千反田さん!!ホータローに使われるようなことがあっちゃ!こいつは使ってこそ役に立つんだから。ホータロー、どこなんだい?」

 

 随分と酷い言い草だな。だけどこれくらいじゃ折木は腹を立てない。確かに誰かに使われなければ折木は動くことはないだろう。

 

「いいだろう。今日は雨で体育が潰れたからな、可処分エネルギーを処分してやる」

「私も行くわ。本当に折木に分かるんだったら私もちょっとショックだし。……南雲くん、留守番お願いね」

「え……!」

 

 俺は伊原さの威圧に負け、図書室のカウンターに入る。そしてあいつらが図書室から出ていったあとも、俺はしばし呆然と立ち尽くしていた。

 

 

 俺を置いてくのかよ!!!

 

 

 数分後、満足気な顔をした千反田を初めとし、連中が戻ってくる。俺はわざと嫌味ったらしい声のトーンで喋る。

 

「よう!!どうだった事件の真相は!!?」

「それより先に君の推理を聞かせてよ!」

 

 福部は俺にズイっと寄ってくる。

 

「なんだよ、見てきたんじゃないのかよ」

「うん。つまりホータローの推理は正しかった。だから君の推理も聞かせて欲しいんだ。」

「二度手間だ。話さなくていいぞ南雲」

 

 かったるそうに折木は福部を制そうとする。確かに二度手間だ。だが置いてかれた事に対して俺はまだ腹の虫の居所が悪い。

 俺の推理が折木と同じだってことを証明して、こいつらのアホ面を拝んでやるぜ。

 

「お前らが行ったのは美術準備室だろ?」

 

 全員の体がピクっと動く。

 

「あの本を使うとすれば、金曜日の五、六時間目。その時間でこの本は読めないし、読もうとするやつもいない」

 

「つまりその本は()()()()()()()()()()()()()()使()()()()()()。そして本を借りていた生徒のクラスはDからF……合同授業だ。合同授業の科目は限られる。体育、音楽、書道……そして……」

「美術。この本は色合いがいいからな。スケッチするにはもってこいだ。大方お前らは美術準備室で《本を持った女子生徒》の肖像画でも見てきたんじゃないか?そしてなぜ毎週返却するのか、こんなでかい本は管理に困る。返却するという手段が一番管理しやすい方法なんだろ?」

 

 ドヤ顔で答え終わると、福部は二度三度拍手を俺によこした。

 

「すごいな南雲くん。ホータローの推理と全く同じだ!」

「すごい、すごいです!!南雲さん!!」

「私は何時間かかっても理解出来なかったのに……折木といい南雲くんといい……」

 

 さて、こいつらのアホ面も見れたことだし、俺はそろそろ……

 

「どこ行くんですか?南雲さん、」

 

「どこって、帰るんだろ?《愛なき愛読書》の謎は解かれた」

 

「文集はどうした……南雲」

 

 あっ……。

 すると、折木以外の全員から嘲笑とも思われる笑い声が俺の耳に通った。

 

「南雲くんって案外抜けてるんだね!」

 

 福部は俺に指を指しながら大笑いする。こいつら、言わせておけば……。

 続けて何かを言おうとする伊原に、カウンターの内側から声がかかった。

 

「伊原さん、ご苦労さま。もう帰っても大丈夫よ。」

「あ、はい。戻ってたんですか、糸魚川(いといかわ)先生」

 

 声の主は女教師だった。俺は見るのは初めてだけど、この人が司書なのだろう。中年も終わりに近いだろう年の声で、随分と小柄だ。

 俺は名札を見つめる。《糸魚川養子》珍しい名前だな。

 

 すると司書の登場に、福部が一歩前に出て交渉を始めた。

 

「こんにちは。古典部の福部里志です。僕達文集を作るためにバックナンバーを探してるんですが、書庫を調べさせてもらっても?」

「古典部……?文集……?」

 

 糸魚川先生は驚いたような声を上げる。なんだ……?

 

「古典部の文集のバックナンバーは図書室にはないわ」

「えぇ、だから書庫を」

「書庫にもないわ」

「見落としということは?」

「いいえ」

 

 妙にはっきりと答えるな。だがこの先生が文集を隠す理由は到底思いつかない。となれば……廃部寸前の古典部の文集は捨てられてしまったのだろうか。

 ここまで完全に否定されてしまっては流石の福部も引き下がり、残念そうに千反田さんに言った。

 

「だそうだよ千反田さん。」

「困りましたね……」

「そのうち見つかるさ。帰ろうぜ」

 

 折木がそう言いながら図書室の出口を目指し足を進ませると、それに続き三人も後を追う。

 俺は先生に一礼をした後四人を追った。

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

()()()()()、連絡先交換しようよ!」

「すみません伊原さん。私、携帯を持っていなくて……」

「じゃぁ家電でいいからさ!」

 

 下駄箱についたところで伊原さんが千反田さんに連絡先を聞いているシーンを目撃した。ちーちゃんって……。

 そして、その隣では

 

「ホータロー本屋に付いてきておくれよ。読みたい本があるんだ」

「断る。なぜお前が読みたい本を買うために俺がついてかなきゃならない」

「旅は道連れって言うだろ?ホータローも買うんだよ!」

「尚更断る!なぜお前は俺が買うと思った!」

 

 あぁやってどうでもいい事を会話出来るのが《親友》ってやつなんだろうな。そういや東京から越してきてから、特別親しい友達ってのはいない。

 クラスでは折木と一緒にいるけど、《特別仲がいい》かって聞かれたら俺はきっと言葉を詰まらせるだろう。だが果たして今の俺に、《心から信頼出来る友人関係》が必要なのだろうか?

 答えは否だ。無色を自称する俺に、そんなものは必要ない。特別親しい人間関係を作らず、フラットなままでいるのが俺のポリシーだ。そんな小市民のような人間になる為に、俺は東京からここに越してきたではないか。省エネ主義を掲げている折木でさえ、俺とは一線を置くべきなのだ。

 

 俺は《あの過去》を忘れる訳にはいかない。

 

 感情に流されるな、南雲晴。俺とコイツらは違う。俺は、同じ道を歩けない。

 

 自分の存在意義を再確認した所で、俺は四人から目を背けた。すると

 

「お前も来るだろ?ハル」

 

 顔を上げると、折木が照れくさそうにこちらを向いていた。

 すると里志が素っ頓狂なわざとらしい声を出した。

 

「なんだいホータロー!君が人を名前で呼ぶなんて珍しいじゃないか!」

「お前は俺をなんだと思ってる。南雲より、ハルの方が呼びやすいだろ」

「あぁ、そういう照れ隠しね。そういうことにしておくよ」

「お前なあ……」

「じゃあ君も行こうかハル!」

 

 そう言いながら下らない会話を続ける折木と福部を見て、俺は少しだけ戸惑った。だが、悪い気はしなかった。

 少しだけなら、こいつらに俺は心を赦していいのかもしれない。俺はニヤリと笑った。

 

「じゃあ俺も行こうかな、奉太郎、里志」

 

 そう言うと、女子二人の『フフっ』という笑い声が聞こえてくる。

 俺は彼らのもとに、少しだけ早歩きで向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「南雲さん……折木さん……あなた達なら、もしかしたら………」




《少女》は《真実》を知り、何を思うのだろうか。

《少年》は《真実》を求め、何を得るのだろうか。

次回《少女の依頼》

私はその時、涙を流したんです。


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第四話 少女の依頼

 暇だな……。

 

 五月下旬の日曜日、時間は午前十時を回ろうとしていた。

 梅雨も終わり、初夏の気配もジリジリと訪れ、俺は額の汗を軽く拭う。

 

 まぁ、暇だと感じるということはそれだけ平和なのだろう。別に今の今まで平和じゃなかった訳じゃないぜ?ただ、やることが無いってことは急ぎ事も無いし、心配事もない。何も考えず部屋でゴロゴロしてるのも一興だとは思わないか?まぁただ……

 

 暇だな。

 

 不意に携帯電話が鳴った。俺は畳から体を起こし、机の上にある携帯に手を伸ばす。誰からだ……?

 携帯を開いた俺はそこに表示されていた名前に一人驚いた。

 

 千反田家

 

 俺は電話をとった。

 

「もしもし?」

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 午後一時、千反田に呼び出された俺は家を出た。

 

 約束の指定の場所は《パイナップルサンド》という喫茶店。もちろん行ったこともないからパソコンで地図を印刷しそれを片手に歩き始める。

 入学式の時みたいにまた変なところ行かないようにしないとな。

 

 幸い何事もなく《パイナップルサンド》に到着。

 一時十五分……上出来だ。

 

「ハル、こっちだ」

 

 店内に入ると、先についていた奉太郎が俺に手を振ってきた。俺は足を進ませると、三人がけの机の一つに腰掛ける。

 奉太郎も呼ばれていることは知っていた、千反田がそう言ってたからな。

 

 俺はメニューを眺め、オレンジジュースを注文しようとすると、「ここでコーヒーを飲まないのは、上野動物園でパンダを見ないようなもんだぞ」と奉太郎が言ってきたので、俺はキリマンジャロコーヒーを注文する。

 

「で、なんだとおもう?千反田の話って」

「わからん。神聖な日曜日に呼び出されたんだ。興味をそそる内容じゃなければ俺にとっては裁判事だ」

 

 奉太郎が興味をそそるものなんてあるのかよ。と少しばかり失礼なことを思いつつ、俺はキリマンジャロコーヒーを啜る。

 ほう、これはまた。正直コーヒーは苦手だがこのコーヒーは美味い。コーヒーが苦手だという理由に酸味がある事が含まれているが、それすらもうま味に感じてしまう。奉太郎があそこまで進める理由が分かるな。

 

 千反田が現れたのは待ち合わせの一時半丁度。

 ほとんど真っ白なクリーム色のワンピースはなんとも千反田らしい。

 

「お呼び立てしてすみません。」

 

 奉太郎は「いいさ」という代わりに半分手を上げる。注文を聞きに来たマスターに千反田はウィンナーココアを注文する。

 山のように盛られたクリームに俺たちは魚の帽子を被った大学教授並にギョッとする。スプーンでクリームを崩す姿は何処と無く楽しそうだ。

 学校以外でも千反田の不思議ちゃんは健在ってことか。なによりなにより。

 

「それで、用ってなんだ?」

 

 奉太郎に続き、俺も口を開く。

 

「そうそう、あんま下らない話だと奉太郎に訴えられるぜ」

「えぇ!?」

 

 千反田も先程の俺たちと同様、ギョッとした姿を見せた。そういやこいつ、冗談通じないヤツだったな。

 奉太郎が「バカ言うな」と捲し立てると、千反田は胸から手を落とす。

 

「何のために俺たちを呼び出したのかってことだよ」

「この店を指定したのは折木さんですよ」

「じゃぁ奉太郎から喋れ」

「何故そうなる!?俺は帰る!!」

「あぁっ!待ってください!」

 

 いちいち反応が面白いな。俺は「ククッ」と笑う。

 だが、いつまでもコントをやってる訳にもいかない。奉太郎も日曜日に用もなく外に出るなんて「やらなくていいこと」をやってるわけだ。

 

「んじゃ本題に入ろうぜ。千反田、俺たちを呼んだ理由は?」

「はい……私はあなた達二人に相談があるんです。お二人なら私の心のモヤを払ってくれる……そんな気がするんです。」

「人生相談?だったら俺と奉太郎は乗れないな。山無し、谷無し、地平線だからな」

 

 なんだかシリアスな雰囲気になった為、軽いジョークを言ったが重い空気は晴れなかった。すると、奉太郎が口を開く。

 

「ふん、話してみろよ」

「はい。私には、叔父がいました。関谷純(せきたにじゅん)という名で、母の兄です。十年前マレーシアに渡航して、七年前から行方不明です。叔父は私の憧れでした。子供の頃、好奇心が人一倍強かった私は叔父に色々なことを聞きました。叔父は全て私の欲しかった答えを返してくれました。」

「へぇ……すげぇな」

「随分と博識だったんだな。偏り知識のデータベースの里志とは大違いだ。それで、その叔父をまさか俺とハルに探しに行ってくれなんて言うんじゃないだろうな……?」

 

 千反田なら言いかねない。そう思った瞬間、千反田は口を開いた。

 

「いえ違うんです……その、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 何を聞いたか思い出させて欲しいんです。だって?

 

「無茶苦茶だな」

「先走りすぎました。私は……経緯はそれこそ覚えていないのですが、幼稚園の頃に、叔父が高校で『コテンブ』に入っていたことを知りました。家の中にある『スコンブ』に語呂が似ていたので、私は『コテンブ』に()()()()()()()()

 

 《興味》。この少女の口から発せられるこの言葉は世間一般が認識している《興味》とは全くの別物だ。

 だがそれと同時に俺は千反田の叔父が()()()()()千反田の質問に答えている姿が脳内に浮かんだ。

 しかし、俺のそのイメージは次の瞬間粉々に砕け散った。

 

「しかし、叔父は『コテンブ』については教えてくれませんでした。今思えば躊躇しているような感じもしました。いつもは何でも答えてくれる叔父が、その時には答えを返してくれなかったのです。私は駄々をこねました。そして… ……とうとう答えを返してくれた叔父から出た言葉を聞いた時、私は… ……」

「千反田は?」

「私はその時、泣いていたんです。怖かったのか、恐ろしかったのか、それは覚えていません。しかし、叔父は私をあやしてはくれませんでした。」

 

 あやさなかった?何故だ……自分の姪や孫ってのは可愛く見えるもんだとは聞く。もちろん例外もいるだろうが、話を聞いていると叔父は千反田の事を嫌っていたわけでも怪訝していた訳でもないだろう。むしろ好いていたのではないのこ?

 

「そして私が中学に上がった頃、それについて唐突に気になり始めました。叔父が何故答えを渋ったのか、あやしてくれなかったのか。そして私は叔父の母校である神山高校に入学し、古典部に所属しました。」

「それが、《一身上の都合》か……?」

 

 折木のつぶやきに千反田はコクリと頷いた。

 

「しかし古典部には手掛かりになるものはありませんでした。職員室の先生にも聞いてまわりましたが、叔父がいた三十三年前にも神山にいた先生は誰一人としていませんでした」

「それで、なぜ俺達に助けを求める」

 

 折木の質問に千反田は顔を俯かせ、コーヒーカップをギュッと握る。そして、顔を上げ答えた。

 

「部室のドアの件、愛なき愛読書の件……。あなた達は私の想像を遥かに超える結論にいとも簡単に辿り着きました!図々しいのは分かっています……ですが、もうあなた達しかいないんです!」

 

 俺たちは顔を見合わせたあと、少ししかめっ面になりながら答える。

 

「千反田……俺と奉太郎を買い被りすぎだよ。あれくらいの事は考えれば誰だって分かる。俺と奉太郎が丁度閃くのが早かっただけさ」

「でしたら、その閃きに頼らせてください!」

「け、けどなぁ……」

 

 正直、気が進まない。《無色》の俺は平穏を望む。ここで千反田の依頼を引き受けてしまっては、平穏は遠ざかってしまうだろう。

 

 そして、もし俺と奉太郎がこの依頼を引き受け失敗したら?話の内容からすると、この依頼は軽視出来ない。

 《千反田える》という人間の、そして《関谷純》という人間の人生観に関わってくる重要事項だ。失敗したら、俺達は罪悪感を背負いながら生きていくことになるだろう。

 

 《無色》の俺は《罪悪感》という色に染められてしまう。《灰色》所ではない、何も無い《闇》だ。

 

「なぜ俺達だけに依頼する。人海戦術を使えばいい、里志や伊原にでも頼んだらどうだ?」

 

 奉太郎の言う通りだ。あいつら、特に里志なら、この手の話題に積極的になってくれるだろう。俺や奉太郎より確実に役に立つ。

 すると、千反田さんは再び顔を俯かせ、言う。

 

「私は……自分の過去を吹聴して回る趣味はありません……」

 

 ……そうか、千反田が俺たちを学校でない場所に呼び出した理由。それは、この話を他人に聞かれたくないから、俺たちを信用して打ち明けてくれたのに、「人海戦術を使え」とは。奉太郎が言ったにしても、同じことを思ってしまった俺は自分を恥じた。

 

「すまん……」

 

 奉太郎も同じことを思ったのか、頭を下げる。

 

「いえ、私は私の問題にお二人を巻き込んではいけないと思っています。ですが……もうあなた達しかいないのです……。あなた達は叔父のように私の《興味》を解決してくれました……あなた達なら、あなた達なら……!」

 

 必死に言葉を探そうとする千反田を見て、少し心が痛む。

 

「叔父が死んでしまう前に、叔父が私に何を伝えたかったのか……私はそれを胸に葬儀を行いたいのです」

 

 葬儀……?死んでしまう前… ……?千反田の叔父は確か《行方不明》だったよな。どういう事だ……。

 

「なるほど……今年が七年目か」

 

 奉太郎のつぶやきに俺は首をかしげた。

 

「七年目?どういう事だ?」

「行方不明になった人物は七年間生死が分からなければ法律上死亡したことになります。千反田家では数ヶ月後に叔父のささやかな葬儀が行われます。叔父の件は……片付いたことになります」

「そんな!まだ生きてるかもしれないのに、どうして!」

「どうしてもこうしてもない。世の中はそういうシステムで出来てるんだ。感情論でどうにかなる問題じゃないのは、お前も分かるだろ」

 

 しばしの沈黙が訪れる。すると……

 

「俺はお前に対して責任は取れない」

 

 奉太郎が沈黙を破った。

 

「だから、お前の頼みを引き受けるとは言わない。だが、その話を心の中に留めておいて、ヒントになるようなことがあったら報告しよう。その解釈に手間取るような事があれば手助けもしてやる。それだけで……いいか?」

 

 千反田の顔がパァっと光り、千反田は奉太郎に四十五度の角度で会釈する。

 

「ありがとうございます!折木さん!」

「あんまり頭を下げるな……安くなる。お前はどうするんだ、ハル」

「え?」

 

 千反田と奉太郎が俺の方を向く。

 

「俺は……」

 

 俺は、自分が自分で無くなるのが怖い。

 

 俺は《無色》。何者にも染まらず、何者も染めない。

 

 けど千反田はこの依頼を一人では解決出来ないと踏み、俺と奉太郎を頼ってきたのだろう。正直、人に期待されたことは少なくはない。

 でも、失敗するのは、怖い。

 

「ハル」

「ど、どうした奉太郎」

「お前は自分の事を《無色》だと言っていたな。何者にも染まらず、何もも染めない存在。絶対不可侵であり、絶対不干渉な存在。と」

 

 こうやって他人から言われるとどうも恥ずかしいな。

 

「つまり、お前は真っ白なキャンパスなわけだろ?お前はそこに千反田の《問題》という絵の具が塗られるのが怖い……。違うか?」

 

 俺はフッと笑うと、奉太郎を見ながら答える。

 

「……そうだな、まるで心を見透かされてるみたいだ。千反田の依頼は引き受けてやりたい、けど自分のモットーを曲げるのが怖い。真っ白なキャンパスに、色を塗られるのが怖い」

「お前は知らんのか?」

「なにを?」

「絵の具には、白という色があるだろ」

「は?」

「色を塗られたのなら、()()()()()()()。何者も染めないというのがモットーではあるが、自分を染めてはいけいないというのはモットーに入っとらんだろ。そして、お前が塗りつぶして消えた問題は、ほかの人間からも消える。」

()()()()()()()()()

 

 そうか、そうだ!!

 

 何かを塗られたのなら、塗り潰せばいい。

 千反田の問題を……解決すれば、俺は無色に戻る。

 

 それだけじゃない……千反田はこの問題を自分で解決する力はないだろう。なら、俺は千反田に白色の絵の具を与えればいい。

 俺が染めるんじゃない、千反田自身に、染めさせればいい。

 

 そうすることで、俺が力になれるなら……。千反田の想いを叶えてやることが出来るのなら、俺は……

 

「千反田ごめん……いつまでも決められなくて」

 

「い、いえ。厄介事を持ち出したのは、私ですから……もし嫌なのであれば引き受けて頂かなくても……」

 

「いや、受けるよその依頼。お前の問題を塗りつぶせるような絵の具を渡してやる。よろしく頼むよ。千反田」

 

 俺はスッと右手を彼女へ向ける。そして……

 

「はい!よろしくお願いします!」

 

 千反田は俺の手を両手で優しく握り返した。

 

 これで俺のキャンパスには《問題》という絵の具が付いた訳だが……。

 

 これも一瞬の事だろう。

 

 なぜなら、彼ら(奉太郎と千反田)となら、それが出来る気がしたから。

 

 




千反田の依頼、引き受けたからには最後の最後まで付き合ってやるか。

千反田の依頼に早速動き出す俺たちだったが、その時、書道部である不思議な現象が発生した。

次回《入れ替わりし名作》


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第五話 入れ替わりし名作

 千反田から依頼を受けた翌日、俺こと南雲晴は考え事をしながら通学路を歩いていた。

 

 考え事というのは勿論千反田の依頼について。

 

 さて、どこから捜査するかな……。まずは部室だろうけどあの千反田が血眼になって手掛かりを探したってくらいだからもう地学講義室にはねぇよな。

 他に古典部にゆかりのある教室ってあるんだろうか。先輩とかいればいいんだが、あいにく古典部は俺たち一年の五人だけの構成。確か奉太郎の姉貴が元古典部だったらしいけど今はイスタンブールやらなんやらに行っててこちら側からは連絡が取れないっぽいし……弱ったなぁ……。

 

「南雲さん、おはようございます!」

 

 やっぱ糸魚川先生がなんか隠してるのか?だが隠す理由が見つからねぇな。

 

「南雲さん!」

 

 もう一回図書室行ってみっか?いや、本好きとしては図書室の司書にめんどくさい奴だと思われて嫌われたくないし……

 

「南雲さん!!」

 

 あっ!《神山高校五十年の歩み》、あれになんか書いてあったりするのか!?今日の放課後、千反田と奉太郎を誘って……

 

「わっ!!」

「うわぁ!!なんだ、おどかすなよ、千反田」

「南雲さんが呼んでるのに無視するんですもん……」

 

 千反田は頬を膨らませて答える。

 話しかけてきてたのか、全然気づかなかった……。

 

「なにかお悩み事ですか!?相談乗りますよ!」

 

 胸にポンと拳を乗せる千反田……、いやお前のお悩み事にお悩んでんだよ。

 

(晴〜)

 

 声が聞こえた。女子生徒の声だ。俺のことを名前で呼ぶ女子生徒……あいつしかいねぇ……ここで絡まれるわけには行かない……!

 

 進ませる足を早めようと足を動かそうとした……その瞬間……

 

「晴!!!」

 

「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああ!!」

 

 疾風の如く近寄ってきた《そいつ》は後ろから俺に抱きついてくる。俺はそれを振り払おうと体を何度も仰け反るが、こいつはお気に入りのものに噛み付いた犬の如く離れようとしない。

 

「おいっ!離れろバカっ!!」

「バカじゃないですぅ!!学年での成績はこれでもトップなんだからあんたより何倍も頭いいんですぅ!いつも私から逃げるように登校しやがって〜!!おっ……?」

 

 俺にしがみついてる馬鹿女は、俺とのやりとりをずっと見つめていた千反田に気づく。そして

 

「おっ!えるじゃん!おっひさ〜!」

 

 千反田は微笑み答える。

 

「おはようございます、勘解由小路(かでのこうじ)さん。」

「晴〜、お前一緒に登校なんてしちゃって〜。えると付き合ってんのか〜ほれほれ、おじさんに言ってみな〜!」

「バカ言ってんじゃねぇバカ。たまたまそこで会ったんだよバカ」

「こんな短い間で三回もバカっていう!?」

 

 このやり取りも聞いていたのか、千反田は「フフっ」と笑い口を開く。

 

「お二人はお知り合いなんですか?」

「え?晴、()()()()言ってないの?」

「言ってないし、言う必要もねぇだろ……」

 

 肩に置かれた手を払いながら言う。

 

「うわぁ、可愛くない嫌なガキ」

 

 こいつの名は三年B組所属、勘解由小路晴香(かでのこうじはるか)

 神山の名家、《桁上がりの四名家》に対抗出来るといわれる、畜産の勘解由小路家の息女だ。(里志談)

 こいつとは()()縁があるが、それだけさ。

 

 明るい茶髪は頭の右側で結ばれおり、それを前に垂らす。

 千反田程ではないが大きな目、長いまつ毛、見た目だけで見れば可愛い部類だ。

 

「聞いた〜える〜?こいつ私との関係を二人だけのひ・み・つにしたいんだって」

「お前ぶっ飛ばすぞ」

 

 俺はどうもこいつが苦手だ。()()()()から俺の事をからかってくる。

 

「ところで逆に二人はどういう知り合いなんだ?」

「古典部だよ古典部、俺が入った部活」

「えーーー!!!あんた、書道部に入ってくれるんじゃないの!?」

「誰がそんなことを言った、誰が。お前と同じ部活なんてアルマゲドンが降ってきても嫌だね」

「そんなこと言わずに仮入部こいよ〜、兼部でもいいからさ〜。そうだ!える!」

 

 晴香は千反田を指さしながら言った。

 

「お前は今、私と晴の関係が気になっているな!!?今日こいつと一緒に書道部の仮入部に来たら教えてやる!」

 

「何をバカな事を……付き合うな千反田。俺達は調べることが……」

 

 千反田の目が光る。こいつは……。

 瞳孔が開き、いつにも増して目が大きくなる。

 

「気になります……!」

 

「勘解由小路さんと南雲さんの関係が私……気になります!」

 

 晴香は「やりぃ」という風に指をパチンと鳴らし、俺をニヤニヤしながら見る。

 この野郎、千反田の性格知ってやがったな……。

 

 はぁ……こうなったら仕方ない……。

 

「分かった、今日だけだぞ」

 

 

 

 

 

 

 

 

───────────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 放課後、特別棟三階。俺と千反田は古典部の連中に少し遅れるとだけ伝えて、階段のすぐ隣に位置する《書道室》に俺と千反田は足を運んだ。特別棟には文化部の部室が全て置かれており、放課後も賑やかだ。

 と言っても、古典部の部室の周りだけはいつも静寂だけどな。

 

「お、晴、える。来たか!」

「おう、来てやったぜ。他の部員は?」

 

 何枚かの半紙を持った晴香は書道室の鍵を差し込み、ドアを開けながら口を開いた。

 

「今日は活動日じゃないからな、みんな帰ったと思うよ」

「その半紙は何ですか?」

「これは、新人コンクールにエントリーする一年が書いたものさ。この中から私たち三年で一枚選んで、コンクールに提出する。今日を締切にしてたから一年達が教室まで飛んできたよ。」

「ほう、案外仕事してんだな《書道部部長》」

「私をなんだと思ってたんだ。入れ、筆やら墨やらはこっちで用意してあるぞ」

 

 俺と千反田は書道室に足を踏み入れる。まず入ってきた情報は匂いだ。

 書道はてんで初心者だから詳しいことはよくわからんが、墨の匂いが俺の鼻に押し寄せた。次に入ってきた情報は視覚。

 

 《神山》と力強く書かれている半紙が入った額縁が約五十個程飾られている。

 

「これはなんですか?」

 

 千反田が不思議そうに呟く。

 

「これは歴代部長が残していくものさ。卒業式の後、幹部引き継ぎと同時にその代の部長が三年間の想いを筆に載せ、《神山》って執筆する。まっ、簡単に言うと《神山高校書道部流》の締めって言ったところかな」

「そうなんですね!私は書道はよく分かりませんが、この字達からは力強さ、そして美しさを感じます!」

 

 確かに……。三年間の想いを筆に載せ……か。

 

「あれれ?」

「ん?どうした?」

 

 俺たちと一緒に額縁を眺めていた晴香が首をかしげる。

 

「んにゃ、この額縁に入ってる半紙達は一代目から去年の部長の四十七代目まで順番に飾られてるんだよ」

 

 そう聞くとそうっぽいな。昔の、特に一代目のなんて額縁に入っているにも関わらず少し黄ばんできている。

 本が黄ばんだ場合は大体カッターで削ることも出来るが、半紙はそういうわけにも行かないしな。

 

「それがどうした」

 

 晴香は口を進ませる。

 

「けど、二十代目と三十五代目の場所が入れ替わってる…」

 

 入れ替わっている?俺は二十代目と三十五代目を眺めるが、どうも分からん。そもそも半紙には《神山》という字と名前しか書かれておらず、何代目かとは書いてないだろ。

 

「気のせいなんじゃないですか?」

「そんなはずないよ!私は入部してから三年間、ずっとこの字たちを見てきたんだ、気のせいなんてありえない。おかしいな……昨日は入れ替わってなかったのに。」

「どうやって入れ替わったんでしょうか?南雲さん?」

 

 いつ間にか千反田俺の横にピタリと止まっていた。俺は口を開く。

 

「い、いや知らないけど……額縁が勝手に動いたんじゃないか?ほらアメリカのアニメーション映画でも、おもちゃやらなんやらが動く奴があるだろ?」

「そんなの非科学的です!」

「この世にはなぁ、科学じゃ解明できないことだって沢山あるんだよ…」

「南雲さん!」

「嫌だ、聞きたくない!!!」

 

 俺は本能的に耳を塞ぐ……これを聞いたらやばい……!すると、千反田が耳を塞ぐ俺にグイッと近寄り、声を発した。

 

「私……気になります!」

 

 気になります、気になります、気になります。

 

 小人程の千反田が俺が耳を塞ぐ手をどかそうとするイメージが流れる。もう魔法やん……その言葉……。

 

「はぁ、少し考えてみるか」

「なんだ?解決してくれるのか《入れ替わりし名作事件》」

 

 入れ替わりし名作事件?こいつは里志か……、それらしい名前つけやがって。俺は考えてみる事にした。

 

 まずは、なぜ作品が入れ替わったか。

 

 その一、何者かが入れ替えた。事故か、故意的にかそれは分からんがな。

 

 その二、晴香の見間違い。まぁこの説は低いな。

 

 まぁ結果的に《誰かが入れ替えた》と考えるのが妥当であり、それ以外の方法はないだろう。

 

「誰かが入れ替えた。その誰かを以下Aとしよう。Aは作品を入れ替えた。事故か故意的にか……。晴香、昨日は入れ替わってなかったと言ったよな……昨日書道室の鍵を閉めたのはお前なのか?」

 

 晴香は軽く首を振り答える。

 

「ううん。言ったよね、新人コンクールに提出する作品を決める選考会が明日なんだ。昨日は一年生たちが遅くまで活動をしてたから、戸締りは彼らに任せたよ。私が帰ったのは五時半くらいかな」

「なるほど、つまり犯行が行われたのは晴香が帰ってからの五時半から次の日の朝のホームルームまでか。流石に日中は学校があるから犯行は行えないしな。そして犯人のAは書道部の一年の可能性が高いと……」

「けど、動機が分かりませんね。なんの為に作品を入れ替えたんでしょう」

 

 最もな質問だ。例えば新人コンクール用の作品を書くために二十代目の作品を参考にしたいとAが思ったとしよう。そうした場合、自分の席の近くにあった三十五代目の作品と二十代目の作品を入れ替え、見やすくしたとか……。いや、それは手間だ。

 だったら自分が二十代目の作品が見える場所に動けばいいし、二十代目を取り外して自分の席の近くに置くだけで、別に三十五代目と場所を入れ替える必要は無い。

 

「手がかりが少なすぎる、視点を変えよう。晴香、二十代目と三十五代目の作品に共通する事とかないか?」

「そうだねぇ……共通することかぁ。あっ!」

「なんだ?」

「どっちも名作。二十代目と三十五代目はどうやら、ご先祖さまが書家だったって聞いたことあるよ。だからこの二人の作品は他の部長の作品よりずば抜けて上手い」

 

 俺は二つの作品を眺める。

 うん、分からん。失礼なこと言うようだが、書道ってミミズみたいな字の方が上手いって言われがちだよな。初心者には上手い奴の違いはよくわからない。

 どちらもご先祖さまが書家か……才能があったんだろうな。

 俺はふと、晴香が未だに持っている一年の作品を見る。

 

「随分多いな。書道部って結構一年入ったんだな」

「ん?いや、十人前後だよ。()()()()()()だからね。多く見えるんだよ。」

 

 一人、二枚。なんだ……なんか引っかかるぞ。

 

「千反田、二十代目の作品を取り外して持ってきてくれ。俺は三十五代目を取る」

「はい!」

 

 俺は作品を傷つけないように、そっと二十代目の場所に飾られている三十五代目の作品を取り外す。

 千反田も両手でしっかりと作品を抱え、俺の方へ近寄ってくる。

 

 俺は近くにあった新聞紙をクッションとなるように数枚重ねて机に置き、二つの作品を眺める。

 そしてそれと同時に晴香が持っている一年の作品を見つめる。コンクールに出す作品も《神山》って書くんだな。神山で始まり、神山で終わるってわけか。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 俺は二十代目の作品をなぞるように額縁の上から触れる。すると……

 

 ザラっ

 

「ん?」

「晴?」

「南雲さん?」

 

 次は三十五代目の作品をガラスの上からなぞる。

 

 ザラっ

 

 俺は触れた自分の人差し指を眺める。うっすらと黒く染まっていた。これは… ……乾いた墨?

 

 刹那、今までの会話と予測が俺の脳内を駆け巡る。

 

 

『戸締りは彼らに任せたよ』

『一人二枚提出なんだ』

『二十代目と三十五代目は名作だよ』

『三年間の想いを筆に乗せて……』

『神山で始まり、神山で終わる』

『初心者には上手いやつの違いはよくわからない』

『一年の頃と卒業間際じゃ天と地の差だろうな』

 

 

「あぁ、なるほどな……」

 

 俺の唐突な呟きに千反田と晴香はこれまで以上に目を輝かせた。

 

「本当ですか!?教えてください南雲さん!!」

「まて、千反田。大体は分かったが、まだ確定はできん。晴香……一年の奴らはこの並び順が一代目からの順番ってのは知ってんのか?」

「一代目から順番ってのは知ってると思うよ。けど、誰が何代目かってのは知らないと思う。それがどうかした?」

「いや……、晴香、なんでもいい、半紙を一枚用意してくれ。」

「了解!名探偵!」

 

 俺は晴香から綺麗な半紙を一枚受け取ると、口を開く。

 

「順番に説明しよう。この事件……、なんだ、《入れ替わりし名作事件》は、Aによって故意的であり、事故的に行われたものだ。」

 

 二人はゴクリと生唾を飲む。

 

「新人コンクールの選考会に提出する作品の締切は今日まで、つまり昨日一年は血眼になりながら作品を作ろうと頑張ってたはずだよな。コンクールの提出作品に選ばれようとな。Aもその一人さ。だが所詮は一年、書道部に入ってから一ヶ月ちょいじゃ、新人コンクールの作品に選ばれようが書道界から見れば()()()()()()()()()()()

「だがAはどうしても選ばれたかったんだろうな。だから真似をした、書家であり、三年間書道部で活動した、あの二つの名作を。三年間の想いが乗った、魂が乗った作品をAは穢した」

 

 千反田は首を傾げる。

 

「真似をした?Aさんは二十代目さんと三十五代目さんの作品を見ながら書いたって事ですか?それのどこが……」

「見真似するってのは悪いことじゃないぜ、技術を奪うってのは文化系でも体育系でも正統な手段さ。けど、()()()()()()()()()()()()()

 

 俺は左手の人差し指を彼女らに見せる。乾いた墨が付着した手を。そして言葉を続ける。

 

「今さっき二十代目と三十五代目の作品に触れた時に付いたものさ。ちょうど字の上で、同じ黒色だから見ただけじゃ気づかなかったがな。これは乾いた墨だ。そして」

 

 俺は二十代目の作品の上に半紙を置く。そしてそれをそっと持ち上げ、二人に見せる。

 

「これは……!」

「そういう事だったのか……!!」

 

 しっかりと見えていたのだ。半紙から透ける、二十代目の名作が。

 

「普通は半紙の下に下敷き……毛氈(もうせん)だったか?それを引くのが書道では基本的だ。だが、引いてしまっては二十代目と三十五代目の字は見えなくなってしまう。だから墨は、額縁のガラス部分に付着した。だけどAにとってこれは問題じゃない。ガラスに付着していた墨は、書かれている作品と同化して、遠目からじゃ気付かれないからな」

 

 俺は唇を一度舐め、講釈を続けた。

 

「Aは他の一年が帰った事を見計らい、二十代目と三十五代目の作品を取り外した。そしてそれらの作品の上に半紙を置きその上から作品をなぞった。その後元の場所に戻した……はずだったんだろうな。だが結局、二十代目と三十五代目の場所を間違えるという二分の一の初歩的なミスを犯した。嘘だと思うなら確かめてみろよ、晴香」

「きっとその二十枚弱の一年の作品の中に二十代目と三十五代目の作品にピッタリと合うやつがあるはずだぜ」

 

 心当たりがあったのか、晴香は二枚の半紙を二十枚の束から取り出し、二十代目と三十五代目の作品に重ねる。

 やっぱりか……。

 

「ピッタリ……ですね……」

 

 千反田はその言葉を言うのに躊躇ったような気がした。当たり前であろう。書道という由緒正しい日本の伝統文化である部活動に、いわゆる《ズル》をした人間がいるのだ。《一年B組新村千聖(にいむらちさと)》。同じクラスだ。

 晴香が口を開く。

 

「なんか変だとは思ってたよ……。千聖の筆跡がいつもとは違ったんだ。もしかしてとも思った。けど信じたくなかった……、あいつは一年の中でも誰よりも頑張ってた……でも……」

 

 結果が出なかった……か。俺にはそういう経験はないが、辛いものだろうな。努力が実らないというのは……そしてその気持ちが、《黒》に染まった。

 

「なんでだろうなぁ……。こんなことしても意味無いのに、どうして……」

 

 晴香の悔しそうな声が聞こえてくる。泣いているのかもしれない。それは分からない。晴香はこちらに顔を向けようとはしない。

 

「ありがとう晴。心のモヤが晴れたよ。」

「新村はどうするつもりだ」

「千聖の作品は選考会から外す、私が個人的に注意しとくよ…彼女が責められるのは私も辛い」

「そうか……」

「ごめんね、える、晴。仮入部はここまでだ…また今度機会があったら来なよ」

「あぁ……古典部に戻ろうぜ千反田」

「えっ……はい」

 

 俺達は書道室をあとにし、四階までの階段を登った。そこから廊下をまっすぐ、神高の最辺境、地学講義室前に到着。扉の向こう側からは、奉太郎達の話し声が聞こえる。

 俺が扉を開こうとした、その時だった。

 

「あれで、良かったんでしょうか」

「……」

「事件の真相を知らなかった方が、勘解由小路さんも新村さんも幸せになれたのでは?」

「……それは無いな」

「何故ですか!?」

「仮に千反田が新村だったとしよう。そして俺がさっきの事件を解決しなかった。そうすればあの作品は確実に新人コンクールに提出される。そうなった場合他の書道部の一年達はお前にこういうだろう」

「悔しいな、けど千反田さんの作品は凄かったよ。おめでとう」

 

 千反田はハッと何かを察したような顔をしたあと、俯く。

 

「そう言われて、お前は嬉しいか?」

「嬉しく…ありません」

 

「人は過ちを犯す。だがいずれきっと後悔する。なぜあの時ああしてしまったのだろう、とな。一時の幸せだけが全てとは、俺は思わない」

 

 千反田は未だに顔を俯かせる。こいつがここまで気負う義理はないだろう。だがそれが、千反田えるという人間なのかもしれない。

 そして俺はニヤっと笑い、言った。

 

「大丈夫さ。きっと新村はもうあんなことはしない。晴香がちゃんと伝えれば、きっとな」

「南雲さん……あら?」

「……あん?」

 

 千反田の呟きに、俺はふと下を見る。そこに見えたのは半開きになった地学講義室のドア。そこから覗く六つの目。

 

「お前ら、何してんだ?」

 

 俺の声と同時にドアが勢いよく開く。

 

「いやぁ!!なんかシリアスな雰囲気だったから話しかけずらくて……ねぇ、摩耶花」

「そ、そうそう。折木が変なこと言うからよ!」

「声がすると言ったのは俺だが、覗きをしようと言ったのは里志だぞ」

 

 なんとも醜い責任の押し付け合いだな。

 

「フフっ」

 

 まぁ、千反田が笑ってくれたし、これでいいか。

 

 数ヶ月後、新村がある書道のコンクールで最優秀賞を取ったと晴香から聞いた。

 

 それが新村の実力なのか、再び誰かの力を借りたのかは分からない。だが……

 

 俺に報告する晴香の顔が、笑っていたことは覚えている。




文集の在り処を掴んだ俺たちは生物講義室へ。

だが、生物講義室にいた少年はあるはずの文集をないと言い張った。

次回《伝統ある文集への道》

南雲晴、悪いとは思ってますよ。


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第六話 伝統ある文集への道 起承(きしょう)

 薔薇色であろうが灰色であろうが無色であろうが学生であるのならば避けては通れない行事がある。

 

 定期試験の時期が訪れた。勉強は苦手ではないが得意でもない。古典部ではあるが数学や生物の方が得意だし、社会科目となれば手も足も出ない。この前の中間テストの結果は三百五十人中八十三位。悪くはないだろ?

 

 古典部の奴らはどうなのだろうか。見てみよう。

 

 まずは奉太郎、三百五十人中百七十五位。狙ってたの如く平均だな。本人曰く、勉強したといえばした。してないと言えばしてないらしい。

 

 千反田、三百五十人中六位。さすがは《桁上がりの四名家》、豪農千反田家の息女だな。千反田にとって高校教養は物足りないらしい。答えが知りたいのではなく、なぜこの答えがでるのか、原理が知りたいんです。とか訳わかんないこと言ってたな。

 

 里志、三百五十人中三百五位。里志は頭いい奴だと思っていたが、それは彼が興味のあるもののみに限るらしい。興味のあることはとことん調べるが、それ以外はてんで駄目ってことか?

 理由を聞いてみたところ「データベースは結論を出せない。ひとつの答えに限る定期テストは僕の専門外だ」と言っていた。ちなみに今回の期末も赤点は確定だと、結果が出てないにも言ってやがる。赤点の件に関しての予言は外れたことは無いらしい。ノストラダムスもびっくりだな。

 

 伊原、三百五十人中三十二位。ほう、こいつもなかなか。しかし、奉太郎に聞いたところ、彼女はどうも自分のミスに厳しいらしく、どんな点数だろうが順位だろうが、文句は絶えないらしい。

 中間の九十五点の数学の点数を自慢しに行った時のあいつの殺気に満ちた目は忘れられない……。今度からは気をつけよう。

 

 俺自身中間と同じくらいとれれば満足だ。多分奉太郎もそう思ってる。《無色》と《灰色》は本質的には同じさ。上昇も下降も志向しない。

 それは学力だけにはとどまらず、運動、スポーツ、色恋沙汰……。そういうものは訪れるべくしてやってくるものであり、俺たちから探しに行こうとは思わない。

 果報は寝て待て。そういう言葉があるだろう。

 

 そんなことも考えつつ、日当たりの良い窓の外をがめていた俺はクラスの最後の一人から、《現代文のノート》を受け取る。クラス委員の仕事だ。

 テスト後に集める現代文のノートを先生の所まで持っていかなくてはならない。

 

 俺は職員室にノートを持っていたあと、地学講義室……古典部の部室に向かう。それにしても……

 

 文集のバックナンバー、どうしたものかね。

 正直ここまで手がかりが見つからないとは思わなかった。千反田が「学校中を探し回りましょう!」なんてことを言いかねないうちになんとしても見つけなければ。

 

 不意に窓から見える運動部に目を向ける。テニス部、野球部、サッカー部。そして校内に響きたわるブラスバンド部と軽音部の重音。テスト終わりということでどの部活も活気づいてるな奉太郎ならこれを見て、「エネルギー消費の大きい生き方に敬礼」とか言いそうだ。

 俺は地学講義室のドアを開ける。

 

「くちゅん!」

 

 む?

 

 可愛らしい声の主は千反田だった。くしゃみか…それも随分控えめな。

 

「よう」

「ん」

「南雲」

「南雲さん」

 

 集まっていたのは奉太郎、千反田、伊原。三人とも、もちろん俺もだが涼し気な夏服に変わっている。それにしても最近は暑い、中に来てるシャツなんかは汗でびちゃびちゃだ。替えを持ってくる必要があるな……。

 

「どした全員で俺の名前呼んじゃって。俺のファンか?それと奉太郎、俺の名前は「ん」じゃねぇ」

「そんな事はいい、ハルこれを見ろ」

「これは?」

 

 奉太郎が机を滑らせながら俺に渡してきたのは白い便箋。随分とオシャレだな。

 俺は便箋に入ってる用紙に手を伸ばし、それを広げる。

 

折木供恵(おれきともえ)?」

「元古典部の俺の姉貴だ。バックナンバーの場所が記されてる」

「まじか!?」

 

 俺は用紙に目を向ける。イスタンブールにいる、ねぇ……。私は十年後もこの事を惜しまない。

 こりゃぁあれだな、手紙というより後半は一種のポエムだ。

 

「生物講義室の薬品金庫の中か……生物講義室って確か今はなんの部活が使ってるんだっけ?」

「壁新聞部よ」

「んじゃ、早速壁新聞部に捜索させてもらうか」

 

 生物講義室は地学講義室の真下だ。道中、千反田は何度がくしゃみを繰り返した。奉太郎が口を開く。

 

「風邪はひどいのか?」

「くちゅん!ご心配には及びません。くしゃみが止まらないのと、息が苦しいくらいで」

 

 それは充分ご心配に及ぶ症状じゃないか?

 そして、生物講義室まで約十メートルを切った辺りで、俺は廊下の壁際に妙なものが置いてあるのに気づいた。小さな箱。千反田と伊原は気づいていないようだが、奉太郎はそれを不思議そうに眺めている。

 見渡すと、反対側にも同じようなものが置いてある。なんだこれ?

 

 千反田が生物講義室のドアをノックする。返事はない。

 続いて伊原がドアに手をかけるが……

 

「開かないわ」

「だーれかいませんかー?」

 

 奉太郎が冗談めかしてドアのうちに呼び掛けた。ノックしても返事がないんだ、出てくるわけないだろ。あら?

 鈍い音と共にドアのロックが外れる。そこから現れたのは学生ズボンに薄手のシャツを着た男。背は高く、モデル体型だ。

 男は俺たちの襟の学年記章をみてから、愛想よく笑いかけてくる。

 

「すまなかったね、我が壁新聞部に入部希望かい?」

 

 なんだ、いたのなら早く開けてくれよ。

 そう思いつつ千反田は男の質問に答える。

 

「いえ、私は古典部の千反田です。この教室にある古典部の文集のバックナンバーを受け取りに来たのですが、見た事あります?」

「いや、ないね」

 

 なんだ、随分と即答じゃないか。

 伊原も《異変》に気づいたようで、男に向かって口を開く。

 

「先輩、若しかしたら見落としという可能性もあります。先輩には不要なものですし……中を捜索させて貰っても?」

「私からもお願いします!遠垣内先輩!」

 

 千反田が四十五度の角度で頭を下げる。そういえら、遠垣内ってたしか… ……

 

「なぜ俺の名前を?」

 

 男がキョトンとした声で聞く。

 

「去年、万人橋家で一度お見掛けしたので。」

「あぁ……まてよ、千反田って、あの神田の千反田家かい?」

「はい、父がお世話になっています。」

 

 そして更に遠垣内は不自然な態度になる。この千反田が《豪農千反田家》の千反田えると知った途端にだ。

 爽やかな笑顔は変わらないがどこか落ち着きがない。

 

 話が脱線してしまい、それを戻すように奉太郎が口を開く。

 

「部活の邪魔にはならないようにします、お願いします」

「お願いします!」

 

 俺も頭を下げる。ここで俺だけ下げない訳にもいかんだろ。

 

「あんまり部外者には入って欲しくないんだがな…」

 

 そのセリフに伊原がニヤリとした。

 

「ですが先輩、ここは部室である以前に教室でしょう?」

 

 ほう……なかなかいい性格してんな。つまり伊原は「あんたに他の生徒が教室入るのを拒否する権利はないでしょ」と、遠回しに行ってるのだ。

 

「分かった、探せばいい。他があんまり引っ掻き回さないでくれ」

 

 ついに心が折れたのか、遠垣内は後ろを振り向き部室に戻る、その時だった。遠垣内が振り向いた瞬間にミントの様な香りがした。いや、これは制汗剤?まぁ夏だし付けてても不思議じゃないが。

 

 俺たちは生物講義室に足を踏み入れる。真ん中に鎮座する大きは机の上には、壁新聞部用のB1の画用紙が置かれている。

 

「他の部員はどうしたんですか?」

 

 入口近くで腕を組みながら壁に寄りかかっている遠垣内に聞くと、やはり愛想良く返してくれた。

 

「あぁ部員は四人いるよ。今日は活動日ではなくてね、俺はカンヤ祭に向けての特別特集の案を練っていたんだ」

 

 ほう、千反田といい、晴香といい、遠垣内といい、神山の名家はどうも部活動に熱心なんだな。責任感が強いとか?まぁこれから名家を背負っていく訳だし、部活動での予行練習と言ったところか。

 

「ないわね……」

 

 伊原が呟く、ざっと見だけではあるがそもそも生物講義室にはものが少ないため、これ以上の捜索は時間の無駄だろう。

 

「こっちの部屋を調べさせてもらっても?」

 

 奉太郎は生物準備室に続くドアを指さす。

 

「あぁ、いいよ」

「ありがとうございます。ハル、手伝ってくれ」

「おう」

 

 部屋に入った俺と奉太郎の目に入ってきたのは狭い部屋の真ん中に置いてある小さな机だ。こちらにもB1の用紙が置いてあり、本人しか読めないような略字で書き埋められている。そしてその上に重しのようにペンケースが乗っていた。

 

 カサカサ。

 

 ……ん?その音は準備室に一つだけある扇風機の風が、B1の用紙を煽っている音だった。風向きは準備室の一つだけ開いている窓に向かって送り出されている。そして、その風に煽られているものはもう一つあった。

 窓際に神山高校の制服が脱いで置かれている。まるで無造作に放り出した様に……。

 

「折木、南雲、どう?」

「ん、あぁ、いや、ないぜ。な、奉太郎」

「……」

「奉太郎?」

「ん?あぁ無かった」

「なによあんたら、どっちもぼーっとしちゃってさ」

 

 しかし、なぜ見つからない。奉太郎の姉貴が騙してるとは考えられないし、薬品金庫となれば、それなりの大きさのはずだろ……。それがなぜ見つからない。

 俺と同じように腕を組んでいる奉太郎は少し離れたところで俺たちを眺める遠垣内に聞いた。

 

「なぜ部室が入れ替わったのか知ってますか?」

「いや、知らない。大方いくつかの潰れた部活があったからだろうな」

「部室の入れ替わり時に荷物の出し入れはありませんでしたか?」

「そう言えば、()()()()()()()()()()()()()()

 

 ダンボール?

 俺はあたりを見渡す。確かにそれなりの大きさと数のダンボールが辺りに乱雑に置かれている。

 俺はスゥッと息を吸いこみ、考える。今までの記憶が、推測が、俺の脳内を駆け巡る。

 

『いるんだったらもっと早く出ろよな。』

 

『あんまり引っ掻き回さないでくれよ。』

 

『制汗剤か…?』

 

『いくつか段ボール運んだな』

 

『神田の千反田かい?』

 

 もしかしたら……そういうことかもしれん。

 

 だがどうする?このままでは()()()()()()()()()()()

 とは言っても、この人いい人そうだし、カマをかけるってのも気が引け…

 

「先輩、どうやらこの部屋はものが多くて捜し物には手間がかかりそうです。ご迷惑でなければ()()()()にも協力してもらい、()()()()捜索したいんですが、いいですかね?」

 

 言いやがった!?奉太郎といい伊原といい、どうしてこう先輩に喧嘩売るような事を……!

 遠垣内の眉がピクリと動く。

 

「ダメだ、あんまり引っ掻き回さないでくれと言ったろう」

「ちゃんと元の場所に戻します」

「ダメだと言っている!!!」

 

 奉太郎以外の俺たち三人は体をびくつかせる。

 

「ああ!!ごめんなさい、遠垣内先輩。いいんです、ないのなら仕方ありません。」

 

 千反田は「あわわ」、「あわわ」という手振り素振りを見せながら遠垣内に頭を下げる。そして、遠垣内の声はいよいよ大きくなる。

 

「俺はアイディアを出すのに忙しいんだ!折角なにか思い浮かんだところに入り込んできて、何が徹底的に捜索だ!とっとと帰ってくれ!!」

「お、おい奉太郎。そんなカマのかけ方……!あっ!」

 

 カマ。思わずそれを口にしてしまう。遠垣内は俺の言葉に反応し、怒りで満ちていた顔は虚ろな表情になる。

 

「カマ……?そうか、お前達は、俺を……俺を……」

 

 奉太郎は言葉を続ける。

 

「先輩、俺たちは()()()()()()()()()()に興味があるんです。ここに無いというのなら仕方ありません。俺たちはこれから図書室に用があるので失礼します。けど、もし仮に文集を見つけたのなら地学講義室に持ってきては頂けませんか?鍵は空けてあります」

 

 遠垣内の顔はさらに歪むみ、俺たちを睨みつけてくる。俺達は動じない。

 まぁ東西南北、四方八方、感情だけで肉体的に傷を負った人間なんていないもんな。

 

 そして遠垣内もさすがの自制力だ。感情を押さえつけ、いつもの愛想の良い顔に戻り、答える。

 

「分かった。見つけたら持っていくよ」

「お願いします……。んじゃ行くかお前ら」

 

 恐らく千反田と伊原は遠垣内と奉太郎の会話の意味を理解できていないだろう。ポカンとしている二人を奉太郎は促す。

 

「あの、折木さん、南雲さん。いまのは?」

「ちょっとあんたら」

「話はあとだ」

 

 奉太郎が短く言ったあと、俺たちは生物講義室を後にしようとうする。すると……

 

「一年二人……お前らの名前だけは聞いてなかったよな」

 

 俺たちは振り返り、答える。

 

「一年、折木奉太郎」

「一年、南雲晴… ……悪いとは思ってますよ、先輩。」

 

 




ついに文集のバックナンバーを見つけた俺たちは、その文集の名前が《氷菓》という奇妙なものだと知る。

そしてこの出来事は、俺達の謎解きの始まりに過ぎなかった。

次回《伝統ある文集への道 (けつ)

全ては歴史的遠近法の中で、古典になっていく。


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第七話 伝統ある文集への道 転結(てんけつ)

 俺と奉太郎は特別棟と一般棟を繋ぐ連絡通路で立ち止まり、ここで時間を潰すことを提案した。

 

「ちょっとあんたら、さっきのはなに!?図書室に行くんじゃなかったの?」

「行かない、行く必要も無い」

「分からないわね。必要ないんだったら私は戻るわよ。」

「まて、伊原もう少し経ってからにしろ」

 

 奉太郎の呟きに伊原は納得いかないような顔で立ち止まる。

 

「南雲さん、遠垣内先輩は怒ってましたね」

「あぁ怒ってたな」

「折木さんがあんなに強引に頼む必要はあったのでしょうか」

「あったさ。あぁしなきゃ()()()()()()()()()()()。ちょっと危険な賭けだったけどな、先輩に殴られるかと思ったぜ」

 

 俺は「ククっ」と笑うと、奉太郎はため息をつき、俺の肩をドツキながら口を開いた。

 

「お前が《カマ》という言葉を口にしたからだろ。まったく……」

「てか、そろそろ説明しなさいよ南雲、折木!文集は本当にどうなってるの!?」

「あぁ、そろそろ届いたんじゃないか」

 

 奉太郎のその言葉に千反田と伊原は顔を見合わせ、首をかしげた。

 

 

 

 

 

───────────────────────────────

 

 

 

 

 

 

「おっ、来てるぜ奉太郎!」

 

 地学講義室に戻った俺は、机の上に置いてある数十冊の薄いノート状のものを指さす。

 

「来てるって……まさか!?」

 

 伊原が机に駆け寄り、ノートを一冊取る。

 

「文集だわ……なんで?」

「そいつはこいつが説明してくれる」

「おれぇ!?」

「お前は遠垣内を欺くのにビビってたろ、俺は文集をここまで持ってこさせる役割を果たした。次はお前だ」

 

 伊原の険しい目付きと、千反田の光り輝いた目付きが俺を向く。ヒィ……

 

「分かった!説明する。まずは何故遠垣内……、いや遠垣内先輩が部室に鍵を閉めていたか、分かるか伊原」

「誰もにも邪魔されたくなかったんでしょ?特集の記事を書いてるって言ってたし」

「だが、窓は開いていた。ほぼ全開にな。あんな空いてたら運動部の掛け声が教室内に侵入して、それこそ記事を書くどころの話じゃない。」

 

 伊原は眉を細める。

 

「暑かったし、それくらいは許容範囲だったんじゃない?」

「あの教室には扇風機があった。わざわざ窓を開ける必要は無い。……が、先輩は窓をあけて更に扇風機まで付けていた、扇風機の場所は窓の反対側。おかしくないか?()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。それに、あんな位置に置けば、案を練るのに使うB1の紙が外に吹き飛ばされちまう。まぁ先輩は上にペンケースを乗っけてたから飛ばされはしなかったけどな」

「それって、換気じゃないの?」

「まぁそう考えるな。じゃあ、なぜ換気をする必要があるか、それに加え、なぜ()()()()()の遠垣内家の一人息子がドアに鍵をかけ、部室に一人篭もり、赤外線センサーを……」

「ちょっ、ちょっと待ってよ!赤外線センサー!?なんの話!?」

 

 伊原は千反田程ではないがグイッと俺に顔を寄せてくる。ほう、こいつもなかなか反応がよろしい。

 

「やっぱ気づいてなかったか。生物講義室の十メートルほど前に廊下の両端に白い箱が置いてあった。恐らくそれだ。その赤外線センサーに触れれば警報が鳴り響く仕組みだ。今の時代ホームセンターで簡単買えるぜ。他の状況証拠を言えば、準備室にあった小型スピーカーかな?」

「あの状況でそんな事まで推理してたっていうの……?」

 

 唖然とする伊原。そうか?考えれば誰でもわかることだ。

 いつも言ってるように《閃き》、そして《運》だ。

 

「この状況を推理できたのは俺だけじゃないぜ、奉太郎もそれを知ってた」

「そして伊原、遠垣内は赤外線センサーで侵入者をいち早く察知、そして奴は空気の換気をした。そして、奴から匂った制汗剤の匂い……これだけのヒントがあれば、遠垣内が何をしたかったか分かるよな?」

「換気じゃなくて、詳しく言うと消臭ってこと?」

「ビンゴ」

 

 パチンっと指を鳴らし、言葉を続ける。

 

「そこまでして必死に隠したい匂い、そして遠垣内家は教育界の重鎮……もし奴が()()()()をしていたとしたら……?」

 

「不法行為、におい?あっ……煙草!」

「正解、よく出来ました。どうだ奉太郎?」

 

 後ろで壁に寄りかかりながら俺の推理を聞いていた奉太郎は二三回拍手をしたあとに口を開く。

 

「俺の言いたいことを全部言ってくれたが……一つだけ抜けてるぞ、ハル。」

「え?」

「薬品金庫さ。なぜ見つからなかったんだ?」

「あぁ……それいう必要ある?」

 

 奉太郎は俺の後ろを指さす。俺はその場所へ視線を移すと、イライラした表情で俺を睨みつける伊原の姿があった。おお……真骨頂、凍てつく視線だ。メデューサかなんかか?

 

「わ、わかったわかった!説明するって、でも推理とかじゃない。遠垣内は文集を隠そうとしてたんじゃない、金庫自体を隠してた。だから結果的に文集も隠されたんだ!」

「遠垣内はきっと薬品金庫の中に煙草関連の代物を隠してたんだろうな。奉太郎が『大出先生と一緒に捜索』って言った時、遠垣内の顔を見たろ?きっとダンボールの中にでも隠してたんだろ」

 

 正直、遠垣内先輩を欺くってのは気が引ける。

 不法行為をしてるとはいえ、個人で楽しんでたものをダシに使うなんて……。

 ん……?

 

 突然文集を持った千反田が俺の前に立っていた。その真剣な眼差しは《パイナップルサンド》の時と同じだ。俺はそれを受け取る。

 

「ひょうか?」

 

 この文集の題名だ。発行は一九六八年。第二号か……。

 鳥獣戯画のような絵で犬と兎が描かれている。数多くの兎が輪になっており、一匹の犬と噛み合っている。

 

「よく分からない名前ね」

「右と同じ」

 

 いつの間にか俺の両端に移動してきた奉太郎と伊原は《氷菓》を眺める。

 一方千反田。さっきから何も喋ろうとしない、追い求めていた文集が見つかり感動に打ち震えてるのか?

 

「これです……」

「え?」

「折木さん、南雲さん……、私は、これを叔父の家で見つけたんです!私はこれを、叔父に何かと聞いたんです!」

「思い出したのか!?」

 

 奉太郎の質問に答えぬまま、千反田は《氷菓第二号》を指さす。

 

「これには叔父のことが乗っています。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。南雲さん、めくってください」

 

 言われた通りに、俺は氷菓をめくる。序文か… ……

 

「読むぞ」

 

 俺のつぶやきに三人が頷く。俺は息を吸い込み、言った。

 

 

 

 

 今年もまた文化祭がやって来た。

 

 関谷先輩が去ってから、もう一年になる。

 この一年で、先輩は英雄になり、そして伝説となった。文化祭は今年も五日間盛大に行われる。

 

 しかし、伝説に沸く校舎の片隅で、これを書いている私は思うのだ。十年後、二十年後、誰があの静かなる闘志、優しい英雄のことを覚えているのだろうか。

 

 争いも、犠牲も、先輩の微笑みさえも、すべては時の彼方に流されていく。

 

 いや、その方がいい。覚えていてはならない。なぜならあれは英雄譚(えいゆうたん)などでは決してなかったのだ。

 

 友に裏切られた先輩は、英雄として語り継がれてはならない。

 

 すべては主観性を失って、歴史的遠近法の中で古典になっていく。

 

 いつの日か、現在の私達も、未来の誰かの古典となるだろう。

 

 一九六八年。十月十三日、郡山養子

 

 

 

「だとよ」 

「ここにある去年というのは三十三年前になります。ならば関谷先輩とは叔父のことでしょう。三十三年前に……伯父には、神山高校に何かあったんです」

「なら調べてみればいい」

 

 奉太郎の声だ。短文ではあったが冷たい声ではなかった。

 

「調べてみればいいさ、三十三年前の事を」

「覚えていてはならないと……記されています。もしかしたら不幸なことになるかもしれません……」

「《すべては主観性を失って、歴史的遠近法の中で古典になっていく》」

 

 三人の目線が、俺を向く。無意識に声に出していたのだ。

 

「あぁ、その……時効ってことでいいんじゃないか?三十三年前になにがあったかは分からない。知らない方がいいのかもしれない。だが千反田がそれを受け止めることが出来るなら、調べるべきだと思う。知りたいんだろ?叔父さんのこと」

 

 俺は氷菓を見ながら言った。

 

「こいつは《古典》だ」

 

 千反田は奉太郎の顔を見る。奉太郎は頷く。

 《氷菓第二号》には『去年のこと』が記されている。なら、創刊号を調べればいい話だ……。

 

「なによこれ……!!?」

 

 突然伊原の声が俺たちの耳に響いた。目が大きく見開き、虚ろな表情で伊原は口を開いた。

 

「創刊号だけ……置いてない……!」

 

 あぁ、そうか……こいつ(氷菓)が解いてくれと言ってるのか。

 

 三十三年前に神高で起こった関谷純に関わる出来事は、《氷菓》第二版だけでは語りきれなかった。

 

 創刊号は……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()




こんにちは、桜楓です。

次のお話は、私と南雲くんのお話。

次回《乙女と探偵》

この人は、一体なんなの?


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第八話 乙女と探偵

お気に入り30、UA1000突破!!

このような駄作をお手に取って頂きありがとうございます!

これからもよろしくお願いします。

時系列的には遠垣内を騙す数日前のお話。


 こんにちは。桜楓(さくらかえで)と申します。

 

 え?南雲晴はどうしたって!?ごめんなさい、ごめんなさい!今日は私が語り手です。

 

 今日は私と南雲くんのお話。

 

 

 

 

 

 

 

 

──────────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あのモッサリ頭のどこがいいの?」

 

 モッサリ!?酷いこういうなぁ、ナギちゃんは……。

 昼休み、私の前の席に座っている私の高校初めてのお友達の倉沢凪咲(くらさわなぎさ)、通称ナギちゃんは南雲くんの方向を眺めながら言った。

 

「別にそういうんじゃないよ、ただ気になるだけで……!」

「それを《恋》という感情の他にどう表現すんのよ」

 

 うーん……なんだろう。南雲くんに対して浮かぶ感情が私にもわからない。今まで人を好きになったこともないし、これがなんの感情なのか……

 

「連絡先くらい聞いたら?」

「と、突然話したこともない芋女に連絡先なんて聞かれたら引かれるに決まってるでしょ!?」

「自分で言うんだ……」

 

 うん。私も悲しくなってきたよ。ナギちゃん。

 

「行くぞお前らァァァァ!!」

 

「「「「「「男気ジャンケン……ジャンケン……」」」」」」

 

 南雲くんの方向から声がする。南雲くん、折木くん、福部くん、その他に男子三人が何やら集まってジャンケンをしてる。

 

「「「「「「ほい!!!!」」」」」」

「よっしゃァァァァァいちぬけぇぇぇぇぇえ!!」

「はい!!南雲喜んだ、おまえのまけぇぇぇぇぇぇぇえ!!!てか、折木の顔がかわってねぇぇぇぇぇぇすげぇぇぇぇぇぇ!!」

「人を感情がないみたいに言うな、ポーカーフェイスだ」

 

「なんで男子ってあんなんで盛り上がれるんだろうね、ナギちゃん」

「バカだからでしょ」

 

 

 

 

 

 

 

 

───────────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 放課後。

 

 さて、早速部活だ!私が入っているのは文芸部。元々文章を書くのが好きで、部活動が盛んな神山に入ったらこの部活にしようと入学前から決めていた。

 部活でも新しいお友達出来たし、楽しみだな〜!ルンルン 

 

「桜さん!」

「はい!!」

 

 と、ととととと突然南雲くんが話しかけてきた……!落ち着くのよ楓!!テンパっちゃ駄目!!!

 

「お、おぉ。脅かしちゃったみたいだな」

「なななななななな南雲くん!?どうしたの?」

「実はさ、俺たちの部活で文化祭に文集を書くんだけど、バックナンバーが見つかんなくてさ……。桜さんって確か文芸部だよね?もしかしたら紛れてたりするかもしれないから部室を調べさせてくれない?」

 

 文集?南雲くんも文集を書く部活に入ってるのかな?なんだろう…読書部?漫研?

 

「う、うん。今から部活行くから一緒に来る?」

「あぁ、頼むよ」

 

 私は南雲くんと一緒に教室を出ると、いつも通り部活棟へと足を運ばせる。私はこの放課後の静けさが好きだ。

 かすかに聞こえる運動部の掛け声、文化部達の楽しそうな笑い声、これぞ青春、《薔薇色》だ。

 私は横を歩く南雲くんをチラッと見る。背は私より十センチ程高いが、全体的に体の線が細くいかにも文化系って感じだ。目にまでかかる前髪が廊下の窓から侵入してきた僅かな風で揺れる。

 私はなんでこの人に興味を持っているんだろう。特別顔がかっこいい訳でもないし、言ってしまえば関わったこともそれ程多くない。性格もどちらかと言うと私と同じ地味めだし……普通の男の子だ。

 

「えっと……俺の顔になんかついてる?」

「えぇ!?いや、なんでもないよ!!?」

 

 気づかれてた……!!変な子だって思われた……絶対思われた!!

 ダメよ楓!男の子と二人で歩いた事ないからって動揺しちゃ!ん?放課後の廊下を男の子と二人で歩く……?

 うわぁ……青春だぁ……!

 

「おっす!晴!」

「晴香……」

 

 部活棟への連絡通路で南雲くんに話しかけてきた女子生徒。綺麗な人だな……。学章の色をみるからに三年生、南雲くんのお姉さんかな?

 

「晴〜、なんだこの美少女は〜、彼女か〜?」

 

 か、彼女!?

 

「なぜお前は俺が異性と歩いていると恋人認定になるんだ。ただのクラスメイトだよ」

 

 ゴーン!!

 ただのクラスメイトかぁ……。そうだよね、南雲くんから見れば私なんて……。

 すると、美人さんは私に近寄り肩に手を置いた。

 

「じゃ、晴をよろしくね。かわい子ちゃん」

 

 そのあと、美人さんは普通棟に歩いていった。

 

 私たちはまた足を動かし、部活棟に入りました。そして、部室がある三階までの階段を登ろうとした時……

 

「南雲」

「伊原」

 

 また女の子。知り合い多いのかな?

 

「収穫はどう?」

「今から文芸部に行くとこだよ。お前は?」

「全然……占い研究部も文集を出すって言ってたからもしかしてって思ったけど、私たちの文集はなかったわ。えっと……あなたは?」

「あっ、……文芸部の桜楓です」

「あぁ、だから文芸部に探しに行くのね。じゃぁそっちは頼んだわよ。南雲」

「おう、任された」

 

 伊原さん?ともすれ違い私たちは階段を上る。

 左に曲がって三つ目の教室が私たち文芸部の部室、パソコンルームだ。

 すると……

 

「あら、南雲さん?」

「千反田、お前も来てたのか」

「はい、文集と言ったら文芸部だと思いまして」

 

 また女の子!?しかもこの子もさっきの二人と同じくらい美人……!

 

「僕もいるよ、ハル」

「里志もか……奉太郎は?」

「部室で省エネ中」

「相変わらずだな」

 

 三人が交わす会話の一言一言は短かったけど、そこの会話から三人の仲の良さが垣間見れた気がする。

 三人とも同じ部活?

 

「それよりハル」

「どうした?」

「頭を働かせる気は無いかい?今ならチョコ付きだよ!()()()()()()だけどね」

「は?」

 

 私にも、福部くんの話している意味が分からなかった。

 

 

 

 

 

 

────────────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 福部くんの話の全貌をまとめます。

 

 私と南雲くんが部室に来る前に福部くんと千反田さんは文芸部に訪れて文集を探させて貰っていたようです。

 その途中に文芸部の部員達が頭を悩ませている事に気づいたそうです。

 

 それこそが福部くん作《仲間はずれのチョコ事件》。

 

 昨日の()()()に今年の卒業生が差し入れでブランド物のチョコを差し入れで持ってきてくれました。でも一日で食べるのが勿体なくて、私たちは日に分けて食べようと、部室にチョコを置いて帰りました。

 

 そして今日も食べようと一個ずつ袋分けされているチョコを一個開けたところ……チョコが溶けていたそうです。もう固まっていたらしいので、溶けてから時間がたっていたんだと思います。

 でも、溶けていたのは何個かある内の一つだけ……。こんなことってあるのかな?

 

「あのなぁお前ら……最近なんでもかんでも謎謎言い過ぎなんだよ。人間不信になるぜ?」

「いいじゃない。君やホータローの謎解きは見てて楽しい。それに今回は一年B組唯一の文芸部、桜楓さんも助っ人だ。質問は彼女に聞けばいい」

「ったく、仕方ない。少し考えてるか……そうだな、チョコが溶ける理由は《熱》以外に考えられない、だとすれば簡単じゃないか?パソコンルームの窓は黒いカーテンで覆われてるし、このパソコンルームで熱を発生させられるのはパソコンしかない。パソコンの上、もしくはパソコンの近くに置いてあったんだろ?」

 

 確かに、それくらいしか考えられないよね。私はウンウンと頷く。

 

「すみません南雲さん。その説は残念ながら立証できません……」

 

 千反田さんが申し訳なさそうに口を開く。

 

「チョコが置かれていた場所は《ここ》なんです」

 

 千反田さんが指を指した場所はパソコンが置かれていない机。書き物がある時に使う机だ。確かに………あそこに置かれてちゃパソコンの熱じゃ溶けないよね。

 

「それにパソコン熱で溶けたっていう理由だと、文芸部の皆さんが帰ってからもパソコンは起動していたことになる。シャットダウンされていたのは確認済みさ」

「む。桜さん。昨日パソコンルームでいつもとは違うこと、なにかおかしな点とかなかった?」

「それなら」

 

 答えたのは私ではなく、私より早く部室に着いていた部長だった。

 

「昨日はパソコンのバッテリー交換で用務員さんが入ったらしいよ。ノートパソコンだからね」

()()用務員さん関連ですか」

 

 千反田さんが不意につぶやく。また?前も用務員さん関連で何かあったのかな。

 

「それにしても楓、あのチョコ美味しかったね〜」

 

 同じ部員の一年生が話しかけてくる。

 

「ううん、私は勿体なくてまだ食べてないだ……。だから()()()()()()()()()()()()()()

 

 あれ?だとしたらなんで昨日私が使ってたパソコンの上にチョコが置いてないんだろ?

 

「ん?桜さん。パソコンの上にチョコ置いたの?」

「あ、いやいや。シャットダウンしたあとのパソコンの上だよ!だからパソコンの熱は関係ないよ!」

「ふむ……」

 

 南雲くんが顎に手を置く。なにか考えてるのかな? 

 

「その他になにかありませんでしたか?」

 

 南雲くんは部長に問うと、部長は少し考えたあとに答えた。

 

「そうだなぁ。あー、でもさっき君たちが来る前に用務員さんが部室にやってきたよ。『君たち危ないよ』って言ってきてさ、何のことかさっぱりだったけど」

 

 『君たち危ないよ』……?なんだろう、私もさっぱり……。

 

「あぁ、そういう事か」

 

 え?

 

「おっ、なにか思いついた顔だね」

「南雲さん!!謎が解けたんですか!?」

 

 グイッと南雲くんに千反田さんが近寄る。ち、近すぎない!?

 

「あぁ!この一つのチョコはやっぱり触れてたんだよ。パソコンに」

「南雲くん、それってどういうこと?」

「このパソコンルームのパソコンは全部ノートパソコンさ。シャットダウンが終わったあとに最初にする行動はなんだ?」

「えっとパソコンを閉じる」

「もしその時にパソコンがシャットダウンされていなかったとしたら?」

「だからさっきから言ってるだろハル。パソコンのシャットダウンは確認済みさ。」

「そりゃそうさ。バッテリーを入れ替えたんだからな。用務員さんがバッテリーを入れ替えたのは文芸部の皆んなが帰ってから、すべてのパソコンのバッテリーを交換していたのなら、シャットダウンされていないパソコンに気づいても不思議じゃない」

 

 なに……?

 

「そして、用務員さんが文芸部の部長さんに言った『君たち危ないよ』というのはシャットダウンされていないパソコンが熱くなっていたから。誰もいないパソコンルームのパソコンがシャットダウンされずに発熱してたら、そりゃ注意するだろ?言葉足らずだったみたいだけどな。」

 

 なんなの……?

 

「そして、桜さん以外の部員は昨日のうちにチョコを一つずつ口にした。しかし桜さんだけは食べるのを躊躇ってパソコンの上にチョコを置いて帰った。用務員さんはバッテリー交換時にシャットダウンされていないパソコンの上にあるチョコに気づき、余ったチョコが置かれている書き物机に溶けたチョコを移した。つまり……」

 

 南雲くんは私をビシッと指差し、バカにするように笑いながら言った。

 

「犯人は君だ。桜さん!」

 

 なんなの……この人〜!!!

 

「そういう事だったのね、楓〜……!!!」

 

 部長の顔が怖い。まずい!

 

「パソコンの電源はちゃんと切りなさ〜い!!!!」

「ごごごごごごめんなさ〜い」

 

 

 

 

 

 

 

──────────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 はぁ、酷い目にあったよ……。

 まぁちゃんとシャットダウンしなかった私が悪いんだけど…部長もあんなに怒んなくてもいいじゃ〜ん。

 

 教室に忘れ物をした私は、夕日に照らされる教室を眺める。

 夕陽、綺麗だなあ。

 

 私はポケットから携帯を取り出すと、カメラモードを起動する。そして携帯のカメラ越しに夕陽を眺めると……

 

「うっす」

「南雲くん!?」

 

 カメラ越しに南雲くんが映っていた。

 

「お前も反応が大袈裟だな。さっきはコテンパンに怒られてたな。はは、ご愁傷様。」

「うぅ……。それで文集は見つかった?」

「ん?あぁ、なかったわ。だからお礼だけ言いに来た。連れてってくれてありがとな桜」

 

 あれ?今まで「さん」付けだったのに。

 

「それで何撮ろうとしてたんだ?」

 

「え?ああ!なんでもないよ!!ほんとになんでもない!メールを返してたんだって!そ、それはそうと南雲くんってなんの部活なの?文集ってなんの?」

「言ってなかったっけ?古典部だよ。まぁ最近まで部員ゼロだったらしいし、知らないのも無理ないか。奉太郎も里志も千反田も伊原もそうだぜ」

 

 古典部……へぇ、日本文学に興味があるのかな?なんか意外だ。

 

「んじゃ帰ろうぜ」

「あっうん。お先にどうぞ」

「え?」

「え?」

 

 

 

 

 

 

 

───────────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 あわわわわわわわわわわわわ……!!!

 お、男の子と一緒に帰ってる。青春だぁ、薔薇色だぁ……!!

 

「じゃぁ俺こっちだから」

 

 あれ!?校門出て右と左で速攻お別れ!?

 はぁ、ツイてない……。もう少しお話してみたかったなぁ……。

 その時、昼休みにナギちゃんが私に言った言葉を思い出した。

 

 『連絡先くらい聞いたら?』

 

「あのさ!!南雲くん!」

「なんだ?」

「れ、連絡先…聞いてもいいですか?」

「いいぜ」

 

 即答!?

 

「ほれ」

 

 南雲くんは携帯電話を私の方へ向ける。

 

「あ、うん、宜しくね!」

 

 私は自分の携帯を南雲くんの携帯に重ねた。

 

 ピロン、《新しい連絡先 南雲晴》

 

 私が南雲くんに抱いてる感情が《恋》なのかは分からない。それはこれから見極めればいい話だ。

 でも、今日は南雲くんの色んな面を見れた気がする。なんだかそれが、とてつもなく嬉しかった。

 

 南雲くんは、やっぱり面白い。




文集《氷菓》を見つけた俺たちだったが、三十三年前の謎はまだ明かされないままだ。

俺たちは、《氷菓》を古典にするため、事件の真相を探ることに…

次回《それぞれの色》

僕は人を貶す時は、君は無色だっていうよ。


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第九話 それぞれの色

 夏休みに入った七月末。

 最近購入したマウンテンバイクを走らせ、俺は神高に向かう。

 

 神高の裏門に到着したが、待ち合わせ場所はここじゃない。回るか。

 俺はグラウンド外の道を自転車を走らせながらグラウンドを横目に思わず苦笑をこぼす。

 夏服を着た生徒達が学年問わず大道具を組み立てているのだ。理由はカンヤ祭。

 

 文化祭が活発なこの学校は十月初旬から開催されるカンヤ祭の準備を今から行っているのだ。聞こえてくるのは生徒達の話し合いの声、それをバックにエレキギターや吹奏楽の音色……。校舎の中では、きっと遠垣内や晴香、桜をもがカンヤ祭に向けて準備を進めているだろう。

 

 とは言ったものの、俺がわざわざ私服で学校に訪れるのも、カンヤ祭関連だ。

 半月前、文集《氷菓》を発見し、関谷純の影をつかむことには成功したが、関谷純について書かれている《創刊号》のみが見つからなかった。

 千反田は三十三年前の出来事を調べたいと俺と奉太郎に言ってきたが、本気で過去を探るとなると、頭も手も足も何もかもが足りない。千反田の気持ちもわかるが、里志や伊原の助力を求めるように千反田を説得。《パイナップルサンド》の時とは違い案外すぐに受け入れてくれた。なんなんだ、一体。ま、女心となんとやらとも言うしな。

 

 ちょっと違うか?

 

 とにかく、その後俺たちは千反田からの緊急招集を受け、一度話し合いの場を設けた。千反田の伯父のことを里志と伊原に話すと二人は

 

「この表紙興味をそそるわね。絵解きができたら漫研の原稿にもなりそうね」

 

 と伊原。

 

「偽りの英雄譚。それを三十三年後の後輩が解く…実にミステリアスだよ!」

 

 と里志。

 

 結果千反田の伯父のことを調べ、それを文集のネタにしようという一石二鳥の奉太郎からの省エネ案で満場一致。俺たち古典部は千反田家にてこの夏休み期間で調べた結果を発表する検討会に出席する。

 

 正門まで辿り着いた俺は先に到着していた奉太郎の近くに自転車を止める。奉太郎と短く挨拶を交わすと、口を開く。

 

「うっす、里志は?」

「まだだ、詰まるところ手芸部でなんかあったんだろ」

「あれ?里志って囲碁部じゃ」

「それは仮入部で行っていたな。本入部したのは古典部と手芸部だ」

「あいつもカンヤ祭の波に乗っかってんだな」

 

 しばらく無言のまま、エネルギー溢れる生徒諸君の姿を見ていると、昇降口から一人小走りでこちらに向かってくる姿が見えた。

 

「ごっめーん!まったー!?」

 

 中庭でアカペラの発音練習をしていた連中が、里志の気色の悪い声にギョッとして振り向く。

 なんだ……あいつ……。

 奉太郎はこちらに寄ってきた里志にカウンター気味に蹴りを入れた。

 

「うわっ!なんだよホータロー、物騒だな」

「やかましい。お前に羞恥心とか公序良俗の維持観念はないのか」

「悪いね二人とも、手芸部のミーティングが長引いてさ」

「手芸部は文化祭何やるんだ?」

曼荼羅絨毯(まんだらじゅうたん)をみんなで縫うんだ。問題が起きたから対策会議さ」

 

 それはそれは……、ご苦労なこった。

 

「それよりお前ら、資料は用意できたか?」

 

 奉太郎が俺たちの掛け合いを見たあとに口を開く。

 

「もうバッチリさ。データベースを舐めないでよ。」

「持ってきたけどあんま期待すんなよ。こういうのは慣れてない」

「ハル、それは保険かい?」

「るせぇ……」

 

 奉太郎が言ってた里志はたまに無礼というのは本当みたいだな。

 

 その後自転車で川沿いの道を遡り、市街地に入ってそこを抜ける。何度か交差点を通り過ぎると、いつの間にか周りは畑だらけだ。

 人通りも少なそうなので俺たちは自転車の速度をあげる。

 俺たちはしばし並走。仲良しかよ……。

 まぁ三人並走なんてよっぽど道が広くない限りできないし、言ってしまえばそれほどまでに今俺達が走っている場所はのどかだ。

 すると、奉太郎が口を開く。

 

「里志、お前は楽しそうだな」

「そりゃ楽しいさ。サイクリングは僕の趣味の一つ……青い空、白い雲、広がる土地!これほどまでの快感はそうそうないよ。」

「違う、お前の高校生活全般の話だ」

「あぁ、《色》の話ね。ちょうどここには三色揃ってるじゃないか」

 

「学校生活に花を求める…《薔薇色》のぼく。」

「薔薇が育たない土壌を持つ…《灰色》のホータロー。」

「そして、何者にも染まらず、何者も染めない…オールラウンダーの《無色》のハル」

 

 そういった後里志は一息置き、続けた。

 

「けどね、僕はそれでいいと思うよ。それは《個性》さ。前にハルも言った通り、人に言われたからって気にするものじゃない。僕はホータローを貶めようとして《灰色》と言ったわけじゃないんだよ。君の個性を言っただけさ」

 

 個性……ね。違いない。人に趣味を馬鹿にされようが、性格を馬鹿にされようが、それは犬が吠えてるようなものだ。放っておけばいい。

 個性は変えることのできない……絶対的な領域なのだから。

 

「だから僕は、人を貶める時は、()()()()()()()()()()()()

 

 む……?

 

「それは俺を揶揄(やゆ)してるのか?」

 

 今まで黙って聞いていたが、さすがの俺も口を開く。

 すると里志は心外だという風に首を振りながら答える。

 

「まさか!僕のいう《無色》と君の個性の《無色》は別物さ。君は何にだってなれるんだろ?でも……何者にもなれないやつだっているだ。個性を持たない、自分を持たない人間もね」

 

 自分を持たない人間か……、そんな奴がいるのだろうか?

 

「ほら二人とも見えてきたよ!千反田邸だ!」

 

 突然明るくなった声に俺と奉太郎は顔を上げる。広大な田圃の中に立つ千反田邸は、お屋敷と呼ぶに相応しいほどの大きさだ。

 ()()()()()()()()()()()()()()()つもりだったが、これはデカイな……。

 

「すごいな……」

「同じ感想だ」

 

 自転車から降りて小言をぼやく俺と奉太郎に、里志は口を開いた。

 

「どうだい?見事なもんだろ!?」

 

 いや、お前の家じゃないだろ。さて、お屋敷鑑賞会はこれくらいにしよう。約束の時間……ちょっと過ぎてるしな。

 

「さぁ行こうぜハル、里志」

「あぁ……そうだね、少し待ってよホータロー」

「なんだ」

「使用人が迎えてくれそうじゃないか?」

 

 馬鹿な事をいう里志を俺と奉太郎は無視して門を潜り、玄関のベルを鳴らす。なんか緊張するぜ……。

 

「はぁい!お待ちしていました、みなさん!もう伊原さんは来てますよ。」

 

 出てきたのは千反田。髪型は学校と同じでくくらず流したままで、純白のワンピースが良く似合う。

 

 使用人が出てこなかったのが不満だったのか、里志の小さな舌打ちが聞こえる……。気のせいということにしておこう。

 

「自転車、どこに置きました?」

「あ、駐輪場あった?」

「いえ、置く場所はどこでもいいんですが」

『『『なぜ聞いた!!』』』

 

 案内されたのは縁側に沿ってある、障子で仕切られた部屋。風がよく通り涼しそうだ。

 

「あんた達、遅かったわね」

 

 伊原は先に来ていた。

 おぉ、こりゃ随分とイライラしてたんだな。冗談でも「美容の大敵だぞ」なんて口が滑っても言えない。

 

「適当なところに座ってください」

 

 そう促された俺は真ん中に鎮座する机の伊原の真正面に座る。それに続き、奉太郎が俺の横に、里志が伊原の横に、千反田がホスト席だ。

 

 リュックサックから検討会の資料を取り出し、ペンケースも同時に机に置く。クルクルとペンを回している俺の指を千反田がずっと見ていたが……、ピタッとそれを止めると、ハッと我に返ったような顔をする。

 

「それじゃ揃ったところで始めてくれ、千反田」

 

 奉太郎のボヤきに千反田は大きく頷き、口を開いた。

 

「それでは始めましょうか、検討会」

 

 俺たちは、誰にともなく礼をした。

 




次回《伝統ある古典部の推測 ()


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第十話 伝統ある古典部の推理 ()

「始めましょうか、検討会」

 

 俺たちは、誰にともなく礼をした。

 

「今回の会議の目的を確認しておきます。発端は私の私的な思い出……。そして、《氷菓》の発見により伯父が《氷菓》を書いたとされる三十三年前に神山高校で起こった出来事が、私の思い出に関係あるのではないのかというのが分かりました。会議の目的は三十三年前に何があったのかの推測……真実が分かり次第、今年の《氷菓》の案にもこれを載せるというわけです」

 

 こりゃ下手くそな教師より説明が上手い。流石は学年トップレベルの女……恐るべし。

 

「そして夏休みに入って一週間、それぞれが資料の準備をして頂けたとおもいます。それぞれの調査結果を報告、そこから推定される三十三年前の出来事を発表してもらいます」

 

 この話はもう三度目だ、流石に聞き逃す愚か者は。

 俺はチラッと周りを見ると、横に平常心を保とうにも少しばかり頬が引きつっている奉太郎の姿があった。

 いたよ、愚か者が……。

 ま、こいつなら俺達の推測を繋ぎ合わせて、誰もが驚愕する素晴らしい推理をしてくれるはずだ。俺は自分の役割、そして推測に徹底しよう。

 

「まずはそれぞれの資料の配布、次にそれの質問、次に仮説……この順番で検討会を始めましょう。それでは最初の人……」

 

 千反田はひと呼吸おき

 

「誰にしましょう?」

 

 「だぁっ!!」っと俺たち四人は自然によろける。司会進行は上手いのに、妙なところでつまづくんだよなぁ……。

 

「千反田、お前からいけ。」

 

 奉太郎の言葉に千反田は頷くと、口を開く。

 

「はい、では私から時計回りにしましょう」

 

 千反田から渡された資料を一枚取り、奉太郎に回す。

 これは……《氷菓 第二号》の序文か。ほう、《氷菓》自体に目を付けたってわけか。

 

 全員に資料が行き渡ったことを確認し、千反田の報告が始まる。

 その前に、《氷菓》の序文をもう一度確認しよう。

 

 

 今年もまた文化祭がやって来た。

 

 関谷先輩が去ってから、もう一年になる。

 この一年で、先輩は英雄になり、そして伝説となった。文化祭は今年も五日間盛大に行われる。

 

 しかし、伝説に沸く校舎の片隅で、これを書いている私は思うのだ。十年後、二十年後、誰があの静かなる闘志、優しい英雄のことを覚えているのだろうか。

 

 争いも、犠牲も、先輩の微笑みさえも、すべては時の彼方に流されていく。

 

 いや、その方がいい。覚えていてはならない。なぜならあれは英雄譚(えいゆうたん)などでは決してなかったのだ。

 

 友に裏切られた先輩は、英雄として語り継がれてはならない。

 

 すべては主観性を失って、歴史的遠近法の中で古典になっていく。

 

 いつの日か、現在の私達も、未来の誰かの古典となるだろう。

 

 一九六八年。十月十三日、郡山養子

 

「私が調べたのは《氷菓》そのものです。他のバックナンバーも調べたのですが三十三年前の出来事について書かれているのはこの序文のみでした。ですので、この序文で推測出来るものをまとめたのがこちらの資料になります」

 

 再び資料が配布される。

 

 一、「先輩」が去ったこと

 二、「先輩」は三十三年前の時点で英雄、三十二年前には伝説?だったこと

 三、「先輩」は「静かな闘志」、「優しい英雄」だったこと

 四、「先輩」が《氷菓》を命名したこと

 五、争いと犠牲があったこと

 六、「先輩」は友に裏切られたこと

 

「まず一ですが、《先輩》、以下伯父は、神山高校を中退……。最終学歴は中卒ということになっています。」

 

 なるほど、《去った》という言葉を中退と受け取ったのか。もちろん、ここにいる誰もがそれは思っていた事だろうが。

 

「次に二に関してはこれは時間経過で話が大袈裟になるという一般的現象を示していると思われます。三は面白いですね、伯父が優しかったり静かだったりするのはともかくとして、《英雄》で《闘志》なのが分かります。これは《何か》と戦ったからでしょう。これは五とも合致します……。争いがあり、伯父は犠牲になったんです。そして六、友に裏切られた。どこで、どうして裏切られたのかことの経緯は分かりませんが……、先程私が言った《何か》側に伯父の友人は寝返った、ということでしょう。四は気になりますが……当時の問題ではないので、私の報告はこれが以上です」

 

 うわぁ……ハードル上がったなこりゃ。

 さて、次は質問だが、俺は特にないな。文句のつけようがない。

 しかし、目の前の伊原が口を開く。

 

「あのさ『あれは英雄譚などでは決してなかった』ってとこを、すっぱり無視したのはなんで?」

「そこは書き手の心情ですから、英雄譚であるかは個人の主観です」

「それにさ」

 

 次は里志か。

 

「英雄譚なんてかっこいいものじゃなくて、もっと泥臭い戦いだったよっていう意味なんじゃないかな?つまりさ、千反田さんの言い分はあってるよ。書き手の主観だっていう話さ」

「確かに、考えてみればそうかもしれないわね」

 

 伊原は納得したようだ。そのほかに質問はでず、仮説へ移る。

 

「では仮説を発表します。伯父は何かと争っていました。そして、高校を中退……確定ではありませんが、この戦いこそが伯父が中退を余儀なくされたと考えるのが妥当ではないのでしょうか?ここでもう一つ、『もう一年になる』という部分です。つまり、伯父が退学したのはカンヤ祭の一年前……やはりカンヤ祭の時期です。みなさんは、文化祭荒らしというものを知っていますか?」

 

 文化祭荒らし?読んで字のごとくって感じだな。

 

「システムには必ずシステムに対抗する存在が組み込まれていると聞きます。文化祭や体育祭、卒業式など、いわゆる年間行事に反発を覚える方がいらっしゃっても、普遍的なことです。そしてもう一つ、神山高校生徒帳の二十四ページをご覧下さい」

 

 は?生徒帳?もちろん出す奴はいない。当たり前だろ……生徒帳を普段から持ち歩く奴がいるか。

 

「生憎誰も持ってないぜ」

 

 俺の言葉に一同頷く。

 

「もしかして……、皆さんこれって持ち歩かないものなんですか?あ、いえ、ええっとですね。こう書いてあるんです。『暴力行為は厳禁』する。つまり、伯父の年のカンヤ祭は不幸にも文化祭荒らしの標的になってしまいました。伯父はそれに暴力的行使で対抗……結果的に伯父は英雄となりましたが、その責任を負って学校を追われたんです」

「却下だね」

「悪いな千反田」

 

 奉太郎と里志が同時と言っていいほどに口を開いた。ほう……なんでだろ?

 

「駄目ですか?理由を教えてください」

 

 二方向から否定されたのにも関わらず、千反田の声質は変わらない。なるほど、今回の検討会の最も重要な点は自分の主張を貫き通すと言う事ではなく、あくまで三十三年前の事件の真相を掴むこと。

 その為にはほかの人間の意見、つまり客観性を取り込む必要がある。人間はみな、同じ心を持っているわけではないのだから。

 

 奉太郎と千反田……、この二人がいい例だ。

 

「システムには対抗と言っていたが、そもそもお前の文化祭荒らしの仮説だと、システムそのものが出来上がらない。お前はこの前カンヤ祭では模擬店は行われないと言っていたな?金が動かないんじゃ、文化祭を荒らす価値はないんじゃないか?」

 

 模擬店が禁止?へぇ、それは初めて聞いたな。模擬店がないってのに、カンヤ祭は毎年人気なのか。すげぇな。

 

「確かに、それだと文化祭荒らしの目的というシステムが出来上がらない。奉太郎に一票」

 

 俺は人差し指を上げながら言うと、千反田は納得出来ない様子で口を開いた。

 

「ですが、それは可能性の話でしょう?」

「というと?」

「確かにお金関連の文化祭荒らしというのはよく聞く話ですが、そうでもない方も有意なぐらいにはいらっしゃると思います。私には理解出来ませんが、人が盛り上がっている雰囲気を壊したいと思う方もいます」

 

 俺と奉太郎が何も言い返せません。と言う様な顔をしたあと、里志は笑う。

 

「情けないなぁ、古典部の探偵役の二人が……。いくら何でもそんなんじゃ千反田さんは納得いかないでしょ」

「じゃ、じゃぁ里志、お前の却下って言うのはなんなんだよ。」

 

 里志はわざとらしい咳払いのあと、答える。

 

「三十三年前に()()()()()()()()()()()()()()()んだ」

「どういう事だ、里志」

 

 奉太郎が先を促す。

 

「三十三年前、一九六〇年代って言えば分かるかな?学生運動さ」

 

 学生運動?生憎、俺はその手のは苦手だ。ここは意見をせずに話が進むのを待とう。

 

「千反田さんの仮説に出てきた高校生の暴力行為は、その時代にはほとんど見られないんだ。それはそうだよね、喧嘩したいなら体制側でも反体制側でも相手に事欠かなかった時期に、何が悲しくて不満のはけ口を探すような真似をするのさ。言ってしまえばブームじゃない」

 

 なるほど、わからん。

 だが、里志のいう知識はデタラメもあるが、わざわざこの場でジョークをいう必要も無い。それは真実なのだろう。

 

 とにかく時代背景を考えてなかったのは、盲点だよな。

 

「なるほど…時代背景には手が回りませんでした。さすが福部さんです。」

 

 里志は首をすくめる。なんだその軽いドヤ顔……。

 

「では、次は伊原さんですね。お願いします。」

 

 すると伊原は顔の前で手を合わせて口を開く。

 

「ごめんちーちゃん。私の仮説と推測だと、ちーちゃんの案は否定されるの」

「いいんじゃねぇか?これはあくまで推測だ。真実じゃない。むしろ一つの案で真実と確定するのはよくないからな、否定案が出るのはいいことだろ」

 

 俺の言葉に千反田も頷く。

 

「そうですね、私の案は一時却下ということにしましょう」

 

 伊原から配られた資料はなんらかのコピーか、なになに……

 

 

 つまり我々は常に大衆的であり、またそれ故に反官僚主義な自主性を維持し続けるのである。決して反動勢力の横暴ごときに屈しない。

 昨年の六月斗争を例に引いても、古典部部長関谷純君の英雄的な指導に支えられた我々の果敢なる実行主義によって、算を乱し色を失った権力主義者どもの無様な姿は記憶に新しいところであろう。

 

 

 関谷純について書かれてるな。これはなんだ?

 

「これ、漫研の昔の文集を漁っていたら出てきたの。《団結と祝砲 第一号》。発行は《氷菓 第二号》と同じ三十二年前。その時期に漫研はなかったんだけど、本と本の間に紛れ込んでるのを見つけたの。凄いでしょ?」

 

「じゃぁまずは資料を説明するね。まず、《我々》が反動勢力の弾圧を受けたこと。前の年の六月にトソウがあったこと。関谷純って人が指導をしたこと。ちーちゃんの叔父さんね。そして、その指導で実行主義ってのをやって、権力主義者が困ったこと」

 

 六月、か。文化祭が行われるのは十月。関谷純が退学したのが文化祭の時期だと考えると、ズレが出てるよな。これが千反田の案との矛盾点か。あと……

 

 斗争?トソウって読むのか?トソウってなんだ?塗装、違う。土葬、これも違うよな。

 

「トソウってなんだ?」

 

 俺が口を開く前に奉太郎が質問した。里志は待ってましたと言わんばかりの顔と声で、気前よく答える。

 

「ホータロー、これはトソウじゃなくて、トウソウ。闘う、争うの闘争。いわゆるこの時代のファッションさ。斗という字は三十年ほど前に流行った略字なんだよ」

 

 へぇ……色んな字があるんだな。こういう時はメモをした方がいいのだろうか?ま、取り敢えずノートも広げてるし、書いとくか。

 

 斗争……っと

 

「へぇ、ハル。メモするなんて随分真面目じゃないか」

「からかうなよ…折角持ってきたノートを使わない訳にはいかんだろ」

「では、他に質問はありませんか?」

 

 千反田がそう言うと、もう質問は出てこなかった。次は仮説か。

 

「この文から見ると、我々は実行主義で算を乱させたのよね。その結果として、関谷純は退学となった。なぜ退学する事になったのか、それはこれが原因ね。反動勢力、これは学校でいう《教師》のことを指すと思うの。つまり……」

 

 伊原は正面の俺に向かって、腕をめいっぱい伸ばし、拳を突き立てた。もちろん当たってはいないが。

 

「ボコん……とね。これはちーちゃんの案に近しいとこかも。殴ったのかは分からないけど、それに近しい事を関谷純率いる我々は、教師陣に起こした。結果的に退学に追い込まれたってわけ」

「もどかしいな」

「もどかしいです」

 

 司会者の千反田と、拳を突き立てられたままの俺は、ほぼ同時に呟いた。

 

「なにが?」

 

 俺は頷き、答える。

 

「お前の主旨だと、教師達は生徒の不利益になるようなことをしたってわけだろ?だから立ち向かった。これは分かったぜ?だが、教師陣が生徒から殴られるまでの行為を強要するのは、おかしい話だ。実際に関谷純は退学になってるんだぜ。つまり、暴力は神高において、それくらいリスキーなんだよ」

 

 奉太郎が頷き、言った。

 

「抽象的すぎるのさ。これ以上は読み取りようもないけどな」

「まぁたしかに具体的かって言われれば返しようがないけど……」

 

 しかし、伊原は折れない。

 

「で?矛盾はあった?」

 

 どうやら伊原は千反田よりは自説を守る気があるらしい。だが、残念ながら俺と奉太郎は気付いている。

 

「「あるぜ」」

 

 俺は奉太郎に手を向けて、譲る。奉太郎は一度ため息をついたあと、口を開いた。

 

「簡単なことさ、お前は千反田の説を、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()けどな、《氷菓》と《団結と祝砲》どちらも取るとなると、騒動の六月から退学の十月までのこの空白の四ヶ月はどこに行った?」

「けど、《氷菓》には『もう一年になる』としか書いてないわ。事件は六月、退学も六月、文化祭は十月。どうしても無理があるって言うほどの話じゃないと思うけど」

 

 いや……四ヶ月はでかい。俺が意見をしようか迷っている間に、千反田と里志が先に口を開く。

 

「私は、無視出来ない数字だと思います」

「右と同じ。文化祭をもってもう一年って言ってるんだから、関谷純の退学は十月と考えるのが妥当だろうね。まぁ実際に六月の事件にも関谷純さんが関わっているのは分かったから、無視できない事変ではあるけども」

 

 四対一、流石の伊原も軽く頷き、唇を尖らせながら言った。

 

「むー。細かい性格してるよね、みんな」

 

 伊原にしては可愛らしい仕草だったので、皆の顔が少し緩む。里志が伸びをしながら答えた。

 

「うーん、でもいい線は言ってたと思うよ」

「そうですね。抜本的な見直しは必要ないでしょう」

 

 俺と奉太郎も頷く。正直少ない資料の中でここまで推測出来るのは大したものだ。《氷菓》と《団結と祝砲》……この二つの文集から読み取れることは伊原の仮説で限界だろう。

 伊原が少量しか《団結と祝砲》から切り抜かなかったのも、他に決定打となる案がなかったのだ。さて次は

 

「次は男子組ね、南雲と折木は私の案を完全否定したんだから、いい案を期待してるわよ」

 

 悪そうな顔してんなぁ。またハードル上がっちまったよ。

 順番的には……里志、奉太郎、最後に俺か。

 

「じゃぁ次は福部さん。よろしくお願いします!」

 

 千反田の声と同時に、俺たちに里志から資料が配られた。

 

 後半戦開始……って言ったところか。




次回《伝統ある古典部の推理 承転(しょうてん)





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第十一話 伝統ある古典部の推理 承転(しょうてん)

 里志から配られた資料はあの遠垣内率いる壁新聞部の新聞《神山月報》のバックナンバーだった。へぇ、三十三年前にも壁新聞部はあったのか。発行年は一九六九年……、関谷純が神山を去った二年後だな。ちょっと読んでみるか。

 

 

 伝説的な一昨年の運動では、決して暴力は振るわれなかった。全学があれほど怒りに燃えたっても、我々は団結を崩すことなく、最期まで非暴力的不服従を貫いたのだ。

 これは我々が誇るべことであるし、その精神は伝統として受け継がれていくであろう。

 

 

 伝説的運動ってのは、伊原の資料で出てきた六月斗争のことか。

 

「あ、そうだ。言い忘れてだけど、僕の資料で摩耶花と千反田さんの説は部分否定されるよ」

 

 言い忘れてたけどね、絶対嘘だろこいつ。

 伊原が何とも不愉快そうな顔をしているが怖いから、無視しよう。

 

「僕が調べたのは壁新聞部が発行している《神山月報》のバックナンバーさ。図書室の書庫に眠ってるのを見つけたから放課後の無聊(ぶりよう)を慰めるついでに読んでみたんだ。けど、三十三年前の《事件》そのものについて触れられてる資料はなかったんだよね。んで、これがまとめ」

 

 〇事件では暴力は振るわれなかった。

 〇事件は全学に影響するものだった。

 〇事件の最中《我々》は団結した。

 〇事件では()()()()()()()が行われた。

 

 非暴力的不服従、ね。これが伊原の説を否定する要因だろうな。

 

「報告は以上。質問はあるかい?」

 

 質問はでない。

 

「では仮説をお願いします」

 

 千反田が促すと、里志は苦笑しながら答えた。

 

「千反田さん、議事を乱すつもりは無いけど……これじゃぁ仮説は出ないよ。自分で探してきて言うのもなんだけど、この程度のコラム記事じゃねぇ。摩耶花の説を修正するくらいが関の山さ。それに」

 

 俺は心の中で呟いた。データーベースは……

 

「データーベースは結論を出せないんだ」

 

 だろ?

 

「では、折木さん。お願いします」

 

 さて、次は奉太郎だが……

 

「なんだよ」

 

 奉太郎は少し悩んだあと、俺の方を向いて口を開いた。

 

「悪いがハル、先に頼む。俺はまだ考えがまとまっとらん」

「わかりました。では南雲さん、お願いします」

 

 ま、こうなる気なしてたよ。時間稼いでやるからせいぜいいい案頼むぜ。

 アイコンタクトを送った俺は、奉太郎の頷きと共にクリアファイルから三枚のホチキス止めした資料を配る。

 

 なんだその、『お前にしてはやるな』みたいな顔は。

 失礼な奴らだな……。

 

 俺はフゥっと息を漏らし、口を開く。

 

「俺が持ってきた資料をホチキス止めの上から説明する。まず一枚目は、三十三年前の年間行事予定表。俺達も今年の四月に貰ったよな。二枚目、三枚目は、これは里志と似ているが保護者用の《神高新聞》のバックナンバーだ。これは月終わりに生徒に配られ、その月に起こった出来事が明確に記されている。関谷純が去った月の十月と、前の月の九月のを持ってきた」

 

 全員が俺の資料を興味深く眺める。そして、奉太郎が言った。

 

「ハル、年間行事予定表と保護者用の新聞のバックナンバーなんて、どこで手に入れた?」

 

 俺は少しだけ苦い顔をする。とりあえず、濁すとしよう。

 

「まぁ、アテがあんだよ。そんなことより、まずは見て欲しいのは年間行事予定表だ。十月の一日から二日にかけて、文化祭が行われる事が書かれている」

 

 そういった途端に、少し場に落ち着かない雰囲気が漂った。そう、カンヤ祭は普通五日間によって開催される。

 なのに三十三年前の年間行事予定表には、一日から二日までにしか文化祭期間が書かれていない。俺は続ける。

 

「次、年間行事予定表の九月二十三日。学力状況調査。資料はないが、年間行事予定表の前年以下のバックナンバーを見たら、この時期に学力状況調査はされていない。つまりこの年から始まったと考えるのが妥当だろう。そして、保護者用神高新聞九月号。これを見た限りだと二十三日の学力状況調査は行われていない。なぜ行われなかったのかは、仮説で説明する。次だ。ページをめくってくれ、保護者用神高新聞十月号、年間行事予定表には一日から二日と記されていた文化祭が、一日から五日に変わっている。まぁ、年間行事が変わるなんてよくある話だが、学力状況調査の中止と、文化祭の延長、似た時期に二つもってなるとおかしいよな。資料説明は以上だ。質問はあるか?」

 

 ガタっ!!!と勢いよく伊原と里志……、そして千反田までもが手を上げる。おいおいら司会者。

 

「じゃぁ千反田、どうぞ」

「はい!九月の学力状況調査、これに目をつけたのは何故ですか?」

 

 他の二人、奉太郎も含めて軽く頷いた。やっぱ一番気になるのはこれだよな。

 

「考えれば分かる話さ。文化祭はここらの高校ではそれなりに有名で活気のある文化祭。いわば神高の十八番なんだろ?今だってそうさ、まだ二ヶ月近くあるカンヤ祭の準備をもう行ってる部活動だって少なくはない。それなのに、文化祭の開催日の一週間前に学力状況調査なんてふざけてるとは思わないか?」

「確かに、まるで、カンヤ祭を無視してるみたい。」

 

 伊原が呟いたあと、里志が口を開く。

 

「でも、学力状況調査は成績に入らないテストじゃないか。別に勉強をやらなくたってもいいだろう?」

「だとしても……テストと言うからには勉強をする奴は必然的に出てくる。今日の司会者なんかがそうだろ?」

 

 俺が指を指すと、千反田が首を傾げる。みんなが違いない、と言うふうに首を振る。

 この質問はどうやら解決したらしい。

 

「他に質問はありますか?」

 

 千反田が司会者の役に戻り、皆を後押しするが質問はでない。

 

「では、南雲さん。仮説をよろしくお願いします。」

 

 俺は頷き、目の前に広げられている大学ノートから一枚の紙を取り出す。俺はその紙を見ながら口を開いた。

 

「俺の仮説はこうさ。伊原と里志の言葉を借りて、教師陣を《反動勢力》、生徒達を《我々》としよう。反動勢力らは学力を重視しようと文化祭の萎縮を提案した。これで九月の学力状況調査は説明できたんじゃないか?……だが、我々がそれに反発した。これが六月斗争と考えるのが妥当だろう。そして関谷純率いる我々は勝利を収めたが、関谷純は犠牲になり学校をあとにした。関谷純が行ったのが、暴力なのか、非暴力なのかは分からないがな。まぁ里志の持ってきた新聞からして、暴力的行為は行われなかった可能性は高いがな。俺の仮説は以上だ。矛盾点があればどうぞ」

 

 質問はでない。前の三人が詳しく調べすぎて、ある程度仮説は固まってきている証拠だ。……さて

 

 悪いが時間稼ぎはここまでだ。奉太郎、頼むぜ。

 

「それでは折木さん。お願いします。」

 

 全員の視線が奉太郎を向く。そして……《信用できない語り手》は口を開いた。

 

「悪いが、考え違いをしてて仮説は用意してこなかった。だから俺の番は終わりということにして、まとめに入らないか?」

 

 その提案を聞いた里志は意地の悪いニヤケ顔を作り、言った。

 

「なにか、思いついたね」

「人の心を読むな。まぁ一通りの説明はつくだろう」

「わたし」

 

 千反田がポツリと呟く。

 

「私はそうなるんじゃないかって思ってました。もし矛盾がない説得力のある仮説を立てることが出来るなら、それは折木さんだって」

「それか、南雲さん。」

 

 ……付け足しあざす。

 おい里志、伊原、笑うな。

 

「聞かせてください、折木さんの考え」

「そうだね、ぜひ聞こうじゃないか」

「期待しちゃうわね、これまでの経緯からして」

「頼むぜ奉太郎。」

 

 『期待するな』とでも言いたそうな顔で奉太郎は少し考え、言った。

 

「そうだな五W一Hで説明させてもらおう。まずは『いつ』、これは三十三年前。《団結と祝砲》によれば六月、《氷菓》によれば十月だが、今回はどちらの意見も尊重することにする。つまり、事件は六月、関谷純が去ったのは十月だ」

「次に『どこで』、これは神山高校。そして『だれが』、《団結と祝砲》から主役は関谷純、そして《神高月報》から全校生徒も事件に関わっていた」

「『なぜ』、全生徒が立ち上がったんなら、相手は教師陣だ。その理由は『自主性が損なわれたから』、そしてこれまでの経緯から、事件の原因は文化祭にある」

 

 そして、里志が口を開いた。

 

「ハルの予測の文化祭萎縮と繋がってくるね!」

 

 奉太郎は頷き、持っていたショルダーバッグから自分が持ってきた資料を配る。

 

「ハルの年間行事予定表では少し不備がある。これを見てくれ」

 

 これは、《神山高校五十年の歩み》のコピーか?三十三年前の記事だな。

 

「六月を見てくれ。ここでは《文化祭を考える会》が行われている。結論から言うと、ここで生徒達と教師陣が話し合いを行い、十月の文化祭が無事開催されることになったんだと俺は思う。」

 

 資料をマジマジと見ていた俺は質問をする。

 

「でもよ奉太郎。この《文化祭を考える会》ってのがどうして事件によって出来たんだ?たしかに今は行われてなくても、三十三年前には恒例行事の可能性もあるだろ?」

「もう一度資料をよく見てくれ」

 

 俺達四人はもう一度資料を眺める。何が違うってんだ?すると……千反田と伊原が順番に口を開いた。

 

「起こった出来事が箇条書きされている部分の文頭に、丸と四角が書いてありますね」

「わかった!四角が毎年の恒例行事、丸がその年だけに起きたことなんでしょ!?」

 

 奉太郎は二度拍手をしたあと、答える。

 

「あぁ、多分それで間違いないだろうな。だから《文化祭を考える会》には丸のマークがついてる。そして、なぜ三十三年前にこれが行われたのか、生徒からの強い要求があったからだ。じゃぁなぜ生徒は要求をしたのか、答えは《氷菓》にある」

 

 奉太郎は俺たちに序文を見せる。

 

「ここだ、『ちょうど一年で、先輩は英雄から伝説なった。文化祭は今年も五日間盛大に行われる』、ハル、分かるか?この文と箇条書きにされている《文化祭を考える会》の左隣の文を見てくれ。」

「……!まさか」

 

 奉太郎は珍しくニヤッと笑った。

 

「そうだ、三十三年前に校長が変わっている。この校長は学力重視の方針を持ち出したとも記されているな。うちの文化祭は五日間によって開催される。普通の学校の文化祭と比べれば、長いよな。けど、これが俺達の学校のこれが象徴でもある。しかし、この五日間は平日開催だ。校長が学力重視を持ち出しているのなら、ハルの資料を引用すると二日間に萎縮されていても不思議じゃない。だが、それが生徒の反感を買った。それが里志の資料に書いてあった『全学があれほど怒りに燃え立った』だ。これが事件の要因『なぜ』になる」

 

「そして、『どのように』。これは伊原の資料から引用、『古典部部長の関谷純君の英雄的な指導に支えられ』、『果敢なる実行主義』だ。最後に『なにを』。学校側に生徒達は怒ったが、『非暴力的不服従』にのっとり暴力は振るわなかった。だが実際《文化祭を考える会》は開かれているし、文化祭は五日間行われている。つまり、非暴力的で多人数で行う抗議運動……。俺が思いつくのは、授業のボイコット、ハンガーストライキ、デモ行進……そんなとこだろ。学校側は関谷純率いる生徒連合に負けて、話し合いの場を作り、文化祭萎縮を断念した。結果として五日間開催されることになった為、その準備期間として学力状況調査も無くしたんだろうな。だがその代償として関谷純は学校を去ったのさ」

 

 奉太郎は最後に付け足す。

 

「で、なぜ事件と退学時期がズレているのか……。関谷純は運動の中心的存在だった。いわばリーダーさ、そのリーダーを退学にすれば、騒動はますます大きくなる。それを抑えるために文化祭が終わった十月に関谷純を退学にさせた……というわけだ」

 

 説明を終えた奉太郎は小さくため息をついた。

 そして、俺と里志は気の無い拍手をした。

 

「いや、なかなかだったよホータロー、うん。見事だ!」

「やっぱ流石だな、推理作家にでもなった方がいいんじゃないか?」

「まぁ、仮説で一番近かった俺のまとめの骨組みを作ったのはハルだけどな」

 

 いやぁ、照れるなぁ……!

 真正面で伊原が資料を片付け始める。なんだか怒ってるようにも見えたので、俺はギョッとした。なに怖い。

 そして千反田。まるで、サーカスをみた子供の様な顔で奉太郎に言った。

 

「すごい、すごいですよ折木さん!たったこれだけの資料からそこまで読み解いてしまうなんて。」

 

 奉太郎の奴、気色悪い照れ笑いしてんなぁ……。

 つっても、これでやっと千反田の問題は片付いたってわけか。一件落着だな。だが……

 なんだ?この心のもやもやは。

 

「では、今の折木さんの説を軸に、今年度の文集を作っていくことにしましょう。詳しい内容はまた後日ですね。それでは……解散です。お疲れ様でした」

 

 一同、再び礼。

 

 帰る俺たちを玄関先まで千反田が送ってくれた。

 その顔は笑っており、今日の成果に満足してるのが見て取れる。

 

「本当にありがとうございました」

 

 九十度の角度で頭を下げる。

 

「俺だけでやった事じゃないさ。こいつの仮説が特にな」

 

 奉太郎は俺の肩にポンっと手を置いた。正直、成功した奴にお前のお陰だ。と言われるのはなんだか嬉しい。

 

「照れ笑いが気色悪いぞ、ハル」

「お前が言うか」

 

 お互いにお互いを鼻で笑い合い、俺と奉太郎は千反田に手を振ったあと、先に外で待っている里志の元へ駆け出した。

 

 しかしその瞬間、千反田の声が聞こえた気がした。

 とても小さく、か細い声ではあったが、その声は俺の魂の深奥まで深く届いた。

 そしてそれが俺の中にあるモヤだと気づくのに、時間はかからなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「でも……だったらなんで私は、泣いていたのでしょうか?」




次回《伝統ある古典部の推理 (けつ)




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第十二話 伝統ある古典部の推理 (けつ)

 既に外は日が落ちかけており、橙色の夕焼けをバックに俺たち男三人は自転車のペダルを漕いでいた。

 当たる風は涼しく、先程の白熱の舌戦にて火照った体を冷やしてくれる。すると、里志が口を開いた。

 

「正直言って驚いたよ。ホータローの案が本当なら、僕達のカンヤ祭は一人の生徒の高校生活の犠牲によって成り立ってるわけだ。けど、それよりも驚いたのは、ホータローとハルの推論についてさ。」

「俺はお前らと同じく、仮説をだしただけだぜ?」

「そんなことは無いよ。君の仮説はほぼ当たっていた……あれだけの資料であそこまで読み取れるなんてね。正直今日で事件の結論がでるなんて思ってもみなかった」

「俺たちの能力を疑ってたのか?」

 

 奉太郎が冗談めかして答えると、里志は愉快そうに続けた。

 

「入学して以来、君たちは様々な謎を解いてきた。《密使の部室》、《愛なき愛読書》、《壁新聞部の部長の件》……、ホータローの場合は《女郎蜘蛛の会》。ハルの場合は《入れ替わりし名作》、《仲間はずれのチョコ》とかね」

 

 《女郎蜘蛛の会》?俺が知らない間に何かあったのか?

 

「たまたまさ……」

 

 奉太郎が返す。

 

 そう、たまたまだ。何度も言うようだが、今まで解いてきた謎は閃しだいでは誰でも分かった事だ。

 俺と奉太郎に特別何かがあるわけじゃない。俺たちは平凡な男子高校生だ。

 

「結果はどうでもいいんだよ。問題は君たちのモットーについてさ。《灰色》のホータローが謎解きなんて《やらなくてもいい》面倒なことを、《無色》のハルが謎解きなんて《厄介な色》を自分のキャンパスに塗るなんてさ。それに君たちが謎解きをしている時は、なんだ楽しそうに見えるんだ」

 

 俺は里志の言葉に首をかしげた。

 確かに資料集めや仮説の作成はやり甲斐があった。たがそれを楽しいとは思わなかったけどな……。

 

「なぜ君たちが謎解きをしたのかはわかってる、千反田さんのためだろ?」

 

 千反田の為、か。そう言われればそうなのかもしれない。《パイナップルサンド》で依頼された時は千反田を助けようと思い、俺というキャンパスに色を塗った。だが……本当にそれだけなのか?

 

 断ることは出来た。《無色》の俺は平凡を望む。なのに、俺は千反田に依頼された時、悩んだのだ。

 

 そう考えているうちに、奉太郎が先に答えた。

 

「いい加減、《灰色》も飽きたからな」

 

 ?

 

「お前らを見てると、たまに落ち着かなくなる。俺は落ち着きたい。だが、俺はそれを面白いとは思わん」

「確かにな……」

 

 俺は不意に声を発していた。

 

「俺も同じだよ。自分に色がないってのは、なんだか味気なく感じる事もあるのかもしれない。だから、今回はお前らに一枚かんでみたんだよ」

 

 里志は、俺と奉太郎の言葉を聞いたあと、少し間を開け答えた。

 

「二人は、《薔薇色》が羨ましかったのかい?」

 

 俺たちは、何も答えなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──────────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────自室────

 

 

 夕飯を食べ終わった俺はベッドに横たわり、小説を開いていた。

 

『でも……、だったら私は、どうして泣いていたのでしょうか?』

 

 内容が頭に入ってこない。いつもなら物語に浸り、自分が主人公になっているはずだ。だが、今の俺はただの物語を読んでいる第三者に過ぎない。こんなのは俺の読書じゃない。

 

 千反田が泣いた理由?関谷純が退学という最悪の実行主義に当てられたからだろう?それに千反田の依頼内容は『何を聞いたか思い出させて欲しい』だ。『泣いていた理由を思い出させて欲しい』ではない。

 

 こういうのを世間一般では屁理屈と言うんだろうな。

 

 ふと、奉太郎の姉貴の手紙を思い出す。

 

『きっと十年後、この毎日のことを惜しまない』

 

 関谷純は、惜しまなかったのだろうか。

 奴は反発運動のリーダーとして生徒達を率い、そして伝説的な勝利を収めた。自分を犠牲にして。

 

 そもそも()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 まてよ、たかが文化祭?そうだ、()()()文化祭だ。

 

 その時、俺の中で塗り潰されそうになりつつ有る千反田の問題が、白の絵の具の下から滲み出てくるのを感じた。

 

 仲間のために殉じて、全てを(ゆる)す。こんな英雄がいてたまるか……。高校生活は《薔薇色》のはずなんだ、これは《薔薇色》なんて言えない。関谷純は俺と同じだ……《無色》だったんだ。だから染まった、染められた!!

 

 俺は乱暴にベッドから起き上がると、リュックサックから今日の資料をすべて取り出し、並べる。

 

 考えろ、考えるんだ。読み取れ、この資料から全てを。関谷純がなぜ《薔薇色》を捨てたのかを……

 

考えろ!!!!

 

 今までの全ての記憶が、推測が、俺の脳内を駆け巡った。

 

 

 

『あれは英雄譚などでは決してなかった』

 

『もう一年になる』

 

『非暴力的不服従が……』

 

『果敢なる実行主義により』

 

『友に裏切られた先輩は……』

 

『学力重視を……』

 

『氷菓?』

 

『覚えていてはならない』

 

 

『でも、だったら私は、どうして泣いていたのでしょうか?』

 

 

 

 

 俺は、瞳を開ける。

 机に置いてある携帯を取り、開く。すると

 

 ピロロロロ……!!

 

 着信 折木家

 

 俺はニヤッと笑うと、携帯を取る。

 

「遅いぜ奉太郎」

 

『悪い。お前も感じたんだよな、違和感を』

 

「あぁじゃぁ早速……」

 

 

 

「答え合わせと行こうぜ、奉太郎」

 

 

 

 

 

 

 

 





次回《氷菓》


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第十三話 氷菓

 検討会の翌日、俺と奉太郎は他の三人を古典部部室に呼び出した。そして、三人と俺と奉太郎が集まったところで俺は口を開く。

 

「ごめんな、突然呼び出して。昨日の奉太郎の推理だが、少し不備があった。けどこれで決着だ」

 

 伊原は皮肉そうに、里志は微笑みながら、千反田は俺たちの顔を見るやいなやに言った。

 

「南雲さん、折木さん。私、この件についてまだ知らなければいけないことがあるようです」

「大丈夫だ。大抵の事は説明できる。その前にこれを見てくれ。」

 

 俺はポケットから一枚の紙を取り出す。《氷菓 第二号》の序文のコピーだ。俺は資料を皆に見せると、奉太郎が続ける。

 

「……もっと《氷菓》を大事にするべきだったんだ。真実はすべてここに載っていた。この部分を見てくれ『争いも犠牲も、先輩の微笑みさえも』のくだり、この犠牲は『ぎせい』ではなく『いけにえ』とも読み取れる」

 

 すると里志は深くため息をついたあと、言った。

 

「読み方に別解があるのは分かったよ。でもこれが『いけにえ』と読むのか『ぎせい』と読むのかは書いた本人にしか分からない」

 

 もちろんそうだ、漢字に数学の証明問題の様に、それを証明する公式はない。だが、答えを見たとしたら?

 俺は口元をニヤつかせながら答える。

 

「だから聞きに行くんだよ。()()() ()()()()()()()()()()()()()

「なんですって?」

 

 伊原は眉間にシワを寄せながら俺たちに詰め寄る。

 

「この序文を書いた本人、《郡山養子》さん。三十三年前に高校一年生で現在は四十八歳か九歳。」

 

 奉太郎の言葉に続く。

 

「伊原、お前なら思いつくんじゃないか?」

 

 この言葉がヒントになったのか、伊原顔を上げ、俺たちを見る。

 

「司書の糸魚川先生ね。糸魚川養子先生。旧姓が郡山なのよ、そうでしょ!?」

 

 流石は図書委員。担当の糸魚川先生のフルネームに触れる機会が多い。そう、愛なき愛読書のとき俺たちに文集は無いと言ったあの女教諭こそが、《氷菓 第二号》を書いた本人なのだ。

 

「あんた達、やっぱり変よ。ずっと先生の近くにいた私でも気づかなかったのに……」

 

 すると俺たちに詰め寄ってきていた千反田がさらに俺たちに詰め寄る。ちょ……近い。

 

「じゃぁ……糸魚川先生に話を伺えば?」

「三十三年前の真実がわかる。なぜ英雄譚ではなかったのか、あんな変な表紙なのか、なぜ《氷菓》という奇妙なタイトルなのか、な。そろそろ時間だ、行こうぜ。もう奉太郎がアポを取ってある」

 

 俺たち全員は生唾をゴクリと飲んだ後、部室をあとに図書室へ向かった。

 

 

 

 

 

 

 

───────────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 図書室に入ると、俺たちはカウンターへ向かう。糸魚川先生が眼鏡をかけて何から書き付けをしていた。

 俺は声をかける。

 

「糸魚川先生」

 

「あら、南雲くん。古典部の皆さんを連れてきたのね」

 

 糸魚川先生は受験生やカンヤ祭への準備を行う生徒で混み合う図書室を眺めた。

 

「混んでるわね、司書室に向かいましょうか」

 

 と、俺たちをカウンター裏の司書室に招き入れた。

 

 普段入ることの出来ない学校の部屋に入るのは、やはりいつになっても胸が高鳴る。秘密基地みたいだ。

 とは言ったものの、あまり長く人が居るようにこの部屋は設定されておらず、冷房が聞いていない。入った途端に熱気が押し寄せ、汗が吹き出てくる。

 勧められたソファは大きかったが、流石に五人座ることは出来ない。何故か自然と俺と奉太郎がはぶかれ、先生が差し出してくれた一つのパイプ椅子争奪戦がジャンケンによって繰り広げられた。

 結果「半分で手を打ったら?」という里志の案に乗った俺と奉太郎は、一つのパイプ椅子に二つのケツを置くハメになった。

 

 お前らヘラヘラするな。

 

「なにか、私に聞きたいことがあるそうね」

 

 先生の言葉に俺は立ち上がり、仕方なく奉太郎に椅子を譲った。

 そして、話を始める。

 

「三十三年前……、六月斗争と、関谷純について教えて下さい」

 

 先生は少し驚いた表情をしたあと、溜息をつき、俺たちに聞いた。

 

「あなた達はどうしてその運動に興味を持ったのかしら?」

「関谷純が、私の伯父だからです。」

 

 千反田が即答する。少し声が震えており、緊張してるのがわかる。

 

「そうなの、関谷純、懐かしい名前ね。お元気かしら?」

「いえ、インドで行方不明になりました」

 

 あら、という声。あまり驚いてなさそうだな。五十年も生きてるとこんなものなのか?

 

「そう、いつかもう一度お会いしたいと思っていたのに」

「私も、もう一度会いたいと思っています」

 

 関谷純はこれ程までの人間に、もう一度会いたいと思わせるほどの人間だったのだろうか。人を惹きつけるなにかがあったのだろう。

 

 千反田は言葉を続ける。

 

「糸魚川先生……、教えて下さい。三十三年前の真実を。なぜ英雄譚ではなかったのか、《氷菓》とは一体、なんなのですか!?折木さんの推測はどこまで正しかったのですか?」

 

 珍しく千反田の声が白熱した声に変わった。

 

「推測?なんの事かしら?」

 

 俺は口を開く。

 

「先生、奉太郎は様々な資料の断片を繋ぎ合わせて三十三年前のことを推測したんです。こいつの話を聞いてやってください。頼むぜ、奉太郎」

 

 奉太郎は無言で頷き、昨日俺たちに話したように五W一Hの方式で話した。

 

 

 

「これが、三十三年前に起きた事件の推測です」

 

 先生は俺が渡した昨日の資料を眺めると、黙っていた口を開いた。

 

「これだけで、今の話を組み立てたの?」

「はい、折木さんが」

 

 千反田が口を開く。

 

「この、年間行事予定表と保護者用の神高新聞で仮説を組み立てたのも折木くん?」

「いえ、それは南雲さんが」

 

 先生は意外そうな顔で俺を見る。

 先生は探偵役は奉太郎だけだと思ってたんだろう。別に俺自身、自分が探偵役とは思っていないが……。

 

「呆れたものね……」

「見当違いでしたか?」

「見てきたようだわ……、折木くんの言ったことはほとんど事実通りよ。南雲くんの仮説も、少し抽象的ではあるけど、この三枚の資料だけでここまで読み解けるなんて、大したものよ」

 

 俺と奉太郎は安堵の表情を浮かべ、互いの背中の後ろで音が鳴らない程度にハイタッチを交わす。

 

「この上、何を聞くのかしら?答え合わせなら及第点以上よ」

「さぁ?僕には分かりません。ホータローとハルがこれでは不充分だと」

 

 そうだ……、不充分だ。関谷純が学校を去ったあと……どうなった?彼はこの事件を誇りに思っていたのか?《薔薇色》を捨ててまで関谷純は学校を本当に守りたかったのか?

 そして、『友に裏切られた先輩は』、の部分。これは千反田以外誰も検討会で触れなかった。友というのは生徒連合という同じ志を持った者達のことを指すのか……それとも……。

 

「俺と奉太郎がら俺たち古典部が聞きたかったのは、関谷純は望んで全生徒の盾になったのですか?」

 

 今まで穏やかだった先生の表情が、凍りつく。そして、口を開く。

 

「怖いくらいね……本当に見透かされているようだわ」

 

 そして、先生は話してくれた。三十三年前の六月に起きた、《六月闘争》のことを。

 

「うちの文化祭は今でもよそに比べれば活発的だけど、昔から見れば随分穏やかになったものよ。みんな生きる為の目標のように、文化祭を楽しんでいたわ。……けど、三十三年前に変わった校長先生が学力重視の方針を持ち出し、文化祭を萎縮。そこから始まったのが生徒達の有形無形の学校に対する反発運動。あなた達の言う、六月斗争ね」

 

「学校を罵る張り紙、演説、授業のボイコット、デモ行進にハンガーストライキ。……けど、学校側も文化祭萎縮を強行した所を見れば、並大抵の覚悟ではなかったのよ。組織的に反発運動を開始すれば、必ず処罰の覚悟もしなくちゃならない。口は達者なのに、情けないものね。誰もリーダーに立候補しなかったわ」

 

「そこで貧乏くじを引かされたのが、あなたの伯父さん。関谷純。実際の運営は、別の人がやってたわ。結果私たち生徒連合は勝利、文化祭の萎縮は断念されたの」

 

 奉太郎のパイプ椅子と、ほか三人が座るソファの真ん中から一歩前に進んだ場所に立っていた俺に視線をずらし、糸魚川先生は言葉を続ける。

 

「けど、私たちはやりすぎた。運動中、私たちは授業のボイコット時にグラウンドでキャンプファイヤーを行った……。事件が起きたのはその夜よ。キャンプファイヤーが飛び火したのか……誰かがわざとやったのかは分からないけど、格技場で火事が発生。消防がすぐに駆け付けてはくれたものの、格技場は半壊したわ」

 

 全員が驚愕の表情をしたあと、顔を俯かせる。

 愚かだ。何故そこまでする必要があった。文化祭を守るため?非暴力的不服従?笑わせるな……!!

 俺は拳を強く握りしめる。が抑える。ここで感情を爆発させてはならない。一度深く深呼吸をしたあと。俺は先生に耳を貸し続ける。

 

「あれだけはどうやっても正当化はできないし、見過ごすわけにも行かない犯罪行為だったわ。学校側は文化祭が終わった時期を見計らい、それを問題として持ち上げた。勿論、反論できる者はいなかったわ。そして、火事が起きた原因不明のまま、見せしめとして処罰の対象となったのが……名目上のリーダー関谷純。文化祭が終わったあとの生徒連合は、どうでもいいという風に振る舞い、関谷純を庇う生徒は誰一人としていなかった。けどその後……!!」

 

 突然先生の声が荒ぶる。悲しんでいるのか、怒っているのか。いや、そのどちらでもあるだろう。

 

「関谷純が退学になったあと、生徒連合の本当のリーダーが判明したの。名を《原田幸次郎(はらだこうじろう)》。関谷純の、()()()()()だった生徒よ」

「…っ!!」

 

 千反田の声を抑える息遣いが聞こえた。なるほど、これが友に裏切られた英雄か……。

 

「原田幸次郎は生徒連合を掌握していたの。そして、関谷純の心を利用した……。責任を逃れるために、関谷純を盾にしたのよ!」

 

 糸魚川先生の声は、再び穏やかなものに戻る、

 

「関谷純は、最後まで穏やかだったわ。南雲くん、あなたは、関谷純は望んで盾になったのかと聞いたわね?」

 

 先生は笑い、言った。

 

「これで、分かったでしょ?」

 

 これが三十三年前の真実か。

 口を出す者はいない。俺も奉太郎も千反田も伊原も里志も……誰一人として、何かをいうことは無かった。

 そして《氷菓》の表紙。一匹の兎と、一匹の犬が相打ちになり、その様子を遠巻きに見ている数多くの兎。

 これは犬が学校、兎が関谷純、遠巻きに見ている兎達が生徒達といったところだろう。

 

 里志が先生に聞く。

 

「あの、先生はカンヤ祭って言わないんですね」

「どうしてか……分かってるんじゃない?」

「はい」

 

 どういうことだ?そう聞く前に伊原が口を挟む。

 

「ふくちゃん、どういうこと?」

「カンヤ祭ってのは……《神山》って書くんじゃない。《関谷》と書いてカンヤと読むんだ。英雄を讃えてそう読んでるのかと思ったけど、真実を知る人間はカンヤ祭なんて言葉は使わないだろうね」

 

 ────そして、千反田が聞く。

 

「なぜ伯父が《氷菓》という名前をつけたのか、ご存知ですか?」

 

 先生は首を横に振った。

 

「いえ、これは関谷さんが退学を予感して無理を通して決めた名前なのよ。自分にはこれしか出来ないと言っていたわ。ごめんなさい……これに関しては私にも……」

「……でだよ」

「え?」

 

 俺の呟きに、奉太郎以外の視線がこちらを向く。奉太郎はもう理解しているようだ。

 

「なんでわかんないんだよ……!!!!」

 

 拳を強く握りしめる。昔友人から、お前は中々怒らないよな、と言われたことがあるが、今回は別だ。俺はいま……怒りという感情を自分のキャンパスに自分で塗った。次いで、奉太郎も立ち上がる。

 

「関谷純は、俺たちみたいな古典部の末裔にまで自分の思いを伝わるようにしたのさ。文集の名前なんてものに込めてな。千反田、お前は英語が得意だろ」

「え、英語?」

「氷菓……英語に直すとなんだ?」

「アイスクリームだね」

 

 里志が言った。

 

「アイスクリームがメッセージ?」

 

 伊原が言った。

 

「あーーもーー!!!」

 

 俺は糸魚川先生が机に置いた資料を一枚とり、適当な鉛筆で文字を書く。そして、それを全員に見せるようにした。

 

 それを見た途端に、里志の顔が青ざめる、次いで伊原も神妙な表情に……糸魚川先生は、両手で口を覆った。

 そして、俺は口を開く。

 

「千反田、これがお前の伯父が残した言葉だ」

 

 千反田は俺の用紙を見ると、目を見開いた。

 

 千反田の大きな瞳に涙が浮かんだ。やがてそれは頬を伝い、こぼれ落ちた。

 

「思い出しました……」

 

「思い出しました。私は伯父に『ひょうか』について聞いたんです。そしたら伯父は私にこういったんです。」

 

 その瞬間、次に発せられる千反田の声と同時に、低い男の声が被さって聞こえたような気がした。

 

 

『強くなれ、弱ければ悲鳴を挙げられなくなる日が来る。そしたら生きたまま死ぬことになる』……と」

 

 

 そして、その目は俺と奉太郎に向けられた。

 

「南雲さん、折木さん……思い出しました。私は、生きたまま死ぬのが怖かった。だから涙したんです。……よかった、これでちゃんと伯父を送れます」

 

 千反田は自分が涙を流していることに気づいていないのか、そのまま微笑んでいた。

 

 俺は再び自分の持っている用紙に視線を移す。

 

 そこには三十三年前の……悲痛の想いが記されていた。

 

 大丈夫……。あなたの姪には、ちゃんと届きましたよ。

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「ふくちゃんまだ!!?」

「もうちょっと!もうちょっとなんだよ!!」

「一週間前からそう言ってるじゃん!!間に合わないよ!?」

 

 文化祭も目前となった秋。あの夏の出来事がずっと昔のようにも感じる。隣では、まだ自分の欄が書き終わっていない里志が伊原にドヤされるという修羅場が繰り広げられていた。

 

「奉太郎、千反田は?」

「墓参りだ。関谷純のな」

「へぇ……俺達も行かないとな。流石に」

「だな」

 

 さて、ここにいつまでもいても仕方ない。俺の分は書き終わったし、帰って小説でも……

 

 ガララっ!!

 

 俺が戸を開けようと手をかけた途端に、向こう側からドアが一気に開かれた。俺たち四人はその人影が誰だか、瞬時に理解した。

 

「千反田!?お前墓参りに行ったんじゃ……?」

「はい、ですが気になることがありまして!!」

「南雲さん、折木さん!!弓道場です!!今なら間に合います!!」

「「なにぃ!?」」

 

 俺と奉太郎は、千反田に手を引かれると、それに続き「面白そうだ!!」と里志。

 「終わったらちゃん書いてもらうからね」と伊原が楽しそうに着いてくる。

 

 そして、俺は口を開いた。

 

「なんだってんだ!?いつもの()()か!?」

 

 千反田は大きな瞳をこちらに向かせ、口元を緩ませながら言った。

 

 

「はい!!私……気になります!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 拝啓

 

 折木供恵殿

 

 はじめまして、古典部の南雲晴です。

 

 奉太郎から貴方の場所を教えてもらい、この手紙を書いています。国際郵便なんて初めてなんで、ちゃんと届くか心配ではありますが……。

 

 古典部は楽しいです。

 馬鹿な部員ばっかりですが、飽きることが無い。あなたの青春の場は守られていますよ。

 僕は十年後、この毎日のことを惜しまないと思います。

 

 次に《氷菓》

 供恵さんは、どこまで《氷菓》について知っていたのですか?

 聞くところによると、奉太郎にアドバイスをしたのはあなただと。

 

 いや、こんな話は野暮ですよね。知ってなきゃアドバイスなんて出来ない。

 

 気にしないでください。これは近況報告だと思って頂ければ幸いです。

 いつか、会える日を楽しみにしています。

 

 良い旅を。

 

 南雲晴

 

 敬具

 

 

 

 

 

 

 







 少女の流す涙は、とても穏やかで、美しかった。



 《氷菓》編完結です!!

 ハルが加入した古典部の物語はいかがだったでしょうか?もしよろしければ、感想を頂ければ嬉しいです。作者のモチベーションにも繋がります……笑

 次回からは何話か番外編を挟んだ後に、《愚者のエンドロール》編に突入します!!お楽しみに!!


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古典部達の休息 夏の巻
晴と晴香


古典部達の夏休みを描いた短編集です。


 ────ミーン、ミンミンミン

 

「ミーン、ミンミンミン♪」

 

 イライラ

 

 ────ミーン、ミンミンミン

 

「ミーン、ミンミンミン♪」

 

 イライラ

 

 ────ミーン

 

「うるせぇ!!」

 

 夏休み。《氷菓》の件が解決して一週間、八月にも突入し夏休みも四分の三を切った。

 それなのに……今俺がいる場所は地学講義室。その他にも、奉太郎、千反田、里志、伊原が席についている。

 

「ちょっと南雲、なんで蝉にイライラしてんのよ」

「そうですよ。ミーン、ミンミンミン♪ですよ」

 

 わけわからん。

 

 蝉は嫌いではない。『昔は触れた』が代名詞である蝉ではあるが、未だに触ることも出来るし、捕まえられる場所にいようものなら思わず掴んでみたりするものだ。

 俺がイライラしてるのは、ここに俺たちを呼び出した()()()が姿を表さないから。もう十分過ぎてんぞ。……と思った時、奴は現れた。

 

 突如地学講義室のドアが勢いよく開かれ、夏だというのに元気な声で奴は口を開いた。

 

「おっす!!古典部の諸君!!」

「勘解由小路さん!?」

 

 来たか、晴香。

 

「誰だ?」

 

 奉太郎と伊原が首を傾げる。そうか、こいつらは会うの初めてだったよな。里志は顔くらいは認知済みらしいけど。

 言われなくても、里志が説明を

 

「奉太郎、摩耶花、この前話したろう。勘解由小路さんはね」

 

 ほらみろ

 

「《桁上がりの四名家》に対抗できる神山の名家、畜産の勘解由小路家の息女だよ。勘解由小路家が育てた神山発祥の神牛はこれまた絶品さ」

 

 何とも大袈裟に里志は両手を合わせ、舌をペロッとだす。

 

「おっ、絶品とは嬉しい事言ってくれるねぇ……。じゃぁ初めの人に自己紹介!」

 

 晴香は部室に足を踏み入れると誇らしげに自分の旨に手を置き、口を開いた。

 

「はじめまして。勘解由小路晴香でっす。趣味は書道に読書と、晴をイジる事。嫌いなものは、不機嫌な晴!!よっろしくぅ!!」

 

 沈黙。晴香のノリに付いていける者はなかなか居ないからな。しかし、こいつはめげない。

 

「ハル、知り合いなのか?」

「知り合いじゃない、とは言えない。まぁちょっと縁があるっていうか……。それで今日は何しに来たんだ晴香。俺らを神聖な夏休みに集めるなんてよ」

「何しに来たって、約束を果たしに来たんだよ」

「約束ぅ?」

 

 なんの約束だ?こいつと約束なんて……あっ。

 

「千反田と書道部の体験に行ったやつか?」

 

 そういった途端に千反田も思い出したのか、顔をパァっと上げる。椅子から立ち上がり俺の前に立つ。

 

「そうです!!勘解由小路さんと南雲さんの関係を教えてもらうんでした!!」

「関係?確かに、二人って仲良さそうに見えるね」

「なんだい、千反田さんは知らないのかい?勘解由小路家と南雲家の関係を」

「ほえ?福部さんは知ってるんですか!?」

「当たり前だろ?神高データベースを舐めないでよ。ハルと勘解由小路さんの関係はハルと出会った日に調べたよ」

「はぁ!?お前知ってて黙ってたのか!?」

 

 里志は両手を上げながら答える。

 

「データベースは結論を出せないだけじゃなくて、結論も言わないんだ。」

 

 もうお前はいい。

 しかし、正直、俺と勘解由小路家の関係を言い出すタイミングも失ってて、どうしたものかと思ってたところだし。いい機会だ。ただ、これをネタに茶化される可能性も高くなったがな。

 ちょっと遊んでみるか。

 

「まぁ待てお前ら」

 

 俺は晴香の隣に移動し、肩に手を置く。

 

「こいつと俺の関係を知りたくば、ちょっとしたゲームをしないか?」

「ゲームだって?」

 

 里志が何やら嬉しそうに問いただす。

 

「あぁ、ゲームだ。」

「ちょっ、ずるいですよ南雲さん!書道部の体験に行ったら教えてくれるって勘解由小路さんが……!!」

 

 千反田はオロオロした様子で俺に詰め寄るが、それには動じない。

 

「せっかく学校に来たんだ。関係を知って、はい解散というのも、味気ないだろ?まぁ簡単なナゾナゾだよ」

「へぇ……いつもはハルやホータローが解く謎を僕らに君が提示するわけか。面白いじゃないか!その謎、ホータローが乗った!」

「なんでだ……」

「古典部の探偵役同士の対決……燃えるじゃないか」

 

 ホータローは千反田と伊原にも詰め寄られる。千反田の目はアメジスト色に光り輝いており、《興味》への関心が高まっている。奉太郎は溜息をついた後、答えた。

 

「手短に頼むぞ……ハル」

「手短に終わるかはお前次第だ」

 

 俺達は数秒間視線をぶつけ合わせる。

 そして、晴香が口を開いた。

 

「おーおー、なんだなんだ!?いつになく燃えてるねぇ晴。面白い!お姉さんもその勝負に乗った!折木くんだっけ?君が晴の問題に答えられたら、私と晴の関係を教えてしんぜよう!!」

 

 俺は軽くニヤッと笑ったあと、頭の中で組み立てた問題文を口に出す。

 

「問題」

「お願いします!折木さん!」

「頼んだわよ、折木」

「期待してるよ。ホータロー」

 

 

「あるパーティーの参加者には一から千までの番号札が与えられた。その後パーティーで殺人事件が発生…死因は撲殺。ダイイングメッセージには血で書いた刃物の絵。さて、犯人は何番の参加者でしょうか?」

 

 

「死因が撲殺なのに、メッセージは刃物の絵?不思議ね……」

 

 伊原は呟く。千反田と里志も顎に手を当て考えるが、答えが出ないのか頭を抱え出す。

 

「南雲さん!ヒントをお願いします!」

 

「はえぇよ。仕方ない……この問題のヒントとなるのはアイツだ」

 

 俺が指を指した方向には、一冊の本。それは

 

「《氷菓》!?」

 

 千反田の驚愕の声に、俺は軽く頷く。

 

「あぁ、そして、この問題は()()()()()()()()()()。いいか?初心に帰れ、無駄なことを考えるな。」

()()()()()……なるほどな」

 

 奉太郎の呟きに、この場の全ての視線が奉太郎を向く。ちょっとヒントやり過ぎたか?

 

「早すぎ……」

 

 伊原は不服そうに奉太郎を見つめる。舌打ちが聞こえたみたいだけど、空耳ということにしておこうか。怖いし。それと、怖いし。

 

「なにか思いついたみたいだね。」

「教えてください!折木さん!」

「分かった分かった……いいか?」

 

 奉太郎はゴホンと咳払いをし、喉の調子を整えたところで話し始めた。

 

「いいか?こいつが言った《氷菓》がヒント、というのは、検討会の俺たちの反省をさせようとしていたんだ」

「検討会の反省?」

 

 奉太郎は頷き、続ける。

 

「俺達は無駄な事ばかりを調べすぎていた。《氷菓》だけを見ていれば、あんな壮大な話し合いなくとも真相に辿り着けていたはずだ。だからこいつは言ったんだ。『無駄な事は考えるな、初心に戻れ』とな」

 

 おぉ、奉太郎が一番最初に解くとは思ってたけど、ここまで推理されるなんてな。

 

「死因が撲殺だとか、血で書かれた……は完全なミスリードということになる。被害者がダイイングメッセージを書く理由は、間接的に犯人を教えるため。つまり注目するのはダイイングメッセージの刃物の絵で充分なんだよ。そして、《氷菓》から与えられたヒントはミスリードだけではない。アイスクリームのように、語呂合わせになっていた」

 

「刃物の絵……殺人に使う刃物といえば代表例はナイフ。ナイフを数字に言い換えると。ナは九、イは一、フは二……つまり犯人は、九百十二番の参加者だ」

 

 俺は数回拍手をしたあとに口を開いた。

 

「早すぎだろ……もっと考えろよなぁ」

「手短に…と言ったろ?」

「違いない。正解だよ」

 

 次の瞬間、待ってました。と言わんばかりの表情で千反田と伊原が目を光らせながらこちらを向く。

 あまりにも早く問題を解かれたのを煽るかの如く、晴香が俺の頭をつつくがそれを払ったところで、俺は口を開いた。

 

「分かったよ教える。俺と晴香の関係は」

 

 俺は三文字の口にした。辺りは数秒間静寂に包まれ、そして

 

 

「「従姉弟!?」」

 

 

 千反田と伊原も驚きつつ興奮した声が部員の中を反響した。そして、晴香は付け足すように説明を加える。

 

「そう。私のお父さんの妹が晴のお母さん。勘解由小路家の正統継承者(せいとうけいしょうしゃ)の資格は長男、長女に与えられるからね。晴のお母さんは晴のお父さんの名字になったってわけ」

 

 次いで俺も口を開く。

 

「これは余談だが、俺も一応生まれは神山だぞ。育ちは東京だけどな」

 

 すると伊原は未だに驚きを隠せない様子で口を開いた。

 

「じゃぁつまり古典部には、ちーちゃんと南雲……、二人も神山の名家の血統者がいるってこと?随分豪華ね」

「人を装飾品みたいに言うな。俺は勘解由小路家で育ってないから結果論でいえば一般人だ」

 

 千反田は戸惑いつつも言った。

 

「千反田家と勘解由小路家は言ってしまえばら共営関係にあります。千反田家で育った作物を勘解由小路家の牛に、勘解由小路家の牛の糞を肥料として千反田家は使用しています。勘解由小路家は縁が深い家系とは思っていましたが……勘解由小路さんに従弟がいたなんて、知りませんでした!」

 

 千反田の反応は面白い。せっかく言ったんだ、これくらいの反応してくれなきゃ困るぜ。それに加えて……

 俺は後ろに座る奉太郎と里志の方に視線を移す。

 

 あいつら、里志は知ってやがったし、奉太郎はてんで興味ないって感じだし。ちくしょう!!

 

 視線を戻すと、千反田が言葉を続けようとしていたので耳を貸す。

 

「じゃぁ南雲さんの今年に引っ越してきたというのはお母様の帰省という事ですね!今度ご挨拶に伺っても?」

「来てねーよ」

「へ?」

「勘解由小路家に今来てる南雲家の人間は俺だけだ。父さんも母さんも東京だよ」

「えっと、それはどういうことでしょうか?」

 

 俺は軽く俯く。隣で晴香の「やっちまったなぁ」という呟きが聞こえた。

 

「じゃぁこれで俺とコイツの明らかになったし……俺は帰るぜ。またな」

「え?南雲さん…!」

 

 俺は何も言わずに、部室をあとにした。

 

 俺はもうこの場には居なかったから分からないが、こういう話が繰り広げられたらしい。

 

「何よアイツ……突然」

「なんか怒ってなかったかい?ホータロー」

「あぁ……」

「か、勘解由小路さん……!私、私……!!」

 

 俺を怒らせてしまったと思ったのか、少し潤んだ目で晴香に聞いた。

 

「あー泣くな泣くな、える。大丈夫。晴はあんなんで友達を嫌うやつじゃないよ」

「で、でも私、南雲さんを怒らせて……」

「あれは怒ってるんじゃないと思うよ。多分……思い出したんだよ」

「家族となにかあったんですか?」

 

 奉太郎は立ち上がり、晴香に聞く。晴香は俺が去ったドアを眺めながら、答える。

 

「んにゃ、家族じゃなくて、あっち(東京)の友人関係らしいけどね。私も叔母さん、晴のお母さんからしか聞いてないけどさ」

「なにがあったんですか?引っ越してまで距離を取ろうとするなんて……」

 

 里志の質問に、晴香は答える。

 

「ごめんな。あんまり他言できる話じゃない。ただ言えるのは、アイツは悪くないと思うんだけどね。多分あいつが()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。でも」

 

 晴香は一度古典部全員の顔を眺めたあと、言った。

 

「晴は君たちの事を信用してると思うんだ。だからいずれアイツから話すと思うよ。その時はアイツの話を聞いて欲しい……いいかな?」

「特に折木くん。君は、晴に一番信用されてるんじゃないか?」

 

 奉太郎は「はぁ」と溜息をついた後、口を開いた。

 

「話を聞くぐらいなら、誰でも出来ますしね」

「違いない。それじゃぁ今からうちに行って、晴を元気にしに行くぞ!!!お前らついてこい!!」

「なにぃ!?」

「よしっ!いい方法を思いついたんだけど……やるかい摩耶花!?」

「もっちろん!南雲のアホ面見に行くわよ!」

「わ、私も謝りに行きます!!」

 

 この時、晴香は思った。

 

 よかったな晴。お前を心配してくれる奴は……、こんなにもいるよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

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────自室────

 

 

 机に突っ伏していた俺は手紙用の用紙と睨み合いをしていた。そして、筆を進める。

 

 

 前略

 

 ────殿

 

 

 お前に何も言わず勝手に引っ越して悪かった。こっちは元気だ。

 

 古典部に所属している。面白い奴らばっかりだよ、お前にも紹介してやりたい。……いや、すまん、やっぱり部活動の話はやめよう。

 

 ……お前は、俺のことを恨んでるか?そうだよな、俺は()()()()()()()()。俺の行動で、取り返しのつかないことをしてしまった。

 

 当分は神山にいるよ。決心がついたらそっちに顔を出そうと思う。

 

 出来れば返事が欲しい。

 

 またな。

 

 南雲晴

 

 敬具

 

 

 

「ふぅ……」

 

 俺は手紙を四つ折りにすると、それを封筒に入れる。

 ポストに出しに行こうと、部屋のトビラを開けようとした、その瞬間。

 

 

「たのもーーー!!!」

 

 

 晴香や古典部の連中が俺の部屋に突入。

 俺は口をあんぐり開きながら、馬鹿ども(古典部と晴香)を見つめる。

 

「はーはっはっはっ!!晴!!貴様勝手に帰るとは何事だ!!」

「あははは!!南雲なにその顔!!」

「いやぁ傑作だね摩耶花……クックックッ……!!」

 

 こいつら……!いつにもなく楽しそうな顔しやがって……!!

 

「な、南雲さん!!」

「千反田?」

 

 千反田は尻餅をつく俺の目の前に座りながら、口を開いた。

 

「ごめんなさい!私……なにも知らずに余計なことを……」

「別にいいよ。言葉の通り、知らなかったんだから」

 

 すると、目の前に右手が差し出される。俺はその手の主をみた。

 

「大丈夫か?ハル」

「お前らが俺の部屋に入ってきた時点で、大丈夫じゃねぇよ」

 

 俺は軽く笑いながら奉太郎の手を掴み起き上がった。

 

「おい晴!お前高校生の癖にムフフ本の一本も持ってないのか!?」

「人の本棚を勝手に見るな!!おい千反田、なぜベッドの下を覗く!!やめろやめろ!!」

 

 この関係はいつまで続くのだろうか。

 

 こうやって何気ないことで笑えるのは、幸せな事なのだろう。

 楽しい時間は、いつまでも続かない。いつかこいつらとも、別れの時は来る。

 だが……

 

 俺はきっと、この関係を後悔することはないはずだ。

 

 

 

 




今回のお話は、この物語のオリジナル長編の伏線回です。

書くのは随分先になると思いますが、このお話を心の片隅に置いていただければ嬉しいです。

次回《夏祭り》


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夏祭り

 夏祭り。

 

 それは、夏という季節の大きなイベントの一つである。

 

 焼きそばやたこ焼き、焼き鳥のこおばしい香り。かき氷や綿菓子の甘い砂糖の香り。

 行き交うのは家族連れに人波を縫いながら走る子供たち。顔をほのかに染め、手を繋ぎながら歩く浴衣姿のカップルに、男女混合の《薔薇色》グループ。

 

 その他にも、人の話し声の間から微かに聞こえる鈴虫や蝉の鳴き声。

 

 そして、醍醐味といえば……あと数時間後に行われる打ち上げ花火だ。 

 

 皆が楽しそうに夏祭りの開催される神社へ向かうのを横目に俺は口を開いた。

 

「なぁ、奉太郎」

「なんだハル」

「なんで俺達は男二人で男一人を待ってるんだ?」

「しらん」

 

 そう、俺達古典部の男子組もこの夏祭りに参加する予定だ。

 事の発端は里志の一言、今日の朝八時にモーニングコールとして掛かってきた電話。『ごっめ〜ん!起こしちゃった〜?』とか言った時には思わず切ってやろうかと思ったよ。

 『千反田達は誘わないのか?』と聞いたところ、『女の子を夏祭りに誘うなんて、そんなレベル高いことは出来ないよ』だそうだ。

 

「しっかし奉太郎、お前甚平って結構ノリノリだな」

「お前もそうだろうが。鬱陶しい事に、姉貴が帰ってきててな。行くならコイツを着てけとうるさかった」

「断ればいいのに」

「お前はまだ姉貴の怖さを知らないんだ」

 

 はは……。さいで。

 すると、顔に微笑を浮かべた俺の後ろで、一つ声が聞こえてきた。

 

「やぁ!ハル、ホータロー!おっ、甚平とは二人とも雰囲気に合わせて着てるね」

 

 相変わらず重役出勤の里志はいつもの巾着袋と同じ色の浴衣を来て登場。体の線が細いせいか悔しくも浴衣が良く似合う。と言うと調子に乗りそうなので口にはしないが。

 

「遅いぜ里志、遅れたからには、女の子の一人や二人を連れてきたんだろうな」 

 

 冗談めかして声を発すると、里志はニヤッと笑った。

 立っていた場所を右にどくと、里志は両手を自分がいた場所へ向ける。

 

「あぁ、じゃーん!!()()連れてきたよ!!」

「こんばんは、南雲さん、折木さん!」

「なんだ、アンタらもいたの」

「な、南雲くん。折木くん。久しぶり……」

 

 その場にたっていたのは、浴衣姿の女子三人組だった。

 右から、伊原、千反田、そして……

 

「桜!?こいつらと知り合いだったのか!?」

「えーっと……知り合いっていうか私の家の前で福部くん達と会ってね、一緒に来ないかって誘われたんだ」

「へぇ……」

 

 俺はもう一度浴衣姿の女子に視線をずらす。

 

 伊原。黒をベースとした浴衣で、赤や黄色の色とりどりな花が描かれている。小柄な背丈のせいか浴衣を引きずってしまいそうで心配になるな。

 

 千反田。伊原とは違い白をベースにした浴衣で、こちらにもところどころに花が描かれている。髪は珍しく後ろで縛られてはいるが、いつもの様な清楚感が雰囲気から溢れ出ている。

 

 桜。ピンクをベースとした浴衣で、描かれている花の種類は俺にも分かる。これは桜だな。千反田と同じく髪を後ろで結んでおり、浴衣に見合った小さめのカバンを両手でぶら下げている。

 

 なんから甚平の俺と奉太郎が省かれてるみたいだな。

 

「あのら南雲くん。あんま見られると……」

「へ!?あぁ、ごめん!」

「あ!ハル……もしかして桜さんに見惚れてたのかい?」

「からかうなよ……それより早く行かないと席取れないぜ、早く行くぞ」

「あー、席に関しては大丈夫だよ。ねっホータロー」

「だな」

 

 予約制なのか?でもそうだとしたら途中参加の桜の分は用意出来ねぇよな。

 

 全員集合した俺達は、夏祭りの開催される神社に向かって歩き出した。

 

 

 

 

 

 

──────────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おー!思ったよりデカイな!」

 

 俺は道なりに続く屋台の数々を横目に奉太郎に話しかける。

 

「ここら辺は観光地にもなってるからな。街並みも昔のを残してある。里志が言うには隠れスポットらしい。それにここら辺じゃ一番でかい祭りだぜ」

「へぇ……おっ、射的だ!やろうぜ奉太郎、里志!」

「よし来た!誰が一番取れるか勝負といこうじゃないか!」

「ま、せっかく来たしな」

 

 俺に続き、奉太郎と里志は射的屋へ向かう。それを見ていた女子陣は呆れたように口を開いた。

 

「ああいうの好きよね。男って。あっ、まだちゃんと自己紹介してなかったよね。私は伊原摩耶花、よろしくね桜さん」

「千反田えるです。あの三人と同じ古典部に所属しています。文集の件ではお世話になりました。桜さん」

「うん。よろしくね。千反田さん、伊原さん」

 

 三人はそれぞれ握手を交わしたあと、伊原は顔をニヤッとさせながら口を開いた。

 

「そう言えば、ふくちゃんから聞いた話だと、桜さんって南雲の事好きなんだって?」

「えぇ!?そうなんですか!?応援しますよ、桜さん!」

「え、えぇ!?なんで福部くんが知ってるの!?」

「いつも南雲の事を見てる子がいるって聞いてたから、南雲に浴衣見られてた時の反応からすぐに分かっちゃった」

「ち、違うよ!!好きじゃなくって……南雲くんは興味があるだけで……」

()()です!!」

「えぇ!?千反田さんも!?」

「はい!!南雲さんだけじゃありません……!!折木さんも!お二人の頭の中がどうなってるのか、解剖してみたいくらいです」

「ひ、ヒィィィィィィ!!か、か、か、か、解剖??!!!」

「あー、気にしないで……。ちーちゃんの《興味》はあなたのとは違う《興味》だから……」

「一緒に解剖しましょう!!桜さん!!」

「ヒィィィィィィ!!!」

 

 会話内容は聞こえなかったが、射的の順番を待っている俺達は遠目で話していた。

 

「仲良くなってんな」

 

 と、俺。

 

「いい事じゃないか」

 

 と、里志。

 

「桜が叫んでるだけにも見えるけどな」

 

 と、奉太郎。

 

 

 その後ら金魚すくい、輪投げ、ヨーヨーすくい。

 ラムネ、たこ焼き、綿菓子、かき氷、広島焼きなど、俺達六人は夏祭りを楽しんだ。

 

 桜も女子陣だけではなく里志や、奉太郎とも話している場面もあり、孤立しないか少し不安だったが、どうやら俺の心配は無用だったみたいだ。

 

 屋台で売上トップを維持する晴香率いる神牛焼き。俺と奉太郎を見かけた途端に避ける遠垣内。

 遊びに来ていた糸魚川先生にクラスの友達。「女子と夏祭りとは〜!」と、羨望の眼差しを浴びせられたのもいい思い出となるだろう。

 

 そして……花火大会の席を取ろうと、俺達は人波を縫い、離れないように前の奴の服を掴みながら歩く。順番はこの辺の地理に詳しい里志を先頭に、千反田、伊原、奉太郎、桜、最後尾に俺。

 

 ……事件が起きた。

 

 人波を抜けた俺は数回頭をブンブン振ったあと、前の桜に視線を向ける。

 ……え?

