栄光の代償・元艦娘たちが語る対深海棲艦戦争(GHK出版新書) (蚕豆かいこ)
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一   艦娘へのパスポート

「化粧の仕方は我流になっちゃったな」

 都内のマンションの一室で、鏡台に向かった彼女は愛用の化粧ポーチをさぐりながら、そうごちる。

「戦地で必要なあらゆる作法は艦娘学校で叩き込まれた。波に揺られる海面で頭を不動のまま姿勢保持する方法とか、海上を十五ノットで航走しながらオムツを交換する技術とか、星座から現在地の座標を計算する手順、砲術に水雷術、万が一無人島に漂着してしまって当面の救助が見込めない場合のサバイバル術とか。卒業して前線に配属されてからは、わけあって便意を止めたいときにはレーション(携帯口糧)に同梱されてるピーナッツバターを食えばいいだの、手を使わずに自慰をする方法だの、なまぐさいくらいに血の通った身近な智恵を先任の艦娘から教わった」

 しかし、化粧だけは、ついぞだれからも習わなかった。「若いうちはお化粧なんてするものではないわ」。敬愛する艦娘のその言いつけを彼女は忠実に守った。また、娘にとって化粧の教師となるべき母親の膝下(しっか)を、彼女が早くから離れていたことも顧慮(こりょ)しなければならない。軍隊というものに入った以上は、わが家は異国より遠いものと思わねばならなかった。事実、彼女の任期においてみれば、一年のうち日本にいる日数が数えるほどしかない年があることもしばしばだったのである。みじかい休暇は亡友らの生家の弔問と墓参に費やされた。出征中、両親の顔が、ときとして模糊(もこ)となることもあった。

「あのころは艦隊がわが家だった。旗艦が母親、先任が姉、僚艦がきょうだいさ」

 電子レンジで加熱した蒸しタオルで首の後ろを温めるのは顔の毛穴を開かせるためだ。化粧水で浸したティッシュを一、二分ほど顔に貼りつけて保湿成分をたっぷりと吸わせる。化粧をする前のこのひと手間が、四十二歳という(とし)の彼女には欠かせない手順となっている。顔のティッシュを外し、日焼け止めを伸ばしたあと、彼女は化粧下地で肌を整える。

 

 彼女は海上自衛軍で夕雲型駆逐艦四番艦の〈長波(ながなみ)〉、シリアルナンバー608-040119として、八年のあいだ任務に従事してきた。かつては第2水雷戦隊(防衛省の書類上では部隊名称の表記にアラビア数字が用いられているのでそれに準拠する)に所属していたこともある。生まれたときにはすでに深海棲艦との戦争がはじまって十七年が経っていた。物心ついたころから、彼女は艦娘になると決めていたという。

「父は長野の富士見で自作農だった。戦争がはじまるまではレタスを育てていたらしいんだけど、食料事情の悪化とかで政府からBt大豆に転向を指示されて。そう、遺伝子改良で、殺虫性と生産性、除草剤耐性、耐寒性、栄養価を強化されたGM(遺伝子組み換え)作物だよ。いまの時代に遺伝子組み換えされた作物を栽培してますなんていったら、市民団体なんかがすっ飛んでくるだろ? 環境だの健康だのに影響を及ぼすかもしれないって。あのころはそんな悠長なことはいってられなかった。とはいえ、レタスと大豆じゃあまりに勝手が違う。お役所はきっと、レタスのかわりに畑に大豆植えりゃあそれで育つんじゃないの、くらいにしか思ってなかったんだろうね。噴飯ものだよ。いくらGM作物でもなかなか軌道には乗らなかった。田んぼや養蚕の収入を合わせても、端境期には自分らで食べる米もなくなるありさまだった。ほとんど農業補助金で食ってるようなもんでね、いわゆる国民農業だから、ある意味では安泰といえるけど、絶対に儲けはでない。おまけにきょうだいは兄が三人で、わたしは女のうえに末っ子。だれかにはっきり言われたわけじゃないけど、わたしは外から稼いでこなきゃいけないんだろうなとは、うすうす。ああ、もう三十年も前になる」

 艦娘に志願した当時、元長波はまだ十二歳だった。

「当時はとにかく頭数が必要だったからね。小学校さえ卒業していれば満十二歳から志願できたんだ。小学校を出たばかりのガキが特別職国家公務員だぜ、笑えるだろ? でもわたしにはありがたかった、一日も早く家を出て収入を得なければと思っていたから。母は反対してたけど、すぐにそれがうわさになって、彼女はわたしのわがままを認めなければならなくなった。あの時代、志願の意志がある娘を親が軍に行かせないのはとても恥ずべきことだとされていた。どうせ家にいても蚕棚の上げ下ろしだの、繭蒸しだのさせられるだけだろうしね。これがまた臭いんだわ。そんならいっそ、口減らしも兼ねて軍へ行って、うんと偉くなって、両親を楽させてやろうって考えたってわけだ。……悪いね、こんな馴れ馴れしい話しかたで。艦娘だったころの習慣が、いまでも抜けないんだ」

 彼女は適性検査の結果、駆逐艦に適性があるとわかった。駆逐艦は艦娘のなかでもとりわけ最前線に投入される。奇襲に斥候、船団護衛や遊撃、掃海、強行輸送、空挺降下、そして艦隊決戦。対深海棲艦の作戦があるところに駆逐艦娘の姿がないことなど皆無だった。それだけ危険の多い職域であることも意味する。

「艦娘に適性があるってだけで安心しきってたから、艦種については、とくには。あまり知識がなかったからかもしれないけど。とはいっても口に糊するのに必死だったからね、“成人の駆逐艦娘がほとんどいないのは、実戦配備された駆逐艦娘の月間損耗率が一〇〇パーセント近いから”とわかっていても、それで志願を取り止めにすることはなかったと思う。女に生まれたら艦娘になって立派に戦うのが正しい在り方だって学校では教えられていたし、艦娘が活躍する映画も、よくつくられていたから。せいぜい映画の『敵泊地に突入せよ!』とか『南方海域強襲偵察!』とかのスターみたいに、かっこよくハデに散ってやろうとしか考えなかったんじゃないかな。任官拒否なんか、そもそもさせてもらえなかっただろうとは思うけど」

 元長波は外地に十七回派兵された。最初の外地赴任はブルネイで、最後もまたブルネイだった。そこで壊れた。戦地から家族へ送った最初の手紙には、「いままで見た映画より何倍も迫力がある、しかもそれを最前列の特等席で体験できるんだ。うらやましいだろ」。二度目の手紙には「わたしを認めてくれて、わたしを信頼してくれる仲間がいる。こんなに素晴らしいことはないよ。妹もできたんだ」。それから長い間を置いた三度目の手紙には、こう書いた。「なにを考えても気分が悪い。空が青いことにすら腹が立つ。ここにはなんにもない、なんにも。頭がおかしくなっているのかもしれない。帰ったらみんなになにかしそうで怖い。その前にわたしが連中に殺されるのを祈ってほしい。もう終わらせたいんだ、なにもかも。わたしごと」。終戦はその三ヵ月後のことだった。

「けっきょく親どころか、きょうだいでいちばん長生きになってしまった。まさか生きて終戦を迎えるなんて、あのころは夢にも……」

 フェイスパウダーをとったフェイスブラシを手の甲で馴染ませてから顔全体に滑らせていく。すっかり手馴れたものだと元長波は思っている。鋼鉄の十二・七センチ連装砲や十センチ連装高角砲なんかより化粧品のほうが手に馴染むようになったはずだ。毎朝そう信じながら化粧をしている。ほら、意識しなくてもTゾーンを重視できるようになったじゃないか。パフでパウダーファンデーションを重ねる。肌にきめ細かな光沢が生まれる。

 アイブロウのペンシルをとる。四十歳を越えてからはとくに保湿成分の配合されているものを選んで揃えるようになった。若いころは気にしなくてもよかったことが、年々できなくなっていく。肌の潤いもそうだ。眉毛にペン先をなぞらせる。

「長波だったころは、内地の女の子たちは眉毛を描くために眉を剃るらしいってきいて、“お公家さんかよ”って、理解に苦しんだもんだけど、いまとなっては、実に合理的だったんだなと思うよ。変につけたしたり直したりするより、いっそゼロにしたほうが好みのかたちに仕上げやすいんだ。軍もそうだった。艦娘になりたいっつって艦娘学校に入るだろ、そこではまず徹底的に個性を殺される。個人にあわせた教育で長所を伸ばしていくなんて、そんな悠長なことしてる余裕はなかった。わたしたちは、自分を否定されて、年頃の子供がいっぱしにもってる安っぽいプライドなんかを破壊されて、通りいっぺんの更地にされた。教艦たちはそこから新たに兵隊として求められる設計図どおりの個を一律に構築していった。だからみんなおなじ語彙、体力、能力、規律で動くようになる。大人数を最小限の手間で意図したとおりに操るには個性の初期化は不可欠な行程なんだ。そう、眉を剃って描くのとおなじさ」

 薬で寝て、薬で起きている生活のためか、目元の色がよくない。ごまかすためにアイシャドウは明るめの発色を選ぶ。まつ毛とまつ毛の間を繋げるようにアイライナーのペンを置いていく。はみ出した部分を綿棒で拭う。アイラインを落としにくくするため、もう一度アイシャドウを塗る。「うふ」どちらの化粧品もPOLAであることに元長波が含み笑いをもらす。

「ポーラといっしょの艦隊を組んでたことがあったんだ、イタリア重巡の。とんでもない虎だった。あいつほどの大酒のみはあとにも先にもいなかった。皮膚から酒のにおいが滲みでてくるんだよ。そんな馬か鹿みたいに飲んでんのにどうしておまえは健康でいられるんだって訊いたのさ、そしたら“毎日体内をアルコール消毒しているからです~”ときた」

 そのポーラは痛風をわずらっても断酒のけしきをみせなかった。ほがらかで人好きのする娘だったが、ひとりで呑んでいるところを、ふと見かけたときには、かならず目元を腫らしていたという。「きっと故郷を想ってたんだろうな」サーモン諸島ガダルカナル島を占領していた深海棲艦の陸上種、飛行場姫は、音にもきこえた戦艦娘金剛と榛名を筆頭とした水上打撃部隊の勇戦により粉砕されたが、それでラバウル方面の空襲がやむことはなかった。敵は、ガダルカナルにもうひとつの飛行場をひそかに開設していたのである。リコリス棲姫と名づけられたその強大な軍勢を、疲弊した戦艦戦隊にかわって彼女たちが覆滅にむかったおりに、本国の艦隊から分断され漂流していたポーラをたまさか見つけ、救出したのだった。

「のほほんとしたやつでね、ひとことも泣きごといわなかったけど、ほんとは帰りたかっただろうな」

 そのポーラはふたたび祖国をみることはなかった。欧州とをむすぶ航路と途上にある島々は敵の掌中にあった。

「わたしたちはそのときブルネイに配属されてたから、ポーラもそこへ連れて帰ったんだけど、なんせ、よその国の艦娘だろ、とりあえず内地で保護ってのが順当なとこなんだが、運んでる途中でもし敵に襲われて死んじまいでもしたら、日本としてもまずいわけ。内地と泊地の補給線は海路だけだったからさ」深海棲艦の航空機に対抗できるのは艦娘だけだ。しかし、高速をもって鳴る空母艦娘といえども当然ながら飛行機には追いつけないので、輸送は艦船に限定されていた時代だった。「そんで、当時のブルネイ泊地の幕僚連中が紙爆弾でどうにかこうにかしてポーラの部隊編入を市ヶ谷に認めさせてね。ポーラもただの食客となるよりはと賛同してくれたよ。姉妹艦のザラがいたからお互い慰めにはなったとは思う」戦局はかならずしも彼女らに味方したわけではなかった。ポーラはお守りのように本国装備のレーションをだいじに蔵しておいた。「イタリアのレーションには、ワインがついてるらしいんだ。たしかにそうだった。“そりゃうらやましいな”っていったら、“突撃するときや助からない重傷を負ったときの気つけ用ですよ”だって。飲まずにおいてあったのは、それもあるだろうが、ふるさとのにおいのする唯一のものだったからじゃないかな。遼遠(りょうえん)の故郷を思いだすよすがにしてたんだ。じゃなければ、あいつほどの呑み助が、酒の封を切らない道理がない」

 肝硬変になれば、出撃中にみずからの肝臓を砲で撃ち抜き、あたかも被弾を装って入渠で再生させた。当時長波だった彼女も含め、僚艦らは毎回口裏をあわせた。「ポーラに頼まれたことなんかない。そりゃ最初はあっけにとられたけどね。でもすぐに全員が理解した。みんなが理解したということをも、わたしたちは互いに察知できた。もはや談合の要もなかった。わたしたちは戦闘詳報に敵からの攻撃でと記した。もちろん軍規に反するけど、もう時効だよな」

 呑まなければやってられない。それがポーラの口癖だった。いまならわかるよ。元長波はアイシャドウのパレットに刻印されたPOLAのロゴを指でなぞる。

 ビューラーでまつ毛を立たせてから、マスカラを塗る。鏡ににこりと笑ってみせ、頬骨の頂点となる部分からこめかみへとチークのブラシで撫でていく。血色のわるい口唇には桜色の口紅を合わせる。「まあ、見られる顔にはなっただろ」髪をほどく。はた目には健康的で自然な顔色にみえる。「メイクしてないかのように仕上げるのがほんとのメイクだ。たぶんね」

 元長波はゆうべ整えた旅の支度の再点検にかかった。そのどこか落ち着かない様子には、はじめてのことに臨む者にありがちな、過剰な慎重さとでもいうべきものがあった。

「保険証に、着替えに、歯磨きセットに、あとは? 財布は持った、クレジットカード入れた、念のために認め印も入れた、もう大丈夫だろ」

 ふと、元長波は鏡台に置かれた愛用の化粧ポーチに気がついた。「たいへんなもの忘れてた。これがないと外に出られない」

 いま使ったばかりなのになぜ忘れていたのか。頭のなかのリストにポーチを載せていなかったのだ、という推論に元長波はたどりつく。それはにわかに信憑性をもって元長波をひどく納得させた。そうだ、わたしは決して忘れていたわけじゃないんだ。

「外地に出征することが多かったから旅慣れてると、自分では思ってたんだけどね。艦隊にいたころは化粧なんかしなかったから、荷物に化粧品を入れるって発想がなかったんだな。自分でびっくりしてる」元長波はばつが悪そうに笑う。べたつく潮風と容赦ない日射に晒され、オイルと発射ガスの煤、そして自分か僚艦か敵の血にまみれるのが日常だった。化粧の意味がなかった。

 キャリーバッグの隅にポーチのスペースをつくりながら、元長波はひとりごとのように呟く。

「そうだ、もう遊びで旅行ができる時代なんだ」

 

 “もはや戦後ではない”。終戦から十年後の経済白書はこのことばで結ばれていた。その年の流行語にもなったが、二十二年経ったいまではそれすらもひとびとの口にのぼらなくなって久しい。

 元長波も年齢を重ねた。筋肉の落ちた体は女性の丸みを帯びるようになった。体が艦娘であったことを忘れ、おんなであることを思いだしていた。しかし精神は、退役したときのままだ。いまでも元長波は、艤装を背負っていたときの習慣で扉を抜けるときには横歩きをするし、口のなかには深雪(みゆき)の肉の味がしている。妹のように可愛がっていた清霜(きよしも)も、子供の死体に仕掛けられた爆弾で何度も何度もずたずたにされている。膨れた自分の腹を主砲で撃った浜風(はまかぜ)の弔いの子守唄がきこえている。敷波(しきなみ)がいつまでも鏡を殴っている。彼女とおなじ長波の「なあ、おまえも長波だろ、一緒に連れてってくれよぉ」という懇願が脳裏にこだましている。朝潮(あさしお)が髪を灰で洗っている。航行中に脳溢血を起こしたポーラが、髪のながい敵潜水艦の雷撃でピンクの霧になっている。

「あの日々のこと、わたしたちがやったこと、死んだ仲間のことを考えない日は、一日たりともなかった。たぶん、これからもそうだ」元長波の声音には諦念が混じっている。「でも時間は過ぎていく。時代は進む。人生も。なのにわたしは、いまだに錨を下ろしたままだ」

 

 けっして元長波だけが特別なのではない。終戦を迎えたとき、日本には内外に一二五万人の艦娘がいた。長波だった彼女のように時を置かず退役したものもいれば、数年後に解体(脊椎の寄生生物との分離手術により、艦娘をもとの人間へ戻すこと。広義では艦娘の退役の意)の処置を受けたものもいる。解体されたのち軍やその外郭団体に再就職した元艦娘もすくなくないが、いずれにせよ、終戦当時に艦娘だった女性たちは、いまではすべてが艦名ではなく、志願する以前のように本名で生活している。彼女たちは、内地にいたもの、外地に出征していたものとにかかわらず、ひとりひとりが、日常へ戻ってきた帰還兵だった。終わった戦争はどんどん遠ざかっていく。彼女らは前へと進まねばならなかった。大半のものはそれができた。まるで当たり前のように、艦娘であったことさえ忘れたかのような足取りで、社会に帰っていった。

 いっぽうで、時代の移り変わりについていけないものたちもいる。退役艦娘庁によれば、一二五万人の“帰還兵”のうち、三十パーセントにあたる女性たちが、心的外傷後ストレス障害(PTSD)――過度の恐怖体験によって引き起こされる精神障害――もしくは、外傷性脳損傷(TBI)――強烈な物理的衝撃で揺らされた脳が頭蓋骨の内側にぶつかって起きる脳機能障害――を患っている。「どうやっても、錨が揚がらないんだ。どうすればいい」どんな戦争にも“戦争の後”がある。深海棲艦との戦争も例外ではない。戦争が残したのは、鬱、悪夢、記憶障害、誹謗中傷、差別、そして自殺願望を抱えた、三十八万人の元艦娘だった。

 あの戦争を振り返ることすらも絶えた現代で、どうしたら三十八万人という数字の重要性を訴えることができるだろう。日本に八〇〇ちかくある市を人口別にみてみたときに、三十八万人より人口の多い市は五十しかないと考えればいいのだろうか。だが、精神に傷害を負った元艦娘の数は、年々減少傾向にある。事故死、病死、他殺、老衰、自殺によって。

 とくに自殺については、軍は重く受け止めていると表明している。戦後から昨年までの自殺艦娘の数は、戦時中に自殺した艦娘の数をついに上回った。長波だった彼女は三十八万人のうちいまでも生き残っているひとりということになる。もはや戦後ではないということばが流行語になったとき、元長波は「煮えくり返ったはらわたをかきむしりたくなった」という。「わたしの戦争は、まだ終わってすらいないんだぞ」

 

 荷物をパズルのように組み合わせてバッグ内に空隙を捻出したあと、よし、と息をついた元長波は、そこになにを入れるつもりだったのかがわからなくなっている。考える。なんだったっけ。似たようなことは以前にもあった。復員艦娘病院で診察を受けて、帰宅しようとし、玄関をでたところで携帯電話が鳴った。菩提寺から亡母の法要の日取りを確認する旨の電話だった。元長波は命日のつぎの日曜に予約を入れた。電話を切ったとき、どこへ行くのか思いだせなくなっていた。

 元長波は部屋を見渡した。埃ひとつない、いつか彼女の気力も体力も奪い尽くしてしまうであろう清潔さを保たれたワンルーム。視界に化粧ポーチが入る。そうだ、化粧品。艦隊にいたころは化粧なんかしてなかったから……と、元長波はまたもおなじ追憶を繰り返してしまう。

 長波だったころ、それもまだほんの子供だった時分、海にでない日くらいはと、彼女をふくむ駆逐艦娘たちは同年代の女の子とおなじように化粧に憧れた。若かった。幼かった。あるとき化粧品はどのメーカーを使えばよいか、おなじ泊地の装甲空母翔鶴(しょうかく)に訊いた。元長波の知るかぎり最強だったその空母艦娘は、諭すように穏やかに答えた。

「若いうちはお化粧なんてするものではないわ」

「どうして。空母や戦艦のみなさんはいつもしてるじゃないですか、任務中だって」と、彼女たちは子供らしい純粋さで食い下がった。駆逐艦からすれば、空母とは雲上人のような存在だったが、わきまえるべき一線を越えない範疇で、元長波たちは翔鶴を母か姉のように慕った。翔鶴もそれを望んだ。甘えていいとまでいってくれた。だからこそ元長波たちは甘えはしなかった。

「だからよ」

 わが子か妹に語って聞かせるように翔鶴は重ねた。

「若いうちからお化粧なんてしているとね、肌が荒れて、化粧しないと外に出られない顔になってしまうの」

 駆逐艦たちは引き下がるほかなかった。そのときにかぎらずあらゆることにおいて、その翔鶴がいうことは常に、心の宝物庫に大切にしまい、錠を下ろして鍵を預けるに足る価値があった。その鍵はもう沈んでしまった。化粧をはじめたのは戦争が終わって軍を退役し、若くなくなって、遺戒が解けたと心の底から思えるようになってからだ。だから元長波には、荷物に化粧品を入れるという発想自体がなかった。

 ほかに忘れ物がないか抽斗(ひきだし)を開けていた元長波が、ふと、あるものに目を留めた。パスポートだった。

「今回は、この子はお留守番。もう失効してるけどね。たぶん、いちばん付き合いの長い装備品だったと思う」

 年季の入ったパスポートをめくる。元々ある四十四ページと、ページ下部に増補を示すSUPPLEMENTと打刻された追加ぶん四十ページの、すべての査証欄は、色とりどりのスタンプやビザのシールでびっしりと埋められている。「もう押すとこがないや。いろんな国に行った。ブルネイ、パラオ、ミクロネシア……これはトラック諸島に転属になったときのだな、インドネシアにはリンガ泊地があったし、オーストラリアのスタンプはショートランド泊地への乗り継ぎ。パプアニューギニアに、フィリピン、アメリカ、これはタイのビザ、それにエジプト、リランカ、カスガダマ、ロシア、南米。陳腐な言い方だけど、まるできのうのことみたいだ」

 “殴り込み部隊”として世界に名を馳せた第2水雷戦隊は、各国から艦娘部隊の戦術教導として招聘されることも多かった。ひとつひとつ、指を置きながら、懐かしげにスタンプを眺めていた元長波は、また元の抽斗へと丁寧にパスポートを戻した。その隣にはブラジル政府から授与された南十字星国家勲章が折り目正しく安置されてある。それにも指を触れてから閉じる。

「仕事じゃない旅行なんて、はじめてだ。この歳になってもまだ初体験があるなんてね。驚きだよ」

 そういって立ち上がろうとした元長波は顔をしかめて腰に手を当てた。苦笑いを浮かべる。「腰痛は艦娘の職業病なんだ。みんな湿布が手放せないはずさ」元長波はメモ帳をめくる。「朝霜、伊168、朝潮、神威、文月、山風、磯風、酒匂さん、子日、陽炎と嵐。みんな元気にしてればいいんだけど」

 

 元長波は、かつての仲間たちに会いに旅に出る。

 終戦から二十二年。戦後の艦娘たちを、追った。



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二   楽しき熱帯

 まだ夜が明けきらないうちに元長波は自宅を発とうとした。だが元長波は忘れている。自分に処方された七種の常備薬を忘れている。セルトラリンを有効成分とする鬱を抑える薬、はげしい動悸を抑える薬、痛みを抑える薬、睡眠導入剤、悪夢を抑える薬、起きているときに眠気を抑える薬、発作を抑える薬を忘れている。くそ。元長波は毒づく。元長波にはわからない。なぜ自分がよく物忘れをするのかわからない。お母さん、わたしは戦地に行くまえも、こんなに忘れっぽかった? 訊きたくても元長波にはもう母親はいない。ねえ、お父さん? でも元長波にはもう父親もいない。元長波自身は断言する。「軍にいたころ、わたしは任務でなにかひとつでも忘れたことはなかった。命令もいちど聞けば達成するまで一言隻句たがえず覚えることができた。2戦教(第2水雷戦隊教育選抜課程)の学習教育では教科書もノートもなかった。書かなければ記憶できないような奴はふるい落とされる世界だったからだ。それをわたしは首席こそ逃したものの合格した。へたな軽巡より長く2水戦に在籍してたんだぞ、あの2水戦に。そんなわたしが、なんで忘れ物なんか?」元長波にはわからない。元長波はいらいらする。仕切りのあるプラスチックのピルケースへ六種類の医薬品を充填し、発作を抑える薬だけは、ペンダントのピルケースへ詰めて、首にかける。左胸と、いまはない右胸のあいだに垂らす。特別な薬。

 元長波は洗面台の鏡を見つめる。鏡のなかから元長波が見つめ返してくる。員数を点検するように、目がふたつあることを確かめる。目はふたつ、鼻はひとつ、口もひとつ、耳はふたつ。元長波に欠けているものはない。

 しかし元長波はその顔が何度も破損したことを覚えている。かすめた砲弾に右の頬がそっくり削ぎとられて歯列と歯茎が丸見えになったことを覚えている。至近弾の衝撃波で左右の眼球が飛び出して視神経の糸によってぶらさがり、自身は腹部の裂傷から小腸をこぼしている僚艦の朝霜に「アメリカンクラッカーみてーになってんぞ」と笑われたことを覚えている。破片に鼻がえぐられて、帰還するまでのあいだ、仲間たちに「梅毒にかかったぜ」と自ら冗談を打って爆笑を誘ったことを覚えている。右腕は二十八回も元長波の体から離れたし、左腕も二十六回もげている。右足は七十回、左足は五十五回、吹き飛んだ。

 彼女が長波だったころに作戦行動によって受けた中等傷以上の負傷は、クロゼットの奥に追いやるようにしまわれたパンプスの空き箱を開けてみれば、つぶさに知ることができる。人は靴と腕時計で値踏みされるという翔鶴の助言にしたがって購入したジミーチュウの蓋がすこし浮くほどに溢れかえる名誉負傷勲章の山は、それすら元長波が人生のうち八年を軍に捧げた戦歴の一端にすぎない。

 だが元長波は五体満足でここにいる。体のどこかが欠損するたび修復させてきた。右の乳房以外には欠けた部位なんてない。健康そのもの。なのになぜ、退役して二年のあいだ苦しんだあげく、「教えてくれ。わたしはどうしちまったんだ」と藁にもすがる思いで助けを求めた元朝霜に勧められ、死傷艦娘支援局の紹介状をたずさえて門を叩いた復員艦娘病院で、重度のPTSDと診断されたのか。なぜ意味もなくいらいらするのか。なぜ物忘れをするのか。なぜ軍を退いて帰郷した三日後の昼下がり、自分に向けられた携帯電話のカメラのフラッシュに悲鳴をあげて家に逃げ込んだのか。臆病者だからだ。女々しいクソッタレだからだ。元長波は自分を責める。怒りに満ちた顔の映る鏡を睨む。敷波が鏡のなかの自分に向かって「ちがう、これはあたしの顔じゃない。おまえはだれだ」と叫んだ日のことを思いだす。自分の顔をそれと認識できなくなっていた敷波は鏡を殴って粉々に砕いた。深海棲艦が基地に侵入している。敷波はそうわめきながら拳を真っ赤に染めて鏡の破片をさらに細かく叩き割っていた。いまの元長波にはひとごとに思えない。敷波のはPTSDなんかじゃなくホーミングゴーストの症例だっただろ。そう言い聞かせて元長波は鏡から視線をひきはがす。ところが、鏡のなかの自分がそのままこちらを睨みつけていやしないかと、一度だけ振り返る。

 

「ここに越してきたときは、あんなビルはなくて、昇る朝日が見られたもんだが。街がどんどん変わっていく。これが復興なのかな」

 なにか忘れているものがあれば道々で購えばいいと確認作業を切り上げ、海老茶のキャリーバッグを道連れにマンションを出た元長波は、しみじみ述懐する。ビル街に隠された払暁に背をむけ、戦中でも天候不順以外の理由ではただの一度だけを除いて運転を取り止めることのなかった駅へと向かう。

 わたしは病気らしい。元長波はそう認めようとしている。病院で医者が診断したじゃないか。わたしは病気なんだ。病気は治さなくちゃいけない。手足は何度でも修復させられたし、従来の兵士なら黒のトリアージを付けてモルヒネを注射するにとどめていたであろうひどいけがも、現代医学は治してみせた。だからいまの病気も治るはずだ。

「治るのか?」それでも元長波は信じられないでいる。「治るのか?」

 

 駅に近づくにつれ、道路は大きくなり、車線もふえる。風穴のあいたビルなんてない。車道に穴ぼこもない。傷ひとつない街並みをひっきりなしに行きかう自動車に自転車。

 道行く若者たちはみんな活き活きとしている。だれも元長波には気がつかない。終戦後に産まれた子供たちはいまや続々と成人している。自動販売機で買ったミネラルウォーターをらっぱ飲みする青年のそばを通るとき、元長波はフィリピン海の真ん中で七日も漂流していたときのことを思い返している。あのとき自販機があれば、おなじ艦隊だった巻雲は海水なんか飲まなかったはずだし、体液の濃度バランスが崩れたことによる幻覚に誘われて落伍することも、ましてや沈んだりすることもなかったはずだ。

 毛のない小型犬ほどの動物を散歩させている男性とすれちがう。空前のブームとなっているペット用の深海棲艦だ。国内だけでもペット用深海棲艦は推計二〇〇〇万頭が飼育されている。

 愛玩用に品種改良された深海棲艦が、短い四肢をせわしなく動かして、楽しそうに飼い主に追従する。元長波はついじっとみつめてしまいそうになるのをこらえ、乱れそうになった足取りを整える。

 駅は健全な殷賑(いんしん)のなかにあった。だれもかれもが、仕事か旅行か、いずれにせよ往復を前提とした乗車を画策していた。行ったきりいつ戻れるかしれない疎開や出征を目的としているものなどいなかった。一両日のうちにまたこの駅へ帰ってくることをだれひとりとして疑っていないことはあきらかだった。いつか翔鶴に夜語りで教えてもらった『弱法師(よろぼし)』で俊徳丸がみた日想観(じっそうかん)の景色とはこのようなものであったろうかと、元長波は目を細めたりする。

 予約していた快速の列車に乗り込む。揺られているあいだ、頬杖をついて車窓から景色をながめていても、防砂林を抜けて視界が一気にひらけると、思わず身を伏せて「むやみに開豁地(かいかつち)に出るな!」と怒鳴りたくなる。デッキに煙草を吸いに出ていた乗客が戻るときにドアを開くたび、元長波は自動的に振り向いてしまう。はじめて復員艦娘病院へ診察に訪れたときの、うんざりするくらい根掘り葉掘り訊かれた問いのひとつに答えた内容を思いだす。「外に出るたび、目につく全員がなにをしているのかが気になってしようがないんです」。なにも変わってないじゃないか。もう二十年もPTSDプログラムやリハビリをしてきたが、いまでもあの問診のすべてにおなじ答えを返すだろう。事実PTSDの診断を下されつづけている。進歩がみられないのはもしかしたら自分のせいかもしれない。わたしのなにかが悪いから快癒しないのだ。「治るのか?」

 

 元長波は喫煙スペースへ煙草を吸いに立つ。Iustitia(ユスティジア)と流れるような筆記体が印刷されているソフトケースの尻を破って、煙草を一本抜き取る。フィルターに触れないように注意しいしい唇にくわえる。訓練を修了してはじめての任地となったブルネイ・ダルサラームの泊地で、がちがちに緊張していると、夜になって、先任である駆逐艦深雪から「はじめてかい?」と声をかけられた。自分がその年に艦娘学校を卒業したばかりのご新造(新入りの艦娘の隠語。新造艦と、女が寄生生物と合体して艦娘になるという考えかたをかけたもの)であることを、深雪らは承知しているはずだった。だからべつのことについて訊ねられているんじゃないかと考えた。セックスとか。問いがどちらの意味でも問題はなかった。処女だった。過酷な訓練のせいで生理も止まっていたことに気づく。自分が女の子だったということさえ忘れていた。「はじめてです」。深雪はにやりと湿った笑みで元長波に使い込まれた連装砲を向けた。ぎょっとする元長波に深雪はいった。「くわえなよ。右な。ああ、あんたからみて右だよ」。そのとき、煙草の臭いにようやく気がついた。深雪は煙草をおもいきり吸い、ハムスターみたいに口に貯めると、排莢孔(エジェクション・ポート)に接吻して煙を薬室へ吹き込んだ。元長波はおそるおそる砲口に口をつけて吸った。純真無垢な肺胞のひと粒ひと粒に行き渡らせた。未成年者の喫煙は一般常識に照らし合わせるまでもなく違法だが、法律は副流煙を吸うことまでは禁じていなかった。煙草をはじめて体験する者がだれしもそうするように、元長波も大いにむせた。深雪が快活に笑った。さっきとは打って変わって真夏の青空のような笑顔だった。まわりのみんなもそれぞれの流儀で笑った。巻雲は元長波の背中をさすってくれた。

 そこへ軽巡の酒匂が現れた。深雪は即座に煙草を踏み潰して隠匿した。察した元長波も喉の奥から気泡のように次々湧きあがってくる蠕動を我慢して先任駆逐艦たちに倣い直立不動となった。酒匂はしわぶきをけんめいにこらえている元長波の顔をじっくり覗き込んだあと、いった。「ぴゃああ」。元長波の堰は決壊した。吹きだすとともに咳き込んだ。またみんなが腹を抱えた。そうして元長波はあらためて艦隊の一員として迎え入れられた。十三歳だった。

「あのとき居合わせた艦娘でいまも存命なのは、わたしと酒匂さんだけ。わたしのはじめての艦隊で生き残ったのは、たったのふたりだけ……」

 右も左もわからない新入りの自分を、ほかの慣れた艦娘たちと同様に、艦隊というひとつの機械を構成する等質の部品として信用してくれた深雪たちは、終戦よりだいぶ前に戦没した。なのに自分は、こうして深雪の連装砲ごしに喫んだのとおなじ銘柄の煙草で紫煙をくゆらせている。それが元長波には不思議に思えてならない。

 何度めかの灰を落としたところで、元長波は左手首につけてある腕時計を確認する。トイレに行く時間が数分後に迫っている。元長波は決まった時間にトイレに行くよう自分と約束している。

 席へ戻ると、指定席に知らない子供が座っている。すぐに母親が現れて元長波に謝りながら子供を引っ張っていく。「艦娘さんなの?」子供が無邪気に元長波へ問いかける。母親が頭をはたく。元長波は迷ったすえ口を開く。「ちがうよ」

 あの子供がなにを根拠に元長波を艦娘であったと見抜いたかはわからない。子供特有の勘かもしれないし、会う女性みんなに言っているのかもしれない。とにかく元長波はちがうと答えた。「うそはいってない。もう艦娘じゃなくなって二十二年になる」もしそうだと答えたらどうなるか、元長波は知っている。どこへ行ったの。深海棲艦を何匹殺したの。そのときどんな気持ちだった。何万回訊かれたか知れない質問が待っている。この二十二年で世界中の人間に問い質されたような気さえする。それでもまだ訊こうとする人間がいることに元長波は驚きを隠せない。元長波は呆れる。揃いも揃ってカウンセラーにでもなったつもりか?

 けれど相手は子供なんだから、と元長波は自分を落ち着かせようとする。こんな些細なことで苛立つ自分が心底いやになる。治療を受けていれば、いつかは腹を立てず、おなじ話を何度でも笑顔で話して聞かせることができるようになったのだろうか。元長波は考え込む。毎回ちがう人間からであるとはいえ、おなじ質問を幾度も投げかけられて、いいかげんうんざりする奴と、不純物のない笑顔を貼りつけて壊れた再生機のようにおなじ体験談を出力する奴。どちらが人間らしいだろうか。そして、人間らしいことが必ずしも正しいとはかぎらないということもまた、軍隊に所属していた元長波はよく知っている。

 

 けっきょく結婚はできなかったな。母に腕を引かれて自由席の車輛へ移っていく子が屈託ない笑顔で反対の手を振ってくるのに応じながら、元長波はそう身上を追懐している。「こんな小さな女の子たちを戦わせなければならないとは!」。そう嘆いた男性の海軍軍人は大勢いた。元長波たち艦娘を最前線へ送り届ける母艦となる護衛艦の乗員たちは、みな一様に「せめてドロップポイント(母艦から艦娘を出撃させる地点。転じて護衛艦が進出できる限界点)まではきみたちを死守する」と誓い、結果はどうあれ、彼らは言葉どおり常に身命を睹して職務を遂行してくれた。元長波たちが交戦しているあいだ、彼らは気を揉み、母艦へ帰投すれば、わが妹や娘であるかのように雀躍した。しかし戦争が終わったのち、彼らのほとんどは艦娘や元艦娘と結婚しなかった。除隊した元護衛艦乗りの男性は元長波にいった。「もう戦争を思いださせるようなものは、そばに置いておきたくない。あの子は香水の匂いがするんだ。わかるかい、女の子の匂いだ。血とオイルの臭いしかしないきみとはちがう」。彼は艦娘に志願せず深海棲艦をその眼でみたこともない民間人の女性と籍を入れた。

 正式に戦争終結の詔書が公布されて、それを合図とするように多くの艦娘たちの月経が再開した。これからはもう殺したり殺されたりするのではなく、子供を産んで育てる日々を体が期待しているのだと、みんな実感した。久しく見なかった経血に、感動の涙を流す艦娘さえみられた。

 女性としての機能を使わないまま一生を終えた艦娘は、数えきれないくらいいた。元長波もそのひとりになろうとしている。

 なにごとにも例外はある。元長波と一時期同じ艦隊だった駆逐艦嵐は、いまでは母親になっている。

 元長波の知る陽炎は、従軍中に知り合った機関科の男性とひそかに交際を重ね、ともに退役してからあらためて関係を築きあげ、結婚した。

 その陽炎は改二だった。夫となる男性も重々承知していた。むしろ陽炎のほうから身を引こうとしたのだ。「改二のわたしは子供が産めない。あなたの子が産める女性を愛してあげて」。男性は頑として聞かなかった。だから元長波は、いまだに子供のいない彼ら夫婦を無条件で祝福し、敬意と思慕の念をいだいている。

「わたしには無理だった。それを二十年経ったいまも維持している。それはなんでもないようにみえて、実はとてもすごいことなんだ」

 

 右側の座席から歓声があがる。左の窓側に席をとっていた元長波が首をのばす。車窓から望む、瑠璃にきらめく海に、小さな霧がわだかまっている。そのすぐ隣におなじような水煙が海面から噴きあがる。クジラの潮吹きだ。ここからでは人差し指の爪ほどの高さだが、距離を考えると、実際には見上げるほどもあるだろうことは容易に想像できた。大きなクジラでは一秒間に一五〇〇リットルの息を吐くという。やがて黒い巨体が海を割って跳ねて、派手に白波を撒き散らしながら海中へ戻っていった。乗客たちが思いもかけない大自然のショーに感嘆の吐息をもらす。携帯電話を構えて次のシャッターチャンスに備える。期待に応えたわけではないだろうが、クジラたちはまたジャンプをみせた。一回で一日に消費するカロリーの一パーセントを使うという跳躍は、何キロも離れていてなお迫力に満ち、見るものにある種の畏敬の念をかきたてられずにはいられない。艦娘として海の上にあるときも、移動途中で遭遇するクジラやイルカは貴重な娯楽だった。元長波はアマゾンカワイルカと戯れたこともある。

 何の前触れもなく海が気まぐれにみせた饗宴は、一分ほど続き、やはり前触れなく終わった。クジラたちは深い海へと還った。太平洋の青さは底がなかった。「アトイポクナシル」乗客らが写真の出来を確認しているなか、元長波がぽつりと漏らす。「アイヌの言葉で、海底世界って意味らしい。飛行艇母艦の神威に教わった。深海棲艦はそこからやってきてるんだとさ。不思議な奴だった。海と話ができたんだ。非番でもひまさえあれば海を眺めてた」肩を竦めるような所作をする。「いまはちがうらしいけど」

 通路ドアの上にある電光掲示板に文字が流れる。元長波以外の乗客はだれひとりとして眼もくれない。僚艦のひとりだった子日(ねのひ)は、まだ二歳だった三十九年前、この路線を走る列車に両親と乗って疎開していたとき、ちょうど海に面したいまの区間で空爆を受けた。ひとり娘を庇うように覆い被さっていた両親は即死し、子日――正確にはのちに駆逐艦子日となる女児――は一命をとりとめた。父母以外に肉親はいなかった。天涯孤独となった女児は国の運営する児童養護施設に引き取られた。政府は深海棲艦による爆撃と発表した。少女が艦娘への志願をだすのは当然の帰結だった。そうして初春型駆逐艦子日として配属されて、本人いわく「神さまの嫌がらせで」終戦まで生き残った。旅の前に連絡をとった。あの元子日はいまも生きていた。それすらも二日前まで知らなかった。お互い退役艦娘会に加入していないからだった。

「戦友会で、同窓会みたいなの、するだろ。十中八九、思いだしたくもないことを思いだしちまう。だれが悪いってわけじゃないんだ。強いていうなら、わたしが悪いんだろうな、ほとんどの退役艦娘が入会してるんだから。子日は、優しいから入らないんだと思う」

 かつてここで空爆があり、一〇六名が犠牲になったことを伝える無機質な文章ののち、電光掲示板は列車が千葉県に入ったことを知らせた。

 

  ◇

 

 列車は川にかかる構脚橋にさしかかった。後方へ過ぎ去っていくトラス構造の隙間から、海へと注ぐ流れを見下ろしていた元長波は、橋を通過してしまったのちも、ブラジルのアマゾン河警備隊へ教官として派遣された日々を偲んでいる。

「深海棲艦ってのは、海だけじゃなくて、川まで遡上してくるんだ。タパジョスやシングーみたいな大河はもちろん、イガラッペにまでね」支流のさらに傍流、カノア(カヌー)を使うような密林床の細流を現地の人々はイガラッペと呼んでいた。「わたしは乗らなかったけど。なんせ水の上でスケートができんだから。で、やっこさんは河口から一五〇〇キロも上流のマナウスにまで遡ってきて、おまけにそれが空母ならそこから内陸部を空襲されるもんだから、かなり手こずってたらしい。すごいよな、川の支流が北海道から九州まであんだから……もちろんブラジル政府も艦娘で対抗しなきゃいけないわけだけど、独力で対深海棲艦のノウハウを身につけてるひまもないから、日本に頼んだわけだ。飢える者には魚でなく釣りの技を与えるべしってことさ」

 アグレッサーの任も担う2水戦から一個小艦隊、すなわち長波だった元長波と、朝霜、陽炎、磯風、島風、軽巡酒匂の六隻が選ばれ、予備込みで十八隻ぶんの艤装を整備する五十七名の海上整備補給群のほか、管理隊、業務隊、会計隊、装備部の三十五名、計九十八名に、一万八〇〇〇キロ離れたブラジルへの赴任が命じられたのは、深海棲艦の支配下にあったハワイ諸島の元米海軍泊地奪還を目的とした〈波濤を越えて作戦〉(Operation Beyond the Surging Sea)が、事実上の失敗に終わった直後のことだった。孤軍奮闘をつづけていた米戦艦娘アイオワら第3艦隊を救出することには成功したものの、作戦遂行の結果、当時の海上自衛軍は戦争はじまって以来といわれるほどの損失を被っていた。そんななかでの渡伯である。もちろん艦娘のブラジルへの派遣は海軍としてははじめてだった。

「辞令が内示されたときは、マジかよっていうのが本音だった。海外、それも、ブラジルなんて! 反攻作戦の参加艦は内地で二週間前後の休暇をもらえるっていうのが通例で、みんな心待ちにしていたから、悪友の朝霜といっしょに悪い冗談だろうといいあって、信じないふりをしてたんだ。そしたら次の日、引率の酒匂さんが部屋にきて、ペラ紙渡して、いうんだ。“正式に辞令が出たから、お荷物をまとめてヒトナナマルマルに司令部に集まってね”(元長波はやけに甲高い声真似を披露した)。あれには参ったね。魚雷で耳栓をしたかった。けど仕事だから、しょうがない」

 まだ人工衛星や、高高度の航空機を専門に撃墜する深海棲艦がいた時代だった。海路はもちろん空路でも太平洋を横断することはできないため、輸送機でロシア東端からアラスカに渡り、北米と中米上空を経由してブラジルを目指した。マナウス国際空港に降り立ったときには、日本を発って十五日が経過していた。

「いろんな艦娘がいたな。真っ黒けの艦娘もいたし、ラテン系もいたし、コーヒー牛乳の艦娘もいた」コーヒー牛乳とは、白人と黒人の混血のことだ。南米には多いという。「びっくりしたのはシングルマザーばっかりだったことかな。おまけにどれも子沢山で、まだハタチにもならないのに七人も子供がいるとかいうのが珍しくない。しかも子供の顔がみんな違ってたりしてね。日本と違ってブラジルでは艦娘はモテるらしいんだ。子供の父親がだれなのかわかんないけど、本人たちはそんなこと気にもしてないみたいだった。でもみんなボニータ(美人)だったよ。驚いたのはもうひとつ、だれもブラをしてなかったのに、オッパイが割といいカタチしてたこと。こう、張りがあるんだ。ブラしてるとむしろ垂れるんだってさ。オッパイが甘えるとかなんとかで。それでわたしもしばらくはノーブラにしてたな。ああ、騙された。わたしが悪いんだけど。物事の表層だけをみて真似するのはよせってことだね」

 遠い異国での生活は毎日が驚きの連続だった。

「現地のコーディネーターに、魚を見つけたり、食べたくなってリクエストするときも、サカナといっちゃいけないって教わった。サカナはあっちの言葉でオナニーって意味らしい。朝霜なんかそれを聞いた瞬間、外に向かって“サカナ!”って大声で叫んでた。あいつはそういう奴さ。あとは、そう、人前で人差し指と親指の丸をつくっちゃいけないとか。日本じゃオッケーとかの意味だけど、ブラジルでは中指を立てるようなもんなんだってさ。もしやっちゃったらレイプされても文句いえないんだと」

 ことにアマゾンは元長波たちの河に対する概念を覆すものだった。フェリーから漁船といった民間船舶はもちろん、フリゲートや島のようなヘリ空母まで、大小さまざまな船が余裕をもって行きかっているので、濁ってはいるが海だと思っていたら、河だった。

「河でスケートしたけど、さすがというべきか、ほとんど海と変わらなかった。本流ともなると右も左も岸が見えなくて、三六〇度一面の水。水平線さえ見えるんだ。しかもちょっと円みを帯びてる。なにせ下流ともなると川幅が三〇〇キロもあるからね。目に映るのは空の青と川面の二色だけ。ひとくちにアマゾン河っていっても、いろんな河があるんだ。紅茶みたいに赤い河、味噌汁みたいにとろりと黄色く濁った河、コーヒーみたいな黒い河、カフェラテみたいに白く濁った河、そのすべてが、手づかみできるくらいの途方もない種類と数の魚を孕んでる。これまで日本だけで七八〇万人の女が艦娘になったっていうけど、アマゾンカワイルカと併走して遊んだなんてのは、きっとわたしたちだけさ。

 ある日、むやみやたらに暑いのに、コーヒー牛乳の艦娘が湖の真ん中でいつになく真剣に水面を睨んでるんだよ。なにしてるんだってそいつの兄貴に訊いたら、ピラルクを採るんだって。あのワニみたいにばかでかい魚の……。ピラルクは魚だけど肺呼吸するから、何十分かに一度は水面に息継ぎしに上がってくる。水はカフェラテだからその瞬間しか狙えない。熟練の漁師は、ピラルクの息継ぎを見つけたら――なにせでかいんで湯船に洗面器を逆さに沈めてひっくり返したときみたいに派手な音がするらしい――日がな一日、あの連中には珍しく忍耐強くボートの船上で待ち構えて、上がってきたところをすかさず銛で仕留めるんだとか。それを艦娘がやってるんだ、なんせ水の上に立てるからな。

 みんなで煙草ふかしながらぼけっと眺めてたら、それまで彫刻みたいに固まってたコーヒー牛乳が、電光石火の早業で主砲をぶっ放した。みごと、三メートルはあろうかという大物を捕まえたんだ。朝霜はこう呟いた。“ピラルクじゃなくて、深海棲艦と戦えよ”。わたしらは笑ったが、実際、彼女たちは戦うより、魚を採ることを運命づけられた人間だったんだ。わたしたちだって日本で秋刀魚獲ってたことあったから、あまり人のことはいえない。その晩はピラルクのご馳走になった。わたしたちに食べさせたくて獲ったらしい。ピラルクを食わずしてアマゾンを語るなってわけだ。石みたいに固い頭蓋骨を鍋がわりにして、肉も心臓も腸もかまわず放り込んで、米やら豆までぶちこんで、なにもかもいっしょくたにして、ぐつぐつ煮込む。

 連中の料理はほんと、この星で右に出るものはいないってくらい下手くそで雑を極めるんだが、骨からにじみ出た出汁の香りがあたりに漂ってね、腹が鳴ってしょうがない。そんでファリーニャをふりかける。

 ファリーニャってのは、山芋の親分みたいな奴をすりつぶして、煎って、ぱさぱさの粉にしたもんで、向こうの人間はとりあえずなんにでもファリーニャをかけて食べるんだ。これ自体はなんの匂いも味もない。けど水分を吸うと何倍にも膨らんで、お腹が風船みたいになるから、たぶん、日本のコンニャクとおなじで、空腹を満たすために考えられた食材なのかもしれないな。とにかくピラルクのスープをたっぷり吸ったファリーニャといっしょに、米と豆とピラルクの身を猫飯みたくごちゃ混ぜにしてね。仕上げにモーリョ・デ・ピメンタっていうソースをかける。これは刻んだ唐辛子やトマトにニンニク、セロリなんかを酢と油で和えただけのすげえ大雑把なソースなんだけど、見た目はソースってかサラダなんだよ。唐辛子のサラダ。そいつをピラルクの猫飯にどっさり。

 スープを一口すすってみたら、これがまあ、白熱と驚愕、なんともいえない。口のなかでうまみが暴れまわるのよ。一億年の歴史を閲した味さ。風味はタラに似てるかもしれない。朝霜は前言撤回、がつがつかきこんで、唐辛子の辛さに火を噴きながら汗だくで貪ってた。陽炎も皿に顔つっこんで頭から湯気が出そうになってたっけ。酒匂さんなんか“辛いのにやめられない”ってヒイヒイいってたよ。いや、ぴゅうぴゅうかな。暑い国で辛いものを食べると、一周回って涼しくなるもんさ。わたしたちと部落のみんなで酒宴ひらいて、それこそピラニアみたいにたかって。

 石頭の鍋に入らなかった部分はバーベキューにしたけど、食べても食べても全然、減らないんだ。あそこらへんの食事ってのはパンタグリュエル式*1なんだけどね、獲物が獲物だけにいつにも増してパンタグリュエル式になった。ふだんは獲れたピラルクは干し肉にして売るんだとか。でかいやつを一頭獲ると一週間は働かないで暮らせるらしい」

 ピラルクだけでなく、アマゾンは珍味の宝庫だった。

「ピラニアも食べたよ。二度揚げしてレモンとしょうゆをかけるといくらでも進むんだ。日本人はとりあえずしょうゆがあればなんとかなるから持っていって正解だった。不思議なのが、わたしたちがピラニアをばんばか釣ってるすぐ横で、子供たちが裸ん坊で水遊びしてたことだ。危ないよな。現地の人間にしかわからないなにかのトリガーがあるんだろう。でもカンディルだけは怖がってた。尻といわず何といわず、穴という穴から入りこんで、体のなかを食い荒らすから」

 元長波の眼はいま元長波の体を離れ、時間さえ飛び越えて、当時を眺望しているかに思われた。しかしそれは実のところ、元長波の肉体はいまここにあっても、心胸はいまだに現役時代に留まっていることの証明であったのかもしれなかった。

「カランゲージョっていう蟹が絶品だった。ドブみたいに臭い泥に棲む蟹なんだけど、それをまた豪快に大鍋で何十匹も湯がいて、赤くなったのをそのまんまどんと出してくる。()粉木(こぎ)みたいな棍棒もいっしょに持ってくるんだ。自分で割れってことだよ。付け合わせはやっぱりファリーニャとモーリョ・デ・ピメンタ。

 甲羅を叩き割って、湯気の立つ白い身をアチアチいいながらほじくって、モーリョにつけて、ホホウと物は試しに頬張ってみる。いまでもおぼえている、噛むとじゅわあっと迸る熱い汁の、あのしっとりとした繊細でほのかな甘み、そのなかに隠れてる奥深い滋味。ぷりぷりの歯ごたえ。

 一口めで顔を見合わせたあとは、もうみんな夢中になって、飢えた野生児みたいにひたすらしゃぶって、啜って、舐めて、また殴って、ほじくる。沈黙の熱狂でほじって、ねぶって、ときおり思い出したようにベトベトの手でビールを流し込む。ふうっと息をついて、自分が呼吸も忘れてたことに気づくんだけど、そんなことどうでもいいとまた格闘に戻る。なにもしゃべらずカランゲージョの山をわれさきにやっつける。島風も額に珠の汗を浮かべて忘我の境地で殻のなかまでむしゃぶりついてた。わたしたちだけじゃなく、ほかのテーブルの客たちもみんな没頭してるんだ。蟹を食うときには無言になるってのは、万国共通みたいだ」

 アマゾンでいちばん気に入った魚はと訊かれたら、元長波はプレコを挙げると決めている。口が吸盤になっているナマズの仲間で、流木や石に吸い付くことができる。大アマゾンには星の数ほどの種類のプレコが蠢いている。

「プレコでもグリーンロイヤルとオレンジフィンカイザーが美味かった。蟹みたいに全身が甲羅で覆われてて、焚き火のなかにそのまんま放り込む。で、見てるこっちが心配になるくらい丸焦げにしちまう。炭のかたまりみたいになったところで、甲羅を割ると、雪みたいに真っ白な身が現れる。身はホクホクで味はカニに似てる。品がないけどしゃぶって食うとたまらない。

 オレンジフィンカイザーは、鮎みたいに岩のコケを削り取って食べてるせいか、やっぱり鮎そっくりの味がする。風味がスイカみたいに爽やかで、ハラワタのほろ苦いのがビールに合うんだ」

 しかし、すべての魚が美味だったわけではなかった。

「クユクユ(オキシドラス)は不味かった。血抜きはちゃんとしたんだけど、臭くて臭くて。デンキウナギも駄目だった。筋っぽくて、くそ固い上にブルーチーズなみにニオイが強いし、味もない。一口も喉を通らなかった。細長い魚は美味いもんなんだけど、あれだけは例外」

 四十日間の派遣で、元長波たちはときに実戦をともにしながらアマゾンの河川で“アマゾネス”たちに戦術の手ほどきをし、現地の参謀相手にも教官となって学習訓練を施した。その功績が認められ、元長波たちにはブラジル政府から南十字星国家勲章コメンダドール位が授与された。いまは元長波の部屋の抽斗のなかで例のパスポートとともに恭しく保管されている。

「純朴な人たちだったよ。時間は守らなかったけど。何時にこいっていうと笑顔でオーケー、オーケーと返事しといて、三時間くらいは平気で遅れてくる。朝と昼と夜というぐあいでしか時間を認識してないんじゃないかとまで思えるよ。だから朝七時集合っていっておいても、じゃあ昼十二時くらいまでなら朝だから大丈夫だな、みたいな。最初は呆れてたけど、まあ、あんなふうに時間に縛られないのが人間のほんとの生き方なのかもな。目が覚めたら起きて、食べるぶんだけ魚釣って、あとはギターでも弾いて昼寝。万事その調子だった。

 みんな優しくてわたしたちを歓迎してくれた。ある部落のお母さんは、島風の制服をみて、“若いのにこんな小さな服しかないなんて、かわいそうに”って山のようにごはん食べさせてくれたりね。自分たちは着るものといえばシャツ一枚、下着もせいぜい二枚くらいしかもってないってのにさ……。その村は、かつては首狩り族だったっていってた。戦いに勝った証として敵の首級を持ち帰ってたんだ。日本の武将とおなじだよ。首を多くコレクションしてる男ほど強いってことになる。だからいちばん偉い人間を首長っていうんだ。もちろんいまは首なんか狩ってないけど、ご先祖がむかし獲ってきた首は、家の屋根裏、つまりいちばん高いところに大事にしまってあった。みせてもくれたよ。十二、三の頭蓋骨が飾りつけられててね。いまでも年に一度、お祭りみたいに供養の儀式をしてるらしい。供養を怠ると、ひとりでに首がカタカタ鳴ったり、屋根裏から落ちてきたりするんだってさ」

 首を狩っていた世代の最後のひとりだという長老を紹介された。ひ孫や玄孫に囲まれて日がな一日煙草を吸っている好々爺だった。正確な年齢はだれにもわからない。

「話を聞いてみたかったけど、耳が遠くなっててね、なにいってもにこやかに笑うだけ。あんな、歯も一本か二本しか残ってない、河を眺めて煙草吸うだけのおじいさんが、大昔とはいえ首を切ってたなんて、ちょっと想像できなかった。でも、そのおじいさんの喉には刺青があった。それは敵の首を狩った勇者しか彫ることを許されない刺青らしい」

 共同で戦果をあげたときは、日本側は現地の艦娘たちの手柄にするということにしていた。譲られた“アマゾネス”たちは大喜びで深海棲艦の首を切った。村に持って帰るのだという。ときには首を巡って争いになるので仲裁に入ることもあった。

 集落の男たちは、例外なく裸体で、体操選手のような肩幅と肉付きとをしていて、身に着けるものといえば、陰茎に装着しているペニスサックだけだった。大部分の男は、髪の毛の先から、足の指にいたるまで、ウルクという植物の実から採った練り染料で赤く染まっていた。ウルクはまた彼らの言葉で赤を意味した。彼らにとってウルクは赤で、赤とはウルクであった。だから、老成した魚体の後半部が燃えるように赤く染まるピラルクは、魚を意味するピラに、ウルクがついて、赤い魚、ピラルクと呼ばれるのだった。

「でもさ、その男たちが裸になって化粧をするのは、特別な行事がある日だけで、ふだんはエアコンの効いたブラジリアのオフィスで、スーツに身を固めてパソコン相手に仕事をしているんだってさ」と元長波は笑いをこらえる。

「河がでかいからか、どの人もだいたい話がでかかった。リオ・ネグロ(ネグロ河)が埋め尽くされるくらい深海棲艦の戦艦や空母が遡上してきたとか、敵の艦載機で昼が夜みたいになったとか。わたしたちも嘘だとはわかってた。そんな数の深海棲艦をみて生きていられる人間なんかいやしないし、アマゾンの水辺で生きる人ってのはただでさえ怪しい話ばっかりするからな。やれ、アナコンダが船に巻きついて船ごと丸呑みにしただの、やれ脱獄した囚人が河を泳いで渡ってたらジャウー(体重二〇〇キロを超える大ナマズ)にひと呑みにされただの、バクのオスは発情期になるとイチモツが一メートルにもなるだの、じゃあそんなモノを受け止めるメスのアソコはどうなってるんだって腕を突っ込んでみたら、肩までずっぽし呑み込まれただの……。

 悪気があるわけじゃないんだ。ただ単になにかにつけオーバーなんだよ。リップサービスってのかな。だからわたしたちもいちいち突っ込まずに、ホウホウ、ヘエヘエ、すごいですなあって」

 悠久の大自然を映していたかのような元長波の眼が、ふいに現実へと戻った。

「何年かまえに、あの流域にダムが作られることが決まったって聞いた。戦争が終わって、社会経済が発展して、人口も増えつづけてるから、あの国も自力でエネルギー問題を解決しなくちゃならない。それで何十種類もの魚が絶滅したとしてもね。あの素朴で美しい部落がダムに沈むのは悲しいけれど、わたしは日本から見守るほかない」

 

  ◇

 

 途中の駅でいちど下車した元長波は、そこの売店で弁当を買い求めた。クレジットカードで決済する。プラチナでもゴールドでもない、ただのカード。2水戦に所属していたころはブラックカードを持たされた。2水戦の特権だった。「外地に赴任してるあいだだけだけど」元長波はいう。

「防衛省が保証人だから、請求は軍が肩代わりしてくれる。当時十五歳だった。生まれてはじめて持つクレジットカードがブラックカードなんておかしな話だろ? そんときはまだ子供だったから、これがクレジットカードか、くらいにしか思ってなかった。武器とか携帯食糧みたいな装備品のひとつさ。子供ってのは怖いな」

 列車に戻って弁当を開く。

「死ぬまでにいっぺんでいいから駅弁ってのを食ってみたかったんだ」

 とじ紐をほどく元長波は願い事が叶った子供のような笑みをみせる。白飯を覆うきつね色の大判なとんかつにはたっぷりとソースが乗っている。

「2水戦は海外の国々へ出向くことが多いからさ、任務も特殊だったりするし、そのときどきで必要なものも違ってくる。どうしてもお役所の背広組じゃカバーできない品ってのがあんのよ。諸外国の海軍との合同演習やディスカッションに参加したり、連合軍っていうとおおげさだけど、共同戦線張ったりもするから、ちょっとした外交官の扱いになるし、そうなると相応の格が必要なんだ。じゃあこれでもろもろ用立てろってことで、ブラックカードなわけ。作戦の成功に寄与するんなら、ある程度は個艦の裁量に委ねられてたんだ」

 それに、と元長波は名物の弁当を使いながら明かす。

「あした死ぬかもしれない身だからね、冥土の土産っていうか、お小遣いって意味合いもあったんじゃないかな。白状するといくつか私物も買った」

 ブラックカードを使ったはじめての買い物は、キャンディだった。

「絵の具みたいなピンクとブルーのロリポップ。会計をカードで済ませると、なんだか大人になった気がしてね。すまし顔で得意になって舐めてたら、提督が“それはカードで?”って訊いてきた。“ブラックカードで買ったキャンディはひときわおいしい”だなんて答えたら、“いまのおまえは、グリーン車はほかの車両より速いように感じるって言ってるやつみたいに間抜けだぞ”。みんな大爆笑さ。あとで聞いた話だが、カードを私的に使う奴の最初の買い物は、決まって下らない、はした金のものばかりらしいんだ。わたしはみごとにその統計を補強したってわけだ。服とかバッグとか、ほかにもっとマシな買いもんがあるだろうにな。なにしろ小学校だの中学校だのから軍に入って訓練ばかりで、いちども社会に出てないから、みんな世間知らずなんだよ。必需品はぜんぶ官品で間に合ってたし、想像できる贅沢ってのが、わたしの場合、せいぜいキャンディくらいなもんだったんだ。子供だったんだよ。みんな」

 しかしなかにはとんでもない買い物をした艦娘もいた。

「結婚式の挙式から披露宴までカードで支払った川内がいたな。二回もお色直ししてさ。費用はカードだからご祝儀まる儲けだよ。ただ、その川内は、骨肉腫でMST(生存期間中央値。余命)一ヶ月と宣告されていてね。バケツ……ああ、高速修復材をわたしたちはこう呼んでたんだが、それの副作用よ。川内はどんな艦娘よりも戦った。ソーティーが多いだけじゃなく、なによりわたしたちをよく守ってくれた。2水戦で叩き込まれた“仲間が傷つくくらいなら自分が傷つけ”ってのを地でいってた。とにかく前へでて、敵陣に突っ込んで、自分を撃たせて敵を発見するんだ、まるで獲物の巣穴に潜り込むイタチみたいに。わたしたちのその狩りの方法を聞いたときのアイオワの第一声が“You gotta be shittin' me(うそでしょう)!”だったな……。そんなだからバケツを原液のまま使われることも多かったし、本人もそれを望んだ。バケツは細胞分裂を極端に活性化させることで外傷を治すもんだが、それはつまり、がんのリスクを高めるってことだ。ふつうの健康な人間でも一日六〇〇個のがん細胞が生まれてる。戦時の艦娘はその五倍から二十倍だ。川内は病気を理由に婚約者に別れを切りだした、“こんな先の知れた女に付き合うことないよ”。だが相手が聞く耳持たなくてね。“もし逆の立場だったら、きみはさっさと次の男に乗り換えるのか?”……これに川内は一発KOだった。幼馴染みって奴だよ。わたしたち非番のもんでこっそり尾けて、ソナーにちょいと手を加えた指向性マイクで電話をデバガメしてたんだが、朝霜なんかおいおい泣いてね。戻ってきた川内からあらためて話を聴きだして、そう、何食わぬ顔で。せいぜい冷やかしてやったよ。メルトダウンしちまいそうだった。で、ブルネイに彼を呼んで派手に結婚式さ。当時の提督が媒酌してくれた。お祭りみたいな式だったなあ。終わったあとはキャディのコンバーチブルで空き缶をいくつも引こずってさ。傑作だろ、空き缶なんて。三十年まえったってドラマでもやらないよ、そんな石器時代みたいなこと……でも、なにか、定番ってのかな、いかにもそれらしいことをしてみたかったんだと思う。歳が歳だろ、他人の結婚式にも出たことがなかったから」

 花嫁は輝くほどに美しかった。

「わたしは、海水で制服が生乾きの川内がいちばん美しい川内だといまでも信じて疑わない。だけど、真っ白なドレスをまとった川内は、ああ、眩しかった。フェンタニル(医療用麻薬)のパッチでようやく立つことができるってほど病状が悪化してるなんて思えないほど綺麗だった。ほんの一瞬、彼女が死病に冒されてるなんてうそなんじゃないかって疑ったよ。でも、プレコって熱帯魚は死ぬ寸前になると恐ろしく美しくなるっていうが、つまりはそれだったんだ。彼女は残された最後の生きる力を全力で燃やしてたんだ」

 ブラックカードをつかい、カリフォルニアでクラブ33に行った艦娘もいた。

「朝霜に子日に、磯風、山風……わたしは行かなかった。そこまでしてディズニーランドで酒飲みたいわけじゃなかった。いま思うと惜しいことしたもんだよ。もう一生入れない。こんな日にはカリフォルニアを夢見るのさ、なんてね」

 元長波の食事ははやい。弁当をもう平らげている。「犬みたいだろ。ゆっくり食えばいいってのはわかってるんだが、どうにもくせが抜けないんだ」艦娘学校で訓練していたころに与えられた食事時間は五分だった。食事はほとんど燃料補給のような意味合いしかなかった。献立に熱い味噌汁があったときは飲み水用の氷で無理やりに冷まして、さらに白米を投入し、一気にかきこむというような工夫が必要だった。冷やし中華がでたときなど最悪だったと振り返る。「食事に一時間かけてもいい生活ってのが、どうにもしっくりこない。いまでもね」

 ターコイズブルーのショルダーバッグからプラスチックのピルケースを取りだした元長波は、日中に眠くなることがないよう精神刺激薬を服用した。十二時間寝ても動く気になれないことはめずらしくなかった。首から下げているペンダントのほうのピルケースを服の上から指で揉む。

*1
仏作家フランソワ・ラブレーの小説『ガルガンチュアとパンタグリュエル』の主人公である巨人の名がパンタグリュエル。巨人なので健啖を極める。つまり鯨飲馬食のこと



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三   泥まみれ艦娘ひとり

 鉄道は千葉の銚子(ちょうし)をめざした。雪像のように白い灯台が左手に遠望できる。撮影している乗客もいる。国内でわずか五塔しかない第一等レンズを用いているという犬吠崎の巨塔は、灯台を見慣れている元長波の眼にも、たしかに名勝と映った。現役時代に灯台に救われたことは数知れなかった。目印としてだけでなく、闇の地獄というべき如法闇夜(にょほうあんや)の海から、人工の光、すなわち人の手によって管理され稼動している親しい世界へと戻ってきた安堵をいつも与えてくれたからである。任務から帰投した彼女らを最初に迎えるのは常に灯台だった。

 しかし、いまの元長波には灯台はない。陸に上がったものを灯台は一顧だにしなかった。

 

 千葉には、おなじ艦隊を組んだ朝霜だった女性が住んでいるという。「いちばん付き合いの長かった僚艦さ。あいつのほうがふたつ年上だが、学校(艦娘学校)じゃ同期だった。ひとことでいえば、そうだな、琴をくべた焚き火で鶴を煮て食うようなやつだった。だからわたしとウマが合った」

 しかし元長波の顔には懐旧より不安が先にでている。

「PTSDだのTBIだのと診断されてからこっち、わたしは全然連絡しようとしなかった。不実なやつと思われてもしかたない。きょう行くってメールをするだけでもようようだった。許してくれるだろうか」

 やがて列車は外川(とがわ)駅へと到着した。旅客たちが下りていく。座ったままだった元長波は息をついて、意を決する。

 外川駅は海にほど近い。車両から一歩外にでると、薄荷(はっか)のような涼味の風が運んできたのか、鼻腔に磯の香が掠めた。元長波の思考はとたんに澄明になり、服薬してもなお(おり)のようにわだかまっていた眠気や倦怠感を残らず駆逐してみせた。海の匂いは、元長波にはブランデーの芳香以上の気つけだった。それは自分がいまだに戦時中から進めていないことを元長波にあらためて痛感させた。やはりわたしは艦娘のままだった! 胸いっぱいに吸い込む。元長波は自分が艦娘だったころに戻った気さえした。ここが日本の外川ではなく、ブルネイやブラジル、一年を通して日本より過ごしやすい楽園のパラオ、多くの海外艦娘たちとしのぎを削ったタウイタウイ、血塗られたジャム島のいずれか、あるいはそのすべてが重なった、記憶のなかにだけ存在する国であるかのように思われる。いまはもう会えない人々の顔までも、常より輪をかけてありありとまぶたに浮かんだ。

 木造の駅舎は蒼然としており、LEDの時代にあえて庇に裸電燈を吊るし、運賃表と時刻表をチョークで記した黒板や、円柱の郵便ポストなどは、あえて時代錯誤で統一されていて、それらをはじめてみるものにさえ、郷愁に胸をかきむしられる雰囲気があった。だが、時間が止まっているようですらあるその古色は、計画的な意図によって演出されているものだった。さながら観光客を喜ばせるためにわざわざ昔の珍奇な化粧と衣裳を再現し、いまなお古い風習のまま現代を生きているふうを装うことを生業としている少数民族のように。

 この駅舎は、あえて努力して自身の時間の流れを止めたのだ。必要に迫られれば、駅の管理者はすぐにでも時計の針を難なく進め、現代の駅舎としてあるべき姿へ改装するだろう。わたしとは違う、と元長波は思う。進もうとして進めぬものと、その気になりさえすればいつでも進めるものとの歴然たる差が、元長波の胸をつぶした。麁陋(そろう)な同胞をみつけたかと思ったら、じつは相手方はいつでもこちらを置いて脱出できるのだということを知ったときのような、身勝手な失望感だった。

 一日じゅう斜陽を浴びていそうな駅舎をでたすぐ正面の砂利道で、元長波の足が止まる。下り坂に沿って連なる家々の瓦屋根と、それらの向こうで磨きたてられたように輝く海、イワシの群れのような雲を背景として、女性が待っていた。「よう」女性は軽く手を揚げる。かつて元長波と爾汝(じじょ)の交わりを結んだ夕雲型駆逐艦朝霜、シリアルナンバー608-160344だった女性である。

 元長波が四十二歳だから元朝霜は四十四歳だ。たしかに齢相応に老けている。だが人懐っこい表情は元長波の記憶にあるあの朝霜となにも変わっていなかった。

 元長波はながいこと沈黙していた。最初の音が出なかった。あれを話そう、この話題を出そう、そうしたら元朝霜はこう返すだろうから次にこれを、とゆうべから考えて組み立てていたのに、いざとなると、なにから話していいかわからなかった。情報が、いわば渋滞しているのだった。日常的に連絡をとっていれば、もう大方の話すべきことは語りつくしているから、自然な挨拶から互いの近況へと円滑に話題を進めることができたはずだ。元長波が背を向けつづけた二十年という年数が、喉へと一気に押し寄せているのであった。長いあいだ艦娘仲間と接触を絶ってきた彼女だった。

「すまなかった。許してくれ」

 なにかいおうとしては言葉に詰まるのを繰り返して、元長波はようやくそれだけ口にできた。

「許さなきゃいけないことなんか、なんにもないよ。よく来たな」

 喋りだすのをじっと待っていた元朝霜は、元長波を抱きしめた。元長波の眼に涙が溢れた。ふたりは抱き合ったまま何度かお互いの背中を叩き、彼女たちの方法で旧交を温めた。

「最近は、なにしてたんだ」

 落ち着いてから並んで歩きつつ元朝霜が尋ねた。

「なにもできなかった。長波でなくなったわたしは、結局、なにものにもなれなかった」

 元朝霜は、鼻で笑った。朋友にだけ許された笑い方だった。

「おまえは、おまえだよ」

 てらいもなくいう元朝霜に、元長波は目元を拭った。まつ毛の化粧が落ちるのも気にならなかった。境涯も忘れて笑いながら旧友に顎をしゃくる。

「なんなんだ、そのクソみたいなTシャツは」

「いいだろ、可愛くて」

 宇宙空間を背景に猫がサバを咥えているというデザインのTシャツ姿の元朝霜は胸を張ってみせた。なにかに気づいて自身の、臙脂の腕カバーと袖口のわずかな隙間から覗く二の腕を叩く。肌に小さな黒の残骸がへばりついている。

「ブラジルへ行ったときのこと、覚えてるか」

 蚊の死骸を指で弾いた元朝霜はいたずらっぽく笑っていった。

 元長波はうなずく。「地球上でいちばん蚊がひどかった」

「ジーンズの上からでもぶすぶす刺してくるんだもんな。ハンモックまで貫通してきやがって、うるさいのなんの。日が暮れると魔法みたいに湧いてくる」

 元朝霜が臨場感たっぷりに話せば、

「あのときほど潜水艦になりたかったことはなかったな」

 元長波も即座に返すのである。元朝霜は白い歯をみせながら何度も首を縦に振って、

「毎晩みんなで煙草を吸いまくって蚊取り線香がわりにして……」

「強い酒をがぶ飲みして無理やり寝た」

「で、起きたらあちこち血まみれでな。蚊帳をもっていきゃあよかった」

 潮騒を背に石畳の敷かれた坂道を登っていく。

「ここで暮らすには、ふいごのような肺が必要だな」息の切れる元長波は、自身の衰えをつとに痛感している。

「お互い齢をとった」元朝霜が自分の腰を拳で軽く叩いた。「頭んなかは若いままのつもりなんだよ。体がついてこねえ。おばさんになったことを実感した瞬間って、なんかあるか」

 元長波は少し考えて、

「はじめて白髪染めを買ったときかな」

 答えると、旧友は吹き出す。

「白髪染めか! そいつはたいへんだ。あたいも髪の色が戻らなかったら染めなくてもよかったのに。あたいなんか、ほら」

 元朝霜は右腕を肩の高さまで掲げた。

「ここまでしか上がらない」

「冗談だろう!」

「まさか、四十肩になるなんてなあ」

 からからと笑って、それから、あのころは、と続けた。

「あのころは、自分が白髪染めをするとか、更年期のばばあ連中が飽きずに呻いてる四十肩なんてもんになるとか、想像もしてなかったよな」

「更年期まで生きてられるとは思ってなかったからな」

 そういう元長波に、元朝霜は笑いをもらした。

「終戦の放送をふたりで聴いたときの、おまえの顔がいまでも忘れられない」元朝霜はしみじみといった。「どうして終わりなんだ、そんなの聞いてねえぞってツラだった」

 元長波は、否定しなかった。

「素直には喜べなかった。いや、ちっともうれしくなかった。もう二度と戦死するチャンスはないんだってことしか、考えられなかった。生きてるのがなにより大事とはいうが、生き残っちまったら、その後もずっと生きていかなきゃならないんだ、どんなにつらくても」

 立ち止まって潮風に枝先を撫でられる松の老樹を見上げる。パラオで盆栽を愛でていた先任艦娘を思いだしながら汗を拭う。剪定の鋏を開閉する音までもよみがえった。松が枝を伸ばす塀の上をまるまる肥えたどら猫が悠然と渡っていった。どこの国でも漁師町には猫が多い。

 

 この港町は、紀州の漁師だった崎山次郎右衛門(さきやまじろうえもん)が、親潮と黒潮のぶつかる銚子沖にかねてより大望を抱き、降って湧いた紀州德川家仕官の話を断ってまで高神村外川浦(たかがみむらとがわうら)(現在の銚子市)に転住、万治元(一六五八)年から寛文元(一六六一)年にかけて漁港を建設したのがはじまりなのだそうである。もとよりイワシの群れが陸から望めた外川だった。干鰯(ほしか)は藍や砂糖、綿などの好適肥料として重宝され、あればあるだけ売れたのである。

 元朝霜がまた思い出した顔をしていった。

「F作業(任務中に手すきのものが興じる魚釣り)するまえには、陽炎型の黒潮と親潮がいたら、ふたりになにか珍妙な踊りをさせて大漁祈願にしてたよな」

「たいていの黒潮は乗り乗りだった。しだいに阿波踊りだのソーランだのバレエのパ・ド・ドゥだのが混じっていって、しまいにゃ邪教の儀式みたいな風情になってたな。付き合わされる親潮が不憫だった」

 元長波に戦友は手を叩いて笑った。

 

 渡銚した次郎右衛門は、漁法を知らず船も網ももたなかった外川の地元民に、任せ網や八手網(はちだあみ)といった紀州の漁業技術を伝え、のみならず干鰯場(ほしかば)を開設して、いわば第一次産業と第二次産業を兼備させることで磐石の産業基盤を築いた。さらには集落の区画整備にも着手し街区を造成。広村・湯浅・御坊から呼び寄せた百四十名余の紀州海民も移住して、村は浦貸し料や漁具の材料の売買などで現金収入が得られるようになり、世に謳われる外川千軒大繁盛(とがわせんげんだいはんじょう)の黄金時代を迎えることになる。

 しかし、明和元(一七六四)年、蜜月にあったかと思われた高神村と崎山家のあいだに、にわかに暗雲がたちこめる。初代次郎右衛門の干鰯場を四代目がおよそ二倍に拡張したことについて、高神村の土地をかってに侵奪したものであるとして地元の名士が訴えでたのである。当時、外川は数十年におよぶ不漁に悩まされ、富裕を誇った崎山家はかつての栄華のおもかげもなく窮乏し、村民からの求心力も地に堕ちていた。豊漁がつづいていれば干鰯場の件にも村は眼をつぶっていただろう。だが崎山家がもたらした、いまでいうハード面は揃い、ソフト面も村民たちはすでに吸収しきっていて、もはや紀州人から得られるものはなにもなかった。そのくせ崎山家はただ往年の栄光と功績を笠に着て漁場を占領し害毒をまきちらすやっかい者だと、そのように映ったのである。むしろ干鰯場うんぬんは、崎山家を筆頭としたよそものである紀州移民への非難の矛先にたまたま選ばれただけにすぎなかったのかもしれない。吟味を委ねられた地元領主としても、旅網(たびあみ)の漁獲から得られる税は地網(じあみ)方のそれを大きく下回っており、村民の不満を撥ねつけてまで崎山家、いや紀州人をかばい立てする義理はなかった。明和四(一七六七)年、崎山家は敗訴。四代目は紀州へと戻り、残った五代目も漁業からは手を引いたという。

「どんな英雄や救世主も、いつまでも居座られちゃ鬱陶しいってことだ」元長波がいう。

 わが国は海上輸送が経済の命綱であるために国土だけを保全しても国家として生き延びることはできない。商船を太平洋、フィリピン海のみならず、カレー洋を越えた中東までも闊達に往き来させる必要がある。当時の日本は専守防衛から領海外の深海棲艦をも殲滅する積極的防衛に転舵を迫られた。いっぽうで、艦娘を保有していない東南アジアの国々は安全保障が喫緊の課題だった。両者の利害が一致し開設にいたったのが在外海軍基地である。東南アジアに艦娘を駐留させて防波堤とすることで、日本は外洋から本土へ接近する深海棲艦を漸減できるし、より遠方へ足を伸ばす中継地としても使え、日本海軍基地を擁する各国は駐留経費負担とひきかえに間接的に艦娘戦力を手に入れられる。

 艦娘で構成される艦隊と、それを運ぶ護衛艦隊が投錨する艦艇停泊地、すなわち泊地は、日本海軍の基地だから、軍港が普遍的にそうであるように、現地に雇用を創出し、地域の活性化と産業の振興も自然と進むこととなった。艦娘だけでなく護衛艦隊の乗組員や基地の内勤もいるので、赴任する日本人だけで小規模な町の人口にも比肩する。酒をだす店、女を売る楼だけでなく、艦娘用に男を揃えた娼館も(いらか)を競った。

「ブルネイのジュルドンなんか、日本語ができなかったら仕事に就けないとまでいわれてたもんな」元朝霜が記憶をたどる。「街は日本語の看板だらけだったし、メインストリートは日本人街になって、日本料理店なんかもあった。日本が恋しくなったときなんかにゃ世話になったもんだ」

 

 海軍が開設した初の泊地はミクロネシアのトラック洲だった。これを皮切りにつぎつぎ各国と泊地建設の条約を妥結し、リンガ、ラバウル、ショートランド、ブイン、タウイタウイ、パラオ、そしてブルネイに在外日海軍基地が置かれていく。いずれもがかつて太平洋戦争のおり旧海軍が統治下に置いていたところばかりであったのは歴史の皮肉だが、海の外からの敵に備えるという点ではまったくおなじなのだから、前進基地にしろ泊地にしろ、その好適地が収斂するのはむしろ当然といえた。

 いまでは、そのすべてから海上自衛軍は撤収している。戦争にいちおうの終結宣言がなされて、深海棲艦が絶滅危惧種となってから、海軍が泊地を置いていた国々では、眼にみえて反日運動が活発化していった。運動は深海棲艦との戦争中にもしばしばみられたものだったが、結局は背に腹はかえられず、やむをえず諾々と日本に従っていたのである。しかし脅威が去ったことで、駐留経費などの負担や地位協定(日本軍人・軍属の公務中の犯罪は、日本側が第一次裁判権をもつ)だけでなく、各種通信機器の周波数帯や民間船舶の航路の制限といったこまごまとしたことにまで眼につきはじめたらしく、チョークポイント(海上交通路の集中する要衝)の支配をはじめとした日本の戦略に利用されているだけとして、反対運動は激化、燎原の火となって民族自決主義の域にまで達した。日本の太平洋での権益拡大を警戒していた米中露も国連に働きかけて干渉し、やむなく政府は在外海軍基地を段階的に撤収させることを決定。終戦から十年後には、最後の泊地となったブルネイからも撤退している。もはや日本は不要となったのだ。

 

「わたしたちは、次郎右衛門だったってことだ」

 

 元長波はいった。しかしふたりの笑みには影がなかった。泊地に単なる職場以上の感情を抱いていなかったせいかもしれない。犀利な目を持つものならむしろ元長波の瞳には羨望さえみることができただろう。ブルネイは戦争だけでなく戦後をも乗り越えて、新たな航路へ自らの意志をもって舵を切ったんだ。その出帆の喜びはなにものにも冒されるべきじゃない。そう元長波は信仰している。

 

 元朝霜の家は海沿いの一角にあった。古民家だった。この物件は退役後すぐに購入したという。海に近い土地は地価が暴落していた。「そこを狙ったのさ。いい買い物だった」この一帯は深海棲艦のいかなる攻撃もついぞ受けなかったが、住民の海への不信は根ぶかく、終戦当時の土地評価額は現在の十分の一以下だった。修繕の費用を入れてさえ銀行の世話にはならずにすんだと元朝霜はいう。

「徳島の家は?」

 と訊く元長波に、元朝霜はわずかに眉を曇らせたが、鍵を開けるために背を向けていて、それをみられることはなかった。

「まあ、入れよ」

 三和土(たたき)をあがり、茶の間に通される。「いい家じゃないか。でかいな」元長波が眼を輝かせる。ひとりで住むには広い。鴨居には花鳥風月を彫った欄間(らんま)もある。

「駆逐の寮は三段ベッドの大部屋だったろ、だからひとり暮らしするなら、きっとでっかい家にするんだってのが夢だった。だが実際住んでみると、ちとでかすぎるな。掃除がたいへんだ」元朝霜は襖で仕切られた茶の間、客間、床の間を透かし見るように見渡す。「人間ってのは、六畳、いや三畳一間くらいでちょうどいいのかもしんねえな。立って半畳、寝て一畳、天下取っても二合半ってな。それに虫も多いんだ。干してた洗濯物取り込もうとしたら卵産みつけられてたり、ムカデが壁を走ってることもある」

「それは勘弁だ。でもアマゾンよりはましだろ。熱帯雨林を歩いてたら、三十センチくらいのナメクジが肩に落ちてきたりしてた」

 内側が湯垢で白くなっている鉄瓶を火にかけた元朝霜が、彼女の隣に座る。

「戦争が終わって、生きたまま除隊できる、そう、自分の手で退職金を使えるってなって、具体的になにか考えてたわけじゃないけどさ、軍隊じゃない、新しい第二の人生ってやつを歩もうと、あんときはあたいなりにうきうきしてたわけよ。いままでは艦娘になるしかなかったけど、もうこれからはなんにでもなれるんだって」

 元朝霜らしくない歯切れの悪い語り口は、どこから話しはじめたらよいのかわかりかねているようだった。

「それで、とりあえず実家に帰ったんだ、徳島の。父はとうに死んじまってたから、母と妹が迎えてくれた。喜んでた。でもどこかひっかかった。とくに母親が。なんか、娘が生きて戻ってきたのだから泣いて喜ばなければならないと、そう自分に言い聞かせてるような、作り物っぽい顔だった。なんせ実の娘だからね、長いあいだ離ればなれっつったって、それくらいわかるさ。わかるけど、気づかないふりをした。考えすぎだってね。けど、三日目の朝、母親に起こされてさ、荷物まとめといたから出てってくれって。近所じゅうでうわさになってるっていうんだ、あたいたちは男の軍人と護衛艦に何ヶ月も乗り合わせてただろ、きっと懇ろになってたにちがいないって。んなわけねえだろっていっても聞かない。艦内は恋愛禁止だったし、まあたまに破って経歴に傷つけるバカが居はしたが、あたいは違う、信じないのかよ」元朝霜は母親のしぐさを真似て首を横に振りながら、「“あたしは信じるけど、世間はそうはみてくれない。男と女が長いあいだおなじとこにいて、なにもなかったなんて、それを信じろっていうほうが無理なんだ。それが世の中なんだよ。あんたの妹は婚約してるんだ。妹の幸せを考えるなら出て行ってちょうだい”。そうまでいわれちゃどうしようもない。やっと帰ってきたのに、追ん出されちまった。転々としてるうち、どっかいい家ねえかなって探して、ここに行き着いた」

 元長波は言葉もなかったが、

「ひどい話だ」

 絞りだすようにそれだけいった。

「軍の男とは寝てないが、娼館の男はよく買ったからな、あばずれって後ろ指さされても仕方ない。最近はそう思えるようになった」

 元朝霜は頬杖をついてそう笑う。在外海軍基地のある街では例外なく風俗街が栄えた。艦娘相手の商売で豪邸を建てた男娼さえいるという。

「わたしたちにはいなかったが、内地に旦那とか恋人を残してきた艦娘は」元長波は思いだすままに喋る。「内地から熱い思いのこめられた手紙が送られてくるたび、忘れかけてた人肌のぬくもりが恋しくなって、いてもたってもいられず、娼館へ走ってたな」

「愛と性欲は別だ」と元朝霜が相槌を打つ。

「ああ。愛してるだの、早くきみに会いたいだの、子宮がうずくもん読まされりゃ仕方がない。ションベンが限界で目の前に便所もあるのに我慢しろっていうようなもんだ。郵便を乗せた船が入港するたび、男娼どもが昼から活気付いてたっけ」

 郵便は不定期に輸送艦や護衛艦の貨物に便乗するかたちで運ばれた。艦を外からみるかぎり郵便が載せられているかはわからない。にもかかわらず男娼らはどうしてかめざとく判別できていた。彼女たちはむしろ男娼たちの出勤ぐあいで郵便の到着を知ることがよくあった。

「だからな、あたいはいまでも仕事で若い女の子が入ってくるたび、こういってるんだ」

 元朝霜が分別くさい顔をしていった。

「もし旦那が転勤になっても単身赴任はさせるな、おまえか旦那のどちらかが絶対に浮気をする、嫌ならついてけ、さもなくば下半身にくるようなメールはするなってね」

「よけいなお世話もはなはだしいな」

 片八重歯をみせて笑う元長波に元朝霜はしたり顔で、

「老婆心とはよくいったもんだろ?」

 と答えて、しゅんしゅんと音をたてる鉄瓶をとりに立った。煮えたぎる湯を急須にそそぐ。「ご新造の艦娘を娼館に案内するのも、先任艦娘の役目だった」いいながら熱い茶を湯呑みになみなみついで元長波の前に置く。

「そういう年頃だもんな。無理に抑圧するより、いっそ正しい避妊の知識を教えてやったほうがうまくいくんだ」元長波も和して啜る。「ああ、うまい」

 

 元朝霜に促されて庭に面した濡れ縁に並んで腰かける。揃って一服する。庭には湯槽ほどの大きさのコンクリ池が掘ってあって、そこにウーパールーパーを放しているとのことだった。たまに鳥や猫に盗られるが、増えもせず減りもせずに代を重ねているという。両生類の這う池を囲んで、季節の百花が千紫万紅とはいかないまでも咲き誇っている。花冠が風に揺れる。時間の流れが穏やかだ。

「ブルネイにしろパラオにしろ、あっちの男ってのは、ゴム着けねえんだよな、こっちが用意してなかったら、あたりまえのように生で入れようとしてくる」

 と口を湿らせた元朝霜が笑った。

「娼館っつったら店にゴム置いてあるのがふつうだと思ったら大間違いだもんな。やっぱりそこは売り物が男か女かの違いなんだろう。だからまずPXでゴム買ってから行くんだぞ、と」

 元長波の彼女がいうと、

「“ゴムは自分で用意しろ。もしくはピルを飲め”。あの戦争で学んだ、数少ない教訓のひとつさ」

 元朝霜は頬をひくつかせた。

「公娼は、まだいい。商売として海軍とながい付き合いするってんで心得てるからな。私娼が要注意だった。安いが胸に一物あったりする。誘われて寝た相手が、翌朝になるとレイプされたと騒ぎだす。黙らせるには結婚するしかない」元長波が吐息する。目当ては日本国籍または日本の永住権である。

 まだ骨にがんを患う前の、愛する男性に別れを切り出す前の、結婚式と披露宴の費用を防衛省のカードで立て替えさせようともくろむ前の、若く健康な軽巡洋艦娘だったころの川内は、夜ごと口を酸っぱくして駆逐艦娘たちに言い聞かせた。「クラブやバーに行けばあんたたちはかならずちやほやされる。勘違いしちゃだめだよ、それはあんたたちが日本の艦娘だからであって、あんたたちの顔やなにかに惚れたわけじゃないんだ。フェロモンただよういい男に口説かれても、一生を棒に振りたくなかったら常に冷静でいること。子宮じゃなく体のいちばん高いところで考えて」。つぎにこういう。「注意一秒?」。駆逐艦娘たちはこう唱和する。「ガキ一生」。川内のつぎのことばで駆逐艦娘たちは解き放たれる。「楽しんできな。夜はあっという間だよ」。

 しかし、いくら教えて対策を講じても妊娠する艦娘がまれにいた。

「あれは、昼間にクラゲのわんさかいる湖で遊んだ夜のことだから、パラオに赴任にしてたときのことか。大きな作戦が控えてて、死ぬまえに一発、男をくわえこむかとみんながめいめい街に繰り出してて」

 元長波は季節の草花を眼に映しながら記憶をたどる。

「そんななか、最後任の浜風が後込みしてた。そういうことに興味はあるが、勇気が出せないって感じだった。わたしたちは自分が先輩にされたように、彼女の背を押して一緒に連れていった。殺し文句はこれさ、“処女のまま死にたくないだろ?”。これで首を縦にふらない奴はいない。なんてったって、わたしたちはあのとき、まだ十代だったんだ」

「で、それから何ヶ月か経って、クラゲの湖で遊んだ日の真夜中に、いきなり砲声が響いて、あたいたちは飛び起きた」茶をひとくち含んだ元朝霜が引き継ぐ。「すわ敵襲かと、目も開ききってないまま指示を請うため司令部を走り回った。浜風がどこにもいないことにそのときは気づかなかった……気づいたのはあいつの姿を見つけたときさ。あいつは外でひとりへたり込んでた。腹が破けてて、あたりは血まみれ。撃たれたのか、敵はどこだと問い質そうとしたとこで」元長波を見やった。「おまえがいった。“おまえ、なんでもう着装してんだ”」

 どうやって武器庫と弾薬庫の守衛を丸め込んだのか、浜風は自分の主砲を持ち出して、自分で腹を撃った。ずたずたに引き裂かれたはらわたが腰から下を前掛けのように覆っていた。血走った大腸にクリーム色の小腸、やたら大きな肝臓、そして子宮。もっとも、もう子宮だとはわからないくらい原型を留めていなかった。

「わたしたちがバカみたいに突っ立ってると、浜風はモツをひきずって、血の海のなかから、なにか破片を拾った。よく見るとそれは、おもちゃみたいに小さな手だった。それからいきなり笑い出した」

“やった。これでみんなと戦える!”

 浜風は本隊から外されてドック入りとなった。いまなら不名誉除隊もまぬかれない不祥事だが、一週間して、浜風は本隊を支援する艦隊に編成されて作戦に参加していた。駆逐艦にしても遊ばせておく余裕などなかった。なんのことはない、その浜風は艤装を無断で使用しただけ。砲が撃てて、ソナーが使えて、爆雷が落とせて、命令に従えて、かつ本人にも意欲があるのなら、参加させない理由がないと司令官は考えた。

「そういう時代だった」元長波はいう。

 作戦が終わって帰投すると、浜風はまるであの夜の出来事などなかったかのようにいつも通りの駆逐艦娘に戻っていた。「クソ真面目で、ばかでかい胸の谷間のあせもに悩んで、ちょいと食いしん坊で……わたしたちも暗黙の了解ってのかな、話題には出さないようにしてた。あれは悪い夢だ。夢だったんだ。みんなでそう思い込もうとした」

 元長波の湯呑みはもう空になっていた。

「でもな、たまに、浜風が唄を口ずさんでるときがあるんだ。本人も無意識みたいだったが、それはどう聞いても、子守唄だった」

 いまでも、元長波の耳朶で浜風は子守唄を歌っている。

「定期健診の尿検査も、水洗トイレの水をそのまま提出してごまかしたんだろう。それ以来、尿検査するときは水洗トイレに墨を流しておくことになった。いまでもそうなのかな」元長波は述懐した。

 いっぽうの元朝霜は、浜風の腹から内臓が溢れでている光景が眼に焼きついて離れていない。

「退役して、この家を見つけるまでの間、一度だけ、小学校時代の同級生連中と久しぶりに会ったんだ。艦娘に志願しなかった子たち……。軍のにおいのしない友だちと話をしたかった。みんなで焼肉を食いに行こうって話しになって」

 元朝霜は訥々と語りながら新しい茶をついだ。

「ホルモンの盛り合わせが出てね。それを見た瞬間、うぞうぞ蠢いてるように見えて……トイレに近い場所だったのがあたいの人生の数少ない幸運さ」

 かすかに潮騒が聞こえる。

「自分がPTSDになんかなるはずないって思ってた。そんな弱っちい人間じゃない。死体の山のそばで仲間とにこやかに談笑しながら飯が食える、理想的な艦娘だって」

 元朝霜の声は震えている。原型を留めないほどに破壊された死体はいくらでもみた。内臓を突出させた艦娘や深海棲艦も数えきれないほど目にしてきた。なぜあの浜風の臓物だけが強烈に印象に残っているのか、元朝霜本人にもわからない。

「あたいは自分で思ってたほど、強い人間じゃなかったんだ」

 

 花々の隙間を埋める雑草の葉影づたいに、どこからか現れたカナヘビが走っていき、すぐさま茂みへと潜る。あんまりすばしっこいので長い尾の残像が見えたにすぎない。「ここに来たときから住み着いてた。まさかずっとおなじのが生き延びてるわけじゃないだろうけどな。代々この庭で暮らしてるんだ」元朝霜は湯飲みをカナヘビの消えた茂みに気安く掲げてから傾けた。

「この家で、トカゲやらムカデやらがでるこの古ぼけた新居で、再出発しようとした。ここを選んだのは、安かったのもあるが、やっぱり、海からは離れられなかったんだ」

 元朝霜は庭を、というより、前を見据えながら話した。

「新しい仕事も探した。けど、あたいらが入ったころの艦娘学校では、中卒相当だろ。ろくな就職先なくてさ。何年も無駄にした。とりあえずバイトしながら宅建の資格をとることにした。復興が進めば家を建てる奴も増える。土地建物の取引も多くなるって踏んだんだ。けどバイトがしんどかった。戦争が終わったあとも肉体労働するとは思ってなかったよ。時間はかかったがなんとか資格はとれた。ようやく再スタートが切れたと思った」

 そこで元朝霜は一息ついた。

「十年前、母が脳梗塞をやって、死にはしなかったんだが、左半身が不随になってね。介護が必要になった。で、妹が、母さんの面倒見てくれって連絡よこしてきた。十二年ぶりの電話がそれだぜ。追い出しといてそれはねえだろ、施設にでも入れろっつったら、“そんなかわいそうなことできるわけないじゃない、家族なのよ”、じゃあお前がどうにかしろといえば、“うちの子は受験を控えてるのよ、いまいちばんだいじな時期なの、それにお姉ちゃん、長女でしょ”ときた。仕方なしに引き取った。腐っても母親だから。家もこのとおり広いしな。それからはまあ、たいへんだったよ。飯から下までつきっきりで世話してやんなきゃならない。本人はなにひとつできねえんだから。真夜中にさあ、大声で“トイレに行きたい”って叩き起こされるんだぜ。こっちゃ昼間慣れない仕事で疲れてんのによ、眠い目こすって母親の寝てる部屋行ったら、“いつまで待たせるんだ”、これだからな。“あんたを産んでやったのはだれだと思ってる、親が困ってるときくらい、すこしは助けてくれたっていいじゃないか”。あたいがいうのもなんだが、女ってのは、しつこいんだよな。“あんたはあたしのことなんかどうでもいいんだ。早く死ねばいいとでも思ってんだろ”っつうから、そんなことないよって言い返せば、“ならなんであたしが呼んだらもっと早く来ないの。あたしのことがだいじならすぐ飛んでこられるはず。人間の本心は言葉じゃなく態度にあらわれるんだよ”と、そりゃもうネチネチ説教くらわされるわけだ。それが死ぬまで続く。おまけに給料がもらえるわけじゃない。戦争のほうがましだったよ、まさか殺すわけにはいかないからな……。母が亡くなったときは、正直いって、ほっとした。終わった。疲れた。解放された。だが間違いだった。葬儀の席でな、妹が、自分も法定相続人だから遺産を半分もらう権利があるっていってきたんだ。さすがにカチンときたね、病気の母親を押しつけて、葬式の宰領も費用もなんにも協力しなかったくせして、カネだけはよこせだからな。それをいったら、“姉さんが不自由な母さんを言いくるめて、口座からお金を引き出したりしてたかもしれないじゃない。不公平だわ。それに、うちはいくらお金があっても足りないの、独り者で自由な姉さんと違ってね!”だとさ。もうなにもかもが嫌になって、妹のいうとおり母の遺産を処分して、半分をくれてやった。手切れ金と思えば高くない。あんなの妹じゃないや。清霜のほうが百倍可愛い」

 一気に吐露した元朝霜は喉を鳴らして茶を飲んだ。口を拭う。

 元長波は反論をこころみた。

「ケタがひとつ足りないんじゃないか?」

 元朝霜は吹き出した。

「ああ、まったくだ」

「よかったら線香をあげさせてくれないか。おまえがなんといおうと、おまえを生んでくれたご母堂だ」

 元朝霜は一も二もなく奥の仏間へ元長波を通した。仏壇に父母の位牌が並べられている。遺影も飾られてあった。地板や膳引きには灰も埃もなく、仏飯はまだ乾いていなかった。

「楽だぞ。口答えしないからな」

 などという元朝霜に元長波は微笑して、仏壇の前に端座し、ろうそくに火を点けて、それを線香に移して香炉に立て、両掌を合わせた。

 元長波の家族は、彼女を懸命に理解しようとしていた。母は、たった一度だけ声を荒げたが、それ以外は元長波の想像を凌駕する我慢強さで死ぬまで献身的に尽くしてくれた。きっと母はいつか娘が元通りになる日を思い描いていたにちがいない。わたしはこの元朝霜よりずっと恵まれている。なのに前へ進めなかった。元長波は自分を責め続けている。



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四   テセウスの船

「釣りに行かないか」

 元長波が拝み終えるのを見はからって、元朝霜が提案した。元朝霜はいまにいたるまで腕カバーを外していない。

「いいね」

 元長波は快諾する。腕カバーのことには触れない。

 漬け物の瓶が並べられている物置には、釣竿が二本立てかけられている。どちらもリールに糸が巻かれ、ガイドから竿先まで通されている。うち一本を元長波に渡す。「きょうは日射しがやばいぞ」元朝霜が真新しい麦わら帽子を押しつける。自身も被る。

 元長波は笑う。「用意がいいな」

 

 行きしなの民宿で臭いの強いジャミ(アミエビを用いた撒き餌の一種)を購入し、かつて崎山次郎右衛門が整備したという、海へと通じる下り坂を下る。元朝霜が思い出し笑いをこぼす。

「ブルネイで、ショッピングモールから買い物カート、かっぱらってきてさ、乗る奴と押す奴のふたり一組になって、下り坂で競争したことあったろ、この坂をみるといつもそれを思い出す」

「たいてい、みんなつんのめって顔から落ちてたな。でもさ、わたしが乗って、おまえが押し役だったときな、背後から叫び声がしたから、振り向いてみたら」元長波は親指で元朝霜を指差した。「おまえがつまづいて、すっころんでてさ、しかも勢いあまって土下座みたいなポーズになっててな、爆笑してたらわたしも人んちの板塀に突っ込んだ。洗濯物干してたおばさんがめちゃくちゃびっくりしてたわ。いきなり買い物カートに乗った子供が塀突き破って乱入してきたら、そりゃあな」

 笑いながら、海に突き出た波止に折り畳み椅子を据える。同好の釣り人も散見された。手術用のゴム手袋をはめ、錘も兼ねるジャミカゴにジャミを詰め、胴付き(ハリスを幹として数本の針が枝のように伸びている仕掛け)をサルカンで手際よく道糸に結ぶ。元長波も元朝霜も釣り道具の扱いは慣れている。軍を去って二十二年経っていても。元長波の場合は意識的に海から離れていても。

 竿をしならせ、波を飽かず寄越してくる海へ仕掛けを投げ込む。竿を何度かあおっては沈め、先端のジャミカゴから餌を撒かせる。撒き餌の煙幕に胴突きの針がかくれるように仕向ける。ウキが波に揺られるのを折り畳み椅子に深く腰かけて眺める。そうしながら、艦娘だったころはよく釣りをしたと元長波は思い返している。護衛艦での航海中は釣りがむしろ奨励されていた。海と向き合うことで、天候が変化する兆し、潮流や風向を体で覚えることができるからだった。元長波は小笠原近辺で大振りのシロダイを釣ったことがあった。その日一日は英雄だった。

「ここいらはコバッちいのばかりだが、アマゾンじゃピライーバ釣りやったことあったよな」

 おなじく椅子に座って竿を上下させていた元朝霜がいま思いだしたようにいった。懐かしい名前だった。ピライーバはアマゾンの巨大なナマズだが、繁殖期に悠久の大河を何百キロと遡上する力を秘めているだけあり、型のいいものを釣り上げるのはカジキマグロなどと同等以上に至難とされている。

「スケールが違うもんな」

 元長波はビー玉ほどのウキを指さして、

「ウキにポリタンクを使ってた。糸もロープだった。餌だって、人間さまの晩飯にじゅうぶん使えるピラニアとかトゥクナレ(ピーコックバス。孔雀のような目玉模様を尾柄にもつ。大きいもので六十センチ。ゲームフィッシングの相手としても人気)を採るとこからだったもんな。指くらいある太い針に餌の魚を生きたまま背掛けにして、アラグアイア河の上をスケートしながら、はえ縄を仕掛けたっけ」

 ピライーバがかかると、ポリタンクのウキでさえ沈んだ。巨大ナマズは幅一キロもあるアラグアイア河を右に左に逃げた。彼女らと現地の艦娘たちが一致協力して格闘すること四十分。上がった二メートルの白銀に輝く巨体は流線型で、背鰭も三角形だから、ナマズというよりサメに近かった。食べるぶんの一頭だけ残してあとは市場へ並べた。飛ぶように売れた。夕方になると遠くに雷鳴がとどろき、紫の空にときどき閃電が走って、雄大なるアラグアイアを讃えるかのように美しく演出し、元長波の目の前には長さ三十センチ、厚さ五センチのピライーバの極上ステーキが湯気を上げていた。四十二年生きてきて、あのときのピライーバを超える味のステーキにはついぞ出会えなかった。

 元長波は元朝霜からビールの缶を受け取る。ジャミカゴの着底を維持しながらふたりは保冷剤で冷えたビールを喉に流し込む。元朝霜は缶ビールのなくなったクーラーボックスに海水を汲んで冷やす。

 やがてふたり同時に糸を巻き上げた。空になっているジャミカゴに撒き餌をふたたび詰めこんで糸を垂らす。ただ待っているだけでは魚は寄ってこないことを経験で知っている。

「夜釣りに出かけたこともあった。エイがかかって往生した」

 元長波に元朝霜が同意した。アマゾンでは川にエイがいた。黒地に白の水玉模様がクリスマスみたいにちりばめられたポルカドット・スティングレイ、照明弾のようなオレンジの斑点がきれいなモトロ、直径二メートルを超えるアハイア・グランディ……。どのエイも尾に毒棘があった。現地の艦娘たちは蛇蠍のように嫌っていて、釣れしだい撲ちまくって殺していた。アマゾン河ではほかにもフグやアジも釣れた。

「不思議だ」元長波はぽつりとこぼす。「アマゾンを思い起こすときには、魚のことばっかりで、深海棲艦と戦った印象がえらく薄い」

「ああ、たしかにそうだ」

 元朝霜が笑いをもらしたとき、その竿先が小刻みに震えた。海面に引っ張られる。竿を瞬発的に上へ引いてアワセる。

「強いけど軽いな。ギソかな」

 感触を確かめながら元朝霜がリールを巻いた。かかっていたのは二十センチのベラだった。元朝霜の郷里ではギソと呼ばれていた。ぬめる魚体は太陽の反射で青にも緑にも輝いた。「なんかヌメヌメするーってか」生まれてはじめて魚を釣った、ある鈴谷の狼狽をまねながら、元朝霜は手早く針を外してクーラーボックスに放り込んだ。氷水のように冷えた海水に落ちたとたんに魚が動かなくなる。またジャミを充填して竿を振る。

「先を越されたな」

 と、元長波の竿先が固まった。持ち上げると竿が大きくしなる。だが引きはない。元長波は作り笑いを貼りつけて、元朝霜と顔を見合わせる。

「地球を釣っちまった」

 ふたりは爆笑する。元長波は竿を思いきり上へ引く。ハリスが切れてふっと軽くなる。巻き上げて胴付きとジャミカゴをつけ直す。

 

「川内のこと、覚えてるか」

 ビールを飲みながら竿先を見つめていると、不意に元朝霜がいう。「あの川内な」骨肉腫を患った美しい川内のことだと思い当たる。

「いまでもあの川内の旦那は、ほかの女を貰わずに、ひとりで暮らしてるらしいぜ」

 意外なことを聞かされて、元長波はいぶかしむ。あれからもう二十年余りだというのに。だがすぐに理解する。前へ進めていないのは、わたしもおなじじゃないか。だが前へ進むとはどういうことなのだ? 彼の場合は過去を忘れてつぎの女を探すことなのか? わたしの場合は、目の前で死んでいった戦友たちのことを忘れて幸せをつかむことなのか? わたしは忘れたくない、と元長波は思う。きっと彼も同じはずだ。忘れたくないのだ。それでどれだけ苦しむことになっても。忘れることが前へ進む条件なら、前へ進んだら忘れたことになってしまうのではないか。足を踏み出せないうちに時間ばかりが荏苒(じんぜん)と過ぎていく。気がつけば、もう二十年以上も経っている。

「元は他人なんだから、いいところでふんぎりをつけりゃいいのにな」

 元長波は心にもないことを口にした。それができりゃ苦労はしない。元長波がいちばんよく知っている。

「そりゃ女の考え方さ」と元朝霜。「女より男のほうが、よほど純情なんだよ」

 じゃあわたしも純情なのか? 元長波は、違う、と心のなかで首を横に振る。彼は川内との約束を守り続けているのだ。わたしは、ただ弱いだけだ。元長波は自分を責め続けている。

 ビールの空き缶を灰皿にしながらたばこを吸った元朝霜が、

「霞のことは聞いてるか。おまえと顔見知りの霞かどうかは知らないけど」

 と訊ねた。

「一般参賀でやらかした、あの霞か?」

 元長波に元朝霜が、そうだ、とたばこの灰を缶の飲み口に落とした。

 十九年前、元霞だった女が、その年の天皇誕生日の一般参賀で、天皇がお言葉を述べられた直後に突如、群衆のなかからこう叫んだ。「陛下、どうかジャム島に行幸を。かの地で散華した、九万五〇〇〇名余の艦娘と将兵の魂を、どうかお慰めくださいませ。あの子たちはみんな、あなたのために死にました!」。その元霞はすぐさま取り押さえられ、連行された。その後どうなったか元長波は知らない。

