地球人最強の男、オラリオにて農夫となる (水戸のオッサン)
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其ノ一 異世界

どこまでも澄みわたる青空の下、エプロンドレス姿の婦人の眼前には視界の果てまで畑が広がっていた。

 

この世界の中心

 

オラリオと呼ばれる都市から少し外れた場所にその畑は広がっていた。

 

畑のあちこちには婦人と同様にエプロンドレス姿をした女性、あるいは作業着を着た青年たちが、作物の手入れをしているのが見える。

 

「農業にたずさわるのは初めてですか」

 

畑の縁に立った婦人の隣には小柄な男が立っていた。着なれぬ作業着にやや落ち着かない様子ながら、男は問いかけに答える。

 

「いやあ、ずっと前に荒れ地を耕し続けた時期はあったんですけど、作物を育てたことはないっすね」

 

婦人は穏やかに微笑んだ。

「この畑の作物は苗入れが終わったばかりで、収穫までしばらく落ち着いていますから、じっくりと作業に取り組むことができると思いますわ」

 

男は新人であった。その男が新たに属することになったのは、農業を生業とするファミリアと呼ばれる派閥であった。

 

この世界には天界より降りた神々が人の姿を仮り、地上の人々に恩恵を与え、家族として共に生きていた。

 

その集合体はファミリアと呼ばれ、主宰する神の権能や嗜好によってさまざまな性格のファミリアが存在している。

 

「そうすか。ご教示よろしくお願いします」

 

男は婦人に向かって会釈した。

 

 

婦人と同じように男もまた穏やかであった。

 

この気さくな、あるいは朴訥な団員が集まるファミリアに溶け込んでいた。

 

世界を数度破壊し尽くしてなお余りある、常人がいくら望んでも決して持ち得ない凄まじい力を内包して。

 

 

男は異世界からやってきた。

 

ある日、何の前触れもなく、この世界に迷いこんだ。

 

迷いこんだ男を迎え入れた神の名はデメテル。

 

そしてかの神の新たなペルセフォネとなった男の名はクリリンといった。

 

 

 

クリリンが異世界に渡った経緯について、語るべきことは少ない。

 

本当に何の前触れもなかったのだ。

 

今から遡ること、わずか一日。クリリンは地球にいた。

 

ほんのふた月前まで、地球は絶望の底にあった。

 

狂気の科学者が生み出した人造人間たち。その集大成ともいえる超生物を前に地球は滅亡の危機に瀕した。

 

しかしその超生物は地球の英雄たちによって倒されることとなる。

 

平穏を取り戻した地球だが、代償は大きかった。

 

最高の英雄、クリリンにとっては無二の親友でもあった者を、地球は永遠に失った。

 

クリリンは日課の修業のため、住まいから海を渡った先の大陸にある平野に立っていた。

 

親友を失い胸にぽっかり穴が空いた感覚は、まだ塞がりきらない。

 

(あいつは今ごろあの世の達人たちと戦ってるのかな)

 

親友の楽しそうな顔が目に浮かぶ。そうして、そろそろ自分も修業に精を出さねばと意識を戻したところで――

 

景色が一変しているのに気付いた。

 

 

 

◆◆

 

そこは見渡す限り畑が広がっていた。

 

クリリンはすかさず周囲を警戒する。広範囲それこそ大陸をすっぽり覆うほどの広さに対して感覚を巡らせた。

 

世界の空気そのものが違う。自分の見知った気が感知できない。

 

(どうにも妙な世界に放り込まれたみたいだな)

 

状況判断力に優れたクリリンはすぐに平静を取り戻した。異世界や異空間はこれまでにも経験している。

 

そして先の気の感知によって、この世界には自分の脅威となりうる存在は確認できなかった。

 

この現象が偶発にせよ何者かの意図にせよ、じっくりと解決していけばよい。もしくはこちらから干渉できなくても、向こうには神龍や界王といった超常の存在がいる。たいていの問題はなんとかなるだろう。

 

(さすがに何ヵ月も戻らなければ武天老師さまが気にかけてくれるだろうし。あ、でもドラゴンボールはこの間使ったばかりだから、他力本願なら一年近くは覚悟しないとだめかな)

 

畑に沿った農道を一歩二歩と踏み出していく。畑があるということは近くに文明があるということだ。実際そう遠くない場所から多くの人間らしき気を感じる。

 

(まずはそこを拠点にして動くか。言葉通じるかな)

 

その前に

 

「腹ごしらえでもしていくか」

 

 

そうつぶやいて標的に意識を向ける。

 

直後、巨大な影がクリリンを覆った。

 

 

 

◆◆◆

 

見知らぬ来訪者が獣に襲われている。

 

焦っていたのは武装していた畑の農夫たちだ。

 

ここ数週間、獣による畑の被害が目立ち、駆除のために武装し畑を巡回していた。

 

最初に男を見つけた。山吹色の奇妙な服装をしている。荷は無く武具も身に付けていない。悪人には見えないが、不審ではある。

 

声をかけて事情を確認しようとしたところ、大きな獣が男に襲いかかった。

 

 

猪だ。

 

しかしあの猪の大きさは尋常ではない。体長は3メドルを下らない。畑の被害は複数の獣によるものと思っていたが、全ての被害はあの一匹によってもたらされた可能性も出てきた。

 

大猪が飛びかかり、その巨体が男に被さる。もはや助かるまい。男を助けられなかった悔いはあれど、まずはアレに対処せねばなるまい。生身であれば勝ち目は薄いが、自分たちは神の恩恵を受けた身。3人がかりで勝てぬ相手ではない。

 

農夫たちは激闘に備え身構える。

 

 

瞬間

 

 

畑中に轟音が走る。

 

それは農夫たちの胸や腹に響き身体中を駆け巡る。

 

衝撃のあまり農夫たちは硬直する。

心臓が早鐘を打つ。

喉からは掠れた音しか出ない。

 

衝撃は大猪の影から放たれた。農夫たちはそこから目が離せない。大猪の巨重を支えているはずの四肢はわずかに宙に浮いている。大猪の巨体から力が抜けていく。見るものを圧倒させる威圧感は虚空に還っていく。

 

ついに巨体は崩れ落ちた。大猪は地に斃れ、影から男の姿が現れる。

 

男は拳を軽く突き上げた姿で立っていた。



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其ノ二 ファミリア

 

 

(害獣だろうな。狩っちまってもいいだろ)

 

数瞬前から獣の害意は察知していた。

 

(もしあっちにいるやつらの家畜なら、適当にじゃれ合って迷惑料要求してみようかとも思ったけど)

 

当然のようにクリリンは後方にいる農夫たちの存在にも気が付いていた。畑への無断立ち入りを棚に上げ、彼らに対して不穏な考えか浮かんだが、すぐに否とする。

 

獣が一直線に向かってくる。意識を切り替えた。

 

(猪、にしては大きいな。熊かよ)

 

さすがのクリリンもその点については驚く。

 

「腹ごしらえでもしていくか」

 

直後、大猪が頭上に飛びかかってくる。後方の農夫たちも焦っているようだ。

 

(はは、心配なんていらねえよ)

 

クリリンは一歩も動かない。気を調節する。少しでも力を入れすぎれば大猪は跡形残らず消し飛ぶ。その緻密な制御は相当に高度な技術を必要とするが、クリリンは容易く行う。

 

いよいよ大猪に潰されるというところで、その一撃は放たれた。

 

地上からまっすぐに放たれた衝撃は大猪の頭を貫き、遥か遠く天まで届いた。目の前に雷が落ちたのかと錯覚するほどの轟音が響く。

 

(ま、こんなもんだな)

 

天下に轟く至高の一撃に大猪が耐えられるはずもなかった。巨体はぐらりと傾き、地に落ちた。

 

 

 

 

さて猪の処理をしようかというところで、クリリンのところに農夫たちが駆け寄ってきた。

 

何か文句を言われるかと思えば、こちらの安否を確認するばかりであった。

 

相手の話す言語が理解できることに安堵しつつ、五体の無事を伝えると、次は事情の説明があった。やはりあの猪は害獣だったようで、彼らの仲間に調理のスキルを持った者がいるので、お礼も兼ねてホームに案内するとのことだった。

 

あとで仲間に回収させるので猪は放置してよいと言われたが、大した手間でもないので自分が運ぶと返した。

 

大猪の巨体を片手で持ち上げると、農夫たちは一瞬唖然としたが、すぐにホームに向けて歩き始めた。

 

 

農夫たちのホームに向かう道中、クリリンは彼らと言葉を交わした。

 

彼らは口数は少なかったが、友好的でありこちらへの気遣いは十分に伝わってきた。

 

また、クリリンは彼らとの会話の端々から世界観を読み取っていく。

 

(地上に降りた神々、眷属、ファミリア、オラリオ、そしてダンジョンねぇ)

 

地球とは違う世界がここには広がっていた。

 

 

◆◆

 

 

女神は自身の眷属から報せを受けていた。

 

少し前から獣に畑を荒らされて困っていたが、親切な子が退治してくれたらしい。

 

(うふふ、いったいどんな子なのかしら)

 

その恩人は今は客間にいるとのことなのでお礼を伝えに向かう。

 

客間が近づくにつれ客人の気配が濃くなる。

 

(なにかしら、この胸がぽかぽかする感じ)

 

客間の扉の前に立つ。胸に手を当ててひと呼吸おいてからノックする。

 

返事を確認して扉を開けるとそこには

 

 

【太陽】がいた

 

 

◆◆◆

 

 

彼らのホームが近づいてきた。

 

ホームの周囲は早朝の仕事を終え朝食の準備をする団員たちで賑わっていた。

 

そこへばかでかい猪を片手だけで持ち運ぶ見知らぬ男が現れて、団員たちは一時固まることとなったが、そんな空気はまもなく消え失せホームは畑の恩人を暖かく迎えた。

 

農夫たちの案内で、猪を調理スキルのある団員たちに預ける。よければファミリアの食事の材料にでも使ってくれと伝えておいた。

 

その後はファミリアの団員とともに朝食をとることになった。ヨーグルトに蜂蜜をかけたもの、ラスクやパイ、コーヒーが供された。そこはさすがに農業を生業とするファミリアである。いずれも絶品だった。

 

食事に大いに満足したクリリンは、畑に戻っていく団員たちを見送ったあと農夫たちと館に入り客間に通された。

 

農夫の一人が顛末を主神に報告するために出ていって寸刻、客間に気配が近づいてくる。

 

(やはりこの気の持ち主が神か)

 

地上に顕現した神々はほとんど人間と変わりないらしいが、それでも多少の神威は漏れでるもののようだ。

 

扉がノックされる。クリリンは居ずまいを正す。

 

 

クリリンの前に女神が姿を表した。そのあまりの神々しさに目が奪われる。この世のものとは思えない美貌、軽くウェーブした髪は腰まで届いて余りある。まさしく、人が思い描く女神そのものであった。

 

そして

 

(でけえぇぇぇぇ……‼!!!何がとは言わんがでけぇッ!!!!!さすがは豊穣の女神ッ!!!!!!)

 

その胸は豊満であった。

 

引力に逆らいなんとか目線を上げると、女神はこちらを見てどこか呆然とした様子である。

 

(やべっ、邪な視線がバレたか!?)

 

クリリンが内心焦っていると、女神はハッとして困ったような表情をする。

 

「ごめんなさい私ったらお客さまの前で呆けてしまって」

 

女神はふぅとひと呼吸おき

 

「主神のデメテルです。今日はうちの子たちを助けてくれてありがとう」

 

デメテルはそう言って腰を折る。気品あふれる所作であった。たかが害獣を退治した程度の恩で、地上の子にここまで丁寧に振舞う神はそうはいない。デメテルの徳の高さがうかがえる。

 

神からの最上の礼を受け、普通は舞い上がるかもしくは恐縮するところであるが、クリリンの内心は乱れに乱れていた。

 

(ちょ……危ないッ!!こぼれるッ!)

 

その視線は豊穣の女神の豊穣に注がれ、嬉しいやら焦るやらでクリリンの心は大忙しであった。

 

◆◆◆◆

 

(あのお客様は凄いひとなのかも)

 

猪の処理を担当している団員たちの一人、おさげ髪の少女は思う。

 

(こんな大猪を一撃。それでも内臓や胴体の骨はとてもきれい。とてつもなく強力な一撃だったんだろうけど)

 

少女は猪の頭部を見る。外観は異常がないように見える。

 

(それなら頭部がまるごと吹き飛んでるはず)

 

少し前、少女たちのもとにあの客人を連れてきた農夫の一人が様子を見に来た。そのときに退治のあらましを聞いたのだが。

 

―――まるで地上から天に向かって雷が走ったかのようだった―――

 

それが猪が打ち抜かれた光景を表す言葉であった。

 

少女はぶるりと身を震わせる。

(私は武術に関しては素人だからよくわからないけど……)

 

それは、ただ一点を穿つ相当に研ぎ澄まされた一撃だったとしか考えられなかった。

 

◆◆◆◆◆

 

 

応接間でクリリンとデメテルは向かい合っていた。

 

農夫たちはすでにこの場を辞しており、応接間には女神とクリリンしかいなかった。

 

デメテルは子を慈しむようにクリリンを見ていた。

 

「あの子たちから聞いたのだけれど、クリリンは東の山村から来たのよね」

 

クリリンはホームへの道中、農夫たちにはそのように説明していた。

 

「はい、そうです」

 

デメテルの言葉をクリリンは否定しない。すると、デメテルはなぜか目を伏せる。ためらう様子であったが、何か決意をしたようでクリリンに視線を戻した。

 

「……神はね。下界の子の嘘を見抜くことができるの」

 

その一言でクリリンは先ほどのデメテルの躊躇に得心がいった。

 

「先の受け答えに何も思うところはないわ。クリリンにも何か事情があるのでしょうし。ただ、差し出がましい申し入れかもしれないけれど、クリリンのことを聞かせてもらってもいいかしら。私にも力を貸せることはあるかもしれないから」

 

確かにこちらの事情を知っている協力者がいるほうが断然動きやすくなる。それに今までのやりとりでデメテルやその眷属たちの誠意は理解していた。逡巡など全く無くクリリンは女神に異世界に来る前後のことを話す決意をした。

 

 

◆◆◆◆◆◆

 

「そういうことだったのね」

 

クリリンの説明を聞き終え、デメテルはため息つく。

 

「嘘ついちゃってすいません。こちらの事情はあまり知らないもんで」

 

「賢明な判断だったと思うわ。状況を見極めてからでないと場が混乱するだけだもの」

 

デメテルはクリリンの判断を肯定する。

 

「ちなみに神さま視点で、この現象とか何者かの能力みたいなのに思い当たることはないっすかね」

 

クリリンが問うと、デメテルは少し考えて答える。

 

「現象としてはありうるとしか。誰かの作為だとして、どこの誰のせいと思い当たることはないわ」

 

デメテルの言葉は続く。

 

「でもこの世界には多くの神とその眷属、それに霊獣などもいるわ。中にはそういう能力を持った存在が生まれている可能性は否定できない。あともうひとつ。神は下界でその権威を振るうことに大きな制約があるけど、稀にその禁を破って悪戯をしていることもあってそれに巻き込まれたという可能性もあるわ」

 

あまり期待してはいなかったがやはりすぐに戻れる事態ではなさそうだ。

 

「ありがとうございます。まあのんびりやってきますんでそんな気にされなくていいすよ」

 

クリリンは話を切り替える。

 

「それでこれからのことなんすけど、この世界で衣食住を確保するのに何かアドバイスもらえたりします?」

 

そういうとなぜかデメテルはキリッとした様子で、クリリンに提案した。

 

「クリリンさえよければ、私たちのファミリアに入らない?」

 

 

◆◆◆◆◆◆◆

 

 

(俺が眷属に、か)

 

眷属は隷属とは違う。少なくともこのデメテルファミリアにおいては同じはずがない。それは半日もこのファミリアの様子を見ていれば断言できる。

 

デメテルの眷属になることはこの世界においてメリットこそあれデメリットはほとんど無いように思える。

 

衣食住を確保できて神の後ろ盾も得られる。ただのクリリンよりもデメテルファミリアのクリリンの方が現状ずっと信頼を得やすいし行動もしやすい。

 

(一応デメリットを聞いてみるか)

 

神に嘘は通じないので回りくどい言い方はやめる。

 

「恩恵を賜る上で俺側の不利益はありますか?例えば神の命令には絶対に逆らえないとか寿命が縮むとか」

 

「まず、眷属が主神に逆らえないとか寿命が縮むとかそういうのはないわ。日常での不利益は、そうね……」

 

デメテルはファミリアの運営や内規について説明するが、クリリンにとってそれは基本的なマナーや常識の範囲であり、特に眷属特有の不利益とはみなさなかった。

 

「あと、うちは商業系のファミリアだから迷宮の奥深くまで潜って冒険したりするのには向いていないわ」

 

クリリンは無手で猪を一撃で仕留めるほどの腕前と聞いている。しかもその猪は並ではなく、恩恵を与えた上で武装した子たちでも数的優位を確保しないと苦戦は必至とも。

 

そして真に驚くべき点は、それは恩恵なしの、クリリン本来の力で達成したこと。

 

それに話していて徐々にわかってきたことだが、単純に強いだけでなく頭も切れる。恩恵を与えれば優れた冒険者になれるポテンシャルはある。デメテルとしてはそこが気がかりだった。

 

「ダンジョンすか。……まあ、それはいいすよたぶん」

 

「え!?いいの!?」

 

あっさりとした様子のクリリンに、デメテルは逆に驚く。

 

自分たちの派閥に入るより、探索系のファミリアに入って冒険者になる方が名誉も社会的地位も収入も段違いに上がる。これは命を天秤にかける以上、当然の報酬といえる。

 

 

特に収入の格差に関しては、自分たちのファミリアは趣味性が強く金銭的な利はそれほど求めないこともあって、二倍や三倍どころではない。恩恵の位階が昇華して上級冒険者ともなれば10倍以上の差がつくことだってありえる。

 

いかにクリリンが異世界人で、この世界の富や名誉に執着が薄いであろうことを考慮してもなお驚きが勝った。

 

もっともクリリンを自身のファミリアに迎えたいデメテルにとってはうれしい誤算ではあるが。

 

「え、えーと。あとはいったん私の眷属になってしまうと、一年は他の神の眷属に変わることはできないわ」

 

だから、後で眷属になりたい神が見つかっても、簡単に変わることはできないの――そういう事態になるのを想像したからか、自分で言いながらデメテルの表情は暗くなっていく。

 

「デメテルさまよりいい神様なんて、まあそういないと思うのでそれもいいすね」

 

クリリンの言葉にデメテルの表情はパアッと明るくなる。

 

「そうねそうね、あとは都市内のファミリアで眷属になると、都市圏外に出るのに制限がかかるの。うちは商業系で外との取引もあるからそこまで締め付けは厳しくないけど」

 

話が明るい方向に進んできたからかデメテルの声は弾む。一方、クリリンはこの意外とネックになりうる条件に関して少し思考した。

 

(俺の動きを捕捉できる存在がいるとは思えないけど、能力とかでバレて罰則受けるとファミリアに迷惑かかっちゃうかもな)

 

クリリンはさらに思考する。

 

(ただこのオラリオってとこに出入りしてる気を見てると……まあそこまで気を使う必要もなさそうだな)

 

およそ人のものと思われる気の分布範囲や密度、そこから境界と思われる領域を推定、その地点での気の振る舞いを感知する。ごく短時間での観察だが問題ないと判断。

 

「軟禁されるってわけではなさそうだし、それも問題ないっす」

 

それを聞いてデメテルは微笑む。クリリンはしばらく待ったがデメテルから次の言葉は出てこない。

 

(さて、おおよそ聞くべきことは聞いたか)

 

クリリンは決意してソファーから立ち上がる。つられてデメテルも立ち上がりクリリンと向かい合う。

 

「これからお世話になります」

クリリンは自身の主神となる女神に恭しく礼をした。

 

それを聞いたデメテルは目を見開いた。クリリンの言葉に感情が追い付かない。

 

やがてだんだんと言葉が体に心に染み入っていく。胸の中がじんわりと暖まっていく。表情が緩んでいく。

 

このときの女神の笑顔は、まるで世界中の花が一斉に咲き誇ったかのようだった。

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

(少し気が逸ってしまったかしら)

 

夜、デメテルは私室で今日のことを振り返っていた。

 

クリリンを眷属に迎え入れたことは望外の喜びだった。

 

しかし気が逸るあまり、強引な勧誘では無かったか、クリリンの苦境につけこむことは無かったか、言葉が足らぬことは無かったか、何度も何度も振り返る。

 

(いえ、きっと大丈夫。クリリンは聡い子だもの。きちんと自分の意思で決めてくれたはずだわ。それに――)

 

 

 

私が子どもたちを害するなんてありえない。

 

それは自身の在り方の根幹を為す。

 

 

 

ふとクリリンと初めて会ったときのことを思う。

 

今になってもクリリンの何を以て【太陽】を感じ取ったのかはわからない。

 

 

 

それでも今は

 

 

太陽の子を授かった喜びに、ただただ浸っていたかった。

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

(眷属になって、ちょっとだけ強くなったかな)

 

異世界生活2日目の夜明け、デメテルの畑でクリリンは神の眷属となった肉体を感じていた。

 

恩恵を受ける際、背中に神の血を受けたときは、これってもしかして自分が思うよりずっと重い契りなのか!?ってビビったりもしたが。

 

(俺は元気です)

 

クリリンは、物理的には遠いんだか近いんだかわからないが、心理的には遠い地球に思いを馳せた。

 

 

デメテルからは数日はゆっくりしていいと言われていたが、ファミリアでの生活に慣れるため休日は後日でよいと返した。

 

(あーでも自分の都合だけで決めちゃって、こうやって自分を教えてくれる側のことを考えてなかったな。そこは反省)

 

ちらりと横にいる婦人を見る。

 

年は20代前半、背は女性にしては高めで、垂らせば腰まである髪をひとつ結びにしている。頭には麦わら帽子を被り、エプロンドレスに身を包んでいる。

 

一方、クリリンも畑に出るに当たり作業着を身に付けている。インナーにオーバーオール、頭には婦人と同じく麦わら帽子を。

 

婦人がクリリンに声をかける。

 

「ではここからここまでを除草していきましょうか。先ほどお見せしたようにやってみてください」

 

「わかりました」

 

クリリンが畑に入って作業にとりかかるのを、婦人は畑の縁に立って見守っていた。

 

今日はずっと話していたためか喉が渇き、水筒を取り出して水を口に含む。

 

そのとき婦人の目の前で事件は起こった。

 

畑に無数のクリリンの残像が現れた。

 

それは超スピードで作業するクリリンのみが可能とする奇跡の光景。

 

その超自然的な光景を前に、婦人は口の中のものをすべて噴き出した。




感想、お気に入り登録ありがとうございます。感想のお返事はこれから少しすつお返しします。話の内容で一話の文字数が安定していません。読みにくく感じるようなら申し訳ありません。


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其ノ三 玄馬

「……………」

 

目の前に広がる畑が輝きに満ちている。

 

私たちは農道の木陰で休憩をとっていた。私の横の切り株に腰かけているのは同じファミリアの先輩。

 

昨日、新しく私たちの家族となったクリリンさん。先輩は初めて畑に出るクリリンさんの教導をすることになった。

 

ちらりと先輩を見る。

 

先輩は枯れていた。

 

 

まだ日も高くならないうちにクリリンさんは畑で数々の奇跡を起こした。

 

奇跡が起こる度に畑の輝きは増し、至るところで噴水が起きた。

 

 

まるで奇跡のバーゲンセールだ。いや奇跡は易くない。では目の前の光景はなんと呼べばいいのか。やっぱり奇跡か。頭痛がしてきた。

 

クリリンさんの一番近くで何度も奇跡を目の当たりにした先輩は、ご覧の有り様だ。

 

畑の輝きが強まるにつれ、先輩の帯びる影は濃くなっていった。

 

班長が周囲の団員に声をかける。そろそろ休憩は終わりか。肉体的な疲れはないが精神的にはもういっぱいいっぱいだ。

 

 

 

 

クリリンさんのおかげで、もう仕事の大半は片付いてるけどね!!!

 

 

「クリリンさん、このあと腐葉土を第6耕地まで持っていくのを手伝ってくれませんか」

 

班長がクリリンさんに声をかけている。………班長もだいぶやつれてるなあ。

 

木陰の近くに置いてある中型の荷車二台に、腐葉土が詰まった袋が山のように積まれていた。

 

苗入れが近づいてきた耕地の土作りをするために、遠征隊がセオロの密林から持ってきてくれた腐葉土だ。

 

「いいすよ」

 

休憩終わりに最後の水分補給をしていた私の目の前で

 

 

二台の荷車が鈍い音を立てて持ち上がった。

 

 

 

違う、そうじゃない。

 

車輪が見えないのか。それに誰も一人でやれとは言ってない。

 

横で何人かの同胞が噴き出していたが、私は耐えた。

 

クリリンさんは昨日のお昼になったあの大猪を片手で持ち上げていたんですよ。

 

目の前の光景は頭のどこかで覚悟していた。

 

私の勝ちだ。ぎりぎりの勝負だったけどね。

 

こうして乙女の矜持は守られた。よし、今の隙に口の中のものは飲み込んでしまおう。

 

 

私の目の前から、轟音とともに何かが跳び立った。

 

何がって?荷車を両手に持ち上げたクリリンさんだよ。言わなくてもわかるでしょ?

 

「ぶっはぁ!!!!?」

 

畳み掛けてくるとか卑怯じゃないですか。耐えられるはずもない。

 

乙女の矜持は噴き出した水とともに露と消えた。

 

 

 

 

ちなみにクリリンさんは既にいくつもの畑を越えた先の第6耕地に降り立っていた。

 

 

 

 

日が翳ってきた。見上げれば空は厚い雲に覆われ始めている。

 

「…………」

 

だいぶ農夫であることにも慣れてきたと思う。仕事はまだまだ学ぶべきことがたくさんあるが。

 

「…………」

 

 

畑の外は平野が広がりその先は森が広がっている。

 

「…………」

 

クリリンはその森の奥をじっと見ていた。

 

何かが近付いてくる。だんだんと空気が重くなってくる。

 

周囲の団員たちも異変に気が付き始めた。手を止めて森の方を見ている。

 

何かが見え始めた。それは木々の高さを越えていた。

 

馬の頭?

 

クリリンにはそう見えるが、仮にそうだとしたら相当に巨大な馬だ。

 

班長から鋭く短い指示が飛び、敏捷に優れた団員が伝令に走る。

 

やがてソレは森から全貌を現した。

 

 

巨大な黒い馬が強烈な殺気を放ちながら平野に姿を現した。

 

体高で5メドルは越えている。

 

相手の出方を窺っていると、クリリンの前に婦人の背中が現れた。

 

まさか自分を庇おうとしているのか?とクリリンは思う。

 

「お逃げ下さい」

 

ぼそりと婦人はクリリンに声をかける。

 

「クリリンさん、あなたが相当な実力を持っているのはわかります」

 

周囲の団員たちも農具を武器に、次々とクリリンの前に立つ。婦人は言葉を続ける。

 

「ですがアレは次元が違う。人知の及ばない領域に棲む、本物の怪物です」

 

 

場の空気は際限なく重くなる。ついに団員たちが恐怖に震え始める。

 

「クリリンさん、あなたなら逃げるだけなら可能だと思います。デメテル様とともにギルドへ向かい、できれば第一級冒険者の救援を要請して下さい」

 

馬が畑に向かって歩を進める。放たれる殺気は刃となり団員たちの喉元に突き付けられる。

 

「私たちでは大した時間稼ぎにはならないと思いますが」

 

婦人はクリリンの方を振り返り

 

「デメテル様のこと、他の同胞たちのこと、よろしくお願いします」

 

 

静かに微笑んだ。

 

頭上に輝いているはずの太陽は暗雲に飲み込まれていた。

 

 

◆◆

 

クリリンは団員たちの決死の覚悟を感じ取っていた。

 

なんという気高さであろう。その覚悟をはねのけて前に出るのは無粋。すべて片付いてから一人一人に誠意をこめて礼を伝えればよい。

 

 

 

 

―――目の前の馬が彼女らの手に負える相手ならばそうしただろう

 

 

 

黒い馬は全く本気を出していない。

 

 

それでこの威圧感だ。

 

 

自分の前に立つ5人の「勇者」は確実に全滅する。

 

可能性など無い。時間など刹那も稼げない。あの馬は一手で彼女たち全員を消し炭にできる。

 

(ありがとな、君らの気持ちは嬉しいよ。でも……)

 

 

 

ついにクリリンが動く。

 

――この場は俺に任せてもらおう

 

 

 

◆◆◆

 

婦人の肩に手が置かれる。

 

見ればクリリンが前に出ようとしていた。

 

「……………ッ!」

 

馬の殺気に当てられ全身は硬直し、声すらまともに出せない状態だった。

 

クリリンは馬に向かっていく。婦人は微かな力を振り絞ってクリリンの背中に手を伸ばす。

 

 

その手が届く前にクリリンは婦人の方に、団員たちの方に振り返った。

 

「アンタたちの思いは受け取った」

 

猛烈な殺気が荒れ狂う中でクリリンは平然と口を開く。

 

 

「アンタたちは本当にいい人たちだ。誰が見てもあの馬は化物だとわかるだろうに」

 

「…………」

 

「あの馬は俺がなんとかするよ」

 

「……………ッ!」

 

「はっはっは、俺だってあの馬がそこらの獣とはワケが違うことぐらいわかってるさ。たとえば昨日、俺が倒した大猪があの馬に遭ったら、たぶんすぐに踏んづけられてペシャンコになって終わりだったろうしな」

 

「…………」

 

「でもな」

 

 

扉を開ける。そこには体の奥の奥に秘めていた膨大な力が眠っていた。

 

クリリンはその力の大海からほんの一滴を取り出す。

 

「俺は今の今まで全く本気を出しちゃいないんだぜ」

 

雲の切れ間から一条、また一条と陽光が地上を照らし始める。

 

「心配なんていらない」

 

力がクリリンの全身を満たしていく。

 

 

「俺ってメチャクチャ強えからさ」

 

クリリンはそう言ってニカッと笑い、突き付けられていた殺気を握り潰した。

 

 

◆◆◆◆

 

 

敵ダ

 

 

馬はこれまで畑にいる生物を自身の敵とはみなしていなかった。

 

軽く振り払えばそれだけで呆気なく飛び散るイノチ。

 

そんなモノは敵とは呼ばない。

 

しかし空気が一変した。

 

あの生物の中でもひときわ小さいモノが、自分の殺気を退けた。

 

 

気力を全身にみなぎらせる。

 

生キル 即チ 闘争

 

 

敵と戦い生き残るために、馬は全身全霊を世界に解き放った。

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

デメテルはホームで眷属たちに制止されていた。

 

「離してちょうだい!私の子どもたちが……!!」

 

眷属たちは悲壮に顔を歪ませた。

 

「お気持ちは痛いほどわかります!私たちとて本意ではありません!」

 

畑に化物が現れた。

 

伝令と信号で凶報はすぐに伝えられた。

 

それを受け取ったホーム付近にいた眷属たちは血の気が引いた。

 

緊急度、危険度ともに最悪。こんなことはかつて無かった。

 

伝令のため戻った同胞は大粒の涙を流し、化物の近くに6人の同胞が取り残されていることも伝えた。

 

胸が引き裂かれそうになる。恐らく残った同胞たちは命懸けで伝令を走らせたのだ。

 

 

来るな

 

 

 

と。

 

「デメテル様が向かうべきは化物のところではありません。―――ギルドです」

 

冷酷に言う。

 

すでに同胞が何人か向かっているが、主神がいるのといないのとではギルドの対応は全く違う。

 

「う……うぅ……」

 

デメテルの体から力が抜けていく。

 

 

「………?……………!!」

 

 

畑のずっと向こうから感じていたおぞましい気配が爆発的に膨れ上がった。

 

すぐ目の前に化物がいる

 

そう錯覚するほど濃密な殺気。

 

悲壮は絶望に変わる。

 

 

 

◆◆◆◆◆◆

 

 

なんということ。あの馬は今まで全く本気ではなかった。

 

馬から放たれる気迫は、質も量も先ほどまでとは全く比較にならない。

 

甘かった。

 

知っていたつもりだった。

 

世界の広さ

 

空の高さ

 

海の深さ

 

太陽の暖かさ

 

 

そして

 

世界の残酷さや理不尽さも

 

知っていたつもりだったのだ。

 

世界は常に自分の上を行く。

 

 

何が時間稼ぎだ

 

クリリンの背中を見ながら婦人は思う。

 

 

こんなもの

 

一瞬で飲み込まれて終わりだ。

 

ごめんなさい、クリリンさん。

 

わたしたちはあなたを守れなかった。

 

 

 

馬の殺意は畑を越えてオラリオまでも圧し潰す。

 

世界から色が消えていく。

 

 

馬はあらゆるモノを圧し潰しながらクリリンと相対した。

 

 

クリリンは嗤っていた。

 

圧倒的な絶望を前にクリリンは嗤っていた。

 

クリリンの体から気が溢れだす。

 

 

それは一瞬で殺意の塊を塗り潰し、急速に広がっていく。

 

暗雲は吹き飛び太陽が顔を出す。光が地上に降り注ぐ。

 

クリリンの放つ気が世界を満たしていく。

 

【太陽】は遍く地上を照らす。

 

 

◆◆◆◆◆◆◆

 

 

馬は自身の殺気が蹂躙されていくさまを茫然と見ていた。

 

そして理解した。

 

目の前の存在は人間では無い。

目の前の存在が為すことは人為では無い。

 

これは、天意だ。

 

世界が光に包まれる。

馬もまた【太陽】に照らされていた。

 

戦意が萎んでいく。

もはや自分の運命は天意に囚われている。

 

これまで生きるために殺してきた。

それは生きるための業。

 

そしていずれ自分も天の前に立つ。

 

その時がついにきた、それだけだ。

 

 

―――天意ニ背ク道理無シ

 

馬は自分の中から戦意が完全に消失したのを感じた。

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

世界は色を取り戻した。

 

殺意は消え失せ、残ったのは威光。

 

婦人の目から涙が溢れる。自分は未だに圧倒されている。

 

それは恐怖では無く、畏敬。大自然の雄大さを前にして抱く畏敬。

 

 

ああやはり、私は無知でしたね。

 

婦人はクリリンの背を見つめて思う。

 

世界は本当に広いのですね。

 

新しく家族となった同胞の底知れない力に世界の広さが重なり合う。

 

 

クリリンは動かない。

何か考え事をしている。

 

そして馬に向かって話しかける。

 

「………おまえ、もしかして腹減ってるだけか?」

 

私たちは、え?みたいな顔になる。

 

馬はびくりと体を震わせる。

 

図星だと言わんばかりの反応。

 

クリリンさんの後ろで私たちは全員膝から崩れ落ちた。

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

その女神は下界を見下ろしていた。

 

手にはギルドから送られてきた救援要請の文書。

 

普段なら自分たちが動く理など無い。

 

 

「あの鬱陶しい気配が消えたわね」

 

そしてもはや元凶も消えたようだ。

 

女神は元凶を屈服させたであろう、いま世界に満ちている圧倒的な気配を感じて薄く嗤った。

 

文書に目を落とす。

依頼主はギルドとデメテルファミリアの連名。

 

女神は側に控える男に昨日の出来事について問う。

 

「―――はい、おっしゃる通り、昨日観測した都市外からの衝撃は、確かにデメテルファミリアの農地がある方角からでした」

 

地上より放たれ天空を叩く衝撃。

 

とても人為的な現象とは思えなかった。

それから二日と置かずこの騒動。

 

「今からデメテルファミリアのお見舞いに行ってきてくれるかしら」

 

女神は眷属に命令する。

 

「そしてそこで見聞きしたことを余さず私に報告して頂戴?」

 

女神の言葉を受け、眷属は恭しく礼をする。

 

「御意に」



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其ノ四 猛者

 

 

農道を3人の冒険者が疾走していた。

レベルはいずれも2

少女ながら偉業を成し遂げ若くして上級冒険者となった逸材である。

 

市外から戻った行商人たちが目撃した黒い影。

それがギルドに伝わり調査をする方針が固まったところで、農夫たちが駆け込んできた。

状況は深刻さを増していく。ギルドは警戒レベルを引き上げ、上級冒険者へ協力を呼びかける。

 

別の農道に恐ろしい速さで走る冒険者たちがいる。

少女たち以上の、かなりの手練れだ。

また後方には魔導士たちも続いている。

 

農道を駆ける冒険者たちはギルドの呼びかけに応じた第一陣だ。

 

農夫たちはデメテル・ファミリアの団員だった。

彼らの畑に巨大な化物が現れたという。

 

少女たちはデメテルを慕っていた。

とても美人でスタイルが良く、街角で会えば派閥が違う自分たちにも優しく微笑んでくれる、素敵な女神。

デメテルの畑で採れた穀物や野菜を口にして天にも上る思いをしたことなんて数え切れない。

 

化物の威圧感が増してくる。地上にこれほどの威を放つ怪物がいることに、冒険者たちは驚く。

それでも足は止まらない。あの化物はとてつもなく強い。

しかし、ここにいる冒険者、そして後から来るであろう冒険者たちが力を合わせればきっと勝てる。

 

畑の終わりが見えてくる。

黒い化物と、その前に立つ農夫たちを視界に捉える。

 

よかった、生きてる―――

 

少女たち、そして周囲の冒険者たちの戦意が高まる。

「私たちがデメテル様の畑を、オラリオを守る―――」

 

 

 

突如、心臓を掴まれた。

冷や汗が噴き出し、血の気が引く。

頭の中で鳴り響く危険信号。

全員が足を止める。

 

 

 

事態は一変した。

 

化物から放たれる殺気が爆発的に膨らみ、10人の上級冒険者全員を畑ごと圧し潰す。

 

先ほどまでの威圧感などそよ風に感じるほどの、絶望的な殺気。

 

冒険者たちと化物との距離は数百M(メドル)ある。

あるはずなのに、冒険者たちは既に化物の腹の中にいた。

 

誰も動けない。

そんな中、化物と対峙する一人の小柄な農夫に目が留まる。

何も出来ないまま、あの農夫の命が踏みにじられるさまを見せられるのか。

 

少女たちは恐怖と無力感に苛まれ涙を流し始める。

 

 

そのとき

地上に【太陽】が降臨した。

 

世界を圧し潰していた殺気は一瞬で消し飛んだ。

 

これまで世界が経験したことのない途方も無い力を前に、冒険者たちはその場に立ち尽くしていた。

 

 

 

 

小人族(パルゥム)の男が冒険者通りを歩いていた。

次回の遠征に備え、大手商業系ファミリアとの物資調達に関する商談を済ませた帰りだった。

 

冒険者で賑わっている通りであるが、男が近づくと自然と群衆が割れる。

開いた道を、当然のように男は通る。

げらげら笑う荒くれた冒険者たちもいたが、男が傍を通り抜ける間は口をつぐみ、目をそらしていた。

男には周囲を制するほどの、その小柄な体に似つかわしくない風格があった。

 

男の名はフィン・ディムナ

 

希少な第一級冒険者を多く抱える世界屈指の名門、ロキ・ファミリアの団長であり、当然ながら自身もまた世界最強クラスの実力を持つ第一級冒険者である。

 

悠々と道を進み、やがてギルドの前に出る。いつも冒険者で賑わっている場所だが、今日は一段と騒がしい。

親指が疼き始める。フィンにとってこれは凶兆であった。

 

近くにいる冒険者をつかまえて事情を聞く。

市外にあるデメテル・ファミリアの農地で常軌を逸した化物が出たらしい。

 

市外、デメテル・ファミリアの農地、これがフィンの頭の中である出来事と結び付く。

 

天を打つ衝撃

 

昨日の夜明け間もない頃、地上から天に向かって衝撃が走った。

 

早朝のオラリオは一時騒然となったが、それからしばらく経っても沙汰はなく、日が頂天に差し掛かる頃にはほとんどの民衆には無かったことになっていた。

 

それほど迷い悩むことは無かった。

 

「ラウル、武器を」

「はいっす」

 

フィンは後方に従えていた団員から預けていた武器を受け取る。

 

「ティオネ、いるかい」

 

そう言うと近くの建物の影からアマゾネスの少女がばつが悪い顔をしながら出てきた。

 

彼女もまたロキ・ファミリア所属の第一級冒険者である。

彼女はフィンを慕っており、私用を済ませた帰りに偶然フィンを見つけ思わず後を付けていたのだった。

 

気まずいところではあるが、すぐに切り替える。

 

「団長、お呼びでしょうか」

ティオネは指示を仰ぐ。

 

「これからデメテル・ファミリアの農地へ向かう。付いてきてくれ」

「了解です」

 

それから、とフィンはラウルに向き直る。

「ラウルはホームに戻ってリヴェリアに報告してくれ」

「了解っす」

 

ギルドで確認をとってから、フィンとティオネは農地に向かう。

 

――――その道中

 

猛烈な殺意がフィンとティオネを襲った。

 

「だ……団長!」

「ぐ、これは……!」

 

深層の階層主を彷彿とさせる圧力。

事前準備をした上でロキ・ファミリアの誇る最高戦力を惜しみなく投入してようやく勝ち筋を掴めるレベルの相手。

そんな化物が畑の果てにいる。

現に共に深層で戦い、地獄から何度も生還した第一級冒険者であるティオネが平静を保てていない。

 

(ここは退くべきか……!?)

 

フィンの鋭敏な頭脳が全力で回り始める。

ふと気が付いた。

 

親指の疼きが止んでいる――――?

 

 

その直後だった。

 

 

とてつもなく大きい殺意は

 

 

もっと大きい、馬鹿みたいに大きい気配に飲み込まれた。

 

絶望の色に染まりきった世界は元の姿を取り戻していく。

 

「ははは…………なんだこれ」

目を見開いて呆然としているティオネの横で、フィンは苦笑いと共につぶやいた。

 

 

◆◆

 

 

デメテルが農夫たちを抱きしめている。

それを見て冒険者の少女たちは涙ぐむ。

 

 

あの後、荒れ狂う世界を執り成した気配は嘘のように消え失せた。

 

冒険者たちは疲弊していたが、農夫たちが崩れ落ちたのを見て駆け付けた。

農夫たちの消耗は無理もなかった。

上級冒険者ですら圧倒されて動くことすら敵わなかったのだ。

冒険者ですらない彼女らが、あんな至近距離で化物の殺意を受け続けた心労は想像を絶する。

 

5人の農夫を介抱しようとする。

「悪いな、助かる」

そうすると唯一立っている農夫に礼を言われる。

上級冒険者全員がその農夫に意識を向ける。

状況をみれば、彼がこの場を収めたのだとわかる。

小柄で人好きのする笑顔を浮かべる男だ。

確かに体は締まっているように見えるが、正直あまり強そうには見えない。

もちろんあんな大騒動の中心にいたというのに、一人平然としている様子ひとつとっても、ただ者ではないはずなのだが。

 

やがて後続の冒険者と共にデメテルや彼女の眷属たちが駆け付けた。

デメテルは冒険者たちを気遣う素振りを見せていたが、冒険者の一人がどうぞ眷属たちを先に労ってあげて下さいと声をかけ、ありがとうと小さく呟いたデメテルは眷属を一人一人抱きしめていた。

抱きしめられた眷属は安らかな顔になり今にも昇天しそうだ。

 

冒険者の何人かはデメテルや眷属たちから視線を外し横目であの黒い化物を見ていた。

 

それは巨大な馬だった。

先ほどの殺意は微塵もなく平野に伏せていた。

それでもあの威容。身震いがする。

冒険者たちは誰も目を合わせるような真似はしなかった。

 

不意にデメテル・ファミリアの眷属たちが黒い馬に駆け寄っていく。

冒険者たちはギョッとする。

眷属たちは野菜をたくさん入れた大きな篭を持っている。

あの馬に餌をやるつもりのようだ。

デメテル・ファミリアとあの馬の間に何があったのかはわからない。

それにしたって

―――君らの度胸と適応力、高すぎない?

冒険者たちは全員そう思った。

 

 

◆◆◆

 

 

畑に集った冒険者がざわついている。

彼らの視線の先にはデメテルと話している二人の冒険者。

 

勇者(ブレイバー)】フィン・ディムナ

怒蛇(ヨルムガンド)】ティオネ・ヒリュテ

 

ロキ・ファミリアの主戦を担う二人の実力者が畑に姿を現していた。

 

「あなたたちまで来てくれるなんて……本当にありがとう」

 

デメテルは微笑む。

そのあまりの華麗さにティオネは自身を省みて苦い顔になる。あと正直、フィンにその笑顔を向けてほしくないという複雑な乙女心もあった。

フィンはといえば、こちらも世の淑女たちを虜にする笑顔を浮かべ

「僕に出来ることがあればいつでも駆け付けますよ」

と返す。

あらうふふ、とデメテルは返し、ティオネはぐぬぬと唸る。

もちろん、デメテルはこれが社交辞令であることはわかっている。フィンたちが単に人助けだけをしに来たわけではないことも。

しかし、デメテルとて天界では最高位に名を連ねる神々の一柱。そんなことをいちいち咎めるような器量ではない。

 

にわかに冒険者たちがどよめく。

デメテルたちもそちらを向く。

 

冒険者たちは一斉に道を開け、その奥から男が現れる。

 

「――――――!!」

 

男の姿を見て、デメテルとティオネは声を失う。

そちらも動くか、とフィンは呟く。

 

余人には決して纏えぬ覇気を従えてその男は女神の前に出る。

 

「―――この畑であなたを見る日が来るなんて思いもしなかったわ」

デメテルは目の前の大男に声をかける。

 

「さしたる被害は無いようだな、神デメテル。―――周辺を見て回ってもよろしいか」

 

表面上は神を立ててはいるものの、その言葉は有無を言わせない迫力を伴っていた。

 

「ええ、かまわないわ」

「では、失礼する」

 

男と神の対話は既定事項を外れることなく、男の思うがままに進む。

男は神のもとから離れていく。神の傍にいた二人の第一級冒険者のことなど全く意に介さず。

 

ティオネはその態度に青筋を立てる。

(この猪野郎……!団長を前にでけぇ態度とりやがって!!)