 

 俺が掴んでいたのは桜では無かった。見たところ大学生ほどの桜と似たような浴衣を着た女性は、俺のことを不思議そうに眺める。そして……

 

「ご、こめんなさい!!」

 

 人違いに焦った俺は、上下左右、東西南北、四方八方、何も確認せず闇雲に走った。

 

 

 

 

 

「はぐれた……」

 

 

 

 

 

 ま、こういう時の為に携帯が……。あっ……。

 

 数時間前の記憶が蘇る。

 

『奉太郎、お前のカバンに携帯入れさせてくんね?甚平だと落ちちゃいそうなんだよ。』

『構わんが、忘れるなよ』

『そんな馬鹿じゃねぇよ』

 

 そんな馬鹿じゃねぇよ……そんな馬鹿じゃねぇよ……《そんな馬鹿じゃねぇよ》

 

 ジーザス!!何やってんだ俺……!!馬鹿じゃねぇの!?馬鹿だったよ!!ばーか!!ばーか!!

 

 仕方ねぇ……現地合流だ。始まるまであと三十分も時間はある。その間に探せば……

 しかし、現地に到着した瞬間、俺の考えが甘かったことに気づいた。この夏祭りはここらでは最も大きなものだと、さっき奉太郎に聞いたばかりではないか。

 その証拠として、既に一般席は人で埋め尽くされている。こんなの探しようがない。

 

 しゃぁねぇ、そこの公衆電話で俺の携帯に電話っすっか。金、金っと……。あっ……。

 

『奉太郎!財布も!』

『お前、もしはぐれたらどうするんだ』

『そしたら迷子コールすっから』

 

 ……。

 

 ガッテム!!馬鹿じゃねぇの!?ばーか!!ばーか!!

 

 しかし、どうしたものか。あいつらが座る席がわかってれば!?

 

 

 

『早くしないと席取れないぜ』

 

『席に関しては大丈夫だよ』

 

 

 

 

 あの言葉の意味はどういう事だ?

 見たところここは自由席だ。特別席がある様子も無い。

 

『毎年里志と地理を覚えるくらい来てるからな』

 

『隠れスポットらしい』

 

 地理を覚えるくらい来てる?それに、ここが隠れスポットだって?あの時は気にしなかったが、こんなに人がいるのに隠れスポットってのも変な話だよな。

 

 奉太郎が言っていた隠れスポットってのは……ここじゃないのか?俺は目を閉じる。

 

 考えろ、隠れスポット、地理、花火。

 

 ゆっくりと目を開け、俺は人波を縫いながら走り出した。

 

 どこだ?俺はあたりを見渡す。そして、俺の目の先に映ったのは、神社の長い階段の上にある広場。屋台が構えられているのはその階段へ続く道であり、誰一人として階段を登ろうとしている者はいない。

 そもそも隠れスポットというのは、普段はなにも気にしない場所ではあるが、一部の人間が知っており、一定の条件下にてその効果を発揮する場所。

 

 俺は全速力で階段を駆け上がる。花火の開始まであと十分。頼む、いてくれ!!

 

「はぁはぁはぁ… ……」

 

 上まで登った俺は激しく息を切らしながら辺りを見渡す。階段下のように提灯はどこにも付けられておらず、辺りは夜の闇に包まれていた。人の気配は……ない。

 

「ハズれ、か……」

 

 いや、そもそも期待してなかった。こんな少ない条件と情報の中で……穴だらけの推理。当たるわけがない。

 

 俺は階段に腰を降ろす。下に見えるのは一般席で花火の開始を待つ人々、皆笑顔になっている。あの中にあいつらもいるのかな?

 

 ここからでも見えるのかな?誰もいないし、特等席だな。

 一人で花火ってのも、なかなか乙なものだ。

 

「あいつらと……花火見たかったな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(ハル〜!!)

 

 階段下から、声が聞こえた。

 ハッと気づいた俺は下に顔を向ける。そして、大きく目を見開いた。奉太郎達だ……!

 

「やぁ、心配したよ。ハル」

「ご無事でなによりです」

「ったく……心配かけないでよね」

「ごめんね……私が早く行き過ぎちゃったせいで」

「お前ら……俺を探してくれてたのか?」

 

 全員は顔を見合わせ、その代表のように千反田が頷いた。

 

「はい、だってみんなで見たいでしょう?花火」

「で、でも今から一般席に行ったんじゃ間に合わない……」

「里志が言ってただろう、席に関しては大丈夫だって」

 

 奉太郎の声に俺は思わず固まる。どういう意味だ?

 

「見てみろよ」

 

 奉太郎が指を指す方向に、全員が視線を移す。そこには夜空くしか無く、何も見えない。

 

 

 ひゅ〜〜〜

 

 

 花火の上がる音……そして、奉太郎が口を開いた。

 

「ここが俺たちの……」

 

 

「特等席だ」

 

 

 ドーーーーーーン!!!!

 

 

【挿絵表示】

 

 

「すげぇ……」

「はい……!!花火が目の前にあるみたいです……!」

「何年か前に姉貴に教えて貰った場所だ。これに関しては、姉貴に感謝だな」

 

 その後も、幾度となく花火が放たれた。

 「すごい!」やら「おぉ!!」の声が聞こえる方向に俺は視線をずらした。

 

「南雲くん」

「どうした、桜?」

 

 声にするのに戸惑っていた様子の桜だったが、少し悩んだ後に口を開いた。

 

「来年も、みんなで一緒に行けたらいいね」

「あぁ……みんなで一緒に、な」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次回からは《愚者のエンドロール》編突入です。


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第2章 愚者のエンドロール
第一話 女帝と試写会


ログナンバー 00205

 

 

 

Noname:どう?

 

L:生きます

 

L:行きます

 

Noname:そうしてくれると、こちらも嬉しい

 

Noname:時間と場所は追って伝える

 

L:取っ手も楽しみです

 

L:とっても

 

Noname:変換はしなくても大丈夫だぞ

 

L:層なんですか?

 

L:そうなんですか?

 

L:あっ、ほんとうですね

 

Noname:友達も誘ってくれて構わない

 

Noname:古典部だったな?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

愚者のエンドロール

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 残暑というのは実に不愉快だ。

 

 さして暑くない割には、真夏同様汗が大量に吹き出てくる。まだ、涼しい秋風が吹くわけでもなく、俺はベルトの間に挟んでいたうちわを取り自分を扇いだ。夏休み中という事で教師陣の服装チェックも厳しくはない。

 制服のズボンを三つ折りにし、七分丈程度の短さに調節する。伊原に『だらしない!!』と怒られそうだが、今は地学講義室のドアと睨めっこ中だ。

 

「伊原〜お前暑くないの?」

「今はどうでもいい……あの二人(折木とふくちゃん)が来ないからイライラしてるのよ」

 

 千反田も来ていないのだが……。今俺が部室にいる理由、それは文化祭に出版する《氷菓》のデザインについての話し合いだ。

 メールが来た時『全部おまかせ』なんて送った日にはお叱りの電話がかかって来て大変だったな。

 

 しかし……約束の時間十五分を過ぎてもほか3人はやって来ない……。バックれたのか?俺も誘えよ。

 

「遅いっ!!」

 

 そんな事を考えている内に地学講義室のドアが開かれた。その途端伊原は微笑を浮かべる奉太郎と里志に一喝を入れる。

 

 その後数分間怒られていたが、出来るだけ耳を貸さないようにしよう。

 無意味なやりとりが繰り広げられている中、千反田も到着。

 

「遅れました、すみません」

「千反田が遅刻って珍しいな」

「そういうハルが時間通りなのも珍しいよね」

 

 やかましいわ。

 

「ええ、少し話し合いが長くなりまして」

 

 話し合い?何か企んでるなコイツ。顔と気配で分かるぞ。

 

 会議は小一時間程で終了した。時間は十二時前か、折角昼飯買ってきたしここで食って帰ろう。

 俺がリュックからコンビニで買った三つのパンを取り出すと、ほかの四人も弁当を取り出した。

 

 奉太郎と里志はコンビニ弁当、伊原は二つのお握り、千反田は自分で作ったのか、それこそ使用人に作ってもらったのか分からないが自家製弁当だ。

 

「千反田の唐揚げ美味そうだな」

「私が作ったんですよ、お一ついりますか?」

 

 ほう、やっぱり千反田が作ったのか……そんじゃ遠慮なく。

 俺は『ここに置いてくれ』と間接的に言うように、食べていたパンをスっと差し出す。

 千反田に意図は伝わったようだが、少し不服そうな顔をした。

 

「どうした?」

「お箸を使って食べないと、お行儀がよくないです」

「でも俺今日パンだし他に置くところが……」

「そうですね、えーっと……じゃぁ」

 

 千反田は軽く身を乗り出し、唐揚げを掴んだ箸を俺に向けた。

 

「南雲さん。はい、あーん」

「えぇ!?」

 

 俺

 

「ちーちゃん!?」

 

 伊原

 

「ふっ」

 

 奉太郎

 

「ぶほぉ!!」

 

 俺に向かって飲み物を吹き出す里志

 

「何すんだお前!!!」

「ごめんよ、あんまりにも面白すぎて……くく……」

「な、何がおかしいんですか?福部さん」

「ちーちゃん……その唐揚げは自分で食べな」

 

 今の(あーん)の方が行儀的にどうなのだろうか。千反田、俺はお前の将来が心配だよ……。

 

 その後もたわいの無い会話を交わし、皆が食べ終わったところで千反田が持ってきた温かいお茶を紙コップに入れ、全員で食事の余韻に浸っていた。随分と用意がいいのね、千反田。

 

「みなさんはこの後予定はありますか?」

 

 奉太郎は首を横に振る、里志と伊原も予定はないらしい。だが……。

 

「悪い千反田、俺はこのあと勘解由小路家の手伝いをしなくちゃ」

 

 奉太郎の恨めしい顔がこちらを向いているが、本当のことだぞ?

 

「そうですか……残念ですが仕方ないですね」

「では、南雲さん以外の私達で《試写会》に行きましょう」

 

 む?試写会?

 

「それは映画のかい?」

 

 里志が聞く。一応ここに越してきた時に映画館の場所を調べたことはあるが、近場に映画館はなかったはずだが。

 電車に乗って隣町まで行かいないと……。

 

「いえ、文化祭のクラス展示、二年F組が作成したものです」

 

 クラス展示か……、珍しいな。

 前に里志に聞いたところによると、神高の文化祭はクラス展示は少ない。それぞれがそれぞれの部活の展示に忙しいからな。

 運動部より文化部が活発ってのもあって、展示はその展示専門の奴らがやるものだと思っていた。

 映画研なんてものもあった気がしたしな。

 

「二年F組の体育会系の方達が、自分たちも文化祭に参加したいと始まった企画だそうです。私の知人が二年F組にいまして、誘ってくれたんです」

「いいね!みんなで行こう。ハルはこれで、またね」

「おう」

 

 まぁいいさ。普通の映画の試写会だったら惜しいことをしたと思っただろうが、クラス展示の制作映画なんてクオリティはたかが知れてる。勘解由小路家で豚と牛と戯れてた方がやりがいがあるぜ。

 俺は四人に手を振ると、駆け足で帰宅した。

 

 

 

 

 

 

 

───────────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 視聴覚室に着いた俺こと折木奉太郎と古典部はそのドアを開ける。

 

 中は暗幕が垂れ下がっていた。晩夏の日差しを効果的に遮っており、心做しか涼しさも感じる。

 俺たちに気づいたのか突然現れたのは紺色の私服を着た女子生徒。千反田は彼女に気づくと歩み寄った。

 

「お言葉に甘えてきちゃいました」

 

 背は千反田と同じかそれより少し高いくらい、体型はスラリと細く。顔の輪郭は顎に向かってシュッとしている。

 

 しかし、俺がこの女子生徒に感じたのは冷厳さだった。

 一つ学年が違うというだけで高校生とは思えないほどの威厳だ。警察や、自衛官が似合いそうと言っても過言ではない。

 

「よく来た」

 

 彼女は俺たちに視線を向け、言葉を発した。

 

「ようこそ、今日は招きに応じてくれてありがとう」

 

 それに応じるように俺たちは頭を下げた。千反田が俺たちを一人一人紹介していく。

 

「む……。一人足りないようだが?」

「あ、南雲さんは勘解由小路家の用があると言って……」

「南雲?あぁ、晴香の従弟か」

 

 勘解由小路先輩を知っている?それに、ハルが勘解由小路先輩の従弟という情報はあまり有名ではない気がするが。

 

「今日はよろしく。私は……入須冬実(いりすふゆみ)

 

 なるほど、入須……聞いたことあるぞ。《桁上がりの四名家》繋がりだ、だからハルや勘解由小路先輩の事も知っていたのか。これで千反田とも知り合いというのは見当もつく。しかし、俺たち古典部は何故神山の名家とこうも繋がりがあるのだろう。

 

「早速本題に入ろう。今日来てもらったのはうちのクラスのビデオ映画を観てもらうため、是非とも率直な意見を聞かせて欲しい」

「楽しみです」

 

 と、千反田。

 

「見て感想を言うだけでいいんですか?」

 

 俺が聞くと、入須はこちらを真っ直ぐな目で見つめながら言った。

 

「あぁ、それだけで構わない」

「もし俺達がこの映画を批判したとしても、取り直しの効くものじゃないでしょ」

「尤もな疑問ね。その質問に答えてもいいけど、まずは意識をせずに観てもらった方が効果的であり、効率的だ」

 

 まぁ……なにか意図があるんだろう。ここは素直に受け入れよう。

 

「ジャンルはミステリー、タイトルは決まっていない」

「ミステリと言ったら、推理もので?」

「あぁ」

「じゃぁ僕はメモを取ろう」

 

 里志はいつもの巾着袋からメモ帳とペンを取り出した。そんなものが入ってるのか。

 

「それでは、そろそろ始めよう。健闘を……」

 

 入須が視聴覚室から外に出ると、俺たち古典部だけが真っ暗な部屋に残された。俺たちは適当に座り、大型スクリーンに視線を向ける。

 始まった。

 

「ポップコーンとコーラがないなんて……用意が悪いね」

 

 里志のジョークを流すと、ナレーションが聞こえてくる。

 

 映っているのは男女混合の六人。

 

 一番ガタイのいい体育会系の男が《海籐武雄(かいとうたけお)

 

 ヒョロりと細長い眼鏡をかけた男が《杉村二郎(すぎむらじろう)

 

 よく日に焼けた栗色の髪の女が《山西みどり》

 

 背が高くやや太めな女が《瀬之上真美子(せのうえまみこ)

 

 顔立ちの良さそうな印象を与える赤髪の男が《勝田竹男(かつたたけお)

 

 伏し目がちで地味な女が《鴻巣友里(こうすのゆり)

 

 どうやら彼らは楢窪(ならくぼ)地区という鉱脈の発見と共に生まれた廃村を調べ、それを文化祭で発表する為、現地へ向かうということだ。

 文化祭で廃村調べか……、この手の話題は、里志なら好きそうだな。

 

 その後、シーンはブラックアウト。再びナレーションが流れた。

 

『一週間後、彼らは古丘町、楢窪地区へ向かった』

 

 次に浮かび上がった場面は学校ではなく、盛夏独特の濃さを持った緑に包まれた山中の風景だ。

 生徒達が大型のリュックを背負い、山を登っている。この山の上にその楢窪地区とやらがあるのか?

 

 すると、先頭を歩く杉村が眼鏡を直し、前方を指さして言った。

 

『見えてきたよ、あそこが楢窪だ!』

 

 カメラは杉村の指を指す方向には移る。そこにあったのは、廃墟だった。

 

 棒読みの芝居は再開される。

 

『なるほどな、取材のしがいがありそうだ』

 

 と、勝田。

 

『とにかく今夜休めるところを確保しよう。』

『あそこなんてどう?』

 

 誰がなにを喋っているのか分からないその会話は、長きに渡り繰り広げられた。

 結果、先程杉村が指を指した廃墟の近くにある劇場らしき建物に泊まることになったらしい。

 

 六人全員は劇場の中に入っていく。海籐がガラス戸を引き開け、皆がそれに続く。最後に残った鴻巣は呟いた。

 

『なんか、嫌な予感がするわ』

 

 彼女も劇場の中へ入った。そして、カット。

 

 里志と伊原が同時に声を上げた。里志は嬉しそうに、伊原は不満そうに。

 

「館ものか!」

「館ものなの?」

 

 同時に二人が驚いたので、俺は疑問の念を見せた。

 

「館ものだからどうした?」

 

 すると里志が、やれやれと言わんばかりに答えた。

 

「ホータロー。あまり大きな声では言えないけど、館もののミステリーはありふれてる。つまり、結果的に名作がかなり多いのさ。もしミステリー好きがこの映画を見るとしたら、かなりの完成度を期待される。初心者が作るジャンルじゃない」

「うるさいわね、二人とも。まだ分からないわよ、もしかしたら凄い映画かもしれないじゃない」

 

 伊原が鬱陶しそうに言うが、現状からその《凄い映画》に切り替わる未来が見えない。俺は再び画面に目線を移した。

 建物……、六人が入った劇場の中は、廃村に電気が通ってるわけもなく、暗い。

 役者がセリフをいう。

 

『こんな山奥に劇場とはな…』

『鉱山にはお金があったんだ。けど、こんな山奥で生活なんて娯楽がないとやっていけない』

 

 この手の話が里志は好きなのは俺は知っている。「へぇ」と呟き、俺に言った。

 

「なかなか面白みのあるセリフじゃないか」

 

 ビデオ映画に面白味など求めてはいない。これは自己満だろ。

 鴻巣がこの劇場の見取り図を発見。ほかの五人を手招きし、見取り図を見せた。

 

「おお!見取り図!」

 

 里志が声を上げ、その図の写し取りにかかる。

 

 そのメモを後で見せてもらったところによると、劇場は二階建て。

 玄関をくぐると一同がいる玄関ロビー、すぐ横には事務室。ロビーを進むと大扉が構えられており、中はホールになっている。

 

 ホールにある舞台。客席から舞台に向かってある右側の部屋を《上手袖(かみてそで)》、左を《下手袖(しもてそで)》という。ちなみに、玄関ホールから右に曲がったところにある右側通路からも奥に進めば、上手袖に入ることが出来る。左もまた同じ。

 

 二階に上がるためには玄関ロビーの左右にある階段を上る必要がある。右の階段を上ると照明調光室。左には用具室、音響調整室、それに舞台上部に出ることが出来る。

 その他にも左右の階をつなぐ連絡通路があり、右の階段を上ったから左には行けない……ということは無い。

 

 その後一同は手分けして一晩を過ごせる部屋を探すようだ。しかし

 

『部屋に入れるかしら、多分鍵がかかってるんじゃない?』

 

 鴻巣が答える。

 

『それなら大丈夫よ。きっとあると思う…』

 

 玄関ロビーの隣、事務室に入っていく。不思議なことに事務室には鍵がかかっていないかった。カメラは鴻巣を追って事務室へ、鴻巣は辺りを二、三度確認したあと、壁面のキーボックスから大量の鍵がついているホルダーを取り出した。が、一つだけ鍵が残された。照らされた文字を見る限りマスターキーだ。

 鴻巣はロビーに戻り、ほか五人の代表として海籐に鍵を見せる。そして荒々しい口調で海籐は言った。

 

『じゃぁ適当に持って行ってくれ。使えそうな部屋がないか各自で見て回るんだ』

 

 頷いた一同は、次々と鍵を受け取り、劇場へ散る。

 ここで里志がわざとらしさを感じるまでに小さな声で口を開いた。

 

「実際こんなところに入ったら全員で行動すると思わないかい?」

「このシーンが怪しいってことか?」

「いや、分散行動を取ってもらわないと物語は進まない。お約束だろ?つまり……」

 

 里志は一度唇を舐めた。

 

「このあと事件だ。今度ハルの家に食べに行く約束をしていた神牛を賭けてもいい。ここで別れたら、誰か一人は戻ってこない……。リーダー役の海籐辺りがね」

 

 隣で伊原が俺を睨む。余計なことを言うなってことか?俺は話しかけられた側なのだが……。

 

 玄関辺りから玄関ロビーを移しているカメラから、次々とメンバーがフレームアウト。海籐を初めとし、杉村、山西、瀬之上、勝田、鴻巣……、ロビーには誰もいなくなり、無人の映像が少し続いたところでカット。そしてお決まりのナレーション。

 

『事件はこの後に起こる』

 

「そうだとも」

 

 と、里志の弁。伊原がまた睨んでるぞ。俺を。

 

 その後再び無人の映像からスタート。その後順番に《五人》が戻ってくる。一人を除く全員がフレームインしたところで、演技が始まった。

 なるほどら一人いない時点で、《被害者》は確定だ。

 

「ビンゴ」

 

 横で里志が指を鳴らす。そして、メンバーが言った。

 

『海籐くんは?』

『みんなで迎えに行こう。海籐が向かったのはこっちだったな』

 

 全員が右側通路へと足を運ばせる。そして、カメラが彼らを追う。

 彼らが入ったのは右側通路の途中にある控え室、勝田がそのドアを引き上げるが……誰もいない。

 

『おかしいな?』

『袖じゃない?』

 

 その言葉に従い、さらに奥に進み上手袖へ。勝田がそのドアを開こうとするが

 

『開かない。鍵がかかっている』

『事務室にマスターキーがあったから持ってくるね』

 

 バタバタと走って行く足音。音的に二人だろう。シーンカットのあと、再びドアに鍵が差し込まれる音。一同は中へ。

 

 上手袖の中には窓があり、本来下げられているはずの暗黙が上がり、陽の光が差し込んで来ている。その光に照らされた、倒れ込む人……当然海籐だ。

 

『海籐!』

 

 杉村が駆け寄る。勝田も次いで、近寄りカメラも死体役となった海籐の手を移す。これは

 

『血だ……!』

 

 出演者女子陣の悲鳴が上がる。

 海籐の腹部には大量の血のりが塗られており、目を閉じたまま死体役になりきっていた。

 カメラは一度海籐からレンズをずらし、全く別の場所を移す。カメラはズーム、そこに映っていたのは小道具ではあるが一本の腕だった。海籐のものだろう。

 

「ああ……!!」

 

 千反田の嘆息が聞こえる。

 

『海籐……畜生!!!』

 

 勝田は立ち上がり、窓を開こうとするが、立て付けが悪いのかなかなか開かない。勝田は体当たりをかまし、なかば力づくで窓を開け、外を眺める。カメラも窓の外へ。窓の外に、建物の壁ギリギリに夏草が生い茂っているのが見える。

 勝田は身を翻し上手袖のドアから舞台へ向かう。カメラも追う。勝田は一気に逆方向にある下手袖に入った。

 そこで勝田は立ち止まる。下手袖と左側通路を繋ぐ扉は積まれた角材で完全に閉ざされていたのだ。

 

『そんな……』

 

 勝田のか細い声と同時に、暗転。

 

 映像はそこで切れていた。

 

「終わりなの?」

 

 伊原の気の抜けた声。

 

「みたいだねぇ……」

 

 里志の声同時にスクリーンはまきとられていく。

 

「え、え、だってまだ終わってませんよ?」

「いや、まて。機材の故障かもしれん」

「それは違う。この映画はここで終わりだ」

 

 俺たちに話しかけて来たのは、入須だった。

 

 

 この時……俺はまだ知らなかった。この入須冬実という人間が……

 

 

 俺たちを手駒としか見ていなかったことを……。

 




古典部の折木奉太郎だ。

二年F組が制作した映画で起こった、奇妙な殺人事件。

俺たち古典部は再び《難事件》に足を踏み入れる。

次回《シンボル》

遅いぜ、ハル



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第二話 シンボル

お気に入り50、UA3000突破!

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「ここで終わりって、どういう意味ですか?」

 

 里志が問う。最もな質問だ。演技や映像技術のいい加減さまでならいい……だが、犯人が分からないまま終了とは、ミステリー作品を名乗るならあってはならない事だ。勿論、そういう作品も存在しないわけではないが……。

 

「もちろん説明はする。だがその前に君たち古典部に聞きたい……、この映画はどうだった?」

 

 入須が問うと、俺たち四人は顔を見合わせた。多分千反田を除いた俺、里志、伊原は満場一致だろう。そして、伊原は代表で答える。

 

「はっきり言って稚拙だと思います」

 

 入須は傷つく様子を見せるどころか、今の答えを望んでいたかのような顔をして言った。

 

「私もそう思う。知っての通りカンヤ祭は文化部の祭典。本来ならクラス展示などに出る暇はない。必要な技術も持たずしてミステリー映画とは……愚かだよ。いくら技術ないものが情熱を注いだところで、結果は知れたもの」

 

 随分と辛辣だな。自分のクラスだろ。

 とは言っても……、俺も同じクラスのハルもクラスには特に思い入れはないが。

 入須は続ける。

 

「だが、そんな事はどうでもいいのだよ。クラスの者達は作りたいと思ったから作った。いわば自己満だ。どれだけ嘲笑されようが、映画を作ったという思い出ができればそれでいい。だが……それ以前の問題が発生した」

 

 里志が答える。

 

「映画が未完成……という事ですね。」

 

 入須は頷く。

 

「そうだ。これでは自己満にもならない。見ての通りロケ地が特殊で夏休み中にしか撮影ができないのだよ。スケジュールは途中までは順調だった。だが、問題は根本にあった……。それは、『ミステリー』というジャンルだよ。始めて映画を撮ろうとする者達がミステリーとは……。題材がミステリーに決まった時こそ、脚本を書けるものは誰一人としていなかった。しかし、物語の創作をした事のある者が一人いた。名を《本郷真由(ほんごうまゆ)》。漫画を少し書いたことがあるだけだったのに、脚本担当を半ば強引に引き受けさせられた。本郷はよくやってくれた……、しかし、慣れない仕事が大きな負担となったのか、今君らに見てもらったところまで書いた後、倒れてしまった」

 

 穏やかではないな。隣で少し動揺を見せた千反田が聞く。

 

「どうしたんですか?」

「神経性の胃炎。軽度の鬱。重病ではないが、倒れた根源となった脚本作りを頼むわけにもいかなくなった。跡を継ぐものが必要になったの……、単刀直入に言うわ」

 

 

「あの事件の犯人は…誰だと思う?」

 

 

「俺たちにそれを推理しろと?」

 

 俺は少し震えた口調で言った。勘弁してくれ……。

 

「それ以外に今の言葉の意味をどう捉えろと?大丈夫だ。本郷は脚本を書く前にミステリーの勉強をした。十戒、九命題、二十則、すべて守っているはずよ。本郷はあの映像のあと解決編へ向かう予定だった」

 

 十戒?いつか里志から聞いたような。たしか探偵小説のルールの一種だったような。

 まぁいい。こんな事やってられるか。お開きだ、お開きだ。

 

「なぜ俺達なんですか?それに、素人が作るミステリー映画が稚拙だと分かっているのなら、何故それを止めなかったのですか?」

 

 俺は少し強めの口調で言ったが、入須は動じない。冷厳な口調で話を進める。

 

「私はこの企画に最初は参加していなかった。この三週間ずっと、北海道にいたわ。この事態の収束に乗り出したのは一昨日、もし私が最初からこの場にいたら、こんな杜撰(すさん)な事態にはならなかった」

 

 それは先輩のせいじゃないじゃないですか!とは言えなかった。

 入須は続ける。

 

「そして……」

 

 入須は俺に向かって指を指す。俺は振り向くが、勿論誰もいない。

 

「俺?」

「そうだ。折木くん、君は《氷菓事件》を解決したとえるから聞いた。もう一人《探偵役》もいたようだが、えるのから貰った資料を一通り見たところによると……《氷菓事件》の解決は君による貢献が大きい。」

「すごいじゃないかホータロー!実績が大反響を呼んでるよ!」

 

 からかってくる里志を睨んだあと視線を入須に向け、俺は考えた。

 《氷菓事件》の解決は俺の貢献が大きい、だと?確かにあの時は我ながら冴えていたと思う。だが、あいつ(ハル)は千反田邸で俺が最後に発表した仮説に僅かな不備がある事に、姉貴から助言を貰った俺より早く気づいた。

 俺だけの功績が大きかったとは思えない。

 

「ハルは……」

 

 

 

 

 バンッ!!!

 

 

 

 

 俺が何かを言いかけた所で勢いよく視聴覚室の扉が開いた。

 俺たち古典部と入須は、開かれたドアに目線を移す。

 突如現れた人物は激しく息切れをしており、ドアに手をかけたまま中腰になるが、俺たちはそれが誰なのかはっきりと確信した。

 俺達四人全員は、ニヤリと笑った。

 

 

「遅かったじゃない、もう手伝いは終わったのかしら?」

 

 伊原

 

「さぁ、もう一人の《氷菓事件》の探偵役の登場だ!」

 

 里志

 

「戻って来てくれたんですね!待ってましたよ!」

 

 千反田……、そして、俺は不思議そうに現れた男を眺める入須に視線をずらし言葉を放った。

 

「入須先輩、紹介しますよ。アイツが」

 

 男は顔を上げ、こちらを見た。

 

 

 

「古典部最後の一人、南雲晴です」

 

 ハルは、いつもの飄々とした口調で言った。

 

 

「もう、ビデオ終わっちゃったか?」

 

 その問に、里志は俺の代わりに答えた。

 

「いや?これから解決編さ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

───────────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 家から駆け足で学校まで戻ってきた俺こと南雲晴は、視聴覚室の真ん中にいる古典部の四人と、美人さんに目を向ける。あの人が千反田の知り合いか?

 すると美人さんは俺に近寄り、右手を差し出しながら名乗った。

 

「入須冬実だ。よろしく、南雲晴くん」

 

 入須?ああ……神山の名家の。

 俺は自分の制服で手を拭いたあと、入須のか細い手を握り返した。

 

「いまは映画が終わり、彼らに感想を聞いていたところさ。君も見るかい?」

「え?」

 

 終わっちゃったのなら別に見なくてもいいんだけど……ここで見ませんって言うのもな。いや、違う。

 この人の俺を見る目……、俺に映画を観させるために、断れないようわざと言ってやがる。どいつもこいつもいい性格してんな。

 

「はい、是非見させてください」

「うむ。君たちも見るか?さっきの話の続きは南雲くんが見終わってからだ」

 

 里志と千反田と伊原は少しばかり嬉しそうな表情になるが、奉太郎だけは何故かげっそりしている。こりゃなんか頼まれたな?

 

 その後映画を観た俺たちは再び現れた入須の周りに集まる。

 全員「うーん」と唸るような顔で立ち尽くしているが、何を悩んでるんだ?そもそもこの映画、これで終わり?

 

「南雲くん。この映画はどうだった?」

「そうですね。まぁ……熱意は伝わって来ました。この後の撮影も頑張ってください。犯人特定の場所までね」

 

 なんでお前ら思ってた答えと違うみたいな顔をするんだ。伊原に至っては舌打ちしたぞ。

 奉太郎に関しては二回も見させられてもう干からびそうだよ。

 

「おい、一体あの映画がなんだってんだよ。千反田」

 

 ひっそりと隣の千反田に聞くと、千反田も小さな声で俺に説明をしてくれた。まぁ、周りにはバレてるんですけど。

 

「なるほどね。文化祭映画の殺人事件の犯人探しねぇ。ま、期待されてるのは奉太郎ってわけだろ?頑張れ」

「お前なぁ……」

「いや、君にもに期待はしているよ。たった三枚の資料から《氷菓事件》の真相に限りなく近づいた君の推理力は素晴らしいものだ。どうだろう……」

 

 入須は俺と奉太郎を交互に見たあと、言った。

 

「もう一度君たち二人で、謎を解いてみる気はないかしら?」

「変な期待は困ります。」

 

 奉太郎がそう言うと入須はあっさり引き下がった。

 

「そうね、君らに映画を観てもらったのは一つの賭け。君たちなら解いてくれると思ったのが甘かった。」

「これで試写会は終わりよ。お疲れ様」

「ちょっと待ってください!」

 

 幕を閉じようとする入須を千反田は止めた。そうだ……ここにいたんだ。どんな事にでも《興味》を持ったら譲らない、《猛獣》が……!!

 

「あの映画の結末はどうなるんですか?」

「分からない。最悪の場合はボツネタだ」

「それじゃぁ困ります。本郷さんが浮かばれません!」

 

 死んでないから!本郷死んでないから!

 

「気になります……」

 

 ぞくり。

 

「なぜ本郷真由さんが神経と体力をすり減らしてまで途中で辞めなければならなかったのか……私、気になります!!

 

「折木さん!!」

「ぐっ……」

「南雲さん!!」

「ぐぬぬ……」

 

 どうもこいつの頼みが断れない……。

 《氷菓》の時は自分のキャンパスに色を塗り一時的に《無色》から脱した……だが、《無色》に戻ってからまだ三週しか経ってないのだぞ……!

 俺またこいつに……

 

「ふふふ……♪」

 

 色を塗られるのか……!?

 

 俺は最後の足掻きとして、全員に聞こえるように声を発した。

 

「それでもしダメだったらどうするんだよ!俺と奉太郎がF組の皆様方の前で土下座でもすればいいのか!?俺たちの軽い頭を下げたところでどうにもならんぞ」

「俺の頭も勝手に軽くするな」

 

 旅は道連れだ。ちょっと違うか?

 

 すると、次は入須が言った。

 

「なら、《探偵役》でなくても構わん。うちのクラスにも《探偵役》志願者はいる。彼らの話を聞き採否に参考意見を述べる。いわば観察者(オブザーバー)の役目ならどうだ?」

 

 観察者ねぇ。まぁ、座りながらお茶と茶菓子をつつきながら話を聞くぐらいなら……いいだろう。隣で潤んだ目をしてる千反田にも悪気が出てきたし……。俺ってお人好しだなぁ。

 俺は奉太郎の目をちらりと見ると、奉太郎も同じことを思ったのか、軽く頷いた。そして、判決を下す。

 

「ま、それくらいなら」

 

 その言葉を聞いた途端に、千反田は微笑み、伊原は手を組み、里志は親指を立てた。

 はぁ、また自分に色を塗っちまった。

 だが……

 

 俺は目の前の冷厳たる女に目を向ける。

 

 この人……なんか隠してる気がするんだよな。

 

 俺と奉太郎が承諾した時、入須が渾身の表情を見せていた事を俺は知らなかった。

 

 

 

 

 

 

───────────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「しかし驚いたね。女帝入須冬実が僕ら古典部にあんな依頼をしてくるなんて」

 

 その後地学講義室に戻り水分補給をしていた俺と奉太郎に、里志は言った。

 

「女帝だって?」

 

 奉太郎の問いかけに里志は頷き、得意げに言った。

 

「うん。入須先輩の神高での異名さ。美貌もさることながら、人使いがうまくて荒い。彼女の近くの人間はみんな手駒になるって話だよ」

 

 じゃぁあの話に乗せられた時点で俺らも手駒ってわけか……はは。

 

「しかし、折角《女帝》が現れたんだ。僕らにもシンボルの一つくらい欲しいとは思わないかい?」

「摩耶花は《正義》だね。」

 

 《女帝》に《正義》……タロットカードか。

 

「なんで私が正義の味方なのよ」

 

 少し離れたところで千反田と談笑していた伊原が興味を持ったのか、立ち上がりこちらに寄ってくる。千反田もそれに続く。

 

「味方はつかないさ。《正義》、《審判》と迷ったけど、苛烈は正義っていうしね」

 

 苛烈は正義ね……。そりゃぁ伊原にピッタリだな、里志、ナイスジョーク。

 

「南雲、あんたなに笑ってんのよ……」

「イエナンデモアリマセン」

「じゃぁふくちゃんはなんなのよ」

「僕?僕は《魔術師》かな。《愚者》も考えたけど、それは千反田さんに譲るよ。千反田さんは《愚者》だ」

 

 なんとも。これがタロットカードの話じゃなきゃとんでもなく無礼なことを口走ってるなこいつは。人を愚者とは。

 しかし、千反田はそれに納得したように頷いた。

 

「そうですね、私は、愚者だと思います。」

 

 そりゃぁそうだ。タロットカードの《愚者》の意味は、興味、天真爛漫など、千反田はこれを体現してる。

 

「じゃぁ俺と奉太郎はなんだ?」

 

 なんだか楽しくなってきたので里志に聞いた。

 

「そりゃぁ決まってるさ。奉太郎は《力》だ」

「力ぁ?そりゃぁ謙遜しすぎだぜ里志。こいつは《星》もいいとこだろ」

「私も、折木さんは《星》だと思っていました」

 

 《力》は正義と似て、積極的な意味合いを持っていた気がする。《省エネ主義》の奉太郎とは似ても似つかないよな。

 

「南雲さんはなんですか?福部さん」

「ハルは《隠者》だよ。君は思わぬ所で場にいる人間を驚かせるようなことをしてくるからね」

 

 《隠者》。確か《隠者》の意味は思慮深い、神出鬼没、単独行動、変幻自在。《無色》を自称する俺には、確かに合っているのかもしれない。

 話題はそれから別方向に脱線した。俺は小説を読みながら返答をしたり、耳で聞いたりしながら、古典部に居るにしては平和な一日を送った。

 

 

 

 

 

 

 

 

──────────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後俺たちはそれぞれ自宅へ。千反田は勘解由小路家に農作物の事で相談があるらしく、家によるらしい。

 まだ高校生なのに業務連絡みたいなのもするんだな。ま、あと何年後かには千反田が豪農千反田家を背負う訳だし。

 

 途中まで一緒だった奉太郎に手を振った俺と千反田は、そのまま無言で勘解由小路家へ向かう。

 沈黙を破ったのは千反田だった。

 

「あの謎……解けそうですか?」

「分かんねぇ……ヴァン・ダインや十戒、九命題を使ってたとしても書いた本郷が今までミステリーを知らなかったとなればらそれがしっかり守られてるのかも怪しい。ま、守られてる前提で考えてみるさ。そうじゃなきゃ埒が明かない。てか、俺は解く側じゃないけどな」

 

 危ねぇ……千反田の口車に乗せられるところだった。

 

 俺は千反田を横目で見ながら会話を繋ごうと質問を入れる。

 

「千反田はミステリー読むのか?」

「いえ、ミステリーは面白いと感じない程までに読みました。ここ数年は全く」

 

 意外だな。てっきり俺は千反田はミステリー小説ファンかと思っていた。

 俺は話題を変えようと、次の質問を探す。

 

「千反田は彼氏とかっていた事あんの?」

 

 ピタリと千反田の足が止まる。あっ……

 

 何聞いてんの俺!?バカか!?バカなのか!?

 

「ありません。まだ恋愛に《興味》を持ったことがないので」

 

 あっ、地雷を踏んだかもしれん。しかし千反田はそんな事を気にしている様子はなかった。これが伊原だったら確実に終わってた(死んでた)

 

「南雲さんはいた事あるんですか?」

「え?俺…あぁ……()()()()()()()()……」

「本当ですか!?私……気になります!」

「あー!!気になりますは一回までだ!!」

「意地悪ですよ!!南雲さん!!話すまで帰しません!!」

「だーー!!!離せ千反田!!!」

 

 その後も談笑をしながら俺たちは勘解由小路家に向かって歩き出した。

 




 古典部の千反田えるです。

 入須さんから頼まれた観察者役。絶対に成し遂げて見せます!

 二年F組の探偵役の一人、中城先輩の推理……。私、気になります!!

 次回《古丘廃村殺人事件》

 


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第三話 古丘廃村殺人事件

 入須の話から一日。俺たち古典部は今日も地学講義室に集まっていた。理由としては、入須から頼まれたオブザーバーの役割を果たすため、二年F組の《探偵役》の推論を聞き、賛否を下す。

 

 しかし、一向に入須が姿を現す様子はない。

 

 同じことを思ったのか、奉太郎が千反田に聞いた。

 

「千反田、今日集まったからにはなにか当てがあるんだよな」

「えぇ、話し合いをしてきましたから」

 

 話し合いとは……いつやったんだろうか。昨日千反田は勘解由小路家、つまり現在の俺の家に農作物の相談をする為に寄り、夕食も食べて行った。そんな事をする時間は……

 

「実は私……ブラウザを使えるんです」

 

 ブラウザ。あぁ、インターネットのことか。

 

「神山高校のホームページに生徒専用のチャットルームがあるんです。そこで昨日入須先輩と話し合いをしました。入須先輩の使いの方が一時にここに来るそうです」

 

 その言葉を待っていたように、地学講義室の扉が開けられた。

 

 そこに立っていた女子生徒は襟足辺りで切りそろえられた髪型と全体的に不健康とは感じない細い体をしている。

 彼女は深々と俺達に頭を下げ、それに習うように俺たち古典部も頭を下げる。

 

「二年F組の江波倉子(えばくらこ)と申します。本日はよろしくお願いします」

 

 俺達が一年坊だと知っててこの低姿勢か……?普段から礼儀正しい人なのかもしれないな。

 

「入須からお願いはあったと思いますが、今日はこれからプロジェクトの撮影班に属した人を皆さんにご紹介します。F組は散らかっておりますので、C組へ」

 

 俺たちは重い腰をあげると、江波に続いて二年C組へ足を運ぶ。

 

 歩いている途中に千反田が聞いた。

 

「撮影班。という事は他にも班が?」

「はい、楢窪地区に向かった撮影班、学校に残った広報班と小道具班に分かれております」

 

 俺たちは文化祭準備で賑わう特別棟から普通棟に移ると、さっきまでの騒々しさが嘘のように治まった。クラス展示が無い分、こちらは使われてないのだ。

 二年C組に着いた俺たちに代わり、江波がドアを引く。

 教室に陣取っている男がいた。体つきがガッチリとしていて、眉が濃く髭が濃い。本当に高校生か?

 すると男は俺たちを見るなり立ち上がり、名乗った。

 

「よう。俺は中城順哉(なかじょうじゅんや)。お前らか、ミステリーに詳しいのは」

 

 俺たちは順番に名乗り、席につく。全員が落ち着くと江波が口を開いた。

 

「それではあとはよろしくお願いします。」

 

 そういった江波はC組を後にした。本当に俺たちを連れてくるだけの役割だったんだな。

 一瞬の静寂。それを破ったのは中城だった。

 

「厄介な話を持ち込んですまんな。ま、ちょっと手伝ってくれよ」

 

 それに答えるように伊原が声を発した。当たり障りのない世間話のように。

 

「大変でしたね先輩。こんな事態になるなんて」

「まっくだ。こんなつまずき方するなんてな……」

 

 千反田が聞く。

 

「本郷さんは、神経が細やかだった方なんですか?」

「そんな風には見えなかったがな、神経というより、体なら分かるが」

「体が細やかだったってことですか?」

「丈夫じゃなかったという事だ。学校を休むことも多々あったし、撮影にも出ていない」

 

 撮影に出ていない、か。まぁ脚本家の仕事はストーリーを練ることだ。現場に出ることも時にはあるだろうが、それがメインではない。

 そして、出ていないとなると、脚本を書いていたんだな。

 

 聞いてばかりじゃムズムズしてきたな。今度は俺が口を開く。

 

「先輩。犯人役が誰だってことを本郷先輩は言ってませんでしたか?探偵役も含めて」

「それはもう全員に聞いたよ。犯人役、そしてあの映画の探偵役を知っている人間はクラスにはいなかった」

 

 ふぅむ。

 

 伊原が続けた。

 

「では、この殺人事件が物理的トリックなのか心理的トリックなのかは言ってませんでしたか?」

「どう違うんだ?」

 

 中城の呆れた答えを聞いたあと伊原の顔をチラリと見るが、どうやら少し苛立ってるな。奉太郎と目が合い、軽く頷いた。

 その後もたわいのない質問ばかりで、特に事件の核心をつくものはなかった。

 

「それでは、中城先輩自身がどう思っているのかを教えてくれませんか?」

 

 奉太郎の言葉に『待ってました』と言わんばかりの表情をした中城は、腕をまくりながら答えた。

 

「よしっ!じゃぁ聞いて貰おうか、お手柔らかに頼むぜ」

 

 里志は巾着袋からメモと万年筆を取り出す。お前の方が《探偵役》らしいじゃねぇか。

 中城は熱っぽく語り出した。

 

「クラスの奴らはトリックを考えているが、俺に言わせてみりゃそんな事は気にしないさ。要は《ドラマ》が決まればそれでいい。『犯人はお前だー』って誰かを犯人に仕立てあげた所で、犯人役が涙ながらに事情を話す。本郷がどういうトリックを考えていたかはわからんが、今までの展開を見るとどうも盛り上がりにかける」

 

 おいおい……この人ちゃんと考えてんのか?それじゃぁミステリーのルールが何も守られてない。

 

「大体うちのクラスの奴らはトリックにこだわりすぎてるんだよ。ミステリーだからこうだ、ミステリーはこうじゃなきゃならない、とな。ビデオ映画は長くても一時間だ。トリックの説明から推理までやってたんじゃおさまりきらねぇ。探偵小説のルールも同じさ。要するに大事なのはドラマだろ?タイトルもストレートに《古丘廃村殺人事件》で決まりだな」

 

 うーん。抽象的だなぁ。刑事ドラマでよくありそうだ。だが、本郷がミステリーを勉強するのに使ったのは刑事ドラマじゃない。れっきとした探偵小説だと、入須は言っていた。

 

 だが、『トリックにこだわりすぎ』か。一理あるとも言える。仮に中城案が通ったとして、文化祭にF組の映画が流れる。そこにミステリー小説ファンは来るだろうか?

 来るのは『暇だからー』とか『学生が撮った映画ー』という心情の奴らしかいないだろう。そいつらはトリックに注目してこの映画を見るのか?答えは否だ。完成品がどんなものであろうと、F組の彼らや客は、思い出になればそれでいい。

 だが、これが本郷の考えてた案と一致するかと言われれば、違うだろうな。

 俺がそんなことを考えている間に、中城は続けた。

 

「だが、ミステリーとなればやはり犯人がどうやって海藤を殺したのかは撮っておかないとな。それこそ盛り上がりにかける。それで入須がお前らに頼んだわけだが……。あの脚本は要するにあれだろ?密室ってやつだ。海藤が死んでいた上手袖の部屋は他に出口のない部屋だった。だとすれば、考えられる場所は一つしかない」

 

 伊原は眉を寄せて聞く。

 

「どこですか?」

「窓だよ」

 

 窓?

 

「里志、見取り図を見せてくれ」

 

 俺と同じく違和感に気づいたのか、奉太郎は里志に言った。里志は嬉しそうに敬礼のポーズを取りながら言った。

 

「アイアイサー!見取り図ね!」

 

 見取り図を里志から受け取った奉太郎は俺にも見えるように見取り図を渡す。

 

 海藤が倒れていたの上手袖、そのあと海藤を発見した勝田は舞台裏を通った先にある下手袖に向かった……が、下手袖と左側通路を繋ぐ扉には角材が積まれており、ドアを開ける事は不可能だった。

 

「ここはどうですか?」

 

 奉太郎が指をさしたのは舞台ホールの出入口だ。確かに、舞台ホールから犯人は侵入し舞台に登り、上手袖に入った。そこで海藤を殺害。再び舞台ホールから出た……ここに気づかないのは盲点だろ?

 実際に勝田が海藤の死体を見た後、上手袖から舞台ホールに出ているのは撮影されている。

 

「開かない」

「「は?」」

 

 俺と伊原の声が被り、お互いの顔を見たあと、視線を中城に戻した。

 

「玄関ロビーから舞台ホールに繋がるドアは巨大な釘で打ち付けられていた。ここからの侵入はできない」

 

 聞いてないぞそんな事。

 本郷はフェアな出題をしたと入須は言っていた。だが考えてみれば、本郷が撮影に出ていないとなると撮影班自体がフェアな映像を撮ったかは分からないよな。クソ……

 俺は千反田に共感を得ようと千反田をチラッと見ると、千反田は微笑んだ。

 ダメだ……こいつ分かってない。両手で処置無しと顔を覆い尽くす俺。

 里志の方からシュッシュッという音がした。大方、舞台ホールへと続くドアにバツ印を付けたんだろう。

 

「しかし、窓というとどっちの?」

 

 伊原が問う。

 

「上手袖だ。下手袖にある窓はタンスの後ろだからな。」

 

 里志は微笑んだまま、下手袖の窓にもバツ印を付けた。

 しかし……推論を聞いてる途中にこんな事が多々あっては困る。

 

「先輩、他には入れない部屋や開かない窓などはありましたか?」

 

 ナイスだ奉太郎。《省エネ》の為ならこいつの行動は早い。

 

「お前らも知っての通り、右側通路と左側通路は両方とも袖に続く道だ。その途中に二つ控え室はある。開かないところと言えば、左側通路の奥の部屋。それくらいかな?」

 

 一つだけだったか、まぁいい。

 

「だから海藤殺しは上手袖の窓から侵入。そこで海藤を殺し、同じ上手袖から逃げた。どうだ?」

 

 うーむ。残念ながら異議を唱えない訳には行かない。

 

「先輩、それはルールに則られてません。あの映像、海藤の死体を発見したメンバーの一人である勝田が最初に窓の外を見たでしょ?人丈ほどの夏草が生い茂っていました。犯人がそこを通ったとなると、夏草が折れているはずです」

 

 俺の返しに中城は一度ムッとしたが、少し考えたあとに言った。それも何かを思いついたかのような大きな声で。

 

「そうだ夏草だ!確かに犯人がそこを通れば夏草は折れる。だが、本郷が楢窪に下見に行ったのは六月初旬だ。その頃はまだ夏草は生えてないはずだろ!?」

「……っ!」

 

 初めてまともな事言いやがって……!確かに、これじゃぁ反論出来ねぇ、だが……

 

「へぇ、なかなか面白いことを考えるじゃないか。」

 

 里志が俺にひそっと言った。

 中城はなおも畳み掛ける。

 

「だからさ、次回の撮影は夏草を刈って死体発見シーンから取ればいいんだ!これで出来るぞ……やれる!!」

 

 中城は舞い上がった。ま、こんな喜んでるのに()()()を言うわけにもいかないだろう。

 話がひと段落したのを見て取った千反田は、中城に微笑みながら言った。

 

「今日はありがとうございます。入須さんにいい報告が出来そうです」

 

 中城はさも満足そうに駆け足で教室をあとにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

───────────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 数分後、地学講義室。

 

「ねぇ、あれでいいと思う?」

 

 伊原が腕を組みながら不服そうに言った。

 

「まぁ……物理的には可能だしねぇ。夏草に関してはホータローもハルも一本取られたって顔してたし」

 

 笑いながらいう里志を睨みながら、俺自身にも視線を感じた。

 俺と奉太郎の隣に座る千反田が俺達を交互にチラチラ見ていたのだ。

 耐え切れなくなったのか、奉太郎が言う。

 

「なんだ」

「お二人はら中城先輩の案が本郷先輩の真意だと思いますか?」

「「思わん」」

 

 同時に放った俺と奉太郎に千反田ではなく伊原が噛み付いてきた。

 

「矛盾点があったの!?」

 

 俺は頷き、先に答える。

 

「里志、見取り図を見せてくれ」

「はいよ!」

 

 俺は里志から受け取った見取り図を講義室の真ん中の机に置き、ある場所に指を指す。そこは、見取り図から外れた外側の部分だ。

 

「ここって……外ということでしょうか?」

「そう捉えてもらって構わない」

 

 奉太郎が続ける。

 

「見ろ。どの部屋にも窓が設置されている。部屋だけではない。右側通路、左側通路、舞台上部に出ることの出来る二階にもな。楢窪メンバーは海藤が殺された時にそれぞれ異なる場所で寝床を探していた。この窓だらけの間取りじゃあ、部屋の中にいようと、部屋外にいようと、犯人が海藤を殺すために外に出たのなら窓から発見される可能性が高い。そんなリスクを負ってまで人殺しはしないさ」

 

 俺はニヤッと笑い、次いで口を開いた。

 

「つまり、ごく簡単な物理的解決は、ごく簡単な心理的側面に敗れるんだよ。この案は成立しない、中城案はバツだ」

「なるほど、確かに僕でもこれから人を殺そうってのにわざわざ自分の身をさらけ出すようなことはしないね。夜ならともかく、昼なら尚更だ」

 

 話を理解した千反田は溜息をついた後に言った。

 

「なるほど、わかりました。私が覚えていた違和感はここにあったのですね。犯人が海藤さんを殺すために外に出たのなら、一階、または二階の部屋にいる他のメンバーに発見されてもおかしくはありません」

 

 結論が決まったところで、地学講義室のドアが開いた。そこに立っているのは勿論案内役の江波。この人タイミングいいなぁ。もしかして外で俺たちの会話を聞いてたりして……。

 江波の風貌でそのようなことをしている姿を想像する。

 

「南雲、何笑ってるのよ」

 

 伊原からの辛辣なコメント。

 

「イエナンデモアリマセン」

 

 デジャブ……!?

 

「それで、中城案はどうでしたか?」

 

 江波が聞いてきたので、俺は答えた。

 

「すみません。却下です」

「わかりました。では、明日別の者を用意しますので、よろしくお願いします」

 

 明日もやるのか……グッバイ俺の夏休み。

 それだけ言ったあとに部屋を後にしようとする江波に奉太郎は声をかけた。

 

「あの」

「はい」

「脚本を貰えないですか?本郷先輩の注意力を知りたいんです」

「わかりました。明日用意します。」

 

 うーむ。無駄のない会話。この二人似てるな。

 

 その後も俺たちは中城の案を肴に談話を続けた。

 中城は少し知識不足だった、とかな。

 

 さて、明日には終わるといいぜ。

 

 そう思いながら、俺は地学講義室の窓から見えるオレンジ色の夕焼けに視線をずらした。

 

 




 古典部の福部里志だよ。

 中城案は見事に没!いやぁ古典部の探偵役二人にはいつも驚かさせるねぇ。

 次の二年F組《探偵役》はちょっと癖が強いひとみたいだ。僕はちょっと苦手かな…なんて、ジョークは即興に限る、禍根を残せば嘘になるってね。

 次回《不可視の侵入》

 


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第四話 不可視の侵入

 中城案を却下してから一日。

 

 地学講義室に集まった俺たち古典部は、江波が訪れるのを待っていた。時間を見ると十二時半……江波がやって来るのが一時なのでまだ三十分も時間はある。さて、どうしたものかね。

 

 奉太郎は小説を片手に日差しから遮られた場所に座っている。

 それとは真逆、日差しに炙られる場所から外のグラウンドを見ているのが千反田。あんな場所にいつも座ってるというのに、奴は日焼けのひとつもしていない。お嬢様のメラニン色素はどうなってるんだ?

 里志、こいつも読書。いつもなら常に不気味なほど微笑んでいる里志だが、本を読みながら微笑む程の変人ではないようだ。

 伊原、文集《氷菓》の制作責任者でもある伊原はなにやら文集に手を加えている。『まだ文集を書いているのか』と奉太郎が聞いて怒られていたので、何も言わないことにしよう。

 

 俺の目の前にあるのは夏休みの課題の一つである数学の問題集。俺は古典部ではあるが理系だ。だが別に数学や理科が好きな訳では無い。配られた課題問題集の章末問題が解けずにイライラしているところだ。

 

「ところで」

 

 里志がいつのまにかペーパーバックを閉じて、誰にともなく口を開いた。俺も問題集を閉じ、耳を貸すことにしよう。

 

「ところで、みんなはどれくらいミステリー小説を読んでるんだい?昨日の中城先輩の案を聞いたところによると、ミステリーって言っても一括りじゃまとめられないものが多い。そういうものの差をいっぺん知りたくて」

 

 うむ。昨日の中城案、あれは刑事ドラマを彷彿とさせる展開であった。確かに警察が主体となった小説もミステリーのジャンルに勿論入るし、最近だとキャラクター性に重点を置いた、ライトミステリーなんていうものも出てきている。

 

 伊原が答える。

 

「私は普通よ。クリスティーとかクイーンくらいかしら」

 

 アガサ・クリスティにエラリー・クイーンか。王道だな。

 

「ホータローは?」

「俺は読まんな。黄色い表紙の文庫本をいくつか……」

「日本人作家か、割と固いところだ。ハルは?確かミステリーも読んでたよね」

「俺も王道ばっかりだよ。最近だと、米澤穂信先生とか読んでるぜ。昔はそうだな、コナン・ドイルに手を出した事もある」

 

 俺がそう言うと、待ってましたと言わんばかりの顔で里志は言った。

 

「違うよハル。ドイルは元々歴史小説家さ」

 

 さいですか。

 

「千反田さんは?」

「私は、読みません」

 

 これも聞いたな。

 

「へぇ、意外だね。千反田さんはミステリーファンだと思っていたよ」

「ミステリーは合わないのではないのかと思うほどまでに読みました。ここ何年かは全く」

「お前はどうなんだ?」

 

 奉太郎が里志に聞く。

 

「ぼく?僕は……」

「ふくちゃんはシャーロキアンに憧れてるのよね!」

 

 里志が言い終わる前に伊原が口を挟んだ。

 

 シャーロキアン。聞いたことあるぞ、確かシャーロック・ホームズの熱心なファンの総称だ。

 

「いやぁ、シャーロキアンじゃなくてホームジストなんだけど……」

 

 柄にもなく小声で訂正する里志。何が違うんだよ。

 その後江波が訪れ、俺たちは地学講義室を出た。江波によると今日はC組を確保できなかったようで、彼女らのホームのF組での話し合いだそうだ。

 向かう途中に江波が口を開いた。

 

「今日会ってもらうのは、小道具班の《羽場智博(はばともひろ)》という者です。特に役割はありませんが、でしゃば……、積極的に動いてくれるので細かいこともよく知ってると思います」

 

 ふーん、でしゃば……、積極的に動いてくれてるなら、いい情報を得られそうだな。

 

 伊原が口を開く。

 

「でしゃば……、積極的な人ならどうして役者になってないんですか?」

「なろうとしましたが、多数決で落とされたんです」

 

 全員が苦笑になる。でしゃば……、積極的過ぎたんだろうなぁ。

 F組の前についたところで、千反田が口を開いた。

 

「あの……江波さんは本郷さんと仲がよろしかったんでしょうか?」

 

 ……?なぜそんな質問を?

 

 江波は少し黙ったあとに答えた。

 

「本郷はきまじめで、注意深く、馬鹿みたいに優しく……脆い。私の親友です」

 

 江波は俺達を教室に入れると、どこかに戻っていった。俺たちと羽場と引き合わせてくれないのか。

 中を見ると映画製作のためかかなり散らかっている。用具がほっぽり投げられている様子から、切羽詰まっていることが良くわかる。

 

 そしてその奥、椅子に座る男は俺たちを見るなり立ち上がった。

 

 眼鏡をかけており、中肉中背というには少し細身の男だ。江波の様に健康そうな細身ではなく、不健康そうな。奴が羽場だろう。

 羽場は俺達を無言で席まで誘導させると、わざとらしく両手を広げ名乗った。

 

「君たちが入須の頼んだかオブザーバか。羽場智博だ、よろしく」

 

 差し出された手を俺は代表して握った。その後俺達も自己紹介。羽場は俺たちの名前を何度も復唱し、覚えきったというような顔をしたあと、口を開いた。独特な人だな。

 

「ミステリーの話が出来るんだってね君たちは。うちのクラスの奴らはミステリーに疎くて……困ったものだよ」

「私たちは古典部です。」

 

 羽場の俺たち全員がミステリー好きという勘違いを解くためか、千反田は返した。

 

「古典部?そうか、じゃあつまり、黄金時代のものを読んでいたりするのか?参ったなぁ」

 

 ダメだこの人……根本から勘違いしてやがる。どうやらこの人はミステリーファンらしいな。

 千反田は言いたいことが伝わらなかったのに動揺したのか、隣で目を丸くしながらオロオロしている。席についた俺は千反田の肩に手を当て、『もういい』という風に座らせた。

 

 羽場は未だにブツブツと何かを呟き、一枚の紙を机に乗せる。これは……、劇場の見取り図の本物じゃないか!しかもちゃんと使えない出入口や窓にバツ印を付けている。

 それに気づいたのか里志が声を上げる。

 

「羽場先輩!これは見取り図じゃないですか!」

「なんだ、君たちはこれを貰ってないのか?僕はこれを使って推理を進めていたんだ」

 

 羽場は続ける。

 

「ミステリーを読者と作者の対決と読むのなら、アマチュアの本郷じゃぁ物足りなかったけどね」

 

 まるで自分がプロみたいな言い方だな。自分を棚に上げて人を見下す態度……正直こういう人は苦手だ。だが流石に『だったら先輩が書けばよかったじゃないですか』とは言えない。

 

「ま、本郷も脚本に取り掛かる前にミステリーを勉強していたみたいだけどね。見てみなよ、そこに一夜漬けの跡がある」

 

 羽場が顎だけをある方向に向けると、俺たちはその方向へ視線をずらす。千反田が近寄り、文庫本を開いた。あれは……シャーロック・ホームズか?

 

「ホームズで勉強をしたの?」

 

 伊原が言う。

 

「そう、だから初心者だって言ったんだよ」

 

 ホームズを読むのが素人だと?ここにはホームズファンが二人もいるんだぞ。俺ならともかく、里志はシャーロキアンだかホームジストだかを目指してるってのに。無神経な言い回しだな。

 

 まぁ、当の里志はあんまり気にしてないみたいだけど。

 

「南雲さん、折木さん。これをみてください。なにか妙です」

 

 千反田は二冊の本を俺たちに一冊ずつ渡した。奉太郎は冒険。俺は事件簿だ。

 目次の上に印が書いてある。

 

 

 シャーロック・ホームズの冒険

 

〇ボヘミアの醜聞

△赤髪組合

✕花婿失踪事件

△ボスコムの谷の惨劇

◎唇のねじれた男

 

 

 シャーロック・ホームズの事件簿

 

〇高名な依頼人

◎白面の兵士

✕三破風館

◎三人のガリデブ

 

 

「何が妙だ。使えるネタに丸をつけただけだろ」

 

 そう言いながら奉太郎は千反田に本を返した。

 いや、まてよ……。この印の付け方、妙だ。なんだ…何か引っかかるぞ。

 くっそ、シャーロック・ホームズを呼んだのは随分前で、それに加えて冒険と事件簿は読み返してない。なんだ……この違和感は。

 

「もうそれはいいだろう。そろそろ推理を始めないか?」

 

 俺の考えを阻むように羽場が声を発した。俺はハッと気づくと視線を羽場に移す。

 千反田は手の中の本とイライラしている羽場を見比べ、席についた。よろしい。

 さて、いい推理を期待してますよ。ミステリーのプロ。

 羽場はゴホンと咳払いをしたあと、話し始めた。

 

「まず考えられるのは、このミステリーはさほど難しいトリックじゃないのは分かるかな?」

 

 羽場は全員の反応を見る。俺は無反応。

 

「まず、この事件は計画的に行われたものではない。いや半計画的と言った方がいいかな。犯人が海藤を殺す条件が劇場で出来上がっていた。これはいいかな?」

 

 ミステリーに詳しいと言っているだけあって、なかなか鋭い。普通にあの映画を見てたんじゃまずこの結論には辿り着かない。確かに考えてみればそうとも言える。なぜなら……

 

「何故ですか?」

 

 千反田が聞いた。羽場はそれを待っていたという風に口を進めた。

 

「なぜなら、これが計画的犯行だった場合どうやって海藤を右側通路の上手袖に誘導するんだい?あのメンバーは鴻巣が持ってきた鍵を適当に取り、散った。誰かが誰かに指示をした訳じゃない。つまり、犯人は海藤が上手袖に向かった事で咄嗟に殺害をしようと思い立ったわけさ」

 

 羽場は次の話に入る。

 

「次だ。殺害現場の上手袖についてだが、出入口は玄関ロビーから舞台ホールに入る扉、左側通路奥から下手袖に入る扉、右側通路奥から直接上手袖に入る扉の三つ。前の二つは施錠されていたためここからの侵入は不可能。窓からの侵入が無理なのは君たちも検討はついてるだろう?夏草が生い茂っているため窓から侵入したとなると夏草が折れている必要があるが、その跡はない」

 

 中城が出した案までこんなに早くたどり着いき、更に否定論まで述べてしまうとは……、なかなか。

 

「それで犯人がどのようにして密室の上手袖に潜り込んだのか、これを考えてみようか。まず一つ、犯人は海藤が上手袖に入った時点で殺害した。その後マスターキーで扉を閉めた。だが、これは面白くない。いくら本郷がアマチュアでもこのトリックは考えないさ。まぁ一応検討してみる」

 

「マスターキーがあるのは玄関ロビーのすぐ横の事務室。つまり、マスターキーを取るには玄関ロビーを通らなくちゃいけない訳だが、これは無理だ。玄関ロビーは常に二階にいた杉村の監視下にあった。これじゃぁ鍵は取れない。逆説的に杉村は鍵を取れたのか、これも無理だ。ほかの四人に見られていない幸運を祈るしかない。幸運は探偵小説のルールに則られていない」

 

「そして、この『玄関ロビーを通ることが出来ない』というのはとても重要だ。これでは上手袖どころか右側通路にすら誰一人侵入出来ない。その意味はわかるかな?」

 

 突然見取り図から顔を上げた羽場は俺達古典部員を見渡す。俺は速攻で顔を伏せる。当てられたのは伊原だった。

 

「君、どう思う?」

 

 伊原は短く答える。

 

「物理的トリックを仕掛ける余地がなかったってことですか?」

 

 羽場は一瞬失望した顔を見せるが、すぐに愛想のいい顔に戻る。

 一発で当てられたことにイライラしてるのか、羽場はどことなく尖った声質で話を進めた。

 

「その通りだ。例えば糸かなにかでドアを閉めるなどが密室トリックで有名どころだが、そんな仕掛けをする余裕はない。ではどう殺したか、理由は二つ考えられる。一つは、犯人が殺害時刻に現場にいなかった場合。二つ、被害者発見時にはまだ海藤が殺されていなかった場合」

 

 なるほど、機械仕掛けの殺人と早業の殺人か。

 

 機械仕掛けの殺人というのは、あらかじめその部屋に罠を仕掛けていたということ。トラップワイヤーフックなんかが有名どころだ。ボウガンや毒針が使われる。

 一方早業の殺人というのは、メンバーがドアを開け、海藤が死んだと確認されるその一瞬で殺したというパターンだ。

 

「ところが、この二つのトリックはある要素によって否定される。これは分かるかな?次は……君なんかどうだい?」

 

 指名されたのは俺だった。俺は無意識に伊原の方へ視線をずらすと、『言っちまえ』というふうな顔を出したので遠慮なく答えることにした。

 

「死体の状況ですよね。海藤の死体は腕が……」

 

 全て説明しようとした途端に、羽場の声が被さる。

 

「腕が飛ばされていた。これほどの斬撃は機械仕掛けも早業も否定する。要するに、本郷の作ったこの密室は正面から突破するのは難しい」

 

 羽場は再び俺に視線をずらし、挑戦的な眼差しで俺に聞いた。

 

「南雲くん。君ならこの密室をどう解く?」

 

 再び伊原の顔を見る。伊原は俺が先程はっきり答えたのが気に入ったのか、『いけいけいけ』という顔をした。

 いいだろう……。この(羽場)の性格はどうもカンに障るし、今日は何故か伊原とウマが合う。

 

 羽場は今までわざと勿体ぶっていたようなルートを残していた。多分それが羽場の言いたいことだろう。

 俺は答える。

 

「さぁ……分かりません。羽場先輩の案とは違うと思いますが、()()()()使()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 言った途端に周りの反応を見る。

 奉太郎は、『また面倒くさいことを……』という顔。里志はメモに向き合っているから分からないが、千反田はキョトン。

 伊原に関しては笑いをこらえている。

 

 当の羽場は恨めしい顔で俺を睨み付けたあと、答えた。

 

「……そうだ。僕は小道具班でね。こんなものを本郷から用意してくれと頼まれたんだ」

 

 出てきたのはザイルだった。ビンゴ。

 

「本郷はむらっ気があってね、血のりの量が足りないなんて事もあったけど、このザイルだけはと念を押されたよ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()これでもう、犯人は分かるだろ?」

 

 羽場は俺と伊原を視線から外し、他の三人……一番鈍いと思ったのか奉太郎を指名した。

 しばしの静寂。羽場は奉太郎が理解していないと思い少しだけ上機嫌に戻り、口を開いた。

 

「ヒントを出そう。海藤が殺されていた上手袖の上、玄関ロビーから右側の階段を上り、ちょうど上手袖の真上にいた人物は誰かな?」

 

 奉太郎は俺と伊原の顔を見る。『いけいけいけ』という顔をするが、奉太郎はため息をついたあといった。

 

「分かりません」

 

 俺たちの誰も答えなかったので、羽場はとっておきの秘密を告げるように結論に至った。

 

「ダメだなぁ、そんなんじゃぁ!一階から入れないのなら二階から入ればいいんだよ。寝床の探索中に二階に居たのは鴻巣だ。鴻巣はザイルを使い上手袖の丁度真上の窓から外に出た。そして、侵入し殺害。同じルートを辿って戻って言ったと。僕がこの映画にタイトルをつけるなら、そうだね……《不可視の侵入》と言ったところかな!」

 

 数秒の羽場のドヤ顔。その後羽場は俺たち、いや俺に聞いた。

 

「どうだい、南雲晴くん?」

「素晴らしい推理だったと思います。二階からの侵入は勘が当たっただけだったので、先輩のような推理は組み立てられませんでした」

「君は?」

 

 伊原だ。

 

「見事な推理でしたよ羽場先輩。入須先輩にいい報告が出来そうです」

 

 満足気な様子で羽場は頷いた。

 

 その後千反田はシャーロック・ホームズに目をつけると、いった。

 

「すみません。これをお借りしても?」

「あぁ、構わないよ。本郷のものだから早く返してくれよ」

 

 自分のものでもないのに勝手に許可するなよ。

 

 F組をあとにしようとしたところで、一度奉太郎が振り返り、言った。

 

「羽場先輩はあのビデオを見たんですか?海藤先輩の腕、よかったですよ」

 

 羽場は苦笑いしながら返した。

 

「実は、まだ見てないんだ」

 

 奉太郎はその答えに満足したようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

───────────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 数分後、地学講義室。

 

「ぷぷー、やるじゃない南雲。あの時の羽場の顔を見た?」

「ぷぷー、見た見た。悔しそーな顔してなぁ!ま、最後は後輩として先輩の顔を立たせてやったがなぁ伊原氏!」

「おぬしもワルよのう。南雲氏!」

 

 俺と伊原という珍コンビは何度も両手でハイタッチを交わす。

 

「性格が悪いぞお前ら」

「分かってたのに黙りこくったお前もな」

 

 奉太郎のツッコミにツッコミを返すと、やれやれという風に里が口を挟んだ。

 

「で、どうだい。羽場案は女帝陛下に奏上しても構わないかい?」

 

 迷いを残すような口ぶりで続ける。

 

「結構面白い案だったとは思うけどね。本郷先輩がロープを用意するように言ってたのは決定的だよ。遠からずとも当たってたと思う。」

「ああ、羽場が()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 俺の答えに、里志は「おっ」という顔をする。

 

「南雲さん!やっぱり矛盾点が!?私もおかしいと思っていたんです。昨日の中城先輩の案の時と同じように違和感を感じました。一体それはなんなのですか!?」

「ちょ……近い千反田。」

「ああ!!ごめんなさい!!」

 

 いや、そんなにしょんぼりしなくても……。

 

「奉太郎、お前が説明すっか?」

「お前がしろ」

 

 分かりましたよ。

 

「これも至ってシンプルな矛盾点さ。映画では海藤の死体を発見したあと、勝田は最初になにをした?じゃぁ君答えられるかな?」

 

 先程の羽場を真似たような言い方で千反田を指名する。(ついでに口調も似せて)

 

「ええっとですね……窓の外を見ました。」

「ダメダメそんなんじゃ、あと少し前に戻らなきゃ。映画を観ていない羽場なら絶対に気づかないことがあるはずだぜ?」

「言い方がウザイ……」

 

 奉太郎の呟き。羽場を真似てるだけだからね?

 すると千反田は思いついたかのように声を張りながら答えた。

 

「そうです!窓はなかなか開きませんでした!!つまり、矛盾点はこうです。」

 

 ほう、いくらヒントをやったとはいえ千反田が《解説役》とは珍しい。俺たち四人は千反田に視線を向ける。

 

「海藤先輩の死体を発見した勝田先輩はまず、窓を開けようとしました。ですが長年使ってなかった窓は錆びていたのか、建付けが悪くなっていたのか、なかなか開くことができませんでした。羽場先輩の推理通りなら、海藤先輩が上手袖に入って寝床を捜索、仮にその時に鴻巣先輩がザイルを使って二階から侵入しようとしたのなら、建付けの悪い窓を開けようとするのに手間と時間がかかってしまいます。そうなった場合は必ず海藤先輩は鴻巣先輩の存在に気づいてしまうため、羽場先輩の案は……」

 

 千反田は分かったことが嬉しく興奮しているのか、両腕を大きく交差して言った。

 

「バツです!」

 

 一同頷く。

 

「なるほど」

 

 俺は隣から聞こえてきた声に聞き覚えがなかったので不意に横を向くと……

 

「うわぁぁ!!江波先輩!?いつからいたんですか!?」

 

 江波は一度ムッとした顔で俺を見たあとにいった。

 

「千反田さんが話し始めてからすぐです。どうやら今回もダメのようですね。明日に三人目を用意するので、またいつもの時間にお願いします。」

「はぁ……」

 

 江波はさらに俺たちに畳み掛けるようにいった。

 

「明日の者が《探偵役》最後の一人です。ここで分からなければ、撮影、脚本ともに間に合いません。どうぞ、よろしくお願いします」

 

 江波が深々と頭を下げたので、俺達も続いた。

 

 そうか、次の日曜日は夏休み最後の日曜日。楢窪での撮影は夏休み期間しか撮影出来ない。今日が水曜だから、こりゃいよいよヤベェな。

 

 明日は()()()()()だといいなぁ。

 

 

 タイムリミットまで、あと三日。

 

 




 古典部の伊原摩耶花よ。

 羽場案は見事にバツ!南雲と気が会う日なんてのも来るのね。

 次は最後の二年F組《探偵役》の登場よ。

 って、ええええええ!!!なんなのこの人!?

 次回《Bloody Beast》

 別にいいじゃない、鍵くらい


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第五話 Bloody Beast

 羽場案の却下から一日。いつもの事ながら地学講義室。

 

 江波が来るまでの間、俺たちは一昨日の中城と昨日の羽場の案の総括を話している。

 

「つまりさ。羽場先輩の案の一部は当たってるよ。あの密室はなかなかの堅牢だ。二重の密室……。つまり、杉下先輩の監視下にあった玄関ロビーと言わずもがなの上手袖の二つをすり抜けるのは容易じゃない。特に外側のはね」

 

 外側というのは昨日羽場が言った杉下の監視下にあった玄関ロビーのことを指す。《第二の密室》と俺たちは呼ぶことにした。

 

「そうかしら、海藤先輩と鴻巣先輩以外の四人全員が全員の監視下にあったなんて言う確証はないわ。」

「解けないですか?何故ですか?」

 

 千反田の問に伊原が答える。

 

「だってさちーちゃん。もし羽場先輩の第二の密室があるっていうなら、その第二の密室があると証明するために誰がどう動いていたか映像で表す必要があるのよ。つまり私が言いたいのは、第二の密室なんてそもそも最初からなかった。羽場先輩の考えすぎだってこと」

 

 いやいや、それは違うだろ。そう考えてしまえば楽だが、映像には残念ながら……

 

「って、そういうわけにもいかないのよね。玄関ロビーから杉下先輩たちを映したシーンがあったけど、あれは多分監視下にあったっていう示唆だわ」

「ところで忘れていたんですが……」

 

 千反田が突然話を切り替え、肩掛けカバンに手を伸ばした。

 

「これ、皆さんで食べてください」

 

 出されたのはチョコレート。いや、箱の表紙を見るからにウィスキーボンボンか。てかこれ……

 

「新製品の試作品だそうです。前にお中元を誂えたお菓子屋さんから届きました。二つ届いたので一つを勘解由小路家にも送りましたよ。南雲さんは食べましたか?」

 

 やっぱり、昨日デザートで食ったわ。でもこれ、入ってる酒のアルコール度数が高ぇんだよな。酔った晴香がだる絡みしてきてウザかったし……

 

「ああ、食ったよ。ごちそーさん」

 

 全員が一つずつ取る。義理で俺も一個取り、口に放り投げた。

 

「く〜、きっっつ!!」

「かっ〜、喉がやられるね。こりゃ大人向けだ。」

 

 そう言った里志の他の隣で奉太郎が顔を強ばらせ、伊原が軽く咳をしている。そして……

 

「お、おい千反田」

 

 奉太郎の驚くような声の方向に視線を向けると、俺は目を見開いた。

 千反田の目の前には既に七つもウィスキーボンボンを食べた袋が並べられていたのだ。おいおい……

 

「その辺でやめとけ一応酒だぞ」

 

 奉太郎が千反田の手を制すが、千反田は八つ目を口に放り込んだ。

 

「あら、こんなに食べてしまいましたか。なんだか変わったお味で……こういうものか気になったもので」

「大丈夫か、千反田?」

「ほえ?ふふ、南雲さん面白いです」

「俺の顔がかっ!!」

「深読みしすぎよ……」

 

 伊原のツッコミ後、地学講義室のドアが開いた。江波だ。

 江波は少しだけ眉を寄せる。

 

「この匂いは……お酒ですか?」

「ち、違いますよ。ウィスキーボンボンです!」

 

 里志が咄嗟に箱を江波に見せると、もうこの地学講義室に漂うアルコール臭に興味をなくし、江波は言った。

 

「折木さん。脚本です」

 

 江波はそう言いながら奉太郎に脚本を渡す。そういや一昨日中城の案が終わったあとに奉太郎が脚本をお願いしていたな。あとで見せてもらおう。

 

 その後俺たちはC組へ向かう。途中フラフラする千反田を伊原はビクビクしながら支えていた。ウィスキーボンボンで酔うとは……。

 

 C組に到着した時には既に江波の姿はなかった。あの人てん一体何なの……?と、思いつつ俺は扉を開ける。

 そこに立っていたのは女子生徒だった。お団子ヘアーの女子生徒の右手には天文雑誌が握られており、日に焼けた肌がよく見えるタンクトップとGパンを履いていた。

 女子生徒は俺たちに気づくと、敬礼のようなポーズを取り、言った。

 

「ちゃお!!私は《沢木口美崎(さわきぐちみさき)》。広報班だよ!」

 

 キャラが濃い……。

 

 無反応の俺たちに沢木口は大きく溜息をつき、言った。

 

「ダメダメ、ちゃおって言ったらちゃおって返さないと。もっかいいくよ!!ちゃお!!」

「「「「「ちゃ、ちゃお」」」」」

「この神山に僕の知らない変人がまだいたとは……」

 

 里志、なんだそのダイヤモンドを見つけたような目は。ま、類が友をよぶってのも限りがあったんだろう。

 

「んじゃ、座りなさいよ」

 

 沢木口に案内された俺たちは席につき、一人一人自己紹介を交わす。

 

「あたしらのプロジェクトを手伝ってくれるんでしょ?頼んだよ、入須推薦の連中なんだからきっと凄いんだろうけど。江波から聞いたんだけど、他の奴らの案は却下したんだって?」

 

 すると里志は沢木口が気に入ったのか、世間話をするように続ける。

 

「えぇ……この事件は難題ですよ。どんどん却下していかなきゃ歯ごたえがないでしょ」

 

 その後も里志と沢木口は変人同士の訳の分からない会話を繰り広げた。伊原が凄い目で里志を睨んでる……

 

「おい、里志、伊原がすごい目で睨んでるぞ。あんまり異性に積極的に……」

 

 極力小さい声で話したので話に夢中になっている里志は気づかない。仕方ねぇもう一度てん

 

「おい里志……伊原がすごい目で見てるぞ」

 

 聞こえてないみたいだな。仕方ねぇラスト……

 

「おい、里s……」がん!!!

「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

 

 伊原には聞こえていたのか、ものすごい勢いで足を踏まれた。

 

「ん?どうしたんだいハル」

「いや、なんでもねぇよ……!それより始めようぜ。」

「そりゃぁそうだね、じゃぁ早速始めようよう。なんでも質問どーぞ」

 

 昨日の羽場とは違い確かに沢木口は変人だが気前のいい人ではありそうだ。千反田は口を開く。

 

「クラス展示の方向性は誰が決めたんですか?」

「千反田、余計なことを聞くな」

「折木さん。でも、気になります」

 

 奉太郎が制すがそれを即答して却下する。千反田は沢木口の方へ視線を向け直した。

 

「平等な意思決定だよ。ミステリーに決めたのも、脚本担当も。直接民主制でね」

「多数決と?」

 

 里志が聞く。

 

「そのとおり、君は話が早いね。数こそが正義、最大多数の幸福こそが我が理想ってね」

 

 確かに、入須が言うには二年F組の生徒らは出来栄えより自分たちで何かをしたかったという意志が強かったらしいしな。内容こそ重要視していなかったのだろう。

 千反田は続ける。

 

「あれ?ですが脚本は本郷さんが強引に引き受けさせられたと……」

 

 沢木口は少し考えたあとに思い出したかのような声で答えた。

 

「そうだったね。本郷が脚本担当になったのは他薦だ」

 

 沢木口の性格からして、俺らに不信感を抱かせないために言った嘘ではなく、今のは本当に忘れてただけだろう。

 沢木口の言葉を聞いた千反田はどことなく悲しそうな表情になった。なんでこいつはこんな事をどの《探偵役》にも聞きたがるんだ?

 

「あたしらの意思決定過程に興味あるなら、これを持っていきなさいよ」

 

 沢木口が千反田に渡したのは大学ノートだ。千反田が開いたノートを横から覗き見する。酒くせぇ……

 ノートにはこう記されていた。

 

 

 何をやるか?

 

 ・絵画展 一票

 ・演劇 五票

 ・お化け屋敷 八票

 ・ビデオ映画 十票

 

 

 

 どんな映画をやるか?

 

 ・大河歴史 一票

 ・ギャグ 八票

 ・ミステリー 九票

 etc

 

 

 

 凶器をどうするか

 

 ・ナイフ 十票

 ・ハンマー 三票

 ・ロープ 八票

 etc

 (採否は本郷に一任)

 

 

 

 死者数をどうするか

 

 ・一人 六票

 ・二人 十票

 ・三人 三票

 ・全滅 二票

 ・無効票 一票

 (採否は本郷に一任)

 

 

 

 ふーん。これがクラス投票欄か。死者数は二人が一番多いのにそれが採用されていないとなると、本郷が一人に変えたんだよな……、もしかしてあの後ももう一人死者が?いや、そんなことを考えるのはやめよう。

 

「沢木口さんは本郷さんとは仲がよろしかったのですか?」

 

 江波にも同じことを聞いていたな。それは見ればわかるだろ、江波から聞いた本郷の性格からして……

 

「うーん、クラスメートってとこかな」

 

 千反田はあからさまに俯いた。

 

 すると沢木口はニヤリと笑い、身を乗り出した。前の二人と同じだ、ここでようやく……

 

「んじゃ!私の説を聞いてもらおうかな!もしダメだったら、分かるよね?南雲くん?」

「え、えぇ……」

「みんな犯人探しって言ってるけどさ、あたしはあれが本当に犯人探しなのか疑ってるんだよね」

 

 ほう。

 

「そこの君、折木くんだっけ?ミステリーと言われたら何を連想する?」

「オリエント急行とかですかね」

「マニアックね」

「知名度で言えばトップクラスだと思いますけどね」

 

 沢木口は『ちっちっちっ』と人差し指を立てながら言った。

 

「そこで探偵小説が出てくるのがマニアックなんだってば!羽場とかは『ホンカクスイリダ!!』とか言ってるけど、普通にレンタルビデオ屋に入ってミステリーを探したとして、何が出てくる?」

 

 レンタルビデオ屋?俺も結構行くが……うーん

 

「ホラーってことですか?」

「正解!!君はなかなか鋭いねぇ!例えば『十三日の金曜日』、『エルム街の悪夢』とかでしょ?」

「あぁ…確かにそれは盲点でした。ハルもいいところに目をつけるね」

 

 里志の言葉に奉太郎は顔を強ばらせながら言った。

 

「おい里志……その冗談は禍根が残って嘘になるぞ」

「嘘じゃないさ。《十三日の金曜日》は僕の中じゃミステリーには入らないけど、一般ではミステリーにはサスペンスタッチのものも内包される。書店の、特にコミック雑誌ならミステリージャンルにホラーが含まれていることだってあるのさ」

 

 なにも考えずにホラーなんて口にするんじゃなかった。だが……ホラーなのミステリーなのかわからないジャンルの作品も数多く存在する。

 殺人事件を取り調べていた探偵が実はこの事件の犯人は怪人やら幽霊であると気づき、持ち前の知恵と推理力で、人ならざるものをやっつけるという話もありそうだ。

 

 沢木口は続ける。

 

「ま、そういうことよ。これで分かるでしょ?海藤が死んでいた部屋は完全な密室だったし、他の奴らのアリバイは証明されてる。だとしたら《七人目》がいたに決まってるじゃない。それに、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 他にも出演者がいたというのか。それは初耳だな。沢木口は愉快そうに口を進める。

 

「疑心暗鬼が高まって、お互いお互いを信じられなくなった時に怪人登場よ!海藤の他に三人殺して、残ったのは男と女の一人ずつ、見事二人は怪人を倒し……朝日をバックにキッスでエンドロール!そうね、タイトルは……《Bloody Beast(ブラッディ・ビースト)》なんてどうかしら?」

 

 ……

 

 声が出ない。なんて人だ!!締切まで時間が無いってのに…中城から羽場にランクアップしたから今日のは期待してたのに!!!

 そしてなんでこの人はこんなにドヤ顔が出来るんだ!!

 

 戸惑いつつも奉太郎は反論する。

 

「ですが、それでは密室が説明出来ません。犯人はどうやって鍵を攻略したんですか!?」

「別にいいじゃない、鍵くらい」

 

 ん?

 

「怪人なんだから壁抜きくらい出来ないとね。じゃなかったら怨霊よ。あれ?そっちの方がありなんじゃないのかしら、オカルティックだわ……」

 

 その後伊原と千反田はなおも反論、里志はケラケラ笑いながらメモ。奉太郎と俺は放心状態。そして、俺たちの脳内で沢木口の言葉が響き続けた……

 

 

 

 

 

 

 

 別にいいじゃない鍵くらい

 

 

 

 

 

 

 

 

───────────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「違います、違いますよ!!沢木口先輩の案は本郷先輩の意志とは違います!!!」

 

 地学講義室に戻った俺たちの中で真っ先に沢木口案に却下を入れたのは千反田だった。

 地団駄を踏み、顔を赤くしながら叫ぶように言う。

 

 おいおい、さらに酒が回ってきてんじゃないのか?

 

「当然よね。あの人どこまでが本気だったのかしら……」

 

 多分最初から最後までだぞ伊原。

 

「じゃぁ否定してみてよ。あくまで論理的に」

 

 里志が聞くと、千反田は固まる。論理的に?無理だろ。そもそも沢木口案が論理的じゃない。

 超常現象に論理は勝てない。テストにだって出る。でないか?でないな。

 

「違います」

「だから論理的に」

「違うったら違うんです!!!」

 

 突然千反田の体が固まった。天を仰ぎ、とろんとした目付きで俺たちを眺めたあと、言った。

 

「万華鏡のようです」

 

 万華鏡?

 

 その瞬間、千反田は座っていた椅子に勢いよく腰が落ち、頭から机に突っ伏してしまった。痛そう……

 

「ちょっと、ちーちゃん!?」

「ちーちゃーん?」

「寝てる……」

「寝てるな」

「寝てるね」

 

 伊原が助け起こそうとするが……、無駄だった。どうやら本当に酔いつぶれてしまったのだろう。まぁいい、放っておこう。そのうち目を覚ますだろ。

 

「しっかし、超常現象っての素晴らしいな。俺達がこの三日間悩みに悩み抜いた密室をあんな簡単に解決しちまうなんてよ」

 

 奉太郎はこちらを見つめる。

 

「なんだよ」

「おまえ……矛盾点に気づいてないのか?」

「んなわけねぇだろ。あの映画で大量殺人は物理的に出来ない」

「むじゅんてんがあったんですかぁ!?」

 

 ビクッ!!

 机に突っ伏したままの千反田が突然大声を上げた…。寝言だよな。

 

「すぴー、すぴー」

 

 寝言だ。

 

「それよりハル、ホータロー、矛盾点があったというのかい?」

 

 奉太郎は軽く頷く。

 

「沢木口案は俺はなかなかいいと思っていたぜ。なんせ省エネだ。だが、矛盾点を発見してしまったからにはオブザーバーとしての仕事を優先せねばならん。理由は簡単だよ。昨日羽場が愚痴ってたろ?」

「血のりのことかい?」

「そうだ。海藤一人殺すのにも血のりの量が足りなかったんだ。二人残すにしても、他三人を殺せるほどの血のりの量はないだろ?」

 

 ああ……と呟いたあと里志は言った。

 

「死者が一人じゃ、ホラーは寂しすぎるね」

 

 なんと物騒なことを……。伊原も続いて呟く。

 

「なんでも理由はつくものなのね。」

 

 静寂。

 

 これで《探偵役》三人の案は却下されたわけだ。一体どうなるのやらな。

 

 そう思いながらも、俺は奉太郎から貸してもらった本郷の脚本を開いた。

 

 そこには、脚本の他にも様々な役者への指示が記されており、嫌々ながらもクラスの為に試行錯誤をしている本郷なりの努力が書かれていた。

 

 俺たち古典部だけではなく、本郷の意志はF組の誰一人として、気づいてやれることは出来なかった。

 

 タイムリミットまで、あと二日。




 古典部の南雲晴だ。

 ったく、次回予告欄は俺の担当だってのに古典部の奴らに今まで取られちまってたよ…。

 それにしても《探偵役》が全滅とはねぇ、この映画どうなんだ。

 だがその時、一人の女子生徒が動き始めていた。

 次回《女帝の力》

 


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第六話 女帝の力

 沢木口との会見終了後、俺たちは江波が来ると思っていたが、待っても彼女は来なかった。

 千反田も目を覚まし、これ以上の待機は必要ないと思った俺たちは、地学講義室をあとにした。

 

 まぁ、入須と連絡の取れる千反田が伝えてくれればそれでいいだろう。

 自分が酔いつぶれてしまったことに気づいた千反田は顔を真っ赤に染めながら恥ずかしがったが……まだ酒が回っているようで昇降口に行く間もふらついていた。大丈夫かよ……。

 

 伊原と千反田と別れた俺たち男子三人は、途中まで帰路を共にする。里志が呟いた。

 

「あの映画はどうなるんだろうねぇ」

「ま、未完成だろうな。あと二日のうちにあいつら(中城、羽場、沢木口)以上の名探偵が出てくれればいいんだけどな」

 

 奉太郎がそう答えると、里志は微笑みのまま眉を寄せた。

 

「わびしいね。つわものどもの夢の跡ってね」

「ハルはどうするんだい?この事件」

 

 里志は俺の答えを分かりきっているような顔でこちらを向く。俺は視線を前に向けたまま、答えた。

 

「どうするもこうするも、俺たちの役職はオブザーバーだ。これでやっと《無色》に戻れたんだ。あと三日の夏休みを有意義に使わせてもらうさ」

 

 不意に空を眺めた。夕暮れ、建物のあいだから流れる風は涼しく、秋を運んできてくれている。

 

 俺たち三人は別れの挨拶を軽く済ませ、交差点でそれぞれの道を曲がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

───────────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 自室。夜八時。

 

『俺はただ、あの映画を完成させたいんだ!』

『本郷はよくやってくれたさ』

 

 様々な声が俺の頭に響いていた。文化祭に参加したい。その一心で一致団結し作った作品の末路が……これか。

 

 ん?

 

 いつものリュックサックから、見たことの無いノートが入っているのが見えた。それを取り出す。

 

「やっべ、脚本持って帰ってきちまった。明日返しに行くか。ついでに頭も下げに」

 

 トントン

 

 自室のドアがノックされた。俺は何故か脚本を隠すようにリュックサックにしまい、答える。

 

「だれ?」

「晴、お客さんだよ。冬美……、入須冬実が来てる」

 

 晴香の声だ。入須……、こんな時間に?

 俺はドアを開け、部屋着姿の晴香に礼の代わりに片腕を上げ、通り過ぎようとするが

 

「晴」

「なんだよ」

「気をつけろよ」

「なんだって?」

 

 晴香の俺を見る顔はいつものヘラヘラしたような表情ではなかった。

 

「冬美は私の友達さ。家柄の付き合いもある。冬美が話し合いの場に出たら解決しないものなんてない、頼りがいのあるやつさ。けど……」

 

「冬美が頼りがいのある時は、()()()()()()()()。あいつは本物の《女帝》だよ。晴、あんた達古典部と冬美の関係は分からないけど… ……家族としてこれだけは言わせてもらうよ」

 

()()()()()()()()()()()()()()

 

 なんだ、珍しく真剣な顔をするじゃないか。

 俺は自室を出たすぐ側にある階段まで歩くと、晴香に背を向けたまま言った。

 

「おーけー、心の片隅に置いとくよ」

 

 俺は一歩、また一歩と階段を降り始めた。

 

 

 

 

 

 

 

───────────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 玄関まで辿り着いた俺はそこに立つ存在感に思わず息を飲んだ。

 

 試写会の時と同じ紺色の服を来た入須が俺を待っていたからだ。中に案内しようとしたが、『外で話がしたい』との事なので、家の近くにある自動販売機のベンチに俺たちは座った。

 

 神山でも勘解由小路家は田舎の方なので明かりが少なく、自販機の周りは虫が飛んでいる。ま、虫はあまり気にならない性格だからいいんだけどな。

 俺は自販機でウーロン茶を二本買い、一つを入須に渡す。

 

「感心しませんね。恋合病院経営団体の入須家の息女が夜にこんなド田舎を一人歩きとは。晴香でもこんな事しませんよ?」

 

 冗談半分で言ったつもりではあったが、入須はクスりとも笑わない。怖い……。

 しばらくの沈黙。俺がウーロン茶の缶を開けた音とともに入須は切り出した。

 

「先程、折木君にも会ってきた。三人の案をすべて却下したそうじゃないか」

「……ダメでしたか?」

「いや、そんな事は無い。君は役割を果たしてくれた」

「どうも」

 

 一単語ずつしか喋れない病気にでもかかったのかな?俺。いや、これは目の前にいる《女帝》の力とでも言ったところであろう。

 

「君は……いや、君たちは最初に私があの事件を解いてくれと言った時に、『変な期待は困る』と言ったな。だが、君はこの三日間で中城達の案を葬った。私の期待以上だよ」

 

 中城達の案を却下したことが期待以上だと?却下されることが前提みたいな言い方だな。

 それならなぜこの人は俺たちにオブザーバーなんかを……

 

「彼らは器じゃない。どれほど懸命にやったとしても、才能、技術がない」

 

 何が言いたいんだ……この人は。

 期待していなかったというのだ。F組の誰一人として、この人は信用していなかった。じゃぁこの人が期待している人物とは誰だ?

 いや、そんなことは分かりきってる。俺は入須からの冷たい視線を感じ取り、俺もそっと目を合わせる。

 

「君はこの三日間で折木くんと共に技術を証明した。中城の時間のズレを破り、羽場の窓の見逃しを破り、沢木口の超常現象を理論で破った」

「買い被りすぎです。俺だけの力じゃない。奉太郎が、千反田が、里志が、伊原がいたからこそ彼らの穴を見破れた。三人どころか五人集まったんです。文殊の知恵どころじゃありません」

「本当にそうなのか?」

「というと?」

 

 入須は顔色一つ変えず、俺を凝視し続ける。千反田とは違うが、いつの間にか彼女の瞳に吸い込まれるような感覚を覚えた。

 

「君と折木くんだけでも、彼らの案を見破れた。なぜならそれは《氷菓》が証明してくれる。君たちは二人で《氷菓》の謎を解いた」

「それこそあいつらがいたからこそ……」

 

 俺の声にかぶさるように、入須は続けた。

 

「彼らは資料を集めたに過ぎない。」

 

 俺はこの言葉に苛立った。資料を集めたに過ぎない、だと。違う、あいつらの考察があったからこそ、結論にたどり着くことが出来た。

 俺と奉太郎だけじゃ無理だった。

 

 入須は今の言葉を訂正するように言った。

 

「確かに、彼らがいたからこそ真相に()()辿り着くことができたのは確かだ。だが、彼らがいなくとも君たち二人なら解くことだって出来たはずだ。逆に君たちがいなければ彼らは真相にたどり着けなかった。違う?」

 

 この人、話の進め方が上手い。俺の質問、答え、全てを予想してるかの如く言葉が溢れ出ている。ダメだ……流されるな。

 

「あなたが期待してるのは奉太郎でしょ?」

「君は折木くんの出した仮説の不備に、助言を得た本人より早く気づいた。いわば君は《スイーパー》だ。折木くんが先陣を切り、君が折木くんが拾いきれなかったものを拾う。君たちは()()()()()()()()()()()()

 

「君たちは……特別よ」

 

 いつもならうるさくて寝付けない鈴虫の声など気にならない程に、入須の言葉は俺の脳内を駆け巡った。特別……

 

「そこでもう一度頼みたい。南雲くん。折木くんと共にどうか私のクラスに力を貸して。あのビデオの正解を、見つけてほしい」

 

 入須は頭を下げた。

 

 俺が……特別。

 確かに似たようなことを言われたことはある。千反田にも、里志にも、伊原にも。『お前は少し変わっている』と。

 しかし俺はそんなことはハナから思っちゃいない。《氷菓》の時も、千反田と初めて会った時も、愛なき愛読書の時も、ただ少し周りの人間より閃いたのが早いだけだ。奉太郎と同じくして。

 

「例えば……」

 

 再び口を開いた入須に顔を向ける。

 

「例えば、とあるスポーツクラブで補欠がいた。補欠はレギュラーになろうと努力をした。それは極めて厳しい努力だ。なら何故それを耐え抜くことが出来たのか……それは彼女はそのスポーツを愛していたし、またささやかな名を成したいと思っていたからだ。しかし彼女がレギュラーになることは無かった。そのクラブには有能な人材がいたからだ。そして、その中でも極めて天性を持つ人間がいた。彼女は大会でMVPにも選ばれ、ヒーローインタビューも行われた。そこでインタビュアーは聞いた。勝利の秘訣はなんですか?とね。そして、彼女は答えた。ただ、運が良かっただけです。この言葉は補欠にはあまりにも辛辣だと思わないか?」

 

 俺は片手にウーロン茶を持っているにも関わらず、唾を飲んだ。彼女はなおも続ける。

 

「誰でも才能を自覚すべきだ……。見ている側がバカバカしい。君には、その自覚すべき才能がある。どうだ……結論は?」

 

 才能……特別……。

 

 自分の額に汗が流れていることが分かった。暑いからではない… 。圧倒されているのだ。この空間に……、入須冬実という人間が。

 

 俺を染めようとしていることに……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 っ……!!!

 

 

 不意に晴香の言葉を思い出した。あいつは俺を心配するような目で見ていた。あの晴香にな……。

 

 ……あとで礼を言わなきゃな。

 俺は息を吸いこみ、ハッキリとした声で言った。

 

「答えはノーです。入須先輩。俺はあなたの手駒じゃない」

「折木くんは賛成した」

「止めます。あいつを手駒としていい様に使おうってんなら尚更です。あなたが何を企んでるのか知りませんが……少なくともあなたは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「それを理論づけるものはあるのかい?」

「勘です」

 

 そう言うと、入須は少し笑い、言った。

 

「三人もの探偵役の案を否定した君が、勘とはね」

「ここはミステリー小説のなかじゃありませんから」

 

 入須は再び笑った。再び俺の方を見ると、いつもの冷厳な表情で口を開く。

 

「もう君にはなにも言わないさ。だけど一つだけ、これは無視をしても構わない」

「なんですか?」

「君は……私以上だ。」

 

 

 なにがとは言わなかった。もちろん、どう受け止めればいいのかすらも分からなかった。

 

 俺たちは夜風に髪をなびかせ、視線をぶつけ合わせる。

 

「送りますよ。入須先輩」

「いや、使いのものが車で待っている。それでは楽しみにしているよ……」

 

「君がどう動くかを……」

 

 そう言い残した入須は、闇夜に姿を消した。先程まで入須が座っていたベンチには、まだ開けられていないウーロン茶の缶が残されていた。

 

 

 

 

 

 タイムリミットまで、あと二日と三時間。

 

 

 




 うーっす!書道部の勘解由小路晴香だ!

 ったく、晴はこのスーパーインテリジェントな私に感謝の意を込めないとね!

 じゃぁ楽しみにさせてもらうよ。お前がどう動くのかをさ!

 次回《隠者VS女帝》


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第七話 隠者VS女帝

 昨日入須からの依頼を断った俺は、今学校に向かって自転車を走らせている。時刻は十時前時。

 

 俺の背負っているリュックサックの中に入っているのは《本郷の脚本》の一冊だけだ。

 これは俺の推理に必要だった。ミステリー映画の推理じゃない。言ってしまえば……入須の真意を暴くための。

 

 しかしまだ分からないところがある……俺が学校に向かっているのはいわば賭けだ。《アイツ》がいてくれれば。

 

 乱暴に工事が終わったあとの駐輪場に自転車を置くと、俺は足を地学講義室まで進ませた。ん、あれは?

 

 俺は少し小走りで目の前を歩く小柄な少女に声をかける。

 

「伊原」

「南雲じゃない。こんな早くから学校なんて……珍しいわね。なにか用?」

「用がなきゃ俺はお前に話しかけちゃいけんのか……。同じ部活だろう」

「そういう用じゃないわよ。学校に何か用ってことよ」

 

 あぁ、なるほどな。被害妄想が強かったみたいだ。

 

「んにゃ、ちょっとあの映画のことでな。《女帝》に一泡吹かせてやろうと思って」

「《女帝》?あぁ、入須先輩のこと?なんで?」

 

 俺は口をつぐんだ。正直に『入須が怪しい』と言ってもいいのだが、完璧主義の伊原はこんな確信のない理由じゃぁなぁ。

 

「ちーちゃんの為?」

「え?」

「ちーちゃんの為に、あのミステリー映画の謎を解こうってこと?」

 

 何故そこで千反田が出てくる…まぁ俺が謎解きを自主的にした事には大体千反田や他の人間が関わってる。例外は過去に一人だけ。今回は二回目になる訳だが。

 

「いや、違うよ」

「じゃぁなに?まぁあんたは折木とは違うから、自主的に動くのが不思議なことだとは思わないけど、あんまり積極的なタイプでもないでしょ?」

「なぁ……伊原」

「なによ」

「お前って漫画書いてたことあるんだよな?」

 

 そういった途端に伊原の顔は耳までタコのように真っ赤に染まり、スクールバッグで俺を強襲した。

 

「うわぁ!!危ないな!」

「なんであんたが知ってんのよ!!」

「里志と奉太郎から聞いたんだよ……大丈夫、別に馬鹿にする気じゃない。そのなんて言うか……お前は、自分の漫画に才能やら、特別な感覚を感じたことはあるか?」

「ないわ」

 

 随分即答だな。しかし伊原は怒った様子を見せない。一応聞いておこう。

 

「なぜそんなに即答できる」

「私一人が才能を感じたところで、他の人に才能が感じられるかは分からないじゃない。それが才能とは私は思わない。自分でも認めて、周りからも認められる……それが才能の本質だと思うわ」

「でも漫画だぜ?他の人に見てもらうには、連載しなきゃ始まらないだろ。連載することが才能だとは思わないのか?」

 

 伊原は手を仰ぐように、空を見たまま答えた。

 

「努力よそれは」

「努力だって?」

「例え連載が始まっまたとしても、人気がなかったら一ヶ月で打ち切りなんてのもよく聞く話よ。連載し続けられるかが才能の領域なのよ。」

「そんなもんか?」

「そんなもんよ。それに、才能ってだけでなにもかもが決まったら、凡人はやっていけないじゃない。連載するまでが凡人、連載が始まって続けられれば天才」

 

 伊原は俺より数歩先に進み、どこか悲しげな声で言った。

 

「けど、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だから人気漫画家に凡人はいない。天才は特別なんだから」

 

 その言葉を聞いた瞬間に、昨日入が俺に放った言葉を思い出した。『君は……特別よ』、奉太郎はそれに釣られた。あいつは《灰色》で《省エネ》だったからこそ、今まで自分を過大評価しなかった。

 その隙に付け込まれたのだ。

 

「ねぇ、あんた今日いつも以上に変よ」

 

 俺が常時変みたいな言い方だな。

 

「そうか?」

「うん。入須先輩になんかいわれたの?」

 

 鋭いな。お前の方が探偵役に向いてるんじゃねぇか?いや、これはメンタリストだな。

 

「俺が……というより、奉太郎がだけどな」

「折木が?」

「そうだ。んなことより、今日里志は学校来るのか?」

「知らないけど、来るんじゃないかしら。今日は数学の補習の日だし」

「そうか、悪いな、変な話に付き合わせて。またな。あぁ、《氷菓》の原稿は夏休み明けに出すから!」

「あっ!ちょっ、南雲!」

 

 俺は伊原を追い越し、地学講義室まで走った。

 

 

 

 

 

 

 

 

───────────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 地学講義室。十時十五分。……もちろん誰も来ないが、俺は捜し物が部室にあった事に安堵を覚えた。

 《シャーロック・ホームズの冒険》、《シャーロック・ホームズの事件簿》。

 

 俺は二つの本の目次部分を開く。カバンからルーズリーフとペンを取り出し、目次部分の各編の題名の上に記されている、本郷が使えるネタとして分けたものを書き写した。それがこれだ。

 

 

 

 ◎

 唇の捻れた男

 白面の兵士

 三人ガリデブ

 

 ✕

 花嫁失踪事件

 オレンジの種五つ

 まだらの紐

 花婿失踪事件

 三破風館

 覆面の下宿人

 

 

 

 

 

 

 さらに部室に置いてあった沢木口から貰ったF組の意思決定過程ノートを開く。

 

 

 

 

 死者数をどうするか

 

 ・一人 六票

 ・二人 十票

 ・三人 三票

 ・全滅 二票

 ・無効票 一票

 (採否は本郷に一任)

 

 

 

 

 

 

 次いで、《本郷の脚本》を取り出す。俺は海藤が発見されたシーンの脚本のページを開く。

 

 

 

 部屋に入ってください。部屋の中には海藤くんが倒れています。一見して分かりますが、腕をひどく傷つけられています。呼びかけても返事がありません。

 

 杉村『海藤!!』

 

 男子が駆け寄ります。

 杉村君の手には血がついています。

 

 杉村『血だ……』

 女子一同 悲鳴

 勝田『海藤!!畜生!!誰が!!』

 

 勝田くんが窓を開けます。窓の外を時間をかけて移してください。

 

 

 

 

 この三つの資料を読み比べながら俺は顎に手を当てる。

 

 やっぱりそうだ。この脚本の意味を、F組の奴らは履き違えてる。けど証拠がねぇ……。意味が明らかにされてない資料は最初の《シャーロック・ホームズシリーズ》の印の意味だけだ。多分これにヒントが……。

 くそっ、早く来いよデータベース。これ程までに里志が恋しいと思うのは初めてだよ。

 もう電話をしようと思い携帯を開いたその瞬間に、地学講義室のドアが開いた。俺はすぐにその開いた主の姿を見る。

 茶髪がかった短い髪、男にしては背が低い青瓢箪。

 

「里志!!!」

「ハル!?珍しいね、君がこんなに早く部室にいるなんて。君もホータローと同じで入須先輩に言われてここに来たのかい?」

「奉太郎と同じ?奉太郎がここに向かってきてるのか?」

「ああ、十一時に入須先輩と待ち合わせをしてるって」

 

 ……まじかよ。そうだよく考えてみれば今日は金曜日。撮影ができるのが日曜と考えれば、脚本を書く時間を入れたって今日が最終締切じゃねぇか。

 だがこれは好機会だ。奉太郎はこの三つの資料を持ってない。ここで俺の推理を奉太郎に教えなくては、このままじゃ入須の思いのままだ。

 

「里志……聞きたいことがある」

「なんなりと」

 

 俺は机の上から先程の三個の資料の内の一つを取り出した。本郷が《シャーロック・ホームズシリーズ》の目次につけていた印をまとめた紙だ。里志の目の前に叩きつける。

 

「これを見ておかしな所はないか!?なんでもいい……本郷が使えるネタというだけで印を付けただけには見えない」

 

 里志は不思議そうな表情をしたあと、俺の紙を受け取り、眺める。そして…

 

「ハル……この印の付け方はありえないよ。」

「どういうことだ?」

「言ったままの意味さ!!この印の付け方はありえない!使えるネタ、そんな理由でこの印をつけたわけが無い。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。つまり本郷先輩は使えるネタに印を付けたんじゃない。もっと他に理由があるんだ……」

「それはなんだ……里志!」

「ちょっと待って……今考えてる。◎にあって、✕に無いもの。そうだ!!」

 

 里志は大袈裟なまでに椅子から立ち上がり、天井を仰いだあと、俺の目を見た。

 そして、里志は俺に言った。◎の作品と、✕の作品の違いを。

 

 

 

 

 

「そういうことか……そういう事だったんだ!!」

「ハル、今ので何がわかったんだい!?」

 

 俺は勢いよく里志の肩をつかむと言った。

 

「いいか?奉太郎と入須を会わせるな。俺たちは手駒だったんだよ!入須にいいように使われてただけなんだ!」

「ちょっ、ハル、説明を……」

 

 その時、乱入者が現れた。地学講義室のドアが勢いよく開かれ、見たことの無い男子生徒が立っていたのだ。そいつは里志を見るなり声を貼りながら言った。

 

「見つけたぞ!福部!」

 

 里志から舌打ちの音が聞こえたが、奴はすぐに微笑みを取り戻した。

 

「やぁ山内くん。はるばるようこそ!古典部に入るなら大歓迎だよ。ちょちょ、乱暴はよしたまえよ」

 

 山内という男は里志に近づくなり、首根っこを引っ捕まえた。

 

「なにがよしたまえよだこの野郎。俺はお前を心配してるんだぞ。補習はもう始まってる!進級できなくてもいいのか?」

 

 そうか、今日は里志は数学の補習の為に来てるのだと伊原から聞いたではないか。

 

「もういい……ここは俺に任せろ。補習だろ?」

「流石だねハル!!その調子で入須先輩の真意を破ってみようか!!」

「ばか!!お前が破るのは数学の問題だよ!」

 

 そういった山内は、里志を引きずりながら地学講義室のドアまで向かう。

 

「いやだァァァァァァ!!謎がァァァ、謎がァァァ!!!」

 

 悲鳴を残して消えていった。多分漫画なら俺の頭からコミカルな汗が流れているだろう。

 すると、里志は走って戻ってきた。巾着袋から手帳を取り出し、俺に渡す。

 

「無念だよハル!!君の考えてることは分からないけど……これが役に立つことを祈ってる。かくなる上はこの手帳を我が前をいつくがごといつきまつれ……じゃぁね!!」

 

 再び走り去っていく。グッドラック。里志が進級できますように。

 

 だが、嵐は収まらなかった。次に地学講義室に入ってきたのは伊原だった。俺を見るなり声を出す。

 

「南雲、大出先生がアンタのこと呼んでるわよ」

「大出先生が?なんで?」

「私も詳しくは知らないけど、取り敢えず行ってみなさいよ」

 

 俺は自分の腕時計を確認する。十時四十五分。そろそろ奉太郎と入須の待ち合わせだ……。しかし顧問の呼び出しを無視するわけにも……

 ええい!!

 

 俺は走って地学講義室をあとにする。二段飛ばしで階段を駆け下り、職員室に向かった。

 

 

 

 

 

 

 

───────────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

「呼び出し?俺がお前をか?」

「へ?」

 

 職員室についた俺と伊原は大出先生を訪ねたが、本人はなんの事を話しているのかさっぱりという顔だ。

 

「だって、伊原が……」

「伊原?俺はそんな事言ってないぞ。な?」

 

 大出先生は俺の隣にいる伊原に話しかけた。

 

「おい、どういうことだよ……」

「し、知らないわよ!私だって、()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 え?入須に……

 

 俺の背筋に戦慄が走った。まさか!

 

「南雲!?」

 

 俺は再び走り地学講義室に戻る。まずい、入須は俺を地学講義室から離れさせようとしたんだ。()()()()()()()()()()()()()()

 

 なんで最初から疑わなかったんだ!!

 

 特別棟四階まで登った俺は、神高の最辺境の廊下を全速力で走った、だが……。

 

 地学講義室についた瞬間、扉が開けられた。そこから出てきたのは

 

「ハル?」

「奉太郎……」

「やぁ南雲くん」

「入須先輩……」

 

 涼し気な表情をした入須先輩と、何処と無く満足気な顔をした奉太郎だった。俺は彼らの顔を数秒眺めたあと、聞いた。

 

「ミステリー映画は……どうなったんですか?」

 

 入須は俺を見たあとに答えた。

 

「あぁ完成だ。折木くんは本郷の謎を解いた。題名は《万人の死角》」

 

 そう言ったあと、入須は虚ろな表情で立ち尽くしていた俺に通り過ぎざまに小さな声で言葉を発した。

 

「あんな簡単な手口に引っかかってくれるとは…昨日の私はどうやら君を過大評価していたようだな」

 

 入須はそう言い残し、地学講義室から階段までの長い廊下を歩いていく。俺は入須に目を向けず、奉太郎に聞いた。

 

「なんて推理をしたんだ?」

「ネタバレだろ」

「はは、そうだよな。それじゃぁ一つだけ質問」

 

 俺は顔を上げ、奉太郎の何処と無く嬉しそうな顔を見ながら聞いた。

 

「あの映画……死ぬのは海藤だけか?」

「ああ、そうだ」

 

 俺は、初めて奉太郎の口から、聞きたくない言葉を聞いた。




 こ、こんにちは。文芸部の桜楓です。

 南雲くん、なんか落ち込んでるみたいだけど…大丈夫かな?

 夏休みの明けた古典部達は、地学講義室で折木くんの映画をみんなで見るみたい。
 その映画に隠されていた真実とは…?

 次回《打ち上げにはいかない》

 私も映画……観たかったなぁ。


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第八話 打ち上げにはいかない

 三日の時が流れ、月曜日。神山高校は夏季休暇を終了した。

 

 そして今地学講義室にいるのは俺を含めて、四人。千反田、里志、伊原だ。奉太郎は別件があるらしく、今はいないが、俺たちは奉太郎が推理した《万人の死角》を鑑賞している。

 

 撮影は奉太郎が推理した次の日の土曜の夜までに脚本が書き上げられ、日曜日の夕方に終了したらしい。先程ビデオを持ってきた江波が言っていたことなので、確かだろう。

 

 《万人の死角》の全貌はこうだ。

 

 海藤が殺されていた上手袖は密室。窓からの侵入は傷んでいるため不可能。つまり犯人は正規の方法、つまり右側通路ドアから侵入したことになる。マスターキーを使ってな。

 

 しかし、海藤以外の五人は右側通路には入れない。何故ならば玄関ロビーは二階にいる杉村の監視下にあったから。なら一体誰が犯行を行ったのか、それは。

 

 ずっと映像を取り続けていたカメラマンだった。

 

 だが本郷は脚本をフェアに書いた。つまり条件が整っていなければこの案は出せない。が……その条件を満たしているものが存在する。

 まずは照明。鴻巣が劇場の見取り図と鍵を発見した時に、それを照らした光だ。六人は誰一人として懐中電灯を持っていなかった。

 次に不自然なカメラワーク。カメラは常にあの六人と同じ立ち位置で撮影されていた。まるで視聴者が彼らと行動を共にしているかのように。

 最後に、六人が寝床を探そうと散ったときに、全員がフレームアウトするまでカメラは玄関ロビーにあった。つまり、一時的にカメラが止められた後、カメラはロビーで戻ってくるメンバーを待っていた。

 

 犯行をまとめると、犯人であるカメラマンは全員が散ったあとにカメラを止め、事務室に向かいマスターキーを入手。そして海藤を上手袖で殺害しドアを閉めた。その後犯人は誰よりも早く玄関ロビーに戻り、皆が再び集まるのを待った。

 

 ほら見ろ、全員が一斉にこちらに、つまりはカメラマンの方向を向いた。『犯人はお前だ』だってよ。

 そしてエンドロール。

 

 突如地学講義室の床に光の線が現れた。映画を見る為に教室を暗くしていたのだ。

 俺は後ろを振り向くと、そこにはドアを開けた奉太郎が立っていた。

 

「よう、良かったぜ《万人の死角》」

 

 俺のつぶやきにほかの三人も振り返る。

 

「やあホータロー。観たよ。上出来じゃないか!《女帝》も満足、映画は完成、この意外性なら客引きもできる。折木奉太郎が神高の探偵として名が広まるのも近いね。南雲晴は残念ながらまだ先だよ」

 

 広まらなくていい。探偵なんて。

 

「まぁいいさ!ほれ、買ってきたぜコーラ!みんなで乾杯だ!」

「いいねぇ!!出来れば映画を見ながら飲みたかったところだよ。」

 

 里志を無視して俺はリュックから五本のコーラを取り出し、みんなに渡す。祝賀のムードを作ろうとした途端に、伊原が立ったまま苦しい声で牽制した。

 

「ふくちゃん……原稿は進めたでしょうね?」

 

 原稿というのは《氷菓》のだ。里志は一番俺らの中で進んでいない。

 里志は微笑みを作ったまま、自分のコーラを伊原に渡した。

 そんなんで誤魔化せるわけないだろ……。

 

 俺は不意に千反田の方向を見る。こういう時には我先にと奉太郎に詰め寄るものだが、こいつは違和感に気づいてるんだな。

 いや、千反田だけじゃない。里志も伊原も、《万人の死角》の違和感に気づいていた。

 

 俺は、自分のリュックから覗く本郷の脚本を見たあと、俯いた。

 

 

 

 

 

 

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 日が暮れ、俺は特別棟から普通棟に移り、下駄箱まで足を運んでいた。

 俺は靴に履き替えると、昇降口前に立つ一人の少女に気づき、話しかける。

 

「千反田」

「南雲さん」

 

 ふぅむ。大方奉太郎に聞きたいことでもあるんだろう。

 

 すると、千反田は俺を見たあとに言った。

 

「折木さんの推理は……正しいのですか?」

「お前はどう思うんだ?」

「分かりません……。私には問題を解決する力が欠けているので。お願いします南雲さん。結論を言ってください」

「違う。《万人の死角》は本郷の真意じゃない」

 

 千反田は珍しく俺をキツめの視線で見たあと、口を開いた。

 

「南雲さんは先週の金曜日折木さんが推理をした時に地学講義室にいたんでしょう?なぜその時に訂正をしなかったんですか!?」

「出来なかった!!問題が発生して、俺は一時的に地学講義室から離された」

「問題ってなんですか!?」

「お前には関係ない」

 

 入須に騙されたなんて言えるか。

 

「逆に、お前はなんで違うと思ったんだ?」

 

 少し声を張っていい争いをしたせいか、下校している生徒達の視線が俺らに向けられていることが分かった。

 千反田はそんなのは気にならないようで、ゆっくりと話し始めた。

 

「南雲さんは……私が今回の一件で()()()()()()()()()()()を知っていますか?」

「ビデオを映画の結末だろ?」

「違います。私はあの映画がどんな終わり方でもよかったんです。だから折木さんの案は……《万人の死角》はとても良かった」

「じゃぁなんだ」

「私は……本郷さんという方がどんな方か気になっていたんです」

 

 どういうことだ?本郷の人柄をこいつは気にしていたのか?確かにこいつはF組の人に会う度に本郷との関係性を聞いていた。

 だが、それがなんだというのだ?

 

 それともまさかこいつは、()()()()と同じ考えを直感的に感じているのか?

 

「今回の一件はどう考えてもおかしいんです。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()例え倒れたとしても、映画の結末は仲の良いお方……それこそ入須先輩や江波先輩に伝えることが出来たはずです。なぜそれを言わなかったのでしょうか?なぜ脚本の完成を、心半ばで放棄してしまったのか……本郷先輩の心境を理解したいんです。でも、《万人の死角》はそれを私に伝えてくれませんでした。だから……あれは本郷さんの真意でないと、私は思います」

 

 一時的な静寂と共に、俺はここの中で関心していた。いや、こういうと少し不謹慎になるし、俺自身を評価する訳では無いが。

 こいつは、感じ取っている。脚本と《シャーロック・ホームズシリーズ》、そして意思決定過程ノートの三つを用いて推理した俺の結論に、たどり着こうとしているのだ。

 

「昇降口で何を騒いでいる」

 

 一つの声。俺は振り向くと、そこには奉太郎が立っていた。その姿には、いつも以上に覇気がない。奉太郎は俺と千反田を見た途端に溜息をこぼし、口を開いた。

 

「お前らも気に入らなかったのか?あの映画」

「ハル、お前が金曜日に俺にどんな推理をしたのか聞いてきたのは……俺の推理が間違っていると思っていたからなのか?」

「いや、そういうつもりじゃ……」

「別にいい……お前の助言を聞こうとしなかったのは、俺だ」

 

 奉太郎は少しの間を置いたあと、口を開いた。

 

「ザイルが使われていないことも、叙述トリックのことも聞いた。他にはあるか……」

 

「違うんだ、奉太郎。ザイル?叙述トリック?そんなものは関係ない」

「どういうことだ?」

 

 俺は奉太郎に近づき、俺が推理に使った三つの資料を渡した。

 

「これを使ってもう一度考えてみてくれ。じゃぁな」

「これは?」

「本郷の真意だ」

 

 そう言い残した俺は、駐輪場に向かって走り出した。

 

 

 

 

 

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 翌日、俺と奉太郎は喫茶店《一二三》という場所である人物を待っていた。俺が呼んだ人物だ。

 奉太郎から昨日の夜電話があり、俺が渡した三つの資料から本郷の真意を見出したらしい。

 

 それにしても、なんだこのオシャレな空間。逆に落ち着かねぇよ。

 

「ハル何かを頼め。ここを指定したのは俺だ。奢ってやる」

「じゃぁ抹茶パフェで」

 

 俺はメニューの千二百円するパフェを指さした。

 

「お前は遠慮というのを知らんのか」

 

 そんな会話をしている中、垂れ幕の向こう側から一人の人物。入須冬実が現れた。

 入須は抹茶を頼み、言葉を発した。その言葉はいつもの冷厳さは抜け、どこか穏やかだった。

 

「今度の土曜日、撮影終了を祝って打ち上げがある。君たち古典部にも参加する権利はあると思うのだが……どうだろう?」

 

 俺たちは同時と言っていいタイミングで首を振る。

 打ち上げにはいかない。

 

 入須は再び冷厳な表情になった。そして、声を発する。

 

「いいだろう。それで、話とは?」

 

 俺たちは視線を合わせたあと、順に口を開く。最初は俺だ。

 

「入須先輩、俺たちに技術があると言いましたよね?なんの技術ですか?」

「言わせたいのか?推理能力という技術さ」

 

 ……

 

「違うでしょ。俺たちは探偵役じゃなかった。()()()()()()()()()()

 

 俺の言葉に入須は眉を寄せると抹茶をトンと置き、口を開いた。

 

「どこで気づいた?」

 

 奉太郎が続ける。

 

「シャーロック・ホームズです。本郷はシャーロック・ホームズをミステリーの勉強に使っていました。そしてこれが本郷の勉強痕です」

 

 

 

 

 ◎

 唇の捻れた男

 白面の兵士

 三人ガリデブ

 

 ✕

 花嫁失踪事件

 オレンジの種五つ

 まだらの紐

 花婿失踪事件

 三破風館

 覆面の下宿人

 

 

 

 

「これが何を意味するのか……入須先輩は分かりますか?」

 

 入須はそれに目を通したあと、軽く首を振った。

 

「分からないな」

「そうですか。じゃぁハル……説明を頼む。ここからはお前のターンだ」

「◎と✕の違いは単純明快。()()()()()()()()()()、それだけです。そして、これを見てください。」

 

 

 

 死者数をどうするか

 

 ・一人 六票

 ・二人 十票

 ・三人 三票

 ・全滅 二票

 ・無効票 一票

 (採否は本郷に一任)

 

 

 

 入須の視線が少し揺らぐ……これは流石に計算外だったみたいだな。

 

「沢木口先輩が貸してくれましたよ。気前よくね。俺が目をつけたのはこの《無効票》です。おかしいとは思いませんか?数字を書くだけのアンケートで、無効票なんて。」

 

 入須は顔色一つ変えずに、俺たちを見た。そして、奉太郎が続ける。

 

「俺はこの資料があったから真相に辿り着くことが出来ました。そして、あなたにいいように使われていることにも、遅くありつつも気付くとこができた。この二つの資料に加え、本郷の脚本、これらを繋ぎ合わせてみると」

 

 

「映画には死者が出ないはずだった。」

 

 

「本郷の脚本にも海藤が死んでいるという表現はなかった。話しかけても返事がない。それだけだ。だがF組の連中は海藤が死んだと勘違いしていた。しかしこれは仕方の無いことです。あの脚本を見れば誰だって海藤は死んだと勘違いするし、肝心の本郷は撮影に参加していなかった。海藤はF組の連中のなかでは死んだことにさせられたんだ」

 

 一度お冷で唇を濡らし、続ける。

 

「話を聞く限り、本郷は気の強い生徒ではなかった。俺達が最初見た所までの映像を確認した本郷は、海藤は死んではいないと言い出せなかった。それに、ミステリーで死人が出ないのはタブーですからね。ヴァン・ダインに反する。だが本郷は、海藤生存ルートでこれからのストーリーを書いていた。その脚本で撮影することは不可能になり、本郷は途中で役職を放棄したと糾弾されるでしょう。だからあなたは、本郷を《病気》に仕立てあげた。ことの結末が収まるまで本郷を表舞台に出さないようにしていた。病気となれば仕方がないと誰しもが思う。違いますか?」

 

 無言。俺達はそれを肯定と受け取った。

 

 奉太郎の声色は、推理がクライマックスに近づくにつれて強くなっていく。

 

「そこであなたは解決編の推理大会という名義で()()()()()()()()()を開いた。海藤が死んだあとのストーリーをF組の《探偵役》に推理させると見せかけて、あなたは最も矛盾のないストーリーを彼らに作らせようとしていた。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()そして、古典部も巻き込み、結果的に俺を利用した。これが……全てです」

 

 俺は付け加えるように言った。

 

「晴香からの助言がなければ……俺もきっと推理作家になってましたけどね」

 

 俺は隣の奉太郎に目を向ける。奉太郎は睨みつけてこそいないが、入須を見る目は目尻が尖っていた。

 奉太郎は身を乗り出し、口を開いた。

 

「俺に技術があると言ったのも、全て本郷の為ですか……?あなたは俺に言いましたよね。能力のある人間の無自覚は能力のない人間には辛辣だと」

 

 伊原が言った言葉を思い出した。『凡人がどんなに必死になって努力をしても、天才の少しの努力がそれを分散させる』

 あの言葉は伊原の真意だろう。いや、誰しもが思っている事だ。思っているからこそ、自分に才能があると自覚した時に人は舞い上がる。

 入須はそこにつけ込んだ。そしてそれは有効だったと言えるだろう。奉太郎は入須の望む創作をしたのだ。

 

 

「誰でも自分を自覚すべきだと言ったあの言葉も、嘘ですか!!!」

 

 

 奉太郎の激昴を聞いても、入須は動じない。

 

 入須は俺たちを見たあとに、答える。

 

「心からの言葉ではない。それを嘘と呼ぶのかは、あなたの自由よ」

 

 俺たちの視線が絡み合った。そして、奉太郎はフッと笑った後に、言った。

 

「それを聞いて、安心しました」





 次回《エンドロール》





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第九話 愚者のエンドロール

お気に入り60&UA4000ありがとうございます!

眠い中みたら目が覚めました…。


 ログナンバー00299

 

 

 

まゆこ:本当にありがとうごさいました

 

Noname:もういい

 

まゆこ:みんな……人殺しのシーンを楽しみにしてたのに

 

まゆこ:私があんな脚本にするから、ごめんなさい

 

Noname:もういうな

 

まゆこ:ごめんなさい

 

まゆこ:あっ、もう謝らないんでした。ごめんなさい

 

Noname:お前の望む結末にはならなかったが

 

Noname:完成しただけで大したものだ

 

まゆこ:いえ、私の望む結末にはなりましたよ

 

Noname:?

 

まゆこ:私の一番の望みは

 

まゆこ:みんなで、出来たってバンザイすることでしたから

 

Noname:お前ってやつは

 

 

 

 

 

 

 ログナンバー00313

 

 

 

 

あたし:上手くいったみたいねー

 

Noname:ですが彼には悪いことをしました。

 

あたし:彼?彼らじゃなくて?

 

Noname:もう一人の方には勘づかれてしまって

 

あたし:なるほどねー、まぁどっちかは分かるけどさ。それより申し訳ないってほんとに思ってる?

 

Noname:地球の反対側の人に虚勢を張ってもしかたないでしょ

 

あたし:そうだよね。けど地球の反対側の人に嘘をついちゃダメだよ?

 

Noname:嘘ですか?

 

あたし:特にあたしはね!

 

あたし:脚本の子を守りたいなんて嘘でしょ?ほんとは脚本がウケないと思ったから、彼女を傷つけないように却下しようとした。違う?

 

あたし:ま、あのバカ二人は気づかなかったみたいだけどね。あっ、一人は会ったこともないのにバカって言っちゃった。

 

Noname:先輩

 

Noname:私はあのプロジェクトを失敗させるわけにはいかなかったんです。

 

Noname:先輩?

 

 あたしさんがログアウトしました。

 

 

 

 

 

 

 ログナンバー00314

 

 

 

 

 ほうたるさんがログインしました。

 

はれ:おっ。

 

L:来ましたね。

 

ほうたる:これでいいのか?

 

はれ:変なハンドルネーム。

 

ほうたる:『ほうたろう』と打とうとしたら間違えた。

 

ほうたる:しかしどうもおかしい。

 

ほうたる:最終ログインがついさっきだ。

 

L:折木さんはここ使うの初めてですよね?

 

ほうたる:そうだ。

 

はれ:何怖い。

 

L:それで、本郷さんが考えていた脚本はどんなものだったんですか?

 

はれ:まぁ、俺と奉太郎の想像でしかないんだが、

 

はれ:犯人は鴻巣、侵入経路は窓だ。

 

L:ですが窓は……

 

ほうたる:見逃していた、右側通路から上手袖に向かう途中に二つ控え室があるだろ?その窓から侵入したんだ。

 

ほうたる:その後鴻巣は海藤を追って殺した。そして再びザイルで二階に戻り、玄関ロビーに集まった。あぁ、殺したんじゃなかった、死なない程度の一撃で刺したんだ。

 

はれ:海藤は鴻巣から逃げる為に上手袖に入って自分で内側から鍵を閉めた。つまり、今回の事件にマスターキーは使われてないし、必要もなかった。羽場は惜しかったな。

 

はれ:ちなみに、本郷が書いた脚本には『腕が傷つけられてる』としか書かれてない。海藤の身体の近くに落ちていた腕の模型も、脚本を勘違いしたF組の連中がつくりだしたものだ。

 

L:本郷さんが探していた七人目は?

 

はれ:ナレーションだよ。

 

L:なるほどです!

 

はれ:一つわからなかった所があるけどな。

 

はれ:海藤は何故上手袖に鍵をかけたんだろうか。逃げる為とはいえ、鴻巣は海藤を追ってこなかった。わざわざ密室にして、事件をややこしくする理由が分からん。

 

L:それはわかります。

 

ほうたる:めずらしいな。

 

はれ:だから聞いてこなかったのか。

 

L:海藤さんは本郷さんに刺されたあと、鴻巣さんと話したんです。どうして自分を刺したのか。

 

L:そして海藤さんは鴻巣さんを庇うため、鴻巣さんを逃がし、密室にするために鍵を閉めたんです。

 

L:でもそれだと腕の怪我が説明できませんね。

 

ほうたる:怪我の方は簡単だ。倒れ込んだ時に、腕を傷付けたんだろう。あの部屋にはガラスが産卵していた。

 

ほうたる:散乱だ。

 

はれ:お前のおかげでモニターにコーラ吹いたんだが。

 

L:不思議なガラスですね。

 

ほうたる:ええい、持ち上げるな。

 

はれ:しかしそうなってくると、なぜ海藤が鴻巣を許したのか分からなくなってくるな。

 

ほうたる:本郷が口を割るしかないだろ。

 

L:気になります。

 

はれ:次に気になりますって言ったらレッドカードで退場だ。

 

L:ひどいです!

 

ほうたる:ところで千反田、お前はなにか知っていたんじゃないのか?

 

はれ:??

 

L:どうしてそんなことを?

 

ほうたる:F組の三人と俺を加えた四人。お前は全員の意見に納得していなかった。

 

ほうたる:お前らしくない。

 

L:私と本郷さんが似ていたからだと思います。

 

はれ:どういうことだ?

 

L:笑わないで下さいよ。

 

L:実は私も、

 

L:人の亡くなるお話は、嫌いなんです。

 

 データベースさんがログインしました

 まやさんがログインしました。

 

データベース:なるほどね、千反田さんらしいや。

 

まや:こんなものあったのね。

 

はれ:お前らどうやって入った?

 

データベース:千反田さんがパスワードを教えてくれたんだよ。

 

ほうたる:ほう。

 

L:集まりましたね。では

 

L:このチャットルームの名前を変更しましょう。あれ?どうやってやるんですか?

 

はれ:お前のやりたいことは分かった。

 

はれ:こうだろ?

 

 

 

 

 

 はれさんがチャットルームの名称を変更しました。

 

 

 ログナンバー00314→古典部。

 

 

 

 

 




はい!ということで、《愚者のエンドロール》終了です!

閑話を挟んだ後に《クドリャフカの順番》に突入します。


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第3章 クドリャフカの順番
第一話 祭囃子


今回からクドリャフカの順番スタートです!



気づいたら三個も評価を頂いておりました…!まにゃもん太さん、土ノ子さん、naraさん、ありがとうございました!


 JOKER 01

 

 

 祭囃子(まつりばやし)

 

 祭りの始まりに流れる音楽の一種だ。

 

 そして今、この神山高校でも祭囃子が流れている。開会式セレモニーで行われる吹奏楽部の演奏リハーサルだ。

 そして祭りとは第四十二回神山高校文化祭、通称《カンヤ祭》だ。まぁ、とある理由があって、俺たち古典部と一部の教員はこの言葉(カンヤ祭)を使うことは無いし、その理由は一言では説明出来ない。

 

 明日から盛大?に開催されるであろう文化祭に備えて、本日は全校をあげての一日準備期間だ。

 とは言ったものの、古典部の出品作品である《氷菓》の準備は万端。正直もう俺のすることも、出来ることも無い。

 

 今俺がいるのは第一会議室。文化祭の進行は総務委員会によって行われるのが例年普通だが、閉会式に限っては俺が半ば強引に引き受けさせられたクラス委員含む生徒会によって取り仕切られる予定なのだ。

 

 俺の仕事は単純明快。閉会式開催場所の体育館の暗幕を下げるだけだ。

 つまり、俺は閉会式までやることは無い。ゆっくり文化祭を楽しめるというわけだが、残念ながら古典部のとある問題によりそれは出来なさそうだ。

 

 別に誰のせいというわけではない。言ってしまえば全員のせいであるとも言えるだろう。

 俺は前に立つ生徒会長、陸山宗芳(くがやまむねよし)を横目に、先程配られた文化祭のしおり、《カンヤ祭の歩き方》を開く。

 

 

 

 参加団体(登録順)

 

 P30

 

剣道部

ブレイクダンス部

社交ダンス部

合唱部

演劇部

探偵小説研究部

被服研究会

漫画研究会

化学部

2年F組

応援&チアリーディング同好会

茶道部

美術部

 

 P31

 

マーチングバンド部

水墨画部

おまじない同好会

文芸部

百人一首部

オカルト研究部

クイズ研究会

天文部

1のC

放送部

ディベート部

落語研究会

 

 P32

 

書道部

華道部

生物部

将棋部

工作部

ビデオ映画研究会

写真部

映画研究会

SF研究会

物理部

グローバルアクトクラブ

歴史研究会

手芸部

製菓研究会

 

 P33

 

軽音楽部

囲碁部

アカペラ部

壁新聞部

お料理研究会

園芸部

ブラスバンド部

奇術部

占い研究部

古典部

 

 執行本部

 

陸山宗芳(生徒会長)《やりすぎんなよお前ら、言いたいことはそれだけだ》

 

木原青佳(生徒副会長) 《期間中は生徒会室に本部を置きます》

 

田名辺治朗(たなべじろう)(総務委員長) 《ゴミ箱は充分な数を揃えてありますが、分別にご協力ください》

 

 

 

 相変わらず部活動の数が尋常じゃないぜ。どこにこんな文化部の数がおおい学校があるってんだ。

 

 気づいた頃には会議は終わっており、俺はリュックサックを背負い帰宅する。

 

「さぁて…明日からはどうすっかな…」

 

 誰にも聞こえないように呟き、俺は帰路を歩いた。

 

 

 

 

 

 

 JOKER 02

 

 

 朝、普段より少し早い登校。神山高校文化祭当日。俺の隣を歩く里志は「あぁ、楽しみだ楽しみだ」も連呼するので、俺はそれを横目に言った。

 

「何が楽しみだ。ことの重大さを理解してないのはお前だけだぞ」

 

「甘いねハル。トラブル無しに開催される文化祭というのはないんだよ。トラブルも文化祭の醍醐味さ!」

 

 こいつのポジティブ加減には呆れる。トラブルが起きないように昨日の一日準備期間が行われたわけだろう。

 ちなみに一緒に歩いているのは里志だけではない。俺を真ん中とし右に里志、左には奉太郎が立っている。

 

「ところで二人とも…あれは摩耶花じゃないか?」

 

「「そうか?」」

 

 里志は俺たちより数十メートル先を歩く私服姿の少女を指さしながら言った。うぅむ。よくわからん。

 

「小学生じゃねぇの?」

 

「お前殺されるぞ」

 

 俺のボケに神速のツッコミ。俺たちでお笑い研究部でも作るか?奉太郎。

 

「ちょっとちょっかい出して来ようかな?」

 

 里志はそう言うと、その少女に向かって走り出した。

 

 

 

 

 ♣︎ 01

 

 あ、ちなみにクローバーマークはこの僕。福部里志が語り手だよ。いやぁ新鮮だねぇ。

 

 僕はハルとホータローを置いて一人の少女に向かって走り出した。

 

 少し強めの勢いで少女の背中を叩く。「ちょっと痛いじゃない!!」って言うのを期待してたんだけど、残念ながら今日はそんな気分じゃないみたいだ。

 

「あら、ふくちゃん。おはよう」

 

 うーん。声質がネガティブ!

 

「おはよう摩耶花。後ろにもいるよ。」

 

 摩耶花と共に後ろを振り向くと、同じような背丈の二人がこちらに向かって右手をあげた。

 とりあえず摩耶花も右手をあげ、前に視線を戻す。

 

「似合ってるじゃないそのコスプ…うぐっ!」

 

 まさかのボディブロー、お腹に力を入れてなきゃ今頃うずくまってただろうね。

 

「カタギさんの前でその用語は使わないで」

 

 コスプレくらい今時気にすることでもないんだけどなぁ。まぁ摩耶花がシャイってのは長い付き合いだからわかってるつもりさ。

 気を取り直した僕は摩耶花に再び聞く。

 

「んで、何その装いは」

 

「フロル…」

 

「フロル?フロルベリチェリ・フロル?」

 

「うん。」

 

 わお。随分とコアな…。

 

 まぁこのコスプ…、装いはコスプレには見えないし、普通に街中を歩いていても不思議には思われないだろう。

 しかし摩耶花の顔も辛気臭いなぁ。僕は摩耶花には笑っていて欲しいと思ってる。

 摩耶花の顔は子供っぽいけど、子供っぽい表情をなかなか浮かべない。起こったように唇を引き結んでいる。

 まぁだからこそ、時折見せる笑顔には何者にも変え難い価値が生まれるのだけれど。(まだ出会って半年のハルなら分かるけど、小学生以来の付き合いのホータローがこの価値に気づかないのは頂けないよね。)

 

「今日は古典部に来れるのかい?」

 

「分からない。多分漫研が忙しくて。」

 

 摩耶花は古典部の他にも漫画研究会にも所属している。《氷菓》の編集を担当していながら漫研の文集も書いていたとなると、相当大変だったんだろうね。

 ホータローにも見習って欲しいよ。

 

「漫研の文集も読むよ。」

 

 そう言ったら摩耶花はほのかに笑顔を見せる。

 

「ごめん…私がフォローしなくちゃいけなかったのに…」

 

 再び俯きながら摩耶花は言ったので、僕は背中を叩いた。

 

「あんまり気にすることじゃないよ。起きたことは仕方ないんだ!ハルも会長に何らかの形で頼んでみるって言ってたしさ!」

 

「うん。」

 

 気づくと僕達は校門を潜っていた。大きなゲート、校舎から下がる垂れ幕には《第四十二回神山高校文化祭》の文字。

 

 さぁ!祭りの始まりだ!!!

 

 

 

 

 

 

 

 ♠︎ 01

 

 スペードの担当は俺…折木奉太郎がやらせてもらう。

 

 俺はポケットに入っている万年筆に触れた。

 実は最近姉貴が家に帰ってきており、昨日の夜に《お守り》として貰ったものだ。

 だがこの万年筆…既にペン先が折れており使い物になる代物ではない。ゴミを渡されたのだ。

 まぁ『書けない』を『欠けない』に掛けて、これはこれで縁起がいいのかもしれない。

 

 ハルとたわいもない話をしながら俺たちは階段を上っていく。その場所はもちろん地学講義室。俺たち古典部の部室だ。

 

 俺たちは普通棟から特別棟に移った瞬間に、思わず苦笑をこぼした。

 普段でも賑やかしい特別棟はいつもの数倍賑わっており、様々な部活の出し物やポスターが貼られている。既に数百人規模の生徒達がここに集まっているのは間違いない。

 

 しかし地学講義室のある特別棟四階には、これと言って人の気配は無い。静かな場所が好きな俺にとっては最高のロケーションなわけだが、この文化祭に限っては最悪のロケーションだ。

 神高の最辺境。果たして客が来るのやら。

 

 地学講義室のドアを開くと、そこには既に一人の少女が座っていた。俺とハルを見た途端に立ち上がり、言った。

 

「おはようございます!南雲さん、折木さん!」

 

 俺達も挨拶を交わすと、千反田は微笑みながら口を開いた。

 

「いよいよですね」

 

「いよいよだなぁ」

 

「そうだな」

 

「頑張りましょう」

 

「頑張りましょうつったって…」

 

 ハルは見てはいけないものを見てしまったかのような目と声で言った。

 

「これ…どうすっかなぁ…」

 

 ハルが見たものは文集《氷菓》。俺たち古典部の唯一無二の出品物だ。

 一ヶ月前に終了した夏休みを使い、俺たちは《氷菓》の制作を行った。

 

 完成品は素晴らしいものだった。伊原が書いた兎と犬のイラスト、所々に描かれている可愛らしい挿絵。伊原の功績は大きかった。

 

 しかし、素晴らしいと賞賛する前に、俺含む俺たち古典部は…絶句した。

 

 運んできた会議用机に並べられている《氷菓》。事前の打ち合わせでは発行部数は三十部。顧問用と部室常備用に一部ずつ、そして俺たちが一部ずつで、結果論で言えば文化祭で売り出すのは二十三部。

 それだって売れ残り覚悟の数字だ。

 

 ところが、掘りあがった《氷菓》は少しだけ多かった。

 

 たった…()()()

 

 

 

 

 JOKER 03

 

 

 

 たった…二百部。

 

 印刷所に発注をしたのは伊原ではあるが…別に伊原を攻めようというわけではない。むしろその逆だ。

 俺たちの方が非は大きいのかもしれない。

 

 夏休み期間中、《氷菓》編集担当の伊原を手伝おうと何度か申し出たが、『自分は慣れているから大丈夫、むしろ何も知らない人にやらせると時間がかかる』と、言って全ての編集作業を伊原が行ったのだ。

 俺たちは伊原に甘えた…。最終確認くらいは全員ですべきだったのだ。

 

 伊原は奉太郎から聞くに自分のミスには厳しいらしく、今回の件について最も責任を感じているだろう。

 『お前に全部任せた俺達が悪かった。あまり暗い顔をするな、里志や千反田まで暗くなる』と、言ったが、伊原はやはり自分のミスが許せないようだ。

 

 背後でドアが開かれる音、里志が馬鹿みたいな笑顔で地学講義室に入ってきたのだ。そして、こう叫んだ。

 

「やぁおはよう!!過剰在庫に悩む諸君!!」

 

 よし、お前を売り飛ばして、その資金で学校側と裏取引をしよう。

 

「やぁやぁ、あ、摩耶花はこれたら来るって言ってたよ。無理かもしれないけどさ」

 

「そうですか」

 

 千反田は残念そうに俯く。

 

「では、私たちだけで始めましょうか。どうしたら《氷菓》を売ることが出来るのか。」

 

 俺たち男子三人は頷き、考える。

 

 ふぅむ。この文化祭は三日間行われる。今日の木曜日、金曜日、土曜日。一般客を狙える最終日の土曜日が狙いどころだが…

 

「問題は立地と古典部のネームバリューだよね」

 

「えぇ…そこが一番のネックだと思います。」

 

 二人の意見に俺と奉太郎も頷いた。

 

 古典部という部活が存在してることすら知らない生徒の方がこの学校には多いわけであって、もし俺や奉太郎が今年入部しなかったら廃部だったというのも聞いたことがある。

 アカペラ部や茶道部の様に市のイベントに呼ばれている部活や、それなりに実績を残している晴香率いる書道部と比べれば、知名度は雲泥の差だ。

 聞いたこともない部活の聞いたこともない文集を誰が買うのか。

 

 よし、晴香には十部買わせよう。

 

 すると、奉太郎が言った。

 

「つまりもっと目立つところに売り場を作ること、古典部の名前を宣伝すること。この二つが大前提だな。」

 

 確かにこの二つをやれば《氷菓》は()()()だろう。

 ただ、()()()わけであって()()するという保証はない。しかし、実際それくらいしかできないが…

 

「あぁ、そうだ。訪問販売ってのどうだ?歩いて宣伝しながら《氷菓》を売る。加えて、余裕があれば売り場作りや知名度上げにも協力する。」

 

 そういった後に、千反田は口を開いた。

 

「訪問販売はいいと思います。ですが…新しい売り場となると…当日に許されるんでしょうか?」

 

「ちょっと分からないね。古典部だけ特別という訳にも行かないだろうし、家の委員長に相談したらどうだい?ハルは生徒会長に会いに行ってくれるんだろ?」

 

「あぁ。あの人気前良さそうだし。」

 

「福部さんは総務委員会でしたよね。総務委員長と言うと?」

 

「二年の田名辺治朗先輩。総務委員は会議室にいるよ。」

 

「お前はどうするんだ、里志。」

 

 奉太郎が言う。

 

「僕は宣伝さ。」

 

「何かいい手があるのか?」

 

「この文化祭のあちこちで開催されるコンテストや大会に参加しまくる。古典部の名でね!好成績を集めれば古典部の名も上がるって戦法さ!」

 

「それはいい案ですね!」

 

 千反田が微笑みながらいうが…騙されるな!!

 

 こいつは自分が楽しみたいがためにイベントに参加するだけだ。エントリーネームを福部里志から古典部に変更するだけの事だ。

 

「折木さんは?」

 

 いやもう分かりきってるだろ。

 

「俺か?俺は店番だ」

 

 胸張っていうこと!?

 

「南雲さんは?」

 

「え?俺…は…」

 

「ハルは自分で言ってたじゃないか!訪問販売兼、宣伝兼、売り場探しだよ!」

 

「俺一番大変!!!」

 

「さ、そろそろ話が決まったところで…あんまり時間が無いぞ」

 

 俺強制!?

 

 奉太郎が壁掛け時計を指さしたので、それを見る。

 

 開会式まで十分を切っていた…これに出られなければ遅刻だ。

 

 千反田は大きく頷いたあと、息を吸い、大きな声で言った。

 

「では、今の通りの分担で進めます!一部でも多く売りましょう。」

 

「目標は《氷菓》二百部完売です!頑張りましょう!!」

 

 えいえいおー!

 

 さぁて……祭囃子はこれで終わり。祭りの始まりだ。

 

 【氷菓完売まで あと二百部】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 古典部の南雲晴だ!

 この二百部の《氷菓》…売り切れるかは絶望的だが…とりあえずは頑張ってみるか。

 俺たち古典部は、《氷菓》完売のために動き出す。

 次回《それぞれの…》



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第二話 それぞれの...

 再び評価を頂きました!
 鍵一さん、9評価ありがとうございます!



 ♥01

 

 僭越ながら、ハートマークは私、千反田えるが担当させていただきます。

 よろしくお願いしますね。

 

 オープニングセレモニーが始まります。先程南雲さん達と別れて、今私はクラスの列に並んでいるところです。

 仲の良いお友達の塚原さんとおしゃべり中です。

 

 オープニングセレモニーが始まりました!ブラスバンド部の演奏、ブレイクダンス部のダンス!!素晴らしいです!!

 ブレイクダンス部さんたちの頭を使ってクルクルするのは摩擦熱がかからないのでしょうか?私、気になります。

 

 ダメですダメです!!私はやることがあるのです。

 

 私は気になる事があったらそちらに目がいってしまうのですが……今日はそういう訳にも行きません。

 

 ブレイクダンス部さんのダンスが終わりました。ここからは自由行動です。これから始まる落語研究会も気になるところですが、私には向かわなければ行けないところがあります。

 

 私は体育館から出ると、総務委員の本部である会議室に向かいました。

 途中で目を引くものもあったのですが……ダメです。我慢です。今どき小学生でも出来ます。

 

 特別棟の廊下は慌ただしく、まだ準備の終わっていない部活の皆さんがせっせと働いています。会議室につきました。私はノックします。

 出てきたのはメガネをかけた男子生徒の方でした。私は頭を下げ、こういいます。

 

「おはようございます。総務委員長の田名辺さんですね」

「ああ、おはようございます。僕が田名辺ですが……総務委員になんの御用で?」

 

 私は、何度も脳内で練習した言葉を言いました。

 

「古典部の売り場を増やしてください」

「え?」

 

 田名辺さんは目を丸くします。ああ、いけない。『お前は肝心な説明を省くのが悪い癖だ』と、この前、折木さんに言われたではありませんか。

 

「突然すみません。私は一年A組、古典部部長の千反田えるです。古典部の売り場を増やして欲しいんです!」

 

 田名辺さんは困った顔になります。不安です。

 

「なんだかよく分からないのだけれど、うちは決まった通りにカンヤ祭を進めるだけだからなぁ。お好きにどうぞというわけにも……。それとも何か事情でもあるのかな?保証はできないけど、特例を出せるかもしれない」

 

 それを聞いた私は、目を大きく開き、

 かくかくしかじかと説明します。

 うんぬんかんぬんと説明します。

 

 田名辺さんは一度難しい顔をしたあと、言いました。

 

「それは大変だね。三十部のつもりが、二百部かぁ。うーん、それでも悪いけど、特例は出せないな」

「そうですか……」

 

 ごめんなさい。南雲さん、折木さん、福部さん、摩耶花さん。私は役目を果たすことができませんでした。

 

「ああ、でも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 それは……委託販売というものでしょうか!?

 

「それはいい案ですね!ありがとうございました!」

「ああ、完売を祈ってるよ」

 

 私は、田名辺さんに頭を下げたあと、地学講義室に一度戻ることにしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 JOKER04

 

 ブレイクダンス部の発表が終わったところで、俺は体育館をあとにした。

 確か千反田が総務委員長、奉太郎が店番、里志が宣伝だったよな。

 俺は訪問販売兼、売り場作り兼、宣伝。なんだこれ?俺と奉太郎でダブルスタンダードじゃねぇか。

 

 とりあえず生徒会室に行ってみよう。陸山生徒会長に売り場広げを頼んでみるか。

 

 俺は生徒会室に向かい、入る。

 

 ノックは要らない。俺は一応クラス委員だ、生徒会直属の組織に所属する生徒の出入りは、自由になっている。

 

「陸山先輩、ちょっとお話が」

「ん?確かお前は、一年のクラス委員の」

 

 すげぇな。もう顔覚えたのか。記憶力は千反田並じゃねぇの?

 

 陸山は全体的に体の線が細くシュッとしている。顔も整っており、美形というに事足りているだろう。

 

「実はですね……」

 

 かくかくしかじかと説明する。

 うんぬんかんぬんと説明する。

 

「なるほどなぁ、二百部かぁ。漫研でもそんなに売れないぞ?」

「ですよね。心底困ってます。助けてください先輩。一部二百円です」

「俺に買わせようとしてるだろお前」

 

 ちっ、バレたか。

 

「一部くらい買ってやるよ。それと、売り場を増やすのは無理だが、他の売り場に置くことは出来る。ここの生徒会室を使え。落し物も届くし、PTAの方達も結構な頻度で来るからな」

「いいんですか?」

 

 少し驚いた顔で言うと、陸山はニヤッと笑い言った。

 

「特例だ。ジローには内緒だぞ?」

 

 ジロー。総務委員長の田名辺治朗のことか。

 

 しかし、どうやらこの生徒会長は遊び心もあるようだ。俺もニヤッと笑い、返した。

 

「じゃぁ十部ここに持ってきますよ。時々様子見にくるんで、その時売り切れたらまた十部お願いしますよ、先輩!」

「ちゃっかりしてやがる……」

 

 俺はそういったあと、地学講義室に向かって走り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ♦︎01

 

 ダイヤマークは私、伊原摩耶花が担当するよ。

 

 ブレイクダンス部が終わったあと、私は漫研の方に向かった。

 

 本当は古典部の方に行きたい。発注ミスをしたのは私なのに、尻拭いをみんなにやらせるなんて。

 でも、古典部に行きたい理由は文集のことだけではなく、()()()()()()()()()という気持ちも半分あった。

 

 漫研の部室は一般棟二階の第一予備教室。廊下には《漫画研究会》という看板が貼られており、あまり派手な雰囲気はない。部長の湯浅尚子(ゆあさしょうこ)先輩の方針だ。

 私はドアを開け、言った。

 

「おはようございます」

「おっ、来たね伊原!」

 

 最初に私に話しかけてきたのは、河内亜也子(こうちあやこ)先輩。活動的で絵も上手く、ふくちゃんが賞賛している折木や南雲なんかよりも頭の回転は早いと思う。

 漫研でコスプレをしようと言ったのも彼女だ。言い出しっぺだけあって、レベルが高い。

 私は河内先輩の服を見て、言った。

 

「キョンシーですか?」

「オフィシャルだと、チャイニーズコートね」

 

 さいですか。

 

 河内先輩は私の服、コスプレをみたあとに

 

「靴も工夫した方がよかったね」

 

 と言って、他の人のところに行ってしまった。

 私のコスプレに先輩は批判の何も言わなかったけど、ピリピリしていたのは確かだ。

 コスプレ案に最後まで抵抗したのは私だから。

 

「伊原、おはよ」

 

 次に話しかけてきたのは湯浅先輩だ。着ているのはコスプレではなく普通のセーラー服。神高の制服だ。まぁ元々コスプレ組とそうじゃない組で分かれているからね。

 湯浅先輩は歳が一つしか違わないのに、何となく大人な雰囲気を醸し出している。

 包容力というか、寛容さというか。猫と縁側が似合いそうで、おっとりとした感じ。

 

「コスプレ、あまりお金かからなかった?領収書とかあったらちょうだいね」

「いえ、着まわせるし、大丈夫です」

 

 部長はそれ以上は言わなかった。古典部よりかは部費は貰っているだろうけど、それでも余裕がある訳では無い。

 

 私はコの字型に並べられている机の上に置かれた、今回の漫研の目玉。《ゼアミーズ》を見た。古今の漫画百本のレビューをした文集だ。

 その他部員達の実作がいくつか置いてある。これは無料配布。

 時間が経つにつれて人が増えていく。そうなることによって必然的にグループが三つに別れる。

 

 男子グループ。ほかの学校は知らないけど、うちの漫研は男子の方が女子より少ない。まぁ彼らは人畜無害。

 

 二つ目、河内先輩グループ。漫研の中心的グループだ。人数はそれほどでもないけど、部内での発言力は群を抜いている。

 ま、河内先輩以外は取り巻きみたいなものだけどね。

 

 そして第三のグループ。河内先輩についていけないものを感じる人達、単に騒がしいのが嫌いな人たち。そうした人達が集まるのが…

 

 私の周りなのだ。

 

 河内先輩に歯向かったことのある人間が私だけだからだと思う。

 

 空気が張り詰めている訳でもないし、火花が飛び散ってる訳でもない。みんな漫画が好きなのは一緒なんだけど、やっぱり私はこの文化祭期間中漫研からは出られない。

 私ができることと言えば、漫研で《氷菓》を委託販売すること。

 今は雰囲気的に無理だけど、出るだけ早く。

 

 古典部……ふくちゃんたちはどうしてるんだろう。ふくちゃんは会いに来てくれるかな?ちーちゃんはまだ自分の責任だとか思ってないかな?南雲も結構責任感じてたし。折木は、まぁボーッと店番でもしてるんでしょうけど。

 

「あの、もうやってます?」

 

 振り返ると男子生徒二人がドアの前に立っていた。私は渾身の営業スマイルで言った。

 

「いらっしゃいませ!!お客さん第一号でーす!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ♠︎02

 

 予想通り、読み通り、客は誰ひとりとしてやってこない。

 

 平和で、静かで、無為だ。文化祭らしい騒がしさといったら、開かれた窓を通じて聞こえてくる何かしらのイベントの実況のみ。

 素晴らしい。店番万歳。

 

 しかし、目の前に積まれている《氷菓》の原稿を見ると、現実に逆戻りだ。

 この山が片付くに越したことはない。なんせ俺とハルの原稿が一番多く《氷菓》の割合を占めているのだ。文集の目玉記事である《氷菓事件》をまとめたのは俺たちだからな。

 それに、この文集が売れずにゴミ箱行きとなれば、千反田や伊原どころではなく俺だって心を痛める。

 

 すると、ドアからひとつの人影が現れた。客か?

