シャルティアになったモモンガ様が魔法学院に入学したり建国したりする話【帝国編】 (ほとばしるメロン果汁)
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【工事中】序章 飼い主とペットは……似ない!
『銀世界』


 2020年追記
【工事中】今掲載している序章と1章は時間が出来次第、大幅に修整予定です。


 ――強制ログアウトにより意識が沈んでいく。

 

 最後に見たナザリックは、その全てが静寂に包まれていた。

 

 最終日のために久々にログインしてくれたギルドメンバーを見送った後、サービス終了時刻が迫る中NPC達を玉座の間に集めたりもしたが、孤独感は拭えなかった。

 

 

 ――DMMO-RPGユグドラシル

 

 そのサービスが終了してしまうことも勿論だが、自分には仲間たちとともに作ったナザリックとNPC達、そしてギルド『アインズ・ウール・ゴウン』が無くなってしまうことが、どうしようもない事とはいえ悔しくて堪らなかった。

 

 

 仲間たちとともに総力を挙げ作り上げたギルド武器である「スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウン」を右手に装備し玉座に座る禍々しい衣装に身を包んだ孤独な死の支配者(オーバーロード)

 

 それが最後の自分の姿。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そのはずだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ♦

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「っひゃああ!」

 

 目を覚ましたモモンガは、意識が戻るとともに首筋にはしる冷気に変な悲鳴が出てしまった。

同時に鋭敏な状況判断力がひとつの疑問を浮かべる。

 

(あれ? 変な声が……)

 

 だがその疑問を完全な形にする前に、新しい疑問が驚愕の光景とともに視界を埋め尽くした。

 

「うわッ……」

 

 しばし呆けた後、混乱したまま無意識に周囲を確認する。

 

 

 遠方に緑の大地

 

 真っ青の綺麗な空と刺すような太陽の光

 

 ――そしてそれ以外の僅かな岩と森、広大な白い雪山の世界を確認できた。

 

 

 

 

 

 

「凄い……綺麗だ」

 

 体を起こすとともに言葉が漏れ出る。それとともに曖昧だった意識が覚醒した。一体ここは何処で、自分はどうしたのか? 疑問と不安が溢れてくる。それと同時に冷静な精神が混乱した思考を覆いつくすような妙な感覚を感じ、思わず頭に小さい手を当ててしまう。

 

(なんだこれは? いや、今はそれより)

 

 今は自分の事より状況確認を優先する。

ここはまだユグドラシルなのか、だがこれは考える前に体の感覚によって否定される。ユグドラシルはニューロン・ナノ・インターフェイスを使い、現実にいるかのように遊べる体感型ゲームであるが、触覚の制限があり、味覚と嗅覚は削除されている。

 だが先ほど感じた雪の冷たさ、澄んだ空気、白い手の感触は間違いなくユグドラシルとは異なる。

 

 かといってモモンガのいた現実世界とは、それ以上に絶対に違う。

『環境汚染から逃げたアーコロジーの世界』それがモモンガが、――鈴木悟の知る限られた世界だ。今見える自然に溢れた光景は、映像の中がせいぜいである。

 

(ということは……その二つとは、異なる世界なのか?)

 

 ひとまずの仮定としてそれ以上の考察は放棄することにした、今は情報が足りない。冷静な思考で次は自己の確認をすることにする。

 

(とはいえ、なんとなく察しはついてるんだけど)

 

 さきほどからの冷静な考察の最中にも視界に映るキラキラと光る銀髪、細い手首と腕、そして首の下に見える漆黒のボールガウン、視界の低さ。

 

 全てが自分の現状を物語っている。

 

(シャルティアだよな?)

 

 シャルティア・ブラッドフォールン。

自分がユグドラシル終了の際に玉座の隣に呼び寄せたNPCの一人。ギルド『アインズ・ウール・ゴウン』の初期メンバーの親友、ペロロンチーノが作った最高のエロゲーキャラ。

 長い銀色の髪と輝く白い肌、そして吸血鬼を体現するような真紅の瞳。さすがに瞳は確認できないが彼女もナザリックを共にし、そして最後の時を迎えた仲だ。その姿を見間違うことはない。

 

 顔も触ってみる。ユグドラシルでは感じられなかったプニプニした人肌を感じられた。そして違和感のある下を見る。

 

 ――問題が現れた。

 

(え? 胸が……ある?)

 

 自分の知るシャルティア・ブラッドフォールンは貧乳キャラであったはずだ。正しくはパッドを何枚も入れて、大きく見せている貧乳キャラである。

 創造主のペロロンチーノがイラストを依頼した相手との問題で付け加えられた設定だったが、今感じる肌の違和感はパッドのものではなかった。

 

(いや、パッドを入れる体験なんてしたことないよ!)

 

 どこの誰に弁明しているのかわからないが、慌てる思考は冷静なものに戻され状況判断に戻る。

 ひとまず胸は置いておく、確認したい気はするが現状問題はない。後ろ髪を引かれる思いもあったが他に確認すべき重大なことがあった。

 

 

(よし、アイテムボックスを起動)

 

 思い浮かべるまま無意識の内に手を伸ばし、前方の空間に割り入れる。緊張のためかそれとも雪山のためか、体が一段と冷えた気がした。

 

 ここまでは良い、体がシャルティアになっていて困惑し、胸には混乱したがこの中には自分のユグドラシルの世界で過ごした結果が形として残っているのだ。中でも確認したいのは仲間たちがナザリックに残したアイテム、そしてギルドが所有していたワールドアイテムの数々だ。

 

 ――だが、最後の光景を思い出しながらゆっくりと確認していく内に、形のなかった不安が次々と結果として突き付けられる。

 

「………うあぁあぁ」

 

 その無慈悲な結果に、モモンガはガチ泣きした。

 

 

 

 

 

 ♦

 

 

 

 

 

 

(うぅ…うぁ…ん、あれ?)

 

 涙が零れ、雪原に染みを作った途端に悲しみが薄れていく。波打った感情が抑えられ、静かな海をただよう船のような穏やかなものに、強制的に鎮静化される。思えば先ほどから、自身の感情が強制的に引っ張られるような不可思議な体験が進行中であった。

 

(ひょっとして、アンデッドの精神抑制か?)

 

 頬に残った涙をぬぐいながら、自身のステータスを早急に確認することにする。

アイテムボックスの細々とした確認は残っていたが、主だった悲しい結果は既に判明したため、考えを切り替えたかった。

 

 自身の頭の中、イメージとしては心の中に神経を集中する。アイテムボックスもユグドラシルの時と同じ要領で出来たため、意識の集中も慣れたものだった。アイテムの悲惨っぷりを思い出すと少し見るのが怖かったが。

 

「よっし! でき……は?」

 

 無事に眼前に浮かんだステータス。だがそれはほぼ文字化けし所々砂嵐のように欠け、情報を開示するステータスと呼べる物ではなかった。基本的な種族レベル職業レベル欄はもちろん、習得スキル、習得魔法なども読める情報が全く見当たらない。

 

(なんだよこれは、どうなってるんだ)

 

 無意識に自らの手を確認してしまう。

 

 モモンガとも鈴木悟とも違う、今までの自分の手と比べ小さくほっそりとした滑らかな手だ。

 

 

 シャルティアの体になったからなのかはわからないが、自身である『モモンガ』ではなくなり、ましてやシャルティアとも呼べない別の存在になってしまったのではないかと、少し不安になってしまう。

 

「……飛行(フライ)!」

 

 ひとまず手頃な位階魔法であり、なおかつ効果が分かりやすい安全そうな魔法の効果を確認してみる。

 

 途端に体が軽くなり空中に浮遊を始める。無事発動した事に安堵の息をこぼしながら、ユグドラシルと同じようにコントロールを試みる。すんなりと安定し、ユグドラシル時代にはなかった心地よい風を肌で感じられた。

 

「これは気持ちいいなぁ~、でもこの恰好じゃ不味いな」

 

 人生で初めてのスカートを履いたままの浮遊魔法のため、足がスースーしてしまい無意識にスカートを押さえてしまう。そのまま習得魔法欄を確認するが『飛行(フライ)』と思われる潰れた項目はそのままだった。

 勝手知ったる自分のステータスだけあって、潰れてはいても場所や文字数である程度把握はできる。だが、現状の自分の体を考慮すれば見慣れない文字列が予想通り、自身の記憶との差異を訴えていた。

 

(そうだろうとは思っていたけど)

 

 途端に空中を漂っていた体が蒼い空の中に霧散していく、体全体の感覚が薄くなり同時に軽くそして拡がっていくのを感じられた。

 

 スキル『ミストフォーム』

 

 シャルティアが使えるまさに吸血鬼らしく体を霧状に変化させるものだ。どうやら問題なく使える様で、スキル解除を念じると体を実体化させることができた。

 

(もし仮に、モモンガとしての力に加えシャルティアの力も自在に使えるとなると……)

 

 だがそれも早計だ。ひとまずステータスの残りを確認するべきだろう。その後、魔法のテストや体を動かしてシャルティアの魔法やスキルもその中で確認していこうと、ステータスに目を向けながら頭の中で予定を組み立てていく。

 

(少しでも読める情報は、っと……)

 

 先ほども確認したスキル欄と魔法欄に加え、アイテムや耐性など細かい情報も確認していく。膨大な数の魔法を確認するのは少々手間がかかったが、暗記していることもあり記憶と読めない文字を黙々と照らしあわせていく。

 フレンド欄にも読める名前がないことには、かなり落胆してしまう。だがフレンド欄の次にあるギルド情報を見たとたん、モモンガの紅いルビーのような瞳が見開いた。

 

「え、あ!? これっ! あ、ああああ!!」

 

 ようやく見つけた唯一完全に読める文字列。

驚愕と歓喜によって声が溢れ出てしまう口を手で覆う。

 

 

 自分が冴えない孤独なリアルを覆い隠してくれた『ユグドラシル』

 かけがえのない仲間たちと思い出を育み、給料の大半をつぎ込んだ世界

 

モモンガというキャラクターが、自身と仲間たちのため駆けずり回りながら守った居場所(ギルド)

 

 

 

 

 

 所属ギルド『アインズ・ウール・ゴウン』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ♦

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――既に周囲は暗闇の夜、もしくは深夜と呼ばれる時間

 

 自らの宝ともいえるギルドの名残にしばらく感傷に浸った後

順に魔法とスキル、そしてアイテムボックスの確認をほぼ済ませた。

 

 スキルや魔法はモモンガであった頃と比べて、格段に威力と速度が上がったように思われたが、ひとまずシャルティアに憑依、もしくは合体したことによる影響――バグと結論付けることにした。現状はそうするしかないという、半ば諦めなのだが。

 

 またアイテムについては惨憺たる結果だった。仲間たちと共に、そして仲間たちが残してくれた宝物殿のアイテムは全滅だった。それどころかナザリックに保管していたアイテムは全て見当たらず、自身が所持していたはずの流れ星の指輪(シューティングスター)を初めとしたレアアイテムはほぼ全て消失していた。

 

 残っていたのはポーションや装備品類のアイテムなど、微々たるもの。他にはシャルティアの装備品の類と、ペロロンチーノが持たせたと思われる蘇生アイテム。あとは趣向品と衣服だけであった。

 

(どうせならもっとマシな物持たせてくださいよ、ペロロンチーノさん)

 

 ペロロンチーノの趣味に全力に走った、特殊な趣向品と特殊な衣服を見た時は思わず天を仰いでしまったが、まさか異世界へ単身転移するなど誰にも想像できないのだからと、姉にシバかれる姿を想像しながら諦めることにした。

 だが蘇生アイテムを持たせてくれていたのは幸いだった。まさか一回で使い切りのアイテムを試すわけにはいかないが、これで一度の失敗による死は帳消しにできることに肩の荷が少し軽くなった気がした。

 

(おっと、この世界の全てをユグドラシル基準で考えるのは駄目だよな)

 

 蘇生アイテムはあくまで保険。効果があるかもわからない上に、そもそもこの世界がどういった世界なのかもわからないのだ。

 自分以上に強大で危険な生物がいるかもしれない。それに意思疎通ができるホモ・サピエンスがいれば幸い。落胆と絶望をしないためにもその程度の期待と用心で行くことにする。できればギルドメンバーと話した異世界情緒あふれる世界であることを願うが。

 

「あとは……残った物はこれだけか」

 

 独り言を呟きつつ右手に持った杖を頭上まで持ち上げ、満天の夜空へ向けて突き出す。特に意味のない行動であったが、これから出発する自らの決意表明であるように思えた。

 

 杖を絡み合う七匹の蛇が月光で耿耿と輝き、それぞれが咥えた七色の宝石が絢爛とした光が闇夜を照らす。

 

 ――スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウン

 

そして、所属ギルド『アインズ・ウール・ゴウン』

 

「これが、今の自分に残った全てか……」

 

 

 

 

 

 

 ♦

 

 

 

 

 

 

(まだ慣れないんだけどなぁ)

 

 深夜だが現在の体は吸血鬼であり、夜目は問題なく機能していた。それに加えて晴れ渡った美しい星空と満月が地上を照らしてくれており、行動するには全く支障はなかった。

 

 本来であれば飛行魔法で探索を開始したかったが、せっかくシャルティアになっていることもあり魔法よりも優秀な特殊技術(スキル)で移動することにした。今後の練習のためと自らを納得させつつ背中へ意識を集中することにする。

 

 おもむろに背中がもこりと膨らむ、その違和感は慣れる前にすぐなくなり背中に自らの体の一部ができる、人間では味わえない不思議な感覚。シャルティアの特殊技術(スキル)・飛行能力。

 

 背中側を仰ぎ見ると吸血鬼という言葉に似つかわしくない純白の羽が生えており、見た目はこの体と同じく可愛らしい羽だが、昼間の内に実験した際には自分の飛行魔法と遜色なくむしろ此方の方が優れている点が多々見受けられた。

 

 今後の習熟次第では主力となり得る特殊技術(スキル)だろうとは容易に想像できた。

 

(でも、これ苦手なんだよなぁ)

 

 特殊技術(スキル)での飛行はまだ慣れない事があり、昼間に試した際にはヨーイングが上手くできず運悪く岩肌に顔面から激突してしまった。

 

(この体じゃなければ死んでたかも)

 

 生憎と割れたのは岩の方で、奇しくもかすり傷ひとつなかったことでスキルとこの体の頑丈さを検証できたが、あくまで鈴木悟の意識が強い現状では進んで試したいものではなかった。

 幸先悪く苦手意識を持ってしまった飛行スキルであったが、あくまでこの体はシャルティアであり創造主であるペロロンチーノへのなんとなくの配慮から、慣れた飛行魔法よりスキルでの練習を兼ねることにした。

 

(それに目的地は決まってるし、一直線の飛行なら大丈夫だろう)

 

 おもむろに地を照らす月光の方向へ顔を向ける。

月と同化するように周辺の山々の中で、一際高さを誇示する山頂が自らを見下ろしていた。

 

(あそこ、なにかいる気配がするんだよなぁ)

 

 遠隔視(リモート・ビューイング)でも上手く視認できなかったなにかしらの存在が白い雲に隠れた山頂にいる、油断するつもりはないが『偵察魔法が通じない存在?』それだけでワクワクさせるものがあった。

 日中の内に試した実験結果を考慮した何通りもの逃走手段を、頭の中で何度も確認する。転移・飛行・アイテム・そして今のこの体で出来ることを意識しつつ、ゆっくりと羽を動かし始める。

 

 途端に足が浮き上がり靴と同化していた自らの影が白い大地を漂い始めた。

 

 馬鹿正直にまっすぐ山頂へは向かわず、まずは距離を取って観察するため大地から垂直に真っ直ぐ上空を目指すことにした。最初はゆっくり煙のように上がっていたが、すぐに飛行機もかくやという速度で上昇していく。空気が凄まじい勢いで頬と体を叩くころになってようやく速度を緩めると、山頂を見下ろせる位置に静止した。

 

 優れた肉眼で山頂を見ることができたが、山頂付近はやや白みがかった薄い雲に覆われており、未知の存在は確認できず――

 

(ん? あれは……)

 

 自らの真紅となった目を凝らす。

山頂を覆っていた薄い雲、それが徐々に集まり人のような姿を形をとり始めた。




アイテムボックスについては今後のシナリオ展開のために少し濁してます。
ワールドアイテム無し(明言)


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『少年の復讐劇・序章』

転移場所変更の設定上、彼女の死は避けられません。すいません復讐劇なので

書籍化の際に彼女は本来死亡予定だった(破棄された没ネタ)と知ったのはかなり昔


 リ・エスティーゼ王国とバハルス帝国を縦に分けるアゼルリシア山脈。その遥か南方に王国に属する城塞都市エ・ランテル。

 三重の堅牢な城壁に守られた城塞都市内部に、心がひび割れた少年がいた。

 

 

 

 都市中央にやや近い薬師の区画にある、バレアレ薬品店。その扉の前に佇み開けるのを少し躊躇する男、銀級冒険者チーム『漆黒の剣』のリーダーペテル・モークは一人考え込んでいた。

 店に大勢で押し掛けるのも憚られるためリーダーである自分一人で来たが、いざ入るとなると少し考えてしまう。こんなことなら温和なダインだけでも同行してもらえばよかったと、今更ながら後悔していた。

 

 ここにいる理由。それは先日のこと、周辺の村落が帝国兵に襲撃されたという不穏な噂がエ・ランテル全体に流布した。その噂に慌てて冒険者組合に駆け込んできた少年ンフィーレア・バレアレ。彼から護衛を依頼され、その日のうちにカルネ村へ同行することになった。

 道中でその理由が想い人の安否の確認であると聞き、会ったばかりとはいえ相手の少女の無事を願ったが、全てが無駄に終わってしまった。

 

 破壊された村を目にするなり走り出した依頼主を慌てて追いかけ、その流れのままエンリ・エモットの捜索を開始。そして村から森へ向かう入り口で少女の遺体は見つかった。

 森の中へ逃げようとしたのだろう、危険な行為だがそうでもしないと逃げられない追い詰められた状況だったのは想像ができた。そして傍らの幼い少女――おそらく妹を庇ったのだろう、折り重なるように倒れた遺体を見れば胸が痛んだ。

 

 ――そして、汚れることも構わず遺体を抱きしめる少年の姿にも。

 

 

「どうしたものか……」

 

 つい先日の苦い記憶を思い出し、思わず独り言が漏れる。他人事と言えばそうなのだが、あんな姿を見ては放っておけない。だが既に都市に駐留している兵士には報告を終えており、自分もそして漆黒の剣もこの件でなにか出来るとは思えない。

 

 とりあえず様子見だけでもと、意を決して店の中に入ることにした。

 

 

 

 

「悪いね、見舞いなんて」

「いえ、あんな姿見たら他人事とは思えなくて」

「そうかもしれないけどね。あんたにもあたしにもできる事はあまりないと思うよ」

 

 階段を見つめ、おそらく本人が閉じこもっている部屋を思いながら気のない返事を返す老婆。ンフィーレアを送り届けた際に知り合ったエ・ランテル最高の薬師リイジー・バレアレ。その表情はどこか達観したようなもしくは楽観しているような表情をしていた。

 

「あの、心配していないんですか?」

「ん? なんだい藪から棒に。心配しているに決まっているだろう」

「いえ、微笑んでいるように見えたので」

「別にそういうわけじゃないさ、この世の中じゃ珍しい事じゃない。それにアレはあたしの孫だよ、大丈夫さね」

 

 今度は力強い微笑みと共に返事をされてしまう。知り合ったばかりで、そこまでの信頼をンフィーレアに持っていないペテルとしては、逆に心配の方が勝るのだが。

 

「ただまぁ時間はかかるだろうね、逆に言えば時間が解決してくれるさ」

「そうですね……」

 

 確かに心の傷を癒すには時間が掛かるものだ。姉を助けるためにかつて荒れてたらしいニニャも、今では優秀な頭脳としてチームに貢献してくれている。なにか切っ掛けさえあれば時間をかけずに立ち直ってくれるかもしれないが、生憎と良い案は浮かんでこない。

 出発前にルクルットは「娼館に連れて行こうぜッ!」と品のない事を言っていたが、さすがに却下した。

 

 

 

「……じゃあ俺はこれで」

「あぁ、見舞いの品は折を見て渡しておくよ。その時喝も入れておくさ」

「アハハ、お願いします」

 

 ンフィーレアの様子を聞いた後の世間話を終え、冒険者組合へ向かうことにした。リイジー自身もこれからポーションの調合作業に入るらしく、孫がいつ働けるようになるかわからない今は早めに仕事を始めたいらしい。

 

 そろそろ仕事時間なのは此方も同じだ。話している内に、リイジー・バレアレが孫を信頼していることは確認できた。家族が言うのだからペテル自身も特に表立った事はせず、今回は会わずに帰ることにする。

 

 店のカウンター脇の通路を通り表口に向かって歩き出した時――

 

「おっ邪魔するよーん! ンフィーレア・バレアレってガキはいるー?」

 

 扉が勢いよく開いた瞬間、来客か?と思ったがどうやら違うらしい。エ・ランテル最高の薬師リイジー・バレアレを素通りし、その見習いで孫でもあるンフィーレアを名指しで指名。それもガキ呼ばわり、どこかのゴロツキかと思ったがそれも違うようだ。

 

 肩に掛からない程度に短めの金髪が揺れる。白い肌、猫を思わせるような鋭い瞳。だがそれ以外の首から下はすっぽりと黒いマントに隠されており、ジャラジャラした音でそこに金属に鎧の様なものが隠されているのがわかった。

 

 ――おそらく戦士、このようななりの冒険者なら噂になるはずだが、ひょっとしたら立ち寄った旅人か傭兵かもしれない。

 

「んー? そこのひょろっちい雑魚は違うよね。もっと小さいって聞いたし」

「なっ!?」

 

 開口一番で雑魚呼ばわりされ怒りと驚きが漏れる。確かに自らがリーダーを務める漆黒の剣は、銀級冒険者チームでありまだまだ上を目指せるランクだ。だが雑魚呼ばわりされるほど弱いとは思っていないし、我慢できるものでもない。相手を睨みつけ食ってかかろうとした途端――

 

「待ちな! あんたは黙ってな」

 

 後ろから肩に強い力がかかり引き戻される。振り向けば高齢の老婆と思えない力強さでリイジー・バレアレが女を睨みつけており、同時にペテルの肩を引き戻していた。

 

「し、しかしリイジーさん! この人は」

「黙ってなって言ってるんだよ……じゃなきゃ殺されるよ」

 

 引き戻されると同時に小声で言われたことに戦慄する。

 

 ――殺されると

 

 リイジー・バレアレはエ・ランテル最高の薬師という肩書を持つ。

とくに冒険者内ではその肩書が強く響き、ペテロ自身も今この瞬間は忘れていたが、彼女は第三位階の魔法詠唱者なのだ。年老いたとはいえ若い自分なぞより実戦経験もあるはずで、その実力も言うまでもないだろう。

 

「おやおや~、その雑魚を盾にすれば魔法を唱える時間も稼げるのにいいの? そんな前に出てきちゃって?」

「ここはアタシの店だよ。魔法詠唱者の領域に足を踏み入れる、アンタがそんなことも分からないくらい弱いのならいいんだけどね」

「ふーん」

 

 何処か邪悪で挑発的な笑みを浮かべる女と、後ろからは確認できないが声色から余裕が読み取れる老婆。そのままの声で淡々と相手に告げる。

 

「それに盾ってのは前の相手は見えずらくなるし、後ろはがら空きになりやすいんだよ。そうだろ?」

「なるほどねー……わかったわかったよ。お姉さんはお使いに来ただけだからさ『今日は』お話だけでいいや。カジっちゃんにも言われてるしね~」

 

 マントの下に隠していた手を出しヒラヒラさせる女。どうやら戦闘の意思は消えたらしく邪悪な空気も霧散したようだ。尤も、先に土足で上がってきた相手にこちらが合わせる義理はない。黙っていろとは言われたが、相手の気が変わればいつでも飛び出せるよう僅かに腰を屈める。

 

「お宅のンフィーレア君てさー、()()()恋人を殺されたんでしょー?」

「……何処でそれを聞いたんだい?」

 

 チラリっとリイジーの視線が此方を向く、半分はペテルに向けられたその問いに慌てて首を振る。自分も漆黒の剣のメンバーもあの光景を吹聴するような真似はしない。無論兵士には報告したがそれにンフィーレアの件を伝える必要はないだろう。そもそも片思いで恋人ではない。

 

「んー? もしかして微妙に違った? あの情報屋やっぱり殺しといて正解だったかー。まぁ細かい事はいっか。それでね、私のいる組織が帝国と喧嘩しようかって事になってるんだけど、ンフィーレアってガキのタレントがあればいい感じで戦えるんじゃないかなって思ってね」

「帝国と喧嘩?」

「そうそう、もう戦争殺ろうってカンジだね!」

「……」

「なんとッ! うちの組織は王国貴族は勿論、帝国貴族にだってお仲間がいるんだよぉー。私にはどっちも都合のいい肉人形だけどねー」

 

 唐突過ぎる用件に面食らう。情報屋を殺したとか貴族に仲間がいるとか言う内容もそうだが、あの帝国と戦争をすると女は言うのだ。そのためにンフィーレアの力が必要だと。

『あらゆるマジックアイテムを使用できる』という規格外なタレント、つまり帝国との争いでそれが必要になるほどの強力なマジックアイテムを持っているという意味。

 

 ――その話が本当であればだが

 

「……帰んな」

「えーそりゃないよー。お孫ちゃんもいい歳でしょ? 強くなるためにも敵討ちのひとつやふたつ応援してあげなよ。カッツェ平野の徴兵はまだ無理な年齢でしょ?」

「誰が好き好んで孫を戦争にやるもんかい! これからも魔法の修業はさせるけどね、あくまで錬金術と護身のためさ。あんたみたいな胡散臭いのから身を守れるようにねッ!」

 

 はっきりと拒絶を言い放つリイジー。当然だろう、そもそも名も名乗らずこれから帝国と戦争をするなどとぬかす女だ。リイジーが見抜いた実力の高さはあるのかもしれないが、物騒すぎるその内容には女も含めて危険な雰囲気しか感じられない。

 

 それにあくまで目当てはンフィーレア自身ではなく、そのタレントのように思われた。勿論まだ若いンフィーレアの実力を評価しろというのは無茶だが、まるで『道具を貸してくれ』と祖母であるリイジーに言っているようにペテルには感じられる。

 だが話が平行線のままでは、この危険な女はなにをするかわからない。そのためペテロ自身打開策を考え始めた時――

 

 

「ソレ本当ですか、敵討ちって……」

 

 

 




というわけでこの作品は普通にキャラが死にます、ご注意を。

クレマンティーヌが言ってるように少しズーラーノーンの組織力が強化されています
まぁ読んでいくとわかるのですが、物語全体ではあまり意味がありません。


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『山に棲むモノ達』

二次創作小説って話のサクサク進む展開の速い作品が好まれる傾向な気がします。(多分)

ただこの作品は建国が最終目標なので、かなり長く描写やキャラの掘り下げを多用します。オバロ読者向けにわかりやすく言うと、書籍版は9巻で建国したね。

※後日文章修正と併せて、この回の巨人戦は削るかもしれません。


(ミストフォームが使える巨人。と、いったところか?)

 

 白い塊が右手を大きく振りかぶった姿を見下ろし、山頂のさらに上空――漆黒の夜空から観察を始める。それと同時に投石、もとい視界を覆うほどの大岩が飛んできた。だが瞬時に発動した魔法の矢(マジック・アロー)で粉々に粉砕する。

 

 散り落ちる破片を一瞥した後、改めて観察を始めた。敵は既に変化を終えており、肌の色は人間で言えば病的に青白く、髪や髭は周囲の雪と同化してしまうほど白い。その髪と髭が顔を覆っており、表情を伺うことはできない。大きさは十メートル程だろうか、ユグドラシルの巨大ボスと比べればやや貧弱に見えた。

 

「せっかく真っ暗なんだし、見た目も派手な魔法を使ってみようか」

 

 いきなりの相手の攻撃に対して、何もしないわけにもいかない。昼間に試せなかった上位の魔法を幾つか思い浮かべ、実験するべき魔法を絞り込んでいく。

 

星に願いを(ウィッシュ・アポン・ア・スター)をこんなところで使うわけにはいかないし……)

 

 時間を掛けず脳内で決定を下し、両手を広げたまま呟く。

 

「〈隕石落下(メテオフォール)〉」

 

 途端に闇と月光に染まった山脈を紅い光が覆う。無事行使できた事を確認できたモモンガは頭上を見上げ同時に、予期せぬ結果に瞳を見開くことになった。

 

「え? あれ?」

 

 第十位階魔法『〈隕石落下(メテオフォール)〉』

 

 それはその言葉の通り巨大な隕石を一つ召喚し地表へ落下させる、ユグドラシルの世界でも上位者の中ではそれなりにポピュラーな魔法だった。ユグドラシルでも見慣れた巨大な隕石が地上に落下していく様は、飛んでいるモモンガには見慣れた物として確認できた。

 

 ――だが

 

(え? ……数がッ!?)

 

 頭上を覆う闇夜を切り裂く光、本来の一つに留まらず視界に収めただけでも数十の紅い光の源が山頂へ向かって落下していく。その光景に驚きつつも、即座に冷静となった思考で昼間の実験結果を思い出していた。

 昼間に確認した数々の魔法も全てではないが、同じように威力の上がっている物もあった。それと同じ効果がこの〈隕石落下(メテオフォール)〉にも適用されているとすれば――

 

(低位の攻撃魔法ではあまり実感はなかったんだけど、これは……)

 

 空気を震わせながら様々な形をした隕石が土煙に覆われた山頂へ落下する様を、一応の退避のため上昇しながら見下ろす。プレイヤー数人と魔法をかけ合わせなければ不可能なこの雨のような隕石落下(メテオフォール)を、自分一人で出来たことにわずかながら抑制された精神が喜びを覚えてしまう。

 

(でもこれは反則だよなぁ)

 

 意図せず不正行為をしてしまったような落胆する独り言とともに、周囲を地震と巨大な爆発音が包んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 衝撃がおさまった後、すぐさま確認のため土砂と土煙を魔法で吹き飛ばす。その魔法の威力にも少し驚いた後、改めて山頂があった場所を見降ろした。

 

 山頂どころか山全体の面影は見る影もなく、ほぼ全て削られてしまっていた。積もっていた雪はもちろん、山のあった周囲一帯は地表がむき出しになっており、周りの山脈も岩肌が露出していた。近くの削り取られた山はもちろん、離れた場所では地震による雪崩が起こっている。

 

「十位階魔法でもとんでもない威力だな、気を付けて使わないと」

 

 いくら敵を倒したといっても、この世界の自然を無くしてしまうのはモモンガとしても本意ではない。

 

(もし超位階魔法まで威力が上がっていたら)

 

 思わず身震いしてしまう。同時に「使うにしても時と場所を考えないとな」と自らの中で結論を出した。もちろん自分の命あってこそなので、危機になれば躊躇はしないが。

 同時に敵対した巨人についても考える。装備は貧弱な服のみ、攻撃方法も原始的で全く相手にならなかった。他にもあった可能性はあるがあの様子では期待できない。

 

(一先ず、脅威となる強者ではなかったか)

 

 念には念を入れ考えていた逃走方法も使用することがなかったためか、軽い落胆と安堵を僅かに感じつつ、考察と今後の作業確認を頭の中で整理する。

 そしてそれを終えると、おもむろにスキルによる羽を生やし、意思疎通できる種族を探すため再び飛び立った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ♦

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ヘジンマール何かわかったかしら?」

「母上ですか? い~え、全くです」

「そう。まぁあれだけの情報ではね」

 

 元ドワーフの王城にドラゴン特有の野太い声が響く。王城の外周に位置する部屋で、自らの巨体と天秤で相対できるほどの大量の本を相手に、頭だけ入室してきた母であるキーリストランから頼まれた調べものを続ける。

 だが提供された手掛かり自体が断片的すぎるため、ハッキリとした現象や人物をドワーフが古くから蓄えた書物からは発見できずにいた。

 

 ――昨夜、山脈上空に現れた羽の生えた黒い人型

 ――そして、山をも吹き飛ばす空からの炎の魔法

 

「無難に考えれば吸血鬼か、それに近い種族が恐ろしい魔法を使ったとなりますが」

「そうね、問題はそんな魔法が本当に存在するのかね」

「それこそ神話の話になってしまいますが……」

 

 そういった物語の中に該当する話は存在する、だがお父上たる霜の竜の王が求める話はそういった話ではなく、明確な対策を含んだ結果を知らせなければならない。

 

 正直もう自分がデタラメな本を書いて持っていけば早いかもしれないが、今回はアゼルリシア山脈全体のパワーバランスに関わる。そこには末端とは言えヘジンマールの命も関わっているのだ。あまり自信はなかったが自らの知識が役に立つかもしれず、ヘジンマールはひそかに張り切っていた――

 

「兄上達は戻りましたか?」

「えぇ日の沈む方角の一番高い山、あなたは知らないでしょうけど巨人の住処の一つが消えていたそうよ」

「では、本当に山の中に住んでいた霧の巨人は全て?」

「山脈が削り取られていたのよ、それに比べれば小さい巨人なんてね」

「……」

「オラサーダルクもあの調子だし、もう逃げようかしら」

 

 力のない瞳とともにため息をつく母に同意する。あの地震があった明け方に帰ってきたオラサーダルク=ヘイリリアル(霜の竜の王)は、玉座の間を離れ自身の宝をかき集め部屋に引き籠っていた。

 

 扉の前では震えていると思われる振動が響いてくるらしい。その話を母から聞いた時、ヘジンマールは何とも言えない微妙な気持ちになった。

 

「では急いだほうがいいのでは? ここも安全ではないかもしれませんし」

「そうだけどね。逃げた先が安全かもわからないし。子供にはわからないでしょうけど、新しく住処を探すのも大変なのよ」

「確かにそうですけど……」

「それに私たちが相手にならないくらい恐ろしい怪物だった場合でも、やりようはあるのよ」

「え?」

「一つだけ条件が整えばね、その時は中身が詰まったあなたが一番役に立つかもしれないわね」

「えぇ!?」

 

 自分が? と、ヘジンマールは思わず母を二度見した後、自らの出っ張った腹を見下ろす。(中身が詰まってるって……ま、まさか生贄なんじゃ)相手のご機嫌伺いに子供を差し出す。本の中の物語では決して珍しくない展開だ。

 

 相手がドラゴンを食べる場合なら万々歳、そうでなくてもドラゴンの素材は貴重であり、その価値がわかるものであれば死体一つでも喜ばれるかもしれない。腹の肉をみじん切りにされる自らの姿を想像してしまい、思わず手にしていた本が震える。

 

「ヘジンマール? なにか勘違いしてない?」

「は? い、生贄ではないのですか?」

「……なるほど、それもあったわね」

「……」

 

 安堵を求めるために余計な事を言ってしまった、自らの口の軽さには大いに反省を諭すべきだろう。だが生贄路線を回避するためにも、確認しなければならないことがある。見上げる位置にいるであろう母親には、誰も犠牲にならずに済む妙案があるらしい。

 百年以上生きてきて今更母親に甘えるようで情けないが、命に比べれば些細なプライドなど気にせず素直に尋ねることにした。

 

「あ~、それで母上の一つ条件が整えば生き残れる手段というのは?」

「ムンウィニアと私たちが敵だったのは、あなたも覚えているでしょう?」

「はい、よく覚えていますよ。……身をもって」

「そうよね。最初は周りに噛みついてばかりだったし」

 

 自らの母親とは別の父の妃、ムンウィニアは敗北して半ば無理矢理妃とされたのだ。今ではほぼ角は取れたが最初の頃は特に、母親間の関係は最悪と言っていいものだった。

 ヘジンマールも実害こそなかったが、目線が合うたび冷気のブレスもかくやという悪寒が走る視線を頂くのは、心労の溜まる日々であった。

 

「話が通じれば、配下にして貰うと……そういうことですか?」

「そうね。ムンウィニアと違うのは、無理矢理じゃなくて進んでなることくらいね」

「話が通じない場合、その瞬間山ごと殺されるかもしれませんよ」

「そうね、だからその確認は私がするわ。あなたはいつでも逃げれる準備をしていなさい」

「え? ……母上?」

 

 会話をしながらも本に走らせていた目を止めてしばし動きを止める。今自分は母親に何を言われたのか? 理解できなかった。血が繋がった母親であるせいかヘジンマールが身内から浴びていた嘲笑の視線とは違う態度でいてくれた母。

 それは本の物語にあるような暖かな優しい母親というものではなく、悪く言えば無関心、よく言えば放任主義に類するものだった。

 

 ヘジンマールが知識にのめり込むようになればその関係も顕著になり、こうして部屋を訪ねて来る日も徐々に少なくなっていった。

 たまに部屋に来た日はアゼルリシア山脈にいる魔物の確認や鉱石など知識が目的でヘジンマール自身に用件があったことはほとんどなかった。それはそれで知識の価値が確認できてヘジンマールは満足だったが。

 

 突然の事で鈍くなった思考が動き出し本から視線を移せば、既に母親の姿は扉の向こうだった。

 

「は、母上?」

「あなたは一応兄なんだから、せめて弟達に安全に逃げる方法や方角を教えておきなさい」

「わ、わかりました」

「上手くすれば強大な力の庇護下に入れるかもしれないのだから、悪い賭けじゃないはずよ」

「……」

 

 扉のさらに先へ消える母親の気配を見送りつつヘジンマールはドワーフの本に書かれていたある一節を思い出していた。

 

 

『剣に対する父の愛に匹敵するものはないが、子に対する母親の愛に匹敵するものも、この世にない。』

 

「ドワーフだけかと思っていたけど、ひょっとしてドラゴンにも当てはまるのか……」

 

 種族としてのドラゴンは本来、肉親間の愛情はかなり薄い。

本来孤高の存在であるはずのドラゴンの集団を作った父のように、あの母に関してもそれは例外なのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ♦

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぜぇ…はぁ…くっ…っそ!」

 

 山中の地下空間から抜け出るため、全力で地上への上り坂を駆ける。地上の光が僅かにだが届き始めていた、――あの光に届けば自分は助かる。しかし悲しい事にドワーフの種族ゆえの身体的特徴のため、追っ手を振り切ることは未だできていない。

 

 既に後方の甲高い金属を打ち合うような音は消え、薄暗い地底には自らの息遣いと駆ける足音、後方から迫る二体とおぼしきクアゴアの足音の気配しか感じられなかった。

 

「くっそ…マント、さえ、あれば!」

 

 ただ運が悪かった。交換条件付きではあったが調査団に組み込まれたことも、その調査団が地上を目指してる途中で突然クアゴアの一団に出くわしたことも、さらにはその際不可視化のマントを落としてしまった事が一番の痛恨だった。

 

(だが、もう少しじゃ!)

 

 奇襲だったことに加え、敵の数が多すぎた。そのため自分も含めた味方は地下洞窟という空間の許す限り四方へ分散して逃げ出した。同胞の中でも戦う力量のない自分は最初から最後まで一切の憂いもなく逃げの一手だった。そのためここまでなんとか走ってこれたのだ。

 途中でマントがない事には焦ったが、奴らクアゴアは地上に出れば盲目となり、ろくな追跡など出来ないだろう。地上まで行けば助かる。

 

 父のルーン技術を残すまで自分は死ねない――

 

「はぁ……はぁ、っは!?」

 

 だが突然体が前に進まなくなった、それどころか左肩に痛みを感じたと思った途端に後方へ吹き飛ばされる。凄まじい速度だった。

 自分が走ってきていた地下洞窟の天井と後方、床の順番で視界の映像がゆっくりと流れ、最後に肩をつかんで自分を投げ飛ばしたと思われる青色のクアゴアが見えた。

 

「っぐぁ! っつ!!」

 

 認識できた途端に背中をしたたかに打ち付ける。同時に体内の空気が口から出そうになるのをなんとか耐える。前方は塞がれた、ならば走ってきた後ろに転げ落ちるように逃げればいい。考えてる暇はなかった。

 

「ふう、ったく! ノロマなドワーフごときが手間かけさせやがって!」

「があっ!」

 

 起き上がろうとした途端に激痛が走り、叫び声を上げてしまう。視界の隅には自分の体へ足を乗せている別のクアゴアが映った。どうやら痛みの原因は腹を踏まれたことらしい。

 

(くそっ! もう駄目じゃ!)

 

 既に気力だけで走っていた状態で足を止められてしまい、さらには動きも止められた。後ろを振り返らず必死に走っていたため、まさか青の上位種が追ってきていると思わなかった。心が折れかけたところに極度の疲労と与えられた痛みが、残った意識を削り取る。

 

 今自分に起こっている事全てに、良いものがなにもなかった。

 

 クアゴアの二匹はゴンドを奴隷にして連れていく手筈を確認していた、殺されはしないのかもしれない。だがクアゴアの奴隷になった同族が逃げられた話は聞いたこともない。

 

 自分の人生はここまでかと薄れる意識とともに諦めかけていた時――

 

 

「あの~、こんにちは」

 

 場違いな台詞で、聞きなれない女の声が暗闇の空間に響きわたった。




ゴンドがヒロインとかないですないです


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『ゴンドとの出会い』

まだ前半はゴンド視点です


 ゴンドは荒い呼吸のまま動きを止めていた。ランタンもない僅かな地上からの光だけが届く闇の洞窟の中に女の声が響く。ドワーフもクアゴアも光の届かない地下に暮らす種族だが、突如現れた女の種族がわからない。

 

 この場にそぐわない頭の先から足元までヒラヒラした黒い服を着た白い少女、それが一目で見た印象だった。種族は人間? あるいはエルフ? 耳が隠れているため断定はできないが相手も夜目がきくのであればエルフかもしれない。

 

 そこまで考えたところで思い出す。違和感はその姿だけではなく先ほどの挨拶も含まれた。命がけで逃げ、奴隷落ちか殺されるかもしれない今の自分には、あんまりな言葉ではないかと思う。

 

 ゴンドはもう走る力も残っていない、自らの生殺与奪の権利は最早自分にはないが目の前の女はまだわからない。

 クアゴアに意識を戻すと「こいつもドワーフか?」「奴隷にして一緒に連れていくぞ」と、既に結論を出し鋭い視線を少女に向けていた。そんな悪意の視線を真正面から向けられた女は――

 

 「よかった。言葉は通じるんだ~」と、先ほど以上に訳の分からない独り言を呟いている。

 

 危機感の欠片もない死んでも自業自得な女だが、偶々とは言え自分が逃げてきた方向のせいで誰かを巻き込むのは、ゴンドには我慢ができなかった。

 

「逃げろ嬢ちゃん!」

「ちっ!」

 

 力尽き垂れていた両手を無理矢理動かし、腹に乗っていたクアゴアの片足を掴む。ドワーフ一人の体重では心もとないがクアゴアと一緒に下り坂を転び落ちる覚悟で必死に力を籠める。怪我を負った自分にはこれが精一杯であり、上手くいけば自らも青の上位種から逃げられる事に全力を賭けた。

 

「そいつはもう殺せ。どうせほかのドワーフを――」

「<心臓掌握(グラスプ・ハート)>」

 

 突如両手に掛かっていた足の抵抗がなくなる。それどころか見上げていたクアゴアの体が急速に傾き、そのまま坂に倒れゴロゴロと転がり落ちて視界の隅で止まった。

 

「は?」

 

 ゴンドは思わず自らの手を見つめたが――いや、自分ではないと思い直す。疲労のせいか指先が震えており、こんなボロボロの手で大したことができるとは思えなかった。

 

(この嬢ちゃんが……)

 

 少女を確認すれば目の前にもう一体のクアゴアがいるにも関わらず、握った手を見つめながら「弱い……」などと手応えのなさを確認するようにしていた。気のせいか落胆してるように見えたのが、少女の実力を物語っている気さえした。

 

「き、貴様ァ!」

「この体を奴隷にしようなどと言う者に話を聞く気はない。<龍雷(ドラゴン・ライトニング)>!」

 

 眉をひそめた少女の手から光が漏れたと思った瞬間、白い光が視界を埋め尽くす。突きつけた指から生物を象ったような雷が一直線にクアゴアに向かう。直撃したクアゴアが発光したと思った途端、あまりの光の強さに眼が眩んだ後の視界には少女のみが残されていた。

 

「おッ、嬢ちゃん、何が? クアゴアはどこへ行ったんじゃ?」

「……」

 

 少女が無言のまま指をさす方向、丁度ゴンドと少女の中間に位置する床になにやら黒い灰のような塊があった。(ほんとにこの嬢ちゃんが……)焦げたような匂いが周辺に充満する。砦に設置したマジックアイテムによって焼け焦げたクアゴアを見たことがあったが、形も残らずただの灰になったクアゴアなど聞いたことはなかった。

 

「怪我をしているのですか?」

「あ、あぁ。じゃが少し休めば大丈夫じゃ」

 

 いつの間にか目の前まで移動していた少女から声を掛けられる。

 

「これを飲んでください」

「そいつは赤い? ポーションか? そんな貴重品はええぞ。少し休めば――」

「いいから気にせず飲んでください、ここはまだ安全ではないのでしょう?」

 

 何処から取り出したのか少女が手に持っていた瓶――少し過剰な装飾をされたポーションを強引に押し付けられる。赤いポーションなど聞いたこともない。

 未知の物を体に取り込むには抵抗感を感じたが、渡された少女は命の恩人であり、今ここが安全ではないと言われたことも尤もだったので勢いに任せ一気に飲みほす。

 

「なんじゃ……これは」

 

 飲んだ途端に体中に付けられた爪痕が消えていく。赤く光ったと思えば時間を巻き戻すように一斉に塞がったのだ。ドワーフの国にも帝国から輸入されたポーションは僅かにあるにはあるが、全て摂政会が管理しており主に軍部で使われることになっている。ゴンド自身は飲んだことはなく人生で初めての体験となった。

 

「ポーションっつうのは、こんなに効くもんなのかッ!」

「よかった、さきほどのクアゴア? が言っていましたがあなたはドワーフ?」

「ああそうじゃ! 感謝するぞ嬢ちゃん。わしゃゴンド、『ゴンド・ファイアビアド』じゃ。ここから北に半日ほど進んだドワーフ国に住んでおる」

「わたくしは…そうですね」

 

「シャルティアとお呼びください、嬢ちゃんでも構いませんよ。旅人です」

 

 頬に手を当て少し考えるような仕草をした後、ニコリと微笑みながら告げられる。その姿に(なんじゃ?訳ありか?)と、一瞬不躾な考えが頭をよぎったが、恩人の過去を詮索する趣味もないので流すことにする。

 

「シャルティア嬢ちゃんじゃな。よければわしらの国に来んか? 大した礼はできんかもしれんが宿は必要じゃろ?」

「そうですね、この辺りに来たばかりですしお話も聞きたいのですが」

「よし、では決まりじゃ! ドワーフしかいない国なんじゃが命の恩人じゃ、誰にも文句は言わさんから安心して来てくれ」

「ありがとうございます。ところでこんなところでゴンドさんお一人ですか? 仲間の方とかは」

「ゴンドで構わん……ッ! そうじゃったあああ!」

 

 仲間。正確には調査隊の同胞を今の今まで忘れていた不覚を恥じる。死に物狂いで逃げ、もう駄目かと思ったとき場違いな少女が現れ、一瞬でクアゴアを倒すという不思議な体験をしている最中のため仕方ないが、思い出したからにはできる事を考えなければならない。

 

 そして瞬時に思い付く案と言えば、目の前の少女しかいなかった。

 

「じょ、嬢ちゃん!なんとか、なんとか仲間を助けてくれんか」

「……落ち着いて、仲間は何人? 状況は?」

「あ、あぁわしを入れて十人じゃ。昨晩の地震と赤い光の調査で来たんじゃが、クアゴアの襲撃をこの地下道の奥で受けてそのまま散り散りに」

「……調査?」

「ああ、頼む! 礼は必ずする! あいつらも助けて貰えば――」

「眷属よッ!」

 

 途端に少女、シャルティアの背後から蠢くような影があふれ出す。影は分裂し周囲に飛び出し音もなく床や側面、果ては天井に張り付き赤い双眸が開く。それは漆黒の狼――影と思い込むほどの闇を纏った毛並み。邪悪な無数の瞳が一斉にゴンドと、その傍で狼を見渡しているシャルティアを見つめていた。

 ゴンドはその姿に身震いしてしまったが、シャルティア本人は微笑みながら狼を確認するように見渡していた。

 

「ゴンド! 襲撃を受けたのはここからどれくらい?」

「あ、あぁ……わ、わしがへばってしまったくらいじゃから、それほどは」

「先行し奥に進みなさい。私が殺したクアゴア――毛むくじゃらの種族を殺し、ゴンドと同じドワーフ種族九人を守りなさい。行けッ!」

 

 影が這うように音もたてず赤い二つの、そして無数の光が洞窟奥へ一斉に消えていく。速すぎて追いきれないが数は二十以上、ひょっとすると五十匹はいるかもしれない。無数の気配が消えて周囲の圧迫感が霧散する。

 

 シャルティアは気配が消えた洞窟の奥を厳しい目つきで見つめながら、先ほどと同じように使い魔を召喚する。今度は一匹の狼と無数の小さな影がシャルティアの周囲を飛行していた。

 

古種吸血蝙蝠(エルダー・ヴァンパイア・バット)、お前たちも洞窟に散ってドワーフを見つけたらすぐ私に知らせなさい!ゴンド、急ぐからその狼に乗って」

「あ、あぁすまん。嬢ちゃん恩に着る!」

「……いえ、あまり気にしないでください」

 

 少女――シャルティアは照れたような苦笑いを向けると宙に浮きながらゴンドと狼を置いて洞窟の奥へ消えていく。

 

「さっきまで荒事に慣れた戦士のような雰囲気じゃったのに、あんな年相応の反応をするとは、おぬしのご主人は変わった人じゃのお」

 

 漆黒の狼に話しかけながら、その巨体につかまりなんとかよじ登る。首を傾げた狼が無事に騎乗したゴンドを振り返った後、主人を追うように駆けだす。ドワーフ一人を乗せているとは思えない軽快な走りにバランスを崩しそうになるが、何とか立て直し首にしがみつく。

 

(みな生きていてくれよ。わしのように無駄に抵抗してなければ、捕まって連れていかれるだけじゃ――)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 静寂な洞窟に四足歩行の漆黒の狼の駆ける足音のみが響く。狼の背から前方を覗き見る。頭部が邪魔で横から覗かなければならないのが不便だが、かなりの速さで襲撃現場にはすぐに着いてしまった。

 周囲にはクアゴアだったらしい毛の着いた肉塊や首が擡げた死体が転がっており、その姿から先行した狼達に殺されたと容易に想像できた。

 

「どうした? 嬢ちゃん」

 

 近くまで来ると先ほどの通路に比べ、やや広がった空間にシャルティアが既に着いており警戒しているのか宙に浮きながら周囲に向けて視線を飛ばしていた。

 

「いえ、終わったようです。警戒はまだ必要だけれどこれから迎えに行くので、ゴンドも一緒に来てください」

「終わった? クアゴアを全て倒したのか? あやつらみな助かったのか?」

「えぇ、九人全員無事でした。今しがたこの子達が教えてくれましたよ」

 

 警戒していたと思われた厳しい表情が消え、ゴンドに笑顔を向けられる。

よく見ればシャルティアの周囲には先程呼び出したと思われる黒い蝙蝠が数匹舞っていた。

 (全然気づかんかったわい……)恐らく狼が戦闘に、蝙蝠は隠密に優れた使い魔なのだろうとあたりをつけ、改めて尋ねる。

 

「では迎えに行くとするかの」

「ええ、怪我をしているドワーフがいるそうなのでまずはそこへ向かいます」

 

 シャルティアに先導されゴンドを乗せた狼が付いていく。怪我をしたドワーフもそれほど重いものではないようで、先ほどよりもややスピードを落とした浮遊魔法で洞窟を進む。

 

「あー、仲間に紹介する時のためなんじゃが、シャルティア嬢ちゃんの種族はエルフかの? それとも人間か?」

「人間やエルフがこのせか、……この辺りにも人間やエルフがいるのですか?」

「ふむ、この山を挟んで東西それぞれに大きな人間の国があるの、エルフは遠く南の森の中にあるんじゃが……」

「そうですか」

 

 前を飛ぶ少女はやや考え込むような神妙な表情を見せる。

 

「あぁ、いや……言いたくないなら――」

「半分は人間ですね、もう半分は秘密ですが」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ♦

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それからすぐに怪我をしていたドワーフ達と合流し、ポーションですぐに治療が完了した。交易に詳しいドワーフが「帝国のポーションなんぞより凄い!」と、目を見開きシャルティア――モモンガに問いただそうとしたのを、別のドワーフが殴って止めるというアクシデントがあったくらいだ。

 

 その後も使い魔の狼を敵と勘違いし、逃げ惑っていたドワーフ達と合流。命の恩人となり、襲撃現場に残っていたゴンドの不可視化のマントなど物資を回収できた。

 

 王都に帰還するという彼らに同行を申し出る前に、是非御礼がしたいと逆に招待を受けることとなり、これ幸いと同行する事にした。

 

(狙ってたとはいえ、なんか怖いくらい都合よく進むな。……クアゴアというのも弱すぎるし、少し警戒しよう)

 

 流石にこのドワーフ達が罠を仕掛けているとは思えないが、戦争中の国に足を踏み入れる事にモモンガの警戒心が二段階上乗せされる。彼らの街に着く前にできるだけ情報を引き出そうと、地下道を歩きながらお互いの自己紹介を始めていた。

 

「ほう、ナザリックという都市か。すまんが聞かん名じゃな」

「えぇ、もしかしたら……もう帰れないかもしれないくらい遠いので」

「帰れない?」

「おい! 命の恩人にあまり根掘り葉掘り聞くもんじゃないぞ!」

「そ、そうじゃな。ところで嬢ちゃんは酒は飲めるかの? わしらドワーフは酒好きでの、国にも酒が溢れておって――」

 

 とは言えドワーフの話は酒に傾きがちで、モモンガ自身もどこまで話せばいいのかわからず、当たり障りない話になりがちとなってしまっていたが。

 

「みなさんは赤い光の調査目的と、お聞きしたのですけれど」

「あぁ、本当はクアゴアとの遭遇を恐れてみな及び腰だったんじゃがの」

「摂政会が出した条件に眼が眩んだ、阿呆な十人というわけじゃな」

「条件?」

「一言で言えば報酬の金なんじゃが。摂政会もわしら国民もみなあの地震に怯えておっての。なんせ国営の坑道がいくつも崩落を起こしたんじゃ。トンネルドクターという魔法詠唱者(マジック・キャスター)を知っておるかの? そやつらの魔法で強化したはずの坑道がいくつも崩落してしまい、わしの知り合いも生き埋めになってしもうた。

 今までのような地震では、こんなことは絶対起こらん。おまけに地上側の砦では地震の起こる前に山に赤い光が落ちていったという不気味な報告がされてな。その光が原因ではないかと、こうして調査隊を送り出したわけじゃ」

「そうだったんですか……」

 

 ひととおりの調査団のいきさつを聞いたモモンガは銀色の眉と眉の間に深い皺を作り唸っていた。

 

(運よく命の恩人として取り入れたと思ったけど、そもそもの原因って俺かッ!)

 

 当然ながら悩んでいるのは自分が行ったことで広がった被害結果についてであった。試しに使った魔法で彼らの――ドワーフの国に相当数の被害が出てるようで、多少の罪悪感が湧いてしまう。

 精神が鎮静化するためか思ったほど落ち込みが感じられず、それ自体に自己嫌悪を覚えるが、此処まで集めた情報でやる事は決めていたため前向きに考えることにした。

 

(このまま同行して、彼らの国でこの世界の知識を得ないとな)

 

 少なくとも彼ら十人は、モモンガに多大な恩義を感じてくれている。彼らの国の話でも概ね魅力的な様子が見て取れた。クアゴアの侵略行為については少々の不安はあったが、今日のような相手であれば問題になりそうもない。このままついて行けば国のトップである摂政会にも仲介してもらえそうだし、防衛に手を貸したり、先の話にあった国営坑道の復旧に手を貸して恩義を売るのも良いだろう。

 死亡者が出ていた場合復活魔法を試すのもいいかもしれないが、ドワーフ達がどういった反応をするかもわからないので、その時々で判断する事にした。一通りの熟考したあと内心ほくそ笑んだところで

 

 

 ――大勢の逃げ惑うような足音が耳に届いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんじゃ!!なにがあったんじゃ!?」

 

 間もなくドワーフ達も異常に気が付く。自分たちが進んでいた地下通路その先から無秩序に大量の足跡が聞こえてくるのだ。クアゴアのようなヒタヒタと音のする足跡でないのはわかったが、それ以上に洞窟内に響き渡るような大量の足跡など彼らも聞いたこともないという。混乱するなという方が無理な話だ。

 

 そして通路を抜けた先、今までモモンガたちが通っていた小さめな通路に比べて軽く見ても十倍以上に広く、そして天井も高い地下通路にひしめき合う様に大量のドワーフ達が南に向けて走っていた。

 それぞれに手荷物は最低限であり手ぶらの者、赤ん坊を抱えた者、トカゲのような動物に騎乗している者、その走る姿は多種多様であったがみな一様に共通点があった。それは必死の表情――恐怖に追われてい者の表情だった。

 

 その流れの中からドワーフが一人駆けてきた。一瞬モモンガを見た時に訝し気な表情をとったが、此方に知り合いがいる様でためらいもなく近づいてきた。

 

「ゴンド達か!? 早く逃げろッ! クアゴアの襲撃じゃ」

「なんじゃと!? フェオ・ジュラにか!! 都市はどうなっておる!?」

「見りゃわかるじゃろッ! みんな今逃げ出しとるところじゃ!!」

「そんな……!」

「砦は!? 軍はなにをしておったんじゃ!!」

「昨日の地震で崩れた坑道から湧き出してきおったんじゃ! もうどうにもならんわ!」

 

 ゴンドの眼が見開き天を仰ぐ、抱えていた荷物が辺りに散らばるが固まったまま動かない。モモンガが周りを見れば他の九人も多かれ少なかれ同じような反応であり、今の知らせが彼らドワーフにとって絶望的な事だったのは、部外者であるモモンガにもすぐに理解できた。

 

(これは不味い……のか?)

 

 自分がしでかしたドワーフ王国に対する被害がさらに増しているようだ。

 

 ――そして、彼らが絶望的な状況に。もしかしたら滅びるのかもしれない。

 

 そうなると知識の収集どころではない。元々の原因は自分ではあるのだが、何もなくなった者に恩義の返済ができるはずもない。国としての形がなくなるのであれば当然そこに暮らす者たちは、家どころか国を失った身となる。

 

「じょ、嬢ちゃん!」

 

 真っ先に知らせを聞いて呆けていたゴンドが、こちらを見ていた。瞳には最初にあった時と同じように何かを頼みこむような、今にも土下座せんばかりの懇願が見て取れた。

 

「な、情けない話じゃが――」

「待ってゴンド、確認します。私はなんでもかんでも助けてあげるお人よしではありませんよ。あなたたちにもそれ相応の謝礼を要求するつもりでした」

「もとよりそのつもりじゃ! わしらみんな嬢ちゃんに感謝しとるし、謝礼だって出来るだけの物を」

「それはドワーフの気質からくる物? 種族としても国としても、摂政会というのは私がドワーフ達を助けた場合ちゃんと心から感謝してくれる?」

「勿論じゃ。信じてくれ!」

 

 周りを見渡せば強く頷く他のドワーフ達。

 

「……ゴンド達は、使い魔の狼に乗って避難する人たちの護衛をして。同族が乗っていれば混乱も少ないでしょう。私は――」

 

 そこまで言い終えてモモンガは避難民が背にする遥か先、遠方に見える大きく開かれた巨大な門を見据えた。

 

 

 



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『それぞれの分析と行動方針』

戦闘シーンはもうみなさんわかる結果なので敗走シーンから


「ハァッ! ハァッ!」

 

 大勢のクアゴア達が、ドワーフの都市に攻め込むために通った坑道。足跡が残る道を残ったクアゴアが必死に逆走していた。

 

 クアゴアの名はヨオズ。

クアゴアの王『統合氏族王ペ・リユロ』に認められ、配下の中でも一,二を争う評価を得ている選りすぐりのレッド・クアゴアである。

 

 ――それがたった一匹。少なくとも周囲に同族のクアゴアは見当たらず、一匹だけで暗い地下道を走っていた。

 

「なんだッなんなんだ! あれは!?」

 

 周囲に誰もいないことはわかっている。だが声に出さずにはいられなかった。

 

 ドワーフの都市方向へ地下通路が繋がっていないかの調査は、頻繁に行われていた。無数に広がる地下通路の世界、クアゴアは勿論ドワーフ達ですら把握できていない道が一つはあるだろうと高を括っていたが、どれだけの部下を動員しても通路は見つからなかった。

 

 それがどうだ、山の神の恵みか巨大な揺れが山全体を襲い地下のあちこちで岩盤が崩れ、目星をつけつつも通れなかった複数の通路が開通した。そしてそれはドワーフの都市に繋がっている可能性がある。無論それは希望的観測であり、全てが期待外れになる可能性も高い。

 

 だがヨオズは躊躇しなかった。

 

 もし期待した通り一つでも大裂け目と砦を迂回して、ドワーフの都市近くに出る道があれば――ドワーフ共を滅ぼすこともできる。

 考えついたヨオズはすぐに王であるリユロに願い出て、その場で動けるクアゴア達だけを搔き集め調査とその結果次第では都市攻撃へ移行する事とした。

 

 この作戦にはヨオズ自身言われるまでもなく穴がある。最たるものは軍の数が少なすぎる事。

クアゴアの全兵力はおよそ――一万六千。だがこの作戦で搔き集めたのは多く見積もってもたった二千。屈強なクアゴア達を集めることができたが、本来であれば今まで滅ぼしたドワーフの都市を鑑みて一万は欲しい。

 だが、地震により繋がった可能性のある通路をドワーフ共に塞がれる前に、その通路を先に見つけなければならない。そのため今動ける者達のみを引き連れ、後続の軍も王に願い出ることにした。

 

 

 そしてヨオズの期待した通路が見つかり後続への伝令も出した後、奇襲が始まった。

 

 

 

 

 当初は思ったより優勢だった。どうやら戦える主なドワーフ達は大裂け目の方へ集中していたようで、クアゴア達はほぼ抵抗らしい抵抗を受けずにドワーフ達を殺しまわっていた。少数の向かってきたドワーフ達は数で押しつぶし、都市の中心部で暴れまわっていた時――それは起きた。

 

 突然頭上に響き渡る雷鳴と蒼い光、それが電撃攻撃だと気づいたとき既に視界は真っ白だった。

視界が晴れた周りにいた部下達が消えており、そしてその足元には灰がうず高く積まれていた。先ほどの電撃と合わせれば何が起きたか、まだ色のついていない子供のクアゴアでも理解できる。

 

「ドワーフのマジックアイテムか!?」

 

 幸い上位種には効果が薄かったのかそれとも外れたのか、ダメージを受けていなかったヨオズは慌てて引き返し近くの別動隊と合流することにした。ところが――

 

「ぎゃあああああ!」「あがっ!」「し、司令官!」

 

 自分の行く先々の部隊が全滅していった。自分以外の者達が全員だ。

 

 ほとんどは先ほどと同じように頭上から電撃の攻撃を受け、時には建物の影から気配もなく表れた黒い獣に喉を食いちぎられた部下もいた。

 屈強な同胞を一瞬で殺し、何事もなく此方を見据えたその獣の恐ろしさに全身の毛が逆立つような恐怖を感じたが、獣は一瞬目が合っただけですぐに別方向に去って行った。

 

 そしてヨオズは獣と雷により独り生かされ、進入路からそのまま逃げ帰る事となった。

 

 

 

 

 

「くそっ。ドワーフ達は何か恐ろしい力を手に入れたのか!?」

 

 確かに自分たちの数は少なかったが当初は圧倒しており、後続の部隊と合流できればそのままドワーフ達に壊滅的な被害を出すことができるはずだった。そのまま都市を奪うこともできたかもしれない――

 

(それにしても、なぜ俺は生きている?)

 

 少し落ち着いた今ならわかる、意図して生かされたのだろう。あの獣も雷もいつでも自分を殺すことができたはずだった。

(見逃された? 一体何のために……)走りながら考えるが、今自分がしなければならないのは後続の部隊と上層部にドワーフの新たな力について報告する事。あの力が都市内部限定でないのなら、もし後続部隊に降り注げばクアゴアの軍は壊滅する。

 

 頭の中で報告すべきことを整理し始め、全力で走っていた足をやや緩めた。

 

 ――その時

 

「ここまでご苦労様」

 

 ドワーフともクアゴアとも違う澄んだ声が辺りに響いた。

 

 

 

 

 ♦

 

 

 

 

 モモンガは透明化を解除し赤いクアゴアの前に現れる。

 突然目の前に現れた漆黒の少女に反応し、慌てて足を止めるクアゴア。あの中で一番の上位種らしいがその一連の動きに恐ろしさは全く感じられない。こちらを驚愕の瞳(らしき二つの黒い点)で見つめ、固まっている。

 

「ドワーフの人達とは別に、あなた達からも一応情報を聞かせて貰おうかと思ってね」

「な!? ……きッ貴様はいったい」

「赤色のあなたはレアなんでしょ? ドワーフの人達から聞いたの。目立つから上からもすぐに見つけられたし」

「ドワーフ……そうか、おまえはドワーフではないのだな? 先ほどの攻撃もおまえが」

「あぁ無駄話する気はないから。<支配(ドミネート)>じゃあ幾つか質問に答えなさい」

「……はい」

 

 先ほどまで此方を見つめていたと思われる瞳の力が失われ、言葉もやや生気が感じられなくなり体もぬいぐるみのように固まった。<支配(ドミネート)>の効果が間違いなく効いてる事を確認した後、ここまで上手く事が運んだことに思わず嘲笑を浮かべる。

 わざわざ一匹だけ逃がしたのは、ドワーフ達の前でのんびり質問するわけにもいかないためであった。さらにゴンド達から聞いた気になる情報の確認もある。

 

「それじゃあまず、フロストドラゴンについて教えて」

 

 

 

 

 

 

 

 

(ふ~む、後発の部隊か……)

 

 クアゴアやドラゴンの強さや元ドワーフ王国首都の位置、ドワーフとクアゴアそれぞれの兵力や今回攻め込んだ経緯など聞きたいことはほぼ聞き終えた。ドワーフ達から得た情報とのすり合わせは問題なく、中でもクアゴアとドラゴンの関係が友好的な関係ではない事は朗報だ。

 

(各個撃破出来るに越したことはないし、こいつらが反骨精神持てる程度の強さしかないかもしれないなぁ)

 

 聞けばクアゴアの上層部は全て『いつの日かフロストドラゴン達を倒す』事が総意であるらしい。そのために領土を広げ、より多くの鉱石を集め自分たちの強化を図っているのが現状らしかった。

 

(クアゴアの強さはどうでもいいか、ドラゴンは一度強さを確認してみたいなぁ)

 

 上位種であるこのレッド・クアゴアは何匹いても負ける気がしなかったが、フロストドラゴンも思ったより弱そうな印象を受けた。勿論実力を隠していることは大いにありえるので油断するつもりはないが、逃走を意識しつつ一度対面するのも悪くないかもしれない。

 ドワーフの元王都を占拠しているドラゴンを倒せばそれこそドワーフ王国の復活となり、それを成したモモンガに対するドワーフ達の対応は想像に難くない。

 

 

 三つの勢力に対する今後の対応を確認した後、顎に手を添えたまま改めて目の前のクアゴアを見る。

 

(さてこいつをどうするか……)

 

 種族の中では上位種――つまりレア――らしいが、それほど手元に置いておきたい者ではなかった。毛むくじゃらの見た目もそうだが、これからモモンガはドワーフ達の下に戻らなければならない。そんな中支配したとはいえクアゴアを連れて行くのは面倒な事になる。

 

 勿論ドワーフ達に捕虜として引き渡してもいいが、よく考えれば<支配(ドミネート)>中の行動は呪文の効果が解けた後も記憶に残り、この場での会話も覚えている事になる。それがドワーフ達に漏れれば要らぬ憶測を呼ぶことになるかもしれない。

 

(殺すのも勿体ないし、となるとクアゴアの王へのメッセンジャーに使うか……)

 

「お前はこの後どうするつもりだったの? クアゴアの王に負けた報告?」

「はい、我らをあっさり敗走させたドワーフ達の新しい力と黒い獣。その危険性も併せてペ・リユロに報告するつもりでした」

「ふ~ん、それなら王にメッセージを届けなさい。その力の使い手であり獣の主である私からとしてね」

「はい」

「内容は『私がお前の下にたどり着くまでが期限だ。それまでにお前の部族の一匹が私を奴隷にすると言った戯言の罪を謝罪するなら良し。慈悲を願わないのであれば、これがお前の運命だ』と。それが終わったら、自らの首をその爪で切り落とせ。出来るな?」

「はい」

「よし、では行きなさい。クアゴアの後続部隊には、このままドワーフ達を襲わせたいから出会わないように」

「はい」

 

 走り去るレッドクアゴアを見届けた後、モモンガ自身も逆方向へ足を向ける。

 

「さて、次はドワーフを使った復活魔法の実験と……クアゴアの別動隊が来たらまた恩を売ろっと」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ♦

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それで、その第八位階かそれ以上と思われる魔法かアイテム。それを行使した存在は結局わからないわけか」

「……陛下、申し訳ありません。私も全力をもって調査したのですが」

「それは見ればわかるがな」

 

 絢爛豪華を文字通り表す部屋。アゼルリシア山脈より東にあるバハルス帝国帝都アーウィンタール、現皇帝ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスは、窓からの夕日で赤く染まった自らの私室で芳しくない報告を聞いていた。

 

 魔法の酷使による疲労を色濃く残した顔のまま報告をするのは、三重魔法詠唱者の異名を持つ帝国の誇る主席宮廷魔術師――フールーダ・パラダイン。その彼やその弟子たち、言わば帝国最精鋭の魔法組織をもってして調査を行えなかった強大な存在がアゼルリシア山脈にいる、その報告を聞きながらそれがいかに危険かジルクニフは考えていた。

 

「昨晩の報告からそれほど時間は経ってないはずだが」

「わかりません、既に遠方へ向かったのか。魔法やアイテムで身を隠しているのか」

「王国へ行って甚大な被害でも出してくれればいいんだが、それは都合がよすぎるな。エ・ランテルの件と関わりはあると思うか?」

「確かにタイミングはそうとしか思えませんが、帝国の眼を逸らすにしてはいささか――」

「……そうだな、神話の力を持っている事を露見させる結果が陽動だけでは釣り合いが取れん。むしろこちらに情報を漏らして大損だ――いや、強大な力を表に出す前提での狙いがあるのかもしれん」

 

 現に今こうして帝国上層部はピリピリした緊張の空気に満ちている。それは恐怖からの警戒心の強化に繋がる。勿論こちらが警戒したからといってどうでもいいという、自信の表れという可能性もある。

 

「こうなりますと、現場近くにいる親交のある部族に聞きこむのが良いかと」

「そうだな。いささか時間はかかるが誰かをドワーフの国に派遣せねばならん」

「それでしたら是非私にッ!」

 

 途端に疲労の色を隠し、飢えた獣のような燃える瞳と力を込めた姿にジルクニフは予想通りという感想とともに苦笑いを漏らす。長年教師として師事したからこそわかる逆の立場での発想、魔法の深淵を渇望するフールーダ・パラダイン自身は魔法の教えを乞う立場を渇望している事に。

 

「それも考えたが相手が危険な存在で尚且つ、爺の願い通り爺以上の強い存在だった場合危険が大きすぎる」

「それは確かにそうですが……転移魔法での逃走を念頭に行動すれば」

「駄目だ、未知の強大な存在に対するリスクが高い。せめて最初に接触する可能性のある人間は切り捨ても可能な人材が適任だ。それにエ・ランテルの問題がある以上、爺には国を離れてもらっては困る」

「……残念ですがそのとおりですな、では誰を向かわせるので?」

 

 考えこむ様に腕を組むが、ジルクニフの中では既に答えが出ている。相手は未知の存在、つまり強大な味方となりうる場合と敵となった場合を考えれば良い。敵となった場合、その情報を持って帰れる可能性が高い実力のある者達。そして味方となった場合や少なくとも敵対しない場合、相手との意思疎通に長け礼節をもって接することができる者達だ。

 

 その条件に該当し、なおかつ急ぎのため帝都内にいる存在であれば自然と絞られる――

 

「銀糸鳥だ、少々奇怪なチームだがな」

「確かにアダマンタイト級冒険者チームならば問題はなさそうですな」

「あぁ相応の実力もある、爺はエ・ランテルとズーラーノーンの調査に戻ってくれ」

「わかりました、ですが相手が友好的な接触をしてきた場合は――」

「あぁ、わかっている。その時は爺のタレントをアテにさせてもらうさ、詳しい実力も知りたいしな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ♦

 

 

 

 

 

 

 モモンガは思い出していた、以前の苦労を。毎日同じ顔を拝み同じことをして、不安定な毎日を過ごし毎日頭を下げ毎月体が体調不良を訴えるのを病院で癒し、自分は特に不平不満を言うことなく毎日を過ごしていた。だからと言って勿論不満がないわけではなく、それらの事を思い出しながら――

 

 

「いいかげんにしろよなコノヤローッ!!」

 

 サラリーマン時代の上司に対する不満を一人叫んでいた。

 

 

 

 

(結果は予想通りか……)

 

 広い客間の奥から扉の方を向く。外を見張ってくれているドワーフ種族の戦士達が入ってくる様子は見られない。

 あれだけの大声で叫んだにも拘らずノックの一つもないのは、設置していた内部の音を遮音するアイテムが正常に作動した証拠であろう。

 

 精巧な装飾の施された机に乗ったアイテムの稼働を止め、アイテムボックスに放り込む。

勿論遮音させたいだけなら既に確認済みの魔法を使用すればよかったが、もう一つ確認したいことがあったためアイテムはあくまでついでであった。

 

「感情が高ぶると素が出る……ってことでいいのよね」

 

 この世界に転移した直後やクアゴアから奴隷扱いされた時なども少し考えたが、先程試したようにあまりの事に感情が一定に達すると、本来の言葉遣いや感情が漏れ出る。営業スマイルや怒ったふりは普段でもできると思うが、この世界に来てドワーフやクアゴアとの会話の中で抱いた本気の感情という違和感があった。

 

(アイテムボックス見た時も本気で泣いちゃったしなぁ……すぐに止まったけど)

 

 奴隷扱いに怒りを覚えたのは仕方ないだろう。この体はシャルティアの物でありモモンガの親友たるペロロンチーノの物なのだ。どういった原因かは分からないが今はモモンガの意思の下に動いてはいるが、モモンガ自身はそのスタンスを崩す気はない。

 

 とは言えこの容姿では、未だ行けてはいない人間の国に行った場合目立つかもしれない。モモンガはナルシストではないのであくまで第三者の視点ではあるが、今のシャルティアは美しい。現地の人間の美意識がモモンガと大きく外れてなければ、大いに衆目を集めるだろう。そういった意味で目立つと、所謂『劣情』を抱く人間も多い。

 

 ただそれは男の意識を持つモモンガからすれば致し方ない事であり(欲情するのは仕方ないが、手を出したり奴隷扱いは癇に障るけど)その程度の器の大きさはあった。そして劣情に関する問題がもうひとつ――

 

(この大きさだと、歩くと見事に揺れるし……貧乳好きな国はどっちだろ。そっちに行きたいなぁ)

 

 モモンガが見下ろす自らの胸。モモンガ自身もどちらかと言えば大きい方が好みだが、シャルティアの身長には少々大きすぎる気がする。昨晩の風呂で確認した際、ギルド内でもバランス派だったモモンガにとっては色んな意味で手に余る。

 

(二人に無断で見てしまって申し訳ないが、ずっと風呂なしは無理だし。しかし綺麗だったなぁ)

 

 ただ喜んでいいのか、自らの体に欲情することがない事も確認できたため、それ以上に体の確認作業をすることもなかったが。

 

(ってそれよりも、元々シャルティアって変な廓言葉じゃなかったか? あとなんか体の仕草も……)

 

 そこまで考えたところで、扉の先から近づいてきた気配に動きがありノックの音が客間に響く。

 

「救い主様ッ!私です。摂政会の準備が整いましたので、お手数ですが準備をお願いできますでしょうか?」

「わかりました」

 

 扉の先の主、昨日知り合ったドワーフの総司令官に返事を返す。

昨日はモモンガの思惑通りに事が進み、復活魔法の実験も成功しその後のクアゴアの増援も壊滅させた。モモンガの中で既に敵と認定しているクアゴアの王の恐怖を煽るため全滅は避けたが。

 

 都合よく摂政会のメンバーにもクアゴアに殺されている者がおり無事に復活させた。だが死んだ恐怖から混乱している者もおり、街全体の混乱のためにも一晩休んだ方がいいと申し出て案内されたのがこの客間であった。

 

(さて、一晩考えた設定で大丈夫か……)

 

 このドワーフ種族のトップである摂政会。昨日も復活魔法の説明などで面識はあるが、改めて今日は正式な面会となり自己紹介もしなければならないだろう。

 なるべく嘘にならない範囲で考えたつもりだが、さすがに仕事でもこのような経験はなくぶっつけ本番のため少し緊張していた。だが昨日売った恩でリードを得られた今回の機会を逃す考えはモモンガにはない。

 

 服の皺などを部屋に設置された鏡で確認した後、背筋を正し総司令官が待つドアのノブに手をかけた。

 

 



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『今後のための-嘘-』

説明+会話回 手直し予定中


「なるほど、ナザリックという我々と同じような地下都市を治めておられたのですか」

「私一人ではなく良き仲間達がささえてくれていたからですし、仕事は雑務と調整くらいでしたけれど……」

「ははは、それこそ我らと一緒ですな。我ら摂政会も言わばこの都市全体の調整役ですから。とは言っても、その我らの都市は昨日滅びかけたわけですがな。救い主……いや、シャルティア様が来られなければどうなっていたか」

 

 和やかな雰囲気で雑談のようにお互いの情報を確認している部屋。

場所はドワーフの都市でもかなり大きな摂政府という建物、その中でも大きな摂政会専用の会議室にモモンガは招かれていた。ランプに照らされた会議室のような部屋には、ナザリックには及ばないが調度品も小綺麗に飾られており、飲み物や酒の摘みのような食べ物も用意されている。

 

 以前の世界で例えれば、大きな会社の見事な客室でとても機嫌の良い相手に営業をするくらいモモンガはリラックスできており、これから話す内容にも不安はあまりない。昨日の件をふられ現状の手札を確認すると、内心では待ってましたと言わんばかりに――表情は申し訳なさで一杯だと少し控えめの声で語り掛ける。

 

「その事なのですが……ドワーフの皆様には謝らなければならないのです」

「むぅ? 一体何を謝ると仰るのですか? シャルティア様の復活魔法のお陰で死者も僅か……まぁまだ以前のように体を動かせない者も多いですが、これは時間が解決するようですし。クアゴア共もシャルティア様お一人で全て追い払っていただきました。一体何を――」

「それに昨日は最後に創造魔法でしたか? あの後作っていただいた砦は私と配下の者で確認させて頂きましたが、防衛のし易さで言えば文句なしでしたよ。収容人数という意味で少々手広すぎでしたが」

 

 心底不思議そうに尋ねる洞窟鉱山長と総司令官のナイスアシストに、心の中で感謝をしながらモモンガは予定通り淡々と言葉を続けることにする。

 

「ありがとうございます……ですが、それ以前のお話なのです。そのきっかけとなった地震は私が原因なのです」

「なんじゃとッ! どういう事じゃそれは!?」

 

 腕を組みこれまで会話にあまり加わらず話を見守る姿勢だった鍛冶工房長が、驚きの声と共にモモンガを睨みつける。話を聞いていた他のドワーフの面々も驚き目をぱちくりさせており、鍛冶工房長を執りなす者はいない。

 これまでの対応から鍛冶工房長はモモンガの事を完全には信用しておらず、あくまで中立的な立場で確かめるような姿勢をとっていた。モモンガにしてもドワーフにとって自分の存在はタイミングが良すぎるし、これから話す事は鍛冶工房長の疑いがまさに正解と言うような内容なのだが、場の空気の変わりように少しビビってしまう。

 

(あ、やっぱりこれ駄目かな? ……いやいやいや、とりあえず最後まで話さないと。昨日の苦労が水の泡だし、まだ一言話しただけじゃないか。頑張れ俺ッ!)