しかし何も行動は起こせない。短慮に身を任せれば潰されるのはこちらだ。ぐっと堪える。

 

男は悠然と馬の化物に向かっていく。驚いているデメテルの眷属たちに少し離れていろ、と声をかける。

 

男は馬の前に立つ。

馬は冷ややかに男を見下ろす。

冒険者たちや畑の農夫たちは固唾を飲んで見守る。

 

 

 

瞬間、男の覇気が世界を支配した。

畑に緊張が走る。

 

すぐに反応したのはフィンとティオネの二人だ。

戦闘態勢に入りつつ、ティオネは横目でフィンの様子を窺う。

 

―――団長、どうしますか

―――まだ動くな。このまま様子を見る

 

フィンはティオネを目で制す。

 

 

フィンとティオネ以外の冒険者たちは男の威を前に震えて何もできずにいた。

 

これが【猛者(おうじゃ)

都市最強の冒険者の力―――

 

凡百の冒険者にとって都市最強の力とは雲の上の話で実体を伴わないものであったが、今この場で重さと色を伴って全身に刻み込まれた。

 

全くもって想像以上

まさしく最強の力だ、と

 

 

然してその力を真正面から受けた馬の目は―――

それでもなお冷めていた。

 

「クク……生意気な目だ」

 

猛者(おうじゃ)】はどこか楽しそうに呟く。

 

まるで、自分(おまえ)は【猛者(オレ)】よりも強い存在を知っている

 

(そう言いたげな目だな)

 

その存在こそ、この馬を鎮めた者であり、【猛者(おうじゃ)】がこの畑に来た目的であるに違いなかった。

 

そしてついに【猛者(おうじゃ)】は目的の人物を見つけ出す。

 

この場でいささかも乱れず静謐な気配を保ち続けている存在。

 

それは一人しかいなかった。

 

猛者(おうじゃ)】は一人の農夫のもとへ歩み出す。

 

周囲はそれをただ見ているだけしか出来なかった。

 

猛者(おうじゃ)】を誰も止められない

猛者(おうじゃ)】を誰も咎められない

 

それは【勇者(フィン)】や【怒蛇(ティオネ)】をして同様であった。

 

力で理を通す世界

この場は完全に【猛者(おうじゃ)】の独壇場であった。

 

 

やがて【猛者(おうじゃ)】は一人の農夫の前に立つ。

 

「名乗ろう。フレイヤ・ファミリア団長、オッタルだ」

 

二人の体格差は歴然だ。

片や2M(メドル)を超える大男、片や女性と比べても小柄な部類に入る程度。

腕の太さを比べても、丸太と小枝のようだ。

 

「ただの農夫ではあるまい。真の姿を見せよ」

 

オッタルはそう言って農夫を見下ろす

 

 

 

 

 

 

と同時に後方に跳び農夫と距離をとる。

 

オッタルの頬を一筋の汗が伝わり、地面に落ちた。

 

 

「はっはっは、どうした?こんなのまだまだ序の口だぞ」

 

農夫は悪戯が成功した童子のようにニシシと笑う。

 

 

世界は思い出した。

 

デメテルも【勇者】も【怒蛇】も

畑に集った上級冒険者たちも

そして農夫の目の前にいる【猛者】も

 

全員が思い出した。

 

 

恐るべき怪物を戦うことなく屈服させ、世界を平定したあまりにも大きい力を

人智を超えた大きすぎる力を

 

全員が思い出した。

 

 

世界の主役が入れ替わる。

 

 

「俺はクリリン。昨日デメテル・ファミリアに入ったばかりの、ただのクリリンさ」



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其ノ五 偉業

 

 

ティオネは平野に立つ【猛者(おうじゃ)】と農夫の姿に驚愕の色を隠せなかった。

猛者(オッタル)】の実力も想定外であるが、より衝撃を受けたのは農夫の方だ。

先ほどまでの姿からは想像しえない、完全に異次元の存在だった。

 

「団長は気付いていたんですか、あの農夫のこと」

 

ティオネはフィンに問う。

 

「いや、確信は持てなかった。ただ周囲の視線や反応から、あの農夫が匂うとは思っていた」

 

フィンは農夫を見ながら返す。

 

「まんまと騙されたよ。どういう技術かはさっぱりわからないけれど、彼は気配だとか存在感といったものを隠すことができるらしい」

 

ティオネは頭痛を堪えるように額に手を当てる。

その技術とやらで世を忍び続けたとでもいうのか。いくらなんでも、あれほどの実力をしてさすがにそれは無理がある。

思考するほど混乱が深まるばかりで、ティオネはいったん考えるのをやめた。

 

「………それにしてもアイツ、他人(ひと)()()るつもりですかね」

 

ティオネは話題をオッタルに移す。

 

「さて、それは女神(フレイヤ)の気分次第だけど」

 

フィンは横目でデメテルを窺う。

デメテルは農夫を見つめているが、彼らに対して口を挟もうとする様子は無い。

農夫への信頼は厚いのだろう。

 

「それを受けるかは、彼の度量によるかな」

 

フィンもまた農夫に視線を戻し、成り行きを見届けることにした。

 

 

 

 

「で、どうするんだ?このまま戦えばいいのか?」

 

クリリンはオッタルに問う。

 

一度収めた状況を煽り、自分たちの領域で戦意を表し同胞や来客を萎縮させた。

この世界の法や理をまだ把握できていないクリリンとしても、オッタルの振る舞いは目に余る。牽制すべきと判断した。

 

 

「このあたりから天に上る一撃が放たれた」

「ん?」

 

オッタルが口を開く。

 

「昨日の早朝のことだ。――――おまえの仕業だな」

 

あーアレのことか、とクリリンは合点がいく。

 

「確かにオレがやったことだけどなんか大げさだな」

 

クリリンは笑って言う。

 

「畑を荒らす猪を仕留めただけさ」

 

クリリンとしては単に事実を述べただけで含むものは何もなかったが、この状況で猪人(ボアズ)であるオッタルに対して言うには皮肉とも取れる言い草だった。

 

オッタルもまた口角を上げ、その背に負う大剣に手をかける。

 

「ならばその猪の無念を俺が晴らそう」

 

 

オッタルの戦意が滾る。

クリリンとオッタル、両者の間の空気に亀裂が入る。

 

完全なこじつけで戦端が開かれつつあった。

 

相手の挑発に乗ってもいいものか迷うクリリンはデメテルを横目で見る。デメテルは健気に見守るばかりで止める様子はない。

ついでにデメテルの横にいる金髪の少年紛いの男――――オッタルと同じくこの世界の有力者と思われるこの男を見ても、楽しげにこちらを見ているばかりで止める気配はない。

 

オッタルの大剣が宙を動き、その剣端がクリリンに向けられる。

 

周囲が竦み上がるほどの戦意がクリリンを襲う。

クリリンはそれを適当にもてなしつつ考える。

 

(んーやっぱりオレの力を見るのがこいつの目的だったか。デメテル様たちに迷惑かからなければ戦うのはかまわねえけど)

 

クリリンはぽりぽりと頬をかく。

 

(相手の出方に合わせて反撃して、周りの反応見ながら調節していくか)

 

方針を固めるクリリンにオッタルが声をかける。

 

「一応きいておこう。武具は不要か」

 

オーバーオールに麦わら帽子。クリリンの姿は農夫そのものだったが、当のクリリンは戦うにあたり支障はないと答える。

 

「先手は譲る。好きにかかってこい」

 

都市最強の力を誇るオッタルに対してなんとも大胆な発言だった。

 

直後、クリリンの頭上にオッタルの大剣が振り下ろされた。

 

恐るべき速さの踏み込み。

クリリンが口上を述べるや否や、オッタルの巨体はクリリンの目の前にあった。

 

不可視にして不可避の一撃がクリリンの脳天に炸裂する。

爆音と共に麦わら帽子は一瞬で消し飛びクリリンの立っていた地面は大きく陥没した。

 

周囲の冒険者たちから悲鳴が上がる。

誰もが死んだと思った。あの農夫も化物に違いないが、オッタルの一撃をまともに食らったのだ。どうあっても無事で済むとは考えられなかった。

 

そんな中で

 

「まいったな、帽子のこと忘れてた」

 

場の空気を乱す間の抜けた声がクリリンから上がった。

 

「受けずに躱せばよかったな~」

 

オッタルの大剣はクリリンの脳天で止められていた。

両断されるか潰されるか、そんな一撃を受けても何事もなかったかのようにクリリンは振る舞う。

 

「おおおおおお…………!!!」

 

オッタルの筋肉が膨れ上がりその怪力が剣に込められるも、クリリンは剣を頭で押し返す。

 

冒険者たちは眼球がこぼれ落ちんばかりに目を見開いて驚愕していた。

 

「これはなんとも出鱈目な話だね」

 

半眼のフィンがすべての冒険者の思いを代弁した。

そんな彼も呆れてもはや言葉もないといった様子である。

 

「よ」

 

クリリンは頭を振って大剣を払う。

剣が押し退けられオッタルは体勢を崩す。

 

 

そこをクリリンの拳が捉える。

 

まさに究極の一撃だった。

 

 

武人が気の遠くなる鍛練の果てに追い求める至高の軌跡。

クリリンの一撃はそれを体現していた。

 

人体から出るはずのない音を立ててオッタルの顎がはね上がる。

 

それを見たティオネは息を呑み思わず顎に手を当てる。

自分が受けたなら間違いなく頭が粉々にふっ飛ぶ一撃に青ざめる。

 

(なによあれ。オッタルの防御もあっさりすり抜けるし)

 

 

たとえ第一級冒険者であっても今の一発で勝負は決まっていた。

しかしオッタルもまた尋常ではない。

大きく仰け反った体をゆっくりと戻す。

クリリンの方を見て獰猛に笑う。

 

「お互い挨拶は終わったな」

 

クリリンのその言葉に、冒険者たちはいっそう戦慄した。

 

 

◆◆

 

「い、いったい何が起きているの……」

 

女の目の前で、都市最強の男と謎の農夫の戦いが繰り広げられている。

 

女はいったん眼鏡を外し布で拭いてから掛け直す。が、やはり目の前の光景は変わらない。

 

オッタルと農夫がぶつかり合うごとに、平野に爆音が響き、地面に亀裂が入り、観衆は突風に煽られる。

 

素人目にもこの戦いがとんでもないレベルにあるのはわかる。

ただ、女は農夫に全く見覚えがなかった。

 

女はオラリオの元締めといえるギルドで働くハーフエルフである。

今回の騒動でギルド側の対応を主導した彼女は、先ほど現場に到着した。

化物騒動は解決されたようだが、見るに新たな騒動が起きている。

 

今また農夫の一発がオッタルを吹き飛ばし、女はあまりの珍事に崩壊を始める表情を乙女の矜持で必死に取り繕う。

職務で冒険者と関わる彼女が、オッタルと渡り合えるほどの冒険者を知らぬはずはない。

だが、どんなに記憶を掘り起こしても農夫の姿は出てこなかった。

 

女は横に立つ者たちの様子を窺う。

 

デメテルはいつもより眉尻が下がり、衝撃と突風に煽られた二つの巨峰が荒ぶっている。

平常は自信にあふれ堂々と振る舞うティオネは、顔を青くして全身をこわばらせている。

そして女の視線に気が付いたフィンは言う。

 

「エイナ、よく見るといい。深層(地獄)に行ってもこんな面白いショーは見られないよ」

 

「というよりここが地獄そのものではないでしょうかディムナ氏!!?」

 

フィンは遠い目をし、エイナと呼ばれた女の表情が歪む。

エイナは気を取り直して考える。この反応からしてフィンやティオネもあの農夫については知らなかったと思われる。

そうなれば事情を問うのはまずこの御方である。

 

「神デメテル、あの農夫は貴女の眷属ですね」

 

デメテルはエイナの方を向く。

 

「彼は一体何者なのですか」

 

フィンとティオネも横目でデメテルを窺い、女神の答えを待つ。

 

「あの子の名はクリリン。皆が知らないのも無理はないわ。あの子は冒険者登録をしてないもの」

 

「いえ、それはおかしくありませんか神デメテル。あの強さです、レベルは7以上でしょう。ならば冒険者登録の有無に関係なく名は知られるはずです」

 

「………」

 

「迷宮のないオラリオ外では高レベルの眷属の絶対数は少ないです。しかし、少ないだけでいないわけではありません」

 

「………そうね」

 

「市外の実力者が改宗して農夫として第二の人生を歩み始めた。ありえる話だと思いますが、無名なのはありえない」

 

クリリンとオッタルの戦いは続いている。

互角、ではない。信じられないことにクリリンが優勢に見える。

それほどの実力者が―――たとえ裏社会の者だとしても、今まで無名だったとはまず考えられない。

 

エイナはデメテルをじっと見つめる。ギルドの職員としては通常、派閥(ファミリア)の事情に介入すべきではないが、事情が事情だ。

騒ぎを聞き付けたのか観衆は増え続けている。神もいる。

この戦いが終わっても騒動は収まるまい。ならばギルド側として少しでも情報を得たかった。

 

エイナに見つめられ、ふぅとためいきをついたデメテルは衝撃の事実を明かす。

 

「クリリンは改宗してないわ。レベルは1よ」

 

それを聞いたエイナの乙女の矜持は決壊した。

フィンとティオネも表情が消えた。

 

「レベル1のオールIよ」

 

「畳み掛けてこなくていいですからあ!!」

 

デメテルの追撃にエイナはひどい形相で地団駄を踏む。

 

「すると、クリリンは恩恵を受ける前から相当に強かったということですか神デメテル」

 

フィンが会話に入る。

一度は放棄した思考を即座に立て直すあたりさすがの精神力である。

 

「ええ、子どもたちはそう言っていたわ。でも私がクリリンの戦いを見るのは今日が初めて」

 

デメテルはクリリンを見て目を細める。

 

「あれほどの強さとは思わなかったわ」

 

ティオネが恐る恐る口を開く。

 

「でもありえるんですか、そんなこと。戦闘に長けた種族のアマゾネスやドワーフだって恩恵無しじゃレベル1程度がやっとだと思いますが」

 

ティオネの言葉に誰もが答えに窮した。

会話は途絶え、戦いの音だけが響き続ける。

 

 

◆◆◆

 

 

クリリンとオッタルの攻防

 

それは雲の上の戦いであった。

 

交わされる一発一発が、深層に棲む強大な竜種をも沈める威力を秘めている。

 

 

 

都市最強

 

 

その称号に違わぬ力を、技を、そして気概を、オッタルは十全に発揮している。

 

 

それでもクリリンはことごとくオッタルの上をいった。

 

観衆はオッタルの動きをほとんど視認出来ていなかったが、一方でクリリンの動きはときにその軌跡がはっきり「見える」ことがある。それは残像なのか幻影なのか誰にもわからなかったが、誰しもひとつだけはっきりとわかることがあった。

 

 

その軌跡は地上に描かれた「奇跡」なのだ、と。

 

 

 

クリリンの一撃は(あやま)たずオッタルを捉える。

完全無欠としか思えないオッタルの攻防、その欠点を指摘するように、可能性を引き出すように、オッタルをより高みへと導くように、クリリンは攻防ひとつひとつに意味を込めていた。

 

(様子見ながら戦ってたら、なんか修行つけてるみたいになっちゃったな)

 

こちらが繰り出す一手一手の意図をこの男は理解し、よく食らい付いている。動きもずいぶんと良くなった。

目の前の挑戦者はなかなか優秀だとクリリンは評した。

 

オッタルの大剣が舞い、切り裂かれた空気が悲鳴を上げる。

同時にクリリンの手刀が一閃し、オッタルの激甚な一撃を弾き返す。

そしてまたオッタルに経験が刻み込まれる。

 

 

クリリンが奇跡を起こす度に、オッタルの輝きが増す。

 

 

◆◆◆◆

 

 

農道で戦いを見ていた冒険者の少女たちは膝を震わせながらも手に汗をにぎっていた。

 

 

―――これが「最強」

 

 

少女たちはごくりと喉を鳴らす。

 

「最強」を軽く見ていたつもりはない。

 

しかし今までの自分たちにはとうてい実感が湧くものではなかった。

 

少し前のことだ。

昇格(ランクアップ)の祝いの席で、

 

―――いつか「最強」の女冒険者になる

 

などと勢いで口に出したこともあったと少女の一人は思い出す。

 

(みんなは、がんばれって言ってくれてたな)

 

しかし少女たちは知っている。

同じ派閥の冒険者にも、日々血反吐をはきながら鍛練を重ねる者が何人もいることを。

迷宮で仲間を喪ってもそれでも前に進もうとする者がいることも。

―――この迷宮都市(オラリオ)にはそうやって懸命に生きている彼らすら寄せ付けぬ怪物たちがいることも。

 

頂上への道は多くの冒険者でひしめき合い、碌に前も見えない。

前を往く者が脱落することもあれば、後ろにいたはずの者に抜かれることもある。

そんな気の遠くなる道のりの果てにあの二人はいる。

 

 

「………きれい」

 

少女たちはしかし、その険しい道の果てに焦がれる。

強さを極め続けるクリリンとオッタルの戦いは、見る者の心を惹きつける美しさがあった。

 

 

「最強」の重みを忘れたわけではない。

 

それでも、二人の戦いには手を伸ばしたくなる輝きがあった。

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

「なんかオッタルのやつ、強くなってませんか」

 

ティオネがフィンに確認する。

 

「ああ、そうだね。オッタルは強くなってる」

 

フィンは肯定する。

 

「ですがディムナ氏、ステイタスを更新しないまま強くなることなんてありえるのですか」

 

「エイナ、強さとは身体能力だけで決まるものではないよ」

 

フィンはエイナに語る。

 

「仕掛ける角度やタイミング、手足の置き方、視線の動かし方、それらの組み立て方」

 

フィンは言葉を続ける。

 

「そして覚悟。戦い方ひとつで強さは大きく変わるものだよ」

 

なるほど、とエイナは呟く。

 

「実力が近い者同士で切磋琢磨している、と」

 

「それはどうかな」

 

エイナの言葉にフィンは疑義を呈する。

エイナは戸惑い、デメテルとティオネは沈黙を保つ。

 

「あれはもう僕には戦いに見えない」

 

エイナが困惑の色を深くし、フィンの言葉を待つ。

 

「あれはクリリンによる手ほどきだよ」

 

フィンの言葉にエイナが口元を手で覆う。一方、デメテルやティオネはおよそ予想出来ていたのか、大きな反応は見せなかった。

 

「ディムナ氏、それは……クリリン氏とオッタル氏の間に相当の実力差があるように聞こえるのですが」

 

エイナは声を絞り出す。

 

「うん、かなり上だと思う」

 

彼の真の実力はさっぱり見当がつかないけどね、とフィンは苦笑いし、エイナは呆然とする。

 

「見てごらん、ついにオッタルの息が切れ始めた。そろそろ終局かな」

 

 

◆◆◆◆◆◆

 

 

オッタルは肩で息をしていた。

 

クリリンの激しい攻撃は、無尽蔵にも思えるオッタルの体力(スタミナ)を急速に削っていった。

 

全身に玉のような汗が吹き出し、クリリンの打撃を受けた箇所は腫れている。

しかし武具は健在。クリリンがその気になれば剣は折れ防具はひしゃげていてもおかしくないというのに。骨折なども無い。

 

相当に譲られた戦いだった。

 

(今の俺では奴の本気を引き出すには値せぬということか)

 

オッタルはクリリンを見る。そこには戦闘開始時から全く変わらぬ様子の強者がいた。

 

(地上にこんな男がいたとは、こんな世界があったとは)

 

頂点に立ってから過ぎた年月はどれほどか。

伍する相手も無く次第に閉じゆくオッタルの世界は、ある日突然現れた農夫にこじ開けられた。

 

気力はもうほとんど残っていない。オッタルが最後の一撃を放つべく構える。

 

「いくぞ、クリリン………!!」

 

 

◆◆◆◆◆◆◆

 

 

(そろそろ潮時かな)

 

畑には多くの者が集まっていた。

どうやら神々もいるようだ。

ずいぶんと衆目を集めてしまった。

 

向こうの派閥との関係が険悪になることはオッタルの様子からして無いとは思うが、しばらくは騒がしい日々を過ごすことになりそうだ。

 

(結局、デメテル様たちには迷惑かけそうだな。いったい何がわるかったのか)

 

クリリンは反省するも、状況をみれば間が悪かったとしか言えない。

馬が畑に近づいた時点でどうやってもなんらかの騒動になるのは決まっていた。ならば死者ゼロ、物的損害も軽微の現状はこの上ない結果だった。

 

オッタルを見る。

ことを大きくした男に言ってやりたい文句もあるが、オッタルが仕掛けてこなければ、あの金髪の男と横にいるエロい格好をした褐色肌の少女が何か探りを入れてきただろう。

オッタルを回避したところで面倒なことになりそうなのは変わりなかった。

 

オッタルは残り少ない気力を振り絞り一撃を放とうとしている。

これが最後の攻防となろう。

 

いろいろと言いたいことはあるが、オッタルは確かに「猛き者」であった。

クリリンは相手の気概に相応しい一発を用意する。

 

オッタルの剣は今日一番の速さと鋭さを以てクリリンに襲いかかった。

 

周囲から歓声が上がる。畑が熱気に包まれ、熱に浮かされた観衆の興奮はさらに膨れ上がる。

 

オッタルの最高の一撃を、しかしクリリンはたやすく掻い潜りオッタルの懐に入る。

 

オッタルと目が合う。オッタルの目は何かを悟った光を宿していた。

それを見てクリリンは一瞬笑った。

 

 

今一度(いまひとたび)、地上から天に至る一撃が放たれる。

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

オッタルの体が凄まじい速さで地上から遠ざかる。

 

おそらくクリリンの攻撃を受けたのだろうが、疲労で感覚も麻痺しているのか痛みは感じない。

 

―――ああ、これだ。

―――昨日感じた力はこれだったのだ。

―――天にも届くあの力の持ち主はクリリンで間違いなかったのだ。

 

意識が薄れゆく中でオッタルが見たのは、眼前いっぱいに果てしなく広がる青空だった。

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

クリリンの一撃が頂点を、天空を打った。

 

オッタルの巨体は上空を舞った後、地に倒れ伏す。

 

歓声がひときわ大きくなる。

歴史が動いた瞬間だった。長らく都市最強の座にいたオッタルを倒し、新たな王者が誕生した。

これは史上稀にみる「偉業」だった。

 

決着はついたと、誰もが思っていた。

それはクリリンすら例外では無かった。

 

(まあ数分は意識が戻らないだろ)

 

クリリンがそう思っていたその時だった。

 

 

うつ伏せに倒れていたオッタルの体がピクリと動く。

 

「おいおいマジか」

 

クリリンが呟き、観衆はオッタルの姿を見る。歓声は次第に止む。

 

畑が静まりかえる中、オッタルは片膝をつきながら起き上がった。

 

「……………」

 

さすがのクリリンもこれには驚いた。

 

確かに仕留めたはずだった。しかしオッタルはクリリンの想像を超えてみせた。

 

 

不撓不屈

 

 

クリリンは、人々は、その姿に【猛者(おうじゃ)】の【猛者(おうじゃ)】たる所以(ゆえん)を見る。

 

 

オッタルはクリリンを見て、してやったりと笑う。

 

クリリンは一瞬呆気にとられたが、すぐに満面の笑みを返す。

 

オッタルはそれに満足したのか、今度こそ地に伏した。

 

 

 

―――神デメテル

 

フィンがデメテルに目配せする。

 

いたずらっぽくウィンクするフィンにデメテルは目を丸くするが、すぐにその意図に気付く。

 

女神がその美しい声を高らかに響かせて戦いの決着を告げ、クリリンとオッタル、両者の健闘を讃える。

 

歓声が轟き、畑は再度熱狂の渦に飲み込まれていった。

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

それからはもうお祭り騒ぎであった。

 

戦いを終えたクリリンのもとに大勢の人々が押し寄せた。

こうなることをあらかじめ予想していたのか、即座にデメテルや同胞たちがクリリンを取り巻き守ろうとするも、彼女たちごと揉みくちゃにされる。

 

しばらくはされるがままであったクリリンだったが、ため息をつくとデメテルや同胞たちを抱えて飛び上がり難を逃れる。

 

火に油を注ぐ形での舞空術お披露目である。

案の定、眼下では

飛んだ!飛んだぞー!!

と騒ぎが大きくなっているが放置した。

 

目を白黒させている同胞たちを横目に平野を見下ろせば、オッタルの傍にも同胞たちが付いている。疲労や多少のダメージはあるだろうが、間もなく立って歩けるぐらいには回復するだろうとクリリンは見ている。

 

多くの者が集まっていた。数は千か二千か。騒ぎに騒いでいる。中には神輿を担いでいる集団もいる。そんなものなぜ畑に持ち込んだのか、クリリンたちにはまるで理解が及ばなかった。

 

デメテルたちを抱えたまま空中散歩をしていると、やがてスーツ姿の者たちが畑に駆け付けて騒ぎを収め始めた。クリリンの脇にしがみついている同胞の話だと、彼らがギルドの職員らしい。

 

ギルドの職員から注意を受けたのか、とりあえず畑での騒ぎは落ち着き始める。

それを見てクリリンたちもようやく空中から地上に戻る。

 

 

「やあ」

 

デメテルと同胞たちを下ろすと、クリリンに声をかける男がいた。

 

見ればあの小柄な金髪の男だ。後方には褐色肌の少女もいる。

 

「僕はフィン。フィン・ディムナだ。【ロキ・ファミリア】の団長をしている」

 

そう言ってフィンは手を差し出す。

 

「フィンは騒動を聞いて助けに来てくれたのよ」

 

デメテルが言葉を付け足す。

 

「そりゃわざわざありがとな。オレはクリリンっていうんだ」

 

デメテルさまから聞いてるかもしれないけどな、と言ってクリリンも手を差し出し握手に応じる。

 

【ロキ・ファミリア】団長フィン・ディムナを前にすれば多くの者は緊張するものだが、そこはクリリンである。ごく自然体で応えた。

 

そんなクリリンの分け隔てない言動を【勇者】もお気に召したようだった。

 

「見事な戦いぶりだった。あんなに心を揺さぶられたのは初めてだったよ。僕からも讃えさせてくれ」

 

【勇者】から最大級の賛辞がクリリンに送られる。

 

 

「後ろにいるのはティオネ。うちの団員さ」

 

フィンがティオネを紹介するも、彼女の表情は固まったままだった。

あれだけの戦いをして、挙げ句オッタルを下して新たに都市最強となった男を前にしているのだ。気後れするのも無理はなかった。

 

一方のクリリンであるが、こちらはアマゾネス慣れしておらず、目のやり場に困り視点がぶれまくっている。

 

ティオネはクリリンの反応に気付き、その純朴さに張り詰めていた気が少し抜けて、くすりと笑う。

 

あんなに強いのになんか人間くさい男ね、とティオネは思う。

 

「ティオネよ。よろしく、オラリオ最強のクリリンさん?」

 

うろたえるクリリンにデメテルは耳打ちしてアマゾネスについて簡単に説明する。それでとりあえずクリリンは平静を装った。

 

「お、おう。よろしくティオネ」

 

クリリンとティオネもまた握手を交わす。

 

「さて、クリリンとはゆっくり話を楽しみたいところなんだけど、そちらもこれから忙しくなるだろう」

 

フィンの言葉にクリリンはげんなりし、デメテルは苦笑いする。

 

「日を改めることにするよ。よければこちらのホームにも招待したい」

 

 

そう言ってフィンとティオネは畑から去っていった。

 

(で、次はアイツらへの対応か)

 

馬からやや離れた位置に集結しているギルド職員たちの熱視線を受けて、クリリンは嫌々ながらも彼らのところへ足を運んだ。

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

女神は世界の中心に座す摩天楼の最も高き場所にて、彼の帰還を待っていた。

 

 

地上に降臨した美の権化は強力な眷属たちを従え、神々すら手玉にとり、思うがままに世界で権勢を振るっていた。

 

今も彼女のいる一室には、彼女の手駒の中でも精鋭たちが揃っている。

 

猫人(キャットピープル)

エルフ

ダークエルフ

小人族(パルゥム)

 

単独でも小国を落とせるほどの戦力が女神の下に集結していた。

 

 

【フレイヤ・ファミリア】

 

 

【ロキ・ファミリア】とオラリオを二分し、世界で最も大きい影響力を持つ派閥の一つに数えられる。

 

純粋な戦力ならオッタル抜きでも【ロキ・ファミリア】と同等以上という恐るべき集団である。

 

 

フレイヤは瞑目し静かにオッタルの帰還を待つ。

 

その横で女神の眷属たちは落ち着かない様子だった。

 

「!」

 

扉がノックされて開かれる。

 

「フレイヤ様、ただいま戻りました」

 

オッタルの姿を見て、眷属たちは度肝を抜かれる。

 

顔は腫れ、体のところどころに傷がある。

ここまで傷を負ったオッタルを見たのは初めてだった。

 

眷属たちは街である噂を耳にした。

 

【デメテル・ファミリア】の無名の農夫が都市最強のオッタルを倒し、前代未聞の偉業を成した。

 

どこまで尾ひれの付いた話かわからないが、オッタルが何か強大な存在を相手にしたことは見てとれた。

 

反面、眷属たちには違和感があった。

歩みが確かなのはオッタルの強靭な精神によるとしても、武器や防具がきれいすぎる。

戦いの顛末も含め事情を聞きたいところであるが、主神を差し置いて口を開くわけにもいかず、眷属たちは沈黙していた。

 

「見苦しい姿で申し訳ありません。帰還の報告を優先致しました」

 

オッタルはフレイヤの前に出て礼をする。

目を開けたフレイヤはフフと笑う。

 

「まさか実際に手合わせまでしてくるとは思わなかったけれど、ずいぶんと上手に痛め付けるのね彼は」

 

見た目ほどひどいダメージでは無い。相手はオッタルに対し無理な怪我をさせず、また武具の損傷を避けたようだ。

オッタルの扱う武具は、本人の力量相応の超一流の品であり、損傷したからといってすぐに代わりを用意できるものではない。

オッタルを気遣うほどの余裕、そしてそれを実行できる技量。

忌々しい怪物を制した時点で只者ではないと感じてはいたものの、なるほどこれは大物の所業だった。

 

 

フレイヤは傍に控える猫人(キャットピープル)に声をかける。

 

「アレン、オッタルに回復薬(ポーション)を」

 

「はい、すぐに」

 

アレンはポーチから回復薬を取りだしオッタルに手渡す。

 

「団長、どうぞ」

 

「ああ、すまんなアレン」

 

オッタルは回復薬を数滴顔にかけ、残りは飲み干した。

オッタルの傷はみるみるふさがっていき、顔の腫れもひいた。

 

オッタルが謁見の前に自身の回復薬で傷を癒さなかったのは、自身の有様も情報のひとつと判断したからだ。ゆえにフレイヤの許可を待って回復することにしたのであった。

また、先ほどフレイヤがアレンを通じて回復薬の使用を命じたのは一種の様式美である。

 

 

「強かったのかしら、彼は」

 

「はい、とても。完敗でした」

 

オッタルの言葉に眷属たちはなんとか声を抑えた。

 

―――団長が完敗だと!?

 

眷属たちの脳内に、巨大なドラゴンや巨人などの怪物がぐるぐると現れるが、何を以てしてもオッタルが倒されるイメージが湧かない。

 

眷属たちの混乱をよそにフレイヤはソファーから身を起こす。

 

「まずはステイタスの更新をしてみましょうか。それが何より雄弁に事実をもの語ると思うわ」

 

 

それから間もなく、ステイタスの更新を終えた女神が狂ったように哄笑し、アレンたちや侍女たちが慌てふためく事態となった。

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

◆◆

 

 

【猛者】は最高峰に立っていた。

たった一人で天を見据えていた。

頂の、遥か上に広がる天を見据えていた。

 

天空は果てしなく遠く、届かぬままに長い年月が過ぎた。

 

いつまでそうしているつもりなのか。

 

しかし、ついに飛躍の時は訪れる。

 

 

地上を照らす【太陽】の大いなる光に導かれ

ついに【猛者】は頂から天空へ飛び立った。

 

 

 

【フレイヤ・ファミリア】団長

オッタル

 

昇格(ランクアップ)

 

 

人跡未踏の領域へ

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

◆◆◆

 

 

クリリンの異世界生活は5日目の朝を迎える。

 

昨日も一昨日もクリリンの周囲は大騒ぎだった。

 

今日もギルドに顔を出さねばならない。こうして畑仕事を教わるのは早朝に限られてしまっている。

 

騒動に拍車をかけたのは、2日前に公表されたオッタルの昇格(ランクアップ)だった。

 

クリリンとの戦いで7だったか8だったかに上がったらしい。

クリリンの方が昇格すると世間は思っていたらしく騒動は加速した。

 

なんでも昇格には「偉業」を成し遂げる必要があるらしいが、どうもクリリンの最後の一発に耐えたというのが「偉業」とみなされたというのが識者の解釈らしい。

 

それが広まってしまったのかクリリンの前に、俺を殴ってくれと言い出す冒険者(バカ)が現れ始めた。

 

しょうがないので、一人一人その力量に合わせてちょっと強めに殴り飛ばしたが、耐えた者は今のところゼロである。

 

 

 

地平線から太陽が顔を出し始めた。

 

クリリンが作物の手入れに取りかかろうとして手を止めた。

 

 

―――奴が来た

 

 

クリリンは察知し、

少しして同胞たちがどよめく。

 

 

農道を厳かに進むのは、クリリンと共に騒動の中心にいるオッタルである。

 

クリリンにとってオッタル来訪はどう考えても厄ネタにしかならなかった。

 

 

「手合わせ願いたい」

 

「いや仕事中だから」

 

昇格(ランクアップ)直後は心と体の整合に問題があってな、調整が必要になる」

 

「おい話聞けって」

 

「フレイヤ様の許可は取った。問題ない」

 

「オレの都合も聞け!?」

 

 

クリリンはため息をつくと、畑の脇に置いてあった荷から焼いたとうもろこしを2つ取り出してオッタルに渡す。

 

「さっき焼いたとうもろこしだ。それ食べて待ってろ。キリのいいとこまで仕事終わらせるから」

 

「む」

 

オッタルは暫しとうもろこしを見つめていたが、やがてむしゃむしゃと食べ始めた。

 

それを見てクリリンは作物の手入れに取りかかる。

 

日が上り始める。

 

朝日に照らされる中クリリンに手入れされる作物に、オッタルは自身の姿を重ね合わせた。



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其ノ六 剣姫

 

 

ラウル・ノールドがフィンの指示を受け、【ロキ・ファミリア】の本拠地(ホーム)に戻ってから二時間が経とうとしていた。

 

化物騒動に対処すべく、市外にある【デメテル・ファミリア】の農地に向かったフィンとティオネは未だ戻らない。

 

ラウルは【ロキ・ファミリア】の上層部が揃う一室の末席で縮こまっていた。

 

隣にいるのは同僚のアナキティ・オータム。

アキという愛称の猫人(キャットピープル)の女は、ラウルとは対照的に落ち着いた様子である。

 

ラウルの報告を受けた上層部は、団全体を警戒体制に置き数人の団員を情報収集に走らせた。

本隊も既に準備は整っておりいつでも出動できる。ラウルとアキは上層部との連絡役としてこの部屋で待機していた。

 

上層部を前に畏縮している姿からは想像できないが、ラウルはレベル4の凄腕の冒険者である。

 

レベル4にまで登り詰めた冒険者は世界広しといえどそうはいない。

【ロキ・ファミリア】や【フレイヤ・ファミリア】といった超名門でもなければどこの派閥にいっても主力を担うであろう人材である。

 

さらに驚くべきことに、ラウルの隣にいるアキもまたレベル4の傑物である。

 

世界でも希少なレベル4が二人肩を並べる異様な光景は、しかしこの【ロキ・ファミリア】にあっては日常にすぎない。

 

事実、そんな二人が発する勢威はこの場にあっては霞んで見える。

彼らが二線級に甘んじている「理由」、それらは目の前にいた。

 

 

 

 

「――――オイ」

 

上層部の一人である狼人(ウェアウルフ)が口を開く。

 

「フィンはまだ戻らねえのか」

 

名工の手で作られた上等なソファーでふんぞり返るのは、

 

凶狼(ヴァナルガンド)】ベート・ローガ

 

【ロキ・ファミリア】が世界に誇る第一級冒険者の一人。

 

ベートの言葉にラウルが慌てて返答する。

 

「定時連絡の内容はさっき伝えた通りっす。随時連絡は今のところ入ってきてないっすね」

 

先の定時連絡での、【猛者(おうじゃ)】が【デメテル・ファミリア】の農夫と戦い始めたという情報には、【ロキ・ファミリア】上層部としても大いに困惑していた。

続報、もしくはいま渦中にいるであろうフィンとティオネの帰還が待ち遠しい。

 

ベートはチッと舌打ちする。

 

「情報収集も碌にできねぇ雑魚共はさっさと引き戻せ」

 

ベートの言葉に部屋は静まりかえる。

 

 

 

「いまなんて言った」

 

アマゾネスの少女が静寂を破る。

 

大切断(アマゾン)】ティオナ・ヒリュテ

 

双子の姉であるティオネと共に幹部の一人であり、ベートと同じ第一級冒険者である。

 

「誰を雑魚呼ばわりした」

 

ティオナの怒気にラウルとアキの(きも)は底冷えした。普段の天真爛漫なティオナとはかけ離れた言動だった。

 

「今でてる奴、全員だ」

 

ベートはソファーにふんぞり返ったまま吐き捨てる。

 

ピシッと音を立てて空気が凍る。

 

ティオナが、つかつかとベートの前に出る。

 

「仲間を、家族をいちいち雑魚呼ばわりしないと話できないの?」

 

ティオナを一瞥もせずにベートは言う。

 

「雑魚は雑魚だろーが」

 

その一言で完全にティオナの頭に血が上る。

 

「人と話すときは目を合わせなよ」

 

ティオナの声が一段と低くなった。

 

ベートの態度はいつもこうだ。

フィンやリヴェリアは、ベートなりに仲間を気遣っているのだと言う。

主神(ロキ)は、ベートは不器用なんや、ツンデレ(?)なんやぁと言う。

もしそうなら、今のやりとりのどこに情があるというのか。

ティオナは全く理解できなかった。

 

ベートはティオナを無視し、もはや返事もしない。

 

「それとも、ビビってんの?」

 

「あ"ァ?」

 

ティオナが煽り、ベートは低く唸る。二人の間の空気は冷えきっていた。

 

「ひいぃぃぃぃ」

「ちょっと二人とも落ち着いて!」

 

ラウルが(おのの)く一方で、アキは諌めようとする。が、その言葉は弱々しく二人には届かない。

 

 

あわや闘争か、とラウルたちが冷や汗をかいたその時だった。

 

 

「――――やめんか」

 

 

部屋の奥から重々しい声が響き、ティオナとベート、二人の戦意が霧散する。

 

「チッ………」

「はーい、ごめんなさーい」

 

先ほどまでの空気が嘘のように、ベートもティオナもあっさり矛を収める。

 

二人の第一級冒険者を、書類に目を落としたまま一言で制したのは、威厳と気品に満ちたエルフの麗人だった。

 

【ロキ・ファミリア】副団長

九魔姫(ナイン・ヘル)】リヴェリア・リヨス・アールヴ

 

団長のフィンが不在の今、本拠地で待機する全戦力の指揮権は彼女に在る。

 

 

「わっはっはっ、若い(もん)は元気じゃのう」

 

「笑い事ではないぞガレス。あやうく部屋が吹き飛ぶところだった」

 

豪快に笑うドワーフの老兵に、リヴェリアが呆れる。

 

重傑(エルガルム)】ガレス・ランドロック

 

フィン、リヴェリアと共に【ロキ・ファミリア】最古参のメンバーである。

 

第一級冒険者同士の緊迫した事態すら笑い飛ばす豪胆さは、オラリオ最強の大魔道士であるリヴェリアをして理解しがたいものだった。

 

しかしラウルは、理知的で良心的なリヴェリアの思考にすら異常性を感じる。

 

リヴェリアが懸念しているのは部屋が吹き飛ぶこと「だけ」だ。自身の身の危険など些かも気に留めていない。

 

ベート、ティオナ、リヴェリア、ガレス

この4人に、フィンとティオネ、そして今は部屋を離れているもう一人――――

 

彼らこそがこの【ロキ・ファミリア】の中核。

 

ラウルはため息をつく。

派閥内で彼らに次ぐ位置(ポジション)にいるのは、ラウルたちだ。

しかし、彼らとラウルの間には高すぎる壁がある。

世界が違うのだ。

実力があるからこそ、決して埋められない差があるとラウルにはわかってしまう。

 

閉塞感に苛まれるラウルをよそに、相変わらず幹部の面々は超然としている。

 

そんな中、待ち望んだ報がラウルたちにもたらされる。

 

「団長とティオネさんが戻られました。お二人ともご無事です。間もなくこちらにいらっしゃいます」

 

部屋に入ってきた伝令が告げる。

 

「やれやれ、ようやくか。さて、どんな話が聞けるのか楽しみだな」

 

リヴェリアが書類の束から顔を上げる。

 

「ご苦労だった、下がっていいぞ―――」

 

いや待て、とリヴェリアは伝令を引き留める。

 

 

 

 

「アイズに此処へ戻るよう伝えてくれないか」

 

リヴェリアが口にした名には強烈な言霊が宿っていた。

 

 

 

アイズ・ヴァレンシュタイン

 

 

 

それは【剣姫(けんき)】の二つ名を持つ、オラリオ最強の女剣士の名だった。

 

 

 

 

一人の少女が剣を振るっていた。

 

その剣筋に一切淀みはない。

 

金の髪と金の瞳、透き通るような白い肌。

 

神憑(かみが)かった剣の冴えに、女神と見紛う美貌が相俟(あいま)って、見る者にはこの世ならざる光景に映る。

 

少女こそオラリオ最高の女剣士として立つ、時代の寵児

剣姫(けんき)】アイズ・ヴァレンシュタイン

その人である。

 

 

アイズは剣を振りつつ、オラリオの外にいる未知の強者に思いを馳せる。

 

 

今からおよそ一時間半前、緊急事態ということで召集に応じたが、本拠地(ホーム)に戻ればフィンとティオネがいない。

聞けば未曾有の怪物が都市外に現れ二人は現場に向かっているという。

ならば自分も現場に、という言い分は通らず。

しぶしぶ引き下がった直後、殺気が膨れ上がったと思えばより大きな気配が一瞬でねじ伏せ、幹部全員が武器に手をかけたまま硬直した。

待ちに待った続報で怪物の敗北を知る。誰が倒したのか問えば、誰も知らぬ農夫だという。

話はそれで終わらなかった。その農夫に【猛者】が戦いを仕掛けたというのだから驚きを通り越して全員が困惑する。

アイズのみならずティオナとベートも現場急行をリヴェリアに願い出た。

詰め寄る三人の圧力(プレッシャー)もどこ吹く風か、リヴェリアの判断は「待機」

居ても立ってもいられず、アイズはついに部屋を飛び出して中庭で剣を振り始めた―――

 

 

昂る気を紛らわせるために始めたはずが、市外から伝わる戦いの気配に当てられて、剣を振る身には熱が入るばかりであった。

怪物の気配を微かに感じた時点で、立ち止まらず現場に直行すれば良かったと己の失策を今さら嘆く。

 

 

その時だった。

市外からの衝撃がアイズを、オラリオを、天地をも震わせた。

 

館のあちこちからどよめきが起こる。

そんななかアイズは視界の奥、上空に打ち上げられた影を見る。

 

衝撃に動揺しつつも、眼を凝らしてなんとか影の正体を見定める。

 

 

【猛者】だった。

 

 

【猛者】が空を飛んでいる。否、【猛者】は打たれたのだ。

 

 

地上にいる何かとてつもない存在に討たれたのだ。

 

天高く飛んだ【猛者】を茫然と見ながら、アイズは【猛者】の敗北を悟った。

 

 

 

◆◆

 

 

(ア……アイズさん!今日も麗しい………!)

 

 

物陰からアイズに熱視線を送るのはエルフの少女、名はレフィーヤ・ウィリディスという。

 

将来を嘱望された魔道士であり、リヴェリアが直々に教えを授ける才媛である。

魔道士ならば誰もが羨む恵まれた環境にいる彼女だが、その恩恵を受けるに足る確かな実力をレフィーヤは持っている。

今はまだレベル3と数字だけ見れば主戦級には及ばないが、その火力は既にアイズやティオナといったレベル5勢を上回る。ひとたび魔法が放たれれば、一気に勝負を決めてしまえる破壊力がレフィーヤにはある。

 

 

都市最大派閥【ロキ・ファミリア】に期待をかけられ、大切に大切に育てられているレフィーヤだが、アイズを見るその顔は(ゆる)みに弛んでいた。

 

実力、功績、美貌

全てを持つアイズが衆目を集めるのは無理からぬことだが、レフィーヤがアイズに寄せる思いはしばしば暴走しがちであった。

 

アイズを神聖視するあまり、今日に至るまでまともに話しかけたことがないレフィーヤは、物陰からなかなか出てこられない。

 

そもそもレフィーヤはアイズを呼びにここへ来たのだ。

団長たちが戻り警戒体制は解かれ、今は団員たちが手分けしてアイズを探していた。

 

レフィーヤが真っ先にアイズを見つけたのは日頃の行い故であろう。

 

(今日こそ!今日こそアイズさんとの距離を縮めてみせる!)

 

弛んだ表情を引き締めて、緊張に震える身を叱咤する。

今日まで何度もチャンスをふいにしてきた。

その度に臆病風に吹かれた自分を呪った。

鈍重(のろま)な我が身に嫌気がさした。

不甲斐ない己を嘆き、毎晩枕を濡らした。

 

(そんな屈辱にまみれた日々も、今日で終わりです―――!)

 

レフィーヤが物陰から飛び出す。

 

「ア、アイズさ…」「アイズさーん」

 

レフィーヤのか細い声は、同僚の快活な声にかき消される。

 

振り向いたアイズに同僚の女は声をかける。

 

「団長が戻られたので、リヴェリア様が部屋に戻るように、と」

 

「わかった。すぐ戻るね。ありがとう」

 

アイズは颯爽と中庭を後にする。女はそれを見送って、振り返る。

 

「………で、アンタは何やってんの」

 

女の視線の先で、よつんばいになって失意に沈むレフィーヤが滂沱(ぼうだ)と涙を流していた。

 

レフィーヤの敗北の日々はまだ終わらない。

 

 

◆◆◆

 

 

部屋にはフィン以下幹部全員が集結し、流れでラウルとアキも同席していた。

 

周囲に急かされるまま、フィンは畑で起こった事件について語り始める。

 

フィンとティオネ以外の全員が目を丸くしていた。

 

クリリンなる【デメテル・ファミリア】の農夫が、都市最強の【猛者】に土をつけた。

 

怪物もクリリンが威を放っただけで降伏したらしい。

しかもそのクリリンのレベルは1だとか。

 

意味がわからないし、何から驚けばいいのかもわからない。ラウルなぞ話の序盤で早々に放心していた。

ここでフィンが「いや冗談に決まっているじゃないか」とでもいえば済む話だが、そんな素振(そぶ)りはない。ニコニコして皆の反応を楽しんでいる気すらある。

 

 

「……ぷ」

 

 

静まっていた空気が弾ける。

 

「あっははははは!」

 

もう堪らないといった風情で、リヴェリアが笑い出す。

 

フィンとガレス以外の若いメンバーは、何かとんでもないものを見たと言わんばかりに表情が固まる。

 

常に冷静沈着なリヴェリアだが、稀にこうしてツボに入って大笑いすることがある。

付き合いの長いフィンやガレスでさえもリヴェリアのこうした姿を見る機会は極端に少なかった。

それにしてもとりわけ今のリヴェリアは楽しそうに笑っている。

 

 

「――いや、すまない。しかしオラリオにまだそんな奴がいたのか」

 

リヴェリアは目尻に滲む涙を拭う。

世にも珍しい光景であったが、そんなリヴェリアの姿も気品に満ちていた。

 

(なんかずるいなぁ)

 

アキは内心そう思った。

 

「ふむ、レベル1のヒューマンか。どんな男なんじゃろうな」

 

ガレスが髭を撫でながら言う。

そうねぇ、とティオネはクリリンの姿を思い浮かべる。

 

「鼻と髪の毛が無かったわ」

 

「ほとんどバケモノじゃの!?」

 

「クリリンは化物よ。最初からそう言ってるじゃないの」

 

愕然とするガレスに、呆れるティオネ。そんな二人の様子に、話が噛み合ってないねと苦笑するフィン。

 

 

「うはー、【猛者】やっつけちゃうレベル1がいるなんてビックリしちゃうな!」

 

「目の前で見てた私はアンタの百倍は驚いたわよ」

 

表情がコロコロ変わるティオナに、ティオネはため息をつく。

 

「クリリンって人、凄いなぁ。ね、アイズっ!」

 

「うん、凄い。戦ってみたい」

 

ティオナの言葉にアイズは頷く。

剣を振る間ずっと感じていた大きな力。

そして勝負を決したであろう最後の一発。【猛者】を地上から引き剥がしたあの一撃だ。

クリリンの放った力で間違いないだろう。

レベルも種族も超越した力。力に飢えるアイズの目の色が、いつの間にか変わっていた。

 

「……アイズ?」

 

雰囲気が変わったアイズをティオナが気にかける。

 

「フィン。ききてぇことは山ほどあるが……」

 

アイズの様子が面白くないベートは不機嫌にフィンに問う。

 

「なにかな」

 

「クリリンって野郎の武器はなんだ。スキルは分かるのか。戦闘スタイルは―――どうやってあの猪野郎をぶっ飛ばしやがった」

 

フィンを半ば睨み付けるようにして答えを待つ。その態度にティオネがキレそうになるもフィンがなだめる。

 

「さて質問の答えだが、クリリンは素手でオッタルを倒している」

 

「んだと!?」

 

「信じられないというのはわかるが事実だ。もちろんオッタルはフル装備でクリリンに挑んだ」

 

「魔法使ってるとかねぇのかよ!」

 

「ない。あのオッタルを、クリリンは正面から突破した」

 

「――――ッ!!」

 

ベートの顔が歪む。

たった一人であらゆる戦術を覆し戦略すら破壊するオッタルを、クリリンとやらは素手で殴り飛ばしたとでもいうのか。

 

「あとクリリンにスキルや発展アビリティの発現もほぼ無いとみてる。なぜなら」

 

「もういい」

 

フィンの言葉を遮り、ベートは立ち上がって扉に向かう。

 

「ベート?」

 

「フィン。てめーの話を聞いてもここまで要領が掴めねえのは初めてだ。埒があかねえ。あとは自分の目で見て確かめる」

 

「ベート」

 

「止めんなフィン。俺は行く。実物見なきゃ納得できねぇ」

 

「いやベート。いったん扉から離れたほうが」

 

ベートが扉に手をかける寸前、扉は勢いよく開け放たれてベートの鼻をしたたかに打つ。

 

「うおおおおお…………!」

 

ベートが鼻をおさえて蹲る。レベル5のベートであるが意識の外からの急所への奇襲は存外効いた。

 

「よーみんなお揃いで!

ん?ベート、自分そんなとこで何してんのん?」

 

「ぐっ……ロキ、てめー後でぶっとばす」

 

涙目で悶えるベートがなんとか声を絞り出す。

 

扉を開けて入ってきたのは、緋色の髪に糸目、独特の訛りで話す「神」

 

フィンたちが戴く主神、ロキである。

 

「もう外がえらい騒ぎになっとるわ」

 

足下のベートは放置してロキが部屋を見回すと、アイズが目に入る。途端に、ロキの顔がいやらしく弛む。

 

「アイズたん、今日もかわええなぁ。チューしてええ?」

 

かつては天界きってのトリックスターといわれたロキだが、アイズに鼻の下を伸ばす姿はオッサンそのものだった。

 

「嫌です」

 

絡むロキに、すげないアイズ。お約束である。

糸目をほんの薄く開けてアイズを見たロキは、残念~と言ってあっさり引き下がる。

いつもより聞き分けのよいロキに逆に不信感を抱くアイズであったが、今日のロキはそれ以上アイズにちょっかいをかけることはなかった。

 

「やあ、ロキ。ロキも外に出ていたのかい」

 

「せや!なんやラウルが慌てて館に戻ってきた時にピンと来てな」

 

「もしかしてロキも畑に来ていたの?」

 

フィンとロキの会話にティオネが加わる。

 

「そ、街に出たらちょうどガネーシャんとこと()うてな。一緒に行ってん」

 

ロキにガネーシャ

この不穏な組み合わせにフィンとティオネが揃って半目になる。

 

「なるほど。あのお祭り騒ぎにはロキも一枚噛んでたというわけだね」

 

戦い終わったクリリンのもとに大衆をけしかけたのは、おそらくこの悪戯神(いたずらもの)であろうとフィンは推測する。

 

「ええやんええやん。それに、フィンたちもおもろいもん見れたやろ?」

 

全く悪びれる様子もなくロキは言う。待機組が首を傾げて、フィンやティオネに目で問う。二人はもちろんロキの言う()()()()()()が何かは分かる。

 

あのとき、クリリンは空を飛んでいた。

また、これはロキも知らないことだが、クリリンはオッタルに見つかるまで気配をおさえていた。

 

フィンはそのことを説明する。クリリンという男にはまだ何かあるのかと、待機組の醸す空気に呆れが混じり始めている。

 

「あの、何か道具(アイテム)による可能性とかは………」

 

アキがおそるおそる発言する。

 

「その可能性はあるが、クリリンの戦闘技術をみるに、それは希望的観測にすぎると思う。クリリン固有の技術だと考えておいた方がいいだろう」

 

それに、とフィンは言葉を付け足す。

 

「あれがクリリンの技術なら、是非とも欲しい」

 

空を飛ぶ術に、気配を抑える術。

冒険者でなくても垂涎の術だ。なんとか伝授してもらいたいものだ、とフィンは思う。

 

「そのためにも、クリリンと【デメテル・ファミリア】とは良好な関係を保ちたい」

 

フィンの言葉にうんうんと頷く幹部たちだったが―――

 

「今後しばらくは一方的な私用でクリリンおよび【デメテル・ファミリア】との接触は控えるように」

 

「あぁ!?」

 

「えぇ!?どうして!?」

 

「……しばらくっていつまで……?」

 

続く団長命令に、ベート、ティオナ、アイズから不平がもれる。

 

「今回の騒ぎでクリリンはもちろん、【デメテル・ファミリア】も対応に追われて相当な負担がかかるだろう。そんなときにうちが余計なことをして、心証を害するのは避けたい」

 

命令は状況をみて解除する、とフィンは付け加える。

 

 

「そんな固いこと言わんでもええやんか、フィン」

 

不満はあれど反論できないアイズ達に、ロキから助け船が入った。

 

「デメテルは大~らかなやっちゃ。そないなこといちいち気にせんよ」

 

よしいいぞロキ、とアイズ達三人は内心でエールを送る。

 

フィンはにっこりしてロキに言う。

 

「ロキは、オラリオに流通する農産物のほぼ全てを【デメテル・ファミリア】が供給していることを知っているよね」

 

「もちろんや!ホンマ大したもんやでデメテルんとこは」

 

【デメテル・ファミリア】はオラリオ最大の農業系派閥である。

穀物・野菜・果物の生産を一手に担い、オラリオの食を牛耳る一大派閥と目されている。

オラリオの胃袋を掌握する【デメテル・ファミリア】は、探索系派閥(ファミリア)が幅を利かせがちなオラリオにおいて、商業系としては数少ない有力な派閥だった。

 

「そんな【デメテル・ファミリア】の農産物に、大麦と葡萄がある」

 

「せやな……?」

 

この時点で察しのよいリヴェリアやアキはフィンの言わんとすることがわかった。

 

「これは麦酒(ビール)葡萄酒(ワイン)の原料になる」

 

【ロキ・ファミリア】上層部、特にロキとガレスに電流が走る。

 

「もし【デメテル・ファミリア】の業務に支障がでた場合、オラリオの食卓から麦酒や葡萄酒が消え――」「みんなッ、フィンの言うことよぉーく聞くんやで!デメテルんとこのお仕事邪魔したらアカンで!!」

 

沈みゆくロキをアイズ達三人は冷めた目で見ていた。

 

それから間もなくこの場はお開きとなった。

 

 

 

 

そして翌日

 

さらなる激震が【ロキ・ファミリア】を襲った。

 

 

◆◆◆◆

 

 

アイズはギルドに向かって駆ける。

 

 

 

畑での騒動から明けて翌日。いつもなら朝から迷宮(ダンジョン)に潜るアイズだが、クリリンのことが気になり地上を離れられずにいた。

 

とはいえ【デメテル・ファミリア】との私的な接触はできないため、館内をうろうろすることしかできなかった。

 

 

 

フィンは団員の個人的な接触を戒めたが、もちろんクリリンの動向について情報収集を怠るつもりはない。

常識的な対応が出来る、あるいは機転の利く団員数名を走らせている。

特にギルドには常に団員を置いていた。

 

 

そんな日の昼下がり、度肝を抜く報が黄昏の館にもたらされる。

 

 

 

 

【猛者】オッタル

昇格(ランクアップ)

Lv.7→Lv.8

 

 

 

この報はオラリオ中を瞬く間に駆け巡り、市内は驚天動地の大騒ぎになった。

 

一方で、クリリン側に昇格という話は出ず、それがまた騒動が過熱する一因となっている。

 

昇格には『偉業』、つまり器を昇華させるに足ると神々が認めるほどの経験が必要になる。

『偉業』とは、必ずしも自分より高レベルの相手を倒すことと同義ではないが、それでもレベル1の相手に敗れた【猛者】の方が昇格するなど誰にも予想しえなかった。

 

千年に渡り地上の子どもたちに恩恵を与えてきた神々とて、その全容を理解しているわけではない。

今回の件で恩恵というシステムについて新たな議論が起こることになった。

 

 

それはさておき、レベル8である。

 

レベル7こそが人の限界、あるいは最終到達点という向きも濃厚だったが、オッタルは見事に打ち破った。

 

そして、そのオッタルが昇格するきっかけになったクリリンは、実質レベル8以上の強さであろうことは誰もが容易に想像できた。

 

 

 

オッタルの昇格を聞いて、アイズは立ち尽くす。

 

アイズがレベル5になって三年が経とうとしていた。

どうしても前に進めない。

足踏みしている間に、置いて行かれる。置き去りにされる。

その感覚がたまらなくイヤだった。

日に日に焦燥は募っていった。

 

(はた)から見れば、アイズは順調に成長しているように見えるだろう。

そもそもレベル5にまで到達できる者はごくごく稀なのだ。常識的に考えれば既に完成しているという考え方もできる。

だがアイズは16歳。心身の盛りはまだ先。腰を据えてたゆまず努力を続ければさらなる成長も望める。そうまで生き急ぐ必要があるのか。

そんな周囲の声はアイズには届かない。

 

そうして立ち尽くしていたアイズであったが、弾かれるように駆け出し館を出ていった。

オッタルの昇格、その事実がゆっくりとアイズの心を侵食し、停滞するアイズの閉塞感を強めていく。

 

往来には人が溢れていた。

アイズは群集のわずかな隙間を縫って駆けていく。

その速度は常人の目に追えるものではなく、人々はただ一陣の風が吹き抜けたようにしか感じられなかった。

 

ギルドの前にも人だかりが出来ている。

アイズは速度を緩め、歩を進める。大衆はアイズの姿を見るとすぐに道を譲った。

 

 

「!」

 

アイズは総毛立ち、ギルドの入口を注視する。

ギルドの前に集まっていた大衆も察知し、ギルドの入口の前を広く空ける。

 

ギルドから姿を現したのは

 

 

神フレイヤ

 

 

 

そして

 

 

【猛者】オッタル

 

 

 

人々はオッタルの姿に息を呑む。

その肉体はより充実し、纏う覇気はさらに濃い。

 

 

この場には、負けて最強の座から引き摺り落とされた【猛者】を嗤いに来た者もいた。

が、そのような者を含め全員が一言も発せなかった。

 

 

都市最強で無くなったからといって、決して【猛者】は弱くなったわけではないのだ。

敗北を知り、オッタルはより強くなった。

 

他を寄せ付けぬ最強の男は、畑から帰ってきた。

 

以前とはまるで次元の違う怪物となって―――

 

 

(戦ってもないのに、凄い気配………!)