 

「おっす!店番やってるぅ!!」

「ハル、お前か……」

「期待はずれみたいな顔はやめろ。生徒会室で委託販売してくれるらしいからな。十部取りに来た」

 

 早いな。千反田と里志よりも早く交渉をしてくるとは。こいつの将来は会社経営などはどうだろう。

 

「〜♪」

「「ん?」」

 

 俺とハルは同時に反応し、窓際に近寄った。身を軽く乗り出し、中庭を見る。

 アカペラ部の喉鳴らしなのだ。俺たちのように最初のハーモニーに引き寄せられたのか、多数の生徒が中庭に集まってきていた。

 千反田や里志なら『古典部にもきてくださ〜い』、とでも言いそうだな。

 

 喉鳴らしをしていた一人の生徒が窓から見物している生徒と中庭にいる生徒に一礼をし、早速合唱が始まった。

 《ライオンは寝ている》だ。

 

 しばらく俺とハルはそれを眺め、合唱が終わったところで拍手。ハルが口を開いた。

 

「俺は音楽には明るくないけど、上手いな。市に呼ばれるだけはあるぜ」

「ネームバリューで言えば無名な俺たちとは雲泥の差だな」

 

  そう返しながら俺たちはアカペラ部を未だに眺めていた。彼らはそばに用意してあるクーラーボックスを囲み、一人がそれを開ける。

 

「ん?なんかアカペラ部の人達の様子おかしくねぇか?」

 

 ハルの言葉に俺は目を凝らす。クーラーボックスを指さし、しきりに何かわめいている様子が目視できた。

 まぁ俺達には関係の無いことだ。

 

 その後、ハルは十部をもって生徒会室へ。

 

 そのすぐ後にやってきたお客さま第一号が《氷菓》を一部購入。

 何故か姉貴に貰った使えない万年筆と、被服研のファッションショー参加ワッペンを交換した。

 

 いらね。俺はそれを机の中に放り込んだ。

 

 

 【氷菓完売まで あと百八十七部】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アカペラ部、では。

 

 

「おい!用意していたドリンクが入ってないじゃないか!どうなってるんだ!?」

「知らないですよ。確かにさっきまではありました!見間違いなんてありえません!!!」

「とは言ってもなぁ……ん?なんだこれ」

「どうしたんです?」

 

 男が拾ったのは、グリーティングカード。

 

 そしてそこには、こう記されていた。

 

 

 

 【アカペラ部から、アクエリアスは既に失われた】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 【怪盗十文字】

 

 

 

 




 次回《嵐の予感》








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第三話 嵐の予感

 お気に入り70&UA5000ありがとうございます!


 ♣︎02

 

 神山高校クイズ研究会主催、クイズトライアル。

 

 このクイズ大会は僕にとって一日目の目玉だ。こいつは落とせない。真のデータベースが誰か教えてやるぜ!!

 明日の二日目にも神高クイズタッグっていう大会があるんだけど、明日はお料理研の料理大会ワイルドファイアに出場する予定だから僕はトライアルを選んだ。ワイルドファイアとタッグは時間帯が一緒なんだ。タッグの方にも参加したかったよ。

 タッグにはハル辺りに出場してもらおう。

 

 僕は今開催場所のグラウンドにいるんだけど、これは驚いた。見た限りでは参加者は二百人。(目分量だから確定は出来ないけど、百人以上いるのは確かだ)古典部と手芸部にも分けて欲しいもんだよ。

 まぁ参加者が多いのは検討がついていた。放送部の擬似ラジオがお昼に放送されており、その中でクイ研部長へのインタビューが行われていた。まぁこんなところさ。

 

『今回で七回目です。まぁ結構いい賞品も用意してありますし、いわゆる「クイズが得意な人」ばっかりが有利にならないように作ってありますよ!これはチャンスです!誰にでも優勝する権限は平等に与えられています。皆様、ご健闘を!』

 

 この放送の他にも、壁新聞部がクイ研に関して言及をしていた。

 文化祭期間中、壁新聞部は二時間に一本号外を出すことになっており、それの《一日目、十二時号》でクイ研が面白そうだぞ、って記事があった。

 

 宣伝効果は馬鹿にならないね。あとで千反田さんとハルにも教えてあげなくちゃ。

 

 クイ研の部長が朝礼台に上がり、『マイクテス、マイクテス』とお決まりの言葉を言ったあと、続けた。

 

「ようこそクイズトライアルへ!参加者の多さにびっくりしています。今回で七回目のクイズトライアルですが、みなさん……楽しんでいってください!!!!」

 

 歓声。いいねぇ、これぞ文化祭だよ。

 

「では、早速クイズを始めましょう。まずは予選のマルバツ問題、正解だと思う方のプラカードを上げている部員の方へ向かってください!残りが五人以下になるか、用意したクイズが尽きたら予選終了となります!それでは、クイズトライアル、スタート!!」

「第一問。金剛石とはダイヤモンド、緑柱石とはエメラルドのことである。〇か✕か!?」

 

 ふふん。第一問からこんなもんか!!

 

 もちろん正解はマルだァァァァ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 数十分の時が流れた。

 

 「だるいの英語のダルが語源である。〇か✕か!?」

 

 制限時間が終わり、マル側に五人、バツ側に四人入っている。

 

 ○×クイズが予選ならば、これが最後の問題だ。

 

「正解は……」

「バツでしたー!!!!よせんしゅーーりょーー!!!」

 

 いやっほう。

 

「おめでとうございます!バツ側に立っている四人の方が決勝戦へ進みます。壇上へどうぞ!」

 

 これを待ってた!ここで《氷菓》のアピールをして、売り上げに火をつける。

 多分にやけ顔で壇上に向かう僕の肩を誰かが叩いた。

 

「よぉ、福部。お前も生き残ったか」

 

 ……

 

 ちょっと待って。今思い出すから。

 ま、まぁとりあえず。

 

「まぁね」

「お前俺に気づいてなかったろ」

「クイズに集中してたからさ」

 

 えーっと、総務委員でもないし……手芸部でもない。勿論古典部でもない。

 クラスメートで注目に値する人といえば《桁上がりの四名家》の一角をになう、十文字(じゅうもんじ)さんくらいだと思うんだけど。あっ……!

 

「で?(たに)君。囲碁部はどう?」

 

 谷惟之(これゆき)。囲碁部員。クラスメートだ。うっかりうっかり。

 がっしりとした体つきに角顔、団子っ鼻となかなか味のある顔をしている。決して馬鹿にしてるわけじゃないよ?

 けど僕の記憶に残ってなかったっていうことは、これまで非スタンダードな行為をしてこなかったんだろうね。

 

 僕は意外性のある人が好きだ。例えば千反田さんなんかは意外性で溢れてるし、神高入学以後のホータローには随分と驚かされる。

 なによりダークホースのハル。ホータローと同じレベルの推理力に東京から越してきた人物なんてのは、記憶に残らないわけがない。

 

 でも谷くん。ここまで生き残るなんてね。これまでの問題だって甘くないものは幾度もあった。○×クイズだから運も絡んでくるだろうけど、ここまで生き残るってことは相当な知識量じゃないか。へぇ……。

 

 谷くんは得意気な顔で言った。

 

「囲碁部か。ちょっと面白い話があるんだが、聞くか?」

 

 面白い話ねぇ。谷くんに面白い話が出来るってイメージがないからなぁ。

 

「壇上へどうぞ!」

 

 再度クイ研の部員から呼びかけがあったところで、僕は谷くんに「行こう」と手のひらで朝礼台を示した。

 

 壇上に上がったところで、僕はホッとしたと同時に、少し驚いた。

 

 まずは驚いた理由を説明しよう。

 

 壇上に上がったのは四人。僕、谷くん、知らない生徒、そして。

 ハルとホータローと同じクラスの桜さん。

 

 あぁ。桜さんも結構な変人だよ?だって僕の記憶に残ってるんだもの。

 ハルに対して好意を抱いてるっぽいけど、本人は無自覚らしい。『ただの興味だ』なんて言ってるくらいだからね。

 しかし、桜さんにクイズが出来るほどまでの知識量があったとは驚いきだ。正直な話、いつもオロオロしてるからね。ほら、今もみんなに注目されてオロオロしてる。

 

 『楓!頑張れ!』っていう声が聞こえるから、多分友達かなんかに半ば強引に参加させられたんだろうね。多分桜さんの知識量を知っててこその推薦だろうけど。

 桜さんが僕に気づいたので、とりあえず手を振ってみる。

 向こうも知り合いの僕がいた事に安堵を覚えたみたい。敵に塩を送っちゃったかな?

 

 次に安心した理由。

 

 それはこのメンバーだ。もし桜さんの場所が、あの《女帝》入須冬実先輩だったり、《図書室のヌシ》十文字かほ、《書道部部長》勘解由小路晴香先輩、《総務委員会委員長》田名辺治朗先輩、《生徒会長》陸山宗芳先輩、辺りが残っていたら、最初から自信を失ったろうに。

 知識量だけじゃ負けてないだろうけど、あの人達に勝てる気は全くしない。

 

 谷くん、桜さん、名前も知らぬ生徒はそれぞれ名乗り、僕の番になった。マイクを受け取った僕は声を張り、言った。

 

「はーい!!四人目のファイナリスト、古典部の福部里志でーす!」

「は?」

 

 読み上げ嬢は一瞬面を食らったようだ。

 あー、古典部はさほど有名じゃなかった。

 

「なるほどー!古典部なんて部活もあるんですね!この学校変な部活多いですもんねー!」

 

 僕はさらに弁を続ける。

 

「古典部って言っても《徒然草》なんかを研究してるわけじゃないですよ。だからって何をやっているのかと言ったら、まぁ文集作りですよね。でも、この文集我ながらすごいと思うんですよ!力、入ってますよ〜!」

「なにしろ、このカンヤ祭の秘密を暴いたんですから!!」

「ほ、ほう!それは!?」

 

 読み上げ嬢は食いついてくる。彼女もクイ研だ。知識欲に関しては、そこらの一般人より高いだろう。

 

「カンヤ祭の名前の由来です!古典部はそれを解き明かしたんです!」

「へぇ……それは一体?」

「それはもちろん……」

「もちろん秘密です!!文集を買ってもらわなきゃこっちも困りますんで。たったの二百円で、神山高校文化祭三十三年の歴史があなたの手に!!!古典部文集《氷菓》は特別等四階、地学講義室。また、訪問販売にて、絶賛発売中でーーーす!!!」

 

 

 アピール大成功!!!!

 

 

 

 

 

 

 JOKER05

 

 

 

「絶賛発売中でーーーす!!!」

 

 遠くから里志の声が聞こえる。

 

「絶賛発売中なのか?」

 

 生徒会室、陸山は十部持ってきた俺に聞く。

 

「これから絶賛発売中になりますよ……多分」

「すごい部員がいたもんだな」

 

 陸山は俺を笑いながら見たあと、言った。

 

 

 

 

 その後《氷菓》十部を陸山に渡し生徒会室を出た俺は、次にどこに行こうか考えるために《カンヤ祭》の歩き方をケツポケットから取り出す。

 書道部に行ってみるかな。晴香なら承りまってくれそうだし。そのあとに文芸部だ。あそこは文集が人気だし、桜もいる。とある事件を解決した際に、部長とも顔見知りになった。事情を説明して、桜から話をつけてもらおう。

 

 俺は足を進ませると、廊下の遥か彼方に真っ黒な髪を下ろす女子生徒を発見した。俺人波を縫い、彼女の背中を叩く。

 

「よう千反田。おつかれ」

「あ、南雲さんですか……お疲れ様です。なにか成果はありましたか?」

「あぁ、生徒会室で委託販売してくれってさ。……てか、お前随分暗いな」

「私はまだ、成果を出せていないんです。落ち込みますよ」

 

 お、おぉ。なんか体全体から力が抜けてるように見えるぜ。

 

「ま、まーまー!!これからだよ!!気ィ張って行こうぜ!!」

 

 再び千反田の背中をポンポン叩いていると、不意に声が掛かった。

 

「ちょっと、えるを虐めないで。」

 

 見ると、階段の上がりたてのところに一つの小さなテントが貼られていた。俺と千反田は中をのぞき込む。すると、千反田が言った。

 

「ご、誤解ですよ。十文字(じゅうもんじ)さん!南雲さんは私を励ましてくれていたんです!」

「ふーん。女の子の背中を叩くのが励ましねぇ」

 

 十文字という女は俺を見つめる。なんだこの女。まてよ、十文字?

 

「《桁上がりの四名家》の……」

 

 不意に出た言葉に俺は口を紡ぐ。

 

「《桁上がりの四名家》?」

 

 十文字は首をかしげながら俺に聞いたが、興味が無いという風に顔を下ろした。

 危ねぇ危ねぇ。里志の創作言葉を全く関係の無い人物に使うところだったぜ。

 十文字……確か神山市で一番でかい神社、荒楠神社(あれくすじんじゃ)の息女だ。千反田に似た真っ黒な長い髪は三つ編みにされており、フレームの小さな眼鏡が目を惹く。

 たしか里志に聞いた話だと、《図書室のヌシ》なんて異名があったような。

 

 俺はテントの前に立てかけてあるプラ板をみて、小さな声で呟いた。

 

「占い研究部?他に部員は?」

「あたし一人なの、占い研究部。それで、どうしたのえる?肩をガックリさせちゃって」

「色々ありまして……」

「ふぅん。なんならうらなってあげようか?タロットカードとか、トランプ占い、色々あるけど」

 

 十文字はテントの中に置かれた机に次々とものを並べるが、不意にその手を止める。

 

「あっ、タロットカードはダメなんだ」

「え?どうしてですか?」

 

 千反田の目が光る。これは、少しまずい気が。

 

 でも、タロットカードか。夏休みに誰がこのカードだとか、このカードが誰だとか、話してたよな。

 たしか俺は……《隠者》だったような。

 

「……そうだよね。える、こういうの好きそうだもんね。君も見る?」

 

 十文字は俺に視線をずらしたので、とりあえず頷いた。なんだ?

 十文字は紙袋の中から俺たちに見えるようにグリーティングカードを取り出した。そして、そこには大きなフォントでこう記されていた。

 

 

 【占い研究部から、運命の輪は既に失われた。 怪盗十文字】

 

 

 なんだこれ?

 

 十文字は俺と千反田の顔を交互に見たあとに、口を開いた。

 

「一人でやってるから結構席を外すんだ。ちょっと離れてて、戻ってきたら《運命の輪》、《ホイール・オブ・フォーチュン》が無くなってて、このグリーティングカードが置かれてたの」

 

 俺は口を挟む。

 

「これはあんたじゃないのか?十文字って書いてあるけど」

 

 十文字はムッとしたあと、言った。

 

「あたしが自作自演、しかも自分の名前でこんなことして、人に見せると思う?」

 

 ごもっともで。

 

 うぅむ。誰が十文字の名を名乗って《運命の輪》を奪ったってのか?何でこんなことを。

 

「える、顔が明るくなってきたね。」

「そうですか?」

「これ、気になる?」

 

 おいやめろ。変なことを聞くな。

 

「はい、少し」

「少し……ね。じゃぁ最後にこれ」

 

 十文字が紙袋から取り出したのは、今俺のポケットにも入っている《カンヤ祭の歩き方》だった。千反田が聞く。

 

「これがどうしたんですか?」

「中身は出回ってるのとおんなじ。ただこれとさっきのグリーティングカードが一緒に置かれあったの。最後の参加団体一覧のページ、三十三ページを開いてね」

 

 参加団体一覧……。《カンヤ祭の歩き方》の巻末にあたるページだ。

 

「《運命の輪》を奪った奴は、どうしてこんなものを置いていったんだ?なにか……意味があるのかな?」

 

 不意につぶやくと、十文字は薄く笑った。

 

「さぁね。文化祭だもん。こんなことをするやつがいても不思議じゃないよ。あたしとしては早く《運命の輪》が見つかってくれれば、それ以外の事に興味はないんだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ♣︎03

 

 

 クイズは七ポイント先取の早押しクイズだ。

 

 得点は僕と谷くんと桜さんが六ポイント。残りの男子生徒も五ポイントを取ってるから、随分いい戦いだ。

 けど、ここで終わらせてもらおう!!

 

「では次の問題です。神山高校の……」

 

 ローカル問題、一本集中。

 

「生徒会長のフルネーム」

 

 分かる。でも、もう少し……パラレル問題の可能性も考慮しなくてはならない。

 

「は、何でしょう?」

 

 よし、電光石火の早押し!!

 

「はい、桜さん!」

 

 あれ?僕じゃない?

 

 桜さんは場になれてきていたのか、落ち着いた声で答えた。

 

「陸山宗芳先輩でふ……」

 

 噛んだけど。顔が真っ赤になってるよ。いやぁ感情がコロコロ変わる人は見てて面白いねぇ。

 そして、読み上げ嬢さんは、右手を高くあげ、威勢よく叫んだ。

 

「せいかーーい!!クイズトライアル、優勝者は、一年B組、桜楓さんでーす!!」

 

 

 

 

 

 

 いやぁ、残念無念また来年だね。

 

 表彰式のあと僕は個人的に桜さんに賞賛の言葉を述べた。

 

 どうやら彼女は中学時代クイ研だったらしい。文章を書くのも好きだったみたいで、高校の方では文芸に興味が湧いたからそっちに言ったらしいけど、元クイ研じゃぁ強いのも無理ない。

 負け惜しみをいうわけじゃぁないけど、相手が悪かったな。

 

 でも、なかなか楽しかったよ。古典部のアピールもできたし、満足すべき時間だった。さぁて、次は……

 

「おい、福部」

 

 谷くんだ。

 

「やぁ、惜しかったねお互いに」

「だな、引き分けってとこだ」

 

 別に僕は君と勝負してるつもりは無いんだけどなぁ。僕は愛想よく答える。

 

「そうだね」

「それより、決勝が始まる前に言いかけた、《面白い話》だが……」

 

 あぁ、そんなことも言ってたな。減るもんじゃないし、聞いてあげよう。

 

「そうだったね。囲碁部がどうかした?」

「碁石がいくつか盗まれた?」

「なくなったんじゃなくて、盗まれたね。どうしてそう言いきれるの?」

「碁笥に犯行声明が入っていた」

 

 谷くんはニヤリと笑った。

 

「碁石なんか盗んで、どうしようって言うのかな?」

「そりゃあもちろん、五目並べでもするんだろ」

 

 あまり面白いジョークには聞こえないなぁ。それに《面白い話》ってのがこれで終わりなら、わざわざ引っ張った程じゃないな。

 

「囲碁部の人の冗談じゃない?」

「まぁ、そうだろうな。ところで福部、お前これからも大会に出るつもりだろ?どこに出るんだ?」

「明日のお料理研、《ワイルドファイア》かな」

「OK!この勝負の白黒はそこで付けよう。()()()()()()!」

 

 大いに一人で盛り上がった谷くんは、そう言って行ってしまった。

 

 気づくとグラウンドにはほとんど人は残っておらず、僕の校舎に向かって歩き出した。

 

 さぁて、みんなはどうしてるかな?

 

 

 

 ()()……ね。

 

 

 

 【氷菓完売まで あと百七十五部】




次回《嵐の始まり》




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第四話 夕べには骸に

 お気に入り130&UA6000突破ありがとうございます! 


 評価を頂きました!

 10評価 綱渡手九さん
 9評価 火焔人さん、真秋なむさん
 3評価 ナコトさん

 ありがとうございました!


 また、評価バーに色がつきました。
 その為か…昨日今日でお気に入り数を60近く頂きました。
 これが評価バーの力か…!!!素晴らしい!!!

 これからも応援よろしくお願いします!!
 



 ♦︎02

 

 

 大人しくはしてようと思った。でも、我慢できない時だってある。

 

 事の発端はお客さんの足が途絶えた数分間にあった。河内先輩が湯浅部長にこう言ったのだ。

 

「やっぱ敗因はこの部室が地味なのよねぇ。だぁれもこないじゃない。ねね、今からでもポスターでも貼って雰囲気変えてみようよ」

 

 私には、河内先輩が言うほど客足が悪いとは思わなかった。文集の《ゼアミーズ》だってそこそこ売れている。

 ただ私が気に食わなかったのは、河内先輩とその取り巻きが雰囲気の変更を強いるように湯浅部長を囲んだのだ。

 湯浅部長は微笑を浮かべながら

 

「うん、でもこの方向で行こうってみんなで決めたことだし……」

「多数決をとったわけじゃないでしょ?大体誰が来るのよこんな硬っ苦しい雰囲気の部室に。そもそもなによこの文集……漫画の百本レビュー?こんなのウケるわけないじゃない!!」

 

 この言葉に私は少し苛立ちを感じた。『ウケるわけが無い』……今日の文化祭に備えて部員全員で協力して作った文集に対して、河内先輩は批判の弁を述べたのだ。

 そもそも河内先輩のグループは《ゼアミーズ》の作成に非協力的だった。しかし、取り巻きはともかく河内先輩自身はせっせと面白いコラム記事を書いていたというのに、なぜ当日になってそんなことを言うのだ。

 

 私がそう考えているうちに、河内先輩のトゲのある言葉が続く。

 

「そもそも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()んだからさ、面白いだのつまらないだのを主観的概念でレビューをしたって意味なし。無駄よ無駄」

 

 河内先輩は私を見たあとに、唇を尖らせた。なに?

 

 確かに河内先輩に反論を述べたことのあるのは私だ。つまり、今河内先輩は私を挑発してる?

 

 ……

 

 ふくちゃんは信じてくれるかなぁ。ふとそんな事が頭をよぎった。信じてくれないだろうなぁ。

 ごめん、ふくちゃん、ちーちゃん、折木、南雲。

 

 委託販売の為に、漫研では大人しくするつもりだったんだけどな。

 私は席から立ち上がり、河内先輩の近くまで移動したあとに口を開いた。

 

「意味が無いって、どういうことですか?河内先輩。」

 

 私の言葉を聞くなり、河内先輩は先程まで詰め寄っていた湯浅部長に背を向け、薄く笑いながら言ったのだ。

 

「言葉の通りよ。面白いとかつまんないなんて言うのは無駄」

「言葉の意味はわかります。ですが、なぜそうなるのかは分かりません。私達がこの《ゼアミーズ》にかけてきた時間は少なくはありません。頑張ったから認めてほしいという訳ではありませんが、そんな簡単に切り捨てるなら、それに見合った理由を言ってほしいんです」

 

 私は今苛立っている。加えて、河内先輩は余裕の表情のまま私を見つめていた。

 傍から見れば、私の方が間抜けに見えるのは歴然だろう。

 

「ごめんね伊原。無意味だって言うのは間違ってた。私は、《積極的に有害》だって言いたかったの」

「どういうことです?」

 

 河内先輩は両手を大きく広げ、演説をするように口を開いた。

 

「だってさ、漫画のすべてが名作になりうる可能性があるのよ。千人中九百九十九人が駄目って言ったってね、誰かの《私の心の一冊》になるの。それなのにこの文集は個人の主観を否定してる。偏見を撒き散らかしてるだけでしょ?だから有害なのよ!!」

 

 私は唾を飲んだ。

 

 河内先輩の今の言葉には決定的な弱みがある。それに本人が気づいているかはわからないけど、私はそれを指摘することにした。

 私は口を開いた。

 

「先輩は『どんな漫画も主観次第では名作になりうる。だから、これは悪い作品だと言うのは無意味どころか有害でさえある』と、いいたいんですよね?」

「うん。そういってるの」

 

 河内先輩の余裕の表情は未だに崩れない。私は極力穏やかな声で言った。

 

「でしたら、『どんな漫画も主観次第では駄作になりうる。だから、これは良い作品だと言うのは無意味どころか有害でさえある』と、言うことにもなりませんか?」

 

 河内先輩が自分で作った矛盾。これに先輩がノーと言ったのなら、先輩は自分の意見を自分で否定することになる。

 しかし先輩の表情は変わらずに、言った。

 

「その通りよ」

「……っ!!?」

 

 あたりがざわめいた。

 

「だってそうでしょ?つまらないってのは漫画がつまらないって意味じゃない。その漫画の面白さを感じるアンテナが低かったことを『つまらない』って言うんだって。だから『つまらない』って言えない腰抜けさんたちは、『自分に合わなかった』って言い換えるんでしょ?これが結論よ。面白い漫画ってのは漫画自体が面白いって意味じゃないの。それを感じる個人のアンテナの高さ低さがそれを決めているのよ」

 

 違う。そんなことは無い。

 《名作は名作として生まれてくる》ものなのだ。面白いと感じるアンテナが低かった、高かったなんて理由で決められるものではない。

 私は最初、河内先輩が《ゼアミーズ》を貶した事で反論した。だが、今はそれ以前の根本的なところで河内先輩に苛立ちを覚えている。

 負けるもんか……。

 

「じゃぁ先輩は、この世に名作や傑作は存在しないって言うんですね?漫画だけに留まらず、音楽や芸術にも名作や傑作と呼ばれているものはあります。先輩はそれら全てを否定するんですか!?」

 

 先輩の声は落ち着いていた。

 

「そんなことは言ってないでしょ?名作はありうるよ」

 

 尚も続ける。

 

「長い年月、たくさんの鑑賞者。そういうものの篩にかけられて、《普遍性を獲得した者》のことを名作と呼ぶのよ。だから、私たちが漫画評論なんて馬鹿げてるのよ。与えられたものだけを見て、ヘラヘラ笑ってればいいの。」

「なら先輩は……!先輩は、漫画を読んでいて名作の予感だとか、才能の鱗片を感じないんですか?」

「くどいね伊原。感じないに決まってるじゃない。それこそあんたの主観よ」

 

 河内先輩の目付きが鋭くなった。多分私も先輩を睨んでいる。

 

 私は切り札を出すべきだと確信した。先輩が貶した私の切り札を出し、先輩を否定するべきだ。

 

「違いますよ先輩。それは単なる経験の問題です。先輩はそう感じる作品に出会ったことがないんです」

「へぇ、言ってくれるじゃない。」

「先輩の言い分だと、私が《遊び》で描いた漫画と、他の人間が《本気》で描いた漫画は等価ということになります。そんなことは絶対にありません。私の漫画がそれに並んでいるなんて絶対に言えないようなものがあります。なんの淘汰もされないような」

 

 私は続ける。

 

「例えば先輩。去年の文化祭で売り出されていた《夕べには骸に》という文集をご存知で?」

 

 いつの間にか、先輩の顔からは余裕は消えていた。先輩は短く答える。

 

「知らないわよ」

「じゃぁ明日持ってきます。それでも納得してもらえないようなら、私にはもう言う言葉がありませんから」

 

 私は大きく深呼吸をした。

 

 これで《氷菓》の委託販売の件は切り出せなくなってしまった。

 私はクルリと振り向き、その光景に反射的に声を発した。

 

「なにこれ」

 

 漫研のブースが満員になっていたのだ。それも、私と河内先輩を囲んだ状態で……。

 私がギャァギャァ言ってるのも見られてたってこと!?

 

 私は辺りを見渡すと、お客さん達は目を逸らし、《ゼアミーズ》を購入していく。

 

 確かに言葉が悪かった部分はあったけど、目をそらす必要ある?

 

 危険物扱いじゃない。

 

 漫画だったら、私のこめかみからは青ざめた表現がされているだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 ♥02

 

 

 

 【必見!!ただいま決戦中!!乙女の闘いin漫研。漫画論熱論中。(キョンシーVS両性体)】

 

 私と南雲さんは占い研究部の十文字さんに《氷菓》を購入してもらったあとから共に行動しました。

 一日目の終わりも近かったので、伊原さんの様子を見に来たのですが、なんでしょうこのポスターは?

 

「乙女の闘い?なんじゃこりゃ」

 

 南雲さんは言います。すると、扉から一人の女子生徒が飛び出してきました。漫研部長の湯浅先輩です。

 

「あの、これ……」

 

 ポスターを指さして聞くと、湯浅先輩は緩やかに微笑みながら

 

「今日はもう終了です。明日の午前中にもう一度やります。是非来てくださいね。漫画研究会をよろしくお願いします。」

 

 はぁ……。ええと

 

 古典部もよろしくお願いします。

 

 私と南雲さんはペコりと頭を下げました。

 

 

 

 

 ♠︎03

 

 

 

 文化祭一日目の終了が近づいてきた。

 

 里志、千反田、ハルはたまに顔を見せに来たが、伊原に関しては朝見ただけだな。

 

「で?どうだった僕のマイクアピールは!?」

 

 里志がヘラヘラしながら聞いてきたので、短く答える。

 

「良かったぞ。あの後の客足はなかなかのものだった」

「ほんと!?じゃぁ明日の《ワイルドファイア》も頑張んなくちゃ!!」

 

 だが実際、里志のマイクアピールは大したものだった。宣伝効果も馬鹿にならないな。

 俺としても、客足がいいのは嬉しいことだ。

 

「《ワイルドファイア》って、あの三人一組のやつ?」

「えぇ!?三人一組!?ほんと!?」

 

 里志はしおりを巾着袋から取り出し確認をしている。総務委員会がイベントを把握していないのは頂けないな。

 

「ハル、お前はどうだった?」

「ん?あぁ、さっき生徒会室に行ったら五部売れてた。訪問販売の方も八部。合計十三部だ」

「ハル、生徒会室に《氷菓》を置いていたらしいね。それは総務委員会としては見逃せないな」

 

 里志がハルに不敵な笑みを浮かべながら詰め寄る。

 ハルは里志をジト目で見たあとに言った。

 

「うるせぇ。生徒会室の《氷菓》を撤去して困るのはお前もだろ。この際だ、手段は選ばねぇ」

 

 ハルも最近になってよからぬ事を考える輩になったな。古典部でいつまでも純粋無垢な心を持っているのは俺だけということか。ああ神よ、彼らの心を浄化したまえ。

 

 一方千反田は沈んでいる。

 

「すみません皆さん。私はうまく出来ませんでした」

「気にするな」

 

 正直千反田には期待していなかった。いや、この言い方には語弊がある。既にイベントが始まっているにも関わらず、売り場の増加は望めない。

 ハルが獲得した生徒会室が運が良かっただけだろう。

 

「あっ、でも気になることがあったんで……むぐ」

 

 千反田が恐ろしいことを言いかける前に、ハルが千反田の口を塞いだ。グッジョブ。

 ハルは続ける。

 

「なぁ、千反田。今はそんなにことしてる余裕はねぇぞ?」

 

 千反田はハルに口を塞がれたまま俺が箱にしまった《氷菓》の在庫を見る。ハルが口から手を離すと、千反田は言った。

 

「そうですね、私、気になりません」

 

 大変よろしい。

 

 一方伊原だが、妙にぶすっとしている。それはいつもの事だ、と言えばどうしようもないが。どうも何か考え事をしているようなので、取り敢えず聞いておこう。

 

「伊原、漫研ではなにかあったのか?」

「なんもない!!!」

 

 怒鳴られてしまった。

 

「で?ホータローはどうだった?部室の方の戦果の方は」

 

 里志のそう問われたのでら背もたれに寄りかかりながら答えた。

 

「ハルと同じく十三部だ。つまり、合計二十六部」

 

 この滑り出しは上々だ。

 販売用二十四部というのを、既に一日目の時点でクリアしているのは素晴らしい。

 それに本番は土曜日だ。

 

 しかし俺はそれを口にしなかった。言えば伊原への皮肉になりかねない。

 

 あと二日……一体どうなることやら。

 

 チャイムが鳴った。神山高校文化祭、一日目、終了。

 

 

 【氷菓完売まで あと百六十四部】




次回《夜の情景、朝の風景》




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第五話 夜の情景 朝の風景

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 JOKER06

 

 

 

 文化祭一日目が終了した夜。唐突に携帯電話が鳴った。いや、予期しての電話などないのだが。

 俺は携帯電話を中々使わない人間なので、最初になった時こそそれが何処にあるのか探し、制服の内ポケットから携帯を取り出す。

 

「もしも〜し」

『やぁ、僕だよ僕』

「俺にまだ息子はいないぞ」

『その返しはちょっと面白くないなぁ……』

 

 やかましい。

 電話の主は里志だった。まぁ携帯が鳴っているときに画面に表示されていたので事前には分かっていたが。

 俺は飄々とした口ぶりの里志に聞く。

 

「それで、どうした?」

『そうそう、明日の文化祭なんだけどさ、ハルに是非出て欲しいイベントがあるんだけど、どうかなって?』

「イベントねぇ」

 

 俺は目立つことがそれ程好きな部類ではない。出来れば人前には立ちたくはないし、授業での発表なんかは妙に緊張する。

 だが里志のいうイベントが人前に立つものと判断するには早すぎる。俺は声質を低くしながら言った。

 

「そのイベントによる」

 

 俺の嫌々の声を聞いたからか、里志は電話の向こうで軽く笑った。

 

『クイズ大会だよ。クイ研主催の《神高クイズタッグ》。決勝まで生き残れば、それなりに目立つ』

「クイズ大会だと?お前がでろ。俺が勝ち抜けるわけないだろ」

『ハルならそういうと思ったよ。けどね、ホータローも言ってたろ?宣伝効果は馬鹿にならない。もう一度決勝に進出して、《氷菓》をアピールするんだ。次いでに《氷菓》を何部か持ってさ、その場で表紙なんか見せれば客足は今日の僕以上に伸びると思うんだよね。それに僕は明日お料理研の料理大会に出るんだ。時間がかぶってクイズタッグには出られないんだよ』

 

 『はぁ』と俺は深くため息をつく。こいつは何もわかっちゃない。

 

「俺はお前みたいに博識じゃない。適材適所だ。お前がクイズ大会、俺が料理大会に出る。」

『料理大会はハルにとって適材適所なのかい?』

 

 む。

 

「はぁ……仕方ない。手を打とう」

 

 『はは』という嘲笑が聞こえてから、里志は言った。

 

『決まりだね。僕がお料理研、君がクイ研だ。ああ、あとクイズタッグは二人一組の大会だから相棒がいないとね』

「な、おい待て。お料理研には確かお前と千反田と伊原で出るんだよな?奉太郎は店番だし、他に誰を誘えってんだ」

『大丈夫さ。いい人材を今日見つけたんだ。その人は僕より君との方が仲がいい』

「誰だよ」

 

 里志は少し間を置いてから、少し興奮したような口調で言った。

 

『今日のクイ研主催の大会《神高クイズトライアル》の優勝者さ!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ?01

 

 

 

 ここが神山高校かぁ。見たところは普通の学校だけど…文化祭、盛り上がってるなぁ。

 ここに()()()()()がいるのか……。

 

 たしか部活は……

 

 

「古典部……」

 

 

 

 私は、そっと呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 ♦︎03

 

 

 

 《夕べには骸に》は、短編漫画が三本ほど入った短編集だ。

 

 題名に怖い字が入ってるけど、これはもちろん蓮如の《明日には紅顔ありて、夕には白骨となれる》という言葉をアレンジしたものだろう。

 古色蒼然とした昭和を舞台に、美しいものや懐かしいものが変容していく必然性と、それへの悲しみが描かれている一方で、女子高生のプラトニックな恋が語られてもいるエンターテインメント作品だ。

 中学三年生だった頃、ふくちゃんと一緒に行った神山高校文化祭でこれを見た時には、言葉が出なかった。

 台詞回しやストーリー展開の味わい深さが印象的で、それを個性で神経の行き届いた絵が支えている。

 

 また、ここぞとばかりに挿入される一枚絵。私はそれに打ち勝つ絵を商業作品を含めたとしても出会ったことがない。

 

 私はすっかり心をやられてしまった。

 私が同人誌に心を打たれたのは今までで二回。一つが《夕べには骸に》。そしてもう一つが全然関係のない即場会で購入した《ボディートーク》。

 この二つの宝物でどちらかを選べと言われたら私は苦渋の決断で《夕べには骸に》を上げるだろう。

 

 河内先輩の理論を破るには、趣味を超えて、万人が素晴らしいと思える作品を提示する事が絶対条件なのだ。私はその作品に《夕べには骸に》を選んだ。

 

 神高に合格が決まった時こそ、私は漫研に入ることを決意した。《夕べには骸に》の作者に出会えると思っていたから。

 しかし、《夕べには骸に》の作者を知っている人は、漫研には誰一人としていなかった。

 

 

 

 

 

 神山高校文化祭の二日目の朝。私はひどく落胆して登校した。

 出席確認のセレモニーの前に、私は漫研へ足を運ぶ。

 河内先輩は既に来ていた。タキシードを着込んでいる。男装のムエタイ使いだろう。

 

 先輩は私に気づくと、こちらに寄ってきた。ちなみに私も昨日とは違うコスプレをしている。エスパー魔美だ。

 先輩は私の胸についたブローチを見ると、言った。

 

「仁丹は飛ばせるの?」

「いえ、見た目だけです」

「おマミをやるなら髪型も工夫して欲しかったね」

 

 一瞬の沈黙。

 

「で?あったの《夕べには骸に》は」

 

 一度昨日言っただけなのに、先輩が覚えていることに驚いた。

 昨日余裕の表情を見せていた先輩も何故だか今日は顔が張り詰めている気がする。

 私は大きく息を吸って肝を構えると、言った。

 

「すみません。ありませんでした」

「はぁ?」

「夏休みに田舎に持って帰ってしまったみたいで」

 

 そう、昨日の夜更かししながら探した私の宝物、《夕べには骸に》は見つからなかったのだ。

 心当たりは全部探した。本棚はざっと十回は見返したし、全然関係の無い場所まで探した。

 《夕べには骸に》はふくちゃんにだって見せてない。誰にも貸した覚えはないのに。

 

 多分夏に部屋を整理し、父の古本を実家に送った時に、紛れ込んでしまったのだろう。

 

「へぇ。なかったんだ」

 

 先輩の頬が緩んだ。河内先輩の取り巻きの、ニヤニヤ顔が勘に触る。そのうちの一人が私に向かっていった。

 

「伊原あんたさぁ。昨日あれだけ偉そうな口叩いといて『ありませんでした』で済ますつもり?」

「そうだよねぇ。もうちょっと謝り方ってのがあるんじゃない?」

 

 私は彼女らを無視する。これは私と河内先輩の問題だ。彼女が謝れというのなら、土下座でもしよう。

 しかし河内先輩は短く答える。

 

「そ、じゃぁポスター手伝って」

「ポスター、ですか?」

「うん。萌えるやつね。私ちょっと出てくるから」

 

 河内先輩はそういうと、身を翻して行ってしまった。

 取り巻きも先輩の反応は予想外だったようで、軽く混乱している。

 

 かく言う私も、その場に立ち尽くしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 JOKER07

 

 

 

 昨日より早く学校についた俺は、一年B組の下駄箱の近くに寄りかかりながら《彼女》を待っていた。

 様々な生徒や教師陣、コスプレイヤーを目で送り、時折通る友達とも手を挙げ「おはよう」という挨拶を交わす。

 

「な、南雲くん?」

 

 《彼女》、桜は俺が話しかけるより先に、俺に話しかけてきた。

 

「よう桜。おはよう」

 

 桜の格好はいつもと同じで、セーラー服の上からピンク色のカーディガンを羽織っている。

 そしてその隣には、いつも桜と一緒にいる俺と同じくらいの背の女。倉沢凪咲が立っていた。

 

「う、うん。おはよう。どうしていつまでも下駄箱にいるの?」

 

 俺は軽く頭をかくと、言った。

 

「お前を待ってた」

「え、えぇ!?」

「南雲」

 

 倉沢は俺に話しかける。そう言えば……こいつと話したことってないな。

 俺は視線をオロオロしている桜から倉沢に移した。

 

「なんだよ」

「告白?」

「ちょちょちょナギちゃん!?何言ってるの!?」

「いや、違うけど」

「ち、ち、ち、ち、違うよね!?!?そうだよね!?!??……あはは……」

 

 桜のツッコミ凄いな……ポンポンポンポン出てきてるじゃん。古典部にも一人欲しいよ。

 そう考えながら、俺は再び桜に視線を戻した。

 

「桜」

「はい!」

「俺と一緒に今日の《クイズタッグ》、出てくれないか?」

「へ?」

 

 

 

 

 

 

 

 ♣︎04

 

 

 

 僕は出席確認が終わると、すぐに体育館を飛び出した。

 

 見たい出し物があるからじゃない。こう見えても総務委員会で、総務委員会は文化祭全体を円滑に進行させなくちゃならないから、結構忙しいんだ。

 ハルが所属してるクラス委員にもそういう義務はあるべきだと思うんだけど、彼らの仕事場はクラス内だ。学校全体に関わってくる文化祭でやることと言えば、閉会式の暗幕を下げることくらいだ。

 僕は総務委員会本部の会議室をノックし、中に入る。

 

「福部です。仕事はありませんね。では失礼します!」

 

 全く無念だよ。総務委員会のため、ひいては神山高校のために働けないのは……。僕は再びドアノブに手をかけたところで、呼び止められた。

 

「まて、福部。やることはあるぞ」

 

 えー。

 

「なんだその嫌そうな顔は」

「いえ、貢献の機会が与えられて光栄ですよ。《田名辺治朗》先輩」

 

 室内にいたのは彼一人、ホワイトボードに貼られたスケジュール表と睨めっこしている。

 まぁ実際、今日の本命は十一時半からのお料理研だし、それまでに終わるならいいや。

 僕は言った。

 

「で、なんです?十一時半までに終わるなら、たとえ火の中水の中、神高の中」

「すぐだよ。来賓用の靴袋を各昇降口に二袋ずつ頼む」

 

 確かにそんなに時間がかかりそうにないね。

 僕と田名辺先輩は共に《カンヤ祭の歩き方》を作成した仲だ。ふと、話しかけてみる気になった。

 

「先輩は文化祭見て回らないんです?」

「なんだかんだで雑用があるからなぁ。ああでも、二年F組の《万人の死角》は面白かったぞ」

 

 おお、それに関しては僕達にとっても嬉しい話だ。

 

「でも、イベントにはエントリーできませんよね」

 

 先輩は笑いながら言った。

 

「総務委員でなくても、多分やってないと思うぞ。お前と違って俺は無芸無趣味だからな」

 

 僕は僕自身を多芸多趣味と思ったことないけどなぁ。

 

「で、何か面白い話でもあったか?」

「面白い話ですかぁ……」

 

 僕は少し頭を悩ませ、一番最初に出てきた話題を口にした。

 

「囲碁部に怪盗が現れたらしいですよ」

「ほう?」

「碁笥からいくつか碁石が盗まれたって。犯行声明もあったらしいです。まぁ、ただのイタズラでしょうけど」

「ほぉう?」

 

 少し意外だったのが、この手の話題に田名辺先輩がいい相槌を打ってくれたことだ。

 ハルやホータローにもこれくらいいいリアクションをして欲しいよ。

 

「そうか……囲碁部でもか……」

 

 僕は少し前のめりになった。今聞き捨てならないことを聞いた。

 

「《でも》、とは?」

「アカペラ部の岡野から聞いたんだが、クーラーボックスからドリンクが盗まれたらいぞ。犯行声明も残してな」

 

 これは……ちょっと面白いぞ。少なくとも昨日谷くんが話してくれた段階よりかは何倍も面白い。

 この神山高校を舞台に《怪盗事件》が起きているなんて!

 

 なかなか面白い冗談を飛ばすやつがいるもんだ!

 

 ふむふむ。そうなると、これから僕がどう動くべきか?

 

「どうした福部。ニヤついて」

「いやぁなんでもありませんよ!」

 

 この一件をネタにするのはまだ早い。

 

 怪盗事件が起きてるとはいえ、怪盗くんの意気込みがまだ分からない。もしこれ以上被害がなくなったら馬鹿を見るのはこっちだ。

 それにこの話題はそれほどまで有名じゃない。他人が乗ってくるのかどうかは僕の興味の埒外とはいえ、踊るにはまた笛の音が小さい。

 

 よし。ま、今は靴袋だな。

 

「じゃあ、僕は仕事をしてきます!」

「おう。頼んだぞ!」

 

 僕を激励した田名辺先輩は、再びスケジュール表と睨めっこを始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ♠︎04

 

 

 

 

 

 今日こそ頑張ります。と言い残し、千反田が出ていく。

 

 今日も店番の始まりだ。

 

 しかし、店番がこれ程まで暇だとは正直予想外だ。

 無為やのんびりは俺の好みだが、退屈は専門外なのだ。釣り用の小銭が置いてあるので席は立てないし、それに気を使う割には客は来ない。

 先程ハルが氷菓を三十部持って出ていったが、そんなに売れるものなのかねぇ。『アテはある!』と言っていたが。

 

 取り敢えず《氷菓》を並べた。十部も積んでおけば、格好は立つだろう。

 

 客が来た。知らない男子生徒だ。徽章を見るに、二年生だろう。

 

「やってる?」

 

 なんと幸先のいい。愛想だ愛想。

 

「やってますよ」

 

 うーむ。違う。どうやら俺は愛想という言葉を形容出来ないようだ。人には向き不向きがある……俺は不向きということだろう。

 二年生は《氷菓》の前まで移動してくると、言った。

 

「これ?カンヤ祭の語源が乗ってるっていう文集。立ち読みしていい?」

「ダメです」

「二百円だろ?」

「二百円です。買ってください。余りまくって泣きそうなんです」

 

 二年はそういうと笑いながら二百円を俺に渡した。一部お買い上げありがとうございました。ん?

 

「先輩、社会の窓開いてますよ」

「え、嘘!?」

 

 先輩はそれに気づくと片手で隠す。

 

「いや〜ん。見ちゃだめぇ〜!!」

 

 ……

 

「もっといい反応しろよなぁお前。しかし参ったなぁ。今日一日くらい持つと思ったんだが……」

 

 それはお気の毒に。ん?まてよ、若しかしたら。

 

 俺は机の中をガサゴソ探ると、昨日被服研究会の人間から貰ったワッペンを取り出した。これは安全ピンで簡単に取り付けできる。

 

「これでどうですか?」

 

 差し出すと、二年は天からの恵みのような顔でそれを受け取り、言った。

 

「うぉぉ。すげぇなお前、よくこんなもの持ってんな。ナイスだぞ、サンキュ!」

 

 すると、彼はなにか思いついたかのような顔で腰のうしろに手を回す。取り出されたのは、なんと拳銃だった。

 

「やる」

「銃刀法違反ですよ」

「あほか。水鉄砲だよ。園芸部で焼き芋をやってるんだが、火の消化にバケツを使うんじゃ味気ないだろ?」

「じゃぁこれ、いるんじゃないですか?」

「いるもんならやらねぇよ。そいつァサブウェポンだ」

 

 さいで。というか、古典部に水鉄砲とは。ワッペン以上に使い物にならないのでは?とんだ《わらしべ長者》だな。いや、《わらしべプロトコル》とでも言った方がいいのか?

 

「じゃぁな。サンキュー、一年」

 

 二年はやけに威勢よく地学講義室を出ていった。残された拳銃をした俺は、軽く呟いた。

 

「グロック17……か」

 

 くるりと回し、ポケットにそれを突っ込んだ。

 

 ……

 

 水入ってるじゃねぇか!

 

 

 【氷菓完売まで あと百六十三部】




次回《女帝の秘策》




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第六話 女帝の秘策

 お気に入り150&UA8000ありがとうございます!

 評価を頂きました!

 10評価 芦尾同斬さん
 8評価 ギリギリチャンバラさん

 ありがとうございました!!


 ♥03

 

 

 今日こそ頑張ります。

 南雲さんは昨日訪問販売で八部、委託販売で五部も売り上げたそうです。南雲さんにはもしかしたら、交渉術の才能があるのかも知れませんが、私も負けてられません。

 

 わたし、昨夜色々考えました。

 耳に入ってきた噂で、二年F組制作のビデオ映画が人気を呼んでいると聞きました。

 そのビデオ映画の指導的な役割を果たしていた《入須冬実》さんとは、私は面識があります。

 人気のあるビデオ映画の上映場に、私たちの《氷菓》を置いていただけるなら、売り上げも期待できるでしょう。

 

 頑張ります!!

 

 二年F組に着いた私は、運がいい事に入須さんをすぐに見つけることが出来ました。私は声をかけます。

 

「おはようございます、入須さん」

「ん?ああ、えるか」

 

 入須さんは私に気づくと、すぐ側まで来て下さり、私が声を発する前に言いました。

 

「お前達古典部のおかげで映画は大成功だ。改めて礼を言わせてもらう。本当にありがとう」

「いえ、私は何もしていませんから。南雲さんと、折木さんが頑張ってくれたからです」

「ふっ、古典部の連中は自分を過大評価しないんだな。それで、私に何か用か?」

「古典部の文集を二年F組で売って頂けませんか!?」

「ん?すまない……意味がよく理解できないのだが……」

 

 ああ、いけない。また肝心な説明を省いてしまいました。私はかくかくしかじかと説明します。うんぬんかんぬんと説明します。

 

「なるほど、二百部か、多いな」

「私たちはなんとかして《氷菓》を完売させたいんです。わたし、わたし」

 

 いけません。入須さんが力になってくれると思うと、言葉が出なくなってしまいます。

 

「分かった。定価から値下げして百五十円で、二十部渡せ。五十円のパンフレットと売る」

「ひ、引き受けてくださるんですか?」

「なぜ驚く?」

「あ、いえ。ありがとうございます!」

「礼は売れてからだな」

 

 不思議です。入須さんが力になってくれるだけで、こんなにも安心感があるなんて。

 でも、いきなり二十部をお渡しして、二年F組のご迷惑にならないでしょうか?

 

 不安が顔に出てしまったのか、入須さんは付け加えました。

 

「多分、今日中にはける。そしたら、追加を持ってくるといい」

 

 入須さんは腰に当てていた右手を、私の方に差し出してきました。なんでしょう。

 私はその手の上に自分の手を乗せます。引っ込められてしまいました。

 

「?」

「誰がお手をしろと言った。お前は犬か。見本を持ってきているだろ?」

 

 見本?私は顔を横に振ります。入須さんは浅く溜息をつきました。

 

「今の場合はいいが、もしこれから文集を売るつもりなら、現物を持っていけ。説得力が違う」

 

 な、なるほど。そういえば南雲さんは氷菓をいつも丸めてポケットに入れていた気がします。

 あれは見本だったのでしょう。

 

 この時私は思いました。昨日文集の委託販売を田名辺さんに断られてしまいましたが、もし入須さんが行っていたらどうだったのでしょうか?断られなかったかもしれません。

 そうです。わたし、昨日みたいではダメなのです。

 

 意を決して、私は入須さんに再び頭を下げました。

 

「入須さん!私にモノの頼み方を教えてください!」

「は、はぁ?」

 

 入須さんらしくない、慌てたような声でした。私は続けます。

 

「南雲さんも私と同じように、あちらこちらを回って氷菓を販売してるんです。昨日は南雲さんは十三部も売り上げてらっしゃったのに、私は一部も……。私、千反田家の息女として、もっと交渉の術を学びたいんです!」

 

 そう言うと入須さんは微笑み、ゆっくりと言いました。

 

「そうだな、お前の頼み方はあまりにもストレートすぎる。人に物を頼むという行為は二種類に分けられる。一つは、見返りのある頼み事と、もう一つは、見返りのない頼み事だ。そして見返りのある頼み事の場合、相手を信用してはいけない」

「え?」

 

 落ち着いた話し方でしたが、入須さんの声は私の魂の震央まで響き渡りました。

 

「長い付き合いにならない場合は、相手は十中八九手を抜く。だから、見返りを用意した場合は、相手が自分の頼んだ仕事をやってくれると思わず、作業量などに十分な余裕を持たせる。相手が動かなかった場合も考えて、予備の計画を用意するんだ。それが嫌なら、相手にもリスクを負わせる。だが、文化祭内と考えると、信を置くに値するのは後者。見返りのない頼み方だ。その場合、相手を動かすのは精神的満足だ。お前が今すぐにでも使えそうなのは、《期待》だろう。いいか、相手には《自分の他頼る者がいないのか》と思わせるのがコツだ。そうした人間は、実に簡単に尽くしてくれる。一つ注意することと言えば、自分への見返りをあまり大きく見せてはいけない。自分の手助けで他人が莫大な利益を得たりするのをよく思う人間はあまりいないからな。自分には些細なだが、相手にはそこそこ大事だな、というラインで攻めるのが重要だ。あと……」

 

 入須先輩は、自分の口元に人差し指を置きます。

 

「出来れば、人目のないところで、異性に頼むことだ」

 

 頭がパンクしそうです。すぐに飲み込むことは難しそうです。

 

 いけません。私はやらなくてはいけないんです!

 とにかく入須さんにお礼を言わなくてはなりません。

 

「あの」

「早く文集をもってこい。私も午後からは予定がある」

「予定?」

「《神高クイズタッグ》、それに江波と出るんだ。F組の映画の知名度上げにな」

 

 私はビックリしました。《神高クイズタッグ》。南雲さんが今日でるクイズ大会です。これは、凄いことになってきました。実現するかは分かりませんが、南雲さんと入須さんの対決……私、気になります。

 

 気づくと入須さんは早足で視聴覚室の方に戻って行きました。

 

 私は、後ろ姿に頭を下げました。

 

 ありがとうございました!入須さんの教え、無駄にはしません!!

 

 

 

 

 

 

 

 ♠︎05

 

 

 

 腹が減った。

 

 持ってきた小説は大層つまらなく、既にカバン中に放り込んだ。

 そろそろ十一時を回るところだ。まだ弁当というのにも早すぎるしなりそんなことを思っていたところ……

 

「トリック・オア・トリート!」

「いえー」

 

 妙なかけ後の連中が乱入してきた。二人ともジャック・オ・ランタンを頭に被っており、顔こそは見えないが声と背丈的に女であろう。両方とも白い布を纏い、バスケットを持っている。なんだ?

 

「とりっくおあとりーと!」

「いえー」

 

 もう一度繰り返す。トリック・オア・トリート……ね。

 

「お前らに渡す菓子はない。帰れ」

 

 一人が叫ぶ。

 

「げぇー、つめて」

「文集ならやる。二百円だ」

「うわ、いらね」

「何者だお前ら」

「製菓研究会の訪問販売でーす。クッキービスケットシュークリームはいかがでござんすか?」

 

 ……

 

「いらないと言ったら?」

「トリック・オア・トリート」

「いえー」

 

 ……不気味な連中だな。

 

「わかったわかった。ビスケットはいくらだ?」

「へへ、一袋百円でごさんすよダンナ」

 

 なんだその喋り方。俺は百円の代わりに《氷菓》を差し出す。

 

「なんですかいダンナこれは」

「文集《氷菓》。一部二百円。ビスケット二袋と物々交換なんてどうだ?」

「いらねってば」

「まぁまぁ、そう言わずに……」

 

 なんか俺までこいつらの話し方に似てきたな。

 仕方ない。俺が財布を取り出すと……

 

「なにこれかっちょいー!」

 

 俺と話してた方とは違うジャック・オ・ランタンが声を張り上げた。グロック17を片手に持ってだ。

 

「おー、なんでこんなの持ってんの?」

 

「あ、これ持って売りに行くのいいかも!」

 

 ただの不審者になるぞ?まぁ……

 

「今なら文集にそのハンドガン付けて、ビスケット二袋」

「え?くれるの!?じゃぁ」

 

 ジャック・オ・ランタンは二つのビスケットの他に、小さな袋を取り出した。

 

「カボチャの感謝の印にこれあげる」

「なんだこれ」

「いえー」

「いえー」

 

 奴らは俺の疑問に答えずに氷菓とグロック17を掴み部室をあとにした。頭が重いのかちょっとバカしふらついていたな。……転ぶなよ。

 

 さてさて、これは……

 

 薄力粉……ね。

 

 さらに使えないものになってしまった。

 

 俺は薄力粉とビスケットの一袋を机に押し込んだ。窓際に腰掛け、俺はビスケットの袋を破った。

 

 

 

 

 

 

 JOKER08

 

 

 

 

 十一時を回った。《神高クイズタッグ》まで、あと三十分と迫ったところで、俺と桜は開催場所に体育館に既にスタンバっている。

 桜に《氷菓》を二百部刷ってしまったと言ったところ、文芸部で委託販売を引き受けてくれた。ある事件の時以来、俺は文芸部の部長さんとも知り合いだったため、簡単に受け入れてくれて助かったよ。

 

 生徒会室の《氷菓》は既に売り切れており、十部を追加した。

 

 加えて、残りの十部を桜と協力して知り合いを当たり、手元には見本用の一部を残して完売した。桜には感謝してもしきれない。あとで園芸部の焼き芋でも奢ってやろう。

 あとで書道部にも行かなくちゃならないから、この大会が終わったら一度戻るか……。その後はどう動くか……。

 

 俺は辺りを見渡す。隣にいるのは大会に緊張する桜、周りにいるのは大会準備に勤しんでいるクイ研の生徒と、俺たち同様大会に参加するコンビ達だ。

 体育館には暗幕が垂れ下がっており、薄暗く外の気温より少し寒い。

 

 クイズが得意かと言われれば、分からないと答えるのが定石だろう。

 そもそも、クイズを本気でやったことが無いし、ましてや早押しクイズのボタンなんかも触ったことは無い。テレビでのクイズ番組では『あれかな?』なんて思ったりして、当たってることもあるから、手も足も出せないってことはないだろうけど……。それに

 

「頼んだぜ、《クイズトライアル》優勝者の桜楓さん」

 

 冗談めかして隣の桜にそう言うと、桜は答えた。

 

「ちょちょ、あんまりそういう事言わないでよ南雲くん……」

 

 その時、体育館のドアが開かれた。誰かが入ってきたのだろう。不意にそちらの方向へ視線を走らせる、と。

 

「んなっ!?」

 

 思わず声が漏れた。周りからも『うそでしょ』、やら、『勝てっこねーよ』とかの諦めの声が既に上がっている。

 そして俺も……無意識にそれを示唆した。

 

 入ってきたのは女子生徒で、明らかに他の生徒とは違う異彩を放つ四人の影。つまり二組。今は大会は始まっていないので分からないが、彼女らのチーム名はこうだった。

 

 

 一つ、チーム《二年F組》、入須冬実&江波倉子

 

 二つ、チーム《インテリ女子》、勘解由小路春香&十文字かほ

 

 

 隣で桜も『あわわわわわわ』と声を出している。

 

 

 そして……十一時半。

 

 

 

 

 

 

 グラウンド  

 

 

 

「ワイルドファイア……」

 

 

 

 

 体育館

 

 

 

「神高クイズタッグ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「「スタート!!!」」

 

 

 

 

 

 

 

 

 二つのイベントが、始まった。

 

 

 

 

 【氷菓完売まで あと百四十七部】




次回《ワイルドファイア》





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第七話 ワイルド・ファイア

 評価を頂きました。

 8評価 ユユヨさん。

 ユユヨさんには推薦も書いていただきました…嬉しい限りです!! 
 ありがとうございました!

 奉太郎「ま、感謝するのは《やるべき事》だからな。ユユヨさん、ありがとうございました」

 ハル「お前素直になれよな。ユユヨさん、これからもこの作品をよろしくお願いします!」


 ♣︎05

 

 

 

 《ワイルドファイア》が始まった。僕も頑張るから、ハルも頑張るんだよ!

 そう思いながら僕は、《神高クイズタッグ》が開始されているであろう体育館に目を向けた。

 

 《ワイルドファイア》に参加するチームは全部で四チーム。

 

 エントリーナンバー一番、チーム《あじよし》

 

 三年生男子のチームだ。爪が長いから、あんまり料理はしないのかな?

 

 エントリーナンバー二番、チーム《ファタモルガーナ》

 

 谷くんのチームだ。さっきも宣戦布告しに来たよ。どうやらB組の須原君っていう子が定食屋の息子で、このチームに入ってるらしい。

 まぁ、僕らは名前を売りに来たんだ。勝ち負けなんてどうでもいい。

 

 エントリーナンバー三番、チーム《天文部》

 

 このチームにはなんとあの二年F組の沢木口先輩がいる。こりゃぁファタモルガーナより手ごわいね。

 

 そして最後、エントリーナンバー四番、チーム《古典部》

 

 僕は力強く右拳を振り上げた。隣にいる千反田さんはどうしていいか分からないというふうに、見物客にお辞儀をしている。なかなか律儀だねぇ。

 

 摩耶花はどうやら漫研が忙しいらしくてまだ来ていない。でも大丈夫。《ワイルドファイア》は一チーム三人のメンバー順番で料理していく。摩耶花を大将にすればいいんだ。

 すると、ステージに立っているお料理研部長が大きな声で言った。

 

「ルールは先程説明した通りです。三品、作ってもらいます。食材は会場中央にあるカゴから早い者勝ちです!!もし無くなってしまっても、この神高内であったら補給を認めます。」

「では先鋒の皆さん、位置について……」

「じゃぁ行ってくるね」

 

 先鋒は僕、副将は千反田さん、大将は摩耶花だ。

 

「頑張ってください!福部さん!」

「ワイルドファイア、スタート!!」

 

 僕は、カゴに向かって走り出した。

 

 

 

 

 

 

 ♥04

 

 

 

 福部さんが確保した食材は、《米》、《煮干し》、《油揚げ》、《甘酢みょうが》、《豆腐》、《大根》、《長ネギ》、《じゃがいも》、《黒ごま》、《豚肉細切れ》、《甘エビ》、《片栗粉》です。調味料はそれぞれのチームの台に用意してあります。

 

 福部さんが鍋に水を入れ、沸騰させています。加えて味噌を溶かし始めました。これは、おみおつけですね。煮干しでだしを取っているのもグッドです。

 

 実況の方が福部さんを解説します。

 

『おおっと!!チーム古典部!!仕事が丁寧だ!』

 

 福部さんが次に用意したのは豚バラです。なるほど、おみおつけではなく、豚汁ですね。

 個人の持ち時間の二十分が経つ頃には、豚汁が出来上がっていました。

 

『さぁ!二十分経過!選手は交代してください!』

 

 福部さんが走って戻ってきます。第一声、こう言いました。

 

「た、頼んだよ千反田さん!」

「まかせてください!」

 

 パチィン!

 

 こんなに勢いよくハイタッチをしたのは初めてかも知れません。

 

 

 

 

 

 

 JOKER09

 

 

 

 《神高クイズタッグ》の予選が始まった。参加者数はざっと百人前後、つまり約五十チームいることになる。

 まずは人数を減らすためのマルバツ問題が始まった。ここまでは、昨日の《クイズトライアル》と同じだな。チームが三チーム残るまでこれを繰り返すらしい。

 

 読み上げ嬢がクイズを読み始めた。

 

 

『第一問、クジラの生む卵は縞模様であるか、〇か✕か!?』

 

 

 クジラの生む卵、これは……。俺は隣の桜をチラリと見る。

 

 桜も分かっているようで、俺たちはバツの方に向かって走り出した。

 

 クジラはそもそも卵を産まない。相手の心理をうまく使ったフェイク問題だ。

 

 今のは知っていたから良かったけど、こんな問題が立て続けに出てきたら……。こりゃぁ遠くから聞いていたとはいえ、昨日の《クイズトライアル》より問題は難しい。一筋縄じゃないかないってことか。

 

 面白くなってきたじゃん!!

 

 

 

 

 

 

 

 ♣︎06

 

 

 

 千反田さんの料理、すごい。速い!動きも速いけど、要領がいいって言うのかな。実況も注目している。

 

『チーム天文部副将沢木口!あれはなんだァァァァァァ!!!なんの料理……ていうか料理なのかァァ!?おおっとここで、チーム古典部副将千反田!!これは見事な桂剥き!!はやい!!はやいぞぉぉ!!』

 

 

 スルスルと大根が一枚の薄い紙のようになっていく。まな板には長ネギの青い部分と甘みょうがが既に準備してある。……おっと、千反田さんの動きが十秒ほど止まった。

 大慌てで動き出す。そうだよ千反田さん!ご飯だよご飯!!それにしても、いい不思議ちゃんぶりだね。やっぱり千反田さんだ。

 大慌てで米を研いでるいけど、これもなかなかのスピードと手際の良さだ!さすがは農家の娘!

 

『チーム古典部、米を研ぎにかかりますが……六リットルしかない水を惜しみなく使っています!米のうまさにリソースは惜しみません!

素晴らしい!!素晴らしいぞ副将千反田ァァァ!!!』

 

 実況もノリノリだ!水の分量が決まり、米を入れた鍋に火をかける。

 

『チームあじよし、二品目も一品目と同じ味噌汁だァァァ!!味噌汁尽くしか?味噌汁尽くしなのかァァ!?おおっとチームファタモルガーナ!いよいよ照り焼きが完成しようとしているぅぅぅ!!ああっと、チーム天文部副将沢木口!!料理から紫色の泡が出ています!!他の部員達は既に四つん這いになって絶望している!!!』

 

 千反田さんは米を炊いている間にほかの作業に取り掛かった。甘エビを手際よく袋から取り出すと、素早く頭の殻をとり、長方形の皿に先程剥いた大根で作ったつま、その上にエビを置く。隣の小皿にはわさび醤油。なるほど、甘エビのお刺身か!

 

 千反田さんの料理はまだ終わらない。ジャガイモを大きめのボウルの中に入れ、それをすり潰す。豆腐一丁を手の上に出し、すり潰したじゃがいもが入っている大きめのボウルに入れ、それを混ぜる。

 次いで、小さめのボウルに水と片栗粉を少々。水溶き片栗粉を作り、じゃがいもと豆腐のボウルに少しずつ加えながら、さらに混ぜる!

 

 フライパンに油を引き、キッチンペーパーでそれを引き伸ばす。フライパンが温まる前に、千反田さんはじゃがいもと豆腐の混ざった種を手で一口サイズに分け、フライパンに入れる。その上から醤油……、これはまさか!!

 

『チーム古典部!!あれは芋餅だァァ!!香ばしい匂いがこちらまでとどいてきているぞぉぉ!!チームファタモルガーナ、照り焼き完成!チーム天文部、謎の料理完成!!そして……!!』

 

 千反田さんは焼き終えた芋餅を丁寧に素早く皿に盛り付け、菜箸を置いた。

 

『チーム古典部、芋餅と甘エビの刺身の完成だァァァァァ!!おおっと、ここで副将戦は終了!!大将に変わってください!!』

 

 千反田さんは微笑みながらこちらに戻ってきた。

 

「どうでしたか?」

「いやぁ素晴らしいよ千反田さん。でも……」

「でも?」

 

 実況が叫んでいる。

 

『チーム古典部!大将が現れません!!ここまでは素晴らしいパフォーマンスでしたが、果たしてどうなるう!?』

 

「摩耶花さん、心配ですね。」

「う、うん。それもそうなんだけどさ。あれ……」

「ほえ……あっ!」

 

 僕はたった今千反田さんが善戦した古典部専用のキッチンを指さした。そこに残っているのは、桂剥きで削られた大根と、長ネギの切れ端しか残っていなかった。ほぼ生ゴミ同然だ。千反田さんが、ほぼ食材を使い果たしてしまった……。

 

 ははは……ごめん。摩耶花。

 

 

 

 

 

 ♦︎04

 

 

 

 

 

 

 漫研の仕事を終えた私は、部室を飛び出した。まず微かに聞こえてきたのは、南雲が参加してる《神高クイズタッグ》の実況だった。

 

『予選も残り十チーム!!決勝進出を決めるのはどのチームか!?』

 

 南雲が生き残ってるかは分からないけど、アイツはしぶとい。きっと生き残ってるに違いない。

 次に聞こえてきたのは、グラウンドで行われている今から私が向かう、《ワイルドファイア》の実況だ。

 

『さぁ!チームあじよし。デザートにリンゴを剥く構え!ん?なぜリンゴを角切りにしているのかァァァァ!!チームあじよし!!さぁ、チーム古典部の大将は未だに現れません!恐れをなして逃げたのかァァ!?』

 

 誰が逃げるか。

 

 階段を掛け下がった私は靴に履き替えるのも面倒で、上履きのままグラウンドまで走った。

 《ワイルドファイア》の人だかりから見えたちーちゃんが私に気づいて、実況の人に何かを言っている。

 

「おおっと!?あの私服の少女!あれが古典部の大将か!?しかし間に合うのかァァァァ!!」

 

 私服の少女?私は思い出した。そうだ、私コスプレをしているんだ。一気に体温が上がった気がする。

 

 ええい!どうにでもなれ!!

 

 私なふくちゃんとちーちゃんのそばまで駆け寄ると、ふくちゃんは声を上げて実況の人に聞いた。

 

「審判!遅れてきたチーム古典部の大将のために、若干の説明をすることをお許し願います!」

「短くね」

 

 と言ってくれた。ふくちゃんは早口で私に言った。

 

「右の鍋はご飯を炊いてる。もう蒸らしに入っていい頃だ。左の鍋は豚汁。出す直前に温め直して、材料なんだけど……」

 

 一方ちーちゃんは泣き出しそうな顔をしている。ふくちゃんが泣かせたんじゃないでしょうね?

 

「すみません、摩耶花さん」

「キッチンに残ってるもの以外は校内からなら調達できるルールだ。いつも貧乏くじを引かせてごめん。後で埋め合わせるから、頼んだよ摩耶花!」

 

 ふくちゃんに背中を押された私は、キッチンに向かって走り出した。しかし、キッチンに残されているものを見て、目を見開いた。

 

 残っているのは桂剥きされた大根にネギの青い部分。材料が入ってたと思われるかごを除いても、そこには小さな玉ねぎと氷しか残っていない。

 出来上がっている料理を眺める。どの料理も美しく盛りつけされていた。多分ちーちゃんだろう。

 ここで変な料理を出したら、ちーちゃんの料理の足を引っ張りかねない。どうする?

 

『さぁ!チーム古典部、一難去ってまた一難!もう食材がのこっていないぞぉぉお!!!作らなければチーム古典部はゼロ点。ここまでかぁぁ!!』

 

 

 

 

 

 

 ♠︎06

 

 

 

『さぁ!チーム古典部、一難去ってまた一難!もう食材がのこっていないぞぉぉお!!!作らなければチーム古典部はゼロ点。ここまでかぁぁ!!』

 

 俺は窓から《ワイルドファイア》を眺めていた。俺も古典部として彼らに力を貸したいところだが……さて……

 

 どうする、今俺に出来ることはなんだ?

 

 

 

 

 

 

 ♣︎07

 

 

 

 

「摩耶花さん。あれだけの食材でどうするつもりでしょうか。私、気になります」

 

 いや、誰のせいやねん。

 これがハルやホータローだったら裏拳ツッコミが出来たのに、惜しいものだよ。

 でも、もうやりようがない。摩耶花はじっと考えている、その時だった。

 

『チーム古典部、打つ手があり(さ……としー)ません!残り時間はあと十分!このままタイムアップを待つしかないのか?』

 

 今僕を呼ぶ声が聞こえたような。

 

『チーム天文部、これはもはや地球の食べ物ではありません!天文部らしく異星人の食を作ろうとしているのでは!?バナナを出汁で煮ています!』

 

 バナナもちょっと興味あるけど……

 

「里志!!!」

 

 ホータローの声だ!遠い、どこだ?

 

「福部さん、あそこです!」

 

 千反田さんが指を指す。信じられない!!あのホータローが教室の窓から身を乗り出して僕らを応援しているというのかい!?あのホータローが!?

 

「里志!!!こい!!!真下まで!!!」

 

 なんだなんだ。僕は地学講義室の真下まで小走りで行く。見上げて、手でメガホンを作る。

 

「どうしたのーー?」

「受け取れよ!」

 

 ホータローが落としてきたのは……薄力粉!?

 

 

 

 

 

 ♦︎05

 

 

 

 折木の元から戻ってきたふくちゃんがこっちに向かって投げてきた黄色い袋には《薄力粉》と書いてある。なんで折木がこんなものを?

 実況が今の一部始終を見ていたのか、興奮したような声で言った。

 

『チ、チーム古典部!!凄まじい展開です!参加していないメンバーから救いの手が差し伸べられたァァァ!!これぞ、友情、努力、勝利になるのかァァァァ!!!!』

 

 小麦粉……。小麦粉と長ネギと、大根、玉ねぎ、そしてご飯。

 

 いける!!

 

 

 

 

 ♣︎08

 

 

 

 摩耶花が動き出した!

 

 ボウルに小麦粉を開け、水を注ぐ。フライパンに油を注ぎ、加熱開始。長ネギ青い部分とをザク切りにし、玉ねぎを薄切りに、大根をおろし金で下ろす。そして……

 

『おおっと、チーム古典部!先程副将千反田が捨てた甘エビの頭をかきあつめていぞ!これをどうしようというのか!?』

 

 甘エビの頭をどうしようって言うのさ摩耶花!頭を悩ませている僕の横で千反田さんが呟いた。

 

「かき揚げ!」

 

 そうか!摩耶花が作ろうとしているのはかき揚げだ!誰もが生ゴミだ思ってい食材の輝きを摩耶花は見逃さなかった。例えゴミだとしても輝けるということを摩耶花は僕達に証明してくれた!ゴミなんてないんだ!誰もが輝けるんだ!摩耶花バンザイ!本当の僕達バンザイ!

 

 《ワイルドファイア》はあと五分。頼む、間に合ってくれ!!

 

「料理研!!おたまくらい用意しなさいよ!!」

 

 おたま!?おたまなんて初歩的な物も置いてないのかこのお料理研は!!!部費減らすぞ!!!馬鹿野郎!!!

 

 するとそれに気づいたお料理研の部員が他の使っていないチームのおたまをこちらを持ってきた。摩耶花はそれをひったくるように受け取る。

 かき揚げの種を油に落とし、揚げる。

 

 その隙間時間を使い、摩耶花は豚汁を温め、おろし金で大根を下ろし、醤油とみりんでつゆを作り、丼にご飯を盛った!!ん?丼?

 

 そうか!!摩耶花が作ろうとしているのはかき揚げじゃない。あれは!!

 

 

「これであがりよ!!!」

『しゅーりょーー!!!!!』

 

 

 摩耶花がかき揚げ丼を盛り付けると同時に、《ワイルドファイア》は終了した。

 

 僕達は、自分の足から力が抜けていくのを感じた。

 

 あっぶな〜。ありがとう……摩耶花。

 

 

 

 

 

 ♥05

 

 

 

 摩耶花さんは料理が終わりこちらに戻ってくる時に、どことなくイライラしているように見えました。私は私の失態を思い出します。私が謝ろうとしたその直後……

 

「おたまが無かった!!」

「いや、ほんとに申し訳ない!」

 

 隣から声をかけてきたのは先程から実況されていた方でした。

 

「調理器具は何度か確認したんだけど、まさか基本的なおたまを忘れるなんてね」

「まぁ、いいんですけどね」

 

 何度か確認したのに、調理器具が無くなるなんて……私、気になります。

 

 試食は既に始まっていました。天文部さん作成の料理を口にした審査員の方は、固く目を瞑って天を仰いでいます。お一人がどこかに走っていきました。

 あの料理。私、気になりません。

 

 不意に私はチーム古典部の調理器具が置かれているシンクに目を向けました。

 

「あら?」

 

 グリーティングカードが置かれています。それに開いたまま伏せてあるこれは、しおり《カンヤ祭の歩き方》です。この組み合わせは、どこかで見ました。

 

「福部さん、摩耶花さん!こんなものが……」

 

 お二人に私はグリーティングカードを見せました。そこに書いてあったのは、思った通り、前に見たことのある文字列でした。

 

 

 【お料理研から、おたまは既に失われた 十文字】

 

 

「これは……」

 

 福部さんの目が輝きます。私は勢い込んでいいました。

 

「占い研と同じです!」「囲碁部とおんなじだ!!」

「「え?」」

 

 私と福部さんはお互いの顔を確認しました。

 

 《カンヤ祭の歩き方》の方に視線をずらすと、三十三ページ、参加団体一覧のページが開かれています。

 

 摩耶花さんは福部さんの、次いで私の顔を見て、おもむろに言いました。

 

「これ、なに?」

 

 私にも、分かりません。

 

 

 

 

 【氷菓完売まで あと百四十部】

 

 

 




次回《決着!神高クイズタッグ》




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第八話 決着!神高クイズタッグ

 評価を頂きました。

 9評価 こうすけ118さん、セメント暮らしさん

 ありがとうございました!

 また、週間ランキング107位
    週間(その他原作)ランキング21位を頂きました。

 皆様のおかげで、ここまで来ることが出来ました。今後ともこの作品をよろしくお願いします。


 JOKER10

 

 

 《神高クイズタッグ》予選マルバツ問題。今残っているのは俺と桜のチーム《古典部》を含めて五チームだ。

 

 そして、最終問題。読み上げ嬢も乗ってきたのか、声が何処と無く抑揚している。

 

『問題、日本では青いルビーが見つかったことがあるか、〇か✕か!?』

 

 青いルビーだって?そりゃもちろん。

 

 五チームはそれぞれ分かれた。そして……

 

『正解はバツでーす!!!ルビーは赤い宝石のことを指します。それ以外はサファイアに分類されるのです!!!』

『そしてここで予選しゅーりょーー!!!!!決勝進出チームが決定しました!!』

「よしっ!」

「やったね南雲くん!」

 

 しかし、やはりこいつらは生き残ったか。

 

 チーム《二年F組》、チーム《インテリ女の子》……、入須と晴香のチームだ。

 俺は晴香に視線送ると、奴は威勢のいい笑顔でこちらにピースを送ってくる。隣にいる十文字は表情が変わらない為何を思っているかはわからないが。

 

 次いで俺は入須に視線を向ける。彼女も俺に気づいていたようで、俺の視線に気付くと軽く笑った。隣にいる江波は軽くお辞儀をしてくる。

 

『では、バツにいた出場者の方々はステージに上がってください!』

 

 俺と桜は黙って頷くと、ステージ上に上がる。

 順番に挨拶が終わり、最後に俺達の番となった。

 

『決勝進出最後のチームはなんと《古典部》!!昨日の《クイズトライアル》に参加していた生徒も古典部でしたが、古典部には知識人が揃っているようですね!!』

 

 ほとんど答えたのは桜だけどな。

 

『それではチーム《古典部》、ご挨拶をお願いします!!』

 

 俺はマイクを受け取る。軽く息を漏らし、すぅっと息を吸った。台本通りに進めよう。

 

「みなさん、《カンヤ祭》を楽しんでますか!」

 

 柄でもないセリフを発する。しかし流石は文化祭効果、観客達は俺の期待以上の大声を出してくれた。

 

「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」

 

 いい歓声だ。だったら俺も、期待以上の働きをしなくてはならない。俺は先ほどより大きく息を吸った。そして

 

『うるせぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!!』

 

「えぇぇぇぇぇ!!」

 

 観客だけではなく、隣の桜、読み上げ嬢までも驚きの声を上げる。晴香はこの様子を愉快そうに笑い、入須は冷厳な眼差しをこちらに向ける。俺は続ける。

 

『お前らなぁ《カンヤ祭》の意味分かって使ってんのか!?二、三年は恥ずかしくないの!?こんな生意気な一年に()()()()()()使()()()()()()、なんて言われてさ!!知りたくはないか?知りたいよなぁ、カンヤ祭の語源!!』

 

「知りたァァァい!!!」

 

 威勢のいい声がどこからともなく飛んできた。普段はこういうやからは苦手だが、今となっては助かる。この一声を初めとし、様々な声が飛んできた。

 

「言われなくても知ってるしぃ!?」「嘘つけ!!」「そう言えば、語源なんて考えたこともなかったな」「教えてくれよ一年!!」「あいつ馬鹿だなぁ」

 

『カンヤ祭の語源はぁ……』

 

 俺は溜める。観客も答えを待ち望んでいるかのように黙り込み、一瞬体育館中が静まり返った。そして

 

『秘密です!!』

 

「なにぃぃぃぃぃ!!!?」

 

『知りたければ、俺たち古典部の文集を買っていただきます!!文集《氷菓》!!特別等四階地学講義室、または訪問販売で絶賛発売中です!!!』

 

「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」

 

 

 いよし、アピール大成功!!

 

 

 

 

 

 

 ♥06

 

 

 

 す、凄いです南雲さん。今ワイルドファイアを終えた私、福部さん、摩耶花さんは、《神高クイズタッグ》が開催されている体育館に来ています。入ったら丁度南雲さんの《氷菓》のアピールが始まっていたのですが……、こんなに人を惹き付けるなんて……流石です!!

 

「あいつ、結構やるじゃない」

「僕の目に狂いはなしだね。」

 

 お二人共嬉しそうです。

 

 さぁ!南雲さん、あとは優勝目指して頑張ってください!!

 

 

 

 

 JOKER11

 

 

 

 

 この盛り上がりを逃すわけには行かないと思ったのか、俺からマイクを奪うようにひったくると、読み上げ嬢は言った。

 

『さぁ!!場も盛り上がってきたところで、決勝戦のルール説明を行います!

問題形式は早押しクイズ、二人一組ですので片方が押して、片方が答える、一人で押して一人で答えるかは自由です。各チームには最初にそれぞれ五ポイントが配布されます。一問答えるごとに三ポイントを手にすることが出来るのですが、ここがこの決勝戦の見どころ!!

その三ポイントをどう使うかはそのチームの自由です!!三ポイント全て自分のポイントにしてもよし、三ポイント全てをつかって()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。もちろん、相手のチームのポイントを二ポイント下げて、自分のチームに一ポイントを入れると言うのも手ですよ!ゼロポイント以下になったチームは失格です!!結果的に二十ポイントを先取するのが先か、最後の一チームとなるのが先か!?』

 

 俺たちはそれぞれの台に上る。

 

『それでは《神高クイズタッグ》、決勝戦!!チーム《古典部》VSチーム《二年F組》VSチーム《インテリ女の子》!!!』

 

 

『開始です!!!!』

 

 

 

 

 

 

 

 ちょいと難しいルールだなこれは。最悪の場合二問目で失格になる可能性だってありえるわけだ。桜がいるとはいえ、相手は晴香、十文字、入須、江波だ。油断はできない。

 

 別に《氷菓》のアピールは出来たわけだけど、なぜだかこいつらには負けたくない。桜にも協力してもらってるんだ。全力を尽くして……

 

 俺は入須を見た。あの時の借りを返させてもらいますよ。

 

 ぶちのめす!!

 

 

 読み上げ嬢が問題を口にした。

 

『問題、ナポレオン、高砂、佐……』

 

 ピーン!!

 

 桜、入須、晴香の全員が一斉にボタンを押した!!はえぇ……。

 

『早かったのはチーム《二年F組》、入須!答えを!』

 

 入須は顔色一つ変えずに言った。

 

「さくらんぼ」

『正解です!!三ポイントをどう使いますか?』

「そうだな……チーム《古典部》からマイナス三ポイントだ。」

 

 チーム古典部五ポイント→二ポイント。

 

「んな!?」「ええ!!」

 

 俺と桜は同時と言っていいタイミングで声を上げた。なんの迷いとか躊躇もなく俺らを潰しに来たぞあの女……!!

 しかし、こんなことを考えている場合ではない。

 

『問題、栄養価の高いことから、「海のミルク」とも……』

 

 ピーン!!

 

『またもや早いぞ!押したのは!!チーム《古典部》、南雲!!答えを!』

 

 これは知っている。俺は答えた。

 

「牡蠣」

『正解です!!三ポイントをどう使いますか?』

「チーム《二年F組》からマイナス一ポイント。俺たちに二ポイントで。」

 

 チーム《二年F組》五ポイント→四ポイント。

 チーム《古典部》二ポイント→四ポイント。

 

「ほう、やってくれるな」

「ふん!」

『なんだなんだ!!?チーム《古典部》南雲とチーム《二年F組》入須の間に火花が飛び散っている!!これは熱い!!つづいていきます!問題、ホテルや旅館に食事などをせずに泊まる……』

「あたしらも忘れてもらっちゃ困るよ!!」

 

 ピーン!!

 

『押したのはチーム《インテリ女の子》、勘解由小路!!答えを!』

 

 晴香はグッと胸を張り、答えた。

 

「素泊まり!!」

『正解です!!三ポイントをどう使いますか?』

「どうする、かほ?」

「私たちに入れよう。不毛な争いはダメ」

「おーけー。《インテリ女の子》に三ポイント」

 

 チーム《インテリ女の子》五ポイント→八ポイント

 

 

 

 

 

 

 

 ♠︎07

 

 

 

 《神高クイズタッグ》の実況が聞こえてくるが、クイズ大会となると《ワイルドファイア》のように俺からは手助けは出来ない。他の奴らも戻ってこないし、《省エネ》に勤しむとするか。

 すると、地学講義室の扉から一つの影が現れた。

 その影を見て俺は軽く驚いた。

 

 伊原程の背丈に茶髪がかった髪が肩ほどまで垂れ下がっている。頭には黒いカチューシャを着けており、白いワンピースを着ている。

 明らかに小学生だ。

 そしてその少女は俺に向かって小悪魔のような笑みを浮かべながらこう言った。

 

「やってます?」

「ああ、でもお前は小学校に戻れ」

 

 冗談めかして答えると、少女は一度ムッとした。

 

「失礼だなぁ。私はこれでも中学生ですよ!中学三年生です!」

「どちらにしても帰れ。学校はどうした?」

「サボってきちゃいました!」

 

 ……

 

 苦手なタイプだな。千反田や伊原とも違うタイプだ。どっちかって言うと姉貴や勘解由小路先輩に似ている。

 これ以上の説得は不可能と感じた俺は、言った。

 

「文集《氷菓》、一部二百円」

「一部くださーい!」

「ん」

 

 少女から二百円を受け取り、代わりに《氷菓》を渡す。少女は振り向くと立て掛けてある椅子を引っ張り出し、俺の横に座った。

 そして《氷菓》を読み始める。

 

「何をしている」

「読むところがないんですもん」

「休憩スペースがあるだろ」

「んもー、《折木先輩》って意外とめんどくさいんですねぇ……」

 

 ん?

 

「お前、なんで俺のことを知っている」

「知りませんよ?」

「嘘をつくな。今お前は俺のことを《折木先輩》と言ったぞ」

「あー、バレちゃいましたか」

 

 少女は椅子から立ち上がると、再び俺の前にたった。不敵な笑みを浮かべ、座っている俺を見下ろす。

 

「お前、何者だ……」

 

 少女はわざとらしくその場でクルット回転し、ピースサインを作った後に、口を大きくはっきり動かしながら答えた。

 

 

「私の名前は、《南雲雨(なぐもあめ)》!南雲晴の妹でーす!」

 

 

「よろしくお願いしまーす!」

 

 開いた口が塞がらないとは、このことだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ♣︎09

 

 

 

 

 熱い。なんて熱い戦いなんだ!!!

 知識と知識のぶつかり合い。これこそがクイズ対決だよ!!昨日の《クイズトライアル》なんか比べ物にならない。

 今の記録を発表しよう。

 

 チーム《古典部》十七ポイント

 チーム《二年F組》十五ポイント

 チーム《インテリ女の子》十八ポイント

 

 現状は二位だけど、あの《女帝》がこのまま大人しくしてるとは思えない。でも、次《古典部》か《インテリ女の子》が答えたらほかのチームを邪魔をする理由は見つからないから、《二年F組》が逆転勝利する為には次の問題を答えるのは絶対条件だ。

 

 それにしても、桜さんの知識量は半端じゃない。出だしは遅れていたけど、その後のチーム古典部の獲得得点の七割は桜さんだ。

 ハルも読書家なだけあって、押し負けてはいるけど案外答えられる問題もあるみたい。

 でも、二人ともまだ一年なだけあって、《神高のローカル問題》に弱い。

 次ローカル問題が来たら、確実に取られる。

 

『問題、総務委員会委員長のフ……』

 

 まずい!!

 

 ピーン!!

 

『押したのはチーム《二年F組》、江波!!答えを!!』

「田名辺治朗……」

『正解です!!三ポイントをどう使いますか?』

「全部うちに」

 

 チーム《二年F組》十五ポイント→十八ポイント

 

 あっぶなーい。命拾いしたね。勘解由小路先輩に取られてたらここで《神高クイズスクエア》は終了だ。でも……

 次で決まる。《神高クイズスクエア》の優勝者が!!

 

 会場の熱気もさらに高まり、隣の千反田さんと摩耶花も緊張してるみたいだ。

 

『問題!』

 

 最終問題!!

 

『「小市民シリーズ」など、様々な推理小説を……』

 

 これは!!!全員が動いた!!ハルも桜さんも入須先輩も江波先輩も勘解由小路先輩も十文字さんも!!

 

 

 

 

 ピーン!!!

 

 

 

『お、押したのは、チーム《古典部》、南雲!!答えを!!!』

 

 

 

「米澤穂信!!」

 

 

 

 会場が一気に静まり返る。読み上げ嬢は溜める……そして、大きな声で結論を下した。

 

 

 

『正解でーーーす!!!!!ここで《神高クイズタッグ》決勝戦しゅーりょーー!!!!!勝者……』

 

 ハルは勢いよく腕を高々と挙げた。

 

『チーム《古典部》!!!!』

 

 

「いやったァァァァァ!!!!!」

「やりましたね摩耶花さん!!!」

「うん!凄いよ南雲!!!」

 

 千反田さんと摩耶花はハイタッチをすると、視線をステージに戻した。あれ?僕とは?

 

 

 

 

 

 JOKER12

 

 

 

 

「やったな桜!!」

 

「うん!!南雲くん!!」

 

 

 ばちぃん!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「焼き芋二つ下さい」

 

 《神高クイズタッグ》終了後、園芸部が焼き芋を焼いている場所までやってきた俺と桜は、昼食の焼き芋を購入する。

 園芸部の部員は俺に向かって、言った。

 

「お前運がいいぞ。今日の分の最後の二つだ。お待ちどうさま」

「ありがとうございます。ほい、桜」

「えっと、いくら?」

「ん?いいっていいって、《氷菓》も一緒に売ってもらったし、《神高クイズタッグ》も、お前のお陰で優勝出来たんだ。これくらいしないとな」

「うん、ありがとう」

 

 桜はクシャッと笑った。時折見せるこの顔が、俺は嫌いじゃない。

 

「んじゃ!消火だ消火!!あれ?」

 

 先程俺に焼き芋を渡してくれた園芸部の部員が、何か困っている。

 

「どうしたんすか?」

「あぁ、いや。焼き芋を作るのに使った落ち葉を消火するのに、水鉄砲を使ってるんだが……。それが無くなってな。小銃型の奴なんだが」

 

 とりあえず辺りを見渡すが、それらしきものは見つからない。

 

 だが、俺の目にはある一つの、いや、二つのものが写った。これはグリーティングカード。

 

 俺がそれを拾い上げると、不思議に思った桜と園芸部の部員が覗き込んできた。

 

 

 【園芸部から、AKは既に失われた 十文字】

 

 

 そして、近くにおいてあった《カンヤ祭の歩き方》は三十三ページを開かれたまま、無造作に置かれていた。

 

 

 

 【氷菓完売まで あと百二十部】

 

 

 

 

 




次回《十文字事件》




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第九話 十文字事件

 お気に入り200&UA10000突破!ありがとうございます!

 評価を頂きました。

 8評価 ルーカスさん
 7評価 っゲッテムハルト様!?さん
 2評価 toumiさん

 ありがとうございました!


 JOKER13

 

 

 

 園芸部で桜と分かれた俺は、園芸部に置いてあったグリーティングカードを片手に見ていた。

 

 【園芸部から、AKは既に失われた 十文字】

 

 占い研究部と同じだ。確かあそこで取られたのは、《運命の輪》、《ホイール・オブ・フォーチュン》だったよな。

 AKとホイール・オブ・フォーチュン……共通点があるとは思えないけど。十文字の名を名乗った、《怪盗》。

 

「可愛い〜!!!」

 

 地学講義室前、中から伊原の声が聞こえた。可愛い?奉太郎や里志に言ってるわけでもないだろうし、千反田に言ってんのか?

 地学講義室のドアには『ただいま休憩中』という札がかけられているが、俺はそれを無視して開ける。

 

「うぃーっす。おつか……れ……」

 

 地学講義室を開けた俺は、その光景に目を見開いた。

 伊原が頬ずりしている少女、それを眺める千反田。「ほほう」という顔をする里志、弁当を無心で食ってる奉太郎。それぞれがそれぞれらしい行動を取っているが、俺の視線は伊原が頬ずりをしている少女に向いていた。

 

「雨!!?」

「あっ!お兄ちゃん、おっひさー!」

 

 我が妹、南雲雨。が、地学講義室にいたのだ。

 

「あっ、ハル。タッグ優勝おめでとう。おかげで氷菓も沢山売れたらしいよ。ホータローが言ってた」

「お、おう。お前らもワイルドファイア優勝おめでとう……。ってそうじゃねぇ!!」

「雨!!なんでお前がいるんだ!?」

「お父さんとお母さんに頼まれてお兄ちゃんが高校生活をちゃんとやってる見に来たんですー」

「余計なお世話だ!帰れ!!」

「うわーん!!お兄ちゃんがいじめるー!!摩耶花さァァん!!」

「南雲失せろ」

「酷くない!?」

 

 なんでこいつ伊原と仲良くなってんだ?それにしても、こいつも久しぶりに見たな。入学前から実家に帰ったねぇからな。ちょっと背ェ伸びたっぽいな。しかし、親父達に頼まれてきたってのはどうも口実な気がすんだよなぁ……。

 はっ!!こいつももう中三ということは、人間関係とかの相談俺に!?友達か……それとも……か、彼氏という奴か!?

 

「許しません!!お兄ちゃんは許しませんよォ!!」

「なんの話!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ♠︎08

 

 

 

 

 南雲雨、やかましいのが増えたな……。ハルから妹がいるとは聞いていたが、こんなやかましい奴だったとは。

 

 千反田がなにかムズムズしているのが見えた。俺は聞く。

 

「千反田、なにかあったのか?」

 

 千反田は俺の言葉に気づくと、待ってましたと言わんばかりの顔で答えた。まずい

 

「はい!あのですね、見てください!!」

 

 渡されたのはグリーティングカード、

 

 【お料理研から、おたまは既に失われた 十文字】

 

 ふぅん。

 

「おたまが盗まれたのか?」

「うん。私たちのところだけね」

 

 答えたのは伊原だった。伊原はかき揚げ丼を作ったらしいので、一番の被害は伊原だろう。

 

「暇なやつもいたもんだな。ご愁傷様さま」

 

 グリーティングカードを千反田に返すと、里志が笑いを含みながら答えた。

 

「お料理研だけじゃないさ。囲碁部、アカペラ部、占い研究部もだ」

「園芸部も追加だ」

 

 ハルは左手で南雲雨を抑えながら、ポケットからグリーティングカードを取り出した。

 そう考えながらも俺はグリーティングカードに目を落とした。

 

 【園芸部から、AKは既に失われた 十文字】

 

「物凄く暇なんだな」

 

 話を矮小化しようとするが、千反田は一切の迷いを見せず、俺とハルを交互に見る。ハルもやばいという顔をしながらこちらを見てくる。お前が園芸部のグリーティングカードを見せるからだろ。

 千反田は興味をその瞳に捉えたまま、一語一句はっきりと言った。

 

「なぜ文化祭に乗じて盗難をするのか、なぜ十文字さんの名前を語るのか……」

 

「私、気になります」

 

 あぁ、とうとうその言葉を口にしてしまったか。しかし、俺はこいつを止める言葉を知っている。

 

「そんなことしてる場合じゃないだろ。文集が……」

「あぁ、文集の事なんだけどね。こうして地道にイベントに出たってそんなにでっかく売れるとは思わないよ」

「俺自分で言うのもなんだけど、結構売ってるぞ?」

 

 ハルの弁。尤もだ!

 

「うん。でもね、僕思いついたことがあるんだ」

「それは何、ふくちゃん」

 

 里志の目が笑っている。いや、笑っているのはいつもの事だ。里志は続ける。

 

「この連続盗難事件。いや、怪盗事件を壁新聞部に売り込むんだ。あわよくば明日のラジオの出演も頂く。完売は分からないけど、ハルに商売や宣伝の才があることは分かったし、ラジオも使えば三、四十部は上乗せできるよ」

 

 ……一理ある。昨日の里志のマイクアピールに今日の《ワイルドファイア》と《クイズタッグ》でさえ、かなりの効果だ。もしマスコミ系の部活が動けば……。だが。

 

「売り込むってたって。どう売り込むつもりだ?その事件は古典部と関係ないぞ」

 

 俺が言うと、里志はさらに悪い笑みを浮かべながら達者な口を開いた。

 

「そこさで、ハルとホータローの出番ってわけさ。《氷菓事件》、《女帝事件》の時二人は結構冴えてたからね」

「え?どういうことですか?」

 

 飲み込みの悪い千反田に、里志は笑った。

 

「つまりだね。こんな感じだ。『古典部の名探偵南雲晴&折木奉太郎、文化祭を騒がす怪盗十文字をとらへる。これまでの二人の活躍は文集《氷菓》にて詳しい由』。これで怪盗十文字よ正体も暴けて、古典部の宣伝にも……」

「「断る!!」」

 

 俺とハルは叫ぶようにいう。人をなんだと思ってるんだ。

 

「名探偵?お兄ちゃんがですか?」

 

 今まで黙って聞いていた雨は里志に聞いた。

 里志は子供の扱いに……と言っても一つしか違わないのだが、慣れているらしいようで、気前よく答えた。

 

「そう。聞くかい?南雲晴の神高謎解き伝説」

「いいえ。謎解きしてるのは東京でよく見てましたから」

 

 里志は「おお!?」と面白そうな声を上げた。

 

「ハルが東京でも謎解きねぇ。ってことは、東京にも()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 里志が聞くと、ハルはムッとした後に口を開いた。

 

「まぁ……な」

「しけた反応だなぁ」

 

 里志はそれ以上は追求しなかった。ハルが神山に越してきた理由は、東京での《ある事件》のせいだと勘解由小路先輩から聞いたことがある。その件について触れたくはないし、なによりハルも触れては欲しくないだろう。

 話は十文字に戻る。

 

「でも、やっぱり二人をピエロにするのはあんまり悪すぎる。十文字が古典部をターゲットにしてくれればいいんだけど」

 

 難しい話だな。しおりから文化祭の参加団体を見たとしても、ざっと五十。この中からランダムに奪われているのだとしたら、知名度の低い古典部が狙われる可能性はゼロに等しい。

 確か取られた部活は……

 

 

 

 

 

 

 

 JOKER14

 

 

 

 

 十文字にモノを取られた部活は、アカペラ部、囲碁部、占い研、園芸部、お料理研、か。

 

 ちょっと待て……。まさか。

 

「ABCだ!!」

 

 俺は無意識に声を発した。里志、伊原、雨は俺の言葉で、ホータローは分かっていたように頷く。

 

「え?え?どういうことですか?」

 

 ついてこられない千反田に俺は説明する。

 

「いいか、千反田。モノが盗まれるのはランダムじゃない。法則性があるんだ。やられた部活の頭文字……共通点があるだろ?」

「えっと、アカペラ部、囲碁部、占い研……っ!!」

 

 途中まで言って気づいたようで、千反田は口を押さえた。

 

「五十音順ですね!」

 

 千反田が気づいた瞬間に、伊原はブツブツと何かを呟いている。

 

「ABC殺人事件……。Aのつく土地でAのつく人が殺されるのよね」

 

 伊原の予想は多分当たっている。アガサ・クリスティの超有名作《ABC殺人事件》だ。

 

 里志はいつの間にか持ち前の巾着袋から万年筆とメモ帳を取り出し、何かを書いていた。

 それにはこう記されている。

 

 

 ・アカペラ部 (アクエリアス)

 ・囲碁部 (碁石)

 ・占い研 (運命の輪)

 ・園芸部 (AK)

 ・お料理研 (おたま)

 

 

「碁石、じゃなくて石って捉えれば当てはまるわ」

 

 伊原の論に里志は書き換える。

 

「アカペラ部はなんでしょうか。泡盛、熱燗……」

 

 雨は口元に手を置きながら考えるが、これはあとからでも確認できる。

 

 しかし、これは、古典部にとって望んでも得られないほどの大チャンスじゃないか!?

 この事件……《十文字事件》はスルーできない。なぜなら

 

「でも、《十文字》さんはどこまでやるつもりなのでしょうか?」

「そうだね、それが問題だ」

「古典部まで来てくれればいいんだけど」

「皆さん何を言ってるんですか!?」

 

 立ち上がったのは雨だった。俺と奉太郎も頷き、何故か雨の後ろにつく。

 

「署名の名前はなんでしたか?」

 

 雨は声を大にして聞く。

 

「え、十文字(じゅうもんじ)さんでしたけど」

 

 千反田がそう言うと、奉太郎はため息をついた。

 

「お前はなぜそれを、《じゅうもんじ》と読むんだ?普通に読めば……分かる」

「だって、私のお友達に《じゅうもんじ》さん、という方が……。あら……?」

 

 奉太郎の言葉に、ほかの三人も気づいたようだ。伊原も里志も千反田も目を見開き、椅子から勢いよく立ち上がった。

 そして、俺が最後に言った。

 

「そう、普通に読めば《じゅうもじ》。お料理研で五文字目だとすれば……」

 

「そう、最後の十文字目は『こ』……。こいつは《古典部》を売り込むのには、充分な材料になるんだよ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ♥07

 

 

 

 私は早速壁新聞部の部長さん。遠垣内将司さんに古典部のことを売り込みに行きます。頑張ります!

 特別棟四階の階段を降りようとした時に、なにやら話し声が聞こえてきました。南雲さんと雨さんです。何故か私は……咄嗟に隠れてしまいます。

 

 

「実家にはいつ帰ってくるの?」

「さぁな。まだ見通しはついてない」

 

 南雲さんは……まだ一度も実家に帰ってないのでしょうか?

 

「みんな心配してるよ?お兄ちゃんのこと。」

「……そうか」

 

 南雲さんは答えません。何故でしょうか?すると、雨さんの声が大きくなりました。

 

(しらべ)ちゃんも、ずっとお兄ちゃんのことを……!!」

「詩の話はするな……!雨」

 

 詩さん。誰でしょう……。でも、南雲さんの顔も、声質もとっても怖いです。あの顔……私、嫌いです。

 

「あいつとは、会えねえよ。今は」

「分かった……じゃぁもう帰るね」

「もう帰るのか?」

「帰るって言っても、勘解由小路家の方だよ。明日までいるから、またね。古典部の人達にもよろしく」

「おう」

「千反田さん」

 

 呼ばれた気がして、体が少しビクッとしました。ですがそれは南雲さんに言った言葉のようです。

 

「が、どうした」

「詩ちゃんに、似てたね」

「……似てねぇよ」

 

 そう言った南雲さんを残して、雨さんは行ってしまいました。

 

 私に……似てる……?

 

 どういうことでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 JOKER15

 

 

 

 

 当たり前のことだ。詩は……千反田じゃない。

 千反田は……詩じゃない。

 

 そうだ……似てるわけないんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 【氷菓完売まで あと百二十部】




次回《動き出す者達》





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第十話 祭りの中のお祭り騒ぎ

 評価を頂きました。

 7評価 オペラーさん
 5評価 namakoさん

 ありがとうございました!

 評価が20件を突破いたしました。ありがとうございます!


 ♥08

 

 

 

 

 折木さんと南雲さん、それに雨さんが見つけてくださった《十文字事件》の法則性を手に、私は壁新聞部へ赴きます。遠垣内さんに《十文字事件》の事を話し、新聞記事を頂くのです。

 入須さんに教えてもらった交渉術は『相手に期待すること』、こちらの利益を小さく見せること。そして、人気のない場所で異性に頼むこと。

 

 何故そうなるのかシステムはわかりませんが……。

 

 壁新聞部さんの部室である生物講義室に訪れた私は、中を覗きます。なにやらかなり慌ただしく見えます。

 遠垣内さんを含む六人はそれぞれ携帯電話を片手に誰かとお話をしているのです

 そのうちの一人が通話を終え、こう言いました。

 

「お料理研だ。部長さんが確認してる」

 

 不意に、すぐ近くから声をかけられます。

 

「やぁ千反田さん。なにか壁新聞部に用かい?今ちょっと立て込んでてね」

 

 遠垣内さんが私に話しかけてきてくれました。チャンスです。

 

「遠垣内さん。お忙しいところ申し訳ないのですが、少しお話があるのですが……」

 

 遠垣内さんは少し困った顔をしたあとに、口を開きました。

 

「まぁ、少しだけなら」

 

 と、受け入れてくれました。そう言えば、遠垣内さんは異性です。ここは部員達の人目があります。

 私は生物部講義室のドアから1mほど離れます。遠垣内さんも不思議な顔をしながら進んできました。そこで私は、生物部講義室のドアを閉めます。

 

「古典部の事なんですが……」

「古典部が?」

「壁新聞部さん以外にはお伝えする相手がいませんでしたので」

「ふぅん?」

 

 早く終わらせたいという態度をとっていた遠垣内さんが少し興味を持ってくれたようです、

 

「実は、この文化祭の参加団体から色んなものを盗難している人がいまして」

「《十文字》!?」

「え?」

「十文字について何か知ってるの!?」

 

 予想外の反応です。まさか十文字さんのことがここまで有名になっていたなんて……。私は、十文字さんの法則性に付いて説明しました。

 

「なるほど、五十音順か。そうか、料理研は『お』が最初につくんだったな。加えて占い研もやられていたなんて。だからか……」

「だからとは?」

「ここは、『か』べしんぶんぶ。だろ?」

「ということは……!」

「あぁ、カッターナイフをやられたよ取材でちってる間に、あっさりな」

「今お忙しいそうだったのはそれで」

 

 遠垣内さんは頷きます。

 

「まぁそれもあるけど、こういうハプニングも望んでいたんだよ。怪盗事件なんて望んでも得られない絶好の機会だからね。いい記事が書けそうだ。しかし、ほんと助かったよ。十文字がそんな風に盗みを進めてるなんて……。よく気づいたね」

「はい、南雲さんと折木さんが」

「あぁ……あの二人か。」

 

 遠垣内さんは微妙な顔をしたあとに、もう一度私に言いました。

 

「じゃあ、ありがとう。助かったよ」

 

 私は微笑みながら、講義室に戻る遠垣内さんを見送ります。そして、ドアが閉められようとしたその瞬間、心の中で叫びました。

 

『あぁ!!ちょっと待ってください!古典部のことも新聞の記事に!!!』

 

 やってしまいました……。

 

 

 

 

 

 

 

 ♣︎10

 

 

 

 

 

 僕は神高に入学してから、ハルとホータローの鋭さをみた。雨ちゃんの話じゃハルはどうやら東京にいた頃から謎解きをしていたらしい。ホータローに関しては、中学からの付き合いだけど、あんなことが出来るなんて思いもしなかった。

 

 《女帝事件》の時も、二人の力を知っていたからこそ、期待した。あれをどうにか出来るのは二人しかいないと思っていたから、僕は二人のサポートに回っていた。

 大きな事件としてすぐに頭に出てくるのは《氷菓事件》、《女帝事件》の二つだけど、その他にも二人が活躍していた場面も多々ある。

 時には協力して、時にはそれぞれ別個人で。

 

 でもこの《十文字事件》、()()()()()()()()()()

 

 ホータローは店番もあって地学講義室から離れられない。この事件は安楽椅子探偵(あんらくいすたんてい)のホータローには向かない。

 ハルもいるけど、ハルは商売での意外な才能をこの文化祭で発揮して、今はそっちに勤しんでいる。いくらハルが鋭いといっても二つのことを同時に出来るかと言われれば話は別だ。ハルはそこまで器用じゃない。

 

 我らが南雲晴と折木奉太郎に期待が出来ないのなら?

 

 僕がやるしかないよね。

 

 僕の人脈をフル活用したところ、十文字が動いたルートはこうだ。

 

 

 一日目

 

 午前十一時半頃 アカペラ部から アクエリアスが盗まれる

 午後十二時半頃 囲碁部から 石?が盗まれる

 午後二時頃 占い研究会から 運命の輪が盗まれる

 

 二日目

 

 午前九時頃 園芸部から AKが盗まれる(グリーティングカードを発見したのは十二時頃だが、AKが無くなったたのはこの時刻だという。 )

 

 午前十一時半頃 お料理研から おたまが盗まれる

 

 

 

 そしてさっき廊下でばったりと千反田さんに会ったところ、どうやら壁新聞部からカッターナイフが盗られたという情報が入った。今は二時だ。

 十文字は二時間に一回のペースでものを盗んでいるのが分かる。初日に三つ。二日目に三つ。最終日に四つってい考えもあるけど、最終日は片付けの関係で、終わるのが三日間の中で一番早い。つまり、今日四つ盗まれる可能性が高いわけだ。

 

 次の文字は『き』。参加団体できから始まる部活は《奇術部》しかない。僕は二時半から公演を見る為に、すでに奇術部の教室、二年D組に訪れていた。

 突然僕の名を呼ぶ声がした。

 

「福部じゃないか」

 

 谷くんか……

 

「ワイルドファイアじゃお世話になったな。お前に負けちまったよ」

「豚汁を作るだけで精一杯だったけどね」

 

 まだ勝ち負けにこだわってるのか……。

 

「ところで、お前知ってるか?」

「なにを?」

「《十文字》を名乗る怪盗の事だよ」

 

 僕は肩をすくめながら答えた。

 

「さすが、話が早いね谷くん」

「なんだ、知ってるのか」

「だから僕がここにいるんだろ?」

「それでな、壁新聞部のヤツらがキレてたぞ。次のトップ記事は十文字の話だ。賞品を用意して、《十文字》逮捕キャンペーンをやるらしい。賞品ってのは、号外一号まるごと提供だ」

 

 その話は知らなかった。娯楽としてこの事件を楽しみたかった僕からすると興醒めもいいところだ。

 谷くんは僕の肩を叩いて、笑いながら言った。

 

「悪いがこの勝負は頂くぜ。こう見えても俺、ミステリーファンなんだ」

 

 《女帝事件》の時も、自称ミステリーファンがいたよね。

 

「お手柔らかに頼むよ」

「せいぜい期待してるぞ、福部!」

 

 

 

 

 

 

 ♦︎06

 

 

 

 

 

 お昼ご飯にかこつけて古典部に居座っちゃったけど、漫研に戻らなくちゃ。今部室に残っているのは私と折木の二人だけ。折木が私に声をかけてきた。

 

「伊原。お前はクリスティは読んでるって言ってたよな」

「読んでるって言っても、代表作だけよ」

「ABC殺人事件は代表作だよな?」

「当たり前じゃない」

「確かあれは、犯行現場にABC時刻表を残して行った……《十文字》がABC殺人事件をなぞってるとしたら、ABC時刻表は《カンヤ祭の歩き方》になるわけだ」

 

 私は事を確かめるように聞いてくる折木に、溜息をつきながら答えた。

 

「それ以外ありえないでしょ?」

「ふぅむ……」

「あんた、《十文字》を捕まえようとしてるの?」

「俺がか?」

 

 心底意外そうな顔をする。それはこっちがしたい顔だ。折木は続けた。

 

「多分ハルもだぞ。理由は千反田だ。あいつが気になると言った以上、最後の最後で十文字が誰なのか聞かれる」

 

 南雲と折木の今までの功績は、正直無視出来ない。コイツらならほんとに十文字をとっ捕まえて来そうな気もするけど、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のが、こいつらだ。

 

「そうだ折木。小麦粉ありがとう、助かったわ」

「お、それそれ。あれは実はわらしべプロトコルで手に入れたやつなんだよ」

 

 わらしべプロトコル?

 

「なによそれ」

「わらしべ長者……知らんのか?」

「それの逆版ね。小麦粉やったから何かよこせってこと?」

「ないならいい。これで終了だ」

 

 私は少し考えた、胸についているブローチを取り外した。

 

「これでいい?」

「でもそれだとコスプレが……」

「コスプレっていうなバカ!!」

 

 私は折木にハートのブローチを投げつけ、地学講義室をあとにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 漫研に戻った私は、ものの数分でその場をあとにした。何故かあの場には居ずらかった。私は特別棟と普通棟の連絡通路から、中庭を見下ろしていた。

 ふと、河内先輩の言葉を思い出す。

 

 『面白いと感じるかは、個人の主観に過ぎない』。私はその言葉を否定したかった。私は個人にしろ、客観にしろ、名作は万人が受け入れることの出来るものだと信じていたから。

 《夕べには骸に》を河内先輩に見せれば、先輩はそれを納得してくれると思っていた。

 

 ……ふくちゃんに会いたいな。多分またどっかのイベントで馬鹿みたいにはしゃいでるんだろうな。それとも、《十文字事件》の調査をしてるのかな?

 誘いに来てくれたら、多分私はもう漫研には戻らない。

 

「伊原」

 

 ふと誰かに話しかけられた、私は振り向く。そこに居たのは湯浅部長だった。

 

「ごめんね伊原。なんだか変な雰囲気になっちゃって……」

 

 湯浅部長は一度息を飲み、続けた。

 

「亜矢子はね、本気じゃないの」

 

 本気じゃない……、河内先輩の言葉が?

 

「『面白さを感じるのは個人のアンテナの高さ』っていう話ですか?」

 

 湯浅部長は小さく頷いた。

 

「どうしてそんなことが分かるんですか?」

「友達だから……私も、亜矢子も、春菜(はるな)も」

 

 春菜?誰だろう。

 

「誰ですか?春菜って」

 

 湯浅部長は少し驚いた表情を私に見せた。

 

「あれ?知らないの?《夕べには骸に》の原作者、安城春菜(あんじょうはるな)

 

 えっ?安城春菜……?聞いたこともない。というより《夕べには骸に》の原作者の名前はもっとペンネームらしいペンネームだったような気がする……。確か

 

「でも《夕べには骸に》の原作者の名前は、アンシンイン?みたいな名前でしたよ。安心するに、寺院の院」

「そうなんだ、じゃぁペンネームを使ってたんだね。でも原作者は春菜だよ。作画は別の人が担当してたみたいなんだけど……」

 

 これは驚いた。《夕べには骸に》は原作と作画が別の人間だとは知っていたが、こんな場面でその名前がわかるなんて、私は聞いた。

 

「安城春菜さんは、何年何組ですか?」

 

 湯浅部長は首を横に振った。

 

「春菜は転校しちゃった」

 

 残念だ。通りで誰も原作者を知らなかったわけだ。しかし、私は今の話が河内先輩の話とどう関係があるのか分からなかった。

 私の口調は随分尖っていた思う。

 

「部長と河内先輩、安城春菜の三人が友達だってことに、河内先輩の話がどう関係するんですか?」

 

 湯浅部長は少し困った表情をした。その表情は、どこか悲しげで、曇っていたようにも見えた。

 

「そうだよね。それじゃぁわかんないよね。説明したいな……。でも、出来ないんだ」

 

 言ってくれなくちゃ分からない。河内先輩のことも。湯浅部長のことも。安城春菜のことも。

 私は今、深いことは考えたくなかった。

 もう少しだけ、風に当たっていたかった。だから

 

「すみません部長。もう少ししたら戻りますから」

「伊原……」

 

 私はもう一度いった。

 

「もう少ししたら……、戻りますから。」

 

 だから、放っておいて下さい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 JOKER16

 

 

 

 

「会長絵上手いっすね」

 

 素直に、そして率直に無意識に出た言葉だった。

 地学講義室から出た俺は、生徒会室の《氷菓》の売れ行きを確かめるために、生徒会室に訪れていた。

 そこで会長である陸山宗芳が描いていたのは、ある一枚絵だった。

 《welcome to カンヤ祭》と書いてあるので、ポスターにでも使うのだろう。

 聞いたところ、今日一日中これを書いていたらしい。

 

「そうか?普通だろ。それと《氷菓》二十部目完売だ。今日はもうそろそろ終了だから、次は明日持ってきてくれ」

「了解です。」

 

 しかし、この文化祭期間中にここまで生徒会長と仲良くなれるなんて思ってもいなかった。俺は不意に世間話のように話を振った。

 

「漫画とか書かないんすか?」

 

 陸山の手が一度止まった気がする。しかし、陸山はGペンを走らせながら言った。

 

「無理だよ。昔から絵を書くのは好きだけど、ストーリー構成はできなくてな」

「じゃぁ俺ストーリー考えますよ!」

「お前とか?寝言は寝て言えよ」

「酷くない!?」

 

 陸山は薄く笑ったあと、手のうえに顎を乗せ、生徒会室の窓の外を見ながら言った。

 

「漫画は書かないよ。どんなに仲のいい友達、例えジローに頼まれたとしてもな」

「ふぅん。でも、そこまで上手くなるって相当努力したんすね」

 

 無意識に俺から出た言葉に、陸山は驚いた顔を見せた。

 そんな話をしていると、生徒会の連中が戻ってきた。生徒会の生徒達は、陸山に手短に連絡事項や資料を渡し、再び小走りで生徒会室をあとにした。忙しいそうだな、生徒会。

 するともう一人、陸山の近くに生徒会の生徒が寄ってきて耳打ちをした。『十文字事件というものが起こっているようです』と聞こえた気がする。陸山は俺の方を向いて、言った。

 

「《十文字事件》ってのが発生してるみたいじゃないか。知ってるか?」

「あぁ……ええ、まぁ」

「お前古典部だろ?もしかしたら最後の標的になるかもな。奪われんなよ?」

「なってくれれば、氷菓が売れてお祭り騒ぎっすよ。じゃぁ忙しいそうなんで、俺そろそろ戻ります」

「おう、じゃぁな」

「うっす」

 

 俺はそういうと、生徒会室をあとにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ♠︎09

 

 

 

 

 

「やられたよ、ホータロー……」

 

 文化祭二日目もそろそろ終了しようとするところで、地学講義室に最初に戻ってきたのは里志だった。

 聞くところによると、里志は《十文字》が奇術部の公演中にモノを奪うものかと思っていたが、イベントが始まる前には既に「キ」ャンドルは奇術部から奪われていたらしい。

 

 そもそも《十文字》がイベント中にモノを奪ったケースはなく、《十文字》が自分の都合のいいようにターゲットのイベント開始時間を設定できるわけがない。だから《十文字》はイベント最中か否かを問わず都合のいい時間に盗んでいると思っていたのだが……というのを説明したところ

 

「知ってるなら教えてよ」

 

 ボヤかれてしまった。

 

「お前がどうするつもりなのか俺は知らなかったんだ。それで、犯行声明はあったのか?」

「うん。二年D組の前に落ちていた」

 

 なるほど……誰でも犯行は可能ということか。神高の総生徒数は約千人。その他の一般客も加えれば更に人数は多くなる。うぅむ。

 

「千反田はどうだったんだ?」

 

 俺が聞くと、千反田は大きく頷いた。

 

「はい!二年F組にお預けした《氷菓》の売れ行きは快調だそうです!」

 

 二年F組、入須か……。あの人には何となく借りを作りたくないのだが…。

 

「それに加えて、神高月報に《十文字事件》のことが取り上げられていました。五十音順の法則も。それでですね、《古典部》のことも載っていたんです!『最後の標的は《古典部》または《工作部》であると推測される』って」

 

「工作部……そっちに行かれたら計画は台無しだな……」

 

 俺は視線をハルの方向に向ける。ほう。

 

 こいつがある一点を見続ける時は、何かを考えているのだ。一日中ここにいた俺より、ハルの方が情報を掴んでいるのは確かだろう。

 それとも、《十文字》以外の事を考えているのか?

 

「ハル。お前の方はどうだった?」

「え?あぁ、生徒会室の《氷菓》二十部目完売だ。加えて文芸部に預けた十部から三部。書道部に預けた十部からも三部。訪問販売で四部。売れ行き上々だろ?」

 

 むむ。数えられるのはそれだけだが、《神高クイズスクエア》でのマイクアピールを含めればさらに上乗せは出来るだろう。やはりこいつには交渉術や商売、宣伝の才能があるのだろうか。

 ハルの成果を聞いた千反田が少し落ち込んだ様子を見せた。

 

「ホータローの方はどうだったんだい?」

「十六部だ」

「へぇ、昨日より売れてるじゃないか。」

 

 まぁな。だがこれで半分だ。明日の土曜日が本番な訳だが、《十文字事件》を利用しないと完売は難しい。

 俺は机から製菓研のビスケットを取り出した。

 

「これはなんだい、ホータロー」

「製菓研のビスケット。一人じゃ多いからな、よかったら食ってくれ。味は保証しよう」

 

 呼びかけると、伊原もこちらに寄ってきた。

 

 俺達がビスケットを食べているあいだに、文化祭二日目終了のチャイムが流れた。

 

 

 文化祭二日目、終了。

 

 

 【氷菓完売まで あと百八部】

 

 

 




時間《眠れない夜》





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第十一話 眠れない夜

 JOKER17

 

 

 

 文化祭二日目が終了した夜。家に帰ると雨がおり、今日の勘解由小路家の食卓は盛り上がった。

 時間は既に一時を回ろうとしていた。基本的に寝るのは遅い体質だが、明日も早い、早く寝なければならない。

 

 水でも飲もうか……。俺は部屋から出ると階段降りてリビングに向かった。勘解由小路家の屋敷は千反田邸には劣るがそれなりにでかい。

 しかしそれは見た目だけであって、千反田邸のように全てが和室で形成されてはいないのだ。

 リビングに降りると、明かりがついていることに気がついた。晴香がソファに座って何かを読んでいる。

 

「よう」

「まだ起きてたのか晴」

「お互いにな、なに読んでんだ?」

 

 「ん」と、晴香は俺に今まで自分が読んでいた冊子を渡してきた。漫画だと思っていたがカバーは随分チープで、《氷菓》のような質感を覚える。

 表紙に描かれていた猫がアクロバットをしている絵に、俺は思わず「おお」と声を上げた。

 

 上手い。絵のことは伊原のように詳しくはないが、商業誌に掲載されていても不思議では無い。題名は……

 

「《ボディートーク》、どこで買ったんだ?」

 

 晴香は両手を頭の後ろに回し、体重をソファに掛けながら答えた。

 

「同人誌さ。友達にもらった。即売会で買ったんだって」

「ふーん」

 

 俺は《ボディートーク》をソファの前においてある机に置き、晴香の隣に座った。

 しばしの沈黙。気まずくはない。

 

「文化祭も、明日で終わりか」

 

 晴香がボヤいた。そうだ。晴香は三年で、今年の文化祭が最後の年となる。

 俺は薄く笑ったあとに、らしくない言葉を発した。

 

「楽しかったか?」

「そうりゃァ勿論。今年の《カンヤ賞》は書道部がもらうよ」

 

 《カンヤ賞》、一般客からのアンケートで、最も人気のあった参加団体が貰える賞だ。閉会式で発表される。

 

「古典部だって、《氷菓》が完売すればまだ分からないぜ」

「一年目のガキが生意気言ってんじゃないよ」

 

 晴香は俺の頭を人差し指でどつくと、自室に戻って行った。

 

「おい、《ボディートーク》忘れてるぞ」

「やる。もう私は読んだから」

 

 ふむ。

 

 眠れるまで読むか。

 

 

 

 

 

 

 

 ♥09

 

 

 

 

 今日は疲れました。

 

 田名辺さんに頼んで、遠垣内さんに頼んで、入須さんに頼んで……私は頼んでばっかりです。これでいいんでしょうか?

 

 福部さんはマイクアピールでお客さんの客足を伸ばしました。南雲さんも訪問販売で《氷菓》を沢山売り上げています。

 

 私は人にものを頼むのが向いていないのかも知れません。言ってしまえば才能がないのです。千反田家の人間として、これではいけません。

 

 もっと他にあるはずです。私にしか出来ないことが、諦めてはいけません。でも、

 

 

 今日は……やっぱり疲れました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ♦︎07

 

 

 

 

 

 私は今自室のベッドで《ボディートーク》を開いている。眠れなかったので、これを読もうと思ったのだが、あまりの面白さと話のテンポの良さに次がきになって目が覚めてしまう。

 これを睡眠剤代わりに使うのは向いていない。これで寝ようなんて考えるのが間違いだった。

 

 《ボディートーク》。主人公は相手の体に触れるだけでその相手と意識下の中で会話が出来る能力を持つ。

 主人公はこれまたトラブルメーカーで、様々な問題に巻き込まれるという一話完結型の漫画だ。

 それに加えて、それぞれのコマで意味なく登場する猫のような狐のような動物がアクロバットをしている姿はどことなく笑える。多分作者の持ちキャラだろう。

 

 でも《ボディートーク》は《夕べには骸に》に比べれば全体的な総合評価では劣るだろう。

 勢いに任せすぎていたり、背景があからさまに書きかけの部分が多かったり、セリフの前後関係が分かりにくいところがあるのは事実だ。

 

 私がお遊びで描いた漫画よりかはそりゃ天と地の差はあるけどさ。

 多分それをほかの人に読ませたら睡眠薬代わりになるのは間違いない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ♠︎10

 

 

 

 

 

 リビングにあるパソコンを開き、俺はインターネットブラウザを開いた。神山高校文化祭公式ページに向かう。

 

 通信販売コーナー……こんなものもあるのか。売るのは当然、文化祭で出品されているものだろう。是非とも《氷菓》も売っていただきたいものだ。

 

 注文はメールフォームから行うらしい、管理しているのは……総務委員会か。ふむ。

 

 

 寝よう。眠れないけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ♣︎11

 

 

 

 

 

 夜の散歩に出た。一風呂浴びてさっぱりした体を十月の涼しすぎる夜風に当てる。

 

 神高に入学して、僕は千反田さんという希なる触媒に接して、ホータローの力を見た。

 それは今まで僕の前では発揮することのなかったホータローの真価、推理能力というべき代物だろう。

 ホータローは単なる灰色一色の人間ではなく、僕の好む意外性のある人間だった。

 

 ハルの能力についても僕は驚いた。古典部に入るまでは、ホータローと同じクラスで隣の席の男子、という印象しかなかったんだ。

 正直言ってしまえば、いつも本を読んでる意外性のない人間だとも思った。

 しかし、彼は古典部で僕達に類まれなる力を証明した。《女帝事件》の時には入須先輩の企みに気づいて、誰よりも早く行動を起こしていた。自分のことを《無色》なんて言ってるのにねぇ。

 

 能ある鷹は爪を隠す。二人がそういう人間であると気づいた時、僕は心からそれを愉快な事と思っただろうか。

 二人が事件を解決している時、僕は一歩後ろで見ているだけしか出来なかった。

 

 だから僕は、二人には向いていないこの《十文字事件》を……二人に期待することなく解決する。

 

 

 さて、《十文字》だけどまず僕が気になったのは、選んだ部活だ。何故アカペラ部だった?何故囲碁部だった?何故占い研だった?

 特にお料理研のおたまだ。あれは多分ワイルドファイアが始まる前には既に取られてた。けど、始まる前からあの場には沢山の観客が押し寄せていた。人目に見られるリスクを負ってまで、なぜお料理研だったんだ?

 《オカルト研》も《応援団&チアリーディング部》でも良かったんだ。

 

 次。さっきも言ったけど、《十文字》はイベントの最中にモノを奪うんじゃなくて、イベントが始まる前に既に盗みを働いている。

 なら、明日は早起きだ。『く』のつく部活を徹底的に張り込んでやる。『く』のつく部活は《クイ研》と《グローバルアクトクラブ》。《クイ研》はもうイベントはないから、《グローバルアクトクラブ》の可能性が高い。

 

 データベースが結論をだす、世にも希な瞬間。もしかしたら僕はこの文化祭で自分の中に眠る意外性に出会うことができるかもしれない。

 

 僕は踵を返すように頬を思いっきり叩くと、犬に吠えられた。

 

 

 

 

 

 【氷菓完売まで あと百八部】

 

 




 《クドリャフカの順番》編もあと三、四話で完結です。




 次回《クドリャフカの順番》


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第十二話 クドリャフカの順番

 お気に入り250ありがとうございます!


 ♣︎12

 

 

 

 

 WANTED!

 

 

 神山高校生徒諸君の耳には既に届いているであろうが、今このカンヤ祭には《十文字》を名乗る怪盗が悪事を働いている!

 

 既に被害は七団体に拡大し、《十文字》の狙いは十の物品を盗み去ることであろうとは既報の通りである。

 

 さて親愛なる神山高校生徒諸君!このまま《十文字》の悪行を許していいのか!?知恵において、我々は本校の一生徒であろう《十文字》に劣るのか!?

 

 いやそんなはずはない!!

 

 我々壁新聞部は、怪盗《十文字》の尻尾を掴み、彼の仮面を剥奪する探偵を希求する。

 この闘いに勝利した勇敢なる名探偵には、その叡智を深く讃え、その労苦には大号外をもって報いるだろう。

 

 

 

 

 

 随分張り切った記事だなぁ。まぁ僕好みなんだけどさ。

 

 僕は昇降口に貼られている壁新聞を多分にやけ顔で見ている。まだ時計が七時を回ったところだっていうのに号外を出すなんて、気合が入ったことだ。

 

 僕は昨日の仮説を手に、グローバルアクトクラブの展示がされている三年E組の教室に向かった。

 こんな朝早くから来ているんだ。まだ《十文字》が盗みを働いていなければ、張り込みは成功するはずだ。

 

「よう、福部。遅かったな」

 

 既に先客が三年E組にいた。谷くんに……

 

「ん?君は古典部の……福部くんだったかな?前は世話になったね。君もこの事件を解決しに来たのかい?」

 

 二年F組、羽場智博先輩。《女帝事件》、二年F組の探偵役の一人だ。

 

「おはようございます羽場先輩」

「彼、南雲くんはどうしたのかな?」

 

 そう言えば、羽場先輩はハルに一泡吹かせられていたね。僕はできるだけ愛想良く答えた。

 

「ここにはいませんよ。まだ自分の家でヨダレ垂らしながら寝てるんじゃないですかね?」

「ふーん。そうか……」

 

 羽場先輩はどことなく嬉しそうな笑みを浮かべた。僕は次に谷くんに話しかける。

 

「やぁおはよう。犯人はまだなんだろ?」

「期待のライバルにそう易々と情報は教えられんな。自分で確かめてみろよ」

 

 こうやって余裕こいてる態度から、まだ犯行は行われていないことは目に見えてるんだけどね。

 

 僕は巾着袋から取り出したガムを口に放り込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ♠︎11

 

 

 

 

 

 俺は机の上に肘をつき、頬杖をつく。

 

 《十文字》をパンダにして客を寄せるという手段は悪くない。古典部が最後の標的になると壁新聞部が書いてくれたのなら、客足も伸びるだろう。しかし……

 

 ハルはまだか。あいつが来るまでに、少し考えをまとめてみる必要があるな。

 

 俺は、考えてみることにした。

 

 

 

 

 

 

 ♣︎13

 

 

 

 

 時計は十時を指そうとしていた。おかしい……、そろそろ何かがあってもいい時期だろうに。

 壁新聞の効果なのか、時間を追うごとに探偵役志願者がどんどん増えて、三年E組は人に埋もれつつあった。しかし、どんなに目を凝らしてもおかしな動きはない。

 

 探偵役たちからも

 

「俺帰るわ」

「なんかあったらメールちょうだいね」

 

 とかの声が聞こえる。羽場先輩もいつの間にかいなくなっていた。

 

 ええい《十文字》!!恐れをなして逃げたのか!?

 

 突然、谷くんが声を上げた。

 

「なに!?」

「なにかあったのかい!?」

 

 谷くんは口を紡んだ。《十文字》関連の情報だろう。

 

「僕あいにく谷くんみたいないい友達がいなくってさ。もし良かったら教えてくれるかい?」

「ちっ、《十文字》のやつ。法則を破りやがった」

「何だって?」

「軽音部から弦がやられた」

 

 軽音部?弦?そんなまさか……

 

 谷くんは僕の返答を待つこともなく、三年E組をあとにした。

 

 どういうことだ……。《十文字》が法則を破った?五十音順に、ほぼ二時間おきに、この縛りがあるからこそ、僕は《十文字》を現行犯で捕まえることが出来るんじゃないかって思った。

 グローバルアクトクラブは警戒厳重だから軽音部ね。そんなことをやられたら、もう打つ手がないじゃないか。

 

 《十文字》は自分で作った法則を重視していなかったって言うのか……。どうする?

 

 僕が千人という人の海の中から《十文字》を捕らえるために出来ることと言えば、現場に立ち会うこと。

 法則を捨てるなら、どうして現場に立ち会うことが出来るだろうか。

 

 僕にできることは……一体なんだ?

 

 

 

 

 

 

 

 JOKER18

 

 

 

 

「うぃーっす」

「遅いぞハル……遅刻とは何事だ」

 

 午前十一時、とんでもない重役出勤をしてしまった。先程千反田ともすれ違い、二年F組に委託した《氷菓》が完売したから追加を持っていったらしい。ついでに生徒会室にも持って行ってくれた。ありがとう千反田える。カブリエル。

 

「いやぁ!昨日晴香から貰った同人誌を読んでたら眠れなくってさ。持ってきたんだけど、お前も読むか?《ボディートーク》、面白いぞ」

 

 俺は奉太郎に《ボディートーク》を見せるが、こいつはそれから目をそらし、言った。

 

「悪いが店番を頼む。雉撃(きじう)ちに行ってくる」

「雉撃ち?トイレか?」

「ボカしたのに直接的にいうな」

 

 高校生男子が雉撃ちって言い方もどうかと思うけどな。

 

 俺は《ボディートーク》を机に置くと、奉太郎が今まで座っていた椅子に座り、奉太郎を送り出す。

 奉太郎からの説明によれば、《氷菓》の隣においてあるこのハートのブローチは《わらしべプロトコル》で手に入れたもので、物々交換をして遊んでいるらしい。

 奉太郎が席を開けてから五分ほど経ったところに、人影が現れた。客か?入ってきたのは女性。

 

 オレンジ色のシャツから覗いた腕は軽く日焼けしており、夏の香りを残すショートジーンズを履いていた。なんか、見たことあるような。

 女性は俺を見ていなかったのか、入るなりとんでもないご挨拶をかました。

 

「おーっす!店番やってる、我が弟よ!!」

「俺に姉貴はいませんよ」

 

 女性は「あら?」と声を出すと、笑いながら返した。

 

「あはは!ごめんごめん。店番をしてる怠け者っていったら弟しか思いつかなくてさ、やってるものだと思ってたよ!」

 

 店番をしてる怠け者……?弟……まさか、この人。

 

「折木供恵さんですか?」

「あれ?あたしのこと知ってるの?」

 

 やっぱり!俺は椅子から立ち上がり、少し声を貼りながら言った。

 

「俺ですよ!今年の夏に手紙を送った、南雲晴です!」

 

 供恵さんは人差し指を口元に置き、考える仕草をとると、思い出したかのような声を上げた、

 

「あー、はいはい。君が南雲くんね!思い出した!どう?《氷菓》の売れ行きは」

「奉太郎から聞いてないんすか?」

「聞いてないけど大体のことは知ってる。一部頂戴」

 

 なんで知ってんだろ。

 

「二百円です」

 

 俺は二百円を受け取ると、供恵さんはブローチに気が付き、それを拾い上げた。

 

「なにこれ?」

「わらしべプロトコルです。奉太郎が色々物品交換してるみたいで、それと同価値のモノを」

「ふーん、じゃぁこれあげる。タダであげようとも思ったけど、ブローチは頂くわね」

 

 供恵さんはブローチを胸ポケットにしまうと、トートバッグから文集のようなものを取り出した。女性の横顔が描かれており、リアルタッチでは無い。《ボディートーク》と同じ、漫画絵だ。てかこの絵……どこかで。題名は……

 

 《夕べには骸に》?

 

「どうも。それより、ブローチなんてどうするんですか?」

「ブローチは女の子にとって大事なステータスなのだ!」

 

 じゃぁなぜ着けることなく胸ポケットにしまったのだろう。

 

「じゃぁ行くわ。まったねん、南雲くん!」

「はぁ……」

 

 供恵さんは地学講義室のドアの前で立ち止まり、もう一度こちらを向いた。

 

「そうだ、入須の件に関してはごめんね」

 

 え?

 

 そう言い残し、供恵さんは地学講義室をあとにした。

 

 まさか、あの人が俺たちを入須に紹介したのか……いや、まさかね。

 

 

 

 ほんとに?

 

 

 

 

 

 

 

 

 ♠︎12

 

 

 

 

 

 雉撃ちから戻ると、ハルはなにかを熱心に読んでいた。戻ってきた俺に気づかないほど。

 タイトルを見ようと少し身をかがめると、《夕べには骸に》というタイトルが書かれており、その下には作者の名前も書かれていた。

 

 安心院鐸波。なんだ… ……《あんしんいんたくは》って読むのか?

 

「お、戻ったのか?」

「まだ気づいてなかったのか、どうしたんだそれ」

「お前の姉貴が来た。わらしべプロトコルで手に入れたんだ」

「ほんとか?いなくて良かった」

「はは……苦手意識持ってんだな」

「それで、何をそんなに熱心に読んでいる」

「後書きだよ。なんか……引っかかるんだよなぁ」

 

 ハルは頭を掻きながら《夕べには骸に》を俺に渡してきた。俺はハルのいう後書きに目を通す。

 

 

 

 《夕べには骸に》いかがでしたか?

 

 自分で言うのもなんですが、かなりの出来だと思います。まぁ私は背景を手伝っただけで、ほとんど何もしていないんですが。この漫画の手柄は、私ではなく原作者と作画の二人です。

 

 私たちは全員漫画研究会に所属している訳ではありません。ただ漫画が好きで、話しているうちにこの作品が出来上がっていました。

 

 さて、私たちはこの一冊で解散するつもりはありません。来年のカンヤ祭を目指し、もうスタートしています。

 

 原作を書いてるやつは、作風をコロンと変えて、ミステリー風に攻めると言っています。何でも、()()()()()()()()()()を一捻り、二捻りできないかと企んでるそうです。タイトルはもう出来ているとか。

 

 次回のタイトルは《クドリャフカの順番》

 

 ではまた来年。カンヤ祭でお会いしましょう。

 

 安心院鐸波

 

 

 

 

 

 

「……」

 

 思わず息を止めた。ハルは俺が思ったことと同じことを口にした。

 

「クリスティの超有名作を一捻り、二捻りした作品。《クドリャフカの順番》。俺は訪問販売でこの文化祭期間、この神高を何周もしたけど、俺の見落としじゃなきゃそんなものは売ってなかった。加えて、《十文字事件》……」

 

 あの姉貴が退屈してる弟の為に、という理由でこんなものを持ってくるわけがない。

 俺は時間を見る。十一時十五分。

 

「ハル。今日の訪問販売は午後からというのはどうだ?」

「あ、…時には休むのも大事だよな。」

 

 俺は昨日雨が座っていた場所に腰をかけた。

 

 俺たちは、《夕べには骸に》を読み始めた。

 

 

 

 

 

 

 ♣︎14

 

 

 

 

 考えがまとまる。

 

 この事件は僕の手には負えない

 

 諦めが良すぎるのも、良かれ悪かれ僕の特質なのだ。

 なら僕が出来ることとはなにか、それはもう一つしかない。

 今まで通りのことをするだけだ。

 

()()するよ。ハル、ホータロー」

 

 

 

 

 

 

 ♥10

 

 

 

 

 

 文化祭もいよいよ最終日です!私、頑張ります。

 

 私はある人を探していました。他でもありません。放送部の部長さんです。

 私は運がいいことに、その方の容姿を知っていましたから。

 

 そして、階段を上ったところで、私は見つけました。放送部部長、吉野さんそのひとです。

 

「こんにちは、吉野さん」

 

 吉野さんは私の呼び掛けに首をかしげながら答えました。

 

「君は?」

「私は古典部部長の千反田えると申します。実は、放送部さんにお願いが……」

「え!?君が古典部の部長さん!?いやぁ偶然だなぁ!僕もちょうど君を探していたところだよ!是非ともお話を伺いたくてねぇ!」

 

 あら。なんでしょうか?

 

「壁新聞部が書いたやつ、古典部が《十文字》の最後の標的になるってのは本当なのかい!?でさ、昼のラジオはそれでいこうと思ってるんだ。でさ、ゲストはやっぱり最後の標的の部長さんにしようと思ったんだ。どうかな?今日の昼のラジオ、出てくれない?」

 

 これは、望んでも得られない事態です!ラジオ出演をお願いしようと思ったところ、まさかあちら側からお願いされるなんて……!!

 ですが……私にゲストが出来るでしょうか。福部さんや南雲さんの方が……。

 

 いえ!!駄目です!!同じことをしている身としては、南雲さんに負けられません!!大体南雲さんは今日遅刻をしていました!たるんでいます!!担任の先生の注意を笑いながら受け流していました!!

 

 私は大きく頭を下げました。

 

「こちらこそよろしくお願いします」

「そういうと思ったよ!それじゃぁ今日の十二時に放送室ね!よろしく!」

 

 そう言い残した吉野さんは行ってしまいました。大分、不安です。

 

 部室に寄っていきましょう。福部さんがいるかは分かりませんが、アドバイスを貰いたいのです。

 部室につき、中に入ると既に折木さんと南雲さんと福部さんがいました。

 

「おい、早いって」

「お前が読むのが遅いんだ」

「あぁ!!今のコマ!!」

「ちょっ、勝手にいじるな……」ビリィ!!

「「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!」」

 

 南雲さんと折木さんが熱心に文集のようなものを読んでいます。

 

「破けてないか?」

「あぁ音だけだったようだ」

「聞いてよ千反田さん。この二人、漫画を読むのに夢中で僕の話を聞きゃあしない」

 

 漫画に目を落としたまま、折木さんが答えました。

 

「聞いてるよ。『く』が飛ばされて軽音部がやられたんだろ?」

「その重大さを理解してくれないと聞いたうちに入らないよ」

 

 するとお二人は漫画を閉じ、深く溜息をつきました。南雲さんがいいます。

 

「いやぁ、昨日といい今日といい、いい同人誌に出会えるなぁ。」

 

 南雲さんの横には《ボディートーク》と書かれた文集が置かれています。

 ドージン漫画と普通の漫画、どう違うんでしょうか?

 

 折木さんは少し恥ずかしげにボソリと言いました。

 

「いいぞ、これ」

「へぇ、僕も後で読ませてもらおうかな」

 

 私はお二人が読んでいた漫画を覗き込みます。可愛らしくも、哀しそうな表情を浮かべた女の子の絵が描かれています。漫画のことはよく分かりませんが……絵がとても上手いと思います。ですがこの絵、どこかで。

 

「どうしたの千反田さん」

「この絵どこかで見ました」

「やっぱり千反田もか?」

 

 南雲さんが視線をこちらに向けて言いました。

 

「俺もこの絵どっかで見たことあんだよなぁ。結構最近だった……いや、この文化祭期間中に……」

「錯覚だろ」

 

 折木さんの声が即座に飛びます。

 

「姉貴が持ってきた同人誌だ。お前らに見覚えがあるわけない」

 

 駄目です。しりたくてしりたくて、私は言ってしまいました。

 

「私、気になります」

 

 折木さんと南雲さんの顔が渋くなります。そんな反応酷いです。

 そうです!この絵は確か……

 

「南雲さん!この漫画!少し貸してください!会議室の脇の掲示板でこれを見たんです。文化祭宣伝用ポスターの絵……だと思います。」

 

 南雲さんは少し身を引きます。また近づきすぎてしまったようです。

 

「分かった……でもすぐに返してくれ。必要なんだ」

「はい!すぐにでも!」

 

 私は、《夕べには骸に》を胸に抱きしめました。

 

 

 

 

 

 

 

 ♦︎08

 

 

 

 

 

 

 私は今日最初に漫研にいた。理由は、客引きのポスターを書くため。今日の私のコスプ……服は、ポケットがいくつもついたカーキー色のジャケットに人民帽。

 これがなんなのか見抜いたのは河内先輩ただ一人だった。

 

「鳥を見ると縮む刑事?」

「そうです」

「の、縮んだバージョン」

 

 やかましいわ。

 私と他の部員は早速作業に取り掛かった。作業をしている時間は無駄なことを忘れられる。《十文字事件》のとも、《夕べには骸に》のことも。

 一枚目を書き上げ、私は言った。

 

「上がりです。次は?」

「適当に書いて」

 

 はい。適当に書きます。

 

 漫研の文集《ゼアミーズ》の売れ行きは快調のようだ。

 河内先輩の露出度の高いコスプレは学外からのお兄さん方に随分と人気で、対応に忙殺されているので塗りの戦力には数えられない。

 河内先輩グルーブの人達が塗りに回っているけど、河内先輩と比べると明らかに速度と技量が足りない。

 

 その時だった。汚れた水入れを持った一年が、私の前でふらついたのだ。

 

「おおっとと」

 

 それも、わざとらしく。多分彼女は水滴を少しだけ飛ばしてやるつもりだったのだろう。尊敬する河内先輩に生意気を働いた同じ一年を懲らしめてやろうと。しかし、事はそれだけで終わらなかった。

 

 よろめく振りをした女の子はさらに大きく崩れた。おおっとと、なんてものじゃない。悲鳴のような叫び声が、その後に続いた。

 

 ばしゃぁ!!

 

 

 水入れ一杯分の汚水が、私の胸に飛んできたのだ。今から書こうとしていたケント紙にもそれは飛び散り、汚れた水の黄灰色で斑に濡れた。

 

「ご、ごめん伊原……。わ、私……そんなつもりじゃ」

 

 おずおずと半泣きの顔で言ってくる。

 怒る気にはなれなかった。そもそも、怒れるほど今の私には気力はない。

 私は椅子から立ち上がり、着替えをするために、言った。

 

「すみません。ちょっと出てきます」

 

 

 

 私は演劇関係の人が使っている更衣室の片隅でそっとジャージ姿に着替えた。制服はあいにく家なのだ。

 

「あっ!摩耶花さん!」

 

 漫研に戻ろうとする私を止めたのは、ちーちゃんだった。嬉しそうにこちらに手を振ってくる。

 しかし私の視線は、ちーちゃん本人ではなく、その手に握られた文集だった。

 

「な、なんでちーちゃんがこれを持ってるの!?」

 

 間違いない。この表紙は、《夕べには骸に》だ。

 

「私のではなく折木さんのですけど……摩耶花さんはこの漫画のこと知ってるんですか?」

 

 なんで折木がこれを持ってるの!?

 

「ん、まぁ……」

「じゃぁこの絵を書いた人の事は?」

「それは知らない」

「あのですね!文化祭宣伝ポスターにこれと似た絵があるんです。それが同じ人なのか、私、気になるんです!」

 

 《夕べには骸に》の絵に似たポスター、もしその人が《夕べには骸に》の作画担当だったら……?

 気が高揚していく。私は言った。

 

「ちーちゃん、そのポスターはどこ?」

「会議室の脇です」

「よし、いこう!」

 

 私たちは会議室まで足を走らせた。

 

 そして到着。私はその絵を見る。これは……

 

「うん。間違いない、同じ人ね」

「そうですか、ありがとうございます。胸のつかえが取れました」

 

 一応確かめるために、私は会議室のドアをノックする。出てきたのはメガネをかけた男子生徒だった。ちーちゃんが言う。

 

「こんにちは田名辺さん」

 

 田名辺、たしか総務委員長だよね。

 

「やぁ君は確か、千反田さんだっけ?またなにか?」

 

 用があるのは私だ。ちーちゃんは半歩は下がって、私を前にしてくれる。

 

「お忙しいところすみません。そこに貼ってあるポスターなんですが、誰が書いたのか分かりますか?」

 

 田名辺先輩は眉を寄せた。何種類もあるポスターを誰が書いたかなんて、普通は覚えていないものだろう。

 

「うーん。これは……陸山だよ」

「陸山って、陸山宗芳先輩ですか?生徒会長の」

 

 私が聞くと田名辺先輩は愛想よく返してくれた。

 

「あぁ、その陸山。昨日お前もなんか描けって描かせたんだ。中々の出来だろ?」

「はい、とても素晴らしい絵だと思います」

「はは、本人が聞いたら喜ぶよ」

 

 原作者の安城春菜に続いて、作画担当まで分かるなんて。いいことは続くものだ。

 どうせなら陸山先輩が使っているペンネームを聞いて、追っかけをやりたいところだけど、もしかしたら安城春菜との《黄金コンビ》はまだ続いているかもしれない。

 

 私はちーちゃんとお礼を言ってから、会議室をあとにした。

 

 目的を達成してニコニコしているちーちゃん。私とちーちゃんは先を争うように、地学講義室に向かった。

 

 

 

 【氷菓完売まで あと九十五部】





次回《古典部VS十文字》




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第十三話 古典部VS十文字

 ♠︎13

 

 

 

 

 

「「〜♪」」

 

 ものの五分程で千反田は伊原と共に地学講義室に戻ってきた。何やら二人でデュエット曲を歌いながらだ……なんだなんだ。

 この歌は聞いたことがある。《まどろみの約束》、だったような。

 

「書いてる人がわかりました!」

「へぇ、やっぱり同じ人だった?」

「はい!陸山宗芳さんでした!立ち振る舞いの堂々とした方だと思ってましたが、まさかこんな絵をかけるなんて」

 

 陸山宗芳?誰だ?里志とハルを見る。

 

「知ってるか?」

 

 聞いた瞬間二人は凍りついた。

 

「おい、お前嘘だよな?」

「ホータロー……冗談で言ってるんだよね?」

「有名人か?」

 

 処置なしという風に二人は両手で顔を覆い尽くした。ハルが処置なしポーズでつぶやく。

 

「生徒会長だよ。《氷菓》を二十数部売り上げてくれた張本人だぞ……」

「ああ……」

 

 ずっとリクヤマだと思っていた。クガヤマだったか。

 すると、伊原は突然声を上げた。

 

「《ボディートーク》!?」

 

「南雲、なんであんたがこれを持ってるのよ!?」

「え、昨日晴香から貰ったんだよ。友達が即売会で買ったんだと。」

 

 伊原は意外だ。という顔をしたあとに続けた。

 

「でも、《夕べには骸に》を見たあとに《ボディートーク》を見たら、やっぱり物足りなく感じない?」

 

 ハルは一度ムッとすると、言った。

 

「俺は《ボディートーク》の方が好きだぜ。《夕べには骸に》はちょっと女の子向け過ぎないか?やっぱ漫画はファンタジックじゃなきゃな。もし作者に会えたら続編を描いてもらいたいぜ」

「《夕べには骸に》の方がいいわよ」「《ボディートーク》だ」

「ん!!」「ん!!」

 

 なんか張り合っているが……《ボディートーク》、これも後で読ませてもらおう。それより、

 

「ところで、このアンシンイン タクハの内、絵を書いたのは陸山ってことか」

 

 しかし里志は未だに処置なしポーズを取り続けている。しつこいな。

 

「アンシンインってなんだよ、どこかのお寺?」

「違うのか?」

「それはアンシンインじゃない……アジム、安心院鐸波(あじむたくは)だよ」

 

 そんなことは一般常識に入らんだろ。いい加減処置なしポーズをやめろ。

 

「それで、原作を書いたのは安城春菜って人よ」

 

 伊原がいつの間にか俺の前に立っていた。ほう。陸山宗芳に安城春菜。

 

「ねぇ折木。それちょっと貸してよ」

 

 大人気だな。いいぞ持ってけと言いたいところだが……。俺の代わりにハルが口を開いた。

 

「悪い伊原、もう少し待ってくれ。必要なんだ」

 

 伊原は一度怪訝な顔をする。

 

「あんたは《ボディートーク》派じゃなかったっけ?」

「そ、それとこれとは話が別だよ……」

 

 うぅむ。どう説明したら良いものか、実際俺達もこれがなんの役に立つか……そもそも役に立つのか立たないのかすら分からないのだ。

 

「あっ、そうです。私、皆さんに相談したいことがあるんでした」

「相談とは?」

 

 里志が聞くと、千反田は微笑みながら言った。

 

「はい。実は今日のラジオに出演させてもらえることになったんです。古典部部長として」

 

 里志の声に抑揚が入る。

 

「本当かい千反田さん!?この神高最大のマスコミ部活を手中に収めるなんて、なかなか出来ることじゃないよ!!流石は《桁上がりの四名家》の豪農千反田家の息女さ!」

 

 手中に収めたわけじゃないだろう……。

 

「いや快挙だよ!こりゃぁハルも合計売り上げをこされるね」

「うるせぇ、俺と千反田は別に張り合ってるわけじゃない」

 

 千反田はどうか分からんぞ、ハル。さて、マスコミ対策は里志に任せておこう。俺はハルに視線を送ると、奴も気付いたようで席に座る。

 

 怪盗《十文字》。ヒントはあちらこちらに散らばっている。《夕べには骸に》、《クドリャフカの順番》、《犯行声明》、《十文字の法則》。

 

 《十文字》の首根っこを捕まえるためには、どうしたらいい?

 

 俺“達”は考えてみた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 JOKER19

 

 

 

 

「里志」

 

 俺と奉太郎が里志の名を呼んだのはほぼ同士だ。俺達は「む」と言いながら顔を見合わせる。

 

「うん、なんだい?」

「スマンがちょっと用がある。」

「この忙しい時なんの用さ」

「いいからこ……」

 

 俺が言いかけたところで、視線を感じた。その主はもちろん千反田。輝いた目つきはまるで『十文字のことでなにか分かったんですか?私、気になります!』だ。

 それを見かねた奉太郎が言った、

 

卑猥な話がある」

 

 途端。千反田の目から輝きが消えた。これはセクシュアルハラスメントに当たるのでは?

 

 

 

 

 

 

 

「で、聞かせておくれよ。卑猥な話をさ」

 

 俺達が今いるのは地学講義室から少し離れた連絡通路の屋上だ。ここは文化祭の雰囲気が届いておらず、落ち着く。里志は俺たちの顔を交互に見るなり、笑いながら言った。

 

「さぁ、期待してるよ二人とも。なにかミッシンリングでも見つかったのかい?」

 

 俺は首を傾げる。なんだそれ。多分奉太郎もだ。

 

「ミッシンリングだよ。なにか奪われた部活の共通点でも見つけたのかい?」

「いや、そうじゃない」

 

 奉太郎が答える。

 

「じゃぁ《十文字》の些細なミスを見つけたの?」

「いや、そんなんじゃない」

 

 里志は動きを止め、俺たちに向かって言う。

 

「どっちでもないだって?怪盗だよ?連続盗難事件だよ?容疑者は千人だよ?二人はなんの手がかりもなく、千人の海の中から《十文字》を引っ張り出そうって言うのかい!?」

 

 その声は興奮していた。俺と奉太郎は一度顔を見合わせ、里志に向き直る。最初は俺だ

 

「第一に、《十文字》は十の部活から十の物品を盗む。まぁこれは今更だな」

 

 間髪入れずに奉太郎が言う。

 

「第二。なぜ《十文字》は現場に犯行声明を残すのか」

 

 そうだ。なぜこんな面倒なことを……確か怪盗事件として《十文字》が愉快犯としてこれを楽しんでいるのなら合点はいくが……。俺は言う。

 

「第三、 なぜ《十文字》は頂いたではなく、失われたと使うのか」

「第四、なぜ《カンヤ》祭の歩き方を置いていくのか」

 

 ABC時刻表の模倣であるだろうが、他にも部活が載っているものなんていくらでもあるはずだ。次は俺だ。

 

「第五。なぜ《十文字》特定の部活を狙ったのか。例えば園芸部だが、他にも演劇部や映画研がある。なのに、なぜそちらに行かなかった?」

「第六。お前は俺とハルが漫画を読むのに夢中で聞いていないと言ったが…なぜ『く』を飛ばして『け』に行ったのかだ」

「それは、グローバルアクトクラブが警戒厳重だったからだよ」

 

 いやそれは違う。俺は言った。

 

「だったらクイ研に行けばよかった。つまり、《十文字の法則》には五十音順以外のなにかしらの法則性があるんだ」

 

 そして最後の疑問。俺は口を開いた。

 

「最後に……里志、クリスティの超有名作ってなんだと思う?」

「そうだねぇ。《そして誰もいなくなった》、《オリエント急行殺人事件》、《ABC殺人事件》、《アクロイド殺し》……この辺かな」

「その中で、《クドリャフカの順番》というタイトルに当てはまりそうな作品はあるか?」

 

 奉太郎が言うと、里志は腕を組み「うーん」とうなり声を上げた。里志がデータベースを自称しているのは伊達ではない。俺と奉太郎の待ち望んでいた答えを返してくれた。

 

「クドリャフカって言ったら、昔ロケットに乗らせれて宇宙をグルグル回った犬の名前さ。……クドリャフカだけだったら僕は《そして誰もいなくなった》を選ぶけど、順番と来ればやっぱり《ABC殺人事件》を六四で選ぶよ」

 

 俺は続ける。

 

「去年この文化祭で売られていた《夕べには骸に》の後書きで、来年はクリスティの超有名作を一捻りした《クドリャフカの順番》という文集が売られるはずだったが……、そんなものは今年売られていない。クリスティの超有名作と言ったら、今お前が出してくれた《ABC殺人事件》と《そして誰もいなくなった》がずば抜けている。そして今年起きた《ABC殺人事件》に似た事件、《十文字事件》。出来すぎだとは思わないか?」

「つまり二人は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()そう言いたいのかい?」

 

 まだ確信はできねぇがな。奉太郎は続けた。

 

「なぁ里志。この事件……、なにか意味があるぞ?派手なアピールはなく、《十文字》は盗みを行う。つまり《十文字》はただ目立ちたいだけの愉快犯じゃない。他になにかあるんだ。なぜ……『く』だけ飛ばしたんだ?」

 

 しばしの沈黙……その後、里志はおもむろに言った。

 

「僕は戻るよ。千反田さんをあのままラジオには送り出せない」

「そうか、じゃぁ俺も戻るぞ。ハル、あとは頼んだ。《十文字》を誘き出すための餌は、《校了原稿》だ。」

「おう」

 

 奉太郎と里志は共に並びながら歩いていった。

 

 俺はポケットから園芸部の犯行声明と、カンヤ祭の歩き方を取り出し、考える。

 

 紙類を開くなら屋内の方がいいのだろうけど、俺は吹き付ける風の中でそれを一つずつ見直していく。

 

 俺は手すりに体を預けた……。

 

 今までの記憶が、憶測が、俺の脳内を駆け巡る。

 

 

 

 

『《運命の輪》が盗まれてたの』

 

『怪盗《十文字》?』

 

『【園芸部から、AKは既に失われた】』

 

『お前古典部だろ?もしかしたら標的になるかもな』

 

『《十文字》はただの愉快犯じゃない』

 

『次回のタイトルは《クドリャフカの順番》!』

 

『まぁ、僕は背景を手伝っただけなんですけどね』

 

『手柄は原作者と作画にあります』

 

『なぜ、『く』だけ飛ばされたんだ?』

 

 

 

 駄目だ……もっとだ……もっと……

 

 

 もっと俺に情報を寄越せ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ♣︎15

 

 

 

 

 

 校舎に入る前に、僕は肩越しにハルに振り返った。

 次に、隣にいるホータローに視線をずらす。

 

 僕には、彼らの考えていることがまるで分からない。僕に彼らと同じ、()()()はなかった。

 

 吹く秋風が僕を包み込み、寒かった。僕は目を伏せた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ♥11

 

 

 

 

 

 お昼のラジオが始まってからどれくらい経つのかはわかりません。ちゃんと話せているでしょうか?いえ、こんなことを考えていてはダメです。

 

『《十文字》さんは、誰にも見られることなくこれまでの犯行を済ませてきました。大変注意深く、また大胆な方です。それが私たち古典部に全力で注意を向けてくるとなると、私たち五人だけでは不安なのです。みなさんに、期待しています!ぜひ、地学講義室まで来ていただければ嬉しいです。それと……』

『文集《氷菓》も買ってください、ね?』

『さぁて!!!古典部は迎撃準備万端!!!来るならこい、《十文字》!!自分の手で《十文字》を捕らえたい、そんなあなたの力が求められています!ぜひ、古典部部室、地学講義室へ!それとも、ひょっとしたら《十文字》はそんな警備さえものともしないかも知れませんが……。ゲストは古典部部長、千反田えるさんでした!ありがとうございました!!』

 

 マイクがオフになりました。私は「ふぅ」と溜息をつきます。

 

「いやぁ!良かったよ千反田さん!」

 

 吉野さんはそう言って、私の肩を軽く叩きました。

 

 これで良かったのでしょうか?入須さんの教えの元、『期待を煽る』ようなことは出来たのでしょうか?なぜか……とっても嫌な感じです。

 

 私は……これでいいのでしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

 ♠︎14

 

 

 

 時計に目をやると、二時を回っていた。カンヤ祭最終日の終わりも近い。すると、無表情の男子が俺の前に《氷菓》を投げ出す。

 

「二百円です」

 

 その少年の次に、女性客が次の《氷菓》を置いた。

 

 おお!!売れる、売れるぞ!!

 

 これは現実か、地学講義室が人で満たされている。理由はやはり《十文字》の確保の為だろう。

 人が集まれば売れるという訳では無い。やはりこれまでのハル、里志、千反田のPRが実を結んだと言っても過言ではないのだ。

 いまは俺を含めた五人全員が古典部部室にいる。

 

 四人は地学講義室の中央付近で、それぞれ背中を向けて四角形に立っていた。そしてその後ろには、《校了原稿》を置いた机がある。

 

 あいつらが《校了原稿》の警備に立ち、古典部VS十文字の雰囲気を盛り上げているのだ。伊原が即興で描いたポスターの効果もあるだろう。

 

 今も今年最後のお祭り騒ぎを楽しみたい神高生たちが我先にと地学講義室に乗り込んでくる。()()()()()()()()()()()()()()()()()()……ん?今のはいい響きだ。もう一回。

 

 氷菓を売るのに忙しくて目もやれないが。

 

 さてと、この中に《十文字》が紛れ込んでいるのではないか、とあそこの()()は思っているだろう。警備のスクエアフォーメーションを崩す機会を、虎視眈々と狙っているのではないか、と。

 もう誰も近づけない《校了原稿》と《氷菓》の在庫を見比べ、《十文字》よ、まだ襲ってくれるなと思っている。《十文字》を捕らえようとする方々の声が耳に入る。

 

「ほんとに来るのか?」「自作自演だったりして」「こんなに人がいたら盗めないんじゃないか?」「ルパンなら……やる!!」

 

 あいにく《十文字》はルパンではない。

 

 《氷菓》の売れ行きは快調だ……六十部は固い。さてと……

 

 俺は、あくびを大きくした。その瞬間だった。

 

 

 明るい閃光が目を焼いた!!