 

 モモンガが内心で冷や汗を抑えていると、冷静さを取り戻した大地神殿長が落ち着いた声で問いかけてきた。

 

「……どういった意味ですか?シャルティア様」

「言葉通りの意味ですが、まずは経緯からお話ししましょう」

 

 モモンガ自身にとってはここからが本番であった、昨日の作業もここまでの自己紹介や雑談も本番前の下準備に過ぎない。

 

(プレゼンていうか詐欺行為じゃないかこれ? できればこれが最後だといいんだけど)

 

 そんな事を反省しながらモモンガは話し始めた。

 

「先程も話した私と共にナザリックを治めていた仲間なのですが、いなくなってしまったのです」

「いなくなってしまった?」

「えぇ、私は仲間を捜すため信頼できるものに統治を任せ、消えた者達を追い海を渡ってこの大陸に来たのです」

「海を渡ったですと!?」

「え、えぇ……確かこの山脈の北側は海だったはずですが?」

「そうですが、確か神殿長あの海は」

「うむ、北の海は昔から巨大な化物がおり人間の国でも近海なら兎も角遠方への船は出せておらんはずじゃ」

「ひッ飛行魔法ですわ、私の魔法は昨日お見せした通りですから」

「あぁそれなら納得ですな。蘇生魔法をあれだけの回数使えるとなると相当な飛距離を飛び続けることも可能でしょう」

 

 納得がいったという風に頻りに頷く大地神殿長に合わせ周りも納得する中、モモンガは一人さらに冷や汗をかいていた。

 

(あ、危なかった………)

 

 奇しくも昨日の思わぬ結果が、自らを救った形となった。

昨日の復活魔法の行使、その際に判明したことがシャルティアの体になった影響と思われるMPの飛躍的な上昇。

 

 モモンガ自身いつか実験してみたい項目の一つであったためMP枯渇の危険性を考慮したうえで復活魔法を使い続けたのだが思わぬ結果だった。以前のモモンガであれば数十回も蘇生魔法を連続で繰り返せばMPの枯渇になるはずが、その気配が全くなかったのだ。

 十回を超えたあたりでモモンガは内心焦り初め、五十回辺りでMP上限の実験を要塞創造に移行することに決め、その後は何も考えず愛想笑いを浮かべながら作業のように復活魔法を行使し続けた。

 

 閑話休題

 

 とりあえずこの先の話に修正は必要ないだろうと、気を取り直して説明に戻る。

 

「そして一昨日の夜にその内の一人、ペロロンチーノを見つけたのです」

「ペロロンチーノ……ですか」

「念のためお聞きしますが、この名前や私くらい強いものにお心当たりは?」

 

 部屋全体を見回しながらの質問にこの場にいる全員がかぶりを振る。これは都市へ向かう際、ゴンド達にもそれとなく確認しておいたので予想通りの結果だ。

 

「彼はバードマンでして、見つけたのもこの山脈の上空だったのです。ただ彼は何者かに操られているようでして、そのまま戦闘になってしまい……」

「なるほど、その戦闘の余波があの地震だったと?」

「……そのとおりです」

 

 神妙に頷く大地神殿長と同じように静かに頷き返事をする。ドワーフには申し訳ないがモモンガはこの世界でギルドメンバーやナザリックを捜すためにも、昨日考えたばかりのこの嘘をつきとおしていくつもりだ。

 

 ナザリックは、ここに残ったモモンガとシャルティア以外サービス終了と同時に全て消えてしまったかもしれない。だが不測の事態でモモンガがこうなってしまった事を考慮すればナザリックもこの世界の何処かに転移していても可笑しくはない。そうなればシャルティアを除いてはいるが、優秀な各階層守護者達がナザリックを守ってくれているだろうし、もしかしたらギルドメンバーもこちらの世界に――

 

「あれほどの地震を起こすような魔法を行使できると? 神殿長も納得するのか?」

「昨日のクアゴアとの戦闘を見た者はみな納得出来よう、復活魔法の件もあるしのぉ」

 

 信じられないという反応の食料産業長が、この摂政会の中でも一番魔法に詳しい大地神殿長に問いかけるが、神殿長は昨日の一連の騒ぎを見聞きしており、少なくとも相応の実力を保証してくれた。

 

「なるほど……この都市の安全を預かる者として言わせていただきたいのだが――」

 

 立ち上がった総司令官がモモンガのみならず、どちらかと言えば部屋に揃ったドワーフ達に話しかけるように部屋を見回す。

 

「皆もご存知の通り、私は以前よりこの都市の防衛機能の強化について意見具申をしてきたつもりだ。その立場から言わせてもらうと、地震などなくともクアゴアの大規模な襲撃は遅かれ早かれ起こっていたと思う」

「砦も最後の扉も抜けられると? そのような――」

「それだけでは足りないから防衛機能の強化を具申していたのです! それをあなたは手が足りない予算が足りないと、あれこれ文句をつけた結果昨日の件でもあるんですよ」

「この嬢ちゃんを怒らせたら不味い実力なのはわかるが、それとこれとは別問題だろうが! 実際前の会議でも無理をしなければ手は足りんかったぞ」

「あの時も言ったが、多少の無理無茶を通さずして防衛は出来ん! それ程にこの国の防衛は危機的状況なのだ!」

 

 鍛冶工房長と総司令官がにらみ合う。

モモンガとしては全員に敵意を向けられる可能性も考慮していたのだが、最悪の事態は免れたようでひとまず安堵していた。それよりもドワーフ内の防衛論争に話がそれ始め(それ自体はどうでもいいが)その論争自体も、続きを話せば収まるだろうという事は想像できたため、建設的ではない口論を宥めようとしていた近くの商人会議長に声を掛ける。

 

「あの、その事についても解決できるかもしれないお話があるのですが」

「お主たちそれぐらいにせんかッ! まだシャルティア様の話は終わってない……それでシャルティア様、解決できるとは?」

「地震のお詫びもかねて、王都の名前はフェオ・ベルカナでしたか? 私がそこに赴きドラゴンとクアゴアを倒して王都を奪還してこようかと」

 

 ざわりと部屋の空気が揺らいだ。部屋にいるすべてのドワーフが固まり、目を見開き驚愕の表情でこちらを見ている。尤もドワーフの表情などよくわからないので、おそらくだが。

 

「是非お願いしたい!」

 

 真っ先に頭を下げ、モモンガの助力を懇願したのは総司令官だった。

 

「お、おい何を勝手に」

「実は昨日のあなたの力を見て考えてはいたのです、あなたの力を借りればドラゴンとも戦えるかもしれないと」

 

「……わしも賛成だ」

 

 慌てて止めようとするドワーフもいたが、そこに割って入るように彼と睨み合っていたハズの鍛冶工房長も静かに賛成の意を示した。

 

「どういうつもりですか?」

「王都の復活はドワーフ全員の夢だろう、そこには無論わし自身も含まれておる。仮にそんな偉業をすれば地震の経緯を知っても、誰も嬢ちゃんに文句は言わんだろう。それにお前も『考えていた』って事は、元から総司令官として提案するつもりじゃったんじゃろ?」

「否定はしませんよ……」

 

 モモンガを置いてドワーフ同士男の友情が目の前で垣間見えた。「――だがな」とこちらを一睨みした後、試すような口調でモモンガに話しかけてきた。

 

「善意や謝罪だけでそんなどデカイ事されちゃあこっちも疑っちまう。なにか他の狙いはないのかい?」

「それなんですがペロロンチーノさんは東へ向かいました。かの国とドワーフは国交があるのでしょう? 常識や文字など分かっていることをできるだけ教えて欲しいのですよ」

「東っていうと、バハルス帝国か……」

「交易といっても小規模ですし、文字や何度も赴いているドワーフを紹介するくらいは確かにできますが」

「それで構いませんよ」

 

 申し訳なさそうに告げる商人会議長に了承を伝える。モモンガにしてみれば言葉通り、常識や文字を教えてもらえれば十分なのだ。

 無論事細かい情勢などを教えてもらえれば願ったりだが、今の説明を聞く限りそこまで求めるのは酷に思えた。

 

「そこまで入れ込むなんて、そのペロロンチーノって奴は嬢ちゃんとってそんなに大事な奴なのかい?」

「えぇ。親友のような、今となっては産みの親のような存在ですね」

 

 モモンガは昔を懐かしみながら笑顔で頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ♦

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それで、この作戦……どう思う」

「どうもこうも全会一致。おぬしも賛成しとったじゃろうが」

 

 会議を終えた後、場所は移りフェオ・ジュラにある巨大な鍛冶工房長の工房。

最新の武器防具一式を数点弟子たちに新しくなった砦へ運ぶよう伝えた後、酒を飲み始めている鍛冶工房長と事務総長がいた。机にはなみなみと酒が入った樽が置かれており、これでもドワーフにとっては仕事の間に呑む軽い酒だ。

 

 長年夢見た王都解放作戦で自分たちができる仕事がひとまずこれだけなのはいささか物足りないが、作戦の要が一人の少女である以上割り切るしかない。むしろ成功した場合と失敗した場合、それぞれの時にこそ自分たちの仕事だと考えていた。

 

「それは勿論じゃ、わしが言っとるのはあの覚書のことじゃよ」

「あぁ、あやつが出張ってきたアレか」

 

 先の会議でモモンガ主導による作戦とも言えない内容がほぼ決まった後、その会議の終盤で商人会議長が突然「シャルティア嬢の報酬を確約した契約書を用意したい」と、申し出てきたのだ。

 ある意味恩人を信頼していないような振る舞いだったのだが、嫌な顔を一切せず本人が了解したため双方合意の上用意することとなった。

 

「報酬は大したものじゃない、低すぎるのもある意味怖くはあるがの」

「わしらにとって王都を開放する価値をわかっておらんのか……いやそれよりもじゃ――」

 

 本人はドワーフ達の意を汲んで、今後必要になるであろう多少の金銭を受け取っていたのだが、ドワーフ達が納得する報酬にはほとんど届いていなかった。

 

「わしが気になったのは嬢ちゃんの名前じゃよ」

「うむぅ、王族……なんじゃろうか?」

 

 まだこの地の字が書けない当人のため正式な契約書ではなく、字を書けるようになるまでの覚書を用意したのだが、その中で代筆のため名前を聞く際ひとつ問題が起こった。少女自身が少しの逡巡をした後告げた名前――

 

 

 シャルティア・ブラッドフォールン・アインズ・ウール・ゴウン

 

 

 帝国や王国では王族を表す五つの名前を聞いた際、ドワーフ達の中では反応が分かれた。人の国から見ればドワーフ国自体がほぼ辺境のため致し方ない面があるが、その差は人間種に対する知識量の差で浮き彫りとなる。帝国との交易を担う商人会議長や魔法の知識を求めるため帝国の常識にも一定の理解がある大地神殿長、同じく軍事面の知識の側面から人間種を知る総司令官には動揺が走った。

 

 だが他のドワーフ達には『覚えづらい長い名前』といった認識しかされなかった。本人が退出した後、大慌てで三人が説明を始める事態となったが。

 

「わしらドワーフには前例があるしのぉ、あの嬢ちゃんの国……ナザリックじゃったか? 大丈夫なんじゃろうか?」

「それは都市の名前じゃなかったか? まぁ気持ちはわかるが信頼できるものに任せてきたと本人が言っとるんじゃ。わしらがとやかく言うことでもないじゃろう」

 

 モモンガ本人が一夜漬けで考えた穴だらけの設定だが、ドワーフ達の中ではかつていなくなった王族と重ねて聞くに聞けない雰囲気になり、摂政会出席者の間ではある種の憶測がされていた。治めていたと言うことから彼女自身が女王である、地位を放棄して捜すほどの存在とは――

 

 そういった憶測が本人の知らぬ間に出発した後の酒の席で、そして帰還後の勝利の宴でもドワーフ全体に実しやかに流布する事となる。

 

 

 

 

 

 

 ♦

 

 

 

 

 

 

(名前長すぎたかなぁ……なんか驚いてたし)

 

 モモンガ自身はギルドマスターとしての地位をアピールしたつもりはなかったためそんな事は露ほども知らず、大裂け目のつり橋を越えた先でクリエイト系魔法によって造った椅子に腰かけていた。

 傍から見れば足をブラブラさせ、何事か思いに耽っている少女であったが、見るものが見ればその容姿や煌びやかな服装そして、その手に持つ赤色のオーラを纏う杖に驚くであろう。もっとも夜目の利かない種族には明かり一つない地下空間にいる少女を見つけることは出来ないが。

 

 

 

 

 アイテムボックスから取り出したスタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを見つめながら、その目は杖そのものよりも杖を通して今後の事に思いを馳せていた。

 

 自分が名乗る名前についても設定と共に昨晩考えついたものだった。ギルド『アインズ・ウール・ゴウン』を冠した名前にしたのはこの世界に名前を広め、存在するかもしれないユグドラシルプレイヤー、特にギルドメンバーに呼びかける為。

 無論空振りに終わる可能性も大いにあったが、モモンガは『自分だけが特別』にこの世界に転移した可能性は低いと見ていた。その存在が敵対した場合の危険性も考えたが、今の自らのスペックを鑑みれば逃亡もしくは撃退は可能であろうという計算もあった。

 

 表向きは謝罪としたドラゴン討伐も、その名声を得るための一環である。

ドワーフ達に聞く限りドラゴンの脅威はこの周辺国でも相当なものであり、過去には散々帝国に泣きついたが討伐を計画されることもなかった。(クアゴアの討伐の支援に関してもドラゴンを刺激する可能性があるとして断られていた)曰く、準備を万全に整えた国の精鋭が戦いを挑みそれでも大半が負け、その中でも少数の者がドラゴンスレイヤーの称号を得るらしい。帝国でのドワーフの発言力はわからないが、無視されることはないだろうと考えていた。

 

(他の懸念材料と言えば……地位の高い人物と会った場合か)

 

 帝国を含めこの辺りの周辺国は専ら貴族制が導入されているらしい。モモンガの聞きかじった知識ではろくに統治もせず平民に威張り散らし、私腹を肥やす階級という偏った偏見を持っていた。その自覚はあるので商人会議長にそれとなく確認をとってみたところ「正解ではないが、そういった輩がいるのも確かですね」と、苦々しげな表情で言われた。

 

 今後の名声次第ではそういった輩に関わる事も予期しながら、合流予定の総司令官達を引き続き足をぶらぶらさせながら待っていた。

 

 



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『胸』

この作品おっぱいタグがあるのに今のところ全然おっぱい描写がない…


「オラサーダルク様は何処におられる!」

 

 元ドワーフの王都フェオ・ベルカナ、現在は竜の住処となっているはずの城に高々とクアゴア統合氏族王ペ・リユロの声が響く。だがその声は困惑と不安に苛まれていた。

 ドワーフ達の宝物庫入口だった場所、いつもはその前に黄金や宝石の山を玉座として尊大な態度で上から見下ろす竜王が今はいない。それどころか貴金属の類も一切なくなり、慌てて引き払った跡がそこかしこに壁の真新しい傷となって現れていた。

 

「小さい者が煩いわね……」

「し、失礼しました。ですが今我々は正体不明の敵を相手にしており、是非とも偉大なる白き竜王オラサーダルク様のお力をお借りしたいのです!」

 

 既に玉座を引き払い王城の部屋に引き籠った竜王に代わって、残っていた妃ミアナタロン=フィヴィネスが気だるげに対応をしていた。

 

「今はこっちもそれどころじゃないのよ、あなた達が死のうが生きようがどうでもいいの」

「なッ!? 一体なにが」

「でも正体不明か……気になるわね」

 

 ミアナタロンは一呼吸置き、気だるげな声のままペ・リユロへ顔を向けた。

 

「それはドワーフじゃないのね」

「は、はいその通りです。我らの軍隊をおそらくたった一人で壊滅させた強力な魔法詠唱者(マジックキャスター)がチビども――いえ、ドワーフと手を組んだようで」

「ふ~ん、物が爆発するような炎の魔法を使ったり空を飛ぶ魔法は使っていたの?」

「……宙に浮いてはいましたが、攻撃に使っていた魔法は強力な雷のみです」

「どれくらいの時間で壊滅させられたの?それとそいつ、羽は生えていた?」

「は、羽ですか? そういった報告はありませんでしたが……」

「そう、それで時間は?」

 

 問われたペ・リユロが間を開け逡巡する。この情報は信じがたい事だったため伝える必要はないと事前に決めていた。

 ――ただ状況がおかしい、この問答はなんだ?これではまるでドラゴン側が事前にその敵を認識しているようではないか。

 

「……信じられない報告ですが、強力な雷の魔法を一度使われただけで一万の軍の三分の一が壊滅。その後すぐ二回使われ……」

「つまりあっという間にやられたわけね?」

「そ、その通りです。現に生き残った部下も無傷の者はおらず――」

「……確定かしら」

 

 最後に小さく呟いた言葉にクアゴアの鋭い知覚が拾う。

(やはり敵の正体を知っている!)ドラゴン達が敵の正体を知っているという予想だにしない事に衝撃を受け、ペ・リユロは焦っていた。後ろに控えていた部下たちも同様だろう。ドラゴンが何かしら考えている隙にチラリと後ろを振り返れば、黄金の入った袋を抱えたまま困惑していた。

 

「その黄金だけど……」

「っは! し、失礼しました」

 

 慌てて視線を戻し、考え事を終えたドラゴンを見上げる。

 

「その黄金はいらないわ、持って帰りなさい」

「は!?し、しかし敵が、オラサーダルク様に――」

「その代わり良い事を教えます。お前たちが相対した者だけどね、私たちよりも遥かに強い存在かもしれないわ。なので今回は私たちに頼らず、自分たちの事は自分たちで何とかする事ね」

「……は?」

 

 目の前のドラゴンが何を言っているのかが分からなかった。この世界において最強の種族はドラゴンだ。

少なくともこのアゼルリシア山脈ではドラゴンと霧の巨人という種族がその最強の座を争っていた。だがそれ以外でそのドラゴン自らが自分より強い存在と認める相手。

 一体何処から、まさか山脈の外から――!?

 

「やはり黄金は献上いたします、ですので是非! その者について知っていることをお教え頂きたい!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ♦

 

 

 

「すごい揺れてる……」

 

 モモンガは変わらず待ち惚けながら、足をブラブラさせていた。ドラゴンとの戦闘や帝国へ赴く際の注意点など、今の情報で考えられるケースをできるだけ考え、その対処方法なども考えた。そして暗闇の中、考え尽くした所ではたと気づいた。

 

 ――ブルンブルン、と足を動かす毎に揺れる胸に。

 

 

(設定的に見た目は変わってないけど)

 

 モモンガはこの胸についても今後の問題点を考えた。ぶっちゃけ本物の胸になってしまった事についてはむしろ良かった。胸の重量や動く度の違和感がとてつもないし、そもそもシャルティアになってしまった事をなんとかしたいがそれらはどうしようもない。

 

 転移前の本物のシャルティアの設定では胸はパッドだった。その設定が今のモモンガに降りかかれば問題となってしまう。パッドがいちいちズレてしまいそれを直すモモンガ、その心境を想像して欲しい。設定を守るためとはいえ、一人の男として察するに余りある。

 

(ペロロンチーノさんも悲しむかな、いや喜ぶか?)

 

 シャルティア・ブラッドフォールンというNPCを設定したペロロンチーノは貧乳好きであるが、巨乳嫌いというわけではない。そもそもシャルティア自体は貧乳キャラとして設定したのだが、紆余曲折あってパッドを盛った貧乳キャラになった。そして今、異世界で本物の巨乳キャラになってしまった。

 

 モモンガのせいではないとは思うが、少し申し訳なく思う。もしペロロンチーノが今のモモンガの現状を知ったらどう思うだろうか。さすがに馬鹿にはされないだろうし、いい意味で笑ってくれるだろう。サムズアップした後、悪ノリしながら色々服装のリクエストをしてくるかもしれない。残念ながらシャルティア自身のアイテムボックスは大半が無事だったため、可能ではあるが。

 そんな懐かしながらも楽しそうな光景を想像して機嫌の良くなったモモンガだが、はたと思考を胸に戻した。

 

 

 考えてる間も軽く足を動かしていたため、今も僅かに胸は揺れている。そして手には先程から握られているスタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウン。おもむろにモモンガはその手に持つギルド武器を胸に近づけてみる。

 胸が物理法則に沿って凹むと同時に、たぷん!という重い擬音が僅かに聞こえた気がした。

 

(性欲はない……はずなんだけど……)

「お待たせしました! シャルティア様」

 

 モモンガが思いついた行動を実行する前に快活な呼びかけが空間に響いた。

見ると暗闇の空間に二人と、その背後にもう一人のドワーフがこちらに向かって歩いてきている。事前に決めた通り少数で来てくれたようでモモンガは安心した。

 言うまでもなく彼らを戦力としてアテにしていなかったモモンガは、事前にそれとなく総司令官に伝え、道案内できる者とドワーフの中でも地位のある総司令官に来てもらう様に要望していた。

 

(ドラゴンを倒した事を証言してもらわないとな。いや油断は禁物だけど)

 

 モモンガは仲間と共にドラゴンを討伐した経験はある、強さはそれほどでもなかったが一人でも倒した事も一応ある。だが、それは勿論ユグドラシルでの経験であってこの世界では初めての事になる。そのためドワーフを護衛する負担と逃亡を第一に考えて少数で来てもらった。四人程度であれば一時的にでもドラゴンを足止めし、転移はすることは容易だ。

 

 なので三人という数はモモンガのほぼ希望通りでありこれといった問題は見受けられない。

 

 

 ――だが、二人の後ろを歩いて来ている()()()()()()()()()()使()()()()()のはどういう事なのか。

 

(って、あれゴンドじゃないか? 軍属だったのか? となると姿を消しているのはマジックアイテムか)

 

 ゴンドと他九人のドワーフ達を助けた際、父の形見という不可視化ができる茶色いマントを見せてもらっていた。だが敵のいない合流する状況で最初から使っているのはどういうことなのか。モモンガは多少混乱しつつドワーフ側の真意を考える。

 

(悪い意味での監視役か? 疑われるような事したっけ? いやそれにしたってゴンドだし、最初の印象では後ろめたい仕事をするイメージはないんだが……)

 

 ゴンドの前を歩いてくる総司令官ともう一人のドワーフに変わったところは見られない。というかわからない。

 二人はモモンガが初めて見るフルアーマーのような鎧を着ており、顔も僅かしか見えずドワーフの特徴である長い髭も見えなかった。ただ、ガシャガシャ音をたてながら和やかな雰囲気でこちらに歩み寄ってくる姿に裏表は見当たらない。

 そもそもゴンドが不可視化のマントを持っている事を、モモンガは最初から知っているのだ。その要素を捨ててモモンガが見破れない事に賭けるのは少々リスキーに思えた。モモンガが考えている間に、二人と姿を消したゴンドがすぐ傍まで来ていた。

 

 問題のゴンドをチラリと流し目で見つつ、モモンガは探りを入れながら会話することにした。

 

「お二人だけですか?」

 

 モモンガは努めて表裏のない柔らかい声で問いかける。少々ストレートな問い掛けだったかもしれないが、ドワーフに疑われているかもしれないという状況は想定外だったので致し方ない。とは言えできるだけ少数で来てくれという要望だったので、最初に人数を確認するのは問題ないだろう、と思うことにした。

 

(……ん?)

 

 だが二人から返事はなく、その場にフルアーマーの鎧が二体直立していた。勿論その後ろで透明化しているゴンドからも返事はない。そのゴンドは此方の手元を凝視しているようだ。兜で視線を追えない残りの二人も、ゴンドと同じくフルフェイスのブレスが同じ物を見つめている気がした。

 試しにその手を上げてみれば、三人とも全く同じ動きで首を上げていた。

 

「あの~……?」

「っは!? こ、これは失礼しました!」

 

 表情は伺えないが慌てた様子だった三人が身なりを正す。モモンガは特に気分を害した訳ではないが、一応の確認の為に問いかけることにした。

 

「このスタッフが気になりますか?」

「あ、はい。そのような見事な杖は見たことがないものでつい…」

 

 隣のもう一人のドワーフと、なぜか姿を消しているゴンドも頻りに首を縦に振っていた。どうやら三人ともスタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンに本気で見とれていたようでモモンガは気を良くする。

 今やモモンガの最後の宝といっても過言ではない物、ギルドメンバーが残してくれたギルドの分身を褒められれば少しだけ機嫌がよくなってしまう。とは言えギルド武器は本当にギルドの分身であり、破壊されればギルドの崩壊を意味するためあまり公にするべき物ではない。

 

「すみません、とても貴重な物なのですぐに仕舞いますね」

「国宝でしたか!? 失礼しました! 我らは何も見ておりませんので!!」

「え? ……えぇ、それでお願いします」

 

(国宝か、まぁ間違ってないよな)

 

 少なくともギルドにとって最高の宝であり、手元に残ったアイテムでは価値以上に一番思い入れのある物のため、お言葉に甘えてサッサと仕舞い込む事にした。本当はこれからのドラゴン戦のために装備して行きたかったが、ギルド武器の破壊は是が非でも防がねばならないため、例え相手が最強種のドラゴンでも気軽に使う気にはなれなかった。

 

(みなさんの力を借りるのは、もっと先にしますよ……)

 

 宙に消えゆくギルド武器を見送った後、気合を入れるように手を握りなおしたモモンガは改めて問い直す。

 

「それでお二人だけでよろしいですか?」

「えぇ、情けないですが例え人数を揃えてもシャルティア様頼りとなってしまうのは目に見えていますし。ですが、この者は王都までの道を熟知しておりますし、私も身を守るくらいしてみせます。仮に何かあってもあなた様を責めないようにと、残った者達には言い聞かせましたので」

 

(ふむ、ちゃんと此方に気を使ってくれているな。というかなぜか好感度上がってないか? 何かしたっけ? でもこの様子だとゴンドの存在はやっぱり知らないのか?)

 

 ますますモモンガには訳が分からない。視界の隅で透明化しているゴンドを見つつ考える。本当に総司令官が知らない場合ゴンドのターゲットはモモンガではなく、総司令官という可能性も出てくる。例えば摂政会内での総司令官と対立する敵対派閥だ。最有力は最後を除き喧嘩腰だった鍛冶工房長だろう。最後の和解が芝居だった場合見事と言うほかない。

 

(う~ん、でも喧嘩腰だっただけで仲悪いわけじゃなかったと思うんだけどなぁ。摂政会の他のメンバーだって……)

「あのぉシャルティア様?」

「あ、ごめんなさい。何でしょうか?」

 

 思わず思考の海に沈みこんでしまったモモンガを、もう一人のフルアーマーのドワーフが正気に戻す。声からして随分歳をとったドワーフのようで、王都への道を熟知しているというのも説得力があった。

 

(えぇい、もうこれは現状分からないな。とりあえずゴンドは泳がせておこう)

「ライディング・リザード三頭でしたら、今からすぐ戻って用意することもできやすが?」

「ライディング・リザード……あのトカゲですかッ!」

 

 クアゴアの襲撃の際、フェオ・ジュラから脱出する避難民の中に数人騎乗動物に乗っている者達がいた。その後も何度か見かけた全長三メートル以上あるトカゲ、巨大蜥蜴(ジャイアント・リザード)の一種らしい。おそらく向こうにとっては常識的な移動方法の提案なのだろう。だが生憎ある程度だがモモンガの中ではプランはできている。

 

「いえ、それも私に任せてください。全体飛行(マス・フライ)でみなさんを連れて行きますから」

 

 視界の隅でビクンっと動く気配がしたが、とりあえず見えない振りをしておく。道中にある溶岩地帯や死の迷宮について詳細を聞いておかねばならない。概要を聞いただけではいかにもな簡易トラップではあったが、経験豊富なドワーフから見た視点を参考にしない手はないだろう。

 

「とりあえず使い魔を索敵に出し、注意しつつ進んで溶岩地帯手前で一旦休憩しましょう」

「良い判断ですわい。油断大敵ではありますが、浮遊魔法があれば溶岩地帯は何とかなると思いますぞ」

 

 経験豊富なドワーフは慎重に物事を進める質らしく、モモンガにとっては好材料だった。出発準備を終えると早速とばかりに全体飛行(マス・フライ)を唱える。ドワーフ達二人は足元のおぼつか無い宙に浮いたことに多少慌て、ガシャガシャと鎧から音をさせていた。チラリとゴンドを見れば同じく宙に浮き、二人以上に慌てて足をバタつかせている。だが此方の視線に気づいたようで、目が合った途端に大人しくなった。

 

「では出発しますよ」

 

 鎧のガシャガシャした音は未だに聞こえたが、その内慣れるだろうと思いサッサと出発することにする。

 元より全体のコントロールはモモンガが握っているため、ドワーフ達にはどうしようもないのだ。モモンガを先頭に洞窟を進み始めると、それを悟ったようで途端に静かになり、空気の移動する音だけが耳に響いたが――

 

 

「これ絶対バレとる」

 

 洞窟を吹き抜ける音に僅かな声が混じった気がした。

 

 

 

 



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『引き篭もり竜王世界を知らず』

まだまだ転移したてなので慎重オーバーキルプレイです


「〈吸収(アブショーブション)〉、〈不屈(インドミタビリティ)〉、〈無限障壁(インフィニティウォール)〉、〈上位魔法盾(グレーター・マジックシールド)〉、〈上位抵抗力強化(グレーター・レジスタンス)〉、〈上位硬化(グレーターハードニング)〉、〈上位全能力強化(グレーターフルポテンシャル)〉、〈上位幸運(グレーターラック)〉、〈看破(シースルー)〉、〈感知増幅(センサーブースト)〉、〈竜の力(ドラゴニック・パワー)〉、〈超常直感(パラノーマル・イントゥイション)〉、〈自由(フリーダム)〉――」

 

 自らの体に強化魔法を掛け続ける。場所はドワーフの元王都フェオ・ベルカナの元王城、その内部にある宝物庫手前の巨大な扉。道中の難所は全く問題にならず、道案内役だったハズのドワーフが意気消沈しているが、とりあえず置いておく。

 

 途中で捕まえたクアゴアの話によると霜の竜の王(フロスト・ドラゴン・ロード)は、宝物庫の扉の前を玉座と称して居座っており、クアゴア達の間では未だにドワーフの宝に未練があるのでは? と、言われている。

 

 既に作戦はモモンガ自身が推挙した正面突破に決定しており、そのための強化魔法を掛けている最中であった。二人のドワーフ(ともう一人)は少しばかり渋ったが、逃亡第一の慎重な考えを伝えると了解してくれた。無論モモンガが正面突破を強く提案したのは、今後の名声を考えての事である。この作戦以外にも美談として語れる戦い方はあったかもしれないが、生憎思いつかなかったのだからしょうがない。

 

(しかし、ゲームによってはセーブポイントがありそうな場所だよな。この先にドラゴンがいるわけだし)

 

 思わず今の身長より――と言っても本来の身長もそれほどではないのだが、遥かに高い扉を見上げる。一体何のためにこんなデカい扉を作ったのか、ドワーフの身長は勿論、ライディング・リザードでも不必要なほど巨大な扉だった。ドワーフを思わせる人物に鉱石採掘の様子や、それによって作られる武器や装飾品が描かれている。まさにファンタジー映画に出てきそうな巨大扉だった。

 

(やっぱりドワーフの技術は素晴らしいな。戦闘しかできない身としてはこういった種族と仲良くするのがいいだろう)

 

 無論手塩にかけたナザリックと比べてはいけない、モモンガも含めギルドメンバー達も様々な苦労をしてあの煌びやかな美の地下大墳墓を作り上げたが、悲しいことにそれはデータであり今や失われた可能性が高い。百年以上も前の職人たちが手塩にかけて作った扉とは、色々と違うのだ。比較する類の物でもないだろう。

 

 ――自然と手を胸に当ててしまう。

 

 まだこの身がある。それにスタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンもある。完全に失われたわけではない。

 

「……強化魔法も掛け終えましたし、行きましょうか?」

「ハッ! いよいよですね」

「後ろで隠れておくつもりじゃし、いざとなったらワシのことは放っておいてくれて構わんからの」

 

 道案内では全く役に立てなかったからのぉ、とドワーフの老兵がぼやいているがモモンガとしては死なれては困るのだ。今後の関係の為にも是非生き残ってもらい、王都奪還という美談を広めてもらわねばならない。勿論二人ともう一人にも冷気や恐怖耐性魔法などを掛けてある。

 

「では扉を開けますよ」

「はい! ……っ」

 

 言葉と共に手を巨大な扉へ伸ばす。指が触れると同時に動き始め、思った通り重さの抵抗をそれほど感じずに開くことができた。本来のモモンガというキャラクターでも問題ないだろうが、やはりシャルティアのステータスが影響しているようで思わず苦笑いしてしまう。

 今までは魔法を主体とした戦闘方法だったのだが、その内本格的に近接戦闘の訓練をしてもいいかもしれない。これから決戦だというのにそんな緊張感のない事を考えながら扉をくぐると、中のドラゴン達と目が――

 

「どうしました?」

 

 開いた扉を片手で支えながら、なぜか固まっている後ろの三人へ声を掛けた。

 

「あ、い、いえ」

「す、すまん今通るわい」

「!…」

 

 三人が扉をくぐり終わると無造作に手を離す。背後から城中に響き渡る轟音を無視し、さきほど片手で開門させたと同時に目が合ったドラゴン達に改めて目を向ける。

 目につく中央の一頭、なぜか頭を垂れひれ伏し低い位置からこちらに目を向けている。頭には二本の白い角があり目は紅い。モモンガがイメージしていたドラゴンよりかなり細いが、白い羽がこのドラゴン達の中でも一回り大きい。他のドラゴン達も部位や全体の大きさはそれぞれ異なるが同じような姿だ。

 後ろの方に一頭だけ、周りのドラゴンと比べて太っているのがいたが。どことなく大きいドラゴンが白っぽく、小さなドラゴン達は青白い印象を受ける。

 

 ドラゴン達は二十頭ほどいるようだが、最初からその視線全てがモモンガに集中している。後からモモンガが招き入れたドワーフ達には目もくれずモモンガを注視していた。モモンガを実力者と見抜いたのか、その視線と目は合わず体に集中しているように思われた。

 

「ようこそいらっしゃいました。お客人」

 

 他のドラゴン達と違い最初からモモンガと目を合わせていた、中央の白いドラゴンが声を掛けてきた。位置取りからして実力者、もしくはリーダーなのだろう。その声は落ち着いており、こちらを推し量ろうとする慎重さがみられた。

 

「はじめまして、私はシャルティア・ブラッドフォールン・アインズ・ウール・ゴウン。故あってドワーフ族に味方する事となり、あなた方からこの城を取り返しに来ました」

「なるほど……クアゴアの軍勢を殺し尽くしたのもあなたなのですね」

「人聞きが悪いですね。少しは逃がしてあげましたよ」

 

 敵対しているせいか此方が名乗ったにもかかわらず、ドラゴンには名乗って貰えなかった。

 

(まぁこれから戦う事になりそうだし、名前なんて聞いてもしょうがないんだろうな)

 

「それで、話し合いでこの城を明け渡す気は――」

「おい! この小さいのに羽なんてない! そんな舐められた態度をとる必要はない」

 

 こちらの話の途中に割って入る声に少し苛立つ。視線を横にずらした斜め前の方向から、大きさはそれほど変わらないが大きな鋭い爪を持ったドラゴンがこちらへ進み出てきた。

 

「羽?」

「見ていろ! この場で私が殺す! こいつの衣装は私が貰う」

 

(あ、話を聞いてくれないタイプかな)

 

 元の世界の会社を思い出す。正直今と同じように話を聞いてもらえず、何を言っているのかわからない相手は少しはいた。運が悪いとそういった相手と話をしなければならないのが社会人の悲しい性なのだ。

 そして異なる世界でもそれは変わらないらしい、今がその時なのかもしれない。だが幸いなことにマシな相手だ、先に手を出すなら此方が手を出しても言い訳が立つのだから。

 

「止めなさいムンウィニア! あなたの早合点で全員を危険にするなんて」

「うるさいぞ! キーリストラン! お前の心配性には付き合いきれ――ん? なんだ貴様!?」

 

 怒鳴り散らしながらさらに前に出てきたドラゴン、ムンウィニアにモモンガの方からも歩み寄っていく。相手に白い手を向け、通じるかわからないが「かかってこい」と手を動かした。

 

「なっ! 舐めるなあああああああ」

 

 反応は瞬時に巨大な爪という形で返された。この場にいるドラゴン達の中でもひときわ大きな爪が迫る。

 

 迫りくる白い爪を無造作に手刀の形にした左手で迎え撃つ。衝突と同時にドラゴンの白い爪がバラバラに弾け飛び、鮮血が舞った。もちろんシャルティアの体には傷一つない、この体を傷つける相手をモモンガは許容できないだろう。

 

「んな! こんなッ」

「特に恨みはないのだけど……」

 

 ドラゴンスレイヤーの称号のため最低一匹は倒しておきたい。相手が喧嘩を売ってきたのならば、当然それに躊躇はない。お返しとばかりこちらもヴァンパイア種族の代表的な生体武器、右手の爪を振るう。

 結果は劇的だった。手刀で受け止め砕けた相手の爪と同じように、爪よりも遥かに巨大なその細長い体全てがバラバラに飛び散った。肉片が周囲の黒い床に舞い、周りにいた青白いドラゴンの皮膚を真っ赤に染め上げた。

 

 事が終わるとほかのドラゴン達に視線を向け「他にもいる?」と声を掛けると同時に、周囲のドラゴン達は床に体をこすり合わせるようにひれ伏し、震え始めた。どうやら思った以上に実力差があったらしい。

 この程度で名声が得られるのか、本当にドラゴンスレイヤーを名乗れるほどの戦果を挙げられたのか。あと何匹か殺しておいた方がいいんじゃないか? と思いながら、中央で先ほど以上に地に伏せ此方を見ようともせず震えているドラゴンに話しかける。

 

「確か……キーリストラン?」

「は、はい! キーリストラン=デンシュシュアと、申します!! む、ムンウィニアの無礼を――」

「別に無礼ではない。逆の立場であれば私もアレと同じことをしたかもしれない」

 

 ムンウィニアと呼ばれていた肉片は周囲に飛び散っていたため、とりあえず一番肉と血がある所を無造作に指さす。

 

「己の目で確認しなければわからない場合も多い。私もこの地に来たばかりであなた達、ドラゴンとの実力差はわからなかったのだけど……思った以上に弱い。今のアレがあなた達の中でも実力者だったの?」

 

 言外に「弱すぎる」と告げておく。一応こいつらはどうするか決めてはいないが、ハッキリさせておくに越したことはないだろう。

 

「は、はい!ムンウィニアは……お、夫であるオラサーダルクに敗れ、妃となりましたがその実力は私たちの中でも…」

「ん? 待て、夫がいるの? アレより強い?」

「ハ、はい!」

「それはどのドラゴン?」

 

 モモンガは周囲のドラゴンを見渡す。どのドラゴンも全て地にひれ伏していた。大きさで大人と判断したドラゴンも変わらず此方を見ようともせず震えている。もしこの中に、その夫がいれば情けない限りだが――

 

「い、いえ、私にとっても夫となり、部族の長であるオラサーダルク=ヘイリリアルは……先日あなた様の実力を見てしまい、それ以来部屋に引き籠って怯えておりまして……」

「……え?」

 

 聞かされたのは思った以上に情けなさそうな、引き籠り夫の存在だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ♦

 

 

 

 

 

 

 

 オラサーダルク=ヘイリリアル。

 

 

 彼にとって生きることは強くなる事。この世界を生き抜くためには強さが必要であり、強さを求めない者は生きていない者である。

 この世界に生きる者には珍しくない考え方。少なくとも大勢の集団である『社会』を形成しない種族にとって、安全な暮らしを手に入れるためには一定程度の強さは必要だった。尤も、通常ドラゴンという種族は巣立ってしまえば家族でも争い合うのが当たり前であり、二十頭程度とは言え集団という『強さ』を形成した彼は、ドラゴン族では珍しい部類に入るのだが。

 

 アゼルリシア山脈は広大な世界である。霜の竜(フロスト・ドラゴン)である彼は、生まれも育ちもアゼルリシア山脈であり巣立った後、他のドラゴン達と同じように過酷な自然淘汰の中で生きてきた。その結果行きついた考えが集団による強さと、それを従えることのできる己の強さだった。

 

 そうして家族を徐々に増やしていき、他の部族を滅ぼしていき勢力を拡大していった彼が霜の巨人(フロスト・ジャイアント)と敵対したのは、至極当たり前な成り行きだった。お互い冷気に関して似た特性を持つが故、ドラゴンにとっての切り札であるブレス攻撃も効かず、戦いは決め手に欠ける肉弾戦となる。そして負けそうになった場合巨人は霧状に姿を変え、ドラゴンは翼による機動力で逃亡する場合が多くなり、その結果縄張り争いに決着がつかないのが常であった。

 

 

 そして、あの夜。主張する縄張りをいつものように長である自身で見回りしていた時、今までの考えをゴミにする物を見てしまった。

 

 ――圧倒的な強さを。

 

 

 最初どこかの身の程知らずが霜の巨人(フロスト・ジャイアント)に襲われているのかと思った。

 羽を持っていた小さい生き物は、とんでもない速さで空を飛び、そして闇夜を一瞬で真っ赤に燃やし山脈を吹き飛ばした。

 

 ただ信じられなかった。そしてその光景が理解できなかった。どうやって住処の入り口へ戻ったのかも覚えていない。気が付けば叫びだし、今まで集めた財宝を搔き集め部屋に駆け込み、震えた。そしてあの光景を何度も思い出し、やっと理解してしまった。

 

 ――アレは次元が違う強さだ。自分ではどうあっても勝てない、戦うことすらできない存在なのだと。

 

 アレは一体なんなのか、そんなことはどうでもよかった。オラサーダルク=ヘイリリアルにとってあれは厄災なのだ。つまり過ぎ去るのを隠れて待つしかない存在。

 できる事と言えば扉越しに家族に特徴を伝え、絶対に手を出さないよう言い含めるくらい。それ以外はひたすら食事もせず隠れておくつもりだった。多少飲まず食わずでもドラゴンは衰えたりはしないのだから。

 

 

 そしてようやく自らのできる事をみつけ、落ち着きを取り戻しつつあった――

 

 

 

 

 

 

 

 

 ♦

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここに引き籠っているの?」

「は、はい。あの晩帰ってきてから一切外に出ず、部屋の中で叫んでいました。最初は意味が解りませんでしたが、あなた様の事かと……」

 

 まさか自分の行いでニートを生み出すことになるとは、ある意味今までの人生で一番罪悪感を感じてしまう。

 

 場所はドワーフの元王城一室、その手前の豪華な装飾が施された扉の前。装飾や部屋の位置取りを見る限り王城だった頃は、さぞかし地位の高い人物の部屋だったことは見て取れる。

 

 キーリストランに事情を聴いた後、とりあえず話をするために会いに行くことにした。とは言ったものの、彼の見た光景はドワーフに説明した事情と異なるため、どういった方法で口止めするか考えながらであったが。

 

 そのためドワーフの三人には残ってもらっている。当然降伏したとはいえドラゴン達がいる不安もあったため、新しく要塞創造(クリエイト・フォートレス)で作った要塞の中で待機してもらうことにした。ドラゴン達の実力がわかった今、あの要塞を破壊する事は不可能なのだから。

 

「この扉壊していい?」

「え!? あ! も、もちろんです。オラサーダルクはこの城を壊さないようにと、私たちに日々言っておりました。ですが、あなた様のすることに文句などあるはずありません」

 

 どうにも、というかかなり恐れられているのがわかった。とはいえ恐怖が忠誠心に繋がるならば、ドラゴンを飼ってもいいかもしれない。ドワーフは帝国と小規模ではあるが貿易をしているらしい。帝国でドワーフ国の物品がどの程度価値があるのかはわからないが、例えばドラゴンを使っての空輸輸送などは手段の一つとして重宝されるかもしれない。

 

 そもそも過去にドラゴンを倒したという称号よりも、二十頭近いドラゴンを使役できる者の方がインパクトがあるのではないか。それにドラゴンの弱さは兎も角、飛べることと大きな体は何かに使えるかもしれない。

 

「あなたは戻ってくれる? 話をするだけだから」

「はい! そ、それでは失礼します」

 

 大きな長い体を蛇のように階段へ滑り込ませ、そそくさとこの場から離れていく。一応夫の危機だと思うのだが、随分と薄情に見える。とはいえ、一応はドラゴンをまとめて飼う気になりつつあるモモンガにとって、長であるドラゴンが従順であればそのまま従える方がいい。一番心配なのはドワーフとの関係だが、逆に言えばそこがクリア出来れば後はどうとでもなる。

 

(とりあえず壊すか)

 

 やるべき事をまとめ終えた後、視線を目の前の扉に移す。少々壊すのがもったいないが、そもそも扉を含め城全体の老朽化が激しいのだ。扉一つ余計に壊しても誰が怒るわけでもないので、さっさと用件を済ますことにする。

 

 手に軽く力を籠め扉に振り下ろした。

 

「な! なんぎゃあああああああ」

 

 轟音を響かせ吹き飛んだ扉が、内部でさらに固いものに命中したらしい。鈍い音が響く中、長年積もった埃の舞う部屋に入る。想像していた通り埃と汚れで隠れてはいるが豪華な装飾が目につく部屋だった。そしてその部屋の半分を埋める大きな体のドラゴン。

 

「あなたが、オラサーダルク=ヘイリリアル?」

「な!? なんだ! きさまぁ!」

 

 部屋の奥の黄金の山を背にして守るように此方を睨みつけてきた。どうやら先ほどの扉は頭に命中したらしく少し欠片が刺さっている。扉の方は流石にドラゴンの皮膚には耐えられなかったらしく、隅でバラバラになっていた。

 

「私はシャルティア・ブラッドフォールン・アイン――」

「おぉ! なんだその身に纏う衣装は!」

 

 名乗りの途中で興奮したよな鼻息に遮られる。全くこちらの話を聞いてない。そしてアインズ・ウール・ゴウンを名乗る途中ということに、初対面とはいえ少しばかり不快感を覚える。

 どうやらシャルティアの装備品に興味深々の様だ。思えば他のドラゴン達が最初に体に注目していたのは、実はこのドラゴンと同じく服や装備を凝視していただけかもしれない。

 黄金や貴重品を集めるのが種族的特徴と、ドワーフから聞いた覚えがある。シャルティアの装備品の多くは伝説級止まりだが、この世界ではどれほどの価値があるのか。今のようにドラゴンが反応するほどの価値なら、ある意味気を付けなければならない。

 

 それはともかく、ペット扱いで飼うにしても躾は大切なことだ。餡ころもっちもちさんも言っていた。「命を飼うのは遊びじゃないんだよ」と。

 

「……とりあえず、上下関係はハッキリさせとこうか? ……絶望のオーラII(恐慌)

「!? ぎ、っがああああああああああああああああああああ」

 

 劇的な光景だった。モモンガに顔に近づけてきた先ほどの光景と逆に、背後に飛び逃げるように飛びあがって行った。尤も部屋の入り口はモモンガの入ってきた一つしかなく、壁に強かに打ち付けていたが。壁は思いのほか頑丈に作られていたようで、完全に破壊されずひび割れ程度で済んでいた。何度も耐えられるものでもなさそうであったが。

 

(というか問題なく絶望のオーラも効いているな)

 

 当初ドラゴン達に使おうと思っていた絶望のオーラだが、思ったよりあっさりドラゴン達が降伏したため使わずにいたものだ。当初は念のためV(即死)を使おうかと思っていたのだが、II(恐慌)程度でも十分有効であればそれに越したことはない。そういった意味では、ムンウィニアというドラゴンの横やりには感謝してもいいかもしれない。

 

「や、やめええてくれえ! 殺さないで!!!」

「遠目だったからわからないのかな? あの夜、霜の巨人(フロスト・ジャイアント)と戦って……いや、実験かな? していた私を」

「んあ!? あ、お、お前があ!っグギャ」

 

 とりあえず先ほど名乗りを遮られた分と合わせて殴っておく。犬と違って喋れるのであれば口の利き方も直させなければならない。

 

 少し面倒だが、躾とはそういうものなんだろう。多分。きっと。

 

「悪いけど、ペットは飼ったことがないから。加減はわからないけど恐慌が自然回復するまでとりあえず殴るね、練習にもなるし」

「や、やめゴボッ」

 

 石壁(ウォール・オブ・ストーン)で周りに壁を造りながら数回殴り続ける。一応軽めに殴っているつもりだが早くも顔の形が変わってきていた。ぶつかり続ける石壁(ウォール・オブ・ストーン)が傷一つない程度の力加減なのだが。




オラサーダルクの過去回想は、作者の補完や捏造もあるかと思います。
リアルニートやペットにこんなことしてはいけないよ。


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『ドラゴンのしつけ方 恩義の売り方 クアゴアの罰し方』

注意:残酷な躾描写があります


生命力持続回復(リジェネレート)

 

 モモンガ自身にとってはあっという間の時間だったが、オラサーダルク=ヘイリリアルにとってはどうだっただろうか。途中で気絶する度に生命力持続回復(リジェネレート)を掛け、小休止を挟んでまた殴るの単純な繰り返しだったので意外と楽だったかもしれない。一応これで躾は終わりのつもりなのだが、逆に反抗的になってしまった場合どうすればいいのだろうか。

 始める前に告げたとおりモモンガにペットの躾方はわからないのだ。これで駄目だった場合は面倒だが、他の方法を考えなければならない。

 

(別の躾方か……麻痺させた後スポイトランスで何度も串刺しにするとか、朱の新星(ヴァーミリオンノヴァ)負の爆裂(ネガティブバースト)で殺して真なる蘇生(トゥルー・リザレクション)を繰り返すとかかな?)

 

 持続回復によって徐々に傷が塞がりながらも、全く動かない当人を前にして考える。後者はレベルダウンのリスクが考えられるため、できればやりたくない。そもそもここまでして駄目だったのなら、家族への遺言でも聞いてあげた方が手間が掛からないのではないか。あのドラゴン達の中ではキーリストランが一応の代表を務めていたようだし、そのまま揃ってモモンガの配下兼ペットになってくれそうだ。

 

「…ぐう、っゲポ!」

 

 少しばかり考えを整理していると、口から固まった血を吐き出しながら首を持ち上げ始めた。生命力持続回復(リジェネレート)の効果が弱いのか、それともただ貧弱なだけなのか、此方を見る目の焦点が合わず頭もふらふらしている。

 

「目が覚めたかしら?」

「!?!?!??!?!?!??!」

 

 声を掛けたとたん途端に細い眼を見開き石壁(ウォール・オブ・ストーン)にぶつかり、巨体を壁に擦りつけながら遠ざかろうとする姿が情けなく見える。恐怖の対象として見られるのは別に構わないのだが、他の逃げ方があるのではないのだろうか。無論完全に石壁(ウォール・オブ・ストーン)で囲い込み、外にも爆撃地雷(エクスプロードマイン)などの罠を張って対策済みなのだが。

 

「……死にたくない?」

「っは?! …は、ひゃい!」

「……なら、何をすべきかはわかる?」

「は、はい!」

 

 部屋の隅に駆け込み何やら作業をし始めた。てっきり他のドラゴンと同じように、ガタガタ震えながらひれ伏すと思い込んでいたので興味が惹かれるが――

 

「別に黄金はいらないのだけど」

「で、ですが! 私があなた様に差し出せる物などこの城と黄金くらいかと」

 

 ガタガタ震えながら体全てを使って黄金を搔き集め始めたドラゴンに声を掛ける。同時に相手の反応から一つの可能性が浮かんだ。このドラゴン、よくよく考えれば先程まで部屋に閉じこもっていたのだ。事前の知識が違えば他のドラゴンとの反応の差異も頷ける。

 状況を説明しなければならないと考え、小休止中に呼び出した椅子に腰掛けながら確認することにした。

 

「ひょっとして、私がドワーフの協力者だと知らない?」

「ど、ドワーフ!? あのような下等な(・・・)者達にあなた様がッ――」

火球(ファイヤーボール)

 

 自身程ではないが、流石に協力者に対する暴言も無視できない。今後は配下にしたドラゴンを誰かに紹介することもあるかもしれないのだ。配下の無礼はモモンガ自身の株を落とす、それくらいは元社会人であるモモンガにもわかるのだから。

 

 躾のための手頃な魔法が指先に炎を膨れ上がらせる。瞬時にシャルティアの体よりも巨大な火球(ファイヤーボール)が飛び出し、ドラゴンの尾を吹き飛ばした。

 

「あ、火球(ファイヤーボール)も威力上がってるな」

 

 聞き飽き始めたドラゴンの悶え苦しむ絶叫を前に(さて、いまいち頼りないこのドラゴンにどう説明したものか……)と考えに沈み始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 ♦

 

 

 

 

 

 

 

 

「つ、つまりあなた様はドワーフに味方したためこの城を……」

「そう。あなたは拒否してもいいのよ。但し」

 

 そっと指を突き付けると、既にひれ伏していた体を震わせさらに地面に擦り始めた。床にひびが入ったが、これ以上は流石に面倒なので見逃しておく。

 

「それと、そこにある黄金はどうやって集めたのかしら?」

 

 そのまま指を横にずらし問いかける。流石にナザリックの宝物殿に比べれば雀の涙以下であるが、この世界に来て間もないモモンガでも相当な量の財宝や鉱石だとわかる。

 

「こ、この城や他のドワーフの都市で私が見つけた物と後は……クアゴアに献上させた鉱物などですが……」

「なら鉱物以外は全部ドワーフに返す事」

「なっ…そんな! 巨人共から奪った物なども――」

「賠償金か無断占拠費用? みたいな物かしら。あなたにこの城や外の建物を直せるなら話は別だけど?」

 

 窓の外を見る。王都の中心部に建てられた王城なだけあって城下町だった場所が一望できる、だがその姿は言葉通りの華やかな印象とは真逆、見渡せる建造物は廃墟に近い。クアゴア氏族が住居などに使っており、最低限の整備はされているようだがフェオ・ジュラより劣化が激しい。

 

「うぅ……わかりました」

「鉱石は見逃すのだし、また集めればいいのではないかしら」

「あ!? 集めてもいいんですか!」

 

 見るからに気落ちしていた態度が一気に回復したようだ。姿勢は先ほどと変わらず地面に伏した状態だが、見開いた眼でこちらを見つめて来る。どうやらドラゴンの感情は表情よりも、目を見た方が分かりやすいらしい。

 

「配下の者同士で争いごとは禁止、ドワーフのような友好的種族からの搾取も禁止……今のところこれくらいか」

 

 そういえば配下にした際のルールもろくに決めていなかった。部下などせいぜい新人教育の時くらいだったため。少々不味い。

 

「わかりました! 下等なクアゴアや巨人共から奪えば良いのですね!?」

 

 その返答に思わず頭に白い手を当て、天を仰ぎそうになる。

 

 ――本当に不味いかもしれない。このドラゴンの思考は、後々ホウレンソウ無しで暴走しかねない。

 

「……言い方を変えましょう。私が敵と認めた者以外からの略奪、及び搾取は禁止。拾ってくる場合も持ち主がいないか、名前が書いてないか確認する事。それと――」

 

 残念ながらクアゴアも霜の巨人(フロスト・ジャイアント)も、略奪の対象になる事はない。

 

「アゼルリシア山脈の主だった種族は、全て私の配下にするつもりだから。この山ではあまりそういったことは出来ないかもね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(ドラゴンって吸血による眷属化の対象になるのかな?)

 

 話を終えた後、後ろにオラサーダルクを従えながら城内を歩く。配下にしたのだから頭にでも乗ろうかと少し考えたのだが、城内では狭い通路も在るため諦めた。配下の頭に乗って自らの頭を壁にぶつけるなど、情けなさすぎる。

 

(でもこれまで全く吸血衝動とかないんだよなぁ)

 

 それよりも考えているのは自らの体の事。吸血鬼で真祖(トゥルーヴァンパイア)であるシャルティアの体になったのだから、その辺りを転移当初から一応は気にしていたのだが。

 

(殴ってるときも血の狂乱は発動しなかったし……心配しなくていいのか、発動していないだけなのか)

 

 少なくとも鈴木悟としては、血を吸うなんて勘弁して頂きたい。設定は大事にしたいが喋り方や性癖を筆頭に、吸血行為も無理だろう。これまで会った種族の血を見る機会が何度も遭ったにもかかわらず、不味そうにしか見えなかったのは幸いだ。

 

(とりあえずこの心配も先延ばしだな、現状問題ないし)

 

 如何しようも無い事から思考を切り替えながらドラゴン達の下へ戻る。()()()()()()()()()()特別な変化はなく、平伏する向きが変わったくらいだ。オラサーダルクに顎で合図をし、長として説明をさせることにする。

 

 

 その間に震えるドラゴン達の間を抜け、宝物殿の扉に佇みモモンガを見つめる人物に歩み寄る。足音をたて近くを通るたびに、周囲のドラゴンの震えが増している気がしたが、そんなことはどうでもいい。

 王都奪還がほぼ解決した今、モモンガの興味は旅の当初からの疑問、目の前の人物ゴンドに戻る。四人で行動していた道中なら兎も角、今ここで不可視のマントを被り一人佇ずんでいるのは、モモンガを待っていたのかもしれない。

 

「……ゴンド、あなたにも砦で待っているように言ったつもりだったのだけれど?」

「あー、嬢ちゃんにはわしが見えておると思わんかったのでな、って言い訳は無理かの?」

 

 無理だろう。不可視状態だったゴンドも飛行魔法や強化魔法の対象にしてきたのだ、ゴンド自身もそれは分かっているはずだ。

 

「しかし本当にドラゴンを全部従えてしまったんじゃの……」

 

 モモンガ――シャルティアの背後を覗き込むように見据え、感心するような声。

子供のように心底驚いているような、喜んでいるような好意的な反応だ。

 

「まぁアレで何かの役に立つかもしれないし、例えばドワーフ国と帝国間の空輸貿易とかね」

「なんと!? ……そんな発想ができるとは、流石シャルティア様じゃ」

「別に最初の『シャルティア嬢ちゃん』って呼び方でもいいのだけど。それで、無理矢理ついて来た理由はそんなに言いにくい事なの?」

「う、うぐぅ」

 

 ドラゴンを従えたことに本当に驚いての言葉だろうが、話を逸らすには少々無理がある。なぜ彼一人不可視化状態で砦からこの場に戻っているのか。そもそも命を懸けて無理矢理ついてきたのだ。(モモンガが運んだのはこの際置いておく)危険というリスクを冒す行動にはそれ相応の理由がなくてはならない。この場で思い付く事と言えば――

 

「ひょっとして泥棒するために、私についてきたとか?」

 

 顎に手を置きながらゴンドの背後にある入り口に目を移す。入ってきた扉程ではないがなかなかに大きく、そしてそれ以上に華美な装飾がされた扉だ。モモンガの趣味からやや外れるが、宝物殿の扉と言われれば納得してしまう豪華さがあった。

 

 しかしゴンドという人物は、命の恩人を窃盗に利用する事はしないだろう。短い付き合いだがそれくらいの信頼はしていた。

 

「は、半分いや、多少そういったことになるかもしれんのじゃが……」

「え……そう、なの?」

 

 意外過ぎる返答に、思わず目を見開き息を呑んでしまう。人を見る目に自信などないが、ゴンドは義理堅い人物と思い込んでいただけに、驚きのあまり感情の鎮静化も遅れてしまった。

 

「……流石にそれは駄目なんじゃ」

「あぁ! いや、違うんじゃッ! この宝物殿にはな、わしの父の作ったルーン武具や技術書があって、それをなんとか手に入れたいんじゃ! ルーン研究のために!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……そうなると最初に会った調査団にいたのも?」

「うむ、そもそも嬢ちゃんに最初助けて貰った調査団に志願したのも、研究費用のための報酬目当での。文字通り命がけじゃったから報酬も相応だったんじゃ」

 

 ドラゴン達に待機を命じた後、しばらく歩きながらルーンの説明を聞き終え、総司令官達ドワーフを待機させている砦まで来ていた。話しながらも技術の衰退について度々落ち込むゴンドだったが、ルーン技術については聞き終えている。

 

 ユグドラシルの規格とほぼ同じだったドワーフのルーン技術だが、残念ながらモモンガが聞きたかったプレイヤーに繋がる話は得られなかった。一番聞きたかったそもそものルーン技術の開発者はわからない。だが歴史にも関わる本格的な調査はドワーフの国に戻ってから調べればいい。今はこの元王都で出来る事をしなくては、例えば――

 

「ねぇゴンド、あの宝物庫にルーンの技術書があるのは間違いないの?」

「流石に二百年前放棄されたからハッキリとはわからん。だが今見た限り扉が動かされた形跡はないし、周りも壊されておらんかった。ドラゴン達もお手上げだったんじゃろう」

 

 ドワーフの技術も捨てたもんじゃないのぉ、と朗らかに笑うゴンド。確かに二百年もの間宝を守り続けた技術は素晴らしい。モモンガのようなプレイヤーにかかれば破壊など造作もないと思うが。

 

(ただ開けるのは無理かな……あぁ~開錠系のアイテムさえあればなぁ~……おっといけない)

 

 慌てて首を振る、また悲しみの海に沈んではややこしい事になる。今できない方法を考えてもしょうがないのだ。今できる事を考えてこそ建設的な明日があるのだから。とりあえずルーン技術については、プレイヤーの手掛かりになるかもしれないので引き続き調査をしたい。さしあたって見てみたいのは歴史書とルーン技術書ではあるが、残念ながらドワーフの使う文字は読めないが方法はある。

 

「ルーンの技術書だけど、私も見てみたいから。この王都が解放された時一緒に見せてもらえるように頼んでみようか?」

「……は、い? いいのか? そんな事を」

「えぇ、流石に過去に献上した武具は無理だと思うけど」

「あ、いや。ありがたい申し出じゃが、もう嬢ちゃんへの恩は返せる限度を超えてしまいそうなんじゃが」

「いいのですよ、ただ私は読めないと思うので……」

「何じゃそんな事! わかっておる、わしの持てる知識を全て使って解説してやるわい。そうじゃ! 酒におぼれとるルーン工匠にも声を掛けとかんとな」

 

 聞けば他のルーン工匠はみな諦めているらしい。ゴンドは意地でも父や祖父の実績と名を残そうと奮励しているようだが、彼には才能がないらしく全く研究が進んでいないそうだ。正直モモンガにとって、プレイヤーが関わっているかの確認以外はどうでもいいのだが、向こうが恩に感じてくれるならそれに越したことはないだろう。

 

「ところで技術書って見せてもらうだけじゃなく、貰う事ってできる? 貰えたらそのままゴンドにあげるけど」

「な!?」

「一応廃れた技術なんでしょう? 摂政会としても惜しくないんじゃない?」

「……確かにそうかもしれん、ましてや嬢ちゃんは今や国とっての英雄じゃから無視はできんし」

 

 ここで鍵になるのは出発前にドワーフと交わした覚書だろう。正式な契約書ではない旨も書かれているし、作戦の結果次第では上乗せも明記されている。言わばお互いに『おおよそこれ位にしましょうね』と、くぎを刺した形になる。そのおおよその範囲にルーン技術書は含まれるのであろうか。アッサリ頷いてくれれば良し、交渉となると無理は出来ないが。

 

(まぁルーンについてはここでの仕事を終わらせてからだな。もうドラゴンは済んだし、後は……)

 

 総司令官達を待たせている砦の前から、遠方に見える城下町――そこにあるクアゴア達が集まった大きな建物を見据えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうか、来たか」

「はいっ! 今此方に案内させています」

「何人いるのだ?」

「それが、たった一人です……」

「ほう? ドラゴンはいないのか?」

「はい……まさかドラゴン共は全て殺されたんじゃ」

「流石にそれは考えられん、ドラゴンだぞ! 空を飛べるのだ、全滅などそう簡単にはいかん」

 

 氏族王ペ・リユロは頭をフル回転させて考えていた。聞くところによると戦いの痕跡もなく淡々と此方に案内されているらしい。歓迎と併せて会談の要請も事前に伝えており、承諾の連絡も受けている。ドラゴン達がいた城の様子も見てくるよう部下に伝えているが、そちらはまだだ。とはいえ城に入り無傷で戻ってきたとなれば、そういうことなのだろう。

 

 相手はドラゴンより遥かに強い。信じられなかったがクアゴアの軍を、三度の呪文で一蹴したという報告は事実なのだろう。であれば、それ相応の対応をしなければならないという事だ。だが、元々最悪の事態を想定し準備してきたため問題はない。

 

「準備は整っているな?」

「はいっ! ドワーフ共と歓迎の宴の準備も滞りなく」

「そうか、では到着次第待たせることなくこの場に通すのだぞ」

「はいっ!」

 

 これでいいだろう。相手がドワーフ共に味方しているのは把握している。ヨオズの殺され方が少々気になるが、新しい支配者を迎え、勢力を増した後、支配者を倒せばいいのだ。種族全体の将来を考えれば、あのフロスト・ドラゴンより強い支配者の下に一時的とはいえ身を寄せるのは、逆に良い事なのかもしれない。

 

 ただ、できれば相手の正確な力を把握したい。ドラゴンと同じように支配に入った後、情報収集すればいいのだが、今回の支配者は未だ謎が多すぎる。正確な力は無理でも、せめて一端は今この時に目にしなければならない気がしていた。

 

「き、来ました!」

 

 その報告を聞き、慌てて自らの服を確認する。クアゴアで唯一氏族王が着る服だ。元々クアゴアという種族は毛皮に覆われているため服など着ない。王としての威厳と分かりやすさのために作ったものだ。ドワーフの捕虜に作らせた王冠も在ったが、念のため今は外している。

 次に周りを確認する。元々はドワーフどもの大きな住処のひとつだったらしい建物。掃除も終えており、なかなか頑丈でこの都市では城の次に大きい。下の階には身綺麗にさせたドワーフ達を置いており、そろそろ会っている頃だろう。部下には降伏と共に、ドワーフ達を解放する意思を事前に申し出るように伝えてある。

 

 ――完璧だ。

 

 これでこの最上階にある謁見の間まで通し、降伏勧告を受諾すれば一先ずクアゴア氏族の平穏は保たれる。鉱石や黄金を差し出すのも、強欲なドラゴンで慣れているため苦ではない。後は新しい支配者を騙しつつ、力を――

 

 

 

 

「あなたが、クアゴアの王?」

 

 聞き覚えのない突然の声が耳に届いた。部下の声ではない。今更自らを王かどうか確認するクアゴアの部下などいない。

 同時に嗅覚が独特の匂いを拾う。クアゴアでもドワーフでもない。土の匂いではなく、強いて言えば過去の戦場で散々嗅いできた血の匂いに近い。匂いのする方向――階段へ目を向けるとそれはいた。

 

「じゃあ、死のうか? メッセージは届いたのでしょう? 他のクアゴアが話してくれたよ」

 

 暗闇でも栄える光る鉱石のような毛を頭頂部に持ち、毛皮に覆われていない肌と黒い服を着た自らより小さい者がいた。

 

「……死?」

 

 途端に恐怖に襲われる。死ねという言葉にでない。その現れた存在に、なぜか自らより弱そうなドワーフでもない小さな存在に恐怖した。

 

「なっ! ……待って、お、お前たち!」

 

 恐怖に怯え小さい者から目をそらすと同時にドサリッと、周りから音がした。本能で音を追うと部下達が倒れていた。――気絶? いや、死んでいる?

 

 あり得ない、あの者はなにもしていない。今もあの場に留まって此方を見ているだけだ。

 

「へぇ~、お前だけ耐えられるんだ。勿体ないな」

 

 ただ此方を見ているだけだった瞳が、初めて興味を持った物に変わる。良い変化だと本能が告げるが――、だが恐怖は止まらない。近づいて来る足音がまるで死刑宣告のように、さらに恐怖を増していく。

 

「…な、なんで。私、を」

 

 ――殺すのか?

 

 最後まで言葉にならない。毛はとっくに逆立ち、体のあちこちから出血と共に体液が出始めた。

 

「うわ~、ギリギリまで耐えるとこうなるのか。汚いな~」

 

 これ以上近づかれては本当に死んでしまう。だが動けない、体全てが毛の一本まで動かせる気がしない。

 

「それで、なんで殺すか?」

 

 いつの間にか目の前まで恐怖が来ていた。興味は失せたのか、玉座から動けない王をなんでもない物のように見ている。

 今もガタガタと震えが止まらない。ひぅ、と声なのか息なのかわからない物が口から漏れ出る。

 

「赤いクアゴアで送ったメッセージ通り、私があなたの前に着いたから時間切れなの」

 

『私がお前の下にたどり着くまでが期限だ。それまでにお前の部族の一匹が私を奴隷にすると言った戯言の罪を謝罪するなら良し。慈悲を願わないのであれば、これがお前の運命だ』

 

 レッドクアゴア――ヨオズは、確かにそう言って自ら首を切り裂いた。だがそんな事で、たった一匹の部下の一言で自分は……。

 

 

「私自身はそれほど大した存在ではない、今もおまえと圧倒的な力の差を見せつけているが、その中身は平凡な物。私がこれからやる事成す事、全てが良い結果になるなんて思ってはいない。批判や侮辱も受けるだろうしそれは当然だと思う。

 

 ――だが私はね、自らのこの『体と名前』をとても大事にしている。エロいキャラだから欲情してしまうのはしょうがないか? でもね、奴隷とか物扱いとかそんな風に見られるのは我慢ならない。ペロロンチーノさんは異種〇物や奴隷物も守備範囲だったけど、私はいたってノーマルだし」

 

 

 何を言っているのかがわからないが、大事な物を汚した。それならばこの者の怒りもわかる、だがそれが自らにまで降りかかるのは、支配者の気まぐれという物なのかもしれない。

 

「お、おぉ……っく! ぉねがいがッ…!」

「お願いか、……聞こう」

 

 途端に恐怖が薄らいでいく、体は相変わらず動かない。だが、なんとか息を整えることはできた。口の中は体液と混りあった血の味がするが、喋ることは出来そうだった。

 

「お、お願ぃ、いたし……ます。クアゴアは、クアゴア族は! きっと……あなた様の…」

「なるほど、死を覚悟しながらも意思のある強い目ね。心配せずとも殺すクアゴアは、王であるお前で最後のつもりだよ。歯向かったら別だけれど」

「あ、あり……ありがとぅ、ご、ございます」

「……」

 

 静寂。あれほど死の恐怖を感じたばかりだが、目の前の恐怖にも何も感じない。何かしら考えているのか全く動かず此方を見ている。同族であればこの支配者の考えることが、少しでもわかるのだろうか。だとすれば死んだあとはデレの地ではなく、この支配者の同族に生まれ変わりたいものだ。そんな機会が存在すればだが。

 

「……お前の名前は?」

 

 最後に王として名乗らせてから死なせてくれるのだろうか。慈悲深い。先程まであれほど恐ろしかった存在なのに。

 

「ペ・リユロ」

「そう……先ほどの言葉は取り消します」

「なっ! そ、そんな……ぜ……」

 

 殺すクアゴアは自分で最後だと、確かにそう言った。体は確かにろくに動かないが、耳は完全にやられてはいない。クアゴア族をこれからも殺すという事。このような存在に殺し尽くされれば、最早クアゴアは文字通り根絶やしになるしかなくなる。

 

「どうか、慈悲を……私で最後に…」

「他のクアゴアと少し違うし、王だけあってレアね? ……リユロ、私に仕える気はある?」

「っ!?」

 

 一瞬なにを言われたのかがわからなかった。仕える?それは生き残れるということか。先ほどまで絶対だと思われていた死に、自らは沈んでいたはずなのに。

 

「どうなの?」

 

 クアゴア種族の小さい眼を見開き、声の主を見つめる。余計に目から血が噴き出したが構わない。残った全力でこの誘いに答えなければ、今まで声高々に氏族王ペ・リユロとして名乗ってきた自らの半生が否定されるような気がした。

 

「あなた様が……許してくださるのであれば」

「そう、生命力持続回復(リジェネレート)

 




みなさんは血を見て不味そうって考えますか?普通痛そうとかですよね? あ…察し

クアゴア族の扱いは今後特に影響はない予定なので、少々ぞんざいになってしまいました(反省)1章からどんどん帝国メインになるのである意味ドワーフもほぼこの章以外は……


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【工事中】1章 拾ってしまったら責任をもって最後まで面倒を見ましょう
『帝国とドワーフ』


序章を読んで頂いた方へ
 当作は捏造設定タグを初期からつけておりますが、今読むと書き手である私自身「書き直したい…」箇所がこの1章含め結構あります。スイマセン、まとまった時間ができ次第書き直すと思います。
※シャルティアボディで普通に食事をしていますが、そこは捏造でお願いします。


「私に、客ですか?」

 

 はて? と思わず首を傾げる。転移して既に一ヶ月となりそろそろ帝国を訪れたいと考えてはいたが、少々思うことがあり躊躇っていた。なので来客と呼ばれるような知り合いは、未だいないはずである。

 

 場所はドワーフの現首都『フェオ・ジュラ』その貴賓室。

今ではすっかりモモンガ、もといシャルティア専用となった部屋。その扉越しにゴンドからの報告を聞きながら、モモンガは着替えを始めようとしていた。

 

「ヘジンマールもそこにいる? 今日の講義は午後にお願い」

「はい」

「あ~っと……取り込み中なら後でもいいんじゃが?」

「いえ、続けて。情報は早いに越したことはありません」

 

 むしろタイミングはいいくらいである。NPC設定によるプログラムの影響なのかは分からないが、何気ない歩行モーションから食事や礼儀作法まで体が勝手に動いてくれるのだ。その補助力はモモンガの意識次第であるが、ここ一ヶ月の間は常に全力介助してもらっている。

 元々下着から全てユグドラシルからの装備のため、ある程度身につければ後は服がジャストフィットしてくれるので楽ではある。当初は男だったプライドによりとてつもなく困惑したが、その感情も今では鎮静化し準備さえすれば後は体が動いてくれるのだからと、やや投げやりになっていた。

 

他人(シャルティア)の体なんだし、不潔にするのも申し訳ないじゃないか……設定を守っていると思えば紐パンツだって履いてやりますよ。ペロロンチーノさん……)

 

 投げやりというか半ば割り切ったやけくそな気持ちになりながら、アイテムボックスから着替えを取り出す。報告を聞きながらモモンガはいつも通り無心状態となり、一晩着ていたネグリジェに手を掛けた。

 

「それで? 客というのは何処の誰なの?」

「帝国からの冒険者での、銀糸鳥というチームじゃ。人間が四人と赤い猿のようなのが一匹」

「え……サル?」

 

 幸いネグリジェは胸の前を紐で結ぶタイプのため、胸が本物になった状態でもサイズに余裕があった。紐の長さがやや心許なくなるが。その短い紐を解いた瞬間、ぶるん、と、巨大な白い肉が揺れる。目に焼き付くほど白い乳房を包む下着は、ネグリジェと違いやや心許ない。小さな布から覗く乳輪は、薄いベビーピンクだ。

 

(こんなの見てもムラムラできないとか……あぁー、もう切り替えろ! 今重要なのはサルだ!)

「うむ、エンコウという種族だそうじゃ。ワシは初めて見たぞ」

 

 確か商人会議長の最初の帝国講義で聞いたことがある。帝国では国交のあるドワーフ以外の亜人種はもっぱら奴隷であり、闘技場や冒険者などで一定の活躍をした者は、市民権(のようなもの)を得られるらしい。確かその話の中で――

 

「あぁ、アダマンタイト級の冒険者の!」

「なんじゃ!? 知り合いだったのか?」

「いえ、商人会議長から聞いただけですよ。帝国では有名な冒険者だと」

「ほぉー、確かに強そうな連中ではあったの」

 

 ネグリジェをアイテムボックスにしまい込む。寝る必要もなく字の勉強がてら読書をしていただけなので、汚れてはいないだろう。客と名乗るからには此方に会いに来たということになる。さっさと着替えておくに越したことはない。

 

「それで、要件は?」

「それがじゃの、ワシと初めて会った調査団を覚えておるか? あれと同じ目的のようじゃ」

「……もしかして、私の行使した魔法による地震で帝国にも被害が?」

「ん? いや、そんな様子はなかったがの。流石に嬢ちゃんでもこの辺りから帝国にまで被害が出る魔法は……使ったのか?」

「国境さえ知らないのでなんとも」

 

 頭を通したボールガウンの首元から髪を出す。鏡の向こうでは足にまで届く銀髪が、帯状に広がりキラキラと輝いて見える。これにボレロカーディガンを被れば髪が勝手に纏まり、後はフィンガーレスグローブを腕に通せばほぼ終了だ。

 

(これは、かなり不味いんじゃないのか? もし帝国に被害があれば賠償金とか請求されるんじゃ?)

 

 ドワーフ国にも被害は出たが、モモンガが恩義を押し売りするような形で逆にプラスにする事が出来た。ドワーフも念願の王都を取り戻し、復興作業という嬉しい悲鳴を上げている。だが、帝国にもその方法が使えるかはわからない。

 

「それと総司令官からの伝言じゃ、『もし帝国があなたに危害を加えることがあれば、摂政会はあなたの立場を全力で保持する』とのことじゃ」

「……」

 

 有難い申し出ではある。ドワーフが後ろ盾になってくれるなら、仮に金銭的な問題になってもなんとかなるかもしれない。その場合は、借金をするハメになりそうではあるが。

 

(とりあえず、会ってみなければわからないか。部屋に籠っていてもしょうがない)

 

 鏡の前で腕を広げ身嗜みを確認する。全体的に黒い姿のため、埃などが付いていれば目立ってしまう。その分初対面の相手に与えるマイナスイメージは、重大なミスになりかねない。鏡の前で何度かクルクル回りながら確認を終え、そのままゴンド達が待つ扉へ歩き始める。

 

 相手は帝国でも有数の冒険者なのだ。『冒険者は国家の下につかない』という規約があるらしいが、依頼内容次第ではグレーゾーンとなりうる。商人会議長が言葉を濁しながらそれとなく説明してくれたが、権力者が治める社会の中で生きるのであれば当たり前であろう。

 国直属ではないとはいえ帝国でも有数の冒険者が、わざわざ調査のため一ヶ月近く掛けて来たのだ。それほどモモンガの使った魔法を重視しているのならまだいいのだが。

 

(何も裏がないといいなぁ)

 

 相手の依頼者次第ではそんな都合よくいかないだろうな、と考えながら扉のノブに手を掛けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おぉシャルティア様よ! どうじゃ? また飲み比べ勝負に付き合っちゃくれんか!?」

「馬鹿野郎ぉ! お前はこれからワシらと一緒に王都の復興作業じゃろうが」

「シャルティア様ぁ~、瓦礫除去作業のアンデッド、増やしてもらっていいかの?」

「えぇ、喜んで。百体ほどでいいですか?」

 

 貴賓室を出て冒険者たちがいる地表部の砦へ向かう。途中で幾人ものドワーフに声を掛けられたり会釈を受けた。半分近くが酒の誘いだったのは、ドワーフなりの友好的な態度なのだろう。ちなみに飲み比べに誘われるようになった切っ掛けは、王都奪還後の国を挙げての祝勝会。モモンガ自身も今の体で初めての飲酒であったが、いくら飲んでも泥酔状態にならず、酒好きな種族であるドワーフ屈指の大酒飲み達に連戦連勝したためだ。

 最後には摂政会の酒造長をも打ち破り、酒好きなドワーフ達には王都奪還以上の伝説となった、らしい。ちなみに飲んだ酒はどれも大味ではあったが、それはそれで鈴木悟の味覚には新鮮であり満足できた。

 

「すっかり人気者じゃの」

「えぇ、でもその理由が王都奪還じゃなくて酒豪のような気がするけど」

「わし自身は命の恩人やルーンの件があるが、他の者はそれもあるかもしれん」

「そういえばルーンの研究はどうなってるの?」

「王都復興でみな今は忙しいからの、じゃが嬢ちゃんの口添えで落ち着いたら研究室が貰えそうじゃ」

「そう……あ、商人会議長」

 

 此方をみつけた商人会議長が会釈しながら歩いて来る。どうやらモモンガ達と同じく地表部の砦へ向かうようだ。最近はモモンガが提案した帝国との空輸貿易案に喰い付き、その準備に追われていたようでろくに会えずにいたが。

 

「シャルティア様、おはようございます」

「おはようございます商人会議長、あなたも帝国からの冒険者に?」

「はい、私の役職は外務も兼務しておりますので」

「ふ~ん……ところで彼らの目的は何か聞いていますか?」

 

 ドワーフの中では帝国の文化にも詳しい商人会議長、彼なりの視点での情報が何かあるかもしれない。摂政会内のドワーフでもひと際長い顎鬚を撫でながらしばし考えた後――

 

「シャルティア様が使った魔法の調査だそうですが、それだけじゃないでしょうな」

「や、やっぱり?」

「その魔法を使った存在がどのような考えを持っているのか、それが一番知りたいのではないかと」

「考えですか?」

「えぇ、今でこそシャルティア様はこうして私達ドワーフと普通に話をしていますが、僅か一カ月で数多のドラゴンと巨人達を従え、アゼルリシア山脈を平定したそのお力は帝国軍といえど容易く打ち払うでしょう」

「確かに、帝国軍がドワーフの方々に伝え聞く程度であれば――」

「シャルティア嬢ちゃんなら余裕じゃろうな」

 

(でも平定したって言っていいのかなぁ、目に付く霜の巨人(フロスト・ジャイアント)や目立つ種族に喧嘩を売りに行っただけの気もするけど)

 

 今思えば後々にトラブルの種になりそうな種族に、片っ端から『死にたくなければ配下になれ』と、乗り込みまくった傍若無人な黒歴史と思えなくもない。

 

「そんな強大な魔法を使える存在が『話が通じる存在か』、それの確認かと思います」

「あぁ、なるほど」

「我々は王都を取り戻してくれたシャルティア様に……改めて言うのも何なのですが、全幅の信頼を持っております」

 

 そう言うと商人会議長は照れたように咳ばらいを一つ、改めて歩きながら髭を撫で始めた。考えるときの彼の癖なのかもしれない。

 

「『話の通じない力』は、力を持たない者から見れば恐怖でしかありませんからな」

「私としても、少なくとも帝国には『敵』として赴きたくありませんね」

「……我らとしてもクアゴアとの戦いで援軍を送らなかった帝国に、思うところがないわけではありません。ですが、シャルティア様のお陰で解決した今、帝国との空輸貿易は大きな可能性を抱いております」

 

 何処か熱の入った言葉だった。そういえば商人会議長という役職は交易が減った今肩身の狭い思いをしている、と酒の席で聞いた覚えがある。

 

「とは言え、ドラゴンによる空輸もシャルティア様のお力添えあっての事。摂政会を含めドワーフの希望としては、シャルティア様には帝国とも友好的な関係を築いて頂きたいです。仮に万が一敵対関係となった場合、勿論我らはシャルティア様の側に立たせていただきますが」

「それは……力のある方に付くということですか?」

「そう取っていただいても構いませんし、恩義を返すためと思っていただいても構いません。私も商人の端くれですからな、そうでなくても有利な方に付くのは当然の事でしょう?」

 

 ドワーフはみな髭にまみれた顔のため、一カ月経った今でも表情はあまり読めない。だがその声色は何処か此方を試すような、同時に信頼を寄せているように聞こえた。

 

(ここまで信頼を勝ち取ったんだし、できれば友達の友達は友達になりたくはある。勿論相手が敵対してきた場合は容赦はしないけど)

 

「あちらの態度にもよりますが、私自身も善処はしますよ?」

「それは良かった。少なくとも私が知る帝国は、シャルティア様の機嫌を損ねる程無知無謀ではありませんよ」

 

 あなたに飲み比べで勝負しようなどと言う、怖いもの知らずなドワーフは多いですが。などと微妙な発言を聞きながら、一行は肉眼で見えてきた砦へ歩を進めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……シャルティア様、発言をお許しくださいますか!?」

 

 場所は既に砦の廊下、先頭で客間に向かいながらここまで一切喋らなかったヘジンマールから声を掛けられ、何事かあったのかと少し警戒してしまう。ヘジンマールは鼻の先に掛けた小さな眼鏡を持ち上げつつ、敵意ではないが強い視線を向けてきた。

 

「ん?ヘジンマール何かあるの?」

「いえっ!そのシャルティア様のような身分の高い方(・・・・・・)が、供を連れているにも関わらずご自分で扉を開けるのは、相手に侮られる危険があります。ここは私かゴンドが扉を開けるのが筋ではないかと」

「あー……それか」

 

 モモンガが安易に考えた『シャルティア・ブラッドフォールン・アインズ・ウール・ゴウン』という名。五つの名前はこの地方では王族を表す。それを知ったのは十日以上前、丁度初めてヘジンマールの講義を受ける際に発覚した。

 

 

 

 

 

 

「そ、そのシャルティア様。しぃ、質問をしてもよろしいでしょうか!?」

「何かしら?」

「シャルティア様は何処の国の王族なのでしょうか?」

(……え?)

 

 ヘジンマールは知識派の珍しいドラゴンだ。伊達に百年ドワーフの書物を読み漁っておらず。判断力も悪くないと思われる。またドワーフの王に対する思い入れがなかったためか、シャルティアに対する疑問をすぐ口にしてきた。もっとも、おっかなびっくりな口調ではあったが。

 

 ちなみにこのやり取りの後、ドワーフ達の誤解を知ったモモンガは、貴賓室のベッドで頭を抱え眠らぬ夜を過ごすこととなる。そして翌日には開き直り『失敗したら逃げればいい』という決意の下、シャルティアの設定とは微妙に違う女王様プレイを決意していた。

 

 

 

 

 

 

「そういうことなら、ドラゴンであるヘジンマールが開ければいいんじゃないかの?相手と力の差を見せつける意味でもアリじゃろう?商人会議長殿」

「そうですな。聞くところによると兵士達が事前に伝えた、シャルティア様の魔法の件や王都奪還の話は半信半疑の様子だそうですし。シャルティア様に会いたいというのも念のためのようです。ここは荒療治で情報を教えて差し上げるのも一興かと思います」

「わかりました、では僭越ながら私が併せて宣言もさせて頂きます」

 

(え?宣言って?するの?)

 

 モモンガが今も進行中となってしまった黒歴史から意識を戻すと、気を利かせたヘジンマールが丁度扉に大きな手を掛けている所だった。そして、扉を開けると同時に――

 

「遥か北方の大陸よりドワーフの国に参られた、シャルティア・ブラッドフォールン・アインズ・ウール・ゴウン女王陛下の御成りである!」

 

 




私はホモではありませんが銀糸鳥の方が蒼の薔薇より好きなんですよね。
まぁ登場少ないし、人気投票でも二次界隈でも蒼の薔薇が優先されるのは当たり前なんですけど。


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『銀糸鳥』

「一体何なのだ、この報告は?」

「それが……中継員の話によれば、距離は前日とほぼ変わりないが

 兎に角聞き取りにくかった伝言(メッセージ)だった、という事でして……」

 

 バハルス帝国帝都アーウィンタール、現皇帝ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスが、日々忙しなく書類を処理する執務室。重要書類専用の封書から取り出した報告書を読み解くと同時に、部屋の持ち主たるジルクニフの眉間の皺が深くなる。

 

 王専用の机を挟み封書を手渡した相手は、帝国の誇る主席宮廷魔術師フールーダ・パラダイン

――その弟子であり帝国情報局の局長、伝言(メッセージ)による迅速な情報収集、その裏を取るための権限などを与えている者だ。優先度の高い情報によっては、軍や別の部署の協力を取れる権限まで有している。

 

 そして今回の報告は、帝国の行く末に強く影響するかもしれない案件であった。

一月程前にアゼルリシア山脈で見られた赤い空、その直後に観測された神話を思わせる魔法、もしくはアイテムの行使。その調査を依頼した銀糸鳥には、伝言(メッセージ)のための巻物(スクロール)を必要経費の名目で大量に持たせている。その量は往復二カ月と考えた場合、道中で行われる定時連絡に必要な数の三倍の量にもなる。

 

 どんな些細な情報でもいい、なにかあればすぐに連絡するようにとフールーダ直々の手渡しとなった。その事後報告を聞いたジルクニフは、王としての表情をとりつくのに苦労しながら、内心で盛大な溜息を吐くこととなったが。

 

 帝国で使われている伝言(メッセージ)は、それほど高度な物ではない。距離が離れると聞き取りにくくなるため、今回のような長距離での使用では複数人の中継局員がいる。魔法に限らずだが間に人を挟めば挟むほど、情報というものは信憑性は下がっていく。ガテンバーグの悲劇があってから伝言(メッセージ)は、裏取りを前提とした物となったが、今回は調査先が国外ということもあり時間がかかるだろう。

 

「聞き取れたのは『美女』『ドラゴン』、あとは『神話のような美しさ』……か」

「おそらく、最後の言い回しからしてリーダーのフレイヴァルツ殿と思われますが」

「同感だな。しかし聞き取れなかった、というのはいったいなんだ?