 

 

オッタルの進む先にはもはやアイズしかいなかった。大衆は既にその進路から退き、遠巻きにして見ている。

 

 

【猛者】は【剣姫】を見咎める。

 

「御前を遮るは何たる不敬。早々に道を空けよ【剣姫】」

 

 

美の女神に付き従うオッタルが気を放ち、その猛烈な力にアイズの肌がひりつく。

今のオッタルならば、剣を抜くことなくアイズを圧倒できる。

レベル8とレベル5

その力の差はあまりにも大きかった。

歴然たる彼我の差に屈しかけるも、しかしアイズはその場を動かず、オッタルに何か問うような視線を注ぎ続けた。

それを見たオッタルの目が剣呑な光を帯び始める。

 

場の空気が重く沈んでいく。

目の前で【剣姫】は一刀両断されるのではないか。

人々は恐れたが、その空気を打ち破ったのは女神だった。

 

 

「あらあらオッタルってば。か弱い少女に力で迫るなんてなかなか背徳的よ」

 

 

くすくすと笑うフレイヤがオッタルをからかう。

 

 

「は、いやしかし……」

 

 

フレイヤの言葉にオッタルは狼狽する。釈明しようとするも言葉が見つからずうろたえるオッタル。その光景たるや珍事に他ならなかった。

 

フレイヤのたった一言で重苦しい空気は消え去った。

フレイヤはオッタルをさんざんに振り回す。美の女神にかかっては【猛者】も形無しだった。

天下に名だたる【剣姫】を称してか弱いとする発言といい、世界の枢要に座す女神の言動に大衆はただただ圧倒されていた。

 

 

「私のことならかまわないわ。問いの一つや二つ、答えてあげなさいな」

 

フレイヤはそう言って笑う。凡俗が直視しようものなら心身全てが魅了し尽くされる、おそろしい微笑だった。

今日のフレイヤはオッタルが戸惑うほどに上機嫌である。

 

「フレイヤ様の御高配に感謝するがいい。【剣姫】よ、用件を言え」

 

「!」

 

気を取り直したオッタルがアイズの言葉を促す。

 

言いたいこと聞きたいことはある。しかしアイズはうまく言葉に出来なかった。

 

 

「……どうして昇格出来たのですか?」

 

アイズはなんとか言葉を絞り出したが、それはあまりに粗放なものだった。

 

しかしオッタルはその心を汲み、言葉を返す。

 

「さて、な。ただ一つ言えることは、奴と戦った時の俺は無我夢中だったということだ」

 

「今のあなたならクリリンに勝てますか」

 

アイズは質問を重ねる。

それに対してオッタルはくつくつと笑う。

 

「今の俺でも届かぬと見ている。昨日の戦いにおいても奴は全く底を見せていない」

 

オッタルの言葉はアイズのみならず大衆にも衝撃を与えた。

 

「俺が屈したあの一撃も、クリリンにとっては軽く腕を振り上げた程度に過ぎぬ」

 

オッタルはそう言い切る。

 

オッタルの言う一撃はアイズにも覚えがある。天地を揺るがす凄まじい一発だったはずだ。

しかしオッタルはそれすらもクリリンの全力には程遠いと言う。

 

 

オッタルはフレイヤを見る。あらもういいの?と言いつつ女神は歩き始める。

茫然とするアイズの横をフレイヤとオッタルは通り過ぎる。

アイズはハッとして、オッタルの背に最後の問いをぶつける。

 

 

「クリリンは!一体何者なんですか!?」

 

その問いに、オッタルは振り返ることなく言う。

 

「自分の目で確かめればよい。知りたくば行け。空と大地が交わるその場所に」

 

 

オッタルは去り、アイズはその場に取り残される。

衝動に突き動かされるままギルドまで来た。そこでオッタルに会い、話が聞けたのは思わぬ収穫であった。

 

 

―――無我夢中

 

 

アイズはオッタルの言葉を思い返す。

その言葉がアイズの迷走を助長する。

 

(【デメテル・ファミリア】に迷惑をかけなければいい。会って一言二言交わせれば)

 

(もう)に囚われ暗闇の中で迷う子は光を求めて足掻く。自分の立場やそれに伴うしがらみを頭の隅に追いやる。

真の強者との出会いを求めてアイズはオラリオの外へ、昨日感じた力の震源地へ歩き始めた。

 

 

 

 

―――アイズの視界いっぱいに畑が広がっていた。

茜がかった空と緑に埋め尽くされた畑。今アイズが立っている世界にはそれだけが在った。

アイズの目線の奥の奥で、空と大地は交わり一本の線を成す。

絵本に描かれる美しい世界そのものだった。

童話の中にしかないと思っていた豊かな世界だった。

 

(オラリオのすぐ傍にこんな場所があるなんて知らなかった……)

 

アイズは景色に目を奪われながら農道を進む。畑のあちこちに人影がある。彼らにクリリンのことを尋ねるか、それとも仕事の邪魔になってしまうだろうか。

そう考えていると突如、地平線の向こう側から巨大な馬の頭がニュッと出てきた。

一瞬ビクッとなるアイズ。あの馬が今回の騒ぎの発端だろう。今は殺意や敵意の類は一片もない。

しかし、馬が生かされていたことにアイズは驚く。何が理由かは知らないが、クリリンがいなければこの一帯を壊滅させていたであろう存在を許容する【デメテル・ファミリア】は、寛大にも程がある。ほとんど酔狂といっていい。

 

(まずはあの馬のところへ行ってみよう)

 

しかし、アイズの思考もまた常人のソレを大きく外れていた。

アレが一度、世界を恐怖と絶望のどん底につき落としてからようやく一日が過ぎたばかり。そんな存在にわざわざ自分から近付こうというのだ。正気の沙汰ではない。

 

だがここにアイズを止める者はいなかった。

この楽園のような未知の世界を、アイズは奥へ奥へと進んでいった。

 

◆◆◆◆◆

 

 

「アイズ、かなりヤバイ目ぇしとったで」

 

 

【ロキ・ファミリア】本拠地、黄昏の館の執務室でロキとフィンは向かい合っていた。

 

 

「クリリンの件、下手に束縛せえへん方がよかったんやないか?」

 

「アイズは幹部だ。甘やかしすぎるのはよくない。これでも団長という立場からはかなり譲歩しているよ」

 

「はぁ~~~しっかしフィンの立場もいつの間にかむつかしくなりよったなぁ」

 

ガシガシとロキは頭を掻く。

 

「組織が大きくなるとどうしてもね。年を重ねれば自由の質も変わってくるさ」

 

フィンは椅子の背もたれに身を預けて息を吐く。

 

「逆にリヴェリアは、爆発する前にガス抜きした方がいいと考えている。外に飛び出したアイズにはこっそりリヴェリアが付いている。まあ後は任せるさ」

 

「リヴェリアマッマに任せとけばそう悪いことにはならんか。ただベート達の姿も見えん。こらもうひと騒動あるかもな」

 

ロキがニマッと笑い、フィンがため息をつく。

 

 

「オッタルの昇格が完全に誤算だった。予想通りクリリンが昇格していれば事態はもう少し緩やかに進んだだろうに」

 

 

【デメテル・ファミリア】に持っていく菓子折の選定を急ぐとするよ、とフィンは遠い目をしながらそう言った。

 

 

◆◆◆◆◆◆

 

 

【デメテル・ファミリア】の団員たちは気さくで善人だが、それでいてなかなか個性的である。

 

 

異世界生活初日、クリリンが持ち込んだ大猪をあっさり捌いた少女しかり。

 

そして今、馬と向かい合う三つ編みの少女もまた興味深い個性の持ち主だった。

まだ十代半ばというこの少女は動物と心を通わせることができるのだとか。

 

 

――お腹空いてません?何か召し上がりますか?

――其ノ厚意ダケ頂コウ。食事ハ外デ済マセテ来タ

 

 

馬と少女の睦まじい交流を、クリリンと婦人は少し離れた場所から見守る。

何を話しているかは空気で察するしかないが、コミュニケーションについては問題なさそうだ。

あの馬は動物なのか、些か疑問だが深く追及するものでもない。

 

 

クリリンの異世界生活3日目は夕刻に差し掛かっていた。

クリリン達は今、畑を見渡せる小高い丘の上にいる。

日に照らされた麦の穂が風に吹かれて金色の波を立てる。

 

あの馬は奇跡的に生かされた。

といってもあの馬に手出し出来るのはクリリンかオッタルぐらいではあるが。

ギルドとの話し合いで馬の処遇については真っ先に議題に上がったが、クリリンが「悪いやつではないと思う」と言った瞬間、終着点はほぼ決まった。

しばらくはギルド職員や【ガネーシャ・ファミリア】の団員が視察に入るとのことだが、クリリンの判断は尊重されるようだ。

 

クリリンが馬を庇った理由はいくつかある。

純粋な悪では無く理性を備えていたというのもあるが、クリリンが害しづらいとした最も大きな理由は馬の身に宿る神性だった。

その神性はごく僅かで、馬は何か神霊の残滓ではというのがクリリンとデメテルの共通見解だった。

馬がその力のほぼ全てを何故失ったのか、この畑に来たのは偶然か必然か、詳しいことは不明だが、【デメテル・ファミリア】はこの馬を友とすることに決めた。

 

 

 

風が吹く

 

 

クリリンは丘から畑を眺める。

仕事を終えた同胞たちが帰路についている。

ギルドからなるべく急いで戻ってきたが、今日の仕事はもう終わりのようだ。

 

「すいません、なんか大騒ぎにしてしまって。畑にも朝しか入れてないですし。まあ新人のオレが畑にいてもかえって足手まといになるだけですけど」

 

「いえいえそんなことはありません。それに、助けて頂いたことは望外の喜びですわ」

 

婦人はそっと微笑む。

 

「クリリンさんは本当にお強いのですね。武の道を歩まれたきっかけというのはあるのですか?」

 

「いやーははは、お恥ずかしながら本格的に武道を志したのは、強くなって女の子にモテようとしたからでして」

 

「まあ」

 

クリリンと婦人は和やかに笑い合う。そろそろ館に戻ろうかというところで―――

 

 

 

風が吹いた

 

 

その風は、何かただならぬ者の気配と共に畑に吹き込んだ。

 

 

クリリンは先程その気配の主が畑に踏み込んだことに気付いていたが、やはりその者はこちらに向かってきている。

今日という日はまだ終わりそうにない。

 

「……どうかしましたか、クリリンさん」

 

顔つきが変わったクリリンに、婦人が問う。

 

「来客です。どうやらそれなりの人物みたいっすね」

 

クリリンの目線の方向に、婦人もまた目を向ける。

 

 

やがてその気配の正体が、丘を上り姿を現す。

最初に見えたのは金色に流れる髪だった。

次に金色の瞳、神々すら崇める人間離れした容貌。細身のようでいて其の実よく鍛えられた肢体。

 

圧倒的な存在感を放つ剣士が、クリリンと婦人、二人の前に顕現した。

 

 

「まさか……この方は……」

 

「知ってる人なんですか?」

 

問われた婦人がクリリンに返事をする前に、剣士の方が口を開いた。

 

 

「……お仕事の邪魔していたら、ごめんなさい。私は【ロキ・ファミリア】のアイズ・ヴァレンシュタイン。ある方に会いに、ここへ来ました」

 

発する言葉を迷いながら、アイズはその名と用件を告げる。

 

(この子、【ロキ・ファミリア】ってことはフィンとティオネの仲間か)

 

クリリンはそう考えながら横を見ると

 

 

婦人が固まっていた。

 

 

 

どうやらこのアイズ・ヴァレン(なにがし)はやはり相当な人物らしい、とクリリンは思う。

 

 

「お姉さまの反応も無理はありません。あの方は【剣姫】さん。才色兼備の、謂わば時代のヒロインですわ」

 

アイズが現れたあたりからクリリンの隣にいる三つ編みの少女がフォローする。

 

時代のヒロイン、確かにそうだとクリリンも内心肯定する。

いやヒロインなんて生易しいものではない。

例えばオッタル。アイツもまたこの世界のこの時代において重要人物に違いない。

世界のためにオッタルはいる。

しかし、このアイズとやらは違う。

()()()()()()()()()()()()

突飛な話だが、そう考えるのが一番しっくりくる。

 

クリリンが考えを整理している内に、正気を取り戻した婦人と隣にいる少女がアイズに名乗る。

クリリンもまた彼女たちに倣って名乗ろうとしたが、その前にアイズが口を開く。

 

「ある方とは、【猛者】を倒したというクリリン、さんのことです。会って、話をしたい、のですが」

 

アイズは伏し目がちに願いを告げる。

 

「あの【剣姫】さんのご用件なら、まあそれしか考えられませんね」

「クリリン兄さまも一躍時の人ですね」

 

そう言って婦人と少女が同時にクリリンの方へ目を向ける。

その様子にアイズはハッとする。アイズの視線を浴びてクリリンは答える。

 

「名乗るのが遅れたな。オレがクリリンだ」

 

「!」

 

 

アイズは目を見張る。

ついにクリリンに会うことが出来た。

しかし都市最強の男を前にした感触は全く無い。

オッタルをあの領域まで導いた存在とはとても思えない。

アイズには本当に素朴な農夫にしか見えなかった。

 

アイズが次に出す言葉を悩んでいる間、クリリンはアイズに抱いた印象をさらに整理していく。

 

正直言ってスゲーかわいい。

そして、強い。

今のアイズではオッタルにはどうやっても敵わないだろうが、しかし内包する潜在能力(ポテンシャル)はかなりのものだ。

 

天才といっていい。

 

さすがに一年二年では厳しいだろうが、オッタルより遥かに早く今のオッタル以上の力を身に付けることが出来るだろう。

 

 

このアイズ・ヴァー某は、正しく天寵を負う子だ。

クリリンはそう評価する。

 

だがそんなことよりも、この子は……

クリリンがそう思っているところで、アイズが話しかけてくる。

 

 

「私は、強くなりたい、です」

 

クリリンはその言葉を受け止め、咀嚼する。

 

「私は、どうしたらクリリン、さんのように、強くなれますか」

 

たどたどしく、また一見感情を抑えた話し方だったが、クリリンはその裏に潜む激情に気が付いていた。

 

 

クリリンから見たアイズは破滅寸前だった。

 

アイズは何か人として大事なものを、ごっそり失っていた。

それでも少しだけ残った人としての感情や理性、だがそれすらも空いた穴から流れ落ちていっている。

 

 

放置すれば世界にとって極めて危険な存在だった。

先の印象通り、アイズのために世界は在るようなものだ。

真っ当に生きれば間違いなくアイズは救世主たりえる。

 

 

逆に闇に飲まれてアイズが破滅する時、世界は道連れとなってアイズもろとも破滅するだろう。

 

 

アイズが強くなりたいというのは、きっと失ったものを取り戻すためだな、とクリリンは思う。

 

 

(さて、どうしたものか)

 

クリリンは考えるが、結論はすぐに出た。

 

 

(そうだ、別に難しく考えなくていい。迷子の女の子が、こちらへ必死に手を伸ばしてきてるだけのことだ)

 

クリリンは息を吐く。

 

(ならオレがすべきは、その手をとって寄り添うことだ。それだけでいい。それが一番で、そうするだけで普通になんとかなる気がしてきた)

 

 

クリリンはアイズの目を見る。アイズはクリリンの視線に気付き、そわそわしながら答えを待っている。

 

 

「いつどこで、そんなでっかい落とし物したんだか」

 

「―――?」

 

「アイズ。おまえが無くしたもの、オレも一緒に探してやるよ」

 

「……………」

 

「おまえなら強くなれるさ。そんなに焦んなくていい」

 

「!」

 

「なんなら今から軽く戦ってもいい。どうだ」

 

「やる」

 

即答だった。意気揚々とアイズは剣の柄に手をかける。

 

 

思わず笑みが浮かぶクリリンだったが、戦う前に婦人たちを避難させなければいけない。

 

クリリンが視線を向けた先は馬の足下。

 

「あの、先帰ってていいすよ?」

 

クリリンが声をかけると、二人は馬の前足の影から顔を出す。

 

「昨日私はクリリンさんと【猛者】さんの戦いを見れなかったので、今日は残って観戦します」

 

馬の左前足から顔を出した婦人はそう言う。

婦人は昨日、馬の騒動のあと館に運ばれていったため、クリリンとオッタルの戦いを見れなかった。

そのことを婦人はひそかに惜しんでいた。

 

「【デメテル・ファミリア】が誇る戦略級農夫クリリン兄さまと【剣姫】さん、このカードは絶対に見逃せません」

 

馬の右前足からこちらを覗く少女はそう言う。

 

そんな二人を見て、……ハハハとクリリンは苦笑する。

まああの馬の実力ならば、アイズとの戦いの余波も十分に凌ぐだろう。

 

「二人をよろしく」

 

クリリンが声をかけると、馬は会釈して恭順を示す。

 

 

「待たせたな。いつでもいいぞ」

 

そう言ってクリリンは戦闘体勢に入る。

高まった戦意が場を満たす。

 

「!?」

 

クリリンの戦意がアイズの全身を貫く。

今、クリリンはただの農夫から都市最強の男に変貌を遂げた。

フィンとティオネの言った通りだった。クリリンは普段力を抑えており、戦う時は異次元の強さになる。

この場は自分に合わせているのだろう。手加減しているのは明らかで、その気配の濃さは今日会ったオッタルに比べると控え目だ。

しかし本気を出したらどこまで強くなるのか全く読めない。

 

かつてない強者を前に、アイズはその絶技を出し惜しみするつもりはなかった。

 

目覚めよ(テンペスト)

 

「ん?」

 

風が吹き荒れ、アイズはそれを全身に纏う。

 

 

「あれが【剣姫】さんの『(エアリアル)』!」

 

少女が目を輝かせる。

アイズを最強の女剣士たらしめる至高の技。

身に纏えば鎧に、纏って薙げば刃となる攻防一体の技。

もはや「風」などではなく、それは地表を舞う「嵐」

力の奔流

少女は何度も耳にした。

嵐と化した【剣姫】には、迷宮の奥底に潜む怪物ですら太刀打ちできぬと。

神の御業を地上で見ることができるなんて、と少女は内心ではしゃいでいる。

 

(あらあらあの子ってば……少しはクリリンさんの心配をしてはどうかしら)

 

喜色を浮かべる少女に、婦人は苦笑する。

 

(それにしても【剣姫】さんは、なんというかずるいですわね)

 

ふふ、と婦人は微笑む。

ただでさえ強い【剣姫】が嵐を纏う。

鬼に金棒、虎に翼。

控え目に言っても無敵としか思えなかった。

皆が【剣姫】を次代の英雄と称える理由がよくわかった。

 

(クリリンさんは、あの姿の【剣姫】さんにどう立ち向かうのかしら)

 

婦人はクリリンに目を向ける。

 

 

 

「へぇ、いい技だな」

 

アイズの技を、クリリンは称した。

風の壁は万物を拒み、風の刃はあらゆるものを切り裂く。

それでもクリリンが動ずるには至らない。

すぐ目の前でアイズの風が唸りを上げていても、クリリンは揺らがない。

 

「ありがとう、ございます」

 

「敬語じゃなくてもいいぞ。なんか窮屈そうだし、楽に話せばいいさ」

 

「わかった」

 

クリリンの気遣いを、アイズは些かの逡巡もなく受け取る。

 

 

「………」

「………」

 

そこからは言葉もなく、戦意が高まっていく。

 

 

 

先に動いたのはアイズだった。

 

 

大きく後方に跳び、クリリンと距離を取る。

 

剣尖をクリリンに向け、地に足を付け、腰を入れる。

 

 

(エアリアル)

 

 

―――最大出力!!!

 

 

アイズの風はさらに大きくなる。

 

「うええええ!?まだ強くなるんですの!?」

 

(畑、大丈夫でしょうか)

 

狼狽する二人の視界にいたはずのアイズが、忽然と消える。

 

『リル・ラファーガ』

 

アイズの立っていた地面が爆発し、剣と一体になったアイズが暴風となってクリリンを襲う。

M(メドル)はあった両者の距離がみるみる縮まる。

 

 

アイズは世界を置き去りにし、世界はアイズを見失う。

 

アイズの剣尖がクリリンを捉えた。

 

そのときアイズは違和感を抱く。

 

 

技を放つ瞬間

 

 

()()()()()()()()()()

 

 

とてつもなく嫌な予感がアイズを襲う。

しかし、もはや止まれない。

 

(――――ッ!!)

 

アイズは勢いそのままにクリリンに飛び込んだ。

 

 

◆◆◆◆◆◆◆

 

 

(なんつう危なっかしい技だ)

 

自分に向かって突撃してくるアイズを見て、クリリンはそう思う。

 

『風』は確かにいい技だ。応用も利く。

だが、力に飽かせたこの刺突はどうも自爆技に見える。

 

(今までこれを止められた奴、いなかったんだろうな)

 

だからきっと、アイズはこんな無茶をする。

 

常軌を逸した速度で飛び込んでくるアイズを、クリリンはしっかりと目で追っている。

 

 

眼前に迫るアイズと目が合う。

 

嫌な確信がクリリンを襲う。

 

 

(これ、そのまま弾き返したらアイズ死ぬんじゃね)

 

クリリンのパワーと技量なら、アイズの全力をそのままはね返すことは可能だった。

だが、この捨て身の技にアイズ自身は耐えられまい。

おそらく全身が千切れ壮絶なことになる。

 

では、攻撃を反らすのはどうか。

否。軌道を変えた瞬間アイズの身体に無理が掛かって裂ける。

 

オッタルと戦った時はこういったことは考えずに済んだ。

オッタルは頑丈であったし、技量も卓越していた。

自分の技に殺されるということは無いだろう。

 

クリリンの胸にアイズの剣尖が迫っていた。

避けるのもいい。この辺りは広く障害物も無い。

クリリンならばこのタイミングでも避けられる。

 

 

しかし、もっと安全な方法があった。

 

 

クリリンは瞬時に剣を掴むと、そのまま勢いに任せて押し込まれてやる。

 

大地を大きく削りながら、少しずつ少しずつアイズの技の勢いを殺していく。

 

ちなみに今日クリリンが履いている靴は、地球から持ち込んだ方の靴だ。オッタル戦で履いていた作業靴はボロボロになったが、こっちの靴ならそんな心配はない。

 

数百M(メドル)も大地を削って、ようやくアイズとクリリンは静止した。

 

 

「まったく無茶するよなぁ。で、少しはすっきりしたか?」

 

「………」

 

全力で飛び込んできたアイズを受け止めて、クリリンは言う。

 

肩で息をしているアイズは、クリリンに言葉を返せない。

だが、アイズの瞳には光が灯り始めていた。

 

それを見てだいぶ持ち直せたかな、とクリリンは思う。

 

 

そして

 

 

「アイズ、おまえいい友達がいるじゃないか」

 

 

クリリンがそう言うと、アイズはきょとんとする。

 

その時だった。

 

 

「ぶっとびやがれ――――」

 

 

猛烈な速度でこの場に飛び込んできた青年の蹴りが、クリリンの顔面を捉える。

 

が、クリリンは瞬時に見切り軽く手を添えてその軌道をずらす。

 

 

「チィッ!」

 

舌打ちをした青年は、身を翻してアイズの隣に降り立つ。

 

「ベートさん!?」

 

「よォ、アイズ。抜け駆けなんざさせねえぜ」

 

狼人(ウェアウルフ)の青年が笑い戦意を滾らせる。

 

 

「アイズ!」

「アイズぅ!!」

「アイズさん!」

 

後方からさらに三人の少女が追い付く。

一人はクリリンも知っているアマゾネスの少女、ティオネだ。

そのティオネとそっくりな少女が一人と、エルフと見られる少女が一人。

 

 

「はぁい、クリリン。うちのアイズが邪魔したわね」

「おおお……!この人がクリリンかぁ!」

「ど、どうも初めまして」

 

三人の少女がそれぞれ挨拶する。

 

 

今ここに、アイズと共に歴史を刻む次代の英雄たちがクリリンの前に勢揃いした。



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其ノ七 人外

 

 広大な丘陵に真新しい(わだち)が引かれていた。

 

 ここは市壁の外、【デメテル・ファミリア】の農地を眼下に見る小高い丘の上である。

 

 レフィーヤ達は轍の先にいるであろうアイズを追って、なだらかな起伏が連なる丘を駆けていく。

 

 アイズの『風』は丘の下にいた時から感じていた。

 レフィーヤは困惑する。

 迷宮の外でアイズが『(エアリアル)』を使うことなど自分が知る限りかつて無かった。

 地上のモンスターや獣程度に使うような技ではないのだ。

 訓練や調整だとしても地上でやる意義は無い。迷宮上層のルームあたりでやるのが普通だ。

 しかも状況をみるに、全力に近いとばし方である。地上でアイズが全力を出すほどの相手はごく限られるが───

 

「そんなのクリリンに決まってるじゃないの」

 

「で、ですよねー」

 

 ティオネは断言し、レフィーヤも同調する。ここは【デメテル・ファミリア】の農地にほど近い。それも含めて、ティオネの言葉を否定できる材料は無かった。

 

 クリリンに関する情報は、一部ではあるがレフィーヤも共有している。

 

 オラリオに彗星のごとく現れた新たな王者

 現・都市最強

【デメテル・ファミリア】農夫クリリン

 

 レベル1が、当時レベル7だったオッタルを倒すという空前絶後の大事件。その立役者たる男がクリリンである。

 

 立ち込める砂ぼこりを振り払いつつ、轍に沿って進む。俊足のベートとは既に離されていた。一方、ティオネとティオナはレフィーヤの足に合わせてくれている。

 

 途中、同じように轍の先に進む馬と【デメテル・ファミリア】の団員らしき女たちに並ぶ。

 丘に向かう折、この巨大な馬の影に驚いてレフィーヤは声を詰まらせたが、ティオネによれば敵意はもう無いとのことだった。

 

「こんにちは!お邪魔してます」

 

 レフィーヤはスピードを緩め二人に声をかける。

 ティオネとティオナもそれぞれ一言声をかけ、三人は再び速度を上げる。

 

「でもさー、レフィーヤがすごい顔で外に出てったときはビックリしたよー」

 

 ティオナは、アイズを追って館を飛び出したときのレフィーヤの表情を思い出してニコッと笑う。

 

「あ、あのときのアイズさん、本当にただならない様子でしたから」

 

 レフィーヤは赤面する。

 それでも自身の行動になんら恥ずべきことはない。

 あのときのアイズは何か様子が変だった。

 ここで引き留めなければ二度と帰って来ないような、そんな不安をレフィーヤは抱いた。

 気が付けば館を出て駆けていた。平常のレフィーヤらしからぬ行動力だった。どうしても勇気が出ずに踏み出せなかった一歩も、一度越えてしまえばなんということもなかった。

 清々しい気分だった。その勢いのままいざ往かんとして前を見れば、アイズの姿はどこにも無かった。

 出だしから途方に暮れて気分は一転、泣きそうになるレフィーヤの後方から飛び出したのが、ベートとティオネ、ティオナだった。

 

 

「あたしもさ、アイズの様子は気になってたんだー。昨日クリリンの話をみんなで聞いてた時からなんかおかしかったし」

 

 今日はずっと見張ってたんだぁ、とティオナは言う。

 

「私もね。アイズが早まらないか見てたのよ。アイズが出ていった時に真っ先に動いたのがレフィーヤだったのは驚いたわ。正直、レフィーヤは普段オドオドあわあわしている印象が強かったから」

 

 ごめんね、とティオネはウィンクしつつ詫びる。

 レフィーヤに不満はない。むしろその通りだとレフィーヤ自身も認めていた。

 

 ここにきてレフィーヤはふと気付く。

【ロキ・ファミリア】の第一線で活躍するティオネやティオナと、レフィーヤはいま並んで走っているのだ。

 夢みたいな気分だった。迷宮最奥への遠征でも、第二線のレフィーヤが彼女たちと肩を並べて戦うことは無い。後方支援に回るレフィーヤは、最前線よりずっと後ろで彼女たちの背中に守られるばかりだった。

 ここは迷宮の奥でも無ければ、レフィーヤの実力がアイズたちに追い付いたわけでもない。

 しかしアイズを追いかけ、二人と並んで走っている事実に気付いて恐縮やら嬉しさやらで、こそばゆい気持ちになるのであった。

 

 レフィーヤたちの視覚が二つの人影を捉えた。手前にアイズ、奥にもう一人。

 

 一見アイズが相手を押し込んでいる。ただ、よく見ればアイズの両肩は激しく上下し、呼吸が荒い。

 レフィーヤからはアイズの表情は窺えない。それでも追い詰められているのはおそらくアイズの方だ。

 

「さてと、アイズを止めなきゃね」

 

 そう言ったティオネの表情が直後に固まる。

 

 前方を走っていたベートがアイズの奥にいる農夫に飛び蹴りを放ったのだ。

 

凶狼(ヴァナルガンド)】ベート・ローガ

 

 その足は【ロキ・ファミリア】最速。

 

 ベートの動きはレフィーヤは当然ながら、ティオネやティオナですら目で追いきれない。

 

「え、あれ、ベートさん、も、もしかして……?」

 

「あー、やっちゃったねー」

 

 レフィーヤが困惑する一方で、ティオナは状況を案じつつも何処か気楽に構えている。

 

 レフィーヤたち三人もようやくアイズに追い付いた。

 

 ティオネは青筋を立てながらも、表面上はにこやかにアイズと、そしてクリリンに声をかけた。

 

 

 ◆

 

 

「今のは」

 

「ヒリュテ姉妹でしたね!」

 

 クリリンたちを追う婦人たちを凄まじい速度で追い抜いていったのは、【ロキ・ファミリア】の若き精鋭たち。

 

 二人に声をかけて先に進んだのは、世界でも有名すぎるアマゾネスの姉妹

 姉の【怒蛇(ヨルムガンド)】に、妹の【大切断(アマゾン)

 

 二つ名からして威圧感のある双子の姉妹は、戦闘種族(アマゾネス)にあってトップクラスの戦闘力を誇り、揃って【ロキ・ファミリア】の幹部に名を連ねる。

 

 ヒューマンである婦人や少女とは住む世界が違いすぎる。オッタルやフィン、そしてアイズもそうだが、二人にとって交わることなど一生無いと思っていた者たちだ。

 

 

「あのエルフの子は?」

 

 そのヒリュテ姉妹を先導していたのは、彼女たちの傍にいるにはあまりに儚い印象の少女だった。

 

「【千の妖精(サウザンド・エルフ)】レフィーヤ・ウィリディスさんですよ。もう少ししたらきっとブレイクする方です」

 

 詳しいのね、と婦人は時流をしっかりと追っている少女に感心する。

 

「……少しことが大きくなってきましたね。団長に報告しておきましょうか。頼めますか」

 

「はい、お姉さま。任されました」

 

 そう言うと少女は手帳を取り出して要旨を書き記し、口笛を吹いて馴染みの鳥を呼び寄せる。

 

 ──これを本拠(ホーム)の団長まで。お願いしますね。

 

 少女は伝言を記したページを破り、鳥の足にくくりつけて送り出す。

 

 婦人たちを庇うように進む馬の歩みがしだいに緩んでいく。

 土煙が晴れた先に見ゆるは、クリリンと【ロキ・ファミリア】の勇士たち。

 

 いずれもこの先、歴史に大きな爪痕を残し、未来永劫語り継がれるであろう存在。

 

 これから起こることは、物語の大きな転換点になる。

 確信に近い印象をもって、婦人はそう思った。

 

 

 ◆◆

 

 

 畑を望む草原にドワーフの男が二人、切り株に腰かけて旧交を温めていた。

 

 それをアキは近くの木陰から見守る。

 傾きかけた日に照らされて、目に映る世界は刻一刻と黄金色に染まっていく。

 

 ドワーフの一人は【デメテル・ファミリア】の農夫。その横顔に謹厳実直な人柄がにじみ出ている。

 きっと長年、【デメテル・ファミリア】を支えてきたのであろう。

 

 そのドワーフの老人と隣り合うのは、【重傑(エルガルム)】ガレス・ランドロック

 

【ロキ・ファミリア】の立ち上げメンバーの一人であり、アキが生まれる前から勇壮で知られた戦士である。

 

 

 激動の時代を生き抜いてきた男たち。

【ゼウス・ファミリア】【ヘラ・ファミリア】の崩壊

 血で血を洗う、凄惨な勢力争い

 加えて闇派閥(イヴィルス)の暴走と破滅

 

 アキが知っているだけでもこれだけのことがあった。

 

 年功を積んだ二人の背中は大きい。

 この広大で穏やかな畑を前に、二人の旧人(ふるびと)が静かに語る光景は、アキの心に沁み入るものがあった。

 

 

「おぬしらの畑は、いつ見ても実りが多いの」

 

 ガレスが旧友に問う。

 事実、主要農産物は一年を通してオラリオの市場から絶えることは無い。

 オラリオ周辺には四季があるにも関わらず、だ。

 

「品種改良ですよ。同じ作物であっても、時期によって獲れる品種は違うのです」

 

 粗野で知られるドワーフとしては珍しく、農夫は丁寧な言葉で話す。

 

「ふぅむ、それで夏が旬のものが冬も食べられる、というわけじゃな」

 

「ええ、他国ならば農業系の組合があって、地域ごとにローテーションで出荷するのですが、オラリオではそれなりの規模で農業をするのがうちしかないもので」

 

【デメテル・ファミリア】の事業規模は世界でも随一である。しかしそれは望んで得た立場では無かった。派閥結成当初は趣味としての農業であり自家向けの生産が主であったが、周囲の派閥の撤退、あるいは遊牧民族や騎馬民族の侵略によって農業系派閥が大きく数を減らす中、産業構造が変化した社会は【デメテル・ファミリア】に食糧生産を依存するようになっていく。

 

 農業とは自然界との対話であり、また闘争でもある。

 自然界は厳しい。

 それでも自分たちが破綻すれば派閥だけでなく社会が飢える。

 自然界と社会との板挟みになりながらも【デメテル・ファミリア】はその使命を全うしてきた。

 

 魔石産業で潤うオラリオの人口は増え続け、それに伴い今も【デメテル・ファミリア】の農地と事業規模は拡大し続けている。()変われば品変わる。農産物なら尚のことだ。【デメテル・ファミリア】の模索と知見の集積は終わらない。

 

 ──ホンマ大したもんやで、デメテルんとこは

 

 ロキはあのとき心の底から称賛したのだ。

 

 

「ロキ様は息災で?」

 

「相変わらずじゃよ。全く、少しはそちらの大女神を見ならって慎みを持ってもらいたいもんじゃ」

 

 ロキの姿を心に浮かべ、ガレスは苦い顔になる。

 

神子(おやこ)仲睦まじいようで、何よりです」

 

「まあ、呑み競べの相手としちゃあ悪くないがの」

 

 

 風が畑を吹き渡っていく。

 

「ガレス、多忙な君とこうしてゆっくり話を出来るのも、クリリンさんのおかげかな」

 

「ばれておったか。昨日の今日だからのう、時機からいって隠し通せるとも思わんかったが」

 

「後ろのお嬢さんは【貴猫(アルシャー)】でしょう。あなたがたが市外に出るには根回しが必要でしょうから」

 

 不意に自分の名が出て、アキの肩が揺れる。それを後目(しりめ)に農夫はアキに会釈する。

 

 都市内の派閥である【デメテル・ファミリア】の畑とはいえ、ここは市外である。この畑に辿り着くにはギルドの許可が必要になる。前日は多くの冒険者が畑に駆け付けたが、あれは緊急事態ゆえの例外措置だ。

 

「わはは、根回しなどとそんな大層なものではないわ。なに、ギルドや【ガネーシャ・ファミリア】ばかりが情報を独占するのかと、うちの(もん)が文句を付けただけじゃよ」

 

 オラリオはその保有する戦力の流出を阻止するために、上級冒険者の外出を厳しく制限する。制限は冒険者の実力が高いほど強く、平常なら【重傑】や【貴猫】の外出許可はまず下りない。とはいえそれは公的な許可の話であって、抜け道や裏道のたぐいはあるのだが。

 それにしても文句を言ってどうにかしてしまうあたり、【ロキ・ファミリア】の力も出鱈目だ。

 

「しておぬしから見てどうじゃ、クリリンという男は」

 

 ガレスは直截(ちょくせつ)に問う。

 

「私はクリリンさんとの付き合いはまだ浅いのですが、そうですな……」

 

 少し考えてから農夫は言葉を継ぐ。

 

「神様みたいな人間、といったところですかな」

 

「むう!?」

 

 これにはガレスも、そしてアキも呆気にとられる。

 それを受けて農夫は静かに笑う。

 

「言葉足らずで申し訳ないですな。これでは神なのか人なのかわかりません。しかし私がクリリンさんに抱いた印象はこのようなものです」

 

「う~む、お互い仮初めの姿とはいえ真の神を知る身。それでも彼の男は神に見えたか」

 

「苦労してこられたのでしょう。万物(もの)の捉え方が私のような者とはまるで違う気がします。一度、彼の後ろに立ったことがありますが、背中から見つめ返されたように感じましたよ」

 

 なにそれこわい、とアキは内心そう思う。

 

「ふうむ」

 

 ガレスは考え込みそうになるも、すぐに顔を上げる。

 

「うむ、ついつい話し込んでしまったの。どうじゃ、このあと呑みにでも行かんか」

 

 農夫の返す言葉は、突如丘の方から吹いた風にかき消される。

 驚く農夫の横で、ガレスとアキは遠い目になる。

 

「……ただの風ではありませんね。魔力の気配がします。これは一体……?」

 

「あーすまん、呑みに行くのはまたにしようかの。この風はよう知っとるもんでな」

 

「それは構いませんが」

 

 農夫の言葉が終わらぬ内に、丘の向こうで竜巻が起こる。竜巻は上空まで達し雲をも巻き込んで、猛烈な速度で丘を薙ぐ。およそ天変地異だった。

 

「ニ"ャッ!?」

 

 衝撃のあまり思わず地が出たアキは、ハッとしてコホンと咳払いする。

 あれは自然現象の竜巻ではない。農夫の言う通り魔力によって引き起こされた現象だ。

 アキもガレスも、あの竜巻の中心にいるであろう人物にすごく心当たりがある。

 こんなところで試し打ちもあるまい。彼女があの技を向けるほどの相手も自ずと絞られる、というかアキの中ではほとんど答えは出ていた。

 

「派手にやっとるの。では儂らはあの丘に向かうとするか」

 

 ガレスは農夫に暇を乞い、アキと共にこの場を離れる。

 農夫は二人の背中を見送りながら静かに微笑んだ。

 

「ふふ、これはクリリンさんがまた何かを惹き付けたのですかな」

 

 世界の中心オラリオ

 

 オラリオの熱狂をいつも離れた場所から見てきた農夫は、クリリンが来てから此方(こっち)重心がずれて世界が傾いているような、そんな心象を描くのだった。

 

 

 ◆◆◆

 

 

「アーイズッ!」

 

「あう」

 

 ティオナがアイズの背中におぶさる。が、消耗しているアイズは耐えきれず二人して地面に倒れこむ。

 

「ご、ごめんねアイズ。だいじょーぶ?」

 

 ティオナはぴょいっとアイズの背から跳び退いて助け起こす。

 ティオナの手をとって身を起こしたアイズは、背後から怒気を感じて背筋が伸びる。

 アイズは無表情のまま顔色だけがサーッと青白くなる。

 

「アイズ」

 

 そんなアイズの顔を後ろから回り込むようにして覗く彼女は

 

 

 まさしく【怒蛇(ヘビ)】だった。

 

 

 一目ではニコニコしているが目は笑っていない。怒っているときの団長(フィン)にそっくりだ。黒く艶やかな髪があるはずのティオネの頭部に、アイズは無数の蛇を幻視した。

 

 遠い目をしながらフルフル震え始めるアイズを見て、ティオネはため息をつく。

 

(表情が明るくなってるわね)

 

 アイズの目元や口元の微かな弛みからティオネはそう判断する。

 

「こら」

 

「きゃん」

 

 ティオネにこづかれてアイズは小さく悲鳴を上げる。

 

「団長と約束したでしょ?がまんできなかったの?」

 

「ごめん。でもクリリンは戦ってもいいって、落とし物を一緒に探してくれるって言ってくれた」

 

「うん?」

 

 嬉しそうにそう言うアイズに、ティオネは首をかしげる。

 アイズの言葉を斟酌(しんしゃく)して何があったか推し量る。どうやらアイズがクリリンと交わした約束は団長(フィン)の目論みであるクリリンとの友好関係の構築、その先にある技術の協力を受けるという点について決してデメリットではなさそうだ。

 

 ティオネはちらりとクリリンの方を見ると、満面の笑顔をしたティオナがクリリンの手をとってぶんぶんと勢いよく上下に振っている。

 おい、バカ妹。とティオネは内心毒を吐く。あれは笑えない。クリリンじゃなかったら肩ごと腕が引っこ抜ける勢いだ。まあクリリンはさすがというか、びくともしていないが。

 逸れた思考を戻しクリリンを窺う。ティオナの距離の詰め方に多少戸惑っているようではあるが、特にこちらに不快感や不満がある様子はない。

 

(口約束とはいえ、団長を通さず他派閥の大物と約束を交わしてしまったのは問題だけど、手ぶらで帰るよりはマシ、かしら)

 

 ティオネはとりあえずアイズの件に関してはそう結論した。

 残る問題は一つ。

 

 

「おい、クソ狼」

 

 アイズに向けたものとは比較にならないほど冷えきった目で狼人(ウェアウルフ)の青年を睨み付ける。

 

「団長の話聞いてただろ。いきなり蹴り入れやがって。バカかてめえは」

 

 怒りのあまりティオネの口調が素になる。

 

「バカはてめーだ。仲間が戦ってんだ、加勢するに決まってんだろ」

 

 ベートは尊大な態度でティオネを見下ろす。

 

「状況みて行動しろっつってんだよ」

 

「状況だぁ?目ぇ腐ってんのかクソ女」

 

 ベートはわざとらしく辺りを見回す。

 ようやく土煙が晴れて、まるで巨人が引きずられたかのような跡があらわになる。

 凄まじい戦闘の跡だった。地上の猛獣が百体集まって暴れたとしても、こうまでひどくはなるまい。

 

「アイズが『風』全開でぶつかるほどの()()()()()がまだ立ってやがった。予断なんざ許される状況じゃねえ。追撃は当然だろ?」

 

 ベートは自身の行動の合理性を主張する。

 もちろんベートはアイズの相手がクリリンであろうことはおおよそ推測できていた。それでも絶対にそうだと言い切れなかったのは確かであるし、極限の状況では一瞬の躊躇が命取りになるのは間違いない。

 そもそもベートは、ティオネとは違いクリリンと面識が無かった。

 

「ほざくな、クソ狼。畑に足を向けた時点で相手が誰なのかは予測ついただろうが」

 

 何もわからぬ状況ならばベートの言い分も理はある。しかし、それをこの場に持ち出すのは屁理屈であるとティオネは断罪する。

 

「状況だの予測だの、戦闘狂がフィンの真似事かよ?」

 

 その暴言にティオネの目が見開かれる。瞳は既に光を失っていた。

 

「でかいクチ叩いて、やった攻撃があのナマクラか?」

 

 今度はベートが怒りに燃える。鼻にしわが寄り、尾の毛が逆立つ。

 

 二人のレベル5が黙る。

 緊張が高まっていく。

 少し離れた木立から、鳥たちが我先にと飛び立っていく。

 

 

「なんだ、どうしたんだあいつら」

 

 ティオナに両手を握られたまま、クリリンは呟く。

 どうも自分に攻撃した彼をティオネが咎めているようだが、少々行き過ぎではないだろうか。誤解されうる状況であったし、彼の行動はやむを得ないものだったであろう。同胞や畑に被害が出ればまた別の話であるがそんなこともないので、現状クリリンは気にしていなかった。

 

 ちなみにクリリンがティオナを前に昨日ほど驚かなかったのは、ティオネに比べて起伏が控え目であったからだ。賢明なクリリンはもちろん、そんな思いを(おもて)には出さなかったが。

 

「あーごめんね?あいつベートっていうんだけど性格があんなだからさ、あたしやティオネとはよくぶつかるんだ」

 

「別にいいけどよ。ティオネってあんな感じだったか?昨日会った時はしおらしかったけど」

 

「ぶふっ!?」

 

 クリリンの言葉にティオナは吹き出す。

 

「あははっ!クリリン、ティオネは今の方が素だよ。しおらしかったのはクリリンが強くてビックリしたのと、フィンの傍にいたからだと思うよ!」

 

 そう言ってティオナは笑う。クリリンもティオナも、怒れる二人を前にして余裕の振る舞いだった。ティオナの横にいるアイズもオロオロしてはいるものの、ベートらに対して恐怖は無い。

 

 

(こ、怖い……)

 

 一方、ガクガク震えているのはレフィーヤだった。

 レフィーヤがいるのはクリリンたちから数歩下がった位置だ。

 レフィーヤであるが、ここまで来たはいいもののアイズに話しかけるのはティオナに先を越され、だんだん冷静になってくると自分は場違いに思って一人で勝手にいじけ始め、そうこうしている内に雲行きが怪しくなり──

 

 今、レフィーヤの視線の先には、猛り狂う二体の怪物がいた。

 冷や汗ダッラダラである。

 あの怪物たちの至近距離にいる三人は顔色を変えずにおしゃべりしている。一体どういう神経しているのか。ますます自分が場違いに感じるレフィーヤであった。

 

 レフィーヤの傍には【デメテル・ファミリア】の女たちがいる。

 この場で最も安らげるのは彼女たちのところだ。エプロンドレスが可愛いというのもレフィーヤ的にポイントが高い。

 尚、守護神のごとく彼女らの後方に立ち、重厚な存在感を放つ馬については見ないフリをする。

 

「大丈夫ですか?【千の妖精(サウザンド・エルフ)】さん」

 

 三つ編みの少女が遠慮がちにハンカチを差し出してくる。レフィーヤがエルフだからだろう、距離をはかりながら接してくる。それでもこちらを気遣うあたり、少女の人の良さが感じられた。

 

「レフィーヤでいいですよ。ありがとうございます、ハンカチお借りしますね。洗ってお返ししますから」

 

 他の種族を遠ざけがちなエルフであるが、そんなエルフばかりではないと言わんばかりにレフィーヤは笑顔を向ける。

 

(あ……このハンカチ、花の匂いがする)

 

 森の子であるレフィーヤの心が花の香りに安らいでいく。気分も落ち着いてきた。周囲を見渡す余裕が出来たところで、婦人が目に入る。

 

「えーと、そちらの方は大丈夫なんでしょうか」

 

 

 この場にいるもう一人の【デメテル・ファミリア】団員。ベートと同年代であろう婦人は──

 

 

 石化していた。

 

「お姉様ですか。魂が抜けかけていますね」

 

「大丈夫なんですか!?」

 

 レフィーヤはぐるりと首を回して少女に問う。

 

「【凶狼(ヴァナルガンド)】さんと【怒蛇(ヨルムガンド)】さんの気に当てられたのでしょう」

 

「ああ……なんというかすいません」

 

「お姉様は薄幸の美女。これまでに何度も死にかけましたし、逆境に何度も心を折られてきました。臆病ですし突発的なことには弱い。ですが」

 

「……」

 

 芝居がかった口調になる少女だが、レフィーヤはじっと次の言葉を待っていた。

 

「お姉様は何度でも蘇る」

 

 レフィーヤはあらためて婦人を見る。少女が言う通り、だんだんと顔色が戻ってきている。

 

「お姉様は何度も屈します。そしてその度に立ち上がります。そんなしなやかな強さを秘めた人なのです」

 

「すごい人、なんですね」

 

 婦人に魂が戻り始める。復活の時は近い。

 

「それはそうとレフィーヤさん、サインもらえますか」

 

「この状況で!?お姉様の扱いが雑では!?まあいいですけど!私でよければいくらでもサインしますけども!!」

 

 少女の手帳にレフィーヤは豪快にサインする。やけくそである。

 やけくそついでに、レフィーヤは少女に聞いてみた。

 

「……でもなんで私なんですか?ここにはアイズさんや他にもすごい人達がいるのに」

 

「え、あの方たちの凄さは頭おかしいレベルですし」

 

「言い方!?」

 

 レフィーヤが突っ込むも、事実なだけにいまいち切れ味が鈍い。

 

「レフィーヤさんだって私からすればすごい冒険者なんですけど、等身大なんですよね。泣いて笑って悩んで足掻いて。普通の女の子のような感じがして親近感が湧いてしまって」

 

「えぇと、うぅ~そんなこと言われたの初めてですよう」

 

 嬉しいやら照れるやらで、レフィーヤはくねくねと体をよじる。しかし、レフィーヤは気付く。

 

「………あの、泣いて笑ってとおっしゃいましたが」

 

「ええ、よく街中で【剣姫】さんに熱い視線を」「あああああああ……!!」

 

 レフィーヤは羞恥に沈み、四つん這いになって大地に何度も拳を叩きつける。

 

「ああ、そういうところも親近感が湧きますね」

 

「だまらっしゃい!!」

 

 がばっと頭を上げてレフィーヤは叫ぶ。羞恥が振り切って口調がおかしくなっている。

 

「レフィーヤさん、かわいい」

 

「く、くそう」

 

 レフィーヤは少女に振り回されていた。ほぼ自滅であったが。

 少女がレフィーヤに手を差し伸べる。

 

「レフィーヤさん、お願いがあります」

 

「………なんですか?」

 

 レフィーヤはぶすっとしながら、潤んだ目で少女の手を見つめる。

 

「【剣姫】さんと協力してこの場を収めてほしいのです」

 

「え?」

 

「私のようなかよわい農夫には、これ以上ギスギスした空気は耐えられなくて」

 

「あなた!どの口が言いますか!?」

 

 ほうっと悩ましげにため息をつく少女に、レフィーヤは全力で抗議する。

 

「ですから、【剣姫】さんと協力してあのお二人を止めてほしいのです」

 

「な、なぜアイズさんと私が」

 

「私の情報ですと、【凶狼(ヴァナルガンド)】さんは【剣姫】さんに弱いのです。レフィーヤさんも覚えはありませんか?」

 

「あなた、本当に何者なんですか!?」

 

 動物と心を通わせる少女の情報網はなかなかに広い。

 

「この場は【凶狼】さんを引かせれば収まる可能性が高いです。しかし対人能力(コミュニケーション)が絶望的な【剣姫】さん一人ではとても無理です。そこで!出番です、レフィーヤさん!」

 

「あなた、容赦ないですねえ!?」

 

「いいですかレフィーヤさん。事態は一刻を争います。今はクリリン兄さまも他派閥のことだからと様子を見てますが、いざ動き出せば誰にも止められません。この丘が平地になることだって十分ありえますよ」

 

「それは言い過ぎぃ!」

 

 言い過ぎでも無かった。

 

「レフィーヤさんは誰かのためなら勇気を出せる人です。さあ、私たちを助けると思って」

 

「……もうっ。はいはいわかりましたよ、行ってきますよ!」

 

 ずっと差し伸べられていた手をとって、レフィーヤはようやく立ち上がる。レフィーヤは気付いていた。この少女が前に進む「理由」を作ってくれたことを。

 

(ありがとうございます)

 

 心の中で少女に礼を言うと、前方を見据えてズンズンと大股で歩く。

 

「アイズさん!」

 

「!レフィーヤ」

 

 名前覚えててくれた!と有頂天になりそうなのをレフィーヤは必死で堪える。

 

「ティオネさんとベートさんを止めます。手伝ってもらえませんか!?」

 

「うん、わかった」

 

 レフィーヤの勢いに気圧されながらもアイズはしっかりと頷く。

 

「ちょっとーあたしも仲間に入れてよー」

 

 ティオナが慌ててレフィーヤに加勢する。

 

「というわけでクリリンさん、ちょっと行ってきます!あ、私はレフィーヤといいます。以後、お見知りおきを!」

 

「お、おう。まあ頑張ってな」

 

 気合が入ったレフィーヤを前に、さすがのクリリンも少したじろいだ。

 

 アイズとティオナを味方に付け、レフィーヤはベート達の方を向く。

 蛇と狼が凄い形相で睨み合っている。こんな険悪な空気でよく場がもったものだ。

 

「お二人とも!今は喧嘩をやめてください!」

 

 レフィーヤは腹から声を出す。

 

「レフィーヤ?」

 

 ティオネは呆気にとられる。この状況に割って入ってくるのがレフィーヤだとは思わなかった。今日のレフィーヤには驚かされるばかりだ。

 

 一方、ベートは───

 

 

「誰に口きいてんだ、ノロマ」

 

「うっ!?」

 

 ベートは鋭い目でレフィーヤを見下ろす。その眼光を受けただけでレフィーヤは全身がこわばる。言葉に詰まる。

 理由をもらって勇気をふりしぼって前に進んだはずだった。

 

 しかしその先で待ち受けていたのは、()()だった。

 

 レフィーヤは改めて思い知る。次元が違う。目の前の存在を御するなど不可能だ。

 

 一瞬で気勢を()がれ恐怖に震えるレフィーヤをベートは嗤う。

 

「ざまあねえ。ノロマがノロマのまま───雑魚のままこっちに来るんじゃねえ」

 

「────ッ!」

 

 突き付けられた現実に、レフィーヤの表情が歪む。

 場違いだと何度も自分に言い聞かせていた。それでも今日の自分は浮かれていた。身の程を弁えず彼らの領分へ立ち入った結果がこれだ。

 夢から覚めた。レフィーヤは自分がひどく恥ずかしかった。

 

 涙ぐむレフィーヤの傍で怒りに燃えるのはティオナとティオネだ。そして平常、感情の起伏に乏しいアイズまでもが眉をひそめている。

 

 空気は決裂した。

 

 

 これはもうダメかもしれないと、いよいよクリリンが思い始めた時だった。

 

 

 

「そこまでだ、おまえたち」

 

「───!?」

 

 レフィーヤの背後に、エルフの貴人が(そび)え立っていた。

 王の血を継ぎ、種族の、世界の頂点に君臨するその者の名は

 

 

 

 リヴェリア・リヨス・アールヴ

 

 

 

「リヴェリア!?いつからいたのよ!」

「チッ……いたのかババア」

 

 突如現れたリヴェリアにティオネは目を丸くし、ベートは悪態を吐く。

 

(うへえ、()()()すっげえ美人じゃねえか)

 

 誰にも気取られず姿を現したリヴェリアに、唯一クリリンはその存在に気付いていた。

 丘の起伏の影に潜んでいた存在が、しかしこれほどまでに美しいとはクリリンも思わなかった。

 アイズたち【ロキ・ファミリア】、そして【デメテル・ファミリア】の女たち。美女と美少女しかいないこの場にあって、リヴェリアの美しさは際立っていた。その美しさはどんなに言葉を尽くしても、到底語れるものでは無い。

 

 そのリヴェリアを畏れ多くもババア呼ばわりしたベートの脳天に、彼女の杖が振り下ろされる。

 

「痛ってぇ!?」

 

 涙目のベートが鋭く睨むも、さすがにリヴェリア相手では分が悪かった。目が潤んでいるせいで多少は鈍くなっているが、それでもレフィーヤには刺激の強い眼光だ。しかしリヴェリアはそれを軽く受け流すどころか、逆に睥睨する。

 

 

「───ずいぶんと恥を晒してくれたものだ」

 

 リヴェリアの怒気が場を支配する。ベートもティオネもアイズも、【ロキ・ファミリア】全員が押し黙る。

 

「ベート、おまえはただクリリン相手に力を試したかっただけだろう」

 

「けっ」

 

 リヴェリアの言葉に、ベートはそっぽを向くだけだった。

 

 

「なあ、あいつやっぱり偉いやつなのか?」

 

 クリリンは馬の所に行き、少女に尋ねる。

 

「それはもう!【ロキ・ファミリア】の副団長さんですから!ああ、まさかこんなに近くでご尊顔を拝することができるなんて」

 

 うっとりする少女に、クリリンと婦人は苦笑する。次々と現れる大物に、はしゃぎっぱなしの少女である。

 

「えーと、ちょっと見ない間にずいぶんやつれましたね」

 

 クリリンは婦人を気遣う。度重なる心労で婦人はすっかり痩せこけていた。

 

 しかし、婦人の心労はまだ終わらない。

 

「まだ二人、大きめの気配を持った奴らがこっちに来てるんですけど」

 

 とても気の毒そうにクリリンが言うと、婦人はグハッと見えない何かを吐き出したっきり動かなくなった。

 

「大丈夫ですよ。これでお姉様もけっこう楽しんでいますから」

 

「そ、そうなのか?」

 

「こまめに発散するのがストレスを溜めないコツです!」

 

「お、おう」

 

 水を噴いたり石化するといったリアクションは、婦人なりのストレス軽減策らしい。

 もう納得することにしたクリリンである。

 

 

 

「もし、よろしいか」

 

「ん?」

 

 声のした方にクリリンは顔を向ける。少女が目を輝かせ、婦人はごくりと喉を鳴らす。

 

 

 幽玄の美を湛えた女がクリリンに臨む。

 

 おおう、とクリリンは思わず声をもらす。見れば見るほどに惹き付けられる。

 アイズが女神と見紛う美しさというならば、女の美は女神をも超えていた。

 

 容姿だけではない。

 その眼差し、その佇まい

 体幹から指先への流れるような所作

 全てが極まっていた。

 

 

 

「部下たちが失礼をした」

 

 

【ロキ・ファミリア】副団長にしてオラリオ最高の魔道士

九魔姫(ナイン・ヘル)】リヴェリア・リヨス・アールヴがクリリンに名乗る。

 

「へ?あ、いや、別にいいさ」

 

 リヴェリアに見蕩れていたクリリンは、つっかえながら言葉を返す。

 

 リヴェリアは後方のアイズを一瞥する。日に日に不穏さを増すばかりだったアイズから、すっかり憑き物が落ちていた。アイズはきっと歩き始めたのだ。陽の当たる方へ───

 

「アイズのことは───感謝を」

 

 そう言ってリヴェリアは腰を折る。洗練された振る舞いに誰もが言葉を失う。

 その言動に虚飾は無く、その思いは真っ直ぐに届く。

 

(お、重いのです。【ロキ・ファミリア】ナンバー2の感謝は、もの凄く重いのです……)

 

 リヴェリアのような迫力のある美女に礼を尽くされるのは、凡人には心臓に悪い。感謝されたのが自分ならば誇らしさを感じるより畏縮してしまう、そんなことを少女は見ていて思った。

 

「まあ、世界が滅びなくてよかったな?」

 

 通じるかもわからない戯言をクリリンは返す。

 しかしリヴェリアにも思うところがあったのか、ふっと笑って口を開く。

 

「全くだ。そうなるとそちらはこの2日で二度も世界を救ったことになるな」

 

 クリリンもリヴェリアもお互いに遠慮が無くなってくる。ただ、二人の言葉は冗談と笑い飛ばせない真実味があった。

 

 リヴェリアはクリリンの後ろに控える馬を見る。

 その実力はレベル7相当。

 しかし真に恐ろしいのは、射程だった。

 リヴェリアの予想、いや勘に近いが、この馬はおそらく広範囲殲滅型の攻撃手段を持っている。地下迷宮(ダンジョン)でも厳しい相手だが、地上が戦場になれば悪夢にしかならない。まともに対抗しようとするなら高位の魔道士を多数動員しての打ち合いになるだろう。そして辺りは灰塵と化し、(おびただ)しい数の犠牲者が出たはずだ。

 それでも勝てるとは限らない。

 例えば今ここにいる【ロキ・ファミリア】の幹部勢で馬に対抗しようとしても、勝機はほとんど見出だせなかった。

 あるいはフィンやガレスがいれば───

 

 ふとリヴェリアは気付く。クリリンの目線が動いた。それを追ってリヴェリアもそちらを向く。

 

 婦人や少女も気付いた。

 丘の向こうから二十を超える人々がやってきている。

 その集団の先頭に立っているのは男だった。

 目を引くのは男の肩幅や胴回りである。見る者に重厚な印象を抱かせるそれは、凡人とは骨格からして違う。

 隣にいる猫人(キャットピープル)の美女もかなりの達人のようだ。()()う誰かに(なび)く女には見えない。しかし女は当然のように男に付き従っていた。

 男は大地を踏みしめて此方(こちら)へやってくる。

 男の歩く姿は、まるで巨大な岩が音を立てて動いているかのような威圧感(プレッシャー)を周囲に与え続けていた。

 

(ああああ………!クリリン兄さまが言っていたのは、あの方々でしたか!)