 

「うわぁ!!!」

 

 狼狽した声が誰のものかはわからないが、それは殆ど叫び声のようなものだった。そう

 

 《校了原稿》が爆発したのだ

 

 そして、《校了原稿》は火を吹いていた。火力は強くはない。むしろ強かったのは最初の爆発で、誰も怪我をしていないようだし、ポッという程度の発火だ。

 

 しかしいきなりの出来事でその場にいた生徒達は身動きが取れない。ハルは無表情のまま《校了原稿》を見つめ、里志は《校了原稿》を地面に叩きつけ、腕で何度も原稿を二度三度叩く。懸命な手段だ。

 里志は《校了原稿》を指先で拾い上げる。誰の目に明らかだった。《校了原稿》には大きな焦げ口が開いていたのだ。

 「やられた」、多分そう呟いたのだろう。辺りがざわめく。

 

「あれか?」「今のが十文字?」「燃えてたぞ」「火まで使うのかよ……」「ルパンは人を殺さない」

 

 時々混じってるルパンファンはなんなのだろうか。

 

「ふくちゃん……これ」

 

 伊原が里志に渡したのは、地面にいつの間にか転がっていた《氷菓》だった。栞のようになにかが挟まっている。

 里志はそれを受け取ると、栞代わりに挟まっていたグリーティングカードを取り出し、それを高々と上へ挙げた。

 

 

 【古典部から、校了原稿は既に失われた。 十文字は達成された。 十文字】

 

 

 

「《十文字》の犯行声明だ……」

 

 里志の悔しそうな言葉に、辺りはざわめき、駆け足で地学講義室を去っていく者もいる。大方、《十文字》がまだそばにいると思っているのだろう。

 

 ちらりと千反田を見る。

 

 口に手を当て、目を見開いた状態で、ショックから未だ立ち直れてないようだ。

 

 

 

 

 【氷菓完売まで あと???部】

 

 

 




次回《あなたが十文字ですね》





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第十四話 あなたが十文字ですね

 ♥12

 

 

 

 

 

 【古典部VS十文字 古典部、惜しくも敗北】

 

 

 壁新聞部さんの記事を見て、私は溜息をつきました。

 文化祭も終わりに近づき、他の方々は片付けに取り掛かかっています。閉会式後にも片付けの時間は正式に取られるのですが、それまでに軽くやっておきたいのでしょう。

 私は閉会式に向かう直前に、二年F組に寄りました。私を見つけたの入須さんは、最初にこう言います。

 

「《氷菓》、三十部。完売だ。定価で売ってやりたかったがな」

「いえ、本当に……本当に……ありがとうございました!!」

「える」

「なんでしょう?」

 

 入須さんは、一度苦い顔をした後に、続けました。

 

「校内放送聞いたぞ。言っておこう、お前にはああいうのは向かない」

 

 ショックは受けませんでした。どこかで気づいていたのかも知れません。私は、小さく頷きました。

 

「お前が《期待》を操ろうとすると、どうも甘えているように聞こえる。フリで続けていたことがいつの間にか本心に擦り変わるなんてよくある話だ。いいか?お前でいうならば、野菜は千反田家、肉は勘解由小路家、それがある日突然逆になったとしたら?向いていないことはするものじゃない。お前の交渉術はまるでなってなかった。その、回りくどいい方だが、分かるか?」

 

 分かります。入須さんは私を心配してくれているということも。私は、出来る限りの笑顔で返しました。

 

「ええ……私も薄々分かっていました。交渉術は私には、まるで向いていません。その……もう、こりごりです」

 

 入須さんも、少しだけ微笑んだようでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 JOKER20

 

 

 

 

 文化祭三日目。正午。千反田のラジオが始まる数十分前。

 

 奉太郎と里志と別れ、俺は文化祭雰囲気も届いてなく、人気のない学校の駐輪場で彼を待っていた。そして、彼はやってくる。

 

「それで、なんの用かな?」

「単刀直入に言いましょう。あなたが《十文字》ですね」

 

 彼、《十文字》は愉快そうに言った。

 

「あてずっぽうかい?僕の後輩に冗談が得意な奴がいるんだが、この冗談はちょっと笑えないな」

 

 俺は笑う。

 

「あてずっぽうで千分の一の確率を当てられたら、俺は多分一生分の運を使い果たしてますよ。あと俺の友達にも冗談の上手いやつはいます。多分同一人物でしょうね」

 

「手短にいきましょう。あぁ、今のは俺の友達の決まり文句なんですが……。じゃぁまずはこれ」

 

 俺はポケットから園芸部のグリーティングカードを取り出す。

 

「これはあなたが現場に残した犯行声明です。こいつはなぜ『頂いた』等ではなく『失われた』、という言い方をしているのか?」

 

 《十文字》は何も言わない。俺は続ける。

 

「答えは『く』にあります。『く』の文字のつく部活からモノは奪われなかった。いや、《失われなかった》。なぜか?一文字でも抜ければ《十文字の法則》は壊れてしまいます。ですがあなたは犯行を進めた。軽音部から弦を失わせた。そこで俺はこう考えました。俺たちの知らないところで、『く』のつく何かが既に失われているのだとしたら……。これが《十文字》の計画のひとつだとしたら……」

 

 俺は《十文字》の顔を見るが、表情ひとつ変えない。俺の考えが間違っているのか?いや、そんなはずはない。

 

「こうです。『くで始まる相手から、くで始まるモノは既に失われた 十文字』。《十文字事件》は元々、これ自体が暗号だったんじゃないですか?くで始まる相手に、『既に失われた』というメッセージを間接的に送っていた」

「随分難しい暗号だね。そりゃ伝わらないよ」

「そうですね。普通なら伝わりません。ですが、メッセージを送る相手がこの暗号の解読法を知っていれば、話は別です……。《クドリャフカの順番》。去年この文化祭で売られていた《夕べには骸に》の後書きにて今年()()()()()()()()()文集。ご存知ですよね?」

 

 《十文字》の表情が初めて動いた。目を見開き、動揺を隠せていない。

 

「なぜお前がそれを知っている……そういいたげですね。《クドリャフカの順番》と《十文字事件》はクリスティの超有名作をひねったものだ。《十文字事件》は《クドリャフカの順番》のトリックを使ったものではないのですか?そこで俺は、失われたモノは、《クドリャフカの順番》という線を立てました、そして《クドリャフカの順番》を知っていて、それを失った『く』で始まる人物とは……」

 

 

「陸山宗芳。現生徒会長であり、《夕べには骸に》の作画担当だ。違いますか?」

 

 《十文字》は顎に手を当て考える仕草をとる。そして切り出した。

 

「《十文字》の標的は部活ばかりだ。くだけ人名なのは頂けないな」

「なにも《十文字》は部活だけとは明言していません」

「苦しいね」

「苦しくないですよ」

 

 被さるように声を出した。俺はさらに丸めた《カンヤ祭の歩き方》の三十三ページを《十文字》に提示した。

 

 

 P33

 

軽音楽部

囲碁部

アカペラ部

壁新聞部

お料理研究会

園芸部

ブラスバンド部

奇術部

占い研究部

古典部

 

 執行本部

 

陸山宗芳(生徒会長)《やりすぎんなよお前ら、言いたいことはそれだけだ》

 

八崎慶太(生徒副会長) 《期間中は生徒会室に本部を起きます》

 

田名辺治朗(たなべじろう)(総務委員長) 《ゴミ箱は充分な数を揃えてありますが、分別にご協力ください》

 

 

「俺が思うに、これこそが被害者リストだったのではないでしょうか?《十文字事件》はクリスティの《ABC殺人事件》を模倣したものだ。あなたはABC時刻表の代わりに、《カンヤ祭の歩き方》を犯行現場に置いていった。被害者はすべてこの三十三ページから選ばれている。オカルト研ではなく、お料理研。映画研ではなく、園芸部」

 

 舌で唇を舐める。

 

「そしてこの三十三ページには『く』で始まる部活は乗っていない。乗っているのは、陸山宗芳生徒会長の名前だけだ。

なぜ被害者の部活がこのリストに集まったのか、偶然集まっていたから、事件を起こした。違うでしょう。五十音順のあからこまでが乗っているのは偶然にしては出来すぎている。ならなぜ揃ったのか、操作をしたからですよね?

ここで犯人は千人から、《カンヤ祭の歩き方》を制作した総務委員会の二十人に絞られます。畳み掛けましょうか?

《夕べには骸に》にて安城春菜とコンビを組んでいた陸山は《クドリャフカの順番》を元とした《十文字事件》の暗号を解くことが出来た。では《十文字》とは誰か、なぜ《クドリャフカの順番》を知っていて、なぜ陸山にメッセージを送ろうとしているのか

憶測ですが、『既に失われた』という記述から、陸山は《クドリャフカの順番》の原作を紛失してしまったのではないでしょうか?転校していった安城春菜が残した最高傑作を無くした陸山を、どうしても《十文字》は許すことが出来なかった。そして、嫌がらせとしてこの事件を起こした。

つまり、《十文字》が陸山に送りたかったメッセージはこうです。【陸山宗芳から、クドリャフカの順番は既に失われた】。加えて、《夕べには骸に》の後書きをかいたのは、安城春菜でも陸山でもない。第三者、背景の手伝いをした人間だ。安心院鐸波の第三のメンバー、そいつが《十文字》……つまりあなただ 」

 

 俺は奉太郎から借りたトートバッグの中から《夕べには骸に》を取り出す。

 

「安心院鐸波……妙なペンネームです。これは、《夕べには骸に》の作者三人の名前の頭文字を取ったものですよね?」

「というと?」

「あんじょう はるな。『あ』と『は』。くがやま むねよし。『く』と『む』。これを、あじむ たくは。から引くと『じ』と『た』が残ります」

 

 俺は畳かかけるように推理を進めていく。多分今の俺は笑っている。

 

「去年も文化祭に参加していて、二年生以上で総務委員。苗字と名前に『た』と『じ』のつく人物。加えて、陸山会長と親しく、彼が漫画をかけると知っている人間……そんな人間は、一人しかいない……」

 

 秋風が俺と《十文字》を包み込み、髪をなびかせた。視線と視線をぶつかり合わせ、とても冷徹な眼差しを向け合わせる。

 

 風が勢いよく強まり、俺は右手の親指と人差し指を立て、上から見るとLの字になるように、《十文字》を指さした。

 

「あなたが《十文字》だ。現総務委員会委員長……」

 

 

 

 

「田名辺治朗先輩」

 

 

 

 

 

 パチパチパチ……

 

 田名辺は拍手をしてくれた。俺はムスッとそれを返す。

 

「見事だ。安城さんと、ムネ以外に読み解ける奴がいたとは」

 

「俺だけじゃないですよ。古典部にもう一人います。」

 

 

 

 

 

 

 

 ♣︎16

 

 

 

 ハルが一人で歩いてるから追いかけたらこんな事態になってるなんて……。素晴らしいや。

 

「全く……。期待以上だよ。ハル、ホータロー。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 JOKER21

 

 

 

 

 

「どうしてこんな回りくどい真似をしたんですか?」

 

 田名辺は一度考える仕草をとってから、笑いながら言った。

 

「もう気づいてるんじゃないのかい?」

「生憎、俺は理系なもんで、人の心とかわかんないんすよ」

 

 もう一度笑った。

 

「古典部なのにかい?そうだな……」

 

 田辺は深くため息をついた。

 

「口で直接言えなかった。それが一番の理由かな……」

 

 なにがあったのかは知らない。きっと三人のあいだで、何かがあったのだろう。だが、俺はそれを聞いて何が出来るわけじゃない。

 

「そこでモノは相談です」

「なんだい?」

 

 俺はトートバッグから《氷菓》の山を取り出した。

 

「《氷菓》、占めて三十部。買って頂きたい」

 

 田名辺は一度怪訝な顔をした。多分この人はこう思っているだろう。

 

「《十文字》の正体をバラされたくなかったら、これを買えって事かい?」

「まぁそういうことです。でも買うのは先輩じゃなくて、総務委員会です」

「バカな……!」

「出来るはずですよ。奉太…、友達から聞いたんですが、総務委員会は公式ホームページで文化祭商品の通信販売を行っているそうで、そこで《氷菓》を売って欲しいんです」

「理由なく売ることは出来ない」

 

 最もだ。

 

「しかし理由は出来るんですよ。それが《十文字》の完結だ」

「どういう意味だい?きみに正体を知られた今、《十文字》の犯行はできない」

「知られたからこそです。俺が《十文字》の犯行をサポートしますよ。古典部を最後の標的にするんです。加えて、地学講義室で《氷菓》を売ってるもっさり頭と、福部里志にも協力してもらいます。どうですか?」

 

 田名辺は再び顎に手を置く。どうやらこれは彼が考える時に行う癖のようだ。その状態のまま、数十秒。

 正直、この提案に乗ってくれる可能性は低いと考えている。《十文字》の正体をバラさない代わりに、文集を買えなんて脅迫じみた事を下級生にやられているのだ。いつ殴り掛かられてもおかしくはない。よしここで言おう。俺は喧嘩で勝ったことは無い。これまでも、そしてこれからも……。うぅむ。未来永劫この不動の事実は変わらんだろうなぁ。

 

 俺がくだらないことを考えているうちに、田名辺は顎から手を外した。結論が出たか……。

 

「通信販売の商品の充実、《十文字》事件の完結、君たち古典部の文集の売上向上……。利害は一致している。乗ったよ」

 

 ふぅ……

 

「そういうと思いましたよ」

「で?どう《十文字》をサポートしてくれるんだい?」

「俺たちは《校了原稿》を用意します。これから千反……、俺たちの部長がお昼のラジオに出演し、古典部のアピールをします。そうすればそれなりに客も来るでしょう」

「ほほう。それで?」

 

 むむ。楽しそうだなこの人。どうやら《十文字》をやる以前からこういう話には興味があるらしい。

 

「この文化祭で化学部が実演してるナトリウム爆発を使用します。《氷菓》を売っている最中にちょっとだけ覗いたんですが、かなりの威力です」

「爆発を行うのかい……?」

 

 田名辺の顔は少し不安を帯びる。俺だって神高が全壊するような爆発を起こしたくはない。

 

「爆発、と言っても小さいものです。ナトリウムの量を調節します。爆破方法は簡単です。何とかしてナトリウムを手に入れ、それを仕込んだ《校了原稿》を机の上に置いておきます。それに向かって、この水鉄砲を打ってください」

 

 俺は田名辺にグロック17の水鉄砲を渡す。彼はニヤリと笑って口を開いた。

 

「どこで手に入れたんだい?こんな代物」

 

 俺もニヤリと笑った。

 

「わらしべプロトコルです。《ボディートーク》という文集と、製菓研の連中が持っていたものを交換してきました」

 

 一回の交換でわらしべという言葉を使っていいのかはわからんが……。

 

「しかし、客の視線は《校了原稿》に向いているだろ?とても打てるタイミングはない……」

「そうですね……なら、俺と里志で田名辺先輩を客の死角になるように囲みます。奉太……、受付にいる奴にタイミングを見計らってあくびをするように言っとくんで、それを合図に打ってください」

「わかった。犯行声明はどうする?」

「《氷菓》に挟んで爆発と同時に落としてください。それ用の《氷菓》、一部二百円。」

 

 俺は人差し指と中指を立てる。すると、田辺は笑った

 

「ちゃっかりしてる」

「完売させたいんすよ」

 

 田名辺は俺に二百円を渡し、俺は代わりに《氷菓》を渡す。そして、俺がもう行こうとトートバッグを肩にかけた時だった。

 

「君……名前はなんて言ったかな?」

 

 そういや名乗ってなかったな。俺は一度わざとらしい咳払いをしたあとに答えた。

 

「一年B組、古典部の南雲晴です」

「南雲くん。君は、僕が《十文字》事件を起こした理由は、ムネが《クドリャフカの順番》を失くしたからと言ったね?」

「あくまで予想ですよ。違いましたか?」

「あぁ。違う。ムネは《クドリャフカの順番》を無くしちゃいない。僕の動機は、多分この世界で安城さん以外分からないだろうね?」

 

 ん?

 

「安城春菜にしか分からないとは?陸山会長に送ったメッセージでしょう?」

「そうだ、あの暗号のメッセージはこうさ、『陸山、安城さんの原作は描く気はないか?』」

 

 田名辺から発せされる言葉はどことなく力がなく、今までの微笑んだ表情が暗く冷たいものに変わった。

 

「ムネは、漫画を書く気はないんだ」

 

 それは知っている。なぜなら俺も彼にこの文化祭期間中に『漫画とか書かないんですか?』と聞いたのだ。 その返答は否定だった。

 

「君も読んだんだろ?《夕べには骸に》を。安城さんも天才的だけど、ムネがあれほど描けるなんて思いもしなかった。なのに、あいつは描こうとしない……」

「《クドリャフカの順番》の原作はちゃんとあるんだ!!あいつがその気になれば、《クドリャフカの順番》は《夕べには骸に》を超える作品になりえたんだ……。けど、漫画描きはあいつにとって、()()()()()()()()()()()()()()

 

 去年限りの、遊び?いや、でも……陸山は俺に……。

 田名辺は俺に言い続けた

 

「惜しいと思うだろ?勿体無いと思うだろ?才能を持っているのに、あいつは何もやろうとしない。あいつが一言やるぞと言ってくれれば、僕はなんだってするつもりでいた。あいつなら、いつか原作無しでも傑作を作れる力があるんだ!!!絶望的な差から生まれるものは、嫉妬ではなく期待になる。けどその期待に答えてもらえなかったら、行き着く先は失望だ。僕はムネが《クドリャフカの順番》を描いてくれる事をずっと待ってた、だからあいつに失望することは無かった!」

 

 田名辺の言いたいことはわかる。けど、それを共感し、感じることは出来ない。

 俺は彼らのように、誰かに期待し、嫉妬し、失望をしたことがない。いや、これは経験の差ではないのか。いつか俺にも《順番》は回ってくるのかもしれない。

 

「なら、あなたが本当に陸山会長に伝えたかったことはこうですか?」

 

 俺は口を開く。すると、田名辺も同時に口を開いた。

 

 

「「陸山、お前は《クドリャフカの順番》を読んだのか?」」

 

 

 一語一句被った事で、田名辺は軽く笑った。

 

「本当に見事だ……」

「それで……」

 

 

 

「あぁ、原作は、読まれなかったよ。安城さんの傑作、《クドリャフカの順番》は、開かれてすらいなかった……」

 

 

「メッセージは……伝わらなかったよ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

「本当にそうでしょうか?」

 

 俺の口から出た言葉に、田名辺は驚いた表情を見せた。俺は振り向き、田名辺に背中を見せたまま、口を開いた。

 

「この文化祭が終わったら、直接口でもう一度聞いてみてください」

 

 

 

 

「《十文字》が……田名辺治朗が、伝えたかった事を……」

 

 

 

 

 

『さぁ!!神山高校ラジオ!!略して神ラジのお時間です!!』

 

 

 

 千反田のラジオが始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 JOKER22

 

 

 

 

 

 閉会式の時間が近づくにつれて、人が集まってくる。俺は体育館の暗幕を下ろし、階段を降りた。

 ここに集まっているのは一部総務委員会、クラス委員会、生徒会の三つの団体だ。

 

 俺は遠目で陸山と田名辺、知らない一人の男子生徒が話しているのを見かけた。深刻な表情をしている。どうしたんだ?

 

「あの……」

 

 俺の呼び掛けに最初に反応したのは陸山だった。隣の田名辺は俺を見て苦い顔をするが、すぐにいつもの引き締まった顔に戻る。陸山は口を開いた。

 

「おぉ、南雲か。実はちょっと問題が起きてなぁ……」

「ちょっとじねぇよ。大問題だ。これじゃぁ閉会式は《カンヤ賞》を発表して終わっちまう……。誰が校長や副校長のありがたいお言葉なんて聞きたいかよ」

 

 んー。思った通りことが深刻なようだ。俺に何が出来る訳じゃないが、聞いてみようか。

 

「よかったら教えていただきたいです」

 

 田名辺が口を開く。

 

「実は《カンヤ賞》を発表する前に有志の二人組が体育館で歌う予定でね、でもどうやらその二人組は運悪く、二人とも休みみたいなんだ」

 

 二人とも休み!?俺は思わず大きな声を出しそうになった。

 

「れ、連絡は届いてなかったんですか?」

 

 陸山は軽く頷く。

 

「その二人組は友達にも秘密にしていたみたいでな。さっき二人のクラスの担任に聞いたら、休みだそうだ。連絡がちゃんとこちらに行ってると勘違いしていた」

「そんな!じゃあ閉会式セレモニーはどうなるんですか!?」

 

 俺が焦ったように口を開くと、陸山は残念そうに首を振った。

 

「あぁ!!最後の最後で最悪だ!!こんな形でカンヤ祭を占めるなんて……!」

 

 見知らぬ男が言った。そういやこの声、千反田が出ていたラジオで聞いたな。放送部か。

 

「歌う曲はなんて曲なんですか?」

 

 なんとなく聞いた言葉だった。一人で歌う曲ならまだしも、二人で歌うデュエット曲となると歌う予定の曲をただ歌うだけじゃダメだ。二人の息の合った連携、そして信頼関係。この二つが絶対条件だ。カラオケならいいが、人前で歌うなら下手なことは出来ない。

 

 陸山はダメ元だろうが、俺に言った。

 

 俺は、その曲名を聞いた時に、目を見開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「《まどろみの約束》……知ってるか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 【氷菓完売まで あと???部】

 




 次回で《クドリャフカの順番》編最終回です。

 

 次回《想い》








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第十五話 願い

 《クドリャフカの順番》編ついに完結!!

 衝撃のラストを見逃すな!!(言ってみたかった)

 今回はいつもより長く、二話分の字数があります。


 ♣︎16

 

 

 

 

 

 閉会式も近づいて、僕はジャージ姿の摩耶花と体育館に向かう。今頃ハルはクラス委員の仕事をこなしているだろう。

 

「信じらんない!!怪盗行為のためにまさか火を使うなんて……マッチでも投げたのかしら……!」

 

 ありゃありゃこりゃ相当怒ってるよ。ナトリウム爆発の案を出したのがハルだって聞いたら、ハルは一日中絞られるだろうね。ご愁傷様。

 

「おっ、福部じゃないか」

 

 谷くんが愉快そうな笑顔で話しかけてきた。《十文字》に逃がしたんだから、もっと落ち込んでると思ったんだけどね。まぁこの事件は彼にとって遊びでしかなかったんだろう。僕は微笑を浮かべて返した。

 

「やぁ谷くん。さっき地学講義室にいたよね。なにか手がかりは見つかったかい?」

 

 一応義理で聞いてみる。ハルとホータローの推理から聞くと、《十文字》が田名辺先輩というのが分かるためには、《夕べには骸に》を所持してる事が絶対条件だった。そうじゃなきゃ、《安心院鐸波》も《クドリャフカの順番》も分からなかったからだ。

 

「いや、全くだ。お前はどうだ?」

 

 僕は首をすくめる。これは得意だ。

 

「いや、残念ながら」

 

 谷くんはさらに愉快そうになった。なんだい、随分と僕をライバル視してるみたいじゃないか。

 

「そうか……お前でも無理だったか。期待してたんだがな、お料理研の仮はまた返すぜ、じゃぁな」

「あぁ」

 

 谷くんは行ってしまった。人混みに紛れ見えなくなったところで摩耶花が切り出す。

 

「友達?」

「うーん。まぁそんなとこ。強いて言うなら、彼は国語が苦手な人だろうね」

 

 摩耶花は怪訝な顔をした。

 

「どういうこと?」

「どうも彼は、《期待》って言葉を軽々しく使いすぎる……」

「いいじゃない、期待って……」

 

「自分に自信がある時に、期待なんて言葉は使っちゃいけない」

 

 僕は摩耶花が何かを言いかけたところに自分の声を被せた。逆はあっても、こういうのは今までなかったかもしれない。

 

「《期待》って言うのはね、諦めから出る言葉なんだよ」

 

 僕は目の焦点を摩耶花からずらして、空を仰ぐように言った。

 

「自分じゃどうしようもない。どうも出来ない。どうすることも出来ない。自分の無力さを認めて、この人なら自分より有能だって思った時……」

 

 ひと呼吸おいて。

 

「なにかに頼る時に……人は《期待》するんだ」

 

 摩耶花は僕を見つめている。空に視線を向けたままだから直接的には見えてないけど、そんな気がした。

 摩耶花は少し躊躇ったあとに、口を開いた。

 

「《期待》は……ふくちゃんが南雲や折木に抱いてるもの?」

「流石だね。どうして分かったんだい?」

「分かるわよ……ふくちゃんのことくらい……」

 

 他の神高の生徒達が、足を止める僕らの横を通り過ぎていく。はしゃぎ声や笑い声が辺りを包み、話すには少しだけ声の音量を高くしなければならない。

 だから、次の摩耶花の言葉を、僕は無視することが出来たんだ。

 

「ふくちゃんは……二人に勝ちたかったの?」

 

 違う。そうじゃない。僕は、二人と一緒に歩きたかった。ずっと背中を見ているのが嫌だった。それが僕の《願い》だった。でも僕は見栄を張った。

 

「これは微妙な男心って奴さ。さすがの摩耶花にも分からないよ」

「そんなことない」

 

 摩耶花の声は小さかった。周りがこんなに騒がしいのに、摩耶花の声は、なぜ聞こえてしまうのだろう。

 

「そんなことない」

 

 もう一度言った。今度は確実に聞こえるように。

 

「確かにあの二人はすごいよ!色んな事件を二人で解決してきた!でも、ふくちゃんはもっと凄いよ!!色んなこと知ってて、色んなこと教えてくれて……」

「大事な事を忘れてたよ」

 

 僕は再び摩耶花の声にかぶさるように言った。深く溜息をつき、僕は自分のモットーを言った。

 

「データベースは結論を出せないんだ。」

 

 摩耶花は、寂しそうに笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「里志、伊原!!!」

 

 人混みの中聞きなれた声が僕達を呼ぶ。僕らは振り返ると、ハルが人並みを縫って……いや、人を無理やり腕でどかしながらこっちに向かってきている。

 

「どうしたんだいハル?」

「ちょ、あんた何をそんなに急いでんのよ!!」

 

 ハルは激しく息を切らし、その場に中腰になる。ニヤリと笑って、続けた。

 

「里志、お前の大好きなハプニングだぜ。伊原、今すぐに体育館の関係者スペースに来い。里志、お前は千反田を探して来てくれ」

「一体なんなの!?」

「説明してる時間はねぇ!!早く来い!!」

「わ、分かったわよ。ふくちゃん、ちーちゃんのこと宜しくね!」

「《期待》してるぜ、里志!!」

 

 そう言って、摩耶花とハルは体育館に走っていった。

 

 《期待》……ね。まったく、君も国語が苦手なんだね。

 

 でも、僕はなぜだか、ハルに期待される事が嬉しかった。

 

 さて……人探しは僕の得意分野だ!

 

「へい!そこの一年生!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ♦︎09

 

 

 

 

 

「一人、連れてきました!!」

 

 南雲はそう言って体育館の関係者スペースに私を押し入れた。中にいたのは総務委員長の田名辺先輩。生徒会長の陸山先輩だ。なんでこんな人達が私を呼んでるのよ!?

 

「ちょっと南雲!!これ一体どういうことよ!」

「僕から説明しよう」

 

 切り出したのは田名辺先輩だった。

 説明される。閉会式に有志で歌う二人組が今日はどちらも休みだということ、デュエット曲なので人員確保が難しいこと……そして……

 

「じゃ、じゃぁ…、私とちーちゃんに《まどろみの約束》を歌えってことですか?閉会式で!?」

「そういうこと〜」

 

 陸山先輩が言った。なんでこの人こんなに適当なのよ!!ほんとに《夕べには骸に》の作画担当なの!?

 

「む、無理ですよ!!私達はカラオケで歌ったことのあるだけなんです……。とても人前で出来ません!」

 

 すると、田名辺先輩と陸山先輩は立ち上がり私に向かって頭を下げた。

 

「頼む。君たちしかいないんだ……!この文化祭を最後の最後で失敗させたくない……」

「やりましょう!摩耶花さん!」

 

 振り向くと、息切れを起こしたふくちゃんと折木がちーちゃんと一緒に立っていた。まって……息切れをした折木!?

 折木は一度唾を飲み込み、言った。

 

「まったく……数日分のエネルギーを使わせおって……。歌え伊原、俺のエネルギーを無駄にするな」

「そう言えば、摩耶花の歌って聞いたことないね。こんな所で聞けるなんて、ラッキーだ」

「なんで歌う流れになってるのよ!」

 

「頼む」「君達しかいない」「伊原」「摩耶花」「伊原」「摩耶花さん」

 

 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!

 

「分かったわよ!!歌えばいいんでしょ歌えば!!その代わりふくちゃんは今度ケーキ奢ってよね!」

「お、お財布が暖かくなったら……」

 

 いつになることやら。

 

「でも、私はジャージでちーちゃんは制服よ?これで歌えっての?」

「それに関しては大丈夫だ。」

 

 南雲はそういうと、生徒会と書かれたトートバッグから真っ白なワンピースの様な衣装を取り出した。な、なにこれ……。

 

「これを着て歌え!あーちなみに、伊原の胸のサイズから見ればこの衣装はちょっと大き……」バキッ!!

 

 

 

 

 

 

 ♣︎17、♠︎15

 

 

 

 ゴシャァ!!

 

 殴られたハルがその場に倒れた。

 

 バカな事を。

 

 

 

 

 

 

 ♥14

 

 

 

 

 

 折木さんと福部さん。それと田名辺さんと陸山さんまで苦笑いを浮かべていますが、私は南雲さんが何を言いたかったのか分かりませんでした。

 

 いいえ。今はそんなことは関係ありません。私は摩耶花さんに言いました。

 

「摩耶花さん!もう時間はありません!これに着替えましょう!」

「で、でもちーちゃん。これ下手したらコスプレだよ!?」

「一度言ったことを私は曲げない主義なのです!」

「あと十五分です!来ましたか!?」

 

 あら。吉野さんが入ってきました。先程はありがとうございます。私は吉野さんにペコリと頭を下げました。

 

「おー、千反田さんじゃない!それで?ユニット名はどうするんだい?」

 

 ユニット名……ですか?私は田名辺さんと陸山さんに視線を送りますが、首を振られてしまいます。折木さんと福部さんもです。

 

「南雲、アンタが私達を推薦したんだから着替えるまでに考えなさいよ」

「了解しました……」

 

 私と摩耶花さんは、更衣室に向かって走りました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この衣装、少し恥ずかしいです。ワンピースはよく着るのですが、なんと言ったらいいものか。

 

 私と摩耶花さんは上を羽織ったまま体育館の関係者スペースに戻ります。ユニット名はもう決まってるでしょうか?

 

 摩耶花さんがドアを開けました、すると……

 

 未だに「うーん、うーん」と男性陣五人は頭を悩ませていました。

 

「遅い!!」

 

 摩耶花さんから一喝です。

 

「あんたらユニット名一つ考えるのに何分考えてんのよ!?もうそろそろ時間来ちゃうじゃない!!」

 

 ああ!摩耶花いけません。田名辺さんと陸山さんもいるのですよ。先輩ですよ?

 吉野さんが入ってきました。

 

「千反田さん、伊原さん!準備お願いね!!ユニット名は?」

「南雲さん!早く考えてください!」

 

「南雲」「南雲くん」「南雲!」「ハル」「南雲さん!」「ハル」

 

「うーん……くらしっく……」

「へ?」

 

The Classic(ジ・クラシック)でお願いします!!」

 

 安直です!!古典を英語にしただけです!ですが仕方ありません……

 

「摩耶花さん!行きましょう!」

「分かったわ!」

 

 私達は上に羽織っていたものを脱ぎ捨て、ステージに向かいました。

 ステージ上には既に吉野さんが上がっています。多分余興の司会なのでしょう。そして、

 

『それでは最後に……有志のユニットです!!古典部の歌姫達……』

 

 

The Classic(ジ・クラシック)です!!』

 

 

 私達はガチガチのまま、ステージに上がります。二つ用意されているマイクに並び、姿勢を正します。あっ、入須さんが見えました!

 流石の入須さんも口をポカンと開けています。あ、あそこにいるのは勘解由小路さんです。加えて、桜さんも見えます。

 

 私と摩耶花さんは関係者スペースから出てきた南雲さん達に視線を向けます。御三方は、私達に向かって『頑張れ』というポーズをしました。

 

 私“達”、頑張ります!

 

 

 

『それでは聞いて頂きましょう!The Classic(ジ・クラシック)で、《まどろみの約束》。』

 

 私達は、歌い始めました。

 

 

 

 

 

 

 

『『今夜恋にかわる、しあわせな夢で会おう』』

 

『きっと』

 

『ねぇ』

 

『『見つけてね』』

 

 

 

 

『『まどろみの約束』』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ♠︎16

 

 

 

 

 

 千反田と伊原の歌い声は、神高の生徒全員を魅了した。

 

 小さな口から発せられる音色は、とても美しく、歌っている時の彼女らの眼差しは、とても力強かった。

 

 目を閉じ音色を感じるもの。ペンライト振って場を盛り上げるもの……。

 

 隣では里志とハルが笑顔を浮かべながらそれを見ており、多分俺も微笑んでいる。

 

 俺は物覚えはいいほうでない。小学校の頃の記憶など、一部を除けばほぼ薄れてしまっている。中学校も然り。だが……

 

 

 俺はこの日見た、彼女達の美しい姿と声を……忘れることはないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 神山高校文化祭は、幕を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ♦︎10

 

 

 

 

 

「河内先輩、遅くなってすみません。《夕べには骸に》、持ってきました」

 

 私と河内先輩がいるのは連絡通路の屋上だ。閉会式が終わったあと、私はすぐにジャージ姿に戻り、折木から《夕べには骸に》を貸してもらうと河内先輩をここに呼び出した。

 

「見たよ閉会式。あんたがあんなことやるなんてねぇ……」

 

 少し馬鹿にしたような口調だったが、河内先輩の取り巻きが私を馬鹿にするものとは違い、ふくちゃんが私に対して言っているような、不快感を感じない口調だった。

 それでも私は少しムッとした。

 

「本当に持ってたんだね……《夕べには骸に》」

「私のじゃないんですけどね。先輩はこの漫画のことを知っていたんですか?この漫画の原作の安城春菜とも、友人だったんですか?」

「湯浅から聞いたの?余計なこと言わないでよねぇ……」

「冗談……なんですか?」

「なにが?」

 

 先輩は私の言いたいことが分かっているはずだ。それなのに知らないふりをするのは、私に意地悪をしたいからじゃない。

 

「面白いと感じるから主観の問題だって話ですよ」

「嘘に決まってるじゃない」

 

 ……!?こんなにあっさり認めるなんて。

 

「逃げきれないもんだね。あたし、それ読んでないんだ。途中まで読んで、途中でやめた。捨てはしなかったけどさ、多分もう読むこともないよ」

 

 先輩が言おうとしていることが分からない。先輩は一度間を開けて続けた。

 

「読めばそれが傑作だって分かるってあんたは言ったよね?そうなんだよ。分かっちゃうんだよ。だから読まないんだ。認めたくないんだ。あんたならどうよ?あまり漫画を読まないと思ってた友達が、万人に認められるような作品を作り出したりしたら?」

 

 友達が書いた漫画を二度も読まないなんてことは、私はあるわけがない。

 いや、本当にそうかな?

 

 例えば明日ふくちゃんが、ちーちゃんが、折木が、南雲が漫画を書いてきてそれがとても面白かったら?

 私はそれを笑って読めるのだろうか?

 河内先輩は手すりに手をかけたままこちらを向かない。ペンを開ける音が聞こえ、手すりになにかを書き始める。

 

「春菜はさ。私の幼馴染なんだ。とっても大人しい子だった……私の横で私が絵を書いてるのを眺めてて、『凄いね』、『上手いね』って褒めてくれた。私はそれが嬉しかった……、春菜に褒めて欲しくて絵を描き続けた……!」

 

 河内先輩の声に、段々と感情が乗っていく。

 

「でも、春菜が書いた去年《夕べには骸に》の評価を聞いた時、私は嫉妬した。誰が読んでも面白いと感じる、産まれながらの名作を春菜は処女作で作り上げたんだ。嫉妬してるから、もっと嫉妬してしまうから、私はそれを読まないんだ」

 

 そして、次に発せられる河内先輩の声はどこか穏やかで、そして、悲しげで、震えていた。

 

「持ってきたところ悪いけどさ、私それ、絶対読まないから……!!だから持ち主に返してきな!だってほら、読んだら電話しちゃうじゃない……『読んだよ、あんたの。凄いじゃない!次のも期待してるね!』って……そんなこと言えないじゃない。ねぇ?」

 

 河内先輩はそう言い残し、どこかに向かって歩き出し始めた。私は不意に、手すりに書かれた落書きに目をやる。

 

 それは、デフォルメされた二頭身のキャラクター。猫のような、狐のような動物が立っている。これは……!

 

「《ボディートーク》の……」

 

 そうか、私には二つの宝物がある。一つは《夕べには骸に》。もう一つは《ボディートーク》……でも、どちらかを選べと言われた、私は《夕べには骸に》を取るだろう。

 それは河内先も同じだったのだ。《夕べには骸に》を選んでしまうのだ。でも本心は、夕べには骸に、に勝ちたかったんだ。それが河内先輩の《願い》だったんだ。

 

「河内先輩!!」

 

 南雲が言った言葉を思い出し、私に背を向けて歩いていく河内先輩を呼び止めた。先輩は振り向かないが、耳は貸してくれているようだった。

 

「私の友達が言ってました、『俺はボディートークが好きだ。作者にあったら、ぜひ続編を描いてもらいたい』って!」

 

 私は、河内先輩を慰めるためにこの言葉を言ったのかもしれない。同情するために言ったのかもしれない。同情とは時に残酷なのだ。

 他人から差を認められてしまい、『仕方ない』と言葉をかけられる。

 けど、本人にとって『仕方ない』なんて言葉は一番悔しいものなんだ。そんな言い方は、勝負がはじめから決まっていたようなものだから……。

 

 河内先輩はほぼ聞こえないようなか細い言った。

 

「あんたの友達、馬鹿ね。なんでそういうこと言うかなぁ……。また描きたくなっちゃうじゃない……」

 

 多分。泣いている。それでも私は、言葉を続ける。河内先輩に、まだ漫画を描き続けて欲しいから。《ボディトーク》が、南雲の中の名作になっているのだから、誰かの心の一冊になっているのだから。

 

 

「もう描きたくないのに……!!《ボディートーク》じゃ、《夕べには骸に》には勝てないのに……!!なんで……なんで……」

 

 

 河内先輩は泣きながら、その場に膝を付いた。

 

 私は一度躊躇ったが、そっとその肩に、手を置いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 JOKER23

 

 

 

 

 

「いやぁ、助かったぜ。しかも生徒会室の片付けまで手伝ってもらっちゃって、悪いな」

「いえ、《氷菓》を三十部も売ってくれたんです。これくらいはしますよ」

 

 閉会式も終わり、片付けも終わり、様々な生徒が帰路に付いている中俺と陸山は生徒会の片付けを行っていた。片付けと言っても、ついさっきまで生徒会の連中もやっていた。

 俺は無理やりそいつらを帰らせ、陸山と二人だけになった。

 

 俺たちは片付けを済ませると、それぞれカバンを持った。陸山が生徒会室のドアに手をかけた瞬間、俺は口を開く。

 

「陸山会長」

「どうした?」

「陸山会長は、《クドリャフカの順番》を読んでいたのではありませんか?」

「懐かしい名前だな。なんでそう思った?」

 

 陸山は動じない。田名辺といいこの人といい……頭のいい人と話すとどうも調子が狂うな。

 

「あなたをおかしいと思ったのは、昨日のことです。俺はあの会話で、あなたを《十文字》なんじゃないのかとも疑った。

あなたは昨日俺にこう言いましたよね。『お前古典部だったな?最後の標的になるんじゃないか?奪われんなよ?』と。あの時は《十文字》の存在が明るみに出たばかりでした。加えて、あなたは昨日は一日中ポスター作りに励んでいた。とても学内の情報を知り得る状況じゃあない」

 

 陸山はニヤリとと笑ったまま、答えた。

 

「《十文字》の事は生徒会の連中から聞いたんだ。お前もその場にいただろ?」

 

 なんでこの人は自分で問題を提示するんだ。

 

「そうですね。ですが、おかしな点はまだあります」

「話を聞こうか」

「これも昨日の出来事です。俺があなたと話している時に生徒会の連中が戻ってきました。あいつらはあなたに資料の受け渡しと、最低限の連絡事項を伝えてまた散っていった。俺のいた時は『《十文字事件》というのが起こっているようです』とね。あなたは何故、《十文字事件》というワードを聞いただけで、『奪われんなよ?』と俺に忠告出来たんですか?《十文字事件》が盗難事件だとは、名前を聞いただけじゃ分からないでしょ。

そしてこの短い会話で、古典部が最後の標的になるかもしれないと予想を建てられたのか。もっと端的に言うと、《十文字事件》が五十音順に狙われると分かったのか。振り出しに戻ります。あなたは安城春菜の傑作である《クドリャフカの順番》を読んでいた。《十文字事件》は《クドリャフカの順番》を元にしていた事件です。それを知っていれば《十文字事件》の概要が分かるのは簡単なことです。違いますか?」

 

 俺は威圧をするように最後の言葉を冷徹に放った。しかし、やはり陸山は揺るがない。むしろこの状況を楽しんでいるようにも見える。

 陸山は笑った。

 

 

「やるな。名探偵様々じゃないか。さすがは《十文字》……ジローを追い詰めただけの事はある」

「じゃぁ……やっぱり」

「あぁ、そうだ。俺は《クドリャフカの順番》を読んだ。今でもたまに見返すさ。あれは素晴らしい代物だ。同人誌で出すのは勿体ない」

「まさか……それが理由?」

 

 陸山は『ん?』という顔をする。そして『あぁ』と今自分が言った言葉を思い出したらしい。

 

「いや、違うよ。確かに《クドリャフカの順番》を同人誌として出すのは勿体ないとは思ったが、俺が描かないのはそれが理由じゃない。」

「……」

「俺が描かない理由を聞かないのか?」

「知っても、俺には何もできませんから。」

「非情な奴だなぁ」

 

 俺はムッとした。確かに理由を聞かないという言い方は辛辣ではあったが、そこまで言う必要は無いだろ?

 

「俺に対してそう思うなら、あなたの方がよっぽど非情なんじゃないんですか?《クドリャフカの順番》を読んでいたのに、あなたはそれを隠した。田辺は描きたがっているのに!」

 

 俺は陸山を多分軽く睨んでいるが、彼の目は笑っている。

 

「理由を聞きます。なぜ《クドリャフカの順番》を描かないんですか?」

「そうだな、簡単に言えば……俺が天才だからかな」

 

 は?

 

「おい、なんだその目は」

「いや、自分でそこまで言う奴ってちょっとヤベェなって思って」

「バカ言うな。自分じゃ思ってない。周りが俺のことをそう呼ぶからなんだ……」

 

 陸山は自分のカバンを地面に降ろし、窓に向かって歩き出した。生徒会は一階で、そこから乗り出せばここから出ることも出来るだろう。陸山は窓に肘をかけ、こちらを向いた。陸山の髪が吹き込む風で揺れる。

 発せさられる言葉は、今までとは違い真剣なものだった。

 

「始めて漫画を書いたのは、物心つく前だ。何の漫画を書いたのかは覚えてない。ただ……すっげぇ下手くそだったのは覚えている。それが悔しくってなぁ。それから毎日漫画を書いたよ。でも、小学校の時は神山市の漫画コンクールの最優秀賞に選ばれたんだぜ?

んで、中学の頃は漫研に入った。同期の奴らは俺の絵を見て驚いてたよ。……それから、俺はずっと言われ続けた。『天才』、『天才』、『天才』ってな。だがいつしかそれは、嫉妬に代わった。同期の奴らは俺を蔑み、軽蔑した」

「虐められた原因が漫画だから…描くのを辞めたんですか?」

「いや、それは違うな。そんな奴らは言わせておけばいい。そう思ってた」

「じゃぁ何故……」

 

 陸山の声はどこか悲しそうだった。

 

「天才って言われるのが……嫌だった……」

 

 陸山の目が血走り、静かな怒りに身を任せたように腕を振る。

 

「俺は努力した!!努力して、努力して、やっと上手くなったんだ。それなのに、俺の努力を《天才》、《才能》の一言で片付けられるのが気に食わなかった!!だから俺は、漫画を書くのをやめた!!」

 

 陸山の次言わんとすることが分かった。

 

「だからあなたは、田名辺に漫画は描かないと言った。でもそれなら何故あなたは昨年の《夕べには骸に》を描いたんですか?」

「安城さ」

「安城春菜が理由だと?」

「そうだ。あいつはたまたまノートの端に描いていた俺の落書きを見て言ってくれた。自分は絵がそこまで上手くない。だから、一緒に傑作を作ろうってな……。俺は安城の眼を見て、確信した。こいつなら、俺の努力を感じ取ってくれる。《天才》の一言で片付けることが無いはずだってな。けど……」

「安城春菜はあなたの努力を感じ取ってくれなかった。加えて、親友の田名辺治朗ですらも」

 

 俺は陸山が口に出そうとしていた言葉を先に出した。陸山は顔を伏せたまま、軽く頷いた。

 

「二人とも完成した《夕べには骸に》を見て言ったんだ。『お前は天才だ。』……そう言われたよ……。だから《クドリャフカの順番》を提案された時に、俺は嘘をついた。

漫画描きは、これっきりの遊びだ。俺は今までで漫画を書いたことはないし、これからも書くつもりは無い。そう言った。俺は安城から、ジローから逃げた」

 

 持つ者の苦悩。それは贅沢な悩みなのだろうか。今の話を聞いて、俺はそうは思えなかった。

 持っているからこそ……いや違う。陸山は持っている人間じゃなかった。もしかしたら、持っている人間なんてこの世界にはいないのかもしれない。

 俺たちはそのような人間に対して、《才能》というたった二文字の薄っぺらい言葉を浴びせていただけなのではないか?

 誰も、彼らの《努力》を認めようとしなかったのではないか?《努力》を見ようとしなかっただけなのではないか?

 

 そう考えざるをえない程、陸山の話は俺の魂の深奥まで深く届いた。

 

「田名辺は、あなたに直接言いに来ますよ。『陸山、お前は《クドリャフカの順番》を読んだのか』ってね。あなたはどう答えるおつもりで?」

 

 陸山は笑った。笑ったまま、彼は言った。

 

「分からない……」

「あなたは描きたいはずだ。《クドリャフカの順番》を……!あんなに上手くなるまで努力を重ねたんだ……。そんな簡単に漫画を嫌いになれるはずがないでしょう!?」

 

 俺もどこか白熱した言い方になっている気がする。心から読みたいと思っているのだ、《クドリャフカの順番》を。

 安城春菜、田名辺治朗……そして、陸山宗芳の最高傑作を。

 

「描きたい、描きたいさ……。それが俺の《願い》だ。けど、俺にはもう笑いながら漫画を描ける自信が無い……」

 

 陸山の声が震える。

 

「俺は……才能なんて気にせず、ただ心がおもむくままに三人で漫画を描いていた時が、一番楽しかったんだ」

 

 泣き出す寸前の枯れかかった陸山の最後の一言は、薄く空気中に溶けて、消えていった。

 俺はそっと、目を伏せた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 JOKER24

 

 

 

 

 陸山と別れた俺は地学講義室に向かって歩いていた。今までで取り付けられていた装飾等は既に取り外されており、つい数十分前まで文化祭ムードだった雰囲気が嘘のようにいつもの雰囲気に戻っている。

 そして、地学講義室のドアを開ける。

 

「あー!遅いよ、お兄ちゃん!!」

「雨……今更来たのか……」

 

「遅いぜハル」

 

 奉太郎

 

「待ってましたよ、南雲さん」

 

 千反田

 

「どこで道草を食ってたんだい?」

 

 里志

 

「人を待たせないでよね」

 

 伊原

 

「まぁまぁ……伊原さん」

 

 桜

 

「遅刻とは何事だ、晴!」

 

 晴香

 

 

 晴香の腕には《カンヤ賞》のトロフィーが握られていた。一般客アンケートで書道部が一位に輝いたのだ。あとで個人的に祝福の言葉でもやろう。

 奉太郎の机を見ると、《氷菓》が一部だけ置かれており、他の奴らは腕に《氷菓》を握っていた。

 

「お前が買って、完売だ」

 

 奉太郎の言葉に頷き、俺は二百円を取り出し、奉太郎に渡す。

 そして俺は《氷菓》を受け取り、奉太郎はニヤリと笑った。

 

 

「完売だ」

 

 

「「「「い、い、…」」」」

 

 

 

「「「いやったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」」」

 

 

 まさか……ここまで来るとは。実に感無量だ。初日に絶望的な思いで見上げた文集の山が……。

 千反田は続けた。

 

「あとは《十文字事件》ですね!!これで心置き無く気にすることができます!!」

 

 里志はニヤリと笑った。

 

「あぁ、それならハルとホータローがなにか分かったみたいだよ?」

 

 また余計なことを……。だがまぁ、今日は……疲れた。俺は切り出す。

 

「どうだお前ら、《十文字》の話題を肴に、うちで打ち上げでもやるか?」

「賛成だ」

 

 奉太郎という。

 

「なによあんたら!!どうも積極的じゃない!」

 

 伊原の弁。なんとも失礼な!俺たちだって娯楽は楽しむぞ?

 

「賛成だね!!生徒指導部が怖くって打ち上げなんて出来るか!!三日間のそれぞれの鬱憤を晴らそうよ!!明日は日曜日だ、どうしたものかねぇ!!」

 

 こいつ飲むとか言い出さないだろうな?

 

「桜も来るだろ?」

 

 笑っていうと、桜は言った。

 

「な、南雲くんの家……行きます」

「お、おう」

「私もさんせーい!!なかなか古典部に出られなかったからさ、色々話を聞かせてよ!!」

「いいねぇ、打ち上げ!勘解由小路家の最高級の肉を用意するよ!」

 

 晴香と伊原が手を上げる。次いで千反田も微笑みながら頷いた。すると

 

「そうだ、お兄ちゃん」

「どうした?」

 

 そう言えば、雨はさっきからダンボールほどの箱を抱き抱えている。雨はそれを俺に差し出した。

 

「お父さんから。入学祝いだって!」

「今更だな……」

「お兄ちゃんが中々帰ってこないからでしょ……ほら開けてみてよ!」

 

 俺は雨から渡された箱を地学講義室の真ん中の机に置くと、他の奴らもそれを囲うように集まってくる。そして、中身を開ける。これは…。

 最初に口を開いたのは里志だった。

 

「すごいじゃないかハル!!最新式の《一眼レフカメラ》だよ!!」

 

 ほう一眼レフカメラ。

 俺はそれを取り出し、一眼とここにいるメンバーを交互に見た。

 

「早速撮ってみるか?」

 

 皆頷く。

 

 机の上に椅子を置き、俺たちと同じ目線になるようにカメラをセットする。伊原が即興で書いた、《氷菓完売!!》の画用紙を千反田が持ち、真ん中へ。

 カメラタイマーは長く設定して二十秒……と。

 

 

 

「ほら、折木さん笑ってください!」

「こ、こうか?」

「怖いよ折木くん!?」

「ちょっと摩耶花……近寄りすぎじゃ……」

「しゃ、写真なんだからこれくらい近づくでしょ?」

「おい、晴!!早く来いよ!」

「お兄ちゃーん!!」

「わーってるって!!ちょっと待てよ!!ちょ、俺のスペース開けろ!!」

 

「ハル……暴れるな!!全員の体勢が崩れる……!!」

 

 

 無理矢理全員が集まっているスペースに入ろうとする俺は足を滑らせ、奉太郎の腕を掴む。そして俺と奉太郎が倒れると同時に、全員の体制がグラついた。

 

 

 

 

 

「「「「「「「「うわぁぁぁぁぁぁぁぁァァァ!!」」」」」」」」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 パシャッ!!

 

 

 

 

 【氷菓完売】




 はい!《クドリャフカの順番》編終了です!


 原作を改変して陸山が《クドリャフカの順番》を実は読んでおり、漫画を描かない理由は別にある。というオリジナル展開を作らせていただきました。
 千反田と伊原が《まどろみの約束》を歌っているシーンは是非、《まどろみの約束》を聞きながら読んで頂ければさらに楽しめるのではないのかと思います。

 才能があるからこその苦悩。才能がないものの苦悩。
 この話ではその両方を書かせていただきました。
 それぞれにそれぞれの悩みがあるのかも知れません。

 長くなってしまいましたが…次回からは第4章《遠まわりする雛》編に突入します!

 それでは、また次回お会いしましょう!


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第4章 遠まわりする雛
第一話 趣味のためなら


遠まわりする雛スタートです。

原作同様、短編集を展開してきたいと思っております。

本作オリジナル短編もあり、新たなオリジナルキャラも登場しますのでお楽しみに!

 評価を頂きました。

 9評価 柳葉 向日葵さん

 ありがとうございました!

 評価バーが、赤(空きなし)のサイト内最高評価になりました。
 お気に入りをしてくださった方、感想をくれた方、評価をくれた方、ありがとうございました!
 これからも《氷菓 〜無色の探偵〜》をよろしくお願いします!



今回はオリジナル短編です。


 

 

 

 

 

 

遠まわりする雛

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺こと折木奉太郎は《省エネ主義》を根本として抱いているが、決して無芸無趣味な訳では無い。

 

 《趣味》と言われて最初に思い浮かぶのはなんだろうか。

 

 俺は強いていうならば『読書』だろう。趣味を仕事に出来たらいいとボヤく人間ものこの世には存在するが、俺は『読書』関連を自分の職業にしようとは思わないし、したいとも思わない。

 

 広辞苑で《趣味》の意味を調べると、『仕事、職業以外で個人で楽しんでいる事柄』という意味がでてくる。

 つまり、職業になった時点でそれは趣味ではなくなり、仕事と化すのだ。

 

 どんなに気分が晴れない日も、外で騒ぎたいと思った日も、俺は読書に勤しまなければならない。

 そうなった場合俺は『なんで読書なんてしなくちゃいけないんだ』と、愚痴を零すだろう。()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「だから俺はあまり趣味であるものに力を入れてはいけないと思うのだが、どうだろう」

 

 時は遡り六月下旬。梅雨も終わりに近づき、初夏の気配が神山を襲う。チラホラ夏服に衣替えをしている生徒もいれば、未だにカーディガンなんて暑苦しいものを羽織っている生徒もいる。

 

 ここは古典部部室、地学講義室。今いるのは俺と千反田の二人。基本的に古典部の活動日は決まっておらず、特に集まる理由がない日は、皆気が向いた日に部室に訪れるのだ。

 俺は今昨日購入した小説を片手に持っている。

 

 これがまた面白い。主人公は高校三年生の男子。趣味であるカメラを仕事にしたいと志すか、シングルマザーである自分の母を養う為に安定した職業に就くか。ヒロインやそれを応援する母とともに主人公の心の葛藤を描いた物語だ。

 千反田はキョトンとした顔で答えた。

 

「一つのいい考えだと思いますが、折木さんは矛盾しているのでは?」

「どこが?」

「今本を読んでいます」

「趣味の範疇だ」

「一ヶ月にどれくらい読むんですか?」

「五、六冊って言ったとこか」

「普通の高校生より読んでます」

「普通の高校生が読まなさすぎなんだ。文庫本程度なら時間があれば三時間はくだらない。一週間に一本程度だ」

「それより折木さん」

「金なら貸さんぞ」

「私をなんだと思ってるんですか!」

 

 千反田は頬を膨らましながら答えた。

 

 千反田える。《桁上がりの四名家》の一角を担う《豪農千反田家》の息女だ。

 今年の四月。姉貴の青春の場を守るべく部員ゼロと聞いた古典部に所属した俺だったが、そこにいた先客はこの大和撫子然とした少女だった。

 髪型は眉ほどでしっかりと切りそろえられており、背中ほどまで伸びた黒い髪は俺やその他の生徒に一昔前の女学生のような雰囲気を与えたが、それがフェイクだったと気付い時には、もう既に遅かった。

 大人しい雰囲気からかけ離れた活発的な大きな瞳は、俺を《謎解き》の世界へと誘ったのだ。

 この瞳で見られると、俺は断れない。俺はどうやら千反田とは相性が悪いらしい。

 

 《省エネ主義》はこの少女の前では通用しないのだ。

 

「聞いてくださいよ折木さん!私、気になることがあったんです!」

「今いいところなんだ、あとにしてくれ」

()()()()()()()()()()()()()()()()、でしたっけ?」

「……」

 

 数分前の自分を殴りたい。これからは趣味に全力で力を入れるこの物語の主人公に影響されよう。

 俺は文庫本を閉じ、聞いた。

 

「なんだ、気になることって」

「昨日の事なんですが、塚原(つかはら)さんが早川(はやかわ)駅で降りてるんです。それも一週間前から、不思議だとは思いませんか?」

「悪い千反田……早川駅?塚原?なんだそれ」

 

 こいつはよく大事な部分を省く癖がある。誰もがお前の知ってるものを知ってるわけじゃないぞ?

 

「ああ!すみません。塚原さんは私のクラスのお友達です。生物部に所属しています。早川駅は神山駅から電車に乗って、登り五駅目の駅です」

「早川駅くらい知っている。塚原の家が早川駅の近くにあるだけだろ?」

「いえ、塚原さんの家は、といってもマンションですが、それは楠木(くすのき)駅なんです」

 

 楠木駅……神山駅から登り六駅目だ。

 

 ふむ。

 

「つまりお前は、塚原の家が楠木にあるのに、その一つ前の駅の早川で一週間前から降りてるのがおかしいと」

「そういうことです。話が早くて助かります」

「ん?しかし、お前は歩いて下校してるよな。なんで塚原が早川で一週間前から降りてるのを知ってるんだ?」

「どこから話せばいいんでしょうか」

「はじめから頼む」

「はい、塚原さんが私に話しかけてきたのは入学してから……」

「あぁ……いや、途中からでいい。」

 

 出会いから説明してくれとは言ってないが……。

 

「途中からですか……そうですね。昨日のことです。」

 

 

 ────side千反田────

 

 

 私は、家の用事で楠木まで自転車で向かっていました。私が住んでいる場所は神田という場所です。折木さんも一度来たことがあるので知ってると思いますが。

 神山近くの駅を、もう一度確認してみましょう。路線図で表すとこうですね。

 

 ┴─┴ 神田┴─┴ …┴─┴ 神山┴─┴ …┴─┴ 早川┴─┴ 楠木

 

 

 私は用事を済ませたあと、自転車で神田まで戻ります。え?体力があるなって?そうですかね……。

 

 そこで楠木から早川の間の道で、塚原さんと出会いました。この時点で不思議に思ったことがあります。

 塚原さんと会った時の時間は六時を回ろうとしいました。生物部の活動日は毎週月曜日で、昨日は火曜日です。部活動はありません。

 塚原さんは制服でしたので、なにか用事でもあったのでしょうか?

 

 ですが用事で疲れていた私は、その事を塚原さんから聞きませんでした。しかしこれを聞いたのは覚えています。私は『塚原さんのお家は楠木でしたよね?』と聞いたんです。そしたら塚原さんは私にこう言いました。

 『ここ一週間は部活にも寄らずにずっと早川で降りてるんだよ』って。

 

 おかしいとは思いませんか!?

 

 

 

 

 

 ────side奉太郎────

 

 

 

 

「今日教室で聞けばよかっただろ?」

「今日は塚原さんは風邪でおやすみだったんです」

 

 お大事に。

 しかし……別にこれは変な話じゃない。

 

「なにか分かりますか?折木さん」

「例えばなんだ……女子が歩く理由なんて分かるだろ。お前に言わなかったんじゃなくて、お前に言いたくなかったと考えれば話はまとまる。ダイエッ…むぐ」

 

 千反田は両手で俺の口を塞いだ。

 数秒大きな瞳で俺を見つめたあと、言った。

 

「デリカシーがないですよ?」

「ぷはっ!でも、それくらいしか思い当たらないぞ」

「塚原さんは痩せ型なんです。それも心配になるほど。自分でも言ってました、もう少し太りたいと」

 

 なるほどな。

 

「なら、早川と楠木の駅間のどこかで何かしらのイベントのようなものが行われているという考えはどうだ?」

「イベント……ですか?」

「よくあるだろ?コンビニで音楽グループとか、アニメの一番くじ。塚原はそれをやりたかった」

 

 千反田は少し引き下がったが、まだ納得のいってないような顔をする。うぅむ。こいつは勘は鈍いが、直感的に違和感を感じ取る才を持っている。

 俺が言ったのが《デタラメ》ということに気づいているのだ。

 俺はため息をついた。

 

「いや、ダイエット説もイベント説もありえない」

 

 千反田の顔はパァっと輝きを取り戻した。

 

「やっぱりそうなんですね!私を騙そうとしてもそうはいきません!それで?なぜあり得ないんですか?」

 

 こういうのに気付かないのが、たまに傷だが……。

 

「考えてもみろ。お前が昨日塚原と会ったのは六時近かったんだろ?学校の帰りのホームルームは四時だ。一番くじを引くにしても、ダイエットの為に歩くにしても、一駅分歩くのにそんな時間はかからない。時系列が合わないってことだ」

「なるほど……一理あります。」

「ほう、一理とは?」

 

 千反田はいつの間にか俺の横に座っており、口を開いた。

 

「ダイエット説は時間のズレで否定できますが、イベント説はまだ拭いきれません。南雲さんはイベントの事を一番くじと言っていましたが、それ以外にもまだありえるのではないでしょうか?例えば、お祭りとか?」

 

 ふむ。確かにイベントを一番くじという括りで見た俺の視野が狭かったことは認めよう。だが……

 

「お祭りと言ってもだな、この梅雨の時期にそんなことをすると思うか?この辺の祭りがいつ開催されるかは詳しくないが、ちょっとばかし時期が早い。それに、お前の五感ならそれくらいは自分で否定出来るはずだ。昨日の早川までの道で太鼓の音はしたのか?浴衣を着た人達はいたか?」

「しませんし、いませんでした。」

 

 そういうことだ。しかし……手がかりが少ないな。一駅まで降りてるのは、一週間前から……か。

 

「千反田」

「はい?」

「お前は楠木までよく行くのか?」

「ええ。よく、という訳でもありませんが、楠木にはお世話になっているお菓子屋さんがあるので新製品を頂いたりしているんです」

 

 ほう。それは今度俺もいただきたいものだ。いやいや、そうじゃない。

 

「早川から楠木の道のり、それこそ昨日お前が塚原と会った道を一週間前以前は通ったか?」

「はい通りましたよ。ですが、随分前です。最後に楠木に行ったのは二ヶ月程前でしょうか?」

「二ヶ月前と昨日……なにか変わったことはあったか?」

「え?そうですね……」

 

 千反田は口元に指を置き、考える。数秒悩んだところで、口を開いた。だがその時の声は、どこか悲しげだった。

 

「動物保護施設がありましたが……、無くなっていたと思います。取り壊しは二ヶ月前には既に決まっていたので。そこに新しく何が建つのかは……覚えていません。あぁ、こんなことも忘れてしまうなんて」

 

 取り壊された場所に新しく何が建つかなんて、二ヶ月前に見たのなら普通覚えていない。

 

「で、そこにはなにか建ってたんだろ?なにがあったんだ?」

「そこは昨日は通ってないんです。」

「?」

「動物保護施設は早川駅から少し進んだ場所にあります。ですが、父から聞いたところ、その施設の前を通ると楠木まで遠回りになってしまうんです。私は昨日施設があった場所を通りませんでした。今になって何が建ったのか気になってきました……保護犬達は一体どうしたのでしょうか……」

「まてまて、お前は昨日の塚原と会った道を二ヶ月前も通ったと言ったよな?なのに保護施設があった道は通ってないとは、どういうことだ?」

「少し語弊があったみたいですね。塚原さんと会った道は以前も通ってましたが、遠回りになるのは塚原さんと会った道と合流するまでの道のりです。つまり、早川駅から塚原さんと私が昨日会った道までの行き方は二つあるんです。私は今まで遠回りの方を歩いていたということです」

 

 あぁ、なるほどな。だったら遠回りの道にある方の動物保護施設ことは言わなくても良かったのだが……。

 取り壊された動物保護施設か……。あんまり今考えてることには関係なさそうだな。

 俺は喉を潤そうと、リュックサックから水筒を取り出し、口をつけるが……、出てきたのはたった一つの雫だった。今日は飲みすぎたな……しかし

 

「喉乾いた……」

 

 不意につぶやくと、千反田は言った。

 

「私、買ってきますよ?」

「あぁ、俺も行こう」

 

 俺と千反田は地学講義室を出ると、特別棟の一階まで降りた。自動販売機は二つ並んでおり、品ぞろえは同じなので、片方の自販機にあるものが飲みたいから、待つ。ということがない。俺と千反田はそれぞれ別の自販機に小銭を入れ、飲み物を買う。

 

 俺が買ったのはスポーツドリンクだ。水筒に入っていたのもお茶なので、味を変えてみたかった。

 

「戻りましょうか。もう少し考えましょう」

 

 横で千反田が言った。まだやるのか……明日塚原が来た時に聞けばいいだろ……。ハルも里志も、こんな時に限って帰りやがって。と、千反田に言おうとしたその直後、俺は千反田を二度見、いや三度見した。

 詳しくいうと、千反田を見たのではなく千反田が握っている缶を見たのだ。

 

「おい、千反田……。お前買うの間違えてないか?」

「え?」

 

 千反田が握っていたのは缶コーヒーだった。カフェオレでも微糖でもない。ブラックだ。

 先日、俺とハルは千反田に、『叔父が自分に何を聞いたのか思い出させて欲しい』という依頼を受けた。依頼を受けた場所は俺の行きつけの喫茶店《パイナップルサンド》。そこで千反田は俺がに進めたコーヒーを断り、ウィンナーココアを注文したのだ。

 理由は、カフェインが苦手だから。

 

 つまり、ここで千反田がコーヒーを買うのは、間違って買ってしまったという初歩的なミスをしたということしか考えられないのだ。それともなにか理由が……?

 

「いえ、克服しようと思いまして」

「克服?カフェインをか?なんで?」

「これも塚原さんなんですが……塚原さんは私と同じでカフェインが苦手なんです。ですが、()()()()()()()()()()()()()()()()()。私は感心しました。私も克服したいんです!」

 

 カフェイン?克服?

 

 今までの推測が、記憶が、俺の中で蘇る。

 

『一つ前の駅で降りてるんです』

 

『イベントかなんかだろ』

 

『動物保護施設がありました』

 

『生物部に所属しています』

 

『家、といってもマンションですが』

 

『保護犬達は一体どうしたのでしょうか?』

 

『コーヒーが飲めるようになったんです!』

 

 

 

 

「あぁ……そういうことか」

 

「な、なにか分かったんですか!?折木さん!!」

「あぁ、」

 

 なぜ塚原が早川で降りたのか、動物保護施設の代わりに何が建ったのか、そして……

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

 

 地学講義室に戻った俺は千反田に言った。だが、少し言うのが恥ずかしかった。

 

「千反田、このあと空いてるか?」

 

 千反田は一度キョトンとするが、推理に関係することだと感じ取ったのか、頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 千反田と共に向かったのは神山駅。俺達は早川駅までの切符を購入し、電車に乗りこんだ。

 席が並んで二つ空いていたので、そこに座る。

 電車が動き出したところで、千反田は待ちきれないという風に俺に聞いてきた。

 

「折木さん、教えてください。なぜ塚原さんは早川で降りてるんですか?」

「あぁ、早川まで暇だしな。ここで教えてやる。早川に着いた時に、俺の考えが正しかったか分かる。……さて、どこから話すかな。昨日お前と塚原が会った時間が六時前だとしたら、塚原はどこかに寄っていたという俺達の考えはあたっている」

 

 千反田は首をかしげた。

 

「その可能性もありえますが、学校に居残っていたという考えもありますよ?」

「昨日お前が塚原に『家は楠木ですよね?』と聞いた時に、塚原は『ここ一週間は部活にも寄らずに早川で降りてる』と言ったんだよな?部活《にも》だ。つまり塚原の中で放課後の最優先事項は部活になっていた。ほかの理由で居残るとは思えない。じゃぁ居残りを強制させられるような理由。例えば、呼び出しやら委員会。これも考えから外す。一週間連続で何かがあるとは考えられないからな。加えて、その最優先事項である部活を上回る事項が一週間前から塚原の中に生まれたということだ。その答えは、早川から楠木までの道のりにある」

 

 先程買ったスポーツドリンクを喉に流し込み、人差し指を立て続ける。

 

「条件を並べていこうか。まず一つ、塚原は生物部だって言ったな。前に里志と生物部の飼っている生物を見に行ったんだが、飼育しているのは、名前を忘れた熱帯魚、亀、ウーパールーパー等の、魚類、爬虫類だ」

 

 千反田は眉を寄せて、『こいつは何を言っているんだ』という顔を見せた。これが千反田だったからよかったものの、伊原だったら一喝されていただろう。

 しかしこの反応は当たり前だ。家のある一駅前で降りる理由がウーパールーパーなんて言われたら、俺だって怪訝な顔をする。

 次いで俺は中指を立てた。

 

「二つ。これはお前のさっきの質問で答えたが、塚原にとって生物部は放課後の用事の中で最優先事項だった」

 

 薬指と小指、親指を同時に立てる。

 

「三つ。塚原はマンションに住んでいる。四つ。早川から楠木までの道のりにある動物保護施設が取り壊された。五つ。塚原はコーヒーが飲めるようになった。これだけの条件が揃っていれば分かるんじゃないのか?」

 

 横目で千反田を見るが、どうも納得出来ていない様子だ。俺は溜息をつき、続ける。

 

「じゃぁ簡単な問題だ。生物部の主な目的はなんだ?」

「生き物を飼育することです。」

「そう、つまり塚原は生き物の世話をするのが好きだった。だから生物の世話をすることの出来る部活が最優先事項になったんだ。だが、それを越す優先事項が一週間前から現れた。俺は塚原の人柄を知らないから、塚原の趣味も勿論知らない。しかし、生物部が最優先事項になっていたというのなら、それ以上の趣味はないと伺える」

「つまり塚原さんが早川で降りる理由は、生き物関連だと?」

 

 千反田は両手を重ねて太ももに置き、左手を上にしている。無意識にこの座り方をやっているのなら大したものだ。

 

「その通り。つまり塚原は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 電車はいつの間にか早川に着いていた。俺と千反田はそこから降り、改札を出る。

 千反田に元動物保護施設があった場所への道を教えられ、そちらに向かって足を進める。既に早川は夕日で照らされていた。俺は歩きながら続ける。

 

「これはあくまで俺の希望的観測ではあるが、塚原の住んでいるマンションはペット禁止のマンションじゃないかと思った」

 

 千反田を見るが、まだよく分かっていないようだ。

 

「塚原はコーヒーが飲めるようになった。何故か、答えは単純明快。慣れだ。塚原はコーヒーを飲む機会が多々あったんだ。だから慣れることが出来た」

 

 隣で千反田が「あっ」という声を上げた。千反田の目の先にはひとつの建物。千反田が声を上げた時は俺の視力では見えなかったが、近づくに連れて俺の考えが当たっていることに気付き、安堵を覚える。

 

「もう見えてるから答えはわかったと思うが、畳み掛けるぜ。動物保護施設にいた動物達は取り壊されあとどうしたのか、これに加え、今までの条件。なんで一駅前の早川で降りていたのか、何故塚原はコーヒーを飲む機会があったのか。部活以外で、どこで、どうやって生き物と触れ合っていたのか、俺は……」

 

 スッと右手の人差し指を、既に目の前にある建物に向けた。

 

 

()()()()()()()()だと思った

 

 

 俺が指をさした建物には、《アニマルズ・コーヒー》ていう看板が立て掛けてあるまだ新しい喫茶店だった。

 基本的に木組みで出来ており、新しい木材の香りが俺の鼻に情報を与えた。

 加えて、扉や大きな窓はガラス張りにされており、中の様子が見て取れる。中には犬や猫を中心とした様々な動物が客と触れ合っていた。すると

 

「す、凄いです折木さん!アニマルカフェだなんて……考えもしませんでした!やっぱり、叔父のことをあなたに相談して良かったと今もう一度確信しました!」

 

 千反田はそれこそ、動物園にきた子供のような反応を俺を見た。

 

「あ、あぁ」

 

 叔父の件については、まだ何にもわかってないがな…それでは

 

「遅くなったし、帰ろうぜ……。千反田?」

 

 千反田はアニマルカフェの中をジーッと見ており、心做し目が輝いている。これは…

 

「おい、千反田」

「は、はい?」

「入りたいのか?」

「え、ええ……ですが、ここにあることは分かりましたから、いつでも来ることは出来ますが……少し気になりまして」

 

 はぁ……俺もお人好しだな。

 

「入ろう。折角ここまで来たのに、これで解散というのも電車賃が勿体無い」

「は、はい!」

 

 ガラス張りのを開けた俺は、マスターと思われる男性に案内される。新しく出来たせいか、それとも今日が特別なのか、店内は人で賑わっていた。ここでマスターが俺たちに聞いてきた。

 

「悪いね。まだ席そんなに用意て出来ていないんだ。君たちと同じ神山高校の子が二人来ているんだが、相席でもいいかな?」

 

 俺は別に構わないが。千反田に視線で「いいか?」というメッセージを送ると微笑んだ。肯定でいいんだよな?

 

「大丈夫です」

 

 マスターも微笑むと、俺達は店の奥まで案内された。

 

「あれ?えるじゃん」

 

 相席の連中は男女のペアだった。女の方が千反田を呼ぶ。あぁ……こいつが。

 

「こんにちは。塚原さん。やっぱり《アニマル・カフェ》にいたんですね」

「やっぱり?」

「塚原さんのマンションはペット禁止ですか?」

「え?あぁうん。だからこうしてアニマルカフェで癒されてるんだよ」

 

 塚原は不思議そうに眉を寄せて千反田を見る。しかその質問はさほとど気にならなかったようで、視線は千反田から自分の膝の上に乗っている小型犬に移った。

 いや千反田そんなことより、もっと大事なことを聞く必要があるだろ。

 

「なぁ、塚原さん」

「なに?」

「あんたは今日休みじゃなかったか?」

「あー、えっとー、それはー」

 

 まさかこの女一日中ここにいたのか!?

 

「折木?」

 

 俺は男の方に呼ばれた。こいつは……同じクラスの荒木……仲がいいかと言われれば、どちらでもない。仲がいいと言えるほど関わったこともないのだ。取り敢えず挨拶の代わりに右手を上げ、荒木の隣に座る。

 マスターからメニューを受け取り、開く。やはりか……

 

 ブラックしかない。まだ出来たばかりの喫茶店だ。バリエーションが少ないのも頷ける。

 

 その後も動物達と戯れ俺たち四人は、共に喫茶店をあとにした。(ちなみ店に入ったからには何かを注文しか無くてはいけない訳で、千反田の分のブラックコーヒーは塚原が飲んでいた。)俺と千反田は早川まで戻るが、荒木と塚原は楠木の方まで歩いて行くそうだ。千反田が言った。

 

「塚原さん。一度戻って、別のルートから行った方が早いですよ?」

「あー、うん。そうなんだけどね……」

 

 塚原は荒木の袖をキュッと掴んだ。

 

「荒木の家がこのすぐ近くだから。出来るだけ一緒にいたいんだ」

 

 ほほう。いい《薔薇色》だ。塚原が部活を休んでまでアニマルカフェに行ったのは、『趣味のためなら』、というだけの理由ではなかったのだ。

 俺は荒木をニヤケ顔で見る。蹴るな。

 

「じゃぁね、える。彼氏さんも!」

 

 なに……。何かとんでもないあらぬ勘違いをされてしまったようだ……。

 

 二人去った後、俺と千反田は同時に顔をそっぽに向けた。

 

「あの、塚原さんと一緒に帰っていた荒木さんと、私はなんで昨日合わなかったんでしょう?」

「塚原がすぐ近くって言ってたろ?多分お前と会った道と合流する前に荒木の家があるんだ」

「そ、そうですよね……」

「帰るか」

「はい」

 

 千反田顔が見れなかった。いや、別に見る必要は無いのだが…。

 

 

 俺は何故か、この時千反田がどんな顔をしているのか、気になって仕方がなかったのだ。






 次回《正体見たり》


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第二話 正体見たり 起承(きしょう)

 評価を頂きました。

 10評価 うんつくさん
 3評価 settaさん
 1評価 ライオギンさん

 ありがとうございました!

 日間ランキングにて、10位を頂きました!ありがとうございます!

 お気に入り300&UA15000突破!ありがとうございます!


 『幽霊の正体見たり枯れ尾花』とはよく聞く言い回しだが、ロマンティックの意味がわからない現代では、枯れ尾花なのは幽霊だけではないだろう。

 しかし幽霊は片っ端から枯れ尾花にされていくわけであって、幽霊を幽霊として扱う方が、俺達には難しいのかもしれない。

 

 八月の上旬。峠道を登るバスの中で奉太郎が呟いた。

 

「私はそういう言い回し嫌いね。なんでも頭っから信じるほうじゃないけど」

 

 左から伊原の弁。

 

「いやホータローにしては面白い考えだと思うよ?形而上(けいじじょう)的価値観の否定とはね!」

 

 右から里志の弁。

 

「しかし、枯れ尾花の正体も、私気になります」

 

 左から千反田の弁。

 

「ええい、お前ら俺を挟んで難しい話をするな」

 

 俺達が座っているのはバスでも一番奥の席、つまり五人がけの席だ。右の窓側から、伊原、千反田、俺、奉太郎、里志だ。

 

「なんだい、《氷菓事件》解決の第一人者の一人である君が、この程度のレベルに付いてこれないとは……まだまだだね。南雲晴一等兵」

「俺はお前らみたいに難しい言い回しはしないんだよ。むしろ俺の方が一般的なんだ。合わせろよ、福部里志教官殿」

 

 神山高校古典部一同。なぜ俺達が一台のバスに乗り合わせているというと、《氷菓事件》の解決の打ち上げというものだ。慰安旅行と言ってもいいだろう。

 神山市からバスで一時間半。財前村前。伊原の親戚が営んでいる《青山(せいざん)荘》に向かっている。

 

 しかも今はたまたま改装中で、客を入れられないため無料で貸し出してくれているのだ。ありがとう伊原。

 

 

 《青山荘》に到着した俺たちは、それぞれ割り当てられた部屋に移動した。二十畳程の部屋は、俺と奉太郎と里志の三人で使うには大きすぎるくらいだ。

 部屋の窓から見える景観は素晴らしいもので、流れ込む風は夏の蒸し暑さを軽減してくれる。深い緑に覆われた山。あちこちから上がっている白いモヤは、ここが温泉街である事を再確認させてくれた。

 

「なかなか見晴らしのいい部屋じゃないか」

 

 奉太郎と窓際で腰をかけていると、後から里志の声が掛かった。奉太郎は返す。

 

「たまにはこういうのも悪くない。贅沢をいえば一人で来るほうが雰囲気は出るだろうな」

「奉太郎が一人でこんな所に来ることを自発的に思いつくわけないだろ……」

「失礼な。常に風雅を愛する粋人に向かって」

 

 奉太郎が面白いジョークを言い終えたところで、ドアがノックされた。

 

「夕飯よ」

 

 伊原の声だ。うむ、長旅で腹も減ったところだ。

 

「夕飯ですよっ!」

 

 千反田も伊原を真似て言った。いつもより興奮しているような声質だが、無理もない。旅行というのは幾つになっても心躍るものだ。友達とくればなおさらだろう。

 

 二人に呼ばれ俺たちは下の階まで足を運ばせる。歩く度にギィ、ギィという音が鳴り、下手なところを踏んでしまったら床が抜けてしまうのではないのかと心配になる。

 《青山荘》は二つの建物で成り立っている。先程言った通り、ただいま改装中の本館。そして今俺達がいるのが別館だ。

 本館と別館は二階で連絡通路でも繋がっており、この旅館を上から見ればコの字型になっているだろう。

 

 一階にたどり着き和室の富士の絵が書かれた襖を開ければ、真ん中に鎮座する坐卓の前に既に千反田と伊原がこの旅館の娘二人(伊原とは血縁関係にある訳だが、どこに当たるかは知らない)が向かい合った形で正座で座っていた。

 

 里志が千反田と伊原が座っている列へ。残っているのは旅館の娘二人が並んでいる席と誕生日席だ。ふふふ、普段なら誕生日席なんて薔薇色の席は座らんが今回は別だ。なんせそこの姉妹の横に座るのはなんとなく気まずい。俺は奉太郎に切り出した。

 

「「俺はここに座る。」」

「「む?」」

 

 結果。伊原に『なにコントしてんのよ』とドヤされ、俺はその勢いで姉妹の列に、奉太郎は望んだ誕生日席に座った。

 

「「「「「「「いただきまーす」」」」」」」

 

 献立は生野菜のサラダと焼きししゃも、豚肉の冷製、大根と油揚げの味噌汁だ。冷しゃぶとは実に夏らしい。頂くとしよう。

 すると、俺の隣の隣に座っていたミドルヘアの女の子が、俺の隣にいる子の膝に覆いかぶさる形で俺に言ってきた。お行儀が宜しくないぞ。

 

「あとで、デザートもありますよ!」

 

 デザート、なんだろう?

 

「チーズケーキか?」

 

 奉太郎が聞く。

 

「なんでわかったの!?」

「匂いがしたからな」

「すごい、やっぱまや姉ちゃんの言う通りだ」

 

 奉太郎のことを伊原はなんと言ったのだろうか。

 

 今話しかけてきたやたら人懐っこい女の子がこの《青山荘》の姉妹の姉、善名梨絵(ぜんなりえ)、中学二年生。

 そして、俺の隣に座っている大人しめのポニーテールの少女が妹の善名嘉代(ぜんなかよ)、小学六年生。

 

 さて、俺は冷しゃぶを口に放り込む。うむ、脂ののりも丁度良い。

 

 梨絵が伊原と千反田に高校生活の話を面白そうに聞いている。里志もニコニコとその話に合いの手を入れる。

 俺がサラダに備え付けの杓子を伸ばした時に、隣の嘉代が口を開いた。

 

「あの、名前、なんて言うんですか?」

「ん、あぁ晴、南雲晴。なんて呼んでも構わないぜ」

「……」

 

 ありゃりゃ、人見知りを克服しようと俺に話しかけてきたみたいだけど、黙ってしまった。

 俺じゃなくて最初は千反田や里志辺りの方が良かったかもしれないな。しかし、どうも梨絵、伊原、千反田、里志の話の輪に入れないようだ。ふむ。

 

「嘉代ちゃんは夏休みの宿題とかどうだ?」

「え、はい。ちゃんと毎日やってますです。でも、算数が苦手で……」

 

 偉いなぁ。俺なんかまだ半分も終わってねぇよ。しかし……算数か。

 

「じゃぁ後で教えてやるよ!俺こう見えても数学は結構得意なんだ」

 

 俺がそういうと嘉代は黙って頷いた。どこか笑っていたようなので、まぁ良かった。

 サラダボウルの杓子に梨絵が手を伸ばし、嘉代が冷しゃぶに箸を出す。次の瞬間、梨絵の腕が嘉代の腕にぶつかり、豚肉を掴んだ嘉代の箸は味噌汁に激突した。

 

「危な……」

 

 奉太郎がそう言いかけたところで、嘉代の味噌汁がひっくり返った。嘉代が小さくつぶやく。

 

「うわっ」

「ちょっとあんたなにやってんのよ!」

 

 梨絵が眉を寄せながら言った。うーん、どっちも悪いようには見えたけどな。

 

「ご、ごめんお姉ちゃん。」

 

 嘉代は謝って台布巾に手を伸ばすが、その台布巾は既に俺が取っており、零れた味噌汁を拭いた。その一部始終を見ていた里志が言う。

 

「へぇ、ハル。随分と面倒見がいいじゃないか」

「俺も妹いるからなぁ……」

 

 場の空気が固まる。なんだ……

 

 最初に口を開いたのは千反田だった。

 

「南雲さん、妹さんいたんですか!?」

「あれ、言ってなかったっけ?」

 

 奉太郎を見ると、こいつも少しばかり驚いた表情で頷いた。

 

 あらら。

 

 その後味噌汁を拭きとった台布巾を嘉代が流しまで持っていき、新しいのを絞ってくるのを待った。

 俺は先程食べ損ねたサラダの杓子に手を伸ばし、自分の皿によそった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後デザートに梨絵お手製チーズケーキを頂戴し、俺は約束通り嘉代に夏休みの算数の宿題を教えてやった。

 教えたのは分配法則だ。嘉代は随分真剣に俺の話を聞いてくれて、三十分もした頃にはほぼ完璧に解けるようになっていた。こりゃぁ里志を越す日も近いな。

 

 嘉代にしつこいほどお礼を言われたあと、俺は部屋に戻る。

 既に奉太郎と里志の姿はない。大方温泉に行ったのだろう。

 俺も部屋に備え付けられているバスタオルを持ち、温泉に向かう。

 

 《青山荘》を出て、下り坂を降りていく。カーブの曲がりたてに見つかった露天風呂は、民宿や旅館が管理をしているらしい。うむ、しっかりとコーヒー牛乳が売っている。百点満点だな。後で飲むとしよう。俺はあらかじめポケットに入れた二百円をチャリチャリといじった。

 

 脱衣所は意外と狭く、既に先客がいるようだ。言うまでもなく、奉太郎と里志だろう。俺が服を脱ごとうした、その時だった。

 

 バンっ!!

 

 温泉に繋がるドアが勢いよく音を立てて開いた。そこに立っていたのは

 

「里志……と、奉太郎!?どうした!!?」

 

 里志が奉太郎に肩を貸していたのだ。奉太郎はぐったりとした様子で顔も赤い。

 

「のぼせたんだよ……。全く情けないったらありゃしないよ。僕の方が何分も先に入ってたのに……。ハル、悪いけど肩を貸してくれないかい?僕だけじゃとてもフラフラの奉太郎を運べない」

「ったく……手が掛かるぜ……」

「すまんな……」

 

 奉太郎がボソッと言った。

 

 

 

 《青山荘》に戻ると、伊原が驚いた表情で奉太郎を見た。部屋に布団を敷いて、そこに奉太郎をかつぎ込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よう、生きてるか?」

「なんとかな」

 

 奉太郎を担ぎ込んで三十分後、俺は部屋に戻り様子を見に来た。

 

「これから怪談話やるんだってよ。どうする?」

「怪談話とは……面白そうだな。残念ながらいけん」

「仕方ねぇな」

「お前はどうするんだ?」

「おれ?俺は風呂いってくるよ。まだ入ってねぇんだ」

「つくづくすまん」

 

 はは。随分弱ってんな。

 

「じゃぁな」

「あぁ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 先程の道を再び降り、俺は露天風呂に向かった。田舎だけあって電灯も無く、暗い。俺は携帯の微かな光で足元を照らしながら露天風呂に向かった。

 

 脱衣所で服を脱ぎ、入る。

 

 現在時刻は八時。他に客はおらず、貸切だ。

 俺は顎までどっぷりと浸かった。白く濁った湯が体に染みとおる。

 

 夜空には無数の星がみえ、その星の光だけが、闇に染まった田舎を照らしてくれている。

 

 露天風呂から出ると、持ってきた財布から百円を取り出し、コーヒー牛乳を購入。一気に飲み干し、からの瓶をおく場所に置いた。

 

 夏の夜風は涼しく、温泉で火照った体を冷やしてくれる。温泉の余韻に浸りながら怪談話にでも参戦しよう。とっておきのを話してやるぜ。絶対全員泣かしてやる。

 

 ん?あれは……。

 

 《青山荘》に戻る途中、俺は一人の浴衣姿の少女がこちらに向かって来るのが見えた。俺は気づいたが、向こうは未だに俺に気づかない。

 俺は声を発した。

 

「嘉代ちゃん」

「あ、晴……さん」

 

 嘉代の着ている浴衣は旅館にあるような味も素っ気もない浴衣ではなく、お祭り用だ。

 水色の下地に、波に千鳥の文様が縫い込まれている。

 

「どこいくんだ?」

「お祭りです。夏祭り……」

「へぇ」

 

 夏祭りか。前に奉太郎達と行ったな。あの時は散々だったが。

 

「なぁ、俺も一緒に言っていいか?」

 

 嘉代は少し躊躇ったように見えた。まぁ今日会ったばかりの赤の他人だし、嘉代の性格から多分一人の方が楽しめるんじゃないか。

 

「大丈夫です。一緒に行きましょう」

「お、そうか?」

 

 俺は嘉代に連れられ、夏祭りに向かった。

 

 夏祭りは近隣の広場で行われていた。広場の真ん中では盆踊りをしている大人や子供で溢れている。

 嘉代を横目で見ると、かき氷屋をじっと見つめていたので、俺は切り出した。

 

「買うか?奢るぜ」

「あ、お金持ってますから」

「いいってかき氷くらい。おじさん、かき氷二つ。俺メロンで」

「私、いちご」

「はいよ!おっ、嘉代ちゃん!彼氏かい!?」

 

 嘉代は慌てふためきながら両手と首をぶんぶん振った。

 こういう発言は俺の方も困るんだよなぁ。

 

 その後も嘉代と俺は夏祭りを楽しんだ。嘉代も積極的に俺に話しかけてきてくれるようになり、なんだか少し嬉しい。だが……

 

 

 ポタ……ポタ……ザァー!!

 

 

「やべ、降ってきやがった!嘉代ちゃん、戻るぞ!!ってぇぇぇぇええ!!」

 

 嘉代は既に全速力で《青山荘》まで走っていた。俺もそれを追いかける。流石に小学六年生に高校生の俺が追いつけない訳もなく、並走。嘉代の表情を見る。

 

 

 その顔は、どこか焦っていて、泣きそうになっていた。

 

 俺たちは《青山荘》に駆け込んだ。





次回《正体見たり 転結(てんけつ)




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第三話 正体見たり 転結(てんけつ)

 評価を頂きました。

 10評価 向月葵さん
 9評価 Nxisさん、あかまるさん
 3評価 神崎2さん

 ありがとうございました!

 高評価はとても励みになり、モチベーションにも繋がります、是非よろしくお願いします!

 古典部合宿編 完結!


 目を開けると見慣れない風景が広がっていた。そういや、合宿に来てたんだったな。時刻は七時。隣を見ると、里志が両足を奉太郎の腹部に置きながら寝ていた。奉太郎は軽くうなされている気がする……。

 

 里志の足をどかして、俺は干していたバスタオルを持って外に出た。たまには朝風呂もいいだろう。

 部屋から出ると、丁度隣の部屋から千反田と伊原が出てきた。

 俺は片手を上げ挨拶を済ます、が

 

「どうしたお前ら、青ざめた顔しちゃって。幽霊でも見たか?」

 

 冗談めかして言うと、二人の顔はさらに引きつった。

 

「うそ……だろ?」

 

 

 

 

 

 こいつらも朝風呂に行く予定だったらしいので、俺は歩きながら二人の話を聞く。

 

 まずは、昨日の怪談話にて梨絵が千反田達に話した怪談の全貌を紹介しよう。

 この《青山荘》の本館二階七号室で、昔泊まった客が首吊り自殺を図ったことがあるらしい。そしてその後、その部屋に泊まる客達が『この部屋にはなにかいる』と、言及する事も多々あり、急病で亡くなった客もいたようだ。

 だからその部屋は既に客室として使っておらず、善名一家もその部屋には入らないらしい。

 

「それでどうしたんだ?」

「でたのよ……」

 

 伊原が冷やかな言葉を口にした。

 

「夜中に生あったかい風で目が覚めて、何となく寝返りをうったら、窓からみて向かいの部屋……本館二階の七号室に首吊りの影がぼんやりと揺れ動いてたの!」

「ふーん」

「手?」

「なんだよ」

「あんた信じてないでしょ!?」

「だってそれを見たのはお前だけなんだろ?加えてお前はその首吊り幽霊を見る直前に目が覚めてんだ。見間違いだよ、それこそ昨日奉太郎が言ってた《幽霊の正体見たり枯れ尾花》だ。なぁ、千反田?」

 

 隣の千反田に聞くと、千反田は声を落とし言った。

 

「いえ、私も見たんです。摩耶花さんが言っていた首吊りの影を……」

 

 むむ。さらに話を聞くと、千反田が影を見た時刻は伊原と同様で不明だと。

 

「千反田、サイズはどれくらいの大きさだった?」

 

「うーん、大きくも小さくもありませんでした。ただ影のように揺れていたので、正確なサイズは分からないんです」

 

 影……か。俺は振り向き、本館の窓を見る。うん……

 

「伊原、お前らが見たのは本当に影だったのか?」

「なによ、まだ疑ってんの?」

「違うさ、あれを見てみろ」

 

 俺が指をさしたのは本館だ。それを見るなり、二人は『あっ』と声を漏らした。

 

「そう。本館の窓はすべて木製の窓で閉まっている。影が出来るためには、部屋に明かりが侵入する必要がある。加えて、お前らの方に影が向いていたのなら、光は逆側から当てられていた。つまり窓は七号室を挟む形で二つ空いていなければならない」

「つ、つまり、私達が幽霊を見た側の窓とは逆にも窓がないと影は出来ないってこと?」

「ああ、そうだな」

 

 風呂に到着した俺たちは、それぞれ別れ、俺は三度脱衣所に入る。

 

 服を脱ぎドアを開けると、冷たい風が俺の体を包んだ。加えて、足元も冷たい。昨日は降ったからなぁ……、嘉代の浴衣は大丈夫だったろうか……。

 

 

 浴衣……、まさか……。いや、でもそうなれば何故あの場所を指定した。他にも場所はいくらでもあるはずだろ。

 だが仮にこれを裏付ける証拠が見つかれば合点はいく。

 

 俺は脱衣所に戻り服を着ると、《青山荘》に向かって走り出した。

 

 

 

 

 

「あ、おはようございまーす!」

 

 別館に入るなり俺に話しかけてきたのは、梨絵だった。俺もできるだけ愛想良く返す。

 

「おう、おはよう。」

「今日の夜はみんなで花火でもやりませんか?私、楽しみにしてたんです!」

「いいな。奉太郎達にも伝えておくよ」

「よろしくお願いします!私、ちゃんと浴衣も用意してあるんです!」

「ふーん、やっぱ嘉代ちゃんとお揃いなのか?」

「嘉代は浴衣を持ってませんよ、お手伝いをして私買ってもらったんですから!!」

「そうなのか?なぁ梨絵ちゃん。本館の七号室は誰でも行けるもんなのか?」

 

 俺の発言に梨絵は首をかしげた。そうだ、俺は昨日梨絵が披露し怪談話の輪にいなかったのだ。この話を知っているのはおかしなことだが、どうやら梨絵はそんな事は考えてなかったようだ。

 

「入れますけど、本館はもうお風呂と食事処にしか使ってないんですよ。だからお客さんは二階の七号室には特に用はないので行かないと思います。」

 

 ふむ。

 

「じゃあもう一つ、本館二階の廊下には窓はある?」

「ええ」

「そうか、わざわざありがとうな」

「いえいえ!」

 

 梨絵はおかしな事を聞く俺に対して何の疑いもなく質問に答え、そのままどこかへ向かっていった。

 

 梨絵の言う通り、本館には簡単に入ることが出来た。玄関ロビーから少し歩くと、善名家専用の靴置き場に、二枚の紙切れが置いてあることに気づく。これは……

 

 朝のラジオ体操カードだ。一枚には梨絵、という字が書かれており、もう一枚には名前は書かれていない。まぁ嘉代のものだろうが……。

 加えて、赤と黄色のボールが転がっていた。そしてそれも同じくして、一つには梨絵の名前。もう一つには名前が書かれていない。

 

 ……この事件。なんだかあんまりいい結末になる気がしない。

 

 

 ギィ……ギィ……ギィ……。

 

 

 

 なんだ?上の階から木造建築らしい足音が聞こえる。大人のものでは無い。これは子供の足音だ。

 俺は玄関ロビーに戻り、近くの階段から上の階に上っていく。

 

 二階に上ったところで、俺は足音がする方向へ足を進ませる、ギィ……ギィ……と、俺の足音と子供の足音が本館に響き渡る。

 そして俺は足音が聞こえる部屋の前に立ち止まった。

 

 本館二階、七号室。

 

 別に幽霊が怖いわけじゃない……、ただ《枯れ尾花》の正体を知ってしまったら……俺はどうするべきなんだ。

 千反田達に言うべきなのか……、俺がそれをしたら《彼女》はどうなる。……しゃあねぇ……。

 

 俺は七号室の扉を開けた。そこにいた先客はビクッ!と肩を動かし、恐る恐る俺の方に振り向く。

 

「やっぱ君だったんだな」

 

 

「嘉代ちゃん」

 

 

「晴さん……」

 

 嘉代の目の前に干されているのは、ハンガーに掛けられた昨日嘉代が来ていた浴衣だった。

 これこそが、千反田達が見た幽霊の枯れ尾花だ。

 

「昨日突然雨が降ってきた時に君が必要以上に慌てふためいていた理由は、浴衣が濡れてしまうから。それは梨絵ちゃんの浴衣なんだろ?梨絵ちゃんは、なんでもかんでも自分のモノには区別をつける子だ。だから自分のモノに対しての執着心が高い。けど君は梨絵ちゃんの浴衣を着てみたかった。だから黙って借りた」

 

 嘉代は俯いたまま何も喋ろうとしない。可哀想に思うが俺は続ける。

 

「君は浴衣を無断で借りたことを梨絵ちゃんに、家族に知られたくはなかった。だからこそ家族ですら立ち入り禁止にしてるこの七号室に浴衣を干した」

 

 だが、ここで失態を犯した。乾かすために開けた窓から月光が忍び込み、浴衣が影を作った。これこそが千反田達がみた《首吊りの影》

の正体だ。

 千反田達は多分このことを奉太郎にも相談する。あいつがここまで辿り着けないはずがない……。奉太郎なら嘉代の出来心を庇う形でこの事は梨絵に報告することはないだろうが、嘉代も多くの人に知られるのを望んではいないだろう。

 

「嘉代ちゃん、君は、梨絵ちゃんが怖いのか?だから、『貸して』の一言が言えなかった」

 

 出来れば聞きたくはない質問だった。だがこの真相を聞かなければ、事件は解決しない。

 

「怖いわけじゃないんです。優しい時もあるし、一緒に遊んでて楽しいです。でも……でも……」

 

 その時だった。

 

 

 

 

 

「なによ……これ……」

 

 背後から声が掛かった。俺はその声の主が誰だか判断するのに少し遅れたが、俺より早く嘉代が反応した。

 俺は振り向く。七号室のドアの入口に立っていたのは。

 

「お姉ちゃん……」

「晴さんが本館に入ってくのが見えたから、本当に入ったんだって思って追いかけてきたんだ」

 

 マジかよ。しくじった、完全に梨絵はノーマークだった。

 

 しかし、梨絵の視線は俺の方を向いていない。部屋に干されている、青色の浴衣に向かっていた。

 

「あ……あ……あぁ……」

 

 嘉代の口からは嗚咽が漏れていた。怒られる。その一心で嘉代は梨絵に泣きながら言った。

 

「ご、ごめんなさいお姉ちゃん……こんなつもりじゃなかったんだ……ただ、ただ私も……これが着てみたくて……ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」

 

 嘉代は何度も謝り続けた。俺はそれに少し、嫌悪感を覚えた。嘉代に対してでは無い。この状況に対してだ。

 初めてこの姉妹を見た時こそ、俺はあまり仲がいい姉妹とは思わなかった。性格も真逆で、嘉代が梨絵の言うことを聞いているだけ、そう思っていた。しかし

 共に料理をし、共に同じ食卓で飯を食い、共に笑っていた瞬間を見た時こそ、俺はこの姉妹から本当の《絆》というものを垣間見た気がしたのだ。

 だが、今嘉代は梨絵を心の底から恐れている。俺は、この姉妹のこの状況を、見たくはなかったのだ。そして、梨絵が口を開いた。

 

「あんた……さ……」

 

 嘉代の体がビクつく……、まずい、ここで喧嘩にでもなったら姉妹の間にできた溝はさらに深くなってしまう。俺が梨絵を止めようとした、その時だった…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「『貸して』の一言くらいいなさいよねー!」

「え?」

「そうすれば貸してあげたのに、何してんのよ全く。」

 

 これは……

 梨絵は嘉代に近づき、手を握った。

 

「ごめんね……嘉代。あんた、私のこと避けてたよね。なにかしたかな?私、嘉代に嫌われるようなことしたかな?」

 

 梨絵の言葉は続くにつれて、どこか震えていた。

 

「謝るからぁ……なんでもやってあげるからぁ!!」

 

 

 

「嫌いに……ならないでよぉ……!!かよぉ……!!」

「お姉、ちゃん……ぅ……うぅ……ごめなさぁい!!ごめんなさぁい!!」

 

 

 

 嘉代の目からも、ひとつの雫が頬伝ってこぼれ落ちた。

 姉妹は互いの体を抱きしめあい、涙を流し合った。

 

 

 どうやら、俺は勘違いしていたようだ。性格の違い、言葉のすれ違いで崩れるほど、姉妹の絆は細くなかったのだ。

 互いにすれ違ってしまったからこそ、振り返ることを恐れてしまい。背中を見せあっていたのだ。

 

 笑い合い、助け合い、時に喧嘩やすれ違いもして、ともに成長する。それが姉妹のあるべき姿だったのだ。

 

「伊原達には黙っておくよ。なんとか誤魔化す。よかったな、自分の心をさらけ出せて」

 

 梨絵と嘉代は俺を見て、深く頭を下げた。

 

「「ありがとうございました!」」

「お、おいおい。俺はなにもしてないぜ?それより……もう九時だぜ?朝飯の用意はしなくていいのか?」

 

 俺が意地悪な顔で二人に言うと、二人は顔を見合わせた。

 

 

 

「やっば!!みんな待ってるよ!行こう嘉代!!」

 

「うん!お姉ちゃん!!」

 

 

 俺の横を通り過ぎる彼女らの顔は笑っており、二人の手は互の手をしっかりと握っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 兄弟か……。

 雨に電話でもしてみるか。

 

 

 

 

「よう、元気か?」

「え?電話してくるのが遅いって?悪い悪い……唐突にお前の声が聞きたくなってな。おい、泣くやつがあるか……!」

「……え?拓也くんが待ってる?おい!!拓也くんって誰だ!!!お兄ちゃんに紹介しなさい!!あぁ!!母さん!?拓也くんって誰!?(雨が小学校まで送って行ってる近所の小学生)」

「ってあっ!!切りやがった!!」

「はぁ……」

 

 

 

 

 

「まぁいいや。いつでも会えるしな」

 

 

「晴さーん!早く早く!!」

「今行くって!」

 

 

 俺は携帯を閉じ、駆け足であの姉妹を追いかけた。




次回《紅白とサルビアは使いよう》




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第四話 紅と白は使いよう

 評価を頂きました。

 5評価 ラムスさん

 ありがとうございました!

 今回は『さよなら妖精』のお話から引用した事件です。


 九月の下旬。文化祭まで一週間を切り、学校は既に文化祭ムードに染まっていた。

 しかし俺たち古典部は文化祭へのアンチテーゼという訳では無いが、部室である地学講義室に装飾をすることは無い。俺たちはあと、印刷業者から送られてくる文集を待つだけの単純かつ楽な作業なわけだ。

 

 いや、作業という言葉はその名通り作る業だ。つまり正確に言えば俺たちではなく、印刷業者が作業をしていることになる。

 

 言い直そう。

 

 文化祭まで俺たちはやることがない。

 

 奉太郎では無いが俺だって疲れる作業なんてやりたくはないし、なにも装飾を施さないのも、伝統あり由緒ある古典部らしいと言えば格好がつく。

 しかし世は大文化祭時代。周りの生徒達が文化祭でキラキラしている薔薇色の空間でいつも通り部室でダラダラしているのも気が引ける。というより、完全なアウェーだ……。

 

 そんな事を全員が思っているであろう放課後地学講義室。切り出したのは奉太郎だった。

 

「関谷純の墓参りでも行くか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「しかしホータローがお墓参りなんて切り出すとはね。僕は嬉しいよ」

 

 関谷家之墓がある墓地についた俺たちは、割り勘で花と線香を購入し、備え付けられていた水道から水をバケツに入れていた。

 奉太郎が水で満たされたバケツを担いだ時に、答える。

 

「お前は俺のなんだ。ハルと墓参りはするべきだと話したことがあってな、タイミングがいいと思ったからだよ。」

「おっと?仮にも同じ釜の飯を食った仲の僕を省いてそんな話をするのは頂けないな」

 

 花を持った俺が言う。

 

「お前はその時《氷菓》の原稿を書いて伊原に占められてたからな」

「悪かったわね、私のせいかしら?」

 

 俺の言葉に反応した伊原が不服そうに答えた。

 

「い、いや、言葉の綾って奴だよ。うん」

「でも、私嬉しいです。皆さんがこうして叔父に会いに来て頂けるなんて…私、感動しています!」

 

 なぜ感動までする。こいつは俺達をどこまでめんどくさがり屋だと思ってたんだ。

 その後俺達は関谷家之墓まで階段を登って行く。登る途中で没年が記された石碑があり、登るにつれてそれは最近の年に近づいてくる。今見えているのは文化元年だ。それに気づいたのか伊原が言った。

 

「この墓地って下の方から墓を建てたのかしら、だんだん年代が新しくなってるよ」

「はい、関谷家之墓も新しくはない方ですが……、この墓地は名家旧家とその親族のお墓が立っているので、もう少し上ですね」

 

 ふむ。千反田家の歴史は知らないが、江戸時代の初めまで遡れるとは聞いたことがある。いつ関谷家が千反田家から分化をしたのかはわからんが、それなりの歴史はあるだろう。

 関谷家が千反田家の親類であるのなら、勘解由小路家の親類である俺の一家は、関谷家と似ている部分があるのかもしれないな。

 

「さて、文化から明治に着いたね」

 

 里志の言葉に先頭を歩いていた千反田は足を止め、階段から右の通路に入って行く。この列に関谷家之墓があるのだろう。

 横目に墓を見ながら、俺は前を歩く伊原の背中を追った。

 千反田が足を止めたのは光り輝く御影石で出来た墓の前だった。墓に書かれている名前を見る。

 

 《関谷家之墓》

 

 俺たちは互いの顔を見合わせ、頷き、軽く頭を下げたあとに墓の洗浄に取り掛かった。

 全員で墓に被っていた落ち葉を掃き、千反田と伊原が花立てを洗い、俺と里志がスポンジと雑巾を使って墓の汚れを落とす。奉太郎が上から水を流す。

 

 洗い終わった俺達は線香を順番に置く。

 

 手を合わせ、目を瞑る。

 

 俺、奉太郎、里志、伊原は目を開けるが千反田は目を閉じたままだった。そして、口を開く。

 

「叔父さん、私は今とっても幸せです。古典部の皆さんが来てくれました。前に話した皆さんです。伊原摩耶花さん、とっても可愛らしい方でしょう?私の高校でのお友達なんです。素直じゃないところもあるのですが、時折見せる女の子らしい表情や仕草は私、とっても好きなんです」

 

 伊原はどこか照れくさそうな顔をする。

 

「福部さん。この人はあなたのようにとっても博識な方で、神山高校のデータベースなんです。私に色々なことを教えてくれて、助けてくれます。ちょっとお調子ものですが」

 

 里志は微笑みながら首をすくめる。

 

「折木さん。あなたの伝えたかった言葉を突き止めてくれた一人です。《省エネ》主義というとても興味深いモットーを掲げていて、私の疑問に嫌な顔をしながらも答えてくれます。とても頼りになる方ですよ。やる気が無さすぎるのがたまに傷なんですが……。私はこの方から、時折あなたの面影を見ます」

 

 奉太郎は千反田の背中を見つめる。

 

「南雲さん。勘解由小路家の親族の方で、折木さんと同じ《氷菓》の謎を解いてくれた方です。頭がとても良く回り、私が考えもしない方向へ謎を持って行ってくれるんです。古典部の部長は私ですが、私達はこの方に着いて行っている。そんな感じがします。屁理屈を並べるのが得意なのが、あなたと似ています」

 

 千反田は目を開けると、俺たちに向かって振り向いた。

 

「私は、ずっと待っていたのかも知れません、あなた達と出会うのを……。あなた達の一人でも欠けていたら、私はこの場にはいません」

 

 千反田は再び関谷純の墓に視線を戻す。

 

「一週間後の文化祭、見守っていてください。私たちは必ず《氷菓》を学校に伝えます。あなたの言葉を、多くの人に知ってもらうために……。あなたの行為を、無駄にしないためにも!!」

 

「行ってきます!叔父さん!」

 

 千反田の声と同時に、俺たちは九十度の角度で頭を下げた。

 

 

 

「それでは皆さん、帰りましょうか……あら?」

 

 千反田が帰りを促そうとした時に、ある方向に視線を向け首をかしげた。

 その方向を見ると、関谷家之墓の隣の墓には、普通ならありえないものが供えられていたからだ。さすがの奉太郎も眉を寄せながら言った。

 

「紅白饅頭……なんでこんなもん供えてるんだ?」

「いや、それだけじゃねぇ。花立てに添えられてる花、ありゃサルビアだ。あんな真っ赤な鮮やかな花。仏前にはそぐわないぞ?」

 

 しかもサルビアが供えられているのは墓の両脇にある二つの花立てのうち、片方の右側だけだ。左側には何も入っていない。

 

「どうして……紅白饅頭とサルビアを仏前に供えたんでしょうか?」

 

 やばい……これは……。千反田の興味への発露だ。瞳が大きく広がり、そして輝いている。

 

「私、気になります!!」

「南雲さん!折木さん!考えてみましょう!!」

 

 俺と奉太郎が苦い顔をするのを見ると、里志はニヤリと笑った。

 

「いいじゃない、ホータロー、ハル。関谷さんがいるんだ。君たちの実力をここで見せてやろうよ!」

「ま、解ければだけどね」

 

 里志と伊原が千反田に同調してしまえば、もうこの場は切り抜けられない。俺たちは同時にため息をついた。

 

「「仕方ない、少し考えてみるか。」」

 

 俺たちは、考えることにした。

 

 

 

 

 まず考えたのは、サルビアについて。

 

 俺達が関谷家之墓に供えた花や、周りの墓に供えられた花を見てもサルビアの様な鮮やかな色をした花は当然の如く供えられていない。

 奉太郎が聞く。

 

「里志、紅白にはめでたい以外の意味合いはあるのか?」

「データベースとして使ってくれるのは実に嬉しいね。はっきり言うと、ないと思う。そもそも紅白がめでたいと言われる理由になったのは、日本人の勘違いと言われているからね」

「その心は?」

 

 俺が返すと、里志は楽しそうに説明した。

 

「昔中国からの輸入品が、赤と白の水引で結ばれていたんだ。中国にとってそれは意味の無いものだってけど、日本人は贈り物には赤と白の紐で結ぶと思い込んだ。それが理由で紅白はめでたいっていう意味になったんだ」

「へぇ、そんな理由があったんだ。知らなかったな」

 

 伊原のつぶやきに俺も少し共感した。久しぶりに里志の口から為になることを聞いた気がする。

 

「でも、お墓参り自体にはめでたいと言われる時期はありますよ」

 

 千反田の弁。

 

「三十三回忌とも五十回忌とも聞きますが、人が亡くなってからそれだけの時間が過ぎると、死者は一個人ではなく名のない《祖霊一般》になります。盛大にそれを祝う地域もあると聞きますから、若しかしたらそれが理由なのかもしれませんね」

 

 ふむ。俺と奉太郎はそれを確かめるために墓の後ろに回り込む。この墓の一族の亡くなった人の名前と、亡くなった年が記されていたが、今年で丁度三十三年の年も、五十年の年も逆算しても無かった。

 それどころか、平成十二年。つまり今年に新しく彫られた名前があるのに気づいた。

 

 しかし、代わりに気になるものが落ちていた。

 

 花だ。俺達が関谷家之墓に供えたものと同じ種類であろう花が、無造作に捨てられていた。花自体も萎れて腐っていたので、捨てられていても不思議ではないが……。

 俺は奉太郎の顔を見ると、やはりこいつも何かを考える仕草をとっていた。

 

「ねぇ、あんた達」

 

 話しかけてきた伊原の手には、また違う花が握られていた。これは

 

「お墓の近くに落ちてたんだけど、役に立つかな?白いチューリップ」

 

 白い……チューリップ。

 

 ……っ!!!

 

 そういう事だったのか。だとしたらいつまでもここにいるのは不味い。早く下に降りねぇと。奉太郎も勘づいてるようで、俺たちは墓の後ろから千反田達と合流した。

 

「どうしたんだい二人とも、顔が怖いよ?」

 

 里志の問い掛けには答えず、俺たちは片付けを進める。不思議に思っているであろう三人に、奉太郎は極力この場にいる俺たちにしか聞こえないであろう声で呟いた。

 

「里志、自然な感じで周りを見てくれ。不審がられるな。なにかあったら教えてくれ」

 

 そう言われた里志は首をかしげながらも、伸びをするふりをしながら周りを見る。すると

 

「っ!」

 

 短いがとても鋭い息を漏らした。里志の顔が青ざめ、早口になりながらも声を抑えながら呟いた。

 

「僕達を見てる人がいる……」

「えぇ!!」

「ちーちゃん……!」

 

 大声を上げようとした千反田の口を伊原が塞ぐ、俺は片付けをしながら言った。

 

「そいつはどこにいる?」

「僕達より二段上の墓の列から。最初は気のせいかと思ったけど……間違いない。僕達を監視してる……」

 

 二段上、か。距離ならあるな。奉太郎が言った。

 

「お前ら、俺の合図で墓地の入口まで走れ。振り向くなよ、相手に勘づかれるな」

「ちょっと、あんたらどういうことよ」

「説明してる時間はない。奉太郎の指示に従ってくれ」

「南雲さん……私、なんだかとっても怖いです」

 

 そりゃ俺だって怖い。俺たちの推理が正しいのなら、今俺たちのことを監視してるあいつは。

 

「三……」

 

 奉太郎が言った。

 

「二……」

 

「一……」

 

 

 

「走れ!!!」

 

 

 

 

 

 その声と同時に、俺は供えたられていた紅白饅頭とサルビアをもぎ取り、乱暴に落ち葉を入れていたゴミ袋に放り込んだ。奉太郎以外の三人は俺の行動驚きを示したであろうが、そんなことを気にしている暇はない。

 俺達は階段に向かって駆け出した、後ろからもさらに足音が聞こえてくる。追いかけてきてる!!

 

 俺たちはただガムシャラに、足を動かし続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ちょっと、説明しなさいよ!!!」 

 

 

 墓地の入口、伊原の耳を貫くような大声に辺りを歩く人達はこちらを向く。恥ずかしいとは思わない。むしろこれくらい人がいてくれた方がなんとありがたいことか……。

 

「なんなのよあの人……私達が走った途端に追いかけてきたわよ!!?」

「全くだね……今年一、いや、人生一怖い思いをしたよ……。流石に腰が抜けそうだ……」

 

 激しく息切れを起こした里志が半笑いの状態で言った。いや、頬が引きつってしまい、笑う事が余儀なくされているのだろう。

 俺は言った。

 

「歩きながら説明しよう。まだここも()()()()()()()()()

 

 俺の言葉に、三人の顔は青ざめた。

 

 歩いていると見慣れた街並みに変化していき、俺と奉太郎と里志が帰りによく通る商店街のアーケードに辿り着いた。部活帰りの運動部や、それこそ文化祭の準備をしていた生徒達で場は溢れかえっており、ようやく大きな息を漏らした。

 

「南雲さん、折木さん。あの方は一体」

 

 俺はいう。

 

「あんまり気持ちのいい話じゃないぜ?」

「今更だね。話してみてよ」

 

 奉太郎は頷き、口を開いた。

 

「紅白饅頭はやっぱりめでたい時のものだったってことだよ」

「話が見えないんですけど」

 

 奉太郎は肩を揺らしながら答えた。

 

「人が死んだ時はめでたくはないさ。だから俺達は墓に供えられている紅白饅頭を見て、他になにか理由があるんじゃないかって打診した。だが、そんな理由はなかった。こう考えるべきだったんだ。最近あの一家で新しい死者が増えていた。供えた人間にとって、多分その人間は『死んでよかった』、『死んでめでたい』という意味を示してたんじゃないか?」

「そ、そんな……」

 

 千反田が狼狽した声で言った。目が潤んでおり、今にも泣き出しそうだ。

 奉太郎に代わり俺が続ける。

 

「加えて、片方の花立にしか供えられて無かったサルビア。なぜもう片方に入れなかった?サルビアが一本しか取れなかった。違うな。サルビアは数本右側に供えられていた。それを分ければいい話だ。では何故分けなかったのか、それこそが伊原の見つけた一本の白いチューリップだ。犯人は、饅頭だけじゃなく花にも紅白の意味を使おうとしていたんだ。白いチューリップと赤いサルビアでな。しかし片方には白いチューリップは供えられて無かった。里志、なぜだか分かるか?」

「なるほど。僕達が来たから、だね」

「正解。犯人がチューリップを供えようとした瞬間に俺達が来たから、犯人は現場を見られまいと思い、その場から逃げた。その時に供えるはずの白いチューリップを一本落としたんだろうな」

 

 伊原はそれを聞いた時に、先程よりずっと顔が青くなった。

 

「じゃぁ……さっき私達を追いかけてきたのは……」

 

 奉太郎が答える。

 

「あぁ、紅白饅頭とサルビアを供えた犯人だ。そして逃げた理由はもう一つある」

「なんだい?」

「遺族さ」

「遺族だって?」

「あぁ、饅頭は腐りやすい。饅頭が腐ってしまえば、めでたさも中くらいになってしまう。犯人は遺族が今日墓参りに来ることを知っていたんだろうな。遺族と鉢合わせして、あれを供えたのが俺たちだと疑われたら後味悪いだろ」

 

 里志は言った。いつものような気味の悪い笑顔は無い。

 

「じゃぁ、僕が見つけた人間は、紅白饅頭とサルビアを供えて、遺族がそれを見るのを楽しみにしていた。僕達という乱入者を忌々しく思いこんで、ずっと睨みつけていたってことかい?」 

「なによそれ……怖すぎ……」

「そんな、そんな人がいるなんて……私は……私は……。すみません皆さん、私が『気になる』なんて言わなければ、こんな事には気づかないで済んだかもしれないのに」

「ちーちゃんのせいじゃないって」

 

 千反田は両手で口を覆い、泣き出してしまった。あたりが夕焼けに染まり、俺たちを照らす。

 奉太郎が切り出した。

 

「いや、気づいてよかった」

「え?」

「あのまま気づかなければ、あの後に来た遺族は悲しい思いをした。気づいたからこそ、ハルが紅白饅頭とサルビアを回収できたんだ。これも関谷純の導きなのかもな」

 

 そうだ。奉太郎が関谷純の墓参りを切り出さなければ、あの饅頭は供えられたままだった。

 俺たちの知らないところで、知らない人間が悲しむだけだった。

 

 そう考えてしまえば楽だ。だが、そう考えるのが気持ちのいいことだとは思わない。

 

 俺達は関谷純の墓がある墓地を振り返った。

 

 夏と比べ、日が沈むのが早い。

 しかし丁度この時には、空は綺麗に赤く染まっていた。







次回《その名は天津木ノ葉》




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第五話 その名は天津木ノ葉 起承(きしょう)

 評価を頂きました。

 10評価 シアサトさん
 8評価 umirakさん、もりもっこりさん

 ありがとうございました!


 学校の怪談話や七不思議を信じるかなんて話は、たわいのない世間話にもならないほど話された古来からある話題であろう。

 かく言う俺はこの手の話題を振られた時にどう答えただろうか。覚えてはいない。しかし、今の俺ならこう答えるだろう。

 

 目に見えるもの以外は信じてない。

 

 この答えにつまらないと言われてしまえばそれで終わりだ。その人間に何かを言い返すことはないし、自分の価値観を押し付けようとも思わない。こいつとは気が合わなかったんだ。そう思うしかほかないのだ。今年の夏、伊原の親戚が営む旅館にて、俺は幽霊の枯れ尾花の正体を見た。伊原や千反田はそれを幽霊だと思いこみ、身を震わせていた訳だが、俺が幽霊という存在を信じていなかったからこそ、真相に辿り着けたと言えよう。

 

 ところで、学校の怪談で有名どころといえば、やはりトイレの花子さんが有名どころただろうな。

 なぜトイレの花子さんという可愛らしくも何処か狂気じみた名前になったのか、諸説はあるが俺の知っている限りだと……

 

 休日の小学校に遊びに来ていた花子という女子生徒が変質者に見つかり、女子トイレの三番目に隠れたが見つかってしまい殺されたという。

 

 この由来が本当なら花子が出るのはその小学校だけに限られる。仮に自分の恨みを晴らすためにほかの学校のトイレを渡り歩いているというのなら、実に迷惑な話だ。

 だから俺は《トイレの花子さん》なんて怪談話は信じることはないし、小学校でもないこの神山高校に花子が出る訳がないの……だ……

 

 

 

「ハックション!!!」

「風邪か?」

 

「いや、花粉症。最近時期になったばっかだからなぁ……まだティッシュ持ってきてねぇんだ」

「そうだね、今年は早いって今日新聞で見たよ。ここ一週間は花粉が酷いらしいね、はい」

「サンキュー、チーン!!!」

 

 文化祭が終わり一ヶ月の時が流れた。十一月上旬。放課後。俺達はいつもの様に言葉遊びをしていた。

 言葉遊びと言っても実にくだらない話だ。昨日の帰りは何だったかな、『総務委員会と生徒会の有用性の違い』。時には『世界平和』というのを議題にして話してい時もある。今日がたまたま『怪談話の真意』だったというわけだ。

 

 今俺達がいる場所は一年B組の教室だ。なぜ俺と奉太郎、加えて里志が放課後にまでこの教室に居座っているかというと、選択授業の音楽の課題だった。

 音楽というのだから、歌を歌っておけばいいものを何故尊敬する音楽家の生涯をレポートに移さなくてはならないのか、俺は抗議をしに行きたい。里志なら「その話乗ったね。さっそく総務委員を通じて署名運動とでも洒落こもうじゃないか」とか何とか言いそうだが、残念ながら里志の選択授業は書道だ。つまり俺たちと居残っている理由はないのだが、この自称データベースは楽しそうに俺と奉太郎が頭を悩ませているを見ている。ええい、暇人め。

 

「大体僕には君達が頭を悩ませている理由が分からないね。そんなのスラスラっと書けばいいじゃない。君たちの得意分野だろ?《灰色》と《無色》くん」

「俺達はお前のように博識じゃない。簡単にスラスラ書けるか」

 

 奉太郎が吐き捨てるように言った。全くだ。

 

 その後の沈黙、頬杖を付きながら外の運動を眺めていた里志は思いつたかのように笑いながら切り出した。

 

「あぁそうだ。退屈してる君たちに面白い話が二つほど仕入れてあるんだけど、聞くかい?それとももう聞いた?」

 

 あいにく俺と奉太郎は巷で流行っている話題については疎い。聞くまでもなく知らないだろう。それは里志も知っている事だ。

 面白い話といえば、今日の朝のホームルームで担任が、『普通棟三階男子トイレの一番奥の大便器がある部屋の壁に生徒が寄りかかったら壁に穴が空いてしまい、女子トイレと穴が見事に開通した。』という話を聞いた時は思わず笑ってしまった。どんだけ薄い壁だったんだよ。まぁ穴っつっても、拳ほどの大きさだったらしけどな。

 しかし、この福部里志という男の『聞くかい?』は、俺達がどう返答しようと話してくる。仕方ない。

 

「話してみろよ。余興話ってやつをさ」

 

 奉太郎が促すと、里志はわざとらしく咳払いした。

 

「まずは一年E組の転校生ちゃんの話をしようかな。夏休み明け辺りから神高に来たらしいんだけど、あんまり変人じゃなかったからノーマークだったんだよ。でも最近面白い話を聞いてね。この前E組の女子生徒の体操着と上履きが盗まれた事件があったろ?」

「そんなのもあったな。犯人が見つかったのか?それともその転校生ちゃんが犯人?」

 

 俺が笑うと、里志は首を竦めながら返した。どこか興奮しているようにも見える。変人め。

 

「それがさ、その転校生ちゃんが犯人を引っ捕らえたんだよ!!」

「現行犯でか?そりゃすごい」

 

 レポートに向き合ったままで奉太郎が答えた。まだ苗字と名前しか書いていない。

 

「ちっちっちっ、甘いねホータロー。推理したのさ」

「推理だって?」

「あぁ、盗まれた現場に残されたモノと、類まれなる推理能力でね。つまり、君たちと同じ探偵がこの神高にもう一人現れたんだよ!!いやぁ新しい探偵とは実に熱いね」

 

 推理小説じゃ探偵が複数人出てくるのはアウトだろ……。それなのにこの状況が熱いとは、こいつの心境は分からんな。

 里志は話が終わったことでレポートに再び向き合う俺たちをみて、ムッとした。

 

「なんだい、随分としけてるね。同じ神高のホームズとして、挨拶やら宣戦布告に行こうとは思わないのかい?」

「俺達はホームズじゃねぇよ。勝手に決めんな」

 

「君達がホームズなら、僕はワトスンだね。摩耶花がレストレードだ。千反田さんは、なんだろうな」

 

 こいつは俺の話を聞いてないのか。里志はニヤリと笑った。

 

「入須先輩、供恵さん、勘解由小路先輩がアイリーンかな?」

 

 それはブラックジョークだろ、ワトソンくん。

 アイリーンがなんで三人もいるんだよ。ホームズ騙されまくりじゃねぇか。

 

「次の話を聞こうか」

 

 奉太郎はいつの間にかレポートを机の中に押し込んでいた。かくいう俺もレポートを無視して里志の話に興味を持った時点で、レポートに飽きていた証拠だろう。

 里志は満足気な顔で答える。

 

「これはお約束のような話さ。《神山高校七不思議 その三》、聞きたくはないかい?」

「その三?一と二はどうした?」

「ホータローが知ってるさ」

「本当か?」

「その話はいいだろう」

 

 なんだなんだ。妙に隠すじゃないか。まぁ興味はそれほどないが。奉太郎が切り出した。

 

「それで早く聞かせろよ。福部里志作、《神山高校七不思議 その三》」

「失礼な。確かに神高高校七不思議なんて異名を付けた提唱者は僕だけど、この話自体は有名だよ。証拠付けとして、現に探偵小説研究会の羽場先輩が動いてる」

 

 羽場?どこかで聞いたような。まぁいいか。

 

「まぁ聞きなよ。一週間ほど前からかな?普通棟三階女子トイレから、啜り泣きが聞こえてくるらしいんだ。それを聞いて不思議に思った女子生徒は啜り泣きが聞こえる個室を覗き込んだらしい。そこでビックリ!!その個室はトイレじゃなくて用具入れだったんだよ。加えて誰もいなかった。でも、啜り泣きだけは無人の女子トイレに響き渡った。君達も聞いたろう?今日の朝のホームルーム。この女子トイレの個室と隣の男子トイレの個室に穴が空いたんだ」

 

 里志の声質がドンドンと高揚していく。

 

「あぁ、しかしホータロー、ハル!!若しかしたらその啜り泣きは、昔女子トイレで変質者に殺された女子生徒の霊なんじゃないか!?昔は普通の個室であったにも関わらず、用具入れにされた事を恨めしく思って、男子トイレと繋がるように穴を……」

「殺された女子生徒なんていたのか?」

 

 里志が言い切る前に奉太郎が声をかぶせるように言った。里志は笑った。

 

「いたかも知れないね。」

 

 適当な奴だ。

 

「しかしね、二人共。面白いのはここからなんだよ。女子トイレでの啜り泣きなんてどこの学校にでもありそうな話さ。でも流石奇人変人の集まる神山高校!!その程度じゃ終わらない!!」

 

 里志は拳を天井に突き立てる。自習や、読書をする為に居残っている生徒達がギョッとした様子でこちらを見た。奇人変人はお前だ。

 恥ずかしいからやめてくれ。

 

「こういう霊が見える時間帯には条件がつくだろ?例えば、四時四十四分四十四秒にドアをノックとか、入って三個目の個室のドアを三回ノックとかね。しかしね、この啜り泣きには条件が存在しないんだ。啜り泣きが聞こえる主な時間帯は日中。つまり授業中だ。啜り泣きを聞いた目撃者たちは、授業中にトイレに出た生徒達らしい」

 

 里志の声は白熱し、畳み掛けに入る。

 

「時間帯もまばら、出現条件も無し、人呼んで、《気まぐれ花子》。まぁ出現場所は普通棟の三階女子トイレに限られるんだけどね」

「本当に《人呼んで》なんだろうな?」

 

 奉太郎は里志を眉を寄せながら見た。実に同意見だ。

 

「これから呼ばれるさ。それより二人とも」

「まだなにかあるのか?」

「なにって程じゃないけど、実はこの教室に来る前に千反田さんと会ってね。《気まぐれ花子》の話をしたんだけど……」

「「な、なにぃ!?」」

「そろそろ来るんじゃないかな?部室で待つって言ったけど、千反田さんの事だから」

 

 

 ガラガラガラ……!!

 

 

 里志の言葉を遮るように、突如としてB組の横開きのドアが開かれた。入ってきたのは黒くて長い髪を垂らした女子生徒。

 俺たちを見つけるなりニコニコした様子でこちらに向かってくる。

 

 教室に居残っているほかの連中も、美人と思われる女子生徒がクラスでもあまり目立たない俺と奉太郎の方に寄っていくのだ。それは注目するだろう。倉沢が俺たちのことをなんて言ってたかな?《ナマケモノ二人衆》。おのれ桜の友人にして失礼なヤツめ。

 

 いつの間にか俺たちの目の前まで詰め寄ってきた千反田は、言った。

 

「《気まぐれ花子》さん!!私、気になります!!」

 

 本当にこいつは大事なことを飛ばす人間だ。

 

 しかし、今回に限っては説明はいらなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 千反田に逆らうことは出来ず、俺と奉太郎、里志と千反田は普通棟三階の女子トイレ前に訪れた。しかし……

 

「調査するったって、俺達男子三人は入れねぇぞ?」

「まぁハル。今は放課後だろ?部活の人達はみんな特別棟にいる。見つかりゃしないよ」

 

 こいつの言いたいことはわかる。俺を犯罪者予備軍に仕立て上げようとするのはやめろ。

 

「はい、千反田さん。これ」

 

 里志はお得意の巾着袋からメモと万年筆を取り出すと、それを千反田に渡した。

 

「これで間取りを撮ってきてよ。そうすれば中に入らなくても済む」

「迷惑じゃないのか?千反田の気持ちを考えろ!!」

 

 奉太郎の素晴らしい演技。省エネのためならエネルギーの消費は伴わない。その姿勢に敬礼。

 

「いえ、簡単なことです。心配してくれてありがとうございます」

「あぁ……そうか……」

 

 はは……急に萎れた。……ん?

 

 廊下の彼方から、一人の女子生徒が歩いてくる。

 

 着崩したセーラー服は千反田の様にスカートの中にしまわれておらず、スカートの丈も短い。

 肩ほどまで伸びた髪は伊原の様に軽く茶髪がかっており、七三で分けられた前髪をピンで止めている。

 

 背丈は女子の平均サイズほどであろう。

 

 俺はその女子生徒を眺めていると、そいつは俺の目の前で足を止めた。

 

 俺とそいつが目を合わさていることに気づいた他の三人は、その女子生徒を不思議そうに眺める。すると

 

「なんや?」

「え?」

「うちの顔になんか付いとるんか?」

 

 関西弁……。

 

「え、あぁ、いや……」

「だったらどきぃ、うちは調べることがあるんや」

 

 関西弁の女子生徒は俺達に向かって『しっしっ』という風に手の甲で払った。なんだ、失礼な奴だな。

 

「あぁぁぁぁ!!!」

 

 突然なんだと思ったら、里志が女子生徒に向かって指を刺しながら大声をあげていた。

 

天津(あまつ)さん……天津木乃葉(あまつこのは)さんですよね!!?」

 

 なんだなんだ。

 

「福部さん、お知り合いですか?」

「そうだね、千反田さんには話してなかった!ホータロー、ハル、この人だよ!」

 

 奉太郎が言った。

 

「なんだ、俺はお前みたいに変人は知らんぞ」

「違うよ、この人が、転校してきた“三人目”の探偵……!!」

 

 

 

「天津木乃葉さんだ!!」

 

 

 

「あんたら、うちのこと知っとるんか?」

 

 

 天津……木乃葉……。




一話完結にしようと思ったら、長引いてしまった…。




次回《その名は天津木ノ葉 転結(てんけつ)




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第六話 その名は天津木ノ葉 転結(てんけつ)

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 8評価 ジョン城崎さん、You刊さん
 5評価 andou3さん

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 お気に入り350&UA20000ありがとうございます!


 天津木乃葉……。

 

「うちのこと知っとるんか?」

 

 天津は意外そうな顔で自分のことを指さした。里志は興奮気味に答える。

 

「知ってるもなにも、有名人じゃない!!僕ら総務委員にも解決に行けなかった《体操着盗難事件》を解決に導いた、名探偵天津木乃葉!いやぁこんな所でお会い出来るとは光栄だね!」

「名探偵……うちが?」

 

 天津は考えるような仕草を取ると、ニヤリと笑った。

 

「ふふ……ふふふ……!!やっぱりうちの功績は広まっとったか……」

「その通り!!神山高校の名探偵とはうちのこと!謎はなんでもこの天津木乃葉におまかせあれや!」

 

 天津は里志に褒められたことで気分が高揚しているらしい。ちょろ。

 

「どうだい?かなり興味深い人だろう?ホータロー。」

「あぁ、かなりの変人だな。自分のことを探偵とは」

「あぁ!?なんやお前、失礼な奴やな。あんたもや!!」

「お、俺?」

 

 奉太郎に突っかかっていると思えば、矛先は突如として俺に変わった。天津は俺に詰め寄りながら言った。

 

「さっきから人のことジロジロみんなや。気になるねん!」

「見ちゃいねぇよ!自意識過剰だ!」

「むむ。とにかくどっかいけい。うちはここで調べることがあるんや」

「もしかして、《気まぐれ花子》さんですか!?」

 

 千反田は天津に詰め寄る。天津も驚いたのか半歩ほど下がった。しかし、千反田と天津が並ぶと雰囲気の違いが良くわかる。

 

「お、おぉ。《気まぐれ花子》って呼び名は知らんけど、啜り泣きがこの女子トイレで聞こえるゆーのを聞いてな」

「やっぱりそうなんですね!?私達も《気まぐれ花子》さんについて調べに来たんです!!」

 

 千反田が更に一歩よると天津も一歩下がる。

 

「私、天津さんがどこまで調べたのか、気になります!!」

「な、なんやこの子!!ちょっ、見とらんで助けてやぁ!!」

 

 ふっ、天津め。俺らに失礼な事をいった洗礼を受けろ。

 

「うぅ……って、あんたら……古典部かいな?」

「え!どうして分かったんですか!?」

「いやぁ、どこかで見た事あるなぁとは思っとったんやけど、今思い出したわ。《十文字》の最後の標的の時、うち、あんたらの部室にいたで」

「へぇ、天津さんも《十文字》を捕まえようとしていたのかい?」

「まぁ、逃げられてしもたがなぁ。ふーん、古典部……」

 

 天津は俺たち四人を眺めると、どこか笑ったように見えた。なんだ……?

 天津は顔を上げる。ニヤリと八重歯を見せながら笑い。言った。

 

「あんたらも啜り泣きの事を調べに来たんやな?」

「あぁ、そうさ。まだ解決には至ってないけどね。」

 

 里志は首を竦めながら言った。

 

「じゃぁ一緒やな。目的は同じ、仲良くやろうや」

 

 天津は俺の向かって右手を差し出してきた。俺はその手を数秒間見つめ、

 

「あぁ、よろしく」

 

 手を握り返す。天津はすぐに手をパッと離した。その後軽く自己紹介。

 

「ほんじゃ、早速考えようや。うちとえるっちで女子トイレの見取り図を書く。はるっち、さとっち、たろーは男子トイレ頼んだで!」

 

 えるっち……はるっち……さとっち……たろー。伊原と同じであだ名付ける系女子か。てか……

 

「なぜ俺だけたろー」

 

 奉太郎が軽く呟く。きっとほうっちとかはダサいからだ。

 俺達は二手に別れ、それぞれのトイレに入っていく。

 

 トイレに入るとすぐ見えるのは壁で、それを右に曲がると小便器やそれぞれの個室がある。

 入ったらすぐ目の前にある壁が、例の寄りかかったら崩れた壁で、板で補修されていた。

 

 男子トイレの間取りは個室が三つに小便器が五つ。まぁ小便器は関係ないから省くとするか。俺は適当に間取り図を書く。

 

「個室が二つしかないってのは女子トイレとしてポイント低いなぁ」

「男子トイレは3つあるそうですよ!」

 

 む?

 

「女子トイレの声が筒抜けだな」

 

 奉太郎が言った。確かに……。篭っている感じてはあるが、こんな防音対策じゃ簡単に崩れるのもわかる気がする。

 俺達がトイレから出ると、天津と千反田もちょうど出てきており、俺は二つの間取りを一枚のルーズリーフにまとめた。

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

「壊滅的やなぁ……」

 

 俺の絵を見た天津が言った、

 

「分かればいいだろ!!」

「ハル、美術じゃなくてよかったね。」

「だから取らなかったんだよ!!」

「私は小学生みたいな可愛らしい絵、好きですよ?」

「いや、フォローになってねぇ!!」

「ハル、《やらなくてもいいことは、やらない。出来ないことは、やらない》だ」

「うるさいな!!もういい!とっとと考えるぞ。《気まぐれ花子》の正体をよ」

 

 俺は顎に手を置いた。

 

 しかし、大体の結論はもう出ている。

 

 やはり《気まぐれ花子》の正体は、幽霊では無い。

 

 奉太郎の顔を見ると、こいつもいつもの様にスカした顔で間取り図を見ていた。

 次は天津の顔を確認する。

 しかしなんでこいつ、ずっと俺らの方見て笑ってんだ?

 

「うーん!!分からへんなぁ!はるっちとたろーはなにか思いついたか?」

「おっ、二人を指名するなんて実にお目が高いね、天津さん!」

「なんや?」

「この二人は、天津さんと同じ名探偵なんですよ!」

「へぇ……探偵、ね。聞かせてもろてもええか?あんたらの、推理を」

 

 《気まぐれ花子》の正体は天津も多分勘づいてる。こいつ、何を企んでんだ。どうして俺達に推理を促す?

 天津の表情は変わらず、目だけが笑った状態でこちらを見据えていた。

 

「南雲さん!折木さん!なにか分かったんですか!?」

「お、あぁ、まぁな」

 

 奉太郎がそう答えると、天津は更に笑みを浮かべた。

 

 『かかった』まるでそう言いたげな表情をし、奉太郎と俺を見つめる。

 奉太郎は口を開いた。

 

「鍵となるのは《花粉症》だ」

「花粉症?今ちょうどハルが絶賛発症中のかい?」

「その通りだ。花粉症じゃない俺はわからんが、今年の花粉は出始めにしては多いと聞いた。つまり花粉症の奴ら今までように対策をしているのなら、この時期の大量の花粉は予定外だった。ハルも言っていたろ?()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 里志は『あぁ』と声を漏らした。奉太郎と付き合いが長いだけあって、ここまで来れば大抵のことを察せるのだろう。一方千反田は未だにきょとんとしており、天津は笑いながら推理を聞く。

 俺が続ける。

 

「ティッシュが用意出来ていない。じゃぁどうするべきか?学校で唯一自由に紙が使える場所に行く。つまりトイレ、トイレットペーパーをティッシュ代わりに使うんだ。加えてこのトイレの壁だ。ただ寄りかかっただけで崩れるほど脆く、防音対策もされていない。俺の間取り図を見ればわかると思うが、女子トイレと男子トイレの個室はこの壁一枚を挟んで位置している」

 

 奉太郎が締めに入った。

 

「これでもう分かったと思うが、《気まぐれ花子》の正体は、一番奥の男子トイレの個室で鼻を啜っていた、男子生徒だ。壁一枚で繋がっている女子トイレ側の個室は用具入れだからな。用具入れあたりから聞こえてきたというのはあながち間違っちゃいないだろう。《気まぐれ花子》の噂が出たのは一週間、花粉が出始めたのも一週間。時系列も合う。男子トイレ側からは鼻を啜ってるようにしか聞こえないから、壁一枚挟んで篭ったような声になる女子トイレだけに噂が行ったんだろうな。ま、花子というより、花男だな」

「なるほどです。最近の気象情報まで手が伸びるなんて、お二人共流石です」

 

 さて、これで推理は終わった訳だが……。どう動くんだ?天津。

 

「ほな、帰ろか」

 

 は?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 千反田と別れた俺たち男子三人と天津はいつもの商店街のアーケード下を歩いていた。

 奉太郎がいつもとは違う道を切り出す。

 

「今日はこっちから行くか」

「だな」

 

 里志は一度戸惑った顔をしたが、何かに勘づいたのか俺たちの言う通り、真っ直ぐ行く道を左に曲がった。

 天津もそれに続く。

 

 少し進んだところで、俺たちは足を止めた。俺はいう。

 

「いつまで付いてくるつもりだ?天津」

「変な事言うなぁ、はるっち。うちの家はこっちやで」

「それ無いね。こっち側に行くと学校に逆戻りだ。天津さんはこっち方面じゃないんだろう?」

 

 里志は不敵な笑みを浮かべながら言った。奉太郎は天津か俺達に付いてきていると勘づいて、天津にカマをかけたのだ。天津は俺と同じで、最近神山に越してきたばかり。ここら辺の地理には詳しくない。

 俺達三人は天津を囲うように足を止めた。

 

「嫌やなぁ。か弱い女の子一人に男子三人とは」

「御託はいい。目的はなんだ?」

 

 奉太郎の低い声に天津は『怖いわぁ』と言いながら笑った。

 

「そやな。うちもことを長引かせるのは好きやない。単刀直入に言わせてもらうわ」

 

 

 

「あんたらが《十文字》やろ?」

 

 

 

 明るい様子を見せていた天津から放たれた冷厳たる言葉に、体が一度ビクついた。こいつ……。

 

「へぇ、なんでそう思ったか聞かせてくれるかな?」

 

 里志は『こいつぁ面白い』という興奮した顔で、いかにも冷静を装った言い方をした。その言い方、探偵小説だと犯人がいう言葉だぞ?

 

「古典部が《十文字》の標的になった時に、《十文字》の狙いである校了原稿が爆発した。爆発跡には水が滴っておった。水で爆発する代物、あれは文化祭で化学部が実演していたナトリウム爆発や。あの場で校了原稿には誰も近づける状態やなかった、じゃぁ何故ナトリウムが仕掛けられたのか、爆発出来るように水をかける事が出来たのか。そんな事が出来るのは、内部の人間に違いない。加えてこれや」

 

 天津がスクールバッグから取り出したのは、《カンヤ祭の歩き方》、三十三ページだ。

 

「《十文字》か犯行に及んだ部活は全部ここに記されておる。アカペラ部、囲碁部、占い研、園芸部、お料理研、壁新聞部、軽音部、そして、古典部。なんで『く』が飛ばされたまでは分からんかったがなぁ。それとも、お前らは陸山宗芳生徒会長からなんか奪ったんか?」

 

 俺たちは無言。

 

「それに関しては吐く気は無い…か。じゃぁ続けるで。仮に《十文字》が陸山から何かを奪ったとしたら、何故『く』だけ人名にしたのかが分かる。それ自体に意味があったんや。『陸山宗芳から、くのつくものが失われた』ってな。それが《十文字事件》のメッセージや。そして、何故ここに『あ』から『こ』まで部活名、人名が揃ったのか。さとっち、あんたは総務委員やろ?しおりの操作くらいは出来るんちゃうか?」

「できるかもね」

 

 天津は一度ムッとした。いいぞ、里志。こいつはお前の変化球になれてない。

 

「まぁこれだけの理由であんたらが《十文字》と断定するのはちょいとばかし難しかった。けど、さっきの推理で確信したで。はるっち、たろー、あんたらの頭の回りの早さは尋常やない。あんたら二人と、総務委員のさとっち。これだけの人員がいるなら、文集《氷菓》を売るために《十文字事件》を自作自演することも出来るはずや」

 

 この女、俺と奉太郎で考え出した推理を一人でここまで持ってきやがった。

 どうする……。

 

「ナトリウム爆発に関しては教師陣もプンスカやで?自首をするか、うちがあんたらを学校側に突き出すか……」

「選べや」

 

 

 さすがの里志も冷や汗をかいてるようで、半歩下がった。奉太郎もヤバそうな顔をしている。

 

「もし違うと言ったら?」

 

 俺は聞く。

 

「違うんやったら、本当の犯人を連れてこい」

 

 別にやろうと思えば出来るんだが……。だが、

 

「悪いな天津。俺達が《十文字》じゃないのは明らかなんだ」

「なんやて?」

「園芸部さ。園芸部がAKを奪われた時間帯は俺は《クイズスクエア》、里志と千反田、ほかの一人は《ワイルドファイア》、奉太郎は店番をしていた。とても出来る状況じゃねぇよ。俺達古典部には、アリバイがある」

「……他の奴に頼んだ可能性も拭いきれんで」

 

 次に切り出したのは奉太郎だ。

 

「そいつは随分苦しい推理だな」

「けど、ナトリウム爆発の事はどう説明するんや?あれに関しては言い逃れできんで」

「「「………」」」

 

 全くだ。あれに関しては動かぬ証拠。俺達が《十文字》でないにしろ、協力をした時点で共犯だ。

 けど、簡単に他言できる話じゃねぇんだよ。田名辺の事も、陸山の事も、安城春菜の事も。

 

 俺達三人は同時に両手を挙げた。里志が言う。

 

「完敗さ。確かに僕らは意図的に古典部を《十文字》のターゲットにさせた、でも僕ら自身は《十文字》じゃない。それは信じて欲しいね」

「じゃぁ……」

「それは言えんな。俺たちにも秘密はある。それがダメと言うなら、学校側に俺達が《十文字》だと言及してもらって構わない」

 

 天津はその後顎に手を置き、考える仕草を取った。その間はわずか数秒で、天津はすぐに不服そうな顔を上げた。軽く頭を掻きながら

 

「分かった。あんたらがそこまで隠す理由はわからんが、この事は学校側には黙っとるよ」

 

 俺達はため息をこぼしたあとに、奉太郎が言った。

 

「助かる」

「ふん。それよりあんたらは、《十文字》の正体まで辿り着いたんやろ?」

 

 俺は答える。

 

「あぁ、まぁな」

「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!!!」

 

 声にならない悔しそうな声を天津は上げると、俺たち三人に指を刺した。

 

「あんたらはこれからはうちのライバルや!!次は負けへんでェ!!貸一や!!ふん!!」

 

 天津はスクールバッグをリュックの様に背負うと、元来た道を不機嫌そうに歩いていった。

 その背中が見えなくなったところで、里志が言った。

 

「ねぇ、もし彼女が僕達より早く《夕べには骸に》を手に入れたら、どうなってたと思う?」

「さぁな。ただ言えることは……」

「《氷菓》は完売しなかった」

「それ、結論が出てるじゃないか」

 

 貸一ねぇ。

 

 吹いてきた風は冬を運んできており、寒かった。

 風に乗ってきた木の葉が、俺達の目の前に落ちた。




次回《あきましておめでとう》




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第七話 あきましておめでとう

 評価を頂きました。

 9評価 happy@さん
 8評価 マイトさん

 ありがとうございました!


 俗信に年を越す際にやっていた事は一年間繰り返すことになると、昔誰かに聞いた覚えがある。

 去年の俺はなにをやっていただろうか?いや、そんな事は今はどうでもいい。

 

 もし仮に元旦にやった事は一年間繰り返す。というものがあるのだとしたら、俺は今すぐにこの行為を辞めなくてはならない。しかしそんな訳にも行かないのが世の常……うぅむ。

 

「何やってるんだい、ハル。早く二人の場所を推理しておくれよ!」

「早くしなさいよ南雲!」

「南雲くんすごい唸ってるね… ……」

「南雲くんはこういうのは得意なの?」

 

 俺の周りを囲っているのは、里志、伊原、桜、十文字の四人。

 

 俺の目の前に並べられている物は三つ。伊原が言うには千反田のと思われるハンカチ、奉太郎のと思われるデニム地の二つ折りの財布、凶のおみくじ。

 

「うーーん、むむむ!!」

「「「「分かったの!?」」」」

「わからん」

 

 『だぁ!!』と四人はその場に倒れ込んだ。さて、どうしたものか。

 

 何故俺がこんなものを眺めながら頭を悩ませているというと、一時間ほど前に遡るだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一月一日、元旦。

 

 俺の今日の予定は夜までない。勘解由小路家の家の付き合いには俺は参加しなくてもいい義理にはなってるし、一人で約束の時間までゴロゴロしながら時間が経つのを待っていた。

 ケータイのテレビ機能で《新春お笑いスペシャル》とやらを見たあとに、《新春ドラマスペシャル 風雪急小谷城》とやらを鑑賞。神山高校一、社会科目が苦手であると自負している俺だが、時代劇は別に嫌いではない。言っていることは理解できないが。

 

 物語は信長の朝倉攻め、織田の勝ちで勝負はついたところで、信長の妹から陣中見舞いが送られてくる。小豆を入れて、上下を縛った巾着袋。これは《袋のネズミ》という意味らしい。それの意味に気づいた信長が妹が捕えられていることを知り、浅井が裏切ったと気づいたのだ。

 

 気づくと時計の針は約束の時間の四十五分前を指していた。俺は部屋着から着替え、東京に越してきた際に持ってきた冬物の服が入っているダンボールを開ける。……む。

 

「コート、実家に忘れたんだった」

 

 

 

 

 

 

 結果、俺は自分の腹に二枚ほどカイロを貼り、持ってきた服で一番暖かそうなパーカーを羽織った。加えて黒色のマフラーも着用。

 

 何故俺が正月の夜に家から出るかと言うと、簡単に言えば初詣という奴だ。一昨日の千反田からの電話、伊原が十文字家で巫女のバイトをしているので見に行きたいらしい。ついでに自分の着物も自慢しに。

 

 荒楠神社(あれくすじんじゃ)に到着した俺は辺りを見渡す。夜だというのに荒楠神社は人で賑わっており、篝火に焚かれた灯篭が、夜の神社の雰囲気を更に盛り上げている。石鳥居の辺りまで移動すると、既に奉太郎が来ていた為、俺はお約束の挨拶をかました。

 

「よう、あけおめ」

「おう、あけおめ」

 

 なんとも簡単な挨拶だろうか。まぁ、友人ならこのくらいの挨拶の方が気軽でいいのかもしれないがな。

 時折通りかかる知り合いとも「あけおめー」という挨拶を交わし、俺達は千反田を待った。

 

 すると、鳥居の前で一台のタクシーが止まった。出てきた女の人は落ち着いた赤と金色を主体とした着物を着ており、その上から黒い縮緬を羽織っている。手には藤色の巾着。髪は後ろに縫い取られており、かんざしが揺れている。

 俺はその人を見て言った。

 

「あの人きれーだな」

「あぁ、確かに……な……」

 

 その女性は俺たちを見つけると、軽く手を振りながこちらによってきた。なんだなんだ!奉太郎め、こんな人と知り合いなのか!?俺にも紹介しろ!!そう言おうと思った時だった。

 

「あけましておめでとうございます」

 

 千反田だった。不意の言葉に俺と奉太郎は行儀よく返す。

 

「「お、おめでとうございます」」

「本年も相変わりませずよろしくお願いします」

「「あ、こちらこそ」」

 

 相変わりませず、ねぇ。

 

 千反田は俺たちに向かって着物の袖を掴み両腕をちょこんと持ち上げた。

 

「見せびらかしに来ました」

「おー、似合う似合う」

 

 ちょっとばかし適当な返事だったろうか。

 

 しかし千反田はそう言われただけで満足そうだった。右手に一升瓶を抱えている。奉太郎は歩きながら聞いた。

 

「それはなんだ?」

「お酒です。こちらの神職さんとはお付き合いがあるんです。お年始の挨拶みたいなものです。」

「大変そうだな」

 

 奉太郎が返すと、千反田は笑った。

 

「大変だったのはむしろ昼間です。ずぅっと、ずぅっと、親戚挨拶でいい子してました」

「ほう、という事はハルもか?」

 

 ギクっ!とした。俺は見えを張りながら返す。流石にずっとゴロゴロしてました!とはいえん。

 

「あぁ、ずぅっと、ずぅっと、いい子してたぜ」

「ふふ、南雲さん。嘘はいけませんよ?」

「へ?」

「勘解由小路さんも家に来てましたけど、南雲さんはその場にいませんでしたし、勘解由小路さんが部屋でゴロゴロしてるって言ってました」

 

 晴香の野郎!!そういや、千反田家にも行くって言ってたな。千反田家とは共営関係にあるだけで、親戚じゃねぇだろ。

 

 俺は笑ってそれを受け流した。

 

 古典部の業務の上で、里志には伊原が連絡を する。それは伊原が里志と話したいから……という理由ではない。あの二人と俺は携帯を持っているが、奉太郎と千反田は持っていないのだ。

 俺に関しては千反田からの連絡を待つのだが、俺の携帯をもっと有効活用してもいいのではないか?と、伊原に前に言ったところ、『あんたは携帯に電話しても、メールしても出ないでしょ!!』と返されてしまった。

 

 いつの間にか俺達はお参りの拝殿に付いており、その列に並んでいた。

 俺は財布から五円玉を取り出し、投げる。ふむ……どうしたものか。

 

 

 誰にも染められることのない一年になりますように。

 

 

 よし、これてメインイベントは終了。あとは千反田の持ってる酒を置いて、伊原をからかって退散しよう。寒いし。

 

 縁起物を買おうとしている連中の人波をの縫おうと、俺と奉太郎は足を進ませる。

千反田が言った。

 

「どこ行くんですか?」

「伊原をからかいに」

「それでしたら社務所の中で会えますよ。神職さんにご挨拶に伺いますから」

 

 社務所の玄関前には数人の男達が顔を赤くしていた。八十歳ほどのご老人もみえる。多分手伝いにきた氏子たちだろうな。

 

「ごめんください!」

 

 千反田がいう。すると、玄関から白髪の老人が現れる。

 

「なんだね」

「あけましておめでとうございます。千反田鉄吾(てつご)の名代として伺いに来ました。千反田えると申します。」

 

 おまけの南雲と折木です。

 

「ああぁ!千反田さんの、どうぞお上がり下さい」

 

 男に大広間に案内される。何十畳かある和室で、だるまストーブがいくつも並んでいる。それを真ん中として鎮座する長机には男達が酒を飲みながらお節をつついている。

 

 俺たち三人は隅っこの方へ移動すると、そこに腰をかけた。すると

 

「あけましておめでとう」

 

 振り向く。そこには巫女姿の大人びた少女が立っていた。むむ、こいつは。

 

「あけましておめでとうございます。十文字さん!」

 

 十文字かほ。占い研唯一の部員だ。いつか、俺が千反田を虐めていると勘違いされたものだ。加えて、《神高クイズタッグ》で決勝で当たった。

 奉太郎は俺に耳打ちで聞いてきた。

 

「だれだ?」

「十文字かほ。里志と同じクラス、だった気がする。」

「同級生か!?」

 

 奉太郎の素っ頓狂な声を聞いて十文字は笑った。確かに、十文字は年上に見えなくもない。老けている、という意味ではなく、褒めた形で言っている。

 

「あの。摩耶花さんに会いたいんですけど。大丈夫ですか?」

「摩耶花……?あぁ、あの子なら多分そろそろ休憩だと思うけど。そっちから売店の後ろに行けるよ」

 

 俺達は十文字の言われた通りの方向へ向かい、横開きの木戸をそっと開く。様々な商品が並んだ売り場。巫女姿の女が計三人。そのうちの一人に千反田は声を掛けた。

 

「摩耶花さん」

 

 長い髪のエクステ?をつけた伊原は千反田の声に笑顔で振り向き、俺と奉太郎を見るとしかめっ面になった。感情豊かなのはいいが、そういうのはやめた方がいいぞ。

 

「見ないで」

 

 エクステを隠す。見られたくないならそんなもの付けるな。

 

「あと一時間で上がるけど、ちーちゃん達はどうするの?」

「多分広間でお呼ばれの形になります。福部さんは?」

「昼間に来てたよ。《新春ドラマスペシャル 風雪急小谷城》を見るんだって。また来るって言ってたよ」

 

 やはり里志も見ていたか。奴はああいうのに目がないのだ。

 伊原の横には財布やら携帯電話やらが転がっている。俺の視線に気づいた伊原は言った。

 

「氏子の人達が落し物をすぐに届けてくれるのよ」

 

 それはありがたい。無くしても大丈夫だ。いや、無くさないのが一番いいのだが。

 

 その後千反田の勧めで俺達はおみくじを引くことになり、伊原は俺に六角形の筒を渡した。

 

「はい、神の御加護がありますように」

 

 ドラクエか。

 

「わぁ、大吉です!」

 

 先に引いた千反田が声を上げた。ほう、大吉とはこれまた珍しい。

 

 隣で奉太郎が苦い顔をしている。俺は言った。

 

「どうした?末吉でも引いたか?」

 

 おみくじをのぞき込む。

 

 【凶】

 

「ぶっ、ははははははははははは!!!だっせぇ!!」

「やかましい」

「南雲さん、人の不幸を笑っては……」

「凶って、私も初めて見たわ……」

 

 ふふふ、大吉、凶と来たらまぁ中吉辺りだろう。つまらないが、俺にはそれくらいの方が向いている。

 

「伊原、十三番」

 

筒から出た木の棒の番号を確認し、伊原に言う。

 

「十三と言えば、十三日の金曜日ですね」

 

隣で怖い事を言う千反田を無視する。

 

「ん」

 

伊原がいくつかある引き出しから一枚紙を取りだし、俺に渡してきた。俺は紙を開く姿勢を取る。

 

「ありがとよ奉太郎、凶を引いてくれて……!!」

 

 バッと、俺は伊原から渡されたおみくじを開いた!!

 

 

 

 【大凶】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ジャー

 

 体が冷えたのか、伊原の場所から戻った俺はトイレに出ていた。水の流れる音と共に、俺の精神も流れていきそうだ。

 別に神やらおみくじやらを信じたことは無い。中吉だろうが、例え大吉だろうが、今年は何かいいことがあるのかな?程度にしか思わないし、凶なら今年は気をつけよう。程度にしか思わない。

 しかし、大凶ねぇ。こんなもの本当に入ってんのかよ。あとで一番高いところに結ぼう。

 俺はおみくじをポケットにしまうと、先程までいた大広間に戻った。しかし

 

 奉太郎と千反田の姿が見当たらない。どこ行ったんだ?