 伝言(メッセージ)阻害の魔法で妨害された可能性はあるのか?」

「その可能性もございますが。私としては内容からして使用者の精神が、興奮状態にあった可能性が高いと具申致します」

 

 ジルクニフは書類から目を離し思い出す。直々に会ったフレイヴァルツは、凛とした声を発する吟遊詩人(バード)の青年だ。アダマンタイト冒険者としての自信に溢れ、背中のリュート星の交響曲(スター・シンフォニー)を始めとした様々なマジックアイテムに身を包んでいた。

 メンバーの紹介を詩的にしたり、変わった二つ名をつけたり、癖のある人物だったが仕事に対して最善を尽くそうとする責任感はジルクニフも好む部分だ。

 

「その前のメッセージでは、間もなくドワーフ国に着くという内容だったな。今回も内容だけなら危機感は感じられん。人となりはわからないが、アダマンタイト級冒険者にふさわしい仕事の実績がある者だ。重要な定時連絡をお粗末にするとは思えん。やはり私としては何者かの妨害ではないかと思うのだが」

「かもしれません、ですが……」

「どちらにせよ憶測の域を出ないか」

 

 神妙に頷く臣下から再び目を離す。窓からは遥か遠方だが、雪で大部分が白くなったアゼルリシア山脈が見える。あの地にフールーダを別の意味で震え上がらせる存在が、今もいるかもしれないのだ。それに接した二つの国、その片翼を担う王としてできることは何でもしなければならない。

 

「ドワーフの国からの最寄りの都市、及び村全てに足の速い馬を複数用意しておけ。乗り手も軍から選りすぐりの者を一時的に引き抜いて構わん。エ・ランテルと併せてになるがよろしく頼むぞ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――ジルフニクが報告を聞く数刻前

 

 

 

 人間四人と亜人一人からなる銀糸鳥の面々は、ドワーフ国入り口である地上の砦に着いていた。

マジックアイテムの効果で凍死の心配こそなかったが、険しい山により一部のメンバーは疲労しており、ドワーフ兵たちの勧めで入国前に客間を間借りし休んでいる。

 

「――どう思いやす?リーダー」

 

 体を温めるための暖炉近くの壁際に佇み、少しばかり考え込んでいた丸刈りの小さな男が背中にリュートを背負った青年に話しかけた。男はチームの耳と目であり「暗雲」の二つ名を持つ、もといリーダーに付けられた『シカケニン』の職に就くケイラ・ノ・セーデシュテーン。そしてリュートを背負い、リュート以外にも様々なマジックアイテムを身につけた青年が『吟遊詩人(バード)』であり銀糸鳥のリーダーたるフレイヴァルツである。

 

「……俄かには信じられないな、ドラゴンを従えるなんて」

「しかもその数が大小二十頭ですからな。本当であれば拙僧は震えあがってしまいますよ」

「ウンケイもそうだよな。まったく、悪い冗談ですよ」

 

 客間の暖炉の前にある椅子に座りこみ、体力を回復させていた編み笠の男

『僧侶』のウンケイの同意を受け、小柄なセーデは手をヒラヒラさせる。

 

 ドワーフ兵達が話してくれた、人間の少女が王都を取り戻すまでの英雄譚。一月前に現れクアゴアの軍を壊滅させ、その後に王都を取り戻してくれたその少女の話題でドワーフの国は今もちきりらしい。巨大なドラゴンを一瞬でバラバラに切り飛ばし、腕力と魔法でもって他のドラゴン達を屈服させ、そして酒好きなドワーフ達を上回る酒豪っぷり。

 

 魔法は兎も角、腕力と酒豪を聞くにどんな怪物少女であろうかと、リーダーであるフレイヴァルツは困惑していた。そしてその少女は、外の大陸から仲間達を捜すため国を飛び出してきた女王様であるらしい。アダマンタイト級冒険者である吟遊詩人(バード)でも、こんな英雄譚は思い付かないだろう。せめて剛腕の王様なら子供たちに聞かせる内容だったかもしれない。

 

「ですがドワーフ達も与太話をしているようには見えませんでした。それに一月前って言えば――」

「あぁ、わかってるさポワポン。私たちの依頼にも関わる事かもしれない」

 

 雪山の行軍中も、そして今も上半身裸で窓際に立つ男『トーテムシャーマン』であるポワポンの真面目な台詞に、リーダーであるフレイヴァルツは頷く。

 

 一月前の深夜、アゼルリシア山脈上空で見られた赤い光。生憎と銀糸鳥は帝都から出払っており、見ることできなかったが数日後に帰ってきた際に聞く事が出来た。そして詳しい情報を集めようとした矢先に、皇帝ジルクニフから直々に情報提供を受け、これに関しての調査依頼を受ける事となった。

 

「ひとまず、ドワーフ国で早々に手掛かりを掴むことができた訳だが……」

「早速当たりだったんじゃないのね?」

「わかりませんな。とりあえず言われた通り、拙僧達は商人会議長なるドワーフの方を待つしかないかと考えますが」

「っちぇ!これで空振りだったら、まぁ~た雪ん中アテもなく歩き回ることに事になっちまいますぜ」

 

 そうなるだろう。一先ずその少女にも会えるように兵士にはお願いしたが、何せ彼らにとっては――英雄。どうなるかはわからないそうだが、アダマンタイト級冒険者であることと国からの依頼をちらつかせ、その少女と親しいドワーフを紹介してもらうこととなった。ドワーフの外見の違いはあまりわからないが、この国では一番少女と親しいドワーフらしい。

 

「入国したら少女と会いましょう。王都を取り戻したという話も含めて、調査をする。

 ドワーフの国での行動指針は、一先ずこの二つでいいでしょう」

「了解しやしたっ!もう真っ白になって先頭歩くのは嫌なんですがねぇ」

 

 セーデに限らずそれはみな同じだろうが、この場にいる全員共に本気で嫌がってなどいない。アダマンタイト級冒険者という矜持もそうだが、かのフールーダ・パラダイン直々に必ず情報を持ち帰ってくれと懇願されたのだ。

 

 一国を背負う大魔法詠唱者。英雄の領域を超えた逸脱者――生きる伝説に、いかにこの件が帝国の行く末に暗雲をもたらす危険性があるのか『エ・ランテルの件で動くことができない自分に代わって、帝国の将来を救う手助けをして欲しい』などと言われては帝国を拠点とする冒険者であれば、誰もが断ることは出来ないだろう。

 

「散々言いましたが確認です。目標と思われる人物に会った場合、どのような外見であっても決して油断など――」

 

 ――その時、ノックのなかった扉が勢いよく開き

 

「遥か北方の大陸よりドワーフの国に参られた、シャルティア・ブラッドフォールン・アインズ・ウール・ゴウン女王陛下の御成りである!」

 

 ――ブヨブヨした妙な生き物が、妙な宣言をしながら、さらに腹と思われる肉を弾ませながらノシノシと客間に入ってきた。

 

 




みなさんお気付きかと思いますが、フールーダは帝国のためでなく私情で銀糸鳥に念押ししています。


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『長い名前』

銀糸鳥メンバー

フレイヴァルツ
アダマンタイト級として自信に満ち溢れた銀糸鳥のリーダー『吟遊詩人(バード)

ケイラ・ノ・セーデシュテーン
「暗雲」の二つ名を持たされた 言葉遣いの悪いチームの目と耳『シカケニン』

ファン・ロングー
チーム唯一の亜人猿猴(エンコウ)語尾が「ね」かわいい『ビーストロード』

ウンケイ
チームの回復担当袈裟を着た編み笠でハゲ 一人称が拙僧『僧侶』

ポワポン
半裸の常識人『トーテムシャーマン』

たぶん忘れてる人も多そうなので、簡単な紹介を書いておきました。
参照は「オーバーロードwiki」様感謝


「な、なんだ!?お前は!」

 

 扉を勢いよく開け、盛大な足音を立てながら部屋に入ってきた言葉の通じる生き物に

銀糸鳥の面々は警戒感を強め、鋭く睨みつける。当然だが間借りしているとはいえ、部屋にズカズカ土足で入ってくる正体不明の生物に寛大でいられるほど、冒険者は平和ボケした者達ではない。

 

 まして彼らはその最高峰たるアダマンタイト級冒険者なのだ。

 

「私は女王陛下の……? 、私は女王陛下配下のドラゴン。ヘジンマールであ、……申します!」

 

 だが乱入してきた粗暴さとは一転、そのたどたどしい言葉と信じられない内容に、銀糸鳥は全員困惑する。

 

(ドラゴン?)

 

 本人たちでさえ確認できないが、図らずも全く同じ内心を重ねたのは

流石アダマンタイト級冒険者の結束力であろうか、もしくは相手が悪いのか。

 

 冒険者である彼らは当然この山脈の地に赴く前に、この辺り一帯に棲むモンスターや種族を調べていた。その中でも要注意な種族のひとつがフロスト・ドラゴン族。

 その細長い体から吐き出すドラゴンブレスは非常に強力で、独特な体の構造により高速で空を飛びながらの攻撃は非常に厄介だそうだ。実際に交戦したことはないが、その見た目の特徴から目撃したら逃げの一手と事前に示し合わせていた。

 

 その逃げるべきドラゴンが、今目の前にいる鼻にメガネを載せた肉塊なのか? それとも別種の地を這うドラゴンなのか? 歴戦であるはずの銀糸鳥の面々は、困惑から抜け出せずにいた。

 

 

 

 

 

 あまりに無反応な銀糸鳥の反応に慌てたのか、当のドラゴンが素早く背後を振り返る。

 

「ヘジンマール、彼らはドワーフ国の友好国である帝国から来たのだから。それに見合った対応をしなさい」

 

 その背後に話の分かる者がいることに、みな一様に安堵する。だが、ドラゴンとは似ても似つかない静かな足音をたてながら

前に進み出てきた少女を目にした瞬間、皆凍り付いたように動きを止めた。

 

「――皆さま、配下の者が大変失礼いたしました。私は『シャルティア・ブラッドフォールン・アインズ・ウール・ゴウン』。既にお聞きかと思いますが、今このドワーフの国にお世話になっている者です」

 

 スカートを摘まみ、帝国式の深い礼を見せる少女に絶句する。亜人と人間の容姿に対する美意識の差を感じさせる存在が現れたのだ。ドワーフ達やゴンドからは『キラキラした人間の嬢ちゃん』などと、曖昧に過ぎる言葉を伝え聞いていたのだから仕方なくはある。

 

 漆黒のドレスとリボンが礼と同時に軽く揺れ、身長に比して豊かすぎるほど豊かな胸が遅れて揺れ動く。暖炉の赤い火に照らされた艶やかな銀髪が舞い、周囲を照らしている気さえした。

 やがて顔を上げた真紅の大きな瞳が、リーダーであるフレイヴァルツを捉え真っ直ぐ見据える。

 

「あなたがリーダーのフレイヴァルツ様ですね? 冒険者銀糸鳥のお噂はドワーフの方々からお聞きしています」

「――、―――」

 

 人好きのするような笑顔。友好的な態度と言葉に何か返さねばならないのは、いつものフレイヴァルツであれば即座に理解し、それこそ相手の女性に即興で歌を詠むこともできただろう。だがその体は、頭の中から指の先まで石になったように動かなかった。

 

「……あの?」

「リーダー!」

「リーダー? どうしたのね?」

 

 その無反応ぶりに対面する少女は勿論、いち早く回復したウンケイと亜人であるが故、別の感情を抱いていたファン・ロングーが声を掛けるが全く反応がない。他の面々も、いつものリーダーらしからぬ異常に気づき始めた。

 

「えーっと……ちょっと失礼するのね?」

「え? あ、はい」

 

 赤毛の猿に似た亜人が一人、部屋の中を歩きだす。表情はわかりづらいが、笑顔で少女に手で下がるように促すと

 

「せーのっ!」

 

 その赤毛に覆われた頑強な手を、フレイヴァルツの赤くなった頬に叩きつけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ファン……やり過ぎです」

 

 衝撃で壁に叩きつけられながらも、ウンケイの気付けですぐに起き上がったフレイヴァルツが、不満気に睨みつけるとともに、開口一番にその態度通りの言葉をぶつけた。

 

「『自分が何かの状態異常になったら、殴ってでも目を覚まさせてくれ』って言ってたのはリーダーなのね。今のは麻痺とかじゃなかったのね?」

「なっ!?」

 

 慌ててシャルティアの方に顔を向け、此方を不思議そうに見つめる紅い瞳に魅了されそうになる。

 

「しっ失礼な事を言うな!」

「そうですぞファン、それに麻痺だったら殴っても治りませぬ。拙僧の出番ではござらんか」

「でもリーダーは治ってるし麻痺じゃないのね?だったらなんだったのね?」

 

 周りの面々を見回しながら首をひねる赤毛の亜人に、フレイヴァルツを除いた銀糸鳥の面々には苦笑いが浮かんだ。決まっている、仕事一辺倒だった我がリーダーに春が訪れたのだ。

 ただ相手の立場を考えると、悲恋と決まっているのが少し喜べないが。

 

「あぁ~ファンは知らなくていいですぞ、人間特有の反応でありましたゆえ」

「ていうかウンケイ、お前はあんまり驚いてなかったな?」

「仏神の教えのお陰ですな、何事も人の欲は程々がいいのであります」

 

 顔の前で両手を合わせながら静かに答える袈裟を身に纏った男。確かに彼に関して女の話は全く聞かない、宗教の類としても少し心配になるくらいだ。それでいて酒は嗜むのだから人の欲とは何なのか、彼の信仰する仏神に聞いてみたいものではある。

 

「それはそうとリーダー、もう大丈夫ですか?拙僧が代わってもよいのですが」

 

 寛大にも、未だに此方の様子を見守ってくれているシャルティアへ、申し訳なさそうな視線を向けながら、まだ赤面の収まっていないフレイヴァルツへ確認する。後衛のためか、彼はリーダー不在時の雑務をこなすことが多い。

 とはいえ硬直して醜態をさらした挙句、赤面して話し合いを丸投げするリーダーなど誰がリーダーと認めてくれるのか。二人ともそれは共通の認識だ、そしてこれから話をする相手も同じように思うかもしれない。

 

 

 無言で首を振るフレイヴァルツ、そこには既にいつもの銀糸鳥のリーダーがいた。

 

「大変失礼いたしました。シャルティア・ブラッドフォールン・アインズ・ウール・ゴウン様。ご存知の様ですが改めて、私たちは帝国から依頼を受けてまいりました、アダマンタイト級冒険者チーム『銀糸鳥』。私はチームのまとめ役であります、フレイヴァルツと申します」

 

 咳払いしつつ、改めてシャルティアに向き直る。自己紹介ではあるが、先の醜態により片足の膝を突き深く頭を下げながら、冒険者としてのいつもの挨拶に謝罪の言葉を交えていく。

 

「先程は見苦しいところを見せてしまい、申し訳ありませんでした。あなた様のこの世のものとは思えない美しさに、その、一瞬ですが我を忘れてしまいまして」

 

 後ろから「一瞬じゃなかったね、戦闘だったら死んでたね」などという声が聞こえるが、努めて無視しつつ相手の表情を伺う。

 最初は身長差によりやや上から見下ろす形だったが、今は逆に相手を見上げる形となる。醜態を散々晒したにも拘らず、当初の友好的な表情は微塵も崩れていない。思い違いでなければさらに増している気さえした。

 

 そして傍から見上げる事により、視界の端で魅力的な体のラインを観察することもできた。彼の名誉のために言えば、どうしても視界に入ってしまったのだが。

 

(スゴイ……腰も細いし。一体どうすればあんな……大きくなるんだ)

 

 身長に比してアンバランスな胸に、また僅かに赤面しそうになりながら

煩悩を頭の中で処理しつつ、全力で無表情を取り繕っていた。

 

 一方、シャルティアもといモモンガの胸中はというと――

 

 

 

 

 

(スゴイ……この人一回で名前を憶えてくれたよ……)

 

 この瞬間、モモンガは内心でフレイヴァルツに称賛を浴びせていた。いや、称賛という言葉では生ぬるいかもしれない。喝采や歓声に似た感情であろう、その分鎮静化も早かったが。

 

 我ながら長い名前を付けてしまい、もしかしたらこの先の話し合いでも支障をきたす恐れがあるため、ドワーフにも使っていた『呼びにくいでしょうからシャルティアで結構です』と、気軽に呼んでもらおう作戦が御破算となってしまったが、ある意味嬉しい誤算だ。

 勿論『呼びにくいでしょうから』という理由部分は外して、呼んでもらいやすい方向へ誘導するつもりではあるが。

 

 大切な名前を一回で淀みなく呼んでもらい、モモンガの中でフレイヴァルツに対する好感度ゲージがぐぐっと上がる。何やらチラチラ胸に視線を感じるが、そんなもの些細な問題だった。女性は胸の視線に敏感だというし、それに嫌悪感を覚えるのが普通だそうだが、シャルティアの設定からすれば視線くらい望むところである。

 

(っと、いけないいけない。この場合まずは、相手の謝罪を受け取らないとな)

 

 内心での喜びが消えていくのを感じながら、相手の謝罪に対する言葉をこれまでの社会経験と、ペロロンチーノから借り受けたゲームなどから探し当てる。

 

「とんでもありません。私の配下の者が無礼をした手前、そのようにおっしゃっていただきまして、かえって恐縮してしまいます。ここは帳消しという事にいたしませんか?」

 

 モモンガは精一杯の営業スマイルで答えた。




作品を知っている読者なら兎も角、何の知識もない人がこの名前1回で覚えられたらなかなか凄くないですか?

しかも醜態を建て直しながらスラスラ言ったぞ
社会人でもテンパって失敗した直後にこんな軌道修正できる気がしない
さすがアダマンタイト級冒険者ですわ。(モモンガさんの好感度上昇大)

追記.高い地位の人達を相手にする商売人や冒険者には必須スキルなのかもしれません
とはいえ帝国にもまだ行ってないモモンガさんなので、その辺の事は知らないと思うちゃんと覚えてくれてうれしい(チョロイ


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『賠償金』

読者の方々には双方の事情説明などは出来ていると思うので、自己紹介含めてカットします
話進まないからねゴメンね。


「失礼します、ただいま戻りました」

 

 和やかな雑談の場に、フレイヴァルツの凛とした声が響く。時刻は既に昼を過ぎ

彼がいない間に遅めの昼食が四席分用意されていた。メニューは簡単なキノコの前菜と、

一月の間に見慣れてしまったヌークのステーキ。

 

 ヌークとは、アゼルリシア山脈に広く生息する魔獣で、その巨体ながら少量の苔で生きていける事により必然的に山脈の生態ピラミッドを支える役割を担っている。

 ドワーフの食事においても例外ではなく、メインどころかほぼ主食の座を長年争う存在だ。

そして争っている相手が『酒』なのは、ドワーフ族の食事事情を表しているとも言える。

 

 見慣れたという点は兎も角、やや簡素であるが砦の食事としては上等である。おそらく初めて見るであろう銀糸鳥の面々にとって、漂う香りは食欲を掻き立てる物だろう。モモンガとしては『朝昼晩、毎回酒が出てくるのは健康的にどうなんだろうか?』――などと思ってしまうのだが。

 

「さ、先に食べて頂いてもよかったのですが」

 

 人族にもドワーフにも使えるよう設置されたソファーに近づき、机に用意されていた

食事を目にした瞬間、凛とした声は陰に潜みフレイヴァルツはやや慌てた声を出していた。

 

(社交辞令かな?連絡のために席を外した人を待たないわけにはいかないよ)

「シャルティア様がお待ちになると仰いますからな」

 

 おそらくシャルティアに向けて言ったであろう言葉に答えたのは

共に部屋に残っていた商人会議長。

 

「それよりリーダー、伝言(メッセージ)は無事に使えたのでありますか?」

「……あぁ、だが次からはウンケイに頼みたいんだが」

「しょうがありませぬな」

 

 頷きながらも、どこか諦めのような生暖かい眼をリーダーであるフレイヴァルツに向けるのは、僧侶ウンケイ。現状砦の客間に残ったのはこの四人だけとなっていた。

 

 あれから友好的に自己紹介を終えた後、お互いの上役ですり合わせと

今後の話をした方が良いだろう、という事になり面倒な話し合いをリーダーとウンケイに押し付けた銀糸鳥の面々が、意気揚々と先に入国しその案内をゴンドとヘジンマールが任された形だ。

 

 なおヘジンマールは失礼な挨拶を行った罰としてタクシー役を兼務するよう

命じられたものの、利用者は怖いもの知らずなファン・ロングーだけで他のメンバーは辞退となっていた。

 

 

 事前にドワーフの兵士に聞いていたことを、改めてシャルティア自身と商人会議長から

聞いた二人は驚きと同時に戸惑ったものの、後でドラゴンも従事している復興作業を見学させることを約束して、一応の納得をしてもらった。なにより先に入国していった他のメンバーが目にするだろう。

 

 ――ヘジンマールもドラゴンなのだが、あの見てくれでは納得できないらしい。

 

 

 シャルティアの設定や魔法については、摂政会に説明した内容と完全に同じことを話してある。

 その中で特に帝国首都からも見えた赤い空を作り出した魔法については、証明のためにもできれば使用して欲しいと依頼されたが、山脈内で使うとドワーフの国へまた被害が出る危険が高いので断った。

 

 ただおそらく帝国へ行けば依頼主(商人会議長が言うにはおそらく皇帝)に

魔法の使用を懇願されるのは確実だそうだ。調査依頼なのだから当たり前なのだが

正直モモンガにとっては国の面倒事に巻き込まれるのではないかと、気が気ではない。

 

 とは言えシャルティアの設定に説得力を持たせるために

断るわけにはいかないのだが、トラブルなどは覚悟しておきべきだろう。

 

(あんな魔法を使える個人が入国して歓迎してくれるのか?心配だなぁ……)

 

 

 その後フレイヴァルツが伝言(メッセージ)のスクロールを使い

話した内容を帝国へ伝えるため席を外し、今戻ってきたわけだ。

 

「なにやら歯切れが悪いようですが?シャルティア様の事情とドワーフの国で起こった事は、

帝国へ無事お伝えできたのですよね?」

 

「いや、伝言(メッセージ)というのも存外不便なものでして。過去に伝言(メッセージ)の行き違いから人間種の国が一つ滅んだ影響で、帝国ではあまり信頼しすぎるのも問題とされているのですよ。

ですので裏取りを兼ねた本格的な報告は、後日早馬を使った手紙での報告となります」

 

 モモンガ自身も『ヘジンマールの歴史講座』で聞いていた。なんでも三百年ほど前に滅んだガテンバーグ国が伝言(メッセージ)の偽情報から内乱状態となり、そこからモンスターや亜人の侵攻を受け滅んだそうだ。モモンガでなくとも(それ、絶対外部勢力の裏工作だよね?)という結論になるだろう。

 

「なるほどわかりました。それでは今後のお話を……と言いたいところですが、まずは食事にいたしましょう」

 

 フレイヴァルツを待っていたため既に冷め始めていたが、さらにこれ以上冷ます必要性はない。商人会議長の尤もな発言に三人は了解し食事に手を付け始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうですか、鮮血帝であるジルクニフ陛下が依頼者とは。驚きましたな」

 

 仕事の話よりも冷めかけの食事を優先した四人であったが、早々に食事を終え話を次の段階へと移していた。

 

 モモンガにとってはドワーフ以外の種族で、初めて席を共にする食事であったためやや緊張していたのだが。

 向かいの席のフレイヴァルツは黙々と食べ、酒で流し込み、あっという間に食べ終えてしまった。それに習う様にウンケイも静かに、淡々と食べ終えていた。理由を聞けば――冒険者とはこういうもの、らしい。依頼中はこういった癖のようなものが付いてしまったそうだ。

 

 商人会議長も早かったが、どうしてもシャルティアが早食いをしている様子は思い付かなかったため、モモンガは一人食事をしながら聞き役を務めていた。三人が先に食べ終えた時に、自分は食事をしながら聞いているので話を進めてくれるようお願いをしたのだ。

 

 元々シャルティアにしても、そして恐らくモモンガの身体(アバター)でも食事は必要ないはずではあるが。

 

「それだけジルクニフ陛下は、今回の件に注目しているのでござろう」

 

 主に話しているのは隣の商人会議長、そして斜め向かいのウンケイだ。フレイヴァルツも補足の説明を交えていたが、ときおりモモンガの方を見てはなにやら言いづらそうにしていた。

 

(これは、ひょっとして急かされてるのか?自分たちの皇帝の話までしてるんだし、そんな時に食事は不敬だったりするのかもしれないな……ていうか皇帝が依頼者?流石最高峰の冒険者と言われるだけはあるんだ)

 

 今のところ商人会議長が質問してくれているので特に問題はない。だが聞いている間に疑問も出てきたため、そろそろ話に混ざりたかった。丁度目の前に残ったのは、一口に収まりそうな

ステーキの欠片。急かされた状況、この場合男としての選択肢は少ない。

 

「ぁ、……あむっ」

「!?」

 

 これまでより少し大きめに口を開き、ステーキを頬張る。口よりもステーキが大きかったが、冷めているとはいえ柔らかさは健在で問題はない。だが思ったよりシャルティアの口内は小さかったのか、口に収めると同時に頬が膨らんでしまった。

 

(まずい、これはみっともなさ過ぎる!)

 

 早計だった。お腹がいっぱいとか言って残せばよかった、今更ながら思うが既に遅い。

できればやり直したいが、時間を止める魔法はあっても時間逆行の魔法はない。

 考えている間も口は動かしている。シャルティアの筋力をもってすればステーキなど

すぐに粉々にできると思われたが、周囲の目を気にして派手に顎を動かすのは躊躇われる。

 

 向かいのフレイヴァルツには既に見られてしまったようで、顔を手で覆い指の間からチラチラ視線を感じた。肩も震えており、かなり呆れられたのかもしれない。魔法を使って地震を起こしたりドラゴンを従えた存在が、これではご飯を急いで食べる子供なのだから無理もないだろう。

 

(うー、これは上げた評価が逆転してしまった気がする)

 

 もっきゅもっきゅ。 ――ゴクリっ。

 

 ようやく肉が細かくなり呑み込むことに成功した。少し無理をしたためコップの酒に手を伸ばす。大きなため息が出そうになるが、流石に今度は落ち着いて静かに喉へ流し込んだ。

 

 顔を上げると未だに顔を覆っているフレイヴァルツだけが気づいていた様子で

他の二人は変わらず真剣に話し込んでいた。

 

(これは黙っているようにお願いしないといけないな)

 

 あまり人の失敗を笑う人物にも見えないが、友人同士だとつい悪口が出てしまうのはよくある。今回は急いで食べたモモンガが全面的に悪いので、仮にそうなっても文句は言いづらいが。

 

「あの……」

「――シャルティア様からもなにかありますかな?」

「って、リーダーどうかされましたか?」

「な、…な、なんでもないなんでも」

 

 こちらを向くと同時にフレイヴァルツの異変に気づいたウンケイが話しかけているが、変わらず顔を隠して肩を震わせていた。どうやらこの場は黙っていてくれるらしい。一先ずの懸念材料を頭の隅に追いやり、聞いていた中で気になった言葉をそのまま口にする。

 

「鮮血帝とは異名かなにかですか?」

「おぉそうでしたな、これは申し訳ない。帝国についてお教えした際、説明しておくべき事でしたな」

 

 どうやら帝国では一般的に知られている異名らしい。『鮮血』という、物騒ながらも何処か親近感を覚える響きに本能的に興味がわいてしまう。

 

(って、何考えてるんだ)

 

 反射的に本能を覆い隠すように首を振り、顎鬚を撫でながら説明に入ろうとしていた商人会議長に改めて向き直る。

 

「どうかされましたかな?」

「あぁ、いえ。それで鮮血帝というのはどういった意味なんでしょう?」

「簡単に言いますと親族である身内を断罪したことから。あとは無能な貴族達を地位を剥奪したことからくる畏怖の意味、でしたかな?」

「……そうですな、拙僧が補足させていただきますと。身内というのは皇帝暗殺の容疑や王位継承権、つまり後継者争いです。無能な貴族については、まぁ言葉の通りです。優秀であれば路地裏出身の平民でも、騎士に取り立てる方です。すくなくとも平民にとっては人気のある皇帝ですぞ」

 

(おぉすごい経歴の皇帝だ、歴史書に出てきそう)

 

 戦略ゲームが好きなぷにっと萌えさんが好みそうなプロフィールである。とはいえ彼のプレイスタイルを話半分で聞いた限り、優秀なキャラをライバル国家つまり対戦相手にして一方的に蹂躙、都市一つどころか草一本残さない、えげつないプレイによる被害者になってしまうのだが。

 

「それで今回の調査なのですが、一月前の現象を行使した方。つまりシャルティア様なのですが、拙僧達と共にバハルス帝国へ来て頂けませんかな?」

「それが依頼内容なのですか?」

「本来は話が通じる存在かの確認からだったのですが。話が通じるならば是非会いたいと仰せで」

(あれ?これやっぱり賠償だったりするのか)

 

 先ほどのフレイヴァルツの急かすような態度もそれならば納得がいく。しかも優秀な皇帝が自分に会いたいなどと言うのだ。元が一般人のため権力者の考えてることなどモモンガにわかるはずもないが、借金まみれという最悪の事態は想定しておかねばならない。

 

「あの、私の行使した魔法の影響で被害などはあったのでしょうか?」

「被害ですか?ここへ向かう道中でしたが、鉱山都市や山間の村で確か……坑道や山道が崩れたのは見かけましたな。夜だったのが幸いで人は巻き込まれてはござりませんでしたが?」

(や、やっぱり!?)

 

 思わず血の気が引き、喉が渇いてしまう。人的被害がないとはいえ鉱石採掘が止まったなんて、ユグドラシルであれば相手のギルドとの緊張感が増すのは必須。戦略ゲームなら相手がぷにっと萌えさんのような人物の場合、モモンガの命がないかもしれない。

 

(……逃げちゃおうかな?)

 

 選択肢の一つではあるが、判断するのはまだ早いように思われる。ドワーフという味方もいるのだしもう少し様子も見たい。それにこの世界の人の国を見てみたいという興味もある。

後々逃げるにしても、リスクは最小限にしておいて損はないだろう。

 

「一緒に行くのは構わないのですが。よければ被害のあった鉱山や山道を見たいのですが」

「通り道です故、拙僧達は構いませんが何か?」

「いえ、私の魔法で除去などに協力できればと思いまして」

「流石はシャルティア様ですな。我らの首都を取り戻してくれたこととご一緒の事をなさるとは」

「え?あ、いや」

「見た目のお美しさばかりか心まで、いや、心こそどんな花も及ばない聖香を帯びた慈悲深い美しさをお持ちとは」

 

 なにか必要以上に持ち上げられている気がする。突然フレイヴァルツは唄のようなものを言い始めるし。商談で()だてられる上役の人達はこういった複雑な気分なのだろうか。モモンガ自身はいつも煽だてる側だったのわからないが。

 

「シャルティア様がこういった方であれば、帝国ももう一方の問題に集中できますな」

 

 何処か肩の荷が下りたといった様子で、頻りに頷いているウンケイが気になった。

 

「問題?」

「あ、これは拙僧とんだ失礼を。シャルティア様が問題だったわけではございませんぞ。シャルティア様がお力を行使された赤い空の現象の少し前なのですが、帝国の御隣でとんでもない事件が起きましてな」

「とんでもない事件ですか?」

「左様です、拙僧達冒険者も戻ったらこの件に関わる事になると思われます。隣国のリ・エスティーゼ王国にエ・ランテルというかなり大きな都市があったのですが、そこが死の都になってしまったのです」




次回はみんなが忘れていたンフィー君回です


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『少年の復讐劇・開幕』

ンフィーレア回です(作者の好きなキャラです)
今後に大きく関わる話なので遅れました。(とは言え関わるのはかなり先なんですが)

お知らせ:すみませんR-15必須タグ忘れてました。


 モモンガがシャルティアとして転移したアゼルリシア山脈より時をさかのぼって遥か南方、広大という言葉でも足りない広さを持つ魔境、トブの大森林。

 それをさらに越えた先に人間種の支配する堅牢な城砦都市がある。

 

 城砦都市エ・ランテル。

リ・エスティーゼ王国に属し

隣国であり西に位置するバハルス帝国

やや離れているが南方に位置するスレイン法国

 

 この三国の交通の要衝として様々な物資情報が往来する重要拠点でもある。

 

 その立地故か、自然と人も金も集まり王国有数の商業都市として栄えており、同時に戦争中である帝国との最前線の城塞都市として外敵の侵略に備えていた。

 

 三重の城壁に守られた城塞、ただそれはあくまで外敵に対する物。

「身体に内包してしまった毒物という敵には弱いのではないだろうか?」

共同墓地に隠されていた暗い階段をフラフラと危なっかしく降り、チャラチャラと金属のすれ合う音を響かせる女の背を見ながら、ンフィーレア・バレアレは考えていた。

 

 

 ……女を信用などしていなかった。

 

 ただ『復讐』という言葉に惹かれただけだ。

 

 自分が今冷静でないのは理解している。

 

 家から飛び出す際に見た、祖母の顔は忘れられない。

 

 血に染まったエンリを抱きしめた感触も一生忘れられそうにない。

 

 自分がここにいる理由はそれを――

 

 

「どしたのー? どっか気分悪い? 顔が真っ白だよー」

「……いえ」

 

 足を止めこちらを振り向きニコニコと問いかけてきた女――クレマンティーヌに、つい気のない返事を返してしまう。

 信用してはいないが、並の冒険者よりも強い女なのは間違いない。なにせバレアレ薬品店から

ンフィーレアを抱えて最後まで走り回ってきたのだ。街中の人間が何事かと驚きの目を向ける中、『漆黒の剣』のリーダーペテルの追跡を人を抱えながら振り切るのは、並大抵では不可能だろう。

 

 悠々と楽しそうに走り、最後には墓地を囲む大人の背丈を優に超える外壁を飛び越えてみせた。

 

 それでいて息一つ乱さず笑っているのだから

戦士ではないンフィーレアにも凄まじさが理解できる。

 

 そういったマジックアイテムの類を所持しているのかもしれないが、それは裏を返せば相応しい実力があるか、強力な後ろ盾を持つ可能性がある。抱えられている時に体を覆ったマントの中から、普通の金属鎧とは違う音がしたのでそれがマジックアイテムなのかもしれない。

 

「うわーマントの下が気になるのー?」

「……」

 

 女が自らの体を両手で抱きしめる仕草をしながら笑顔を向けて来る。

だが目を細めて口を耳元まで裂いたような笑顔はむしろ気味が悪い。普段のンフィーレアであればその雰囲気に少しは怯えてしまうかもしれないが、今は頭が冷えきっており何より目的を優先していた。

 

「からかわないでください。それよりその……カジットさんという方に会わせてください」

「っちぇー、可愛くないなぁ~」

 

 気味の悪い笑顔から一転、唇を尖らせ面白くなさそうに顔を背け階段を降り始める。

暗くかび臭い地下へと続く階段に、再び二人の足音と金属音だけが響く。

 

(機嫌を悪くしたかな……?)

 

 ンフィーレア自身に女心はわからないし、今の荒んだ心の中では優先することでもない。

だが、道中で聞いた彼女の所属する組織や人間に会って話を聞かねばならない。そのための案内でヘソを曲げられてはたまらないのだ。

 

 本当に帝国と事を構えるのか、組織力と実力、両国の貴族に仲間がいるという人脈、確かめたいことはキリがない。

 仮にそれらが揃っていればンフィーレアは自ら参加するつもりだ。どんな組織かは関係ない。

エンリの仇をとれるのであれば、もし悪名高いズーラーノーンでも――

 

「ねぇねぇ、帝国(・・)にぃ~、殺された片思いの女ってどんな娘だったの?」

「……」

 

 唐突な質問に女と合わせていた歩調が僅かに遅れる。同時に規則的に揃っていた足音の乱れが耳に届くが、思考が一色に染まりそれどころではなかった。

 数日の間に抑え込んでいた後悔と憎しみが溢れそうになり、頭を左手で押さえる。同時にふらつき始めた体を壁に添えた右手で支えた。

 

(なんで今聞くんだ!?)

 

 そんな状態でも胸中で毒づき、前髪から覗く視界から睨みつけるが、同じく足を止めた相手は

気にしないとばかりに先程と同じ気味の悪い笑顔をむけてきた。

 

「だって気になるじゃ~ん。それが君のここに来た理由、なんでしょ?」

「……」

 

 答える気になどならなかった。彼女自身も、両親も妹も村も彼女に繋がるものは全てなくなってしまった。

 

 好きだ。愛している。

本当に今更だ。定期的に薬草を採りに行くたびに、理由をつけては会いに行っていた。

 何度も言う機会はあったのに、もし拒否されたらという恐怖がンフィーレアを怯えさせ、何も言えないまま友人として死んでしまった。

 

 街で働かない? おばあちゃんのお店でもいいよ。僕もいるし。

告白する勇気がなくても、せめてこれくらい言えばよかった。本来はモンスターに対する備えが必要な開拓村のはずだが、森の賢王の縄張りに近いため村が襲われたことは一度も無かった。逆にそのせいで油断してしまったのだ。

 帝国兵が盗賊のように村を襲うなんて、自分も村人たちも誰も思ってもみなかった。

エンリを殺した帝国が、そして何もしなかった自分が許せなかった。あまりの悔しさに顔が歪みそうになる。いつの間にかギリギリ、と奇妙な音が薄暗い地下空間に響いていた。

 

「ふ~ん、やっぱりいいやぁ。ごめんね~」

「……」

 

 思ったより表情に出てしまったのか、クレマンティーヌは興味深げに覗き込んでいた表情を消し軽快に階段を下りていく。

 

「うぷぷぷ、もう着くからさ~。後で聞けたら聞かせてよ」

 

 

 

 

 

「ここは……」

 

「たっだいまぁー、カジっちゃん。今帰ったよ~」

 

 階段を降り通路を進んだ先に広い空間が作られていた。壁は変わらずほとんどが岩盤だったが

柱は地上の神殿などでも見られる立派な物で、頂上に悪魔のような像が乗っており

柱の側面には薄暗い照明がある。部屋の中央にある台座の上には魔法陣。その傍に――

 

「グガァ……ッッカカカッカ!」

動死体(ゾンビ)!?」

 

 最下級のアンデッド動死体(ゾンビ)が無造作に立っていた。動きが鈍くンフィーレアでも十分に勝てる相手だが、墓地とは言えここまで人の手が入っている地下空間に自然発生するとは思えない。

 そうなるとここの主が人為的に作った物かもしれない、攻撃するのはためらわれた。

 

動死体(あれ)は、ひょっとしてカジットさんの?」

「あったり~。ん? でもあんな個体いたっけ? 新しいのかな?」

 

 はて? と、首をかしげる女を横目で見ているとその背後の通路から、黒いローブを身につけ

アンデッドと見間違えそうな白い手と顔を持つ男が顔をのぞかせた。黄色の汚い爪の生えた骨と皮だけの腕の先に、黒い杖を持っている。

 

「お主が遊んだ情報屋だ。クレマンティーヌ」

「あぁ~。カジッちゃんごめんねー。でも、お使いの方は大成功だったからさ。許して」

 

 ペコリと軽く謝る女、だがそれが見せかけなのは会ったばかりのンフィーレアでもわかる。

カジッちゃんと呼ばれた――カジットと思われる男が舌打ちを鳴らし大きく顔が歪む。

おそらくこのようなやり取りは初めてではないのだろう。病的な顔からはいら立ちが見えた。

 

「……あのお話し中すみません、あなたがカジットさんですか?」

「ほう、いかにも。ズーラーノーン十二高弟の席を預かっているカジットだ」

 

 ズーラーノーン、巨大な力を持つ盟主を頭にこの大陸でいくつもの悲劇を生みだした組織。

死を隣人とする邪悪な魔法詠唱者(マジック・キャスター)達が集まる秘密結社。

 

(やっぱり、でも本当に帝国と戦う方法を持っているなら――)

 

「クレマンティーヌさんが言っていました、あなたたちは帝国と事を構えるって」

「……クレマンティーヌどういうことだ?」

 

 興味深げにンフィーレアを見ていた目が方向を変え、また厄介事を持ってきたのかと言いたげにクレマンティーヌを睨みつける。

 

「ほらー、最近エ・ランテルの近くのいくつかの村がて・い・こ・く(・ ・ ・ ・)にぃ~襲われたって知ってるでしょ? 知り合いが殺されちゃって~、その復讐をしたいんだってさ。うぷぷ」

「? 貴様なにを言って――……そうか、なるほどな。趣味の悪い事だ」

 

 病的な顔が歪む。先程と違いおそらく笑ったのだろうが、くぼんだ目を持ち上げ土気色の頬が緩んでも、アンデッドが邪悪に微笑んだようにしか見えない。

 

 その邪悪な顔のままンフィーレアに視線を戻す。

 

「帝国と争うには不可欠なアイテムがある、強力だがそのアイテムがとんだジャジャ馬でな、貴様に接触を図ったのもそのための『生まれながらの異能(タレント)』が目当てだ。……そうだな、これ以上はそのアイテムを実際に使ってみてもらわなければ話せんな」

 

 つまりそのアイテムを彼らの思った通りに動かせれば、帝国と戦える可能性が出てくる。強力なアイテムならンフィーレア自身を守る事にも使えるはずだ。所持できればズーラーノーン相手に交渉もできるかもしれない。

 

「僕の望みは帝国と戦ってエンリの仇を討つことです。そのアイテムを僕が使うことができれば、あなた達の力と計画の全貌を教えてくれませんか?」

「ふふ良かろう、神器とも呼ばれる叡者の額冠(えいじゃのがっかん)だ。帝国を滅ぼすこともできるかもしれん。貴様がその効果を自在に使えた後で良ければ、全てを話そうではないか。付いてこい」

 

 顔を益々歪ませ、声で判断すれば上機嫌に道案内を申し出るカジットについて行く。話していた広場からさらに奥の通路に案内されるようだ。

 

「クレマンティーヌさんはいいんですか?」

「あれはこの後忙しかろうて、お主もわかっただろうがあれは性格破綻者だ」

 

 関わらない方がいいと暗に告げられる。後ろを振り返ればお腹を押さえ、なにやら我慢できないと震えているように見えた。顔を下げてるため表情は伺えないが、道中で見せた不気味な笑顔が脳裏をよぎる。

 

「早く付いてこんか」

「す、すみません」

 

 慌てて通路の奥へ進む。岩盤の壁だった先ほどまでとは違い、石壁の通路が続いていた。

いかにも貴重品を仕舞っていますよ、とでもいいたげな豹変ぶりだ。薄暗いのは相変わらずだが。

 

 しばらく進むと背後から笑い声のようなものが、僅かに響いてきた。

 

 

 

「くっくっくっくっくっくっくっ・・・・・

 くくくくくくくくく・・・・・・・くっくっくっくっくっ・・・・!!!

 あーーっはっはっはっはっはっはっはぁぁぁぁ!っぷひゃあああーーアーもうさいッこおおおおッなあにあのこおおおおおおおおお、やったのは法国だってばあっひゃっひゃっひゃ――」




すいません、次回もエ・ランテルです
ンフィーレア君についてはまぁ安心して下さい(?)としか今は言えません(流石にこれは不憫過ぎるだるぉぉおおお)


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『忠臣ヘジンマール』

デブゴン視点
デブゴンのドワーフに対する態度は『主人の友人』くらいです
モモンガ様については、魔導王陛下呼びはできないのでシャルティア様呼び


「ふぬうううう! っぐぬううっうううう!」

「フンっ! ぐうっ! も、もうちょっと……」

「よっしゃっ! お主ら、もうひと踏ん張りじゃぞ!」

 

「任せろい」「今度酒奢れよ!」「お主少しは痩せんか」「無駄話は後じゃ! 押すぞ」

 

「せーのっ!」

 

 銀糸鳥がドワーフ国に辿り着いた日の夕刻。砦の窓から赤い光がさす中、年長者のドワーフの言葉に次々と威勢のいい声が上がる。ヘジンマールの引っかかっていた尻尾の付け根の部分、

そこにドワーフ達の力が集中した。合わせてヘジンマール自身も体を振り周りの壁を使いながら前に進もうとする。やがて――

 

「フンンっ!フンっ!っと……あ、抜けました!」

 

 スポリッと通路に挟まっていた自身の体が抜け出るのを感じ、巨体からホッと息を吐き出す。

 

「ふぅ、疲れたわい」

「全くじゃ。お主前に別の通路でも引っかかっておったじゃろ」

「面目ないです、反省して今日は別の通路を選んだのですが……」

 

 完全にハマってしまい抜けられなくなったのだ。

 

 ドワーフの城では引き籠っていた事を差し引いてもこんなことはなかった。おそらく大型のゴーレムを城の中で動かすためか、通路などはヘジンマール達でも通れる広さがあった。だが、彼の新しい主人――シャルティア様がクリエイト魔法で作り出したこの砦は、元が人間用なのか一部の通路などはドラゴンには手狭に感じられた。

 

 仮にドワーフの城で動けなくなっても、力任せに壊してしまえばよかった。(すぐに父である霧の竜の王(オラサーダルク=ヘイリリアル)に禁止されたが)しかし、この砦の壁はドラゴンの巨体で体当たりをしようが傷一つ付かないため、今のように自力でどうしもうない場合、他人の力を借りるしかないのだ。

 

 もちろん主人の物であるこの砦を壊すなど、考えただけでゾッとしてしまう。

ムンウィニア=イリススリムを素手で微塵に引き裂いた光景は、いまだ鮮明に思い出せる光景だ。

 砦を壊すくらいなら自分を守るために、自分の体が傷ついた方が百倍マシという物である。壁でこすれた際についた傷を見ながら思わず安堵の息を漏らした。

 

「それよりもお主、シャルティア様に呼ばれているのではなかったのか?」

「あ! そうでした。すみません御礼はまた後ほど」

 

 ドワーフ達にペコリと頭を下げ、太い尻尾を当てないように慌てて主の下へ――

 

「おぉいちと待ってくれ!」

「え? あ、はい」

 

 急いでいた体をピタリッと止め、首から上だけを動かし声を掛けてきたドワーフに向ける。

 

 『銀糸鳥』への宣言で失敗したばかりか、遅れれば主人の機嫌を損ねるかもしれないため、

一瞬無視することも考えた。

 だが、当の主人から『ドワーフとは友好的に接するように』と言いつけられているため無視など出来ようはずもない。下手をすれば今曲げているこの首がねじ切られてしまう。

 

「商人会で噂になっておったんじゃが、シャルティア様がここを離れて帝国に行くというのは本当かの?」

「……今朝がた帝国の冒険者なる者達が来てそういった話はありました。シャルティア様のご意思は聞いてませんが」

「そうか。なにやら外交官も同行すると聞いたんじゃが、先走り過ぎた噂かの」

「そちらは完全に初耳です。これからシャルティア様に会いますので聞いてみます。では!」

 

 強引に話を切り上げ今度こそ主の下へ急ぐ。

機嫌次第では今の噂を報告してもいいかもしれない。頭の中で会話の流れを幾つか組み立てながら、己の父親でも悠々と動き回れそうな円形のホールに飛び出し、螺旋階段から上階へ向かう。

 

 ドワーフ曰く、いつまでも消えないランプで照らされ、目が眩む空間には高価な調度品の数々。

そしてなによりホールのあちこちに飾られた赤い旗に目がひきつけられる。主が以前――いや、今も所属している組織(・・)――名前は聞けなかったが、あの主と同等の力を持つ人々によって成り立っていた組織の紋章が描かれた旗。

 

(改めて考えると……とんでもない主人に仕えちゃったんだろうなぁ……)

 

 左右の壁と中央の壁に飾られ、おそらく四十本以上あるであろう旗に体を擦り付けないよう

慎重に迂回しながら最上階へ全力で駆け抜けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ♦

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぜぇ…はぁ……ふぅ! ……よしッ」

 

 扉の前で息を整える。一月前までは完全に引き籠っていたが、最近は読書の時間を挟みつつ命ぜられた仕事や主への講義という名の『自身の有用性を必死にアピールするための時間』のせいか、少し体が軽くなった気さえする。

 

 だが、体はともかく運動不足は短期で改善することはないようでこういった時は非常に困る。

息が乱れた見苦しい姿を見せるわけにもいかず扉の前で必死に息を整え、体に汚れがないかを

チェックした後、中の人物が不快に感じないよう注意しつつゆっくり扉を叩いた。

 

 

 ――コンッ、コンッ、コンッ、コンッ

 

 

「ヘジンマール?」

 

 扉の向こうか澄んだ声で返事が聞こえる。どうやら不機嫌ではないらしい。

そのことに内心で安堵の息を吐き出しつつ慌てて返事を返す。

 

「はい! 遅れてしまい申し訳ありません」

「ん? 別に遅れてはいないと思うけど、とにかく入ってきなさい」

「は、はいッ」

 

 了承を得てから扉をゆっくり開ける。幸いこの部屋を含めて最上階は広い作りになっており、入室にも不便はない。静かに入室した後、扉を閉め辺りを見回す。

 

「今入浴中だからその場で楽にして」

「は? で、出直してきましょうか!?」

「それでは二度手間でしょう。創造魔法で貴方用の椅子も用意してるから」

 

 見れば奥の扉の脇にこの砦内では見られない、かなりの大きさの椅子がある。

 

(どうしよう、今朝の宣言で失敗したばかりなのに優しいって……これヤバイ?)

 

 ヘジンマールの得た知識では、ドワーフも人族も入浴中は一種の無防備状態。

ドラゴンなどの元から身体能力の高い種族にはわかりにくいが、装備などを外している場合が多く戦闘能力は大きく下がる。だが素手でドラゴンを切り裂く主にそれが適応されるとは到底思えない。

 

(多分不機嫌じゃないし、好意であれば受け取るべきだけど)

 

 一応の自信はあった。この半月ほどの講義で知識を披露し、自身の有用性はアピールできた。

それに今まで接した限りでは、たった一度の失敗で首をねじ切る主人とは思えない。おそらく。

 

 ただ彼女の()()()()()()という他人に知られてはならない秘密を知っている、唯一の存在。

というのがヘジンマールの気分を重くする。

 

(あの時、聞くんじゃなかった……胃が痛い。誰か代わってほしいなぁ)

 

 とてつもなく迷ったが自身の過去の業績を信じ、ひとまず座ることにする。

 

「で、ではお言葉に甘えます」

 

 巨大――といってもヘジンマールには丁度いいサイズの椅子に尻尾を巻くように体を収める。

ふわりとした感触がドラゴンの堅い鱗越しに感じられ巨体が椅子に沈み込むが、

内心の緊張は増すばかりだ。

 しかし主人の創造魔法は常軌を逸している。この椅子や砦にくわえて以前は馬車も見せられ、口ぶりからして他にも出現させることが出来そうであった。

 

 ヘジンマールは本だけで得た知識なので当初自信はなかったが、創造魔法は維持するのにMP(精神力)を消費し続ける。これほどの種類を行使し一カ月(・・・)もの間砦を出現させたままでいられるのは異常だと、ドワーフの神殿長も言っていた。

 

(世界は広いなぁ……)

 

 世界の広さを本で学んでいたつもりだったが、己の主人を見ているとどれほど小さいものだったかがわかる。勿論得た知識が無駄とは思わないし、その知識で力自慢のドラゴンとは別方向から主人に取り入る事はできたと思うが。

 

「あー…それでヘジンマール」

「は、はいッ」

 

 これまでの事を考えていたが、主人の声で我に返る。

 

(いけない! 集中しなければッ! たぶん命まではないだろうけど……)

「……今朝は少し言い過ぎたわね」

「……え?」

 

 一瞬何を言われたのかがわからなかった。もしかして謝られた?誰に?

 

「け、今朝と言いますと?」

「銀糸鳥のみなにした宣言よ」

「は!? いえ、あれは考えもせず強く出過ぎた私がいけなかったのです! その言いだしておきながら……中途半端なものでしたし……」

 

 言葉の後々が尻すぼみに小さくなってしまう。だがこれは本当に思っている事だ。

初めての試みだったためか、知識だけでは駄目ということを身をもって知った。経験がないのはあの時点では仕方ないが、せめてドワーフか主人に相談すればよかったのだ。

 

「それはそうだけど、扉を開ける前に私が確認すればよかったのだし。あの時言い淀んでいたあなたの地位、というか役割か? はっきり決めてなかった私にも責任はあるかと思って」

 

(お、…おぉお……)

 

 先程までこんな心優しい主人を疑っていたのかと自らが恥ずかしくなる。

そして己の駄目な父親に爪の垢を煎じて飲ませて欲しい、いやドワーフ的に言えば髭の先だっただろうか?

 

「とりあえずあなたの役割は私の教育係、だと私が侮られるかな? だとすると相談役でいいか」

「そ、相談役ですか?」

「あなたの知識は今後とも無くてはならないものだしね。他のドラゴンはどうしようか……」

 

 そこまで評価してもらえていたことに体の肉が僅かに震える。

力を持っているだけでなく配下に対する心配りもして貰える主になら、今後も喜んでついて行くことができそうだ。

 

 今後主が帝国に行く時も喜んで同行を――、

 

「あ、お、お考え中のところ失礼ですが、お知らせしておきたいことがございます」

「ん? 何かしら」

「商人会のドワーフから聞いたのですが、シャルティア様が帝国に赴く際は外交官が同行するという噂があります」

「あぁー……そう。なにかさらに大事になってたような」

「シャルティア様は帝国に行かれるおつもりなのでしょうか?」

「……呼ばれてるようだしね、後興味もあるから」

 

 なぜだろうか?恐らく興味があるのは本当の事なのだろうが、どこか諦めのように聞こえる。帝国からの客を相手にして疲れたのか、女王ではないという秘密がやはり問題なのだろうか?

 

「……やはり、王族に会われるのは気が引けますか?」

「確かにそれもある」

「私が思いますに。シャルティア様はアゼルリシア山脈を征服されたようなものです。

 女王を名乗っても問題はないかと」

「う~ん、いやそれだと国とは呼べないでしょう。

 多分帝国から見れば、せいぜいモンスターを率いるお山の大将とかになってしまうか」

 

 種族としての生まれがドラゴンであるヘジンマールにはピンとこない。

だが本で得た知識で補完すれば主人の考えもわかってくる。多人数で形成した社会を治める者が王なのだ。

 周りの国に認められ、領土や主権他の国との交渉――つまり外交能力などがある大人数の組織。

 

「なるほど……たしかに人間は認めないかもしれません」

「それに今一番悩んでるのは礼儀作法とか……後喋り方も」

 

 主人が吐露した悩みに、はて? と堅い鱗に覆われた首を傾げてしまう。

今朝見る限り帝国の冒険者への対応は、完璧といっても差し支えないのではないだろうか?相手は主人に見惚れていたようだし、友好的な態度にも終始丁寧に答えていたように思えた。

 

 途中でヘジンマール自身は案内役として席を外したが、同席していた商人会議長も良好に終わったと聞き及んでいる。帝国に赴いた際、今日と違う要素は――

 

「……相手が王族の場合ですか」

「えぇ、今朝はなんとかなったけど王族に対する挨拶の仕方とかは流石にね」

「本で良ければございますよ」

「え? あるの!? 帝国皇族のマナー講座のような本?」

 

 水を打つような音が奥から響き、扉の隙間から「やった!」という言葉をドラゴンの鋭い知覚が拾う。実際中身を見て貰わないとわからないが、おそらく主の期待に応えられそうな本に心当たりはあった。

 

「ドワーフの城で読んだ記憶があります。今はドワーフ達の物ですがシャルティア様でしたら」

「そう、ならば早速これから取りに――」

「いえ! こういった雑務は配下の務めです。女王陛下(・・・・)は私が戻るまでどうかゆっくりとなされてください」

「そう……か、確かにそうかもしれないわね」

 

 これは別の本で得た知識だ。宣言の失敗も同じ本だったが、別に本の知識は間違っていない。

支配者は配下の者を上手く使わなくてはならない、極論だが一番上手いものに仕事を全部投げてしまえばいいのだ。主のような絶対的な力があるのならばなおさら雑務は配下に任せて、自身の力を存分に発揮して貰えばいい。

 

 そしてそれがヘジンマール自身の安全にも繋がるのだから。

 

「私でしたらドワーフとも話がしやすいので大丈夫かと、行ってまいります!」

「えぇ、じゃあヘジンマールお願いね」

 

 自らの主に了解を貰った後静かに椅子から降り、部屋の外に出る。

部屋を訪れた時とは逆に随分と体が軽く感じられた。

 




 たぶんナザリックなし部下なしの単独転移で一般人感覚のアインズ様だと
威厳とか支配者感のない状態なので、このままだとジルクニフとの会談は……


ジルクニフと初対面書籍版との違い(このまま何事もなく進んだ場合)
・ジルクニフがワーカーを送り込まない、帝国側は謝罪など後ろ暗いことが無い
むしろ本作のアインズ様は帝国へ被害を与えたのでは?と考え中
ジルクニフはそんなことよりもあの力は危険過ぎると考え中

・ナザリックなし(圧倒的財力と異形の怪物に恐怖しないハゲ)
このまま進むとジルクニフのホームである帝国で会う事にフサフサ

・アインズ様の見た目と考え方
見た目は恐ろしくない(見た目はね…)
ナザリックのNPC達がいないため絶対の支配者になる努力をしていない(今のところ)
部下が世界征服を考えてない、欲しいのは名声とこの世界で興味を持った事くらい


ジルに利用され、こき使われるアインズ様は見たくないと思う人は多い(?)と思うので
デブゴンに少し強化してもらいます。本読んで鏡の前で練習するだけなので付け焼刃ですが。喋り方もだんだん原作似になってくるんじゃないでしょうか

アニメだと描写はあまりありませんが、アインズ様は努力家で本もかなり読むっぽいし多少はね。


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『馬車の中が問題』

注意:今回の話は捏造設定多めのギャグ回となります。一話完結となり飛ばしても問題はありませんので苦手な人はスキップを推奨します。


 ――翌日、

 

 既に日は高く昼近くになっていた、もっともドワーフ国は日が届かない地下空間にあるのだが。

 

 今モモンガは商人会議長へ同行の確認を取りに向かい

同行するならば見てもらいたい物があると伝え、彼を仕事場から広場へ連れ出していた。

 

 

 あれからモモンガはヘジンマールが持ってきた本を共に読み、帝国式のマナーを頭に叩きこんでいた。とはいえ今のところはただの一夜漬けである。

 銀糸鳥の案内で陸路を進むことはわかっているのでその間に身につければいい。

彼らの話では帝国首都からドワーフ国まで一月近くかかったそうだ。幸い時間は十分にある。

 

 

 ちなみにドラゴンに乗っての空路、疲れを知らないアンデッドでの移動は彼らに全力で断られた。

 

 どちらも今の帝国の民に不安を与えるとの理由だ。

ドラゴンの脅威はドワーフ国と同じく、上空を飛ぶのは誰であれ不安や恐怖に駆られるらしい。アンデッドでの陸路も同様だ。今はエ・ランテルが死の都になったのが国中の噂になっている。

 元々魔法技術に力を入れている帝国には、アンデッドを使役する魔法にもある程度の理解はあった。だがズーラーノーンの悪評を覆すものではないらしい。

 

(ズーラーノーンか……少しばかり興味はあるけど、気に入らないな)

 

 今のモモンガにとって関係のない都市が全滅しようが死の都になろうが気にする事ではない。ただ、それが自身に降りかかるのなら話は別である。アンデッドの評判を落として得があるのか。

 

(アンデッドは便利に使ってこそだろう、現に今だって――)

 

 ちらりと視線を鉱山洞窟のある建物に向ければ、採掘仕事に出向くドワーフ達の後ろをモモンガの呼び出したアンデッドが追随していた。

 元王都の復興作業で貸し出したアンデッドが好評となり、今では平時の仕事である採掘にまで使われている。これにより多額のレンタル料なるものが懐に入る事となったが、モモンガにとっては意図しない偶然だ。

 

 ただ『復興作業大変そうだ、恩を売っておくか』などと軽い気持ちだったのだが、作業速度の上がり具合に加えて、作業中に遭遇したモンスターをあっさり倒したのが良かったらしい。

 無論モンスターをけしかける様な事はしていない、本当に偶然である。

 

(ドワーフ国で定着すればこの方法は使えるはずだったんだけどなぁ、賠償金の代わりに貸し出すとかできたのに)

 

 もしくはドワーフ国にとってのドラゴンと同じようにズーラーノーンを潰すかである。

とはいえズーラーノーンの問題は帝国にとって対岸の火事、隣国の問題となる。交易においての影響は大きいが元々が戦争状態だった王国との繋がりだ。エ・ランテルを解放することで名声は得られるかもしれないが、帝国にとっては敵である王国を利する事になるのではないだろうか。

『むしろ王国から流れている麻薬の密輸量が減って相対的には良くなるかもしれません、それに法国との交易路は他にもありますし完全に潰れたわけではないですぞ!』

 ――というのが銀糸鳥ウンケイの言葉だった。商人でもない冒険者ではあるが、帝国の権力者も同じように考えていた場合、この件でモモンガにできることはないかもしれない。

 

(そうなると、なんとしてもドラゴンをレンタルする事になる空輸貿易を成功させないと)

「あの? シャルティア様?」

 

 思考に沈んでいたモモンガを商人会議長の困惑した声が引き戻す。

周りを見渡せば既に彼を誘った広場に着いており、周囲の建物からハンマーを打ち鳴らす作業音や

酒場や通行人のざわめきがなかなかに騒々しい。目が合ったドワーフ達が挨拶してくる。

 

 ――集中しすぎた……気を付けないと。

 

 軽く手を上げ答えながら商人会議長に向き直る。

 

「すみません。その、少し考え事を」

「ほう? 私で良ければお話をお聞きしますが」

「……いえ、大したことではないので」

 

 後々相談するかもしれないが、評価を高めたドワーフに今更情けない噂を流されても困る。

 

「それより見てもらいたい物なのですが」

「ふむ? そうでしたな。それでその物はどちらに?」

 

 答えの代わりにモモンガが手をかざすと変化はすぐに表れ、周囲のドワーフ達が騒めき立つ。

 

 突然広場中央に――見事な馬車が姿を見せた。

 

 ドワーフの技術力でも及ばない細やかな装飾に、槍のような突出した飾りがつきだしている。

全体的に紫と漆黒で多少ゴテゴテした装飾過多に見えるが、帝国貴族などはこういった派手めな馬車を好む。帝国の知識に疎いドワーフにはわかりにくいだろうが、商人会議長には帝国へ赴くのに最適な馬車のように思えた。

 

「おぉこれも創造魔法ですかな? 見事な馬車ですな、もしやこの馬車で帝国へ?」

「えぇ、帝国内で走らせて問題がないか見て頂こうかと」

「触ってもよろしいですかな?」

 

 モモンガが頷くとペタペタと質感を確かめ、次にコンコンと車輪や壁を叩き始める。

周囲の通りかかったドワーフ達も何事かと集まってきていた。

 

 声をかけて来るドワーフ達に経緯を説明しながら、モモンガは友人の仕事ぶりに密かに感心していた。

 

(シャルティア用の馬車だろうからコンセプトは吸血鬼かな? いい仕事してますよペロロンチーノさん)

 

 もしくは例のイラストレーターさんかもしれないと考えながら、紫の装飾が施された漆黒の馬車を見つめる。一応ギルド長であるモモンガ専用の馬車を呼び出すこともできた。けれどせっかくシャルティアの体になってるのだからと、この世界に来た時から呼び出せるようになっていたもう一つを使うことにしたのだ。

 

 本来のモモンガ――鈴木悟の感覚では乗るのが多少恥ずかしい派手な馬車だったが、

今の体であれば問題ないだろう。

 ドワーフ達の感心したような声と信頼する友人のセンスが自信を持たせてくれる。

 

「しかしシャルティア様の魔法力はすさまじいですな。あの砦もありますが大丈夫なのですか?」

「え……えぇ、問題ありません。……何故か」

 

 商人会議長の疑問に無難に答えておく。

本来ユグドラシルではクリエイト系の魔法を維持するのにMPを消費し続けるデメリットが存在する。この世界に来て自らのMPが分からなくなったため、このデメリットを利用しておおよそのMP量を図ろうとしたのだが、結果は未だに出ていない。

 少なくとも要塞創造(クリエイト・フォートレス)を二つ、これだけの期間維持し続けるのは、正規のプレイヤーであるモモンガには不可能なはずである。

 

(世界を移動したことが理由か? それともシャルティアの体になったせいか)

 

 プレイヤーと思われる神話の伝説については、ドワーフ国でいくつか耳にしていた。

ただ書物に記録された物語では、プレイヤーの事情や詳細な能力などはあまりわからない。

 

(よく考えたらこの世界に転移したプレイヤーが、みんな俺のようになっていたら……)

 

 最初は合体したことに戸惑ったが、MPを始めとした能力の向上に喜んだりもした。

友好的か敵対的かわからない他のプレイヤーを捜そうと思ったのも、この保険があればこそだったがアドバンテージが転移したプレイヤー全てに作用していれば、敵となった場合厄介となる。

 

(でも俺のように異性のNPCと合体して困ってる奴とかいれば、仲良くなれそうな気がする)

「あのシャルティア様? 室内を見てもよろしいですかな?」

 

 再び思考に没頭しそうになったモモンガに、扉の取っ手に手を掛けた商人会議長の声が届く。

 

 ――考えることが多いとは言え、我ながら学習能力がないなぁ。

 

 他に考えてくれる部下が欲しい、切実に。と内心愚痴をこぼしながら馬車へ向かう。

おそらくシステム上扉を開けることができないのだろう。

 馬車を囲っていたドワーフ達が次々とモモンガに道を譲り、馬車までの道があっという間に開く。

 

 その光景に軽く笑いつつ馬車の扉へ向かう。

以前ドワーフの王城で見かけた巨大な扉にも負けない、細やかな装飾が施された扉だ。

描かれている絵が抽象的でよくわからないが、女性が幾人も描かれている。どうやらモンスターと戦っている様子を描いているらしい。

 着ている鎧がペロロンチーノの趣味に走り過ぎてるな~と苦笑いをこぼしてしまう。

とはいえ見た目としては神秘的さを兼ね備えた絵なのでいやらしすぎることもなかった。

 

 

 世界を越えてもかつての友人の性格に懐かしさを感じつつ、取っ手に手を掛け開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  ――なんで馬車の中に拷問家具があるんだ……。

 

 

 

 DMMO-RPGユグドラシル。

過去にモモンガが人生を注いだといっても差し支えないこのゲームは、十八禁的行為は一切禁止である、下手をすれば十五禁行為も禁止。

ただNPCキャラクターの設定などはかなり自由を許されており、シャルティアの性癖SMと『死体愛好癖(ネクロフィリア)』やナザリックでの特別情報収集官、別名拷問官を務めるとあるNPCの設定など実際に違法行為に走らなければ問題はない。(やりすぎれば警告を受ける可能性もあるが)

 

 なのでNPCキャラクターの設定上許される拷問部屋用家具も、データクリスタルで一応作る事は可能だ。ただあくまで装飾家具なのでユグドラシル内では拷問するために使う(・・)ことは出来ない。

プレイヤーにとってはあくまで設定を彩る飾り(オブジェクト)だった。

 

 ――そんな物がなぜ馬車の中に設置されているのか?

 

 

 

(え~っとこれはシャルティアの馬車で、つまりはペロロンチーノが関わってる事は確実で……)

 

 モモンガは紅いルビーのような瞳を見開きユグドラシルのシステム通り、馬車の外観から拡張された広めの室内を凝視する。信じられない物を見るようにじっくりと。

 

 まずは正面には豪華な椅子と机がある。

これはいい、机の上に装備武器である長い鞭が転がっているのが気になるが。

 

 そして机を挟んだ先には問題の拷問家具、どことなく三角っぽい木馬があった。

しかも無駄に二台置いてある。一見無造作に見えるがその下にロープが、こちらも二本置かれている。長いものではなく丁度机と木馬の先ほどであった。

 

(…………? …………! …………そうか…………ってええ!?)

 

 この世界に来て初めての大きな衝撃に精神抑制が作用する。

つまり、拷問家具を使ってソレっぽい部屋を、いや馬車の中を作ったという事だろう。

当たり前だが、幸い未使用なようでそれ以外特に変わった物はない。

 

(うわぁ…………マジかペロロンチーノ…………)

 

 まるで友人の部屋でエロ本よりすごいアレなアイテムを見てしまった衝撃だ。経験はないが。

彼の性格は一応知ってはいたが、実際に見るダメージはモモンガの心をざっくざっくと削る。

飾り(オブジェクト)とはいえここまで設定にこだわるとは、酷すぎる。

 

 

 全てを理解したモモンガは無心となり、改めて入り口から身を乗り出し検分する事にする。

真の意味が判明した家具は置いておき、周囲の一見普通の家具にも慎重に視線を走らせる。

室内はさらに厚手のカーテンで奥が隠されており、モモンガの本能がその先が危険だと警鐘を鳴らす。さらにクローゼットの窓越しに見えてしまったナース、メイド、バニー等々のコスプレ衣装は努めて無視した。

 

 

 見渡すと家具の上に置かれた人形――複数のフィギュアに目が留まった。

一応公式の物で女性キャラクターをモデルにしたものだったが、その背後には何故かローパー系のモンスターがところ狭しと置かれて――

 

「あのぉ……シャルティア様?」

 

 

 

 ――ッバタン!!

 

 あまりの光景の数々に背後のドワーフ達の気配を忘れていたモモンガであったが、今すべきことを理解しすぐさま扉を閉める。力を籠めたその衝撃で片側の車輪が浮き上がったが構わない。

すぐさま飛び降り馬車の下へ体を潜り込ませると、

 

 シャルティアの筋力に任せ、スカートが舞うのも構わず思いっきり馬車を蹴り上げた。

 

 

 周囲を囲んでいたドワーフ達は、轟音と衝撃波を同時に受け軽く吹き飛ぶ。

一瞬広場の中心から光の柱が伸び外壁――地下空間の壁にぶつかったがそのまま突き破り地中を伸びていく。

 使い魔と同じような繋がりから馬車が無事に山を飛び出し、そのまま砕け散り光とともに霧散したのが感じられた。もう二度と魔法で呼び出すことはないだろう。精神が抑制されると同時に安堵の息が漏れる。

 

 ぶつかった外壁から落盤が発生したが、慌てて飛び出し地面に落ちる前に魔法で粉々に処理していく。

 

 だが空間全体に轟音が反響し、広場を中心にドワーフの都市全体が騒がしくなってきてしまった。建物から飛び出したドワーフ達が周囲を見回しているのが見える。

少し申し訳なく思うが、あれはなにがあっても表に出してはならない類の物だ。本人の為にも。

 

 しかし思わず物理的に破壊してしまったが、冷静に考えれば魔法を解除するだけで良かった。

『急いで隠さなければ』と本能的に慌ててたとはいえ盛大な反省点である。

 

(馬車の中が馬プレイルームってどういう事だよ。……つーかペロロンチーノ……ドン引きだわ)

 

 ドワーフ達にする言い訳を考えると同時に、姉にしばかれる本人を思い出し

久々の精神の起伏による懐かしくも心地良い疲労を感じながら、盛大な溜息を吐いた。




シャルティア専用の馬車なんてあるのかな?ペロロンチーノさんなら
馬車の中で馬プレイとかシャレに突っ走ってくれそうという私の妄想です。
ユグドラシルはR-18禁止なのでただの飾りですが。
ペロロンチーノさんの逸話に関してはWikiなどに纏められているので、一度調べてみると面白いかもです。

次回は帝国へ出発です
というか次回はたぶん出発後の道中からです、話進めなきゃ(義務感


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『ジャンガリアンハムスター』

出発描写は例によって削りました、今回と次回の作中で触れてるので許して


(上に立つ者は頭を下げてはならないって……ヘジンマールに謝ったのは駄目だったのか?)

 

 ソファに体を預け本の内容に思わず首を傾げてしまう。

それと同時に視界の端に出てきた銀髪をつまみ、自然な動作で耳へかきあげ整える。

 

 そんな無意識にできる動作に多少思うところを感じながら、本から目を離し窓に目を移した。

馬車の内側からのみ見えるよう設定している窓には同伴の冒険者『銀糸鳥』の内の二人、

そしてその先には昼間の青い空に浮かぶ太陽に照らされた草原と森が広がっている。

 

(流石に見飽きてきた、かな?)

 

 ドワーフ国を出立して数日、既に山を降り緑豊かな自然の中に作られた街道をモモンガ達一行は進んでいる。

 

 出発の際は、盛大な宴を摂政会から提案されたが断った。

『ガラでもないし苦手』というのが本音なのだが、口にするわけにもいかず。無難に『復興に集中してほしい』などと煙に巻いてしまっていた。

 

 摂政会の面々とゴンドに挨拶をし、ひとまず置いていくドラゴンや他の種族に釘を刺しつつそそくさと出発したのだが、どこからか噂を聞きつけたドワーフ達が仕事を放りだし、見送りに来てくれたのは精神が鎮静化しつつも気分の良いものだった。

 

 その時ついつい調子にのって、これからルーン研究にいそしむゴンドに残り少ない武器アイテムの中からルーン製の物を渡してしまったのは早計だったかもしれない。

 

 特に思い入れもなくレア度の低いものであったので後悔はない。

マーカーもつけたし、たとえ失くしたり溶岩に落ちようとも今のモモンガなら見つけられる。それにプレイヤーが見ればユグドラシル製の物と気づくかもしれない。その辺りの事を言葉を濁しつつ、ゴンドに伝え渡しておいた。

 

 言わば囮なのだが、それくらいは許してほしい。本人は涙ながらに喜んでいたのだから。

 

 

 

 そして今、帝国への旅路に同行しているのは外交を担当する商人会議長と数名のドワーフ。

それを運ぶ馬車もといヌーク車が前後に二台。中央にモモンガ一人が乗るギルドマスター専用の馬車。その周囲を銀糸鳥が護衛している。

 

 モモンガの馬車も、今は一時的にヘジンマールが引っ張る竜車となっていた。

 

 既にいくつか村を過ぎ野営なども繰り返している。前の世界では考えられないアウトドア体験を

モモンガ自身は機嫌よく満喫しているが、移動中はそうもいかない。

 

 ――代り映えしない室内に代り映えしない風景。

 

 はっきり言ってしまえば移動中はヒマなのだ。勿論ヘジンマールお勧めの帝王学など本は興味深い物ばかりであったが、そればかりなのも問題だ。仕事以外の全てをユグドラシルに注いだ自分が言えた義理でもない気がするが。

 

(つまりなにか仕事が欲しい……のか俺は? いやいやいや――)

 

 仕事というかしなければいけない事、言わばガス抜き。

しかし今は治安の良いと聞く帝国内の街道、ここに来るまでの辺境ではモンスターの襲撃などもあったが銀糸鳥が手早く片付け、整備された街道に入り襲撃はパッタリ途絶えている。

 

 もう少し手ごたえのある敵が出てきて欲しい、せめてフロストドラゴンくらいの――

 

 

 

 

 

「モモン――いえ、失礼いたしましたシャルティア様」

「……まぁいいけれど。何か見つけた?」

「はっ! ここより南の森の中に人間の集団がおります。いくつかの馬車と貧相な武装をしており、ガラの悪い者たちです」

「人数は?」

「一部を斥候として散らせており確認はできておりませんが、百人以下なのは間違いないかと」

 

 モモンガが本を閉じながら物騒な事を考えていると、意図したようなタイミングで入り口から素早く身を滑らせ、馬車内に覆面をした忍者が現れた。

 

 モモンガが出発前にあらかじめ召喚しておいたハンゾウだ。

 

 表向き護衛は銀糸鳥に任せているが、念のため彼ら五体にも秘密裏に警護を命令している。

隠密能力持ちの忍者系モンスターのためか、ここまで同行者の誰にもバレずに任務を遂行していた。

 

 これまで主に周囲の異常やモンスター発見報告のみで、彼らハンゾウ達を戦わせてはいない。

とくに珍しくないモンスターは素通りし、遭遇したモンスターは実力を計るため銀糸鳥と戦わせている。

 

(今回は人間か……帝国内は野盗の可能性は低いって聞いてたけどゼロじゃないだろうし)

 

 あらかじめ銀糸鳥に聞いた限り、街道周辺はたまにしか野盗の類は出ない。

とはいえ小規模な類であるが襲撃や窃盗はある。

 

(ん……小規模で百人近い?)

「確実にわかっている人数は何人?」

「はっ! 戦士のような身なりの男七十人を確認しております! 魔法詠唱者はいないようです」

(七十人か……たぶん小規模じゃないよなこれ)

 

 そうなると野盗などではなくガラが悪いだけの商人の集団や、開拓村の集団ではないだろうか。

そうなると気にするだけ損である。暇つぶしに接触してみてもいいが、急ぎではないとはいえ

国のお偉いさんに呼ばれている身、遊んでいたなどと報告はされたくない。

 

(野盗だったら襲ってほしいなぁ……銀糸鳥の戦い方ももっと見たいし)

 

 モモンガは自らの目で確認すべくフローティング・アイを発動させる。

使い勝手のいい術者の視界だけを飛ばす魔法だ。自由を得た視界が馬車から飛び出し、草原を抜け森に入る。木々の間を抜けしばらく進むと、ほどなく人間の集団をとらえた。

 

 報告通り『いかにも』なその外見を確認する。

確かにガラは悪いが、気のせいか戦士としての経験を感じさせる者達も幾人かいた。

 

(あれって刀か? この世界じゃ初めて見たな……)

 

ひょっとすると彼ら自身の戦いの経験がそう感じさせるのかもしれない。

 

(帝国は戦争もしているらしいし、脱走兵とか傭兵かな?)

 

 少なくとも商人や村人には到底見えなかった。

野盗ならまだ対人戦を見ていない銀糸鳥にぶつけてみてもいいかもしれない。

 

 

 だがその中でもひときわ大きい馬車の中を見て、真紅の目が見開き思考が停止してしまった。

 

 

 

 

 

 ♦

 

 

 

 

 ――え?なんだあれ?

 

 モモンガはフローティング・アイの魔法を解除し、久々に感じる驚きの感情と困惑に半ば唖然とする。

 

 確かにあれはジャンガリアンハムスターだった。

しかもデカい。比較的大きな馬車の荷台を貸し切って優雅に毛づくろいをしていた。

 

 魔獣……なのだろうか?

あの人間の集団の中で魔獣が一匹居座っているのは異常な気がする。

 

(……あ、でもこっちもヘジンマールがいるし人のこと言えないな)

 

 そうなるとモモンガと同じように魔獣をペットにしているのかもしれない。

ユグドラシルと同じようなビーストテイマーの能力がある者が相手にいるのだろうか。

 

 ――魔獣(ビースト)、というか大きなハムスターだが。

 

 なんにしても興味を惹かれた。野盗の可能性も高い。

レアコレクターとしての心が久々に動いたのだ。是非とも接触したい。

 

「シャルティア様? いかがなさいましたか?」

「ん? あぁ、いや――少し考え事よ。ハンゾウ、今後あの集団を野盗と仮定するわ。野盗は斥候を出していると言ったわね? こちらを発見したの?」

「いえ。ですがこのまましばらく進むと、街道を見張っている奴らの一味と思われる者達がおります」

「ではそいつらに餌を与えましょう」

「餌……ですか?」

「えぇ、少しテストを兼ねてだけどね。その斥候がいるのは街道から南の森のほうよね?」

 

 モモンガが指し示す指の先、そこには草原と森、

そして銀糸鳥の吟遊詩人(バード)フレイヴァルツとウンケイがいる。

 

「っはい!」

「そう。では急ぎましょう。ハンゾウはその斥候を見張るように」

「っは! ひとつお聞きしてもよろしいでしょうか?」

「何かしら?」

 

 準備のため、モモンガの視線は馬車内に備え付けられた鏡に向いている。

腰から上の服と髪を白い手で軽く整える。本来が男であるモモンガが見る限り、問題はなさそうだ。

 

 この体のこういった使い方はシャルティア本人やペロロンチーノに許可を貰いたかったが、

これまで会った人間たちの反応を見るに、人間の国に赴く以上早く使いこなさなければならない。

 

「そのテストと言うのはどのような?」

「あー、……女の武器の性能テスト、と言うのかな……」

 

 本来のシャルティアはパットであった豊かな胸に手を当て、何とも言えない苦笑いで答えた。

 

 

 

 ♦

 

 

 

 

「リーダー?」

「……」

 

「リーダー!!」

「あ、……すまん。ウンケイどうした?」

 

 一応の警護任務中のリーダーの無反応ぶりに、ウンケイは編み笠の中から深いため息を漏らす。

 

 ゆっくり進む馬車、もとい竜車の南側面に併せて二人は歩き進んでいた。

護衛としては不要な位置だが銀糸鳥内で話し合った結果、リーダーともう一人がこの位置となった。理由は言わずもがなだろう。我らがリーダーの病は絶賛悪化中なのだ。悪い方に。

 

 戦闘中はそうでもないのだが、こういった護衛任務に必要な警戒心が足りていない。

足りていないどころか抜けている。からっきしなのだ。

 

 幸い他のメンバーでの穴埋めと、リーダーの恋の病のお相手が魔法で

モンスターを発見してくれているので大きな問題にはなってない。

 

「リーダー、……この仕事が終わった後もその調子じゃ困りますぞ」

「仕事が終わった後か……」

 

 おそらくその場面を想像したのだろう、先ほどのウンケイにも劣らない大きなため息を吐いていた。

 

 いつもの自信に溢れた銀糸鳥のリーダーフレイヴァルツであれば、仮にミスをした時でも

すぐに取り戻し、お釣りがくる仕事ができる男なのだ。それができる能力と実力を持つからこその

アダマンタイト級冒険者なのだが――、

 

(魔性の女、……と言うには少々幼い気がするのでござるが)

 

 これまでの行程でそのお相手、シャルティア・ブラッドフォールン・アインズ・ウール・ゴウンなる少女はウンケイとしても好ましい性格なのは見て取れた。

 

 これまで立ち寄った村や町で積極的に人助けをしていたのだ。

崩れた山道や坑道の土砂を撤去し、傷や病で弱っている者達を積極的に助けていた。

前者はともかく、後者は治療魔法の費用価格を決めている神殿とのトラブルになりかねないと

忠告もしたのだが、それでも神殿のない村々で治療魔法は続いた。

 

 なぜそこまでするのかと問えば――

 

「えーっと……私がこの国にいるのは一時的でしょうから、トラブルも最低限で済みますし。『誰かが困っていたら 助けるのは当たり前』 と、当然のように言う友人もいましたし……」

 

 おそらく、その友人の影響は彼女の中でとても大きいのだろう。

どこか誇らしく、それでいて寂しげに語る様子にウンケイとしても思うところがあり

彼女を気遣ってそれ以上は何も言わなかった。

 

(アンデッド好きなのが少々不安なところでござるが……)

 

 土砂の撤去作業など、ことあるごとにアンデッドを使おうとする彼女の考えは

対アンデッドに特化した僧侶であるウンケイからすれば、理解不能である。

 

 とはいえ性格的には好感の持てる少女ではある。

政治のドロドロにまで付き合うのは御免だが、鮮血帝の下まで無事に送り届けたいと思えるくらいには護衛対象に情を感じていた。

 

 

 

 ♦

 

 

 

「あの、少しお時間よろしいですか?」

 

 モモンガはコンソール操作により開かれた窓から顔を出し、そばを歩いていた銀糸鳥の二人に声をかけた。()()()()()を考えると別に彼らと会話する必要などない。窓を開けて南側の森を見つめていればいいのだが、より相手の食いつきをよくするために一つの魔法を使いたかった。

 

「は、はいっ! シャルティア様、いかがなさいましたか?」

 

 真っ先にモモンガの声に答え走り寄って来たのは、以前から妙になつかれているリーダーのフレイヴァルツだった。その後ろではウンケイが編み笠越しになぜか溜息を吐いている。

 

「よろしければ馬車を引いているヘジンマールに透明化魔法を使いたいのですが」

「透明化魔法ですか?」

「えぇ。これまで先行しているウンケイさんに事前に声をかけてもらっていましたが、やはりすれ違う方々はみなさん怖がられていましたから」

「確かに、そうでござるな」

 

 ウンケイの遠慮のない返事にフレイヴァルツが咎めるような視線を向けるが、モモンガは手で制する。実際モモンガの馬車を引くヘジンマールは目立つ。帝国の一般的な馬に比べれば大きさは雲泥の差だ。

 

 そんな大きさのドラゴン……に見えなくもない異形種がすれ違う馬車を引いているのだ。

相手の人間たちはもちろん、馬でさえも怖がっているのは素人のモモンガでもわかるくらいだ。

 

 ――尤も、

 モモンガがあらかじめ馬車から手を振ってみれば、表情はすぐだらしない物へと変わるのだが。

 

「ですので、透明化魔法をかけておこうかと」

「良い案だとは思いますが、不可視化(インヴィジビリティ)ですと効果時間が短く手間ですが?」

「大丈夫です、その辺りの事も考えていますから」

 

 馬車の中で胸を張るモモンガ。意図せずの行動だったが、窓の中央で二つの膨らみが重たげに揺れる事となった。伝言(メッセージ)から聞こえるハンゾウの良好な報告に気分が良くなる。

顔を赤くし視線を逸らせるフレイヴァルツの反応には、逆に以前の自分を鑑みるようでほんの少しだけ申し訳ない気分になったが。

 

「ヘジンマール! 聞こえてた?」

「はっ、はい! あの……わ、私は何をすれば?」

「そのまま歩いていればいいわ」

 

 馬車の窓から身を乗り出し、髪と胸をたなびかせながら〈完全不可知化(パーフェクト・アンノウアブル)〉をモモンガが唱えると、ヘジンマールの姿、足音、気配、全てが掻き消えた。残ったのは馬車を引くためのロープが中空に二本繋がっているのみであり、傍から見れば宙に浮いたロープが重い馬車を引いている、

不可思議な光景だろうが怖がられるよりはマシなはずだ。

 

(まぁ俺には見えるんだけどね)

「これは……姿どころか足跡も消えておりますな! 一体どのような魔法なのですかな!?」

 

 ヘジンマールに現れた魔法の効果にモモンガが笑顔で満足していると、

ウンケイが珍しくやや興奮した様子でフレイヴァルツを押しのけ問いかけてきた。

会った当初からこれまで冷静な思考をしていた彼だったが、未知の魔法を目の前で見た事で興味を強く刺激されたようだ。

 

(もう少しこのまま外に出ていたほうがよさそうだし、話に付き合うか)

 

 モモンガもハンゾウの報告を聞きつつ、これ幸いとウンケイの質問に作り笑いで答えながら目当ての時間を潰すことに成功するのだった。




ハンゾウが名前言い間違えてもかわいくない問題、あと隠密だけあってどんどん影が薄くなります(他のキャラを掘り下げたいからねごめんね)

※完全不可知化について
 本人にしかかけられない設定ですが、執筆当時はその情報がなかったと思いますのでこのまま残します。(長期連載の弊害です故ご容赦ください)


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『死を撒く剣団』

前半はモモンガさんの行動心理解説的な物


 カランッ! ……カランカラ……っカラン! カラン!