「死んだよ。自殺だってさ」

 元朝霜に元長波は二の句が継げない。「なんでだ」絞りだした声は掠れている。

「詳しいことはわかんねえけど」元朝霜は竿と海を見つめながら元長波に教えた。警察に拘引された元霞は事情聴取を受けたが、心神喪失と判断され、また艦娘時代の功績と貢献を鑑みて、不起訴処分となった。そのかわり、その元霞はハイリスク認定となり、埼玉の海軍転換艦隊総合施設でPTSDプログラムを受けるよう命じられた。ハイリスクとは、自殺の可能性が非常に高いという意味だ。PTSDの影響で自殺するかもしれないから保護するという名目で、世間から隔離したのだ、精神病院に措置入院させるようなものだと、元朝霜はわがことのように憤った。元朝霜はその霞とは会ったこともないはずなのに。ともかく軍や警察は一件落着と安心した。ハイリスク登録を解除しなければ死ぬまで施設で管理できる。しかしそれは失敗だった。ハイリスクの認定を与えたことで、逆に彼らは元霞に無言で打開策を教えることになってしまった。自殺という手があった! 翌月のある晴れた早朝、その元霞は、施設の自室で手首を噛みきり、壁一面に血書嘆願を遺して冷たく横たわっていた。元霞はべつの元艦娘と同室になるよう割りあてられていたが、相手の女もハイリスクとして登録されていた。その元艦娘は元霞の遺体と血の遺書になんの関心も払っていなかった。この一件で、ハイリスク同士は一室にしてはいけないと、プログラムは改められた。

「おなじ戦隊じゃなかったが、そいつもわたしも、第32軍としてジャム島に配属されてた」

 元長波もその霞と面識はない。ジャム島で霞という駆逐艦娘を何度か見たような気はするが、それらの霞のひとりがくだんの霞であったかはわからない。しかし、元艦娘が一般参賀で騒ぎを起こしたとニュースで知って、しかもその元霞がジャム島防衛のために新設された32軍に所属していたと、かいつまんで紹介されて、急速に親近感を覚えた。そうか、おまえもあの島にいたのか。そして、生き残っちまったんだな。戦争が終わって、もはや戦後でなくなって、人々の記憶が風化していくことに耐えきれず、おまえは行動をおこしたってわけだ。元長波は強い羨望を感じた。天皇に直訴だって? よくもまあ大それたことをしたもんだ! 元長波にはそんな考え自体がなかった。その元霞はきっと、同胞の死が価値あるものだと証明せねばならなかったのだ。まぎれもない正義感だった。それもとびっきりの。だから行動に移さずにはいられなかった。なにもしてこなかったわたしとは大違いだ。すごいよ、おまえは。

「ジャムで、いったいなにがあったんだ。テレビや本で、守備隊の壊滅とか、集団自決とか、そういうマクロな話は見聞きしたが、いまでもよくわからない。いや、フラッシュバックが起きるならいいんだ」

 元朝霜に尋ねられると、渇いた口のなかに深雪の味が広がった。深雪の血を吸って膨れたヒルの石油臭い味。返事をしなくなってからかじった、深雪の肉の味。

「ときどき、いまでもわたしはあの島にいるんじゃないかと思うんだ」

 元長波は数日に一度はジャム島の夢をみる。抗悪夢剤のおかげでその程度に抑えられている。

「島じゅうに網の目のように張り巡らされた自然洞窟に籠って持久戦に持ち込むってなって……真っ暗な洞窟で寝るんだ。地熱でクソみたいに蒸し暑くて、みんな汗と煤と血とノミとシラミだらけ、一日中、昼も夜も敵の砲爆撃で地響きがして、補給も途絶えて修復材もないから、野戦病院の洞窟には腕やら足やらなくした艦娘がごろごろ転がって呻いてる、そういうところだった」

 島南部の地名からとってルバエハ野戦病院と銘打たれた洞窟内の、材木で組まれた三段ベッドの上で、彼女とおなじく長波を拝命した艦娘が「耳に蛆が入った、だれか取ってくれぇ!」と、肘から先がない両腕をばたつかせ、血の滲んだ包帯の巻かれた丸っこい断面で必死に耳を掻きだそうとしていた。「蛆が潜り込んで肉を噛む音が聞こえるんだ。痛い! 痛い!」。ある磯波は、右足の太ももを敵巡洋艦に撃ち抜かれて、肉が弾け、白い骨までみえているありさまで、切断することになった。「応急処置ですよね? 切っても、修復材でまた治りますよね? きっと補給は来ますよね?」。磯波の問いには答えず、軍医は弓鋸で切り落とした。麻酔もなかった。修復材も。最後まで。

 現地の女生徒らが志願して看護婦の役を買って出てくれたが、手も食糧も足りなかった。いまでもジャム島の洞窟からは炭化した艦娘だけでなく学徒看護婦の骨も多くみつかる。上陸した深海棲艦に火炎放射で焼かれた遺体だ。

 自分たちの壕もいつ攻めこまれるか。恐怖にさいなまれながら艤装を抱いて寝た。しばしば夢をみた。朝起きて、両親やきょうだいとともに朝食をとり、“やばい、もうこんな時間”なんていいながら学校へ行って、級友らと授業を受け、帰ってまた家族と食卓を囲む。入浴して、ふかふかのベッドで面白い漫画を読んで、寝る。起きると、石灰質の岩肌がむきだしの暗い天井がのしかかるように視界を覆っている。汗でべたべたの髪。歯磨きできないのでねばつく口内。何日も風呂に入れていないせいですえた臭いのする垢まみれの制服に体。まわりには似た風体の、痩せ衰えた艦娘たち。夢だったのか? このくそったれで陰気な穴蔵のほうが現実だってのか? いやだ、こんな現実はいやだ。夢から醒めようと堅いごつごつした壁をかきむしった。洞窟がいまも崩落していなければ、そして気温三十八度、湿度九十パーセントの暗黒世界で這いずり回って探す辛抱強さがあれば、どこかで元長波の爪を発見することができるだろう。

「どっちが現実で、どっちが夢なんだ?」元長波には区別がつきにくくなっている。「いまこうして内地で安穏としてるのが、じつは夢なんじゃないか。寝て起きたら、あの島の壕で眼を醒ますんじゃないか。そう思うと眠るのが怖いんだよ」

 沈黙が通りすぎる。消波ブロックを噛む波の音だけが響く。潮騒だけは戦時中もいまも変わらない。

 

 元長波の竿が強く押さえつけられるように下がった。我に返った元長波は、本能的にアワセてリールを巻く。重い。円盤のような魚影が海面に透けた。一瞬、アマゾンの淡水エイかと錯覚した。食いついていたのはカレイだった。四十センチはある。

「やるじゃんか!」

 元朝霜が感嘆の声を上げながら玉網で掬い上げ、素早くナイフをエラに刺し込んで延髄を断ち切る。血がコンクリートの波止に滲む。

 いまは楽しむべきだ。元長波はまた仕掛けを海へと投げた。釣りに骨の髄まで親しんだふたりは順調に釣果を重ねた。ほかの釣り人たちが一尾上げるあいだに三尾釣った。クーラーボックスはたちまちいっぱいになった。

「調子に乗りすぎたな」とても食べきれない数の魚に元長波は苦笑いした。

「いいんだよ、捌いてご近所にお裾分けだ。ちょうど晩飯なんにするか悩んでる頃合いだろ」

 ふたりは釣具を片付けた。かろうじて蓋を閉めることができた、魚で溢れかえらんばかりのクーラーボックスのストラップを持った元長波の手首を、元朝霜が握った。

「なあ、やっぱり、うちに泊まってってくれよ。まだ話したいことがいっぱいあるんだ」

 訪ねたいと連絡して、どこに滞在するんだと元朝霜に訊かれた元長波は、近くのビジネスホテルにでもと返事をしていた。「どこかの宿とかとってるのか?」「いいや」二、三目星をつけるに留めていた。緻密に計画を組むと、小さなずれひとつで全体が破綻することを、軍隊にいた元長波は知っていた。

「そんなら、いいだろ?」

 魅力的な提案だった。まだ話したりなかった。

「ホテル代が浮くな」

 元長波がいうと元朝霜はにかりと笑った。

「寝てるときに叫ぶかもしれないぞ」

 実際の元長波の気がかりはそれだった。自分の悲鳴で起きたこともあった。

「丑三つ時に便所行かせろって怒鳴られるよかマシさ」

 元朝霜は構うことなく先を歩いた。

 

 近隣の家々に釣果をわけて回ったのち、彼女たちは元朝霜の家へ戻った。「シャワー浴びたきゃどうぞ」元朝霜に従い、竿を塩抜きするため二本とも浴槽に入れて水を張る。ついでにシャワーで汗を流す。化粧が落ちてすっぴんになる。だが元朝霜になら恥ずかしくはない。

 浴室から濡れ縁のある廊下を渡っているとき、庭の池に眼をやった元長波は、わだかまる夕闇のなかでも目だつ、白いウーパールーパーの一匹に違和感を覚えて、立ち止まる。水面を透かしているために正体をつかむまで何秒かかかった。輪郭が崩れていた。右の前足と後ろ足がなくなっていて、やはり右脇腹に明瞭な爪痕が刻まれ、尾も半ばちぎれかかっていた。

「ああ、出かけてるあいだに、猫かなにかにやられたんだろ」

 入れ代わりに風呂場へ向かう元朝霜に教えると、飼い主はこともなげにそういった。

「あいつらはけっこうしぶといからな、大丈夫だよ。手も足もそのうち生えてくる」元朝霜は思いついたような顔をした。「まるでバケツをぶっかけられたあたいたちみたいにな」

 元長波の最初の出撃では、TacMet(可搬式気象観測システム)を洋上展開して別艦隊の空母のために天候を観測しただけだったので、なにもなかった。二度目の出撃で、咄嗟遭遇戦になった。だれも傷つかなかった。三度目の出撃で、元長波の右腕に敵駆逐艦の砲弾が直撃した。肘のあたりから腕が皮一枚でぶらさがっていた。訓練どおりすぐさま腕をちぎり捨てて止血した。不思議と痛みはなかった。帰投後にはじめての入渠が待っていた。薄めた高速修復材で満たされた湯槽のようなカプセルに全身漬かった。腕の断面から泡立つように無数の腫瘍が生まれ、骨や肉や神経や皮膚に変容し、みるみる腕が生えていった。座学では聞いていたし、映像でも見せられていたが、自分の身に起きているとなると、やはり異様の一語につき、眼が離せなかった。十分かそこらで右腕は元通りになった。元長波は何度も五指を閉じたり開いたりして、感触を確かめた。「すげえな」。それが率直な感想だった。生きてさえいれば、負傷しても不具にならずにすむ。

 四肢が欠損したり、内臓が腹部から漏れたりしても、生還した艦娘たちがそうであるように、元長波はそのたびに入渠で修復させられた。現代科学に感謝した。何度も続いた。不安にさいなまれるようになった。家族へ宛てるつもりで書き損じた、本当は三回目になるはずだった手紙には、こう書いていた。

「腕や脚に継ぎ目がないか、気になってしょうがないんだ。この手紙を書いてるこの手はほんとにわたしの手なのか? まるでロボットを操作してるみたいだ。ちっとも自分の手だと思えない。だって、わたしの腕は吹っ飛んだはずなんだ。足だって。もし、もし仮に、わたしのくそいまいましい頭が吹っ飛んで、バケツをぶっかけて、新しい頭が生えてきたら、それはわたしなのか?」

 死体に修復材をかけてもどうにもならねえだろ。長波だった彼女は手紙をくしゃくしゃに握りつぶしてハエが渦を巻くゴミ箱に投げ込んだ。

 

 元朝霜も、部位欠損と修復を何度も繰り返しているうちに、自分の体が自分のものでないような感覚に悩まされるようになった。生きているということの意味さえ、わからなくなった。

「なにをもってあたいはあたいと定義すればいいのか。切った髪は、ただのケラチンであって、あたいじゃない。ちぎれた腕は、ただの肉であって、あたいじゃない。じゃあ、あたいはどこにいるんだ?」

 元朝霜の答えはまだでていない。元朝霜は手首を何度も切っている。しかしそれは自殺を目的としたものではない。

「ときどき、自分にちゃんと赤い血が流れてるかどうか、無性に確かめたくなるんだ。死体は出血しないだろ。傷をつけて血がでるんなら生きてる。その実感っていうのか、証拠がほしいんだわ。“なぜ心に疑いをもつのか。わたしの手や足を見なさい、まさにわたしなのだ。触れてみなさい、肉も骨もある”……」

「ルカによる福音書第二十四章か」

「ああ。でもさ」元朝霜は肩をすくめてみせる。「現代の技術なら肉も骨もいくらでも複製できる。物質的なもの以上の確信がほしいんだ。で、お手軽に傷がつけられて、血のでるとこが見やすい場所ってのが、たまたま手首だったってだけだよ」

 彼女は元朝霜が隠してきた腕をみせてもらった。惨状だった。腕というよりラテン音楽のパーカッションに使うギロのようだった。元朝霜は照れた。「あそこを見られるより恥ずかしいな」治癒して盛り上がった線になったものもあれば、ごく最近切ったらしい、まだ赤みのある筋もあり、手首の下から肘の手前にかけて、じつに何十条という傷がびっしりと刻まれていた。手を切って死ぬには切断するか手首の動脈を切るか、それとも腕の裏を縦に深く切るかしなければならない。腕の静脈は縦に走っているからだ。だから元朝霜は横に何度も切っている。

「赤い血が流れるのを見るとほっとすんだ。あたいは生きてる。めでたいことじゃないか」

 屈託なく笑って元朝霜は廊下の角を曲がった。

 旧友の消えた濡れ縁で、元長波は傷ついてなおのほほんとした両生類を見つめている。人工多能性幹細胞、いわゆるiPS細胞の研究から偶然生まれた高速修復材は戦前から再生医療の希望の星として期待されていた。戦争がはじまり、艦娘が戦線に投入されると、臨床試験を兼ねて彼女たちの治療に用いられるようになった。「実験台だ。でも、そのおかげで片輪(かたわ)にならずにすんだ」それ以前の戦争、多くの傷痍軍人を生んだ時代の戦争に従軍した兵士たちより、自分ははるかに恵まれている。なのに前へ進めないでいる。元長波は自分を責め続けている。

 汗と塩を落とした元朝霜が、台所に立って魚を捌きにかかる。

「ギソは一夜干しがいちばん美味いんだけど、あしたには発つんだよな?」

 元朝霜に元長波は「朝のうちには」と答えた。

「新鮮なギソと、一晩寝かせたギソを食べ比べるのも乙だぞ」

 髪をざっくばらんに結った元朝霜は思わせぶりに元長波の顔を覗き込んだ。

「悪いな」

 元長波は苦笑いする。「いや、いいんだ」と元朝霜も白い歯をみせて引き下がる。

「なら、刺身と煮付け、塩焼きにしよう。手を貸してもらえるか?」

「もちろんだ」元長波は快く応じた。「なにを手伝えばいい?」

 熱帯魚のように華美なベラをまず塩で揉むように洗い、ぬめりを落とす。それを元朝霜が鱗を引いて、内臓を取り除き、皮に切り目を入れてザルに並べ、熱湯をかける。すぐに氷水を張ったボウルで身を締めて、水気をしっかり取ってから、そぎ切りにする。

 煮付けと塩焼きにするベラも、元長波が塩で洗った。三十分もしないうちにベラづくしの嘉肴が茶の間のローテーブルを埋めつくした。この日いちばんの収穫のカレイは、塩とレモン、酒をかけてなじませた香味焼きで供されることになった。

 ふたりは改めて乾杯することにした。「なにに乾杯する?」元長波が訊くと、元朝霜はすこし考えて、

「おまえが会いにきてくれたことにしとくか」

 手にしていた日本酒のコップを突きだした。元長波も酒杯を軽く当てる。一口呷る。不思議と甘く染み渡るような酒だった。もっと早くに会いにくるべきだったと元長波は考えている。

 ベラの白い刺身は、ほのかに桜色に染まっていて、眼でも味わい深く、口に入れてみると、こりこりとして、弾力と身の甘みはフグにも匹敵する。煮付けもまた、ぼってりとした肉厚の白身に、しょうゆとみりん、酒の煮汁がよく染みて、噛むほどに味がでる。雪が融けるように白身がとろけていく。

「いい身案配だな。ギソもこうして食うと美味いだろ?」元朝霜が刺身を平らげながらいう。

「うまい。たまんないな」煮付けにまなじりを下げた元長波は次に塩焼きを箸でむしった。白い身が湯気を立てる。元長波が刺身をできるだけ避け、煮付けと塩焼きに夢中になっているということに、元朝霜は気がついていない。味の薄いものを食べると、深雪の肉の味がする。噛んでいるものが肉であるときは特に。

 心づくしの食卓を見渡す。

「ベラの料理だらけ。これがほんとのベララベラ海鮮だな」

 酒の回った元長波がいうと、元朝霜はしばらくむせ返った。

「おまえは昔から、そういう、くだらねえことばっかいってたよな」

 目尻に涙を滲ませた元朝霜が、思い出をたどる。

「なんだっけ、飛龍としおいがどうのって……」

「ああ」

 元長波も記憶を探り起こす。真面目くさった顔でいう。

「“飛龍改二と伊401は、後方の事務方に就きたがる傾向にある”」

「“その心は?”」

 元朝霜が促すと、元長波は絶妙な間で決める。「“ホワイトカラーに憧れる”……」

 ふたりは、ジョークそのものよりも、むしろそんなもので笑っていたかつての自分たちの幼さとくだらなさのために腹を抱えた。

「2戦教でもその調子だったからな。いや、大したもんだよ」

 元朝霜が笑っていった。2水戦に入隊するための過酷な訓練が繰り返されていたある日、点呼中に課程主任の木曾が気まぐれに訊いてきた。「2水戦の2はなんの2だ?」。長波はこう答えた。「二度とごめんの二であります」。改二だった木曾は隻眼を細めて微笑した。課程主任はその権限の範囲内におけるしかるべき裁定を下した。「両手を着いて腕立ての姿勢をとれ」。

 元朝霜に、釣った者の権利だと促され、カレイの香味焼きに最初に箸をつける。ぱりぱりの皮ごと身を噛む。魚の旨みと塩味、レモン汁の酸味が抜群に合う。酒が進む。焼く前に微細を極めるウロコをペットボトルのキャップでこそぎとってあるから皮に臭みがない。

「内地で勤務してたころ」元朝霜もカレイの味を自画自賛しながら酔眼を元長波にやった。「金がねえなあって小遣い稼ぎしてたろ、ふたりで」

「舞鶴だったかな。PXでオクラと納豆、ストッキングを買ってきてな」元長波の脳裏に往時のできごとが甦る。

 オクラを輪切りにし、納豆は水で溶いておく。適当に伸ばしたストッキングの股間にオクラの粘りを、足裏部分に納豆汁を塗って、乾燥させる。これを“使用済み”として売るわけである。

「新入りの艦娘を捕まえてね……なにせこっちは何年も前線で戦った現役の艦娘だから、上級軍人を前にしたみたいにがちがちに緊張して、写真を撮らせてほしいんだけどと頼めば、そりゃ一も二もなく引き受けるさ。でもやっぱり表情がぎこちないんだよな、指名手配犯みたいになっちまう。だからまず、わたしが肩を組んで、朝霜にツーショットを撮らせたりして、緊張をほぐしてやる。で、打ち解けたとこで、いいねー、可愛いねー、出身はどこなの、あぁそこ知ってる、お、その顔最高だねー、とかなんとか褒めちぎりながら、何枚も撮る。やっぱり、女なんだよな。撮られてるうちにその気になって、ほんとのモデルみたいにいい表情をくれるようになる。そうやって二十枚も三十枚も撮ってれば一枚はベストショットが生まれる。それを添えて、インターネットオークションに出してた」

 元長波が語る。

「だって、わたしたち、そのときはもう、おばさんだったんだ」

「ああ。おまえが十八だったから、あたいがハタチだったかな」

 元朝霜が勘定し、彼女とともに吹き出す。十七、八を過ぎた駆逐艦は年寄り同然だというのが当時の彼女たちの共通認識だった。駆逐艦は死ぬのも商売のうちだった。歴戦の艦娘とかいうのは男には関係ない。若くて初々しい子のほうが買い手がつくに決まっている。そういうことなら、だれに教えられずともわかっていた。

「いい小遣い稼ぎにはなったな」

 いいながら元朝霜はベラの刺身をしょうゆに漬した。大きなカレイも骨だけになっていた。こんなこともあった。あるとき、前の月に艦娘学校を出たばかりの荒潮に写真を撮らせてもらった。

「それがまた、とんでもない逸材だった。花のつぼみが開いたような笑みのなかにも、小ぬか雨みたいに憂いを帯びた流し目が、女から見ても艶かしい子でねえ、とても十三歳とは思えなかった」

 元長波が元朝霜のコップに酒をついでいうと、旧友も、

「これは売れる! と確信したよな」

 彼女のコップに酒を足した。

 しかし、予想に反して、まったく買い手がつかなかった。こんなにきれいな娘なのに。ふたりで頭を抱えて考えあぐねた結果、パラオの翔鶴に相談してみようということになった。手紙や電報ではなく電子メールを送った。もうそのころには衛星回線が戦前同様に復旧していた。

 さて翔鶴に見せて事情を説明したら、「流し目なのがいけない、正面からのアングルになおせばいいわ」とすぐさま答えがきた。「どんなに美人であっても、自分を見てくれない女に男は興味を持たないものよ」。というわけで、またくだんの荒潮に頼んで、もう一度撮影させてもらった。

「ちゃんとカメラ目線で。こう、ちょっとだけ首をかしげて、口許に微笑みを浮かべた、いいのが撮れた。そしたら(元長波は手をパシンと叩いて)史上最高値で売れた」

 そのときの儲けはすべて、翔鶴への礼として菓子の詰め合わせと酒につぎ込んだ。航空便で送った。

「なにしろ、これからいくらでも稼ぐための秘訣を教えてもらったんだからな、安いもんさ、と、そんときは考えてた」

 元朝霜は水のように酒を飲んでいった。

 ところが直後、ふたりの副業が警務隊に露見し、二度と“商売”はできなくなった。

「まあ猥褻物を売ったわけじゃなし、この程度で謹慎させるほど戦力に余裕があるわけでもないから、せいぜい口頭での厳重注意で終わるだろう、厳重注意なら三年も経てば履歴から消えるから昇進にも響かないって読んでたんだ。読みは当たった。“悪事は知性のたまものなり”、けだし至言だね、ま、若気の至りだよ」

「そう、若気の至り」元長波の追想を元朝霜が引き継ぐ。「それに、うそはついてないもんな。ストッキングが使用済みなのは、オクラのネバネバとか納豆汁に浸けたという意味で使用したんだから間違いないし、新入りの顔写真は掲載したけど、この子が穿いたものですとはひとこともいってない」

 いずれにせよパンストで稼ぐのは禁止になった。不満たらたらだった。ふたたびパラオに転属となったとき、久しぶりに会った翔鶴が部屋へ手招きをしてきた。行ってみると、ふたりが贈ったお菓子と酒が手つかずで並べてあった。「いっしょにどう?」。

「おいしかったなあ。みみっちく食ってたら、きっと、あんなにうまくはなかっただろうな」元朝霜は懐かしがるようにいう。

 最高額で買われる決め手となったその荒潮の写真は、遺影となった。遺族は出征に際して遺影用の写真を撮っておかなかった。娘はきっと帰ってくるからそんな写真は撮りたくないと両親は考えていた。荒潮の戦死の報に接した元長波は、事情を聞き、あの荒潮だと知るや葬儀に先んじて駆けつけ、こんなものでよければと、かつて悪銭目的で撮影した写真を渡した。見るなり両親は泣き崩れた。そして信じられないことに、涙に咽びながら感謝された。「娘をこんなにきれいに撮ってくれて、ありがとう!」。彼女には実際に経験があるが、胸を砲で撃たれるような感覚だった。写真をなぜ撮ったのかは黙っておいた。いえなかった。それでいいじゃないかと思う日もある。よくないと思う日もある。いまでもそれが繰り返されている。

 外川は夜になると自動車の行き来も絶えるせいか、灘響(だんきょう)がより近くなる。したたかに酔った彼女たちの話題は猥談にも及んだ。

「清霜がな、だれかが出しっぱなしにしてた、コード付きのバイブを頭の上でくるくる回しててさ、“カ号観測機”とかいって。あいつ、なんに使うもんか知らなかったんだ」

 元朝霜のその話にひとしきり笑って、

「ブルネイだったかパラオだったか、タウイタウイだったか、いやブインだったかな、娼館で男買ったら、わたしのあそこの毛を見て嫌ーな顔しやがってさ。わたしたちは毛が生えてるのが大人の証だと思ってたから、心外だった。どうも日本以外の国では下の毛は剃るのが当たり前らしい」

 元長波も笑い話を舌に乗せた。

「あたいたちより、清霜のほうが先に生えたのがおどろきだった。“負けた!”って」といった元朝霜が遠い眼をした。「翔鶴さんの下の毛は素晴らしかった。こう、紫雲がかかったようにうっすらと煙る感じでね」

「ああ、みんなの憧れの的だった。翔鶴さん自身が背も高いし、手足もすらっとしてたから、余計にきれいに見えたんだ。並んだらわたしの胸くらいに腰がくるんだぜ」

 水平にした手を自身の胸に当てた元長波は、また飲んでから、

「腋も、全身の産毛にいたるまで、いつも完璧に処理していた、まるで毛穴すらないみたいに。それでいて、あそこの毛は婀娜っぽく、そよめくようで、山水画の霧かなにかみたいにうっすらと覆っててね。しかも髪とおなじで銀色だろ。だからよけいに悩ましい風情になるんだ」

「風呂だから濡れそぼって、毛にひっかかった水滴さえ、真珠のように輝いてみえるようになんだよな」元朝霜も、腕を組んで何度も首を縦に振っていった。「最強の空母でありつづけながら、毛の一本にまでこだわっていたってんだから、もう人為の領域じゃない」

「わたしたちとタウイタウイにいた瑞鶴さんはそういうのを気にするたちじゃないから、腋もあそこもスチールウールみたいになってたけど、その放胆さがまたね、魅力になるような人だった」

「う、ふ、ふ」元朝霜はコップを呷りながら怪しい笑みをもらした。

 こうして彼女たちの夜は更けていく。興が乗ってきて、ふたりはかつて翔鶴に教わった義太夫や浄瑠璃をかわるがわる放歌高吟した。この時間が永遠に続けばいいのにと元長波は思っている。

 友人と酒を酌み交わし、思い出話に花を咲かせている元長波は、はた目にはなんの問題も抱えていないようにみえる。気の利いた返しのできる、魅力的な女性。だから巻雲が沈むところを目の当たりにして、ジャム島から生還して、リコリス棲姫を破壊したのちポーラを救出して、ブラジルでの教導任務を終えて、敵空母〈シャングリラ〉追撃のための飛行場適地確保を成功させて、ブルネイで清霜の唯一残った右足首を荼毘に付して、戦争が終わって二年が経つまで、だれも元長波の異変に気づけなかった。元長波自身さえ。



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五   艦娘牧場

 夜半まで飲んだあと、元長波は適切に水分を摂り、眠剤と抗悪夢剤と鎮痛剤を服用して、元朝霜と布団を並べ、お互いの肩と腰に湿布を貼ってから床に就いた。

(シップ)が湿布の世話になるなんてな」

 元長波に元朝霜は失笑する。「とっとと減らず口と一緒に目を閉じなよ」

 いわれたとおりにした。よく眠れた。叫ぶこともなかった。熟睡しているあいだに元朝霜がトイレへ手首を切りに行ったことにも気づかない。

 翌早朝、元長波は元朝霜の家を発った。

「みんなによろしくな」

 古風を装った外川駅の待合室で元朝霜が沈黙ののちにいった。元長波は、幽明境を異にした仲間たちの顔と艦名を思い浮かべながら「わかった」と応じた。列車がホームに入る。元長波は、話し忘れたことはないか、もっと伝えるべきことはなかったか、急いで頭のなかを探したが、どれひとつとして明確な言葉の像を結ばなかった。

「なにかあったら連絡しろ」

 元朝霜もまた、なおも名残惜しそうに気遣った。

「ああ」

「なにもなくても連絡しろ」

「なんだそりゃ」

 笑う元長波に元朝霜は腕を差し出した。元長波は固く握り返した。

「じゃあな」

 元長波は二日前に白髪染めしたばかりの黒々とした髪を翻して海老茶のキャリーバッグを引きずった。ふたりは車窓を挟んでしばらく見つめあった。ときおり、ふたりとも車掌のいるほうを確認している。ホイッスルが吹かれるのに備えて身構えている。やがて車掌のホイッスルが鋭く吹かれる。心の準備はできている。大丈夫。列車がゆっくりと動きはじめる。元朝霜は手を振る。元長波も振り返す。列車が加速する。元朝霜は車輛がみえなくなるまで手を振りつづける。みえなくなったあとも、列車が消えた方角を見据えながら、ずっとたちつくす。

 

  ◇

 

 鉄道はゆりかごのように揺れながら北を目指した。

 茨城の鹿嶋市には、常陸国一之宮(ひたちのくにいちのみや)であり鹿島神社の総本社として知られる鹿島神宮がある。鹿島神宮はまた、下総国一之宮(しもうさのくにいちのみや)の香取神宮と一対で古来朝廷から厚く崇拝され、両宮とも境内に要石(かなめいし)をもつなど、さながら姉妹のように深い関係にある。

「艦娘学校でわたしたちのクラスの主任教艦だったのは雷巡の大井(おおい)で、もちろん最初の大井じゃないけど、わりと初期のロットらしかった。助教はその手足みたいなもんだ。助教のなかでもわたしたちは香取(かとり)鹿島(かしま)を赤鬼、青鬼って恐れてたよ」

 主任教艦より助教たちのほうが訓練生に接する時間は長い。おなじ助教でも、怒鳴り役の摩耶(まや)加古(かこ)より、理詰めで退路を淡々と絶ってくる香取型の二隻をこそ新入生は恐怖した。どれほどの存在であったのか、それを如実に表す挿話を元長波は思い出している。

「同期のなかにも要領のいいのがいて、どこからか菓子を調達して、消灯時間後に同室とひそひそ話をしながらつまむのを常習にしてたやつがいたのよ。その習慣がすっかり根付いたある夜、甲板(日直のようなもの)だった調達役があまりに疲れてたらしくて、早々に寝入ってしまった。それを知らない同室の子が待ちかねてささやいたんだ。“ねえ、お菓子まだ?”。その途端、隣の大部屋から同期たちが飛び起きて廊下に整列をはじめた。お菓子まだ、の“かしま”に反応したってわけ」

 

 艦娘を育てる艦娘学校でのとりとめのない記憶が、元長波の意思とは関係なく想起される。

 

 地方協力本部の広報官の引率で、十二歳以上十六歳未満の同年代の志願者たちとともにバスへ詰め込まれて、横須賀の艦娘学校へ向かうまでは、遠足気分だった。車内ではしゃいだ。なにしろ半数以上は一週間前に小学校を卒業したばかりだった。とくに気が合った子がいた。

「あっちのほうが年長だったけど、えらく仲良しになった。そいつは朝霜になった」

 艦娘学校がみえてくると、さすがにみな緊張した。

「はじめての軍事施設だし、親元を離れたことをあらためて実感して、みんな借りてきた猫になってたよ。どんなおっかないところなんだろうって、こわごわバスを降りたらさ、“ようこそ! よく来ましたね。疲れたでしょう”。迎えた下士官や、教育隊の助教艦娘たちはみんな優しくて、それこそ上げ膳据え膳で接してくれた。ほっとした。あこがれつづけた艦娘に歓迎されているって感じて、それがなによりうれしかった。軍隊って怖いところだと思ってたけど、なんだ、案外余裕かもしれないな。わたしたちは消灯時間前に口々にそう言い合った」

 二週間後の入隊式に向けて、制服にネームタグを縫い付けたり、敬礼や行進といった基本的な動作を手取り足取り教えられた。父兄も出席しての入校式で海軍少将から訓辞を受け、正式に日本国海上自衛軍人となった。式ののち、はにかみながら保護者と歓談した。親に甘えるところを同期生に見られたくない子供と、そうとわかっていて大げさに抱きしめたりする親たちの、微笑ましい光景があちこちでみられた。

「同期になるやつのひとりにちょっかい出しに行ったら、母親が元艦娘だって聞かされた。そいつもいまはじめて知ったって驚いてた。そのときは、なんであのかあちゃんは娘にいままで教えなかったのかわからなかった。ああ、いまならわかる。艦娘だったってことは、自慢できることばかりじゃないんだ、あの時代でも」

 その同期の母親は現役時代、駆逐艦夕雲(ゆうぐも)だった。

「その母親が、“みんな優しい?”って訊いてきてね、わたしたちが、うんって答えたら、“そーう”って、なんか意味深に笑うんだ。“まあ、とりあえず一ヶ月頑張ってみなさい”。楽勝だよって答えた。なんせ予知能力なんてなかったから」

 入校式が終わり、宣誓書(「私は、我が国の平和と独立を守る自衛軍の使命を自覚し……」)にサインをして、陽が傾いたころ、一〇〇〇人前後の新入生はいくつかの隊に分けられてそれぞれ講堂に集められた。指導艦が来るまで談笑して過ごした。艦娘になるという共通の目的があるだけにすっかり打ち解けていた。「きっと外にまで笑い声が響いていたと思う」と、元長波は時間だからという理由で尿意もないのに行ったトイレから帰ってきて苦笑する。

「主任指導教艦の重雷装巡洋艦大井が入ってきた。現役で、それもみずからの人生を軍に捧げたことを示す改二だ。その威厳と風格たるや、そこにいるだけでわたしたちの背筋を伸ばす力があった。“艦娘になる覚悟はいい”。これにわたしたちは気合入れて返答する、そしたら“これより第六十五期候補生の教育課程を開始します、あらためて入隊おめでとう。あなたたちの成長に期待します。以上”。それだけいうと、大井教艦は足早に教壇から下りて講堂を出てった。そのときだよ、“おまえら、上官が退場されるのになんで敬礼しねえんだ!”。怒声が響き渡った。摩耶助教だった。ほかの助教も、そりゃあ怒鳴る怒鳴る。“座りっぱなしで何様のつもり?”とか、“だんまりか。黙ってればすむとでも思ってんのかクソガキ”とか。空気がもう、びりびり震えるほどの怒鳴り声よ。机もおもいっきり蹴っ飛ばすしさ。わたしたちはなにが起こったのか呑み込めない。さっきまであんなに優しかった教艦が突然豹変したもんだから、泣き出す子もけっこういたよ」

 元長波は目尻に薄笑いを漂わせた。

「あなたたちのなかに、服務の宣誓を全文暗唱できる者は?」。代わりに登壇した香取助教が全体をねめまわす。凍りつく新入生にも何人かは手を挙げる強者がいる。「言ってみて。言えるんでしょ」。鹿島が促す。「早く言え!」。摩耶助教が一喝する。勇気ある新入生が歯をがちがち鳴らしながら起立する。元夕雲を母に持っている子だ。「私は、我が国の平和を守る自衛軍の……」「声が小さい。しかも間違ってる」「はい。私は、我が国の……」。膝が生まれたての小鹿のようになっていたが、だれも笑う余裕はなかった。

 

「いわば新人歓迎会みたいなもんだよ。恒例行事。毎年やってるんだ」元長波は話す。「理不尽っちゃ理不尽だ。入ったばかりで軍隊の決まりごとなんて教えられてないんだから、最初から完璧にできるわけがない。軍や戦場はそういう理不尽ばかりのところだということを学ぶ。ここはシャバとは違うんだと、まずはそれを身をもって思い知る」

 いまとなっては笑い話だと元長波は微笑む。

 

 喝を入れられたその日から一年間、新入生は艦娘になるために必要な精神力を鍛えるため、厳しい訓練を受けることになる。

「朝は五時起き。あの起床ラッパはもう二度と聞きたくないな、まるで黙示録だ。五分以内に布団を畳んで身支度を整えて舎前まで走って、点呼ができる状態にする。初日は大半の部屋が間に合わなかった。わたしたちの部屋は十三秒遅れたから腕立て十三回。で、助教はやり直しを命じた。ベッドで起きるとこからやり直しだ。今度こそと、起きて全力疾走で整列するんだけど、今度はわたしやその他が慌てすぎててね、制服の着用に不備があって、またやり直し。三、四度目で合格だったかな。それでようやく、起きることが許されるわけ」

 それから朝日を浴びて軍歌を歌いながら一・八五二キロを走った。ようやく朝食にありついた。食事の時間はわずか五分。ゆっくり味わうひまもなく、みんなかきこむようにして食べた。

 洗面のあとは隊舎の清掃が待っていた。助教の厳しいチェックが入った。

「鹿島助教が“これはなに”って、わざわざ脚立に上ってまで蛍光灯の上をなぞった指をわたしらに見せた。わたしは“埃が残っています!”。したら、鹿島さんが“見えないところだからサボる、それでいいの”。そんなんいわれたら“よくありません!”っていうしかないわな。もう立ってられないくらいおっかなかったよ。寿命いくらか縮んでいいから十分かそこら時間巻き戻したかったね。で、鹿島さんはいった。“細かいところまで気を配って。部屋の掃除もできないのに武器の点検や清掃ができるはずがない。不備一。腕立て十回”」

 午前八時には国旗掲揚。君が代とともに日の丸が昇りきるまで敬礼し続けた。

「整列して課業行進。そこからようやく授業がはじまる。最初のころは、そのときにはもうへとへとだった。時間が経つのが遅いのに、日が経つのは早かった」

 艦娘学校の訓練といえば持続走を元長波は連想する。気合いを込めるためクラスのひとりが順にかけ声を発して全員が復唱する。最初のかけ声は実にまともだった。「元気だしてファイト!」「元気だしてファイト!」。しかし、後のほうになるとネタ切れしてしまう。「おっぱい!」「おっぱい!」「乳首!」「乳首!」「すれて!」「すれて!」「痛い!」「痛い!」。

 リズムに乗れさえすれば、どんなに下品なかけ声であっても一緒に並走している教艦たちは叱らなかった。「もちろん、笑うのはご法度」そういう元長波は笑いをこらえきれないでいる。

 持続走のように、訓練の初期段階は陸の上での課業ばかりだった。艦娘といえば、洋上を悠揚迫らず、ときに縦横無尽に疾駆するものと信じ込んでいた新入生には意外だった。というのも、ほんの十二歳やそこらの子供を艦娘にする前に、まずは軍隊の最小単位である兵士にしなければならないからだった。体力も筋力もなかった。常識も。ある授業ではテントを設営した。テントのそばにはかならず雨を排水するための溝を掘らねばならないことを教えられ、作業に従事しながら、なぜ艦娘になろうという者が野営をしなければならないのかなどと不満を同級生とこぼした。しかし教艦らには新入生の心中などお見通しだった。元長波が回想する。

「まだ艦娘の運用方法が手探りだった時代、ある駆逐隊が遭難して、無人島に漂着したとかいうことがあったらしいんだ。救援部隊が発見したのは三ヶ月後。彼女たちはどうなっていたか。六隻中、三隻だけ生きていた。ビタミンC不足からくる壊血症と、サワガニのアメーバ赤痢、それに熱帯性マラリアにやられてね。海の上を滑って砲や魚雷さえ撃てればいいっていう教育方針で育った彼女たちは、ナイフの一本も携行してなくて、食べていいもの、食べなくてはいけないもの、食べてはいけないものの区別さえつかなかった。生き残った三隻も、骨と皮だけになって、着るものもなくほとんど全裸、歯茎からよだれみたいに出血してて、下痢便垂れ流し、おまけにいびつな禿げ方をしてた。あんまり飢えて、口が寂しいから、自分の髪をむしって噛んでたんだ。そういう“戦訓”を教えてくれた。みんな打って変わって真剣にテントを張ったもんさ」

 疑問に思わせたところで訓練の意義を示す。その手腕はさすがに洗練されていた。

 座学の内容は軍事そのものより普通教科が多かった。たとえば砲術は純然たる物理学と数学の世界だから、まず下地となる中等教育以上の学力が必須となる。官僚組織であるために日々大量の書類を捌くには一般教養程度の読解力と文章力がいる。訓練生は入隊した翌年の三月に修業式を迎える。つまり訓練生たちは、肉体を鍛錬しつつ、本来は中学校で三年かけて学ぶ義務教育の内容と、艦娘としての専門教育と技能、そのすべてを一年で身につけなければならない。

「一年の猶予がもらえるだけでも、じつはかなり改善がなされてた。わたしたちは恵まれた世代だったんだよ」元長波はいう。

 艦娘運用の黎明期には、最低限の訓練だけを施して戦線に送ることが常態化していた。訓練期間はわずか三ヶ月で、年四回、艦娘を生産していたが、それでも消耗速度に追いつかなかった。なぜなら、南方の要衝サーモン諸島ガダルカナル島を占拠した深海棲艦は大量の航空機を陸上に配備できる新種を君臨させていた。飛行場姫である。陸上を拠点にする深海棲艦に対する有効打を軍はなかなか発見できなかった。深海棲艦の生態や対策といった情報は各国間で共有がなされていないどころか、外交上の取引材料としていたので、どの国もおのおの独力で検証しなければならなかったのだ。日本も例外ではない。突破口がひらけるまでいくらかでも阻止攻撃を仕掛けるため海軍は短期速成の駆逐艦娘に魚雷や爆弾を抱かせて突撃させた。この特攻はいまでも賛否がわかれている。

「現役時代、わたしがアイアンボトムサウンドの特攻で沈んでいった艦娘たちをどう思っていたか。最高にかっこいいって思ってたよ。理解できないだろうけどね。朝霜のやつは、その作戦考えたバカはケツにバイブでも突っ込んでとち狂ってたとしか思えねえって憤ってた。いまは、かっこいいとは思わない。うらやましいって思う」

 元長波は努めて感情を抑えている。特攻は志願制がとられた。「望」と「否」の二文字が印字された紙が配られ、どちらかを丸で囲んで提出する。ほとんどの艦娘が「望」に丸をつけた。なかには「望」の上に「熱」とわざわざ書き加える者さえいた。「生まれる時期がちょっとちがえば、わたしもおなじことをしてたかもしれない。なぜだと思う? 志願しないほうがかえって百倍の勇気を要求されるからだよ」

 座学と訓練で頭も体も酷使され、ミスに対する容赦のない罵声と難詰が飛び交う毎日。里心がつくのも無理はなかった。

「隊舎の屋上には、羅針盤がでかでかと描かれていてね、東西南北がわかるようになってた。空いた時間なんかにそれで郷里のあるほうを向いて、両親とか友人とかに思いを馳せる。みんな泣いてたよ。わたしもね……。泣くだけならまだしも、なんせガキだろ、脱柵(脱走)も多いのよ。点呼でいないことがわかったらみんなで探した。そいつと同室のやつは連帯責任でいろいろやらされた。腕立てとか、屈み跳躍とか。ただでさえ訓練でボロボロだってのにさ。当然同期からいじめられる原因にもなる。いじめのないコミュニティなんかありゃしないよ。とくに軍隊は水槽みたいに逃げ場がないからね」元長波はいう。「軍隊ってのは、いじめられる奴のほうが悪いって考え方なんだ。どういうわけか、いじめられる奴は、どこ行ってもおなじ目に遭う。仲間の迷惑も顧みずに脱柵するようなバカを焙り出すのも訓練の目的のひとつってわけだ。たかが訓練や体罰から逃げるような奴をどうやって実戦で信用できると思う? だからみんなでクラスから押し出すんだ、膿みたいに。教艦たちもそれを黙認してた。ひとりを排除して全体が円滑に機能するんであれば軍隊は迷わずそうするんだ。おなじことをシャバの学校でやったら大問題だろうね。戦場では仲間の命、ひいては任務の成否に関わるから、きれいごとは言ってられない。でもシャバでは、きれいごとを挟む余地がある。そしてその余地があるなら、きれいごとはむしろ、最大限尊重するべきなんだ。個人を育てるのが目的なんだからな。軍隊式の教育で子供や新入社員の根性を鍛えさせろとか能書き垂れてる連中には、そこがわかってない」

 戦うだけが軍の仕事ではなかった。むしろ日常生活こそが訓練場といってよかった。ベッドメイキング、掃除、靴磨き。ベッドのシーツに一本でもしわがあれば教艦らに部屋をめちゃくちゃにされた。布団と毛布の畳み方から、ロッカーにハンガーでかける被服の向きと順番まで、ありとあらゆるものが規則で決められていた。

「はじめはうんざりだった。“そこまで指図されなきゃいけないもんか?”って。でもいまになると、そうやって一から十まで全部規定されてたほうがむしろ楽だって思う。そのとおりにしてりゃいいんだから」

 時間に追われる毎日だった。やるべきことはいくらもあった。そのすべてに完璧を求められた。元長波はたまたまロッカーの鍵をかけ忘れたまま課業へ向かってしまった。帰ってくると、ロッカーの扉も中身もすべて持ち去られていた。見回りにきていた助教のしわざだった。胃を絞られる思いで教艦室へ行った。

「学校の職員室とは大違いよ。鬼が島というか伏魔殿というか。入るにも作法がある。“入ります”の声が小さいと摩耶助教とかに怒られて追い出される、声を振り絞って入って用件をいおうとすると、今度は加古助教に“一歩前へ出てから申告しろ馬鹿野郎!”、また最初からやり直しよ」ロッカーの扉を立てかけた壁を背負って涼しい顔で事務作業をしている鹿島にようやく用向きをいえた。試練はつづく。

「“鍵かけてなかったわよね? ということはロッカーに入ってるものを盗られても困らないってことよね。なのに持って行ったらいけないの?”。もうなにもいえない。固まっちまう。“艦娘はどうやって海の上に立ってると思う?”。わたしは燃料って答える。“あなたはその燃料タンクのドアを開けたまま出撃するの?”。どんな細かいことも、結局は任務の遂行にかかわってくるんだ」

 大浴場の掃除はクラス総出で行われた。摩耶助教の命令は簡単だった。「水滴ひと粒残すな」。二ヶ月も経てばみな潔癖症になっていた。これは集団生活を基本とする軍隊では重要な意味を持つ。細かな不注意が積み重なっての事故、不衛生から食中毒でも起きれば、戦争どころではない。

「基礎訓練でわたしたちは、安全ってのは通常の状態ではなくて、不断の努力があってはじめて実現できる異常な状態であることを学んだ。病気とおなじだ。病気を異常だと思うやつは多い。むしろ健康でいるのが異常なんだ。健康を支える要素のいずれかを失うとあっという間に体調を崩す。手を離せばリンゴは落ちる。なにもしなくてもリンゴが浮いててくれるなんてことはない。リンゴを落とさないようにするには持ちつづけなければならない。だからわたしたちは、必死で無事故を維持した」

 事故もなく無事に戦線までたどり着いて、ようやく戦闘に参加できる。作戦遂行にあたって安全はイロハのイだ。それを訓練生に叩き込むのが教育隊の主要な任務のひとつだった。

「あのころ毎日しんどいと思ってた。世界で自分たちがいちばん割を食ってるみたいな顔してた。でもわたしらよりも教艦たちのほうが大変だったと思うよ。海のものとも山のものともしれない甘ったれたガキンチョ集めて、その全員を限られた期間で配属先の足引っ張らないどころか貢献できるレベルにまで育てあげなきゃいけないんだから」

 欠かせない訓練のひとつが水泳だ。燃料切れになって浮力を喪失した場合は自力で泳いで逃げなければならない。しかし訓練生のうち毎年平均して半数は泳げないという。

「わたしもカナヅチだった」元長波が頬をかきながら明かした。「いままで山と畑に囲まれて、海なんてみたこともない奴が艦娘になろうってんだから、こっちも教えるほうもひと苦労だよ。地本(地方協力本部)の募集係に志願したとき、断られるの覚悟で“泳げないんですけど”って白状したら、“大丈夫、海軍に入ればだれでも泳げるようになる”っていわれたんで、なにか秘訣みたいなの教えてくれるのかなとか考えてた。実際、秋ごろまでには一キロを泳げるようになってた。それまで水を何リットル飲んだことやら」

 同期で最も水泳が苦手だったのは、元夕雲の娘だった。

「そいつったら、鹿島助教に浮き輪に乗せられてさ。さらし者。でも、それが功奏して、クラスで最も長く潜水できるようになった」

 元長波が笑う。

 深海棲艦から得られた寄生生物との適合手術を受けて、彼女は長波になり、友人は朝霜になり、元夕雲を母にもつ同期生は伊168になり、艦娘としての本格的な訓練に明け暮れた。やがて、体内に定着した寄生体が増殖をはじめ、戦闘任務に従事しうる強度の干渉波を出力するにたる数にまで到達すると、深海棲艦と戦う上で最低限の作戦遂行能力を獲得した艦娘たちは、晴れて「改」となり、CR(コンバット・レディネス。戦闘任務に参加する資格)を取得するとともに、艦娘学校の卒業資格が与えられる。

 指導期間最後となる日、酒場の飲んだくれでも口にしないような卑俗なかけ声とともに持続走をしていると、香取助教がクラスを止めた。開けた草地だった。

「“はーいみなさん、なにが見えますか”、鹿島さんが笑顔で訊いた。たぶんあの優しい顔があの人の本来の顔なんだろうな。いっぽうのわたしたちも笑うのを我慢しながら、あるがままを答えた。“肉です”」

 訓練生の門出を祝って用意されたバーベキューが待っていた。教艦たちの私費と知ったのはずっと後のことだった。「みんなたらふく食べた」元長波の口元がほころぶ。艦娘学校を卒業するときには教艦もふくめた全員で記念撮影した。大井教艦から最後の訓示があった。

「最初にここへきたとき、あなたたちはなにひとつできない子供でした。たった一回の腹筋もできないただのやせっぽちでした。私語はするくせに訓練で声がだせない連中でした。あなたたちは変わりました。自分でアイロン掛けができるようになりました」

 みんな爆笑した。

「部隊に行ったら、とにかくがつがつ、攻めの姿勢でいくこと。どうせ新入りのあなたたちに、ミスしたら艦隊が危険に晒されるような重要な役目なんか任されるわけないんだから、失敗を恐れず、正しいと思ったらためらわずに突っ込む。そうすればあなたたちはどんどん強くなっていきます。成長した姿を実戦の海でわたしにみせてください。あなたたちの健闘を祈ります。以上」

 訓練生たちは敬礼した。一年前とおなじ轍は踏まなかった。恩師との別れに涙を流す者も少なくなかった。

 修業式が終われば臨席の両親と語らう間もなくそのまま配属先行きのバスだ。在ブルネイの第7方面軍独立混成第60海上旅団独立海上歩兵第399大艦隊に配属された元長波は横須賀本港へ、朝霜となった友人は大湊警備府へ向かうバスに乗った。伊168は潜水艦娘なので潜水教育部隊に入り直すためそのまま横須賀に留まった。再会を誓い合った。

「その機会がない可能性のほうが高いと胸のうちではわかってはいてもね。実際、あの修業式からもっかい会えたやつは、朝霜を入れて、ほんの一握りだった」

 実戦配備されて一年後、修復材で治したばかりの左手を閉じたり開いたりしながら横須賀鎮守府に出頭すると、助教だった摩耶と思いがけぬ再会をした。「立派になったなあ、見違えちまった」。摩耶は教え子に対する最大の賛辞を送った。面映かった。摩耶は、助教だったころストレスからくる逆流性食道炎に悩まされていたという意外な事実を明かした。「こんな小さい、可愛い子供たちを泣くまで怒鳴りつけたり、整頓がなってねえっつって部屋を荒らしたり、そんなことしたくて軍隊に入ったんじゃねえんだ。意味があるとわかってはいても」。摩耶は療養を余儀なくされたと恥を忍んで告白した。復帰して実戦部隊に転属願いを出し、五度目で受理されたとのことだった。

「あたしのこと、恨んでるだろ?」

 と摩耶は訊いた。

 だが、実戦を経験したことで、教艦たちの厳しい指導は、自分たち教え子への無限の愛情があってこそなせる業であることがわかっていた。それに、ジャム島から帰ってきたばかりの長波は、生還も、この再会も、泡のように弾けて消える夢にしか思えなかった。だから恥ずかしげもなく答えることができた。「愛してますよ、摩耶助教」。摩耶は耳まで赤くなった。

 指導しているあいだは胃薬が手放せなかった摩耶も、一緒にバーベキューを頬張った同期たちも、入隊式の日「あなたたちの成長に期待します」といった後わざと早々に講堂を去った大井教艦も、赤鬼の香取も、青鬼の鹿島も、もういない。あの日の卒業写真に収まっていたなかで、いまも鬼籍に入っていないのは、元長波と、元朝霜、元伊168だけだ。

 

 ……太平洋側を沿うように走る路線からは、鹿島神宮を戴く三笠山(みかさやま)を望むことができる。創建が皇紀元年という悠久の歴史にふさわしい、樹齢千年を誇る大樹のひしめく陰森凄幽の神域だったが、戦争がはじまって三十二年めのあの十一月三日、深海棲艦の大空襲により、樹叢の半分近くと、德川二代将軍秀忠(ひでただ)が奉納した社殿ほか一切が焼失してしまった。シャングリラ事件だ。なぜ深海棲艦が同襲撃において東京の十区と皇居に加えて茨城の鹿島神宮を空爆したのかは、いまでも詳細な理由が解明されていない。鹿島立ちという言葉があるとおり、鹿島神宮には旅の道中安全のご利益がある。このことから関東近郊では、女性が艦娘として外地に出征するおりに、家族や本人がその安全を祈願して鹿島神宮へ参詣することがいつからか流行した。艦娘志願者が増えるごとに鹿島神宮もまたにぎわった。大勢の人間が連日出入りしていたことから、深海棲艦に拠点として認識されたという説が有力視されている。

 鹿島神宮の祭神とされる武甕槌大神(たけみかづちおおみかみ)は、旅行安泰や交通安全のほか、軍神、航海神、農漁業や商いの守護神など、非常に多彩な性格を備えていることで知られる。

「何でも屋だ。駆逐艦とおなじだな。あれもこれもと、ひとつの器に全部を求められるんだ」

 味方に戦艦がいない任務はいくらでもあった。味方に空母がいない任務はいくらでもあった。味方に巡洋艦がいない任務はいくらでもあった。それらすべてがいない任務もまたいくらでもあった。では駆逐艦が編成にいない任務は? ひとつもなかった。

 昨年にようやく再建をみたばかりの主要社殿と奥宮を囲む、まだまだ風通しのよい鎮守の森も、焼けて折れた樹木の足下から、ひこばえが伸びはじめているという。木々はまた数百年、あるいは千年かけて森を元に戻そうとしている。わたしも元に戻りたかったと元長波は思っている。でもその元とはどの時点のことをいうのだろうか。清霜の足首を拾う前か、浜風が自分の腹を撃つ前か、深雪の肉を食べる前か、自分とおなじ長波を暗い洞窟に置き去りにする前か、ジャム島防衛におもむく前か、力尽きた巻雲が海に呑まれる前か、それとも艦娘になる前のことなのか。元長波にはわからない。



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六   消された時間

 人生は進んでいく。伊号第168潜水艦、シリアルナンバー640-010731だった彼女は、いまダイビングのインストラクターとして生計を立てている。戦争から帰ってきたとき、復員船を迎えたのは、少なくともそこにいた九十九パーセントの人々からすれば、感動的といってさしつかえない光景だった。愛する妻か、母か、娘か、姉か、妹か、姪か、孫娘の帰りを待ちわびた人たちで港は溢れていた。小中学校時代の同級生たちが掲げる歓迎のプラカード、横断幕、日の丸の小旗。凱旋だった。解体され、寄生生物のいないただの人間へと戻った元艦娘たちは、隊列を組んで船から降りて整列した。秩序。短い訓示ののち厳かに解散が告げられると、たちまち人と人とが入り乱れ、歓声と抱擁で埋めつくされた。迎えられた女たちは、ずっと待っていてくれた夫か、婚約者か、父親か、母親か、きょうだいか、息子か、娘を力一杯抱きしめた。無数のただいま。無数のおかえり。

 帰国途中の船内では最後の帰還前講座があった。軍隊や戦場から家庭に戻るには、軍に入隊するときとおなじくらいの心構えが必要だったからだ。講師を務めた重巡衣笠(きぬがさ)は帰国を心待ちにしている参加者たちに身振り手振りをまじえて講釈した。

「だれが迎えに来てくれる? もちろん愛するダーリンよね。子供もいる? 素敵! じゃあ、先に抱きしめるのは? もちろんご主人からよ。男は嫉妬深くてプライドが高いから、あなたに逢いたくてたまらなかったわと明確にアピールしてあげるの。子供にキスをするのはそのあと。ああ、花束を忘れないでね。帰港の直前になったら、ヘリで運ばれてくるから」

 既婚者をはじめ、抱きしめる相手が複数いる帰還者たちは何度もうなずき、ある者はメモをとりながら聴いた。

「家を守ってくれていたご主人への最初の言葉は? “ハゲた?”なんて禁句よ」

 参加者たちはどっと沸いた。笑う一方で、重要なことだと頭に刻んだ。

「旦那さんはあなたたちがいない生活に慣れてしまってる。居場所がないと感じるかもしれない。けれど大丈夫、そんなことない。旦那さんの外見が変わってしまっていても、口に出しちゃいけない。ショックを受けた顔を見せないためにも、とりあえず思いきり抱きしめる。そのあいだに心の整理をつけるのよ」

 戦場から帰ってきた女たちは、港でその講義内容を忠実に実践していた。抱擁、抱擁、抱擁。落ち着いたところで、周りにみせつけるようにキスをした。みていた人たちはにやにやする。みんなこのあと家でなにが行われるか知っている。スイートハートのもとへ無事帰還できた安堵。欲望。最高の戦利品。元伊168は、そうした華々しい喧騒から隔絶された、一パーセントの人間だった。

 

 元伊168の父親は、彼女が幼いころに妻と大喧嘩した夜、不倫相手のもとへ行って、それきり帰ってこなかった。いまどこにいるのか、生きているのかもわからない。父に関する記憶はほとんどなかった。母を殴った瞬間が今も写真のように脳裏にこびりついているだけだ。

 かつて駆逐艦夕雲だった母は、夫のつくった借金を返しながら女手ひとつで子供ふたりを育てた。母は子供たちに自らが艦娘だったことは教えなかった。娘はただ純粋な義務感から、母と弟を助けるために小学校卒業を待って、艦娘に志願した。母はそこではじめて自らの来歴を明かした。「後から思えば」と元伊168は振り返る。「むかしから、母は海のものをいっさい口にしなかった」

 養殖されたものであっても魚介はなかなか手に入らないから、かえって敬遠しているのだと思っていた。「あんなものは食べないほうがいいわ」。母はいった。「どうして? おいしそうだよ」。幼い娘に母は口をつぐみ、悲しい顔をした。答えはなかった。

 艦娘となって戦場に出るようになってから母が魚を疎んでいた理由がわかった。作戦のあとの、血と重油が波紋のように広がる海には、艦娘、深海棲艦問わず、数え切れない死体が重なるように浮かんだ。それに海鳥が群がった。おびただしい魚も。

 戦前に流行った都市伝説に、こんなものがあった。東南アジアで大きな津波があった。大勢の人間が海に呑まれた。翌年、その付近でエビが異常な豊漁をみた。世界中にチェーン展開するあるファストフード店では、何年かぶりにエビを使ったサンドが再販された……。

「それでもわたしはいままでどおりお魚を食べた。母とわたしにどこで違いが生まれたかはわからない」

 彼女が伊168として南太平洋の底で任務に就いているとき、日本では急激に痩せた母がスキルス胃がんと診断されていた。艦娘時代に南方へ派遣されたおりに飲んだ水から感染したピロリ菌が遠因だった。規定により、偵察任務中の潜水艦隊は完全に独立していて連絡のとれない状態にあった。そうでなくとも、艦娘として従軍経験のある母は、娘の任務への影響を憂慮して、病状を報せることを頑なに拒んだ。潜水艦隊が基地に帰還するのは三ヶ月後だった。母の余命も三ヶ月だった。沈没艦をだしながら生きて基地へ戻った彼女を待っていたのは、母の訃報だった。弟は姉の無事を祈願するため鹿島神宮へ参拝している最中に空襲に遭って帰らぬ人となった。戦中戦後の混乱で親類縁者とは音信不通となっていた。だから港で彼女を迎える者はいなかった。感動の再会が無数に繰り広げられるそばを元伊168は無言で通りすぎた。抱きしめる相手がいなかった。花束を贈る相手がいなかった。

「飢えや、寒さや、水や、惨めな思いや、仲間を失う辛さや、自分もそうなる恐怖に耐えて、結局、母親も弟も守れなかった。年金も、一生働かないで暮らせるってほどじゃない。生活の足しにしかならない程度。なんのために戦ったんだか、哲学者みたいに考えてたわ」元伊168はいう。

 

 病院の用事をすませてから、人もまばらな磯原駅のホームで待っていた元伊168は、列車から元長波が降りたときから、二十七年ぶりだというのに一目で彼女だとわかった。元長波もすぐ元伊168に気づいて笑顔をみせる。

「久しぶり。あなたはちっとも変わってない」元伊168は声をはずませる。

「おまえは美人になったな。逢えてよかった」

「やだ、こうみえてバツが一個ついたのよ……」

「結婚なんかするからだよ。結婚しなけりゃ離婚することもない。わたしをみろよ」

 と、他愛ないやりとりで久闊を叙した。潜水艦娘はその運用の特殊性から水上艦と組むことはほとんどない。彼女たちが顔を合わせるのは、艦娘学校をでてから三年後に呉で再会して以来だ。

 元伊168は、北茨城市の郊外にある小さなアパートに住んでいる。ダイバーとして、まだ海に関わっている。

「元潜水艦娘がダイビングだって? ぴったりすぎて逆に違和感があるな。坊主の葬式を寺でやるみたいな」

「最初からダイバーしてたわけじゃないよ。海はさんざん潜ったから、違うことがしたくて」

 駅前に駐車してあったSUVの運転席に乗り込みながら元伊168は答える。元長波を助手席に乗せ、日本中のどこにでもありそうな地方都市の寂しい県道を走る。

 戦争が終わると、艦娘になる道を選ばなかった女たちはどこに隠していたものか、長年の抑圧から解放された喜びを表現するように派手に着飾って、目的もなく街へ繰り出した。晴れ着族という言葉も生まれた。着るもの以上の意味を服に見いだすことが許されるようになって、華美を追求するファッションが流行した。晴れ着族でなくとも、お洒落を楽しみたい女性は、戦前とおなじく数兆円規模の巨大市場を築いている。

「きれいな服に携わる仕事をしてみようと思ったの。とにかく軍からも海からも距離を置きたかった。女の子らしい、華やかな仕事がしたかった」

 元伊168はアパレル関係に就職した。当時二十三歳だった。

 女性ばかりの職場という点は、艦娘だったころと同じだ。だがまるで違うようにみえた。おなじ女性であるはずなのに、新しい職場の同僚たちは艦娘とはまるで別の生き物のように感じられた。

「刑務所から出所した人間は半年は使い物にならないっていうけど、軍隊もおなじなのかも。シャバとは流れている時間が違うのよ。女としてのわたしの時間は、小学校を卒業して艦娘学校に入った十二歳のままで止まってた。まるで遠い宇宙に行って帰ってきたみたいに」

 駐車場に車を入れ、元伊168は小さな住まいへ案内した。冷やしておいたラムネを振舞う。「なつかしいな」元長波は礼を述べてから栓を開けた。びんのなかの圧力が解放されて、溶けていた炭酸ガスが微細な気泡になる。

「よかったら聞かせてくれないか、艦娘じゃなくなったおまえの話を」土産の菓子を差し出す元長波に、元伊168は「つまらないと思うよ」と前置きした。包みを開き、菓子を切り分け、ついで台所で夕食の支度をしながら、退役してからの身上を語りはじめた。

 

 アパレルにはショップの店員とか、デザイナーとか、マーチャンダイザーとか、いろいろあるんだけど、わたしは語学力を買われてバイヤーに配属された。潜水艦娘は海外にでずっぱりで、英語はもちろん、フランス語やイタリア語も必須科目だったから……軍隊にいた経験が少しでも活かせるって、胸が高鳴ってた。

 配属初日のことよ……直属の上司になるチーフのところへ挨拶に行ったの。きらびやかな人だったわ、女を磨いてますっていう感じの……。自己紹介のあと、彼女が「あなたの年齢、当ててみせましょうか? わたし結構自信あるのよ」って、ものすごい笑顔でいってきた。

「二十一歳でしょ!」

 わたしは二十三歳だった。それをいったら、チーフはわざとらしく口を覆って、目を剥いて驚いた、「やだ、本当? 若ーい! ピチピチ!」

 そこまではよかったのよ。彼女はこんなことを訊いてきた。

「じゃあじゃあ、わたし、何歳にみえる?」

 わたしは正確に言い当てようとした。

「三十五歳でしょうか」

 そうしたら、「はぁっ?」って、さっきまでの弾けんばかりのスマイルはどこへやら、深海棲艦をみるような顔された。彼女はまくしたてたわ。

「三十五歳! そうよ、わたしはたしかに三十五よ。でもねでもね、女にとって、年齢どおりにみえるってことは、年齢どおりに年とってるおばさんにみえるってことなのよ!」

 わたしはようやく自分がミスを犯したことに気づいて、何度も謝ったんだけど、取り合ってもらえない。周りに聞こえるような声で、「わたしは気を遣って若いめにいってあげたのに、うわー空気読めないの来たわーマジないわー」とか、「こういうときはマイナス二歳くらいにいうものよ、常識じゃない! 軍隊にいた子はこれだから使えないわー」とか、もう針のむしろだったわ。

 それがきっかけで目をつけられちゃったみたいでね、次の日、同僚の子とたまたま一緒にチーフへ仕事の件で判断を仰ぎにいったら、チーフが同僚だけに挨拶を返すの。で、同僚の子に、「ねえ、わたし何歳にみえる?」って訊いた……その子は「えーと、二十六歳!」って答えたわ。チーフはもう大喜びで「ウッソー、二十六? わたしそんなに若い? わたし本当はね、本当はね、三十五なのー」秘密を打ち明けるみたいに話すのよ、同僚の子もびっくりした顔で「ほんとですか? えー、みえなーい、お肌すごくきれいですし、目もすっごいきらきらしてますしー」……寸劇でもみせられてるのかと思ったけど、たぶん、あれが普通の女性たちの会話なんでしょうね。わたしは完全に異物だった。

 で、そこでチーフがはじめてわたしをみてね、

「ま、この子にはわたしは年相応の三十五にみえたみたいだけど!」

 いたたまれなくなって、わたしは謝るべきだと思った。

「チーフ、きのうは本当に申し訳ありませんでした」

 チーフはぶりっこしはじめたわ。「違うの違うの。謝らなきゃいけないのは、年相応のおばさんにみえたわたしのほう。ほんと、ごめんなさいね。それはともかくね、わたし、これからあなたがお客さまに粗相をしないかどうかが心配なの。軍隊にはお客さまなんかいなかったからCSの教育を受けられなかったんでしょう? でもだーめーよーこれからはそんなのじゃ。あなたは艦娘だったかもしれないけど、いまは違うのよ。ここでは社会のルールに則って働いてもらいますからね!」

 睨み付けながら席へ戻っていった……。

 同僚の子が耳打ちしてきたの、「年齢ピッタリ当てちゃったの?」

 わたしが「うん」っていったら、その子、憐れむような眼になったわ。

「終わったわ……。前ね、年齢当てクイズで三十七歳って答えた子がいたんだけど、すんごいイビられて、二週間で他部署に異動願だしたらしいよ」

 わたしもいじめを覚悟しなければならなかった。ある日、会議の準備をしていたら、左足がなにかに骨ごと噛まれてるみたいに痛んで……減圧症の後遺症よ。まさかいまさらくるとは思わなかったわ。そこへチーフがきてね、いつものように嫌味をいいながら……でもわたしもそれどころじゃなくて、事情を説明して、席を外すから会議の準備をお願いできないでしょうかって頼んだの。そういうことならしょうがないわねって、意外とあっさり引き受けてくれた。薬を飲んで、二十分くらいかしら、だいぶ楽になったから戻ったの……そうしたら、課長がわたしをみるなり、「遅刻するならするで連絡くらい入れなさい!」って。

「本来あなたがやるべき会議準備をチーフが全部やってくれたのよ」

 わたしはびっくりして、「遅刻なんてしてません、艦娘だったときの後遺症で体調が思わしくなかったから薬を飲みに行って、そのあいだチーフにお願いしていたのですが」そう弁明したんだけど、チーフは知らん顔よ。わたしそんなの聞いてないわよって。忘れちゃったんですかって訊いたら、「わたしがおばさんだから物忘れが激しいとでもいいたいの! 自分のミスを他人になすりつけといて、その態度はなんなの! これだから親方日の丸の軍隊あがりは……」

 みんながわたしを責める目をしていたわ。わたしは無力だった……生身の人間じゃ絶対に潜れない深度六〇〇メートルの海底下で敵潜水艦に無誘導の魚雷を直撃させたり、防潜毛をかいくぐって戦艦や空母を葬ってきたわたしが、そこではお局さまに逆らうただの愚かな新入社員だった。結局、そのプロジェクトからは外されたわ。おまけに、チーフがそのときのことを噂に流したみたいでね、社内ではわたしは遅刻したうえにチーフに責任転嫁しようとしたことになってた。そして、それは事実として定着しはじめていた……なにせ、相手は勤続十数年で、こっちはまだ二、三ヶ月だもの、みんながどちらの味方をするかくらいはわたしにもわかった。わたしは辛抱強く息を潜めるしかなかった。潜水艦娘だったときみたいにね……

 

 切った野菜をボウルの水にさらした元伊168は、テーブルに着くと、悔しさを飲み干すようにラムネをぐいとラッパ飲みした。

「何歳にみえるとか、そんなん訊いてどうすんだろな」

 黙って聴いていた元長波は苦笑いしながらそういった。

「当ててはいけないなんて、わたしには無理。深度やトリムを計器もみずに正確に言い当てる訓練を重ねたんだもの。数字を外すなんて考えられない」

「当ててやろうか。そのチーフ、自分の誕生日は部下におもいっきり祝ってもらわないと気がすまないタイプだろ」

 元長波に元伊168は笑いながら、

「しかも自分からは、きょうが誕生日だとはいわなかったわ。部下から、きょうお誕生日ですよね、おめでとうございますって花束だかプレゼントだかもらって、わざとらしくびっくりした顔して、“そうだった、きょうわたしの誕生日だったわ、仕事に追われて忘れちゃってた~わたしのうっかりさん”とかなんとかいって、自分で自分に軽くゲンコツみたいなのしてた。それで、要領のいい子は、ところでチーフ何歳になられたんですかって訊くの、もちろんチーフは、何歳にみえるってものすごい笑顔で訊き返す。それで二十七歳とかいうのね。“やだーわたしそんなに若くみえるぅー?”。ここまでがお決まりだったわ。郷に入ればっていうけど、わたしには合わなかったし、合わせたくもなかった。わたしがあとほんのちょっと賢ければ、腹芸で顔を覚えてもらう世界にも適応できたかもしれないし、するべきだったかもしれない。でも、あのチーフの誕生日で同僚たちがそうしていたみたいに、お局を一生懸命おだててお追従笑いで媚びを売ってるところを、もし艦娘時代の仲間にみられたらって思うと、やっぱりできなかった。だって、わたし、イムヤだったんだもの」

 

 郵便が届く。立とうとした元伊168が顔をしかめて左の膝を押さえる。

「痛むのか?」

「人工関節にしたとこがね」

 玄関から戻った元伊168は鎮痛剤を飲んだ。

 潜水には減圧症の危険性がつねにつきまとう。

 浅海を潜水航行しているときの潜水艦娘は水深に応じた圧力の空気を呼吸している。呼吸用の空気は酸素二割、窒素八割の圧縮混合気体を用いる。このため潜水中の高圧下では血液や組織に窒素が過飽和状態になるまで溶け込む。時間をかけずに浮上してしまうと、栓を開けたラムネのように、体内の窒素ガスが微細な気泡、マイクロバブルになる。多量のマイクロバブルは運動機能や脊髄、ときには脳にまで悪影響を与える。減圧症はおおむね深度三十メートル以上の潜水と急浮上を何度も繰り返すと陥りやすい。より深く、より回数を重ねるほど発症の危険は高くなる。

 元伊168は、現役時代には一回の通常潜航で、深度五〇〇メートルへの潜水を十数時間つづけた。最長で六十時間二十八分連続で潜ったこともある。これほど過酷なダイブ環境では毎回慎重に浮上しても後遺症は避けられない。戦時中の潜水艦娘は(特に戦争中期までは)みなそうだったが、元伊168の後遺症はなかでも最悪だった。

「あるときから左の足が痛くて痛くてしかたがなくなった。鎮痛剤でも治まらないくらい。思えばあの会議準備で痛んだときから兆候はあったのよ。どうにもたまらなくなって病院で診てもらったら、減圧性骨壊死だったわ。もう膝の関節が腐りかけてた」

 マイクロバブルが左足の骨を栄養する血管を塞いだことが原因だった。やむなく手術で人工関節にした。しかし遺残疼痛(術後三ヶ月を過ぎても消えない痛み)にいまも苦しみつづけている。何度治療しても痛みは消えなかった。

「まるで体が、艦娘だったころを忘れるなって、わたしにいってるみたい。これもホーミングゴーストなのかな」

 減圧症のリスクを軽減するナイトロックス(通常の空気より窒素に対する酸素の比率を高くしたガス)が海軍で実用化されたのは、終戦のわずか二年前だった。そのころにはすでに彼女の肉体は数々の任務をこなした代償として減圧症に蝕まれていた。ナイトロックスには酸素中毒のおそれがあるのであまり深く潜れない欠点もあった。

「手術とリハビリで長期療養ってことになって、ちょうどいいからさっさと退職したわ。いまはもう、その会社もないみたい。リハビリしながら、わたしにできることはなんだろうって考えてたら、やっぱり海しかなかった。復興も一段落して、レジャーを楽しむ余裕をもつ人も増えた。せっかく軍に潜水を叩き込まれたんだから、ダイビングのイントラ(インストラクター)にでもなろうかなって考えたの。退役した潜水艦娘がダイバーだなんて、自分でも安直だって思ったけれど、海は恐いばかりじゃないってことをできるだけ多くの人に知ってもらいたかった。ついでにそれでご飯が食べられたら、最高でしょ?」

「食えなきゃやってけないもんな」

「でも、甘かった。イントラの資格をとって、ダイビングショップに雇ってもらわなきゃいけないんだけど、とにかく人手が足りないから、常勤になりたいならダイビングを教えるだけじゃなくて、接客とか電話応対ももちろんしなきゃいけないし、事務仕事だってある。それは前の職場でもやってたからべつによかったんだけど、生徒やお客さんの送迎もひとりでやらなきゃだから、たいていのショップでは普通免許がいるのよ」

 元伊168は語を継いだ。

「まずトレーニング開発コースを修了させて、それからイントラ試験の学科と実技を勉強しながら、教習所にも通って。失業保険が切れてからはパートにもでたわ。ダイビングの機材も自前だから、もうとにかくお金がかかるかかる。まだあのころは恩給年金が減らされる前だったからなんとかなったけど」

 

 トレーニング開発コースに参加するためには、プロダイバーの初歩ともいわれるダイブマスターの資格を取得していなければならない。そのダイブマスターの受講には、前条件としてアドバンスド・オープン・ウォーター・ダイバーと、エマージェンシー・ファースト・レスポンス(EFR)の資格が要求される。

 

 アドバンスド・オープン・ウォーター・ダイバーは、水中でコンパスを用いて目的地へ向かうコンパス・ナビゲーションや、海底の地形を目印に泳ぐナチュラル・ナビゲーションを修得する水中ナビゲーションのほか、水深十八メートル以深におけるより高度なダイビング計画を策定するディープ・ダイブ、デジタルカメラによる水中撮影の技術を獲得するデジタル水中写真ダイブなど、二十の科目から五種類を選んで受講する。

 

 EFRでは、日常生活で起こりうる緊急事態を想定し、心肺蘇生や応急手当の基礎知識を学ぶ。

 

 いずれの学習内容も潜水艦娘にとっては艦娘学校と潜水教育隊でほとんど修得していて、「いまさら!」と思うものばかりだが、資格として取得するにはあらためて費用を払い、教材を買って受講し、協会から証書が発行されなければならない。

「あと、最低四十本のダイブ経験も条件に入ってた。軍で艦娘として潜ったのは艤装の性能頼みだからノーカウント。それで仕事と勉強の合間を縫ってダイブもしてた。もちろん、そのお金も自腹。ダイブマスターになって、やっとトレーニング開発コースに行けるの。イントラの玄関よ」

 聞いていた元長波が息を吐いた。

「気の遠くなる話だ。ダイバーってのは資格まみれなんだな」

「艦娘みたいでしょ?」

 

 艦娘は資格で武装しているといわれるほど多種多様な資格を必要とした。前線において自分でメンテナンスやある程度の修理をするための艦娘用艤装の準整備士資格。燃料を扱うための危険物乙種四類と、油濁防止管理者、有害液体汚染防止管理者資格。遠洋にでるので海技士(航海)の資格。無線交信をおこなうための一級海技士(通信)に無線従事者資格、船舶局無線従事者証明。艦娘が着装状態で洋上にあるときは法的に船舶扱いとなるから小型船舶操縦士免許。艦隊を引率する旗艦はもっと資格が多くなる。

 これらに加え、深海棲艦と戦うための兵装を使うにも資格がついてまわる。駆逐艦娘なら主砲として搭載されるものには、十二センチ単装砲、十二・七センチ連装砲、そのB型改二、十センチ連装高角砲、十二・七センチ単装高角砲、十二・七センチ連装高角砲などがあるが、これらを扱うにはそれぞれ別個に資格が必要になる。たとえば十二・七センチ連装砲の資格しかない艦娘が十センチ連装高角砲を搭載、発砲することは違法となる。いずれの武器も構造が複雑で、すべておなじようには操作できないからだ。魚雷発射管や各種の対空機銃にいたるまで、兵装の使用には個別の資格を取得していなければならなかった。

 船乗りとしての各種資格があるのだから、退役後も民間で登用が望めるかというと、そうはならなかった。たとえば一級海技士(航海)の資格は、二級海技士(航海)の資格を有したうえで、航海士の役職なら四年、一等航海士か船長なら二年以上の乗船履歴がなければ受験できない。油濁防止管理者資格を受けるには、タンカーで油脂の取り扱い作業に一年以上従事しておかなくてはならない。しかし艦娘を戦力化するにあたってそういった実務経験を積ませている時間的余裕はなかった。そこで政府は艦娘にかぎって受験資格から乗務経験を免除して試験を受けさせることにした。いわば戦時の艦娘特権であったので、本来は必要な実務経験なしで取得した資格は、退役すれば自動的に失効することになっていたのである。

 

「世の中、うまくいかないもんだよな。あんなに勉強したのに」元長波はおおげさにうんざりして不満を漏らした。その様子に元伊168が微笑んだ。

「艦名を返上して、作戦じゃなく、ただの娯楽のために潜るとね、あのころには見えなかったものが見えるようになった。そういう意味では驚きと発見の連続だったから、資格の勉強も新鮮なことばかりだったし、本数稼ぎのダイブも苦にはならなかったわ。わたしはそれなりに星(撃沈数)を稼いだ潜水艦娘で、海にも慣れ親しんでいたつもりだったけれど、海の中のこと、なにもわかってなかったんだって思い知らされた」

「どう違うんだ?」

「生身だから、イムヤだったときより、あまり深くは潜れない。泳ぐ速さも段違いに遅い。明るい海中をのんびり行ったり来たりするだけ。武器も持ってないし。それが嫌でダイバーにならない元潜水艦娘も少なくないらしいよ。深く、鋭く、自由自在に泳ぎ回っていた輝かしい思い出を汚したくないって。わからなくもないわ。潜水艦娘として戦うためにわたしたちは戦闘機動を体に叩き込んだ。魚雷を命中させるには敵潜の六時方向に占位しなければならないし、相手からの雷撃も避けなきゃいけないから。その場の最適解では二手先、三手先で詰む。おまけに、一対一ならともかく、複数と複数だから、マニューバをいくつも組み合わせて三次元空間内を敵味方が複雑に切り裂くの。自分の尻尾を追う馬鹿な犬みたいに相手のお尻を追いかけるだけじゃなくて、E-M理論(より大きな戦闘機動エネルギーをもつほうが有利な攻撃位置をとりやすいとする理論)をつねに念頭に置いてね」

 元伊168は両腕を右へ左へ交錯させながら説明した。

「急浮上はできないし、加速度と旋回半径も上限があるから、おのずと機動はかぎられる。だから海中をすべて使えるわけじゃない。あのころは海が狭かった。みえない天井があるようなものだから。レジャーのダイブだってタンクの行動半径より遠くは行けないけど、でも、ときどき、寂しくなるの。広すぎて」

 わかる気がする、と元長波は思っている。艦娘だったときは自分たちこそ海原の支配者だと驕っていた。海を味方につけている自信があった。いまは海が他人の顔をしている。

「イムヤじゃなくなったわたしは、ダイバーとして新たに生まれ変わらなきゃならなかった。なまじ潜水艦娘のプライドとか知識があるから、まっさらな人より手間取ったかも」

 インストラクターの資格をとり、晴れて常勤として雇用されても、けっして順風満帆ではなかったという。

「下世話な話になるけど、手取りってどんなもんなんだ」

 元潜水艦娘は少し考えて、

「基本給プラス、ダイビングが多い夏の繁忙期手当とか、わたしのいたショップには固定客をつかまえたらそのぶん歩合制でとかあったんだけど、もろもろ合わせてだいたいこんなもの」

 指で数字を示した。おどろくほど少ない額だった。

「そんならセブンイレブンでひと月二十五日バイトしたほうが稼げるな」

「ほんとね。何年も勤めて役職のついたイントラでも、まともな会社の大卒の初任給のほうが高いのよ。そういう仕事なの。しかも冬にダイビングする人なんていないでしょ、そういう時期はもっと低くなるわ。それでもわたしはよかった。子供のころ、海は間違いなくわたしの仕事場だった。そこへまた仕事で戻れる。うれしかった。青一色の世界、ロウニンアジの途方もない群れ、海底をのそのそ歩くテンジクザメ、雲みたいに頭上を悠然と覆っていくジンベエザメ……。それに、海で色とりどりの魚をみたときの、お客さんの反応ときたら! 戦時中に趣味のダイビングなんてなかったから、海で泳ぐ魚やカメをその眼でみるのがはじめてっていう人も多かったのよ。だれもかれもが感動してた。それだけでどんな苦労も吹っ飛んだ。たぶん、あれがやりがいってやつだったんだと思う」

 日常業務に追われ、ナイトダイブの依頼があれば残業もしながら、インストラクターとしてのキャリアアップのため勉強もつづけた。寝る間も惜しんだ。

「だれにも命令されてないのに、自分で目標を設定して仕事なり勉強なりしてるのが、なんだか不思議だった。作戦を作成するのとは違う。大きくいえば自分の生き方を自分で決めるために毎日があるのよ。ああしろ、こうしろって二十四時間決められたとおりにしていたころとは、なにもかも正反対だった。順応するのに苦労したわ」

 

 元長波は神妙に頷いた。自分の生き方を自分で決める。元長波がしようとして、できなかったことだった。退役した元長波は実家でなにをするでもなく無為徒食(むいとしょく)に過ごした。きょうこそはなにかをしよう、再就職のための一歩を踏み出そうと、毎朝自分に誓った。なにもできないまま日が暮れた。それが何年もつづいた。母はよく耐えた。だが当時はそれを(おもんぱか)ることができなかった。気遣いが鬱陶しいとさえ思っていた。自分のことだけで精一杯だった。増えていく薬を酒で飲むこともあった。そういうときは決まって留置場で目を覚ました。警官に見覚えのない人間の写真をみせられ、おまえはこの男を殴ったのだと説明されても、「なんのことかわからないがあんたがそういうんなら残念ながらそうなんだろう」と答えるしかなかった。身元引き受け人はいつも母だった。自分ではなにもいわなかったが、担当の刑事によると、母は先方にひたすら謝って被害届をだすのだけは許してもらったということだった。帰り道、母はただ、「お腹空いたでしょ?」とだけいった。元長波は二度と繰り返すまいと肝に銘じた。何度かつづいた。母はついに、警官が行き交う警察署であたりはばからず、娘に手を張り、声を荒げた。

「戦争がつらかったのはわかるわ。でも、もう何年経ったと思ってるの? いつまでこんな生活をつづけるの? いつまで引きずれば気がすむの?」

 そして母はこうつづけた。

「結局、あなたはどうしたいのよ」

 思わず元長波は訴えた。

「まさにそれを知りたいんだ。わたしはどうしたらいい?」

 答えはみつからなかった。同期の元朝霜も元伊168もみつけていた。同期にできてなぜわたしにはできないのか。自分が弱いからだとしか思えない。いや、それ以上に元伊168が必死で働いたから前へ進めたのだ。

 

「苦労したろ」

「戦争中とおなじくらいね」元伊168は万感の思いがこもった笑みを滲ませた。「コースディレクター(ダイバーのインストラクターとしては最高位の資格)を取って、お金もこつこつ貯めて、青色欠損だの減価償却だの、自営業に必要なことを店長に教えてもらって、自分のショップを開いた。独立よ。仕事はもっと増えた。自分のことだけじゃなくて、経営に、従業員の人生も考えなければならないもの。収入に関係なく銀行にお金も返していかなくちゃいけないし、やっとお金が入ってきたと思ったら決算の時期だったり。最初の三年はずっと赤字」

「三年も?」

「新しくお店を構えたら三年は赤字がつづくのが普通らしいの。銀行もそのつもりで計画を立てるんだって。それ聞いて、すこしは気休めになったわ」

 元長波は興味深く傾聴している。銀行から金を借りて自分の店を開くだって? 一国一城の主じゃないか。大したやつだよ、おまえは。

「自分の給料はゼロにしてでも、従業員のお給料は確保したわ。彼らは仕事をしにきてるんだもの。若い子ほど、好きなことを仕事にしてるんだからお金は二の次とか、ダイビングできるだけで幸せですとかいうんだけれど、従業員がうちの仕事一本で生活していけるようじゃなきゃ経営者失格って信じてた。まあ、あまり昇給まではしてあげられなかったんだけど。もう毎月、返済と経費でいっぱいいっぱい。四年めでやっと黒字にできた」

 ダイビングをはじめてから出会った男性と結婚したのもその頃だった。公私ともに努力が実を結びはじめていた。「すごいじゃないか」元長波の素直な賞賛に元伊168ははにかむ。

「お店がどうにか軌道に乗ってから何年かして、あるとき引率したダイビングのお客さんのひとりが、こんなことをおっしゃったの。“この魚たちを家で観ることができたら”。それで思い立って、育ってきたスタッフにショップを任せて、南の海の珍しい魚を日本に輸入する仕事を立ち上げたわけ」

「潜水艦娘らしい考え方だ」

「減圧の知識があったから、並のシッパー(現地で魚を捕まえて輸出する業者)では手がだせない深海の魚に目をつけた。わたしたち潜水艦娘にとって、深海魚ってそんなに珍しいものじゃなかったのよ、だから売れるなんて発想がだれにもなかったんだと思う。わたしだって、ダイビングショップをやってなかったら、海の魚を食べるためじゃなくて水槽で眺めるために買う人がいるなんて、信じられなかった。小さな水族館っていえばいいのかしら。戦前はそこそこ多かったらしいけど」

 アクアリウムという趣味は費用が嵩む。その人口は景気の変動に大きく左右される。観賞用の魚を国外から輸入してくるなど戦時中は不可能だった。近年ふたたびアクアリウムは脚光を浴びている。経済的な余裕をアピールするためのステータスとして。

「どんな魚を?」

「いろいろっていってしまえばそれまでだけど、自慢できるのは、ペパーミントエンゼルかな。採集と輸送方法を確立させたの」

 元伊168にとっては、深度百メートル以深の岩礁で漁火(いさりび)のように踊る、鮮やかなオレンジと白の縞模様をまとった、てのひらほどしかないそのマリンエンゼルも、中部太平洋の岩礁地帯を潜航するさいには毎度のようにみかけた、ごくありふれた魚にすぎない。

「そんな魚が、お店に並んだら二〇〇万円とかになるの」

「そりゃすごい」

「それがね、捕まえたり、生かしたまま減圧しながら引き上げたりするのにすっごくコストがかかるから、売れても実はあまり儲けはないのよね。乱獲防止のために年に何頭までって決めてたから、よけいに利益にはならなかったわ。けど、どうせわたしの会社しか捕れやしなかったしね」

 順調にみえた。元伊168自身もようやく新しい人生がはじまったと感じていた。

「好事多魔っていうのかな。ダイビングショップを任せてた経理が、お店のお金を持ち逃げしちゃったの。支払いの現金がない、これには参ったわ。人間でいえば、少しずつの出血ならまあしばらくは持ちこたえられるけど、一度に失血するとショック死してしまう、みたいな。金策で駆けずりまわったけど」元伊168は肩をすくめる。「だめだった。不渡りだしちゃった。法的には二度目まではオーケーなんだけど、一度でもだしたら事実上はもう駄目なのよね。支払いが現金オンリーになっちゃう。それができるんなら最初から銀行なんか頼らないわよね。選択肢はひとつしかなかった。スタッフは、わたしのお店が持ち直すまで無給でもいいから働きたいっていってくれたんだけど、さすがにそれはね……解雇しないと彼らに失業保険が下りないから、せめて会社都合での解雇ってことにさせてもらったわ」

 奔走していた元伊168は、プライベートにも問題が発生していることに気がつかなかった。

「旦那が浮気してたの。わたしが知ったときには相手が妊娠までしてた、わたしたちにすらまだ子供がいないのに。当然、問い詰めるじゃない、“わたしが落ち目だからその女に乗り換えるわけ? わたしのこと、嫌いになったの?”って。そうしたら、浮気はもっと前からだって……ならなおさらどうしてって訊いたらね、“お前はがんばりすぎる。むかしはそれに惹かれたが、そばにいると気が休まらない。お前が仕事をどんどん成功させて輝いていく、そのたびに惨めな思いをさせられていたおれの気持ちがわかるか”。いや、全然意味がわからなかった」

「まったくだ」

「いま考えると、いちばんいいときは年収ではわたしが上だったのよ。それが嫌だったのかもしれない。わたしががんばってれば、夫の自分もがんばりつづけなきゃいけない、みたいなプレッシャーがあったのかも」

 元伊168はため息をつきながらいった。改めて言葉にすることで気持ちを整理しているかのようだった。

「むこうが有責だから慰謝料とろうと思えばとれたんだけど、たとえ収支でプラスになったとしても、もうあんな男とはかかわり合いにはなりたくなかった。さっぱりと別れたわ。どうぞ、その女と仲良くやってくださいって。離婚届はわたしがだしに行った」

「かみさんは自分より格下で自分を立ててくれる女じゃなきゃやだって、そんな男が幸せになんかなれるとは思えないな」

「わたしのみる目がなかったのよ。こんがり日焼けしたいい体に騙された。まあ、いい夢みさせてもらったわ」

 元伊168は自嘲する。

「人生って、潜水艦みたいなものだと思う。べた凪でなんにも問題ないようにみえても、海面下になにが潜んでいるかわからない。それは予想もしない瞬間にいきなり現出して、ドカンと痛い一撃を喰らわせる」

 人生に雷撃を受けても、元伊168はまだあきらめていない。マスター・インストラクターの資格を活かせる仕事をしている。彼女はいまでも海に潜っている。

「海へ入ると、安心するの」

 元伊168はしみじみといった。

 元長波は気になって、

「わたしたち水上艦が潜るときってのは死ぬときなんだが、海の中ってのは、そんなにいいもんなのか」

 尋ねた。

「考えてみれば、不思議よね。人間の体は水中生活には適してない。でも、海のなかからふと海面を見上げたとき、三十八億年まえにこの星の海で生まれた最初の生命も、おなじ光景をみたのかもしれないって、とても感慨深くなる。人間とおなじ哺乳類のクジラなんかは海で生きてるでしょ。クジラの祖先も一度は陸の動物になってたらしいわ。ずっと昔のどこかの渚で、わたしたち哺乳類の祖先の一方はそのまま陸で生きることを選び、一方はなぜだか海へ戻ることを選んだ。海へ帰ったものたちがクジラやイルカになった。せっかく苦労して海から陸へ上がる進化を遂げたのにね」

 

 恐竜が絶滅し、地上が束の間の静寂に包まれたとき、新たな大地の支配者に名乗りを上げたのは、原始哺乳類だった。何億年もかけて陸上生活に適応していた哺乳類にはじゅうぶんにその資格があった。しかし、のちにクジラとなるものたちは再び海を目指した。いまから六〇〇〇万年前のことだった。

 クジラは、現代のラクダや牛と共通の祖先とされるオオカミのような姿の動物が海に入ったものだと考えられている。クジラが元は四足歩行で陸上を歩いていた動物だったことは発生学からも確認できる。スジイルカの胚子には前肢と後肢の基になる突起ができる。その後、発生の段階で、前肢は胸ビレに変わり、後肢は吸収されて、代わりに尾ビレが形成されてくる。

 一九一九年には、バンクーバー諸島沖で、長さ一メートルもの立派な後ろ(あし)の生えたザトウクジラが捕獲されている。祖先の形質を突然変異的に取り戻す、いわゆる先祖がえりの典型例である。

 陸の動物だったクジラが海で暮らすには、はるか昔に原始魚類が両生類に進化して上陸を果たしたときとおなじくらい、肉体の大改造が必要だった。前肢を胸ビレにし、後肢を退化させて尾ビレを手に入れた。呼吸のために鼻孔を頭の上に移動させた。深く潜水するために脳油まで発明した。脳油は、鯨蝋(げいろう)とも呼ばれるワックスで、体温で融け、冷やすと固体になり、海水より比重が大きくなる。マッコウクジラの頭部は全長の四分の一、体重のじつに三分の一を占める。そこに大型のオスなら四トンもの脳油が詰まっている。クジラは潜航したいときには脳油を冷やして固め、頭を(おもり)にして沈む。逆に脳油を溶かして液体にすれば、頭部が海水より軽くなるので、自然に浮上できる。

 ほかにも長時間の潜水に耐えるために筋肉や血液に酸素を貯蔵できるよう工夫した。これは潜水艦娘にも応用されている。

 哺乳類への進化は海から川に入り、陸へ上がることだった。陸から海へ戻ることは進化の流れに逆行しているともいえた。なぜ新たな陸の王者となるべき哺乳類の一部が、自らに試練を課してまで海へと還っていったのか。

 

「彼らはきっと、海が恋しくなったのよ。何億年ものあいだ漂っていたふるさとが。わたしもおなじかもしれない。知ってる? 羊水って、水深二〇〇〇メートルの深海水とほぼおなじ成分なの。そしてこれは、哺乳類の祖先が海から淡水の川へ進出したころの海水の組成に酷似しているらしいわ。そう考えると、わたしが潜りたがるのは、一種の母胎回帰なのかもね。フロイト的にいえばデストルドーってやつ」

 冗談めかして元伊168は述べる。

「減圧症の後遺症も、ダイビングしてるあいだはなぜか気にならなくなった。普通は潜ったら悪化するんだけどね。思えば左膝が壊死したのも、海から離れて会社勤めしてるときだった」

 またいつか店を開くのが当面の目標だと語った。

「お金は盗られたけど、また貯めればいい。潜航したんならきっと浮上もできるから」

 元伊168はいま、別の男性と新たに交際している。

「むこうも奥さんを寝取られちゃったバツイチでね、傷を舐めあうというか、似た者同士だから気を遣わなくていいのよね。再婚するかどうかは、わからないけど」

「たくましいな」

「どうせ人類の半分は男だもの、探せばひとりくらいは波長の合うのがいるよ」

 元伊168は離婚経験のある女にしかできない笑みを浮かべた。艦娘学校で金槌だったために浮き輪に乗せられて晒し者にされていたあの頃とはちがう。艦娘としてだけでなく、ひとりの人間としても素晴らしい女性になった。元長波は眩しいものをみる思いをしている。

 元伊168はいう。

「だって、わたしたち、あの戦争を生き延びたんだよ。死んで英霊になるのが関の山だったあの時代に、いちばんの矢面に立って、生きて終戦を迎えられたんだよ。それに比べれば、どうってことないわ」

 戦争を生き抜いたことを支えにしている元艦娘がいる。一方で、戦争を生き抜いたことを後悔している元艦娘がいる。



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七   海底への挑戦

 ラムネを空にした元伊168は、飲んだ水分量を腕時計型のウェアラブルコンピュータに入力する。専用のアプリケーションが一日に摂取できる水分の量を管理してくれる。鉄剤やカルシトリオール(活性型ビタミンD3製剤)、リン吸着薬を水で服用してから、「いけない、このぶんも摂取量に入れとかなきゃ」と笑って、また液晶をタップする元伊168に、元長波はいたたまれない顔になる。

「すまないな、無理いって押しかけて」

「いいのよ。わたしだって会いたかったんだもん。透析だって毎日じゃないんだから」

 元伊168は目尻に下降する穏やかなしわを刻む。

 

 潜水艦娘の最大の敵は、深海棲艦の潜水艦でもなければ、対潜兵装を充実させた有力なハンターキラーでもない。水圧である。

 たとえば、コメに五〇〇〇気圧の圧力をかけると、デンプンが変性し、常温でも炊き上がった状態になってしまう。マリアナ海溝の底が深度一万メートル余で、約一〇〇〇気圧なので、実際の任務ではそこまでの圧力にさらされることはないが、強大な水圧は、生物の肉体を分子レベルで変質させてしまうほどのすさまじい脅威となる。肺呼吸の動物ならまず肺が潰される。そのため生身の人間なら水深一〇〇メートル前後で呼吸障害により死に至る。

 クジラも、深度一〇〇メートル以深では肺が握りこぶしよりも小さく圧縮されてしまうので、深海へ潜水している間は肺呼吸ができない。クジラの血液や筋肉にはミオグロビンが大量に含まれている。ミオグロビンはヘモグロビン同様に酸素と結合するヘム基を含むタンパク質である。一方で、ヘモグロビンよりもさらに酸素分圧が低い環境でないと酸素を切り離さない性質をもつ。クジラは肺のかわりに、筋肉と血液中のミオグロビンに酸素を貯蔵しておくことで、一時間もの潜水を可能にしている。深海へ潜っているときのクジラは酸素要求量の五十パーセントを筋肉から、残りの五十パーセントを血液から得ている。また、酸素が不足すると、脳などの重要な器官に優先的に血液を供給し、潜水や浮上にあまり関係のない部位への血流を絞るといった芸当もできる。

 

 これを参考にした肉体の改造が潜水艦娘には施される。深度五十メートル以浅では艤装内のタンクから供給される圧縮空気で肺呼吸を行い、作戦前に元の血液と全交換された合成血液のミオグロビンへ酸素を貯蔵させておき、大深度では血中と筋肉中の酸素を使う。また作戦行動中は使用しない消化器系への血流を最小限に抑え、そのぶんの血液を脳や心臓に回すことで効率的な機能の維持、促進を図る。

 

 圧縮空気とミオグロビンの併用によって、潜水艦娘は実用最大深度五〇〇メートルへのダイブを数十時間連続でおこなうという、ある一面においてはクジラを超える潜航能力を手に入れた。しかし弊害もあった。

 深海への潜水には腎臓の処理能力を超える大量のミオグロビンが必要になる。ミオグロビンが腎臓の尿細管に慢性的な損傷を与えつづけることにより腎機能が廃絶し、腎不全や尿毒症を発症することが少なくなかったのである。

「おしっこがでなくなったりしたら、もうアウト。わたしのは泥水みたいな色になってた。血尿で、しかも血のヘモグロビンが壊れてたのよ。いまはもう無尿になってる」

 現在、元伊168の腎臓は健康な人間の七パーセント程度しか機能していない。現役時代なら高速修復材による再生医療が無償で受けられた。しかし軍を退いて民間人になったいま、艦娘としての特権は享受できない。終戦から三年後、市民団体による艦娘や元艦娘の制度上の優遇措置の削減を訴える運動が全国規模に拡大し、当時の政府は「平和の配当」の一環としてこれを法案化、艦娘になれば受けられると入隊時に謳っていた数々の保障を段階的に廃止、あるいは減額していった。元艦娘が高速修復材を用いた治療を望むなら、一般人とおなじ医療費を支払わねばならなくなった。自由診療だから全額自己負担になる。

 

「腕一本生やすだけで家が建つからな。いま思えば贅沢な兵隊だったよなあ、わたしたち」

「文字通り湯水のように使ってたものね」

 元長波と元伊168はけらけらと笑った。

 大規模な作戦となると、ドックに入る時間も惜しんで、母艦に帰るやいなやバケツに汲んでおいた高速修復材の原液を頭からかける荒業も横行した。艦娘たちの間で修復材がバケツと通称されるゆえんだ。

「いまじゃ考えられないな、いくら戦争中とはいえ。薪の代わりにダイヤモンドを暖炉に放り込むようなもんだ」

 そうね、と元伊168は相づちをうつ。脳と心臓以外の臓器はいくらでも替えがきくものだと思っていた。元伊168は生涯、この死にかけの腎臓と付き合っていかなければならない。水にさらした野菜、きめ細かな水分量の管理、一日おきの人工透析。水中生活と縁を切った動物である人間が海にもぐる代償の大きさを、元長波は同期の肩にみている。

「わたしは海の上を走ってただけで、海中のことはソナーの撮像だけでしか知らない。海中、それも深海ともなると、地上や水上の常識は通用しないんだな」

「別世界よ。しかも、世界の海は繋がってるなんていうけど、均質じゃないの。場所によって性質がちがう。ある深度を境にがらっと変わったりする」

「どういうことだ?」

「浅い海は、地球の自転と風で水が動くでしょ。たとえば、黒潮は世界最速の海流だけど、あれを生んでいるのも地球の自転と風なの……黒潮っていっても駆逐艦のほうじゃなくてね(元長波は亡友の駆逐艦黒潮と親潮の大漁祈願の踊りが記憶に蘇って吹き出した)。黒潮は厚みが五〇〇メーターくらいあって、その下には冷たい親潮由来の層が広がってる」

 北から流れてくる親潮は、アムール川などの大陸河川が流れ込んだオホーツクの海水と混じっているから冷たく、塩分が薄い。南からくる黒潮は反対に温かく、水分が蒸発させられているので塩分濃度が高い。両者が出会うと、冷たい親潮は温かい黒潮の下にもぐりこみ、混じり合うことなく別の方向に流れていく。

 

「密度の違いが深海の水の原動力になってるってわけ。重い水が軽い水と出くわしたらその下に沈みこもうとする。黒潮は深度ゼロから五〇〇メートル、水温は最上部で二十六度、いちばん下が十度。深度五〇〇メートルからは親潮が連れてきた冷たい水になる。最上部で十度、深く潜るにつれて水温も下がって、深度一〇〇〇メートルで五度くらい」元伊168は澱みなく解説する。「わたしたちはここまでしか潜れないけど、もっと潜水すると、南極から流れてきた水塊がある。水深三〇〇〇メートルくらいまで広がってて、水温は上層で五度、最下層で一・五度。水深三〇〇〇から下はまたちがう水塊になってる。一万一〇〇〇までがこの水塊で、どの深さでも水温は一・五度で安定してるっていわれてる。酸素もほとんどない。こんなふうに、深海は水温、塩分濃度、酸素濃度が異なるいくつもの水塊が複雑に折り重なってるから、やっかいなの。みえない壁があるようなものだから。音波は異なる温度とか塩分濃度の境目にぶつかると、屈折したり反射したりするから、距離そのものは遠くなくても相手が別の水塊にいたら、探知できないことがあるのよね」

 

 ある科学者は、こんな言葉を残している。「たとえ人類が宇宙へ進出して、どんなに未知の星で未知の物質を発見しようと、水より不可解な化合物と出会うことはないだろう」。

 水は青以外の可視光線を非常によく吸収する。だから二〇〇メートルも潜ると光の量は海面の一パーセント程度しかなく、わずかに届いた光も青だけになる。魚のタイは桜色をしている。タイが生息している水深二〇〇メートルでは赤い光がまったく届かないので、その体は闇にまぎれることになる。一見すると鮮やかで派手なタイも自らの赤い体を照らす波長の光がない深海ではまったく目立たない。そのため、髪が赤い伊168シリーズと、ピンク色の髪をしている伊58シリーズは、とくに深度二〇〇メートルより深い深海での作戦行動に適しており、青い髪の伊19シリーズと黄色い髪の伊8シリーズは比較的明るい浅海の任務に投入されることが多い。光量が豊富な珊瑚礁に乱舞する熱帯魚に青や黄色のものがよくみられるのとおなじ理屈だ。

 深度五〇〇メートルまで潜水すると、ほとんど光のない暗黒になる。照明を点ければたちまち敵にみつかってしまうので、潜水艦娘は視力に頼らず、音を利用する。ソナーにはハイドロフォン(水中マイク)で耳を澄まして相手の発する音を拾うパッシブ・ソナーと、自ら探信音を発して音波が反射してきた時間から目標との距離を測定するアクティブ・ソナーがある。実際にはアクティブ・ソナーは演習以外ではほとんど使わないという。

「昼間でも真っ暗ななかで、じっと敵の気配を探るの。自分の心臓の音さえうるさくなってくるわ。ダルマザメに肉を食いちぎられても、耐えるしかない」

 深海魚であるダルマザメは、特殊な構造の顎と牙で、獲物の肉をまるでスプーンですくいとるようにかじりとっていくという、ユニークな狩りをする。クッキーの型抜きのように肉をくりぬいていくのでクッキーカッターシャークとも呼ばれるこのサメは、獲物を殺さずとも肉をえぐって持ち去っていけるので、相手の大きさに関わらず狩りができる。クジラやイルカ、マグロに円形の傷痕があれば、それはダルマザメのしわざとみてまちがいない。

「中性浮力(浮力と重力を釣り合わせて、水中の一点で定位すること)で海中に留まってるときならともかく、海底だと、血の匂いにつられてヌタウナギまで寄ってくるの。傷口に顔を突っ込んで、ざらざらした舌で肉を削り取ってく。痛いし気持ち悪い。一匹のダルマザメにやられたら、あっという間にその部分が何十匹っていうヌタウナギにびっしり覆われて、骨まで舐められちゃう。それでも、動かない」

 腕を振っただけでも数キロ先の敵潜水艦に気づかれる。敵にアクティブ・ソナーのピンを打たれたとき、それは潜水艦娘にとって弔鐘となる。位置はもちろん存在そのものが勘づかれてはならないのだ。だから入念に走査して敵のいないことがわかってから前へ進む。

 ときにはクジラの骨に身を隠すこともあったという。

「クジラの骨?」

「海底に沈んだ死体よ。たまにあるの。わたしもみつけたのは五、六回だけ。面白いよ、白骨化した脊椎がサイコロみたいなブロックになって、それが等間隔にまっすぐ並んでる。大きなものなら寝そべればなんとか隠れられる」

 深海底に文字どおり骨を埋めることになったクジラのなきがらには、かならず無数の生き物が蝟集していた。

「沈んだクジラの骨は、死後百年経ってもまだ油が抜けきらないっていうわ。油分が腐るときに硫化水素がでるから、それを目当てに真っ白なエビや貝の仲間なんかの、いわゆる化学合成生物群集がコロニーをつくる。化学合成生物群集は本来は熱水噴出孔にしか棲めないけど、硫化水素とか、そのほかの養分に富むクジラの骨は、つぎの熱水噴出孔にたどり着くまでの貴重なオアシスなの。動体が多いうえに隠れる場所までくれるから、わたしたちにとってもオアシスだった。クジラに感謝」

 と元伊168はラムネびんのビー玉を鳴らした。

 

 海底には、地殻変動で生じた裂け目に海水が浸入し、地下のマグマだまりで熱せられて温泉のように噴き出している熱水鉱床がときおり存在する。マグマ由来の硫化水素や重金属の硫化物が絶え間なく撒き散らされる、地獄のような環境である。硫化水素は人間だけでなくほとんどの動物にとって猛毒だが、深海には逆にそれでエネルギーを生産している生物がいる。

 チューブワームとも呼ばれるハオリムシは、海底熱水鉱床では必ずみられる、ゴカイに近い動物で、体内に硫化水素と酸素をエネルギー源にする硫黄酸化細菌をぎっしりと共生させており、その重量は全体の九十パーセントにもおよぶ。ハオリムシ自身はひたすら熱水の硫化水素を取り込んで硫黄酸化細菌に供給する。体内のバクテリアがエネルギーや栄養をつくりだしてくれるため、口も肛門も消化器官もない。

 ゴエモンコシオリエビは、毛ガニのような毛むくじゃらの甲殻類で、体毛に硫化水素をエネルギー源とするバクテリアを住まわせている。牧場のようにバクテリアを増やしてはそれを食べるのである。

 熱水噴出孔が吐き出す重金属を利用し、自らを装甲する巻き貝もいる。スケーリーフットは一見ただの小さな貝だが、鉄と硫黄の化合物である黄鉄鉱のウロコで、足の裏を鎧のように覆っている。鉄の防具をまとう動物は人間のほかにはスケーリーフットと深海棲艦しかいない。

 このほかにも熱水噴出孔付近には硫化水素に依存した生物たちによる生態系が構築されている。

 

 これら熱水噴出孔をよりどころとする生物を化学合成生物群集と総称する。浅海や地上の植物にとって太陽が無限のエネルギー源であるように、熱水噴出孔は、硫化水素と金属イオンの充満する灼熱地獄でありながら、光のない深海に化学反応のエネルギーを供給する楽園なのだ。

「地球で生命が誕生してしばらくは、硫黄酸化細菌みたいに硫化水素をエネルギー源にする生き物がむしろ主流だったそうよ」

 元伊168が悠久の歴史に思いを馳せる。

「そもそも地球が火の玉だったころは、酸素なんかなくって、海も空も硫化水素と二酸化炭素で溢れてたわけだしね。酸素を利用する生き物が現れたのはずっと後。むしろ酸素は、黎明期の生物からすれば、触れただけで死ぬほどの猛毒だった、ちょうどわたしたちにとっての硫化水素みたいに。だって、酸素があるから酸化するし、活性酸素って奴で体が老化するわけでしょ。やがてラン藻なんかが二酸化炭素を光合成で消費しているうち、地球が酸素っていうゴミで溢れるようになって、逃げ場がなくなって、ようやくその猛毒と向き合わざるをえなくなって、わたしたちの祖先に繋がった。化学合成生物群集は、初期の生命のライフスタイルのまま、現代まで生き延びた、歴史の生き証人なのかもしれない」