 

(それよりも皆さん、何をしているんですの……)

 

 男たちの後ろにいるのは【デメテル・ファミリア】の農夫たちだった。皆が食べ物やら酒瓶やら敷物やら持ち込んでいる。まさかここで客人を巻き込んで宴会でもする気ではなかろうか。

 

 

「そうか、おまえたちは任務でここにいたか」

 

 リヴェリアが男たち二人に声をかける。

 

「ところでガレス、それにアキ。おまえたちはなぜ口をモゴモゴさせているのだ」

 

 リヴェリアはわかっていて二人に問う。

 

 ガレス・ランドロック

 アナキティ・オータム

 

 二人の実力者、その手には野菜や肉が刺さった串が握られていた。

 なんか食べてる、いいなーとアイズやティオナはリヴェリアの後方から二人を覗き見ていた。

 

「んぐッ!?……げほっげほっ」

 

 リヴェリアにじとっとした視線を向けられた女、アキは口の中の物が喉に詰まってむせる。

 

「そこで彼らに会っての、ちょいとつまませてもらったんじゃよ」

 

 のう?と農夫たちを振り返った男はガレス。

 

「すいませんリヴェリア様!つい……」

 

「まあいい。先方の厚意を無下にすることも無いからな」

 

 リヴェリアはため息をつく。そして【ロキ・ファミリア】の面々に言う。

 

「おまえたち、引き上げるぞ」

 

 リヴェリアから指示が下った。

 

「えぇ!?」

 

「……もうちょっと戦いたい」

 

 すぐさま反応したのはティオナとアイズだ。

 

 

 その手には串が握られていた。

 

 

「おまえたち……」

 

 

 いっそう大きなため息がリヴェリアから漏れる。

 アイズとティオナは瞬時にガレスたちの傍に移動、ちゃっかり食べ物に有り付いていた。アイズたちだけでなく農夫たちの視線まで浴びて、さすがのリヴェリアも居心地が悪い。

 

「それを食べたら帰る支度をしろ。それとベート」

 

 リヴェリアはキッと後方のベートを見る。

 

「その殺気を抑えろ」

 

「無理だな。極上の獲物が目の前にいるんだ。抑えられるわけがねぇ」

 

 ベートは舌舐めずりでもしそうな顔貌(かお)で、リヴェリアの言葉をはねのける。

 

「次は無い。下がれ」

 

「どけ()()()()()、俺が通る」

 

 リヴェリアは小さく舌を鳴らす。こうなったら止めるのは骨だと覚悟を決めた。

 

「ベート!いい加減にしなさいよ!それにクリリンが相手じゃ、アンタ死ぬわよ!?」

 

 ティオネが叫ぶ。

 その言葉には重みがあった。

 この場でクリリンとオッタルの戦いを目にしたのは【ロキ・ファミリア】ではティオネだけだ。

 だから言える。ベート一人では絶対に勝てない。

 否、ここにいる全員──あの馬も含めて──でかかってもまず勝ち目は無い。

 まあクリリンのことだ、戦うにしても加減はしてくれるだろう。本当に殺されるとは思っていないが。

 

「くっくくっ……」

 

「なに笑ってんだクソ狼」

 

 リヴェリアが現れたことでいったんは引っ込めたティオネの素性がまた顔を出す。

 

「相手が強ければ強いほど燃えるのが『冒険者』だろうが。テメーの腑抜けっぷりには殺意が湧くぜ。あの野郎の前にテメーをぶっ殺してやろうか!?」

 

「!!」

 

 ベートの眼光にティオネが気圧される。ベートとティオネの戦闘力はほぼ同等だ。ベートがどれほど威勢を張ろうと、ティオネが臆すことなど無い。平常ならば。

 

 リヴェリアは気付く。

 

(そうか、今夜は────)

 

 

 今夜は月が真円を描く時

 

 

 リヴェリアが東の空に目を向ける。

 月が在った。

 月が夜を連れてやって来た。

 地上を照らす太陽を飲み込まんとして。

 

(これは厄介なことになった)

 

 今日何度目になるかわからないため息をリヴェリアはつく。

 

 

『獣化』

 

 身に眠る獣性と力を解放することで能力を格段に向上させる、獣人だけが持つ特性。

 そして月が真円を描く時こそ彼ら狼人(ウェアウルフ)が本領を発揮する時。

 その強さは、平常の比ではない───!

 

 月が頂天に近付くほどベートの獣性は増す。

 

 いったんは怯んだティオネであったが、沸沸(ふつふつ)とベートへの怒りがこみ上げてくる。

 

「上等だぁ犬ッコロ!!(はらわた)引きずり出してやるッ!!」

 

 ついにティオネがキレた。

 

 

 

「キレたの」

 

「キレちゃったね。でもホントここまでよく持ったよ。奇跡だねー」

 

「二人とも食べてる場合!?早くリヴェリア様を援護しないと!」

 

 鷹揚に構えるガレスとティオナに、アキが慌てる。

 

「レフィーヤ、大丈夫かな……」

 

 完全に逃げ遅れたレフィーヤが戦場の真ん中で今にも泣き出しそうになっているのを、アイズだけが気にかけていた。

 

 

 

 ◆◆◆◆

 

 

「クリリンさん、この串そろそろ食べ頃ですよ」

 

「お、頂きまっす」

 

【ロキ・ファミリア】が荒れに荒れているその時、クリリンは網の上の串に手を伸ばしていた。

【デメテル・ファミリア】は手慣れていた。馬の傍に陣取り、目にも止まらぬ早業でバーベキューの準備を終えた。下ごしらえは済ませてあるようで、炙った串はどんどん仕上がる。

 串を頬張りながら敷物の上に腰を下ろし、馬の脚の間からクリリンは先方の様子を窺う。ベートとティオネの争いが再燃したようだ。なんとなく自分をめぐって対立していることはクリリンにもわかる。しかし同胞たちに囲まれて、クリリンの精神(こころ)は既に帰宅していた。

 

「折角ですから、【九魔姫】さんたちにも召し上がって頂きたいところですが」

 

 あっちの四人は今それどころではない。

 

「オレが止めに入ってもいいですかね」

 

 クリリンが婦人を窺う。

 

「クリリンさんにご負担をおかけしてしまいますが、それが一番早いかと」

 

 リヴェリアのところにガレスたちが駆け付けたが、好転する兆しは無い。

 

「オレは別にいいんすよ。あのベートって奴と戦っても」

 

 アイズとの戦いは中断している。アイズはまだやる気みたいであるし、再開ついでにベートたちを参加させても構わないとクリリン自身はそう考えているのだが。

 

「ただこれ以上騒ぎを大きくしちゃって、みんなに迷惑かけちゃうのはどうかなあ、と」

 

(当たり前のようにレベル5を複数相手取るつもりでいらっしゃるのは、流しておきましょうか)

 

 オラリオにあるほとんどの派閥では、トップのレベルは2か3である。そんな中でレベル5とは、あの【ガネーシャ・ファミリア】においても団長クラスだ。

【デメテル・ファミリア】は当然ご多分に漏れず()()()()()()()2が最高になる。

 

(家族(ファミリア)では無く、デメテル様の眷族()としてなら、あの方がいますが)

 

 あの方でもレベル5には届かなかったはず、と婦人は顧みる。

 レベル5とはそれほどなのだ。

 ただし、いま視線の先にいる【ロキ・ファミリア】に関しては、レベル5どころかレベル6が三人もいるという(まこと)に厚い戦力を誇っていたりするのだが、これはトップ派閥の話であるから参考にしてはいけない。

 

 そんなことを頭の片隅で考えながら婦人は口を開く。

 

「実はあの子に頼んで、団長には状況を報告してありますわ」

 

 それで同胞たちがここへ集まってきたんだなとクリリンは理解する。

 婦人たちの視線に気付いた少女はブイッとピースする。婦人とクリリンもブイッとピースで返す。

 

「それで先ほど団長からの返事を受け取ったのですが、クリリンさんにお任せすると」

 

「やりましたね、クリリン兄さま!これでやりたい放題ですよ!」

 

「それでいいならそうするけどよ、昨日からけっこう大変だったろ?」

 

「嵐で耕地が壊滅した時に比べれば」

 

「あの時は大変でしたわね。備蓄を全部使い切りましたわ」

 

 少女と婦人が揃って遠い目をする。

 一見、牧歌的であっても、【デメテル・ファミリア】の歩んできた道は決して平坦では無かった。

 同胞たちと畑が無事なら、多少騒ぎになるぐらい【デメテル・ファミリア】にとってどうということはない。そもそもここはオラリオ(世界の中心)。オラリオの住人にとってお祭り騒ぎは年中行事なのだから。

 

「じゃあちょっと行ってくる」

 

 そう言って腰を上げたクリリンは、靴を履く。

 

「とうっ」

 

 直立の姿勢から、予備動作をほとんど見せずにクリリンは跳び立つ。

 その跳躍は巨身を誇る馬の背を優に越え、雲を突き抜け頂天に達する。

 

「!?全員この場から離れろッ!!!」

 

 地上にいたリヴェリアが異変に気付き鋭く叫ぶ。

【ロキ・ファミリア】の反応は早かった。全員が瞬時に後方に跳び、腕を交差して可能な限り身を縮める。

 

 くるくると回転しながらクリリンが地上に帰ってくる。そして───

 

 

 

 

 盛大に頭から墜落した。

 

 

 

 

 巨大なエネルギーが暴走する。

 轟音が丘じゅうを駆け巡り、衝撃波が全てを押し流した。

 地盤は(めく)り上がり、四方に亀裂が走る。

 

「ぐうぅ……!」

 

「い、いったい何が………」

 

 リヴェリアとアキが(うめ)く。

 何度となく襲いくる衝撃波に【ロキ・ファミリア】の誰もがまともに立っていられなかった。

 

 今までほとんど動きを見せなかった馬も、全身に力を(みなぎ)らせて余波を防いでいる。

 

 

 やがて土煙が収まり、視界が開けていく。

【ロキ・ファミリア】の面々が立っていたその場所は、衝突孔(クレーター)が口を開けていた。

 

 誰もが黙りこむ。

 

「!何かいる……!」

 

 そう言ったティオナが指差す先に、【ロキ・ファミリア】全員が注意を向ける。

 

 

 

 変わり果てた大地の中心に

 

 

 

 

 クリリンが頭から突き刺さっていた。

 

 

 

「うーん、うーん!!!」

 

 クリリンが手足をばたつかせる。

 

「………………」

 

 全員がまたもや黙りこむ。

 コメントに困る状況だった。

 

 

「………アイズ、ティオナ、出してやれ」

 

「うん」

 

「わかったー」

 

 リヴェリアの指示で二人は衝突孔を滑り下り、(あな)の底へ向かう。

 

「アイズは右足持ってー。あたしはこっち」

 

「うん………よいしょ」

 

 アイズとティオナが目を合わせて頷き、せーのでクリリンを引っこ抜いた。

 

 

 

 

 レフィーヤはそーっと孔の底を覗きこむ。

 腰が引けた。

 視線の先には、アイズたちに引き抜かれたクリリンがぺっぺっと土を吐き出していた。

 土にまみれた頭や体を(はた)きながら照れくさそうに笑うクリリンを見てレフィーヤは卒倒しそうになる。

 クリリンはピンピンしていた。

 

 先の衝撃はケタ違いの破壊力だった。レフィーヤはもちろんのこと、第一級冒険者揃いの【ロキ・ファミリア】の幹部たち全員が退避と防御に徹した。

 その光景を演出した張本人は消耗も損傷もしていない。

 つまりクリリンは余力を十分に残した状態で、先の事象を引き起こしたのだ。

 

 レフィーヤは少女の言葉を思い出す。

 

 ───動き出せば、誰にも止められない

 ───この丘が平地になることだってありうる

 

 

 現実だった。

 

 

(これが現実だというのですか?こんな力がこの世に……!)

 

猛者(おうじゃ)】を下し、アイズの全力を止めた力をレフィーヤは目の当たりにする。

 夢であって、欲しかった。

 

 

「うわあーーー!すっごーーーい!」

 

「ッ! ッ!」

 

 レフィーヤの頭の上から嬉しそうなティオナの声が聞こえる。

 

 上を見ると、いつの間にかクリリンがアイズとティオナを両脇に抱えて飛んでいた。

 

 これでもかと言わんばかりに見開いた目からレフィーヤの眼球が零れ落ちそうになる。エルフの例に漏れぬ恵まれた容貌も台無しだ。

 

「ほう、あれがフィンの言っていた術かの」

 

 ガレスが感心する。

 

「に、にに、人間が、空を、ヲヲヲ」

 

「気持ちはわかるけど、落ち着きなさいレフィーヤ。そういえばリヴェリア、クリリンのアレは魔法か何かなの?」

 

「………いや、魔力は感じない。なんなんだろうな、アレは」

 

 そうこうしているうちにクリリンが地上に戻ってくる。

 

「……………」

 

「……………」

 

 アイズとティオナを下ろしたクリリンが【ロキ・ファミリア】の面々と向かい合う。

 

「うちの団員からの伝言なんだが」

 

「何ごとも無かったかのように話し出した!?」

 

「こらこらレフィーヤってば、じゃましちゃだめだよー」

 

「むぐぅ!?」

 

 突っ込まずにはいられなかったレフィーヤの口を、音もなく背後に回り込んだティオナが優しくふさぐ。

 

「こほん、あー伝言なんだが、せっかくだからおまえたちもメシを食っていけと」

 

「へ?」

 

 今度はアキから気の抜けた声が漏れる。

 誰もが返答に躊躇(ためら)う中、最初に食い付いたのはベートだった。

 

「おもしれえ。ならクリリン、テメェを食い尽くしてやるよ」

 

「なっ、ベート口を(つぐ)め!」

 

 ベートはすっかり()()()()()()()()。今のベートを力づくで止めるのはリヴェリアでは無理だ。ガレスが止めに入ろうとするが───

 

「ああ、やれるもんならやってみな?」

 

 煽るようなクリリンの返答に場が凍りつく。クリリンとの関係悪化を避けたかったリヴェリアやティオネ、アキは特に焦っていた。

 それに最悪ベートを失う恐れだってある。問題児ではあってもベートは【ロキ・ファミリア】にとって重要な戦力であることに違いないのだ。

 

【ロキ・ファミリア】の動揺を知ってか知らずか、クリリンは呑気に話を続ける。

 

「さっきの続き、アイズはまだやりたいか?」

 

「! うん、まだ私、クリリンの攻め手を見てない」

 

 アイズもまた、クリリンに食い付く。

 

「アイズ、おまえ何を」

 

 リヴェリアが慌てるもクリリンがフォローする。

 

「ああ別に気にしなくていい。戦うのが息抜きになるならって、誘ったのはオレだから」

 

(見ていたからそれは知っているが)

 

「で、今のおまえらを見ると、とてもメシ食うって感じじゃないから、ま、オレがメシの前の軽い運動に付き合ってやると、そういう話だ」

 

「えーと、ちょっといいですか」

 

 クリリンの話を聞いて、アキがおずおずと手を挙げる。

 

「もしかしてクリリンさん、一人でうちの幹部二人を相手にするつもりですか」

 

「そのつもりだけど?ああ、別にそっちの姉ちゃんもやりたいなら交じってもいいぞ」

 

「え!?い、いや私は遠慮しておこうかな、なんて」

 

 アキのしっぽがへにゃりと垂れる。

 

「はいはーい、あたしもやる!いいでしょ?」

 

 ティオナが元気よく手を挙げる。

 

「おう、いいぜ。じゃあやるのは三人でいいか?他にいないか?」

 

【ロキ・ファミリア】を前に実に強気な発言である。クリリンの言葉で無ければ与太話も度が過ぎている。鼻で笑うところだ。

 

「おい、おまえたち勝手に」

 

「まあいいじゃろう、リヴェリア」

 

 困惑するリヴェリアにガレスが言う。

 

「フィンが心配したことにはならんじゃろうて。あやつらのやりたいようにやらせておけばよかろう。なに、若い者の尻を拭うのが儂らの役目ではないか」

 

「むぅ……」

 

 リヴェリアもわかっていた。こうなってはクリリンに任せるのが一番であると。

 

「ティオネもやろうよー」

 

「えぇ!?私はいいわよ……」

 

「へっ、ほっとけ。どうやら昨日クリリン様が猪野郎をぶっとばすのを見てビビッちまったらしいぜ」

 

 ティオナの誘いを敬遠するティオネを、ベートが嗤う。

 

「……いいだろう、クソ狼。テメエの挑発にノッてやる。囮にしてやるから、せいぜい間抜けに踊ってろ」

 

「……」

 

 ティオネとベートが睨み合って火花を散らす。

 

 これで四人の挑戦者が揃った。

 レフィーヤは、四人の立つ場所がやけに遠く感じた。

 あの四人は、さっきのクリリンのダイナミック着地に対して何とも思っていないのだろうか。

 誰も彼もが、頭のネジが吹っ飛んでいるように見えてしまう。

 

 ふと、レフィーヤはティオナと目が合った。嫌な予感がした時にはもう遅かった。

 

「レフィーヤもこっち来なよー」

 

「いぃッ!?」

 

 ニコニコしたティオナが駆け寄ってきて、レフィーヤを引っ張っていく。

 

「いや、その、私はさすがに、戦力外では!?」

 

「そんなことないって!」

 

 そう言われて、レフィーヤはずるずるとアイズ達のところへ引き摺られていく。

 

「レフィーヤも戦うの?」

 

「アイズさん……わ、私は」

 

 私はどうしたいのだろう、とレフィーヤは悩む。ティオナに連れてこられた時にレフィーヤは本気で抵抗しなかった。

 でもこんな人外の果てで、いったい自分に何ができるというのか。

 

 伏し目のレフィーヤを、下からアイズが覗きこむ。

 

「……一緒にがんばろ?」

 

 ずっきゅーーーん

 

 上目遣いのアイズに、レフィーヤは爆発四散しそうになった。

 

「私たちでも勝てるかどうかわからない。クリリン相手じゃ何もできないかもしれない。………それでもできることをしなくっちゃ」

 

「───!」

 

 レフィーヤはハッとしてアイズを見る。バラバラになりかけた理性はなんとかつなぎ止めた。

 アイズはクリリンを見ていた。どこかずっと遠くを見ているような目で。手が届くかもわからないほどの遠くを見ているような目で。

 

 同じだ、とレフィーヤは思った。立つ場所は違えど、アイズもレフィーヤも目指す頂がある。

 違うのは、手を伸ばそうとするかしないか。憧憬(ゆめ)憧憬(ゆめ)で終わらせるつもりが無いかどうか。

 

 パァン、とレフィーヤは両頬を(はた)く。

 びっくりしているアイズに向かってレフィーヤは言う。

 

「私は私にできることをやってみます。どうぞよろしくお願いします!」

 

 暫しぽかんとしていたアイズが微笑む。

 

「うん、よろしくレフィーヤ」

 

「あたしたちがレフィーヤを守るから、一発大きいのお願いね!」

 

「そう言ってアンタ、いきなり突っ込まないでよね?」

 

 レフィーヤの決意に、アイズ、ティオナ、ティオネが笑顔で応える。

 

「けっ、やっと吠えやがったか」

 

 獰猛に笑ってベートはレフィーヤを見下ろす。

 負けじとレフィーヤはキッと見つめ返す。精一杯の強がりだった。

 

「チンタラやってんなら置いていく。せいぜい食らい付いてくるんだな、ノロマ」

 

 そうしてベートは標的(クリリン)に意識を持っていく。

 

 なーんでそんな言い方しかできないかなーと言いつつ、ティオナは地面に転がしてあった大双刃(ウルガ)をひょいっと持ち上げる。

 

 アイズが、ティオネが、次々と戦闘体勢に入る。

 そしてレフィーヤも、杖をしっかりと握り四人に続く。

 

 

 五人の視線が一人の人間に注がれる。

 レベル5が四体と、レベル3が一体。まともな神経をしていてはこの重圧にはとても耐えられまい。

 ────千人

 この五人が相手に与える圧力(プレッシャー)は、諸国の重装歩兵千人に匹敵する。

 

 そんな五人の戦意を一身に受ける男は

 

「ん、決まったか」

 

 全くびくともしていなかった。

 

「五人だな。よし、じゃあやるか。先手は譲る。おまえらの誰かが動き始めたらオレも動くわ」

 

 クリリンはぼけっと立っている。構えもしない。このままどこか散歩にでも行ってしまいそうだ。

 

「アンタたち、油断するんじゃないわよ?」

 

 ティオネが釘を刺す。

 

 アイズたち四人がガッチリと防御を固める。

 四人のレベル5による密集陣形。

 この隊形を崩せる者など、世界のどこを探してもいないように思える。

 

(そのはずなのに、どうして震えが収まらないの……?)

 

 陣の最奥で守られるレフィーヤの頬を冷や汗がとめどなく流れ落ちる。

 

(とにかく詠唱を……!?)

 

 

 そのとき前にいた四人は、視線の先に捉えていたはずのクリリンが消えていたことに気付いていなかった。

 それはあまりに自然で、目の前の事実に頭が追い付いていなかった。

 

「あ………あぁ…………」

 

 レフィーヤの呻きが聞こえてようやく四人の意識が現実に追い付いた。

 そして、もう遅かった。

 

 四人が一斉に、レフィーヤの方を振り返る。

 

 

 

 

 レフィーヤの喉にクリリンの指が一本突き付けられていた。

 

 

「ば、ばかな………ま、まるで見えなかった………!」

 

 ベートは愕然とする。

 

 クリリンはあっさりと四人の意識の外を潜ってレフィーヤを潰したのだ。

 

 

「ううう………」

 

 レフィーヤに突き付けられているのは、指一本。

 たったの指一本だ。

 しかしレフィーヤは理解していた。自分の喉はこの指一本で潰される、と。

 

「おまえが切り札だったみたいだからな、最初に潰すことにしたんだ」

 

 事も無げにそう言って、笑いながらクリリンは指を引く。

 同時に、へなへなとレフィーヤはその場に崩れ落ちる。

 血の気が引いた。

 心臓が早鐘を打つ。

 呼吸は浅く、荒い。

 吸っても吸っても満たされない。

 

「クソがあぁぁぁーーー!!」

 

 ベートが大地を蹴り飛ばしてクリリンのところに飛び込んでくる。

 ただでさえ速いベートの動きは、獣性が高まったことで手の付けようがなくなっていた。

 孤高の狼は、何人たりとも触れさせる気は無い。

 今のベートならば、あの銀槍を振るう「猫」に届き得た。

 

「ガッ!?」

 

 

 ベートの顔が苦悶に歪む。

 全てを置き去りにするそのスピードを、クリリンは足を止めたまま制す。

 リヴェリアやガレスですら残像でしか捉えられないベートを、クリリンは背を向けたまま裏拳で迎撃した。

 

 その拳は標的の顔面を弾き、吹き飛ばされたベートは地面を抉りに抉ってようやく止まる。

 

「とうりゃああああ!!」

 

 そこへティオナが大双刃をぐるんぐるんと振り回しながら突っ込んでくる。

 

 超硬金属(アダマンタイト)製の第一級武装〈大双刃(ウルガ)〉。

 

 威力は凄まじいが、あまりの重量に誰もが敬遠するその武器は、ティオナのためだけに存在する専用装備(オーダーメイド)

 

 そんな巨剣を軽々と振り回しながら突っ込んでくるティオナの様は、大河の氾濫を思わせる。

 飲み込まれれば、死あるのみ。

 これまで何百何千という怪物が、ティオナという怪物に飲み込まれた。全身が千切れ飛び、血飛沫をあげ、壮絶な最期を遂げた。

 

 激流は既にクリリンの目の前に迫っている。

 

 

 一瞬の出来事だった。

 

 荒れ狂う流れは、たった二本の指に()き止められた。

 

「ええぇーーー!?」

 

 クリリンの指が大双刃を摘まんでいた。

 

「んぎぎぎぎ…………!」

 

 ティオナが両手にありったけの力を込めて、巨剣の主導権を取り戻そうとする。

 

 が、動く気配が全くしない。

 

「ちょい」

 

「うぇ!?」

 

 クリリンが手首をちょっと捻ると、大双刃が跳ねてティオナが上空に投げ出される。

 

「うわあーーーー!?」

 

 ティオナの叫びが丘に響き渡る。

 

「あ、これ返す」

 

 空を見上げたクリリンが、ティオナに向かって大双刃を投げる。

 超重の巨剣が唸りをあげながら真っ直ぐに飛んでいく。

 アイズとティオネがゾッとする。しかし、見ていることしか出来なかった。

 

「────かふっ」

 

 空中で刃の平が直撃し、ティオナの体がぐらりと傾く。

 そして、そのまま墜落していった。

 

 

「……ッ!行くわよ、アイズ!」

 

「うん……!」

 

 

 アイズは再び『風』を纏い、ティオネと双方向からクリリンに襲いかかる。

 

 まず仕掛けたのはアイズだった。

 

『風』を纏った剣をクリリンに振り下ろす。

 天賦の才と気の遠くなる練磨の果てに辿り着いた、身の毛立つ一振り。

 それに『風』が上乗せされる。

 桁違いの威力は、既にレベル5の領域を超えていた。

 

「!!」

 

 そのアイズの剣技が、阻まれた。

 剣の柄を固く握った手が痺れる。

 軽く(かざ)したクリリンの手が、アイズの剣をまたも受け止めた。

 

 

 

 アイズは、しかしこれを想定していた。

 

 

 

 アイズの影から何者かがヌルリとクリリンの背後に滑り込んだ。

 

怒蛇(ヘビ)

 

 ティオネは瞬く間にクリリンの脚から背中、肩、首に絡みつき、さながら蛇のように締め上げる。

 

(お、オッパイが………)

 

 今にも関節を破壊されかねない状況にありながら、ティオネの双丘を背中に感じクリリンは鼻の下が伸びていた。

 そんな時にもアイズの剣は振るわれる。

 慌てて煩悩を退散させ、アイズの剣を捌く。

 

(クソッ!やっぱり全然手応えが無いッ)

 

 並みの手合いならとっくに全身を砕いている。が、やはりクリリンには通用しない。

 この状況でもアイズの剣を弄ぶ余裕ぶりだ。

 逆にこれ以上クリリンにしがみ付いていると此方(こちら)が危ないと、ティオネの戦闘勘が告げていた。

 一度離脱する。

 そうアイズに視線で伝えようとして────

 

 ティオネは衝撃で吹き飛んだ。

 

「かはっ────!?」

 

 

 ティオネは腹部で何かが爆発したかのような衝撃を受けた。

 意識が薄れゆく中で見たのはクリリンの背中。

 

 

 

 体当たり

 

 

 クリリンはティオネの重心を揺らしながら、わずかな体の弛みを利用して肩と背中でティオネを吹き飛ばしたのだ。

 

(ティオネのやつ、なんか慣れてたな)

 

 クリリンはティオネの対人戦闘力の高さが少し気になった。

 デメテルや同胞たちから聞いたところ、冒険者とは迷宮で怪物(モンスター)と戦うのだと教わった。怪物には人型もいないではないが、たいていは獣や鳥など動物のような姿をしているらしい。

 そんな冒険者が、高い対人戦闘力を当然に有しているとはクリリンも考えていない。

 

(まあティオネは戦闘種族(アマゾネス)って言ってたし、軍人とか傭兵の経験があるかもしんねえな)

 

 思考に耽りそうになったクリリンは、意識を戦場に戻す。

 

 

 レフィーヤ

 ベート

 ティオナ

 ティオネ

 

 既に四人が地に伏せた。

 

 戦場に立っているのはもうアイズとクリリンの二人のみ。

 

 仲間を失い攻めあぐねるアイズに向かって、クリリンはゆっくりと手を突き出す。

 

 クリリンの意図が読めないアイズは、『風』を全開にして防御に徹する。

 幾重にも重なる風の刃が、侵入しようとするクリリンの手を切り刻まんとする。

 

 絶対防御

 

 隙が見当たらない、ともすれば無敵にも思えるアイズの『風』

 

 しかしクリリンはそのアイズの『風』に、ほんの僅かな綻びがあることを見抜いていた。

 

「!?」

 

 クリリンはその乱れを突き、絶対の存在であった『風』の障壁を抉じ開ける。

 

 アイズは憮然として、『風』を破り眼前に迫ってくるクリリンの手をただ見つめることしか出来なかった。

 

 クリリンの手の形が変わる。

 親指で抑えつけることによって蓄積した中指のエネルギーを、一気に解き放つ技─────

 

 

 

 通称デコピンが、都市最強の男のデコピンが、【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタインの額に炸裂した。

 

 

 

 直撃を受けたアイズは轟音と共に後方に吹き飛んでいく。

 何十M(メドル)も吹き飛んで、ようやく静止したアイズは目を回していた。

 

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 ただひとり戦場に立つクリリンを、リヴェリアとガレスが見つめていた。

 

「ガレス」

 

「なんじゃ」

 

「実を言うとな……私はあの子たちなら、もしかしたらクリリンとも互角以上に戦えるかもしれない。そう思っていたよ」

 

「………」

 

「オッタルを下した男に、勝てる道理など無いのにな。それでもアイズたちなら────そんなことを思ってしまったよ」

 

「気持ちはわからんでもないの……」

 

「だがな、いま思い知ったよ。最強は紛れもなく最強なのだと」

 

 

 ふぅとため息をついて、リヴェリアは視線を移す。

 

 

 

 

「………………ッ!!」

 

 

 レフィーヤはへたり込んだまま、戦いの結末を見つめていた。

 

 あっという間の出来事だった。

 

 

(あんなに………あんなに毎日死に物狂いで戦ってきた人達なのに…………!!!)

 

 

 ベートもティオナもティオネも倒れている。

 アイズの『風』も凪いだ。

 

 

 

 そしてレフィーヤは、何も出来なかった。

 

 

 

 夢は終わり、厳然たる現実がレフィーヤの前に立ちはだかっていた。

 

 



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其ノ八 千の妖精

 

 

 丘に夜が迫っていた。

 

 太陽は西の空を真っ赤に燃やしながら、ゆっくりと地平の向こうへ還っていく。

 

 日の光を正面から浴びた月は、かつて太陽が座した頂天を見上げていた。

 

 

 アナキティ・オータム

 

 彼女もまた月と同じように()()を見上げていた。

 

 リヴェリアやアイズがいるこの場にあっては埋もれがちなアキであるが、美女には違いない。

 そんなアキが物憂げな表情を浮かべて佇んでいるのはなかなかに悩ましい姿だ。

 赤と青の色調(グラデーション)が彩る空も、背景として彼女を引き立てる。

 

 

 絵画の基調(モチーフ)にでもなりそうなアキは、しかしどこか遠くを見ているような(うつ)ろな目をしていた。

 

 それもこれも全て、クリリンという男のしわざである。

 

 クリリンに挑んだ五人。

 いずれも世界にその名を轟かせ、次代の【ロキ・ファミリア】を担うであろう冒険者たち。

 

 彼女ら五人が組んだ戦隊(パーティー)は、地下迷宮51層に巣食う恐るべき怪物『強竜(カドモス)』をも倒しうる十分な戦力を有する。

 

 

 

 その五人が、アキの目の前で、あっさりと『全滅』した。

 

 

 

 可能性など微塵も感じられなかった。どんなに贔屓目で見たくとも、そこに勝機はまるで無かった。

 

(あの強さでレベル1、か……)

 

 頂天に座すクリリンを見て、アキは改めて力の世界の無情さを噛みしめる。

 

 五人のうちベートを除く四人は十代、アキより幾つも年下だ。

 アキとて、そのことに何も思わなかったわけではない。

 猫人(キャットピープル)という、戦闘力という面で高い素質を誇る種族に生まれながら、才に溺れることなく努力に励み、人生で一度あるかないかの偉業を三度も達成して、今ここに立っている。

 

 レベル4

 

 かつてこのレベルこそが到達点といわれた時代もあったのだ。

 強者であるという自負はアキにもある。

 同時に、上には上がいると、この世界にはどうやっても手が届かない場所があるということも、これまでに散々味わってきた。

 力の世界には、十にも満たない(とし)で上級冒険者の世界に足を踏み入れる神童が存在するのだ。

 

 自分の知る一人の神童、その成れの果てであるアイズ・ヴァレンシュタインに、アキは視線を移す。

 

(もう八年になるのかな)

 

 アキが【ロキ・ファミリア】に入団した時、既にアイズはレベル2に達していた。当時、アイズはまだ八歳だった。

 それを知って、自分はとんでもない派閥に入ったのかもしれないと後込(しりご)みしたものだ。

 その後もアイズは尋常ならざる成長を遂げ、今や世界に名だたる剣士の一人である。

 

 

 

 そのアイズが目を回して気絶している。

 

 

 

 アイズだけではない。ティオネやティオナ、ベートまでもが地に(まみ)れた。

 

 頂上は未だ遠くとも視界の果てに望めるぐらいのところまでは来たと、アキは思っていた。

 しかしここにきて、自分が立っているのはまだ入口に過ぎないのではないかと、この世界の果てしなさを前にアキは茫然とするしかなかった。

 

 

 ◆

 

 

 お月様がきれいだ。

 

 空を見上げて、そう思う。

 

 いや、わかってる。お月様を愛でてる場合じゃないってことは。

 

 私がこんなところでクリリンさんの歴史的所業を目撃することになった経緯を、思考停止している頭を再起動するためにも振り返ってみる。

 

 

 

 こんな時間になっても私が本拠(ホーム)に戻らずにいたのは、月見がてら夕食は外でとろうという話が上がっていたからだ。

 その話は今日の夕食当番も了承し、畑の入口に晩餐を用意してくれた。仕事を終えた同胞たちは適当なグループに分かれて畑のそこらじゅうに散らばっていった。

 

 私はけっこう大きなグループの輪に入り、行動を共にしていた。移動や準備は成り行きに任せつつ、もしかしたら今日の夕食のことが伝わっていないかもしれない先輩を探していた。

 

 そんな感じで集団に埋もれてぼけっとしていたから、異変に気づくのが遅れてしまった。

 

 皆なぜか畑から離れて丘の方へ行く。絶景ポイントでもあるのかと思いながら、もちろん私も付いていく。

 

 そうしてしばらく歩いていると、私の眼前に抉られた大地が現れた。

 

「…………」

 

 表情には出なかった、と思うけど、私は呆気にとられていた。

 どこをどう見てもこれはただ事ではない。

 

 隣にいた同期の子に話を振れば、あれほどの騒ぎだったのになんで気が付かなかったの、と呆れられてしまった。

 すまない、夕食のことで頭がいっぱいだったのさ。

 

 それから同胞たちの会話に意識をしっかりと向ける。聞こえてくるのは、【剣姫】、【ロキ・ファミリア】、そして

 

 

 クリリンさん、とかいうワード

 

 

 

 ま た 貴 方 か

 

 

 事情説明のために朝から出てたみたいだけど、戻ってきてたんだねクリリンさん。

 

 クリリンさんが【猛者(おうじゃ)】を倒したって話は、本拠(ホーム)の救護室で聞いた。

 それこそ天地がひっくり返ったってなもんで、たいへんな騒動だったらしいけど、なんか私が寝てる間に全部終わってた。

 起き抜けにその話を聞いて、私と先輩はもう一回卒倒した。が、私だけベッドから落ちて全身を強く打ち、夢の世界に逃げ込もうとした私の意識はあえなく強制送還された。

 悔しいからもう一度言おう。なんで私だけっ……!

 ああもう、荷車持ち上げて跳んでったクリリンさんを見て水噴いてた昨日がすでに懐かしい。

 

 

 

 

 不意に会話が止む。

 空気が変わった。

 何があったのかと同胞たちの肩口から顔を出すと───

 

 

 

「騒ぎにしてすまんの」

 

 

 

【ロキ・ファミリア】のやっばい人がいた。

 あれだ、【重傑】の人だ。

【ロキ・ファミリア】のトップ級だ。たまにだけど、遠目に見ることがある。

 とりあえず、でかい。

 身長はクリリンさんと同じぐらいだけど、でかい。

 うちにもドワーフはいるけれど、どの同胞よりもでかい。

 なんなんだあの肉体(カラダ)!?

 噂では、竜に轢かれようが巨人に踏まれようが、ダメージらしいダメージを負わないという。

 さすが【ロキ・ファミリア(トップの中の)】のトップ級、不条理極まりない。言葉は悪いが、これじゃあ【重傑】の方が化け物(モンスター)じゃないか。

 

 でも、ここにいたのは【重傑(エルガルム)】だけではなかった。

 

貴猫(アルシャー)】までいるよ。

 

 すごい美人。

 めっちゃスタイルいい。

 とっても強そう。実際、とんでもなく強いんだろうけど。

 

 

 ………うん、これは大ごとだ。間違いない。

 やっと能天気な私でも飲み込めたようだな。月見がてら夕食などと、その気になっていた私の姿はお笑いだったぜ。

 

 事態に付いていけず目が点になるばかりの私とは違って、この場にいた各班の班長たちはしっかり対応してくれていた。

 その流れで、大地に残された痕跡を【重傑】と【貴猫】と共に追っていく。

 

 そうして行き着いた先にいたのが【九魔姫(ナイン・ヘル)】を筆頭に【ロキ・ファミリア】のお歴々。

 

 すごいところに来てしまった。なんだ、これからどっかの国でも滅ぼしに行くのか? と思わずにはいられない顔ぶれ。

 

 そして【九魔姫】に向かい合うのは、クリリンさん。

 

 うーん、謎の感動。みんなクリリンさんに会いに来たんだろう。ここにきて、クリリンさんは本当に【猛者】を倒してしまったんだなと実感が湧いてくる。そうでなければ【ロキ・ファミリア】の有名人たちが揃ってこんなところにいるわけがない。

 

 先輩と後輩ちゃんもいる。先輩は、お(いたわ)しいとしか言えない。

 後輩ちゃんは元気そうだなぁ。

 

 ここから大分はしょる。

 狼さんとおっかない方のアマゾネスさんが言い争いを始めて、クリリンさんが身を挺して爆心地に飛び込み、新たな爆心地となって、結果クリリンさんと【ロキ・ファミリア】の五人が戦うことになった。

 

 まるで意味がわからんぞ!?

 

 五人と向かい合うクリリンさん。題して、たった一人の最終決戦、ってところか。

 く、クリリンさん死んじゃうぞ……運が良くても廃人になる!!

 

 誰もが焦るこの状況で、しかしクリリンさんはやってくれた。

 

 四人がK.O.

 エルフの子はどうやら戦意喪失。

 かかった時間はたぶん30秒ぐらい。

 

 あ、あわわわ………

 

 私の顔はそれはひどいものだったと思う。

 乙女の矜持は置いてきた。

 この戦いには付いてこれそうに無かったからな。

 

 

 

 以上が今宵の一幕である。

 

 …………お月さまがきれいだ。

 

 

 

 これなら【猛者】に勝つわけだ、などと思ってみる。

 でも同期の子に言わせると、あの五人より【猛者】(レベル7時点)一人を相手に勝つ方が難しいだろうという話だった。

 マジで? いや私には雲の上の話すぎてよくわからんのですが、五人がかりでもダメなん? 

 とか聞いたら、「私たちと同じレベル1を三人ぐらい集めてミノタウロス倒せるかどうか考えてみて」と言われた。

 遭ったこと無いよミノタウロスなんて。というか、あってたまるか。

 

 ミノタウロスとは、言わずと知れた怪物。ドラゴンなどと並ぶザ・モンスターというべき存在で、多くの英雄譚においても主人公の前に立ち塞がる強大な敵として書かれる。

 地下迷宮(ダンジョン)では中層で出現し、当然ながら通用レベルは2

 ただしパワーが凄まじいので、攻撃をまともに食らうと防御に特化してないかぎりレベル2でも致命的。

 ミノタウロスの厄介さはパワーだけではない。真に警戒すべきは、強制停止(リストレイト)効果を持つ咆哮だ。これを乱発されて動きを制限されるとレベル2が複数いるパーティーでも危ない。

 レベル3以上の冒険者がパーティーに一人もいなければ、まず戦うのを避けるべき相手だ。幸い敏捷(アジリティ)はそれほどでも無いので、遠目に見たり咆哮が聞こえたりしたら、直ちに退避行動に移るのが得策。

 以上が、ギルドナンバーワンアドバイザー、エイナ・チュール先生の御教訓(ほんッッッの一部)である。

 

 ミノタウロスですか。そんな相手と戦ったら血祭り一直線ですね間違いない。たった三匹のアリが、恐竜に勝てるわけないだろう!? と、思ったところで納得した。

 

 クリリンさんの実力はレベル8以上だとみんなが言っている。私から見ればレベル5も8も似たようなものだけれど、その差は数を揃えてどうにかなるようなものではないのだろう。

 

 私は天を仰ぐ。

 

 ああ、お月さまがきれいだなー

 

 

 ◆◆

 

 

 昼と夜が混じり合う。

 

 世界が大きく変化するこの時間帯は非常に不安定であり、また不吉であると考えられている。

 極東では逢魔時(おうまがとき)といわれ、妖怪や幽霊、異界の存在に遭いやすいとされる。

 

 加えて満月。

 

 満月の夜には、化け物が出たり、超常現象に見舞われると囁かれる。

 

 

 

 そして今

 

 一人の純朴な農夫が家路を急ぐこともなく、満月が覗きこむ逢魔時の丘に立っていた。

 

 喧騒は遠く、辺りは静まり返り、ここは既に人界(じんかい)とは掛け離れていた。

 

 これが何かの物語ならば、読者は農夫に向かって早く家に帰れと、魔物に遭う前になんとか逃げてくれと、そう思うであろう。

 

 しかし、その農夫はといえば

 

(月を見るのも久しぶりだな~)

 

 などと考えていた。

 

 読者は農夫に何を呑気なと思いつつ、その思考に何か引っかかるものを感じたことだろう。

 

 なぜ農夫がそんなことを思ったかといえば、彼が元々住んでいた世界には、もう何年も前から月が無いのだ。

 

 

 おわかりいただけただろうか。

 

 

 

 その農夫こそが

 今から災禍に見舞われるだろうと思われた物語の主人公こそが

 

 

 異界の存在であり、超常現象であった。

 

 

 

 農夫の周囲を見渡せば、大きく陥没した衝突痕、その衝突痕より四方八方に走る亀裂、抉られた大地、倒れている複数の人影が目に入る。

 

 人影の正体はいずれも第一級冒険者だった。

 

 化物退治を生業とし己の腕一本で食っていく。そんな命知らずが冒険者。

 大通りを我が物顔で歩く彼らが、会えば即座に道を譲り決して目を合わせない存在。

 それが第一級冒険者である。

 

 そんな妖怪変化(第一級冒険者)どもが全員、この農夫にぶっ飛ばされていた。

 

 

 残ったのはただ一人、か弱いエルフの少女だけ。

 か弱いとは言ってもこの少女、実は第二級冒険者である。

 その辺の化物ならばむしろ返り討ちにできる少女はしかし、この農夫の前では赤子同然であった。

 

 地面にへたり込み逃げようともしない少女に、この得体の知れない農夫が近付いてくる。

 

 嗚呼、少女の運命や如何に────

 

 

 

 

 

 しかしながら、農夫は裏の無い穏やかな笑みを浮かべて少女に話しかける。

 

「具合はどうだ?」

 

 農夫であるクリリンが、エルフの少女レフィーヤに声をかける。

 

「ぼ……ぼちぼち、です」

 

 現実に叩きのめされ憮然としているレフィーヤはなんとか声を絞り出す。

 

「立てるか?」

 

 クリリンが手を差し出す。レフィーヤがその手を取ろうとして、しかし引っ込めた。

 

「?」

 

 クリリンがレフィーヤを窺う。

 レフィーヤの視点はクリリンを通して、なにか茫洋たるものの只中(ただなか)に注がれていた。視点に引っ張られ、レフィーヤの精神もまた其処(そこ)に迷い込む。

 道も標識も無い。ただただ広かった。

 地下迷宮(ダンジョン)のような閉塞感や圧迫感、ましてや死臭など、そんなものはまったく感じない。

 しかし、此処(ここ)は間違いなく『迷宮』だった。

 どこへ向かってどう進むべきか。

 レフィーヤは完全に道を見失っていた。

 

「よいしょ、っと」

 

 クリリンはいったん手を引っ込め、レフィーヤの前で腰を下ろして胡座(あぐら)をかく。レフィーヤは虚ろな目でクリリンを見た。

 

 

『迷宮』で、エルフの少女は異世界より(きた)る農夫に出会う。

 

 

 

「ずいぶんとショボーンとしてるじゃんか」

 

「いえ、なんというか、その」

 

 レフィーヤは自分の気持ちをうまく言葉にできない。

 クリリンのあまりの強さに絶望した? それはあると思う。

 努力の限界を知って失望した? 考えられなくは無い。

 だんだんと心が動いてくる。同時に、胸が締め付けられるような気持ちになる。

 

(ああ、そうか、わかった)

 

 レフィーヤは心に浮かんだそれを言葉にする。

 

「………これからもっともっと強くなっていくあの人たちの傍に、私の居場所は無いのかなって思いまして………」

 

 今宵の騒ぎは前日譚。

 

 レフィーヤが憧れたあの人たちは確かに負けた。

 冒険者にとって負けることは、即ち「死」だ。

 でもここは終わりじゃない。ここからきっと、あの人たちの物語は始まるのだ。

 あの人たちはもっと強くなる。

 ただ、そのとき自分は何処にいるのだろう。

 レフィーヤはそう思う。

 

 

「………」

 

 それを聞いてクリリンは考える。

 正直に言えば、レフィーヤの不安に、はっきりとした答えは返しようがなかった。

 クリリンもまた、かつて切磋琢磨した親友に強さという面では大きく引き離されていたからだ。

 確かにクリリンは強くなった。どんな時でも最高の英雄で在り続けた親友も、五年前の力では今のクリリンには及ばない。

 宇宙規模でいえばごく平凡な戦闘力しか持たない地球人でありながら、クリリンは今や宇宙でも屈指の存在となった。

 それでも、いま親友がいる場所に自分が辿り着けるかというと、生きている内は無理かなと思う。

 彼の者とクリリンの実力差(距離)は、クリリンとレフィーヤの実力差(距離)よりもずっとずっと遠いのだから。

 とはいえ、限界だと思った壁を今までに何度も乗り越えてきたのもまた事実だった。それを踏まえてクリリンはレフィーヤに言葉を贈る。

 

「おまえたちがこの先どうなるか、どこまで行けるのか。それはオレにもわからない」

 

「………」

 

 レフィーヤはじっと次の言葉を待っていた。

 

「だけどよ、もっともっと強くなるのはレフィーヤ、おまえも一緒だろ」

 

「!」

 

 レフィーヤが驚いて目を見開く。それを見てクリリンは笑う。

 

「そんなに驚くことか? その気になれば、パワーはおまえの方が上じゃないか」

 

 クリリンの言うパワーとは腕力のことではない。レフィーヤの中に眠る膨大な魔力や運用しうる()()()魔法のことを指している。

 もちろんクリリンはその詳細を知るわけではないが、アイズとはまた違う潜在能力の高さは見抜いていた。

 もしその力を十全に制御(コントロール)できる日が来るならば、その時こそ世は【千の妖精(サウザンド・エルフ)】の本当の意味を知ることになろう。

 

「そ、それは」

 

 それはレフィーヤもなんとなくわかっている。単純な火力なら【ロキ・ファミリア】でもリヴェリアに次ぐといわれている。

 レベル3でこれは驚異的だ。

 だからこそ、リヴェリア手ずからレフィーヤの教育に当たっているのだ。

 

 一方でレフィーヤは自分に不満がある。

 アイズたち第一級冒険者が棲む戦場ともなると、レフィーヤ一人では我が身を守ることすら覚束無いのだ。

 レフィーヤの魔法は地下迷宮(ダンジョン)深層の怪物(モンスター)にも通用はする。

 しかし奇襲を受けて詠唱がやり直しになることもしばしばあり、それどころか自分を守るためにアイズたち前衛が攻撃を中断させてしまう。そうなると結局は長期戦になって団全体に余計な消耗を強いることになる。

 レフィーヤはそれがとても申し訳なく、自分が情けなかった。

 だが自分は魔力に特化してしまっている。あれこれ望まず長所を磨くべきかもしれない。事実、師であるリヴェリアは前衛を信じて、自らのすべきことを全うし、ファミリアに勝利をもたらしている。

 自らの領分を離れれば、それこそアイズたちを余計に追い詰めることになるかもしれない。

 それに、アイズたちは自分にそんなことを求めていない気がする。

 それでも────

 

「それでも、私は───」

 

 自分の足で立ちたい。

 レフィーヤは、後に続く自分の本当の思いを口にすることはできなかった。

 

 レフィーヤは顔を伏せてしまう。涙があふれ、頬を伝って大地に落ちる。

 

 

 大地はそれを、レフィーヤの涙を、やさしく受け止めた。

 

 

 

「おまえがどうなりたいのか、オレにはわからない。けどよ」

 

 涙を流すレフィーヤに、クリリンは内心すこし焦る。泣き顔をあまり見ないよう気を使って、クリリンは言葉を続ける。

 

「レフィーヤ、おまえが追いかけてきてくれて、アイズたちはけっこう嬉しかったんだと思うぜ」

 

「へ?」

 