 

(あれ、もう来たのか?)

 

 早めの夕食を終え、馬車内で野盗の歓迎準備を進めていたモモンガ。

野営のために銀糸鳥の「暗雲」――本人はこの二つ名を嫌がっているので表立っては言えないが――ケイラ・ノ・セーデシュテーンが設置した音を発生させる罠に野盗がかかったことを、ハンゾウが伝言(メッセージ)ですぐさま報告してきた。

 

 ヘジンマールを完全不可知化(パーフェクト・アンノウアブル)で消し、野盗たちを誘い出した後

モモンガ達の後ろを追尾していたのは、ハンゾウの報告でわかっていた。

だが日が沈む前のこのタイミングで襲ってくるのは、モモンガにとって想定外だ。

彼らの作戦を盗み聞きしていたはずのハンゾウから追加の報告が入る。

 

『申し訳ありませんシャルティア様、どうやら先走った野盗がいるようです』

(なるほどなぁ、つまりは現場の暴走か)

 

 なんとなく野盗のトップに同情してしまう。これでは奇襲もなにもあったもんじゃない。

モモンガ自身、警戒も薄くなる深夜に襲ってくるのが常套手段だと思いこんでいた。

ハンゾウの報告もそれを物語っていたため、完全に油断をしていた。反省点ではある。

 

 一応準備はほぼ終えている。ハンゾウを一体シャルティアの影に潜ませ、他は野盗および周辺状況の逐次報告、眷属招来による古種吸血蝙蝠(エルダー・ヴァンパイア・バット)で周囲の空から警戒監視、吸血鬼の狼(ヴァンパイア・ウルフ)を銀糸鳥にも見つからないよう野営地から離れた場所で待機させ、転移門(ゲート)をその傍と馬車内二ヵ所に設置した。

 

 繋げた場所は、フロストドラゴン達を待機させているアゼルリシア山脈。戦力の逐次投入も、そして念のため逃走にも使えるようにしたのだ。あとは完全不可知化(パーフェクト・アンノウアブル)状態のヘジンマールに、ドワーフの護衛を命令すればいい。

 

 

 野営に決まった場所は、街道脇にズレた見晴らしのいい草原地帯だった。

旅の間に見慣れた銀糸鳥のメンバーによる手際よい準備を見届けた後、モモンガは誘い出した野盗、もとい後を付けて来る()()()()()()()をリーダーであるフレイヴァルツに相談。

 

 なぜか跪きながら力強く「お任せください!」と宣言した後

銀糸鳥の面々に張り切って指示を出す彼のやる気に頼もしさを感じながら、モモンガ自身も独自に準備を進めた。

 

 

 ――だが前提としてモモンガは今、アンデッドが使いづらい状況であった。

 

 勿論アンデッドに問題はないが、これまでの道中帝国内ではアンデッドに対する風聞がかなり悪い。それもこれもズーラーノーンが悪いのだが、どうも人伝に伝わる話というのはかなりの尾ひれがつくようなのだ。

 

 対アンデッドに特化したウンケイが「どうにも必要以上に恐れられているようでござる、能天気よりはよっぽどマシですが」と、噂の分析をしていた。

彼の知識では到底不可能なほどの強力なアンデッドの噂が、地方に流布しており

ズーラーノーンが過去に作った死の都、それが隣接する国家にできた恐怖が蔓延しているそうだ。

 

 

 人伝に伝わる情報――これは以前の世界でも、ユグドラシル内でもリアルタイムの情報を得ていたモモンガにとっては、不便であり新鮮なものに感じられた。

 

 そして旅の目的の一つである『名声を得る』事にも関わる。

名声とは何か。言葉の意味は兎も角、モモンガとしてはシャルティア・ブラッドフォールン・アインズ・ウール・ゴウンの名が世界に広まり、それがプレイヤーにさらにはギルドの仲間たちに伝わればいいと考えている。

 

 ただ悪評だと困るのだ。今のズーラーノーンのような社会を破壊する風聞はアインズ・ウール・ゴウンの名を傷つけるし、余計な敵を作ってしまう可能性が高まる。

 

 なのでその危険性に気づいた後は、しぶしぶアンデッドの使役は控えている。

アンデッドの優秀な面は帝国内で信頼を勝ち得た後、ゆっくりと広めればいいと考えていた。

 

 この旅路でも地味な慈善活動を行い、銀糸鳥との信頼関係も構築できたように思う。彼らの雇い主である鮮血帝にも良い報告をしてくれるだろう。それをぶち壊さないためにも

『今回は』アンデッドを使わないでおくことにした。

 

 

 

 

 ――(まぁ使う準備だけはしておくか)

 

 

 

 ♦

 

 

 

 

 

 街道方面に設置した罠が盛大な音を鳴らす。護衛対象であるシャルティア様から相談を受け

街道方面に多めに罠を設置したのが幸いだった。とはいえそのほとんどは、非殺傷のものである。

理由は勿論無害な商人や旅の者だった場合、余計なトラブルを抱えるためだ。

 

 御本人も「野盗かどうかはわからない」と自信なさげに目を逸らされたための対応だ。

仮に自分のせいで関係のない人間が傷つけば、あのお優しい方はさぞ悲しまれるだろう。

 

 ――結果的にそれは杞憂だったのだが。

 

 

 

「私はアダマンタイト級冒険者『銀糸鳥』のリーダー、フレイヴァルツ。

そちらは何処の隊商の者だ?それとも……野盗かな?」

 

 夕刻、山岳から覗く太陽が草原と街道を赤く照らす中、その間で比較的身なりの良い恰好をした御者風の男に冗談交じりに問いかける。馬車は三台――二台は離れた後方におぼろげに見えた。

護衛兼先方のために離れていた可能性もあり、三台以上いるのかもしれない。

最初はあくまで友好的に接するため、防御魔法を付与された自分一人で対応していた。

 

 目の前の幌馬車の傍には役目を終えた罠が転がっており、馬が少々暴れた後があった。

それについては少し申し訳なく思う。とはいえ旅路での野営は、早くに場所を見つけ暗くなる前に準備を整えるのが常識だ。もちろんこちらにも非がある故、難癖をつけられれば金で解決するのもいいだろう。

 

 慎重に行動した結果、安全を金で買えるのであれば安い物である。

 

 

「あッ、アダマンタイト級冒険者!?」

 

 御者の男はまさに驚愕という表情を顔に貼り付け、目を見開いていた。

お世辞にも"品性"や"貫禄"とは無縁、むしろ身なりの良い服を着ているが、まるで服に操られているような違和感を覚える。

 

 フレイヴァルツは男の隠しきれない違和感を見据えていた。

 

(まるで道化だな……)

 

 アダマンタイト級冒険者として、様々な身なりの者の依頼を受けてきたフレイヴァルツ。

その経験から、この男にはまるで豪商や貴族が着る服を一見すると平民が――それ以下の浮浪者が着ているような違和感が感じられた。

 

 一言言葉を交えてソレに気づいたフレイヴァルツは、男と()()に気づかれないよう後ろの仲間へサインを出す。

 

「こ、こりゃぁ、失礼しやした。あっしはザックと申します」

「ふむ……私は()()()()()()() ()()()()() ()と聞いたのですがね?」

「あ!っ、し、失礼しました! あっしらは元王国の商人でして、エ・ランテルの件はご存知ですよね? あッ、あれで慌てて逃げてきた商人なんですよ! いやぁ、野盗なんて冗談やめてくださいよ」

 

 男の早口でまくしたてる言葉の内容には、なるほど違和感はなかった。

王国最大級の城塞都市兼商業都市でもあったエ・ランテル。そこが陥落"死の都"と化したことで帝国に流れて来た者は多い。王国を見限った者、生活の糧や住居を失い逃げ出してきた者、商人、冒険者、ワーカー、浮浪者、中には元兵士や衛兵もいるそうだ。とはいえ道中の噂で聞いただけで、実際この目でそのような人物を見るのははじめてだが。

 

 男の発する聞いたこともない隊商の名前にも、それならば納得ができる。

だが男自身の違和感は拭えるものではないし、その表情と慌てた口調、なにより男の雰囲気が真っ当な商人の生き方をしてないのが伺えた。

 

(試してみるか……)

「ザックさんと言いましたか? あなた、嘘をついていますね?」

 

 やや語気を強めて断言するように言い放つ。それと同時に腰に装備していたレイピアを抜き放ち、夕日で赤く光る切っ先を男に向ける。その瞬間声こそ発しなかったが、男は再び驚愕の表情を顔に貼り付けた。

 

「な、なにを」

「よければ、先ほどから馬車の中でこちらを伺っている方々を紹介してもらえませんか?」

「ッ、!」

 

 同時に腰を落とし戦闘態勢に入る。

帝国のアダマンタイト級冒険者、そのような人物に会った場合商人ならどうすべきか?

 

 答えは商人ではないフレイヴァルツにもわかる、売り込みだ。これまで散々売られた側だっただけに、切っ掛けさえあればアイテムの贈与や、年若い娘との顔合わせ娼館への招待など、いかにもな誘いには事欠かなかった。それから逃げる足もアダマンタイト級冒険者には必須であった。

 

 王国から逃げてきたばかりの商人なら、新しい人脈作りに躍起になっているはずである。

帝国との違いはあるだろうが、この男にはその商人としての気質が感じられなかった。気質を持つはずの商人が実は後方の馬車に乗っている、という可能性も一応あったが男の反応が答えを示している。

 

「う、撃てえええええええええ」

 

 悲痛な悲鳴のような声と同時に、幌馬車の前後から刃物が飛び出す。

夕日の光を反射して先端のみ赤く光るそれは――

 

(クロスボウ!)

 

 馬車の前後からクロスボウを構えた男たちが飛び出すと同時に、空を切る音。

そして正面には布を突き破り、見えない幌の中からフレイヴァルツを狙う矢も数本。

前方斜め左右、そして正面から自分を狙う無数の矢。それらを視認したフレイヴァルツは

 

 

 ――正面へ、真っ直ぐ突っ込んだ。

 

 男達の表情がゆっくりと豹変し、矢が文字通り眼前に迫る空間でレイピアを振るう。

ブレイドの切先――ポイントで最初の矢を下から打ち上げ、次の矢を上段から返し刃元のリカッソで叩き落す。その間に肩に迫った矢を左手のガントレットで防ぎ、頭に迫った矢は首をひねることで後方へ――。

 

 その一連の流れる動きを目を見開いた男達、そして後ろで虚しく空を切る矢が見守る中、フレイヴァルツは勢いのまま幌馬車の空いた穴へレイピアを突き刺した。

 

「ぐ、ぐわああああわぁぁああ!!」

 

 確かな手応え。続けて連撃の雨のようにレイピアを突き刺す。突き刺す。突き刺す。

 

「あぎぃ!」「っがあ!」「は、離れろ! 飛び降りろ!」

 

 その声と共に自身も攻撃の手を止め、血に染まったレイピアを抜き放ち馬車の前方にいた男達へ顔を向けた。

 

「ひッひぃ!」

 

 おそらく相手を油断させるための変装だったのだろう。一人だけ立派な服を着た道化の男は目が合った瞬間、御者台から転げ落ちていった。他の男たちも目を合わせた瞬間、その奥にはありありと恐怖の感情が見て取れたが

 

「矢を装填しろ!」

「ッ! お、おう!」

「……! ッうおおおおおおおおおおおお」

 

 おそらく隊長役。一人だけブロードソードを構えた男が命令後、怒声と共に突っ込んできた。

反対側馬車後方の確認は、――どうやら仲間たちも参戦したらしい。背後からも男達の悲鳴が聞こえ始めた。

 

「おらぁあ!」

「っふぅ!」

 

 相手の鬼気迫る剣につばぜり合いで答える。レイピアでブロードソードの一撃を正面から受け止めた。その予想以上の手応えに驚いたのだろう、正面にある男の顔に焦りの色が浮かぶ。

 

「ッチィ! マジックアイテムか!? アダマンタイト級なんて聞いてねーぞ!」

「狙って襲ったのなら、下調べ不足でしたね。価値のあるものには相応の護衛がつくものです!」

「あぁ、全くその通りだ。お宝を守るのはドラゴン、()()()を守るのは騎士。おとぎ話通りってワケだ!?」

「なるほどあの方を狙って……そのお姫様はドラゴンより強いんですがね」

「はぁ!? な、グッ!」

 

 相手の集中が乱れる瞬間を見計らい力を抜き、バランスを崩した相手の側頭部に蹴りをいれた。

そのまま倒れた男の背後から矢が二本飛んできたが、一本をレイピアで弾きもう一本を手でつかんでみせた。

 

吟遊詩人(バード)の力を使うまでもないな……)

「う、嘘だろ!?」「ッ逃げろ! あんなの敵うワケねえ!」「ぶ、っブレインさんを呼んで来い!」

 

 慌てた野盗が散り散りに逃げ始める。

倒れた隊長役の野盗にトドメをさしながら、その背中を敢えて見送る。馬車の後方ではトーテムシャーマンのポワポンと、彼が喚び出した四足獣が暴れており問題なく終わりそうだった。その光景に満足していると、背後から見知った気配が声をかけてきた。

 

「まったく無茶しますねリーダー」

「セーデか、伏兵はいたか?」

「いや、すくなくとも俺の探知した範囲では後ろの二台だけでさぁ。そっちはファンとウンケイが足止めに行ってるんで、問題ないっすね」

 

 血のついたナイフを拭きながら小柄な男が答える。

シカケニンでありチームの目でもある彼には、周囲に他の敵がいないか確認してもらっていた。ナイフの血はおそらく、フレイヴァルツが見逃した野盗を何人か始末してきたのだろう。

 

「何人ほど逃げた?」

「さぁ十人はいないと思いますがねぇ」

「そうか……なら問題ないな」

 

 それくらいなら大した脅威にはならない。

全員が生き残れるとも限らないのだし、怪我をした者もいるだろう。

追撃して全員殺すのも考えたが、それは帝国では冒険者の仕事ではない。騎士の仕事だ。

それに、今の自分たちはあくまで護衛任務中。追い払うのが第一なのだから。

 

「では急いでファンとウンケイの加勢に向かう」

「? なんかあったんすか? ファンだけでも今の野盗なら問題ないと思いやすが?」

 

 自らも血のついたレイピアを拭き取り、先ほど聞こえた台詞を思い出しながら「確かにそうだが」と、静かに呟く。一人の野盗が口走った人物の名前、それが妙に引っかかった。

 

「ブレイン……ブレイン…ブレイン・アングラウスか? いやまさか…」

 

 リ・エスティーゼ王国の剣の天才――ブレイン・アングラウス。

王国最強の剣ガゼフ・ストロノーフに御前試合で敗れたものの、それは死闘の末であり実力はほぼ互角。恐るべき武技を持った剣士。敗北後は姿を消し、噂では修行に明け暮れているらしいが。

 

(野盗に身を堕とす? いや、ありえるのか?)

 

 それ程の実力があれば騎士でも冒険者でも引く手あまたであろう立場。

仮にブレイン本人であれば、なぜ野盗と共にいるのかフレイヴァルツには見当もつかない。

 

 だが、仮に……仮に本当に野盗のメンバーにブレイン・アングラウスがいれば――

 

「不味い! 急ぐぞ"暗雲"」

「なにがそんなに……ってその二つ名、ほんっとに! やめてほしいんですが!!」

 

 

 猛烈に嫌な予感が胸中に浮かぶ。

気づけばポワポンに合図を送り、残りの二人と合流するため走り出していた。

 

 

 

 

 

 

 ♦

 

 

 

 

 

「ッグぅ! 強いね……」

「ファンっ!」

 

 倒れた赤い猿の胸から、その毛並み以上に紅い血が滴り落ちる。

同時にガシャリッという音が周囲に響いた。見れば、ファン・ロングーの手に持っていた

バトルアックス二本が同時に両断され、斧頭の半分が地面に横たわり夕日の光を僅かに反射していた。

 

 ――、一瞬だった

 

 

 サポート役のウンケイが野盗たちの視界を奪い、ファンが縦横無尽に暴れまわった街道の戦場跡にその男はふらりと現れた。

 

 野盗の中で一人だけ刀を携えた男。他の野盗と同じようなぼさぼさの髪の毛、無精ヒゲからだらしなさを伺える。ふらふらと歩きながら周囲の野盗の死体を一瞥した後、ニヤリと二人を見据え無言で抜刀の構えをとった。

 

 笑った力強い茶色の瞳はまさに剣士のモノ、他の野盗などとは別次元の存在。

その事を理解した二人はその男への警戒を、敵対へと引き上げた。その時、

 

「ぶ、ブレイン…さん……」

 

 お互い無言の中、夕日と血で赤く染まった街道に野盗の声がひときわ大きく響いた。

 

「仇は取ってやる、安心して死んどけ」

「……」

「って、もう聞こえちゃいねぇか」

「ブレイン……? …もしやお主、ブレイン・アングラウスでござるか?」

「へ? こいつが王国最強の片割れなのね?」

 

 少なからず驚く二人に「片割れ……ね」と、構えは解かないままどこか他人事のように吐き捨てる男。

 

「どうでもいいだろ、そんな事。早く殺ろうじゃねえか」

「ま、待たれ! なぜお主が野盗なぞッ」

「ウンケイ、補助魔法をお願いね!」

 

 二人ともお互い言葉は不要と暗に告げていた。

ファンの方はおそらく、強者に出会えた高揚感と相手の固い意志を見抜いたためだろう。

ウンケイの止める間などなく二人が交錯し、何度か切り結んだあと、いったん離れたブレインに突っ込んだファンが血を噴き倒れた。

 

 ブレイン・アングラウスの噂にたがわぬ武技。

ファンの持つバトルアックスを真っ二つにするなど、それ以外考えられなかった。

すぐに駆け付け治癒魔法を使いたかったが、ブレインが油断なくこちらを見据え立っていた。

 

 ――仲間が来るまで時間を稼ぐしかない。

 

 後衛であるウンケイではどうすることもできない。編み笠に隠れた額と顔に汗が浮かぶ。殺される一歩手前の状況、咄嗟に思い付いた判断を確認するまでもなく、疑問を相手にぶつけていた。

 

「なぜお主が野盗などしているのでござるか!」

「……俺の噂を知ってるなら、俺が強くなりたかった理由も察せるだろう?」

「ガゼフ・ストロノーフでござるか?」

「あぁ、野盗っつーかこいつらは一応傭兵団だったんだがな。ここに入ったのは対人戦の修業を積むためだ。あと金払いもよかった、お陰でこの刀も手に入ったしな」

 

 南方の地の従属神を信仰するウンケイには、聞いた覚えがあった。

南方の砂漠にある都市。そこで製造された魔法のかかっていない武器である『刀』。

下手な魔法武器を凌駕する切れ味を誇るその武器は、非常に高額であるらしく滅多にこの地に流れてこない。

 

 ファンのバトルアックスを両断したのは、まさに彼の言う『修行と武器の成果』なのだろう。

だが右手に持ったその刀を掲げるブレインの表情は、誇る感情どころか感情そのものが読み取れない。あえて言うなら虚無感、なにもかも諦めた感情が透けて見えた。

 

「ようやくだ……ようやく、ガゼフに勝つ力も武器も手に入ったと思った。……もうどうでもいい事だけどな」

「どうでもいい、とはどういう意味ですかな?」

「……倒すべき相手、ガゼフ・ストロノーフが死んだからだよッ!」




ブレインvsファンの後半は少し削りました、流石に長すぎたので。
え?ブレインが強いのはおかしい?ブレインさん馬鹿にすんじゃねーこの作品だと大活躍だぞ。
プロットを形にできればですが……

しかし……ガゼフが死んだなんてどうしよう、コンゴノプロットガー(棒読み)


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『ブレイン・アングラウス』

ガゼフが死んだ!?嘘だッ!!!


「元々エ・ランテルには、使いっ走りを何人か置いてたんだが。あの日そいつらが逃げ出して来てな……」

 

 聞けば彼らの王国での野盗手段は、エ・ランテルに部下を侵入させ獲物を物色。

その後、襲いやすい商人などを町の外で襲撃していたそうだ。戦時には傭兵団として活動。

帝国では真っ先に騎士によって排除されそうな、ただの犯罪者集団であった。

 

「エ・ランテルが大量のアンデッドに襲われた。いや、内部の墓から湧き出したアンデッドが正解か? まぁ兎も角、一夜にして"死の都"ってやつにされたんだそうだ」

 

 それを知ったのは情報集めてからだけどな。と、語るブレイン・アングラウスはどこか悔しそうに、そして悲し気な顔をしていた。

 

「最初に逃げ出してきた使いっ走りも言ってたんだがな。……逃げ出す人間達とアンデッドの間に突然戦士達が割り込んできて、そこに『ガゼフ・ストロノーフ』が、あの王国戦士長がいたってんだよ。逃げるのに夢中でそこから先は知らねぇってんでな、王国首都まで行って避難民相手に情報を集めたら――」

 

 そこまで話すと、顔に怒りの感情を浮かべ突然足を蹴り上げた。

 

「ガゼフが、……あの王国最強の男が! アンデッドの大群に呑み込まれて死んだって! どいつもこいつもぬかしやがる!! 最後に話せた死にかけの兵士が言うには、ズーラーノーンの人間ともやりあってたらしい……」

 

 ――つまり今あいつはエ・ランテルの中で、仲良くアンデッドになってるってこったハハッ!

 

 怒りと共に一気にまくし終えたブレインは

だらりと両手を垂らし全身の力を抜き、ただ笑っていた。

 

 

 

 

 ♦

 

 

 

 ひとしきり笑い終え、人形のような目をこちらに向けるブレイン・アングラウス。

その瞳からは怒りの感情が消え、目の前のウンケイすら捉えてはいなかった。

 

「そ、そうとは限らないのでは? たとえば動けぬ程の重傷を負い、近くの村や街に運び込まれたとか?」

「こいつら死を撒く剣団も今後に関わる事だってんで、情報収集は本気でやったさ。そんな話はなかった、情報を逃したとかそんなことはありえねえな」

「……なぜそこまで自信があるのですか?」

「お前らは知らないみたいだが、今頃この噂は王国どころか帝国首都まで伝わってるんだぜ? 王国戦士長が死んだってな。なぜ自分が、周りの人間が生きてると知らせない? あいつも、そして王国の人間も『王国最強』という肩書が死ぬ事の意味を知っている。まして今王国は"死の都"を抱えて沈みかけてるんだ、隠れて何をする? 王国全体の士気を落として死期を早めるだけだ」

 

 何も言い返せなかった。ウンケイを含め、銀糸鳥は政治に関わらないスタンスを貫いている。

だが王国最強の剣が折られる意味はわかる。帝国で言えば、三重魔法詠唱者(トライアッド)フールーダ・パラダインを討ち取られるようなものだ。ガゼフ・ストロノーフの名は、王国はもちろん周辺国でも非常に名高い。争いの絶えない帝国は当然として、法国やローブル聖王国にも広く知れ渡っている。そしてその名が死ぬ意味は――、

 

「理解したか? じゃあ続きをしようぜ、丁度時間稼ぎも済んだみたいだしな」

 

 ブレイン・アングラウスの見つめる自らの背後から、仲間の大声が聞こえてくる。

舐められているのか、それとも見下されているのか。どちらにしろ前衛であるファンが戦えない今、苦戦は免れない。逃げ出すか、最悪の場合も想定しなければならない。

 

 戦闘再開の意思を示すように、抜刀の構えを見せたブレインが腰を落とし、ギラついた眼でウンケイとその背後を睨みつける。その構えはつい先ほど見覚えがあった。バトルアックス二本を両断しファンを仕留めた構え。ウンケイにはそこから先の動きは見えなかったが、構えだけなら見間違えようもない。

 

「待たれよ、野盗をする理由は聞いておらぬ! ガゼフ・ストロノーフが死んだなら、お主に()()()()()()()()()()()のではござらんか!? それにお主は野盗の仲間を見捨て――」

「――ッ!」

 

 その瞬間――ブレイン・アングラウスの体から殺意の刃が射出された。

 

 先程まで必死に回していた思考が止まり、動かしていた舌が凍る。首から下の一切が動かず、全身の毛穴が抜け落ちたような寒気が体中を覆った。まるでウンケイの心臓が一瞬で握りつぶされ、意識が白く染まりだすのを何もできず傍観するような気分だった。

 

(……ここまでのようでござるな)

 

 薄れゆく意識、わずかに残った戦闘の意志を総動員して、背中越しに後の仲間にサインを送る。

 

 ――逃げろ、と。

 

 同時に一瞬でも時間を稼ごうと錫杖を構え、その身すらも盾にすべく全身に力を入れた。

 

 その瞬間

 

 

 

 

「つまり、単に自暴自棄(ヤケ)になった子供ですよね?」

 

 この旅路の中で聞きなじんだ少女の疑問の声が、夕日に染まった血生臭い戦場に響き渡った。

 

 

 

 

 ♦

 

 

 

 

 その気配は突然現れた。

 

ブレイン・アングラウスの<神閃>。<領域>との併用による迎え撃つ構えを解き、目の前のウンケイという僧侶に切りかかろうとした瞬間、

 

「つまり、単に自暴自棄(ヤケ)になった子供ですよね?」

 

 <領域>内に現れた声と気配に向けて斬撃を放つ。言葉の意味は理解していない。単にこれまでの鍛錬、数百万にも及ぶであろう極限まで追求した武技を、体の赴くまま発動させただけだ。

 

 しかし突然の無意識の中発動させた技、それを達人が放てばそこに一切の手加減は存在しない。ここは戦場、味方は一人もいない中<領域>の中に突然現れた存在が味方であるはずがない。

 

 抜刀からの高速の一撃が前方の敵へ向かう。僧侶との間に瞬時に現れた現象に相手は魔法詠唱者か? と、一瞬の疑問と警戒感を浮かべる。だが刃は止まらない。その存在が幼い少女であること、少女でありながら胸が大きく官能的な雰囲気をまき散らしていること、ドレス姿で絶世といってもいい美を誇る少女であること、それら全ては切った後に認識(・・)できる情報だ。振り切った後、その美しい首が飛び、刀身に血は一切残らない。

 

 ブレイン・アングラウスの武技はそういうモノなのだ。

 

「しぃっ!」

 

 鋭く短い息と共に、相手の首に届く。一瞬の閃光、その首が――

 

 

 

 

 

 ――届かなかった。

 

 摘ままれたのだ。

 

 その一撃を白魚のごとき二本の指――親指と人差し指で。

 

「……なッ!? …………ば、…かな」

 

 その信じられない光景を認識できた瞬間、荒い呼吸が体から漏れ出た。

体が震えそうになり、目の前の紅い瞳に全身が吸い込まれそうになる。

 

 その瞳に自ら顔が映っていた。傭兵団下っ端以下の気の抜けた面か、初めて戦場に立った死に怯える新兵のような泣き顔。その顔が、自分のものであることが信じられなかった。

 

「〈道具上位鑑定(オール・アプレイザル・マジックアイテム)〉ふむ……神刀、属性神聖、低位魔法効果、物理障害に対する斬撃効果20%向上、物理ダメージ5%向上および一時的効果+10%、非実体に対し30%のダメージ効果、クリティカル率5%向上。……うーん、まぁこんなものかな?」

 

 侮辱するような落胆したような物言いにも何も感じなかった。

ただ一つの言葉が、自然と口からこぼれ出る。

 

「バッ、化け物か――」

「むッ!って別に間違ってないかな? 設定的には」

 

 一瞬こちらを睨みつけた幼さが残る顔立ちに、戦慄が体中を走る。

 

(――逃げるか?)

 

 だが、摘ままれた刀は未だに動かない。全力を以てしても動かせなかった。

目の前の少女の指二本で止められる刀、これが純粋な力によるものとは思えない。

魔法による現象なのではないか。時間が経てば解けるのか、だが絶対的な力であればそれは些細な問題だ。

 

 重要なのは死ぬか生き残るか、敵か味方かそれだけ。

 

 

 その時パキッと、一瞬の割れるような甲高い音が響く。見れば自らの刀にひびがはいっていた。

ちょうど摘ままれた指の部分、黒い刀身が悲鳴を上げ欠片がいくつか地面に散っている。

 

「あッご、ごめんなさい」

 

 少女は慌てて手を離した。手をわたわた振り、心底申し訳なさそうな少し赤面した表情。

それはまるで街中で町娘とぶつかったような自然な動作。

ガラの悪い連中が難癖をつければ、金や乱暴を許してしまいそうなあどけないもの。

 

 だがここは戦場、なぜ少女がそんな反応をしたのかは分からないが、これは――

 

(好機ッ!)

 

 突き出す形になっていた刀をそのまま前へ、全身の体重をのせる。

狙うは少女の顔、紅い右目その中心。どんな人間も目は鍛えられない、最悪頭を貫通即死させることも可能。全力の突きによって、先端がその瞳に吸い込まれる。

 

 ゆっくりと伸びる刀、到達まであと数センチ、数ミリ――

 

 

 ――そこでブレインの前進が止まる。

 

 全体重をかけた突き、それが刀身を握った少女の右手によって止められていた。

 

(なッ!まばたきすらしない…だと……)

 

 文字通り目の前に、あと僅かに子供が押せば紅い瞳が血に染まるような状況。

そんな状況においても、目の前の少女は静かにブレインを見つめていた。戦闘前に刀身には武器魔法化(マジック・ウェポン)を使い、切れ味を増大させている。にも拘わらず刀を握った白い手に、血の色はどこにも見られなかった。

 

 そしてその瞳は何事もなかったかのように、刀を見つめていた。

 

「危ないなぁ」

 

 柄を握るブレインが刀越しにその力を感じた瞬間、バキンッと刀身が砕かれ欠片が周囲に霧散。

無数の欠片が夕日を反射する光景を、ゆっくりとスローモーションのように唖然と見つめたまま倒れこむ。

 

「な……なんなんだお前は……」

 

 四つん這いになり、目の前の少女を改めて見上げた。ただただ美しい少女だった。

切る瞬間に感じた官能的な雰囲気と大きな胸が、下から見上げる事でより欲望を刺激する光景。だが、ブレインにはその美しさ以上に、純粋な力の差がすさまじい重圧として感じられる。

 

「初めまして。私はシャルティア・ブラッドフォールン・アインズ・ウール・ゴウン。よければお話を聞きたいのだけど? あ、もちろん平和的にね」

 

 野盗だった無数の死体が転がり、血に染まった街道で少女はそんなことをぬかしたのだった。




と、言うわけで平和的なお話合いです。本当です。


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『ブレインへの興味』

引き続きブレイン視点


「さて、それでは暗くなる前に私たちの野営地に行きましょうか?」

「……この場で殺さないのか?」

「ん? 先程話をしたいだけと言ったでしょう? それに今、血の多い場所はちょっと……」

 

 心外だと言わんばかりの驚いた顔をした後、少し冷たい目で周囲を見回す令嬢。

確かに、見た目こそ戦場に似つかわしくない少女ではあるが、その中身はブレインの武技を素手で止める化け物だ。

 

 亜人の冒険者に回復魔法を施してるのを見て、その確信はさらに高まる。

 

「あんた、やっぱり魔法詠唱者なのか?」

「今は少しややこしい体だけれど、本業はそうね」

「……嘘だろ」

 

 貧弱なはずの魔法詠唱者が、自分の武技を素手で止める。

突然姿が現れたり刀を鑑定された時に感じた、漠然としたモノ。それが突き付けられると自分の足元が、ガゼフが死んだことでひび割れていた自分の何かが、一気に崩れていく――

 

「……さっき魔法を使ったのか? 俺の刀を素手で止めたのは」

「話を聞きたかっただけなのに、まだ戦闘の意志を持ってたみたいだから。しょうがなくね。魔法は使わなかったから、少し荒っぽくなっちゃったけれど」

 

 自らの手を見つながら、まるで反省するように苦笑いで答える少女。

 

 その姿に、ようやく理解できた。今、目の前にいるのが本当の絶対者。自分がいくら努力しても、強力な武器を持っていても、その足元にすら届かない絶対の存在。ブレイン・アングラウスは人間の最高峰に届く戦士だが、それ以上の人類(ヒト)を超えた存在にとっては、ただの子供が棒を持って遊んでるようなもの。

 

 棒を振っていた子供をただ止めただけ――ブレインの刀を壊したのも、ただそれだけ。

 

 それを理解できた途端、膝が震えて道の真ん中でひざまずいてしまっていた。

 

「……俺は……努力して……」

「ん? ……え?」

 

 今まで強くなるために考えたこと、努力したこと、命を懸けた戦いもこの少女の前では無価値。

ブレインが今まであざ笑ってきた、才能のない弱者(ゴミ)と自分は何も変わらない。

 

 自分の強さと、自分が目標として信じてきた強さ。

今まで必死で努力してきたモノが、必死で磨いてきたモノがゴミだったことを知り、ブレイン・アングラウスは顔を涙で歪ませ笑った。

 

 

 

 

 

 

 ♦

 

 

 

 

 

 

「……それで、こんな俺に聞きたい事ってのはなんだ?」

「ブレイン・アングラウス……なんというか、泣き終わった途端やさぐれてしまったんだが」

「本当にブレイン・アングラウスなんですかねぇ? こんな泣きわめいてた男が?」

「セーデは疑り深いでござるな。拙僧とファンが保証しますぞ」

 

 ブレインが泣き終わるころには、なぜか彼らの野営地まで連れてこられていた。

 

 連れてこられた時の事は、おぼろげだが一応覚えている。

あの少女が魔法を使い、目の前で狂ったように泣き笑いをしていたブレインと、冒険者達を共にここまで飛んできたのだ。

 自分がその間もずっと泣いていたと思うと、とてつもなく情けない光景にしか思えず、実際その通りなのだろう。この中でも一番弱そうな小柄のハゲ男が、馬鹿にするような目を向け鼻で笑っていた。

 

 以前のブレインであればその視線に反応し、腰の刀に手を掛けているが

生憎と今は特に何も感じなかった。無視して代わりに周囲に目を向ける。

 

 どうやら思っていたより時間は経っておらず、夕日が山へ隠れ空が暗くなり始めていた。

 

 街道から外れた草原の中央に土が掘り返され、中央で火が焚かれている。

その周囲には馬車が三台、冒険者達が使っているであろう馬が数頭、飼葉を貪っていた。

中でもひと際目を引く馬車が一台、まるで貴族が乗るようなゴテゴテした装飾に、見たこともない紋章が飾られた漆黒の馬車。

 傭兵団の斥候が慌てた様子で馬車の見た目を報告していたが、話を聞くのと実際見るのはまた違っており、その豪華さは乗っている者の財力を表しているようだった。

 

 ほか二台の馬車と焚火の周りには、ドワーフ達が何人か座り込んでおり酒を飲み交わしていた。野営中の緩み切った態度に疑問を思ったが、あの少女が同行しているとなるとなるほど、と一人納得する。今の自分が拘束されてないのも、目の前の冒険者よりあの少女がいれば安心ということだ。

 

「あの化け物の女は?」

「なッ! きさまァ!」

「よせリーダー! ……あの馬車の中だ、お前が泣き止んだら顔を出すと言ってな」

 

 ブレインの何気ない疑問の声が癇に障ったのか、リュートを背負ったリーダーらしき男が憤怒の表情を浮かべたが、上半身裸の異様な男に止められていた。おそらく化け物呼ばわりしたのが気にくわなかったのだろう。

 

(ありゃどう見ても化け物だろうが、実際相対しあえばお前らもわかるはずだ。……いや、俺が言える事でもないか)

 

 自分がアレとまともに戦えたとも思えなかった。

実際に武器は防がれたが、少女からは最後まで戦意を全く感じられなかった。

話をしたかったというのは本当なのだろう。話をするためにブレインを止めようとしたのだ

子供をあやす様に。

 

(そのくせ本当に子供みたいに泣いちまうなんてな!)

 

 思い出すだけで笑いがこみあげてくる。自分の小ささに今更気づき、世界の広さを思い知った。だが、それももうどうでもいい事だった。ガゼフが死んで自分も死ぬ。いや、帝国の役人に引き渡されて奴隷になる可能性もあるか。どちらにしろガゼフともう一度戦って勝ちたかったが、それこそ子供のワガママだろう。

 

 代わりに一つだけ、あの少女に聞いてみたい事ができたくらいだった。

 

(そうだな、俺の話が聞きたいようだし。代わりに質問の一つくらい、いいよな)

「もう大丈夫そうですね」

 

 柔らかな声に考え事を止め目を向けると、馬車の扉からちょこんと顔を出した少女がこちらを伺っていた。目が合うと馬車から静かに降り、そのまま流れるようにゆっくりと歩いてきた。

 ふんぞり返るような歩き方しか知らない王国の貴族達に見せてやりたいくらい、堂に入った歩き方だ。ただその視線は常にブレインを捉えており、まるで心臓を握られているような緊張感を覚えたが。

 

「あー……」

「念のため確認なのですが、先ほどのはコレを壊したせいですか?」

 

 ブレインが武器を指で受け止められてから、それ以降の自らの醜態も併せて思い出し言い淀んでいると、少女は冒険者に目配せした後刀を取り出し、ブレインに尋ねてきた。神刀は刀身が半ばで砕け、その長さは以前の半分ほどになってしまっている。

 

 長年の相棒の悲惨な姿、というわけではない。ブレインが『死を撒く剣団』に所属し、その金払いの良さからしばらく経って手に入れた武器。だが手に入れるために注いだ金額は膨大だったため、以前のブレインであれば砕けた刀を見た瞬間、この野営地どころか夜の街道中に響き渡るような奇声を上げてしまったかもしれない。

 

 しかし強さへの欲求が渇ききっていたのか、最初に言われたように単なる自暴自棄(ヤケ)になっていたのが覚めたのか、刀の惨状を見てもどうとも思わなかった。

 

 ブレインは素直に、静かに首を振った。そうではないと。

 

「確かに俺にとっては大事な武器だったが、醜態を見せたのはあんたの強さのせいさ」

「私の?」

「あんたのそのデタラメな強さはなんだ? いや、あんたにとっての強さってなんだ?」

 

 ブレインからの問いに、刀を持ったまま不思議そうに首を傾げる少女、その反応に(やはりそうなのか)と、自分の思ってきた強さと少女の持つ強さ、その山よりも高い認識の差を理解し始める。

 

 ――この少女は、どれほどの高みに立っているのか理解していないのかもしれない。

 

 その可能性に苛立ちに似た感情を自覚し、自然と口から零れ出る。

 

 

「俺はな、あの御前試合、あの戦いで生まれて初めて負けてから這い上がって努力してきたんだ! あいつは俺と同じ剣の天才だった! 負けたのは努力の差で……俺の馬鹿な過信で負けたと思った。それからは本気で体を鍛えて、死んでもおかしくない戦いにも真っ先に飛び込んで、強力なモンスター相手にもギリギリの戦いをしてきた……」

 

 気づけば爆発していた。御前試合やその時に負けた相手の事、そもそもこの少女はブレインの事をどこまで知ってるのか。相手が知らなければこれは意味のないただの八つ当たり、だが止まらなかった。座り込んだブレインを見下ろす紅い瞳から逃げるように地面を向き、感情のまま涙ながらに吐き出す。

 

「なぁ、その俺の強さは、あんたにとってなんでもないただのゴミなのか? 子供(ガキ)が棒を振りましているのを止める程度なのか!? 俺が今まで笑ってきた弱い奴らと、今の俺……あんたにとってはどっちも……ただの石ころで……どうでも、いいもので……」

 

 

 ッポンと、唐突に右肩に何かを置かれていた。

 

 それがいつの間に近づいてきたのか、眼前に迫る少女の手と理解するのに時間を要した。

感情の沼からゆっくり顔を出す。少女の紅い瞳と再び目が合った。

 

「答える前に逆に聞きたいのだけれど。お前は強さを求めて、最終的に何を手に入れるつもりだったの?」

「最終的、に……?」

「そう。よく聞くのが金、女、名誉、この三つ?」

 

 肩に置かれた手と逆の手の指が三本、ブレインに突き付けられる。

「あ、あと権力もかな?」などと声がかけられすぐに四本に増えたが、王国貴族の政治など元来興味がないものだ。農村で育った当初は剣の天才と祭り上げられ、自身でもそう信じて御前試合に参加した。そこでガゼフに勝っていれば自分が王国戦士長となり、王国最強の『名誉』を持っていたのかもしれない。

 

 だが今のブレインはガゼフに負けたからこそ、貪欲に強さを求め、磨いてきた。

『金』は稼いだが、それは武具を手に入れて強さを得るため。『女』は強さのためには不要だ。

 ガゼフに勝つためだけにひたすら修行した。『ガゼフに勝つための強さ』、ブレインが手に入れたかったものは、それだけだ。

 

「……俺は、あいつに、ガゼフ・ストロノーフに勝つためだけに強くなった……」

「?」

 

 再び首を傾げる少女、その表情は理解ができないものを見るもの。

 

「あいつに勝った後は、何か王国の宮仕えになったかもしれない。だがな、俺が一番欲しかったのはガゼフ・ストロノーフを倒せる強さだ! ……それ以外は何もいらなかったんだ」

「へぇ」

 

 もう叶わない強さへの欲求。それを完膚なきまでに圧し折った相手に話してどうなるのか?

疑問を胸に抱きながらやっとの思いで垂れ流した言葉だった。だが、それを聞いた少女の声色がこれまでと違い興味深げ、あるいは納得するようなもの。

 目の前の表情もどことなく優し気なものに見えた。

 

「わ、笑わないのか?」

「笑う? なぜ?」

「なぜって……あんたからすれば小さなことだろ。俺の弱さも、強くなろうとした理由も」

「体もこんなに鍛えて、死ぬかもしれない戦場やモンスター相手に勝ってきたんでしょう? 他人の努力を笑うほど狭量ではないつもりだけれど? むしろ、感心したくらいだし」

 

 肩の筋肉を確認するように乗せられた手の力が増す。

力を加えれば簡単にブレインの肩を潰せる人物が、自分の努力を認めてくれる?

そのことが信じられず一瞬呆気にとられ、まじまじと相手を見つめるが優しげな表情は変わらない。

 

「それじゃあ、あなたの問いに答えましょうか。私が強くなった理由、それは『自分と仲間の居場所を守るため』よ」




かなり前からチラ裏に移動してますが、その内戻します。

でも仲間の居場所は全員リアルだった(無慈悲)


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『ブレインの志望動機と面接』

モモンガ様視点に戻ります


「頼む! 俺を……俺をあんたの旅に連れてってくれ!」

「ぶッ! な、何を、突然!?」

 

 日がすっかり暮れた夜の食事の席。皿を置いた後、突然の礼と共に同行を申し出たブレイン・アングラウスの言葉に、フレイヴァルツが吹き出しドワーフ達が唖然とする中、モモンガ自身も内心では困惑していた。

 

(えっと……俺はギルドの話をしただけだったような……?)

 

 

 

 

 

 

 最初言葉を交わした際、大の大人が突然目の前で狂ったように泣き笑いを始めて少し、ほんの少しだけ引いてしまった。だが彼を連れ帰る際に刀の高価さを聞いて、モモンガは少しだけ冷や汗をかいていた。

 

 そもそも止めるためとはいえ、大した価値(レア)ではないと即断し他人の武器を破壊するのはいかがなものか。モモンガ自身も、思い入れのあるものは大切にする。例え能力の低いアイテムでも、仲間との思い出があればその価値は数十倍に跳ね上がる。性能は微妙な刀だったが、高価なものであればそれなりの苦労もしただろう。

 

 ――もっともこの体(シャルティア)を攻撃しようとした時点で、その辺りは些細な問題となるが。

 

 そう思いほんの少しだけ後悔したモモンガだったが、野営地に戻った時にウンケイにその事を尋ねると「おそらく彼が泣いているのは別の理由かと……」と、草原に顔を埋めている男を気の毒そうに見つめていた。

 

 そして泣き止んだ彼自身に尋ねると、ウンケイの予想通り違う理由だった。

 

 

 彼の話す内容『生死をかけた強さへの渇望』は、正直モモンガにはわからない。

 

 ――DMMO-RPGユグドラシル。

 

 そこで手に入れたステータス()を持って転移したモモンガ。その力は少なくとも命をかけて手に入れたものではない。お金や時間を注ぎ込みはしたが、命を賭けて育ててきた強さとはそもそも比べる類のものではない気がした。

 

 もちろん今後モモンガ自身も命を賭けた戦いをするかもしれない、この体(シャルティア)を守るために。

 だが、もちろん避けて通れるならばそうする。守るための準備も情報収集もするが、敵対する可能性のある存在(プレイヤー)とも友好的になれるならそうするべきだ。

 

 それら全てを正直に言うわけにもいかない。

 

 ひとまずモモンガは、ギルドと自分の話を少しだけすることにした。「話が長くなるから」と、夕食の席で同行者たちを交えて。彼の問いに対する答えにはならないだろう。

 ただ少なくとも『今の自分の原点』、当時の思い出が今の自分を支えているのは間違いない。

 

 事前にプレイヤーの可能性のある有名な強い存在について、ドワーフ国や銀糸鳥相手に情報収集していたモモンガは、当然『ガゼフ・ストロノーフとブレイン・アングラウス』も知っていた。

 プレイヤーかどうかという意味ではハズレだが、有名人と人脈(コネ)を持っていれば今後にも利用できる。良好な関係をもっておいて損はないだろう。

 

 

 様々な話をした中で特に食いつきが良かったのは、たっちみーとの訓練の話だった。

正直話すのは恥ずかしかった。シャルティアとしての覚悟を決めたモモンガでさえ、アイテムボックスの底に沈めたペロロンチーノいち押しの下着やコス衣装くらい恥ずかしい。だがブレインが敗北したモモンガでさえ全戦全敗の敵わない強さ『上には上がいる』それを知れば、少なくとも彼への慰めになるだろうとの配慮だ。

 

「あ、……あんたが一回も、勝てなかった?」

「うーん、()()()ならいい勝負になるかもしれないけれど。正直勝てる光景(シーン)が想像できないの」

 

 

 ――満天の星空が見守る草原の夜。

 

 中央でスープを温めた鍋と焚火を囲う中、国をモモンガに救われたドワーフ達はもちろん、今日の戦いを見た銀糸鳥の面々とブレイン・アングラウス。皆その話に聞き入り、食事の手を止めたまま黙りこくっていた。一通り話し終えたモモンガ自身も、星空を見上げ考え込む。

 勝算ゼロの戦いなどしたくはない。正直ワールドチャンピオンクラスが敵対した場合は、逃げの一手となるだろう。相手がワールドアイテムを持っていた場合も危険だ。できれば早々に拠点を見つけ、周囲の国々を含めた情報収集に勤しみたい。

 

 そこまで考えたモモンガは視線を星空から戻し、ブレインに目を向ける。

王国所属だった王国随一の剣士。できれば手元に置きたかった。敵対していたとはいえ帝国の知識も少しはあるだろうし、政治には疎そうだが王国の内情も知っているだろう。有名人と一緒であれば便利な事もあるかもしれない。

 

 その辺りを当初は銀糸鳥の、特に何かと親切なフレイヴァルツをアテにしていた。

ただあくまで彼らは一時的な雇用関係の冒険者、しかも雇用しているのはモモンガではなく帝国だ。ギルドの話もそれらを考慮した内容にした。今日起こったことも後で事細かに報告されるのだろう。

 

(気は進まないけど、シャルティアのスキル『吸血』を試す頃かな)

 

 鈴木悟として他人の血を飲むのは色んな意味で抵抗があった。

だが夕方の一面に広がる野盗達の血を見て、体の内部から沸く『吸血の欲望』それを抑えるのに多少苦労した。転移当初は、クアゴアを殺そうがドラゴンを殴ろうが死んだドワーフを見ようが、せいぜい不味そうとしか思わなかった血に対する印象が最近変わってきた。

 舐めてみたい、飲んでみたいという欲望という名の精神が鎮静化された状態。表にも出さずに済んでいるのはそのお陰だが、今後もそうだとは限らない。人が喉を渇きを訴えるように、この体(ヴァンパイア)が血に飢えはじめたのかもしれない。

 

(さすがに死体愛好癖(ネクロフィリア)は勘弁してほしいけど……吸血ならまぁまだ大丈夫だよな? でも男の血を吸うのか……ハァ~鬱だ)

 

 シャルティアは男女どちらでも大丈夫だが、死体愛好癖(ネクロフィリア)と同じく流石にそこまで再現する気はモモンガにはない。そこは越えてはならない一線な気がする。

 

(いや! あくまで血を吸うだけでエロい事じゃないし。でも首に噛み――)

「頼む! あんた、いやシャルティア・ブラッドフォールン・アインズ・ウール・ゴウン様! 俺を……私をあんたの旅に連れていってくれ!」

「……え?」

 

 モモンガの昔話で沈黙していた夜の野営地に、男の大声が響いていた。

考え事をしていたモモンガも、そして周囲のドワーフや銀糸鳥もブレイン・アングラウスに目を向ける。周りの者達と同じように配られた、なみなみと注がれたスープの入った食器を草の上に置き、その隣で膝を突きモモンガに――シャルティアに対して頭を下げていた。

 帝国の作法を今現在必死に勉強中のモモンガに、王国式の作法はまだわからない。だが元々が一つの国だっただけあって、大きな違いはないらしい。

 

「ぶッ! な、何を、突然!? あなたは!」

 

 フレイヴァルツが狼狽する声を聞きながら、モモンガも少し困惑していた。

おそらく、ギルドの話をした効果だろうことはわかる。ただ彼を慰めるメンタルケア的な効果を期待した話だ。少なくともさらにへこむ事はないだろうとは思っていたが、突然旅に連れていってくれ、などと言われるとは思わなかった。

 

「それは……部下になるということ? 理由を聞いても?」

「勿論そうだ! あんたに、いえあなたについて行って『本当の強さ』を見てみたい! 理解したいんだッ!」

(そんなフワっとした理由だと困るんだけど……俺を面接した会社の面接官達もこんな気分だったんだろうか?)

 

 ブレインの表情が真剣なものなのはモモンガにもわかる。

渡りに船ではあったが、スキルも魔法も使わず連れて行くのは少し抵抗感があった。他人に操られればそれまでだし、誰かのスパイとなれば最悪だ。それがプレイヤーだった場合、今日の夕方の立場が逆になる事だってありえる。

 

「それにあんたが捜してる仲間達にも会ってみたい。あんたが勝てなかった戦士やあんたがそこまで信頼するあんたの仲間にも!」

 

 その言葉に少し気分が高揚してしまった。そのことに気づき、慌てて首を振る。

 

「見つけるまで、何年かかるかわからないけれど?」

「構わな、いえ! 構いません!」

 

 乱れすぎな言葉遣いは減点対象だったが、そこは今後直すように言えばいいのかもしれない。とりあえずお互いのためにも、研修やお試し期間として給金の話も含め相談すればいい。数か月経ってブレインが、もしくはモモンガが『こんな筈じゃなかった』と思えばそこで別れるのもありだろう。

 それまで衣食住と給金の面倒を見なければならないが、幸いドワーフ国からのアンデッドレンタル料は安定収入だ。人一人雇うくらいなんでもない、と思う。

 

「それじゃあ雇用契――」

「お待ちください! シャルティア様! よくお考え下さい、あなた様はこれから鮮血帝にお会いになるのですよ。野盗行為は帝国騎士による立派な討伐対象です!」

 

 内心で仮契約内容を考えていると阻むような強い声がかけられた。

声の方を向けばフレイヴァルツがウンケイに押し止められながら、ブレインへ食って掛かるように睨みつけていた。

 

(あぁ~そうだった……不味いな、すっかり忘れていた)

 

 その言葉の内容に心底納得してしまった。

この国の王や貴族の感覚はわからないが、治める地で犯罪を犯した者を目の前に連れてこられていい顔をする統治者がいるだろうか? 少なくともモモンガの感覚ではそれはない。そしてそんな体裁を許す者が統治する国にいたいとは思わない。

 

 ブレインに問うように視線を戻せば、その固い表情には夜にも関わらず冷や汗を浮かべていた。

 

「ブレイン?」

「あ……あぁ。死を撒く剣団は、帝国にきて馬車を襲撃するのは今回で三度目だ……前の襲撃は俺も参加した」

 

 少し青い顔で、シャルティアに向けていた視線を外しながら答えるブレイン。

その様子に嘘は見られない、ただ少なくともこの国での己の罪を認めていた。先ほどまでの決意が無駄に終わる可能性、それは本人も承知のはずだ。

 

(見るからに落ち込んでるなぁ、俺もなんとかしたいけど……)

「それでしたらいっその事、ブレイン殿も鮮血帝にお会いすれば良い結果になると思いますぞ」

「な!? ウンケイ、何を言う! こらっポワポン離せ!」

 

 再びかけられた声に同じ方向を向くと、フレイヴァルツを押し止めていたウンケイが、錫杖を杖のように持ち一息つきながらこちらを向いていた。背後ではなぜか半裸のポワポンにフレイヴァルツが羽交い絞めになっている。

 

「今代の皇帝は、有能であれば平民でも取り立て、帝国最高の四騎士にされる方です。犯罪を犯した者を表立って取り立てた、といった話はあいにく聞いておりませんが。過去にはガゼフ・ストロノーフを戦場で勧誘したという逸話もある方。確約はできませんが、おそらく同等の強さを持つブレイン殿に厳罰がくだる事はないかと」

 

 逆に勧誘される可能性もあるのではないか。と、ウンケイは続けた。

モモンガとしても悪くない提案だと思う。あくまで犯罪者として皇帝の前に連れて行けば、モモンガの体裁は保たれる。そこで皇帝がブレインに下す罰、もしくは免罪の代わりとなる何かの提案には不干渉、ノータッチであればいいのだ。おまけに皇帝の人となりを事前に確認できるかもしれない。

 

「私は良い案だと思うけれど? ブレイン・アングラウス?」

「わ、わかった。それであんたの配下になれるなら」

「言っておくけれど、鮮血帝があなたに死刑を命じても私は止めないけれど?」

「そうだな、そうなる可能性もあるのか……その時は一つあんたに、シャルティア様にお願いがあるんだが、いいか?」

 

 今日一日、モモンガが見ただけでもめまぐるしく変わったブレイン・アングラウスの顔。今その顔に浮かべるのは決意の表情に思えた。どこか自信ありげで人を喰った様な、何かを乗り越えたような微笑み。死を覚悟してでも、その先のなにかを見つけた顔だった。

 

「名前も顔も知らない騎士に首をやるのはごめんだ。できればで構わない、もしできれば……首をはねるのはシャルティア様にお願いしたい」




アンケート募集中(シナリオに影響があるかは未定なので気軽にどうぞ)

第三の選択肢で「シナリオ次第」とか「作者の好きにしてええんやで」
なども考えたのですが、1か0でお聞きしたかったので二択としました。
読者の反応を聞きたかったのが第一なので、シナリオに取り入れるか未知数です
ちなみにブレインは帝国でアレと戦う予定です。


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『命名ハムスケ♀』

ハムスケ回は戦闘とかでもうちょっと長くなる予定でしたが、例によって(以下略)
お陰でハムスケが今回悲惨な目に…


「た、多分この辺だ、いえ、です! シャルティア様」

「そう」

 

 闇深い夜を照らす月の光を浴びながら、飛行魔法で森の上空を飛んでいたモモンガは、隣を飛ぶブレインにも念のため防御魔法をかけつつ地面に降り立った。

 

 少し探索すると洞窟がすぐに見つかり、入り口にはボロボロの幌馬車が一台置かれている。

傍の草には車輪や蹄の跡がいくつも見られ、ここで馬車の荷下ろしなどが行われていただろうことは、モモンガにも簡単に想像ができた。

 

(ハンゾウの報告通りだな)

 

 報告の正確性に内心でニコニコと満足を浮かべながら、隣のブレインへ視線を移し問いかける。

 

「ここが?」

「あ、あぁ帝国に来てできたばかりだが、俺らの住処だった洞窟です」

 

 ブレインが腰の刀に手を伸ばし、――その刀が無い事に気づき、周囲へ視線を向けながらゆっくりと洞窟入り口へ進む。その後ろを探知魔法を使いながらついて行く。野盗を誘うきっかけとなったあの魔獣が近くにいるのはわかっているが、まだ同行者という立場のブレインに手の内をペラペラ喋る必要はない。

 

「予備の馬がいなくなってる、残って留守番していた奴らもいないのか?」

「襲撃から生き残って逃げてきた野盗達が、……来たんじゃないかしら? 多分だけれど」

 

 思わずハンゾウの報告がそのまま口から出そうになり、無意識に唇に白い手を当ててしまう。

同行者となったブレインどころかヘジンマールも含め、まだ誰にもハンゾウの存在は知らせていない。情報収集する密偵ともなれば、知る者は少ないにこしたことはないだろと判断したためだ。

 

 

 

 

 ――鮮血帝にブレインの処遇を任せることが決まった、その後

 

 ひとまずの同行者と決まったブレインは、これからの旅の路銀や荷物を野盗の住処へ取りに戻りたいと相談してきた。「ついでにシャルティア様に会ってほしい魔獣『森の賢王』がいる」という言葉にピンときたモモンガは、とくに反対する理由もないと明朝に戻ることを許可しようと思ったのだが、銀糸鳥に意見を求めるとあまり良い反応は返ってこなかった。

 

 曰く、下手をすると一日ないし二日無駄にしてしまう恐れがある。

モモンガとしては急ぐ旅でもないのに? と、思ったのだが彼らの使う伝言(メッセージ)によると、三重魔法詠唱者(トライアッド)フールーダ・パラダインが首をなが~~~くしてモモンガを待っているのだそうだ。

 「高名な魔法詠唱者としてシャルティア様の話を聞きたいのでは?」などと言われたが、なんとなく嫌なものを感じる上に、あくまで一般人感覚の鈴木悟としては遠慮したい内容だった。

とはいえ、この国の支配階級である人物に会おうというのだから今更ではあるのだが。

 

 とりあえずブレインの荷物を取りに戻る件は、夜の内に済ますことで纏まった。

モモンガ同伴という形でだが。これにはフレイヴァルツが猛反発したが、他の銀糸鳥の面々が宥めることになった。実力差や戦力分散、時間短縮を考えると悪くない案と思ったのだが、なにが彼一人を反対させたのだろうか。

 

 ちなみにブレインが加わった件は、伝言(メッセージ)と次の都市で早馬として帝都に伝えてくれるそうだ。

事が事だけに優先して伝えてくれるらしい。モモンガとしても、事前にアポイントを取る重要性はわかるのでお願いしておいた。

 

 

 

 

 

 ――俺一人で荷物を取ってきますよ。ここの見張りお願いできますか?

 

 かけられた言葉に意識を戻すと、ブレインがランプを持ち洞窟入り口からこちらに顔を向けていた。

 

「えぇ。もう誰もいないとは思うけれど、注意するように」

「ついでに商人から奪った品が残っていれば、持ってきますよ」

 

 そう言うと急ぐように中へ入って行った。おそらくこれが一行にとっての寄り道と思い、なるべく早く済まそうと思っているのだろう。モモンガにとっては野盗達の連れていた魔獣が本命で、ブレインの存在は思わぬ副産物だったのだが、本人に告げると落ち込みそうなので言わないでおく。

 

 

 

 ブレインの遠ざかる足音を聞きながら、背後を振り返った。

野盗達によって最低限整備され、踏み固められた森に伸びる道。その森の中にこちらへ近づく気配を捉えていた。昼間にモモンガが魔法で姿を確認し、出発前にブレインが言っていた『森の賢王』――モモンガが見る限りどう見てもハムスターなのだが――に、ほぼ間違いないだろう。

 

 迫っていた気配、夜目でその姿を森の中に捉えた瞬間、鱗に覆われた長い尻尾がモモンガへ襲い掛かってきた。そのゆっくりした攻撃を体をひねる事で躱し、通り過ぎる瞬間に尻尾の先端を

 

 ――無造作に掴んで止めた。

 

「むっ?」

 

 その瞬間夜の森の中に、どこか間の抜けた声が響いた。

もちろんモモンガ――シャルティアの声ではない。となれば、タイミングを考慮すると戦っている相手の声であるのは自明の理なのだが、ひとまず降伏の声ではなかったのでこのまま続けることにした。

 

 とはいえ、この後することは非常にシンプルだ――投げ飛ばすだけなのだから。

 

「っちょ!? ちょっとまつでござあああああああああああああああああああああああああああ」

 

 モモンガが尻尾を掴んでいた右手を振りぬいた瞬間、獣の叫び声と嵐のような破壊音が森の中に響き渡った。

 

 

 

 

 

 

 

「シャルティア様、お待たせしました。盗品は無じ、――!」

「思ったより早かったわね、ブレイン」

「うぅ、ヒドイでござる。思いっきり投げ飛ばすなんて……むっ、ブレイン殿?」

「攻撃してきて何を言ってるの。あと手加減は十分したから」

 

 予備の剣と荷物を持ち外へ出てきたブレインを確認すると、すぐに目の前の獣に戻した。

一応話を聞きたいため治療をしているが、警戒の意味もある。先ほどまでの醜態とその実力を見る限り、大丈夫そうではあったが。

 

「ぶ、ブレインどのおおおおおお! 死ぬかと思ったでござる! 怖かったでござるよおおお!」

「……あぁー、わかる。怖かったよなっ! そりゃあ泣くよな! お前の気持ち、わかるぜ」

 

 ブレインと目が合った瞬間、治療中にも構わず潤んだ瞳でその胸に突っ込む巨大ハムスター。

ブレインの方もその巨体を受け止め、慰めている。

 

(いや、慰めるっていうか……共感?)

 

 労わるように獣の頭を撫でるブレイン、傍から見れば愛玩動物(ペット)を愛でる様子に見えなくもなかった。ペットの大きさはさておき。

 

「ヨシヨシ」

「むっ? ブレイン殿? なにか様子が変わったでござるな。以前はもっとピリピリしていたような……」

「わかるか? まぁ、今のお前と同じ経験をしただけなんだがな。っとそれよりも、ホラ!」

 

 チラリとモモンガの方へ目を向け、獣『森の賢王』へ何事か諭すブレイン。

森の賢王もこちらへ目を向けてくるが、相変わらず涙目で「ひぅっ!」と、叫びながらサッとブレインの背後に隠れてしまった。その巨体では、震えている体の十分の一を隠す程度なのだが。

 

「あのぉシャルティア様。随分怯えているようですが何をして、あ、いや、何をなさったので?」

 

 気のせいか、動物を庇うようなブレイン姿はモモンガが責められている気がしないでもない。

 

(ひょっとして、傍から見ればその通りなのか?)

 

 目の前の巨大ハムスターを大型犬くらいのサイズにすれば、子供が他人の大きなペットに悪戯をして、怒られる絵面ではないだろうか? ハムスターを犬のサイズにするという時点で、妙な話ではあるが。

 

「えーと、たぶんアレかな。先に攻撃されたのは私だから、正当防衛ではあるのだけれど」

「――うわぁ」

 

 指で方向を指すと同時に、周囲を魔法により明かりで照らした。

自身も、そしておそらく賢王も夜目があるので特に問題はないのだが、ブレインと彼が持つランプでは心許ないだろうという気づかいだ。そしてその光景を目にすると、上擦った声を出していた。

 その辺り一帯の森の樹々が、何かをぶつけた様に半ばで折れ根も何本かが浮き上がっている。

周囲には枝や葉、そして折れて吹き飛んだ木がそこら中に散乱していた。モンスターが暴れた後みたいだなと、何も知らないモモンガが見たら思うかもしれない。

 

「お前よく生きてたな……」

「うぅ、だから死ぬかと思ったと言ったでござるよぉぉ~~~」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それで『ハムスケ』、あなたが彼ら死を撒く剣団と一緒にいた理由を教えて?」

「む? ブレイン殿から聞いていないのでござるか? 姫様は?」

「あー、お前だけが見たって化け物の話もあったからな。森のけん、じゃなくハムスケに直接聞いた方がいいと思ってな、軽くしか話してないんだよ」

 

 森の賢王――改め『ハムスケ』と名付け、同時にブレインより一足先に配下になった獣に問いかける。ブレインの現状をかいつまんで説明すると「それがしも是非配下に加えてくだされ!」と、つぶらで潤んだ瞳で訴えてきたのだ。

 元より話を聞くつもりだったモモンガはそれを了承、ただブレインの生死に関しては慎重に説明をしておいた。その後、なぜかモモンガ――シャルティアの呼称が『姫様』となったハムスケだったが、現状のモモンガにとってはかえって都合がいいので、流しておいた。

 

 洞窟の前で各々が岩の上などに腰掛け、改めて話を続ける。

モモンガは一人だけ上位道具創造(クリエイト・グレーター・アイテム)で作った豪華な椅子に腰かけていて、微妙に恥ずかしいが。

 

「シャルティア様に話したのは確か、……俺達が死の都になったエ・ランテルと王国を見限って、帝国に行く途中でトブの大森林から出てきたお前と会い、団長がお前と『取引』して同行することになったところまででしたね」

「そういえばブレイン、その『取引』の内容も聞いていたのだけれど?」

「それはその、それがしあの森で一人だったゆえ、仲間を探すようお願いしたのでござるよ」

 

 少ししょんぼりと、弱々し気に答えるハムスケに目を向ける。

ヒクヒクさせていたは髭は垂れ下がり、つぶらな瞳も気のせいか元気が無いように思われた。

 

「……仲間?」

「そうでござる。それがしも生物として種族を維持せねばならぬ身。もし同族がいるのであれば、子孫を作らねば生物として失格でござるゆえに。()()()()である故、この気持ちわかるでござろう?」

 

 ――ごめんなさい、わかりません。わかりたくもありません。

 

「えぇ……あぁ、……うんまぁ」

 

 あやうく条件反射で漏れそうになった言葉を呑みこみ、あたりさわりのない言葉で返しておいた。おそらく人のままであれば、かなりの動揺とともに叫んでいたかもしれない。精神の安定化様様である。

 動揺を鎮めた後、そういえばシャルティアって子供作れるのだろうか? などと本来の体の持ち主や、創造したペロロンチーノに対してセクハラ紛いの事を考えてしまい、慌てて首を振る。

 

(あれ、むしろ二人とも喜びそうな気が……)

「姫様どうしたのでござるか?」

「あぁごめんなさい、話を続けて」

 

 ハムスケの問い掛けに我を取り戻し、改めて向き直る。

 

「はいでござる。仲間を探してもらう事と、引っ越した先の新しい森の住処。この二つの代わりにその新しい森の住処の警護をお願いされたのでござる」

「より詳しく言うと、俺達死を撒く剣団以外の人間とモンスターを森から排除するってことだな。まぁ今だから言うがハムスケ、団長はお前の仲間探しをする気はなかったみたいだぜ」

「なっ! なんと!? ほ、本当でござるかブレイン殿?」

 

 あっけらかんと、笑いながらとんでもない事をカミングアウトするブレイン。

信じられないような表情――は、わからないが髭をピンと逆立てながら問いかけるハムスケ。

その様子を見て(この二人、いや一人と一匹仲がいいなぁ)と他人事のように眺めてしまう。姿形は違うが、どこか懐かしさを感じる光景だった。

 

「住処はともかく、百人にも満たない傭兵団でお前の仲間を探すのはなぁ。情報収集くらいはしてたかもしれないが、俺が見た限り期待はできなかったんじゃないか? 表向き捜してるフリをして、お前を都合よく働かせるつもりだったんじゃねえかな」

「そ、そんなぁ……」

 

 ハムスケのやわらかな毛に覆われた巨体が、溶ける様に地面に広がっている。

潤んだ目は今にも泣きだしそうであった。

 

「それでハムスケ、前の住処を捨てた理由をまだ聞いていないのだけれど? 化け物だったかしら?」

「うぅ……そうでござる。森が荒れてそれがしの縄張りだろうと、構わず入ってくる輩が増えてきて、それどころか森を出ていく者達まで出てきた頃でござる。近くでは見てないのでござるが、遠くの森そのものが、動いていたのでござる」

「……え? 森が動くの?」

 

 はて? この地では森が動いて移動するのが当たり前なのだろうか?

問いかける様にブレインへ目を向けると、無言で首を振る。どうやら彼にとっても不可思議な話らしい。

 

「あんなのは初めて見たでござる。それがしの縄張りに侵入した者達も必死な様子でござったゆえ、話ができる者にも聞いてみたのでござるが……ただ大きな化け物とだけ……」

「森のような大きな化け物か」

 

 先ほどと同じようにしょんぼりとしながら話すハムスケ。

故郷を失いたった一匹のその姿に、少しだが同情をしてしまう。余計な責任を背負うつもりはないが、もののついでと思いなおし、慰めるような言葉がつい出てしまった。

 

「同族の事だけれど。私はこの地で仲間を探す予定だから、ついでにハムスケの同族を探す情報収集をしてもいいけれど?」

「ほ、ほんとうでござるかああ。姫様!」

「……見つかるかはわからないけれどね」

 

 ハムスケの髭がピンと跳ね上がり、椅子に座っていたモモンガの前まで走り寄ってくると、その顔を地面に擦り付けるように下げ始めた。

 

「姫様! それがし、いえこのハムスケ、一層の忠誠をつくしますぞ!」

「うむ、よろしくねハムスケ」

 

 

 

 




というわけでザイトルクワエさんのフラグです。
『ザイトルクワエ? 何それ?』という方は、今からでもドラマCD「封印の魔樹」を探すかググって下さい。


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2章 体調が悪い人は無理せず仕事を休め&休ませてあげて
『純白の美姫と魔法キ〇〇イ』


ようやく到着、そして襲来


 バハルス帝国内、その領土の中でも西部に位置する帝都アーウィンタール。

中央に鮮血帝――ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスの住まう皇城。その周囲に帝国魔法学院や各種行政機関が広がった国の最重要都市である。

 

 鮮血帝が手掛けてきたこれまでの改革によって発展し、新しい文化や物資、人材の流入や発明などまさに帝国の歴史の中でも最大の発展を遂げている国の心臓部。隣国に突然現れたズーラーノーンによる"死の都"による噂と、元王国市民の流入でやや混乱がみられるが、ここに暮らす帝国市民の顔に陰はない。

 

 その帝国首都に相応しくそびえたつ巨大な西門。今そこは、見る者が見れば戦場と見間違うような光景が広がっていた。

 

 

 

 

「良いかっ! 再度繰り返すが、最敬礼でお迎えする! これは陛下直々の命である。巨大なドラゴンを従えられている御方だが、くれぐれも動揺することなく礼を尽くす様に!」

 

 ズラリと門前に並ぶ騎士達、ただの騎士ではない。帝国最精鋭の騎士達皇室地護兵団(ロイヤル・アース・ガード)だ。総額でいくらかかったのか、商人が見れば目眩を起こすほどの魔化された全身鎧(フル・プレート)と各種装備を携行。それらが至る所で昼下がりの太陽の光を反射し、目が痛いくらいである。

 

「言うまでもないが、皇城までの護衛は全力で行え! 市民を誰一人近づけるなッ!」

 

 バジウッドの部下――兵団隊長から兵を鼓舞する威勢のいい声が飛ぶ。

本来彼らが白銀近衛を連れて帝都の城門、それも外に勢揃いするなど前代未聞な光景だ。そんな光景を目にしながらチラリと背後を振り返れば、この国の歩く伝説がいるのだから路地裏出身の自分は色々と凄い経験をしてきたんだな、と今更ながら他人事のように思ってしまう。

 

「ふふ、如何されましたかな? バジウッド殿」

 

 騎士達の並ぶ門を離れた小高い丘の上から見下ろしていたバジウッドに、上機嫌な老人の声が届く。陛下に仕えてからそれなりの付き合いの長さがあるが、今にも歌いだしそうな声で名前を呼ばれたのは初めての経験だ。

 内心でため息をつきながら、少し疲れた表情を自覚しつつ振り向く。身長の半分もある白髭と純白のローブを着た老人が、ここ数日見慣れた満面の笑顔で立っていた。

 

「いえパラダイン様、なんというか……これからお会いする人物の事を考えていまして」

「はっはっは、報告によると随分話せる御方のようですからな、不安に思うことはないと思いますが」

 

 どちらかと言えばあなたのせいで不安なんだが、などとは口が裂けても言えない。

今のバジウッドは言わばお目付け役だ。待ちに待った日を向かえ、抑えのきかなくなったフールーダを止める役割を皇帝陛下から命じられている。報告が正しければという前提が付くが、相手を不快にすれば帝都消滅もありえるのだから気が重過ぎる任務だ。

 

 帝国最強騎士の四騎士であるバジウッドは、当然ながら皇帝に報告された内容にもあらかじめ目を通していた。

 

 曰く、山を吹き飛ばし山脈の形を変える程の魔法を使う。

 曰く、ドワーフを苦しめていたクアゴア、フロストドラゴン族を掌握。

 曰く、ブレイン・アングラウスを素手で屈服させる。

 

 他にもドワーフ国からのドラゴンを使った空輸貿易の草案や、問題の人物のこの地に来た経緯、ドワーフ国の復興にも力を貸してもらっている事、ドワーフ国にとっては英雄であり恩人である故、相応の態度で接して欲しいと要請もあった。

 

 正直なところ『山を吹き飛ばすほどの魔法』というのをバジウッドはあまり信じていない。

せいぜい伝説級のアイテムを使用したのだろうと疑っているが、自身の仕える皇帝と帝国一の魔法詠唱者が可能性を考慮しているのであればそのように行動するだけだ。

 

 半ば滅亡しかけていたドワーフ国に、救援を送らなかった帝国としては今回の客は遠慮したい相手ではあった。だが救いなのは、銀糸鳥の伝える人物像とブレイン・アングラウスの件により、相手が『話の通じる人物』と、分かっている事だ。

 帝国に配慮したように見えるブレイン・アングラウスの件に関しては、陛下自身は「試されているな……」と、嫌そうな顔をしていたが。

 

「お話し中失礼しますわ、先行して出迎えに向かった皇室空護兵団(ロイヤル・エア・ガード)の報告が――」

 

 背後から鈴のような女性の声に振り向くと、首から下に純金属製の全身鎧(フル・プレート)を装備し、豊かな金髪を揺らしながら一人の女性が歩み寄ってきた。バジウッドと同じく帝国四騎士の一人――レイナース・ロックブルズ。顔半分をその豊かな髪の毛で隠し、残った美しい左半分から冷静な視線を二人に向けている。

 

「事前の報告通り馬車は三台。銀糸鳥とドワーフ国の使者数十人、件のドラゴンと魔獣、そして馬車の御者席にブレイン・アングラウスを確認したとの連絡です」

「おいおい……あのブレイン・アングラウスを御者扱いかよ」

 

 だとしたら自分は下男か掃除係がせいぜいか、と内心で軽く笑いがでる。

 

「それと、シャルティア・ブラッドフォールン・アインズ・ウール・ゴウンなる人物には……不可視を最初から見破られていた様で――」

「それは素晴らしいっ!」

 

 報告の最中に力強く絶賛する声が響く。二人が視線をもう一人に向けると「それは探知系の魔法に特化してるということでよろしいか?」と、見たこともないギラギラした目でレイナースに迫るフールーダがいた。

 

「ざ、残念ながらそこまでは伝言(メッセージ)では語っておりませんでしたわ、パラダイン様。馬車列を上空から発見した際、不可視状態にも関わらず馬車の窓から顔を出した……美しい…………少女にずっと見られていたそうで――」

 

 フールーダを抑えながら続く報告を要約すると、上空の皇室空護兵団(ロイヤル・エア・ガード)から視線を逸らさないことに違和感を感じた部隊長は、率いていた二十機の鷲馬(ヒポグリフ)と共に街道に降り、なおも向けてくる少女の視線に確信すると不可視化を解き馬車に歩み寄ったそうだ。

 

「幸い相手方は不快に思わなかったそうですが」

「レイナース……わかっているとは思うが――」

「言われずともわかっていますわ。私も帝都に暮らす身、家が無くなっては困りますから」

 

 報告の節々から覗く苛立ち。会ってすらいない相手の容姿に対する、彼女の嫉妬がうかがえる。

「これは癖のようなものですから、お気になさらず。それに私の呪いを解いて頂けるかもしれない方ですから」静かに首を振るレイナース。

 

(昔から女の嫉妬には気を使ってきたが……今回ばかりは相手がな)

 

 今でこそ仲がいいが娼婦上がりの妻と四人の愛人、計五人の女と同じ屋根の下で暮らしている身としては、他の男より身に染みてその分野に理解があるつもりだ。だからという訳でもないが、彼女には主に裏方で指揮してもらうつもりだ。

 帝国四騎士として出迎えの挨拶、帝都の案内などは自分が担当する手はずになっている。それは彼女も事前に了承済みだ。

 

「ならいいが……相手次第だが、お前の呪いの件も俺か陛下が聞いてみる。今日は抑えてくれよ」

「……承知しましたわ」

 

 彼女の事情を知る者としてなんとかしてやりたい気持ちはある。

だがなによりも、帝国史において最初に名が残る伝説の英雄フールーダ・パラダイン、彼を凌ぐかもしれない存在と良好な関係を築く事、これに全神経を集中せなばならないのだ。

 

「っほっほ、楽しみですなぁ。レイナース殿の呪いをもし解けるのであれば――」

 

 そしてそのためには、この人物の手綱を握るという人生である意味最高難易度の任務をこなさねばならない事に、心の底からため息が出てしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ♦

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――来た。

 

 整列した騎士の中で誰の声だったかは分からない。

直前に哨戒の報告で来ることはわかっていた。しかし、実際に丘の上に顔を出したその車列を見て驚かなかった騎士は一人もいないだろう。

 

 三台の馬車の中央、遠方からでもわかる見事な漆黒の馬車を引く存在、白いドラゴン。

 

 報告通りの巨大なドラゴン。体は細長いので門を通るのに支障はなさそうだが、かなり大きくあのまま街中に入るとなれば、簡単に騒ぎになるだろう。事前に帝都民への告知と、大通りの通行停止を手配していたことに安堵の息を漏らす。

 

(いや、まだこれからだ)

 

 チラリと横を見れば「おぉおお!」と、まるで子供のようにはしゃぎだすフールーダがいるのだ。今にも飛びださん勢いでこちらに迫る馬車を見つめている。バジウッドはいつでも飛び出せるよう足の力を抜き、そして万が一のための謝罪の言葉を脳内でいくつも用意した。

 

 先頭の皇室空護兵団(ロイヤル・エア・ガード)に続きドワーフ達が乗った馬車が間近に迫ると、号令と共に騎士達が一斉に最敬礼を行う。ドラゴンを目の前にして不安ではあったが、日頃の訓練通り一つの乱れもないことにバジウッドは僅かに笑みをこぼす。

 

 人間でいう背筋を伸ばしたような、ピンと首を伸ばし周りの騎士達に見向きもせず正面を見据えたまま進むドラゴン。まるでしっかりと訓練された軍馬のような姿に感心し、そのまま御者台に目を移した。

 

(あれがブレイン・アングラウスか)

 

 服はややくたびれているが、小綺麗なマントを付けドラゴンと同じく正面を見据える男。

マントから覗くほっそりした肉体は戦場で鍛えあげられたもの。前を向いた瞳はフールーダとは別の意味でギラギラと輝き、自信に満ち溢れたような向上心のある男の顔をしている。

 

 そしてバジウッドとフールーダの前に止まった馬車は、見事と言う他ない代物だった。自らの主であるジルクニフ皇帝陛下専用の馬車でも比べてよいものか、一瞬迷ってしまったほどだ。細やかな装飾に見たことが無い紋章、ひょっとするとあれが国の国章なのかもしれない。そこからさらに後ろにはドワーフの馬車と報告にあった魔獣が一匹、騎士や門をキョロキョロ見回しながら「おぉ~すごいでござるよ」と、やや興奮していた。

 

 眼前の馬車に視線を戻すと、先に出迎えた皇室空護兵団(ロイヤル・エア・ガード)の騎士とリュートを背負った冒険者――銀糸鳥のリーダーであるフレイヴァルツが、無言で前に進み出てくる。

 

「お待たせしました、三重魔法詠唱者(トライアッド)フールーダ・パラダイン様。帝国四騎士である《雷光》のバジウッド・ペシュメル様。アダマンタイト冒険者"銀糸鳥"を代表して、このフレイヴァルツ。件の紅い空を魔法でお創りになった、シャルティア・ブラッドフォールン・アインズ・ウール・ゴウン様をお連れしたことを、ここにご報告させていただきます」

 

 バジウッドとフールーダ、前に並んだ二人を見据えた後頭を下げるフレイヴァルツ。

 

「う、うむ。いや、それより早くその御仁にご挨拶をさせて頂けるかな? バジウッド殿も私も気が急いていてな。もし私の思った通りの方であれば、今この瞬間帝国史が動くやもしれん――」

 

 小刻みに震えながら急かす様に言葉を絞り出すフールーダ・パラダイン。

その性急な答えに思わず「フールーダ殿」と、小声で制止をかける。

 

「落ち着いてくださいっ! 我らは帝国の代表なのですよ! それに中の御仁が失礼に思われる行動は慎むべきです。帝国とパラダイン様が今後その方とどのような関係になるにせよ、不快に思われて良い事はないハズです」

 

 隣に立つ老人の震えが止まり、こちらを向いた瞳が徐々にいつもの冷静なものに戻ってくる。

そして長い白髭に隠れた口に手を伸ばすと、大きな咳を何度か吐き出した。その姿に一安心し、バジウッド自身も大きな息を吐き出す。

 

「ゴホ! ゴホンッ……んっ、感謝しますぞバジウッド殿。少々興奮してしまいまして、フレイヴァルツ殿も」

「は、はいっ! いえ!」

 

 二人のやり取りをぽかんと見つめていたフレイヴァルツも、慌てて居住まいを正していた。英雄としても国としてもかなり恥ずかしい姿を見せてしまったが、周りに言いふらすような人物ではない事はわかっているので、このまま進めるため仕切りなおす。

 

「すまない恥ずかしいところを見せたな、フレイヴァルツ殿。では、改めて帝国代表としてシャルティア・ブラッドフォールン・アインズ・ウール・ゴウン様にご挨拶をしたい。お取次ぎ、お願いできるかな?」

「はっ! 既に代表者は通す様に仰せつかっております! すぐに」

 

 そのまま後ろを振り返り「おいっ」と、やや粗暴な声を御者台にかける。

御者台に乗ったままこちらを伺っていた男――ブレイン・アングラウスがそのまま馬車を降り、馬車の扉を叩く。あらかじめ話を通していたためか、中の反応を確認するとゆっくりと扉をあけ放った。

 

(こいつは……)

「――――――!」

 

 馬車中の漆黒のカーテンが開かれ、中から純白のドレスをまとった少女が姿を現した。

 

 

 ――美しい。

 

 それを見てバジウッドの胸中に現れたのは、恥ずかしげもなく素直にただその一言。

 

 まるでこの世のものではないように、まわりの世界から浮き上がった美貌。優雅に階段を降りるさまは気品に満ちており、上下に重たげに揺れる胸がバジウッドのみならず周りの騎士達も魅了する。白い花と羽で飾られた帽子、そして豊かな長い金髪が太陽の光に照らされながら軽く揺れていた。

 

(報告で聞いてはいたが、これほどとは……)

 

 まるで若かりし頃、騎士として初めての給金で行った娼館の美女たちを見た気持ちを思い出す。

家で待ってる妻たちには悪いが、衝撃という意味では今目の前で起こってる信じられない美が勝るだろう。一瞬何もかも忘れそうになる。

 

「おお……なんと、……なんという……」

 

 ――故に、気づかなかった。

 

「これほどとは…第九位……いや、それ以上……おお……まさに」

 

 間違いなく言い訳だ。駆け出しの騎士のように女に見とれるなど。

 

「……神よ! 深淵の主! いと深き御方! どうか伏してお願いいたします! どうかこの矮小な私にあなた様の魔法の教えをお与えください!! 何卒!!!」

 

 バジウッドが我を取り戻した時は既に遅すぎた。

 

 ――帝国の英雄が崩れて逝く。顔で地を舐め、溢れた涙で地面を濡らしながら、階段を降りきった少女の前で既に平伏していたのだから。




・モモンガ様衣装チェンジ、ゲヘナ時の金髪白ドレスシャルティアです仮面なし(報告では銀髪のハズ…は次回?)
公式設定情報がほぼ無い服なので、髪の色をどうやって変えているのか等少し捏造しますが許してくださいなんでもしますから。(しばらくの間はこの服装です)

ちなみに書籍だとペロリストに対し、内心がドン引きの戦士モモンが淡々と対応してましたが予定されてたこと(たぶんデミえもんの作戦)なのでこのモモンガ様どうするか...待て次回


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『フールーダ・パラダイン268歳』

うーむ、フールーダ視点でモモンガ様のビクつきっぷりを書くのが難しい。


 草花が風になびく音が静寂な世界に響く。

 

 最敬礼のまま固まった大勢の騎士達は、誰一人言葉を発しなかった。

 

 天頂に昇った日が差す帝国首都西門。今は交通を規制し出入りする者はいないが、普段は出入りの商人や冒険者など周辺の都市から集まる者達、大勢の人々で賑わうその場所は、今だけは静まり返っている。

 

 騎士が集まるほぼ中央に停まった馬車。

信じられないものを見る無数の視線の先には、帝国の英雄であり大魔法詠唱者であるフールーダ・パラダインが、純白に身を包んだ一人の少女に跪き――いや、土の地面を体全体で舐める様に平伏しているのだ。

 

 豊かな白髭をたたえた老人が、美しいとは言え年端もいかぬ少女に平伏している姿は

 

 ――とてつもなく異様な光景だった。

 

「ど、どうしたのでござるか? 姫様の前で丸まってるのは、誰でござる?」

 

 戸惑った声で問い掛ける魔獣に返事ができる騎士はいない。ブレイン・アングラウスもドワーフ達も、そしてドラゴンも驚いたように動きを止めていた。ある意味では、この場で唯一まともに思考していた人間一人を除いて――

 

「はッ!? し、失礼いたしました! あなた様の纏う光があまりに素晴らしくッ! まるで、いや、まさに! 神を目にした感動で我を忘れておりました!! シャルティア・ブラッドフォールン・アインズ・ウール・ゴウン様! 私は帝国で主席魔法使いを務めております、フールーダ・パラダインと申します」

 

 地面を舐めていた頭を僅かに上げ、少女を足元から見上げる様に自己紹介を始めるフールーダ・パラダイン。その表情は歓喜と涙でぐちゃぐちゃになっている。

 

「失礼を承知で、伏してお願いいたします! どうかこの矮小な私にあなた様の魔法の教えをお与えください!! 弟子にしてください!!!」

 

 ――弟子。

 

 再度の懇願、痛みなど意に介さず頭を地面に叩きつける様は、誰がどう見ても本気だった。

そしてそれを受けた少女は、困惑したように眺めていたが――

 

「……」

 

 少女は優雅にゆっくりと、無言のまま背後の馬車に手をかざした。するとバジウッドを含めた騎士達の前で馬車が突然消える。その光景を唖然としたまま見守る中、馬車の代わりに現れた物に言葉にならないどよめきが起こった。

 

 〈上位道具作成(クリエイト・グレーター・アイテム)

 

 現れたのは黒く、日の光で輝く漆黒の玉座。まるでおとぎ話から出てきた王者が座るような見事なもの。そして少女は平伏したフールーダをそのままに、黒い玉座に羽が舞う様に腰かけた。

 

「……ハァ」

 

 揺れる胸をそのままにドレスの中で足を組み、ひじ掛けに腕を乗せ手の甲に顎を乗せる。慣れた様子で優雅に座るその様は、バジウッドが仕える人物に勝るとも劣らない。そして少女は周囲の視線など気にしないように、冷徹な視線を少し離れたフールーダに向けた。

 

「…だれ……もう一度、名を名乗りなさい」

 

 年相応にやや小さな、それでも静寂な世界に響くには十分な声。

 

「はいッ! フールーダ・パラダインと申します! フールーダとお呼びください!」

 

 対するフールーダは渇望するように、飢えた獣のような声を少女に向けていた。

 

(ま、不味い。フールーダ殿がまさかここまでされるとは……)

 

 我に返ったバジウッドは、後悔と同時に止めるべきかと逡巡する。

だが相手は既にフールーダと話をするつもりのようだ。帝国にとってもバジウッドにとっても不味すぎる事態が、今まさに目の前で起こっている。しかしここでいきなり割り込むのも、話し始めた相手の心象を悪くするかもしれない。

 

 それに少女はなんの問題もなさそうに、冷静にフールーダに問いかけているように見えた。相手が不快に思わないのであればと、いつでも止められる様にと身構えつつ、背中に冷や汗を大量にかきながら見守る事にする。

 

「フールーダ……パラダイン……銀糸鳥から帝国一の魔法詠唱者と聞いているわ。そうか、タレントか……」

「はいッ! い、いえ! あなた様に比べれば、私などまさに虫のようなもの! 吹けば飛ぶような力しか持っておりません! 取るに足らない存在とは重々承知しておりますッ! ですがそれを承知でどうか、私を弟子にしてください!」

 

 顎を乗せていた手で瑞々しい唇を撫で、納得の声を出す少女。

フールーダの言葉が届いていないのか、何かを考え込むように少しの間顔を伏せ黙り込む。そして顔を上げると何処からか取り出した指輪を、フールーダに向け掲げた。

 

「これが何かわかる?」

「それは……見事な指輪ですが……マジックアイテムですかな?」

 

 大きな宝石の付いた見事な指輪。バジウッドは己の主と違って芸術的価値を見る目はない。ただマジックアイテムであれば、その効果によって相当な価値が付くのはわかる。

 

 少女は既に付けていた指輪を外し、その新しい指輪を嵌める。

その効果はバジウッドや他の騎士達の目にもすぐに表れて見えた。

 

(銀髪に……そういえば報告された容姿は……)

 

 玉座に腰掛けたその姿のまま、蜜のようにつやのかかった金髪が日の光を反射しながら銀に変わる。少女が馬車から出てきた途端のトラブルで忘れていたが、確かに報告されていた容姿は『銀髪』だった。

 

「どうかしら? タレントで見る光は?」

「お…おぉ、光が……オーラが全く見えなくなりました……」

 

 髪を撫でながら問いかける少女に、フールーダが目を擦り、凝視しながら答える。

 

(……探知防御というやつか?)