「深海棲艦もか?」

 元長波に、

「もしそうなら、わたしたちの大先輩なのかもね」

 海底世界に身を置いていた元潜水艦娘は笑ってみせた。硫化水素。艦娘にとっては馴染み深い物質だ。深海棲艦の吐息は硫化水素だった。腐卵臭の軍勢。人間にとって嗅覚に関する記憶は極めて感情的で、かつ正確だ。元長波も、排水口のトラップが働かないなどの理由で下水から硫化水素をふくんだ臭いが逆流してきたとき、一瞬にして戦時中に時間が戻り、戦場にいたときの感情――恐怖、怒り、悲しみ、それらに加え、何ヶ月も組んできた僚艦が轟沈するさまを目撃したときに生じた、まだ名前をつけられていない感情――が蘇ることがある。

 

 深海棲艦は世界中の深海に拠点を有していた。強大な水圧に阻まれた深海はまさに難攻不落の要塞だった。その偵察は潜水艦娘にしかできない。元伊168がシリアルナンバー640-010731として重ねた軍歴でいちばんの大仕事は、人類初となるトンガ海溝の偵察任務だった。

「知ってる。〈緯度0大作戦〉だろ」

「やめてよ、恥ずかしい」

 茶化された元伊168は赤くした頬を押さえて、照れ笑いしながら、反対の手をひらひらさせた。

 その当時はトンガ海溝に深海棲艦が潜んでいるかどうか摑めていなかった。潜水母艦娘大鯨にひきいられ、元伊168を含む潜水艦隊が偵察に向かった。一日やそこらですむ通常の斥候とはちがう。ひろびろとした海原にもぐり、幅六十キロ、長さ一二〇〇キロ、深さに至っては一万メートルを超える、斗折蛇行(とせつだこう)の海底の断崖を偵察することは容易ではなかった。海溝に侵入することは潜航深度の面からも不可能なので、露見しないよう付近で隠密に監視し、敵のあるなし、あるならその規模を見きわめてこなければならないのである。ひと月かかるかふた月かかるか見当もつかない。というより九割がた生還の見込めない任務だった。

「深海棲艦が高牙大纛(こうがだいとう)(本陣にたてる旗、指揮官の所在を示すしるしのこと)を飾ってくれてるわけないから、長い海溝のどこにいるのか、目印もないしね。底に潜ることができればいいんだけど。海面から海溝の底まで、距離にしてたったの十キロ。だけど、この十キロは、月までの三十八万キロより遠い」

「たしかにな。月に行った人間はいても、一万メートル級の海溝の底に降り立ったやつは、まだいない」

 

 元長波はあらためて潜水艦娘が海の底で陰ながら身を粉にしてきた偵察の困難を思い知った。潜水艦娘の持ち帰る情報がなければ作戦の立てようがない。もし帰還しなかったとしても、それはそれで相応の敵がいるという情報が手に入ることになる。潜水艦娘は駆逐艦娘以上に使い捨ての感が強かった。

 苦心惨憺の末、元伊168たちはトンガ海溝直上の海面で自沈した多数の輸送ワ級が海溝へ沈んでいくところを確認した。輸送ワ級は物資の輸送に特化した深海棲艦だ。オーストラリアの砂漠の地下に生息するミツツボアリのように、体内に物資を大量に貯蔵することができる。元伊168らは知らなかったが、その輸送ワ級は各地の戦場で戦死した艦娘や深海棲艦の残骸を回収し、トンガ海溝へ運んでいたことがのちの各部署との突き合わせにより判明した。深海棲艦がトンガ海溝の底でなにかを目論んでいることはまちがいなかった。数ヵ月後にサーモン海域北方ではじめて確認されたキメラのような新型深海棲艦、戦艦レ級はトンガ海溝で生まれたと考えられている。

 生存の限界ぎりぎりの大深度で命を削る決死の偵察任務から戻ってきた伊168は、生還するとは思っていなかった将校らの驚きの顔と、母の訃報に接したのである。

 伊168たちのもたらした情報を分析した結果、「ただならぬ暴君(タイラント)が現出する」(『サーモン海に墓標なし――私記サーモン海戦・防衛省海軍報道部』より)と予想した海軍は、ラバウルから急遽、一個海上師団をブイン泊地に引き抜き、サーモン方面へ送った。この即断即決が偉功を奏し、戦艦レ級をふくむ敵機動部隊を掃滅、サーモン諸島の制空・制海権を守ることができた。

 幕僚たちは一致して、元伊168らの勇気、貢献、功績を賞賛した。ある全国紙が「敵任務部隊せん滅」とカット見出しを組み、「海軍サーモン海で快勝」の主見出しとともに、「鍵は潜水艦娘たちの緯度0大作戦」と調子のよい袖見出しを添え、大きな反響があったことから、海軍も後付けで緯度0大作戦と命名するに至った。元伊168は軍に在籍中、「ああ、緯度0大作戦のイムヤ?」といわれることがはなはだしかったという。

 

「深海棲艦ってのは、最初は全部潜水艦なんだろ?」

 元長波が訊く。

「まあ、そりゃあ、深海に住んでるから」

 元伊168が答える。

 深海棲艦の幼生は硫酸イオンを呼吸に使う原始的な深海生物で、成長とともに変態をとげ、駆逐イ級や空母ヲ級などに分化する。いちど水上艦型に変態すると水中生活は不可能になる。

「オタマジャクシがカエルになるとエラ呼吸できなくなるのとおなじかもね。生き物の成長の過程は進化の再現だから。人間も、胎内では最初、魚類に似た姿をしているそうよ。目は顔の横につくられて、顎や口蓋はエラに類似していて、つぎに両生類みたいな姿を経て、水かきのある指ができて、尾びれが尻尾になる。やがて水かきや尻尾がなくなって、眼球が顔の正面に回って、終盤になってやっと霊長類の特徴を帯びはじめる。原始魚類からホモ・サピエンス・サピエンスの誕生まで五億年を要したといわれているわ。胎児は母胎のなかで五億年の進化を経験しているのね」

 深海棲艦の幼生が水中生活型のまま長じたものが、潜水カ級をはじめとする深海棲潜水艦だから、深海棲艦はその生態の初期ですべて潜水艦という元長波の認識も、まちがっているわけではない。

「進化は、退化と同義だと思う。人間は進化に進化を重ねたことでエラを失い、べた足になったせいで走る速度は遅くなったし、体毛を捨てたから衣服がないと寒さに耐えられなくなった。深海棲艦は戦艦や空母といった強力な形態へ変態できるけど、もう自分たちが生まれた深海の底へ帰ることはできない。肺呼吸に移行してるから。故郷に還るのは沈むときだけ……」

 元伊168は恬淡と述べた。

 

 わたしも艦娘になる過程でいろいろ失った。元長波はぼんやりと考えている。自分で展望を拓く能力はまっさきに訓練で奪われてしまった……もしわたしにそんなものがあったとしたならと彼女は注釈をつけるが……艦娘のなかでも最下級の働きアリである駆逐艦娘にもとめられるのは、なによりも愚直さだった。駆逐艦娘は与えられた命令をいかに完遂するかに脳漿を絞ればよいのであって、命令の意義を疑ったり、無統制や越軌のもとになる柔軟な発想力は僭越として矯められなければならなかった。なら、わたしがこんなひどいありさまになっちまったのも、艦娘に進化するための代償だったのか? だとしたらもう戻れない。オタマジャクシからカエルへの変態が不可逆であり、イ級に変態した深海棲艦が元の深海生物に遡行することがないようにである。

 元伊168は、まさにクジラなのかもしれない、と元長波は感じている。艦娘に進化した元伊168は、それとおなじくらいの試練を越えて、普通の人間へと戻ったのだ。そして普通の人間でいつづけるために不断の努力をしている。だからこそ元長波は、元伊168に憧憬の念を新たにする。それはちょうど、人間がクジラに寄せる情動に似ているかもしれない。

 

  ◇

 

「映画、みたわ。映画館には行かなかったけど」

 元伊168が切り出した。映画とは、七年前、ジャム島防衛戦を題材にとって終戦十五周年記念として製作された『ジャム島 非遇の作戦』のことだ。封切りは終戦記念日の八月十五日だった。ジャム島で力戦むなしく追いつめられていく第32軍の苦悩と敗北を克明に描いたその作品は、それまで深海棲艦との戦争を扱った映画といえば海軍と艦娘の雄姿、勝利を全面に押し出すものと相場が決まっていたなかにあって、ひときわ異彩を放つこととなった。良くも悪くも。

 艦娘映画では定番の華々しい海戦シーンはなく、本土に見捨てられたジャム島の艦娘たちがただ敵の艦砲と空襲に晒されて逃げまどい、壕の泥にまみれ、負傷と飢えと渇きに苦しむ場面が続くうえに、映画のなかでは日本は深海棲艦に明確な勝利を掴むことなく幕が下りる。ようやく戦備の整った本土からの救援によって、主人公の艦娘が島をあとにするところでエンドマークとなるからだ。艦娘のみならず名もなき現地の軍属や一般人の死、とくに軍の命令による非戦闘員の集団自決など、酸鼻きわまる描写もさることながら、戦勝国としての輝かしい日本が描かれていないとして各方面からバッシングされ、興業収入は伸び悩み、月刊キネマでは二十三位、映画公論では二十二位にとどまった。退役艦娘会が上映中止の抗議文を配給会社に送ったことも話題になった。

「あなたはみたの」

「みたさ」

 元長波も映画館へ足を運んではいない。艦娘になる前はときおり父に連れられて観に行く映画が楽しみだった。しかし戦争から帰ってきた彼女には大きな音は凶器になっていた。自宅のマンションでうつらうつらしていたある昼下がり、つけたままのテレビから流れた、甲子園の試合開始を告げるサイレンで、元長波は叫びながら飛び起きて、ありもしない艤装や救急医療キットを大慌てで探し、もうどこにもない防空壕へ避難しようとした。夏の夜空を彩る花火大会にも行けない。爆音で自分がなにをしでかすかわからないからだ。

 長年の投薬治療とカウンセリングが役に立ったのか、最近になってようやく不意の音にも耐性がつきはじめた。しかしやはり戦争映画は意識して避けていた。彼女には勝利の物語が馴染めなかった。戦争に勝った。勝ったのになぜわたしは結婚もできず、戦争後遺症で家族をめちゃめちゃにし、何種類もの薬がなければ生活もままならないのか? ハンサムな男優の演じる士官かなにかと恋に落ち、ホーミングゴースト現象にもPTSDにも悩まされず、メイクもパーマもばっちり決めて戦場へ赴き、でたらめな無線交話法と武器の操作で戦い、大したけがもせず敵を倒して英雄として讃えられる銀幕の主人公たちが、自分とおなじ艦娘であるとはどうしても思えなかった。あれを艦娘と言い張るのか? あんな艦娘がいたら、鹿島助教に一日じゅう屈み跳躍をやらされるぞ。

 

 はじめてまともに観る気になった戦争映画が『非遇の作戦』だった。ジャム島を舞台にした唯一の映画という点に惹かれた。第三者がジャム島をどう再現するのか気になって、わざわざ動画配信サービスの会員になった。

「観て、どう思った?」

 元伊168は元長波がフラッシュバックを起こさないよう慎重に訊いた。

「9海師(第9海上師団)が引き抜かれたり、84海師派遣が中止されたり、24海師と独混44海旅(どっこんよんじゅうよんかいりょ)(独立混成第44海上旅団)が突撃させられたりとかいう流れは全部ほんとうだ。艦娘だけじゃなくて島の現地民がバッタバッタ死ぬとこを避けなかったのもいい。ただ……」

 元長波は灰皿に煙草を押しつけた。また新しい煙草を箱の尻から取り出して火をつける。

「主人公が飢えに飢えて、ネズミを食うシーン、あっただろ?」

 食糧のつきた壕で、目の前を一匹のネズミが走るのをみつけた主人公は、空腹のあまり目の色を変えて捕まえる。哀れみを誘う声で鳴く掌中のネズミに主人公は我に返って逡巡する。こんなものを口にしたら女として、いや人間として終わりだ。自らの惨めさに涙を流し、しかし飢えには勝てず、ついには意を決して獣のようにむさぼる。

「あのくだりはまちがいだな」

「ネズミなんか食べなかった?」

「いや」元長波は元伊168の勘違いを笑って訂正させた。「あのころわたしたちは、セミとかコオロギとかゴキブリでどうにか飢えを凌いでた。そんなだから、ネズミなんてみつけたらほかの仲間さえ押し退けて飛びついて、そのままむさぼり食ってただろうね。ネズミってけっこう美味いんだ。ほんとに飢えた人間には見境がない。木の根っこまでわれさきに食ってた。ましてネズミごときでためらうわけがない」

 なにしろ、事切れたあとだとはいえ、可愛がってくれた先任艦娘さえ食っちまったんだからな。元長波はその言葉を呑み込んだ。

「わたしたちがトンガ海溝の偵察を成功させなかったら、ジャムから9海師が引き抜きされることもなかったのかな」

 元伊168が忸怩(じくじ)たる思いを打ち明けると、

「いや、それはちがう」

 元長波は即座に退けた。

「おまえはおまえの仕事を完璧に果たしただけだ。非難されるいわれはないよ。極言すりゃ、おまえの偵察がなかったら、まだ戦争は終わってないかもしれないんだ。誇りこそすれ、悔やむもんじゃない」

 元伊168は救われたような顔となる。

「集団自決の真偽については、どうなの」

 元伊168は迷ったあげく、意を決して訊ねた。

 ジャム島防衛戦では当時の現地住民の三分の一にあたる三十万二〇〇〇人が死んだ。そのうち一パーセント強となる四〇〇〇人は、日本海軍の命令で自決を強要されたという主張が戦後から現在にいたるまで盛んに叫ばれている。『非遇の作戦』作中には、敵の猛攻に進退窮まった疎開途中の老幼婦女子が、肉親同士で互いに棍棒で頭蓋を打ち据えたり、剃刀や鎌で頸部を切ったり、親が子を抱いて崖から飛び降りたりするシーンがある。

「わたしも現実に自分の眼でみたわけじゃないけど」元長波は前置きしてから、「集団自決そのものは、実際にあったことだよ」

 元伊168は信じられないという顔になった。地方人(現地の民間人)は戦闘の役に立たないばかりか、守らなければならないぶん、むしろ軍の足を引っ張る。そのため作戦の都合で強制的に自決させられたのだと、日本海軍および日本に対する責任追及の機運がジャムを中心に高まっている。防衛省は終戦から五年後に遺族への補償をはじめた。三年前には政府が集団自決の強制性を改めて正式に認めて謝罪し、遺族への追加の賠償として基金を設立した。これらをもって国際社会は、日本が自ら罪を認めたと判断した。集団自決の強要はあったのだと。

「わたしたちの軍が、そんなことをさせたなんて」

 海軍に身を置いていた者として元伊168が悔しさを滲ませた。近年ジャムは教科書にも集団自決について記載するよう日本に要請をだしている。

 

「集団自決はあったとはいったけど、そういう軍命があったとはいってないぞ」

 元長波がいうと元伊168は顔をあげた。

「わたしが知るかぎり、ジャムの地方人は日本人なんかよりよほど日本人らしかった。わたしたち軍にいかに協力するか、いつもそれだけを考えてたよ、老いも若きも、男も女も。自分たちも腹空かせてんのになけなしの芋わけてくれたり、男たちは、築城やら通信やらに使ってください、女の子は女の子で看護婦にしてくださいって司令部に連日殺到したり。先祖から受け継いだ土地を守るなら命を捨ててもいいってね……。彼らは権利より義務を主張するんだ。だから彼らは、むしろわたしたちの足手まといになることを恐れて自発的に殉じたんだと思う。どうせ深海棲艦相手じゃ投降できないからね。奴らにやられるんならいっそ自分の手でっていう部分もあったんじゃないか」

 映画でも、はっきりと軍が自決を命令しているわけではない。海からの苛烈な艦砲射撃を受けるある陣地に地方人の男が「このままでは村民が。わたしたちも壕に入れてください」と懇願しにくる。指揮艦の艦娘がそれをはねつける。彼女はつづける。「非戦闘員は、全員……」、そこで至近弾により言葉が途切れる。次のカットで、仲間たちのもとへ戻った地方人の男と向き合っていた古老が「自決……」と呟き、くだんの自決シーンへと移行する。軍が命令したとも、自発的ともとれるよう構成されている。

「第一、日本海軍にジャム島の住民への命令権なんかない。よその国の国民だし、いくら戦争中ったってそんな権限を勝ち取れるほどわが国は外交がお上手じゃない。それに、考えてもみてほしいんだが」

 元長波は重ねた。

「山野の形改まるとまでいわれるほどの砲爆撃を昼夜分かたず食らい続けて、陣地をでるのも容易じゃないって状況でだな、あちこちの壕に分散してこもってる四〇〇〇もの地方人に自決しろって命令して回る余裕なんか、あると思うか? それほど指揮系統や情報伝達能力が維持できていれば、わたしたちはもっと上手く抗戦なり撤退なりできていたはずだよ」

 ジャム島での戦いの終盤では、司令部の移動に際して、命令の伝達ミスによりとある陣地の艦隊が勝手に撤退し、防衛線に穴を空けるという失態を演じている。情報の錯綜による部隊の機能不全は大小問わず島のあちこちでみられたことだった。

「あの人たちは、自らの命を自らの意思でなげうって、自分たちの先祖が守りつづけてきた墳墓の土地に殉じたんだ。だれかの言いなりになって震えながら死ぬような愚か者じゃない。みんなサムライだった、わたしなんかよりね」

「じゃあ、どうしてそれをいわないの。あの島で戦った艦娘として、あなたには真実を語る義務があるはず」

 元伊168が詰め寄るが、元長波は揺るぎもしない。

「真実ってやつは、腹の足しにはならないんだよ」

 元長波は遠い目になった。

「ジャム島を最前線にするにあたって、あらかじめ女子供を中心に疎開させてたわけだ。栄光丸と備後丸(ともに南海汽船から軍が徴用した貨物船)が敵潜に撃沈されてからは疎開も滞りがちになったけど、ともあれ戦争が終わって帰ってきてみれば、一家の大黒柱が自決して死んでしまっている。現代戦が例外なくそうであるように、深海棲艦との戦争に勝ったっつっても、びた一文儲かりゃしないからな。残ったのは深海棲艦が排泄したアスファルトに埋まった土地、地雷になった不発弾だらけの山河、麻痺した行政、くそみたいな不況、通貨危機。戦後を生きていくには、そりゃあ苦労しただろう」

 元長波は前提を確認した。元伊168はもどかしい表情をしながらも熱心に聴いている。

「そこでだな、わたしの旦那は日本海軍の命令で自決したんです、と申し入れるわけだ。軍からの命令で死んだんなら準軍属ってことになるから、遺族には非課税の弔慰金と遺族年金が支払われる。背に腹は変えられなかっただろうな。生きてくためにはしかたがない。まして小さな子供を抱えてるとかだったら特にね。もし強制性がうそだったと証明されたら困る人が大勢いる。軍が泥を被ることであの島の人たちが助かるなら、それでいいじゃないか、恩返しだとでも思えば」

 元伊168はなおも反論しようとして、矛を収めた。その戦場に居合わせた人間でなければわからないことがある。

「ほかにも、ある」

 元長波は訥々と語った。

「映画が事実と異なるところは、ネズミを迷いながら食べたことだけじゃない。敵の攻撃が激しくなって、司令部撤退に伴って野戦病院も移動することになったんだが、連れていく患者は歩けるもののみとされた。歩けないものは処置せよとの命令だった。自決用に青酸カリを混ぜたミルクが配られた。わたしもその手伝いをした。ミルクを注ぐための飯盒の蓋やブリキの缶を重傷患者の枕元に置いて回ったよ。器をじっと見つめる奴、自暴自棄になってひっくり返す奴……反応はいろいろだった。で、ある長波にも配った。両足がなく、腕は両方とも肘から先がなかった。らい病患者のように腕も脚も包帯でぐるぐる巻きにされているその長波は、いままでだれの顔にもみたことのない表情でわたしをみた。“日本のためにって煽られて、こんなくそみたいな島で捨て駒にされて、それでも一所懸命に戦ってきたあたしたちに、こんな仕打ちをするのか。なにが日本だ、なにが日本海軍だ”。そして、わたしに、こういった。“なあ、おまえも長波だろ、一緒に連れていってくれよぉ”」

 血と膿でべたついた包帯の巻かれた腕を伸ばされた。瞬間、抱えていた飯盒の蓋を放り出して、その場から逃げ出した。

 

 敵襲を避けるために豪雨の夜間を選んだ撤退の行進は悲惨を極めた。独歩患者にまじって、四肢の揃っていない艦娘までもが泥まみれになりながら這って、必死に隊列に()いてきていた。

 両目を包帯で覆った、右足のない防空駆逐艦涼月が、片足で跳ねるように歩こうとしては、失明しているためにバランスを崩して転ぶ。やがて道を外れ、「ねえ、みんなどこなの」とだれもいないジャングルのほうへ手をさまよわせる。

 ある戦艦比叡は両足がなかった。だから腕を使った。縫合した腹の傷が開いて、ロープのような内臓をひきずりながらも(いざ)っていた。「お願い。わたし、がんばるから、見捨てないで」。ぐにゃぐにゃの大腸までもが泥に染まった。

 切断された片足に自分で添え木をくくりつけてなんとか行進にまぎれている駆逐艦水無月もいた。体重に結び目が耐え切れずにしばしば転倒した。そのたびに結び直した。添え木と擦れる太ももは皮膚が剥がれ、赤い肉があらわとなっていた。

「置いていかないで」「わたしも連れてって。修復材さえくれれば、また戦えるから」「だれか、手を貸してください」。自力で歩くことがままならない重傷艦娘たちは、泥の上を這いずりながら同胞の足にすがって請願した。だれも耳を貸さず足を進めた。みな余裕がなかった。元長波は、足が棒のようになりながら撤退先へ向かう道中、何度も何度も後ろを振り返った。亡者のように随いてくる重傷者のなかに、あの両手両足のない長波が混じっているような気がしてならなかった。

 軍の命令によって自決した重傷艦娘は六〇〇〇人にのぼるともいわれている。そのなかには彼女が置き去りにした長波もいるだろう。立場が反対だったら、あの長波は、わたしをおぶってくれただろうか。

「戦争だもの。しかたがないわ。ほかにどうしようもなかった。あなたは悪くない。もって瞑してくれるはずよ」

 元伊168に元長波は、そうだろうか、と心中で疑問に思っている。あのときどうすればよかったのか、二十数年経っても答えはみつかっていない。探しているあいだにも、人生は進んでいく。

 

  ◇

 

 日が傾く。元伊168は出勤の時刻が迫っている。

「ナイトダイブか。昼にもぐるときとは、やっぱりちがうのか? けっこう怖いと思うけど」

 元長波は荷物をまとめる元伊168となにか言葉を交わしていたくて訊ねる。艦娘学校の訓練でも生徒らを苦しめたのは暗闇が支配する夜の海だった。足元が抜けてしまいそうな恐怖心を克服することは容易ではない。実戦では不意打ちの危険もある。夜間に敵潜から被雷した艦娘のうち、五人に四人は自分を沈めた敵をみていないともいわれている。

「お魚が寝てたりするのよ。岩の陰とかで、繭みたいなベッドをつくって寝ている魚もいるわ。お昼にみられる魚も、夜は色が変わってたりして、まるで別の種類みたいになるの。エビとかカニとか夜行性の生き物もでてくるしね。そんなふうにおなじポイントでもがらっと印象が変わるから、新しい世界に踏み込んだ気になれる。夜光虫のイルミネーションに出くわすこともあるのよ」

 元伊168に艦娘学校時代とおなじ活力がよみがえっているように元長波には感じられる。敵潜がそうであるように、潜水艦娘もまた夜間に大暴れした。夜戦がお家芸の水雷戦隊よりもさらに夜の海を知りつくしている。

「さすがイムヤだ。夜の海はおまえの世界だからな」

「もうイムヤじゃないわ」

 元長波に、元潜水艦娘は苦笑いした。

「わたしにとっては、おまえはいつまでもイムヤだよ」

 元伊168はわずかにはにかむ。

「ありがとう、長波」



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八   あなたはだぁれ

 ビジネスホテルに宿泊した元長波は、夜明け前に悲鳴をあげて部屋のなかを逃げ回った。ジャム島の夢をみたからだ。元長波はうめき声と死臭に満ちた壕の暗闇にいる。飢えた野分が舞風の死体に湧いた蛆虫を淡々とつまんで食べている。自分は息をしなくなった深雪からナイフで肉をこそぎとり、土に埋めて臭みを抜いてから食べている。歩けない長波が「なあ、おまえもおなじ長波だろ、一緒に連れていってくれよぉ」と懇願している。それらすべてが同時に再生される。彼女にはどうしようもない。叫んで許しを乞う以外には。駆けつけた従業員に、元長波はうそをつく。「なんでもない」

 部屋全体を見渡せて死角のない隅で膝を抱えてまんじりともできず朝を迎える。薬を飲む。元長波は着替える。体の線を拾わない、ゆったりとしたワンピースに、ダウンを羽織る。未明の騒ぎがなんでもなかったかのように取り繕う。

「ぴったりの服ってのが、いまだにしっくりこない」しっくりこないことだらけじゃないか、と元長波は自分を軽蔑している。「わたしが最初にブルネイに赴任したころは、輸送船の喪失がまだかなりあってね、おかげで被服の備蓄が足りないなんてこともままあった。艦型の制服があればめっけもん、サイズにまでわがままいうのは罰当たりって状態だった。昔からいうだろ、“軍隊の服には二種類しかない。大きすぎるか、小さすぎるか”。わたしに支給された一種軍装はちょいと大きかった。袖に手が隠れそうになってたな。きみたちは育ち盛りだから大きいくらいでちょうどいいんだって、需品科の海曹が笑ってた。わたしはまだマシだった。先任の巻雲なんか、袖の丈が腕の倍くらいあるブラウス着せられててね。深雪がよく袖を結んで遊んでたよ」

 軍では非番でも外出時は制服の着用が義務づけられた。逆にいえば、制服さえ着ていればそれでよかった。彼女たちは着るものを選ぶ機会のないまま子供時代を過ごすこととなった。戦争が終わったら、通りいっぺんの制服なんか脱ぎ捨てて、きれいな、あるいは可愛い服が着たい、と夢想した。現実にそのときがきた。故郷に戻った元長波は街へ服を買いに繰り出した。店に入って、立ちつくした。選べなかった。店員が寄ってきた。

「どのようなものをお探しですか?」

「それが、わからないんだ」

「ご自分がどんな服を着たいか、わからないんですか?」

 店員は冗談のつもりだっただろうが、実際のところ、さっぱりだった。どんなシチュエーションを想定してどんな服を着ればいいのか、そもそも自分が穿くべきスカートのサイズが何号なのかさえ知らなかった。

 なにも買わないまま自分自身に落胆して家路についた。家のまえで、見知らぬ通行人が「艦娘だ」と、まるでサファリで野生動物でもみつけたかのようにめずらしがり、携帯電話で元長波の写真を撮ろうとした。元長波は面識がなかったが、その通行人は彼女のことを知っていたらしかった。フラッシュが焚かれた。元長波は絶叫して頭を低くしながら自宅にとびこんだ。リビングで母が驚いていた。元長波自身も、驚いていた。自分のしたことが信じられなかった。「いったい、わたしはどうしちまったっていうんだ?」と。

 

  ◇

 

 きょうはシリアルナンバー806-011216だった元朝潮と会う約束をしている。その二期下の朝潮だった女性とは、互いの所属部隊が第32軍に併呑されて、ともにジャム島の守備隊になったおり、戦闘が激化したある晩に灰で髪を洗っているのを横目でみかけた程度で、以来連絡をとっていなかった。旅にでるまえに元朝霜に伝手を頼ってもらって消息を知った。解体されたいまは故郷の岩手に戻り、社会福祉士として介護老人保健施設に勤めているという。会いたいと申し出ると、元朝潮は涙声で拒んだ。

「どうしていまさら? ジャムの話なんてだれも望んでいないわ。わたしたちは勝った。それだけでいいじゃないですか」

 元長波は心中を痛察しながらも元朝潮に訴えた。話しておきたいんだ。わたしたちがあの島で戦ったことを、その証を確かめたいんだ。事情を交えた辛抱強い説得に、元朝潮は折れた。元朝潮はひとつだけ条件をつけた。

「名前は出さないでくださいね。わたしのことは、ただ、元朝潮とだけ……たくさんいた、駆逐艦朝潮のひとりということだけにして……」

 元朝潮は、ジャム島から帰ったのち、通常の任務についていたが、以前の自分とはまるで変わってしまったことが受け入れられなかった。基地での昼食で茶碗に盛られた白飯に元朝潮は狂乱し、みなの面前にもかかわらず嘔吐してしまったという。

 食糧の欠乏したジャム島では、蛆が湧いた仲間の腐乱死体をいくつもみた。飢えに抗えず蛆虫を食べたこともあった。そのせいかもしれない、と彼女はいう。

「白ご飯が、蛆虫にみえたんです。ひと粒ひと粒が蠢いているようでした。いまでも白いご飯が食べられません」

 

 列車を乗り継いでたどりついた駅から彼女の家に向かう寂しい道中で、元長波は「海なんかきらいだ」とカラースプレーで落書きされたブロック塀の前を通り過ぎる。割れた道路から伸びる雑草。崩れかけて取り壊しもされないまま放置され、八重葎(やえむぐら)に埋もれつつあるあばら家。色あせたポスター。缶ジュースのサンプルが倒れている自動販売機。人間の背丈よりも高い草に埋め尽くされている耕作放棄地。商店街は軒並みシャッターが下ろされ、錆びついたアーケードには「お買い物は、こっちゃこ商店街へ!」の文字が空しく踊っている。かつては豊富な水揚げに支えられて栄えていた街。曾遊(そうゆう)の地ではないにもかかわらず、元長波の耳には、楓葉荻花秋瑟瑟(ふうようてっかあきしつしつ)とした風景から、在りし日の活気と喧騒がきこえるような気がしている。

 しかしいまは、「こっちへおいで」という意味の商店街に跫音(きょうおん)が響くことはない。店舗のシャッターもあがらない。戦時中に奥羽地方の太平洋側沿岸部は特別避難指定区域に指定された。岩手県陸前高田市の住民も疎開の対象になった。町の住人たちは、比較的安全な内陸部や、職を求めて都会へと移り住んだ。合言葉があった。「戦争が終わったら、またこのふるさとに戻ろう!」。しかし終戦を迎えて、海から艦載機や砲弾が飛んでこなくなっても、ほとんどの住人は帰ってこなかった。三十七年という長い戦争の間に亡くなった者も多く、健在であったとしても、疎開先ですでに生活基盤を築いた人々にとって、それをまた捨ててまで地元に戻る意義は、とっくに失われていた。疎開に補助金はでても帰還は補償の対象外だった。“もはや戦後ではない”という世の中になっても、東北にはいまだ復興と再生の手は及んでいない。

「いつだって、中央から遠いところは後回しにされるんだ」と話す元長波が、雑草の茂るU字溝のそばでカタツムリの殻に頭を突っ込んでいるマイマイカブリをみつける。マイマイカブリは胃酸をカタツムリの殻に流し込んで肉を溶かしてから食べる。カタツムリは自分を守ってくれるはずの殻をマイマイカブリの胃袋がわりにされている。元長波はしばらく眺めてから、また歩きはじめる。

 

 元朝潮は、復興財源の目途がたたず半ばゴーストタウンとなった故郷に戻ってきた、数少ないひとりだ。

「小さい頃から、きのうはどこそこのお母さんが志願しに行った、きょうはあの家のお姉さんが志願しに行ったという話題が大人たちのあいだでもちきりでした。あの年はとくにひどかった。広田湾にもあの赤い海水の一部が流れ込んできたんです。深海棲艦が撒き散らした赤潮状のバクテリア、ウレコット・エッカクスは、沖合いで操業していた人たちの命を奪っただけでなく、海を酸性に大きく傾けて、陸前高田市の漁業の大半を占めていた養殖業を一夜にして壊滅させました。ノリ、ワカメ、昆布、カキ……すべて斃死しました。残ったのは鼻が曲がるほどの腐敗臭だけ。多くの家が若い女性を手放して軍へ送らざるをえませんでした。母はしばしばわたしを抱きしめて泣きました。“女の子なんかに産んで、ごめんね”。母が泣くところなんてみたくありませんでした。口減らしのために娘を手放したのではなく、本人が志願したのなら少しでも彼女を悲しませないですむと考えて、わたしは自ら海軍へ……」

 大人たちは海を苦海(くがい)と呼んでいた、と元朝潮は自分の首の後ろを触りながらいった。

「艦娘学校へ行くバスが来る駅へ、母とふたりで歩いて行きました。ほかにもそんな母娘づれがたくさん……どのお母さんも泣いていました。わたしの母も。その道すがら、歩道の端にひとりの年配の女性が立っていました。彼女はなにか一心に祈っていました。わたしがその前を通り過ぎるとき、彼女は手をすり合わせながら、いったんです。“神さま、どうかこの子が家族のもとへ帰れますように……”。彼女はそうして、いまから戦争へ行こうとしている志願者たちひとりひとりの無事を実の母親のように祈っていました。自分の子でもない女の子のために! あれが母親というものなのでしょう。だから、わたしにはお母さんがふたりいるんです」

 その女性とは、それきり顔を合わせていない。消息を知らない。顔も、名前も。

 だが、元朝潮は帰ってきた。「帰ってきてしまった」のかもしれないと元朝潮はいう。

「十二で軍に志願して、それからはずっと戦争、戦争、戦争でした。終戦はわたしが十八歳のとき。帰ってきて、ほかにいったいどこへ行く場所があったでしょう、この町以外に? 外地へは何ヵ国も出征しましたが、日本で知っている土地は、訓練を受けた横須賀と、生まれ育ったここくらいしかないんです」

 両親は群馬に疎開していた。退役した元朝潮も最初は両親とともに群馬で暮らした。両親は歓迎した。「よく帰ってきたね」。だが元朝潮にはその実感が得られなかった。故郷とは土地のことなのか、家族がいるところのことなのか。

 判然としないまでも元朝潮は父母との同居をはじめた。軍隊ではないひとりの人間としての生活のはじまりでもあった。予習はできていたはずだった。解体と帰国が決まった艦娘には新たな任務が与えられた。日本を模した町で日常生活を営む訓練だった。ブルネイやパラオやタウイタウイといった泊地の一角に、平均的な日本の市街地が再現され、解体予定の艦娘は一定の期間そこで暮らすよう命じられた。彼女たちの任務はひとつ――市民生活を思い出すこと。

 艦娘たちにはセブンイレブンでハーゲンダッツのアイスクリームを買う訓練が必要だった。ほとんどの艦娘が商品を手に取ってそのまま帰った。レジで支払いをしてから店をでるようになるまで一ヶ月かかった艦娘もいた。ときとしてやはり解体を控えた艦娘が店員として採用されることもあった。解体が決まってイミテーションの町並みに異動させられた元朝潮は、復員間近の瑞鳳や加賀がレジに立っているコンビニエンス・ストアでこまごまとしたものを買ったことがある。お互い努力しながら店員と客を演じた。学芸会のように。ひどくこっけいだ、と思った。

 

 たとえば元長波なら、そういう街で住民に扮した職員と近所付き合いを練習した。「あら、おでかけ?」。なんて答える? 

「おまえの旦那と燃え上がりに行くんだ」。NG。

「おまえんとこの孫のベビーシッターだよ。孫なんていない? 可愛いのがいるじゃないか。おまえの息子の股ぐらに」。NG。

「おまえのそのレ級よりも虫酸の走るツラをみなくてすむならどこへだって行くさ」。NG。

「ええ、買い物に」。OK。合格の判がもらえる。ついでに「急に冷え込むようになりましたからお気をつけくださいね」とでもつけ加えればパーフェクトだ。

 

 公共料金をどこでどうやって払うか知らない艦娘も多かった。普通預金と当座預金の違いも知らなかった。人生設計を建てさせるカリキュラムでは、保険ひとつとっても、約款を理解できず、おなじ特約を複数組んでしまうケースが多々みられた。まして、そのときの金利から見積もって、定期預金に入れっぱなしにしておくよりも保険料を先払いしたほうが得になることもあるというような資産運用の応用にまで頭が回る艦娘は、ほぼ皆無だった。

 それまで生活は朝から翌朝まで軍が面倒をみてくれた。官給品だけで暮らしていけた。官舎なら家賃の支払いも軍が給与から天引きしていたから艦娘たちはなにもしなくてよかった。使う機会があるかどうかは別として、手取りはほぼ全額が貯金に回せた。

 だが退役後はただ生活しているだけでも請求書の束が毎月積み重なる。そんな当たり前のことがわからなかった。あるいは忘れ去っていた。個人が生活費を払うことのない軍という世界に完全な適応を果たしてしまっていた。クジラは陸上から海へと戻るのに一〇〇〇万年かかったが、軍隊に適応した人間が善良な市民に戻るにはどれくらいの時間がかかるのだろう。一発数百万円の砲弾を補給艦が空になるまで撃ち、世界中の重傷者がひとしずくだけでもと渇望してやまない高速修復材をシャワーのように浴びることが許されていた、歩兵としては最高級のコストがかけられていた女の子が、光熱費や通信費を気にかけられるようになるまでの時間は?

 興味深い統計が得られた。小学校を卒業してすぐ艦娘学校に入校した駆逐艦娘にくらべ、社会人から軍に入隊した戦艦娘や空母艦娘のほうが「ふつうの暮らし」への順応に、より多くの時間を要した。成人をとうに過ぎた艦娘たちが教室に集められて授業を受けた。水の上は歩けません。軍にいた頃とおなじ量の食事は避けてください。家庭に戻ったら、上官や先任のような口調で家族に命令しないでください。指導内容は多岐にわたった。

 

 元朝潮もまたじゅうぶんに一般市民としてのふるまいを心得て、合格の判をコレクションしてから帰郷した。きょうの命を祈らなくてもすむ生活。望んだはずの生活。「戦争が終わったら」と朋輩たちと飽かず語り合っていた夢の生活。それを手に入れたはずだった。

 艦娘にならなかった友人との約束でも、仕事上のアポイントメントでも、一ヶ月先、三ヶ月先、半年先の日取りをなんのためらいもなく予定に入れてくることに、とまどいを覚えた。艦娘、とりわけ駆逐艦娘は、これが最後の出撃になったというものが毎日のようにでた。元朝潮も駆逐艦娘がえてしてそうであるように出撃のたびに遺書を書いた。「希望者はヒトヨンマルマルまでに遺書を直属旗艦に提出すること。直属旗艦はヒトゴーマルマルまでに海歩22連艦第2大艦旗艦のところへ持ってきてください」と通達されると、みんなわいわいお喋りして窓口に遺書セットを受け取りに行き、「陸に置いてきた彼氏あて?」「やだよ、あいつ別の女孕ませてやがったんだ」などと世間話に花を咲かせながらペンを走らせた。

 遺書には複数の見本もあった。母親あて用、父親あて用、きょうだいあて用、友人あて用。なかなか文学的な言い回しが流麗に並んでおり、名前のところだけ空欄になっているので、そこを贈りたい相手で埋めれば、気の利いた遺書が一枚できあがるのだった。母親あて用の定型文をもとに書かれた遺書を受け取った母親は、「あんなに出来の悪かったうちの娘が、死を前に臨んで、こんなに立派で美しい文章を書けるようになっていたなんて」と感激する。だが、遺族会で遺書を見せあった遺族が、内容が一言一句に至るまで一致していることに気づいた。軍は批判され、見本は廃止された。元長波はいう。「よけいなことしてくれたもんだよ。わざわざ自分で書かなくちゃいけなくなった」

 形式化こそしていたが、遺書が持つ意味までも形骸化していたわけではなかった。艦娘たちのしたためる遺書は写経にも似ていた。書かれてあることの意味はどうでもよかった。その本質は、この世を去るための準備が完了したことを自らが客観的に再確認する作業であり、心の整理をつけたことへの決裁だった。

「この一ソーティこそ今生のなごり。駆逐艦娘にはいくらでも代わりがいるから、余力を残さず死力を尽くそう。いつもその心構えで海に在りました。あしたがあるなんてだれにも断言できません。さっきまで話していた僚艦が無意味な肉の破片になるのが日常でした」元朝潮は話す。

 

 きのうとおなじように、きょうが来て、あしたもやってくる。だからきょうのうちに仕事が片付かなければ、あしたに回せばよい。社会では一般普遍的なその考え方に、元朝潮は激しい拒絶反応を示した。

「“これからは、あらゆる演奏会、あらゆるレコード録音、あらゆるテレビ出演において、この演奏がこの世で最後の演奏になるかもしれない、という気持ちでつとめよう。フルートを演奏するときはいつでも、能うかぎり神の意志に近いような、限りなく完璧に近い、かつ真の音楽性に満ち溢れた演奏をしなければならない”。フルート奏者で指揮者のジェームズ・ゴールウェイが自伝の『わがフルート人生』のなかで語った一節です。命の駆け引きをしているわけではない演奏家でさえ、きょう、この演奏が今生のなごりのつもりで全力を絞っている。だからこそ一回の演奏ごとに研鑽されるんです。いま自分が発揮できる最高のパフォーマンスを妥協で出し惜しみする人たちが、退役してまもない当時のわたしには歯がゆくてなりませんでした」

 あしたがくると(ごう)も疑わず仕事を途中で切り上げるプロジェクトチームに耐えかねて苦言を呈した。父に紹介されて就職した民間企業の職場で、彼女が煙たがられるようになるまで、時間はかからなかった。「艦娘あがり」と陰口を叩かれた。あるとき、いまにして思えばくだらないことで派遣社員に注意すると、彼は「失礼いたしましたあ、艦娘どの」とふざけた挙手の敬礼をした。元朝潮は視界がゆがむほどの赫怒(かくど)に駆られた。敬礼への侮辱は許せない。だが周囲は大爆笑の渦に包まれた。そのとき、元朝潮は自分の居場所はここではないとようやく悟った。

 

 転職した先でも似たようなことが起きた。職を転々とした。家族もまた元朝潮を疎んじはじめていた。家庭に馴染めないことがあっても、最初は彼女が生きて還ってきたよろこびで打ち消されていた。しかし元朝潮はいつまで経っても艦娘のままだった。毎日のように家中を掃除した。キッチンにも風呂場にも水滴ひとつ残さなかった。蛍光灯の上の埃さえ拭き取った。それを家族にも要求した。

「なぜそこまでしないといけないの、と母にうんざりした顔でいわれました。わたしは、なぜこれくらいのことができないのか、逆に疑問でした。清潔にすることが悪いことなのって母に訊き返したら、途方に暮れた顔をしていました。そしていわれました。“あなたはだれなの? わたしの優しい娘は、どこに行ってしまったの?”」

 家族が不意に鍋を落としたりすると悲鳴をあげた。夜寝ているときにいきなり叫んで飛び起きることもあった。元朝潮はいつまでも朝潮のままだったし、壊れたままだった。

「わたしが朝潮として軍隊に適応しきっていたのとおなじように、家族もまた、わたしのいない生活に適応しきっていたのです。わたしはあの家では異物でしかありませんでした。しかも自分からは馴染もうとしない。このまま家にいてもだれも幸せにならない、そう思って、生まれ故郷の岩手に」

 戦後復興から取り残された地方での暮らしもけっして楽ではなかった。短期のうちに転職を繰り返した、戦争以外になんの技能も資格もない二十過ぎの女が就ける仕事といえば、だれでもできる単純労働だけだった。艦娘だったという経歴はなんの役にも立たなかった。

「朝から夜遅くまでひたすらおなじ作業を続け、お夕飯は帰り道で買ったコンビニの食事をひとりで……。そんな生活が二十三まで続きました」

 

 駆逐艦朝潮だった彼女はいま、古い公営住宅でひっそりと暮らしている。

 元長波が元朝潮の家を訪ねる。元朝潮は重い腰をあげる。玄関を挟んでふたりが対峙する。

 二歳下のはずの元朝潮は、ぱさぱさの髪に白いものが混じっているせいか、むしろ元長波より老けてみえる。ふたりの挨拶はぎこちない。はじめましてなのか、久しぶりといえばいいのかさえわからない。

 元朝潮はひとまず元長波を部屋にあげてダイニングキッチンに通す。完璧に整頓された部屋。テーブルの上に置かれたものはすべて向きが揃えられている。その几帳面さで彼女本人の心身が悲鳴をあげていることに、元朝潮は気づいていない。

「あなたとは、一度ジャム島で食事をともにしたことが」

 元朝潮は切り出した。元長波には覚えがない。ジャム島の食事といえば戦線崩壊後にジャングルを単身で彷徨しているあいだに食べた昆虫やトカゲ、そして深雪の肉ばかりが想起される。

「上陸した敵に遅滞攻撃をくわえながら計画的後退していた、ある夜に、長波さんたちの小艦(小艦隊。六隻編成。小隊に相当)と合流して、みんなで戦闘糧食Ⅱ型のカレーを食べたことがありました」

 元朝潮はそのときの様子を語って聞かせた。水を注ぐと発熱する簡易ヒーターで温めたレトルトタイプのカレーを喫食している最中、ふと、長波が「ウンコってのはpHが弱酸性なんだ。肌とおなじ。ところが下痢便はアルカリ性になる。だからケツがかぶれるってわけ」などと蘊蓄を披露しはじめた。空腹で食事に夢中だった艦娘たちは聞き流した。その長波はつづけた。「ちなみに、カレーもアルカリ性なんだ」。みんな爆笑しながら長波を口々に責めた。漂っていた悲観的な空気がいくぶん和らいだという。

「わたしは本当にそんなクソッタレなことをいったのか? ほかの長波じゃないか? シリアルナンバーがわかれば一発なんだが」元長波はあいまいな笑みで首をひねった。

 艦娘は同一艦が複数存在するため、艦名だけでは個人を特定できないことがままある。シリーズ内で十把一絡げにされる艦娘に個人識別の証明を与えるものが九桁のシリアルナンバーだった。たとえば夕雲型駆逐艦長波は通算で一二一七隻が配備された。元長波が現役時代に付与されたシリアルナンバー608-040119が、一二一七隻の長波から彼女ひとりを特定する個の証明書となる。最初の6は領収年度の西暦下一桁、つぎの08は夕雲型駆逐艦の登録番号、ハイフンを挟んだ04は四番艦を意味し、0119はそのシリーズとしては一一九番目に領収されたことを表している。だから、608-040119という並びをみれば、彼女は西暦下一桁が六の年に艦娘学校を卒業して艦娘として実戦配備された、一一九人めの長波なのだということがわかる。

「わたしもそんなに多くの長波シリーズに知己があるわけではないのですが、ほかにこんなことをいう長波がいらっしゃいますか?」

「おかしいな」元長波は腕を組んだ。「残念ながら、わたし以外に心当たりがない」

 真面目な顔で混ぜっかえすと、元朝潮ははじめて口元をほころばせた。

 

 元朝潮は奥の和室に通じる襖を引く。元長波は思わず息を呑む。六畳間の和室。壁という壁に大小さまざまな切り抜きが貼られている。ジャム戦を取り上げた新聞、雑誌から切り抜いた記事や写真などが隙間なく埋め尽くしていて、壁の色もわからない。実用一点張りの本棚にはジャム島関連の書籍――回顧録から戦争に関係のないものまで――が網羅されている。ここでも戦争は終わっていない。戦争は続いている。

 1DKの間取りから、元朝潮はスクラップブックのようなコラージュの壁に囲まれたこの和室を寝室にしている。ジャム戦を扱った無数の切り抜きと起居をともにしながら元長波と会うことを最初は拒んだ。矛盾だ。だが、あるいは元朝潮は自分自身以外とジャム戦について語り合うのはこれがはじめてなのかもしれない。

「戦争で人生が変わったという元艦娘はたくさんいます。けれどわたしは、ジャム戦さえなければ、ほかの戦争体験が欠けていなくとも、きっとこんなにはならなかったと思うんです」元朝潮はジャム島に固執する理由をそう話した。「思い出すのは恐い。でも思い出さないのはもっと恐い。そして、もっとも恐ろしいのは、だれにも思い出されなくなることです」

 切り抜きのひとつを指でなでてから、元長波に振り返る。

「では、お話をはじめましょう」



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九   狙われた島

 艦娘は少年兵であり国際法違反であるという国連の総会決議(ワシントン・ロンドン宣言。ワ・ロ宣言)に唯々諾々したがっていた当時の与党が、方針を大転換し、艦娘の大増産に踏み切ってからの日本は、しばらくのあいだ、圧倒的に強かった。連日の勝報に国民は手の舞い足の踏むところを知らず狂喜し、軍が英雄視され、志願者がさらに増える好循環がつづいた。一時期のないない尽くしだった“セルフ・ネイヴァル・ホリデイ”で、深海棲艦からの被害に苦しむ国民と、国連決議の遵守を金科玉条に艦娘の新造をみとめない政府との間で板挟みになり、にっちもさっちもいかない辛酸を舐めさせられたことを考えれば、海軍にとってはうれしい悲鳴だったにちがいない。

 余剰戦力のはけ口を外に求め、また深海棲艦には艦娘でしか対抗できないことを逆手にとり、最大の艦娘保有国であるアメリカが自国領のみならず、NATO加盟国の防衛義務履行(NATO加盟国は、締約国が武力攻撃を受けたとき、集団的自衛権を行使しなければならない。アメリカ国民からすれば自国の艦娘戦力に他のNATO加盟国がただ乗りしているという不公平感が生まれても無理はない)で大西洋への注力を余儀なくされ、負担の増大から消極的孤立主義が世論の主潮となりはじめていた隙をねらい、技術や予算の面から自前で艦娘を調達できない南方の中小国に日本が深海棲艦からの安全保障を売り込んだのは、自然のなりゆきといえる。

 事実、軍官民一体となった日本海軍の海外展開は順調に進んだ。トラック州を皮切りに、リンガやタウイタウイ、ブルネイなどに次々と泊地を設け、東南アジアを二年たらずで「城下町にしてしまった」(『現代の大東亜共栄圏・その栄光と衰退』より)。計画ではマーシャル諸島やキリバスへの泊地設定も検討されていたほどで、実際前者には進駐しており、日本の戦線拡大は、まさに破竹の勢いというべき快進撃をみせた。

 

 しかし、それは槿花一朝(きんかいっちょう)の夢だった。艦娘ひとつをとってみても、採用枠を拡大した初年度や二年目は、職にあぶれて経済的困窮から手ぐすね引いていた女子らがいっせいに志願したために殺到することになったが、出生数が爆発的増加でもしないかぎり、おなじペースでの申請が何年もつづくことはない。

 また艦娘がつかう装備は慢性的な石油不足に端を発する物価上昇に加え、個人で使用できるよう最新の技術が投入されたことから調達価格が高騰した。駆逐艦用の十二・七センチ砲弾なら一発あたり四十五万円、戦艦の四十一センチ用弾薬だと四〇〇万円(『我が国の防衛と予算・概算要求の概要』より)となっている。なお、比較対象として、90式戦車のJM33砲弾の単価が九十五万円、空軍のAAM-5(04式空対空誘導弾)が五二〇〇万円である。

 戦車砲弾も戦闘機のミサイルも、高度な火器管制によりほぼ必中を期しているが、艦娘の射撃はデジタル化されたフリートロニクス(艦娘用艦隊支援電子工学。艦娘の艤装に搭載する電子機器のこと。Fleet(艦隊)Electronics(電子部品)を合成した造語)を配備してもなお、目標である深海棲艦の特殊性のため、理想的環境下における昼間砲撃戦の命中率はわずか一~五%、一海戦(戦闘一回ぶんの武器投入量と軍需物資消費量の単位を「基数」とし、二十基数で一海戦とする。一海戦の期間はおよそ三ヶ月を想定)の消費量が駆逐艦娘で二三〇〇発、戦艦娘が一五〇〇発にものぼるのだから、その経済的負担は比べ物にならない。しわ寄せは当然ながら国民にいく。国民には一層の耐乏を強いることになった。しかし一年、二年ならともかく、深海棲艦との戦争はいつ終わるか知れない。

 

 端的にいえば、人材面でも経済面でも、同期間の損耗が生産を上回っている以上、遠からずじり貧となることは自明で、長期戦は不可能という結論が避けられないのである。まして、作戦線を延ばせば、それだけ本国と現地を結ぶ船腹の数も、一回の往復にかかる日数と重油消費量もうなぎ登りになる。短期間ならなんとか無理をして押し通せる。しかし、「陸上短距離のランナーが百メートルを十秒で走れるからといって、フルマラソン四十二・一九五キロを一時間あまりで走破できるワケがない」(『現代の大東亜共栄圏・その栄光と衰退』より)のである。

 にもかかわらず、海軍の上級組織である防衛省内局は、艦娘無制限時代突入の二年目の艦娘領収数をもとに算盤を弾き、さらに政府はそれを鵜呑みにして戦域拡大の青写真を描いたため、数年目にして、早くも兵站が追いつかなくなった。元長波が現役時代に初めてブルネイへ配属されたおり、サイズの合致する制服がなかったなどというのも、本土の官僚たちによる兵站の見積もりの甘さが招いた一例といえよう。

 

 当の元長波は、こう語る。

「逆に、政府が権益拡大のために先行して青写真を描いて、それを実現させられる数字を算出するよう防衛省にプレッシャーをかけたって話もあるけどね。背広組だって人間だからさ、上役の顔色を伺いながら仕事するのは責められない。上司の喜ぶ顔がみたいがために数字をいじるってことはあるだろうね。ま、お国の考えることはわたしみたいな一知半解の徒にはわからないよ」

 

 天王山ともいうべきMI作戦が転機となった。日本はアリューシャン方面へ陽動部隊を向かわせ、同時にミッドウェー島を奇襲し制圧、勝利を納めることができた。

 だが敵のねらいは日本本土にあった。わざと遠隔地であるミッドウェー島をとらせ、隠密裡に本隊を本土へ強襲させていたのだ。日本が敵の真意にようやく気づいたのは戦艦棲姫二隻を中核とした深海棲艦侵攻部隊が硫黄島付近を北上しているときだった。

 軍は震撼した。急激な戦域の拡大で、艦娘の配置状況はいわば日本を中心としたドーナツ状を呈していた。南方の島々を防波堤とするのであれば、いっそ、内地の防備を預かる艦娘部隊を動員してでも外地の戦力充実をはかるべきだという、外高内低の作戦思想のためである。泊地を防波堤というのならば、矢面にたつ外地に戦力を注ぎこまないことには、言葉だけで中身のともなっていない自家撞着になる、うまく機能すれば本土に敵はこない。こないのならば、敵のいない本土で艦隊を遊ばせておくことは合理的でない、という首脳部の考えであった。ただの建前であることをいつしか忘却してどこまでも机上の空論をふくらませる官僚組織の宿痾(しゅくあ)が顕在化したのである。

 手薄ながら、第140海上師団と第234海上師団は多大な犠牲を払って敢闘した。敵を撤退させることには成功したものの、危うく本土への侵攻を許すところであった一事は重く受け止められ、軍は防衛思想の見直しを迫られることとなった。

 重ねて年明けにはトラック泊地が猛烈な空襲を受けた。因縁ぶかきアイアンボトムサウンドを一点突破しフィジー・サモア方面に遊弋する敵を叩く作戦中に、西方から腹背を衝かれる失態を演じたかと思えば、北海道北東沖でイタリア海軍の艦娘を招いた観艦式のさなか、幌筵泊地に深海棲艦の襲来を受ける醜態を晒したりした。北洋ではアリューシャン列島の戦況悪化のため、キス島から撤退せざるをえなくなった。

 こう不祥事がつづくと、無理して背伸びをするより、もっと足元を固めるべきではないかという意見が国内のそこここから噴出するのは当然だった。そして、日本民族は、いまもむかしも、思想の振れ幅が極端にすぎるきらいがあって、外へ出るとなると太平洋全域を支配下に置こうと兵站の限界を超えて遥かキリバスのごとき遠方へまで手をのばすが、いったん内向きに指向すると、今度は偏執的なほどの引きこもりになった。厳密にいえば、新造した艦娘のほとんどすべてを本土防衛に回し、いくら外地の戦力が損耗しようが、なかなか補充を送らなくなってしまったのである。

 

 一度はわが方が掌中におさめながらも、やはり補給の問題と本土重視の政策転換から手を引いたアンズ環礁(モルディブ最南端の環礁)とリランカ島をふたたび失陥し、敵が拠点に仕立て直してカレー洋を掌握、さらに東進して虎視眈々と東南アジアをねらいはじめたのは、そんなときであった。

 防衛省は、西方からの敵に対してインドネシアとマレーシアのちょうど盾になるかたちでスマトラ島沖に浮かんでいるジャム島に白羽の矢をたてた。もしジャム島を奪われ、飛行場姫を置かれでもしたら、敵陸上機が空爆ののち帰着できる距離内にある東南アジア全域、とりわけ本土防衛最大の支城であるフィリピンまでが、喉元に匕首を突きつけられることになる。ジャムからなら、リンガだろうがブルネイだろうがタウイタウイだろうが、フィリピンの首都マニラだろうが、空爆するのは垣根越しに隣家の柿へ手をのばすよりたやすい。また南方の資源地帯と航路はいっさいの戦略物資を産しない日本の生命線でもある。フィリピンを失えば日本の運命も旦夕に迫ることになる。

 サーモンからブーゲンビル、マキン、タラワ、ニューギニアを蛙飛びしてくる敵任務部隊の攻勢に気をとられて、四苦八苦しながらこの方面の防備強化に努めていた統合幕僚本部も、それまで放置していたカレー洋の戦備に大わらわで狂奔した。

 長波だった彼女が深雪たちとともにフィリピン海を七日も漂流して、海水を飲んだ巻雲が海底に消えたのを目の当たりにし、命からがらルソン島に漂着、帰還したのは、ちょうどそんな火事場のまっただなかであった。

 “ジャム島を死守すべし”。軍は息巻いたが、政府の方針はあくまで本土防衛の優先だった。すったもんだのすえ、ジャム島に軍を新設し、配属部隊は本国から新たに派遣するのではなく、近傍の泊地から一、二個兵団ずつ抽出して編制するという泥縄式で決着がついた。

 第32軍新設の基本構想は、航空基地を確保し、洋上に敵を迎え撃とうというもので、九州四国を合わせたほどの面積を有するジャム島を、いわば巨大な不沈空母に仕立てようというものであった。対深海棲艦の切り札と期待され、実用化が進められていた基地航空隊を主力とする予定だったのである。敵はジャム島の西側から攻めてくると予想されるため飛行場は東海岸に設定することが理想であったが、地形の問題から、西海岸の北部、山間の中部、南部の三ヶ所が妥当との結論がだされた。

 しかし、基地航空隊は弓であり、いったん敵に懐へ接近を許すと抵抗は望めず、せっかくつくった飛行場を逆に利用されてしまう懸念があった。弓だけでなく刀もいる。

 その刀として、パラオ泊地から第9海上師団が派遣された。翌月にはおなじくパラオから第24海上師団が到着。かくして、元長波が所属していたブルネイの独立混成第60海上旅団および独立混成第45海上旅団を最終便として、タウイタウイの第62海上師団、独立混成第59海上旅団、リンガ泊地の第28海上師団と独立混成第44海上旅団、トラックからの独立混成第64海上旅団、これにもともと先行していた陸軍の飛行場設営隊をあわせて、十万の兵卒が陣を整えた。人口百万のジャム島は、一夜にして一大泊地なみの艦娘基地となったのである。

 

 ジャムで敵を食い止める。軍は豪語し、ジャム島民はみんな興奮して信じた。ジャム開闢以来みたこともない圧倒的規模の軍隊がいかにも頼もしく、街で艦娘や兵士をみかけるたび、幼い子供までが、覚えたての「バンザイ」をした。

「そういう事情で拙速に軍が置かれたものですから、まだわたしたち艦娘用の慰安所がありませんでした。過酷な訓練で生理が止まっているのをいいことに、避妊しないで行きずりの男性と寝る僚艦がいました。その駆逐艦の子は脳に梅毒が回ったせいで、あらぬことを口走っていきなり全裸になったかと思ったら、窓から放尿したり、そのあたりで大便をしては、それを“ようかん、ようかん”と美味しそうに食べたり。そのうち寝たきりになって、痛い、痛いと笑いながら死にました。脳と心臓に修復材は効きませんから……」

 元朝潮は悼むように語った。彼女はジャム増強の第二陣、第24海上師団海上歩兵第22連艦隊第2大艦隊(大艦隊は大隊に相当)の一員だった。同連隊は32軍でもとくに敢闘したと伝えられる屈指の精鋭部隊である。戦後、ジャム島民が疎開先から帰還すると、第22連艦隊第1大艦隊の守備していた山で、艦娘たちが主砲を手にしたまま白骨化しており、思わず滂沱(ぼうだ)の涙を流して掌を合わせたという。

 

「わたしもなにがなんだかわからないうちにジャムへ転属させられたよ。艤装は温度湿度を管理できる専用コンテナに個別パッキングされて輸送艦、わたしらは別便の徴用船にすし詰め。ただでさえ天井が低いのに幾重にもベッドを重ねてるもんだから、半身を起こすこともできないくらい窮屈だった。寝転がって落ちないとベッドから降りられもしない。通路にも階段にもだれかが立ったり座ったりしてる。用を足しに行くのも、人をかきわけ荷物をおしのけ、たどり着いたら長蛇の列。南方だけにクソ暑いってのに、灯火管制で窓を閉め切ってるから、空気は澱んで、船内はどこ行っても脂ぎった熱気でムンムン、座れば()えた足の臭いに顔が沈むからしんどくても立ってなきゃならない。甲板に出て新鮮な空気が吸える順番が回ってくるまでは、その人いきれのなかで波の動揺に体を合わせながらじっとする。満員電車は半日と乗ることはないけど、わたしたちはそれが一週間も続く。まるで奴隷商人に売り買いされる黒人さ。わたしたちより艤装のほうがよっぽど人間扱いされてるって、深雪がぷりぷりしてたなあ」

 

 と元長波は苦笑いする。当時は敵潜の猛威により日本が船腹不足に悩まされていたころである。人間の輸送には容積三総トンあたりひとりの割合で船腹を充当すべきところ、ひとり乗せるのに一総トンがやっとという状況だった。一総トンは二・八三立方メートルだから、ひとり当たりおおむね、高さ一・四メートル×幅一・四メートル×奥行一・四メートルの空間しか割り当てられないということである。

 

 32軍司令部は飛行場よりもまず陣地の構築に傾注した。無防備なところへ飛行場だけあってもしかたがない。島を守る態勢を整えることが先決で、航空基地の整備はその次でよい。そう考えたのだった。

 敵のほうから攻めてきてくれるのである。よって、下手に海へ打って出る戦法はとらず、艦娘たちはむしろ島で待ち伏せし、上陸してきた敵を砲兵よろしく水際で叩く。深海棲艦もさすがに断崖絶壁からは上陸しない。橋頭堡(きょうとうほ)構築はかならず海からそのまま乗り上げられる砂浜のある海岸にかぎられる。それも数の利を活かすために一度に多くの上陸が敢行できるよう幅の大きな汀渚(ていしょ)を選ぶはずだ。この時点で迎撃地点はある程度絞ることができる。

 また、敵主力の駆逐艦クラスは水陸両用だが、水上では最大三十ノット強を発揮できる反面、稚拙な後肢または前肢のどちらかしかもたないために、陸上では時速五キロという牛歩に落ちこむ。よって、わが方は敵主力が上陸しているあいだは射撃地点を隠匿するためあえて攻撃を実施しない。鈍足な敵が大挙して折り重なりながら不慣れな陸の上を動きはじめ、じゅうぶんに射程に入ってから一気に集中砲火をあびせるのが上策だ。敵は上陸に先んじて念入りな空襲と艦砲射撃をくわえてくるだろうから、砲兵と化している艦娘らを温存しておける要塞が必須である。鍵は洞窟だった。

 ジャム島の、とくに南半部には、隆起珊瑚礁による自然洞窟が網の目のように張り巡らされている。それを利用して地下要塞にしようというのだった。珊瑚礁は石灰質で、鉄筋コンクリートとおなじ強度をもち、しかもその地層が十から二十メートルもあって、掘開こそ難事だが、その下は比較的柔らかい地質になっているから、いちど掘り抜いてしまえば、地下陣地を敵の砲爆撃から守ってくれる堅牢無比な掩蓋となってくれる。

 

 人手が必要だった。陸軍施設部隊が築城の指揮をとり、建機による絶島大改造がはじまったが、短期にすぎる完成予定に間に合わせるため、単純作業には工兵だけでなく、艦娘や、志願を募って臨時雇用された島民も総動員された。

「やっとこさ島に着いたと思ったら、来る日も来る日も野戦服で穴掘りばっかり。第一次大戦の歩兵の仕事は、戦闘二割、塹壕掘り八割だったらしいけど、まさか艦娘になってまで円匙(えんぴ)とツルハシとモッコで土方やらされるとは思ってなかった。でも、地方人がみんな文句ひとついわず、軍隊のわたしたち以上にがんばって働くからさ、こっちもなかなかさぼれなかった。課業やめって号令されないかぎり、いつまででも仕事するんだから」

「子供も女の人も、一心不乱で手伝ってくれましたね。熱心にツルハシを振るっていた、ある男の人は、靴がすり減って穴が開いていたから、それを教えてあげたの。そうしたらその人、照れくさそうに笑って、靴を脱いで、そのまま、作業をつづけたんです」

 元長波に、元朝潮も懐かしんだ。重機をみるのもはじめてという純朴な島民たちだった。

 

 艦娘には艤装を背負うための強化外骨格が装備されていたため、大の男より力仕事に向いた。「おかげでしんどい仕事ばっかり回されたな」元長波は腰をこぶしで叩いた。いまでもイブプロフェンが手放せない。元朝潮も鎮痛剤を常備している。

「でも、人間というのは不思議ですね、あんなきつい仕事を連日させられても、どこかにやりがいや、楽しみを見出そうとする。わたしの隊はだれかがいつもかわるがわるおしゃべりをしていました。たとえばこんな――“駆逐艦娘の(ひびき)はご飯の時間にはだれよりも正確。腹腹時計をもってるから”だとか、“あるガングートが、対潜の護衛として海防艦の国後と占守と択捉を引き抜いた。ずいぶんとお気に入りで、返還に応じないらしい”だとか」

 

 築城に山の開墾。およそ艦娘ときいて浮かぶイメージとは程遠い泥濘にまみれる作業に彼女らが明け暮れているころ、軍司令部に統合幕僚本部から、飛行場の一刻もはやい完成をもとめる催促が飛んできた。

 32軍は、司令官も幕僚たちも、基地航空隊というものにさほど期待をかけていなかった。敵に占領されたらという懸念もあるが、なんといっても飛行機がなければ、いくら飛行場を整備しても意味がないからだった。

 基地航空隊の陸上攻撃機は、戦傷で植物状態または脳死状態となった艦娘を、入隊時の同意に則って干渉波発生装置として搭乗させるもので、いわば空飛ぶ艦娘であった。兵装の干渉波浸食強度が極めて高いという利点をもつ反面、無線操縦であるから空母艦娘の艦載機よりも単純な指令しか実行できず、三回出撃できたものはないといわれるほど未帰還率が高い欠点があった。

 親族からすれば、脳死・植物状態とはいえ体だけはせっかく戻ってきてくれたのに、陸上機に接続されて戦地に飛ばされたら、空の棺桶を焼かなければならなかった。反撥が大きく、軍としても無碍にすれば国民感情を逆撫でするおそれがあるから強行もできず、機数がなかなか揃わなかったのである。艦娘学校に送りだすときは今生の別れと覚悟しているし、轟沈したと戦死公報が届いたらあきらめもつくが、いちど手元に返されて、あらためて失うとなるとやはり惜しくなる。当然の人情であった。

 

「艦娘になる()うたんはこの子の意志ですけえ、うちが口出しするんは筋違いじゃ云うんはわかります。ほじゃけど、お兄さん、人の娘がこんとになっても、まだ足らん、いわれるんですか。まだ逆しにして振る、いわれるんですか。手ぇも足も動かん、返事もせん、管つながれてようよう息しよるだけ云うもんを、あがぁなもんに乗して、突っ込ます、いわれるんですか。娘はじゅうぶんお国のために尽くしました。これ以上はもう、堪忍してつかあさい。普通に死なして、普通にお葬式あげさしてつかあさい」

 ある元浦風(うらかぜ)は、戦闘で脳死状態となり後送された娘を再召集しに入院先へきた軍の担当官に、そう涙を流しながら床に額をこすりつけた。彼女が現役だった時代に基地航空隊はなかったために、脳死の艦娘を部品として組み込む陸上機のシステムは理解しがたいものだった。

 

 陸攻が用意されるかどうか、疑念はぬぐえなかったが、命令は命令である。32軍はやむなく陣地構築を一時放棄して飛行場づくりに全能を傾けると布告した。

 陸軍の工兵を筆頭に、各部隊の兵、艦娘だけでなく、徴用された島民の諸部隊も一丸となって、三地域に航空基地を神速整備するべく、手に手に工具を握って、不眠不休の努力を注いだ。空母艦娘の艦載機なら模型大しかないが、艦娘を搭載する陸上攻撃機は軽飛行機ほどの寸法があるため、滑走路も四〇〇〇メートル級のものが必要だった。

「わたしたちが配属された飛行場地域は、内陸だったので、住民にとってはお塩が貴重品でした。ある日のご飯どき、配給されたお塩があまったものですから、地方人のみなさんにおすそ分けしたんです。とても感謝されて、次の日には、お礼だといって、山のように饅頭(マントウ)をつくってきてくれました」

 元朝潮がいえば、

「地方人のじいさんが、頭痛がする、痛み止めをくれってんで、たまたま薬をなにももってなかったから、苦しまぎれに歯磨き粉を“日本製の鎮痛剤だ”ってひとつまみ、くれてやったんだ。そしたら翌日、“さすが日本の薬だ。もうすっかりよくなった”。わたしらの小隊みんな、自家製のサテ(焼き鳥)をご馳走になったよ」と、元長波も記憶を探し当てた。

 

 いっぽう、管理科壕のつくる正規の食事、とくに芋粥には、かならず虫が混入していて、閉口したという。

「ゴキブリとかコオロギとかナナフシとかムカデとか。別に嫌がらせってわけじゃない。壕内のでかい釜で炊いているときに天井から落ちてきていっしょに煮込まれちまうんだ。つくるほうも食べるほうもいちいち気にしてられなかった。配給された一膳に一匹は虫がいたね。むしろなにも混じってないやつは“裏切りもの~”って茶化されてた。それが最後任だったりしたらたいへんよ」

 元朝潮も、

「わたしはキリギリスが混じってたときがありました。茹でられて、逃げようとしたんでしょうね、お腹からハリガネムシが飛び出してて、そのまま湯だっていました。捨てたらみんなにからかわれますから、麺類だと思ってすすりました。ちょっと苦かったですね」

 

 兵士、艦娘、老若男女の民間人が心をあわせて夜に日を継いでの突貫作業にはげんでいるころ、元長波の同期の伊168をふくむ独立潜水艦隊がトンガ海溝の偵察から生還した。もたらされた情報から、統合幕僚本部は深海棲艦が恐るべき物量と兵力を用意しつつあると予測。ラバウルの一個海上師団をブイン基地へ増加して迎え撃った。第二次サーモン海戦である。

 機先を制する決め手となった偵察任務は〈緯度0大作戦〉と名づけられ、待望久しい朗報で国民に胸を張ることができた海軍は潜水艦隊に論功行賞を与えた。

 だが、敵は複数の艦種の性能をもちあわせた新型深海棲艦、戦艦レ級の量産体制をすでに整えていた。ひきつづきサーモン海の補強が必要とされ、ブインに引き抜いたラバウルの師団は当面のあいだ戻すことができなくなった。手薄になったラバウルの穴を埋めるために今度はどこから引き抜くか。

 

 32軍の主力を投入した航空基地設営整備作業が実を結び、ジャムでは着工からわずか十日で西海岸北部、島中部、南部に目的の飛行場が開設をみた。

 落成式が順繰りに行われ、艦娘にも島民にも酒が振る舞われた。お互いにねぎらい、祝いながら、大地を延々貫通する滑走路と、機体や諸施設をかくす掩体壕をみな感慨深く眺めた。自分たちの汗が染み込んだ飛行場をすぐにでも陸上機の勇姿が埋めつくし、いざ敵の来攻あらばその鵬翼(ほうよく)をひろげ、寸土も踏ませず洋上でことごとく撃滅する壮観をだれもが夢想した。

 しかし、陸上攻撃機はいっこうにジャムの空に姿を現さなかった。司令部が予想していたとおり、倫理上の問題が足かせとなって、機体の生産が遅々として進まなかったのである。

 とはいえ、32軍で幕僚長を務めていた女性中将(当時)は、自身もふくめ、司令部に悲観した感は薄かったと自著で述べている。中央の基地航空優先思想にさほどの信をおいていなかったということもあるし、まだ深海棲艦のジャム来襲には猶予があるから、やっと本願の地上陣地造成にとりかかることができる、注文の飛行場はつくってやったのだからもう本土も文句はつけてくるまいと考えたのである。

 

 現場で働く艦娘たちはといえば、不満たらたらだった。

「穴堀り休んで地ならしさせられたかと思えば、今度はまた穴堀りにもどれ、だかんな。やってらんねえよって、艦隊のみんなでブーブーいってたっけ」

 元長波は朝令暮改にふりまわされた嘆きを思い出して薄く笑ったが、元朝潮は、真面目な顔に、わずかな慙愧(ざんき)を覗かせた。

「当時のわたしは、命令は絶対だと思っていましたから、司令官にはなにか考えがあるはずだと信じて疑いませんでした。軍の意向を批判するなんて、とても……。わたしたちのはたらきが日本の未来を決めるのだと、使命感に燃えていました。正しいから正しいと信じろという、トートロジーだったのかもしれません」

 

 前職が艦娘学校校長という来歴の軍司令官は、春風駘蕩、作戦立案その他をすべて部下に任せて責任だけを負う篤実な老将だった。元長波も元朝潮も、築城の作業中、視察にきた司令官を二度、三度みかけただけで個人的な面識はないが、部下にも島民にも気さくに声をかけ、寸暇をみつけては壕掘りをともに手伝うことさえあった。面上に微笑が絶えたことはなく、堂々たる体躯に似つかわしい悠然とした立ち居振る舞いと風格は、ともすれば深海棲艦の風評に浮き足立ってしまいがちな島民を安堵させ、32軍に対する信頼を増大させたという。

 

 懸案だった築城も、飛行場設営と同等の尽力により、各地の洞窟は一大地下要塞へと変貌を遂げ、戦略持久を呼号するにふさわしいものとなった。作業を経て兵も艦娘たちも地勢に精通する副次的効果もあった。

 内部は、たとえば南部イヌバム岳付近の洞窟は一個海上師団をゆうに収容しうる長大さを誇り、さながら地下街といってもよいにぎわいをみせた。一個海上師団といえば定員一万五〇〇〇名の大所帯である。同規模の洞窟がジャムにはいくらもあった。

 元長波の独立海上歩兵第399大艦隊を含む独立混成第60海上旅団も当然ながら割り当ての洞窟に入った。彼女は照明の裸電球がいくつもぶらさげられているさまをみて、「内地の祭りにでる夜店みたいだ」と洩らした。敷波は呆れ、深雪は大笑いした。

 

 日を置かず猛演習がはじめられた。敵の上陸予想地点を中心に区分けして、各師団に迎撃の担任が割り振られ、慣れぬ地上での兵力機動、急速な陣地転換、水雷戦隊による夜襲、付与された状況に応じて他の敵橋頭堡撃滅を援護するための機動、動揺のない陸上ならではの射撃などなど、訓練すべきことは山積みだった。ジャムには砲声や艦載機の爆音が昼夜を問わず殷々と轟いた。担当区域をまたいだ複数の師団の有機的運用がジャム島戦略持久の肝とされた。

「わたしとおなじ艦隊の早霜(はやしも)ちゃんったら、“捷号作戦みたい、うふふ”って。旗艦の風雲(かざくも)さんが“縁起が悪い”って嘆いて、みんな笑ってました」元朝潮が記憶をたぐる。

 

 司令部がもっとも期待をかけた、大火力の戦艦娘戦隊による実弾射撃訓練が島西海岸アネダクの海岸でおこなわれた。大気を割る轟然たる響き、いっせいにたちのぼる無数の水柱と土煙に海岸線が覆われるさまは圧巻というほかなく、司令部にも、当の艦娘たちにも自信をもたせた。招待されていたジャムの知事以下、官民もさかんに歓声をあげた。露店までだしている調子のよいものもあった。

 いまだに味方の陸上機はこないが、訓練を重ねるうちに、地上戦力だけでも敵に多大な出血を強要できる、上陸をもくろむ深海棲艦を海へ叩き落とせると、決勝の信念が全軍に根付いていった。

 

 もとは泥縄式でかき集められた32軍が、まるで最初からいまの顔ぶれで編制されて何年も死線をともにしてきたように結束が固まってきていた、晴れた日のことだった。例年よりもジャムは雨季が遅れていた。「いい訓練日和だ」「雨だったらなんていってたのさ」「“いい訓練日和だ”」。深雪と敷波がそんな冗談を壕で交わしていたのを元長波は覚えている。

 内地の統合幕僚本部から、ジャムの第9海上師団か第24海上師団のいずれかをラバウルに転用するとの通告があった。ラバウルからブインに艦隊を抜いた穴埋めが必要だった。あまりに唐突だったので32軍にとってはまさに晴天の霹靂だった。これからという矢先だった司令部の張り切った気持ちは、穴をあけた風船のように一気に萎んでいってしまった。

 軍司令部が進めていた配備計画は、現状の兵団で実現しうる兵力、火力、稼働率が前提であった。互いに戦力と物資を自由自在に融通しあい、一ヶ所に集中して上陸されてもすべての兵団が直接あるいは間接的に防衛にあたることで、担当の師団を上回る敵とも対等以上に戦える。個別に立ち向かって勝てる相手ではないのだ。もしジャムから一個でも師団を引き抜かれたら、張り巡らせた網に穴が開くどころか、全体の防衛計画にも支障がでる。

 32軍の幕僚長だった女性中将は著書『激動の戦争史 ジャム島決戦』にこう記している。

 

(前略)私たち幕僚は異常な衝撃に打ちのめされた。私は居ても立ってもいられず本土へ直談判した。

「千丈の(つつみ)も蟻の一穴からと申します。ジャムからの一個海師の抽出は蟻の一穴どころではありません。ジャムの一個海師は本土の二個海師、三個海師に相当します。今兵団を抽出されたなら、それが9海師か24海師かを問わず、抽出させられた区域の防衛に関してはわが32軍は責任を負うこと能いません。もし32軍から師団を転出したあとに、補充として他方面から代替の兵団を当地に送り込む計画があるなら、むしろその兵団をラバウルに送ってください」

 統幕本部からの返答は、こうだった。

「32軍への穴埋めはまだ決まっていません。これは可能なかぎり善処します。とにかく今は、一刻も早いラバウルへの増援が必要なんです」

「増援が必要なのはこちらも同じです。敵は海を挟んだリランカを占領したのよ。次は必ずこの島に来る。その物量は我の五倍に匹敵するとの由。ジャムがラバウルの代わりに落ちてもいいと言うの? そんなにラバウルが大事なら、一個といわず、32軍全部持っていけばどう? わが軍は真に重要とされる戦場でこそ存分に働いてご覧にいれるわ。ジャムはそうではないということなのね」

(『激動の戦争史 ジャム島決戦』より)

 

 任期満了で戦艦陸奥から解体されたのち、改めて入校した防衛大学校を優秀な成績で()えて、当時海軍中将までのぼっていた女性幕僚長は、叩きつけるように電話を切った。その鬼気迫る様子は、ともに幕僚長を補佐するふたりの男性幕僚副長らが青ざめてなにもいえなかったほどだったという。

 海上師団は、駆逐艦娘、巡洋艦娘、戦艦娘を装備する水上打撃部隊で、第9海上師団はポートワイン破壊作戦や第十一号作戦の蛮勇で知られた精鋭である。決め手となる戦艦は三十五・六センチ砲の金剛型戦艦だった。対する第24海上師団は比較的新設の若い師団で、実績や練度で9海上師団に見劣りする。しかし戦艦は強力な四十一センチ砲を使う長門型がふくまれていた。水雷戦隊の戦闘力に大差がないとすれば、24海上師団のほうが総合的な戦力としては強い。

 幕僚らと悩みに悩んだすえ、元陸奥の幕僚長は断腸の思いで、転用兵団は第9海上師団とするよう司令官に具申した。司令官もすぐさま採用し、統幕本部に決定報告した。

 

「わたしたちが9海師の転出を知らされたのは、連中が発って何日かしてからだ。おまえは?」

「わたしもです。士気の低下を恐れて、布告しかねていたんでしょうね。女の子はうわさ好きですから、どこからか伝わってはきていましたけれど」

 元長波と元朝潮がいうとおり、司令部の暗然とした雰囲気はいつしか全軍に感染した。幕僚長だった元陸奥は著書のなかで、司令官が「この戦いは負けだな」と嘆息し、幕僚たちが、いままで()てた作戦を白紙にもどし、心もとない戦力でまた一から配備計画を作成し直さなければならないと途方に暮れており、同時に、補充がこないことを部下らにどう説明したものか苦悩させられたとも回想している。

 

 32軍は第9海上師団の後任部隊の派遣を中央にしつこく申し入れていた。だがなかなか公式の回答は得られなかった。あてにはできない。

 かくなるうえは現有の戦力で新配備を考えるしかないとし、三個師団で守っていたところを二個師団でまかなう無理難題をどうにかまとめた。本土の統幕本部は基地航空隊と飛行場に固執している。陸上攻撃機部隊がひとたび飛び立てば幾万の敵を殲滅できると信じているらしい。しかし肝心の機体はジャムに三ヶ所ある航空基地のどれにも降り立っていなかった。飛行機がなくては飛行場もかたなしだ。そんな空き家を守るために命を捨てる気にはなれない。

 それでも海上師団が三個あったから、32軍は地上、航空基地の双方を防衛できた。ところが虎の子の第9海上師団を取り上げられてしまったのである。二兎を追えないならどちらかを断念するしかない。いっそ清々しい心境で32軍司令部は防衛体制の再建にとりかかった。大綱としては上陸地点で待ち構えて敵を叩くことに変わりはないが、地上戦力激減にともない、対着防衛戦での撃滅は不可能とみてよいので、軽戦しつつ後退して主防御線にて本格的に籠城、ひたすら持久する。防御線の幅は兵力量に適合し緊縮してあるため砲火力の密度はおおむね維持できる。北部と中部の飛行場は防御線の外に出ているので、まず早期に占領されるだろうが、敵上陸に先んじて跡形もないほどに破壊しておき、上陸後は陣地から戦艦娘の長距離砲で適宜制圧してやれば、使用の妨害は可能である。

 積極的に攻勢することはなく、深海棲艦をジャムに拘束し、一日でも長く耐え忍び、どこまでも本土が防備を固める時間を稼ぐことに終始した作戦であった。司令官は計画案に目を通すなり「よくぞここまで」と温顔に微笑を浮かべて決裁した。心底から感銘をうけているようであり、部下将兵の士気低下に配慮しての振る舞いのようでもあった。

 

 司令官は各兵団長を司令部壕に召集し、新作戦計画を与えた。

 第24海上師団長から逓信(ていしん)を受けた海上歩兵第22連艦隊第2大艦隊旗艦の重巡鳥海(ちょうかい)は、持ち場の壕に戻ってくるなりやり場のない怒りをあらわにした。元朝潮もたまたまその場に居合わせた。

「“なんて戦略なの。場当たり的でまるで展望がない。中央は、このジャムのことがなにもわかってないんだわ!”……ふだんとても理性的で、声を荒げたことのなかった人ですから、とてもびっくりしました」

 配備変更となれば、汗水垂らして建設した陣地を放棄することになる。ここが死に場所と思えばこそ心血をそそいだ陣地をあっさりと捨てさせられて、昼夜兼行で策定した計画も訓練も、すべて水の泡になった。また新しい陣地でもう一度おなじ苦労を重ねるかと思うと気が滅入ってしまうのはしかたがない。

 なにより、原因となった第9海上師団の転用が第一線に失望と衝撃を与えたと元長波は語る。

 

「わたしたちのジャムは、そんなに価値のある戦場ってわけじゃないっていわれた気がしたよ。こっちだって人間だからね、大事な仕事ならやる気にもなるけど、ジャムはラバウルより下だっていわれたようなもんだからな、そりゃため息もでるさ」

 



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十   侵略者を迎え撃て

 第9海上師団が輸送船団に積み込まれてジャムを発った翌朝、同島に深海棲艦の偵察機がはじめて飛来した。飛行場や地形を丹念に調べているらしい。各独立混成海上旅団には空母艦娘がいるが、夜間は着艦できないために迎撃機を上げられなかった。せっかく飛行場があるのだから、敵機を片付けたのち、そこに着陸させて回収すればいいとの意見もあったものの、却下された。敵の偵察機をわが方が艦載機で邀撃し、飛行場に駐機させた無防備なところを今度は爆撃機による空襲で一網打尽にされる恐れがある。空襲にきた敵機をさらに邀撃(ようげき)しようにも、回収しないかぎり艦載機に補給はできないから、たとえ空中戦で撃墜されなかったとしても、いつかは離陸もできないまま地上で爆撃目標となってしまう。第一波をしのげば第二波がくるし、十波をしのいでも十一波がくる。深海棲艦とはそういう敵だった。

 陣地暴露を避けるため対空砲の一発すらも発砲は禁じられた。

 よって敵偵察機は、遊覧飛行のごとくわがもの顔でジャム島をすみずみまでみてまわって、悠然と飛び去ることができたのである。

 短時日のうちに体制を整えるため、再配置がすんでからは陣地設営と演習で日々を過ごした。年明けには全軍が皇居の方角を遙拝(ようはい)した。灼熱の赤道直下だったが、配給された日本酒と雑煮、各壕に飾られた〆飾りが、かろうじて正月気分を醸し出していた。深海棲艦に年末年始は関係ないらしく、濃厚なブルーの空に偵察機が飛行機雲のひっかき傷を曳いていった。

「飛行機雲にむかって、“三が日にお勤めごくろうさん!”って盃を掲げてた(あらし)がいたな」元長波がいうと、元朝潮もうなずく。

「わたしの小隊でもおなじことをしていた子がたくさんいました。風雲さんが隠れなさいって怒ってましたけど」

 いよいよ深海棲艦進攻の手が伸びてきたことを受け、日本はジャムから老幼婦女子を台湾や中国に疎開させる方針を閣議決定した。

 しかし、32軍と現地行政府の努力にかかわらず、疎開は、はかばかしく進捗しなかった。前時代的な生活を営み、農業と繊維業を主たる産業とする路傍の途上国にすぎなかったジャムは、日本の前線基地となったことで生活が一変した。舗装された道路が要所を結び、上下水道が整備され、鉄道が走り、大学や病院が建てられ、かまどではなくガスで調理をし、個人商店でも携帯端末の電子マネーで決済できるようになり、エアコンの効いた部屋でテレビをみるようになった。築城は公共事業として多くの雇用を生んでいる。おまけに、艦娘を主軸とした大軍が守ってくれているのだから下手に逃げるよりこの島にいたほうがかえって安全だと、なかなか腰をあげようとしなかったのである。「外からきた日本軍が戦ってくれるというのに、ここで生まれ育った自分たちが逃げるわけには」と義心から島にとどまったものも少なくないという。敵潜が跳梁する海をはたして安着できるかもわからない。疎開先での生活基盤も不安だった。中国が世界各地から受け入れた難民を安価な労働力として酷使しているといううわさは、当時すでに公然のものとなっていた。

 32軍司令部の奔走もあって、疎開業務はなんとか軌道に乗りはじめ、予定の八割近い八万人弱をなんとか島外に疎開させることができた。そんな矢先に栄光丸と備後丸の事件が起きた。あわせて七〇〇人の疎開学童を乗せていた両船はジャムからの疎開中に南シナ海で敵潜水艦に沈められた。生存者はなかった。護衛していた水雷戦隊旗艦の軽巡艦娘は軍法会議のため内地に召喚され、無罪評決が言い渡された日の夜、自宅でみずから命を絶った。

 軍はひた隠しにしたが、悲報は全島をかけめぐり、島民の疎開意欲は潰えてしまった。32軍は島内疎開の計画を策定するしかなかった。

 二月に入ってまもなく、統合幕僚本部から朗報が電撃的に飛び込んできた。ラバウルへ抜いた9海上師団の後釜として舞鶴の84海上師団を派遣するとのことであった。すでに再配備は完了している。また計画を練り直さなければならない。だが増援の希望は命令一本に振り回される労苦を吹き飛ばしてあまりあった。頭数があれば作戦の幅も広がる。

 しかし明くる日、舌の根も乾かぬうちに、統合幕僚本部から舞鶴師団の派遣中止が通達された。待ち望んだ増派の感激と、それがたった一日でぬか喜びに終わった動揺は、司令部に中央への少なからぬ遺恨と不信とを募らせることになる。

 

(前略)敵の来攻を目前に控えてまたも配備再変更かと思うと煩わしかったが、この際それは言わずにおいて、素直に増派を喜ぶこととした。提督も内報に安堵の色を浮かべ、「ジャムのこと、ちゃんと考えてくれてるんだな」と司令部要員の総意を代弁した。本土がジャム島を見捨てないでいてくれたという実感が得られたことは、士気向上のなによりの特効薬であった。私たちは心機一転、気合いを入れ直し、新配備計画の作成に没頭した。幕僚たちの顔は例外なく明るかった。

 ところが早くも翌日、84海上師団の派遣は中止するとの速報が入った。私たちは仰天し、唖然とし、激怒した。ジャムはあくまで本土のためにある。要するに、失陥はまぬかれないであろう離島に派兵しても犠牲が増えるだけである。捨て石となるべきジャムのために内地から艦隊を送ることは主客が転倒している。はるか西方の孤島のためにあたら戦力を消耗するなど下の下であると、統幕本部は考えたのだ。市ヶ谷はここを死守しろという。しかし艦娘はよこさない。ばかりかわが艦隊から虎の子の最精鋭部隊を引き抜いてサーモン方面へ送っている。中央にはいったいどのような神算鬼謀があるのか、自分程度の浅学菲才には想像の及ばぬところである。(『激動の戦争史 ジャム島決戦』より)

 

 希望をもたされただけに、第一線の落胆も大きかったと元朝潮は証言する。

「風雲さんはみていて気の毒なくらい、がっくりと気落ちしていました。“上層部っていうのは、下の者が満足に仕事できるようお膳立てするのが役目なのよ。それを、成算もない、働こうにも働けない状況に追い込んで、後ろからやれやれってお尻を叩くなんてのは、これはもうきちがい沙汰としかいいようがないわ。回り回って自分の首を絞めるだけなのにね”って、ある種、悟りきった態度になってました。わたしは、“与えられた条件で最善をつくすのが愛国心であり、わたしたちの役目です”って抗弁した。生意気でしょう……でも風雲さんは、そうねって、あきらめたように微笑みました」

 戦雲迫るジャムの試練はつづいた。二月下旬、小さくない規模の人事異動が32軍へ機械的に内示された。司令部幕僚の大半をはじめ、各師団の幕僚長および幕僚幹事、第24海上師団海上歩兵第22連艦隊長、ほか大艦隊長三名が更迭され、新任が補職された。

「わたしたちの鳥海大艦隊長も異動になりました。拒否する権限はありません。異議申し立てをするにもまず内地に戻らなければなりませんから、そのあいだに元いたポストを埋めて、異動の既成事実をつくってしまうんです。鳥海さんは壕でわたしたちに声涙ともに下る謝罪をしました。(しこ)御盾(みたて)として、故国よりはるか離れたこの島を墓所と決めてともに戦うと約束したのに、いっしょに死ねず、ごめんなさい、と。鳥海さんの心からなる告別はみんなの紅涙を絞りました。鳥海さんはなにも悪くないのに」

 もっとも重大なのは、戦略持久に一縷の望みをかけて一年余を狂奔してきた元陸奥の幕僚長の更迭だった。事実上の作戦立案最高責任者であった彼女の後を襲う新幕僚長が着任したのは、敵が上陸するわずか二週間まえで、指揮官として新職務を掌握し、将兵、艦娘たちの精神的支柱になるための時間があるわけもなく、32軍はとても満足な采配が振るえる状態にないまま戦闘に突入するほかなかった。『激動の戦争史 ジャム島決戦』にはこうある。

 

 異動の理由はというと、なんのことはない、単なる定期異動だった。前身である自衛隊とおなじく、自衛軍もまた年に二回の異動がある。四月一日付と八月一日付である。春の人事異動は二月下旬の内示が通例とされていた。首脳部と部下将兵らが必要以上に結託すると、閉鎖的な論理が蔓延し、過激思想に傾倒し、クーデターを画策する危険がある。まして太平洋のあちこちに部隊が散在している現状では、中央の統制や状況掌握にタイムラグが生じるため、現地に駐屯している兵団が反旗をひるがえし軍閥化する可能性を想定しなければならなかった。現実として中国やインド、オーストラリアは瓜剖豆分(かぼうとうぶん)(編注:国が分裂すること)して久しく、それはわが国とても決して対岸の火事ではない。反逆者が艦娘だけなら問題にならないが、いまだ国家間の紛争ではいささかも戦術的価値の減じていないミサイル護衛艦の艦隊が、洋上を移動する反乱軍にでもなれば厄介である。クーデター防止のため、兵団の長クラスは二、三年で他部署に異動することがならわしだったのである。

 しかしそれは平時の話だ。ジャムはいまにも戦端が開かれようとしており、三月ないし四月の敵上陸を予測している旨、統合幕僚本部にも建白していたにもかかわらず、平時の人事異動を戦時体制下でそのまま適用しようというのは、あまりに緊張感、危機感、当事者意識に欠け、当を失しているのではないか。物量で勝る敵に対抗するには、指揮官が職務を自家薬籠中のものとするべく現地の地勢と天候をくまなく知悉(ちしつ)し、部隊配置と兵力火力を完璧に把握して、部下たちと阿吽の呼吸ともいうべき結束を固め、部隊同士が緊密な連携をとれるよう信頼を育み、なお一歩、敵の先手をとって、ときに臨機応変に対応できるよう習熟しなければならない。それには長く現地にいて肌で情勢を知ることだ。いくら無心になれと強いても、兵や艦娘は人間なのだから、長期にわたって作戦指導で幾度となく顔をあわせ、膝を交え、酒を酌み交わし、同じ釜の飯を食べてきた馴染みの首脳部と、このあいだ転属してきたばかりの他人とでは、任務への情熱、士気に差が生じるのは至極当然のことではないか。戦時に平時の理屈を持ち込むべきではない。畢竟(ひっきょう)、わが国は、自らの生存が脅かされる危急存亡の事態に眉を焦がされる段になってまで、平時の官僚主義を捨て去ることができなかったのだ。

(中略)命令とはいえ、戦友、部下たちを見捨てて、玉砕を目前に控えている第一線から安穏とした内地へ逃げる結果になってしまったことは、千秋の恨事であり、百万言を費やしても購える罪ではない。(『激動の戦争史 ジャム島決戦』より)

 

 たびたび引用している『激動の戦争史 ジャム島決戦』は、元陸奥の幕僚長がひそかに手記として蔵していたものだ。のちに海軍大将、統合幕僚副長までのぼり詰めた彼女は、定年で退官後、32軍戦死者の遺骨収集帰還事業に尽力し、私財をなげうって慰霊碑を建立した。しかし、彼女の老体は進行性の大腸がんに蝕まれていた。発見されたときはすでにステージⅣだった。

「治療も、終末期医療も拒んだそうですね、あの陸奥さん」沈痛な顔で元朝潮が声を絞りだす。「一日中、全身を焼かれるような疼痛にさいなまれていたはずなのに」

「だれも彼女を責めなかっただろうからな。もちろん、上からの異動命令だったんだから、ちっとも責められる筋合いなんかない」元長波は力なくかぶりを振って、続ける。「たぶん、それが彼女にはいちばんつらかった。いつまでも罪は清算されないままだった。がんに苦しめられて、彼女はむしろ、うれしかったんじゃないか。やっと自分を責めるものがきてくれた。罪を償えるって」

 後記によれば、元陸奥の病没後、彼女の娘が遺品から手記をみつけた。内容に娘は驚愕したという。母親は生前、軍への批判や不満を家族にもらしたことはなかった。手記の存在すら知らなかった。娘は公憤と私憤から電子書籍として出版した。後記はこう結ばれている。「どんな反響、お叱りがあったとしても構いません。知らなければ人はどんな判断も下せません。私ができることは、ただ事実を伝えることだけです。知った上で、皆さんにそれぞれ判断していただきたいのです。深海棲艦との戦争が私たちにもたらしたものはなにか。当時の統合幕僚本部が32軍に対して犯した同じミスを、現代の私たちも知らず知らず犯してはいないか。そういったことを考える機会が、今を生きる人たちに提供できたなら、きっと母も本望なのではないかと思います」。

 

 9海上師団を奪われ、無意味な人事異動で水を差されたジャム島は、万全とはいえない状態で敵を迎え撃つことになった。

「まあ、負けるわな」

 笑いかける元長波に、元朝潮は真面目な顔を崩さなかった。

「戦争は事前に準備しているものしか役に立たないといいます。いったん火蓋が切られたら、あとは消費するだけで、戦っている途中で新たになにかをつくって補うことなんてできない。準備ができないということは、失敗を準備しているようなものなんです」

 ジャムは三月十五日から三十一日まで、ほぼ連日の空襲を受けた。停泊していた護衛艦、輸送艇、タンカー、漁船が数多撃沈され、全島の港湾施設は大小問わず使用不能となった。完成したばかりの飛行場は絶好の爆撃目標とされた。苦労して完工にこぎつけた航空基地がなんの役にも立たないまま破壊され、粒粒辛苦の思いで修復してはまた空襲されるということが何度もつづいた。元長波はうんざりしたという。

「あんな目立つもんつくるから敵に狙われるんだよ。直しては壊され、直しては壊され、まるで賽の河原だった。どうせ壊されるんなら直さなきゃいいのにって思ってたな。基地航空隊なんてものを考えた本土の阿呆に工事させたかった。“おまえがやれ”って」

 三月末の空襲で主邑(しゅゆう)のハナン市は九割が焼け野原となり、めぼしい集落はことごとく火に包まれた。空襲に先んじて32軍が現地政府に住民の避難を示達していたため死傷者数は最小限に抑えられたが、集積されていた弾薬や燃料、食糧の損害は深刻だった。食糧の喪失は精米、副食品、調味品、携帯口糧が二ヶ月ぶんに相当し、医療品と高速修復材はそれぞれ〇・八海戦ぶんが焼失した。人手不足のため、本土から運ばれて港に荷揚げされた物資が壕まで輸送できず、やむなくそのまま山積みされていたのである。

「艦娘一隻を可動状態でキープするために必要な物資――燃料に弾薬、飲料水、食糧――は重量にして一日あたり二〇〇キロとされています」と元朝潮。「一個海師の艦娘は一三〇〇隻ですから、わたしたち24海上師団の艦娘だけで二十六万トンの物資が毎日消費されることになる。これに支援部隊一万三七〇〇名の必需品も加わってきます。その日の消費ぶんを運ぶだけで手いっぱいで、プールしておく余剰分の輸送まで手が回らなかったのでしょうね。また、後方に敵砲爆撃に耐えられる集積所を用意しようにも、まず膨大な作業量の洞窟陣地掘開が先決でしたから、そんな労力や資材はなかった、島のどこにも」

 四月一日夕刻、水平線の向こうまでひしめきあうほどの物量でカレー洋に現れた深海棲艦は、上陸予定地に選んだらしいアネダク湾に、夕陽を背にして熾烈な上陸準備砲撃を開始した。海岸線はたちまち轟音と煙霧におおわれた。このときの敵砲撃は三十平方メートルあたり二十五発という超高密度だったとされている。猛砲撃は翌朝まで途切れることなくつづいた。南国ならではの豊かな植生の樹林におおわれていた島中部の山や丘陵はいずれも熾烈な砲爆撃で掘り返され、荒涼としたはげ山の連なりに一変してしまった。

 翌午前八時、ついに敵は駆逐級の上陸にかかった。平均全長二十メートルの各種駆逐級一万二、三〇〇〇隻がいっせいに海岸へ殺到し、埋め尽くしていくさまは、あたかも漆黒の大海瀟のようだったと各種回想録で述べられている。

「わたしたち海歩22連第2大艦隊の任務は、アネダク湾から上陸する敵に遅滞攻撃をくわえ、わが方の主防衛陣地帯に誘い込むことでした。陸奥さんの手記にもありましたが、本当なら、このときの上陸戦で9海師が総力を挙げて一撃できたはずでした。水際での撃滅さえ望めたはずなんです。でもアネダクにはわたしたち一個大艦だけ。切歯扼腕の思いでした」元朝潮はいう。

 9海上師団がいない以上、北飛行場の防衛は不可能である。統合幕僚本部が執着していた陸攻部隊もとうとう敵上陸に間に合わなかった。元朝潮らの大隊が時間を稼いでいるあいだに、施設部隊が飛行場を爆破する算段だった。

「クソ暑いなか島民といっしょに汗を流した突貫工事の成果を、いちども使わないまま、今度はわが軍が自らの手で破壊しなければならないとは、なんともはや、泣くにも泣けなかったな」

 元長波は大袈裟に嘆いてみせる。北部・中部飛行場地域はその日のうちに敵の占領下に入った。深海棲艦は爆破された滑走路を三日で復旧させている。

 元朝潮は上陸した敵との戦いの日々を訥々(とつとつ)と語って聞かせた。

 

 わたしたちの大艦(大艦隊。大隊)は、敵の進攻を減速させつつ計画的後退をしていました。のろのろと、けれど着実に進んでくる駆逐級に遊撃戦をしかけては、山に逃げるんです。ザカク高地北東でのことです。そこは隘路(あいろ)で片側は崖になっていて、防ぐにはちょうどいい地形でした。

 風雲さんが、わたしと同期の親潮(おやしお)ちゃんに、たぶん冗談のつもりで、マルダイになってみる気はないかっていったんです(編注:マルダイとは、爆弾や魚雷を抱いて敵に体当たりする戦法、またはその役目の艦娘の隠語)。親潮ちゃんったら間髪をいれずに「はい」と即答しました。

 風雲さんはむしろ驚いて「魚雷抱えて体当たりするのよ」って確認したんですけど、親潮ちゃん、真剣な顔のまま、

「大丈夫です、勉強しましたから」

 つぎの瞬間には、装填された魚雷発射管を抱いて飛び出していました。陸上では魚雷なんてそんなふうにしか使い道がなかった……。敵先頭のニ級に親潮ちゃんがしゃにむに突っ込んでいって、みんなは「しゃがんで!」とか、「そこの物陰に隠れて!」とか、ほとんど声援に近い指示を出しました。突出した親潮ちゃんは当然、集中砲火にさらされますから、わたしたちも援護射撃はしました。でも空襲で弾薬を損失していて、駆逐艦は主砲一隻一日三十発までって制限がつけられていたので、撃ちたくてもあまり撃てず、注意を逸らすこともできません。なのに敵陣に単身で斬り込んでいく親潮ちゃんは、自分のすぐ近くで土煙が舞い上がっているのさえ気にならないみたいでした。

 発射管をニ級の目の前に放り投げて、すぐ脇道に逃げ込みました。ニ級が発射管を踏み潰した瞬間、大爆発です。ニ級はあとかたも残りませんでした。わたしたちのところにまで熱い肉片が降ってきて、歓声と口笛が巻き起こりました。風雲さんだけは親潮ちゃんの名前を叫びつづけていました。当然、ニ級と心中したものと思っていました。ところが、燃え盛る炎の横から、親潮ちゃんが岩や土砂を乗り越えて戻ってきていました。風雲さんは大喜びでした。というより、安堵でしょうか。親潮ちゃんは風雲さんの前までくると、

「任務遂行いたしました!」

 四角四面の敬礼をしました。風雲さんも笑顔で、よくやったと頭を撫でてやりました。そうしたら親潮ちゃん、一気に緊張が解けたみたいに、顔をくしゃくしゃにして、ワアーッて風雲さんの胸に抱きついて、泣き崩れたんです。やっぱり、恐かったんでしょうね。

 ある夜のことでした。……いまさら長波さんほどの人にいうことでもありませんが、深海棲艦は睡眠を必要としませんし、赤外線視力をもっていますから、夜だからといって油断はできません。わたしたちも照明弾をあげて対応しました。とはいっても全艦がつねに砲火を交えていたわけではありませんでした。こちらの弾薬が心もとないことを悟られない程度に不定期な牽制射撃を繰り返すだけで、手が空いている小隊も多くありました。砲爆撃にはもう慣れはじめていましたから、受け持ちの時間がくるまで仮眠している艦も……ふと、波が引くように敵味方の砲撃が止まるときがあるんです。たまたま装填が重なったというだけのことだと思いますが、そういうときは、寝ていた艦娘たちは決まってみんな目を覚ましました。砲声も地響きもない静けさが逆に耳について起きてしまうんです。もちろん一瞬で破られる束の間の静寂ですが、砲撃が再開されると、「なぁんだ」とかえって安心して、また寝入っていました。

 わたしも仮眠をとろうとすると、味方の上げた照明弾の光で一葉の写真を見つめている、おなじ大艦の愛宕(あたご)さんが目に入りました。愛宕さんと女の子のツーショットでした。女の子はぴかぴかの制服姿。お子さんですかって訊いたら、一人娘だと仰ってました。小学校の入学式のときに撮った写真だと。

「可愛いですね」

「ありがとう。わたしの天使なの」

 話し相手がほしかったのかもしれません、お話を聞かせてくれました。ここにくる前、休暇で半年ぶりに内地へ戻ったおり、旦那さんから離婚話を持ちかけられたそうです。

「世界中あっちこっち派兵される仕事だし、いちど派遣されたら何ヵ月も帰ってこられないから、家を空けがちで、前々から負担はかけていたけど、わたしの仕事を理解してくれてると思ってた。でもそれはわたしの独りよがりだったのね。“きみは母親としての役目をなにも果たしていない。たまに帰ってきたと思ったら、ぼくと子供が決めた家のルールにあれこれと口を出す。授業参観も三者面談も運動会の応援もぼくが行ったんだぞ。ほかの子たちは母親がきてるのに。あの子には母親が必要なんだ。仕事を変えるか、ぼくと別れるか、選んでくれ”。心のどこかでは、いつかこんな日がくるんじゃないかって思ってたけど、やっぱり現実にそうなると突然のことで、びっくりしちゃって……でも、いま艦娘を辞めるって選択肢だけは無理だった。愛宕になって、わたしはやっと本当のわたしになれた気がしていた。わたしを姉や妹だって慕ってくれる僚艦もいる……ホーミングゴースト現象なだけなのかもしれないけどね。でも子供たちだって大事。天秤になんかかけられない。なのにどうしてあの人はどちらか選べなんていったのか、そして、どうしてわたしは仕事を選んだのか」

 愛宕さんはご自分を責めていました。子供が生まれて一年後にはもう戦線へ復帰したこと、育児中も内心では、こうしている間にも同期たちは順調にキャリアを重ねていってどんどん差がついていくと焦っていたこと――現に、当時彼女はまだ水班長(水上班長。二隻編成旗艦有資格者)でしたけれど、わたしたちの大艦隊長だった改二の鳥海さんは、愛宕さんと同期だったそうです――そして、子供に片親だけの生活をさせていること。

 お子さんの親権を裁判で争っているときに、所属部隊の32軍編入とジャムへの赴任が決まったのだとか。彼女は裁判に決着がつかないままの派兵だったんです。そうせざるをえなかった。仕事だから。

「召集されているあいだだけ、主人、いえ、元主人に預けてきたの。日本に帰れば家族が待っていてくれるからわたしはいままで戦ってこられた。子供まで取り上げられたら、もうわたしはなにを生きがいにすればいいのか……。この写真は小学校の入学式だけど、幼稚園の入園式には付き添ってあげられなかった。毎日の送り迎えも、お遊戯を見に行くことも、お誕生日を祝ってあげることもできなかった。それはすべて主人がしてくれていたの。朝ごはんも、お夕飯も。外地に派遣されてる間にあの子は歩けるようになってた。娘がまだ小学校に上がる前にね、休暇で家に帰って、親子三人で過ごして、一ヶ月足らずでまた召集されて、家を出るとき、あの子、屈託のない笑顔で、わたしにこういったの……“お姉さん、また遊びにきてね”。いってらっしゃいさえいってもらえない母親なんて、母親失格よね。あの人のいうとおり。わたしね、貯金をしてるの。任期を勤め上げれば娘を大学へ行かせてあげられる。主人の収入だけじゃ無理だから。子供といっしょにいるのがいいのか、子供のためにお金を稼ぐのがいいのか……。あの子が大学へ行きたいかどうかはわからないけど、進学すれば艦娘になんてならずにすむし、子供にお金のことでは不自由させたくないの。任務が終わって、陸に戻れば、きっと親権を取り戻せる、そう自分に言い聞かせているんだけどね。こうしているあいだにも、夫と娘には親子の絆が日々結ばれている。なのにわたしは、潮風で髪を傷めて、オイルとカーボンと土まみれになって、遠く離れたここにいる。こんな状態で親権を勝ち取れるのか、法的に認めてもらえたとして、娘がわたしを母親としてみてくれるのか。この仕事を選んだことが正しかったのかどうか、正直、わからなくなるときがあるの……」

 愛宕さんの言動が、生きて内地に帰ることを当然としていることに、わたしは違和感を覚えました。だからいいました。

「わたしたち32軍には、退生なんてありません。進死あるのみです。承命必謹、最後の一息までも戦い、悠久の大義のなかに生きるのです」

 ああ、なぜあのときのわたしは、もっと優しい言葉をかけてあげられなかったのでしょう。なにも世間を知らなかったとはいえ。

 しかし愛宕さんはちっとも気分を害したふうもなく、わたしに笑いかけてくれました。

「母親はね、子供のためなら、いくらでもしぶとくなれるの。わたしは絶対に生きて帰る。帰ってあの子をたくさん甘えさせてあげる。退役して、娘といっしょにいられる仕事を探す。それが家庭を顧みなかったわたしの償いだから」

 自分よりも子供が優先、そして子供のために自分の命も捨てられない、それが母親というものなのかもしれません。でも、わたしにはわかりません。いまにいたるまで結婚できませんでしたし、母親にもなれませんでした。もうひとつわからないのは、娘さんのためにも死ねないと断言していたはずの愛宕さんが、その翌日、なぜわたしをかばって直撃弾を受け、あっけなく死んでしまったのかということです。

 わたしたちは艦隊のみんなでお互いに髪を一把ずつ交換しあっていました。だれかが生き残ったときに遺族へ届けるためです。全滅を覚悟していたのは事実でしたが、一種の儀式というか、戦場の伝統のようなものです。お互いを仲間だと確認するための。もちろんわたしも愛宕さんの髪をもっていました。でもまさか、わたしが本当にみんなの遺髪をご遺族にお持ちする役目を負うことになるなんて……。

 ジャムから帰還したのち、愛宕さんのご主人だったかたに報告を兼ねてお届けにあがりました。前もって戦死公報は送られていたはずですが、愛宕シリーズ特有のやわらかい金髪をお渡しすると、ぎゅうっと握りしめて、わたしの目があるにもかかわらず、その場で男泣きをなさいました。

「こういう日がくるとわかっていたから、ぼくは離婚話を持ち出して、きみに軍を辞めさせようとしたんだ。どうしてわかってくれなかったんだ」

 わたしは慰めの言葉をもちませんでした。お子さんのために生きて帰るはずだった愛宕さんが死んで、母親でもなんでもないただの子供だったわたしが生きて帰れたのはなぜなのか、そのことだけで頭がいっぱいでしたから。

 ……主防御陣地で海歩22連艦隊および独混60海旅と合流して、籠城してからも、わたしたち駆逐艦のすることは大して変わりませんでした。無尽蔵に思える敵の、波のように絶えることのない進攻をただ阻止していました。ときには壕外の陣地で肉弾戦になることも……いくら艦娘といっても弾が尽きればただの子供です。累々たる屍の山が築かれました。おぞましいものです……仲間が深海棲艦に食べられるのは。いまでも敵の駆逐級が骨を噛み砕く音が聞こえるんです。

 死んでから食べられる艦娘は幸せです。いちばんひどいのは、ええ、生きながらあの巨大な顎に咀嚼され、胃に送られてもなお息があった者です。くぐもった悲鳴が聞こえたらそれは敵の体内からの声です。深海棲艦はただの人間は殺すだけで、艦娘だけを食べますから――おそらくは寄生体が目当てなのでしょうが――、弾切れになった親潮ちゃんは、目の前に迫ったハ級に恐れをなして、艤装もなにもかも外して、

「わたしはただの人間よ、だからお願い、食べないで」

 と懇願していました。ひきつった顔で、掌を合わせて、おしっこまで漏らして。わたしから二、三十メートルのところだった。敵がおびただしい群れで殺到してきていますし、すさまじい砲撃で近づくこともままならず……(かすみ)が助けに行こうとしたら、風雲さんが引き止めて、大声で命じました。

「撤退!」

 わたしたちは退くしかありませんでした。でも……本当に逃げるしかなかったのでしょうか。援護射撃を受けながら、だれかが、たとえばわたしが、迅速に親潮ちゃんのもとへ駆けつけ、いっしょに撤退することができたのでは……。

 ビル火災で、炎と煙に巻かれて逃げ場を失った人が窓から飛び降りるということがあるでしょう。どうみても助からない高さなのに。でも、飛び降りた人たちには、地面が実際よりも近くにあるようにみえているそうです。追いつめられて生存本能が剥きだしになっている脳が錯覚を起こすんです。だから助かると勘違いして飛び降りてしまう。それと似たようなことが起きていたのかもしれません。わたしの脳が、ただ自己生存のためだけに、あの子が実際よりも遠くにいるようにみせて、助かりっこないと思わせたのでは……本当はそんなに遠くにいなかったから、霞は救出に行こうとしていたのでは……。

 わたしたちが逃げはじめると、背後から、まわりの空気が氷柱になるような悲鳴があがりました。親潮ちゃんの声です。わたしは反射的に彼女のほうへ振り向いてしまいました。親潮ちゃんは頭から呑み込まれるかたちで、ハ級の口からはみ出た両足をばたばた暴れさせながら、悲鳴ごと顎と歯に砕かれていくところでした。口腔から絞られた血潮がぼたぼたと溢れていました……。何回かハ級が噛むとうめき声にかわり、やがてそれも聞こえなくなりました。

「見ては駄目」

 わたしは襟首を風雲さんにつかまれて命からがら遁走(とんそう)しました。愛宕さんに進死あるのみと偉そうに意見したわたしが。

 ……南の島なので、虫とは切っても切れない関係にありましたね。ある夜、いつものように砲声を子守唄みたいにして仮眠をとっていると、かさかさと障子をこするような乾いた音が耳朶(じだ)を打ちました。隣で寝ていた松風(まつかぜ)さんは昼の戦闘で負傷していました。左目が飛び出ていて、体にいくつも破片が刺さっていたのですが、修復材も枯渇していたので、炙った鋏で視神経を切って、モルヒネを打つことしかできませんでした。音はその松風さんからしていました。目を凝らすと、松風さんからダニやシラミやノミが大挙してわたしのほうに移動してきていたんです。血を吸う虫は体温を目印にします。その虫たちが離れるということは、宿主の体が冷たくなって、寄生する価値がなくなったということです。

 別の日のことです……。わたしはその何日か前から、後頭部のあたりが妙にかゆいとは思っていたのですが、全身シラミだらけですからたいして気にしていませんでした。すると霞が、わたしの掻いているところが蜂の巣みたいにぶつぶつになってるって教えてくれました。自分で撫でててみると、そのぶつぶつが密集しているという部分がたんこぶみたいにちょっと盛り上がってて、熱を持っています。じっくり観察していた霞がため息をついたのがわかりました。蛆にやられてるって。

 そうです。哺乳類の毛穴で育つハエの幼虫に寄生されていたんです。

 ひとつの毛穴に丸々と育った蛆虫が一匹、まるで鼻の角栓みたいにしてひそんでいる……そんな蛆の入った毛穴が、いくつも。

 みんな慣れっこになっていましたから、椰子の実のなかのコプラを絞った油を塗って毛穴を塞いで、息のできなくなった蛆虫が頭をだしてきたところを、ピンセットで一匹一匹引き抜いてもらいました。小さめの芋虫くらいもある蛆虫が十五、六匹もとれました。ぽっかり空いた毛穴が閉じるのが先か、轟沈するのが先かっていうのは、みんながよく口にしていた冗談です。

 わたしも早霜ちゃんや霞の蛆をとってあげたことがあります。早霜ちゃんはわたしとおなじ頭の後ろに、霞は首の後ろあたりに、やっぱりいくつもの毛穴に寄生されてました。蜂の子みたいに毛穴のなかの蛆が蠢いているのがみえるんです、まるできょろきょろしているみたいに。ひとつの毛穴に二匹の蛆虫が入っていたことも。全部摘出しおわると患部が穴だらけでフジツボみたいになっていましたね。わたしたちの敵は深海棲艦だけじゃなかったんです。

 いまでも蛆が首の後ろにいる気がするんです。気がつけば無意識に触って確かめてしまいます。

 いつも虫にたかられていましたから衣服の煮沸は欠かせませんでした。毎日洗濯していました。艦娘ばかりで固まって、ブラウスもスカートも、下着も、ドラム缶に汲んだ沢の水でお湯を沸かして煮てましたね。みんな全身にものすごい数のダニとシラミがついていたから。とくに縫い目にはシラミがびっしりと……。シラミにもいろいろな種類がいるんだってことをジャムで学びました。頭につくもの、衣服につくもの、あそこにつくもの。わたしたちにはそのすべてがいました、図鑑みたいに。服を洗濯がてら茹でたら、死んだ虫が数えきれないくらい浮かんできて、なにも見えなくなってしまうんです。みじめでした。だって、まだティーンエイジャーだったんですから。

 焚き火の灰は髪を洗うのに使いました。石鹸の配給がなかったので。

 真っ黒な髪はわたしの自慢でした。自慢でした……。艦娘学校に入る前、近所の人たちやクラスメイトに、さらさらと音がするよう、とまでいわれたことがあります。いまでは、手ぐしをしようとしても、ほら、指も通らない!