 クリリンの言葉に、レフィーヤはきょとんとする。

 

「なんだよ気が付かなかったのか? ティオナなんて強引におまえを自分たちのところに引っ張ってきたってのに」

 

「あ………」

 

 そう言われれば、レフィーヤにも思い当たる節はいくつもある。畑に向かう時も、ティオナは、いやティオネだって自分を置いていったりはしなかった。

 

「あいつらのいるところは危険なんだろ? おまえを巻き込むのはずいぶん覚悟が()ったはずだ。それがよく表れてたのがベートの態度じゃねえかな」

 

「………ベートさんが」

 

 クリリンの考えを聞いて、今一度ベートに言われたことを顧みる。

 その時は、ただ弱い自分が疎まれているのだと思っていた。

 でも今思えば、覚悟がないまま巻き込まれないように遠ざけられていたのだと、そう取ることもできる。

 

「たぶん、アイズたちはおまえのことをとっくに見つけていたんだろ。でも手を出していいのか、自分たちがいる世界におまえを連れていっていいのか、ずっと機会(チャンス)を窺ってたのかもな」

 

「うぅ……」

 

 一度は引っ込んだ涙が再度あふれ出す。

 

「おまえと同じように、あいつらも落ち込んでるだろ。後衛のおまえを守れなくてな。実戦ならアレでレフィーヤは死んでたし」

 

 そう仕向けたオレが言うのもなんだけどな、とクリリンは笑う。

 

「おまえ一人が弱かったわけじゃない。一人一人に至らないところがあったのさ」

 

「………」

 

「逆にいえば、おまえのできることが増えれば、それだけあいつらの可能性が広がる」

 

「!」

 

 レフィーヤが顔を上げ、クリリンを見つめる。

 

「あいつらにはきっとおまえが必要なんだ」

 

 それを聞いて、レフィーヤは雷に打たれたような感覚を味わった。

 ふだんのレフィーヤなら顔が弛むところだが、今は神妙な面持ちで自身を顧みていた。

 

 

 

 そのときだ。

 

 

 クリリンの背後から何者かが近付いてくる気配がしたのは。

 気配はひとつ、では無い。二つ、三つ、四つ感じる。

 

「あいつら起きたんだな。はっはっは、まだまだやる気みたいだぞ」

 

 クリリンが立ち上がり、もう一度レフィーヤに手を差し伸べる。

 

「立てるか? それとも、もうやめとくか?」

 

 レフィーヤの目に、クリリンと【デメテル・ファミリア】の少女の姿が重なって映る。

 

(く、くそう)

 

 ずるい聞き方だとレフィーヤは思う。この流れで、もうやめますとは言えないじゃないか。

 きっと、ずっと手は差し伸べられていたのだ。

 レフィーヤはその手をとってようやく立ち上がる。

 自分の足で立ちたいと、そう願っていながら情けないな、とレフィーヤは思う。

 でも、そんな自分を周りは放っておいてはくれない。いじけて拗ねて落ち込んで、そんな情けない自分を見捨てずに立ち上がらせてくれる人がいる。

 いつかは自分の足で立てるようにならないといけない。しかし今はまだ、甘えさせてもらおう。

 

「私はっ、私はレフィーヤ・ウィリディス! ウィーシェの森のエルフ!」

 

 レフィーヤは叫ぶ。

 

「神ロキと契りを交わした、このオラリオで最も強く、誇り高い、偉大な眷族の一員!」

 

 レフィーヤはいまだ『迷宮』の腹の中だ。

 今はまだ立ち上がっただけにすぎない。進むべき道を見出だしたわけではない。

 今のレフィーヤにできるのは、無垢な幼子のように、光が(いざな)う方へ歩くことのみ。

 その先にどんな景色が広がっているのか想像はつかない。

 それでいいとレフィーヤは思う。ここは『迷宮』なのだ。さんざんに迷おう。たくさんの景色を見よう。試行錯誤無くして憧憬に辿り着くことなどありえない。

 

「何度屈しようと、私は何度でも立ち上がる!」

 

 レフィーヤの魔力が膨れ上がっていく。それだけではない。レフィーヤの足もとには魔法円(マジックサークル)が展開されていた。

 発展アビリティ『魔導』

 魔法の威力・効果範囲の増大、精神力(マインド)効率化といった、魔法を使用する上で様々な恩恵を与える魔法円は、『魔導』の───魔法を極めし者の証だ。

 

 

「レフィーヤ……」

 

 アキが呟く。

 

 リヴェリアもガレスも、【デメテル・ファミリア】の農夫たちも、レフィーヤを見守る。

 

 クリリンもまた、今度は手を出さずにじっと見つめていた。

 

「………なんか、思ったよりずっとすごいな」

 

 顕現し練り上げられているレフィーヤの魔力は、クリリンの想像を超えていた。

 

(なんで? いやこれが、同胞(みんな)が言ってた『スキル』とか『発展アビリティ』なのかもな)

 

 

 ふとした時にデメテルや同胞たちに教えてもらったことを思い出しながら、クリリンはレフィーヤに背を向ける。

 

【ウィーシェの名のもとに願う 。森の先人よ、誇り高き同胞よ。我が声に応じ草原へと(きた)れ】

 

 詠唱が紡がれる。

 レフィーヤはクリリンごしに()()()()を見る。

 遥か向こうにいる彼女たちは既に進むべき道を見据えているのだろうか。

 

 

「レフィーヤ、守れなくてごめん」

 

 アイズが

 

「レフィーヤ! いまそっちに行くからね!」

 

 ティオナが

 

「レフィーヤ一人で抱え込むもんじゃないわ。私たちはチームなんだから」

 

 ティオネが

 

「やるって決めたんならいつまでもウジウジしてるんじゃねえ!」

 

 ベートが

 

 四人が再び立ち上がりレフィーヤと共に挑む。

 

【繋ぐ絆、楽宴(らくえん)の契り。

 円環を廻し舞い踊れ。至れ、妖精の輪。

 どうか───力を貸し与えてほしい】

 

 レフィーヤは歌う。

 彼女たちに届くように。

 

【エルフ・リング】

 

 異界より来る超常に、五人はもう一度立ち向かう



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其ノ九 光芒

 

 

 

 古来より農耕民族は遊牧民族や騎馬民族の脅威にさらされてきた。

 蹂躙されたことも滅ぼされたことも、珍しいことではない。

 

 この事実はデメテルや女神(デメテル)を奉じてきた人々においても、例外ではなかった。

 

 女神が愛し護りしもの。

 それを踏みにじられ穢された時のデメテルの怒りは凄まじかった。

 

 世界は飢えた。

 

 癒えることの無い渇きと飢えに、侵略者は苛まれた。

 

 

 地球にも似た話は存在する。

 

 クリリンに言わせれば、神の怒り以前の問題だろうと返すだろう。生産者を滅ぼしてしまえば、生きる道は途絶えてしまうのだから。

 

 

 そんな中でも、農耕民族は生き残った。

 暴力で肉体は支配されても、その精神の根底までは屈しなかった。

 だからこそデメテルも悪魔や悪霊になることなく、現在も力ある神として存在している。

 

 

 

 そして今、黄昏の丘にて一人の農夫に巨大な戦力が迫っていた。

 

「らぁッ!!」

 

 まるで脚だけが飛んできたような凄まじく(はや)い蹴りが農夫を襲う。

 農夫は軽く頭を動かし、猛烈な死の風がすぐそばを吹き抜けるのを横目で見ていた。

 

 蹴りを放った狼人(ウェアウルフ)が顔を歪める。その狼人、ベート・ローガの脇から追撃が来る。

 

「そこっ!」

「てえぇぇいっ!!」

 

 女戦士(アマゾネス)の姉妹が襲いかかる。

 密集した場でも驚嘆すべき柔軟性で体を折り畳み、エネルギーを蓄積させる。

 肋骨の内側を抉るような膝蹴りが農夫の両脇に炸裂した。

 姉妹の軸足を乗せた大地が、あまりの力に耐えきれず音を立てて割れる。

 同時に、蹴りの勢いで農夫は上空に投げ出されるも、姉妹の表情は芳しくない。

 

「あちゃー」

「ダメね、完全に威力を殺されてる」

 

 妹のティオナ・ヒリュテが目を丸くする横で、姉のティオネ・ヒリュテはすかさずナイフを数本投擲し、空中の農夫を狙う。

 投げナイフはあくまで牽制、ティオネ自身も簡単に対応されるだろうとは思っていた。

 

「はあぁぁぁ~~~~」

 

 農夫は息を吸い込んで体を風船のように膨らませ

 

「─────ハッ」

 

 溜め込んだ空気を一気に呼び戻した。

 巻き起こる突風がナイフを一本残らず地に落とし、それでも勢い余ってティオネたちの髪をはためかせる。

 

「…………」

「…………」

「…………オイ、誰かツッコめよ」

 

 ティオネもティオナもベートも、こういうのはちょっと予想してなかった。

 

「へっへー」

 

 得意げになる農夫の背後を、何者かがとった。

 

 ───いけっ、アイズ!!

 

 農夫が背後に気付かないよう視線や動作に細心の注意を払いながら三人はエールを送る。

 

 農夫がふとアイズの方に振り返るがもう遅い。

 既にアイズの剣は農夫の眼前に迫っていた。

 

 神速の剣閃が農夫の全身を一瞬で何度も走る。

 

「────!?」

 

 まるで空を切ったかのようにアイズには手応えが感じられなかった。

 

 農夫の顔を見れば、舌を出して悪戯(いたずら)っぽく笑っていた。

 なんだか透けて見えるその姿は、水面に映る影のごとく揺らめいて、やがて消えた。

 

 誰もが呆然とする中、ベートの嗅覚がいち早く農夫を捉えた。

 

「後ろだッ、アイズ!!」

 

 すぐに振り向くアイズの目の前にクリリンの手刀があった。

 

 おでこに農夫のチョップを受け、アイズは瓦礫と土煙を撒き上げながら盛大に墜落した。

 普通なら空中で攻撃を受けると為す術無く地面に叩き付けられるところだが、アイズは『(エアリアル)』の推進力による減速と防護によって大したダメージは受けなかった。

 これこそがアイズの強みである。すぐさま体勢を整えて上空を見る。

 

 しかし、そこに農夫は影も形も見当たらなかった。

 

「こっちこっち」

 

「うおッ!?」

「えぇ!?」

「どうなってるのよ!?」

 

 いつの間にかベートたちに紛れ込んでいた農夫に驚いて、三人は後ずさる。

 アイズも農夫の方を見て、目をまん丸にしている。

 

 道化の眷族(こども)たちは農夫にすっかり化かされていた。

 押し寄せる巨大な戦力を、クリリンなる史上最強の農夫はたった一人で押し返していた。

 彼女たちの名誉のために触れておくが、アイズたちに決して侵略や略奪の意思は無い。

 しかして、世界の覇権を握る派閥の精鋭たちがたった一人の農夫に翻弄される、これを奇劇と言わずしてなんと言うか。

 

 てくてくと、敵陣の真ん中とは思えない気楽さで歩くクリリンの後ろ姿を見てティオネは思う。

 

最初(はな)から勝算は度外視してたけど、参ったわねこれは。

 あの猪野郎、こんなのと戦ってたのか。たった一人で)

 

 しかも、【猛者(オッタル)】と()り合っていた昨日のクリリンはこんなものではなかった。もしもあのレベルでやられていたら、全員一瞬でミンチになっているはずだ。

【猛者】に少しだけ敬意を払うティオネの横で、ベートはちらりとレフィーヤを窺う。

 

【───終末の前触れよ、白き雪よ】

 

 レフィーヤの足もとの魔法円(マジックサークル)は山吹色から翡翠(ひすい)色に変化していた。

 

千の妖精(サウザンドエルフ)

 レフィーヤの二つ名の由来となった召喚魔法(サモン・バースト)『エルフ・リング』

 詠唱と効果を完全に把握したエルフの魔法に限られるが、それさえ満たせばあらゆる同胞(エルフ)の魔法を発動できる反則技(レアマジック)

 

 ベートもそれは知ってはいたが、実際に見るのは初めてだった。

 

(クリリンの野郎、こっちを舐めきってんのか、今度はあのノロマに見向きもしねぇ)

 

 召喚する魔法によっては『エルフ・リング』は絶大な威力を発揮する。

 ただし、二つ分の詠唱時間と精神力(マインド)を消費するため、発動にはそれなりの時間がかかる。

 

(今のノロマの技量じゃ三分、楽観視しても二分はかかる)

 

 リヴェリアを参考にしながらベートは当たりを付ける。二分にしても、本当ならクリリン相手に稼ぐには絶望的なはずだった。

 

「ねークリリン、レフィーヤのこと放っておいていいの? たぶん、あれリヴェリアの大魔法だよ?」

 

「はっはっは、まあなんとかなるだろ」

 

 ティオナもまた気にかけるもクリリンは軽く流す。

 ちっ、とベートは舌打ちする。それでもクリリンの思惑に乗るしかなかった。

 獣人として本領を発揮している今のベートですら、まともに捉えられる相手ではないのだ。

 クリリンに一矢報いるには、もはやレフィーヤの魔法しか残されていないことはベートにもよくわかっていた。

 

 クソがっ、と自身への苛立ちを吐き捨てながら、ベートはクリリンに向かっていく。

 

【黄昏を前に(うず)を巻け】

 

「おらぁッ!!」

 

 ベートの突撃(チャージ)を号砲に四人が再びクリリンに攻撃を仕掛ける。

 一瞬で張り巡らされる死線。

 死線によって世界は切り取られる。クリリンの立つ其処(そこ)は死の世界も同然だった。

 

 

 

 しかし────

 

 

 

 既にクリリンは四人の包囲網から逃れていた。

 置き去りにした衝撃波がようやくクリリンに追い付く。

 

「なっ────」

「くうぅっ!」

 

 それはちょうどクリリンの置き土産が爆音と共に四人を弾き飛ばしたところだった。

 

 宙を漂いながらベートは思う。

 

(俺はいったい何を見ている?)

 

 爆風にまみれながら、ベートは戦いの中でクリリンが見せた身のこなしの数々を思い返す。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?)

 

 ベートの思考はまとまらない。ただ漠然と、目で見ているものだけでは、いや嗅覚や聴覚を合わせたところで、それだけではクリリンという男の実体を捉えることはできないのではないか、そう思い始めていた。

 

(単にパワーやスピードに差があるってだけじゃねえ。もっと何か根本的な違いがあるはずだ)

 

 ベートもまた天才である。

 たいていの技や動きは一度見れば対処できる。

 何度も同じ手は食わない。それがベートたちのいる次元(せかい)だ。

 

 アイズ・ヴァレンシュタイン

 世界の命運を左右するほどの天才と、クリリンが認めた剣士。

 そのアイズと共に在ることを運命付けられた者の一人が、このベートである。

 

 しかしそのベートをして、()()()()()()()()()()、そこまではまだわからなかった。

 

 

【閉ざされる光、凍てつく大地】

 

 

 レフィーヤの詠唱もあと一文を残すところまできている。心なしか気温も下がってきた。

 

「普通は、人に向けて打つ魔法(もの)ではないのだがな」

 

 まさにレフィーヤが召喚せんとするのは、エルフの王女リヴェリア・リヨス・アールヴの攻撃魔法。その事実だけで、生身の人間に向けるものでは無いと知れる。

 

「あやつならば死にはせんじゃろう。それにあの動きじゃ。まともに当たるとも思えん」

 

 リヴェリアの言葉にガレスが反応する。

 

「それはそうなのだが、どうもあの男はレフィーヤの魔法を正面から受けるつもりなのではないかと思ってな」

 

「……否定できんとこじゃのう」

 

 序章(はじまり)終焉(おわり)が刻一刻と近付いてくる。

 

 

吹雪(ふぶ)け、三度(みたび)の厳冬───我が名はアールヴ】

 

 

「いけーっレフィーヤ!」

「ぶちかませッ!」

 

 魔法円(マジックサークル)が拡大する。

 

「驚いたわ、本当にこれは」

 

「リヴェリアの、魔法───!」

 

 魔法円がまばゆい光を放ち続けている。

 

「皆さんお待たせしました! 撃ちますッ!」

 

 世界最高峰に座す魔道士の魔法(わざ)が、今ここに再現される。

 それは極寒の吹雪を呼び起こし、標的を時空ごと凍てつかせる慈悲無き白魔(はくま)────

 

 

【ウィン・フィンブルヴェトル】

 

 

 レフィーヤの唇が奏でる玉音が響くや否や、丘は灰一色に包まれる。

 今か今かとその時を待ちわびながら力を蓄えていた白き悪魔が、ついに解き放たれた。

 獲物を喰らうべく、悪魔は三条の吹雪となって丘を吹き(さら)す。

 射線から離脱するアイズたちの鼻先を細氷が(かす)めた。

 アイズの金の髪が氷の粒を纏って、一面灰色の景色の中でキラキラ輝く。

 

 白魔は触れたもの全てを凍てつかせながら、クリリンを襲う。

 クリリンは、何か言葉を発しようとした姿そのままに凍りついた。

 それにとどまらず、無数の雪と氷が次から次へとクリリンの氷像に喰らい付き、白魔は際限無く肥え太る。

 

 

 やがて吹雪は少しずつ止み、視界が回復していく。

 アイズたちはそこに、巨大な氷柱が天に向かって突き立っているのを見た。

 

 冷やされた水滴が白い煙となって丘を流れていく。アイズたちはまるで雲海に足を浸しているようだった。

 

 

 終焉は訪れた。

 光はたしかに閉ざされた。

 

 

 

 そのはずだった。

 

 

 勝鬨(かちどき)は上がらない。

 なぜなら、今の今まで場を支配していた気配は、なお色濃くこの場に立ち込めていたからだ。

 

 

 不意に大きな音が立ち、レフィーヤの背筋が凍り始める。クリリンを封じた氷壁の一部が、剥がれ落ちて砕けていた。

 

「わ、私は、全力でやりました…………

 あれが、あれが都市最強…………!」

 

 莫大な熱を(はら)んだ氷柱が、耐えきれず溶かされていく。

 

 底抜けに明るいティオナも、これにはさすがに笑顔が引きつっていた。

 ベートとティオネはこの世の終わりをこの目で見たと言わん表情だ。

 アイズは────なんだかワクワクしていた。

 

 氷壁は後を追うように次々と剥がれ落ちる。

 アイズたちは見た。

 解けた氷の中にいる恐竜を。

 

「うひぃ~~~(さっび)ぃ」

 

 氷塊を蹴り砕きながら、クリリンが姿を現した。

 

(寒いとか、そういうレベルじゃねえはずだろそれはッ!)

 

 その言い分はもっともであるが、もうベートに、口に出してまでつっこむ気力は残ってなかった。

 

「あはは……ぴんぴんしてるや」

 

「クリリンは不死身か何かなのかしら」

 

 乾いた笑いが出るティオナの横で、ティオネもクリリンのタフさに呆れ果てている。

 ただ、ティオネが放り投げるように出したその言葉は、ある意味クリリンという人間をよく表していた。

 

「……えへへ、さすがにちょっとガックシきたかも」

 

「ティオナさん……」

 

「あっ! ごめんレフィーヤを責めてるんじゃなくって!」

 

「いえいえ! ティオナさんがそういうつもりじゃないってことはわかってますから!」

 

「レフィーヤの魔法はすごかったよ! 想像以上だった!」

 

「あ、ありがとうございますっ!」

 

 ティオナとレフィーヤがワタワタしながらフォローし合うのを見て、なにやってるのよ、とティオネはため息をつく。

 

(それにしてもティオナが弱音を吐くなんて。いつ以来かしらね)

 

 いつも前向きで、腹立たしいほど明るい(ティオナ)があんな風に気を落とす姿など久しく見た覚えがなかった。もしかしたらあの国を出てからは初めてかもしれない、とティオネは思う。

 

(私もちょっと、疲れたわ)

 

 ダメージなんてほとんどない。ただ、精神的にはかなり消耗していた。

 手玉にとられ、意表を突かれ、自分の力は空振りし、時には自分の力に殺されかけて────

 

 ティオナだけではない。ティオネとベートも疲弊していた。

 

 

 悄然(しょうぜん)とするティオナたちを、レフィーヤもまた初めて見た。

 

(ティオナさんたちも、こんな表情(かお)をするんだ)

 

 レフィーヤは、彼女たちの背中に守られているばかりだった。

 彼女たちは何時(いつ)だって強く、輝いていた。

 どんなに強大な敵を相手にしても、常に勝利を手にして帰ってきた。

 だが────

 レフィーヤからは見えなかっただけで、彼女たちは何時(いつ)だって苦難と苦悩に向かい合っていたのかもしれない。

 

 レフィーヤは自身の手の平を見る。

 

(クリリンさん……私の力は、本当にこの人たちの力になれるんですか?)

 

 レフィーヤは自分の手に与えられた温もりを思い出す。

 少女の言葉が、クリリンの言葉が、レフィーヤを奮い立たせる。

 

 

「皆さん、私にはもう一発だけ撃てる魔法があります」

 

 レフィーヤの言葉に、ティオナたちが顔を上げる。

 

「さすがにもうリヴェリア様の魔法は使えません。でも()()()()なら、あと一発分の精神力(マインド)は残っています」

 

「レフィーヤ、アンタどんだけ精神力持ってるのよ……」

 

 ティオネは聞いて呆れる。さっきの魔法を使うだけでも、普通のレベル3ならば数人分の精神力が必要なはずだ。そんな魔法(もの)をぶっ放しておいて精神疲弊(マインドダウン)を起こさないだけでも大したものだというのに。

 昨日からこっち、何かにつけて呆れてばかりだとティオネはため息をつく。

 

「レフィーヤ、その魔法ならクリリン相手でもなんとかなりそう?」

 

「え、えーとですね」

 

 ティオナの真っ直ぐな問いに、レフィーヤは言い淀む。

 

「はっきり言うと、悪あがきにしかならないと思います。ですけど、最後の最後まで自分の力をふりしぼってみようかなって、そう思いまして」

 

 尻すぼみに勢いが小さくなるレフィーヤに、そっかーとティオナは朗らかに笑う。

 

「うんうん、そういうのあたし好きだなあ。よっし! なんか元気でてきたっ」

 

 ティオナに活気が戻るのを、レフィーヤは口を開けたまま見ていた。

 

「オイ」

 

「ひっ!? な、なんでしょうかベートさん?」

 

 ベートがレフィーヤに何を言うのか、ティオナとティオネはしっかりと目を光らせていた。

 

「……テメエの魔法だけは認めてやる。クリリンの野郎に吠え面をかかせろ。いいな」

 

 それだけ言って、ベートは背を向ける。その背を、レフィーヤはぽかんと見つめる。

 

「う~ん、今のはどうかなあ。ねぇティオネ?」

 

「まあベートにしてはマシなんじゃないの? ベートにしては」

 

「聞こえてんぞ! このクソ女どもッ!!」

 

「クソ女とはなにさー!」

「うるせえぞクソベート! 尻の穴に串ぶっ刺して火の中に蹴り込んでやろうか!?」

 

「は、ははは……」

 

 騒がしい【ロキ・ファミリア】が帰ってきた。遠目に頭を抱えるリヴェリアとアキ、豪快に笑い飛ばすガレスが見える。

 

「レフィーヤ」

 

「───!? アイズさんっ」

 

 後ろから声をかけられて、レフィーヤは慌てて振り向く。

 

「ありがとう、レフィーヤ」

 

 なにがですか!? ともなんとも言えず、レフィーヤはただただアイズの表情に見とれていた。

 ティオネたちもケンカするのを忘れて、すっかりアイズに目を奪われていた。

 

「ア、アイズさん……その表情(かお)

 

「なにか、ヘン?」

 

「いいえッ滅相もございませんッ!!」

 

 思わず赤面したレフィーヤは豪速で首を振り、目一杯否定の意を表す。

 

 ティオナは満面の笑顔を浮かべ

 ティオネもまた赤面し

 ベートはどぎまぎさせられる

 

 アイズは目を輝かせ、微笑んでいた。

 決して情感を前面に出しているわけではない、こまやかな笑み。

 しかしそれは、普段のアイズを知る者たちからすれば、大ごとも大ごとだった。

 

「どうしたの、アイズ? なんかすっごく嬉しそうじゃん!」

 

 アイズよりよっぽど嬉しそうなティオナが、アイズの両肩を掴んで前後に揺する。

 

「バカティオナ! やめなさいよ!」

 

 ティオネが後ろから羽交い締めにして、ティオナをアイズから引き剥がす。

 

「アイズさん、何かあったんですか?」

 

 いまだに瞳が揺れているアイズに、レフィーヤが問う。

 

 ティオネたちやベートの視線も浴びて、アイズは気恥ずかしさに身を縮めながらも言葉をしぼりだす。

 

「もっと、強くなれそうな気がしたから」

 

「!」

 

 行き詰まっていたアイズにとって、クリリンとの戦いは楽しかった。

 

「そこに道はあるんだ、って教えてもらった気がするから」

 

 アイズの才に、技に、周囲は惜しみない称賛を送った。

 だが裏を返せば、アイズをその先へ導く者は誰もいなかった。

 人はアイズを頂点に立った剣士という。しかしアイズにとってここは、絶壁の前でしかなかった。

 そんなアイズの前に現れたクリリンは、文字どおり風穴を開けた。

 

「クリリンと戦って、驚いた。頭が追い付かなかった。ちょっと、くやしかった。でも、楽しかった」

 

 クリリン相手にアイズは終始、空回りした。

 ただそれは、クリリンの速さだけが理由ではないと、アイズも気付き始めている。

 そこにクリリンはいるはずだ、あるいはこんなところにクリリンがいるはずがない。

 無意識の先入観が、極限の世界でアイズの動きを鈍らせる一因になった。

 

 クリリンの一手一手は、アイズの目を覚まさせた。

(エアリアル)』を破られたときも、およそ完全無欠としか思えない技の、わずかな虚を突かれたのだ。

 アイズは知る。さらなる進化の可能性を。

 

 いつになく感情を口にするアイズに、四人は内心で驚いていた。

 楽しかった、なんて言葉がアイズから出るとは思わなかった。

 

「それに……」

 

「それに?」

 

 視線が泳ぐアイズに、レフィーヤはつい気がはやる。

 

「……こうやってみんなと戦うの、楽しいかな、って」

 

 カァっと顔を赤くするアイズのあまりの可憐さに反応が追い付かず、時が止まる。しかし、それも一瞬。

 

「!?」

「!?」

「!!」

「~~~~~ッ!!」

 

 一気に押し寄せる感情に、四人の頬もみるみる紅潮する。

 

「アイズ~~、あたしも楽しかったよっ!」

 

 こらえきれずティオナがアイズに抱きつく。

 

「わたしもです! アイズさんとご一緒できて、楽しかったです!!」

 

 レフィーヤはその思いをしっかり言葉にして伝える。さすがにティオナのように抱きつく勇気はなく、悔しさと羨ましさとが()い交ぜになっていた。

 

「アンタ、さっきまでしょんぼりしてたのに調子がいいわねえ」

 

 ティオネは(ティオナ)を冷やかして、こみ上げる情動をなんとかごまかそうとする。

 その横でベートはそっぽを向いて、片手で顔を覆っていた。が、赤くなった耳までは隠せていない。

 

 アイズはそんな四人を見て、目を細めるのだった。

 

 

 

 ────さて、アイズたち五人の頭上では

 

(はらへったな)

 

 今にも崩れそうな氷塊のてっぺんで、クリリンが寝そべっていた。

 腹が冷えるどころか、凍傷で体表が壊死しかねない状況だが、気を適度にコントロールすることでクリリンの体は全く機能を損なうことなく動いている。

 

 レフィーヤの魔法を受け切った後、なんだか局面(イベント)を迎えてしまったので、様式美を守り黙って待っていたクリリンである。

 

 不意に、クリリンが乗る氷塊がぐらりと傾く。それを体をずらしてバランスをとろうとするクリリン。

 そのとき喜劇は起きた。

 

「へ?」

 

 つるん、とクリリンの体は氷塊をすべる。

 

「うおわっ!?」

 

 クリリンは空中に投げ出され、同時に氷塊は崩れ落ちる。

 

「いぃっ!?」

 

 重力に引っ張られ、ぐんぐんと地面が近づいてくる。

 舞空術でもなんでも使えばいいものを、クリリンは律儀に崩れ落ちた氷塊の上に墜落する。

 内側から溶かされた時点で息も絶え絶えだった白魔は、最期に大きな悲鳴を上げて粉々に砕け散った。

 

 アイズたちがあわててクリリンの方を向く。

 舞い上がった白魔の残骸が星のように輝いて黄昏の空を彩る。

 その奥でクリリンが起き上がるのを、アイズはじっと見ていた。

 クリリンはアイズより小柄だった。

 見た目は完全に人間だった。

 だが、積み重ねたものは遥かに遠い。

 人間が行きつけるところまで行ってしまった人間だった。

 

 アイズがレフィーヤを見て頷く。それを受けて、レフィーヤは杖を掲げて詠唱に入る。

 

 アイズたちが一斉に仕掛ける。アイズの感情の発露が五人の団結を高めていた。

 気運もまた高まる。

 こういうとき、物語は動くものだ。

 

 だが────

 

 

「ほい」

 

「くっ!?」

 

 形勢は揺らがない。

 

 真っ先に飛び込んだのはやはりベートである。アイズ、ティオナと続き、ティオネが中距離から隙を窺う布陣。

 

 絶え間無く攻め立てるアイズたちを、クリリンは躱し、いなす。

 ここだ、とティオネが構えると、とたんにクリリンと目が合う。ぎくりとしたティオネはナイフを持つ手をおしとどめる。

 

 ふーっ、とティオネは息を吐く。

 さっきから何度も仕掛けようとしているが、さっぱりうまくいかない。

 不思議なものだ。

 クリリンには隙も遊びもあるように見えるのに、ここぞという時に攻め切れない。

 ティオネはそう感じていた。

 

 傾いた天秤は微動だにしない。

 

(あー落ち着け私。どうせ勝てやしないんだから)

 

 こん、とティオネはこぶしを額に当てる。

 

 ───最後の最後まで自分の力を

 ───もっと強くなれそうな気がして

 

 レフィーヤとアイズの言葉を、ティオネは思い出す。

 

(自分の力を試して、もっと強くなるためのきっかけになればいい)

 

 ティオネはそう思い直して、再び戦場を駆ける

 

【解き放つ一条の光、聖木の弓幹(ゆがら)

 

 

「うおっ!?」

「あ痛っ!!」

 

 目まぐるしい戦場で、ベートとティオナが正面からぶつかる。

 

「テメーどこ見てんだ!?」

 

「ベートこそ、そんなところで突っ立ってないでよ!」

 

 二人が顔を突き合わせて唸る。

 そこに現れたのがクリリンだ。

 第一級冒険者である二人が戦場でこんなへまをしたのも、何を隠そうクリリンのちょっとした陰謀である。

 

 二人は同時にクリリンの方を向き、どちらともなく「げっ」と漏らす。

 

 クリリンはニッと笑って、二人の脳天に手刀をおみまいする。

 憐れ二人は仲良く撃沈し、うずくまって頭を手でおさえている。

 

 そのとき、クリリンの背後へそろーーっと忍び寄ってきたのがアイズである。

 

 ピタッと止まったのは一瞬、えいやっとアイズの剣がクリリンの頭に振り下ろされる。

 

 直撃

 

(……やった)

 

 初めてクリーンヒットに成功したアイズは、内心でひそかに喜ぶ。

 

 しかし、ここでアイズは剣を通して感じ取る。

 エネルギーのようなものがクリリンの全身を薄く覆い、流れていることを。

 

(これは、なに……?)

 

「気、ってやつさ」

 

 ぎくりと肩が跳ねるアイズに、クリリンは笑う。

 

「どうして、わかったの? 私の考えている事」

 

「いやどうしてもなにも、顔に書いてあるぞ?」

 

 アイズの剣から頭をどけながらクリリンは言う。当たり前のように無傷なのは、もう誰も違和感を覚えなかった。

 

 そんなにわかりやすい表情をしていただろうかと思って、剣を戻したアイズは空いている方の手で顔をいじる。

 

「……言っとくけど、文字で顔に書いてあるわけじゃないぞ?」

 

「……そんなこと、思ってないもん」

 

 クリリンもさすがにそれは無いと思っていたが、確認せずにはいられなかった。

 それもこれも親友のせいである。まさかという時でもボケるので、油断もなにもあったものではない。

 師のもとで共に修行していた頃は、親友のボケで何度ずっこけたかわからない。その度にクリリンと武天老師がツッコんだりフォローしたりと大忙しだったことをクリリンは思い出す。

 

 アイズはからかわれたとでも思ったのか、ムスッとして頬をふくらませてしまう。

 そんなアイズをなだめて、クリリンは言う。

 

「わるかったって。なんなら気のコントロールを今度教えてやるからさ」

 

「本当? 私にも使えるの?」

 

「ああ。ちょっと難しいけど、気は誰にでもあるからな。さっき空飛んだろ? あれも気の応用だ」

 

(あ……)

 

 

【汝、弓の名手なり】

 

 レフィーヤの魔法円が再び輝き始める。

 

「クリリン」

 

「ん?」

 

「クリリンは、昔から強かったの? 私ぐらいのときにはもう、今ぐらい強かった?」

 

「アイズ、おまえいくつなんだ?」

 

「十六」

 

「十六かー」

 

 クリリンは記憶を引っ張り出す。

 

(あれ? たしかそんぐらいの時じゃなかったか? ()()()死んだの)

 

 正確にいえば、十六歳の頃は第22回天下一武道会に向けて修行中であった。

 その時点で、クリリンはめちゃくちゃ強かった。

 事実、その翌年に迎える天下一武道会、これは武道の祭典としてはオリンピック以上の権威を持つ大会であり、地球上のあらゆる達人超人が集まるのだが、予選はかすり傷ひとつ負わず通過。

 結果は二大会連続四強入り。例年ならば優勝してもおかしくないレベルだった。

 準決勝で敗退した相手が相手だけに、少々くやしい思いはあったものの、実力を出しきった上での納得できる結果であった。

 大会をおよそ最高の形で終え、輝かしい未来が待っている────はずだった。

 

 初めてクリリンが死んだ───否、殺されたのは十七歳のときである。

 大魔王の眷属

 クリリンの命を奪ったのはそういう存在だった。

 クリリン自身、そのときはわけもわからず殺されてしまったが、生き返った後で武天老師やヤムチャたちに聞いた話だとそういうことらしい。

 

「オレがアイズぐらいの頃か~ 正直あんまり覚えてないんだけど」

 

「………」

 

 アイズはドキドキしながらクリリンの言葉の続きを待っている。

 

「たぶん、オッタルよりは強くて、大魔王にはぜんぜん敵わない。そんな感じかな」

 

「!!?」

 

 当時、大魔王の強さは異次元だった。

 クリリンがようやく大魔王の強さを超えたのは、天界で修行を始めてからだ。ほんの五、六年前のことである。

 

 それはともかく、今の発言にはアイズにとって絶対に聞き逃せないワードがあった。

 

「大魔王って、本当にいたの??」

 

「そうだな、いたというか……」

 

 クリリンは大魔王そのものは知らない。だから、これはクリリンの推測に過ぎないが、この世界には───

 

「今でも大魔王っぽいやつはいるみたいだぜ。

 それも一体や二体じゃない」

 

「!?」

 

 あっさりと爆弾発言をするクリリンに、アイズは言葉を失う。

 

【狙撃せよ、妖精の射手】

 

 

「……今のクリリンなら、大魔王が何体いても、倒せる?」

 

 大魔王らしき存在がこの世には何体もいる。

 荒唐無稽な話だが、他でもないクリリンの口から出る言葉なら、決して無視はできない。

 アイズとしてはどうやってその情報を得たのかも気になるところだが、話を整理すれば『大魔王』はあの【猛者(オッタル)】よりも遥かに強い存在らしい。そして、十六の頃とはいえクリリンよりも。

 どう考えても絶望的にしか思えないアイズがまず確認したかったのは、今のクリリンの勝算だった。

 

「昔なら怖いって思う強さだけど、今ならそんなことはないな。一発で終わるだろ」

 

 そういって調子よくクリリンは笑う。しかし、実はこれでもずいぶん控え目な表現である。

 今のクリリンなら『大魔王』といえど、気合だけで粉砕できる相手だ。

 この畑から出る必要すらない。この地にいながら全ての存在を滅ぼすことも可能だ。

 

「大魔王、放っておいていいの?」

 

 アイズがじとっ、とした目でクリリンを見つめる。

『大魔王』が英雄譚に出てくるような存在なら、決して放置はできないはずだ。

 もちろんそれほど強大な敵を相手にするなら、お出かけ気分で行くわけにはいかない。

 まず勝算。そして資金。

 仮に『大魔王』があの『黒竜』クラスなら、派閥単独での撃破は不可能だ。連合で対処することになろう。

 そうなれば指揮系統や連携が問題になってくるし、撃破成功時の利益の分配なども事前にある程度は話し合っておかなくてはならない。

 すると、『大魔王』を倒して得られる報酬(リターン)も計算しておく必要がある。

 問題は芋づる式に出てくる。いろいろ考えていたら実行までに一年二年はかかりそうだ。アイズはこういうことを考えるのは苦手だった。

 だからこそクリリンという戦力は貴重だ。【デメテル・ファミリア】には失礼かもしれないが、農夫をやってる場合ではないとアイズは思ってしまう。

 

「今のところ問題はないと思うぞ。目立った動きはないし。

 それに、いいやつだって同じぐらい数いるしな」

 

 クリリンのいう『いいやつ』

 それはデメテルが言っていた霊獣や神霊、聖霊の類いだとクリリンは思っている。

 ここでクリリンは気付く。アイズが食い入るようにこちらを見ていることを。

 

(ちょっとしゃべりすぎたか)

 

 クリリンの持つ情報は相当な価値がある。これは取引材料になるはずだ。

 クリリンもまた、異世界にとばされた原因を探るために情報がほしいのだ。

 探索系派閥の最大手【ロキ・ファミリア】はよい取引相手になりえる。

 

(まあアイズたち見てると、取引なんて堅苦しいことしなくてもいけそうな気がするけどな)

 

穿(うが)て、必中の矢】

 

 まだまだ話し足りなさそうなアイズを、クリリンは制する。

 

「そろそろレフィーヤの魔法が完成しそうだ。話はまた今度な」

 

「~~~~っ!」

 

 さっきよりもいっそうむくれたアイズは、しかし出かかった言葉を飲み込んでティオナたちのところに跳ぶ。

 

「クリリンとなに話してたの?」

 

 アイズたちの様子を見て待機していたティオナが早速、事情を訊いてくる。

 

「クリリンは、なにか世界の重大な秘密を、知っているのかもしれない………!」

 

「え!?」

 

 ティオナは思わずクリリンたちの方を見た。

 

 

 

 レフィーヤは集中する。

 この魔法に、精神疲弊(マインドダウン)ぎりぎりまで力を込めた。

 

(これで何かが変わる)

 

 魔法円が(まばゆ)く光だす。

 

 レフィーヤが今朝めざめた時は、昨日と同じ今日が繰り返されるのだと思っていた。

 

 レフィーヤは小さく笑う。

 今日一日、いや半日にも満たない時間で、ずいぶん濃密な時間を過ごしたものだとそう思う。

 

(きっと今から自分は変わる。いや、もう変わっているのかもしれない)

 

 クリリンは言った。

 レフィーヤが変われば、アイズたちの可能性も拡大すると。

 今はまだ小さな変化かもしれない。

 それでも小さな変化を積み重ねていけば、いつの日かアイズたちの力になれるかもしれない。

 アイズたちの可能性が広がれば、それはきっと、世界の運命すら変えることになるだろう。

 

(これで最後だ……!)

 

 レフィーヤの魔法円がより強く輝く。

 

「【アルクス レイ】ッ!!」

 

 レフィーヤから光の矢が射出される。

 

 アイズたちには光が(またた)いたようにしか見えず、その光の矢が眼前を通りすぎた認識はまるで無かった。

 

 

 それをクリリンは

 

 

 上空へ飛んで躱す。

 

(どういう神経してんだ、アイツはッ!!)

 

 ベートが歯ぎしりをする。

 

 

 空振りしたレフィーヤの矢は、そのまま地平の彼方へ消えていくかのように思われた。

 

 

 だが

 

 

「!?」

「曲がった!?」

 

 

 光の矢は向きを変え、大きな曲線を描きながら上空のクリリンを追う。

 

 照準を定めた相手を自動追尾する、これが『アルクス・レイ』

 レフィーヤの魔法のひとつだった。

 

 どこまでも追いかける。

 そんな意思がこもった魔法。

 

(やっぱり、そういう技だったか)

 

 クリリンは矢に狙われつつも、軽やかに引き離す。

 しかしレフィーヤの矢はなかなかしぶとい。

 

(このまま、アレが燃え尽きるまで鬼ごっこをしてもいいが……)

 

 光の矢が燃え尽きるのを待っていたら相当に時間がかかりそうだった。

 クリリンはさらに上空へ飛ぶ。それを追って、矢は空の果てに向かって螺旋を描いていく。

 

(パワーだけならさっきの魔法のがすげえけど、こっちの魔法の方が()()()()()()な、レフィーヤ)

 

 クリリンは静止した。

 頂天に佇むクリリンに、一度は引き離された光の矢がぐんぐんと迫ってくる。

 

 アイズたちは見た。

 宵闇が覆う天空に、一条の光が闇を切り裂きながら頂天を貫かんとするのを。

 アイズたちは思わずこぶしをにぎりしめる。

 

 

 か細くも力強い一条の光は、まっすぐに尾を伸ばしながら向かっていく。

 そうしてクリリンに命中する寸前────

 

 

 

 

 一条の光は

 

 

 巨大な光球に飲まれて消えた。

 

 

 

「なっ───」

「なにっ!!?」

 

 

 クリリンを中心に、目で見てわかるほどの巨大なエネルギーの塊が膨らんでいく。

 

「さて、レフィーヤも弾切れみたいだし、そろそろメシにしよう。

 締めはどーんと派手にいくか」

 

 クリリンを覆っていた巨大な光球が、内包するエネルギーを保ったままクリリンの手のひらに収束していく。

 見た目は派手だが、威力はさほどでもない。きちんとコントロールしている。

 

(技の名前は………付けてなかったな)

 

 アイズやレフィーヤみたいに技の名前を叫んでみようかと思ったクリリンだが、断念する。

 

「それっ!」

 

 クリリンの手からエネルギー弾が打ち出され、地上のアイズたちのもとへ向かう。

 

 だが、アイズたちにとってスピードは捉えられないほどではない。レフィーヤの『アルクス・レイ』の方がずっと速かった。

 

「クソッ! なんだありゃ魔法か!? 詠唱してたか今!?」

 

 ベートたちは跳び上がって光球を躱す。

 光球の威力は凄まじいが、レフィーヤですら十分逃げ切れるほどのスピードしかなかった。

 

「あれも、クリリンが言ってた『キ』?」

 

 アイズは眼下を這うエネルギー弾を見てそう思う。

 そのときアイズは異変に気付いた。

 

「みんなっ──」

 

 そう言いかけたアイズの眼前をエネルギー弾が追い抜いていき、再び上空へ舞い上がっていった。

 

 アイズは急いでクリリンを見る。

 クリリンはいつの間にか上に伸ばしていた腕を────今、振り下ろした。

 

 直後

 

 上空に達した光球が強く輝き、弾ける。

 光球の残骸は数え切れぬほどたくさんの光の筋となって地上に落ちてくる。

 

「あ…………」

 

 それはまるで流星群のようで、不覚にもアイズは見とれてしまった。

 

 これが、そのときアイズが覚えている最後の光景だった。

 

 天上より降り注ぐ光の奔流に、アイズたちは為す術無く飲み込まれていった。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 オラリオから伸びる道の遥か彼方に、夜道を急ぐ一台の馬車がいた。

 

 荷台はさまざまな物でごった返し、車輪が起伏を過ぎるたびにゴトゴトと音を立てる。

 

 その荷台の隅に、木箱に背を預けてすやすや眠る一人の少年がいた。

 

 歳の頃は十三か十四。

 体つきは同年代の少年たちと比較すると華奢で、顔立ちも男にしてはずいぶんとかわいらしい。

 服装は野暮ったく、いかにも田舎から出てきたばかりという風体だった。

 総じて、なんとも頼りない印象を受ける。

 

 

 不意に、少年が眠る荷台へ外から光が差し込んできた。

 もう日も沈みかけているというのに、この光はいったいどこから迷い込んできたのか。

 その不思議な光はまっすぐ少年のもとへと向かい、彼のまぶたをくすぐった。

 

「ん……」

 

 まぶたがゆっくりと開けられ、その奥から紅い瞳が覗く。

 少年はまぶたを半開きにしたまま暫し寝ぼけていたが、突如スイッチが切り替わったかのように目を見開き、がばっと立ち上がる。

 揺れる馬車に足をとられ、白い髪を乱しながら少年は御者台へ向かう。

 

「おじさんごめんっ! 寝ちゃってた!」

 

 幌から顔を出し、少年は馬を御する壮年の男に声をかける。

 

「あ、ああ、それは気にしなくていい。あんなところじゃ疲れも取れんだろうが……」

 

 男の気遣いに安堵するのも一瞬、少年は男の貼り付けたような笑みに違和感を抱く。

 

「おじさん、どうしたの? 何かあった?」

 

 男の表情から何か不穏なものを感じ取る。

 もしや野盗か獣にでも出くわしたのではと、少年はあわてて周囲を見渡す。

 

「いや大丈夫、心配は無い、みたいだ」

 

 少年は首をかしげる。見たところ、たしかに危機が迫っているという感じではない。

 だが、男の言葉は何か引っ掛かる。

 

 男は前方を指差してこう告げる。

 

「さっき向こうの空が光ってな」

 

「空が光った……? 雷じゃないの?」

 

「いや雷って感じじゃなかったな。向こうの空全体が光って、しばらく昼間みたいに明るくなったんだ」

 

 少年は男の指差す方を見つめる。その方向は街道の先、町の灯りがうっすらと見える。今夜はあの町で過ごす予定だ。

 

 町の向こうへも道は続く。街道沿いには多くの町や集落があり、その果てには世界の中心・迷宮都市オラリオがあるはずだ。

 

「オラリオにいる神様がなにかしたのかな?」

 

「はははっ、そうかもしんねえな!」

 

 男もどうやら持ち直したらしく、それを見て少年の表情もまた明るくなる。

 

 

 男は行商人だった。

 オラリオへの道すがらこの少年と出会い、旅路を共にしていた。

 田舎を出たばかりで、まだ人を疑うことを知らない純朴な少年が、男のようなお人好しに出会えたのは幸運といえよう。

 

「ねえおじさん。オラリオにはあと何日ぐらいで着くかな?」

 

「そうだなあ、順調にいけば十日ってとこじゃないかい」

 

「十日かあ」

 

 世界の広さに比べればそれほど遠い道程では無いが、少年にとっては遥かに遠い場所のように感じる。

 そんな遠きオラリオへ、少年は思いを馳せる。

 十日後の自分は、オラリオに着いてはしゃいでいるのだろうか。あまりの喧騒に右往左往しているだろうか。

 二週間後の自分は、どこかの眷族(ファミリア)の一員となって、未だ見ぬ神様や仲間たちと仲良くやっているのだろうか。寂しくて泣いてしまってはいないか。

 一か月後の自分は、もう地下迷宮(ダンジョン)に潜っているだろうか。

 ────運命の女性(ひと)には会えただろうか。

 

 そんなことを想像していると、少年はなんだか可笑しくなってしまった。

 

 男はそんな少年を見て、なにやってんだかと笑う。

 

「まあ気を付けろよ? オラリオにはいろんなやつがいる。そりゃあ俺なんかよりよっぽどいいやつだってたくさんいるが、とんでもねえ悪党もたくさんいるからな。

 おまえは見た目でナメられやすいから、気ぃ引き締めていくんだぜ、クラネル」

 

「うんっ! ありがとう、おじさんっ!」

 

「そういうとこ、本当心配なんだがなあ」

 

 素直にすぎる少年に、男は苦笑する。オラリオでは苦労するんじゃないかと、男は心配になる。

 

 白髪紅眼の少年ベル・クラネルを乗せた馬車は、少しずつ少しずつオラリオに近付いてきていた。

 

 

 ◆◆

 

 

「ん……」

 

 敷物の上に寝かされていたレフィーヤの意識が回復し始める。

 

(私、生きて……)

 

 だんだんと思考がまわり出す。

 意識を失う直前に瞳に映ったのは、地平線の向こうからお日様が戻ってきたかのような光景だった。

 大魔法

 魔力は感じなかったが、それと同等以上の規模だったとレフィーヤには思える。

 クリリンが自分たちを殺すはずはないとわかってはいたが、「あ、わたし死んだ」と思わずにはいられなかった。

 

(あれだけの速度で空を飛びながらあんな大技を………)

 

 それまで圧倒的な身体能力や体術ばかりに目が向いていた。しかしここにきて、あんな隠し玉があったとは。

 レフィーヤの気が抜ける。

 引き出しが多すぎだ。

 もうちょっとなんとかなるものと思っていたら、最後の最後で突き放された気分だった。

 体術だけでもレフィーヤは瞬殺されたのに、飛行の技やあの光の弾幕をからめられたら、いよいよもって手が付けられない。

 

 一方で、クリリンの動きがレフィーヤの理想の先にあるとも思っていた。

 

(並行詠唱……)

 

 魔法の暴発等を防ぐため、通常は静止して行う詠唱を、動きながら行う離れ(わざ)

 ただ、今のレフィーヤにはおいそれと習得できるものではない。

 

(それとも、魔力を感じなかった、というのがヒントになる……?)

 

 枕上で思考に耽っていたレフィーヤがふと、近くから漂ってくる香りと体温に気付く。

 

 なんだろうと思い、頭を向けるレフィーヤが直後かたまった。

 

 

(天使ッ…………!!)

 

 レフィーヤの眼前には、すうすうと寝息を立てるアイズがいた。

 レフィーヤは自身の内から湧き上がるナニかを必死に押し止めようとする。

 

(あ、あああ、アイズさんッッ! 肌白いッ! まつげ長ッ!!)

 

 いまだかつて、アイズとレフィーヤがこれほどまでに接近したことがあっただろうか。

 

 アイズの艶やかなくちびるにレフィーヤの目が吸い寄せられる。

 ごくりと喉を鳴らす。

 

(な、なにこの胸の高鳴りは………?

 だ、ダメだって!)

 

 ほぼゼロ距離で放たれるアイズの神々しさが、レフィーヤに自身が女であることを忘れさせる。

 

(アイズさんッ………!)

 

 この力には抗えない。レフィーヤの理性がまさに決壊する寸前────

 

「レフィーヤ、気が付いたか」

「はぁうっ!?」

 

 頭上から降ってくるリヴェリアの玲瓏な声にレフィーヤは飛び起きる。

 

「アイズなら無事だ。レフィーヤより先に一度めざめたが、また寝てしまったようだな」

 

「そ、そうですかあ………」

 

 自分の粗相がバレておらず、レフィーヤは胸を撫で下ろす。

 そんな内心は知る由もなく、リヴェリアはレフィーヤに微笑む。

 

「よくがんばったな」

 

「リヴェリア様?」

 

 突然の賛辞に、レフィーヤはきょとんとする。

 

「おまえは堂々と戦い抜いた。私から見てもクリリンという男は強かった。心が折れても、自分を見失うことになっても、誰もおまえを責められやしなかったろう。

 だが、おまえは最後まで戦った」

 

「───!」

 

「おまえが今日一番大きく成長したかもな」

 

 リヴェリアの口もとがゆるむ。レフィーヤの成長を、リヴェリアもまた心から喜んでいた。

 

「いえ、わたし一人ではとっくに折れていたと思います」

 

「ふむ」

 

 レフィーヤは今日を振り返る。

 

「アイズさんたちも、そしてクリリンさんも、みなさん本当に強かったです。私じゃどうしようもないと思いましたし、どうこうしようという気も失せるところでした」

 

「………」

 

「ですけどクリリンさんが、私が強くなればそれだけアイズさんたちの力になれるって言ってくれて……

 えへへ、単純ですよね私」

 

 レフィーヤが困ったように笑う。

 

「事実だ。クリリンの言う通り、我々はおまえの力を必要としている」

 

「リヴェリア様……」

 

 レフィーヤの顔が熱くなる。

 

「リヴェリア様、明日から並行詠唱の手ほどきをお願いしてもいいですか?」

 

「よかろう。だが遠征も近い。無理に自分の戦法(スタイル)を変えようとはするな」

 

「はい、わかっています」

 

 そんな師弟のやりとりが終わるのを見計らったかのように、向こうから歌声が聞こえてくる。

 

 それを聞いた二人の表情がなんともいえないものになる。

 

「こ、これは」

 

「どうも、音痴の一言では済ませられない何かがあるな………」

 

 リヴェリアたちが歌声の発生源を見ると、そこにはガレスと肩を組んでいるクリリンがいた。

 

「よっ! クリリン、ニッポンイチー!」

 

 そこへティオナが極東風に囃し立て、農夫たちはやんややんやと一緒に歌い踊る。

 

 ティオナの横ではアキが、これまたどう反応していいかわからない表情をしていたが、その背後でしっぽがひそかにリズムをとっている。

 

「まあ、わるくはないわね」

 

「いや独特すぎんだろーがよ………」

 

 ティオネにはおおむね好評な一方、ベートがもっとも常識的なコメントをする。

 

 

「ん……クリリン……?」

 

「目が覚めましたか、アイズさん」

 

「……なに、このうた?」

 

「ははは……」

 

 レフィーヤの傍で寝ていたアイズも目が覚める。

 

「アイズも起きたことだ、我々も向こうに行くか。おまえたちもすっかり空腹だろう? 今晩は饗応(きょうおう)を受けるとしよう」

 

「うん」

 

「はいっ」

 

 リヴェリアたちがクリリンたちのもとへ、騒ぎの渦中へ向かう。

 

 

猛者(おうじゃ)】の昇格(ランクアップ)から始まった長い一日は、ようやく更けていくのだった。

 

 ◆◆◆

 

 

 アイズたちとクリリンの邂逅(かいこう)から、明けて翌日。

 

 

 オラリオ北端にある【ロキ・ファミリア】本拠(ホーム)・黄昏の館。

 

 およそ十日後に大規模遠征を控えた彼らの館は、どこもかしこも多くの団員と物資が出入りし、そこらじゅうから声が飛んでくる。

 

 そんな慌ただしく騒がしい館の中で、まるでそこだけ別世界のような、重苦しい空気に包まれた一室があった。

 

 

 執務室

 

 

 

 団長フィン・ディムナの前に幹部全員が神妙にしていた。

 

 内、アイズとティオナは誰に何を言われるまでもなく正座している。ティオネに至っては土下座だった。

 

 しん、と静まりかえった部屋で、口を開いたのはフィンだった。

 

「まさかリヴェリアとガレスがその場にいながら、こういうことになるとはね」

 

 表面上は軟かい態度だが、その実、目は笑っていない。フィンが相当にご立腹なことは、付き合いの深い幹部たちには容易に知れることだ。

 

「フィンー、勝手に暴れたのはわるかったけど、クリリンたちとも仲良くなれたからさー、これからのことを話し合おうよ?」

 

 重い空気に耐えかねて、なんとか場を明るくしようとティオナが提案する。

 

「それでは僕の気が済まないな。一昨日決めたことは、いわば家族で交わした約束だ。

 それを、特に危機が迫っている状況でも無いのに、一方的に破られた僕はただただ悲しい」

 

「う……ごめん、フィン」

 

 フィンは理屈だけでなく情にも訴えてくる。むしろティオナはそういう攻めの方が弱かった。あっさりと音を上げてしまう。

 

「僕とて、何も規則を形式的に守らせることに拘泥(こうでい)しているわけじゃない。

 君達は幹部だ。僕がいなくても、状況に合わせて最良の判断をすることが求められる。場合によっては規則にとらわれない判断こそが、最良の結果につながることもあるだろう」

 

 ただし、とフィンは続ける。

 

「今の君達の釈明を聞くに、僕との約束を違える合理性が無い」

 

 フィンの言葉に、場の雰囲気はいっそう沈む。

 

「リヴェリア、そしてガレス。

 君達に罰則を適用する。ただし、長年の団への貢献と、遠征前という事情に照らし酌量はする」

 

「待てよ、フィン!」

 

 フィンの言葉をベートが遮る。

 

「ベート、発言を許可したつもりはないよ」

 

「────ッ!」

 

「まあいいか。言ってごらん」

 

 フィンに促され、ベートは口を開く。

 

「………リヴェリアとガレスは、俺たちが戦おうとするのを何度も止めようとした。

 それを振り切って自分の欲を通したのは俺だ」

 

「うん、それで?」

 

「だからまずは俺を───」

 

「何を言っているんだ? ベート」

 

 フィンの返答に、ベートが、アイズとティオナもまた、意図がわからず唖然とする。

 一方、リヴェリアとガレスは全部わかっているのか何も言わない。

 

「リヴェリアたちがいた以上、責任をとるべきはまず彼女たちだ。

 彼女たちが負うべき責任を、部下である君が負いきれるわけないじゃないか。

 ベート・ローガ

【ロキ・ファミリア】はまだ君にそこまでの立場を与えた覚えは無いよ」

 

「~~~~ッ!」

 

「それに夕べは満月だった。ベートがより好戦的になってしまうのはやむを得ない面もある。それはみんな理解していたことだろう?