 

 フールーダのタレントはこの国で広く知られている。

『魔法詠唱者が使用できる位階に応じて発するオーラが見えるタレント』それは探知防御を使われると見えなくなるらしい。だがそこまで力を割くのは非効率なので、通常であれば誰も使わない。よほど後ろ暗い事があったり、隠れたい場合は除くが。

 

「す……素晴らしいアイテムですな、全く見えないとは。……あのゴウン様、繰り返しお願いいたします! 私の全てを捧げる代わりに、ゴウン様の叡智、そして神話の魔法を伝授していただければと思います! 何卒、お願い致します」

「ふむ……」

 

 懇願された少女は指輪から目を離し、再び顔を伏したフールーダを見つめる。

何かを考え込むように、だが観察するように紅い瞳でしばらく見降ろした後――

 

 

 

 ――「駄目ね」

 

 素っ気ない、冷ややかな声で答えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ♦

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――駄目。

 

 一瞬何を言われたのかがわからなかった。

 

 やっと、……やっと見つけた魔法の深淵を見るという宿願。

 

 目の前に垂らされた白く輝いた糸、それにしがみ付いた。必死に。

 

 決して離してはならない。離すくらいなら死んだほうがマシだ。

 

 例え指が千切れようが腕が無くなろうが、文字通り喰らいついてでも離さないつもりだった。必死にしがみ付き上へ昇って行こうと手を伸ばした――

 

 

 

 

 だが、糸は切られた。

 

 まるで暗い、闇の穴を真っ逆さまに落ちるような。息が止まり、ざらざらの土に触れていた手の感覚が無くなり、頭が消えた様になにも考えられなくなる。そして僅かに残った意識の片隅で理解できたことがあった。

 

 

 ――これが絶望

 

 全身の関節が音もなく壊れたように、顔から地面に突っ伏す。

 

 派手な音がした。脳が激しく揺れる。どこかを切ったのかまだ見える視界に紅い血が映った。そして歩み寄ってきた白い、踵の高い女性の白い靴が傍に――

 

「お……お願いします、どうか……どうか私の全てで……」

 

 地面を這うように、縋るようにその少女に近づく。

全身の力が抜け、手にも力が入らなかったが、それでも必死に近づきその靴にキスをする。切れた糸、それがまだ爪の先に僅かに残っている事を信じて、目の前の純白の靴を舐めまわす――

 

「ㇶッ!」

「アガァッ!」

 

 舐めまわしていた靴が消えた瞬間、激痛が頭を襲った。

頭の天頂部、そこに尖った物で押し込まれるような痛み。誰がしているのかは明白だった。それを理解した瞬間、絶望していたフール―ダに僅かだが『喜びの感情』が生まれた。

 

 帝国随一の魔法詠唱者。それを示す様々な功績を自身は持っている。

帝国全軍に匹敵すると言われる実力。この帝国を支える優秀な弟子たち。帝国魔法学院、帝国魔法省の建設など今の帝国を支える魔法技術への貢献。

 

 そんな英雄と言われる自分を、このように足蹴にできる人物がいるだろうか?

 

 歴代の皇帝だろうが、誰一人できないだろう。

 

(この方でなければならない……)

 

 そこまで考えた時、いつの間にか少女の足は離れその体は玉座に戻っていた。

多少の擦り傷と意識の乱れはあったが、再び少女の前にひれ伏し、何度でも懇願しなければならない。頭の天頂部分の痛みは残っていたが、それはむしろ嬉しかった。神のごとき神話の力を持つ少女が、初めて自分に触れた所であり、その痛みがフールーダを奮い立たせてくれたのだから。

 

「……なぜ靴を舐めた……の?」

「も、申し訳ありません! 私の忠義を示したかったのです……」

「…そ…そう……」

 

 体を起こし、元のように少女の前に平伏する。

見下ろす視線は限りなく冷たいものかと思ったが、玉座に座ったまま目頭を押さえていた。それどころか「あ……頭は大丈夫? いえ痛みのほうの……」と、心配の言葉をかけてもらえた。

 

「大丈夫です! 本当に私の全てを、忠義も魂も捧げさせて頂きますッ! 何でもさせて頂きます! ゴウン様のお仲間を探す手伝いも! この国を差し出す事だろうと、あなた様のこれからなさる事、その全てに私はついて行きますッ!! どうか何卒!!!」

「……その忠義は、わかったけれど。二つほど問題がある」

「ふ、二つ? それを解決すれば宜しいのですか!?」

 

 ここで言質を取らなければならない。自分でも分かるほど上げた首が前に伸び、目をぎらつかせてしまう。言質を取ろうがこの方の力の前では無力だが、弟子になれるアテが何もないよりましだった。

 少女はフールーダの問いに身を引きながら頷くと、座ったまま右手の指を一本立てる。

 

「う、噂で聞くあなたの立場からして、辞める事をこの国のトップが許すの? この国にとっては大きな柱を失うようなものじゃないかしら?」

「構いません! 全てを投げうってでも私はあなた様の弟子に――」

「……そういう考えは好きではないわね。責任者が引継ぎもせず全てを投げだすようでは、次もまたいつ投げ出すか。それに私やドワーフ達が何のためにここに来たか知らないの?」

 

 ため息をつきながら言われたその問いに、思い出す様に周囲を見回す。

信じられないものを見る騎士達や冒険者達に混じり、前後の馬車にドワーフ達がいる。そして少女の乗っていた馬車を引いていたドラゴン。

 

「ドラゴンを使った空輸貿易……」

「あなた自身の意志でも、飛びだす様に辞められれば雇う側は不快に思うでしょう。あなたを奪い取った相手には、特に」

「わ、わかりましたッ! では急ぎ戻りジルに――いえ、皇帝陛下に了解を頂いてまいります!」

 

 問題がわかればそれを解決すればいい。素早く立ち上がり、〈飛行(フライ)〉の魔法を唱える。フールーダの知る現皇帝ジルクニフであれば、何かしら条件をつけられるだろう。だが、この神の如き少女の実力とフールーダが本気だとわかれば、真っ向から反対する事は絶対にない。

 

 急ぎ皇城を目指し飛び上がろうとしたとき、少女の声で止められる。

 

「理由はもう一つあるのだけれど?」

「し、失礼しましたッ!」

 

 慌てて飛行魔法を解除し、三度目の平伏をする。

先程より近づき、少女の足が届く位置に体が吸い寄せられた。

 

「もう一つは、私は誰かに魔法を教えたことが一度も無いから……」

「……そ、それは問題ないのでは無いですか? 私も二〇〇年程前になりますが、最初はどう教えた物かと苦労しましたが」

「いえ……私はこの世に生まれた時から今の魔法を使えたから」

 

 その言葉に目を見開く「普通の人がどうやって魔法を使っているのかわからないの。だから止めておいた方が――」髪を弄りながら少し気落ちするように目を伏せる少女。だがフールーダは戦慄し、そして歓喜していた。生まれた時からフールーダが見た光を纏った存在。

 神話の力を使える者など、神以外のなんだというのか。

 

「構いませんッ! あなた様の一番傍で、その御力を見せて頂くだけでも!」

「えぇ……そうか……」

 

 少女の声に力が無くなっていく。それから考える様に、空を見上げ始めた。

フールーダはじっと待った。一秒が数分のように感じられ、顔は既に涙と血と泥と涎で散々な有様なのはわかっていたが、それを拭いもせず不動のまま待った。

 

 そして空を見上げたまま、神の少女の口が開く。

 

「……ならばフールーダ・パラダイン。お前に魔法を教える代わりに、若さを取り戻して上げましょうか……まずは、お試し期間という事で数日だけ」




フールーダファンの方全力でごめんなさい(たぶん次回はさらに酷い)
このネタに走ることは無いので許して

・髪の色が変わる指輪は捏造、アニメも原作であったネックレスをブローチ?にしてたし許してなんでもry


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『フールーダ・パラダイン30歳魔法使い』

 ――え?

 

 全身鎧(フル・プレート)の震える音と、僅かに聞こえた口から漏れ出た声。

その言葉を聞いたこの場にいる誰もが驚きで動揺していた。フールーダ自身もまた、頭をハンマーで殴られたように呆けている。

 

 「若さを取り戻して上げましょう」と少女は言った。

そしてその言葉とその内容、それを時間をかけて脳が溶かし終え理解したとき――

 

「そッ!……それは本当でございますかゃぁあ!!!」

 

 自分でもわかるほど目が飛び出し、口調と息が荒くなる。その姿で見上げる自らの崇拝の対象である少女は、玉座に身を引き何かを考えるようにあさっての方向を向いていた。

 その姿を見て僅かに残っていた冷静な思考が、この御方の考え事を邪魔するとは恐れ多いと静止をかける。

 

(わわわッ若さをと、取り戻すなど、……『不老』とほぼ同義!? やはり見た目通りの歳月を生きられた方ではないのだ!!!)

 

 全身の穴から汗と涙が吹き出し、地面に零れシミを作る。

今までの二〇〇年以上の人生全てが、今この時、この方に会うためだったのだろう。

 

 湧き上がる喜びと歓喜に身を任せ、踊りながら〈飛行(フライ)〉の魔法で魔力が尽きるまで空を翔けぬけたかった。今の自分が舞い上がり過ぎてるのは、心の隅で理解しているので思い止まっているが、胸中の歓喜を抑えることなど出来ない。

 バジウッドの言う通り『不快に思われて良い事はない』のだ。なんとか落ち着いて自身の有用性を立証しなければならない、全てを投げうってでも。

 

「ただし、条件が一つ。お前の頭の中を〈記憶操作(コントロール・アムネジア)〉……精神魔法で見させて貰う。この条件が――」

「はいッどうぞ!!」

 

 一切の迷いなく顔を上げ、玉座に座っている少女に向けて頭を突き出す。汚れている事を思い出し、袖で額の辺りを急いで拭きながら。

 

「……あなたの地位なら、国家機密とかあるのではないの?」

「あなた様の御力に比べれば、そのような物は雑事にも劣るものでありますッ! 私は先ほど全てを捧げると誓いました。私の知る全ての事は、あなた様のモノであると思っております!」

「そう、では楽にしなさい。……〈記憶操作(コントロール・アムネジア)〉」

 

 関心のなさそうな力のない返事と共に、頭に僅かに違和感が出始める。

今まさに神の如き圧倒的な魔力で、自らの記憶の中を調べられていると思うと興奮でどうにかなりそうだった。僅かに残った冷静な思考が、魔法の行使の邪魔になる事を告げなければジッと動きを止める事さえできなかっただろう。

 

「なるほど。ジル、いや鮮血帝ジルクニフ……デスナイト……法国、それに王国との戦争か――」

 

 頭に残った違和感が抜けると、少女は眉を顰め考え始めた。

フールーダは偉大なる少女の熟考を邪魔しないよう、そのまま待つ。この後期間が決まってるとはいえ、夢のような褒美が待っていると思えば何日でも待つ覚悟だ。

 

 やがて考えが纏まったのか、新しい主は顔を上げる。

 

「……では条件通り若さを取り戻して上げましょう。効果は先ほど言ったように数日、せいぜい二、三日。その後正式に配下となり、私が認める程の貢献ができれば、その時は若さを完全に取り戻して上げましょう。皇帝の説得は、あなた自身でなんとかしなさい。魔法は……まぁ、見せるだけなら――」

「是非! 是非!!お願いします!!! 何年掛かっても、何十年何百年、全てを投げうってお仕えさせていただきますッ!」

「ハァ~、そうか」

 

 座ったままため息をつき、呆れたような返事をされてしまった。

目の前の少女との力量差、虫と天ほどの差を理解すれば当然の反応かもしれない。

 

 そしてフールーダに視線を戻し、白いドレスに収まっていた手を伸ばしてきた。

 

「解放。超位魔法 〈星に願いを(ウィッシュ・アポン・ア・スター)〉」

 

 神の少女が静かに告げた瞬間、体中を信じられない程の力が駆け抜ける。

その感覚は、自らが開発した『不完全な不老の魔法』に酷似していた。

 

 ――だが圧倒的に魔力の桁が違う。

 

 まるで魔力の濁流が全身を貫いたようだ。

しかしそれは一瞬。フールーダが歓喜で叫びだす前に過ぎ去り、消えてなくなってしまった。

 

「へぇ……さぁ、立ち上がって鏡を見なさい」

 

 まじまじとフールーダを見つめた少女の隣に、突然巨大な鏡が現れた。

おそらく立ち上がったフールーダよりもやや大きい、金の枠と煌びやかな銀の装飾が施された鏡。帝城に比べられる鏡があるだろうかと、思ってしまうほどの逸品だった。

 

 だがそんな考えはすぐに吹き飛んでしまう。

 

(誰だ?)

 

 こちらに向いた鏡に映る四つん這いの男。

馬鹿のように呆けた顔。顔は紅い血と涙でグシャグシャとなり、元々白いローブだったものは土で半分茶色くなっている。

 

 やや短い髪は茶色く、髭もない。

 

 周囲でガチガチという音が響き始める。

鏡の隅で騎士達が震えているのが見えた。派手な音を立て、後ろへ倒れ座り込んでいる者もいる。

 

「おぉ……おお、……あ…あぁああ!」

 

 鎧の次々倒れる音を聞きながら、四つん這いでローブを引きずりながら鏡へ近づく。鏡に映った男のみっともない顔が、次第に大きくなっていく。

 

 理解はしていたが、信じられなかった。

二百年前の自らの顔など、とっくに記憶から抜け落ちている。だがその穴にピタリと目の前男の顔がハマった。

 

「ひひゃあああああぁ――ッ!」

 

 鏡を掴み、抱きしめる様に鼻先まで近づけて確かめる。

ぎらついた眼、皺のない張りのある顔、腕には若々しい筋肉、つやのある短く整えられた茶色い髪。記憶の蓋を開ける様に、体の隅々まで目を見開き確かめた。

 

 そして全てを理解した時、若さを取り戻した体から獣のような咆哮をあげた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ♦

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……うわぁ。

 

 モモンガはひたすら引いていた。

馬車から降りてから何度目か、最早数えるのも面倒な程に。鏡にキスをしながらクルクル回っている自身、――鈴木悟とほぼ同年代となった男の奇行と奇声を、内心で冷や汗を流しながら引いていた。

 そしてそれ以上に混乱もしている。昇りつめた精神は何度も抑制されるが、目の前の()()()()()変人にどう接すればいいのか迷っていた。

 

(魔法を教えることは出来ない事を告げて、ひとまず時間を稼ぐことは出来た……よな?)

 

 なにせモモンガにとっては、営業の挨拶に訪れた会社の副社長に「貴方の下で働かせてください!」と、土下座と共に言われたようなものなのだ。他人事なら笑えるかもしれないが、それが当事者となれば逃げだしたい気分にもなる。

 

(女王なんて嘘をついてる罰か……歓迎への礼の挨拶しか考えてなかったからなぁ。こいつだけが特別なのか、この国には『地位の高い変人』が多いのか。〈記憶操作(コントロール・アムネジア)〉だと皇帝含めみんな優秀に見えたんだが……)

 

 帝都が近づいたここ数日は、様々な展開への対応を考えていたが。

 

 ――馬車の扉を開けた途端土下座をする人物

 

 そんなシチュエーションへの対応は流石に考えていなかった。

多少のトラブルには寛大に対応、それくらいしか台詞を用意していない。靴を舐められた時は動転して頭を踏みつけてしまったが、そんな特殊過ぎる状況は今後関わらずに避ければいい。シャルティアの設定であれば全く問題ないのだが。

 

 そして会社の副社長――もとい、国の重鎮であるフールーダの本気具合に空を見上げながら現実逃避しながら考えた結果『いざとなったら逃げればいい』という前提で、圧倒的な力の差を見せつけるカードを切ることにした。ぷにっと萌えが常日頃言う『冷静な論理思考』とはかなり離れたものだが、モモンガ自身もいっぱいいっぱいなのだ。

 

 どのみち全てのきっかけとなった『山を吹き飛ばした魔法』を見せるように、皇帝には要請されただろう。相手の言われるがまま、人形のように応えるのも癪な上に交換条件を付け、〈記憶操作(コントロール・アムネジア)〉でフールーダの記憶を読むこともできた。

 もっともなんとか得られたのは、皇帝ジルクニフやその配下たちと周辺国家のおおまかな概要、そしてフールーダの仕事場である帝国魔法省や魔法学院の事くらいである。要は広く浅くしか得られなかった。

 

(もうちょっと上手く立ち回れたらなぁ……まぁこの変人が帝国全軍に匹敵すると言われてるそうだし、相対的に俺を無下に扱うことはしないだろう。ユグドラシルのギルド間交渉でも、圧倒的な差のある下位ギルドは食い物にされることがあったからな)

 

 『戦闘は始まる前に終わっている』というのが誰でも楽々PK術の基本だ。それなら交渉も双方の力関係次第で始まる前にある程度決めることができる。フールーダはこの後、皇帝にモモンガの事を伝えるだろう。幼少のころからの教育係という関係は既に分かっている。世迷言と切って捨てられることはないどころか、実力の差をすぐに理解してくれるハズだ。

 そうなればプレイヤーに関する情報や待遇なんかも良くなるだろう。力に任せて胡坐をかくようでほんの少し罪悪感もないではないが。

 

(操り人形は嫌だけど、この国を拠点にできれば守るのは当たり前だし。一応対等な取引になればいいか……しかし、それにしても――)

 

 チラリッと座っている玉座からやや離れた場所へ目を向ける。

 

「ふふはははははは」

 

 

 ――変人の男が高々に笑っていた。

 

 

 モモンガが玉座の隣に置いた大きな鏡はその手の中で、男の涎やキスマークでベチャベチャになっている。白かった髪が茶色の短いものになり、髭はなくなっていた。細かった体は瑞々しい筋肉と、皺のない皮膚に変わり、目も黒く鋭いものになっている。

 

(半ば人体実験も兼ねてたんだが、上手くいったようでなによりだな。色々驚いたと言うか、かなりビビっちゃったけど……)

 

 年齢以上に若返らせたら消えるのだろうか? などと少し考えもしたが、国の重要人物にそんなことできるわけがない上に、そもそもコストとして消費する経験値は最小限にしなければならなかった。

 

(消費も怖くて試せる機会がなかったからなぁ。後でレベルダウンしてないか確認しとこう)

「フールーダ!」

 

 内心のことはおくびにも出さず、ある意味ブレインと同じ『配下候補』となった男を呼びつける。高笑いしていた男はピタリと踊りを止め、土煙を上げながら滑り込むように目の前に現れ、鏡を脇に置くと頭を地面に叩きつけ派手な音を鳴らした。

 

「……顔を上げよ」

 

 女王ならばこう言うのが正しいのだろうと、半ば疲弊した心で確信しながら命じる。

顔を上げ老人から見違えた顔には、新しい赤い傷ができていた。

 

「どう? 体の調子は?」

「はいッ!! まるで自分の体ではないような、あ、ッいえ! 間違いなく幻術の類などではなく、自分の体ではあるのですが、二百年ぶりの若い体です故すっかり忘れてしまったようで!! その――」

(ひえ、怖ッ)

 

 手を前に突き出し静止させる。今にも飛び出そうな血走った目がギョロギョロ動き、息も荒く涎を垂らしている姿はかなり怖い。見てるだけで心臓に悪いのだ、アンデッドであるシャルティアの心臓がどうなっているのかは知らないが。以前出来心で触った時は、鼓動は感じられなかった。

 

「そ、それでお前はこの後、皇帝の下へ行くのでしょう? ならば……伝言を頼まれてくれるか?」

「はッ! しかし、帝都の案内はよろしいので?」

「彼らがいるでしょう」

 

 落ち着いた声を意識しながら、玉座に座ったまま周りを見渡す。

帝国式の最敬礼をしていた騎士達のほとんどが倒れ、ガチャガチャと震えながらこちらを見ていた。目立つ立派な鎧を着た人物の何人かが辛うじて立っているが、その顔に映る感情に大した差は見られない。ちなみにブレインや銀糸鳥も同じような状況だ。

 

「皇帝にはこう伝えなさい『責任者をいきなり手放すのは、惜しい事でしょう。ですがそろそろ老後の幸せを考えさせてもよろしい時期かと、提案させていただきます。私は()()()()()()()ので、跡を継ぐ後継者の育成にお励みください』と」

「はいッ! しかと一字一句偽りなくお伝えさせていただきますッ!!」

 

 後半部分を強めて伝えておく。若返させることができる人間が何を言ってるんだと思われるかもしれないが、長年国に仕え働き詰めた老人が辞めたいというなら、それは許されるべきだろう。その目的が自分に仕える事なのが頭の痛い問題である上に、さらには別の悩みがあった。

 

(魔法に対する執着はなんとなく理解できたから……怖いけどまぁ我慢するとして。問題はやっぱ給料だよな)

 

 早い話がフールーダに払えそうな金のアテが、今のモモンガには無いのである。

前の世界の感覚で言えば、国の重鎮だったフールーダに払うべき年収は鈴木悟の十倍かそれ以上だ。ドワーフに対するアンデッドのレンタルで、少し懐は潤っているが、正直今後の事も考えるとその収入だけは厳しい。

 

(いやでも脱サラして夢を追いかけるようなもんだよな。ゼロからのやり直し、それなら給料がかなり下がってもいいかもしれないけど……)

 

 ブレインの件もあるし、必要であればさらに配下が増える可能性もある。それにフールーダは優秀だ。魔法に関する記憶を見ただけではサッパリわからなかったが、モモンガの下に正式にくればすぐに目覚ましい実績を示すかもしれない。業績に貢献すれば昇給アップは最低限しなければならない事だ。

 

(あぁ~、こんな時ナザリックがあればなぁ)

 

 ――失った事を後悔しても仕方ない。こぼれたミルクは元に戻らないのだから。

 

 ドラゴンを使った空輸貿易が正式に認められれば、モモンガのペットであるドラゴンのレンタル収入が見込めるので、何としても同行している商人会議長には頑張ってもらわなければならない。

 

(魔法を餌に無給で働かせるなんて、ヘロヘロさん以上のブラックだし絶対だめだよな。フールーダの後継者が数日で決まるとは思えないし。空輸貿易もだけど俺自身の足場も固めないとな……。皇帝があっさりフールーダの首を切りませんようにッ!)

 

 

 ――まだ記憶でしか会えてもいない鮮血帝ジルクニフに、祈らずにはいられないモモンガであった。




・若返ったフールーダは茶髪ニグン変人イメージです


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『帝城への闖入者』

一月以内でなんとか序章ダイエット終了


「はぁ――」

「あ……あの、陛下……」

「待てッ! ……しばし待て。お前たちの意見は後で聞く、今は――」

 

 傍に控える騎士達の声に不愛想な声で返し、机に伏せたままの頭を掻きむしる。

視界の隅で机の上に自らの髪の毛が舞い落ちたが、気にしてなどいられない。

 

 昼下がりの光が差す帝城。現皇帝ジルクニフの政務を執り行う執務室。

 

 今までジルクニフは様々な命令をこの部屋から下してきた。貴族の粛清、帝国を揺るがす反乱の鎮圧、隣国との戦争、どんな状況でも決して混乱などしなかった。だが今この場に関しては頭を抱えるほかない。

 

 チラリッと、冷や汗が落ちていた机から視線を上げ、睨むように部屋中央にいる人物を見る。

 

 茶色く短い髪と、若さが熟したような顔立ち。あったはずの長い髭がなくなり、老いていた体は引き締まった筋肉と純白のローブに覆われた人物。困惑と混乱する弟子や文官達周りに囲いながら、まるで子供が自慢話をするように、西門で出迎えた人物の素晴らしさを説いていた。

 

 ――ジルクニフの苦悩も知らずに。

 

「フールーダ……先の話、全て本当なのだろうな?」

「無論です陛下。わが生涯の魔法研究全て……とは言っても『あの御方』に比べれば虫以下のものとなってしまいますが、私の全てをかけても構いません」

 

 絞り出す様に尋ねた自らの声、それに答える嬉々とした声。

その返答に再び頭を抱える。わかってはいるのだ、その場にいたバジウッド直属の騎士も先ほどこの部屋に転がり込んできたのだから。今その御方とやらは、大通りを通りこの城へ向かっている。

 

(万が一の予想はしていたが……蓋を開けてみればあまりにも予想以上……いや、雲の上のような存在という訳か)

 

 気のせいか胃がキリキリ痛み始めた気がする。皇帝の座についてから、これほどの重圧を感じるのは初めてかもしれない。

 

 そこから生まれた不安を紛らわす様に、傍にあったカップの冷めきった茶を飲みほした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ♦

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――コトッ、という音に視線を向けずに手を伸ばす。

いつもの決まった場所にカップが置かれ、ジルクニフが執務中に好む温かい茶が注がれていた。メイドが静かに扉を閉めるのを視界の隅で確認しつつ、カップを片手に持ち目の前の報告書を読み解く。

 

 報告書の内容は『シャルティア・ブラッドフォールン・アインズ・ウール・ゴウンなる人物について』彼女の魔法、アゼルリシア山脈にいた理由、ドワーフ族との関係、銀糸鳥の報告とブレイン・アングラウス。それと彼女の探している人物たちについての調査に関する中間報告もあった。

 正直に言えば眉唾な部分が多すぎる。特に銀糸鳥と接触する以前に関して全て本当だとすると、一個人で成し遂げた事とは到底思えなかった。最後の報告にあるブレイン・アングラウスを素手で屈服させたというだけでも十分脅威ではあるが。

 

「――ふぅ」

 

 重いため息とともに椅子に背を預け、気を落ち着かせる。どちらにせよ今日の夕方頃にはすべてわかる事だ。ここ数日ソワソワ落ち着かなかった爺――フールーダはバジウッドとレイナース、そして皇室地護兵団(ロイヤル・アース・ガード)とともに出迎えのため西門へ送り出している。

 フールーダのタレント(相手の魔法力を探知する力)であればすぐ看破できるであろう。無理だった場合の腹案も用意しているが、あまり心配はしていない。フールーダが期待した通りの実力者であれば、囲い込む方法はいくつか用意してある。相手がただの男であれば金や女を絡めてもっと単純な方法がいくつもあったのだが、それは仕方ないだろう。

 

 少女の捜している人物たちについての成果はさっぱりだった。もっとも、調査を始めてまだ十日も経っていない。彼女が帝国に着く今日この日に、交渉カードにできなかったのは少々残念だが、既に調査を始めていることをアピールするしかない。

 

「ん? ……何事だ?」

 

 そこまで考えを終えた時、違和感を感じた。部屋にはジルクニフ一人しかいないが、部屋の外に城に似つかわしくない怒声が聞こえた気がした。この部屋の壁は防壁と言ってもよいほど分厚く強固に作られている。外の騒ぎが聞こえるという事は、それほどの事が起きているという事だ。

 

「陛下! 城内に侵入者ですッ!」

「なんだと」

 

 扉の前に立っていた見張りの騎士と共に、四騎士であるニンブルが部屋に飛び込んでくる。彼が礼儀知らずというわけではない、それほどの事態という事だ。ジルクニフも思わず立ち上がった。

 

「城上空からです、皇室空護兵団(ロイヤル・エア・ガード)が迎撃しておりますが次々眠らされここに着くのも時間の問題かと! 我々が先導しますッどうかご避難を!!」

「眠らされて……? しかしこのタイミングで上空から?」

 

 皇室空護兵団(ロイヤル・エア・ガード)はフールーダ達より先に斥候と出迎えのため一部が出払っている。無論全てではないし、城の上空警護はいつも通りの規模で行っている。だが侵入者を迎え撃つとなれば、そのための大規模な増援は見込めなくなる。

 

(警備情報が漏れていた? ……いや、それは今考えることではないか)

 

 目の前の焦った顔ぶれに、なんでもないように鼻で笑いながら返事を返す。

 

「待て、落ち着け。皇帝が皇城を捨てて逃げだしたとなれば、貴族共の笑い話を一つ作ってやることになる。それより相手は何人だ? 眠らされているだけで殺されてはいないのか?」

「確認できたのは一人だけです。魔法詠唱者と思われますが、なんらかの魔法で皇室空護兵団(ロイヤル・エア・ガード)の透明化を看破し、次々眠らせております。怪我をしたものはいますが死人はおそらくですが未だ――」

「そうか……それで十分だ。お前たちの忠義はうれしいが、ここを動く必要はなさそうだな」

 

 貴族共の首を掴んでいる鮮血帝としては動くわけにはいかない。

たった一人の侵入者のため城から逃げ出したなどと貴族共に広がれば、蜂起する可能性が高い。小さな火種が国を分けた内戦などに発展すれば、国力の低下は火を見るよりも明らかだ。

 それに相手は殺しはしてないようだ。勿論この城に侵入しようなどという賊の考えなどはわからない。ただ皇帝ジルクニフの首を取りにきたとなれば、見張りを眠らせるなどというまどろっこしい手を使うとは思えない。

 

(何か別の目的があるのだろうな……白昼侵入し、騒ぎになった。それが陽動だった場合は、他の侵入者の線を考えねばならないが)

 

 そこまで考えて椅子に静かに座りなおす。こちらを見ていたニンブルも、ジルクニフの考えが少し伝わったのか落ち着きを取り戻していた。

 

「この騒ぎ自体が囮という可能性もある。宝物庫など重要施設の警護状況をすぐに確認せよ。それと文官達にこの部屋に集まるように通達を出せ。後は――」

 

 今日これから迎えるはずだった人物にはどう対応するか。そこまで考えたところで部屋の隅、窓の外から声が聞こえた。

 

 

 

 ――「ジ~ル~」

 

 ニンブルとともに首をゆっくり向ける。

 

 白いローブを着た見覚えのない男が、嬉々とした表情で皇帝執務室の窓に張り付いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何者だッ!」

 

 窓を破り侵入してきた男と悠然と座ったままのジルクニフ、その間に割って入るように剣を抜いたニンブル達騎士が並ぶ。そんな光景が目に入っていないのか「もう少し強度を上げるべきですな」などと割れたガラスをしげしげと見ている侵入者の男。

 

 黒い瞳やその態度には一切の敵意が感じられない。短く茶色い髪と健康的に引き締まった体、そしてその体を覆う白いローブやネックレス――

 

(まさか……)

 

 ふとその姿と共に浮かんだ予想に確信はない。むしろ自分でも信じられないモノだ。ジルクニフが幼いころから知っている変わらない姿とは、似ても似つかないどころか全くの別人だ。

 

 だがジルクニフ自身の考えがそこに疑問を挟む。

 

 見覚えのあるローブとネックレス、そして指輪。初めて会った侵入者にも関わらず『ジル』などと愛称で呼ぶ気安さとその態度。なにより、今日迎える実力不明の来客への対応で送り出した者達。

 

(可能性は限りなく低い……だがこの予想が当たっていたとすれば……いや、ただの幻術魔法という事もありえる……のか?)

 

 予想が当たっていれば、僅かに考えていた神話の如き力を持った人物が来てしまった事に。ただの幻術だとしても、フールーダ・パラダイン(帝国の主席魔法使い)が見破れないレベルの実力者が来たことになる。

 

 どちらにせよ確かめないわけにはいかない。自らの不安が間違っていることを確認したい。騎士達が今にも切りかからん状況だったが、内心の動揺を表に出さず座ったまま声をかける。

 

「待てッ、もしや……………………………………………………………………………爺、か?」

「え?」「陛下?」「……フールーダ、様?」

 

 部屋に張り詰めていた空気が突如霧散する。対峙している相手から目を離し、ジルクニフをまじまじと見る騎士。前に立っていたニンブルは間の抜けた声を出し、侵入者の全身を上から下まで確かめる様に見ている。そしてその当事者は――

 

「おおぉ! 流石ジル! 姿は変わってもすぐに私とわかるとは、どこで……やはりジルと呼んだ辺りでしょうか?」

 

 両手を広げ今にも踊りだしそうな喜びを体全体で表しながら、呑気な事を言い出したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ♦

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 冷めきった茶を飲み終え、改めて部屋を見回した。

自称フールーダとなった人物が部屋に侵入してから、この部屋はひっくり返したような大騒ぎだった。

 

 まずなによりもその人物が本当にフールーダかどうかを確かめねばならない。選ばれし三十人の中でも幻術魔法に詳しい者達が急ぎ呼ばれたが、結果はジルクニフの予想通り正真正銘『若返ったフールーダ・パラダイン』という事だった。

 本人しか知り得ない事を集まった文官達が確かめていき、ジルクニフ自らも幼い頃まで巡って質問を投げかけ、それとなく機密も絡めた質問までしたが全て完璧に答えてしまっていた。

 

 なぜ騒ぎになったかと言えば、皇室空護兵団(ロイヤル・エア・ガード)がフールーダと認めなかったのが発端らしい。フールーダ自身もジルクニフへの伝言を一刻も早く伝えるため、本人が言う『少々』手荒な手段を取った事にも、ジルクニフは頭を抱えていた。そしてその伝言の内容とフールーダの醜態についても。

 

 確認のさなかに、西門にいたバジウッド直属の騎士達が早馬で状況を伝えてきた事で、その場で何があったのか理解した面々はフールーダの話を聞く弟子たちを除き、途方に暮れるようにジルクニフを見つめていた。

 

(ひとまず、下手に刺激などせず最上級の歓待準備をすべきだろうな)

 

 呆けていた文官の一人に急ぎ指示を出す。その際「メイドではなく若い男を給仕に用意しろ」と伝えておく。次にバジウッドに対して使いを出し予定通り案内するようにと、念のため伝言(メッセージ)を送る手配。それらを終えると部屋を見回し、不安に駆られた配下達を落ち着かせるように、僅かに微笑んだ表情のまま声を出した。

 

「――はぁ、みな落ち着け。爺……もだ」

 

 若い姿の人物を『爺』と呼ぶ抵抗感を僅かに感じながら、椅子から立ち上がる。

大騒ぎから戸惑いに包まれていた部屋には騎士と文官達、そして若返ったフールーダとその弟子である選ばれし三十人の主だった者と、ある意味この国を動かしている面々が揃ってジルクニフを見ている。

 

「もっとも分かりやすい展開ではないか、『絶対に逆らうわけにはいかない存在』ある意味では皇帝である私以上だぞ。そのような人物がドワーフ国とともに取引にきたのだ。それはお互いの利益を探り、話し合いをするという考えに他ならない。神話の如き力に任せ、相手から一方的に奪い取る者ではないのだ」

 

 無論油断する気などない、握手した相手の手をいきなり切り落とすなどは帝国貴族社会でもたまにある事だ。ただ仮にそうなったとしても、今のように笑みを浮かべて堂々と切られながらも相手に一泡吹かせればいい。

 

「それに相対するのは私自身だ、お前たちは何も不安になることなく用意を進めてくれれば良い。……むしろ独り身の者達は喜ぶべきだと思うぞ。銀糸鳥の報告で薄々わかっていた事だが」

 

 四騎士であるニンブルを始め、文官達を見回しながら苦笑いを浮かべ――

 

「シャルティア・ブラッドフォールン・アインズ・ウール・ゴウン殿は絶世の美少女だそうじゃないか。男としてお前たちは嬉しくないのか? だとすれば私は男だからな、今後お前たちとは距離を置いて仕事をせねばならなくなるぞ?」



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『帝城への道中』

本編のペロロンチーノネタは妄想です。姉のエロゲ出演作品について仲良く話をする二人ですから、多少はね。


「それではッ! 我が師よ、今の御言葉確かに伝えさせていただきます。おそらく併せて事情も説明せねばならぬと思いますので、しばし師の下を離れるのをお許しください」

「え……あ、うん……行け」

 

 少女の力ない小さな声がバジウッドの耳に僅かに届く。

さすがにあれ程の大魔法を使って疲れたのだろうか? それともこの国の皇城に向かうという、フールーダの言葉にさして興味が無いのだろうか?

 

 できれば前者であってほしい、震える体の中でそう願わずにはいられなかった。

 

 少女が手をヒラヒラ動かし、まるでうっとおしい虫を早く追い出すように帝国の英雄に、――フールーダに命令する。それを嫌な顔一つせず、むしろ嬉しそうに受けるフールーダ。すぐに〈飛行(フライ)〉を発動させ、バジウッドが見たこともないような速さで西門を飛び越え、皇城の方へ飛んでいった。

 おそらくあれが彼の全力の〈飛行(フライ)〉なのだろう。共に陛下(ジルクニフ)に仕え、国の仕事に携わってきたがあれほど速く飛ぶのは見たことが無かった。

 

 あのまま向かえば、あっという間に城に――

 

(城に着く……城、にィ!!? ま、不味い! ()()姿()()城に向かえばッ!)

 

 無意識下で考えていた結論に脳が覚醒し、震えていた体が飛びあがる。この場にいる人間にしか、『若返ったフールーダ・パラダイン』が誕生した事など知らないのだ。城にいる人間は誰一人、フールーダとは認めないだろう。

 つまり不審人物――侵入者あるいは賊として処理しようとする。だがおそらく捕らえることもましてや殺す事など出来はしない。なにせ相手は見た目が変わっただけで帝国の英雄(フールーダ・パラダイン)なのだ。今の〈飛行(フライ)》の魔法をみるに、若返って魔法力が弱体化したなどという希望も持てない。そうなると城を守る守備隊に甚大な被害が出る可能性もある。

 

(あぁいや、流石にフールーダ殿なら、穏便に……いやまさか……)

 

 この場で繰り広げられた彼の様々な奇行、それがバジウッドを不安にさせる。だが彼を不安に思おうが、信頼しようが今しなければならない事は決まっていた。いつもの自分であれば真っ先に思い付く事、それができなかった今の自分を心の中で奮い立たせる。

 

「おいッ!」

「へあ!? ば、バ……バジウッド様…?」

 

 一番近い場所に崩れ落ちていた皇室地護兵団(ロイヤル・アース・ガード)の青年の胸倉を片手で掴み、無理矢理立たせる。焦点が合わない瞳に帝国騎士として情けなさを感じるが、今さっきまで自分も同じ醜態を晒していたかと思うと、少しだけ心に余裕がうまれた。

 

「そうだッ! 帝国四騎士『雷光』のバジウッドだ! いいか? 今からお前は馬を使い城に向かえ、そしてここで起こったことを()()()()()陛下に報告するんだ! 道中で俺の名ならいくら使っても構わん。最優先だ、わかったかッ!?」

「ハ……はいッ!」

 

 力を取り戻した瞳と言葉を確認し手を放すと、馬の下へしっかりした足取りで駆け出して行った。それを確認すると周囲で同じように膝を折り、震えている騎士達を一瞥し、声を張り上げた。

 

「お前ら何をしているッ立て! 帝国の威を示せ!! 帝国最精鋭であるお前たちがそれを常に体現せねば誰がするというのだッ!! 国を……皇帝陛下を守るのはお前たちなのだぞ!!!」

 

 その声とその意味が体に染みたのか、次々と全身鎧(フル・プレート)のガシャガシャした音が周囲に響き渡る。立ち上がった騎士達は未だに震えている者、玉座に座ったままの少女をチラチラ見ている者と様々だ。形こそ当初に戻っているが、その動揺がありありとにじみ出ている。

 

(そんな動揺しないでくれよ……少なくともこの場で一番の貧乏くじを引くのは俺だぜ……)

 

 この場の責任者はバジウッドだ。フールーダを止められなかったことに始まり、幾つもの失態をしてしまった。先ほどはああ言ったが、既に帝国の威など少女にとっては見下げ果てた物だろう。

 部下の胸倉を掴んだあたりから、じっとこちらを見ていた少女の前に進み出る。美人に見つめられるのは普段であれば喜ぶべきことだったが、今は心臓を鷲掴みにされたような気分にしかならない。無論色気のある意味じゃない、文字通りの気分だった。

 

「シャルティア・ブラッドフォールン・アインズ・ウール・ゴウン様、私は帝国四騎士である《雷光》のバジウッド・ペシュメルと申します。まずなによりも、皇帝陛下よりこの場を任された者として謝罪をさせて頂きたい」

 

 玉座に座った白いドレスを着た少女の前で平伏する。先ほどまでのフールーダと同じく両手も両足も、そして頭も地に擦り付けた形だ。騎士としてはどのような場合でも、目上の者に跪くのが一般的となる。だがこの場で帝国が晒してしまった醜態の責任は、全て自分にあると体で示さねばならない。この後少女が会う人物――自らの仕える皇帝が少しでも軽くみられないために。

 

「……ふむ? 何か問題がありましたか?」

「……ぇ」

 

 その少女の台詞に間抜けな声が漏れた。思わず伏していた顔を上げ、まじまじと見上げてしまう。

 

「あの程度でクレー……あ、いや……ヘジンマール? 何か今後に差し障る問題があった?」

 

 玉座の後ろから様子をうかがっていた白いドラゴンに振り向き、声をかけていた。

 

「へッ!? あ、いえ……そ、そうですね。特に、なにもなかったのではないかと!」

 

 しきりに首を縦に振り何もなかったと必死にアピールする巨体のドラゴン。その度量の大きさに心の底から感心してしまっていた。あのような醜態を晒したにもかかわらず、それを見なかったことにしようと少女は言うのだ。

 

(大きいのはドラゴンやら胸やら……そしてその力だけでは無いってことか、借りを作ったかもしれんがこの場においてはありがたい。だが相対する陛下は、苦労をなさるかもしれんぞコレは)

 

 平伏から跪く形に変えたバジウッドが再び頭を下げる、勿論騎士として最大の感謝を示す形だ。

 

「――感謝いたします、ゴウン様」

「ん? ええ、それでこの後の予定などは?」

 

 本当に何もなかったかのように笑顔を向けてくる少女に、バジウッドは再度感心する。

本来であれば予定通りこのまま真っ直ぐ大通りを抜け、直接城へ行かねばならない。だが、城は今頃若返ったフールーダで騒ぎになってしまっている可能性が高い。

 

(陛下が直接お会いになればあるいは……いや、流石に陛下でも若返ったフールーダ殿とすぐに判断するのは無理か? フールーダ殿自身も説明なさるだろうが、どちらにせよ混乱は必須か)

「す、既に大通りを通行止めにしており、そこを抜け直接城に向かっていただく予定となっております。ゴウン様は初めて帝都アーウィンタールに来られたわけですので、よろしければ大通り沿いの主要施設などを私自らが、ゆっくりご説明しながら向かおうかと思うのですが?」

 

 頼む、頷いてくれ。内心の声を押し止め、あくまで「あなたのために」という好意的笑顔のまま問いかける。

 

「えぇ。では、そのようにお願いします」

 

 その了承の返事にバジウッドは思わず頭を下げかけ――

 

「ただ案内役(ガイド)は同じ四騎士のレイナース・ロックブルズ……殿? に、お願いしたいのですが?」

 

 その言葉に下げかけた頭が止まってしまった。なぜその名を知っているのか? 旅の途中か銀糸鳥に聞いた? 四騎士は帝国でもかなり名が知れているのでそこに不思議はない、だがなぜレイナースを指名するのか?

 膝を折りながら見上げると、ひじ掛けから持ち上げた手で自らの頭を指さす少女の姿。

 

 その姿が何を示すのか理解した時、体の温度が一気に下がった気がした。

国の柱と言ってもいいフールーダ・パラダインの記憶を読んだという精神魔法。少女自身もフールーダに告げていた、国家機密。それら全て少女は知っている、そう言っているのだ。四騎士の名前など思い出すまでもないのだろう。

 

「そ、それは勿論構いませんが……彼女は、その……少々事情がありまして――」

「彼女の事情なら()()()()()()()()()()。フールーダでも解けなかった彼女の呪いについて少々興味があるのです、お願いできませんか?」

 

 玉座の上から可愛らしい微笑みを浮かべる少女。だがその笑顔を見ても、刃を眼前に突き付けられたような恐ろしさしかバジウッドには感じられなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ♦

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(とはいったものの、よく考えたら女性と馬車の密室で二人っきりじゃん……どうしよう……)

 

 馬車が揺れる――といっても僅かにだが、その馬車内でレイナースの対面に座る形でモモンガは内心苦悩していた。既に帝都内、しかも先行させていたハンゾウの報告によると城までの道半ばあたりである。ここまでの道中、若い女性二人の空間とは思えないくらい馬車内は静かだった。

 いや、案内役(ガイド)としてレイナースの知識に文句などない。最初の挨拶から丁寧で素晴らしいものだったし、西門や城壁の防衛設備の説明、帝国銀行や中央市場の規模や今回は通らない北市場についての説明など、解りやすいものだった。やや事務的というか、クールというか、いわゆる物静かなタイプの美人というだけである。

 

 そしてこれは完全にモモンガが悪いのだが、肝心の呪いの話には一切触れることができていないのだ。

 

(女性の容姿を……しかも本人が気にしてる顔を見せてって、なんだかなぁ……。別に俺にとっては少し興味があるだけで急ぐわけじゃないし、後日仲良くなってから見せて貰えばいいんじゃないか?)

 

 我ながら慎重になりすぎてる気もするが、急いでいないのは本当だ。この後皇帝と会うなどという気の重いイベントもある。その部下と嫌悪な関係になるかもしれないリスクは回避するのが賢明だ。

 

「あちらの建物が冒険者組合になります。帝国には既にご存知の銀糸鳥、それともう一つ漣八連というアダマンタイト級冒険者チームがおりますわ。帝国ではモンスター討伐や治安維持は騎士団が行いますので、他の国と比べて相対的に冒険者の地位は低いものと思われます。ですが、最近はズーラーノーンによる"死の都"の件で騎士団も人手が取られていますので、依頼件数も増えているそうですわ」

 

 外側からは見えない窓の向こう、ドラゴンであるヘジンマールを見ながら騒ぐ群衆の先にある建物を指さすレイナース。そちらを振り向くと、その建物の前にいる群衆の中に銀糸鳥の面々が見えた気がした。

 

 彼らとは既に西門で先に別れている。モモンガとしては一緒に城へ行っても問題なかったのだが、バジウッドと少し押し問答した後、リーダーであるフレイヴァルツが涙ながらに別れを惜しんできた。とはいえモモンガとしても彼らからある程度知識や情報を貰った身、なによりアダマンタイト級冒険者という人脈を持っていて損はない。

 後日の再会の約束をしたあたりで、フレイヴァルツは泣きながら仲間達に引きずられていった。

 

 ――しかし冒険者と名乗っている彼らだが、言ってみればただのモンスター専門の傭兵だ。

 

 旅の道中でその事に気づいたとき、ややモモンガは落胆した。とはいえモモンガが一方的にこの世界の、そして冒険者の理想をイメージしていただけだ。特に気にしてはいないし、社会構造として役に立ってるなら文句などない。ただモンスターを含めた治安維持的なものは国の機関――この国であればこのまま騎士に一任するべきではないか? と思ったくらいだ。

 

「へぇ、そうなんですか。ところで漣八連とい……ん?」

 

 そこまで言い終えた所でふと視界の隅に、複数の男に追いかけられる少女の姿が映る。

正直に言えばシャルティアの目でも男か女か微妙なところだった。かなり細い路地からほんの少し見えただけだったうえに、手前には追い詰めるような男も重なっておりあまり自信はない。

 

(丁度ハンゾウ達も護衛しかさせてなかったし、少し見てきてもらうか)

 

 帝国にプレイヤーがいないかの確認の為先行させていたハンゾウ、結果から言えば未だ発見できていない。一応いないとは思うのだが、セキュリティの強そうな国の重要施設には近寄らせていないのでその部分についてはまだわからないのだ。モモンガが到着するまで一般施設や民衆の噂話を搔き集め、その後は馬車の護衛に戻っていた。その周囲を囲んでいたハンゾウの内一体を向かわせる。

 

「よし……後は〈兎の耳(ラビッツ・イヤー)〉」

「あ、あの? ゴウン様? ……」

(おっと、何も言わず目の前で兎耳なんか生やしたらただの不審者だよな)

 

 その事に気づき、慌ててレイナースに対して人差し指を口に当てるジェスチャーをする。

よく考えたら帝国でこの動きは通じるのだろうか? などと考えもしたが、レイナースは勢いよく何度も頷いてくれた。短い付き合いとは言え、物静かな彼女らしくない動きに少し疑問を覚えたが、とりあえず先に湧いた疑問を解消するため〈兎の耳(ラビッツ・イヤー)〉で周囲の音を探る。

 群衆達の騒がしいドラゴンやこの馬車に対する興味の声、ドワーフの国がドラゴンを手なずけたなどの話題で周囲は盛り上がっている。そのかなり離れた所から女性の悲鳴のような声が聞こえた。

 

(うわぁ……まるでペロロンチーノさんが好きだったエロゲーのサンプルボイスみたいだな)

 

 一度話のネタにと、彼が日頃から好きだと豪語する作品の公式サイトを見たモモンガの衝撃は、色んな意味でヤバかった。TOP絵は勿論サンプルCGもアレだし、通常立ち絵もデフォが裸でアレだし、サンプルボイスも最初から途中まであんな感じだった。そして、最後の方は女の声というか犬の声だった。エロい気持ちなど抜きに声優の演技力に感心していた程だ。

 そっちの方面の作品で彼と会話のキャッチボールをするのは、世界がひっくり返らない限り無理だろうと理解できた日だった。ある意味いらない知見が広がった、有意義な経験だったと言えなくもない。

 

『シャルティア様、目的の騒動を発見いたしました。変わった服を着た人間の少女が……たった今小汚い男五人に捕まったようです』

(おっと……思い出に浸っている場合じゃないな。しかし変わった服? 庶民の服じゃないということは貴族とかか?)

 

 モモンガは自らの目で確認すべくフローティング・アイを発動させる。

飛んでいく視界、大小の建物を抜けた路地の先でその現場を目にする。

 

(ほー、あれは確かフールーダの記憶にあった『帝国魔法学院』の制服じゃないか)

 

 報告通り路地裏で小汚い男達に捕まっている少女、その服装はつい最近変人の脳内で目にしたものだった。

 

(襲われているのか? ふむ……助けるか? それともなんらかの罠か?)

 

 ズーラーノーンの影響で王国民が流入しているというし、こういった治安の悪化が表立っているのか。はたまたここまでモモンガが察知する前提でしいた、何らかの存在による罠か?

 

(いや、罠なんてあり得るのか? いやいやあの少女の年齢、シャルティアの見た目とほぼ同じだな。同情心から助けるだろうと仕向けている意図がある。ならばここは無視……いや助けるか。仮に罠でなかった場合鮮血帝に借りが作れるかもしれないし、そうなるとハンゾウじゃなく自分で助けなきゃならないが。まぁペロロンチーノさんも助けたがるだろうしな『リアルと二次元は別だからッ』とか言って)

 

 急ぎ残りのハンゾウ達に指示を出し、馬車列から現場周辺までの安全確認をさせる。

それとともに馬車内でゆっくりと立ち上がる。目の前で静かに、しかし僅かに困惑した表情のレイナースが問いかけてきた。

 

「ゴウン様? 先ほどから何か……」

 

 相手に会釈を返す。そして窓の外、少女が襲われている方向を指さし答える。

 

「どうやらあちらの方で帝国魔法学院の女生徒が、悪漢に襲われているようです。あまり時間もない様子ですので、私が直接助けに行きますね」

 

 そう言い終えると、安全確認済みを知らせる〈伝言(メッセージ)〉とともに魔法を発動させた。




ところで読者の皆さんにお聞きしたいのですが……
実は作者自身も『ハーメルンでブクマした二次連載小説の内8割が失踪する』という呪いを患っているのです、解き方を知ってる人いましたら教えてください(切実)


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『魔法学院生徒との出会い』

修正予定回


「い、いやッ! 離して!!」

「おぉっと、すまねぇなあ~お嬢ちゃん」

「大丈夫だって、嬢ちゃんにはあんま傷付けるなって言われてっから」

 

 男の一人の手が少女の体に触れる。手首を拘束されただけだが、狭い路地は完全に男たちに囲まれ抜け出すことなどできそうもなかった。

 昼下がりの王都、今日は外から来る偉い人物の車列のために大通りが通行禁止になっており、少し面倒だったがわき道に逸れた。そしてそれが不味かった。変な男達に声をかけられ、追いかけられ、ついには今こうして路地裏に追い詰められている。刃物や武器は持っていなかったが、年端もいかない少女の身では感じる恐怖に大差などない。

 

「わ、わたしには? それって……」

「なんかもうすぐ嬢ちゃんの男が助けに来るんだったか、なぁ?」

「あぁ、金を持ってきた奴の指示通りならばの話だがな」

 

 少女――ネメルの疑問に手首を掴んでいた酒臭い男がアッサリ答え、他の男達もニヤニヤ笑いながら頷いていた。その答えに、日頃から自分(ネメル)と幼馴染の男の子(ジエット)に嫌がらせをしてくる、同じ魔法学科の大貴族の顔を思い出す。

 

 一応はネメルも貴族と言われる身分だ、でもその地位は下位の中でも末端。中位や上位の貴族から見れば、平民と大差ない物としか見られない。むしろ半端な貴族である分目を付けられやすいのかもしれないと、子供ながら魔法学院で過ごすうちに感じ始めていた。

 

(ジエット……お嬢様……)

 

 いつも庇ってくれる少年と姉のように優しかった女性の顔が思い浮かぶが、頭を横に振り甘えてしまいそうになる考えを消す。逃げる途中で擦りむいた頬の傷と涙を袖で拭い、男達を精一杯睨みつけた。

 きっと男達はネメルを人質にして、ジエットに何かするのだろう。良い事ではないのは間違いない。

 

(なんとかして逃げ出さないと……でもどうやって……)

 

 危険な物は持っていないようだったけれど、狭い路地を五人の男達が前後に挟んでいる。抜け出すなら人数の少ない方向だが、全員が見上げるような大柄で腰が引けてしまう。

 それに先ほどから抜け出そうと手を振り回しているが、倍近く大きい男の手に完全に掴まれていた。ネメルが息を切らせるまで暴れても、男は余裕の表情で周りの男達と今夜の金の使い道を話し合っている。

 

(うぅ……もう手が痛い……怖いよ。誰か……助けてジエット)

 

 魔法も生活魔法くらいしかろくに使えない、逃げ出せるような力も方法も思いつかない。結局自分はまたジエットが来てくれるまで何もできないのかと、悲しい気持ちになってきてしまう。

 

 

 その時――

 

「少女一人を囲んで、何をしているのですか?」

 

 男達の笑い声に包まれていた人通りのない路地裏に、ネメルとは違う少女の声が舞い降りた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 最初は幻だと思った。突然建物の影からヒョッコリと、顔とその下の豊かな膨らみを覗かせた白い少女。その場にいる全員が目を向ける中、散歩をするようなのんびりした足取りで歩み出てきた。

 

 

 一言で言えば純白の少女。

白い花と羽で飾られた帽子、そこから豊かに流れる銀髪。白のドレスは銀の刺繍が太陽の光を反射し、キラキラと輝いている。他にもドレスの裾から覗くハイヒールや数々の装飾品で彩られており、どこの大貴族の令嬢かそれ以上の存在を思わせた。

 

 

 ――そしてその顔には同じく白い仮面。

その目の部分から、異様に紅い瞳がこの場にいる全員を射抜いていた。

 

(……ッ!)

 

 ネメルも、そしておそらくネメルを囲んでいた男達も息を呑んでいた。この場にいる誰もが予想だにしない乱入者に――

 

「な、なんだ……あんた…」

 

 そのような口調で話しかけていい身分じゃない。男の口から思わず漏れ出た疑問の声に、ネメルは心の中で叫んでいた。見たこともないような服飾その価値などわかるはずもないが、家の財産をすべてひっくり返しても到底手の届かないようなものであることは、子供のネメルにもわかった。

 どこかの大貴族か王族を思わせる気品、はたまたそれらと同等以上の地位を持つ令嬢に間違いない。顔を仮面で隠している理由はわからないが、そんな事関係ないほどの遥か上位の存在が歩み寄ってくる光景に、ネメル自身は固まってしまった。

 

 そして周りの小汚い恰好をした男達もすぐに理解し、逃げ出すなりすると思ったのだが――

 

「……ぐへへ、ガキにしちゃ良いもん持ってんじゃねぇか。嬢ちゃん」

 

 男の一人の信じられない言葉。この場にいた男たちの中で一番大柄の男が、フラフラと仮面の少女に歩み寄っていく。少女の背丈はネメルと大差ない、立ち止まると仮面越しに近づく男を壁のように見上げていた。

 

(え? ご、護衛は!? いないの?)

 

 そんな危険な状況になり、てっきりどこからか護衛の人が飛び出してくると思っていた。だが乱入者は未だに少女一人。「お、おいッ止めとけ!」静止の声を上げる男もいたが、大柄の男は少女の前で止まるとネメルとは比べ物にならないくらい豊かな胸に手を伸ばした。それを見て少女への助けが来ない事を理解すると、咄嗟に叫んでしまっていた「逃げてッ!」と――

 

 

「……汚い手でこの体に触るな」

 

 ネメルの声をかき消すような静かな声が周囲に響く。感情を一切感じさせない、淡々とした声。

その瞬間男が少女の胸に向けて伸ばしていた腕は、肘からその先が消え血が静かに噴き出していた。

 

「へぁ? ……あ、あぁああああ! て、手がッあああああ」

「やっぱり普通の男はこういう反応か」

 

 自らの無くなった手を呆けた表情で眺め、遅れて絶叫を上げる男。仮面の裏で少女はその様を冷たく、静かに見上げていた。

 

「す、スペルキャスター……」

 

 ネメルは一瞬呼吸を忘れ、別の男が震える声で呟いた言葉を聞いた。そして周囲の男達がその光景と言葉に怯え、一歩後退していく。赤く染まった腕を抱え、泣きながらうずくまった男から離れ少女はさらに歩を進める。

 少女の歩みに合わせるように男達がさらに下がっていく。一方ネメルは微動だにできなかった、仮面を付けた少女が男達には目もくれず真っ直ぐネメルへ歩み寄ってきたためだ。正直に言ってしまえば少し怖かった。けれど仮面ごしにネメルを見つめる少女の洗練された足取り、窮屈そうに遅れて揺れる胸、サラサラ揺れる銀髪、それら全ての美しさに魅入ってしまっていた。

 

「大丈夫?」

「へあッ!? え? あ……」

 

 いつのまにか目前で止まっていた白い仮面。それが少女である事に気づくのが遅れてしまう。

 

「ふむ……怪我をしているの?」

「え? あッ……えっと」

 

 左の頬が冷たいものに覆われる。見れば白い手袋に覆われた少女の手が、頬から垂れていた赤い血を拭う様に触れていた。そしてじんわりと白い布地がネメル自身の血で赤く染まっていく。そんな光景をボーっとした意識で見ていた。

 

「美味しそう……いやいや、生命力持続回復(リジェネレート)!」

 

 目の前の仮面が左右に触れると同時に、ヒリヒリした頬の痛みが消えていく。聞いたことが無い魔法名を唱えるのが聞こえたので、その効果なのだろうとはなんとなく理解できた。

 

「あ、あの、その……」

 

 お礼を言わなければならない。

 

 混乱した頭でもその事は理解できたのだが、高貴な身分の人相手にはどう言えばいいのか? 姿勢は頭を下げるだけでいいのか、跪けばいいのか。なにより言葉使いはどのようにすればいいのか、子供の身である程度は仕方ないとはいえ自分の経験と勉強不足を自覚し、どうすればいいのかますます混乱してしまう。

 

「――ネメルッ! …………え?」

 

 混乱し、真っ白になった視界に息を切らせた幼馴染の声が響いた。

声のしたほうに目を向けると、ネメルが良く知る片目に眼帯をした少年――制服姿のジエットが口を丸くしながらこちらを見つめていた。その反応は至極当然のものだろう。路地の隅で血を流し、腕を押さえながら泣きわめく男と怯え切った他の男達。

 

 そして純白の服飾に仮面を付けた少女に、顔を近づけられ頬に触れられた自分の姿――

 

「あ……ちッ、違うの!?」

 

 何が違うのか。咄嗟に出た言葉が自分でも分からないが、サッと頬に添えられていた手から逃げるように少女から距離を取ってしまった。同時にそれが助けてくれた相手に対してとんでもなく無礼な事だと気づき、首をゆっくりと少女に向ける。

 

「ふむ、同じ魔法学院の制服……友達? ひょっとして幼馴染とか?」

「え? ……あ、はい」

 

 先ほどまでネメルの頬に触れていた右手を顎に添え、納得するように仮面を上下に振る姿。

まるで気にしてない様子に安堵の息が漏れる。そしてジエットから視線を外すとそのまま周りを見回しながら「本当にただの偶然か」と、仮面の中で少女が呟いたのが僅かに聞こえた気がした。

 

 

 それと同時に――周囲からガチガチと音が聞こえ始め、全身鎧(フル・プレート)姿の帝国騎士が大勢路地に飛び込んできた。

 

「ご、ゴウン様ッ! このような場所に、お一人でッ」

 

 一人だけ他の騎士とは明らかに違う煌びやかな鎧を着た騎士が、仮面の少女の前に慌てて跪く。

周囲ではネメル達がいる路地を囲むように「通路を塞げ、誰も通すなッ!」「他の者は上空の警戒にあたれ!!」「ゴウン様を発見しました、本隊へ伝令を!」と、騎士達の張り詰めた声が飛び交っていた。

 

「もう問題は片付きました。馬車へ戻るとしましょう」

「はッ! こ、この場は私達皇室地護兵団(ロイヤル・アース・ガード)にお任せください!」

「念のため言っておくと、あの二人はたぶん被害者ですよ」

 

 ネメルと傍に立つジエットを指す少女の言葉に「はッ! 事情は伺いますが、丁重に扱うよう部下には厳命致します!」と、鬼気迫るような緊張した声で騎士は答えている。その光景と騎士の口にした『皇室地護兵団(ロイヤル・アース・ガード)』という言葉にネメルも、そしてジエットと男達も固まっていた。

 

 皇室地護兵団(ロイヤル・アース・ガード)。帝国最精鋭の騎士。皇帝直轄の近衛兵たち。

 

 そしてそれを従える、仮面を付けて正体を隠さねばならない少女――

 

(どうなってるの……)

 

 最初は男達に覚えていた恐怖心が、次々目の前で起こる事態に今はただ唖然とするだけだった。

 

「それと、少年」

「え、俺? あッ! いや、失礼しました!」

 

 目の前で跪いていた騎士をそのままに、ゴウン様と呼ばれていた少女がジエットの前まで進み出てくる。そしてガチガチに固まったままのジエットの肩に手を置き、傍に立つネメルを見ながら優し気な声をかけてきた。

 

「幼馴染ならちゃんと守ってあげなさい」

「……え?」

 

 ネメルも、そしておそらくジエットも何を言われたのか分からなかった。

少女は不可思議な忠告を残したままジエットから離れると、そのまま整列した騎士達が作った道に向かって行く。その堂々とした足取りは支配者然としたもので、少女との棲む世界の違いを感じずにはいられなかった。




「幼馴染キャラならちゃんと守ってやれ」


『ネメル?ジエット?誰だ、書籍にもアニメにも出てこないぞこんなキャラ』という方は、原作Web版の『日々-4』を読んでください。(今後も出てきます)


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『獲物を狙う紅い瞳』

(あぶなかった……)

 

 思わずソファの背に体を全力で投げだし、出てもいない額の汗をぬぐう。

窓にチラリと目を向ければ、大通りの真ん中で止まってしまった馬車の周りでせわしなく動く騎士達とレイナース。そしてそのさらに周りでは止まった車列に何があったのかと騒めく群衆。

 結局少女が襲われていたのは罠でもなんでもなく、偶然の事件だった。念のため現場に残してきたハンゾウからもとくに不審な情報はない。その報告を聞きながら、ある意味一番の成果でもあった自身の吸血衝動について考えていた。

 

(不味いぞ……血を見ると見境がなくなってるんじゃないか? いや待て、顔から血が出ていたフールーダには何で反応しなかったんだ? あの時はひたすらドン引きしてたからか? 怖いというか気持ち悪かったしなぁ……アレ)

 

 相手に嫌悪感を抱けば、血を吸いたくなくなるのだろうか? 仮にそうだとしてもそれはたぶん一時的だろう。根本的解決のためには今のところ血を吸う以外選択肢がなさそうだ、先ほどのように無意識に――

 

(いやいや、さっきのアレは不味いだろ。俺の年齢の半分くらいの女の子の頬の血を、何と言うか……ペロリと舐めとろうとしちゃったんだぞ! 色々とアウトだろッ!!)

 

 あんなのをギルドの仲間達に知られれば優しく肩を叩かれ、慰められながら治安当局の扉の前まで送り届けられてしまう。『出来心でやりました』では終わらないんだ。ぶくぶく茶釜さんを始めとした女性陣には、ゾッとするほどの冷たい視線を向けられてしまう。

 

(これから皇帝と会うんだし、それまでに吸血衝動をなんとかしないと。そのうち本当に我慢できなくなるかもしれないし……なにかアイテムボックスになかったっけ)

 

 ソファに座ったまま手を伸ばし、割れた前方の空間内を確認する。できれば継続効果のあるアイテムが良かったが、今はともかく一時的な物でも構わない。

 

(そりゃないよなぁ、転移初日にさんざん確認したし。そもそも吸血衝動を抑えるアイテムなんか聞いたことないし、それっぽいのはバッドステータス対策のアイテムくらいか……)

 

 シャルティアも本来のモモンガもアンデッドであるため、毒・病気・睡眠・麻痺などバッドステータスには完全な耐性がある。まだ本格的な実験はできていないため、転移した世界でどの程度アテになるのかは定かではない。

 とはいえユグドラシルでは『屍毒のブレス』など、アンデッドの完全耐性を突破するスキル攻撃も存在していた。そのため手元に残っている対策アイテムはそれなりにはある、ただし今身につけている装備を除けばほぼ消費系アイテムばかりという点が心許なすぎるが。

 

(補充のアテのない物を適当に試すのもな……たぶん効かないだろうし。そうなるともう吸うしか――)

 

 モモンガ自身が苦渋の決断を下そうとしていた時、――コンコンッと止まっている馬車の扉をノックする音が聞こえた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ♦

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(どうされたのか?)

 

 再出発した馬車の中でレイナース・ロックブルズは、向かいに座る帝国にとっての客人――シャルティア・ブラッドフォールン・アインズ・ウール・ゴウンの微妙な変化に、冷静で礼儀正しい女騎士を演じながら、その鎧の中では冷たい汗が雨のように体を流れていた。

 

 ――見られている。

 

 正直に言えば最初の挨拶からとてつもなく緊張していた。なにせ自分の悲願である『呪い』を解いてくれるかもしれない人物から――事情を知った上で興味が出たので馬車に同乗して欲しい――などと同じ四騎士であるバジウッドから伝え聞いたのだ。フールーダ・パラダインを若返らせるなどという、途方もない力を見せつけた人物。期待も大きい分同じくらい恐れも感じていたが、相手の美しさに対する嫉妬も隠し、挨拶は無難にこなせたように思う。

 

 だが、いざ馬車に同乗しても肝心の呪いについての質問はなかった。それどころか窓に張り付いた少女の興味は帝都や帝国の文化ばかりで、レイナース自身については一切聞いてこなかったのだ。相手の機嫌を損ねてはいけないと思い、今すぐ懇願したい気持ちを抑え冷や汗を流しつつその流れのまま案内を続けたが、再出発した馬車内でそれは一変した。

 

 ――見られている。

 

 なぜだかわからないが、案内の合間に少女からの強い視線を感じていた。路地裏の治安について思うところがあるのだろうか? 勿論レイナースも、そして現場の指揮官も謝罪はしているがこの後の会談に支障が出るかもしれない。現状の四騎士で一番忠誠心が低いとはいえ、少なくとも会談は成功してほしい、レイナース自身のためにも。

 王国民の流入による治安悪化を言い訳にならない程度に、案内の中にそれとなく含ませているがそれが悪かったのかもれない。レイナースが不安を抱き始めた時、聞きなれた少女の問いかけが馬車内を包んだ。

 

「レイナース、一つ質問しても?」

「はいッ、何なりとお申し付けください」

 

 向かいに座る純白の少女の笑顔とともに、何度か道中で繰り返されたやり取り。

 

「あなたにとって一番大切なモノってなんですか?」

「……えっ?」

 

 初めて帝都に関する事ではなく、ある意味待っていたレイナース自身への問いかけ。だがその唐突な質問内容に一瞬固まってしまった。どのような意図で問いかけられたのか考えてしまいそうになるが、迷って時間を置くのは悪い印象を与えるかもしれない。

 覚悟を決めて今の自分の胸中ほぼ全てを占める悲願を、顔半分を覆っていた髪を上げながら口に出すことにした。

 

「『モノ』ではありませんし、フールーダ様の記憶をご覧になったあなた様は既にご存知かと思いますが……今の私が生きる目的は、この顔を治す事ですわ」

 

 懐からハンカチを取り出し、覆っていた顔の右半分を少女の目の前で拭う。呪いにより膿だらけの醜い顔だったもの、初めて見た者は貴族の令嬢どころか騎士達も顔色を青く変える姿。だが確信していた通り、向かいに座る少女はその白い顔色を何一つ変えず見ている。

 

「元の姿に戻るためでしたら『命』以外、何でも差し出す覚悟はありますわ。そういった意味で一番大切なものと聞かれれば、命でしょうか?」

「……なるほど」

 

 恐れるどころか顎に手を添え、しきりに頷く少女の視線が顔の右半分に集中していた。その視線に悪い感情は見られなかったが、相手が相手だけに冷や汗は相変わらず止まらない。

 

「騎士としては『主君に対する忠義』とお答えするのが正解なのかもしれませんが、生憎私と陛下の交わした約束――いえ、取引にはそういった物は含まれておりませんから」

「ん? 取引?」

 

 可愛らしく小首を傾げる姿。どうやらこれはご存知ないようだ。それとも知らないフリをして試されているのかもしれない。慎重に言葉を選ぶ事を意識して、ゆっくりと答えていく。

 

「帝国四騎士に誘われた際、私は非礼を承知でこの顔を治す事と自身の身を守る事を陛下の身の安全よりも優先する事を条件とさせて頂きました。陛下はアッサリ承諾されてしまいましたが……」

 

 条件のもう半分『実家と元婚約者への復讐』は既に果たしているため言わなくてもいいだろう。その時の光景を思い出し、冷静な仮面に僅かな苦笑いが浮かんだことを自覚する。あの時胸中に浮かんだのは、感心でも驚きでもなく呆れ。どこの国に配下が主君の命よりも自分を優先する事を許可する王族がいるのか。それが仮にも今仕えている主君だと思うと、感謝すればいいのか微妙な気分になる。

 

「ふむ……思ったより柔軟というか……ホワイト、なのかな?」

 

 ホワイトというのがどういった意味なのかは分からないが、良い意味で感心してくれたようだった。少なくともこの後会うジルクニフ、そしてレイナースにも今の会話で悪い印象は持たなかったハズだ。冷静な表情の裏で心底ホッとするように一息ついてしまう。

 

「でもそういった雇用関係なら問題ないか……レイナース、その呪い解いてみる?」

 

 その挨拶でもするような気軽な一言に、安堵していたレイナースは再び固まってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ♦

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そ……そ、……それは本当ですかあぁああああ!!」

(ひぇ! またこのパターンッ!?)