 夜、先任の萩風(はぎかぜ)さんや旗風(はたかぜ)さんたちが、松ぼっくりをカーラーの代わりにして、髪を巻いたりしてました。わたしも誘われて、お気持ちだけいただいて辞退したのですが、興味があることがバレバレだったんでしょうね、なかば強引にお世話されました。櫛で()かしてもらったりして……。

「女の子は、死ぬまで女の子らしくする義務があるんだから」

 それが萩風さんの口癖でした。ジャム島に赴任するまで、いえ、ジャム戦がはじまるまで、わたしはどこかで彼女のその姿勢を惰弱(だじゃく)(ほぞ)を噛んでいました。

 でも、シラミまみれになって、毛穴を蛆にこじ開けられて、髪は泥とフケと虫卵だらけ、本土から増援の見込みもなく、じりじり追いつめられて防戦一方のまま全滅を待つばかり。せめてなにか女の子らしいことをしていないと、頭が変になりそうだったんです。そのときになってやっと萩風さんたちの真意がわかりました。籠城戦は、いつまで耐え忍べば勝ちという成算があるから成り立ちます。期限が決まっていれば頑張る気力も維持できます。しかし32軍の作戦思想は専守持久戦です。いつまで保てばいいというものではありません。全滅するまで可能なかぎり深海棲艦をジャムで足止めするだけなのです。ですからいたずらに戦力を消耗する攻勢は厳に戒められていました。いっそひとおもいに玉砕したほうが気が楽でした。真綿で首を絞められるのをじっと待つようなものですから……。そんな状況では、いっときだけでも現実から目をそらし、女の子らしいことに没頭する以外、恐怖と絶望を追い払うすべはなかったのです。

 わたしが髪をきれいにしてもらっているとき、霞が「髪を切ればいいじゃないの」っていったら、旗風さんが「髪は女の命よ」と自分のことみたいに反論して……わたしも正直なところ、髪は切りたくありませんでした、少なくとも肩より短くは。たとえシラミだらけになっていても。艤装の可動部にまきこまれることがあるので、あまり長くもできなかったけれど、朝潮になったわたしが髪まで失くしたら、わたしがわたしでなくなってしまう気がしたんです。わたしにとって髪はわたしという個を特定する証明書のようなものでした。みんなに褒めてもらった髪……。わたしは軍に忠誠を誓いながら、最後の個を捨て去ることができなかったんです。九つの数字じゃなく、なにかもっと、実際的なものがほしかった……。

 萩風さんたちはほかにも、命令があるまでハンカチに刺繍をしていました。わたしも頼んで輪に入れてもらいました。霞もいっしょに。おかしいでしょう、いまどき小説でも女が刺繍だなんてしないのに……でも、わたしたちは、せめて戦っていないときは、戦地でも女でいたかった。女の子がしそうなことを、子供なりにいっしょうけんめいに想像して、女の子であることを忘れまいと……。



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十一  砲煙突破せよ

 元朝潮ら第2大艦隊の後退に誘われて、主陣地帯に気づかずまともにぶつかってきた敵は、満を持した戦艦娘、重巡娘の集中砲撃と、空母艦娘の空爆により、大戦果の好餌になった。なにしろ敵は地を埋め尽くしている。32軍の各艦隊は事前の猛訓練で、一見取るに足らない傾斜や山ともいえない岡阜(こうふ)まで位置と名称をあますことなく頭に叩き込み、担任地域の地形を目標に諸元を設定してあるから、砲撃も爆撃も非常に高い命中精度が期待できた。目をつぶっていても思い通りの場所に弾着させられる。攻撃自体はその場で諸元をもとめなければならない海上より楽だったという。

 営々と築いた洞窟の地下壕も、たとえば元朝潮の24海上師団と元長波の独立混成第60海上旅団陣地は、二十四時間のうちに大型砲弾四二五発、ロケット弾三三〇発、中小口径砲弾二五〇〇発を被弾したが、戦死者十名のほかは陣地設備および物資の損害は皆無で、しかも「敵の射撃は集中しておらず、めくら撃ちに終始している。洞窟陣地は敵戦艦砲撃の巨弾すらピンポン弾のように跳ね返し、おまけに深海棲艦はわが陣地の配置を把握していないのだ」(『私のジャム戦記-15年目の告白-』より)

 

 作戦計画が図に当たり、戦略持久の方針の堅持こそが自分たちのとるべき唯一の道であると全軍が再認識しはじめた、敵上陸五日目の朝、思いもかけない命令が下った。

「軍主力をもって北部・中部両飛行場に総攻撃をかける」

 主力とは飛行場地域にもっとも近い24海上師団と独立混成第60海上旅団だった。打って出ろというのである。専守防衛から突然の攻勢への転換は将兵と艦娘の少なくない動揺を招いた。

 前日の朝、統合幕僚本部から司令部へ電信が入っていた。「敵の出血強要、飛行場地域の再確保を要望する」という要旨の訓電だった。敵上陸に際し一撃も加えなかったばかりか、早々に飛行場を奪取され、いまも持久に徹している32軍が自己生存のみを図っているのではないかとの焦慮、いや侮蔑が文面に表れていた。

「9海師取り上げといて、補充も反故にして、出血強要も飛行場の確保もできなくしやがった張本人が、よくもまあぬけぬけと命令してきたな。分裂症か」。艦娘たちが浮き足立つなか、伝え聞いたうわさを耳にした深雪が憤懣やるかたない様子でそう洩らしていた、と元長波はいう。

 第一線で働いていた当時の元長波たちには戦況を客観的に俯瞰することはできなかった。元朝潮が退役後から蒐集していた、戦後に出版されたジャム島戦関連の書籍や新聞の切り抜きをテーブルに広げて、ふたりは当時を振り返りながら第三者の視点に立って談論風発した。外傷性脳損傷に悩まされているとは思えない怜悧な論理の応酬だった。

「まともにぶつかったら、一対五の物量差では、単位時間あたりの戦力比は単純計算で五〇〇〇対六億二五〇〇万になり、同クラスじゃ艦娘は深海棲艦の下位互換だから、これに武器性能の差まで乗ってくる。彼我兵力差から鑑みて持久戦以外にジャムの活路はない。だから32軍は過去数ヵ月を戦略持久の大方針のもと、一意専心、八方手を尽くして準備を進めていたわけだけど、敵は予想上陸地点のアネダクから上陸し、予期したとおり南下を進めていた。戦況がかねてよりの予想どおりに推移しているこのときに、突拍子もなく根本方針を転換しても、回天の一撃なんか望むべくもない。打って出る策がうまくいくんなら最初からやってる。仮に総力をあげて出撃した場合、洞窟のおかげでなんとか被害を局限できてるってのに、その陣地を飛び出した裸同然のわがほうは、飛行場制圧なんておぼつかないばかりか、圧倒的な敵の陸海空の火力集中を受け、全軍数日を経ずして覆滅し、史上まれにみる無惨な結果に終わった可能性が極めて高かっただろうな」

 元朝潮が力強くうなずく。

「早期にジャムが陥落すればそれだけ敵の本土侵攻が早まることは必定です。戦力、人員、物資の面から、32軍は持久に徹すれば二ヶ月を凌ぐ成算がありましたし、実際には三ヶ月におよぶ組織的抵抗をみせました。その耐えている間に本土防衛を確かなものとしてもらうために、32軍は捨て石となる覚悟でジャムに在ったのです」

「中央は基地航空隊に固執しすぎていた点が否めない。この年の防衛白書によれば、敵のジャム上陸時点でも陸上機部隊の生産は必要数にとうてい届いていなかった。艦娘にせよ基地航空隊にせよ、なぜ犠牲を押して投入するかってったら、そりゃ勝つためだ。勝てなくても、敵に最大限の出血を強いて、時間を稼ぎ、本土が金城湯池の防備とシーレーンを確保する目処をたてて国民を守る体制ができあがれば、それはわたしたちの戦略的勝利になる。ところがどうも統幕は、基地航空隊ありきというか、勝つための一個の手段ではなく、陸攻を使うことそのものが目的にすりかわっていたみたいだ。実用化にあたってめちゃくちゃ苦労したみたいだから、使わないともったいない、それまでつぎこんだサンクコスト(埋没費用。この費用とは資金だけでなく時間や労力といったあらゆるリソースを含む)が無駄になっちまうって考えたか。コンコルドの二の舞だ」

「統幕の主要幹部でも基地航空隊を推進する主張は多数あったみたいですから、面目のためにも、陸攻で戦果を挙げなければならなかったものと。肝煎りの陸攻部隊を活躍させるために、なんとしてでも飛行場をわたしたちに奪回させたかった」

「戦理を無視して基地航空優先の思想に拘泥するあまり、真の目的を見失った、あるいはみてみぬふりをした。航空作戦のような派手で華々しい戦術にばかり捉われて、持久戦のごとき地道で堅実な戦いを軽視する。面子で戦争やってるんじゃない。戦術的にも戦略的にも、攻勢転移はいたずらに消耗を早めるだけの悪手だ。当時のジャムの状況じゃ、守って耐える持久戦しか道はない。やっぱりあの陸奥さんは正しかったんだ」

 

 元長波と元朝潮は当時の32軍司令部と同様の結論に行き着いた。内容はともかく、閣議決定された純然たる命令というわけでもない、あくまで政権の顔色を忖度した内局による訓令的な要望の体でしかないのであれば、バカ正直に服従する必要もないとし、幕僚たちはあくまで戦略持久を堅持すべしと判断した。

 ところが愛する祖国を思ったればこその持久作戦は、本土にはただ32軍がわが身かわいさの瓦全を画策している無責任のように映っているらしかった。32軍の直属上級司令部である第10方面軍は、

「守ってばかりでは32軍は決戦の機会もないまま全滅する」

 と遠回しに要望した。基地航空隊を差配する海上自衛軍特定有害指定生物対策特殊航空集団の不満はさらに強く、

「水上艦隊と基地航空隊の連携が効果大であること、また北部・中部飛行場の制圧が第32軍自体の作戦にも緊要であることは、KW環礁沖海戦等の戦例に徴するもあきらかである。敵の航空基地の設定破砕は、西方方面作戦の根本義であるのみならず、同方面航空作戦遂行のためにも重大な意義を有するをもって、これの制圧には万難を排して当たられたい。敵が基地整備を完了していない今こそ我の乗ずべき好機である。しかしこの好機は数日の内に去ってしまうことが予想される。32軍が千載一遇のこの戦機を捉えず、座して眼前に敵地上型の設置と要塞化を許し、同盟国やわが国を航空攻撃の危険に晒して、自らは堅牢な壕に籠り持久健在を策することは、身勝手の謗りをまぬかれ得ない」

 という激越な主旨の要請を打電した。

 元長波はむしろ呆れて苦笑いする。

「映画にもあったけど、われらが司令部は、あの日、本当にこんなクソッタレな要望電をあちこちから送られてたのか。なにが“飛行場制圧はあなたたちのためでもあるんですよ”だ。恩着せがましい」

 元朝潮も顔に嫌悪を浮かべる。

「しかも、命令ではなく、あくまで要望、要請のかたちをとっているところが、司令部のさらなる反感を買ったことは想像に難くありません。命令であれば、それにしたがって32軍が大敗北を喫したら、命令者の責任問題になる。だから形式上は要望に留めたんです。これなら失敗に終わっても、中央は32軍が独断で行なったことだと責任逃れができます」

 各方面から続々と舞い込む、32軍を懦夫(だふ)のあつまりと断罪せんばかりの攻撃督促報は、司令部を激しく揺さぶり、二分を誘った。持久堅持か、攻勢か。

 新任の幕僚たちはおおむね統合幕僚本部の意思を支持し、攻勢転移を主張した。軍隊は上級司令部の作戦構想に順応すべきである。統合幕僚本部や方面軍ならびに基地航空隊が積極策を企図している以上、32軍のみが違背すれば足並みは揃わず、作戦の効果は激減する。持久戦で従容と死を受け入れたなら遅かれ早かれ全員が死滅するが、一時の犠牲はでたとしても、攻勢により敵を撃滅できたなら、結果的に多くの部下将兵の生命を救うことになる。戦争は守っているだけでは勝てない。ジャムの地勢もろくに知らない男性新幕僚長はそう懸河の弁を振るい、先頃の人事異動で補職されたばかりの幕僚たちが追随した。

 

「“自動車の免許を有していないものが交通法規を無視した強気な運転をするような、いわば無知の勇気だった。アクセルペダルを踏むだけならだれでもできる”か、いい得て妙だな」元長波は『私のジャム戦記』を通読しながらいう。

 しかしあまり中央の方針に背馳していると、最悪の場合、反逆罪に問われる恐れもある。32軍の立場は進退窮まった。戦略持久の堅持を訴える幕僚らも譲歩せざるをえなくなり、折衷案として、もし攻勢が失敗しても第一線が崩壊しないよう、独立混成第60海上旅団と、24海上師団のうち第22海上歩兵連艦隊だけを並列して夜襲をかける計画が立案された。

 しかし予定にない攻勢に妙案などあろうはずもない。物量をたのむことができてはじめて有効となる人海戦術を寡兵で押し通すだけである。

 大要は、日没とともに攻撃を開始し、敵を撃破浸透して天明までに十五キロ離れた飛行場を制する戦術的要線に進出、掌握ならしめる。

 戦艦娘戦隊は水雷戦隊の前身開始と同調して射撃を開始し、敵の後方を擾乱して、攻撃の初動に協力する。

 翌天明後においては、独立混成第60海上旅団の空母艦娘は黎明を期して各航空機を出撃、航空優勢を維持し、可能であれば位置明瞭な敵巡洋艦級および戦艦級を爆撃して浸透部隊を援護する。

「どう思う」

 元長波は参謀になったつもりで元朝潮に意見を求める。

「敵航空機が封じられる夜間を選ぶこと、洪水のように全面を押し上げてくる敵線に小規模部隊群で浸透攻撃をかける戦法は一理ありますが、深海棲艦は赤外線を視認できることから敵砲火の威力が昼夜でいささかも減じないこと、専守防衛を徹底していたためジャム島における夜襲の訓練を受けていなかったこと、準備期間も短いこと、よしんば成功したところで敵勢力下では広大かつ平坦な飛行場の制圧維持がおぼつかないこと、艦娘が地上を、それも複雑錯綜した山岳地帯を火力の絶対優勢な敵砲撃に晒されながら一夜にして十五キロも縦深するなどとうてい不可能であること、後知恵ながら陸攻部隊配備の目処がたっていないので夜襲そのものに価値がないこと、などから」

 元朝潮は端的に結論をだす。

「夜襲は必ず失敗すると予期できたはずですし、万一成功しても戦局好転にはなんら寄与しない、無意味な消耗かと」

 元長波も腕を組んでうなずく。「同感だ」

 

 幕僚らがまとめた作戦案を、司令官はまったく口出しすることなくただちに決裁した。ここに飛行場奪還作戦断行が決定される。

 総攻撃は案の定、失敗した。

 なぜなら、22海上歩兵連艦隊第1大艦隊は支とう点に到着こそしたものの、地形と敵情の偵察もままならず、また道中で敵の砲火で損害をだしており、準備極めて不十分な状態で決行せざるをえなかったからだ。

 夜半にエクアワ北の161.8高地に斬り込んだが、軽巡棲姫の探照灯によりほぼ無力化され、つるべ撃ちにされた。深海棲艦の探照灯は射撃目標を僚艦に指示するわがほうのものとは趣が異なり、基本的には夜戦にのぞむ艦娘の視力を奪うために使われることがわかっている。ビーム状に収束しておらず、比較的拡散するため付近一帯を真昼のように明るくするが、照射が終わると視界は瞬時にしてもとの暗黒に戻る。これが何度も繰り返された。暗順応で少しの光もよく感受できる状態となっている眼で探照灯の眩光を受けると、視界が白く塗りつぶされ、明順応を経てふたたび暗順応するまでは夜盲症同然となる。

 こちらだけが目隠しをして戦わされるようなもので、闇の地獄に叩き落とされた第1大艦隊は敵の姿もみえないまま砲火を集中されて損害続出、攻撃に参加する機会を失っただけでなく、駆逐級の群れによって本隊と分断されたため後退もできなくなり、以降は山に籠って単独で徹底抗戦し、孤軍奮闘三週間を耐えたのち、全滅することとなる。

 

「わたしたち2大艦は、お恥ずかしい話ですが、夜間の移動中に道に迷ってしまい、夜明けまで攻撃開始地点にさえたどり着けませんでした」

「独立海歩399大艦も似たようなもんだったよ。なーんかちがうなぁってうすうす思ってたんだけど、いざ夜襲開始ってなったら、あるはずのない山とぶつかって、現在地もわかんなくなった。空が白みはじめたあたりで、最初の目標地点からしてまちがってたってことにみんなようやく気づいてね。つまり大艦ごと迷子さ。当然、戦艦や空母連中の援護も予定されてない地区だったから、猛烈な攻撃を雨あられと受けてあえなく撤退よ。陣地に帰るまでの五日で半分は死んだはずだ。わたしはどうしてかその半分に入らなかったんだが、砲弾の破片で左の手首から先がもってかれた」

 

 元朝潮と元長波が思い返すとおり、敵の昼夜を問わない熾烈な砲爆撃で道路が寸断されているだけでなく、地形そのものが変貌してしまっており、目印となる史跡や集落などが跡形もなく消し飛んでいることが多々あり、地図も頼りにならなかった。なまじ地勢が身についているだけ、かえって混乱を招いたともいえる。しかも各所で軽巡棲姫たちが断続的に探照灯で夜をまぶしく照らして夜目を奪ってくる。

 敵は事前の偵察を活かし、道路の分岐点や川など交通の要所には間断なく交通遮断射撃を実施している。突破は容易でなく、迂回すれば敵の待ち伏せ、遭遇戦など不測の事態が起きる可能性はさらに増す。道路は耕されたように掘り返されていて、艤装を背負って山道を歩兵のように歩かねばならない艦娘の進出速度は極めて遅いものとなる。弾薬や物資を運搬する部隊はさらに手間取った。

 首尾よく敵線を突破して要地を確保できたとしても、前線から突出しているのだから砲爆撃の的にされて当然で、陣地構築はおろかタコツボくらいしか掘る時間のない艦娘たちは隠れる場所とてなく、屍山を築き戦力は激減し、全滅か後退かふたつにひとつとなる。各艦隊とも以上の要因で夜襲に失敗したのだった。

 

 元朝潮の第2大艦隊は、一時は敵中に孤立したが、連艦隊本部からの撤退命令で後退した。

「経由地のザカク高地へ向かう道中、大勢の僚艦が砲爆撃でこっぱみじんになるか、食べられるかしました。早霜ちゃんは艤装の燃料に引火したせいで火だるまになりました。まるで松明のようでした。本人の携帯消火器だけでは消火できず……規定で、火災を起こしている本人の携帯消火器で火が消せなかったとしても自分やほかの艦娘の消火器を使うことは禁止されていたでしょう、自分の消火器を使ってしまったら自分が火災に見舞われたときに使えなくなりますから……土をかけたり、飲料水で濡らした服を被せたりして、ようやく消し止められました。

 インナーカラーがおしゃれな、長かった髪は、縮れ毛になっていて、顔も体も皮がべろべろに剥げて、脂肪の層がみえていました。ぶすぶすと嫌なにおいも。髪が燃えるにおいです。そのときすでに意識不明で、体液を失いすぎたことによる低容量性ショックを起こしていました。

 後送はふたりで行います。応急処置だけ施して、小艦のみんなで交代しながら背負って、もうひとりは早霜ちゃんに輸液している重炭酸リンゲルの点滴バッグを高く持ちながら撤退したのですが、全身の至るところから鼻が曲がるほどのにおいの膿が滲みでていて、なにかの拍子にぎゅっと押したりすると、ぴゅっ、ぴゅっと勢いよく飛び散ったりするので、わたしたちは髪も背中もべったりと膿まみれになりました。わたしなんて、背負っていた早霜ちゃんから垂れてきた膿が口のなかに入ったことも。嫌だと思ったことはありません。だれも文句なんていいませんでした。あしたは自分が背負ってもらう側になるかもしれないんですから……。

 わたしに何度目かの背負う番が回ってきたとき、歩いている途中で、急に早霜ちゃんの体が重くなったんです。つかみどころがないというか、全身がぐにゃぐにゃになって、あらゆる方向へこぼれ落ちそうになった。どうにも担ぐのが難しくなって、いったんしゃがんで、体勢を整えようとしたら、霞が“ちょっと待って”と早霜ちゃんの脈を測りました。すでに事切れていました。わたしの背中で息を引き取ったのです。遺言も聞いてあげられなかった。社会福祉士になったいまでも、亡くなられたお年寄りの身体を触るとき、早霜ちゃんを思い出します。あの何も力の入っていない、ぐにゃぐにゃとした感触が、まったく同じなんです。

 ……わたしにはわかりません、全身を火に巻かれて、水ぶくれと膿だらけになって苦しみ抜いて死んだ早霜ちゃんと、おなじように燃料火災で、脊髄反射によって喉が塞がり自家窒息し、もがき苦しんだのち弾薬が誘爆したせいで遺骨のかけらも残らなかった萩風さん、どちらがより悲惨なのか。

 早霜ちゃんの遺体は遺骨用に腕を一本、肘から切り落として、弾薬や食糧など役に立つものを取って、あとは置いていくしかありませんでした。土に埋めたり荼毘に付してあげる時間もなかった……いじわるな古参の艦娘が、火を消さなかったらついでに火葬もできてたかもねといいました。わたしはかっと頭に血が昇りました。でも、わたしが抗議しようとしたときには、霞がその先任を殴り飛ばしていたのです」

 撤退は受難の連続だった。追いながら攻撃はできるが、逃げながら戦うことはできない。反撃しようとすると立ち止まることになる。

「優しかった狭霧さんは、敵砲弾が掠めて頭が割られてしまいました。後頭部が裂けて脳みそがあたり一面に……頭は空気の抜けたサッカーボールみたいにぺしゃんこになっていました。天霧さんが……そう、いつもわたしの面倒をみてくれた、先任の天霧さん。わたしがパラオに配属されてから初めての演習で、真っ赤に灼けた砲身にこわごわ舌を這わせて“あっちィー!”って大笑いしてた天霧さん……。いつも果断明快だったその天霧さんが、彼女らしくもなく度を失って、暗殺された大統領の夫人みたいに飛び散った脳みそをかき集めて、狭霧さんの頭に詰め直しはじめました。戻せば狭霧さんが生き返るとでもいわんばかりに。……次の瞬間、空からうなり声と風を切る耳障りな音が降ってきて、天霧さんと狭霧さんがいた場所ごと半径何メートルかが吹き飛ばされました。わたしは爆風で転んで、内臓がお腹のなかで洗濯機みたいにかき回されて、胃のなかのものを全部吐き散らして、激しい頭痛もして……風雲さんがわたしになにか叫んでいましたが、なにも聞こえません。水のなかにいるみたいでした。でも、たぶん、早く立ち上がって逃げろとおっしゃっているんだろうなとは想像できましたから、そのとおりにしました」

 

 撤退したさきのザカク高地での戦いではさらに多くの負傷者を出した。

 もともとザカクを拠点としていた62海上師団とともに勇戦敢闘し深海棲艦の第一陣を全滅に追いやるも轟沈多数(轟沈はもともと被弾から一分以内の沈没を指すが、海軍では艦娘の戦死をたとえ陸上のものでも轟沈とよぶことが通例としてあった)、後送至難な重傷者の集団となり、後送の余力もなく、22連艦隊は敵の後続が到達する前に動けるものだけで後退することになった。ザカクはひきつづき62海上師団が固守した。

「“わたしもここで死にます。みんなを見捨てて後図を策するなど情に忍び得ません”、そう懇請したら、風雲さんに平手を受けました。“お互いまだ手も足も両方残ってるでしょうが。後退すればまだまだ戦える。戦いたくても戦えない子たちもいるのにぜいたくいわないで。死ぬなんてあとでいくらでもできるんだから、いまを生きることに全力を尽くしなさい!”。……早く死んで楽になってしまいたい、苦しみから逃れたい、その怯懦を人情論の美辞麗句で飾って逃げ道にしたいという、わたしの弱さを風雲さんは見抜いておられたのだと思います。だからせめて、そのときの風雲さんの仕事を分担させてもらいました。陸軍部隊に頼んで譲り受けた雑嚢いっぱいの手榴弾をひとつずつ、倒れたまま動けない重傷の艦娘たちに渡していく役目です。手榴弾でできることなんてたかがしれています。せめて苦しまないようにと」

 元朝潮の言葉が詰まる。元長波が彼女の肩に手を置く。元朝潮は小さく頷いてみせ、ふたたび口を開く。

「失血でたいていの艦娘は目がみえなくなっていましたが、手榴弾を握らせると、感触でそれと知って、力強く頷いたり、情けなさそうにむせび泣いたりしました。わたしの髪をきれいに梳かしてくれた旗風さんは、失明したのか、包帯で顔の上半分が覆われていました。右足がなくて、わき腹がえぐられ、肋骨の奥で横隔膜が弱々しく上下しているのさえ覗けました。わたしが手榴弾を持たせると、旗風さんは、口元だけですがにこりと笑って、本当に蚊の鳴くような声で、“ありがとう”といったんです。置き去りにしようとしているわたしに、自決しろといっているわたしに、ありがとうだなんて。……わたしたちが去ろうとしたとき、遠近(おちこち)でいっせいに爆発の轟然たる不気味な音が響きました。わたしは振り返りませんでした。自分が肉片を飛散させているところなんて、みてほしくなかったはずですから。62海師が全滅したのはその翌日です」

 長く長く息を吐いた元朝潮が、あなたの話も聞かせてと、元長波を見つめる。



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十二  蒸発艦隊

 元長波たち独立混成第60海上旅団独立海上歩兵第399大艦隊もまた、後退は命がけだった。

 

「敗走しながら、小艦隊旗艦の深雪が“よーし、作戦要務令綱領第九”って名調子で叫ぶ。するとわたしたちは、“はーい。敵の意表に出づるは機を制し、勝ちを得るの要道なり”って歌って返す。で、全員で“できるかバカヤロー!”って締めくくって、大笑いしてた。途中で、あたりにどかどか撃ち込まれてるのにうずくまってる軽巡の名取が目に入った。爆音で失聴して状況がわかってないのかもしれないと思って、近づいたら、その名取は破れた腹からハラワタがこぼれて広がってて、つかみどころのない腸やら肝臓やらをなんとか腹に戻そうと一心不乱になってた。腹に押し込めようとすると力を入れて腹筋を使うから、腹圧でまた内臓が溢れてくる。その繰り返しだった。わたしのこともまるで眼中に入ってない。深雪が早くしろ、ぐずぐずするなって怒鳴ってたんでその場を離れた。わたしはあの名取をぶん殴ってでも引きずっていくべきだったのかもしれない。命からがら洞窟に退いたら、わたしの左手をみた海旅(かいりょ)の幕僚に野戦病院へ行けって命じられた。手首くらい、バケツかければ治るだろって軽く考えてたんだが、そのバケツがないんだからしょうがない。ただでさえ空襲であらかた喪失してるのに無理な攻勢で大量に消費したから片手ごときには使えないんだとか。手足なんていくらでも生えてくるもんだって意識だったけど、バケツがないと、わたしたちはむかしの兵隊となんにも変わらないんだなあって、ぼんやり思ったよ」

 

 入口に、ルバエハ野戦病院と墨痕も鮮やかな木札の掲げられた洞窟の坑道は、すでに動くに動けぬ重傷者の先客たちで、押し合いへしあいとなっていた。全長五キロにおよぶ病院壕内にくまなく材木で組まれた三段ベッドのすべてが、負傷艦娘と苦鳴で埋まっている。元長波は実家の蚕棚を思い浮かべた。

「寝床っていってもシーツもない堅い木板に直接寝かされるから、寝心地は最悪だった。あんなもんで寝てたらよけいに悪化しちゃうよ」

 後方支援連隊の衛生隊だけでなく、現地雇用の学徒看護婦もひっきりなしに行き交い、修復材がないという未経験の事態にうめきもがく艦娘たちの世話に鞅掌(おうしょう)した。

「さいわいわたしは左手がないだけ。痛み止めと包帯だけもらって、有給だと思って、空いてた中段の寝床でおとなしくしてたんだが、二日目か三日目だったかな、ぼけっと寝てると、上のベッドから、やけに油っぽい、臭い汁がぽたぽた垂れてきてね。オネショでもしてんのかと覗いてみたら、上で寝かされてた艦娘が死んで、腐った汁が流れでてたんだ。さすがに気味が悪かった。女学生たちも忙しそうだったんで、自分でその死んだ艦娘を片づけようと腕を引っ張ったら、肩のところから、ぐぽっと抜けた。全身がそんな感じだから苦労したよ。そんなこんなで、寝てるだけってのも悪い気がしたから簡単な仕事だけ手伝うことにした。あんな寝床で寝るくらいなら働くほうがマシだった」

 

 壊阻の進行を防ぐため、主任軍医は連日、傷病艦娘たちの切断手術に明け暮れていた。攻勢により一時に大量に患者が後送されてきたので医薬品の補給計画が狂い、備蓄が底をつきはじめていて、麻酔も打てなかった。暴れる手足を押さえておく助手が必要だった。元長波は学徒看護婦に混じって助手となった。

「応急処置ですよね? 切っても、修復材でまた治りますよね? きっと補給は来ますよね?」。そう泣きわめく磯波の、肉が弾け脛の骨が露出している右足にのしかかるようにして体重をかけた。主任軍医はなにも答えず磯波の足に弓鋸を入れた。鮫の牙のような刃が前後に引かれるたび、四肢を元長波らに押さえつけられた磯波は、手術台の上をのたうちまわり、ウエスを猿ぐつわのように噛まされた口からは血を吐くような絶叫がもれた。切り落とす途中で磯波は失禁した。

 切断し終わって、涙と鼻水とよだれを垂れ流して虚脱状態となっている磯波を止血のため別の治療台に運び、肢切断を要する順番待ちの艦娘がまた俎上(そじょう)の鯉となった。切った磯波の右足は、押さえていた元長波が壕入口の一斗缶に捨てた。一斗缶は挿し込まれた腕や足を花弁とした大輪の花を咲かせるオブジェになっていた。夜になると看護婦が缶の手足を外に掘った穴へ埋めた。

 

「足は案外重かった。女ってのはどんな痩せっぽちでも、太ももにはしっかり肉がついてるからな」

 元長波は野戦病院の日々を思い返す。

「わたしとおなじ長波が後送されてきてね、どこが原隊か知らないが、なかなかひどいありさまだった。左目は潰れて、左腕と左足はない、右の手と足も長い傷がついてて、壊死がはじまってた。切るしかない。わたしは右手の手首を押さえた。相手も鋸でギコギコされて、こりゃたまらんって握りかえしてくるんだけど、骨が軋むくらいぎゅうーってされるから、痛くてしかたがない。で、切ったあとも腕がわたしの手首を強く握ったままついてくる。しかたないから口で指を一本一本はがした。両手両足なくしたその長波を“戦場にでも行ったのかい、ジョニー?”って茶化したらさ、息も絶え絶えに、“おまえが寝ようとするたび、這ってでも枕元でSOSのモールスを叩き続けてやるからな”。半分くらいは本気だったかもしれないな」

 

 次から次へと負傷艦娘は担ぎ込まれてきた。病院壕は阿鼻叫喚で満たされたが、元長波は、四肢を失った長波の声だけは、なぜかよく聞き取れたという。

「ある日なんか蛆が耳に入ったってわめいてたな。なんせ手がないから取ろうにも取れない。おなじ長波のよしみで、わたしが耳掃除してやった。取るのは耳くそじゃなくて蛆虫だけど」

 

 受け入れ能力を大幅に超えた野戦病院では清潔を望むにも限度があった。人知れず息絶えた艦娘にいつのまにか蛆が湧いているということもあった。ときに蛆は、まだ生きている人間の肉も()んだ。

「左手の断面が針で刺されてるように痛みはじめて、痛み止めが切れたかなって、あんまり気にしてなかったんだが、騒がしい洞窟のなかにあっても耳につくくらい、がさごそ、がさごそって音が包帯の下からしててね。よくみると包帯が波打つように動いてる。包帯を解いてみたら、手首の断面に白い蛆虫がびっしりと群がってた。汚物入れを抱えた衛生隊がたまたま通りかかって、蛆は膿や腐った肉を食べてくれるし、分泌する唾液には殺菌効果もあるから、あまり取らないほうが治りがよくなりますよ、なんていうから、へえ、そうかって、ほっといたんだが、なにしろ痛くてね」

「東南アジアの蛆虫は、日本のものに比べて牙が鋭く顎も強いですから、柔らかい腐肉だけじゃなくて、生きている健康な肉もかじれるんですよね」

 元長波は、そうそう、と笑って頷く。

「痛むってことは腐った肉がなくなってまともな部分を食いはじめたってことだから、ピンセットと、消毒用に焼酎を持ってきてもらって、自分で取ることにした。わたしは運がよかった、右手が使えたから。蛆を一匹ずつ引っこ抜いて、焼酎を入れたブリキ缶に捨ててたら、もうてんこ盛りになって、溢れかえらんばかりだった。どの蛆も憎らしいくらいころころ太ってたなあ、こっちはろくに食事もなくて腹空かせてんのに。蛆もいっちょまえに危機感があるのか、断面の肉のなかに必死になって潜り込もうとしてね、わたしが腕に力を入れたら、収縮した筋肉に締め付けられて、お尻ふりふりしてもがいてやんの。一日かけて全部掃きだした。単純な作業に没頭してるあいだはむずかしいことを考えずにすむから、いい手慰みになった」

 

 戦場の常、蛆の話は尽きない。

 

「蛆に肉を噛まれる艦娘はわたしだけじゃなかった。深手を負った艦娘はほとんどが生きながら蛆にたかられた。両手両足のないあの長波も例外じゃなかった」

 元長波は笑い話のような声音で追想する。

「“わたしの顔のなかになにかいる、動いてるのがわかる”って訴えてくるから、どらどらって、包帯とガーゼを剥がしてみたら、空洞になってる左目の眼窩が蛆の巣窟になってた。入りきれない蛆でこんもり盛り上がってて、ほっといてもぽろぽろこぼれてくるくらい。なかは蛆の糞でもうドロドロよ。目のなかをかき回してあらかた取り除いても、わりと奥のほうまで食い進められてて、らちが明かないんで、仰向けにさせてね、焼酎をそそぎこむことにした。そう、目の穴に。死んでぷかぷか浮かんできたのをつまんで捨てるわけ。暇潰しにはなった」

 

 病院壕にかぎらず、ジャム島各地に築かれた洞窟陣地は、南方特有の高温多湿な気候も手伝って、生活の拠点として昼も夜も籠らなければならない艦娘、将兵たちを、地獄の熱気と湿気で苦しめた。

 換気孔は設けられていたし、通風機もあったが、艦娘、士官、艤装の整備兵など後方支援部隊、雑用の軍属など、数千人がいつもごったがえす壕内は人いきれが飽和している。温度は三十度を下回ることはなく、日中は四十度を超え、湿度もつねに一〇〇パーセント近い。汗が乾かないのでだれもが汗疹に悩まされた。衣服も寝具も、触るものすべてがベトベトしていて気が滅入る。暑熱と湿気、悪臭のたちこめる壕内の空気は、酸素も不足しがちで、およそ人間が生活するには耐え難いものがあった。

 病院壕ではさらに、寝床から下りられない傷病者の使用済みオムツを放り込んだ汚物入れがそこここにあった。回収し忘れた汚物入れや膿で汚れた包帯にハエが群がった。病院壕は喚声のようなハエの羽音が一日中反響していた。蛆がでるのは、当然だった。

 

 夜襲決行から三日目、軍司令官は攻撃を中止し戦略持久に戻ることを決定した。

 前の幕僚長だった元陸奥の将星が持てる知識と経験を総動員し全身全霊をかけた作戦計画、それを、中央による行き当たりばったりの作戦指導で弊履のごとく捨て去ってまで強行された飛行場奪還作戦は、その目的を達成しえず、隻数換算で二個大艦隊全滅の大損害をだした上、貴重な弾薬を無駄に浪費しただけに終わった。敵への打撃はといえば微々たるもので、むしろ当初の作戦どおりに防御戦闘を徹底していたほうがより多くの戦果を挙げられていただろうという分析もある。

 しかし、総攻撃で人員を激しく損耗して以降も、一木一草を戦力とするつもりで地形を最大限に活かした防御は、なおも敵をよく阻んだ。

 とくにザカク高地の拠点は敵に大出血を強いて頑強に保持した。ザカク高地自体は、西部70高地と北側高地の、どちらも高さ一〇〇メートル足らずのなだらかな双子の丘陵からなっているだけで、なんの変哲もない。しかしこの高地は、まさにテルモピュライとなって艦娘たちに味方した。トンネル内を移動することで損害を受けず高地の四周に火力を展開でき、陣前に接近した敵には、洞窟内から飛び出した駆逐艦娘や軽巡娘が的確な射撃を加えた。すぐに引っ込めば被弾もしない。金剛型、扶桑型、伊勢型、長門型からなる戦艦戦隊も、中部飛行場に制圧射撃をくわえるとともに、高地へ前進する敵の展開地域に火力を集中した。ときには魚雷の装填された発射管を抱いた駆逐艦娘が敵に体当たりを敢行することもあった。深海棲艦に高地頂上を奪取されても、反対斜面から猛烈な集中砲火を浴びせかけ、ふたつの高地は互いが互いを強靭に援護しあうことができた。62海上師団は元朝潮ら22連艦隊と協同で、敵の第一波を全滅させる壮挙を成し遂げている。

 

 ところが22連艦隊が被害甚大のためふたたび連艦隊本部に後退を命じられた翌四月二十二日未明、司令部はザカク陣地を預かる62海上師団との連絡途絶を確認した。

 伝令数人を走らせると、ザカク高地の谷間を深海棲艦が堂々、大挙して南進しているところであった。陣地からは一発の砲火も見受けられず、ザカクの陥落が歴然であることを物語っている。前日まで有力な布陣を有し、継戦能力も問題なかった62海上師団と堅固な地下要塞が、なぜたやすく攻略されてしまったのか。

 伝令のひとりが、切れ目なく進撃しつづける深海棲艦の隙をつき、決死の覚悟で高地へ接近、洞窟陣地に飛び込んだ。彼は帰ってこなかった。万一に備えて外の荒れ地で待機していた伝令たちのうちのひとりは、上空に現れた敵の観測機にみつかるのを恐れて窪地に身を伏せ、そのまま微動だにしなくなった。残りの伝令たちは司令部へとって返した。

 化学防護隊による調査団が結成され、原因究明のためザカク高地の壕に送り込まれた。

 洞窟入口ではまず伝令が倒れており、内部の坑道は、艦娘と将兵の別なく死屍累々で、生存者はなかった。いずれの死体も損壊はなかったが、みな苦悶に顔がゆがみ、なかには喉をかきむしったまま絶息しているものもあった。

 調査の結果、坑内には高濃度の硫化水素が充満していることが判明した。

 

 深海棲艦の食料が原油や鉱物であることはよく知られている。摂取した原油、鉱物は寄生生物の助けを借りて精製され、石油生成物の血漿に希少金属の血球成分を含む体液として深海棲艦の体内を循環する。深海棲艦は、固体高分子形燃料電池とおなじ原理の動力炉様器官で、白金を触媒として石油から発電したエネルギーで生命活動を行ない、さらに原油精製の過程で水素化脱硫するさいに得られた多量の硫黄を過剰にシステインと結合させたシステインパースルフィドを代謝する熱量をも利用している。

「要するに、深海棲艦は生きた石油プラントってわけだ。連中にとっちゃガソリンはゲータレードで、プラチナはビタミンのようなもの。余剰分の硫黄は硫化水素のかたちで呼気に含ませて排気する」

 元長波は艦娘学校の座学を記憶の抽斗(ひきだし)から取り出す。三十年も前の講義内容を覚えているのに、なぜいまはちょっとした用事すら忘れてしまうのか、元長波にはわからない。

 

 どこかの時点で、深海棲艦は仇敵である人間にとって硫化水素が猛毒であると気づいたらしかった。同時に洞窟陣地の弱点も見抜かれはじめていた。

 ザカクにかぎらず、32軍が構築した棲息壕は、四周に坑道口が設けられていたから、全方位に射界を確保できたが、いったん防衛線を一角でも突破されて、死角である頂上を占領されると、さながらマウントポジションをとられたように無抵抗となる。深海棲艦は明らかにこの状況に持っていくため、以下の戦術を新たに採用する進化をみせた。

 まずあらんかぎりの砲火力をもって継続的な弾幕射撃を加え、洞窟入口といわず掩蔽射点といわず、あたり一帯ごと乱射し、艦娘がトンネル内から一瞬たりとも顔をだせないようにする。その状態を維持しながら前進し、開口部を発見したらそこに砲身を突っ込んで射撃しつづけることで、艦娘の反撃を封じる。

 防衛線を食い破って頂上に登った深海棲艦は、通風孔から硫化水素の吐息を送り込む。比重の大きい硫化水素は上から下へ流れていくから坑道の末端にまで行き渡る。

 洞窟から飛び出した艦娘は通常どおり砲撃で掃討する。

 ザカク高地においては、やはり無尽蔵に思える絶え間ない砲火で艦娘たちが坑内への逼塞を余儀なくされ、なす術もなくふたつの丘陵の頂上を占領されてしまったと考えられる。砲声も爆発音もない、無色透明の毒ガスでザカク高地守備隊は虐殺されたのだ。

 

「敵の攻撃は砲弾や機銃といった物理兵器ばかり、それが常識でしたから、敵艦砲も爆弾も、珊瑚の岩盤をペトンとして自然の力を大いに活用し、みんなで築城に邁進した天然要塞が防いでくれる、そう思っていました。まさか化学兵器なんて、予想もできなかった」元朝潮はかぶりを振る。

 

 ほかの陣地もまた善戦をつづけたが、馬乗りにされると坑内を硫化水素で満たされ、通風孔を塞ぐわけにもいかず、毒ガスから逃れようと洞窟内から出ればたちまち狙い撃ちにされる。砲爆撃から防護してくれるはずの鉄壁の要塞が、ひと呼吸で死に至る処刑場に変えられたのだ。元長波はマイマイカブリに殻のなかで溶かされるカタツムリを思い出している。

 

 ジャム島戦ではじめて確認された深海棲艦の新兵器は、化学兵器だけではなかった。火炎放射である。

 駆逐級の砲身から吐き出される火炎放射は、射程が二〇〇メートル以下と短いため、通常の海戦では使い物にならないが、陸上、それも洞窟陣地に籠城する艦娘たちにはおそるべき猛威を振るった。充填物が粗製ガソリンに増粘剤を混合したジェル状のナパームであるので、火というよりは、燃える粘着質の油を浴びせかけるといったほうが正しい。砲弾なら防壁や掩蓋があれば防げる。だが、ナパームは堅牢な要塞であっても水のようにあらゆる隙間から侵入し、鉄をも融かす一二〇〇度の高温で内部の人間を焼きつくす。ナパームは油のために付着すると水では落ちず、消火もできない。おまけにナパームが燃焼するときは周囲の酸素を大量に消費するため、直接の火傷を逃れたとしても、ただでさえ酸素欠乏しがちな坑内の空気は、あっという間に酸素分圧が低下してしまう。洞窟は呼吸すればするほど体内から酸素が逃げていく窒息地獄と化した。

 ことに馬乗り戦法では、火炎放射はてきめんに威力を発揮した。ナパームは一度着火すると五分から十分ほど燃え続ける。陣地に接近する段で洞穴の入口付近を焼き払うと、火炎で蓋をする格好となり、艦娘たちを洞窟内に押し込めることができる。

 深海棲艦の駆逐級はおしなべて巨体のため洞窟に侵入できないが、入口から火炎放射をすると、液体であるナパームの油脂が燃えながら坑道内を跳ねまわり、蛇のように奥深くまで伸びてきて、艦娘も将兵も生きたまま火だるまにして焼き殺すか、高温の空気で蒸し焼きにするか、窒息させる。生き残ったとしても、艦娘らが焦熱地獄で混乱している間に頂上を抑えて、換気孔から硫化水素を流し込めば逃げ場はない。

 また、射程の二〇〇メートルも、海上でなら大したことはないが、地形が絡むために近距離戦となりがちな陸では脅威だった。

 

「二回目の総攻撃のとき、夢中で戦っていたら、どこからか異様なにおいが漂ってきました。硝煙や深海棲艦の臭気とはちがいます。嗅いでいるうちに胸のなかでヘドロみたいに凝集してしまいそうな、むかむかするにおいです。いまから考えれば、早霜ちゃんの髪が焼けたにおいとおなじだと気づけたはずなのですが、彼女の場合は膿のにおいのほうが印象として強かったので……」

 記憶の業火に耐えるように目を閉じた元朝潮は、わずかに苦悶の色を顔に滲ませて、言葉を紡ぐ。

「轟沈を何隻も出しながら進出すると、いるはずの先行隊が見当たりません。あたりは焼け跡のように炭が転がっているだけ。樹木が燃えたものだと思いましたが、その炭をよくみると、腕があり、足がありました。焼死体というより、人のかたちをした木炭でした。人相もわからない……。みんなお腹のなかの赤ちゃんみたいな格好をしていました。高温に晒された筋肉が収縮したせいです。なかには、骨にわずかな肉がこびりついているだけになっている子も。そんな炭が数えきれないほど倒れていました。なによりも、においです。鼻をつく、むかむかするにおい。さきほど嗅いだのとおなじにおいでした。牛や豚のお肉を焼くときとはちがいます。髪が燃えるから、胸の悪くなるような臭気になる。あの異様なにおいが、あれが、人の焼けるにおいだったんです」

 いまでも元朝潮の鼻は戦友の燃えるにおいを忘れていない。

「戦争が終わって、解体されて、復員して、民間のお仕事を……もう殺したり殺されたりじゃない、だれかの需要に応えられるお仕事をして、きちんと自分の家に帰って、なにがおもしろいのかわからないテレビ番組をみながら、食べたいご飯を食べて。そういった、軍隊や戦争とはなんの関係もない、みんながいう普通の生活を心がけていても、ふいに、あのにおいが蘇ることがあるんです。なにか似たにおいを勘違いしたのか、まだ鼻の奥に残留しているのか。いずれにせよ、なにがきっかけでにおうのか、わからないんです。なんの脈絡もなく鼻をかすめる。いつかまたあのにおいがするのかと思うと、気が気ではありません。いつくるのか、次の瞬間くるかもしれない……毎日、びくびくしています。毎日、そう、毎日……」

 元朝潮は途方に暮れた顔をする。

 

 二回目の総攻撃のとき、と元朝潮がいうように、32軍は総攻撃に一度失敗したにもかかわらず、また強行して、大損害を被っている。

 62海上師団の玉砕とザカク高地失陥は32軍にとって痛撃だったが、敵上陸から一ヶ月が過ぎてもなお、司令部壕北部の第一線で深海棲艦の猛攻を四つに組んで受け止めている64海上師団は依然健在で、地形を味方につけた適切な籠城戦と、戦艦戦隊の支援を得て、陣地を頑強に支持している。ウラベウイマニム山岳地帯を失い、イウズ、アイタワを破られたとはいえ、第二線は勇戦して釘付けにし、一歩も後退していない。開戦以来最大の上陸作戦を相手に、32軍は孤立無援を甘受しながらもいまだ大半の主陣地をわがものとしていた。

 ところが、軍司令部の空気は日に日に重苦しい閉塞感に支配されていった。もともと攻勢にくらべ守勢は戦果が実感しにくい。きょうは守れた。だが守れたというだけだ。あすはどうなるかわからない。計画どおり持久作戦を最後まで堅持しても、五月か六月には弾薬も食糧も尽き果たすと試算が出ている。うまく防いでいてもいずれかならず全滅する。展望のみえない戦いが毎日続いた。敵の二十四時間絶えることのない進攻で、わずかずつではあるが着実に陣地は蚕食(さんしょく)されていき、敵には化学兵器や火炎放射といった新兵器まで登場して、歩一歩じりじりと前線が司令部壕近くにまで下がってきている。

 たしかに戦略持久作戦は、最初から生存を期さない全滅必至の捨て石となる覚悟を決めて選んだものだが、本土からの増援もなく、戦力がゼロになるまでただ消耗するだけの日々を長期にわたり強いられ、抗しがたい破滅が現実に迫ってくると、いかに軍人でも、心理的に耐えられなくなるのは必然だった。重圧に苛まれる。壕内の劣悪な居住環境もあいまって、司令部にはいかんともしがたい、捨て鉢に近い悲観的な空気が色濃くなっていく。まだ戦力が残っているうちに攻勢に転じたほうが、かかる運命を打開できるのではないか。戦略持久では勝てる確率はゼロだ。だが攻勢に転じれば〇・一パーセントは勝ち目があるかもしれない。ゼロパーセントと〇・一パーセント、どちらがマシか……過酷な心理的重圧は司令部を神経衰弱にし、視野狭窄にしていく。一度は破棄した攻勢論がまたぞろ頭をもたげはじめる。司令官だけは泰然として幕僚たちの悲観論にも口を出さずに見守っている。

 

 そこへ中央から攻勢を指令する電信が入ったのである。しかも前回のような要望電ではない。閣議決定された完全無欠の命令だった。これさいわいと幕僚たちは飛びついた。このさい積極作戦をとるべきだ。無為な消磨を待つより死中に活を求めよう。打って出る戦力があるうちに運命の打開を策するべきである。そうこうしているうちに勝機を逸する。格闘技でも防御しているだけでは勝てない、しかし攻撃に出ればラッキーパンチが望めることもあるではないか。大半が攻勢を熱烈に支持した。現状を打破したかった。日一日近づいてくる最後の日をじっと待つのは耐えがたかった。だれもが好転の望めない戦いに嫌気が差していた。

 元陸奥の中将の薫陶(くんとう)を受けていた幕僚副長のひとりだけは、

「32軍の使命は、一日でも長く本土のために時間を稼ぐことにある。最後の一兵まで、このジャムに一尺一寸の土地があるかぎり、あきらめることなく粘り強く戦い続けなければならない。敵は依然として圧倒的優勢であり、圧倒的劣勢なわがほうは、陣地を有効活用してようやく膠着状態にまで持っていくことができている。そういう現状で攻勢をとればたちまち均衡は崩れ去り、我の損害は彼に数倍することは必至である。我々は捨て石であるという運命を冷静に直視し、あくまでも戦略持久の方針を堅持して現状維持に努め、本土防衛の国策に寄与すべきである」

 と攻勢に反対した。だが幕僚らはだれひとりとして耳を傾けない。負けが込んでくると人間は一発逆転、起死回生の大博奕を打ちたくなるものらしい。何でもいいからいまの苦境から逃げ出したいという気持ちもあっただろう。もとより軍最高指揮官である総理大臣の決裁した命令である。否も応もなく攻勢と決まった。元朝潮が回想していた、二回目の総攻撃がはじまるのである。

 

 なぜ今回は政府が明確な命令を下したのか。それは政府と軍とのジャム戦における認識の齟齬に端を発している。政府はジャムに押し寄せる敵をみごと蹴散らすことで、国内外へのプレゼンスを回復するためのパフォーマンスとするつもりだった。敵を打ち負かした実績がいる。しかしジャムに新設が決まった32軍の幕僚長に抜擢された元陸奥の中将(当時)は、破竹の勢いでカレー洋を東進してくる深海棲艦の進出速度から上陸時期を推測し、Xデーまでに近傍泊地より調達できる戦力を逆算して、敵を平らげるという意味での勝利は不可能と判断した。だからこその戦略持久だった。内局は元陸奥の中将を32軍幕僚長として送り出すとき、全滅ありきの持久作戦であると防衛相に具申するべきであったが、少なくとも当時の総理がジャム戦を時間かせぎにすぎないと認識していた事実はない。元陸奥の海軍大将(退役時)が遺した手記には、「憶測にすぎないが」と前置きした上で、

「(ジャム島における)輝かしい勝利など、現状を冷厳に直視すればするほど、到底望むべくもないのだが、人事権がだれにあるか分かれば、そのからくりは容易に解明できる。防衛相は防衛官僚の人事権を行使できる立場にある。幕僚長人事で提出された人事案に否を突きつけることができるのだ。無論滅多に抜かれることのない伝家の宝刀だが、無言の抑止力にはなる。どうなるか。政権に覚えのめでたい軍人を並べる、あるいは政策に反する作戦思想の軍人を排除した人事案を上げるようになる。32軍の司令官に内定した提督が、赴任の決まった私に、現地へ行くまでは具体的な作戦構想は誰にも話すなと私信で釘を刺した理由も、そこにあると思う。かくして化けの皮が剥がれた私は内地に引き戻されてしまったのだ。

 かくのごとき人事で揃えられた制服組、背広組は、上役の顔色を斟酌する世渡りの才には長けている。上から、できないかと訊かれれば、できると言ってほしいのだと瞬時に察して、できなくても、できます、と答えてしまう。虚偽であることが露見して本人が損を被るだけであれば構わないが、別の部署にまで影響を及ぼすとなれば問題である。まして国運と多数の人命のかかった事案であればなおさらだ。現地の32軍は持久作戦で戦力をすり減らすしかないのに、総理が、ジャムはいつ敵を破砕できるのかと、勝てるつもりで防衛大臣に尋ね、意を汲んだ大臣から次官に確認が下り、内局は、勝てないとは言い出せないから、何月頃にはと根拠もなく答えてしまったのではないか。それを内閣は真に受けて、期日が過ぎても進展が見られないので、痺れを切らして問い質したところ、32軍が陣地に籠って防戦一方に甘んじている現状を知って、けしからんと、正式な攻撃命令を閣議決定したというのが真相のように思う。言うなれば、民間企業の営業担当者が、クライアントの無茶な要求に、実際に対応する現場のスケジュールもなにも考慮せず、できます、任せてくださいと安請け合いして、後は現場に丸投げして自分は定時にさっさと終業してしまう、という悪弊と似たようなものと言えよう」

 とある。

 

 攻勢の大要は前回とほぼ同様で、飛行場奪還が主目的である。64海上師団が攻撃の支とうとして現陣地を保持し、日付変更とともに24海上師団と独立混成第44海上旅団が一気呵成に進出して、黎明までに中部飛行場地区へ到達する。独混44海旅の空母艦娘は昧爽(まいそう)より航空戦力を展開し、同海上旅団の海上歩兵艦隊、および24海上師団はこれと協同して戦果を拡大、敵中に楔入(けつにゅう)し、飛行場地域を再確保するための血路を開く。

 本作戦には看過せらるべからざる欠陥がふたつあった。まず、統合幕僚本部は攻勢を指導したものの、肝心要の陸上機は配備がまだ進んでいなかった。飛行機もないのに犠牲を払って飛行場を確保してもしかたがない。飛行場が確保されていなければ飛行機を配備できない。32軍と中央の間で何度も交わされた水掛け論である。しかし32軍の参謀たちは今回の攻勢希望の訓令電に一も二もなく賛成した。日ごと前線は司令部にひたひた近づき、砲撃も熾烈さを増していく。司令部壕に巨弾が降り注ぎ、貫徹こそされないまでも、そのたびに坑口付近の兵や雑事に従事する軍属の地方人が粉々になって吹き飛び、土煙や爆煙がふきこんでくる毎日である。司令部要員から正常な判断力が奪われても不思議ではない。

 いまひとつは、飛行場を一時的に奪回することはできても、圧倒的な敵の勢力下にあって占領を維持し続けるための方策がなんら定められていなかったことである。退路を絶たれて包囲され、全滅の憂き目に遭うことは火を見るより明らかであった。

 

「やっぱり、無謀な作戦だな。この期に及んでの攻勢なんて、百害あって一利なし、だ」

 老眼鏡をかけて指でなぞりながら文章を追っていた元長波が嘆息する。

 いっぽうで、元長波も元朝潮も、当時の32軍幕僚たちを一概に非難はできないという。

 元朝潮は息をつく。

「人間は、追いつめられると、ふだんからは考えられないような悪手を犯してしまうことがあります。書籍やインターネット上で32軍の右往左往を無能と批判するかたも多いですし、おなじ轍を踏まないよう改善するべきではあると思いますが、あのとき、あの場に居合わせたら、ほとんどの人が、当時の司令部とおなじ思想に傾いたのではないでしょうか」



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十三  艦娘墓場

 乾坤一擲の総攻撃は、やはり失敗に終わった。攻勢の主力である24海上師団がザカク高地戦と前回の総攻撃ですでに甚大な損害を出していて、四個あった連艦隊のうち一個はもはや連艦隊としての体をなしていないほど、戦力が著しく低下していたからである。無傷の大艦隊はわずか二個。支とうとして設定されていた64海上師団の要地も、現実には玉砕寸前で、その命運は風前の灯火であった。司令部が期待したような24海上師団進出の手助けなどとんでもない。むしろ64海上師団こそ増援を必要として喘いでいるありさまだった。

 というのは、幕僚たちは司令部の入っている洞窟にこもりきりで、激烈な砲爆下を駆け抜けて前線の様子をじかに視察するなど不可能だった。通信で得られた情報をもとに、兵棋がわりのマッチ箱を図上に配置して、彼我の部隊配置、戦力比を概観するほかなかった。

 ところが連日連夜の砲撃で通信線、無線アンテナ設備といった各部隊と司令部とをつなぐ連絡網はだんだんと切断されていく。やがて通信は伝令か現地雇用の通信兵を走らせるしかなかった。無事に往復できないものも多く、帰って来られたとしても、朝に司令部を出て昼に着き、夕刻に戻ってくるその間に、また前線部隊の状況が変化していないともかぎらない。すでに存在しない艦隊をも当てにした、実状からかけ離れた認識に立脚した机上の空論が攻勢の土台だった。砂上の楼閣だった。

 しかし戦艦娘戦隊は依然として機能していたから、計画どおりに全砲力を結集して24海上師団の進出を支援し、飛行場にも制圧射撃を加えた。その射弾数は撃ちも撃ったり一万五〇〇〇発。あまりの連続射撃に砲身が熱で曲がってしまう戦艦娘まで出るなか、深海棲艦戦争を見渡しても過去類をみない猛砲撃に支えられ、当初24海上師団の各連艦隊は快進撃をみせるかに思えた。

 だが黎明とともに沖合いから敵空母機が黒い雲となって来襲し、艦載機をすり潰していたわがほうの航空戦力では味方の頭上を醜翼(しゅうよく)の蹂躙に任せる以外なく、絶好の爆撃目標にされ死傷続出、海上歩兵第22連艦隊はやむを得ず後退した。

 

 海上歩兵第32連艦隊第1大艦隊は敢闘し、154.9高地(現ジャム大学医学部の南に接する)を占領、円陣防御を組んで戦艦娘戦隊が激戦を繰り広げた。大艦隊長である戦艦山城(やましろ)の指揮は冴えわたり、損耗が重なるなか、麾下の艦隊を柔軟に統合し、寄せ集めの編成になっていきながらも、窮地にあってよく指揮系統を維持した。三日を耐えたが被害甚大のため退却を決意。

 翌未明、22連艦隊と合流するため夜陰に乗じて計画に則り150高地に移動する。しかし22連艦隊は陣地へ後退したあとだった。通信手段の欠落が招いた不幸な事故だった。

 130・140・150高地はなだらかに連続した扇形の地形で、防御するには非常に相互支援しやすいため、飛行場地域へ進撃するための地歩を固めるに好適と目されていた。32連艦隊第1大艦隊と22連艦隊の連携があれば徹底した防御は可能だったはずだ。

 すでに敵中深く楔入(けつにゅう)しすぎていて退路はない。かくなるうえは僑軍孤進(きょうぐんこしん)あるのみ。山城は総突撃を命じた。彼女は先陣を切った。「邪魔だ、どけぇ!」。常からは想像もできない山城の鬼神のごとき勇壮な雄叫びは三つの高地を揺るがし、疲労の極に達していた第1大艦隊の艦娘たちを大いに鼓舞したという。旗艦山城以下轟沈多数。第1大艦隊の生存艦娘は定員の九十六隻中わずか三隻であった。

 ほかの艦隊も攻撃に挫折していた。安否のわからない艦隊さえある。

 独立混成第44海上旅団は敵の猛烈な集中砲火を浴びて退却した。

 独立海上歩兵第399大艦隊のようにかろうじて突入を果たした艦隊もあった。元長波の艦隊だ。入院していなかったら彼女も参加していたに違いない。

 いずれの隊も一両日のうちには進撃が止まり、全滅に近い損害を被って敗走に追い込まれた。

 元朝潮もまた島を覆わんとする敵へ突っ込んだ。直前のひと悶着を彼女は回想した。

 

「朝潮、霞。着任一年目のあなたたちには悪いけれど、わたしと一緒に死んで」

 壕から悄然とした様子で帰ってきた風雲さんにいわれて、わたしは、来るべきものが来たと思いました。霞も呆然として……。わたしたちは斬り込みを命じられていましたが、早霜ちゃんも萩風さんも旗風さんも、天霧さんも狭霧さんも、もういません。ほかの艦隊と併合して、小艦隊とも中艦隊ともいえない中途半端な編成で、なんとか体裁を整えている状態です。とはいえ突撃してもなんの成果も挙げられずに全滅するのは明らかでした。それで最先任の風雲さんが壕へ中止を具申しに戻ったら、海上師団幕僚のかたにこういわれたそうです。

「作戦中止の命令が来ていない以上、直近の命令である総攻撃命令をあくまで敢行しなければならない」

 じゃあ司令部にもう一度確認をというと、「命令は一方通行で受けるものであって、こちらからの再確認は法的根拠がない。よろしく攻撃命令を遂行されたい」……ええ、その幕僚は先の異動で補職されたかたのひとりです。

 わたしたちは大事にとっておいた新品のオムツに穿き換えました。最期の任務だと覚悟を決めたから。でも霞だけは納得できていないようでした。

「どうしていまさら斬り込みなんて? 勝てるわけないじゃないですか。無駄な攻撃です。わたしは賛成できません。みんな死ぬのよ」

 いわれた風雲さんの顔に苦渋が滲みました。代わりというわけではありませんが、わたしが反論しました。「残存の戦力がどの程度残っているかわからないけど、すでにわが32軍は作戦のための物的基礎を失ったとみていい。もうどうしようもないのよ。どうせ死ぬのなら、やったほうがいい」

「そんなのただの意地でしかないわ。短絡的すぎる。もうこの島での形勢は完全に定まった。負けが決まったのに意地だけで戦いを続けるなんて、犬死にじゃないの」

「そう、意地よ。戦争は究極まで突き詰めれば意地でしかない。勝つか負けるかなんてやる前からわかる。でも勝てないからって戦わずに白旗を揚げていたのでは国なんて守れない。だから意地で戦争をして、意地で命を散らす。ただでは死なないという覚悟をみせつけることで、敵に恐怖を植え付けるために」

「嫌よ、わたしは嫌。こんなのただのやぶれかぶれよ。自暴自棄じゃないの。そんな無駄なことのために死にたくない。だって、あんまりよ。惨めすぎる。わたしのお父さんは何代も続く酪農をしていたけれど、輸入が滞ったせいで牛にあげられる飼料がなくなって、廃業するしかなくなった。ほかになにもできない人だったから、事業に手を出しては借金ばかりつくった。そのうち働きもせずにお酒ばかり飲むようになった。酔ってはわたしたちに暴力を振るった。何日も何日も。ある日お母さんは、わたしに包丁を握らせて、痣だらけの顔でささやいた。つぎにお父さんがお母さんを殴りはじめたら合図をするからこれでお父さんを刺してねって。お父さんの右のわき腹を狙うことや、刃を上にして刺すことまで教わった。麻袋に新聞紙を詰めた人形で練習もさせられた。だからあの日いわれたとおりにした。お母さんを殴って蹴って唾を吐いてるお父さんの肝臓を刺した。お父さんは部屋を血の海にして死んだ。お母さんは、わたしにお父さんを刺してと頼んだことも、練習したことも、全部ふたりだけの秘密だって念を押してから、警察を呼んだ。駆けつけた警察にお母さんは人が変わったみたいに取り乱しながらわたしを指さした。“あの子が刺したの!”。わたしはまだ子供で、日常的に虐待を受けていたからということにされて、罪に問われなかった。お母さんに頼まれたなんていえなかった。それをいってしまったら、帰る場所がなかった。小学校卒業間近になるとみんなの話題は艦娘になるかならないかでもちきりだった。戦争になんか行きたくなかった。お母さんも艦娘にならなくていいっていってくれると思ってた。でもお母さんはわたしを軍へ連れていって手続きした。卒業式のあと横須賀行きのバスに乗ったわたしを見送る、痣の消えた顔は、とっても喜んでた。死んでこいとでもいわんばかりだった」

 わたしもみんなもなにもいえずに聞いていました。霞ほどではないにしろ、だれもが恵まれた境遇とはいえませんでした。幸福な家の女の子が艦娘になんかなるわけないからです。

「深海棲艦のせいでお酒に溺れたお父さんに毎日のように殴られて、お母さんに人殺しにさせられて、艦娘学校でつらい訓練ばかりやらされて、幸せの意味もわからないまま、この辺鄙な島で死んでしまったら、わたしの人生は一体なんだったの? なんのために生まれてきたの? わざわざ死にに行くなんて生命の本質に反してる。生きようとする本能が間違ってるわけない。わたしは生きたいの。生きて日本に帰って、ひとりの人間として幸せになりたい。わたしは死にたくない。生きて帰りたい」

 怨念にも近い、生への執着です。生きたいと願うのが正しいのか、死ぬために戦うのが正しいのか、わたしにはわからなくなりました。

「そんなに日本に帰りたい?」

 じっと黙っていた風雲さんが口を開きました。

「ええ、帰りたい。絶対に帰りたい」

「そうよね、だれだって帰りたい。そんな、だれもが帰りたいと思う日本を守るために、日清日露以来、これまで数えきれない人間が命をなげうってきたのよ。彼らがいなければわたしたちは帰る祖国を失ってた。あなたもわたしも生まれてすらいなかったかもしれない。そしていまは、わたしたちが彼らにならなければならない」

 霞は、はっとしたような顔をしていました。わたしもおなじような顔だったに違いありません。

「相応しい時機と場所に相応しいものが居合わせるなんて偶然は、ありえない。たまたま居合わせた人間が相応しいものになるしかないのよ。そしてわたしたちは悲しいことにぴったりと戦争の時代に生まれついてしまった。不遇の世代といえばそれまでだけど、深海棲艦に屈して、幸せに暮らしていけると思う? 言葉さえ通じない深海棲艦なんてものが、降伏なんて受け入れてくれると思う? 打って出ればたしかにみんな死ぬでしょう。でもわたしたちが死を恐れて逃げてしまったら、生まれるはずの命が生まれなくなってしまうかもしれない。だれもが帰りたがる祖国をこの地球上から失う結果に繋がってしまうかもしれない。わたしたちは、かつての戦争で散って祖国を守ってくれた先人たちの献身の延長線上にいる。なぜ彼らは涙を呑んで死んでいったのか。また国難が訪れたとき、自分たちが命と引き換えに守ったことで産声をあげた未来の世代が、おなじように命を懸けてこの国を守ってくれると信じていたからよ。彼らはまだみぬわたしたちにすべてを託して殉じていった。わたしたちは、次の世代のために生かされている」

 風雲さんの言霊(ことだま)に、霞は嗚咽をもらしました。わたしやほかの艦娘たちも涙ぐんでいました。突っ込もう、華々しく散ろう、笑って死のうと口々に決意表明しました。霞も最後には同意しました。

 翌日の斬り込みのとき、事前に打合せしていたとおり、みんなで照明弾を上げました。自分の真上に。わたしたちはここにいるぞ、逃げずに斬り込みをかけているぞ、ということを遠くにいる味方にみせたかったんです。

 先陣を切ったのは風雲さんです。地を覆いつくさんばかりの駆逐イ級の圧倒的物量にも恐れることなく突っ込んでいきました。

「懐に入ってしまえばこっちのもの」

 風雲さんはすみやかに彼我混淆(こんこう)の状態へ持っていきました。腕を食いちぎられても意に介さず入り乱れて暴れまわります。たちまち敵は混乱に陥りました。同士討ちまで演じる始末です。わたしたちも大いに勇気付けられて続きました。先に死んだほうがあの世で先輩になる、向こうでこき使ってやると、だれが一番乗りで轟沈するか争っているようでもありました。

 意外だったことが三つあります。ひとつは、前日に生への執着をみせていた霞がわたしより前に出ていたことです。

 ふたつめは、激戦のさなか、砂塵と砲煙と敵の向こうから断末魔の悲鳴が聞こえました。姿はみえませんが、それは間違いなく風雲さんのものでした。でもわたしは耳を疑いました。

「ママ……」

 わたしたちをここまで引っ張ってきてくれた、勇敢な、尊敬する旗艦である風雲さんの最期の言葉が、そんな泣き言だなんて。

 もうひとつの意外なことは、わたしがまたしても生き延びてしまったことです。

 前しかみていなかったものですから、足を踏み外して、ちょうど塹壕のようになっている溝に落ちてしまいました。一瞬、ここでじっとしていれば助かるのではないか、という考えが頭をよぎりました。自己嫌悪に陥り、もう一度わたしひとりでも特攻しようと溝から様子を伺ったのですが……できませんでした。見渡すかぎりの敵、敵、敵。蒸し暑いはずなのに歯の根が合わずにがちがちと鳴りました。さっき目の当たりにしながら突撃しようとしていたのに、おなじ光景だとは思えませんでした。一度命拾いしてしまったものにはもう二度と戻ることのできない光景です。霞のいっていたとおり、生への渇望は人間だれしも持っているものです。死にたくなんかない。油断すると人間はすぐ助かろうとする。だから愛国心や敵愾心や闘争心でごまかしているうちに突っ込むのですが、なにかの拍子で死に損なって、数秒でも冷静になってしまうと、まるで麻酔が切れるように、抑え込んでいた生存本能が間欠泉となって噴出します。そうなるともうどうしようもありません。

 わたしは背を向けました。風雲さんやみんなが玉と砕けた場所から、敵から。

 みつからないように溝から上がると、ちょうど死角になるところで霞が倒れていました。重傷でしたが息があります。モルヒネを打ってあげると意識を失ったので、彼女を担いで複郭陣地へ後退しました。 まだわたしと霞はほかの艦隊と合流すれば戦える、戦力集中の原則からいえばひとりで突撃するより戦果を挙げられるに違いない、そのためには霞も後送してやらなければならない、だからこれは逃げじゃない、逃げてるわけじゃない……そう自分に言い聞かせながら、わたしは逃げました。みんなでいっしょに死のうと誓ったはずなのに。

 

 懺悔にも等しい元朝潮の告白だった。

「敵前逃亡か」

「敵前逃亡です」

 元長波に元朝潮はためらうことなく答えた。軍の前身である自衛隊では敵前逃亡の刑事罰は最大でも懲役七年だったが (自衛隊に軍事法廷はなく、自衛隊内の犯罪者は民間人同様に送検され、通常の裁判所で裁かれていた)、現在では死刑または無期懲役の重罪である。

「敵前逃亡だったと客観的に立証ができるか?」

「いまとなっては」むしろ無念を元朝潮は浮かべた。「無理でしょうね」

「なら、無罪だ。敵前逃亡だったと証明できなければなにものもおまえを裁けない」

「法的にはそうです。でもわたしは、わたしがしたことを永遠に忘れてはくれないでしょう」元朝潮は無意識に下腹部をさすっている。

 

 22連艦隊第2大艦隊のような悲劇が最前線の方々で起きた。あとには引けないと、幕僚会議は総攻撃の続行を命じた。今度こそはうまくいくはずだ。次こそは勝てる。もう一回やれば……。しかし反復攻撃をすればするほどわがほうの出血ばかりが増加した。

 五月五日、それまで口出ししてこなかった司令官はついに総攻撃の中止を命令した。男性幕僚長は非憤の涙に暮れた。

 第24海上師団は三分の一の艦娘が轟沈するか重傷で患者収容隊に収容されるかしている。第64海上師団は艦娘の数が十分の一にまで落ち込んでいた。歴戦の独立混成第44海上旅団も無謀な突撃を繰り返し命じられた結果二分の一に減少した。ぶじな師団は北部山岳地帯を守る第28海上師団だけだ。

 ことに痛かったのは戦艦娘戦隊で、弾薬をほとんど使い果たし、以降は一日一隻あたり十発内外に制限しなければならなくなった。それでも五月を持ちこたえられるかわからない。ジャム戦では戦艦娘の統一射撃が多大な効果を挙げていたことを鑑みると、もはや32軍は再度の攻勢どころか持久作戦さえ遂行しえないほどに磨滅していたといってよかった。

 敵は数をたのんで全線を押し進めてくる。どこかに穴をみつければ洪水のようにそこから一気になだれ込んでくるだろう。守る32軍も島の東の端から西端までまんべんなく防衛線を張るしかなかった。火力の密度は低下し、敵は勢いづいた。前線は司令部壕のあるハナンの北一キロにまで迫っていた。

 五月上旬から猛攻撃を浴びながらも各艦隊は善戦敢闘したが、戦線は至るところで破られ、深海棲艦の突破を許した。

 五月二十一日、とどめを刺すような最悪の報せが首脳部へ届く。偵察によると敵は司令部壕西方わずか一・五キロの52高地を占領し、戦艦棲姫五十隻、戦艦水鬼二十隻、戦艦仏棲姫十隻が同地へ向けて目下移動中とのことだった。到達予想は四日後。攻撃がはじまればいかに天然の掩蓋で覆われているとはいえ壕は山ごと吹き飛んでしまうだろう。司令部は陥落の一歩手前にあった。

 同日夜、幕僚たちは南部のニャヤキ半島イヌバム岳への撤退を決した。

 現戦線での火網は網の目が大きい。だから敵の突破を許す。狭小な地理へ集まれば網の目を小さくできる。島は海に近づくほど陸地が狭まる。南の海にのびるニャヤキ半島を拠点とすれば東西の戦線を縮小させ、火力の密度をあげることができよう。

 消耗した戦力に見合うよう戦線を緊縮すれば、わが軍はまだまだ戦える。ニャヤキにまで退けばあと一ヶ月は抗戦できるはずだ。敵の配兵をみよ。早々の玉砕を避け、最後のひと息までも戦略持久を続け、一日でも長くこのジャムにひきつけておけば、それだけ敵の有力な艦隊の本土指向を遅らせることになる。敵が重畳な戦力を割いたのはひとえにわが軍が容易ならざる相手とみてのことである。かくなる上はどこまでもしぶとく、粘り強く、敵のジャム攻略を手間取らせてさらなる浪費を強要することが、32軍のとるべき決心と思う……。男性幕僚長もことここにいたって前任者の立てた戦略持久がいかに戦理を見透し、最善を尽くしたものであったかを痛感したが、遅きに失したようである。すでに軍の主力は尽き、ジャムの命運も旦夕に迫っている。

 ともあれ南部のイヌバムには本来24海上師団が入るはずだった洞窟陣地があり、しかも増援の受け入れを予想して三個海上師団相当の人員を収容しうるよう構築されているので、司令部を移すには適当である。山岳地帯であるから身を隠すにも好都合だった。最南端となるニャヤキ岬は海から三、四十メートルも切り立った断崖が連なっているため背後を衝かれる恐れはない。ただし自ら退路を絶つことになる。まさに背水の陣である。

 問題は島の南に三十万ものジャム島民が疎開していることだった。南には司令部があるから安全だと考えたのだ。敵の砲爆撃であらゆる輸送機関が徹底破壊されていたため逃げようにも逃げられないという事情もあった。いまから北部へ疎開しようとしても深海棲艦の群れのなかを突き抜けることになる。

 32軍の後退作戦については、南下する戦場に巻き込まれ、民間人に多くの犠牲者を出したとして、ジャムからは現在にいたるまで強い非難が聞かれる。南進してくる深海棲艦の砲火に脅かされ、ついにはニャヤキ岬の断崖絶壁に追いたてられて、痛ましい結果を招いたことは事実である。ジャム島民の犠牲者三十万二〇〇〇のうち七割はハナン戦線崩壊後、撤退中に生じたものだった。

 軍司令部は艦隊を一兵までも間違いなく後退させることに専念していた。損耗したとはいえ撤退の兵は艦娘、支援部隊あわせて五万はいる。戦うには少ないが末端にいたるまで掌握して移動させるには手に余る。戦場怱忙(そうぼう)の間、幕僚らは目前の撤退作戦の立案と遂行に追われ、島民を顧みるいとまもなく、自主避難に任せる以外になかった。

 なかには軍の構築した洞窟陣地に避難している島民も大勢いた。男は若者を中心に野戦築城隊や砲弾運び、通信兵として軍に雇用され、前線の各陣地で艦娘たちの戦闘を縁の下から支えている。女学生や独身女性は烹炊婦または野戦病院で救護要員に動員されていた。

 

「いずれも裏切るとか逃げるとか、そんな言葉すら知らないんじゃないかってくらい純粋な人たちだった。さっさと逃げりゃいいものを、敵の艦砲で洞窟がガンガンぶっ叩かれて天井から砂がササラになってこぼれてるなか、顔のドロも拭かずにわたしたち負傷者の世話に走り回ってくれた。食糧不足でひとり一日握り飯一個に制限されても、嫌な顔ひとつしない。ここも戦場になるからいまのうちに逃げたほうがいいよって、学徒看護婦たちにいったら、いまさら自分たちだけ帰る法はありません、これもなにかのご縁なのですから最後までお供させていただきますって異口同音に言い張るんだ。健気なもんだよ」元長波が述懐する。

 

 現地雇用の通信兵は向こうにたどり着ける確率が十分の一だから一度に十二、三人出してひとりでも安着できればいいという苦肉の策だったが、彼らは死力を尽くしてくれた。通信が断線不通にされていく末期のジャムでは伝令が唯一の連絡手段となりつつあった。

 

「わたしたち24海上師団が後退すると知って、ジャムの男の人たちが撤退を手助けしてくれました」元朝潮の顔には後悔が色濃い。「いえ……手助けなどというものではありません。犠牲です。自分たちが深海棲艦の注意を惹きつける、そのあいだに部隊を後退させてくれと……わたしたちはその提言を断固として撥ねつけるべきだった。でも海上師団の幕僚は受け入れてしまった。志願者のなかにはわたしたちと変わらない年頃の少年までいました。わたしはこっそりといいました。“どうかあすの朝、みなさんで逃げてください。だれもあなたたちを責めたりしません。あなたたちがこんなことをする必要はないのですから”。男性のひとりがいいました。“われわれだけでは島は一日で全滅していた。あなたたちにはわれわれの故郷を守る力がある。あなたがたを守ることが、ひいては島を守ることになるんだ”。みんな、晴れ晴れとした表情でした。その表情が忘れられません。彼らは“やっと日本軍の戦いに協力できる”という顔をしていたんです。どうしてそんな……わたしたちはジャムの人々を守りにきたんです。けっして、その逆であってはならないんです……けっして……」

 成人男性たちは、みな一様に「妻子を頼む! 娘はあなたと同い年なんだ」といい、少年たちは「お母さんをお願いします」「カンヅメ、おいしかった。ありがとう」といって、あの朝、雑多な農具を手に出発した。一時間もしないうちに彼らは全滅し、その隙に24海上師団の撤退が完了した。

「わたしたちをほんの数キロ逃がすためだけに、大勢のジャム島民が自ら望んで深海棲艦に向かっていって、死んでいったんです。深海棲艦の気を逸らすためだけ、ほんの数十分足止めするためだけに……」

 

 そうして洞窟に残っているのは雇用の対象外となった老人老女、幼い子供とその母親たちである。多くは軍に雇用された青年隊の家族だった。一家の主柱や強健な若者を失いでもしたらたとえ戦に勝ったとしても路頭に迷う。

 死なばもろともという気持ちから南部に留まった家庭も少なくなかった。これにはジャム特有のムンチューと呼ばれる血族的紐帯の強靭な家族意識のゆえもあった。家族を置いて逃げることはジャムでは罪悪とみなされていたのである。だから煮炊きの道具や食料、布団などを持ち込んで洞窟にひそみ、びくびくと怯えながら過ごしていた。

 そんな避難民があちこちの洞窟に何万といる。今度の陣地こそ墓所という決意で後退してきた兵団が入ってみたら島民が籠っていたということもあった。軍がハナンを放棄したことで南へ避難する島民はますます増える。兵団が入りきれない場合はやむなく島民を追い出す事例さえみられた。

 拠るべき隠れ家を奪われた住民たちは剣電弾雨のなかを彷徨するしかなく、進撃する深海棲艦にみつかっては大地を血で染めた。深海棲艦に捕虜の概念はない。人間とあらば見境なく血祭りにあげてしまう。幕僚らも重々承知していたが、あくまでも軍は作戦が主務であるため、民間人の保護を切り捨てざるをえなかった。

 

 司令部撤退にともない、各部隊の野戦病院も南へ下がることになった。「歩けるものは各自、持てるだけ医療品を持っていくが、重傷患者は壕に残して処置せよ」との命令が示達された。元長波が収容されていた病院壕も同様だった。

「衛生隊や従軍看護婦たちが荷物をまとめて壕を出ていくさまをみて、足を切られた磯波が、ひきつった笑いを浮かべて“わたしたちは一体どうなるんですか”って問いかけてた。歩けない艦娘のなかには、“おしっこがしたいよ、看護婦さん、看護婦さん”って、つまらない用事をつくってなんとか引き留めようとしたり、涙ながらに壕を後にする従軍看護婦の背中に向かって、“おまえらのために戦ったんだぞ、おまえらのために!”なんて怒鳴る奴もいた。歩けやしないんだから連れてくわけにもいかない。そのまんま置いといても飢えるか渇くか傷病の悪化で死ぬか、深海棲艦に殺されるかのどっちかなんだから、ひとおもいに死にたい奴はこれで死ねってことだったんだろう、主任軍医は青酸カリを溶かしたミルクを配った」

 南方の陣で飲む牛乳は生温かく、衛生的にも不安があったことは間違いない。しかし水よりも腹持ちがよく栄養のある牛乳はそれらの欠点を補って余りあるほど艦娘たちから人気を集めた。ジャムでは鶏卵と名産の黒砂糖を混ぜてミルクセーキにしてこっそり楽しんでいた艦娘もいた。牛乳は艦隊に欠かせなかった。その牛乳が凶器に変えられたのだった。

「空き缶やら飯盒の蓋やら、液体を入れられるもんなら片っ端からかき集めて、重傷艦娘の枕元に置いてった。わたしも手伝った。で、軍医がヤカンでミルクを注いでいく。傷の痛みでうめくのに精一杯で気にも留めない奴、“これが人間のすることですか”って泣き叫ぶ奴、悲運に咽び泣く奴。いろいろいたよ。くだんの手足がない長波にも入れ物を配った。その長波は、裏切り者をみるような顔をして、わたしにいった。“日本のためにって煽られて、こんなくそみたいな島で捨て駒にされて、それでも一所懸命に戦ってきたあたしたちに、こんな仕打ちをするのか。なにが日本だ、なにが日本海軍だ”。それから顔をくしゃくしゃにして、懇願した。“なあ、おまえも長波だろ、一緒に連れていってくれよぉ”。わたしは気がついたら壕から逃げ出してた。あいつにない足を使ってね」

 この頃からジャムは雨季に入った。例年より遅れたぶんを取り戻すように篠突く豪雨が続いた。突風も吹いて雨はしばしば横殴りになる。砲撃で荒れ果てた山は保水力を失っていて泥の流れを生み、道路は泥河と化した。ずぶ濡れになりながら、あるいは泥まみれになりながら、五万の兵が撤退をはじめた。さながら都落ちのような光景だった。

 野戦病院の撤退は輪をかけて悲惨だった。泥の海に足をとられる。開いた傷に泥が入る。足もないのに這って()いてくるものがいる。五体満足だが体力が尽きて泥に沈んでいるものがいる。「だれか、助けてください。この艦娘さんはまだ戦えます」。従軍看護婦が半死半生の艦娘に肩を貸しながら叫ぶが、だれも耳を貸さない。看護婦は重さに耐えきれず艦娘ともども倒れてしまう。そのそばを元長波は歩いていく。何度も振り向く。手足のない長波が撤退の列にいないかどうかを確かめるために。

 荒天によりさしもの敵も偵察機を飛ばせない。それを狙っての雨中撤退作戦だったが、裏目に出た。深海棲艦は石油精製の過程で脱硫のために水素を必要とする。海でなら海水というかたちで無限に水素を補給できるが、陸上では水源を確保するか体内に貯蔵した水に頼るしかない。陸上の深海棲艦が無補給で活動できる限界はおよそ二十四時間とされている。そろそろ第一線の深海棲艦は補給が追いつかず水が枯渇しはじめる頃合いだった。そこへ一週間以上ものあいだどしゃ降りの雨が続いたのである。深海棲艦の追撃に拍車がかかることになった。

「もしかしたら、深海棲艦はジャムが雨季に突入する時期を見計らって上陸したのかもしれません」

 元朝潮が呟く。元長波は「かもな」と同意する。32軍は賭けに負けたのだった。

「六〇〇〇人。この数字がなんだかわかるか?」

「自決した重傷艦娘の数、でしょうか」

「そうだ。わたしたちが、いや、わたしが見捨てた艦娘の数だ。いまからタイムスリップでもすれば、みんな助けてやれるんだろうけどな」

 益体もないことを二十数年も考え続けている。

 それは元朝潮も変わらない。

「自己生存を優先するあまり、救えたはずの命を見殺しにしたのではないか、もっと最善を尽くすべきではなかったか、いまでも悔やまれてなりません。軍法会議にかけられる夢をみたこともあります。わたしを審理にかけているのは、片腕のない風雲さん、手足の関節があらぬ方向に曲がって破れたお腹から内臓をこぼしている親潮ちゃん、全身に大火傷を負った早霜ちゃん、顔の上半分を包帯で覆って手榴弾を握っている旗風さん、顔も体もひどく損壊した萩風さん、首のない天霧さん、頭がぺちゃんこになっている狭霧さん……みんながわたしを責め立てます。どうして助けてくれなかったの、どうして一緒に死んでくれなかったの、と」

 

 元朝潮は何年か前、電車に乗っているとき、ひとりの女性から声をかけられた。「朝潮さんではありませんか?」。元朝潮は、「元ですが」と答えた。女性は「わたしです、鬼怒です。いまはわたしも元ですけど」と自らのシリアルナンバーを(そらん)じた。元朝潮もいぶかしみながら現役時代のシリアルナンバーを返した。

 元鬼怒だという女性は随喜にほほを赤らめ目を輝かせた。

「やっぱり、わたしの知ってる朝潮さんです」

 その元鬼怒はかつておなじ艦隊を組んだ僚艦だった。軽巡だが後任だった。

「Erehwyna島上陸作戦で、重傷を負い意識不明になったわたしをあなたが硝煙弾雨のなかひとりで後送してくれたと聞きました。その後わたしは異動になって、そのまま戦争が終わり、お礼を述べることもできずじまいでした」

 聞きながら元朝潮は、たしかにそんなこともあったとぼんやり思った。いわれなければ一生思い出さなかったはずだ。元鬼怒はそばの座席に座っていた男性と男の子を呼んだ。夫と息子だという。

 元鬼怒は、紹介しながら笑顔を浮かべていたが、やがて目に涙を滲ませた。

「あのときあなたに助けられていなかったら、わたしは生きて終戦を迎えることなどできなかったでしょう。この子だって生まれてなかった。あなたはわたしと、この子の、命の恩人なんです」

 家族三人は元朝潮に深く頭を下げた。元朝潮は居心地が悪かった。顔をあげた元鬼怒は続けた。

「あのあとわたしなりに当時の資料をかき集めて調べました。読めば読むほど、自分がこうして生きていられることが、いかに奇跡的なことか思い知らされました。わたしだって報告書に目を通せば当時の状況は手に取るように把握できます。シミュレートしました。敵味方の配置、地形、戦場を構成するあらゆる要素を踏まえれば、わたしは本来なら見捨てられていて当然でした。それをあなたは、わたしを救い、自らも生き残った。震えがきました。もし逆の立場なら、わたしはあなたになれていただろうかと」

 元鬼怒の顔には畏敬の念さえあった。

「ひとりの人間として、艦娘だったものとして、あなたに満腔(まんこう)の敬意を表します。本当に、ありがとうございました」

 完璧な敬礼をされた。元朝潮も反射的に立ち上がって答礼した。乗り合わせた乗客たちからは拍手が起きた。

 

「その元鬼怒さん本人に会うまで、彼女のことなんてすっかり忘れていました」

 元朝潮は元長波に語った。

「もしかしたら、わたしにはあの鬼怒さんのほかにも助けた艦娘がいたりするのかもしれません。でも、夢には助けた艦娘は出てきません。出てくるのは、助けられなかった艦娘たちばかりです」



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十四  あしたを探せ

 五万のうち、ニャヤキ半島へはわずか二万しか撤退できなかった。

 雨で水素を補給できた深海棲艦に予想よりも深部まで侵攻されたうえ、連絡ミスにより、ウコロ地区を守備する独立混成第59海上旅団が予定より七日も早く後退をはじめてしまっていた。食い違いが発覚したときには後の祭りで、独混第59海上旅団はもとの陣地を破壊して新陣地に移ったあとだった。ウコロ地区が空っぽになったことで左翼がもろくなった。深海棲艦は抵抗にあうこともなく快進撃を果たした。これらの事由により退却の際に三万人もが取り残され、あるいは捕捉されて死傷して身動きがとれなくなったと考えられる。

 ニャヤキ半島に配備された二万の陣容も、大半は艦娘の後方支援部隊、つまりただの人間であり、精鋭の第一線級の艦娘は失われ、いずれの連艦隊も実力は一個中艦隊なみ、二割に満たなかった。

 長距離から攻撃していた戦艦娘戦隊の損耗は存外に小さく、半分は残っていた。長門型が数隻無傷で温存されていることは救いといえた。しかし通信機能が極端に低下し、無線も電話も通じず、決死の伝令を走らせても一回の弾着観測に一日かかり、制空権を奪われた状態では観測機も飛ばせないので、有効な火力を展開することは叶わなかった。32軍はもう組織的な兵の運用はできないというところまできていた。

 敵の攻撃はいよいよ加速度的に熾烈を極めた。ろくな戦力が残っておらず太刀打ちできない艦娘たちは洞窟内へおしこめられ、火炎放射で非戦闘員ともども焼き殺されたり、馬乗り戦法からの硫化水素で部隊ごと全滅していく。

 

 ニャヤキ半島各地で戦線が崩壊するなか、奇妙なうわさがあちらこちらの壕でささやかれるようになった。洞窟で息をひそめていると、外から艦娘のものとおぼしき声がする。助けに来たから出てこいというような内容だったらしい。天祐神助と住民たちが感涙に咽びながら出ていったら、見渡すかぎり深海棲艦の群れがいて、唖然とするひまもあらばこそ、激烈な掃射を浴びたのだという。

 元朝潮も新たに指揮下に入った海上歩兵第89連艦隊第1大艦隊とともに隠れる洞窟で、実際にその不気味な声を耳にした。

「ジャムで公用語として使われる、いわゆるピジン英語でした。でも最初はそれだとわからなかった。言語だとすら認識できませんでした。あまりに抑揚がなくて、話者本人が言葉の持つ意味を理解できていないかのような発音だったからです。女性のようなその声は、日本語でいえば、“オーイ、ダレカイナイカ、タスケニキタゾ”といっていました。島民のひとりが出入口に駆け出そうとしたのを下士官が引き止めました。ええ、そのときわたしたちは、大勢の民間人と同居していたんです。みんな行く場所がなかった。彼らも、わたしたちも。声を怪しんだのは、うわさを聞いていたこともありますが、喋り口が平坦すぎて無機質だったということもあります。わたしたちは様子を伺いました。声は続いています。“オーイ、ダレカイナイカ。タスケニキタゾ。オーイ、ダレカイナイカ。タスケニキタゾ”……」

 オーイ、ダレカイナイカ。タスケニキタゾ。

 オーイ、ダレカイナイカ。タスケニキタゾ。

 オーイ、ダレカイナイカ。タスケニキタゾ。

「まるで笑い袋のように、一言一句おなじ文言をひたすら繰り返しているんです。背中に冷や水をかけられたようでした。声は何度もリピートしながらやがて遠くなっていきました。みんな青ざめて、声が聞こえなくなったあとも、しばらくはなにもいえませんでした」

 人型の深海棲艦は、人間に酷似した咽喉構造と舌を持つ。よって人間のように音声言語を発音することができる。しかし深海棲艦が人語を解して人間と意志疎通を試みたという公式の記録はない。インコやオウムがそうであるように、深海棲艦は覚えた音をただ再現しているにすぎず、そのためおなじ言葉ばかりを機械的に発音するのみとされる。

 ジャムの掃討にかかった深海棲艦は、32軍や島民らが隠れている無数の洞窟の複雑さと捜索の困難さに手を焼き、言語を用いた欺騙でおびきだす搦め手を編み出したようだった。総当たりでパターンを試行しているうち、もっとも効果が高いと判断された音の連なりが「タスケニキタ」だったらしい。

 

「わたしが入った洞窟も地方人で溢れてて、むしろこっちが間借りしてるような感じだった。幼い赤ん坊を抱いた母親とか、枯れ木みたいな年寄りとか。艦娘は嵐や敷波たちがいた」

 元長波が記憶の鍵を開けていく。

「その嵐はちょいと変わった奴でね、自分のことを俺っていってた。もちろん女だよ。わたしは気にしなかった。人間なんていろいろいるもんさ。田舎じゃ婆さんなんかが俺俺っていうしな。でもまあ、からかうことはあったんだよ、初対面のときに、“あんた、性別をごまかすために、自分で出生届を出しに行ったんだってな”って冗談でいったんだ。そしたらその嵐は答えて、“なんでそのことを知ってんだよ”って混ぜっ返してきやがった。満座は大爆笑さ。人好きのするいい奴だった」

 だから洞窟で再会したときも、心強かった。

「命令がくるまで地方人たちと肩を寄せあってひそんでた。何日も何日も。じっとしてても腹は減る。地方人がなけなしの甘藷(かんしょ)を分けてくれたりしたけど、とても足りない。お母さんは乳飲み子に飲ませるお乳もでなくなってた。わたしたちは交代で敵機にみつからないように壕外で食えるもんを探した。オオトカゲなんか捕れたら大騒ぎよ。コバルトブルーできれいだったな。でもみんなで食べるからあっという間になくなる。なにも食べない日もあった。発電機も動かないから昼でも真っ暗。そんな穴蔵でひねもす腹空かして、一匹のネズミを奪い合ったりして、自分の小便を飲んでなんとか喉の渇きを癒すんだ。小便も出したては臭くなくて豆を煮たみたいなにおいだから思いのほか抵抗なく飲めた。えり好みしてられなかったけどね」

 生きる以外になにもすることがなかった。

「四六時中絶えないせいで環境音になってしまった敵の砲爆撃の音を遠く近くに聞きながら寝るしかなかった。でも下がごつごつした岩肌だろ、体が痛くなって、すぐ起きてしまう。空きっ腹がつらいからまた目をつぶる。起きてるのか眠ってるのか自分でわからない日も」

 

 洞窟で過ごしていたある日、元長波は名前を呼ばれて、水底から浮かび上がるように目を覚ました。忘れかけていた本名だった。長波を拝命してまだ二年なのに、ひどく懐かしい名前のように思えた。彼女は机に突っ伏して寝ていた。机にはよだれの水溜まりができていた。通い慣れた小学校の教室では、黄昏に染まりながら同級生たちが下校の準備にとりかかっていた。仲のよい子たちが一緒に帰ろうと元長波を誘ったのだった。元長波はあわてて口を拭って応じた。自分がすでに小学校を卒業している矛盾にも気づかない。

 寄り道などして帰宅すると、母が温かい料理をつくって待っていてくれた。父や兄たちもいた。食卓の上は好物ばかりだった。腹を満たしたのち、熱い風呂に入り、ふかふかの布団に包まれて眠りについた。

 次に目覚めると、目の前は黒一色だった。目を開けていても閉じても変わらなかった。ふかふかの布団は? 家は? 母は、父は、兄たちはどこに行った? ご飯は? 学校は?