 だからこそ周囲が強く止めるべきだった。いくら獣性が高まったところで、ガレスとリヴェリアの二人がかりで止められないってことは無いはずだよ」

 

 これは、フィンなりの若者への寛恕(かんじょ)という面もある。

 しかしベートにとって、自身の失態で他者が罰せられるのは耐え難い。

 フィンもそれはわかっており、それがある意味ベートへの処罰であった。

 

「いいんじゃ、ベート。こうなることはわかっておったわ」

 

「ジジイ………!」

 

「さてフィン、いかなる罰も受けよう」

 

 

 ガレスの横でリヴェリアもまた瞑目し、フィンの処断を受け入れる構えだ。

 もうベートも何も言えず、ただ奥歯を噛みしめていた。

 

 

「待って、フィン」

 

 再度、静まりかえった部屋に涼やかな声が通る。

 

「今度はアイズか。なんだい、言い忘れていたことでもあったのかい?」

 

 

 フィンの言う通りアイズにはまだ切り札があった。

 こういう場に慣れていないアイズは、切るタイミングをなかなかつかめなかったのだが。

 

「昨日、クリリンと話をした」

 

「うん」

 

「それで私はクリリンに『キ』っていう技を教えてもらえることになった。

 これはクリリンが空を飛べることにもつながる技だって聞いた」

 

「!?」

 

 これはフィンも予想していなかった。本当だとしたら最上の成果が得られたことになる。しかし、真に驚愕するのはここからだ。

 

「クリリンはこんなことも言ってた。この世界には何体も『大魔王』のようなものがいるって」

 

「はあ!?」

 

 さすがのフィンもすっとんきょうな声を上げる。

 リヴェリアもガレスも、ベートたちも思い思いに驚愕を(あらわ)にする。

 

「それ、世界は大丈夫なのかい?」

 

「【猛者】よりもっともっと強いってクリリンは言ってた。でも今は特に動きはないし、『いいやつ』もたくさんいるからって。

 あと、クリリンなら一発で倒せるって」

 

「………なるほど」

 

 フィンは深いため息をつく。

 ことの真偽はこれから裏を取らなければならないとはいえ、これほどの成果を持って帰ってきたのだ。評価は改めなければならない。

 

「確かにそれは少しでも早く入手しておきたかった情報だ。アイズ、それについては高く評価するよ。よくやった」

 

「うん、だからリヴェリアたちの処罰は………」

 

「わかっているよ」

 

 フィンは少し考えて口を開く。

 

「副団長リヴェリア・リヨス・アールヴには、別に指定する団員がすべき遠征前の任務の一切を代わりに引き受けることを命じる。

 ここで指定する団員とは、アイズ・ヴァレンシュタイン、ベート・ローガ、ティオネ・ヒリュテ、ティオナ・ヒリュテの四名とする」

 

「了解だ」

 

 リヴェリアは逡巡無く受け入れる。頭上に疑問符を浮かべているのはアイズたちだ。

 

「続いてガレス・ランドロックには」

 

 ガレスが静かに言葉を待つ。未来を担う若者たちのために、どんな命令も受け入れるという気概が見てとれる。

 

 フィンはそれを見て、にやりと意地の悪そうな笑みを浮かべて言った。

 

「現時刻より禁酒を命じる。解禁の日時は遠征出発日前日、壮行会の乾杯の時だ」

 

「!?」

 

 決意に身を固めたガレスにひびが入る。何か言いたそうにしつつも何も言えず、萎れていった。

 

「………プスー」

 

 それを見て必死に笑いをこらえようとしたが、つい息が漏れてしまったのがティオナとベートだ。

 

「で、フィン。俺たちはどうすんだよ。部屋に軟禁か?」

 

 笑いをこらえきれず目じりに浮かんだ涙を拭いながら、ベートはフィンに問う。

 

「君達には出向してもらうよ。まあ相手の返答しだい、だけどね────」

 

 

 

 フィンの話を聞き、驚きながらも了承したアイズとベートは執務室を出る。

 

「ティオネー、いつまで土下座してんのさー。早く部屋に戻ってあたしたちも準備しなきゃ」

 

「団長~~申じ訳ありまぜん~~!」

 

「もうっ! 引きずっていくからねっ!」

 

 アマゾネスの姉妹も慌ただしく執務室の扉に向かう。

 

「あ、そうだフィン」

 

 扉を開ける寸前、ティオナが振り返る。

 

「ロキどこいったの? ステイタスの更新したいんだけど、探しても見つからなくって」

 

「ああロキなら、夕べラウルを連れて夜通しの飲みに出たよ」

 

「今日中には戻ってくるかな~」

 

「ラウルも付いてるから多分、としか言えないけどね」

 

「うん、わかったー」

 

 じゃあね~フィン、と言いながらアマゾネスの姉妹も扉の向こうに消えていった。

 

 

 

 その夜のこと。

 本拠に戻ってきたロキが何度も叫び声を上げ、ロキの私室に文句を言いにいった団員たちがさらに叫び声を上げるという事態に、リヴェリアが雷を落とすというちょっとした騒ぎが起きた。

 

 ◆◆◆◆

 

 

 

 太陽が地平線から顔を出して間もない早朝、アイズは市壁の外にいた。

 

 前回ここに来てからまだ二日と経っていない。しかし、アイズは見違えるほど成長した。

 それもそのはずだ。

 

 前夜、ようやくクリリンとの戦闘経験をステイタスに反映させたのだが、上昇幅がとんでもなかった。

『昇格』こそ果たせなかったが、能力段階はオールS

 レベル5後期にして熟練度上昇トータル1000オーバー

 最近のアイズが半月に渡る長期遠征で得ていた上昇値は20足らずだったことを考えれば、あの一戦で遠征二年分にも相当する経験を積めたことになる。

 いや、熟練度は極めるほど上がりにくくなり、また各能力をバランス良く鍛えるのも困難なため、それ以上の価値があるはずだ。

 

 ティオネやティオナ、ベートも似たような上昇率だったらしい。

 これが、昨夜の【ロキ・ファミリア】絶叫のあらましだった。

 

 

 そして

 

 

(おめでとう、レフィーヤ)

 

 

 レフィーヤ・ウィリディス

 Lv.3→Lv.4

 

 

 一途なエルフがパーティーで唯一、昇格を果たした。今日の昼にでもギルドに報告する予定だ。

 

 

 

 アイズが風に吹かれていると、すぐ傍から耳になじんだ仲間たちの声が聞こえる。

 

「この服、なんかヒラヒラしてかわいいね。スカートって動きにくいかなって思ってたけど、そんなことないし」

 

「サイズもピッタリなのが地味に驚くわ。団長が話を持ちかけてから半日で用意できるなんて、仕事が早いわね」

 

 そこにはエプロンドレスを身に纏うティオナとティオネがいた。

 

「二人とも、似合ってる」

 

「あら、ありがと」

 

「アイズもすっごいよく似合ってるよ! なんか新鮮~」

 

 アイズも二人と同じようにエプロンドレスに身を包んでいた。

 

「けっ」

 

 アイズたち三人が新たな装いに浮わついている横で、ベートが不機嫌そうに歩いている。ここぞとばかりにティオナがからむ。

 

「ベートもよく似合ってんじゃーん」

 

「るっせー、こっち見んな!」

 

 ベートもまた普段と趣が違う装いだ。オーバーオールに麦わら帽子、首には手ぬぐいと、すっかり畑に出る者の服装である。

 帽子から覗く鋭い眼光と顔の刺青(いれずみ)だけが、かろうじて冒険者の名残をとどめている。

 

 

「まさか私たちが【デメテル・ファミリア】に出向するなんてね」

 

 ティオネたちがフィンから命じられたのは、【デメテル・ファミリア】での奉仕だった。

 

「へっ、フィンの魂胆はわかってるぜ。ババアに俺たちの仕事を押し付けてまでやらせんだ、クリリンの監視をしろってこったろ」

 

「え、そうなの!? でも監視って、感じわるーい」

 

「………クリリンのスピードじゃ、監視できないと思う」

 

「監視じゃなくて、要は仕事を手伝いながら、クリリンの動向をチェックしたり情報を入手しなさいってことよ」

 

「おおっ!? なんかスパイみたいだ!」

 

「ああ、アンタは仕事だけ手伝ってればいいわ。というか下手に動くな。追い出されるから」

 

「なにをーー!?」

 

「……まずは、しっかり仕事を手伝うことが大事」

 

「そうね、アイズの言う通りだわ。それにクリリン相手にこそこそしたって無駄でしょうし」

 

 四人が農道に入っていくと、前から一人の婦人が歩いてきた。

 

「皆さん、おはようございます」

 

「おはよーございまーす!」

「おはよう」

「……おはよう、ございます」

「……おう」

 

 お互いにあいさつを交わし、連れ立って農道を進んでいく。

 

「向こうの広場に軽食をご用意しています。そちらを召し上がっていただきながら、本日の予定を説明いたしますわ」

 

「わあっ! この間のごはん、すっごいおいしかったから楽しみ!」

 

 婦人の言葉にティオナがうきうきする。

 

「よく私たちを受け入れたわね。農業の知識なんてまるでないわよ? まあ力仕事なら任せてくれていいけど」

 

「収穫が重なる日程だったので、人手は必要でした。皆さんのような第一級冒険者の方々にご協力いただけるのは恐縮ですが」

 

「いいのよ。おとといは騒がせちゃったし」

 

 婦人とティオネが話しているのを聞きつつ、アイズは風景に目を移す。

 

(ここが、クリリンの住む世界……)

 

 どこまでも畑が続いている風景を前に、アイズはあらためてそう思う。

 

「んーー、遠征始まったらしばらく地上ともお別れだし、今のうちにたっくさん日光浴しとこうっと」

 

 アイズの隣で、ティオナが大きく伸びをする。

 それを見て、本当に平和な世界だとアイズは思う。

 

「はっ、最強の男の職場(戦場)にしちゃ、ずいぶんヌルいじゃねーか」

 

 そんなことをベートが言った直後だった。

 

 

 

 轟音がベートたちを襲う。

 大気はびりびりと震動し、この地のありとあらゆるモノが、地上に降りた大いなる力に目を見開く。

 

「なあっ───!?」

「なにいまの!?」

 

 先頭を行く婦人がびっくーんと硬直し、ベートたちも戦慄する。

 

(相手は、誰だ………!?)

 

 瞬間的に全員が一方の当事者をクリリンと決め付ける。ただ、相手が問題だった。

 

「強い───! 相手は私たちよりも遥かに────!」

 

 畑の外れから伝わる緊張に、アイズもまた身を固くした。

 

 アイズたちが相手の正体を必死で探るなか、婦人だけはクリリンの相手を知っていた。

 

「ちょっとだけ見に行ってみましょうか」

 

 硬直から立ち直った婦人が促す。

 

「お姉さん、なんでそんなに冷静なの?」

 

「なるほどね、相手はクリリンの『客』ってことか」

 

「おら、さっさと行くぞ」

 

「……はい」

 

 四人が婦人に続く。

 

 

 

 広場を望む草原に二体の怪物がいた。

 

 

 一人は都市最強の男、クリリン

 

 

 もう一人は

 

猛者(おうじゃ)】オッタル

 

 

 三日前にこの地で激闘を繰り広げた両者が、いま再び相見(あいまみ)える。

 

 広場には二人を見守る影がある。

 クリリンの同胞たる【デメテル・ファミリア】の農夫たちだ。

 

 

「お、【猛者】!?」

 

 そこへ婦人と、ティオナたち【ロキ・ファミリア】の四人が駆け付ける。

 

「………猪野郎か!!」

 

 ベートがオッタルを睨む。

 

 

 

「おおおおおお!!」

 

「───」

 

 オッタルとクリリンがぶつかり合い、閃光と衝撃が再びこの地を走り抜ける。

 

「くっ────!?」

 

 ティオネが衝撃に顔を歪める。

 三日前の記憶がよみがえるが────

 

(化け物だ、どっちも!!)

 

 昇格を果たしたオッタルは、三日前とは完全に次元を異にしていた。

 だが、格段に腕を上げたオッタルに、クリリンは当たり前のように付いていく。

 

 二人の一瞬の攻防は

 

「三手!?」

「……私は四手に見えた」

 

 実際にはあの一瞬で二人は七手交わしている。

 これまでのオッタルならば一方的に打たれていたはずのクリリンの猛攻を、オッタルはことごとく剣で打ち払っていた。

 

 いったん、両者が距離をとる。

 

「へぇ~~、本当に強くなったんだな」

 

 クリリンが感心する。

 

「礼を言うぞ、クリリン。おかげで認識のずれは解消した」

 

「そいつはどーも」

 

 オッタルは恐ろしいスピードでレベル8の肉体を我が物にしていた。

 当然、オッタル自身の力でもあるが、クリリンのサポートも大きかった。

 クリリンにとって、英雄のサポートはずっとやってきたことだ。

 

「───さて、準備運動(ウォーミングアップ)はここまでだな」

 

 

 ───ここからまだあがるのか!?

 

 アイズたちが唇の動きでオッタルの言葉を察し、愕然とする。

 

 

「おまえ……服とかよごれても知らないぞ?」

 

 ───クリリンも、そこでボケるな!

 

 アイズたちが内心でツッコむが、クリリンはいたって真面目である。

 

 

 オッタルがゆっくりと構え直す。

 

 瞬間

 

 オッタルはクリリンの懐にいた。

 

 アイズたちは瞬きするのも息をするのも忘れていた。

 もはや目で追えるレベルでは無い。

 ただ何か、とてつもないことが二人の世界で起きている。

 それだけは、全身全霊で感じていた。

 

 腰を落とし体を沈めたオッタルが、地を蹴り全身をはね上げながら大剣を振るう。

 彼ら二人のいる世界に入り込めるほどの達人ならば、クリリンが大剣の前に両断される姿を、あるいは見えたかもしれない。

 

 だが───

 

 

 オッタルの大剣は空を斬るのみだった。

 オッタルの体が流れる。

 その隙が見逃されるほど、オッタルの相手は甘くなかった。

 

「おりゃっ!」

 

 クリリンの大砲が火を噴く。

 オッタルは直後、地平線の彼方へ消え、轟音が彼の後を追いかける。

 

「え!? 【猛者】が消えた!?」

 

 何が起きたのか、事象に全く追い付けないティオナがうろたえる。

 

 全員の視線を集めるクリリンが飛び立って、地面と平行に飛んでいくオッタルを追う。

 オッタルを追う轟音をクリリンはあっさり追い抜き、オッタルをも捉える。

 

 

 そのころ、取り残されたアイズや農夫たちは見た。

 クリリンが飛んでいった方向の地平線の向こうで土煙が上がったのを。

 何かが破裂したような爆音を聞いたのは、それから数瞬経ってからだ。

 

 

「……………………」

 

 しーん、と場が静まる。鳥のさえずりすら聞こえなかった。

「クリリン実はレベル9説」が浮上した瞬間だった。

 

 

「ま、まあ【猛者】さんはクリリンさんに任せて、私たちは食事にしましょうか」

 

「お姉さん、慣れすぎっ!!」

 

 ティオナの声が草原にこだまする。

 

 しばし婦人の背中を憮然と見ていたアイズたちは、やがて何かを吐き出すように大きく息をつき、婦人のもとへ向かう決意をする。

 

 草原を渡る風に、アイズのドレスの裾が(ひるがえ)る。

 

 四人はクリリンの住む果てしなき世界に、足を踏み入れていった。



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其ノ十 炉神

 

 

 

「ごめんなさいでしたっ! ガネーシャ反省っ!!」

 

 男神の声が酒場に響き渡り、給仕人(ウェイター)は何事かと視線を動かす。

 象頭の被り物をした男神が額を床に(こす)り付けている、そんな姿が彼らの目に入った。

 

 大柄な男神が床に這いつくばっているのは、誰の目にも奇異に映る。

 たくましく浅黒い肉体をした男神・ガネーシャが謝意を向けるのは、女神であった。

 

 ふわふわした蜂蜜色の髪を背に流した女神・デメテルは、柔和な目尻に困惑の色を浮かべていた。

 足もとに半裸の大男がひれ伏しているのはどうにも居心地が悪く、周囲の視線も痛い。

 

「まったく、ガネーシャはしゃーないなぁ」

 

「ロキ、貴方ねぇ……」

 

 まるで他人事のように言う女神・ロキに、デメテルに代わって非難の目を向けるのは燃えるような色の髪をしたもう一柱(ひとり)の女神である。

 

 鍛冶神・ヘファイトストス

 

 彼女が主宰する【ファミリア】こそ、オラリオで最も有名な鍛冶の派閥である。

 この【ヘファイトス・ファミリア】の職人が鍛え上げた数々の名作は、常に英傑と共に在った。

 中でも上級鍛冶師(ハイ・スミス)、まして最上級鍛冶師(マスター・スミス)の作品ともなれば、それを手にすることは冒険者にとって最上の誉れとされ、武具というより栄典(トロフィー)にみられてしまうこともよくある話だ。

 

「ファイたーん、そんな睨まんといてやぁ。ウチはただ、『新王者の誕生や、盛大に祝ったろ!』って()うただけや~」

 

「その『ファイたん』って呼び方はどうにかならないのかしら……」

 

 聞き入れられない永年(長年)の抗議は、もはやヘファイトスの独白になりつつあった。

 

 ちょうどアイズたちが市外の丘にいた時、とある酒場に四柱(よにん)は集まっていた。

 入り組んだ路地の奥にひそむこの場所は、すっかり世を忍んでいる。入口は地階に潜り、そこへ続く階梯(かいてい)を小さな魔石灯が(ほの)かに照らす。黄昏の路地裏に浮かび上がるそればかりが、此処(ここ)にたどり着く(かす)かな手掛かりだった。

 

 オラリオでも高名な神々の話題を独占しているのは、デメテルの眷族()・クリリンである。

 とりわけ今は、クリリンと【猛者(おうじゃ)】の激闘の後、神輿を担いで騒ぎを大きくした神と、それを煽動した神が、ヘファイストスにジト目を向けられていた。

 

「もうっ、ロキは昔からいたずらっ子なんだから」

 

「い、いたずらっ子かあ……」

 

 泣く子も黙る天界の道化師(トリックスター)ロキも、地母神の正当なる後継者デメテルにかかっては子供扱いだった。

 大女神の懐の深さをそのまま表しているかのような胸元、小さな動きで大きく揺れるソレが目に入り、調子に乗って軽口を叩いていたロキが思わず素に戻る。

 そこらの凡神(ぼんじん)がこんな口を利けば、ロキの気分によっては派閥(ファミリア)ごと消されかねないが、そうはならないのはひとえにデメテルの神徳(じんとく)と威光ゆえである。

 

「ほら、ガネーシャも。せっかくの食事が冷めてしまうわ。早くいただきましょう?」

 

「寛大な御心にガネーシャ感服っ!!」

 

「おお……これが大女神デメテルか」

 

「貴方たち……いつか祟られるわよ……」

 

 ガネーシャとロキに、ヘファイストスは呆れてつい(たわ)いないことを言う。

 

(神が神を祟るとは一体……)

 

 そんなことを、それぞれの神の護衛役は内心でつっこんでいた。

 

 神々は気を取り直して乾杯し、杯を(あお)る。

 

「クリリンか。本当に凄い子が現れたものね」

 

 ヘファイストスの置いた杯が、コトリと音を立てる。

 

「ホンマになぁ。アレでレベル1っちゅーんやから、たまらんわー」

 

 ぷはぁっとロキが息を吐く。杯はすでに空いていた。

 

「せや、デメテル────」

 

 ロキはデメテルの方に身を乗り出して問う。

 

「これを機にウチの首を、都市の覇権を狙ってたりするんか?」

 

 

 空気が凍った。

 

 

「お、おいロキ」

「貴方、何を!?」

 

 物騒なロキの言葉に、ガネーシャとヘファイストスが慌てる。

 ずいぶん丸くなったとはいえ、天界にいた頃の悪神(道化師)ロキを二柱(ふたり)が忘れるわけが無い。

 

 そして同時に二柱は()()を突き付けられる。

 見ない振りをし、後回しにしようとしていた事実が、二柱の前で鎌首をもたげていた。

 

 新たな王者の到来。

 

 それは都市の勢力図をたった一人で塗り替える。

猛者(おうじゃ)】にあんな勝ち方をしたのだ。クリリンという男に正面から対抗しようとすれば、【フレイヤ・ファミリア】も【ロキ・ファミリア】も、全てを(なげう)たねばなるまい。

 二大巨頭でもこれなのだ。他の派閥に関しては、はっきり言って俎上(そじょう)に載せる気にもならない。

 

 ガネーシャにもヘファイストスにもわかっていた。いまや【デメテル・ファミリア】は最強クラスの派閥に変貌したのだ。

 突飛な物言いはロキの言葉を冗談めかす。

 しかし、道化を装う表情の裏でロキはけっこう本気でデメテルの真意を探っている。それに気付かぬ二柱ではなかった。

 当然それはデメテルにも知れるところであり、ふぅっと悩ましげにため息をついてからロキに言葉を返す。

 

「ロキったら急に変なことを言うのね。都市の覇権なんて、興味ないわ」

 

 デメテルが(かも)すおっとりとした空気に、物騒な気配が霧散する。神々の背後で護衛役(こどもたち)がひそかに息を吐いていた。

 

「ひひひっ、まあデメテルのことやからそう言うと思っとったで!

 おーーい、にいちゃん! おかわり頼むわー」

 

 どこまで本気であったのか、しかしロキはもう調子を戻している。その横でヘファイストスは疲れた表情を浮かべていた。

 

「おーーーい、にいちゃん? ……何かあったんか?」

 

 呼び掛けに鈍い店内を見回せば、給仕人の気配が遠い。

 

「外で何かあったみたいね」

 

 ヘファイストスがそう呟く。

 

「よしっ! ガネーシャが見てこよう!」

 

 ドタドタと騒がしく外へ出ていくガネーシャを、護衛が慌てて付いていく。

 

「デメテル、ファイたん、ウチらもいこかっ!」

 

「えぇ??」

 

「しょうがないわね……」

 

 テーブルには護衛役を一人だけ残し、ロキたちも外に出る。

 

 店から這い出てみれば、路地裏は賑わっていた。

 これほどの人影を今までどこに(かくま)っていたのか、閑散としていたはずの通りは(にわか)に活気づいていた。

 

「なんや、喧嘩でもあったんかいな?」

 

「でも子どもたちを見てると、そうでもなさそうだけれど……」

 

 ロキとデメテルが辺りを見回していると、ガネーシャが騒々しくこちらへ戻ってきた。

 

「空が光ったらしいぞ」

 

 ガネーシャの第一声はそれだった。思わず三柱は目が点になる。

 話を掘り下げてみれば、さっきまで市壁の外から音や魔力の波動が伝わってきていたらしい。

 

 それを聞いたロキとデメテルの表情がなんともいえないものに変わる。

 いやこの二柱でなくとも、何者かが市壁の外で恐ろしいレベルの戦いを繰り広げていたことは想像に難くない。

 

 問題は誰が戦っていたか、であるが────

 

(空を光らしたんは、まあクリリンのしわざやろな。相手はアイズたんか、それともどこぞの怪物か……いずれにせよ)

 

 ロキが空を見上げる。

 

(空が光ってから音沙汰無くなったっちゅうことは、決着はついたんやな)

 

 双方のどちらが勝ったかは考えるまでもなかった。

 

「ロキ、デメテル、貴方たち何か心当たりがあるんじゃないの?」

 

「なにっ!? そうなのか!?」

 

 ヘファイストスが訝しみ、ガネーシャの意識もロキたちに向く。

 

「さてな、ウチらは何も知らんよ。な、デメテル?」

 

「ふふ、そうね」

 

 さも何か知っていますと言わんばかりのやりとりであったが、ヘファイストスは追求する気にはなれなかった。

 

「ファイたん、なんやお疲れやなあ」

 

「誰のせいだと思っているのよ……」

 

「まーまー、戻って飲み直そ!」

 

 ロキを先頭に、神々は再び路地裏を覆う宵闇に姿を(くら)ませるのだった。

 

 

 

 ◆

 

 

「まあ! ヘスティアが地上に?」

 

 そろそろ日付も変わろうかという深夜の通りを、デメテルとヘファイストスは歩いている。

 日ごろ規則正しい生活を送っている二柱にとってはずいぶんな夜更かしだ。ロキとガネーシャはまだ飲むらしく、デメテルたちとは別れて色とりどりの魔石灯がきらめく不夜の街に消えていった。

 

「私も地上に降りてからけっこう経ったから、本当に久しぶりね」

 

 帰路の途上で話題に上がったのは、デメテルにとってもヘファイストスにとっても親交の深いとある女神。

 

「ヘスティアってば、いつ降りてきたのかしら?」

 

「………………」

 

 この後ぼそりと呟くヘファイストスの言葉を聞いて、デメテルは唖然とすることになる。

 

「何か月も前に降りてきていたなんて…………私ちっとも気が付かなかったわ」

 

 都市の喧騒から遠いようでいて、実のところデメテルは情報通だ。というのも、都市内の女神ネットワークの中心にいるのがこのデメテルだからである。

 広場で、カフェで、浴場で。

 何柱もの女神が集まっては膨大な量の情報が交わされていく。特に色恋沙汰は大好物だ。

 

 そんなデメテルをして、ヘスティア降臨の報は初耳だった。

 

「それはそうよ。あの子ってば私のところでずーーーーっと引き籠っていたんだから!」

 

「あ……あら」

 

 ぷんぷんしているヘファイストスを宥めようにもデメテルは言葉が見つからない。

 

 

 炉の女神・ヘスティア

 

 

 およそ神格(じんかく)破綻者しかいないともいわれる天界にあって、貴重な善神の一柱である。

 美醜や位階といったことに拘らず誰に対しても分け隔てなく接するのが美徳で、同じ神として驚くほど(やま)しいところが無い。

 この点についてはデメテルもヘファイストスも好ましく思っているのだが。

 

 いかんせんヘスティアは超が付くほどマイペースだった。

 天界が戦乱の中にあった時なんてあの女神はなんと言ったか。

 

 ────ボクはこの戦いに関与しないよ。炉を見てなきゃいけないし、そもそも興味もないからね。

 ああでも、神殿(うち)に遊びにくるのは一向に構わないよ。神殿を話し合いの場にしたいというなら提供もしよう。

 ただし喧嘩は駄目だ。争いは他所(よそ)でやってくれよ?────

 

 この言い分を大神は通したというのだから二重で驚きだ。

 そして言葉通り、ヘスティアは中立で在り続け、最後まで神殿に引き籠り続けた。

 そういうヘスティアの超然とした一面も、それが許される立場だったことも、ヘファイストスとしては羨ましく、また感心するのだが。

 

「ヘスティアはさっそく地上の洗礼を受けたのね」

 

 デメテルは遠き日の自身を顧みてそう呟く。

 地上はこどもたちの世界だ。

 悠久を生きる神々にとって、人の世は儚く、慌ただしい。

 千変万化、万物流転。

 しかし、これこそが地上に生きる醍醐味(だいごみ)というものだ。

 が、浮世は早々にヘスティアを置き去りにしたらしい。

 

「いつまで経ってもグータラしていたから、こないだ叩き出してやったわ」

 

 ふんっ、とヘファイストスが鼻を鳴らす。

 地上に降りたヘスティアがまず当てにしたのがヘファイストスだった。

 姉御肌のヘファイストスは旧友の頼みを快く引き受けた。ヘスティアが自分の派閥(ファミリア)を立ち上げるまで全面的な支援を約束したのだ。

 しかしこれが裏目に出た。当座をしのぐ当てが出来たヘスティアは、生来のマイペースぶりを発揮した。

 明日から本気だす──────そんなヘスティアの言葉をヘファイストスは何十回聞いただろうか。ヘスティアは何も変わらぬまま月日は幾つも流れ、季節はひとつふたつと移り変わっていった。

 神々からすれば瞬きほどの時間。しかし地上の感覚に染まって長いヘファイストスが我慢の限界に達するには十分な時間だった。

 

「あらあら、ヘスティアったら」

 

 くすくすとデメテルが笑う。

 

「笑いごとじゃないわよ……」

 

「うふふ、ごめんなさい」

 

 振り回されたヘファイストスには悪いと思いつつ、ヘスティアがちっとも変わってないことにデメテルはついつい笑みをこぼしてしまう。

 

「さすがにヘスティアも本気出したかしら」

 

「叩き出して一日もしない内に戻ってきたけれど」

 

「まあ」

 

 ヘスティアが再度、自分に泣き付くであろうことはヘファイストスも分かってはいた。

 分かってはいたが、音を上げるのが早すぎやしないだろうか。

 ヘスティアはいったい何しに地上へ来たのかと、ヘファイストスとしては思わざるを得なかった。

 しかし、ヘファイストスのお人好しも度を過ぎていた。

 

「いきなり追い出したのは私もやりすぎたと思ったし、住む家と職くらいは探してあげようと思ってるの」

 

 このお言葉である。世にいう『女神』とはヘファイストスに違いない。ヘスティアでなくとも拝みたくなろう。

 

「私もなにか手伝えることがあるかしら」

 

 そしてまたもう一人の『女神』が旧友のために動き出した。

 

「……そうね、他に考えていることはあったけど、デメテルを頼るのもいいかもしれないわ────」

 

 満月の明かりの下、二柱の女神による炉神更生がいま始まろうとしていた。

 

 

 

 ◆◆

 

 

「ロキ! さっきは何を言い出すのかと、このガネーシャも焦ったぞ!」

 

「さっきの、って何のことや~?」

 

「デメテルに、ロキの首をどうとか聞いていただろう!」

 

「あーー、それな」

 

 デメテルたちと別れた後、新たな酒の宿を見つけたロキとガネーシャはまだまだ飲み足りぬとばかりに酒を呷る。

 

「ちょっとしたジョークやジョーク」

 

「寿命が百年は縮まったぞ!」

 

「そらあスマンかったな」

 

 かかかっ、とロキは笑う。

 寿命とは神々が下界の子どもたちに定めるものだ。ならば、ガネーシャの寿命はいったい誰が定めたというのか。しかも百年などと、神々にとってはあってないようなものだ。

 そう、ガネーシャの言い分は子どもたちが言いそうなことだ。

 しかし、ロキはそこを指摘するようなことはしなかった。ロキもガネーシャも、あるいはデメテルもヘファイストスも、地上の子どもたちと共に生きてきた。百年という時間の感覚はすっかりと変わってしまった。

 もっとも、寿命が百年も縮まればエルフといった長命種を除き即死待ったなしなので、そのあたりはまだまだ地上の感覚からズレてはいるが。

 

「ただなあガネーシャ、ウチが冗談のひとつも言いとうなる気持ち、わからんでもないやろ?」

 

「うむ、ガネーシャもわからなくはない」

 

 二柱の脳裏に浮かんだのは一人の子どもの姿だ。

 

「強すぎるわ、クリリンは」

 

「うむ……そうだな……」

 

 クリリンのぶっ飛んだ強さはもちろんガネーシャも間近で見ている。

 それでも、都市最大派閥の主神(トップ)が実際に口にすると事実が重みを持って()し掛かってくる、そんな気がするのだ。

 

「クリリンは強すぎる。あんなん反則や。アレが一人おるだけでなんでもやりたい放題っちゅうもんや」

 

 ぐびっ、と酒を飲み下してロキは続ける。

 

「そこらの凡神(ボンクラ)が手に入れとったら、間違いなく面倒なことになっとったで」

 

 神々にとってクリリンは最高の玩具(おもちゃ)になるだろうことは誰の目にも明らかだ。

 

「だがロキよ、クリリンは善き子だ! ガネーシャにはわかる! それにあのデメテルが我が子を悪事に利用するなど考えられん!」

 

「わかっとるっちゅーねん。せやからジョークって言うとるやろ!」

 

「そうだったな! すまんっ!」

 

「ま、ええわ。それに問題は他にもある」

 

 酒の勢いもあってつい熱が入る二柱であったが、ここでロキは一息つき、調子を変える。

 

「それはな、クリリンが『レベル1』っちゅーことや」

 

「む? ロキはクリリンがレベル詐称をしていると言いたいのか?」

 

 ロキの言葉を受けてガネーシャがまず浮かんだのはこれだった。しかし

 

「ガネーシャの名に誓って言おう! クリリンは嘘をついていないっ!」

 

 自信満々にガネーシャは言う。

 オッタルとの騒動の後、ギルド主導でクリリンへの事情聴取が始まり、レベルの確認はすぐに行われた。

 その方法は単純だ。神々による審問。子は神々の前では虚偽を許されない。ガネーシャはその時の参考神(さんこうにん)の一柱だった。

 

 クリリンはレベル1

 

 いかに信じ難くとも、それは紛うこと無き真実だ。

 

「信じられん気持ちはわかるぞ! しかし! ロキもあの場にいたではないか!」

 

「そうやない。ウチが言うとるんはそんなんちゃう」

 

「むぅ……?」

 

 ガネーシャはロキの言わんとすることがわからず口を半開きにする。

 

「ええか? クリリンはつまり()()()()()あの強さ、っちゅーことや」

 

「あっぱれなことよな! 我々の力なしに自分の力だけであそこまで強くなるとは!」

 

「それや」

 

「うむ?」

 

ウチら(神の恩恵)に頼らず自力ででっかくなった、それを()()()()()()()()やと思う(ヤツ)もおる」

 

「──────────ッ!」

 

「否定できんやろ?」

 

 グラスを置いたロキは冷笑を浮かべていた。

 

「子を支配したがる(おや)、あるいは下に置いておきたい神。そんなんぎょーさんおるやろうな」

 

 クリリンの存在を『神々の権威の失墜』と騒ぎ立てるやつ絶対出るで~、とロキは言う。

 

「く、くだらん……!」

 

「ウチもそう思うわ。ただなガネーシャ、自分みたいに子どもの自立を手放しで祝福できる神はそうおらんのが現実や」

 

 ガネーシャもロキも、そしてデメテルやヘファイストスも、子の成長を喜べる神だ。しかし、そんな神は全体をみればむしろ少数派であるとロキは見ている。

 今はまだ面白がっている神も多いだろう。しかし、クリリンという存在が示す事実(意味)、それを理解したとき神々はどんな反応をするか。

 

「きっと新しい時代はすぐそこまで来とるんや。今の恩恵(システム)が古くなるっちゅうことなら、またなんか考えればええ」

 

「…………」

 

「でも凡神(ボンクラ)どもはそうは考えんやろ。古いやり方にしがみついて、なんとか自分らの威を保とうとする。自分に自信がない(ヤツ)ほどそうやろうなあ」

 

 変化を求めて下界に来たんとちゃうんかい

 ロキはそう皮肉をこぼす。

 

「デメテルやクリリンが、しょーもないことに巻き込まれんとええけどなあ」

 

「…………もしそんなことになれば!」

 

「あん?」

 

 ロキがガネーシャに向けて瞼を薄く開ける。

 

「もしそんなことになれば! このガネーシャが! 群衆の主たるガネーシャがクリリンを守ろう!」

 

 ガタッ、と椅子を押し退けてガネーシャが立ち上がり、その肉声が空気を振動させる。

 

「自分、声がデカいっちゅーねん!」

 

 ロキは耳に指を突っ込んで不満を言う。しかし、そう言うロキの表情は柔らかい。

 ガネーシャの護衛()も呆れ混じりに笑っていた。

 

「クリリンを守る、か。ま、好きにすればええ。ウチは止めん」

 

「む、ロキはクリリンの味方はしないのか!?」

 

「さーてな。ウチん派閥(とこ)はガネーシャん派閥(とこ)とはちゃうからな。全ては【勇者】の思惑しだい、やなあ」

 

 都市の憲兵隊ともいわれ公益性の強い【ガネーシャ・ファミリア】は特殊なケースだ。その点では【ロキ・ファミリア】は普通の派閥(ファミリア)である。ロキとて個神(こじん)的な友誼や義理を派閥に持ち込むつもりは毛ほども無かった。

 

「まークリリンとはいわず、ウチの目の前で子どもたちを嬲るような凡神(ボンクラ)がおったらその場でしばいたるわ。目障りやからな」

 

 そう言って笑うロキの(かお)を見てガネーシャの子はゾッとした。それも一瞬、ロキはころりと表情をもとに戻してしまう。ガネーシャの背後を守る彼はロキの調子に狐につままれたような心境だった。

 

「そういえばガネーシャ、自分とこ宴を開くんやってな?」

 

 今までの緊迫した空気はどこへやら。ロキはあっけらかんと話題を変える。

 

「うむ! ちょうど一か月後だな! 盛大に行うのでロキも来るがいい!」

 

 招待状どこやったっけなー

 ちゃんと部屋片付けて下さいっす!?

 などと、ロキは後ろの眷族とやりとりをしてから、宴に思いを馳せてげんなりとする。

 

「神の宴か……あんま気ぃ進まへんけどなぁ……」

 

 そう言ってロキは杯をまた呷るのだった。

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 クリリンが異世界に来て五日目を迎えた。

 

 昼時はもうとうに過ぎた頃、一人の女が西のメインストリートを歩いていた。

 

 肩まで伸ばした髪を揺らすヒューマンの女は、通りを東に向かっている。エプロンを着けた華奢な姿は女給を思わせる。目鼻立ちも整っており、道を歩けば幾らでも声がかかりそうなものだ。

 

 だが、女の風采がそれを許さなかった。

 

 勝ち気で自信に満ちた目、美しく堂々とした姿勢。

 極め付けは、その()()にあった。

 

 団章にも等しいその装いは、とある豪傑が営む酒場の店員であることを示している。

 

 ただの酒場と思うことなかれ。

 その酒場の従業員はなぜか戦闘員といってもいいほどの実力を有する。

 はっきり言って半端な強さでは無い。それこそ大手の探索系派閥にいっても即戦力で通用する者がゴロゴロいる。

 否、その酒場自体が有力派閥といっても差し支えないだろう。

 事実、女たちしかいないはずのその酒場で、粗相をして叩き出された冒険者は枚挙に(いとま)がない。

 

 西のメインストリートに構えるその酒場の名は『豊穣の女主人』

 そして、その一従業員、ルノア・ファウストは店のアイドルタイムにふらりと外へ出ていた。

 

 いつもは賄いを頬張りながら同僚と駄弁って過ごすことが多いが、たまには外に出たい時もある。今日のルノアはそういう気分だった。

 

 向こうから冒険者たちが歩いてくる。

 屈強な冒険者たちにも全く怯むことなくルノアは道を進む。

 

「【猛者(おうじゃ)】がまたクリリンと戦ったらしいな」

 

「!」

 

 すれ違いざまに男たちの話が耳に届き、ルノアは思わず足を止める。

 

「うぇっ!? まじかよ…… でもよ、【猛者】もレベル8になったんだろ? 今度はいい勝負になったんじゃねえのか??」

 

「いやそれが、行商の話じゃ土まみれの【猛者】を担いだクリリンが街道を走っていったんだと」

 

「嘘だろ!?」

(嘘でしょ!?)

 

 男とルノアの内心が一致する。

 ルノアが聞き取れた限りで推測すると、どうやらクリリンに挑んだ【猛者】はオラリオの外れまでぶっ飛んだ末に、当のクリリンによってオラリオまで送り返された、という話のようだ。

 勝負の行方など語るまでも無い。

 

 ふぅっ、とルノアはため息をつく。

 

(まさか眷族(ペルセフォネ)達の中に、化物が紛れ込んでいたなんてね)

 

 クリリンの噂は当然、ルノアも知っていた。ルノアにとって驚愕を一段と強めたのは、その者がデメテルの眷族だったことだ。

 

 なぜなら

 

 

 ルノアもまた、デメテルの眷族であるからだ。

 

 

 といっても、ルノアは普通の眷族とは違い派閥(ファミリア)の活動には参加していない。

 これには事情があるのだが────

 

 

 ルノアはぼんやりと空を眺める。

 

(クリリン、さんかぁ)

 

 あっさりとオラリオ最強の座に付いた男の名を、ルノアは思い浮かべる。

 

 オラリオ最強

 

 ほとんど世界最強と同義の称号に、かつてオラリオに来たばかりのルノアも力試しとばかりに挑んだことがある。

 腕っぷしには自信があった。

 

 そして

 

 あっけなく、その自信は砕かれた。

 

 標的とした【フレイヤ・ファミリア】の第一級冒険者、それは【猛者】の部下に当たる存在だが、その彼らに返り討ちに遭った。

 今でもルノアは夢に見ることがある。

 殺されずに済んだのは決して逃げ切れたわけでも運が良かったわけでもなく、相手がこちらに興味を失ったからだろう。

 

 地下迷宮(ダンジョン)がとめどなく化物を産み出すように、迷宮に抗する地上の都市(オラリオ)もまた、化物が跋扈(ばっこ)する世界だった。

 

『最強』のずいぶん手前にいるはずの相手にすら完敗し、在りし日のルノアはすぐに思い知った。

 自分はもう、一番では無いのだ、と。

 

 ルノアはいつの間にか広場に出ていた。

 目の前に(そび)えるはバベルの塔。

 数多(あまた)の冒険者を飲み込んできた迷宮の入口は、もうすぐそこにある。

 

 上ばかり見ていたルノアはその『少女』に気が付かなかった。

 

「うわあっ!?」

 

 ぽいーん

 

「!?」

 

 少女とぶつかってしまったルノアは腹部に極上の感触を味わう。

 

(こ、これは!! デメテル様の他にもこれほどの巨峰(パワー)を持った子がいるなんて!!)

 

 見ればルノアの胸に、裸足の小柄な女の子の頭が埋まっていた。

 

 

 

 ◆◆◆◆

 

 

 

「うぅ、お腹すいたぁ~~」

 

 広場に蹲って少女は声を絞り出す。

 

「なんだいヘファイストスのやつ、ちょーーーっとのんびり下界の生活を楽しんでいたからってあんなに怒ることないのにさっ」

 

 少女は唇をとがらせて文句を垂れる。

 屋外にも関わらず彼女の足もとに履物などは見当たらない。それだけを見れば、路頭に迷う薄幸の少女ともおぼしき姿だ。

 

 しかしこの少女、どういうわけか女神ヘファイストスの名を気安く呼ぶ。

 なんという分を弁えぬ放言かと(たしな)めたくなるものだが、少女の姿を正対して見れば出かかった忠言も引っ込むに違いない。

 

 少女の容姿は整い過ぎていた。

 

 背丈や顔つきこそ年端もいかぬ少女のようであるが、手足も含めた身体各部の長さの比は、この世のものとは思えないほどの調和を保っている。

 肌は染みや汚れとは全く無縁だった。体のラインにぴったりと合うワンピースは(あで)やかな曲線を描き、あどけない雰囲気とのギャップを生み出している。特に胸元の豊かさは目を見張るものがあった。

 その身を飾るのはリボンぐらいなものでシンプルな装いだったが、余計な装飾品(アクセサリー)はかえってこの存在(もの)の気品を損なうように感じてしまう。

 

 きりりっ、と表情を引き締めさえすれば、人の子は彼女の威に敬服し平伏(ひれふ)すしかあるまい。そこに疑いの余地は無い、のだが

 

「あーーもう帰りたいーー! 帰ってじゃが丸くん食べながら冒険譚(ほん)の続きが読みたーーい!」

 

 駄々をこねる有り様は、実に見苦しかった。

 

「あ、ヘスティアさまだっ!」

 

 背後から声を掛けられて、この不可思議な少女はピタリと動きを止める。

 振り返って見れば、母娘(おやこ)がこちらに笑いかけている。

 

「ヘスティアさまー、きょうも『けんぞく』さがししてるのー?」

 

「ははは、まあね……」

 

「もしかして、まだひとりもみつかってないの?」

 

「グサーーーーーーーッ」

 

 幼女の無邪気な一言が少女の心を容赦なく抉る。

 

「まあこの子ったらなんてことを! 申し訳ありません、ヘスティア様」

 

「い、いやいいんだ。気にしないでくれよ……」

 

 言葉とは裏腹にこの少女、虫の息である。純真な幼女には勝てなかったよ。

 

 申し訳なさそうに頭を下げる母親と、元気よく手を振る女の子を見送って、ヘスティアと呼ばれた存在はため息をつく。

 

「は~~~あ、眷族集めがこんなに捗らないものだったなんて思ってなかったよ」

 

 降臨した炉神・ヘスティアは、思うようにならぬ状況に辟易していた。

 それもまた下界の楽しみというものだが、目下(もっか)迷走中のヘスティアはこの逆境を楽しむ余裕は無かった。

 

 ヘスティアの見通しはこうだった。

 道を歩けば神様ぱわーで物言わずとも子どもたちは自ずから列を成す。あなたが神か。いかにも神だ。どうか私めをあなたの眷族に。苦しゅうない(ちこ)う寄れ。

 こうして眷族(ファミリア)は結成。上納金でヘスティアは左団扇で暮らしたとさ。めでたしめでたし。

 

 ヘスティアの頭の中ではこうなるはずだった。が、現実はどうだ。

 早朝から日没まで声を掛け続けること二日。そうまでしてもヘスティアの眷族になりたいと手を上げる者は一人としていなかった。

 

「さすがのボクも自信失くしちゃうぜ~」

 

 明るく弱音を吐くヘスティアだが、いま彼女が置かれている状況は不遇でもなんでもなく、当然のことだった。

 

 今のオラリオには既にたくさんの神が下りてきている。

 神の恩恵は、どの神が与えても同質だ。

 ゆえに、黎明期(れいめいき)ならともかく、現代のオラリオで資本もノウハウも無い神の眷族になりたがる者など皆無といっていい。

 いかにヘスティアが天界では一目置かれる神だったとしても、だ。

 

「あ、ヘスティア様だ。こんにちは~」

 

「やあ、君か」

 

 声を掛けてきた冒険者の女にヘスティアは言葉を返す。昨日、勧誘して断られてしまった子だ。

 

「こんな時間からダンジョンかい? 気を付けて行くんだよ」

 

「は~い」

 

 バベルに向かう子どもの背をヘスティアは見送った。

 

 勧誘は失敗続きだが、声を掛けられることは多くなった。

 顔や名前はよく売れている。事実、ヘスティアはその愛らしく人懐こい気質で早くもマスコットとしての地位は確立しつつあった。

 それを嬉しく思う気持ちはあるのだが

 

「いやいやいや、これじゃ野良猫と変わらないじゃないか…………!」

 

 自身の置かれた状況を改めて認識し、ヘスティアはがっくりとうなだれるのだった。

 

 そんなときだった。

 

「うわあっ!?」

 

 ヘスティアは、広場を歩いていた女の胸にぶつかってしまう。

 

「え~と、キミ、だいじょうぶ?」

 

「ん、誰だい?」

 

 頭上から降ってきた聞き慣れない声に、女の胸に埋っていたヘスティアは顔を上げた。

 

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 

 ルノアは、進んで他人(ひと)の事情に介入しようとする気質ではない。

 

 ルノア自身もまた戦災孤児だったということもあり、相手が孤児であったり貧民であったりしてもむやみに憐憫を振り撒くような真似はしなかった。

 

 ルノアの同僚には、愛想と好奇心でどこにでも首を突っ込んで世話を焼くヒューマンと、ほとんど潔癖ともいえる真面目さで正義を貫くエルフがいる。

 

 その二人と比べてしまうと、ルノアは相当にドライな方だ。とはいえ、ルノアも根っこには良識を備えている。

 

 小柄な背丈に裸足の女の子。

 

 そして、ミスマッチなほどに豊かな胸元。何者かは知らないが、その大きさはルノアの上を行く。

 

(正直、この子以上のモノ(おっぱい)はデメテル様ぐらいしか…………いやいやそうじゃなくて!)

 

 なにやら不憫な気配が漂うこの少女を、ルノアはどうにも見過ごせなかった。

 

「え~と、キミ、だいじょうぶ?」

 

 ルノアは少女にそう声をかけたのだが

 

 少女は、人間では無かった。

 

「ん、誰だい?」

 

 透き通るような青みがかった瞳を向けられて、ルノアは息を飲んだ。

 

(め、女神様!?)

 

 そう意識した途端、行き交う人々も、都市の中心たる摩天楼(バベル)も、ルノア自身もまた、この小さな女神の背景と化した。

 

 超越存在(デウスデア)

 

 人知を超えた、異次元の存在。

 

 見知らぬ女神との邂逅(かいこう)にルノアが固まっていると、女神が口を開いた。

 

「あ! もしかして君ぃ、ボクの眷族になりたいのかな~?」

 

「…………………………はい?」

 

 唐突な勧誘に、ルノアは間が抜けてしまう。

 茫然とするルノアをよそに、ヘスティアは勝手に話を進める。

 

「いやぁ~困ったねぇ~。ボクはそう簡単に眷族を作らない主義なんだ」

 

 浮かれきったヘスティアは心にも無いことを口にする。そもそも今のヘスティアは、眷族を選べる立場では決してない。

 

「しかし! 君は実に運がいい。今は『炉の女神さま降臨記念キャンペーン』を実施中であるっ! 希望者は全員、我が眷族に迎え入れようじゃないかっ!!」

 

 なんとも偉そうな態度である。

 いや、実際に偉い女神ではあるのだが。

 

「しかもっ、今なら()えある眷族第一号という称号付き────」「ごめんなさい」

 

 得意気に語るヘスティアをルノアは(くじ)く。

 

「えーと、ごめんなさい。私はもう、別の神様から恩恵を授かっているので……」

 

「ガーーーーーーン」

 

 それを聞いたヘスティアは満面の笑みにピシリとひびが入り、しおしおと膝を付く。

 あまりの落胆ぶりに、ルノアもたいそう気の毒になった。

 

 どう慰めたものかとルノアが言葉を選び終わる前に、ヘスティアはついに限界を迎えた。

 

「うわああああああああああああん! なんでさ!? なんで誰もボクの眷族になってくれないのさっ!!」

 

「えぇ…………」

 

 人目を(はばか)らずヘスティアは号泣し始める。

 はた目から見たら、ルノアがヘスティアを泣かしているみたいではないか。

 そう思うと、別に何も悪いことはしていないはずなのに、ルノアは居心地が悪くなってくる。

 

「お腹空いたよ~~~~ 朝から何も食べてないんだよう~~~~~」

 

(いや私も仕事だったからお昼まだなんだけど)

 

 ただ、こんなことになってルノアの食欲もどこかへ吹き飛んでしまったのだが。今は昼食よりも何よりも、この場を離れたくてしょうがなかった。

 

 ここにきてルノアはようやく、自分は厄介事に巻き込まれたのだと悟った。

 

 冒険者に絡まれたとかなら拳一発で沈めるところだが、女神を相手にそういうわけにはいかないし、かといってこの状況を放置できるほどルノアは冷血ではなかった。

 

(あーもう、柄でもないことするんじゃなかった!)