 

 どこかの狂った誰かと全く同じ反応に、モモンガ自身も同じようにソファの背に体を押し付けてしまう。同時に座っていたソファから悲鳴のようにギシギシときしむ音がした。

 

「お、……落ち着いて、レイナース」

 

 向かいのソファに座っていたハズのレイナースの顔が間近まで迫っていた。両手はモモンガの左右背後に突き立て、ソファに座ったままのモモンガを体で覆うようにしている。そして何より顔が近い。普通なら男として多少の役得感を持てたかもしれないが、例え半分美人だとしてももう半分の膿と腐ったような顔で迫られるとスプラッターホラーだった。怖い。

 

「ほら、あの変……フールーダと同じように条件もあるから」

 

 二度目という事と相手が女性であることが幸いしたのか、精神の安定化もあって思ったより落ち着いて対処できた。相手の両肩をポンポンと叩き、慣れた営業スマイルで落ち着かせる。怖いけど。

 

「し、……大変失礼しましたわ、お見苦しい姿を……」

 

 乱れた髪を――特に右側を慌てて整えた後、馬車の床に届きそうなほど頭を伏して謝罪するレイナース。その姿と先ほどの行動に微妙な思い出しか浮かばず、早々にやめさせて元の場所に座ってもらった。

 

(まさか帝国では謝罪するときみんなあのポーズなのか? いやそんなわけないよな、銀糸鳥はそんなことなかったし)

 

 その場を仕切りなおすように手を叩き、対面のソファへ座りなおしたレイナースに改めて笑顔を向ける。これから彼女に対してプレゼンをするのだ。先ほどの様子からして断られることはないだろうが、事前にできるだけ好感を持ってもらうのは基本だ。

 

「それで条件なのだけれど、私の配下に――いえ、吸血鬼の眷属になれば呪いを解いてあげますが、どうかしら?」

 

 契約に嘘があってはならないため、あえて吸血鬼を強調しつつ交渉を始めることにした。




もうここまで来るとみなさんおわかりでしょうが、吸血鬼レイナースが登場しますわ。設定はWeb版の吸血鬼ブレインそのままになる予定となっていますので、ご了解くださいませ。


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『対等かつ公平で平和的な取引』

お知らせ:やっぱり感想返信は普段通りに戻します、一年後の黒歴史でしょ前回のは……


「あなたは……吸血鬼、だったのですか?」

「半分だけね」

 

 城へ向かう馬車内、向かいに座る女騎士のある意味で予想通りの反応に安心してしまう。

モモンガのこれまで調べたところによると、シャルティアの種族である吸血鬼はこの辺り一帯の国々では風当たりが強い。というか風当たり以前に『敵性種族』と言ってもいい。まぁ吸血鬼うんぬんより異形種全般がそういった扱いだ。

 

 案の定、レイナースのこれまで仮面のように動かなかった顔がさらに固くなっていた。

モモンガに向けられる視線も、かなり冷たいものになっている。ソファに座った状態に変わりはないが、僅かに動いた手が剣の鞘に添えられており、いつでも動けるようにしているのは素人目にもわかった。

 

(やれやれ……ゴンド達ドワーフには内緒にしておいて正解だったな)

 

 一応吸血鬼については、この世界で初めてのカミングアウトではある。ドワーフ国でもそして銀糸鳥相手にも『半分人間でもう半分は秘密』といった曖昧な自己紹介に終始していた。おそらくレイナースを含めた帝国の上層部には伝わっているハズだ。

 嘘ではない。おそらくほとんどは両親――つまり片親が人間と認識して勝手に警戒を緩めてくれるだろう。モモンガが言っているのは精神と肉体という意味だ。最初にゴンド相手の自己紹介で咄嗟に考えた言い訳だが、我ながら上手い理論武装ではないかと思う。

 

(しかしここまで警戒されると少しへこむなぁ。一応平和的な提案のつもりなんだが……)

「つまり……私も吸血鬼になれと? 化け物に、アンデッドになれと仰りますの?」

 

 底冷えするような声が馬車内を満たす。先ほどまでの物静かな声で帝都を案内していた女騎士とは別人だった。

 

「血が必要になる事情ができてしまいまして。ただ、あなたのその『呪い』は治せると思いますよ?」

「……血が目的であれば、私の血や他の人間の血を提供だけならできますわ。これでも帝国四騎士ですから、捕らえた犯罪者などを秘密裏にお渡しすることくらいできますわよ? 吸血鬼ということも他人に漏らさない事はお約束しますが?」

 

 その言葉に内心で笑みを浮かべる。相手はすぐに頷きこそしなかったものの、交渉のテーブルに自分から座ったのだ。冷徹な視線の中に、先ほどモモンガに迫った必死さが透けて見える気がした。

 

 大げさに息を吐き出した後、静かに首を振りながら答える。

 

「その方法では安定して血が手に入るかわからない上に、そちらが裏切るリスクもあるので不可ね」

「信じていただく……のは、確かに無理ですわね。今日会ったばかりの私を信じろというのは……」

 

 交渉の結果少々のリスクを背負う覚悟はあるが、流石に大きすぎるものは却下だ。今この世界でモモンガが――シャルティアが吸血鬼であることはレイナースしか知らない。それをイタズラに広めるリスクは最小限に抑えなければならない。

 

「ブレイン・アングラウスはどこまで知っているのですか? 今も日の光の中でこの馬車の御者をしてますが、彼は吸血鬼ではございませんの?」

「ブレインどころか、ドワーフの人達も知りませんよ。今この帝都で知っているのはあなた、レイナースだけね」

 

 できるだけフレンドリーな笑顔で答える。疑うような冷たい視線は相変わらずだが、交渉には忍耐が重要だ。

 

「彼の血では駄目ですの?」

「え……いや、男の血はちょっと……それにまだ正式な配下じゃないし……」

 

 絶対嫌だという訳ではないが、できれば遠慮したい。男の首や肩に噛みつくなど、今のモモンガにできるとすれば飲み会での罰ゲームくらいである。それに鮮血帝の判断次第ではあるが、彼はこの後死刑になる可能性もあるのだ。せっかく眷属にしてもすぐに死なれては問題外だ。

 

「他にいたドラゴンと魔獣もいけませんの?」

「ケモノは流石に嫌かな……」

 

 ハムスケに関しては完全にペットという認識だ。下手な事をすれば餡ころもっちもちさんに顔向けできないし、そもそもハムスターの血を吸う吸血鬼などシュールすぎる。一方ヘジンマールに関わらずドラゴンの血は飲む気にはなれそうもない、なぜかはわからないが。

 

「……あなたが人間の女性の血を好むのはわかりましたわ。仮に、仮にですが――私があなたの眷属に……吸血鬼になればどうなりますの?」

「太陽の光に対して弱体化のペナルティが……苦手にはなるわね。吸血鬼対策された武器や魔法には注意しなければならないのと、逆にそれ以外の攻撃に対する抵抗力は上がって身体能力も上がるけれど、しばらくは慣れが必要だし後は――」

 

 呆れるように息を吐き出した後、レイナースは気を取り直すように質問を告げてきた。

吸血鬼に関するものは当然事前に考えていたので、スラスラとユグドラシル時代の知識を交えて答えていく。

 

「レイナースはさっき一番大切なのは自分の『命』と言ったけれど、その考えが変わるわね」

「変わると、仰いますと?」

「あくまであなたの心や性格はそのままだけれど、主人――つまりシャルティア……あ、いや私に対する忠誠心は植えつけられる訳だから、自分の命よりも私を優先する考え方になるでしょうね」

 

 モモンガが告げた内容に、対面のソファに座るレイナースは露骨に左半分の顔を歪ませた。その表情全てから不満がにじみ出ている。

 まぁこの反応は予想できた。実際モモンガも誰かに無理矢理忠誠を誓わされそうになれば、逃げだすか必死の抵抗をするだろう。なのでレイナースが今考えそうなこともだいたいわかる。

 

「……もし私が今ここで逃げ出せばどうなさいますの?」

「その点に関してはちゃんと妥協案を用意しているし、そもそも逃げられませんから問題ありませんよ」

 

 僅かに視線を横に――扉を伺うレイナースからわざと視線を外し、彼女の危惧したであろう『忠誠心』に関してフォローしつつ、窓に流れる帝都を見ながら笑顔で無理だと告げる。

 

「……逃げられないとはどういう意味ですの?」

「出入口の扉は完全にロックしてあるし、いくら叫んだり暴れても外の騎士達には聞こえないようにしてますから。〈次元封鎖(ディメンジョナル・ロック)〉で転移も出来ませんし、〈探知対策(カウンター・ディテクト)〉もできる限りのものをしてるから、フールーダでも無理でしょうね」

 

 もちろん外側から見えないこの窓も、と告げながらコンコンッと叩く。仮に彼女がモモンガの予想外の方法で脱出したり、外の騎士に連絡を取れた場合はハンゾウを使う事にしていた。とはいえそれは最終手段となり、最悪モモンガの立場が悪くなる恐れもあるので出来れば使いたくないのだが。

 

 外の風景に視線を向けながら意識はあくまでレイナースに向ける。ゆっくり立ち上がったかと思えば、ドアノブを動かそうとしたり軽く扉を叩く音が馬車内に響いた。だがすぐにソファに戻り腰掛ける音がした。

 視線を戻すと「その妥協案というのをお聞きしても?」と質問とともに、モモンガを真っ直ぐ見つめてくるレイナース。フールーダでも敵わないという事実は、既に西門でわかっていたので確認だけしたのだろう。先ほどまでと違い、口調はどこか諦めたようなものになっていた。

 

「ちゃんと連休を……いや、そういった労働条件は今はいいか?」

 

 思わず雇用待遇について話しそうになってしまい、自分が身につけてしまった社会人気質に心の中で笑う。彼女が危惧しているのは本来の自分がやりたくない事をやらされたり、人ではなくただの人形として使われるかもしれない恐怖だ。とはいえ仕事は仕事なので、嫌な仕事もたまにはしてもらうかもしれない。それには前提として彼女との信頼関係を作り、アフターケアができる体制が必須だが。

 

「これは私が思っているだけなのだけれど、レイナースが私にとってこの世界で初めての眷属となるの。配下とはまず信頼関係を築きたいと思っているし、できるだけ意志も尊重したい。もちろん嫌な仕事や不満もあるとは思うけれど、我慢せずできるだけ話してほしい。あなたを最初から使い捨てるつもりで眷属にする事はないから、そこは信用して欲しい」

 

 一度配下にしたものを殺したり切り捨てたりするのは気が進まない。もちろん自身の身に危険が及べば、シャルティアの体を守るためにも切り捨てる選択肢はありえる。ただ今後帝国を根拠地とする場合、帝国貴族の知識がある人間がいれば大いに助かるだろう。彼女をアテにする意味でも待遇はできるだけ良くするつもりだ、無論働き次第ではあるが。

 

(それに女性としての視点もわからない事が多いからなぁ、この辺りフールーダはアテにならないだろうし)

 

 モモンガはできるだけフレンドリーな笑みを浮かべながら説得を続ける。おそらく吸血鬼という事を除けば、レイナースはこちらに対して悪い印象は持っていないはずだ。なによりさきほど見ず知らずの少女を助けたのだ。モモンガは最初罠だと思ってはいたが、結果的に善行を行ったのだからそこは評価して欲しい。

 

「一つ疑問なのですが……今この瞬間にでも私を捕らえて無理矢理血を吸うといったことを、なぜあなた――ゴウン様はなさいませんの? 魔法一つで簡単にできそうなものですのに」

 

 ――それってただの犯罪じゃん。

 

 思わず口から漏れそうになる声を抑え、少し気落ちしたような演技をまぜながらゆっくり首を振る。

 

「今の話を聞いていなかったの? 確かにそれでも忠誠心を植え付けるわけだから、短期的には問題ないのかもしれない。ただしその後は? 例えば眷属と主人の関係を断ち切れるような存在が現れて、吸血鬼となったレイナースを人間に戻した場合、私に恨みを持っていれば真っ先に殺しに来るかもしれない。私の手の内をある程度把握しているだろうから、とてつもなく厄介な敵に変わるでしょう? そんなリスクを犯すくらいなら、眷属にする段階で条件をしっかり説明して良い関係になっておく方を私は選ぶわね」

 

 もちろん吸血鬼を人間に戻す方法などモモンガは知らない。少なくともユグドラシルでは聞いたことが無い。ただしここは別の世界だ。モモンガが想像できないような能力を持った敵が現れるかもしれない。そういった仮定をしておいても損はないだろう。

 

「吸血鬼化した人間を元に戻す方法なんて、ございますの?」

「さぁ、少なくとも私は知らない。でも世界の未知に比べれば、個人や国が把握していることなんて小さいものではない?」

 

 モモンガ自身この世界に来てまだ三カ月程度なのだ。本を読んだりヘジンマールに色々教えてもらっているが、知識を始めとして心許ない事が多すぎる。未知を知り理解することはそれなりに楽しく、有意義なことではあるが処理できる脳はひとつしかないのだ。ならば増やすという意味でも、彼女には帝国に関する知恵の一つとなってほしかった。

 

「……どの道断れる状況ではなさそうですが、私のこの顔の呪いは本当に治していただけますの?」

 

 隠れていた顔の半分、右の髪をかき上げ黄色い膿を生み出している部分を晒す。おそらく常人には見ていて気分のいいものではないのだろうが、ここで目を逸らすと色々と台無しになりそうなので見つめたままゆっくり頷いておく。

 

「幾つか心当たりのある方法があるのだけれど、もしそれらが駄目だった場合は……フールーダにも使った〈星に願いを(ウィッシュ・アポン・ア・スター)〉を使おうとは思っているわ。約束を守るという意味でも顔の呪いは必ず治しましょう」

「……承知しましたわ。正直不安は払拭できてはいませんが……囚われの身では断るなんてこと言えませんわね」

 

(ん? 断られたら血をいただいて記憶を消すくらいは考えてたんだが、今からでも言った方がいいのか? あ、いや話は進んでるんだしこのままでいいか)

 

 今ここで断られた場合は彼女の記憶を消し、後日改めて取引するつもりではあった。彼女の信頼が――ペロロンチーノ風に言えば好感度が今より上がっていれば、すぐに快諾してくれるかもしれない。優先順位は高いわけではないため、必ずという訳でもないが。

 

 とはいえ契約は無事成立した。レイナースの反応があまり嬉しそうではないのが引っかかるが、少なくとも無理矢理や嫌々ではない。顔に関してもさきほど話した通りの対処をするつもりだ。

 

「では、邪魔な鎧を少し脱いでくれる? 壊すのも悪いし、上だけでいいから」

 

 




吸血鬼に関してですが公式Web版の舞踏会―5でもジルクニフにバレてないので
帝国の技術じゃわからない、という作者の認識で進めてます。

次回は城へ到着


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『靴を舐める覚悟、ジルクニフの場合』

「やっと着いたか……」

 

 帝都アーウィンタール、その中央に位置する皇城。

傾いた日の光を反射するその城をバジウッドは、まるで戦場で疲弊した若い兵士がようやく故郷へ帰って来たような心情で見上げていた。もっとも彼自身の故郷は同じ帝都でも、もっとどぶ臭い裏路地なのだが。

 

 帝国の賓客を城へ招く馬車の護衛、そういった任務はもちろん初めてではない。だが今回の客は美しくも末恐ろしい存在だ、細心の注意を払わなければならなかった。

 そして、結果的には失敗したと言えるだろう。賓客である少女が離れた路地裏で帝国魔法学院の生徒が襲われているのを察知し、それを助けるために飛びだした。バジウッド達騎士はそれを追いかけることしかできなかったのだ。

 

 事前に騎士の多くを路地裏などの見回りに回せば防げたのかもしれないが、その可能性は低いだろう。国の首都というだけあって帝都は広い、この日駆り出された騎士も確かに多いが、コップの水にインクを一滴垂らすようなものだ。探知の魔法を使える騎士も限られる。

 

 ならば飛びだした少女を止めれば良かったのかもしれないが、まさに目にもとまらぬ速さだった、消えたと言ってもいいだろう。追いかけたのはいいがすぐに見失ってしまい、再び見つけた時は既に騒ぎは収まっていた。帝国にとっての賓客に――しかも自国民同士のトラブルが原因なだけに、文句など言えようはずもない。

 

(陛下に合わせる顔がねぇな。流石にタイミングは偶然だろうが、間が悪いにも程があるだろう……おっととッ)

 

 車列が城の内門前で止まる。既にここは城内、ここからは徒歩になる。バジウッド自身も考え事を中断し馬を止める。門の方を見れば騎士達が門から入り口までの道を囲う様に一面に整列していた。流石に警備の騎士は除くだろうが、まるで帝都中の騎士達が呼ばれたのかと思ってしまうような光景だ。おそらく城内に入れば、騎士に代わってメイドが広間や通路に並んでいるのだろうことは予想できた。

 

「じゃあブレイン・アングラウス、先も言ったとおり武器は腰に差したままで構わない、陛下の前でもだ」

「あぁ。しかし本当にいいのか? 一応罪人のつもりで、縛り上げられて馬に引かれるくらいは覚悟してたんだが……」

「二言はないさ、なにせ陛下直々だ。ただ陛下の前で剣を抜いたらどうなるかはよく考えてくれよ」

 

 馬にまたがっていたバジウッドはすぐ隣の馬車、御者席に座っているブレイン・アングラウスに片手をあげ声をかける。彼の前では少々霞んでしまうが、帝国最強の騎士の一角であるバジウッドは当然のように馬車の隣に護衛のため併走していた。そうなると道中では自然と彼()と軽く言葉を交わすことになっていた、勿論警備に支障のない範囲――のハズだったが。

 

「少し良いでござるがバジウッド殿。それがしは付いて行って大丈夫でござるか?」

「あ……あぁハムスケとドラゴン――ヘジンマール殿には城の庭を開放してそこに案内するように言われている。ドワーフ族は待合室に案内できるんだが通路の大きさとか色々とな、だが食事に関しては期待してくれていい。たぶん帝都で手に入る食材ならなんでも食い放題だからな」

「おぉ、それは楽しみでござるよ」

「なんというか……宮仕えは大変だな」

 

 後ろ、馬上からやや下に位置した魔獣に振り返りながら予定を説明する。その横で門まで並んだ大勢の騎士達を見ながら、ブレイン・アングラウスが漏らした同情するような声には心の中だけで頷いておく。

 

「そんなことよりも、到着の取次をお願いいたします。アングラウス殿」

「あぁわかった」

 

 バジウッドが公の場用の言葉使い――にしてもやや粗暴なものだが、言葉使いと雰囲気を変えると合わせるように彼も動いた。車列の護衛を指揮していた別の騎士が命令を出し、出迎えのため並んでいた騎士達が一斉に最敬礼を行う。バジウッド自身も馬を降り馬車の出入口傍で控える。車内の人物が出てくれば膝を折り、トラブルの際にはいつでも動ける態勢だ。御者であるブレイン・アングラウスが扉越しに中の人物と会話をするのを見守る。

 

 当然だが最初に出てくるのは同じ四騎士のレイナースだ。

彼女の今の役目は案内役(ガイド)だが、騎士である以上護衛も兼ねるのは当然だろう。当の守るべき人物には、例え帝国四騎士と言えど護衛役になりえるのかは疑問だが。

 

 しばしのやり取りの後ゆっくりと扉が開く。西門ではこの時、バジウッドは少女のあまりの美しさに固まりフールーダ・パラダインを止めることができなかった。二度と同じ失敗はできない。レイナースに続けて出てくるであろう人物に備えた。

 

「――は?」

 

 だが最初の人物、よく知るレイナースの顔を見たとたん固まってしまった。幸い二度目のためかそれは僅かなもので、その後出てきた少女に対する礼はなんとか間に合いはしたが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ♦

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ご苦労、下がれ」

「はッ!」

 

 考えることが多すぎるせいでやや冷めたい労いの言葉が出る。伝令の騎士は気にする様子もなく下がったが、気を付けねばならない。上に立つ者は上に立つ者なりの態度が必要なのだ。

 

 皇帝執務室、先ほどまでメイド達が部屋を整えるため忙しなく出入りしていた部屋、そこでジルクニフと待機している者達は本日二桁になるであろう定期的な伝令を受け取っていた。

 大半は順調に城に向かっているという類のもので、そのたびに部屋中の空気を安堵させるものだった。だが、残念なことに例外が二つ存在した。

 

 最初の知らせは道中で護衛対象が馬車を飛びだし、帝国の民である少女を助けた事。

これを聞いた時、ジルクニフは思わず震える声で伝令に来た騎士に詰め寄りそうになってしまった。『なぜそんな事が起きたんだッ!』と、相手の胸倉を掴みそうになり、そして冷静な思考がその行動が無益なものだと押し止めた。

 最初の知らせが概要のみだったためそれ以上の事はわからず、続く伝令で事態のあらましがわかりジルクニフは頭を抱えることになった。

 

(貴族同士の、しかも子供同士の問題で? 三男坊と末端の貴族の娘だと……よりによってこんな時に! 糞ッ!!)

 

 報告はまだ調査の初期段階、現場にいた者達から簡単に聞き取ったもののため事件の細部はわからなかった。だが地位も力もある貴族が、格下の貴族家に対する嫌がらせの延長線上のモノ――それが子供同士で行われたところに出くわした。そう推測するには十分な証言だった。現場の騎士達も事態の深刻さは理解しているだろうが、念のため徹底的に調査するように厳命して下がらせた。

 

 そして伝令の騎士を下がらせた後、ジルクニフは拳を机に叩きつけた。その様子に怯えた文官の何人かは窓から空を見上げ、まだ青い事を確認してしまっていた。少女の怒りがこの国に向けば、すぐにでも空は赤く染まりこの帝都は消える。この部屋で未だフールーダしか会っていない少女に、ほぼ全員が怯え切っていた。

 

 

 二つ目はたった今、おそらく今日最後になるであろう伝令だった。

少女の乗った馬車が到着した知らせ、それだけなら問題はなかったが、道中案内していた帝国四騎士の一人『重爆』のレイナース。彼女の呪いを少女が解いたという知らせだ。この事態は幸いにも予想できていた。なにせレイナースの呪いが気になるということで彼女に案内役(ガイド)を要望したのだ。西門を出発した際、当然その知らせも受け取っていたためジルクニフ自身に混乱はなかった。

 

 ただ周りはそうもいかない。若返ったフールーダは幸いソファに座ったまま「当然ですな、っほっほ」と自分の事のように自慢げにしているだけだったが、騎士や文官達は真っ青になっていた。

 

(駄目押しという事か? 随分とプレッシャーを掛けてくれるじゃないか)

 

 今まで帝国の魔法技術が手も足も出なかったレイナースの呪い。

それをこの短い間に簡単に治してしまったのだ。しかも治した理由が『案内役(ガイド)のお礼』であり、治療自体は予想していたジルクニフもこれには開いた口がふさがらなかった。

 

「お前たち、落ち着け。いや、そうではないな……全員その場から動かなければそれでいい。先も言っただろう、相対するのは私自身なのだからな」

「陛下、しッ失礼いたしました。若返りの魔法という奇跡を起こせる方なのですから、レイナース殿の呪いなど案内のお礼に硬貨を心づけで渡すようなものなのでしょう……」

「そうだな。何か狙いがあるわけじゃなく、そういった可能性もある事がさらに厄介だ」

「しかし陛下、こうなりますとレイナース殿はッ――」

「言わずともわかる。レイナースとは元々そういった関係だ……まだいい」

 

 いち早く正気を取り戻した秘書官ロウネの危惧に、ソファに座ったフールーダをチラリと見ながら答える。実際大きな問題ではない。帝国魔法技術の根幹に関わるフールーダに比べれば、帝国四騎士はまだ代わりがきく。かつて行われた王国との戦争でガゼフによって討ち取られ、後に補充されたこともあったのだ。

 それにレイナースはもっとも忠誠度が低いということを承知で四騎士に誘った。治療のアテが見つかれば黙っていなくなることも考慮していたくらいだ。

 

 考え事を終えると同時に目を向けていた人物の首が突如、ギュルッと勢いよく振り向き嘲笑のような表情を浮かべながら問いかけてきた。

 

「ほっほっほ、陛下どうされます? 寛大な方ですからな、貴族の件も水に流してくださるかもしれませんぞ」

「どうかな? 私が同じ立場であれば、相手の弱い部分を見逃すとは思えない。遠回しに攻撃して色々と相手に吐き出させると思うがな」

「へ、陛下……仮にそうなった場合は……」

「勿論、吐けるだけ吐くしかないだろうな。体中(帝国)のモノ全てを吐き出さなければ殺されるのであれば、吐くしかないだろう?」

 

 隣のロウネの顔が今の帝都の空のような青々としたものになる。当然だ、貴族の件がなくても実力差は既にはっきりしている。

 

「ロウネもみなも、そう悪い方にばかり考えるな。間もなくこの部屋に来られるのだ、それまでにその面白い顔色を治せ。爺……フールーダが言う様に寛大な人物に賭けようではないか? 当たれば帝国は安泰だぞ?」

 

 逆だった場合はどうなるのか? ――決まっている、どちらにせよ会うしかない。

ある意味潔く、開き直るように笑いながら部屋にいる者達全員に笑いかけた。

 

「ところでジル、私はやはりジルを含めた全員伏してお待ちするのが良いと思うのですが……」

「……それは非常に魅力的な提案だ。いざとなったら私も迷わずそうする。だが西門でバジウッドの謝罪への対応を考えると、あくまで王や騎士として対応するのが正しいように思う」

 

 とはいえフールーダが全てを差し出し、伏して相手の靴を舐め譲歩、――譲歩とは言えるか疑問だが、少女の承諾を得たのは事実だ。いざとなればジルクニフも同じような事をしなければならないだろう。

 

 皇帝としてのプライドも捨て去って。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ♦

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――お見えになりました。

 

 随分と冷たく聞こえる声とその内容を、執務室にいる全員が聞いていた。

おそらく極度の緊張状態がそうさせたのだろう、報告をしてきた老齢の執事の様子はいつも通りだ。

 

「お通ししろ、くれぐれも失礼のないように」

 

 ジルクニフ自身も座っていたいつもの執務机が冷え切っているように感じられ、立ち上がることにした。

 

 部屋にいる者達がそれぞれの位置につき、そして扉が開く

 

 

 ――なるほどな。

 

先頭で入室してきた少女を見た瞬間、ジルクニフは納得の声を心の内で満たし、周りの文官や騎士達は少女のその美しさに目を奪われていた。

 

 報告通りの、いやそれ以上の美貌。ゆっくりと部屋に入るその姿は、清雅な気品に満ち満ちており、装飾をあしらった白いドレスと帽子、なにより優雅に舞う銀髪がそれを後押ししているようだった。揺れる胸も男達の視線を集め、美しい真紅の瞳は見る者を魅了しそうだった。

 

(バジウッドが舌を巻くわけだ。そしてあれがブレイン・アングラウスか、なるほど俺の目にも強者に見えるが……)

 

 おそらく入室した少女に全員の目が集中していただろうが、ジルクニフは冷静に観察をしていた。くたびれた服に似つかない小綺麗な白いマント、そこから覗く肉体は細いながらも力強く見えた。部屋の奥にいる皇帝ジルクニフ、それを見る瞳はギラついた歴戦の戦士のものをしており、ここが戦場であれば一瞬で首と胴体が分かれるであろうことは想像ができた。

 

 そしてさらにその後ろに四騎士のレイナースが続いている。

 

(ん? 顔色が……いやそれよりもなんだあの顔は……)

 

 レイナースは確かに顔の呪いが綺麗に消えていた。普段髪で隠している右側の顔を露わにしており、左側と同じように美しいものとなっている。

 ただ顔色がかなり悪い。治療による影響か顔色が白いものになっていた。そして充血した瞳は主人であるハズのジルクニフに一切注がれておらず、先頭にいる少女を見つめていた。その後にドワーフが一人、おそらくドワーフ国の商人会議長だろう。

 

(まずはなによりも道中の件だな)

 

 レイナースの変わりようは少々気になったが、先頭の少女は間もなく部屋の中央にたどり着く。そこまで来てこの部屋の主が声を掛けないのは少々礼儀に反する。少女の美貌に目を奪われていたと言い訳したとしても、既に大きな非がこちらにある現状、得策ではない。

 

「あなたのような方にこの国にわざわざお越しいただき、国を預かる者として大変光栄に思う。シャルティア・ブラッドフォールン・アインズ・ウール・ゴウン殿。私がバハルス帝国皇帝、ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスだ。なによりもまずは、お招きしたにも関わらず道中の数々の非礼をお許し願いたい」

 

 相手の正面に立ち、名を名乗るとともに頭を下げる。

平伏ではないが立ったままできるだけ頭を下げた状態だ。ここまで頭を下げる帝国皇帝の姿を見た者はいないだろう。この後の相手の出かたはいくつか予想はしている、場合によってはフールーダのようにひれ伏さなければならない。

 

 少女からの返事はスグにはなかった。正面とさらには部屋中から見守るような視線を感じながら、ジルクニフはあくまで皇帝としてジッと耐え相手の反応を待った。

 

「シャルティア・ブラッドフォールン・アインズ・ウール・ゴウンと申します、皇帝陛下――」

 

 少女の美しくも固く、氷のような声が部屋に満ちる。

 

「――その謝罪を受ける前に、先にこの男ブレイン・アングラウスへの罪状の言い渡しをお願いできませんか?」

 

(やはりそう来るか、意地の悪い事だ……)

 

 一応は予想の範囲の相手の反応に胸をなでおろしながら、ジルクニフは頭を上げた。




え? ジルクニフまで舐めるの?(ドン引きですわ!)


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『前哨戦』

 少女が半歩下がり、代わりに荒い無精髭を生やした男が一人、前に出てくる。

 

 ブレイン・アングラウス――かつて王国最強の戦士ガゼフ・ストロノーフとの御前試合でほぼ互角の勝負をした男。結果こそガゼフの勝利であったが、その試合の様子は今でも広く語り草になっている。

 

(めぐり合わせによっては部下に出来たかもしれんが、今となっては過ぎた事だな……)

 

 かつてガゼフ・ストロノーフを戦場で勧誘したことを思い出す。

結果はアッサリふられたが、短い間であの男の人となりを知ることができたのは有意義な事だった。ズーラーノーンによる死の螺旋に巻き込まれ、おそらく死亡しただろうという報告を聞いた時は、敵ながら少し残念に思ったくらいだ。

 

 ジルクニフの前に出てくるブレイン・アングラウスを見て、自然とあの時の戦場を思い出したのは彼らの関係もあるだろうが、なにより目の前に立つ男があの時のガゼフと同じ目をしていたからだ。強い意志を宿した瞳。銀糸鳥の報告でその瞳が目の前にいるジルクニフを見ずに、何を映しているかはわかっている。

 

(まぁそれはお互い様だな。私はこの男を利用してどうやってあの少女――ゴウン殿のご機嫌取りをするか、今はそれしか考えていないのだからな)

 

 罪人の後ろからこちらをジッと見つめている少女。

 

(落ち着け、この流れは一番に予想していたことだ。まずは場を整えなければ)

 

 少女の紅い瞳から逃げるように目の前の男に視線を戻す。

そしてごく自然な動作で跪こうとした目の前の男の動きを、手を突き出して止めた。

 

「よい、ブレイン・アングラウス。何のためにお前がここまで来たのかは承知している。だが既に知っている通り、ことさら罪人扱いするつもりはない。わざわざ首を晒しに来た相手の顔を踏みつける程、性格が悪いつもりはないからな」

 

 相手の腰にさしたままの剣を指さしながら、余裕を含めた笑顔を浮かべる。

もちろんこれは少女へのアピールの意味合いが強い。上に立つ者としての器の大きさを見せるためだ。

 

「それと、口調も無理にへりくだるものでなくて良い。バジウッドと話したのだろう? あの男は普段から私の前でもあのような話し方だ。公の場では困るが、今この場においては構わないさ」

「……そいつはありがたい」

 

 下げかけた体をゆっくり戻しながら、にやりと男くさい笑みを浮かべる男。

口調とともに崩れたその態度は、皇帝の前では眉をひそめてしかるべきものだろう。だがブレイン・アングラウスの背後に控える少女も、旅路では相手の不作法に寛大な対応する事が多かったようだ。ならばそれに習うのがもっとも良い手のはずだ。

 

 立ち上がった相手――その気になれば一瞬でジルクニフを殺せるであろう男に、無造作に右手を差し出す。

 

「お前の名高い勇名は私の耳にも届いてる、アングラウス。少なくとも戦場で会わなかった事に感謝するとしよう」

「俺はどっちかというと戦場の方が良かった気もするが……帯剣を許してくれた事には感謝している、剣士としては腰に何もないのは少し寂しいからな」

 

 少し躊躇するようにジルクニフの右手を見つめた後、同じように手を出し握手をする。

固い皮に包まれた手だった。おそらくジルクニフには想像できないほどの修練を重ねてきたのだろうことは、想像に難くない。

 

「先ほど述べたように、お前が何のために来たのかは承知している。だが断られることを承知で、一応は聞いておこう――」

 

 手を離すと同時に視線を向けずに少女の様子を注意深く伺うが、表情にも反応がない。

報告通り、この件に干渉する気は一切ないのだろう。ジルクニフが評価するブレイン・アングラウスの価値が、少女にとっては無いも同然なのかもしれないが――

 

「帝国に仕える気はないか?」

「断る」

 

 即断。

 

 静かに、だがハッキリと吠えるブレイン・アングラウス。

それからすぐに「……いや、今のは失礼した」と、無遠慮に断ったことを恥じる様に顔を僅かに赤面させた。

 

(既に飼いならされているな。生まれた国で一、二を争うほど強くなれれば、強さの探求などはもう十分だと思うんだが)

「構わないさ、先に述べた通り断られることを承知で言ったんだ。忘れてくれて構わない」

 

 言葉とは逆にいかにも残念というふうに力なく首を振りながら、苦笑いを浮かべ相手に気にしないよう告げる。実際帝国にとっての大きな問題が彼のすぐ背後にいるのだ。逆に部下になることを承諾されれば、帝国に潜り込んで何をするのか? などと疑ってしまったかもしれない。

 

「それでは帝国の法、私が下す罰を終えてゴウン殿に仕えたい。と、それが今のお前の意志というわけか?」

「あぁ、世界最強に届くなんて思っちゃいない。ただ今は周りや他人と比べずに、自分がどこまでいけるか試してみたい。その前に今までのツケを払う意味でも、鉱山労働だろうが何でもするつもりだ」

 

 少し赤面していた顔から一変、真剣にこちらを見つめてくる。

王国最強に並ぶ実力者に鉱山労働――もちろんそんな勿体ないことは考えていない。戦士としての鍛えられた体で、普通の労働者より多くの仕事ができるだろう。だが、それだけだ。

 罰を与えるという意味ではその選択は間違っていない。だが彼の戦士としての剣の腕は、その数年の間に錆びついてしまうかもしれない。少女の手前、本気で配下に誘うわけにもいかない。ならば少女に対する手札として利用させてもらおう――

 

「生憎とブレイン・アングラウス、私はお前に剣を捨てさせ採掘道具を握らせるほど無能ではないつもりだ。あくまでお前の剣でもって清算してもらおう。帝国における最強の一角、闘技大会の武王『ゴ・ギン』と戦ってもらおうと思うのだが、どうかな?」

 

 やや大仰に手を広げ、あくまで支配者然とした態度で告げる。

チラリと少女の方を見れば、顎に手を当て何かを考え込むようにこちらを見ていた。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

「武王ゴ・ギンの事は知っているかな?」

「一応噂程度なら聞いたことがある……しかし闘技場で? 奴隷のように何度も戦わせようってのか?」

「いや、あくまで興行として宣伝し、大々的に行ってもらうさ。一度限りで構わない、どうだ?」

「……まぁ()()気を使ってるのかくらいはわかるが。なんか釈然としないな」

 

 ボサボサに乱れた髪をかきながら、不満そうな声色で眉を歪める。

 

「まさかわざと負けろって、――」

「そんな必要はないさ、おそらくだがブレイン・アングラウス。お前では我が国の闘技場が誇る最強の武王『ゴ・ギン』には勝てない」

 

 相手の予想通りの勘違いを遮り、ありのままの事実を静かに告げる。

アングラウスの眉がさらに歪むが構わない。これは挑発の意味もあるのだから。

 

「私に剣の才能はないが、今代の八代目武王は歴代最強だ。子飼いにしている興行主(プロモーター)の男は、事あるごとに自慢げに言っていたよ。以前バジウッドに聞いたのだが四騎士全員でかかっても、勝算はないそうだ」

 

 ケラケラと笑いながら告げられたことだが、残念ながら他の三人も同意見だった。

憂慮したジルクニフは、フールーダに武王に関する情報を集めさせた。そしてその結果は、バジウッドの発言を肯定するものばかりだった事にますます悩んだものだ。

 武王自身が『武器を捨てれば決して相手を殺さない』という理知的な心情を持っている事から、一応は注意する対象程度に抑えられている。

 

「……」

「お前が所属していた野盗だったか? そいつらが襲ったと思われる商会には興行収入の何割かを渡すように、私から興行主(プロモーター)達に働きかけようじゃないか。今や王国最強の戦士が、同じ人間ではないとはいえ帝国最強の武王と戦おうというのだ。その日の賑わいや売り上げは、闘技場の歴史に残るほどのものとなるだろうな」

 

 他に何かあるか?と、首を傾げながら問いかける様に相手を見据えた。

 

「……わかった。そういうことなら受けようじゃないか、強敵と戦うのなら望むところだ」

「成立だな。だが今すぐという訳にはいかない。運営側との打ち合わせや宣伝のための期間を挟まねばならんだろう、それまでの間は――ゴウン殿? よろしいか?」

「ん?」

 

 アングラウスとのやり取りを、変わらぬ様子で見つめていた純白の美姫に声を掛ける。

何を考えていたのかは分からないが、反応からして悪いものではないように思えた。こちらを見据える宝石のような紅い瞳に影は見られない。

 

「アングラウスの扱いなのだが、何かご希望はおありかな? 武王との戦いが終わるまでは、一応まだ罪を許されたわけではない。こちらでお預かりしても問題ないかな? 無論無体な扱いはしないことをお約束する」

「……ブレイン、あなたの意志は?」

「俺は……できれば今のままシャルティア様のお傍に置いてもらいたいですが」

「ではそのように。皇帝陛下、よろしいでしょうか?」

 

 よろしいもよろしくないもない、少なくとも彼女に対して首を横に振れる人間は今帝国にはいないのだ。例えジルクニフであろうともそれは変わらない。

 

「もちろん、普通に街を出歩いても構わないとも。ただ、騒ぎはできるだけ起こさないでくれるとありがたい。無論何をされても無抵抗でいてくれという意味じゃないが、できれば外出の際は騎士を同行させてほしいくらいか」

「わかった、ただ修練に必要な場所は確保して欲しい」

「問題ないさ、城の施設などを開放しよう。騎士達にも良い刺激になるだろうからな」

 

 当然だがこの件には惜しみなく四騎士を最優先で使うつもりだ。

しかし既に四騎士はバジウッドとニンブルの半分しか使えない。レイナースは既にあちらの立ち位置だろうし、『不動』のナザミ・エネックはズーラーノーンの件で帝都を離れている。

 

(ズーラーノーンといい改めて考えると、頭の痛い事だな……)

 

 弱気が胸中に差し、慌てて首を振りふるいたたせる。

 

(いやとりあえずアングラウスの件は、ほぼ予定通りしのぎ切ったんだ。まだ一段目だが、いけるッ!)




というわけで次の次である4章はブレインvs武王です。


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『吸血鬼レイナース』

ぶっ壊レイナースさんの設定はWeb版踏まれて喜ぶ吸血鬼ブレイン+顔を治してもらった恩義


「さて、ブレイン・アングラウスの件が一段落したところだが――」

「陛下!」

 

 少女の後ろに下がったブレイン・アングラウスから視線を外し、少女に声を掛けると同時に近くにいた文官から声を掛けられた。

 

 本来であれば帝国史上最重要と言ってもいいこんな時に、口をはさむことなど許されるものではない。

 

(来たかッ!)

 

 ただあらかじめ指示を出していたジルクニフは安堵し、少女に向かってうやうやしく頭を下げた。

 

「失礼、ゴウン殿。あなたが先ほど遭遇された件だが、どうやら進展があったようだ」

 

 唯一少女が遭遇した『事件』についての情報は、内容を精査した文官の判断で最優先で知らせる様にしていた。つまり、少なくとも悪い情報ではない。扉近くに立っている文官の顔色も問題はなく、声も緊張したものではなかった。

 

「この場の全員に聞こえる様に述べよ」

 

 わざとらしくない程度に手を広げ、あくまで友好的な笑みを浮かべる。

 

「よろしいので?」

 

 チラリッと佇む少女を伺った後、おそるおそるといった様子でジルクニフに確認をとる文官の男。

 

「当然だ。その件について、隠し事などするつもりはないぞ」

「はッ! そ、それでは……ごッ、ゴウン様が城下で遭遇なされた事件ですが、男達を事前に雇い入れたのはロベルバド家。そこの三男ランゴバルト・エック・ワライア・ロベルバド、なるものがその……遊び半分といいますか、少女を捕まえた後、おびき出した少年を襲う算段だったそうで――」

「……もうわかった。襲われた二人に非はなく、一方的なものだったということでいいな?」

「はッ! 本人も認めております」

「さて、それではゴウン殿?」

 

 文官の報告を聞き終え、白いドレスに身を包んだ少女に向き直る。

 

「聞いての通りだ。到着された早々にフールーダが騒がせた件を含めて、改めて謝罪と臣民を助けて頂いた感謝をさせて頂きたい。お受けいただけるだろうか?」

「それは勿論。……驚きはしましたが、それほど気にはしておりませんので」

「そうか……いや、あなたの寛大なお心に感謝を」

 

 あっさりと白い花が咲くような笑顔を向けられ、一瞬驚いてしまう。

もっと渋られると予想していただけに、すんなりと相手が引き下がった事に違和感を覚えた。

 

「後はそうだな、首謀者であるランゴバルト・エック・ワライア・ロベルバドだが、なにかあなたから懲罰の希望はおありだろうか?」

「……いえ、特には。この場合はその二人に決めていただいた方が良いのでは?」

「ふむ……」

 

 (なるほど、そういう考え方か)と、ジルクニフは内心でメモをとる。

はるか高みの強さを持つだけあって、足元のこまごまとした騒ぎには気にも留めないのかもしれない。

 

(とはいえ帝国貴族への評価が内心で下がったのは確かだろうな。本来であればいい気味だと笑うところだが、こちらまで巻き添えになっては敵わない。できるだけ彼女を刺激しそうな貴族は近づけないよう、注意しなくてはならないな)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アングラウスの件を挟んだとはいえ、随分と長い間立ち話をさせてしまった。どうぞこちらへ」

 

 文官へ処理のための指示を出すと、ジルクニフ自らが歓迎の笑顔を向けて少女をソファに招く。皇帝が執務を執り行う部屋だけあって、そこにあるソファが帝国でも随一の代物だ。さきほどまでメイド達が準備をしていただけあって、ソファを含めた調度品には塵一つなく、準備は万全といっていい。

 

「ありがとうございます」

 

 帝国式の返礼をし、ゆったりと優雅な足取りで歩み寄る純白の少女。

 

(完璧だな……僅かに違和感はあるが、元々が違う流儀でそれを帝国式に直してるのか? 貴族の娘達では束になっても敵わない気品があるのは間違いないが)

 

 舞う様に赤いソファに腰掛ける純白の少女。

すると何かに気づいたように元居た方向を振り向くと、隣の空いたスペースを軽くポンポンッと叩き始めた。

 

「商人会議長もこちらへどうぞ」

 

 あどけない少女の美しさも相まって、女性慣れしてない人間の男であれば緊張で固まっていただろう。

 

 周囲が見守る中、商人会議長と呼ばれたドワーフの目が――もっとも髭に覆われてよくは見えないが、ぱちりと開き部屋の主であるジルクニフを伺う様に見つめてきた。

 

「もちろんだとも、ドワーフの方々も我が国にお招きしたのだ。共にこちらへ」

 

 即座に部屋にただ一人のドワーフに笑いかけ、少女の隣へ招く。

同時にジルクニフは内心、わざわざ隣へドワーフを招いた意味を理解していた。

 

(次はドワーフとの貿易について話せという事か? 当然考えてはいたが、アングラウスの件と併せて様子を見るという事だろうか?)

 

 当然だが少女と友好的なドワーフに対してもそれ相応の対応を考えている。

貿易交渉の件について少女の思惑はわからないが、既に帝国としては結論が出ているのだ。

 

「では失礼して、っほ」

 

 当然ドワーフ用の高さが控えめな椅子も用意していたが、今回は不要となってしまった。少女の隣へ歩み寄り、招かれるまま後ろへ飛び上がるように腰掛けるドワーフ。そして周囲が見守る中、ジルクニフも対面のソファへ疲労した体を沈めた。

 

 それを確認すると周りにいた者達も動き出す。

一番人数の多い帝国の文官や騎士達はジルクニフの背後のやや離れた壁際へ、秘書官のロウネと四騎士のニンブルが左右の近い位置に佇む。対して白銀の少女の方は、慣れた様子のレイナースに引かれるようにブレインも動き、少女が座るソファの背後に立った。

 

 そして最後に残っていた若い姿のフールーダ・パラダインは一人近づくと、バサリとローブを広げ少女の近くで突然跪いた。

 

 

 ――え?

 

 予想外の行動に部屋の時が止まる。

周りの者達もジルクニフ自身も、そしておそらくだが対面の少女も固まっていた。

 

「……なにをしているんだ? 爺」

 

 困惑しながらも問いかけられたのは、幼少のころからの付き合いの長さゆえか絞り出すような声をかける。

 

「いえ陛下、やはり『我が師』が座られているとはいえ、それを立って見降ろすなどと恐れ多い。私はここで、師より低い傍で同席させていただければと思います」

 

 そう言うと床に身を丸くしたまま、少女の足元へローブを引きずりながらズルズルと近づくフールーダ。若返り、生気のみなぎった黒い瞳を欲望に染め上げ、ジッと少女を見つめている。

 それに合わせるように「ㇶッ」と、小さく声をあげビクリと震えた少女が、座ったまま離れるように身を引いていた。

 

(……どうすればいい?)

 

 ジルクニフの胸中をそんなもやもやと形のない困惑が満たす。

決まっている、止めなければならない。だが自分でいいのか? 止めるのも自分なら謝るのも皇帝であるジルクニフになる。ここにきてさらに相手に借りを作るようなことは最善ではない、ただしそれは間違ってもいない。なにせ少女を怒らせれば、帝国にとって最悪の結果しかないのだ。

 

 現状の最善手を考え冷や汗が出そうになる頃、思わぬところから声がかかった。

 

「フールーダ様。そのお気持ち、お察しいたします」

 

 レイナース・ロックブルズ。

白くなった肌と紅い瞳を持つ女騎士が、少女とフールーダの間に割って入った。

 

「私も『ご主人様』の御力をこの身で受け、その神の如き素晴らしさと温かさを実感いたしましたわ。そして同時に、それを受けられなかった昨日までの私に絶望もいたしました」

 

 しゃがんだままのフールーダの肩に手を置き、自身の身に降りた幸福を誇らしげに話すレイナース。その姿はまるで教えを説く聖職者のようだ、信仰する対象がすぐ目の前にいることを除けばだが。

 その紅い瞳には涙が浮かび、白かった頬は赤く表情は歓喜に満ちていた。彼女のあのような顔を見た者はこの部屋には――少なくともジルクニフ達の中にはいないだろう。

 

 ひょっとするとレイナースの顔を治した少女であれば、目にしたかもしれない。

 

「ですが、今は帝国皇帝との対談を優先する事がご主人様のお望みかと思いますわ。それにご協力するのがご主人様――いえ、シャルティア様のお役に立つことでは?」

「あ、……これは、失礼しました。少々興奮してまわりが見えなかったようです。陛下も皆様方にも失礼しました」

 

 立ち上がりながらも縮こまるように頭を下げるフールーダ。

その一連のやり取りを見て、思わず天を仰ぐ。今まで知らなかった二人の一面、その心をたった半日で掴んだ少女、あのレイナースが心から主人と呼ぶ存在、胸中に渦巻く感情は様々だ。

 ふと顔を下げ対面に座る相手を伺えば、体を引き顔に手を当て何事か考える様に二人を見つめていた。

 

 ――おそらく呆れているのだろう。ジルクニフにとってはかなり奇妙な光景だったが、自身がきっかけなうえに、見た目以上の年齢を持っていると思われる少女だ。ひょっとすると内心で嘲笑しているのかもしれない。

 

「その……シャルティア様。俺もあんな風になった方がいいんすかね? ……だとしたらその……」

 

 力なく、そして恐る恐る尋ねるアングラウスの声に少女は小さく首を振っていた。

 

「いや……しなくていいから……」



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『貿易交渉』

とりあえず日曜までは完成済み


 微妙な空気に包まれている皇帝執務室。

主に帝国側に漂っていたその空気をはらう様に、ジルクニフは明るい声で仕切りなおすように話し始めた。

 

「さて、なにから話したものか……ドワーフ国の方もそうだが、特にゴウン殿は遠方から来られたと話を伺っている。色々とその辺りのことを聞かせていただければと思うのだが……いや、失礼。着いたばかりのお二人には先に飲み物などを用意せねばならないな」

 

 ハンドベルを鳴らし、あらかじめ外に用意させていた給仕達が静かに部屋に入ってくる。

大急ぎで部屋を整えさせたメイド達と同様、フールーダの件で騒ぎとなった後用意させた男達だ。若くそれなりの高名な貴族の家出身で容姿も端麗、まだ執事を名乗れるほどの経験はないが日頃の訓練の成果もあってその動きに淀みはない。

 

 まだ青年と言っていい男達がそれぞれ分かれて歩み寄ると、作法通り洗練された動きで銀のお盆にのった飲み物と菓子をきれいに並べていく。

 

「有難う」

「ッ!」

 

 声をかけられたその瞬間、少女に一番近かった給仕の手が止まった。

 

 ――ガチャッ

 

 淀みのなかった動きが突然崩れ、固まる。

菓子で彩られた皿が机の上で止まり、僅かに音が鳴る。

 

 なぜ止まったのかは対面に座るジルクニフにもわかった。

見惚れたのだ、自らに向けられた少女の微笑みに。帝国の令嬢たちが嫉妬に狂いそうな、あるいは同じ女でも見とれてしまいそうなものを間近で直視してしまい、給仕の男は少女の顔を食い入るように見つめたまま固まっていた。

 

「あの……?」

 

 周囲が緊張する中少女の困ったような、はにかんだような声が部屋を満たす。

その声に我に返ったのだろう。すぐに身を起こし少女と皇帝であるジルクニフ、二人に青くなった顔を急いで下げた。

 

(……クソッ! 恥をかかせおって)

 

 「良い、行けッ」短く怒気を孕んだ声を発しながら、手を振り男達を部屋から追い出す。

慌てて退出する給仕達、その背中をジルクニフは睨みつける様に見ていた。同じ男として、そしてあの男が目にしたものを考えれば多少の同情はする。しかし相手との力関係を考えれば、あの男の失態が帝国を火の海にすることもあり得るのだ。許されるものではない。

 もっとも、既に火の海に飛び込んだフールーダ・パラダイン(帝国の主席魔法使い)がいるのだが……。

 

「大変失礼をした、部下の不出来は私の失態。再三の非礼で申しわけないが、どうか――」

「いえ、気にしていませんし男性としては仕方のない反応かと……あの方をお叱りにならないで頂ければ幸いですが」

 

 再び頭を下げようとしたジルクニフを、突き出された白い手が止めた。

 

(慣れてるのだろうな、あのような反応をされるのは……男の扱いに慣れていて、自らの容姿について自信があるということか)

「それに今のが悪いとすれば、元をたどれば『私の容姿が悪い』という事になってしまいますから。そろそろ貿易について話を進めたいですし……」

「承知した、貴女の寛大なお心に感謝を」

 

 やはり見た目どおりの年齢ではないのだろう、相当頭も切れる。

今この流れでドワーフとの空輸貿易の話に入れば、帝国側は大幅な譲歩をしなければならない。勿論少女の実力やこれまでの道中の件でも相当あるが、さらにここに来てもう一押しされてしまった形だ。

 自らの容姿の使い方、それに対する男の扱い方、交渉の進め方、全てが完璧と言っていい。

 

「……早速だがドワーフ国の商人会議長どの?」

「はい、皇帝陛下」

 

 少女の思惑に操られるように顔を、少女の隣に座るドワーフの方に向ける。

元々髪や髭に顔の大半が覆われている種族なので表情はわからない。表情が読めないのは交渉事では厄介な上に、今回はさらに少女の後ろ盾まであるのだ。本来であれば胃の痛みと戦いながらの交渉になっただろう。

 

 だが今回に関してはその心配はない――既に若干の胃の痛みはあるが――

 

「先に送っていただいたドワーフ国からの草案の件だが、帝国はそのまま全て呑もうと思う」

「……よろしいのですか?」

 

 相手も国を代表した者だけあって予想はしていたようだ。

「本当にいいのか?」という意味だろう、落ち着いた声をしている。

 

 通常の交渉であればお互いの意見と意見をぶつけ合い、その間を模索しながら話を進めるのが普通だ。だが前提として、お互いの交渉材料や力関係も当然影響してくる。

 ジルクニフは手を広げ、見る者によっては降参ととるだろう笑顔を相手に向けた。

 

「あぁ、()()ドワーフ国に有利となってしまうが、今後のお互いのことを考え長期的な視点に立てば、妥当なものに思えた。ドラゴンを使うなど初めての試みなので、その辺りで幾つか条件を付けくわえたいがね」

「ふむ、よろしければ今この場でその条件をお聞かせいただいても?」

「もちろん構わないとも」

 

 相手(ドワーフ)にとっては後ろ盾である少女の前で交渉を進めたいのだろう。

だが柔軟な交渉姿を少女への好感につなげたいジルクニフにとっては、むしろ好都合だ。

 

「一つ目だが、実は我が国では今後食糧の不足が予想される。既に市場の価格にも出始めていてな、最初の内はそちらを優先していただきたい。落ち着いた後で鉱石や武器の購入枠を増やそうと思う」

「食糧ですか……我が国の規模では、それほど数は用意できないと思いますが? キノコや肉類が主ですし」

「構わないとも、時間稼ぎのための対応だからな。情けない話だが、"死の都"による王国民の流入が予想を超えていてな。魔法技術による生産力を回しても、満足な量は用意できない可能性もある。他国から買うための時間をまずは貴国から買いたいというだけだ」

 

 無論王国民を無条件に帝国領へ通しているわけではない。

カッツェ平野駐屯基地の兵力増強と併せて、国境線の見回りを強化、都市の出入りの警戒監視。迅速に取れる手は全てうってある。だが国境線は広く、限られた騎士達ではカバーできる範囲も限られるのが必然。都市への侵入も全て捕まえられるわけではない。

 帝都アーウィンタールはそれでもまだ影響は少ない方だ。国境付近の都市や村々は食糧価格に加え、目に見える治安の悪化など、あまりいい情勢とは言えない。

 

「それとドラゴンが都市上空を飛ぶのは、見張りの兵士や臣民に不安を抱かせてしまう危険がある。しばらくはドワーフ国に近い都市付近で、馬車に乗せ換える形となるだろう」

「それは確かに、当然のご判断ですな」

 

 ある意味ドラゴンの脅威を帝国以上に知っているせいか、あっさりと頷くドワーフ。

できればここで不満のある態度を示して、それをジルクニフが上手くなだめる対応をしたかったが、それは都合が良すぎる様だ。頭を切り替え、視界の隅で交渉を見守る少女の反応を伺いながら話を進める。

 

「だがそれについては解決策があるので、そちらにも協力していただきたい」

「ほう……どのような協力をすれば宜しいのですかな?」

「荷を入れる袋や箱、それに商品である武具に印を入れて欲しいのだよ。出来るだけ大きなドラゴンの印を、それと併せて国としても広く臣民に周知すれば不安に思う者もいずれいなくなる。そうすれば、この帝都へ直接ドラゴンが荷を運ぶ日も遠くはないだろう」

「なるほど。無論円滑に交易をするためであれば、ドワーフ国としても是非はありませんが……」

 

 神妙に頷くドワーフが隣の少女をうかがうそぶりを見せ、ジルクニフも自然と目線が少女へ向かう。

 

 ここまではいい。

草案では交易で得られた利益の何割かを少女へ渡す算段が付いていた。だがそれは、主にドワーフ国側の利益から出される形だ。元々ドワーフ国が単独で作った草案なので無理もないが、帝国から僅かな報酬しか少女に出せないのは様々な意味で不安が大きい。

 

「それでここからはゴウン殿にも一つ願い――いや、検討していただきたい案があるのだが」

「……何でしょう?」

「ドラゴンを使って交易ができるのであれば、人を運ぶ事は可能だろうか?」

 

 宝石のような紅い瞳がジルクニフを凝視する。

その反応に心の中で、自らの妙案に思わず大喝采をあげそうになるが、まだ早いと震える心を抑えこむ。

 

「それは勿論」

「実はこれは私自身の考えなのだが、商人や貴族の中には人や荷物を早馬で一刻も早く送ったりする場合があるのだが、これをあなたのドラゴンにお任せする事は可能だろうか? あなたに対する報酬規程を新たに作るので、それを見た後お考えいただきたい」

 

 ジルクニフの友好的な笑みに少女は「ふむ」と、考え込むように顎に手を当てている。

 

 ――よしッ!!

 

 その姿に机の下で力いっぱいこぶしを握り締め、自らに今度こそ喝采を送る。

それは少なくとも相手が興味を持ち、検討する価値があるという意味だ。その価値は今の帝国にとって計り知れないもの。どんな宝石よりも価値のあるモノだ。

 そしてその輝きはできるだけ長持ちさせねばならない、慌てて手をあげ追撃の言葉を放った。

 

「あぁ、いや……商人会議長にお話ししたように、臣民にドラゴンの存在が広く知れ渡った後に検討している計画となる。なので結論を急いでもらう必要はないんだ。そうだな……少なくとも数カ月は見ていただければと思う」

「わかりました、ドラゴン達が定期的に休める範囲のものであれば……」

「ん? あぁ、それはもちろん。その時には、()()()()()()改めて協議させていただこう」

 

 これで確実――とはいかないまでも、数カ月間少女と友好的な関係でいられることがある程度保証されたことになる。その間に少女の性格や好むことを把握する事に注力しなければならない。

 少しでも興味を持った事――例えば男、食事、芸術品など、ありとあらゆるものを少女の前に相応しい形で用意する。

 

 そして同時にドラゴンを大切に扱っている事を内心のメモに取る。

仮に協議をするとなれば、ドラゴンの使用頻度に考慮しつつ確実に報酬を渡せるバランスを取らねばならないという事だ。

 

 少々難しいものとなるが、それで相手の関心が買えるのであれば安いものである。思わず心の底から――体の方もキリキリしていた胃が休まるような感覚を覚え、ジルクニフは憑き物が落ちた様に心からの笑顔をうかべた。




原作の会談に習ってサクサク進めてる…ハズ

次回はモモンガ様視点に戻ります 次話→3日後投稿予定


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『モモンガ様のお願い』

(なんかメチャクチャ上手く話進んでないか? 考えてもいなかったドラゴンの新しい使い方まで提案してくれたし。……魔法を使って鉱山を潰した件はいいのかな? まぁ向こうが触れないなら、とりあえず様子を見るか)

 

 貿易交渉はおおよその合意となり、文官達が何人か退室した後「難しい話はそろそろ終わりにして、少しこちらの世間話でもしようか」というジルクニフの案内で、今の話題は帝国と王国の関係と"死の都"を作ったズーラーノーンに移っていた。

 モモンガとしては(どこが世間話だよッ! 権力者目線の国と国の関係なんてハードル高すぎるわ)と、内心で突っ込んでいたが、同じ権力者という身分を偽ってる以上断ることもできなかった。とりあえずこちらは外から来たお客と言う立場なので、ほぼ聞いているだけで良い。

 

 だが退屈という事は全くなかった。少し尊敬してしまうほど、ジルクニフはホスト役として完璧だった。

 絶妙のタイミングでこちらに話を振り、商人会議長やモモンガが知らない話題となればすぐに面白おかしく説明してくれる。話題に食いつけば、さらに引き込まれるように話を弾ませてくれた。

 

 戦争中の敵国であり、"死の都"を抱え込んだ王国に関して多少の愚痴は混じっていたが、それは彼の立場を考えれば仕方ない事だろう。交渉相手が思わず愚痴を漏らしてしまうのは、ある意味信頼関係のある証だ。まぁ全力で吐き出されては困るが。

 

(しかしこうなると、とりあえず名声はズーラーノーンを潰す事で得るってことでいいかな? でもここは帝国の顔も立てないとだめか? ……一応世話になるんだし)

 

 "死の都"に関連してズーラーノーンの話題が出た時「手を貸しましょうか?」と、軽い気持ちで話に乗ってみた。相手の表情に嫌がる様子は一切なく、むしろ満面の笑顔で「ありがたい申し出だ」と頷いてくれた。

 ただ続く言葉は協力を願い出るものではなかった。「それでは自分の配下である騎士達の面目が立たないうえ、客人であるあなたを戦わせては申し訳ない」と、やんわり断られてしまった。

 

 相手の立場を考えれば納得できる部分もある。

国を守る軍隊を差し置いて、モモンガがあっさり解決しては騎士達はさぞかし意気消沈してしまうだろう。彼らはこのような時のため日頃から訓練しているのだ。仕事を奪われるどころか、自分たちの仕事の価値について懐疑的になってしまう。

 

(まぁそれは後で考えるとして……あとは金と立場か。でも皇帝がここまで歓迎してくれたら、もう後ろ盾になってくれたと見ていいんじゃないか? 交渉も上手くいって、さらに別の仕事も紹介してくれたんだし金も十分貰えそうだ。後はプレイヤーの情報を集めるだけだけど、それは協力してくれるのか?)

 

「――いや、失礼した。私ばかり話してしまって、こういった場でこのような話ができる機会はなかなかなくてね。ご気分を害されてないといいのだが……」

「いえ、そのようなことはございません」

「商人会議長の仰る通りです、同じ位置に立つ者として陛下のお気持ちお察しします」

 

(――ごめんなさい、本当は全然わかりません)

 

 おそらく相手をいたわる様な笑顔はできてると思う。

ただその内心では女王などと偽っている身分のため、心の中では――実際の体に異常はないが、冷や汗と胃の痛みが止まらない。

 一方の相対するジルクニフは、常に余裕を持った友好的な笑顔だった。謝罪の時以外は、終始堂々とした態度を貫いている。これが生まれながらの権力者、鮮血帝と呼ばれる帝国史上屈指の名君と言う奴なのだろう。

 

 そんなジルクニフに笑顔をむけられると、こちらの胃がますます痛くなってくる気がする。お互いの力量差をハッキリさせ、その結果が先ほどのドワーフ有利の貿易交渉に現れたはずだ。だが実際のところモモンガの中では、人間としての精神が緊張により悲鳴を上げていた。

 

「お二人に感謝を。……ただその、ゴウン殿よろしいかな?」

「?」

 

 首を傾けて、仕切りなおすような相手の声色に答える。

 

「貴女のような方に『陛下』などと呼ばれると、少々こそばゆい。貴女とは堅苦しい関係は望んでいない故、よければジルクニフと気安く呼んでいただけるとありがたいのだが?」

「……ではこういった場では『ジルクニフ』と、私の事も『シャルティア』とお呼びください」

「貴女のような美しい方を名前で呼ばせていただけるとは、大変名誉なことだ。感謝する、シャルティア嬢」

 

 別に呼び捨てでも構わない、と内心で思ったが特に問題はないので黙っておく。

 

「さて、私ばかり話してしまった代わりというわけでもないが――シャルティア嬢。ある程度は私も報告で把握しているがあなたが何のために旅をしているのか、お話しいただけないだろうか? なにか貴女の力になれるかもしれない」

「……わかりました」

 

 ――来た! 自らの偽りの経歴を話すのはこれで三度目になる。

内心で緊張しながら、心を落ち着かせ昔を懐かしむように話を始めた。

 

 

 

 基本的に話す内容は最初のドワーフ達、摂政会の場と変わりない。

いなくなった仲間達、その仲間を探すため世界を回る事、一応この帝都とドワーフの国を騒がせた魔法の件も軽く謝罪しておく。

 

「いや、謝っていただく程の事ではないさ。シャルティア嬢、おかげで貴女のような方をこうして帝国へ招けたこと、その幸運に比べれば大したことではない」

 

 お互い名前で呼び始めたせいか、親しみの声をこめてジルクニフが笑いかけて来る。

 

「実は君の仲間……友と言えばいいかな? 報告にあった名前は十日ほど前から既に調べ始めていてね、生憎とまだなにも成果が出ていない。調査は続けているのだが――」

 

 自然と驚きの言葉が漏れそうになる。

フールーダの記憶を少し読みはしたが、魔法関連以外に関しては抜けが多い。そのための誤算だったが、それは嬉しいものだった。

 

(結果が出てないとはいえ仕事が早いな……たぶんこっちの実力なんて計りかねてる段階だったろうに)

「ありがとう、ジルクニフ」

「あ、あぁ。いや、言ったようにまだ何も見つけることができていなくてね。恥ずかしい限りさ」

 

 一瞬こちらを見るジルクニフが言い淀んだのが気になるが、笑顔とともに感謝を伝える。ここまで優秀だと情報収集に関しても完全に任せていいかもしれない。とはいえこちらにはハンゾウがいる、隠密特化の彼らを持て余すのは色々な意味でもったいない。あちらとは何か別の切り口で仕事を考えておかねばならないだろう。

 

「ところでシャルティア嬢、他に何か貴女の力になれることはないかな? 無論かなえられそうなことに限るが、できるだけ貴女の力になろう」

「……そういえばフールーダの後継者はどうなっているのですか?」

「あぁ、それなのだがね……爺、どうか?」

 

 部屋の文官が入れ替わり立ち替わりする中、これまでジッと佇みジルクニフとモモンガの会話を見守っていたフールーダに、ジルフニクが声を掛ける。

 

「はい……私の弟子達の中から何人か有力な者達を絞り込みはしましたが、情けない事にせいぜいが第四位階まで。魔法に関する知識もそれほどではありませぬ故、我が師には――大変申し訳ないのですが‥‥…少々お時間を頂かなくてはなりません……」

 

 そんな泣きそうな顔をされると、こっちも困るんだけど……

 

 若返ったせいか、涙ぐんだその姿は見ていて別の意味で痛ましい。

体を震わせ本気で悲しんでる男に声を掛けるのは少しためらわれるが、原因が色んな意味でモモンガなだけに、掛けないという選択肢はない。

 

「フールーダ、急ぐ必要はない。急いで無理をする仕事の結果には、様々な所で悲惨な結果に繋がってしまう場合もある。後を引き継いだ者が成長できるように、あなたはその道をしっかり整えてあげればいい」

「わかりました。その……できれば帝都から外にお出になる際は、同行させていただければと思うのですが。黙って出ていかれてしまいますと、その、置いていかれるのではないかと不安で……」

 

 チラチラと縮こまりながらこちらを見てくる鈴木悟と同年代の男の姿には、なんというか少し気持ち悪さを感じてしまう。

 

「そうだな、私からも頼む。後継者を育てる時間はしっかりと働いてもらうが、同時にシャルティア嬢が用事のある際は、遠慮なく呼び出してもらって構わないとも。それと街中に出られる際などは、案内の騎士を同行させていただきたいのだが」

「おぉ~ジル! 感謝いたします!」

(ぇー……)

 

 喉から出そうになった不満の声を押し止める。

多少――いや、だいぶ変なところはあるが、二百年以上生きてるだけあって彼の知識は膨大だ。鈴木悟とは比べられないほどの長い人生を生き、帝国という巨大な国の運営の心臓部で働き、帝国民は誰もが知っているフールーダ・パラダイン(帝国の主席魔法使い)

 

 この世界でただ一人のモモンガにとって、役に立たないということはないだろう。

 

「……わかりました」

「それと、こう言ってはなんだがレイナースに関してはあくまで騎士という立場なので、それほど気にしなくても問題はないさ。たった今から君の騎士ということでこちらは構わないとも」

 

 フールーダと同じように後継者を育てなければならないと思っていたが、どうやらその心配はないようだ。眷属となり少し変わった性格になってしまった気がするが、彼女の血液がこの体に必要な今これはありがたい。

 

 モモンガが営業スマイルを浮かべると、ジルクニフも同じように笑いかけてくる。

 

(しかし本当に順調だな、ジルクニフが話の分かる有能な人物で良かった。こうなるとあまりやる事がないんだが、ズーラーノーンを叩き潰すのはジルクニフに止められたし……自分の立場くらいは人任せじゃなく、自分で何とかしてみようか。とはいえ王族として舞踏会に出席なんて遠慮したい。しかし、そんなワガママな子供じゃあるまいし……ん? 子供?)

 

 そこまで考えてふと城下で遭遇した二人を思い出す。

 

(ふむ、魔法学院か……、フールーダの知識では確か帝国貴族の跡取りも結構な数が入学してるんだったな)

 

 たしか貴族以外でも、才能ある若者が学費を免除されて通っている場合もあったハズだ。どれくらいこの国に居座るかは分からないが、そういった将来性のある優秀な人間、もしくは優秀な貴族とのとパイプを持っておくのは、将来を見越せば何かの役に立つかもしれない。

 

(子供同士の場所なら面倒な貴族の付き合いとかは最小限に、人脈を作れるんじゃないか? ……ペロロンチーノさんもナザリック学園なんて作ろうとしていたしな……今はもう全部なくなってしまったけど、残したNPC(シャルティア)がそういった所に通うくらいは許してくれるだろう)

 

 それに、人脈までジルクニフ一人に任せるのもやや問題に思える。

別に彼を信頼していないわけではないが、あまり特定の人物にばかり頼り過ぎるのはリスクが大きい。全てがジルクニフの後ろ盾を前提とした付き合いになるのは、彼自身になにかあればこちらの立場も巻き添えになるという事だ。

 念のためにも少しは自分自身でパイプ(人脈)を作っておいて損はないだろう。それにペロロンチーノ辺りの影響だろうか、『学園生活』というものに少し魅力を感じてしまう。

 

「ジルクニフ、一つお願いがあるのだけれど」

「もちろん、先ほども言ったように出来る限りの事はさせて頂くさ。何でも言ってくれて構わないとも」

 

 優しさと自信のある笑みと言えばいいのだろうか、男としてかなりの魅力が溢れた笑顔で手を広げながら答えてくれるジルクニフ。生憎とモモンガにはそっちのシュミはないのでどちらかというと嫉妬しか浮かばないのだが、今はその笑顔が頼もしい。

 

「では帝国魔法学院に通いたいの」

 

 モモンガなりの人脈を作るための案、その入り口となる場所を口にした。



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『学院長と嵐の足音』

すみません一旦フラグ回を挟みます、納得できるタイミングと思いますのでご勘弁

危ないカルト宗教にハマってる人視点と久々の二人組(グロ注意)です


「フールーダ・パラダイン様が……若返った……だと…」

 

 机の上で握っていたはずのペンが転がり、床にぶつかると同時に甲高い音を出す。

 

 窓から夕日が差し、赤く染まった学院長室にいる人間は二人。部屋の主で帝国魔法学院の学院長と呼ばれる老人と、頭を垂れ今日の城の異変を報告する青年騎士が一人。

 

 青年は城への間者――いや、この場合は友人や協力者と言うのが正しいだろう。なにせ彼は学院長個人に対する恩義や人脈の結果、つまり貴族派閥の一員として『鮮血帝に睨まれない程度の世間話』を報告してくれる騎士だ。あくまでやや年の離れた友人同士の世間話、その範囲内であれば足元をチョロチョロ嗅ぎまわっても、あの鮮血帝は問題視しないのだ。

 

 だが今回の世間話はいつもとは違った。

彼の口から発せられた一言に、帝国魔法学院のトップである白髪の老人は呆然としていた。

 

「はい、確かにこの目で見ました」

「……どういうことだ!? フールーダ・パラダイン様はなにか新しい魔法を会得されたのか!?」

 

 ――ガタッ!

 

 座っていた椅子が倒れるのも構わず、勢い良く立ち上がった。

同時に机を強くたたいてしまい、机の上の書類が数枚落ちる。

 

「お、落ち着いてください学院長」

「これが落ち着いてなどいられるかッ! す、すぐにパラダイン様にお会いして、その魔法もしくはそのアイテムか!? それを私に使っていただくようッお願いしなければ!!」

 

 壁にかかっていたローブをひったくる様に掴み、仕度を始める。

本当であれば今すぐにでも飛びだしていきたいが、相手は帝国の首席魔法使いの地位にいる人物だ。その相手に願いを言うのであれば、それ相応の恰好をしなければならない。

 

(私のッひ、ひひひ悲願を、叶える好機がッ!)

 

 顔がこわばり、杖を掴もうとした手が震える。

 

 ――不老不死

 

 老人の、いや老人達の所属する邪神を信仰する教団。

そこに所属した理由、全員が同じ目的、それが不老不死という過ぎた願いのためだ。

 

 決して届くものではないのは、長年生きて既に理解している。

だが伸ばしていた手を下ろし、諦めるなどと言う選択肢は存在しない。誰だって死に向かい歩んでいる。老人ともなればもう目の前に迫り、肉体は衰え、精神力も弱っていく。同時に若い頃の自分を、まるで他人を羨むように思い出すことが多くなっていった。

 

 死にたくない。一時でもあの時の自分を取り戻したい。

杖を掴もうとした手の震えは、まるで心の叫びのように止まらなかった。

 

 それを自覚すると同時に、自らの肩を掴み近くまで迫っていた騎士に気づいた。

 

「ほッ本当に落ち着いてください、パラダイン様ではありません! パラダイン様を若返らせた方は、別の御方です!!」

「……なに?」

 

 ゆっくりと、自分でもわかるほど開ききった目を肩を掴んでいた相手に向ける。

騎士の青年は一瞬ビクリとしたが、すぐにもち直したのかこちらを落ち着かせるためか、小さく息を吐くと淡々とした声で報告を続けた。

 

「本日は大通りが通行禁止になっていたのは、ご存知でしょうか?」

「……うむ、たしか……聞いた話では外からの賓客を陛下自らが招くため、と聞いていたが……まさかッ!?」

「はい、その()()()パラダイン様を若返らせたと思われます。……まだ未確認な事が多いため断定はできませんが、最初にお二人が会った帝都西門でパラダイン様がひれ伏し、何か魔法をかけていただいたと聞いております」

 

 ――眉唾な報告だ。

 

 あの帝国一の魔法詠唱者である英雄が、会ってすぐにひれ伏す相手。

そのような人間がこの世界に存在するのだろうか? すぐに胸中に渦巻いた疑問、それを確認するように騎士に懐疑的な視線を向けた。

 

「パラダイン様が若返った、という事自体は事実なのか?」

「はッ! パラダイン様の弟子の方々が何度も入念に調べ上げたそうです。調査の様子は流石にわかりませんが、その後もお若い姿を目撃しましたし、それにその……」

「なんだ?」

「いえ、その魔法をかけた御方なのですが、予定になかった盛大な歓待を受ける様子を遠目でも確認できました。私は命じられた警護の任もあったためお姿までは見えませんでしたが」

「ふむ……」

 

 自らを落ち着かせるように椅子に座りなおす。

目の前の机には散らばった書類が散乱していたが、気にせず視線を天井に上げ思考の整理を始めた。

 

 現皇帝――あの鮮血帝とも呼ばれるジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスが無意味な事をするとは思えない。歓待を行い、もてなすということはそれ相応の相手ということでいいだろう。国の外から来たというのであれば、今までにない何か新しい魔法や技術を持っていても不思議ではない。

 それを使い、フールーダ・パラダイン(帝国の主席魔法使い)を若返らせた、もしくはそれに近い事をしたのではないか? それを評価した皇帝が、急遽盛大な歓待を行い相手をもてなしたと考えることもできる。

 

(まだこれだけではわからんな、情報を集めなければ……)

 

 考え中に撫でていた白い髭から手を放し、改めて騎士に視線を戻した。

 

「まだ未確認な事が多すぎる。いや、責めてるのではない。ひとまず情報の穴埋めを優先するように、それとその賓客の名前はわかっているのか?」

「はいッ! その方はシャルティア・ブラッドフォールン・アインズ・ウール・ゴウンと仰る方で、銀の髪と真紅の瞳を持った美しい少女だそうです」

 

(まだ少女がそのような奇跡を? ……いや、本当に若返る術を持っているのならばその見た目も頷ける)

 

 もしそれが事実であれば――そう考えた瞬間、ざわりと全身の肌が沸き立った。

不老不死とはいかないまでも、若返りが可能であればその少女にすり寄らないという手はない。全てを投げ捨ててでも忠義忠誠を誓い、少女の前にひれ伏さなければならないだろう。

 

(しかし不死の存在になるための儀式を行える方をお招きする前に、このような情報が入るとは……城の騒ぎを聞く限り、当然他の貴族や信者にも同じような報告は伝わっているだろう。耳が遠い貴族にも噂程度は届く、そうなると――)

 

 欲望に染まった瞳を隠すように再び天井を見上げ、学院の長と呼ばれる老人は薄く嗤う。

下手をするとこの国の中心、帝城が傾く程の嵐が起こるかもしれない。そしてその嵐が起こる前にその中心に行くことになるかもしれない、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ♦

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 帝国西側と国境を接する巨大な街、王国に属する城塞都市エ・ランテル。

 

 ――だった場所、というのが今は正しい。

 

 "死の都"という名の廃墟。見渡す限りの建物は半ばで崩れ落ち、街一番の大通りだった場所はどこまでが道だったのかもわからない。火災にみまわれた家屋は全てが黒々とした灰になっており、それもあちこちで見られる。燃え残った看板から薬品店と思われる場所には、炭になった柱が墓標のように何本も地面に立っている。

 

 そしてそれらの場所を含めたこの街全てをまるで巣にするように、低位のアンデッドがそこかしこに蠢いていた。

 

 

 

「クレマンティーヌ話がある」

「いやーん。いきなり乙女の部屋に入ってくるとかーカジッちゃんのえろすけべー」

 

 痩せた枯れ木のような手で薄汚い木製の扉を開き、ズンズンと無遠慮に部屋の中に入る。

土と砂の匂いが消え、瞬時に血と鉄、そして生臭い腐ったような匂いに顔をしかめた。しかしそれも一瞬、この狂人と付き合うようになれば慣れるしかない類の匂いだ。

 それにカジット自身も元から嗅ぎ慣れている類の物、たんにクレマンティーヌという女の周りでは匂いが濃いだけだった。

 

「お主と違って拷問部屋を乙女の部屋と間違うほど、儂は狂ってはおらんわ」

 

 エ・ランテルに臨時で設けた拷問部屋。もとは生き残っていた戦士達を詰め込んでいた部屋だったが、クレマンティーヌが入室した途端、使用目的が変わった部屋というのが正しい。今は拷問部屋兼死体置き場と言うのが正しいのかもしれない。実際生者はカジットが確認できた限りでは、女の正面に残った一体だけだった。

 

 その部屋で血に染まった刺突武器を抱きしめ、顔の半分を血に染めた女に吐き捨てるように言う。

 

「それよりもクレマンティーヌ、馬車の準備がようやく終わった。アーウィンタールへゆくぞ」

「はいはーい。んーっと、ならこの男殺しちゃっていいんだよね?」

 

 口が裂けるような笑みを浮かべたまま、左手が鎖で拘束された男に刃を突き付けるクレマンティーヌ。男は意識がないのか返事もなく、首が下がりきっており顔が上がる様子はない。

 短く刈り揃えられた黒髪は乾いた血に染まり、屈強な肉体は穴だらけになっている。一際赤く染まった右肩から先はなくなっており、繋がっていた部位は床に転がっていた。それでも僅かな肩の上下の動きが、男がまだ現世にとどまっている事を理解させ、その姿を見たカジットを少なからず驚かせた。

 

「その男はまだ使えるかもしれん。仮に殺すにしても王国軍の目の前で殺せばよかろう。お主の憂さ晴らしよりも、その方が有益だ」

「えー……こいつのせいで逃げ出したゴミ共を殺し損ねたんじゃん。そのせいで儀式も中途半端、カジッちゃんも本当は殺したいんでしょ?」

 

 いつでも刺し殺す態勢を維持したまま、ギュルリと首を回し不気味な笑みを向けられる。

 

「……否定はしない。なにせ儂の数年の苦労の半分をぶち壊してくれたのだからな」

 

 ――エ・ランテルを"死の都"に変えたあの夜。

 

 都市部から逃げる住民達に襲い掛かるアンデッドの群れ、その間に突然割って入った戦士団。

戦士にとっての魔法――武技を発動させたこの男によって、多くの低位アンデッドが紙のようにバラバラに切り裂かれていった。第七位階魔法〈不死の軍勢(アンデス・アーミー)〉による大量のアンデッドと、この性格破綻者(クレマンティーヌ)がいなければもっと面倒なことになっていただろう。

 あの光景はここ数日で何度も思い出した。その度に気がつくと周囲のものが壊れているほどだ。

 

「忌々しくはあるが……まだ帝国がある。その間に王国にちょっかいを出されないためにも、その男には利用価値があるのだ」

「――わかった。わかりましたよーっと」

 

 クルクルとスティレットを回転させながら頷くクレマンティーヌ。その顔はニンマリと歯をむき出しにした笑顔であり、カジットに嫌な予感を感じさせた。

 フラフラと気絶した男に歩み寄ると、首を勢いよく伸ばし、突然お互い血に染まった顔を近づけた。

 

「えいっ」

「クレマンティーヌッ!」

 

 ヒュンという空気の裂く音、女の手にあったスティレットが男の体に突き刺さる。

肉のねじる音と同時に男の体がビクリと跳ね、先ほどまで僅かに感じられた命が男の体から完全に消え去った。新しい血が固まっていた血をなぞって床に広がる。

 

「やってくれたな……」

「てへ、ごめんねー。別れの挨拶をしようと思ったんだけど、手が滑っちゃった」

 

 ギリギリで止める気だったんだよ、とケラケラ笑いながら謝罪のようなものをする狂った女に顔を歪める。

 

「ッチ! ……気が済んだなら行くぞ」

 

 本来であれば怒鳴りつけるなり一撃でもくらわしてやりたいがそれはできない。

性格破綻者(クレマンティーヌ)の力は今後も有用だ、特にこの後は帝国であの三重魔法詠唱者(トライアッド)フールーダ・パラダインにぶつけなければならない。こんな所でヘソを曲げられては困るのだ。

 この女もそれをわかっているから、自らの快楽を満たすことを優先した。カジットにできるのはせいぜい顔を歪めて、自らの不機嫌さを相手に伝えることくらいになる。

 

「死体はそのままにしておけ。王国にも法国ほどではないが復活魔法が使える者がいる。死体だけでも取引に使えるかもしれん」

「あぁ~、蒼の薔薇のガガーラン……じゃなくてそのリーダーだっけ? だからカジッっちゃんもアッサリ許してくれるんだ~」

 

 軽い返事とニヤニヤ笑うクレマンティーヌ。

その態度に煮えたぎるものを内心で感じるが、まだこの女の力が必要な間は軽はずみなことは出来ない。内心を吐き出すように大きなため息を吐き出すと、血生臭い部屋を出て歩き出す。

 

「馬車は王国から逃げてきた商人に見せかけるため立派なものだ、貴様は荷台で寝ておけば良い。サッサと行くぞ」

「はいはーい、ところでさぁカジッっちゃん。あのガキは元気? これから念願のかたき討ちをするんだからさ、優しく運んであげなきゃね~」

 

 後ろから付いて来るクレマンティーヌのふざけた軽口を無視して、弟子達が準備を進めている馬車へ向かう。勿論背後への用心のため、手には黒い石を握り締めながら。

 それにしても――

 

(ふざけた女だ……)

 

 既に叡者の額冠(えいじゃのがっかん)により、魔法を吐き出すだけの人形となった少年ンフィーレア・バレアレ。それを目にする度にクレマンティーヌは少年を騙して連れてきた日を思い出すのか、すこぶる機嫌が良くなる。

 今更お人形遊びという歳でもないだろうに、『一緒に帝国を潰して仇を取ろうね~』などと、ニタニタ気味の悪い笑顔で話しかけていることもあった。それを目撃したカジットの弟子たちはその不気味さに怯え始めている。

 

 少年にとって本当の仇は帝国騎士に扮した法国の偽装兵、つまりスレイン法国なのだが――

 

(……詮無きことを考えても意味はない、か)

 

 最早どうでもいいことだ、なにせ仇を討とうとズーラーノーンの門をくぐった少年は、その生まれながらの異能(タレント)を最大限活かすための道具となった。用が済めば叡者の額冠(えいじゃのがっかん)を外してやってもいいが、それは装備者に精神の崩壊を同時にもたらす。

 どうあっても少年自身が仇を取れることなどありはしないのだ。何があっても――




久しぶりだったけど大人気キャラのカジッちゃんを忘れてた読者なんていない……ハズ。

次話→3日後投稿予定……まだ未完成なんて言えなぁ~い


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『考えすぎる皇帝と労わる女王』

ジル君恒例の考え過ぎパート


「――は?」

 

 間抜けな声は誰が発したのだろう、部屋にいる文官の誰か――いや、ひょっとするとジルクニフ自身かもしれない。それほどに意外過ぎる少女の言葉に唖然としているのを、自分自身でも心の隅で自覚できていた。

 

 バハルス帝国、現皇帝ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスの執務室。

少女の――シャルティア嬢の言葉「帝国魔法学院に通いたい」、それに対する疑問はただ一つだろう「何のために?」である。

 

「ち、ちょっと……待ってくれ……ふうぅ。……いや、そのシャルティア嬢、どうやら少し聞き間違えてしまったようだ。申し訳ないが、もう一度お願いできるかな?」

 

 何を言えばいいのかわからず、慌てて息を吐き出す。

対面のソファから美しい小顔を前に出し、見た目に不相応な豊かな胸を首元に覗かせながらこちらを見る美姫は、今度は伺う様に問いかけてきた。

 

「魔法学院に通いたいのですが……?」

 

 小首を傾げながら「なにかマズイですか?」と、控えめに確認するように問いかけてくる少女。

その美しくも可愛らしい姿に少女の傍に控えるレイナースが怪しい笑みを浮かべていたが、直接声を掛けられたジルクニフはそれどころではない。相手の意図が全く読めず、ただ"混乱"しているだけだった。

 

(待て待て待てッ! どういうことだ! 何の意味がある!? いや何もないだろ!! それほどの力を持ちながら学院に、しかも他国の学院に通いたいだとッ! 全く……意味が解らん……)

 

 ――帝国魔法学院

 

 魔法と名が付くが、別に魔法詠唱者を専門的に育てる学院ではない。

魔法を使える生徒は魔法学科所属の者という一部に過ぎず、ほとんどの者は多種多様な知識を身につけ、大学院に進学する者、そのまま就職する者、非常に優秀な場合は国の機関へ配属されるなど様々だ。ただ帝国ではどのような分野に進むにしても、魔法に関する知識は必須といってもいい。なので使える使えないに関わらず知識の根幹として『魔法』が必修科目として取り入れられている。

 

 興味を持ち、見学をしたいならまだわかる。しかしこのような教育施設に所属し、教育を受けたいなどと彼女の身で願い出るのはまさに意味が分からない。なにか帝国の事で知りたいことがあれば、学者に聞くなり本などで調べればいい。わざわざいちから学ぶ必要など『外部の人間』である彼女にはないのだ。

 帝国自身におきかえれば、創設者の一人であり帝国の英雄であるフールーダ・パラダインが入学するようなもの。そんな(フールーダ)が跪く相手、遥か高みにいる人物が入学したいなどと――

 

(いや、確か……爺の記憶を読み取ったのだったな。ならば必ずなにかある筈だ! ……考えろ。この少女が学院に通えば……どうなるか)

 

 あくまで表面上は笑顔を浮かべながら、頭の中を必死に回転させる。

まず間違いなく騒ぎになる筈だ。これだけ美しく少女の身でありながら――本人の前では言えないが、魅惑的な魅力に溢れている。まだ学生の身であるひな鳥たちは言わずもがな、熟練した女性経験を持つはずの貴族にとっても目の毒だろう。

 

(毒……? いや、まさか……)

 

 

 ――ひな鳥の間に毒を盛り、飼いならす

 

 その考えにたどり着いた時、思わず自分の頭を疑った。

そしてじわりじわりと理解し、それがどのような結果に繋がるかを理解した時、全身の肌が急激に冷え首筋から汗が大量に吹き出した。

 

 帝国魔法学院には意外と貴族出身の者が多い。意外という理由は国家運営、つまり国が教育指導を行う場ということだ。それは貴族の家それぞれの教育方法とは相反する場合もあり、最悪家よりも皇帝に忠誠を尽くすようになる危険もあるということ。

 それでも貴族が多い理由は、言ってしまえばその多さが理由だ。つまり人脈を作る事を目的として入学させる。同じことを学び、同じ場所で生活し、そして同じ学び舎を卒業する事は太い人脈を生む。それは貴族社会での大きな武器になる場合が多い。

 

 この少女は年月をかけてそれを一挙に手に入れ、巨大な派閥を形成するつもりなのではないか?

 

(……いや、あり得る。つまり内部から喰らうつもりか? この国を時間をかけゆっくり、味わう様に……)

 

 それ以外に説明できない。絶対者の力を持ちながら学院で得られるものなど――

 

 

 首筋に止めていた冷や汗が体中に広がる。

なぜ今この場で力を使い、この国を乗っ取ることをしないのか? それはわからない、おそらく力づくで瓦礫の山に立つ趣味がないなどの強者のこだわり――つまり、ジルクニフには理解できない事なのかもしれない。

 なによりこの方法をとるという事は、まだ子供と言ってもいい若者達を弄ぶのが趣味なのだろうッ! まだ女を知らない彼らにとっては、少女の美しさはまさに黄金の蜜だ。そこに毒が含まれてる事にも気づかず、群がるように少女の周りに競う様に跪くのが容易に想像できる。

 

 若返ることができるため何歳かはわからないが、とんでもないヤバイ女だったという事だ!