 

「やぁ、あけましておめでとう」

 

 声の方向を見ると、ストーブの近くで体を縮こまるせている里志の姿があった。俺はそちらに向かい、言う。

 

「あぁ、おめでとう。ところで、千反田と奉太郎は?」

「ん?いないのかい?僕も今来たばかりなんだ」

 

 むむ。じゃぁまだ戻ってないのか。

 

 俺たちの目の前を十文字が横切ろうとしたので、俺は声を掛けた。

 

「あぁ、十文字。千反田と奉太郎は?」

 

 十文字は眉をひそめると、口を開いた。

 

「あなた達も知らないの?」

「十文字さん、あけましておめでとう。突然だけど、あなた達もって?」

「福部くん、あけましておめでとう。そうね、南雲くんが席を外した時に、二人には蔵に酒粕を取りに行って貰ったんだけど、まだ帰ってこないのよ。」

「様子を見てくるよ。十文字、蔵はどこにあるんだ?」

「私もちょうど休み貰ったから行くわ。福部くんはここに居てちょうだい。すれ違いで戻ってくるかもしれないし」

「あいあいさー、二人とも行ってらっしゃい」

 

 俺と十文字は、社務所から蔵に向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いねぇなぁ……」

「いないわねぇ……」

 

 俺と十文字の声が蔵に響く。酒粕が入ってすぐ左に置いてあったので、まだ取られていないということだ。まだ着いてないのか?いや、そんな訳は。

 

「なぁ、十文字。荒楠神社には蔵がもう一つあるのか?」

「ないわ」

 

 んー。弱ったな。あいつらが頼まれ事を放棄してどこかに行くとは考えられないし。

 

「一度戻ろう。もしかしたら場所が分からなくて社務所に戻ってるかもしれない」

「そうね」

 

 俺達が社務所に戻る途中には、甘酒を配っている巫女に客が集まっていた。それを横目に十文字と並びながら歩いていると

 

「おっ、桜!」

 

 ピンク色のコートを着た桜とその友人の倉沢が甘酒をちびちびと飲んでいた。俺は二人に手を上げる。

 

「あけおめ」

「な、南雲くん。あけましておめでと……う……」

 

桜は俺の隣の十文字を見ると固まった。

 

「倉沢もあけおめ」

「南雲」

「なんだよ」

 

 新年の挨拶もせずに失礼なヤツめ。

 倉沢は俺と十文字を交互に見たあとに言った。

 

「彼女?」

「ナギちゃん何を聞いてるのかな!?」

「いやぁ、あんたの将来の為だって」

「余計なことは言わなくていいから!!!」

 

 ほんと余計な事言わなくていいから。俺ここにいるから。聞こえてるから。

 

「知り合い?」

 

 十文字が耳打ちで聞いてくる。

 

「あぁ、同じクラスの桜楓と、倉沢凪咲」

「ふぅん」

 

 十文字は薄く微笑むと、桜を見ながら言った。

 

「桜さん。安心して、私とこの人は恋人じゃないから」

「良かったね、楓」

「べべべべべ別に……」

「じゃぁ南雲、あとはよろしく!楓、十文字さん、またねー!」

 

 倉沢は素晴らしいスピードで人波を駆け抜けて走っていった。

 

「ナギちゃぁぁぁぁぁぁん!!」

「賑やかな人達ね……」

「うるさいの方が形容できてるがな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やぁ、どうだった?」

「蔵には居なかった。どこ行ったんだろうな……」

 

 俺が顎に手を置きながら考えると、俺の後ろに居た桜に里志が手を挙げた。

 

「やぁ、桜さん。あけましておめでとう」

「うん、おめでとう福部くん。話は聞いたよ、折木くんと千反田さんがいなくなっちゃったって」

 

 俺達若者四人が宴会が行われている大広間の角で頭を悩ませていると、後ろから声がかかった。

 

「ねぇ、ちーちゃん達見つかった?」

 

 伊原だ。

 

「まだだね。見つかったら報告してるよ」

「そうよね……あっ、さっちゃん。あけましておめでとう!」

 

 さっちゃん……。桜の事か。伊原お得意のあだ名付けだ。

 

「うん、あけましておめでとう。伊原さん」

「それでね、みんなに見てほしいのがあるんだけど……」

 

 伊原は無意識に円を作るように座っていた為、その円の真ん中に伊原が二つの物を置いた。

 

「ハンカチと財布……?」

「うん、このハンカチちーゃんのなの。財布の方は」

「ホータローのだね。間違いない」

「伊原さん、これはどこで見つけたの?」

 

 桜が聞くと、伊原は愛想よく答えた。俺にもそれくらいの笑顔で返せ。

 

「さっき南雲には言ったんだけど、氏子さん達が落し物をすぐに届けてくれるのよ。でね、この二つが見つかった場所が、どっちも納屋の近くなんだって」

 

 納屋?

 

「なぁ、十文字。もしかして二人は納屋に間違えて入ったんじゃ」

「それないと思うよ。折木君だけならまだしも、えるも居るんだから納屋と蔵を間違えるわけないわ。それに、うちの納屋は基本鍵が閉まってるし、外側からしか鍵は閉められないの。だから、二人が納屋にいるのは有り得ないわ」

 

 最もだ。

 

「うわっ!!なんだこりゃぁ」

 

 里志が奉太郎の財布の中身を見て大声を出した。あんまり人の財布を見るのは趣味のいいことじゃないが……。

 

「見てよみんな。【凶】のおみくじだ。なんでこんなものが中に入ってるんだろう?しかも、入ってるのはおみくじだけで、お札も小銭も入ってないよ!加えてカードもだ」

 

 【凶】のおみくじをみた桜が言った。

 

「えぇ、十文字さん!荒楠神社って凶も入れてるの!?」

 

 十文字は笑った。

 

「ふふ。それだけじゃないわよ。毎年一枚だけ、【大凶】も入れてるんだ。まぁ大体引かれずに終わっちゃ……」

 

 バン!!

 

 俺はポケットから取り出した【大凶】のおみくじを叩きつけた。

 

「はは、逆に運がいいね。ハル」

 

 やかましいわ。

 

 しっかし、中身が入ってない財布。落として中身を抜かれてまた捨てられたって考えもできるがなぁ。ふむ。

 

「おっ、ハル。何か考えてるね」

「人の心を読むな。考え出したところだ、少し黙ってろ」

 

 俺は考えてみた。

 

 

 

 

 考えること数分。ダメだ。何も思い浮かばん。何も話さない俺に耐えきれなくなったのか、里志が声を上げた。

 

「何やってるんだい、ハル。早く二人の場所を推理しておくれよ!」

「早くしなさいよ南雲!」

「南雲くんすごい唸ってるね……」

「南雲くんはこういうのは得意なの?」

 

 こうして今に至る。

 

「うーーん……むむむ!!」

「「「「分かったの!?」」」」

「わからん」

 

 『だぁ!!』と四人はその場に倒れ込んだ。さて、どうしたものか……。

 

 

「伊原さん!」

 

 その声の主は伊原と同じ格好をした巫女だった。多分同い年くらいだろう。伊原と同じアルバイトか?

 

「変な落とし物が届いたら教えてって言ってたよね。これなんかどうかな?しかも、納屋の近くで拾ったって」

 

 また納屋。これも奉太郎の凶がなせる技か。

 

 伊原はそれを受け取ると、今までの落とし物に並べた。

 

 それは藤色の巾着袋。口は縛られており、加えて、下の方に縛るような形で、紐が巻きついている。

 

 巾着袋の両端を紐で……

 

 こ、これは!!!

 

 俺と里志は跳ねるように立ち上がった。俺と里志は互いの顔を確認して頷く。

 

「ど、どうしたのふくちゃん、南雲」

「《新春ドラマスペシャル 雪急小谷城》だ!!」

 

 俺が言う。

 

「はぁ?」

「どういうことかな?」

 

 伊原と桜の弁。里志が続けた。

 

「信長が朝倉を攻めていた時に、信長の妹婿の浅井が裏切ったんだよ。信長の妹は信長に小豆袋を送った。上下を紐で縛ってね!この意味は……」

「「《袋のネズミ》」」

 

 そう言い残した俺と里志は、社務所を出ると星空の下、全力で駆け出した。

 里志は走りながら言った。

 

「ふぅーー!!分かるって気持ちぃぃ!!!」

 

 

 

 

 納屋についた俺と里志は互いの顔を確認し合い、頷く。

 

 案の定、納屋の(かんぬき)は閉められており、俺はそれを横に引き抜いた。

 

「ホータロー、いるかい?」

 

 里志がそういうと、納屋の向こう側から首を竦めた奉太郎が言った。

 

「助かった……寒くて死ぬとこだったぜ……」

 

 千反田は信じられない、というような顔をしながらこちらを見つめていた。

 なんでこいつらが納屋に閉じ込められてたのかは分からないが、よかった。

 

 里志は奉太郎を見るなり、笑いながら言った。

 

「やぁ、あけましておめでとう」

「違ぇだろ、里志」

 

 俺が言うと、里志も奉太郎も笑った。同時に口を開く。

 

「「「あきましておめでとう」」」

 

 冬の風を受け、千反田が小さくくしゃみした。





次回《手作りチョコレート事件 起》




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第八話 手作りチョコレート事件 起承(きしょう)

 


 side 奉太郎

 

 

 

 

 物事の見方が単一ではないと言うのは、これは今日では常識に属する。

 現代において相対化の一つも出来ないようでは、中学生もやっていけない。しかし、俺達の中には古来から植え付けられた固定概念という物が存在し、その概念から外れて別の見方で物事を見ろと言われるのも、異を唱えない訳にも行かないというのも常識に属する。

 しかしそれは他の見方をするのを諦め、相対化を闇に葬り去るという意味ではないのだ。俺たちは決して、盲目を信じる訳では無い。

 許すまじくは許さない。俺自身は主義としてそうした一線を持たないが、だからといってそれを持つ人間を軽んじることないのだ。

 

 時は一年前。鏑矢中学校。聖バレンタイン。

 

 苦しそうな顔をする里志にこの俺、折木奉太郎は弁を唱えた。

 

「流石だねホータロー。『許すまじくは許さない』、実にひねくれた考え方だよ。だってそうでしょ?例えば、市販のクッキーにクリームを載せて冷蔵庫で固めて『はい、手作りクッキーです』なんてのはおかしな話じゃないか。だからさ、ほら」

 

 鏑矢中の昇降口前、帰路を共にしようと俺と里志が訪れた所、目の前に立っている小柄な少女、伊原摩耶花にその足を止められた。

 

「つまりふくちゃんは、手作りチョコレートを名乗るなら、カカオ豆から作らないと意味が無い。市販のチョコを湯煎して型にはめて固めただけの代物は手作りチョコじゃない。だから手作りチョコレートを名乗った私のチョコは受け取れない、そういうわけね?」

 

 うぅむ。実に難しい話だ。カカオ豆からチョコを作るとしたらどれくらいかかるのだろうか。そう考えている内に、里志は口を開いた。

 

「そこまで言う気はないけど……まぁ、平たく言えば……」

 

「そう……なら……っ!!!」

 

 ガブリ!!!

 

 そう擬音できる様な勢いで伊原は里志に渡すはずのハート型のチョコレートを袋から出してかぶりついた。

 さすがの俺達もその姿にはギョッとし、俺達の横を通り過ぎる他の生徒達も知らぬ神に祟りなしというかの如く、そそくさと帰路に付いている。

 

「ふくちゃん!!いえ、福部里志!!来年覚えてなさい!!二〇〇一年二月十四日、絶対私のチョコレートをその口にぶち込んでやるんだから!!」

 

 伊原は言い終わるより早く、背を俺たちに向け走り去って言った。振り返ると流石の里志も気前が悪そうな顔になっている。

 

「どうするんだ?」

「どうするもなにもないさ。今回も上手く切り抜けられた」

「泣いてたんじゃないか?」

「摩耶花が?まさか!それは付き合いの長い君の方が分かってるだろ?」

 

 俺と伊原は付き合いは長いが、言葉を交わしたことはまるでない。

 だがまぁ、あの程度で折れる芯の細い奴だとは思ってはいないわけだ。今の言葉は義理さ。

 

「来年、どうなるんだろうな」

「さぁね。僕と摩耶花が同じ高校に行く事になれば、来年もこの調子さ。摩耶花を助太刀する厄介者が現れないことを祈るよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

───────────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 side 晴

 

 

「ひっでェ話だなぁ」

 

 聖バレンタインデーが近づいてきた、二月十一日、金曜日。

 地学講義室で去年のバレンタインの話を奉太郎から聞いた俺は、軽く笑いながら椅子の背もたれに寄りかかった。

 

「まったくよ。あの態度、今思い出しただけでムカついてくる……!!」

 

 伊原は空中を殴った。ポカッというような可愛らしい殴り方ではない。ブォンと空気が揺れるような殴り方だ。

 

「それで伊原。カカオの木の様子はどうだ?苗から買ったなら、そろそろお前の背丈くらいだろ」

 

 奉太郎がからかうように聞く。

 

「育てるわけないじゃないそんなもの。今年こそバレンタインにチョコを渡すわ。逃がすもんですか!」

 

 それを見ていた千反田が両手を合わせながら威勢のいい笑顔で言った。

 

「一緒に頑張りましょうね、摩耶花さん」

 

 里志が言ってた『伊原を助太刀する厄介者』ね……。数学の赤点予言といい、里志は予言者にでもなれるな。

 しかしそろそろバレンタインか……。一年早いなぁ。

 俺はポケットの中に入っているカイロをポケットの中で遊ばせていた。

 

「だからね、ちーちゃん。私は」

 

 伊原が千反田にチョコレートの話をし始めていた。高級のチョコがどうやら、最初は甘くなくて飲み物だったやら。

 

 どこかで聞く話によるとバレンタインで好意を抱いている相手にチョコレートを贈る風習は日本だけらしいじゃないか。

 そもそも名前の由来となった司教が処刑された日がバレンタインな訳であって、それをめでたい日、それこそ恋人の日にする事自体がおかしい。バレンタインは女性がチョコを贈る日、その意味合いが強くなって現代では本当に由来を知る人間は数少ないだろう。

 

 いつもの様な調子で奉太郎にその事を話すと、文庫本を閉じる奉太郎より早く伊原が返してきた。

 

「なに?チョコレートが貰えないモテない男の(ひが)みって奴かしら?」

「そ、そんなんじゃないですぅ!!去年だって母さんと雨に貰いましたぁ!!」

 

 伊原と千反田の目線が痛い。もうやめてくれ。

 

「まぁ俺も似たようなもんだ。バレンタインというのは《薔薇色》の連中に向いていて、俺達向きじゃないって事さ。適材適所という言葉があるだろ?」

 

 適材適所……ちょっと違う気もするが。

 奉太郎が言い終わった後に俺達は鞄を背負った。すると

 

「そうだ、あんた達はふくちゃんに私が作ってるの言っちゃ駄目よ。余ったので義理くらいは上げるからさ」

 

 そりゃどうも。

 奉太郎が返す。

 

「分かってるさ。多分里志もお前が作ってることは分かってる」

「うるさいわね。早く帰りなさい。またね」

「南雲さん、折木さん。また月曜日」

「「おう」」

 

 校舎からでると吹く風が寒く、思わず体が震えた。うう……寒。

 俺は学ランの上から少ない小遣いをはたいて購入した薄茶色のダッフルコートを着用し、黒いロングマフラーを何周か首に巻いた。

 俺たちはいつも通りの道のりを歩く。商店街のアーケード下にはブティック、理髪店、雑貨屋など様々な店が立ち並んでおり、それを横目にたわいもない話を繰り広げていた。

 次に目に付くのはゲームセンターだ。前に奉太郎から聞いた話によると、中学二年まではこのゲームセンターでゲームを良くしていたそうだが、里志が余りにも卑怯な手を使って勝ちに来るので、それ以来やっていないらしい。

 

 ゲームセンターを横目に通り過ぎようとした時、ゲームセンターの自動ドアが開かれた。ゲームセンター特有の騒がしいゲーム音が静かなアーケード下に鳴り響き、見慣れたニヤケ顔がこちらに手を振ってきた。

 

「やぁ、奇遇だね。今帰りかい?」

「珍しいな里志。お前がまたここに入るなんて」

 

 奉太郎が言うと、里志は笑いながら言った。

 

「いいかいホータロー、ハル。最近の子供は外で元気よく走り回るより、家でゲームをしている子の方が多いんだよ。なら最近の子供としてはゲームの一つでもある程度嗜んでおかないと義務教育に反するのさ」

 

 ゲームをする事が義務教育とは、面白い冗談だ。

 里志は親指を自分が背を向けているゲームセンターに向けた。

 

「それでどうだい二人とも。ちょっと相手になって欲しいんだ。NPC相手じゃ物足りなくてね。ハルの実力も見てみたい」

 

 俺と奉太郎は無言で頷き、里志に連れられ中に入った。

 

 里志が俺達を誘導したゲームは少し特徴的な形をしていた。

 球状の形をしたメカニックデザインのゲーム。俺は中を覗き込むと、某ロボットアニメのようなコックピットが配備されていた。

 加えて中は全面が画面になっており、ゲームをスタートする前の画面表示ですら臨場感が溢れている。

 

「懐かしいね、よくホータローとやったものさ。僕らの中学時代の青春!」

「ろくでもない青春だな。それは」

「はは、じゃぁ早速ハルの実量を見せてもらおうかな。ホータロー、ハルと同じコックピットに入ってレクチャーしてあげてよ」

 

 そう言うと里志は隣のコックピットに乗り込んだ。俺と奉太郎も反対側のコックピットに乗り込み、百円を入れ起動させる。

 武器の選択でメインウェポンとサブウェポンを選択、メインウェポンは連射型のレーザーガン、サブウェポンはビームサーベル。白兵戦も可能な装備だ。

 俺の機体は軽量型の機動力に長けたタイプ、そしてFPS視点で目の前に光と共に現れた里志の機体は、俺とは真逆の重量型の機体だ。動きは俺の機体に遥かに劣るが、威力の高い装備を数多く付ける事が出来、火力も高い。いわゆる上級者タイプだろう。

 

 奉太郎からのレクチャーによると、俺が今右手に持っている四方八方自由に動くレバーが機体を動かすもの、左手に握っているのは攻撃を仕掛けるもので先端の赤いボタンは銃器の引き金に当たるらしい。加えて、車のブレーキの場所に付いている足で踏むボタンが、武器の切り替えだ。

 

 俺は準備期間の間に何度か明後日の方向にレーザー銃を撃つ。

 サブウェポンのビームサーベルも空振りした所で、俺は反対側のコックピットにいる里志に言った。

 

「準備OK!」

「こっちも!お手柔らかに頼むよ」

 

 『Are you ready?』の表示と共に俺はコントローラーを握ったまま少し前のめりの姿勢になる。『GO!!』の合図と共に俺はレーザーを軽く撃つが、里志の機体はそれを難なく上昇し交わした。

 

 それを追うように俺も上昇し、再びレーザーを撃つ。が……それも機体を横に軽くずらされ躱された。里志は俺の機体から生まれたスキを逃さず、重量系お得意のランチャーで攻撃を仕掛けてきた。

 ラグからすぐに立ち直った俺の機体は俺が機体操作用レバーを手前に押すことにより、瞬時に反応。俺は里志の攻撃を躱す。

 次は里志の機体から生まれたスキを逃さながった。レーザーを里志の機体に向けて撃つ……が、浅い。

 油断した俺は反動から立ち直った里志の機体の攻撃に反応出来なかった。呆気なくランチャーは俺の機体に直撃し、体力ゲージはごっそり持っていかれた。

 俺は反撃を加えようと左手のレバーの先端のスイッチを押し、レーザーを放出しようとするが……光線が出ない!

 

「ハル、さっきの里志の攻撃でお前のレーザーガンが破損した。見てみろ」

 

 奉太郎の指を指した画面の右端には、俺の選択したレーザーガンとビームサーベルが表示されており、その下に体力ゲージのようなものがある。レーザーガンの方に《ERROR》表示が出ており、俺は里志のランチャー攻撃を躱しながら聞く。

 

「奉太郎、レーザーガンはどうすれば直せる」

「基本的にこのゲームは三本勝負だ。一本目が終われば武器も機体の体力ゲージも全快するが。どうやらこの勝負は一本勝負のようだ。つまりお前はもうレーザーガンは使えん」

 

 奥のコックピットから里志の声が聞こえてくる。

 

「ハル、武器が壊れたかい?運も実力のうち!!決めさせてもらうよ!!」

「ちっ!」

 

 俺は舌打ちと同時に足元にあるウェポン変更ボタンを蹴った。俺の機体は武器を投げ捨てると、ビームサーベルが『ブォン』というお決まりの音を発しながら青い閃光と共に登場した。すると

 

「なに!?」

 

 奉太郎の驚いた声の理由、それは里志も自分のランチャーを捨て、赤色のビームサーベルを取り出したのだ。

 

「あいつも武器が壊れたのか?」

「それはないと思うがな。里志はお前がビームサーベルを出す直前までお前を攻撃していた」

 

 里志の声が聞こえてくる。

 

「眼には眼を歯には歯を、銃には銃をビームサーベルにはビームサーベルをだ!!」

 

 俺は里志が言い終わる前にレバーを引いた。俺の機体は里志の機体に向かって飛んでいく。ビームサーベルを上から下に振り下ろすと、里志は攻撃を防ぐ。

 単純なシステムでは向こうの方が力は上だ。だが……こちらには機動力がある!

 

 俺はビームサーベルを鍔迫り合いから引き、後ろにバックステップで下がる。

 

 だがどうする?俺の機体の体力は先程のランチャー攻撃で半分も無い、加えて里志の機体は四分の一程しか減っていない。眼には眼を歯には歯を、か。

 ……里志が勝ちにこだわっていないというのなら。

 

 俺の機体はビームサーベルの閃光を仕舞うと、腰に構える。

 

 里志の機体もそれに従う。里志が勝ちにこだわらないなら、白兵戦を好んでしてきたというのなら、あいつが今拘っているのは面白さや、ロマンのようなものだ。

 居合のような形で勝負を挑んだのなら、あいつも従ってくれると思った。どうやら、里志はそれに乗ってくれるようだ。

 

 どちらの機体も動かず、制限時間が刻一刻と迫ってきている。

 

 俺達は同時に機体を動かした。機体同士の距離が縮んでいく、ビームサーベルのスイッチを付け、振りかぶる……!!

 

 俺たちのビームサーベルは互いの機体に当たった。そして

 

 

 俺の機体は呆気なく爆発した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やぁ、いい勝負だった。」

「ふん」

 

 奉太郎と里志が機体から降りてきた。

 先程の俺が負けた勝負を見たせいか、奉太郎もゲーム熱が上がってきたようで三本勝負を里志に挑んだのだ。

 あの《省エネ》の奉太郎が。やっぱりロボットゲームというのは男の血を騒がせてくれるものなのだろう。

 勝負は奉太郎の勝利で終わったらしく、奉太郎≧里志>俺の順番ということか。

 

 俺は里志に約束のホットのストレートティーを渡す。里志は「まいど」とだけ言うと、近くの自販機でコーヒーを購入。それを奉太郎に渡した。結局自分で買うのと同じだ。

 

「里志よ」

 

 コックピットの前のベンチに座っている奉太郎が里志に声を掛けた。

 

「なんだい?」

「さっきのハルとの勝負、なぜランチャーを捨てた。あのまま攻撃していればあの時点で勝負はついていたろう?」

「いいじゃない。白兵戦なんて、実に熱い。そういう意味でいえば、ハルが居合勝負を挑んできた時には心が昂ったよ!」

「そうか……」

 

 奉太郎はそう言って、コーヒーを啜った。

 なんでこいつはそんな事聞くんだ?確かに昔の里志は勝ちにこだわる人間だったというのは聞いたが、人のプレイスタイルなんて変わるものだ。

 

 その後二戦目、奉太郎との勝負に負けた俺はコックピットを蹴っ飛ばし、店員にこっぴどく怒られた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日曜日。二月十三日。午前十一時。

 

 目が覚めた俺は頭を掻きながら一階のリビングに降りていく。

 この前千反田から貰った、小麦パンがあった気がする。それを頂こう。

 俺はリビングに入る……と。

 

「よう、晴。起きたか」

「あら、南雲おはよう」

「南雲さん、おはようございます!」

 

 千反田と伊原が台所に立っていた。ん?いや、晴香がいるのはおかしくはないんだけど……。

 俺は勢いよく自分の顔をビンタする。そして二人を視線に捉え、数秒。

 

「なんでいんだよ!!」

「勘解由小路先輩が誘ってくれたのよ。チョコを作るんだったら台所が広いからここを使えって!」

「良かったな晴〜、お前の家に女子が二人もきてるぞ〜!?」

「いらねぇよ!つーか、絡むなダルいダルい!」

 

 首に腕をかけてくる晴香の顔を片手でどかすと、千反田達にいった。

 

「で?なんでウチなんだ?千反田家の方が広いだろ?」

「私の家は今日は親戚の方々が集まっているので」

 

 さいで。

 そう言えば、先程からチョコの湯煎した甘い匂いが部屋に立ち込めている。寝起きからこの匂いはきつい……。

 適当に冷蔵庫から取って、部屋で朝食(昼食)をいただくとしよう。

 

「それじゃぁ頑張ってくれたまえ、恋に恋する乙女たちよ」

 

 俺はそう言いながら冷蔵庫から冷凍食品のピザとカフェオレを取り出し、ピザをオーブントースターで温める。千ワットで五分。

 

「あ、ついでにこれあげる」

 

 伊原が俺に渡してきたのは皿に入ったハート型のチョコレートだった。

 

「いいのか?」

「うん、それ失敗作だし」

「俺、残飯処理班!?」

 

 ったく、とんでもないもの渡してきやがる。俺が温まったピザを取り、部屋向かおうと横目に三人を見た。

 

 伊原の一生懸命な顔に、俺は手を出しながら、取り敢えず言った。

 

「がんばれよ。二つの意味で」

「がんばるわ。二つの意味で」

 

 軽くハイタッチ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 モテない男にとって、一番苦痛の日がやってきた。二〇〇一年、二月十四日。聖バレンタインデー。

 朝起きると、部屋の前に一つの箱が、これは。

 

 『モテない男に本日最初で最後のチョコレート!神山NO.1美女、晴香♡』

 

 そういや、今体育でとってるサッカーのシュートテストが近かったなぁ。

 

 インサイドキック。箱ごと部屋に蹴りこみ、学校へ。

 

 軽く雪が降っていた。ホワイト・クリスマスとはよく聞く言い回しだが、ホワイトバレンタインとは言うのか言わないのか。ここに里志や奉太郎がいたら、今日の言葉遊びの議題はこれなっていただろう。

 学校は至って変わらなかった。友チョコとやらを交換する女子の姿はちらほら見かけるが、『ずっと前から好きでした、付き合ってください!』のような告白イベントをこの目で見ることは無かった。

 昇降口についても、特別気にすること無く下駄箱を開ける。空。

 

 昼休み。くるみパンを買いに行った奉太郎をいつものメンバーと待っていた俺に、その中の一人の友人が聞いてきた。名を阿澄(あずみ)という。

 

「南雲、お前今日チョコいくつ貰った?」

「聞いて何になる。一個、晴香……従妹から」

「あの美人さんか。でも家族はノーカンだ」

「物理的なものは数えなくちゃな」

「ところで、お前古典部だよな?千反田さんからは貰ったか?」

「千反田?てかお前知ってんのか?」

 

 阿澄は『え?』という顔をしたあとに、ミニトマトを口に放り込みながら言った。

 

「千反田さんだよ千反田さん。お前と折木はいいよなぁ。あんな美人にチョコを貰えるんだから」

 

 千反田はお中元は親族にしか挙げないと昨日言っていたぞ。バレンタインチョコがお中元の部類に入るのかは知らんが。

 

「千反田ってモテるのか?」

 

 いや、これは聞くまでもなかった。前に里志からその様な話を聞いたことがある。

 

「あったりまえだ。色白で黒髪ロング、成績優秀、眉目秀麗。加えて名家のお嬢様と来た。何をとっても完璧な美少女だろ?撃沈した男の話もよく聞く」

 

 ほう。

 

「なんの話だ?」

 

 お互いの顔を近づけながら話していた俺と阿澄に、奉太郎の声が掛かった。俺達は取り敢えず首をブンブンと振る。

 

「ハル、今千反田から聞いたんだが、伊原は今日来ないらしい。 チョコだけを部室に置いておくんだと」

「ふーん。俺らはどうする?里志がチョコをとる現場でも見るか?」

「くだらない。帰ろう」

 

 同意だ。バレンタインに独り身の男が学校に残っているのは、余りいい状況ではない。

 俺は勘解由小路家の豚を使った生姜焼きを口に放り込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 side 桜

 

 

 

 

「早く渡して来なよ」

「急かさないでよナギちゃん!!まだ折木くんと阿澄くんもいるでしょ!!」

 

 私は袋詰めのチョコレートを両手で握ったまま、ナギちゃんと南雲くんのグループを監視していた。うう。なかなか一人にならないなぁ……。

 

「あの、倉沢さん」

 

 振り向くと、顔を赤らめた女子生徒二人がナギちゃんに話しかけてきた。

 

「これ、受け取ってください!!きゃーーーー!!!!」

 

 そう言って、二人は行ってしまった。

 

「モテるねナギちゃん。女の子に」

「参ったなぁ……、名前も知らないよ。あんたも今みたいにすれば?」

「そんなこと出来ないよ……」

 

 そう言うと、ナギちゃんはあからさまに大きく溜息をついた。

 

「あんたねぇ……いつまでもそんなだから、南雲に友達としてしか見られてないのよ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 そんな事言われなくてもわかってる。()()()()()()()()()に私は、南雲くんに対する気持ちが《恋》だって気づいた。だから今日チョコレートを渡す事を決心したのだ。

 

「まぁでも。告白するにしろしないにしろ、あんたの自由だけどね。まだ二年あるし、気長にやりなさいな。」

 

 私は黙って頷いた。

 

 いつまでもウジウジしている……。こんな自分が、私は嫌いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 side 奉太郎

 

 

 

 

 

 帰りのホームルームが終わり、俺とハルはカバンに教科書類を詰め込んでいた。

 すると、不敵な笑みを浮かべた里志が前のドアから入ってくる。放課後ではいつもの事だ。

 

「やぁ、バレンタインチョコが一つの諸君」

 

 なぜ知っている。

 見ると、里志がいつも持っている巾着袋ははち切れんばかりに長方形の形になっていた。里志はそれを取り出す。

 

「これ、図書室に返しといてくれない?行くところがあるんだ。」

 

 本か。まぁ丁度いい。今の天気は霙だ。ハルと図書室で時間を潰そうと話していたところだ。

 

「伊原は来れないそうだな。地学講義室」

 

 ハルが言うと、里志は少し驚いた顔をした。

 

「情報が早いね。千反田さんか」

「まぁな」

 

 俺は言って、トレンチコートの上からショルダーバッグを肩にかける。ハルもダッフルコートの上からリュックサックを背負い、ロングマフラーを二回ほど首に回した。

 教室を出た俺達三人は、それぞれ分かれる。地学講義室に続く連絡通路と図書室は逆方向なのだ。

 

「それじゃぁね。二人とも」

「頑張れよ」

 

 そう言うと、里志は笑った。

 

「なにをだい?」

「そりゃぁ雪辱戦さ」

 

 里志は再び笑い、背中を向けたまま俺たちに手を振って行ってしまった。

 しかし里志が行っただけでは、バレンタインの波は治まらなかった。第二波が来たのだ。

 

 

「南雲くん!」

 

 俺達は振り向くと、そこにはピンク色のコートを着た桜が立っていた。ほう。

 

「お話があります」

 

 ハルは俺に『先に行ってくれ』というアイサインを送ったので、俺はハルの肩に手を置いて、図書室に向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 図書室で本を読んでいる途中に、俺はふとある事象が俺の頭に浮かんだ。桜がハルに話し掛けた事だ。

 あの様子から見れば、多分()()()()ことだろう。そういう手の話題に疎い俺でも、桜がハルに抱いている想いには俺も里志も千反田も伊原も……多分ハル自身も気づいている。

 ハルがどう答えるかは知らんが、友人同士のカップルが出来たとして、俺は何かを思うことはあるか。

 

 答えはこうだ。『特に何も思わない』

 

 これは冷徹な意味ではない。例えばいま本を読んでいる俺の元に頬を赤らめた少女が『これ、受け取ってください!』とチョコレートを持ってきたとしよう。その時俺は喜ぶだろう。

 しかしこの喜びは色恋沙汰の喜びではない。その少女が俺の事を意識して、一個人として好意を抱いてくれた事に対してだ。

 

 俗信に人が異性を好きになるのは、生物的遺伝子を残すためと言われている。そういう見方だとすれば、俺は生物的に不完全なのかもしれない。

 こんな下らないことを考えていると……

 

「やっと見つけましましたよ。折木さん」

 

 千反田の顔がいつの間にか目の前までよっていたのだ。

 

「ど、どうした?」

「福部さんをご存知で?」

「お前よりずっと前から知っている」

「どこにいるかという意味です」

「知らん。俺はいつもあいつといるわけじゃない。部室に来ていないのか?」

 

 そう言うと千反田は少しばかり不安気な様子で答えた。

 

「はい」

「まぁあいつはルーズなとこがあるからな。もう少し待ってみろよ。」

「そう、ですか。わかりました」

 

 千反田は行ってしまった。俺は本のページをめくった。

 

 

 

 

 本を読みながらウトウトしていると、今度は図書室のドアが勢いよく開かれた。

 見ると、千反田が血相を変えた顔で立っている。その後ろには里志も立っており、なんだか疲れた顔をしていた。

 

「どうした千反田」

「大変です。折木さん……手伝って欲しいことがあるんです。」

「明日にしてくれ。手伝うも手伝わないも。明日に」

「お話だけでも聞いてください!!」

 

 千反田の口元はキュッと締められており、いつも以上に目が大きく開かれていた。俺は里志に聞く。

 

「どうした?」

 

 里志は首をすくめ、『困ったもんさ』とでも言いたそうな顔で言った。

 

「大したことはないんだけどね」

「チョコが……」

「チョコが?」

「チョコレートが盗まれたんです!!あんなに摩耶花さんが一生懸命作ったのに!!」

 

 へぇ、伊原のチョコが、盗まれたと。

 

 なるほどなぁ。

 

「よし分かった。探しに行こう」

「折木さんと福部さんは先に地学講義室に向かってください。折木さん、南雲さんはまだ残っていますか?」

「ん?あぁ、教室に……」

 

 あっ……。『今はダメだ!!』そう言おうとした時には既に遅く。千反田はB組に向かって走り出した。俺は里志と顔を見合わせる。

 

 これは……まずい……!!

 

 『終わっててくれ!』その一心で千反田を追った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 side 桜

 

 

 

 

 

 

 

 一年B組。私と南雲くんは誰もいない教室の真ん中に立っていた。

 

 私が言い出せずにもうどれくらい時間が立ったのだろうか。分からない。けど南雲くんはそんな私に気を使ってくれたのか、色んな話を振ってくれた。相変わらず、南雲くんは優しい。私は緊張して、虚ろに返事をしてしまっているけど。

 私は、ようやく自分から口が開けた。

 

「ご、ごめんね南雲くん。えと、そうだな……」

「古典部は……最近どう?」

 

 私が聞くと、南雲くんは笑いながら返してくれた。

 

「どうもなにも、いつも通り騒がしいよ。ま、居心地は悪くない」

「そうなんだ」

 

 そこが……古典部が、南雲くんの今の居場所なんだ。

 私は、古典部と同じくらい南雲くんの特別になれるのかな。

 

 南雲くんを始めて意識するようになったのは、入学してから少し経ったくらいだろうか。

 

 放課後、南雲くんが古典部人達と笑いなが楽しそうに帰ってる姿を見て以来、私は南雲くんに興味を抱いていた。

 楽しそうだった。嬉しそうだった。でも、どこか悲しそうな表情が南雲くんの中にあった。なにかを後悔しているような、そんな顔だった。

 

 そんな顔を、私は見たくなかった。ずっと笑って欲しかった、ずっと笑わせてあげたかった。そして……

 

 その笑顔を……ずっと隣で見ていたくなった。

 

 

 

 

 だから、私は────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『好き』っていうんだ────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「南雲くん……私は……」

 

 心臓の音がうるさい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ずっと、南雲くんの事……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 後半に続きま〜す!(ゲス顔)




次回《手作りチョコレート事件 転結》





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第九話 手作りチョコレート事件 転結(てんけつ)

「ずっと、南雲くんの事……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ガラララララ!!!

 

「南雲さん!!!!」

 

 

「千反田?」

「千反田さん?」

 

 突然ドアが開かれて、B組に血相を変えた千反田さんが入ってきた。私は、自分が出し損ねた言葉を飲み込んだ。

 後ろから折木くんと福部くんも入ってくる。

 

「南雲さん、お話があります!!」

「な、なんだよ。後にしてくれ今桜と……」

 

 南雲くんは千反田さんに腕を引っ張られながら申し訳なさそうに私を見た。けど、千反田さんの普通じゃない焦った顔に私はこう言ってしまった。

 

「いいよ。どうしたの?千反田さん」

「摩耶花さんのチョコレートが盗まれたんです!一緒に探してください!!」

 

 盗まれた?伊原さんのチョコレートが……?

 南雲くんの顔も険しくなる。私は動揺を隠しながら、出来るだけの笑顔を浮かべた。

 

「南雲くん。行ってあげて」

「でもお前、」

「いいって……行きなよ……」

「桜?」

 

 南雲くんが私の名前を呼ぶと同時に、教室が静かになる。

 

 あぁ、ヤバい……、泣きそう。

 ……泣くな……泣くな私……!!南雲くんの前で、涙を流すな。

 

 つま先から顔まで、一気に熱が籠り始めた。冬なのに、額から汗が止まらなくなる。

 唇が上手く動かない。何度か口をパクパクさせ、ようやく絞り出した震えた声で、私は言った。

 

「わ、私さ、用事があったんだよ!!も、もう時間だから行かなくちゃ!!」

「お、おい桜!?」

 

 私は机に置いていたリュックサックを掴み、みんなから死角になるようにチョコレートをリュックサックに入れた。

 私は出来るだけ早歩きで、南雲くん達の横を通り過ぎて、廊下に出た。

 

「桜」

 

 折木くんが私を呼んだ。

 

「悪い……お前らが教室にいるのを知ってながら……」

「なんの話かな?折木くんは悪くないでしょ……それより、伊原さんのチョコレートを探してあげてよ」

 

 私は走って昇降口に向かった。校門から出ると、すぐ近くの壁に寄りかかる。

 

 神様は意地悪だ。なんであのタイミングで。

 私は自分の内側から熱いものが込み上げてくるのを感じた。千反田さんが入ってきて、南雲くんの腕を掴んだ時……心が痛かった。

 千反田さんに悪気はない。知らなかったんだから……でも、私多分千反田さんの事を睨んじゃってたかなぁ。はぁ……私、嫌な子だ。ちゃんと明日謝らないと。

 

 私は上を向いて空を仰いだ。霙から変わった雪が、私の頬に落ち、溶けた。

 リュックサックの中に入っているチョコレートを手に取り、眺めた。自分で今ここで食べようとも思った、あわよくば捨ててしまおうとも思った。けど……

 

 私は再び校門を潜り、一年B組に向かって走り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 side 奉太郎

 

 

 

 桜が走って言ってしまったあと、俺はB組の教室を眺めた。呆然と立ち尽くすハルと、呆気に取られた顔の千反田と、未だに一物抱える顔をした里志がいた。

 千反田が泣きそうな顔をしながら俺の方に寄ってくる。

 

「折木さん……私……」

 

 ううむ。こいつの言いたいことは分かる。伊原のチョコの件といい、桜の邪魔をしてしまったことといい、お人好しの千反田には少し辛辣過ぎる状況だ。

 

「お前の言いたことはわかる。知っていたのに言わなかった俺が悪かった。気に病むな。桜はそんなんで友達を嫌う奴じゃない。ハル」

 

 俺が声をかけると、ハルは我に返ったようにこちらを向いた。

 

「……ん?どうした?」

 

 ……。

 

「行こう。伊原のチョコレートを探すぞ」

 

 ハルは頷き、俺たち四人は駆け足で地学講義室に向かった。

 

 全く、とんでもないバレンタインだ……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 二階の連絡通路を使って特別棟に入った俺たち四人は、すぐ近くの階段を使って四階の地学講義室に行こうとした。しかし

 

「まった」

 

 先頭を走っていたハルが里志の声で止まった。ほう。

 

 『ワックス塗り立て、立ち入り禁止』という張り紙が階段をを塞いだロープに貼られていた。

 しかし特別棟の階段は二つある。俺達は反対方向に回り込み、四階まで登ろうとしたところで、三階と四階の間の踊り場にいた一年の男子生徒が話しかけてきた。

 

「ごめん、今度こそこれ、水平に見えるかな?」

 

 なにやらポスターを貼っているようだった。脚立を使って目の前でポスターを貼っていたため、自分からじゃ水平か確認出来ないのだろう。『大丈夫だ』そう答えて先を急ごうとした時

 

「右に下げすぎだね」

 

 里志が指摘した。『あぁ、しまった』その声と共に俺たちにお礼を言った男子生徒を横目に、俺達は四階まで上り地学講義室に入った。

 千反田の荷物が置いてある机まで移動すると、千反田はその隣の机を触った。

 

「ここにチョコレートを置いておいたんです。一回目福部さんを探しに行く前まではあったのですが……その時の時刻は四時四十五分でした。その帰りに福部さんと四階と三階の踊り場で会って、二人で戻ってきた時は丁度五時でしたので、その間に盗まれたのだと思います……」

 

 千反田の声は抑揚を失っていた。伊原の件と桜の件。この二つが千反田の心に重しを乗っけているのだ。冷徹ではないが、俺にはこの時にかけるような言葉は見つからない。

 

「千反田、チョコの大きさはどれくらいだ?」

「はい、赤いラッピングがされており、ハート型……丁度これくらいです」

 

 千反田は自分の細い胴と同じ位の形のハートを宙に描いた。デカイな……。

 

「ハル、どう思う?」

「……」

「ハル」

「ん?」

「話を聞いていたか?」

「……ごめん」

 

 ハルの声に千反田の顔も暗くなる。やめてくれ、気を使うだろ。大体なぜ《される側》のハルが落ち込む。こいつは特に桜に好意を抱いてる様には今まで見えなかったが……。いや、俺がそういうのに疎いのもあるかもしれん。それとも、なにか他の理由があるのか?

 

「別に摩耶花のチョコを千反田さんが管理してくれなんて言われてないんだろ?だったら千反田さんのせいじゃなないさ、早く来なかった僕が悪いんだ」

「ですが……昨日あんなに頑張って作っていたのに、勘解由小路さんにも協力して貰って……」

「よし、行こう」

「どこにだい?」

「四階と三階の踊り場だ。ポスターを貼ってたあいつがずっとあそこにいるのなら、階段を行き来した奴を覚えているだろう。」

「あの子が犯人の可能性は?」

「ない」

「話を聞こうか」

「チョコレートを盗んだってのに、呑気にポスターなんて貼らんだろ。ごく簡単な物理的解決は、ごく簡単な心理的な側面に敗れるのさ」

「懐かしい言い回しだね」

 

 まだ半年前だ。俺達は踊り場まで戻ると、未だにポスターを貼っている一年に聞いた。

 

「ちょっといいか?作業を始めてからここを通った人間を覚えているか?」

 

 一年は少し不思議な顔をしたあとに聞いた。

 

「なにかあったの?」

 

 里志が答える。

 

「ちょっとトラブル。犯人がここを通ったかもって」

「ふーん。憶えているよ」

 

 一年は俺、ハル、千反田を指さしたあと

 

「君たち三人と里志で四人。確かな情報だよ。人が通っても気づかないほどポスター貼りに熱中してた訳じゃないしね」

 

 なるほどな。俺達はそいつにお礼を言うと、踊り場から四階に移った。すると、今まで黙りこくっていたハルが口を開く。

 

「里志、四階を使ってる部活は?」

「データベースとして使ってくれるのは嬉しいね。古典部、アカペラ部、軽音部、天文部さ。けど今日軽音部はライブハウスでの活動だし、アカペラ部は活動日じゃない。消去法で今いるのは僕ら古典部と天文部さ」

 

 天文部……って事は、あの人がいる。沢木口美崎。《女帝事件》のF組の探偵役、そして文化祭では俺達の前に立ちはだかり、自滅した。バナナで出汁を取ったらしいな。里志が変人認定するだけのことはある。

 天文部の部室の第五選択室をノックすると、『はぁい』というあの声が聞こえてきた。

 

 出てきたのはお団子ヘアの女子生徒、俺たちを見るなり、声を上げた。

 

「おっ、古典部じゃん。チャオっす」

「急を要する事態です。沢木口先輩のご助力を頂きたく参上しました」

 

 里志が切り出した。この人は里志のお気に入りの一人でもある。ふざけた物言いだが、沢木口は子供のような笑みを浮かべて言った。

 

「時間はかかるの?」

「三分くらいで済みます」

 

 ハルが言う。

 

「おっ、名探偵折木くんと、名探偵南雲くんじゃ〜ん。どしたのー、暗い顔してー」

 

 それは地雷だ。

 

「いえ、なんでも」

「さてはチョコが貰えなかったのだな?」

 

 沢木口とハルが話している間に、俺は天文部の部室を眺めた。部員は沢木口を外して三人。男が二人に女が一人。真ん中に石油ストーブが構えられており、部室の奥には四つのカバン類とコート類が置かれていた。ふむ。

 

「実は古典部の部室からチョコが盗まれたんです。何か知ってますか?」

 

 俺の言葉に沢木口はキョトンとしたあと、中にいる三人に聞いた。

 

「あんたらチョコみたー?」

「やめてくださいよ先輩……」

「見たいですよ……」

「帰り支度で出た人はいますか?」

 

 俺が聞くと、沢木口はすこしムッとした顔で言った。

 

「なに?あたしらを疑ってるの?席を外したのは、中山、吉原、小田の三人よ」

「女の人が中山ですか?」

「そうだけど、もういいでしょ?またね」

 

 そう言ってドアが閉められてしまった。向こう側から『さ、再開、再開』と、声が聞こえてくる。

 

「折木さん、沢木口さん、怒ってましたね」

「疑っているんだ。怒って当然だろ」

「でも!摩耶花さんのチョコレートが」

 

 俺は一度溜息をつき、ハルを見た。こいつの目は一点をずっと見つめていた。考えている証拠だ。今まで調子が悪かったが、()()()()()()()()()()()()()

 俺は次に里志の顔を見る。こいつもチョコレートが見つからないことにいよいよ表情が曇り出していた。さて……そろそろ決着をつけるか。

 

 

 地学講義室に戻ると、それと同時に伊原がやってきた。セーラー服にベージュのジャンパーを羽織り、チョコの食べすぎでできたニキビを隠すためにやんちゃ坊主のように鼻に絆創膏を貼って、毛糸の帽子をかぶっていた。

 

「あれ?なんでみんな揃ってるの?」

「摩耶花さん……」

 

 千反田の声は震えていた。

 

「あー、で、どうだったチョコレートは?」

 

 里志に視線を走らせるが、奴は無表情のまま何も言わない。ハルは至って真顔で、伊原を見つめていた。

 千反田は深々と頭を下げた。

 

「ごめんなさい摩耶花さん。私が戸締りもせずに部室を出た時に、チョコレートが奪われてしまいました……」

 

 堂々とした口ぶり、だが千反田の目は赤くなっている。

 伊原は呆然と立ち尽くし、俺たち四人の顔を確認した。そして、か細い声で言った。

 

「へぇ……そっか……盗られちゃったか……」

 

 俺は伊原の反応に驚いた。加えてハルも「っ!」という声にならない声を発していた。いくら俺達が色恋沙汰に疎くても、俺らが伊原ならここで感情を爆発させるだろう。

 

「ちーちゃんもそんな顔しないでよ。私は別にちーちゃんにチョコの管理を頼んだわけじゃないよ。でもらあんなに手伝ってもらったのに……なんか悪いことしちゃったね。ごめんちーちゃん……。南雲、勘解由小路先輩にもごめんなさいって伝えておいて」

 

 ハルは軽く頷く。

 

「ごめん、ちょっと今日きつい……」

 

 そう言って、伊原は平然とした足取りで地学講義室をあとにした。誰も伊原の背中に声をかけてやることは出来なかった。

 俺、ハル、千反田、里志……四人が今抱いている感情はそれぞれ別だろう。

 

 桜に伊原、想い人に渡すはずのチョコレートを渡せなかったのだ。気持ちは分からないが、辛いことは分かる。

 すると、千反田はズカズカと地学講義室から出ようとした。俺は千反田の右手首を掴んだ。

 

「どこにいく?」

「チョコレートを探します」

「お前が気負うことじゃない。チョコが奪われるなんて予想は出来ない」

「私の身勝手な行動で、桜さんも摩耶花さんも傷つけてしまいました……。せめて、今出来ることをしたいんです!」

「大丈夫だ千反田……」

 

 俺達の会話を遮ったのは、ハルの気力のない言葉だった。ダッフルコートのポケットに手を入れたまま、首だけをこちらに向けていた。

 

「犯人がわかった。」

 

「本当ですか、南雲さん!?」

 

 ……。

 

「天文部の中山だ。お前が言ってたチョコレートの大きさじゃ、普通に持って天文部に戻ったんじゃ沢木口達に気づかれないわけがない。俺のダッフルコートや奉太郎のトレンチコート、適当なカバンなら入るだろうが、天文部の部室を見た時に、カバンやコートをいじった痕跡は無かった。だが……」

 

 ハルは千反田のスカートを指さした。さらにいつも以上に気力のない声が続く。

 

「それなら出来る。太ももに紐かなんかでチョコレートを括りつけて、スカートで隠しながら中山は部室に戻った。俺達には伊原と中山の因縁は分からないが、何かあったのは事実だろう。俺と奉太郎……それと里志で中山からチョコを取り返し、伊原のチョコを里志に渡す。お前は帰れ」

 

 千反田の瞳は俺を見た。俺も頷く。

 

「南雲さんがそこまで言ってくれるのは珍しいですね。分かりました、南雲さんがそこまで言うのなら今日は帰ります」

 

 そうして、千反田は帰宅した。

 

 残ったのは俺、ハル、里志の三人。俺はハル見た。

 

「お前も帰れ。そんな陰気な雰囲気はこちらも参る」

「そうか……分かった」

 

 リュックサックを背負ったハルの背中を見つめていた俺は、咄嗟に言葉を探したが見つからなかった。だから、俺の口が赴くままの言葉を発する。

 

「お前になにがあったのかは知らない。桜の件でお前がそこまで落ち込む理由も分からない。ただ……、なにかあったら言え。聞くだけなら出来る」

 

 柄にでも無いことを俺は言った。ハルは半分こちらに顔を向け、軽く笑い手を振って部室をあとにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 side 晴

 

 

 

 

 帰り際に教室に寄った俺は、自分の机の上に置いてあるものに気づいた。これは……

 

『南雲くんへ。日頃の感謝を込めて、これからも仲良くしてください。桜より』

 

 俺はそれをリュックサックに入れて、誰もいない教室の電気を消した。

 

 

 

 

 

 side 奉太郎

 

 

 

 

 

 帰り道。夜。歩道橋。吹く風は冷たく、時折顔にあたる雪は痛い。

 

「バレンタインチョコを太ももに縛り付けて隠す……か」

「ハルにしては面白い推理だったね」

「そんなこと出来るわけないだろ。あれは千反田を帰らせるために言った嘘だ」

「へぇ」

「伊原がチョコを置きっぱなしにし、千反田がお前を探しに部室を出ることを、中山は知りようがない。もし出来たとしても、中山の体温と天文部部室にあった石油ストーブでチョコが溶け、匂いが充満する。沢木口が気づかないわけが無い。それに……マトモな人間はチョコを盗まない」

「中山さんがマトモとは限らないよ」

「確実にマトモじゃない人間を疑うのが先だろ」

 

 歩道橋の真ん中で俺が足を止めると、里志も止めた。

 

「まずは約束を果たすか……。その巾着を貸せ」

 

 里志は黙って俺に従い、お得意の巾着袋を俺に渡した。俺はそれを受け取り、縦に大きく降る。ガシャガシャという何かが擦れるような音が聞こえ、その巾着袋を里志に返す。

 

「今日のうちに伊原のチョコをお前に渡す。依頼は達成だ」

「見事だホータロー。ハルにも賞賛の言葉を与えたいよ」

「俺はチョコがなくなったと聞いた時点で、そんな事をする奴はお前しかいないと考えた。この時点でハルは気づいていなかったろうが、消去法でいけばお前に辿り着く。天文部が全滅となれば、犯人はポスター貼りの一年が言っていた四階に上がった俺達四人に絞られる。俺は除外。ハルは桜とB組にいた為除外。千反田は管理役で除外。お前は恐らく俺と別れた後に、特別棟三階の男子トイレに隠れていたんだろ?あそこは階段のすぐ近くだ。お前は千反田が遅かれ早かれ自分を探しに外に出る思っていた。千反田が探しに出たところでお前は三階から四階の階段を上がったんだ」

 

 俺は里志を睨めつけながら話す。目の前のこの男にこんな事をするのは、今までも、これからもないのかもしれない。

 ただ俺は、今少しだけこの福部里志に不快感を覚えている。

 

「そしてお前はその踊り場でポスター貼りの一年に、今度こそポスターはズレていないか?と助言を求められた。俺の記憶が正しければ、千反田達と部室に向かう途中にお前はあの一年に向かって、『下げすぎだね』と言った。事前にもう少し上げた方がいいと言っていなければ、あの言葉は出ない」

 

 唯一むき出しになっている顔が痛い。里志は無表情のまま俺を見つめていた。どこか自嘲じみた笑いを含ん出いたのかもしれない。

 

「そして誰もいない部室でチョコレートを回収する……はずだった。しかし伊原のチョコレートは予想以上に大きかった。だからお前はそのチョコレートを粉々に破壊し、この巾着袋に入れた。あとは簡単、踊り場で戻ってきた千反田と落ち合い、部室に再び戻る。そして、お前はチョコが無くなって狼狽した千反田に何も言わなかった。違うか?」

 

 ふっと一瞬、冷たい風が吹いた。宙を舞っていた雪が、空の中でごうと渦を作った。俺は改めてトレンチコートを直す。

 

「説明はしてくれるんだろうな?」

「説明……か」

 

 里志か何故こんな行動に出たのか、俺には理解出来なかった。先程、少しだけ不快感を覚えているとも言った。しかし、何かしらの理由があると思っていたのだ。信じていたと言ってもいいだろう。だから俺とハルは事態を出来るだけ穏便に済ませるために、あらぬ推理を千反田に披露し帰らせた。

 多分ハルも、全く無関係の女子生徒をスケープゴートにする事は心を痛めただろう。多分中山はこれからの学校生活、千反田にあらぬ誤解を受けることになる。

 しかしそれでも、俺とハルは里志の行動には理由があると信じていた。それがもし……

 

「冗談だったなんて言ったら……」

「言ったら?」

「殴るしかないだろうな。伊原、そして作るのに協力した千反田と勘解由小路先輩、心を痛めながらスケープゴートを作ったハルの分も、グーで」

 

 里志はいつもと変わらず首を竦めた。

 

「殴られるのはやだなぁ……」

「ちなみに黙秘するなら、お前の所業だと千反田にバラす。」

「それはもっと嫌だ。千反田さん……それに君とハルを巻き込むつもりは無かったんだ」

「結果論だ。お前は千反田とハルも巻き込んだ」

 

 里志は天を仰ぐ、その口元から長い息が漏れた。静けさの後で、おもむろに言った。

 

「言いたくないなぁ……。言うような事じゃない。でも、言わなきゃならないんだろうな」

「ホータロー……僕はね……」

 

 里志は話してくれた。何故伊原のチョコを壊したのか、その理由を……。

 話は終わり、里志は言った。

 

「さぁ、これで全てだ。僕の行動は冗談じゃなかった。僕は黙秘しなかった。君はどうする?」

「今の話……千反田には出来んだろうな」

「無理だね。君に殴られた方がマシだ」

 

 俺は自分の足元を見た。元々はこいつが悪いとはいえ、俺は里志に言いたくないことを言わせてしまった。これは埋め合わせをするべきだろうか。そして言うべきだろうか、『すまん。俺は福部里志という人間を全く知らなかった』と。

 

「ハルにはどうするつもりだ?」

「ここまで来たんだ。迷惑だろうけど、今から勘解由小路家に出向くよ」

「そうか。寒い中悪かったな。出向く前に缶コーヒーでも奢ろう」

「そうだなぁ。折角なら紅茶でお願いしたいね。」

 

 そうして、俺は里志に紅茶を奢ったあと、勘解由小路家に向かう里志の背中が見えなくなるまで眺めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 side 晴

 

 

 

 

 

 ベットの上で文庫本を読んでいると、部屋のドアが三回ノックされた。晴香か……?

 ドアの向こう側から、聞きなれた飄々とした声が帰ってきた。

 

「やぁ、僕だよ。里志だ」

「里志?」

「入ってもいいかい?」

「おう」

 

 里志の顔はどこかやつれた様子ではあったが、いつもの様に微笑んだ形で俺の部屋に入ってくる。

 俺は自分の勉強机の椅子を里志に渡す。俺はベットに座った。

 しばらく沈黙が続き、切り出したのは里志だった。

 

「全く、迷惑かけたね……」

「ホントだよ。なんであんなことしたか、説明してくれるか?」

「うん、その為に来たんだ……」

 

 里志は俺の机に置いてあるフィギュアを弄りながら、言葉を続けた。

 

「ハルは僕が趣味人だと思うかい?」

「まぁそこそこな……」

「それは間違いだよ。僕は第一人者にはなれないのさ。この前ゲームセンターでゲームをした時に、ホータローが言ってたろ?『なんで、勝ちに拘らないんだ?』って」

 

 その事は覚えている。里志が勝ちに拘る人間だと言うのは、奉太郎から聞いていた話だ。だが、あの時のこいつのプレイスタイルはまるでそんな気迫はなかった。むしろ逆だ。勝っても負けても、こいつはそこにロマンや面白さ求めていた。

 

「中学時代の僕は今振り返ってみても実に愚かだよ。勝つことに拘っていた。負けては相手にいちゃもんを付け、ルールにケチをつけた。ゲームだけじゃない。鉄道オタクにも追いつこうとしたし、歴史オタクにも負けないくらい本を読んだ。回転寿司の正しい順番のネタの取り方なんてのも調べたね……」

 

 里志は笑った。そして椅子の背もたれに背を預け、声を大にしながら言った。

 

「つまらなかったよ!勝ったのにつまらなかった。馬鹿だよね。面白い勝ち方をしなきゃ嬉しいもんか。だから僕は《こだわる》のをやめた。詳しくいうと、こだわらない事にこだわるようにしたんだ。それから人生が一変したよ。楽しかった、サイクリングと手芸をただの趣味に出来た。毎日が輝いていたよ

けど、そこに一つイレギュラーが現れた。それが摩耶花だよ」

 

 里志は俺に視線を戻し、次は俺の机にあるルービックキューブを弄りながら続けた。

 

「摩耶花はいい子だよ。君やホータローには分からないかもしれないけど、あんないい子は他にいない。あんな子が僕と一緒にいたいなんて言ってくれるなんて……夢みたいな話さ。けどね……。

けど、僕は摩耶花にこだわっていいのかな?こだわらない事をこだわると決めた僕が、摩耶花だけは別なのか?君が自分は《無色》だって言うのが、どこまで君の柱になってるかはわからない。でも僕にとってのこれは、結構なクリティカルなものなんだよ」

 

 里志はルービックキューブを俺に放り投げると、机の上に置いていた手が力強く握りしめられるのを見た。

 

「僕も摩耶花と一緒にいたい。そうすればいい、そう思うだろ?でもね、僕が仮に摩耶花にこだわってしまえば、過去の僕に戻ってしまいそうなんだ。こだわって、こだわって……僕は結果的に摩耶花を傷つけてしまうんじゃないかって。だからバレンタインチョコを僕は受け取らないんだ。摩耶花のそれを受け取ってしまえば、僕が摩耶花にこだわる事を象徴してしまう。僕の答えはまだ出ていないんだ……」

「だからお前は、チョコレートを破壊してまで隠し通したのか」

「去年もさ。ホータローから聞いたんだろ?罵ってくれよ……僕は去年から摩耶花への答えを見いだせてないんだ」

「でもお前は、千反田を傷つけた」

「全くだね。ぐうの音も出ないよ。本当にすまなかったと思ってる。こんなつもりじゃなかった」

「どんなつもりだった」

「摩耶花と話したんだ。今日僕に覚悟があるならチョコを受け取る。まだ答えが出せてないのなら、チョコはそのまま置いておく。でも計算外だったよ。まさか千反田さんが自ら見届け人になるなんて……」

 

 伊原もこの事を知っていた?

 

「じゃぁお前は今の話を伊原にも……」

 

 里志は俺の声に被さるように言った。

 

「したさ!去年のバレンタインの後に今よりも何倍も詳しく、何倍も時間をかけてね。摩耶花はわかるとは言ってくれなかった……でも、待つとは言ってくれた。来年のバレンタイン、つまり今日を試験日としてね。摩耶花がチョコを盗まれたと知った時、あまり動揺してなかったろ?それはつまり僕が答えを出せなかったというサインを受け取ったからなんだ。でも、もう少しなんだ……もう少しで、僕は答えが出せるんだ!」

 

 俺は里志の話をただ呆然と聞いていた。いつもヘラヘラしている里志の真剣な口ぶりは、俺の心を揺さぶった。伊原の為に答えを躊躇った里志の心境を聞いた俺は……

 

「すまなかったね。本当に」

「似てるな……」

「え?」

「お前も知ってる。というか勘づいてるだろ、俺が、桜に……」

「告白されそうになったこと?」

 

 少し場が緩んだせいか、里志は軽く微笑みながら言った。俺は耳が熱くなるような感覚を覚えたので、里志の顔を見ずに続ける。

 今度は俺が主体になって話し始める。

 

「桜の気持ちに気づかないくらい俺だって鈍感じゃねぇよ。いつからだろうな……まぁ気付いてた」

「でも君は桜さんのこと……」

「桜は良い奴だよ。けど、あいつは友達だ。それ以上に見たことは無い。それに……俺は桜の気持ちには答えられない……」

「どうしてだい?」

 

 俺は言葉を飲んだ。

 

「お前と同じだよ。思いれが強くなりすぎると、俺は余計な事をするんだ。俺は、それが余計だと気づかずにやり続けるんだけどな」

「もしかして、東京の事件の事かい?」

 

 頷く。

 

「俺が関わらなければ良かったんだ。そうすれば、誰も傷つかなかった……誰も泣くことは無かった……。良かれと思ってやった事が、反転するなんて事はよく聞く話だ。けどな、俺のやったことはそれの比じゃなかった……!!!」

 

 俺は俯いたまま話していたが、里志が真剣な顔で俺の話を聞いていることは、見なくても分かった。

 俺は……里志の方を向く。

 

「お前、口は硬いか?」

「話してくれるのかい?」

「等価交換だ。お前の話も、したくはなかったろ?」

「……硬いさ。僕のデータベースには君の話は入れない。話してくれるかい?」

 

 俺は頷き、口を開いた。俺の話を聞く里志は真剣で、話が進むにつれて、顔が青ざめていく。

 そして、全てを話し終わった時に、跳ねるように里志は立ち上がった。

 

「なんだよ、それ……」

「軽蔑したか?」

 

 そう言うと、里志は振りかぶった。

 

「違う!!そんなんじゃない!!君は悪くないじゃないか……なのに何故それを責めるんだい?確かに君は《その事件》に深く関わったかもしれない。でも、それが間違った判断だとは僕は思わない!!!」

 

「みんなそう言ったよ。『お前は悪くない』、『お前のせいじゃない』……。そう言ってくれた。けどな、自分が許せないんだ。俺は、一人の女の子の夢を壊した。失ったものが、大きすぎたんだ。だから俺は……神山に逃げた」

 

 俺は自分の声がだんだん小さくなっていくように感じた。里志は俺の話を聞くのに精神が参ったのか、ゆっくりと椅子に腰をかけ直した。そして

 

「違うさ……」

「え?」

「失ったものが大きい?僕はそうは思わない。君は、それに等価するものを成し遂げてきたじゃないか!!」

「君が居なければ《氷菓》の謎は解かれず、千反田さんはずっと鎖に縛られたままだった!!《女帝事件》の時も、君がいなければホータローは入須先輩に踊らされたままだった!!君がいなければ《十文字事件》は解決されなかった……」

 

「君がいなければ、僕は自分の愚かさを誰かに伝える事が出来なかった!!!」

 

「確かに君の失ったものも大きい。けどね、それと同じくらい得たものもあるんじゃないのかい!?古典部は……君にとって逃げ場でしかないのかい!?違うだろ!!!古典部は君の居場所なんだ!!!逃げたなんていうなよ!!!僕らがここにいるだろ!!!」

 

 柄にもなく里志は息切れを起こしながら、俺を見据えていた。

 俺は軽く笑った。

 

「……ありがとう。」

「どういたしまして」

「でもごめん。まだ、俺の心の中で決着がつかないんだ」

「ハル……」

「でも、お前に話せて少しだけ重荷が外れた気がするぜ」

 

 俺が笑っていうと、里志も笑った。

 

 里志が帰ったあと、俺はリュックサックから桜のチョコと、朝晴香から貰ったチョコを取り出した。

 それを交互に口に入れる。

 

 チョコレートはとても甘く、それでいて苦く、俺の口の中で薄く溶けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 side 桜

 

 

 

 

「死にたい」

 

 あぁぁぁぁぁあ!!!なんで友チョコにして渡しちゃったかなぁ……。南雲くんは気づいてくれるかなぁ。てか、あんなギリギリまで告白し損ねて、絶対私の気持ち気づかれたよね……。うぅ。

 

 唐突に携帯が鳴った。

 宛名も見ずに携帯を取る。

 

「もしもし?」

『あー、桜?』

「南雲くん!?」

『今日は悪かったな……なんか』

「ううん、こちらこそ……なんか、ごめん……。千反田さんにも謝らなきゃ」

『千反田も気にしてたからなぁ。お前が許してくれてるんだったら、仲直りもすぐ出ると思うぜ』

「ほんと!?良かった……あ、それで伊原さんのチョコは?」

『うん、なんとか見つかった』

「あぁ、それも良かったよ……」

『それでな、桜』

「どうしたの?」

『お前、映画って好きか?』

「え、うん!好きだよ」

『えーっと、それじゃぁ今度行くか?今日の埋め合わせってことで……』

 

 え?

 

「それって……えと、あの……二人でってこと?」

『あ、いや、古典部も入れて』

 

 

 ゴーン!!!

 

 

「行かないよ!!!もう知らない!!!」

『あっちょ、桜!?』

 

 私は携帯に叫んで、勢いよく通話終了ボタを押した。

 全くもう……!!!全くもうだよ全くもう……!!

 

 ……。

 

 私は頭からベットに突っ込んだ。あんな形でも、南雲くんと話せたことが嬉しかった。けど

 

 

 

「南雲くんの……ばか」

 

 

 それでも私は、多分今笑っている。 

 

 




うわぁぁぁ甘いのなんて書けるかぁ!!!

桜は作者のお気に入りキャラなので出来るだけ可愛く書いているつもりなのですが…。

里志に自分の過去を明かしたハル…さて、これからの物語にどう影響していくのでしょうか?

次回は《遠まわりする雛編》ラストエピソードです!




次回《遠まわりする雛》



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第十話 遠まわりする雛

 《遠まわりする雛》最終回です!

 衝撃のラストを見逃すな!!

 晴が傘持ち役です。


 春特有の心地よい風が、自電車に乗っている俺の体を優しく包んでいる。

 俺が今向かっている場所に行ったのは二度、一度目は夏休み。《氷菓》の謎を解くために検討会をした時だ。二度目は古典部みんなに採れたての野菜を振舞ってくれた時だ。

 住宅街がいつの間にか農村地帯に変わり、俺はマウンテンバイクのギアを上げる。

 春休み。終業式を終え、神山高校一年の年間日程を終えた。

 

 それなのになぜ俺がわざわざ春休みに自転車を農村地帯で走らせているのかというと、一昨日に遡る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「晴、えるの傘を持て」

「何を言っている?俺があいつの執事にでもなれって言ってるのか?」

「それもいいな」

「よくない」

 

 ノックもせずに人の部屋に入ってきたと思えば訳の分からんことを言いおって……。俺は晴香を睨み付ける。

 晴香は神山高校卒業式を終え、大学に行くのかと思えば、まさかの勘解由小路家を引き継ぎ、何代目かの頭首になったのだ。

 まぁ実際、子供の頃から牛や豚と戯れていた晴香にとって、大学で素人と一緒に畜産学を学ぶってのも退屈な話だろう。

 

「で、傘を持てってどういうことだ?」

「直接聞け、入ってこいえる。」

「こんにちは。南雲さん」

「はぁ……」

 

 あからさまに溜息を付いた。

 里志といい千反田といい、伊原といい……。こいつら何故勘解由小路家によく来るのだろうか。俺の部屋はお前らの休憩スペースでは無い。

 

「え?え?私、なにか南雲さんにしましたか!?」

「いや、なんでもない。それで?傘を持てって?日傘か?普通の傘か?最初から詳しく教えてくれ。」

「いえ、そうですね。始まりは戦後まもない頃… ……」

「うん、途中からでいい」

 

 なんかデジャブだな。

 千反田は『ええと』と、俺の机の椅子に座り直し、口を開いた。

 

「実は千反田家の近くの《水梨神社》と呼ばれる場所で《雛祭り》があるのです。お雛様とお内裏様、右大臣左大臣、三人官女がいます。それでですね、お内裏様とお雛様には傘を差し掛けることになっているんですが……担当の方が肩を脱臼してしまい、急遽代理人を要することになりました。衣装のサイズもありますから、福部さんでは大きすぎて、南雲さんに是非お願いしたいんです」

 

 俺は一度黙ってから、千反田を見た。勘が悪い千反田ではあるが、俺の言いたいことが分かったようで、逃げるように顔をそっぽに向けた。

 

「奉太郎と俺の体格は同じくらいだ。何故俺なんだ?」

 

 俺は部屋の入口に視線を向けると、晴香がピースサインを作っていた。ああ……

 

「晴香の推薦か……、千反田家と親睦の深い勘解由小路の親族の俺の方が、顔がきくもんな。」

「そういう事です……あと……」

「あと?」

「い、いえ。なんでもありません。それでは、明後日よろしくお願いしますね。一時間ほど一緒に歩いてもらうだけですから」

 

 バイト代は出るのか?そんな下らないことを聞こうとした途端に、俺は千反田の言葉の可笑しさに気づいた。

 

「一緒に歩くだけ?雛が歩くのか?」

「そうですよ

《水梨神社》は毎年旧暦の雛祭りに女の子が着飾って《生き雛》となり、集落を回るんです。中学に入ってから私がずっとその役割を仰せつかっています。……福部さんと摩耶花さん、折木さんもいらっしゃいますよ」

 

 ほう。《生き雛まつり》ねぇ。

 しかし、古典部(あいつら)も来るのか。どうせ俺を冷やかしに来るんだろうな。

 その後どこで知ったのか俺の携帯に十文字から電話がかかり

 

「いい!!?南雲くん!えるのお雛様姿に傘を差すんだから、くれぐれも粗相のないようにね!!」

 

 と、言われてしまった。

 こいつは俺をなんだと思っているのだ。

 

 俺はその事を思い出しながら、自転車のギアをもう一段階上げ、静かな農村を飛ばした。

 

 

 小川に沿って自転車を飛ばして行く、川を遡るように走る俺の目の前に、ひとつの狂い咲きした桜が一本生えていた。俺は自転車を止め、リュックサックから持ってきた一眼を取り出す。

 ピピッというブレ補正の効果音がかかり、シャッターボタンを押し込む。

 

 パシャリ。うむ、我ながら上出来だ。

 

 再び自転車を漕ぎ始める。文化祭で一眼を貰って以来、俺は外に出る事が多くなった気がする。せっかく貰った一眼なのに使わなきゃ損だからな。

 

 確か《水梨神社》に行くには、狂い咲きした桜の先にある《長久橋(ちょうきゅうばし)》を渡るんだったよな。一つのカーブを曲がったその先に、木製の一つの橋が見えた。

 渡った先には一台のトラックが置いてあり、ガタイのいい男達が黄色いヘルメットを被って何かを話している。……これは、渡っていいものなのか?

 

 俺は橋の前で自転車を止め、橋の向こう側の工事員に話しかける。

 

「すんません!」

 

 向こうは愛想よく返してくれる。

 

「おう!なんだ!!」

「ここ、通って大丈夫すか」

「おう、いいぞ!渡ってこい!」

 

 そう言われた俺はペダルを踏み込み、向こう側に渡るために《長久橋》を渡った。渡った所で、俺に許可をしてくれた男が話しかけてきた。

 

「兄ちゃん運が良かったな。次トラックが来たら修理工事を始める所だったぜ。帰りは向こう側の橋を使ってくれ」

 

 そう言って男は俺が来た下流の遥か彼方を指さした。見えはしないが、多分向こうにもう一本橋があるのだろう。

 俺は工事員の男に頭を下げ、すぐそこに見える《水梨神社》に突入した。

 

 駐輪場が見えなかったので、自転車は神社の前に置く。取られないか心配だ。

 《水梨神社》の中の社務所に入ると、既に中は《生き雛まつり》の関係者であろう老若の男性達で賑わっていた。

 俺は取り敢えず適当な人に声をかける。

 

「あの……」

「なんだ!?」

 

 忙しいのか、ぶっきらぼうな言い方で返されてしまう。

 

「傘役の代理で来た、勘解由小路家の南雲晴です。俺は始まるまでどこにいれば?」

「南雲……、勘解由小路……、あぁ!!晴香ちゃんの推薦か!いやぁ、よく来てくれたね。まだ出番まで時間があるから、そこのストーブの前でゆっくりしてなさい」

「はぁ」

 

 晴香ちゃん……。あいつにそんな可愛らしいものを付ける必要は無い。

 ストーブの前に座った俺は、ダッフルコートとマフラーを取り、リュックサックを下ろした。「戦国ものとしちゃ、なかなかの出色だよ」と里志から借りた戦国漫画を読もうとしたが、やめた。

 周りが忙しい雰囲気を出しているというのに、俺だけストーブの前で漫画を読んでいるというのは宜しくないし、多分俺がそんな奴を見たら後から蹴っ飛ばして熱々のストーブに激突させる。

 

 ストーブの部屋には俺の他に数人の男が行き来しており、様々な声が聞こえてくる。

 

「おい、酒の手配は誰がやってる!」

「中竹さんに任せとる!」

「花井さん!電話来てるよ、新聞社から!」

「新聞社!?NHKじゃないのか!?」

 

 今の言葉で俺が話しかけた男が花井ということが分かった。また世話になるかもしれん、覚えておこう。

 すると血相を変えた白髪頭の老人が、大声を出した。

 

「中竹!!お前、酒はどうした!?」

 

 部屋の隅にいた太った男が立ち上がった。

 

「一時には届くと」

「馬鹿野郎!!《生き雛》が戻ってくるのは十二時半だ!!だからあれほど時間に余裕を持てと!」

「で、ですが……前に聞いた話では一時だと」

「園さんのところが喪中だから、道順を変えたんだ」

 

 なんだそれ。もっと早く言えばいいのに。

 と、心の中で思ったあとに、俺は再びストーブと睨めっこを始める。

 

「長久橋は大丈夫なんだろうな、シゲ!」

 

 花井の声だ。シゲと呼ばれたやせ細った男は、声を大にしていう。

 

「村井さんにお願いしました!」

「村井か……」

 

 花井は苦い顔をする。村井とはそんなに信用のない男なのだろうか。シゲは少し驚いた顔で続けた。

 

「まずかったですか?」

「いや、それで工事の方は?」

「例え工事を延期してでも《生き雛まつり》の時は開けておくといったそうです」

 

 ん?《長久橋》の工事が《生き雛まつり》だけ止める?

 俺は黙っておけばいいものを、呟くように口を開いた。

 

 

「《長久橋》の工事なら、さっき俺が渡った時に始まりましたよ」

 

 

 この一言は、この部屋にいる全員を凍りつかせた。なんだなんだ?

 

「南雲くん、その話は本当か!?」

 

 花井が俺の肩を勢いよく掴む。俺は戸惑いながらも、ここに来る途中に工事員の男と話したことを花井に説明した。

 説明し終わると同時に、花井はシゲに向かっていった。

 

「シゲ、ちゃんと確認はとったのか!?」

「村井さんには念を押しました!任せとけ、と言われたらこちらから連絡する訳にもいかんでしょ!」

 

 すると、先程お酒の件で中竹に怒っていた白髪の老人が、圧迫した声で男達に指示を出した。

 

「園くん、すまんが軽トラをだして確認に行ってくれ。谷本は村井に……いや、中川工務店に電話しなさい」

 

 谷本と呼ばれる男がシゲだ。谷本と園は老人の指示に従いそそくさ動く。

 十分後、軽トラで長久橋から戻ってきた園が声を大にしていった。

 

「本当に始まっています。《長久橋》の工事。一昨日に電話が掛かってきて、工事を始めていいと……!!」

「馬鹿な!!誰が電話なんて……」

 

 何者かが《生き雛まつり》で使う橋の工事の延期をキャンセルしたってのか?聞いた話では《生き雛まつり》は神山ではかなり大きな行事だぞ。誰がそんな事を。

 俺は顎に手を置くが、すぐに外した。やめよう。千反田がいない今、謎解きなんてバカバカしい。

 

 しかし《長久橋》を渡るのは《生き雛まつり》では大事なルートだったようで、すぐに俺の横で緊急会議が始まった。俺は耳だけ貸す。

 

 結果、元々《長久橋》を渡って小川を下り《茅橋》という橋を渡って、神社に戻るルートを、《長久橋》より少し下流にある《遠路橋》を渡り、小川を下り《茅橋》を渡って神社に戻るルートに変更された。

 《遠路橋》も《茅橋》も分からない俺は、特になんのリアクションも取らなかった。

 

「すみません、ここに南雲さんという方はいらっしゃいますか?」

 

 中年程の女性が部屋に入ってくると、俺の名前を呼んだ。俺は立ち上がる。

 

「俺が南雲ですけど」

「千反田さんの娘さんが呼んでいます。それと、あなたのお友達も……すぐに来て欲しいそうです」

 

 お友達……嫌な予感しかせん。

 俺は女性に連れられ、そそくさ圧迫された部屋をあとにした。

 

 

 着いた部屋には布の(とばり)で二つに分けられており、見ると千反田と思わしきシルエットがあった。しかし、最初に見た奴らに俺はおもむろにため息をこぼした。

 

「関係者以外は立ち入り禁止でーす!」

「勘解由小路先輩から許可を貰いましたー!」

 

 そこに居たのは、奉太郎、里志、伊原、桜、晴香、十文字、天津。なんでオールスターなんだよ。

 

「おっ、はるっち。久しぶりやなぁ!」

「よう」

「なにか緊急事態があったようだな」

 

 奉太郎の言葉に軽く頷くと、帳の向こう側から千反田の声が聞こえてきた。

 

「南雲さん、時間がありません。お話をお願いします」

 

 俺は口を開いた。

 

「《生き雛まつり》で使う《長久橋》の工事が始まってた。村井とかいう人が延期をお願いしたらしいんだが、一昨日工事を始めてもいいという電話が工事を行う業者の中川工務店にあったらしい。ルートの変更がされた。《長久橋》の下流にある《遠路橋》を通って小川を下り、《茅橋》を渡ってここに戻ってくるらしい」

「延期をキャンセル?神山にいる人は《生き雛まつり》の重要性を知っているはずよ。誰がそんな事を……」

 

 十文字が呟く。俺は首を振り、分からないという風に示した。

 

 話し終わると、俺達全員は視線を帳の向こう側に向けた。千反田の反応を伺っているのだ。しかし、帰ってきたのはいつもの言葉ではなかった。

 

「村井さんは神山市議会議員さんです。村井さん経由で中川工務店に連絡したのなら、中川工務店が断ったとは考えにくいです。ということは、今日工事をしていいとあった電話は、実際にあったと考えていいでしょう。でも、そうですか。なら良かったです」

 

 む。

 

「千反田さん、重要な事じゃないの?」

 

 桜が言う。

 

「桜さん、そうかもしれませんが、それしか解決策がないのです。簡単に言うと、私達は神事で《長久橋》より下流の地域に入るのを躊躇われているのです」

 

 『そうなのか?』と晴香と十文字を眺めると、二人とも無言で頷いた。

 少し考える間があり、千反田は冷たい乾いた口調で口を進めた。

 

「南雲さん。先方の宮司には私から話をします。氏子総代には父から連絡するように頼んでみます。と、向こうの皆さんにお伝えください」

「それだけでいいのか?」

「それで伝わります」

「分かった。言っておくよ。じゃぁなお前ら」

 

 俺が部屋から出ようとした時に、里志が声をかけてきた。

 

「あっ、ハル。あれは持ってきてるかい?」

「あれ?」

「一眼。貸しておくれよ。《生き雛まつり》のキャストなんて中々出来ることじゃない。僕が君の勇姿を撮ってあげるからさ」

 

 ああ。そういうことか。と思った俺は、リュックサックから取り出した一眼を里志に預け、皆から激励の言葉を貰ったあとにストーブの部屋に戻った。

 

 男達に千反田からの伝言を伝えたところで、花井があからさまにホットした様子を見せたのだ。本当にこれだけで伝わるものなのか。

 

「分かった!みんな!ルートは《遠路橋》を使っていくぞ!!」

 

 そこからは疾風怒濤の様子で男達は準備を進めた。行列の開始まで、残された時間は少ないのだ。

 

 

 

 

 

 

 俺の着付けは急ピッチで行われた。

 

 下着の上から黒い羽織を着込み、袴のようなものを履く。黒い足袋を履き、白いツナギのような装束を羽織り、蝶々結びで締めた。だが……

 

「スネが見えてるんですが……」

「そういうもんなんだ。もしもう少し裾が長かったら俺が傘持ちをやらされていたところだよ。」

 

 着付けをしてくれた男は笑って言った。男は今までみた男の中でも一番若く、二十代前半程だ。髪も明るく染めており、この人の気前が良くなかったら苦手なタイプの人間だ。

 

「裾くらいだったらって言うなら、やってくれればいいじゃないっすか」

「なかなか見れん行列だからなぁ。その為に帰省してきたんだ。役割をやっちまったら行列が見えん」

 

 なるほどなぁ。それにしても今思えば俺はこれが初めての《生き雛まつり》なのだ。それを見物客としてでは無く、役職を持つとは……。

 

「あとはこれをかぶれ」

 

 渡されたのは筒状の黒い帽子。俺はそれを被り、鏡に全身を写す。これは。

 

「似合わんな」

 

 男は言った。ええい、やかましいわ。

 

「それよりそろそろ行け、もう時間だ」

 

 そう言われて背中を勢いよく叩かれた俺は、よろめきながら裏口から外に出た。生き雛達はまず、社務所から出て拝殿の前で勢揃いするらしい。そして隊列を組む時に俺は列に加わり、千反田に傘を差す。

 

「やぁ、緊張してるだろうけど、気楽にやりなさい」

 

 社務所を出たところで園と呼ばれていた男が傘を用意して待っていてくれた。俺は傘を受け取る。

 見た目は大きいが、重さは普通のものとさほど変わらない。

 これを両手で一時間保持すればいいだけなら、疲れることもないだろう。

 

 拝殿の近くまで移動し、て位置につくと、既に内裏様が揃っていた。次に雛が現れる。

 

 拝殿の前にはマスコミや、どこから湧いて出てきたのか大量の見物客が集まっていた。おいおい、こりゃ神山市以外からも集まってるんじゃないのか?

 

「ハル〜!!」

 

 聞き慣れた声の方向に俺は視線を向ける。

 奉太郎達がこちらに向かって手を振っていた。俺は取り敢えず返す。里志が一眼を首から下げ、何故か知らんが奉太郎の写真をパシャパシャと撮っている。鬱陶しそうな顔をする奉太郎。傍から見れば面白いが、あんまりメモリーを無駄遣いするな。

 撮られてた写真は奉太郎に全部焼いて送ってやろう。

 

 すると、雛の登場と共にマスコミのシャッター音や、見物客の歓声が大きくなる。

 

 千反田が十二単を来て現れた。

 千反田は化粧がされており、伏し目でそっと境内に歩み寄る。

 

 俺は歩き出した千反田に歩み寄り、赤い傘を差す。千反田はそれに気づくとこちらを見て微笑んだ。

 

「よう、似合ってんじゃん」

 

 千反田にしか聞こえないように言うと。彼女は微笑んで、前を向きながら返してくれた。

 

「ありがとうございます。嬉しいです。」

 

 行列は長いものだった。揃いの衣装を着込んだ男達が横笛を拭きながら付いてきた。振り向けないため直接は見えなかったのだが、ドォン、ドォンという音が交じる。

 今朝自転車を飛ばしてきた川沿いの道を下流に向かって進んでいく。

 

 問題になった《長久橋》はとうに行き過ぎており、《遠路橋》と思わしき橋が向こう側に見えた。行列が川上に向かって進んでいると、俺は顔を挙げた。そして、小さく息を漏らす。

 

「おぉ……」

 

 視界が一本の狂い桜のピンク色に染まった。これから正に咲誇ろうとする花の下、十二単を纏った千反田は静かに進む。暖かくも柔らかに反射する陽光、古い家、田んぼの残り雪、透き通った小川。

 俺は千反田の背中しか見ることができなかったが、俺は今の千反田の表情が気になった。

 色恋沙汰の意味ではない。気になったのだ。この美しい景色に、彼女がどんな表情を浮かべているのか……。

 

 俺は多分微笑んでいる。

 

 千反田も、きっとそうだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやぁ、奇跡的だったよ。ハル」

「あの桜は感動したなぁ」

「ほんとに、狂い咲きした桜ってのも、悪くは無いわね」

 

 普段着に戻った俺は境内の片隅で三色団子を食っていた。桜、晴香、十文字、天津は屋台に出ている。

 

「はい、ハル。多分綺麗に撮れてる」

 

 里志が俺に一眼を返してくれると、俺は早速メモリーをチェックする。奉太郎と伊原も俺の周りに集まり、一眼の画面を覗き込んだ。

 

「間抜けな顔だな……」

 

 奉太郎の意見に同意しないわけにも行かなかった。多分俺はこの写真に写っている千反田と景色の美しさに見惚れていたのだ。情けない話よ。

 

「あっ、ホータローの写真も入ってるよ」

「どれどれ?」

「見なくていい!!!」

 

 数日後、焼いた写真を奉太郎に挙げたのは内緒。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 水梨神社では千反田と会うこともなく、戻ってきた桜達と奉太郎達は合流し、「千反田によろしくな」と引き上げていった。

 俺はといえばどのタイミングで引き上げればいいのかも分からず、日が暮れた頃に招かれた千反田家の縁側に座っていた。すると

 

 

 

 

 

 

 

 side 千反田

 

 

 

 

 

 私は縁側に座り込んで、風に当たっている南雲さんを見つけました。近くによって、挨拶をします。

 

「こんにちは南雲さん。お疲れ様でした」

 

 南雲さんは私に気づくと、軽く笑ってから言いました。

 

「あぁ、お前もお疲れ。改めていうけど似合ってたぜ。ああいうのを《馬子にも衣装》って言うんだっけ?」

「わざと間違えてますね?」

「バレたか?」

「ひどいです!!」

 

 私は頬を膨らませながらそっぽを向きましたが、すぐに南雲さんに向き直ります。

 

「南雲さん!!」

「な、なんだ?」

「私、今日はとっても頑張りました!!だからご褒美が欲しいんです!!」

「ご…!?」

 

 

 

 side 晴

 

 

 ご、ご褒美……!?

 

 それって……あんなことやこんなことなのかァァ!?

 

 

 side 千反田

 

 

「工事を進めていいと言ったのは誰なんですか?」

「あぁ、それね」

 

 どこかホッとした様子を南雲さんは見せました。どうしたのでしょうか?

 

「まぁ、大体目星……、いや確定できる」

「実は私もなんです!」

「ほう。珍しいな」

 

 私は胸を張りながら言いました。もっと褒めてくれてもいいのですよ?私はポケットからサインペンを取り出しました。

 

「でしょう?では、このサインペンで手に書いて一斉に見せ合うというのはどうでしょうか?」

 

 南雲さんは頷きました。私は自分の手のひらにあの方の名前を書きます。書いたところで手のひらを閉じ、南雲さんにサインペンを渡しました。

 南雲さんも書き終えたようです。

 

「せぇので見せましょう。せぇのですよ?」

「分かってるよ」

「じゃぁ行きます。せぇの!」

 

 私と南雲さんは同時に手のひらを開きました。私の平に書いてあったのは「小成さんの息子さん」。南雲さんの手に書いてあったのは『チャラ男』

 南雲さんは難しい顔をします。なので私は

 

「えっと、確かに小成さんの息子さんは……かなりお洒落だと思います。」

 

 と、言いました。

 

「何故そう思ったか教えてくれますか?」

「あぁ、その……小成だったか?やつは『滅多に見れない行列だから帰省してきた』って言ったんだ。でも《生き雛まつり》は年に一回で頻繁に行われるとは言い難いけど、別に『滅多に見れない』わけじゃない。

けど、今年に限っては『滅多に見れない行列』が見えるんだ。それがあの一本の狂い咲きした桜だよ。《遠路橋》の近くまで行けば、行列は桜の下を通る事になる。これが、『滅多に見れない行列』、『わざわざ帰省して』くる価値がある光景だ」

 

 私は口に手を置きました。

 

「そ、そんな事の為に……!!」

 

 すると南雲さんは私を見据えたまま、口を開きました。

 

「じゃぁなんでお前は小成だと思ったんだ?」

「笑わないでくださいよ」

「ま、返答による」

 

 悪そうな顔をしています。

 

「村井さんのメンツを潰して平気な顔が出来る方が、あの方しか思いつかなかったからです」

 

 しばしの沈黙。

 

 南雲さんは、大笑いしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 南雲さんが中に入ろう。と言って縁側を立ったところで、私は南雲さんの手首を掴みました。南雲さんは驚いた顔で私を見ます。

 

「あの」

「なんだ?」

「一つ、聞いて欲しい話があります。」

 

 私は南雲さんの手を掴んだまま、千反田家の塀を超えて見える山に視線をずらしました。

 

「今でこそ、土壌改良が進んで見えなくなってしまいましたが、昔はこの辺りは湿地帯によって南北で分かれていました。ちょうど《長久橋》がある辺りが沼で、そこから北が私達の村。南には別の村があっそうです。今は全部まとめて、神山市陣出ですが……。

ですが、北と南で水や自然を巡る派閥争いの様なものもあったも聞きます。ですので、私が先程言った通り、《長久橋》より下流に行くのは、人様の敷地に足を踏み入れるようで南の方達も北の方達も居心地が良くないのです」

「そんな事気にする人は今もいるのか?」

「いえ、ほんの少ししか。ですので南の《水梨神社》にあたる《酒押神社》に私が連絡をすれば、みなさんも気兼ねなく《長久橋》を南に超えるだろうと分かっていた為、南雲さんに伝言を頼んだのです」

「なるほどなぁ……」

 

 私はら今南雲さんに何を言いたいのでしょうか?千反田家の事を知ってもらいたい。そう思っているのだとしたら、この気持ちは?

 私はもう一つ聞きたかった事を南雲さんに聞きました。

 

「南雲さんは文理選択、どうするんですか?」

「ん、あぁ、理系だよ」

「何故ですか?」

「ま、社会科目が苦手で、理科科目が好きだからかなぁ……。特に生物。 」

「南雲さんらしいですね」

「そうか?自分らしさってのはわからないものだな」

 

 私は『ふふ』と笑い、言います。

 

「私も理系です。若しかしたら同じクラスになるかもしれませんね?」

「よしてくれ。クラスまで謎解きさせられたら、俺の精神が持たん」

「むー」

 

 私は南雲さんの手を未だに握ったまま、言葉を続けました。

 

「私は、千反田家の息女として、ある程度の役割は果たしたいと心から思っています。私は高校でそのための方法を考えていました。一つは、より商品価値の高い作物を他に先駆けて作ることで、みんなで豊かになる方法。二つ、経済的戦略眼を持つことで、生産効率をあげ、みんなで貧しくならない方法。私はどっちが向いてると思いますか?」

 

 南雲さんは考える素振りも見せることなく、即答で答えました。

 

「ま、前者だろうな」

「正解です。理由は、この前の文化祭です。私は、南雲さんや折木さんに迷惑をかけてばかりで……会社経営は全く向いていません」

 

 私は南雲さんの手を離し、大きく両腕を広げました。

 

「見てください。ここが私の居場所です。水と土しかありません。人々も段々と老いてきています。山々は整然と植林されていますが、商品価値としてはどうでしょう。私はここが美しいとは思いません、私は、ここに可能性があるとは思えません……。でも」

 

 私は、体全体が熱くなっていることに気づきました。両腕を元の位置に戻し、顔を伏せます。

 

「ここを、南雲さんに紹介したかったんです」

 

 

 私は、自分が抱いている気持ちに、やっと気付くことが出来たのかも知れません。

 

 バレンタイン。南雲さんが桜さんに告白されそうになった現場を見てしまった時に、胸が痛くなりました。咄嗟に南雲さんの腕を掴んでしまいました。

 その時は、私がどうしてそんなことをしたのか分かりません。ですが……今ならわかります。私は、南雲さんにこう言いたかったのです。

 

『南雲さんは福部さんに、商業の才能があると言われていましたよね?もしよろしければ、私の諦めた経済的戦略眼を私と共に手を取り合い、同じ道を歩いては頂けないでしょうか?』

 

 ですが、私は言うことは出来ませんでした。これが、摩耶花さんが福部さんに抱いていた気持ち。桜さんが南雲さんに抱いていた気持ちなのでしょう。

 すみません、桜さん。私は、桜さんの事を応援出来なくなってしまったのかも知れません。

 

 私は、顔を上げました。南雲さんはキョトンとした顔で私を見ていました。全く……ほんとに南雲さんは南雲さんですね。

 私は、その顔を見てから微笑み、こう言いました。

 

「そろそろ春ですね」

「あぁ、春だな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──────────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 東京某所 とある病院。

 

 

 

 

 ────少女は病室の窓から見える夕焼けを眺めていた。

 

 

 

 

 ────少女は一人の少年の事を考えていた。

 

 

 

 

「詩ちゃん、おひさ!」

 

 病室のドアが開かれたと思ったら、雨ちゃんが来てくれた。

 私は微笑む。

 

「お兄ちゃんから連絡あった?」

 

 私は首を振る。

 

「そっか……また今度会いに行くからさ!なにか伝言ある?」

 

 もう一度私は首を振る。伝えたいことは、自分で伝えるから。

 

「……分かった。あっ!それでね、この前お兄ちゃんの高校に行った時に、詩ちゃんに凄く似てる人がいてね!千反田さんって言うんだけど、詩ちゃんと一緒で、凄く美人なんだ!!それと、折木先輩って言うぶっきらぼうだけど優しい人もいるの!その人は、結構お兄ちゃんに似てるかも!それと、福部先輩とか伊原さんとか……!!」

 

 折木くん、千反田さん、福部くん、伊原さん。みんな、彼の手紙でよく名前を聞く人達だ。

神山に行った彼の友達で、古典部。

 事件のせいでバラバラになっちゃったけど、東京のメンバーと一緒に神山に行くんだ。

それで、彼が真ん中にいて、神山の人達と一緒にみんなで笑い合いたい。

 

 雨ちゃんはいつもの楽しそうだ。大好きな彼に似てる。ずっと、太陽みたいに私を照らしてくれている。

 

 

 あなたに会いたいよ。……晴。

 

 

 

 ────少女はずっと待っていた。いつか再び笑い合える日を。

 

 

 

 ────少女はずっと待っていた。いつか再び触れ合える日を。

 

 

 

 ────少女はずっと待っていた。いつか再び自分の前に現れてくれることを……。

 

 

 私の……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ─────────探偵(ヒーロー)

 

 

 




はい!ということで《遠まわりする雛》終了です!!

古典部達の春夏秋冬を描いた短編集…いかがだったでしょうか?古典部達の一年間の心境の変化を感じて頂ければ、嬉しいです。

これからの執筆活動ですが、次の章は作者の《オリジナル長編》を展開していこうと思っております。(駄作の予感)
順番的には《オリジナル》→《ふたりの距離の概算》→《いまさら翼といわれても》を執筆予定です。それ以降のストーリーに関しては、原作も出ていないので晴の過去編などを執筆しようと思っております。

それでは、次章の予告編。どうぞ!







 


 《遠まわりする雛》でも描かれなかった古典部達の十二月の物語。

 古典部シリーズ第五弾、開幕。











 文化祭も終わり、二ヶ月の時が流れた。

 いつも通りの平和な日常を送っていた古典部に、新たなる謎が舞い降りる、



「夜の学校に侵入してる生徒がいるみたいだよ、僕らで捕まえないかい?」


 「「断る!!」」




 




 夜の学校に忍び込む、謎の生徒達《月夜の背教団》。




「目的は不明、未だ正体も掴めていない」


「これは俺らの手に負える問題じゃねぇだろ」


「うちは諦めへんで……!」




 古典部は事件解決の為に、神山高校で開催されるクリスマスパーティー《神高ホーリー・ナイト》に足を踏み入れる。




「努力が報われない気持ちが、お前にわかるのか!!!」


「覚悟もねぇくせに、カッコつけたことほざいてんじゃねぇよ。」


「私は、どうして《月夜の背教団》さん達がこんな事をするのか、理解できません!!」


「勝てないな……やっぱり……」







 そして、全ての真相が明らかになる時……少年達は何を思うのか。






「お前が、あいつらのリーダーだったんだな」


「ずっとあの場所にいたかった……!!」


「推理を始めよう」






 聖いなる夜を舞台に、今古典部の新たなる謎解きが幕を開ける!!







「知るか、自分(てめぇ)の価値は自分(てめぇ)で決めろ!!それを示すために俺達は歯ぁ食いしばって生きてんだろ!!!」
 


「あああぁぁぁああああああああぁぁぁああああああああぁぁぁああああああああぁぁぁああああああああぁぁぁああああああああぁぁぁああああああああぁぁぁああああああああぁぁぁああああああああぁぁぁ!!!」








 ────もしあなたが掴んだのが《絶望》だった時に……あなたはもう一度《希望》を探せますか?






「「チェックメイトだ。《月夜の背教団》」」






 
新シリーズ、《氷菓〜無色の探偵〜》


月光下アベンジャー



 coming soon!!




「メリークリスマス……南雲さん」


「あぁ、メリークリスマス」


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古典部達の休息 春の巻
遠まわりする雛後日談 桜舞う月夜に


桜と晴のお話です。晴の過去がまた明らかに……!?

今回のお話は物語においてかなり鍵を握るものとなっています。





 『桜と何かあったのか?』と最近聞かれるようになった。

 

 『何も無い』と答えるのもなんだか違う気がするし、『まぁ色々あった』と答えるとさらに返答の追求を余儀なくされる。

 

 大体聞いてくる奴らも俺が告白をされそうになった事を知っているわけであって、『何かあったのか?』と聞いてくるのが無神経なわけだ。

 実際バレンタインの一件から桜とは気まずい。

 ぎこちないまま神山高校一年を終えてしまい、この前の《生き雛まつり》でも特に会話はしなかった。

 

 だから……

 

 今こうして教室に二人きりでいる時は、なんとも気まずいのだ。

 

「……」

「……」

 

 しばらく無言の時間が続いたが、俺は自分腕時計を眺めた。そして、おもむろに言う。

 

「なぁ桜」

「は、はい!」

「あ〜、飯でも行くか?」

 

 桜は一度動揺した様子を見せるが、快く快諾してくれた。

 

 

 その後ファミレスで食事を楽しんだあと、本屋に置いてあったクイズの本であーでもないこーでもないと言い合い、バレンタイン前に奉太郎と里志とやったロボットゲームを二人でプレイした。

 

 桜はずっと笑っており、俺は何故か、その笑顔をずっと眺めていた。

 

 

 

 夕暮れ。夕焼けに照らされた住宅街を俺と桜は歩いているそして口を開く。

 

「いや〜、久々に一日遊んだぜ。楽しかったなぁ」

「うん、とっても……誘ってくれてありがとう。南雲くん!」

「ああ……なんか悪いな」

「え?」

「俺、バレンタインの時以来、お前との会話を避けてたわ。けどお前は俺の誘いを了承してくれて、あんなに楽しそうに笑ってくれた。もっとちゃんと話してれば良かったんだよな……」

「南雲くん……」

 

 桜は無言のまま俺を見つめていた。そして

 

「あのね……!!」

「……」

「南雲くん?」

 

 不意に空を眺めると、黒い煙が、夕焼けの大空の遥か彼方まで飛んでいた。俺はそれが何かを瞬時に判断し、全速力でその方向に向かって走る。

 

 

 

「…っ!!」

「南雲くん!?」

 

 桜も俺に続いて走ってくるが、俺はそれでも足を止めない。そして、その黒い煙が立っている源に、俺は辿り着いた。

 

 ゴォ!!という熱気が俺の体を包み込んだ。その源の周りには、数台の赤と白の車。消防車と救急車が止まっていた。

 

 家が、燃えていた。

 

 誰の家かも分からない。どんな人が住んでいたのかも分からない。

 

 けど……それは俺にとって……。

 

 頭の中に、記憶が蘇る。

 

 

 『逃げろ!!詩!!』

 

 『晴!!』

 

 『詩は!?詩はどうなった!?』

 

 『落ち着いて聞いて下さい。詩さんは……』

 

 『神山に来い、晴』

 

 『俺は……《無色》だ……!!』

 

 

 ドクンッ、ドクンッ、ドクンッ、ドクンッ……!!

 

 

「君たち!!なにしてる!!!早く安全な場所に下がりなさい!!」

 

 消火をしている消防士の声が聞こえる。俺に言ってるのか……?

 

 

 ドクンッ、ドクンッ、ドクンッ、ドクンッ……!!!

 

 

「南雲くん、危ないよ!!早く下がろう!!」

「南雲くん!!」

 

 桜が俺の両腕を掴み、無理矢理火から遠ざけようとしてくるが、俺は桜の腕を振り切る。

 

「南雲くん……?」

「行かなくちゃ……助けなくちゃ……」

 

 自分の目がどんどん虚ろになっていくのが分かる。自分がおかしくなっていくのも、分かってくる。

 

「え……?」

「手を貸してくれ桜!助けるんだ!!あのままじゃ中の人は……!!」

「……何言ってるの南雲くん!!そんなのダメだよ!!あんなに燃えてるのに、中に入ったら死んじゃうよ!!」

「……っ!!お前が行かないなら、俺だけでも行くぞ!!」

「南雲くん!!行っちゃダメだよ!!」

 

 燃え盛る家の中に駆け込もうとする俺を、桜は背中から俺に抱き着き制止させようとする。

 

 ドクンッ、ドクンッドクンッドクンッ!!

 

 

「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……!!!!助けるんだ……、助けなくちゃ……!!」

「南雲くん!!やめてよ!!お願い!!どうしちゃったの……!止まってよ!!南雲くん!!」

「離せ桜!!中の人を見殺しにするつもりか!!?」

「消防士の人達がいるじゃん!!絶対に離さない!!南雲くんを、火の中になんて入れない!!」

 

 正気を失った俺に対して、桜の泣いている声が聞こえる。俺の背中に桜の涙が染みて、それが分かった。

 だんだん、息が荒くなる。

 

 

「南雲くん!!!南雲くん!!!」

 

 

 意識が遠のく。桜の声も聞こえなくなり……目の前が真っ暗になった。

 

 

 

「南雲くん!!!」 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 side 桜

 

 

 

「様子はどうだ?」

「はい、今は落ち着いたみたいで……ぐっすり寝ています。」

 

 私は、南雲くんの手を握りながら答えた。

 

「そうか……」

 

 私は今勘解由小路先輩の家の南雲くんの部屋にいた。

 火事を見て突然倒れた時は、近くに救急員の人が助けてくれた。どうやら過呼吸だったみたいだ。

 その後、タクシーで南雲くんを勘解由小路家に連れて帰った。

 火事が起こった家は、幸い怪我人も出ておらず、料理中の事故だったそうだ。南雲くんが家に駆け込もうとした時には、既に中に人はいなかった。けど……

 

 どうして……南雲くん。

 

「勘解由小路先輩、あの……」

「晴の事なら教えられない。私が他言できる内容じゃないからね」

 

 すぐに切られてしまった。

 

「私は、南雲くんの事を何も知らないんですよね……」

 

 それがたまらなく悔しかった。ずっと笑顔にしたいなんて……。どこの口が言えたものだ。火事の家に飛び込もうとする南雲くんを、私の言葉じゃ止められなかった。

 こんな時に何も出来ないのが……悔しくて……悔しくて……!

 

 勘解由小路先輩は私の肩に手を置く。

 

「桜。君が晴に特別な感情を抱いてるのは分かる。けど、今の晴は君の気持ちに答えられないんだ。君がどれだけ晴の事を想っていても……それは揺るがない」

「……」

「そろそろ帰んな。家の人も心配してるぞ」

「連絡したので大丈夫です。もう少し……もう少しだけ……、南雲くんの傍に居させてください」

「……分かった」

 

 そう言って勘解由小路先輩は部屋をあとにした。すると

 

「なんでもお見通しだなぁ。晴香には……」

「南雲くん?」

「よう。悪い、盗み聞きしてた」

 

 南雲君が目をぱっちりと開けており、私は自分の視線を南雲くんの手を握っている手に下ろした。体全体が熱くなり、そして……

 

「ななななななななななななななななな南雲くん!!?」

 

 パッと手を離した。盗み聞きしてた!?ってことは……勘解由小路先輩が私に言ったことも!?って、今更かぁ……。

 

「はは……いつもの桜だな。いつまでも落ち込んだ顔してんじゃねぇよ。それと、涙は拭けよ」

「え?涙……」

 

 自分の目の下を触ると、濡れていた。私はそれをゴシゴシと拭う。

 南雲くんは「うんしょ」と言いながらベットから立ち上がり、私をじっと見据えた。

 

「もう遅いから帰れよ。送るぜ」

「な、南雲くんが目を覚ましたなら帰るけど。いいよ、無理しなくても……!!」

「いいんだ……ちょっと外に出たい」

 

 そうして私達は外に出た。吹く夜風が涼しい。南雲くんはいつものマウンテンバイクではなく普通の自転車に乗り込み、荷台を指さした。

 私は荷台に跨ぐのではなく、腰を置く形で座った。少し躊躇ったあと、南雲くんの腰に手を回す。

 

 南雲くんは走っている間も何も言わず、私が指示する方向に向かって走った。そして……私の家の近くの公園で自転車を止めた。

 

「うわぁ……!」

「すげぇな……」

 

 いつもなら公園の片隅でささやかに咲いている桜が、《長久橋》の近くの桜のように狂い咲きをしていた。

 月光に照らされた桜は、光の反射で軽く青くなっている。

 

 自転車から降りた私達は、その狂い咲きした桜に歩み寄った。

 

「綺麗……」

「《長久橋》のも凄かったけど、ここのもすげぇな」

「南雲くんは、桜好き?」

「桜?あぁ、好きだぜ。」

「……っ!!」

 

 私は不意に自分の聞いた質問に顔を伏せた。南雲くんも自分の言った言葉の綾に気づき、すぐに訂正する。

 

「あぁ、いや、桜の花の話だよ!!あ、いや、桜も好きだけど桜も好きっていうかりいや、恋愛の意味じゃなくて友達って意味で、まぁ桜も桜が……あれ?俺なんて言おうとしてんだっけ……」

「ぷっ……あはははは!!南雲くん面白いね!!!」

「はは……」

「ねぇ、南雲くん」

「ん?」

 

今思えば、私はこの時、南雲くんに想いを伝えようとしていた。

バレンタインの時に出来なかった事を、ここで。

 

けれど、想いを伝えようとすると言葉が詰まってしまう。

今の私に、そんな資格はない。

 

「……んーん、なんでもない。送ってくれてありがとう。またクラス同じになれるといいね!またね!!」

 

 私は振り向き、公園の出口まで駆け足で向かった。南雲くんの方向は恥ずかしくて見れなかった。すると

 

 

「桜!!」

 

 

 私はその一言で足を止める。振り向いて、南雲くんの方向を見る。

 

 南雲くんも、少しだけ頬が赤くなっているのが見えた。そして、こう言った。

 

 

「俺さ、ちゃんと答えるから!!」

 

 

「え?」

「イエスかノーかは分からない。でも、俺の中にある気持ちが整理出来たら、お前の気持ちにもちゃんと答える。だから……」

 

 南雲くんは『すぅ』と息を吸って、声を大にしながら言った。

 

 

「だから、待っててくれるか?」

 

 

 

 

 

 

「……やーだよ」

「え?」

「だってさ、南雲くんは察してくれたみたいだけど、私、バレンタインの時にちゃんと言えなかったじゃん。それって、ずるっ子だよ」

「どういうことだ?」

 

 南雲くんは鈍感だ。

 私は公園の出口から南雲くんの目の前まで寄った。

 

 桜吹雪が舞い、私達を包む。

 

「だから、ちゃんと言う。私の気持ちを、南雲くんに!それを聞いてくれたら、待っててあげる!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「大好きです!南雲くん!ずっとずっと、私の隣にいてくれませんか?私の……恋人になってくれませんか?」

 

 

 

 

 

 私の言葉に南雲くんは照れ笑いを浮かべた。そして、私も笑った。

 

 

 

 

 

 待つよ、南雲くん。いつまでも待つ。

 

だって、私は南雲くんが、大好きだから。

 

 

 

 

 

 

 

 



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登場人物紹介&推理能力ランキング※おまけキャラあり 8月12日更新

※遠まわりする雛までのネタバレ要素があります。

随時更新していきます。

CVは作者が脳内再生している声優さんです。


南雲晴(なぐもはる)

 

 誕生日 二月一日

 

 身長 170センチ

 

 所属クラス 一年B組→二年E組

 

 CV 内山昂輝

 

 この物語の主人公の一人。

 古典部の探偵役の一人で、千反田、奉太郎、里志と同時期に古典部に所属した。

 観察眼と洞察力に優れており、奉太郎のようなその場の状況でする推理とは違い、今までの記憶と推測を脳内で組み立てる推理方法を行う。

 モットーは『何者にも染まらず、何者も染めない』。

 

 古典部入部初日に《興味の猛獣》千反田と出会い、ひょんな事から謎解きをすることに。その後探偵としての実力を千反田に見込まれ《氷菓事件》の解決を依頼される。

 

 実は《桁上がりの四名家》に対抗できる名家の一つ《畜産勘解由小路(かでのうこうじ)家》の息女、勘解由小路晴香の従弟で神山高校入学時に東京から神山に一人で越してきており、現在は勘解由小路家に住んでいる。

 越してきた理由として、東京で《ある事件》の解決に挑むが《取り返しのつかないこと》をしてしまい、逃げるように神山に移住したとのこと。

 口が悪い面もあるが場の人間全員を見通しており、一定の人間を心配したりするなど心優しい面もある。

 

 千反田を東京での《助けられなかった女の子》と重ねている……?

 

 趣味は読書で、ミステリーやホラー、ファンタジー、SFなどの小説を好んでおり、純文学は読まないという。

 映画やゲームなど娯楽と呼ばれるものは網羅している。

 

 奉太郎の事を『奉太郎』、里志の事を『里志』、千反田の事を『千反田』、伊原の事を『伊原』と呼ぶ。

 

 

 

 

 

 

勘解由小路晴香(かでのこうじはるか)

 

 誕生日 七月六日

 

 身長 165センチ

 

 所属クラス 三年C組→勘解由小路家頭首

 

 CV 戸松遥

 

 この物語オリジナルキャラの一人。

 《桁上がりの四名家》に対抗できる《畜産勘解由小路家》の息女で、晴の従姉。千反田家とは親睦も深く、共営関係にある。

 晴の東京での事件の概要を知っている数少ない人物であり、陰ながら晴を支えている。

 

 基本的にお調子者で、男らしい一面も多くあり友人関係も良好である。

 

 また頭の回転も早く、里志にクイズ大会で『知識量は負けてはいないが、雰囲気だけで勝てない』と思わせる程の異彩を放つ。

 

 

 

 

 

 ・桜楓(さくらかえで)

 

 誕生日 五月四日

 

 身長 156センチ

 

 所属クラス 一年B組→二年E組

 

 CV 東山奈央

 

 この物語オリジナルキャラの一人。

 一年次では晴と奉太郎と同じクラスであり、二年次では晴と同クラス。友人の《倉沢凪咲》と共に行動している。

 神山高校では文芸部所属だが、中学時代にはクイズ研究会に所属しており、文化祭にてクイ研主催の《神高クイズトライアル》、《神高クイズスクエア》の二つを優勝する実力を持つ。

 性格は基本的に大人しいタイプではあるが、予想外の事態には対応出来ない。

 

 晴の事は入学当初から気になっており、クリスマスの《神高ホーリー・ナイト》で晴に対する気持ちが《恋》だと自覚する。

 バレンタインで告白を試みるが、失敗に終わった。

 しかし、《生き雛まつり》後に再び自分の想いを伝え、晴が自分の中の問題を整理し、答えが出せるまで待つという形を承諾した。

 

 《桜楓の裏話》

 桜は《氷菓編》の乙女と探偵というお話で初登場しましたが、元々乙女と探偵が終わり次第、晴に興味を持つクラスメートという立ち位置で、あまり登場させないキャラクターとして扱っていく予定でした。

 しかし、読者様達からオリジナルキャラクターながら高い評価を頂き、今では古典部に次ぐレギュラーメンバーへと昇格しました。桜の晴に対する気持ちも掘り下げることができ、作者としてとても満足しています。

 今の桜楓というキャラクターは、読者様達の応援のお陰で成り立っています。みなさん、ありがとうございます。

 

 

 

 

 

 ・天津木乃葉(あまつこのは)

 

 誕生日 十月十五日

 

 身長 160センチ

 

 所属クラス 一年E組→二年E組

 

 CV 佐倉綾音

 

 この物語オリジナルキャラの一人。

 

 夏休み明けに転校してきた《三人目の探偵役》。総務委員会でも尻尾を掴めなかった、一年E組女子体操着盗難事件を解決し里志に一目置かれる。

 

 《夕べには骸に》無くして、最も《十文字》の正体に近づいた者であり、晴、奉太郎、里志が《十文字》と協力して仕込んだナトリウム爆発を見抜いた。

 《気まぐれ花子事件》を二人に解決させることにより、晴と奉太郎が《十文字》と関係があるのではないのかと見破った。

 

 晴が語るには『天津が自分達より先に《夕べには骸に》を手に入れていたら、《氷菓》は完売しなかった』と、間接的に自分や奉太郎よりも《探偵役》として優れていると認めているが、《氷菓事件》や《女帝事件》の功績がある二人と比べれば、実力は互角かそれ以下であると予想される。

 

 元となったキャラクターは名探偵コナンより、世良真純。

 

 

 

 

 

 ・南雲雨(なぐもあめ)

 

 誕生日 五月二十日

 

 所属クラス 中学生→高校生

 

 役割 マイクロフト・ホームズ

 

 CV 悠木碧

 

 この作品のオリジナルキャラの一人。

 晴の妹。晴が出会った《東京での事件》を知っている数少ない人間。

 

 晴と同様に頭の回転が早く、晴、奉太郎と同じタイミングで《十文字の法則》を見破った。奉太郎は雨のことを『苦手なタイプ』だと言っている。

 

 潜在能力は兄以上!?

 

 

 

 

 

 

 

 ・(しらべ)

 

 誕生日 不明

 

 所属クラス 不明

 

 役割 不明

 

 CV 高橋李依

 

 この作品オリジナルキャラの一人。

 

 未だに正体が明かされていない女の子。雨と面識があり、晴の事を名前で呼ぶ。

 

 晴の明言する《助けられなかった女の子》。

 

 容姿がかなり千反田と酷似しており、雨は『千反田と詩は似ている』と言っているが、晴はそれを否定している。

 

 

 

 

 

 原作キャラ

 

 

 

 ・折木奉太郎

 

 原作主人公であり、この作品でも二人目の主人公を担う。

 

 『やらなくていいことならやらない。やるべきことは手短に。』をモットーに《灰色》の高校生活を送っている。

 

 頭の回転が早く、観察眼と洞察力に優れている。基本的に動かずに事件を解決する為、《安楽椅子探偵》型の探偵である。

 

 様々な人間に信用されており、友人関係や恋愛関係を相談される。それぞれの関係を壊さないために、モットーに逆らい積極的な行動する場面も見れる。

 

 千反田と晴と出会うことで、自分の中に眠る推理能力に目覚めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ・千反田える

 

 『私、気になります!』この一言で、奉太郎と晴を動かすことが出来る、《興味の猛獣》。

 

 《桁上がりの四名家》の一角、《豪農千反田家》の息女。

 

 《経済的戦略眼》を諦め、二年時には理系を選んだ。

 

 晴香とは家柄でも仲が良く、勘解由小路家にはよく家柄の使いとして現れる。

 

 

 

 

 

 

 ・福部里志

 

 『ジョークは即興に限る、禍根を残せば嘘になる』、『データベースは結論を出せないんだ』が、口癖の似非粋人。

 

 神山高校データベースを自称し総務委員会にも所属しているだけあり、学内の情報は隅々まで頭の中に叩き込んでいるが、勉学に対しては消極的で、赤点常習犯である。

 

 文化祭にて、晴と奉太郎と同じ土俵に立てないことに負い目を感じる場面も見られる。

 拘らないことをこだわる。というのを心に刻んでおり、伊原からの告白をはぐらかしていた。

 

 晴が自分の過去を明かした、古典部唯一の人物。

 

 

 

 

 

 ・伊原摩耶花

 

 奉太郎とは犬猿の仲であり、《省エネ主義》を根っから嫌う。

 

 里志を追っかけて古典部に入部。

 類まれなる毒舌の才を持ってはいるが、奉太郎からは『根はいい奴』と称されている。

 中学時代から里志に対して好意を向けており、想いを何度か伝えているがはぐらかされている。

 

 

 

 

 推理能力ランキング。

 ※作者の独断と偏見で作らせて頂きました。

 

 

 一位、折木供恵

 

 二位、南雲晴、折木奉太郎、天津木乃葉

 

 三位、入須冬実、田辺治郎、陸山宗芳、南雲雨

 

 四位、勘解由小路晴香、福部里志

 

 五位、伊原摩耶花、十文字かほ

 

 六位、千反田える



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青春の席譲り

 桜との閑話です。ゲスト出演で、あの《小市民》コンビも登場!?

 今回の推理の元ネタは、ある小説から持ってきています。

 この話を書いてて分かりました。作者は甘い展開を書くのが苦手なようです。(血涙)


  桜との一件から三日。ベッドの上でうつ伏せになりながら、俺は今こう思っている。

 

『うわぁぁぁぁぁぁぁ!!!死にたい、死にたいよぉぉぉぉぉ!!!なぁにが、『ちゃんと答えるから(キリッ』だぁぁぁ!!!恥ずかしいよぉぉぉぉがっこういきたくないよぉぉぉぉぉぉ!!!』

 

 桜からも本格的に告白されちまったし……。

 

『大好きです!南雲くん!ずっとずっと、私の隣にいてくれませんか?』

 

 顔と耳が熱くなった気がする。

 

「ちくしょう……あんな笑顔で言うのはずるいだろ……」

「いやぁ、我が従弟ながらキモいなぁ」

 

 その声と共に俺は視線を部屋のドアに送る。

 晴香が今までで一番楽しそうな顔をしながらこちらを向いていた。

 

「晴香ァァァァァァ!!てめぇぇぇぇぇ!!勝手に人の部屋に入るなぁぁあ!!」

「いや、用があったからノックはしたぞ。そしたらお前がベッドの上で枕に頭を突っ込みながら足をバタバタさせてたから」

 

 俺は両手で顔を覆い尽くし、おもむろに言った。

 

「晴香……もう殺してくれ……」

「あ、いや、悪かったって。ところで、お前この後空いてるか?」

「断る」

「まだ何も言ってない。本を買ってきて欲しいんだ」

「断るって。自分でいけよ」

「私はこれから勘解由小路の付き合いがあるんだよ。それとも、お前がそっちに行ってくれるのか?安心しろよ、タダでとは言わない。この封筒に入ってる余ったお金で、お前の好きな本も買ってきていい」

「……」

 

 悪くない条件だ。俺は晴香から封筒を受け取ると、ポケットに突っ込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 晴香に指定された本は、神山の本屋には売っていないそうだ。隣町……木良市まで行かなければならない。渡された本屋までの道のりを書いたメモを片手に、俺はバス停まで向かう。

 

 メンズ用のデニムパンツ、白いTシャツの上から青いカーディガンを着て、スニーカーを履く。

 神山駅に位置するバス停に乗り、木良市の北樽町(たるまち)三丁目行きのバスに乗り込む。

 

 三十分程バスに揺られたところで降りる時に二百十円を払い、下車。北樽町三丁目近くにある本屋の《清風館》という本屋に足を運んだ。《清風館》に人は少なく、制服姿の学生の姿も見かけるが、全体的に年齢層が高い。

 晴香から頼まれたアパレル本はすぐに見つかり、俺は自分用の文庫本コーナーに入った。

 

 時代小説、ノンフィクション、ファンタジー、SF、ホラー、恋愛、ミステリー。

 俺はふと、ミステリーの棚に足を踏み入れた。日本人作家と外人作家で場所が別れており、とりあえずは外人の方に目をそらし、適当に並べてあるものを取る。

 《シャーロック・ホームズシリーズ》の緋色の研究だ。ホームズの最初の物語で、ワトスンとの出会いの物語も描かれている。棚に戻す。

 次に手にしたのは《エルキュール・ポアロシリーズ》のアクロイド殺し。とある村の夫人が自殺を図るが、この夫人はとても裕福で、その村の富豪のアクロイドとの再婚も決まっていた。しかし、自殺した夫人は一年前に夫を毒殺しており、という話だった気がする。読んだことは無い。

 

 俺は振り向き、日本人作家へと視線をずらす。

 目に映ったのは、《市立高校シリーズ》と《ひきこもり探偵シリーズ》の二つ。どちらも見たことは無いし、あらすじもよく知らない。興味本意で片手を伸ばすが、それをすぐに引っ込め、もう一度外国人作家の方に向き直り、《エルキュール・ポアロシリーズ》のABC殺人事件を取りレジに向かった。すると……

 

 何かにぶつかった気がするので下を向く。小学生ほどの背丈のボブヘアー?の女の子が冷たい視線でこちらを見ている事に気づく。

 

「あー、ごめんお嬢ちゃん」

 

 俺を見る目が更に厳しいものになる。

 

「私はお嬢ちゃんじゃない。高校一年生……」

 

 同い年か。

 すると、女の子の後ろから一人の男子がこちらに向かって小走りでやってくる。

 

小佐内(おさない)さん。本は決まった?……ん?」

 

 俺と同じ程の背丈の男が、小佐内と呼ばれた少女に近寄ってくる。小佐内はその少年を見るなり、おもむろに言った。

 

「あのね、小鳩(こばと)くん。私、今とっても機嫌が悪いの。だから今から《ハンプティダンプティ》に行って、ケーキバイキングをするの。小鳩くんも来てね。一人だとカウンター席になるから」

 

 なんだこの女……。

 

「い、今から!?わかったよ小佐内さん……、えっと……ごめんなさい。小佐内さんがなにかしましたか?」

 

 小鳩と呼ばれた少年は気前のいい笑顔で俺に聞いた。俺も出来るだけ愛想良く返す。

 

「いや。ぶつかったのは俺だから、気にしないで」

「それはどうも。それじゃぁ行こう、小佐内さん」

 

 小佐内は黙って頷いた。二人は俺にお辞儀すると、《清風館》をあとにした。

 

 

 俺と、《古典部》と《小市民》が、ある一つの謎に向かって動き出すことになるのは、また少しあとの話だ。

 

 

 

 

 

 

 

 レジに並ぶと、俺より日一つ前に並んでいる少女の後ろ姿に既視感を感じた。肩を隠すか隠さないか程の髪、毛先を少し遊ばせているのか、セミロング気味になっている。伊原程ではないが低い背丈……まさか?

 

「よう」

「え?南雲くん!?」

 

 我が一年B組、ん?終業式を終えたから違うのか?まぁ、同じクラスの桜楓が俺の前に立っていた。俺が話しかけると同時に桜の前の男が会計を済ませたようで、桜は俺とレジを見比べたあとレジに向かった。

 俺の会計が終わり、《清風館》の外に出ると、桜が待っていた。

 

「お、待っててくれたのか?」

「う、うん。まぁ折角会ったしね!木良市まで来て何買ったの?」

「あぁ、晴香に頼まれてな、雑誌を。お前は?」

「私はこの本屋にはよく来るんだよ。ここは品揃えがいいんだ」

 

 ほほう。たしかに、晴香に頼まれた雑誌は神山の書店には売ってないらしいな。

 俺は袋から桜に視線をずらし、笑いながら話しかける。

 

「あんまり久々な感じしねぇな。三日ぶりか?」

「そ、そうだね……三日ぶり……えへへ」

 

 そうか。桜は俺からの告白の返事待ちなんだよなぁ……。

 な、なんだ……。なんか、気まずい。何か話しを振らねば!!!

 

「えと、髪切ったんだな!そういう毛先をクルンとやる髪型、最近流行ってるよな!」

 

 桜は俺が髪型の話をしたのに、ピクっと反応し、一歩下がり自分の全体像が俺から見えるように立った。

 薄水色のロングスカートに、黒と白の縞模様のインナーの上からスカートと同じ色のジャケットを着ている。桜らしい爽やかな服装だ。

 そして、自分の遊ばせた毛先を親指と人差し指でクルクルといじりながら言った。

 

「ど、どうかな?髪、さっき切って来たんだけど……可愛い……かな?」

 

 ……これはまずい。何がとは言わん。これはまずい。俺は桜から目線を外しながら言った。

 

「似合ってんじゃねぇの?なんだ……可愛い……んじゃないか?」

 

 桜は一度キョトンとすると、すぐに照れくさそうにクシャッと笑った。

 

「……ありがと!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 北樽町三丁目近くのバス停に移動した俺達は、到着したバスに乗り込む、が。

 

「人多」

「帰りのバスはいつもこんな感じだよ。」

「そうなのか?ま、たかが三十分だ。そこまで苦じゃないだろ。途中で降りる人もいるだろ」

「そうだね……」

 

 ん?

 

 ほぼおしくらまんじゅう状態で、俺と桜はバスの中に押し込まれる。このバスは民営の為、俺と桜は後ろのドアからバスに入った。

 後ろのドアからすぐ目の前の一人乗りの座席がなく、手すりだけの場所に押し込まれる。

 バスに乗った乗客がイイ感じに体勢などを立て直したのか、少しバスの中に余裕が出来たと思えば、その余裕に次々と入ってくる乗客。再びおしくらまんじゅう状態になった。

 

 俺はなんとか桜を窓際によせ、桜を守る形で壁に両手をつく。……が、流石は文化部の俺。未だに乗り込んでくる乗客の圧力に負け、桜が寄りかかっている壁に付けている両腕の肘が見事に曲がり、桜との距離が物理的に近くなる。……やばい。

 桜と俺の顔の距離が一気に近くなり、桜の吐息が鼻にかかりくすぐったい。

 

「悪い……」

「いいいいいい、いやいやいやいこちらこそ!!」

 

 桜特有のテンパった声が耳元で聞こえる。そして、バスがやっと北樽町三丁目から出ようとした時に、ひとつのアナウンスが聞こえる。

 

『木良市役所からのお知らせです。六十歳以上の方は敬老パスをお使い下さい。平日は市内バス料金が無料。休日は半額となります。バス出発します』

 

 俺らには関係の無いことだった。今日は平日なのでもし俺が六十歳以上だったら無料だった。ええい、いいから早くバスを出せ。

 バスがようやく動き出したところで、俺は桜からなんとか離れようと顔を上げる。

 

 すぐ左に降車ボタンがあった。手を伸ばせば押せる距離だ。そんなことを思っているとボタンが汚れているのが見えた。薄茶色のシミが付いている。これは、チョコレートか?

 

「南雲くん、大丈夫?」

「ん?あぁ、なんとか……」

 

 大丈夫じゃない。背中に来る乗客の圧力が凄すぎる。しかしこのまま力を緩めたら桜が俺で潰れちまう。折角美容院で整えた髪型も台無しだ。すると、軽快な声の車内アナウンスが聞こえてきた。

 

『次は、樽町(たるまち)二丁目、樽町二丁目です。』

 

 ブザーが鳴る。誰かがボタンを押したのだ。

 

『はい、止まります』

 

 再び先程見たチョコレートで汚れたボタンに視線をずらすと、その汚れが拭われていることに気づいた。これだけの情報がれば、いま樽町二丁目で降りるために押された降車ボタンがこのボタンだと気づくのに、時間はかからない。

 バスが止まる。

 

『樽町二丁目です』

 

 しかし動きがない。誰一人として開いた前ドアに向かって人波……いや、肉壁を突っ切りながら向かう乗客はいなかった。

 

 大方ボタンを押したのは、先程押された汚れたボタンの場所の近くに座っている二人のうちどちらかだ。前後に並んだ一人がけの座席。

 前の座席に座っているのはブレザーを着てヘッドフォン着用している女子校生。その後ろに座っているのは杖を持った老女だ。この二人のどちらかが誤ってボタンを押してしまったのだろう。

 

 運転手は誰も降りないことを見かねたのか、ドアを閉め再びバスを動かし始めた。

 少し進んだ所でバスが大きく揺れ、乗客全員が前によろける。

 

「いた……」

 

 不意に桜が声を出した。

 

「悪い、どっか当たったか?」

「ううん。実は、昨日家で足捻挫しちゃって……湿布貼ってるから大丈夫って思ったんだけど、痛み出してきちゃった」

 

 家で捻挫とは。相変わらずドジ。いやいやいやいや、そうではない。なら立っているわけにもいかないだろう。仮に座席が空いたのなら!そこに桜を座らせなければ……。

 そう思っているうちに、バスは次の目的地に止まった。

 

『東部事務所、東部事務所です』

 

 東部事務所というのは知らないが、意外な人気スポットらしい。学生の二人組が定期券を運転手に見せて出ていくのが見えた。

 乗客の三分の一程がここで降り、かなり余裕が出来た。俺は腕を壁から外す。

 しかし、まだ座席が空く様子はない。

 

「桜、足大丈夫か?」

「うん、ちょっと痛いかな……」

 

 先程間違えて降車ボタンを押した二人。事故ではなく、本当に聞き間違えてボタンを押したというのなら近々降りる可能性が高い。降りる方の前にいれば、桜をそこに座らせられる。

 

「南雲くん?」

 

 俺の考えている顔を不思議そうに眺める桜に、俺は笑って言った。

 

「ちょっと待ってろよ。座らせてやるから」

「え?うん」

 

 

 俺は考えてみることにした。

 

 

 まず最初に視線を向けるのは路線図だ。こう記されている。

 

 

 

 樽町二丁目→東部事務所→樽小学校→樽町四丁目→樽町図書館→樽町六丁目→南樽町二丁目→大河橋北→大河橋南→パノラマ・アイランド→大黒門→神山

 

 樽町とつくバス停が多い。女子高生と老女が間違えて押した時のバス停は樽町二丁目。つまり、二人のどちらかは《樽町》とつくバス停で降りるのは間違いない。上手く行けば次の次、樽町四丁目か、遅くても南樽町二丁目で降りるはずだ。

 

 ふむ。

 

 俺はまず降車ボタンを挟んで後ろの老女に視線を向ける。首からかけている定期券のようなもの、あれは《敬老パス》だ。次に左手で杖を握っており、その握っている手だけに白い手袋を付けている。加えて右手には、なにやら小銭を握っているのが見える。民営バスなので老女が持っている金額が分かれば、どこで降りるかは大体の検討はつくのだが、見えているのは輝いた一枚の百円玉のみだ。これでは分からない。

 

 次にその前に座る女子高生。ヘッドフォンをしているだけかと思えば、なにやら文庫本を開いている。そして、文庫本の上端から覗くしおり代わりに使っているのは学生定期だ。どこからどこまでかは本で隠れてしまっているので分からなかった。

 

 いや待てよ。老女は首から《敬老パス》を下げているのに何故小銭を握っている?《敬老パス》を持っていれば平日は無料で土日祝日は半額。土日祝日ならまだしも今日は何も無い平日だ。老女が小銭を握る理由どこにある?

 

 考えられる可能性は二つ。

 

 一つ。《敬老パス》の存在を忘れている。

 老女は《敬老パス》を最近手にしたばかり。または《敬老パス》自体が最近出来たばかりで、今までは通常通りお金を払っていた。だからその癖で小銭を握っている。

 

 二つ。《敬老パス》の効果が切れている。

 《敬老パス》にも普通の定期券と変わらず一定の間隔で更新をしなくてはならない。老女の持っている《敬老パス》は既に期限が切れており、更新を行っていない。

 

 さて、どうしたものか。『もしもし、あなたがたはどこで降りるんですか?』なんて事は怪しすぎて流石に聞けないし。

 

 気づくと樽小学校と樽町四丁目を過ぎていることに気づいた。まずい……このまま考えている内に二人の内一人が降りて、誰かに座られたら本末転倒だ。

 

 考えろ…残された時間は少ない。思い出せ、今までの推論を、記憶を。

 

 

 今までの記憶が、推測が、俺の脳内を駆け巡った。

 

 

 

『樽町二丁目です。』

 

『間違えて押したのか?』

 

『市内バスは料金が無料、平日は半額となります。』

 

 

 

 

 俺は、すっと目を開けた。

 

 そうか、簡単なことだった。

 

 北樽町三丁目を出る時に運転手が言ってたではないか。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 さらにここから

 

 ()()()()

 

 を取り出す。

 

 そう。バスを無料で乗れる《敬老パス》の効果は、あくまで木良市の中のみなのだ。つまり《敬老パス》を持っているにも関わらず、老女が小銭を握っているということは彼女は少なくとも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 木良市内に位置するバス停は先程の路線図から引用すると南樽町二丁目までとなる。それ以降……つまり()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ならば残りは消去法。樽町とつくバス停は全て木良市内に位置する。つまり、バスを降りるのは女子高生の方となる。

 

 俺は桜の肩をポンポンと叩いて、

 

「こっちこい」

「?」

 

 桜を女子高生が座っている椅子の前まで移動させる。

 

 数分後、バスが止まり運転手が言った。

 

『樽町図書館です。樽町図書館です』

 

 座っていた女子高生は名残惜しそうに文庫本を閉じて立ち上がった。

 桜が信じられない、と言うような目で俺を見たあとに俺は桜に席に座るように言った。

 

「南雲くん、 ……凄い!ありがとう……!」

 

 どういたしまして。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 side桜

 

 

 

『え?南雲に「髪型可愛い」って言って貰えたの?よかったじゃ〜ん!』

 

 夜。電話をしていたナギちゃんに、今日南雲くんと会ったことを話した。

 

「うん、それでね!南雲くんがバスの中で推理して、私に席を譲ってくれたんだ!」

『うん?バスの中で推理?よく分からないけど、それも良かったね』

「うん!」

『それより、やっぱり私の言う通りになったっしょ?』

 

 ナギちゃんの言う通り、とは。三日前に遡る。

 

 

 

『え?南雲に告白した!?答えは!?』

「えっと……まだよく分からない……。とりあえずは保留って……」

『かぁー!程よくキープされてるんじゃないの?』

「南雲くんはそんなことしないよ!!」

『はいはい分かりしたよ。この南雲オタクが。それじゃぁここでお姉さんからアドバイス』

「南雲オタクって……。というなアドバイスってなにそれ……?」

『まずは適当な雑誌から選んだモデルの髪型に合わせてみな。自分が思う飛びっきり可愛いやつ』

「何でそんなこと?」

『男ってのは女の大きな変化に弱いんだよ。それで春休み終わって進級した時に会ったら、こういうんだ。『可愛いかな?』って』

「な、何でそんなこと……言えるわけないでしょ!!」

『内気のあんたには難しいかもしんないけど、そう聞かれたら……いくら南雲がデリカシーのない奴だったとしても、絶対こう言うって… 』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『可愛い……ぞ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして今に至る。

 

『ん?おーい、楓?』

「あ、なになに?」

『あんた、いつまでも浮かれてるんじゃないよ』

「え〜?うえへへへ……『可愛い』って言われたぁ〜!」

『笑い方が気色悪い……』

「酷いよ!!」

『それより早く南雲のハートをキャッチしなさい。古典部には美人が二人もいるんだから』

「え、えぇ!?」

『あ、十文字さんと天津さんも可愛いよね〜』

「そういうこと言わないでよナギちゃん!!!」

 

 

 

 乙女の恋は、まだまだ続く。



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Which is my tea ※読者様リクエスト

今回のお話は活動報告にて《向月葵》様から頂いたお題で作成しました。
ありがとうございました!

晴「リクエストありがとうございました!」




 そろそろ春休みが明け、新学期が始まろうとする時期。

 

 春だというのに、俺と千反田の体は汗だくになっていた。

 

 俺は今日とある理由で千反田家に呼ばれた。千反田は俺が今大きな決断、そして行動を起こそうとしていることをどう感じているのだろうか。

 暑さのせいなのか、俺が今伸ばしかけている手を見つめる千反田の大きな瞳が、どこか熱っぽく、息も荒い。

 

 千反田の部屋。机の上には女の子らしい小物や装飾品が置いてあり、女の子特有の甘い香りが俺の鼻に情報を与えた。

 この部屋に今いるのは俺と千反田の二人だけ。今なら誰にも見られる心配はない。加えて部屋は密室。いや、別にこのやり取りは見られたって構わない。

 

「こっちがいいのか……千反田?」

「あっ……そっちはダメです……」

「こっちか?」

「あっ……そっちも……」

 

 俺の知る限りでは、千反田は()()()()()()()()()()()()()()()()。しかし、何故今になってこいつは。……ダメだ、もう我慢出来ない。

 

 俺は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 そうだ、全てはこの忌々しい暑さから始まった。

 

 あれは、数時間前に遡るだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ザクッ!!!

 

 鍬が勢いよく土に下ろされた。

 

 俺は首にかけていたタオルで自分の額の汗を拭う。

 

 今俺がいるのは千反田家の畑。夏に向けての野菜の種を撒く為の土壌作りを手伝ってくれと頼まれた俺は、こうして汗を流しながら畑仕事に勤しんでいるわけだ。

 普段は千反田家の親戚が手伝うという事らしいが、親戚に急病人が出てしまい、急遽人員不足になってしまったとのこと。俺は《生き雛まつり》にて傘持ち役を務めた事で、千反田家関連の役職を務めることが多くなった気がする。てか、大体は晴香が勝手に俺のことを推薦してるだけなんだけどな…。

 

 畑仕事が一段落ついた所で、俺は数人居た男達に話しかけられた。

 

「おい、南雲の坊主。休憩だ!少し休んできてもいいぞ!」

「た、助かります。鍬を振りすぎて腕がプルプルで……」

「なっさけねぇなぁ」

「慣れてないんすよ」

 

 そう言い残して俺は千反田家に向かって歩き出した。

 玄関口までたどり着いた俺は、思わず足を止める。

 

 『休憩の時は家に上がって大丈夫ですよ』とは事前に言われたものの、人の家に勝手に上がり込むのはなんだか気が引ける。

 俺は玄関前の石垣に寄りかかった。

 

 近くに自動販売機はないかと辺りを見渡すが、見えるのは広大に広がった大地と先程まで俺が作業をしていた畑のみだ。

 思えば、財布も携帯も千反田家の中にあるカバンの中だ。

 

 俺は雲一つない晴天を大きく仰いだ。春特有の鳥のさえずりが聞こえ、ボーッとしてしまう。

 

「お疲れ様です。南雲さん」

 

 声を掛けられた俺は、視線を空から目の前にずらす。

 

 作業着を着た千反田が目の前にたっていた。髪はいつものように降ろすのではなく、ポニーテールの尻尾の部分をさらに丸めた…お団子のような髪型になっており、うなじからは汗が滴っていた。

 思わず息を呑む。

 

「南雲さん?」

「ん?あ、あぁ……お疲れ様。」

「入らないんですか?」

「いや、一人で入るのは気が引けてな……」

「気にしなくてもいいですのに」

「そういう性格なんだよ」

「では、私が来たので入りましょうか。美味しい麦茶があるんですよ」

 

 ほほう。畑仕事でいい汗をかいたところだ、ぜひ頂こうじゃないか。

 

 俺は千反田に連れられ、千反田家の廊下を歩く。今向かっている方向には覚えがあった。夏休み、《氷菓》の検討会を行った大部屋だ。

 千反田が襖を開けるが……

 

「あら」

 

 既に男達が休憩場所として使っており、とても座れるスペースが無い。千反田は一度考える仕草をとる。

 

「あの、南雲さん」

「ん?俺は別にここでいいぜ」

「私の部屋に来ますか?」

「うん?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 千反田家二階。俺は今千反田の部屋の前に立っている。『少し待っててくれ』と言われたので、多方部屋の片付け出してるのだろう。

 むむ、なんか緊張してきた。

 

 やがて戸が開かれる。

 

「どうぞ」

「お、お邪魔します」

「ふふ、そんなにかしこまらなくても大丈夫ですよ。私や摩耶花さんだって南雲さんの部屋にはよく入ってるじゃないですか」

 

 それとこれとは別だろ。しかもその時は奉太郎と里志もいるだろ。

 

 足を踏み入れると、最初に俺に情報を与えたのは視覚だった。本棚の上には女の子らしい小物が瓶詰めにされて置かれており、なかなか味が出ている装飾品になっている。

 薄水色のカーペットの真ん中には直径一メートル程の丸机と二つのクッション、勉強机にはいくつかの参考書が立て掛けられている。

 

 そして、額縁のようなものに入れられて壁にかけられているのは、《氷菓》だ。

 

「適当に座っててください。今麦茶を持ってきます」

「あぁ、助かる」

 

 そう言って千反田は部屋をあとにした。いや……

 

 これが紳士の俺だったからいいものの、普通男を自分の部屋に一人置いて出てくか?

 こいつの将来が心配だ。いい旦那を見つけたまえよ。くれぐれも、悪い男には引っかからないように。……うん?

 

 机の上に写真立てが二つ置いてあった。遠目からだとわからないが、どちらの写真にも見覚えがあったような気もするので机の上の写真立てを見に行く。

 

 一枚目。これは文化祭の最終日に古典部、桜、晴香、雨で初めて俺の一眼で撮った写真だ。俺が下敷きになって全員が倒れ込んでいる。はは、こんなこともあったな。でも、みんないい笑顔だ。

 

 二枚目。これは、《生き雛まつり》だ。手前には顔におしろいを塗り、それに際立つ赤い口紅をつけ、いつもの大きな瞳をそっと伏せた十二単を着た千反田の姿があった。いつもの活発的な印象とは随分と掛け離れた姿だ。そしてその後ろ…白い装束の様なものを羽織り、赤い大きな傘を千反田に指し、口をポカンと開けている俺の姿が写っている。……てかこの写真、俺の一眼で里志が撮った写真じゃねぇか。

 確かメモリーカードは里志の自前のを差し込んだと聞いていたが…千反田に渡したのなら俺にも渡せよ。

 

「お待たせしました。」

 

 振り返ると、部屋着に着替えた千反田がお盆を持って部屋に入ってきていた。

 お盆の上に乗っているのは四つ。一つは大きめのお皿に乗ったクッキー、二つの同じ色と形のマグカップ、麦茶が入ったティーポットの中には二つのティーパックが水を吸って底に沈んでいた。

 俺は写真を千反田の机に戻し、テーブルの前に座る。

 

「すみません。グラスは全部使われていまして、いつも紅茶やコーヒーを入れているマグカップになってしまって」

「いや、気にしてないよ」

 

 千反田は微笑んだ後にティーポットからお茶を注ぎ、先に注いだ方を俺に渡してくれた。そして、自分の分を丁度俺の分と同じ程注いだ所で……

 

「無くなってしまいました」

 

 ティーポットの中の麦茶が無くなった。

 

「丁度だったな。ラッキーラッキー」

「はい、それでは、頂きましょう」

 

 俺達は同時にマグカップの麦茶を飲んだ。畑仕事のあとの麦茶は体に染みる……まるで暑い夏の時に飲んでいるような爽快感を覚えた。

 半分程飲み干した所で、俺はクッキーに手を伸ばす。

 

 その後たわいの無い話を繰り広げていると、千反田の部屋に乱入者が現れた。

 

「ワン!!」

 

 柴犬?

 

「あら」

「犬飼ってたっけ?」

「いえ、親戚の方のを預かっているんです。療養中の間だけ。可愛いですよ。それより」

 

 千反田は自分のポケットから封筒を取り出した。俺はそれを眺める。

 

「先日の《生き雛まつり》ではお世話になりました。少しですが、受け取ってください」

 

 そう言えば、《生き雛まつり》のバイト代を貰っていなかったな。どれどれ?千円もあればいい所だろ。

 俺は封筒を受け取ると、早速中身を見る…なになに?万札が一枚、二枚、三枚……四枚……五枚……

 

「いやいやいやいやいやいやいやいや、こんなに受け取れねぇよ!!俺お前の傘持っただけだぜ!?」

「いえ、《生き雛まつり》は本来神山の歴史的な文化です。その位は妥当かと」

「け、けどなぁ……」

「受け取ってください。それに南雲さんがいなければ、《生き雛まつり》の時の工事の件は知りようもなく、危うく大きな惨事になる所でした。感謝の気持ちとして、受け取って頂きたいんです」

「……分かった。でも、俺の為だけには使えない。今度古典部で良い店でも探して行こうぜ」

 

 笑いながら

 

「全部俺の奢りで」

 

 千反田は一度ポカンとすると、笑いながら返してくれた。

 

「はい、楽しみにしてます。」

 

 俺は封筒をリュックサックに入れようとした。その時だった!

 

「ワン!!」

 

 千反田の隣で大人しくしていた柴犬が俺の手から封筒を奪って、千反田の部屋をあとにしたのだ。

 

「あっ!!まて、犬!!」

「犬じゃありません!!クドリャフカちゃんです!!」

「随分と物騒な名前だな!!てか、そんな事はどうでもいい!!」

 

 俺と千反田は走って、犬を追う。

 

 犬は一階まで降りると、先程男達が休憩していた部屋に入る。俺と千反田もそれを追った。

 

「うお!!なんだ!?」

「危ねぇ!!」

「その犬を捕まえて!!」「犬じゃありませ……」「今はいいんだよ!!」

 

 犬は縁側から、千反田家の庭に出ると、敷地外の真っ直ぐな直線を走った。俺と千反田はそれを全速力で追う。

 

「おい!!給料返せ、犬っころ!!!」

 

 そして……

 

「捕まえ……た!!!」

 

 千反田家から少し走った所で、俺はクドリャフカを捕まえた。

 

「はぁ……はぁ……ふぅ」

「はぁ……はぁ……危なかったですね。あのままどこかに捨てられてたら……」

「あぁ、たまったもんじゃない……」

 

 その後クドリャフカを連れて千反田家に戻った俺達は、再び千反田の部屋に足を踏み入れた。それなりの距離を走ったので、文化系の俺と千反田は息切れを起こしながら、汗を拭った。

 

 まだマグカップには先程の飲みかけの麦茶が入っているはずだ。俺がそれに手を伸ばすが、あれ?

 

 机の上に並んでいるのは、大きさも形も色も同じの二つのマグカップ。

 どちらもマグカップの半分程まで麦茶が減っており、どちらが俺のか分からなくなってしまった。

 

「えっと……どっちがお前のだ?」

 

 聞くと、千反田は首を傾げた。

 

「半分程減っているものです」

「どっちも半分くらい減ってるんだよ」

「つまり、どっちのが私で、どっちのが南雲さんのか分からないと……?」

「あぁ……でもまぁ、お前別にこういうの気にするタイプじゃないだろ。どっちでもいい……」

 

 俺が片方のマグカップに手を伸ばしたその瞬間、二つのマグカップが乗っているお盆が千反田によって丸机の上から取り上げられた。

 そして、おもむろに言う。

 

「ダメですよ!!どっちのかも分からないのに!!」

「はぁ?だからお前そんなの気にするタイプじゃねぇだろって」

「き、気にしますよ!男女ですよ!?」

「なんの心境の変化だよ!!」

「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!」

 

 千反田はまるで自分のモノを守る猫の様に俺を睨む。なんだってんだよ…。

 やがて千反田は大きく溜息をつき、お盆を丸机の上に戻した。

 

「分かりました、二分の一の確率です。南雲さんが思う私の方を取ってください」

 

 千反田は走ったせいか顔が赤くなっている。かく言う俺も、走ったおかげで汗をかいている。あぁ……なんでもいいから早く麦茶を飲みたい。

 俺は右のマグカップに手を伸ばす。

 

「こっちがいいのか……千反田?」

「あっ、そっちはダメです……」

「こっちか……?」

「あっ、そっちもダメです」

「どっちがいいんだよ!!」

「どっちもダメです!!」

 

 俺と千反田は同時に息切れをしながら、互いを睨み付け合う。

 

「気になります……」

 

 ボソッと言った。

 

「え?」

「どっちが私の飲んだ麦茶なのか……私、気になります!

 

 ここでもか…春休み期間はこの言葉を言われないと思っていたが。だがまぁ、早く麦茶を飲むためだ、仕方ない。

 

「あぁ、少し考えてみるか」

 

 千反田が容れてくれた麦茶……まずはこれに注目するが、特に変わった点はないだろう。

 千反田はお盆の上に置いてあるティーポットで俺の目の前で麦茶をマグカップに注いだ。つまり、種類が同じ麦茶の訳だ。色合いや香りで見分けるというのは出来ないであろう。

 

 次に注目するのはマグカップだ。

 

「千反田。このマグカップはいつもお前の家で使ってるのか?」

「いえ、このマグカップは来客用です。普段はコーヒーや紅茶をいれているので、茶渋などが付いているかも知れませんが……綺麗でしょう?」

 

 綺麗、なのかはわからんが、このマグカップが来客用と言うのは少し痛いな。もしこれが千反田家でいつも使われているものだったとしたら、千反田は無意識的にいつも使っているマグカップを取るだろう。その場合は、そっちじゃない方が俺の可能性があったのに。

 

 次いで俺は麦茶が入っていた今は空のティーポットに視線をずらす。麦茶は千反田の分を容れた時点で無くなっており、ティーポットの中には二つのティーパックが入っている。うーん。

 

 マグカップは来客用で形と大きさは同じ、麦茶の種類も同じ、減っている量も同じ……弱ったな。あとはなんだ……?

 

 俺は視線をくまなく丸机に散らばせる。が、解決の糸口となるモノは見つからなかった。俺はもう一度マグカップの中に入っている麦茶に視線を向けた。そして……

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「こっちが俺の麦茶だ。」

 

 

「わかったんですか!?」

「あぁ」

 

 俺はニヤリと笑う。

 

「マグカップも同じ、麦茶の種類も同じだから当然香りも同じ。けどな、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「……まさか!」

「そう。お前はこの部屋に来て二つのマグカップにお茶を容れた時に、俺の分を先にいれて渡した。そしてお前の分を容れて麦茶は無くなり、ティーポットの中には二つのティーパックが残った。……つまり。

沈殿。ティーパックは水を吸うと重くなってティーポットの底に沈む。しかしティーパックはそれでも麦茶の中で麦茶の成分を抽出し続けている。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 俺は握ったマグカップを見ながら続ける。

 

「お前が自分を容れて無くなったという事は、お前の麦茶は相当色が濃くなっているはずだ。つまり、比べてみて色の薄いこの麦茶が入っているマグカップが……」

 

 俺は一気に麦茶を飲み干した。

 

「俺の麦茶ってわけ」

 

 千反田はパァという笑顔を見せたあとに、言った。

 

「なるほど、そういう訳だったんですね。流石です」

 

 と言って、安心しきった千反田はもう片方のマグカップを両手で握り麦茶を口に運んだ。

 

 

 ふぅ、やれやれ。なんでこんなことで推理なんてしなきゃならんのかね。いちいち読めん奴だ。

 千反田と出会ってそろそろ一年。考えてみれば、俺はこいつの事をあまり良く知らないのかもしれない。進路で悩み、自分の選ぶ道を余儀なくされた彼女は……何を思っているのだろうか。

 

 ただ……。俺は千反田を横目で見る。

 

 あの拒否の仕方は流石に酷いのではないか?あからさまに自分の使ったマグカップを俺に使われるのを嫌がるとは、俺だって傷つく時は傷つくぞ。

 

 別に千反田に拒否されたから傷ついた訳では無い……多分。でも……

 

 

「あっ、そうです!少し聞いてもらいたいお話が」

 

 

 こうしてこいつと笑っていられる時間は、別に悪くないのかもしれない。

 

 俺は、クッキーを口に放り込んだ。

 

 

 



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第5章 月光下のアベンジャー
第一話 月夜の背教団


 【十二月九日 火曜日 十六時半】

 

 

 

 

 side 里志

 

 

 

 

 

 《退屈》という言葉ほど僕の趣向に合わないものはない。

 

 文化祭が終わってから約二ヶ月が過ぎようとしていた。

 

 今日は毎月恒例の総務委員会の定例会議だ。 今回の会議には生徒会の人達も参加している。生徒会長の《陸山宗芳》先輩と副会長の《木原青香(きはらせいか)》先輩。

 

 先月の十一月なんかは、特に学校でのイベントがないだけに、定期テストがどうやら、小さくなった体操着のリサイクルがなんやで、実に退屈だった。

 総務委員会以外のことで言えば《気まぐれ花子事件》にてやっとお近づきになれた天津木乃葉さんは実に興味深い。(別に摩耶花に聞かれてまずい意味じゃないさ)

 新しく転校してきた《三人目の探偵》……。いやぁ全く、この学校は僕を飽きさせてくれないね。

 

 ちなみに《退屈》だったのは十一月だけさ。今行われているのは十二月の会議。議題は実に面白い。

 

 《神高ホーリー・ナイト》、通称《ホーリーナイト》。

 

 見ればわかると思うけど、十二月二十四日にこの神高で行われる、クリスマスパーティーだ。主催はもちろん総務委員。

 一般生徒達にはまだだけど、僕ら総務委員には一足早くスケジュール表が配られる。僕は隣の総務委員の子から回ってきたスケジュールに目を通した。ちなみに回してきた子の名前は知らない。意外性がないからね。僕の記憶には残らない。

 僕はもう一度スケジュール表に視線を落とした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 《神高ホーリー・ナイト》スケジュール表。

 

 開催団体《総務委員会、一部生徒会》、担当責任者《永尾康敏》

 

 開催日時 12月24日 18時〜21時

 

 場所 神山高校体育館

 

 プログラム

 

 ・開会の辞 総務委員会委員長 田名辺治朗 18時〜

 

 ・アカペラ部 《僕らの歌声で盛り上げます》 18時15分〜

 

 ・天文部 《自作プラネタリウムで冬の星座を紹介します》 18時30分〜

 

 ・奇術部(有志団体) 《聖夜のマジックショー》 19時〜

 

 ・サッカー部(有志団体) 《男だけのクリスマスも一興。演劇やります》 19時30分〜

 

 ・社交ダンス部 《参加者の皆さんも気になるあの子を誘ってみてはいかがですか?》 20時〜

 

 ・閉会の辞 総務委員会一年代表 福部里志 20時30分〜

 

 

 

 

 

 

 

 ふふふ。そう、今年のホーリーナイトはこの僕が閉めることになっているのだ。全く光栄以外の言葉が見つからないね。この勇姿をホータローやハルにも見て欲しいけど、それは無理だと思ってる。

 ホーリーナイトの参加は自由なんだ。まぁそれもそうだよね、軽食を置く机なんかが並んでいる体育館に全校生徒を収容できるわけがない。これは学校側も望んだ方針だろう。

 しかし、プログラムの最後の《社交ダンス部》の社交ダンス。どうしたものかねぇ。これに関してはホーリーナイトの恒例プログラムだから、一般生徒達も行われることを知っている。

 摩耶花に誘われてるんだけど……。うぅむ、どうしたものか。

 

「会議はこれで以上だ。ホーリーナイトまでは定期的に会議を行うから、それぞれのクラスの担任から詳しくは聞いてくれ。それと……」

 

 司会進行役をしていた《十文字》、おっと、田名辺先輩は会議を閉めようとしたところで、何かを思い出したかのように言った。なんだ、また退屈な話はゴメンだよ。田名辺先輩は実に興味深いけど、興味深い人が話す話が面白いとも限らないわけだ。

 

「これはまぁ、みんなには関係の無いことだが、最近夜の学校に侵入している生徒が数人発見されている。そいつらの目的は不明だが、見回りの方が発見したらしい。未だ確保には至ってはいないが、自首をするか、これ以上の学校への侵入早めた方がいい。ここに犯人がいるかもしれないからな」

 

 田名辺先輩のジョークに辺りから微かに笑い声が漏れる。ふむふむ、この由緒正しき総務委員会の同志達を疑うなんて、随分なブラックジョークじゃないか。しかし、

 

 

 夜の学校に侵入する複数人の生徒、目的は分からず、確保には未だに至っていないと。なんだなんだ、面白い話じゃないか!

 

 僕の情報が正しければ、夜の学校の見回りをしている教師は四人。

そのうちの二人が普通棟、残りの二人は特別棟を見回っている。

そして、今田名辺先輩が言った通りなら、その生徒達は逃げ切るのに成功したってわけだね。

 

 仮に普通棟の四階で見つかったのなら、犯人の逃げるルートは二階の連絡通路を使用して特別棟に逃げ込むか、一階へ下るだろう。

 

 どちらがいい逃げ道かと言われれば、僕はこう答える。『どちらもハイリスクだね』と。

 特別棟に行ったとしても、そちらにも教師陣は二人いる。結局リスク的には普通棟にいるのと変わらない。一時的な安全が確保されるだけだ。

 じゃぁ下るべきか?それも無理な話さ。四階で見つかったことを前提としているなら、下ったどこかの階層。三階、二階、一階のどこかにいるもう一人の見回りに見つかる可能性もある。

 

 うーん。まって……今のは僕ながら冴えていた推論だとは思うけど、そうなった場合犯人達はどうやって逃げ切ったんだ?

教室は全部鍵でロックされてるし、正規の鍵もマスターキーも職員室にあるから、その生徒達は鍵を取れる状況じゃない。

 たまたま運良く見つからなかったと考えてしまえばそれで終わりなんだけど。

 犯人達を見つけた見回りの教師を振り切って、さらに別の見回りの目を盗むなんて事、そう何度も出来るのか?

 

 それに犯人たちの目的はなんだ?わざわざ夜の学校で………一体なにを……。

 

 これは……事件の匂いだ!!

 

 早速あの二人に相談してみよう!先に千反田さんに教えれば、あの二人も捜査をせざる負えなくなるよね……。

くっくっくっ、『どうやって逃げ切ったのか、私、気になります(里志全力の裏声)』ってね。

 

 しかし、犯人達って言うのもなんだか味気ないな。仕方ない、再び僕が新たなる提唱者になるとするか。そうだな、《七つの大罪》、駄目だ。犯人達が七人とは限らない。

 大罪って言い方がだよね。別に犯人達は法に触れるようなことをしているわけじゃないし。どっちかって言うと、完全下校以降は理由無しに学校へ入ってはいけないっていう教えに背いてるわけだ。

 

 夜の学校で、教えに背く者達……。

 

 

 《月夜の背教団》。よし!これで決まりだ!

 

 こんなくだらない事を考えているうちに、会議は既に終わっていた。僕は自前の巾着袋を片手に、資料整理を始める田名辺先輩をみた。

 

 まずは情報収集だ!