 

 見知らぬ者に自分から声を掛けたこと、そもそも今日に限って休憩中に広場に来たこと。

 ルノアは今日の行いを思いっきり後悔した。

 

 打開策は全く思い付かない。

 泣きたくなるルノアだったが、ここでついに救いの手は差し伸べられた。

 

「あら、ルノア?」

 

「へ?」

 

 ルノアが振り返ると、そこには『女神』がいた。

 後ろに流した髪がふわりと風に舞っている。

 その姿はあまりにも優美だった。

 

「デメテル様!?」

 

「ふふ」

 

「お久しぶりです、ルノアさん」

 

 豊穣の女神・デメテルと、護衛として傍に控える武装農夫がルノアに微笑む。

 穏やかな空気が辺りを、ルノアを包み、ざわついた心が安らいでいく。

 

「どうしたのかしら? 何か困っているように見えるけれど」

 

 にこにことしたデメテルはすかさず距離を詰め、ルノアの手を握る。

 

「も、もうデメテル様ってば!」

 

 ルノアは思わず赤面する。心の準備が整わない内に近付かれると、女神の美貌に当てられてしまうのだ。

 それでも手を握られるぐらいならまだいい。

 子ども大好きデメテル様はなんと抱きしめてくることもある。

 どこに触れても柔らかいデメテル様だが、この御方、とりわけ胸部に最胸の兵器を配備している。

 もし不意にこれを押し当てられるようなことがあれば、女であろうと一発昇天しかねない。

 

「え、え~とですね」

 

 あたふたしながらもルノアは今も号泣しているヘスティアの方を見る。

 デメテルもルノアにつられて視線を移す。

 

 二柱の目と目が合う。

 デメテルの目はまんまるに開いていく。

 

「ヘスティア!?」

「デ、デメテルぅ!?」

 

 デメテルとヘスティアの顔が驚愕の色に染まる。

 

「し、知り合いなの? デメテル様?」

 

 思った以上の反応に、ルノアは唖然とするばかりであった。

 

 

 

 ◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 その巨大な建造物は北西のメインストリートにあった。

 

 白大理石で造られたそれは、古代最高の職人たちの技術(わざ)を今に伝える。

 造立(ぞうりゅう)当初は新しい時代の幕開けを象徴したこの建物も、気が遠くなるほどの歳月を経て、いつしか(ふる)き時代の遺物とも呼ばれるようになった。

 しかし、その高度な技術、華やかな意匠は現代においても色()せることはない。

 

 神の恩恵を受けた冒険者の統制機関・ギルド

 その本部がここに置かれていた。

 

 昼も夜も冒険者の姿が絶えないこの場所は今、異様な雰囲気に包まれていた。

 

 

 

 

「お嬢ちゃん、本当にやるのか?」

 

 ギルド本部の前で、オラリオ最強の男・クリリンは目の前の少女に問う。

 

「は、はい! よろしくお願いします!」

 

 答えたのはアマゾネスの少女だ。

 傍らにはさらに二人、彼女の友人とおぼしき少女たちが、ハラハラしながら状況を見守っていた。

 

 この少女たちとクリリンは面識がある。

 

 三人は三日前、馬が畑に現れたとき真っ先に駆け付けた冒険者連合のメンバーだ。

 

「ど、どうぞ……!」

 

 そう言って、アマゾネスの少女は目をきゅっと瞑る。

 キスをせがんでいるようにも見える格好だ。

 この少女があと四、五年早く生まれていたら、あるいはクリリンの心臓(ハート)もドキリと跳ねたかもしれない。

 

 

 しかし状況はそんな甘酸っぱいものでは決してなかった。

 

(うわあ…………)

 

 偶然この場に居合わせたエルフの少女は口をあんぐりと開けながら、気絶している冒険者を建物の壁際に寄せていた。

 

【ロキ・ファミリア】のレフィーヤ・ウィリディスである。

 

 二日前のクリリンとの戦いで、レフィーヤはレベル4への『昇格(ランクアップ)』を果たした。

 今日はその届け出をするためにギルドへ足を運んでいた。

 

 レベル4への昇格。

 それだけでも世間は高い関心を寄せるはずだ。

 しかも昇格を果たしたというのが都市最大派閥(ロキ・ファミリア)の若手となれば尚のことだ。今日一番のニュースになりえた。

 

 が

 

 ご覧の通り、今日の話題は全部クリリンが持っていった。

 いま起きている『珍事(インパクト)』の前では、レフィーヤの『偉業』など遠く霞んでしまう。

 

 気絶している冒険者は一人や二人では無い。二十はいる。

 これらは全員、クリリンの一発に沈んだ者たちだ。

 

 レフィーヤも話だけは知っていた。

 それを耳にしたのは二日前、本拠(ホーム)を飛び出したアイズの足取りを追っていた時だったか。

 その話は、昇格した【猛者】にあやかって、クリリンに殴られにいく冒険者が続出しているというものだった。

 そのときはレフィーヤもアイズを追うのに必死だったため聞き流していたが、こうして実際に現場を目撃してみると胸に去来するのはただただ「なにやってるんですか、この人たち……」である。

 

 そして、当初は『強くなるため』殴られにいくというものだったはずだが、今はだいぶ目的がズレてきているようにレフィーヤは感じる。

 どういうことかといえば、要は『クリリンに会った記念に』殴られにいく、というように流れが変わりつつあるのだ。

 それは他の有名人に会った場合なら、握手を求めたり、サインをねだったりするのと同じことだ。今クリリンと向き合っている少女の意識も『強くなるため』と『記念』というのが混ざっていると思われる。

 その変化に気付いてしまったとき、レフィーヤはいっそう「なにやってるんですか、この人たち……」という思いを強くした。

 

(それにしてもまあ、全部の種族を網羅する勢いですね)

 

 路上に沈んだ冒険者たちを放置すると往来の妨げになるので、クリリンとの好誼(よしみ)もあってレフィーヤもなんとなく冒険者除去に一肌脱いでいる。

 こうしてみると、野戦治療院のように見えなくもない。

 

 壁際に並べた冒険者の種族は色とりどりだ。

 ヒューマン、獣人、ドワーフ、アマゾネス、小人……

 上級冒険者どころか第二級冒険者すらいる。

 

(まったく、あなたたちがどうにかできる相手じゃないですよ……)

 

 レフィーヤは呆れる。ただまあ、彼らのことばかり悪くもいえない。

 クリリンに手も足も出なかったのはレフィーヤとて同じであるし、一昨日(おととい)は結局アポ無しで畑に押し掛けて相手をしてもらったのだから。レフィーヤはお咎めなしだったが、幹部勢はこってり絞られたらしい。

 

 冒険者を片付け終えたレフィーヤが一息ついていると、横から同僚に話しかけられた。

 

「ねぇ、レフィーヤ……」

 

「? なんですか?」

 

 この同僚は団長(フィン)の指示でギルドに詰めているメンバーの一人だ。

 レフィーヤが彼女の方を見てみると、どうにも顔色が悪い。

 

「あの人、とんでもない化物じゃないか……!?」

 

 震える指でクリリンを差す同僚に、レフィーヤはキョトンとして言葉を返す。

 

「クリリンさんの強さはあんなものじゃありませんよ。もっともっと、強くなっていきます」

 

 きっぱりと断じるレフィーヤの返答に、彼女の顔が引きつる。

 第二級冒険者の彼女だが、その彼女と同等以上の戦闘力を誇る冒険者が、二人の足もとにゴロゴロ転がっている。

 彼らを昏倒させた一発も、レフィーヤに言わせればいかにも手加減されたものだった。

 

「うそでしょ……!? そんなの、どうしようもないじゃない……!」

 

「どうしようもないでしょうねぇ。少なくとも、ここにいる冒険者では」

 

 アンタなんでそんな余裕なのよ、とでも言いたげな同僚の視線を、レフィーヤはさらりと流す。

 クリリンの強さを初めて味わったあの日から既に二日経っているレフィーヤにとっては、もう受け入れられた現実だ。

 尚、当日のレフィーヤの狼狽(うろた)え様は彼女の比では無かったが、これ以上の言及は控えておく。

 

 視点はここでクリリンに戻る。

 

(うーん、気が進まねえんだけど……)

 

 十三かそこらの歳の、それもなかなか可愛い子に『一発ほしい』と言われてもクリリンは戸惑うばかりだ。

 

 異世界生活五日目にして『親の顔より見たギルド』での用事をようやく済ませたと思ったら、今日もまたこんなことになってしまったのである。

 

 同伴していたデメテルや護衛役の同胞と、その辺の店で遅めの昼をとってから畑に戻る予定だったが、とりあえずデメテルたちを先に行かせ、後で合流することにした。

 まだまだオラリオの地理には明るくないクリリンであるが、気を探れば居場所はわかるので問題はない。

 

 しかしまあ冒険者ってのは酔狂なもんだ、とクリリンは思う。

 最初の男を殴り飛ばしてから今日で三日目。殴り飛ばした冒険者の数は、延べ百人以上は確実か。

 中にはリピーターまでいるのだから、クリリンとしては訳がわからなかった。

 

「あ、あの」

 

「ん?」

 

「手加減、してくれますよね?」

 

「当たり前だろ」

 

 おどおどと訊ねる少女に、クリリンは苦笑する。

 もし加減を間違えるようなことがあれば少女はオラリオごと消し飛んで、壊滅した都市の瓦礫が彼女の墓標になってしまう。

 しかしこのクリリン、加減を間違えることは無い。『常識』もきちんと備えている。

 ついうっかりやり過ぎることがある親友とは違うのだ。

 このとき、どこぞの酒場でとあるエルフがくしゃみをしたのだが、クリリンが知る由はない。

 

(まーいつまでもこうしてたってしょうがねえし、やるか)

 

 クリリンはようやく気をとり直す。

 少女といっても相手は冒険者、しかもレベル2である。

 少女たちにとって打撲や捻挫は日常茶飯事、骨折だってするし、ひどいときは手足が千切れかけたことも、内臓がいくつか破裂したことも、死にかけたことすらある。

 

 その点、クリリンの一発は命の保証がされているのだから安心だ。

 

 拳を引き構えたところで、クリリンはふと思い付いた。

 昔、親友が天下一武道会で披露した技がある。

 あれをやってみよう、と。

 

 クリリンは引き絞った拳を高速で突き出す。

 観衆の知覚を完全に置き去りにした腕の振りは、周囲の空気をごっそり奪いながら圧縮した。

 途方もない力で押し潰された空気の塊が炸裂し少女の体を弾く。

 少女は意識を刈り取られながら、向こうの茂みまで吹っ飛んだ。

 一部の空間が真空状態となった北西のメインストリートに風が流れ込む。

 この間、約二秒の出来事である。

 

 レフィーヤ達は風に煽られたスカートを押さえていた。主神(ロキ)の下心のせいで自分の嗜好よりやや短いスカートはこういうとき困る。

 

「ふぅっ! すごかったですね~。じゃ、吹き飛んだあの子を探しに行きましょうか」

 

「いやだからレフィーヤ! アンタなんでそんな平然としてんのよ!? 今の見てなかったの!?」

 

「へ? 速すぎて見えなかったですけど」

 

「そうじゃない!! そりゃ私だって見えなかったわよ! 見てたけど、見えなかったわよ!!」

 

「もうなにがなんだか」

 

 

 結局この十五分足らずで、クリリンの前に撃沈した冒険者の数は二十四名にのぼる。

 うち

 レベル1 六名

 レベル2 十二名

 レベル3 五名

 レベル4 一名

 

 それなりの規模の派閥を一つ潰してみせたようなものである。

 

 そんな恐ろしい数字を残し、クリリンは図らずも新王者の姿をこの北西のメインストリートに刻み込むのであった。

 

 

 

 ◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 下界で再会を果たしたデメテルとヘスティアは、あの後、西のメインストリート沿いにある酒場に移動していた。

 

 その酒場とはルノアの職場、『豊穣の女主人』である。

 

 高級酒場という店構えや店主の強面(こわもて)ぶりが、冒険者たちに()じ恐れられる要因だが、これは『豊穣の女主人』の一面にすぎない。

 

 昼と夕でガラリと替わるメニューや価格構成によって、客層は時間帯で大きく異なる。

 日中は一般市民の客が多く、価格もリーズナブルだ。

 逆に夕方以降は冒険者で賑わう。

 いつ死ぬかもわからない稼ぎ方をしている馬鹿共は宵越しの銭など持つんじゃないよ、とばかりに夜メニューは一皿の量を盛りそれに合わせて価格も盛り上げている。

 しかし、如何な大金を店に落とそうとも、店の流儀に従えない者は容赦なく叩き出される。

 

 かように、力にものを言わせて好き勝手に騒ぎたい冒険者にとってはやりづらい店であるが、安心して食事を楽しみたい客にとってはむしろ憩いの場である。

 冒険者が騒ぐと食器や酒瓶が飛んでくるのは当たり前で、酷いときには椅子やテーブルが宙を舞うのだ。おちおち食事を楽しんでもいられない。

 そんなわけで、特に一般市民が夜に外食を楽しみたい場合は慎重に店を選ばなくてはならないのだ。

 

 さて、昼は過ぎ、しかし夕方というにはまだ早い時分、さすがの『豊穣の女主人』も空席が目立つ。

 

「いや~それにしても久しぶりだねデメテル」

 

 椅子に掛けて足をぶらぶらさせながらヘスティアは言う。

 

「久しぶりどころじゃないわよ。本当にもうっ! あなたは放っておくと永久に会いに来ないんじゃないかしら」

 

 同じくテーブルに付いたデメテルはヘスティアに苦笑する。

 

「そ、そんなことないって! 五千年ぐらい前に会ったばかりじゃないかっ」

 

「五千年よ、五千年! みんな集まる時だってヘスティアだけ『炉を見る』って言って来ないじゃない」

 

「い、いやぁ、そんなこともあったかな!?」

 

「それに、ヘファイストスから聞いたわよ? ずいぶん前から地上に降りていたみたいじゃない。私にはちっとも顔を見せに来てくれないんだもの。妬けちゃうわ」

 

「い、いやぁ……まいったなぁ」

 

 わざとらしくむくれてみせるデメテルに、ヘスティアはあたふたとする。

 

 デメテルたちの他には三組の客がいる。うち一組は冒険者らしく、ときおり大声を出しては女給(ウェイトレス)たちに鋭い視線を浴びせられていた。

 

 日中にしては粗っぽい空気が漂うが、デメテルの護衛を務める武装農夫の心境はだいぶ落ち着いていた。

 彼女の視線の先にいる女給が、大皿をテーブルに持ってきた。

 

「おまたせ~。旬の食材で彩った前菜十二種盛りだよ!」

 

「うおおおおおおおお……!!」

 

 ルノアが置いた皿の盛りを見て、ヘスティアは目を輝かせる。

 

「私たちの野菜をここまで見事に調理してもらえるとは、生産者冥利に尽きますね」

 

「うふふ」

 

 デメテルたちもまた、皿の彩りに頬が緩む。

 

「いただきまーーーっす。んむっ!? う、うまああああああい!!」

 

 ヘスティアはほっぺたが落ちんばかりのリアクションを見せる。

『豊穣の女主人』が恐れられながらも繁盛している一番の理由が、この旨い酒と旨い料理である。

 

「そういえばデメテルとそっちの子は主菜(メイン)を頼まないのかい?」

 

 料理に舌鼓を打ちながら、ヘスティアはふと浮かんだ疑問を投げ掛ける。

 

「もう一人、私の子が来る予定なの。今ちょっと騒動に巻き込まれているのだけれど。追加の注文はその子が来てからにするわ。ヘスティアは先に食べていて頂戴」

 

「ふぅん。それにしても、デメテルもしっかり【ファミリア】をやってるんだねぇ」

 

「うふふ、ありがとう」

 

 

 そんなデメテルとヘスティアのやりとりを、ルノアたちはパントリーから見ていた。

 

「……すごい光景ニャ」

 

 細身の猫人(キャットピープル)の女がそう呟く。

 理知的な瞳が映すのは二柱の女神────の胸元であった。

 

「とんでもない戦闘力ニャ。オラリオの二大巨峰と言っても過言ではないニャ」

 

「大真面目な顔してなに言ってんだ」

 

 クロエ・ロロ

 その賢そうな見た目から放たれる頭わるそうな発言に、ルノアは突っ込まずにはいられない。

 ただし、二大巨峰についてはあながち間違いでも無かった。

 

「さすがは女神さまなのニャ。クロエとは大違いなのニャ」

 

「おい今なんつった、そこの馬鹿猫」

 

 もう一人の猫人の従業員、アーニャ・フローメルのほとんど遠慮がない一言にクロエの怒髪は天を衝く。

 

「このクロエ様のスレンダーなプロポーション! それがわからぬとは、やはりアーニャはアーニ(馬鹿)ャでしか無かったか」

 

「クロエは胸まで『すれんだぁ』なのニャ!」

 

「ぐっはぁ!!?」

 

 決まった! つうこんのいちげき!

 クロエはその場に崩れ落ちる。

 

「勝ったニャ!」

 

「いやなんの勝負だったのコレ」

 

 胸を張るアーニャの横で、ルノアは力が抜ける。

 傷心のクロエはその目にみるみる涙を浮かべる。なかなかに嗜虐心をそそるその姿は、すでに瀕死だった。しかしこのクロエ、ただでは死なぬ。

 

「ミャアの胸はスレンダーじゃないニャ!! あっちのポンコツエルフの方が『ぺちゃぱい』ニャア!!」

 

「なっ────!?」

 

 クロエのファイナルアタックはあらぬところに飛び火した。

 その暴言を受けて、みるみる頬が染まるのはエルフのリュー・リオンだ。

 

「訂正しなさい、クロエ! 私はポンコツでも、ぺ……『ぺちゃぱい』でもないっ!!」

 

 三人の乙女はぎゃーぎゃーと(かしま)しい。

 この流れはマズイとルノアは直感した。

 いや勘では無い。この店の従業員として、この同僚(馬鹿)たちと共に働く日々の中で、何度も繰り返されたがゆえの経験則というものだ。

 

「三人とも! もうちょっと声を抑えて────」

 

 ルノアがそれを言い終わる前に『終焉』はやってきた。

 

 ズゥン、ズゥン

 

 地獄の奥底から響くような足音に、「遅かった……」とルノアは絶望する。

 遅れてクロエたちも気付く。三人は一様に表情を固くする。

 

「おい、馬鹿娘ども」

 

 ルノアたち四人は振り向けない。

 背後にナニがいるかはわかっている。

 腕利き揃いの従業員たちを、拳骨一発で黙らせる化物中の化物。

 この店の『女主人』にして、全ての従業員の『母』

 

 

 その女傑の名は、ミア・グランド

 

 

「仕事中にくっちゃべってんじゃないよぉぉぉぉぉぉ!!!」

 

「ひぃぃぃぃぃぃぃぃ!!」

 

「バッシングでもしてきなあぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

 

「ひぃぃぃぃぃぃぃぃ!!」

 

 悲鳴を上げながらもルノアたちの行動は早かった。

 第二級冒険者ですら軽くひねるそのステイタスを限界まで発揮して、瞬く間にテーブルを片付ける。

 

「ふぅ、行ったニャ……」

 

 再び厨房に引っ込むミアの背中を見送って、クロエはようやく生きた心地がした。

 

「母ちゃんの怒りのゲンコツをもらわなかっただけ良かったのニャ」

 

 そう言ってアーニャは身を震わせる。

 ミアの目が離れた隙に、性懲りもなく再び無駄話に花を咲かせるクロエたちである。

 

「そういえば、ルノア。ずっと聞こうと思っていたのですが」

 

「ん? なによ、リュー」

 

(くだん)の【猛者】を破った男は、神デメテルの眷族でしたね」

 

「!」

 

 リューの言葉に、ルノアだけでなくアーニャとクロエも表情を変える。

 

「その、クリリンさん、でしたか。その方とルノアは前から知り合いだったのですか?」

 

「ううん」

 

 リューの問いに、ルノアはかぶりを振る。

 

「私も眷族(ペルセフォネ)の中に、そんなに凄い人がいるなんて知らなかったし、ありえないって思ってた」

 

 むしろ【デメテル・ファミリア】に武闘派の気配を一切感じなかったからこそ、ルノアはデメテルの眷族になったのだ。

 

「まあ私も眷族全員の顔を知っているわけじゃないけどね。それにクリリンさんはレベル1って言うし、今まで表に出なかったのはきっと何か事情があってのことだと思う」

 

 百年に一度とも言われたあの化け馬騒ぎがなければ、クリリンはずっと(おおやけ)になることはなかったかもしれない、とルノアは思う。

 

「そうですね……【デメテル・ファミリア】に所属しているというのも戦いの中に生きることを望まぬ証左でしょうし、神デメテルならそれも受け入れるでしょう」

 

「うん、そうだね。デメテル様ならきっとそうする」

 

 ルノアの『古傷』が疼く。

 あのとき自分はデメテルの誘いを断った。自分のような日陰者が正式に【ファミリア】の活動に参加してしまったら、デメテルや眷族たちに迷惑がかかると思ったからだ。

 そしてその判断は間違っていなかった。

 それから日を経ずして、ルノアは闇派閥(イヴィルス)側だった商会の連合に命を狙われたのだ。

 この『豊穣の女主人』が戦場になったからこそ人的被害は無かったが、もし【デメテル・ファミリア】本拠が戦場になっていたら大きな被害が出ていただろう。()()()()()()()。クリリンの存在を知るまでは。

 

「そっとしておくべきなのでしょうが……どのような方なのか気にはなりますね」

 

「ふっふーん」

 

 リューの言葉に、アーニャは得意気に鼻を鳴らす。

 

「ミャアは知ってるのニャ! クリリンは、鼻と()がないのニャ!」

 

「そら『頭』が無ければ鼻も無いに決まっとる」

 

「目も耳も口も無いでしょうね」

 

首なし騎士(デュラハン)かニャ?」

 

 アーニャの迷言に、ルノア、リュー、クロエがそれぞれコメントを添える。

 アーニャに言わせれば、クリリンはおよそ『死の予兆(デュラハン)』だった。これもあながち間違いとは言い切れないのだから困る。

 

「っと、ほらほらさぼってるとまたお母さんに怒られるよ────」「離して下さい!」

 

 穏やかでない声が聞こえ、ルノアたちはフロアを覗く。

 先ほどからうるさかった冒険者の一人が、デメテルの眷族の手首を掴んでいた。

 

「そうつれねーことを言うなよ、姉ちゃん。オレぁ深層帰りで疲れてんのよ。ちぃっと酌してくれってだけさぁ」

 

「お断りします。それに私は任務中ですので」

 

「へっへっへ、そりゃあご苦労なこった。そんなに時間はとらせんよぉ」

 

 あの野郎、とルノアは青筋を立てる。

 

「君、そのへんにしたまえよ」

 

 とヘスティアが窘めるが

 

「おお、これは女神様。この娘、ちょっとお借りしますぜ」

 

 と、冒険者の男は取り合わない。

 むぐぅ、とヘスティアは口をつぐんでしまう。聞き分けのない子ども相手にどうしたものかと、ヘスティアはデメテルを見る。

 

(ぐ、この男、強い…………!)

 

 護衛の女は掴まれた手を振りほどこうとするも敵わない。

 それを見たデメテルがいよいよ止めに入ろうとしたところで、男から悲鳴が上がった。

 

「て、てめぇ……!」

 

 男の手首が掴まれていた。

 男は血走った目で背後を見る。

 

「しつこい男は嫌われるよ?」

 

 ルノアはその細腕に見合わない怪力で男の手を押さえ込む。「ぐあっ!?」と苦しげに呻いた男は、思わず掴んでいた女の手首を放す。

 

 男の目が驚愕に見開かれる。全身で抵抗するも、肘から先は微動だにしない。まるで万力で締め付けられているようだ。

 

「へぇ……おじさん、けっこうやるじゃん。『深層帰り』っての、嘘じゃないみたいだね」

 

 そう言うルノアの目は据わっていた。その目を見て男はぞわりと寒気がする。

 

(こ、この女、()()()()()()!?)

 

 男は自分より小柄な女に見下ろされている気分だった。

 

「くそっ、このガキぃなめやがって…………!! おぉい、てめぇらも手ぇ貸せえ!!」

 

「おぉ──────!?」

 

 男の連れである二人の冒険者が助太刀に入ろうとするも、男の元に近付くのは敵わなかった。

 

「おうおう、母ちゃんの店で騒ぐたぁいい度胸してるじゃないか」

 

「食事中に騒ぐやつは、お天道様に()かれるといいニャ!」

 

 二人の冒険者の前には、クロエとアーニャが立ち塞がった。

 

「そこをどきな、猫女ぁ!!」

 

 二人の男が掴みかかるも、クロエとアーニャは一糸乱れぬ動きで足を払い、男たちは同時に床に転がった。

 これには周囲の客も思わず歓声を上げた。

 

「あの猫二匹、こういう時は息ピッタリなんだから」

 

 ルノアは呆れながらも楽しそうに笑う。

 

「て、てめえらいったい何者だ!? オレぁレベル3で、あっちの二人もレベル2だぞ!?」

 

 状況に頭が付いていけない男が喚き散らす。

 しかし心境は、近くで見ていたヘスティアもわからないでもなかった。

 

「本当にあの娘たちは何者なんだい? 酒場の店員にしちゃ強すぎるぜ?」

 

 ヘスティアはデメテルに問う。

 

「あまり私の口から語るべきではないのだけれど、ここの店の()たちは何らかの事情で道を外れざるを得なかった娘たち……肉親を失ったり派閥を追放されたりしてね。元冒険者だった娘も少なくないわ」

 

「そうか、事情はわかったよ」

 

「そうよね。私よりもヘスティアの方が、そういう子たちに向き合ってきたのだもの」

 

 孤児の保護者としても知られるヘスティアだ。デメテルがみなまで言わずとも、おおよその事情は理解できる。

 

「そんな娘たちを真っ当な道に引きずり戻したのが、ここの店主であるミアなの」

 

 デメテルはそう言って、ルノアに目を向ける。

 

「う~ん、何者かって言われてもなあ」

 

 ルノアは男の問いに考える素振(そぶ)りをするが、すぐに答えを出す。

 

「私はお母さんの娘」

 

「はぁ?」

 

 ルノアの返事は予想の斜め上を行くもので、男は思わず間の抜けた声を上げる。

 

「そう、私はお母さんの娘。どんな冒険者も裸足で逃げ出すとっても怖ーいお母さんの娘」

 

 ルノアの言葉に、傍で聞いていたクロエもアーニャもリューもウンウンと頷く。

 

「ふ、ふざけやがってぇ……!!」

 

 ルノアの答えに納得できず男は猛る。

 

「態度を改めるなら、もう一度、客としてもてなすつもりだったけど、しょうがないなぁ」

 

 ルノアと男のやりとりを、リューは少し離れた場所から見ていた。

 

(私の出番は無さそうですね)

 

 ルノアに加えて、クロエとアーニャも臨戦態勢に入っている。相手の力量を思えば、すでに過剰戦力だ。

 ただ自棄(やけ)になった冒険者は何をするかわからない。客の安全を確保するためリューも一応、戦線に加わってはいる。

 しかし、目の前の騒動に対するリューの関心はかなり薄れていた。

 それよりもリューが気になるのは

 

(先ほどから外が騒がしい…………)

 

 そんなことをリューが思った矢先だった。

 

 轟音が全ての雑音を飲み込んだ。

 鼓膜より先に胸や腹に響く音だった。

 衝撃が窓を叩きガタガタと音を立てる。

 震動がリューたちから平衡感覚を奪い、まるで床が傾いたかのような錯覚を植え付けた。

 天井からぶら下がった魔石灯がギィギィと振れている。

 

 今まで余裕の態度を崩さなかったルノアたちだが、ここにきて初めて顔色を変えた。

 

「な、なななな、なんだい今のは!?」

 

 ヘスティアが混乱まっ只中の横で、彼女たちが平静をとり戻すのは極めて早かった。

 

「どうやら、いらしたようですね」

 

「そうね。ヘスティア、紹介するわ。もう一人の私の子を」

 

「こんなときに何を言っているんだ、デメテル!?」

 

 衝撃のあまり、ヘスティアはデメテルの言葉の意味が理解できなかった。

 

 一方で話を聞いたルノアたちは、この衝撃を引き起こした者に当たりを付けた。

 そして、ルノアたちの勘が正しければ、その者は店の扉に近付いてきている。

 

 ルノアもリューも、誰もが硬直する中でその声は響いた。

 

「客だ。出迎えな」

 

 いつの間にかカウンターの向こうに姿を現していたミアは動じない。

 客を出迎えろと従業員たちに命じる。

 

「母ちゃん、わかったニャ!」

 

 いつもと変わらぬ母に店内は活気をとり戻す。まずはアーニャが扉に向かうも、取っ手に手を掛ける前に扉は開いた。

 

「お客様一名入りまーす」

 

「シ、シルぅ~~~!?」

 

 まず飛び込んできたのは薄鈍(うすにび)色の髪を揺らすヒューマンの女、シル・フローヴァである。

 にこにこと愛想を振り撒く姿は平常運転だ。客の中にもファンは多い。

 

「えらく長い休憩だったじゃないか」

 

 ミアが皮肉を込めてじろりとにらむ。

 

「ごめんなさい、お母さん! その代わり、とびっきりのお客様を案内してきたから!」

 

 そう言ってシルは進路を開ける。

 シルの影から現れる人物に一同は刮目する。

 

「やあ、どーもどーも。あ、デメテルさま、お待たせしました」

 

 正真正銘、クリリンである。

 

「シルちゃんもありがとな」「はーい」などと言葉を交わしているこの二人、出会ったのはほんの十分前である。

 クリリンもシルも互いに対人能力(コミュ力)お化けだ。会って十秒で意気投合したのであった。

 

 ルノアたちは一見、拍子抜けした。

 どう見てもこの農夫と先の事象が結び付かない。

 が、その懸隔(ギャップ)もすぐに無くなった。

 

 クリリンがこちらに近付いてくる。

 その歩みが、その動きが、極めて洗練されたものであると、ルノアは僥幸(ぎょうこう)にも気が付いたのだ。

 技巧を凝らした跡も無く、ただただ自然な動きだった。

 街ですれ違ったとしても、目に留まらない、意識にも上らない、雑踏に溶け込む素朴な仕草。

 それは裏の世界で生き残り、どんな小さな動きや違和感も見逃さないという自負を持つルノアをしてそう思わせる。

 

 恐ろしい事実だった。

 

 もしこの男が悪意を持ってルノアに近付いたとしたら、おそらくルノアは誰に何をされたかもわからぬまま仕留められることだろう。

 

 ルノアは背中に嫌な汗をかいていた。

 

(つ、強い弱いって話じゃない…………! この人、()()()!?)

 

 ミアの一喝で活気が戻ったはずの店内は再び静寂に包まれた。

 誰かが息を飲む気配がする。

 客も知っているのだ。いま現れた男が何者かを。

 知らぬのはヘスティアと、『深層帰り』というこの冒険者たちばかりであった。

 

「ちぃッ、なんだ、このハゲは!?」

 

 ルノアの注意がクリリンに引き付けられ、思わず手が緩んだ隙に男は逃れる。

 

 男は気に入らなかった。

 

 クリリンが現れてから、店員の関心は全てこの男に向いた。

 第二級冒険者である自分が、一握りしかいない強者であるはずの自分は、もう誰の目にも映っていなかった。

 

「口のわるいヤツだな。まさかデメテルさまの知り合いってわけじゃないだろうな?」

 

 ちょっとムッとしたクリリンは同胞に目を向けるも、護衛の農夫はぶんぶんと首を横に振る。

 

 クリリンはフーとため息をつく。

 

「今のは聞かなかったことにしてやるから、おまえも席に戻れ。食事中だったんだろ? オレも今から食事をするところなんだ」

 

「~~ッ!!」

 

 男はわなわなと震える。

 

「大物ぶりやがって!! てめぇなんざ、このオレに勝てるわけがないんだあぁぁぁぁぁ!!」

 

 男がクリリンに飛び掛かる。

 

 これに慌てたのはヘスティアだけだ。

 

(あの冒険者、死んだな)

 

 これが店内にいた者の、大方の見解だった。

 

 男の豪腕が振り下ろされ、握り締めた岩のごとき拳がクリリンに当たった、ように思われた。

 

「なっ────────!?」

「なにぃーーーーー!?」

 

 男とヘスティアの叫びが同調する。

 

 男の拳は、指一本で止められていた。

 

「そ、そんなばかな!? オ、オレの拳が……ミノタウロスを素手で殴り倒せるオレの拳が…………!?」

 

(ミノタウロス程度でイキるレベルじゃ、どうやっても()()には勝てんニャ)

 

 クロエが冷ややかに男を見る。

 

 やれやれ、とばかりにクリリンはため息をつく。

 

「痛い目を見ないうちに止めとけって。気の毒だけどウデが違いすぎる」

 

「そ、そんなはずはなあぁぁぁぁぁぁい!!」

 

 男は猛烈な連打を繰り出すも、一発として有効打にはなりえなかった。クリリンの指一本、たったの指一本を男は打ち崩すことができない。

 

(す、すっげーニャ)

 

(いくら格下(レベル3)相手とはいえ、あそこまで鮮やかに(さば)くとは。あの冒険者の技量では、よもや一歩動かすことも敵うまい)

 

 アーニャとリューが内心で驚愕する。

 もちろん二人の実力なら、あの冒険者を手玉にとることは可能だ。だが、クリリンほど見事に圧倒するには至らなかった。

 

 冒険者の息が荒くなる。

 真っ赤に染まっていた顔は次第に色が悪くなり、ついには青白くなっていた。

 デメテルの横に控えている護衛はそこに、熟れた果実が枯れゆく(さま)を見た。

 

「ま、こんなもんだな」

 

 クリリンの言葉に男はギクリとする。

 指で受け止めた攻撃をクリリンが軽く払えば、男の拳は腕ごと弾かれた。

 胴がガラ空きになる。

 そこをクリリンは狙った。

 

 傍で見ていたヘスティアの目には、クリリンの手が僅かにブレたようにしか見えなかった。

 気付けば男は吹っ飛び、仲間の冒険者の足もとに転がった。

 

「手刀が八発」

 

「最後に蹴りが一発入りましたね。それも向こうに転がす程度に加減された絶妙な一発が」

 

 ルノアとリューが、あの一瞬で何が起きたか言葉にする。

 見えたのはミアとルノアたちだけだった。

 他の者には見えるはずが無い。ルノアやリューですら微かにしか見えなかったのだから。

 

「リューもあれぐらい手加減できればいいのに」

 

「うぐっ……」

 

 じと目のルノアが煽るも、痛いところを突かれたリューは言葉に詰まる。結果、「うぐっ」とか「ぐぬっ」などと(うめ)くことしかできなかった。

 

 ルノアとリューの横で、ヘスティアは歓喜に震えていた。

 

「す、すごいぞ………!」

 

 ヘスティアは椅子からぴょーんと跳び上がり、クリリンの前に降り立ってその手をとった。

 

「すごいじゃないか! いったい君は何者なんだい!? いやそんなことは後でいい! どうだい、ボクの眷族にならないかい!? ボクと君なら天下だって獲れちゃうぜ!!」

 

 唐突に現れたとしか言えないロリ巨乳に、クリリンはどぎまぎするしか無かった。

 

 そして、クリリンは何も知らぬまま、事態は暗転した。

 

 

 引き金を引いたのはもちろんヘスティアだ。

 

 状況を正しく理解しているルノアと護衛の女は顔を青くした。

 豪傑で知られるミアも僅かに顔をしかめている。

 

 

 

 これは、『禁忌(タブー)』だ。

 

 

 

 天界の神々なら当然知っている、ヘスティアだって知っているはずのことだった。

 

 クリリンの強さを目の当たりにして浮かれ切ったヘスティアは、クリリンがすでに『誰かの眷族(こども)である』という可能性を、すっかり失念していた。

 

 ヘスティアの肩に手が置かれる。

 

「んーなんだい? いま大事な話をしているんだ……よ!?」

 

 振り返ったヘスティアは恐怖のあまり目玉が飛び()そうになる。

 

 ヘスティアの背後で()()()()()()のはデメテルだった。

 瞳から光は失われ、幽鬼のように佇んでいる。

 

 これにはヘスティアもクリリンも死ぬほどビビった。

 

「ヘスティア…………貴方も私の子を(かどわ)かすというの…………?」

 

(やっべええええええ!! この子、デメテルの子だったあぁぁぁぁぁぁぁ!!)

 

 ヘスティアはようやく、自分がとんでもない悪手を打っていたことを理解した。

 

 かつてデメテルの愛娘(ペルセフォネ)が冥界に連れ去られた時、怒り狂ったデメテルによって地上が荒廃したことは、神々なら誰でも知っている。

 

 ふだん温厚な者ほど怒らせると怖いというが、デメテルの場合は怖いでは済まない。

 

 

 

 天変地異が起こる。

 

 

 

 デメテルの権能は偉大すぎる。そのデメテルを怒らせてしまうと普通に世界の危機なのだ。

 そのため、デメテルの機嫌が悪くなった時点でもう大神案件となる。

 

 だからこそ他の派閥は、クリリンを奪い取るという動きを、少なくとも表立っては見せていないのだ。

 

(ま、まずい、まずいぞ!! 次に出す言葉を間違えたら世界がヤヴァイ…………!)

 

 考えるまでもなく、クリリンほどのウデの持ち主が野良であるはずはなかった、とヘスティアは自身の言動を後悔する。

 

 こうして、うっかり世界の命運を背負うことになった、さすがのヘスティア様である。

 

(うわああああああん! なにも思いつかないよーーー! この地に座す神々よ! 誰でもいいから(たす)けに来てくれえええええ!!)

 

 果たして、ヘスティアの祈りは天に通じた。

 

「デメテル、落ち着きなさい。ヘスティアがまだ派閥を結成できてないのは知ってるでしょ。誰彼構わず勧誘してるのよ」

 

「へ、ヘファイストスぅ~~~」

 

 ヘスティアとデメテルの間に入ったのはヘファイストスだった。

 

「ヘスティア、あんたもビビりすぎ。地上にいるデメテルにそこまでの力は無いし、そもそも世界を枯らしたら他の眷族だって危ないじゃない」

 

「うぅ~~~ありがどう、ヘブァイズドズぅ~~~~」

 

「ちょっと、ヘスティア!? 鼻水付くから離れて頂戴!」

 

 腰にまとわりつくヘスティアを、ヘファイストスは押しのける。

 

 そんなわけで、救世主ヘファイストスの働きにより、世界存亡の危機は回避されたのである。

 

 

 

 ◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「取り乱してしまってごめんなさい」

 

 あの後、正気をとり戻したデメテルが深々と頭を下げる。

 

「デメテルもここのところ気を張っていたでしょうし、仕方ないわ」

 

 ヘファイストスはそうフォローを入れる。

 

「そういえば、ヘファイストスもここに食事に来たのかい?」

 

 ヘファイストスの隣の席にいるヘスティアが問い掛ける。

 

「違うわよ。ほら、これ」

 

「ん、お弁当? もしかしてボクのかい?」

 

「遅くなっちゃったけど、お昼のつもりで持ってきたのよ。でも、バベルのところにいなかったじゃない? どこほっつき歩いてるのかと思ったら、なんか騒ぎになってたのよね。それで騒動の中心に向かっていたらここに着いたわけ」

 

「うぅ~ヘファイストス、やっぱり君は良い(やつ)だよ~」

 

「はいはい、調子がいいわねぇ」

 

 抱き付いてくるヘスティアを、鬱陶しそうにヘファイストスは押しやる。

 

「来る途中にたくさんの冒険者が寝かされてたのは初めて見る光景だったわね。ガネーシャのところの【剛拳闘士】なんて市壁にめり込んでいたみたいだし、言葉も出なかったわよ」

 

 ヘファイストスが注文したコーヒーを運んできたルノアがその言葉を聞いてギョッとする。

 

「え!? 【剛拳闘士】って、あのレベル4の!?」

 

【剛拳闘士】ハシャーナ・ドルリア

【ガネーシャ・ファミリア】の上位団員であり、この酒場にもよくやって来る。ルノアのイメージでは、色男だが強いという認識だった。

 実際、ルノアがハシャーナと一対一(サシ)で戦うとなれば、相手は現役の戦闘員である分、ルノアの方が不利だろう。

 

 それほどの実力者であるハシャーナを市壁にめり込ませたのは、当然クリリンの所業であった。

 

 あのとき店内を揺るがした衝撃は、クリリンがハシャーナを西のメインストリートの端っこまで殴り飛ばしたときの余波である。

 

 ルノアの傍では目撃者の一人であるシルが、その常人には見えざる一撃を一生懸命に再現しようとしているが、腕をちょこんと突き出しながらペロッと舌を出す様は、ただ可愛いだけだった。

 

「……貴方がクリリンね。話は聞いているわ。私はヘファイストス。デメテルやヘスティアとは(ふる)い付き合いなの」

 

「ど、どうも」

 

 クリリンに向けたヘファイストスの瞳の色が深くなる。

 

「ところでクリリン、貴方なにか武器を使ったりしないのかしら」

 

「いやあ、特には」

 

 多林寺にいた頃に武器を扱うこともあったので多少の心得はあるが、基本クリリンは無手である。そもそも今のクリリンの力に耐えられる武器がそうそうあるとも思えなかった。思い当たるのは如意棒ぐらいか。

 

「へっへっへ、やめておいた方がいいぜクリリン君。ヘファイストスは鍛治神なんだけど、そこの【ファミリア】が作る武器はべらぼうに高いんだ」

 

「高くないわよ。きちんと値段相応の性能はあると自負しているわ。それに価格帯は広くしているし。第一、ヘスティア、貴方の生活費はうちの売上から出ていることを忘れないでよね?」

 

「うっ……わるかったよ、ヘファイストス」

 

 ヘファイストスに正論で返され、小さくなるヘスティアであった。

 

「クリリン、貴方も忙しいでしょうけど、よかったらうちの工房に遊びに来てちょうだい。きっとうちの子たちも刺激になると思うから」

 

「あ、はい」

 

 クリリンの返事を聞いて、ヘファイストスは満足げに頷く。

 

「さてと、せっかくこうして三柱が集まったのだし、ヘスティアのこれからについて話そうかしらね」

 

「ぎくり」

 

 ヘファイストスの発言に、ヘスティアの顔色が変わる。一度はヘファイストスのところを追い出された身だ。これまでのように気楽な生活は送れまいとはヘスティアも感じていた。

 

「ど、どうかご慈悲を~~」

 

「なに言ってるの、これまでさんざんダラダラしてきたくせに。貴方が再三(さいさん)口にした『本気を出す明日』をついに迎えたのよ」

 

「うぅ~」

 

 すり寄るヘスティアを、ヘファイストスは突っぱねる。

 

「ヘスティアには、デメテルのところに住み込みで働いてもらうことにしたから」

 

「えーーーーーーーー!?」

 

 ヘファイストスの電撃発表に、ヘスティアは顎が外れんばかりに驚愕した。

 

「ちょ、ちょちょちょ、ちょっと待ってくれヘファイストス!?」

 

「待たない」

 

「いや働いてたら眷族集めはどうするのさ…………?」

 

「休日でも使いなさい」

 

「…………休日はゆっくり過ごしたいんだけど」

 

「休日なんだから好きに使えばいいじゃない。自分で生活費稼いでれば誰も文句は言わないわ。眷族集めも貴方のペースでいい。それこそ百年二百年かけたっていいのよ」

 

(ひゃ、百年二百年か~。さらっと言うなぁ)

 

 横で話を聞いていたクリリンは神々の尺度(スケール)の大きさに呆れて苦笑していた。なんなら自分はたった十七年で一度、人生の幕を閉じたのだ。神々の世界は、地球人最強の男とて想像の埒外にあった。

 

(でもアイツは、死後も界王さまのところにいるアイツは、これから神さまのように永い時を過ごすことになるんだろうか)

 

 クリリンは亡き友を思う。

 

 ヘファイストスはコーヒーに口をつける。

 

「ま、あとはデメテルから話を聞いてちょうだい」

 

「ふふ、よろしくね、ヘスティア」

 

 デメテルは楽しそうに微笑む。

 

「いや~、でもな~、なんか心細いというか……あ、そうだ!」

 

 ヘスティアはさも名案というような顔をして、近くにいた人物に声をかける。

 

「ルノア君! 君もボクと一緒にデメテルの畑で働かないか!?」

 

「……………………はい!?」

 

 突拍子もない発言にルノアは混乱する。まさかここで自分に話が振られるとは露程も思っていなかったルノアである。

 

「頼むよ~、一人で新しいことを始めるのはなんか不安なんだよ~」

 

「大丈夫ですって! デメテル様も眷族(ペルセフォネ)たちもみんな優しいですから!」

 

 ルノアは慌てる。それにヘスティアの言う不安が、ルノアにはどうもピンとこなかった。

 そしてルノアがもう一つ気がかりなのは、案外デメテルたちが乗り気なのでは、ということだ。

 

「ヘスティア様、私そもそも仕事しているんですよ、ご覧の通り! だから無理ですって!」

 

 そう言いながら、ルノアは助けを求めるようにミアの方を見る。

 ミアは険しい顔をしながらデメテルたちを見る。しかし、それも長くは続かなかった。

 

「朝の仕込みまでの時間は好きに使いな」

 

『女主人』の見解は以上だった。

 

(そ、そんなあ~~)

 

 ミアの言葉を断る口実に使う目論見はこれで消えた。

 

「ル、ルノア……いいのよ? 無理しなくて」

 

 デメテルやヘスティア、あるいはシルやリューたちに見つめられて、ルノアは半ば自棄(やけ)だった。

 

(もう、なるようになれ!)

 

 ルノアは後日、このときのことを振り返って思う。

 この話を断れなかったのは、まだ何か自分の中にわだかまりがあったからではないか、と。

 

 

 

 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 それから二日後の夜明け。

 

【デメテル・ファミリア】の畑には農夫たちと共にルノアの姿があった。

 

(私、本当にここで働くんだな)

 

 自分が【ファミリア】の活動に参加することなど一生ないと思っていたのに、わからないものだとルノアは思う。

 

 ルノアは自分の手を見る。

 かつて裏社会の傭兵として都市の混迷に関わった、血にまみれた自分の手。

 

(私なんかが、みんなの畑に関わっていいのかな)

 

 あのときもそう思って身を引いた。今でもそう思っている。

 ただ正直にいえば、当時より気後れはしなくなったと、ルノアは感じる。

 どうしてかはわからない。

 居場所が出来て、家族が出来て、友人……もまあ出来て。曲がりなりにも日の当たるところでいっぱしに働いて。それで心境が変わったのか。

 それとも単に、時間が解決したのか。

 思えば、あの酒場で働き始めてからそれなりの年月が過ぎた。それこそ、傭兵時代なんて夢だったんじゃないかと思うほど。

 

(あーーーもう、良いか悪いかなんて考えるのはよそう。私がここにいるのは、ほとんどヘスティア様のせいなんだから!)

 

 ルノアは、あのヘンテコでマイペースな神様に全部丸投げすることにした。

 神様の言う通りにした、それだけだ。

 

 さて、ルノアが【ファミリア】と距離を置いた理由は他にもある。その一つが、裏社会との抗争に眷族たちを巻き込みたくない、というものだった。

 ただ、ルノアを狙っていた商会連合はすでに潰したのでほとんど心配も無かったのだが、たとえあの商会連合が健在でも絶対に手出し出来ないであろう戦力が、なぜかこの畑に集結していた。

 

(なんで【ロキ・ファミリア】がここにいるのさ!?)

 

 ルノアの割とすぐ傍に、彼女たちはいた。

 

「収穫って、もっとこう、牧歌的なものだと思ってたわ」

 

怒蛇(ヨルムガンド)

 

「収穫ってたいへんなんだねー。昨日も夜明けから始めたのに夕方まで終わらなかったし」

 

大切断(アマゾン)

 

「テメーは荷台に詰め込みすぎなんだよ! 何度ひっくり返しゃあ気が済むんだ!? 仕事増やすんじゃねー!!」

 

凶狼(ヴァナルガンド)

 

「今日も、がんばろう。じゃが丸くんのためにも」

 

剣姫(けんき)

 

 一人につきルノア五人分の戦力はあるだろう。

 そんなのが四人もいるのだ。死ねる。

 というより、服装のせいか最初はルノアも気が付かなかった。なんかやたら圧のある眷族たちがいると思ったら、まさかのこいつらである。心臓が止まるかと思ったルノアであった。

 

 加えて、少し離れたところには巨大な馬の影がある。

 一目見て「あ、これはヤバイ奴だ」とルノアの思考は停止した。こいつはもう次元(レベル)が違う。

 

(商会の連中が来たとしても、一瞬で消滅するわこれ)

 

 そして、極め付けはこの男。

 

「おはよう、クリリン」

 

「おう、アイズ、おはよう」

 

 来た、とルノアは思う。

 この畑が戦力インフレを起こした根源は間違いなくこの男、クリリンだとルノアも考えている。

 自分がこの畑で働くことになったのも表向きはヘスティアの暴走だが、実はクリリンが黒幕じゃないかという気がしてならない。

 

「おはよう、クリリン君、ルノア君」

 

 どこか気だるげなヘスティアの声が、ルノアの後方から聞こえる。

 

「おはようございます……ってどうしたんですか、その(クマ)!?」

 

 ルノアがヘスティアの顔を見て驚く。

 ヘスティアの両眼はくぼみ、青黒い隈に縁取(ふちど)られていた。

 

「寝不足なだけだよ」

 

「そりゃ、なんでまた」

 

 ルノアの問いに、ヘスティアはクワッと目を見開く。

 

「では聞くがねルノア君。もし君なら、ピュウピュウとすきま風が吹く建物で、見上げれば星空が見えるような、そんなところでゆっくり休めると思っているのかい?」

 

 どういうことかとルノアが思えば、横にいるクリリンが説明した。

 

 住み込みで働くことになったヘスティアの私室は、市内にある本拠(ホーム)・麦の館では無く、この畑にある旧詰所(つめしょ)の一つが(あて)がわれた。

 旧詰所というだけあって、それなりに老朽化が進んだ建物である。それでも緊急避難所だとか物置に使っていたのだが、いよいよ解体費用の予算を組もうかというところで、今回ヘスティアの用に供することとなったのだ。

 

 この対応にはヘスティアも唖然とし、デメテルに神意を問いただした。

 デメテル曰く、自身は神友を迎えるに当たり、相応のものを(しつら)えるつもりであったが、そこにヘファイストスから待ったが掛かったという。

 彼女(ヘファイストス)が言うに、あまりヘスティアを甘やかすな、と。不自由を楽しむのが地上で生きる楽しみであり、そして、自分で少しずつ住まいを良くするのもまた楽しみなのだ、と。

 それはどうかとデメテルも主張したが、ヘファイストスの弁はさすがに説得力が違い、多少言いくるめられる形で今回のような対応になった、ということらしい。

 

「それ、防犯は大丈夫なんですか?」

 

 ルノアがクリリンに確認する。

 

「夜警部隊が回ってるし、まあ(あいつ)もいるからな。それだけは、よっぽど大丈夫だろうよ」

 

「ああ、たしかに」

 

 住み心地云々は実物を見ないとはっきりとは言えないが、『自分の場所』が確保されているならまだマシな方じゃないかと、路上生活経験もあるルノアは思う。

 

「ヘスティア様、寂しくないですか?」

 

「寂しいに決まってるだろう、ルノア君!? この辺りは夜になると真っ暗なんだぜ!?」

 

 一応、詰所には眷族の誰かがいるが、ヘスティアの寝所からは一番近いところでも1K(キルロ)ある。

 灯りもない真っ暗な農道を通って遊びに行く気にはならなかった。

 夕べのヘスティアは、寝台の上で膝を抱えながら、死んだ目で蝋燭の火を見つめ続けていたという。

 

「まあそれも、一人でも眷族つかまえれば解決しますよ」

 

「それができるなら苦労はしないんだよ、クリリン君。あーボクが他の神に雇われてるなんて知れたら、ますます入団希望者が遠のく気がするぜ……」

 

 ヘスティアはガックリと肩を落とす。

 

 そんなヘスティアの姿を朝日が照らし出す。

 

「まったく、ボクが悩もうが何をしようが、お構い無しに日は上るんだから」

 

 そう呟くヘスティアの横で、ルノアもまた夜明けを告げる日の出を眺める。闇に慣れた目にはちょっとばかり眩しい。

 

「さてと、そろそろ始めるかな」

 

 クリリンがそう言うと、示し合わせたかのように農夫たちが整列する。

 

 え? とヘスティアとルノアは固まる。これから何が起ころうとしているのか彼女たちには見当がつかない。

 見れば、アイズたち【ロキ・ファミリア】も同様に姿勢を整えている。

 

「せいっ」

 

 クリリンの号令で、ヘスティアたちを除いた全員が、クリリンに(なら)って動き始める。

 

「なんだい、これはぁ!? 何かの儀式かい!?」

 

「儀式ってより、東方武術の型に見えるんですけど!?」

 

 のちに『クリリン体操』と言われるこの動きは、もともとクリリンが畑に入る前に行っていた準備運動(ウォーミングアップ)である。

 それを農夫たちが真似してやってみたところ、体の動きが良くなるということで、今では全員がやっているのだ。それは、あの『馬』も例外では無い。ここまでの規模になると一体感もすごい。ちょっとハイになったりする。

 

(いやいや、馬ァ! お前は無理すんな!)