 無造作に振った左腕が固い岩にぶつかった。痛くて右手でさすろうとしたら、左腕が短かった。手首から先がなかった。

 読経のようなうめき声を耳が捉えるようになって、元長波はうろたえた。嵐に「あんまり騒ぐと体力を消耗するぞ」と忠告された。意識が覚醒するにつれて暗黒の坑内でもおぼろげにものがみえるようになった。そこは家でも学校でもなかった。負傷者と飢餓が充満する、敗走に敗走を重ねてたどり着いたジャムの洞窟だった。これが現実か? いまの幸福な光景はただの夢だったのか? 嫌だ、こんな現実は嫌だ。この暗く悪臭のたちこめる洞窟のほうが夢だ。夢なら醒めてくれ。ぐるりと取り囲む岩盤の消失と故郷の風景の展開を願ってむき出しの岩肌をかきむしった。爪が何枚か剥がれたところで嵐に止められた。彼女は嵐の胸に顔を押しつけたまま、どうしようもなく涙をこぼした。

 精神が凪いでいる日もあった。そういうときは、無聊(ぶりょう)を慰めるためにほかの艦娘たちと歌を歌うこともあった。

「ささやくような小声だけどね。『素直になれなくて(Hard to Say I'm Sorry)』とか、『やさしく歌って(Killing Me Softly with His Song)』とか、『ラ・イスラ・ボニータ(La Isla Bonita)』とか。せいぜい背伸びしてね。傑作だよな、美しい島(ラ・イスラ・ボニータ)なんて……。あの嵐は歌がうまかったなあ。島民たちも英語の歌を覚えはじめたころ、わたしたちの壕にも、例の声が響いた」

 オーイ、ダレカイナイカ。タスケニキタゾ。……

「みんな歌をぴたっとやめて、息も殺して、いっさい音をたてないようにした。ほかの音といえば遠い砲声だけ。でもそれはすっかり聞き慣れてたからね、自分の心臓の音のほうがうるさかったよ。とにかく気配を消した」

 頬杖をつく元長波は遠い目をした。

「異様な緊張感に耐えられなくなったんだろうね。赤ちゃんが泣き出したんだ、地方人の。赤ん坊の泣き声ってのはどうしてああも響くんだろうな。お母さんがあやしても泣きやまない。泣くのをやめさせようとして赤ちゃんが泣きやむんだったら世界はもっと平和になるよな。赤ん坊は泣き続ける。どうしたか」

 元長波の瞳は現在ではなく、二十八年前の地獄を映している。

「母親がね、赤ん坊の鼻と口を手で塞いだ。突然のことでわたしもほかのみんなもどうしていいかわからなかった。敷波は母親の凶行をやめさせるべきかどうか判断に迷ってた。わたしがみたのは、母親が鬼のような形相で赤ん坊の息を止めさせてる光景……あんなの、この世の光景じゃない。赤ちゃんの手足が動かなくなって、顔がだんだん紫色になっていく。嵐は自分の口を両手で覆って悲鳴を押し殺す……」

 坑外からの声も遠ざかった。壕には静謐が戻った。こうするしかありませんでした。母親は亡霊のような顔で呟くと、息絶えたわが子を抱きあげてすすり泣いた。いたたまれなくなった元長波はその壕を後にしたという。

 

 元長波は単身でジャングルを放浪した。行く当てもなかった。食糧が尽きて空腹に耐えきれず未熟な芋を掘って生のままかじっては消化不良による腹痛と下痢に悩まされた。トカゲを夢中で追いかけて骨ごと食らい、森林棲の巨大なコオロギや三葉虫みたいなゴキブリも構わず口に放り込んだ。しかし変温動物は恒温動物にくらべカロリーが低い。重い艤装を背負う十四歳の体は栄養失調と脚気でみるみる痩せ衰えていった。

「森深く静かで平和な島ってやつだ。遠雷みたいな砲声がたまに聞こえるくらいで、昼でも薄暗いジャングルはあらゆる動植物が平常運転、戦争なんて別世界のできごとみたいだった。ここでくたばるのも悪くない、なんて考えたのも、一度や二度じゃない」

 ジャングルを何日彷徨したかわからない。二日か三日か、一週間か。その日の食物を確保するだけの野生動物と変わらない日々だったと彼女は振り返る。

「現在地もわからないくらいほっつき歩いてたら、艦娘たちが何隻も木々にもたれかかってるとこに出た。自分が艦娘だってことをようやく思い出した。とはいえみんな満身創痍だよ。籠ってた洞窟が深海棲艦にみつかってナパームで大火傷しながら逃げてきた奴とか、最後の総攻撃で原隊が崩壊して司令部と連絡もとれないままここまで敗走してきた奴とか……雨と熱射を梢々がさえぎってくれる密林に自然とたどり着いたらしい。ほとんどの奴が下を穿いていなかった。みんなひどい下痢をしていたから。弾薬も医療キットもない、糧秣(りょうまつ)もない、死に体の集まりだった」

 もともと糧秣の糧とは兵士の食糧を、秣は馬匹の飼料を意味する。馬は第二次大戦まで重要な兵器であり輸送機関だった。艦娘が糧秣という場合は自身の食糧と寄生生物に与える重油を指す。干渉波を発生させる寄生生物は艦娘にとってかつての騎兵隊の馬に相当する。重油が尽きれば艦娘を宿主としている寄生生物は機能不全に陥り、深海棲艦との戦闘は不可能になる。

「だれもが、水をくださいだの、食べ物をくださいだの物乞いして、雨と泥に濡れたせいで化膿した傷に蛆をびっしり湧かせて、痩せちまってあばら骨が浮いてた。沖波なんか耳のなかにでかいマダニが何十匹もとりついて(あな)が塞がれちまってるってのに、取る気力もないみたいだった。だれかが、お母さんのご飯が食べたいよう、なんて泣き言をいうたび、食いもんの話はするなって怒声が飛ぶ。実際、食べ物の話題は気が滅入ったからね。靴をしゃぶってる初風もいたな。そんななかに、深雪をみつけた」

 彼女の小艦隊の深雪だった。右足を骨折しているらしく添え木がされ、右腕は肘から先がなかった。包帯は血と膿と泥と垢で汚れ放題だった。「おう、生きてたか」。深雪は樹木に背を預けたまま首を巡らして、無事な左手を應揚に掲げ、かすかに笑った。その動作が傷に障ったのかすぐに顔を歪めた。元長波は包帯の交換にかかった。

「わたしは左手を取られました。だからふたりで一隻ですね」「いうねぇ、こいつ」。世話を焼いた礼にと煙草の箱を差し出された。箱は尻が破られていた。オムツが切れたあとはそこらで用を足すしかない。尻を拭く紙もなかった。「だから触んのは先っちょだけにしときなよ」。深雪はかすれた声でいった。道理だと感心しながら、煙草の先端をつまむようにして、口にくわえた。深雪が火を点けてくれた。何日かぶりの煙草は肺臓にしみわたる味だった。ジャムのジャングルで深雪に最期まで付き添った数日のうちに、煙草を取り出すときのやむを得ない習慣がすっかり身についた。だからいまでも元長波は煙草を吸うときは箱の尻を破る。

 

「どう戦うかなんてだれも考える余裕なかった。きょうの食事をどうするかで頭が一杯だった。ここにくるまでにゴキブリ食ってたって打ち明けたら、深雪に、セミのほうが美味いよ、と教えられた」

「あの全身が若草色のきれいなセミですか?」

「それ」元朝潮に指を鳴らしてみせる。「食ってみると、たしかに風味が白身魚みたいでね。ふつうセミのオスっていうのは腹んなかがガランドウなんだけど、ジャムにいた緑のセミはオスもメスも身が詰まってて、その点でも都合がよかった。深雪のぶんも捕まえて帰った。美味しそうに食べてくれた」

 自分と深雪の食糧を調達するのが彼女の仕事となった。ほかにやることがなかった。なにかに打ち込んでいるあいだは直視しがたい現実を忘れることができた。

「サゴムシがごちそうだった」

「サゴムシ?」元朝潮も知らない。元長波は笑って解説する。

「ゾウムシの幼虫でね、サゴヤシの木のなかで、幹を餌にして育つんだ。カミキリの幼虫みたいに。倒れてるサゴヤシの朽ち木に耳を当てると、サゴムシが材を噛む音が聞こえる。叩き割ったら、出るわ出るわ、大人の男の手の親指くらいもある太った芋虫がとれる。これが美味い。噛むと皮が破れて、なかにたっぷり詰まったミルクみたいな体液がぶちゅっと溢れるんだけど、まあ濃厚でね、ほとんどクリームシチューだった。飢えてたから美味く感じられたのかもしれないけど。いちばん美味いのは頭だよ。エビの尻尾に似てるけど、さわやかな木の香りが鼻を抜けていくんだ。わたしも深雪も、サゴムシだけはいくら食っても飽きなかった」

 救援も補給もなかった。一日ごとに生存者が減った。舞風の屍肉に湧いた蛆虫を一匹ずつつまんでは口に運んでいる野分もいた。

 生きるだけで必死という状況にあっても、生活習慣として脊髄に染みついた艤装のメンテナンスを欠かさない艦娘は多かった。息を引き取った艦娘の艤装から使える部品を引き抜いて整備した。

 

「みんなはそれを近代化改修っていってたよ。共食い整備じゃ聞こえが悪いもんな」と元長波。

 

 ダニを媒介とした感染症で血が止まらなくなった沖波が死んだ。肩骨が飛び出るほど痩せ細った天津風は「お母さん……」と泣きながら自らの頸部にナイフを走らせたが、あまりに筋力が落ちていて半端にしか血管が切れず、死に損なって苦しんだ末、森鴎外の小説のように、時津風に頼んで完全に頸動脈を断ってもらった。返り血を顔に浴びて心が壊れた時津風は嗚咽をもらしながら天津風の血で濡れたナイフで自決した。二隻の死体に不知火や初風や谷風が無表情で群がって、所持品や消耗品を淡々と分けあった。近代化改修だった。おなじ陽炎型だから部品の互換性も問題なかった。

 

「ずっと狙ってたんだ。逆に不知火たちがくたばってたら、天津風はどうか知らないが、時津風はおなじことをしてただろう。使えるものをもらって、そいつのぶんまで生きる。大げさな言い方をすれば、魂を受け継いでたんだ、モノだけじゃなく」元長波に元朝潮も理解を示す。

 

 自給自足は長くもたずに破綻した。やがて一帯で息のある艦娘は元長波と深雪のふたりになった。どちらも骸骨のようになっていた。

 洞窟にいたときとおなじく、一日に何度も起きては無理矢理に眠る毎日だった。眠りから覚めるたびにここが戦地であることを再認識させられた。日本での生活が思い出されてならなかった。つらいと思っていた訓練のなんと易しいことか。狂おしいほどの望郷の念に駆られた。このジャムから六六〇〇キロ東に日本がある。そう意識すればするほど故郷が恋しく思えてならなかった。肉体が邪魔だった。死んで霊魂となれば一気に海を飛び越えて日本に帰れる。あるいは戦争などすべて夢で、死ぬことで目が覚めれば自分は日本に戻れるのかもしれない。早々に死んでいった艦娘たちがうらやましかった。退廃が近づいていた。

 

「あるときから、深雪が、“あたしを食ってくれよ”だなんていいだした。わたしは冗談だと思って取り合わなかった。冗談だと思い込もうとしたんだ。でも深雪はまたいうんだ。“あたしが死んだら、あたしを食ってくれよ”。わたしは怖くなって反論した。“じゃあ、深雪は死にゃしないから無理ですね”。その場は笑って終わるんだけど、深雪はひまさえあれば、つまり、一日中、おなじことをいうようになった」

 深雪は口癖のように自分を食べるよう元長波にいいつけた。「このままじゃ共倒れになる。だけど一隻にリソースを集中させれば、生き延びる芽はある」というのが、深雪の持論だった。コバルトブルーのオオトカゲを思い出した。あんな大きなトカゲでも壕のみんなで分ければひとりひと口にもならなかった。元長波は気休めを口にした。「二隻とも助かりますよ」。自分でも信じていなかった。虫でも爬虫類でも貪ってきたが食べ物はもう尽きかけている。最後の手段として仲間の屍肉に魅かれた艦娘はたくさんいたはずだ。だがだれも実行には移せなかった。せいぜいが舞風の腐肉をかじる蛆虫を野分がつまんでいたくらいだ。いかに餓えて見境がなくなっても人間の肉には破りがたい拒否反応がある。

 深雪はいかにして元長波に自らの肉を食わせるか、奇妙な説得をはじめた。「この世には男と女がいるわな。オスとメス。でも地球に最初に現れた生命には雌雄の別はなかったんだ。性別の概念もない。ただひたすら分裂で増殖していった。いまから二十億年前、細胞のなかに核の構造をつくらない原核生物が共生しあって、DNAを核のなかにおさめたことで誕生した真核生物だっておなじだ。真核生物の核のなかにはDNAはひと組しかなかった。増殖はやっぱり単純な分裂だけ。コピーを量産するばかりで、極めてまれに起きる突然変異でしか新しい個性は生まれなかった。進化の歩みは遅かった。でも太古の海は必要な栄養分がすべて揃ってた。連中にとっては楽園だったはずだ」。なにをいっているのかわからなかった。わからないまま聴いた。真意を尋ねる気力もなかった。

 だから、元長波は深雪の長口舌に耳を傾けた。「でも、あるとき、なにかが原因で、周囲から栄養源が失われたんだ。そこに棲んでた真核生物は多くが死滅していっただろうな。そのなかで奇怪なふるまいをする奴がでてきた。真核生物どうしが合体して一個になったんだよ。相互に足りない栄養素を補い合うための急場しのぎだった。このとき大事なのは、一個の細胞になった真核生物のなかにはDNAがふた組あることだ。やがて周囲に栄養分が戻ったとき、両者はふたたびDNAをひと組ずつ持ったふたつの細胞に別れた」。ようやく元長波は話の流れを理解しはじめた。栄養源が失われて死滅していった真核生物は沖波や舞風や野分や天津風や時津風だ。では合体して栄養素を補完した真核生物とは……。深雪が息継ぎしながら伝えた。「ひと組のDNAが合体してふた組になり、またひと組に戻る。なにかに似てるとは思わないか? おまえだってもう処女じゃないんだろ――そう、受精でDNAがふた組になること、精子と(らん)がひと組ずつのDNAしか持ってないことと、おなじなんだよ。有性生殖ってのは、とどのつまり、細胞のなかのDNAがひと組になったりふた組になったりすることなんだ。太古の昔に死をまぬかれるために緊急避難で合体した二個の真核生物こそ、有性生殖の起源なんだ。互いに助け合う、それこそが生命の本質なんだよ」。深雪の訴えは切実な響きがあった。

 元長波が黙っていると、深雪は手を変え品を変え、籠絡を試みた。「あたしはもう助からない。もって、きょう、あすの命だ。自分のことだからわかる。でもあたしを食えば、おまえはあと二週間はもつ。食わなけりゃ、五日かそこらだろう。いいか、あたしが死んだあとでいいから、あたしの肉を食うんだ。て言ってもそのままだと臭みが強くてちょっと食いづらいはずだ。あたしの肉を削いで、枯れ草で包んで、土に埋めて、二十四時間だけ待ちな。臭みが抜けて食えるようになるはずだ。その二十四時間をまえもって念頭に入れとかないと、いざってときに間に合わなくなるかもしれない、だからできるだけ早く下処理するんだよ。深雪さまのお肉だ、ちゃんと美味しく食えよ……」。しかし元長波は答えない。「血は飲むなよ。血には催吐性があるからな。コップ一杯ぶんでも吐くぞ。肉だけを食うんだ。吐いたらもったいないだろ?」。しかし元長波は答えない。「もうあたしは日本に帰れない。でもさ、おまえに食ってもらえれば、おまえの一部になる。おまえがぶじに日本に帰れたら、あたしも一緒に帰れたことになるんだ。骨とか髪とかじゃなくてさあ、ちゃんと血肉として生きたかたちで帰りたいんだよ。わかるかよ、この乙女心が」。しかし元長波は答えない。

 強情だなあ、と深雪が笑おうとして、咳き込んだ。「これ、みてみな」。いわれて元長波は首を動かす。枯れ枝のような深雪の二の腕に、軟体動物が食いついていた。ヒルだった。虎のような派手な模様が目にしみた。「食っていいよ」。元長波は遠慮なくヒルをむしりとって噛んだ。血液が口のなかで弾けた。深雪の血。石油臭い味。

 ヒルが吸っていた深雪の傷口からは血が溢れていた。ヒルの唾液で血液の凝固作用が阻害されている。血を流しながら深雪はわが意を得たりと笑みを浮かべていた。はじめてブルネイに配属されたあの日、喫煙を教えられて、むせた元長波を仲間として認めたときとおなじ笑顔だった。深雪はいった。「あたしの血をたっぷり吸ったそのヒルを食うのと、あたしを直接食うの、どこがどう違うか説明できるかい?」。答えに窮した。極端なことをいえば食物連鎖は単なる窒素の移動にまで簡略化できる。すべての物質は循環している。呼吸で体内に入ってくる窒素は、かつてはだれかの体を構成していたかもしれないのだ。

 深雪は煙草をねだった。二本残っていた。一本をくわえさせて火を点けた。煙を肺まで入れることもできない深雪はしみじみと語った。「おまえも戦史勉強したろ、駆逐艦〈深雪〉は、姉妹艦では唯一、太平洋戦争には参加してないんだ。えらいもん拝命しちまったなあって思った。戦いたい、役に立ちたいっていう、深雪特有のホーミングゴーストにはずいぶんと悩まされたし、あたしはここであえなく一巻の終わりなわけなんだけど、後輩になにか残してやれば、たぶん〈深雪〉も満足してくれると思うんだよな。はい、わかったか、じゃあ、先任として最後の命令だ。あたしを食って、かならず日本に帰れ。ふたりで帰るにはそれっきゃない。大げさに考えなくていい、これは近代化改修なんだ。死体から有用な部品をとるのとなんら変わらない。他者から奪って得をするゼロサム・ゲームじゃなくて、どちらのためにもなるノンゼロサム・ゲームなんだよ。おまえの一部としてあたしを日本に帰らせてくれ。頼んだぜ」。それまで喋りどおしだった深雪が静かになった。横目で確かめると煙草が半開きの口から落ちていた。目を開いたままでまばたきもしていなかったが、深雪らしい冗談だろうと気にしなかった。ここで取り乱せば、深雪は発作のように笑いながら「ドッキリ大成功! 深雪さまがそう簡単にくたばるもんかい」とからかってくるに違いないのだ。

 夜が更けても深雪はなにもいわなかった。翌朝になっても深雪は微動だにしなかった。また夜になってもドッキリに引っ掛からない元長波に文句をいわなかった。

 

「だからわたしは深雪にいわれたとおりにした」

 元長波は元朝潮に平坦な声でいう。元朝潮は息を呑んで傾聴している。

「ナイフで腕やら脚やらの肉を削ぎとって、そこらへんの枯れ草でくるんで、土に埋めて、一日待ってから、食べた。飢えてるからか美味い。それ以上に、深雪の肉がわたしと同化しているっていう実感が力を生んでくれてる気がした。同時に、ああ、これから先、生き残ったとしたら、わたしは一生、この味を忘れられないんだろうなって、どこか他人事みたいに考えてたなあ」

 深雪の全身をあらかた食べ終わるのに一週間かかった。三日目以降はよく焼いてから口に入れた。

 最後の肉片をほとんど焦がしながら食べているとき、近くで砲声が轟いた。ここしばらく背景にすぎなかった爆音が急に親しげにすり寄ってきた。

「“こんなことってあるか?”って思った。苦しんで苦しんで、可愛がってくれた先任の肉まで食って、みじめったらしく生き延びようとしてるところへ、こんな絶望だけが待ってるなんてことが? ままならないもんだなって、深雪の肉を暢気に噛みながらあきらめた。腹減ってたんだ。つぎつぎ樹木がぶっ倒れる。砲煙がたちこめる。さあわたしを殺すのはただのイ級か、当時名付けられたばかりのナ級か、鬼とか姫なのか、ともかくそのツラだけは目に焼き付けとこうとしたんだが」

 元長波は含み笑いをもらす。

 果たして火炎のなかから姿を現したのは、レーベレヒト・マースやマックス・シュルツ、プリンツ・オイゲンに、磯風、川内……まぎれもなく艦娘たちだった。

「わたしをみるや、生存者発見だの、大丈夫ですかだの……みりゃわかるだろ、大丈夫なわけあるかって喉元まできたけど。オイゲンなんか、流暢な日本語で“助けにきました。もうこの島は大丈夫です”なんていうから、気が抜けちゃってね、なにもいえなくなった」

 

 六月十五日、日本海軍は本土より海外特派艦娘を含む十個海上師団をジャムに投入し、逆上陸作戦を敢行。ジャムの深海棲艦は形勢不利とみるやすぐさま退却戦に移行し、同月十八日にはカレー洋へと完全な撤退を完遂した。鮮やかな引き際だった。32軍の三ヶ月にわたる死闘がむなしく思えるほど、あっけない幕切れだった。

 

 ジャムを軽んじ、捨て石とみなしていた日本が、突如として方針を転換したのは、五月下旬にアラスカで行われた日米2プラス2の場において、対深海棲艦に関する安全保障に話が及んだおり、米国防長官が、わが国は内政干渉をする意図はないがと前置きしてから、「日本は32軍がジャムで奮闘して時間を稼いでいるあいだ、いくつかの師団を抽出してもなお盤石な本土防衛体制を築いたとわれわれはみている。本来、現状の体制を築き上げるまでに32軍は全滅している計算だった。しかし彼らは善戦し、いまなお戦力をいくらか残存していると報告を受けている。座して全滅とジャム島の制圧を待つよりも、本土防衛に支障をきたさない範囲内で戦力を拠出し、32軍およびジャム島の救出作戦を遂行することが、貴国の中長期的な国益に資するものであると強く確信している」と述べたことに端を発している。日本は32軍が決死の覚悟で圧倒的な敵と戦っているあいだ、ただ本土防衛の戦力を肥大させることにのみ血道をあげていた。防衛体制が整ったあとのロードマップを描いていなかった。アメリカに物申されるまで、玉砕寸前の32軍へ増援を送ることに考えが及ばなかったのである。先見洞察に乏しいうえ、時局の変遷にあたって臨機応変に対応する合理性と柔軟性に欠けた、硬直化した官僚組織の悪弊だった。

 

「なんにせよわたしは助かった。でも、あと一ヶ月、いや一週間でも早ければ、どれだけの艦娘が助かったことか。中央のお偉方がもっと早く決断してくれていれば」

 元長波は悔やんでも悔やみきれない。

 

 元朝潮らのひそんでいた洞窟にも深海棲艦を追い落とした艦娘たちが救援に訪れた。

「呼びかけの声がこだまして、自然なイントネーションだったのですが、やっぱり怖くて、坑道口付近の曲がり角から様子を伺いました。たしかに艦娘でした。わたしたちと違って制服が垢や血や泥やシラミで真っ黒じゃない。煤とかは付着していましたけど、とてもきれいな身なりの艦娘たち。わたしは思わず叫びました。声はほとんど出ませんでしたが」

 

 救援に駆けつけた艦娘たちは、洞窟からわらわらと出てくる仲間や現地住民らの弊衣蓬髪ぶりに一様に言葉を失った。骨が浮き出るほど痩せ細って自力では歩けないものさえいる。着るものもない裸形を吸血性の虫にたかられている艦娘もいた。助けにきた艦娘のなかには、鵠面鳥形(こくめんちょうけい)となった同胞のあまりの悲惨さに泣き出したり、だれにいわれるでもなく敬礼したりするものもあった。

 

 32軍の艦娘、将兵らには撤収の船が用意されているとのことだった。一刻も早く医療の救いが必要なものが大勢いた。元朝潮は撤収のときを振り返る。

「鎮静剤で眠っている霞はわたしが船まで運びました。搬送してくれるとはいわれたのですが、わたしがやらなければと、なぜか強く思ったんです。港はすべて壊されていたので、アネダク湾からLCAC(エアクッション艇。ホバークラフト)が沖合いの護衛艦までピストン輸送しているとのことでした。どうしてあんな弱った体でニャヤキ半島から山道を経てアネダクまで人ひとり背負って歩けたのか、いまとなってはわかりません。アネダクの砂浜には島の各地から32軍の生存者たちが集まっていました。三ヶ月前にこの海岸へ深海棲艦が大海嘯のごとく殺到していた光景がきのうのことのように思い出されました。海も海岸も埋め尽くす敵に計画的後退するしかなかったのが、うそのよう。珊瑚のかけらを拾ってポケットにしのばせる子もいました。墓所と決めて臨んだ戦場の思い出のよすがか、遺骨も残さず轟沈した僚艦の形見のかわりか……。だれもほとんどなにもいうことなくLCACに乗りました。傍からみれば亡者の行進のようだったでしょうね。それから輸送艦へ……艦内も32軍でいっぱいでした。なかには乗艦するなり安心してそのまま息を引き取る人も……。ウェルドック(上陸用舟艇を発進させることのできる格納庫)はつぎつぎにLCACで人が運ばれてきますから、わたしは霞を連れてデッキにでました。みんなが船縁に立って、同期の散った山、自分が死守していた丘を一心に見つめていました。沖から望むジャム島は、ミニチュアのようで、“こんなものか? こんなものを守るために、わたしたちは必死に戦っていたのか?”という、一種異様な感慨をわたしにもたらすと同時に、ここをやっと離れられるという実感がようやく得られて、安堵のあまり、足腰から力が抜けてしまいました。そのとき、いままで意識を失っていた霞が目を覚まして、自分が船の上にいるということを理解したとたん、叫んだんです。“わたしをあの島へ帰して。同期の磯波と約束したの、どちらかが轟沈して片方が生き残ったら、お骨を内地へ持って帰るって。島に行かせて!”」

 元長波は黙って聴いている。

「艦から飛び降りそうだったからみんなが押さえつけていました。そんな約束は初耳でしたが、ひどく取り乱して、必死というか、恐ろしい大罪を犯してしまったような顔だった……。あの子は戦死することより、友人を連れて帰れないことのほうが怖かったんだと思います」

 元朝潮は元長波を見据える。

「美談だと思いますか? 島を離れることができて立てなくなるくらい安心しきっていたわたしと、骨を拾うためだけにまた地獄へ舞い戻ろうとしているあの霞と、いったいどちらが正しいのか、わたしにはわかりませんでした。いまでもわかりません」

 元長波にも答えはだせない。だれにもわからない。終わりのない自問自答がいまでも続いている。

「その霞ってのは……」

 予感に元長波は尋ねる。元朝潮が頷く。

「十五年前、天皇誕生日に催された一般参賀で、畏れ多くも両陛下に直訴した、あの子です」

 ふたりは死者への惜別の念に触れた。死にたくない、生きたいと強硬に抗った元霞が、自ら命を絶つにあたって、その胸にどんな思いが去来していたのか、もう永遠にわからない。だれにも。

 

 深雪の肉で命をつないでいた元長波は、担架でアネダクの美しい砂浜まで運ばれた。体重はわずか二十五キロしかなかった。輸送艦の医療施設で治療を受けた。体力の限界で意識がもうろうとしていたが、眠りに落ちるわけにはいかなかった。目が覚めたらまたジャム島の洞窟に戻るかもしれないと思ったからだ。鎮静剤で彼女はようやく瞼を閉じた。

 

 32軍司令官は部下の一兵でも島にあるうちは帰国の便に乗れないと最後まで残った。司令部要員を除いた32軍所属の最後の生存者を乗せた輸送艦が抜錨した六月二十三日、司令官は支度があるからと壕の奥へ戻った。銃声に驚いた幕僚たちが駆けつけると、司令官は従容と自決していた。そばには戦死した艦娘将兵ならびに非業の死を遂げたジャム島の住民に詫びる旨をしたためた遺書があったという。

 十万もいた32軍の生存者は、わずか五〇〇〇。

 ジャム島民の死者は約三十万二〇〇〇名にのぼった。この戦いで、ジャム島民は、その三分の一が死んだ。

 

 元長波は帰還後そのまま入院させられた。

「栄養失調やら脱水症状やら浮腫やら腹水やら、いろいろあった。自分じゃ気がつかなかったが、体中、寄生虫だらけだったらしい。なんでもかんでも食ってたからね。とくに腸には回虫がぎっしり詰まってたとか。血液にもいろんな寄生虫の成虫から幼虫から卵から混じってたそうだよ。駆虫して、ちゃんと体が栄養を吸収できるようになってから、バケツで手を治した」彼女は五指の揃った左手をひらひらさせる。傷病から回復した報告のため出頭した横須賀鎮守府で、恩師の摩耶助教と一年ぶりの再会をしたのだった。

 

 ジャム戦は終結したが戦争は続いた。ジャムでの苦闘は世界各地で繰り広げられていた深海棲艦との戦いのひとつにすぎない。また新たな作戦がはじまる。変わらずあしたはくる。

 おなじように、戦争が終わっても、人生は続く。生きて終戦を迎えてしまったものにとっては、戦争は人生の一部にすぎない。また新たな人生がはじまる。変わらずあしたはくる。

 

 だが、戦争の終わらない元艦娘たちがいる。軍を去り、なんの目標もみつけられずビルの清掃員やスーパーマーケットのレジ打ちなどだれでもできる仕事で糊口をしのいでいた元朝潮に、転機が訪れる。

「子宮がんがみつかったんです。もちろん、変調をきたしてから病院にかかったものですから、もう子宮を摘出するしか助かる道はありませんでした。二十三歳のときです」

 現役時代に修復材で繰り返し再生させたことによる弊害だと思った。死傷艦娘支援局に問い合わせた。だが国からは特別の補償はなかった。

 

 退役艦娘への年金が財政を圧迫していた。戦時中はいくら艦娘がいても足りなかったから好条件を提示する必要があったし、また納税者である国民の理解も得られていたから解体後も厚遇を約束できていたが、いざ戦争が終わると、ただの厄介な負担になりはじめた。戦時体制から平時への移行において、内需拡大をはじめとした経済対策は急務だった。日本は資源を外国から輸入し、製品にして輸出するしか稼ぐすべのない国だから、四周環海の島国でそれを十全にやるには、永い戦争で喪失した船腹を国策ですみやかに増産して回復させてやらなければならない。海運大国再建のためにも巨額の財源が求められた。*1

 

 国家予算一二〇年ぶんともいわれる戦時国債の返済もあり、わが国は財政緊縮を急ピッチで進めなければならなかった。そのなかで政府は百万人を超える退役艦娘たちの恩給に白羽の矢を立てた。

 戦時中は、退役艦娘の年金をカットしたり、解体後の医療費無償などの特権を廃止したりすれば志願者の減少が危惧されたために、恩給は改革の手が及ばない聖域という位置づけだった。だが深海棲艦の勢力が絶滅寸前となったため艦娘の保有数も限定的なもので間に合うようになっている。もう艦娘や元艦娘たちを良条件で遇してやる必要はなくなった。いまさら艦娘の志願者がいなくなったとしても困らない。与野党が一体となって聖域なき改革に着手した。それはまるで、奮闘している32軍から中央のご都合主義で9海上師団を強引に抽出した仕儀にも似ていた。

 

「修復材が使えれば、子宮も摘出したあと再生できたのでしょうが、金銭的に、がんの手術をするだけでも大変で……」

「がん保険とかは?」

「加入していませんでした」元朝潮は若かった自分の見通しの甘さを恥じた。「まさか自分が、という甘い考えがあったことは事実です。減らされた年金と、少ない手取りでは、がんの保険なんて、とても。退役前の授業で教えてもらった、高額療養費制度*2や、限度額適用認定証*3を利用したのですが、それでも苦しかった」

 艦娘経験者のがん罹患率が有意に高いことから、解体を控えた艦娘たちはがん治療や術後を支援する公的な助成制度のレクチャーも受けていた。

「でなければ、がん患者は障害年金をもらえる可能性があるなんて、思いもよらなかったでしょう」と元朝潮。

「ああいう解体前の学習プログラムは軍なりの最後の親心だったんだろうな。とかく世の中は制度を知ってないと大損こくから」と元長波。

 術後も投薬治療を続け、副作用で手足のしびれに悩まされるなど、生活に著しい制限がかかる場合、2級の障害者と認定される可能性がある。障害者というと四肢の欠損や盲目をイメージしがちだが、がんによるQOL(生活の質)低下もまた障害年金受給の資格たりえる。

 具体的には、がんと診断されたのが二十歳以上六十五歳未満で、公的年金を納付しており、がん治療が長期化した場合である。艦娘は一年以上の勤務で年金の受給資格は満たされる。艦娘学校での訓練期間も勤務実績として計上されるので、実際にはすべての艦娘は公的年金の受給資格はクリアできる。大腸がんの手術で人工肛門を増設するなど身体に変化が生じた場合だけでなく、抗がん剤の副作用による倦怠感や末梢神経のしびれ、出血といった内部障害であっても障害年金の受給資格はある。

 障害年金は日本年金機構による年金システムの一種だが、これに加え、がんを発症したときに厚生労働省が定める障害者認定も受けられる場合がある。胃や乳房の切除だけでは障害者認定はむずかしいが、公共の交通機関はおおむね半額になり、タクシーも割引になる。公共料金も割引の対象だ。水道料金なら最大で七十パーセントも割引される。自動車税、自動車取得税も減額され、飛行機の運賃も最大四十パーセントの割引が受けられる。

 

 公的制度の授業を受け持った航巡艦娘利根は、“生徒”たちにこう釘を刺していたと元朝潮は追想する。

「公的な助成制度という奴は、向こうからこんなサービスがあるぞなどとは教えてくれんからな、こっちが調べて申請せんといかぬし、払ってしまった後からではカネは戻ってこん。税金をとるときは黙っておっても督促状を送りつけてむしりとっていくというのに、現金なものよの。よいか、保険が“もしものときのカネ”を積み立てておくものなら、いま教えた公的制度は“払わなくてもいいカネ”を知っておくものじゃ。日本人ならどんな有象無象でも受けられるサービスじゃからの、利用できるものは遠慮のうとことんまで利用しつくしてやれ」

 みんな笑ったが、逆にいえば、退役艦娘といえど、ただの一般国民とおなじ公的制度しか利用できないということだ。戦時中は元艦娘の医療費は全額無料だった。終戦後すぐに廃止された。

 年金は共済年金だが、これも元艦娘の受給額は削減の対象となった。平和の配当だった。おまけに、受給額の減額をふくむ関連法案が施行される以前から年金を受給されていた元艦娘は、減額の対象外とされた。事後法を適用してはならないという理屈だ。これからも年金を死ぬまで満額給付される元艦娘と、引き下げられた年金しか受け取れない若い元艦娘との格差が対立構造を生んでいる。退役艦娘たちがいがみ合っているうちは政府に矛先が向くことはないだろう。

 

「医療費控除や、さまざまな減免制度や障害年金を全面的に活用しても、戦争後遺症で仕事が長続きせず、PTSDの投薬治療やカウンセリング、グループセラピーにも時間がとられて、貯金をとり崩していた時期でした」

 手術により元朝潮は一命をとりとめた。転移もみられず、まずは術後五年を再発なしで過ごすことができた。

「そのあいだ、いろいろなことを考えました。たまたま今回は助かったけれど、次はどうかわからない。バカなわたしに、がんというわかりやすい命の危機を与えることで、あしたもきょうとおなじように生きられるとは限らないということを、なにかが教えてくれたのかもしれない。だから助かったのかも、と」

 悩んだ末、世の中に貢献できる仕事をしようという結論に行き着いた。退役艦娘庁に斡旋された職で地固めしながら、苦学して介護福祉士の資格を得て、介護の道へ進んだ。

「戦前の日本は、平均寿命が八十歳を超えていたそうですが、戦争が終わったことで、また高齢化へ向かうのではないかと思いました。老いた母をみていると、これから先、お年寄りが増えることはあっても減ることはないだろうと考えて、それで介護の仕事をしようと。リタイアしたという意味では、わたしもお年寄りのかたがたもおなじでしたから」

 元長波も同感だった。戦争と軍隊で過ごしたわずか八年のあいだに、一生ぶんの活力を使い果たした思いだった。何十年も生きた気がした。戦後二十二年間の日々を全部濃縮しても、戦地の一日にも及ばない。死が自然なかたちで常にそばにあった。だからこそ逆に生の実感をも強烈に得ることができた。胃痛によって胃の存在を意識するように、ほかならぬ死が、なによりも生を輝かせていた。死なくして生もまたありえない。元長波はまつ毛を伏せた。あのころ、わたしたちは確かに生きていたのだ。

*1
のちにこれは後付けの理由であったことが判明している。戦争末期には深海棲艦による民間船舶の被害は皆無に近づいており、終戦の数年前から保有船腹はすでに純増をはじめていた。戦時中の特例だった補助金制度の延長ないし固定化を謀った造船業界と政界との癒着もあきらかになったことで、いわゆる造船疑獄に発展。取材記者の質問攻めに開き直った渦中の与党幹部は「水心あればフネ心あり」と放言し、流行語にもなった。日本国債最大の債権国であるアメリカが債務国日本のデフォルトを防ぎ経済を活性化するために癒着を扇動したといううわさもある。

*2
年収や家庭環境に応じて一定額を超過した医療費を事後に取り戻すことができる公的制度。月あたりの自己負担額を十万円程度に抑えられるが、保険と同様にとりあえずは窓口負担ぶんの全額を自分で支払わねばならない。

*3
先立つものがない低所得者のために、窓口での支払いが制度適用後の金額になる制度。術前の申請が必須



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十五  栄光はだれのために

「介護の仕事ったって大変だろう」

「きれいごとでは済まないこともたくさんあります」

 元朝潮は苦笑する。

「排泄物のお世話はありますし、手が不自由なかたには朝晩歯みがきしてあげたり。入浴させるにも抱きかかえたりしますから体力仕事でもあるんです。ひとりひとり一個の独立した自我をもっているわけですから、杓子定規にはいきません。たとえば食事の時間に、ご飯を食べようとしてくださらないかたがいらっしゃいます。そういうことをなさる人はだいたい決まってますね。食べてくれなくてこちらが困っている様子をみて楽しむかたとか、構ってもらいたいあまりわざと手間取らせるとか、理由はさまざまです。そういうとき、気を付けなければいけないのは、ご自身の介護に積極的に協力してくれて、できるだけこちらの負担を減らそうとしてくださる良心的な利用者をないがしろにしてしまうことです。こちらを手こずらせようとする利用者やわがままをおっしゃる利用者の対応に時間をとられるあまり、手のかからない利用者のお世話はさっとすませてしまう、ということになりがちですから。優しい利用者のかたには、意地悪な利用者よりも意識して、触れあう時間を多くつくるようにしています」

「素直な年寄りばかりだったら楽だろうにな。歳とってんだからちっとは大人になれってんだ」

「そこは、やっぱり人間ですから、ひと筋縄ではいきませんね。なかには、体を触ってくる男性入居者も」

「あらま」元長波は吹き出す。「男って奴は、いくつになっても男なんだねぇ」

「みたいですね」

 元朝潮も微笑む。

「お歳を召しても色恋というのはあるみたいです。以前勤めていた職場では、入居者のあいだで三角関係のもつれから傷害事件に発展したこともあります。七十三歳のお婆さんをめぐって、七十五歳と八十歳のお爺さんが喧嘩をするんです」

「元気すぎるだろ。介護いらないだろ」

「職員が一丸となって対応できればいいんですが、なかなか」元朝潮は眉を曇らせる。「職員たちが派閥をつくって、手助けが必要な職員がいても、ほかの派閥だからという理由でみてみぬふりをしたりするんです。最初の職場だった介護老人保健施設でわたしも失敗しました。寝たきりの利用者さんに食事介助をしていたときです。脳梗塞の後遺症か、もう会話もできないくらい意識が茫洋としていました。そういうかたは下手に食べさせると誤嚥性肺炎を患って、そのまま亡くなられることさえあります。ただのお食事が、命に関わるんです」

 その寝たきりの老女は、かつては空母艦娘赤城として軍に在籍していたと入所時の記録にあった。

「わたしが朝潮になるよりずっと前に解体されたくらいの大先輩です。艦娘としても、ひとりの人間としても」

 言語障害だけでなく認知症も進んでいたが、元朝潮は自然と背筋の伸びる思いで敬意をもって接した。世間は彼女が赤城として太平洋を西に東に活躍したことなど忘れているに違いなかった。数ある赤城のうちのひとり。あまた溢れる元艦娘のひとり。過去の遺物。存命であることすら家族と施設以外は知らない。興味も持たない。だれも。だが、表舞台から去っても、この世から存在が消えてなくなるわけではない。人生は続いていく。生きているかぎりは食べていかなくてはならない。戦争が終わってもあしたはくる。老後もある。

「耳も目も弱っているので、入念にお声かけをして、食事であることを理解していただいて、ときには唾液の分泌を促すために顎を優しくマッサージしてから、口へ運びます。その元赤城さんのときも同様です。でも、ドロドロのペーストですから、あまりおいしくないのでしょう、ひと口食べただけで口を閉じて拒否されてしまうことも珍しくありません。ただでさえ短い時間しか目を覚ましていられない状態ですから、食事がおっくうになるのは仕方ありません。でも食べないとそれこそ衰弱する一方です。飢えたことのあるわたしにはそれが痛いほどわかるから、なんとか食べていただけるよう、ひと口ずつ、根気よく努力します。ちょうどそのとき、携帯端末のコミュニケーションアプリにメッセージが入ったのですが、完食まであと少しというところだったので、その場では後回しにしておきました。急ぎであればメッセージではなく電話をかけてくるはずだから、いまは元赤城さんのお世話のほうを優先するべきと、そう考えたんです」

 それがいけなかった。

「食事がすんでからメッセージを確認したら、送信者はおなじ職場の先輩のひとりで、用件そのものはとくに緊急というわけでもなかったんです。その用事のために詰所に戻ると、先輩のかたがたに吊し上げを受けました。わたしがすぐに既読をつけなかったことが気に障ったようでした」

 食事介助はある種の戦いだと元朝潮はいう。食べ物が食道ではなく気道に入ってしまうことで起きる誤嚥性肺炎の恐ろしさは、社会福祉士の受験資格を満たす過程で通った短大でも相談援助実務でも耳にタコができるほど繰り返し注意された。ひと口ごとに命の危険がある。細心の注意が必要だった。かといって間隔を置くと、食事が終わったと判断して、また睡眠状態に戻ってしまうこともある。手が離せなかった。

 介護の現場では利用者第一だと元朝潮は考えていた。それに、と元朝潮は先輩らに弁疏した。「実際、たいしたことのない用件だったのですから、これ以上この問題に時間を費やすのは、お互いのためにならないのではないでしょうか」。先輩たちの逆鱗に触れた。

「自分たちのメッセージに既読を早くつけないこと自体が問題なのだとおっしゃっていました。当時のわたしには意味がわかりませんでした。軍でシチュエーション・アウェアネスを叩き込まれていたからです」

 彼我を取り巻く状況が時々刻々めまぐるしく変化し続ける戦場では、そのときどきで正しい優先順位を瞬時につけて行動することが求められる。その瞬間にやるべきことが次々に出てくる。タスクの優先度を誤ると手痛いしっぺ返しがくる。しっぺ返しを受けたものの多くはその失敗を次に活かすことはできない。どこの艦隊にもこんな冗談があった。「駆逐艦娘は生涯で何回間違えることがある?」。答え。「一度だけです」。

 現状を正確に把握し、限られた時間のなかで優先順位の高いものから着手していく。これを軍ではシチュエーション・アウェアネスといった。味方と衝突しそうになったら、たとえ絶好の射点を確保していたとしても、攻撃を中断して回避に専念する。好機を失うのは痛いが、たった一回の射撃を優先して、お互いが時速六十キロで衝突してしまえば、後送も含めて四隻が離脱することになる。任務にも支障がでてしまう。

 軍でなくともだれもがシチュエーション・アウェアネスで生きている。日常生活では、朝起きて、トースターにパンをセットして、焼いているあいだに洗面し、荷物を詰めて、朝食をすませ、出勤時間を気にしながら化粧をする。ここにもシチュエーション・アウェアネスがみてとれる。判断のひとつひとつに自分の命が、旗艦なら随伴艦全員の命がかかっていて、かつ決定と実行のテンポも早いのが軍だった。

 自身の内臓をかき集めている名取を置いていく……シチュエーション・アウェアネス。

 歩けない重傷患者たちに青酸カリ入りのミルクを配って、独歩患者だけが撤退する……シチュエーション・アウェアネス。

 洞窟にいたその場の全員を救うためにわが子を手にかける……シチュエーション・アウェアネス。

「軍では優先順位がすべてでした。プライオリティが低いものは後回しです。戦艦と駆逐艦の二隻が大破し、後送を必要としていて、一隻の後送しかできない状況なら、駆逐艦を見捨てて戦艦をエスコートします。もちろん後送ののち駆逐艦の救出には向かいますが、間に合わなかったとしても、それはそれで仕方がありません。駆逐艦を優先して戦艦を失うよりましですから。自分が見捨てられる立場になっても、仕方ない、と割りきる。ずっとそういう世界で生きてきた」

 だから、入居者の貴重な食事の時間を、先輩職員からのとるに足らないメッセージに既読をつけたり返信したりすることには使えなかった。

「先輩がたは理解できないようでした。老健(老人介護保健施設)は終の住みかではなく、病院とご自宅の架け橋ですから、いつかは入居者も退所されます。いずれお別れする入居者と、ずっとおなじ職場で仕事をしていく自分たちと、どちらが大事なのか、詰め寄られました。先輩はむしろ困惑した顔でおっしゃいました。“わたしたちと仲良くしたくないの?”。わたしはなんとも答えようがありませんでした。わたしはお仕事のためにきているのであって、利用者さんをないがしろにしてまでお友だちをつくるために資格をとったわけではないって考えてたんです。まだ軍にいたころの思考が抜けてなかったんですね。世間知らずだったんです」

 元赤城の入居者は一日のほとんどが半醒半睡の状態にあった。名前を何度も呼びかけても応答しない。元朝潮は何気なく「赤城さん」と艦名を呼んだ。元赤城はすぐに反応らしい反応をみせた。元朝潮は畳みかけた。「駆逐艦、朝潮です。本日もよろしくお願いいたします」。敬礼をした。元赤城は、非常にゆっくりとした――おそらく彼女にとっては精一杯の――動作で答礼し、「よろしくお願いします」と、たしかにそう応じた。大きな一歩だった。

 その入居者は赤城として接したほうが遥かによい成果を挙げた。日を追うにつれて食事も進み、長時間起きていることもできるようになった。

 元朝潮は、現役時代にパラオで出会った翔鶴に教えてもらった、零戦の折り紙を苦労しながら思い出して折って、元赤城にみせてみた。ひと目みるなり、元赤城の目が潤んだ。震えながら差し出された手に零戦を乗せた。元赤城は各部を仔細に観察して、涙を流しながら、笑顔を浮かべて何度も頷いた。

「入居されてから、はじめての笑顔でした。とてもうれしそうで……」

 元朝潮はそれからというもの零戦の折り紙で遊ぶさまを元赤城に披露するのが日課になった。周囲の怪訝そうな視線も気にせず、零戦を手にエンジン音や航過音、機銃の発射音を口で真似しながら元赤城の前を走り回った。折り紙の零戦は元朝潮の手によってときに堂々と雄飛し、ときに鋭く旋回して、敵機と丁々発止の空中戦を展開した。小さな戦闘機の勇姿に、元赤城は手を叩いてよろこんだ。

 当初からは想像もできないほど順調に回復した元赤城は、入居から九ヶ月後に自宅復帰が可能と判断され、退所が決まった。元朝潮は折り紙の零戦と九九艦爆、九七艦攻を彼女にプレゼントした。元赤城は紙製の艦載機を宝物のように抱えて穏やかに微笑みながら元朝潮に手を振り介護タクシーに自力で乗車した。元赤城の娘だという女性が元朝潮にいった。「母があんなに楽しそうに笑っているところなんて、もう何年もみたことがありませんでした」。元朝潮に深々と頭を下げた。「あなたにお世話していただいて本当によかった。ありがとうございました」。恐縮した元朝潮も腰を折った。涙が止まらなかった。

「もう十年も前になりますが、その元赤城さんも亡くなりました。娘さんからご連絡をいただいて、わたしに、ぜひ葬儀に参列してほしいと。葬儀にお呼びいただけるのは介護にたずさわったものとしては名誉なことです。お伺いしたら、赤城さん、とても安らかなお顔でいらっしゃいました。前日いつものようにお休みになって、朝になったら息を引き取っていたそうです」

 元朝潮は目尻を指で拭った。

「赤城さんのお部屋のベッド脇に、わたしがお贈りした折り紙の飛行機が、手垢で少し汚れていましたが、だいじそうに飾ってありました。亡くなる前の日まで眺めたり手に取ったりしては楽しまれていたそうです。副葬品としてお棺に入れてさしあげました。きっといまは、大好きだった飛行機をめいっぱい飛ばしていらっしゃると思います」

「おまえの飛行機が一緒だからな。あっちでみんなに自慢しているはずさ」

 元長波は想像した。かつて赤城だったその女性が、波を蹴立てて弓を構え、元朝潮の折った艦載機を蒼穹に向けて発艦させる。天高く舞う折り紙の機翼を誇らしく見送る。

 そう願うことが重要なのだと、元長波と元朝潮のふたりは知っている。

 

「その折り紙を教えてくれた翔鶴ってのは、シリアルナンバーは420-010016か?」

 尋ねると元朝潮は頷いた。

「なら、わたしが知ってるあの翔鶴さんだ」

 元長波は破顔した。大恩ある空母艦娘との思いもよらない縁だった。

「わたしがパラオに赴任した入れ違いで、朝潮は転属したわけだな」

「あの翔鶴さんはずっとパラオに?」

「少なくともわたしが知るかぎりは。二年勤務して、わたしは内地に帰ったんだが、その次の年に連絡とったときも、まだパラオだった」

「海外赴任は二年、最長でも三年勤めあげれば内地へ戻れる内規があったはずですが」

「事情が事情だからね」

 元長波の声は沈んでいる。

「ネビルシュート作戦に参加したって話は聞いた。作戦後はやっぱり内地じゃなくて別の泊地に異動させられたらしい。上はいかに翔鶴さんとはいえまさか生き残るとは思わなかったんだろう。あの翔鶴さんがわざわざ世間に暴露なんてするわけない、たった二年の交わりでもそれくらいはわかる、でも」元長波は首を横に振る。「艦娘が国家を信用しても、国家は艦娘を信用してくれないからね、あわよくば彼女が轟沈してくれたらってのが正直なところだったんじゃないかな。実際は生きて終戦さえ迎えたけど」

「終戦後、放射線障害で亡くなったと聞きました」

「それがお偉方の狙いどおりだったのかどうかは」

 わからない、と元長波は言葉を濁す。戦争がはじまって三十二年めの十一月三日、二〇〇〇機もの航空機で突如として本土を空襲し、一般市民の死者一二〇万人にくわえ、天皇皇后両陛下が崩御、皇族六名が薨去するという大惨事を引き起こした深海海月姫は、全身から高線量の放射線を放射し、海洋をも放射性物質で汚染していた。深海海月姫が拠点にしていたビキニ環礁はいまでも高等生物の生存を許さないほどの放射線で満たされている。直接戦った艦娘たちがただですむはずがなかった。深海海月姫を総旗艦とする海月渚(くらげなぎさ)泊地覆滅作戦、通称ネビルシュート作戦に主力艦隊として参加した艦娘たちは、戦後、いずれもが放射線障害と思われる病変に倒れていった。がん、骨髄障害、眼障害。深海海月姫と砲火を交えて存命なのは軽巡艦娘だった元酒匂だけだが、彼女もまた闘病生活を現在も続けているという。

「もともと、がんは腰痛と並んで艦娘の職業病とされています。わたしも子宮を失いました。あなたもがんを……」

 元朝潮は元長波をみやる。

「乳がんをね」

 元長波は軽く笑いながら右の胸を手でおさえる。手は深く沈み込んだ。左胸との対比が浮き彫りとなる。

「わたしのオッパイは高濃度乳房って奴らしくて、それで発見が遅れたんだ。もう切るしかなかった。まあ、吸わせる相手もいないからいいかって、やけっぱちになってたしな」元長波はペンダント型のピルケースを指で弾く。「切ったあとも五年は投薬治療させられて、ハゲになっちまった。また生えてはくれたけど、ほんと、がんそのものより抗がん剤のほうが強敵だったよ」

「わたしたちでさえ、がんにいろいろなものを奪われました。翔鶴さんたちはもっとたくさんのものを」

「がんに奪われたというべきか、戦争に奪われたというべきか」

「代わりに、なにが残ったのでしょう」

 元朝潮の目は真剣な光を宿している。元長波は少し考えてから答える。

「空から爆弾が落ちてくるかもしれないなんてこれっぽっちも心配せず、電話一本でドミノピザが届いて、自動販売機でコーラを買い、艤装背負って持続走もやったことのない奴が、インターネットでわたしたちの戦いを軍師気取りで好き勝手に批評しながら、スーパーサイズのフライドポテトを半分以上も残してゴミ箱にぶちこむ。そういう国だよ」

「それが平和でしょうか」

「子供が親元を離れてセミだのゴキブリだので食いつなぐよりはずっとましさ。食いきれないビッグマックを遠慮なく捨てられる奴だらけな世界のほうが正しいんだ。いまの若い子はひもじい思いをしたことがないんだから。そしてそれは幸福なことなんだ。その幸福をわたしたちがつくったと思うと、ほら、悪くないだろう?」

「複雑な時代になりましたね。どんどんわたしの日本が変わっていく。むかしは艦娘だと知るとねぎらいの声をかけてくるか、目を開けたまま妖精を追いかける頭のおかしい女とみられるかのどちらかだったのですが、いまでは面と向かって罵倒されないかわりに興味も示さない人ばかりになりました。戦後生まれの子供たちがいまでは成人になっていると知ったときも、驚いたものです。“もうそんなに?”と。これからの世の中は、戦争を知らない子供たちで占められていくのですね」

「あの時代はたしかになにもかもが簡単だった。猫も杓子もお国のためにだった。本音はともかく表面上はそういうことになってたからみんなの考えてることは一緒だった、少なくとも現場の水雷屋はな。でもいまの若い連中がなにを考えてるかなんてさっぱりわからない。わからないくらい考え方が多様化してるんだ。むかしといまと、どちらがいいかって訊かれたら、いまのほうがいいってわたしは答える。自分とは考え方も価値観も違う奴で溢れてる。それが本来の国家の在り方なんじゃないかな」

「わたしは、そんな世の中を受け入れるために、まだ時間がかかりそうです。号令ひとつで統率して動く世界にいましたから」

「安心しろよ。わたしも正直、世の中の移り変わりにはついていけなかった。そういうもんだって無理に納得させようとしてただけでね」

 元長波はおどけてみせる。元朝潮も小さく吹き出す。

「あなたとお会いするのはつらいことだろうって思っていました。どうしてもジャムのことは避けられませんから」

 別れ際、元朝潮は本心を吐露した。

「でもいまは、あなたとお話しできて、本当によかったと思います」

「わたしもだよ。この喜びが分かち合えただけでも、きょうまで生き延びた価値はあった」

 ふたりは視線を絡み合わせる。もう二度と会うことはあるまいとわかっている。二十八年前のジャム島でほんのわずかに交錯した彼女たちは、いままた各々の道を歩いていくことを選択した。ふたりは、どちらからともなく抱擁を交わした。

「こんなことをいうのは変かもしれませんが、どうかお元気で」

「おまえもな。だれかの支えになろうとしてる奴にかぎって、支えが必要なんだから」

 ふたりは鼓動を共有し、もう会えないものたちへのさまざまな思いを共有し、互いの肩を互いの涙で濡らした。



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十六  吉志舞

 かつて355-010012として従軍していた元神威(かもい)は、仲間たちとともに白い息を吐きながら、北海道新冠(にいかっぷ)にある猟区内の溜め池に、本物と見まがうカモの模型を二ダースも設置した。カモは群れる性質がある。ほかのカモが大勢いる安全な場所だと本物に判断させ、おびきよせることが狙いだ。ただしカモは鳴き声でコミュニケーションをとる動物なのでデコイからなんの音もしていないと簡単に偽物とばれてしまう。だから元神威や元秋津洲(あきつしま)、元速吸(はやすい)、元瑞穂(みずほ)、元大鯨(たいげい)の五人は、数種類の鴨笛を南洋の土人の首飾りのように首にかけている。ただ吹いただけだとドナルドダックの物真似にしかならない。だが種類と吹き方によって、餌をみつけた声、あいさつの声、着水を促す声などを再現できる。それらをひとりではなく複数人が唱和することでより高度に偽装する。

「神威さんの僚艦だったっていう長波さんが戦争中にいたジャム島では、人間の声真似で誘い出した深海棲艦がいたそうですね」

 元速吸が木々に隠れながら元神威にいう。元速吸自身は608-040119だった元長波とは面識がない。

「わたしたちは深海棲艦とおなじことをしていると?」元神威はカモの日常会話を装うための笛を口元に寄せる。

「これで偽物の言葉に釣られてカモたちがおびき寄せられるかと思うと、いつも不思議な気がします。わたしたちは意思を相手に伝えるために、対応した音の連なりを語彙から選定して組み合わせて外部言語に翻訳し、言葉にしているでしょう。逆に、言葉という体裁が整っていれば、それが本当に意思疏通を目的としているものなのか、ただの無意味な音声がたまたま言葉のように聞こえただけなのか、判断がつかないんじゃないですか? ジャム島の人々が深海棲艦にあざむかれたように」

「わたしは、深海棲艦と会話をしたことがありますよ」

 元神威を四人が一様に驚きの顔でみやる。十年来の付き合いだが初耳だった。幼少のみぎり、多くの死者を出した深海棲艦の北海道砲撃の場に居合わせながら、ただひとり無傷で救出されたという元神威の来歴も、信憑性をもたせることに助力していた。

 好奇の視線が注がれるなか、元神威は意味深長な笑みを浮かべる。「通訳だってできます。そう、たとえば、“彼女は怖がってる!”とか」

 冗談だとわかった元速吸たちは笑う。すぐに収めて笑顔すら消す。カモに存在を気取られてはならない。雨香(うこう)ただよう秋霖(しゅうりん)にもかかわらず五人ともサングラスをかけているのは視線を隠すためだ。カモは人間の白目の動きを数百メートル先から視認できる。人間と同等の視力と色彩認識力をもちながら視野が三〇〇度もある。なによりも学習能力が鳥の最大の武器だと、散弾銃に散弾実包を装填しながら元神威はいう。

「公園のハトでも、歩いて近づくとすぐに逃げますが、自転車に乗っていると轢かれる寸前まで動こうとしません。自転車からいったん下りないと自分たちを捕まえられないとわかっているからです」服装は背景に溶け込む迷彩柄にするべきだが、彼女たちは目立つ色合いのハンティングベストやウェアと帽子を着用している。「安全性を担保できるなら、獲物に逃げられるくらい、たいしたことではありません」

 

 風が背後から溜め池の方向へと吹き付けて木々をざわめかせる。元神威たちは切り換えて鴨笛を吹く。ぐわぐわ。やがて騙されたカモの群れが上空に現れる。安全確認のために何周も旋回する。段階的に高度を下げ、しかしいつでも逃げられるよう速度は維持したまま、旋回で周到にあたりを確かめる。根比べだ。三十分以上もそれが続く。人間よりよほど手順を厳守している。石のように動かない元神威は感心する。ぐわぐわ。群れがさらに高度を下げてくる。精巧なカモのデコイは水面下に沈めたモーターとワイヤーにより完璧な陣形を組んで航行している。端までくれば反転してまた逆の端まで行く。旋回中にハンターの姿をみつければカモの勝ちだ。ぐわぐわ。

 

 情勢が動いた。カモたちが速度と高度を落とす。池の風下から進入してくる。ファイナルアプローチ。元神威たちの正面だ。元神威は風向きも読んで位置についていた。

 しかしいくらデコイの出来がよくても近いと見破られる。デコイを用いた狩りを学習されたら二度と通用しなくなる。水面まで十メートル。元神威は降下中のカモの一羽に狙いを定めた。

 だしぬけに何羽かがけたたましく騒いだ。アラートコールだ。射手に気づいて仲間に知らせている。群れは慌てて高度を上げようとするが降下の慣性が邪魔をしている。

 元神威たちは各個に空へ銃口を振り上げた。銃声、銃声、銃声。散弾がカモたちをからめとる。元神威、元大鯨、元速吸、元瑞穂が二羽ずつ仕留める。

 激しく羽ばたいて逃げようとしているカモを元秋津洲が銃身をスイングさせるように狙う。三十インチ、フルチョークの銃身から続けざまに放たれた三発の七・五号弾はみごと三羽の獲物を撃ち抜いた。カモが惰性で放物線を描きながら石のように池へ落ちていく。生き残った群れは一目散に安全圏へ飛び去った。

「わたしがいちばん、かも!」

 元秋津洲が撃ち殻薬莢を拾いながらよろこぶ。

「三発とも命中なんてすごいです」と元大鯨が賞賛する。

「本当に」と元瑞穂も釣り用のウキと釣り針でつくった回収仕掛けをつけた竿をキャストして感嘆する。

「鴨撃ちは秋津洲さんには敵わないなあ」と元速吸がうらやましがる。

 

 カルガモの首を掴んで拾う元神威は、安心した顔をしている。狩猟が成功したことに、ではない。元神威は語る。

「みんないろんな事情があって艦娘になりました。戦争で仕事をした。戦後、わたしたちを待っていたのは、温かい言葉ではありませんでした。復員船から港に下りたとき、艦娘母艦で一緒に乗り組んだことのある士官――ええ、男性のかたです――をお見かけしたので、お礼とお別れを申し上げていたら、その人の奥さんがわたしを睨みつけて、いったんです。“知ってるよ。あんたたちは男漁りのために軍に志願したんでしょ。軍では女の子はちやほやされるでしょうからね。人の亭主に色目を使ってんじゃないわよ。戦争のあいだ、いったい何本くわえこんだんだか”。わたしはそれが冗談だと思いました。いえ、思い込もうとした……荒くれものの駆逐艦娘たちが交わすような類いの皮肉だと。だって、軍の男性と恋愛をしたことも、体の関係を結んだこともありませんでしたから……。彼女の表情から、怒りと軽蔑、非難以外の色を必死に探そうとしました。そんなものはありませんでした。わたしはその場をすぐに立ち去るべきだったんです。でも当時のわたしはまだ若かった……潔白を証明したかった。士官のかたに救いを求めて目配せしてしまったんです。彼が苦虫を噛み潰した顔になったのがわかりました。迷惑そうな顔でした。それに、目線を交わす様子が、奥さんにはとても親密な仲のようにみえたのでしょうね。彼女は靴を脱いでわたしに投げつけました。そして唾を吐きかけた。港には大勢の士官や下士官がいました。家族や愛する人との再会を祝って……だれもがわたしには無関心でした。あるいは横目でみるだけだった。作戦で戦地へ向かうときには、水兵さんも下士官も士官も、みんなが大切にしてくれました。母艦で航海しているあいだ、わたしたちにベッドを譲って、自分たちは固い床で横になっていたんです。本当の妹か娘みたいに接してくれました」

 元神威の笑顔が翳る。「戦後、わたしたちを守ってくれるものはありませんでした。まるで彼らはわたしたちのことを忘れてしまったかのようでした」

 

 元艦娘が暴行事件を起こす。するとこのように報道される。「彼女はかつて艦娘として従軍していました」。元艦娘が薬物を使用したとして逮捕される。するとこのように報道される。「彼女はかつて艦娘として従軍していました」。

 母親となった元艦娘が、夏の暑い盛り、駐車場の自動車に幼い子供を残して買い物へ行く。帰ってくると子供は車内で熱中症により死んでいる。するとこのように報道される。「○○署は保護責任者遺棄致死の疑いで母親の××容疑者を逮捕しました。彼女はかつて艦娘として従軍していました」。家にひとりで留守番させるわけにもいかず、スーパーマーケットまで一緒に乗せていったが、到着したころには子供は後部座席でぐっすり寝息をたてていた。可愛い寝顔だった。起こすにしのびない。すぐに戻るからね、とエンジンとエアコンをかけたまま車をそっと離れた。だが店内は混雑していて、思うように買い物が進まない。目を覚ました子供は、ママどこ、ママどこ、と泣きながら車内をあっちこっち移動する。外に出ようと手当たり次第に触る。ふとした拍子にエアコンを切ってしまう。あるいはエンジンのキーを回してしまう。閉めきった車内の温度はあっという間に五十度以上にまで上昇する。子供にはどうすればいいかわからない。ドアのロックを解除して出ればいいなどというのは大人の勝手な言い分だ。だれにでも起きうることだ。元艦娘であろうとなかろうと。だがメディアはこう報道する。「彼女はかつて艦娘として従軍していました」。

 元艦娘たちは元艦娘であることを隠さなければならなくなっていた。祖国の土を踏んだ瞬間にそれを思い知らされた。

 おかえりとただいまが入り乱れる港で、ほほの唾を拭うこともできずひとりうちひしがれている元神威の肩を叩くものがいた。おなじ船で帰国した元長波だった。「気にするなよ」。元長波はいった。「あの手の女は旧口動物から進化しそこねていて、口と肛門が分離しないまんま育ったんだ。だから口からクソを垂れ流すのさ」。駆逐艦娘一流の励ましだった。気が楽になった。だから迎えに来てくれていた友人たちにみっともない顔をみせずにすんだ。

「現役時代からあの長波さんは抜きん出ていました、2水戦だということを考慮しなくても。陣形を組むにあたって、いつもいちばん危険な位置に、自然といました」

 無欲の英雄は自ら率先してそうするものなのだろうと、元神威を含めただれもが思っていた。まさか元長波がどうすれば死ねるか考えていただけだったとはだれひとりとして知らなかった。まさか元長波が、おかしくなった自分が生きて家族のもとへ帰って、なにか取り返しのつかないことをしでかしてしまう前に、深海棲艦に撃沈されなければならないなどと考えていたとは。まさか下手に生き延びて犯罪者やみじめな自殺者になる前に、祖国のために戦った非の打ち所のない英雄として散華したいだけだったとは。

 元神威は知らない。だからいまでも元神威は元長波を変わらず尊敬している。

 

  ◇

 

 元長波を乗せた鉄道が八戸のフェリーターミナルへ到着したのは宵の口を過ぎたころだった。乗船した彼女はすぐに何錠もの薬を飲み下して眠りにつく。彼女には休息が必要だった。機関の震動。岸壁から離れる船。海峡へ出て横波を受けたフェリーはひどい家鳴りのようなみしりという音を立てた。船旅に慣れない旅客たちから驚きの声があがる。床が絶えずゆっくりと揺れる。現役時代に乗ったどんな輸送艦より快適だと彼女は思っている。同時に、今夜だけはジャムの夢をみないよう祈っている。祈りは通じた。

 

 翌日、曙光がきざす前に元長波は目を醒まし、また薬を何種類も服用して、子供のようにデッキへあがる。潮風に髪をもてあそばせる。水天から夜が少しずつ洗い流されている。彼女は伸びをする。

「護衛の艦娘もなしに船旅ができて、雷撃や触雷の心配もなく寝てられる。最高だね。作戦で出撃してるときよりも船で運ばれてるときのほうが憂鬱だった。ふつう、一本の魚雷じゃ一隻の艦娘しか撃沈できない。でも船に詰め込まれてる状態じゃ連艦隊(定員三〇〇〇名)まるまる海没ってこともありうる。支援要員らはもちろん、いくらわたしたちでも艤装――正確には燃料タンク――がなけりゃ脊椎に寄生虫飼ってるだけのただの子供だからね。とくにジャムへ異動させられたときみたいに、艤装が別便だったりしたら、避妊具を忘れてきたときみたいに不安だったよ」

 というのも、人類は最後まで艦娘でしか深海棲艦を駆除できなかったからだった。

「深海棲艦を人類の難敵たらしめていた要素はいくつかある。まずゴグ、マゴグみたいに数が多いこと(ゴグ、マゴグはヨハネの黙示録に登場する悪魔。その数は海の砂より多いとされる)。つぎにステルス性能が高いこと。体表が電波を吸収する性質を持ってるらしくてね。つぎに静粛性。とくに初期は、モノホンの潜水艦乗りたちは生物のエコーを探知する訓練なんかしてなかったからカ級だのヨ級だのの好餌になった。そして、干渉結界だ。戦術的にはこれが深海棲艦の最大の武器といっていいんじゃないかな」

 

 水が液体から気体に変化したり、あるいは氷になったりすることを相転移という。宇宙には水素が金属の固体の状態で存在している星があるように、常温では気体である空気もまた、条件しだいで相転移することがある。

 深海棲艦が発生させる極端な電磁場の変化は空間をも相転移させる。状態の異なる空間の境界にはエネルギーのギャップが存在し、そのギャップを埋めるために一方からの運動エネルギーも熱エネルギーも吸収される。ゆえにおよそあらゆる攻撃が無効化されてしまうのだ。この原理はしばしば、滝を登っていくようなものと例えられる。エネルギーギャップを落差と仮定し、外部からの攻撃手段は滝を登るあいだにエネルギーを消耗させられる。結果として強力無比な盾となるのである。

 虹色に揺らめいてみえるこのフォトン・リアクティブ・シールドのために、当初の人類は深海棲艦になんら有効打をあたえることができなかった。また、複数の個体が結界を同時展開すると干渉力は単体のときよりも幾何級数的に増大する。艦娘実用化以前では最後の軍事作戦であるディープブルー作戦においては、南太平洋に遊弋する十七体の深海棲艦に対してアメリカ合衆国が三五〇発の熱核兵器を投下したが、南海の至宝トケラウ諸島が世界地図から消え失せ、太平洋の五分の一を核汚染するという代償を払ったにもかかわらず、目標の撃沈はおろか、ヲ級の一隻に損傷を与えた以外、めぼしい戦果を挙げることはできなかった。

 

「でも深海棲艦のいちばんやっかいな性質は、やっぱりあの赤潮バクテリアだろうね。いまでもペルシャ湾やハワイ周辺、メキシコ湾、地中海の生態系は完全には回復してない。戦争は終わってないんだ」

 元長波はフェリーの船腹を海流で洗う津軽海峡を眺望する。

「こんな青い海が、血みたいに赤く染まってた。見渡すかぎり溶けかけた魚やクジラや海鳥の死体だらけ。あれは江風だったか、変色海域への出撃ははじめてだったそいつが、白く腐って浮いてる魚をみて“水が魚を食ってる……”っつってゲロ吐いた。あの臭いは何度も吐いて慣れるしかない。母艦に帰ったら出迎えの水兵までが吐くこともあったくらいなんだから。わたしたちの服にも髪にも腐敗臭が染み付いててね。どうかな、いまは?」彼女は自らの袖口を嗅いでみせる。確信に満ちた顔で頷く。「うん。これは加齢臭だな」

 

 深海棲艦は深海に生息する未知のバクテリアやウイルスと共存していた。異なる生態系の菌、ウイルスはときに大量破壊兵器になる。ポンティアック戦争においてイギリス軍は天然痘患者に使用していた毛布を「和解のあかし」としてネイティヴ・アメリカンに贈呈した。天然痘にまったく免疫のなかったアメリカ先住民たちはなすすべもなく倒れていった。おなじように、深海棲艦による生物的汚染は目にみえないだけ深刻だった。

 なかでももっとも人類の生存を脅かした深海棲艦由来汚染は、赤潮バクテリアの別名でも知られるバクテリア、ウレコット・エッカクスだった。

 ウレコット・エッカクスは代謝の最終生成物として微小酸素(マイクロオキシジェン)を排出する。マイクロオキシジェンは凝縮点がマイナス一八三度であるなど基本的な性質は通常の酸素と変わらないが、より反応性に富み、とくに硫黄や水素と容易に結びついて硫酸に変化する。深海棲艦は孵化から第三幼生までは硫酸イオンで呼吸し、第四以降にはマイクロオキシジェンを利用するため、ウレコット・エッカクスの存在はそのライフサイクルの全ステージにおいて欠かせない。石油を体内で精製してエネルギーを生産している深海棲艦は通常の酸素では代謝が追いつかないために、化学反応を加速させるマイクロオキシジェンが必要なのだ。

 一方で炭素生物がウレコット・エッカクスに感染すると恐ろしい事態を招く。ウレコット・エッカクスは生存と繁殖のために窒素や二酸化炭素を取り込み、マイクロオキシジェンを発生させる。マイクロオキシジェンは体内の硫黄、水素と化合して硫酸となる。

「つまり体のなかで硫酸がどんどんつくられるから、生きながら内臓を溶かされるんだ。ウレコット・エッカクスが大量発生して赤くみえる海水を飲むか、粘膜に触れさせて感染した場合、十二時間以内に適切な処置を受けなければ、もうだめだ。溶けた内臓を血便として尻から垂れ流しにして、七転八倒しながら人間としてのかたちを失っていく。人間だけじゃない。深海棲艦以外のあらゆる生物が死んでった。死体をウレコット・エッカクスが食ってまた硫酸にするから海そのものが緩衝作用の限度を超えて酸性にされてしまう。せいぜいpH4.0から4.5くらいだから、海水で溶けるってとこまではいかないけど、海の生き物は酸性化に耐えらんないからね。まさに死の海だよ」

 マイクロオキシジェンの脅威は生物だけにとどまらなかった。マイクロオキシジェンのような微小分子は金属を構成する結晶粒のあいだにある結晶粒界に入り込むことができる。微小分子の吸収を許した金属は強度がいちじるしく低下して、もろくなってしまう。

「だから変色海域で戦うときは大気中にも大量のマイクロオキシジェンが放出されてると考えなきゃならない。NBCキットで本体を保護してても、赤い海に長くいると艤装がラング・ド・シャみたいにぼろぼろになっちまう。これは非常に危険なんだ。もろくなってんのに気づかないまま主砲をぶっ放そうとして暴発して沈んだ奴は多い」

 元長波は煙草に火をつける。「青い洋上で煙草を吸おうとするだろ、そしたらライターの火がボッと勢いよく燃え上がって、前髪とか眉毛とか焼いちゃって、叫ぶんだ。“赤潮野郎が近づいてるぞ!”」マイクロオキシジェンの放出により空気中の酸素濃度が高くなっていたためだ。装薬の燃焼速度に与える影響は無視できなかった。

「迷惑千万なバイ菌を持ってきてくれたもんだよ。そういう意味では深海棲艦は生物兵器を使用したともいえるね。いずれにしても、赤い海なんてもう二度とみたくない。やっぱり海は青くないと」

 船上からは北海道の陸地が望める。風が豊穣な有機物の吐息を含んだ磯の香りを運んでくる。正しい匂い。生き物の匂い。いい匂いだと彼女は感慨にふけっている。

 

  ◇

 

 鴨撃ちから一週間後の早朝、元神威は苫小牧港のフェリーターミナルで元長波を迎えた。

「ひさしぶり。元気にしてたか」元長波が手を差し出す。

 元神威は両手で包み込むようにして握る。「またこうして逢えるなんて」元神威の目尻には涙が滲んでいる。

「きょうは時間をつくってくれてありがとう」元長波は笑っていう。

「訪ねてきてくれて、ありがとう」いいながら元神威は何度も頷く。

 元神威は、ともに迎えに出ていた元瑞穂と元速吸、元大鯨を紹介する。元神威は五十歳で、ほかの面々も似たような年齢だ。「ゲートボール大会ができそうだね」冗談を口にしながら元長波はひとりずつと握手していく。

「わたしの同期にイムヤがいるんだ。もしかしたら、あんたの世話になったことがあるかもしれないね」元長波は、そんな偶然はないと思いつつ元大鯨にいった。

「そのかたはご存命なのですか?」

「会ってきたところよ。無病息災とはいえないけど、夢のためにがんばってた」

「ぶしつけですが、期別は?」

「六十五期」

「六十五期生で、いまも生きてらっしゃる元イムヤだったかたというと、640-010731ではないですか?」

「そう、そいつ。〈緯度0大作戦〉の」

「やっぱり」元大鯨の顔が輝く。「あの作戦ではわたしが旗艦だったんです。イムヤちゃんからは、ときおりあなたのお話をうかがったことが」

「いい話かな」

「艦娘学校時代、持続走で、変わったかけ声をした最初の訓練生だったとか」

 元大鯨は婉曲な表現にとどめた。元長波はあっけらかんとしている。「へえ、どんな?」

 元大鯨は観念する。「おっぱいとか、乳首がすれるだとか」

「よし、間違いないな」元長波は顎を引く。みんな吹き出す。一気に元長波への親近感を抱く。

「イムヤちゃんは、水泳の訓練で浮き輪に乗せられてたといってました」

「いわなけりゃばれないのに」

 元大鯨は元伊168といまでも連絡をとりあっているという。透析の件も知っていた。終戦を迎えて第二の人生を歩もうとしても、戦争がいつまでもつきまとう。

 それぞれが軽トラックやSUVを運転していったん銃砲店へ向かう。彼女たちの猟銃が委託保管されている。

「銃を車に乗せてここへ来たんじゃだめだったのか」

 助手席に座る元長波は軽トラックを運転する元神威に興味本位で尋ねる。話題はなんでもいい。話すことさえできれば。かつての戦友がいまなにをしているか知ることさえできれば。

「猟銃を携帯した状態だと、狩場と保管場所以外に立ち寄ってはいけないんです。猟の帰りにコンビニでお弁当を買って、銃の所持許可が取り消しになった、なんてケースも」

「厳しいな」

「しかも、猟銃の所持許可は、個別の銃に与えられるものなんです。艦娘なら、十二・七センチ連装砲のMOS(Military Occupational Speciality)特技区分。自衛軍内だけで通用する資格)があれば、どの十二・七センチ連装砲でも使えたでしょう。でも銃の所持免許は、個体ごとにとらなければならないんです」

「まったくおなじ種類の銃でも、別の個体はまた別個に許可をとらないとだめなんだ?」

「ですから、射撃場でおトイレに行くときに猟友に銃を預けたせいで取り消しになったという事例も実際にあります」

「使わなくても?」

「持ち上げただけで所持になりますから、許可がない人が手渡されたら、その時点でふたりとも銃刀法違反ですね」

 元長波はすこし考える。

「じゃあ、鉄砲店に行って、気に入った銃があったとしても、実際に構えて感触を確かめるなんてのは?」

「お店のなかでは大丈夫です。さすがに、小火器を手に取らないまま購入しなければならないような事態は回避されていますね。自分に合う道具をあれこれ試して探すんです」

「むかしは艤装に体を合わせろっていわれてたが、軍にもそれくらいの思いやりがほしかったね」

「艤装は一期一会でしたからね」

 ふたりは懐かしんで笑う。

 

 映画ではエースの艦娘専用の艤装があるかのように描かれることがままある。『南方海域強襲偵察!』でも、主役の金剛は撃沈した敵の数だけ砲塔にキルマークをペイントしていた。

 しかし実際には艦娘は出撃ごとに割り当てられた艤装を着装する。そのため艦娘と艤装は基本的には元神威がいうとおり一期一会だった。

 一方で、個々の艤装には専属の整備部隊がつく。艤装ごとにわずかながら異なるクセや、整備状況、履歴といった情報を一元的に管理するためだ。艤装整備員は航海隊と検査隊のふたつに大別される。航海隊所属の艤装整備員は日々の整備や点検、出撃のための準備を担当する。検査隊の整備員は定期点検や故障した艤装の修理を行なう。

 固有の艤装を管理する艤付(ぎつき)整備員は航海隊に所属している。神経接続整備員、砲熕兵装整備員、水雷兵装整備員、電子機器整備員、救命装備整備員、艦載機を搭載している場合は航空機整備員らが一丸となって、専門的な技術を要する整備を任されている。艤装の艤付整備員らをまとめる整備責任者を艤付長(ぎつきちょう)と呼ぶ。艤付長は神経接続整備員を兼任する。艤装は艦娘のものというよりはこの艤付長のものといったほうが正しい。艦娘たちはアサインされた艤装を艤付長から借りて出撃するのだった。

 

 元神威らの馴染みという銃砲店で、整然と並んだガンロッカーから各自が猟銃を、別室の装弾ロッカーから弾薬を取り出す。元神威たちのほかにも店にはハンターたちが多く居合わせて情報交換していた。

「アイオワから、アメリカじゃ釣りに行く感覚で親父が息子を狩猟に連れていくって聞いたけど、日本でもわりとよく狩りをするんだな。猟友会くらいしかいないのかと思ってたけど」

「日本では、古来、狩猟は貴人のたしなみでもあり、庶民にとっては欠かせない生活の糧でもあったんですよ」

 元瑞穂が愛銃を点検しながら元長波に教える。肉は一般的に「にく」と読むが、これは音読みで、訓読みでは「しし」である。「し」とは「地べた、下、死ぬ」などを意味し、ふたつ連続した「しし」とはすなわち「死んで地面に」倒れている肉のことである。死肉とは食肉にほかならない。肉がいかに重要な食糧であったかがうかがえる。

「人間の生活に密接に関わるものには、優先的に名前がつけられる傾向にあります。それゆえ好んで食用にしていた野生動物は、食肉を意味するシシの名前で呼ぶようになったのでしょうね」と元瑞穂はいう。

「イノシシとか?」

 元長波に元瑞穂は猟銃をケースに収納して笑顔で頷く。銃をむきだしで運ぶわけにはいかない。

「最初は食肉となる動物をすべてシシと呼んでいたと思われますが、味や、最適な狩りの方法の違いなどで、やがて種類によって区別するようになったのでしょう」

 イノシシは、「い」の「しし」であると考えられる。

「山に入るといちばん多く遭遇する野生動物はイノシシです。古代でももっとも身近な獲物だったと思われます。そのため、一のシシということで、イノシシと名づけたという説があります」

「いのいちばん……いの肉……なるほど」

「シカは、カノシシと呼ばれることもあります。鹿革が古代日本でもっとも愛用された革製品であったことから、皮にも価値がある食肉動物で、皮のシシという名前になったという説、もしくは、お肉にかぐわしい香りがあることから、香のシシと呼ばれたという説のふたつがあります」

「沖縄の慶良間では、いまでもシカのことをコウノシシというらしいですから、香りのあるシシという説にも信憑性はありますよね」元速吸が付け足した。

「このように、シシは、動物を狩り、そのお肉をタンパク源としていた習慣から自然と生まれた生活用語であることがわかります。また、万葉集の九二六首と九二七首にはこのような歌がございます……」

 元瑞穂は涼やかな声で歌を詠んだ。

 

 安見知之(やすみしし) 和期大王波(わごおほきみは) 見吉野乃(みよしのの) 飽津之小野笶(あきづのをのの) 野上者(ののうへには) 跡見居置而(とみすゑおきて) 御山者(みやまには) 射目立渡(いめたてわたし) 朝獵尓(あさがりに) 十六履起之(ししふみおこし) 夕狩尓(ゆふがりに) 十里蹋立(とりふみたて) 馬並而(うまなめて) 御獵曽立為(みかりぞたたす) 春之茂野尓(はるのしげのに)

 

 やすみしし(枕詞)、我らの大君は、吉野の、秋津の小野の、野のほとりには、跡見(足跡などから獲物の向かった方向を推測すること。また、その役目の人)を配置して、山には、射目(待ち伏せするために身を隠す設備)を隅々まで設けて、朝の狩りに、鹿や猪を追い立て、夕の狩りに、鳥を追い立て、馬を並べて、狩りをご覧なさる、春の草が茂る野で。

 

 足引之(あしひきの) 山毛野毛(やまにものにも) 御狩人(みかりひと) 得物矢手挟(さつやたばさみ) 散動而有所見(さわきてありみゆ)

 

 あしひきの(枕詞)、野にも山にも、御狩人(狩りに興じる天皇)が、矢をたばさんで、狩り場で勢子や犬が騒ぎ立てて獲物を追い込んで狩りをなさっているのがみえる。

 

「天皇も狩りがお好きだったようで、朝狩り、夕狩りと夢中になられていたようです」と元瑞穂は猟銃のケースを背負う。「仏教の普及とともに、六七五年には天武天皇が犬、牛、馬、猿、鶏の五畜の肉食を禁止する詔を出しましたが、おもしろいことに、イノシシは例外とされていたんです」

「いちばんよく食べる動物を除外とは、なかなかのザル法だ」

「しかも、禁猟は四月から九月までにかぎられていました。農耕期ですね。食肉が必要になるのは冬のあいだの作物が育たない時期でしたから、とくに問題にはならなかったようです。農耕すべき季節に農民が狩猟に励んでお米をつくらなくなってしまうことを防ぐ意味合いが強かったものと思われます。田畑を耕す牛を食べてしまわないようにするためでもあったのかもしれませんけれど」

 天皇や幕府は奈良時代から江戸時代までたびたび肉食の禁令を発布した。裏を返せばそれだけ日本人に肉食の文化が根付いていて根絶しがたかったことを意味する。

「現代は畜産や冷凍冷蔵の技術、輸送機関が発達していますから、家畜により食肉の需要はまかなえておりますが、それらのなかった時代では、狩猟が命をつなぐ大切な手段であったことには違いないでしょう。わが国の狩猟は米食よりも古い文化なのです」元瑞穂が論を結ぶ。元長波も納得する。

 

「きょうの狩りは、新冠の人里におりてきて競走馬用の牧草地を食害するエゾシカの駆除です」

 猟長でもある元神威がいう。

「現在、日本における有害鳥獣による農作物の被害額は年間二〇〇億円あまりにもなります」

「そんなに」元長波は驚く。

「そのうち、六十億円ほどは北海道が占めています」

「試される大地か」

「北海道以外では、農作物の被害は六割がシカやイノシシ、サルによる獣害です。しかしここ北海道では、被害の九割がシカによるものといわれています」

「シカは、植物であればたいていのものは食べちゃうんです。ササも、芝も、せっかく生えた新芽も。樹皮まで食害します。ですから木々が立ち枯れを」元大鯨が深刻な表情を浮かべる。「シカが山を荒らしてしまうと、ちょっとした雨や地震でも地滑りが起こりやすくなりますし、渓流に土砂が流れ込んで、魚たちも棲めなくなります。北海道の自然は鹿害(ろくがい)によって破壊されつつあるんです。いえ、もう取り返しのつかないところにまできているのかもしれません」

「わたしたちも狩るのはほとんどエゾシカです。たまにイノシシが罠にかかるくらいですね」と元神威が話す。元長波は首をかしげる。

「北海道にイノシシがいるの?」

「ほとんどは、限りなくイノブタに近いイノシシですけれど」

 元神威がいうには戦時中に本州から泳いで渡ってきたイノシシが元になっているらしい。温暖化の影響で北海道でも太平洋側の南部なら越冬できるようになったようだ。

「最近はつまずいて転んでも温暖化のせいにされるご時世だけど、ウォースパイトやアークロイヤルなんかは、温暖化のおかげで、イギリスでもワイン用のぶどうが栽培できるようになったっていってたっけ」元長波は思い出していう。

「艦娘だったころは、神威として二十・三センチ連装砲や十五・五センチ三連装砲を搭載することもありましたが、いまのわたしの相棒はこの銃です」元神威が使い込まれた三十口径のライフルを矢先(銃口。また、その向いている方向)に注意しながらロッカーから取り出し携行ケースへしまう。四人があらためて狩猟者記章と銃所持許可証、狩猟登録証の携帯を確認して、ふたたび車に戻る。

「狩り場の拠点になるクラブハウスには、秋津洲ちゃんが待ってます」元神威がステアリングを操る。

 

 小屋のようなクラブハウスにはたしかに軽トラックが一台先着していた。元神威らと同様におしゃれなハンティングウェアの女性が出迎える。

「あなたが長波さん?」笑顔で握手を求めてくる。

「元だけど」元長波も笑って手を握る。

「わたしは秋津洲だったの」固く握った手を上下させる。

「秋津洲ちゃん、ワンちゃんを長波さんに紹介してあげて」

 元神威が促す。彼女たちはいまでもお互いを現役時代のように艦名で呼びあう。元長波も、親友の元朝霜の本名を知ったのは終戦のあとだった。艦娘はみんなその調子だった。

 戦争が終わったいま、ふだんの生活では彼女たちは本名で呼ばれている。元艦娘どうしで集まる機会には、日々の現実を離れて、艦娘に戻れる。つかの間の夢。

 元秋津洲が三頭の犬を連れてくる。いずれも中型犬で、雑種だが、いかにも精悍、全身の筋肉に活力がみなぎっている。

「この子がいちばんベテランなの。タイテイちゃんだよ」

 元秋津洲はわが子のように自信を持っている。

 元長波は犬を撫でながら感慨深げにみつめる。

「大艇ちゃん……こんなに毛深くなって……」

「大艇ちゃんそのものじゃないかも! そう名前をつけてるだけかも!」

 元秋津洲をよそにタイテイちゃんは元長波の口元を猛烈に舐めまわす。敵意のない証拠だ。くすぐったいと元長波は笑う。

「人懐っこい犬だ」

「山に放すからね。登山客を噛んだりとかしたらたいへんだから、人に馴れさせる訓練をしてるの」

 元秋津洲は猟犬のブリーダーでもあるという。

「きょう狩りに出るのは、ほかにカタリナちゃんと、ちはやちゃんだよ」

 二頭の犬も元長波に鼻先を押しつけ、押し倒さんばかりにむしゃぶりついて、手や顔を舐めた。

「どうして狩りに犬を使うんだ?」

「野生動物は人間の何万倍も嗅覚や聴覚が鋭いからね、人間がやみくもに探し回ってもまず獲物と出会えないの。しかも気配を完全に消せる。そういうときはわたしたちでさえ、十メートルそばを通っても気づけなかったりする」元秋津洲が猟犬たちを慈しむように撫でる。「だから犬に獲物の匂いを辿らせて、襲わせて、ドタドタ逃げてるところを仕留めるんだ」

「なるほどね。写真を撮っても? フラッシュはオフにする」

 元秋津洲は快諾する。元長波は携帯電話のシャッターを切る。

 

 撮影しながら、元長波はブルネイに勤務していたときに2水戦で可愛がっていた犬を思い出している。最後に赴任したブルネイ。はじめて配属されたときとは別の国に思えた。変わったのはブルネイか、それとも元長波か。基地の近くをうろついていた野良犬に餌をやった。その犬は現地の住民たちより元長波たちに懐いた。あるとき、犬がブルネイの警察官にひどく吠えた。吠えるのをやめないので警官は警棒で犬の頭を殴り飛ばしたあとナイフで喉笛を切った。なにも知らない元長波が基地に帰ると、水煙草の煙が立ちこめる控え室で2水戦の仲間が大笑いしていた。仲間は犬の報復に、警官を取り囲んで三十分も暴行をくわえたうえ、全裸で自慰行為をさせ、その動画をインターネット上にばらまいてやったのだと、哄笑の合間から説明した。元長波もおなじように大声で笑った。2水戦の艦娘たちは例外なく笑っていたが、例外なくその目は疲れ果てていた。だれもが長い従軍で磨耗していた。祖国より外国での暮らしのほうが長いことを認めたくなかった。彼女たちの笑い声だけを聞けば、なにも問題ないように感じられたが、彼女たちの笑顔をみれば、そうでないことがわかった。平均年齢十七歳の部隊だった。

 

 元長波は、元秋津洲の犬を撮影した写真に「こいつらとハンティングだ」とメッセージを添えて元朝霜に送信する。元秋津洲が命じると三頭の猟犬は自ら軽トラックの荷台に飛び乗った。狩りがはじまる。

 ふたたび元神威の軽トラックの助手席に乗り込んだところで、元朝霜から返信が届く。「頭は大丈夫か?」

 元長波は笑う。

「それは、わたしも教えてほしいところだよ」



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十七  シンフォニア・タプカーラ

 神が槌と(のみ)で乱暴に削り出したような荒々しいイドンナップ岳とカムイエクウチカウシ山が馬蹄形につらなる山容を遠望する。元神威らは散開して、競る(狩りをする)山の見切り(下見)を行なうという。元秋津洲は猟犬たちとともに残った。元長波は元神威についていく。

「猟をするにあたり気をつけなければならないのは、不法侵入をしないことです」

 元神威が落ち葉の敷き詰められた峻険な斜面に分け入りながら元長波に話す。

「猟区だからといっても、実際に狩りをするにはその土地の所有者に許可をもらわなければなりません。海との決定的な違いはここですね。日本にはだれのものでもない土地は一平方センチメートルもありませんから」

 あそこに山があるでしょう、と元神威はひとつの翠黛(すいたい)を指さした。

「たとえばあの山は、北側と南側で地主が違うんです。北の地主にだけ許可をもらって、獲物を夢中になって追いかけているうち、南側に入ってトラブルになってしまうということもあります」

「そりゃ面倒だ」

「しかも土地の境目というのが、大きな木など、自然物を目印にしていたりするものですから、よけいに不明瞭なんですね。事前の入念な確認が大切です」

 元神威は息の上がっている元長波を振り返る。狩猟は通常の登山道を使わない。道なき道を踏破していくので未経験者にはつらい道程となる。

「大丈夫ですか」

「ウォーミングアップにはちょうどいいな」

「山歩きは平地とは違う筋肉を使いますからね。あしたは筋肉痛かもしれませんよ」

「三日後くらいにくるだろうね」

「自分で歳だと思わなければまだ若いとはいいますけれど」

「だから問題なんだ」元長波は汗を拭う。「まだ自分を十代だと思ってる」

 ふたりは笑う。

「銃声は大丈夫ですか」

 元神威の本当の気がかりはそれだろうと元長波は思った。

「退役してすぐは大きな音で胃袋がひっくりかえってた。いまはもう平気」元長波は息を整える。「素人のわたしが見学でついてって構わなかったのか?」

「長波さんなら信用できますから」

 期別や所属部隊が違っていても、元艦娘という共通項は、血のつながりや出自と同等か、あるいはそれ以上の強い同胞意識を生むことがある、と元神威は語る。「艦娘だったということは、おなじ訓練を耐え抜いた証明書を持っているようなものですから」

 

 元神威が地面を示す。

「この足跡はエゾシカですね。蹄がじゃんけんのチョキみたいでしょう。蹄の方向がその足跡の持ち主の向かった先を教えてくれます。大きさからしておそらくイヤリング(一歳から二歳)です。でも、あまり新しくないですね。蹴爪の跡がほとんどありません。土が固いとシカの蹴爪は跡がつかないんです。一週間前からきのうの夜まで霖雨がありました。この地面もぬかるんでいます。ですから一週間以上前の足跡だと推測できますね」

 元神威はわずかな手がかりから時間まで遡る。

「足跡の歩幅に注目してください。間隔が狭いでしょう。つまりこの獣道を歩いて通ったということです、走ったのではなく。獣道には、餌を探しに行くもの、縄張りを巡回するためのもの、逃走用のものなど、用途に沿ったものが別々に存在します」

「獣道に生活道路とハイウェイがあるのか」

「巻き狩りでは犬に獲物を追わせますから、わたしたちはそのハイウェイを探して陣取るのです」

 森は平等だと元神威はいう。証拠も情報もそのまま残す。人間も動物もひいきしない。海とおなじだ。海は艦娘も深海棲艦も区別せず呑み込んでいった。

「こちらの足跡には糞がありますね。黒豆みたいな小さな粒がコロコロと集まっているでしょう。糞は貴重な情報源です。そこにも落ちていますね。鮮度はどれもおなじようです。でも大きさがちょっと違う。複数の個体が、まとまった場所、おなじ時間に排泄したということです。複数のぬかるみにあってまだ形状も崩れてない。大きさからアダルト(成体)、三頭程度の小さな群れ、ここを通ってまだ半日も経っておらず、栄養状態も良好。内容物からはこの山に自生するミヤコザサではなくクマイザサの繊維片を多く認められます。ちょうどいまいる山と東の里山はミヤコザサとクマイザサの分布の境界線にあたります。この時期のエゾシカの消化管内平均滞留時間は三十六時間程度。一日半前に食べた、この山には少なく東の山に多い植物を含んだ糞をして、なおかつ排泄とほぼ同時につけられた足跡の向きから考えて、群れが牧草を食べるためにここまで下りてきて、また縄張りのある東に戻っていったようです。目当てのシカに間違いないですね」

 スパイクつきの長靴を履き、髪と猟装が泥で汚れるのもかまわず山林の地面を検分するその姿からは、かつて艦娘だったという彼女の経歴など想像もつかない。

「大事なのは、クマの痕跡がないかどうかです。どの木にもクマの縄張りは刻まれていませんし、糞もない。東の里山の見切りをしている瑞穂さんの報告次第ですが、間違いないと思います」

「あの秋津洲なら、“大丈夫、かも!”っていったりしてな」

「艦娘だったころ、BDA(爆撃効果評価)で誤認をしてしまったことがあるそうで。そのせいでだれかが命を落としたということはありませんでしたし、秋津洲ちゃん自身も笑い話にしていますが、誤認以来、どれだけ確度を高めても断言するのが怖くなったみたいなんです。退役したいまでも口癖に」

 元長波と一緒になって北海道の風のように笑っていた元神威だが、不意に真剣な顔になる。

「それでも山は楽です。海ではどんな恐ろしい敵がいても、波が痕跡のすべてを消してしまうのですから」

 見切りを終えてふたたび集まる。元速吸と元大鯨は見切りを担当した山がカラ山(獲物がいない山)である旨を報告した。索敵は敵を探すというよりは敵がいないことを確かめる作業であるともいえる。獲物はいないがクマもいないという事実もまた重要な情報だった。

「シカの新しい足跡と糞をいくつか発見しました。逃走用の獣道も」

 元瑞穂が地図を元神威に渡す。赤ペンで複数の印と線がつけてある。

「幹に乾いた泥が付着した木や、ヌタ場もございました」

 ヌタ場とは、シカが体表のダニを落とすための泥浴びをする場所だ。泥まみれになったシカはしばしば木に体をこすりつけて掻痒(そうよう)する。

「決まりですね」

 猟長でもある元神威が競る山を定めた。エゾシカは昼夜を問わず数時間ごとに休息と採餌を繰り返す。すぐに包囲する必要があった。シガキ(射手)の元神威、元瑞穂、元速吸、元大鯨が獣道を囲むように配置について実包を装填する。

「じゃあ秋津洲ちゃん、勢子(セゴ)をお願い」

 見切りを四人に任せて待機していた元秋津洲が勢子(追い立てる役。狩りに猟犬を使う場合はその指揮を執る)となって三頭の猟犬を放つ。「Go!」

 山に分け入った犬たちは、ものの数分で獲物をみつけたらしく、ポインター役のカタリナがけたたましく吠え、ハウンド役のちはやが追跡、ベテラン犬のタイテイがすこし離れたところから状況を見定めて二頭をバックアップする。

 追い立てられたシカは本能にしたがった。通り慣れた獣道を駆け抜ける。ひきしまった体躯、伸びやかな四肢、全身に詰められた火薬が爆発する躍動。出し惜しみのない生命の乱費。猟犬たちよりも優速のエゾシカは林立する樹木のあいだを自在に縫って勇躍した。生まれ育った山が守ってくれるはずだった。

「一頭は林道付近を西に移動中。速吸ちゃんと接敵するかも」

 犬たちを指揮する元秋津洲が無線で情報を飛ばす。元速吸がライフルを構える。目の前、わずか三十メートルの距離をシカが横切ろうと現れたのはその直後だった。

 銃声が雷鼓のごとくはためいた。シカは急所である前肢と背骨の交点を撃ち抜かれた。転がるように倒れる。なおも逃走を図ろうと立ち上がり、ふたたび崩れ落ちてもがいていたが、やがて動かなくなった。閉じるでもなく見開くでもないまぶたから覗く深い目は、もうなにも映さない。

 元長波は両耳をてのひらで押さえたまま息をひそめていたが、元神威がライフルの銃床を肩に押し付ける気配で銃口の先を覗きみた。「神威さん、そっち行ったかも」無線の声。犬の吠え声も近くなってくる。荒れ山だった。茂みが山を支配していた。木々のあいだを埋め尽くす茂みが揺れる。元神威は矢先を向けたまま撃たない。茂みはすぐに沈黙を取り戻した。元神威が息を小さく吐く。森の奥から空気を叩き割るような銃声が響いた。元長波の心臓が跳ねあがる。胃液がせりあがる。大丈夫。おちつけ。元長波は自分をなだめる。

「かっこいいところをみせたかったのに」

 撃ち損ねた元神威は舌をだして脱包した。

 猟果はエゾシカ三頭だった。体高はどれもおよそ一五〇センチ。角の枝が四段だから四歳以上だとわかる。

「きれいに仕留められましたね。さすがです」元瑞穂がいう。

「神威さんがいい配置を指示してくれたのと、ワンちゃんたちがうまく追い詰めてくれたおかげですよ」元速吸が照れる。互いにねぎらいながら獲物を軽トラックの荷台に乗せていく。元長波は不思議そうに眺めている。ひと仕事終えたあと駆逐艦娘なら軽口を叩く。「冗談だろう、生きてたのか? 敵も役立たずだな」「おまえがいるってことは、まだ生きてるな。わたしは天国行きでおまえは地獄行きだから、死後の世界ならおまえがここにいるはずがない」。軽口は精神の均衡を保つための知恵だった。きっと元駆逐艦娘が元神威たちだったら、こういい合っているだろう。「うまいもんだろ?」「ああ。おまえの旦那よりは命中率がいい。毎晩空砲でも撃ってんのか」。戦闘を仕事とする駆逐艦娘と、補助的な任務に従事する特務艦娘たちとは、先任から受け継ぐ文化が違うのかもしれない。

「最後に撃ったのはどなたですか?」

「瑞穂です」

 元神威に元瑞穂が手を挙げる。

「瑞穂さんの前へ行ったということは、やっぱりあのガサガサはシカだったんですね。見えなかったから撃たなかったの」

 シカを元大鯨とふたりがかりで荷台から下ろしながら元神威が苦笑いする。元長波も揺れていた茂みを思い出す。

「ガサドン事故は怖いですからね。賢明な判断かと」

 シカの前肢をつかむ元大鯨がいった。

「ガサドン事故?」

「茂みから音がしたのを獲物だと思って、ハンター仲間や登山とかに来た一般人を撃っちゃう事故のことだよ。けっこう多いの。銃による狩猟で年間二、三人が亡くなってて、けが人はその何十倍もいるんだけど、原因の半数はガサドン事故」

 元長波に元秋津洲が答える。

「ですから、獲物の姿をはっきり視認するまでは、絶対に撃ってはいけないんです」

 一升瓶の清酒を持ってきた元速吸が付け加える。艦娘もまたIFF(敵味方識別装置)などフリートロニクスの発達と配備が進むまでは誤射に悩まされた。ある夜戦では被弾した艦娘のうち八割は友軍からの誤射によるものだった。人間はチャンスが目の前に転がってくると、安全を確かめるよりも、獲物を取り逃がしたくない心理が働くらしい。

「本当は目視できる経路をシカが通ると想定してたんですけど、まだまだですね。シカに遊ばれてる」

 元神威は元大鯨と協力して最後の獲物を下ろしながら正直に告白した。だれもがそんな元神威に信を置いているのだと元長波は感じた。

 元瑞穂はトラックから下ろされて横たわる三頭のシカに(さかき)を置いていく。全員が黙祷したのち、清酒を御神酒として口に含んで吐く。「長波さんはお車じゃありませんから、お飲みになってもけっこうですよ」元速吸が勧めるが、元長波も彼女たちに倣って含むだけにとどめる。

「獲物は山の恵み。だから感謝の意をささげることが大切だって猟友会の人たちに教わったの。だから解体する前にはかならず黙祷を」

 元秋津洲が解説した。

「一種の儀式なんです、殺生を当然のことにしないための。命をいただくことは特別なことだと思い出すための」元神威がシカの一頭をデッキブラシで洗って泥を落としながら複雑な顔でいう。「でもわたしたちは、あの戦争で死というものに慣れすぎた。わたし自身が沈めた深海棲艦はけっして多くはありませんが、わたしが偵察機で発見した敵を僚艦のかたが撃沈したり、手紙で連絡をとりあっていた同期からの返事がこなくなったかと思えば、別の同期からその子の轟沈を知らされたり。だからいまさら動物を殺しても、とくになんとも思いません」

 以前、元神威たちの駆除隊に参加を希望したハンターがいた。若い男性だった。狩猟免許をとり、銃の所持許可をとり、地域の狩猟許可証をとったばかりの新人で、出猟もはじめてだったらしい。いきなり実戦で射撃させるよりはと、罠にかかった獲物のとどめを刺させることにした。檻のような箱罠に閉じ込められた獲物が相手なら練習にぴったりだと思った。ちょうどそのとき箱罠には子供のイノシシが捕らえられていた。

「魚はあんまり小さいと逃がすが、イノシシは子供でもやっちゃうのか?」

 元長波はガットナイフでシカの腹の皮を縦に切っていく元神威に問いかける。内臓、とくに大腸を傷つけると糞便が肉に付着して臭くなり、病原性大腸菌の感染リスクも高まるため台無しになってしまう。元神威の手際は鮮やかだった。

「罠にかかった獲物を逃がすとスマートディアになって、もう二度とおなじ罠にはかかりません。かわいそうだと放してやって、そのイノシシが田畑を荒らすようになったら、相当にやっかいな相手になります」

賢いシカ(Smart Deer)?」

「シカは狩りの獲物の代名詞ですから、人間が使う捕獲方法を学び、対策を講じるようになった動物は、スマートディアと呼ばれます」

 

 戦争前半における駆逐艦娘の月間損耗率は一〇〇パーセントに近かった。一ヶ月で駆逐隊の編成が総入れ替えになった。駆逐艦娘は配属された瞬間から平均寿命が半月となり、一ヶ月後には全員が轟沈していた。

 黎明期から中期までは艦娘という史上前例をみない兵種の扱いを用兵側も理解できていたとはいいがたく、有効に運用してなおかつ生還させる技術もノウハウも皆無だった。深海棲艦という正体不明の敵にパラダイムシフトを余儀なくされ、その能力の一部を人間に移植した艦娘をどう運用すべきか、だれにも答えが出せないまま適切とはいえない編成で出撃させなければならないことも多々あった。艦種ごとの分業も徹底されていなかった。対潜兵装をもたない戦艦や正規空母が潜水艦を狙うといった珍事もたびたび発生していたほどである。大海原で遭難した艦娘の捜索救難態勢も不十分だった。これらの複合的要因が致死率を高めていたのである。

 月間損耗率一〇〇パーセントを生き延びる艦娘もごくまれに存在した。最初の一ヶ月を生き延びた艦娘は逆に生存率が飛躍的に高くなり、すさまじいスコアを稼ぐようになった。

 実戦配備された最初の文月(ふみづき)である302-070001はその好例だろう。元長波も一度だけおなじ艦隊に配属されたことがあった。建造(人間を艦娘にすること)の初歩である寄生生物適合手術でさえ技術不足ゆえ多くの艦娘候補が生きながら内臓を溶解される時代、まして事実上の特攻以外に戦術が存在しなかった時代にあって、戦場に立ったはじめての文月シリーズであり、戦争経験者としては現在も存命である唯一の文月シリーズ。白い壁と白い塀に囲まれて余生を過ごしているというあの文月も、一種のスマートディアなのだろうか。

 時代が下ると運用方法も確立され、GPSが使えるようになり、コンバットレスキュー体制も充実したこともあって、駆逐艦娘の致死率は有意に低下していった。それでも配備後一ヶ月の生存率は依然高いままであり、それを越えるとやはり致死率が劇的に下がると統計が証明しているため、新造艦はまず演習で最初の十ソーティーをこなすなど、艦娘をなるべく死なせないよう、あまたの犠牲から得られた戦訓をもとにしたさまざまな工夫がこらされることとなった。

 わたしは恵まれた時代を生きたんだ、あの文月と違って。わたしはスマートじゃない。元長波は自分と、世間がいうところの英雄とを同一視しないよう心がけている。

 

「だから今回も三頭全部ハントしたのか。逃がすと犬を使った狩りを学習されるから。もっといえば、こちらの頭数で全部射殺できる規模の群れしか最初から狙わなかったのか」

 元長波が感心してみせると、シカの腹を流れるように裂いている元神威がわが意を得たりと微笑を浮かべる。

「全滅がむずかしいようなら、一発も撃たないどころか、犬もださない。スマートディアをつくらないことがわたしたちの目標です」

 その鉄則にしたがい、罠にかかってしまった、抱きかかえられるほどしかない子イノシシも殺さねばならなかった。散弾銃を檻に突っ込んだまま保持して、なかで暴れ回っているイノシシの頭が射線に入った瞬間に引き金を引けと、若いハンターに指導した。イノシシは変わらず奇怪な悲鳴をあげ突破口を探して暴れる。運命にあらがう。照星と子イノシシの首の付け根が重なった。彼は一撃で頭を撃ち抜いた。せわしなく右往左往していたイノシシは電池が切れたように昏倒した。感電しているような痙攣。スラグ弾の命中した箇所から溢れだした鮮血が地面を赤く染めていく。それまで念願の狩猟に興奮していた若いハンターは、打って変わって無口になり、肉の分け前も受け取らず、思い詰めた顔のまま帰った。去り際に元神威にこう呟いた。「生きているって、特別なことじゃないんですね」。以降、狩猟には二度と参加しなくなったという。

「きっと彼は、狩猟に、ある種の憧れを抱いていたんだと思います。大自然を舞台に繰り広げられる野生動物との息詰まる駆け引き。間違ってはいませんが、最終的にはわたしたちとおなじ赤い血を流す生き物の命を奪うことです。さっきまで生きて動いていた動物が自分の手でただの肉になった。彼はそれを理解したくなかった。命が指一本曲げただけで簡単に失われる、なら命とはなにか、撃つ前と撃ったあと、生きているときと死んだあと、おなじ肉体なのに、いったいなにが違うのか。命とはしょせん脳による電気信号で肉体が統率されているだけなのか。なら自分も? 家族も? 恋人も? みんな生きていると勘違いしているだけで、死体と変わらない組成の肉体を脳が騙して動かしているにすぎないのか……。生きていることがあまりにむなしく思えたんでしょうね。かわいそうなことをしました」

 肋骨を開いてあらわとなったシカの臓物が湯気をあげる。この高い体温が肉質を劣化させる。元神威らは助け合いながら三頭のシカを手早く捌いていく。食道と気管を断ち、直腸を縛ってから、内臓をひとまとめに摘出する。四つの胃。ソラマメのようなかたちの腎臓。赤紫の巨大な肝臓。青白い腸管。肺に横隔膜。そして心臓。

「わたしたちはみんな首をかしげました。害獣の命を奪う程度のことで気に病む理由が理解できなかったからです。たとえ獲物の殺生を自分にまで拡大して考えたからだとしても、生き物は死ぬまでは生きているし死ねば死ぬなどということは、わかりきったことでした」と元速吸がいう。

「戦時中は戦地でなくとも死が隣人だった。どこそこの娘さんが戦死したらしい、あの家はお母さんも艦娘として出征してるのにって。世間話にだれかの死が自然に陳列されてた。わたしたちが生きてたのはそういう時代だった」

 元神威が網目模様のびっしり入った蜘蛛の巣のような腸管膜を密閉式のビニール袋に詰めるのを見学しながら元長波は述懐する。シカでもっとも美味な部位だと元神威は片目を瞑ってみせる。

「でも、彼のような反応がむしろふつうなんじゃないかって思って」元大鯨が山のような臓器をシカの腹から取り出しながらいった。湯気をまとった臓物は煮えているかのようだった。「わたしたちのように、なにも感じないほうが異常なのかもしれない、そう考えると、すこしショックでした。退役して、ふつうの暮らしをしていたつもりなのに、メッキが剥げちゃった気がしたんです」

「ですから、獲物を殺めることを建前だけでも特別視しなければならないと思い、どれだけ時間が惜しくても、感謝の儀だけは入念に行なわさせていただいています」

 元瑞穂も慣れた手つきで大型のシカを捌きながら引き取る。

「人間は演じているうちにそのとおりの人間になるものです。艦名を与えられて艦娘として振る舞っているうちに、本当に艦娘らしくなる。人見知りしていた女の子でも武蔵を拝命して一年もすれば堂々とした風格になります。それとおなじで、獲物の命を奪うことに複雑な感情を抱き、山と獲物に感謝をささげるポーズをしつづけていれば、わたしたちも生き物の死に敏感な、普通の神経をもった、普通の人間に戻れるんじゃないかと」

 元神威は内臓が抜かれて腹腔が伽藍となったシカの脚にロープをスリップノットで結びながらあきらめたように笑う。

「大変です。心まで陸に戻るのは」

 ロープの逆端は杭にトラッカーズヒッチでつないである。海軍出なのでロープワークはお手の物だった。ロープにつないだシカを川に沈める。冷やすためだ。

「冷却しないとお肉が臭くなりますからね」

「血抜きだけじゃ駄目なのか」

「臭みの原因は血じゃないよ」

 元秋津洲が解体を担当しているシカを示す。

「飲んでみるとわかるかも」

「血を? 飲めるの?」

 勧められるまま、シカのまだ温かい体内にたまっている血液を手で掬い、深雪の幻影を振り払い、またその葛藤をおくびにも出さず、ひと口啜る。喉を過ぎて一拍。元長波の顔に驚愕がひらめく。

「甘いな。砂糖で煮詰めたみたいだ。これがシカの血か」

 人間の血とはまるで違う、とはいわない。血まみれの口許をぬぐいながらシカのしなやかで強靭な筋肉に目を動かす。

「そうか、瞬発力と持続力の両方を兼ね備えるため、シカの血液は血糖値が非常に高いんじゃないか?」

「だから血液は腐敗しやすいの。恒温動物の血は無菌だけど、銃で狩るとどうしても傷に土を巻き込んじゃうでしょ、それで雑菌もいっしょに入ってきちゃう。生きているシカの体温は四十度。死ぬと徐々に体温が下がってって、三十五度付近で雑菌がものすごいスピードで増殖しはじめる。雑菌に血液が分解されて、腐敗ガスが貯まって、その臭いがお肉に移ると、血なまぐさい味って奴になるわけ」元秋津洲が元速吸と協力しながらシカを冷水の流れに放り込む。「だからこうして急いで冷やして、雑菌がいちばん殖えやすい生ぬるい温度帯をちゃちゃーっと通り越させるの」

「そういえば、むかし、レーベレヒト・マースにBlutwurst(ブラッドソーセージ)を食わせてもらったことがあった。クセはあったが美味かったし、臭くもなかった。血そのものには匂いはないんだな。尿も出したては無菌だから臭くないが、空気中の微生物が分解してアンモニアになるせいで臭うようになるってのとおなじか」

 元長波は感心する。ジャムの洞窟で自分の尿を飲んでしのいだことはいわない。

「もちろん腐敗は血液からはじまりますから、血抜きは無駄ではありません。でもどうしても傷口から遠い血管の血は残ってしまいますから、体温を下げてやったほうが効果はずっと高いんです」

 元神威が補足する。あとは川がシカの肉を微生物が増殖しにくい低温にまで冷やしてくれる。都合よく水場があることに元長波は気づく。元神威は冷却できる場所が近くにあることも加味して競る山を見定めている。

 

 昼を挟んでふたたび山に入る。腰まであるくさむらをかきわけ、わずかな気配にも神経を研ぎ澄ませる。

「匂いますね」

 元神威がささやく。

「この時期のオスジカは精液を漏らしながら歩き回るんです。その匂いがするということは、相手が風上に来てる」

 元長波は唾で濡らした指をかざす。北からの緩やかな至軽風。空気の匂いを嗅いでみる。鬱蒼と繁茂する木とササの青い匂いしかしない。パン屋の前を通るといい匂いがするが、パンを食べたことのない人間にはなんの匂いも感じられないという。自分は情報を受信するためのチューニングが合っていないのだろうと元長波は納得する。

「今回は犬を使いません。完全にストーキングになります」

 元神威が秋津洲に無線で指示する。「秋津洲ちゃん、ゲットバックコマンドをだして」猟犬はゲットバックコマンドを指令されるとただちに勢子のもとへ帰るよう訓練されている。