 

 そしてこの流れの中で、この女が何を欲してるのかがなにより重要だ。

 

 ただの国自体を遊び道具にして弄ぶのが好きなのか。

 自らの下僕である巨大派閥を作り、皇帝を追い落とし国を乗っ取りたいのか。

 

 頭のキレる女だけに他の目的もあるのかもしれない。ただ一つ言えるのはこれは少女にとってのゲームなのだろう。わざわざジルクニフに今この場で宣言したという事だ。そしてその力の前では、入学を断るという選択肢は存在しない。

 

「も…もも、もちろんか、構わないと、も…」

 

 笑顔を保てているだろうか? 全身の感覚が曖昧で、顔が青くなっていないことを願った。

 

「よかった」

 

 対して相手は花が咲くような満面の笑顔をしている。その花にこの国を腐らせるかもしれない猛毒の蜜があるとわかった今、その美しさを目にしても枯れた笑いが出そうになるだけだった。

 

「その条件……ではなく、お願いがあるのだが……」

 

 ただジルクニフは何もせず白旗を上げるつもりはない。

今自身が情けない顔をしてるであろう自覚はあるし、相手はその顔を見て内心であざ笑っているかもしれない。ただ鮮血帝と呼ばれる矜持――支配者としてのプライドがジルクニフに戦わずしての敗北など許さない。

 

 この状態で睨みつけることなどできそうもないが、強い視線で相手を見据えた後――

 

「その……貴女の美しさも衝撃だろうが、他国の王族が入学されるとなると浮足立つ生徒も多いだろう? なのでそちらが構わないのであればだが、王族ということを隠すため『シャルティア・ブラッドフォールン』と、しばらくは名乗っていただけないだろうか?」

 

 全力で頭を下げる。彼女に群がるであろう貴族を少しでも少なくするため、せめてもの抵抗を試みることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 ♦

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――え? なんで突然?

 

 急に頭を勢いよく下げたジルクニフの唐突な願いに、モモンガはただ"混乱"しているだけだった。

 

(え? なにか不味かったのか? もしかして王族が通っちゃいけないとか決まりがあるのか? ……いや、『しばらく』って事は期間限定? ならなんで……わからん。なんかジルクニフの顔色悪くなってるし、いきなりどうしたんだ……)

 

 血色の良かった顔色が青くなり、下げる直前は白にまでなっていた。

病気だろうか? どこか体調が悪いのか、何かストレスの元になる悩みがあるのかもしれない。それにそろそろ夜になる頃だ。体調がすぐれないのなら、早めに休むように言ってあげた方が良いのかもしれない。

 

(しかし……『アインズ・ウール・ゴウン』を名乗らないでくれ、か……)

 

 ひとまず相手の要望について考えてみるが、『無理』としか言えない。ただし、彼の言う事も分かる。

 王族が――実際は嘘だが――王族が学院に通い、一般人と肩を並べて勉学に励むなどあまり無いのだろう。それくらいの想像はモモンガにもできる。ここまでの道中、銀糸鳥の反応を始めとしてかなり目立つ容姿をしていることも理解している。

 そんな人物が堂々と王族を名乗り入学などしては、他の生徒の精神的負担になってしまうかもしれない。すごく尊敬できる人と話をする時、必要以上に丁寧な言葉遣いになってしまう事はままある。

 

(確かに俺自身、あんまりへりくだった態度で話しかけられても対応に困るし。周囲の学生たちと仲良くなるまで、『シャルティア・ブラッドフォールン』で通すのも悪くないか? 名声はなんとかズーラーノーンで稼ぐとしても、それはまだ出来そうもないし……)

 

 頬に手を添え慎重にメリットとデメリットを熟考する。

ひとまず相手の紹介で学院に行くことになるのだから、顔を立てるためにその条件は呑んでいいかもしれない。ただシャルティア・ブラッドフォールンの名前だけで名声が広ることは避けねばならない。ギルドを示す『アインズ・ウール・ゴウン』が消えてしまっては何の意味もないのだ。

 

「わかりました。ただ、訳あって私が名前を伏せている事は周知の事にしてください」

「あ、あぁ……それは、もちろん。貴女の容姿で貴人と思わない人間はいないだろうが、念のため学院全体に知れ渡るようにさせていただこう……」

 

 モモンガはできるだけ柔らかい、相手を労わるように優しい声で了承を伝えたが、顔を上げたジルクニフの顔色は相変わらず悪い。

 

「ジルクニフ? 顔色が悪いようだけれど、気分が悪いとか――」

「い、いや、大丈夫だ。少しなんというか、いろいろと仕事が溜まっていてね」

(うわぁやっぱりか……って俺への対応も仕事の一つだよな! 貿易交渉はとりあえずまとまったようだし、学院については明日でいいか? 後でフールーダに聞いてもいいだろうし、早めに切り上げよう)

 

 皇帝の平均労働時間など知らないが、少なくとも顔色が悪くなるほど仕事をするのは頂けない。

どんな人間にとっても体は資本、一度崩れたらなかなか治らない場合もある。これから世話になるであろう彼に体調など崩されてはモモンガにとっても損失だ。

 

「ジルクニフ、今日はとても楽しい時間でした。私からは急ぐ用件はとくにありませんし、体調がすぐれないようでしたら本日はこれくらいにしませんか?」

「あ、あぁ……気を使っていただいて申し訳ないが、お……お言葉に甘えさせていただこうかな」

 

 疲労を感じさせる虚ろな目のまま、首を縦に振るジルクニフ。

どことなくデスマーチな労働環境に従事しているヘロヘロさん、彼を思い出させる姿だ。

 

「その、申し訳ない……夕食なのだが、私には他にも少し仕事が残っていてご一緒できそうにもないんだ。というわけでもないが、同じ女性で私が一番信を置いてる者をご一緒させていただきたいのだが……どうだろうか?」

 

 ――いえ、一人で大丈夫です。

 

 本音ではそんなことを考えてしまったが、相手の気遣いを無下にするほどモモンガの社会人レベルは低くない。初対面の女性と食事などかなりのハードルではあるが、今の体ではそういった気遣いをされるのは仕方がない事だ。

 それにジルクニフが一番信用する女性ということは、断れば彼にもマイナス印象を与えてしまう。「えぇ、それは勿論」とにこやかに頷き、ジルクニフの気遣いに感謝を伝える。

 

「よかった……食事の用意ができるまで先に客間に案内させていただこう。そちらで休んでいただき、準備ができれば使いの者を迎えに行かせよう」




 名前ですが帝国的には焼け石に水です、前回で貴族達にはある程度伝わっている旨は書きましたからね。シナリオ的には少々使う予定ですが、勘のいい読者さんにはほぼ読まれてるだろうなぁ(白目)


次話→3日後投稿予定(ロクシ―との会食はカット、会談&会食後)


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『会談後の帝国側』

あれ?ロクシーさんって『ですます』口調だったのか……

ほぼ後半がフラグ回になってしまった(反省)次回以降は話が進みます


「お早いお越しで。……随分と面白い顔になられましたね」

 

 最低限の礼儀はそこそこに、ズカズカと無遠慮に入室したジルクニフ(帝国の支配者)に対して、同じように冷徹な歓迎で迎える部屋の主の声。いつも通りの突き放したような態度だったが、彼女にしては珍しく入室早々に驚くように開いた瞳を向けてきた。

 いつも通りの憮然とした表情のつもりだが、どうやら抜けきっていない疲れが少し残っていたようだ。彼女の聡い目は相変わらずの様で、ジルクニフのここへ来た目的を考えれば、それ自体は頼もしいとも言える。

 

 帝国の頂点に立つ人物が入室したというのに、不動のまま椅子に座り茶を味わう女の前を通り過ぎ、机の上に書類を無造作に置く。そしてジルクニフも同じように近くの椅子に腰かけた。

 

「どう思った?」

 

 座ると同時にただ一言、息を吐くように短い質問を相手に投げる。

何が? などと聞かれる心配はない。この女にそういった説明は不要だ、チラリと視線をこちらに向けた女は迷うそぶりも無くただ一言――

 

「綺麗な仮面をつけた人」

 

 簡潔な答えを返してきた。

 

「……かめん?」

 

 後宮住まいにしては地味な、もっと言えば貧乏貴族のような最低限の服飾を身につけた部屋の主、ロクシーの言葉に首を傾げる。

 

 シャルティア・ブラッドフォールン・アインズ・ウール・ゴウンとの会食、それを彼女に命じた際、ジルクニフはあえて最低限の情報しか与えていなかった。事前情報で彼女の目を曇らせたくなかった、というのが狙いだ。

 無論相手を怒らせないよう、魔法学院の件など最低限の情報は伝えてあったが、そこに見た目などの容姿は含まれていない。食事中の話題はお互いの住まう国の様子などの世間話程度だったと聞いているが、聡い彼女の感じたままの情報をジルクニフは欲していた。

 

「まるで作られたような完成された美貌を持つ少女だったが……あれが本当に作り物だとでも言うつもりか?」

 

 嫌な事を思い出すように会談での少女、シャルティア嬢を思い浮かべる。

豪華絢爛な皇帝執務室の中でも、まるで周囲から浮き上がった美貌。その姿を見た部屋の文官や騎士達はみな呆けた様に入室する少女を見つめていた。年齢不相応に育った胸部もその理由だろう。身につけていた純白のドレスや装飾品も、少し悔しいがこの帝国の国庫で敵う物はない。

 

「ただの女の勘……というか違和感を覚えただけなのですけれどね」

「勘だと?」

 

 この女にしては珍しく形にならない表現に、思わず怪訝な視線を向ける。

そんな視線を意に介さず、ロクシーは思い出すように天井を見つめながら言葉を探しはじめた。

 

「なんと言えばいいのか……。あの方と話していると、ときおり男性と話してる気になってしまうのですよ」

「……は? いや、待て。お前はアレが……お、おとこだと言うのか?」

 

 あの圧倒的な美を持つ少女を、男と感じてしまう瞬間があるというロクシー。

これまでの度々ジルクニフを驚かせる言動をしてきた女だが、今回は格別の飛びぬけた発言だった。思わず彼女の横顔をまじまじと凝視してしまう。

 

「そんな変わり者を見るような目を向けないでください。私の中でもハッキリとしたものではありませんから、確信を持っているわけではありません。あれが魔法などによる偽りの姿か、もしくは借り物……ということかもしれませんし」

「偽りか借り物……いや、待て。確か昼間の件で――」

 

 ジルクニフ自身も彼女の言葉に思い当たる報告を思い出し、机に投げ出していた書類に手を伸ばした。パラパラページをめくり彼女――シャルティア嬢に関する報告の中から目当てのモノ、昼間に苦い思いをした事件に関する物を探す。

 

「これだ、ここを見てくれ」

 

 指で報告の一部を示しながらロクシーの前に置く。

 

「『()()()に触るな』……なるほど……」

 

 ロクシーが書類を手に取り、事件に関する報告に目を通していく。

彼女にしては珍しく、その瞳は興味深げなものが強く宿っていた。城下でネメルという下級貴族の娘を助ける際、不用意にシャルティア嬢に触れようとした男相手に言い放った言葉。現場にいた複数の人間に聞き取りをしたものなので、内容にまず間違いはない。

 

「あぁ、最初は自らの容姿に絶対の自信を持つ故の言葉だと思ったんだが。シャルティア嬢はそういった雰囲気はなかった、逆に自らの容姿をごく当たり前のモノとして見ていた気がする」

「確かに会食でもそうでしたね。貴族の中には自分の体をまるで美術品のように大仰に扱う娘もいますが……。彼女はそういった思考とは無縁、むしろ大切にはしていましたが、まるで自分のものではないような……」

 

 ロクシーの言葉にジルクニフも頭を縦に動かす。例えていうなら他人の素晴らしい功績を誇るでもなく、あくまで冷静に報告する文官に近いものを感じた。

 

「姿を偽る魔法かもしくは……離れた位置から人や物を操る魔法などはあるのでしょうか?」

「……爺に聞けばすぐにわかっただろうが、今は完全にあちら側だろうからな。弟子の中でその手の分野に詳しいものに、今度調べさせてみよう」

 

 とはいえロクシーの違和感も含めて、今のところ何も確たる証拠はない。というかアレが本当に男であれば、この世界の全ての性別というものに疑心暗鬼になってしまいそうだ。神話の中の神や天使、そして悪魔には中性的な特徴を持つ存在が登場する事もある。アレもそういった次元の存在なのではないか?

 今まで考えてもいなかった別方向、神話に関する資料などから彼女と似たような存在がいなかったか調べてみるべきかもしれない。

 

「少し顔色が良くなりましたね。これならこの後他の娘のところに行っても、勃たないなんてことはないでしょう」

 

 ジルクニフは眉間に皺を作る、同時にロクシーを睨むが相手はどこ吹く風だ。

こういった反応はいつもの事だが、シャルティア嬢が帝都にきた今日からしばらくは帝国の運命を決めるかもしれない日が続く。跡継ぎの心配も重要だが、その手の話はしばらく遠慮したかった。

 

 咳ばらいを一つし「いや、もう一つある」と、仕切り直すように鋭い視線をロクシーへ向ける。

 

「お前の違和感は置いておくとして……あのシャルティア嬢の容姿についてだが、魔法学院に現れればどうなると思う?」

「……陛下が想像されるより、そうですね……十倍は酷いことになると思いますが」

「そうか……バジウッドも同じようなことを言っていたな」

 

 一応の予想はできていたため会談後に平民と貴族、そして男女の関係にも一定の知識がありそうなバジウッドに同じように尋ねていた。返答は「俺ですら見惚れちゃいましたからね……美人に慣れてる陛下にはわかりづらいでしょうが、想像以上に学院中が噂でもちきりになるでしょうよ。男女関係なく夢中になる、ありゃ飛び切り美味くて強い酒のようなものですわ」と、どうしようもないといった表情で首を振られた。

 

 同じようにロクシーも苦笑いのような微妙な笑みを浮かべている。

 

「その事ですけど、本当に魔法学院で帝国を内部から喰らう企みなのですか?」

「……それ以外で他国の人間が帝国魔法学院に通いたがるか?」

 

 言わば表から堂々と他国の間者が帝国の重要施設に入り込むようなものだ。

 

「直接聞いたわけではないのでしょう? 例えば学院内で人材を探そうというおつもりでは?」

「既にフールーダという帝国最高の人材をいつでも引き抜ける状態なんだぞ? レイナースもいるうえに、事が終わればブレイン・アングラウスも正式に配下だ。まだ未熟な学院生を必要とするなどとは思えん」

 

 人を成長させるにはそれなりの時間と金が必要だ。

わざわざそれらを消費せずに、彼女は帝国から最高の人材を引き抜いた。しかも一日で。さらに時間をかければ、彼女に跪く優秀に育った人間は多いだろう。そんな彼女が、まだ勉学を学んでいる途中の学院生に何か魅力を感じるなどとは思えない。

 

「仮にそうだとして、どうなさるおつもりですか?」

「……あくまで今のところだが、正直出来る事はあまりに少ないな。とりあえずは貴族の一番少ない学科『魔法学科』に入ってもらう」

 

 おそらく効果は薄いだろうが、彼女が貴族と接触する機会をできるだけ減らすための措置だ。魔法学科に貴族が少ないのはもちろん理由がある。魔法を使える者、生まれ持った才能を持っている者にしか入学を認められていない、ある意味でエリート的な部分を持つ学科故だ。

 

「そしてこの生徒、ジエット・テスタニアと同じクラスになってもらおう」

 

 書類の束から一枚の報告書を取り出す。魔法学科に所属する生徒の詳細な情報が載せられた書類だ。短い時間で急ぎ調べさせたものとしては上出来なものだった。

 

「テスタニア……確か今日の事件に関わった平民の少年でしたね……ひょっとして男として使うつもりですか?」

「まさか、それができれば一番だがな」

 

 それは無理だろうと笑いながら首を振る。

 

どう考えても釣り合っていない。相手の容姿や地位はもちろん、その実力とも住む世界が違うというものだ。まだニンブル辺りをたきつけた方が可能性があるだろう、どちらにせよ無理だろうが。

 

「今日の事件というきっかけもあるんだ、上手くいけば学友というものになれるだろう。良好な関係を築いてもらい、それを国としても後押しするということだ」

「手綱を握ってもらうと?」

「それほどは期待してはいない、ただ良い思い出を作って貰おうと言うだけだ。テスタニアが無理なら適当に他の貴族家を探すが、男として変な勘違いをしない弁えた子供を探すとなるとな……」

 

 平民であるジエット・テスタニアを選んだのもこれが理由だ。

貴族の跡取りや後継者候補の子供はまだ世界の、貴族社会の身分差というものを知らない。平民を見下し自分の生まれた環境を誇り、自分が特別な人間だと思い込み無謀な野心を抱くバカな男もいる――まぁそこまで酷いのは稀だが。

 そんな人間が彼女に近づくのは避けねばならない。その人間が殺される程度なら構わないが、他の人間がそれに巻き込まれる危険性もある。おそらくレイナースやフールーダ辺りがいればある程度安心できるが、ジルクニフも手を打っておかねばならないだろう。

 

「それとお前の考えも考慮して、こちらの息がかかったまともな貴族の令嬢にも何人か意図的に接触させよう。……目ぼしいのはグシモンド家の娘だな」

「……確か生徒会長を務めていましたね。成績もトップクラスですし、生徒を代表して学院の案内などをするように命じてみては?」

 

 それはいい考えだと、大きく頷き同意する。

おそらくジルクニフが何も命じなくても、自発的にそういった類の接触ができるくらい頭が回る娘だったはずだ。ただ、どういった経緯と意図でこちらが動いているか、連絡は事前にしておいた方がいいだろう。

 

「ところで……このテスタニアという少年は大丈夫なのですか?」

「何がだ?」

「ここに、フルト家へ雇われていたという記述があるのだけれど」

 

 書類を覗き込むと、確かに聞いたこともない貴族家へ勤めていた記述がある。

当時の若さでは本当に下働き程度だろうが、そこまで考えてロクシーの言いたい事を理解し、苦笑いが漏れる。

 

「なるほど、私が潰した家ということか。――鮮血帝への恨みを晴らすため、仲の良くなった友人シャルティア嬢に復讐を願う、などという事も在り得ると思うか?」

「そこまでは……。今の生活と元フルト家がどこまで没落しているか、それら次第では?」

 

 ロクシーの助言になるほど、とジルクニフは頷く。

実際見落としていた情報なので彼女に話して正解だった。貴族家へと務めていた昔と今では、収入は確実に減っているだろう。そのような状況で魔法学院に通えているのであれば、ジエット・テスタニア自身の生活は一応成り立っている。ただ、フルト家を辞めたことで彼の周りで不幸になった人間が一人でもいれば、現皇帝にあまり良い感情を持っていない可能性もある。

 それは彼に限った話ではない。入学したばかりのシャルティア嬢に近づける前に、その周囲に集まる魔法学科の人間の情報――時間はないができるだけ調査しておいた方が良いだろう。

 

「明日の朝、いや今からでも指示を出しに行くか。彼女に関する事は早いに越したことはない」

()()()お帰りですか?」

 

 安堵するような声に書類から目を上げると、ロクシーの微笑みが目の前にあった。

それは清々しい、やっと苦労から解放されるといった類の笑顔。少なくともわざわざ意見を聞くために足を運んだ皇帝に、向けるべき顔と言葉ではない。

 

「私はもう寝ますので、戻ってこないでくださいね。その調査指示を出したらちゃんと他の娘のところへ行ってあげてください」




投稿直前に大幅修正しました、うふふやべえよやべえよ……次回短くなったり、一日遅れて土曜日の投稿になったらスミマセン。

次話→3日後投稿予定?


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『会談後のモモンガ様』

吸血鬼レイナースさんですが、今のところポンコツシーンしか書けてないのがぐぅ悔しい
そのうち吸血鬼の身体能力を使った彼女の活躍シーンを書かねば(使命感)


「通してもらおうか」

「こ、これはッ! パラダイン様、ですが――」

「陛下の許可は頂いている」

 

 夜の皇城。魔法の明かりに照らされた廊下で、背後の扉に張り付くように立っていた見張りの騎士の言葉を遮る。

 フールーダを見る彼の視線は戸惑い孕むものであり、おそらくだがフールーダの新しい()に与えられた姿に戸惑っているのだろう。思わずその素晴らしさがわからない者の姿に苛立ちを覚えるが、師の御力を前にして自らも平静ではいられなかったことを思い出し、急ぎ扉を開け始めた騎士に対する怒りを静めた。

 

 若返りの奇跡。

 

 間違いなく今日という日は、フールーダ・パラダインにとって人生最高の日と言える。初めてお会いした瞬間を思い出すだけでも、体の中から溢れ出す歓喜により震えだしてしまう。

 西門で馬車の扉が開いた瞬間、自身のタレント(相手の魔法力を探知する力)により視界全てを白い閃光が覆った。その世界の中心でゆっくりと階段を降りる純白の少女を見た瞬間、歓喜で涙が溢れた。狂喜乱舞する心をなんとか押し止め、少女の前で縋るように平伏し、靴を舐め、自身の全てを支払うことを誓いなんとか傍に置いて頂く事を了承してもらえた。

 

 正しくは師弟の関係ではないが、第十位階――その領域に立つ者の傍にいる事を許されただけでも幸福だ。そして功績を認めていただければ、この数日で終わってしまうという今の姿も完全に戻して頂ける。

 魔法を教えて頂く事は渋られたが、若返った後でも傍でその御力を見せていただければ、何か得るものは必ずある筈だ。彼女はこのまま魔法の深淵を覗くことなく、ゆっくりと老い死んでいくかもしれなかった自分を救っていただいた恩師(女神)なのだ。

 

「ッ! あ、あの……パラダイン様?」

「む、すまん少し考え事をしてしまった。失礼」

 

 立ったまま今日の素晴らしい出来事を思い出していたが、震える声に意識を現実へ引き戻す。いつの間にか騎士の視線がなにか恐ろしいものを見るものに変わっていたが、自身のすべき事を思い出し、口元を拭うと急いで見張りの騎士の横を通り過ぎた。

 

 師にご満足いただけただろう皇帝(ジル)との会談。

それが終わり、続く会食にも出席しようとしたが師である少女に断られてしまった。後継者の育成を優先するように言われたためだ。

 

 フールーダとしても正式な配下と認めてもらう条件の一つと理解していたので、すぐに取り掛かったのだがその途中『聞きたいことがある』という我が師からの〈伝言(メッセージ)〉を受け取り急遽戻ることになった。その際急に呼び戻したことに対して師から謝罪を受けたが、全てを捧げても役に立つことがなにより優先される今、フールーダにとっては無用な心配だった。

 見張りの騎士がいた場所からやや長い廊下を通り貴賓室の扉の前で止まる。ここまでの途中に部屋は一切なく、警備のためとはいえある意味隔離された空間ともいえる。そこにたどり着いた時、やや不可思議な光景に首を傾げた。

 

(見張りの騎士がいない……)

 

 貴賓室というだけあって、帝国にとって相応の地位が利用する部屋。

通常であれば、最低限でも二人騎士が一晩中警備に立つハズだ。

 

(師がなにかされたのだろうか?)

 

 ひとまず警戒をしながら扉を控えめにノックする。

「入りなさい」と、先ほど〈伝言(メッセージ)〉でも聞いたやや幼げな少女の声が扉を挟んで聞こえる。その言葉に安堵すると扉をゆっくりと押し開け、中に入った。

 帝国屈指の調度品が並べられた部屋は薄暗く、明かりは点いていなかった。開け放たれた窓から月夜の光が差し込み、僅かに部屋の奥の空間をきらきらと照らしている。その光を受けた赤い瞳の少女――フールーダの新しい主が椅子に座り、その前にはレイナース・ロックブルズが椅子に座った少女に跪いていた。

 

「よく来てくれた、フールーダ」

 

 頭を下げるフールーダに向けニコリと微笑む少女。昼間に比べてややひきつっているように見えたのは気のせいだろうか? 純白だったドレスは漆黒のボールガウンに着替えており、月の光に照らされた銀髪が輝き、その中で紅く光る瞳の美しさを一際際立たせている。

 

「そ……それじゃあレイナースは外で警備をお願い。誰も入ってこないようにね」

「はい。扉の前におりますので何かありましたらすぐにお呼びください」

 

 跪いていた姿勢から立ち上がり、主へ向けて頭を下げるレイナース。

フールーダの横を通り抜けるときに会釈をすると、そのまま扉から外へ出て行った。扉が閉まると同時に「ハァ~」と小さなため息のような声が聞こえた。

 

「なんであんな性格になっちゃうかなぁ……」

「師よ、レイナース殿に何か?」

「あぁ……うん、なんでもない」

 

 主である少女が手をかざし、何もなかった空間に突然椅子が現れる。

 

 〈上位道具作成(クリエイト・グレーター・アイテム)

 

 現れた椅子は主が座っている者と同じ、赤く輝く革製のシンプルな物。調度品の価値にはやや疎いフールーダにも、その価値の高さを肌で感じられるものだった。

 

「座りなさいフールーダ」

「よッよろしいのですか? 師と同じ椅子に見えますが……」

「そのために出したのだけど? さぁ」

 

 当然城の貴賓室だけあってソファなど腰掛ける物は他にもある。だが主である少女にやや強い口調で言われては、憚ることなどできはしない。いそいそと少し離れた椅子へ向かい、壊れ物を扱う様にゆっくりと腰を下ろした。

 

「では話をする前に、いくつか確認をしましょうか」

「ははぁ!」

 

 ――やや遠い距離。

 

 今のフールーダでも大股で数歩の距離。

微妙に離れた距離にいる主へ座りながら頭を下げる。話をするにしては少し離れているが、強大な魔力を持つ主人にわざわざ用意していただいた椅子なのだ。自分ごときが動かすなど恐れ多い。

 

 ひじ掛けに乗せた腕、その手に白い頬を乗せた紅い瞳の少女が試すようにフールーダを見据える。

 

「フールーダ、お前は確か若返らせる前に『全てを捧げる、この国を差し出す事だろうと』と、言っていたわね。それに嘘偽りはない? 例え私とこの帝国がどのような関係になっても、お前は私の側に立つ。その意志はあるのか?」

「勿論でございます、我が師よ! 例え再び精神魔法で私の心を読み取っていただいても構いません。今この瞬間城を全力で破壊し、帝国を貴女様に差し出せと仰っていただいても私は躊躇いたしませんッ!」

「あ、いやそこまではしなくていいけど……」

 

 一切の迷いなく答える。

数秒間、お互いの視線が交わった。フールーダは真剣に熱意の籠った――魔法の深淵を覗きたいという欲望に染まった目で美しい主を見つめた。一方主人である少女はまるで観察するような、冷徹な赤い瞳を向けていたが「まぁ……それなら良いか」と小さく息を吐き、体の力を抜くように背もたれに体を預けた。

 

「信頼しよう。……だからという訳でもないが、会談で話した私の素性はお前も聞いていたな? あの時話さなかったことも話そうかと思う」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ♦

 

 

 

 

 

 

 

「なるほど、お仲間の方々を捜す為の名声でございますか……。ジルとの会談では不可思議に思っていましたが、それで合点がいきました」

(え? 何か変なこと言ってたっけ?)

 

 ジルクニフとの会談でモモンガが言わなかった事――名声を得てこの世界にいるかもしれないギルドの仲間達への呼びかけについて話すと、フールーダは今はない鬚を撫でる様に顎に手を添え、しきりに何度も頷いていた。

 

(何のこと? ……なんて正直に聞けないな。納得してるってことは、フールーダから見れば正解ってことだろうし)

 

 今は若返った姿をしているが、自分より遥かに年上で国家の運営に携わってきたフールーダが言うのだ。少なくともジルクニフとの会談で頭がトロトロになったモモンガよりは、マシな判断ができることは間違いない。

 

「念のために……あくまで念のために確認するけれど、何に納得したの?」

「魔法学院ご入学の件でございます。師ほどの御力をお持ちでありながら、一体学院などにどのような用向きで入学されるのかと考えておりました」

「……それで?」

「はっ! 私自身の経験と比べるなど恐れ多いとは思いますが、私も昔の宮廷魔術師時代では周囲の風評ややっかみには苦労させられました。今でこそ帝国の英雄や偉人などと呼ばれておりますが、そこに辿り着くまでには嫉妬や恐怖を持つ者が多かったものです……」

 

 ――あー、うーんわかるようなわからんような……。

 

 鈴木悟には無縁の苦労話だった。

だが納得できる話でもある。基本的に人は他人と自分を比べ、他人を羨むものだ。モモンガ自身も気を付けてはいるが、ギルドの仲間達を尊敬とともに羨ましいと思った事は多い。現実の社会人生活でも言わずもがな、成功者ともなれば相応の嫉妬を買うものだろう。

 

「英雄の放つ光は、凡人にはまぶしすぎて恐怖を産む……ということ?」

「おお! まさに仰る通り。私も今の地位につくため相応の努力と苦労をしてきたつもりではありますが、凡人の中にはそういった苦労を考えず、単に結果だけを見て妬む者愚かな人間もおりますので」

 

 なんとなく居心地の悪さを感じてしまうのはなぜだろうか?

 

「帝国魔法学院には多くの貴族が在籍しております。まだ若輩の子供ではありますが、その者達を全て師に心酔させてしまえば、国中に我が師の素晴らしさを届けることも容易でありましょう。多くの貴族の声ともなれば、相反する妬み声など潰すのは容易い事。私も及ばずながら後押しをさせて頂きたく思います」

(あー、やる事は変わらないしそれでいいか……いいのか?)

 

 一応人脈を作るために――あと学院生活の魅力のために入学、という自身の考えとも合致はする。

だがなんとなく変な方向に話が進んでるような気がしないでもない。とはいえやる事は変わらない。頭を整理するのは後に回して彼を呼んだ理由、重要な事を聞くために話を次の段階へ進める。

 

「それで名声についてだけどフールーダ、私はズーラーノーンを潰すことが手っ取り早いと思うのだけど……あなたはどう思う?」

「素晴らしいお考えだと思いますッ! エ・ランテルが"死の都"になったことは帝国は勿論、周辺国にまで既に知れ渡っている事でしょう。師の強大な魔力でエ・ランテルごと押しつぶせば、さぞや勇名が響き渡ること間違いありません!!」

 

 早口でまくし立てる様に絶賛するフールーダ。

一応自信のあるアイディアではあったが、現地の偉人でもある彼に同意してもらえるのなら問題はないだろう。だが震える拳を握り締め、全力疾走したように荒い息を吐き出しながら首を何度も縦に振るのは止めてもらえないだろうか?

 

「……でもね、私はジルクニフとの約束を違える気はない。今は様子を見て、少なくとも先手はこの国の軍に譲ろうかと思うのだけれど――」

 

 そこまで口を開き、心なしか気落ちしたような顔をしたフールーダに改めて問う。

 

「今の帝国軍とズーラーノーンがぶつかればどちらが勝つと思う?」

「そ、そうですな……敵の兵力や状況にもよりますので即断はできかねますが、少なくとも守勢に回れば帝国軍が負けることはないかと思います。たとえ万に届くアンデッドと平原でぶつかったとしても、前衛が盾になって食い止めてる間に後衛の魔法で攻撃するなどの対応を取れば、少なくとも敗北はないかと」

 

 やっぱりか。

予想はしていたがあまりモモンガにとっては嬉しくない回答に、胸の下で腕を組み考える。

 

「ですのでジル――皇帝は、どちらかと言いますと国の内部に侵入され、混乱を起こされる事に警戒しています」

「混乱? ……帝国でも"死の都"のような事が起きると?」

「そうですな、それが最も警戒されるべき事かと。中でもこの帝都でそのような儀式を行われて、その結果甚大な被害を受ければ国体が傾くやもしれません。ですので国内の貴族派閥など、敵対する可能性がある組織がズーラーノーンと繋がりを持っていないか、探りを入れてるようです」

(うーん、ここ(帝都)でそんな儀式されると困るな……)

 

 これから学院生活が始まるのだ。

それに今日の対応を見る限り、ジルクニフにはこれからも世話になる可能性が高い。彼の地位が危険になるような事は避けた方がモモンガにとっても利になる筈だ。

 さりとて帝国軍に快勝してもらっても困る。モモンガの助力が必要ないと思われては、名声を得る事など出来ない。それに帝国軍でも勝てる相手を倒して威張り散らしても、誰も評価などしてくれないだろう。そうなると――

 

「――フールーダ、確か転移魔法は使えるのだったな?」

「はっ!」

「……ここで議論してても限界がある。ひとまずエ・ランテルの様子を見に行きたいのだけれど、行った事はある?」




作者的に当作はTS作品というよりも、オーバーロード二次重視な作品のつもりです(その割に最近はギャグが多いっすね……たぶん学院編三章もかなりギャグ率が高い気がします)

オーバーロードっぽい展開もこれからあるんだよ、本当だよ。というわけでオバロっぽいシリアス展開イクゾー
次話→3日後投稿予定


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3章 偶然出会った可愛い女の子は、大体転校生で隣の席になると決まっている
『変わり始めた日常』


 待ってたぜェ!!更新できる瞬間をよぉ!!

 ここからWebの魔法学院編です。
原作Web版とドラマCD、色々とオーバーロードの知識がないと楽しめないかと思います(私の知識が間違ってたらスミマセン)


「じゃあ母さんはちゃんと寝ててよ、行ってきます」

 

 玄関から部屋の奥で寝ている母親の返事を確認すると、鍵を閉めて外へ歩き出す。

 

 空を見上げれば晴れやかな晴天の朝。

遠くからは工房の作業音、大通りの方では荷車や商人の声が聞こえる。いつもどおり集合住宅特有の狭い小道から数度曲がり、比較的大きな道に出るとジエットと同じ制服を着た生徒を何人か見かけるようになった。

 

「ジエット~」

 

 通りに出た所で待っていると、聞きなれた幼馴染の声が耳に届いた。

顔を上げると人の波を抜けて幼馴染である少女――ネメルが駆け足でこちらに向かってきている。その見慣れたはずの顔には、久しぶりに目にする満面の笑みが浮かんでいた。

 

 

 

 

 

 変化は突然だった。

 

 ネメルにちょっかいを出していた貴族の子息、ランゴバルト・エック・ワライア・ロベルバド。

ちょっかいといっても子供心からくる不器用な恋愛表現などではなく、文字通り貴族として格下の相手を弄ぶ気持ちでネメルに近づいた男。

 

 彼が雇ったゴロツキにネメルが路地裏で襲われた時、ジエットはその場にいなかった。

ネメルの話では男達に追いかけられ捕まった際、白亜の仮面を付けた少女に助けられたそうだ。そして仕事を放り出して駆けつけたジエットも、その仮面の少女を目にすることができた。

 

 今思い出しても『純白の美姫』という言葉があれほど相応しい女性はいないと思う。

 

 仮面をつけていたためその素顔こそわからなかったが、白い花と羽で飾られた帽子、そこから豊かに流れる銀髪。純白のドレスは数々の装飾品で彩られており、豊かに膨らんだ胸と併せて着用者の魅力を存分に引き立てていた。

 そこいらの貴族では足元にも届かない財力を持った少女。その身につけていた服飾だけでも相応の地位にいるのは間違いない。

 

 ジエットが駆け付けた時は丁度ネメルとその少女が顔を近づけ合っている時で――後で治療のためだったと慌ててネメルから説明されたが――少女の美しさに目を奪われながらも、心の片隅でチクリとした妙な気持ちになったのを覚えている。

 

『幼馴染ならちゃんと守ってあげなさい』

 

 仮面の下からそう静かに告げ、皇室地護兵団(ロイヤル・アース・ガード)の作った道に消えていった純白の美姫。

騎士達を従える姿はもちろん、その後ろ姿とあふれ出す気品。今まで会った貴族の一部にも似たような雰囲気を感じる人物はいたが、自分と同じ年頃にもかかわらずあの少女はその遥か高みを感じさせた。

 

 つまり、自分たちとは生きる世界が違う人物という事。

 

 その事件の後もジエット達――もとい、ネメルの家は大変な騒ぎだった。

軽い事情聴取を済ませるとネメルの家まで二人とも送ってもらったのだが、ネメルの両親相手に事情を説明している途中でロベルバド家の執事が突然尋ねてきた。

 用件はロベルバド家としての謝罪と補償金の提示。ジエットは騎士による事情聴取の頃から、もしかしたらこうなるんじゃないかと僅かに期待していた。根拠となったのはゴウン様と呼ばれていた純白の美姫の存在。ロベルバド家などより遥か上位にいる彼女か、もしくは彼女に近い誰かからの圧力があったのかもしれない。もしくはそれを察したロベルバド家が、上から睨まれる前にサッサと金で解決するために動くという可能性も考えていた。

 ランゴバルト本人ではなく執事を寄こしたことに思うところがないわけでなかったが、いくつかの条件を付け加えた後ネメルの両親が受け入れる事で決着となった。

 

 こうしてジエット自身も悩ませていた難問が、突然舞い降りた幸運によりアッサリ解決した。

 

 

 

 


 

 

 

 平和を噛みしめながら、いつものようにネメルと並んで魔法学院への道を進む。

 

「ふふ〜ん♪」

 

 隣から聞こえる鼻歌にジエットも浮かれてしまいそうになるが、まだ母親の病という問題が彼の肩には残っている。とはいえ問題ではあるが、難問というほど厄介なものではない。

 

 要は『金』の問題だ。

母親の病気を癒す魔法のアイテムは高価な代物。商会の仕事でなんとか貯金はできているが、今のペースで貯めても母親の命が尽きるまでに間に合う保証はない。学院を辞めて冒険者やワーカーになるという選択肢もある。ネメルに迫っていた危険が無くなった今なら最高の好機かもしれない。ネメルと共に来月の昇級試験を終えれば、本格的に考えてもいいかもしれない。

 ただ、昔お世話になった貴族の家の令嬢を裏切るようなことはしたくはない、という思いもある。ジエットが今帝国最高の学院に通えているのは彼女のおかげなのだ。とはいっても母親の命と比べられるものかと問われれば、首を横に振るしかない。

 

「ねぇジエット、あの……これ読んでみてくれない」

「――ん? なんだそれ?」

 

 ジエットの考え事を断ち切るように、隣に並ぶ幼馴染が遠慮がちに紙を差し出してきた。

 

 女の子らしい装飾された紙に包まれた封書。

貴族ではあるが平民とほぼ同等の生活水準の彼女の家にしてはかなり上質な物だ。ジエット自身は言わずもがな、少なくとも平民が私物で持っているような代物ではなかった。

 

「ゴウン様にお礼のお手紙を書いてみたんだけど、上手く書けてるかわからなくて……」

「そうか、確かお礼も言えなかったんだったよな」

「う、うん……」

 

 ジエットの何気ない言葉に目尻と肩を下げ、気落ちするように静かに答えるネメル。

その反応になんと声をかければいいのかわからず、誤魔化すように彼女の頭を数度撫でた。

 

 笑顔が戻ったネメルだが、ときおり彼女の笑顔に影が差すことがある。

それは自分(ネメル)を助けてくれた『ゴウン様』と呼ばれていた少女に、その場でお礼の一つも言えなかった事。その事を思い出すたびに、自分を責めるように落ち込んでいるのがジエットにはわかっていた。

 

「俺は最後に声をかけてもらっただけだけど、たぶん相手は気にしてはいないと思うぞ」

 

 言い方は悪いが、最後に意味ありげな言葉だけ残して彼女はサッサと離れてしまったのだ。

助けた相手から感謝の言葉を貰いたがっていた訳ではないのは間違いない。

 

「私あの時頭が真っ白になって、普段から気を付けていればちゃんとお礼も言えたのに……」

 

 粗野な男達に襲われている時に突然助け出されその相手があんなドレスに身を包んだ少女では、ネメルでなくても驚き混乱してしまうのは仕方ないように思う。それを指摘しても彼女自身が納得することがないのは幼いころからの付き合いで分かっているので、口には出さないが。

 代わりに手渡された手紙を開き文面に目を通していく。貴族間の手紙の文面の良し悪しなど、平民であるジエットにはわからないが内容に問題があるようには思えなかった。

 

「大丈夫だとは思うけど、俺以外にも誰か確認してもらった方がいいんじゃないか?」

「うん、お姉ちゃんとお母さんにもお願いしてみるつもり」

「ならいいけど。それでこの手紙を届ける方法って考えてるのか?」

「それは……」

 

 皇室地護兵団(ロイヤル・アース・ガード)が護衛している少女だ。

皇帝直轄の近衛兵。つまり皇帝という雲の上に立つ支配者の傍に立つ存在。貴族とは言え末端に限りなく近いネメルの家では、そこまで届く伝手などあるはずがない事はジエットでも予想がつく。

 ジエット自身も会う機会があれば御礼の言葉を伝えたい気持ちはある。だが、どう考えても無理な話だ。なぜあの場に彼女のような人物がいたのかは分からないが、強いて言えば『運が良かった』という一言に尽きる。

 

 ――そこまで考えて、目にする光景に違和感を覚えた。

 

「なんだ?」

「え?」

 

 いつもの街路を歩き、いつものように到着した帝国魔法学院の前。

だがいつもとは少しばかり違う様子に、思わず立ち止まってしまう。普段は門を雑談しながら通り抜ける生徒たちが一瞬足を止め、学院内を一瞥するとオドオドした足取りで校舎の中に入っていく。門をくぐった全員が同じような挙動をするのが後続からでも確認できた。危険はなさそうだが何か驚くようなものが門の向こう、学院敷地内にあるのかもしれない。

 

(今日は何かあったか?)

 

 学院内で情報屋まがいの事をしている知り合いの顔を思い出すが、生憎と彼女からとくにそういった話は聞いていない。当然他の生徒たちとの世間話でも、今日なにかあるなど聞いていなかった。

 

「……とりあえず行くか」

「う、うん」

 

 同じ光景を目にしたネメルは少し緊張しているようだが、ここまで来て学院をサボるなど論外だ。制服の脇の部分が僅かに引っ張られる感覚を覚えながら、魔法学院の正門へ歩を進めた。

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

「なぁ、今日何かあったっけ?」

「知らないけど……誰か偉い人が視察に来るとかじゃないか?」

「それにしちゃ先生方も慌てていた様子だったぜ、実際今もまだ来てないし何かあったのか?」

 

 いつもより少し騒がしい朝の教室。

教室内の同期へ朝の挨拶をした生徒たちは席に着くや否や、近くの者達との情報交換に夢中になっていた。当然その内容は先ほど生徒全員が目にした学院内の変化についてだ。

 

 一言で言えば、警備をする騎士の数が異様に多いのだ。

 

 帝国魔法学院は国の運営という事もあり、当然のように帝国騎士による警備が敷かれている。

とはいえ普段は仰々しいものではなく、各門を始めとした出入口と魔法技術に関する重要施設、それと巡回する騎士が複数いるくらいで一日に何度か目にする程度だ。魔法技術の最先端を研究している『帝国魔法省』であればもっと多くの騎士が警邏しているだろうが、当然ながらジエットはそんな重要施設に入ったことはない。

 

 普段はその程度の人数であったはずの騎士が、今日に限っては少なくとも五倍、下手をすれば十倍くらいいるのではないかと感じられた。勿論正確に数を把握できるはずもないが、正門を通り教室に辿り着くまでの間に目にした騎士の数はそう感じさせるには十分だった。

 そしてなにより警備をする騎士達の意気込みが普段とは明らかに違っている。別にいつもの騎士が不真面目などと言うつもりはないが、先ほど目にした騎士達は鬼気迫る雰囲気すらある。言ってみれば戦場のような緊張感が彼らの周囲に漂っているようにジエットには思えた。

 

(戦場の空気なんて知らないけど……昨日の事といい、本当に何かあるのか?)

 

 教室後方の窓際、ボーっと潜考していたジエットはチラリと隣の席に目を移す。

いつも隣に座っていたハズの級友は、突然休学届を出し昨日のうちに実家に戻ってしまった。なんでも進路についての大切な話があるとのことで、実家から帰ってくるように連絡がきたのだそうだ。本人は嬉しそうだったので悲観する理由ではないのだろうが、昨日の今日ということもあり騎士が増えた事と何か関係があるのかもしれない。

 

 それに隣の席だけ新品の椅子と机に交換されているのが、妙に嫌な予感を感じさせた。

昨日まではジエットや他の生徒達が使っているのと同じ、魔法学院の歴史を感じさせるやや古ぼけた物だったのだが、教室内で()()()()()()()()綺麗なのはかなり浮いている。

 

(教員も遅れているし……この教室だけか?)

 

 いつもの時刻になっても担当教員が来ない事に教室内がざわついたのは少し前。

すぐに遅れるという連絡がきたのでざわめきは治まり、情報交換という名の小さな会話が教室内を支配していた。ジエット自身は隣が空席という事もあり、その会話には混ざらず何か不味い事態が起こっているのではないかと一人考え込んでいた。

 

 そしてそのまま時間が過ぎ

 

 ――扉が静かに動き始めた。

 

 いつもの担当教員の姿を認め、教室内に満ちていた少しの不安が霧散する。

だが瞬時にさらなる不安に塗り替えられた。扉を開けてガチガチとおもちゃの人形の様に歩く姿と、顔色が真っ青な教員を目にして困惑しない生徒はいない。

 

 そのまま教壇によじ登るように立つと、教室内を見渡す担当教員。

その目は青い顔色とは真逆の血走ったモノ。ゴクリッと、ジエットを含めた生徒たちが小さく息をのむ音が教室内に響いた気がした。

 

「みなさん。き……きょうから、みなさんといっしょにま、まなぶおかたがいらっしゃいました」

 

 息も絶え絶えに、まるで今にも死にそうに青くなった額に汗を流し、血走った眼で必死に何かを伝えようとする教師。いつもの温和な笑顔に満ちていた姿とは別人のその姿に、教室内は不安と困惑と動揺に満ちていく。ジエット自身も恐怖心にも似たものを感じて首筋が冷たくなった気がした。

 

(御方って……)

「みなさんとせきをともにして……まなばれたいとのことです。これから入っていただきますが、い……いいですか、みなさん! 絶対に! 失礼のない様にッ!」

 

 最後には畏怖の仮面を顔に貼り付けまるで生徒たちに必死の懇願のような言葉を言い残すと、そのままガチガチと扉に向かい、外にいる相手を気遣う様にゆっくりと開いた。

 

 ――そして、誰もが知る人物が教室内に姿を現した。

 

(ふッ――フールーダ・パラダイン……様!?)

 

 長い白髭をたたえながらも輝く瞳を持った老人、その顔を知らないものはこの教室にはいない。

その偉業は帝国の歴史を紐解く間に何度も目にし、学院内には肖像画が飾られ魔法史には数々の偉業と共に記載されている生きる伝説。帝国内の辺境なら兎も角、魔法学院どころか帝都で知らない者を見つけるのはほぼ不可能なほどの偉人を目にして、教室内に満ちたのは歓喜ではなく混乱だった。

 

 まさか、フールーダ・パラダインが魔法学院に入学!?

 

 ありえない珍事に生徒たちが沸き立った瞬間、それは杞憂だったことが判明する。

白髪と長い白髭、そして白いローブをはためかせた老人は扉の脇で頭を下げると「どうぞお入りください」と小さく、しかしはっきりした声で外の人物に声を掛けたのだ。

 その姿を目にしてさらに生徒たちの心の中、もはや生存本能に近い危険信号が限界まで打ち鳴らされる。あのフールーダ・パラダインが――貴族社会と距離をとっている帝国の英雄が唯一頭を下げる存在。そんなものは誰もが知っている人物、皇帝以外ありえない。全員が体を石像のように硬直させ、顔色が教員と同じように変色したような気さえする中――

 

 一人の少女が教室へ入ってきた。




学園ものエ〇ゲのプロローグみたいだ

・現地の制服を着てる事に違和感を覚える方もいると思いますが、種明かしは追々

次話→明日投稿予定(書き溜めたのでしばらくは更新ペース早め)


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『嵐を呼ぶ転校生モモンガさん』

 扉の傍で頭を下げるフールーダ・パラダインの横を通り過ぎ、彼を従える様に教壇に立った自分たちと同じ年頃の少女。男子生徒たちが驚愕の眼差しを向け、女子生徒たちが羨望の眼差しを向ける周囲の視線の中、少女は小さく頭を下げた。

 

 腰まで伸びる艶やかな長い銀髪。澄んだ宝石のような真紅の瞳が教室内を見渡すたびに、生徒達の心臓が大きく跳ねる。透き通るような白い肌。魔法学院の制服に包まれた線の細い肢体の中央、歳不相応に大きな胸が男子生徒を惑わすような魅力を放っている。

 

 顔はもちろんのこと全てが完成されたような美しさを持つ少女に生徒たちは目を奪われていた。その中でただ一人、ジエットだけは他の生徒達とはやや違う衝撃を受けていた。

 

(なんで……こんなところ(魔法学院)に!?)

 

 数日前、ネメルとジエットを助けてくれた純白の少女。

あの時は白亜の仮面を付けていたのでその素顔は知らない。服装だって違う。だがあの長く美しい銀髪と豊かに揺れる胸、そしてなにより彼女自身の放つ圧倒的な存在感がジエットに突然の再会を確信させていた。

 

「こ、っこっこ、ちらの、御方がみなさんと、今日から一緒に授業を受けられる方です。じ、自己紹介を、どうかお願いします」

 

 生徒に対して深すぎるほどに頭を下げる教師。

その姿を一瞥した少女はコクリと頷き、改めて教壇の上で教室内を見渡してニコリと微笑んだ。

 

「私は『シャルティア・ブラッドフォールン――』……と、申します。本日からみなさんと机を並べて学ばせて頂く事となりました。少々世間知らずなところもあるかと思いますが、みなさんと仲良くしていければと思っています。どうかよろしくお願いします」

 

 優雅に帝国式の礼をする少女。

 

 その美しさに目を奪われながらも、生徒達の胸中に渦巻くのは『誰?』の一言に尽きる。

今もフールーダ・パラダインが――帝国の誰もが知る英雄が傍に立ち、まるで少女に仕えているようにさえ見えるが、ジエットを除き誰も彼女に見覚えが無いのだ。

 国の式典や戦勝パレードなど彼と皇帝ジルクニフや帝国四騎士、軍を指揮する将軍や文官を見ることはあるが、目の前に立っている少女を見たことなどない。これ程の美しさを放つ少女であれば遠目でも目立つうえに、貴族は勿論平民の間でも話題にならないわけもないはずだ。

 

「ぶ、ブラッドフォールン様は、少々理由があり御名前を伏せておられます。……そして他の生徒と違い、みなさんと成績を競い合うことはありません。こッ皇帝陛下とここに御座しますフールーダ・パラダイン様との紹介でここにいらっしゃる事をみなさん、どうか重々承知の上で! な、仲良くしてください」

 

(なんだそれは!)

 

 真っ青な笑顔を浮かべる教師の紹介に、教壇に立つ三人を除いて教室内に心の叫び声が満ちる。

帝国の英雄が共に入室してきた事でさえ驚き、そして少女の美しさに目を奪われ、その上あの皇帝――鮮血帝とも恐れられているジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスとフールーダ・パラダインの紹介。

 どうすれば、そしてどのような地位にいればそんな繋がりを得られると言うのか。だがそれが示すものはごく限られることくらい生徒達も理解している。少なくとも皇帝という地位に近い人物なのは間違いない。名前を伏せている理由はわからないが、そんな立場の人間が秘匿するならそれ相応の理由を持つのだろう。

 

 ――そんな人物が、これからこの教室で一緒に学ぶ? 何の冗談なのかッ!?

 

 紹介が終わると教室内は誰一人声を発せず、静まりかえっていた。

生徒達は一人残らず石像の様に固まり、教壇に立つ担当教師も顔色が青から白いものへ、そして紹介された少女は真紅の瞳を瞬かせながら生徒達を見回している。

 

 やがて納得したように頷くと、後ろに控えていた帝国史において数々の偉業を残している最強の魔法使いに顔を向けた。

 

「フールーダ――」

 

 ――呼び捨てッ!?

 

 ジエットを含め固まっていた生徒達、そして教師も、教室全体が驚きのあまり一瞬飛び上がるようにビクリと震えた。

 

「はっ! 我が……あ、いえシャルティア様、何か?」

「あなたはもう帰りなさい」

「は? あ、いえですが、よろしければ私もこのまま授業を視察していこうかと思うのですが?」

 

 止めてくれッ!

 

 ジエットも、そして教室内の全員も同じ思いを抱いただろう。

気のせいか二人の隣に立つ教師の顔色がさらに悪化したようにも見える。教師の立場なら当然だ。フールーダ・パラダインがいる教室で彼が授業をすることとなれば、極度の緊張状態という言葉すら生温い状態で講師を務めなければならない。普段通りの授業になることなどありえない上に、教師の僅かな間違いや質問に答えられなかった生徒の無知が、魔法学院全体の責任問題に発展する恐れすらあるのだから。

 

「あなたは後継者を育てる役目があるでしょう。それに……やっぱり保護者同伴みたいに見えてるようだし……」

 

 最後の方はか細い声になり、何を言っているのか聞き取れなかったが、フールーダ・パラダインに対して帰るよう促す少女の言葉に、教室内の全員が喝采を送ったように見えたのは決して気のせいではない。

 

「そ、そうですか……承知しました。では何かありましたらお呼びください……」

 

 意気消沈するように背中を丸めながら少女に向けて頭を下げる帝国の英雄。

名前を呼んでからそれまでのやり取りで生徒達は嫌でも理解した。帝国の英雄がここにいる自分達とさほど年齢も変わらない少女に頭を下げ、まるで主人に仕えるメイドの様に傅く信じがたい光景。

 

 ――むしろ逆の立場なら、年老いた主人と侍女であれば納得ができたというのに。

 

「先生?」

「はっ、ハイ!!」

 

 帝国の英雄をまるで小間使いのように教室の外へ追い出すと、少女は振り返りその場に残っていた担当教員を呼んだ。

 

「私のせいで時間が押しているようですし、問題が無ければ授業を始めた方がいいと思うのですが?」

「ハイ! そ、そうですね。仰る通りです」

「私の席はどこでしょう?」

「どこでもお好きな席へどうぞっ! あ、いえ、確か……あちらのお席であれば、今朝掃除をさせて頂いたばかりです!」

 

 教員はまるで高級宿の主人のような仮面を被り、生徒であるはずの少女を持て成し始めた。

その姿を滑稽とは思えない、むしろジエットを含めた生徒達は感心してしまう。未だ生徒達はジエットを含めて誰一人動けずにいるのだから。

 教壇の上で繰り広げられた光景が現実のものである事は理解している。ただ、あまりにも現実離れしていたため物語の一幕の様に感じてしまったのは仕方ない事かもしれない。

 

 そして少女が教壇という舞台から降り、教室内を歩き始めた。

静まりかえった空間に少女の足音だけが響く。生徒達を支配していたのは緊張感、そして少女の美しさに対する羨望。時が止まったように誰もが微動だにしない中、空間から切り取られたように銀髪の髪が舞い、長いスカートをなびかせながら少女がただ一人歩いていく。

 

 ――ジエットの方へ、真っ直ぐ。

 

「え?」

 

 まるで夢から覚めるように目を瞬かせる。

現実味を取り戻したジエットの脳が状況を理解しようとフル回転を始めた。昨日突然実家に帰ってしまった隣のクラスメイト。今朝真新しい椅子に交換されていた隣の席。教師が言った掃除された席。

 脳を重労働させるまでもなく答えはすぐに出る。教師が案内をし、彼女――シャルティア・ブラッドフォールンが目指して歩んでいるのは、ジエットの隣の席なのだと。

 

(なんでだッ!?)

 

 こちらへ歩む少女と目が合い――大輪の花が咲くような笑顔を向けられた。

きれいな笑顔だった。まだ若いジエットに彼女の笑顔を正しく言葉にすることは出来ないが、自身の顔が熱くなるのがわかった。

 だが、それと同時に冷や汗が背中を流れ落ちる。ジエットはごく普通の帝都に住む平民だ。眼帯をつけた目にはやや特殊なタレントは秘められているが、それだけだ。第一位階の魔法は使えるが自分が特別などと思ったことはない。魔法学院に通ういわゆる秀才の人間達、そして上位の貴族の子息、自分より高みにいる者達を見上げることのほうがはるかに多い程度の立ち位置。

 

 そんな人物達さえ届かない遥か高みにいる少女、フールーダ・パラダインが頭を下げる存在が自分の隣の席に座る。そしておそらくだが彼女はネメルを、そしてジエットを助けてくれた恩人だ。その彼女が再び目の前に現れ、学院のクラスメイトになる。

 

 どんな偶然が重なればそんな巡り合わせになるのか、もはや訳が分からない。

 

(いや……昨日までは隣の席は埋まっていた。そうなるとッ――)

 

 誰かの意図が、少なくとも学院関係者を動かせる人物の思惑が絡んでいるのではないか。

そしてわざわざジエットの隣の席を用意したのは、誰のどんな思惑があるのか。自分は何かに巻き込まれているのか――何かに()()()()()()()()()()()()のではないか。

 

 ゴクリと喉を鳴らし、冷や汗が頬をつたう。

 

「よろしくお願いします」

「ハ、はい! よろしくお願いしますッ!!」

 

 すぐ隣に立った『ゴウン様』と数日前に呼ばれていた少女が頭を下げ、ジエットも慌てて立ち上がり勢いよく頭を下げる。きっと自分はすごく間抜けな顔をしていたのだろう。はにかむように微笑んだ少女は優雅にゆっくりと隣の席に腰を下ろした。

 

(……いい匂い)

 

 羽が椅子に舞い落ちるように少女が腰かけた瞬間、目を閉じたくなるような甘い香りが鼻をくすぐる。

 

「で、では! 授業を始めます!」

 

 教師のやや大きな声でハッと我を取り戻すと慌ててジエットも腰を下ろした。

おそらく今の言葉は生徒達ではなく、呆けていたジエットに対してのものだったのだろう。目が合った教師は物言わずして訴えかけてきた。

 

 『絶対に失礼なことはするな!』と、目だけで懇願するように。

 

 今すぐ誰かと席を変わって欲しい。

 

 無意識にまるで助けを乞う様に周囲を見回したが、誰一人ジエットと視線を合わせてくれるクラスメイトはいない。考えてみれば当たり前だ。ジエットも彼らの立場であったならば同じ対応をしただろう。助けはない。

 だが、それでも――

 

 ――誰か助けてくれ

 

 ニコニコと微笑む少女の隣で、そう思わずにはいられなかった。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

「でありますからして、――」

 

 ――誰か助けてくれ

 

「……ということになります」

 

 黒板の前で説明を終えた教師がチラリとモモンガに視線を投げかけてくる。

既に今は昼食前の最後の授業。教師のこういった反応は、最初の授業と合わせて十回は越えている。意味ありげな視線だったが、彼らが何を訴えているのかモモンガにはサッパリ分からない。

 なので一番最初の対応をそのままに、今回もしのぐことにした。

 

「で、では次に移ります――」

 

 モモンガが誤魔化すように笑顔を浮かべて小さく頷くと、教師は安堵したように次の説明へ移った。

なぜいちいち一生徒であるモモンガの反応をうかがうのか、それはイマイチわからないが彼一人ではなく最初の授業からこうなのだ。おそらく新しく来た生徒がちゃんと理解できているのか、気を使ってくれているのだろう。

 

 ……ちなみに半分も分からないです。

 

(これは予想できていたからな、そのためにテスト免除どころか成績不問をお願いしたんだし)

 

 少々ズルい気もするが、モモンガにとっては学校どころか世界が変わっているのだ。

勉学に関して一応の努力はするつもりだが、まともにやった場合モモンガの頭では留年まっしぐらな自信しかない。

 

(ヤバイ、落ち込んできた……いやいやそんな事よりも……)

 

 教師に怒られない程度に教室内に目を走らせる。

 

 何人か目が合いそうになったが、すぐに視線を逸らされた。

最初の授業から周りの反応に一切変化は見られない。休憩時間ですら誰一人席から立ち上がらず、トイレにさえ行く者はいない。次の授業の教科書を机の上に広げて予習らしきことをしていた――クラスメイト全員が。

 

 その周囲の無反応ぶりに、モモンガの内心で冷や汗が流れ落ちる。

 

 ――なんで転校生である俺に誰も話しかけてこないんだ、と。

 

(美少女転校生は何もせずとも質問攻めに合うのがお決まりじゃなかったのかよッ! ペロロンチーノォーー!!)

 

 

 

 ――教室内の全員を魅了し、混乱させ、圧倒したはずの美少女――の中の人は、予想外の『ぼっちデビュー』に心の中で頭を抱えていた。




エ○ゲのような学園恋愛ものを一瞬でも期待してしまった方へ、全力でゴメンナサイ。


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『原因と対策を考える』

※お忘れの方もいるかもしれませんが、食事ができるシャルティアボディ設定です


「それで、シャルティア嬢は何事もなく魔法学院に?」

「はッ! 今のところ問題ありません。予定よりやや遅れましたが、魔法科の教室へ今朝入られました」

「遅れた? ……何か問題があったのか?」

「いえ、少々学院長室での挨拶が長くなっただけのようです。それ以外は何事もないかと」

 

 ――皇帝執務室に緊張した空気が満ちる。

 

「そうか……ひとまず第一段階は問題ないという事か」

「はい。今のところは……」

 

 報告に来たロウネと目を合わせると、お互い安堵するように息を吐き出した。

緊張した空気が部屋から抜けようとしていたが、ロウネが言ったようにまだ終わってはいない。少なくとも今日という日が平穏無事に終わらない限り、ジルクニフ自身への重圧が抜けることはないのだから。

 

「問題ないのであれば予定はそのまま進めることとしよう、準備をしておいてくれ」

「畏まりました」

 

 いつもより硬い声で返答したロウネが退室する。

少なくとも彼女――シャルティア・ブラッドフォールン・アインズ・ウール・ゴウンの存在とその力を知る者で、今日という日を自然体で過ごせる者などいないだろう。ジルクニフでさえ最悪の想像をしては頭をかきむしりたくなるのだ。

 できれば誰かに代わって欲しい。だが自身の地位がそれを許すはずもないし、なによりもその地位に座るジルクニフ自身がそれを許すはずがない。不毛な事を考えそうになり顔を左右に振ると、今日これからおこるかもしれない事故――もしくは災害を幾つも想像してはその対処を頭の中で組み立てる。

 

(見誤ってないといいのだがな……)

 

 フールーダが破壊した後に修復された窓の外、帝国魔法学院を見ながらジルクニフは心から帝国が、そして学院に通う生徒達が今日一日を無事に終える事を願った。

 

 

 

 

 

 

 ♦

 

 

 

 

 

 

 

 

(うぁあああ! 完全に見誤った!)

 

 表面上はあくまで授業を笑顔で受ける少女を演じつつ、その内心でモモンガは頭を抱える。

いや頭を抱えるなど生温い、想像の中、あくまで想像の中だが、頭を抱えて部屋の中を転げまわり奇声を上げるような心境だった。

 

(これが噂に聞く『ぼっちデビュー』と言うやつか、味方が一人もいない転校生という立場でこれは……)

 

 昨晩は質問攻めになった際の答えづらいであろう質問をリストアップし、その答え方をカンニングペーパーに書き写し、モモンガ自身もできるだけ覚えて何度も練習をしたというのに。

 

 出身地は何処ですか?

 シャンプーや化粧品は何を使っていますか?

 好きなタイプは? 恋人はいますか?

 

 これら面倒なモノも含めた様々な質問の返答を徹夜で――元々睡眠の必要はないが――考えてきたというのに! しかも今思い出すとまるでピクニック前日のようにワクワクしながら考えていた気がする。そしてその結果が今のこの有り様だと思うと、いろんな意味で精神的ダメージを受けてしまいそうだ。

 

 ――やってしまった。

 

 完全にやらかした。

そもそも前提が間違っていた。美少女転校生という、普通ではありえない立場がモモンガを狂わせた。中身がモモンガという残念な一点を除けば現状にすっぽりハマるペロロンチーノのエロゲー知識、それを参考にしたのが間違いだったのだ。

 今はもう完全に孤立無援、言わば無人島で遭難したようなものだ。限られた食料という名のモモンガの精神力が、現在進行形でゴリゴリ消費されている。

 

 既に今は昼前の最後の授業。

一体何が悪かったのだろうか。生徒達に無視されているといっても、侮蔑などの感情はないことはモモンガにもわかる。名前も王族としてのものではなく、平民のものに変えている。やはり名前を隠しているのを教師に説明させたのが問題だったのか、それともフールーダが保護者っぽくついてきたのが不味かったのだろうか。学院長室で長々と自慢話をした時と違って、教室に入った際のフールーダは特に変な事はしてないはずなのだが。

 

(自己紹介でイタい事は言ってないハズだし、もしくは容姿が実は悪いとか)

 

 友人の娘を褒めるような、いわゆる身内びいきなところもあるが容姿に問題は無い、と思う。

これまでの銀糸鳥を含めて帝国の人々の反応、会話をしていない周囲の人間の視線を常に集めていた事からも、シャルティアの容姿は良いはずだ。まだ登校初日だが、この教室内においてもシャルティアの美貌に迫る生徒はいないとは思う。

 

(いや待て待て。友人の娘に近い感情とは言え、教室で一番かわいいって自分で思ってる女ってどうなんだよ……)

 

 そこまで考えて――ん? と、頭上に電球が点くように閃く。

 

(ひょっとして、美少女過ぎるのが問題なのか?)

 

 あくまで借り物の体なので自意識過剰などではない、と言い訳をしつつ考える。

仮にだが、鈴木悟という学生としてシャルティアのような美少女転校生に話しかけることが出来るだろうか?

 

(無理だな)

 

 せいぜい『クラスメイトS君』くらいにしかなれない気がする。

ワイワイ会話をしているのを横目に、いつもの日常を過ごすことになるだろう。言ってみればここにいる彼らも鈴木悟と同じくシャイなだけなのではないだろうか? 本気で休み時間も勉強に集中している者もいるだろうが、さすがに全員がそうだとは思えない。

 

(まぁ女生徒までシャイというのはわからないが、チラチラこっちを盗み見ることからも興味を持っているのは間違いないよな? つまり高嶺の花になりつつあるのか? ……これも自分で言うとヤバイ女になっちゃうけど)

 

 そう仮定すると話は簡単だ。こちらから話しかければいい。

仮定が間違っていればさらに盛大な自爆をすることになる気がするが、もうこの授業が終われば昼休みなのだ。つまり時間が無い。魔法学院では学生食堂というものがある。モモンガが聞いたところによると、ほとんどの生徒が利用するためかなり広いスペースが用意されているらしいが、それでも生徒達でごった返すらしい。

 

 このままだと、そんな場所でモモンガが一人で食事をすることになるのだ。

 

(転校初日にぼっちデビューに加えてぼっち飯は流石に、嫌すぎる……)

 

 孤独に加えておそらくこれまで通り周囲の視線も集めてしまうのだろう。

そんな状況下でゆっくり食事ができるほどモモンガの神経は太くない。食事を済ませる間に何か大事な物がゴリゴリ減っていく気がする。

 これまでの経験から察するに、たとえ誰かを誘えたとしても周囲の視線は集めてしまうだろう。だがソロではなく同じ苦労を分かち合うペア相手がいるというのは心強いものだ。できれば率先して周囲の視線を集めてくれるような人間、モモンガの盾となるタンク役をしてくれる生徒が理想だが、時間のない今の状況ではそんな贅沢は言ってられない。

 

(幸いアテがないわけじゃないしな……)

 

 チラリと隣の席に視線を走らせる。

隣の席の人物には見覚えがあった。帝都に着いた日、城に向かっていた馬車を飛びだし、ゴロツキに捕まっていた少女――の幼馴染の少年。少女の方はネメルと呼ばれていたが、この少年の名前は生憎と思い出せない。だがその顔に着けられた眼帯はよく覚えていた。

 回復魔法が普及しているこの世界でそういった姿をしている人間は珍しい。なのでモモンガの記憶違いという事はほぼ無いだろう。あの時と違うところがあるとすれば、服装が違うのと少し顔色が悪いくらいだ。

 

(確率的に偶然なワケないよな。そうなるとジルクニフが手配してくれたのか、少しでも面識のある人間を隣の席にしようと……ほんと気が利くよな)

 

 内心でジルクニフに頭を下げつつ、授業が終わればどうやって話しかけるか、考えを巡らせる。

人と仲良くなるためには共通の話題を探すのが一番だ。そうなると彼ら二人を助けた日の事をネタに話を進めるのが良いだろう。だが、助けたことを恩着せがましく相手に言うのはマイナス印象を与えてしまう。まず『あの時の人ですよね?』くらいの感覚で話を振るのが良いだろう。

 相手が感謝を伝えてきたら、相手の面目を潰さない程度に謙虚に感謝を受けるのが社会人としての処世術だ。今はどちらも学生ではあるが。

 

 そして盛り上げた所で『続きは食堂で一緒にどうですか?』と自然な流れで進めればいい。

少なくとも鈴木悟であればイエスマンの如く頷いてしまうだろう。断られた時は――レイナースを出すしかない。

 

 彼女は幻惑魔法による透明化をしてモモンガの後ろ、今は教室の後方に立っている。

一応は護衛、そして透明化を見破れるような相手のための囮役だ。実際今もモモンガのお尻の辺りに彼女の視線を感じる。おそらく足元から襲撃されるのを警戒しているのだろう。人間は足元と頭上は視界が限られるので不意打ちをうけやすい、と聞いたことがある。

 

 吸血鬼化した彼女には酷だろうが、隣でお茶でも飲んでもらうだけでも幾分かマシだろう。人脈を作るという目的は初日から大失敗してしまうが。

 

 そこまで考えたところで、情報系魔法を防ぐための違和感がモモンガを襲った。

 

 

 

 

 ♦

 

 

 

 

「なぜだっ! なぜ魔法が発動しない!?」

 

 魔法学院学院長室。

一人の男、白髪と白い髭を生やした老人が自身の魔力を注いだマジックアイテムに向かって吠えていた。

 

「やはり何か探知対策をされているのか……」

 

 どうあっても彼女に取り入らなければならない。

学院長の考えは既に固まっていた。今朝、彼女に仕えるようにこの部屋を訪れたフールーダ・パラダイン。あの帝国が誇る英雄、帝国有数の地位にいる自分でさえも足下にすら及ばない偉人。

 彼が少女の絶対的な魔法の力を子供が自慢するように語り、その門下になっていると公言した瞬間は衝撃という言葉すら生温いものだった。こと魔法に限って、フールーダ・パラダインが偽りを言う事はあり得ない。ましてや彼自身が誰かの弟子になるなど、この国に住む者であれば誰もが聞き間違いだと思うだろう。

 

(だが彼女は――あの美しい少女は外の世界から来た)

 

 一見少女の姿だが、やはり若返りの魔法を使われているのだろう。

フールーダ・パラダイン自身も長い時を生きている。おそらく魔法によるもの。ならば、その彼が仕える少女がそれ以上の魔法――神話のような力を持っていてもなんら不思議ではない。

 実際に西門での件を確認すると、フールーダ自身が自慢げに語ってくれた。

 

 彼女の力、その素晴らしさを。

 

 教団の神官が言っていた不死になるための闇の儀式を行える者。

その者達は予定日を過ぎても現れないどころか、仲介した神官を締め上げれば連絡すらとれない有り様。そんな折にフールーダ・パラダインが屈する程の存在が現れれば、やる事など一つだ。

 

 情報を全力で集めて、どんな手段を使ってでも彼女の望みを叶えなければならない。

 

 なぜ彼女が魔法学院などという帝国の人材を育てるための機関に所属したのかは分からないが、その機関の長にとっては最高の好機であることは間違いない。あらゆる権力を使い、例え国に逆らうことになっても彼女にすり寄ることに、先が短い老人に躊躇などない。

 

(それにあの少女……いやシャルティア・ブラッドフォールン様か……ふふふ)

 

 美しい少女だった。年老い、長い事忘れていた男の性を思い出してしまう程に――

 

 

 

 

 ♦

 

 

 

 

 まるで空間が割れるような、一瞬の光景が視界に映ると瞬く間に元に戻り、教室の授業風景に戻る。モモンガの事前に使っていた対探知系魔法が発動し、何事も無ければ相手の視界には何も映っていないはずだ。

 

(またか? 最初の授業から何度目だよ……)

 

 最初こそやや驚いたが、途中の授業を含めると最早慣れる程の回数が繰り返されている。

 

(タイミング的に学院関係者の可能性があるな。一体何が目的だ?)

 

 爆裂(エクスプロージョン)を交えた攻性防壁は使っていない。

フールーダとレイナースの話を考慮して攻撃的な探知対策は控えている。その代わりに妨害と探知を探知する魔法を展開していた。

 学院到着前に切り替えておいたのだが、その判断をした当時の自分を褒めてやりたい。仮に切り替えていなければ最初の探知防御が発動した瞬間、学院のどこかが大爆発を起こしていた可能性もある。その結果おそらく校舎が半壊していただろう。

 

(登校初日から爆発事件とかサスペンス学園モノになっちゃうからな。ほぼ俺が犯人だし……)

 

 探知の犯人捜しは学院に潜入しているハンゾウに任せることにして、この授業が終わった後どういう流れで隣の席の彼に話しかけるか、それを考えることにした。




「はーい、みんなー二人組作ってー」

 あまり深く話すつもりは無いのですが
シャルティアの飲食と消化器官の設定、これがわからない。
11巻の発言から液状のは……血を吸うから可能なのだろうか?

当作に関しては捏造設定タグで逃げるので、許してくださいませ。

次話→水曜日投稿予定


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『ミッションスタート』

久々に更新再開すると誤字が多い
自作のモグラ叩きかと思うほど次から次へと……報告してくださる方ありがとうございます。

前回のタイトルを少し短くしました


 ――リーン、ゴーン――

 

 (やっと終わった……)

 

 おそらく教師も他の生徒も心から思った一言だろう。

衝撃の朝から数時間、いつもの昼休みを告げる鈴の音色が教室に備え付けられたマジックアイテムから鳴り響く。教壇に立っていた教師は力なく振り向くと、青くなった顔をジエットの隣の席へ向けて大きく頭を下げた。

 

「では……これで授業を終わります。し、失礼します」

 

 退出の挨拶をすると逃げるように外へと出て行く教師。

当然だが、教える立場である教師が最後にこんな挨拶をして退出するなど昨日までは一度もなかった。むしろ教師が終わりを告げるのと同時に、ジエット達生徒が感謝の礼をするのが学院の伝統だ。生徒の誰もが経験したことのない現象が、この教室で四度も行われていることになる。

 今日これまで教壇に立った三人の教師も、誰に向けて頭を下げているのかジエット達は当然理解している。今日突然同じ教室で授業を受ける事となった美しい少女、ジエットの隣の席に座るシャルティア・ブラッドフォールン――彼女に対してだろう。

 

(昼休み……か)

 

 教室内に教師がいなくなったことでそのことを実感する。

ジエットは微動だにせず、眼帯に覆われていないもう一つの目だけを動かして周囲を静かに確認した。ジエットと同じように誰一人動かない。今の授業で広げていた教科書に目を落としている者、何かを書き留めているフリをしている者、正面の黒板を凝視したまま動かない者と様々だったが誰も席を立とうとはしない。

 今は昼休みだ。本来であればこの教室内にいるほぼすべての生徒が、学生食堂に向かう時間のハズだった。だが誰も動かない。全員がジエットの隣に座る少女の動きを警戒――とは違う気もするが、彼女が教室から出て食事へ向かうのを待っているのだ。

 

 帝国の生きる伝説であるフールーダ・パラダインを連れて入室した少女。

けた外れの存在感と美しさ、そして地位を持つと思われる少女は無口だった。というよりも、彼女がジエットの隣に座ってから教壇に立った教師以外、教室内では誰一人喋ってはいない。どの教師も基本的には生徒に教本を読ませたり、問題を生徒に投げかけて答えさせるのがいつもの授業風景だったが、今日これまでの教師は全員一人で説明して、一人で教本を読み上るという型どおりの授業を行っていた。

 一言で言えば異常事態だが、帝国の主席宮廷魔術師(フールーダ・パラダイン)と明らかな繋がりのある人物に指導するなど、教師全員で分担したとしても荷が重すぎる仕事だ。少なくとも教本通りであれば間違いではないし、教師個人の責任問題になる可能性は低い上に他の生徒を巻き込まずに済むという判断だったのだろう。

 

 そしてこれまでの休憩時間も、今と同じ光景が繰り返されてきた。

もちろんこの教室へ訪ねてくる者も誰一人いない。それどころか教室外の廊下を含めて、学院全体が不気味なほど静まりかえっているように思えた。おそらく、他の教室でも説明――あるいは警告紛いの注意があったのだろう。

 

 少女が何者なのか、少なくともジエットを含めた生徒達は誰も知らない。

だがそれ自体はそれほど重要ではなかった。教師の最初の紹介と、なによりフールーダ・パラダインを連れて入室したことが全てを表している。

 

 下手に動いては自分の首が飛ぶ。

巨大な生物の足元で声を潜める子犬の様に、教室の生徒は誰一人動けなかった。

 

 

 

 


 

 

 

「あの……」

 

 教師が退出して静まり返っていた教室にあどけない少女の声が響いた。

それと同時に体を動かし、隣の――ジエットの方へ向く少女。

 

 教室内の空気がさらに張り詰めたものになる。

 

 当然声を掛けられたジエットの緊張は最高潮になった。

覚悟はしていた。何の因果か、誰の陰謀かはわからないが、奇しくも彼女のような存在の隣の席になった――なってしまったのだ。卒業まで声を一言も掛けられないなどという事はあり得ない。

 

「ハイッ! な、なんでしょうか! シャルティア・ブラッドフォールン様!」

 

 勢い良く立ち上がり彼女に振り向くと直立不動のポーズをとる。

特に首から上は完全に固定するよう意識した。ジエットは幼馴染であるネメルや情報屋のディモイヤ、そして一方的に世話になっている生徒会長の才女など意外と女性の知り合いが多い。

 彼女達、特にネメルには全く無い――とは彼女たちの名誉のために言わないが、圧倒的な格差がそこにはあった。これまでの授業中など、何度か隣の席を覗き見る機会があったのだがその度に驚愕させられた。

 

 胸である。

 

 入室した際からわかってはいたが、時間が経つにつれ冷静に観察すればその大きさがわかる。

ジエット程度の年齢にもなればそう言った事にも興味を覚えるどころか、この国では結婚していてもおかしくは無い年頃だ。特に隣の席から盗み見れば、必然的に相手を横から見てしまい否が応でもその大きさを意識してしまう。

 

 だが当然向かい合っているこの状況下で、相手の胸を凝視するなど命知らずなことは出来ない。

男の本能を生存本能で踏み潰し、目線を少しでも下げないように相手の顔を引きつった笑顔で見つめた。

 

「えっと……先日お会いしましたよね? 帝都の路地で――」

「はい! あの時は本当にありがとうございました!」

 

 同時に勢いよく頭を下げる。

頭を下げた視界の隅で級友達の動揺が見て取れた。おそらく、彼女と親交のある人物がクラスにいる事に驚いたのだろう。だがジエットからしてみればそれは誤解だ。

 

 数日前に()()路地裏で助けられ、今日()()同じクラスになり()()隣の席になっただけなのだ。

 

 そう信じたい、切実に。

 

「もう一人はネメルさんでしたか? お二人とも怪我は?」

「はい! ぶ、ブラッドフォールン様のお陰で怪我一つありません。騎士の方々にも良くしていただきました」

 

 顔を上げて見た相手の表情は安堵するような可憐な笑顔。

気遣われた事とその微笑みに思わず顔が熱くなる。

 

「あの、私の事は気軽にシャルティアとお呼びください。『ブラッドフォールン様』なんて呼びづらいでしょう?」

「……」

 

 ――え?

 

 困惑の声を口から漏らさなかったのは偶然だった。

立ち位置から必然的に見上げるような少女の顔。そのおずおずと伺うような表情もまた可憐で思わず心臓が跳ねる。そしてその口から発せられた提案に頭の方は混乱した。

 

 ただの平民であるジエットが、鮮血帝とも恐れられる皇帝陛下と帝国の偉人(フールーダ・パラダイン)の後ろ盾を持つ少女を名前で呼ぶ? どうすればそんなことがありえるのか。世界がひっくり返ろうがそんなことはあり得ない。

 

(何かの罠か、試されてる……?)

 

 根拠はない。ただそれくらいしか思いつかなかった。

どちらにせよ頷くのは問題外だ。力のない平民と貴族、その壁はジエットが思っているより遥かに高い。このクラスにだって貴族の生徒は何人かいる。彼らの口からジエットの不作法が誰かに流れれば、いらぬ問題を引き起こす恐れもある。

 

「こ、光栄ですが、やはりブラッドフォールン様と――」

「シャルティアと呼んでください」

 

 突然少女の笑顔が近づく。

 

「……え?」

 

 見れば直立不動のポーズを取るジエットに少女が身を乗り出していた。

二人の距離が近づき、ジエットの鼻翼をくすぐる甘い香りが漂う。宝石のような紅い瞳がこちらをジッと見つめていた。

 

「……いえ、ですが――」

「シャルティアと呼んでください」

「せっかくですが――」

「そんな遠慮はせずに」

「……」

「せっかくクラスメイトになったんですから♪」

 

 ――なんでだッ!?

 

 なぜこうもこの少女はジエットに、ただの平民に名前を呼ばせたいのか。

断るたびに徐々に近づいて来る表情に陰険なものはない。むしろニコニコと満面の笑顔だった。綺麗で見惚れそうにもなるが、名前で呼んだ途端首が飛ぶのではないかという恐怖の方がはるかに大きい。

 

「隣の席になったのもなにかの縁ですし――」

(近い近い近い近いッ!)

 

 ジエットは早くも限界だった。

咄嗟に後ろに下げた右足が緊張でガクガクと震え、今にも崩れ落ちそうになる。胸を反らし、後ろに大きく曲がった背中からダラダラと大量の冷や汗が噴き出した。そして腹の部分には柔らかい感触――

 

 誰か助けてくれッ!

 

 少女から目を離さずにギリギリの視界で周囲を伺う。

限られた範囲だが、こちらを見ている級友が何人かいた。だがその顔は今のジエットと同じように困惑、あるいは驚きの表情で硬直している。考えてみれば当然だ。ジエットもあちら側にいれば彼らと同じような反応で固まっていただろう。外部からの助けはない。逃れる方法もない。

 

 ジエットは息を呑み、覚悟を決めた。

 

「で、では……せめてシャルティア、様と?」

「……ふむ、うーん」

 

 目の前の綺麗な眉が考え込むように動く。

海老ぞりのままごくりと喉を鳴らし、同時に体が震えそうになる。

 

「最初ですから、それぐらいが妥当ですね」

 

 やってしまったと一瞬思ったが、相手の返答は満足に満ちた笑顔だった。

最初とはどういう意味でしょう? などと聞けるはずはない。せっかく繋いだ命、余計なことを言って危険に晒す無謀な探求心をジエットは持ち合わせていない。

 少女が――シャルティアが乗り出していた身を引き、再び椅子に腰かける。予想はしていたがここで会話を終えるつもりはないようだ。ジエットは最早限界と言ってもいい心と体にムチを打つ。

 

「それで、貴方のお名前は?」

「あッ!? し、失礼しました! 自分はジエット・テスタニアと申します」

 

 今更ながら自分の名前を名乗っていなかった事に気づき、自らの失態に全身が震えた。

相手に不満気な様子は一切ない。だが、身分の低い者が先に名乗っていないのはどう見ても失礼に当たる。できれば彼女が最初に席に着いた時、最低でもこの会話が始まった時に名乗っておくべきだった。

 

「それでジエット……君? お願いがあるのですが」

「じ、ジエットで結構です。……私に出来る事であればなんでもお申し付けください!」

 

 顔から血の気が引く中、なんとか笑顔を浮かべ相手に微笑みかける。

拒否権は無い。彼女が次に何を言おうと、全力で頷くしかジエットに選択肢はない。

 

「昼食をご一緒しませんか?」

「是非お願いします! ……え?」

 

 今彼女は何と言った? 昼食を、一緒に? 誰と?