 

 内心でルノアは突っ込む。

 

 そうして、周囲からとり残されたルノアとヘスティアだったが

 

「わ、私たちもやってみますか」

 

「うん、そうだね……このまま何もしないでいるのは、なんかつらい」

 

 空気に負けて見様見真似(みようみまね)で動き始めるルノアたちだったが

 

「へぶっ!?」

 

 さっそくヘスティアは足がもつれて転倒した。

 

 そんなヘスティアの姿も照らしながら、日は上り続ける。

 

 かくして、女神ヘスティアの物語はここから大きく動き始めるのであった。



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其ノ十一 頂天

 

 

 

 世界の中心、迷宮都市オラリオ。

 

 その市壁の外に敷かれた農道を、ティオナ・ヒリュテは歩いていた。

 身に纏うエプロンドレスからは瑞々(みずみず)しい手足が伸びる。白を基調としたドレスと褐色の肌が、鮮やかなコントラストを成していた。

 

「ふんふーん」

 

 機嫌よく鼻歌を歌いながらティオナが両手に抱えているのは、見上げるほどに積み重なった木箱だ。

 

「にんじん~」

 

 ティオナは口ずさむ。

 

「ラディッシュ~」

 

 ティオナの頭上に広がる青空を、白い雲が流れていく。

 

「ごぼう~、ネギ~」

 

 ティオナはずんずんと農道を歩いていく。その足取りは軽く、抱えた荷の重さを微塵(みじん)も感じさせない。

 

「ブロッコリーに、アスパラガス!」

 

 興が乗ったティオナはその場でくるっと一回転。

 スカートがふわりと舞い、両の(もも)があらわになる。

 しかし、高く高く積み上がった木箱は、ティオナの動きに付いてこれなかった。

 

「うわっとぉ!?」

 

 木箱は崩れ落ち、そのいくつかは留め金が外れ、色とりどりの野菜たちが農道に飛び出していく。

 

 アイズ・ヴァレンシュタインはそのとき、農道の脇のジャガイモ畑にいた。

 

「ティオナ!」

 

 悲鳴が聞こえたアイズはスコップから手を離し、ティオナのもとに向かおうとする。

 

「放っとけ、アイズ!」

 

「! ベートさんっ……」

 

 駆け出そうとするアイズをピシャリと制止したのは、アイズと同じくジャガイモ畑にいたベート・ローガだった。

 

「あれはアイツが任された仕事だ。自分(テメー)で蒔いた種だ、自分(テメー)で刈らせろ」

 

「ベートさん、でも……」

 

「俺たちは今日中に七つの耕地を制圧(収穫)しなきゃなんねぇ」

 

「─────────!!」

 

 アイズの顔色が変わる。

 畑をぐるりと見渡せば、なだらかな丘はジャガイモの葉で埋め尽くされていた。

 空の(あお)も畑の(あお)も、視界を越えた向こうまでずっとずっと続いている。丘を駆け上れば空にも手が届きそうだ。

 

 デメテルの畑は広大だった。

 さもありなん。

 ここがオラリオの食糧庫なのだから。

 

「昨日はなんとかなったが、今日のペースだとマジでやべぇぞ。日没までに終わる気がしねえ」

 

 終わりの見えない作業に、ベートはすっかり気が滅入っていた。

 

 ベートの表情を見て、アイズも危機感を強くする。

 収穫に遅れが出れば、ジャガ丸くんの屋台にも影響が出るだろう。アイズの私情として、それは避けたい。

 

 ペースを上げるべく、ゴブニュファミリア製のスコップでせっせとジャガイモを掘るアイズたちを突如、大きな影が覆った。

 

「あぁん?」

「…………?」

 

 ベートとアイズが頭上に目を向ける。

 そこには、山のように積まれた木箱を荷車ごと持ち上げて悠々と飛ぶクリリンの姿があった。

 ギルドによる連日の拘束からようやく解放されたクリリンは、その力を存分に振るっていた。

 

「クリリン、すごい……」

 

「あー、こりゃなんとかなるかもしんねえな」

 

 もはやベートは突っ込むのを止め、ただ冷静に進捗を期待した。

 この日、日没まで数刻残して、当日出荷予定の収穫は全て終了したのであった。

 

 

 

 ◆

 

 

 

「【象神の杖(アンクーシャ)】じゃない」

 

「【怒蛇(ヨルムガンド)】か」

 

 今日の収穫を終え、畑から引き上げてきたティオネ・ヒリュテの目に映るのは、草原に立つ藍色の髪の麗人だった。

 

「ふむ、()しもの【怒蛇(ヘビ)】もなかなかどうして、淑やかなお嬢さんに見えてしまうな」

 

「どういう意味よ。まるで普段の私が淑女じゃないみたいな言い方ね」

 

「どの口が言う」

 

【ガネーシャ・ファミリア】団長

【象神の杖】シャクティ・ヴァルマ

 

 第一級冒険者であるティオネの眼光を受けても微動だにせぬその姿は、さすがの貫禄であった。

 

「また腕を上げたか」

 

「へぇ、わかるの?」

 

「当然だろう」

 

 シャクティは目を細める。すでにティオネはレベル5の上限近くに達していた。その実力は今やシャクティをも上回る。

 

(ここが終着(ゴール)というわけではあるまい。この娘は、まだまだ伸びる)

 

 末恐ろしい娘よ、とシャクティはそう評する。

 

「それはそうと、()()はなんなのよ」

 

「ああ、ハシャーナのことか」

 

 ティオネが視線を移した先に、シャクティもまた目を向ける。

 

「ぬおおおおおおおおおおおおおお………………!」

 

【剛拳闘士】ハシャーナ・ドルリアが、巨大な馬蹄の下で(もが)いていた。

 

「おとといだったか、やつはあのクリリンに挑んだらしくてな」

 

「で、負けたと」

 

 シャクティの言葉を待たずにティオネはそう決め付ける。

 

「早い話がそうだ。それであいつは何を思ったか、今度はあの馬に戦いを挑んだのだ」

 

「冒険心だけは認めるわ」

 

 ティオネもシャクティも、その表情は渋い。

 

「これ、許可したのはあんたでしょ? ちょっとぐらい収穫はあったの?」

 

「いや、それがな」

 

 ハシャーナの挑戦は一手で詰んだ。

 突っ込んできたハシャーナに馬は軽く(ひづめ)を乗せた。それで終わりだった。

 シャクティが得られた情報は何もない。ティオネが馬の様子を窺えば、あの化け馬は欠伸(あくび)でもしながら鼻をほじらんばかりだ。馬の情報を引き出すには、ハシャーナではあまりに実力が不足していた。

 

「……………………まいった」

 

 ハシャーナが投了すると、馬は蹄をどかす。巨大な脚が宙を動く様は、それだけで迫力があった。

 

 ハシャーナはよろよろとしながらこちらに戻ってきた。

 

「わりぃ姐御、やられちまったわ」

 

「おまえというやつは、言っても聞かぬのだからな」

 

「男っつーのは実際に痛い目みないとわからねえ生き物なんでな。無茶をきいてくれる姐御にはいつも感謝してるんだぜ?」

 

「はぁ、まったく……」

 

 腕白な弟分に、シャクティはため息をひとつだけ寄越した。

 

「よぉ、ヒリュテ姉妹の色っぽい方」

 

「ぶっとばすぞ」

 

 ティオネはギロリとハシャーナをにらむ。

 

「あんた、クリリンとも()ったんだってね」

 

「ああ、クリリンはマジで強かったぜ。パンチをもらった時は、顔を持ってかれたと思ったな」

 

「あんた、もうちょっと慎重に生きた方がいいんじゃない?」

 

 明るく笑うハシャーナにティオネは呆れ返る。

 

「あ、【アンクーシャ】だ」

 

 ティオネたちがいる草原にティオナがやってきた。アイズ、ベートも彼女に続く。

 

「あー? 色ボケ野郎もいんじゃねえか」

 

「ティオネ、なにしてるの?」

 

【ガネーシャ・ファミリア】の幹部級とティオネがいる状況にアイズは首を傾げる。

 

「【剛拳闘士】が馬に返り討ちにされたって話よ」

 

 ティオネはアイズたちに事の次第をかいつまんで伝えた。

 

「へー! 【剛拳闘士】、あの馬と戦ったんだ! いいなー面白そう!」

 

 ティオネの話に食い付いたのはティオナだった。

 

「ねえねえ! あたしもやってみていいかな!?」

 

「私に聞いてどうする、【大切断(アマゾン)】」

 

 ティオナの言葉に、シャクティは眉を寄せる。

 

「ねー、アイズも戦ってみたいよね!?」

 

「……うん」

 

 アイズは馬を見上げる。

 

 クリリンやギルドの見解では怪物種(モンスター)ではなく、霊獣か何かと言われている馬。

 どこから来たのか、何が目的だったのか。

 それは未だ明らかになっていない。

 

 ただ確実に言えるのは、この馬はオラリオを壊滅させるに足る実力を持つこと。

 

 アイズは思う。あのときクリリンがいなかったら、果たして自分たちはオラリオを守れただろうか、と。

 

「決まりだね! よーし、やるぞー! たのもーー!」

 

 そう言ってティオナは馬のところに突撃する。

 

「ティオナ……!?」

 

「あのバカ……! 装備も無いのにどうやって戦うってのよ!」

 

 アイズたちは武器を門の関所近くにいる団員に預けている。ギルド職員や【ガネーシャ・ファミリア】の団員の監視付きだ。

 それがアイズたちが市外で活動するための条件の一つであり、また【デメテル・ファミリア】に対して友好を示す狙いもあった。

 

「うひゃあああああああああ!?」

 

 突っ込んできたティオナを、馬は鼻先で引っ掛け、空高く打ち上げた。

 

「遊ばれてんじゃねーか」

 

 その後も馬の鼻っ面で曲芸さながら跳ね転げ振り回されるティオナを、ベートが白い目で見やる。

 

 結局、馬とアイズたちのエキシビションマッチをメイクしたのは、面白がったハシャーナと、馬と意志疎通できる三つ編みの少女ほか農夫たち、巻き込まれたシャクティであった。

 

 

 ◆◆

 

 

 

「クリリン君、アイズ君たちはいったい何をしようとしてるのかな」

 

「なんかあの馬と試合するみたいすよ」

 

 クリリンがこの草原にたどり着いた時には、すでに場は整っていた。

 クリリンに少し遅れてここに来たヘスティアは、状況を(たず)ねていた。

 

 アイズたち四人と馬、草原に両者が向かい合う。

 四人ともしっかりと装備で身を固め、冒険者の姿に戻っていた。そんな彼女たちをヘスティアは初めて見る。

 

「アイズ君たちって、ただの農夫じゃなかったのか……確かに浮いてる感じはしたけど」

 

 ヘスティアはじっ、とアイズたちを見つめる。

 

「それにしてもかっこいいねえ。あの子たち、実はかなり強かったりするのかい?」

 

 ヘスティアの言葉に、農夫たちはキョトンとする。

 

「………………え? なんだい、この空気?」

 

「えーとですね、ヘスティアさま」

 

 異世界人ゆえに、どちらかというとヘスティア寄りのクリリンが説明する。

 

「────という感じですね。特にアイズは世間から注目されてるみたいですし、実際に素質もあると思います」

 

「いやいやいや! なんであの子たち畑で収穫なんてしているのさ!?」

 

「さあ? オレも詳しくは聞いてないんですよ。長期遠征が近いって言ってたから、調整がてらウチでバイトしてるんじゃないっすかね」

 

 まさか自分が都市最大派閥を振り回しているとはつゆ知らず、クリリンはそんな暢気なことを言う。

 ヘスティアも、クリリンの言うことを真に受けて「ふぅん」などと気楽に返している。

 この場にあってなんともマイペースな御二方であった。

 

「というかここ、観戦するにはえらく遠くないかい?」

 

「これでも近すぎるぐらいですわ、ヘスティア様」

 

 クリリンの後ろにいた婦人が答える。

 ヘスティア達がいる場所は、アイズ達から二〇〇M(メドル)程度しか離れていない。

 馬のパワーを思えば、実のところ一〇K(キルロ)は欲しい。

 農夫たちもそれは理解しており、全員がクリリンより後ろに下がっていた。

 

「いざって時はたのむぜ、クリリンさんよ」

 

 ハシャーナがクリリンの傍でそう言って笑う。

 

「で、どうだい【剣姫】のパーティーは。少しは可能性あるかね?」

 

 ハシャーナがクリリンとシャクティに意見を求める。

 

「う~ん、さすがに今のアイズたちには厳しいんじゃないか?」

 

 クリリンがそう言えば、シャクティも口を開く。

 

「そうだな。【剣姫】たちはレベル5。番狂わせを期待するには実力に差がありすぎる。だが……」

 

 クリリンと同様の意見を述べるシャクティはしかし、なぜか結論を濁した。

 そんな彼女に、ハシャーナはニヤリとする。

 

「姐御の気持ちはわかるぜ。なにせあの【剣姫】だ。確かに力の差は洒落になんねえが、それでも何かやってくれるんじゃないかって気にさせられる。あいつは『特別な女』だからな」

 

 アイズ・ヴァレンシュタインは、この世界で『特別な女の子』だった。

 

 これは決してハシャーナだけが思っていることではない。この時代に生きる人々は、いや神々さえも、アイズを特別視していた。

 

 クリリンもアイズと向かい合った時、それはなんとなく察した。

 具体的に何がどうなってそう思ったかはわからない。

 あるいは自分よりずっと洞察力に優れた武天老師ならば、その詳細を、アイズの才覚を感じ取れたかもしれないとクリリンは思う。

 戦闘に関しては、今やクリリンは偉大なる師を大きく超えている。

 しかし、人を見る目、人生観、世界観、新しい時代の展望。そういった人としての器の大きさは、まだまだ師に遠く及ばないとクリリンは自覚している。

 そんな武天老師ならばアイズをどう評するか。…………まさか『パイパイつつかせてくれ』では終わるまい。

 

 クリリンたちの話を聞いて、ヘスティアもさすがにアイズたちの立場がわかってくる。

 

(いや本当になんでアイズ君たちはここで働いているんだろう?)

 

 その理由が隣に立つ男にあるということを、ヘスティアはまだ知らない。

 

「そろそろ始まりそうだぜ」

 

 ハシャーナはスッと目を細める。場にも緊張が伝わった。

 あの馬が強いということはハシャーナも農夫たちも知っている。

 ただ誰も、実際にあの馬がどんな技を持ち、どんな戦い方をするのかは知らなかった。

 アイズたちは果たして、あの馬をその気にさせることができるのか。

 それとも、ハシャーナのように弄ばれるだけか。

 

 クリリンとヘスティアもまた、アイズたちに意識を集中させた。

 

 

 

 閉じていたまぶたを、アイズはゆっくりと開く。

 まぶたの奥の金の瞳が、巨大な馬の影を映した。

 

 ティオナは大きく伸びをし、ティオネは湾短刀(ゾルアス)の感触を確かめている。

 

「どうだアイズ、今の気分はよ」

 

 ベートがアイズに声をかけた。

 

「…………この馬の先にクリリンがいる。なら、私はこの壁を乗り越えなくてはいけない。……そう思っています」

 

「へっ、アレは『通過点』ってか! いいぜ、それでこそ【アイズ・ヴァレンシュタイン】だ」

 

 ベートは愉しそうに笑って、戦意を高めていく。

 

「【目覚めよ(テンペスト)】」

 

 アイズを『風』が覆っていく。それを契機に、ティオナたちも構えをとる。

 

 アイズは馬を見る。

 馬もまたアイズを見下ろしていた。

 

 ────風精霊ノ力(エアリエル)、カ

 

 今まで何の感慨も浮かんでいなかった馬の目が色を帯びる。

 

 ────其ノ力、正面カラ受ケルノハ初メテダガ、成程、アノ御方ノ目ニ留マルダケノ事ハ有ル

 

 馬はクリリンの方を見るも、すぐにアイズたちに意識を戻す。

 

 ────良カロウ、()()()()()()()()

 

 馬が()いた。

 

 馬の(いなな)きは天高く響き、大地を震わせる。

 それだけで農夫たちは、否、ハシャーナやシャクティまでもが竦み上がる。

 挑戦者を(ふるい)に掛けるかのような馬の覇気を、アイズたちは耐える。馬は改めて、今なお己の前に立つ者達を見下ろした。

 

「─────いくわよっ!」

 

 馬の威に負けじとティオネが叫び、アイズたちは駆け出す。

 

 英雄(アイズ)たちが怪物()に挑む。

 世界を守るために、アイズたちが戦いを挑む。

 

 これは有ったかもしれない世界線の戦い。

 架空の英雄譚、その一頁。

 

 景色が高速で流れる中でアイズは見た。

 確かに見た。

 

 馬が歌っている。

 

 短い詠唱(うた)を、馬はまもなく歌い上げた。

 

 アイズは目を見開く。恐ろしく速い。超短文詠唱か、そう考えて瞬時に身構える。

 

 

 しかし、もう何もかもが終わっていた。

 

 アイズの『風』が剥ぎ取られ、虚空に消えた。

 

「!?」

 

 事態はそれだけにとどまらない。

 

 アイズの眼が、口の中が、急速に乾いていく。

 気化熱がアイズの体温を根こそぎ奪い、全身が凍り付いたかのような感覚に陥る。

 仲間たちに声を届けようとして、アイズはさらなる異変に気付いた。

 声が届かない。

 いや、そもそも声帯が震えない。

 

 アイズたちの周囲から空気が奪われていた。

 気圧の急激な低下によって、血液は沸騰する。

 心臓が懸命に拍動するも、血管に充満した気体(ガス)ばかりが圧縮し、血液は落ちていく。

 脳が酸欠を起こし、色覚が失われる。

 苦痛は逆に和らいでいく。アイズの肉体が、『生』を手放しかけていた。

 

 アイズは視界の端で、仲間たちが次々と倒れ伏すのを感じ取る。

 

(ク、クリリン…………!)

 

 アイズは垣間見た。

 回避したはずの『滅亡』を。

 現実と背中合わせの『悪夢』を。

 到底覆せ得ぬ『絶望』を。

 

 アイズの伸ばした手は馬に届かなかった。『希望』を掴み取れなかった。

 目の前の景色が黒く塗り潰されていく。もはや視覚までもが機能を停止した。

 

 アイズの体が崩れ落ちる。

 

 ()くして、【剣姫】を擁する第一級冒険者のパーティーは『全滅』した。

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 意識が戻ったアイズが目を開ける。寝かされたアイズの上を、張られたタープが揺蕩(たゆた)っていた。

 

「やあ、目が覚めたかい? アイズ君」

 

 声がした方に頭を向ければ、アイズの目にヘスティアの姿が映った。

 

「ヘスティア様、私たちは……」

 

「おっと、無理せず休んでおきなよ。損傷(ダメージ)は無いってみんな言ってるけどさ」

 

 身を起こそうとするアイズを、ヘスティアは優しく押しとどめ、アイズはもういちど敷物の上に身を沈めた。

 

「あの、みんなは……?」

 

「ああ、三人ともなんともないってさ。アマゾネス君たちはまだ寝てる。ベート君は起きるなり、どこかへ行ってしまったよ。夕飯までには戻るよう声は掛けておいたけどねっ」

 

 アイズたちが気を失った後、すぐに馬はあの魔法を解除した。

 農夫たちが草原に設営したタープ・テントにアイズたちは運び込まれ、そのとき診察も受けた。特に異常や後遺症は認められなかったと、ヘスティアは言う。

 

「お、【剣姫】、気が付いたか」

 

「【剛拳闘士】……?」

 

 身を屈めてこちらを覗き込むハシャーナに、アイズは視線を返す。

 

「どうだ、水でも飲んどくか?」

 

「ありがとう、ございます」

 

 ハシャーナが差し出したコップを、アイズは上半身だけ起こして受け取る。

 アイズは水を少量、口に含んで喉を潤した。

 

「それにしても、あの馬が使った魔法、地味だけどすごかったなあ。アイズ君たちがバタバタ倒れちゃってさ」

 

 先の戦いで馬が放った一手を、ヘスティアは回顧する。

 

「あのとき、結局なにが起きたんだろう? ハシャーナ君は何か知ってるかい?」

 

 ヘスティアだけでなく、アイズもまたハシャーナの言葉を待つ。

 

「真空魔法じゃないか、って俺達はみてますぜ」

 

 ハシャーナはそう答える。

 

「真空魔法……? ボクはそこまで魔法が詳しいわけじゃないけど、そんな系統あったっけ?」

 

 ヘスティアは頭上にいくつも疑問符を浮かべる。

 

「系統としちゃ『風属性』だと、あのお嬢ちゃん伝手に聞きましたがね」

 

 そう言って、ハシャーナは例の三つ編みの少女に目を向ける。

 

 イマイチ要領を得ないヘスティアの横で、アイズは察した。

 あの魔法が超短文詠唱だったことも鑑みれば、馬の魔法の本体は『真空』では無い。

 奪い取った『風』にこそ有る。

 

 アイズは戦慄する。しかし同時に、何か感慨を覚えた。まるで『風』に対して強い権限を司るかのようなその在り方に────

 

「う~ん、まああの()がスゴいのはなんとなくわかったよ。で、あの子はなんでこんなとこにいるんだい? どこか秘境にでもひっそり住んでいそうなものだけど」

 

 そんなヘスティアに、アイズもハシャーナも一瞬、言葉を失う。

 

「ヘスティア様、もしかして何も聞いてないので……?」

 

「こちとら、ついこの間までヒキニートだったからねっ!」

 

 呆然とするハシャーナたちを見て、拗ねたようにヘスティアは口を尖らせる。

 

「まあ俺たちも、アレがここに来た理由はハッキリわからないんですがね……」

 

 アイズが「ヒキニート?」と首を傾げる横で、ハシャーナはヘスティアに経緯を話す。

 この畑で起きた激闘と奇跡の数々を。

 そして、クリリンという既に伝説と化した農夫のことを。

 

「…………………………………………ッ!」

 

 ヘスティアがプルプルと全身を震わす。

 

「ヘスティア様?」とアイズが声をかけるや否や、炉神はクワッと目を見開いて叫ぶ。

 

「結局、いちばんオカシイのはクリリン君じゃないかあ――――――――――――――!!!?」

 

 ヘスティアの悲鳴ともおぼしきその叫びは、草原じゅうに響き渡った。

 

 

 

「なあ、無理すんなよ。さっき意識が戻ったばっかなんだろ?」

 

 ヘスティアたちのいる場所からおよそ六〇〇M(メドル)離れたところに彼らはいた。

 今はクリリンが、目の前で片膝を突いている狼人(ウェアウルフ)に声をかけているところだ。

 

「────────ッ!!」

 

 ゼェゼェと苦しそうに肩を上下させているのはベートだ。

 しかし、その眼光は人を射殺さんばかりに鋭い。

 

「おらああああああああああ!!」

 

 地面が爆ぜ、突風が舞う。

 ベートの速度(スピード)が距離も時間もぶち抜いてクリリンに迫る。

 

 ベートの高速の蹴りがクリリンに決まる、かと思われた。

 刹那、ベートの血の気が引き全身の毛が逆立つ。

 

 それはまるで『壁』だった。

 

 ベートの横っ面にクリリンの蹴りが肉薄していた。

 (まばた)きなどとても許されぬ攻防の最中(さなか)、ベートが壁の前に腕を滑り込ませられたのは慮外の出来だった。

 

 それでも──────

 

 爆音がベートの耳朶(じだ)を打つ。

 

「~~~~~~~~~ッ!!」

 

 鋭い、などという言葉では言い表しようが無い。それはもはや爆弾だった。

 万言(ばんげん)尽くそうとも()を尽くせぬほどの凄まじい蹴りが、防御(ガード)の上からベートの顔を押し潰す。

 そのままクリリンが脚を振り抜けば、ベートの体はいとも容易くふっ飛んだ。

 

 地面を何度も跳ねた後、ごろごろと転がるベートは、芝草にまみれながらもなんとか体勢を整える。

 

 息をつく暇もなく、再びベートに悪寒が走る。

 

 顔を上げたベートが見たのはクリリンの『足』

 だが、もうベートに()()をどうにかする術は無かった。

 

 幻視する。

 

 自分の首から上が血飛沫と化す。

 そんな幻想を、まるで他人事のようにベートは俯瞰していた。

 

 ベートの意識が現実に引き戻されたのは、暴風が彼の顔を打った後だ。

 

「うぐッ────────!?」

 

 ベートの眼前で止められた追撃の威は、彼を越えて遥か遠くまで届く。

 まともに食らえばベートは勿論、あの『馬』ですらとても耐えられるモノでは無かった。

 

 クリリンがゆっくり足を戻すと同時に、ベートの体から力が抜ける。過度の緊張から解き放たれた反動か、ベートの表情もいつになく弛んでしまう。ティオナあたりが見たらきっと、からかうより先に心身を気遣ったことだろう。

 

「気は済んだか?」

 

 ほれ、と手を貸そうとするクリリンに、ベートは思いっきり顔を歪ませる。

 

「…………余計な真似すんな。自分で立てる」

 

 ヨロヨロとしながらではあったが、ベートは自力で立つ。ただ、さすがにもうベートに戦闘を続行する意思は無かった。

 

 ベートはクリリンに問う。

 

「世界には、アレ()以上の化け物がゴロゴロいんのか?」

 

 馬の強さはベートの想像を大きく上回っていた。

 ガレス以上の超パワーに、リヴェリア以上の殲滅力。

 勝負は一瞬で持っていかれたが、それだけの実力を窺わせた。

 

 その馬ですら、この男の前では霞んで見える。

 遠かった。この男の立つ頂きはあまりに遠かった。

 

 同時にベートは考える。

 クリリンがこれほどの力を身に付けたのは、必要だったからだと。

 

 アイズの口から出た【大魔王】

 あるいは、その対極(カウンター)として存在するであろう最上位精霊や霊獣。

 

 地下迷宮こそがラスト・ダンジョンだと思っていた。

 そう考えているのはベートだけではあるまい。というより、大多数の者はそう考えているはずだ。

 

 しかしこの静かなる地上にこそ、恐ろしいほどに強大な存在が眠っているのかもしれないと、ベートは見識を改める。

 他ならぬクリリンという男の存在が、そうさせた。

 

「そりゃあ、いるだろ」

 

 ベートの問いにクリリンは、なんてことないように返す。

 ことの重大さとクリリンの物腰には大きな温度差があった。それがいっそうベートの胸中をざわつかせる。

 ベートの表情が険しくなるのを知ってか知らずか、クリリンは言葉を付け足していった。

 

「別にアイツ()が弱いってことは無いけどよ、もっと強い奴らと比べちまうとな」

 

「……………………」

 

「まあアイツも、脱け殻みたいになっちまう前は、今よりずっと強かったんだろうとは思うけどさ」

 

(ちッ、全くどうなってやがる)

 

 ベートは内心で盛大に舌打ちをする。

 どうやら『黒竜』以外にも、世界には海千山千の怪物どもがいるらしい。

 

 そしてベートは、一番聞き出したいことを問う。

 

「【大魔王】ってのは、なんだ」

 

「!」

 

 ベートの眼光が一段と鋭くなる。

 

「【大魔王】ってのは何者だ。何が目的で、今は何をしてやがる」

 

「……………………」

 

 クリリンは口をつぐむ。

 そもそも()()()が本当に【大魔王】なのか、クリリンとて確信は無い。単に、気の性質が昔のピッコロに似ていたからという理由だけが判断材料だ。

 目的に関してもクリリンの知ったことでは無い。

 大方、世界征服か秩序の破壊か、そんなお決まりのものだろうとしか思っていなかった。

 いずれにせよクリリンとしては、敵対するならば返り討ちにするし、そうでないならば放置する。

 現状の心構えとしてはその程度。

 あのときアイズに話した【大魔王】の(くだり)は、クリリンからすればほとんど雑談だった。

 

 が、相手がここまで食い付く話題ならば、利用しない手はない。

 

「あーその話は、場を用意してからするわ」

 

 凍えるような視線を投げ付けてくるベートに、クリリンは返す。

 返答に込められたクリリンの意図、それがわからぬベートでは無い。

 

「はっ、取引か! さすがにソレをベラベラしゃべるほどテメーもお人よしじゃねーか」

 

 鼻を鳴らしながらも、ベートはしかしどこか納得したような表情を浮かべる。

 

「そういやオレもベートに聞きたいことがあるんだった」

 

 すかさずクリリンは会話の主導権を取りに行く。

「あぁ?」とベートは返すのみで、クリリンの言葉を遮る様子は無い。手ごたえアリ。

 

「ベート、おまえはどうして、雑魚だ雑魚だと相手を貶して()()()んだ?」

 

 クリリンの疑問。それはベートの態度だった。

 初めて会ったあの日も、レフィーヤに対して突き放すような言動をとった。

 アイズたちに言わせればあれでもまだマシな方で、ふだんの下位団員への物言いは聞くに堪えないとのことだ。暴言を吐いたその場で、ティオネやティオナに粛正されることもよくある話だとか。

 

 だからと言って、ベートは徹底した実力至上主義とまでは、クリリンには思えなかった。

 たしかにベートの第一印象はすこぶる悪かった。調子に乗っているようなら、少しお灸を据えてやろうかとも思った。

 それでも、何だかんだ言って最終的にはレフィーヤを『仲間』と認め、クリリンとの戦闘中もレフィーヤを気にかけていた。

 

 根は悪いやつでは無い。

 かといって、ふだんの言動は、発破をかけるというには度が過ぎている。

 それはベートの性格というより、信条とさえ思えた。

 

 何がベートをそうさせた? 

 

 クリリンがそう問えば、ベートから表情が消えた。

 クリリンとしては、話を反らすために振ったものだが、存外ベートには刺さったらしい。

 

「─────雑魚が嫌いだからだ」

 

「おう、それは確かにおまえの『本音』なんだろうけどさ」

 

 ベートの言葉は決して嘘では無い。ただ、言葉通りの意味では無いだろう。

 これ以上踏み込むのは無理かとクリリンが思いかけたところで、ベートは言葉を継ぐ。

 

「俺は弱え奴が嫌いだ。勝手に出てきて勝手に死んでいく。うんざりなんだよ。死に様も酷え。泣いて喚いて情けねえったら無え。こっちが泣きたくなるぐれーだ」

 

 ベートはそう言って顔を歪ませる。

 

「嗤うしかねえだろ、そんな奴らは。身の程を弁えねえ雑魚どもが出てきたって死ぬだけなんだよ。後には何も残らねえ。巣穴に(こも)って震えてりゃあいいんだ─────って、クリリン、なんでテメーがそんな顔しやがる」

 

「い、いや別に……」

 

 ベートの言う『弱え奴』に、クリリンは己の姿を重ねてしまい、なんともいえない表情を浮かべていた。なんならクリリンは、真っ先に死んだことすらある。

 ベジータたちが初めて地球に来たとき、あるいはナメック星で【帝王】と相対したとき、親友は懸命に自分たちを逃がそうとした。もっとも、敵の強さを思えばどこにも逃げ場は無かっただろうが。

 ベートの『雑魚』に対する思いは、少なからず親友が『自分』に抱く思いと重なる部分もあるに違いない、とクリリンは想像する。

 やれるだけのことはやってきた、とクリリンにも自負はある。が、自分が『強者』だとは思えなかった。

 

「フン、まあテメーほど強けりゃ守れねーもんも無えだろうがな」

 

「!!」

 

 ベートのどこか願望じみた言葉にクリリンの表情は曇り、呟いた。

 

「…………そんなわけないだろ」

 

「ッ!!」

 

 寂しそうにするクリリンを見て、ベートは言葉に詰まる。今の発言はさすがに浅慮に過ぎた。

 

「…………この話は終いだ。『取引』については持ち帰る。後はフィンがどうとでもするだろうよ」

 

 そう言って、ぷいっとベートは顔を背ける。すると、背けた視線の先で何を見つけたのか、ベートの表情が苦々しくなる。

 

「あーーー、いたいたっ!」

 

 声のする方をクリリンが見れば、ティオナが大きく両手を振ってこちらに駆けてきていた。

 アイズとティオネも一緒だ。

 

「やーすっごい衝撃だったから、一発で目が覚めちゃったよー!」

 

「ベートさん、クリリンと戦ってたの……? ずるい」

 

「他所の庭であんまりはしゃぐんじゃないわよ」

 

 ティオナは満面の笑顔で

 アイズは頬をちょっとだけ膨らませて

 ティオネはジロリとベートに目をくれて

 三人がベートに並んだ。

 

 クリリンは気を取り直して四人に声をかける。

 

「アイズたちも平気そうだな。どうだったよ、アイツ()と戦ってみて?」

 

「すっごい強かった! あんなのにクリリンはどうやって勝ったんだろーって思っちゃった! ティオネたちはどう?」

 

 高揚感に身を弾ませながらティオナがそう言えば、ティオネも口を開く。

 

「私はかなり面食らったわ。あのとき何をされたか今でもよくわからないし。これでも色んな怪物を相手にしてきた自負はあったんだけどね」

 

 悔しいけど完敗よ。

 ティオネはそう締めくくって、アイズを見る。

 

「アイズ、お前はどうだった?」

 

 クリリンが声をかけると、アイズも言葉を切り出した。

 

「……今のままだと、私は()()()()()()()に勝てない」

 

 アイズは、いやティオネもティオナもベートも、神妙な面持ちになる。

 四人は大きくステータスを上昇させた。

 それでも、もっと上の次元(せかい)とはまだまだ大きな差があった。

 

「だからクリリン、私に『キ』を教えてほしい」

 

 アイズの眼差しは熱をもってクリリンに注ぐ。

 

「いいぜ、約束だしな。夕食まで時間があるし、さっそく始めるか」

 

 クリリンがそう言うと、アイズは嬉しそうに頷くのだった。

 

 

 

 ◆◆◆◆

 

 

 

「じゃあ、今から『気』の取り扱いについて教えるぞ」

 

「おー!!」

「わー」

 

 ティオナとアイズの拍手を受けるクリリンに、ティオネが尋ねる。

 

「その『キ』っていうのは何なの?」

 

「俺達と戦った時、最後に見せた光弾(アレ)がそうか」

 

 ティオネに続いてベートが聞けば、クリリンは頷いた。

 

「体の中に流れてる、目には見えないエネルギーのことだな。ま、やってみせた方が分かりやすいか」

 

 そう言ってクリリンは四人の前に両手を(かざ)す。

 アイズとティオナが身を乗り出してクリリンの掌を見つめていると、何もないはずのその手の中に小さな光が灯った。

 

「あ」

「わあっ!」

 

「これが『気』さ」

 

 クリリンの手の中で煌めく光に、アイズとティオナから感嘆の声が漏れる。

 

「私にもできる……?」

 

「ああ。ただ、最初は『気』を感じ取るのが難しいから頑張れよ」

 

『気』は、どんな生き物にも備わった基本的な要素である。

 しかし、生命の本質とも言うべき在り方ゆえか、普通の人間がその存在を知ることは非常に稀だ。

『気』は感覚の埒外──────否、深遠に在ると言えよう。

『気』を操るには、まず自分の中にひっそりと存在するソレを知ることから始まるのだが、これがまた非常に困難なのだ。

 

「口で説明するのは難しいんだが、瞑想でもやりながらどこか一点に意識を集中させるのが、いちばん取っ付きやすいかな」

 

『気』の存在を知る方法は一つでは無いが、掌や腹部、心臓の鼓動、額といったところに意識を集中させることが足掛かりになりやすい。

 クリリンも最初は気の集中と放出、

 

 すなわち【かめはめ波】から始まった。

 

 そこからさらに修行を積み、より高度な気の制御を身に付けていったのだ。

 

 アイズはそっと目を閉じて、体の内側に目を向けてみる。

 

 一分か二分、アイズはそうしていたが、眉を八の字に曲げながら目を開ける。

 

「……………………?」

 

 困った表情を見せるアイズの横で、「わっかんないよー!?」とティオナも音を上げていた。

 

「う~ん、なんだか雲をつかむような話ね」

 

 とティオネが言えば

 

「けっ、あんときクリリンをまともに捉えられなかったカラクリが、少しはわかった気がするぜ」

 

 ベートもまた困惑を表情に滲ませる。

 

 それはまるで人の手が及ばぬ領域に秘されていた。

 クリリンの師、武天老師が【かめはめ波】を完成させるのに要した歳月は五十年。

 それも、武泰斗という真の武道家の薫陶を受けて尚、だ。

 

『気』を自在に使いこなすには、日々を鍛練に費やしたとしても、気の遠くなるような時間がかかる。

 どんな達人であろうと『人間』である限り、死の間際でようやく入口を見ることが出来るかどうか。

 それこそ『仙人』にでもならねば───────

 

恩恵(ファルナ)』を刻んだアイズ達とて、このままでは『気』を知る前に寿命を迎えてしまいかねない。

 

 しかし結論から言えば、そうはならなかった。

 

 なぜなら

 

 アイズ達の目の前にいるのは、クリリンという天与の超人だからだ。

 

「あ、そうだ、『気』を体験した方がいいかもしれないな」

 

 一計ひらめいたクリリンがその手を差し出すと、アイズは条件反射で自分の手をクリリンの手に重ねた。

 

「…………おい、何のつもりだクリリン」

 

 ベートが抗議の視線を向けると、「まあ見てろって」とクリリンはニヤリと笑う。

 

「アイズ。今からオレの『気』をほんのちょっと送り込む。そうすれば『気』ってものがどういうものか、よく分かるはずだ」

 

「そんなことができるの?」

 

「ああ、じゃあいくぞ」

 

「────────!!!?」

 

 それは、この世界の人類が初めて『気』を実感した瞬間だった。

 

「こ、これが『キ』………………!?」

 

 ティオネがその表情(かお)を驚愕に染めながら、崩れ落ちそうになる体を両脚でなんとか踏ん張る。

 

 アイズを中心に幾つもの波紋が生まれては広がっていく。

 

 草原を薙ぎ

 木々をざわめかせ

 大地を走り

 海を渡り

 

 天に、迫る─────────! 

 

 

「アイズ、これが『気』だ」

 

「あああああああああああああ…………!!!?」

 

 アイズの全身は『気』の奔流に覆われ、光を発していた。

 

「アイズっ……なんか、すごいよ!?」

 

 ティオナがアイズの姿を見て、目をまんまるに見開く。

 アイズから立ちのぼる、圧倒的な気配。

 それはこの場にいない者にも伝わった。

 

 

 

 ────此レハ

 

 馬が

 

「な、なんか今、空気がピリッッとしなかったかい……?」

 

「気のせいではないと思います。クリリンさん達のいる方向が光ってますから。ほら、あちらに」

 

 ヘスティアが

 農夫たちが

 

「あら……あらあらあらっ……何だか面白いことをしているわね………………!」

 

「ええ。ですが、今の【剣姫】には過ぎた力でしょう。下手に動けば肉体は耐えられますまい」

 

 フレイヤが

【猛者】が

 

「おぉうっ!? なんやこれぇっ!!?」

 

稽古(レッスン)が始まったみたいだね」

 

 ロキが

【勇者】が

 

 ()()()

 

 

 そして、まだ遠き旅路を来る少年にも

 

「!?」

 

「クラネル……お前も何か感じたか…………?」

 

「う、うん……透明で大きな力が、全身を何度も通り抜けてる……みたいな…………」

 

 紅眼白髪の少年が、行く先を望む。

 

「オラリオから、だよね……? いったいあそこには何が待ってるんだろう……」

 

 ベル・クラネルは茫然と、この力の発信源に呟いた。

 

 

 

「……どうして、今まで気付かなかったんだろう」

 

 光に包まれたアイズが、ぽつりとこぼす。

 

「ずっと、私の傍にあったのに……」

 

「はは、『気』なんてそんなもんさ」

 

「…………これが『気』」

 

 アイズの言葉に、クリリンが笑ってこたえる。

 

「アイズ、そっちの手を出してみろよ」

 

 こう? とアイズが空いている方の手の平を広げると

 

「ほれ」

「!?」

 

 ボッ、と音を立てて光球がアイズの手の上に現れた。

 

「な、なんか出たあっ!!?」

 

「………………!?」

 

「オレたちはこれを、気弾とかエネルギー弾とか呼んでる」

 

 ティオナと一緒にアイズはじっと目の前に浮かぶ光球を見つめる。

 凄まじいエネルギーを秘めた光体は、普通ならすぐに弾け飛ぶはずだ。アイズたちを巻き添えにして。

 しかしこの高エネルギー体は安定して存在している。

 アイズの技術では無い。

 アイズを通してクリリンが制御(コントロール)しているのだ。

 恐ろしいほどに精緻さを極めた操作で。

 

(知れば知るほど、私たちは出鱈目な男を相手にしたのだとわかるわ……)

 

(こんなのはまだ序ノ口だ。コイツは気弾(コレ)を変幻自在に扱える……!)

 

 とてつもない威を秘めたエネルギー弾を完全に制御下に置いているクリリンを見て、ティオネとベートは改めて戦慄する。

 

「せっかくだし試し撃ちでもしてみるか。…………おーい!」

 

 クリリンが呼び止めた相手を見て、アイズたちはギョッとする。

 

 少し離れたところに控えていた『馬』だった。

 

 ギョッとしたのは馬も一緒のようで、「ヒンッ!?」と嘶く。

 完全に腰が引けている。

 ハシャーナを足蹴にし、アイズたちですら鼻先であしらったも同然の彼も、どうやらクリリンは怖いらしい。

 

「今からこれを撃つから、適当にもてなしてくれー」

 

『天意』に逆らえるはずも無い。

 馬は全身全霊を以て構える。

 

(私たちと戦った時とは全然ちがう……)

 

 馬の態度の違いからも、アイズはクリリンと自分たちにどれほど力の差があるかを思い知る。

 

「よし、アイズ、撃ってみろよ」

 

 緊張で震える馬をよそに、クリリンは軽く言う。

 なんだか馬が気の毒になりながらもアイズは掌を馬に向けた。撃つだけなら、今のアイズも感覚でなんとなくわかる。

 

「…………クリリン、これ何か技の名前、ないの?」

 

 必殺技(わざ)の名前を唱えれば、威力が上がるんやで!? 

 遠き日に、イイ顔したロキにそう唆されたアイズは、クリリンに聞いてみる。

 

「いや別にねえけど。名前付けたいなら、アイズ(たん)とかでいいんじゃね」

 

「クリリン、マジメにこたえて……」

 

 さして遠くもない空の下で悪戯神(ロキ)が笑っている気がして、アイズはすごく微妙な表情になる。

 

(これは借りた技だから……名前は自分の技につけよう)

 

 アイズはそう思い直して構える。

 

「ハッ!!」

 

 アイズが気弾を解き放つと、衝撃とともに着弾までの光路は瞬時に描かれた。

 反動でアイズが大きく仰け反るのと、気弾が馬の鼻面に飛び込んだのはほとんど同時だ。

 ズズズと大きく地面を抉りながら、光球が馬を押し込んでいく。

 

「すごっ!!?」

 

 ティオナが高揚に身を弾ませる。さっきまで何をどうやろうとビクともしなかった馬をここまで追い詰めているのだ。

 

 しかし、馬の実力もさるものだった。

 

「ヒヒィィィィィィィィィィィィィィンッ!!!」

 

 馬が大きく嘶いたかと思うと、バチィッと電撃が弾けるような轟音と共に、気弾の光路は捻じ曲げられた。

 

 光芒が遥か上空に消える。

 

 それを見送って、馬は鼻を鳴らした。

 

「ちッ、アイツはアイツで、とんでもねぇじゃじゃ馬だぜ…………!」

 

 あまりの出来事に、ベートが悪態を吐きたくなるのも当然だ。

 追い詰めた、と思いきや蓋を開けてみれば馬は無傷(ノーダメージ)

 あれほどの威力であっても、レベル7にとってはあの程度()()()()なのだ。

 

「はあっ、はぁっ……」

 

「これが、気弾。『気』っていう潜在エネルギーを凝縮して放出する技の()()だな」

 

 息を切らすアイズに、クリリンは平然と言ってのける。

 一足飛びにレベル7相当の世界を擬似的に体験したアイズは、反動で大きく体力を減らしていた。

 

「よし、次は空でも飛んでみるか」

 

「………………!?」

 

 状況をわかっていて、クリリンはこういうことを言う。

 強くなるのはたいへんなのだ。

 

「そら」

 

「!!」

 

 クリリンが再び気を送り込む。今度は凝縮せずに全身に巡らせてやると、アイズの体はあっさり浮いた。

 

「う、浮いたあーーーーっ!!?」

 

「あ、あんたはちょっと落ち着きなさいよ。でも、本当に浮いたわ……」

 

 ティオナとティオネが信じられないものを見るような目をする。

 しかし、真に驚くのはここからだ。

 

「じゃあ、オラリオを上から見てみるか」

 

 そう言うとクリリンもアイズの隣に浮かぶ。

 

「あっさりとまあ……」

 

 目を剥くティオネたちに「い、いってくるね……」とアイズは手を小さく振った後、クリリンと共に高度を上げていく。

 

 ぐんぐんと飛び上がっていく。

 それでも、アイズは恐怖も不安も抱かなかった。

 その理由は、クリリンの『気』の扱いの巧さだろうということはアイズにも想像できた。

『気』の感覚をようやく理解できたアイズにとっても、他者に『気』を送り込んで技を体感させてしまうなどという芸当は、もはや超絶の領域としか思えなかった。

 

「!?」

 

 視線を感じてアイズは即座に振り返る。

 

「あん? どうしたアイズ」

 

「……なんでも、ない」

 

 アイズの瞳の奥にはバベルの最上階が映っていた。そこからこちらを注視するのは

 

(【猛者(おうじゃ)】……?)

 

 しかしその視線もバベルの頂上もアイズたちは一瞬で振り切って、さらに上空へ。

 

「ま、このへんにしとくか。どうだ、アイズ」

 

 クリリンがふわりと姿勢を整えて静止したのはオラリオの遥か上空。

 

「──────────っ!」

 

 目の前に広がるオラリオの全景。

 手を翳せば、その掌にオラリオはすっぽりと収まってしまう。

 目を移せばオラリオの外にも世界が広がっていた。

 地平線も水平線も曲線を描いている。

 

 これが『頂天』から見える景色。

 溢れ出す感情は言葉にならなかった。

 それでも、アイズは言葉をしぼりだす。

 

「クリリン」

 

「ん?」

 

「ここに連れてきてくれて、ありがとう」

 

 アイズは微笑む。

 美の女神も思わず嫉妬してしまいそうな、そんな顔で。

 ただ、それを見ることが許されたのはクリリン一人だけだった。

 

「いつかは、自分の力で()()に来られるようにがんばる」

 

「おう」

 

 自分がどれだけ果報者か、たぶんわかっていないクリリンは呑気に笑い返す。

 

 それからしばらくして地上に戻ったアイズは、今度こそぶっ倒れた。

 

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 

「なんでテメーがここにいんだ、猪野郎」

 

「…………」

 

(か、帰りたいっ…………!)

 

 朝の食卓で一触即発の空気を醸し出すのは【猛者】オッタルと、【凶狼(ヴァナルガンド)】を始めとした【ロキ・ファミリア】の面々だった。

 

 アイズが『気』を体験した日の翌朝のことである。

 

(こんな危険物どもを、なんで一つのテーブルに押し込めたの!?)

 

 内心で青ざめるのはルノア・ファウストだ。

 普段は朝の仕込みで、とっくに酒場に戻っている時刻である。

 しかし今日は遅番シフトのため、ここで朝食を済ませることにしたのだった。

 

 農夫たちは朝食や昼食を畑でとることも多い。

 大規模収穫期で人手がほぼ畑に出ている時は特にそうだ。

 食卓を広げる場所は、都市外にいくつか存在する【デメテル・ファミリア】の別邸や、今回のように農地の脇の草原だったりする。

 

(ただ平穏に朝食を取るだけだったはずなのに、どうしてこうなった!?)

 

 配膳を始めている眷族たちを横目に、ルノアは頭を抱えていた。

 

「ベート、よしなさい」

 

(そういうアンタの目もヤバいんですけど!?)

 

【怒蛇】の(かお)は宥める人間のそれでは無い。むしろ【凶狼】以上に敵意を剥き出しにしてさえいる。

 

 そもそも【ロキ・ファミリア】と【フレイヤ・ファミリア】を同席させること自体、間違っているだろう。

 

(こんな時にッ! クリリンさんはどこ行ったのさ!?)

 

 共通の知人(クリリン)がいない席は、気まずいという次元(レベル)を遥かに超えている。

 

(そうだっ! ヘスティア様は!?)

 

 どんな者にも分け隔て無く接する彼の女神ならば、この空気をきっとなんとかしてくれる。

 そんな願望を胸にルノアが女神の姿を探すと、眷族たちと歓談している彼女はすぐに見つかった。

 

(ヘスティア様、そこ替わって!?)

 

 切実な願いであった。

 しかし、その願いが神に聞き届けられることはなかった。

 極度の緊張下にあるルノアをよそに、ヘスティアは眷族たちと楽しそうに笑っている。

 現実は非情である。

 

 誰にも気付いてもらえぬままルノアが白目で虚空を見つめていると、【猛者】が沈黙を破った。

 

「度し難い。()()()()()何が出来る」

 

「─────────ッ!」

 

(あ、これマズい流れだ)

 

【猛者】の言葉は当たり前のことだとルノアには思える。

 レベル8の【猛者】を相手に、【凶狼】一人でまともな勝負になるはずがない。

 しかし、全てを見透かしたような目で見下ろす【猛者】の言葉には、それ以上の意味が込められていたに違いない。

 ルノアには、その意味まではわからなかった。

 ただ、その言葉がベートの傷を抉ったということだけはわかってしまった。

 

「テメェ…………!」

 

「ベートさん……」

 

「やめなよ、ベート」

 

 それまで静観していた【剣姫】と【大切断(アマゾン)】までもが、ついに口を挟む。

 

 状況は悪化の一途をたどるばかりだ。

 

(クリリンさん──────!!!! はやくきてくれ──────っ!!!!)

 

 ルノアが大絶叫したのも無理はない。

 しかし、ここでようやくルノアに救いの手が差し伸べられた。

 

「…………」

 

 オッタルが不意に空を見上げる。

 ベートへの関心はすでに薄れていた。

 

 遅れてアイズたちもその気配に気付く。

 最後にルノアが空を見上げようとした時に、声が聞こえた。

 

「着きましたよ、デメテルさま」

 

「あらあら、錚々たる顔ぶれね」

 

 デメテルをお姫さま抱っこしたクリリンが、空を飛んでやってきた。

 

「デ、デメテル様~」

 

「あら? ふふ、今日のルノアは甘えんぼね」

 

 デメテルが地に降りるや否や、満身創痍のルノアは女神に縋り付く。

 もちろん、デメテルがそれを拒むはずも無い。

 

 甘い囁きにルノアは身を蕩かされながら、もはやお約束とばかりにその幽谷(おっぱい)に導かれた。

 柔かいい匂い、でも窒息しそう。

 

 続いて、ルノアはクリリンの所へ。

 

「ははは、ルノア、お前いったいどうしたんだ────」

 

 ガシィッ、とクリリンの両肩がルノアに鷲づかみにされる。

 

「遅いよ、クリリンさん…………!」

 

 涙目のルノアが抗議する。

 それだけ見れば庇護欲がそそられるが、クリリンの双肩に置かれたその手はどう見ても骨を砕きにかかっている。

 想像を絶する、無慈悲の極みとしか思えないパワーだ。そこに可愛げなど欠片も無かった。

 常人ならば圧し潰されて然るべき怪力を、しかしクリリンは平然と受け流す。クリリンにとって、この殺人的な力ですら肩に蝶が止まった程にも感じられないようだった。

 それでもルノアの必死さだけはなんとか伝わったようで、「なんかよくわからんが、わるかった」というクリリンの謝意を引き出すに至った。

 

 ルノアがクリリンに八つ当たりをしている横で、ティオナもまた目を潤ませていた。

 

 その目が映すのは、豊穣の女神デメテルの豊穣たる象徴。

 バインバイーンといちいち大きく揺れるその胸元に、微動だにしない自身の荒野に手を当ててティオナは膝から崩れ落ちる。

 

 そんなティオナの苦悩などいざ知らず、デメテルはある少女を前にして顔を綻ばせる。

 

「…………っ!?」

 

 デメテルに笑顔を向けられたアイズは、なぜか悪寒が走る。

 善神の筆頭たるデメテルに、なぜこんなにも戦慄を覚えるのかアイズ自身にもわからなかった。

 しかしその理由は直後、思い出すことになる。

 

「あらやだ、一段と可愛くなっちゃってぇ~~~」「!!」

 

 ぼふん、と音を立ててデメテルの胸部(バスト)がアイズに炸裂(バースト)する。

 その瞬間、アイズは全てを思い出した。

 まだ冒険者になりたての頃、ロキに街へ連れ出された時の古い記憶。

 懐かしい、匂いがした────――――

 

「ちょっ…………!? デメテル様、ブレイクブレイク!! 【剣姫】が窒息しちゃう!?」

 

 デメテルに抱かれたアイズの手足が、力を失ってだらりと垂れる。

 そこに、異変を察知したルノア(レフェリー)が止めに入ったおかげで、アイズは九死に一生を得た。

 

 ティオナは自滅。

 アイズは瀕死。

 第一級冒険者二人を相手にこの戦果。

 さすがのデメテル様である。一方的に大女神の貫禄を見せ付けた形になった。

 これにはベートとティオネも開いた口が塞がらない。

 オッタルに向けていた剣呑な空気も、もはや跡形もなく吹き飛んだ。

 

 ルノアは額の汗を拭う。

 ようやく平穏な朝食が始まる。

 そう思っていた時期が、ルノアにもあった。

 

「おーいオッタル、お前も配膳を手伝ってくれ」

 

「!?」

 

 クリリンの呑気な声に耳朶を叩かれ、弛緩していたルノアの体は瞬時に緊張を再開した。

 

(ま……まさか……あの【猛者】に給仕をさせようっての!?)

 

 ルノアに電流が走る。

【猛者】にそんな口を利けるのは美神(フレイヤ)を除けばクリリンしかいないだろう。

 いや問題はそこでは無い。

【フレイヤ・ファミリア】団長のオッタルに、【ロキ・ファミリア】の若手幹部の給仕をさせようというのだ。

 それだけで抗争の火種になる気がした。

 

「クリリンさんッ、配膳は私が手伝うから! 嫌とは言わせないよ! これでもプロの給仕(ウェイトレス)なんだからッ!!」

 

 ルノアが泡食ったのも当然である。

 クリリンとしても断る理由があるはずもなく、ルノアの剣幕におされて「お、おう」と頷くしか無かった。

 

 

 

 こうして、ルノアの多大な労苦を以て今朝の食卓はつつがなく開かれるのであった。

 

 

 

 



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