「犬の力を借りて炙り出さなければならない場合は頼りますが、それ以外では忍び寄って狙撃します。基本は、ファーストルック、ファーストシュート、ファーストキルです」

 敵より先に敵をみつけ、先に撃ち、先に殺す。対深海棲艦とおなじだ。

「シカ臭いですね」

 群れに近づいたことを感じ取った元神威が、頭に叩き込んである地形からシカたちの現在地を割り出し、シガキたちに配置を伝えていく。元速吸、元瑞穂、元大鯨が静音で移動する。

 慎重に歩みを進めていた元神威が右手で制止する。元長波も立ち止まった。耳を澄ませる。

 耳のいとまが続いた。無音がうるさかった。森の上空を航過していくオオワシの羽ばたきすら明瞭に捉えられる。元神威は堂々旋回する巨翼を無心に眺めている。指をさして元長波に教える。「カパッチリカムイ」遠い祖先が畏敬の念を込めた猛禽の名をささやく。「冬になればコンルエタヤンで羽を休める姿をみることもできますよ。朝陽をバックにしてたりすると、とても神々しいんです」純白の流氷が凍てつく海につくる氷原を元神威の先祖たちはコンルエタヤンと呼んだ。獲物とはまったく関係ない動物をみつめて思いを巡らせる。殺気を消すために編み出され受け継がれてきたアイヌの知恵だ。

 また下生えを分けて進むと、おもむろに元神威が元長波に振り向いて、無表情で前方を指さす。元長波は元神威の隣に移って雑木のはざまから目をこらす。

 前方は植生の密度がやや低い場所になっていた。戦時中、北の魔女とあだ名された北方水姫ひきいる戦艦戦隊の領海侵入を許したさい、敵砲弾がいくつか新冠にも飛来、弾着した。その痕だという。窪地は敵の巨弾にえぐられてできたものだ。なぎ倒された樹木もある。かつて村があったのか、目をこらせばあばら家も散在していることもみてとれた。それらも雑草や蘚苔類の緑は分け隔てなく覆っているため一見しただけでは流れ弾による被害があったとはわからない。戦争の惨禍も自然は長い時間のなかで優しく癒して風化させてくれる。

 元長波が羨望を抱いていると、その視線が固定された。

 砲撃痕付近に小さな褐色の影が揺れる。エゾシカだ。四頭。好物のササを食みながら、元長波たちからみて左の方向へゆっくり進んでいる。牧歌的な光景そのものだった。交代で一頭があたりを見張っているが、包囲網には気づいていない。

「ちょうどいいですね。ひとり一頭、一射で仕留めます」

 実包を装填した元神威が狙うべき標的を小声で無線連絡する。狙撃は同時。全員が射撃完了となるタイミングを見計らう。

 遠いなあ。スコープを覗く元神威がうめく。元長波も測距してみる。ヒッチハイクをするように右手の親指を立てる。シカは親指の爪の半分ほどの大きさだった。

 元長波がまっすぐに前方へ腕を伸ばせば、目から親指までの距離は六十五センチ。親指の長さは六センチで、指先から第一関節は三センチ、自由縁(爪の白い部分)を除いた爪の長さは一・五センチだ。爪の半分なら体高一五〇センチのシカの見かけ上の大きさは〇・七五センチということになる。つまり一五〇/〇・七五で、縮尺は二〇〇倍。

 元長波の腕の長さは六十五センチなので、六十五×二〇〇で一万三〇〇〇センチ、すなわちシカとの距離は一三〇メートルと算出できる。

 元長波は元神威とおなじ感想を抱いた。砲戦なら通例で数百メートル、ときにはキロメートル級の距離を挟んで展開されるが、砲弾は弾片で加害半径を形成するから、かならずしも直撃させる必要はなかった。渺漠たる大海では逃げ場がないため、こちらの位置が暴露してでもとりあえず試射を敢行し、弾着を修正していたのである。

 だがライフルでの狩猟では直撃しか許されない。しかも、と元長波はシカの周囲を見わたす。海と違って一秒でも走れば木々やくさむらといった遮蔽物に隠れてしまう。おまけに撃った部位が悪ければとれる肉も減る。試射もなく、初弾を急所に命中させなければならない。五十メートルでも遠い。

「こちら大鯨、いつでもいけます」

 元大鯨をはじめ、元速吸、元瑞穂も射点を確保したと連絡してくる。元神威からシカたちはまだ一〇〇メートル以上ある。

 シカたちは緩慢ながら移動していく。

「こちら速吸、目標が木陰に隠れます」

 元速吸からの角度では狙撃が不可能になりつつあった。ひとりでも撃てなくなれば四頭とも見逃さねばならない。

「合図で撃ってください」

 元神威の即断に元長波は動揺を抑えかねた。シカは米粒のようだ。元神威がカウントダウンしていく。小さく、しかし力強く号令する。「てェ!」

 落雷のような発砲音が陰森と空を引き裂いた。元長波は両耳をふさいでいたが頭蓋と脳を貫かれるようだった。時間差で三発の銃声がこだまする。叫びたくなるのを我慢する。おまえは動じたりしないはずだと自分に言い聞かせる。

 固く閉じていたまぶたをほどくように開くと、四頭のシカはいずれも横に倒れ、泳ぐように四肢を踊らせていた。

「見事なもんだ」

 元長波が衷心から讃えると、元神威は安堵の息を漏らした。シカはもう動いていない。

 

 シカたちはいずれも首と胴体の付け根付近を撃たれてほぼ即死だった。射距離がもっとも遠かったのは元神威だが、もっとも急所近くに命中させていたのも、また元神威だった。

「きっと極上の味になりますね」

 捌きながら元大鯨がいった。

 追いかけて疲労したシカを緊張状態のまま殺すより、リラックスしているところを即死させるほうが肉はやわらかく美味になるという。

 三十分で内臓を抜いて冷却しているあいだ、午前中の獲物を軽トラックに乗せる。枝肉でも重さ一〇〇キロ内外もあるためふたりがかりでないと移動もできない。

「退役するときにパワードスーツだけでも貰っとけばよかったかもって、このときは毎回思ってるよ」

 息を切らせた元秋津洲が元長波に苦笑した。

「楽だったもんな、山のように荷物背負えたし」

「秋津洲の艤装は五十キロくらいだったけど、駆逐艦だとどれくらいになるの?」

「睦月型で、基本装備に燃料と弾薬を積んだ満載状態で七十キロ、重武装の夕雲型なら九十キロだったな。それでも軽いほうだよ。戦艦の艤装なら軽荷状態でも二〇〇キロはある。たしか大和型で三二五キロだったか。これに拡張装備や各種装具のほか、修理用部品がだいたい三十から五十品目で、自力修理用の工具が駆逐艦なら二十種類、戦艦で三十種類、空母なら一五〇種類」

 元長波は指を折りながら思い出していく。

「着替えとか飲料水とか携帯口糧、簡易医療キット、オムツに生理用品、携帯消火器、記録用のデジタルカメラ……ああこれは録画可能な義眼ができてからは携行してないんだっけ……ほかにはガスマスクに、自分の砲撃や至近弾の衝撃で舌を噛まないためのマウスピースとその予備、信号旗、対空布板、本体と艤装の神経接続用コネクタの予備、万一の遭難に備えてサバイバルナイフだのテグスだの、真水精製キットだの円匙だの塩だの、作戦によってはNBCキット、基地航空隊にターゲットを指示するレーザー・デジグネータ、携帯バーナーにテント一式、寒冷地なら極寒地用装備、気温の高い地域ならマイクロクライメイト・クーリング・システム一式などなど、OSM(On Ship Material)(艦載装備品)はいくらでも重くなっちゃうからな」

 戦闘職である駆逐艦娘の携行装備品の多種多様さに、元神威たちが目を回す。艤装とOSMをあわせた総重量は駆逐艦娘でも二五〇キロに達する。強化外骨格がなければ立ち上がることすらできない。

「ただでさえ重いってのに、アップデートのたびに増槽とかスーパーバード衛星通信アンテナとかの外装品を足していくもんだからさ、block60あたりじゃゴテゴテしまくってみっともない肥満体みたいになってた。神風型や睦月型のすっきりした艤装がうらやましいって、みんなぼやいてたよ」

 それだけ初期型の艤装は拡張性に乏しいということでもある。

 捕殺した獲物の肉はジビエ専門の食肉処理施設へ持ち込むという。

「すぐにはバラさないんだな」

「死後硬直の前に骨を外すと、お肉が縮みすぎて肉汁が抜けちゃうんです」

 元速吸が柔和な笑顔で応じる。

「ですので、死後硬直が解ける死後二十時間以降に、お肉と骨を分離して精肉にするのが望ましいとされています」

「狩猟ってのは新鮮な肉が手に入るのが醍醐味なのかと思ってたけど、一日放っておくもんなのか」

「食べ物は新鮮であればあるほどよいと考えられがちですが、お肉に関しましてはそういいきれないんです。獲りたてのお肉は固くて味もよくないですし」

 筋肉と食肉は似て非なるものだ、と元速吸はいう。

「まず動物を屠殺しますよね。放血や内臓摘出ののち、冷却し、皮を剥いで、枝肉にカットして、熟成させ、つぎに部分肉にカットし、最後に精肉としてカットします。これでようやくお店に並ぶことになりますね。ですから、一般にわたしたちが買えるお肉は、おおむね一週間以上前に屠殺されたものということになります」

 単に味の問題だけではなく、安全性も重要だ。家畜は飼育から屠殺、処理まで設備や手順が法律により厳しく定められ、病原菌の汚染リスクを極限まで抑えている。ジビエの場合は元が野生動物であるため、食肉に病原菌が付着しないようハンターが自分で管理しなければならない。美味しく食べるためには熟成が必須だが処理に不手際があると腐敗する。汚染された肉は器具やキッチンを微生物で二次汚染してしまう。肉によく火を通せばいいという問題ではない。

「捕殺したその場で内臓を抜くのは、病原菌やウイルスを保有している可能性の高い消化器官を、運搬手段や処理施設に持ち込まないためという理由もあるんです」

「中抜きは衛生面の上でも大切だったんだな」

 午後のシカも回収して山を下りる。処理施設はふもとのそばにあった。古民家を改造したものらしい。

「ここのオーナー、神威さんなんですよ」

 元速吸にいわれて元長波が仰天する。元神威が心なしか誇らしげに案内する。

「捕殺したゲームミート(狩猟で得た獣肉)はここで熟成させています」

 低温に保たれた熟成庫にシカやイノシシの枝肉、首を吊られたカモが整然と並ぶ。照明を工夫すればカルト教団のアジトのように演出できそうだ、と元長波は思った。扇風機の冷風が枝肉を乾燥させている。熟成が進んだ肉は表面が黒ずんでいるが、悪臭はなく、むしろ庫内はナッツのようなまろやかな香りで満たされていた。

 肉は熟成させてはじめて食肉になる。熟成とは、枝肉を冷暗所に数日から数週間安置して、筋肉のタンパク質をうまみ成分のアミノ酸に変化させることだ。牛肉なら四十日の熟成を経るとアミノ酸が五倍以上に増え、繊維がほぐれて、八割の力で噛みきれるようになる、と元神威は話す。

「ジビエの肉を熟成させることをフザンタージュといいます」

「フランス語か」

「直訳すると、(フザン)の熟成、となります。もともとフランスでは狩猟で得た雉を腐る寸前まで吊るしておいたことから、現在ではジビエの熟成を意味するそうです」

 現役時代に交流のあったコマンダン・テストさんからの受け売りなんですけど、と元神威は小さく笑みをこぼした。

「なんでジビエ限定なんだ?」

「畜産肉はただうまみを増やすだけですが、ジビエの場合はその動物ごとの個性を引き出すからです」

 雉には雉の、シカにはシカの、イノシシにはイノシシの風味があり、しかも個体差がある。牛や豚は親の代から完璧に管理された環境で全頭がおなじ餌を食べて育つから風味も画一化されている。おなじスーパーマーケットに並んでいるおなじ商品名の牛肉が、パックごとに味が違うなどということはない。

「ジビエは野生動物ですから、個体ごとに歩んできた歴史が違います。どんな親から生まれたか、性別、なにをどれだけ食べて育ったか、どんな敵と戦ってきたか。狩った季節は、年齢は、どんな狩り方をしたか、捕殺から解体、冷却までの時間は、手際は。枝肉になるまでのあらゆる条件が個体によって異なってきますし、どんなお料理に仕上げたいかによっても、適した熟成の方法が変わってきますから」

 カモをフザンタージュさせている一角を指す。よくみると羽毛をむしられているものとそのままのものが混在していることに気づく。

 動物の本来もつ個性を引き出したいなら放血せず内臓を抜かず毛も剥がないままフザンタージュして野性味を肉に移す。ただし個性とはクセそのものだ。強いクセを活かせる料理の知識と技術がなければただの臭い肉になる。

「野生動物の肉は臭いって話を聞くが、そりゃつまりフザンタージュの方針が間違ってるとか、そもそも中抜きとか冷却とかの下処理がへたくそだったとかいうのが原因なのか」

 まさにそのとおりだと元神威は力強く頷いた。

「カモのような雑食だと、木の実など草食を好む個体の肉は風味が上品で、貝や魚をよく食べている個体は生臭くなる傾向にあります。このように個体の食性によって変化する風味をテロワールといいます。ワインではしばしば聞く言葉だと思います。アビエ(下処理)をするさいに消化器系の内容物からなにを食べていたか調べることも、屠体を処理する猟師の重要な仕事です」

「ジビエでお目当ての料理をつくろうとすると、それに合うようなテロワールの個体をしかるべき方法でフザンタージュさせた食材を選ばなきゃいけないわけか。よくいえば奥が深いが、悪くいえば、めんどくさいな」

「そこに、わたしは目をつけたんです」

 元神威は吊られている一羽のカモを手に取った。

「これは秋津洲ちゃんが狩ったものです。長波さんがいらっしゃると聞いて、一週間フザンタージュしておきました」

 元神威がいうと元秋津洲が胸を張って鼻を鳴らす。元長波は元秋津洲に人差し指を突きつけて笑みを浮かべる。元神威はキッチンに立つ。

「では、このカルガモでいまのわたしたちのお仕事を説明いたします」



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十八  ラプソディア・シャアンルルー

 元神威が首を切断したカルガモの羽毛をむしり、残った産毛もバーナーで焼く。

 鳥の肉は部位ごとに筋膜におおわれたブロックになっているので、筋や関節に刃を入れるだけで簡単に解体できる。艤装を分解するようにもも肉、胸肉、手羽とたやすく分離していく。胸肉からさらにささみを切り離す。ほかの肉からも丁寧に骨を抜く。

「カモといえば胸肉ですが、軽くソテーしてみましょう」

 塩とこしょうを振り、サラダ油とフライパンで皮から焼いていく。黄金色に焼けたらいったん休ませて余熱で内部まで火を通す。まだカットしない。肉が休まる前に切ると肉汁が流れ出てしまう。

 休ませている間にソースを用意する。ベースとなるフォンの鍋を元大鯨が引っ張り出す。二日前に別のカモを捌いたときに仕込んだものだ。にんにくを炒めて油に香りを移し、カモの首や骨、くず肉といったガラを投入して、焼き目がついたら水とローリエを加えて、消える直前というくらいの弱火でとろとろと煮出していく。強火だと雑味が出るという。そうして二日煮込んで丹念に灰汁を取り除いた上澄みが、黄金に輝く出汁となる。

「カモのガラからとったフォンなので、フォン・ド・カナールといいます。子牛の骨からとるとフォン・ド・ヴォーになりますね」元大鯨が解説する。

 元神威が別のフライパンにワインヴィネガーとグラニュー糖を入れて強熱する。水飴のような粘りけを帯び、茶色く色づいて煙が出はじめたら水を勢いよく加えてさらに煮詰める。割合はグラニュー糖十・ヴィネガー二・水五。全体が濃いカラメル色になったらガストリックができあがる。

「ガストリックそのものはどんなお料理の隠し味にも使える万能調味料です。フォンと違ってすぐつくれますし、冷蔵庫なら二週間くらいもちますのでつくり置きしてもいいですね」焦がしすぎないように木べらで混ぜながら元神威がいう。

「どんな料理でも?」

「ステーキのソースですとか、カレー、シチュー、お鍋、おうどん、ほかにはアイスクリームにかけたりとか。小さじ一杯で深いコクと複雑な味わいが出ます」

 今回はガストリックにオレンジジュース五〇〇CCを入れて溶かすように煮詰め、嵩が半分くらいになったらフォン・ド・カナールを加えてまた煮詰める。

 同時に、元秋津洲はカモの胸をソテーした油の残ったフライパンで、ニンジンとタマネギのミルポワ(さいの目切り)を炒める。野菜がしんなりしたあたりで油を切る。ミルポワのフライパンへ、元神威が煮詰めたソースを注ぎ込み、さらに火を入れる。

 煮込み終わったら、ソースをシノワ(濾し器)でパッセ(濾す)して、水溶きコーンスターチで粘度を足し、塩こしょうで味を整え、レモン汁四分の一個ぶんと、グランマニエ(フランスのオレンジリキュール)で風味をつける。最後にひとかけらのバターでモンテして艶とコクを与えれば、フォンとガストリックと柑橘の果汁からなるオレンジソースの完成だ。

 カモ肉を切り分ける。しっとりと初恋の色に染まった断面。「まず、カモのお肉だけを召し上がってみてください」元神威に勧められるままフォークを刺して口に運ぶ。深雪の味がするかもしれないという不安は杞憂だった。味も風味も食感もまるで違う。

「肉に旨みがぎゅっと詰まってるな。噛むたびに舌がよろこんでる。でもレバーみたいな臭みがあるから、苦手な奴は苦手かもしれない」

 正直に述べると元神威は拳銃をかたどった手で指をさした。

「まさにそのクセこそが、ジビエの最大の特徴であり、同時に最大の弱みでもあるんです。畜産肉はよほど敏感な人でないと臭いとは感じません。クセがないからだれでも食べられる。けれどジビエとクセは切っても切れない関係にあります。どんなに取り除こうとしてもかならずわずかながら残ります。ですから、むしろ個性として逆用するわけですね」

 カットしたカモの胸肉を白皿にもりつけ、オレンジソースをかけて、目を楽しませるためにパセリをそばに置く。カモ肉の薔薇色、オレンジソースの山吹色、パセリの緑が鮮やかに皿を彩る。

「では、召し上がれ」

 ねっとりとしたオレンジソースのからむカモ肉を噛む。「これは」一口めで元長波が驚く。

「旨みと表裏一体だったカモの臭みがオレンジの甘みと柑橘系の香りで打ち消されていて、まったく気にならない。そのせいか旨みだけがより強調されて、フォンや香味野菜の風味と相乗効果をなして、カモとソースが互いを引き立てている。カモだけならクセがあるし、ソース単独では甘ったるい。だけど、ふたつが合わさることで双方の長所が活かされ、短所を補いあっている。まさにいいとこどりだ。こんなに化けるなんて」

 慣れない山歩きで空腹だったこともあるが、元長波はひと皿を軽く平らげた。

「ジビエには種類だけでなく個体によっても個性があります。だからお肉によってレシピを変えるんです」元速吸がうれしそうにいう。「お肉が固いようならみじん切りにしたタマネギに漬けてシャリアピンにするとか、臭みがあるようなら煮込みにするとか、お生姜やお味噌やネギといった匂いをごまかす調味料を使うとか。このカモなら臭みを消して旨みを引き出すためにオレンジソースを合わせるとかですね。ときにはその場で新たなレシピを創造することも。工夫すればかならず美味しくなるのがジビエです。ジビエは“美味しいか、美味しくないか”じゃなくて、“美味しいか、美味しく調理するか”なんです」

 なるほどと元長波は感心する。

「長波さんは、猟師というとどんなものを想像しますか?」

 ナプキンで口を拭う元長波に元神威が尋ねる。

「鉄砲かついだむさ苦しいおっさんが、獲った動物の肉を食って、毛皮を売りにたまに町へ下りてくる」

 思うままを答えると、元神威たちがくすくすと笑う。自分たちもかつては元長波とおなじだったという笑いだった。

「そういった専業の猟師は八十年代までにほとんど絶滅してしまいました。現在でもわずかながらいらっしゃいますが、ごく一部の人にしか許されない生活であることには違いありません」元瑞穂がいう。

「狩猟が日本人の生活の一部だったのに?」

「太平洋戦争が終わって間もない時代は、冷凍冷蔵技術も未熟で、交通網も整備されていなかったため、現代のように畜産肉の供給体制は万全ではありませんでした。とくに地方においては狩猟によって食肉を確保せざるをえなかったのです。当時は毛皮も高値で取引されていて現金収入が期待できましたから、つねに若い新規参入者が確保できていました。ところが高度経済成長とともに、猟師の供給源だった農山村社会が衰退し、輸入の増加と動物愛護思想の普及で野生の獣肉や毛皮の需要が減ったことによって、狩猟は生活の糧を得るための仕事から、逆に、わざわざお金を投じて楽しむ趣味へと変わっていったのです」

 狩猟全盛期といわれた一九七〇年代はハンターが五十万人もいた。狩猟圧によりシカやイノシシの個体数は厳しく制限され、一部地域では根絶にまで至った。しかし現在、国内のハンターは十万人未満にまで激減している。しかも平均年齢が六十五歳と超高齢化が進み、三十代以下のハンターはカモシカよりも少ない。さらに元神威らのような女性となると稀少を極める。

 結果、有害鳥獣は野山に跳梁跋扈し、農業に年間二〇〇億円超の多大な被害を与えるだけでなく、保護されるべき貴重な高山植物までも食い荒らして荒れ山に変えた。強力な食植動物であるシカの激増は毒草以外の植物をことごとく根こそぎにしてしまうから、ライチョウなどの稀少動物から生息地を奪い、保水力の失われた山の崩壊まで誘発して、土壌を流出させ、さらには蹄で地面を踏みしめることで植生の再生も不能にし、永遠の荒野に変えてしまう。のほほんとしているようにみえるシカは、じつは適正生息数を超えると経済と生態系の両方を破壊する悪魔なのだと元大鯨が語る。「これら害獣の蔓延を食い止めること。それが本来のハンターの担うべき役割です」

 元長波も腑に落ちた顔をする。

「有害鳥獣駆除か。なるほど、やってることは現役時代と変わらないわけか」

 深海棲艦との戦いはよく戦争と表現される。しかし、政府は現在にいたるまで、戦争ではなく、有害鳥獣駆除の一環であるとの立場を崩していない。これは深海棲艦が出現した当時の日本の法体制が深く関係している。当時のわが国は建前上、軍隊を保有していなかった。軍の代わりに自衛隊があったものの、正当防衛以外の目的で武力を行使することは固く禁じられていたのである。個別的自衛権は認められていたし、自衛隊の総力を結集できる防衛出動が事実上の戦争命令といえるが、あえて行使しないというのが歴代の政府与党の見解だった。

 艦娘が実用化をみて、自衛隊が運用をはじめたのちも、深海棲艦相手に出撃するには、その都度、災害派遣か、治安出動か、あるいは防衛出動命令の発令が妥当か、議論はつねに紛糾をみた。

 災害派遣は都道府県知事から要請されるか、要請を待ついとまもないほど切迫した事態でなければ出動できない。深海棲艦が遠州灘沖合いにいたとして、そこから静岡を攻撃するのか、東京湾にくるのか、駿河湾か、伊勢湾か、はたまた紀伊水道に移動するか、まったく読めないのでは、どこの知事が当事者になるのか不明なので、要請の出しようもない。深海棲艦といえどもただ航行している段階では緊急の事態とも判断できかねる。どこかに被害が出て、国民のだれかが死傷してからでなければ出動はむずかしい。

 治安出動は、自衛隊法七十八条に基づき内閣総理大臣が命じる「命令による治安出動」と、同八十一条の都道府県知事からの要請により内閣総理大臣が命じる「要請による治安出動」の二種類があるが、どちらも自衛隊の権限は変わらない。治安出動時の自衛隊は自衛隊法八十九条により警察官職務執行法を準用して職務を執行する。まず警察官職務執行法第二条に基づいて、対象に職務質問を行なう。また、いままさに犯罪が行なわれようとしている場合には同五条に基づき警告を発する。武器使用は原則として威嚇に留め、相手に危害を加えることが許される状況は、

 

 一、正当防衛・緊急避難の要件を満たすとき

 二、犯人の逮捕もしくは逃走の防止、自己もしくは他人に対する防護または公務執行に対する抵抗の抑止のため必要であると認める相当な理由のある場合(警察官職務執行法七条)

 三、事態に応じ合理的に必要と判断されるとき

 

 のいずれかにかぎられる。

 つまり治安出動下の艦娘は、深海棲艦に自分の存在をアピールし、言葉も通じないのに職務質問を試み、攻撃されてから、あるいは攻撃を受けようとする明白な危険に晒されてから、ようやく武器を使用できるということである。不意打ちの先制攻撃はできない。

 また、治安出動にせよ防衛出動にせよ、深海棲艦を相手に武力を行使することは自衛隊法に反しているのではないかとの意見も、当時の野党連合や複数の法学者からあがっていた。防衛出動について定めた自衛隊法第六章第七十六条にはこうある。

 

 第七十六条

 内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃(以下「武力攻撃」という。)が発生した事態又は武力攻撃が発生する明白な危険が切迫していると認められるに至つた事態に際して、我が国を防衛するため必要があると認める場合には、自衛隊の全部又は一部の出動を命ずることができる。この場合においては、武力攻撃事態等における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律(平成十五年法律第七十九号)第九条の定めるところにより、国会の承認を得なければならない。

2 内閣総理大臣は、出動の必要がなくなつたときは、直ちに、自衛隊の撤収を命じなければならない。

 

 一般に、自衛隊法は武力攻撃を加えてくる主体を国、または国に準ずるものと想定しているとされる。深海棲艦は国家の正規軍でもテロリストでもない。生物による災害なのだから地震や台風と同様の天変地異である。深海棲艦がいかに圧倒的な破壊力を有しているとはいえ、動物を相手にして、暴徒鎮圧やゲリラ制圧を目的とした治安出動、ならびに敵国からの侵略を防ぐための防衛出動は法的根拠を満たさないという論旨だった。

 当時の与党はこれを逆手にとった。わが国は国際紛争の解決手段としての武力を永久に放棄すると憲法で制定し、戦争を自らに禁じていた。戦争とは国家と国家、あるいはそれに準ずる組織との武力衝突である。よって、国家ではない深海棲艦に部隊を出動させることは戦争行為には当たらないと解釈したのだ。あくまでも有害鳥獣駆除と位置づけたのである。これにより対深海棲艦の出動には国会での承認も敵への職務質問も不要となった。

 同時に、有害鳥獣指定にも新たな枠組みを設けた。有害鳥獣に指定されていない動物は駆除できない。野生動物を保護する目的の「鳥獣の保護及び狩猟の適正化に関する法律」、いわゆる鳥獣保護法が優先されるからだ。深海棲艦の場合はその形態が非常に多彩を極めることが問題だった。イ級を有害鳥獣に指定して法的に駆除を可能にしても、それとは異なるタイプの深海棲艦が出現したら、また新たに有害鳥獣と指定しなければ手が出せなかった。たとえば駆逐イ級しか有害鳥獣に指定されていないのなら、他種の深海棲艦は攻撃できない。群れに混在している場合はイ級のみを駆除しなければならないのである。

 特定有害指定生物はいわば深海棲艦を一括して法的に定義する仕組みだった。いわゆる深海棲艦を、政府が特定有害指定生物に指定すれば、有害鳥獣関連事務を所掌する環境省から指揮権を防衛省に移管し、駆除作戦の立案から実行を自衛隊に一任させることができるようになった。通常の有害鳥獣指定生物であれば、形式だけでもまず環境省管轄の環境局が猟友会に駆除が可能かどうか打診し、不可能と回答を得られたら、つぎに警察が出動の可否を会議に諮らなければならない。猟友会、警察のいずれもが対処不能と結論を出してはじめて防衛省自衛隊の出動が検討されるのだ。一足跳びで最初から防衛省が事態の対処に動けるようになったことは大きい。深海棲艦への主戦力が事実上の歩兵である艦娘だったこともさいわいした。必要最小限度の実力行使に留めるという建前を守ることができるからだ。

 それでも深海棲艦による実害が出ないうちは出動させられなかったが、やがて、後手に回るしかない政府を批判する世論の高まりにより、日本は専守防衛から領海外への部隊出動を念頭に置いた動的平和主義に移行。対深海棲艦限定ではあるが国外へ実力部隊を派遣する方向へ舵を切っていくことになる。その過程で各国同様、独力では自国の経済活動を維持するシーレーン防衛が困難という現実を突きつけられ、諸外国との協同作戦、すなわち集団的自衛権行使の容認もやむを得なくなったため、自衛隊は軍へ改められた。海上自衛隊は海上自衛軍となり、行動規範はポジティブリストからネガティブリストになり、七年以下の懲役だった敵前逃亡の刑罰は死刑または無期懲役になった。

「なぜハンターは減少したのか。いろいろな複合的要因が考えられますが、大きなものとしては、お金にならないことが挙げられます」

「有害鳥獣駆除なら報酬がもらえるんじゃないのか?」

 元神威に元長波は首をひねった。

「たとえばシカなら国からの補助も合わせて一頭で一万円から三万円の報奨金が支払われます」

 元神威がいうと、元速吸はジャケットからライフルの実弾を取り出して、

「ライフルの実包は一発あたり五、六〇〇円、高いもので八〇〇円以上します。散弾実包でも四〇〇円。エアライフルなら十円もしないんですけど、いずれにせよ狩りに使う弾は、たとえ有害鳥獣駆除であってもハンターの実費なんです」

 といった。

「弾一発でラーメンが食えるのか。艦娘の弾薬よりは安いが、自己負担となると高いな」

 元速吸が指で挟んでいる鈍色の弾薬が、元長波にはさきほどまでとは違う印象に映っている。

「弾代も、交通費も、罠猟の場合は仕掛ける罠の購入費も、狩猟免許や銃の所持許可を維持する費用も、すべてハンター側の負担ですから、補助がでてもトントンなら御の字という状態です」元速吸は千円近い実包をジャケットに戻す。「ハンター一本では生計が成り立たないから、平日は仕事をして、週末や、街にクマが出没したとかいう非常時にだけ駆除に出る。週末ハンターでは狩れる動物の数はかぎられるから、ますますハンターとしての収入は減る。悪循環なんですよね」

「現代のハンターは非常勤ってわけか」

 頼る側は困ったときにだけ頼ればよい。しかしハンターにも生活はある。深海棲艦は二十四時間いつでも警戒していなければならないほど海に溢れていた。だから艦娘は必要とされ、破格の待遇を受けていた。いまは? それとおなじ原理がハンターの減少を招いている。

「かといって、報奨金を数倍に増額したり、ハンターを常勤として雇用して地位向上を図っても問題は解決しません。歩合制であるかぎり、ハンターが増えればひとりあたりの収入は頭打ちになるからです」元神威がいう。「農業とハンターは、協力しあう関係にあるかと思われがちですが、実際には利害が相反しています。農家は害獣にいなくなってほしいと思っている。でもハンターは、野生鳥獣が農林業に被害を与えなければ仕事は減ってしまいます。もし首尾よくシカが減少し、一時期のように絶滅が危惧されるような事態になれば、一転して保護が叫ばれるようになり、有害鳥獣駆除の対象から外されるかもしれません。当然ながら捕獲しても報奨金は下りなくなります」

「ハンターは仕事をすればするほど収入源を失っていくわけだな。自らが不要になるために働いてるようなもんだ」

「ですから、ハンターはせいぜいが副業にとどまってしまい、だれも人生をなげうってまで専業にはしたがらないんです。ハンターによる狩猟圧から解放されたことで野放しになっている有害鳥獣の被害は拡大する一方で、損失から廃業に追い込まれる農家は後を絶ちません。農家が農業をしなくなればそこは耕作放棄地となり、さらに野生動物が進出する余地を与えることになります。ますますけものたちは増えていく」

 ごらんください、と元神威がクラブハウスの窓外で斜陽を浴びて燃えるように染まった黛青(たいせい)を示す。森におおわれた深山幽谷(しんざんゆうこく)は美しく犯しがたい威厳に満ちている。

「とても豊かな森でしょう」

「原風景ってやつかな。まさに大自然って感じだ」

「多くの人は、むかしは自然が豊かで、現代は人間によって環境破壊が進んでいると考えています。けれど、わが国においては、むしろ混交林と陰樹林のあいだくらいの豊かな自然が満ち溢れています」

「混交林と陰樹林?」

「植生の程度によって、森は姿を変えていきます」元瑞穂が答える。「植生の低い順に、裸地、低草地、潅木(かんぼく)地、陽樹林、陰樹林、極相林です」

 

 なにも草が生えていない荒れ地の状態が「裸地」。

 そこから二年程度で足首くらいの草でおおわれた、いわゆる草原といわれる「低草地」に遷移する。動物らしい動物は地中のミミズのほかにはノネズミくらいしか生息できない。

 つぎに陽樹の幼木やアオキなど樹高三メートル以下の低い木が並んで「灌木地」を形成。ネズミより大きなウサギが住み着き、それを餌にするイタチなどの小型肉食哺乳類が分布可能になる。

 さらにマツやコナラ、ミズナラといった陽樹の高木が隆盛しはじめた雑木林は「陽樹林」となる。このあたりからシカやイノシシといった大型の草食哺乳類が姿をみせはじめる。

 植生が発達を続けると日照の奪い合いになって、低層に陽光が届かなくなることから、陽樹の幼木は新たに生育することができなくなる。陽樹はしだいに衰退していく。

 やがて低光量でも育つ代わりに生育の遅いヒノキやブナなどの陰樹が、マイペースながら陽樹を押し退けて台頭しはじめる。この過程が「混交林」であり、陰樹が優占する段階まで進むと「陰樹林」となる。裸地が陰樹林になるまで土壌が肥沃であってもおおよそ一五〇年を要する。豊富な森林資源により大型草食獣は繁栄するが、同時に頂点捕食者の影にも脅かされるようになる。

 ここまで絶えず変遷を繰り返してきた樹種の構成がついに終着点に到達し、以降安定して大きく変化しなくなった、いわば森の最終形態が「極相林」である。多湿の日本では極相林の主たる樹木群集は巨大な陰樹とされ、ニッチを埋めるように下生えや灌木が入り交じり、かと思えば倒木により偶然生まれた日照地で陽樹がつかの間返り咲く。動物相もミミズから頂点捕食者までが揃い踏みし、動植物ともに多様性を極めた平穏な混沌に落ち着く。屋久島は象徴的な極相林である。自然の完成形ともいえる極相林はいずれも三〇〇年の星霜を耐えた森だと元瑞穂は話す。

 

「日本の国土は六十五%が山林ですが、その多くが陽樹林の段階を超えた高次の植生にあります」

 元瑞穂はつづける。

「もともと日本では燃料資源として生活で用いる程度に山から灌木を採取していました。昔話でよくお爺さんがしている“柴刈り”とはこのことです。灌木は植生レベルの初期段階にあることからもわかるとおり、再生には時間がかかりません。ですから永続的に利用できたのですね。しかし、中世に急速な発展をみた製鉄が人と山の関係を変えました。製鉄そのものは弥生時代末期からありましたが、奈良時代に入ると武器や鎧として鉄の需要が拡大し、再生に数十年かかる大木までもが燃料として使われるようになったのです。仏教の伝来が自然神への信仰を薄れさせたことも要因のひとつでしょう。製鉄は山を削り木を切る稼業です。ひとつのたたら場が操業を続けるためには、八〇〇ヘクタールの山林が必要だったといわれています」

「東京ドーム二〇〇個ぶん近い面積になる」元長波はうなる。

「ほかにも平城京、平安京の造営、寺社仏閣の建造や製塩など、木材の消費加速はとどまるところを知りませんでした。戦国時代に下ると大名は富国のため領地を発展させようと努めます。治水、灌漑、農作物の増産、商工業の活性化、城や砦の建設。発展が進めば人口も増加します。日本の人口は十五世紀から十八世紀までのあいだに三倍にも急増をみました。人が増えれば食べるものも増えますから、さらなる水田開発のために森林を開墾していきますし、住居から燃料まで当時の中心資源だった木材の需要も比例して伸びることになります。こうして乱伐が続いた結果、日本古来の原生林は十八世紀初頭には消滅してしまいました。破滅を逃れることができた森は屋久島や知床など、伐採ないし輸送が困難だった、ごく一部です」

 元瑞穂が説いていく。

「過剰な森林利用により、各地で禿げ山が目立ち、材木の供給が逼迫したばかりか、洪水にまでたびたび見舞われるようになりました。さすがに危機意識を持ったのでしょう、江戸時代に入ると幕府と諸国は森林の保全に動きだします。その代表例は一六六一年に制定された“御林”ですね。御林に設定された山林では伐採はもちろん、雑草をむしったり、枯れ枝を拾うことさえ禁じていました。俗に“木一本、首ひとつ”とまでいわれるほどの厳しい制度だったそうです。同時に、海に面した藩では海岸林の造営が進められました。いわゆる防砂林です。川の上流にある森林を荒廃させたために、土砂が河口にまで流入し、沿岸流で海岸に運ばれて、深刻な飛砂をもたらすようになったことへの対策です。海岸は塩害と貧栄養という非常に過酷な環境ですから、どの樹種がよいか、各藩ともたいへんな苦労を重ねたようです。最終的にはクロマツが最適という結論に行き着きました」

白砂青松(はくしゃせいしょう)とはいうけど、白い砂浜にマツの林ってのは自然にできたもんじゃなくて、環境破壊と資源保続のあいだから人間さまが試行錯誤したすえに生まれた、人工的な風景だったんだな」

「日本の湿潤な気候と、黄砂により定期的に微量元素(ミネラル)が大陸から運ばれてくる地理的条件もあって、幕府の森林保護政策と植林事業が功を奏し、明治維新までは森は再生の道を歩むことができました。ところが太平洋戦争がはじまると、かつてない乱伐の嵐が全国の森林を襲うことになります」

 大量製造・大量消費ゆえに国民の生活までも戦時体制に切り換えなければならない近代戦、その総決算たる第二次世界大戦という災厄は日本の国土も見逃さなかった。造船・建築・炭用材など軍需用資材として明治以前とはくらべものにならない量の材木が求められた。金属不足から各家庭の鍋、古刹の梵鐘まで徴発したように、奥山の国有林はむろんのこと、社寺林、防風林、幼木にいたるまで手当たりしだいに皆伐したことで、全国に不毛の禿げ山が晒され、終戦後も水害に悩まされることになる。歴史は繰り返すというが、国土の保全と水源涵養を目的として、国策で緑化運動が推進されることとなった。

 後押ししたのは昭和三十年代の造林ブームである。復興にともなう建設ラッシュから建築用材として木材の価格が高騰したため、植林が投資として注目された。いま植林しておけば将来伐採して現金化でき、老後の支えになる。文字通りの金のなる木だったのである。材木としてみるなら樹種は単一で品質も均一であることが好ましいので、種類が雑多で成長の遅い天然林を伐採し、跡地に成長の早いスギやヒノキを単独で植林して置き換えた。いわば山林の家畜化である。対深海棲艦戦争以前の山でよくみられた、根元から頂点までまっすぐに育ったスギが整然と立ち並んでいた人工林はこうして生まれたものだ。

 しかし昭和三十九年に木材の輸入が自由化され、昭和四十八年に変動相場制に移行し円高が進むと、国産材より安価な外国産材が市場を席巻した。しかも家庭用燃料が木炭から化石燃料へ移り変わり、森林資源は建材としても燃料としても価値が暴落したことで国内の林業はみるみる衰退。せっかく育ったのに材木を売ろうにもコストが価格を上回る状態のため伐採もできなかった。コストをかけられないため枝打ちや間伐といった必要な手入れも行なわれないまま永きにわたって放置されることになる。

「このようにわが国は皆伐しては人工造林を繰り返してきた歴史があります」元神威が引き継ぐ。「そして、自然保護意識の高まりと、外材に市場のシェアが奪われたままで国産の木材が商業的な価値を失っていることから、かつてのような無軌道な乱伐は行なわれていません。人里に近い里山ですら陰樹林におおわれつつあるくらいです。日本列島がこれほどの豊かな緑に包まれているのは、現代か縄文時代だけといわれています」

「いいことじゃないか」

 元長波がいうと、元神威は首を横に振る。

「土地の植生が高次化するということは、そこに生息する野生動物も高次化するということです。人里と自然界の緩衝地帯を担う里山の植生が深山(みやま)同然に高次化すれば、それだけ野生動物の生息範囲が人間の領域近くまで拡大することになります」

 人間界と野生界のあいだには複層的な不可視の壁がある。完全な人間の領域である「都市部」、水田や畑が広がる「農地」、灌木地でおおわれた「里山」、そしてその奥が深い森に閉ざされた「野生界」。都市部と農地が人間の支配域であり、野生動物の住みかである野生界とは里山を挟んでいる。

 里山は植生の低レベルな灌木地であるため、大型の食植動物は野生界から出てくることはない。ここが人間と野生動物との境界線となる。

「ところが緩衝地帯として低い植生に保たなければならない里山の植生が高次化し、奥山に封じ込められていたシカ、イノシシなどの大型動物が居着いてしまい、隣接する農地まで侵入できるようになったことが、こんにちの害獣被害の主因です」

 元神威が夕闇の荘厳な色に染まりはじめた山々に目をやる。元長波もつられて望見する。

「豊かな自然は無条件ですばらしいものだと人はいいます。でも、自然界は隙をみせればたちまち食い物にされてしまう冷厳な世界です。人間も例外ではありません。野生動物の進出を許せばそのぶん人間は追いやられる。自然や動物は人間のお友だちではないのです。現実に害獣は莫大な経済的損失をもたらしています」

 元神威の顔を彩っていた残照が沈み、夜色に支配される。

「これは戦争です。豊かになってしまったこの里山は、のどかで平和な楽園などではありません。むしろ、人とけものの生き残りをかけた戦争の、最前線なんです」

 深海棲艦との戦争が終わったいま、元神威たちは新たな戦争をみつけていた。

「人間社会を脅かすという点では、野生鳥獣は山の深海棲艦といえるでしょう。わたしたちが戦った深海棲艦はわかりやすい脅威でした。海路と空路を封鎖し、目につく人類を問答無用で殺戮し、未知のバクテリアで海洋を汚染する。まさに国家存亡の危機でした。だから巨額の税金を投入し、国家予算一二〇年ぶんもの国債を発行してまで戦費を調達して駆除に乗り出した。国民の納得も得られました。時間がかかったとはいえ。しかし相手がシカやイノシシとなると、とたんに世論は興味を失います。あるいは殺すなんてかわいそうと同情を寄せる。深海棲艦が大火傷なら山の有害鳥獣は低温火傷です。熱いヤカンに触ったら痛いからすぐに手を引っ込められる。でも低温火傷は痛みを感じないからそのまま放置してしまい、取り返しがつかないほど悪化する」

 新たにはじまった「山の深海棲艦」との戦争に日本人が対抗する手段はあるのか。

 ある、と元神威は断言する。

「ビジネスにするんです」

「ビジネス?」

「まず前提として、現代の農業をとりまく状況を再確認します」

 元神威が実業家の顔になる。

「二十年ほど前まで、わが国の農業は生業として家族経営する小規模な農家が農産物を生産し、流通と販売はJAが代行するというスタイルが主流でした。農業は国の基礎であり根幹です。食料を輸入に頼っていてはなんらかの事情でそれがストップしてしまったさいに国民が飢えることになります。古今東西、革命の気運が醸成されるのは決まって食糧の供給が滞り飢餓が蔓延したときでした。ですから農家には是が非でもお米をつくり続けてもらわなければならない。それもブランド米などではなく安いお米をです。主食は大量に消費するものですから、だれでも買えるくらい安くなければなりません。とにかく国民を飢えさせないことが農家に要求される至上の役割です。利益は二の次になります。そのため、赤字になったぶん国が補助金をだすかたちで農家を保護していました」

「国民農業って奴だな。農業そのものは赤字でも、最低限の生活ができるくらいには国が補助金くれるから、絶対に儲かんない代わり死にはしない」

 そのとおりだと元神威がほほえむ。一転して表情が険しくなる。

「ある意味で平和だったわが国の農業は二十年前に大転換を迫られました。アメリカによる市場解放の要請を政府が受け入れたからです」

 アメリカからの輸入にかかっていた関税の引き下げ、品目によっては撤廃が骨子だった。牛肉、自動車、砂糖。聖域とされてきた米の関税も大幅に引き下げられた。将来的には米の関税は完全撤廃されるとみる向きもある。日本には戦時国債の最大の保有国であるアメリカに頭が上がらないという弱みがあった。

「借金の返済を待ってほしければ関税を下げろっていわれたわけ」

 元秋津洲が憤慨していう。隙をみせればたちまち食い物にされる大自然の原理は国際社会でも変わらない。

「政府は国際競争力を高めるためと主張し、JAを解体するなど農業改革を推し進めました」と元神威はいった。「日本の農業を強くするためだと政府はいいました。これからは農家も自動車メーカーのように世界市場で戦う力をつけるべきだと。そのための布石かどうかは知りませんが、いままで農家が補助金で手厚く守られてきたことに対するネガティブキャンペーンも行なわれたようです。世論も誘導されました。赤字を行政に補填されて当たり前の仕事はおかしい、農家は甘えている、税金泥棒だ、経済的に自立できるよう努力すべき……」

 税金泥棒は元長波もよく投げかけられた言葉だ。そういうとき元長波は決まってこう返した。「納税できるだけありがたいと思うんだな」。

「さきほどもいったとおり、農家のいちばん大切な役割は国民を飢えさせないという公益性です。警察は犯罪を取り締まりますが、それでお金は稼げません。だから警察は税金で運営されます。農家もおなじです。国民に提供するものが犯罪からの安全保障か、食料面での安全保障かの違いでしかありません。有事ともなれば国が買い取って民間に放出することも想定しなければならない、そんなお米をつくるだけでは赤字になるに決まっています。農家は所得の大半を税金に依存していて当然なんです。現に、欧米の農家は日本以上の補助金で保護されています。日本の農家の所得に占める政府支出は十五%でした。年収五〇〇万円なら七十五万円が税金ですね。対するアメリカはいまでも二十五%で、穀物農家にかぎれば五十%にものぼります。EUでは平均四十%。フランスに至っては農家の所得の九割は補助金です。国民を自力で食べさせられない国が発展できるわけもない。ゆえに欧米でさえ国民農業では資本主義を捨てて税金で手厚く守っています。なのに、日本だけがその助成制度を自ら破壊してしまった」

 では日本の農家が生き残るにはどうすればよいのか。

「国民に食べさせることが最優先の国民農業に対して、純粋に利益を求める農業を商業農業といいます。ブランド米とか、ひと粒五万円のイチゴとかがその代表ですね。日本の市場に低価格なアメリカの農産物が溢れれば、値段では絶対に勝負になりませんから、グローバル化の美名のもと自力で黒字を出さなければならなくなった農家は、廃業するか、高くて品質のよい商品作物を生産する商業農業に転向せざるをえません。もちろん、商業農業はご自分で資金を調達してやりくりする商売ですから、したい人はすればいいでしょう。それは自由です」

「ただし、国民の食料需要が満たされていることが前提だよな。農家がみんな高付加価値の農産物をつくるようになったらおおごとだ」

「国民農業から商業農業へのシフトが行き着くさきは、プランテーションですからね」

 極言すれば、国内の農家が農地をオリーブやイチゴやレタスといった「高く売れるが主食にはならない」農作物の生産ばかりに使っていれば、日本人はおいそれと日本の米を食べることができなくなる。利益の上がらない廉価な米などだれもつくりたがらない。おなじ米なら食用よりも楽につくれる飼料米に切り替える。国民が米を食べたければ国産高級ブランド米か輸入米に頼るしかない。選択肢が狭まれば米の輸出国も価格を吊り上げる。税金で育てた格安の農産物はより有利な条件で貿易するための武器でもある。

「また、農業は非常に不安定な事業でもあります。台風や日照り、冷害といった自然災害で凶作となれば、収入はゼロになることも。それまでなら補助金で保障されましたが、改革後は各々の企業努力です。リスク分散のため農林水産省は農家に六次産業化を推奨しました。農家は農作物をつくる第一次産業ですが、これに加えて、商品として加工する第二次産業、流通・販売の第三次産業をすべて自分で一手に担う。一足す二足す三で、六次産業というわけですね」

 元神威がホワイトボードを引いてきて、ペンで縦に三つ重なったボックスを描いた。いちばん下段には「農産物」、中段に「農作物加工」、最上段には「流通・販売」と文字を入れていく。下から順に第一次、第二次、第三次産業ということだ。元神威は書きながら、

「道の駅や、チェーンでないスーパーマーケットで、手作り感溢れるラベルの加工食品をみたことはありませんか?」

「大企業のロゴじゃないっつうか、バザーかなんかで売ってそうな、いかにも素人がデザインしましたみたいな垢抜けないパッケージのジャムとか味噌とかの、あれか?」

「ああいった商品が、農家みずからの加工食品です。農産物をつくるだけでなく、加工するための設備を自前で用意し、販路も確保しなければならなくなった。日本の農家は弱肉強食の世界市場に否応なく放り込まれたわけです。国家の維持のために庇護すべき国民農業まで」

 そこでハンターが関わってくるという。

「農業の敵は天災と、有害鳥獣です。何度もいいますが有害鳥獣による農業の被害額は年間二〇〇億円以上です。しかもこれは氷山の一角で、届け出がなされていないものや家庭菜園の被害まで含めれば一〇〇〇億円にのぼるという試算さえあります。また、台風にせよ豪雨にせよ地震にせよ、自然災害は一過性であるのに対し、有害鳥獣被害は味を覚えてしまった動物がおなじ農地をしつこく狙うという厄介な性質を持ちます。駆除しないかぎり被害は反復する。しかし、天災は耐えるしかありませんが、動物は人間の力で駆除することができます」

 駆除となると、野生動物の習性に精通し、銃や罠を用いた実行力を有する専門家たるハンター以外に代替性はない。だが元長波には疑問が浮かぶ。

「深海棲艦じゃあるまいし、ふつうの有害鳥獣駆除は猟友会に頼むもんなんじゃないのか?」

 現在の法体制ではたとえ自分の農地を守るためであっても、行政に捕獲許可申請を通さなければ、勝手に有害鳥獣を駆除することは許されない。現実には農家から被害を陳情された自治体が地元猟友会に依頼することになる。そのため猟友会は有害鳥獣駆除のプロフェッショナルと思われることが多い。

「猟友会にとって、じつは有害鳥獣駆除は重荷であることも事実です。猟友会はそもそも企業ではありません。狩猟という共通の趣味を持った愛好家たちの同好会です。平日は仕事をし、土日に集まって狩猟を楽しむ。でも狩猟と有害鳥獣駆除は根本から違います。狩猟はあくまで自分たちのやりたいとき、やれるときにやればいいのですが、駆除となるとノルマが課されます。それに、報奨金を得るために駆除の証明が必要になります。写真です」

 証拠写真には、右側面にスプレーかペンキで捕獲年月日が記入された捕獲個体の横に、捕獲場所を書いた大きめの用紙を持った捕獲者本人が立ち、背後の風景もわかりやすいアングルで収まっていなければならない。

「わたしは手ぶらでもへとへとだ。銃やら弾薬やら装備だけでも重いだろうに、おまけにペンキだの看板用の紙だのカメラだの、ひとりで撮影するなら三脚まで担ぐことになる。それで山を駆けずりまわれってのか?」元長波は呆れて苦笑している。

「しかも有害鳥獣駆除は猟期以外に依頼されることもあります。猟期はおおむね十月から二月の冬季ですね。冬の動物は脂が乗っていておいしく、山の葉が落ちて草も枯れていて見通しがいいので安全性が高いなど、狩りにうってつけの時期だからです。ところが夏に駆除するとなると、暑い盛りに雑草が背丈ほどの高さに繁茂する山へ入ることになります。危険ですし重労働です。チームで駆除すれば報奨金もみんなで折半することになりますから、儲からないどころか、昼食代とかで自腹を切ることも珍しくありません」

「そのうえ、一時期は猟期外の獲物を食肉に加工してはならず、埋設しなくてはいけませんでした」元大鯨がやりきれない顔でいう。

「どうして?」

「駆除で助成金をもらっているのに、さらにそのお肉を利用するのは二重に利益を得ている、とマスコミに非難されたためです。地域によってはその場で猟犬の餌にすることも許されなかったそうです」

「軍ではつねに一石二鳥以上を目的に行動していたわたしたちからすれば、ばかばかしい話だ」

 元長波は吐き捨てる。

「ハンターの原点は食肉を得ることです。でも有害鳥獣駆除ではただ無益な殺生をしなければなりません。害獣としかみていない農家や行政と、ジビエを自分の手で獲って食べたいために狩猟免許をとるハンターとの認識の違いですね」元大鯨はいう。

「おまけに埋めるのもハンターの仕事なの。大人のシカは一〇〇キロを超えるから、それを埋められる穴を掘るだけでもひと苦労。山の土は堅い場合もあるし。依頼が平日ならハンターは仕事を休んでまで駆除をするんだよ。駆除活動は、はっきりいって負担。いまでは駆除した獲物も自由に商用利用できるようになったけど、ハンターに向けられる視線はまだまだ厳しいし」元秋津洲はいう。

「それでも猟友会が有害鳥獣駆除という割に合わないボランティアを引き受けていたのは、地域に貢献したいという使命感によるところがあります。現代日本で狩猟という趣味はまったく理解されません。取り上げられるのは誤射や猟銃を用いた事件のときだけです。なんとかハンターの人口を増やしたい、狩猟に対する社会の偏見を払拭したい、そして害獣被害に苦しんでいる農家の力になりたい、そのためどんなにきつくても有害鳥獣駆除という公益事業を断るわけにはいかなかったのです。しかし利益ではなく使命感をあてにした、いわゆるやりがい搾取では長続きしません。猟友会の人口減少と超高齢化もそこに原因がありました」

 元神威がまとめた。

「そこで、わたしは半農半猟というスタイルを考案しました」

「半農半猟?」

「たいていの自治体では、有害鳥獣捕獲の許可を受けられるものは、被害者本人か、国が定める法人となっています。後者の代表が猟友会になりますね。ですからハンター自身が前者の被害者になればいいんです」

「ハンターが百姓をやるか、逆に百姓が狩猟免許をとるかして、自衛するってことか?」

 そのとおりと元神威がよろこぶ。

「企業として農地を保有し、社員として常勤しているハンターに守らせる。かならずしもハンター本人が農業をするわけではありません。農家もハンターもおなじ会社の人間であれば、農家の被害はハンターの被害にもなります。だから駆除の許可申請ができる。明治以前は農家が猟銃で自衛していましたから、ある意味で先祖返りともいえますね。有害鳥獣の被害が出る農山村は高齢化が進んでいますので、高齢者宅の見回り、配達などの御用聞きも合わせれば、収益も公益性も向上できます。高齢者がご自身で自動車を運転してお買い物に出る必要がなくなったことで、高齢者ドライバーによる交通事故件数の減少にも貢献できています」

 元神威がホワイトボード上の三段重ねになっているボックスの一段目にある「農産物」のすぐ隣に、「ワイルドミート」のボックスを描き足す。

「いままで農家が行政を挟んで猟友会に駆除要員を融通してもらっていたのが、自衛することでタイムラグも少なく捕獲に乗り出せますので、農作物の損失は効果的に減少します。捕獲した野生鳥獣はお肉として利用することもできますから、食肉生産も第一次産業に加わります」

「農産物の食害は減らせて肉も手に入るってわけか。たとえ獲物が減っても、それだけ農作物への被害は減少するわけだから損にはならない。野生動物が出没しようがしまいが得をする。ハンターが法人として自社の農地を守っているからこその戦略だな。だけど、ジビエって利益が出るほど売れるもんなのか?」

「結論からいえば、商品にはなります」

 野生鳥獣の増加に頭を悩ませている各自治体にも、捕獲した動物を処理するはけ口が埋設だけでは財政面で追いつかない事情から、食肉として有効利用しようという動きがみられている。市営の食肉処理施設もあり、企業が新たに設置するなら補助も出る。

 加工処理施設に必要な設備に猟師のノウハウは欠かせない。施設までの運搬手段、衛生知識、適切な熟成方法と期間、それらワイルドミートを安全な食肉に加工する知識と技術は猟師の独擅場だからだ。施設を建てるに適当な立地さえ猟師がいなければ決められない。

 加工施設というハードと猟師のソフトが合わさって、ジビエを販売することができるようになった。だが、

「一般に、野生のシカ肉の店頭価格はグラム七〇〇円ほどといわれています。これは黒毛和牛と同等のお値段です」

「なんでそんなに高いんだ。家畜と違って飼育する費用はかからないのに」

「ジビエの宿命として、まず加工施設に持ち込まれる数が安定せず、しかもなかには胴体や背中を撃たれている個体もあったり、あるいは手当てが悪かったりして、食用に回せず廃棄するものがかならず出るからです。捕獲した動物のうち食用に加工できるものは一割といわれています。では、仮に価格帯がグラム一〇〇円の牛や豚と同程度に下がったとして、長波さんはシカやイノシシのパック肉を選びたいですか?」

「似たような値段でも牛なり豚なりを買うだろうな。どんな味かわからないし、やっぱり野生のものだと衛生面で不安が残るだろう。もし調理に失敗してまずくなったらって心配もある。肉料理は晩飯だろ? 一日のしめくくりにまずい飯はかなり落ち込むからな。なら、適当に調理してもそれなりの味になることがわかりきってる牛や豚のほうがいい。まして主たる消費者として想定される主婦は料理だけが仕事じゃないんだから、わざわざジビエで博奕なんか打たずに無難なもんを買うだろうね」

 元長波はオレンジソースのベースに使われたフォンの鍋を手で示す。

「野生動物の肉は工夫すれば美味くなるとはいうけど、逆にいえばその肉に合う工夫をしてやんなきゃいけないわけだ。それにひきかえ、牛も豚も工夫なんかいらない。料理する人間に調理法の引き出しを多く要求するんじゃ、めんどくさいし手間も時間もかかるから、売れそうにないと思う」

 元神威が首を縦に動かす。

「畜産肉は一年を通じて供給量も品質も安定していて、おなじレシピで調理すればつねにおなじ味になり、衛生面での安全も完璧で、しかも低価格。それらを実現するために畜産業者が日々血の滲むような努力をしていることを思えば、価格で争うというような、おなじ土俵に上がることは得策ではありません。そもそも、現代日本人の食卓にのぼる動物性タンパク質は牛、豚、鶏、魚で満たされています。それで不足を感じたことがある人は、たぶんいないのではないでしょうか」

 たしかに、と元長波は頷く。

 つまり食品の椅子取りゲームでジビエが座ろうにも空いている椅子はすでにない。磐石の畜産肉から椅子を奪うことになる。牛肉が隣に陳列されていても客があえてシカ肉を手に取りたくなるような販売戦略が求められる。

「駆逐艦が戦艦に真っ昼間から突っ込んでいくようなもんだ」

「勝つには夜陰に乗じて接近して魚雷を叩き込むというような搦め手を考えなければなりません。その答えが、いま長波さんに召し上がっていただいたカモとオレンジソースです」

 元神威はアイスクリームショーケースから真空パックにされたカモ胸肉とソースを出した。

「調理が面倒なら調理済みの状態で売ればいいんです。こちらのカモ肉とソースは冷蔵庫で解凍したのちパックのまま湯煎で温めて、お皿に盛り付ければ、いまお出ししたものとおなじカモ料理のできあがりとなっています。これならむしろ価格を高めに設定しても消費者が買ってくれやすくなります。包丁やフライパンなど、油で汚れた調理器具の洗い物も出ませんしね」

 元長波は真空パックされたカモ肉を興味深そうに検分する。すでに加熱調理されているうえにカットも済んでいる。パッケージには“温めるだけで本格フレンチ!”。消費者心理をくすぐる文句だ。

「カップラーメンやレトルトカレーが国民食の地位を不動のものとしたのは、お湯を注ぐだけ、温めるだけで美味しく食べられるからです。手間のかかる食材をお手軽に食べていただけることは、時間のない現代ではじゅうぶん強みになります。お魚がそのままではなくお刺身で売られているのとおなじですね。加工食品の製造ですから第二次産業になります」

 ホワイトボードでは「ワイルドミート」の上に「食肉加工」のボックスが描かれる。食肉加工のボックスはまた農作物加工のボックスと隣り合っている。

「カモとオレンジソースはほんの一例です。ジビエ単体だけではなく、自社の農地で採れた農作物と合体させた商品もつくれますから、お肉とお野菜が使えるわけで、レパートリーを飛躍的に増やせます。ゲームミートのイノシシと自社農作物のタマネギ、ニンジンを使ったレトルトカレーとかですね。シカとお野菜の炊き込みご飯もあります。ご飯を炊くときに、レトルトパックの具材も一緒にいれて、普段どおり炊飯すれば、おいしい炊き込みご飯のできあがりです。これらには地産地消というアピールポイントもつけられます」

 しかし、畜産肉の牙城を崩すにはまだ足りない。安心感だ。

「カモのテロワールほど極端でなくとも、ジビエは個体によって、かならず品質にばらつきがあります。長波さんがおっしゃったとおり、消費者がジビエを敬遠する最大の理由は衛生面でしょう。はじめて食べたジビエがたまたま臭みの強いものだったら、たいていの消費者はそれを個性ではなく腐敗しているからと考えます。まだ世間のジビエに対するイメージが固まっていない時期にSNSなどで“はじめてジビエに挑戦してみたけど、臭くて食べられたものじゃなかった。腐ってる?”などと拡散されてしまえば、もう立ち直れないほどの致命傷を負います」

「まずはジビエが安全であること、クセをクセだと理解してもらうことからはじまるわけだ。口にするものは信用第一だもんな」

「そこでわたしたちは、全国各地の自治体と協議を重ねて、統一した認証制度を設けました。要するに、このシールが貼られたジビエ食品は全国共通の厳しい品質管理審査をクリアした安全なものですよ、という仕組みをつくったのです」

 元長波はカモの真空パックをもう一度観察した。全日本ジビエ食品審査会認定とHACCP(ハセップ)の文字がデザインに取り込まれた小粋なシールが表に貼られている。

「それ以前は各自治体が独自にはじめた認証制度が入り乱れている状態でした。食肉処理施設の名前だけを書いたものだったり、イノシシの可愛らしいイラストに地名が併記されたものだったり……。正直、なにがいいたいのかわからないものばかりでした。ジビエをよく知らない消費者が欲しい情報は、“最近、ジビエってよく目にするけど、安全なのかな?”、これだけです。食品の安心は建物でいえば基礎になります。基礎をしっかりさせないまま上を目指そうとしても早晩崩れ落ちるだけです。まずはこのシールが安心の目印なんだということを浸透させ、安全だけを集中的に宣伝して実績を積み上げました。安全のブランド化ですね。食品の安全は、なにも問題が起きなくて当たり前の減点方式ですから時間と忍耐が必要でしたが、安心して食べられるという信用を勝ち取らないかぎり、おなじ苦労を重ねている畜産肉のシェアは絶対に奪えません。ジビエというマーケットを全国の業者と自治体で協力して成長させることが最優先でした。味の違いや肉質といった差別化の情報はその次です」

 ここにもシチュエーション・アウェアネスがみてとれる。

「逆に、いったん安全だと刷り込んでしまえば、牛や豚のレバーを生食とかやっちゃったりするもんな。イメージ戦略ってのは大事だ」

「そして、この統一した認証制度の認定審査員にふさわしいのは、だれだと思います?」

 教師のように尋ねる元神威に、元長波はきょう一日の狩猟を思い返す。

「そりゃあ、やっぱり神威たちのようなハンターじゃないか? ジビエの品質や衛生管理は、ハンターが狩るという獲得の最初期段階からはじまってる。追いかける巻き狩りか、獲物がのんびりしてるところをロングキルするストーキングか。季節、年齢、性別、撃った部位、中抜きや冷却の手際、加工処理施設までの運搬時間。これら品質管理でもっとも重要な行程に携わるのは捕獲したハンターだ。加工でも、いかに安全に美味く食べられるか、元から熟知しているハンターに指導と評価を任せるのが理にかなっているだろう」

 元神威たちの顔が輝く。

「まさにそのとおりです。ジビエのマネジメントにもっとも適しているハンターは、ただ狩猟をするだけではなく、品質を管理するエンジニア、商品開発に企画やコンサルタントにもなれるポテンシャルを秘めているんです」

「短所を長所に変えるの。安定して供給できないなら、冬だけの限定商品って感じでプレミア感を煽ってあげればいい、とかね。チーズのモン・ドールみたいに」元秋津洲が嬉々として解説する。「カモひとつとっても、クセがないならタタキにする、クセが強いならパクチー鍋用として卸す。肉質に合わせた調理法はハンターの得意分野だから」

 

 さらに、元神威がいう。

「ハンターが地元で平日も狩猟に励むことで、農業の第一次産業への被害を局限でき、獣肉の生産によって第二次産業の商品開発力と競争力が指数的に向上します。でも、ハンターにはまだできることがあります」

 ハントしたゲームミート、知識を活用したコンサルティングだけでなく、狩猟という行為そのものを利益にする。それは、

「インストラクターです。猟期限定ですが、雇用関係にない一般のハンターをターゲットに狩猟のガイドをします。これには半農半猟の半農部分を流用できます。社有地の農地や里山で狩猟をさせるかわりに利用料をもらう、獲った野生動物の手当てや運搬、解体を代行するかわりに手数料をもらう。狩りの拠点となるクラブハウスに直売所を置けば自社の加工食品を販売することもできますし、宿泊場所の提供でも収益を上げられます。ハンターに限らなくても、動物が好きなかたやバードウォッチャーさんを相手にエコツーリズムを案内する、なんていうプランもありますね」

「金払って狩猟を?」

「ハンターはライセンスを取ったあとに行き先がないのが現状です。環境省や農林水産省はどうにかして狩猟人口を増やそうとあれこれ対策しています。フォーラムを開いたり、試験対策の予備講習会を実施したり」元神威は声をひそめた。「実際の試験でサービスしてくれたり」

「なんだって?」

「ハンターになるには銃所持の試験と狩猟免許の試験があるんですけど、前者は銃刀法関連だから公安委員会が担当なんです。公安は国民に銃を持たせたくないから試験もけっこう厳しいんですよね。とくに筆記試験なんか、落とそう、落とそうと意地悪な問題ばかり出すから」いいながら元速吸が当時を思い出したかげんなりとした顔になる。

「わたしなんか三回目でやっと受かったよ」元秋津洲も肩を落とす。元大鯨や元瑞穂もくすくすと笑っている。

「銃所持許可がとれたら、狩猟免許試験です。こちらは環境省の主催で、自治体の職員や猟友会の大ベテランの人が試験官なんですけど、わたしなんか、銃の操作のテストで射撃しようとしたら、引き金が石みたいに固くって。“引けない!”。パニックになってると、試験官として審査してた猟友会の人が、“セイフティ……”ってボソッと教えてくれて。安全装置をかけたままだったんです」元速吸は照れ笑いしながら頬をぽりぽりと掻く。「仮にも軍隊にいたのにって恥ずかしかったですけど、なんとか受かりました。公安と違ってハンターを増やしたい環境省や自治体や猟友会の試験ならではの光景ですね」

 艦娘学校に在籍中の考査でもおなじようなことがあったと元長波は思い出している。試験官は担任の助教たちだった。元長波は対主力艦夜間魚雷射法計画を作成する試験でどうしても解けない設問があったので、空欄のまま飛ばして次の解答にとりかかっていた。試験中に見回る鹿島が答案用紙を覗いて、空欄をみつけると、「ここの計算は、照準距離Dまでは出てるから、まず射程Rを照準距離Dsin方位角B/sin(射角A+方位角B)で求めて、それから……」などとほぼ答えに近いヒントを小声でささやきはじめた。おかげで落第せずにすんだ。ほかの何人かの訓練生たちも同様だった。懐かしい記憶。

 時代が変わろうと、どこにでも似たような人情の機敏はあるんだな、と元長波は甘酸っぱい感傷に浸っている。

「このように環境省はハンターの量産に躍起になっていますが、いざ狩猟免許と愛銃を手に入れていっぱしの猟師となっても、そのさきのアフターフォローはというと、なにもしてくれません。新人ハンターは、どこにどんな獲物がいるか、競りたい山の所有者の連絡先は、といった狩猟に欠かせない情報も与えられないまま、あとはお好きに、と放り出されることになります」

 元神威の話で元長波は現実に戻る。

「猟友会に入りゃいいんじゃないの?」

「猟友会は、懇切丁寧に新人を育成してくれる組織ではないんです。なんとなく全国のハンターを一括で管理しているようなイメージがあるかもしれませんが、実態としてはそんな大それたものではなく、単に同好の士が集まったサークル活動のようなものですから、新人のハンターが自動的に入団させられることもないのです」

 元神威は猟友会とハンターの微妙な関係を説明する。

「ハンターはその性質上、重大な事故を起こす可能性から、担保として三〇〇〇万円の預貯金があるか、ハンター保険に加入するかしていなければ狩猟登録できませんし、登録していないと狩猟はできません」

「自動車の運転に自賠責保険が義務付けられているのとおなじか」

「ええ。ハンター保険はいまのところ、個人では加入できず、団体でしか受け付けてもらえません。猟友会に入会すれば団体加入できますし、保険その他いろいろな事務手続きも代行してもらえます。会員になれば猟友会所属のベテランハンターと狩りに同行できますし、なにも知らない初心者がひとりで山に入っても獲物と出会うことすらできませんから、その道数十年の人たちとチームで行動できることは、大きなメリットでしょうね」

「いい話じゃないか」

「それでは、長波さんがハンターの仲間入りをして、猟友会に入りたいと思ったとしましょう。……どこに入会の申し込みに行けばいいか、ご存じですか?」

 元長波は戸惑う。

「そういうのは、講習やら試験やら受けてるときに案内されるもんなんじゃないのか?」

「それが、ないんです。入会希望のハンターは猟友会の末端である各地区の支部に申し込むわけですが、なにせ高齢化しているものですから情報化もされておらず、ホームページすらない場合が多々あり、知人に会員がいなければどこが窓口かわからずじまいということも少なくないのが実状です。銃砲店なら教えてくれることもありますが、やっと支部をみつけても人口減少から活動を休止していたりしますし。行き場を失った新人ハンターは一匹狼にならざるをえません」

 独学では足跡や糞などから獲物を追う見切りもできず、獣道すら探せない。横の繋がりもないのでは単独行動になる。そのため国が期待するシカ、イノシシ、クマ猟は不可能なので、鳥を撃つのが関の山だ。

「艦娘でいえば、艦娘学校を卒業したあと、自分で配属先を探して、艦隊に入れてもらえるよう交渉しなければならないようなものです」

「非効率だな。第一、銃を持った奴が統率もされずにフリーで行動するなんて、本人にも周りにも危険だ」

 兵隊だけ増やしても、適切な運用がなされなければ逆効果だ。事故や不法侵入といったトラブルが増加しハンターのイメージを悪化させるもとになる。

「加えて、大日本猟友会は新人ハンターの育成や、狩猟道徳の向上を掲げていますが、どちらもさほどの効果が上げられませんでした。なにしろ日本では狩猟は職人芸という意識が根強く、閉鎖的で、ベテランのハンターたちもむかしながらの職人気質が多かった。新人ハンターは、会費を払っているのだから手取り足取り教えてもらえるものと思っている。ベテラン側は、別に猟友会や新人から指導料をもらっているわけでもないですから、お客さま気分で来るな、という。認識の齟齬が軋轢を生みます」

 これは猟友会自体の問題というわけではないが、と元神威は前置きした上で、

「ベテランが立場を盾にして、新人をつまらないことで怒鳴り散らすとか、人格を否定するような罵声を浴びせるとか、逆に無視するとか。雑用に使うだけ使って、見習いだからとお肉の分け前はなしだとか。ベテラン同士で派閥をつくっていがみ合っている場合もあります。こういった荒波に揉まれてへこたれる程度の軟弱者はいらない、俺たちはそうやって育った、歯を食いしばってついてこられる奴だけ残ればいい、嫌なら辞めろ。次世代を積極的に育成しようとしなかった頑迷なその姿勢もまた、日本の狩猟界における超高齢化とハンター激減の原因のひとつといえるでしょう」

「わたしたちが教えを受けた猟友会の人たちは、後継者問題に真剣に取り組んでいて、とても親切にしてくださいましたが、そのかたがたがいうには、飲み会強制参加とか、猟期は毎週来いだとかいう支部もあるそうです。むかしの人はそれでよかったのかもしれませんけどね……」元速吸も言葉を濁す。「扱う道具が道具ですから、厳しくせざるをえないことはあります。が、せっかく長い時間と、車の免許がとれるくらいのお金を費やしてハンターになったのに、どやされながらハンティングをしても、なにも楽しくはないでしょう」

「とくに女はおっさんに怒られるの大きらいだもんな。好きな奴はいないだろうけど」

「そこで、新人ハンターや、猟は年に数回でいいというスタンスのために行き場がないレジャーハンターを、いっそ本当にお客さまとしてお迎えしようとわたしたちが提案した事業が」

 インストラクターだと、元神威は「食肉加工」の上に「レジャー事業」のボックスを描きながらいった。たとえばシカが狩りたいなら、山における注意事項や見切りを教えるインストラクターの引率に加え、猟犬をレンタルすることもできる。カモ猟であればデコイが貸し出される。設置はインストラクターに任せてもいいし、希望者は体験学習がてら教わってもいい。獲物の中抜きや解体は代行をオプションで用意し、熟成させたゲームミートの自宅への発送も請け負う。レジャーにしてしまうのだ。

「もちろん利用料や年会費は猟友会の手数料よりは高くなりますが、趣味なのに貴重な土日に人間関係で悩まされるくらいなら割高でもハンティングをレジャーとして楽しみたい、というニーズは多いのです。インストラクターが女性なら女性ハンターも参加しやすいでしょう」

 事業としてハンターを雇用し、野良になるしかない一般ハンターを顧客として束ねることは、狩猟の安全にもつながる。以前は公安と大日本猟友会の努力にもかかわらず誤射をはじめとした狩猟の事故は後を絶たなかった。なぜか。

「猟友会の本質はサークル活動であり、ウェットな村社会です。違法行為をしているのがいちばんのベテランだったらだれも注意はできませんし、“だれだれがこんな危険行為をしていました”と、わざわざ自分たちの評判を落とすことになる報告なんて、上部組織に上げません。ですが事業なら法令遵守が重視されます。企業はイメージダウンを防ぐために支配下ハンターの違法行為に目を光らせる」元神威がいう。

「ハンターによる不法侵入の問題も、狩り場が社有地であれば未然に防げます。これらのシステムづくりで、わたしたちの会社では、五年連続で誤射による事故ゼロを達成できています」と元大鯨が笑顔で語る。

 ホワイトボードには、農業と狩猟がそれぞれ第一次、第二次、第三次を担う六次産業でありながら互いに支えあってさらなる利益を生む共生関係があった。半農半猟。猟師はもはや野生動物を狩るだけの存在ではなくなっていた。

「お金が稼げる仕組みをつくっておけばかならず人は集まります。わたしたちの会社は現在、従業員が五十名、そのうち六割は女性で、二十人ほどは元艦娘です。必要があれば拡大も視野に入れていますが、イケイケドンドンで雇用するだけ雇用して、業績が悪化したら人員整理をするというのでは経営者として無責任ですので、そこは慎重にありたいですね。人生を預かるのですから」

「起業して、おまけに軌道に乗せるなんて、すごいな」

「運がよかったんです。退役して故郷の北海道に戻ってからしばらくはなにをしていいのかわかりませんでした。八年も無為に過ごしました。ある夜、たまたま近所でシカと車が交通事故を起こしたんです。車は廃車にしなければならないほど壊れていました。戦時中は食肉を求めてシカが乱獲されていたため、人里でみかけることはまれだったそうです。ところが終戦の五年くらい前から輸入が戻りはじめたことで、戦前同様に狩猟が衰退し、ふたたびシカたちの異常繁殖を許してしまい、農林業の被害や交通事故の件数も増加の一途を辿っている、そう聞かされました。それがきっかけで里山のことをいろいろ調べていたら、里山を活用したビジネスで農業被害を軽減し地域も活性化できないかと考えて、一念発起したんです」

 荒廃した里山は所有者も持てあましていたから格安で手に入れられた。いまでは元神威らによってさまざまな農産物とジビエとサービス業を産出する宝の山となっている。

「わたしはこの里山でチャンスをもらいました。なによりも、起業からわたしについてきてくれた彼女たちのおかげです」

 元神威は元瑞穂や元速吸、元大鯨、元秋津洲を示す。

「行き場所がなくて腐ってたわたしたちを元艦娘ってだけで信じて仕事を任せてくれたからだよ。結局は神威さんの人望」

 元秋津洲に残りの三人が柔和な表情で頷く。

「事業の一環として、後継者不足から耕作を放棄されていた各地の田んぼを購入し、それらを集約することで、店頭価格十キロ二〇〇〇円程度のお米をつくっています。広大な北海道だからこそ可能な薄利多売です。農業にたずさわってほんのすこし成功できたものとしての使命と考えて、安価な主食を提供できるようにと。でも、会社が倒れなかったとしても、わたしもいつかは経営者の座を退きます。後任の人がおなじような経営方針を貫くとはかぎりません。ブランド米に転向すれば莫大な利益になりますからね。農業を守る根本的なシステムづくりが急務ですが、わたしではどうにもできませんでした」

 元神威は声を落とした。

「わたしたちの世代はまだなんとか大丈夫でしょう。子供や孫の世代はわかりません。アメリカ先住民のナバホ族に伝わる言葉に、こんなものがあります。“大地は祖先から受け継いだものではない。子孫から借りているのだ”。国民の主食需要を自力で満たせる国を未来の世代に残してあげられなかった。それだけが心残りです」

 元神威は未来に目を向けている。農業と狩猟の逆境を利用して持続可能なビジネスモデルを構築し、新たな人生をみつけただけでなく、雇用まで創出した。戦後二十二年。与えられた時間はおなじだ。その時間のなかでなにもしてこなかった元長波との差が、いま、明確な社会的地位というかたちで表れていた。

 

 だから元長波は元神威を尊敬している。わたしなんかとは違う、と。

 毎日、寝る前に自問自答した。きょうはなにをした? 朝起きて、なんのスキルも資格も身につかないアルバイトをして、食べて、入浴して、いま床に入っている。あしたもこの繰り返しだろう。あさっても、一年後もおなじだろう。履歴書の空欄を埋められないまま三十代になり、四十代になり、五十代になるのだろうか。そのとき雇ってくれるところはあるだろうか。戦争と単純労働しかしたことのない女を? そうして気がつけば、もう四十二歳だ! いいようのない不安に臓腑を蝕まれながら過ごす休日。全力で打ち込める趣味があるわけでもない元長波にとって、休日ほど自分という人間のつまらなさを突きつけられる時間はない。

 元神威たちは、できることを増やすために、きっと毎日努力したのだろう。どんどん前へ進んでいく。元長波はその背中に手をのばすことしかできない。「わたしも連れていって」と足を踏み出そうとしても、灯台のない海のように暗闇に包まれていて、なにもみえず、どこへ行けばいいのかわからない。わたしは、ひとりぼっちだ。

 他人と比べる必要はない、とだれかがいった。でも、おなじ戦争を生き抜いて、第二の人生を充実させている僚艦をみれば、どうしても比べてしまう。

 どうして彼女たちにできて、自分にはできなかったのだろうか。



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十九  天使と悪魔のあいだに

 その夜、元長波たちは元神威宅でシカの焼肉を囲んだ。一口食べて元長波は顔を輝かせる。

「本当だ、花みたいな甘い香りがする。香のシシだっけ、あれはあながち大げさじゃないな」 

 みんながころころ笑う。自分たちが狩った肉を美味いといわれて喜ばないハンターはいない。

 シカの分厚いベーコンも格別だった。匂いも少ない。

「カンメシ(缶詰の携帯口糧)のベーコンステーキとは大違いだ。ありゃあ味はともかく匂いがすごかったもんな。缶を開けるとテントの空気が一瞬で汚染された。三日も連食したら体臭がベーコンに」元長波が思い出していく。「アイオワは全然気にしてなかったけどね。お互いミリメシを交換してみようってなって、ベーコン缶をあげたら大よろこびだった。なんせあいつ、歯みがき粉までベーコン味だったくらいだから。いっぺん使わせてもらった。うまかったよ。あれなら子供も進んで歯みがきする」

「サラトガさんの持っていたチョコケーキ味の歯みがき粉を試させてもらったことはありますね。歯みがきしてるのに虫歯になりそうでした」元神威が腸間膜を鉄板に広げながらいう。

 

「戦闘職ってやっぱりたいへんだった?」元秋津洲が肉を裏返す。

「どんな仕事にもその仕事なりのたいへんさってのはある。戦闘はたしかに重要な役目だけど作戦に占める割合でいえば末端のごく一部だからね。でも、そうだな、お腹から腸がこぼれたまんま母艦に帰ったときはたいへんだったよ。艦にあがって最初に塩落としするだろ、小学校のプールと脱衣場のあいだにあるシャワーロードみたいな奴。あれをくぐるときにはらわたに水がめちゃくちゃ沁みるんだ。“おい、これ海水使ってんじゃねえだろうな!”って」

 迫真の語り口に一同が吹き出す。

「わたしが入隊して数年後には、痛覚を感覚じゃなくてデータにする技術が実用化されたから、演技でもなけりゃシャワーで痛がることはなくなったけどね」

 作戦前の注射に含まれる微生物サイズの機械たちは、本人の生体電流をエネルギー源とし、戦闘におもむく艦娘をあらゆる面でサポートした。それまでは体感という極めてアナログかつ情報共有の困難な方法で確認するしかなかった疲労や精神状態をも数値化し、管理可能にした。

 艦娘の損傷箇所、出血量と血液残量、血中糖度、水分残量、心拍数、呼吸数といった、戦闘に影響をおよぼすあらゆる物理的状態を体内ナノマシンが取得し、彼女たちにはそれらを総合的に反映し視覚化したゲージが設定された。体内ナノマシンは負傷を検知すると即座に損傷個所を組織閉鎖して、血小板を大量に生成し出血を止め、必要なら旗艦の許可を得て本人を冬眠状態に入らせる。よって、ゲージが満タン、すなわちナノマシンを潤沢に保有している状態の艦娘は、脳か心臓を破壊されないかぎり、死亡することはまれである。ゲージは艦娘が負傷して血液ごとナノマシンが流出するごとに減少する。ゲージ残量が二十五パーセントを切るとナノマシンの絶対数が不足し、自力での応急処置どころか止血さえできなくなるので作戦行動は不能と判断される。このように艦娘の“体力”を視覚化し、本人、僚艦、指揮艦、母艦司令部が一元的に管理できるようになったことは、戦場の制御に欠かせない情報化に計りしれない寄与を果たした。まるでゲームのようだと当時の元長波は思った。顧客のためにユーザビリティを極限まで追求するコンピュータゲームの操作性こそ、戦争に求められるものだった。米軍の原子力潜水艦の潜望鏡はXboxのコントローラで操作されている。

 痛覚の情報化もナノマシンによる支援のひとつだ。負傷しても痛みを感じることはない。代わりに痛みが生じている旨の警告をコンタクトレンズの拡張現実に表示する。あくまで情報として被害状況を本人に報せるのだ。元長波はハンバーグになるまで戦っていた海防艦娘たちの散りざまを思い出している。出撃する前日、母艦のラッタルをつかってグリコの遊びをしていた海防艦娘たち。グーで勝った佐渡(さど)が「グ・リ・コ!」と三段登って首位になった直後、チョキで勝った対馬(つしま)が「チ・ヨ・コ・レ・イ・ト」と六段上がって追い抜く。佐渡は地団駄を踏んで悔しがる。それを下段から仰ぎみた択捉(えとろふ)松輪(まつわ)が屈託なく笑う。いままで生粋の艦娘であるかのように私心を捨て、任務への忠誠心で燃えていた海防艦娘たちは、作戦を前に年相応の子供の遊びに興じることで、ある種の踏ん切りをつけるべく努力しているかのようだった。「われわれはあの子たちに死んでこいといわなければならないんだ」。いずれも孤児だったという海防艦娘たちの、最初で最後の遊びを目にした男性士官らは、棒立ちのまま涙を流していた。

 

「わたしはもともと艦娘になるつもりはなかったんです。友だちの付き添いで地本に行ったら、わたしにだけ艦娘適性があった。それも貴重な潜水母艦だから是非にと。それ以来その友だちは口を利いてくれなくなりましたが」

 元大鯨がいうとどっと笑いが起きる。腸間膜でシカ肉を包む贅沢に舌鼓を打ちながら、話題はそれぞれの身の上話に移る。元艦娘は初対面の元艦娘にかならず話す。「なぜ艦娘なんかに?」と。

「当時二歳の子供がいました」元大鯨はつづける。「潜水艦隊は一度派兵されると二年か三年は帰れませんし、任務中となると何ヵ月も連絡がとれないことも。主人が泊地へビデオレターを送ってくれていました。子供ばっかり映して、自分は声だけしか入ってなかったり。テープが擦りきれるくらい何度も再生しました。みては毎回泣いたわ。わたしが海の上で潜水艦娘たちを待っているあいだ、子供はしゃべれるようになった。自転車に乗れるようになったのもわたしが南太平洋にいたとき。子供の成長を実感できる大切なイベントはほとんど映像でした。わたしは立ち会えなかった。子供には申し訳ないことをしたと思います。おかげで私立に入れてあげられましたが、派兵されてるとき、子供はわたしに電話をしてくるたびに泣いていました。“ママもう帰ってくる?”、“ごめんね、まだ帰れないの”。胸が痛みました。任務を終えて、帰還が決まって、潜水艦娘の子たちが開いてくれた送別会の最中に、延期を知らされたことも。夫と子供にはがっかりさせてばかり。内地に帰るたびに子供は大きくなっていました。終戦で解体されて帰国したときには、もう抱っこもできないくらい。主人も港で暖かく迎えてくれました。しあわせでした。これでやっと母親に戻れる、すべて元通り、そう思っていました、そのときは」

 元大鯨は食べごろに焼けたシカ肉を箸でつまむ。母親が死んだら、炊事や洗濯など、彼女のしていた仕事を残った者が分担してこなしていかなければならない。最初はたいへんだ。しかしそのうち慣れる。何年か経てば、最初から母親なんていなかったようにちゃんと家のなかが回るようになる。死んだのならもう戻ってこないからそれでいい。だが生きて復員してきた艦娘は?

「出征する前は家族の一員として欠くべからざる役割を担っていたはずなのに、みんなわたしがいなくても、実によくやっていました。主人と子供は協力して家事をこなして、ふたりともそれに慣れきっていた、わたしがいない、ということに。なのにわたしはいきなり戻ってきた。わたしはなにをすれば? わたしは艦娘になる前の、ただの母で妻だったころ、いったいなにをしてたんだろう? 家族はわたしが帰ってきたことで、わたしに居場所をつくるため、家を出たあの日にわたしの穴を埋めるのとおなじくらいの労力を注ぎ込まなければならなくなりました。食器ひとつとっても、内地に配属されてた子とちがって、水は貴重品だったからラップをかけて使うのが身にしみついちゃってたんです。母さん、お皿にラップなんてやめてくれよって子供に文句をいわれたときは、なによ、贅沢いわないでよって、頭にきたんですけど、おかしいのはわたしのほうだった。だって、家では蛇口をひねればいくらでも真水が出るの、お湯でさえ! きっとわたしが鬱陶しくてしょうがなかったに違いありません。たまに帰ってきてはまた派兵で、十五年ものあいだほとんど離ればなれだったんです。赤の他人同然になってた……それでも家族は、そんな様子をおくびにもみせようとしなかった。いっしょうけんめい、わたしが生きて帰ってきたことの喜びで打ち消そうとしていた。それがわたしにはいちばんつらかった。もう、本音をぶつけあって喧嘩する仲じゃなくなってたんです」

 元大鯨は笑みのままいう。

「そうして、しばらくして、気づくんです。この女は別人だ。戦争に行くまえのあの母か妻だった彼女は、もういない。顔だけそっくりの別人になって帰ってきた。止まっていた家族の時間をまたそこから動かすんじゃなくて、すべて最初からやりなおさなければならないんだと。なにを? すべてをです。すべて。距離感や、あしらいかたや、感情の発火点、なだめかた、人となり、そういったものを覚えたり……すべてを」

 戦時中の帰還は二週間から二ヶ月でまた派兵だった。なにか不都合があってもすぐにいなくなるからお互い「まあそんなものさ」ですませられた。退役となると家に一生いることになる。気に食わないことがあっても一生我慢しなければならない。

「子供が独立して、つぎの年に離婚しました。夫婦はもともと他人です。子供がいればなんとか楔になります。その子供がいなくなれば、もういっしょにいる理由が見当たらなくなって……ふつうの夫婦は、子供が独り立ちするまでのあいだに並行して絆を育めるから、老後もふたりで過ごせるのでしょうが、わたしたちにはその時間がありませんでした。夫婦としてともに生活すべき時期に、わたしが艦娘になって家を空けていたから……」

 元大鯨の子供は同居を提案している。彼女には応じる勇気がない。

「息子はすでに家庭を築いています。その家に割り込んで、わたしはどんな存在でいればいいのか。きっと邪魔者にしかなりません。気持ちはうれしいのですが、いまさら母親面なんて……」

 独り暮らしの元大鯨にとって、いまは元神威の会社で働くことが生きがいになっている。

 

「わたしは従軍中、どうしても子供がほしくて、夫と相談を重ねて、代理出産を」

 元速吸がランイチという美味しい部位を元長波に勧めながら明かす。

「仕事は大切でした。でもあの人との子供も産みたかった。補給艦娘の仕事は大規模作戦でこそ必要とされますから、なかなか妊娠のタイミングがなくて」

 妊娠した艦娘は出撃リストから外される。駆逐艦娘は年齢の関係で全寮制だったが、戦艦や空母艦娘のうち既婚者は基地の近くに家族が住んでいるなら自宅からの通勤が認められる。大規模な作戦への参加が内示されるや、妊娠して動員を逃れようとする既婚艦娘が続出するようになった。みかねた防衛省はつぎのような通達を出した。「作戦参加内示の後に妊娠して派遣が不可能となった場合、その者の同期を代理として派遣する」。命惜しさに同期を売ることは艦娘にとってもっとも恥ずべきこととされていた。うわさを流されれば軍に居場所はなくなる。以来、大規模作戦前に妊娠が発覚するケースは激減した。

「夫の精子と、わたしの卵子を代理母になってくれる女性の子宮に移して、わたしは任務へ。夫も海軍の下士官でしたから理解してくれました」

「官品ベイビーか」

「きっと生まれながらの軍人だって、よく笑いあってました」

 出産を知ったのは、ビスマルク海を航海中の輸送艦に届いた動画でだった。夫が産まれたばかりの赤ん坊を抱いて感涙にむせんでは、「ほら、目元なんかきみにそっくりだろう?」とあらゆる語彙を駆使して感激を伝えようとしていた。

「動画をみながら、わたしは不思議な気持ちでした。母親なのに出産に立ち会えないなんて。わたしは自分の身勝手さをはじめて思い知らされて、動画を見終わったあと、あたりはばからず泣きました。不妊でもないのに、子供を身ごもって産むまでの不自由な思いや苦痛を他人に押しつけたんです。そして不安でもありました。妊娠や出産の苦労と痛みを知らないわたしが、あの子をちゃんと自分の子供だと実感して、母親として愛してあげられるかどうか……」

 元速吸は子供時代に虐待されて育った。

「母にはよく叩かれました。幼稚園に上がったときのことです。母に、おなじ組のあの子はちゃんと十まで数が数えられるのに、なんでおまえは詰まるんだって、何度もグーで殴られました。何度も何度も。そして赤く腫れた自分の拳をみせながらこう怒鳴ります。“おまえを殴るとあたしの手が痛いんだよ! あたしに殴らせるな!”。母親というものは、子供に自分を重ねます。子供を通して周りの人たちから褒められたい。母にとってわたしは自分の承認欲求を満たすためのペットだったんです。母はいわゆるできちゃった婚でした。艦娘にもならず未成年で母親になった彼女へのプレッシャーは相当なものがあったと思います。だから焦っていたんでしょうね、周りの子たちより自分の子は発達が遅いのではないかと。母親になったいまなら、子供のもの覚えには同年代でも多少の誤差があるものだとわかります。その程度の誤差も母には許せなかった。特訓と称して、洗面器に水を張って、百まで数を数えさせられて、ちょっと詰まると顔を沈められました。また最初から数え直しです。殴られそうになって両腕で頭をかばうと、手をどけろ、本当に自分が悪いと反省してるならおとなしく殴られろと顔じゅうを口にして叫びます。食事どきに食べ物を落とすと激昂し、お料理の乗ったお皿に顔を押し付けられました。“こうしたら食えるだろ!”と。泣くとよけいに怒りました。“本当につらいのはあたしなんだよ。あたしは、賢くて可愛い子供、優しい夫の家庭に憧れてたんだ。なのにおまえもお父さんもあたしの理想の邪魔をする。かわいそうだろ? 本当にかわいそうなのはおまえじゃなくてあたしなんだ。いっちょまえに泣いてんじゃねえよ!”。父は育児にはいっさい興味を示さない人でした。父と家にふたりっきりのときに、思いきって助けを求めたんです。“お母さんに叩かれるの”。テレビで映画をみていた父の、あのうっとうしそうな顔は忘れられません。“知るか、黙ってろ。おれだってガキがほしかったんじゃねえんだ。勝手に生まれやがって”。わたしには一家団欒の記憶はありません。覚えているのは、殴られるか、九九を間違えて鉛筆を手に刺されるか、なじられるか、無視されるか。そうやって育ったわたしも、子供におなじことをしてしまうんじゃないかと急に怖くなって……」

 遠い海で母親になった元速吸を仲間たちはこう慰めた。「そう思えるあんただからこそ、いい親になれる資質がある」。

「彼女たちは子供の誕生を自分のことのように祝福してくれました。みんな沈んでしまいましたが、弱いところも恥ずかしいところもさらけ出すことができたし、逆に悩みごとを包み隠さず披瀝してくれた。彼女たちはわたしのかけがえのない親友です。いいところだけしかみせようとしない人なんて、信用できませんから」

 元速吸は両親の消息を知らない。

「両親にはいまでも憎しみしかありません。ですから、猟銃を持ってるときだけは、現れないでほしいですね」

 満座が大爆笑に包まれる。

 

 元瑞穂は十一歳のとき、処女を実の父親に奪われた。

「狭い家でしたから、両親と三人で川の字になって寝ていました。あの夜、父が動く気配がしたので、小用にでも立つのだろうと思っていたら、わたしにゆっくりとおおい被さってきました。寝間着のなかに手を滑らせてきて……父は薄笑いを漂わせながら口を手で塞いできて、声をあげないようにと人差し指を立てました。自分で自分の口を両手でおさえて、必死に我慢しました。だってすぐ隣では母が寝息をたてているんですもの……。しばらくは毎晩父の相手をさせられました。とうとう耐えられなくなって、父がいないときを見計らい、母に打ち明けたのです。母は驚き、つぎに、瑞穂を汚らわしいものをみる目で睨みつけました。母は女性として娘に負けたと思ったのでしょう。あの家に味方はいませんでした。小学校の卒業が待ち遠しかった。父から逃れるには艦娘にでもなるほかはありませんでしたから」

 瑞穂という艦名と九桁のシリアルナンバーが新しい名前だった。名前と同様に新しい自分に生まれ変われると期待した。あえて自らを瑞穂と呼ぶことで、入隊以前の、艦娘になる前の自分の存在を否定しようとした。だが、瑞穂のキャリアを何年積んでも、泊地に勤務していた男性と交際するようになってからも、父に汚された記憶は悪夢となって、たびたび彼女を苦しめた。元瑞穂はいっさいを打ち明けた。隠したままでいることもできた。しかし彼の献身的な愛には誠意で応えなければならなかった。彼は涙を流した。「つらかったね」と元瑞穂を抱きしめた。「話してくれてありがとう。とても勇気がいることだ」。そしてひざまずかれた。「傲慢かもしれないが、きみの背負っているものをぼくにも分けてくれないか」。元瑞穂は泣きながら彼に抱擁した。その男性はいま元瑞穂の夫となっている。もう父の夢をみることはない。

「海外派遣からの帰還では夫と協力して子供たちを驚かせました。最初の帰還はちょうどクリスマスでしたから、帰ることを子供たちには知らせずに、大きなプレゼント箱に入って家に届けていただいたのです。夫が“お父さんからのクリスマスプレゼントだ。開けてごらん”といって、子供たちがリボンを解いて、蓋を開けた瞬間、“ただいま!”と。子供たちはびっくりして、泣きじゃくりながら抱きついてきました」

 五年後、二回目となる帰還のときも、三人の娘たちには日取りを教えなかった。学校に協力を取りつけた。授業中、教師はおもむろにいった。「きょうは特別ゲストに来ていただいています」。そこで元瑞穂が教室に入った。「ママ!」。叫んだきり娘は絶句した。後ろの席の子に背中をつつかれてようやくわれに返って母に駆け寄った。クラスメイトたちは拍手で親子の再会を祝福した。ほかのふたりの娘にもおなじことをした。いちばん下の娘は、元瑞穂が教室に入るなり号泣しながら机のあいだを駆け抜け飛びついた。娘の級友たちが拍手をし、口笛を吹いた。

「艦娘になっていなかったら、神威さんとも、いまの主人とも会うことなく、高校で古典の教師でもしていたでしょうね」

 という元瑞穂に、戦争がなかったらいまごろわたしはなにをしていたのだろう、結婚していただろうか、と元長波は思いを馳せる。

 

「地本の募集官にだまされたのよ」

 元秋津洲はシカのロースを頬張りながらいった。

「海軍はとってもスマートな業務で、勤務は八時間、週休二日、いろいろ資格もとれて、名誉除隊なら再就職でも有利とかなんとか。でも実際に入ってみたら、艦娘学校では一日じゅう腕立てや屈み跳躍をさせられ、怒鳴られ殴られて。たまたま基地で募集官に会うことがあったから、文句をいったの。“聞かされていたのと違う!”。そしたら募集官は、怒ってるわたしに笑いながら“わたしはきみを助けたんだ。あのとき軍に入ってなかったら、きみは友だちとつるんでただろう?”。そりゃそうよ、それのなにがいけないのって訊いたら、“いまごろドラッグに溺れてたはずだ”。そんなわけないじゃんって、最初の休暇で帰郷したら、学生時代によく遊んでた友だちが覚醒剤の常習者になってた。あの募集官は正しかったのね」

 元秋津洲は、未婚のまま母親になった。子供の父親に妊娠を告げた。よろこんでくれると思っていた。相手は気色ばんだ。「怪物が産まれるんじゃないか」。

 PT小鬼群は深海棲艦に卵を産みつけられた艦娘の腹のなかで寄生体をとり込んで育ち、母体を食い破って誕生する。元秋津洲の交際相手はインターネットで聞きかじって、艦娘はPT小鬼群を産むものと勘違いしているようだった。

「そういう誤解をしてるくせに、よく元艦娘とセックスできたな」

「いざ子供が生まれるって段になって、不安になったのかもね」

 産んだ子供が先天的欠陥を有する確率は、艦娘、艦娘経験者、そのどちらでもない通常の女性で、有意な違いは認められないとの統計が出ている(厚生労働省・人口動態統計月報年計の概況)。艦娘や元艦娘への差別には、深海棲艦から摘出した寄生生物を人体へ移植することに対する嫌悪感が根底にあるといわれている。

「わたしたちだって好きで寄生虫を脊髄に住まわせたわけじゃないのに。そうする以外、どうやって深海棲艦と戦うのか教えてほしいよね。だいいち、解体されたらもう寄生虫はいないんだから」食べながら元秋津洲は笑ってみせる。子供はひとりで育てた。「わたしよりずっと出来がいいかも」自慢の息子を元秋津洲は携帯端末の画像で元長波に自慢する。わたしは自分の世話だけで精一杯だったのに、と元長波は液晶のなかで白い歯をみせながらピースサインしている少年を通して、元秋津洲に敬意を抱く。同時に、おなじ艦隊だった綾波(あやなみ)の悲劇を思い出す。

 

 2水戦の仲間に綾波がいた。よくほかの2水戦の艦娘に――もちろんそのなかには元長波もふくまれる――ほほをつっつかれていた綾波。嫌がるそぶりもみせないどころか、右のほほを突かれたら左のほほを差し出せという座右の銘をもっていた綾波。将来の夢はと訊かれて、もじもじしながら「お嫁さんです」と答えるような、元長波いわく「戦争さえなければ平凡な恋愛をして、平凡な家庭を築いていたはずの、可愛らしい女の子」だった綾波。

 その綾波が、あるとき、飛びかかってきた軽巡ト級に産卵管を腹へ刺された。ト級は元長波たちによってすぐさま報いを受けた。だが間に合わなかった。産みつけられた幼生が綾波の子宮で急速に成長しはじめていた。仲間はすぐにでも綾波の腹を撃とうとした。2水戦は本隊から離れた遊撃が主任務だった。応急処置を施しても、血中ナノマシンの治癒能力を超える重傷を与えた状態では、遥か遠くにある基地へ帰還するまでに失血で息絶える可能性は否定できない。当時はまだPT小鬼群という呼称すら定まっておらず、対処法も確立されていなかった。艦隊は海上で激論を戦わせた。そのあいだにも、綾波の、まだくびれすらない年相応の体型の腹は、空気を注入された風船のようにみるみる膨張していく。腹が蠕動(ぜんどう)する。狂乱した綾波が絶叫しながら自らの膨れる腹部を殴る。僚艦の陽炎(かげろう)が一か八か賭けるべきだと主張して砲の安全装置を外し、元朝霜が強硬に反対していた。両者に共通していたのは、綾波をどうにかして救いたかったということだ。元長波はどうすればいいかわからなかった。

 絹を裂く叫び声が迸ったと思うと、綾波の足の合わせ目の奥、小陰唇もないただの割れ目だった女陰を内部から無理やりこじ開けて、青黒い外骨格におおわれた頭部が抜け出てきた。頭につづいて生白い手が伸びた。人間の赤子の頭だけを深海棲艦にすげ替えたような、異形の新生児だった。笑い声のような産声が海に響いた。綾波が喉の奥でヒキガエルのような悲鳴をあげた。綾波の眼球がべつべつに動いていたことを元長波はなぜか明瞭に覚えている。

 綾波はすばやく主砲の砲口を赤子の後頭部に押しつけた。引き金を引いた。弾丸は出なかった。不発弾だった。主砲を捨てた綾波はサバイバルナイフを抜いて逆手に握った。元長波らが止める間もなく、自身の股間から上半身だけ出している赤子の小さな背中へ振り下ろした。

 刃に刻まれた小鬼は甲高い声をあげて産道へ引っ込んだ。綾波は憎悪を吐いてナイフを膣へ振り下ろした。胎内から奇怪な苦鳴が聞こえた。綾波は自分の陰部を何度も何度も刺し貫いた。綾波の童顔が返り血でおぞましい化粧を施され、鬼の形相になっていた。膣ごとめった刺しにされた赤子はやがて絶命して、股間からナメクジのようにぬるりと押し出された。

 繰り返し刺された綾波の女性器は真紅の地獄となっていた。すさまじい出血だった。血が溶け込んだ直下の海は赤い煙がひろがっていた。悪夢のような光景だったが元長波はひとまず終わったと思った。手当をしようとした。綾波の腹部がまだ膨らんだままということに、考えが及ばなかった。

 自分より大きな獲物を丸呑みした深海魚のような綾波の腹が、また蠕動した。へその横に、紅葉のように小さな手のかたちが浮かんでいた。内側からなにかが手を突き出している。孕まされた小鬼は一体ではなかったと元長波が気づいた直後、皮膚の弾性限界を超えて、腹が破れた。血飛沫のなかから短い腕が抜けた。腹部が縦に裂けていった。裂け目は胸まで達した。内部から、血にまみれ、腸管の絡んだ三体のPT小鬼群が飛び出して、金切り声を奏でた。

 小鬼たちは危険を察知していたのかすぐさま海中へ逃れた。あとに残された綾波はあまりの衝撃と激痛で白目をむいて失神していた。

 元長波たちは急いで綾波を後送した。適切な応急手当と迅速な搬送で綾波は一命をとりとめた。しかし子宮は修復できても原始卵胞や卵母細胞までは再生できなかった。お嫁さんになるのが夢だった綾波は母親になれない体になっていた。

 のちにその綾波はネビルシュート作戦の決戦艦隊に酒匂とともに配属された。子供が産めない体だったから選ばれたのかどうかは、元長波には答えがみつからない。

 

「神威は深海棲艦と話したことがあるって、一度聞いたけど」

 肉をあらかた平らげたところで元長波はいった。くわしい話は知らずじまいだった。ジャムで人語を詐術に使う深海棲艦と遭遇した経験から、たまたま会話が成立したような気がしたというだけではないか、と思った。

「わたしも聞きたいかも」元秋津洲らも興味津々となる。

「証明するものも人もないので、信じるかどうかはみなさん次第ですが、もう四十年近くも昔のことですし、わかりました、いいでしょう、このさいですからお話ししましょう。作り話だと思ってもらってもかまいません。わたしがほんの子供だったころのことです……」

 元神威は遠い記憶を探りながらあらためて心の整理をつけるように言葉を紡いだ。

 

 いまはもうない小さなコタン(アイヌの部落)でわたしは生まれました。当時、アイヌ語を母語とする話者はすでに絶えていて、コタンもほとんど意地で守り続けていたようなものでした。わたしだって日本人のふつうの子供たちのようにランドセルを背負っていましたからね。アイヌの民族衣装に袖を通すのも、年に一、二回くらい。アイヌだとかいわゆる和人だとかいうことを意識することもなかった。同級生たちも別け隔てなく遊んでくれましたよ。山での遊びはかえって珍しがられて、みんなで雉を追いかけたことも。冬にはコタンの年長者から狩りを教わりました。土間に飾られていた木彫りのカパッチリカムイ(オオワシ)が大好きでした。二メートルくらいの翼を広げた立派なもので、いまにも羽ばたきだしそうだった。貧しかったけれど、美しい日々でした。

 やがてわたしたちがコタンを捨てるときがきました。戦前なら文化財として保存しようという動きもあったのかもしれませんが、すでに戦争がはじまって何年も経っていました。船が海に出れば深海棲艦に沈められ、ひとたびあの赤潮のようなバクテリアが流れてくれば一帯の水産資源は全滅……北海道の漁業は風前のともしびでした。

 いちばんの問題は石油です。灯油とガソリンは北海道の生命線ですから、原油価格高騰にともない、道が買い取って安く供給する非常措置が常態化したことで財政は一気に悪化しましたが、そもそも原油の輸入そのものが滞ったため、毎日のように凍死者が出ました。登下校の途中に道ばたで雪に埋もれたまま動かない人をみかけることが、当たり前に。

 そんな状況ではアイヌ民族だけを特別に保護するわけにもいかず、時代にそぐわないコタンを伝統だからという理由だけで維持し続けることにも無理がありました。海とさほど離れていなかったことも大きいでしょう。コタンのみんなは、つてをたどって散り散りに……北海道を出た人も少なくありません。

 わたしの家族は道内にとどまりました。父は不器用な人でしたから、ろくな仕事にありつけず、東京へ出稼ぎに。一年もすると仕送りの額が減っていき、いつからか送金もされなくなりました。父は東京で新しい女性と暮らしはじめたらしいと大人たちがうわさしているのを聞いたことがあります。掌中の小銭をみつめて途方に暮れている母をみるのは子供心につらいものがありましたね。

 その母もむりが祟って病臥に就き、あっけなく息を引き取りました。雪とおなじ体温になった母の体の冷たさをいまでもよく覚えています。

 天涯孤独となったわたしは親戚の家をたらい回しにされたすえ、児童養護施設に入ることになりました。その施設も子供たちのことが考えられているとはいえないところでした。入居している子供の数に応じて国から助成金がでる仕組みで、とくに女の子だと支援金が高かったから、集められるだけ集めていたんです。収容人数の制限が緩和されていた時代でした。

 そういう施設ですので人手も不足していて、職員の目が届く範囲にも限界がありました。わたしは子供たちから、土人とか、アイヌ女とか呼ばれ、遊びには入れてもらえず、たびたび持ち物を盗まれました。職員のかたには、おまえはよく物をなくすと叱られました。盗まれたと訴えてもろくに聞いてもらえません。わたしが必死に探しているさまを、子供たちは聞こえるように笑って眺めていました。

 土人は服を着る資格はないって、みんなにハサミで服を切り刻まれたこともありましたっけ。ハサミが服だけにとどまらず、肌ごと切られたところもあります。ハサミが血で汚れたと殴られました。

 教科書に青虫が挟まれていたことも。そんなことを知らずに開いたらページが緑色のどろどろした体液で染まっていましたから、びっくりして悲鳴をあげてしまいました。みんな大笑いしていましたね。

 笑うといえば、わたしが「やめて」というと、彼らはとてもうれしそうに笑いました。わたしのいったことを逐一、繰り返して、そのたびにお腹をかかえていました。普段の生活でも一挙手一投足を真似されました。わたしのことをどれだけ大きな声で笑えるか、競い合っているようでもありました。

 掃除のときには、雑巾をしぼって真っ黒になった水をかけられたり。食事には唾を吐かれ、木工用ボンドをかけられたりしました。

 職員はみてみぬふりでした。やっかいごとを増やしたくなかったのでしょうね。どうせわたしにはいじめに抗議をしてくる親もいませんから。

 子供たちからのいじめはひどくなる一方。ある日、リーダー格の男の子が、

「おれの小便を飲んだら仲間に入れてやるよ」

 というので、それでいじめられなくなるのならと、膝をついて、口を開けました。彼はわたしの顔に向けて放尿しました。みんなが好奇の視線を注ぐなか一生懸命飲んだのですが、その男の子は「いっぱいこぼれてるじゃないか。それじゃ飲んだとはいえないな」と嘲笑いました。「床ちゃんと掃除しとけよ」。彼は仲間たちを引き連れて遊びに行きました。仲間たちはわざとらしく鼻をつまみながら口々に「小便くさい」と、おしっこまみれのわたしを罵り、通りすぎるついでに蹴っていったりしました。

 彼らはみんな不幸な境遇の持ち主です。親に先立たれたか、あるいは捨てられて、親類にも引き取り手を断られ、流れ流れてたどり着いた。わたしのように。しかも女の子なら艦娘になる道がありますが、男の子はそうもいきません。自分がいかに惨めで、未来に希望がもてない存在か、彼らなりに知っている。知っているけど、認めなくない。だから、どうにかして自分より劣等な存在をみつけて、あいつよりはマシだ、自分は不幸なんかじゃない、まだ下がいる、という安心感を得たかったんでしょうね。それがたまたまアイヌというわかりやすいマイノリティのわたしだったんです。

 わたしはおしっこでびしょ濡れのまま、施設を脱け出しました。職員の手が足りないことがさいわいしてだれにもみつかりませんでした。このときだけは施設の怠慢ぶりに感謝しました。

 行くあてなどありません。行き倒れてもよかった。まだ毎日が楽しかったころ、学校の行き帰りにみては掌を合わせた、あの凍死者たちのように。

 わたしはいつのまにか故郷のコタンに立っていました。朽ち果てた空き家ばかりでしたが、家にあった木彫りのオオワシは変わらず翼を広げていて、その前へ立つと、ここで過ごした昔日の思いがいや増し、涙をこらえようもありませんでした。もっと早く死んでおけば、しあわせなままでいられたのにと。いまからでも遅くない。そう思って、どうせ死ぬなら、危ないから近づくなといわれていた海をみてから死のうと、浜へ足を伸ばしました。

 波のざわめき、凍てつく風、潮の香。雪のちらつく日でした。海に入れば確実に死ねると考えて、波に足を浸けたときです。

 波打ち際に、女の子が打ち上げられているのをみつけました。わたしは急いで駆け寄って、息があることを確かめ、抱き上げてコタンへ戻りました。わたしたちの家だった廃墟へ……。彼女の体はなにもいわなくなった母とおなじ冷たさでした。焚き火をつけ、ありあわせのもので防寒具をつくって彼女を温めました。とても小さな子でした。当時のわたしが抱きかかえられるくらいですから、小学校に上がるか上がらないかくらいの年格好です。傷だらけでしたがとても目鼻立ちの整った可愛らしい子で、なにより、髪も肌も、雪のように真っ白でした。

 しばらくしてその子が目を醒まして、また驚きました。夕陽を閉じ込めたようなオレンジの瞳。いままでそんな色の目はみたことなかった。彼女はわたしの存在に気づくと手負いのけもののように吠えて唸り、おぼつかない動きで家の隅にまで下がって、ときおり歯茎をみせつけて威嚇しました。当のわたしは彼女のきれいな色の瞳に見入ってしまっていて、それがよけいに彼女の癪に障ったようです。もういまにも飛びかかってきそうなくらいの殺気でした。

 どうにか落ち着かせようとしましたが、いっこうに警戒を解こうとしないので、こういうときは放っておくのがいちばんと、わざとその場で寝ることにしたんです。疲れてもいました。寝ているあいだに殺されたとしてもよかった。生まれ育った家で大好きなカパッチリカムイに見守られながら死ねるのですから……。実際には翌朝も目を開けることができました。彼女は依然としてすさまじい形相でわたしを睨みつけていましたが。

 最初の三日は冷戦状態でした。彼女は一睡もせず、ただわたしに敵意をむきだしにし続けるばかり。見た目が幼い子供だからでしょうか、わたしにはそれが怯えているようにもみえました。「こんにちは」とか「お腹はすいてない?」と話しかけても猛獣のように歯を剥いて唸るだけ。

 一方で、わたしが山に食べ物を探しに行ってるあいだは家のなかを歩き回っているみたいで、一度、木彫りのカパッチリカムイに釘付けになっているところを目にしたことがあります。わたしの自慢だったその像を気に入ってくれたことがうれしくて、声をかけました。彼女は飛び跳ねるようにびっくりしていつもどおり隅っこへ。

「これ、とてもきれいでしょう。オオワシっていうの。わたしのおじいちゃんが彫ったの。おじいちゃんが若いころに伐った木を何十年も乾燥させて、わたしが生まれたお祝いに彫ってくれたのよ」

 彼女はあいかわらず険しい顔で臨戦態勢をとっていましたが、いくぶん表情がやわらいでいるようにも感じられました。もしかしたら言葉がわからないのかもと思い、オオワシの像を指して、オ・オ・ワ・シ、と何度も繰り返し聞かせました。彼女の顔に困惑がみてとれました。眉間のしわもほぐれていった。

 山で雪の下から集めてきた木の実を煎って、彼女にもわけてあげました。でも、わたしが自分のぶんを食べるところをみても、彼女は手をつけようとしないんです。何日も食べていないはずなのに。だんだんやつれていくのがわかりました。水だけは飲んでくれましたが、苦労して捕ってきた雉の肉にも、山菜にも、なんら興味を示しません。我慢しているというより、食べ物だと認識できていない様子でした。

「なにか食べたいものはある?」

 問いかけても、彼女は無表情でわたしをみつめるだけです。

 どんなものなら食べてくれるんだろうと悩みながら、食べ物がないか山向こうの国道に出たとき……。

 空から不気味な音を響かせて、一機の飛行機が現れました。お尻から火を噴いて、黒い煙を曳き、目がみえない鳥のように迷走していたその機体は、みるみる高度を落とし、わたしのほうへと墜落してきました。間一髪でした。そのとき衝撃で飛行機の燃料タンクが破裂して、飛び散った燃料がすこし服の袖にかかってしまった。引火しないか心配でしたが、あたりにだれもいなかったので、わたしはとにかく乗員を助けなければと、煙の上がっている機体の残骸へ近づきました。そこではじめて、墜落した飛行機が海軍の陸上攻撃機だということに気づいたんです。日の丸が描かれていて、しかもキャノピーがアクリルガラスではなく、外からは内部がみえない偏光素材だったから。

 やっとの思いでチェンバーのハッチをこじ開けたのですが……とてつもないGがかかっていたのでしょう、搭乗させられていたはずの艦娘の姿はなく、代わりにチェンバー内は血と肉と臓物をかき混ぜてまき散らしたような惨状でした。できることはなにもないとあきらめて、わたしはコタンへ帰りました。

「ただいま」

 彼女からの返事は期待していませんでしたが、わたしはいつも挨拶をしていたんです。朝起きたときは「おはよう」、寝る前は「おやすみ」、家を出るときは「いってきます」、帰ったときは「ただいま」と。彼女はいつもきょとんとした顔でみてくるだけでしたが、そのときは違いました。わたしのほうを振り返ってじっと凝視していた。いえ、わたし自身じゃありません。彼女の夕陽色の視線はわたしの袖に注がれていました。そのとき袖がぼろぼろに溶けかけていることに気づきました。

 なんでだろうって思っていたら、彼女がいきなり飛びついてきて、わたしの袖を舐めはじめたんです。もう無我夢中でした。

 いままでどんな食べ物も受け付けようとしなかった彼女が、なぜ服なんて……そこでわたしははっとしました。彼女は服そのものではなく、袖に付着した航空燃料に惹かれているのでは……わたしは肘のあたりから破って彼女に与えると、急いで墜落現場にとって返しました。

 幸いまだだれもいません。タンクに残っていた燃料をお椀で掬って、わたしはヘリコプターやサイレンの遠い音を背中に浴びながら帰ったのです。

 揮発性の強い匂いを放つジェット燃料(JP-5)を差し出すと、彼女は顔を輝かせました。何度もわたしとお椀を交互にみたあと、両手でごくごくと飲んだ、まるで砂漠で水源をみつけた旅人みたいに。そう、彼女は劇物であるはずのケロシンを水のように飲んでいたんです。

 最初にひと目みたときから彼女が深海棲艦だとはうすうす勘づいていましたが、燃料を美味しそうに飲む姿をみてそれは確信に変わりました。いまにして思えば、いわゆる北方棲姫と呼ばれるタイプの一個体でした。アリューシャン方面で人間に負け、敗走を重ねるうちに海流にさらわれて、北海道の太平洋側にまで漂流してきたのでしょうね。

 でもわたしが彼女に抱く感情はなにも変わりませんでした。傷ついて浜に漂着していた女の子。わたしにはそれ以上でもそれ以下でもなかったんです。

「おいしかった? よかった、なんであれ、なにか口にしてくれて」

 一気に飲み干してひとごこちついた彼女にわたしは思わず微笑ましくなっていました。お腹が満たされて安堵している顔は、外見どおりの子供そのものだったからです。

「これからはわたしがそれとおなじようなものを探してくるから、あなたはここから一歩も外へ出てはだめよ」

 わたしは器を下げながら忠告しました。もちろん、ほとんど独り言のつもりです。返事なんて期待してなかった。ところが、

「……アリガトウ」

 彼女は、たしかに、はっきりとそう発音したのです。わたしはうれしくなって、もう一回いってと頼みました。そっぽ向かれちゃいましたけどね。

 それからは彼女ともだんだん打ち解けて、いろいろな遊びをして過ごしました。持ち帰ったササの葉で草笛をつくって吹いてみせると、感激して、おねだりするんですね。わたしがあげると真似をして吹くんですが、鳴らない。わたしがその場でまた新しく草笛をつくって吹いてみせたら、そっちをちょうだいと。吹きかたを教えてふたりで飽きもせず草の音を奏でました。夜は抱き合って寝ました。妹ができたみたいでした。

 母が遺してくれたなけなしのお金がわたしの全財産でした。それで五〇〇CCの携行缶を買って、ガソリンを詰めてもらいました。「お父さんの車が動かなくなって、手が離せないから、お使いを頼まれたんです」なんて、下手なうそをついて。怪しまれないようにおなじお店に続けては行かず、いくつかのスタンドを順繰りにして買いました。いまとは比べ物にならないくらいガソリンが高価な時代でした。でも、彼女のよろこぶ顔が、わたしにとってなによりの慰めだったの。

 とはいえ歩いていける距離にあるスタンドの数なんてたかが知れています。すぐに顔を覚えられてしまいました。みすぼらしい身なりをした小学生くらいの女の子がちょくちょくガソリンを買いにくる、しかもその子は廃墟になった村にひとりで住んでいるらしい……いかにも怪しいでしょう? 