 

 

 

「田名辺先輩ー!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

月光下アベンジャー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 【十二月九日 火曜日 十七時】

 

 

 

 side 晴

 

 クリスマスを日本が祝うというのは実におかしな話だ。

 

 キリストの誕生日だと言うのに、それに準じてやれパーティーやら、やれプレゼント交換やら、やれサンタクロースの正体やら。

 実におかしな話だ。

 

 しかしこのおかしな話を日本は恒例行事として受け入れている。今どきどのカレンダーを見たとして十二月二十四日、二十五日にはクリスマス、クリスマスイブと記されている。

 国という大きな概念がこれ認めているというのなら、俺が文句を付けることの方がよっぽどおかしな話になる訳だが、万人が認めたから行事にしようという考えが、流されているようで実に好まん。

 そういや、数学の宿題は明日までだったか?みんな今日出してたから俺も後で出そう。

 

 それにしても

 

 

 

 寒い。

 

 東京から越してくる際にコートを持ってくるのを忘れた俺は、登校下校どちらも学ランのままだ。

 

 ここは地学講義室。暖房は勿論石油ストーブもないこの教室は冬を生き延びるには不便すぎる。手もかじかんでしまい、文庫本をめくる手が痛い。

 俺の隣には真顔で本を読み続ける奉太郎、目の前には何かを話し込んでいる千反田と伊原の姿があった。

 伊原は俺が見てるのに気づくと、口を開く。

 

「ちょっとあんたらも見てよ。どれがいいと思う?」

 

 伊原が俺たちに向かって並べだしたのは五枚の写真だった。これはドレスか?てか

 

「伊原てめぇ……昨日『一眼貸して』って言ってたのはこんなもの撮る為かよ」

「別にいいじゃない。減るもんじゃねないし」

 

 減るよ。メモリーカードが。先程返された一眼をリュックの中から取り出し、メモリーをチェックする。

 手ブレ補正が付いているためブレた写真は無いものの、撮り方が気に食わなかったのかいくつか撮ってあった。俺はそれを無感情で消していく。

 

 大方、ホーリーナイトに着ていくドレスだろうな。里志を社交ダンスに誘ったって言ってたし

 

「奉太郎、里志は伊原の誘いをOKしたのか?」

「してないと思うぞ」

「伊原は行く気みたいだけど?」

「里志は総務委員でホーリーナイトの出席は決定事項だ。伊原が行くとなれば、踊ることは避けては通れない」

 

 はは……。そもそも里志が伊原のそういう色恋沙汰関連を避けている理由は分からんが。

 男子高校生たるもの、俺達男三人は帰り道によくやる擬似議論会で女子にまつわる話もするというのに。何を話しているかはここでは言えんが。

 

 クラスの男子に聞いた話によると、ホーリーナイトに女子から社交ダンスを誘われる時点で神高では勝ち組の部類に入るそうだ。大体の生徒は社交ダンス直前で帰り、社交ダンスを踊る男女ペアのみが最後まで残るらしい。悲しい現実よ。

 勿論俺と奉太郎には誘いは無し。誘う予定もない。

 そもそも俺達はホーリーナイト自体に参加しないしな。当日は勘解由小路家で七面鳥にでもかぶりついているだろう。

 

「で、あんた達はどれがいいと思う?」

 

 伊原の催促に俺と奉太郎は文庫本に目を通しながら答える。

 

「左から三番目」「一番下」

「見ていえ。一番下ってなによ」

「それで、ちーちゃんは決めた?」

「いえ、私は摩耶花さんが決めてからで大丈夫ですよ。貸してもらう身ですから」

「千反田もホーリーナイトに出るのか?」

 

 奉太郎の意外そうな声質に千反田は言った。

 

「えぇ」

「社交ダンスに誘われてるのか!?」

「いえ、私はただ参加するだけです。クリスマスパーティーに興味がありますので。クラスの男子ともそこまで仲良くは無いので誘われないんですよ」

 

 ふーん。千反田なら誘われてそうだけどな。

 

「ところで、南雲さんは服、どうするんですか?」

「俺?俺はホーリーナイトでないぜ」

「え、あんた桜さんから誘われてるんじゃないの?」

「俺がか?バカ言うな。喧嘩売ってんのか」

 

 千反田と伊原は顔を見合わせ、大きく溜息をついた。なんだよ、藪から棒に失礼な。桜とは毎日顔を合わせているが、そんなことは一言も言われていない。

 

「しかし、タダでご馳走が食えるとなれば、行く気も少しは起きるよな。里志をからかうことも出来るし」

 

 奉太郎がそう言うと、伊原が噛み付いた。

 

「へぇ、それは私に無理やり踊らされてるふくちゃんって事かしら?」

「いや、冗談だよ。冗談」

 

 奉太郎が伊原に詰め寄られたその瞬間、地学講義室ドアが勢いよく開かれた。そこに立っていたのは勿論

 

「やぁ、ホーリーナイトの話題で盛り上がっている我が同志達よ」

「里志、いつから聞いてたんだ」

「摩耶花の『あんた達はどれがいい思う?』から」

「最初からじゃねぇか」

 

 里志は『ふふん』と言いながら首をすくませた。なんだ、随分ご機嫌じゃないか。

 里志は俺たちに近寄ると、指を一本立てながら言った。

 

「ハル、ホータロー。面白い話があるんだけど、聞くかい?」

 

 里志がこう言った時には、なにを言おうが話し始める。だから俺達はこう答えざる負えないのだ。

 

「あぁ、話してみろよ」

 

 そう言うと、里志は両腕を演説でも始めるかの如く、大きく広げた。

 

「じゃぁ話させてもらうよ!《月夜の背教団事件》!」

 

 これが、《神高ホーリー・ナイト》を巡る、俺達古典部の新たなる謎解きの始まりだった。

 

 

 




次回《The School Of Night》




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第二話 関係性

「月夜の背教団事件〜?」

 

 里志の言葉にいち早く眉を寄せたのは伊原だった。勿論俺と奉太郎もそれに続き怪訝な顔で里志を見る。

 しかし里志は動じない。たとえ俺らが興味を持たなくても、一定の人物が興味を示せば、俺達が動かざる負えないことを知っているからだ。

 

「《月夜の背教団》……。福部さん!!ぜひ聞かせてください!!私、気になります!」

 

 ほらみろ。

 

「まぁ聞きなよ」

「聞いてるよ」

「僕も今日の総務委員の定例会議で知ったんだけどね、《ホーリーナイト》以外に面白い話があったんだ。今月の十二月から夜の学校に侵入してる生徒達がいる」

 

 俺たちの里志に向ける視線は少し難しいものになった。

 夜の学校に侵入してる生徒……か。だが

 

「なんで総務委員はそれが生徒だって分かったの?考えたくはない話だけど、全くの部外者が侵入してるって可能性もあるじゃない」

 

 伊原が言う。最もな意見だ。しかし、里志がここまでいうからには、侵入した人間が生徒という確証を持っているのだろう。

 考えているうちに里志は口を開いた。

 

「発見したのは総務委員じゃなくて見回りをしている教員なんだけど、制服を着ていたそうだよ。ただ、生徒達って聞くと集団で行動しているように聞こえるけど、実際はそうじゃない。彼らは毎日一人ずつで行動してる。日によって見つけた生徒達の体格が違うから犯人が一人じゃないのは間違いないらしい」

「ってことは、まだその侵入した生徒達の人数も分かってないんだろ?」

 

 奉太郎が口を挟んだ。千反田は奉太郎の意見の意味を理解できないようで、誰にともなく聞いた。

 

「え?え?どうしてですか?十二月に入ってから犯人さん達は当番制で夜の学校に侵入してるって事ですよね?だとすれば、十二月に入ってから犯人さん達が目撃された回数が人数と比例するのでは?」

「ちーちゃん、それは確定出来ないよ。夜の学校の侵入した人達が一人じゃないって分かった理由は体格の違い、多分見回りの先生達は夜の学校っていう暗闇の中で生徒を見つけた。つまり顔は分かってないの。例えば体格が太ってる人、痩せてる人で判断してるとしたら犯人は二人の可能性もあるし、似た体格の人が犯人の中に複数いるかもしれないからね。私、折木と南雲を遠くから見ても分かんないし」

 

 伊原がこちらを見ながら言った。そうかよ。

 すると奉太郎が頷き、里志の方向を見ながら言った。

 

「そういう事だ。それで?それがどうした?」

 

 里志は『もう分かってるくせに』と言いたげな顔をしながら俺と奉太郎を交互に見る。

 奉太郎も苦い顔をし始め、多分俺も同じ顔になっている。

 

「いやぁね。《氷菓事件》、《女帝事件》、それに加えて《十文字事件》にて《十文字》を追い詰めた僕達にはこの学校で行われている不法行為を粛清する立場にあると思うんだけど、二人の意見を聞きたくてね。どうだい?今夜学校に忍び込んで……」

「「断る!!」」

 

 何を言ってるのだこいつは。

 お前が名付けた《月夜の背教団》ってのは無断で学校に忍び込んでる奴らの事を指しているのなら、夜の学校に忍び込んだ時点で俺達も見事に仲間入りだ。

 それに、なんでわざわざ俺達がそいつらを捕まえなきゃならない。

 

 里志は深く肩を落とした。そしてわざとらしく勢いよく顔を上げる。

 右手の拳を顔の目の前まで上げて、力を入れて震わせ、中腰になりながら言う。

 

「情けない!!実に情けないよ二人とも!!君達ならこの学校に潜む悪の組織を壊滅することの出来る力を持っていると言うのに、宝の持ち腐れもいいところさ……!!!」

 

 里志がいつも通りオーバーなリアクションを千反田に見せつけるようにやる。こいつ、千反田が動けば俺らも動くと思ってんのか?

 それになんだ悪の組織って。

 すると千反田が飛び上がるように立ち上がった。

 

「いけません!!いけません!!確かに《月夜の背教団》さん達は悪いことをしています!ですが、古典部部長としてあなた達を夜の学校に侵入させるような校則違反を見逃すわけにはいけません!!」

「へ?」

 

 里志の情けない声。

 

「いや、千反田さん!!謎だよ?事件だよ?彼らがどうやって見回りの教師陣を振り切ってるのか、どうして夜の学校に侵入しているのか、気にならないの!?」

「気になります!」

「そうだよね!それが千反田さんだ!!さすがは千反田える!ガブリエル!!」

「ですが駄目です。私も節度はわきまえています!」

「そんな!!」

 

 いけいけ千反田!!

 

「ま、摩耶花は?」

 

 里志は伊原の方向へ顔を向ける。

 

「ふくちゃん、ちーちゃんに悪い事をするような事を吹き込まないで」

 

 里志は全員から否定意見を受け、顔をクシャッと歪ませる。そして、今度は本当に肩を落とした。

 

「そんなぁ……」

「んじゃ、里志が来たところで帰るか」

 

 俺

 

「だな」

 

 奉太郎

 

「帰りましょ」

 

 伊原

 

「みなさんお疲れ様でした」

 

 千反田

 

「あぁ!ちょっと待ってよみんな!!」

 

 部室からゾロゾロ出る俺達の背中を、里志の情けない声が追いかけてきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 【十二月 十日 水曜日 八時十五分】

 

 

 

 

 朝の通学路でクラスメイトや部活仲間に出逢えば朝の挨拶を交わすというのは、世間一般では常識に属する。

 これは一種の社会通念を日々の学生生活と共に無意識に身に付けておくものであり、いわば手を洗ったり、歯を磨いたり、風呂に入ったり、食事をしたりなどと同じ狂う事の無い絶対的な領域にも属している。

 

 ただ、俺はやはり社会的な常識にかけている部分があるのか、特に親しくも無い人間に対し挨拶を交わして良いものなのかと、思ってしまうのだ。

 だから俺達は気付かないふりをする。気付かなければ挨拶をする必要もなければ、それ以前に言葉を交わす必要も無い。

 必要性が出てくるから人間は行動する、必要性がなければ行動はしない。これは人間の本質だ。ならば、挨拶を交わすのを躊躇うために知り合いを見て見ぬ振りをする俺は、人間の本能的な部分を上手く利用していると言っても過言ではないのではないか?

 

「ひねくれてるね」

「そうか?」

「ひねくれてるさ」

「お前がそう思うならそうなんだろ」

 

 通学途中商店街のアーケード下で里志と出会った俺は、その後俺の横を通りかかるクラスメイトを無視した俺に『挨拶はしないのかい?』と聞いてきたので、今の熱論を里志にかました。

 

「じゃぁお前は通りかかるクラスメイト全員に挨拶をするのか?」

「しないね。君の理論なら少しでも親睦のある人には挨拶をする必要性があるのかっていうものなら、僕は僕自身が興味を持った人間にしか親睦があるとは思ってない。つまり僕にとって興味のないクラスメイトは、今このアーケード下を歩いているような社会人や他の学校の生徒の様なものさ。一般人に挨拶をする必要はないからね」

 

 お前の方がひねくれてるだろ。

 

「ところで聞いたかい?」

「聞かないな」

「だろうね」

「早くいえ」

「天津さんが動き出した」

 

 天津木乃葉。今年の夏休み明けに転校してきた女子生徒。一年E組所属。自称《探偵》。

 《十文字事件》では探偵役の一人として動いていたらしいが、《夕べには骸に》を持っていなかったアイツは、《十文字》の正体に辿り着くことは出来なかった。

 

 ただ、奴は《カンヤ祭の歩き方》を使って《十文字事件》がクリスティーの《ABC殺人事件》を模倣している事を突き止め、《十文字》の犯行に協力した俺達の前に先月立ちはだかり、俺達を追い詰めた。

 その時に何故かライバル宣言をされたが、それ以降奴と関わったことはない。

 

「動き出したって……あれか?月夜の……」

「あぁ。仮にも自称《探偵》だからねぇ。事件には目がないのさ」

 

 事件好きの探偵とはこれまた物騒だな。

 だが、奴の探偵としての実力は俺達が一番知っている。

 

「ま、あいつが動くんだったら解決も近いだろ」

「……」

 

 里志はニヤケながらこちらを見てくる。傍から見れば気味の悪い笑顔だが、生憎俺はこの笑顔には慣れてしまった。俺は聞く。

 

「なんだよ」

「簡単な話さ。彼女は君らにライバル宣言をした。彼女の性格からして、君らが解決に動く事を望んでいるんじゃないかって思うんだけど?」

「はっ、《月夜の背教団事件》を使って俺らと推理対決ってことか?勘弁してくれ」

「それは彼女に直接言ったらいいさ」

 

 その後俺達はたわいない話を繰り広げ、神山高校に足を踏み入れた。朝練をする連中を横目に昇降口で上履きに履き替え、四階までの階段を登ろうとする……と。

 

 ガシャ……!

 

 ん?

 

 見ると、松葉付を付いている一人の男子生徒が階段でつまずいていた。里志はいち早くその男子生徒に駆け寄り、松葉付を拾う。

 

「やぁ、黄瀬(きせ)くん。大丈夫かい?」

 

 男子生徒は顔を上げ里志に気づき、『おう』と声を上げた。学象を見る限り、一年生だ。俺も黄瀬と呼ばれる男に近寄り、スクールバッグを持ち黄瀬に肩を貸す。

 四階まで登りきったところで、黄瀬は顔を上げ気前のいい顔で言った。

 

「悪いな、助かったぜ福部……それと……」

「南雲だ」

「ありがとな、南雲」

 

 黄瀬は振り返り、自分のクラスに松葉杖を付きながら歩いていった。俺は隣で微笑む里志に聞く。

 

「どういう変人なんだ?」

「失礼な。僕が変人としか縁がないなんて思わないでくれよ」

「名前まで知ってて、肩まで貸したんだ。お前が大好きな奇人変人の一人だろあいつも」

「違うさ。ただの同じクラスだよ。強いていえば、十二人いるサッカー部唯一のベンチ。文化祭前に行われた市大会とは別に行われるサッカー大会《秋の神山サッカー大会》の前の練習試合で足を骨折。結局今年のシーズンは一度も大会に出られず終わったらしいよ」

「ど、同情するな」

「ま、まだ二年あるさ」

 

 俺らも一年だしな。それに今の三年が引退し、次の一年生に特別上手いやつがいなければ、黄瀬のレギュラー入りは希望的なものに代わりつつあるだろう。

 

 軽く振り向くと、ピンク色のダッフルコートを着た桜が階段から登ってきていたので、俺は言った。

 

「よう。おはよう」

「南雲くん、おはよう。福部くんも」

「やぁ桜さん。おはよう」

 

 そう言って桜が行ってしまったあとに、里志が言った。

 

「桜さんは、挨拶をするほど特別仲のいい友達に入れるんだね」

 

「……まぁな。」

 

 ダッフルコートか。暖かそうだな、あれ。

 

 チャイムが鳴り、俺と里志はそれぞれの教室に駆け込んだ。

 





次回《The School of Night》




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第三話 The School of Night

 評価を頂きました!

 9評価 ホリョさん

 ありがとうございました!

 オリジナルの話ですので、問題提示で分からないことがあれば、活動報告または、感想欄にてお待ちしています。


 校則に反した事は今まであっただろうか。覚えてはいない。

 

 『校則は破るためにある』、とはよく聞く言い回しだが、事実この言葉を正当化し理に反するような行為をした人間を俺はこの目で見たことがない。

 そもそも生徒手帳を一回も開いたことのない俺は神山高校の校則など一つも知らないわけであって、興味もない。しかしそれは一種の言い訳に過ぎないのは重々承知である。『殺人罪や傷害罪を知らなかったから、人を殺しました。』なんてものは法廷じゃぁ通じない事が分からないようでは小学生もやっていけない。

 圧倒的な常識の前では『知らなかった』だけで事は通じない。無知は罪とはよく聞くが、これに関しては水が上に流れるようなもの。自然の摂理に反するのだ。

 

 なら俺は、俺達はこの場をどう切り抜けるべきだろうか。

 

 時は【十二月十日 水曜日 十九時四十五分】、()()()()()()()

 

 冬になると日が落ちるのが早い為、生徒の完全下校時刻は十八時半。

 

 俺の隣にいる福部里志と折木奉太郎も、顔色が怪訝なものに変わり、顔を伏せている。

 俺達の目の前にいるのは生徒指導部の男性教諭。担当科目は体育。……もちろん、怖いことで有名だ。

 

 これでわかったと思うが、俺達は完全下校を過ぎた時刻に学校で《あること》をしてしまい、こうして指導を受けているわけであるが、俺達が顔を伏せているのはそれだけが理由ではない。

 

 ()()()()()()()()()()。こんな事は。

 

 明らかにおかしい。一致する事の無い俺たち三人の心境は、珍しく同じだろう。

 

 だから俺達は、次に発せられる生徒指導部の教師の言葉の意味を理解するのに、時間がかかったんだ。

 

 

「古典部は二週間の活動禁止を命ずる」

 

 

 あぁそうだ。なぜこんなことになったんだ。あれは……一時間ほど前に遡る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 生物の実験レポートの提出が明日に迫った、十二月十日 水曜日 十八時半。俺はレポート用紙を教室に置いて来たことを思い出し、奉太郎に電話をした。学校に向かうより、奉太郎の家の方が勘解由小路家から近いのだ。レポートのコピーを頼みたかった。

 明日の朝一でやればいいものではあるが、残念ながら生物の授業は一時間目なのだ。これはまずい。

 

 折木家への電話の内容は実に中身のないものだった。

 

『生物のレポートのコピーを頼みたい』

『わかった、今から来れるのか?』

『あぁ』

『あ……』

『どうした?』

『俺も忘れた』

『『……』』

 

 

 

 夜。十九時が近くなった所であるにも関わらず、冬の夜は闇に包まれていた。自転車のライトだけが辺りを照らし、商店街のアーケード下に入る十字路で奉太郎と合流。待ち合わせをしていた訳では無い。偶然だ。

 

「学校に入れるものなのかな?」

 

 俺の呟きに奉太郎は特にリアクションもせずに答えた。

 

「《月夜の背教団》のことか?」

 

 頷く。

 

「里志の話が本当なら、学校の警備はいつも以上に慎重になっているはずだが、事情を話せば入ることなど造作もないだろう」

 

 ごもっともで。人気のないアーケード下をくぐり抜け、目の前の交差点を突っ切り、道なりに進む。

 神山高校が見えてくるが、窓から見える光は一階の職員室のもののみ。今の学校に生徒が一人もいないことが分かる。まぁ完全下校がすぎている時点で、それは確かなものだ。

 

 いつもの駐輪場に自転車を止めようにも校門が開いていないので、校門の前に自転車を置き、奉太郎が校門に付いているチャイムに手を伸ばした。時だった。

 

「…こっちだよ…!」

 

 聞きなれた声。俺達は視線を声のする方へ向ける。そして溜息を付いた。女と見間違えても不思議ではない低い背丈、不敵なニヤケ顔、不審者と間違われても仕方の無いような黒いパーカーを羽織った福部里志が校門より少し離れた場所で俺達に手招きをしていたのだ。

 奉太郎と顔を見合わせ、俺達は里志の方向へ向かう。里志は何故か腰をかがませ中腰の様な姿勢を取り、まるでスパイ映画の主人公のようにつま先だけでこちらにも歩み寄ってくる。変人め。

 

「やぁ、奇遇だね」

 

 飄々とした声に奉太郎が返す。

 

「何をしている」

「分かってるくせに」

 

 大方、《月夜の背教団》の調査って言ったところか?奉太郎もそれは分かっているようで、里志をジト目で見ながら言った。

 

「なら正規の方法で入ればいい。何をコソコソと」

「甘いよ奉太郎。アリスの春期限定いちごタルトより甘い」

 

 何を真顔で言ってるんだこいつは。

 

「君達なら分かっているとは思うけど、僕は《月夜の背教団》の調査にここに参上したのさ。正規の方法で学校に入ったとして、調査が長引けば生徒指導部に怪しまれる。どこかに壊れたフェンスの入口みたいなのがないか探していたところだよ。ところで見てよこれ、今日学校帰りに買った黒いパーカー、さらにフードを被れば闇に溶け込める」

 

 そう言って里志はフードを自分の顔で隠すように被る。随分と用意周到だこと。

 

「ところで、こんな夜に二人は何をしていたんだい?まさか《月夜の背教団》の調査に!?」

 

 里志の声に抑揚が入る……が、俺はそれを即答で否定した。

 

「違う。生物のレポート用紙を取りに来た。俺らは正規の方法で入るからな」

「生物のレポート……?そんな、まさか!?」

「お前、まさか忘れてたわけじゃあるまいな?」

 

 奉太郎の言葉に里志の顔が引き攣る。こいつは……、こんな事をする暇があるならもう少し勉学に力を入れたらどうなんだ。

 んじゃ、そろそろ。

 

 俺と奉太郎が校門まで戻ろうとすると、里志は俺達の肩を片手ずつで掴んだ。

 

「まぁ待ちなよ。君達が正規の方法で学校に入れると思っているなら、それは愚行さ」

「なんだって?」

「言っただろう?《月夜の背教団》の件に関しては、総務委員が動いてる。総務委員を動かしてるのは田名辺先輩じゃない。間接的に辿れば教師陣だ。つまり《月夜の背教団》は学校の内部でもかなり問題視されてるこの状況で、君達を学校に入れさせてくれると思うかい?」

「試してみないとわからない」

 

 奉太郎の言葉に、里志は『やれやれ、まだ分からないのかね』と首をすくめる。この反応からして、こいつも一度は正規の方法で学校に入ろうとしたということか……そして、今ここにいるということは……。

 

「正解さ」

「まだなにもいってない」

 

 俺。

 

「君たちの考えてる事は手に取るようにわかる」

 

 里志はニヤリと笑った。

 

「どうだい?いくら君達がめんどくさがり屋だとしても、ここまで来たのに何もせずに帰るほど、バカじゃないでしょ?」

 

 奉太郎は一度溜息をつき、軽く自嘲気味に笑いながら言った。

 

「ふん。そうさ、ここまで来た。レポート用紙を取らずに帰れるものか」

「流石だね我が悪友。ハルはどうする?」

「奉太郎が行くなら俺の分も頼む」

「む?」

「なーんて、言えるかよ。……実際立ち会ってみれば、結構面白そうじゃねぇか。夜の学校に忍び込むなんてよ」

 

 俺はニヤリと笑った。多分、悪い顔だ。俺は確かにめんどくさがり屋だが、《省エネ主義》では無い。

 

「よしきた!こっちだよ二人とも、壁やらフェンスやらが壊れたイレギュラーな出入口があるかもしれない」

 

 愉快そうに走っていく里志の背中を、俺と奉太郎は追った。

 

 俺たち三人は学校の裏に回り、木で構成された蛇の道の様な道を通り、低いフェンスを挟んで野球部の部室の裏が見える場所にたどり着いた。

 勿論野球部はおらず、人気(ひとけ)もない。

 

 フェンスの高さは俺達の目線ほどで、難なくそれを乗り越え学校の敷地に侵入。敷地内に入るだけだとしたら、他にもルートはあるだろう。その後グラウンドを突っ切り校舎の俺達がいつも使っているグラウンド正面の昇降口前まで移動した。問題なのは、校舎内にどう入るかだ。勿論のことながら、昇降口のドアの鍵は閉められており、もう一つの昇降口も見るまでもないだろう。

 

 俺達は身をかがませ、出来るだけ目立たないように手招きをする里志を先頭に一列に歩く。

 里志の話では見回りの教師陣は四人。こんな情報どこで仕入れてんだ?

 

 黙って里志に付いていくと、いつの間にか校舎裏に到着していた。俺達は身をかがませ、校舎の壁に尻餅をついた状態で寄りかかる。位置的に今寄りかかっている校舎は、特別棟だろう。

 生物のレポート用紙があるのは、壁新聞部が部室として使っている生物講義室前の廊下。つまりここから侵入できれば、教師陣の見回りだけに注意し、レポートを取ることは造作でもない。

 

 俺は里志を見ると、奴はニヤリと笑い、親指で俺達のすぐ上にある特別棟一階の窓を指した。声を押し殺しながら里志は言う。

 

「ここの窓を事前に開けておいた。侵入するならここさ」

「随分と用意周到だな」

 

 奉太郎の呆れた声。

 

「抜かりはないよ」

 

 里志はゆっくりと腰を浮かせ、窓から中の様子を確認する。多分今里志が覗いている窓の中は教室ではなく廊下なのだろう。そして俺たちの方へ向き直り、首を振った。教師が見当たらなかったことを示唆している。つまり今特別棟にいる教師二人は二階と三階にいることが、分かるわけだ。

 里志は再びゆっくりと窓に手をかける。……が。

 

 ガタっ!!

 

 という鈍い音が鳴っただけで、窓は開かなかった。

 

「開かない……、やられたね。どうやら学校側は《月夜の背教団》を本当に警戒してるらしい。特別棟一階の端っこのこんな窓まで閉めるなんて」

 

 里志の悔しそうな声を聞いた途端に、俺は思わず声を荒らげながら言ってしまった。

 

「おい、どうするんだ?」

「静かにしなよ。しかし参ったなぁ……ここが閉められてるとなれば、他の窓が開いている可能性は絶望的だよ」

「……家庭科室ならどうだ?」

「それだよ、ホータロー!!それならまだ希望はある」

 

 奉太郎の言葉に里志はいち早く反応した。家庭科室?確かにあれも一階にあるが、なんでだ?

 

 俺の不思議そうな顔をみた里志は愉快そうに答えた。

 

「前にホータローには話したんだけど、うちの家庭科室の窓は基本的に閉められないんだ。仮に事故が起きた時なんかは、鍵が閉められてたら脱出に時間がかかるからね。生徒の安全を守るためさ。加えて、基本的に内側からのロックも鍵がなきゃ閉められないこの神高で、唯一内側からの手動ロックが施されているんだよ。そこならもしかしたら……」

「流石に鍵がかかった教室のドアを開けて、窓が開いているかは見回りの教師陣もチェックはしないだろう」

 

 奉太郎の言葉に俺と里志は頷き、再び身をかがめた状態で家庭科室の窓がある場所に向かう。廊下側の窓が校舎裏ということは、必然的に教室内の窓は校舎の真正面にあるのだ、仮に家庭科室の窓が開いていなかったら、かなりのハイリスクではあるが……。

 

 しかし……どうやって《月夜の背教団》は校舎に侵入した?犯行を行った初日なら若しかしたら窓の管理など見回りの教師陣はしてこなかったと考えられるが、教師陣に見つかり、学校側からもかなり問題視され、廊下に面している窓は、確定ではないが《全て閉められた》というのに。それ以降はどうやって?

 仮に今の俺達と同じ考えで、家庭科室から侵入しているのだとしたら、合点が行くのだが。里志の様に『基本的に家庭科室の窓は閉めない』等という無駄知識を持っている人間が、《月夜の背教団》にいるものなのか?

 

 気づくと俺達は特別棟一階、家庭科室の窓の前にいた。里志が窓に手をかけると。

 

 ガララ!!

 

 開いた。

 

「ビンゴ、ナイスだよホータロー」

「いいから早く行け。バレる前に生物講義室に寄って、とっとと退散するぞ」

 

 里志、奉太郎、俺の順番で家庭科室に侵入。

 

 勿論家庭科室には誰もおらず、静けさ特有の『キーン』とした音が耳を貫く。俺は家庭科室のドアに近づき、内側からロックが外れることを確認した。四角いレバーのようなものを降ろすスタンダードなタイプの開け方だ。今は鍵が閉まっていたので、今日は誰も家庭科室に侵入し、内側からロックを外した形跡はない。それとも。

 

「里志、この家庭科室、まさかとは思うが、外側からも手動でロックをかけられるわけじゃないよな?」

 

 奉太郎の質問に、里志は首振った。

 

「まさか。流石に外側からのロックは鍵がないとできないよ」

 

 確定だ。今日家庭科室の窓から侵入した生徒は、俺達が初めてというわけか。

 

 俺は言った。

 

「じゃぁそろそろ行こうぜ。たしか、家庭科室は出てすぐ右が階段だよな?そっから教師に注意しながら三階に登ろう」

「一人が捕まっても、他の二人を売らない同盟でもつくるかい?」

「ふん、そんなの作る必要も無いよ。……んじゃ、開けるぞ。」

 

 俺はレバーをしたに降ろした。ガチャり、という音と共に家庭科室のドアが開かれた、横開きのドアをゆっくりと開ける。顔の半分を出し、右、左と廊下をチェックしたところで、後ろにいる二人に合図をだす。

 

 俺が廊下から出ると、二人もそれに続いた。そして、里志はおもむろに言った。

 

「さぁて、行こうじゃないか。夜の学校の大冒険」

 

「あぁ、さっさと終わらせるか」

 

 俺達は、すぐ右の階段を登り始めた。




次回《活動禁止》




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第四話 最悪の判決 ※前書きにてアンケート実施中

お気に入り400&評価者様40突破ありがとうございます!

これを記念とし、アンケートを実施します。解答は活動報告にお願いします。

《古典部達の休息 春の巻》にて、『晴とのコンビのこういう話を見たい』等がありましたら、下記に記されている登場人物の番号とおおまかな内容を活動報告にお書き下さい!出来る限りお答えします。一人幾つでもOKです。

 晴とのコンビ以外のお話も受け付けています。

 例 奉太郎、里志の原作コンビ
   千反田、伊原、桜の女子会

時系列的には《遠まわりする雛》の後のお話にしようと思っています。

※『〇〇との話なら、内容はなんでも大丈夫です。』と言って頂ければ、お話はこちらで考えさせて頂きます。
また執筆する際にお名前を出させて頂きますので、『名前を出されたくない!』という方は活動報告にその記入もお願いします。

①折木奉太郎
②千反田える
③福部里志
④伊原摩耶花
⑤勘解由小路晴香
⑥桜楓

活動報告にて、お待ちしております。




 【十二月十日 水曜日 十九時十五分】

 

 

 特別棟三階にある生物講義室に着くのは、そこまで苦労を伴わなかった。途中二階の男子トイレで見回りの教師から隠れ、その後三階へ。

 生物講義室は特別棟三階の一番奥に位置しており、壁新聞部が部室として使っている。以前に生物講義室にある古典部の文集のバックナンバーを取るために、壁新聞部の元部長の遠垣内将司の不法行為をダシに使ったが、あれは悪い事をした。人の弱みを握るなど、もってのほかだ。

 《十文字事件》の時も似たような事をしてしまったが。

 

 俺と奉太郎は生物のレポート用紙を一枚取り、四つ折りにしてポケットに忍ばせる。

 そして奉太郎が言った。

 

「ミッションコンプリートだな。さて、帰るか。もう一度トイレで教師陣をまこう」

 

 無言で頷くと、里志は不機嫌そうな顔と声で言う。

 

「なんだ、自分たちの用が終わった途端におさらばかい?夜の学校に侵入出来たのは誰のおかげだと思ってるのかな、まったく。《月夜の背教団》の調査に付き合ってくれてもいいんじゃない?」

「お前が事前に開けておいた窓は閉められていたろう。家庭科室を選択した俺のおかげといっても過言ではない」

「過言だね」

「話を聞こうか」

「過言さ。家庭科室の窓が基本的に閉められない情報を奉太郎に教えたのは他でもない僕さ。その僕からの義理を果たさないとは、いくらホータローでも頂けないね」

 

 奉太郎は一度ムッとした声で返した。

 

「お前は貸しをつくらない主義じゃなかったか?」

「それはいつの僕だい?福部里志は常に変化してるんだよ。アップデートさ」

「口が減らないやつだ」

「何をいまさら」

「お前ら一旦落ち着けよ」

 

 奉太郎と里志のいつもの言い争いを両手で止めた俺は、里志の方に向き直る。

 

「里志。今日、《月夜の背教団》が学校に侵入してるっていう証拠付けでもあるのか?」

 

 俺の言葉に、里志は得意げに首を竦めた。そして自分の後ろをこちらを向いたまま親指で指した。

 

「ここじゃぁ教師陣に見つかるのも時間の問題だ。話はトイレの中にしよう」

 

 俺達が階段近くの男子トイレに入ると、里志はポケットから一枚のルーズリーフを取り出した。それを携帯の明かりで照らす。

 そのルーズリーフにはこう記されていた。

 

 

 

 

 

 総務委員会 侵入者発見日時

 

 12月1日 月曜日 19時38分頃 普通等 2F 3年E組前

 12月3日 水曜日 19時26分頃 特別棟 3F 美術室前

 12月5日 金曜日 19時19分頃 特別棟 1F 会議室前

 12月8日 月曜日 19時32分頃 普通等 4F 一年B組前

 

 

 

 

 

 

「これは?」

 

 奉太郎の言葉に里志が続ける。

 

「昨日の総務委員会の会議で田名辺先輩が教師陣から貰った、《月夜の背教団》の生徒が見回りによって発見された日時を場所をまとめたものさ。それで注目してほしいのは……時間と曜日。君達なら、見れば判断が着くと思う」

 

 俺たちじゃなくても、これは分かる。

 

 《月夜の背教団》が侵入する日時には条件がある。

 月、水、金の三日。加えて、十九時半前後だ。

 

 まだ《月夜の背教団》が発見されてから一週しか経っていないため確定は出来ないが、今日は水曜日、この資料を見る限り今日侵入する確率は高い。そして、只今の時刻は十九時二十三分。

 しかし、だとしたら、《月夜の背教団》はどうやって学校に侵入した?家庭科室の鍵は閉まっていた。俺達と同様に家庭科室の窓から侵入したとしたら、廊下に出る為には内側からのロックを外さないといけない。勿論外側からのロックは手動では閉められないので、仮に《月夜の背教団》が家庭科室を侵入経路としたのなら、家庭科室から廊下に出るためのドアのロックは外れていなければならないのだ。

 

 俺はおもむろに言った。

 

「《月夜の背教団》の侵入ルートは……家庭科室以外のどこかって事か?」

 

 奉太郎も頷き、口を開いた。

 

「そうだな。だが、一階の廊下の窓の鍵は断定するには早いが、《全部閉められてる》。家庭科室と同様に教室内の窓を使って侵入したとしても、内側からのロックは家庭科室を除いて、鍵がなきゃ開けない。抜け道はどこにある?侵入経路はどこなんだ?」

「そうだね。それが問題だ。僕らでも知らない学校への穴があるって言うのなら、話は別だけど」

 

 俺たち三人は頭を抱えるが、一向にそれらしい答えは出てこなかった。そうしているうちに時間は二分ほど過ぎ、そこで里志がおもむろに言った。

 

「考えるのは明日にしよう。窓のロックがかけられてる事が分かった時点で収穫さ。今日は一度帰ろう」

「《月夜の背教団》を捕まえに来たんじゃないのか?」

 

 俺が意外そうな声に、里志は首を竦め『ばかな』と言って笑った。

 

「それは無理な事だよハル。仮に《月夜の背教団》を捕まえたとして、どうやって教師陣に突き出すのさ。『生物のレポート用紙を取るために学校に侵入していたら、近頃先生達の間で問題視されていた、学校に不法侵入している生徒を捕まえました』って?それじゃぁ僕らも共犯にされかねない」

 

 目的は違えど侵入してる時点で俺達も共犯みたいなもんだろ。

 

「それに、総務委員以外の生徒はこの件を知らないことになってるんだ。僕ならともかく、総務委員じゃない君らが知ってるのはおかしなことになるんだよ」

 

 総務委員会以外は知らないだって?ほう……、だとしたら、なんで事件解決に()()()()の天津が動いてるんだ?

 と、言おうとした時には、既に里志はトイレの入口に歩き出していた。……ったく、大方、俺らを動かすために天津に情報をたれ込んだんだろうな。

 

「二人とも……今は教師陣はこの階にはいない……今のうちに出よう。」

 

 奉太郎と顔を見合わせ頷き、俺達はトイレを出る。すると。

 

 

 カツン、カツン、カツン

 

 

 足音が聞こえた。その音に思わずギョッとし、俺たち三人は聞こえる方向に視線を向ける。そして、目を見開いた。

 

 特別棟三階……廊下の遥か彼方に、一人の制服を着た中肉中背の男子生徒が立っていた。そして、俺達を挑発するかのように上履きを廊下のフローリングに叩く。学校は闇夜に包まれており、顔は見えない。

 

 あいつが……。《月夜の背教団》の一人……。

 

 男子生徒は上履きを鳴らすのをやめ、こちらを見つめていた。里志がおもむろに聞く。その声はどこか抑揚しており、興奮してさえ聞こえる。

 

「やぁ!君が最近学校に侵入している生徒の一人なのかい?」

 

 無言。里志はなおも続ける。

 

「君たちの事は教師陣もかなり問題視している。捕まるのも時間の問題だ。どうだい?僕は個人的に君達に興味を抱いている。正体と目的を教えてくれるんだったら、総務委員会の僕が君達が捕まらないように手を回してあげても構わない。いい手段でしょ?」

 

 とんでもない総務委員だな。まったく。

 俺は男子生徒の方へ視線を向ける。校章の色を確認しようとするが、やはり遠すぎるのと暗いので見えない。色さえ分かれば学年だけでも確信を持てるはずのなのに。

 

「二人とも、捕まえよう。」

「捕まえる気はなかったんじゃなかったのか」

 

 奉太郎の声。

 

「うん。捕まえても教師陣には突き出さない。顔だけでも確認して、あとから報告する。三二ーで行くよ」

「お、おい里志!!」

「三……」

 

 奉太郎の軽いため息、そして何とか走る準備を整えた。

 

「二……」

「一……」

 

 ダッ!!

 

 俺達は三人は同時に廊下の床を蹴り、男子生徒に向かって走り出した。向こうも少し遅れて、()()()()()()()()走り出す。

 男子生徒と俺達のちょうど中間地点に階段がある。このまま行けば、捕まえることは楽勝……、なに!?

 

 男子生徒は俺達が階段に着くより早く、階段に到着し、したに降りていく。足が速い……!!

 

 俺達も階段を降り二階へ、一段ごとに降りるのではなく、ほぼ三段や四段飛ばしで階段を降りていく。しかしそれは男子生徒も同じだ。しかも俺らより早い。

 二階からさらに一階に降りていく気配を感じ、俺達は一階へ勢いを緩めること無く降りる。そして俺は、ここで男子生徒を捕まえられることを確信した。

 

 特別棟一階には外へ出る手段がない。特別棟にも昇降口はあるが、それこそ鍵が閉められているはずだ。特別棟から出るには一度二階の連絡通路を渡って普通等に移らなければならないのだ。勿論廊下の窓からの脱出は可能だが、そんな事する余裕がある程、奴と俺たちの距離は離れていない。……が

 

 

 

 

 それは、俺らの()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 一階に降りたところで、右、左と長い廊下を確認するがそこには男子生徒の気配なく、闇に包まれた廊下だけが静かに俺達を待ち受けていた。そして……一階から二階への階段の踊り場から、一閃の光と共に、大きな声が飛んできた。

 

「おい!!お前ら!!そこで何をしている!!!こっちへこい!!」

 

 見回りの教師の一人に、見つかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺達は普通棟一階の職員室を通った先にある、生徒指導室に放り込まれた。

 

 押されるように生徒指導室のソファに座らせられ、俺達を脅かすかのように……いや、今まで黙って侵入されていた鬱憤を晴らすかのように生徒指導部は丸めた冊子のようなもので、ソファの目の前にある机を勢いよく叩いた。

 

 ズカァン!!!!

 

 俺達は無反応。

 男性教諭は口を開く。名札を見たところ、この男性教諭は《永尾康敏(ながおやすとし)》というらしい。

 

「てめぇら、自分が今まで何をしたか分かってんのかコラ?学校への不法侵入……お前らが生徒だったから救いはあるかもしれねぇが、これは立派な犯罪なんだよ!!!

 

 語尾の部分だけ声を荒らげる。俺は反論の意を述べた。

 

「先生。確かに今日俺たちは無断で学校に入りました、ですが、今までとは?俺達は今日が初めてです。」

「あ?」

 

 そう。俺達は《月夜の背教団事件》。つまり、教師間で話題になっている不法侵入の生徒達の情報を知らないことになっているのだ。

 

「しらばっくれてんじゃねぇぞ、コラ。お前らは、これまでやってきた事を反省してねぇのか?」

 

 『お前らは』の部分で、一文字区切りながらご丁寧に五回机を叩いた。

 奉太郎も口を開く。

 

「先生が何を言っているのか、俺達には理解できません。ですが……俺達の他にも()()()()学校に侵入している生徒がいます。俺たちとは無関係ですが」

 

 次に里志。

 

「はい、ですので、もし良ければ特別棟一階をもう一度本格的に捜索してみては……」

 

 『いかがでしょう?』そう里志が言い終わる前に、永尾は再び机を叩いた。そしてその瞬間、永尾のポケットから金属のものが音を立てて落ちた。

 永尾はイライラしながらも、それを拾い上げる。

 

 しかし、俺たち三人はそれが何かすぐに確信した。

 

 マスターキー。この神高全てのドアを開けることの出来る鍵だ。……そしてその瞬間に、俺達の余裕は焦りと疑問に変わった。

 俺達が今まで永尾からの怒りに余裕を覚えていたのは、俺達が《月夜の背教団》ではないという明確的な証拠付けが出来る可能性があったからだ。

 しかし永尾がマスターキーを持っているとなると、それは限りなく絶望に変わった。

 

 そんな、それなら、どうやって……?

 

 俺達はおもむろに顔を下げる。そして、永尾は順番に俺達の名前を口ずさんだ。

 

「南雲晴、折木奉太郎、福部里志……《古典部》か。お前らが今まで学校で何をやっていたかはわからん。けどな……それはどうでもいいんだ。今回は特別だ、黙って家に帰れ。次に侵入するような事があれば、容赦はせん。そして」

 

「《古典部》は二週間、活動禁止だ。部室への立ち入りも禁ずる」

 

 

 そんな、()()()()()()()()は、俺達の耳に入らなかった。ただ俺達の中に残るのは、疑問…ただその一つだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ありえない、ありえない、ありえないじゃないか!!」

 

 帰り道、自転車を押しながら里志は同じ様な言語を繰り返していた。

 

 俺達の心境は、多分同じだ。

 

 特別棟一階に男子生徒を追い詰めた時、俺達は奴を見失った。

 

 昇降口もなく、窓も開けておらず、教室への全てのドアがロックされたあの場所、いわば《密室》で、俺達は奴を見失ったのだ。

 ならどこへ隠れたのか?理由は一つしか思い浮かばない。

 

 ()()()()

 

 俺達はあの男子生徒、《月夜の背教団》がなんらかの方法でマスターキーを手に入れ、それを使って今までの教師陣や、今日の俺らを撒いたのではないかと予想を立てていた。しかしその推論は、永尾がマスターキーを持っていたという明確的な証拠が打ち砕いた。

 

 ならどこへ奴は逃げた?仮に窓から脱出したとなれば、開いた窓から夜風が必ず廊下内に侵入し、音が鳴る。犯人の心境からして俺達には追われている最中に窓から脱出し、ご丁寧に開いた窓を閉めるという手段には出ないだろう。これは確定と言ってもいい。

 

 だから奴の逃げ道は教室内と思って間違いない。奴はなんらかの方法でロックが掛かっている教室内に侵入出来る方法を知っている。

 俺達に追われている中、迅速に教室内に入れる方法を。しかし、それは何一つ思い浮かばない。

 

 商店街のアーケード下をくぐり抜けると、奉太郎が俺と里志に聞こえるような声量で、言った。

 

「《古典部》、二週間活動禁止だと……」

「あぁ、千反田さんと摩耶花になんて説明したら……」

 

 あはは、それも考えなくちゃな……。

 

 十二月の星空の下……《月夜の背教団》に冤罪を負わされた俺達古典部は、光り輝く月夜を、ただ眺めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 神山高校、とある教室。

 

「どういう事だ?俺達の他にも学校に侵入してる生徒がいたぞ!!」

 

 男が声を荒らげた。

 

「まさか……一体どこから入ったんだろう」

「知るかよ……だが、永尾に捕まってた」

「間抜け」

「馬鹿が。そいつらも俺達と同じで、()()()()()()()()を知っている。今日逃げ切れたからと言って、あまり調子に乗るなよ。そいつらは俺達の計画を潰しかねない危険分子だ。警戒だけは怠るな。……それで、今日の分は終わりだろ?」

「うん」

「この行動に、意味があるのかねぇ。教師陣の俺達に対するマークも、かなり高まって来てる」

「大丈夫……多分順調のはず」

「なら安心。最高の舞台で、俺達は《復讐》を果たす」

「うん。最高の舞台……」

 

 

 

 

「《神高ホーリー・ナイト》で………」

 

 

 





次回《調査開始》




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第五話 四人の探偵

今回は短いです。

明日辺りに《古典部達の休息 春の巻》にて、番外編を更新しようと思います。


 友人や知り合いがその人間らしからぬ行為や言動を取った時に、それを見た第三者は何かがあったのではないかと思考する。

 しかし思考が追いつかず、明確な『答え』というものが見つからなかった時は、自分に非があるのではないかとステップアップするのだ。

 そしてその場合は然るべき行動をするのが、いわば頭を下げるのが世の常、人の常、だからこそ

 

「「「すみませんでした」」」

 

 俺達馬鹿三人(俺、奉太郎、里志)は目の前で仁王立ちをする少女二人に可能な限りの謝罪の言葉を浴びせていた。

 伊原が口を開く。いや、俺達が謝っている間は常に口を閉じていなかったのもかもしれない。

 

「大体あんたらはその月夜のなんちゃら団を捕まえないって言ってた癖に捕まえようとしたしその為にわざわざ先生達の目を掻い潜って夜の学校に侵入して挙句の果てに見回りの教師に捕まって古典部が活動禁止を二週間も強制されましたってのはなんなのほんとあんたらがどう動こうがあんたらの勝手だけどそれに善良な生徒の私とちーちゃんを巻き込んだことに怒ってるのよ私はそれになんちゃらかんちゃら……」

 

 怖い、句読点がない。でもそれ以上に怖いのは……

 

「……」

 

 千反田ァァァァァァ!!なんでずっと黙ってるんだ千反田ァァァァァァ!!

 俺達がいる場所は普通棟四階一年B組。数十分間頭を下げ続ける俺達を横目に帰宅するクラスメイトの視線など、今はどうでもいいと感じてしまう。

 昨夜、学校へと無断で侵入してしまった俺達は、見回りの教師の一人である永尾康敏に見つかり、生徒指導部から古典部の二週間活動禁止を命じられてしまった。今日が十二月十一日なので、次に地学講義室に入れるのは二十五日のクリスマスな訳だが、その時には冬休みが始まっている。つまり次俺たちが地学講義室に入れるのは年明けの新学期になるわけだ。……あぁ。

 

「ほら、ちーちゃんからもなんか言ってあげなよ。まーたこいつら、悪さするから」

「いつも悪さしてるみたいに言わないでください」

「なんか文句あんの?」

「イエナニモ」

「折木さん?」

「はい」

「福部さん?」

「なんでしょう姫」

「南雲さん?」

「へい」

 

 千反田の目は伏せた顔の影響で垂れた前髪で隠れているが、光が失われていることが分かった。ここて、『おのれうらめしや』なんて言われた日には学校帰りに神社に寄ってしまうかもしれない。

 そして千反田は、呟くように言った。

 

「許せません」

 

 奉太郎が言う。

 

「当たり前だ。つくづくすまない」

「あなた達……いえ、私達に冤罪を浴びせるなんて……」

「へ?」

 

 里志の情けない声。

 

「ちーちゃん?えっとね、確かにこいつらが見つけた生徒に冤罪を浴びせられたわけだけど、こいつらもこいつらで勝手に学校に侵入したわけなんだから、自業自得っていうか……」

 

 伊原の説得も遅く、千反田は伏せられていた顔を勢いよく上げた。そして、その二つのアメジスト色の大きな眼球は、俺と奉太郎を捉えた。

 

「やっぱり、気になります……」

 

 ゾクリ。千反田からのお説教は上手く回避出来たと思ったが。これは、まさか。

 

 里志と伊原は千反田に視線を送る。千反田は興奮気味の、顔と声で俺と奉太郎の手を片方ずつ握って持ち上げた。

 

「何故《月夜の背教団》さん達が夜の学校に侵入し……先生方を惑わせたのか!どうやってこの学校に侵入したのか……その目的は一体なんなのか!!!」

 

 

 

 

「私、気になります!!」

 

 

 

 

「……ぐぬぬ、ハル……どうする?……いや、流石に決まっているか。生憎、俺は昨日の一件で虫の居所が悪い」

 

 そうだ。そんなの決まってる。俺はおもむろに言った。

 

「《月夜の背教団》は一人残らずとっ捕まえる。俺らに罪をかぶせたことを後悔させてやる」

「おぉ!!」

 

 里志の面白そうな声。そして里志の興味は奉太郎に向かった。

 

「それにしても、まさか……《省エネ》主義の奉太郎が自ら謎解きに挑むなんて、狐の嫁入り以外の何物でもないね」

「ふん。二週間の部活動が無くなったんだ、その分の過処分エネルギーを使うだけさ」

「ちょっとあんたら、そんな事言ってただこの状況から逃げたいだけじゃないの?」

 

 伊原の声に、ギックリしなかったと言えば嘘になる。俺は言った。

 

「なにをいう伊原一等兵。俺達はこの学校に潜む悪の組織をだな」

「あーはいはい、そういうのいいから。わかったわよ。正直、《月夜の背教団》が何を目的として夜の学校に侵入してるのか、私も少し興味あるし」

 

 見ると、千反田の顔はいつも以上に輝いており高揚した声で俺達に言った。

 

「それでは行きましょう!!《月夜の背教団》の正体を突き止めて、捕まえましょう!私達《古典部》なら出来ますよ!」

 

 俺達は、誰にともなく頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 side 田辺

 

 

「おーっすジロー」

 

 生徒会長である《陸山宗芳》、ムネが会議室のドアを開けて入ってきた。全く……

 

「お前はノックを知らないのか?ここは一応総務委員の場所だぞ?」

「こまけーことは気にすんな。お前しかいないんだからな」

「はぁ……それで、何の用だ?」

「そうそう、聞いたか?古典部のこと。アホだよなぁ、あいつら!」

 

 ムネはニヤニヤ笑いながら聞いてきた。大方、昨日古典部の数人が夜の学校に侵入してるのを見回りの教師に発見されて、活動禁止を食らったという話だろう。

 発見時間は十九時半……今月に入ってから行われている《不法侵入の一件》の犯人が見つかっている時間帯とほぼ同じことだから、今までの犯行も彼らのものだと断定されたらしい。

 

「聞いたよ。あの中には僕の後輩もいたんだよね。全く、総務委員のくせにやってくれる」

「どう思う?」

 

 ムネの顔はいつの間にか真剣なものに変わっていた。僕はそれに習うように、真剣な声で答える。

 

「……今までの犯行を行なった犯人は、彼らじゃない。今まで発見された生徒はみんな単独で行動していた。やり口が違う」

「同意だ。大方、犯人を捕まえるかなんかしようとして、見つかったってことだろ。ミイラ取りがミイラになるとは、このことだな。クク……」

「笑い事じゃない」

 

 南雲くん。……僕、《十文字》を最も追い詰めた生徒。探偵……。

 

「それで、どうするんだ?この学校の総務、平和と秩序を維持する総務委員長様は」

「平和と秩序を維持するのは生徒会長のお前の役割だろ。ったく。……決まってるさ」

 

 僕は笑った。

 

「可愛い後輩達が冤罪を負わされたんだ。黙ってるわけにはいかないだろ。ムネ、力を貸してくれ。不法侵入してる生徒を捕まえる」

 

 そう言って、拳をムネに向ける。

 

「ハッ!そう言うと思ったぜ、上等!」

 

 僕とムネは拳同士をぶつけ合わせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 side 入須

 

 

 

 

 普通棟一階総合掲示板。

 

 古典部が活動禁止か。理由は、数回に及ぶ夜間の学校への不法侵入。

 

「入須……どうかした?」

 

 江波が私の横で不思議そうな顔をした。私は視線を掲示板に向けたまま、返す。

 

「江波、お前はこの件……古典部が本当に犯人だと思うか?」

「ううん。少なくとも、あの人たちじゃない」

「何故そう思う?」

 

 江波は片手で口を抑えながら笑うと、こう言った。

 

「だって、折木さんと南雲さんがこんな《面倒なこと》するはずないじゃない」

「ふっ、違いない」

 

 私は後ろを振り向き、足を進める。

 

「入須、どこ行くの?」

「ちょっと用がある。不法侵入とは、くだらないことをするやつがいるもんだな」

 

 さて……どう動くのかな?南雲くん、折木くん。

 

 

 今回は私も、力を貸そうじゃないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 side 天津

 

 

 

 

 

「はぁぁぁぁぁぁあ!?」

 

 なんや、この掲示板。《古典部》は数日に及ぶ夜間の学校への不法侵入により、二週間の活動禁止って。

 

 いや……でもこんなんおかしい。さとっちから聞いた《月夜の背教団》は常に一人で行動しとる。ここに書いてある通りだとすれば、昨日の夜に見つかったのは三人……。

 今までの犯人のやり口やない。

 

 ……。

 

 おもろなってきたやないか……この事件……!!

 

 《月夜の背教団》、絶対ウチが捕まえたるでぇ!

 

 勝負や!古典部!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────────探偵達を動き出させる運命の歯車は、既に回り始めている。



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第六話 こだわらない勝敗

 【十二月十一日 金曜日 八時十五分 】

 

 

 朝は頭を働かせる気にはならない。

 奉太郎を崇めている訳では無いが、朝から無駄に頭を働かせて必要以上のエネルギーを消費する事は愚かだ。

 だが今俺の横を通り過ぎて行った同じ神高の生徒達は無駄に大きな声を張り上げながら元気よく登校していくのだ。本来高校生のあるべき姿がああいうものだとすれば、俺はやはり一般からは外れた人間なのかもしれない。

 

 次に俺の横を通り過ぎたのは神高の生徒で組まれたカップルだ。朝から見せつけるように登校するのも、一部の輩から見ればご迷惑な話だ。

 

「南雲さん。おはようございます」

 

 突如合流した道から現れたのは、黒くて長い髪の少女。女にしては高い背丈で、美形というには事足りる顔立ちだろう。

 

「うっす。千反田」

 

 千反田は俺の横に並んで歩き始めた。『朝から見せつけるように登校するのも、一部の輩から見ればご迷惑な話だ』と言った矢先にこれか。

 俺と千反田は別に恋愛関係にある訳では無いので、特に気にすることもないだろう。

 

「なにか分かりましたか?」

 

 千反田は曇った表情で俺に聞く。

 

「なにも。まずは侵入ルートから考えないとな。まぁ……こじつけだがいくつかのルートなら思いついている」

「それは!?」

「一つ。二階からの侵入。俺達が学校に侵入した時に特別棟、普通棟含め()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。だが……二階ならどうだろうか?二階の窓が閉められているのかはまだ確認出来てないからな」

「例えば、校舎の壁に沿って設置されている排水管なんかを使ってよじ登る。どうだ?千反田嬢」

 

 千反田は歩きながら下を向いた。むむ……

 

「その方法は私は違うと思います」

「ほう?その心は?」

「勘です」

「勘ねぇ……」

 

 だがこいつには、直感的に何かを感じ取る才がある。馬鹿にはできん。

 まぁ、仮に二階から侵入したとしたら、脱出ルートも二階じゃなくちゃならない。俺達がメンバーを見失ったのは一階だ。二階から侵入という筋はないだろう。

 

 いつの間にか学校に到着した俺達は、体育館から出てくる生徒達に視線を向けた。基本的に出てくるのは男女のペア。《ホーリーナイト》の社交ダンスに向けての練習会が社交ダンス部によって《ホーリーナイト》までの期間の朝と放課後に開催されているらしい。

 つまり今出てくる連中は《ホーリーナイト》の社交ダンスに参加する男女ペアという訳だ。

 もちろん。待っていれば見覚えのあるペアが出てきた。

 

 男の方。福部里志はげっそりとした顔付きで体育館から出てくる。

 一方女の方。伊原摩耶花は実に満足気な顔だ。

 

「おはようございます。摩耶花さん。福部さん。社交ダンスの練習会、お疲れ様です」

「よう」

「や、やぁハル。千反田さん。君達もどうだい?もう高校生なら、社交ダンスという大人の遊びを身につけておくのもありだとは思うけど?」

 

 嫌々やってる奴が何をほざいてるんだ。

 

「南雲、あんたまだ誘われてないの?」

「あ?桜が俺を社交ダンスに誘おうとしてるって話か?まだだねぇ、そもそもその話が本当かも怪しいけどな」

「あんたねぇ……」

 

 別に桜が俺を誘おうとしているとしても、別に直接桜に言われた訳でもない。こちらから誘う義理も特にはない。勘違いして欲しくないのが、これは決して冷酷な意味ではないのだ。

 桜が俺を誘おうとして困惑しているのを、笑いながら見ていたい訳では無い。

 

「よう!古典部!あ、今は違ったっけ?」

 

 煽るような声質が、俺たち四人の耳に情報を与えた。俺は顔を半分だけ振り向かせる。

 そこに立っていたのは

 

「陸山会長?」

「久しぶりだな。南雲。文化祭以来か?」

「えぇ、あの時はお世話になりました」

「こちらこそ。それより……お前ら放課後は空いてるか?」

「部活がないんで、空いてますね」

「自虐ネタか?そりゃ笑えない」

 

 陸山はふざけた笑から真剣な顔に変化し、俺たちにしか聞こえないような小さな声でそっと呟いた。

 

「《不法侵入の一件》について話がある。古典部全員で生徒会室に来てくれ」

「むむ!!」

 

 いち早く反応したのは里志だった。『これは面白くなりそうだ』と呟いたのは、陸山が俺達の前から消えて頃だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 【十二月十一日 金曜日 十一時半】

 

「つーわけで、今日の放課後残ってくれよ」

「予定がないから構わんが、陸山が一体俺達になんの用があるんだ?」

「さぁな」

 

 三時間目の体育、選択科目のサッカーを取っていた俺と奉太郎は、数日後に控えたリフティングの練習に励んでいた。

 テストのノルマは十五回。俺の最新記録は十回。奉太郎も同じくして十回。

 

 体育の授業のサッカーは基本四人一組のチームで構成されており、今では隣の二分割されたグラウンドで俺達とは別のチームの奴らが試合をしている。

 

「それより、ハル」

「ん?」

「忘れているとは思わんが、今日は金曜日だ。《月夜の背教団》が学校に侵入する日だ」

「分かってるよ。それがなんだ?」

「分からないのか?一昨日《月夜の背教団》は俺達と遭遇した時に片足で廊下の床を蹴っていた。音を出して俺達を挑発していたんだ。つまり、《月夜の背教団》は見回りの教師陣の前にわざと現れる。《月夜の背教団》が今日見つかれば、俺達の冤罪も晴れるんじゃないか?」

 

 なるほど。だが……

 

「でも、まず最初に疑われるのはまた俺達だろうな」

「違いない」

 

 《月夜の背教団》が今日の夜見つかれば、例えそいつが逃げきれたとしても真っ先に教師陣に疑われるのは俺たちであろう。

 反省もせずに再び学校に潜り込んだと疑われるに違いない。

 

 だとしたら今日の夜には俺達が家にいるという証拠を作らなければならない。出来るだけリビングで過ごし、家族の目に触れるというのが一番だろう。

 奉太郎が口を開いた。

 

「陸山はかなり頭が回る人材だと俺は思う。なにかアテがあるんじゃないか?」

「だったら嬉しい。でも、こんだけ考えてんのに侵入ルートも分からないってのは、なんだか悔しくないか?」

「そうか?」

 

 基本奉太郎とは話が合うのだが、やはりこいつは根っからの《省エネ》。自分が分からなくても、他の人間にわかればそれでいいと言うのだ。

 

「よう。そろそろ俺達のチームの番だぞ。南雲、折木」

 

 俺達に話しかけてきた同じクラスの男。名を《朱宮優斗(しゅみやゆうと)》。清潔感溢れる単発に、俺たちより少し高い背丈の《サッカー部》であり体育では同じチームに所属している。

 隣には同じクラスであり、同じチームの阿澄(あずみ)も立っている。

 

 俺たち四人は試合が終わったコートに向かう途中、俺は朱宮にふとある話題を振った。

 

「サッカー部も大変だな。確か、文化祭前にD組の黄瀬って奴が骨折したんだろ?大丈夫なのか?」

 

 黄瀬、黄瀬隼人。俺達が学校に侵入した一昨日の朝に、松葉杖を付きながら階段を登ろうとしていたのを里志と助けた思い出のある生徒だ。

 確か、《秋の神山サッカー大会》前の夏休みに行われた練習試合にて骨折をしてしまい、今シーズンは一度も試合に出れなかったと聞いた。

 朱宮は答える。

 

「まぁな。《秋の神山サッカー大会》で黄瀬はようやくレギュラー入りを果たしたってのに、不憫な話さ」

「レギュラー入り?里志、友達からは黄瀬は十二人いるサッカー部の唯一のベンチって事は聞いていたが」

「あぁ、まぁ理由があってな。《秋の神山サッカー大会》では一時的にスターティングメンバーに選ばれたんだ。……それより!南雲、折木、阿澄、この試合、勝ちたいか!?」

 

 朱宮の声は突然明るいものに変わり、ニヤリと笑いながら俺達に聞いてきた。俺達三人は黙って頷く。

 

「よっしゃ、今から作戦を教えてやる」

 

 

 

 

 

 

 俺たち四人はそれぞれいつも通りのポジションに付く。

 

 FW南雲、MF朱宮、DF折木、GK阿澄。

 

 いつも通りの作戦なら、朱宮が相手チームからボールを奪い取り、基本的にゴールまでボールを運んでくれる。

 そうなった場合は朱宮にマークが行く為、普段から目立たない俺はノーマーク。朱宮のパスをダイレクトシュートに持ち込むというのが作戦だが。

 

「な、南雲くん、頑張ってね!!」

 

 桜と倉沢がこちらに向かって手を振ってきたので、取り敢えず手を振り返す。自分の頬を両手で叩き

 

 

 ピーーー!!!

 

 

 ホイッスルと同時に俺は朱宮にボールを渡す。

 

 朱宮は難なく相手のFWを交わし、センターラインより少し相手のゴール側の場所まで来た。

 

「南雲!!」

 

 俺はパスを受け取り、ドリブルで更に進む。

 目の前に立ち塞がったのは相手のチームのMF。俺は朱宮から教わった、フェイントを試すべく右、左と相手のMFを惑わすが

 

「ふん!甘い!!」

「くっ……」

 

 ボールを取られ、前まで攻めあがっていた相手のFWにボールを回されてしまった。しかし

 

「カバー入るぜ、折木!!」

 

 奉太郎と、いち早くボールを取られたことに反応した朱宮が下がり、相手のFWに二人でかかる。

 

「おら!!」

「ちっ!!」

 

 激しいチャージ、しかし素人に負けるサッカー部では無い。朱宮はFWからボールを奪い取り、俺にパスを回すと同時に前まで上がる。

 俺と同じ位置に移動するまでに、時間はかからなかった。

 

 ボールを受け取った俺の前に立ち塞がったのは、先程俺からボールを奪い取った相手チームのMF。俺は再びフェイントを試すべく、右、左と移動する。

 

「何度やっても同じだよ!!南雲!!」

「生憎、同じ手は使わない主義なんで……ね!!」

 

 俺はかかとを使ってバックパス。そしてそれを受け取ったのは。

 

「悪いな……」

 

 そう言って呆気に取られた相手チームのMFを、D()F()()()()()は交わした。

 

「なに!?」

「一斉攻撃だ!!」

「カウンターを仕掛けられたら終わるぞ!!」

 

 ギャラリーからの驚きの声。そして、俺、奉太郎、朱宮は 三人は一斉に上がる。

 相手チームのDFも、流石に三人の攻撃はかわせない。DFはボールを所持している奉太郎にプレスを仕掛けようとするが……

 

「朱宮!」

「ナイス、折木!」

 

 ワン・ツーでDFを交わす。ゴール前、GKはまたしても奉太郎に集中するが

 

「ハル!!」

「ナイスパス!奉太郎!!」

 

 完全にノーマークの俺にボールが渡った。

 

 ゴールとの距離、僅か5メートル。俺の放ったシュートは、ゴールネットを大きく伸びさせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いや〜、負けちまったなぁ!」

 

 クラスに戻る途中、俺と奉太郎と朱宮は並びながら歩いていた。奉太郎が言う。

 

「悪いな、俺らのせいで」

「気にすんなって、たかが体育だ。ムキになってやる方がバカバカしいぜ」

「珍しいな……」

 

 俺の呟きに、両手を頭の後ろに回しながら朱宮は意外そうな顔をする。

 

「何がだ?」

「いや、体育会系の連中って、体育の試合の勝ち負けにも結構こだわるのが多い気がしてな」

「あー、まぁ少なからずそういう奴らはいるだろうけど、俺達の場合は弱小だからってのはあるからなぁ。神高がそもそも運動部は盛んじゃないってのもあるけど。黄瀬がベンチなのは確かだが、大して俺達レギュラーやベンチの間に差があるわけじゃねぇんだよ。みんなで試合出て、練習する。そういう思い出作りみたいなもんさ。神高の運動部ってのは。ま、言ってしまえば顧問が勝ち負けにもこだわる奴ではあるけどな」

「顧問?誰なんだ?」

 

 奉太郎の声は、俺たちの横を通り過ぎた女子陣の笑い声でかき消されてしまった。

 昇降口から四階までの階段を登るところで、俺は見覚えのある後ろ姿を見た。噂をすればなんとやら、黄瀬隼人が松葉杖を付きながら階段を登ろうとしていた。が……

 

 朱宮は黄瀬を無視して、いや、気づかなかったのか、そそくさ階段を登って行った。流石に俺は見て見ぬふりはできないので、黄瀬に話しかける。

 

「おい、大丈夫か?」

「南雲か……悪いな」

 

 その声に気付いたのか、朱宮は振り返り、笑いながら黄瀬に言った。

 

「黄瀬、いたのか。気づかなかったぜ!」

「勘弁してくれよ……」

「悪い悪い」

 

 俺と奉太郎と朱宮は黄瀬の荷物を持ったり、肩を貸しながら四階までの階段を登った。

 登りきった所で、黄瀬は言う。

 

「また助けられたな。南雲、黄瀬に……」

「折木だ。」

「折木、お前ら古典部か?」

 

 黄瀬の発言に、俺と奉太郎は多分驚きの表情を浮かべただろう。

 古典部の知名度はそこまで高くはない。この前の《文化祭》でそれなりに上がったろうが、それでもまだ一般生徒からの認知は低いものだと思っている……。どこで知ったんだ……。あぁ。

 

「どうだった?夜の学校は?」

 

 黄瀬はバカにするように聞いてくる。

 

「掲示板の張り紙を見たのか」

「昇降口前だからな、嫌でも目に入る。」

 

 奉太郎が口を挟んだ。

 

「言っておくが、あれは俺達じゃないぞ。冤罪をかけられたんだ」

「へぇ、なんか面白そうな話だな。」

「ふん。もういいだろう。行くぞ、ハル、朱宮」

 

 そう言って俺たちは黄瀬に手を上げると、自分の教室へ向かった。

 

 

 









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第七話 入ることの出来ない教室

 UA30000突破!

 ありがとうございました!

 今回から本格的な捜査&推理パートです。《月夜の背教団》の正体と目的に迫っていきます。


 【十二月 十一日 金曜日 十二時半】

 

 

 

 side 桜

 

 

 

「え、あんた、まだ南雲の事誘ってないの」

「さ、誘ってないよれそれに誘うように唆して来たのはナギちゃんと伊原さんだし」

「だってあんた南雲の事好きじゃん」

「好きじゃないって!!ただの興味だよ!!」

 

 ナギちゃんはあからさまにため息をついた。

 

「それが好きって感情なんだって。一緒にいたい、触れ合いたい、笑い合いたい、楓の中に南雲に対してそういう気持ちが少しでもあるんなら、それはもう立派な《恋》なんだよ」

「で、でも私……人を好きになったことが今まで無くて……」

「あーはいはい。そういうのいいから。てか、早く誘わないと時間ないよ?《ホーリーナイト》まではまだ二週間あるけど、社交ダンスに出るなら社交ダンス部の練習会に出席しなきゃまともに踊れないっしょ。練習に一週間いるとして、今日が金曜日で、当日は練習会がないから……土日を除いて……あと三日?」

 

 三日、この期限を逃したなら南雲君とは《ホーリーナイト》で踊れない。

 でも……

 

「でも、断られたら立ちなおれる自信が無い……。ふふふ……」

「ネガティブねぇ」

 

 私は、南雲君の事をどう思ってるのだろうか。

 

 自分でも、それがなんの気持ちなのか分からないんだ。

 

 

 

 

 

 

 【十二月十一日 金曜日 十六時半】

 

 

 

 side 晴

 

 

 

 放課後。生徒会室に辿り着いた俺達古典部は、代表して俺が生徒会室のドアをノックする。

 

「いいぞ」

 

 陸山の気のない声が帰ってきた。別に陸山に気を使う理由はないので、勢いよく横開きのドアを開いた。

 生徒会室の中はそこまで広くはなく、通常の教室の大体三分の二程の大きさだろうか。

 俺に続き、里志、伊原、千反田、奉太郎と続いて教室に入る。

 

 そして俺達は、中にいるメンバーを見て目を見開いた。

 

「よう、はるっち、えるっち、さとっち、たろー。久しぶりやなぁ!……あれ?古典部ってまだメンバーいたんや!」

「やぁ、古典部の諸君。改めて、ビデオ映画では世話になったな」

「福部、南雲君。夜の学校はどうだった?」

 

 天津、入須、田名辺の三人が生徒会の連中に紛れて椅子に腰を下ろしていた。里志が声を上げる。

 

「ど、どうしてあなた達がここに……!?」

 

 伊原が天津を見ながら言う。

 

「だれ?あの子……」

「来たな、古典部」

 

 陸山は椅子から立ち上がると、俺たちの前まで寄ってくる。顔に笑みを浮かべたまま俺達より少し離れたとこらで歩みを止めた。

 

「どういう事か説明して頂けますよね、陸山会長」

 

 奉太郎の言葉に陸山は頷くと、人差し指を立てながら陸山は言った。

 

「一つだけ聞きたいことがある。今まで夜の学校に無断で侵入していた生徒の集団ってのは、確かにお前達の事じゃないんだよな?」

 

 陸山の目は真剣だった。俺達を見据えている。

 ここで嘘をつく義理もないし、意味もない。俺はおもむろに言った。

 

「当たり前でしょ。善良な生徒の俺達が、そんな真似をするわけがない」

「そうか。でも、一昨日無断で侵入したのは言い逃れ出来ねぇな」

「ぐっ……それは……」

 

 俺、奉太郎、里志が肩を落とすと、横目でジトーっと千反田と伊原が睨んでくる。

 

「はは…、確かに一昨日にお前らが不法侵入して見つかった事に関しては自業自得だ。だけどな、たった一回の侵入ってだけで部活が活動停止になるほどこの学校の校則は厳しくない。今まで《不法侵入》している生徒達が居たからこそ、教師達は鬱憤が溜まってたんだろうな。だからこそ、お前らがその罪を被り冤罪を負わされた事は実に俺達にとっても虫が悪い。だからこそ」

 

 陸山は腕を大きく広げ

 

「だからこそ、俺達はここに集まった。お前達の冤罪を晴らす為にな。どうだ、最高の人材だろ?」

 

「《一年E組女子体操着盗難事件》の解決者、天津木乃葉」

 

「《女帝》入須冬実」

 

「《総務委員会委員長》田名辺治朗」

 

「そしてこの俺、《生徒会長》の陸山むねよ…」「もういいでしょう。さっさと始めましょう。会長」

 

 陸山の最後の締めを遮った言葉には、とても冷厳なものを感じた。最初は入須が放った言葉だとも感じたが、入須はその声が聞こえた方へ視線を向けていた。

 俺達も、言葉を放った生徒の方へ視線をずらす。

 

 三人いる生徒会の連中の真ん中、千反田や入須と同じ長い髪に、スラリとした体型。小さな丸眼鏡に鋭い目付き。

  陸山は言った。

 

「おい、邪魔するなよ。《木原(きはら)》」

 

 木原……、聞いたとこのない名前だな。丁度隣にいた奉太郎に視線を移すが、奉太郎は首を振る。次に里志に視線を向ける。里志は俺が視線を向けているのにも気づかないまま、木原と呼ばれる女子生徒を興味深そうに見つめていた。なるほど、それなりにこの人も有名人… 、いや変人ってわけか。

 木原は冷厳な言葉を続ける。

 

「この方達が今まで侵入を重ねていた生徒であろうと、なんであろうと、()()()()()()()()は校則違反です。例え一回であろうと、活動停止の処罰は正当な処罰です」

 

 なんだなんだ。

 里志が俺と奉太郎にそっと耳打ちをする。

 

「いやぁ、こんな所で対面出来るなんて……実に光栄だね二人とも」

「光栄……?あの女は一体なんだ?」

 

 奉太郎の言葉に里志は首を大きくすくめる。多分こいつが言いたいことは『やれやれ、君達はそんなことも知らないのかね』だ。

 里志は声を大にした。

 

「いやぁ《木原青佳(きはらせいか)》先輩。こんな所で出会えるとは光栄です。一度お近づきになりたかったんですよ。相変わらずの《女王》っぷりです」

 

 里志の言葉に伊原ムッとする。千反田はなんのことを話しているか分からないと言った様子だ。木原は里志の言葉に返す。

 

「《女王》、私はあなたにそう呼ばれる筋合いはありません」

 

 「おぉ怖…」と里志はわざとらしく身震いする。俺は聞いた。

 

「あの人がなんだってんだ」

「木原青佳先輩。二年生の生徒会副会長。入須先輩に似て人心掌握が上手い……。けどね、彼女の人心掌握の方法は入須先輩のものとは打って異なるんだ。入須先輩は無意識の内に人の心を掌握する。だけど彼女は違う。意識的に自分の言う事を相手に従わせる。いや、正確に言うと意識的に従わせる他なくさせるんだ。卓越した美貌と、意識的に相手を自分の手駒にする姿から、 その異名は……」

《女王》。そうだよな、木原」

 

 里志の言葉に被せたのは、入須だった。木原は入須を軽く睨むと、続けた。

 

「あなたにも《女王》と呼ばれる筋合いはないです。《女帝》入須冬実」

 

 うわぁ……散ってる。火花散ってるよ……。

 

「なんだよ木原、お前いつも《女王》って言われてもあんまり反応しないのに」

「黙ってください、会長」

 

 はは……入須に言われたから気が立ってんだな……。

 ん?

 

 俺は自分の足元に一枚の紙が落ちていることに気付いた。すぐ横に画鋲も転がっていたので、なにかの衝撃で落ちたのだろう。

 俺は紙と画鋲を拾い上げた。

紙に視線を落とす。

 

 

 

 

 生徒会十二月活動予定

 

 M 部活動報告書提出。

 

 W 定例会議

 

 F 総務委員会との合同雑務

 

 

 

 

 

 生徒会の予定表……。いや、待てよ。こいつは

 

 視線を感じたのでその方向を見ると、奉太郎が生徒会の予定表を覗き込んで来ていた。奉太郎は予定表から視線を俺にずらした。そして軽く頷いた。

 すると

 

「あの……私たちの冤罪を晴らしてくれるというのはとてもありがたい事なのですが、一体どうやって頂けるのでしょうか?」

 

 千反田が生徒会室にいる全員におもむろに言った。陸山はニヤッと笑うと、『まぁ座れ』と言いながら俺達を席に促した。俺は拾った紙を机の上に置く。

 俺達と、陸山、田名辺、入須、天津、木原、他生徒会の二人は生徒会が会議に使っているであろう長机の前に腰掛けた。

 

 他二人の生徒会は男女で一人ずつ。後で分かることなのだが痩せ型で頬杖をついている女は一年生徒会書記《小嶋菫子(こじますみれこ)》。

 初対面の俺達にオドオドとしている男の方が一年生徒会会計《大山内托(おおやまうちたく)》。

 

 田名辺が代表して口を開いた。

 

「先ずは僕達の目的を古典部のみんなに教えよう。第一に君達が受けた冤罪を晴らすこと。そして第二の生徒の集団を確保すること。これ以上夜の学校で暴れてもらっては、教師陣の気性も荒くなるばかりだ。誰かが誰かに疑いの目を向けるのは、生徒や教師の信頼関係にも傷が出来る。これは防ぎたい」

「教師との信頼関係なんて、あってもなくてもさほど変わらんやろ」

 

 天津の意見。確かに、俺たち生徒と教師の関係は端的に言ってしまえば、授業料を払って契約を結んでいクライアントの関係でしかないのだ。

 陸山が天津の質問に返す。

 

「いや、一概にはそう言えないんだ。《カンヤ祭》。あんなに盛り上がる文化祭を教師は生徒に全責任を預けている。それこそが俺達生徒と教師の信頼の結果だ。もしこの関係にヒビが入れば、《カンヤ祭》や二週間後に開催される《ホーリーナイト》には教師陣が関与し、今までのような自由な行動や出し物が制限される。そんな事があれば…暴動が起きる可能性も考えられる。……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 俺の横に座っていた千反田の体がピクリと揺れる。三十三年前の《六月闘争》。あれに似たことが起きるかもしれないという事か。

 

「ジロー、続けてくれ」

 

 陸山は田名辺に継続を促した。田名辺は一度咳払いをし、司会進行を続ける。

 

「ま、そういう事だ。考えすぎかもしれないが、ムネの可能性も否定出来ない。それで……南雲くん、折木くん、福部。一度《不法侵入》していた生徒と接触した君達に聞きたい……先ずはその時の状況の説明、それとなにか分かったことはあるか?」

 

 里志が口を開いた。

 

「じゃぁ状況説明は僕が。一昨日僕達が《月夜の背教団》を見つけた時は……」

「ちょっと待て、《月夜の背教団》ってなんだ?」

 

 陸山の鋭く素早いツッコミ。伊原はおもむろに言う。

 

「私達が呼んでいる、不法侵入している生徒達の総称です」

 

 陸山は一度笑った。

 

「《月夜の背教団》、うん、いいネーミングセンスだ。俺たちもそう呼ぼう、うんうん《月夜の背教団》ねぇ……」

 

 陸山は『ククク』と笑う。里志はそんな事を気にすることなく先程の続きを話し始めた。

 

「僕達が一昨日《月夜の背教団》のメンバーを見つけたのは特別棟三階生物講義室前です。……いや、正確に言うと僕達が生物講義室前に居て、メンバーは生物講義室から階段を挟んで同じ距離の位置にいました。

それで……僕達は《月夜の背教団》のメンバーを捕まえるためにその生徒に向かって走ったんです。けど、あっちの方が遥かに足が速くて、階段を挟んで同じ距離だったにも関わらず先に階段を降りられてしまいました」

 

 入須が呟く。

 

「遥かに足が速かったか、これだけで断定するのは難しいが、《陸上部》という可能性は考えられる」

「と、言うことは他のメンバーも陸上部の可能性もあるということですね」

 

 木原が言った。その言葉に千反田は反応。

 

「え?え?どうしてですか?確かに南雲さん達が見つけたメンバーは陸上部の可能性は考えられます。ですが、ほかのメンバーも運動部の可能性が高いとは?」

 

 奉太郎が続ける。

 

「考えてみろ千反田。《月夜の背教団》が集団だとしたら、そいつらはどういう集まりだと思う?」

「えと、お友達……ですかね?」

「大体当たりだ。《月夜の背教団》が全員神高の生徒だとしたらそいつらは《月夜の背教団》である以前に《なにかの集まり》なんだ。同じ部活や、同じクラスという()()()()()()()()()だから俺達が見つけた生徒が運動部の可能性があれば、他のメンバーも同様にその可能性が割り振られるんだよ」

「なるほど……流石折木さんです」

「俺……というか、多分全員気づいてるぞ」

「私は気づいてなかったけど」「僕もだね」

 

 里志と伊原の弁。はは、墓穴掘ったな。

 

「うるさい。里志、早く続けろ」

「あいあいさー。それで僕達はメンバーを追って特別棟一階へ。生徒会の皆さんなら当然分かるとお思いですが、昇降口が閉められているため、外への脱出は不可能です。窓から出るという手もありますが、犯人の心境からして窓から出るという手段は取りにくい。遥かに足が速かったと言っても、窓を乗り越える時間に僕達が追いつけないはずがないですからね。……ですが僕達が特別棟一階に着いた時には、既にメンバーの姿はありませんでした。ここで見回りの教師の先生に見つかったというわけです」

 

 田名辺は一度顎に手を置き、考える仕草を取る。

 

「特別棟一階に着いた時には、既に姿を消していた……か」

「はい。じゃぁ分かったことは君達が説明してくれるかな?神高の《探偵役》よ」

「《探偵役》?」

 

 木原は里志の言葉に眉を寄せた。里志は続ける。

 

「はい。この二人は意外と僕達の盲点を付いてくれるんですよ。まるで探偵みたいに」

「じゃぁ頼むぜ」

 

 陸山の言葉に俺と奉太郎は頷く。最初は俺が口を開いた。

 

「まず一つ目。里志は特別棟一階でメンバーは消えたと言いましたが、これに関しては少しこじつけが説明出来るんです。生徒が消えた。なぜ消えたか、どうやって消えることが出来たのか。加えて特別棟一階にはトイレがない。これを考えれば消えた場所は一つしかない」

「教室、ちゅーことか?」

 

 天津の言葉に頷く。

 

「そう。奴は教室に入ったんです。……そう仮定していました、見回りの教師に見つかるまでは」

「ほう。というと?」

 

 田名辺は言う。

 

「教室のドアは勿論ロックされています。ならそれを開けるには《鍵》が必要です。この神高の鍵を開ける方法は、里志の情報網からは主に二つ。実に無難な方法です。一つ、その教室の正規の鍵。二つ、マスターキー。まず一つ目の正規の鍵という案は抜きましょう」

「ふむ、なぜだい?」

 

 入須の言葉に俺は視線を彼女に向けながら答えた。

 

「追われているというに、どこの教室に逃げ込むかなんて事は一々考えていられません。仮に特別棟一階にある歴史資料室の正規の鍵を持っていたとしましょう。そうなった場合は必ず追いかけて来ている人物から、その場所まで逃げなくてはなりません。その人物に、逃げ込む場所を見られたとしたら?そいつはそこでゲームオーバーだ。だからメンバーは、追われている途中に一番見つかりそうにないタイミング……端的に言えば、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()そうなった場合は正規の鍵一つで逃げるのは難しい。どこの教室にも逃げ込める、マスターキーが一番いいんですよ」

「でも、それこそ無理な話じゃないかしら」

 

 俺の二つ横に座っていた伊原が切り出してきた。

 

「マスターキーは私の知っている限りじゃこの学校に一つしかないわ。その一つの鍵をメンバーは何でもっているの?」

「あぁ、その推理ならまだ考えてない。というか……考える必要はなくなった。」

「どういう意味よ」

「その一つのマスターキーは俺達を見つけた教師が既に持っていたんだよ。《月夜の背教団》のメンバーがそれを持っているという説は、その時に消え失せた」

「じゃぁ二つ目のマスターキーっていう案もバツになるじゃない!」

「あぁ」

「あぁ、ってあんたねぇ」

 

 伊原は深く溜息を付くが、俺は伊原を視線に捉えたまま続けた。

 

「だが、教室に入ってやり過ごす以外に方法は考えられない。何かあるんだ……見回りの教師が持っていたマスターキーと正規の鍵の他に、教室に入れる方法が……」

「苦しい推理ですね」

 

 俺はその声が聞こえた方へと視線を向ける。

 

 木原……。

 

「正規の鍵も無理。マスターキーも無理。あなたは物理的に、論理的にこの二つの方法を否定出来ているというのに、まだメンバーは教室へ入ったという案のみは否定できていない」

「黙って聞いていたらどうだ……木原。君は彼らの推理を聞くのは初めてだろう?」

 

 入須の反論。

 

「苦しい推理じゃぁ無いぜ」

 

 陸山は笑いながら言った。木原は一度陸山を睨むような反応を見せ、こう言った。

 

「会長、あの存在を一般生徒に教えるんですか?」

 

 あの存在……?その反応に、少しだけ他の生徒会メンバーもピクリと動いた。

 

「別に生徒会だけの秘密ってわけじゃないしな。ちょっと待ってろ」

 

 陸山は一度立ち上がり、教卓の引き出しを開ける。そしてその中から取り出したブツを会議用机に放り投げた。

 ガシャという音ともにブツは俺の目の前に落ちる。そして……

 

「これは……!!」

 

 千反田が叫ぶように言った。

 

「マスターキー!!??」

「そう。この神高の()()()()()()()()()()()()

「どうしてこんなものを!?」

 

 里志の質問に、陸山は答える。

 

「簡単に言うと、生徒の教室への立て篭り対策だ。生徒の問題は生徒で、神高の相場はそう決まっている」

 

「で、では!《月夜の背教団》さん達が使ったマスターキーは、これということですか?」

「それは考えられんで、えるっち」

 

 天津が口を挟む。

 

「仮に《月夜の背教団》がこの鍵を使っているとしたら、前提としてどうやってこの鍵を入手するんや?」

 

「夜の学校は全部の教室のドアは閉まっとるんやろ?だったら、この生徒会室も例外やない。この鍵を取るにはまず生徒会室の鍵を持っとることが大大大前提や。生徒会室の鍵だけが職員室に戻ってなかったら流石のアホ教師達も生徒会に焦点を当てるやろ。それに……会長はん。あんたが生徒会室に来た時にこのドアの鍵は閉まっとったやろ?」

 

「あぁしっかりな。と言っても、いつも生徒会室の鍵を開けてるのは木原だ」

「どうなんや、女王はん」

「あなたに女王と呼ばれる筋合いはありません。そうですね……鍵は閉まってました」

 

 天津は木原の答えに満足したのか、ご機嫌な顔で続けた。

 

「せや。例えば《月夜の背教団》のメンバーが生徒会室にあるマスターキーを生徒会室が閉じる前までに何らかの方法で手に入れたとする。そうした場合… ……どうやってマスターキーを元の場所に戻すんや?」

「というと?」

 

 千反田が首を傾げる。

 

「マスターキーを元の場所に戻したら、《月夜の背教団》のメンバーの元には鍵はなくなる。だったら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()そもそも《月夜の背教団》のメンバーは生徒会室に保存されている鍵を取ること自体不可能。このやり方は物理的に不可能ってことや」

 

 全員が頭を悩ませると、田名辺が切り出した。

 

「ダメだ考えても今は埒が明かない……他になにか《月夜の背教団》と接触して気づいたことはあるかい?南雲くんが答えたから、折木くん。どうだい?」

 

 頬杖をついていた奉太郎は、田名辺の言葉にハッと気付く。おいおいまさか今までボーッとしてた訳じゃあるまいな。

 

「気づいたこと……そうですね。アピール、ですかね?」

「アピール?」

 

 田名辺の言葉に頷く。

 

「はい。俺たち三人がメンバーと接触した時に、そいつは廊下の床を蹴っていたんです……こんな風に。」

 

 タン、タン、タンと奉太郎は生徒会室の床を蹴っていた。

 

「明らかに俺達を挑発していました。俺達を教師と見間違えたから挑発したのか、俺達が生徒だとわかったから挑発したのかは分かりません。ですが、仮に前者だとしたら。《月夜の背教団》は教師陣に何かを伝えようとしていた。……いや、自分達を捕まえることの出来ない教師陣を嘲笑っている。そういう感じですかね」

「つまり、《月夜の背教団》は何らかの恨みのようなものを教師陣に抱いているりその鬱憤を晴らすために夜の学校に侵入して、わざと教師陣の前に姿を表しているかもしれない。そういう事か?」

 

 陸山は腕を組みながら、椅子に深く寄りかかった。奉太郎は頷く。

 

「はい。ですが、やり方が少しおかしく、回りくどいとは思いませんか?わざわざ夜の学校に侵入し、教師陣の前に姿を現す。教師陣に恨みを持ち嫌がらせの様な行為をしたいというのなら、もっと他に方法はいくらでもあるはずですり加えて、出現時間は十九時半前後、なぜこの時間なんでしょう」

「全くだね。謎が謎を呼ぶ。実にミステリアスでもどかしい展開だよ」

 

 流石の里志もなかなか決定打となる結論が出ない事に痺れを切らしたのか、勢いよく椅子にもたれかかった。

 

 そして、俺達の沈黙を破るかの如く生徒会室のドアがノックと共に開かれた。普通入っていいという返事があってから入るものだろう。

 

 入って来たのは三人、その中の一人には見覚えがあった。俺が口を開く。

 

「朱宮?」

「南雲?それに折木も。生徒会室でなにやってんだ?」

「まぁいろいろなまぁ色々な」

 

 そして朱宮に続いて入ってきた二人、一人はかなりでかい体格で顎が四角いいかにも体育会系という姿だ。

 もう一人は中肉中背の男。髪がワックスやスプレーで遊ばれておりどこか目付きが悪い。しかし、朱宮が一緒ということは。

 

 体格のいい男が陸山の前まで寄り、低いトーンの声が生徒会室に鳴り響いた。

 

「悪いな。活動報告書だ。遅れた」

「ったく、先生に言い訳するのめんどくさかったんだぜ。これで貸一だ。小黒(おぐろ)

 

 俺が小黒と呼ばれる男と陸山のやり取りを見ていると、朱宮が近くに来たので挨拶がわりに聞く。が、それくらいはもう分かっている。朱宮が着ているのは制服ではなくサッカー部のユニフォームだった。

 

「よう。んで、これなんの集まり?」

「ん?サッカー部だよ。活動報告書をまだ部長が出てないらしくてな」

「ふーん。どっちが部長?」

「あの体格がいい方がキャプテンの《小黒朋希(おぐろともき)》先輩。隣のチャラいのが《白石明来(しらいしあくる)》先輩」

 

 ほほう。活動報告書、そんなものあるのか。俺は千反田の方を見ると千反田は『え?』という顔をしている。次に里志の方へ視線を向ける。あれは、グッジョブサインだ。千反田の代わりに里志が適当に書いて出しているという意味だろう。

 すると、俺の斜め右正面に座っている木原に気づいた朱宮が言った。

 

「おっ、《女王》さんもいたんすね」

 

 知り合いか?

 

「そうね。それより、まだ報告書を出してなかったのかしら?小黒くん、白石くん」

 

 白石という男は木原の冷厳な声と視線を感じ取りながらも、ヘラヘラとした口調で言った。

 

「まぁまぁ木原ちゃん。こうして生徒会長も受け取ってくれたことだし、ラッキーじゃーん」

「無駄口を叩くな白石。帰るぞ、陸山受け取ってくれてありがたい」

「おう」

「待て」

 

 出て行こうとするサッカー部三人を止めたのは入須だった。

 

「黄瀬隼人は最近どうだ?」

 

 入須は黄瀬を知ってるのか?……いや、入須家が経営している《恋合病院》は神高のすぐ近くに位置している。黄瀬が練習試合で怪我を負ったというのなら、治療はそこで行われたと考えるのが妥当だろう。

 小黒が代表して答えた。

 

「あぁ、最近はいいぞ」

「そうか。だがまぁあの程度ならもう病院に来る必要は無い。あとは薬を飲んで、完治を待てと伝えておいてくれ」

「了解した」

「じゃ〜ね〜。入須ちゃんと木原ちゃん」

「南雲、折木また明日な」

 

 そう言って、サッカー部三人は部室をあとにした。

 

「なんかシケちまったなぁ……」

 

 陸山がおもむろに言うと、田名辺が軽く頷いた。『ふぅ』と息を漏らし、俺達全員に言う。

 

「今日はもう解散にしよう。また何かあるようなら、個人的に連絡を送らせてもらうよ。それじゃぁお疲れ様」

 

 俺達は誰ともなく礼をした。

 

 

 

 

 

 田名辺と入須はカバンを持ってさっさと帰ってしまい、残ったのは俺達探偵団と天津、生徒会の連中になった。

 

「生徒会の皆さんは帰らないんですか?」

 

 里志の言葉に陸山は笑う。

 

「まだ仕事が残っててなぁ。それじゃぁまたな」

「はい。お疲れ様でした」

 

 陸山を見ていると、天津が無言で俺の肩を叩いてくる。俺は振り返る。

 

 生徒会室は普通棟一階の一番端に位置しており、人気がない。しかし、生徒会室から出るとすぐそこには職員用玄関がある。そしてその職員用玄関から、いま俺達がいる廊下を……しっかりと監視カメラが写していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 【十二月十一日 金曜日 十八時半】

 

 

 商店街アーケード下。女子陣と別れた俺達男子三人は、何も話すことなく帰路を歩いていた。

 里志が不気味な笑みを浮かべたまま、口を挟む。

 

「それで、何が分かったのかな?」

「なんの事だ?」

 

 奉太郎が言う。

 

「とぼけても無駄さ。君達は今回の会議で何かに気づいてた。どうしてあの場で話さなかったんだい?」

 

 俺はわざとらしく首をすくめる。

 

「おかしな点はいくつかあった。だがそれだけだ。まだ時は満ちてないのさ」

 

 アーケード下を出ると、十二月の冷たい空気が俺達を包んだ。

 

 俺達は何も言わず、交差点にてそれぞれの道を曲がった。



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第八話 疑惑の推理

 後半文章がグダってしまった…。


 【十二月十四日 月曜日 八時五十分】

 

 

 

 

 自分が大物かと聞かれれば、俺は小物だと言えるだろう。

 近頃になって千反田や里志が《氷菓事件》を思い出し、俺や奉太郎の事を大物だ、やら只者では無いと言ってるくるのだが、それは俺達にとって不愉快以外の何者でもない。

 平穏な日常を過ごすことを志す俺達にとって、『大物』や『只者ではない』という言葉は武士がタキシードを着るようなものだ。文化レベルで似合わない。

 

 常人、悪人の真似をさらねば悪人ならず。俺達が探偵の真似をしようが俺達は探偵ではないのだ。

 

 朝のホームルームの担任からの連絡事項を頬杖を付きながら聞いていた俺に、前に座る名前も知らない女子二人の話し声が聞こえてきた。

 十二月、既に神高に入学してから約八ヶ月経つというのにクラスの人間の名前も覚えていないとはこれまたいかに、と思われるかも知れないが、別にそれは悪いことでは無い。好きの反対は無関心……俺は目の前に座る女子に興味が無いからこそ、彼女達の事を知らない。その理由は最もだと言える。

 

「ねぇ、今日の社交ダンス部の練習会でさ……」

「えー、まじー?よかったじゃーん」

 

 前の女子二人も《ホーリーナイト》で社交ダンスを踊る者達なのだろうか。登校時間よりずっと早くから来て、ご苦労な事だ。

 俺はポケットから先週の月曜日に生徒会室で手に入れた生徒会の活動予定表を取り出した。

 

 

 

 生徒会十二月活動予定

 

 M 部活動報告書提出。

 

 W 定例会議

 

 S 総務委員会との合同雑務

 

 

 

 

 更にここに殴り書きをする。

 

 

 第二のマスターキー

 生徒会室前、職員玄関の監視カメラ

 窓は開かない

 正規の鍵は入手不可能、同様に第一のマスターキーも不可

 月水金

 十九時半前後

 犯人は複数人?

 

 

 ペンを握ったまま口元に手を置く。

 俺の中にはある一つの予想が立っていた。しかし証拠が不十分過ぎる。それにこの考えが当たっているのかも怪しい。

 

 フーダニットもハウダニットも何もかもが曖昧だ。なぜ《月夜の背教団》は夜の学校に侵入する。

 メンバーは?動機は?

 

「それと南雲、折木!放課後生徒指導室にこいだそうだ」

 

 担任の言葉により、教室がザワめいた。その心は『いつも大人しい南雲と折木が生徒指導室!?一体なにやったのだ!』だ。

 しかし、何人かは事情を理解しているものもいたようだ。

 

「古典部が夜の学校に侵入したらしいぜ……」

「おいおい、そんな事やって教師陣を怒らせちまったらどうしてくれんだ?」

「文化祭の萎縮とか……」「ホーリーナイトはどうなる?」

 

 先程《ホーリーナイト》について話していた俺の前に座る女子二人が振り向いてきたので、俺はメモを取っていた紙を裏返した。

 

 「余計な事しないでよね」と振り戻りざまに言ってきたが……ふん、別にお前らがどうなろうがこっちは知ったこっちゃないんだよ。

 

 心の中でしかこう思えない俺は、やはり小物なのだろう。

 自分の存在意義を再確認した俺は、裏返した紙を元に戻した。

 

 

 

 

 

 

 【十二月十四日 月曜日 十二時半】

 

 

 

 購買で購入した昼食のホットドッグにかぶりついた俺は、俺の前の席に座りくるみパンを頬張っている奉太郎に視線を移した。

 奉太郎もルーズリーフに俺と同じ様な書き込みを施しており、今俺の机の上にはルーズリーフの束が数枚程置かれている。

 

 これの光景を見た里志や伊原は声を上げて驚くだろう。だから俺達はこうして日中の学校で推理を進めているわけだ。

 俺達が進んで推理をしているのには特に理由がある訳では無い。

 『人間は何かしらの理由がなければ行動が出来ない』とどこかで聞いた覚えがあるが、あれは一種の屁理屈であろう。確かに行動するのには理由は存在する。歩く理由は目的地があるから。寝る理由は身体を休めるため。食べる理由はエネルギーを蓄えるため。しかしこの理由を一々意識して動く人間など、相当の物好きでなければ存在しないだろう。

 

 俺達は平穏な日常を一秒でも早く取り戻す為に動いている。これが理由と理論づけるのに相応しいというのならそう捉えてもらっても構わない。

 しかし俺達にとっての平穏な日常は無意識的にあるものなのだ。もっと言えば、無意識的になくてはならない。これはそれこそ、歩く理由、寝る理由、食べる理由と同じなのだ。

 まぁ、他に理由があるとすれば

 

「どうやったら千反田を沈められるかなぁ」

「沈める?意識を落とすってことか?協力するぞ」

「物騒だな」

 

 俺のつぶやきに奉太郎が反応した。

 千反田。あいつが気になると言った以上俺達は何としてでも《月夜の背教団》の正体を掴まくてはならない。そうでなくては……永遠と聞かれることとなるのだ。『《月夜の背教団》さん達の正体……私、気になります!』とな。

 これが一刻も早く平穏な日常を取り戻す為の理由と言えるだろう。

 

「ふん。まぁ、考えてもわからんことは分からん。目的やメンバーは愚か、俺達は侵入ルートすら分かってないんだぞ」

 

 奉太郎が資料を机に放り投げると、大きく伸びをした。

 

「俺達とおなじ家庭科室……ってのは無理があるよな。俺達が入った時には家庭科室のドアは閉められてた。確かあそこは内側からのロックの開閉は手動でできるが、外側からは鍵が必要だ。《月夜の背教団》が鍵を持っていなきゃ物理的に不可能だもんな。仮に鍵を持っていたとしたら、奴らは日中の時点でマスターキーか家庭科室の正規の鍵を手に入れなきゃならない」

 

 奉太郎は一度考える仕草を取る。そのまま数十秒……そして……

 

「ハル。一度侵入ルートの事は忘れないか?」

「というと?」

 

「先週の金曜日、生徒会室で話し合った時もそうだが侵入ルートは考えても分からなかった。これでは埒が明かん。つまり、俺達が考えるべくは、犯人メンバーとその動機だ。昨日の会議で、メンバーの特徴はかなり上げられていた」

「なるほどな。よし、じゃぁまずは犯人候補を並べていこう」

 

 奉太郎は頷き、人差し指を立てる。

 

「第一に、金曜日に入須が言っていた《運動部》の可能性を並べよう。この学校は運動部が少ないから、多分俺でも覚えている。確か……」

 

「野球部、テニス部、サッカー部、バドミントン部、陸上部、ラグビー部、水泳部、バレー部、卓球部、ダンス部だ」

 

 奉太郎がいう部活名を俺は新たなルーズリーフに書き込んでいく。俺は言った。

 

「田名辺の話じゃ《月夜の背教団》には髪型から判断するに、女のメンバーが少なくとも二人いたそうだ。更にここから、男子のみの部活を抜こう。そうすれば容疑部活は……」

「テニス部、バドミントン部、陸上部、水泳部、バレー部、卓球部、ダンス部」

「更にここから、あまり足を使わない部活を抜こう。」

「テニス部、バドミントン部、陸上部、バレー部」

「この辺か……」

 

 俺は呟いた奉太郎を見ると、奉太郎は一度溜息を付いた。

 

「しかし…そもそも足が早かっただけで《運動部》という推理が当たっているのかも怪しいからな。考えが早計かもしれん。そして一つだけ候補に入る例外の部活がある……」

「あぁ」

 

 その通り。最終的な候補には入ってはいないが、一つだけ、候補に加えるべき例外の部活が存在した。

 俺がその部活名をルーズリーフに書こうとした、その瞬間だった。

 

「あんたら何二人でブツブツ言ってるの?」

 

 突然脇から掛けられた言葉にいち早く反応した俺達は、机に散らばっていた資料を音速の如くまとめあげた。

 推理してる所をクラスの奴らに見られるなんて溜まったもんじゃない。俺は話しかけてきた主、倉沢にいう。

 

「気配殺して近寄ってくんな」

「殺してないよ。あんたらが気づかなかっただけ」

 

 さいで。

 

「な、南雲くん!!」

「お、おお!?居たのか桜!!」

 

 倉沢の後ろにちょこんと桜が立っていた。背丈が低いから気づかなかったぜ。

 

「え、ええっとぉ……そのぉ……」

 

 千反田と伊原の声が俺の頭の中で蘇る。

 

 『え?あんたまだ桜さんに社交ダンス誘われてないの!?』

 

 『桜さんは南雲さんのことを誘おうとしていますよ』

 

 『『はぁ…』』

 

「……桜」

「ん?」

「俺と社交ダンス行くか?」

「え……?」

「……っ!?」

 

 倉沢の声にならない声が俺の耳に聞こえた。俺は続けざまに言う。

 

「今日は用があるから、社交ダンスの練習会は明日の朝からでいいか?」

「え……あ……うん。……ごめん」

 

 そう答えると、桜は自分の席に戻って行った。俺はそれを無感情で目で追った。残ったのは俺、奉太郎、倉沢の三人。奉太郎が口を開いた。

 

「ハル……お前今の」

「南雲……」

 

 奉太郎の声に、倉沢の声が被った。元々高い声では無かった倉沢の声が、いつも以上に低く、そして感情が篭っていた。そして俺に向かって言った。

 

「南雲……あんた、放課後残れ。」

「告白か?そりゃ困る。呼び出しが終わったあとなら聞いてやるよ」

「……」

 

 倉沢は何も言わずに振り向き、桜の元へ走った。

 一時の静寂。奉太郎は先程倉沢に邪魔されて言い出せなかった言葉を発した。

 

「ハル、お前今のはなんだ」

「桜を社交ダンスに誘ったんだ」

「そうじゃない。言い方の問題だ。俺はお前と同じ種族だから分かるぞ。あれは、あからさまにその場しのぎの言い方だ。もっと言えば、いつまでもウジウジしてる桜が面倒くさかった。だから社交ダンスに自分から誘った。……そんな感じか?」

「憶測でモノを語るなよ。疲れるだろ?」

「そうだな。だが、桜の性格を知っていながらあの言い方……」

 

 奉太郎は資料をまとめて席を立った。椅子に座る俺とのすれ違いざまに、言った。

 

「少し……失望したぞ……」

 

 奉太郎が自分の席に戻ると同時に、昼休み終了のチャイムが鳴り響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 side 奉太郎

 

 

 

 

 六時間目の終わりのチャイムと共に、俺は席を立った。ハルと合流して生徒指導室に行くのも気まずいので、俺は一人で教室を出た。

 生徒指導室前まで辿り着くと、そこには既にニヤケ顔の里志が待っていた。俺は軽く手を上げる。

 

「やぁ」

「ん」

「ハルは?」

「さぁ、そろそろ来るんじゃないか?」

「……なんだい、どうも機嫌が悪そうじゃないか」

「黙ってろ」

 

 そう思うならニヤケ顔じゃなくてもっと真剣に聞いてきたらどうなんだ。

 この福部里志という男は友人の喧嘩ですらも娯楽として楽しもうとは……。

 

 その後ハルも到着し俺達は生徒指導室へ。

 待っていたのは先日夜の学校に侵入した俺達を見つけ、古典部の活動禁止令を出した教師だった。確か名前は

 

「今日は一体どう言ったご用件で?永尾先生」

 

 里志が言った。《永尾康敏》。生徒指導部だ。

 

「まぁ、座れ」

 

 永尾の声はこの前とは違いどこか落ち着いたものだった。いや、声を抑えているのか?

 俺達三人は生徒指導室のソファに腰をかける。

 

「先週の金曜日、十九時二十八分。特別棟二階放送室前にて侵入者が発見された。……今まで通り犯人は制服を来ていて、加えて行動は単独」

「それがまた僕達だと?」

 

 里志が首をすくめる。永尾は一度俯き、話し始めた。

 

「陸山と田名辺からの説得を受けた。……侵入している生徒は全員が単独で行動していること、奴らは自ら教師陣の前に現れるということ。犯人は古典部では無いと説得されたよ」

「で、では……!?」

 

 里志が『古典部の活動禁止を解除してくれるんですか?』そう言おうとした、直前に永尾は言った。

 

「生徒会長と総務委員長……例えこの二人がお前らでは無いと説得したとしても、絶対的なアリバイは証明されない。そこで、生徒指導部からある決断をお前らに下すことを決定した」

 

 ある決断……?

 

「侵入している奴らも所詮はお前らと同じ生徒だ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 おい、まさか。

 永尾はスゥッと息を吸った。そして……

 

「お前らのアリバイはお前らで証明しろ。不法侵入している生徒を、お前らが捕まえてみせろ。ただし条件がある。一つ。お前らの行動範囲は放課後を含む日中の学校内。夜の学校への侵入は許さん。二つ。危険だと思ったら直ぐに調査を中断し、俺たち教師への報告を怠るな」

「ですが先生、俺達古典部の活動禁止はそれこそ《ホーリーナイト》当日までです。そんな条件出されたとしても、活動禁止は解けます」

 

 今まで黙っていたハルが口を挟む。いや……

 

「確かにそうだが、お前らに疑いの目をかけられたまま活動禁止が解かれたとしても、次に再び学校への侵入が見られた場合……今以上の処罰対象になりうる可能性がある。お前らがアリバイを証明出来なければ、古典部は永遠に活動は出来んぞ」

「つまり、俺達に侵入者を推理して捕まえろと」

「推理しろとは言っとらん。だが、俺達生徒指導部も夜の学校での調査を怠るつもりは無い。俺達が生徒を捕まえる事が出来た場合にも、お前達のアリバイは証明されたことになる。やってみろ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 永尾の話が終わり、俺達は生徒指導室をあとにした。

 廊下を歩き始めると、里志はまるでクリスマス前の子供のような輝いた目と、抑揚した言い方で言葉を放つ。

 

「いやぁ!!実にいい!!実にいいとは思わないかね二人とも!!!」

「なにがだ」

「考えてもみてよ!今この学校を騒がせている《月夜の背教団》を捕まえる依頼を、教師直々に授かったんだよ!?これで伝統ある古典部の未来は僕達に託された訳さ!!」

「……」

 

 里志は一度俺とハルを交互にみて、深く溜息を付いた。

 

「あのねぇ君達。何があったかは知らないけど、僕の前でギスギスしないでくれる?」

「ふん。知ったことか……俺は教室に戻るぞ。」

「なんでだい?」

「さぁな、殴られでもするんじゃないか?」

 

 そう言ってハルは下駄箱に付いた俺達に視線もよこさずに、教室へズカズカと歩いていった。里志は言う。

 

「ほんとに何があったのさ」

「……はぁ……少し言い過ぎたかもしれん。」

「だろうね。なにをハルがやって、君がなにを言ったのかは知らないけど、君の様子から見ればそんな感じさ」

「奴も奴なりの考えがあったのかもな」

「当たり前さ。同じ人間なんていない。だからこの世は楽しいんだよ」

 

 本当にそうなのだろうか。折木奉太郎というどこにでもいるような小市民的人間は、俺唯一の個性なのだろうか。

 

「喫茶店に寄るかい?コーヒーでも奢るよ」

「たまにはな」

 

 俺と里志は神高をあとにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 side晴

 

 

 

『少し、失望したぞ……』

 

『南雲……放課後、教室に残れ』

 

『ごめん……』

 

 一年B組に向かう足取りが重く、昼休みの奉太郎と桜、倉沢の声が頭の中に響いた。

 

『いつまでもウジウジしてる桜が面倒くさかった。だから社交ダンスに自分から誘った。そんなとこか?』

 

 そんなつもりじゃなかった。俺には……桜と向き合うことは許されないんだ。俺は同じ過ちを繰り返すことは出来ない。

 

 俺はそっと自分の右手のひらを見た。

 握れるはずだった手を、握れなかった……この手。

 

 俺は手のひらを握り、踵を返すように自分の頬を叩いた。

 一年B組前。俺は、横開きのドアを開ける。

 

 そこに立っていた少女。いつも桜と共に行動しており、影ながら俺達(俺と奉太郎)のことを《ナマケモノ二人衆》と呼んでいるスポーティーな髪型の女。

 

「よう。倉沢」

「遅かったね。南雲」

 

 しばらくの沈黙。先に切り出したのは倉沢だった。しかしその一言は、とても深いものだった。

 

「気づいてんでしょ。楓の気持ち……」

「……あぁ……そうだな。あんなの、気づかない方が馬鹿だ」

「っ…!!!!」

 

 ズガン!!

 

 倉沢は俺の胸ぐらを掴むと、教室のドアに俺の体を叩きつけた。

 

「じゃぁなんで、あんな言い方した!!!」

「なに?」

「良いなら良いって言えよ!!!嫌なら嫌って言えよ!!!楓は言ってた、あんたの笑ってる顔が好きだって!!!なのに、なんだあの面倒くさそうな顔は……!!」

 

 倉沢の胸ぐらを掴む力が強くなり、押し潰されそうな力で壁に押し付けられる。俺はなんの抵抗もしない。

 

「お前、馬鹿にしてんのか……!!楓の事を!!自分の事が好きだからって思って、手のひらでいい様に転がしてんのか!?ふざけんな!!人の気持ちを……恋を……侮辱するな!!」

 

 

「私の親友を……!!!侮辱するな!!!!」

 

 

 

 

 

 

 倉沢は俺の胸ぐらを突き放すように離した。俺は力無く壁を伝い、その場に尻もちをつく。

 

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 

 倉沢は怒りの感情を顔に移したまま、自分の机の上から鞄を取った。

 そして、教室を後にしようとする。ドアから出る時に口を開いた。

 

「暴力振って悪かったね。でも……これくらいしたい気持ちだったから」

「気が済んだか……?」

「あんたに何で楓が惚れたのか……私にはわからない。」

「そうだな……俺にも分からない。……向き合えたら……どれだけ楽なんだろうな……」

「意味わかんないよ」

 

 廊下を歩く音が聞こえた。前のドアに視線を移すと、そこには誰もおらず……沈黙だけがこの教室に残った。

 

 

 

 倉沢が去った後に、俺は倉沢の机の上になにか置いてあるのに気が付いた。歩み寄ると、机の上に置かれていたのは一年B組の鍵と一枚の用紙だった。そこにはこう書かれている。

 

『戸締りよろしく』

 

 あのアマ。

 一年B組の鍵を閉めると、ふと思ったことがある。最後の戸締り……誰にもバレずに鍵を入手するのはこの方法が有効なのでは……?と思ったがその推論は自分の記憶の中で打ち破られた。

 例え正規の鍵を持っていたとしても、使えるのはその特定の教室のみ。教室に逃げ込む為に使うのはリスクが大き過ぎる。

 

 というか……永尾がマスターキーを持っているのなら、《月夜の背教団》を見つけた際にはそのマスターキーを使って逃げんこんだと思われる教室の中をチェックしてくれ。と頼むべきだったろうか。

 いや、教師陣がどのようにして《月夜の背教団》に逃げ切られたかが問題だ。俺達の場合は教師陣より足が早かったから《月夜の背教団》になんとか追いつけてたもの、教師陣の場合一度《月夜の背教団》を見失えば、どこに隠れたか分かったものでは無い。

 

 職員室に着いた俺は無言で引き戸を開ける。鍵を戻す時にはドアのノックは必要ないのだ。

 俺は一年B組の鍵を所定の場所に掛ける。ふと、地学講義室の鍵を見た。

 

 神高で鍵を借りる場合には、職員室で鍵を取ったあとに鍵が掛けられてるフックのすぐ下にあるホワイトボードに名前を記さなければならない。もちろん地学講義室のしたのホワイトボードに何も書かれていない。

 

 地学講義室の隣の鍵は《生徒会室》だった。《二年、木原青佳》と書かれている。今日は生徒会の活動日なのか。ん?

 ふと目に映ったのは一つの貸出中の鍵。《和室》の鍵だ。確か、茶道部の部室だったような。そして借りている生徒は

 

 《木原》

 

 木原……何故二つも鍵を借りている?

 

 俺は生徒会室に向かった。

 

 

 

 

 

 【十二月十四日 月曜日 十七時四十五分】

 

 

 

 生徒会室に着いた俺は、ノックの後に部屋に入る。中はかなり慌ただしく、陸山、木原、生徒会の二人、田名辺の五人が居た。

 最初に俺に気づいたのは陸山だった。

 

「お、南雲じゃねぇか!!ちょっとこの資料の整理頼むわ!」

「は、はぁ!?あんたの仕事だろ!?」

「時間がねぇんだわ。完全下校までに終わらせろよ!!」

「あーもう!」

 

 田名辺も気づき、『ご愁傷さま』とでも言いたそうな顔で見てきた。

 俺は適当な席に着くと、陸山から渡された資料を見た。

 

 仕事は簡単。この資料は全ての部活の活動報告書だ。俺はこの生徒会の判子を報告書に押していくだけだった。手短に終わらせて貰おう。

 

 まずは野球部から顧問名、部長名、全部OK。ポンと。

 

 仕事は順調に進んでいき、俺はある部活の資料に手を止めた。これは。

 

 

 

 

 サッカー部 顧問 永尾康敏

 

 活動日 月火木金

 

 部長 小黒朋紀

 副部長 白石明来

 部員 藤崎裕太

    野山海斗

    大池和

    茅森翼

    真鍋歩

    松木俊一

    朱宮優斗

    小川武

    黄瀬隼人

    木原青佳

 

 

 

 サッカー部の顧問は永尾なのか。ふむ。次は……

 

 

 

 

 茶道部 顧問 柳原敦

 

 活動日 月水金

 

 部長 木原瑠菜(きはらるいな)

 副部長 長嶺つくし

 部員 大宮城葛葉

    秋元美佐子

    宮野真奈

 

 

 

 

 

 茶道部部長、木原瑠菜。二学年には二人も木原がいるのか。そこまでメジャーな名前だとは思わないけどな。

 まぁつまり茶道部の部長の名前が木原という事は、先程職員室で見た和室の鍵を借りているのは、ここにいる生徒会の木原では無く茶道部の木原というわけか。

 

「おーい、手が止まってんぞ南雲ぉ!」

「今やってますよ!!」

 

 ……ったく。さて……さっさと終わらせますか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 【十二月十四日 月曜日 十八時四十分】

 

 

 生徒会の仕事を終わらせた俺は、一人帰り道携帯をいじっていた。

 

 

 今日はごめん。

 

 

 今日はごめ

 

 

 今日は

 

 

 本文を打ち込んでください

 

 

「ぐぬぬぬ……桜になんてメールしたらいいんだ!やっぱ、明日朝イチで謝るのがいいのかもしれないな。社交ダンスの練習会に出る約束は一応してある訳だし……」

 

 それに……《月夜の背教団》。

 

 あともう少しで、尻尾が掴めそうな気がする。ヒントはそこら中に散らばっているんだ。

 

 吐く息は白く、そして空気中に呆気なく消えていく。

 

 俺は制服のポケットに手を忍ばせ、少し駆け足で帰路を歩いた。




次回《背教団の黒魔術》




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第九話 背教団の予告状

最近お気に入りが減っていく事に悩んでいます。

オリジナル編なので仕方はないのですが、皆さんのご期待に答えられず申し訳ない。

これからもっと文章力を磨くしかねぇ(使命感)


 【十二月十五日 火曜日 六時四十五分】

 

 社交ダンス部の練習会に参加する俺は、集合時間の十五分程前に神高の校門に到着した。

 辺りを見渡すと、既に幾つかの社交ダンスの男女ペアもチラホラ見かける。腕を組んだり、楽しそうに話している姿から大半がカップルだろう。

 

 校門の近くに突っ立っていると、後ろから肩をどつかれた。

 

「邪魔だよ」

「ちょっとやめなよ」

「……」

 

 如何にもガラが悪そうな男が俺にわざと肩をぶつけて来たのだ。俺は一度そいつと目線が合うが、直ぐに視線をずらす。

 面倒な事は嫌いだ。

 

 俺は校門の端に移動し、次々と入ってくる男女ペアを目線で送る。すると……

 

 ドン!!!

 

 再びどつかれた。しかも今度は肩同士では無い。カバンか何かを背中に叩きつけられたのだ。そこまで力は強くなかったが、流石の俺も勢いよく振り向く。

 

「おはよう、南雲くん」

 

 スクールバッグを両手に持った桜が立っていた。ピンク色のダッフルコートを着ており、前髪が長くなってきたのか、ピンで二つに分けていた。心做しか少し不服そうな顔もしている。……いや、まぁ原因は俺にあるわけだが……。

 

「よ、よう……」

「ん、行こう」

 

 桜はそう言うと、一人で練習会が行われる体育館に向かった。俺は一年の昇降口を通り過ぎる直前に、俺に背中を見せながら歩く桜に話しかける。

 

「寒いな、コーヒーでも奢ろうか?」

「昇降口の中の自販機はまだ開いて無いよ」

「あっ、はい」

 

 即答されてしまった。

 

「なぁ……桜」

 

 俺が言うと、桜はピタリと足を止めた。背中だけをこちらに向けて状態で、俺の次の言葉を待っているようだった。

 

「なんというか、昨日悪かったな……。俺の言い方に問題があった。ごめん」

 

 桜は一度大きく溜息を付いた。そして続けた。

 

「なんでだろうね。私さ……南雲くんの事になると感情が昂っちゃうんだ。だからね、昨日面倒くさそうに私の顔を見た時に……凄く悲しかったの。……だから、その場しのぎの言い方で社交ダンスに誘われても、全然嬉しくない。どうなのかな。南雲くんは……私と…本当に踊りたいの?」

 

 ……。

 

「そうだな……。なんて言うんだろうな、男ってのは、お前が思っている以上に単純な生き物だ、良くも悪くもな」

 

「?」

「つまり、女子が一緒に踊りたいと言ってくれて、喜ばない男なんてそうそう居ないんだよ。……だから、お前が俺と踊りたいって言ってくれるなら、それは嬉しい」

 

 桜は一度黙ったまま……数十秒。すると、クスクスと笑いだした。

 

「なにそれ、それじゃぁ女の子なら誰でもいいみたいな言い方じゃん」

「あ、いや、決してそういう無差別にいいって訳じゃ……」

「あはは!それくらい分かってるよ。そっか、でも、嬉しいんだ」

 

 桜は照れくさそうに背中の方で腕を組みながら俯いた。

 

「私も、凄く嬉しい……な……」

「ん?なに?」

「んーん。なんでもない。それより行こうよ南雲くん。一週間前からの参加なんてなかなか無いんだから、遅れを取り戻さないと」

「あぁ!」

 

 俺たちは体育館に向かって駆け出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「違う!!!」

 

 体育館。練習会初参加のペアは最初に社交ダンス部の部員が付いて基本を教える事になっているらしく、俺と桜は二年の社交ダンス部の先輩に付いてもらっている。怒られているが……。

 

「ちょっとあんた……えーっと、南雲くんだっけ?何恥ずかしがってんのよ!!」

「ぐぬぬぬ……」

「はい。もう一度!!左手でお互いの手を握って、右手は男子は相手の腰、女子は相手の肩に手を置く!!」

 

 言われた通りに俺と桜は手を組む。そして……

 

「相手と目線を合わせる!!何照れてんのよあんたら!!……もう、そろそろチャイムが鳴るから、続きは放課後ね」

「「はい……」」

 

 俺と桜は体育館の壁を背中で伝いながら尻もちをついた。なんだ、社交ダンスってこんなに疲れんのか……。

 ふと顔を上げると、体育館の真ん中に折り畳み式の長机が置かれており、そこでお茶を配っていようだ。取りに行こうと立ち上がろうとすると、先に桜が立ち上がった。

 

「お茶、取ってくるね!」

「あ、あぁ、悪いな」

「五十点ってとこだな」

 

 不意に声を掛けられる。俺は再び重い首をうえにむけた。

 そこに立っていたのは、昨日の放課後俺の胸ぐらを勢いよく掴み、俺のワイシャツを一枚ダメにした女の姿が写った。

 

「よう。倉沢」

「おはよう。あんたがお茶を取りに行ってたら、百点満点だったんだけどね〜」

「はん。ほざくな。この男女平等社会に」

「相変わらず腹立つ男ね」

「お互いにな。それより、ありがとな」

「……?楓のこと?」

「まぁ、それもあるが。昨日俺が教室の鍵を返したから……少し分かったことがある」

「分かったこと?」

 

 倉沢は首をかしげた。

 

「……あぁ……こっちの話だよ」

 

 俺はそっと、顎に手を置いた。

 

 

 練習会が終わり、体育館を出ると見慣れた二人組がこちらに歩いてくる。俺は右手をあげて答えた。

 

「やぁ、随分と絞られてたみたいだね」

「はぁ、俺は向いてないのかもしれんな」

「たしかに、南雲って社交ダンスって顔じゃないわよね」

 

 じゃぁ俺はどんな顔なんだ。朝っぱらから失礼な挨拶をかましてくる里志と伊原に言葉を返し、ふと校門を眺める。

 校門から歩いてくるのは一人の男子生徒。未だに眠そうな顔をあらわにし、スクールバッグを肩にかけて白いトレンチコートを着用している。

 

 少年……ただいま喧嘩中の折木奉太郎は俺達の存在に気づき足を止めた。

 不穏な空気が流れる。里志は昨日の事を知っているように首を竦め、伊原と桜はキョトンとしていた。

 

「「なぁ」」

 

 俺と奉太郎は同じタイミングで口を開き、同じタイミングで口を止めた。

 

「「っ……」」

「悪かった、昨日は、言いすぎた」

 

 奉太郎は俺から視線をずらしてから軽く頭を下げた。俺もすかさず…

 

「いや……事の発端は俺だ……すまん」

 

 奉太郎は桜を一度横目で見てから、首をかしげた。

 

「社交ダンスに出ることにしたのか?」

「あぁ」

「なにあんたら、昨日喧嘩してたの?一日で仲直りなんて大した喧嘩じゃなかったのね」

「甘いね摩耶花。男の喧嘩なんてものは寝たら解決さ。いつまでもウジウジしてる方が男らしくないってもんよ」

「要するに、馬鹿ってこと?」

「ふっ……違いないかもな」

 

 奉太郎は笑いながら言った。

 そうだ、一度奉太郎に報告することが……

 

「なんだよこれ……!!」

 

 突如、少し離れた昇降口から男子生徒の声が聞こえてきた。

 俺たち五人はその方向へ首を向ける。

 男子生徒の声に続き、女子生徒、様々な生徒の狼狽した声が、俺たちの耳に情報を与えた。

 

「行ってみよう」

 

 桜のつぶやきに俺たちは頷き、昇降口に向かって歩き出す。

 

 昇降口に入ると、大量の生徒の集団はある一定の方向を向いていた。下駄箱前の廊下。

 普段なら部活勧誘のポスター等が貼ってある掲示板を中心としている。

 

 下駄のすぐ側に千反田を見たので、俺達は千反田の元へ駆け寄った。

 

「千反田」

 

 奉太郎の言葉に千反田は反応する。

 

「南雲さん、折木さん、みなさん」

「なにがあった?」

 

 千反田の手は震えており、ゆっくりと、掲示板を指さした。

 普段なら部活勧誘のポスターで覆い尽くされている掲示板に、同じ様な文章が印刷された紙が隙間なくびっしりと貼られていた。ここからではなにが書かれているかは見えないが、千反田の視力では見えるのだろうか。千反田の顔はどこか青ざめており、『こんなことあるはずがない』とでも言いたそうな顔だった。

 生徒達の狼狽した声は収まらない。里志が『よし』と呟き、声を大にしながら生徒の肉壁から道をひらく。

 

「総務委員会です!!!道をあけてください!!!」

 

 里志の言葉に反応した生徒達は、ゆっくりではあるが人ひとりが通れるほどの道をあけた。里志が先行して歩き出し、俺たち古典部と桜もその後を追う。

 掲示板前まで辿り着いた里志、貼られている紙の一枚を取った。そして……

 

「そんな!!まさか!!?」

 

「ありえない。ありえるはずがない……!!」

 

 里志の大きな声に反応する生徒達は居ない。それぞれ別個人が、この状況に大して里志と同等の驚きを示している証拠であろう。

 

「里志、どうした?」

 

 奉太郎の言葉に、里志はハッと我に返る。里志は黙ったまま、奉太郎に自分の持っている紙切れを渡した。

 千反田と伊原も同時に覗き込む。そして、奉太郎ですらも疑問の念を口にした。

 

「どういう事だ……!?」

 

 その紙に書かれていたのは、文章のみ。適当な紙に文章を書き、そのまま無感情にこの掲示板を埋めつくせる枚数を印刷した、と思われるもの。なんの絵も、字体に気を使っているわけでもなく、この質素さから生まれてくる不気味さを、俺は感じた。

 この文章に驚愕している俺たちを見た里志は、ゆっくりと文章を読み上げた。まずは息を大き吸う。

 

 

 

 

「『我々は、絶対なる正義なり。この神高の平和と秩序を維持する存在であり、この神高の悪を成敗するもの。

この学校は、穢れている。我々はその穢れにより、誇りを失い、信頼を失い、憧れを失った。

今こそ我々が動き出す時。三十三年前のように、全てを覆し、伝説を築く時。

一週間後に行われる《神高ホーリー・ナイト》にて、この学校の悪を、排除することをここに誓おう。

五つの方角にて、我々はこの神高を新たな色に染め上げよう。加えて、本日を持って夜の学校の徘徊は終了する。

そうだ、我々の計画を止めようとする愚か者達に伝えよう。我々の名は……』」

 

 里志は、躊躇いながらも、最後の言葉を放った。

 

 

『《月夜の背教団》』

 

 

「どうして、その名前を……」

 

 伊原は口を両手で覆った。その通りだ、《月夜の背教団》という名前は、里志が勝手に命名したもの、なぜ外部にこの名が漏れる……。

 ん?

 

 見ると、千反田が小さくではあるが、震えている。

 理由は明確であろう。俺は、文章の一部分に視線を落とした。

 

 

 三十三年前のように、全てを覆し、伝説を築く時。

 

 

 俺達だけなでく、この場にいた生徒達全員が息を飲んだ。

 

「全部剥がそう……手伝ってくれるかい?」

 

 里志の言葉に、俺たちは軽く頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 【十二月十五日 火曜日 十五時半】

 

 

 

 《月夜の背教団》の予告状の噂は、一日にして学校中に広まった。

 近頃多発していた夜の学校への不法侵入の件を軽視していた教師陣も、今回の件を得て本格的に捜査に乗り出すらしい。警備会社へ夜の学校の警備を依頼すると聞いたが、これ以上の夜の学校への侵入を辞めると奴らが言った以上、それは無駄足であろう。動くのが遅すぎる。

 

 《五つの方角にて、我々はこの学校を新たな色に染め上げよう》

 

 引っかかるのはこの部分だな。五つの方角……染め上げよう……?分からん。そもそも暗号らしい暗号がこれなだけであって、これが暗号では無く比喩的な表現だった場合は、この考えは意味の無いものとなる。

 

 六時間目の体育の授業が終わり、俺は教室に向かって歩いてあると、前を歩く長い髪の少女に気がついた。俺は駆け足で彼女に近寄る。

 

「うっす」

「南雲さん」

「調子はどうだ、千反田?朝は具合悪そうだったけど」

 

「はい。ご心配を掛けて申し訳ありません。もう大丈夫です……三十三年前の事を出されたので、少し動揺してしまって……」

「……安心しろよ。《月夜の背教団》が何をやるかは知らねぇが、奴らは数人のただの生徒集団だ。《六月斗争》のようにはならねぇ」

「はい、分かっています……」

 

 一度沈黙が続き、俺達が階段を上る所で、黄瀬が松葉杖を駆使しながら登ろうとしている瞬間を見かけた。

 

「黄瀬」

 

 黄瀬は俺に気づくと、軽く笑った。

 

「南雲か……」

「肩貸すぜ」

「悪いな」

「お荷物は私がお持ちしますよ。」

「どうも。えと……どなた?南雲って、いっつも違うやつと歩いてるよな」

「1年A組、千反田えるです。古典部の部長を務めています」

「へぇ、あんたも古典部なのか。南雲達に巻き込まれて大変だな。ちゃんと叱ってやったか?」

「ええ、それはもうたっぷりと」

 

 その時の千反田の笑顔の奥には、少し暗いものが見えたので、俺はおもむろに苦い顔をした。そして黄瀬を四階まで付かせると、千反田は黄瀬の教科書を黄瀬に返した。

 黄瀬は愛想のいい顔で頭を下げた。

 

「悪いな、何度も」

「おう。……骨折はあとどれ位で治るんだ?」

「ん?そうだな、あと数回通えば、治ると思うぜ。」

「通ってるのは入須先輩のとこの、恋合病院だよな?」

「そうだ。あそこが神高から1番近いからな」

「そうか、お大事にな」

「黄瀬さん、お大事になさってください」

「これはどうもご丁寧に千反田さん」

 

 教室に入っていく黄瀬を眺めていた俺と千反田の後ろから、お茶らけた声が聞こえてくる。

 

「古典部」

「陸山会長?」

「今朝の事は、もちろん知ってるよな?」

 

 俺達は頷く。

 

「早速放課後に会議……と行きたいところだが、《ホーリーナイト》までは生徒会も総務委員会も忙しくてな。来週の水曜日……《ホーリーナイト》前日、遅いと思われるかもしれんが、そこでもう一度会議を行う。頼むぞ」

「分かりました、陸山さんも気をつけてください。《月夜の背教団》さん達が、何をしでかすか分かりませんから……」

「ありがとな千反田嬢。細心の注意を払って、俺達も動く。んじゃ」

 

 陸山を見送った俺達は、再び沈黙。千反田は心配そうな顔で俺を見つめた。

 

「どうしましょう……」

「どうするもこうするも……俺達だけで調査を進めるしかないだろ。」

 

 さて奉太郎……どう動く?

 

 

 

 

 

 

 

 

 side奉太郎

 

 

 

 二年F組前。

 

 

「どうしたんだい、折木くん。君から尋ねに来るとは珍しいこともあるんだな」

 

 入須は笑いながら言った。一方俺は真剣な表情を浮かべている……と思う。普段真剣な表情を浮かべない俺の場合、そんな顔をすれば変顔に間違われても可笑しくはない。

 入須がこうして笑っているのも、俺の顔がおかしいからとも考えられる可能性は十分にあるのだ。

 いやはや、そんな事を思う為に俺はわざわざ苦手意識を持っている入須を訪れた訳では無い。

 

「入須先輩。今日の放課後、空いていますか?」

「デートの誘いかい?」

「……えぇ、そうですね。ですが、俺が誘っているのは神高の入須冬実では無く、()()()()()()()()()()()()()()です。無理を承知でお願いしたいことがあります」

「……」

 

 入須は一度顎に手を置いた。そして、再び悪い笑みを浮かべる。

 

「面白い。その頼み、言ってみたまえ」

 

 

 

 

 

 二人の探偵は、既に動き出している。




《月光下のアベンジャー》編もあと、三、四話で完結です。


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第十話 開幕!神高ホーリー・ナイト

 【十二月 二十二日 火曜日 十八時半】

 

 神高ホーリー・ナイトまで、あと二日。

 

 《月夜の背教団》の謎の予告状から、一週間の時が流れた。

 俺達古典部はあれ以降特に大きな検討会を開くことは無く、それぞれが《ホーリーナイト》に向けての準備を行っていた。

 

 俺、伊原、里志の場合は、朝と放課後に社交ダンスの練習会。

 奉太郎や千反田がなにをしているかは分からない。奉太郎や天津は基本的に放課後にどこかに一人で向かっていると聞いている。それ以外は知らない。

 だが……

 

 商店街のアーケード下。俺と里志が帰路に着いていると、奉太郎と天津が電信柱に寄りかかっているのを見た。

 吹く風は冷たく、剥き出しになっている手や顔が痛い。

 

「来たか、ハル、里志」

「待っとったで、二人とも」

「どうしたんだいホータロー、天津さん」

 

 里志の言葉に奉太郎は軽く頷き、スクールバッグから先日配られた《神高ホーリー・ナイト》のスケジュール表と、メモ用紙を取り出した。天津が口を開く。

 

「この一週間、うちらなりに考えを纏めてきた。少し話を整理しようと思っとるんやが……二人共空いとるか?あんたらの力が必要や」

 

 里志は首を竦めながら言った。

 

「流石だ。それぞれ別個人で推理を進めていたなんて、それでこそ我が神高の《探偵役》に相応しい。空いてるよ、いや空いてなくても空けるさ」

「助かる。ハルはどうだ?」

 

 俺はニヤリと笑った。

 

「気が合うなお前ら」

 

 俺もポケットから四つ折りにしたルーズリーフを取り出した。

 

「俺も纏めたかった」

 

 

 

 

 

 

 

 

 【十二月 二十三日 水曜日 八時】

 

 

 

 

「ぐぅ……疲れた」

「お疲れ南雲くん」

 

 社交ダンスの朝練を終えた俺と桜はその場に座り込んだ。

 この一週間一日も欠かさずに練習したお陰で、初日よりかな大分マシになり、マトモに踊れるようにはなった。

 桜が言った。

 

「南雲くんは今日の放課後は生徒会に呼ばれてるんだよね?だったらこれが最後の練習だったのか……」

「あぁ、明日ちゃんと踊れることを祈ろうぜ」

「……大丈夫なの?《月夜の背教団》だっけ?あれの調査を生徒会の人達とやってるんでしょ……?もし本当に危ない人達だったら。たしかに南雲くんと折木くんは凄いよ、《十文字》だって突き止めてたし……。でも、なんだか心配で。……むぎゅ!!」

 

 俺は桜の頭に手を置きながら立ち上がると、桜は何とも情けない声を出した。

 

「心配には及ばねぇよ。大丈夫、明日の《ホーリーナイト》は何も起こらないよ。俺達がそうはさせない。さ、教室に戻ろうぜ」

「……うん!!」

 

 

 

 

 

 

 【十二月二十三日 水曜日 十六時】

 

 

 

 

 生徒会室に集まっていたのは、生徒会、田名辺、天津、入須そして明日《ホーリーナイト》で出し物をする参加団体の代表者達だった。

 先々週に生徒会室にて行った会議とは机の配列が変わっており、会議用長机が二つ並べられ、参加団体の代表者は右の机。

 生徒会、田辺、入須、天津、そして俺達古典部は左の机に腰を掛けた。

 

 前のホワイトボード前には陸山と木原と田名辺が立っており、全員が揃ったことを確認したところで口を開いた。

 

「よし、全員集まったな。遂に《神高ホーリー・ナイト》は明日だ。それぞれがそれぞれの仕事に取り掛かっていることだと思う。……そうだな、まず連絡事項といえば《月夜の背教団》についてだ。奴らがなにを仕掛けてくるかはわからんが、十分に注意を払って欲しい」

 

 隣に座っていた伊原が耳打ちをしてくる。

 

「今年の《ホーリーナイト》は例年より教師陣の見回りの人数が多いらしいわ」

「まぁ、いい判断だろうな。《月夜の背教団》が何をしてくるかわからない以上、人数が多いことに越したことはない」

 

 だがまぁ……そんな必要はないがな。俺は視線を陸山に戻した。

 

「まずは、《ホーリーナイト》のスケジュール表を各自開いてくれ。クラス担任より先週からもらっているとおもう」

 

 俺はポケットから四つ折りにしスケジュール表を取り出し、開いた。

 

 

 

 

 《神高ホーリー・ナイト》スケジュール表。

 

 開催団体《総務委員会、一部生徒会》、担当責任者《永尾康敏》

 

 開催日時 12月24日 18時〜21時

 

 場所 神山高校体育館

 

 プログラム

 

 ・開会の辞 総務委員会委員長 田名辺治朗 18時〜

 

 ・アカペラ部 《僕らの歌声で盛り上げます》 18時15分〜

 

 ・天文部 《自作プラネタリウムで冬の星座を紹介します。》 18時30分〜

 

 ・奇術部(有志団体) 《聖夜のマジックショー》 19時〜

 

 ・サッカー部(有志団体) 《男だけのクリスマスも一興。演劇やります。》 19時30分〜

 

 ・社交ダンス部 《参加者の皆さんも気になるあの子を誘ってみてはいかがですか?》 20時〜

 

 ・閉会の辞 総務委員会一年代表 福部里志

 

 

 

 

「ここで一つ最終確認だ。参加団体の責任者は、具体的にどんな事をやるのか教えて欲しい。まず最初は……アカペラ部だ。」

 

 そう言うわれ立った男には、見覚えがあった。

 二ヶ月前、文化祭の一日目の中庭で《ライオンは寝ている》を歌っていた男子生徒だ。

 男子生徒はA 4の紙に視線を落としながら、大きく口を動かしながら答えた。

 

「アカペラ部部長。二年C組磯村正(いそむらただし)です。基本的に僕達アカペラ部は毎年《ホーリーナイト》ではクリスマスにちなんだ歌を歌わせて頂きます。歌う曲は……」

 

 その後もアカペラ部部長の話は続き、一分程話したところで席に着いた。

 木原がアカペラ部部長が言ったことをホワイトボードに記していく。陸山は続けた。

 

「次。天文部。頼む」

 

 そう言われて飛び跳ねるように立ち上がった姿にも、見覚えがある。赤いリボンで作られた三つのお団子ヘアー。リボンを付けない制服。こいつは……

 

「はいはーい!天文部部長。二年F組沢木口美崎でーす!そうだねーうちらがやる事は基本的にスケジュールに書いてあることで全部纏められてると思うけど、うちらが作った自主制作プラネタリウムを使って、冬の星座の紹介かなー!毎年盛り上がってるよ!」

 

 木原が沢木口の言ったことを書き留めていく。どこか不服そうな顔だ。その心は『どうしてスケジュール表に書いてある事をわざわざ参加団体メンバーの口から聞かなくちゃならないのかしら』だ。

 隣を見ると、伊原と千反田も頭にはてなマークを浮かべている。

 

 俺と奉太郎、里志、天津、入須は無反応。田名辺や陸山は……まぁ多分同じだ。

 

 沢木口が席に着く。陸山は言った。

 

「次。奇術部」

 

 立ち上がったのは大人しめな女子生徒だった。前髪で目が隠れ、本当に黒魔術でも書いてそうな漆黒の本を持っている。

 小さなか細い声で奇術部の代表者は言った。

 

「奇術部部長。二年A組嵐山瑞希(あらしやまみずき)です。私達も基本はスケジュール表に書かれているものと同じです。マジックショーを開催します」

「どんなマジックをするんだい?」

 

 田名辺が顎を手に当てながら聞いた。木原もホワイトボードの手を止める。

 嵐山は田名辺の方向を見てから、さっきよりも自信の無さげな声で言った。

 

「すみません。それは言えません」

「そうか。ありがとう」

 

 嵐山はペコりと頭を下げると、自分の席に戻った。

 

「次。サッカー部」

 

 立ち上がったのは先々週の生徒会との会議で乱入して来たガタイのいい男だった。男は、威勢のいい声で言った。

 

「サッカー部部長。二年H組小黒朋樹(おぐろともき)だ。俺らもやる事は基本的にスケジュール表通りだ。演劇だな」

「演劇とは具体的に?」

 

 再び田名辺が聞く。

 

「学園モノだな。うちの部員が女装とかして、面白くなるぞ!」

「はは、女装ねぇ。ってことは、白石もすんのか?」

 

 陸山が笑いながら聞いた。小黒とは知り合いらしい。

 白石というのは、小黒と一緒に生徒会室に乱入して来たチャラついた副部長の事だ。一回しか見たことはないが、何故か記憶に新しい。

 

「あぁ、そうだな」

「なるほど、ありがとう。次。社交ダンス部頼むぞ」

 

 小黒が席に着き、次に立ったのは女子生徒だった。あの人

 

「はい!社交ダンス部部長。二年B組岡ノ内梓(おかのうちあずさ)です。うちも同じだよー、てか社交ダンスは《ホーリーナイト》の目玉でしょう?わざわざ言わせることもないと思うんだけどなー、基本的に連続で何曲か流してそれに乗って、男女ペアが踊るってわけ。あ、そうだー。飛び入り参加も自由だからねー!」

 

 岡ノ内……俺と桜をスパルタ指導した女子生徒だ。目ぇ合わせないようにしよ。

 

「お、南雲くーん!!!」

 

 ブンブンと嬉しそうに大きく腕を振ってくる。めんどくせぇ。

 

「はは、OKありがとうな岡ノ内。……それじゃぁ今日の会議は終わりだ、明日はそれぞれ頑張ってくれよ!」

 

 そう言うと、代表者達は我先にと生徒会室をあとにした。それぞれ忙しいんだろうな。ふと窓の外に目を向けると、既に学校の装飾に取り掛かっている生徒達を見た。

 木に飾りや、ライトを付ける生徒達の姿は、どことなく文化祭を彷彿とさせる勢いだった。

 

 代表者達が居なくなったと同時に、ホワイトボードに板書していた木原が不服そうな表情を浮かべながら陸山に言った。

 

「会長。今日の会議はなんのためですか?代表者会議は既に終えています」

「最終確認だよ。先生に頼まれてるんだから仕方ねぇだろ?」

 

 そのやり取りを見ていると、後ろでは別のやり取りが繰り広げられていた。

 

「ふくちゃん、折木!これはどういうこと?」

「ん?いや、僕も詳しくは知らない。」

「はぁ!?だって……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「あぁ、そうだよ?でもね、僕はデータベースなんだ。『データベースは結論を出せない』これ、忘れたわけじゃないだろ、摩耶花。でも……」

 

 

「どうやら《探偵》の三人は……なにか分かったみたいだけど?」

 

 

 里志は俺、奉太郎、天津を見た。

 天津は頭を搔くような仕草を見せ、奉太郎は前髪に手を置き、俺は顎に手を置いた。そして……

 

 

 

 

 

 俺たち三人は……誰に見せることもなく渾身の笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 【十二月二十四日 木曜日 十七時四十五分】

 

 

 一度奉太郎の家にお邪魔させてもらった俺は、奉太郎共に体育館前にいた。

 校内放送から流れるジングルベルの音、カラフルなライトで照らされた神高、ドレスやタキシードで身を包んだ生徒達や、腕を組みながら男女ペアが次々と体育館に入っていく。

 

 

 勿論ながら、俺と奉太郎もタキシードに身を包んでいる。ドレスコードと言う奴だ。

 

「奉太郎、なんでお前タキシードなんて持ってんだ?」

 

 なんだか窮屈だったので、俺はタキシードの上を脱いで方にかけた。

 中に着ているのは赤色のベストのようなもので、別にこれだけでも味は出ていると思う。

 

「……姉貴が買ってくるんだよ」

「ホータロー、ハル」

 

 呼ばれた方へ視線を向けると、同じくドレスコードをした里志と伊原が立っていた。

 伊原のドレスは青いワンピース型で、肩が剥き出しになっている。周りが同じような格好のドレスだからできる服装であり、普段の伊原なら絶対にすることの無い格好だろう。

 

「折木、南雲……馬子にも衣装ね」

 

 奉太郎はムッとして返した。

 

「お前もなちんちくりん」

「なによ」

「なんだ、やるのか?」

「まぁまぁホータロー、摩耶花。仲いいのはわかったから」

「「よくない!」」

 

 仲いいよ。鏑矢中ベストカップル。

 

「やぁ」

 

 振り向くと、そこには陸山、田名辺、入須、天津が立っていた。

 入須のドレス姿を見た里志は『おぉ!!』と声を上げる。

 

「いやぁ、入須先輩お似合いです。ね?ホータロー、ハル」

「「あぁそうだな」」

「ふっ、褒めるのはよしたまえ」

「うちはどうや?」

 

 天津が聞いてくる。俺はすかさず

 

「いやぁ!!入須先輩似合いますねぇ!!」

「うちは……」

 

 奉太郎も

 

「綺麗ですよ入須先輩」

「お前らわざとやってるやろ……!!」

 

 俺達に十文字の疑いをかけた時以上の怖い顔をした天津が、俺たち三人の胸ぐらを掴みながら壁に追い詰めた。

 

「「「綺麗です、天津さん」」」

 

 だからこの手を離してください。

 

「な、南雲くん!」

「ん?おぉ……」

 

 俺を呼んだのは桜だった。

 

 桜の身を包んだピンク色のドレスは、伊原と似たワンピース型でどこか子供っぽい無邪気さを与えながらも、大人の女性の魅力を俺に与えた。女子の普段とは違った姿を見ると、五割増で可愛くみえるとは聞くが……まさに。

 

「桜さん、可愛い!!」

「本当だね、君、本当に桜さんかい?」

 

 伊原、里志、の声に、俺はすかさず続いた。遅れたのは多分……見惚れていたからだろうか。

 

「うん。すげぇ……似合ってる」

「ほ、ほんと?えへへ……」

 

 あぁらこれはいかん。これはいかんぞ。あまり桜とは目を合わせないようにしなくちゃならない気がする……。なんというか、直視出来ない。

 

 さてと……まだ着てないのは千反田だけだが……。

 

「うわぁ……!!!」

 

 突如伊原が両手を口に当てながら感動したような声を上げた。俺は伊原と向かい合う状態にあるので、伊原が何に向かってそれを言っているのか分からない。

 奉太郎と里志を見ると、二人共口をぽかんと開けている。

 

 周りの男子生徒や女子生徒も俺の後ろにある『なにか』に視線を奪われており、男女ペアで訪れており、『なにか』に見惚れる男子にワンパンを入れる女子生徒の姿も見える。

 

 そして俺は、ゆっくりと振り向く。

 

 

 

 体育館前の踊り場前の数段の階段をゆっくりと登ってくるのは女子生徒。

 純白のドレスに身を包み、あらわになった両腕はドレスに劣ることの無い色白さを蓄えていた。

 髪型はいつものように大和撫子然とした黒髪を流してはいるが、その文化的な違いの違和感さえも感じず、少し照れくさそうに伏し目がちな少女は、ゆっくりと俺達の前でその足を止めた。

 

 《お姫様》。そう形容しても全く不自然とは思えない少女……《千反田える》は、俺達を見てニッコリと笑った。

 

「どうですか?」

「……」

「?」

 

 千反田は何も答えない俺達男子陣に首を傾げる。そして

 

「す、すっごい似合ってるよ千反田さん!!!」

 

 里志

 

「お前、色々と凄いな……こんなにドレスが似合う奴がいるとは」

 

 奉太郎

 

「空いた口が塞がらないとは、この事だぜ……」

 

 俺も言った。

 

「ありがとうございます。みなさん」

 

 千反田はあまり気にせずに皆との会話に戻っていった。

 すると、俺達の感動を一気に打ち消すような音楽が、吹奏楽部により演奏され始めた。

 奉太郎が俺の横に立ち、呟いた。

 

「ハル、そろそろ行くぞ。」

 

 俺は頷いた。

 

 俺たち古典部、桜、天津、田名辺、陸山、入須は横並びになりながら、同時に体育館に足を踏み入れた。そして、体育館のステージに立っていた司会が、マイクを使って大きな声で言った。

 

 

「皆さん、メリークリマス!!今日はここにいる生徒全員で、聖なる夜を盛り上げましょう!!《神高ホーリー・ナイト》……開幕です!!

 

 

 

 《神高ホーリー・ナイト》がその幕を開けた

 

 

 

 




《月光下のアベンジャー》編完結まで、あと三話。










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第十一話 一人一殺

 短いです。


 【十二月二十四日 木曜日 十八時十五分】

 

 《神高ホーリー・ナイト》が始まり、田名辺が開会の辞を言い終えたところで、ステージにはアカペラ部が登場した。

 参加者全員の視線が体育館のステージに向き、拍手喝采が巻き起こる。

 

 体育館の中も装飾が施されており、工作部と園芸部が合同で作成したプラスチック製の俺と同じ程の背丈のクリスマスツリーがポツポツと飾られている。

 サンタクロースやトナカイのコスプレをした生徒達を横目に、俺は歩き出す。

 

 作戦通りなら今頃千反田、里志、伊原、桜、陸山や《協力者達》は《奴ら》の場所にいるだろう。陸山と里志以外には作戦の全てを話してはいないが、まぁあいつらなら上手く立ち回ってくれるはずだ。

 

 俺は目当ての人物の肩を叩き、《そいつ》を体育館外へ誘導する。

 

 体育館から校舎の普通棟に移った。人の気配は一切なく、体育館で行われている《ホーリーナイト》のざわめきのみが微かに聞こえる。俺は普通棟一階の階段に登った。俺は一階と二階の踊り場で立ち止まり、《そいつ》に向かって振り返る。

 《そいつ》は階段下で立ち止まっており、階段を登ろうとしない。《そいつ》は笑いながら言った。

 

「おいおい、勘弁してくれよ。助けなしで階段登れる状態じゃ無いことくらい分かるだろ?」

「そうだったな、悪い」

 

 俺は無言で階段を降り、《そいつ》の目の前まで移動する。そして……

 

 

 がん!!!

 

 

 カランカラン……。

 

 という音を立てて、()()()()()()()()()()は地面に転がった。

 しかし当の本人は、松葉杖が腕から無くなったのにも関わらず、その場に立ち尽くしていた。本来なら松葉杖が無ければ立てないはずなのに。

 

 そして、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 俺は静かに《そいつ》を眺める。冷酷な眼差しと言ってもいいだろう。

 《そいつ》は一瞬だけ驚きの顔を見せたが、次の瞬間に薄く笑った。

 

「いつから気づいてたんだ、俺の足が治ってるって……」

 

「一昨日だな。俺の知り合いに医者の娘がいてな。その人にお前のカルテを見させてもらった。最初からおかしかったんだよ。お前が骨折したのは夏休みが開けてすぐの九月初旬。四ヶ月も経ってるのに、運動部のお前が松葉杖をまだついてるほど、治療が遅れてるなんてな。加えて、その医者の娘はこう言ってたんだ。『あの程度なら病院に来る必要は無い。薬を飲んで、完治を待て』ってな。おかしくないか?松葉杖をついている状態だって言うのに、そんな言い方は。つまり、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 《そいつ》は未だに笑っていた。

 

「くくく。入須先輩か……第三者に人のカルテを見せるなんて、お医者様の親御さんが聞いたら悲しむだろうな。それで……それがどうした?」

「とぼけるな。お前が《月夜の背教団》のメンバーだって事はもう分かってる。お前らが何をするつもりかはわからんが、ここで終わりだ。大人しく学校側に自首しろ。今なら処罰は軽くなるぞ」

「歩けないふりをしていた事で、俺が《月夜の背教団》のメンバーだと証拠付けるのか?そりゃ不十分だ。生憎、俺は《月夜の背教団》とは無関係だ。歩けないふりをしていたのだって、今日の《出し物》のサプライズって奴だよ。それに……」

 

 《そいつ》はわざとらしく両腕を広げた。

 

「《月夜の背教団》は何人もいるんだろ?もし俺がそうだったとしても、ほかのメンバーも捕まえなきゃ意味が無いんじゃないか?」

 

 《そいつ》は煽るように俺を見つめるが、俺は至って冷静だった。

 

「あぁ……そうだな。だからちゃんと、他の奴らもマークしてるんだよ」

 

 《そいつ》の顔からは少しだけ余裕が消えたきがした。

 

「なに?」

「結論から言おう。《月夜の背教団》のメンバーは合計で十二人。主要メンバー、つまり学校に侵入していたのはその中の五人。だから俺達は、その五人を一人ずつで抑えることにした。一人一殺って奴さ。あとの七人は、そうだな。今頃取り押さえられてんじゃねぇか?」

「お前……なにを……」

 

 《そいつ》は一歩、二歩と後ろに下がる。俺はそれに続き、一歩、二歩と詰め寄る。

 

「お前が《月夜の背教団》のリーダーだったんだな」

 

 俺はそいつの視線に、自分の視線をぶつけ合わせながら、ゆっくりとその名を口にした。

 

 

 

「黄瀬隼人」

 

 

 

 

 

 

 side奉太郎

 

 普通棟二年C組前

 

 

「木原青佳先輩」

 

 

 

 

 

 

 side天津

 

 

 普通棟一年B組前

 

 

「朱宮優斗」

 

 

 

 

 side入須

 

 

 特別棟美術室前

 

 

「白石明来」

 

 

 

 

 side田名辺

 

 

 特別棟パソコンルーム前

 

 

「小黒朋樹」

 

 

 

 

 

 

 side晴

 

 

 

「さぁ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「「「「「推理を始めよう」」」」」




《月光下のアベンジャー》編完結まで、あと二話。


次回《月光下のアベンジャー》


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第十二話 月光下のアベンジャー

 《月夜の背教団》と《古典部》の戦いが遂に決着!!!

 推理シーンは《揺らぎを伴うデモンストレーション》というBGMを聞きながら執筆しました。




 side晴

 

 俺の目の前にいる一人の少年は、ギプスを巻いている右足を床につけ驚愕の色を顔に浮かべていた。

 俺は少年。《月夜の背教団》リーダー、黄瀬隼人を視線に捉える。

 

「諦めろ。《月夜の背教団》は全員俺“達”が押さえてる。《ホーリーナイト》が終わるまでここに居てもいいんだぜ?」

「……」

 

 黙ったまま顔を伏せた黄瀬は、唇をこれ程かというまで前歯で噛み締めている。血が滲み、口の端から垂れ落ちる。

 拳を強く握りしめ、今にでも殴りかかって来てもおかしくはない。

 

「そうだな。まずはお前らの学校への侵入ルートから説明しよう。

勿論のこと、完全下校時間を過ぎてから学校に入る事はほぼ不可能。一階の窓は普通棟と特別棟関わらず全て閉められているし、馬鹿正直に昇降口から入ることも出来ない。例外として、家庭科室の窓は開けられているが、仮にそこから侵入したのなら廊下へ出るためのドアが閉まっているのはおかしい。家庭科室は内側からの開閉は手動で出来るが、外側からは他の教室と同じで鍵がなきゃ開閉が出来ない」

 

「そこで俺達は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()しかし、そんな方法無かったんだよ。最初からこう考えるべきだったんだ。

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 side奉太郎

 

 

「木原先輩。俺とハルはあなたが《月夜の背教団》の一員だと言うことに、生徒会と古典部の最初の会議の時から、目星はつけていました。なぜなら学校に侵入するトリックを作る為にはあなたの存在が必要不可欠だからです。あなたは放課後の時点で学校に残り、十九時半の時点まで生徒会室に隠れていた。しかし、どうやって隠れていたのか。何故生徒会室なのか。先程も言った通り、この学校の教室は鍵がなければ開閉が出来ない。鍵を持って教室のドアを開け、更に中に入った時点でその鍵を使って鍵を閉めなければならない」

 

 木原は至って冷静だった。俺は唇を湿らせ、続ける。

 

「つまり教室に隠れるためには絶対に鍵が必要だ。しかし鍵は職員室に置かれているし、その鍵が完全下校時までに返却されていなかったら教師陣は不審に思うでしょう。ですが、たった一つだけ、教師陣の目に入らない鍵があるんですよ。生徒会室に置かれていた第二のマスターキー……あれは教師陣が生徒会に預けていたものだ。これを見てください」

 

 俺はポケットから一枚の紙を取り出した。

 

 

 生徒会十二月活動予定

 

 M 部活動報告書提出。

 

 W 定例会議

 

 F 総務委員会との合同雑務

 

 

「生徒会の活動予定表、ですか?」

 

 木原のとぼけたような言葉に俺は頷く。

 

「初めての会議でハルが生徒会室から拝借したものです。大事なのは活動内容ではありません。頭文字のアルファベットだ。

木原先輩は一応生徒会なので聞きますが、これは曜日を表しているのでは?」

「というと?」

 

「MはMonday、WはWednesday、FはFriday。月水金。これは《月夜の背教団》が夜の学校に侵入する曜日と重なっている」

 

 

 

 

 

 side天津

 

 

 

「それで、それがどうした?」

 

 朱宮は大きく首を竦めた。

 

「木原青佳は生徒会副会長。加えて、陸山が言うには生徒会の活動がある日の生徒会室の正規の鍵は、職員室から借りるところから返却まで全て木原が行っとる。うちらは、木原は十九時半まで生徒会室に居座った事を予想したんや。ここからの説明は消去法で行くで。

まずは一つ目の可能性。木原は生徒会の連中が帰ったことを見計らい、十九時半まで生徒会室に居座った。この時に内側から扉を閉めた鍵は正規の鍵と予想する。これは無理や。さっきも言った通り、正規の鍵の一つでも職員室に返却されてなかったら、流石の教師陣も不審に思う。

二つ目の可能性。木原は生徒会の連中全員が帰ったことを見計らい、生徒会室に鍵を掛けずに職員室に正規の鍵を戻し、再び生徒会室に入り、生徒会室内の第二のマスターキーで鍵を閉めた。これも無理。生徒会の前にある職員玄関には監視カメラが設置されとる。鍵を返したあとの生徒会室に入った木原が完全下校が過ぎても出てこないのは不自然すぎる」

 

 

 

 

 side入須

 

 

 

「ではどのように木原は鍵を閉めたの生徒会室に入ったのか。答えは《窓》だ。生徒会室は特別棟の一階。まず木原は生徒会が居なくなったことを見計らい、生徒会室の窓を開けた。その後生徒会室の鍵を閉め、その鍵を職員室に返す。そして一度校舎の外に出た後に、外側から窓を使って生徒会室に戻った。そこで十九時半まで生徒会室に居座り木原が使った窓を用い、その日に学校に侵入する生徒……つまりお前達を簡単に生徒会経由で校舎内に入れられるということだ」

 

 白石は腕を組んだまま、反論をよこした。

 

「たが、それだと矛盾点が出てくる。仮に木原が俺達を生徒会室の窓から入れられたとしよう。生徒会室にあるっていう第二のマスターキーを使えば、十九時半になった時に生徒会室から出て、鍵も廊下側から閉められる。生徒会室の外はお前の言った通り職員用玄関なんだろ?しかもそこには生徒会室も写るように監視カメラが設置されてるって言うじゃないか。放課後の時点でそのカメラに映らなくても、完全下校以降にそのカメラに写っちまったらなんの意味もない」

「ほう。少しは考える脳があるようだな」

「なに?」

 

 

 

 

 side田名辺

 

 

 

 

「たしかに、職員用玄関に設置されている監視カメラは二十四時間稼働だ。夜の学校に忍び込んでる生徒がいるって言うことなら、教師陣達もその監視カメラの映像をチェックしているだろうしね。なら、映らないためにはどうしたらいいか……()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「あん?」

 

 小黒くんはガタイのいい体を使って、僕を牽制してくるが、そんな事じゃ動じない。

 伊達に《十文字》をやってた訳じゃないんだよ。

 

「これを見て欲しい」

 

 僕は胸ポケットから一枚の紙を取り出した。今月の活動報告書だ。

 

 

 茶道部 顧問 柳原敦

 

 活動日 月水金

 

 部長 木原瑠菜(きはらるいな)

 副部長 長嶺つくし

 部員 大宮城葛葉

    秋元美佐子

    宮野真奈

 

「……」

 

 小黒くんの体がピクリと動いた。目を軽く見開き、驚愕の色を隠しきれていない。

 

「木原瑠菜。今話していた木原青佳さんとは名字が同じなだけで全く関係の無い二年生の茶道部部長。茶道部の部室は特別棟一階和室。これが何を意味するか……」

「分からんな」

「木原さんは生徒会室の鍵を返しに行くと同時に、()()()()()()()()()()()()職員室で教室の鍵を借りるには、鍵掛けの下にあるホワイトボードに名前の表記が必要だ。でも名前を書いているところなんて普通は見られない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「でも茶道部が活動日じゃない日に鍵が借りられてたらおかしいよね。そこでもう一度、今回の事件のキーマンの木原青佳さんの登場だ」

 

 

 

 

 

 side晴

 

 

 

「茶道部の活動日も偶然に月水金。木原は生徒会の鍵を職員室に返すと同時に、活動を終わらせていた和室の鍵を職員室から取った。《木原》という自分の実名を使ってな。例え木原瑠菜ではなく、木原青佳が鍵を借りていたとバレたとしても、『生徒会の活動で部室をチェックしています』で済むだろう。

そして、木原は和室に入り和室の窓を開けた。あとは簡単。和室のドアを閉め鍵を職員室に返し、窓を使って生徒会室に戻る。時間になったらその日に学校に侵入するメンバーに生徒会室の窓から第二のマスターキーを渡し、そいつは事前に開けておいた和室の窓から中へ入る。第二のマスターキーを使いドアを開けて廊下へ、そして和室の外側からドアを閉める。帰りも同じさ。和室に入り侵入した経路と同じ方法で窓から脱出。生徒会室の窓から戻り、第二のマスターキーを元の位置に戻す。生徒も教師も、流石にロックされた和室の窓が開いてるかなんてチェックはしないだろうからな。こうすることで生徒会室前の監視カメラに映ることなく学校に入れるわけさ」

 

 黄瀬は手を大きく振りかぶった。それと同時に叫ぶように声を荒らげる。

 

「だが、なぜ俺達なんだ!この学校の生徒は千人もいる。なぜ……」

「分からないが、お前は自分でヒントを与えただろ」

「……っ!!」

 

 俺はポケットから二枚の紙を取り出した。

 

 

 

 まずは一枚目を黄瀬に見せる。

 

 

『我々は、絶対なる正義なり。この神高の平和と秩序を維持する存在であり、この神高の悪を成敗するもの。

この学校は、穢れている。我々はその穢れにより、誇りを失い、信頼を失い、憧れを失った。

今こそ我々が動き出す時。三十三年前のように、全てを覆し、伝説を築く時。

一週間後に行われる《神高ホーリー・ナイト》にて、この学校の悪を、排除することをここに誓おう。

五つの方角にて、我々はこの神高を新たな色に染め上げよう。加えて、本日を持って夜の学校の徘徊は終了する。

そうだ、我々を止めようとする愚か者達に伝えよう。我々の名は《月夜の背教団》』

 

 

 

「お前達の予告状だ。注目すべきは……後半の文章。『五つの方角にて、我々はこの神高を新たな色に染め上げよう』

『染め上げる』という記述から、俺達はこれは《色》を表しているのではないかと予想した。それに加え、《五つの方角》。《色》と《方角》この二つに共通するものと言えば」

 

 俺は一度大きく息を吸った。推理になると、どうも呼吸をするのを忘れてしまう。

 

「《四神》。青龍、朱雀、白虎、玄武……そしてその中心。麒麟。当てはまる色は青、朱、白、黒、黄だ。

俺達は元々、《月夜の背教団》はそれ以前に何かしらの集まりと打診していた。部活、委員会、クラス。加えて、《月夜の背教団》は《ホーリーナイト》にて『なにか』をする予定だった。しかし、そんな事が本当に出来るのか?お前らの一件のお陰で、《ホーリーナイト》の教師の監視は高まっている。そんな中、今の《ホーリーナイト》はとても悪さができる状態じゃない。でも、たった一箇所だけ、教師陣が感じに入れない場所がある」

「どこだ?」

 

 苛立ち混じりの黄瀬の声が、俺の耳に響いた。

 

「ステージ上さ。出し物をする団体が出し物を披露している間、教師陣はステージに上がることは出来ない。今日ステージに上がる団体は全部で五つ。アカペラ部、天文部、奇術部、サッカー部、社交ダンス部」

 

 

 

 

 side奉太郎

 

 

 

「この五つの部活の中から、麒麟を含む《四神》に当たる人物全員が所属している部活はただ一つ」

 

 俺は更に紙を取り出す。サッカー部の活動報告書だ。

 

 

 サッカー部 顧問 永尾康敏

 

 活動日 月火木金

 

 部長 小黒朋紀

 副部長 白石明来

 部員 藤崎裕太

    野山海斗

    大池和

    茅森翼

    真鍋歩

    松木俊一

    朱宮優斗

    小川武

    黄瀬隼人

    木原青佳

 

 

 

「キャプテン小朋樹。副キャプテン石明来。レギュラーメンバー宮優斗。補欠メンバー瀬隼人。そして……マネージャー木原佳」

 

「偶然にしては出来すぎている。さぁ……」

 

 

 

 

 

 side晴&奉太郎

 

 

 

 

 

「「チェックメイトだ。《月夜の背教団》」」

 

 

 

 

 

 

 

 

 side千反田

 

 

 

 

 体育館関係者スペース。陸山さんはサッカー部さん達をこのスペースに集め、推理を始めていました。

 南雲さん、折木さん、天津さんがたどり着いた真相を。

 

「というわけで、お前ら《サッカー部》が《月夜の背教団》の正体だって事は分かってんだ。違う女が二人目撃されたってのも、出し物の演劇で使うって言う口実でカツラでも借りたんだろ?何をするつもりだったかは知らねぇが、観念しろよ」

「ちっ……陸山……!」

 

 サッカー部の藤崎さんという方が、陸山さんを睨みつけています。

 今この場にいるのはサッカー部さん達七人。加えて、私、摩耶花さん、福部さん、桜さん、倉沢さん、二年F組の沢木口さん、羽場さん、そして……

 

「おーおー、やってんねー。こいつぁ《ホーリーナイト》に来た甲斐があったわ」

 

 晴香さんです。

 あちらは七人。こちらは八人。南雲さん達の推理が終わるまで、ここで《サッカー部》さん達を足止めしてなくてはなりません。

 福部さんが頭の後ろで手を組みながら、聞きました。

 

「動機は一体なんなんですか?」

 

 藤崎さんは答えます。

 

「お前らに話す義理はない」

「いや話せ」

 

 陸山さんの声はとても冷徹でした。

 

「お前らのことはまだ教師陣に報告していない。正直に話せば、ここで見逃してやるよ。これは交渉じゃねぇ……一方的な取引だ」

「…っ!!」

 

 陸山さん、本当に堂々としたお方です。これこそが生徒会長の器というものなのでしょうか?