 

 僅かに残った冷静な思考が正しい答えを導く。

その答えは間違っているのではないか。確認する事は失礼になるかもしれないが、聞き間違いである事を僅かに期待して相手に問いかけた。

 

「えっと……自分とシャルティア様がですか……?」

「えぇ、他に誰か誘いたい人はいますか?」

 

 真っ白になった頭に幼馴染である少女の顔が浮かぶ。

が、即座に考えるのを止めた。確かにネメルは彼女に――『ゴウン様』に御礼を伝えたがっていたが、今この状況でいきなり会わせては、ネメルが緊張のあまり不作法をしてしまう危険がある。彼女のためにもせめて事前に説明をしてからでなくてはならない。

 

「いませんが……私は貴族としての食事の作法には詳しくありません。それではご迷惑になるのでは?」

 

 学院内でも有力な貴族、ジエットの知り合いでは生徒会長のフリアーネなどの上位者は、もっぱら金銭のかかる豪華な料理を口にすることが多い。ジエット達平民、そして名ばかりの貴族であるネメルなどは無料のランチ食を注文するのがいつもの光景だ。味はソコソコだが、貧しい家庭生まれの生徒のためにも栄養はしっかり考えられたものになっている。

 当然目の前の少女も同じように貴族ご用達の料理を注文しているのだろう、そう思って申し出たジエットの不安からの言葉だったが、帰って来たのは思いがけない返事だった。

 

「食事の作法……? あぁ、大丈夫ですよ。みなさんと同じ無料のランチを注文するつもりですから」

「……」

 

 それなら問題ないのだろうか? 目の前の少女がジエット達が普段食べるランチを受け取り、大勢の生徒達がいる食堂で食事をする。間違いなく生徒達の視線を集めてしまうだろう。そしてジエットが一緒に食事をするということは、その視線の半分がジエットに注がれることになる。

 正直逃げ出したい気分だ。今でさえ胃がねじ曲がりそうなほど緊張している。だが、今更断るなどできるはずもない。

 

 覚悟を決めて頷いた瞬間、教室のドアが唐突にノックされた。

 

 返事をする者はいない。そもそも休憩時間に教室のドアがノックされることはない。

であれば扉の外にいる人物はなぜノックをしたのか、それは全員分かっている。この教室に今日からいる人物に対して、礼儀を弁えてのものだということを。

 

 ノックから少し間を開け、ゆっくりドアが開いた。

 

「失礼します。シャルティア・ブラッドフォールン様」

 

 優雅に頭を下げ、現れたのはジエットが良く知る女性だった。

 

「当学院の生徒会長を務めさせていただいております、フリアーネ・ワエリア・ラン・グシモンドと申します。皇帝陛下より放課後に学院の案内をするよう仰せつかっており、宜しければ事前に昼食を交えて挨拶を、と思ったのですが……ご歓談中でしたか?」

 

 入室し、少女の前で恭しく礼をする生徒会長。

直立不動の態勢を取っていたジエットに対して、少し怪訝な視線を向けるのは無理もないことだろう。挨拶を受けた少女は立ち上がると、同じように頭を下げ帝国式の返礼をとった。

 

「ご丁寧な挨拶痛み入ります。シャルティア・ブラッドフォールンです。上級生のようですし気軽に『シャルティア』と、呼んでいただければ幸いです」

「身に余る光栄です、シャルティア様。私のことは是非『フリアーネ』と、お呼びください」

 

 ジエットは思わずフリアーネに尊敬の眼差しを送った。

何度も遠慮しようとしたジエットとは違い、今の一度のやり取りで名前で呼ぶという対応を彼女はやってみせたのだ。もちろん公爵家の令嬢であるフリアーネと平民のジエットでは比べるべくもないが。

 

 そして今のジエットにとってフリアーネはまさに救いの女神だった。

 

(これで一緒に食事ということはなさそうだな……)

 

 思わず内心で大きく息を吐き出す。

なにせ生徒会長で公爵令嬢であるフリアーネが食事を誘いに来たのだ。ただの平民であるジエットと食事する事に比べれば、あちらを取るのが至極当たり前だ。この二人であればさぞや絵になる食事風景となるだろう。

 

 一気に肩の荷が下りた気分だった。

 

「せっかくのお誘いですが……もうこちらのジエット・テスタニア君と一緒に食事をとる約束をしてしまったので……」

 

 ――ん?

 

「そうなのですか……宜しければ三人で、というのは如何でしょう? 私もジエット君とは友人を通じての先輩後輩の間柄です。旧知という程ではありませんが、知らない仲ではありませんよ。ねぇジエット君?」

「そうなんですか? なら問題はありませんかジエット君?」

 

 ――え?

 

「え?」

 

 こちらを伺う二人を前に、ジエットは立ち尽くすしかなかった。

呆然とした意識の中、小さな舌打ちのような音が響いた気がした。




次話→3日後投稿予定


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『学生食堂へ』

(いや~本当に助かった。もう駄目かと思っていたけど、ギリギリで逆転できたわけだ。……ほとんどジルクニフのお陰だけど)

 

 食堂への案内のために先頭を歩く生徒会長、フリアーネの後に続き廊下へと出る。

背後には相変わらず顔色の悪いジエット・テスタニア。そして少し離れて透明化状態のレイナースが音を一切立てずに続く。

 

 なんとかぼっち飯を回避できたことに機嫌が良くなり、思わずスキップをしてしまいそうになってしまう。当然周囲の目があるので寸前で押し留めたが。

 

 フリアーネが先導して歩く廊下は奇妙な沈黙に満ちていた。廊下に立つ生徒達の数はまばらだ。ジエットやフリアーネと話しこんでしまったため、ほとんどの生徒達は先に食堂へ行ってしまったのだろう。

 

「ご安心ください。シャルティア様の席はちゃんと専用の場所を確保しておりますから」

 

 モモンガが周囲の固まった生徒に目を向けただけで、サラリとそんな気遣いをするフリアーネ。

彼女に学院の案内を依頼したのはジルクニフらしい。モモンガはそんな話は聞いていなかったが、彼が見えないところでこういった気配りをしてくれていたことにはとてつもなく感謝している。ジエット・テスタニアの隣の席を宛がってくれたのもそうだ。少しでも面識のある相手を探して席を用意してくれたのだろう。

 

 当然モモンガ自身も頑張った――ハズではある。

 

ごく自然に彼に声をかけて

ごく自然に名前を呼び合う関係になり

ごく自然に食事に誘うことが出来た。

 

 ペロロンチーノ風に言えば好感度が急上昇、パーフェクトコミュニケーションの鐘の音が脳内で鳴り響いたくらい完璧だった。だが、それもこれもジルクニフという優秀なサポート役がいなければ成り立たなかった事なのは間違いない。

 

(う~む……これはもうジルクニフに対して足を向けて寝られないな……)

 

 元から睡眠の必要はないが、心境としてはそんな感じだった。

彼との関係はいい方向に向かっていると思う。というかここまで気配りができる相手とは仲良くしたほうが良いだろう。一方的に貰ってばかりなのはそれはそれで困るので、モモンガから彼に何かしてあげられないか今度考えなくては。

 

 そんなことを考えていると、学院の周囲を警戒させていたハンゾウから伝言(メッセージ)が送られてきた。

 

「……え?」

「如何されました? シャルティア様」

「あー……いえ、なんでもありません」

 

 思わず報告のあった方角の窓を見つめ、足を止めてしまう。

ただでさえ集めていた周囲の視線がさらに多くなり、少しだけ慌ててしまうが、態度には出さずに歩みを再開した。

 

 

 

 

 

 

 

 ♦

 

 

 

 

 

 

 

(まるで海が割れてるみたいだ……)

 

 目の前の光景を見てただそう思った。

最初こそ出遅れたため人通りの少なかった学院の廊下、だがその人数は食堂へ近づく度に活気に満ちたものになる――普段なら。

 

「誰? 生徒会長?」

「凄い……綺麗ぇ」

 

 今日に限ってはそれは全く異なっていた。

ジエットが同行するシャルティア・ブラッドフォールン、彼女の歩く方向へ人の波が割れていく。それは自然と割れていくものではなく、今日に限って増員された騎士の誘導によりできた道だ。

 だが、騎士達がいなくとも自然と道はできていたかもしれない。道を開けるように壁際に寄った生徒達の彼女を見る目は驚きと羨望に満ちており、自然と何か触れてはいけない物から逃げるように下がった生徒も多かった。そして誘導を終えた騎士達は最上級の礼でもってその道を彩る。

 

 ――なんでこんなところにいるんだろうな。

 

 三人は広くなった廊下を並んで歩いていた。

中央には当然彼女、シャルティア・ブラッドフォールンが銀髪をなびかせながら優雅に歩く。

左にこの学院の生徒会長、フリアーネがシャルティアへ学院に関する雑談を交えながら笑顔を浮かべ、そして右側には平民であるジエットがやや重い足取りで続いていた。

 

 シャルティアとフリアーネは楽しそうに歓談をしているが、ジエットは時折相槌を打つ程度だ。

そんなことより周囲の視線が痛い。シャルティアへ向けられる羨望と驚き、そして彼女が何者なのか困惑する貴族家の子息達の視線。その隣へ並ぶ公爵家令嬢であるフリアーネに対する納得と尊敬、人脈を頼りに情報収集を画策する者。そしてジエットに対する場違いな異物を見る視線が痛かった。

 

(そんなこと俺が一番わかってるけどな……)

 

 ここまで来ると今更逃げ出すわけにもいかない。

だからという訳ではないが、ジエットはやや開き直っていた。どこの誰の思惑か、もしくは本当に偶然なのかはわからないが、彼女が恩人であることに変わりはない。彼女が一緒に食事をしたいと言うのなら、ジエットもできる限り応えるべきだ。

 それに教室の席を移動するなどジエットの一存でどうにかなる話でもない。仮に出来たとしても、相手の機嫌を損ねる可能性は高い。それなら今日の昼食を利用して少しでも話せる関係になった方が、この先に降りかかるかしれないトラブルを軽減できるかもしれない。

 

 そうでも思わなければこの後の食事は喉が通らない気がする――、という半ばヤケになった考えでもあるが。

 

(落ち着け……今の調子なら大丈夫だ。何か途中でトラブルでも起きない限りは……)

 

 切なる願いを強く心に念じながら、ジエットは歩みを進めた。

 

 

 

 

 

 

 

「あれは……」

 

 先頭を歩く銀髪の少女、その足取りが唐突に乱れた。

隣を歩いてフリアーネとジエットは当然それに気づき視線を向ける。銀髪の少女――シャルティアが向ける視線の先には二人もよく知るジエットの幼馴染であるネメル。そしてその隣にも見知った少女が人だかりとなった生徒達の中でこちらを見ていた。

 

(ネメルに、ディモイヤか)

 

 ショートヘアのいかにも活発で幼さを残した少女、学院の情報屋的立場を持つディモイヤ。

ジエットも何度か世話になり、そして逆に情報を提供したり対価を支払ったり、言わば持ちつ持たれつな関係を作っている少女だ。

 ジエットの知り合いというだけあって、ネメルとも面識はある。一緒に食事に来ていたのかもしれない。そんな二人は廊下に立つ周囲の人間と同じような反応――ジエット達の先頭を歩くシャルティア・ブラッドフォールンを、ぽかんとした様子で見つめていた。

 

(……って、え!?)

 

 乱れていた足取りを優雅なものに戻すと、先頭を歩くシャルティアは若干方向を変え一直線にネメルとディモイヤのいる集団へ歩みを向けた。フリアーネはそれを当然のように付き添い、ジエットも慌てて後に続く。

 

(……なんだ? まさかネメルに話しかけるつもりなのか!?)

 

 だとすれば不味い。

ネメルがこの状況でいきなり話しかけられて、満足に応対できるはずがない。数時間前にジエット達教室の生徒が固まったように、ネメルも話しかけられただけで凍り付いてしまうかもしれない。幼馴染であるが故に、その姿が容易に想像できてしまった。

 

 シャルティアが生徒達の集団の前に立つと同時に、固まっていた生徒達が一斉に後ろに下がる。その美しい真紅の瞳が向ける方向、ネメルとディモイヤの立つ場所まであっさりと道が出来上がってしまう。そして笑顔を浮かべてネメルに話しかけた。

 

「ネメルさん……でしたか?」

「は!っはひ!」

 

 ネメルはかろうじて氷像にはならず、なんとか返事を返していた。

その事にホッとしそうになるが、慌ててジエットはネメルの傍まで駆け付ける。ネメルもこちらに気づき「じ、ジエット! ひょっとして……」と、小さな声とともに救いを求めるような視線を向けてきた。そんなネメルに正気を取り戻させるため、やや大きな声でその会話に割って入る。

 

「あ、あぁそうだ、ネメル! お前はちゃんとお礼を言うんだって言ってただろ! この御方が以前俺達を助けてくださった方だ……ほら」

 

 完全に相手に聞こえてしまってるが、気にしてなどいられない。

今は何よりもネメルに喋らせなければならない。ガチガチに固まったネメルの肩を何度か叩いた。幸い相手はこういう反応をされるのは慣れているのか、二人のやり取りを見守るように待っていてくれている。

 

「う、うん……あ、ご、ゴウン様! あの時は、ありがとうござまじだ!」

 

 勢いよく頭を下げたネメルだったが、逆にジエットは天を仰ぎそうになる。

 

 噛んでいる。しかも、伏せているはずの名前『ゴウン様』を大声で言ってしまっている。突然生徒に話しかけたシャルティアによって、周囲の騎士や生徒は押し黙り、廊下は静寂と緊張感に満ちていた。そんな中でネメルはいきなり現れた恩人を目の前にして必死だったのだろう。焚きつけてしまったジエットは壊れた人形の様に、首をギシギシと動かし変わらず微笑んでいる少女へ向けた。

 

「その名前はまだ内緒でお願いします。今はシャルティア・ブラッドフォールンと呼んでください」

 

 人差し指を口に当て、なんでもないことのように笑顔を浮かべるシャルティア。

その反応にほっとするとともに、当然の疑問が浮かんだ。彼女の立場で名前を伏せているのはそれなりの理由がある筈だ。それを生徒たちの前で露見させたというのに、アッサリ許されたことに対する違和感。

 

(ひょっとして『ゴウン』というのも本当の名前じゃない……?)

 

 そうだとすれば納得がいく。

それくらいしか思いつかないと言った方が正しいが。

 

「ところで、そちらの方もお知り合いですか?」

「へ!? あ、あたし!?」 

 

 ネメルから感謝の言葉――盛大に噛んでいたが――を受け取ったシャルティアはネメルの背後で固まったままのディモイヤに声を掛ける。彼女も数時間前のジエットのように、その表情には困惑の色がありありと現れていた。

 

「え、えぇ! 彼女はディモイヤって言います。俺とネメルの友人? ですッ!」

「そうなんですか。宜しければお二人も昼食をご一緒しませんか?」

「え? えぇ? アタシたちが!?」

「壁は……人数は多い方がいいでしょう?」

 

 嬉しそうに提案してくるシャルティア・ブラッドフォールン。

当然拒否権は無い。幸いネメル達二人に食事を終えた様子はないが、仮に済ませた後でも同行してもらうしかなかっただろう。ジエットは大きく頷き、視線を困惑したままの二人に――特にディモイヤへ向ける。『断るなよ』と。

 

「そ、そうですね。人数は多い方が食事も美味しいですよね」

 

 ――喉を通ればですが、という言葉は内心に留める。

迷子の子供のように戸惑った表情を向けてくるネメル。その隣のディモイヤはジエットに強い視線を向けてきた。

 

(ちょっとジエット! 何!? 何これ! 誰!?)

(すまん、断れる状況じゃないんだ。今は黙って付いて来てくれ! 頼む!)

 

 表立って会話をするわけにもいかず、お互い訴えるようなアイコンタクトを交じわらせた。

状況が状況なだけに一瞬で双方の意志は伝わる。ディモイヤは何度か口をパクパクさせていたが、ジエットの懇願するような目に屈したのか軽く制服の襟を正すと、シャルティアへ向けて礼儀正しく自己紹介を始めた。いつもの快活な声は鳴りを潜め、上擦った固い声で別人かと思うほどの変わりようだ。

 ディモイヤのその判断に感謝しつつ、ジエットは隣に立つネメルの肩をポンと叩き、彼女自身が改めて自己紹介できるようにその緊張をほぐしていった。




食堂に辿り着かずに終わってごめんなさい。元々次話と併せての一話だったんす(言い訳)と言う訳で明日も投稿


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『揺れる食堂』

(やっぱりネメル達は用事で来られない……とか言っておけばよかった……)

 

 後で悔いるから後悔という。

仕方ない状況だったとはいえ、隣で固まっている幼馴染を巻き込んでしまった事に心の中で頭を下げた。数分前の自分の判断の誤りを身をもって体験中のジエットは、自分たちの座った場所から見る食堂の様子を見ながらそんなことをぼんやり考えていた。

 

 静かだ。

 

 いつもは『群衆』と言ってもいいほどの生徒達の会話で一杯となる学生食堂。

いつもの時間いつもの場所のはずのそこは、ボソボソと小声がそこかしこで発せられており、やや困惑と混沌、そして一人の姫君――女生徒に多くの生徒が絶句するとともに、目を奪われていた。

 

 そんな食堂の中央、生徒会が事前に用意していた真新しい机と椅子にジエット達は腰かけていた。

 

(よりによってこんな場所ですか……フリアーネ先輩……)

 

 四方八方から注がれる視線、視線、視線。――最早拷問と言ってもいいかもしれない。

特別に用意された大きな丸い机を囲むように一同は座っていた。ジエットの左隣にはおっかなびっくりといった様子のネメル。教室と同じように右側にはシャルティアが座っており、その場所を挟んで貴族令嬢としての微笑みを浮かべたフリアーネ、そしてディモイヤが恨みがましそうな視線をジエットに向けている。

 当然だが周囲の視線は廊下を歩く時よりさらに増えた。大半は当然シャルティアの美しさに対するものだったが、逆に相反する存在を見るような視線が無遠慮にジエットに集中している。

 

 理由はなんとなくわかる。 ――この五人の中でジエットがただ一人の男だからだ。

遠くから顔はわからなくても制服のデザインは男女でかなり違う。五人中一人だけそんな恰好をしていればさぞや目立つことだろう。

 

「シャルティア様、お食事は本当に通常のランチで宜しいのですか? 今からでも特別なものをご用意させて頂く事は可能ですが?」

「ありがとうございます。ですが、生徒達の事情を考慮して無料で提供される食事というものに興味があるので」

 

 すぐ隣では食堂までの道中と変わらず、生徒会長であるフリアーネがホスト役のようにシャルティアと歓談をしている。ジエットは相変わらず学院に関する話を振られて相槌を打つ程度で、緊張で固まっているネメルやディモイヤはほぼ会話に混ざる様子はない。

 その穴を埋めるように積極的に話すフリアーネにジエットは感謝していた。だが、フリアーネが積極的にシャルティアと会話をしているのは、ジエット達のためというわけではないのだろう。生徒会長として同じ生徒を持て成す姿ではなく、貴族として自らより上位の存在を持て成している。いつもの優しい生徒会長ではなく、初めて公爵令嬢としてのフリアーネを見ている気がした。

 

(やっぱり……先輩はシャルティア様がどんな地位にいるのか、知っているのか?)

 

 ジエット達の教室でも、廊下でも、そしてここの食堂においてもシャルティア・ブラッドフォールンが何者であるか知っている人間を、少なくともジエットは見ていない――フールーダ・パラダイン以外は。

 彼らよりもジエットが知っている事といえば、ネメルを助ける際に彼女が魔法を使ったことくらいだ。つまり、彼女は魔法詠唱者(マジックキャスター)ということになる。魔法科に転入したのだから当たり前と言えばそれまでだが。

 

(まさかパラダイン様より実力が上とか、そんなワケないよな……)

 

 ジエットのよく知っている学院始まって以来の天才、自主退学を余儀なくされながらも未だその伝説は学院内に強く残っている女性。そんな人物でも第三位階間近とは言われたが、流石に帝国の英雄(フールーダ・パラダイン)にはまだまだ届かないのだ。それに比べてジエットの隣に座る少女はジエットより少し若い程度か同年代。その可能性は考えられない。

 

 一方フリアーネは教室へ入室した際に、皇帝陛下からシャルティアの学院案内を頼まれたと、そのような事を言っていたはずだ。貴族としては目の前に降って湧いた好機なのだろう。皇帝にごく近い人物、生徒会長という名目をも利用して顔を売っておいて損はない。

 

(後で先輩に相談してみようかな……)

 

 数日前に助けてくれた彼女がジエットの隣の席になったのは偶然なのか、誰かの意図が関係しているのか、せめてそれくらいは知りたい。だがそれを聞いてしまえば、知りたくもない貴族社会の裏話に足を突っ込む危険性もある。そんな話は平民が知ってもどうにもならないし、むしろ知っている部外者など邪魔な存在だ。最悪の想像をしてしまい、ぞわりとジエットの背中を冷や汗が流れ落ちる。

 

(やっぱり止めておこうか……でも身を守るためにも情報は――)

「お待たせいたしました」

 

 ジエットの考え事を断ち切るように、ワゴンに乗ったランチが五人分運ばれてきた。

ワゴンを押してきたのは貴族の家に仕えているようなメイドだ。もちろん普段の学院で見ることはない。フリアーネが事前に手配したのだろう。落ち着いた雰囲気と慣れた様子から、メイドとしての経験が豊富なのだろう。その割には年齢は若く、そして美人だった。

 

「失礼いたします」

 

 当然のように最初にシャルティア、次にフリアーネ、そしてジエット達三人の前に料理が置かれていく。

 

(いつものランチだ……)

 

 目の前に置かれた平凡なランチを見て、感傷にふけるようにそう思った。

いつもは奥の厨房まで受け取りに行く食事をメイドが持ってきた事、そして相変わらず降り注ぐ周囲の視線、さらには一緒に食事をする四人が全員女性といういつもとは違う違和感の中、唯一変わらないはずのランチが逆に奇妙に思えてしまった。

 

 

 

 

 

 

 ♦

 

 

 

 

 

 

 

 

 食事の時間は残念ながらアッサリと終わってしまった。

モモンガとしては雑談を交えながらの学生気分の食事を楽しみたかったのだが、生憎と出遅れたこともあり時間が無い。そのため会話の数は控えめに食事が進んだのは自然な流れだった。

 

 不作法にならない程度に少し急いで食事を終える頃、ジエット達三人は食欲があまりなかったようで半分ほどを残してしまっていた。

 

(おいおい、無理なダイエットでもしてるんじゃないだろうな? なんか顔色も悪い気がするんだけど……)

 

 ランチは無料のせいか、成長期の生徒達が食すにしてはややボリューム不足に思えた。そこからさらに半分残すとなると、ヘタをすれば栄養不足に陥ってしまう。モモンガは特にそういった事に詳しいわけではないが、体がまだ成長途中に栄養を過剰に絶つのはいかがなものかと思う。とはいえまだ初対面と言ってもいい間柄で、そんな事を無遠慮に注意するというのも躊躇われる。

 

 出来るだけ周りから優雅に見えるように意識しつつ、食後のお茶を飲みながらどうやって注意しようか――と考えていると、再びハンゾウから伝言(メッセージ)による報告が送られてきた。

 

「か、会長ぉ!!」

 

 多くの生徒が行き交う出入り口から、血相を変えて全力で走ってくる生徒会所属の男子生徒。異変を察知した周囲の視線が集中する中、モモンガは残り少なくなった紅茶の最後の一口を飲み終える。

 

(来たか……しかし本当に何しに来たんだ? 何人かの職員と何度も話してたようだし視察とかかな?)

「たっ、大変です! 帝国四騎士の方が!」

「四騎士が? ここに? ……誰ですか?」

 

 チラリとモモンガの方を伺う様に報告を聞くフリアーネ。

モモンガは気にしてないですよ、と営業スマイルを向けて答える。何しろ教室を出た段階で()が部下を引き連れて学院を訪れたのはハンゾウの報告でわかっていたのだ。だが流石に食堂に来るのは予想外、しかも今は食事の時間帯で多くの生徒達がいる。

 

(騒ぎになるんじゃないか? いや、実はよくある恒例行事だったりするのかな? 民に対してフレンドリーな支配者アピールとか……)

 

 慌てる生徒から報告を聞くフリアーネの様子に周りも異常に気付いたのだろう。

隣に座るジエットもネメル達も、そして周囲の生徒達も緊迫した空気で男子生徒の声に意識を向けていた。そして食堂出入口のほうから生徒たちのざわめきが上がり、学院の警備をしていた騎士達とは違う鎧を身につけた騎士が数名姿を現した。

 

(あれは確か……ロイヤル……なんだっけ?)

皇室地護兵団(ロイヤル・アース・ガード)……」

「は、はい! 『雷光』のバジウッド様ですッ!」

 

 モモンガ自身も何度も目にした騎士達――名前はうろ覚えだったが――を先導して大柄の顎鬚を生やした騎士がこちらへ向かって歩いて来る。当然食堂内はさざ波のようにざわめきが広がっていく。男子生徒を下がらせたフリアーネは、騎士達を迎えるようにその正面に立った。その背中はまっすぐ伸び、会ったばかりのモモンガにもどことなくカリスマのような物を感じさせる。

 

(うーむ、俺の半分程度の年齢なのに立派だなぁ。会社の社長が来たようなものだと思うんだけど……)

 

 バジウッドの影に隠れている人物に目を向ける。

モモンガには丸わかりだがフリアーネも、たぶん周囲の生徒も気づいていないのだろう。

 

「お久しぶりです、バジウッド・ペシュメル様。おそらく、今日学院にお越しになるというお話は――」

 

 間近で止まった騎士達にフリアーネが頭を下げると、それを止められた。

バジウッドは片手を上げ小さく首を振る。『真っ先に挨拶をするべきなのは自分ではない』と、言外に告げるように。そして騎士達が周りを囲っていた()()()()()()()()()に道を譲るように横へ体をずらした。

 

 その瞬間若く、威厳ある男の声が食堂内に広く、そして確かに響き渡った。

 

「邪魔をしてすまないな、グシモンド家の娘。今日は公務で忙しくてな、どうしてもこの時間しか取れなかったのだ。少しの間だけ彼女の友人として同席させていただけるとありがたいのだが――」

 

 

 ――食堂内の全ての人間が凍り付いた。

 

 あり得ない。

 

 何もなかった空間に突然現れた眉目秀麗な青年の姿を見て、ほぼ全員が同時に抱いた言葉。

 

 多くの臣民からは畏敬の念を抱かれている皇帝。

数多くの貴族を文字通り粛清したことにより『鮮血帝』と、貴族達からは恐れられ、周辺国にまで広くその異名が響き渡る人物。

 

 バハルス帝国現皇帝、ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクス。

 

「シャルティア嬢。入学初日だが如何だろうか? 我が帝国が誇る魔法学院は、気に入っていただけたかな?」

 

 そしてモモンガの方へ真っ先に目を向けると、その支配者に相応しいカリスマに溢れた笑顔を向けてきた。




あーもうめちゃくちゃだよ()

次話→3日後投稿予定


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『魔法学院を訪れる鮮血帝(ジルクニフ)・前』

「皇帝……へい、か……?」

「せ、せん、けつ……てい……」

 

 床に落ちた食器により、まるで悲鳴のような音が食堂内のあちこちで鳴り響く。

だが、誰一人その音に意識を向ける者はいなかった。ジエットもネメルもディモイヤも、そして周囲の生徒達や会長であるフリアーネでさえも。食堂の中央に立つ支配者、そしてその支配者をこともあろうに立たせたまま話す美姫。二人が言葉を交わす姿を呆けた様に見つめていた。

 

「何しに来たの? ()()()()()

「いや、元々今日は抜き打ちで学院の視察をする予定だったのさ。君には話してもいいと思ったんだが、今日から生徒――つまり君は学院関係者となってしまったからね。規則のために話すことは出来なかったんだ。気を悪くさせてしまったかな?」

「少し驚いたけれど現場を見ないとわからないこともあるし、良い事ではないかしら」

「……そ、そう言って貰えると助かるよ」

 

 にこやかに笑顔を交わす二人。

まるで偶然出会った友人同士が気軽に会話をする様子に、その二人――特に青年の地位を一瞬忘れそうになってしまう。だがその青年の地位と権力を理解できない生徒はこの学院には一人もいない。ただあまりの――あまりの異常事態にすべての人間が凍り付いてしまった。

 

「皇帝陛下」

 

 伯爵令嬢という地位を持つフリアーネが、二人の会話が途切れたタイミングでいち早く膝を折る。だが数百にも及ぶ視線が集中する中、皇帝ジルクニフは優雅にそれを手で制した。

 

「バジウッド」

「っは!」

 

 そして隣に立つ帝国が誇る四騎士、その筆頭である大柄な男に合図をする。

 

「帝国魔法学院生徒諸君、おれ――ゴホンッ、私は帝国四騎士を拝命されているバジウッド・ペシュメルだ。そして隣に立つ御方を知らない勉強不足な生徒はいないな? 大変……という言葉では足りないくらい驚いただろうが、今はあくまで御友人と会うためのお忍びとしてここにおられる。諸君らは会話の妨げにならない程度に、普段通りに過ごしてくれれば何も問題は無い。どうかそのまま食事を楽しんでくれ」

 

 静まりかえった食堂の隅々まで響く張りのある声。

バジウッドは一息つくと『これで宜しいですか?』と、言いたげな苦笑いをジルクニフへ向けた。

 

「――ということなんだが、構わないかな? 生徒会長殿」

「……畏まりました。陛下の仰せのままに」

 

 無理だッ!

 

 ニコリと微笑む皇帝に物怖じせず、生徒を代表する生徒会長は笑顔で頭を下げたが、ジエットを含めて固まったままの他の生徒達は嗚咽するような絶叫を上げた。もちろん声は一切発することなく、心の中に必死に押し止めて。

 

 バハルス帝国現皇帝、ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクス

 

 若くして皇帝に即位し、すぐに親族である母親と兄弟たちを次々に粛清、反対勢力の有力貴族達を騎士団を使い一掃。無能な貴族達から地位を剥奪した人物。それ故に鮮血帝と恐れられ、その後様々な改革を行いこの帝国最高位の地位に立つ支配者。そんな人物が普段利用する食堂にいる光景に、全員が信じがたい幻を見るような視線のまま動けなかった。

 

 当然ジエットも。

 

「ふむ、それが君の用意した制服か……よく似合っているよ」

 

 シャルティアの容姿を一通り確認するように見つめ、まるで美術品のように褒めるジルクニフ。

その視線の中に男としての劣情は一切見られない。他の生徒達の反応とは全く比較にならない、統治者として相応しい余裕の態度に満ちていた。

 

「少し話しておかなくてはならない事もあってね。もう食事は済ませているようだが、座らせてもらっていいかな? シャルティア嬢」

「もちろん」

(な、な――ななッなななん――!)

 

 目の前で繰り広げられる会話を前に、ようやく我を取り戻す。

貴族達から鮮血帝と呼ばれ恐れられる皇帝と、同じテーブルを囲む? 誰が? 自分達が?

 我に返ったはずがそのまま思考の渦にのみ込まれそうになる。体は硬直したまま椅子から一歩も動けない。だが、僅かに残った冷静な思考も絶対に動くわけにはいかないと告げる。目の前に恐ろしいモンスターが現れたような、今すぐ逃げ出したいという恐怖心。だがその心のまま動いた結果がどうなるか――そんなことを知りたがる蛮勇は持っていない。

 

 そして目の前の皇帝は用意された椅子にゆっくりと腰かけると同時に、ジエット達の方へ初めて視線を投げかけてきた。その瞳には興味の色が漂っており、友好的な笑みを向けてくる。

 

「友人かな?」

 

 ――ちッ違います! 偶然一緒に食事をしているだけのどこにでもいる平民ですッ! どうかお気になさらず!!

 

 危機を訴える本能が首を全力で左右に振りそうになるが、寸前で押し止める。

そんな事をすれば今この場で頭と胴体が別れてしまう。目の前に座った人物は合図一つでそんなことさえできる絶対的な地位を持つ、この国唯一の人間なのだから。

 

「えぇ、顔を青くしている少年が教室で隣の席になったジエット君。その幼馴染で震えている女の子がネメルさん。ショートヘアで白目をむいているのがお二人の友人のディモイヤさん」

(うわぁああああああああ!)

 

 シャルティアのあまりにも正確な紹介の仕方に、ジエットは獣のような悲鳴をあげそうになる。

その表情に陰険や邪悪なものは一切ない。むしろニコニコと心底楽し気な雰囲気すら放っている。だが、それを聞いた鮮血帝がどのような行動に出るかという恐怖、座っている椅子から後ろが突然崖になったような、そんな死の一歩手前の戦慄が背中を駆け巡る。

 

 思わず助けを求めるように視線を横に向け、ネメルを見た瞬間――恐怖に染まっていた頭が真っ白になった。初めて見る幼馴染の恐怖と戸惑いの表情、そして紹介された通り小刻みに肩が震えている。その姿を見てジエットの心に冷たいモノが降り注いだ。

 

 ――気づけば椅子から勢いよく立ち上がり、深々と頭を下げていた。

 

「おッ! お初にお目にかかります皇帝陛下! ご紹介に与りましたジエット・テスタニアと申します。わ、私たちは三人とも魔法科所属で将来は国の行政機関、自分などは騎士団への所属を目指しております。……い、今は若輩の身ではありますが、将来は騎士団の一員として帝国の……陛下のために尽くしたいと思っております! 」

 

 机を囲う五人に加え、食堂中の視線がジエットに集中した気がする。

ゴクリとつばを飲み込む。緊張のあまり崩れ落ちたい衝動に駆られるが、震える足に気力を注ぎ込む。まだ学生のため敬礼はあえてせず、その代わりゆっくり頭を上げるとまっすぐ相手を――皇帝を見た。容姿端麗という言葉をそのまま体現したような金髪の青年。その口が「ほぅ……」と、小さく動いた気がした。濃い紫色の瞳が観察するようにジエットの全身に視線を走らせている。

 

「……そうか、君のような向上心のある学生がいる事は私にとっても非常に喜ばしい事だ。その気概があれば今すぐにでも騎士団の訓練に耐えられるんじゃないか? バジウッド、どう思う?」

「えぇ!? ここで俺にフリますか? 度胸はありそうですが、まだ体が出来上がってない年齢ですからね。今の段階で騎士団の訓練施設に連れて行ったら体が壊れちまいますよ」

「そうか……それは残念だ。ジエット・テスタニア――その名前、将来を楽しみに今は覚えておくだけとしよう」

「あ、ありがとうございます! 光栄です」

 

 皇帝が機嫌良さげにニコリと微笑み、ジエットに座るように諭してきた。

心の底から湧き立つ安堵により、全身から力が抜けそうになる。勢いよく座りそうになるのをなんとか押し止め、冷や汗を流しながら静かに、大きな音をたてないようにゆっくりと腰を下ろした。

 

 ――た、助かった。

 

 壊れた人形の様に椅子に全身を預ける。

力を抜くと同時にドクンドクンと、心臓が体の中で跳ね回っていたことに今更気づき、なんとかそれを抑え込もうと大きく、静かに息を吐き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ♦

 

 

 

 

 

 

 

(すごいな、もうジエット先輩と呼んだ方がいいんじゃないか? 実際この学院では先輩だし)

 

 ジルクニフに対するジエットの挨拶を見守っていたモモンガは、内心で彼に拍手を送っていた。

少なくとも鈴木悟が彼くらいの年齢だった時、あのように目上の――それも社長や国の権力者相手にまともに挨拶ができただろうか?

 

(まぁ……たぶん無理だよな)

 

 会社の上役や取引先を相手にプレゼンを成功させたことは何度もある。

ただそれは前提として十分な資料、加えて脳内シミュレーションを何度も何度も重ねた結果成果を出してきたもの。想定外の、いわゆるイレギュラーな質問や事態には鈴木悟はトンと弱かった。

 

 今回もモモンガはあらかじめジルクニフが来ることはわかっていたが、ジエットからすれば突然この国の皇帝が目の前に現れたのだ。鈴木悟が逆の立場だった場合、緊張のあまり言葉がつっかえてしまっただろう。今でこそ『精神の安定化』という体質を手に入れたが、本来の一般人的なサラリーマン気質ではガチガチに緊張してしまい、上手く喋れる自信は皆無だった。

 

(ジエットといい、フリアーネといい、そしてジルクニフといい、本来みんな俺より年下のハズなんだけどなぁ。なんか才能とか生まれの差を見せつけられてる気分で、少し落ち込むなぁ……ハァ~)

 

「さて話は戻るがシャルティア嬢、まだ初日だが学院の感想はどうかな? 何か不便なことがあれば優先して対処するが?」

(おっと、いかんいかん落ち着け。ジルクニフには世話になってるんだ。大人げない嫉妬心ではなく、社会人として友好的に接しなければ!)

 

 ジエットを座らせ用意された茶を一口含むと、改めてこちらに向き直ったジルクニフ。

 

 その一連の動きだけでも、彼の支配者としての余裕と威厳を感じさせる。

相変わらずの好青年スマイルに加えて、今回は溢れ出すカリスマ性もその笑顔に含まれている気がした。色んな意味で少し嫉妬を覚えそうになるが、モモンガの唯一の武器と言ってもいい社会人的営業スマイルでそれを隠しつつ、相手を安心させるように首を振った。

 

「特に問題になりそうなことは……印象に残った事といえばクラス全員が勉強熱心で、休憩時間も雑談を一切せずに自習に励んでいたことかしら」

「ほう、確かジエット・テスタニアも同じクラスだったかな。なるほど、君と彼のいるクラスはみな努力家なのだな。私としても先が楽しみだよ」

 

 モモンガも前の世界ではそれなりに苦労と努力をしてきたつもりだが、今日の教室の様子を見ていると少し頭が下がってしまう。だが、クラスメイトに話しかけづらい状況は、『人脈を作る』というモモンガの目標にはどうしても障害になってしまうだろう。彼らの努力を邪魔せず、それでいて仲良くなるにはどうすればいいのか。フールーダにでも相談するべきかもしれない。

 

(いや、でもフールーダって友達少なそうだよな……魔法オタクというかなんというか……)

 

 本人に直接訪ねた訳でもないし、ただのモモンガの偏見かもしれないが、ああいった天才は弟子や教え子はいても友達がいない気がした。




ジエット君が頑張ったせいで食堂談話が長くなり過ぎました(まだ助かってないぞ?)というわけで二分割なんじゃ


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『魔法学院を訪れる鮮血帝(ジルクニフ)・後』

食堂(ここ)のランチは如何だっただろうか? あえて無料のランチを注文したと聞いたが?」

「えぇ、興味があったから。栄養も考えられた良いメニューだけれど、量は少し足りないのではない?」

「そうか……この食堂には優先して食料を回しているんだが……この後厨房も視察予定なので見ておくようにしよう」

(そう言えば少し食料が不足してるんだったな。他国から買い入れるから大丈夫とは言ってたけど、その辺りで借りを返してもいいかもしれないな)

 

 僅かに眉間に皺を寄せたジルクニフの苦労はわからない、モモンガは一般人なのだから。

それでも『衣食住』が人の生活に重要なことくらいはわかる。彼の苦労を軽減するためにもその一つでモモンガが力になれることがあるのではないか。

 

(アンデッドに開墾作業とかやらせればいいんだろうけど、ズーラーノーンがまだあるからなぁ。でも確か魔法省でアンデッドの実験をしているってフールーダが言ってたし、その辺りは大丈夫なんじゃないか?)

 

「それとドラゴンについてなのだが――」

 

 考えに沈みそうになったところでジルクニフの真剣な声が思考を引き上げた。

直ぐに良い案も思いつきそうにはないので、そのまま相手との会話へ意識を戻す。

 

「君の配下であるヘジンマールから聞いたのだが、彼の親にあたるドラゴンが一番大きいそうだね。空輸できる量がどれほどか一度担当の文官に見せたいんだが、可能だろうか?」

「一番大きいとなるとオラサーダルクね、()()に呼べばいい?」

「……い、いや、それだと流石に騒ぎになるのでね。明日にでも帝都から少し離れた場所を用意するとしよう」

 

 一瞬ジルクニフが小刻みに震えたように見えたは気のせいだろうか?

 

(もしかしてまだ体調が悪いのか? ……今日帰って話せる機会があれば、少し注意してあげた方がいいかもしれないな)

 

 帝都に着いてまだ数日、未だにモモンガ一行はジルクニフの城で厄介になっている。

ヘジンマールは本の虫――もとい、本のドラゴンとして城の書物を読みふけっており、ブレインは騎士との模擬戦を夜遅くまで、ハムスケは野生を忘れただらしない生活を送っている。

 

 控えめに言っても居候という身分、これもこれで大きな問題と言えた。

 

(学院にも入学できたんだし早めに家か宿かを見つけた方がいいだろうな。お金はソコソコあるんだし)

 

 特に四六時中ゴロゴロしているハムスケが問題だ。

一応ブレインと一緒に騎士と手合わせをする時間はあるが、それ以外はほぼ食っちゃ寝というニート一歩手前の状態。それを見るたびに飼い主であるモモンガとしては、周囲の視線がどんどん冷たいものに変わっていく気がして内心ビクビクしてしまう。

 

 これでは居候どころかペットも含めてヒモ生活と言われても否定できない。

 

「――その話も含めて学院が終わった後の事なんだが、少し時間を貰えないかな? 君に少しプレゼントもあってね」

(え……? プレゼント?)

 

 これ以上ジルクニフから何かを貰っては逆に困る気がする。

世話になりっぱなしという理由もあるが、なんだか男が男に貢がれているような気がして少し引いてしまう。ジルクニフにそんな気はなくとも、モモンガが勝手にそう思ってしまうだけだが。

 

「ささやかだが元貴族の住まいをね。勿論君が気に入ればなんだが……」

「貴族の……屋敷? でも、ジルクニフ――」

「むろん遠慮はしなくていいさ! なにせ貴族を粛清した結果空き家となってしまった屋敷が多くてね。むしろ貰ってくれた方がこちらとしては助かるんだ。いくつか候補があるんだが、ひとまず見るだけでもどうだろう?」

「……とりあえず見るだけなら」

「感謝するよ。よし、ロウネ!」

「はっ! ブラッドフォールン様、こちらを――」

 

 困った笑みを浮かべて断ろうとしたモモンガだったが、相手の言い分にノーと言えない雰囲気を感じて思わず頷いてしまう。そして前に進み出てきたジルフニクの秘書官、ロウネがモモンガになにやら書類を手渡してきた。見ればやたら大きな家のスケッチと図面、そして見取り図と詳細な説明が記載されている。

 

(ま、まぁ見るだけだし……見た後断ればいいし……)

 

 物件パンフレットから目を上げれば、どこかホッとしたように見えるジルクニフ。

その姿にほんの少しだが罪悪感を感じてしまう。モモンガが屋敷を貰う事で彼が少しでも助かるのならと、そんな気分にもなってしまう。

 

(空き家の管理が大変ということか? 大勢粛清したのなら屋敷も相応に多いのだろうし、立派で広い屋敷なら壊すのにも手間や金がかかるってことかな?)

 

 そういった理由があるのなら、貰ってもいいのかもしれない。

流石に管理費用や生活資金は自腹で出せる、と思う。それに自分で探すとなるとその辺りに詳しい人間を見つけるところから始めなければならない。フールーダやレイナースがその辺りに詳しいか、と聞かれれば若干不安がある。

 

「いや、本当に助かるよ。そうなると君のために何人か用意せねばならないな。爺……フールーダにそのアテがあるとは思えないし、私に任せてもらっていいかな?」

「……ええ、ではその辺りの事もジルクニフにお任せします」

 

 庭師とか管理人とかかな? と、庶民的感覚からいまいち抜け出せない思考でジルクニフに丸投げする。モモンガ自身も気を付けてはいるが、女王なんて口だけでその辺りのことはさっぱり分からない。

 

「いや構わないとも、綺麗どころの執事を多く用意するとしよう」

 

 ――あー、そっちの意味か……。

 

 嬉しそうなジルクニフの笑顔と反対にモモンガは少しゲンナリする、もちろん表には出さずに。同時に想像してみる、屋敷で暮らすシャルティアとそれを世話する若い執事の姿を。

 

(まぁアリと言えばアリだけど……シャルティアの設定は世話をさせる側っぽかったしな。でも俺としてはな)

 

 正直――何が悲しくて男に世話をされなければならないのか、とは思う。

別に女に飢えているわけではない。そもそもその辺りの感覚はこの体になって鈍っているが、シャルティアには主に吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)が付き従っていた。

 ナザリック自体も基本的に四十人以上のメイド達が掃除などをこなしており、男性使用人も当然いたが、メイドよりはかなり少なく調理などの裏方的役割をあてられていた――あと餡ころもっちもちによって妙な設定にされたペンギンもいたが。

 

 それに友人の娘に似た感情を持つこの体(シャルティア)の傍に、若い男を置くのも少し抵抗がある。

『交際の前にまずは交換日記から』などと時代錯誤なことを言うつもりはないが、そういうのはもっと成長してからにして欲しい。モモンガという意識がある以上、その心配はしなくていいのだが。

 

「……ひょっとして同じ女性――メイドの方が良かったかな?」

 

 思わず俯いて考え込んでしまった顔を上げると、怪訝な様子で問いかけてくるジルフニクがいた。

 

「そうね……男性が近くにいるのは、ちょっと遠慮したいかなって」

 

 ――え?

 

 ジルフニクとモモンガの声以外、シンと静まり返っていた食堂に初めてそれ以外の声が流れた。まるで食堂内の空気が揺れたような感覚。モモンガにもそれは感じられ、失言してしまったのかと焦りが生まれる。

 

(あ……人脈を作るつもりだったのに、男を遠慮したいとか言っちゃ駄目じゃん……)

 

 魔法学院はやはりと言うべきか、生徒の男女比が男に傾いている。

現実にモンスターが蔓延る世界ともなれば、戦える者を優先するために自然とそうなるのだろう。見た目は美少女(シャルティア)でも中身は男なのだ。男は意外と女の何気ない一言で傷ついてしまう。それが美少女であればあるほど精神的ダメージは大きくなる。

 例えば職場で男達の憧れを集める未婚女性に「あなた近寄らないで」と言われてしまった場合、モモンガは半年はブルーになってしまう自信がある――その間も仕事はこなすだろうが――その場に他の同僚がいれば精神的ダメージは倍増、メンタルが大変危険な状態になってしまうだろう。

 

 静寂に包まれた食堂で誤魔化すようにカップに口をつけた。

チラリと周囲に視線を走らせる。正面のジルクニフは笑顔のまま固まっており、その後ろにいるフリアーネは丸く開いた口に手を当てている。横目で見ればジエットもネメルもディモイヤも、三人共虚を突かれたように微動だにしない。周囲のこちらを伺う様に見ていた生徒達も同じような反応だ。

 

「す……少し緊張してしまいますから」

 

 カップから口を離すと同時に、なんとか繕う様に言い訳をこぼす。

 

 内心ビクビクしながら、やってしまったか? という心境だ。

だが目の前のジルクニフの固まっていた顔はすぐに解け、笑顔のまま陽気な声が返ってきた。

 

「あぁ! そうか、そうだな。……いや、こちらの配慮が至らず申し訳ない。もちろん信頼のおける執事を紹介するつもりだったのだが、()()()()()()()なら同性の女性の方が気が休まるだろうな」

「え、えぇ。そうなります、ね」

 

 同性、という言葉に若干の違和感を感じつつも頷いておく。

ジルクニフが再起動するのと同時に、食堂内を包んでいた空気も若干柔らかいものになった気がする。

 

「承知した、君に似合うメイドを見繕うとしよう。……そういえば、女性と言えばレイナースは今席を外しているのかな? 学院には彼女が護衛役として君に同行すると聞いたのだが?」

「あぁ、それはここに来た時のジルクニフと同じね」

「ここに来た……私? あぁ、なるほど。それならば問題は無い……か」

 

 椅子に座るモモンガの背後で透明化しているレイナース、未だ誰にも感知はされた様子はない。

彼女が透明化しているのは護衛という目的もあるが、それを見破れる相手を見極めるための囮でもある。なので特に隠す必要もなくジルクニフへ告げておく。

 ジルクニフは背後の騎士達へ睨む様な視線を投げ、その後食堂の壁にかかった時計を確認するとおもむろに椅子から立ち上がった。

 

「少し話し込んでしまったね。そろそろ午後の授業が始まるだろうし、私もこの辺りで視察の続きに戻るとしよう」

「そう。編入初日から授業を怠けるのも気が引けるし、私たちも教室に戻るとしましょう」

「え、は、はい!」

 

 横で固まっていた三人へ順番に視線を投げかけ、特に意味はないが同じクラスのジエットに冗談交じりで笑いかける。ジルクニフに挨拶した後、壊れた玩具の様に一切動かなかった彼の表情が動き始めた。彼の友人である他の二人は――極度の緊張のためか未だに再起動する気配はない。

 

「……ジルクニフ」

「あぁ、何かな?」

「忙しい中会いに来てくれたのは嬉しいけれど、次はもっと周りに配慮してくれると良いかな」

 

 忙しい中わざわざ会いに来てくれたジルクニフを責めるつもりはない。

だが改めて食堂を見回してみると、ネメル達のように顔色の悪いまま固まった生徒がほとんどだ。現場視察という本当に忙しい中、編入初日のモモンガを心配して仕事の合間に会いに来てくれたのかもしれない。実際に彼には助けられてばかりなのであまり強くは言えないが、モモンガの友人――候補達が勉学に支障の出ない範囲で動いてもらいたい。

 

「確かに、言い訳は色々あるが確かに配慮が欠けていたな。すまない、次に来るときはもっと気を付けるとしよう。そちらの二人――……ジエット・テスタニア、そちらの女性二人にすまなかったと伝えておいてくれるかな?」

「そ、そんな! とんでもありませんッ!」

 

 ネメルとディモイヤに反応が無いことを確認すると、その隣に座るジエットに謝罪の言葉を伝えるジルクニフ。ジエットは慌てて立ち上がると、机にぶつける寸前まで頭を勢いよく下げていた。そのやり取りを見て謝るときでもカリスマに溢れてるなぁ、と若干の嫉妬混じりに感心してしまった。




モモンガさんはもうジルクニフとある程度親しいつもりなので、生徒達よりもタメ口気味で書いてます。周りはなんで??とか思ってそう。

次はジル君のフレンドリー反応


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『不機嫌な皇帝(ジルクニフ)

 騎士が先導する馬車が五台、帝都の石畳を走る。

その周囲を多くの馬に跨った騎士が併走し、目ざとい通行人はその外見と護衛の規模から――いや、そうでなくともその仰々しい姿に即座に道を譲る。

 どの馬車も豪華な装飾と力強いスレイプニールに引かれ、平民は勿論そこいらの貴族では届かないほどの相応の地位にいる人物が乗っているのは間違いない。何人かは馬車本体の揺れが少ない事を見抜き、卒倒するほどの金額が必要なマジックアイテムが使われているのではないかという疑念を持つ。

 

 そしてそれは事実だ。

他の馬車に囲まれるように走る中央の一台、そこに座る男がこのバハルス帝国の皇帝。鮮血帝ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクス。

 

 彼は今――

 

 

 

(クソッ! 何なんだ、あの余裕の笑みは!)

 

 非常に機嫌が悪かった。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 ――おい! 誰か、話しかけてくれ。

 

 ジルクニフと同乗するバジウッド、文官であるロウネとその部下達が顔を見合わせ、お互いの意志を確認する。そしてどうしたものかと全員がソファに体を沈めた。彼らの仕える主である皇帝ジルクニフ、彼は無言のまま眉間に皺をよせ不機嫌なオーラを放っていた。魔法学院の視察――という建前の下に行われたシャルティア・ブラッドフォールン・アインズ・ウール・ゴウンと学院関係者への牽制。

 

 おそらくそれが上手くいかなかった、と自分達の主人は考えている。

 

 ひょっとすると上手くいかなかったどころか、悪い方向に進んだと考えているのではないか?

そんな不安が他の者達の胸中に浮かんでいた。

 

「あ、あの陛下?」

「……なんだ?」

 

 観念して代表するように声を掛けたバジウッドに、底冷えするような声で返事が返ってきた。

誰の声だ――と、一瞬思ってしまう。ジルクニフに相当長く仕えてきたバジウッド自身、主の機嫌が多少悪い姿くらいなら何度か目にした事はある。だが不機嫌の塊のような、眉間に大きな皺を寄せて部下を睨む主人を見るのは初めてだった。

 

「その……上手くいかなかったんですかい?」

「……それはまだわからん。周りの反応次第だが、まぁ上手くいったとしても時間稼ぎと保険程度がせいぜいだ。根本的解決策は……あると言えばあるが今はまだ無理だな」

 

 どういう反応を返せばいいのか、近くの文官達が困惑したように顔を見合わせた。

バジウッドも同じ気持ちだ。続く言葉は当然決まっている。

 

「それじゃあ、その……なんでそんな不機嫌なので?」

「……気に入らないだけだ。待ってましたと言わんばかりのあの態度。こちらの思惑通りジエット・テスタニアと友人にはなっていたが、あれもこちらの手を楽しんでるフシがある。こちらが用意したテスタニアとグシモンド家の娘以外、何の権力もない家の者達を『友人』だと、わざわざ嬉しそうに紹介する辺り趣味が悪いとしか言えん」

「は……はぁ」

「全くッ!……私の嫌いな女を二人合わせたような奴だ!!」

 

 ドンッ! ――窓を強く叩き悔しそうに歯を噛みしめるジルクニフ。

 

 これほど感情を露にする皇帝を初めて見たバジウッドは困惑し、周りの者達も同じ感想を抱く。

学院への抜き打ちの視察など、当然予定はされていなかった。今までもそういった事は行っているが、せいぜいジルクニフやフールーダの部下が足を運ぶ程度。ましてや皇帝本人が直々に生徒達が利用している食堂に足を延ばすなど、文字通り前代未聞と言ってもいい。

 そんな周囲が騒然とした中で友人の様に会話を交わすのが今回の目的だった。皇帝とただならぬ関係にある美しい少女。ジルクニフとしては不本意だが、ロクシーのような愛妾と勘違いする人間もいるだろう。あるいは――ジルクニフは絶対に嫌がるだろうが、突如現れた正妃候補。そんな可能性のある女性においそれと欲望の目を向ける男は、ただの馬鹿か命知らずの馬鹿だけになる。

 

 これで少なくとも無謀な好奇心で生徒が彼女に近づき、その力が暴発する可能性は最小限に抑えられた。今日帰った貴族家の跡取りは実家へ急ぎの手紙を書くなり、親に直接会える者は指示を仰ぐことになるだろう。そして学院を舞台として情報収集という名の貴族同士の争いが起こる。

 

「ですがそれは、上手くいってるって事なのでは? 平民しか周りにいないわけですし……」

「今はな、時間の問題だ。まだ周りの者達はあの女がどういう力を持っているか知らずに、ただ美しく眩しい宝石に驚いて距離を取っているだけだ。その価値に気づけば、貴族共が蜜に群がる蟻のようになるだろう」

 

 有利になるのは皇室地護兵団(ロイヤル・アース・ガード)と繋がりのある者だろう。

西門でフールーダが若返った件は当然箝口令を敷いているが、秘密というのものは何処からか必ず漏れてしまう物だ。

 

 そして若返ったフールーダが城で騒ぎを起こしたのも、今更ながら頭の痛い問題だ。

あれでいくらかの貴族にはおおよその概要を把握されたかもしれない。どのみち隠し通せるものではないが、聡い貴族がその中にいればジルクニフにとって厄介な行動に出る恐れもある。

 

「貴族共にはお互いに足を引っ張り合って時間を稼いでほしいものだが……」

「ですが、ブラッドフォールン様が――いえ、あの女の方から貴族に近づくという可能性はないのですか?」

「いや、今日の様子を見る限りそれはない」

 

 恐る恐るといった風に問いかけた秘書官にジルクニフは顔を向ける。

その瞳には少しだけ温かみが戻り、声もいつもの調子に戻っていた。

 

「言っただろう、あの女は楽しんでいると。私を含めた周囲が慌てているさまを見て楽しんでいるんだ。あの美貌だぞ! 甘えた声を一つかけるだけで、どんな地位を持つ貴族の跡継ぎだろうが従順になる。それを未だにせず、平民同然の者達を連れて食事をするなど余裕の表れだ」

「で、ですが食堂では、男は遠慮したいなどと――」

 

 慌てて口を挟んだ文官をジルクニフは馬鹿を見る目で睨みつける。

 

「あの言葉を信じたのか? 若返りの奇跡が使える化け物だぞ? アレは純情なフリをして有力貴族を釣るための撒き餌だ。あの場を利用して生徒達に男慣れしていない無垢な姫を演じてみせた。こちらはまんまと利用されたというわけだ」

「そんな……」

 

 ふぅ、と息を一つ吐きジルクニフは自嘲げに笑う。

 

「あの女の事は今はいい、この借りはその内足払いの一つでも掛けて返すとしよう……それよりもだ。バジウッド、食堂であの女の周りにレイナースの気配を感じたか?」

 

 不機嫌は視線はなりを潜め、真剣な問いかけをバジウッドに投げかけるジルクニフ。

その瞳にはバジウッドが首を縦に振る事への期待が宿っている。バジウッドは一瞬迷うが、嘘を言ってもどうにもならないと思いなおし正直に首を振った。

 

「すいません、全く感じませんでした。見慣れた相手ならなんとなく察せると思うんですが、見えないだけでなくてその辺りも対策してるのかもしれませんね」

「そうか……もし仮にあの女が私に暗殺者を仕向けてきたら防げない、だろうな」

「陛下、それは――」

 

 早計では? そう続けるつもりだった文官が口をつぐむ。

 

 帝国皇帝の居城、いまここからでも見える帝都の中央に建つその城にはそれなりの安全対策がされている。皇帝ジルクニフが普段生活をする区画などは、選りすぐりの魔法技術が使われており、その技術自体が国の宝と言ってもいいほどだ。それを全て通り抜け、皇帝の首を取りに来るなど考えられない――とは言えない。

 

「すまんな、直接的に言い過ぎた。だが予想はできていた事だな、そうだろう?」

 

 おどけるように肩をすくめるジルクニフ。

その姿には全員が頷くしかなかった。色濃く蘇る記憶はフールーダ・パラダインの若返った姿。その奇跡を起こした本人の言った通り、数日で元の姿に戻ってしまった。だが、その経緯を全て知る者の記憶には、大きな杭が撃ち込まれたように強く刻まれている。

 

「まぁ今は心配する必要はない。今私を殺すことであの女が得をすることはない」

 

 ジルクニフは息を一つ吐くと、顔を上げる。その表情はいつもの支配者然としたものに戻っていた。

 

「それと、学院長の件だが何かわかったか?」

 

 ――それは魔法学院に到着する前。

 

 移動する馬車内で準備を進めていた一行に伝言(メッセージ)で急報が入った。魔法学院長が実験室内で倒れているのが発見されたという知らせ。タイミングがタイミングだけに一行は慌てたが、魔法学院に到着すると同時にただの魔力切れとの報告が入った。

 

 馬車内にいる者の中で、その件を調査していた文官が声を上げる。

 

「既に意識を取り戻されていますが、やはりただの実験による魔力切れと仰られているそうです」

「……」

 

 その文官の返答にジルクニフは口を曲げ、再びピリピリした視線を文官にぶつけた。

 

「……今朝シャルティア嬢と面会した際、多少時間が掛かったそうだな? 具体的に何があって遅れたんだ?」

「い、いえ。それはただ、フールーダ様がブラッドフォールン様の素晴らしさを延々と語ってしまったせいだと聞いていますが」

「……学院長は既にあちら側かもしれないな」

 

 ジルクニフの漏らした一言に、ざわりと馬車内の空気が揺らぐ。

 

「それは本当ですかい? 陛下?」

「この国の魔法技術に従事する者でフールーダを尊敬していない人間はほぼいないだろう? そんなフールーダが師として仰ぐというだけで、貴族共はもちろん魔法技術に携わる者も注目するのは間違いない。……やはりフールーダを取られただけでも不味すぎるな」

「では、魔力切れで倒れたというのは……」

「さてな。だが、フールーダほどではないにしろ、学院長も年齢相応の魔法技術は会得しているのだろう? それが部屋で魔力切れを起こすほどの何かをしていた……解せないな」

 

 顎に添えていた手を離し、報告を上げた文官に再び視線を投げるジルクニフ。

文官の男はその視線の意味に気づくと大きく頭を下げた。

 

「も、申し訳ありません。お年を召しているという事もあり、直接本人には確認しておりませんでした!」

「そうか、まぁいい。どうせ学院長に限らず、遅かれ早かれあの女の下に多くの人材が集うのは間違いない。あのグシモンド家の娘も何か切っ掛けがあれば、すぐそうなるかもしれんしな」

「……それって止められないんですかい? 陛下」

 

 ジルクニフは面白くなさそうに自嘲げに笑う。

人によっては手を上げて降参のポーズに見えただろう。実際バジウッドにはそう見えなくもなかった。

 

「今はまだあの女も遊んでる段階だ。その間にできるだけ情報を集めるとしよう」

「情報ですか?」

「さしあたっては実際の戦闘力だな。あと弱点がわかればなおいいが、あの頭の良さではあったとしても簡単には見せてくれまい」

「確かに……実際山を吹き飛ばす姿は、俺達どころか銀糸鳥も見てませんからね」

「フールーダが師事した時点でそれは疑ってないがな。とりあえずバジウッド、お前にこの件で少し働いてもらおう」

「……え゛!」

 

 思わず目を丸くして自らの主人を凝視するバジウッド。

ジルクニフより遥かに大きいその巨体の彼だが、言われた言葉によりその背中が目に見えて小さくなっていく。そんな彼を見てジルクニフは思わず面白いものを見るような目を向けた。

 

「そんな怯えた顔をするな。お前がそんな顔をしても逆に不気味なだけだぞ」

「……冗談きついですよ、陛下」

「別にお前にあの女と戦って貰おうなどと言うつもりはない。エ・ランテルについて調べていた情報の中に興味深いものがあってな――」




ジル君の頭の中ではモモンガ様が学院の女王様やアイドルになる未来が見えているのかな?

でもまぁ実際書籍版アインズ様はアイドル向きの設定ですよね
お○○もう○○もしないし、男と付き合ってしまう心配もないしさらに一生未経験!


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『長い夜の始まり』

1話4,5千文字程度とはいえ、10話目になっても一日が終わってない作品。まだ終わってないんだよジエット君


 ――リーン、ゴーン――

 

 (やっと終わった……)

 

 昼休みを告げる鈴の音の時も同じ事を思った気がする。

だが、今この教室に張り詰めている空気はあの時以上のモノ。特に教卓によりかかり、ジエットの隣の席へ向けて強張った顔を向ける教師の緊迫感はどれほどのものか。

 

「で、では本日の授業は……これで最後になります。ご清聴……ありがとうございました」

 

 青白くなった顔をゆっくり下げた後、ヨタヨタとした足取りで廊下へ出て行く教師。

見送る生徒はみな憐れむ様な、同情するような目をしている。当然ジエットもだ。

 

(明日から……どうなるんだこれ……)

 

 午前だけでも異様な緊迫感に包まれた教室。

それが昼食の事件で一気に膨らみ、学園全体を包み込んでいるのをジエット達生徒は肌で感じており、どうしようもない不安に襲われていた。

 

 

 

 


 

 

 

 昼の授業開始は若干遅れてしまった。

ネメル達に正気を取り戻させて、彼女達の教室まで連れて行ったジエット。シャルティアも当然のようにそれに付き添い、二人そろって授業に遅刻することになってしまった。だが遅刻したのはジエット達だけではなく、他の顔色の悪い生徒達も、そして各教室の教師陣も数分遅れで教室に駆け込み授業開始となった。

 

 午前の授業だけでも限界まで張りつめていた教室の空気だったが、午後はその限界を突き破ったものとなった。特に皇帝自らの視察に震え上がった教師陣と、あの食堂の光景――シャルティア・ブラッドフォールンと皇帝との『会談』を目にした生徒達の緊迫感は計り知れない。

 

 わかっていた。なにせ彼女は皇帝の紹介で今この学院にいる。面識があるのは当たり前、むしろないとおかしい位だ。だがあの光景はそれ以上の激震を学院中にもたらした。あの皇帝――多くの貴族の首を刎ね『鮮血帝』と恐れられる人物と、まるで友人のように親し気に話す姿は一体何なのか。美しさもさることながら、その光景はすべての学院関係者に衝撃を与えていた。

 

「あの……ジエット君?」

 

 教員が退出した教室内に澄んだ声が響く。

昼休みの時以上に空気が張り詰めたのをジエットは感じた。そしてその声が再び自分に向けられている事に、最早どうしようもない諦めの感情が生まれる。

 

「は、はい。なんでしょうか?」

「最後の授業が終われば、もう帰宅してもいいのでしょうか?」

 

 すぐ隣で小首を傾げながら問いかけてくる銀髪の美姫。

サラサラ揺れる銀髪とルビーのような瞳、そして若干揺れる胸を目にした瞬間心臓が高鳴りそうになる。

 

「そッ! そ、そうですね。ですがシャルティア様は、フリ――生徒会長が学院の案内のために迎えに来られると思いますから、今日はこのまま待っておくのが良いかと……」

「良ければジエット君もご一緒しませんか?」

 

 慎んで遠慮します。

 

 と、素直に言えればどれほど気が楽だろうか?

だが本当に断らなければならない事情がジエットにはある。今日これまでの彼女の反応からして、相手に無理難題を突き付ける類の人間ではないとジエットは考えていた。そうであって欲しいと祈りつつ、出来る限り細心の注意を払い、申し訳ない気持ちを表情に出しながら震える口を動かす。

 

「も、申し訳ありません。自分はその、この後商会の仕事がありますので……」

「……」

 

 綺麗な瞳が瞬き、まじまじとジエットの方を見つめてくる。

断ったのはやっぱり不味かったか!? 先ほどとは別の意味で心臓が高鳴りそうになったが、その不安はすぐに霧散した。

 

「苦学生……なのですか?」

「えっと、そうですね。自分は父親がいなくて、母と二人暮らしなので。それに最近は母も病気ですから自分が頑張らないとって……」

「へぇ、立派なんですね」

「え?」

 

 立派、と言われた?

今度はジエットが目を丸くしてしまう。初めて言われた訳ではない。仕事先の商会の長や友人にも言われたことくらいはある。だが彼女のような貴族の人間に言われる事など稀だ。加えて本当に感心したように彼女は何度も頷き、ジエットの仕事に興味を持ったのか言葉を続けてきた。

 

「どのようなお仕事なんですか?」

「え、えっと……香辛料を扱っている店なんですが、自分はそこで生活魔法を使って香辛料を作っています。魔力が尽きると取引先の店に配達とか、注文書を受け取りに行ったり……でしょうか……」

 

 上手く説明できているだろうか?

自分でも分かるくらいカチコチに緊張しながらのたどたどしい説明。だが隣に座る少女は思ったより興味を持ったようで、目をキラキラ輝かせながらこちらに体を近づけてくる。

 

「ふむ、生活魔法で……それは毎日ですか?」

「え? あ、そうですね。店の開いてる日はほぼ毎日、日が暮れるまで働かせてもらっています」

「なるほどなるほど」

 

 ジエットが働いているのは、生活費の他に母の病気を癒す魔法のアイテムを手に入れるためだ。

だが、学院の生徒でジエットのように働いている平民の生徒は決して珍しくない。同じ商会にも何人かいるほどだ。ジエットのような理由で働いている人間も中にはいるかもしれない。

 

 やがて目の前の少女は幾つかの質問の後、少し考え込むような様子を見せ顔を上げた。

 

「それなら仕方ありませんね、お仕事頑張ってください」

「あ、ありがとうございます!」

 

 平民の仕事に興味を持つ、その意外な反応を除けばほぼ期待通りの展開になったことに心の中で胸をなでおろす。

 

「ところで、ネメルさんもそういったお仕事をされてるんですか?」

「え? い、いえ、あいつ――ネメルはそういった仕事はしていませんが」

 

 なぜ突然ジエットの幼馴染の名前を口にしたのか。

考えるまでもなくその答えはアッサリと告げられる。

 

「代わり……という訳ではありませんが、ネメルさんもお誘いしてみようかなと」

「え゛、あ……そ、それなら……私も一緒にあいつの教室まで行って、き、聞いてみましょう」

 

 おそらく、末端とはいえ貴族の地位にいるネメルがこの誘いを断るのは不味い。

嘘をつくわけにはいかないとはいえ、自分の発言で幼馴染を巻き込んでしまった事に肝を冷やしながら、ジエットはネメルが今日無事に過ごせる方法を必死に頭の中で組み立てだした。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

「あー……ツカレタ」

 

 仕事を終え、ズルズルと足を引きずるようにいつもの帰路につく。

日も完全に沈む夜の帝都。魔法の街灯がついた明るい道を、今日の給金を大事に服の内側に抱え込みながら歩く。その足取りはいつもより何倍も重いものとなっていた。

 

 精神的な疲労は相当なものだ。

それはジエットだけではなく、おそらく今日の魔法学院を目にした関係者全員がそうだろう。今日の仕事中には、もはや日課として慣れているハズの香辛料精製魔法に失敗していた。詠唱しなおせばいいだけなので特に問題は無かったが、こんな失敗をする事自体珍しい、と商会の人を少し心配させてしまっほどだ。

 

 集中できてない理由は言ってない、というか多分すぐには信じて貰えない。

今日魔法学院で起きたことはそれほどの異常事態だ。特に皇帝の関係者が編入して、その日の昼食に皇帝自身が会いに来るなど。

 

(一体あの二人はどういう関係なんだ……?)

 

 男女の関係? 普通に考えれば誰もがこの結論になる。

だが、不本意ながら間近で見た――見てしまった身としては、そういった関係には見えなかった。あくまでジエットがそう感じただけだが、二人は対等の友人同士のように話していた気がする。もちろん平民であるジエットとはまさに違う常識の世界に住む二人だ、男女のありようも様々なのかもしれないが。

 

(皇帝陛下が……シャルティア様に一方的に好意を寄せているとか?)

 

 それなら今は友人のように話しているのも納得ができる。

聞いてしまった会話の中には男が近くにいては緊張してしまう、と彼女は言っていたはずだ。そういった経験がない箱入りのお嬢様なのではないだろうか。

 

(……って、どんな関係だろうと俺には関係がないじゃないか)

 

 頭を左右に振り、思考を切り替える。

 

 思わず真剣に考えてしまったが、今のジエットが考えるべきはそんなことではない。

隣の席になってしまった彼女――シャルティア・ブラッドフォールンと今後どのように接していくかだ。

 

 いっそ金を本格的に稼ぐために学院を辞める事も考えたが、彼女が来た途端に辞めてしまっては色々と尾を引く可能性が高い。特にジエットの隣の席になった理由、そこに権力を持つ人間が関わっていた場合は尚更だ。せめてその辺りが判明するまでは辞めるわけにはいかない。

 

(アテがあるとすればやっぱりフリアーネ先輩だよな)

 

 貴族令嬢の身分を持つ彼女なら、ジエットの知らない事、平民には考えられない知恵を持つはずだ。

学院案内中にネメルのフォローを懇願した事といい、あまり一方的に頼り切るわけにもいかないが、事情を説明すれば何かヒントくらいは貰えるかもしれない。

 

(そうするにしても、明日からずっと今日みたいな日が続くのか……)

 

 情報を集めるのにも時間はかかる。

その時間の間にもシャルティアと毎日顔を合わせるのだ。どうするにしても数日か数週間かはわからないが、一定期間は彼女と無難な関係を過ごさなければならないだろう。下手な事をしてしまえば彼女――もしくは鮮血帝という帝国最高位の怒りを買うことになる。

 

 想像するだけで両肩が下がり、胃の辺りが少し気持ち悪くなってくる。

 

(まぁシャルティア様は良い人だとは思うけど)

 

 少なくとも権力を使って平民を一方的にいたぶる人間ではない。

ネメルを助けてくれたのもそうだし、平民であるジエットにも配慮をしてくれている。今日一日だけではまだわからないが、同じ学生として分け隔てなく接してくれる類の貴族なのかもしれない。ある意味でネメルと近い気がする。そもそもの立場は大きく違うが。

 

 フリアーネも表向き似たところはあるが、やはり貴族と平民という絶対的な線引きはどうしてもある。それに比べてジエットに名前を呼ばせようとして来たり、食事に誘ったりと彼女はなんというか――

 

(子供っぽい……? って、これは不味いな)

 

 彼女と会う時に少しでも意識しては不味い。そう思い、頭を左右に振ってその考えを消した。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

「おう、やっと来たな」

「えッ!?」

 

 ようやく足を引きずって着いた家の前。

小さな家々が肩を寄せ合うように乱立する集合住宅の区画。その中にあるジエットの家の扉の前、そこに大きな影が一つ立っていた。

 

(誰だ! まさかッ)

 

 瞬時に思い付くのはランゴバルトの手の者。

もう解決したはずの問題だったが、そう思わせるための罠だったのではないか。あれからランゴバルト本人には会っていない。わざわざ執事と金貨を寄こして油断させ、気を抜いたネメルとジエットを一気に釣り上げる。

 

 身構え、いつでも逃げ出せるように腰を落とした。

だがそのジエットの動きは無駄に終わる。

 

「……え? ……貴方は……」

「お互い挨拶はしていないが、昼ぶりだな。坊や」

 

 金の顎鬚を纏った口がニヤリと曲がる。

ジエットの倍近くある大きな背丈。魔法学院の食堂、隣に立つ人物に目を奪われていたがその姿を見間違えることはない。

 

「四騎士の……バジウッド……様?」

 

 ――帝国四騎士、『雷光』の異名を持つバジウッド・ペシュメル。

 

 なぜか扉の前に彼が一人、ジエットの帰りを待っていた。




※お知らせ
今回の三連休(明日の更新)でストック分終了となります。
目標毎週更新だけどリアル次第、私含めて社会人は世界中で今大変なんで許してや~


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鮮血帝(ジルクニフ)の依頼』

 ※お知らせ

後に続いていた五話ほど削除しました。


「フリアーネ、待たせたか?」

「いえ、私も私で調べることがありましたから。それよりもお客様は宜しいのですか?」

 

 夜の帝都、貴族が数多く住む高級住宅街。

広々とした敷地の中、いくつかある豪華絢爛な建物の中で一際大きな部類に入る建物。グシモンド伯爵家の屋敷の一室、まだ明かりのついたその部屋に家の当主である彼女の父が疲れた表情で入って来る。

 

「いや本当にまいった。あちらもあちらで情報を握っているようだが、どうも私より直接会ったお前と話がしたいようでな。流石にこの時間未婚の娘に会わせるのも抵抗があると、なんとか帰したところだ。お互いさらに情報を集めた後に改めて会うことにしたよ」

「そうですか……」

 

 短い顎鬚を撫でながら大きく息を吐き対面のソファに座る父。

確かに断った理由は血の繋がりを重視する貴族の間では無難なもの。だが、相変わらずのやや心配性な気質を覗かせる父に、若干のため息を心の中で吐きつつ話を戻していく。

 

「それで、まずお前の会った――いや、お会いした印象はどうだったのだ? シャルティア・ブラッドフォールン・アインズ・ウール・ゴウンという少女は?」

「遠慮なく簡潔に述べるならば、世間知らずの無垢なお姫様……という印象でしたが」

「でしたが?」

「偽っておられる可能性は大いにあるかと思います」

 

 むしろ無い方がおかしい。

あの食堂の光景、鮮血帝が自ら足を延ばして会いに来る少女。そしてフリアーネ自身が集めた情報でも、ただの世間知らずなお姫様という認識に当てはまるものは欠片もなかった。彼女の心の胸中に同意するように、目の前の父も大きく頷く。

 

「だろうな。偽っている理由はわかるか?」

「いえ、それはまだ……」

 

 いくつかの候補は頭に浮かぶ。

だがおそらく聡明な父なら当然のように考える可能性ばかり。その中にまだハッキリとフリアーネ自身も断言できることは一つもなかった。

 

「お兄さまの方は?」

「あいつはまだ騎士団の方とあの日帝城で何があったのか調べている。これが先ほど届いた手紙だ」

 

 フリアーネが書類を幾つも広げていた机に真新しい紙が差し出された。

 

「まだ確証とまではいかないが、驚くことが書いてある。心して読んでくれ」

 

 

 

 

 

 ♦

 

 

 

 

 

「ここの店主とは顔馴染みでな」

「は、はぁ」

「俺がこの近くのスラム街でまだ剣を振り始めた頃からの付き合いなんだ。後で紹介するから何か困った事があれば相談するといい」

「あ、ありがとうございます……」

 

 ――太陽がすっかり沈み、食事をするために人が集まった食堂の店内――

 

「あのブレイン・アングラウスだぞ! ひょっとすると、ひょっとするんじゃないか?」

「バカかッ! お前武王が実際に戦うところ見た事ないだろ? すげえなんてもんじゃないぞ」

「アングラウスといえば……王国戦士長が実は生きてたって噂があるんだが、知ってるか?」

「なんだそりゃ!?」

 

 今日の魔法学院を除いた、帝都中で今ホットな話題となっている闘技場での剣闘試合。

その話で一色に染まった喧騒から扉一枚隔てた個室に通されたジエット。向かい合う相手、帝国四騎士のバジウッドはマントを壁のフックにかけ昼間とは違うやや軽装の鎧のまま椅子に座っていた。対するジエットは仕事帰りの汚れた服装から着替えたものの、平民が着る程度のありふれた服装だった。

 

「緊張しているのか? 相手が俺だけなんだ、昼間の食堂よりマシだろう?」

「えっと……そう、かもしれませんが……」

 

 今にも豪快に笑いだしそうな男臭い笑みに気が抜けそうになるが、そうもいかない。

何せ目の前に座る人物は帝国最強の騎士といっても過言ではない男。そして何よりその背後に立つ人物、彼が誰の命でジエットの前に現れたのか、それは昼間の件を考えれば明白なのだから。

 

「食事の事なら心配するな。帰りに持ち帰れる料理を幾つか用意させるし、ちゃんと君の母親のために病人でも食べられそうな食事も注文してある」

「あ、ありがとうございます……」

 

 一言も話していない母親の事に触れられ、やはり自分の周りをしっかり調べていると、確信とともに嫌な汗が流れる。

 

 机に乗っているのは料理の皿ではなくお互い飲み物のみ。

相手は酒だが一切手を付ける様子はない。そしてジエットも緊張のあまり口を付けるのも躊躇われる状況。

 拒否権など最初からあるはずもない。言われるまま連れてこられ、彼の昔馴染みらしい食堂へ入り、個室へ通された。誘拐のように引きずられて来たわけではないが、平民と権力者という見えない力はある意味でそれ以上の拘束力を持つ。

 

「で、色々と混乱してると思うが……聞きたいことがあるんじゃないか?」

 

 あると言えばある。目の前でニヤニヤ笑う人物も何かを告げるために来たのだろう。

 

 が、それはジエットが聞いて良いものなのか、聞いたことでかえって危険な目に遭うのではないか。ジエットだけならまだいい。幼馴染や病気の母にまで危険が及ぶかもしれない。その予感がジエットを鈍らせるが、逃げられる状況ではないのも事実だ。

 

「陛下からどこまで話していいか伺っているから、坊やが遠慮する事はないぞ」

「で、ではお聞きしますが」

「おう、なんだ?」

 

 こちらの態度が軟化したためか、それとも真面目な話が始まる前の準備か、酒を手に取り一気に半分ほど飲み干すバジウッド。そのグラスが下りるのを待ってから、覚悟を決めて質問をぶつけた。

 

「その……シャルティア様が俺の席の隣になったのって、偶然なんでしょうか?」

「いや、あれは陛下が手を回した」

「……」

 

 ……聞くんじゃなかった。

 

 何でもない事のようなあっさりとした返事に、ジエットは内心で頭を抱えて打ちのめされそうになる。学園に影響力がある人物だとは思っていたが、まさかこの国の最高権力者がジエットの学院生活に関わってくるなどと、つい昨日まで夢にも思わなかった。

 正直今この瞬間にも逃げ出したい気分だ。間違いなくこの人物は、そしてその後ろに立つ皇帝はジエットに何かをさせようとしている。そしてその術に抗う方法は――残念ながら思いつかなかった。

 

「坊やが初めてブラッドフォールン様に会ったのは、幼馴染を助けに行った路地だったよな? あれ自体は偶然なんだがな、俺も警備としてあの時大通りにいたんだよ」

 

 ガックリ肩を落としそうになるジエットだったが、相手の話を少しでも聞き逃す訳にもいかず、折れそうな心に鞭を打ちながら返事を返していく。

 

「そ、そうなんですか。では、ゴウ――シャルティア様はあの時の……」

「あぁ、坊やの幼馴染が襲われてるのを発見して、俺の目の前で馬車から飛び出して行っちまったんだよ」

 

 それは警備として止めるべきだったのでは? という言葉が口から漏れそうになるが、どう考えても相手を不快にさせるだけなので口をつぐむ。

 

 あの時の車列はドラゴンに馬車を引かせており、その光景が帝都の人間達の間で噂になっていた。『ドワーフ国がドラゴンを手なずけた』といった内容で。ジエットは生憎と目にしてはいないが、学院内でも話題程度は耳にしている。今日の食堂でも、皇帝と会話をするシャルティアの間で『ドラゴン』という言葉が交わされたのはハッキリと覚えている。

 

「隣の席にしたのは、まぁ……ゴウン様のために少しでも顔見知りの生徒が近くにいた方がいいだろうという気遣いだ」

「そう、ですか……」

 

 本当にそうだろうか?

そういった気遣いであれば同性のネメルの方を選ぶのではないだろうか? 例え初対面でも、フリアーネのような相応の地位にいる貴族の近くであれば特に問題は無い気がする。わざわざ平民であるジエットの隣の席にする意味を問いただしたい気持ちが湧き立つ。

 

(でも足を踏み込んでいい相手じゃない……)

 

 相手の答えてくれそうな質問を予想して口を動かし、頷く事。

おそらくそれが今この場での最善の策。鮮血帝からの使者に対して手を上げて対応する以外、ただの平民に選択肢などないのだから。

 

「シャルティア様は……帝国外から来られた方なんですか?」

「あぁそうだ。どこから来たのかはまだ言えないがね」

 

 ドワーフ族を目にしたことはあるが、彼女はどう見ても人間だ。

ドワーフ国を仲介して帝国に来た? 何のために? 疑問は深まるが皇帝が知らなくていいと言うのなら、深く探らない方が身のためだ。話題を変えるため、そして自身を守るためにも聞いておくべき質問を投げる。

 

「その……皇帝陛下は自分に何を期待されているのでしょうか?」

「お、その質問が来たか」

「え?」

 

 待っていたと言わんばかりの嬉しそうな反応。

逆にジエットの緊張感は増してしまう。

 

「陛下から事前に言われてたんだよ。坊やがこちらの望みを聞いてきたら、一つ情報を渡してやってくれってな」

 

 脱いでいたマントから取り出した紙がジエットの前にズイっと置かれる。

 

「国の諜報機関が陛下に直接渡した報告書だ。本来は極秘だが、読んでみてくれ」

(読みたくないです)

 

 本音を叫んでそのまま逃げ出したい。が、逃げられるはずもない。

抜け出せない深みにはまっている事を自覚しつつ、言われるがままその紙を手に取り目を通していく。

 

 内容は王国の内部情報――健在だった頃のエ・ランテル、特に冒険者組合に関してのもの。

その中にあからさまに大きな印がつけられた採取依頼『トブの大森林に生えた特殊な薬草』について、細かい情報が記載されていた。トブの大森林奥地のとある場所に自生しており、三〇年以上前に当時のアダマンタイト級冒険者とミスリル級冒険者のパーティー編成でやっと成功させたもの。その薬草がそろそろ採取できる時期であること。その薬草の効能――どんな病でも癒せると言われる効果と、薬草のスケッチなどが描かれていた。

 

(どんな病でもって……凄いな……)

 

 一瞬今の状況を忘れ、呑気にそんなことを考えてしまう。

 

 だがそれが本当であれば、相当高価で希少なものになるのは間違いない。

ジエットの母を癒すアイテムも平民にとっては目の飛び出る金額だが、どんな病気でもとなれば裕福な商人や権力者がこぞって大金をつぎ込む可能性が高い。誰だって死にたくはない。街に籠っていればモンスターに襲われる心配はないが、通常の方法で癒せない病気となればこういった物に頼りたくなるだろう。

 

「凄いですね……」

「あぁ、その薬草を来月の昇級試験中に坊やの班に取ってきて欲しいんだ。ブラッドフォールン様も誘って」




というわけで久々のザイトルクワエさんフラグ

『ザイトルクワエ? 何それ?』という方は、今からでもドラマCD「封印の魔樹」を探すかググって下さい。


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