 ある日、コタンに学生服姿の男の子たちがやってきました。彼らはいいました。

「おい、おまえ深海棲艦なんだってな」「みんなうわさしてるぜ」「なんかやってみろよ」

 わたしはなんともいえません。ただ、帰って、としか。

 深海棲艦だろう。

 違います。

 水掛け論が続いて、彼らは業を煮やしたのでしょう。

「こいつを痛めつけて怒らせりゃ、なにか力使うかもしれねえぜ」

 表に深い穴を掘って、わたしを首のところまで埋めたんです。

 身動きのとれないわたしの頭に、順番に泥水をかけていきました。彼らのなかには難色を示す人もいましたが、「やらない奴も深海棲艦の仲間だ」と……結局全員に泥をかけられました。わたしは耐えるしかありません。

 つぎに少年たちは遠くから石を投げてわたしの顔に当てる遊びをはじめました。当たると歓声が起きます。

 泥と涙と血の混じったわたしが家のほうへ目をやると、いましも彼女が飛び出そうとしていた。来てはだめ。わたしは唯一動く首を横に振りました。彼女は歯噛みして家のなかへ引き下がっていきました。わたしはほっとしました。石を目のすぐ上に受けながら。

 しばらくしてわたしをいたぶるのに飽きた少年たちは帰っていきました。たまたま通りがかった托鉢僧の人に助けてもらえなかったら、埋められたままのわたしは、胸の圧迫で窒息していたかもしれません。

 その托鉢僧の人はわたしの泥を払いながらこういいました。

「日本人は美しい花をつくる手を持ちながら、いったんその手にやいばを握るとどんな残忍極まりない行為をすることか」

 わたしは助けてもらったお礼をいったあと、どうしても納得できなくて、反論しました。

「それが、人間なのだと思います。天使と悪魔のあいだに浮遊するからこそ、天使になろうとすることに、人間の生きる意味があるんじゃないでしょうか」

 彼はなにもいわず、涼やかな鈴を響かせながら超然とした足取りで去っていきました。

 ……つぎの日のことです。わたしが携行缶を胸に抱いてスタンドに向かっていると、町の人たちがひそひそ話をはじめます。「あの子、深海棲艦らしいよ」「ばけもんの子供が来たぞ」「人間に化けてるらしいよ。ガソリン飲むんですって」「海軍さんはなにしてるんだろう、早くぶっ殺したらいいのに」「そのうち仲間を呼び寄せるんじゃない?」「そうならないうちになんとかしないと」……耳にはまぶたはありませんし、手はふさがってますから、わたしは根も葉もない誹謗中傷に甘んじてさらされなければなりませんでした。

 スタンドへ行っても、露骨に嫌そうな顔で「売れない」と断られました。

「お金ならあります」

「金の問題じゃないんだ。あんたに売ると、あとでいろいろいわれるんだよ。早く帰ってくれ」

 門前払いです。盗もうとしたわけでもないのに。わたしはお腹を空かせているはずの彼女に食事を持って帰ってあげられないことが悲しくて、家で彼女に謝りました。

 彼女はわたしをみて複雑な表情になりました。うつむいて、わたしにこういったのです。

「ゴメンナサイ……」

 わたしはいきなり涙があふれてきて、彼女の小さな体を抱きしめました。骨と皮だけみたいな痩せ具合だった。彼女はここ数日ちゃんとガソリンを飲んでいたはずでした。なのにいつまで経っても傷は治らないし、体調も回復のきざしをみせません。

 深海棲艦にとってガソリンは人間でいう砂糖水のようなもので、エネルギーにはなりますが、それだけで生存することはできません。あのころのわたしは、深海棲艦が生きていくには軽質油だけでなく、鉄や希少金属、触媒となるプラチナも不可欠だということを知らなかったのです。知っていても調達なんてできなかったでしょうが、あまりにも無知すぎた。それに愚かでした。

 ガソリンすら手に入れる方法がなくなってしまったことで、彼女はみるみる衰弱していきました。

 やがて、あの日が来ました。家の外が騒がしいので出てみると、わたしは一瞬、背中に剣山が生えた巨大な怪物が向かってきているのかと思いました。それは竹槍や手斧や鎌や包丁……思い思いの武器を掲げた地域住民の集団だったんです。彼らは大挙してコタンに踏み込んできました。先頭の男性がわたしをみつけて指さしました。

「深海棲艦だ!」

 叫んで、みんなが髪や服をつかんで引きずり回します。やめてとお願いしても聞いてくれません。

 彼らはみんな、深海棲艦に人生を狂わされた人たちです。漁を生業にしていた人もいるでしょう。灯油が買えなくなって身内を失った人もいるでしょう。もしかしたら家族が艦娘になって、轟沈したという人もいたかもしれません。

 彼らはわたしに唾を吐き、服を剥ぎとって、

「人間の女とおなじマンコしてやがる。おい、竹槍突っ込んでみろ。正体がわかるかもしれない」

 と、足を無理やり開かせました。鋭く切り落とした竹槍の先端が、泣き叫ぶわたしの中心に触れた、そのときです。

「ヤメロ!」

 甲高い、けれど強靭な声があたりの空気を切り裂きました。みんな凍りついたようになって、わたしの家に視線を注いでいます。わたしもそちらをみました。

 彼女が、もう立つことも容易でないほど弱っていた彼女が、門に寄りかかりながら、彼らの前へ姿を現していたのです。硬直している彼らに彼女は続けていいました。

「オマエタチノテキハ、ワタシダ。ソノコジャナイ。ソノコハ、オマエタチトオナジ、ニンゲンダ!」

 わたしは彼女に「逃げて」と叫びましたが、彼女はかぶりを振りました。これでいいんだ、と。

 町の人たちは穏やかではありません。真っ白な髪、ろうそくのような肌、オレンジの瞳。人間でないことはあきらかです。

「みんな、こいつを放っておくと、いまにとんでもないことになるぞ」

 彼らはわたしを無視し、彼女を引き倒して取り囲み、憎悪を吐きながら暴行をくわえはじめました。顔を、お腹を、殴って、蹴って。

 彼女がぼろ雑巾のようになっていく情景が正視に耐えず、かといって救い出すことなどとうてい叶わず、泣き続けるしかないわたしに、無数の足に踏まれ蹴られている彼女は、優しく声をかけました。

「ワタシハダイジョウブ。ダカラ、ナカナイデ。ネ?」

 顔がすっかり変形してしまっている彼女は、必死に笑顔をつくっていました。それがみんなの逆鱗に触れたのです。

「このやろう!」と、だれかが竹槍を彼女の右目に突き立てました。槍は信じられないほど深く眼窩に呑み込まれていきました。それを合図に、彼らは狂ったように武器を彼女の体に叩きつけました。(くわ)で細い腕を落とし、手斧で柔らかい足を断ち切り、包丁でお腹を切り裂いて内臓を引きずり出した。

 ついには、だるまみたいになった彼女の頭を踏んで固定し、大きなのこぎりで首を引きはじめました。のこぎりが前後するたび、細かい刃に喉の皮膚が食い破られて、組織の繊維が断裂していき、首の骨までも削られていきました。彼女の頭部が、やがてぐらぐらとして、あらぬ方向を向いたあたりで、わたしは顔を背けました。

 狂喜の声がいちだんと大きくなりました。みたくない、みたくないのに、頭の痺れたわたしはそれをみてしまった。彼女の首がごろりと転がっているところを。

 彼らの暴力はなおもとどまるところを知りませんでした。彼女の頭を竹槍の先に刺して、高くかざして振り回しました。戦旗のように。戦果を誇示するように。熱狂と興奮が渦巻いていました。

 なにもしてやれなかった。宙を舞う首を仰ぎながら、わたしは茫然自失としていました。自分のみているものが信じられなかった。信じたくなかったというほうが正しいのかもしれませんが。ただ地面の冷たい土を握りしめて、自分の無力を呪うばかりでした。

 突如として、群衆の一部が地面ごと吹き飛びました。

 轟然たる大地の響き。続けざまにあちこちで地面が弾け、ある人は肉片に分解され、ある人は飛び散った破片で切り刻まれ、ある人は人形のように飛んで廃墟に叩きつけられました。

 爆音と土砂の雨と煙で、あたりは混乱のるつぼです。まるで足下がいきなり火山の噴火口になってしまったようでした。爆発はいつ終わるともしれず、なにが起きているのかわからないわたしは、ただ身を伏せて嵐が過ぎ去るまで耐えるしかなかった。わたしを辱しめようとした男の人が、爆風で飛ばされた竹槍の砕片が全身に刺さって、サボテンのようになったときも、ずっと怯えているだけでした。

 あとになってから知ったのですが、その日、北方水姫を旗艦とする深海棲艦の侵攻部隊が領海に侵入し、うち何隻かが北海道砲撃を敢行していました。

 新冠を襲った砲撃は一種の流れ弾だったと海軍の公式見解が出ています。ですが、本当にそうだったのでしょうか。北方水姫たちは彼女の捜索のために北海道へ接近し、救援のため、いわば援護射撃をしたのでは……。

 もちろんわたしの勝手な想像です。最初に申し上げたとおり、あの場にいた人は砲撃の暴風雨でみんな死んでしまって、証言できる人間がいませんから……わたし以外は。

 大地の怒りのような躍動が終息し、静けさが戻って土煙が晴れたとき、あたりの様相は一変していました。

 まるで流星雨が降り注いだように円形の衝突痕だらけ。コタンはみる影もなく、息のある人はひとりもいない。絶対的な破壊の光景。

 そんななかで、わたしは自分だけが傷ひとつ負わず生きていることに気づきました。運がよかったのか。いえ。いまにも消えてしまいそうなくらい弱々しい虹色の膜が、わたしの周りを包んでいたのです。膜はすぐに空気に溶けていってしまいました。目の前には彼女の首を串刺しにした槍が転がってた。石油化合物の血に濡れたくちびるが動いた気がしました……彼女は最後の力を振り絞ってわたしを守ってくれたんです。

 その日のうちに軍が駆けつけ、放心状態のわたしを保護しました。前よりもずっと環境のいい施設に入れてくれた。そしてわたしは小学校卒業と同時に、艦娘学校へ。深海棲艦とはなにかを知りたかったからです。彼女のように、人とわかりあえる深海棲艦はほかにもいるんじゃないか、もしそうなら戦う以外の道も拓けるのではないか……結果はみなさんがご存じのとおりです。わたしたちと深海棲艦はお互いを拒絶することしかできなかった。生き残るためには仕方ありません。

 さてと、これでわたしの物語はおしまいです。ふた親を失くした孤独な女の子が寂しさを紛らわせるためにつくりだした妄想か、それとも真実か、みなさんの好きなように受け取っていただければと思います。……

 

 元神威が話し終わっても、しばらくはだれひとり口を開けなかった。元長波は午後の狩りを思い出していた。かつて深海棲艦からの砲撃があったという森。わずかに痕跡を残すばかりの集落跡地。下生えにおおわれつつあった砲弾痕。証拠としては不十分だった。しかし、

「わたしは信じるよ」

 元長波は断言した。元秋津洲たち四人も同意を示す。元神威は「ありがとう」と笑みをたたえる。

「でも実際、深海棲艦って、なんなんだろうな」

 元長波はベーコンを齧りながら疑問を呈する。いまにいたるまでだれにも答えを出せていない難問。

「深海棲艦とはなんだったのかと問う人は多いのですが、深海棲艦にとってわたしたちはなんだったのかと考える人はほとんどいません」

 元神威に、元長波の箸が止まる。

「深海棲艦が突如として海底世界から現れて人類に牙をむいたのはなぜか。深海棲艦は地下資源を利用して生きています。ところが人類はエネルギーを求めて海底の原油や天然ガスの採掘を進めた。生存を脅かす敵だと認識されたのではないでしょうか」

「奴らとの純粋な生存競争だったって?」

「ときどき考えるんです。わたしたちは深海棲艦を侵略者と呼びます。けれど、実は、深海棲艦こそかつては地上の支配者で、後から現れた人類との戦いに破れて海へと逃れていったのでは。その遠い過去を忘れているだけで、わたしたち人類こそが侵略者だったとしたら……」

 深度一万メートル以深に生息する深海生物であるはずの深海棲艦が、短期のうちに空気呼吸を獲得して、浅海のみならず水上や陸上での活動を可能とするほどの進化を遂げることができた理由については、いまだに解明されていない。一説には太古の深海棲艦はもともと陸棲生物であり、肺呼吸の機能を「新たに発明する」のではなく遺伝子の記憶から「思い出す」だけですんだからだともいわれている。

 元神威はいう。

「もはや深海の底しか住むところのない彼らをさらに海底開発で追いつめたのであれば、三十七年ものあいだ、人間を狙い撃ちするように攻撃していたことにも納得がいくと思うんです。深海棲艦からみた人類は、食料と生息地の両方を略奪する害獣だったのではないでしょうか」鉄板の上でシカ肉の脂肪が爆ぜる。

 戦争終結が宣言された日、与党の有力議員(当時)は取材にこう答えている。「われわれの勝利だ。海底もわれわれ人類のものだ」。

 互いを害獣と捉えていたとするなら、人類と深海棲艦の戦いにはどんな意味があったのか。

「わたしはカオス理論に答えをみています」

「カオス理論?」

「重油が海に流出すると、波紋は一定のパターンを描くでしょう。それとおなじです。有害鳥獣による農作物の被害も、大きな地図でみてみれば、洋上に流出した重油の波紋のように、ある法則にしたがった場所に現れていることがわかります。人間も例外ではありません。暴動により暴徒が都市部で略奪をはじめたとします。暴徒たちは自分の意志で、ただ放埒に、あるいはたまたま目についた商店を襲撃しているつもりでも、被害に遭った場所を地図に書き出してみると、ちょうど海面に流出した重油とおなじパターンが現れるんです。ミクロな視点では気づけなくても、マクロの視点だと法則が見いだせる」

「お釈迦さまの掌の上って奴か。むかしの人間もその法則性ってのにどことなく勘づいてたのかもな」

 可能性はある、と元神威はいう。

「深海棲艦の存在も、カオス理論で説明できるんじゃないかなと思うんです。生物は、個体レベルでみると、ただ自らの生存を至上目的とした利己的な行動に終始していますが、それが結果的には種の保存という集団の利益に貢献しています。さらに巨視的観点に立てば、種の壁をも超えて、生態系の維持にさえつながっている。生物が利己的な行動をとっているだけで、結果として利他的な振る舞いになるのです」

「肉食動物がただ腹を満たすために草食動物を食う。その利己的な行動が、草食動物の増加と植物の減少を食い止め、全体の秩序を保つために一役買っているってわけか」

「ええ。人間の都市もおなじです。ひとりひとりをみると、ただ自分のために、いわば勝手に生きているだけです。でもその行動が集合すると、あたかも都市機能を維持するために働いているようにみえる。だれひとりとして都市のためにという意識で仕事をしている人はいないにもかかわらずです」

 社会性動物の雄であるアリも、コロニーの維持という遠大な計画が個体の頭脳に詰まっているわけではない。餌の集積では、アリはただ「手ぶらの状態で目の前に餌があったら持つ」「餌を持っている状態で目の前になにか物体が現れたら手放す」このふたつの単純なアルゴリズムで動いているだけである。索餌中に餌があると拾う。道しるべフェロモンにしたがって帰路についている途中、おなじコロニーのアリと遭遇すると、餌を放して索餌行動に戻る。目の前で餌を落とされたアリは拾って巣へ持ち帰る。この繰り返しで餌が一ヶ所に集積されることがロボットを用いた実験で証明されている。

「深海棲艦との戦争で多くの人命が失われました。不謹慎であることは重々承知していますし、艦娘だったわたしがこんなことをいうのは誤解を招くかもしれませんが、深海棲艦の出現は結果的に人間の数を調節することになったのでは」

「自覚しにくいが、人間は陸上動物としては地球上でも有数の巨大生物だもんな」元長波はいう。地球の地上動物の九十九パーセントは人間より小さい。

「戦前、人類の最盛期には世界人口は七十億を数えていました。人間の大きさからすれば異常ともいえる個体数です。そのすべてが現代の日本人とおなじ水準の生活をするためには、地球三個ぶんの資源が必要だったといわれています」

「教科書やなんかでみたよ。夜の衛星写真だった。列島や大陸のかたちがはっきりわかるほどまぶしい灯りに溢れてた。大量消費こそが幸福の証だったんだろうな。しかし、そんな生活が、未来永劫続くと思ってたのかねえ」

 二十一世紀の初頭、「今世紀中に人口増加による食糧需要は生産量を上回り、行き着くさきは飢餓と戦争しかない」と悲観されていた。深海棲艦との戦争で世界人口は一時、二十億三〇〇〇万にまで落ち込み、現在も二十二億までしか回復しておらず、結果的に食糧の不足はまぬかれている。

 深海棲艦戦争でもっとも甚大な人的被害を出した大陸はアフリカだ。十二億を数えたアフリカ大陸の人口はいまや二億人にも満たない。人口のリセットはアフリカのみならず世界を平等に襲った。研究者のなかには、深海棲艦が出現しなかった場合をシミュレーションしたところ、人口減と環境汚染はむしろ現状より悪化していただろうと主張するものさえ少なくない。

「放置されていたスギの山林も」元瑞穂がいう。「輸入が減ったことで、相対的に国産材の価値が上がり、各地で適切な伐採が進められました。このように、深海棲艦との戦いは、大きな目でみれば、地球で生物が生きていくことのできる環境を延命させたといえるのかもしれません。人類もふくめて」

 屋久杉にみられるように、スギは本来、根本がもっとも太く、上ほど細くなっていく。しかし材木として利用するなら根本から頂上までまっすぐ伸びているほうが望ましい。スギを高密度で植林すると線香のように直線に育つ。密度が高いままだと成長にしたがって日照や栄養分が足りなくなるので、育ちの悪いもの、枯れかけたものを間引く。これが間伐だ。スギは四、五十年、あるいは七十年かけてようやく主伐となるが、そのあいだに五分の四は間伐される。

 人類全体を生かすために、何十億もの人間が間伐されていったのだろうか。わたしの人生も? 元長波は黙考している。



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二十  スティグマ

「長波さんは浄瑠璃がお上手でしたね」

 酒が回ってきた頃合で元神威がなにげなく口にして、元長波はみんなから是非にと請われた。興が乗っていたこともあり、携帯端末でネット上から拾った蛇皮線にあわせ、ひとくさり語ってきかせた。堂々たる吟声(ぎんせい)だった。元神威は元長波の音曲の腕前を知っていたが、ほかの四人は、はじめこそ興味本位だったものの、すぐに佇まいを直し、そのうちうっとりと聞き惚れて、終わると心からの賞賛を送った。元長波は照れた。

「パラオの翔鶴さんに習ったんだ。外地の生活で日本が恋しくなったときにって。でも、あの人のほうがわたしなんかよりもっと上手かった」

 パラオの翔鶴は空母艦娘として傑出していただけでなく、義太夫、長唄、端唄、茶道から和歌の心得もあって、書もかなりのものだった。古今東西の文学に通暁(つうぎょう)し、翔鶴による夜ごとの講話が元長波たち駆逐艦に与えた影響は計り知れない。

 元長波は元神威らに付け足す。

「みんなにも、あの翔鶴さんと会わせてあげたかったよ」

 

  ◇

 

 翌朝。新千歳空港には元神威が見送りに立った。

「どうかお気をつけて」

 元神威は目を潤ませる。元長波は敬礼のまねごとをして笑みをみせる。

「長波だったころ、遺書には葬儀無用、戒名不要って書いてたけど、それはいまでも変わってない。わたしが死んだら、そんな奴もいたなあって思い出してくれるだけでいい。できればアホみたいに笑ってるわたしをね。みんなにもよろしく伝えといてくれな」

 抱擁を交わし、元長波は颯爽と搭乗口へ向かう。元神威は目尻を拭いながら見送る。

 

 機内に案内された元長波は座席の柔らかさに満足する。

「2水戦には空挺降下の任務もあったからさ、そんときゃ輸送機で空まで運ばれるんだ。乗り心地? 最高だったよ。もう絶対乗らない」

 ウレコット・エッカクスに汚染された変色海域には護衛艦が進出できないため、空から強襲をかけられる空挺降下は、人工衛星ならびに高々度の航空機を撃墜する深海棲艦を撃滅したのちは多用された。

「落下傘があっても降下速度が二階から飛び降りたのとおなじくらいある。ちんたら降りてたら迎撃されるリスクがあるからさっさと着水できるようにそうなってた。ありがたいね。それでも降下中に対空砲火でばらばらになったり、着水したところにちょうど機雷があったりして、ぶじに降下できるのは七割そこそことされてた。二十隻が飛び降りたら作戦に参加できるのは十四隻ってこと。六隻失ったとしても上出来なんだとさ」彼女は肩をすくめる。「わたしも何度か骨折したり内臓破裂したりした。落ちたとこにちょうど暗礁があったりしてね。降下したのを最後に行方不明になった奴も多い。そんなだから降下前のカーゴルームは一種異様な雰囲気なのよ。やたらしゃべりまくる奴、石みたいに黙りこくってる奴。聖書読んでる高波もいたな。“祖国のために戦わせてくださることを感謝します”とかなんとかぶつくさいっててね、だれに祈ってんだって訊いた。その高波は“神に祈っています”。だからわたしは天井を指さしていってやったのさ。“いまなら近いから届くだろうよ”。あの高波はきっと神さまに愛されてたんだ。わたしは嫌われた。だからいまここにいる」

 現場に急行できて、なおかつ深海棲艦と遭遇しても対応できる空挺艦娘は、戦闘救難任務にも従事した。

「ビーコンをたどったらベーリング海でね。わたしたちは極寒地仕様の装備で降下した。アドノア島付近で漂流してる海防艦娘の国後(くなしり)を救助した。顔が半壊してて片方の目玉が丸見えになってて、右腕以外の手足がなかったけど、抱き上げたらまだ意識があった。さてこういうとき、彼女になんて声をかける? “よくがんばったな、助かるぞ!”って励ます? わたしはそいつのほっぺを思いっきり平手打ちしたんだ。そして怒鳴った。“艦娘のくせにおめおめと生き延びやがって、手間かけさせんじゃねえよ! このクソガキ!”……死にかけの人間を救助して優しい言葉で安心させると、緊張が解けてほんとに死んじゃうことがあるんだ。怒りは生命力のもとになる。その国後も、安堵から一転、まなじり吊り上げて、“このクソ女……”って虫の息で呟いてね。それみてわたしは、ああ、彼女は助かったな、と思ったってわけ」

 

 新千歳を発った飛行機は石川県金沢への航路に乗る。金沢の海軍転換艦隊総合施設には駆逐艦文月(ふみづき)だった女性がいる。そこは戦争で精神に耐えがたい傷を負った艦娘や元艦娘のための部隊で、健常な軍人に課せられる日々の業務を免除され、長期快復患者として扱われる精神病院。人間だった艦娘をもう一度、人間に転換する事業。深海棲艦との戦いはだれも予想できないほど長引いて三十七年も続いた。そのあいだに膨れあがった、トラウマに苦しむ艦娘を社会復帰させる終わりのない仕事は、もはや既存のシステムで対応できるものではなかったので、一〇〇〇億円をかけて、金沢を筆頭とした全国二十一ヶ所に、現代的な医療が受けられて、変形してしまった心というものに理解のある献身的な医師、カウンセラー、ソーシャルワーカー、セラピストが働く施設が新たに建設された。元長波もPTSDプログラムを受けるために七週間在籍していた。元文月は二十二年ものあいだずっといる。

「出す気がないのか、出る気がないのか」元長波は機窓から雲海を眺める。「いまだに亡霊にとりつかれてるんだよ。わたしだってね。亡霊はいつまでもまとわりついてくる。ホーミングゴーストとは、よくいったもんだ」

 

 熱核兵器の超熱量すら遮断してしまうフォトン・リアクティブ・シールドのために、深海棲艦は鉄壁の防御と陸海空を制する適応能力、生態系ごと経済圏を破壊する生物兵器をあわせもつ難敵として人類の前に立ちはだかった。人類は敗戦に敗戦を重ねた。最初の二年における深海棲艦災害の死者は全世界で三億人に達した。経済封鎖による餓死や疫病、政府の機能不全から勃発した内戦などの関連死もふくめれば、実際にはその数倍にのぼるといわれている。

 持てる核兵器すべてを申し合わせて炸裂させて地球とともに心中する以外の深海棲艦への対抗手段を人類が手に入れたのは、まったくの偶然だった。その端緒は父島や母島とともに小笠原諸島を構成する大戸島(おおとじま)に駆逐イ級(命名は後年)が仮死状態で流れ着いたことによる。いまから五十六年前のことだ。

 日本はイ級を即時回収。深海棲艦の生きたサンプルを手に入れた最初の国になった。しかしアメリカの猛烈な引き渡し要求と中露の干渉で三週間を無為に浪費した。

 そのあいだにも豪シドニーとメルボルンは深海棲艦の空爆で壊滅し、サーモン諸島を中心としたオセアニアは変色海域に呑み込まれ、ハワイとミッドウェーは陥落、インドとパキスタンは政情不安から開戦、核兵器の応酬に発展し、ビルマとコロンビア、メキシコ、アフリカ諸国は泥沼の内戦状態に突入していた。日本にもいつ中国やロシアや北朝鮮から弾道ミサイルが飛んでくるかわからない。一刻の猶予もなかったため、妥協に妥協を重ね、日米協同というかたちで解析が進められることになった。

 まず深海棲艦は、石油と鉱物資源を食物として利用し、原油の重質成分と無機物の滓の混合物であるアスファルトを排泄する、部分的に金属で構成された生物であることが判明した。ただし深海棲艦は自力で原油を精製することはできない。精製は体内に共生させているある種の寄生生物によって行なわれる。

 後年の研究によれば深海棲艦と寄生生物との共生関係は水平伝播であることが確認されている。深度一万メートル級の大深海で孵化した直後の深海棲艦には寄生生物が存在せず、環境中やウレコット・エッカクスのマイクロオキシジェンが大量につくる硫酸イオンで呼吸する。硫酸イオンの呼吸は酸素よりもエネルギー効率で劣るため、運動は活発的ではなくゆっくりとしたものである。

 第一幼生には口も肛門もなく卵黄の養分のみで成長し、孵化から二十四時間前後で第二幼生へ変態する。

 第二幼生と第三幼生はほかの生物の死骸やデトリタス(海底に堆積した有機物のゴミ)を漁ると考えられる。ここまでの時点では原油はむしろ毒物でしかない。

 第四形態で寄生生物と遭遇して体内に取り込み、生殖機能を喪失し、原油への耐性を獲得すると同時にエネルギー源として積極的に摂取するようになる。寄生生物がどのようにして第四形態の深海棲艦と邂逅を果たすのか、それらはいまだに謎に包まれている。なお、寄生されなかった深海棲艦は幼生成熟して、繁殖活動に専念するようになる。

 

 イ級の体内から摘出した寄生生物はたとえ原油が潤沢な環境であっても、単体では三十六時間以内に一〇〇%死滅することが確認された。この寄生生物は遺伝子レベルで深海棲艦への寄生に特化しており、寄生虫へ進化する以前はどのような生物だったのか推測することはできない。

 回収から十六日後、寄生生物を全頭摘出したイ級が仮死状態から突如目覚め、研究者数名を殺害、設備にも損害を与えたものの、その場に居合わせた陸上自衛隊(当時)の隊員らによる携帯型対戦車ミサイルの斉射を受け損傷、再度沈黙した。火器が通用したことは想定外だった。隊員たちの攻撃意図は、結界をイ級に展開させ、その隙に研究者らを避難させるための囮にすぎなかったからである。結界は防壁として優秀な反面、展開中は深海棲艦側からも外部へ攻撃できないことは当時すでに経験則により導き出されていた。しかし結界は展開されなかった。できなかった。

 

 昆虫のアリマキが体内のバクテリアなしでは生命を維持できないように、共生関係にある二種の生物は一方を排除すると他方も個体の生存または繁殖活動が阻害されてしまうことはよく知られている。寄生生物は自由状態で生存できなかった。深海棲艦もまた、寄生生物が空位の状態では生命活動に必要なエネルギーを生産できないのではないか。研究者たちは寄生生物のいくつかをイ級に戻して原油を供給した。寄生生物はイ級の体内で分裂増殖をはじめた。増えるたび間引かれて、イ級の寄生生物保有数は厳密に管理された。死なない程度にしかエネルギーを得られない数。貴重なサンプル。寄生生物の牧場。

 研究の結果、干渉結界の展開にも寄生生物が重要な鍵を握っていることがわかった。結界は一種の共振現象により強化されている。波の性質を持つのだ。ならば、寄生生物を利用して逆相波形を発生させ、ぶつけることで深海棲艦の結界を中和できないか。しかし寄生生物は裸では長時間生存できない。宿主が必要だ。なにを宿主とすればよいのか。イルカやアシカなど海洋生物への移植を試みたが、定着はみられなかった。

 ときをおなじくしてイ級の遺伝子情報の解析が終了した。その結果は研究チームを震撼させた。イ級の体組織から得られた核酸を構成するヌクレオチドの塩基配列は、ある動物とほぼ一致していた。

 人間である。

 その驚愕すべき事実は深海棲艦研究に少なくない混乱をもたらしたが、遺伝的に酷似している人間になら寄生生物が定着するかもしれないという仮説の提唱も導いた。一週間後には志願者十名に移植実験が施された。新薬の臨床試験にこぎつけるまで何年もかかることを鑑みれば性急ではあるが、そのころにはドイツやイタリア、アメリカ、イギリス、フランスにも深海棲艦の死体が漂着し、各国が急ピッチで研究を進めていたため、日本の優位性が失われつつあったのである。

 日本における最初の定着実験で八名は失敗だったが二名が被寄生に成功した。その二名はどちらも女性だった。

 

「いまなら、寄生虫が適合するのは女だけってのは常識だし、男八人がだめでうまくいったふたりが両方とも女って時点で気づけって思われるかもしれない。でも国内だけじゃサンプルの数があまりに少ないからね。あらゆる可能性を検討する必要もあったわけだし、なかなか条件を絞りきれなかったんだろう」元長波は目を伏せる。

 

 他の国々も日本同様に人間への移植しか寄生体を有効に利用する方法はないという結論に収斂し、成功例が女性の被験者のみという実験結果も得ていた。

 このとき各国が互いに手を結び、情報を公開しあっていれば、寄生生物は深海棲艦以外では人間の女性にしか定着しないことが早期に判明し、研究も加速していたかもしれない。実際にはどの国も深海棲艦関連の情報は国家機密として外交カードに利用するのみで足並みを揃えることはできなかった。一例として、アメリカは日本が入手した深海棲艦のサンプルとデータには自由にアクセスできたが、アメリカの研究チームが発見した成果や、米本土に打ち上げられるなどして回収された深海棲艦の情報については、日本への提供を「その義務がない」と拒んだ。

 

「深海棲艦っていう人類共通の敵がいるにもかかわらず、世界はまだ国家という枠組みにこだわって、無駄に犠牲を増やしたんだ。いやはや」と元長波は呆れる。

 

 寄生体の定着に成功したかにみえた女性たちは、ふたりともが十八時間以内に死亡した。とめどない血便。吐血。意識が混濁するまでのたうちまわった。最終的にはかろうじて人間の面影を残すだけのただの赤黒い肉塊となった。解剖したところ、彼女たちの臓器は液状化し、骨格の溶解および脳細胞の液状化まで確認された。寄生体がキャリアとなってウレコット・エッカクスに感染したことが原因だった。寄生体から殺人バクテリアを完全排除する技術が開発されたことで被験者はようやく移植から魔の十八時間を生き延びられるようになった。マイクロオキシジェンが生産されず、酸素は空気由来にかぎられるため、エネルギーの転換速度は深海棲艦に比べると見劣りする。つまり戦闘単位としてみると単独での性能は深海棲艦の完全下位互換となるが、やむを得なかった。

 寄生体を移植された女性は水上歩行を可能とする程度に干渉波が出力できたが、結果的に深海棲艦のデチューンとなっているため、防御手段に使えるほど強力なフォトン・リアクティブ・シールドは展開できない。

 しかし物理的に近距離にある物体に干渉波を短時間だけ付与させることはできた。この結果に関係者は狂喜した。干渉波の性質を維持した物体を深海棲艦の結界に接触させると互いが波長を打ち消しあう。深海棲艦の結界を無力化できるのである。付与できる時間はわずか三〇〇秒だが、深海棲艦と直接に接触する必要がないことは運用上の大きな利点といえた。

 しかしまだ問題があった。護衛艦に寄生生物移植女性を乗り組ませ、対艦ミサイルへ干渉波を付与して発射するプランが提案されたが、深海棲艦のもつ高度なステルス性がレーダーおよび熱線映像装置による捜索も捕捉も困難なものにしていた。

 すなわち、移植女性自身に火器を携行させ、もって干渉結界中和と同時に打撃を与えて深海棲艦を殲滅する有視界戦闘案が消去法で選択されたのである。

 武器、装備は既存のものを流用するか、新規に設計開発するか議論されていたころ、移植女性らに奇妙な変化が見受けられるようになった。意味不明な虚言を弄しはじめたのだ。被験者のひとりにヒアリングを実施したさいの音声記録が残されている。防衛省は特定機密案件であることに加え被験者個人への配慮として公開を拒んだが、音声データがインターネット上に流出し、拡散された。当時、寄生生物移植と併せて物議を醸すことになる。

 

 まず、名前をお聞かせください。

「軽巡洋艦、〈大井〉です」

 ○○(被験者の氏名)ではなく?

「ええ、○○です。いまわたしはなんていいました?」

 〈大井〉と。

「それです、それがわたしの名前」

 でもあなたはいま、○○とおっしゃいました。

「わかりません。でもわたしは〈大井〉だと思うんです、いや○○? 昭和十九年七月十九日? そう、これはわたしの記憶じゃない。〈大井〉の記憶。いえ、わたしに○○の記憶が入り込んできているの? ねえ、わたしは〈大井〉なの、○○なの? 北上さんを呼んでください。彼女ならなにかわかるかも」

 どなたですか?

「北上さんです。わたしと一緒だった」

 (ペーパーノイズ)あなたの血縁者にもご友人にも、また職場の上司、部下、同僚、あらゆる関係者に北上という人物は存在しません。

「それは○○の知人や友人でしょう。わたしには関係ありません。わたしとおなじ重雷装巡洋艦になった北上さんはどこですか」

 あなたは○○さんでは?

「わたしはだれなの? 〈大井〉がわたしのなかで日に日に大きくなっていくのを感じる。ということはわたしは○○だったのよね、もともと○○だったわたしが、〈大井〉に食われていっているというの? お願い、助けて、わたしが○○だったというのなら、このままだとわたしが消えてしまうことになる。もう○○を自分の名前だとは思えないの。わたしは〈大井〉じゃない。わたしは。わたしは」

 

 被験者はいずれも条件をそろえるため本籍、知能、病歴、既往症、薬物の使用歴、精神健康診断、信仰、思想信条、家族構成、交遊関係など、徹底的にふるいにかけられて選別された完全無欠の人材である。彼女も例外ではない。明晰な才媛である彼女とは思えない妄言の数々。他の被験者五名も、自らを駆逐艦〈電〉、〈叢雲〉、〈五月雨〉、〈吹雪〉、〈漣〉とそれぞれ名乗り、記憶の混乱を訴えた。肉親にも興味を示さなくなったケースすらあった。自称〈電〉は自分の母親の写真をみせられて、困惑した顔で担当官に尋ねた。「このかたは、どなたなのですか?」。

 共通点は、どの移植女性も太平洋戦争(第二次世界大戦のうち、日本とアメリカ・イギリス・シナ・オランダなど連合国とのあいだの戦争。一九四一年十二月八日に、日本がマレーおよびハワイ真珠湾を攻撃したことで戦端が開かれた。日本は初期において優勢だったが次第にアメリカとの国力の差が明確となり戦況は悪化、連合艦隊壊滅と本土空襲、原爆投下、ソ連参戦にともない、一九四五年八月十五日に降伏した)時の軍艦を名乗ることだった。また彼女たちは自称する軍艦の艦歴を詳細に暗唱できた。起工日から戦歴、配属された部隊と僚艦、戦没までの経緯。とくに歴代艦長以下すべての乗員、二〇〇名あまりから三〇〇名の官姓名をリストアップさせたものを記録と照合したところ、万遺漏なく正確に合致したという事実はチームにこれ以上ない驚嘆を巻き起こした。

 

「研究者のなかには、海底に眠る軍艦の魂だかなんだかが寄生虫を介して被験者にダウンロードされたとかいう仮説を出した奴もいたらしい。わたしは懐疑的だね。魂なんて。なあ?」

 目に薄笑いを滲ませる元長波も、教わった覚えのない駆逐艦〈長波〉の艦歴をそらんじることができる。しかし元長波は自分に〈長波〉の記憶がダビングされたことをきっぱりと否定する。

「人間は意外といろんなことを記憶できる生き物なんだ。進水日だの戦没日だのいうデータは調べようと思えば子供でも調べられるんだから、なにかで見聞きしてたまたま覚えてたってだけってことも考えられる。そもそも無機物が動物みたいに記憶を保存しておけるわけがない。まして記憶がほかの生物に転移するなんておとぎ話もいいとこさ。だいいち、有史以来、人間は飽きもせず戦争を繰り返してて、天文学的な数の戦死者がいるってのに、なんで太平洋戦争の軍艦限定なんだ? わたしは〈長波〉に乗艦した累計二八三名の乗員と救援で拾った〈南海丸〉の乗組員五十一名すべての氏名を覚えているし、一二一七人の長波シリーズ全員に同様の記憶が確認されてたらしいけど、まあ偶然だろう。わたしはわたしさ。長波を拝命したけどそれはあくまでTACネームみたいなものだし、いまはもう長波じゃない」

 

 真偽はともかく寄生生物移植にともなう記憶の混濁と精神汚染は懸念事項であるので、自己同一性の維持を目的とした定期的なカウンセリングが実施された。元長波のように艦船の記憶と同居しながら自我を明瞭に保つことができる移植女性もいれば、カウンセリングで施した精神のプロテクトが侵食され、呑み込まれ、自分は軍艦の生まれ変わりだと思い込むものもいた。両者の違いがどこからくるのかはわからない。おなじ長波シリーズでも、なにかにつけ田中頼三少将(旧日本海軍の軍人。最終階級は中将だが〈長波〉座乗時は少将だった。深海棲艦戦争時にはすでに故人となって久しかった)を引き合いに出すことの甚だしい女性がいたという。

 軍艦の記憶との混同が激しいもののなかには、自身は潜水艦をみたことすらないにもかかわらず極度に恐れたり、自称している艦が沈没した地名に強い嫌悪感を示す例が認められた。〈赤城〉を名乗る被験者はミッドウェーに並々ならぬ執着をみせ、〈扶桑〉との記憶の同化を主張する女性はレイテ島やスリガオ海峡に過剰反応した。

 〈千代田〉を自称する被験者は、存在しない「姉妹艦」があたかも目の前にいるかのように振る舞った。「ね、千歳お姉もそう思うでしょ?」「……申し訳ありませんが、だれに話されてるんですか?」「ああ、ごめんなさい、姉にいったんです。ほら、あなたの後ろにいるでしょう?」。その部屋には被験者とカウンセラーのふたりしかいなかった。

 

 研究者たちは「とっくに終わった戦争にいつまでも縛られている亡霊のようだ」と口をそろえた。いつしか移植女性が患う虚言癖と記憶混同を指して、ホーミングゴースト(まとわりつく亡霊)現象と呼ぶようになる。

 ホーミングゴースト現象は継続的なカウンセリングで軽減できるものの、それまでなんら問題なかった移植女性が戦闘ストレスなどの原因で精神の均衡を崩し、自己同一性を失うケースもあった。元長波が配属された最初の艦隊で先任だった敷波はジャム島から生還したある日、鏡に映った顔を自分だと認識できなくなった。

「みんな来て! 深海棲艦が侵入してる」

 戦争中のある日、敷波は基地にあるトイレから助けを呼んだ。

 駆けつけた元長波たちがみたのは、両手の拳を彼岸花のように真っ赤に染めながら鏡のかけらを殴り続ける敷波の姿だった。憲兵に聴取された敷波は、深海棲艦が自分に化けて鏡のなかに入り込んでいたのだと証言した。

 

 自己と軍艦の記憶とを区別できるように精神面での支援体制が整えられていた時代でさえ、敷波のような例がみられた。いわんや黎明期の移植女性たちにおいてをやである。心のケアが顧みられることはなく、まずは深海棲艦と戦って勝つことが優先されており、防衛省は、

「深海棲艦は米英の生体兵器」

 と彼女らに刷り込むことでむしろナショナリズムを煽った。その一環として、移植女性に装備させる火器は、実際には口径三十ミリでも十二・七センチ砲、八十四ミリ砲を二十・三センチ砲などと呼称し、逆に深海棲艦の使用武器は五インチ単装砲というようにヤード・ポンド法で命名した。任務にも日常生活にも支障をきたすだけでしかなかったホーミングゴーストを逆手にとった。愛国者という役割を与えたのだ。効果は絶大だった。大昔の戦争時代からタイムスリップしてきたかのように、移植女性たちはわれさきに敵前へ殺到し、異口同音に天皇陛下万歳と叫んで沈んでいった。

 

 やがて寄生生物を移植して深海棲艦と戦う力を手に入れた女性たちは、軍艦の魂を受け継いだ女と揶揄され、だれからともなく艦娘(かんむす)とあだ名されるようになった。

 

「さすがにわたしたちの代じゃ、深海棲艦を送り込んできてるのはアメリカ、なんて欺瞞はもう教えられてなかったけどね。アメリカからどやされたらしいよ。でも、艦娘に艦の名前を与えたり、持たせる武器を十二・七センチ連装砲だとか四十六センチ三連装砲とか大仰な名前にしてたのは、そんときの名残なんだろうな」元長波はいう。

 

 深海棲艦がはじめて出現してから四年後、政府は海上自衛隊(当時)が艦娘への志願者を民間から募り、これに寄生生物を移植して戦闘を前提として運用することを可能とする一三六八の法案、いわゆる艦娘関連法を国会に提出。野党は「審議が不十分」として全党が欠席し、法案は強行採決された。当時の野党第一党党首はその日の記者会見で「事実上の徴兵制度。断じて許すわけにはいかない」と述べ、総理の不信任案提出を表明する。しかし総理はそれを見据えていたかのように伝家の宝刀を抜いた。衆議院解散。総選挙で国民の審判を仰いだのだ。各党総力戦の様相を呈した解散総選挙は投票率八十・八パーセントというかつてない注目と関心を集め、与党は野党連合に対しわずか三議席の僅差で勝利した。ようやく対深海棲艦戦争に向けて国が動きはじめた瞬間だった。

 当初、志願対象は成人のみであったが、世界第六位という総延長の海岸線を誇る日本は海から来攻する深海棲艦への対処にただでさえ困難を強いられ、開戦から七年後には五島列島姫神島(ひめがみじま)に泊地棲姫Ⅱひきいる敵艦隊が陣を構えるなど、いくら艦娘を建造しても足りないという戦況が続いた。

 政府は段階的に志願可能年齢を引き下げる法案を可決していった。一時期は六歳の幼児まで志願の対象とした。最終的には小学校卒の満十二歳からとなった。未成年の志願可能法案は非常の措置という体裁のため一年かぎりの時限立法だったが、戦時中は通常国会でその特措法を一年延長することが毎年の恒例行事であった。

 多大な犠牲にほんの少しの幸運が合わさり、ようやく泊地棲姫Ⅱを撃沈に追いやった直後、国連が成人していない艦娘を少年兵と断じ、「最悪の形態の児童労働」と非難。米ワシントンD.C.と英ロンドンで相次いで開かれた国際連合安全保障理事会常任理事国五ヶ国の高官級会談がベースになっていることからワシントン・ロンドン宣言と通称された総会決議は、未成年の艦娘を戦闘任務に従事させることを即時かつ永久に停止し、その志願は十八歳以上とすることなどを加盟各国に要求した。

 

「でも、当の常任理事国からして子供の艦娘を決議のあとも使い続けたんだ。“子供たちのことを考えろ”と叫んでいるその口で年端もいかない艦娘たちの挙げた戦果を称えていた。声明は国連の存在意義を形骸化させないためのパフォーマンスに過ぎなかったってわけ。ほとんどの国がそれを理解してた。ところが日本は真に受けちまった」

 

 国連の決議を攻撃材料に当時の野党が艦娘の拡充を厳しく非難した。少女を兵器にするのではなく別の方法を模索するべきだと。衆院選での勝利が辛勝に過ぎなかったことも与党に重くのしかかった。事実、解散総選挙の翌年に行なわれた参院選では与党は大きく議席を減らして野党が過半数を占め、いわゆるねじれ国会を招いていた。つぎの衆院選はどう転ぶかわからない。政府は十八歳未満の艦娘志望者募集を一時中止した。このセルフ・ネイヴァル・ホリデイにより日本は艦娘の建艦競争においてひとり足踏みし、世界に引き離されることとなる。

 

 元文月は、ワ・ロ宣言以前にわずか六歳一ヶ月で艦娘になった、最年少の志願者だ。シリアルナンバーは302-070001。

「正真正銘、最初の文月だよ。そして、最初に改二になった文月で、最初に成人した駆逐艦娘。伝説の英雄」元長波は高度を落としはじめた機内でつぶやく。飛行機は乗客を地上へ下ろすため安全な着陸を試みようとしている。パラシュートを背負わせて放り出すのではなく。

 横風を受けながら滑走路に進入する。優しい接地。シルキーランディング。「快適な着陸だ。機長は軍出身じゃないな」元長波は笑みを漏らす。

 拾ったタクシーの運転手に行き先を告げる。海軍転換艦隊総合施設。

「艦娘さんですか?」

「知り合いがね」

 艦娘たちから「きちがい病院」と忌み嫌われ、いまや海軍OBの天下り先としてなくてはならない存在となった施設へ向かう車中で、元長波は初老にさしかかった運転手の男性と話す。

「あの(きちがい病院といいかけて)病院にかかる艦娘を乗せることは多いの?」

「艦娘さんも乗せますし、ご家族のかたをお送りすることもありますね」

「艦娘が車内で暴れだしたり、いきなり切れたりしない?」

「無口なかたとか、声が大きいかたとか、いろんなかたがいらっしゃいますが、まず、礼儀正しい人ばかりですよ。着くまでのあいだ、お客さんみたいに背筋を伸ばしたいい姿勢で微動だにしません」

 元長波は、脚を組んだり腕組みをしようかと慌てたが、いまさらという気がして、なかば意地になってそのままの完璧な姿勢を保った。

「たまに、お金を払わないまま下りていく艦娘のお客さんはおられますね。でもしばらくしたら必死な顔で戻ってきてお支払いされます。こちらも、あの施設に通われてる艦娘さんにはそういうところがあるとわかっていますから、あえて声をかけたり追いかけたりせずに、待ってあげるんです。ご自分で気づくまで」

 戦地から日常へ帰還した艦娘たちには、いわゆるふだんの生活というものが二十四時間気の抜けない任務でしかなかった。ちょうど入隊したての訓練生にとっての軍隊生活がそうであるように。

 日常生活に溶け込めないでいる元艦娘に周囲の人々はこういう。「どうしてこんな簡単なこともできないの?」。本人もそう思っている。「どうしてわたしはこんな簡単なこともできないの?」。帰還前にレプリカの街で受けた市民生活の演習だけでは補えないものがある。

「彼女たちはもがいています。海に出て戦うことのできないわれわれの代わりに青春を捧げてくれたように、いまも戦っているんです」

「そうだね。彼女たちは英雄だった」

「いえ、それは違います」運転手は断言する。「彼女たちは、いまでも英雄なんです」

 

 大きな建物がみえてくる。光触媒塗料で壁面が純白に保たれた施設。元長波いわく「すげえ豪華でご立派な便所みたいなところ」。元長波がプログラムを受けていたのは群馬の施設だが、外観の印象は変わらない。

 忘れずに運賃を支払う。なにか忘れていないか不安になる。ひとつのことをちゃんとやり遂げるとほかのなにかを忘れる。元長波は、これといって意識せずに仕事をして日常生活を送っている人を、すごいな、と思う。よく時間を守れるな。よく毎朝起きられるな。よく忘れ物をせずにいられるな、と。

 

 施設の受付で名を告げるとしばらく待つよういわれる。通院しているらしい陰鬱な女性とすれ違う。Tシャツには錨とハートと日本列島を意匠にとり込んだポップなイラストがプリントされている。「あなたは祖国のためになにをしましたか?」「わたしは艦娘になりました」というメッセージの込められたトレードマークだ。彼女はみずから艦娘だったことを沈黙のうちに公言している。だがどこか不安そうでもある。

 

「あの人はたぶん、自分が艦娘として戦争に行ったことは恥ずべきことじゃないって信じようとしてるんだろうね。自分と戦ってるんだ」

 

 元長波は警察署や市役所のような喧騒とともに待合室で時間を潰す。水槽が置かれている。ダッチアクアリウム(水草を花壇のように高密度かつ整然と植栽したレイアウト水槽)を舞台に、フグを薄っぺらにしたようなハチェットフィッシュと赤ら顔のラミーノーズテトラが群舞する。

 

 群馬の施設にも似たような水槽があったと元長波は思い出す。アクアリウムには癒しの効果があるからしばらく水槽を眺めてみてください。そう担当医にいわれた。そのとおりにした。三十分後、戻ってきた担当医は、まったくおなじ姿勢のまま水槽を凝視している元長波に唖然とした。元長波は水槽をみていろといわれたから従った。軍では命令されたらその命令に集中しろと叩き込まれた。意味は考えるな、いわれたとおりにやれ。担当医に声をかけられなければ元長波は何時間でも水槽をみつめていただろう。

「わたしもハイリスクに認定されてたんだ。あの自殺した霞みたいに」元長波が明かす。

 退役から二年、自分の身になにが起きているのかわからなかった。なぜ他人に怒りがこみ上げてくるのか。なぜ眠ると夜ごとジャム島へ帰るのか。なぜ朝に起きられないのか。なぜ日中に起きていられないのか。なぜ約束や予定の時間を忘れてしまうのか。

 

 みかねた家族が、どこでみつけてきたものか地元の精神衛生事務所に相談し、元艦娘のケアマネージャーをつけたこともあった。ケアマネージャーの仕事はカウンセリングではない。友人のようにお茶を飲みながらただ雑談を交わしたり、スーパーマーケットや薬局へいっしょに行ったり、重い鬱病で片付けができないクライアントの手伝いをしたりと、寄り添うことで精神面での支援をする。性的虐待の被害者、精神病患者が彼らのおもな顧客だった。トラウマに悩まされる復員艦娘もまた市場として開拓の価値ありとみなされた。元艦娘のことは元艦娘がいちばんよくわかっている。おなじ元艦娘だからこそ話せることもあろうし、「わかるわ」のありきたりな一言にだって、とてつもない説得力を持たせられるだろう。元艦娘のクライアントを元艦娘のケアマネージャーに任せる。それはとてもすばらしいアイデアであるように思われた。実際は?

 

 元長波は艦娘として出征した経験のある年下のケアマネージャーを自宅に招いて、どうでもいいようなとりとめのない話をしているうち、腰まで伸ばした黒髪に顔が隠れがちになっている女性とすれちがってフラッシュバックしたこととか、夢のなかで真っ赤な海から内臓を裏返しにしたような肉塊がいくつも現れて、それらが巻雲や深雪や手足のない長波や敷波や清霜の声で「どうしておまえだけ」と話しかけてくるなどということまで打ち明けた。

「わかるわ」。ケアマネージャーは彼女にいった。「辛いわよね。もうがんばらなくていいのよ。いっしょうけんめい働いたんだもの」。軍では駆逐艦(いかづち)だったというケアマネージャーに大いに慰められ、同時に元長波は大いに傷ついた。おなじ復員艦娘であるはずなのに、この差はなんだ? わたしは自分のことで精いっぱい。いやクソの始末さえままならないくらいで、過ぎたことをいつまでも引きずってるクソッタレだ。だがこの元雷はどうだ。おなじ元艦娘、おなじ駆逐艦だったというのに、こうしてケアマネージャーとして雇用されるにあたって必要な介護支援専門員の資格を取得するため、まず前提となるなにがしかの国家資格をもったうえで五年以上の実務を経験し、ようやく受験が許されて試験に合格してのけるという気の遠くなるような努力を重ね、仕事とはいえ、いまや他人のサポートをするまでに克己(こっき)を果たしている。元艦娘というハンディはおなじはずだ。それでいて元雷は雇用というかたちで自立し、社会の一員となった。いっぽうで自分はまだなにも新しいことを成し遂げていない。なぜなのか。わたしが弱いからだ。元長波は自分を責めた。あの元雷をみろよ。対しておまえはなんだ? 戦地に行ったからなんて言い訳は通用しないぞ、条件はおなじなんだからな……。劣等感ばかりが募った。三回目の訪問ののち、元長波は事務所に契約打ちきりの電話をかけた。事業改善のためとかでアンケートを頼まれたことまでは覚えている。しかしどう答えたかは記憶にない。「惨めすぎたから忘れちまったのかもしれない」元長波はいう。

 

 複数の医者をドクターショッピングして処方されたセルトラリンやレボトミン、クロルジアゼポキシド、トラゾドン、アリピプラゾール(いずれも向精神薬)、エスゾピクロン(睡眠薬)を酒で流し込んでは留置所で目覚め、我慢強い母にストレステストを課すことになって、ようやく、自分の力ではどうにもならないと認めざるを得なくなった。「教えてくれ。わたしはどうしちまったんだ」。彼女が頼ったのはきょうだいでも母親でもなく、退役してずっと連絡していなかった元朝霜だった。

 

 連れ込まれた復員艦娘病院にて治療を受ける過程で、海軍転換艦隊総合施設のPTSDプログラムを勧められた。「冗談だろ? わたしがあのきちがい病院に? あれだろ、みんなで集まって、自己啓発セミナーみたいに自分の身の上話なんかをして、傷を舐めあうんだろ? やだね」。だが結局は七週間のプログラムを選択した。

「きちがい病院に入るってことは自分で自分をきちがいだって認めることだ。みっともないから行きたくなかった。でもさ、いちばんみっともないのは、助けが必要なくせに助けを求めない奴のことなんだ。たしかにここは外側がとびっきりきれいな便所だよ。つまり、クソがしたいくせに便所に行きたがらないのとおんなじだって朝霜の奴に諭されたんだ。だからわたしは七週間がかりのクソをしに行ったのさ」

 

 だが群馬の施設には空きがなかった。半年待ちと窓口で伝えられた。どの海軍転換艦隊総合施設もおなじだった。窓口の担当者に元朝霜はいった。「こいつが半年のうちに首を吊らないって断言できるか? いますぐ専門家の助けが必要なんだ」。元長波がなだめた。実際には八ヶ月待った。

 PTSDプログラムでは施設にずっと滞在した。入所にあたって渡されたパンフレットにはこうあった。

「持ち込み禁止のもの。剃刀、ハンガー、ボールペン、シャープペンシル、鉛筆、万年筆、ハサミ、フォーク、先割れスプーン、その他鋭利な品物。ネクタイ、スカーフ、六十センチ以上の紐、スニーカー、編み上げブーツ、ストッキング、長い靴下、タオル、陶磁器、不発弾、延長コード、コンセントにつなぐタイプの電気器具、ビニール袋……」。元長波は、わたしはそういう人間にみられてるんだな、と思った。復員艦娘病院やプログラムに助けを求める艦娘たちの多くは強烈な自殺願望にさいなまれている。戦争が終わってから昨年までの二十一年間の元艦娘の自殺者数は、三十七年つづいた戦争中の艦娘の自殺者数を超えた。そのひとりが、たとえばジャム島で元朝潮とおなじ隊だった元霞だ。

 施設に移るための面接は問診だった。新しい参加者の責任者がオフィスで元長波に訊ねた。

「死傷艦娘支援局は復員艦娘病院からの診察結果と提言を検討した結果、あなたをハイリスクに指定したいらしい。そのことを知っていた?」

「いいえ」

「知らない? そうか。だがハイリスク認定は恥ずかしいことじゃない。まずは自分の置かれた状況を冷厳に直視すること。それが認知心理療法の出発点だ」

 彼女の現状を査定するために質問リストにある質問をする。

 悪い夢をみる?

「はい」元長波はある特定の表情で答える。その朝も深雪の肉を噛む夢をみて、どうしようもないので、なにものかに怒鳴りながら家の壁に穴を開けた。だからそのときの元長波の疲弊した顔には、ジャムで土に埋めた深雪の肉を掘り返して食べたときの表情が貼りついたままだった。

 おなじ夢を繰り返しみる?

「はい」

 それは過去のできごとの追体験?

「はい」

 眠れない?

「はい」

 PTSD?

「そう診断されました」

 TBI?

「そう診断されました」

 鬱病?

「そう診断されました」

 日常生活が苦痛?

「はい」

 まわりの人間が深海棲艦にみえるときがある?

「はい」人とおなじ姿をした深海棲艦と幾度となく戦った。元長波には人間と深海棲艦の区別がときおりあいまいになった。こうつけくわえた。「外に出るたび、目につく全員がなにをしているのかが気になってしようがないんです」。

 責任者は最後に元長波を真正面から見据えて、いった。「あなたはスタートラインに立った。自分でなにもかも背負い込むのではなく、しかるべき機関に支援を求めるというスタートラインに。われわれはあなたを支援できるだろう」。

 書類を手渡されてオフィスを出た。契約書にはハイリスクのスタンプが捺されていた。「最高」。元長波はため息をついた。

「プログラムではなにをやったか? いまいち覚えてないんだよな。“高校でなに勉強した?”ってのと似たようなもんかもね。ええと、まず最初の三日は独房みたいなとこに入れられた。暴力行為や攻撃性がみられなかったら施設内をうろつけるようになる。素行がよければパソコンを使ったり――まあなにを検索して閲覧したかオンラインで監視されてるんだが――長いタオルを使ったり、向かいにあるセブンイレブンまでの外出が認められた」

 日課は、六時に起きて、十時に消灯。朝と夜の七時には点呼がある。だがそれは訓練のためではない。それまでの十二時間をぶじに生き延びたことを確かめあうためだ。これから何十年も生きていくと考えることは彼女たちにはつらい。だから十二時間だけがんばってみよう。それが終わったら、また十二時間がんばろう。それを六十回繰り返すうち、彼女たちは、いつのまにか一ヶ月が過ぎていることに気づく。「奇跡なんてものはないんだ」。点呼の都度、精神医は患者たちにいった。「きみたちこそが奇跡なんだ」。

「グループセラピーもやったよ。戦争でなにがあったか日記に綴って、それをひとりずつ読むんだ。トラウマがつくられた時点にまでさかのぼる。記憶と向き合う。“だからわたしはこんなふうになっちまったんだ”ってね。そして今後どんな人間になりたいか目標を発表する。夜んなったら決められた薬もらって、目の前で飲んで、検査官に口のなかとか舌の裏までみせて、はい、おやすみ」

 心理士の提案で、毎日、ほかのみんなと一緒に、鏡に向かって「おまえは価値のある人間だ」と話しかけた。みじめだな、と思った。敷波のように殴って粉砕したかった。映っている自分ごと。

 プログラムは画一的だった。だれもがおなじプログラムを消化した。治療を望む元艦娘は大勢いた。効率が求められた。最大公約数の治療プランだった。

 そうして七週間過ごして、元長波は施設のスタッフやまだプログラムの残っている元艦娘たちの前でスピーチした。しろといわれたからだ。「わたしは社会に戻り、新生活をはじめます」。まるで仮釈放を申請する囚人だった。たいした違いはない。拍手をする精神医やソーシャルワーカーやセラピストやカウンセラーを眺めながら、元長波は「彼らは怪物を社会へ解き放とうとしているのかもしれない」と心配になった。施設はPTSDプログラムを修了した証明の卒業証書をくれた。血を流し続ける傷の上に絆創膏を貼っただけだと元長波はいう。卒業証書を絆創膏として傷をおおい隠そうとした。それが二十年前だ。

 

 手前を低く、奥へいくにしたがって高くなるよう階段状に揃えられた有茎草の森を背景に、ラミーノーズテトラの群れが踊る。元文月の担当医がやってくる。元文月の家族は十年以上も面会に来ていないという。

「記憶が駆逐艦〈文月〉のものと完全にコンバートされてしまっているんです。艦娘になる前の記憶はもうありません」安月給に甘んじて猛烈に働く医師は閉鎖病棟まで歩きながら元長波に説明した。

「彼女は、自分が駆逐艦〈文月〉で、いままで海の底で静かに眠っていたが、深海棲艦という新たな脅威から日本を守るために人間の姿で生まれ変わったのだと、本気で信じています」

 その元文月は後にも先にもないほどの適合率をマークした。睦月型は干渉波の出力が低強度であることで知られる。彼女もそうだった。しかしカタログスペックでは計測できない、兵士としての天性の才能とでもいうべきなにかが彼女にはあった。生まれつきもっていたのか、低年齢で艦娘となったために身についたものなのかはわからない。

「しかし副作用というべきか、通常の艦娘より強くホーミングゴースト現象が発現することが問題でした。精神年齢は成長せず、つねに躁状態で、会話は時系列がいちじるしく前後するため成立しづらい。文月は言動が幼いというイメージが世間に定着したのは彼女が原因でしょう」

 それでも運用を続けたのは、

「艦娘としてはきわめて優秀だったからです。赫々(かっかく)たる戦果を残しました。三十二年の兵役で名誉の負傷勲章二〇二五個、紅綬褒章、それに瑞宝大綬章。まさに英雄でした。事件を起こすまでは」

 終戦の三年前から深海棲艦の勢力は急激に減少し、人々は永遠に続くかに思われた今次の戦争にも終わりがあることを悟りはじめた。戦後のことを考えなければならない。積み上がった戦時国債。棚上げされていた領土問題。国内の経済格差。終戦に向け戦時体制から平時へと円滑に移行できるよう早い段階からの準備を迫られた。出口戦略のひとつが軍縮だった。終戦の前年には、艦娘無制限時代以来はじめて志願の募集枠が削減された。

「そんなおり、彼女がたまたま休暇で買い物に訪れていた街で、市民団体が艦娘軍縮論を唱える演説をしていたんです。彼女は彼らを素手で三人殺害し、六人に重傷を負わせ、駆けつけた警察官にも五人の重軽傷者を出したすえ逮捕されました。取り調べに対し、彼女は市民団体を“深海棲艦の手先だ”と。人に化けた深海棲艦が世論を操作して艦娘戦力を削減させ、こちらの弱体化を待ってふたたび大攻勢をしかけてくるという妄想にとりつかれていたのです」

 閉鎖病棟につながる通路の扉を開錠する。

「すぐさま解体、不名誉除隊となり、身柄は軍法会議ではなく検察に引き渡されました。軍としては苦渋の決断だったと思います。英雄を軍が死刑にすれば現役の艦娘や退役艦娘会とのあいだにしこりが残る、複数の殺人を犯した艦娘を庇えば軍そのものへの風当たりが厳しいものになります。ですからいち早く彼女に関する一切を司法に委ねたのです。まるで手を洗って自分にはなんの関わりもないとジェスチャーしたピラトのように」

 廊下を渡る。窓の鉄格子が気を滅入らせる。 

「裁判では弁護団は一貫して心神喪失を訴え、責任能力はないとして無罪を主張しました。刑法第三十九条です。一審は有罪で無期懲役、二審は逆転無罪、最高裁で検察側の上告が棄却され彼女のすべての殺人と傷害、公務執行妨害の無罪が確定しました。代償として、という表現が妥当かどうかはわかりませんが、復員艦娘病院へ無期の措置入院が命じられ、ここができたときは真っ先にハイリスクに指定されて移されました。最初の文月は、最初に成人した駆逐艦娘であり、最初のハイリスク艦娘でもあったのです」

 元長波が通された部屋は、隣室とのあいだがガラスの壁に仕切られていた。

「マジックミラーです。向こうからこちらはみえません」

 いま元文月をスタッフが個室から連れてきているという。

「職員には絶対に彼女に反論しないよう言いつけてあります。彼女が入院して二日めのことです、きょうはなにをしたらいいかまだ教えてもらってない、訓練か哨戒か、当直なら仮眠とっておかなくちゃという彼女に、投薬を担当していた職員がふと、口を滑らせました。もう戦争は終わって深海棲艦はいないし、あなたはもう艦娘ではないのだから、なにもしなくていいと。まだそのころは彼女の性質がわれわれにもわからなくて。彼女はこう呟いたそうです」

 

“しれーかん、こいつきっと深海棲艦だよ。やっちゃっていーい?……うん、わかった”

 

「職員は全身を五十六ヶ所、骨折し、あばらの骨が折れて肺に突き刺さり、脳挫傷も起こしていて、そのまま帰らぬ人に。一審では心神喪失で無罪の判決が下されましたが現在は控訴審を待つ身です。また法廷での長い戦いが待っているでしょうが、おそらく彼女には理解できていないでしょう。彼女は深海棲艦をやっつけたと思っているのですから」

 ガラスを隔てた隣室の扉がひらく。防弾仕様のマジックミラーを挟んでいるのにこちらの部屋にも緊張が走る。異様な空気を感じて元長波は腕を組む。

 スタッフに続いて室に入ってきた病衣姿の老婆が指示されたとおり椅子に腰かける。不自然な亜麻色の髪。解体されて生来の黒髪が生えはじめた元文月がパニックを起こしたからだ。定期的にスタッフが彼女を刺激しないよううまくいいくるめて染髪しているという。にこにことした顔には六十歳という年輪が彫刻刀を入れたようなしわというかたちで刻まれているが、受ける印象は変わらない。天真爛漫。戦歴を感じさせないあどけない表情。むしろ昔と変わらなさすぎて違和感がある。子供のまま老婆になってしまったかのようだ、と元長波は戦慄する。ガラス越しの老女は終戦から時間が止まっている。

「ねーえ、深海棲艦はどこ? 文月ね、いっぱい、いーっぱいお仕事しなくちゃいけないの」

 スタッフに話しかける元文月の声がマイクを通して元長波らのいる部屋へ流される。スタッフは椅子に座った元文月とおなじ目線までしゃがんで傾聴する。

「あのね、深海棲艦をいっぱい殺したら、しれーかんがなでなでしてくれるの」

 スタッフらは笑顔で応じながら元文月の手錠と床とを鎖でつなぐ。元文月は意に介していない。艤装の一種だと説明したら素直に拘束具を受け入れたと医師が元長波に解説する。

「しれーかんになでなでされたらね、文月、なんだかほわほわして、とーっても幸せな気持ちになるの。文月、しれーかんだーいすき。しれーかんだけじゃなくてね、水無月ちゃんとか、睦月おねーちゃんとか、うーちゃんとか、あとね、あとね」

 元文月がなにかに気づいたようにまばたきする。マジックミラー越しにこちらの部屋へ視線を移す。元長波と目が合ったとき、幼さと老いの同居する顔に花が咲いた。

「あ、長波ちゃん! 来てくれたんだぁ、うれしー」

 医師たちがざわめく。元長波だけは泰然としていた。元長波は医師に切り出す。「会わせてくれないか」

 元長波が入室すると元文月が幼児のように黄色い声をあげる。老婆が動くたび鎖が硬質の音を響かせる。

「覚えててくれて光栄だ」

 元長波は笑顔をつくりながら簡素なスチールのテーブルを挟んで椅子に腰を下ろす。

「覚えてるよぉ、いっしょにあの戦争を戦った仲間だもん」

 元文月は喜色満面で迎えた。あの戦争とは深海棲艦戦争のことなのか、前の戦争のことなのか。

「ねえ、長波ちゃんはいままでどこの鎮守府にいたの? 外地?」

 元文月は無邪気に尋ねてくる。元長波は医師に目配せをする。医師は頼むように頭を下げた。

「海外の泊地を転々としててね。休暇で日本に戻ってきたところなんだ。申しわけない、ずいぶんと間が空いてしまった」

 元長波は言葉を選んだ。元文月が目を細める。

「そうなんだ。いいなあ。あたしなんてずっと海に出られてないの。新造艦の子たちの指導とかあ、座学の講師とかで。あたしみたいに長く戦った艦娘のお話は貴重なんだって。あたしが先生なんだよー、すごいでしょー」

「あんたが先生」

「あたしの経験が役に立つのはうれしいけど、やっぱりあたしも海に出たいよ。潮風浴びたい」

 元文月の教え子役は女性のスタッフが務めている。

「でもね、こうしていまのうちに新しい艦娘を増やしておくことも大事なんだよ」

「どうして?」

「奴らがね、またくるの」

「奴ら?」

「決まってるじゃない、深海棲艦だよお」

 まばたきを忘れた元文月の瞳には一点の曇りもない。清澄すぎる海のブルーホールのように底がみえなかった。人間がこんな目をするのかと元長波は不安になる。美しい目だった。だがそれは微生物の生存さえ許さない潔癖の美しさだった。

「奴らはね、力じゃあたしたちに勝てないもんだから、みんなを洗脳しはじめたの。深海棲艦の数が減りはじめたから艦娘も減らすなんて、ほんとバカだよねー。海溝の底にだって潜れるんだから一時しのぎで潜伏してるに決まってるじゃん。海のなかを全部調べたわけでもないのに、深海棲艦は人類に惨害をもたらすに可能とされる絶対数をすでに下回っている、ですって。笑っちゃうよねぇ。まるで自分の視野の限界が世界の限界だって信じてるみたーい」

 元文月はショーペンハウアーを引用しながら無邪気に体を左右に揺らす。

「でね、でね、あいつらの一部は、よりにもよって人間になりすまして社会に溶け込んでるの。ほら、ヲ級とか、ル級とか、鬼とか姫とか、人間みたいな奴いたじゃない? ああいう奴らがなに食わぬ顔してあたしたちの隣人になって、内側から切り崩そうとしてるの。深海棲艦はもういないんだから艦娘を減らすべきだってあちこちでさえずって、みんなを騙してるんだ。政府の人たちまで。もしかしたら政府にまで深海棲艦がもぐり込んでるのかもしれないよ。えーっと、なんだっけ、南米かどっかの国に、敵の国のスパイが首相になっちゃったってとこ、あったでしょ。きっとあれだよぉ。あたしたちの日本がどんどん深海棲艦に犯されていくんだ。そのうち皇室の血まで汚す気かも。長波ちゃんもそんなのやでしょ? だよねぇ。よかった。長波ちゃんは長波ちゃんのままで」

 ひとりで話を進めていく元文月は蒸留されたような義憤と公憤しかなかった。

「だれも文月のこと信じてくれないの。深海棲艦は変装うまいんだぁ。ばれないように血まで赤くしてるの。ほんとびっくりした。人間に化けた深海棲艦の奴らが、艦娘を削減しようなんて、街のど真ん中で見え透いた宣伝工作してたから、文月ね、そいつぶん殴ったの。そいでねー、耳をちぎったら、赤い血が出たんだよ。おかしいなーってベロ引っこ抜いたら、やっぱりヘモグロビンの血を吐くの。卑怯だよね、赤い血を流して人間のふりするなんて。化けの皮を剥がしてみんなの目を覚まさせなきゃって思ってね、両目をえぐっても、二本の腕を、こう、逆に曲げてひきちぎっても、両足をねじ切っても、お腹を破って中身を出しても、おちんちん踏み潰しても、ほんと、血も肉も人間そっくりだった。あれじゃみんな騙されてもしょうがないよね。そいつらの仲間も追っかけて念のためにばらばらにしたんだけど、すごいよ、背骨取り出してみたら寄生虫飼ってなかったの。すごい進化だと思わなーい? 寄生虫なしで深海棲艦が生きてるなんて! ばれたらいけないから細胞にでも同化してたのかなぁ。深海棲艦だって白状させようとボコボコにしてたら警察に邪魔されたんだぁ。きっと警察はもう奴らに掌握されちゃってるんだね。許せないなあ。どうしたらあいつらの正体をみんなに知らせることができるのかなあ。石油じゃなくて人間とおなじものを食べて、血も赤く染めて、文月たちとおなじ言葉をしゃべるんだもん。見た目で区別なんてつきっこないよ。ここにもいたし、ううう、本当に卑怯。艦娘がいらないなんていう奴はみんな深海棲艦に決まってるのに」

 元文月が身をよじらせて唐突に笑いはじめる。

「だめだよう、くすぐったいったら。いまは長波ちゃんとお話してるの」

 つぎに元文月はテーブルに目を動かした。

「こぉら、みんな喧嘩しないの。ひまなのはわかるけどおとなしくしてて。ね?」

「だれと話してるんだ」

 元長波はいぶかしむ。

「だれって、妖精さんだよう。そこでボクシングごっこしてるでしょ?」

 元文月は手錠をはめられた右手でテーブルの上を指さす。

「テーブルの縁に座って足ぷらぷらしてる子とか、ほらほら、あそこ、だるまさん転んだしてるよ」

 元文月は、元長波をみて、あ、とよろこぶ。

「長波ちゃんの肩登ってる。右の肩」

 元長波が雷光の速さで自分の右肩を向く。なにもない。

「妖精さんも長波ちゃんに会えてうれしいってー」元文月が元長波の肩に手を振る。

 ホーミングゴースト現象の典型的な症状のひとつに、掌に乗るような小さな人間の幻覚をみるというものがあった。艦娘だけにしかみえない存在。空母艦娘が運用する艦載機は無人機だが、艦娘たちはその妖精が搭乗していると主張する。妖精はあらゆる場所にいるという。元長波も寄生生物の移植手術を受け麻酔から覚めた直後から妖精を視認しはじめた。二頭身の小人があちこちで遊び回っていた。世界が変わったとしか思えなかった。幻覚だろうと思ったが、おなじ妖精がその場にいる艦娘全員にみえている事実は説明がつかなかった。

 解体されると妖精たちは姿を消した。いまの元文月にはなにがみえているのだろう。

「ねえ長波ちゃん」妖精をなだめた元文月が小首をかしげて元長波をみつめる。「お願いがあるの」

「お願い?」元長波は肩が気になっている。

「あたしをここから出してほしいの」

「それは……むりだ」

 元長波は力なく笑う。

「だって深海棲艦、皆殺しにしないと! 政府にまで食い込んで法律変えたりして艦娘のみんなをいじめてる奴らをね、みーんなみーんな殺すの。深海棲艦を倒すために文月たちはいまの時代に生まれ変わったんだもん」

 元文月が屈託なく哄笑する。元長波はいたたまれない心持ちになる。この元文月はわたしだ。いつまでも時計の針を進めることを拒んでいる。戦争が終わったことを認めていない。わたしたちはあの戦争でとっくに死んでいる。ただ息をしているというだけだ。終戦から二十二年も経つのに戦争のことにこだわり続けるばかりで、人間としてなにひとつ成し遂げてこなかった。そればかりか世間が戦争を忘れようとすることを許さない。忘れて前へ進む人々の足首をつかんで振り向かせる。まさに亡霊だ。わたしや、この元文月そのものが、社会を悩ませるホーミングゴースト(まとわりつく亡霊)なのだ。

「なあ、文月」元長波は手を伸ばして還暦を迎えた英雄の手に重ねる。「もう戦争は終わったんだ。わたしたちはもう戦わなくていいんだよ。もうあんたもわたしも艦娘じゃない。あんたはあんなに戦ったじゃないか。いいかげん楽になっていいんだ」

 元文月の、丸めた紙をひろげたようにしわだらけの顔から、笑みが抜け落ちていく。ひびわれた口唇が言葉を紡ぐ。

「おまえ、だれ?」

 元長波にはぬるま湯に浸した筆で背中をなぞられたような悪寒があった。

「長波ちゃんはそんなこといわない。おまえはだれだ。だれだ!」

「落ち着いてくれ、わたしは」

「だまれ。長波ちゃんの声でしゃべるな! おまえなんかが長波ちゃんの顔をするな。それは長波ちゃんのものだ」

 元文月が声を荒げる。元長波の手をひっかく。スタッフらが部屋になだれ込んできて元文月を制圧する。テーブルに頭部を押さえつけられた元文月がマムシのように目を三角にして元長波をにらみつける。憎悪で煮えたぎる目だった。元長波は血のにじむ手の痛みも忘れて呆然とたちつくす。

「かえせ!」

 元文月が唾とともに叫ぶ。

「長波ちゃんをかえせ! にせものめ。かえして。かえしてよ!」

 老眼から涙がこぼれる。しわの水路を満たして流れていく。

「困ります」

 迷惑顔を隠そうともしない医師が鎮静剤の注射器を手に元長波のそばを抜ける。針の先端から薬液がわずかにほとばしる。喉が裂けるような絶叫を暗い口腔からほとばしらせている老女に打つ。目から明確な意思の光が失われていく。

 

  ◇

 

 喫煙所で元長波はIustitia(ユスティジア)に火をつける。最初にブルネイへ配属されて以来愛煙している銘柄。彼女の手は震えている。

「わたしは駆逐艦で、戦争中はなにもかも上が判断してわたしたちに命令してた。それこそ朝何時に起きるか、歯みがきの時間、朝食の時間といったものから、出航に必要な装備、出発の時間、目的地までの航路設定まで、一日二十四時間のやることなすこと、すべて命令にしたがってこなしてりゃよかった。だからわたしは自分で選んで判断して決定するってのができないんだ。この煙草だって、自分であれこれ味わって選んだんじゃない。深雪から教わったんだ。自分の吸う煙草でさえ!」

 彼女の手のなかでソフトケースが握りつぶされた。Iustitia(ユスティジア)Fortitudo(フォルティトゥード)と並んで艦娘にもっとも人気のある銘柄とされている。

「わたしがきょう、したことも、正しかったのかどうか。現実をみろといえばいいのか、あれの空想に付き合ってあのまま浸らせたままにしてやればよかったのか……土壇場になって選べなくなった。わたしにはどうすることもできない、どうすることも……」

 うめく元長波が、不意に細かく痙攣する。頭を押さえる。頭蓋骨にひびが入ったような激痛。煙草が落ちる。言葉にならない声をもらして倒れ、唾液の泡を吹きながら、白目をむいて、顔をゆがませる。

 感電しているようにままならない手でペンダント型のピルケースから錠剤を取り出し、やっとの思いで口に含む。薬が溶けると症状が治まっていく。

「脳にね、腫瘍があるんだ。テニスボールくらいの」

 落ち着いた元長波は自分の頭を指でつつきながら、ふたたび煙草を喫む。錠剤の詰まったペンダントを首もとへしまう。

「高濃度乳房って奴で乳がんの発見が遅れた。そのせいで、オッパイ切ってもすでに転移したあとだったんだ。しかも脳みそに根を下ろしやがった。“MST(余命)は? 三ヶ月? それともひと月とか?”って医者に訊いたらさ、“いまこの瞬間にまだ生きていられることが奇跡だ”って、バカをみるような目でいわれたよ」

 元長波はため息とともに紫煙を吐いた。

「戦地にいるときは、自分はどんなふうにして死ぬんだろうって、そればかり考えてた。仲間に置き去りにされるのかな、あの長波みたいに。魚雷でピンク色の水柱になるのかな、あのポーラみたいに。機雷に巻きつかれるのかな、あの白雪みたいに。ナ級にばりぼり食われちまうのかな、あの対馬みたいに。戦艦棲姫の連れてるばけもんに雑巾しぼるようにして胴体をねじ切られちまうのかな、あの秋月みたいに。自分の内臓をかき集めながらくたばるのかな、あの名取みたいに。自分のことがわからなくなって天井からぶら下がるのかな、あの敷波みたいに。七日も漂流したあげく海の水を飲んで幻覚みながら沈むのかな、あの巻雲みたいに。……終戦直後にバナナが原因で死んだっていう兵隊の故事があるけど、まさかこのわたしが、戦争では死なずに、脳腫瘍なんてね」

 腫瘍がみつかったのは一ヶ月前だった。

「二十二年も時間を与えといてなんにもしなかったわたしに、神さまがいいかげんにしろって切れたんだろうね。だからわたしはあの戦争と向き合うことにした。みんなと会って、話して」

 旅をはじめた理由を元長波はそう語った。

「さあ、いつ死ぬかわからないなんて戦争以来だ。戦友たちに会いに行こう。生きていようと、死んでいようと」

 元長波は立ち上がる。ふらつきながらも、自分の足で前へと歩く。



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二十一 花・太陽・雨

 どんな日でも、時間がくればほかの三六四日とおなじように日付は機械的に変わる。たとえそれが十一月三日でも。

 元長波は、丹後街道と並走する小浜線の車窓から、鉛色に沈む裏日本の海を望んでいる。若州雲浜八景のひとつ、久須夜ヶ岳がある内外海半島とともに、大島半島が小浜湾をそのたくましい腕に抱く。

 青戸入江に面した運動公園で、地元の女子高校生がソフトボールの試合をしている。泥だらけのユニフォームで白球を追いかける少女たち。もう戦争に行ったり、戦争に行かないことを引け目に感じながら生活したりすることもない。子供たちが自分のしたいことに全力投球できる時代になっている。

「外地にいても、内地の甲子園ってのは大事な娯楽でね」元長波が思い返す。「ソシエテ諸島の深海棲艦(ソシエテ諸島バース島に上陸した陸上タイプの深海棲艦のこと。テラワット級のレーザーで人工衛星や高々度の航空機をことごとく撃墜した。日米が囮として合計十一発の宇宙ロケットを打ち上げ、敵が撃墜に専念している隙に艦娘部隊が同島に接近、砲爆撃と逆上陸の総攻撃を決行して完全破壊した)が撃滅される前は数日遅れで届けられる内地の新聞で結果を知って、いなくなったあとは衛星中継で試合がみられるようになって、戦艦とか重巡や空母のみんなが地元の学校を応援してた。“これ、わたしの高校よ!”。わたしらは駆逐艦娘どうしでどこの高校が勝つかスコア込みで賭けてた。だれも当てらんなかったら胴元は泊地の近くにある孤児院とか障害者支援施設とかに何割かを寄付するのが不文律になってた。点まで予想しなきゃいけないからまずみんな外すんだ。寄付もできて、熱心に応援もできる。いいことずくめだろ?」

 車窓から運動公園が外れる。

「現ナマでも賭けてないと駆逐艦娘は真剣に応援できなかったんだ。まだ地元に愛着がもてる齢じゃなかったし、高校どころか中学すら出てなかったんだから」

 

 タウイタウイでは海外特派の艦娘たちと野球の親善試合に興じたことを元長波は思い出す。

 

「米国、英国、フランス、ドイツ――ああ、プリンツ・オイゲンとZ1とZ3は、あのときジャム島にきたあの三人だったな――それにイタリア、ロシア。ほかにもたくさんいた。いろんな国の、いろんな艦娘。タウイタウイが魔境って呼ばれてたのも納得だよ。最初はクリケットをやろうって流れだったんだ。世界で二番目に競技人口が多いんだってさ。でもわたしたち日本人がみんなクリケットやったことないもんだから、野球にしてくれた。せっかくなんで第二次大戦のときの陣営にわかれようってなったんだけどね、リットリオとローマがさも当然のように連合のほうへ行くのよ。グラーフ・ツェッペリンが“裏切り者! 貴艦らはこちらだろう”って怒鳴って、ドイツ人連中とわたしたちがブーブーいったらさ、ローマがきっぱりと“イタリアは連合国よ!”。ウォースパイトなんかいいとこのお嬢さんだっつうのに手叩いて笑ってたっけ。そんなこんなで揉めてるさなか、リシュリューが口を出した。“リシュリューはどっちなの?”。ああいうのこそユーモアっていうんだ」

 試合は後攻の連合国チームが五対六で勝利した。

「わたしたちはつまらないミスをしてしまった。九回裏、五対三、二死、走者二塁・三塁、フルカウントから、ビスマルクの内角低めの投球を打者のガンビア・ベイが空振り、だがワンバウンドで捕手のローマが捕球した。空振り三振でスリーアウト、ゲームセットだと思っちゃったんだ。ローマだけじゃない。わたしたちみんながね。でもアイオワがベンチから“走って走って!”って叫んでて、ランナーふたりは悠然とダイヤモンド走って、ガンビア・ベイもおろおろしながら後を追ってて、あれよあれよというまに三人生還、五対六の逆転サヨナラってわけよ。わたしたちは揃いも揃って棒立ちだった。振り逃げを完全に失念してたんだ。でも、いいゲームだったよ」

 元長波は笑みをにじませて思い出に浸る。

「ビスマルクもローマも頭かかえて叫んでた。わたしたちはキャプテンの瑞鶴さんをはじめ、頭じゃなくて腹かかえて笑い転げてたけどね。ゲームのあとはノーサイドってことで、みんなで酒盛りを。アイオワやEの字(オイゲン)がご当地のビールを持ち寄って、ウォースパイトが持ってきたヤードグラス、そう、その名のとおり長さが一ヤードもあるグラスで一気飲みしようとした瑞鶴さんが轟沈したり、Z1がもってきたBlutwurst(ブラッドソーセージ)をつまみにしたり、負けじとリシュリューがシャンパン出してきたり……。ガングートのウォッカをショットでひと息に飲むたびに、だれかがぶっ倒れてた。朝霜とタシュケントが最後まで()りあってたなあ」元長波の声は柔らかい。

 

 ディープブルー作戦では、どの国が核兵器を使用するか、米国とロシアとまだ国内が分裂する前の中国が白熱の議論を交わした。どの国も核の使用には二の足を踏んだ。米国は核を使った唯一の国というレッテルを返上する好機だとして他国に使用させようと働きかけた。世界で最初に原爆を投下した上に今度は初の水爆使用国となる、それだけはなんとしても避けたかったという事情もあっただろう。一方の中露はアメリカにボタンを押させようと策動した。ICBMにせよSLBMにせよ、核攻撃は最終手段であるだけに自国の手の内を世界中にさらけ出すことになるからだ。

 ロシアはそもそも作戦には反対の立場だった。ロシア軍には米国の先制核攻撃で国家指導部との連絡がつかなくなると自動的に米国へICBMを発射する報復システムがある。冷戦時代の遺物だがいままで一度も実戦使用されたことがないゆえに、誤作動の危険性が指摘された。米国のICBM発射を探知しただけで報復措置をとるのではないかという懸念である。NATOは作戦にあたって自動核報復装置の一時停止をもとめた。

 これにロシアがなかなか首を縦に振らなかった。作戦前後の軍の動向や電波使用状況を比較すればシステムの概況を推測されてしまうおそれがある。システム停止の隙をついてクレムリンなど主要各都市へ核兵器を落とされないかと疑心暗鬼にもなっていた。どの国も互いを信じ合うことができなかった。

 最終的にはロシアが報復装置の一時的解除に同意し、攻撃は三ヶ国のなかでもっとも深海棲艦による被害が大きい米国が担当することとなった。結果としては熱核兵器でさえ深海棲艦には通用しないという事実を確認するだけに終わった。そればかりかディープブルー作戦は世界の水爆への認識を改めさせた。保有にとどめるだけで使用しないことにこそ価値のある抑止力だった水爆が、実際に使われた既成事実ができたことで、ただの強力な爆弾に成り下がったのだ。印パ戦争で両国が熱核攻撃の断行に踏み切ったのは、米国が実戦で水爆を使用した前例をつくったことが要因のひとつともいわれている。

 深海棲艦と内戦に故郷を追われたアフリカの難民はヨーロッパを目指した。地中海をわたろうと粗末な舟に自らの命運を託し、多くが波に呑まれ、あるいは深海棲艦に襲われて沈んでいった。EUもまた波のように連日押し寄せる難民に手を焼いて国家間で押しつけあった。

 ロシアは黒海艦隊で黒海を封鎖していた。深海棲艦ではなく、中東を経由してロシアを目指す難民ボートへの備えだった。

 

「世界の国々は団結なんてできなかった。助け合うこともなく、国境も心も閉ざしてた。深海棲艦の被害の責任をお互いに押し付け合ったり、逆に被害の少なさでマウントを取り合ったりね。でも、少なくともあのとき、艦娘だったわたしたちだけは、たしかに手と手を取り合ってたんだ」

 そう述懐した元長波が、景色を眺めたまま脈絡なく吹き出す。

「ローマといえば、わたしと朝霜がね、なにかイタリア料理つくってくれよってねだったことがあった。“イタリア人だからってイタリア料理つくれると思ったら大間違いよ。日本人だってみんながみんな和食つくれるわけじゃないでしょ”っていわれて、おっしゃるとおりって納得してたら、南イタリアの前菜(アンティパスト)とリゾットのプリモ・ピアット、肉の煮込みのセコンド・ピアット出してきたんだよ。あいつは艦娘よりコメディアンのほうが向いてたかもしれないな。しかも美味かった」

 なにかお返しをしなければ、と元長波は元朝霜と悩んだすえ、

「あいつイタリア人だからってんで、スパゲッティ・ナポリタンつくったんだ。当時のわたしらじゃその程度のものしかつくれなかった。ローマの奴、目玉が飛び出んばかりにびっくりしてね。“Spaghettiにketchup? 正気なの? これを食えっていうの、このわたしに?”ってめちゃくちゃ文句つけるのよ。伊日間の国際問題に発展しかねないとか、本物のイタリア人になんてものを食べさせるんだとかなんとかいいながらね、ひと皿平らげて、“おかわり!”。あいつやっぱりコメディアンだろ」

 日本への特別派遣が終了して数年後、イタリア重巡艦娘のザラから届いた便りには、朝がくれば陽が昇るような当然さで他者に気を配ることのできる人格者の彼女らしく、元長波の体を労る真摯な文面が綴られていたが、それに続いて、「あのローマは帰国後、どういうわけかスパゲッティにケチャップをからめて炒めるようになった」とあった。失笑を禁じ得なかった。

 

 どの国も深海棲艦という天災とは無縁ではいられなかった。元長波はいう。

 

「深海棲艦との戦争で世界人口は三分の一以下に純減した。もっとも多くの犠牲を出したのはアフリカだ。でもそれは純粋に深海棲艦のためだといえるのか……。アフリカ大陸では西部と南部に中枢棲姫Ⅳと中枢棲姫Ⅴが相次いで上陸して、最初の一ヶ月で三〇〇〇万人が死んだ。国がいくつも滅びた……もっとも、政府中枢が失われたって意味でだけどね。あそこらへんにはいわゆる独裁国家ってのが多かっただろ。そういう国はどこもおなじだ。国民を救おうとしなかった。立ち向かうなんて無理に決まってるが、避難もなにもさせず、指導者層だけがさっさと国外へ脱出したんだ。無政府状態ってやつ。生き残っちまった国民はまるごと難民になり、それまでホッブズのいうところのリヴァイアサンとして国内の部族を力づくとはいえまとめあげていた政権が夜逃げしたことで、一夜にして国がばらばらになった。万人による万人のための闘争だよ。ある部族がほかの部族の集落を襲撃して男は皆殺し、女は戦利品、子供は兵士として徴発する、なんてことが日常になった」

 

 元長波が任務でカスガダマに行ったときのことだ。村がまるひとつ焼かれていた。深海棲艦のしわざでないことはひと目でわかった。

 

「なぜかって? 奴らは凶悪だ。だけど、わざわざ女子供の両手両足を縛った状態で並べて、タイヤをネックレスみたいに首にかけてから焼いたり、男はペニスを切断して本人にくわえさせたまま銃殺、なんて七面倒くさいことはしないからね」

 

 武装勢力に法の裁きを下すこともできなくなった祖国に見切りをつけ、難民たちは救いを求めてヨーロッパに殺到した。地中海の沿岸には毎日おびただしい数の水死体が打ち上げられた。

 

「スエズ運河を抜けて英仏のドーバー海峡に大遠征する作戦じゃ、ステビア海やトルコやイタリア、チュニジアを拠点にしてたんだけど、どこにいても海岸に死体が揚がらない日はなかったよ。左の薬指に指輪をはめた死体もあれば、小さな赤ちゃんもいた。どれもマネキンみたいに真っ白で、どういうわけか大の字に手足を広げてた。ヨーロッパにかぎらずあの時代は世界中の沿岸が似たようなもんだったんじゃないかな」

 

 前・国連難民高等弁務官は当時についてこう語っている。「三億人とも四億人ともいわれたアフリカ難民の多くは、新天地にたどり着けませんでした。深海棲艦に命を奪われたのはごくわずか。舟ともいえない小さなカヌーやはしけにまで大勢が乗ったため、途中で転覆し、あるいは遭難してしまうケースが続出したのです。そうした死者数は億を超えるだろうとわたしたちは見積もっています。

 欧州は当初こそ難民を受け入れました。一年間のうちにトルコが五十万人、ドイツで三十万人、スウェーデンで十万人、イタリアで五万人など、EU諸国で三〇〇万人の難民を分担しました。しかし難民を救うには桁がふたつほど足りませんでした。

 難民はあとからあとからやってきます。自国民の失業率を下げることもままならない時代に、言葉も違う難民に就業支援するにも限界がありました。アントニオ・サラザールならどうにかできたかもしれませんが、ともあれ安価な労働力として酷使された難民たちは就労を拒否、生活保護などの社会福祉への依存を強めました。難民のイメージは悪化の一途をたどりました」

 

 欧州の世論は難民受け入れを拒否する思潮に硬化していった。いずれは自分たちより難民のほうが数で上回ることになるかもしれない。国が乗っ取られるかもしれない。われわれの国はわれわれのものだ。そういったナショナリズムが台頭し、右翼政党が有権者の支持を集めるようになる。

 

 元長波はいう。

「深海棲艦ってもんが目の前まで迫ってるってのに、われらが人類は内輪揉めばっかりで手を結ぼうとしなかった。アメリカの大統領が独立記念日に感動的な演説のひとつもぶってくれりゃ、世界がひとつになったりしたかもしれないけどね、そのアメリカからして孤立主義をこじらせてひきこもりになってたし、ロシアはこの機に東欧を編入してまたぞろ巨大連邦をつくろうともくろんで、EUと対立して中東を舞台に代理戦争をはじめる始末。中国は対抗策を見出だせないまま、長江を遡る深海棲艦にジリジリ切り崩されて、各地で人民軍が軍閥化して戦国時代に逆戻り。EUはかつてないくらい結束が強化された。難民を協力して締め出すためにね。どこか一国が受け入れたら、ほかのEU加盟国も、と要求される。だからそろってほっかむりすることに決めたんだ」

 

 難民キャンプはどこも飽和して雨風をしのぐテントすら不足した。食べ物も、水も、トイレも、医薬品も、子供たちのための教育もない。欧米をはじめ、深海棲艦の脅威に直面していた世界各国は自らの国と国民を守っていくだけで精いっぱいとなっていたために、援助は微々たるものだった。EU諸国で排外主義が台頭するのに時間はかからなかった。

 

「ローマがいってたよ。せっかく艦娘になったのに、砲口を深海棲艦じゃなくて、難民ボートに向けてたって。正確には難民ボートを攻撃する哨戒艇を深海棲艦から護衛してたらしいけど、“わたしが難民を殺したのも同然だ”って。だから日本への特別赴任の話が舞い込んできたときは、いのいちばんに手を挙げたんだとさ。難民を切り捨てる仕事から一刻も早く解放されたかった。でもそのせいで、ほかのだれかが自分の代わりをさせられてるかと思うと、いまはそれが心苦しいって、目を赤くしてたよ。あの鉄面皮の堅物が」

 

 ドイツでは、難民を積極的に受け入れていた政権が選挙戦に大敗して、民族主義をかかげる極右政党が与党となった。そのニュースが流れるテレビを見上げていたレーベレヒト・マースは拳を握りしめた。「ぼくたちの祖国はとんでもない過ちを犯してしまった。溺れている人たちに手を差し伸べるどころか、船縁にしがみついてきた漂流者の手首を剣で切って捨てる道を選んだんだ。しかもそれを正しいと公言している。ドイツ人として恥ずべきことだよ」。元長波は彼女にかけるべき言葉に迷った。

 

「なんて慰めてやればよかったんだ? 日本は主要国のなかでもっとも難民受入数が少なかった国なんだ。ジャムのときでさえ住民を中国や台湾へ疎開させて、日本にはひとりも入れようとしなかった。“よう姉妹(きょうだい)、これでわたしたちはおなじ穴のムジナだな”とでもいえばよかったんだろうか」

 

 難民を受け入れた各国では現在でも融和と排斥の問題が尾を曳いている。難民を多く受け入れた欧州では戦後の経済復興はめざましいものがあった。コストの安い難民を単純労働や飲食業で大量に使えたからだ。難民を人口に加算しない国は多い。その難民が産出した財やサービスは難民を雇っている使用者が産出したものとして計上される。それで一人当たりGDPが伸びる。だが戦後復興が終われば労働力過剰となり、職を失った難民の群れは社会保障費増大と増税をまねいた。治安も急激に悪化し、国民と難民の対立は日ごと深まっている。日本が時間こそかかったものの安定して経済復興を遂げることができたのは難民という劇薬に頼らなかったからだという意見もある。

 

「なにが正しくてなにが間違ってるのか。艦娘として海に在ったときはそんなこと考えなくてもよかった。海にいるときだけは、なにもかもがシンプルだったんだ」

 

 列車はレールの上を走り続けている。

 

  ◇

 

「いまでも海を感じていたいの」

 若狭和田駅から二十分ほど歩いたところにあるアパートの一室で、シリアルナンバー405-080035の白露型駆逐艦娘山風(やまかぜ)だった女性が、若狭湾にほど近い立地に住んでいる理由をそう述べた。独り暮らしにしても決して広くはない部屋には金魚の舞う三本の水槽が清涼な水の音を奏でている。乳房のように膨満したほほをたぷたぷと揺らしながら泳ぐ水泡眼(すいほうがん)ばかりを集めた水槽、吹き流しのような長い尾びれのコメットと朱文金(しゅぶんきん)が流れ星となって飛び交う水槽、チョコレート色をした茶金(ちゃきん)と青みを帯びた炭色の青文魚(せいぶんぎょ)の水槽。

 

「山風だったころ、艦隊の球磨さんや多摩さん、浦風ちゃん、浜風ちゃんと連れ立って、鎮守府主催のお祭りに行ったとき、金魚すくいをしたんです。わたしと妹の古鷹(ふるたか)は一匹もすくえませんでした。すると大和(やまと)になっていたいちばん下の妹が――彼女は金魚すくいがとても上手だった――自分の金魚を全部くれました。“わたしはあした出撃だから、姉さんにあげる。ちゃんとお世話してくださいね”と。ええ、わたしたち姉妹は三人とも艦娘だったの……。妹だと思って大切に世話しました。夏を越えることはできませんでした。金魚も、妹たちも、あの日お祭りに行った仲間たちも。それ以来、金魚をみるとふたりの妹やみんなの笑い声が聞こえるような気がして。最初はこのコメットだけだった。餌やなにかを買いにお店へ行くでしょ、そのたびに可愛い金魚をみつけて、いまじゃこんなに増えちゃった……」

 

 元山風をふたりの女性が訪ねる。おなじ艦隊を組んだことのある占守型海防艦娘国後(くなしり)だった女性と、軽巡艦娘長良(ながら)だった女性。抱擁。彼女たちはいまでも年に数度会っている。

「体は大丈夫?」元山風が元長良を気遣う。

「きょうは調子がいいの。年明けのマラソン大会にも出られそう」元長良が応じる。

「どうしよう。もう少しかかるんだけど」土鍋を火にかけている元山風が携帯端末で時計を確認する。

「なら、あたしが迎えに行ってきますね」

 元国後が腰を上げる。

「いいの?」元長良がいう。「わたしが行こうか?」

「歩くだけですから」元国後は笑顔で答える。

 彼女たちはもうひとりの戦友の来訪を心待ちにしている。

 

 元国後は二十五年ものあいだ元長波と会っていない。連絡をとろうとした試みはすべて失敗に終わった。しかし元国後は元長波の顔を衆人のなかからひと目でみつけられる自信がある。

 

 竿球(かんきゅう)を黒布で包んだ旗竿に、黒い喪章とともに日の丸がはためく若狭和田駅の外で待っていた元国後は、相好をくずして大きく手を振る。気づいた元長波が自分のことだとわかり軽く手をあげる。人の流れを横断して元国後は駆け寄る。よそいきの笑みを貼りつけている元長波には胸を押さえている元国後がだれかわかっていない。元山風の知り合いが迎えにきてくれたのかと思っている。