 私も口を開きます。

 

「あの……私、気になるんです。どうして《月夜の背教団》さん達が、夜の学校に侵入し、なにをこの《ホーリーナイト》で行おうとしているのか」

「はは……気になる……ね。っざけんじゃねぇ!!!

 

 

 ズガン!!!

 

 

「きゃっ!!」

「ちーちゃん!!」「千反田さん!!」

 

 藤崎は物凄い勢いで壁を蹴りつけました。私は腰が抜けてしまい、その場に尻もちをついてしまいます。

 

「気になる……だと!?気になるから話せと言われて話すほど、俺達はこの《復讐》に生ぬるい気合を入れてきたわけじゃねぇんだよ!!!」

「てめぇは……。……っ!!?」

 

 晴香さんが藤崎さんの右手首を勢いよく掴み、そのまま壁に叩きつけました。

 

「もう一度えるに対して何かやってみろ。……あたしも、他の連中も黙ってないぞ?」

「く……」

「生徒会長さんも言ってたろ?これは交渉じゃない。一方的な取引なんだよ。主導権はこっちが握っている。いい加減動機を話せ」

「こわ……」

 

 隣で福部さんが呟きました。

 

「話したところで、てめぇらに何が……!!」

「もういい藤崎。」

 

 藤崎さんの後ろに立っていた、大池さんという方が藤崎さんの肩に手を置きました。

 

「けど!!」

「黄瀬達が足止めされてんのは確かだ。もう……無理だ」

「……っ!!!畜生!!!」

「腹は決まったみたいだな。」

 

 陸山さんがいいました。

 

「話してみろよ。《復讐》って……どういう意味だ?」

 

 藤崎さんは、悔しそうな表情を顔に浮かべています。

 藤崎さんの視線は晴香さんと陸山さんを捉えており、私に向けていた矛先はいつの間にか無くなっていました。

 桜さんが私の手を引いて少しだけ後ろに下がらせてくれます。ありがとうございます。

 

 藤崎さんは、話し始めました。

 

「……四ヶ月前の事さ。うちの部員の黄瀬が、夏休み終盤にやった練習試合で怪我を負った」

 

 

 

 

 

 

 side奉太郎

 

 

 

 

 木原は淡々と四ヶ月前の真実を語り始めた。俺はそれに黙って耳を貸す。

 

「黄瀬くんは私達サッカー部唯一の補欠メンバーです。しかし彼は、誰よりも努力家でした。そして、遂にレギュラーを勝ち取りました。その試合こそがてん」

「《秋の神山サッカー大会》」

 

 俺の言葉に木原は頷く。

 

「はい。そしてそれを見兼ねた練習試合にて、黄瀬くんは今年初めてフィールドに立ちました。公式戦ではありませんでしたが、あの時の黄瀬くんは輝いていたと思います。ですが」

 

 

 

 

 side天津

 

 

 

「けど……黄瀬はまだ試合慣れしてなかった。公式戦じゃないにしろ、試合にはそれなりのプレッシャーが伴う。俺達も出来るだけ黄瀬にパスを回した。けど、あいつは試合のプレッシャーに負けて思う様なプレーができなかった。ボールが回れば取られて、プロックをしようとすれば抜けられる。そして、その自分の罪悪感が引き金になったのかあいつは、相手チームの激しいプレーで、足に怪我を負った」

「……それがどうこの学校への復讐と関係があるんや?」

 

 朱宮は意外そうな顔でうちを見たあとに、口を開いた。

 

「そうか、お前は黄瀬の怪我が既に治ってるって事しか聞いてなかったのか」

「せやな。ま、いくら運動部とは言え、四ヶ月で骨折完治して学校走り回れるちゅーのは凄いことやとおもうけどな」

()()()()()()()()()()()()()()()()()

「は?」

 

 うちは、なにかの聞き間違えかとも思った。けど上げた朱宮の顔は、どこか疲弊していて、今の言葉が真実だと示唆していた。

 

 

 

 

 side晴

 

 

 

 

「そうだ。お前は元々骨折なんてしてねぇ」

「それも入須先輩から見せてもらったのか?」

「見せてもらったのは俺じゃなくて奉太郎だけどな。」

 

 黄瀬は笑った。ヤケになっているようにも見える。

 もう何もかもがどうでもいいと言うように、黄瀬は大きく顔を伏せた。

 

「練習試合の時の俺のプレーは自分でも酷いものだと思ったよ。練習と実践じゃ勝手が全然違った。そのお陰で怪我も負っちまったし」

「けど、お前が負った怪我は骨折じゃなかった。骨にヒビが入っただけ。違うか?」

「そうだ。たったそれだけなんだよ!!!

 

 黄瀬は今まで出したことの無いような大声をあげた。俺は一瞬だけ肩がビクついた。

 

「笑えるだろ?一ヶ月と少しで完治だ。入須先輩の恋合病院で貰った薬で、治療は十分だった。《秋の神山サッカー大会》までには間に合うはずだった。いや、間に合ったんだよ!!

監督……《永尾康敏》。知ってるだろ?生徒指導部の教師だ。あいつは去年からこの学校に赴任してきたらしい。俺達は弱小だけど、それでも大会で勝ちたいという意思はあった。でもそれ以上に、俺達はサッカーが好きだった。けど永尾は違った。神高に赴任してくる前は強豪校で監督を務めていたんだ」

 

 永尾……俺達が学校に侵入した時に俺たちを発見した教師だ。サッカー部の顧問だったってことは知っていたが。

 

「永尾は《勝つ》為の戦略と練習を俺達に指示していた。最初の頃は辛かったさ。でも、それでも俺達は自分達が上手くなっていくのを確実に感じていた。あいつは俺達を確実に強くしてくれた!!けど奴の勝ちへのこだわりは、並大抵のものじゃなかった」

 

 黄瀬の声は枯れ始めており、その声には悔しさ……そして、涙混じりの声が入っていた。

 

「練習試合での俺の無様なプレーを見て、あいつは《秋の神山サッカー大会》の一回戦でスターティングメンバーとして登録した俺を外そうとした。だが、《勝ち》にこだわっていない俺達にそんな理由で俺を外すなんて言えるわけがない。その時、どうすると思う?」

 

 俺の頭の中では既に結論に至っていた。涙でぐしゃぐしゃになった顔の黄瀬を見ると心が痛むが、俺は無慈悲ながらその言葉を放った。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()そうなれば、変更が効くんじゃないか?」

「……っ!!……はは、さすがだな。そうだ。永尾はサッカー部の連中に俺が骨折したと告げた。俺は何も言えなかったさ。練習試合であんな無様な姿を見せたのに、『俺は骨折なんてしてない。だから試合に出してくれ』なんて言える立場じゃなかった。結果、俺達は二回戦で負けた。永尾はレギュラーメンバーに失望した。勝てる指示をしたのにも関わらず、レギュラーメンバーが上手く動けなかったのが敗因だと言ってな!!その時俺の中に、《怒り》が生まれた……俺を骨折に仕立てあげ、レギュラーメンバーに勝手な期待を寄せ、勝手に失望したあいつを……俺は許せなかった!!!」

 

 黄瀬は声を荒らげながら言った。声は完全に枯れ、それでも喉を酷使しながら思いの丈をぶつけている。

 拳を血が出るのかと錯覚してしまうほど強く握り締めており、俺は黄瀬の感情の昂りの様子に、一歩ずつ後方に移動する。

 

「俺は自分が骨折に仕立てあげられた事をメンバーに打ち明けた。メンバーも俺の想いを理解してくれた……そして俺達は始めることにした……《復讐》を!!!

学校に侵入したのは今日までの為のデモンストレーションさ。お前も気付いてるだろ?俺達が十九時半前後に決まって現れるのは、この《ホーリーナイト》にてサッカー部がステージ上に上がる時間なのさ!生徒会室にあった第二のマスターキーがあれば、例え見回りの教師陣に見つかったとしても教室内に逃げ込める。教師陣の警戒が最大まで高まったところで、《ホーリーナイト》を襲撃する予告状を出せば、《ホーリーナイト》の教師陣の警備体制はかなり高くなるからなぁ!!!そこで俺達は《ホーリーナイト》のステージ上という最高の舞台を使って、俺が骨折に仕立てあげられ、レギュラーメンバーが貶されたことを公表する。そうなれば、永尾のメンツは丸潰れだ!!この学校から永尾は追放され、俺達は《復讐》を遂げる!!!ははは!!はは……はは……」

 

 黄瀬の最後の笑い声には、ほぼ音は入っていなかった。口だけが力なく動いただけだった。

 黄瀬は再び俺を見た。俺は続ける。

 

「お前の気持ちも、分からんでもない。だが、まだ来年がある。その時に……」

「ねぇんだ……」

「え?」

「俺は来年の春で、神山を離れる。……あのチームで一緒にサッカーが出来る時は……もう、無いんだ。俺には、たとえ下手だとしてもサッカーしかなかった。サッカー部のみんなとサッカーしている時が、一番自分に価値を見いだせた。もうその価値も……俺にはなくなっちまった」

 

 黄瀬は俺目の前まで寄ると、ゆっくりと俺の肩に手を置いた。

 

「なぁ南雲、お前なら分かるんじゃねぇか?俺の価値を教えてくれよ……!」

「……分かるわけねぇだろ。俺は魔法使いでも……ましてや探偵でもねぇ」

「自分じゃ分からねぇんだよ……。《復讐》を果たせなかった今、明日をどう歩けばいいのか。俺の価値は、どこにあるのか。なぁ……頼むよ……俺は……」

「あ?」

 

 俺は黄瀬の手を払い、勢いよく黄瀬の胸ぐらを掴んだ。こちらに引き寄せ、学校中に響きわたるほどの声を発した。

 

 

 

「知るか!!自分(てめぇ)の価値は自分(てめぇ)で決めろ!!それを示すために俺達は歯ぁ食いしばって生きてんだろ!!!」

 

「いつまでも甘えてんじゃねぇよ!!サッカー部の連中は、お前の為に、自分の為に《復讐》の道を選んだ!!リーダーのお前がそんなんでどうする!!《復讐》も出来ねぇ、《価値》も決められねぇ、何もかもが中途半端な奴が、人に頼るな!!!」

 

「分かってんだよ……んなこと……」

 

「分かってねぇよ!!目の前の自分から、逃げるな!!!今まで隠してきたその足で、ゆっくりでも、一歩ずつでも…」

 

「足を止めずに、歩いてみせろ!!!!」

 

 黄瀬の顔は今まで以上に涙で顔が歪んでいた。俺は胸ぐらを勢いよく離し、黄瀬はその場に尻もちをついて倒れ込んだ。

 俺は言う。

 

「今から関係者スペースにいる他のサッカー部の連中の所に向かう。お前もこい。『《復讐》は終わり』だと伝えろ」

 

 俺は振り向き、廊下を歩き出した。

 俺の背中に黄瀬の声が掛かる。

 

 

「なぁ……なんでお前らなんだ」

「……」

「お前らは生徒会でも、総務委員会でもねぇ。ただ俺らに冤罪を負わされた部活だ。俺ら《復讐》が終わればお前らの冤罪は晴れる。長尾を慕ってる様子も見れねえ。お前らの動く理由は……どこにあった?」

 

 黄瀬の言う通りだ。《月夜の背教団》、サッカー部の《復讐》が終われば、俺達の冤罪は終わる。考えてみれば、俺達の動く理由は……どこにもなかった。

 永尾にもそれほど思いれは無いし、黄瀬の話を聞いて失望を向けた程だ。

 

 学校の為、冤罪を晴らす為、俺達の動く理由はそんなんじゃなかった。

 

「お前らは三十三年前の出来事を予告状で出したな」

「あぁ、あれをだせば、警戒はさらに高まると思ったからな」

「あの歴史は、繰り返しちゃいけないんだ」

 

 ────心半ばに学校を去った一人の生徒の末路を…俺達は知っているから。そして……

 

「涙を流すからだ」

「え?」

「お前らの《復讐》が達成されれば、千反田が涙を流すからだ

「……それが理由か」

「あぁ」

「……負けたよ……お前らと俺らじゃ……《覚悟》が違った」

 

 黄瀬は廊下の窓から外を覗いた。

 

 俺もその方向に視線を向ける。

 

 窓の外に映っていたのは、大きな月だった。そしてその月の光は、黄瀬を照らしていた。

 

 俺の目の前にいる、月光の下で照らされた《復讐者》は……

 

 

 

 静かに、涙を流していた。




《復讐者》を英語で言い換えると、アベンジャーになります。

タイトル回収来ましたコレ

月光下のアベンジャーとは黄瀬のことを指しています。

次回は《月光下のアベンジャー》編最終回です。

次回《Merry Christmas》


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第十三話 Merry Christmas

《月光下のアベンジャー》編最終回です。


本日2本目更新です。


 side奉太郎

 

 

 

 ハルの怒号が聞こえてきた。声がデカすぎる……、学校中に響き渡っているぞこれは……。

 そんなことを思いながら、俺は目の前の女子生徒、《女王》の異名を持つ木原の方を向いた。計画の邪魔をされたにも関わらず、この女は顔色一つ変えない。これも《女王》たる所以か。それとも……

 

「木原先輩、少し分からない事があります」

「分からないこと?折木くん。あなたの推理は、全て正しいわ」

「いえ、俺の……、俺達の推理には不備があるんです。推理では分からない事が」

 

 木原は不審な顔をする。

 

「これは俺、折木奉太郎の個人的な希望的観測です。もし間違ってるなら、否定してもらって構いません。あなたに聞きたい事は二つあります。まずは一つ目」

 

 俺は木原に向けて人差し指を見せた。彼女は冷厳な視線のまま、俺を鋭い瞳に映す。

 

「木原先輩。今回の学校侵入の件、計画をしたのはあなたなのでは?」

「どういうこと?」

「さっきも言った通り、これは俺の希望的観測です。理論付ける推理がある訳ではありませんが、サッカー部の中で最も頭が回るのはあなたであり、第二のマスターキーの存在を知っている生徒会を兼任している。だから俺はそう思った。違いますか?」

 

 木原は『フッ』と鼻で笑った。そして、俺に言う。

 

「ええそうよ。生徒会が所有している第二のマスターキーを今回の計画に組み込んだのは私。でも、それがなにかしら?学校侵入の方法を考え付いたのが私だったとして、それが分かった所で何になるの?」

「何になる訳ではありませんよ。では先週、背教団の予告状を制作し、昇降口前の看板に貼ったのもあなたで?」

「作ったのは私。貼ったのはサッカー部のみんな」

「予告状の中身を書いたのは先輩ですか?」

「ええ」

「そうですか、やっぱり分かりませんね」

「折木くん、さっきから何を聞きたいの?分からないって、何が分からないの?」

「あなたの真意ですよ」

「……」

 

 木原の表情が、一瞬だけ強ばった。廊下の窓から侵入する満月の光が、俺達を照らす。

 一度唇を舐め、息を整える。

 

「今日の《ホーリーナイト》まで、《月夜の背教団》の行動には色々とおかしな面が沢山ありました。勿論、学校へ侵入ということ自体がおかしな面ではありますが、それとは違う。《月夜の背教団》の学校への侵入は機械的だった。サッカー部が《ホーリーナイト》でステージ上に立つ時間、十九時半前後に決まって教師の前に現れ、姿を消す。逃亡の方法も、第二のマスターキーを使った方法で完璧に仕上げていた。そんな機械的な組織の中にある違和感に、俺は少し疑問を抱いていたんです。その違和感はまるで、黒く塗り潰された紙に、白いインクを落としたようなものでした。黒い紙は、黄瀬の永尾への復讐心。そしてその白いインクの正体は、あなただと分かりました。木原青佳先輩、あなたは……」

「やめて下さい!!」

 

 木原が突然取り乱し、大声を発した。まるで俺が次に口に出す言葉を恐れているかのように。自分を否定されるのを、恐れているかのように。

 だが、俺は辞めない。木原は気づいて欲しかったのだ。自分の信じた心が示す方向とは別を向き、誰かに伝えようとしていたのだ。

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()違いますか?」

 

 

「違う……」

 

 木原の声が震える。

 

「おかしいんですよ。あなたは最初の会議の時、入須から《女王》という異名で呼ばれ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と答えた。最初は、入須への対抗心から産まれた言葉かと思いましたが、そうじゃあなかった。あなたは天津に《女王》と呼ばれた時も、同じように答えていた。陸山からも、普段なら《女王》と呼ばれても特に反応を示さないと言われていましたよね。何故あの時だけ、《女王》と呼ばれる事に反応していたのか。そして、サッカー部が途中生徒会室に入ってきた時、あなたは黄瀬からも《女王》と呼ばれていた。しかし、入須や天津に見せた様な反応を取らなかった。つまり、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()以上から、自分がサッカー部と良好な関係にある事、端的に言うと、マネージャーとして部に所属している事を俺達に間接的に教えていた」

「違うって……言ってるでしょ……」

「まぁ結果的にハルが生徒会の仕事を手伝ってる時に、あなたがサッカー部のマネージャーを務めている事は把握出来ましたが。

……続けましょう。次に感じた違和感は、背教団の予告状だ。予告状には、『五つの方角にて、神高を新たな色に染めあげよう』と明記されていました。この文は、《月夜の背教団》の主要メンバーを間接的に示しています。何故この文を書いたのでしょうか……。こんな文なくたって、《ホーリーナイト》を襲撃する予告状は、教師陣の警戒態勢レベルを引き上げるのに充分です。むしろ、メンバーを特定される可能性だってある。現に俺達は、この文からメンバーを推理出来ましたからね。

他にもあります。予告状に書かれていた名前です。《月夜の背教団》という名称は、里志が提唱したもの。予告状が公になる前にその名を知っているのは、会議に出席していた人間のみ。つまり、あの時点で会議の出席者の中に裏切り者が居るという疑心暗鬼が産まれます。ここで俺とハル、天津は木原先輩が《月夜の背教団》のメンバーだということを確信しました。けれど、あなたはそれで良かったんだ」

「もう、やめて……」

 

 木原は耳を塞いだ。可哀想にも思うが、俺は伝えなくてはならない。ハルも天津も、俺の辿り着いた真相に気付いていない。

 《月夜の背教団》の中に、一筋の光があった事を。助けてくれと、手を伸ばしていた人間がいた事を。

 

「木原先輩。あなたは、気付いて欲しかったんだ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「違う!!」

 

 再び木原は大声を上げた。綺麗な髪も振りほどき、ぐしゃぐしゃになってしまっている。大粒の涙をボロボロ流し、その場に膝を着く。

 《女王》と呼ばれるに相応しい威厳は、もうどこにもない。

 

「違う!!違う!!本当に探偵になったつもりですか!?!?適当な事を言わないでください……!!折木くん、あなたの推理は間違っています!!……私は……部員を支えなくてはならないんです……!!黄瀬くんを理不尽にレギュラーから外し、《秋の神山サッカー大会》で敗北した部員に失念を向けた永尾を……、私は許さない!!《ホーリーナイト》で永遠にこの学校から追放してやる事を、部員のみんなと誓った!!私の、《木原青佳》自身の意思でです!!……だから……だから……もう……」

 

 木原はより一層、肩を落とした。

 

「もう……やめてください……」

 

 もうその言葉に、力は乗っていなかった。

 木原は身をかがませ、その場にうずくまる。俺はその木原を、見ている事しか出来なかった。この様な場で、気の利いた言葉を発せるほど、俺は出来た人間じゃない。

 ハルなら……こんな時どんな言葉を木原にかけるのだろうか……。きっとあいつなら、木原を立ち上がらせる事が出来る。千反田も、里志も、伊原だって、目の前の木原を慰める言葉を発せるだろう。

 俺は隣に、ハルがいるのを想像した。そして、うずくまる木原の肩に、手を置いた。

 

「もういいんです、先輩。全て終わりました。あなたからの伝言は、全て受け取りました。《復讐》を阻止したんです……。だから……もう、自分の心に正直になって、いいんです」

「うっ……あぁ……うぐ……。……はい……はい……ありがとうございます……折木さん……。本当に……本当に……!!」

 

 

 

 

 

 ━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

 

 

 

 

 その後木原は泣き病み、再び立ち上がった。目を赤く腫れさせ、俺の方を向いている。

 

「泣き止んでくれて良かったです。では、体育館の関係者スペースに向かいましょう。そこで、他のメンバーと合流します」

「折木くん」

「はい?」

「あなたは私が、復讐に囚われたサッカー部員達を助ける為に、《月夜の背教団》の計画を止めたかったと言ったわね」

「違いましたか?」

「いいえ。合ってるわ。でも、もう一つだけ、理由があるの」

「理由とは……?」

 

 

 その木原の顔には《女王》と呼ばれている威厳はなかった。

 

 まるで、普通の女子生徒のようにニコやかに笑い、穏やかだった。そして、その想いを、そっと口に出した。

 

「私、黄瀬くんのことが好きだったの。来年引っ越してしまう黄瀬くんが、大好きだった。だから、復讐なんてやめて欲しかったの」

 

「いつもの、楽しそうにサッカーをプレイしている黄瀬くんに……戻って欲しかったから……」

 

 俺は木原のその言葉に、何も答えなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 side千反田

 

 

 

 

「邪魔なんだよ!!!」

「きゃぁ!!!」

「桜さん!!」「楓!!!」

 

 動機を話し終えたサッカー部の皆さんが、関係者スペースから無理やり出ようと、入口付近にいた桜さんを突き飛ばしました。

 倉沢さんが桜さんの元によります。

 

「楓、大丈夫か!?」

「うぅ……足……が……」

 

 桜さんは倒れ込みながら足を抑えています。

 

「あんたら……!!!」

 

 倉沢さんが突き飛ばしたサッカー部さんに近寄ろとすると、福部さんが手首を掴んで止めました。

 

「ダメだ倉沢さん!!手を出したら同罪だ!!」

「ふくちゃん……でも……!!」

「ダメだって言ってるだろ!!ホータローとハルを待つんだ!」

 

 摩耶花さんも拳を握りしめながらサッカー部さん達を睨みつけました。私はどうすればいいのかも分からず……ただ後退りをしてしまいます。

 陸山さんが一歩前に出て、言いました。

 

「福部、羽場、勘解由小路先輩、南雲達が帰ってくるまでにこいつらを取り押さえるぞ!!千反田、伊原お前らは誰か教師を呼んでこい!!」

 

 陸山さんの指示だとしても、状況に追いつけない私と摩耶花さんは咄嗟に動けませんでした。サッカー部の藤崎さんが叫ぶように言います。

 

「お前ら程度に……俺達の《復讐》は止められねぇ!!」

 

 サッカー部とみなさん。全員が動き出しました。……ダメです!!暴力はいけません。南雲さん、折木さん!!!早く……!!

 

「やめろ!!!」

 

 関係者スペースの入口から聞こえてきた声に、ここにいる全員が反応しました。

 そして、その方向に視線を向けます。そこに立っていたのは……

 

 小黒さん、白石さん、朱宮さん、木原さん、田名辺さん、入須さん、天津さん、黄瀬さん。そして

 

「南雲さん、折木さん!!」

「ホータロー、ハル!!」

 

 藤崎さんとサッカー部のみなさんも、驚きが隠しきれていませんでした。

 

「黄瀬……お前」

 

 黄瀬さんは言います。泣いていたのか、目が少しばかり腫れているようにも見えるのは気のせいでしょうか?

 

「もう……《復讐》は終わりだ。やめよう。」

「けど……」

 

 黄瀬さんの顔は真剣なものでした。この場にいる全員の視線が黄瀬さんに集まり、黄瀬さんは続けました、

 

「こんな事したって、なんの意味もなかった」

 

 黄瀬さんは南雲さんに振り向きました。

 

「南雲、ありがとう。俺は、前を向いてなかったよ。永尾に対する気持ちは晴れないけど、《復讐》なんてただの自己満に過ぎない……。新しい自分の道を、俺は作ってみたくなったんだ」

「そうかよ。俺はもう知らね」

「ふっ、なんだそれ。酷いな」

「こういう奴なんだよ。俺は。ただ……」

 

 南雲さんはスっと黄瀬さんに手を出しました。

 

「応援はしてる」

 

 黄瀬さんは黙ったまま、南雲さんの手を掴みました。

 

 その時は既に、サッカー部さん達のステージ上の出番の時間が既に回っていました。ですが

 

 

 

 ステージ上に向かう部員さん達は、誰一人として居ませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 side奉太郎

 

 

 

 《ホーリーナイト》も既に終盤に差し掛かっており、メインディッシュの社交ダンス部のダンスの準備時間になっていた。

 辺りでは体育館に並べられた軽食を摘む生徒の姿や、社交ダンスの練習をしている男女ペアがいた。

 

 俺、ハル、里志、伊原、桜は一つの丸テーブルに腰を掛けていた。

 

「はぁ、疲れた」

 

 不意に出た言葉に、一番に反応したのは里志だった。

 

「ホータローはいつもそれだね。」

「バカ言うな。自分で言うのもなんだが、今回はかなり働いた方だぞ、俺は」

「さぁ、どうかしら」

「伊原、お前まで俺の努力を疑うというのか。九年……いや、十年来の付き合いだろう?」

「そうだけど私別にあんたと仲良くないし」

 

 さいで。

 

「それより私、なんだがお腹すいちゃった!ふくちゃん、なんか食べに行こうよ」

「いや、僕はすいてない……」

「いいからいいから。じゃぁ三人とも、メリークリスマス!」

「あぁ!!ちょっと待って……ハルとホータローと謎の話があるんだよ!!ちょっと引っ張らないで摩耶花!あぁ、みんな、言い忘れてたね、メリークリスマス!!」

 

 そう言い残して里志は伊原に連れていかれてしまった。諦めろ我が友里志よ。

 ううむ。さて

 

「俺も少し出てくる」

 

 ハルと桜にそういうと、二人は頷いた。

 

「メリークリスマス。ハル、桜」

 

 

 

 

 side晴

 

 

 

 奉太郎はそういうと、そそくさとどこかへ行ってしまった。

 俺は横を向くと、足を気にしている桜が見えた。

 

「足、大丈夫か?突き飛ばされたって聞いたけど……」

「うん……入須先輩が言うには骨には異常ないって。ただの捻挫」

「……悪い。俺達がもう少し早ければ……。そもそも、お前を作戦メンバーに入れなきゃ良かったんだ……」

 

 桜は白いダンスヒールから足を出し、入須が巻いてくれた包帯を気にしながら、大きくかぶりを振った。

 

「な、南雲くんのせいじゃないよ……!!私がどんくさかっただけだし……でも、ダンス……踊れなくなっちゃったね……」

 

 桜の残念そうな声と共に、社交ダンスの準備が終わったのか、様々な男女ペアが体育館の真ん中に集まっていた。

 全員が構えをとると、優雅に流れるクラシック音楽と共に踊り出す。

 

 ……。

 

「そんなことないぜ!ほら、こうやって……」

「うわ!!」

 

 俺は座りながら桜の両手を取ると、流れる音楽に合わせて上半身だけを使って踊った。

 

「ほらほら、こうやって座りながらでも踊れる」

 

 

 

 side桜

 

 

 

 南雲くんは笑顔を浮かべながら、私の両手を取ってくれた。

 

「ほらほら、こうやって座りながらでも踊れる」

「ちょ、ちょっと南雲くん!!恥ずかしいよ!」

「なぁに、今更恥ずかしがってんだよ!!」

 

 優しいなぁ……。私が落ち込んでる時に、こんな事してくれるなんて。ふふ……。

 あれ?

 

 南雲くんの肩越しから見えるのは、少し離れたテーブルに一人座っている千反田さんの姿だった。

 なんだが、悲しげな表情を浮かべている。

 

 千反田さんは優しい子だ。多分……《月夜の背教団》の事を考えてるんだと思う。

 

 《月夜の背教団》の人達は、みんな納得してくれたのかな?部員の一人一人が永尾先生を恨んでて……そして《復讐》を決意した。

 それでも、黄瀬くんは変わった。南雲が何を言ったのかは分からない。でも、南雲くんが黄瀬くんの中にある黒い部分を照らしてくれたんじゃないかと思う。

 

 南雲くんは無自覚だろうけど、そういう部分が彼にはあるんだ。

 折木くんも、千反田さんも、福部くんも、伊原さんも、自然とみんなが南雲くんの周りに集まっている。

 南雲くんには人を惹きつける何かがある。

 

 だから……太陽みたいな彼を、私は独り占めしちゃいけない

 

「何見てんだ……?千反田?」

 

 南雲くんは私が見つめていた千反田さんの方向を向いた。私は言った。

 

「南雲くん……行ってあげて」

「え?」

 

 南雲くんには、いつも人を照らし続けて欲しい。

 落ち込んでる人がいるなら、その人を照らしてあげて欲しい。

 

 南雲くんは私の目をジッと見つめたあと、軽く頷いた。

 

「んじゃ、ちょっと慰めてくるわ」

「うん。……南雲くん!!」

「ん?」

 

 私は一度俯いたあと、涙目になっている自分の目を拭った。そして、顔を上げた。

 

「メリークリスマス!」

「あぁ、メリークリスマス」

 

 南雲は少し駆け足で、千反田さんの方に向かって行った。

 

 

 あーあ。なんであんなこと言っちゃったんだろうな。

 

 南雲くんが千反田さんに話しかけている様子が見えた。千反田さんは、南雲くんが自分に話しかけてきた途端に本物の笑顔になった。近くにいた折木くんも傍に寄ってきていて、三人で笑い合っている。

 私も……、あんな風に笑ってるのかな?

 

「よかったの?楓」

 

 いつの間にか後ろにいたナギちゃんが話しかけてくる。

 

「千反田さんのこと言わなきゃ、ずっと南雲と一緒にいれたのに」

「そんなことしないよ。南雲くんは……例えあれが千反田さんじゃなくても、自分から歩み寄ったと思う。そういう人だから。……でも、なんでだろうな。南雲くんとダンスを踊れなかったことが……本当に悔しいよ……。心が……痛いよ」

 

 心がズキズキする。黙っていてら涙が溢れてきそうで、それを唇噛み締めながら耐える。

 ナギちゃんは黙って、涙混じりの声を発した私の頭に手を置いた。

 

「ナギちゃん……」

「ん?」

 

 

「ただの興味なんかじゃなかった……。私……南雲くんの事……好きなんだ」

 

 

 

「はぁ……気づくのが遅いっての、ばーか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 side晴

 

 

 

 

「「千反田」」

 

「「む?」」

 

 俺とは逆方向から来た奉太郎が、俺と同じように千反田の名前を呼んだ。

 

「南雲さん、折木さん」

 

 あれ?意外と元気。

 俺は持ってきたオレンジジュースを千反田に渡し、隣に座った。

 奉太郎が口を開く。

 

「なにをそんなに落ち込んでいる」

「いえ、黄瀬さん達の事を考えていたら、少し……。復讐、というのは、私はよく分かりません。それ程までに人を憎んだり、嫌いになったりしたことがないからだと思います。知らない事は、気になります。ですが……復讐という手段は、私は気になりません」

「……それでいいと思うぜ。」

 

 俺はもう片方のオレンジジュースを口に流し込む。酸味が効いてて体に染みる。

 

「え?」

「復讐なんて、知らない方がいいんだ。それ程までに人を恨むことも、嫌いになる必要も無い。そんな事したって残るのは、ただの虚無感だ。……千反田、お前は三十三年前の出来事を聞いて、学校に復讐をしようと思ったか?」

「そんな……まさか……!!」

 

 焦って否定する千反田を見て、俺は笑いながら返した。

 

「だろ?何度だってやり直せるんだ。何度だって、前を向けるんだ。だから復讐して何も無くなるなんて馬鹿みたいじゃねぇか。だったら、俺はやり直す。そんで《復讐》したいと思った相手の手の届かない所まで行ってやればいいのさ」

 

 俺の言葉に、奉太郎も続ける。

 

「俺は……黄瀬が……サッカー部がそれをわかってくれたと思っている。勿論納得出来なかったメンバーもいただろう。全員とは言わなくても、そいつらいつかそれに気付きてくれる日が来る。俺は、そう思いたいんだ」

 

 千反田は一度ぽかんと口をかけて俺達を見たあとに、オレンジジュースを口に流し込んだ。

 グラスがカラになったところで、言った。

 

「不思議です。お二人がその様な精神論をおっしゃるなんて……思いもしませんでした」

「俺と奉太郎をなんだと思ってるんだ」

「いえ……ですが、私も同じ意見です。でも、あなた達は、やっぱり凄いです」

「何が凄いんだよ。具体的に言え。」

「いえ、抽象的な方が物事は伝わりやすいと折木さんから聞いたことがあります」

「奉太郎、変な事を教えるな」

「俺のせいではないだろう!」

 

 千反田は俺と奉太郎のやり取りを見て、『ふふっ』と笑った。

 そして俺達は目の前で社交ダンスを踊っている連中に目を向けた。あの中に里志と伊原もいるんだろうけど、見えないから奥の方にいるのだろう。それとも里志が逃げたか?

 

「でも、今日はなんだか疲れました」

 

 千反田の顔は未だに少しだけ曇っていた。すると目の前の彼女は、何かを思いついたかのように顔を上げた。

 そして、俺と奉太郎を見る。

 

「お二人共、踊りませんか?そうすれば気も晴れる気がします!」

「踊るって、社交ダンスか?三人で?」

 

 奉太郎がギョッとした。俺も苦い顔をする、が。

 千反田はそんな俺達の言い分など気にすることなく、俺達の手を引く。流されるまま、俺達三人は社交ダンスが行われている体育館中心にいた。

 三人がそれぞれの手を片手で握り、吹奏楽部が演奏する音楽に乗せ、ぎこちないステップをした。

 少しすると、音楽がクラシックから澄んだ弦楽の音に変わった。

  シンシンと青い月光が忍び込んだ体育館を、俺達は踊る。最初は緩やかだった動きを徐々に早く、一度のステップでより遠くまで。

 

 千反田の顔は穏やかで、それでいて満面の笑みを浮かべていた。

 最初こそ微妙な顔をしていた奉太郎であったが、『やれやれ』と言わんばかりの柔らかい表情を浮かべる。

 

 俺も、二人を見て笑う。

 

 そして……

 

 

 

 

 

 《神高ホーリー・ナイト》は幕を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 《ホーリーナイト》の帰り道、里志、伊原、桜の姿は既に無く、俺と奉太郎と千反田はグラウンドの隣の道を歩いていた。

 

 そして、学校の正門を出たところで二手に別れる。

 

 千反田はゆっくりと俺達に手を振った。それこたえるように、手を上げる。

 

 そして、俺の鼻の頭になにか冷たいものが落ちた。これは……

 

「見てください、雪です……!」

「ほんとだな…ホワイト・クリスマスか。乙なものだな」

 

 奉太郎が呟く。

 

「あっ、そう言えば今日はクリスマスイブでしたね。」

「だから《ホーリーナイト》があったんだろ」

 

 忙しくて忘れてたってのも、分からなくはないがな。

 

「では……」

 

 

 

「「「メリークリスマス」」」

 

 

 




はい!!ということで、オリジナルストーリー《月光下のアベンジャー》編、完結です!!


 感想を頂ければ、嬉しいです。

 今後のオリジナルストーリーや、トリックの参考、執筆のモチベーションにも繋がりますので、是非感想をお願いします。

 次回から遂に二年生に進級した古典部達の物語の閑話を数話挟んだ後、《ふたりの距離の概算》編に突入しようと思っております!!

 是非是非お楽しみに!!



 ────ここから今ストーリーネタバレ要素



 今回のストーリーのテーマは《復讐》と《価値》です。
 黒幕の黄瀬くんは、監督の強い勝利の執着により、自身の力で勝ち取ったレギュラー枠を剥奪されてしまいます。

 その怒りと、自分勝手に他のメンバーに期待を寄せ、自分勝手に失望をした監督への《復讐劇》を描いています。

 皆さんにも黄瀬くんと通ずる部分が、あるのではないでしょうか?
 勉強は苦手だが、サッカーは好き。運動は苦手だが、勉強は好き。

 もしそれが他人の一つの感情で否定、剥奪されてしまったら?
 とても耐え難いものだと思います。

 読者様が、自分の好きな事を、思い通りに、自由に楽しめることを祈っております。


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古典部達の休息 進級の巻
新たなる始まり


 進級した古典部と、クラス替えのお話。


 高校生活と言えば薔薇色、薔薇色といえば高校生活。

 

 そうみんなが形容するほど、高校生活は薔薇色として扱われてるよな。西暦二〇〇一年の今日は果たされていないが、広辞苑に乗る日も遠くはないだろう。

 

 さりとて、全ての高校生が薔薇色を望んでいるかと言われれば俺はそうは思わない。

 

 例えば、勉強にもスポーツにも、時には色恋沙汰にも興味を示さない。

 いわゆる、灰色の生徒がいてもおかしくはないんじゃないか?

 

 

 

「まぁそれって、随分悲しい生き方だよな」

「実に懐かしい言い回しだね。泣けてくるよ」

 

 春休みも終わり、この俺、折木奉太郎と中学時代からの悪友福部里志は共に通学路のアーケード下を歩いていた。

 俺達の周りには見慣れた同じ学年の連中と共に、未だに中学生らしさを顔に残しながらオドオドする一年生と思わしき生徒達がいた。

 

「懐かしい……か。一年前の出来事を懐かしいというようになるとは」

「懐かしいさそりゃ。三百六十五回もこっちは寝てるんだ。一昨日の夕飯も思い出せない僕達が一年前のことを覚えてるなんてすごいとは思わないかい?」

「この話をした時に、俺達は古典部に入ったんだよな」

「そうだね。そして、ハルと千反田さんっていう物凄い媒体に出会った。……そして、僕達も遂に二年生だ!」

 

 里志は恥ずかしげもなく握った拳を空高く突き上げた。そのまま突き上げた拳で持っていた巾着袋をクルリと肩に回す。

 

「ホータローは文系だったよね。だったら同じクラスになれるかもしれないじゃないか!いやぁ鏑矢中最強と謳われたコンビの再復活だね。

「そんな事を謳われたことは一度もない」

「僕が謳ってたさ」

「口が減らないやつだ」

「なにをいまさら。中学時代からの付き合いだろ?」

 

 しばらくの沈黙。里志やハルとは沈黙が続いても特には気にならないが、他の奴らだとどうにも気まずくなるのは何故だろうか。

 

「そうだ。摩耶花から聞いたかい?」

「伊原が俺に好んで何かを報告することないとお前は存じているはずだが?」

「知ってるよ。義理って奴さ」

 

 こいつは……。

 

「どうやら、桜さんがハルに告白したらしいよ」

「ほんとうか?」

 

 色恋沙汰に疎い俺でも、流石に友人同士の事となると興味を示すものだ。

 里志はこの手の話題に俺が乗っかってきたことに驚いたらしく、楽しそうに話を続けた。

 

「ま、ハルは答えを出せてないみたいだけどね」

「ほう……これは千反田もうかうかしてられないな」

「ん?なにかいったかい?」

「いや、なんでもない」

 

 桜がハルに対して好意を抱いているのは知っていた。それも随分前から。バレンタインの時はそれこそ桜のサポートに回ろうと一年B組に人を近づけさせなかったが、千反田の乱入で失敗に終わってしまった。だがそれと同時に……

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 これは里志や千反田の言う俺の中に眠る類まれなる推理能力のお陰では無い。

 《生き雛まつり》後の春休み。何度か千反田からの相談を受けていたのは紛れもない俺のなのだから。理由は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だそうだ。

 

 千反田にも家の跡継ぎの事があり、自分の決まった人生にハルを道連れにしていいものかと悩んでいた。

 

 しかし……

 

 俺は、ハルの事をよく知らない。あいつは自分の事を話さない。

 どこか俺に似ていて、時には里志や千反田のようにエネルギー消費の大きい行動に出ることもある。

 

 ハルは、まだ俺達に見せていない部分がある。時折思ってしまうのだ、俺達は《南雲晴》という人物の表面的な部分しか見れていないのではないかと。

 

 《東京の事件》の事も、俺は知らない。

 

 ただ、分かるのは……

 

 あいつは……俺達がどれだけ手を伸ばしても届かない場所にいる。

 それがもどかしい。掴めないのだ、あいつの本心を……。

 

 俺は、千反田から電話で相談受けている時のことを思い出した。

 

 

 

 

 

 

 

『あの、折木さん……』

『どうした?』

(しらべ)さんという名前の方を、南雲さんの口から聞いたことはありますか?』

『詩……?聞いたことないな。誰なんだ?』

『私にも、よく分かりません。……文化祭の時に南雲さんと雨さんがその方の名前を出していたので』

『……千反田……ハルの事はあまり詮索すべきじゃないのは分かってるだろ?』

『分かってます!ですが…私“達”は、南雲さんのことをよく知りません。私は、気になるんです』

『……一つだけ。』

『え?』

『俺も昔ハルのことが気になってな。少し個人的に調べた』

『……』

『東京で、被害者、そしてその事件の犯人の二人が中学生で構成されている事件を見つけた。ニュースや全国新聞には載らなかったが、一部の地域ではそれなりに有名な事件らしい』

『……事件?……被害者……ですか?』

『……東京都神無木区(かんなぎく)、無差別連続放火魔事件』

『無差別……放火ですか?』

『どういう怪我かは知らないが、被害者と言っても死者は一人もいないらしい』

『それが、南雲さんと?』

『分からん。正直この事件にハルが関わっているとは思いたくはないし、あいつがこんな物騒な事件に関わるとも思えない。ただ……今の事は秘密にしておけ、ハルは勿論のこと、伊原や里志にも話すな。いいな?』

『……はい』

 

 

 

 

 

 

 

「おーい、ホータロー?」

 

 里志の呼び掛けに気づいた俺は、黙ってそちらに首を曲げた。

 

「どうした?」

「どうした、じゃぁないよ。僕の話を聞いていたかい?」

「聞いてなかったな」

「はぁ……。ほらあれ、目の前に歩いてるのハルじゃない?」

 

 たしかに。ポケットに手を突っ込み、リュックサックを背負っている。里志は声を上げた。

 

「おーい!ハルー!」

 

 

 

 

 

 side晴

 

 

 

 名前が呼ばれた気がしたので、俺は後ろを振り向いた。

 奉太郎と里志が立っており、両方が片手をあげて挨拶をしてきたので、俺も手を挙げながら二人に近づく。

 

「よう。ご機嫌麗しゅう」

 

 里志は朝一番にとんでもない挨拶をかましてきた。

 

「ハルは理系だっけ?こりゃぁ神高最強と謳われたトリオはお預けだねぇ」

「謳われてねぇ」

「僕が謳ってたさ」

 

 奉太郎が言う。

 

「同じボケをかますな」

 

 里志は首を竦めた。そしてそれと同時に、里志の巾着袋から携帯のメールの着信音が鳴り響いた。

 里志は「おっとと」と言いながら携帯をチェックすると、顔が青ざめていくのがハッキリと見えた。なんだ?

 

「やばい……今日の朝は総務委員の会議があるんだった……!!」

 

 奉太郎が首を傾げる。

 

「総務委員?まだあるのか?」

「最終会議さ、特にやることはないけど。行ってくるよ!じゃぁ二人ともいい進級を!!」

 

 里志は素晴らしいスピードで学校まで駆けて行った。大袈裟なリアクションを取りながらビクビクしている一年の横を通り過ぎる。神高の印象が下がるからやめろ。

 

「俺らも行くか、奉太郎」

「あぁ」

 

 俺達は学校に向かって歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 学校に着くとそこは既に戦場と化していた。部活動の勧誘はないにしろ、我先にと昇降口に貼られているクラス表に生徒達が群がっているのだ。

 奉太郎が言う。

 

「どうする?」

「考えがある」

 

 俺は無理やり人の波を押しのけ、クラス表の目の前まで移動し、携帯のカメラ機能で写真を撮った。

 すぐさま人の波に押し返され、俺は奉太郎の所まで戻る。

 

「写真を撮ってきた」

 

 俺と奉太郎は携帯の一つの小さな画面を覗く。まずは二年A組だが……む。

 

 二年A組十番 折木奉太郎

 

「お、奉太郎はA組か」

「そうだな。同じクラスは……十文字か。お前らはどうだ?」

「そうだな……、えっと」

 

 

 二年C組 三番 伊原摩耶花

 

 二年D組 二十六番 福部里志

 

 二年E組 一番 天津木乃葉

 

 二年E組 十二番 倉沢凪咲

 

 二年E組 十六番 桜楓

 

 二年E組 二十三番 南雲晴

 

 二年H組 二十一番 千反田える

 

 

「知り合いは……天津に倉沢……桜とも一緒だ。古典部は見事に全員別れちまったなぁ」 

「五人にしか居ないんだ、そんなもんだろう」

「そうだよなぁ。じゃぁな、奉太郎。《ナマケモノ二人衆》は今日で廃業だ」

 

 冗談めかして言うと、奉太郎は笑った。そして……

 

 昇降口に入ると同時に、俺達はそれぞれの新たな下駄箱に向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 二年E組前に付くと、俺は閉まっていたドアを開けた。

 中には既に友人関係が出来上がっている連中や、当然の事ながら新たな環境に慣れず席に座っているだけの生徒もいた。

 ドアの音ともに教室に入った俺に数人の生徒の視線が飛んできたが、すぐに興味を失い元の位置に視線が戻っていく。

 

 黒板に貼られていた指定された自分の席に腰を下ろし、リュックサックから小説を取り出し読み始める。

 友達はいずれ出来るだろ。今はこっちの展開の方が……

 

 その瞬間、俺の持っていたペーパーバックが誰かの手によって取り上げられた。俺はその方向へ視線を向けた。

 

「天津……」

「なぁに、しけた面してこんなん読んどるんや、友達つくりぃ、友達!!一年間ボッチでええんか?」

「友達というのは作ろうと思って作るもんじゃない。いつの間にかなっているものなのだ。小説を返せ」

「はぁあ。あんたみたいなのが《十文字》やら《月夜の背教団》を追い詰めたなんて、どこの誰が信じるんやろうな」

「信じてもらわなくたって構わない。目立つ為にやってた訳じゃない。もう一度言う、ペーパーバックを返せ」

「ダメやダメや!!没収!!!」

「なんでだよ!!!」

「あんたの事思って言っとるんやから大人しく従え!!」

「それが余計なお世話だって言ってんだよ!!あほ!!」

「なんやとお!!!」

「なんだよ!!!」

 

 

 

 

 

 side桜

 

 

 

 ギャーギャー!!ワーワー!!!

 

 南雲くんと天津さんが何だかいい争いをしていて、折角また同じクラスになれたのに南雲くんに話しかけられない……。

 南雲くん、天津さん…クラス中に注目されてるの気づいてないのかな?

 

「仲いいねー、あの二人」

 

 ナギちゃんが言った。

 

「う、うん。そうだね」

 

 ナギちゃんはコーヒーパックを机の上に置くと、私の方を見ながら言った。

 

「そういや、()()()()()も神高なんだっけ?」

 

「え、うん。そうだよ」

「えーっと、確か名前は……桜恵」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 NEW Characters?

 

 一年B組 十番 大日向友子(おおひなたともこ)

 

 一年B組 十八番 桜恵(さくらけい)

 

 一年B組 二十七番 福部由奈(ふくべゆな)

 

 一年D組 二十九番 万人橋(まんにんばし)まな

 

 二年E組 十一番 風見小助(かざみこすけ)

 

 

 

 




 これから登場する新たなるキャラ達も名前だけですが、登場させて頂きました。
 少しずつですが彼らと古典部達の絡みを楽しみにして頂ければ、嬉しいです。


 次回からは《ふたりの距離の概算》に突入!!



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第6章 ふたりの距離の概算
第一話 ただ走るにしては長すぎる


 評価を頂きました。

 9評価 #はシャープじゃなくてナンバーさん

 ありがとうございます!!

 今回から、《ふたりの距離の概算》編に突入!!


 現在 0km地点

 

 

 晴天。それも清々しいほどの。

 自分の名前が晴なだけあって、晴れの日は好きだ。そりゃ勿論雨の何倍も。あ、ちなみに我が妹の雨は大好きだ。

 

 グラウンド中に広がっていた千人に及ぶ神高生の半分が既に姿を消していた。彼らは遠く彼方へと旅立ったのだ。何も得られない苦役に過ぎないにも関わらず。

 そして今から俺も、同じ道を辿ることになる。

 

 キィーンという耳障りな音ともに、拡張器のスイッチが入ったことが分かる。俺は黙って耳を貸した。

 

『二年D組終了。二年E組、前へ』

 

 その声と共に、同じクラスの級友達が所定の位置につく。時折気合いに満ちた生徒の顔も見かけるが、他の大半は笑みの一つも浮かべていない。すぐ近くに見かけた桜ですらも、いつもの様なニコやかな表情はなかった。

 

 石灰で引かれたラインの後ろに立ち、俺は軽くジャンプをしたり、手足を動かす。

 壇上にいる先程拡張器で俺達に前に来るように指示をした総務委員の一年は、なんの悪びれもないような顔でプログラムらしき用紙に目を通していた。

 まぁ悪びれがあっちゃ困る。あの総務委員の一年は仕事をこなしているだけなのだから。

 

 そして一年は、ゆっくりとピストルを持ち上げていく。そして

 

『用意……』

 

 パァン!!

 

 その銃声と共に倒れてしまえば、もしかしたらサボれたかもしれないという下らない考えも乏しく……

 

 午前九時。《神山高校星ヶ谷杯(ほしがやはい)》の二年E組のスタートが命じられた。

 

 我が校、神山高校は文化系の部活が盛んなことで知られている。

 文化部の数は約五十近く存在しており、古典部もその中の一つだ、秋に開催される文化祭は、学校に留まらず神山という市のイベントでは無いのかと錯覚してしまうほどの盛り上がりだ。

 

 そして体育会系のイベントにも事欠かないのが我が学校。

 文化祭後にはささやかな体育祭も開催されるし、新年度が始まれば球技大会もある。黄瀬や朱宮とサッカーでチームを組んだのはいい思い出だ。

 そうだ。いい思い出になるんだ。しかしこの《星ヶ谷杯》に関して言えば、思い出なんてクソ喰らえだ。

 

 五月末、星ヶ谷杯の走行距離は……《二万メートル》。つまり二十キロ。

 

 白い半袖シャツに臙脂色の半ズボン、胸には校章の刺繍が施されており、その下にはクラスと苗字が入ったゼッケンを縫い付けている。

 

 グラウンドには校門とは別に出入口があり、そこを走り通って俺達は神高を後にする。

 《星ヶ谷杯》のルートは単純明快。学校の前を流れる川に沿って少し走り、最初の交差点で坂道へ、丘のてっぺんに近づくにつれて、心臓破りの坂になる。

 その後の急降下の後は延々と続く直線を走り抜け、やがて千反田邸の辺りに辿り着く。その後さらに進むと住宅街に戻って来て、荒楠神社の前から恋合病院に、そしてやがて神高が見えてくる。

 

 なんせ去年も走った道だ。軽くは覚えているが、考えれば考えるほどこのルートは苦痛だ。

 

 走りながら神高を後にすると、そこは既に他の生徒達で溢れかえっていた。最初は川沿いの住宅街なので無理に広がって走ると近隣からの苦情が耐えないらしい。

 一列に並ぶと全員のスピードが一定になる。しかしこれはいいウォーミングアップにもなるだろう。

 一キロ程走ったところで、ルートは上り坂へと移行する。大きく右に曲がり、神高の裏手辺りに出ると今まで一列だった列が大きく崩れた。

 『一緒に走ろう』という『行けたら行く』的な神も寛容するであろう悪魔の約束を交わす数人の女子生徒達。

 突如スピードを上げる体育会系の連中と、それに追い付こうと見栄を張る見立ちたがり屋。

 

 ここからはマイペースで走れる訳だが、残念ながらそうはいかない。俺は今出来るだけ早く、C組の伊原に追いつかなければならないのだ。

 

「ハル!」

 

 坂からマウンテンバイクに乗りながら降りてきたのは里志だった。

 里志は今年総務委員会の総務副委員長に就任した。《星ヶ谷杯》は総務委員会が取り仕切っており、総務委員の連中は走らなくても良いというのだ。彼らはコース上の一定の位置に手配され、所謂ズルをする生徒を見張っている。

 走らなくてもいい総務副委員長を里志が労ったのは、コース各地点の総務委員達を監視する役目があると知っていたからだ。これからこいつは、二十キロのあちこちをお得意のマウンテンバイクで飛び回り、不測の事態がないか報告を受けることになる。

 

 里志はマウンテンバイクから降りると、肩を竦めた。

 

「やぁ、一キロ地点。調子はどうだい?」

「ふん。どうってこと」

「ホータローは今までの出来事中に、ヒントがあるんじゃないかって打診はしてたよ」

「だろうな。俺もそう思ってる。伊原は?」

「摩耶花ならこう言ってた。『あいつらが何かをしたわけがない、だってあいつらは何もしないから』。だって」

「酷い言われようだな。俺と奉太郎」

 

 俺はペースを落とさずに里志に視線を向ける。しかし……

 

「だとしたら……」

「そうなんだよねぇ。だとしたら、理由は彼女しかいない。

()()()()()()()()()()()()()()()()()。そう思いたくはないけど、そう思いざる負えない。」

 

 

 

 昨日の放課後、気づいた時に部室に入ってきたのは、伊原だった。そして俺達にこう言ったのだ。

 

『ねぇ、なにかあったの?』

 

 俺と奉太郎は首を振った。しかし……おかしい。さっきまでこの部室には四人いた。俺と奉太郎と千反田と……オーヒナだ。

 伊原は続けた。

 

『今そこでひなちゃんとすれ違ったんだけど、入部しないって。なんか泣いてたみたいだけど?』

『え……?』

 

 千反田の狼狽した声。泣いていた?あのオーヒナが?

 

 オーヒナ。とある出来事により俺はそう呼んでいるが、本名は《大日向友子(おおひなたともこ)》。

 

 俺達が確保した唯一の一年生の部員だ。

 まだ中学生らしい幼い雰囲気が残り、よく笑う奴だった。騒がしかったが別に邪険する程ではないし、ハル先輩と名前の先輩付けで呼ばれる程には懐かれていたと思ってる。

 

 千反田の唇が震えていた。

 

『ちーちゃん、大丈夫?』

『やっぱり。私のせいで……』

 

 そう呟いて、千反田は言った。

 

『ごめんなさい。私、今日は帰ります。』

『ちょ、ちーちゃん!?』

 

 

 

 

 

 という訳だ。

 

 千反田とオーヒナは何を話していた?

 オーヒナは仮入部の状態であったが、誰もが無事入部するものだと思い込んでいた。だから俺は、俺と奉太郎は突然入部を取り消ししたオーヒナの心境が理解出来なかったのだ。

 

 入部しようがしまいが、それは本人の意思だ。

 昨日の時点でオーヒナが入部をしないと決意したのなら、俺達にそれを止める権利はない。今日が金曜日で、この後土日を挟んでしまえば、オーヒナの件は『終わった話』になってしまう。

 

 しかし。

 

「でも君とホータローは、理由は千反田さんじゃないんじゃないかって思ってるんだろ?」

「あぁ……あいつは人を傷つけるようなことはしない。……と思う」

「……僕もそう思う。論理的解釈でね」

「論理的だって……?」

 

 俺が頭にはてなマークを浮かべていることに意外そうな顔を浮かべた里志は、マウンテンバイクで俺にペースを合わせながら言った。

 

「なんだい君も聞いてなかったのか。大日向さんは部室の外で摩耶花とすれ違った時に、こう言ったんだよ」

「『千反田先輩は、仏みたいな人ですね』って」

「仏だって?」

 

 仏……どういう意味だ?仮に千反田が昨日オーヒナに《怒らせるようなこと》、《悲しませるようなこと》をしたとしよう。しかしそうした場合、オーヒナは千反田の事を仏というのか?

 

「ますます分からないな……」

 

 そう呟くと、里志は返してきた。

 

「ねぇハル。これはホータローにも言ったけど、仕方の無いことだと思うよ。新入部員が来た、仮入部した、気が変わった、入部を取り消した。それだけの事さ。確かに大日向さんは面白い子だったし、摩耶花も気に入ってた。けど、僕達に大日向さんを止める理由はない」

「……気になるって言い方じゃダメか?」

「わお」

 

 里志はマウンテンバイクに乗りながら首を竦めた。失礼な奴だ。

 

「思い出すだけだよ。奉太郎と。今までの出来事をな」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()そう言いたいのかい?」

「そうだ」

「でも君とホータローの思い出を駆使しても、必要な情報が揃うとは思えない」

「だろうな。だから伊原に追いつこうとしている。」

 

 里志の声色が変わった。

 

「酷いな!君もホータローと同じで《星ヶ谷杯》を聞きこみ大会にしようって言うつもりかい!?総務委員が一生懸命になって計画したものだよ!?」

「だったらお前らも走りやがれ!!ていうか《星ヶ谷杯》もお前の造語だろ!!」

 

 そうだ。このマラソン大会を使って、伊原と千反田に俺と奉太郎は話を聞く。

 俺は二年E組。奉太郎はA組。まずはC組の伊原と合流して伊原に話を聞き、奉太郎とも合流。そして二年最後のクラスのH組の千反田と合流し、その後に来る一年のオーヒナとも合流する。

 

 マラソン大会と聞き込み。この両方を両立させるための方法はこれしかない。

 

 里志は『まったく』と言いながら、マウンテンバイクの速度を上げた。

 

「もうそろそろ行くよ。ほかの総務委員の様子を見るのも僕の役目だ。またどこかで会おう」

「おう」

「ただねハル。友達甲斐に言っておくと、あまり抱え込みすぎない方がいい。千反田さんの事になると熱くなるのはいいけど……。()()()()()()()()()()()()……ね」

 

 そう言い残した里志は勢いよくペダルを漕ぎ、難なく坂道を駆け上がっていった。……さて。

 

 

 大方。千反田と伊原と話せる時間は多くはない。特に伊原は足を止めてはくれないだろう。二、三個の質問をしてあとに再び追い抜かれる。

 

 大事なことを整理しなくてはならない。千反田とオーヒナの関係。

 今までの出来事を全部…思い出すんだ。

 ただ走るにしては長すぎる。頭でも使っていれば気も紛れるだろう。

 

 人が一定の速度で走るのは約六キロと言われている。伊原がそれよりも早く走っていて約七キロだとしよう。

 

 前のクラスが出発してから約三分後に次のクラスが出発する。つまり俺と伊原の時間差は六分。俺が八キロから九キロのスピードで走るとして……

 

 

 

 

 ふたりの距離の概算は、どれくらいだ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ふたりの距離の概算

 

 




遂に始まった《ふたりの距離の概算》…勿論オリジナル要素を入れていきますが、基本的に原作を軸として進んでいくのでアニメ勢の方々にはネタバレになってしまうかもしれません。

次回《古典部はこちら》


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第二話 古典部はこちら

 現在 1.4km地点 残り 18.6km

 

 

 オーヒナと出会ったのは今日のようによく晴れた日だったことは覚えている。

 あれは、一ヶ月とちょっと前。

 

 

 

 

 過去42日前

 

 新入生勧誘会の最終日の金曜の事を、神高では《新歓祭》と呼ぶらしい。理由は知らない。

 知っての事ながら、神高は部活動にかなりの力を入れている学校で、新入生を勧誘する期間は一週間設けられる。

 月曜日の放課後には生徒会と委員会の勧誘オリエンテーションが体育館で行われ、火曜日から金曜日までの四日間が部活動のオリエンテーションとして使われる。俺達古典部は木曜日に振り分けられたのだ。部活動それぞれがステージ上に上がり、その部活をアピールする()()()()()なはずなのだが。

 

「どうする?」

 

 そう呟いたのは奉太郎だった。

 水曜日。敵情視察に体育館に来たのは俺、奉太郎、千反田の三人だった。部員数が一人である占い研の十文字はガバラの歴史をざっと説明してマイクを置いた。囲碁部はその点失敗だったと思う。ステージ上で碁を打ってどうやって体育館にいる新入生達に碁盤を見せるというのだ。体育館中が凍りついた。

 その後もお料理研が新歓祭で山菜料理を振る舞うと言ったあと、陸上部、器械体操部などが自分の部活をアピールするなか、奉太郎の一言は俺と千反田の心に響いた。

 

「どうしましょうか」

 

 千反田が言う。

 

「夜逃げ」

 

 俺。

 

「ありだな」

 

 奉太郎。

 

「なしです」

 

 千反田。さいで。

 

「一応私が部長なので、本来なら私が何かをするべきなのでしょうけど……」

 

 千反田は言葉に詰まってしまった。多分この続きは、「伝えられるような魅力がない」だ。奉太郎が付け加えた。

 

「千反田……お前が前に出たところで誰かが来るとは思えんぞ」

「そうですよね……頼み事が下手なのは自覚しています」

 

 千反田が頷くと、奉太郎と千反田の視線は俺に移った。

 

「いやいや待て待て!!俺が出たところで、話を上手くまとめられる自信が無い、俺より適任者がいるはずだろ!?」

 

 そして木曜日の放課後。福部里志は古典部代表として一人でステージ上に立った。

 「ここに来る途中工作部の金槌音が『テンカトッタ、テンカトッタ』と聞こえて、これは大勢入部する兆しだなと思っています。どうも古典部です」という話を切り出し、里志は振り分けられた五分間を澱みない喋りでまとめあげた。

 

 

 そして金曜日。神高の校舎正面には前庭のような空間が広げられており、昼休みに各部活と総務委員会とそこでテーブルを並べた。

 放課後の三時半から六時まで割り当てられた各部活のテーブルと椅子を使い、帰宅途中の新入生を勧誘するのが目的だ。

 

 六時間目の授業が終わると同時に、クラスの連中は我先にとクラスをあとにした。

 

 律儀ながら桜はわざわざ俺の席の前まで来て、「バイバイ」と言ってから教室を後にした。

 俺もダッフルコートとマフラーを身につけ、リュックサックを背負い殆ど無人になった教室をあとにする。

 

 校舎内にも部活の宣伝のチラシを配っている生徒も多々おり、人の波に押しつぶされそうなほど昇降口前は混雑していた。

 前庭に到着すると昼休みにはただテーブルが無数に並べられているだけだった景色が、色とりどりなものへと変化していた。

 割り当てられた部活のテーブルにその部員達が配備しており、派手な看板やポスターでテーブルを装飾。

 

『来たれ化学部 君と僕の炎色反応』、『友情、努力、勝利!青春を賭けようサッカー部』、『さぁ君も文学を学び、共に楽しもう文芸部』、『カンヤ賞受賞!書道部』など、様々な看板を掛けている部活を横目に、俺は古典部が割り当てられている十七番テーブルを探す。

 

 辺りには基本的に長テーブルが置かれているが、部員数とネームバリューの差があり優遇された部活には大型テーブルが割り当てられていた。すると

 

「ハル!」

 

 と、奉太郎が俺を呼ぶ声が聞こえた。

 案の定古典部のテーブルは一番隅に置かれており、ささやかながら毛筆で《古典部》という看板が立てかけらていた。

 

 先に腰を掛けていたのは奉太郎と千反田で、二人が座るだけでも窮屈そうだ。俺は言う。

 

「俺いるか?」

「「いる(いります)」」

 

 『はぁ』と溜息をつき、俺は三つある椅子のうちの真ん中に座った。奉太郎と千反田もコートを羽織っており、手袋をしていた。

 奉太郎が言う。

 

「里志は委員会で来れないらしい。伊原は……まぁ」

 

 奉太郎が言葉に詰まる理由は知っている。伊原の漫研での立ち位置が文化祭での一件以降微妙なものになっているのは知っていた。

 さすがに漫研には行かないだろうが、伊原も伊原で図書委員だ。そちらに行ったと考えるのが妥当だろう。

 

 古典部のテーブルの隣には百人一首部と水墨画部。

 目の前には製菓研の連中がジャック・オ・ランタンを被ってお菓子を配布している。

 さてと、俺達も動き出さねばならない。新入生を捕まえなくては。

 

 昇降口からおっかなびっくりの様子の一年生がぽつりぽつりと出てくる。獲物を見つけた肉食動物のような顔で部活の連中の視線は一気に昇降口へ。俺達も負けてはいられない。

 

 さぁさぁ寄ってらっしゃい見てらっしゃい。世にも愉快な古典部の入部受け付けはこちらでございます。

 古典部と言っても古文漢文を読むだけではないのですぞ?これもうやばいよね。完全にパンドラの箱開けちゃってるよね。ヤバタクスゼイアンだよね。信じるか信じないかはあなたしだ……

 

 

 

 

 五分後。

 

「誰も来ねぇじゃねぇか」

 

 なぜだなぜ来ない。他の部活にはチラホラ人が集まっている。気の抜けた声を出すと、奉太郎が言った。

 

「新入生を捕まえるっていったって、どうすればいいんだ?」

「よし、千反田。生物部から虫取り網でも借りてこい」

 

 俺が冗談めいて言うと、数秒の沈黙。

 千反田が覚悟を決めたかのような顔で生物部のテーブルの方へ歩き出したので、俺と奉太郎は全力でそれを止めた。

 

「南雲さん、折木さん。呪いの場所ってありますよね」

 

 俺が返す。

 

「あるな」

「商店街や大きな道路沿いにあるにも関わらず、全くお客さんの来ないお店です」

「ここは、そんな感じがします」

「物騒なことを言うのはやめろ!」

 

 奉太郎

 

「だって誰も来ないじゃありませんか!」

「お前ら!声を荒らげるのはやめろ!!一年生の諸君が驚くだろう!!」

「「お前もだ(南雲さんもです)!!」」

 

 はぁ……。俺は周りの様子を確認する。他の部活は俺達と違い呼びかけの声を絶やしていない。『おっ、君はクイズが好きそうだね!』、『いやいやルールから教えるから。金と銀の動きさえ覚えれば簡単だよ!』、『泳げない?いいじゃない!僕達は魚じゃないんだから!』、『天文部、天文部はこちら!!星が好きか!?あいらぶぷらねっと!!!ただし基本的に空は見ない!!』

 

 千反田は言った。

 

「確かに呼び掛けをしないのに誰も来ないと嘆くのは贅沢が過ぎると思いますが、問題はそれだけではないと思います」

 

 千反田が指をさしたのは俺たちとは反対方向にテーブルを構える製菓研だった。幟には『ティータイムあり〼』の文字。猫やパンダのマスコットの刺繍がされている中々に凝った幟だ。漂ってくる紅茶の香り。テーブルには日本の魔法瓶と紙コップ。入部受付の用紙とペン。テーブルの端には卓上コンロが備え付けられており、大きな金色のヤカンがコンロの上に乗っている。今のところコンロに火はついていない。

 加えてその反対側には製菓研の連中が被ってるものと同じジャック・オ・ランタンが置かれていた。

 先程見たジャック・オ・ランタンを被ったセーラー服の女子生徒達は、寒さなんか寄せ付けないほど張り切っている。

 

「さぁ、クッキー食え!!さぁさぁ!!」「このクッキーを食べると君も製菓研究会に入りたくなる!!」「そうですこれはそういうクッキーなのです。喉に詰まるといけないのでこの紅茶もお飲みなさい」

 

 辺りを通る一年に片っ端からクッキーの袋を配っている。それが叶ってか興味ありげな一年も自ら製菓研究会のテーブルに足を運んでいた。

 

「製菓研究会か」

 

 奉太郎が呟く。

 

「ええ、あちらに目がいかれてしまうと古典部の方は見落とされてしまいます」

 

 俺は一度フンと鼻を鳴らし、言葉を続けた。

 

「ええい。所詮食べ物に釣られるヤツらなど軽佻浮薄(けいちょうふはく)の輩。由緒あり伝統ある古典部には似合わぬ連中よ。よっしゃ、ちょっと製菓研のヤツらを邪魔してくる」

「また冷たい目で見られて終わるだけだぞ」

 

 俺は浮かした腰をゆっくりと椅子の上に戻した。ふと千反田の様子を見ると、千反田は製菓研究会のクッキーをじっと見つめていた。これは……

 

「なあ千反田」

「は、はい!」

「クッキー食いたいのか?」

「欲しくないといえば嘘になります」

「はぁ……取ってこい。俺らも小腹が空いた」

「ですが……」

 

 千反田は俺と奉太郎の顔を交互に見る。なんだ、気を使っているというのなら随分と成長したじゃないか。お父さんは嬉しいぞ。

 千反田は視線を製菓研に戻す。

 

「少し、おかしくないですか?」

 

 俺達もつられて製菓研に視線を移す。

 

「あぁ、確かにおかしい」

 

 奉太郎の言う通りだ。あれは。

 

「おかしいですよね。ですが、私には何がおかしいか分からないんです」

 

 意味がわからん。

 

「私、気になります!」

 

「折木さん、南雲さん、私に分かるように説明してください!」

 

 俺と奉太郎は顔を見合わせ、軽くため息をついた。奉太郎が切り出す。

 

「製菓研の連中が被ってる方じゃくてテーブルに置かれてる方のあのカボチャ。……大きいだろ?」

「はい……まぁ確かに」

「それがテーブルの端に置かれていて、その反対側にはコンロが置かれている。それなのに二つの間で製菓研が暴れながらクッキーを配っている。それなのに俺たちのテーブルは3人並んだだけで窮屈だ」

「え?窮屈ですか?」

 

 やっぱりそう思ってなかったか。千反田は人との距離の測り方が独特なのだ。

 奉太郎に次には俺が続けた。

 

「加えて製菓研が使っているのは、数少ない知名度が高い部活が使える大型テーブルだ。千反田、仮にテーブルの端に置かれているジャック・オ・ランタンがなかったとしたら?」

「かなりスッキリします。それに、()()()()()()()()()()()()()()()

 

 俺は頷いた。

 

「そうだ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()使()()()()()

 

 だが、場所割を決めたのは総務委員会だ。軽音部や吹奏楽部のような大所帯の部活が使用するはずの大型テーブルを、何故製菓研に総務委員会は引き渡したんだ?しかも勧誘をしているのは二人だけ、あそこまでのスペースは必要ない。

 

 奉太郎が呟く。

 

「可能性としてはありえない話ではない。一つ、大型テーブルが余ったから、製菓研究会の連中が使わせてもらった。二つ、製菓研は総務委員会にコネがある。賄賂かなにかで大型テーブルを使わせてもらった」

「違うだろうな。」

 

 俺はマフラーを巻き直しながら言った。

 

「俺もそう思う」

「?」

 

 千反田が首をかしげたので、奉太郎は続けた。

 

「賄賂や余り物の大型テーブルを貰ったとしても、製菓研には()()()()()()()()()()()()何故なら、クッキーを配ったり、紅茶を淹れるだけなら、テーブルに大してそこまでのスペースは必要ないからだ。俺達と同じ大きさのテーブルで通用する」

「だが奉太郎、こんな考えならどうだ?可能性その三、製菓研は特殊な設備を使うから安全の為にスペースが必要だった」

「特殊な設備……ですか?」

 

 俺は頷いて、ジャック・オ・ランタンとは反対方向に置かれているブツを指さす。

 

「卓上コンロ、つまり火だ。あれを使う為に製菓研には大型テーブルが回ってきた。狭いスペースで火を使うのは、考えてみれば確かに危険だ。ところが大型テーブルはスペースを取るにしても大きすぎた。だからスペースを埋める為にジャック・オ・ランタンを置いた」

 

 俺は得意げな顔で二人を見たが、二人ともなんの反応も示さない。

 奉太郎が続けた。

 

()()()()()()()()使()()()()()()()

 

 奉太郎の言葉に俺はもう一度視線をずらす。確かに……今はコンロに火がかけられていない。しかし……

 

「でも、これから使うんだろ。置かれている魔法瓶の中に入ってるのは十中八九紅茶だ。魔法瓶の中の紅茶が無くなったら、コンロに火をつけてお湯を沸かす」

 

 千反田は首を振った。

 

「いえ、確かに魔法瓶の中の紅茶が無くなったのなら紅茶を作るために()()()()()()でしょう。ですがお湯を沸かしただけでは紅茶は作れません。紅茶を作るためには、茶葉も必要なんです。しかし()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「いや、でもだとしたら……」

 

 俺は出しかけた言葉を引っ込めた。

 俺はこう言おうとしたのだ。『だとしたら、茶葉は魔法瓶の中に入れっぱなしなんじゃないか?』と。

 しかしそれは俺の中の経験上否定された。

 

 春休み。千反田の家の手伝いで千反田の部屋に入った時に、麦茶のパックの謎を解いた。

 麦茶のパックは水を吸うと底に沈んでしまうが、それでも麦茶の成分を抽出し続け、結果的に味が濃くなってしまう。

 

 市販の麦茶のパックなら入れっぱなしでもそこまで濃くはならないだろうが、茶葉となれば抽出される成分の量が比ではないだろう。

 濃すぎてとても飲めるものではない。

 奉太郎が口を開く。

 

「だが千反田。それでもコンロがテーブルの上にある以上、()()()()()()()()使()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。という考えは正しいだろう。おかしいのは、そのコンロを使うあてがなさそうだということだ。……つまり……」

「「どういうことだ(でしょう)?」」

 

 俺と千反田の声が被さり、俺たち三人は腕を組む。俺は再び製菓研を見ようと視線をずらしたら、目の前にいる生徒に目が入った。

 

 春だと言うのに浅黒く日に焼けた肌。ショートへアに似合った凛々しい顔立ちと格好だ。ボリュームあるブルゾンのファスナーを下ろしてセーラー服を覗かせている。

 俺とその女子生徒の目が合うと、千反田と奉太郎も女子生徒に気づき、彼女は軽く頭を下げた。

 

「ども、こんちわ」

「おう、こんちわ。古典部はこちらです」

 

 彼女……《大日向友子(おおひなたともこ)》は、ニヤリと笑った。




次回《真相と出会い》




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第三話 真相と出会い

 いつからいたのかは分からないが、俺達をじっと見つめていた少女、《大日向友子》はニヤリと笑った。

 最初に我に帰ったのは千反田だった。

 

「入部希望の方ですか?よかったらどうですか、古典部?」

 

 少女は俺達三人をぐるっと眺めると、笑いながら答えた。

 

「あーえっと、なんかいい部活ないかなーって歩き回ってたら御三方が面白そうな話をしてたんで、立ち聞きしちゃってました」

「立ち聞き?いつから聞いてたんだ?」

 

 奉太郎が聞くと、少女は言う。

 

「南雲さんって呼ばれてる先輩が『お菓子が欲しければ取ってこい』って言ったところからです」

「最初からじゃないですか!!」

 

 千反田が悲鳴のような声を上げ、立ち上がった。別に聞かれちゃまずい話をしていた訳では無いだろう。

 千反田は一度自分の口を抑え、顔を赤くしたまま席に座った。

 

「えっと、ごめんなさい。そんなつもりじゃなかったんです。この人達はカボチャとテーブルだけでどこまで考えるんだろうなって思ってて。あ、私一年の大日向って言います。大日向友子です」

「もしかして、鏑矢中(かぶらやちゅう)か?」

 

 奉太郎が聞くと、大日向はさも嬉しそうに頷いた。

 

「知り合いなのか?」

「いや、見た事があってな」

「それで先輩方、どこまで話してたんですか?」

 

 大日向は腰を曲げてこちらに顔をグイッと寄せてきた。大日向はその姿勢で続ける。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ちょっと状況を説明してもらっていいですか?」

 

 千反田なら分かるが、何故今出会ったばかりの大日向までがこんな事に興味を示すのだろうか。

 それにしても、『友達が言ってた』……ねぇ。俺は大日向に向かって言う。

 

「そうだな。俺達とは反対方向に製菓研があるだろ?普通は部活動勧誘には俺達が今座ってるのと同じ長テーブルが使われる。しかし製菓研の連中が使っているのは大所帯の部活が使える大型テーブルなんだ。そこでスペースが余ったからジャック・オ・ランタンを置いた。勿論お菓子と紅茶を配るだけなら大型テーブルをは必要ない。俺達は製菓研がジャック・オ・ランタンとは別に置かれてある卓上コンロで火を使う為に安全を考慮して総務委員が大型テーブルを製菓研に譲ったと考えているが……」

 

 俺が結論を言う前に、大日向は製菓研を見ながら言った。

 

「卓上コンロを使う様子が見れない。ってわけですね」

 

 俺は頷く。

 大日向は一度顎に手を置き、『うーん』と唸る。やがて右手をパー、左手をグーにしてポンと分かったような行動を取った。

 

「こういう考えはどうですか?セイカケンの人達は元々()()()()()()()()()()()()()()()()()()使()()()()()()()()そしてその予定を総務委員に何も言わずにキャンセルして、お菓子と紅茶を配ることにした。けど卓上コンロを使うと申請した以上形だけでも置いとかなくちゃいけない。どうですか?」

 

 製菓研のイントネーションがおかしかったが。ほう。中々頷ける推論だ。盗み聞き……言い方が悪かった。立ち聞きしていただけはある。しかし

 

「いや、確かに筋は通ってる。筋は通ってるが、その推論は違うと思うぞ」

 

 俺が言うと、大日向は首を傾げた。

 

「というと?」

「あぁ、製菓研を見た限りでは、そう簡単に出し物を変更出来るとは思えないんだ。」

 

 大日向は『えー!』という不満足気な声を出した。

 

「だって、紅茶なんて茶葉があれば数分で作れますし、クッキーだって今日のお昼休みに焼けば間に合います。お菓子と紅茶を配るのが今日変更になったって別におかしな事じゃないですよ。お菓子だけに」

 

 ……

 

 大日向は『ふふん、どうだ』と言わんばかりの顔で俺達を見つめていた。うーん、三点。

 奉太郎が口を開く。

 

「確かにお菓子と紅茶だけなら今日の内に作ることは出来る。しかしだな、あの『ティータイムあり〼』と刺繍(ししゅう)されている(のぼり)はどう説明するんだ?あんな丁寧に縫ってあるものをお菓子や紅茶と同様に思い付きで作れるわけがない。製菓研は元々お菓子と紅茶を配る予定だったんだよ」

「ありゃありゃこりゃ難しいなぁ」

 

 一々反応が大袈裟な奴だ。そう思っていると、大日向は製菓研の方向を見ながら口を尖らせた。

 

「大体あの人達は悪い人達に決まってる」

 

 俺は言う。

 

「悪い人達?確かに変な奴らだが、悪い奴らではないと思うぞ?文化祭の時に世話になった」

「いえ、悪い人達です。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 名札を出さない奴ら?俺だって別に外を歩く度に『南雲晴』という名札をぶら下げている訳では無い。

 

「それです!!」

 

 突然千反田が顔を大日向に近づけた。大日向はビックリしたのか、半歩下がって恐る恐る口を開く。

 

「な、なにがですか?」

「それですよ大日向さん!そうです、()()()()()()()()()()私が製菓研のテーブルを見て不思議に思ったのはテーブルの大きさではありません!製菓研のテーブルには、これが置いてないんです!」

 

 そう言って千反田が指をさしたのは、《古典部》と書かれた俺達唯一の勧誘道具の看板だった。

 俺は辺りの部活を眺める。確かに、隣の百人一首部も水墨画部も必ず部活名の書かれた看板が置かれている。それに加え、反対方向に位置する製菓研のテーブルには《製菓研究会》と書かれた看板が置かれていない。

 

「あのう」

 

 大日向が盛り上がる千反田を横目に聞いてきた。

 

「すみません。さっきから言ってる、《セイカケン》ってどういう部活ですか?」

 

 だからイントネーションがおかしかったのか。

 奉太郎が答える。

 

「製菓研究会の略だよ。お菓子を作ったりしてる……。っ!!ハル!」

 

 俺は無言で頷いた。

 そうだ。新入生の大日向は製菓研がなんの略か知らなかった。きっとそれは大日向に限らず大半の新入生に共通する事象だろう。

 製菓研ならまだしも、この学校にはディベート部、グローバルアクトクラブなど略さなくても活動内容が不明の部活が多々ある。だからこそ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 なのに製菓研には看板が置かれていない。それは何故か、答えは。

 

 奉太郎が製菓研のテーブルに視線を向けながら放った。

 

「卓上コンロが置かれてる理由、ジャック・オ・ランタンでスペース埋めている理由、そして製菓研が看板を置いていない理由。それは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 千反田は首を傾げた。

 

「というと?」

 

 俺は続ける。

 

「いいか?製菓研が今使っているテーブルは、元々製菓研に割り当てられたテーブルじゃないんだ。もっと言うと、()()()()()()使()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「じゃ、じゃぁ製菓研の人達は卓上コンロを申請した部活の大型テーブルを奪い取ったってことですか!?」

 

 大日向の声が大きくなる。俺は自分の口に人差し指を当て、『静かにしろ』と教えると、大日向は口にチャックをする仕草をとった。

 奉太郎が言う。

 

「違う。()()したんだ。元々あの大型テーブルを使う連中は、卓上コンロを新歓祭で使用する手はずだった。しかし()()()()()()()()()()()使()()()()()()()()()()()()()だが、テーブルを交換すると言っても元々は総務委員が公平に従って割り当てたテーブルだ。テーブルを勝手に交換したとなれば、それなりに厳しい処罰が与えられる。だから製菓研の連中は、《製菓研》と書かれた看板を出してないんだ。総務委員に交換している事をバレないようにする為にな。多分卓上コンロを申請し、製菓研が使うはずだったテーブルを使っている部活も看板をだしていないだろう」

 

 そうだ。だが製菓研にはやはり大型テーブルは大きすぎた。だからこそ製菓研は不自然なスペースを埋める為にジャック・オ・ランタンを置いた。そして、今の奉太郎の推論こそが大日向の言う『名札を出さない奴らは、後ろめたい奴だ』という意味に繋がる。

 では、後ろめたい事とはなにか。そして、大型テーブルを諦めてまで製菓研とテーブルを交換した部活とはどこか。

 

「《お料理研》ですね。卓上コンロを申請した部活は!」

 

 千反田が言うので、俺と奉太郎は頷いた。大日向は首を傾げる。

 

「ん?なんで《お料理研》って分かるんですか?この学校は凄い部活動の数が多いし、別に卓上コンロを申請したのは《お料理研》だけとは限らないんじゃ……」

 

 俺が言う。

 

「部活オリエンテーションでお料理研が新歓祭で山菜料理を振る舞うと言っていたからな。てか、新入生のお前は覚えとけよ」

「てへぺろ。なるほどです。でも、なんでお料理研は製菓研とテーブルを交換したんでしょう。これじゃぁお料理研が損するだけだし、折角申請した卓上コンロもテーブルと一緒に製菓研に引き渡す理由も分からないなぁ」

 

 大日向の意見は最もだ。俺は続けた。

 

「その通りだな。例えば、元々振る舞うことが決まっていた山菜料理の山菜が間に合わなかったから卓上コンロを使う理由がなくなった。だから製菓研にテーブルを譲った。これは違うな。山菜が間に合わなかったなら別のもので適当に誤魔化せばいい」

「『適当に誤魔化せばいい』なんて言い方、有り合わせのもので作ると言ってください」

 

 千反田からの細かい指摘。俺は言い方を変えた。

 

「有り合わせのもので、適当に作ればいい」

 

 千反田はムッとした。適当という言い方が気に食わなかったのだろう。まぁいい。

 大日向が思いついたかのように続けた。

 

「こういう考えはどうですか?お料理研は山菜料理を作るのを辞めた。でも卓上コンロを申請した以上、テーブルの上に卓上コンロを置いておかなきゃならない。でもそれで卓上コンロを新歓祭で使わなかったら『お料理研はどうして卓上コンロがおいてあるのに、使わないんだろう』って思われちゃうから、紅茶用のお湯を沸かすと見せかけられる製菓研に譲った」

 

 奉太郎は大日向を見て、一度指を鳴らした。

 

「ビンゴ」

「やった!」

「でもそれは結果論だ」

「へ?」

「お前は最初に『お料理研は山菜料理を作るのを辞めた』と言ったな?なぜ辞めた?製菓研がお湯を沸かすと見せかけられるから卓上コンロを譲ったのは製菓研という考えは間違いないだろうが、数少ない大型テーブルをそれだけの理由で、なぜ譲った?」

 

 大日向は再び腕を組み、『うーん』と唸った。

 俺は畳み掛ける。

 

「山菜が間に合わなかったら、有り合わせのもので作ればいい。しかしそれもやらなかった。なぜか。お料理研はもっと根本的な場面で大型テーブルとコンロを譲る他なかったんだ。つまり、お料理研はとてもじゃないが料理を出来る状況になかったんだ。もっと言うと、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 千反田と大日向は首を傾げる。大日向は目を細めながらヒソヒソと言った。

 

「振る舞えなくなってしまった。って言ったって、そんな理由はどこにあるんですか?これを言ったらなんですけど、《たかが部活》ですよ?料理を振る舞えない程の緊急事態なんてあるんですか?」

 

 そうだ。《たかが部活》だ。

 だからこそ、《たかが部活》だからこそ起こってしまい、《たかが部活》だとしても許されない事態が料理をする上では起こるのだ。大惨事になるであろう緊急事態が……

 

 奉太郎は千反田、大日向に手招きをする。俺たち四人はより一層顔を近づけ奉太郎は声を押し殺しながら言った。

 

 

()()()だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それを聞いた千反田は飛び跳ねるように椅子から立ち上がり、お料理研の場所に向かって走り出した。手が必要だと言われたのだが、流石に古典部のテーブルを開けることは出来ない。

 奉太郎にテーブルを任せ俺が向かおうとすると、大日向が『興味があるのであたしが行きます』と行ってしまった。

 

 千反田より先に戻ってきた大日向から聞くに、千反田はお料理研の連中に向かって食中毒の件を大々的に話したらしい。最初は連中も誤魔化そうとしていたが、千反田の目利きにより食中毒にかかった生徒を引っ張り出したとか。

 

 お料理研の連中は新歓祭に振る舞うはずだった山菜の下ごしらえに失敗してしまい、それを昼休みに味見した部員が突如腹痛を訴えたらしい。山菜の食中毒はヤバいというのはどこかで聞いたとこがあるので、千反田の無理やり引っ張り出す判断は正しかったといえよう。流石は農家の娘。

 しかしお料理研は食中毒の件に関してはこれからの部活動や文化祭の信頼の為に黙っていて欲しいと千反田に懇願し、千反田はそれを黙認する代わりに山菜の下ごしらえの正しい方法をお料理研に教えたとか。

 食中毒にかかった部員は千反田が連れてきた入須の適切な処置(食塩水を飲ませて嘔吐)により大事には至らなかった。

 

 そして新歓祭が終わる頃には千反田も戻ってきたが、誰も古典部に訪れることは無かった。そして

 

 

「あたしこの部活入ります」

 

 なぜか新歓祭が終わるまで俺達と雑談をしていた大日向は、嬉しそうな笑顔を浮かべながら言った。俺は声を大にしてしまった。

 

「ほんとか!?」

「はい!」

「うわぁ!やりましたね、折木さん、南雲さん!」

 

 奉太郎が言った。

 

「部員の俺達が聞くのもなんだが、理由を聞かせてくれるか?何する部活かも分かってないだろ?」

 

 大日向は『んー』と人差し指を自分の口元に当て、満面の笑みを浮かべながら言った。

 

「先輩方三人からは仲良しオーラを感じましたから!私、仲いい人達を見てる時が一番幸せなんです!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その次の日。読み掛けの文庫本でも読もうと文庫本をポケットに忍ばせ、部室に向かうとそこには既に古典部全員の姿があった。

 

「おっ、来たねハル!いやぁ君とホータローが部員を捕まえられるなんて、こりゃ奇跡だ奇跡。」

 

 失礼なやつだ。

 

「ども、ちゃおっすです」

 

 部室にいたのは奉太郎、千反田、里志、伊原、そして

 

「おう、えっと、おお……おおひな……?」

 

 やべぇ名前が出て来ない。

 

 彼女は一度ムッとした顔をして、俺に詰め寄った。

 

「大日向ですよ!大日向!!」

「ああそうだ。大日向だ。悪いな」

 

 伊原が言った。

 

「名前を忘れるなんてサイテー。折木でも覚えてたわよ」

「うそだな」

「お前は俺をなんだと思っている」

「そうよ。私が折木を庇うわけないじゃない」

 

 奉太郎、かわいそうな子。

 

「じゃぁ、おおひなでいいですよ。先輩は」

 

 大日向は突然不機嫌な顔から笑顔に変わった。

 

「いやそう言う訳にも……」

「いいんですって。これって所謂アダ名って奴ですよね?()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()って。ハル先輩」

「ハルはアダ名じゃなくて本名だけどな」

「えー!?そうなんですか!?てっきり南雲先輩の名前って晴樹とか、晴太とかだと思ってました!」

 

 驚く大日向の後ろで他の四人がクスクスと笑っている。俺は言った。

 

「じゃぁどうする?略すなら、ハ先輩とかにするか?」

 

 大日向は笑った。そして

 

「じゃぁハル先輩でいいです。よろしくお願いしますね、ハル先輩!」

「あぁ、宜しくな。オーヒナ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 現在4.6km地点 残り15.4km

 

 

 

 これが俺達古典部と、オーヒナこと大日向友子との出会いだった。

 

 オーヒナはすぐに部活に馴染んだ。千反田とは勿論のこと、伊原とも自然に仲良くなっていた。伊原はツンケンしたイメージがあるが、案外社交性が高いのかもしれない。

 

 また一人俺は生徒を走り抜いた。奴は元一年B組の生徒だった気がする。そして、二年C組に進級した。つまり俺が既にC組の生徒達に追いついてきている証拠だろう。

 最初の坂はそれなりに飛ばしたので、俺は軽く息切れを起こしていた。坂はそろそろ終わりだが、登ったのなら降りなければならないのは自然の摂理。下り坂だからと言って足の動くままに身を任せれば、足を痛めてしまいかねない。

 

 坂を登りきった。ここからは数百メートルの平面が続く。目を凝らして前を走っている生徒達を眺める。いた。

 

 小さな背丈でショートヘア。あばらに付けた両腕を小さく動かしながら肩がブレブレで動いている。

 

 おいおい、まだ四分の一であんなに疲れて大丈夫か?

 

 俺は走るスピードを上げ、一人二人とC組の生徒を追い抜いていく。

 

 すると、俺より早く伊原に接触した生徒を見た。男子生徒であり、伊原より前を走っていた生徒。

 

 このマラソン大会《星ヶ谷杯》にてオーヒナの心境を推理する生徒。

 

 

 

 

 

 

 

 side奉太郎

 

 

 

 

 今追い抜かれた生徒はC組所属する生徒だった。つまり、先行して走っているA組の俺に、伊原が所属するC組の生徒が追いついてきていることになる。

 

 俺は振り返る……いた。

 

 俺は更に走るスピードを落とし、少女。伊原摩耶花と接触した。

 

「よう」

「ん」

「伊原、走りながらでいい。一つだけ質問させてくれ!」

「……なによ」

「昨日部室から大日向が飛び出した時に、アイツは本当に『千反田先輩は、仏みたいな人ですね。』、そう言ったのか?」

 

 伊原は黙ったまま走り続けた。無駄な会話で体力を使いたくないというのなら、無理にとは言わないが。だが。

 

「仏、じゃないわよ」

「え?」

「ひなちゃんは仏とは言ってない。ひなちゃんは私に、こう言ったの。『千反田先輩は、菩薩(ぼさつ)みたいな人ですね。』って」

 

 菩薩、だと。

 

 それだけ言うと、伊原は俺を振り払うようにスピードを上げていってしまった。

 俺はさらに振り向く、そこには軽く息切れをしたハルの姿があった。ハルは俺に並ぶようにスピードを落とし、聞いてきた。

 

「伊原はなんて?」

「……大日向が昨日部室の前で伊原に言ったのは、『千反田先輩は、菩薩みたいな人ですね』だそうだ」

 

 ハルはその言葉を聞いて、目を見開いた。

 

 昔の人間は面白い言葉を作ったものだ。比喩的表現に関していえば、実に面白い。

 

 そうだ。外面が菩薩だとしたら……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その内心は夜叉(やしゃ)だ。




 最後の菩薩や夜叉の意味は、

 下面如菩薩内心如夜叉(げめんにょぼさつないしんにょやしゃ)

 という、古いことわざのようなものです。

 女の人は下面は仏のように優しそうに見えるが、その内心は鬼のように恐ろしい。という意味です。


 次回《友達は祝われなきゃならない》


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第四話 友達は祝われなきゃならない

 現在5.2km地点 残り14.8km

 

 

 

 side晴

 

 

 奉太郎からオーヒナが千反田に向けてはなった言葉の真相を聞いてから、俺達は特に話すこともなく走り続けた。

 伊原に話を聞けたのならあとは後ろから来る千反田とオーヒナに話を聞くだけだ。ここからは基本的にローペースで走っていれば問題ない。

 

 下り坂。スニーカーが地面に叩きつけられるような音ともに俺達は下っているが、こんな走り方をいつまでもしてられない。俺達はより一層走るスピードを落とした。

 

 菩薩……、菩薩ね。オーヒナが菩薩を下面如菩薩内心如夜叉(げめんにょぼさつないしんにょやしゃ)という意味で使ったのなら、オーヒナはなんらかの形で、千反田の鬼の面をみたといえよう。

 俺はそれが何か分からない。そもそも千反田が鬼だと言うのなら、伊原や晴香、天津、供恵さんはなんだ?閻魔大王か?

 

 とてもじゃないが俺や奉太郎、里志や伊原は千反田の鬼の部分を見たことは無い。そもそも千反田は感情をあらわにする事自体珍しい。

 

 しかしオーヒナが仮入部してから、特に千反田とオーヒナが喧嘩をするような場面。千反田が怒るような場面を俺は見たことがない。

 

 そうだな、順番に思い出してみよう。オーヒナと特に深く関わった日を。

 

 あれは、オーヒナが仮入部してから二週間後程の出来事だ。

 

 

 

 

 

 

 過去二十一日前

 

 

 

 

 俺、奉太郎、千反田、里志、伊原、オーヒナの六人は千反田を先頭として住宅街を歩いていた。

 

 俺達古典部は特に理由がなければ休日に集まるなどはしない。つまり今日は理由がある日なのだ。俺は隣を歩くオーヒナに言った。

 

「先週から思ってたんだが、オーヒナ。お前桜と知り合いだったんだな」

「知り合い……というか、桜先輩じゃなくてウチのクラスの桜恵くんですね。桜楓先輩の弟です。恵くん経由で一回会ったことあるんですよ!」

「桜に弟がいるなんて、初めて知ったな」

 

 そう。本日五月四日。日曜日。

 一年次からの知り合いである我が友人。桜楓の誕生日なのだ。

 

 先週の土曜日。俺達古典部と桜は奉太郎の家で奉太郎の誕生日会を行った。

 オーヒナが古典部のみんなでパーティーはした事ないのかと聞いてきたので、千反田が文化祭後の打ち上げのことを話した。

 それ以外には特にパーティーなるものはやったことは無く、奉太郎の誕生日が近いという理由で折木奉太郎生誕祭を行なったというわけだ。

 

 奉太郎の誕生日会は何事もなく終わり、俺はその時にこう言ったのだ。

 

 

『来週は桜の誕生日があるな』と。

 

 

『えぇ、なんか悪いよ!』と桜。『ホータローのだけ祝うのはおかしな事さ』と里志。『さっちゃんはちゃんと祝おうと思ってたから』と伊原。『桜さんはいつもお世話になっていますし、大切な友達ですから』と千反田。『俺だけ祝われちゃ、申し訳ない』と奉太郎。『ハル先輩って桜先輩の誕生日知ってるんですね!!』と余計な事をオーヒナ。

 

 ちなみにその後始まった誕生日あてゲームで俺は見事に里志と伊原、オーヒナの誕生日を言い間違えた。勘弁してくれ。

 

 ちなみに奉太郎の時はアポ無しで折木家に訪れたが、桜の場合はそうもいかない。誕生日会をやってもいいかと確認を取ったところ、嬉しそうに承認をしてくれた。

 

 先頭を歩く千反田がピタリと立ち止まる。

 

「どうしたの?ちーちゃん」

 

 伊原が聞くと、千反田は頭にはてなマークを出しながら地図を回転させている。

 

「すみません。ここら辺の道は入り組んでまして……」

「どれどれ?」

 

 千反田は里志に地図を渡すが、里志も首をかしげた。

 

「うーん。あるよね、迷路みたいな住宅街って。一回行けば忘れないんだけどなぁ」

「貸してみろ」

 

 俺は里志から地図を引ったくるように取ると。俺達が向いている道とは逆方向を指さした。

 

「こっちだ」

 

 里志はもう一度地図を確認する。

 

「あ、うん。確かにハルの方向であってるね。なんだい、地図を読むのが得意なら言ってくれればいいのに」

「たまたまさ」

 

 そう踵を返すと、俺は自分が指した方へ足を向けた。

 

 別に俺は地図を読むのが上手いわけではない。今の話題は、出来るだけ避けたかった。

 

 

 

 

 

 

 桜の家は極一般的な一軒家で、赤い屋根がよく目立つ。

 迷路のような住宅街縫って歩き、俺達はようやく家にたどり着いた。千反田が代表してインターホンを押すと、桜の声が帰ってくる。

 

「はーい!今開けるね!」

 

 その後すぐに自宅のドアが開かれ、私服姿の桜が現れた。

 

「みんないらっしゃい。この辺迷わなかった?」

 

 桜が首をかしげて聞くと、里志が答える。

 

「ハルが地図を読むのが得意だったらしくてね。案外迷わずに来れたよ」

 

 桜は一度俺に視線を配ったあと、「あ」と小さく声を漏らした。伊原が言う。

 

「どうしたの?」

「ううん。なんでもない、上がって!」

 

 俺達はリビングに通され、二つあるうちの一つのソファに千反田、伊原、オーヒナ、桜。もう一つに俺、奉太郎、里志と男女見事に割れたまま席に着いた。

 

 テーブルの上に置いてあるのは、招き猫の置物、灰皿、今日の新聞だ。

 

 今日の服装。俺はパーカーにロングのデニムパンツ。奉太郎は薄手のカーディガンに薄茶色のパンツ。里志はポロシャツにカーゴパンツ。伊原はグレーのパーカーとショートパンツ。千反田は薄桃色のニットを着て、下はロングスカート。オーヒナはプリント付きのシャツとジーンズだ。

 桜も俺達を招き入れるためか、私服とは言い難い洒落た格好になっていた。

 

 女子陣が口を開いた。

 

「桜さん!お誕生日おめでとうございます!」

「さっちゃんおめでとう!」

「桜先輩、おめでとうございます!」

 

 と言うと、里志と奉太郎も続いた。

 

「桜さん、誕生美おめでとう」

「先週は祝ってくれてありがとうな。おめでとう桜」

 

 俺も続いた。

 

「あぁ、誕生日おめでとう、桜」

「みんな、ありがとう!」

 

 桜がそう言い終わると、女子陣はそれぞれ自前のカバンからプレゼントを取り出す。

 千反田が代表して桜へのプレゼントを渡した。

 

「桜さん、これは私達からのプレゼントです。みんなで刺繍を施したんですよ?」

 

 千反田が渡したのは小さな小物入れだった。桃色や水色の細い糸を使い桜の花に集まる小鳥達を刺繍で表現している。

 ほう。あれを刺繍で……千反田や伊原には器用なイメージがあったが、オーヒナもあんな芸当が出来るのか。

 

 桜は感動した声で言った。

 

「うわぁ…!こんなもの、貰っちゃっていいのかな?」

「桜先輩に渡すためにみんなで作ったんですから!是非是非貰っちゃってください!」

 

 桜は黙って頷いて、小物入れを胸に抱きしめた。

 

 里志はそれを見たあとに、いつも持ち歩いている巾着袋とは違う大きめのショルダーバックから本屋の袋を取り出した。

 

「はい、桜さん。これは僕からのプレゼント。何がいいか迷ったんだけど……、やっぱり桜さんは文芸部だしこんなものどうかな?」

 

 里志が渡した本屋の袋から出てきたのは、最近話題になっていた推理作家の短編集だ。

 俺たちと同じ高校生が主人公で、日常に秘められた謎を解き明かしていく爽やか系青春ミステリーだった気が。

 

「ありがとう、福部くん!これ結構に気になってたの!」

「喜んでくれたなら何よりさ」

 

 里志は首を竦めた。

 次は奉太郎がいつものトートバッグから、見た目から分かる海外製の袋に入った代物を取り出したのだ。俺は声を上げる。

 

「なんだこれ」

「姉貴からこれを持っていけと言われてな。会ったことはないだろうが、これは俺と姉貴からのプレゼントだと思ってくれ」

 

 桜は奉太郎から袋を受け取り、中身を確かめる。

 中から出てきたのは長方形の箱で、マカロンやマーマレード、クッキーの詰め合わせだ。

 桜は再び笑顔になりながら奉太郎に言った。

 

「私、折木くんの誕生日に何もあげてないのに。ありがとう!お姉さんにもお礼言っといて」

「ま、俺のは急遽決まったことだったしな。祝ってくれただけで嬉しかったよ」

 

 桜は頷く。さてと……

 

 桜以外の五人の視線が俺に集まった。その心は『お前最後の最後で台無しにするなよ』だ。

 こいつらは俺をなんだと心得ているんだ。だがしかし

 

 俺がリュックサックから取り出した小さな木製の箱は、女子陣が用意した小物入れよりも、里志が用意した短編集よりも、奉太郎が用意したお菓子の詰め合わせよりも一回り小さいサイズの代物だった。

 

 正直、女子陣の小物入れでハードルが上がりすぎたのだ。なんだよ手作りって。

 俺は一度視線を木製の箱に移してから、それを桜に向かってゆっくりと開いた。そして

 

「おぉ!」

 

 最初に声を漏らしたのはオーヒナだった。

 

 木製の箱の中に入っていた、俺からの桜への誕生日プレゼントは桜の花の形をしたバレッタだった。

 

 バレッタというのはいわゆる木製の髪飾りで、職人が一から木を掘るものもある。俺のはそんな大層な代物では無いし、色も塗られていない枯色のものだが。

 

 桜は何も言わずにバレッタをジッと見つめていた。気に入らなかったのか……?

 桜はそっと木製の箱からバレッタを取り出し、包むように胸に抱きしめた。そして俺を真っ直ぐな視線で捉えたまま、微笑んだ。

 

「すごい……嬉しいよ。南雲くん!」

 

 顔が無邪気に子供のように微笑む桜を見た途端に顔が熱くなる感覚を覚えた俺は、視線をずらした。

 

「折角だし、付けてみろよ」

 

 桜は黙って頷くと、自分の頭の後ろに両手を回した。桜は元々ボブヘアーより少し長い髪型なので基本的に髪を結んでいる所は見たことがない。

 チョコんと出来たポニーテールを丁寧に整える桜は、頭だけをクルンと向けた。

 

「似合うかな?」

「あ、あぁ。まぁ、いいんじゃないか?」

 

 こういう時に女子を褒める芸当を、俺は覚えてないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後は伊原が買ってきたホールケーキをそれぞれの皿に配り、俺達はようやくたわいのない話を繰り広げられる余裕が出来た。

 里志が言う。

 

「しかし、ハルがバレッタを買うなんて、こいつは一体なんという鵞鳥(がちょう)だい?」

「なにいってんの?」

 

 伊原から行儀の良くない言葉が飛んでくるが里志は相変わらずすかした顔を辞めない。オーヒナが「あ、朔太郎」とすぐに出てきたのは素直に感心した。

 桜は今食器やらグラスやらを取りに行ってくれている。誕生日パーティーの主役だと言うのに申し訳ない。俺はテーブルの上にある桜の両親のであろう灰皿と、新聞をどかした。が、招き猫の置物だけは無意識的にどかさなかった。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ケーキを口に含んでいると、飲み物用のグラスを持ってきた桜が口を開いた。

 

「ちょっと暗いね」

 

 桜はそう言うとテーブルの上に置かれている招き猫の手を福を招く様に動かした。するとテーブルの真上の天井に付けられていた蛍光灯の光が強まったのだ。里志が声を上げる。

 

「お、すごい。招き猫の手を動かすと赤外線が出る仕組みだね」

 

 俺は一度か体がビクついた。

 

「福部くんよく知ってるね。うん、この招き猫の手を動かすと猫の目から赤外線が飛ぶの。天井についてある蛍光灯近くの受信機が赤外線を受け取って、電気が付く仕組み。ところで……みんな、もうお昼ご飯たべた?」

 

 『軽く』千反田。『食べました』オーヒナ。『食ってない』奉太郎。『食べてない』里志。『朝が遅かったからそれと一緒に』伊原。『伊原と同じ』俺。

 

「ピザでも取る?」

 

 桜がそう言うと、千反田は慌てふためいた。

 

「悪いですよ桜さん!家にまでお邪魔させて頂いているのに」

「割り勘にすればいいだろう?」

 

 奉太郎が言うと、桜は満足気に頷いたが里志と伊原が微妙な顔をしている。オーヒナはそれにいち早く気づき聞いた。

 

「どうしたんですか?」

「あ、いや。僕もピザはいいと思うんだよね。七人もいるんだし……でも……ほら」

 

 なんだ。はっきり言えよ。お前は福部里志だろう?

 そんなことを思っていると、伊原が口を開いた。

 

「私がチーズ食べれなくて、ごめんねさっちゃん」

「そうだったの!?ううん、大丈夫だよ」

 

 ほう。伊原はチーズが苦手なのか。オーヒナが口を開いた。

 

()()()チーズダメなんですか?」

「うん、ちょっと匂いがね……ひなちゃんもそうなの?」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「酷い言い回しだな」

 

 奉太郎が突っ込むと、オーヒナは微笑んだ。その意味はわからんが、機嫌を悪くはしなかったようだ。

 

 オーヒナは言いにくい事を言う時、友達を引き合いに出す癖なのだろう。

 実際に言いにくいことには、噂で聞いたんだけど、とかはよく使う言い回しだ。別に変なことではない。

 

「というか、皆さんってあんまり休日に集まることはないって言ってましたよね?なんで集まらないんですか?こんなに仲良しなのに」

 

 仲良し……ねぇ。

 俺の代わりに奉太郎が答えてくれた。

 

「仲はいいかは知らんが、休日に集まってまで話す内容もないしな」

「折木先輩と福部先輩、それに伊原先輩って中学時代からの付き合いなんですよね?伊原先輩は女の子だから分からないけど、折木先輩と福部先輩はどちらかの家で遊んだりしないんですか?」

 

 奉太郎は里志をみた。

 

「どちらかの家に遊びに行ったことはあったか?」

「僕の記憶の限りではないね。近くまで行ったことは何回かあるけど」

「ハルの家。勘解由小路家には何回か行ったことあるけどね」

 

 里志が言うと、オーヒナはそれに反応した。

 

「へぇ、何してるんですか?」

「ま、基本的に一人で遊びには行かないよ。古典部の事で地学講義室が使えなかったりした時の会議用さ。勘解由小路先輩も気前よく入れてくれるし」

 

 愉快そうにケラケラ話す里志な俺はムッとしながら返す。

 

「俺の部屋はお前らの休憩スペースじゃないぞ」

「でも私。てっきりハル先輩は桜先輩の家に遊びに来たことがあると思ってました!」

 

 

 

 オーヒナの一言に、空気が一瞬固まった気がした。

 

 俺が地図を見るのが上手かった。そういう結論でこの家まで辿り着いた話題は終わったんじゃなかったのか?

 

 話題をずらすか?いや、あからさま過ぎる。話題は完全に今の方向へ向いた。ここで話題をずらせば、何か後ろめたい事があるのではないかと疑いの目を向けられてしまう。千反田や伊原、里志、オーヒナは騙せても……奉太郎には確実にバレる。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「それは、南雲さんが地図を見るのが得意だったからでは無いんですか?」

 

 千反田が言うと、オーヒナはケーキを口に運びながら言った。

 

「そういう結論で終わりましたが、私はハル先輩が地図を見るのが上手いって福部先輩が言った時の話を聞いてなかったんですよ。桜先輩の家に着くまでハル先輩が先頭を切って歩いてましたから、『あ、ハル先輩は桜先輩の家に行ったことがあるんだなぁ。だからこんな迷路みたいな道を迷わずに歩けたんだ』って思ってました」

 

 なるほど、ならばまだ軌道修正が効く。

 同じ事を桜も思ったのか、笑いながら言った。

 

「でもそれはやっぱり、南雲くんが地図を見るのがすごーく上手かった。って事でしょ?」

「そうなんですけど。うーん。なんかおかしくありませんか?ね、折木先輩」

 

 奉太郎に話を振られたか。奉太郎はオーヒナの視線だけを見て答える。

 

「あぁおかしな話だな。俺達は桜の家の住所を知らないのに、桜の家までの地図を用意出来た」

「あれ!?私、みんなに住所教えてなかったっけ!?」

 

 桜の狼狽する声。

 桜の家までの地図を用意したのは千反田だ。

 

「そうですね、どうして千反田先輩は桜先輩の家の住所を知っていたんですか?」

「知っていた、というか調べさせて頂きました」

 

 場が凍りつく。まさか千反田に住所を調べられるだけのハッカー的素質があったとは……もしくはストーカー?

 

「ち、違いますよ!変な方法ではありません!桜さんの中学の卒業文集を見させていただいたんです!」

「でも千反田先輩って、桜先輩とは中学違いますよね?」

 

 千反田は白ぶどうのジュースを口に流しながら続けた。

 

「はい。私は印璽(いんじ)中。桜さんは沖宮(おきみや)中です。実は沖宮中出身の方に芦屋(あしや)さんという方がおりまして、家柄の付き合いがあるんです。先日お会いしましたので直接桜さんにお聞きするより早く済むと思ったんです」

「芦屋、そんな人もいたなぁ。千反田さんと知り合いだったんだ」

 

 里志は大袈裟に首を振る。

 

「流石は千反田さんだ、中学を飛び出てまで知り合いというネットワークが繋がってるなんて、我らが母校鏑矢中にも知り合いはいるのかい?」

「はい。折木さんのお友達に、惣田(そうだ)さんという方がおりますよね?」

 

 奉太郎は頷いた。

 

「その方とも家柄の事で何度かご挨拶をしたことがあります。折木さんや福部さん、摩耶花さんのことも勿論ご存知でしたよ」

「居たわね惣田なんて奴。折木と知り合いだってのは知らなかったわ。確か……親が市議会議員だったわね」

 

 ほう、市議会議員。

 

「じゃぁ千反田。もしかして奉太郎や里志の中学時代の黒歴史なんかも聞いてたりするのか?」

 

 千反田は微笑んだ。腿の上で手のひらを合わせたまま答える。

 

「ええ、例えば、福部さんがマイクのスイッチが切れてると思って放送室で歌を歌ったなんて噂。私、聞いたことあります」

 

 空前絶後の爆笑。

 俺は腹に手を置き、『くっくっくっ』と笑い続ける。

 

「あははっ、合ったねそんなこと!ちーちゃんよく知ってたね、私でも忘れてたよ」

 

 里志はいつもの笑みとは違い少し強ばった表情に変化していた。大抵の事は冗談ですます里志だが、今回に限っては笑えない話らしい。

 ちなみにその話は随分前に奉太郎から千反田と共に聞いた話だった。

 

 

 俺は不意にオーヒナに目を向けた。オーヒナは目を丸くして、ぽかんと口を開けたまま一言も発することは無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後時間も過ぎ、俺達はそれぞれ片付けに取り掛かっていた。

 

 俺は台布巾を台所でコーヒー、紅茶用のお湯を沸かしている桜のところに持っていった。

 

「桜、台布巾どこに置けばいい?」

「シンクの中に入れといて!」

「おう……。言わなかったんだな」

 

 桜は一度ムッとして、イタズラをする子供のようにニヤっと笑った、

 

「南雲くんもじゃん」

 

 桜の家までの道のり、確かに千反田が芦屋という知り合いから卒業文集を見せてもらい、そこから地図を割り出したという過程は間違いない。

 しかし、それが全て真実という訳では無いのだ。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 春休みの終わりの頃、隣町の本屋で桜と出会った俺は満員のバスの中で桜が足を痛めているのを知った。その時は何とかして桜を席に座らせることが出来たが、俺はその後()()()()()()()()()()()

 

 その時桜は招き猫の手を動かし、蛍光灯を点けた。

 

 俺が無意識的にテーブルの上の招き猫をどかさなかったのは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 そして桜が俺達古典部に住所を言い忘れたのは、桜がうっかりしていたという理由だけではない。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と思ったのだろう。

 

「でもなんでだろうね。南雲くんが私の家に来たことがあるってどっちかが言えばよかったのに」

「そうだな」

 

 別に家に行くとこ自体は変なことではない。男女だからという理由であるのなら、千反田や伊原だって俺の家に来たことはあるし、俺も実際に千反田の家に行ったことはある。

 

 しかしそれは決して遊びに行ったわけではない。正当な理由があるから千反田の家に訪れたわけであって、それ以外の理由で俺は千反田の家へ赴くだろうか。答えは『ノー』だ。

 俺達古典部は仲は良くても互いの家に理由なしに行くことは無い。

 

 いや、桜を家へ送ったのは桜が足を痛めていたから。正当な理由があるではないか。なのに何故俺はアイツらに黙っていたんだ?特に後ろめたい理由がある訳では無いのに。馬鹿馬鹿しい。

 

「でも多分、奉太郎には気づかれたんじゃないか?」

「え?」

 

 俺はニヤリと笑い、とても推理とは言い難い言葉を発した。

 

「去年の夏休み、みんなで夏祭りに行った時に俺は迷ったろ?」

「……?うん、そんなこともあったね」

「俺は方向音痴なんだ。地図を見るのが下手なんだよ」

 

 桜は『なにそれ』と笑った。そして桜が吹き出すと同時に、火に当てていたヤカンが音を立てた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 現在6.9km 残り13.1km

 

 

 

 下り坂を下り終え、俺達はようやく自分のペースで走れるようになった。

 ジョギングと言い訳するのも苦しいスロースペースで俺達は足を動き始める。俺は口を開いた。

 

「二つ」

「……?」

「二つ思い出した。オーヒナが入部した新歓祭の日。桜の誕生日パーティーの日。あの日はどちらもオーヒナが深く話に関わっていた」

 

 勾配のない平面を俺と奉太郎は走る。周りには既にC組の生徒はおらず、D組の集団がチラホラ見える。

 この辺は農村地帯にあり、辺りの景色が良く見える。

 

「里志……」

 

 奉太郎がそう呟くので、俺は目の前に視線をずらした。五十メートル程前に見慣れたマウンテンバイクから降りた男子生徒を見た。なにかトラブルがあったのか、ほかの総務委員と思われる生徒達と話している。

 俺達が近づくと里志は振り向き、急ぎの用事がないのか俺達が追いつくまで待ってくれた。

 

「やぁ、合流したんだね。そのスペースだから当たり前だけど遅いね。 」

「なんかあったのか?」

 

 聞くと、里志は大きく首を竦めた。

 

「ちょっとトラブル。足を痛めた生徒がいてね。近くの先生に電話したのさ、さっき先生達が車に乗せて行ったよ」

 

 里志は片方の目を瞑りながら、右手で口元に手を当てながら言った。

 

「実際に足を痛めたかは分からないけどね」

「そんなズルをしてるかもしれない生徒を総務委員は保護するのか?」

 

 奉太郎が聞くと里志は先程より大袈裟に首を竦めた。

 

「ホータロー、僕は総務委員の目を盗んでショートカットをするような生徒がいるのならむしろ喝采するよ。でもその自称足を痛めた生徒は、してやったりみたいな顔をしていてね、先生達がここに到着した途端に大袈裟に痛がりだしたのさ。あんまり面白いと思える演技じゃぁなかった」

「里志。これは例え話なんだが……」

 

 奉太郎が聞く。

 

「なんだい?」

「『これは友達が言ってたんだが、総務委員がこのマラソン大会を走らないのはどう考えても不公平だ』と言ったらどう思う?」

「ホータローはそんなこと思ってたのか、心外だな、そう思う」

「例え話だ。お前の仕事は分かっている」

「僕も君がわかってることくらいわかってるさ。例え話なんだろ?」

 

 里志はもう用はないと見たのか、マウンテンバイクに跨った。その後俺と奉太郎を交互に見たあとに、飄々と話し出す。

 

「ハル、ホータロー。僕は大日向さんみたいな子好きだよ。あぁ、摩耶花に聞かれてまずい意味じゃない」

「分かってるよ」

 

 俺がそう踵を返すと、里志は鼻だけで笑い自転車の速度をあげようとする。俺は再び、里志を止める。

 

「これは日本語の話なんだが……」

 

 俺は、大日向の言葉が間違いであって欲しいという意味を込めて、里志に聞くことにした。

 

「下面が菩薩なら、内心はなんだ?」

 

 里志はなにか呟いた。多分『摩耶花は僕にそうは言わなかったけどな』と言ったのだろう。

 

「そんなの決まってるさ。下面が菩薩なら、その内心は夜叉だ」

 

 最後に里志はいつも様に冗談めかした言い方で言葉を放った。

 

「でも僕は千反田さんの好物がザクロだとは知らないけどね」



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第五話 とても素敵なお店

遅れてスミマセン!!!氷菓更新再開します!
待っててくれた方は本当にありがとうございます!


ふたりの距離の概算はオリジナル要素を中々入れにくく苦戦しています…ぐぬぬ。


 現在 8.0km地点 残り12.0km

 

 side奉太郎

 

 

 何を正しいと考え、何を間違っていると考えるかは、教育や経験によって後天的に覚えていくものだ。

 善行を褒められ、悪行を叱られる。それ故に本能的に好き嫌いを学んでいく。

 仮にこれを先天的と言ってしまえば、生まれた頃からチーズが嫌いになるように定められていたようで、なんだか気に食わないし、少々運命めいている。

 好き嫌いはむしろ、長じてのちに己の内側から湧き出てくる衝動的概念だと言えるだろう。

 それはつまり、自分はなにを最も大事にしているかという問題に絡んでくるに違いない。

 

 ある雨の日。ハルと帰路を共にしながらこの様な話をした。ハルは苦笑いを浮かべながらこう言った。

 

「チーズが嫌いな事を例にあげたってことは、伊原のチーズ嫌いを思い出したからか?だったら伊原はこう言うな。『好きなものも嫌いなものもろくすっぽない折木にそんな事は言われたくない』ってな」

「いや、伊原なら違う。もっと言うさ、もっと酷い言い方でな」

 

 伊原はそういう人間なのだ。俺と伊原は小学校からの付き合いであるが、特に大きく絡んだ事は無かった。とはいえ、伊原の性格なら俺は古典部で里志の次に博識といえよう。伊原は俺に興味はないだろうがな。

 

 ハルや里志。またはその両方と帰る時には大体くだらない話を繰り広げながらダラダラと帰路を歩く。昨日の話題はなんだったかな……HBと鉛筆とシャーペンはどちらが使いやすいか、時にはもし魔法が使えたならなどという実に馬鹿らしい話を繰り広げる。

 しかしこれは別に悪い時間ではない。ハルや里志、古典部の連中と話している時間に居心地が悪いとは思ったことがないのだ。

 

 しかし今日は珍しかった。里志は総務委員。俺はハルと共に帰宅していたのだが、今日の議論の聴衆には大日向がいたのだ。

 校門の前の壁に寄りかかっていた大日向は俺達を見るなり、『まだ友達がいなくって』と苦笑いするので、なんとなく一緒に帰っていた。

 大日向は言う。

 

「伊原先輩ってそんなに口悪いんですか?」

「悪い」

 

 ハル

 

「悪いな」

 

 これは賛同する他ない。……が俺は続ける。

 

「誰にでも食ってかかる訳じゃないさ。現に千反田に暴言を吐いてるのはみたことない」

 

 この差は時に残酷だ。俺の意見が間違っていた時に伊原必ず俺に突っかかる。しかし俺と千反田の意見が同じだった場合、伊原は何も言うことはない。

 大日向は目を細め、ヒソヒソ声で俺とハルに語りかけてきた。

 

「それって、千反田先輩が色んな人のことを知ってるのと関係あるんですか?」

 

 ハルが軽く笑ったあとに答えた。

 

「千反田が伊原の弱みでも握ってるんじゃないか、そう言いたいのか?」

 

 俺も内心笑った。千反田が人の弱みを握る?そもそも千反田はそんな所まで頭が回らないだろう。

 大日向の切り替えは早かった。

 

「そして折木先輩がなにも大事にしていないってことが分かりました!」

「おい」

「ハル先輩は大事にしてるものってあります?」

 

 俺の訂正は届かず、話題はハルに振られた。ハルは一度『うーん』と頬を掻いた。

 

「か、家族とか友達とかか?」

 

 思いつかなかったのか、ハルは少し照れくさそうに定番の答えを発した。大日向は『ふーん』という興味なさげな返答を返した。

 

「オーヒナ、そういうお前はどうなんだよ」

「私ですか?そりゃぁ勿論、女の子的には《恋》ですって言わなくちゃならないですよね」

 

 恋……、恋ね。目の前で恋について語る下級生を前に、俺はコアラを見た気持ちになった。姿形は知っているが、実物を見た日本人は少ないアレだ。

 

「アテはあるのか?」

 

 俺が聞くと、嬉しそうにかぶりを振った。

 

「今はないですけど、だからそうですね。今一番大事なのは……」

 

「友達……かな」

 

 

 

 この時は意識していなかったが、大日向が《恋》と答えた時には彼女は笑っていた。しかし、《友達》と答えた時には俯いていた。

 深く考えはしなかったし、深く考える必要もなかった。日常会話で話している内容を深く考える人間なんてものは存在しない。

 

 正直、俺やハルは大日向にそこまで深く関わってこなかったのかもしれない。

 ハルは大日向と互いにアダ名で呼び合う仲ではあったが、特別二人が仲良く話している姿を見た回数は無いとは言い切れないが、少ないのは事実だ。それは俺も同じ。

 

 大日向をちゃんと見てこなかったツケを、俺達は走りながら復習しようとする。テスト前に参考書を買って勉強するようなものだ。

 実に愚かで醜い行為とも言えるだろう。だがまだ半分も走っていない、考える時間は少なくは無い。

 

 大日向が本当に千反田の事を下面如菩薩内心如夜叉という意味合いで使ったのなら、大日向はそれなりにマイナーな句を知っているといえよう。

 桜の誕生日パーティーの時に里志が言った、『これは一体なんという鵞鳥だい?』というのを直ぐに萩原朔太郎の詩だということを看破した大日向は、それなりに日本語が得意なのかもしれない。

 

 俺は隣のハルの姿を見た。スロースペースなので息切れこそ起こしていないが、時折汗を拭っている。俺も額から流れた汗を体操着の袖で拭った。

 ハルは《新歓祭》と《桜の誕生日パーティー》の事を思い出したと言っていた。どちらの日も記憶に新しい。

 

 俺も思い出したことがある。全く関係の無いことかもしれないが、そうとも言いきれないからな。

 

 

 

 

 

 

 

 過去十四日前

 

 

 

 

 その日の部室には珍しいメンツが揃っていた。

 

 俺が訪れると同時に二つの視線がこちらを向いたのだ。

 ハルと伊原の視線だった。ハルはなんだか微笑を浮かべており、伊原はムッとした表情をしていた。いや、ムッとしているのはいつもの事なんだが。

 

「珍しいな。お前らが二人で話してるなんて。……伊原、今日は漫研の活動日じゃないのか?」

 

 『おま……ばか』とハルの声も乏しく。伊原は少し苛立った声で俺に返答した。

 

「やめたわよ」

「ほう」

「ほう、ってなによ」

「正しい判断だとは思うけどな」

「そうね」

 

 伊原の声は苛立ってはいたが、怒っている様子はなかった。どこか吹っ切れているような感じもしたし、何に対してかは知らないがやる気にも満ちていた。

 

 知っての通り、伊原の漫研での立ち位置は文化祭以降微妙なものになっていたのは人伝で聞いていた。派閥争いの様なものもあったと聞き、千反田や里志は伊原の身の心配までしていたのだ。

 

 その後すぐに千反田と大日向が部室に現れ、大日向はカバンからポテトチップスの袋を取り出した。

 

「みんなで食べましょうよ」

 

 俺達は椅子を持ち寄り一つの机を囲んで座った。

 大日向はスカートのポケットから携帯を取り出し机の上に置く。携帯を入れたままだと座りにくいのだろう。

 

 《チップスサツマ》という名称だった。ジャガイモではなくサツマイモで作っているのか。ふとポテチの袋を眺めていると『福岡県限定』と書かれていた。む。

 

「大日向。お前福岡に行ったのか?」

「え?なんで折木先輩わかったんですか!?」

 

 『こわ』という伊原からの誤解の声を無視して、俺はポテチの袋を指さした。

 

「福岡県限定と書かれているからな」

「あー、この前ライブに行ってきたんですよ!全国ライブです」

「全国ですか!?北海道から沖縄まで!?」

 

 千反田の驚いた声に大日向は戸惑いながらも答える。

 

「ええっと、仙台から福岡までです」

「すげぇな。俺も好きなバンドとかいるけど、全国追っかけ回すまではしないぜ」

 

 片手に地学講義室の鍵を持ちながらハルが言うので俺も頷いた。俺とて音楽に無関心な訳でもない。好きなグループもそれなりにいるが、全国を追っかけ回そうとは思わない。

 素直に感心する。

 

「でも、東京公演のだけは取れなかったんですよ〜」

「東京って人多いもんな」

 

 ハルが言う。東京に住んでた人間の言う事は説得力が違う。

 千反田が続けた。

 

「大日向さんはスキーもやってらっしゃいますよね?」

「え?あぁ、はい。どうして?」

 

 大日向がそう聞いた途端に、ハルの手から地学講義室の鍵が落ちた。ハルはすぐにそれを拾い上げ、ポテチが乗っている机の上に置いた。

 

 俺達のポテチを食べるスピードは止まらない。次々と自分の口に放り込み、次のポテチへと手を伸ばす。そして最後の一枚となった所で、俺と伊原が同時に手を伸ばした。

 

 手がぶつかったので俺達は手を引っ込め、互いを睨み合う。

 

 本来ならロマンティックな雰囲気が流れるところであろうが、生憎俺と伊原の間には熱い視線はなく、冷厳な視線で睨み合う。

 俺が最後の一枚を譲ろうと手を引っ込めると、伊原の引っ込める。

 俺が取ろうと手を伸ばすと、伊原も伸ばす。

 

「何やってんだお前ら。食わないなら俺がもらうぞ」

 

 ハルがそう言いながら手を伸ばすと、俺と伊原やはり同時にハルを睨んだ。ハルは叱られた犬のようにしゅんと手を元の位置に戻す。

 

 その時地学講義室のドアが開かれた。

 

 そこに立っていた里志は俺達を見るなり言った。

 

「やぁ、なにしてるんだい?」

 

 大日向は答える。

 

「いまから最後の一枚を食べるところなのだ」

 

 最後の一枚が里志の腹に入ったところで、大日向はここぞとばかりに胸を張りながら言った。

 

「では、私のお気に入りのポテチを食べた皆さんには、やって貰いたいことがあります!」

 

 今のは賄賂だったのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「悪ぃ遅れた!!」

 

 大日向からの賄賂をしっかりと胃袋に入れた次の日の土曜日、俺達は母校の鏑矢中前に立っていた。

 私服で中学の近くまで訪れるというのは、なんだか不思議な感覚を覚える。

 約束の時間の少し後に訪れたハルが息切れを起こしながら膝を屈ませた。

 ハルは方向音痴なのだ。入学式には遅刻するし、去年の夏祭りでは迷子になる。つまり、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 しかしこれは黙っておこう。別に言う必要はないが、言わない必要はあるからな。

 

 ちなみに今日は千反田は家の用事で途中からの参加になるらしいが、いつから来るかは聞いていない。

 

「ハル先輩、大丈夫ですか?」

 

 大日向からの優しい一言。

 

「遅いわよ」

 

 伊原からの厳しい一言。

 

 たったの五分程度だし、ハルは鏑矢中に来るのは初めてなんだ。許してやれ。と俺がいえば伊原に何かを言われかねないので黙っている事にした。すまぬハル。伊原からの雷はお前が受けてくれ。

 

「いやぁ面目ない。あはは!」

 

 なんの悪びれもないこいつもこいつだがな……。

 

「いやぁそれにしても楽しみじゃないか」

 

 里志が言うと伊原も続いた。

 

「そうね。えっと、従兄だっけ?」

「はい」

 

 大日向は嬉しいそうに頷いた。

 今から行くのは大日向の従兄が経営しているお気に入りの喫茶店らしい。俺にもお気に入りの《パイナップルサンド》という喫茶店があるが、残念な事に移転してしまった。しかしこれは好機だ。もし大日向のお気に入りの喫茶店が高校生一人で入れるような店だったら、俺もそこに通うことになるかもしれない。

 鏑矢中から近い事もあり、俺の家からもそう遠くはない。

 

 辿り着いたのはパイナップルサンドに似たささやかな喫茶店で、木組みの壁に俺達の全体像が映る大きなガラスが貼られており、中がよく見える。

 ガラス越しに大日向がカウンターに立つ二十代前後半辺りの男に手を振った。

 俺達も一礼をし、大日向に連れられ店内に入った。

 

 中に入ると喫茶店特有のコーヒーの香りが漂い、思わず大きく息を吸う。

 

 カウンター席が丁度六つ空いており、俺達は席に着く。

 

 左から順番に、俺、ハル、大日向、里志、伊原の順番だ。

 

「いらっしゃい。友子ちゃんの先輩って聞いてるよ。いつも友子ちゃんがお世話になってるね」

「いえ、私達も大日向さんにはいつもお世話になっていますから」

 

 大日向の従兄は爽やかに笑い、俺達は注文にかかった。

 俺達は全員スコーンとコーヒーを注文し、

 俺、ハル、大日向がマスカルポーネクリーム付き。

 伊原、里志が生クリーム付きを注文した。

 

 大日向の従兄の手つきはどこかで修行をしたのか、余裕があるように見えた。テキパキと作業をこなし危なげはなさそうだ。

 大日向が口を開く。

 

「一人で大変じゃない?」

「うーん、まぁ今日みたいな日はそこまで大変じゃないけど、団体のお客さんとかが来たら大変だよ。友子ちゃんがバイトしてくれれば嬉しいんだけどね」

「バイトかー、でも知ってるでしょ?私の家バイト禁止なんだよねー」

「ローンが大変なんだよ。分かってあげないと」

「無駄に高い車買うから、こっちまで迷惑だよ。なのに自分で買うのも許してくれないしぃ」

 

 ひとしきりに大日向は愚痴ってから、ここに居るのは従兄だけではなく学校の先輩も居ることを思い出したのか『えへへ』と照れくさそうに笑った。

 

「そういえば、本棚がいいわよね。百均で揃えた感じがしないって言うかさ」

 

 伊原が言うので、俺達は本棚の方へ視線をずらした。背の低い本棚はカラーボックスのような無粋のものではなく、表紙をこちらに向けて並べるタイプのものだった。確かにデザインは凝っているが、収容能力は低そうだ。

 

「あ、《深層》があるな。」

 

 ハルが週刊誌を指さした。《深層》、どこにでも売っているごく普通の週刊誌で、ヌードやスキャンダルで受けを狙ったりしない中途半端な雑誌というイメージが強い。

 

「オーヒナ、悪いけど《深層》取ってくんない?」

「あ、はい」

 

 一番本棚に近かった大日向は本棚から《深層》を引き抜こうとするが、ラックはぎゅうぎゅう詰めで大日向は片手を添えて引き抜いた。

 ハルが《深層》を受け取り、適当にパラパラ開くと……

 

「《水筒社事件》か。里志、これってどんな事件だったっけか?」

「なによ南雲。あんたそういうのに興味あるの?」

「んにゃ、ちょっと『気になります(裏声)』になっただけ」

「似てない。」

「俺はモノマネ芸人じゃないからな。んで、里志、どんな事件だっけ?」

 

 俺はハルの《深層》を開いているページを覗き込んだ。そこにはこう書いてあったのだ。『大物総会屋 小遣い稼ぎが運の尽き』、記事をこのまま読んでいいのだが、コーヒーを出して貰うまでの場繋ぎで里志が説明してくれた。

 

「いいよ。僕もこの事件には少しだけ興味があるからね。んん、この街に《水筒社》っていう会社があるんだけど、そこが新入社員を募集したんだ。応募した何人かに採用通知があって、研修もしたとか。それで四月に来てくださいって言われたんだ。ところがいざ四月になってその新入社員達が会社に行くと、『誰?』って話になったって言うんだよね。誰もその人達を採用なんてしてなかったんだ。一種の詐欺さ」

 

 俺が口を開く。

 

「それはあれか?制服代や資料請求とかで金を払わされてってことか?」

「当たり。っていうか、それしかないよね」

 

 伊原が俺とハルに呆れた顔を向ける。

 

「ニュースにもなってるわよ。あんたらちゃんと社会に目を向けてる?」

 

 事件を一つ知らなかっただけでそこまで言われる必要は無い。ただそれに口を出すと横から寸鉄を刺されそうなので何も言わない。

 ハルが続けた。

 

「でも記事を見る限り犯人は捕まったんだろ?」

「そうだね。割とあっさり」

 

 その話が終わるとハルは深層を大日向に返し、運ばれてきたコーヒーを口に含んだ。俺達は日本語は堪能な方ではないようで、『おいしいですね』という一言が精一杯だった。

 

 

 しばらくして千反田も喫茶店に訪れ、俺がお手洗いから帰ると既に席に着いていた。

 

「千反田、来てたのか」

「折木さん。こんにちは」

「ちーちゃん今日はなんだったの?」

「親戚の喜寿だったんです。親戚と言ってもよく分からないほど遠い人です。とにかくお祝いだけでもと思い直ぐに失礼しようと思ったのですが……、摩耶花さんに電話をしようとしたらその電話がいきなり鳴りだしたんです。周りに家の人がいなかったのでとにかく受話器を取ったんですが、大変でした。かなりのお婆さんだったようで、訛りは強いし声も小さくて名前を聞き出すだけで精一杯でした。それがなければもっと早くこられたんですよ?」

 

 そうしている内に、店主である大日向の従兄が千反田に話しかけた。

 

「そちらさんもコーヒーでいいかな?良かったらスコーンも焼きますよ?」

「実はカフェインがダメなんです。すみません。ですが、とても素敵なお店ですね」

「そうだったんですか。ふむ……もしかしたらあなたのようにカフェインが苦手な方用のカフェインレスのメニューがあってもいいかもしれない。……でしたらすみません、お水だけでも」

「ありがとうございます」

 

 というわけで千反田は店主から水を貰い、その水を口にした途端、ハッと顔を上げた。

 

「ただの水道水じゃありませんね」

 

 もう一口。

 

「井戸水、それもこの辺りのものではありません。もう少し上流に遡って、山際の湧き水を汲んできた中硬水。どうでしょう?」

 

 店主は一度驚き、フッと笑って頷いた。

 

「あなたのような方にコーヒーを試してもらえないのは残念です。」

 

 水は俺も出して貰っている。俺は改めてコップに口をつけた。

 

「なるほどまろやか」

「あ、そちらは水道水にレモンを加えたものです」

 

 さいですか。

 

「ぶふぉぉ!!」

 

 隣で俺の失態に吹き出したハルのスネを、俺はテーブルの下で思いっきり蹴っ飛ばした。

 

「いたい!」

 

 

 

 

 

 

「じゃあそろそろ」

 

 数十分間の談話が終わり、俺がその一言を発すると、大日向が敏感に反応した。

 

「あの!千反田先輩!」

「どうしたんですか、大日向さん」

「千反田先輩って顔が広いんですよね?」

「顔……」

 

 千反田が驚いた表情で自分の顔をペタペタ触る。

 

「そういう意味じゃないと思うぞ……」

 

 ハルが飽きれたように言った。

 

「い、いえ!分かってますよ!少しびっくりしただけです。ええと、まぁ家の用事で様々な人に会うことは多いですね。」

「じゃあ、一年A組の《阿川佐知(あがわさち)》った知ってますか?」

「ええ、阿川さんがどうかしましたか?」

「え……」

 

 そう力ない声が聞こえてきた。俺とハルは大日向の後ろにいて、大日向の表情は見えない。

 

「いえ、知ってるならいいんです」

 

 一方千反田はあからさまに不思議そうな顔をしている。ただ何か様子がおかしいと思ったのか、『阿川さんがどうかしたんですか?気になります』とは言わなかった。

 

 忘れ物がないかカウンターを見ていると、ポツポツと店の窓に雨粒が当たっていた。雨が降ってきたのだ。

 

「うわぁ!降ってきたのかぁ、傘持ってきてないよ」

 

 里志が言うと、伊原が反応した。

 

「私は持ってきてるけど」

「……うん」

「何よその反応!!」

 

 俺はコントをしている二人を横目に、《深層》が入っていた本棚から夕刊をひょいとつまみ上げる。ふぅむ。夕方から雨だったか。

 

 俺達古典部は、近くのコンビニまで走った。

 

 

 

 




《ふたりの距離の概算》編完結まで、あと三話。


次回《大日向と千反田》








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第六話 宙ぶらりんは疲れます

 お久しぶりです!約3年ぶりの本編更新です。
 待っていて下さった読者様に感謝申し上げます。

 氷菓〜無色の探偵〜 連載再開です!!!


 現在:11.5km地点 残り:8.5km

 

 

 

 side 奉太郎

 

 

 神山高校マラソン大会、《星ヶ谷杯》も後半戦に突入した。

 

 やはり、大日向の親戚の喫茶店に招待されたあの日、おかしな点はいくつかあった。

 一つは店の中にいる間、もう一つは店を出る時。あれは偶然ではない。誰かが意図的にそうして出来上がった状況だった。言うなれば、ハルが桜の家に迷わず辿り着けたのが、一度コイツが桜の家に行ったことがあったのと同じように。状況は既に出来上がっているのだ。

 しかし、これだけでは判断は難しい。論理的な推理をする為には、情報が足りないのだ。

 

 横を見ると、俺以上に息を切らしているハルがいた。当たり前だ。俺はA組で、C組の伊原に追いつく為にはペースを落とすだけでいい。しかしハルはE組だ。俺と同じように伊原に追いつく為には、先に出発したD組の殆どの連中を追い越さなくてはならない。口では強がっているが、俺と合流する以前、既に10km近くをハイペースで走っている。俺にも通ずる所があるが、体育会系ではないハルには体力的にかなり厳しいものになっているはずだ。

 

 後の目標は千反田と合流し、昨日の話を聞く必要がある。

 千反田はH組で、やはりローペースで走っていればやがて千反田から俺達に近づいてくれるだろう。しかしただ千反田と合流するだけではダメだ。それまでに推論を固め、千反田にそれを披露し話を聞き、その更に後ろからやってくるであろう大日向とも話を付けなくてはならない。

 息切れを起こし、酸欠状態になりつつあるハルでは思考力が鈍る。やはりどこか休める場所を探さなくてはならない。

 

 下り坂がようやく終わり、陣出。

 辺りには田園が広がっており、そろそろ千反田邸が見えてくるだろう。辺りには大きな建物がない為か、吹ける風が涼しく心地よい。しかしこれは汗を冷やし、それと同時に身体を冷やしかねない。

 こういった広い田園を見ていると、昔姉貴と一緒に隣町の公民館が取り壊される作業を見に行った事を思い出す。初めはダイナマイトで壊すものかと思っていたが、行ってみれば巨大な重機で取り壊されていた。しかし、それを見た俺は幻滅しなかった思う。大きな建物が勢いよく壊されてる様は、幼少期ながらかなりの満足感を得られた。

 全く、折木奉太郎にもそのような時期があったと思うと、可愛らしいものだ。もしあの日に戻れるなら、ダイナマイトで公民館を壊すと思っていた俺の肩に笑顔で手を置き、『そんなはずはいだろう』と諭しているに違いない。

 

「はぁ……はぁ……」

 

 気付くとハルの息切れが酷くなっていた。俺は言う。

 

「ハル、無茶しすぎだ。一度止まろう」

「え……、悪いな……」

 

 そう言って俺とハルは足を止めた。ハルは一気に気が抜けたのか、倒れ込みはしなかったが両膝に手を置き、激しく息を漏らす。

 

「俺も思い出した。大日向の親戚の喫茶店に行った日。あそこでも大日向は深く関わっていた。そして、おかしな点がいくつかあった」

「ああ……色んな出来事を思い出せば思い出すほど、なにかがおかしい。オーヒナと千反田、あの二人の間に何があった」

「どうだろうな。だが、思い出すのには、もうあまり時間がかからない気がする。どこかで、情報を共有し、話をまとめたいが……」

 

 辺りを見渡すと、バス停があった。

 トタン製で出来たバス停で、ちゃんと中に入れるような休憩スペースもある。俺とハルはそこに足を踏み入れ、プラスチック製のベンチに腰をかけた。ここなら、通り過ぎていく神高の生徒を眺めるのにちょうどいい。他の生徒に休んでいるのが見つかるのも面倒なので、俺達は影になるような所にいる。

 ハルもようやく落ち着いたようで、声を漏らした。

 

「ふぅー!やべー!気付いてたか奉太郎、俺めちゃくちゃキツかったぜ」

「気づいてたのに決まってるだろ」

「なんだよ、つまんなやつだな」

「あんだけ息を切らしておいて、よく気づかれないと思ったな。そのお前にむしろ尊敬するぞ」

 

 かと言う俺も、少しだけ右足首を痛めていた。田園風景が広がるこの地域にたどり着くまでの下り坂で、身を任せすぎてしまったようだ。

 俺は自分の足首に手を回し、触ってみる。押してもさほど痛みは変わらないし、しこりも出来ていない。大事な状態では無かったようで、少しだけ安堵を覚えた。これからの展開で走れなくなるのはかなりマズイ。

 

 昨日の放課後。大日向が入部を取り消し、千反田の事を菩薩と称した時間、俺とハルは読書に勤しんでいた。

 大日向が部室にやってきて、更に部室から去る数十分の間にあった出来事は、大日向が入部取り消しをした理由の中で最も重要な場面だと、伊原や里志の話を聞き、そしてハルと思い出を振り返り再確認した。

 この事件を推理する為には、昨日の放課後の数十分を見逃す訳にはいかない。「本を読んでいたから聞いてませんでした」は通用しないのだ。しかしこれは好都合だ。考えれば考えるほど、あまり関係ないだろうと聴き逃していた会話の記憶が蘇ってくる。

 

 隣を見ると、息の調子を取り戻したハルが顎に手を置いていた。

 これは奴の考えている証拠だ。本意なのか不本意なのか、俺とハルの脳内構造は似ている部分が多い。きっと同じ事を考えているに違いない。

 

 もう一度考えてみよう。昨日の放課後の出来事を。記憶は定かではないが、俺とハルが共に考えれば、何かを思い出せるような気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 過去1日前 《星ヶ谷杯》前日

 

 

 

 

 神高は落ち着きを取り戻した。

 新歓期間が終わり、それぞれの部活に一年生が馴染みつつあるこの頃、俺が訪れた特別棟はいつもの雰囲気に戻っていた。と言っても、いつもの雰囲気というのが騒がしく、賑やかなのは間違いない。しかし、やはりどこか緊張感のようなものがなくなっている気がした。

 野球部の金属製バットが球を撃ち、清涼感溢れる音が響く。ブラスバンドやアカペラの美しい音色、特別棟に位置する文化部達の甲高い笑い声や、それぞれの部活の専門用語が飛び交う。

 そんな放課後の音色に耳を貸していると

 

「奉太郎」

 

 呼ばれたので振り返る。ハルが普通棟の渡り廊下から特別棟に移って来ているのが見えた。俺は軽く手を上げた。

 

「お前も部室に行くのか?」

「あぁ、この前千反田から面白い本を借りてさ、授業中読んでたら面白くって、部室で読み切っちゃおうかなと」

「千反田から借りた本を授業中に読むとは、罰当たりなやつだ。本人が聞いたら顔を赤くして怒るぞ」

「そ、そこは黙っててくれよ!いいからいくぞ!!」

 

 ハルに急かされるままに、俺達は特別棟の階段をのぼり、古典部の部室である地学講義室近くにたどり着いた。すると

 

「うお!」

 

 ハルが大きく声を上げた。かく言う俺も、ハルが見ている方向を確認し、ギョッとした。

 

 地学講義室隣の空教室の開かれたドアの上部に、人がぶら下がっていたのだ。

 教室には、なんの為かは分からないが長方形の窓がつけられている。その窓と教室のドアが開かれ、窓とドアを仕切る場所にいたのは、俺たちの知っている顔だった。

 最初に声を上げたのはハルだった。

 

「なにしてんだよオーヒナ!」

「あっ、ハル先輩、折木先輩。ちゃっすです」

 

 大日向はぶら下がったまま答えた。俺は苦い顔をし、大日向に問う。

 

「そんなとこにぶら下がって、何をしている。身長を伸ばそうとしているのか?」

「いやいや身長は伸びないでしょ。でも宙ぶらりんなので、腕なら伸びるかもしれないですね」

「じゃあ、腕を伸ばそうとしてたのか?」

「まぁ、そんなとこですね」

「部室には入らないのか?まさか、鍵が空いてなかったか?」

 

 今思い出してみれば、ハルがそう聞いたときに、大日向は明らかに苦い顔をしていた。

 しかし部室の方に視線をやると、部室のドアは開かれていた。鍵が空いてなかった訳では無いのだ。

 

「なんだ、誰かいるじゃねぇか」

 

 ハルが言うと、大日向は答えた。

 

「部長がいますよ」

「部長……?あぁ、千反田か」

 

 千反田が古典部の部長というのは周知の事実ではあるが、部長と言われて中々名前が出てこなかったのは共感する。確かに千反田は部長と呼ばれる柄ではないし、部長と呼ばれるような仕事をこなしている訳では無いのだ。

 大日向はぶら下がったまま言った。

 

「福部先輩は今日は来ないらしいです」

「知っている。総務委員の副委員長になったんだから、大方明日のマラソン大会の最終会議でもあるんだろう」

「忙しいヤツだな。まぁ、そういうのが好きな奴ではあるんだろうが」

「そうですね。特に最近土日は……あっ」

 

 大日向はそこで、まるで誰かの逆鱗に触れたかの様な表情を浮かべた。しかし俺達に向き直り、それを続ける。

 

「ハル先輩と折木先輩は知ってますよね?福部先輩と仲良しですから」

 

 大日向が言わんとする事を、俺とハルは知っていた。

 

 里志と伊原の話だろう。

 最近ようやく決着が着いたらしい。それから里志は総務委員の業務がない土日まで忙しくなってしまったようだ。

 

「俺達が知ってるのは分かるが、なんでお前が知ってるんだ?オーヒナ」

「福部由奈ちゃんです。知ってますよね?福部先輩の妹さんで、同じクラスなんです」

「そうなのか!?里志に妹がいるのは知ってたけど、神高にいるなんて聞いてないぜ!?」

 

 ハルが『お前知ってた!?』という顔で見てくるので、俺は黙って頷いた。だったら早く言えよと、肩を組まれるが、俺はそれをあしらった。

 

「変な奴だろう?里志同様に」

「福部先輩ほどじゃないですけど」

「仲がいいのか?」

「まぁ、お弁当を一緒に食べるくらいです」

 

 それは充分仲がいいだろう。それとも、女子の間では弁当を一緒に食べる位では友達にはなれないのか?昔姉貴から聞いたことはあるが、怖い世界だな。

 

「でも、福部先輩と伊原先輩が付き合い始めてから、三日間は『ごめんなさい』しか言えない生き物になってたって、由奈ちゃんは言ってました。何があったんですか?」

 

 なんだ、里志の所業が妹に伝わり、それが後輩にも伝わるとは哀れな話だ。しかし話の中身までは伝わってないようで、それを詳しく話す訳にもいかない。何か解決策がないかと模索していると、隣のハルがヘラヘラしながら答えた。

 

「ま、待たせるほど偉くもないのに、待たせなくてもいい返事を待たせたからだろうな」

 

 ハルにしては遠回しな言い方で、恐らく大日向にも深い意味は伝わってないだろう。しかし大日向はまるで納得したかのように『へぇ』と頷いた。

 

「いいな、その言い回し。仲良しっぽくて好きですよ」

 

 今の言い回しが仲良しっぽいのか?よく分からない事を言った大日向を眺めていると、ぶら下がっていた大日向は、『よっ』といいながらその場に降りた。そしてほのかに笑い、言ったのだ。

 

「宙ぶらりんは疲れます」

「自分からやってたんだろ?」

「へえ、まあ、そうなんですけど」

「それとも誰かにぶら下げられてたのか?」

「まあ、そんな気もします」

「よく分からないやつだな」

「そうですね。私、よく分からないやつなんです」

 

 俺が大日向のことを今「よく分からないやつ」と表現したのは、冗談のつもりだった。しかし自分のことを自虐するようにそう反復する大日向の顔は、どこか寂しそうだった。

 そして、何か意を決したような顔を浮かべる。その顔は決して、高校生活に夢と希望を抱いた高校一年生の顔ではなかった。今までの思い出を振り返り、そして少しだけナイーブになってしまう、卒業前の中学生のような顔だった。大人っぽいと表現した方が正しいのかもしれない。

 ハルも大日向の様子がおかしいと感じたのか、首をかしげていた。すると大日向はより一層強く笑みを浮かべ、言ったのだ。

 

「それじゃあ入りますか!部室!」

 

 もしかしたらこの時の大日向の笑顔は、既に嘘にまみれていたのかもしれない。




次回《数十分の真実》


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第七話 信じる理由

最新話、更新です!

あと少しだけ評価をいただければ、評価バーが赤色になれそうです……!
みなさん、応援よろしくお願いします!


 side晴

 

 

 

「それじゃあ入りますか!部室!」

 

 オーヒナはそう言って踵を返し、地学講義室の中に入っていった。既に中には分厚い英和辞典とノートを開く千反田の姿が見える。優等生は予習も復習も欠かさないのだ。そして俺達三人を見ると、千反田はニコリと笑い、言ったのだ。

 

「折木さん、南雲さん、こんにちは。大日向さんも、三日ぶりですか?」

「こんにちは千反田先輩。そうでしたっけ?あんまり、覚えてないです」

「三人で何を話してたんですか?」

 

 千反田は耳がいいのだ。何を話していたかは分からなくても、部室の外に三人で固まって談笑していたのなら、話し声くらいは聞こえるに違いない。すると奉太郎が代表するように答えた。

 

「里志は忙しいなって話だ」

「そうですね、明日は星ヶ谷杯ですから」

 

 そんなたわいもない話をすると、俺達の横にいたオーヒナがゆっくりと千反田に近づいた。

 

「あの、千反田先輩。隣に座ってもいいですか?」

 

 千反田は一度キョトンとした顔をしたが、笑顔で返した。

 

「ええ、大丈夫ですよ!」

 

 オーヒナが千反田の横に座ると同時に、俺と奉太郎も動き出し、千反田とオーヒナと向き合う形で座った。俺はリュックサックから取り出した小説を開き、物語に浸る。それは奉太郎も同様で、肩掛けのカバンから小説を取り出すと、それを開いた。

 

 あぁ、思い出してきた。俺と奉太郎は、本を読んでただけじゃない。

 

 本を読み始めていくらか時間がたった頃、少しだけ雨が降り始めた。

 

 小雨だったが、小説を読む集中力が切れてきていたので、窓に当たると雨音にすぐに気付いた。

 

「やべぇ……降ってきたな……。奉太郎、お前傘もってきた?」

「あいにく、俺も持ち合わせてない。だが、すぐ止みそうじゃないか?」

「どうだろう?」

 

 俺が立ち上がり地学講義室の窓に歩いていくと、着いてくるように奉太郎も席から立ち上がった。オーヒナと千反田は未だに何かを話しており、俺達が立ち上がったのに気付いていない様子だった。

 俺は地学講義室の窓を開け、雨の様子を確かめる。やはり、はるか先には雨雲はなく、小さな雨雲が移動している一時的な雨だということが分かった。

 

「はい」

 

 突然、後ろから千反田の声が聞こえきた。オーヒナと談笑している割には、大きな声でハッキリと。俺と奉太郎は窓の外から千反田へ視線を変える。

 窓から千反田の方を向くと、丁度彼女の背中が見えた。長くて綺麗な黒髪がセーラー服の背中の大半を隠している。

 最初はオーヒナに対して『はい』と答えたのかと思ったが、おかしい。オーヒナの姿が無いのだ。俺は不審に思い、千反田に声をかける。

 

「どうした?」

 

 返事はない。もしかしたら聞こえていないのかもしれない。俺はもう一度、さっきよりも大きな声で言った。

 

「どーした!千反田?」

 

 すると千反田の肩がビクッと揺れ、恐る恐るこっちを振り向く。すると、右手の人差し指で自分の口元に手を置いた。この仕草の意味は分かる。『静かにしろ』だ。とりあえず手を挙げ、『悪い』という仕草を取ると、千反田はニコリと笑った。

 俺もこの時には千反田の『はい』という言葉に興味をなくし、もう一度地学講義室の窓の外を見た。奉太郎も小説に飽きたのか、小雨の中部活動に励む運動部を窓から眺め始めた。

 それから数十分ほど経っただろうか。小雨が止み、俺は声を出した。

 

「ようやく止んだなぁ。傘を持ってきてなかったから危なかった」

「このまま大雨になって明日まで降ってくれれば、マラソン大会も中止になったかもしれんのに」

 

 奉太郎がおもむろに残念そうな顔をする。

 

「結局延期になるだけだろ?」

「そうかもしれんが、心構えが変わってくる」

「それはモットーに反してるぞ、やるべき事は手短に、だろ?」

「都合のいい時だけそれを出すな」

「まぁ嫌な気持ちも分かるぜ。教室で天津とかはめちゃくちゃ意気込んでたけど、桜なんか明日が嫌すぎて干からびそうになってた」

「干からびていたなら今の雨で元に戻っただろうな」

「はっ、違いない」

 

 そんな会話をしていると、オーヒナが地学講義室に戻ってきた。俺達は視線を一瞬オーヒナに向けたが、再び窓の外に意識を戻した。

 そして、その数十秒後だ。伊原が地学講義室に入ってきたのだ。

 

 入ってきた伊原は、どこか不安気な顔をしていた。そして、俺達に向けて、言ったのだ。

 

「さっきそこでひなちゃんとすれ違ったんだけど、入部しないって。なにかあったの?なんか、泣いてた気がするんだけど……」

 

 千反田の顔は、どこか青ざめていた気がする。

 

 

 

 

 

 現在14.5km地点 残り5.5km

 

 

 

 バス停に腰を下ろしていた俺と奉太郎は、そっと目を合わせる。

 ハイペースで走った分の体力は回復してきており、今では息切れもしていない。

 

 俺は言った。

 

「今までの全ての思い出を振り返る限り、オーヒナは仮入部を開始してからの約一ヶ月半、少しずつ千反田への鬱憤が溜まっていた。そして昨日、オーヒナが部室を出てから千反田の顔はどこか青ざめていた。しかし、千反田が『はい』と謎の言葉を発している時らそんな様子はなかった。つまり、千反田が謎の声を発してからオーヒナが部室を出る数十分の間に、オーヒナの千反田への鬱憤が爆発したんだと俺は思う」

 

 奉太郎は一度考える仕草を取り、言った。

 

「いや、そうとも限らない。こういう考えも出来る。大日向は元々、千反田への鬱憤なんて溜まってなかった。つまり昨日の数十分の間に千反田への怒りを覚え、爆発させた。……という考えも出来るが、その可能性は低いだろうな。大日向の今までの行動を見ている限り、そうそうに感情を爆発させるような奴でもないし、千反田が菩薩のようだなんて遠回しな表現は使わないだろう。大日向は十中八九、千反田に対して不満を覚えていた」

「あぁ……っ!!奉太郎!!」

 

 バス停から走っている生徒を眺めていた俺は、奉太郎の肩を叩き、指をさした。

 その方向にはH組の生徒たちに紛れ、いつもは流している長い髪をポニーテールに縛った女子生徒を見た。白い体操着に槐色の短パン、奉太郎は頷く。

 

「千反田だ。行くぞ」

 

 俺と奉太郎はバス停から出ると、自然な流れでH組の連中に合流する。休んでいた分ペースを上げ、千反田との距離を縮めて行く。

 すると何かを感じ取ったのか、大きなポニーテールを揺らした少女は振り返り、俺と奉太郎を視線に捉えた。元々大きかった瞳をより一層の大きく見開き、驚いた様子を見せる千反田だったが、再び視線を前に向け足を進めた。優等生である千反田は学校行事に手を抜く事はしない。振り返って走っていれば足をくじく可能性もあるし、ペースも落ちる。前を向いて走るのが最も適切な解と言えよう。

 しかし千反田は俺達を振り切ろうとはしなかった。それはまるで、『用があるならあなた達から話しかけてください』と言っているようにも見えた。俺と奉太郎は互いの視線を確認し、ペースをあげる。そして、千反田を挟むように並走した。

 

「よう、千反田。残りの四分の一、調子はどうだ?」

「こんにちは南雲さん、折木さん。これでも体力には自信があるんです。色んな所に自転車で赴いてますから。それで、一体なんの用で?あなた達はもっと先にいると思ってました」

 

 このお嬢様は口だけではないようで、息切れの一つ起こしてない。先程の伊原とは違い脇にしっかりと腕を固定し、そのペースを落とすことは無い。

 奉太郎が言った。

 

「昨日、大日向が入部を取り消したな?その理由をハルと考えてみた。少しだけでいい、話を聞かせてくれないか?」

「お気持ちはありがたいです。でも、結構です。これは私と大日向さんの問題なんです。お二人が抱え込む必要はありません」

「別に抱え込んじゃいないさ。ただ、このまま大日向に辞められても居心地が悪い」

「それも私のせいです。すみません」

「違う、お前は何か勘違いをしてる。いいか?」

 

 俺は一度唾を飲むこみ、千反田が把握できるよう、大きな声で言った。

 

「いいか、千反田!()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 一定のペースを保っていた千反田の息が、激しく乱れた。

 

 

 

 

 

 

「ぶはぁ!!生き返る!!」

 

 広大な田園を抜けた先、コースは森の中に続いていた。

 生き雛まつりの時の事件の舞台の一つである水梨神社の近くには水が湧いており、俺達三人はコースを外れそこにいる。どうやら千反田はこの場所を知っているようで、斜めに切られた竹から流れ出る水を飲むように言ってくれた。

 俺と奉太郎はまるで砂漠でオアシスを見つけたかのようにその水に近寄り、両手で作った皿に水を受け止め顔を洗った。

 冷たい水は火照った身体を冷やしてくれる。

 

「一度も止まるつもりはなかったんです」

 

 俺と奉太郎が湧き水を巡り争っている後ろで、千反田がそっと呟いた。奉太郎は振り返り、言った。

 

「悪いな」

「見ていたんですね。私が大日向さんの携帯を開いたところを」

「見ちゃいないさ。俺も、ハルもな」

「ではなぜ?」

 

 湧き水でもう一度顔を洗った俺は、同様に千反田に向き合い言った。

 

「俺達はお前の背中しか見てない。それと、『はい』という返事をしたことしか知らないな」

「私、そんな事言いましたか?」

「まぁ、無意識だろうな」

 

 千反田は俺と奉太郎が窓の外を見ている時、確かに『はい』と答えた。最初はオーヒナの質問に返答したものなのかと思い振り向いたが、あの時部室にオーヒナはいなかった。俺は不審に思い千反田に『どうした?』と返事をしたが、初めは返答がなく、二度目に大きな声で聞くと、口元に手を置き『静かにしろ』という仕草を取られてしまった。

 『はい』という返事、そして言葉を発さずに『静かにしろ』という仕草。

 

「考えられる状況は一つしかない。千反田、お前は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。電話に出ていたとなれば、他の音は雑音だ。だから口元に手を置き、『静かにしろ』という仕草を取った」

 

 奉太郎が続ける。

 

「だがおかしな点がある。それは、何故千反田だけか大日向の携帯に電話が来ている事に気づいたかだ。確かにお前は耳がいいが、俺とハルだって集中して窓の外を眺めてたわけじゃない。ましてや同じ狭い部室内にいるのに、携帯が鳴ったことに気づかないはずがない。では、なぜお前だけ気づいた?それは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 千反田は「ハッ」と気付いた顔をした後に、目を伏せながら言った。

 

「ええ……あなた方が部室の窓の外を眺めている時、私と大日向さんは話していました。その途中で大日向さんが一度お手洗いに出たんです。彼女は携帯電話を()()()()()使()()()()()()()()()()()()()()()()()。そして、大日向さんが戻ってくる前に、携帯電話のバイブレーションが鳴ったんです」

 

 そう、分厚い英和辞典の上に携帯電話が置いてあるとしたら、バイブレーションの振動は緩和されてしまう。だから携帯電話の目の前にいる千反田だけが、その呼び鈴に気付いたんだ。

 千反田は続けた。

 

「私は……私は、戸惑ってしまいました。今思えば、無視しても良かったのかもしれません。ですが、その電話が大日向さんにとって大事で、急用のものだったと考えてしまい、大日向さんが今は不在という主旨だけ伝えようと思ったんです」

「それで、電話はなんて?」

 

 俺が聞く。

 

「分かりません。前に摩耶花さんに携帯電話を触らせてもらった事があるので、出方は分かっていました。人の携帯に耳を付けるのは良くないと思い、電話のマークを押した後、両手のひらの上に携帯を置いたんです。ですが、向こうからの返事はありませんでした。もしかしたら、押すボタンを間違えてしまったのかも知れません。そんな事を考えていると、大日向さんがお手洗いから戻ってきました……それで……」

「それで?」

「それで、私が携帯を持っているのを見ると、それを取り上げたんです。凄く、冷たい目でした。あんな顔をされるなんて思ってもみなかったんです。大日向さんはその後『さよなら』とだけ告げ、部室を去っていきました。そこでようやく、自分が失敗したと気付いたんです」

「たかが携帯電話だろ」

 

 奉太郎がそう言った。千反田はありがたそうにニコリと笑った後に、強ばった表情に戻る。

 

「私や折木さんにとっては、そうかもしれませんね。ですが南雲さん。もし私や折木さんが、勝手にあなたの携帯を覗いていたとしたらどう思いますか?」

「覗かれて困るもんじゃない」

「……優しいですね。でも、大日向さんにとっては、そういう問題でもないんだと思います。誰にでも大事にしているものは……秘密にしたいものはあります。それを私は、大日向さんの了承を得ずに覗いたんです」

 

 別に千反田を慰めるために、困るもんじゃないと言った訳では無い。

 奉太郎が口を開く。

 

「それで、どうするつもりだった?」

「謝りに行く予定でした。このマラソン大会が終わり次第、すぐにでも」

 

 千反田ならそうするだろうな。もし携帯を勝手に覗かれてオーヒナが腹を立てたなら、時間を開けずに誠心誠意謝れば、その思いは伝わるのかもしれない。だが、昨日千反田とオーヒナの間に起きた出来事は、決して携帯を覗かれたから起きた訳では無いのだ。それはきっと、千反田も気付いているに違いない。

 

「無駄だろう」

「ええ、そうでしょうね。お二人は、私が勝手に携帯を覗いたから大日向さんが怒っている訳では無いと言いました。……気になります、とは言えません。ですが……」

 

 千反田は一度言葉を詰まらせた。そして息を飲み込み、言った。

 

「大日向さんにとって、私は《良い先輩》でありたかった……。こんなになるつもりは無かった。情けないです。大日向さんを怒らせた張本人が、その理由も分からないなんて……!知らない内に、大切な後輩を傷つけていたなんて……!!」

 

 千反田は珍しく、拳を強く握っていた。千反田は良い奴だ。例えば昨日、千反田ではなく俺や奉太郎がオーヒナと激突していたのなら、きっと千反田は間を取り持つ事に全力を尽くしてくれるだろう。

 喧嘩は良くないから、別れは寂しいから、千反田が間を取り持つ理由は、そんなものに違いない。目の前の女は、他人の事を自分の事のように考えることが出来る。

 だからそんな人間が、自分の情けなさを痛感し、何も出来ない事を悟ったのなら、その悔しさはとてつもないものになるだろう。だが……

 

「誰にだってすれ違いはある」

 

 俺がそう言うと、奉太郎も続けた。

 

「千反田、お前は俺達に、「自分を信じてくれ」とは言えないだろう。自分が大日向を苦しめていたつもりは無かったと。表ではニコニコしながら、裏では大日向を陵辱していたという事実はそこには無かったとな」

「こんな事が起きてから、信じてくれとは言えません……」

「今更だな」

「ええ、今更です」

 

 そうだ。今更だ。事が起きた後に、「そんなつもりは無かった」と言われても、普通の人間ならその言葉の虚偽を疑うだろう。だが……

 

 俺が息を飲み、言葉を発そうとすると、それより早く奉太郎が言ったのだ。

 

「だが、俺とハルはお前を信じるとしよう。お前はそんなやつじゃない」

「折木さん……」

「俺達は、お前の叔父の話を聞いた。試写会に行った。夏祭りに行き、温泉旅館に行った。問題だらけの文化祭や、クリスマスパーティーに参加した。お前の晴れ姿を見る為に、生き雛まつりに行った」

 

 俺は、熱弁する奉太郎を無言で眺めてた。静寂と木々に包まれる水梨神社に、奉太郎の声だけが響き渡る。

 千反田の瞳も、徐々に大きく見開いていく。

 

「だから信じようと思った。俺達は、お前と一年間を共に過したからだ。自分でもおかしな理由だと思う。そんなのは、全くもって論理的な思考じゃないからな。だがな千反田、今罪悪感を覚えているなら、これだけは知っておけ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 そう言い切ると、奉太郎は照れくさそうに視線を逸らした。

 千反田は驚きながらも、いつも通り、ニコリと笑っていた。

 

 その笑顔には、今までのような強ばりはなかったが、口元は少しだけ震えていた。

 

 千反田の目は虹色の膜を作り出し、泣き出してしまいそうだった。




ふたりの距離の概算編

完結まで

あと二話


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第八話 友達

最新話、更新です

皆さんのお陰で《氷菓 〜無色の探偵〜》がサイト内最高評価に達することが出来ました。
更新再開をしてからこんなに早く日間ランキングに入れたのも、みなさんの応援が糧となったのだと思っています。これからもこの作品をよろしくお願いします!



 過去一日前 《星ヶ谷杯》前日

 

 

 

 side千反田

 

 

 いつも通りの日常でした。

 大日向さんが私に対して少し距離を取っているのは、何となく感じていました。だからこの日、南雲さんや折木さんと一緒に部室に来た大日向さんが、私の隣に座ってくれたのは嬉しかったんです。

 最初はたわいもない話から始まりました。桜さんの弟さんが大日向さんと同じクラスで、その子の姉が私達と知り合いで驚いたこと。自分が折木さんと同じ鏑矢中で、何度か姿を見たことがあったと言うこと。南雲さんが関西弁の女の子と言い争いをしていたこと(これは恐らく天津さんの事でしょう)

 

 今思えば、これは本題に入る前の準備運動のようなものだったのかもしれません。

 大日向さんは一度身体を伸ばして、言いました。

 

「今日伊原先輩は来ないですね」

「そうですね。きっと漫研の方に行ってるのかもしれません。……あぁ、辞めたんでした」

「伊原先輩って漫研だったんですか?」

「ええ、とっても絵がお上手なんですよ!去年の氷菓の表紙を描いたのも摩耶花さんなんです」

「へぇ、そんなに絵が上手いのに、どうして漫研を辞めちゃったんですか?」

 

 私は迷いました。摩耶花さんが漫研であまり良くない待遇を受けていた事を、後輩である大日向さんに話していいのか。なので、私はペンを置き大日向さんに向き合うように座り直ります。

 

「そうですね。確かに摩耶花さんは絵がお上手で、漫画が大好きです。ですが、同じ志を持った漫研の人間関係に問題があって……」

「人間関係の問題?友達とってことですか?」

「同じ志を持っていても、漫研の中で派閥争いがあったと聞きます。そして、摩耶花さんと違う考えを持つ人が大多数いました。色々と折り合いをつける方法はあったと思います。ですが、その考えは間違ってると感じながら、それに耐え、漫研に居続けるのは良くない事だと思ったようです」

「それでやめたって事ですか?伊原先輩と同じ意見の人もいたのに?見捨てる事ないと思いますけど……」

「見捨てる、というのは厳しい言い方かもしれません。実際に摩耶花さんは、大多数派の人達に漫研の政権を譲ったんです……。確かに辛いことかもしれません。ですが、摩耶花さんは争う必要なんてなかったんです。自分は誰になんと言われようと漫画が好きだと、超然とした態度でいることが正しかったのかもしれません。しかし、それももう遅いです。私は、摩耶花さんが漫研を辞めて良かったと思っています。何かと別れる為には、年度の変わり目はいい頃だと思いませんか?」

 

 大日向さんは黙ってしまいました。何かを考えていたのかと。

 そして、少し経った後、言ったのです。

 

「いい頃合いですね。すみません」

 

 そうして大日向さんは席を立ち、部室を去って行きました。

 その後は、携帯が鳴って……、あれ?南雲さん!折木さん!私、昨日大日向さんと変な話なんてしていません!

 

 

 

 

 side 晴

 

 

「南雲さん!折木さん!私、昨日大日向さんと変な話なんてしていません!」

 

 千反田は話してくれた。昨日のオーヒナとの会話の概要を。しかし、訳が分からないというふうにかぶりを振った。確かに訳が分からない。会話の内容だけ聞いていれば、千反田は伊原が漫研を辞めたことに賛成した。そしてオーヒナはその意見を聞き、部室を後にしたと言える。

 オーヒナの入部取り消し問題とは、何ら関わりがないはずだ。だが……

 

「なぁ、千反田」

「なんでしょう、南雲さん」

「この前、オーヒナの従兄の喫茶店に行ったよな?その時に、オーヒナはお前に、ある人物を知っているか?と聞いていた」

「ええ、《阿川佐知》さんですね」

「流石の記憶力。誰だ?」

「知り合いじゃあありません」

「知り合いじゃないのに、名前を知ってるなんて変だ」

「そうでしょうか?」

「それで、誰なんだ?」

 

 奉太郎がそう聞き返すと、千反田は首を傾げながら言った。

 

「お二人も知ってると思います」

「だから分からないって」

 

 千反田はプクーっと口を膨らませ、「やれやれだぜ」とでも言いたげな顔をして、ようやく教えてくれた。

 

「この前の入学式の、新入生宣誓をしていた一年生です」

「「知るか!!!」」

 

 一々下級生の宣誓をおこなった奴の名前なんて覚えてられるか!

 そんなの覚えてるの、お前だけだよ……。それにしても、なるほど……、阿川佐知……。

 俺たちの考えはまとまりつつあった。今なら昨日のオーヒナが千反田と対峙する前、宙ぶらりんをしていた意味が分かる。あれは、覚悟を決める前のルーティンだったのかもしれない。

 奉太郎は言った。

 

「ありがとう、千反田。すまなかったな。後は俺達に任せて欲しい」

 

 いつものこいつなら、引き下がることなく、自分にも手伝わせろと言うだろう。しかし今の千反田はこくりと潔く頷いた。

 

「はい。後は任せます。恐らく、私の言葉は届きませんから……。南雲さん、折木さん。もし大日向さんが悩んでいるなら、話を聞いてあげてくれませんか?なにか不幸な行き違いがあったなら、それを解けませんか?もし大日向さんが古典部に来れなくなったとしても、それだけは……それだけは……!」

 

 俺と奉太郎は頷いた。

 千反田はコースから外れた水梨神社を抜けようと、再び足を動かし始めた。しかし少し走ったところで、もう一度こちらを振り向く。

 

「折木さん」

「なんだ」

「私は、先程のあなたの言葉で救われました……。私のせいで大日向さんが入部を取り消したとするなら、私はきっと一人でずっと背負い込んでいたのかも知れません。実際に私は、その覚悟が出来ていて、それでも良かった。でも……」

 

 千反田はニコリと笑う。そして、言った。

 

「ありがとうございました……」

「いいから行け。悪かったな、引き止めて」

「大日向さんを、よろしくお願いします」

「あぁ」

 

 そう言って、俺達は千反田の背中を見送った。彼女の黒い髪が見えなくなったところで、奉太郎は再び口を開く。

 

「ここに長居して里志以外の総務委員に見つかるのも面倒だ。もう少し進んだところで、大日向を待とう」

「なぁ」

「今度はなんだ?お前もか」

 

 奉太郎は呆れたとでも言わん顔で、俺を見た。

 

 俺は先程千反田に、奉太郎と同じ事を言おうとした。しかし出来なかった。

 確証が無かったのかもしれない。もしかしたら俺は、千反田が大日向を追い出した可能性を、心のどこかで否定しきれていなかったのかもしれない。考えれば分かることなのに、信じきれなかった自分に腹が立つ。

 しかし奉太郎は信じていたのだ。千反田を。そこに論理的なものなんでない。言わゆる信頼関係と呼ぶものなのかもしれない。

 そして奉太郎が信じていたのは千反田だけでは無かった。言うなればこいつは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 俺は、ほんの少しでも千反田を……。

 

「もしさ」

「……?」

「もし、俺とお前の人生が違って」

「ハル、何を言っている」

「もし俺が折木奉太郎で。お前が南雲晴だったら……」

 

 「俺とお前は……出会ってなかったかもしれないな」

 

 この言葉の意味を、俺は自分でもよく分かっていなかった。

 それは、奉太郎も同じようで、なんと返せばいいか分からないようだった。

 

「東京なんて、人の多そうな場所はごめんだな」

 

 「なんだよ、それ」そう言って、少しの間静寂が続いた。

 

 

 

 

 現在17.0km地点 残り3.0km

 

 

 その後は何も考えず走った。

 千反田以外のH組の連中が超ローペースで走る俺達の横を走り抜け、一年生らしい幼い顔をする連中と並走する。これはきっと一年A組だろう。オーヒナはB組なので、合流するのはあまり時間がかからない。

 これからオーヒナと合流することで、俺と奉太郎はまとまった推論を披露するだろう。今まで、その出来事のキーマンとなる人物達と対峙したことは何度かあった。

 しかし、十文字の時も、月夜の背教団の時も、ここまで気が重いと感じたことはなかった。

 

 水梨神社の森を通り抜けると、森の中から続く小川の横を沿るように走る。小川は徐々に幅が広がり、目の前には川をかける赤い橋が見えた。あの赤い橋を渡り、少し進むと住宅街に戻っていく。住宅街はやがて俺や奉太郎、里志が共に帰っている時に別れ道となる商店街に差し掛かり、神高へと繋がっていく。《星ヶ谷杯》は既に終盤なのだ。辺りを見渡すと、この長い道を走り続けた疲労に満ち溢れた一年の顔には、少しだけ安堵の表情も見えた。

 そうだ、もう終わってしまうのだ。オーヒナとの決着も。

 

 そう思っているうちに、俺達は赤い橋に差し掛かった。そしてそこを渡り切ろうとした途端、後ろで「あっ」という声が聞こえた。

 俺達が振り向くと、そこには立ち止まった女子生徒がいた。未だに中学生らしい幼い顔つきを残し、健康的な浅黒い肌、そして彼女は、いつものように口元を笑わせた。

 

「どうも、こんちわ」

「おう、こんちわオーヒナ」

「先輩達はもっと先に言ってると思いました。もしかして、運動が苦手でしたか?」

「ほんとにそう思っているのか?」

 

 俺が言うと、オーヒナは笑顔を崩さず呟くように言った。

 

「いえいえ、私は何となく分かりますよ。男子が女子を待つ理由なんて一つしかありませんよね。でも私、追われる恋より、追う恋の方が好きなんです。待っててもらったところ悪いですが……ん?でも、このマラソン大会だと私が追いついちゃったから、私が追ってたのかな?」

 

 冗談めかすオーヒナを俺達は顔色を変えずに眺める。オーヒナもそれに気付き、少しだけ顔を俯かせた。

 

「笑ってくれないんですか?」

 

 奉太郎が言った。

 

「笑って欲しかったのか?」

「そうじゃないです。でも、いつもの先輩達なら、笑ってくれるじゃないですか。『変な冗談言うな』って、言ってくれるじゃないですか」

 

 そうだったろうか。確かに俺とオーヒナは、『ハル先輩』、『オーヒナ』と親しくなる意味合いを込めて互いにそう呼びあっていた。

 でも、オーヒナが俺に対して先輩後輩としての好意を向けてくれていたとしても、俺はやはり、オーヒナと本当に向き合っていたのだろうか。本当にそんな冗談を言い合える仲だったのか?このマラソン大会で大日向友子という人物を初めて知ろうとしていた俺達に、オーヒナの冗談を笑えるのだろうか。

 

「まぁ、誰かが話しかけてくるだろうなとは思ってました。でも、先輩達だとは思ってませんでした。伊原先輩か、もしかしたら福部先輩かなとも思ってました」

 

 オーヒナは俺達を見据えたまま、言った。

 

「でもごめんなさい!私、入部はしません。これは決めたことなんです!」

「聞け。大日向、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 奉太郎が言った途端、オーヒナの表情から笑顔が消え失せた。

 

 

 




ふたりの距離の概算編

完結まで

あと一話

次回 最終話《ふたりの距離の概算》


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第九話 ふたりの距離の概算

最新話、更新です!

かなり長いです。分ければよかった……。

ふたりの距離の概算編、完結



 現在:18.4km地点  残り1.4km

 

 

 

「ほんとにこの道で学校に着くのかなあ」

 

 オーヒナが不服そうに呟いた。

 

「着くさ。前に近くの団子屋に行ったことがあるんだけど、荒楠神社の前に出るんだよ」

 

 俺が言うと、オーヒナは目を大きくさせた。

 

「ハル先輩って、去年ここに越して来たんですよね?それなのに地元民の私よりここら辺を知ってるなんて、なんだか負けた気分」

「たまたま知ってるだけだって」

「そのお団子屋さんには一人で行ったんですか?」

「いや」

「誰と行ったんです?」

「誰とだっていいだろ」

 

 俺の後ろを歩くオーヒナがニヤリと笑ったのが分かった。きっと奴は悪い顔をしているに違いない。そして、こう言った。

 

「隠すってことは、桜先輩ですね」

「どうしてそうなる……」

「だって、古典部の誰かなら名前を言うと思って。でも、桜先輩とはお付き合いしてる訳じゃないですよね?」

「馬鹿言うな。この前学校帰りに誘われたから、一緒に行っただけだよ」

「でもやっぱり桜先輩と一緒だったんですね!うんうん!仲良しなのはいいこと!」

「はぁ……」

 

 俺達が歩いているのは、正規コースから外れた路地だった。三人全員が一列に並ばなければならない路地裏を歩くのには理由があった。一つは、これからオーヒナと少しだけ長い話をするのに総務委員から姿をくらます為。二つ、長話をしていれば、ゴールする為の規定時間が超えてしまうので、近道をする為だ。

 

「コースアウトがそんなに怖いか、大日向」

 

 一番前を歩く奉太郎が言うと、オーヒナは心外だという風にかぶりを振った。

 

「いえいえ、むしろ隠れて悪い事をするのは行事の醍醐味ですよね」

「悪いこと?近道がか?」

「折木先輩って、意外と不良?私にとってマラソン大会のショートカットなんて、大大大事件ですよ。三億円事件くらい!」

「それは大変だな」

「ええ、ええ」

 

 そんな話をしていると路地を抜け、民家同士の間に出来た少しだけちゃんとした道に出た。

 日が差し込み、右側には幅50cm程の小川が流れており、種類が分からない小さな魚が気持ちよさそうに泳いでいた。

 ようやく三人一緒に並んで歩けるようになった所で、真ん中をちょこんと歩くオーヒナがそっと口を開いた。

 

「私別に、千反田先輩のせいでやめるなんて言ってないですよ」

「いや、考えれば分かるさ」

「ハル先輩って考えられるんですね」

「馬鹿にしてんのかガキ……。いやいや、そうじゃない。お前は昨日伊原に、千反田の事を菩薩と言ったんだろ?」

「ありゃりゃ、気づいちゃいましたか」

「皮肉なら、もっといい言い方が出来た」

「あれくらいしか、私には思いつかなかったんです。……それに、千反田先輩が私の友達を知らなくて、お二人に話してないのなら、誰に聞いたんですか?千反田先輩が何も知らないって言うのは、あの人を庇うお二人の嘘だと思っています」

 

 額の汗を拭く奉太郎が言った。

 

「いや、考えればそうでもないんだ。お前も千反田と同じで、思い違いをしているんだ。そうだな、お前と俺達が初めて会った日の事を覚えているか?」

「ええ、新歓祭ですよね。セイカケンとお料理部の謎を解いた時です」

「謎、と言うほどのものでもなかったが、その通りだ。そしてその時、名前を出してない製菓研のテーブルを見て、お前はこう言った『()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()』とな」

「そんな事、言いましたか」

「言っていたな。俺もそうだが、言いにく事は『噂で聞いた』やら『ネットで見た』など、架空の何物でもない何かに責任を転換して話す。お前の言っていた、『友達が言っていた』もその一種だ」

 

 先程、里志と出会った時に奉太郎はこう聞いた。『これは友達が言ってたんだが、総務委員がこのマラソン大会を走らないのはどう考えても不公平だ』と。すると里志は『ホータローはそんな事を思っていたのか、心外だな』と。

 つまり里志は、奉太郎が『友達が言っていた』という前置きを、言いにくい事を架空の第三者の発言に置き換えて発していた事だと判断したのだ。

 

「だが大日向、お前は違った。お前には居るんだろ?本当に言っていた友達が、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 オーヒナは大きく目を見開いた。どこか動揺しているのか、何かを言おうとしているのか、口がパクパク動いている。

 そして言った。

 

「どうしてそう思うんですか?」

 

 俺が続ける。

 

「お前と、お前の言う友達の言動が矛盾していた。桜の誕生日パーティに行った日の事を覚えているか?」

「そりゃあ、もちろん」

「あの時確か桜は全員で摘めるピザを注文しようとしたがやめた。理由は……」

「伊原先輩がチーズが嫌いだったから」

「……その通りだ。そしてその時お前はこう言った。『()()()()()()()()()()()、腐ったミカンと牛乳は捨てるべきだ』とな。俺はこの時点で、オーヒナはチーズが苦手なんだなと思った。でも考えてみれば、お前は別にチーズが苦手じゃないんだよ。お前の従兄弟の喫茶店に言った時だ」

 

 オーヒナは「あぁ」と残念がる様子を見せた。そして空を扇いだ。

 

「あんなとこでミスしたんだ」

「そうだな。あの喫茶店で俺達はスコーンを頼んだ。お前の従兄弟に生クリームかマスカルポーネクリームかを聞かれ、俺と奉太郎、そしてオーヒナ、お前もマスカルポーネを選んだ。おかしいよな。チーズが苦手なお前が、マスカルポーネチーズで出来ているクリームを選ぶはずがない」

「ですね……へへ」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 オーヒナは何も言わなかった。普段ならきっと『私にだって友達の一人や二人いますよ。その中に、チーズが嫌いな子がいてもおかしくはないでしょ』と言うだろう。しかしオーヒナは沈黙を貫いた。

 それこそが真実。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 そのまま無言で歩いていると、オーヒナは脇に流れる小川を泳ぐ魚を眺めていた。俺はその話題にあまり明るくないが、去年の文化祭で、《夕べには骸に》という同人作品に触れる機会があった。

 今のオーヒナはその作品に出てくる主人公のようで、どこか儚げだった。

 

 俺は口を開く。

 

「ところで、その知られたくない友達は神山高校の人間じゃないな。中三の時に転校してきたのか、塾かなにかで出会ったんじゃないのか?」

 

 オーヒナは魚から視線を俺にずらした。

 

「どうして?」

「前に俺と奉太郎と帰った時に言ってただろ。『まだ友達が居なくって』ってさ。神山高校に友達が居ないなら、中学時代の友達だと見受けられる。そしてお前は、《友達》という言葉を安売りしない」

 

 オーヒナの目元がピクっと動いた。隣にいる奉太郎も視線は前に向けているが、時折推理の確認をするようにオーヒナの表情を眺めている。

 

「お前が友達という言葉を安売りしないと思った理由はあるさ。昨日の事だが、お前は里志の妹から里志と伊原の関係性を聞いたらしいな。俺は会ったことがないから何とも言えないが、奉太郎の話を聞くにかなりの曲者らしい。だがお前はそんな曲者の里志の妹と、身内の色恋沙汰について話せる仲になっている。他にもある。お前は桜の弟とも同じクラスらしいな。確か名前は、《桜恵(さくらけい)》だったか?お前が姉の方の桜を知った理由は、恵に姉の事を紹介されたからだ。これもおかしい。仲良くない人間にわざわざ自分の姉を紹介しない。お前は姉の桜の誕生日パーティ以前から、姉の桜と交流があったんじゃないか?」

「……桜先輩と初めてあったのは、恵くんと由奈ちゃんと一緒に遊んだ時です。ファミレスに行きました」

「由奈?誰だ?」

「里志の妹だ」

 

 横から奉太郎がそういった。ほう、福部由奈か……。覚えておこう。

 

「まぁとにかくだ。お前は身内の色恋沙汰を聞かされる仲であっても、姉を紹介される仲であっても、一緒にファミレスにいく仲であっても、《友達》という言葉は易々と使わない。つまり()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 だがその友達は神山高校にいない。だがこれは仕方ないな。俺だって中学時代に何人か友達はいたのかもしれないが、そいつらとも神山に越すことで無縁となった。携帯に奴らのアドレスや番号は残ってないし、勿論連絡も取り合っていない。

 絆とは物理的に会えなくなり、離れればそんなものだ。

 

 ようやく俺達は広い道に出た。緩やかな坂の途中で、既に空はオレンジ色で染まりきっている。夕飯の仕込みの味噌汁の香りが鼻に情報を与え、豆腐屋の音楽が耳に情報を与える。軽く腹が鳴った。

 

「うぅ……腹減った」

 

 呟くと、オーヒナは笑った。

 

「じゃあ、この前ハル先輩が行ったって言ってたお団子屋さんに行きましょう!」

「俺は構わないけど、金がないぞ」

「折木先輩が持ってます。ポケットから、小銭の擦れる音が」

「なに!?」

「これは団子用じゃないぞ。ショートカットのバス用だ」

「よくマラソン大会でそんなショートカット方法思いつくな!!」

「まぁそのお金で三本くらいな食べられますよね!」

「ご馳走様です!奉太郎先輩!」

「ハル、大日向、お前ら覚えとけ……。仕方ない、歩くぞ」

 

 『へへっ』とオーヒナは笑った。

 やはり、大日向友子とはこういう人物であるべきだ。何を話しても愛想笑いじゃなく子供らしい雰囲気を残し、可愛らしく笑ってくれる。こいつは、古典部にとって大事な存在だ。別にオーヒナの入部取り消しを無理に阻止しようって訳じゃない。けど、オーヒナには古典部にいて欲しい。そんな個人的な願いを思う事は、きっと悪く無いのかもしれない。

 そんなたわいも無い話を繰り広げ、俺達は再び歩き始める。坂を降りれば、もう恋合病院が見えてくるだろう。病院の目の前で正規ルートを走る連中と合流すれば、神山高校に到着する。坂の途中にある団子屋に寄ったとしても、きっとゴールまで二十分もかからないだろう。

 

 次は、奉太郎が口を開いた。

 

「これも、桜の誕生日パーティの時の事だ。里志は千反田に、『流石千反田さんのネットワークだ』と言った。あの時は確か、千反田が桜の中学時代の同期と、俺の中学時代の同期の二人と知り合いだったから出た言葉だ。里志は物事を大袈裟に言う癖があるからな」

「ほんとに大袈裟かな……。本当に千反田先輩の知り合いネットワークは広いかもしれない」

「確かにあいつは家柄の付き合い法事などに参加するから、知り合いは多いだろう。だが、別にこの街の全員と知り合いという訳では無い」

 

 オーヒナは何も言わなかった。奉太郎が納得出来る理由を話したからだ。

 

「そして、お前の従兄が経営する喫茶店に行った時だ。あの時お前は、《阿川佐知》という人物を知っているか?と千反田に聞いた。あれは、千反田のネットワークの広さを知る為に聞いたんじゃないのか?きっと《阿川佐知》は鏑矢中、俺と里志と伊原、そしてお前の出身中学校にいた奴だろう?」

「ええ……保健委員でした」

「驚いた。俺も保健委員だったぞ」

「知ってます」

「そうか。ならそこで疑問が出てくる。お前の友達は鏑矢中出身だ。確かに千反田のネットワークは学校を超えていたが、疑うならまずは俺や里志、伊原に注意を向けるべきだったんじゃないか?鏑矢中の人物なら、流石に千反田より俺達の方が知っている」

 

 他人に興味を持たない奉太郎はどうだかな……はは……。

 

「ハル、何か言ったか?」

「いやなにも」

「ふん、だがお前は俺達鏑矢中組に注意を向けなかった。だからハルはさっき、中三の頃に転校してきた人間か、塾かなにかで出会った人間だと言ったんだ。そうすれば、ハルはもちろん、俺達鏑矢中組はその友達のことを知らないと楽観した。しかし千反田だけは油断ならなかった」

 

 オーヒナは友達の存在を知られたくなかった。『友達が言っていた』と物事を言う時に引用するほど影響された人物を、知られたくなかったのだ。

 しかしそこで千反田えるが現れた。学校を超えた知り合いのネットワークを持ち、奉太郎や里志の過去をよく知り、里志によって人脈の広さを誇張された人物だ。

 

「昨日お前は部室で千反田に、千反田は俺達の出身校である鏑矢中や、桜の出身校である沖宮中の人物をどれほどまでに知っているか聞きに行こうとしたんじゃないか?だがお前は、伊原が漫研を辞めたという話に興味を持った。俺は前後の理由は知らんが、伊原が楽になったならそれで良かった。お前は伊原が漫研を辞めたと聞いた時、こう言ったらしいな。『だからって、見捨てる必要ないじゃないか』と。そして千反田はこう言った。『決別をする時は、年度の変わり目はいい頃だ』とな。《見捨てる》というのはおかしな表現だ。どちらかといえば伊原は漫研を追い出された。だがお前はそう感じた」

 

 奉太郎は一度唇を舐め、オーヒナに向き合った。

 

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 オーヒナは「はっ」と弱々しく俺達を交互に見つめた。そして、見た目の弱々しさとは裏腹に、強い口調がオーヒナの口から溢れ出た。

 オーヒナは俺達より一歩前に出て、向き合った。

 

 その目は、少しだけ濡れているように見えた。

 

 

 

「千反田先輩が、そういう意味で言ったんじゃないってどうして言えるんですか!?私は、まだ千反田先輩を疑ってます。そうですよ!そう言われた気がしたんです。私の大事な友達を見捨てろって言われたんですよ!?遠回しに!!あのにこやかな表情で!!あの人は私に言ったんです!だからあの人を、私は菩薩だって言ったんですよ!!夜叉だって言ったんですよ!!」

 

 

 俺は、言った。

 

「オーヒナ、もういい」

 

 

「もういいってなんですか!?傷つけられた私より、千反田先輩が大事ですか!?そうですよね……!!出会ってたかが二ヶ月のヒステリックになって訳の分からない後輩より、一年間を過した友達の方が、大事ですもんね!!……大事な大事な……、《友達》ですもんね!!!!」

 

 

 オーヒナ大きく息を漏らした。『はぁ……はぁ……』と、息切れが止まらない。

 俺はそっと、オーヒナの頭に手を置いた。

 

「なぁオーヒナ。千反田がお前が入部を取り消した理由をどう思ってるか知りたくないか?」

「……」

 

 そして俺は、精一杯の笑顔をオーヒナに見せて吹き出すように、その言葉を発した。

 

 

「馬鹿だよなアイツ!高校生にもなって、自分が勝手に携帯を触ったから怒ってると思ってるんだぜ」

「え……」

 

 オーヒナの掠れた声が聞こえた。

 

「泣きそうになりながら、本気でそういう理由だと思ってるんだ。ゴールしたらお前の所まで行って、『昨日は勝手に携帯電話を触ってごめんなさい』って言いに行くつもりらしいぜ?笑えるだろ?」

「……は……ははは……なんですか……それ……笑えますね……」

 

 オーヒナは笑おうとするが、その言葉は震えていた。

 大きく肩を揺らしずっと俯いたままだ。

 

「ほんとうに……笑えますよ……」

 

 オーヒナの足元には、大きな水滴が、次々と落ちていった。

 

 

 

 

 現在:18.9km地点 残り1.1km

 

 

 

 例の団子屋に到着したので、俺達三人は外にある赤いベンチに腰を掛けた。店のおばあちゃんが頼んだ団子と、湯のみに入った茶を出してくれた。オーヒナはヨモギ、奉太郎はこしあん、俺はみたらしだ。

 うぅむ。甘味が疲れた身体に染み渡るぜ。推理の後は甘いものだよ甘いもの。

 

「生き返る〜」

 

 ヨモギを口に入れたオーヒナが隣でそう言った。空を仰いでおり、どこか吹っ切れたようにも感じる。

 

「こんなに清々しい気持ちは久しぶりです」

 

 団子を口に含んだ奉太郎が答える。

 

「そうか、それは良かったな」

「二人のおかげです」

「そんなことないさ」

「福部先輩から、色々聞いてるんでした。氷菓の件とか、女帝さんの件とか、警戒すべきは二人だったかあ」

「人聞きの悪い事を言うな。団子を奢ってやっただろう」

「このお団子、ほんとに美味しいですね。ハル先輩は桜先輩と来た時、何を頼んだんですか」

「ヨモギ」

「今回はみたらしですね」

「桜が食ってて、美味そうだったからな」

「その時貰えばよかったのに」

「そんなこと出来るわけねぇだろ」

「桜先輩ならくれると思うけどなあ」

 

 ニヤニヤしながらいうオーヒナを無視する。

 オーヒナは皿に一つだけ残った団子を置き、そっと口を開いた。

 

「その子……あの子は、中三の頃に鏑矢中に来たんです。超然としてて、あまりクラスに馴染めてない子でした。多分私が最初の友達で、唯一の友達です。《一生一緒にいる》って約束もしました」

「重い女だな、そいつ」

「こらー、女の子ってそういうもんですよ。だからハル先輩は彼女の一人も出来ないんですよ」

「うるせぇな!」

 

 俺は勢いよく最後の一つを口に放り込んだ。オーヒナはケラケラ笑い、また夕焼けの空を仰いだ。

 

「それが呪いでした。その子は色んな遊びを知ってました。ライブにも行ったり、スキーに行ったり、旅行も沢山行きました。お金も無くなっちゃいました」

「たしかお前の家は」

 

 奉太郎が呟くと、オーヒナが指を鳴らした。

 

「そう、アルバイト禁止。だからあの子に、もう派手な遊びは当分出来ないって言ったんです。でも、彼女は、『私に任せて』とか『なんとかする』って言って、私の《遊び代》を用意しました。……あの子は、自分のおじいちゃんのお金を盗んだんです……」

 

 盗みか……。

 

「あの子の家は、神山の名家です。千反田先輩の顔がただ広いだけなら、警戒はしませんでした。でも家柄の付き合いで色んな名家の人間と会ってるって話を聞いて、怖かった。いつ千反田先輩に、『あなたはあの子のお友達でしょう?』ってあの笑顔で言われると思うと、震えが止まらなかった」

 

 オーヒナの従兄が経営する喫茶店に行った時。帰り際に雨が降り出した。

 俺は本棚に入っている夕刊を親指と人差し指でつまみあげたが、あの時おかしな点があった。千反田が来る前に俺達は、《水筒社事件》という詐欺事件の話を里志から聞いていた。その話題の元となった雑誌が、《深層》というもので、オーヒナが《深層》を取り出す時は、本棚はギュウギュウ詰めだった。

 これはつまり、俺が帰り際に夕刊を抜く前に既に、本棚にスペースが空いていたのだ。

 オーヒナは友達が自分の祖父から金を盗んだ事を隠したかった。だから、似たような詐欺事件が書かれている《深層》を、あの本棚から取り出した。そして本棚にスペースが空いたのだ。

 

 目の前に真実を示唆するものが置いてあれば、確かにそれを退けようとするだろう。桜の誕生日パーティに行った時、俺が桜の家に行ったことがあるという真実を隠すために、ちゃぶ台の上にある招き猫をどうしようかと模索するのと同じだ。

 

「もしあの子が盗んでいる事がバレても、捕まるのは私じゃなくてあの子です。でも、警察が動き出すような事を笑いながらする彼女が怖かった。友達の為なら犯罪にも手を染める彼女が怖かった。その《友達》が私である事も、怖かった。全部、怖かったんです」

 

 オーヒナはお茶を一気に飲み干し、自分を落ち着かせた。

 

「だからあの子と高校が離ればなれになった時、少しだけ安心したんです。最低ですよね。あの子は私の為にお金まで盗んだのに、一生一緒なんて言う口約束も交したのに……。例えそれが歪んだ愛の形だとしても、唯一の友達である私がそれを否定して、正しい道に戻してあげるべきなんじゃないかなって。……でも、もう何が正しいのか分からなくて……」

 

 そして、オーヒナは自分の太ももを叩いた。

 

「私……本当に馬鹿だ……!!!」

 

 

 

 ━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

 団子を食べ終わったので、俺たち三人は立ち上がった。

 奉太郎が言った。

 

「入部してくれれば、里志や伊原は喜ぶ。もちろん、千反田も」

「勝手に誤解して、勝手に傷付けたんです。千反田先輩に合わす顔がありませんよ」

「もしかしたら、力になれるかもしれん。お前の友達関連で」

「ありがとうございます、折木先輩。でも、先輩達に迷惑はかけられませんよ」

 

 オーヒナは悲しそうに笑った。その笑顔を見て、俺は少しだけ胸が痛くなる。

 

「千反田先輩には、いつかちゃんも謝ろうと思います」

 

 オーヒナは、『もう先に行ってくれ』という風に、俺達より一歩後ろにいた。

 

「そうか……じゃあ俺達は行くよ」

 

 奉太郎がそういい、俺達は先を行こうとする。すると、

 

「ハル先輩」

 

 呼ばれたので、振り返る。

 

「私、一回だけ自分の本心を言ったんです。ほら、言いにくいことは、『友達が言ってた』って言い換えるってやつ」

 

 オーヒナには、その友達が存在していた。だが

 

「私が入部した日に言った、アダ名で呼び合うと仲良くなれるってやつです。ハル先輩はそれから、オーヒナって呼んでくれてますよね。……私、嬉しかったんです」

「そうか」

「バカやれて楽しかったです。凄く、楽しかったです」

 

 最後みたいな言い方はやめろ。俺はそれが気に入らなかった。だから俺は、こう言った。

 

「気が向いたら部室に来いよ、みんな待ってる」

 

 オーヒナは目を見開き、笑った。

 

「お世話になりました。ありがとうございました!」

 

 

 

 

 ━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

 

 《星ヶ谷杯》は終わり、俺と奉太郎は部室にいた。

 特別棟四階、神山高校の辺境地。最近ではオーヒナがいて、会話が耐えない部室であったが、今は静寂に包まれていた。

 そして、部室のドアが開かれる。

 

「やぁ、二年生ビリゴールおめでとう」

「バカにしてんのか」

「はは、それで、どうなった?」

 

 奉太郎が唾を飲み込む。

 

「入部はしない」

「そうか、そうだよね」

「わかってたみたいに言うな」

「分かってたというか、そんな感じがした。君達の顔つきから見て、入部を取り消した理由は千反田さんのせいじゃなかったみたいだ。外の問題だろ?」

 

 里志は俺と奉太郎と向き合うように座り、アクエリアスを口に含んだ。

 里志の質問に、俺は頷く。

 

「ホータロー、ハル、それは仕方のないことだと思うよ。外の問題なら、僕達は手出しが出来ない。僕達の世界は、神山高校なんだよ」

 

 本当にそうだろうか。もしもっと早くオーヒナの悩みに気付いていれば、友達の問題は解決出来なくても、オーヒナを古典部に残すことが出来たかもしれない。もっと早く千反田がオーヒナについて悩んでいたと気付けたなら、両方の話を聞いて解決出来たのかもしれない。

 

 届かない物だから仕方ないと感じるのは諦めではないのか?

 千反田が社交を学ぼうとするのも、奉太郎の姉貴が世界中を渡っているのも、世界を拡げるためでは無いのか?そんな努力を俺はしなかった。きっと、手はどこまでも伸びるはずなのに。

 

 気付くと、里志は既に部室に居なかった。《星ヶ谷杯》の後始末が残っているのだから、忙しいのは当たり前か。奉太郎も立ち上がった。

 

「俺は帰る。今日はクタクタだ」

「俺はもう少し残るよ。もしかしたら千反田や伊原が来るかもしれない。結果を報告するさ」

「そうか。じゃあ、また明日」

「あぁ」

 

 部室のドアが閉められ、俺は一人になった。

 部室の窓まで歩き、夕焼け空に手を伸ばす。そして、それを強く握りしめた。

 

「……チクショウ……!」

 

 後輩の女の子一人救えなかった自分に腹が立ち、そんな言葉を口にした。

 

 もうオーヒナがどこにいるかは分からない。とっくにゴールして、家に帰っているのかもしれない。

 淡い希望を抱き、部室のドアに振り返った。

 

 『へへ、やっぱり入部することにしました。これからもよろしくお願いします。ハル先輩』

 

 そんな声は、きっと聞こえてこない。

 

 

 俺達の、ふたりの距離の概算は、もう図りようがなかった。




 ふたりの距離の概算、完結です。

 いかがでしたでしょうか。ふたりの距離の概算は原作でも中々苦い終わり方をしていましたね……。
 大日向は作者の好きなキャラの一人でもあるので、この作品のどこかで再登場させられたらいいなぁ、なんて思ったりしてます。

 しかし完結まで三年もかかってしまうとは思いもしませんでした。
 晴、奉太郎、三年間も走らせてごめん……笑


 そして、次回から《いまさら翼と言われても》の連載開始です!
 予告編どうぞ!


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 夏休み。伊原から出場するはずの合唱コンクールに千反田が現れないと連絡を貰った晴と奉太郎は、千反田の居場所を推理する。

 なぜ千反田は合唱コンクールに現れないのか、その真意とは一体!?

 奉太郎の中学時代の事件、文芸部で発生した桜が探偵役を務める事件、林間学校のフェリーで始まる《人形殺し事件》

 古典部達の過去と未来が明かされる、短編集!


 そして、《氷菓〜無色の探偵〜》最終章に繋がる物語、開幕






新シリーズ 氷菓 〜無色の探偵〜



いまさら翼と言われても





『いまさら翼と言われても、困るんです』


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第7章 いまさら翼といわれても
第一話 四人の折れた翼


 新章、《いまさら翼といわれても》開幕!



 これは、氷菓〜無色の探偵〜、最終章に繋がる物語。


 side 折木奉太郎

 

 

 大日向の件から約一ヶ月が経過した。

 

 神山高校は前期期末試験を終え、生徒全員がこれから始まるであろう夏休みに心を躍らせている。

 かくいう俺、折木奉太郎も試験を終え弛緩の空気を帯びていた。かと言っていつもの俺が引き締まっているかといえば、決してそうでは無いのだが。

 古典部にはあれ以降、大日向どころか新入部員は訪れなかった。けれど俺達もまだ二年生で、それが五人もいるとなれば部の存続になんら問題は無い。だがこのまま上手く行けば俺達は三年に進級し、それぞれが進学や就職の為に動き出す。そうなれば、俺達は自分の事で手一杯になり、学校の最辺境に位置する地学講義室に足を運ぶ部員はいなくなるのかもしれない。

 

 来年のクラス次第でどうなるかは分からないが、ハルや里志、千反田や伊原とも、きっとそうやって疎遠になっていくのだ。悲しいものだ。今考えれば、俺は俗信に《繋がり》と呼ぶものを、あいつら以外得ていないのかもしれない。

 古典部がバラバラになった時、俺には何が残るのだろうか。

 伊原や里志は、きっと卒業しても上手くやれるだろう。あいつらは世渡りの技術がある。千反田も家業を継ぐという明確な道標が出来上がっている。きっと奴は農学系の大学に進学し、学を深めるのであろう。

 俺もきっと、大学に進学するだろう。そして何事もない大学生活を送り、社会に放り出されもみくちゃにされるに違いない。

 

 ハルは……どうするのだろうか。

 俺はやはり、あいつの事をあまり知らない。このまま時間が経てば、俺はきっとあいつの全てを見ることなく卒業する。

 本当にそれでいいのか?ハルは自分の過去を話したがらない。それを尊重するのは、正しいことなのかもしれない。だが、それを知らないまま奴と別れることになれば、もうハルとは二度と会えない気がする。

 

 俺は一枚の紙を机の引き出しから取った。そしてそれをめくる。

 

 

『東京都神無木区 無差別連続放火魔事件 犯人は……』

 

 

 一枚のネット記事だった。東京の神無木という町で起こった、放火魔事件。

 

 ……馬鹿馬鹿しい。

 

 前にも千反田に、自分で言った。こんな物騒な事件にハルが関わっているはずがない。

 

「ふんっ……」

 

 それを破き、ゴミ箱に放り込んだ。

 ベッドの中に寝転び、そっと目を閉じる。

 

 安息に身体を預け、俺の長い夏休みが始まった。

 

 

 

 

 side 桜楓

 

 

「駄目ね、楓」

「え……」

 

 夏休み初日前日の放課後、私はいつも通り文芸部の部室、パソコンルームに居た。

 パソコンルームはパソコンをオーバーヒートさせない為にクーラーが配備されていて、猛暑が続く夏の昼間は天国のように涼しい。部員が椅子に座りながらとろけるように作業を進める中、私は部長にそう言われた。文化祭に出す文集に掲載する小説のプロットだった。

 

「これじゃあ駄目、リアリティがないね。確かに小説だからぶっ飛んだフィクションも必要だけど、読者に共感して貰えないと意味ないよ」

「で、でもそのプロットは元々……」

神代(かみしろ)のものでしょ?知ってる。でもさ、あいつ自信に未練があったとしても、神代は文芸部を辞めたんだ。このプロットの小説を世に出したい気持ちは分かる。でも中途半端な作品は載せられないね」

 

 神代……。神代佳奈美さんは、夏休み前に文芸部を辞めた新入生の名前だった。彼女は文芸部を心半ばで辞めてしまった。だからせめて文化祭に彼女が出す必要だったこの作品を、私が引き継いで上げたかった。

 だから私は……

 

「すみません部長。私は、この作品のプロットを変えられません。神代さんがどんな気持ちでこれを書いていたのか私は知っています!」

「駄目だと言っているだろ!私は新入生のプロットにはドンドン口を出そうと思ってる。それは一人一人の、文字書きとしての成長のためだ。だから辞めた一年が出した案をそのまま採用するわけにはいかない。拙すぎる」

「嫌です、このプロットのまま採用して下さい!このプロットは拙くなんてない。部長は神代さんの気持ちを踏みにじっています!部長こそ、人の気持ちを何も考えられてない!」

 

 私が声を荒らげると同時に、夏の暑さで火照った身体を冷やす部員の目がこちらに向いた。そして椅子に座っていた部長も立ち上がり、私を睨みつけた。

 

「楓お前……!言ってて事と悪い事くらい分かってるよな!あんたの事を考えて言ってるのに、何様のつもりさ!出ていけ、今日は頭を冷やせ」

「何様のつもりって……。わ、私はそんなつもりじゃ……」

「出ていけ!!」

 

 部長が私の言葉を遮るように声を荒らげ、部室には静寂が響いた。私はハッとして他の部員に視線を送ると、全員がこちらを向いていた。

 心配とも、もちろん嘲笑とも取れる目線だった。私は部長に向き直る。

 

「すみませんでした。別に部長と喧嘩をしたかった訳じゃないんです……」

「分かってる……。もう行け、今日は帰れ」

「……はい」

 

 お辞儀をして、私はパソコンルームを後にした。

 

 特別棟の階段まで辿り着くと、私は降りるのでは無く、階段を登り始めた。

 最初は緩やかだったペースが、徐々に早くなっていく。

 

 南雲くん……。

 

 四階に辿り着き、私の足取りは更に早くなる。

 

 南雲くんに会いたい。

 南雲くんと会って、色々な話をしたい。色々な話を聞いて欲しい。

 顔が熱くなって、ドンドン涙が溢れてくる。その涙で視界が歪んで、私は廊下で転んでしまった。

 

「いた……」

 

 立ち上がる気力はもう私にはなくて、その場に尻もちをつく。

 

「もう、どうしたらいいか分からないよ。南雲くん……」

 

 そして私はそっと呟いた。

 

「助けて……」

伸ばした手が、空を切った。

 

もうあの人には頼れない。

 

 私の長い夏休みが始まった。

 

 

 

 

 side千反田える

 

 

 

 冬と違い日が落ちるのは遅く、既に六時を回ろうとするこの時間帯でも、夕焼けが無人の部室を照らし、アブラゼミが夏の始まりを予感させていました。

 明日から高校生活二回目の夏休みが始まり、定期試験を終えた安堵も束の間、氷菓の原稿に取り掛からなければなりません。

 

 大日向さんの件から、約一ヶ月が経過しました。

 

 南雲さんと折木さんから、全てを聞きました。

 大日向さんが私を誤解していた事を聞いて、少しだけ胸が痛くなりました。部長でありながら、新入生が本当に悩んでいる事に気づけなかった。もし大日向さんの悩みに早く気付いていれば、誤解を解き、力になれたのかもしれません。

 

 私は一度溜息をつき、視線を横にずらします。

 先程まで横には摩耶花さんが座っていて、今はお手洗いで席を外しています。私は摩耶花さんが開いていた本に手を伸ばし、表紙を眺めました。

 

 全国大学受験案内

 

 生き雛まつり。あの日、私が南雲さんに抱いた感情は確かに《恋心》というものなのかも知れません。

 南雲さんに今の千反田家の現状を知って欲しくて、私の諦めた経済的戦略眼を担って欲しくて、私と……同じ道を歩いて欲しくて、あの日私は南雲さんに生きひなの傘持ち役を依頼しました。

 あの人は不思議な方です。いつも太陽の様に明るくて、何をするにしてもあの方が先頭を歩いています。古典部全員が彼の周りにいつの間にかいて、その手を引いてくれます。

 

 けれど、あの人は私達と一線を置いている面がある。

 それはきっと、東京で南雲さんが遭遇した《事件》と呼ばれるものが関係しているでしょう。

 そして、文化祭の時に聞いてしまった、私とよく似ている女の子、《(しらべ)》。

 

 折木さんは南雲さんの事は詮索すべきではないとおっしゃっていましたが、個人的に何かを調べているようです。福部さんも隠していおつもりでしょうが、きっと何かを知っています。

 

 私も、南雲さんのことをもう少し知りたいです。

 そうしなければ、きっと私は……この気持ちは……。

 

 私は大きく首を振りました。踵を返すように、自分の頬を両手で軽く叩きます。

 

「気になります」

 

 私の長い夏休みが始まりました。

 

 

 

 side南雲晴

 

 

『ハル』

『南雲さん』

『南雲』

『南雲くん』

『晴』

『はるっち』

 

 

 神山高校の人間が、俺の名前を口にしていた。そうか、俺は呼ばれているのか。行かなくちゃ。

 

 

『晴』

 

 

 背中から、また俺を呼ぶ声が聞こえた。俺はその声で歩みを止める。

 俺の目の前には、神山で出会った人間がいた。

 

 奉太郎、千反田、里志、伊原、桜、晴香、天津、十文字、入須、田辺、陸山、木原、黄瀬、朱宮、倉沢。

 

 全員が俺の名前を呼んでいる。けれど俺は、雑音だとでも言うようにそれを払い、振り返った。

 そして、皆とは反対方向にいる少女に向かって歩き出す。最初は緩やかだった歩みを、より早く。心臓が痛くなるまで動悸が早まり、俺は自分が汗だくになっているのが分かった。

 

『晴』

 

 少女はまた、俺の名を呼ぶ。もう二度と呼ばれないと思っていたその声で。

 そして俺も、彼女の名を呼んだ。

 

『詩!!……詩!……詩!……詩!!!』

 

 俺は彼女の目の前で立ち止まる。

 

 眉上で切りそろえられた黒く長い髪は背中まで伸びており、アメジスト色の大きな瞳。清楚という名を具現化したような姿は、一昔前の女学生を思わせる。

 そして彼女はニコリと笑い、もう一度俺の名を呼んだ。

 

『晴』

 

 俺は応える。

 

『ああ……俺だよ、晴だ。詩、お前こんなとこで何してるんだ?……俺……俺さ、ずっとお前に言いたかったことが……』

『裏切り者』

『…………え?』

 

 詩の瞳は虚ろだった。

 

『私の人生をメチャクチャにしたのに、自分は遠い地方の町で青春ごっこ。人とは深く関わらないって言ってたのに、部活に入って馴れ合ってる。心底気持ちが悪い』

『……いや、えっと……』

 

 詩のキレイだった顔はどんどん醜く歪んでいく。

 歯を強く噛み締め、ギリギリと音が鳴っていた。俺はそっと後ずさりする。

 

『お前のせいだ。私が夢を失ったのも、みんながバラバラになったのも、みんなが涙を流したのも、全部お前のせいだ。全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部ゥ!!!!』

『や、やめろ!!やめてくれ!!』

 

 俺が耳を塞ぐと同時に、辺りが炎に包まれた。

 詩の顔は憎悪に歪んだまま、笑った。怪物を見ているような気分だ。

 

『アハハ……今度は助けてよ、私の名探偵(ヒーロー)

 

 俺は振り返り、今度は神山の人間がいる方向に走り出した。

 炎をかき分け、歩みを早める。今度は俺が、名前を呼ぶ。

 

『奉太郎……!千反田……!桜……!』

 

 あいつらは穏やかな顔のまま俺に手を差し出す。

 しかし、俺がその手を握ろうとしたその刹那

 

 ゴッ!

 

 鈍い音が聞こえ、激痛が走った。

 奉太郎の拳が、俺の顔に突き刺さったのだ。俺は声にならない悲鳴を上げて、その場に倒れ込む。

 

『なん……で……?』

 

 疑問のみが浮かび、俺は彼らに問う。

 すると、全員が笑った。

 

『ハル、お前は随分気前がいいな』

『なに……?』

『お前は一度、詩を選んだじゃないか。それなのにアイツにやられたから今度は俺達か。面白い』

 

 奉太郎は四つん這いになる俺の顔に、今度は蹴りを入れた。脳が揺れる感覚がする。

 

『あ゛あ゛ぐ……!』

『南雲さん、あなたがいなくても、氷菓の事件は解決出来ました。生き雛まつりも、折木さんに頼めばよかった。それに私は、詩さんの代わりなんでしょう?』

『ハル、僕は君の過去を唯一知る。けどあの事件は君のせいだ。君のせいで、詩さんは夢を失った』

『南雲、あんたは折木以上のクズよ。詩さんを捨てて、ここに来たんでしょ?今まで仲良くしていたのが馬鹿馬鹿しい』

『南雲くん。もう君のこと、好きなんかじゃない。告白の返事も考えなくていいよ?気持ち悪い……、あなたに恋してたなんて馬鹿みたい』

 

 吐きそうになる。俺はそれを飲み込み、顔を上げた。

 

『ハル、お前はもう神山に……いや……』

 

 次奉太郎が言わんとする事を俺は理解した。でも、それだけは口にして欲しくなかった。

 

 

『古典部に必要ない』

 

 

『あ……』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うわぁああああああああぁぁぁ!!!」

 

 自室のベッドから俺は起き上がった。今までの出来事が全て夢だと理解するのに、時間はかからなかった。

 汗が身体中に渡り、現実でも動悸が早い。

 

「はぁ……はぁ……」

 

 俺は自分の顔に右手を当てる。

 そして、笑った。

 

「マジで、どんな夢だよ……はは……」

 

 俺の長い夏休みが始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いまさら翼といわれても




 いまさら翼といわれても、は古典部のターニングポイントとなるストーリーです。
 遠まわりする雛と同様、古典部の過去と未来が明らかになる春夏秋冬を描いた短編集。ぜひ、お楽しみ下さい。



《宣伝》
 氷菓〜無色の探偵〜を休載中に書いた短編を投稿しました。
 全5話で構成される高校生になったばかりの男女を描いた青春モノです。
 こちらも感想などをいただけると嬉しいです。下記のURL、または作者ページから観覧出来ます。

https://syosetu.org/?mode=ss_detail&nid=267155


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第二話 You're My Love Story 起

 お久しぶりです。
 投稿が遅れてしまってすみません……、現在就職活動中でプライベートの時間が取れていない状況です。
 亀更新にはなりますが、どうぞこの作品をよろしくお願いします!


 

夏休み開始まで、あと四日

 

 side  桜

 

 

 退部届けを渡された。

 

 神代佳奈美(かみしろかなみ)さんは天真爛漫な子だった。よく笑う子で、誰にでも平等に接して、少しだけ天然なところがある可愛らしい女の子。

 もしかしたら新しく入部した一年生の中で、私が一番仲が良かった子なのかもしれない。

 

 好きな小説の作者が似ていて休みの日にプライベートで遊ぶ時もあった。

 私からすれば後輩と言うより友達と呼ぶ方が関係性を現せる。

 

 前期期末試験が終わり、ようやく部活動も再開され文芸部も文化祭に向けて動き出そうと意気込んでいたその矢先、彼女が退部届けを出して部を去った。

 

 理由は分からない。

 

 部員達は淡白だった。

 まぁ正直、勢いで入部した部活と合わなかった生徒が本格的に動き出す夏休み前に退部するなんて話は、部活動が盛んな神山高校では珍しくない。むしろそこで自分に合う部活を見つけて、そこで楽しんでくれればそれでいい。それに活動をつまらないと感じる部員と一緒に活動を続けても、お互いにいい利益を産まない。

 けど、神代さんからはそんな感じはしなかった。去年の文化祭で文芸部の文集を読んでくれたらしくて、それに惚れ込んで入部してくれた彼女が、なんの連絡もなく部活を辞めるなんて、正直信じられない。

 

「でもそれって、結局文芸部が自分と合わなかったんじゃないの?」

 

 今私は、同じクラスのナギちゃん。本名、倉沢渚と近くのファミレスに入っていた。

 神山高校では前期期末試験が終わってから、そのテストの返却週間が一週間設けられる。一昨日に期末試験が終わり、昨日神代さんが退部届けを提出した。私はその事をナギちゃんに相談していた。

 

「でもでも、試験前の活動でそんな素振りは一切見せなかったんだよ?それなのに突然辞めるって……なんだかショックだよ」

「本心を隠してたって考えるのが普通でしょ。『私は試験が終わり次第この部活を辞めます』って態度で現すやつがいるもんかさ」

「それはそうだけどさ〜、それに部員のみんなも酷いよ……。せっかく入ってくれた一年生が辞めちゃったのに、惜しい顔をしてる人はあんまりいない」

「来る者拒まず、去るもの追わず。いい事じゃん。あんまり一人に執着してもいいことないよ。その神代って子は、自分の意思で文芸部を辞めたんでしょ?過干渉はするもんじゃない」

「分かってるよ……分かってるけどさ……そう簡単に割り切れる問題じゃないんだ。仲が良かった後輩が理由も説明されずに辞めて、その訳を知りたいと思うのは、いけないことかな?」

「そうは言ってない。簡略化しすぎだ。理由もなしに辞めたってことは、その理由を言いたくないんだよ。それをほじくり返すのはよくない」

「……」

 

 私はメロンソーダが入った結露で濡れたコップを見る。それを軽く拭いて、私はメロンソーダを口に含んだ。

 ナギちゃんの言っていることは全て正しい。でもやっぱり、私の中では割り切れない何かがあった。

 もし文芸部に問題があったのなら、それを治したい。

 そして今度こそ、神代さんが過ごしやすい部活にしたい。

 

「珍しいね、楓がこんなに引き下がらないなんて。……気に食わないけど、南雲に相談したら?」

 

 その名前が出た途端、私の顔全体が一気に紅潮し、熱くなるのが分かった。なな……!!

 

「ななな!!!なんでそこで南雲くんが出てくるのかな!!?!?」

「うわ、出たよ南雲オタクバージョン。南雲の名前出すと動揺する癖治しな」

「だ、誰が南雲オタクよ!!」

「あんたよ、あんた。……あいつ、変な所で頭が回るじゃない?去年のクリスマスの《月夜の背教団》の正体もあいつと折木が見破ったんでしょ?もし神代さんが退部した理由を本気で知りたかったら、南雲なら分かるんじゃない?告白の返事待ちなら、半分彼氏みたいなもんじゃん!」

「か、か、か、か……!!!南雲くんは別に彼氏じゃないって!!!バカバカバカ!ナギちゃんのバカ!!」

「ものの例えよ」

 

 でも確かに南雲くんなら、神代さんの退部理由を推理してくれるかもしれない。前に福部くんが言っていた。南雲くんや折木くん、天津さんは神高のホームズだって。

 彼らが推理する所を見てきた数は少なくはない。あの三人は凄い。けど……

 

「ううん、南雲くんには頼らない」

「……なんで?」

 

 私は穏やかな表情で胸に手を当てた。今年の春休みの、月光に照らされた青い桜の景色が、私の脳裏に浮かぶ。

 そしてそっと目を開けた。

 

「言ったんだ、告白した時。『私の隣にいて欲しい』って。私は、南雲くんの隣に居れるようにしなくちゃならないの。……だからの件、私は南雲くんに頼らない。私が推理して、神代さんが退部した理由を突き止める。それが先輩として……桜楓として出来ることだから」

 

ナギちゃんは、私の言葉に笑みを浮かべた。



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第三話 You're My Love Story 承

お久しぶりです!!
氷菓 〜無色の探偵〜 更新再開します!!

お待たせしてしまい申し訳ありません……!!またボチボチ書いていきます。

また更新まで期間が空いてしまった為、1個前の《You're My Love Story起》から読んでいただけるとストーリーを理解しやすいかもしれません。

ぜひ作者モチベーション向上のための感想、評価をよろしくお願いします!

(ハーメルンのバグか、アップデートかで段落を落とせなくなってしまいました。ご存知の方は対策を教えていただけると嬉しいです)


 

夏休み開始まで、あと三日

 

「また明日ね。バイバイ、南雲くん」

「おう、また明日な。桜」

 

次の日の放課後、帰りのホームルームが終わりいつも通り南雲くんに挨拶をした私は、一目散に文芸部の部室、パソコンルームに向かった。

神代さんの退部届を受け取ったのは私ではなく、紛れもない部長だ。その部長から話を聞ければ、神代さんの退部理由を直接聞けるかもしれないし、そうでなくともヒントを得られると私は思っている。

連絡通路を通り普通棟から特別棟に入ると、校舎内は活気に満ちていた。

それもそうだ。前学期期末試験が終わり、夏休み前に与えられた一週間のテスト返却期間は神高全ての生徒が学校にいる。夏休みが開け少し経てば文化祭も盛大に開催されることから、部活動に所属する私達にとっては重要な期間なのだ。

 

廊下や階段で作業を進める生徒の波を縫ってパソコンルームに辿り着いた私は、そのドアを開けた。

ゴオっと冷たい空気が私の顔にぶつかった。夏場のパソコンのオーバーヒート対策で付けられているクーラーの風だ。外から直接部室に訪れた時は天国のように涼しいけど、さっきまで教室で授業を受けていた私にとっては少しだけ肌寒かったので、二の腕を両手で擦りながら部室に入った。

部室にいるのは全員で三人。一人、私と同じ二年E組で文芸部の須藤界人(すどうかいと)くん。一年生の大畑由希(おおはたゆき)さん。三年生の部長、大鹿島彩華(おおかしまさいか)先輩だった。

三人ともパソコンと向き合っており、それぞれが文化祭で出版する予定の文集に掲載する小説の作成に取り掛かっていた。須藤くんは私が来た事に気付かないほどに熱中していたけど、大畑さんは私に気付くとペコりと照れくさそうにお辞儀した。

そして、部長も私に気付く。

 

「やぁ、楓か」

「部長、お疲れ様です!小説の進み具合は順調ですか?」

「んー、私はちょっと手詰まりってとこかな……。今は気分転換に一年生が書いてる小説のプロットに目を通してる。全く、今回の一年生はレベルが高いねぇ!」

 

大鹿島部長は嬉しそうに掛けているメガネをカチャカチャいじった。

 

「ちょっと部長、それ、去年一年だった俺達にも言ってたッスよ」

 

いつの間にかパソコンから視線をこちらに向けていた須藤くんが、伸びをしながら言った。

 

「あれ、そうだったっけ。覚えてないや」

「テキトーな部長だな〜」

「なにをおう!!!」

 

須藤くんと大鹿島部長のやり取りを苦笑いで見ていると、大畑さんが私の方を向きながら言った。

 

「あの、桜先輩。座らないんですか?」

「え?あっ、そうだった。部長、少し聞きたい事があるんです」

「どうした?」

 

視線を須藤くんから私に移した部長は背もたれに身体を預け、腕を組みながら聞いてきた。

 

「神代さんの退部理由って何か分かりますか?一昨日退部届を渡された時、何か言ってませんでしたか?」

 

そう聞くと、大鹿島部長の顔は怪訝なものに変わる。

 

「どうしてそんな事聞くんだ?」

「だって、期末試験前は普通に部活に参加してたのに、突然やめるなんておかしいと思って……」

「あっ、それは俺も昨日から気になってたわ」

 

横から須藤くんが言った。

 

「神代さん。真面目に部活やってたし、去年の俺達の小説を掲載した文集読んで入ってきたんでしょ?辞めるにしても、カンヤ祭までは居るもんじゃないのかな?」

 

須藤くんの言う通りだ。神代さんの入部理由は、去年、私達文芸部の文集に心を打たれたからだと言っていた。そういった理由で入部した神代さんが、どうしてこれから本番である文化祭準備期間前に部活動を後にしてしまったのだろう。

 

どうして、あんなに仲が良かった私に相談せず……。一言くらい、言ってくれても良かったのに……。

 

「そうか、楓は神代と仲良かったもんね」

 

部長が言った。私の方に椅子ごと向き直る。

 

「楓、正直いうと、私にも分からないんだ。夏休み前に部活を辞める部員も少なくは無いけど、テスト期間前までは神代も普通にしてたし、辞めるなんて思いもしなかった。でも、突然の退部届けだったから話し合ったよ。二時間もだ。でも、神代の返答は「ごめんなさい、辞めます」の一点張りだった。なんとか折り合いをつけようと思ったけど、辞めるって言ってる奴を無理に引き止める訳にもいかないしね」

「そう、だったんですね……」

 

神代さんは、大鹿島部長にも退部理由を言っていなかった。

けど、益々分からなくなってきた。退部届が受け渡された一昨日、大鹿島部長と神代さんが長い時間話し合いをしていたのは知っていた。大鹿島部長はおちゃらけた人かもしれないけど、誰にも相談しなかった退部理由を吹聴する様な事はしない。大鹿島部長は、誰よりも部員の事を大事に思っている。

どうして……。

 

「大畑さんは何か知ってる?同じ一年だし」

 

須藤くんが黙って話を聞いていた大畑さんに聞いた。

しかし、大畑さんは目をぱちくりさせながら首を振った。大畑さんはあまり言葉が堪能じゃない。

 

「あっ」

 

大鹿島部長が声を上げた。

 

「楓、ちょっとこれを見てくれ」

 

大鹿島部長に手招きをされたので、部長が向き合っているパソコンを覗き込む。pdf化された様々なデータが並んでいる中、大鹿島部長は一つのデータにマウスカーソルを合わせた。

 

「神代の、テスト期間前に提出された小説の途中経過のデータだ」

「神代さんは小説のデータを提出してたんですか!?」

 

私は素っ頓狂な声を上げる。

テスト期間前、文芸部の文集に小説を掲載する部員は、途中経過を部長に送信するように指示されていた。これが提出されているという事は、神代さんはやはり、文化祭に文芸部部員として参加する予定だったのだ。

 

それに、この小説の途中経過は、文芸部に残っている神代さんの唯一のモノ。もしかしたら、もしかすると、これに退部理由の手がかりがあるかもしれない。

 

「開くぞ」

 

部長言う。私は

 

「ああっ!!ちょっと待ってください!!」

「なんだよ、気になるんじゃないのか」

「まだ心の準備がというかですね!!」

「うるさいな、どうせ見るんだから押すぞ」

「ひいいいい!!!」

 

なんの躊躇いもなく、困惑する私を無視して部長はファイルをダブルクリックした。

いつの間にか私の後ろには須藤くんと大畑さんがおり、私達四人は開かれたファイル、神代さんの小説の途中経過を目にした。しかし……

 

「えっ!」

 

私は再び、素っ頓狂な声を上げた。

 

()()()()白紙だった。

 

神代さんの小説は、途中経過というにはあまりにも進んでおらず。一言二言ほどしか文字が書かれていなかった。

何も情報がないファイル内に僅かに書かれた文字は、《小説のタイトル》、《小説のテーマ》の二つだった。

 

私は、それをそっと読み上げる。

 

「タイトルは……《You're My Love Story》。テーマは、《決して叶わない恋》」

 

『あなたは私の恋の物語』……か。

 

 

━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

「決して叶わない恋って言えば、やっぱりロミオとジュリエットなんかが有名どころだよ。いや、人魚姫とかもあるね。まぁ僕は、どっちも趣味じゃない」

 

福部くんは持ち前の巾着袋を肩に背負った。

 

部長から話を聞いたあと、お手洗いで部室を出た私は、ちょうど総務委員会の会議が終わり地学講義室に向かう福部くんと遭遇した。

私は少しだけ神代さんの話をしてみた。神代さんの小説、《You're My Love Story》に書かれていた小説のテーマ、《決して叶わない恋》。それについて連想されるものを福部くんに聞いてみたのだ。

 

「ロミオとジュリエット……人魚姫……。うん、どっちも好きな人と結ばれてない。他にはあるかな?」

「うーん、思いつこうと思えばいくらでもあるけど」

 

福部くんはそういいながらバツの悪い顔をした。

 

「桜さん。悪いけど、《決して叶わない恋》なんてものをテーマにしてる創作物はこの世界にありふれてる。僕は今、思いつこうと思えばいくらでもあるって言ったけど、いくらでもありすぎるんだ。このテーマから君の後輩の小説の内容、それに退部理由を考えようってのは悪手だよ。連想ゲームをするには、埒が明かない」

「うっ!」

 

私は思わず身じろぎしてしまった。福部くんの言う通りだ。そもそも、《You're My Love Story》が神代さんの退部理由に繋がっているという考え自体、私の希望的観測だった。神代さんが文芸部に唯一残したものだったから。

 

やっぱり、上手くいかないなあ……。

今まで、南雲くんの推理を見たり聞いたりした事は少なくない。彼は凄い。誰も思いつかないような考え方をして、物事に真相に誰よりも早く辿り着く。

今回の事も、南雲くんに相談すれば、もしかしたら私を事の結末まで連れてってくれるのかもしれない。神代さんの退部理由を、考えてくれるかもしれない。

 

でも……南雲くんに頼りっぱなしなら、私は南雲くんの隣にいる資格は無い。

 

「僕らも」

 

黙っていた私に向かって、福部くんは口を開いた。

 

「僕らも、大事な後輩を失ってる」

 

福部くんの顔にそっと影がかかった気がした。

きっと、大日向さんだ……。

 

「ハルとホータローはなんとか引き留めようと頑張ってくれたけど、無理だった。二人とも意外と落ち込んでたみたいだから、僕はさっぱりしたような顔で言ったさ。「しかたない」って」

 

福部くんは廊下の窓の外を見る。

 

「でも、やっぱり、僕も辛かったよ。大日向さんは一人で悩んでたんだ。二ヶ月も一緒にいたのに、僕ら五人は誰一人、大日向さんが苦しんでる事に気付かなかった。辿り向いた真相も、気持ちのいいものじゃないって聞いてる」

 

私も、大日向さんが古典部を去った理由を詳しくは聞いていない。

 

「でも、君はまだ間に合うかもしれないんだろ?」

 

福部くんはいつの間にか、こちらを向いていた。

私は頷く。

 

「うん、私は、神代さんを文芸部に連れ戻したい。何かわだかまりがあったなら、それを解きたい」

 

福部くんの目を見据える。そして、言った。

 

「神代さんは……私の大事な後輩だから」

 

福部くんは薄く笑った。そして

 

「そうか、それは素晴らしい事だよ、桜さん。じゃあ、僕から一つだけアドバイスをしよう。大日向さんの時、ハルとホータローは過去の出来事を振り返っていた。もしかしたら、こういう考え方は役に立つかもしれない」

「ありがとう」

 

福部くんは振り返り、手を振った。

 

「じゃあまたね、桜さん。……でも」

「どうしたの?」

「もし……推理を続けていく中で真相に近づいて、その真相が()()()()()()()()()()()()()()()()なんだとしたら、すぐにでも推理を辞めるべきだ。真実を明らかにするのが、良い事とは限らない。もしかしたら、()()()()()()()()()()()()()()()()もある。あと……」

 

福部くんは一度躊躇った。そして

 

「ロミオとジュリエット、人魚姫。さっき僕があげた二つの物語、《決して叶わない恋》をテーマにあげた作品の結末は……」

 

 

 

 

 

 

「そのほとんどが悲劇だ」



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第四話 You're My Love Story 転

最新話更新です!!!

桜の《探偵役》どうですかね……?

評価、感想、よろしくお願いします!


 ︎︎夏休み開始まで、あと二日

 

 ︎︎過去二十一日前

 

「桜先輩は、好きな人とかいるんですか!?」

「あべらヴぶぼ!!!す、好きな人!?!?」

 

 ︎︎後頭部を叩かれた気持ちになった。

 ︎︎ついさっきまで来週から始まるテスト期間が憂鬱だと話していたにも関わらず、そんな話題を振られるとは思っていなかった。

 ︎︎

 ︎︎私の身長は女子の平均よりも低いけど、隣を歩く神代さんはそんな私より背が低かった。けれど、いかにも文化系な白い肌と長いまつ毛、肩上で切りそろえられた真っ黒のボブカットは、その幼い印象とは裏腹にしっかりと高校生ながらに手入れされている事が分かった。

 ︎︎文芸部が終わった帰り道。校門を出て右に曲がると、もう人の気配は少なくなっている。逆に左に曲がると南雲くんや折木くんの家、商店街があり、その商店街を抜けた先には神山駅がある。

 ︎︎電車通学の生徒も多い為、校門を出ると左に曲がる生徒が多いのだ。そんな中、文芸部でも私と神代さんだけが校門を出て右に曲がる。だから、私と神代さんが帰り道を一緒に歩くのは必然的な事だった。

 

 ︎︎神代さんは、私の素っ頓狂な反応に声を出して笑った。

 

「あははは!!なんですかその反応!!」

「い、いや!突然そんな質問するから!」

「でも、そんな反応するってことはいるってことですよね?」

 

 ︎︎神代さんは悪い顔になる。

 ︎︎私は自分の顔が熱くなるのを感じた。南雲くんの顔が頭に出てきたからだ。

 

「ま、まぁ……いるにはいるけど……」

「え!え!え!!いるんですか!?どんな方ですか!?神高ですか!?文芸部ですか!?同じクラスですか!?お話聞きたいです!!」

「いやいやいや!話すほど大層な事をしてるわけじゃないって!」

「えー!!桜先輩が奥手そうってのは何となく分かりますけど、何も無いってことは無いですよね?」

 

 ︎︎神代さんはわざと頬を膨らませた。「ブーブー」とブーイングを真似た声を出している。

 ︎︎てか私、いまディスられた?まぁ奥手なのは事実なんですけどね。ええ、ええ……。

 

「なるほどなるほど、桜先輩は想い人がいるんですね。時折見せる女の顔はそういう事だったのか……」

「女の顔て……」

「で、話は戻りますけど、その人とは今どういう感じなんですか?」

「どんな感じって……う、うーん。私なりに頑張ってるよ?毎日朝と帰る時は挨拶してるし」

「そんなの、別に友達でもやりますよ」

「それを言ったらおしまいだよ……」

 

 ︎︎神代さんは一度「うーん」と悩んだ後、思い付いたような顔をして隣を歩く私に向き直る。

 

「それじゃあ、イエスorノーゲームやりましょう!私の質問にイエスかノーで答えてください!先輩がその好きな人とどこまで行ったのか、私がアドバイスして差し上げよう!」

「別にいいけど、神代さんは彼氏とかいた事あるの?」

「ないですよ」

 

 ︎︎即答だった。あ、アドバイスになるのかなあ……。

神代さんが私の恋バナで楽しんでるだけに見えるけど。

 

「じゃあやりまーーす!!」

 

 ︎︎今の会話をはぐらかす様に神代さんは片手を挙げて言った。

 

「まぁ、挨拶してるって事はそれなりの仲って事ですよね。それじゃあ……、その人と二人で遊んだ事はありますか?」

 

 ︎︎私は答える。

 

「あ、うん。あるよ。この前はお団子食べいった」

「おっ!放課後お団子デート!いいですねぇ、ちゃんとした遊びとか食事じゃないのが桜先輩らしくて実にいいです!」

 

 ︎︎な、なんかバカにされてるなあ……。

 

「二問目!!その人にバレンタインはあげました?」

「一応渡したよ。友チョコっていう体で……」

「えー、そこで告っちゃえばよかったのに」

「まぁ、バレンタインの時も色々あったんだよ」

「そうですか。まぁ私も、あんまり好きバレしたくない派です。……じゃあ三問目!!」

 

 ︎︎どんどんくるなあ。

 

「その人の手を握った事はありますか?」

 

 ︎︎手……、手か。

 

「うん」

「えっ!!」

 

 ︎︎流石の神代さんも声をあげた。

 

「きゃ〜!!先輩ってば、意外とダイタン〜!!!!」

 

 ︎︎バシッと背中を叩かれた。あの、私、一応先輩……。

 

「あ!《ホーリーナイト》でだよ!毎年クリスマスに神高でやるクリスマスパーティー。そこのプログラムに社交ダンスがあるんだ」

「え!!じゃあ、先輩はその人と社交ダンス踊ったんですか!?」

「あ〜、色々あって本番は踊れなかった……。練習会では踊ったよ。うん……凄く……楽しかった」

 

極寒の十二月、私の手を優しく握ってくれる、南雲くんの手が暖かかった事を思い出した。

 

「でぇえへへへ」

「笑い方笑い方……。あっ、あとそれですよ、女の顔」

「そんな言い方しないでよ!!」

 

 ︎︎神代さんはまたケラケラと笑い、スカートのポケットの中に手を突っ込んだ。そして、その手を外に出す瞬間黒くて四角いものがチラリと見えた。なんだろう。

 

「ところで」

 

 ︎︎神代さんがそう切り出したので、私の興味は黒くて四角いものから神代さんの発言に変わった。神代さんは少しだけ俯きながら、口をもごもごさせている。先程までの勢いはなかった。

 ︎︎私は気づくべきだったんだ。この日の神代さんが少しだけ、様子がおかしかったことを。

 

「ところで、桜先輩はその人に告白とかしないんですか?」

「したよ」

 

 ︎︎即答した。この事に関して、私は躊躇うことは無い。

 

「え」

 

 ︎︎今度は神代さんが素っ頓狂な声をあげた。私は少しだけ笑った。

 

「え、でも、その人とはお付き合いしてる訳じゃないんですよね?……それって」

 

 ︎︎神代さんの声が不穏になる。きっと、私が振られたのだと思ったのだろう。

 

「ちょっとね、色々あって、南雲くんは……その人は、今は私の気持ちに答えられないんだ。でも、きっと答えてくれるよ。私はそう思ってる」

 

 ︎︎信じてると言ってもいい。だから私は、その時を待っている。

 ︎︎南雲くんが自分の問題を解決して、私に答えを教えてくれるその日を。

 

 ︎︎私の言葉を聞いた神代さんは声を上げようとした。でも、口がパクパク動いただけで、何も言わなかった。

 

 ︎︎私の家は、もう目の前だった。

 

「じゃあ、また」

 

 ︎︎私は家の前で神代さんに手を振る。すると

 

「あっ」

 

 ︎︎神代さんが私を引き止めたような声がしたので、私は耳を傾けた。

 

「どうしたの?」

「あの……えっと……そんな人、諦めちゃっていいんじゃないですかね」

「え?」

「先輩のことなんで、私は強く言えないですけど、おかしいですよ告白の返事を遅らせるなんて。どれだけ勇気を出して先輩が告白したのか、その南雲って人は分かってない」

「普通はそうかもしれないけど、状況が状況だからさ」

「……そうですか」

 

 ︎︎神代さんは早く引き下がった。そして、いつもの笑顔に戻った。

 

「引き止めちゃってすみませんでした!じゃあ先輩、さようなら」

「うん、またね、神代さん!」

 

 ︎︎そして、神代さんは再びニコッと笑った。

 

 

 ︎︎そしてテスト期間が終わり、神代さんは退部届を提出した。

 ︎︎そしてこれが……神代さんと最後に話した日だった。

 

 

 

 

 ︎︎━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

 

 ︎︎夏休み開始まで、あと二日

 

 ︎︎昨日、福部君から過去の出来事を思い出すという方法を教えてもらって、私は神代さんと最後に話した日を思い出した。

 ︎︎思い返せば、やっぱあの時の神代さんの様子はおかしかった。

 ︎︎あの会話が、神代さんの退部理由に関わってる……?だとしたら、《You're My Love Story》は退部理由とは全くの無関係?

 ︎︎でも、共通点はある。神代さんはあの日、()()の話をしてきた。そして、《You're My Love Story》も()()にまつわるストーリーだろう。そして、《You're My Love Story》のテーマ、決して叶わない恋の結末は、そのほとんどが悲劇……。

 

 ︎︎夏休みが今日を入れてあと二日で始まろうとしていた。

 

 ︎︎昼休み。ナギちゃんが委員会でいないので、私は一人でお弁当のクリームコロッケをつつきながら考えていた。辺からはこれから始まる夏休みに心を躍らせる人達の声、予備校で埋め尽くされ、この世の終わりのような声を上げる人達の声など、様々な音が私に情報を与えた。

 

 ︎︎かくいう私も、夏休みは忙しい。

 ︎︎もちろん、文化祭で出版する文芸部の文集に掲載する小説を完成まで持っていかなきゃならないけど、文芸部とは他に私にも予備校の予定が入っていた。

 ︎︎

 ︎︎大学に進学するのは両親との約束だった。まあ私も、大学に行かないつもりは無い。なんだかんだで、神高は神山市内でも随一の進学校で、大学進学率はかなり高い。上位国立大学に進学する人もいて、二年のこの時期から予備校に通う人は多いだろう。

 ︎︎私はそこまでレベルの高い大学を狙ってるわけじゃない。きっと、社会に出たら「良くも悪くもないね」と言われるような大学を卒業する。それか……

 

 ︎︎私は机の中から、二枚の大学案内を出した。

 

 ︎︎一つは神山市内の大学がいくつか掲載されているもの。もう一つは、東京の大学が掲載されているもの。

 

 ︎︎南雲くんが神高を卒業したらどうするのか、私は知らない。

 ︎︎でも、仮に東京に戻るつもりなら、私たちの関係次第では私は東京に着いていくだろう。私は南雲くんを支えると誓ったから。隣にいると誓ったからだ。でも……

 

 ︎︎

「こんな重い女、嫌かなぁ……」

「誰が重い女なんだ?」

 

 ︎︎声がした先に私は視線を向ける。

 

「な、南雲くん!?!?」

「よう桜。で、誰が重い女なんだ?」

 

 ︎︎南雲くんは私の前の席にどかっと座りお弁当を広げ始めた。

 

「あ、いや、なんでもないよ!それで、どうしたの?」

「お前が一人で弁当を食べてたから、一緒に食べてやろうかと思って」

「え……」

 

 ︎︎やっぱり優しいなあ、南雲くんは。

 

「そうだ」

 

 ︎︎南雲くんが生姜焼きを口に運ぼうとしたその瞬間、何かを思い出したかのように言った。

 

「昨日、桜の後輩に会ったぞ」

「後輩?」

 

 ︎︎誰だろう。文芸部は古典部ほど部員数が少ない訳じゃない。むしろ他の学校にもあるメジャーな部活だから、神高の部活動全体で見ても部員数は多い方だ。だから南雲くんと文芸部の子が関わる可能性は0じゃない。

 

「会ったこともないのに、何故か俺の顔を知ってたな。帰り道、突然話しかけられたから驚いたよ。名前はなんて言ったかな……確か、神代だった気がする」

 

 ︎︎その途端、私はお箸を放り投げる勢いで立ち上がった。

 

「神代さんと会ったの!?!?!?!?」

 

 ︎︎私が突然大声を上げたので、南雲くんは驚いた顔をする。辺りの昼食に勤しむクラスメイト達の視線をこちらを向いた。私は顔が熱くなるのを感じて、直ぐに椅子に座り直す。そして声を潜めた。

 

「どうして神代さんと?」

「どうしてもこうしても、俺も分からんぞ。奉太郎と里志と歩いてたら、突然話しかけらた」

「それで、どういう会話をしたの!?」

 

 ︎︎そう聞くと、再び南雲くんは驚いた顔をした。そうして少しだけやつれた顔をする。

 

「あー、いや、怒られた」

「お、怒られた!?」

 

 ︎︎思わず吹き出してしまいそうになる。後輩女子に叱られる南雲くんの図を思い浮かべてしまった。

 

「ああ、まぁ怒られたというより、強い口調でな。「私はケジメを付けてきました。先輩も、ケジメを付けてください」って言われたよ」

「ケジメ……?」

「ケジメという言葉に、俺も思う所が無いわけじゃない。まぁ……色々とな」

 

 ︎︎多分のその色々に、私の告白や南雲くんの過去が含まれている。

 ︎︎南雲くんはじっと私の顔を見る。

 

「最初はなんだと思ったけど、お前の思い悩んでそうな顔を見て分かった。文芸部で何か問題があったか?」

 

 ︎︎やっぱり南雲くんは勘がいい。

 ︎︎でも……

 

「桜?」

 

 ︎︎でも、多分この時の私は、南雲くん以上に勘が冴え渡っていた。

 ︎︎今までの出来事、そして神代さんが無地で提出した小説《You're My Love Story》の意味……それぞれがパズルのように私の脳内で組み立てられていく。

 

 ︎︎でも、少しだけ足りない。確信的な何かが。

 

 ︎︎でも、これが結末だったら……神代さんが何の連絡もなく部活を辞めた理由が、そういう事だとしたら……こんなのって……。

 

 ︎︎私の中で、一つの結末が出来上がっていた。

 

 ︎︎身体が震えた。福部くんの言葉が蘇る。

 

 ︎︎『真実を明らかにするのが必ずしも良い事とは限らない』

 

「こんなのって……こんなのってないよ……」

「桜!」

 

 ︎︎南雲くんが私に呼びかけていた。ようやく南雲くんの言葉に気付いた私は、ハッと顔を上げる。

 

「大丈夫か?やっぱり、文芸部でなにかあったのか?」

「南雲くん……私……私……ごめん……!!」

「さ、桜!?」

 

 ︎︎私は飛び上がるように椅子から立ち上がると、廊下に走り出した。

 

 ︎︎私は普通棟の階段を一気に駆け上がる。

 ︎︎確信が欲しかった。()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 ︎︎私は一つの教室の前に辿り着く、そこは()()()()()()()()()()()()()私はすぐ側を歩く一年生に目的の人を呼んでもらったそして……

 

「どうしたんですか?」

 

 ︎︎クラスメイトから呼ばれて廊下に出てきたのは、昨日一緒に神代さんの退部理由を考えていた、大畑由希さんだった。

 

「大畑さん、少しだけ話があるんだ。今大丈夫?」

「はい、えと、大丈夫ですけど」

 

 ︎︎突然息切れを起こした先輩が自分を訪ねてきたのだから、混乱するのは当然だ。私は息を整え、吸った。そして

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ︎︎大畑さんは驚いた顔をした。




次回《You're My Love Story》完結です


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第五話 You're My Love Story 結

You're MLove Story 完結です

お気に入り、感想、評価、よろしくお願いします!!


 ︎︎夏休み開始まで、あと二日

 

「神代さんの昔の恋愛について教えて欲しい。大畑さんは神代さんと同じ中学でしょ?」

 

 ︎︎昼休み。夏の暑日差しが廊下の窓から流れ込み、廊下は蒸し暑い。辺からはこれから始まる夏休みの話題で持ち切りの中、私がわざわざ一年生の教室に訪れた理由は、私が辿り着こうとしている神代さんの退部理由の真実を否定したいからだった。

 ︎︎既に私の中には一つの結論が浮かんでいた。けど、それが神代さん退部の理由だとしたら、そんなのは……あまりにも……

 

「どうしてそんな事聞きたいんですか?というか、私と神代が同じ中学ってどこで……?」

「もしかしたら、それが神代さんの退部理由に繋がるかもしれないんだ。同じ中学っていうのは昔、神代さんに聞いた」

 

 ︎︎「そっか」そう呟いて、大畑さんは黒い何かをポケットにしまった。一瞬だけ見えたのは、《鏑矢中学校卒業記念品》と書かれたパスケースだった。

 ︎︎折木くんや福部くん、伊原さんと同じ中学だ。

 

「別に私、中学時代も神代と仲良かった訳じゃないので、分からないですよ。クラスも同じになった事ないし、中学の頃は部活も違ったから。でも……有名な話がない訳じゃないです」

「有名な話?」

「絶交したんですよ、神代は。いつも一緒にいた友達と」

「絶交?」

 

 ︎︎私は眉をひそめた。大畑さんは辺りをキョロキョロと眺める。あまり周りに聞こえても気持ちのいい話ではないようだ。でも、今は絶好な事に周りは騒がしく他人の会話に耳を傾けるのは難しいだろう。大畑さんもそう判断したみたいで、それでも少しだけ声を潜めながら言った。

 

「彼氏ですよ。その友達に、彼氏が出来たんです」

「友達に彼氏が出来たから絶交したの?」

「まぁ、ただ彼氏が出来ただけで絶交されたら、たまったもんじゃないですよね」

 

 ︎︎大畑さんは更に声を潜めた。

 

「どうやら、神代はその友達の彼氏の事が好きだったみたいで、それが耐えきれなくてその友達の元を去ったらしいです」

「その友達は神高の生徒?」

「まさか、違いますよ」

 

 ︎︎じゃあ、その神代さんの友達から話は聞けないか。

 

「あの」

 

 ︎︎遠慮しがちな大畑さんの声が聞こえてくる。

 

「どうしたの?」

「神代の小説……《You're My Love Story》。あれの内容、私少しだけ知ってるんです」

「え!」

 

 ︎︎《You're My Love Story》の内容を知っている?

 

「前に部室で、少しだけ神代と話したんです。彼女は《You're My Love Story》を執筆していて、その時も白紙だったと思います。それで、小説の内容を聞いたんです。そしたら、『私の今の気持ちを表現したい』って言ってました」

「今の気持ち……」

 

 ︎︎なるほど……。

 

「桜先輩」

 

 ︎︎考える私に再び大畑さんが話しかけてきた。

 

「ん?」

「神代の退部理由、何か分かったのなら私にも教えてくれませんか?……その、一応同じ中学だし、高校生になって初めて話したけど、いい子なんですよ、神代は。少しうるさいけど、傷つきやすい子なんだと思います」

 

 ︎︎大畑さんが照れくさそうに言ったから、私は嬉しくなった。

 ︎︎神代さんが部活を去った時、みんな淡白だと思った。でも、やっぱり寂しいんだ。

 ︎︎でも……

 

 

 ︎︎━━━━━━━━━━━━━この結論は、誰にも言えない

 

 

 ︎︎だから私は、精一杯の笑顔で答えた。

 

「うん!大畑さんがそう言ってくれて嬉しいよ!でも、私にも全然分からないんだ」

 

 ︎︎大畑さんは目をパチくりさせた、もしかしたら今の私の笑顔はどこか引きつっていたのかもしれない。でも、大畑さんは察してくれたみたいだった。

 

「そうですか、それは残念です」

 

 ︎︎そう言った大畑さんの顔は、どこか儚げで、優しかった。

 

 

 

 

 

 ︎︎━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

 

 ︎︎その日の放課後、私は一人、神山駅の改札前に立っていた。

 ︎︎明日は終業式と一学期の成績が配られ、午前中で神山高校一学期の全日程が終了し、夏休みに突入する。

 ︎︎私は気を紛らわす様に英単語帳をペラペラとめくるが、もちろん頭になんて入ってこない。時折、神山駅の改札を通る神高生に目を向け目当ての人物が訪れるのを待っていた。

 

 ︎︎昔、南雲くんが言っていた。何か出来事が起きた際に、その出来事の鍵を握る人物と対峙する事がある。その時はいつも気が重いと。

 ︎︎南雲くんのように推理能力というのを持たない私に、そんな機会はやって来ないと当時は思っていたけど、今回の私はどうやら冴えていたみたいで、予期なくそんな機会がやってきた。緊張で唇が乾く。しっかり立ってないと足が震える。深呼吸をしないと胃から何かが湧き上がってくる。

 ︎︎でも、思考だけは鈍らせてはいけない。私には義務がある。それはきっと、大袈裟に言うと、()()をしてしまったからだ。

 

 ︎︎真実を知ってしまった。それはきっと、福部くんの言っていた()()()()()()()()()()()()ものかもしれない。心に留めておくことも出来る。

 ︎︎私はよく優しいって言われる。でも違う。私は臆病者なんだ。誰かから嫌われるのが怖いから、その人にとって一番いい選択肢を選んで提示しているだけに過ぎない。

 ︎︎今回の一番いい選択肢は、《真実を口にしないこと》。

 

 ︎︎でも、私だけがその真実に気付いているのに、それを口にしなかったら、きっと後悔する。

 

 ︎︎それに……

 

「桜……先輩……?」

「久しぶり、神代さん」

 

 ︎︎黒いパスケースを持った神代さんが、神山駅前にいる私に気付いた。

 

 ︎︎()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ︎︎そんな事は絶対にしたくなかった。

 

 

 

 ︎︎━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

 

 ︎︎私達は神山駅から神高に戻るように、来た道を引き返した。

 ︎︎ずっと無言だったけど、神高の正門を通り過ぎ、私の帰り道に突入した所で、私は切り出した。

 

「部活がある時はいつも二人でこの道を歩いたよね、懐かしいや」

「もうって、最後に歩いたの三週間前ですよ?」

「そうだね、でも懐かしい」

 

 ︎︎神代さんは元気がなかった。やっぱり、私の帰り道は人気が少ない。

 

「神代さんは()()()()使()()()()()()()()()だったんだね」

 

 ︎︎神代さんの目が大きく開いた。

 

「三週間前。最後に一緒に帰った日、神代さんはスカートのポケットの中をずっと弄ってた。一瞬だけポケットから黒くて四角いモノが見えたけど、それは()()()()()()()()()()()だよね?」

 

 ︎︎しかもそれは、《鏑矢中学校卒業記念品》のモノに違いない。同じ中学校の大畑さんも同じモノを使っていたからだ。

 ︎︎神代さんは顔を俯かせる。

 ︎︎私は続ける。

 

「私と神代さんは帰り道が一緒だった。いつも校門を出て右に曲がる。逆に、校門を出て左に行けば神山駅があるし、電車通学の人も多いからそっちに行く人の方が多い。でも、考えてみればおかしいんだよ。どうして、()()()()()()()()()()()()()()()()使()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ︎︎私が思うに、鏑矢中学校出身の人は校門を出て左に曲がる人が多い。大畑さんもパスケースを持っているなら神山駅に向かうため左に曲がるだろうし、南雲くんと一緒に帰ってる鏑矢中学校出身の折木くんや福部くんも、校門を出て左に曲がる。

 ︎︎お昼休みの時に、南雲くんと折木くん達が一緒に帰っているのは聞いたし、何となく知っていた。

 

 ︎︎神代さんはボブカットの髪を人差し指でクルクルさせながら、隣に歩く私に言った。私は進行方向に顔を向けているので、神代さんの顔は見れなかったけど、声色から焦りが見えた。

 

「そんなの、先輩と仲がいいからじゃないですか。別に仲良い人と話してたいから、わざと遠回りして帰るくらい誰だってしますよ」

 

 ︎︎その通りかもしれない。でも、仲がいいからと言って、わざわざ自分の家とは逆方向に歩くような遠回りをするだろうか。ましてや神代さんは神山駅に着いてから電車に乗らなくてはならない。かなりの時間ロスだ。

 ︎︎けれど、どんな言い逃れも出来ない事は神代さんもわかっているだろう。

 

 ︎︎実際に私は今日、校門を出て左にある神山駅の()()()で神代さんを待っていたから。

 ︎︎用事があってたまたま神山駅に来たとも考えられるけど、定期券が入ったパスケースと神代さんが鏑矢中学校という状況証拠を並べれば、登下校に神山駅を利用しているのは一目瞭然だった。

 

「神代さん、覚えてるかな……?これも三週間前の事なんだけど、私達は《恋愛》の話をしたよね」

「そうですね、南雲先輩の話です。桜先輩が好きで好きで大好きでたまらない、南雲先輩の話をしました」

「そこまでは言ってないけどね!?!?」

 

 ︎︎そう言うと、神代さんは薄く笑った。神代さんがおどけるので、何だか気が抜けてしまう。

 ︎︎ごほんと私はわざとらしく咳払いする。

 

「昨日の放課後、神代さんが南雲くんに会いに行ったのは聞いたよ」

「え!?誰からですか!?」

「南雲くん本人から聞いた。どうして一度しか言ってない名前で本人を特定出来たか考えてみたけど、南雲なんて名前は珍しいから調べればすぐ分かるよね」

「本人から聞いちゃったかあ……」

 

 ︎︎神代さんは悔しそうに言った。帰り道は夕焼けに包まれていた。もうすぐ夕飯時で、辺りの家は夕食の準備をしているのか、お肉の焼けるいい匂いがしてきた。お豆腐屋さんが特有のメロディを発しながらこちらに向かってきたので、私達は道を開け、メロディが遠くなった所で私は再び口を開く。

 

「神代さんは南雲くんにこう言ったらしいね。『私もケジメを付けました。だから先輩もケジメを付けてください』って」

「だって、南雲先輩は桜先輩からの告白をはぐらかしてるって聞いたから。それって、いわゆるキープですよ。良くないです」

 

 ︎︎はぐらかしてるって表現は、あまり相応しくないかもしれない。色々事情が重なって、南雲くんは私からの告白の返事を先延ばしにしている。

 ︎︎でも、その事情を神代さんに話す訳にもいかない。

 

「……でも、やっぱり迷惑ですよね。私も同じ状況で、私の好きな人に第三者からケジメ付けろなんて言われたら、余計なことするなって思います。ごめんなさい」

 

 ︎︎神代さんはぺこりと頭を下げた。

 

「い、いいんだよ!私の為にしてくれたってわかってるから……」

 

 ︎︎でも、それより気になることは。

 

「でも、神代さんにとっての《ケジメ》ってなにかな?」

「え?」

 

 ︎︎神代さんは顔を上げ、驚いた顔をした。

 

「南雲くんにとっての《ケジメ》は、私の告白の返事をすること。そして、文芸部を退部することが神代さんにとっての《ケジメ》だって、最初に私は考えた」

 

 ︎︎私の推理披露はもう終盤に差し掛かっていた。変な汗が止まらない。明日から夏休みだから暑いのは当然だけど、暑い時にかく汗とは違う。

 ︎︎きっともう、この先、今この瞬間ほど頭が冴えることは無い。南雲くんや折木くんの真似事は私には向いてない。

 ︎︎ここからは一つも間違ってはいけない。

 

 ︎︎そしてもうそろそろ、私の家に着こうとしていた。神代さんとの帰り道も、もう終盤だ。

 

「じゃあどうして、文芸部を退部する事が神代さんにとっての《ケジメ》なんだろう?南雲くんが告白の返事をするのと、神代さんの文芸部の退部がイコール関係にあると私は思えない」

 

 ︎︎私はもう結論にたどり着いている。だからその結論に基づいた、神代さんの《ケジメ》を口にした。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()。それが神代さんにとっての《ケジメ》なんじゃないかな?」

「……っ!!!」

 

 ︎︎神代さんの鋭い息が聞こえた。不安げな顔で私を見つめる。

 

「南雲くんの話をした時、神代さんは私に『そんな人諦めればいい』って言ったよね?神代さんにとって、好きな人と距離を置くことは恋愛において一つの《ケジメ》なんだ。だから、文芸部に好きな人がいる神代さんは文芸部を辞めたんだよね?」

 

 ︎︎事実、神代さんは鏑矢中学校時代、とある人物と決別している。それは今日、大畑さんに聞いた話だ。

 

 ︎︎神代さんは何かを言おうとしているようだったが、声が出ていない。私と同様、変な汗がこめかみから顎に伝わって、こぼれ落ちた。

 

「じゃあ、神代さんの好きな人は誰なんだろう。南雲くんが私の告白に返事をしなきゃいけなくなるような人だから、文芸部で、南雲くんと関わりのある人物」

「違う……やめて……」

 

 ︎︎神代さんは聞きたくないというように耳を塞ぐ。

 

 ︎︎そうだ。

 

 

 

 ︎︎()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 ︎︎《You're My Love Story》のテーマは決して叶わない恋。そしてそれは、今の神代さんの心情を表している。

 ︎︎神代さんは私を一人の人間としてではなく、同じ部活の仲のいい先輩としてでもなく、友達としてでもなく、恋愛対象として私を見ていた。

 ︎︎自分の家とは逆方向に住んでいる私とわざわざ一緒に帰り、私に好きな人を諦めろと諭した。

 ︎︎そして、好きな人と距離を置く事で恋愛に一区切りを付ける神代さんが、文芸部を退部した理由。

 

 ︎︎それは、神代さんが私に恋をしていたから。

 

 ︎︎私がこの一週間、喉から手が出るほど知りたかった神代さんが文芸部去った原因。

 

 ︎︎ああ……まったく、バカみたいだ……。

 

 

 ︎︎その原因は、紛れもない、私自身だった。

 

 

 ︎︎南雲くんが神代さんに話しかけられたと聞いた時から、この可能性は頭にあった。《ケジメ》という言葉を聞いたからだ。南雲くんが私の告白に返事をする事と、神代さんが文芸部を去る二つの《ケジメ》の間に相互性はなかった。けれど、神代さんを調べていく内に《恋愛》がなにか関わってくると感じた。神代さんも南雲くんに恋心を寄せている可能性もあったけど、昨日初めて南雲くんと神代さんが顔を合わせたなら、その可能性自体低い。そして、その後の大畑さんの話を聞いて、私の考える可能性は確信へと変わった。彼氏が出来た親友の元を去った過去、定期の入ったパスケース、この二つがキーアイテムだったのだ。

 

 ︎︎本来なら、この結末を知ってしまったら、放っておくのが普通なのかもしれない。だって今私は、『あなたが文芸部を去った理由は、私の事が好きで、その恋が叶わないと判断したからでしょう?』と言っている様なものだ。あまりにも性根が悪すぎる。

 

 ︎︎けれど、この結末を見逃すなんて事は、私には出来なかった。

 ︎︎さっき言った、探偵をしたからだけが理由ではない。

 

 ︎︎恋の決着が着かないもどかしさを、私は知っているから。

 

 ︎︎神代さんは目の前で、耳を塞いだまま動かない。うつむいて、嗚咽のようなものを発している。泣いているのかもしれない。

 ︎︎もう、決着を着けよう。

 

 ︎︎言うんだ。

 ︎︎『私は、南雲くんのことが好きだから、神代さんの気持ちには答えられなかった、ごめん』と。

 

 ︎︎私ほ、重い口を開いた。……でも

 

「……」

 

 ︎︎声が、出なかった。

 ︎︎私自身が喋っているつもりでも、それが音として発せられることは無い。

 

 ︎︎そんな私を見て、神代さんは驚いた顔をする。

 

「あの……えっと……」

 

 ︎︎何を躊躇ってるんだ、私。言え、言え……!神代さんを否定する自分がまだ可愛いのか、まだ自分が悪者になるのが怖いのか。

 ︎︎神代さんの恋を……中途半端で終わらせるな……!!

 

 ︎︎視界が歪んだ。私の目に、涙が溜まった。そして、それと同時に声も流れた。

 

「やっぱり、言えないよ……」

 

 ︎︎神代さんはそんな私を見て、そして笑った。

 

「どうして先輩が泣くんですか?泣きたいのは私なのに」

「うん……ごめん……そうだよね……ごめんね……ごめんね、神代さん」

「……先輩」

 

 ︎︎神代さんがこちらに歩いてきた。うつむいて泣いていたので、私の目の前で足を止める神代さんのローファーが見えた。

 ︎︎私が顔を上げると、神代さんは満面の笑みで、言ったのだ。

 

 

「私、桜先輩が好きです。大好きです!!」

 

 ︎︎神代さんは優しい子だ。

 

「女の子が女の子を好きになっちゃうなんて、やっぱり変ですよね。分かってます。でも、私は女の子を好きになっちゃうみたいで!おかげで生まれて此の方、恋人なんて出来たことなくて、えへへ」

「そんな事ない……変なんかじゃないよ……」

 

 ︎︎私なんかよりも、ずっと辛いはずなのに。

 

「でも、まぁ、私と付き合ってみるのも案外いいかもしれないですよ?ほら、女の子同士、分かり合える事も多いだろうし。それに、南雲先輩なんかより、私の方が先輩の事を幸せに出来る自信があります!」

 

 ︎︎きっとこんな事、神代さんは言うつもりじゃなかった。

 

「私、嬉しかったです。私の恋を受け止めようとしてくれて。私を、一人の恋する女の子として扱ってくれて」

 

 ︎︎当たり前だ。

 

「結婚も出来ないし、子供も出来ないし、それでも、絶対幸せにしますよ……。だから、先輩……」

 

 ︎︎神代さんは淀みなんて一切ない、満面の笑みで言った。

 

「私と、付き合ってください」

 

 ︎︎ああ……、言わせてしまった……。

 

「ごめん……ごめんね……神代さんとは付き合えない……」

 

 ︎︎私はもう一度自分が泣いている事に気付いた。そして

 

「だから、なんで先輩が泣くんですか」

 

 ︎︎神代さんも、泣いた。

 

 

 

 

 ︎︎━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

 

 ︎︎その日の夜、私はベッドに横たわっていた。

 

 ︎︎自分の情けなさを振り返り、ベッドを何度も叩く。本当はもっと暴れたかった。大声を出して、教科書やモノをひっくり返して、大暴れしたかった。

 

 ︎︎神代さんは、《You're My Love Story》を執筆しようと思った時、何を考えていたんだう。

 ︎︎けれどもう、そんなことを考えられるほど、私の頭は冴えていなかった。

 

 ︎︎本当に自分に腹が立つ。消えて居なくなりたい。

 

 ︎︎いつもそうだ。結局自分じゃ何も出来ない。南雲くんに告白しただけなのに、返事も来てないのに、そんな自分を誇らしく思っていた。

 ︎︎私なんかより、神代さんの方がよっぽど勇気がある人だった。

 

 

 

 ︎︎もう、逃げるのはやめよう。泣くのもやめよう。

 ︎︎でも……

 

 

 

「もう、疲れたよ。南雲くん」

 

 

 

 ︎︎推理なんて慣れないことしたせいか、身体はぐったりだった。

 ︎︎もう夜も遅く、明日は終業式で遅刻する訳にはいかない。

 

 

 

 ︎︎私は重い体を立ち上がらせ、部屋の電気を消した。

 

 

 ︎︎真っ暗になった部屋で、私はもう一度ベッドを力強く叩いた。

 ︎︎携帯の時間を見ると、もう0時を回っている。

 

 ︎︎夏休みまで、もう一日を切っていた。




You're My Love Story完結です!!

久しぶりの投稿がシリアスな話になってしまいました。

このお話は桜楓というキャラクターのターニングポイントとなるお話です。
最終章にも繋がってきます。

次回からは原作回突入です!

晴、奉太郎、里志の古典部男子トリオが夜の街を歩きます!

次回

《箱の中の欠落》


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第六話 箱の中の欠落 起承(きしょう)

原作回、《箱の中の欠落》投稿です!

お気に入り、感想、評価、よろしくお願いします!

長くなりそうなので前後編に分けました。


 例えば、俺の友人、折木奉太郎は過ぎたことをあまり覚えている方ではないと言う。まあこいつの《省エネ主義》を鑑みれば、なんて事ない過去の出来事を覚えておくなど、《やらなくてもいいこと》に含まれているのだろう。

 かく言う俺だって、昔の事を鮮明に覚えているわけじゃない。けれど、やはり記憶というのはおかしなもので、その時にはどうでもよかった様な出来事が、生涯忘れることの無い思い出になるなんてのは珍しくない話だ。

 例えば、二年生に進級した年の六月。生ぬるい風を浴びながら男三人で夜の街を徘徊し、言葉を交わしたこの日だ。

 まぁこの出来事が本当に記憶に残ってるか確かめられるのは、十年や二十年先にようやく分かる事なのだが。

 

 事の始まりは、奉太郎の家に差し入れを持って行った時にかかった、ひとつの電話だった。

 

 何の変哲もないインターホンが鳴り響き、家主の一人がのそっと顔を出した。

 俺は軽く手を上げる。

 

「よう」

「ハルか、すまんな」

 

 ︎︎俺、南雲晴は折木家に訪れた。

 ︎︎奉太郎の家族は全員がそれぞれの用事で出払っており、次の日まで奉太郎一人だと学校で聞いた俺は、夕飯を作るのですら億劫な顔をしていた奉太郎の為、勘解由小路家の豚肉で作られた生姜焼きを差し入れに持ってきたという訳だ。

 ︎︎あぁ、なんて優しいんだ俺は。奉太郎よ、良い友人を持ったな……。

 

「なにをしている、さっさと家に入れ。腹ペコなんだ」

「わざわざ持ってきた俺になんてことを言うんだお前は!!」

 

 ︎︎自分の慈悲深さに涙を流しそうになっていた俺に、奉太郎の声が飛んできた。へいへい、とっとと入りますよ。

 ︎︎俺は靴を脱いで奉太郎の家に足を踏み入れた。

 ︎︎この家に来るのは二回目だった。一回目は奉太郎の誕生会を行った時で、言ってしまえばそれだって約一か月前だった。

 ︎︎俺達古典部は、自分の家に頻繁に人を招くほど仲良しという訳では無いが、こうも短いスパンでこの家に訪れる事となるとは。

 ︎︎リビングルームに着くと、奉太郎はそそくさとキッチンに入った。

 ︎︎俺は言う。

 

「おい奉太郎。米は炊けてるんだろうな」

「当たり前だろ。抜かりは無い」

 

 ︎︎先に勘解由小路家で夕飯を済ませてから来ても良かったのだが、腹ペコの奉太郎を放置する訳にもいかないので、俺も折木家で奉太郎と一緒に夕飯を済ませるつもりだった。

 

 ︎︎奉太郎が炊飯器のボタンをひとつ押すと、白い湯気と同時に、真っ白な炊けた米がその姿を現した。

 ︎︎奉太郎はくるりと振り向き、キッチン棚から茶碗を二つ取り出した。かく言う俺も、紙袋からタッパーに入った生姜焼きを取り出し、電子レンジに入れた。五百ワット二分で設定し、スイッチを付ける。

 ︎︎俺は電子レンジで温められている生姜焼きと、奉太郎が茶碗によそう白米を見比べ

 

「う〜ん」

 

 ︎︎声を上げた。

 

「どうした」

「いや、白米と生姜焼きか……。千切りキャベツと味噌汁が欲しいなと思ってさ」

「適当に冷蔵庫でも見てみろ」

 

 ︎︎言うので、俺は人様の家の冷蔵庫をなんの躊躇いもなく開けた。

 ︎︎半玉のキャベツを見かけたのでそれを手に取り、次は味噌を探すと、赤味噌を見つけた。

 ︎︎しかし味噌汁の具材になりそうなものが見当たらなかったので、俺は言った。

 

「奉太郎、このキャベツ使っていい?」

「勝手にしろ」

 

 ︎︎白米がよそわれた茶碗を両手に持つ奉太郎は、食卓に向かいながら言ったので、俺はザルにかけられてたまな板と包丁を拝借する。一番上の葉が少ししなびれていたので、その葉を剥ぎ、千切りにしていく。

 ︎︎少しキャベツが太くなってしまったが、これも味だろ。

 ︎︎ちょうどキャベツを切り終わると電子レンジが鳴り、俺はタッパーを取り出す。見ると、まな板の隣に大皿が置かれていた。奉太郎め、用意が良い奴だ。まず俺は皿に千切りキャベツを乗せ、その上に生姜焼きを盛り付けた。生姜のいい香りが食欲に刺激を与え、思わず腹がなりそうになった。

 ︎︎俺は大皿を奉太郎が既に待機している食卓まで運んだ。俺たちは向かい合うように座り、ちょうどその真ん中に大皿を置く。

 

「へいお待ち」

「わざわざすまんな、腹減った〜」

 

 ︎︎かく言う俺も腹が減って仕方がなかった。いつもなら既に夕食を済ませている時間だ。

 ︎︎白米と生姜焼きの湯気がまじり合い、俺たちの食欲がさらに加速する。もう待ちきれないというように、俺たちは言った。

 

「「いただきます」」

 

 ︎︎俺は早速大皿の生姜焼きに橋を伸ばす。

 ︎︎しかし肉を掴むと、その箸が滑った。

 

「おっと」

 

 ︎︎そんなバカらしい声と同時に、箸から滑った肉はテーブルの上に落ちた。

 ︎︎いや、詳しく言えば、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「あっ」

 

 ︎︎奉太郎があまり声を挙げなかったのは、手紙の上に肉が落ちたと言っても、俺が直ぐにそれを拾い上げ、気にならない程度の油のシミで済んだからだった。

 ︎︎しかし……

 

「ハル、お前、気をつけろ……うぉあァァァァァァ!!……ァァァ

 

 ︎︎突然奉太郎が、驚きと絶望が混じりあった大声をあげたのだ!!!

 ︎︎な、なんだ!!こいつってこんなでかい声出んのか!?!?

 

「ハル!!お前、なんてことをしてくれる!!」

「わ、悪かったって!!そんな怒ることないだろ!?」

「そりゃあ怒らないさ!()()()()()()()()()()()()

 

 ︎︎はぁ?ただの手紙ぃ?

 ︎︎可愛らしい封筒に入っていたので、国や市から送られてくるものでは無いと分かっていた俺は、バカバカしいというようにその封筒を見た。

 

 ︎︎しかし、それを見た途端、俺の顔は青ざめた。

 

 ︎︎《折木供恵(おれきともえ)殿 神山高校二年I組同窓会のお知らせ》

 

うぉあァァァァァァ!!……ァァァ

 

 ︎︎奉太郎と同じ情けない叫び声を上げた。

 ︎︎と、供恵さん宛の手紙だとぉぉ!!!

 

 ︎︎もし汚したことがバレたら、どんな事をされるか分かったものじゃない。俺は頭を抱え、未だに俺を睨みつける奉太郎を睨み返した。

 

「おい!なんでこれがあるって分かって、机の上からどかさなかった!」

「俺のせいにする気か!それは責任転嫁だぞ!お前の箸が滑ることなど知るか!」

「じゃあお互い様ってことにしようぜ」

「アホか!このままお前が汚した手紙を置いていったら、俺が確実に疑われる。お前から姉貴に説明しろ!」

「てんめぇ!!せっかく俺が妥協案を出したのにそれを却下する気か!!」

 

 ︎︎プルルルルルル……

 

「「む!?」」

 

 ︎︎突如として俺のポケットに入っていた携帯電話が音を立てた。

 ︎︎時刻を見ると七時半を回ろうとしている。おのれ、こんな夕飯時に電話をかけてくるなんて、一体どこの馬の骨だ。

 ︎︎俺は携帯をポケットから取り出すと、着信画面を見る。

 

 ︎︎着信 福部里志

 

 ︎︎里志か……、なんだこんな時間に。

 ︎︎俺は電話に出ると、聞き慣れた声が携帯を通して聞こえた。

 

『やぁやぁ!今頃二人で夕食でも食べてる頃だと思ってね』

「なんの用だよ里志。今は緊急事態なんだ。奉太郎が供恵さん宛の手紙を汚して、どう隠蔽するか悩んでる」

「汚したのはお前だろ!」

『待って、なんだって!?供恵さん宛の手紙を汚した!?なんて罰当たりな事をしているのさ!!』

 

 ︎︎いつものように、驚いているのか、それとも嘲笑しているのか、大袈裟な声が聞こえた。

 ︎︎そして付け足すように、奉太郎が言う。

 

「要件があるなら早くしろ。生姜焼きが冷める」

『生姜焼きが!?事件じゃないか!』

 

 ︎︎そうだ事件なのだ。

 

『まぁ、君たちが奉太郎の家で二人で居るから電話したんだよ。ちょっと夜の散歩に誘おうと思ってね』

「夜の散歩ォ?」

 

 ︎︎奉太郎や里志と、夜の街を歩いたことはある。

 ︎︎去年の十二月、俺達は《月夜の背教団》という組織と対峙した。連中は完全下校がすぎた校内に忍び込み、教師陣を翻弄させていた。

 ︎︎事件が起きた当時、ひょんな事から俺達三人は完全下校が過ぎた学校に訪れる機会があったので、共に夜の神山を歩いたのだ。その時も、ちょうどこれくらいの時間だった気がする。

 

 ︎︎『どうする?』と、奉太郎にアイコンタクトを送った。俺は夕飯を食い終わったら帰るけど。

 ︎︎奉太郎は時計をチラッと見たあと、言った。

 

「八時頃なら家から出られるぞ」

『いいね、待ち合わせ場所は……』

「赤橋にするか」

『僕らの家の中間地点か……そうしよう』

 

 ︎︎赤橋、という橋の名前は聞いた事がないな。

 ︎︎もう神山に引っ越してきて一年以上経つからある程度地名は覚えたはずだったが、十七年間ここで暮らしてきた二人に比べちゃ、俺もまだまだというわけか。

 

『じゃあまた後で。供恵さん宛の手紙の事はお気の毒に。僕がその場にいなくてよかった』

「随分と他人事だな。ここに居ないお前の所業にしてもいいんだぞ」

『だって他人事だもん。別に構わないけど、供恵さんにそんな嘘は通用しないよ』

 

 ︎︎そう言って、里志は電話を切った。

 ︎︎俺と奉太郎は顔を見合わせる。

 

 ︎︎俺は汚れた手紙を取ると、手紙の中身だけを取り出し、それを食卓とは別の机の上に置いた。空になった封筒を丸め、俺は自分のポケットにそれを突っ込んだ。俺が封筒を持って帰れば証拠隠滅だ。

 ︎︎奉太郎は『バレても知らんぞ』とつぶやき、俺達は食卓に座り直した。

 

 ︎︎生姜焼きからはもう湯気は出ていなかったが、表面の肉を橋で取ると、その下に埋もれていた肉の湯気が、再び立ち込めてきた。

 

 

 

 ︎︎━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

 ︎︎やはり俺は、赤橋という場所を知らなかった。

 ︎︎奉太郎に連れられ夜の街を歩いていると、いつの間にか知らない道を右往左往し、名前の通り赤く塗られた橋に到着した。

 ︎︎そして街灯に照らされた橋の奥から、やつが出てきた。

 

「やぁやぁ」

「おう」

 

 ︎︎奉太郎が短く答え、俺は軽く手を挙げた。

 

「なんだい奉太郎その反応は、愛想ってもんがないよ」

「黙れ里志、それで、何の用だ」

「まぁ歩こうか」

 

 ︎︎そう言って里志は赤橋を渡り、川沿いの小路に入っていく。

 ︎︎赤橋の水量は多く、ごぉっと音を立てている。六月の夜の風は生ぬるく、気持ちのいいものでは無い。洋服の下の肌から、べっとりした汗が滲み出始めた。

 ︎︎俺達は三人並んで歩く。川側から、俺、里志、奉太郎の順番だった。時折赤いのれんが垂れた居酒屋が提灯で照らされており、仕事終わりのサラリーマンの笑い声がかすかに聞こえてくる。民家には少し早い風鈴が飾られている所もあり、俺たち以外の人の気配などない道を彩っていた。

 

「それで、一体何の用なんだよ里志」

 

 ︎︎俺が言うと、里志は呆れたとでも言わん顔をした。

 

「なんだい君達は揃いも揃って、僕が君たちをただの夜の散歩に誘ったとは思わないのかい?」

「面白いジョークだ。思わんな」

 

 ︎︎奉太郎が言うと、「やれやれ」と首をすくめて見せた。

 ︎︎そして、少し遠慮しがちな声を里志はあげた。

 

「まぁ、その、実は少し問題が起きてね」

 

 ︎︎ふむ。

 

「君たちが厄介事を好まないのは知ってる。これでも長い付き合いだからね。今回は千反田さんも関わってないし、君たちに依頼するのも忍びないと思ったんだけど」

 

 ︎︎どうして千反田が関わっているかそうでないかで判断するんだ……。

 ︎︎俺は川に目線を向けながら言った。

 

「まぁ話せよ。相談するなら明日の学校でだって構わないのに、わざわざこんな時間に呼び出してるんだ。明日じゃ間に合わないくらい、緊急事態なんだろ?」

「どうせ俺の家にいても洗い物しかすることもないしな」

 

 ︎︎奉太郎もそう言ったので、里志は目をぱちくりさせた。

 

「今日、《生徒会長選挙》があったろう?」

「あったな」

 

 ︎︎帰りのホームルーム終了後、各クラスで投票時間が割り当てられた。

 ︎︎選挙管理委員が投票箱を持って教卓に立ち、事前に配られた紙に候補者のどちら一方の名前を書くか、白紙かを選んで、二つ折りにして投票箱に入れる、ごくシンプルな方法だった。

 

 ︎︎前会長の陸山が任期を終了したのも知っていた。そういや、文化祭の時といい、クリスマスパーティーの時といい、あの人には何度も世話になったな。

 

「まぁ流石に覚えてるよね、君たちも投票者だったわけだし。候補者の名前は覚えているかい?」

「あぁ、常光清一郎(じょうこうせいいちろう)小幡春斗(おばたはると)だ。二人しかいないし、選挙活動期間にそこら中にポスターが貼ってあったから、嫌でも覚えたぜ。な、奉太郎?」

 

 ︎︎見ると、奉太郎は苦い顔をしていた。こいつ……

 

「おい、まさかお前、候補者の名前も覚えてないなんて言わないよな?」

「まぁ……覚えてなくても投票出来れば問題ないだろ」

「相変わらずの省エネ主義だな。あんなに選挙活動してた候補者の二人が泣くぜ」

「でも、ホータローが覚えてないのも、無理は無いと思うよ。省エネ主義を鑑みないでもだ」

 

 ︎︎里志が言った。なんだって?

 

「うちは部活動は盛んだけど、生徒会はそこまででもないんだ。むしろ、ハルが覚えてた事の方が驚きだよ」

 

 ︎︎こいつ、俺をなんだと思ってるんだ……。

 

「各クラス内での投票時間が終わったあとは開票の時間だ。クラス全員の投票が終わったら、選挙管理委員は投票箱を持って会議室に向かう。そこで開票作業をおこなうんだよ。神山高校の校則では、生徒会長選挙の開票には選挙管理委員以外に、二人の外部の立会人が必要になる。昔は立会人も立候補制だったらしいけど、時間の無駄だったのかな。今では正副の総務委員がやることになってる」

「で?どこに問題があったんだ?」

 

 ︎︎里志の話の腰を折るように、奉太郎が聞いた。

 

「全く、もう少し手短に終わらせたいのは分かるけど、せわしないんじゃないかい?……問題が起きたのは、その開票だよ」

 

 ︎︎二人の候補者の票数を確かめるだけの作業に問題?

 

「現在、神山高校の総生徒数は、千四十九人だ」

 

 ︎︎各クラスが四十人前後で、各学年八クラスほどあるので、妥当な数字だ。

 

「それで今日の開票、投票数は、()()()()()だった」

 

 ︎︎へぇ、素晴らしいじゃないか。()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 ︎︎まてよ……

 

「なんで?」

 

 ︎︎奉太郎が素っ頓狂な声を上げた。

 ︎︎その通りだ。選挙では()()()()が原則なはずだ。欠席者や早退者がいれば、その分総生徒数と比べ総投票数は落ちるはずだが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ︎︎里志は夜空を仰いだ。

 

「そうなんだよ!何度数えても数が合わなかった。けど幸いだったのは、当選者ともう一方の候補者の票数の差が、百票以上離れてた事さ!どうやって増えたか分からない謎の投票の全てが白紙でも、もう一方の候補者でも、当選者が変わることは無い。でも、不正票が混入した事実は変わらないから、生徒会長選挙はもう一度行われることになった。けど……」

 

 ︎︎里志が言う前に、俺がつけ加えた。

 

「つまり、どこかのタイミングで四十票近く票数を増やした奴……いわゆる《犯人》がいる訳だ。神高の選挙には穴がある。それを見つけない限り、再選挙をやっても、また犯人が不正をする可能性があるし、仮に今回みたいな分かりやすい不正がなくても、どこかで不正が働いてたんじゃないかって疑心暗鬼になるわけだ」

「ああ、それは実に忍びない」

 

 ︎︎つまり里志は、俺と奉太郎にその選挙の穴というやつを見つけろと言っているのか。

 ︎︎

「投票用紙、確かあれには選挙管理委員のハンコが押してあったろ?」

 

 ︎︎奉太郎が言った。

 

「余計なことは覚えてるな」

「ハル、聞こえてるぞ」

 

 ︎︎やべ。

 

「全く……つまり俺が言いたいのはだな、その約四十票近くあった不正票にはハンコが押されてなかったんじゃないか?」

「なんでだ?」

 

 ︎︎俺が聞くと、奉太郎はため息をついた。

 ︎︎ダルそうにすんな。

 

「投票用紙は選挙管理委員しか作れない。ハンコを管理しているのは選挙管理委員だろ?」

 

 ︎︎そうか。犯人が不正に使う投票用紙を作るためには、ただ紙を切ればいいというものでも無い。投票用紙に選挙管理委員のハンコを押す必要がある。紙を作るのは容易だろうが、選挙管理委員が管理するハンコを手に入れることは出来ないから、ハンコが押されていない用紙こそが不不正票になる。

 

「ホータロー、それは違うよ」

「そうか、違ったか」

 

 ︎︎里志の否定に、奉太郎はあまり驚かなかった。

 

「管理がずさんなんだよ。選挙管理委員の名前が聞いて呆れる。選挙管理委員の活動場所は会議室なんだけど、ハンコは机の上に出しっぱなしなんだ。誰でも投票用紙の偽装は可能だよ。それに、そんなのが理由ならわざわざ君たちに頼みに来ないよ」

 

 ︎︎奉太郎のやつ、早く終わらせたいから適当な推理をしやがったな……はは……。

 ︎︎しかし……

 

「なんだい?」

 

 ︎︎里志は自分を見つめる俺に首を傾けた。

 

「わかんねーな」

「なにがだい?」

「お前は言ったよな。俺たちに謎解きを頼むのは忍びないと。その、なんだ、千反田が関わってないのにって」

「言ったね」

「でも別にお前もこの謎解きに関わる必要も無いだろ。《総務委員会》のくせに」

 

 ︎︎これは生徒会長選挙、ひいては選挙管理委員会の問題だ。いくら立ち会いに正副の総務委員長が関わってるとはいえ、これは里志にとって管轄外の問題だ。

 

「それとも、この問題もジョークの一興ってわけか?選挙においての穴を見つけて、これからの選挙の平和を維持したいって理由も分からなくはねーけど、何かほかにもっと、理由があるんじゃないか?」

 

 ︎︎里志はこちらを見向きもしない。暗い夜道を歩きながら、いつもの如く首をすくめて見せた。

 

「さすがに鋭いね」

 

 ︎︎ったく、やっぱり何かあるじゃねーか。

 ︎︎この福部里志という男は、大事なことを隠したがる。

 

 ︎︎隣を見ると、奉太郎も訝しげな表情を浮かべていた。

 

「まぁなんていうのかな。実は……選挙管理委員の間では、もう犯人の目星が付いているんだ」

 

 ︎︎ほう。

 

「でもまぁ、その目を付けられてる人が本当に犯人と断定出来るのなら、君たちには相談しないよね」

「違うのか?」

「違う……、とは言えない。でも、犯人と断定するには状況証拠が少なすぎる。犯人だと目星を付けられたのは、一年E組の選挙管理委員の子だ。いい子だと思うよ。仕事が出来るかって言われたらそうじゃないけど、少なくとも、そうしようと努力はしてた。背が低かったな。中学生みたいだった」

「そいつが犯人じゃないとお前が思っている理由を聞こうか」

 

 ︎︎奉太郎が言うので、里志は頷いた。

 

「クラスでの投票が終わったあと、選挙管理委員は投票用紙が入った投票箱を持って、会議室に戻ってくるっていったろ?そして、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ところが、そのE組くんは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「それの何が問題なんだ?手順は間違ってるけど、別に何人かの選挙管理委員はその場にいたんだろ?誰かの目があるなら、問題ないはずだ」

 

 ︎︎俺がそう言うと、里志は処置なしとでも言いたげに夜空を仰いだ。

 ︎︎星がチラチラと見える。

 

「そうだろ?僕もそこまで問題じゃないと思う。実際、何人かの目はその場にあったんだ。でも、実際手順を間違えたのは、その時だけだった。それに……」

「それに?」

「選挙管理委員長が、ちょっとめんどくさい人なんだよ」

 

 ︎︎めんどくさい人?俺が首を傾げると、里志は薄く笑った。

 

「ハル、君のクラスの選挙管理委員だよ」

「ああ……あいつか」

 

 ︎︎知っていた。今日のクラス内の選挙でやけに偉そうにしていたアイツだ。

 

「どんなやつなんだ?」

 

 ︎︎奉太郎が聞くので、俺は答える。

 

「里志の言う通り、めんどくせー奴だよ。普通に作業してる奴に、『モタモタするな』って文句を垂れる。口癖は『人に聞くな。自分で判断しろ』と『俺に聞け。勝手に判断するな』だ。選挙の時間にトイレに行ってた天津が文句を言われて、殴りかかりそうになってたから止めるのが大変だったぜ……はは……」

「そうか、里志が最も苦手とするタイプだな。天津に殴らせればよかった」

「バカ言うな」

「まぁ、そういう人なんだ。だから、開票手順を一人だけ間違えたE組くんが犯人だと委員長によって仕立てあげられた。不正票を紛れさせるタイミングはそこしかないってね」

 

 ︎︎いつもの気持ち悪い笑顔から、里志の顔が変わる。

 

「酷いもんだよ。戻ってきた選挙管理委員全員の前で罵詈雑言を浴びせて、とても見聞き出来るものじゃなかった。……その一年は、泣いてたよ」

 

 ︎︎この福部里志という男は、優しい訳じゃない。

 ︎︎ただ、きっと、正義感というものはある。他のみんなが気にならないことにも眉をひそめるし、約束だって破りはしない。

 ︎︎里志は、選挙管理維持の為に犯人を見つけて欲しいんじゃない。

 

 ︎︎泣かされた名前も知らない一年生の為、四十票も増えた不正票の出処を推理し、選挙管理委員長に一泡吹かせたいのだ。

 ︎︎そしてその為、俺と奉太郎を使った。

 

 ︎︎俺の頭の中には、委員会活動を自分の出来る範囲で一生懸命おこない、その結果のミスで罵詈雑言を浴びせられる一年生の姿が見えた。

 ︎︎誰もが同情をしながらも、自分には関係ないという顔をしている中、バツの悪い顔をして、一人拳を握りしめる里志の姿もだ。

 

 ︎︎はぁ……、俺は一度目を瞑る。そして、目を開ける。

 

 ︎︎奉太郎も黙っていたが、少しだけ腹が立っているようだった。

 

 ︎︎今なら、さっきよりも頭が回る気がした。

 

 

 

「「仕方ない。もう少し、ちゃんと考えてみるか」」

 

 ︎︎

 

 ︎︎俺たちは歩調を変えず、また夜の街を歩き出した。



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第七話 箱の中の欠落 転結(てんけつ)

 ︎︎最新話投稿です!

 ︎︎お気に入り、感想、評価、全てが作者のモチベーションに繋がりますので、何卒よろしくお願いしますm(_ _)m

 ︎︎不正が行われた生徒会長選挙を巡る謎解き、箱の中の欠落、完結です!

 ︎︎そして、少しだけ晴の過去が明らかになります。



「里志。じゃあお前が考える限り、不正票を紛れ込ませるタイミングはなかったってことなんだな?」

 

 ︎︎六月の生ぬるい風が吹く中、奉太郎は言った。

 ︎︎気温自体はそこまで高くは無いが、湿気がなんせ多いので俺は自分の額に汗をかいている。自分の腕時計を見ると、既に八時半を回ろうとしていた。補導が怖いので繁華街からは遠ざかるように歩いていたので、飲み屋の賑やかな声は無くなっていたが、代わりにジーッと鳴く、キリギリスの様な声が聞こえてきた。

 ︎︎時折ある街灯の灯りには数匹の羽虫が集っている。

 ︎︎十字路を右に曲がったところで、里志は切り出した。

 

「そうなんだよ。僕なりに色々考えてみたんだけどね」

「選挙の流れを教えてくれ。準備から当選結果が出るまでの順番に」

「そうだな、どこから話そうか。まず初めにやることは、投票用紙の作成だ。何日か前に生徒数分の投票用紙を作る。簡単だよ、A4の用紙を4等分にして、選挙管理委員のハンコを押すだけだ」

「その投票用紙の作成は、選挙管理委員の誰か一人がやったのか?」

 

 ︎︎俺が聞く。

 

「簡単な作業だから一人でも出来なくはないだろうけど、さすがに千人ちょっとだからね。何人かでやったと思うよ。作成された投票用紙は作られた日に各クラスの人数分に分けられて、クリップで止められる。つまり、投票用紙は総生徒数分しか作られてないし、それより多く作ることも出来ない。でも、さっきも言った通り、判子の管理がずさんだから不正票の偽装は誰にでも出来る」

 

 ︎︎ふむ。

 

「次に、選挙の前日、投票箱の用意をする」

 

 ︎︎里志は箱を持つような仕草をする。

 ︎︎投票箱は、実際に俺も投票の時に見ていた。両手で抱えないといけないくらいには大きく、それでいて重そうだった。木製で、随分年季が入っていた気がする。ポスト程度の大きさの投入口があり、そこに票を入れる。

 

「投票箱は、特別棟一階の倉庫にしまわれている。投票日前日の放課後、何人かの選挙管理委員が倉庫から会議室に総クラス分の投票箱を移動させる」

 

 ︎︎神高は一年から三年まで、八クラスずつ存在する。つまり、投票箱は二十四個だ。

 

「投票箱はそのまま前日の放課後から今日の投票時間まで会議室に置いておく。そして今日、六限が終わったら各クラスの選挙管理委員と僕ら立会人は一足先に会議室に向かう。選挙管理委員は各クラスに二人だから、三学年分となれば四十八人だ」

 

 ︎︎立会人が正副の総務委員会となれば、六限が終わった時点で会議室に向かうのは五十人か……。多いな。

 

「それで、全員が集まった所で各クラスの選挙管理委員の内一人が投票箱と投票用紙を受け取って、選挙管理委員から選出された鍵係に投票箱の鍵を開けてもらって中身が空か確認する。これは立会人の僕らも確認する手筈になっているから僕も見たよ。投票前の投票箱の中身は、どのクラスも空だった」

 

 ︎︎つまり、投票箱を倉庫から取りだした前日の時点から投票箱に票を入れておく事は出来ないと言うことか。やっぱり、随分と厳重だなあ。

 

「立会人が中身が空だと確認した時点で、鍵係はすぐに投票箱に鍵をかける。その作業が二十四クラス分終わるまで選挙管理委員は会議室に待機をして、選挙管理委員長の合図とともに会議室を後にして、各クラスに向かう」

「おい待てよ、箱を持つのは各クラスの選挙管理委員の内一人っていたよな?選挙管理委員は各クラスに二人いるはずだろ?もう一方はどうしたんだ?」

「まぁ落ち着きたまえ。彼らもこの後の話に出てくるよハル」

 

 ︎︎さいで。

 

「選挙管理委員が投票箱持って各クラスに辿り着いたら、投票開始だ。選挙管理委員は黒板の前に立ち、投票箱は教卓の上に置かれる。生徒は出席番号順に投票箱に投票用紙を入れていき、一票入る毎に選挙管理委員は黒板に正の字で数を数えていく。この投票の時点で犯人が投票箱に不正の四十票入れる事も可能だけど、さすがに選挙管理委員もそれに気づかないほど馬鹿じゃないだろうね」

 

 ︎︎まぁ、選挙管理委員の目がある中、投票用紙を四十票もいっぺんに入れるやつも居ないだろうな。

 

「クラス全員の投票が終わってから、選挙管理委員が投票用紙を入れる。それが終われば、会議室に戻ってきてもいい。会議室に戻ってきたら、再び鍵係が投票箱の鍵を開け、何年何組の選挙管理委員が戻ってきたか分かるようにクラスが書かれた用紙にチェックを入れる。早めに戻って来た選挙管理委員は鍵が開けられた箱を持って待機だ。それで、ハルが気になってた二人いるうちのもう片方の選挙管理委員なんだけど、彼らは会議室に待機する。自分のクラスの投票箱を持った片方が戻ってきた時点で、自分の投票用紙を入れる。このタイミングでも他の選挙管理委員の目があるから、不正票を入れることは難しいだろう」

「その会議室で待機してる方は投票中は何してるんだ?」

「投票箱の鍵を開ける鍵係、開票に携わる開票係、投票箱を受け渡しする箱係、あとは雑用かな」

「つまり、半分の選挙管理委員がクラスにいる間は暇ってことか」

「そうかもね」

 

 ︎︎里志は首をすくめて見せた。続きを話したそうなので俺は質問を辞めた。

 

「それで、選挙管理委員全員と立会人が会議室に戻ってきた時点で開票開始さ。今回は一年E組くんが先に票をぶちまけちゃったけど、本来だったら一年A組から票を机の上にばらまく。それで、空になった投票箱を立会人に見せて、鍵係が鍵をかけ、投票箱は会議室の端に置いておく。再選挙が決まったから、まだ投票箱は片付けられてないよ。開票の為の机は四つの机をくっつけてその上からテーブルクロスを引いたものだ。ある程度票が集まったら、クラスごとの統計が分からないように机の上で票を混ぜる。全てのクラスが票を出し終わったところで、一枚ずつ確認して、事前に用意してあった二人の候補者と無効票用の三つのトレーに票を仕分ける。トレー毎に担当の選挙管理委員が付いていて、二十票毎にクリップで止めて、他のトレーの担当とクリップでまとめた票を交換して、本当に二十票あるか確認し合う」

「すげーな。開票なだけあって、さすがに厳重なんだな」

 

 ︎︎俺が呟く。

 

「まぁ票は三種類しかないし、そこまで難しい作業じゃないからね。それで、開票作業も終わり、最終確認として投票用紙の枚数を数えているうちに『あれ、おかしいぞ』ってなったって訳。あとは話した通りさ」

 

 ︎︎里志は『ふぅ』と息を漏らした。里志は選挙の穴を探すのは難しいと言っていた。

 ︎︎だけど、話を聞く限り、別に穴が無いわけじゃない。

 

 ︎︎俺は小石を蹴飛ばし、言った。

 

「なぁ、投票箱を受け取って、各クラスに向かうまでの間、投票箱を持った選挙管理委員は一人になるよな」

「そうだね」

「じゃあ投票箱と会議室から各クラスに向かうまでと、その逆。不正票を入れれそうなタイミングがあるぜ」

 

 ︎︎例えば、あらかじめ記入をした不正票を学校のどこかに隠しておき、会議室からクラスに向かうまでの間にそれを回収。そして、投票前か投票後にその不正票を投票箱に入れ、何ごとも無かったような顔をして会議室に戻る。この可能性もある。

 ︎︎里志は残念そうに首を振った。

 

「僕もそれは考えた。なんせ、そこが一番不正票を入れられるタイミングだ。でもその考えだと、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。ハル、君のことだ、気付いてないわけじゃないだろ?」

「一応言ってみただけだよ。不正票として入ったのは約四十票。一クラスの人数も大体それくらいだから、もし一つの投票箱に不正票が全て入ってるんだったら、投票用紙の数が倍になる。票を出す時に机にぶちまける方法を取ってるんだったら、そのタイミングで票が多すぎて不審に見られるな」

「うん。でも、仮に二クラス分に分けられていたら?一クラス二十票の傘増しだ。それでもバレそうだよね。じゃあ四クラスで一クラス十票……これもまぁ、少し多いって思われるかもしれない。じゃあ十クラスだったら?一クラス四票の傘増しだ。これならバレないかもしれない」

「組織的な犯行を疑ってるのか?」

 

 ︎︎バカバカしいというように奉太郎が言った。

 

「選挙管理委員にそういう組織がいないと言い切れる訳じゃない。《月夜の背教団》の件もあるだろ?」

 

 ︎︎あんな厄介な奴らを二度も相手するのはごめんだ。

 ︎︎奉太郎は続ける。

 

「組織的な犯行だとしても、動機が分からんぞ。里志、お前の弁じゃ、神高は生徒会にあまり力を入れていない。組織を作ってまで邪魔をする理由はないはずだ」

「その通りだよホータロー、組織犯行説が一番濃厚ではある。でも、組織を作ってまで選挙を邪魔する理由が見つからない」

「犯人は選挙が好きだった。もう一度やりたかったから選挙の邪魔をしたんだ」

 

 ︎︎俺がふざけて答えると、両端から肩にパンチがとんできた。

 

「いてぇな!」

「ハル、お前もう少し真面目に考えろ!」

「考えてるよ!黙りこくってる癖によく言うぜ!」

「エネルギーを使わず、俺は早く帰りたいんだ。お前が解くのを待っていた」

「ざけんな!!!」

「あっ」

 

 ︎︎里志が声を上げたので、俺たちはその方向を見た。

 ︎︎住宅街と思われた通りの先に、一際目立った建物があった。僅かに開かれた扉から漂う白い煙と、暖簾には拉麺(らーめん)の文字。

 

「夕飯を抜いてきたんだ」

 

 ︎︎里志は振り向き、俺たちを見て言った。

 

 

 ︎︎気付くと俺たちはラーメン屋に足を踏み入れ、半透明のプラスチック製のコップに入った水を飲んでいた。

 ︎︎なんでラーメン屋の水ってこんなに美味いんだろうなあ。

 ︎︎一気に水を飲み干し、里志のコップの水も無くなっていたので勝手にそれを取って水を入れに席を立った。

 

「悪いね」

 

 ︎︎俺は振り向かず手を振った。水を入れて戻ってきたところで、店主に注文を聞かれたので、俺は味噌ラーメン、奉太郎は醤油ラーメン、里志はワンタン麺を注文した。

 

「学生さんかい?サービスするよ!」

「「「あざーす」」」

 

 ︎︎気のいい店主が厨房の向こう側で言った。

 ︎︎二杯目の水に口をつけた所で、里志が切り出した。

 

「話は変わるんだけどさ」

「なんだ?」

「今回の生徒会長選挙、千反田さんが立候補する噂があったんだ」

「千反田がか?」

 

 ︎︎俺が首を傾げる。千反田はこういうのに、進んで立候補する柄ではないと思うのだが、どうしてまた。

 

「生徒会長の経験が、将来千反田家の当主になった時に役に立つんじゃないかって。でも実際は」

「立候補してないんだろ?候補者の名前にも上がってなかったし」

 

 ︎︎奉太郎が言った。

 

「うん。繰り返すようだけど、神高の生徒会はあまり重要なものじゃないし、その経験が将来に実を結ぶのかって聞かれたら、そうとも言えないよね。前任の陸山会長みたいな、圧倒的なカリスマ性を持った人なら記憶にも残るだろうけど、千反田さんはそういうタイプじゃない」

 

 ︎︎《生き雛まつり》の時、千反田は言っていた。経済的戦略眼は自分には向いていないと。あいつ自信が何事もソツなくこなす人間だとしても、あいつは人を使えない。優しすぎるが故に、「みんなで肩を並べて頑張る」、人によっては綺麗事に見えることも、あいつはそれを本気で取り組む人間なのだ。

 ︎︎生徒会長という人の上に立つ役職に着くことは、神高の生徒会が活発的じゃないという点を鑑みても、いい事なのかもしれない。

 ︎︎けれど、千反田は立候補しなかった。向いていないことは、するものじゃない。

 

「跡継ぎ……当主か……」

「どうしたんだいホータロー」

「いや……世界が違いすぎると思ってな」

「そうだね、僕らには想像もつかない話だ」

 

 ︎︎将来……将来か……。

 

 ︎︎こいつらは、どうするのだろうか。

 ︎︎奉太郎と里志も、きっと大学に進学する。多分違う大学だ。

 ︎︎こいつらの事だから、たまに飯くらいなら行くのかもしれない。基本的に二人だけど、たまに千反田や伊原が合流する。古典部時代の思い出話に花を咲かせて、大学の話をする。

 ︎︎社会人になってもこいつらの関係はきっと途切れない。二十歳を超えたら、一緒に酒を飲んでるかもしれない。千反田が酒に弱いことはしってるから、とんでもない事になるのは目に見えている。

 ︎︎伊原が介抱して、里志はそれを見て笑って、奉太郎も苦笑いを浮かべる。

 

 ︎︎簡単に想像できる。けれど……

 

 

 ︎︎何度想像しても、俺はその場にいない。

 

 

 ︎︎神高を卒業したら、俺は多分、神山に残らない。

 ︎︎東京にも戻らないと思う。

 

 ︎︎()()()()()()、自分の将来を想像したことはない。

 

 

 

 ︎︎『晴!!私、歌手になるのが夢なの!!』

 

 

 ︎︎『中学卒業してもさ、みんなでずっと一緒にいれたらいいね!』

 

 

 ︎︎『晴はいい人だよ。私が保証する』

 

 

 ︎︎『大丈夫!晴が私を守ってくれるんでしょ?えへへ……』

 

 

 

 

 

 ︎︎鮮明に残ったその声が、俺脳内を駆け巡った。

 ︎︎(しらべ)……、俺は……。

 

 

 

 

 

 

 

 ︎︎『晴ッ……!!晴……!!助け……』

 

 

 

 

 

 

 

 

「ハル?」

 

 ︎︎奉太郎の呼びかけに、俺はハッとした。

 

「ど、どうした?」

「ラーメン来てるぞ。早く食え、冷めるし伸びる」

 

 ︎︎目の前を見ると、湯気をゆらゆらと立たせている味噌ラーメンの姿があった。チャーシューが大盛りに載せられており、これが店主の言う学生サービスと言うやつなのだろう。

 ︎︎俺はスープをすくい上げ、口をつけた。

 

「あつっ!」

 

 

 

 

 

 ︎︎━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

 

 ︎︎ラーメンを食べ終わり外に出ると、先程まで湿気で生ぬるかった室外が心地よかった。

 ︎︎夜の冷たい空気を鼻から勢いよく吸い上げる。

 

 ︎︎自分のポケットに手を突っ込むと、不意に先程折木家から拝借した供恵さん宛の手紙の封筒が出てきた。生姜焼きの油で少し汚れている。

 

 ︎︎《折木供恵殿 三年I組同窓会のお知らせ》

 

 ︎︎ふむ……。

 ︎︎奉太郎が切り出した。

 

「神高の選挙はやはり頑丈だ。投票前に投票箱を検める以上、投票箱になにか仕掛けを施すのは難しいし、施せたとしても、投票箱に入っている票数が不自然になる。いくつかのクラスに分散させる方法もあるが、多くの協力者が必要になり現実的じゃない。だが……」

 

 ︎︎奉太郎がいい切る前に、俺は里志の顔の前に手を突き出し、二本の指を立てた。

 

「二つ、この生徒会長選挙には不正をできる穴があるぜ」

「わかったのかい!?」

 

 ︎︎里志は目を輝かせ、どこか興奮していた。

 ︎︎俺はコクリと頷き、始めた。

 

「一つ目、お前は、クラスでの投票が終わったあと、選挙管理委員は各々のタイミングて会議室に戻ってきて、どのクラスの選挙管理委員が戻ってきたか分かるように用紙をチェックすると言ったな?」

「そうだけど、それがどうしたんだい?」

「多分、自分のクラスの欄に丸か何かを書くだけのもので、そこまで用紙のチェックに厳密になってたわけでもないんだろ?()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。これが一つ目の穴だ」

 

 ︎︎里志は未だに分からないと言った顔をしていた。

 ︎︎奉太郎が続ける。

 

「二つ目、里志、選挙における準備から開票まで何人の選挙管理委員が関わっている?」

「三学年八クラスで、一クラスにふたりあだからか、四十八人だよ。開票の時は僕と総務委員長を加えて五十人だ」

「多いな」

「多いさ。ホータロー、さっきもこの話はしたよ?」

「なら里志、お前はお前以外の四十九人、全員の顔と名前を覚えているか?」

「まさか!千反田さんならまだしも、僕だけじゃなくても覚えられないよ。実際に、総務委員の全員の顔と名前を覚えてるかって聞かれたら、そうじゃない」

「そうだろうな。それはきっと、選挙管理委員長も同じだ。そして、それが二つ目の穴だ。顔も名前も正確に覚えていない中、続々とクラスでの投票を終えた選挙管理委員が会議室に戻ってくる。そして、戻ってきた順に用紙にチェックを入れていく。言ってしまえば、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「犯人は選挙管理委員に紛れていたってことかい!?」

 

 ︎︎里志は素っ頓狂な声を上げた。静かな夜の町に、里志の驚愕に満ちた声が響く。

 ︎︎俺が続ける。

 

「あぁ、順番に説明するぜ。まずは選挙前日。選挙管理委員が特別棟一階の倉庫に投票箱を取りに行く時点で、犯人は大勢いる選挙管理委員に紛れていた。そして、倉庫から()()()()()()()()()()()()()()。そして、正規の投票箱と同じように会議室に置いておき、次の日、選挙管理委員が投票箱を会議室に取りに行くタイミングで偽の投票箱を回収。鍵係に投票箱を空けさせ、中を確認し、仕掛けが施されていないのを確認させた後に鍵を閉めさせる。そしてクラスに行くと見せ掛け、どこかに隠していた不正票約四十票を箱に入れ、何食わぬ顔で会議室に戻る。そして全クラスが戻ってきたタイミングで、全員と同じタイミングで投票箱の中身を机の上にぶちまけたんだ。もちろん、犯人の持ってきた投票箱の票は不正だから、用紙にチェックは入れない」

 

 ︎︎里志は驚いていたが、どこか納得していない様子だった。

 

「待ってよハル、ホータロー!!それなら辻褄は合うけど、君たちの推理にも一つだけ穴がある。不正票は誰でも偽装出来るけど、そうじゃないのはさっきから出てきてる、()()()()()()()()だよ!神高のクラスは三学年合わせて二十四クラスで、投票箱の数も二十四個のはずだろ?それに、あんなに古びた投票箱は一夜で作れる代物じゃない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ︎︎そうか、里志は知らないのか。

 

「ん」

 

 ︎︎俺はポケットから、供恵さん宛に書かれた手紙の封筒を渡した。

 ︎︎里志は苦い顔をする。

 

「うわ、汚れてるよ。僕に処理させようたってそうはいかない。僕はこの件には関わらないからね!」

「そうじゃねーよ、よく見てみろ」

「え?」

 

 ︎︎《折木供恵殿 三年I組同窓会のお知らせ》

 

「同窓会のお知らせがどうしたの?」

 

 ︎︎奉太郎が言う。

 

「おかしな点があるはずだ」

「……っ!!!まさか!!」

 

 ︎︎俺と奉太郎はニヤリと笑った。奉太郎が続ける。

 

「あぁ、姉貴は三年I組所属だった。《Iは、Aから数えて九番目の数字だ。つまり、何年か前には一学年に九クラス以上のクラス数があったんだよ》」

 

 ︎︎その通りだ。生徒の数は変化する。

 ︎︎供恵さんの時代はIクラスまで存在したし、それ以上あったかもしれない。そうなれば、投票箱の使用数も年々変わってくる。クラス数が減ったからといって、これからまた生徒の人数が増えてクラス数が増える可能性もあるので、投票箱を捨てるような真似はしないだろう。

 ︎︎つまり特別棟一階の倉庫には、二十四個以上の投票箱が置かれており、犯人はその余りの内の一個を選挙管理委員に紛れて持ってきたのだ。

 

「まだ投票箱を片付けてないって言ってたよな?明日、朝イチで会議室に乗り込んでみろよ。箱が二十五個あったら、ビンゴだ。もしかしたら、証拠隠滅を図る犯人と鉢合わせるかもな」

「なんてこった……さすがは二人だ、恐れ入ったよ」

 

 ︎︎そうだろうか。

 ︎︎俺と奉太郎は、供恵さん宛の手紙を見ていたから、クラス数の移り変わりのトリックに気付くことが出来ただけだ。

 

 ︎︎歩く途中の赤燈楼に目を向けていると、目の前からパトカーがやってきた。まだ補導される時間では無いが、なんとなく俺は目を伏せる。

 

 ︎︎時間が過ぎるというのは、当たり前だ。そんなことを知らないようでは、高校生どころか、小学生だってやっていけない。

 ︎︎けれど、俺はどこか嫌な気分になった。「時間が過ぎるのは当たり前だ。けど、お前はそれを本当の意味で理解していない」、そう言われた気がしてたまらないのだ。

 

「箱の中に囚われていたよ。箱の外が……欠けていたのか」

 

 ︎︎里志が意味深にそう呟いたので、『そうだな』と返した。

 

 

 

 ︎︎俺たちの立てた推論はその日の内に総務委員長から、選挙管理委員長に伝わった。

 ︎︎早朝に会議室に向かった里志を含む幾らかの生徒により、証拠隠滅を図ろうとしていた犯人が捕らえられたらしい。投票箱の数を数えると、会議室に置かれていた投票箱は二十五個あったと聞く。

 ︎︎その後、再選挙が行われ、時期生徒会長は常光清一郎となった。昼の放送で宣誓スピーチが行われたが、一回目の選挙における不正について触れられることは無かった。

 

 ︎︎犯人の名前も学年も、動機も分からないが、里志が言うに、「ここから先は選挙管理委員の仕事だ。僕はもう関わる気は無いよ」、だそうだ。

 ︎︎それについては、俺と奉太郎も全面的に賛成だった。

 

 ︎︎俺たちは最初から、箱の中の人間ではなかったのだから。

 

 




 ︎︎《箱の中の欠落》、終了です!

 ︎︎いや〜、作者の一番好きな短編なのでどうしてもこのお話は書きたかったのですが、ハルを加えるのが難しい……!!

 ︎︎次回は原作者、米澤穂信先生の《小市民シリーズ》から引用したお話です!

 ︎︎ハルと千反田が一つの絵画の謎を解きます!

 ︎︎次回《For your eyes only》


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