「よくわたしがわかったね」

「忘れるわけありません。あたしはあなたに命を救われたんです」元国後の声は震えている。笑顔のまま透明な涙を流す。「あなたはなにも変わっていない。あのときのまま。あたしのほほを張った、あのときのまま……」

 元長波は首をかしげる。それから、あ、と声をあげる。

「国後か?」

 元国後は何度も首を縦に振った。

「髪すげえ長いからわかんなかった」

 元長波は頭をかいた。元国後の髪は胸を隠す程度まで伸ばされている。

「顔面もざくろみたいに割れてましたからね」

 元国後に元長波は気まずそうに苦笑いする。

「あのときは、ごめんな」

「あのとき?」

「救助したときだよ。ひどいこといっただろ?」

 いわれて、元国後は涙をぬぐいながら吹き出した。

「喝を入れてくれたおかげで助かりました。なにくそって」元国後は元長波の左手を両手で包む。「それに、リカバリーポイントまで担いでくださったのは、あなたです。死ぬんじゃないぞって、背中のあたしにずっと声をかけながら。ヘリに引き上げられてるあたしを見上げるあなたの安心しきった顔は、まるで自分が助かったかのようでした。あなたは他人を自分のように救える艦娘なんです」

 そうだっただろうか、と元長波は元鬼怒に敬礼された元朝潮のように判然としなかった。元国後には心を鬼にして「クソガキ!」と怒鳴った記憶しかない。忘れられないことがある。思い出せないことがある。

 

 元山風の部屋へあがる。元山風と元長良が迎える。ひとりずつ抱擁を交わす。

「また会えるなんて」元山風の涙声。

「本当、久しぶり」元長良はその言葉を最後までいえず嗚咽する。元長波は抱きしめたまま元長良と頬を合わせる。背中に回した手に固いこぶのようなふくらみがふれる。だが元長波は気づいたそぶりすらみせない。

「脳腫瘍に感謝だね。こいつに背中を押してもらったんだ」元長波は自分の頭を指さす。みんなが笑う。

「金魚っていろんな種類がいるんだな。出目金くらいしか知らなかった」奇抜な外見の水泡眼に興味が惹かれる。

「でも、生物学的にはどれもおなじ種類なんだよ」元山風が教える。

「へえ。深海棲艦みたいに?」

 元長波に元山風が似たようなものだと微笑する。

 

 深海棲艦は駆逐イ級のように怪物としか形容しようのないものもいれば空母ヲ級をはじめとした人間に近い姿のものもいた。外見的特徴や習性、攻撃方法の差異などから種類ごとに識別する必要が生じ、日本ではイロハ歌から引用したコードネームを命名するにいたった。だからたとえば、はじめて確認されたタイプはイ級であり、十七番めに発見されたタイプはレ級となる。さらにはこれに鬼級、姫級、水鬼級、水姫級なども加わる。

 このように深海棲艦の形態は紛然雑然として千態万状だが、孵化から第四形態までは共通した姿をしていることからもわかるとおり、いずれのタイプも分類上はAnomaloferrum infernalis(アノマロフェルム・インフェルナリス)として扱われる。学名の意味は〈地獄から来た奇妙な金属〉である。当初は深海棲艦の級ごとに別種だろうと考えられており、それぞれに学名もつけられていた。ヲ級なら深海棲艦研究の第一人者から献名してtanakai、飛行場姫ならhoniaraensis、という式である。いまではすべてシノニムとして抹消されてinfernalis種に統一されている。

 

 昼前だったが、地元若狭の冷酒で乾杯して、若狭小浜で水揚げされた寒鱈の身と肝、白菜、ねぎ、しいたけ、豆腐で山盛りの鍋を囲む。くつくつと煮えた菊腸からのぼった湯気が複雑な紋様を描く。舌を焼きながらほくほくの鱈を噛みしめる。四人ともがとろけるような顔になる。甘辛いみその染み込んだ濃厚な味が体を奥から温める。冷えてこわばっていた全身の筋肉がほぐれていくようだ。地酒は砂糖が溶けているかのように甘くまろやかで、これがみそ味の鍋と絶妙に合った。

 同時に、元朝霜や元神威らのときもそうだったが、友人とともに飲む酒がこんなに美味いものだったのかと、元長波は驚いている。現役時代、駆逐艦娘は未成年にもかかわらず艦隊でよく酒宴を開いた。飲酒も喫煙もつぎのソーティーで沈むかもしれない彼女たちの特権だった。食べて、飲んで、歌って、悲しみを笑いに変える。それは海へ沈んでいった戦友たちの鎮魂の儀式でもあった。

 おなじ艦隊だから、という理由でつながっていた交遊関係は、戦争が終わってそれぞれの故郷へ帰るとどうしても疎遠になる。

 現役時代を懐かしんで元長波はひとりでしばしば酒に溺れた。したたかに酔うと、終戦の日を迎えられなかった艦娘たちが家を訪ねてきてくれた。彼女たちは元長波の話をだまって笑顔で聞いてくれた。朝になって目覚めると、戦友たちはどこにもいなかった。この世にさえ。現実を思い知らされた。思い出に浸るために泥酔すればするほど翌日の落ち込みようは大きかった。祭りが終わったあとの寂寥(せきりょう)感にさいなまれた。ごまかすためにまた酒の力を借りねばならなかった。だがひとりで飲む酒は苦いばかりだった。

 

「いまね、医療用ウィッグのサロンに勤めてるの」

 近況を尋ねると元山風が答える。

「チーフスタイリストよ、チーフスタイリスト」元長良が茶化す。元山風ははにかむ。

「ヅラを?」

「やあだ、ウィッグっていって」元山風が頬を水泡眼のように膨れさせる。三人は苦笑する。

「ウィッグはお洒落のためのアイテムでもあるけど、あたしがそこを選んだのは、艦娘だった人のためなの」元山風はいう。「艦娘経験者はがんになりやすいでしょ。化学療法の副作用で髪の毛が抜けちゃった人向けに、できるだけ負担の少ないウィッグを提供できたらって思って。元艦娘になら話しやすいだろうし」

 

 現代のがん治療は、副作用が出にくくしかも腫瘍への効果が高まる時間帯を狙って集中的に抗がん剤を投与する時間治療が常識となっている。しかし艦娘は現役かそうでないかを問わず、内臓機能がふつうの人間とはわずかながら変質していることが知られており、通常の時間治療がそのまま当てはまらないことが多い。艦娘の時間治療はいまだ研究の途上にあるため、いまのところは従来のように服用もしくは外来でただ点滴を受けるだけになっている。

 原因については、寄生生物もしくは適合の手術が身体になんらかの影響を残しているのか、それとも不規則で過酷な任務に長期間従事していたことにあるのか、くわしいことはまだわかっていない。

 

「わたしも乳がんやったときはオッパイ切ったあとも五年間抗がん剤治療受けたんだけどさ、やっぱりハゲちゃって」元長波が闘病生活を振り返る。「しかも頭皮ってのはいままでずっと髪の毛で守られてきてるから、いざ露出するとめちゃくちゃ敏感なんだよな。外気に触れてるだけでなんだかヒリヒリするし、ニット帽かぶってても繊維でチクチクするし、寝ようとしたら枕が擦れて痛いしで、かなりのストレスだったよ。ただでさえ吐き気もすごいのに。ヅラ、あいや、ウィッグも試してみたんだけど、インナーキャップでさえ何百って針で地肌刺されてるみたいで不快だったな」

「がん治療はつらいもの、苦痛や不便を我慢するものっていう考えかたをしてる人は多いけど、あたしは少しでも改善したかった。女の人にとって髪はただの体毛なんかじゃない。脱毛してると引け目を感じて外に出づらくなる。それはがんの治療っていう意味でもよくないから」精神的なストレスはがんの栄養になると元山風はいう。「抗がん剤の投与が終わっても、髪が生えそろうまでは一年くらいかかるから、見た目が自然なのはもちろん、ずっと快適に着用できるウィッグがあれば、過酷な治療生活の励みになるんじゃないかなって思ったの」

 

 元国後はへアドネーション(小児がん患者にウィッグを提供するため髪を寄付する活動)のために髪をのばしている。

「ほっといてものびますからね。以前、山風さんからヘアドネーションのことを耳にして、それならあたしもだれかの役にたてるかなって」

 元国後は退役してもなおだれかに貢献しようとしている。すごい奴だな。湯気のむこうで鍋の具を美味しそうに食べる元国後をみながら元長波はそう思っている。

「人工毛より人毛のほうがいいもんな。ハゲが隠せりゃいいってもんじゃない。ましてや子供なら」元長波に元山風が頷く。

 人毛ウィッグは人形の髪のようなあからさまな光沢もない。また元山風のサロンで販売するウィッグは自然なつむじともみあげも再現している。

「見た目だけじゃウィッグか地毛か区別つかないと思う」手前みそではあるがと元山風はいうが、語調にはたしかな自信が感じられる。自分の仕事に誇りをもっている人間だけが許される自信。元長波も艦娘だったころにはもっていたもの。いまはない。なにも。

「ウィッグは上からみられるときがいちばん緊張するからな。つむじから縫い目がみえてないかとか」元長波は心のひびから目を逸らすように、出汁をたっぷりふくんだしいたけをすすりこむように食べる。噛むと内包していたみそ味のつゆが一気に解放され、しいたけ自身の旨味成分と相まって口内で軽やかに踊る。

「もみあげもないと、いかにもかぶってますってなるもんね。髪をアップにしなきゃいけないお仕事なら生え際がないと不自然だし」元山風が豆腐に菊腸を乗せる。味蕾の感激が表情に出る。「そういうウィッグに自分でハサミを入れて、もみあげや生え際を出す裏技もあるにはあるんだけど、失敗しちゃったらひとつ台無しになるからね」

「ハゲはマジでへこむもんな。眉毛まで落ちるんだから」全頭脱毛の経験者として元長波が語る。「とくに風呂んときな。どうしても鏡みるだろ、で、これ人間の面じゃねえよって。わたしも山風んとこでウィッグ見繕ってもらえばよかったな」

「いつでも相談に乗るよ」

「元艦娘の客は多い?」

「三、四割くらいかな。でも、みんながみんな、がんにかかってたり脱毛症に悩んでるってわけじゃないよ。健康な元艦娘のお客さまもけっこういらっしゃるの」

 元長波は興味を抱いた。

「病気でもない奴が、どうして?」

「解体されると髪の色が戻るでしょ?」

 元山風は自分の前髪をつまんだ。ナチュラルブラックの美しい髪。

「山風シリーズならエメラルドグリーンだった。江風なら赤。海風なら白。(元国後に目を動かして)国後ならピンク。でも艦娘じゃなくなると本来の色の髪が生えはじめる。艦名といっしょにすっかり慣れ親しんでた髪の色が、年月とともに戻っていくにつれて、自分はもう艦娘じゃないんだって実感させられて、いいようのない不安に襲われる人も多いみたい。髪が完全に地毛の色だけになったとき、艦娘としてのわたしは本当の意味で死んでしまうって」とくに派手な髪色の艦娘だった女性ほど地毛とのギャップに苦しむ傾向にあるらしい。「そこまで深刻じゃないにしても、単にむかしを懐かしむためのよすがとして、艦娘の髪を再現したウィッグをオーダーメイドされるお客さまもいるのよ」

 家族の目を避けてひとりで鏡の前に立ち、現役時代とおなじ色に染めたウィッグをかぶる。そうすることで戦友との記憶をとどめようとする元艦娘が少なからず存在する。酒に頼るよりよほど健全な方法かもしれない、と元長波は火のかたまりのような菊腸を舌の上で踊らせながら思っている。

「じゃあ、〆行こうか」元山風がみはからっていう。スープと具材の切れ端だけが残った鍋に白飯をよそって、ひと煮立ちする。刻みネギを乗せてふたたび食卓にあげる。元山風が各々の器に分ける。熱いうちにレンゲですする。四人が名湯に浸かったような声をもらす。

 

「わたしも近々、山風ちゃんのお世話になる予定なんだ」

 元長良が白い歯をみせる。元長良は皮膚がんの一種である悪性黒色腫を患っている。

「みせてもらっても?」

 元長波に請われると、元長良は快く応じて左の袖をまくる。上腕の外側に、インクを落としたようににじんだ、小指の爪ほどのいびつなほくろがあった。

「八年前に胃がんをやっちゃってね、幽門のあたり。三分の二摘出して、術後五年をなにごともなく過ごせて、やれやれって安心してたら、これだもんね。おまけにもうⅢ期だよ、Ⅲ期」

 袖を戻して三本の指をたてる元長良は、天気予報が外れて洗濯物を濡らした愚痴をもらしているかのような笑いをみせた。「こんなことしてる場合かよ」元長波は煽る。メラノーマと通称される悪性黒色腫は進行が速く転移しやすいことで知られている。皮膚に生じたメラノーマは増殖を繰り返して深部へ浸潤していく。溢れでたがんはまずセンチネルリンパ節に転移する。センチネルリンパにがん細胞があればⅢ期以上のステージと診断される。

「一月に、マラソン大会があるんですよ」元国後がいう。

「軍をしりぞいてからはマラソンしてるの。あくまで趣味だけど」

 元長良は、外傷性脳損傷が原因で神経が誤作動を起こすのだといった。背中には名刺サイズのコンプレッサーが装着されていて、脳の誤作動のせいでやむことのない痙攣と激痛を抑えるための薬が絶えず送り込まれている。

「コミックの悪役みたいでしょ?」元長良は襟口から背中を覗かせながら呵々と大笑する。てのひらに収まる大きさの機械が寄生虫のように食いついている。

「マラソンはどこまでも自分に妥協ができるスポーツなんだ」元長良がマラソンをはじめたきっかけを話す。「だからこそ、どこまでも自分を奮い立たせることができる。“それがおまえの全力か!”って。野球とかサッカーとかはさ、なんていえばいいのかな、相手がこっちの戦いをさせてくれないことがあるじゃない?」

「そりゃ、相手の実力を最小限に抑えて、同時にこっちの実力を最大限発揮できるよう作戦を組むスポーツだからね、戦争とおなじで」

「そうそう。でもマラソンはただひたすら走ればいいわけだから。ほかにどんなランナーがいても自分の走りができればいい。わたしはそこに惹かれた」

「艤装なしとはいえ、陸の上でよく四十二キロも走れるな」ジャムの野戦病院から撤退した泥濘の行軍がちらつく。元長波は表情が顔に出るより前にそれを隠す。

「副作用で体が重いってこともあるんだけど、やりはじめたときは、これ完走もできないんじゃないかって思ってた」

 でも、と元長良はいう。「どんなにつらくても、いつかは終わるもんね。とりあえずやってみることがだいじなんだよ。挑戦をはじめた、それだけで成功に一歩近づいてるんだから」

 はじめて挑んだ市民マラソンでは、残すところあと五キロのところで棄権した。二度めで六時間かけながらも完走を果たす。いまではサブ4(四時間を切るランナーのこと)の常連だという。サブ4は市民ランナーの三分の一以下しかいない。

 来年の大会にむけ調整していたところで、メラノーマの存在を医師に指摘された。

「すぐ入院しろっていわれたんだけどね」元長良はあっけらかんとしている。「どうせもう転移しちゃってんだし、大会終わってからでもいいかと思って。最近、背中の機械でも痙攣が抑えきれないときがあるの。手術しようとしまいと今度の大会がわたしの最後のマラソンになると思う。それなら走りきって納得してから治療に専念しようって決めたんだ。父も母も賛成してくれると思う」

 元長良の母も艦娘だった。重巡艦娘愛宕。当時八歳だった元長良は何度めかになる派兵で海外に出征した母の帰還を首をながくして待っていた。「今度帰ったら、もうどこにも行かないからね。約束するわ。いっしょにお出かけもしようね。どこがいい? そうね、じゃあお母さんが帰るまでに決めておいてね」。その電話があったときはうれしくてなかなか寝つけなかった。またお父さんとお母さんの三人で暮らせるんだ。

 何ヶ月か経った、ある日曜日、玄関のチャイムが鳴った。お母さんかもしれない! 元長良はよろこび勇んでドアを開けた。そこに立っていたのは母ではなかった。左胸に徽章と色とりどりの防衛記念章のメダルを熱帯魚のうろこのように装着した、一部の隙も無い礼装姿の見知らぬ女性だった。海軍だということはひと目でわかった。艦娘であることも、あらたまった軍服に身を包んでいる意味も、沈痛な顔でみつめてくる理由も。彼女は元長良の父に、和紙に包んだひと束の髪を渡した。金糸の髪。艦娘になった母の髪。父は娘の目の前であることも忘れて泣き崩れた。「こういう日がくるとわかっていたから、ぼくは離婚話を持ち出して、きみに軍を辞めさせようとしたんだ。どうしてわかってくれなかったんだ」。

 礼装をかっちりと着込んでいる艦娘は、幼い元長良に視線を移した。「お母さまはご立派なかたでした」。ひざまずいて元長良の頭をなでた。「あなたのお母さまは、いつでもあなたのことを気にかけていたのよ」。立ち上がった艦娘は一歩ひいて、心の底からとわかる完璧な敬礼をし、回れ右をして、重い足どりで立ち去っていった。近所の住人たちがみんな外に出て一部始終をみていた。あるものは言葉を失ったまま立ちつくし、あるものは掌を合わせた。元長良の家と家族ぐるみで付き合いがあった女性は嗚咽した。「あの子はまだ八歳なのよ!」。

 元長良が現実を受け止めるにはながい時間が必要だった。お母さんはわたしより仕事のほうが大切だったのかな。どうしてわたしを置いていったんだろう。砂のような日々のなかで、元長良はひとつの決意を固めつつあった。小学校卒業の前日に元長良は父に打ち明けた。「艦娘になろうと思うの」。父は大反対だった。「深海棲艦に復讐でもしたいのか」。元長良にはそんな考えが毛頭なかった。復讐をみじんも願わなかった自分にむしろ驚いた。

 元長良は四年近くのあいだずっと熟慮に熟慮を重ねてひとりで見いだした答えを告げた。「お母さんが命をかけて挑んだ戦争がどんなものか、この目でみてみたいの。お母さんとおなじところに立てば、なにを考えていたのか、どんな思いで毎日を過ごしていたのか、わかるかもしれない。そうしてはじめてわたしはお母さんのことを乗り越えられると思うの」。父の顔には絶望さえ浮かんだ。説得をあきらめた父は四年ぶりに涙をこぼした。「父さんと約束してくれ。かならず帰ってくると。そのためならどんな卑怯なことをしてもかまわない。父さんだけはおまえの味方だからな」。父には感謝してもしきれない、と元長良も泣いた。

「わたしが四回めの派兵でブルネイに行ってるとき、父は鹿島神宮に参拝したの。それがあの十一月三日だった。よりによってあの日に行くなんて」

「気の毒に」元長波が元長良にかけることのできる言葉はそれくらいしかない。

「いいのよ。運が悪かったの」と元長良は目をしばたたかせながらほほえむ。

「そろそろだね」元山風は携帯端末を取り出した。現在時刻は十一月三日午前十一時五十五分。ことしもそのときがやってくる。

 正午一分前から時報サービスにつなぐ。時刻を読み上げる声が端末のスピーカーから流れる。「午後零時ちょうどをお報せいたします」弔旗を掲揚していた役場や公民館から防災用サイレンが吹鳴されて、あの日と同じ青空を満たす。元長波たちは黙祷する。一分間の瞑目。元長波たちとおなじように全国各地の家庭で、あるいは職場で、学校で、慰霊式典で、祈念公園で、被爆建造物の遺構の前で、墓前で、人々が二十七年前のきょう起きたシャングリラ事件の犠牲者を悼む。ただ目を閉じるだけの人もいれば、皇居の方角をむいて黙祷する人もいた。黙祷しない人もいた。

 元長波たちはまぶたを開く。息をつく。

 

 二十七年前の十一月三日について、だれもがこう尋ねる。「あの日、どこでなにしてた?」と。

「あたしは、そのときまだ十歳でした」

 元国後が訥々と語る。

「テレビをみてたらいきなり臨時ニュースがはじまって、皇居が空爆されたとか、天皇皇后両陛下の安否が不明とか、東京で大火災とか、ちょっとにわかには信じられないことをアナウンサーが伝えてた。映画だと思いました」

 しかし、現地の中継映像だけでなく、SNSや動画共有サイトにまで東京が火の海と化しているさまを収めた動画があふれだすにつれ、現実にいまこの瞬間に起きていることだと、ようやく理解が追いついてきた。動画のなかには焼けくずれる半蔵門を撮影しているものもあった。十歳の元国後を襲ったのは、身震いするほどの敵対心だった。

「いてもたってもいられなくなって、家を飛び出して、その足で地本に駆け込みました。地本もひっくりかえしたような大騒ぎになってたんですけど、手近な担当官をつかまえて、叫びました。

“皇居が空襲されてる映像をみました。あたしを艦娘にして!”。担当官は身分証の提示をもとめました。そして目をみはりました。“まだ十歳じゃないか!”。志願は十二歳からです。

 あたしはいいつのりました。“でも、どうしても艦娘になりたいんです。お願いします”。何度頼み込んでも頑として聞いてくれません。彼は呆れたようにいいました。

“そんなに艦娘になりたいのなら、あと二年、うんと勉強して、それでもまだ心変わりしていなかったら、またきなさい。きみの希望を叶えてあげられるだろう”。そして最後にこうこぼしました。“わたしとしては、それまでに戦争が終わっていることを祈るよ”。

 担当官が家に電話して、母に連れられて帰ったら、両親と祖父母から大目玉をもらいました。艦娘になんかならなくていい、そんなことはほかの人たちに任せろと。あたしには信じられなかった。祖国が明確な危機にさらされていて、なにもしないでいるなんて。どうしてそんなことができたでしょう?」

 彼女は二年待った。両親を説き伏せた。地方協力本部をふたたび訪れた。志願申請の担当官は別の軍人に変わっていたが、彼女は胸を張って書類をわたした。そのときすでに深海棲艦の活動は衰微をはじめていた。彼女は海防艦娘国後となった。戦艦級や空母級の敵は絶えて久しかったものの、いまだ潜水艦の脅威は完全には去っておらず、むしろ対潜に特化した海防艦娘こそ最後まで必要とされた艦娘だった。

 元国後はキャリアのほとんどを幌筵泊地に捧げた。ロシア領である幌筵泊地の大要は北方領土の防衛だった。深海棲艦と難民に手を焼いていたロシアは北方四島を対日外交につかった。

「噛み砕いていうと、北方四島の防衛に協力すれば、返還交渉のテーブルにつく、とロシアがちらつかせたんです。日本は乗るしかなかった」

 戦争が終わって二十二年経った。北方四島はいまでもロシアが実行支配している。

「あたしが配属されてからでも二十三人の仲間が殉職しました。いつか戦争が終わったとき、あたしたちの犠牲が領土返還の礎になる、そう信じていたからこそがんばったんです。でも」元国後は首を横に振る。「外交で負ければ血の犠牲もただの犬死にです。ロシアから領土を取り戻せる勝算がないのなら、最初からあんな島、守らせないでほしかった」

 荒れ狂う北の海での任務は過酷を極めた。波のしぶきが防寒装備や艤装に付着するそばから凍りつく。放っておくと氷像になって動けなくなったり、氷の重みで燃料消費量の計算が狂ったり、重量のバランスが変化して転倒してしまったりするから、頻繁に着氷を落とさなければならない。

「風が冷たいというより、痛いんですよ。顔の露出部がとくにつらいから、目出し帽をかぶってはどうかって大東(だいとう)がいいだして、試してみたら、基地ですれ違う人がみんなびっくりするんですよね。あんまり評判が悪いからすぐにやめました。携帯口糧も特別で、一食あたり八五〇〇キロカロリーもありました。それでも痩せちゃうんです」

 海防艦娘たちはときにオホーツク海やベーリング海にまで足をのばした。防寒対策をほどこし、高カロリーの食事で熱量を補給しても、低気圧の墓場といわれる極寒の北方戦線はたとえ深海棲艦がいなくとも人間の生存を許す世界ではなかった。気温は最高でも氷点下から脱することはなく、風速四十メートルの颶風が吹きすさび、波の高さは十メートルから十五メートル、ときには十八メートルにも達する。体温を確保していても海防艦娘たちの表皮や手足の末端の細胞は凍ってしまう。

「だから、ベーリング海に行くときは、血液を不凍液に交換していました」

「血液を?」

「正確にいうと、不凍血液ですね。三・七五kD付近の不凍糖タンパク質をふくんでいて、かわりに赤血球がなくて粘性の低い、極限低温環境任務専用の透明な血液です。作戦前に本人の血液をすべて抜き取って冷蔵保存して、代わりに不凍血液を輸血し、帰投後にまた戻すんです。人間の血液の氷点は零下十八度ですが、これにより零下四十度でも血液と体細胞の結晶化を防ぐことができます。酸素は血漿に溶かして運搬させますが、運搬効率は通常の血液の一割程度ですから、強心剤で脈拍を毎分一八〇から二〇〇で保つことで対応していました」

 つねに全力疾走しているようなものだ。心臓にかかる負担は尋常ではない。

「動物は、一生のあいだに打つことのできる鼓動の数が決まっているといいます。だから寿命の短いちいさな動物の脈拍は早い。あのときあたしたちは多くの心拍数を消費しました」

 戦争が終わって、健康診断を受けたさい、医師に「心筋梗塞の経験が?」と尋ねられた。「いいえ、一度も」「でも、あなたの心臓はぼろぼろですよ」。 元国後は長時間の運動ができなくなっていた。

 だが「できることはした」と元国後はいう。「艦娘にならない人生もありました。いまごろあたしは十一月三日がくるたびに後悔していたでしょう。こうしてみなさんとお鍋を囲むこともなかったでしょうし」

 三人は笑いをみせる。

 元国後は退役後に結婚し、母になった。

「娘の十歳の誕生日が来た。あたしが志願したときとおなじ齢だってふと思い出しました。信じられませんでした。“まだほんの子供じゃない!”。でもあの時代は子供だって国のために戦いたいと思うのがふつうだった。いまの若い子には理解できないでしょうけど」

 時代は変わっていく。移り変わりに順応できる人間とできない人間がいる。その差はどこに起因するのだろう。

 

 首都空襲があったとき、元山風はブイン基地に派兵されていた。

「あたしはもうそのとき山風になってたんだけど、ふたりの妹からそれぞれ“志願する”って電話があった」

 元山風は金魚の水槽を背に口を開く。

「ひとつ下の妹は古鷹に、ふたつ年下の妹は大和になった。あたしは安心した。重巡や戦艦は比較的死亡率が低いから。なのに」元山風が涙ながらにいう。「どうして妹はふたりとも沈んで、長女で駆逐艦のあたしだけが生き残ったのか」

 惜別の思いを飲み下すように杯をあおる。

 

「長波はあの日なにしてた?」

 元山風が水をむける。

「当時は2水戦にいて、久しぶりの休暇で内地に帰ってたんで、そんとき付き合ってた男の部屋で寝てた」

 元長波はてらいもなく答える。

「叩き起こされた。テレビみろって。よくできてるなあって、よだれぬぐいながらぼんやり思った。寝起きだからな。だっておまえ、二〇〇〇機の敵機による首都空襲を許して、千代田区を中心とした十区がカリカリのウェルダンになるまで焼かれて、火災の煙が入道雲みたいに空をおおってるせいで真昼なのに夜みたいに暗くなってるなんて、いわれなきゃ想像もつかないよ。“ちくしょう!”。状況がつかめるとやっとそれだけいえた。携帯電話になにも連絡なかったのかよと思ったら、バカだろう、電源切ってたんだ。あわてて電源入れるとみたこともない数の不在着信と留守電が入ってた。一個だけ再生してみたら、朝霜の奴がな、“いつまで寝てんだボケ! このクソッタレ伝言サービス聞いたらいますぐ最大戦速で鎮守府にきやがれ!”。ほかのメッセージも似たようなもんだろうと思って、わたしはおっとり刀で彼の車を借りてぶっとばした。たぶん一四〇キロくらい出てたんじゃないのかなあ。けたたましいサイレンが後ろから追いかけてきてね」

 元長波は指を頭の上で回して回転灯を真似した。「警察に止められて、取り締まりよ。急いでんのに」

 車に近づいてきたふたりの警察官は呆れた顔をしていた。「何キロ出てたと思ってる?」。元長波は努めて丁重に応対した。「スピード違反はわかっているし、あなたが自分の職務に忠実であることも理解しています。ですが、わたしは艦娘で、あのクソッタレ深海棲艦どものクソッタレ空襲のために、いますぐ鎮守府に出頭しなければならないんです。切符を切るなら早くしてくれませんか?」。警察官の書類を作成する手が止まった。「艦種は?」。元長波は心底からむかっ腹が立った。急いでるっつっただろ。それでも冷静を保った。「駆逐艦です」。

 もうひとりの警官が重ねた。「どこに所属している?」。元長波は暴発寸前の拳銃そのものだった。「2水戦ですが」。

 すると警官たちは互いに目配せしてから書類を片付けた。「鎮守府まで先導します」と一方がいった。「仕返ししてくださいよ」。

「かくしてわたしはパトカーに道をつくってもらったおかげで、考えられるかぎり最短の時間で鎮守府にたどり着いたってわけだ」

 駆けつけた鎮守府で朋輩の艦娘たちから聞いたところによれば、まったく予期しない空襲を受け、東京で膨大な数の死者行方不明者が発生していて、天皇と皇后、皇族六名の所在がわからなくなっているという。「天皇はこのクソッタレなことが起きるまではどちらに?」。元長波が質すとおなじ2水戦の磯風は「ここだ」とテレビを顎で示した。テレビには激しい炎と黒煙を噴き上げる東京の街衢が映し出されていた。何重もの業火に包囲されて燃え盛っている中心部が皇居だった。「冗談じゃねえぞ」。元長波はテレビに釘付けになりながら頭をかかえた。

 東京だけでなく鹿島神宮にも空襲があったとの未確認情報もあると、おなじく2水戦の朝霜だった同期に教えられた。「もうなにがなんだかわかんねえ。情報が錯綜してる。もう一回空襲があるかもしれねえとか、つぎは大阪、名古屋が狙われる可能性もあるだとか。非番の連中にもかたっぱしから召集がかかってる。でも、軍でさえニュースの中継以上の情報を集められてねえらしいんだ」。元朝霜もお手上げという顔だった。

 犠牲者の数も把握できていなかった。報道で伝えられる死者は三十分ごとに増えた。ついにはさじを投げた。「この一連の航空攻撃による死者は数万人にのぼるとみられています」。最終的な死者数は一二〇万人以上にまでふくらんだ。それとは別に二十七年経ったいまでも五五〇〇人を超える遺体がみつかっていない。あらゆるものが航空爆弾で粉々に破壊されて散乱したからだ。

 地上レーダーやAWACSによる捜索も実を結ばないことから空爆は深海棲艦の艦載機によるものと判断した軍は、百里基地のF-2B戦闘機四機と小松基地のF-15DJ戦闘機八機に太平洋上を目視で捜索させていた。発災から五時間後、F-15のフライト(四機編隊)が房総沖東南東四二〇キロの洋上に、巨大な未知の深海棲艦を旗艦とする敵艦隊を発見。その異形の新型深海棲艦は多数の随伴艦とともに南下をつづけていた。しかし燃料がビンゴ(燃料の残量が基地に帰投するぶんしかなくなること)となったため、戦闘機部隊は触接を断念し基地に引き返している。それ以降の消息は不明。

 国内には衝撃についで喪失感が暗雲となってたちこめた。戦争がはじまって二十年めに発生した総武本線空襲事件以来となる、本土同時多発大空襲は、対深海棲艦戦争どころか、日本の歴史をみわたしても前例のない、史上最大規模の人的被害をもたらした。直接の経済的損失も数兆円におよんだ。首都機能は麻痺し、円は暴落、国債の格付けも地に堕ちた。

 軍には早急の事態対処がもとめられた。またいつ本土を電撃的に空襲されるかわからない。それに事件の張本人を自らの手で処理しなければ日本は世界からの信用を失う。のちに深海海月姫と正式に命名される新型の深海棲艦はこのときは〈シャングリラ〉のコードネームで呼ばれていた。報復の性格も強く帯びた〈シャングリラ〉の捜索と追撃が決定される。

「わたしたち水雷屋は魚雷にいろいろペイントした」元長波が記憶をたぐる。「命とひきかえに都民の救助にあたった消防士、警察官あるいは犠牲になった身内の名前とか、“11.3を忘れるな”だとか。空母の連中も爆弾におなじような落書きしてた」

 海軍挙げての捜索で〈シャングリラ〉はビキニ環礁を拠点としていることが判明した。

「それで決行されたのが、ネビルシュート作戦……」

 元山風に元長波は顎を引いた。

「作戦の運用は四段階。対潜掃討。水母水姫を旗艦とした機動部隊の殲滅。基地航空隊の飛行場確保。そして深海海月姫と拠点の覆滅」

「長波はどれを?」元山風が訊く。

「飛行場適地の確保と防衛だよ。敵もバカじゃないからこっちの基地航空隊には神経尖らせててね、陸攻隊を展開するためにビキニ環礁近傍のめぼしい島を飛行場にしようと決めたまではよかったんだけど、憎らしい空母ヲ級改に、戦艦ル級がわらわら、とどめに空母棲姫がそこを死守してた。そんなとこにわたしたち2水戦の六隻だけで突っ込んで島ぶんどってこいってんだから、海軍もよっぽど切羽詰まってたんだろう。政府から突っつかれてたって話も聞いた」

 元長波は水を飲むように酒を飲んで続ける。

「天皇陛下のかたき討ちのために死ぬならまだいいが、政治家や艦娘でもない上官のために死にたいなんて奴はいない。本土空爆を許した政府は世論から袋叩きにされてた。奴らは一刻も早く評判をとり戻すための成果が欲しかったんだ。それが〈シャングリラ〉の打倒だったってわけだ。わたしたちは政府と軍の都合で死にに行かされたようなもんだ。だからわたしは部屋でひとり、こう怒鳴った……」

 いいだろう、おまえたちのためにやってやる。ただし死んでやるもんか。かならず作戦を成功させたうえで生きて帰って、おまえたちの尻拭いをしてやったのはだれか、死ぬまで世間に喧伝してやるからな。

「2水戦に志願したのはかっこよく死ぬためだったのに、自分でも不思議だった。多かれ少なかれみんなおなじ気持ちだった。だからだれも沈まなかった。それこそ死ぬような思いで、石にかじりついてでも生き延びてやると誓ってた。任務中に腹が減ったらはみ出てる自分の腸をちょっとちぎって噛んでた。ゴムみたいになかなか噛みきれないから長持ちするんだ。どうにかして飛行場の開設を見届けてから交代要員とバトンタッチして泊地に戻ったら、ちょうど統幕幹部のひとりが視察に来てて、わたしたちを見るなりいった。“戦没者なしか。それほど楽な作戦だったなら、二軍に行かせればよかった”」

 元長波は杯に残った酒をみつめながら怪しい笑いをこぼした。

「不名誉除隊になってでも、わたしはあれを殴るべきだったんだ。みんなは理性から暴力に頼らなかった。わたしは違う。軍から放り出されたらどこにも居場所がないし、再就職のあてもない。それが怖くて行動に移せなかったんだ。臆病者。それがわたしだよ」

「でも、そのおかげであたしは助かりました」

 元国後が一升瓶を勧めてくる。酌を受けた元長波は「そうだな。ありがとう」と飲み干した。万感の吐息。「美味いな。うん。美味いよ」

 最後にあらためて四人のぐい呑みに酒が満たされる。元長波たちは備前焼を互いに軽くかかげる。

「長良の父ちゃんに」元長波がいう。「そして、あの日、命を落とし、勇敢に戦った、すべての愛国者に」

 献杯。唱和して一気に喉へ流し込む。

 彼女たちは戦争や、十一月三日という特別な意味合いをもつことになってしまった日に折り合いをつけようとしている。いまでも戦っている。



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二十二 青春の海、2水戦の海

 翌日、元長波は舞鶴の丹後街道を徒歩で散策した。

「ジャムから帰ってきてしばらくは、いまよりもずっとジャム島が近かった。目を閉じるたびに手足のない長波が現れた。ドアを開けた瞬間に深雪が目の前に立ってたことも」

 

 ホーミングゴーストを抑えるための定期カウンセリングも苦痛になった。「きょうは今週あった楽しかったことを思い出しましょう」。カウンセラーはコンピュータの液晶から目を離さないまま質問した。まるで元長波の本質はその画面のなかにあるとでもいうように。

「頼むから処方箋をくれよ。薬さえくれりゃわたしはそれでいいんだ」という元長波をさえぎってカウンセラーは続けた。「どんなときに気分が安らぎますか。なにをしたら心が満たされますか。散歩とか、おいしいものを食べたときとか」。いらいらが募った。だから正直に答えた。「おまえのそのまぬけ面をぶん殴ったら、さぞかし安らぐし満たされるだろうよ」。カウンセラーははじめて元長波に顔を向けた。よけいに腹が立った。こっちをみていようがいまいが不快感で口のなかが酸っぱくなる。「そのカボチャの種ほどもない脳みそによく刻んどけ。散歩しても気分は晴れないし、なにを食べてもなにを飲んでも、深雪の血と肉の味しかしないんだ!」。そして噛んでふくませるようにいった。「おまえにわたしは治せない。ジャムにいなかったおまえには。わかったら、さっさと、薬をよこせ」。

 

 敷波が鏡を粉々にしたのはちょうどそのころだ。

 

「彼女もわたしとおなじなんだなと思った」元長波がいう。「わたしもいつかおなじことをするのかもしれない、鏡ではなく家族を殴るのかもしれない。自分がモンスターになっちまったんじゃないかと不安になった。“わたしはこのまま生きて家族のもとに帰るわけにはいかない”。そう信じて疑わなくなっていた。自ら命を絶つか。だめだ。あの家の娘は訓練や任務に耐えられなくなって自殺したって、家族が後ろ指さされることになる。わたしは祖国のために深海棲艦の大群と勇戦敢闘したすえに戦死しなきゃいけない。だから2水戦をめざすことにした」

 

 舞鶴地方総監部のゲートは半分だけ開かれているが、元艦娘といえども民間人がみだりに入ることはできない。街道から施設へ懐かしさを込めた視線を投げかける。

 

「2水戦への志願は水雷屋ならむしろ奨励されてた。大企業は倍率七倍以上じゃないと優秀な人材を確保できないっていうけど、つまりはそれだ。おおぜいの志願者から選りすぐったエリートをふるいにかけて、徹底的にしごいて、さらにしごいて、そしてしごく。そうして生き残って、趣味はなんですかと訊かれたら“深海棲艦に新品のケツの穴をつくってやること”と笑顔で答えられる怪物だけが、ダブルヘッズ――旭日旗と錨に二本の交差する魚雷があしらわれた2水戦徽章(きしょう)をわたしたちはこうよんでた――をつけることを許される。候補生の一割も残らなかった年さえある。本土防衛の1水戦に対して、2水戦は外地へ殴り込みをかける。勢力下ではない海域へ、いのいちばんに投入されるんだ。なみの水雷屋じゃ務まらない。死亡率もきわめて高い」

 これだ、と元長波は確信したという。

「2水戦なら栄誉の死を与えてくれるぞ、英雄になれるぞ、自殺者や犯罪者じゃなく。そういうわけでわたしは志願のために準備をはじめた。とはいえ、いまでこそ2戦教……第2水雷戦隊選抜教育課程のことは、数多くの書籍やドキュメンタリーで語られてるし、ウィキペディアにもまあまあ詳しい解説が載ってるが、当時はわたしたちですら、どんな試験や訓練が待ってるか、その全貌はまったく伝わっていなかった。2戦教に行った奴が別人みたいな顔つきになって帰ってきたとか、そういううわさ話くらいでね」

 精神に問題があると判断されれば2戦教に参加できないかもしれない。元長波は自分を偽ることを覚えた。ジャム島に行く前の自分を必死に思い出した。カウンセラーにも従順になった。

「本当のわたしは叫びたがってた。助けてくれって。もしそうしていればだれかが手を差しのべて、真にわたしが行くべきところへ連れていってくれていたのかもしれない。ドアに戦闘ストレスのプレートがかかった部屋とか。だから叫ばなかった。2水戦に行けないってことももちろんあるけど、みっともないことをしたくなかった。クールな艦娘でいたかった。わたしは長波だぞって」

 赤ん坊を抱いている母親をみかけると無意識に目で追いかけている自分がいても、食べるものすべてが深雪の肉の味しかしなくても、なにごともなかったかのように、彼女は笑顔をみせつづけた。わたしは大丈夫だよ。大丈夫だ。大丈夫に決まってる。そうして心と体の食い違いが大きくなっていく。元長波の勤務評定をまとめる大艦隊長はその年に艦娘大学校を卒業したばかりの新米軽巡で、階級こそ上だったが、実戦経験もなければ部下ひとりひとりの内面まで見通すほどの慧眼(けいがん)もまだ育っていなかった。「うちの艦隊から2戦教の志願者がでることを誇りに思うわ。がんばって」。 表面上の数値だけをみて大艦隊長は2戦教への推薦状を書いた。ありがたい。元長波はそのとき本心から感謝した。

 訓練には事前準備がある。適性検査をかねたASVABテストがそのひとつで、最初の関門だった。

 

「数学、四ヶ国語の語学、物理学、一般教養、暗号化、トロッコを右にやるとひとり死んで左だと五人死ぬがどちらに走らせるべきかとかいうわけわからんお題の小論文。これで志願者の二、三割は落とされるって聞いたから、日々の業務のあいまを縫って、椅子とケツが結婚できるくらい勉強した。かといって頭でっかちじゃだめだ。体も鍛え直さなきゃいけなかった。どのくらいやればいいのかわからなかったけど、半年で体重を五キロ増やしたよ」

 

 鍛えに鍛えた。一次試験はASVABテストと体力試験だった。試験会場は横須賀地方総監部だったので移動の手間はなかったが、当時朝霜だった同期と再会した。艦娘学校以来だった。「よお、おまえも受けんのか」。そう首に腕を回してきた同期は修業式のときと変わらない明るい顔だった。そのときの元朝霜は元長波がジャム帰りとは知らなかった。いくらか救われた気がした。元朝霜は自身の限界を知るために2戦教に挑むのだと語った。動機を質された元長波はあいまいに返した。

 体力試験の種目数は、腕立て伏せ、腹筋、垂直跳び、五〇〇メートルの平泳ぎ、片足一キロのブーツを履いての一五〇〇メートル走など十一にわたる。各種目の総合点で合否が判定される。

 

「一五〇〇メートル走にしてもさ、何分何秒で走れれば合格ってわけじゃなくて、一〇〇隻が先着した時点で、“はい、終わり”。それより下位のもんはスコアなしで切り捨てられる。十一の種目が全部そんな調子さ。真ん中より下は要らないってことらしい。日本一真剣な運動会だよ」

 

 三〇〇隻以上もいた受験者は一次試験で一〇〇隻にまで絞られていた。合格者は一ヶ月後に面接試験でふたたび横須賀に集められた。「おまえが受かるなんてな。てっきり落ちたと思ってたよ」。顔を合わせた元朝霜に元長波はこう返した。「わたしもだよ」。

 面接はひとりずつ行なわれた。試験を終えて部屋から出てくる艦娘は例外なく憔悴して青い顔をしていた。「気をしっかりもてよ」と後続の艦娘たちに助言するばかりだった。元長波の番がきた。目出し帽をかぶった数人が長机をはさんで彼女を待ち構えていた。

「面接官は現役の2水戦だったらしい。らしいってのは面接官がみんなバラクラバで顔わからなかったからなんだが、そんなテロリストみたいな連中が、“貴艦を2水戦に入隊させることでわれわれにどのようなメリットがあるか述べよ”とか問い詰めてくる。緊張はしなかった。いきなり撃ってくるわけじゃないし、落とされるようなこといわなけりゃいいんだから」

 すべての試験を終え、陸にいるときはただの筒型バッグが四肢のないあの長波にみえたり、海に出るたびに、歯茎から出血させながら溺れる巻雲をみたりしながら過ごしていると、待ちに待った命令が下った――2戦教に出頭せよ。

「それで、舞鶴の地方総監部に」元長波はゲート前に立つ守衛に敬礼してみせる。守衛は銅像のように動かない。元長波も気にしない。「人でごったがえしてる駅のホームでも、あ、こいつはわたしとおなじ2戦教の参加者だなってのはひと目でわかった。目が輝いてるし、足取りにも自信が感じられる。2水戦はみんなの憧れだからね」

 この時点で候補生は八十三隻になっていた。そのなかにはもちろん元朝霜の顔もあった。

 訓練なんて艦娘学校の焼き直しみたいなもんだろ、ここまで来られたわたしたちなら余裕さ……一次試験と面接ですでに顔見知りになっていた候補生たちは口々に期待と不安を投げ合った。およそ半数が2戦教に参加するのが二回め以上という経験者だ。初参加の艦娘たちは逸る気持ちを抑えきれず訊いた。「いったいどんな訓練をするの? ヘル・ウィークはほんとにやばいんですか?」。

 経験者たちは不敵な笑みを返した。「心の準備なんか無意味だ。あれは人間の本性が暴かれる」。

「上等だ」と元朝霜は答えた。「楽しませてもらおうぜ」。

 

 イン・ドックと呼ばれる一週間の準備期間を経て、いよいよあすから2戦教が本格的に幕を上げるという日曜の夜、元長波はジャム島の地下壕に戻った。ジャム島にいるときは時間も記憶も巻き戻る。夢だと気づけない。「なあ、あたしを食ってくれよ」と深雪がいう。「なあ、おまえもおなじ長波だろ、一緒に連れていってくれよぉ」と、肘から先がない両腕と太ももから下がない両足をばたつかせながら長波がいう。「お母さん」と天津風が自分の頸動脈にナイフを入れている。手を貸した時津風の顔が真っ赤に染まる。舞風の腐乱死体が、その内部にびっちり詰まっている蛆虫の移動でときおり生きているように動く。野分がその舞風からロボットのような動きで蛆虫をつまんで飢えをしのいでいる。全員がこちらをみる。「どうしておまえだけ助かったんだ?」。部屋に教艦が怒鳴り込んできた。訓練開始。夜明けも遠い午前四時だったが、元長波はこのときほど叩き起こされて幸せだったことはなかった。

 

「2戦教は年二回で、わたしたちのクラスはちょうどこの時期に」元長波の吐く息は白い。「暗くてとなりの候補生の顔もみえない。教艦たちの名前も知らない。自己紹介とかはなかった。でもなんの問題もない。どうせ候補生のうち七割以上は落ちるし、残れるくらい訓練やってりゃ教艦や助教の顔と名前も覚える。2戦教は全工程で半年。候補生にとっては半年もあるが、教艦たちにとっては、半年しかないんだ」

 

 呼集から整列までが遅いということで、腕立て伏せ一〇〇回のペナルティが課された。アスファルトに突っ伏して上下する。「なんだその動きは! アスファルトとオマンコしてんのか! そんなにやりたいならやらせてやる。五十回追加だ!」。腕がちぎれそうだった。なんとか食らいついていると、いきなり助教たちにホースで水をぶっかけられた。氷水のようだった。元長波は思わず顔をそむけた。「顔をそらすな!」。顔を正確に照準してくる放水で呼吸もままならない。上衣はタンクトップ一枚だから削岩機のようにがたがた震える。助教が見逃すはずもない。「おまえら寒いのか? じゃあ、あっためてやる。もう五十回追加だ」。

 教艦は休むひまを与えない。腕立て伏せが終わればすぐさま懸垂だ。みんな顔がゆがむ。合図に遅れるとペナルティで回数を増やされる。つぎに上半身のスクワットともいわれるディップス。もう腕がいうことを聞かなくなっている。しかし助教たちは候補生とおなじ訓練をこなしながらさらに罵倒するという離れ業をみせた。「できなきゃできるようになればいいんだ。おまえらこんなばばあができることに音をあげてるんだぞ。恥ずかしいと思わないのか?」。ようやく空が白みはじめた。元長波たちが助教らの顔を視認できたのはこのときがはじめてだった。完璧なフォームでディップスをしつつ怒鳴っている助教は駆逐艦娘の皐月だった。

 候補生たちはだれもが自分は2水戦になれるという自信を秘めている。だが終わりのみえないペナルティと、絶え間ない罵声の洗礼で思い知らされる。これが毎日つづくのか、と。

 サンドイッチ一個の朝食ののち、六隻の小艦隊ごとにグループわけされて、日本海の寒風吹きすさぶ砂浜に集合する。点呼すると八十二隻しかいない。開始三時間で早くも脱落者がでたからだ。だが同情する余裕もない。時間制限つきの六・五キロ走が待っている。三十二分で走破しなければまたも腕立て伏せのペナルティだ。

 

「言い訳させてもらうと、五キロマラソンの平均タイムが男で二十八分、女で三十二分。わたしたちはブーツを履いたまま、足場のわるい砂浜で六・五キロを三十二分以内。わお」元長波は舞鶴地方総監部に(そびら)を向けて歩きはじめる。

 

 制限時間以内であっても半分より下位の候補生は能力不足として段階審査会にかけられる可能性がある。段階審査会ではその候補生に訓練を続けさせる価値があるかどうか教艦たちが審理する。持久走だけではない。日々のあらゆる訓練で完璧をもとめられる。

 総短艇(そうたんてい)ではカッターボートを小艦隊であやつり波越えを競う。荒れる日本海の高い波が候補生たちを萎縮させる。四メートルを超える波にもまれて振り落とされ、候補生どうしが激突したり、一・五トンあるボートの下敷きになったり、パドルにぶちのめされることもある。転覆しないよう進む方法はただひとつ。小艦隊が一丸となることだ。一位になった班にはつぎのレース開始まで休憩を与えられる。転覆したり遅れが目立った班にはペナルティが課される。ある神通がリーダーを務める小艦隊が最下位になったので、彼女たちは腕立て伏せを命じられた。しかも神通はペナルティの途中でうめき声をもらした。助教の皐月のかみなりが落ちた。「なにしてる。おまえ軽巡だろ!」。皐月の怒りはすさまじかった。「おまえのそのだらしなさが実戦で仲間を殺すことになるんだ。軽巡のおまえがいちばんへばってるじゃないか。駆逐艦娘としていわせてもらうが、おまえの下で戦うなんて絶対いやだね。たかが訓練でこれじゃあな!」。軽巡と駆逐艦が並んでおなじ訓練を受ける2戦教では階級も艦種も関係ない。教艦か、候補生かだけだ。

「おまえは軽巡で士官だ。やる気あるのか?」。上下運動しながら神通は「はい」となんとか答えた。「じゃあ腕立てくらいさっさとやれ。やる気があるなら態度で示せ!」。神通の小艦隊は彼女以外の駆逐艦娘全員がペナルティを終えていた。神通はわるい意味で教艦たちの目を引いた。皐月だけでなく矢矧助教の叱責も飛んだ。「神通、仲間が早くレースに戻りたいんですって」「はい……」「あなたのせいで戻れないのよ。死ぬ気になってやってみなさい。仲間にできてなぜあなたにはできないの?」。

 皐月助教はひきつづき徹底して心身に負荷をかける。なんとか腕立て伏せをやりとげた神通を立たせて皐月助教は向かい合った。「おまえは軽巡だ。候補生には駆逐艦もおおぜいいる。おまえがあいつらを引っ張れ。おまえが手本になるんだ。この場は自分が仕切る、つねにその意識を忘れるな。おまえには特別に厳しくする。行け」。

 

 所属、階級、補職もばらばらな候補生たちの共通点はふたつ。駆逐艦娘または軽巡艦娘であること。第二に、志願者であること。

 しかし初日で三隻が脱落した。元長波の回想はつきない。

 

「リタイアするのは簡単だ。“やめます”、ただひとことそういえばいい。書類にサインして、宿舎の前にある鐘を三回鳴らして、おさらばさ。自分で決断したことだから教艦たちも最大限尊重する。脱落を申請したとたん、いまのいままで怒鳴りまくってた助教が別人みたいに優しくなるんだ。“全力を出しきったと思うか? これからの人生、ここでのことを思い出せばたいていのことはなんとかなりそうか?”。脱落申請した候補生がイエスって答えると“それがいちばんだいじなことなんだ。戻っても精進を怠らないでよ”って、皐月助教に握手されてるのをみたことがある。辞めた奴を腑抜けだとか根性なしだとかなじったりはしない。その優しさが脱落者にはいちばん堪えるらしいね。もうしごいてもらえる関係じゃなくなったって実感させられるとかで」

 

 訓練はいつでも辞められる。候補生には悪魔のささやきだ。2戦教参加者のわずか二十パーセントしか2水戦になれないという狭き門であることは知っていた。だれもが自分はその二十パーセントに入れると信じてきた。だが、自分は実は八十パーセントの側の艦娘だったのでは? きょうを耐えてもあしたがある。これがずっとつづく。冷たい海で身も心もぼろぼろだ。ふとこんな思いが候補生たちの頭をよぎる――辞めちまえ。熱いコーヒーとストーブが待ってるぞ。

 

「意欲はあるのに病気とかの不可抗力で失格になった奴は本当に気の毒だ。また受験からやり直しだからね。みんなはそれをロールバックって呼んでた。けがはバケツでなんとかなるが、病気はしょうがない。候補生はそれをなにより恐れてた。わかるかい? 病気になれば解放されるってんじゃなく、病気になったら訓練に参加させてもらえないって考えるんだ。そういう奴しか2水戦には入れないってことだ。要は気持ちの問題さ」

 

 教艦は専用の辞書がつくれるほど豊富な語彙で候補生を罵るが、けっして強制はしなかった。メッセージは明確だ。自分には2水戦に入る資格があるというのなら、結果で証明してみせろ。

 昼食もとれないまま昼過ぎになると服装と宿舎の立入検査だ。ブーツが汚れている、靴ひもの結び目が左右対称になっていない、姿勢がわるい、ベルトの金属バックルが曇っている。ささいな不備も教艦はめざとくみつける。「両手をついて腕立ての姿勢をとれ」。

 部屋の検査の厳しさは艦娘学校時代の比ではない。クロゼットのライフジャケットを逆さにして振る。砂が二、三粒こぼれた。ベッドのシーツに十センチのしわが一本あった。引き出しの中身が整理されていなかった。窓のサッシの直角になっている部分に埃が溜まっていた。教艦たちはライフジャケットとシーツと毛布を窓から放り捨てた。引き出しの中身をぶちまけた。表へでろと命じた。「両手をついて腕立ての姿勢をとれ」。初日の立入検査はほとんどのものが不合格だった。腕立て伏せに苦闘する候補生の下には汗で水溜まりができた。もうオットセイみたいな動きしかできない。「腕立てばかりで腕が疲れたか。ならべつのところも鍛えてやる。屈み跳躍、用意」。皐月助教が容赦なく責め立てる。とどめはこれだ。「まだ初日だぞ」。

 おなじ部屋のひとりでも不合格ならペナルティは連帯責任だ。立入検査の行なわれる月曜にそなえて週末は念入りに掃除をすること、仲間どうしで点検しあい、協力することを候補生は学ぶ。部屋の掃除に五時間かけた。ブーツは毎日磨いた。顔が映るくらいでないと検査に通らない。

 

 2戦教は前段と後段にわかれている。前段ではなによりも根性が試される。そのしめくくりが地獄の五日間と悪名高いヘル・ウィークだ。候補生たちはヘル・ウィークこそが難所だと構えていた。しかしそれは間違いだった。初日でさえ一分が一時間にも感じられる。

 

 候補生には長波がもうひとりいた。2戦教には三回目の挑戦というベテランだった。当時二十二歳の彼女は、十四歳だった元長波の班のリーダーでもあった。通常おなじ艦名の艦娘をひとつの艦隊に配備することはない。ホーミングゴーストにより自身を軍艦の生まれ変わりと信じているものが混乱してしまう事例があったからだ。ところがもともと少数精鋭(ハイパー・オペレーション・システム)の2水戦では、即応可能な艦娘の艦名が一隻も重複していないという都合のいいことがいつでもあるとはかぎらない。2水戦に出動命令が下って、現地の2水戦隊員が長波シリーズ六隻だけだったら、迷うことなく六隻の長波による艦隊が組まれることだろう。ホーミングゴーストを完璧に制御できること。それもまた2水戦の志願者にもとめられる資質だった。

 いかんなくリーダーシップを発揮するベテランの長波について、元長波はひと目で好印象をいだいたという。

 

「集団行動してると自然と輪の中心になってるっていうやつ、たまにいるだろ。生まれながらに魂の王冠を戴いてるっていうか。努力だけじゃ得られない、人を導くなにかの力が彼女にはあった。彼女自身もそれを自覚してて、率先して責任を果たし、不平不満をいっさい口にせず、つねに集中して、細かいところにまで気を配ってた。彼女は六・五キロ走ではいつもドンケツを走ってた。遅れてるやつの背中を押したり、励ましたりするためだ。教艦たちも一目置いてたよ。目標にするべき存在だと思った、長波としても、人間としても」

 

 おなじ長波だからか、ベテランの長波もまた八歳下の元長波をいたく気に入った。前回は肺炎にかかってロールバックになった、ことしこそは受かってみせる、今回でだめなら2水戦をすっぱりあきらめる。そんな心情まで元長波にだけ吐露した。「2水戦に入りたくて艦娘になったようなものなんだ。2水戦こそ、あたしのめざすべきゴールなのよ」。訓練で泥や砂にまみれていても輝いてみえた。いまでもそのまぶしさをよく覚えている。

 

 教艦は候補生のいかなる手抜きも見逃さなかった。2水戦の門番ともいえる教艦たちはいずれも2戦教を卒業している。訓練のメニューはすべて教艦たちが考案して自分たちでテストを行ない採用を決めたものだ。2水戦としての実戦の経験を反映させた、2水戦のメンバーとして最低限要求されるラインに到達できない艦娘をはじくしくみになっている。いっぽうで、訓練をやり抜こうという決意があれば、一次試験を通過したものならついてこられるよう綿密に計算されてもいる。

「わたしは、なにかというとすぐ根性をもちだす奴は信用しない。最初からなにも考えてないってことだからよ」。矢矧助教は困憊している候補生らに言って聞かせた。「しかしながら、経験上、最後にものをいうのは根性であるということもまた、事実だと思ってる。おなじ戦力でぶつかって、双方ともに知恵をしぼって、技術をつくして、じゃああとはなにで差をつけるかっていったら、もう根性しかない。人間の体は賢いから、まだ七十パーセントしか力を使っていないのに限界だと錯覚させる。それだと余力を残して死ぬことになる。残りの三十パーセントを引き出すには錯覚がつくりあげた限界を打ち破らなければならない。そこで根性が必要になってくる。あなたたちには、それを学んでもらう」。

 

 二日めの訓練は障害コースでの競争だった。前日の疲れを残す候補生の前に高さ十メートルはあるネットの壁、雲梯、モンキー、ロープの橋、丸太のアスレチックが立ちはだかる。弱音を吐く艦娘は少なくなかったが、ジャム島のジャングルをさまよった経験のある元長波はなんとも思わなかった。ここには明けても暮れても人間の殺害を企てている敵などいない。戦線崩壊以降のジャムでは、どこにどの艦娘がいるか、その生死すら司令部は把握できていなかった。ジャム島にいたとき、彼女は世界から孤絶していた。翻って2戦教は、計画的にストレスを与えるよう管理された人工の戦場であり、候補生たる彼女の存在を教艦らは承知している。監視されているということは目を離さないでいてくれるということだ。修復材もある。きついがそれだけだ。ベルを鳴らせばいつでも辞めることができる。ジャム島には脱落申請のベルなんてなかった。

 疲れきっている候補生を教艦はボートに乗せた。ブイのある沖合いで足ヒレをつけさせると海の真ん中へ落とした。

「ここから陸に戻る方法を教えてあげるわ」。矢矧助教は船上から傲然といい放った。「泳げ」。

 水温十三度の海をウェットスーツもなしで一マイル力泳した。凍てつく海水に体温と体力が奪われる。命の危険さえ覚える。「右足がつりました」。ある藤波がいまにも溺れそうになっていた。皐月助教の答えは簡潔だった。「じゃあ左足で泳げ」。

 冷えた手足から感覚が失われていく。厳しい寒さで気力も萎える。何隻もの候補生が泣きながらボートの縁にしがみついた。低体温症の疑いがあるものは船に引き上げられた。「八かける九は?」。皐月の問いに、毛布をかぶった早波(はやなみ)は「八かける九は、七十二です」と歯の根が合わないながらも速答した。低体温症の初期症状は、錯乱、無関心状態、簡単な計算もできなくなる、などがある。問題ないと判断された早波は海へ戻された。

「どうしたの。あんたたちは唇の色もぜんぜんわるくないわよ」。朝雲助教が、船に上げられたまま膝をかかえて尻が根付いたように動こうとしない候補生たちを見下ろす。「休ませてあげたでしょ。早く泳いで。これがまだ半年もつづくのよ」。震える候補生のひとりがぽつりと呟いた。「もう泳げません」。脱落するかと朝雲助教が迫ると、その候補生は無言で何度も頷いた。

 寒中水泳はヘル・ウィークを除けば前段訓練で最多の脱落者をだした。浜で待っていたベテランの長波は寒さに髪まで震わせながら「毎回のことよ」と、四十分かけて泳ぎきった元長波を迎えながらいった。「何十隻も海に散らばってる候補生に、教艦たちは細かく目を光らせてる。ほんとにやばいときは教艦が全力で助けてくれる。だからあたしたちは遠慮なく限界に挑めるのよ」。その言葉どおり、低体温症におちいった艦娘はひとりも出なかった。

 ベテランの長波は関節が凍ったようになっている元長波を抱き寄せた。「ほら、こうすると、少しでもあったかいでしょ?」。それからいたずらっぽく笑った。「ほんとはあたしがあったまりたいだけなんだけどね」。

 すると「あたいも仲間に入れろよー」と、ずぶ濡れで妖怪のようになっている朝霜が恨めしそうに抱きついてきた。今回にかぎらず訓練中に寒さをしのぐには体温で暖めあうほかなかった。ときには団子になって固まったまま放尿した。なんともいえないぬくもりで、まさに地獄に仏だった。おこぼれにあずかろうとみんながさらに身を寄せ合う。そのとき手に入る温かいものといえば小便しかなかったからだ。自分といわず他人のといわず、小便が待ち遠しかった。

「うしろをみろ」。足がもげそうな厳寒で一マイルを泳ぐという試練に耐え抜いた元長波たちに、皐月助教が大きな声をかけた。砂浜で元長波たちは振り返った。暗鬱な曇天の下に毒液のような海が広がっている。遠くに波で揺れるブイを指さす。スタート地点のブイだ。「この距離を泳ぎきったんだ。どうしてできたと思う」。答えられずにいると、皐月は断言する。「おまえたちの実力だ!」。

 

「教艦にこういわれて涙を流さない奴と、わたしは友だちにはなれないだろうな。まあ、そのときのわたしは凍え死にそうで、泣く余裕なんかなかったけど」

 と元長波は手をすり合わせて息をかける。

 

 2戦教の訓練について、元朝霜は仲間たちに当時こう語っていたという。「訓練は毎日きつくなる。きょう以上の艱難辛苦はねえなと思って寝ると、翌日にはあっさり更新してくる。訓練がはじまるたび、“きのうまではなんとかなったけど、きょうこそは無理だろ”って嘆く。でもなんだかんだやり遂げてきた。無理難題を課してるようで、じつは全力を尽くせばぎりぎり突破できるように計算されてんだ。ここでは訓練を成功させるといつも自分で自分に驚いてる。あたいにはこんな力があったのかって。人間の限界は自分で思ってるよりももっと上にあるんだ。だから、だいじなのは“こんなのできっこない”と背を向けようとする自分に勝つことだ。教艦たちが教えたいのはきっとそれなんだよ」。

 

 しかしだれもが自身のリミッターを外して一〇〇パーセントの力を発揮できるわけではない。二週間を終えるころには候補生の数は半分以下の三十七隻に減っていた。

 そしてついに究極の忍耐力が試されるヘル・ウィークに突入する。ヘル・ウィークの目的は単純明快だ。極限の状況に直面したとき、逃げるのか、耐えるのか、それを見極める。

 一時間かけてパドルで砂浜に穴を掘る。掘り終わると穴を埋める。また穴を掘る。わずかでも手を休めると助教の怒号が飛ぶ。ペナルティ。「いいか、なにかをやれっていわれたら、時間内に集中して、ありったけの力で遂行しろ! 穴を掘れっていわれたら掘れ! 埋めろといわれたら埋めるんだ! マンコで煙草吸えっていったら吸うんだよ!」。掘った。埋めた。掘っては埋めて、埋めては掘った。

 おなじみの総短艇はヘル・ウィークでも健在だ。しかも夜だから冷えるうえに恐怖心を煽る。暗闇の海で転覆して波に呑まれる。小艦隊の仲間が相互に助け合う。もしひとりだったら命の保証がないと学ばせる。

 水温十度の波打ち際に並んで仰向けに寝転がる。冷水に胸まで洗われる。水はときとして容赦なく顔までかぶさってくる。鼻に海水が入る。咳き込んでいるうちにつぎの波がくる。冷たさに悲鳴がそこここからあがる。「だまれ! 女みたいにわめくな!」と皐月助教の叱責がさらに追い詰める。候補生たちが波の拷問と呼んで恐れるこの訓練は、いつ終わるかすら教えてもらえない。助教だけでなく、ヘル・ウィークから本格的に訓練を監督する課程主任の木曾教艦が一隻一隻を見張る。どこにも逃げ場はない。脱落を申請する以外には。

 六・五キロ走も変わらず行なわれる。制限時間に間に合わないと小艦隊の全員が連帯責任でペナルティだ。歯を食いしばって走る候補生を木曾教艦が拡声器で執拗に揺さぶる。「2水戦の資格をとっても、定員の枠が空かないと配属されることはない。せっかく苦労して資格をとったのに2水戦に入らないまま任期を終える艦娘もいる。もうひとりの自分のささやく声が聞こえないか? どうしてこんなつらい目に遭ってるんだろう。こんなことしたって報われない。早く家に帰って温かいコーヒーが飲みたいな。母さんは元気かな。ボーイフレンドはどうしてるかな。いつまでも帰らないわたしに愛想をつかして、いまごろべつの女を抱いてるかも」。 このような訓練が夜明けまでつづく。つぎつぎとリタイアがでた。日曜の夜からはじまり、月曜の朝陽が顔を覗かせるまでに五隻が脱落した。

 五日と半日、一三二時間連続で訓練を行なうヘル・ウィークでは、最初の三日は一睡もできないが、水曜日からはレースに勝てば十分かそこら仮眠がとれる。そうやって睡眠時間を自力で稼ぐ。しかしレースはチームで競う。2戦教は個人主義を否定しチームが第一だと学べるようすべてが周到に練られている。

 完調でもひとつひとつの訓練が心身を限界まで酷使する。それを眠ることなく立て続けに行なうという高いストレス環境は候補生たちの心に非情なまでに負荷をかけていく。

 元長波はといえば、皐月助教から「おまえだけヘル・ウィークに入ってから日が経つごとに活き活きとしていってるな。いいだろう。両手をつけ」と不思議がられたほど、この訓練を心底から楽しんでいた。眠るとジャムの壕が待っている。眠らずに体を動かしていればそれだけジャム島が遠くなった。一生ヘル・ウィークが続けばいいとさえ思っていた。

 

 火曜日。真夜中の浜辺で足を海水に浸けながら冷えきった携帯食糧で夕食をとった。遠くに街の灯火が墨汁のような海面に映っている。そんななか「辞める」とひとりの候補生が元長波たちに告げた。ベテランの長波だった。「マジで?」。元朝霜が思わず聞き返した。元長波も耳を疑った。リタイアだって? ことしに懸けてるっていってたじゃないか。今回だめだったらあきらめるって。

「あんたがそう決めたってことは、めちゃくちゃ考えたすえの決断なんだろうなってのはわかる。でも、ほんとにわかっていってんだよな、どういうことか」。元朝霜にベテランの長波は「ああ、わかってる。もう限界だ」。その言葉には迷いがなかった。一瞬だけ元長波と目があった。とても澄んでいた。吹っ切れた目だった。

 ベテランの長波は皐月助教に呼ばれた。

「本当に辞めるのか?」

「辞めます。もう決めました」

「いまならあいつらのところへ戻ってもいいぞ」

「いいえ。この六年で、自分は2水戦には向いていないということがわかりました」

「辞めるんだな?」

「自分でもよくわからないのですが、一時間前までは、なにがなんでも2水戦になるんだと固く心に誓っていました。自分が脱落を申請するなんて想像もしていませんでした。でも」と海の向こうへ視線を移した。「街の灯りをみながら寒さに震えて携帯食糧を食べていると、スイッチを切ったようにやる気がなくなったんです。こんな気持ちではとてもヘル・ウィークに打ち込めません」

「いま冷静だな?」

「はい」

「わかった。木曾教艦のところへ行ってこい」

 そうしてベテランの長波はクラスを去った。

 ここまでクラスを引っ張ってきたベテランの長波の脱落で、候補生たちのあいだに動揺が広がった。この訓練には欠陥があるのではないか? あの猛者が辞めたんだ、いま脱落しても恥じることはないさ……。後を追うように脱落者が続出した。結局、その夜だけで十二隻が立てつづけに脱落した。

 あまりの疲労と寒さと眠気、精神的なショックで、昆虫のように目の前の刺激にしか反応できなくなっている元長波らを水曜の日の出が照らす。波の拷問を受けている候補生たちに木曾教艦がいった。「もしおまえたちが、万にひとつでも2戦教を卒業できて、2水戦に定員が空いていたら、その日から一人前の2水戦としておれたちと肩を並べることになる。そのときそいつがまだポリウォグ(オタマジャクシ。海軍では赤道祭未経験者をさす。転じて未熟者)だったら、こっちの命にかかわる。この半年でおれたちが背中を預けるに足るレベルにどうしてもなってもらう。中途半端な奴を卒業させるくらいなら、だれも卒業しないほうがマシなんだ」。候補生はみな必死で訓練にしがみついているつもりだった。だがじつは教艦たちのほうが必死だということをこのときはじめて理解した。教艦たちにとって2戦教とは、戦場をひとつよけいにかかえるようなものだった。

 

 月曜と火曜で多くの脱落者をだしたヘル・ウィークも、木曜にさしかかると逆に脱落しなくなる。金曜の夕方、砂浜での持久走を終えた元長波たちに、皐月助教が出し抜けに宣言する。「以上をもって、ヘル・ウィークを終了する」。あまりの唐突さに呆然とする。ようやく意味を理解できた十三隻の候補生は雄叫びをあげ、泣きながら抱き合ってよろこびをわかち合った。教艦たちの表情も明るい。「もう一度ヘル・ウィークをやりたい人」。朝雲助教が手を挙げながらいう。候補生たちは笑顔で声を揃える。「いやです!」。

 こうして前段訓練というひとつのゴールに到達した元長波たちは、再訓練を命じられた若干名の前期候補生と合流し、土日を挟んで、新しいスタートとなる後段訓練に臨んだ。

 艤装を着装したまま六時間の山歩き。候補生は水の入った紙コップを手にしている。喉が渇く。思わず飲みたくなる。例の神通がつい飲んでしまう。

 木曾教艦が行軍をとめた。「そこの神通が抜け駆けをした。おれたちはあと五十メートルでおまえらに水を飲ませるつもりだった」。こう続けた。「水を捨てろ。全員だ」。

 ほかの教艦たちに「捨てろ!」と怒鳴られてようやく捨てた。予定の行軍が終わったあと、木曾教艦は全員を整列させたうえで神通にいった。「指揮艦なら自分が飲む水があれば部下に飲ませろ。食う飯があったら先に部下に食わせろ。いいか、自分たちより先に水飲んで飯を食う上司を部下は絶対に信用しない。食べ物の恨みは恐ろしいぞ。痛みを進んで引き受ければ、部下は自然とついてくる。自覚をもて」。週末でたるんでいた候補生たちの士気があがる。

 無人島を敵地と仮定し、水路での潜入から敵地上陸を行なう。水陸両用車やLCACをビーチングさせるために海岸の障害物を爆破して一掃する。つかうのは本物のプラスチック爆弾だ。護衛艦を一隻沈められる爆薬をしかける。へたをすればだれかが吹き飛ぶ。ヘル・ウィークがこの世でもっとも厳しい訓練だという思いがまったくの間違いだったと痛感する。実際に起爆させて威力のほどを肌で実感する。水柱は摩天楼だった。

 本隊から離れた遊撃を主任務とする2水戦は後方支援を受けられないまま継戦することもある。より高度な修理と整備も自分で行なえるよう、武器の完全分解から組み立ても修得する。

 候補生たちは、訓練の性質が前段とはあきらかに変わってきていることに気づく。候補生の意志を試す訓練はない。選別から教育へ移行したことは大きなモチベーションとなった。

 

 行軍訓練では規定の重さの砂を詰めた背嚢を背に十マイルを踏破した。負傷者という設定でかわるがわる仲間を担ぐ。2水戦では一隻の仲間を救うために十隻が死地に飛び込む。

 この訓練の前に各自が自分の背嚢をつくった。示達された重量は二十キロ、プラスマイナス二キロ。行軍訓練には教艦も参加する。矢矧助教に「わたしたちの背嚢もつくっといて」といいつけられた元長波と元朝霜は、顔を見合わせてにんまりとした。復讐するはわれにあり。重くつくってやれ。二十七キロの砂を詰め込んだ。

 教艦と候補生が十マイルをともに走った。汗だくの教艦らを横目に、元長波も元朝霜も笑いを懸命にこらえた。

 しかし、行軍訓練のゴール地点には重量計があった。汗で前髪が額に貼りついている皐月助教がいった。「よーし、リュックの重さを量るぞ」。ふたりは腕立て伏せ五〇〇回のペナルティで罪をつぐなうことになった。

 

 実弾の射撃演習にむけて空砲で訓練する。不眠不休のため疲労で判断力が鈍り、安全への配慮がおろそかになってしまう。砲に弾薬が込められたまま安全確認の合図をだす、銃口管理の違反、指定されたダウンレンジ(ターゲットのいる方向)と逆を向いて発砲しようとした、などなど。木曾教艦は痛烈に非難した。

「おれも教艦として四年、2戦教をみてきたが、武器に対する危機管理、操作、断トツで最悪だ。こんなへたくそどもはみたことがない」。

 のちに、元長波は2水戦で三期下の浜波から「あ、あ、あたしのときも、最悪だ、こんな出来のわるい連中ははじめてだって、い、いわれました」と聞いた。毎年恒例らしい。

 予行演習が功を奏し、夜戦を想定した実弾の射撃訓練は成功に終わった。

 

 武装した状態でヘリからのファストロープ、輸送機からの空挺降下課程を経て、元長波たちはついに最後の日を迎えた。

 半年前に訓練をはじめた八十三隻のうち十一隻と、途中で合流した七隻の十八隻が、2戦教を卒業する。海軍大将を筆頭とした賓客と、教艦、スタッフ、親族から祝福される。「おめでとう! よくがんばったね!」。皐月助教が顔をくしゃくしゃにしながら手を差し出す。テレビの取材もきていた。当時のニュース映像に、たった数秒だが、皐月助教からもらい泣きしながら手を握る元長波の姿をみることができる。

 2水戦の徽章が授与される。六十五グラムという重量以上の重みに感無量の顔となる。

 例の神通は今期の最優秀候補生として表彰された。最高のサプライズだった。候補生と教艦たちの万雷の拍手に送られて登壇して、主賓の海軍大将からじきじきに祝辞を受けた。「きみの成長ぶりにはめざましいものがあった。すばらしいリーダーだ。いつか次代の候補生をみてくれるか」。教艦としてのスカウトだった。「ご命令いただければ」。凛々しい顔で神通は応じた。

 式典の最後に神通は候補生を代表して宿舎前の鐘をめいっぱい鳴らした。2戦教を辞めるときの鐘だ。彼女たちは卒業というかたちで2戦教を辞めるのだ。

 

 元長波はいう。

「あのころのわたしは、まだ心が半分ジャムにいた。どんなに訓練が厳しくてもどこか他人事だった。皮肉だがそのおかげで2戦教をやり抜けたんだ。でも朝霜や神通やほかのみんなは、困難に真正面から立ち向かい、克服した。本当にすごいのはあいつらだ。わたしは違う」

 

 卒業からときを置かずして2水戦に欠員がでたため、元長波や元朝霜に異動がかかり、正式に2水戦としてのキャリアをスタートさせることになる。

 2水戦では新たな出会いもあった。たとえば、いまは兵庫県市川町でゴルフクラブの鍛冶職人をしているという、磯風だった女性だ。



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二十三 もういちど教えてほしい

 2水戦に所属していたある日、当時長波だった彼女は、真剣そのものの顔で磯風(いそかぜ)と談合した。「あんたにはあんたの考えがあるだろう。だが、わたしもここは譲れない」。元長波は、艦娘として九期上、2戦教卒業艦として七期も上の相手に、一歩も退かなかった。息のかかる指呼の間である。磯風はしっかりと頷いた。「おまえを信じる。思う存分やってみろ」。若輩に信を任せる磯風の度量に元長波は感服した。同時に自らの双肩にのしかかるとてつもない重責に汗が滲んだ。大口を叩いたが本当に自分の判断は正しいのか。やはり年長の磯風がいうとおり、堅実な策を選ぶべきではなかったか。

 瞳に怯懦(きょうだ)を見出だした磯風が拳の裏で元長波の胸を叩いた。「おまえも2水戦だ。おまえにはこの磯風がついている。失敗など気にするな」。それで気にしないことにした。

 ふたりはおなじ方向へ首を回した。視線は、前日の雨がフェアウェイに残していったカジュアルウォーター(コース設計者が意図していない小さな水たまり)に半分沈んでいる一個のゴルフボールに集中した。

 元長波はキャディー役の磯風がゴルフバッグから抜いた七番アイアンを受け取った。ティーボックスからカップまで右に折れるようなカーブを描く五五一ヤードのパー5、コースいちばんの難所と名高いその十五番ホールは、三打かけて刻んでいく作戦が定石だが、首位を独走しているウォースパイトに追いつくにはバーディー以上が必須だった。つまり二打めでグリーンに寄せなければならない。ここで一気に差を詰める大勝負。グリーンへの視界をさえぎる林のショートカットをねらう。

 泥を拭いたボールをニアレストポイントからクラブ一本ぶんの距離内にある良好なライ上にドロップすると、磯風がカップのある方向と距離、風向、風力から「あのいちばん高い木の先端をかすめるように、一三〇ヤード飛ばす気で打て」と指示する。ボールはまったくおなじスイングで飛ばしたとしても重力と気圧、風の影響で散布する。砲撃とおなじだ。地表と上空は風向きが違うことがある。ほかの艦娘たちがグリーンを阻む高木林を避けてフェアウェイどおりに進んでいるのはそれが理由だった。だが元長波は磯風の読みを信じた。磯風も元長波を信じたからだ。

 集中。しじまが場を支配した。気力の充実した元長波のアイアンが風を切った。快音とともにボールが青い空へと跳ねあがる。スピンが揚力を生み風に乗る。ギャラリーの艦娘たちから歓声が沸き起こる……。

「まぁ、そのままウォースパイトとアークロイヤルの組は順調にスコアをのばして優勝。わたしと磯風のペアは、朝霜・子日や、サラトガとイントレピッドのペアと二位タイでホールアウト。タウイタウイ泊池ゴルフ大会は盛況のうちに幕を下ろしましたとさ」

 元長波はここへくる途中の介護用品店で買い求めた杖をついて、木立と田に挟まれた農道を笑いながら登る。靴裏が舗装を擦る。肥大した腫瘍が脳を圧迫して、運動機能に障害をもたらしはじめている。

 日本ではじめてアイアンヘッドを国産化した地として知られる兵庫県市川町で、かつて陽炎型駆逐艦娘磯風、シリアルナンバー707-120028だった女性は、いまゴルフクラブの鍛冶職人をしている。

「ここも海からは遠いな」

 山に囲まれた市川町には、戦災に見逃された古風な家々が軒をつらね、ところどころ錆びの浮いたガードレールや、曇ったカーブミラー、苔むした法面(のりめん)、道端に無造作に重ねられたトタン……あらゆる属目(しょくもく)の諸事万端が、ここで暮らす人々の息遣いとともに呼吸をあわせ、まさに戦前の風味を――その時代を知らない元長波にすら――わかるように残し、ひとつの日本の情景をつくりあげている。川のせせらぎ。あぜ塗りされた水田の詩情。

 教えられた工場を訪ねる。金属を切削する甲高い音が外にも響く。入ると作業服の元磯風がグラインダーを前にときおり火花を散らしている。元長波が騒音に負けない声を背中にかける。元磯風が五十三歳の顔を振り向かせる。(とし)を重ねても強靭な眼光は往年と変わらない。

「長波か。髪がピンクのツートンでないから、一瞬だれだかわからなかった」

「あんたはどこで個人を識別してるんだ」

 ふたりは笑ってお互いの手を握った。

「なんだこの杖は。わたしよりお婆さんじゃないか」

「長波だったのに、寄る年波には勝てなかった」

 

 元磯風は三代続いたアイアンヘッド職人の家にひとり娘として生まれた。元磯風が十四歳のころに日本本土がはじめて深海棲艦の空爆に見舞われた。総武本線空襲事件だ。

「祖父や父がテレビに釘付けになっていたことをよく覚えている。五島列島を深海棲艦が占拠したことはあったが、どこか遠い国のできごととしか思っていなかった。深海棲艦という地球規模の災害はわが国だけを見逃してくれるわけではない、自分たちも当事者なのだと、日本人がようやく悟った日でもあったのかもな」

「ちょうどセルフ・ネイヴァル・ホリデイって奴だったんだろ?」

「当時のわたしはほんの子供だったから、そこまで理解が及んでいたわけではないが」元磯風は固まった腰を押さえて背を反らしながら、「停止されて、再開の目処も立っていなかった未成年の志願が、あの事件で解禁された、ということになっている。なにせ対深海棲艦戦争で本土が空襲の憂き目に遭ったのは、三十九年前のそれと、二十七年前のシャングリラ事件の、二例だけだ。たったひとりの生存者がまだ幼い女の子で、両親をいちどきに失ったという事実も、世論を沸騰させた」

 と、節々の痛みに顔をしかめた。

「石油が高い、鉄鋼が高い、食糧が高い、電気料金が高い、なにもかもが高いと、物価の高騰でだれもが頭をかかえていた。だが、たかが暮らし向きが苦しいくらいで悩んでいたきのうまでの日々は、なんと幸せで能天気だったのだろうと、考えを否応なくあらためさせられたのだ」

 従業員らが忙しく働く工場内をみわたす。

「ここも経営が一気に傾いた。材料費が高くなっていたうえに、ゴルフになんぞうつつを抜かしていられる情勢ではなくなった。下校途中、近所のおばさんにつかまって、“あんたの家はまだゴルフクラブなんかつくってるの? 日本人みんなが生きるか死ぬかの瀬戸際なのよ。そんな無駄なものをつくってる余裕はないの”と、ありがたいご高説をいただいたことも。実際、市川町の工場はつぎつぎ潰れていった」

 中学二年生の冬、事務室で帳簿をつけている暗い顔の父に元磯風は告げた。「海軍に行く」。

 父は情けなさで目に涙を溢れさせた。「おまえひとりなら大学まで行かせてやれるんだぞ。たしかにいまは苦しいが、いつかきっとよくなる。せめてもう少しのあいだ考えてくれないか」。だが、のちに磯風になる彼女は首を横に振った。むしろ遅すぎたと後悔さえしていた。満十二歳の女子児童の三分の二は小学校卒業と同時に海軍へ行っていたし、中学でも同級の女の子たちは第二、第三志望とはいえ進路の選択肢に軍を入れていた。なかには志願を親にいいだせず、ベッドに隠していた書類がみつかって、生まれてきたことを後悔するほど叱られ、なお意思を曲げなかった子もいた。

「あの時代は二〇/七〇(フタマルナナマル)といわれていただろう?」元磯風がいう。

「艦娘になった女の平均寿命が二十歳、ならなかった女のそれが七十歳って意味だな」

「しかも艦娘の平均寿命は、長命の傾向が強い戦艦や空母もふくめてのものだ。成人を迎えられる駆逐艦娘はまだまだ少なかった。せいぜい十四、五だな。そして七割の艦娘は駆逐艦娘だ。おまけに、娘に適性検査すら受けさせない家は後ろ指をさされた時代だった」

 だから、艦娘の適性があると判断されれば、その時点で寿命が十四歳になる。

「それでも艦娘に憧れた。“深海棲艦なにするものぞ、撃ちてし止まん”。適性があったものは鼻を高くしていた。わたしをふくめて。艦娘になって深海棲艦を誅戮してやるんだと大言壮語しておいて、おまえはつかいものにならんと突っぱねられたら、身の置き場がないからな」

 検査は悲喜こもごもだった。適性なしの判定を下されて涙にくれるものもいれば、安堵を隠しきれないものもいた。

「艦娘になれないというのに、どうしてあの一団は胸をなでおろしているのだろうと、そのときは首をかしげたものだ。当時は艦娘になれて幸福だった。国の命運を背負って戦えるなど身にあまる光栄だと思っていた。そういう時代だった。たとえ沈んでも、義務から逃れてだらだらと生き延びたすえの死より、ずっと潔く価値があると信じていた」

 一方で適性が認められて取り乱すものもいた。

「“いやだ、艦娘になんかなりたくない。お母さん助けて!”。わたしは奇異の視線を注がざるを得なかった。艦娘になれるのに、と。そこへだな、さっきの、適性がなくて愁眉(しゅうび)をひらいていた一団が――おそらく同級生だったんだろう――彼女のもとへ喜色満面で駆け寄って、口々にこういったんだ」

 艦娘になれるってことは、とても幸運なことなのよ。

 わたしたちからしたらうらやましいくらいなんだから。

 艦娘になれないわたしたちのぶんまでがんばって。

 艦娘になりたいのになれない人もいるんだから、わがままいっちゃダメよね。

 ほんとよねぇ、あたしなんか代わってもらいたいくらいなのに。

 わたしだったらよろこんで艦娘になるけどな。

「すると、奥から募艦担当官があわてた様子で出てきた。いわく、検査の手違いで、適性がないと判定された一団のうちのひとりが、本当は適性があったらしいのだ。最初に幸運なことだと説いていた子だった。笑みが凍りついた。みるみる青くなっていったよ。そして仲間たちにすがりついた。“ねぇ、やだよ、わたし軍隊になんか行きたくないよ、助けてよ!”。さっきまで固く結束していたはずの同輩たちは、文字通り彼女から距離をとった。取り残された彼女は床に座り込んで泣き叫びはじめた。志願なのだからそこまで嫌ならきてくれるなと当時は軽蔑していたが、ここで申請せずに帰れば家族もろとも白い目でみられながら暮らしていくことになる。いまにして思えば、あの子は常識的といおうか、現代的な感覚の持ち主だったのかもしれんな」

 愛国心と経済的困窮から海軍へ志願したアイアン職人の一人娘は磯風となった。本人も家族も予想していなかったが、駆逐艦娘の平均寿命である一ヶ月を過ぎても彼女は生きていた。当時まだめずらしかった、成人の駆逐艦娘にもなった。

「ジャムにきたのも、あんただった」

 元磯風から茶を受け取りながら元長波はいった。

「仕事だよ」元磯風は苦笑して何錠もの薬をゼリーのオブラートで()む。関節の痛み止め、頭痛薬、向精神薬、エストロゲン・黄体ホルモン配合剤、そして、降圧剤。軍にいたころは安静にしていても収縮期血圧が一八〇近かった。いますぐ脳の血管が破裂してもおかしくなかった血圧は、薬によって、いずれ動脈硬化を誘発するであろう数値にまで引き下げられている。

 元磯風は二十五歳のとき、タウイタウイの第14方面軍第35軍第100海上師団に2水戦枠で配属されていた。もともとは十一号作戦のために独立混成第30海上旅団を改編して編成されたその海上師団には、対深海棲艦戦術習得のためドイツやイタリア、アメリカ、イギリス、フランスなどから派遣された艦娘と、その支援部隊も在籍していた。タウイタウイ泊地は多国籍軍の様相を呈した。

 サーモン北方防備の一翼だった元磯風たちに急遽、ジャム島の32軍を救援する任務が与えられた。100海上師団のほかに、本土の六個海師と独立混成海上旅団五個にも動員令がだされた。

 海上師団は戦艦・巡洋艦・駆逐艦の水上打撃艦娘を装備しており、独立混成海上旅団はこれら三種に加え空母、または潜水艦、あるいは海防艦のように運用の特殊なもので編成されている。ジャムへ向かう独立混成部隊はいずれも空母艦娘を主戦力に迎えていた。つまり航空機の掩護も得られるということだ。

 有力であることには違いないが、

「それにしても敵の引き際には舌を巻いた」

 と元磯風は感心をみせる。上陸した元磯風たちは抵抗らしい抵抗も受けず、裏を返せば敵に損害らしい損害を与えられないまま、ニャヤキ半島まで進撃した。

 そこで艦娘の死体に囲まれ、深雪の肉を咀嚼している汚物まみれの長波シリーズの一隻をみつけた。その二年後、元磯風は2水戦となった元長波と再会し、当時朝霜だった少女らとともに海を駆けることになる。

 終戦を見届け、除隊した元磯風は復員船で帰国した。港は終戦を祝い愛するものとの再会をよろこぶ人たちでいっぱいだった。紙吹雪。復員船を囲む漁船やプレジャーボートの船上から送られる、惜しみない拍手と口笛。歓声。

「だれもが幸せそうな顔をしていた。まるでワールドカップに優勝でもしたかのようだった。わたしはだれかに尋ねたかった。帰ってくる相手がいないために迎えにきていない人は、いまこの港に迎えにきている人たちの何倍いるのだろう、と」元磯風はいう。「責めたいわけではない。ただ、わたしは十四で戦争に行き、人間がその人生を決めるうえで最も重要な時期を戦場で過ごし、三十一歳でお払い箱になった。そんなわたしは、いままで経験したこともない一般社会とやらに放り出されて、これからいったいなにをすればいいのだろう?」

 だれに訊いたところで納得のいく答えが返ってくることはないだろうとはわかっていた。だからだれにも訊かなかった。どうせこんな答えが待っているだけだ。「もう戦争なんてしなくていいのよ。犯罪でさえなけりゃこれからはなんだってできる。なにをしてもいいの。したいことができる世の中になったのだから」。だが、戦争しか取り柄のない自分になにができるのか、自分のしたいこととはなにか、それを探す方法はだれも教えてくれない。

「帰郷して最初の一週間は家を一歩も出なかった」と元磯風。「出られなかったんだ。日の丸を振られるのがいやだったから」

 帰還した当初は母校や市から英雄として講演の依頼があった。家族の勧めもあって受けていた。依頼は次第にこなくなった。

「なぜならあの戦争から学びとる教訓がなにもないからだ。これが人間どうしの戦争だったなら連中はよろこぶ。本来なら顔も名前も知らないままそれぞれの国で別々の人生を歩んでいたはずのふたりが、政治家連中のせいではじめられた戦争のせいで戦地へ駆り出され、殺しあう関係になるわけだからな。わたしもなけなしのサービス精神をかき集めて、“優しさを失わないでくれ。弱い者をいたわり、互いに助け合い、どこの国の人達とも友だちになろうとする気持ちを失わないでくれ。たとえその気持ちが、何百回裏切られようと。それがわたしの最後の願いだ”とでも講演をしめくくっていたろうさ。ところがあの戦争にはそんなヒューマニズムはなかった。ただの生存競争だった。動物と動物の喧嘩だ。ここからは、“戦争とは他の手段でもってする政治の継続である”とするクラウゼヴィッツの『戦争論』のような、深遠な哲学も生まれてこないし、聴衆が期待するような、そう、たとえば、戦場で殺した相手の持ち物をあらためたら家族の写真がでてきたとか、そういうお涙ちょうだいの話もまた、いっさい海には転がっていなかった。小学校で講演したあと、控え室で教師のひとりに不服そうな顔でいわれたよ。わたしがした話――外地に赴任していたとき仲間数人と基地を抜け出してしこたま酒を食らって全裸で住宅街を全力疾走したとか、アマゾンではファリーニャのかかった料理ばかりを食べていて、ファリーニャはデンプンそのものだから大便が軽くなって、湖で用を足したら大便がぷかぷか浮かんで、逃げると流体力学の妙でついてこられて参ったとか、陣中文庫で駆逐艦にいちばん人気があったのは泥沼の三角関係を描いた愛憎劇だったとか――そういった笑い話ではなく、もっと悲惨な、悲劇的な話題をメインにしてほしいと。子供たちはみんなわたしの話で大笑いしてくれた。それが教育者たちには気に入らなかったらしい。いったいなにを話せばよかったのだろう。ピーコック島上陸作戦で、島の占領を担当していたわたしたちに持たされた飲料水はじゅうぶんなものとはいえず、行軍をはじめてすぐに底をついたので、ぬかるんだ地面を踏みしめて、染み出した真っ黒な水をコップですくって、消毒用の錠剤を溶かして飲んでいたと話せばよかったのだろうか。配給の錠剤が切れたあとも泥水を飲んで、目的地に到着するころにはみんな下半身裸だった、だれもが下痢便を垂れ流しにしていたから、とでも語れば満足だったのか。しょせん言葉では伝わらないんだ、わたしたちがなにをみてきたのかなど」

 元長波にも元磯風の気持ちがわかった。戦場はどんな世界だったのかと人々は訊きたがる。艦娘のことを知りたいなら、艦娘になるしかない。2水戦のことを知りたければ、ダブルヘッズをとるしかない。艤装を背負って深海棲艦の満ちる海に出ないかぎり、艦娘たちのみてきた世界は覗けない。

「仕事をさがすのに疲れたある夜、わたしはひとりで飲んでた」

 元磯風はつづける。

「いい店だった。おなじイチゴのカクテルでも、バナナのカクテルのあとに頼んだやつは酸味を抑えてあるとか、そういう心遣いのできるバーで、なによりバーテンの指も爪もきれいでな。これはいい掘り出し物の店をみつけたとカクテルを味わいながら満足していると、知らない男の客が絡んできた。おい、おまえ艦娘か。深海魚を何人殺した? 楽しかったか? きっと投降してきた連中も笑いながら撃ったんだろ? とまあ、こんな感じだった。わたしがしるかぎり、深海のやつらが投降したことなんてただの一度だってない。やつらは最後の一兵まで戦い抜くんだ。まさに理想の戦士さ、例外なく。そういうわけで、そいつが深海棲艦をみたこともないだけでなく、軽く調べればわかる程度の基礎的な知識もないってことはあきらかだった。なにも知らないやつが偉そうに能書き垂れてきたときにはどうすればいい? 相手にせずに無視する? お断りだ。わたしはそんなに物分かりのいい女じゃなかった。訂正するよ、今もだ……で、わたしは言ってやった。わたしが戦争に行っているあいだ、おまえはなにしてた? 両腕のもげたわたしが、シャングリラ事件で志願を決意したという愛国心のかたまりだった大和の死体を口で引っ張って撤退したり、腰から下が吹っ飛んでもう助からない日振(ひぶり)に、大丈夫だ、目が覚めたら帰国途中の輸送艦のベッドにいるぞと嘘をついてモルヒネを打ったり、沼を漁ってカエルの卵を仲間と分けあったりしていたとき、ガキも産めないおまえら役立たずの男どもは安全な内地でなにしてた? 頭にきたんだろうな、右クロスを一発もらったよ。内心、わたしは、やったと喜んだ。先に手を出したのは相手だ。由緒正しいハンムラビ法典のしきたりに倣って、わたしも一発くれてやった。まあ、わたしは口のなかを切っただけだが、向こうはテーブルを二、三巻き込みながら吹き飛んで、下顎骨を骨折、歯も折れたとかで、こっちが警察のお世話になった。すごいよな、電話一本で救急車が来てくれるんだから……。正当防衛を主張したんだが、退役しても艦娘は鍛え方が素人とは違うとかで、素手でも法的には凶器をもってるのとおなじに見なされるらしい。ありがたいことに、わたしの拳は凶器なのだそうだ。わたしは起訴され、略式裁判で艦娘時代の功績を鑑みてくれたおかげで、塀ではなく罰金刑を食らった。いままでの人生でいちばん不愉快かつ手痛い出費だったよ。銀行で振り込むときの屈辱感ときたら……。この金が使えれば、前から目をつけてた、ふるいワインが飲めたのに、とな」

 後日、迷惑をかけた詫びを入れにそのバーに行くと、バーテンダーにこういわれた。「弁償なんてしてくれなくていいし、従軍したあなたのことは尊敬しているが、もう店には二度と来ないでほしい」。

「わたしが学んだのは、酒場で因縁つけられたときの、表へでろというお決まりの常套句、あるだろ、あれは店に迷惑をかけまいとする最低限の道徳心だったってことだ」

 出入り禁止を申し渡されたバーから帰宅した元磯風は、父に家業を継ぎたいと申し出た。

「条件はひとつ、仕事のあいだは娘とはみなさない、それでもいいかといわれた。ほかの仕事が長続きしなかったから縁故に逃げたわけではないということを確かめたかったのだろう。望むところだった」

「たいへんだったろ」

「工場は子供のころからわたしの遊び場だったが、門前の小僧が経を覚えたからといって、僧籍に入れるとはかぎらんからな」

 労苦を重ね、従業員にも支えられながら、彼女は自力で顧客を獲得できる職人となり、父から事業を継承した。

 タウイタウイ泊地にいたウォースパイトを覚えているかと、元磯風は元長波に質した。ゴルフや野球でしのぎを削ったウォースパイトだ。

「彼女は解体後、かねてからの夢だったというプロゴルファーに転向した。たまたまわたしが軟鉄アイアンをつくっていると聞いたらしく連絡があって、試しにつかってもらった。以来、彼女のウェッジはわたしが専属の担当のようになっている」

「あのお姫さんがゴルファーね。たしかにゴルフの腕は抜きんでてたけど」

「知らないか? おととしにトリプル・グランドスラムを達成した……」

 元磯風がウォースパイトの本名を口にした。元長波は膝を打った。全メジャーで三回の優勝という偉業をなしとげたものに与えられるトリプル・グランドスラムの称号、その王手がかかった全英女子オープン最終日の奇跡を思い出したからだ。他のプレイヤーたちがのきなみボギーを叩く名門ロイヤル・リザム&セント・アンズGC(ゴルフ・クラブ)自慢の十一番ホール、六〇一ヤード、パー5で、その元ウォースパイトはセカンドショットで沈めるチップイン・アルバトロスを決めて単独トップに躍り出る。勢いづいた彼女はそのまま逃げきって優勝を果たした。その年のToday's Golfer(英国のゴルフ雑誌)ベストショット賞を受賞した大逆転の一打は日本でもテレビニュースのスポーツコーナーで何度か流された。

「あいつウォースパイトだったのか。ブルネットだったからまったく気づかなかった」

 晴天の霹靂のような顔の元長波に、元磯風はわざと白い目をしてみせる。

「おまえはどこで個人を識別しているんだ」

 

 元磯風はウォースパイト用だというヘッドを取った。バックフェース(ボールを打つ面の裏側)に手裏剣の刻印が舞っている。ウォースパイトたっての希望だったという。

「なんでイギリス人はこうも忍者が好きなんだろうな」元長波がにやにやする。

「われわれが金髪に憧れるのと似たようなものなのかもな」

 棚にはフェース角一度ごとの型版が置かれてあった。一度刻みでオーダーを受けるためだ。ロフト角やライ角といったスペックだけでなく、希望の装飾も請け負う。

「紳士服のオーダースーツみたいなもんか。高いんだろ?」

「大量生産品に比べればな。下手なクラブですませて思うように飛ばせないより、高価でも手に馴染んでまっすぐ飛ぶクラブのほうが楽しめるとは思うが」

「そりゃそうだけど、一打一打に人生がかかってるプロはまだしも、ゴルフ人口の大半を占める素人連中に品質の差なんてわかるもんなのか?」

「わかってもらえるよう努力するのが、職人の仕事だ。待っていても客はこない。自分の存在を知ってほしいなら、自分からアピールしていくことだ」

 その一環だといって、元磯風は女性アマチュアゴルファー用に製作したというヘッドをみせる。「おお」元長波が驚く。宝石のようなストーンやビーズがバックフェースにびっしりと密集している。べつのヘッドはマカロンやソフトクリームや生クリーム、イチゴのパーツで立体的に装飾されていた。触るとクリームが手につきそうだった。

「デコってますなあ」

「わたしも最初は売れるかどうか半信半疑だったんだが、意外と受けがいいんだ。もっと盛ってほしいという声さえある」

 ゴルフ人口は減少の一途をたどっている。新たな市場を開拓していくことが業界全体の課題だ。

「かつて日本刀をつくれなくなった職人たちがアイアン職人に転向して生存を図ったように、いまを生きるわたしたちも、漫然ときのうの続きをするのではなく、時代の変化を受け入れて自らを進化させていかねばならない。好むと好まざるとにかかわらず」

 深海棲艦のように、と元磯風はつないだ。

 深海棲艦は寄生体の力を借りて石油を精製し、エネルギー源にしている。しかし寄生体もまた独力では石油を分離濃縮できない。鍵は寄生体の細胞に内包されている複数のウイルスがにぎっている。

 これらのウイルスは寄生体の細胞が減数分裂するさいにまるでDNAの一種であるかのように分裂し、ともに増殖していく。このウイルスを細胞内から除去した寄生体はたとえ深海棲艦の体内であっても死亡してしまう。ウイルスもまた寄生体の細胞内でなければ生きていくことができない。寄生体とウイルスは深い関係にある。

 太古の海で、寄生体はほかの動物とおなじように有機物を食べるなんの変哲もない海洋生物だった。しかしあるとき地殻変動で海底から原油が噴き出した。多くの生命が死滅していった。生き残りをかけて、寄生体は超高圧の地中原油環境で独自の生態系を営んでいたウイルスを自身に感染させた。大半は感染症で死んでいったに違いない。ウイルスを取り込んで原油を利用できるようになったごく一部の個体が新たな道を拓いた。さらに深海棲艦の祖先に取り込まれて寄生生物に進化していった。

 これが現在有力視されている深海棲艦と寄生体、原油ウイルスの歴史である。

 いま、寄生体とウイルスは、原油分解能力を買われ、タンカー座礁事故などで海洋に流出した原油の除去に利用されている。品種改良されたタイプはプラスチックも分解することができるため、海中のマイクロプラスチック対策に飛躍的な進歩をもたらした。寄生体は単体では長時間生存できないため生物的汚染もない。個体は管理下にある深海棲艦を使って適宜養殖されている。また、深海棲艦は品種改良され、愛玩動物として一大市場を築いている。

 深海棲艦は人類に敗北したが、家畜として生き残る道を選んだともいえる。

 生物の歴史はウイルスとの戦いの歴史でもあった。ウイルスはときに致死性の高い感染症をもたらすが、生物もまたウイルスの有用な能力を獲得して進化してきた。ヒトのゲノムの八パーセントは過去何億年ものあいだに感染したレトロウイルスの遺伝子である。

 哺乳類は胎盤で胎児を育む。胎盤は母子という他個体どうしを一体化させる高度かつ神秘的な器官だが、これははるかむかしに哺乳類が感染したある内在性レトロウイルスの、自身と宿主細胞を融合させる特殊なタンパク質を合成する遺伝子によって形成されている。哺乳類は入り込んできたウイルスに活用できそうな遺伝子があるとその能力をコピーできるのだ。さらに、上位互換の機能をもつレトロウイルスと接触した場合、そちらを積極的に採用するようになる性質もある。胎盤形成をふくむ「妊娠」という生態がレトロウイルスの遺伝子で機能していることから、哺乳類がまた新しいウイルス遺伝子を獲得することがあれば、繁殖方法そのものがさらに変化していく可能性もある。

 胎盤の形成とその機能の発現にはレトロウイルス遺伝子が必須である。哺乳類はもはやこの遺伝子なくして繁殖することはできなくなった。このレトロウイルスはすでに絶滅しているが、遺伝子の断片というかたちで生き延びているといえる。寄生体のウイルスもしかりだ。

 異物どうしだった二者が、互いを利用しているうち、いつしか相互にとって不可欠な存在になることは、自然界ではめずらしくない。

 わたしとおなじだ、と元長波は思っている。戦争がなければ長波になることはなかった。人間のままで、女のままでいられた。まったく異なる人生があったはずだ。もしも哺乳類がレトロウイルスに感染しなかったら、胎盤も妊娠もない、いまとはまったく違う生き方を歩んでいたように。

 深海棲艦との戦争は本来人類には不必要なウイルスだった。そのウイルスを人類は取り込み、海軍という胎盤を形成した。そこから生まれたわたしは戦争というウイルスがなければ生きていけない。もはやわたしは戦争とは不可分な存在なんだ。戦争をとりあげられたいま、どう生きていけば?

「わたしは軍と海から去って二十二年、なにもできないまま、きょうまで来た。だけどあんたは手に職をつけて第二の人生を歩んでる。どうやって深海棲艦のいないいまの時代に適応できたんだ?」

 疑問をぶつけた。元磯風は、自分自身という海中に探信音を打って答えをさがすように論理を組み立てながらしゃべりはじめた。

 

 艦娘が必要とされぬ時代で生きる秘訣はなにかと問われれても、わたしには答えようがない。そも、わたしがなぜあの戦争を生き抜くことができたのか、それすらわたしにはわからないのだ。われながら機転が利くほうではないし、あの文月とちがって艦娘として穎脱していたとも思えない。わたしより勇敢で立派な艦娘はたくさんいた。本当なら、よく戦うものこそ、その報酬として死をまぬかれるはずだ。なのにどうしてわたしがいまもこうして生きているのか。

 わたしの初陣のことだ。隣にいた神風(かみかぜ)に敵の弾が当たった。わたしはその瞬間まったくべつの方向を見張っていた。それでもわかった。神風が被弾したぞ、と。弾が当たる音だ。はじめて聞く音さ。だが本能的にわかる。ぞっとする音だよ、弾丸が肉を食いちぎり、骨を砕く音というものは。振り向いたとき、彼女は背中から倒れるところだった。まるでスローモーションのようにゆっくりとしていた。だからはっきりとみえた。彼女は首から上がなかった。青空を背景に赤い霧が舞っていた。

 神風はわたしにとくに目をかけてくれた艦娘だ。初任地となるラバウル泊地で、手続きをするための部屋がどこかわからず迷っていたところ、声をかけてきたのが彼女だった。

「ご新造さんかしら。ここったら建て増しにつぐ建て増しで、迷路みたいになってるから。どこへ行きたいの?」

 神風シリーズということはひと目でわかった。袴にブーツの奥ゆかしい制服姿だった。わたしは渡りに舟だと安心して、道を尋ねた。

「ミルクホールがどこか知っていますか?」

「いい度胸してるわね」

 それがわたしたちの出逢いだった。艦娘としても人間としても、わたしにとって師のひとりとなった。彼女が轟沈するなど、その日そのときがくるまでは、わたしの想像の外だった。

 もしあのときわたしと彼女の立ち位置が逆だったら、死んでいたのはわたしだ。彼女は戦歴を重ねた本物の艦娘で、わたしは実戦において処女だった。距離にしてほんの数メートルの違いだ。たったそれだけで彼女は頭を撃たれ、わたしは無傷ですんだ。生き死にをわけるにあたって、いったいどの要素が優越されるのか。

 神風についてはまだ続きがある……。頭を失くした神風は、海面に倒れたとたん、その場で四肢をでたらめに暴れさせて、のたうちまわりはじめた。まるで手足がそれぞれべつの四匹の生き物のようだった。首の断面から入った海水のナトリウムイオンが神経を刺激して、あたかもまだ生きているように彼女の筋肉を動かしていた。首のない神風が糞尿を漏らしながら海の上でじたばたもがいている光景……。それがわたしの脳裡にネガフィルムとなって強烈に焼き付いた。もっともそのときは、首なしの神風がわたしのなかに住みついたことなど、自分でも気づいてはいなかった。

 戦後になって、軍隊ではない世界になんとか適応しようと悪戦していたころ、艦娘にならなかった中学の同窓生から連絡をもらった。ふたりで食事をしようということになった。息抜きも必要だろうという相手の申し出をありがたく受けた。店に入り、携帯口糧なんかとは違う、文化的で人間的な食事を楽しみながら、とりとめのない思い出話に花を咲かせた。わたしはふとフォークを落としてしまった。拾おうと身を屈めると、テーブルの下で、首のない神風が床をのたうちまわっていた。それ以来いつまた神風をみるかと怯えている。扉を開けたらそこにいるかもしれない。入浴中、ふと見やった湯舟でのたうっているかもしれない。いまこうして話しているときも、わたしはあらゆる物影に首のない神風の気配を探してしまっているのだ。視界の端でなにかが動いたら一瞬それが神風の手足にみえてしまう。終戦から二十年以上も経つのに、わたしはまだ戦争を終わらせることができていないんだ。

 おそらくは現実の時間とわたしの心の時間とは、時計の長針と短針のように、その進む速度にいちじるしい差があるのではないかと思われる。不思議なものだが、わたしは戦争中に泣くことはなかった。一度もだ。泊地に帰還して神風の簡単な葬儀をしているときも。漂流していた、どこの国の人間かもわからぬ死体を回収したときも。占守島逆上陸作戦のあとで、砂浜に折り重なっている艦娘たちの埋葬作業に従事していたときも。

 戦場の死体はどれもひどいありさまだった。たいていの死体は腕や足の関節がありえない方向に曲がっていたり胴体がねじれたりしている。どれだけの苦痛を味わったか、いやでもわかる。

 ある睦月はまるで眠っているように仰臥(ぎょうが)していた。とてもきれいな顔だった。体のどこもねじれていない。気を失っているだけではないかと思った。だが抱き起こしたら、彼女は後頭部がなかった。わたしは頭を切り替えた。救命ではなく、遺体の処理に。それだけだ。それだけなんだ。

 戦死者との向き合いかたには、個々人の流儀がある。埋葬中に言葉を絶やさない長月(ながつき)がいた。燃料火災で丸焦げになった艦娘から識別票を外すとき、その長月は、膿の跳ねるのを浴びながら、「いいか、外すぞ、ようし、外れた、髪もひと束連れて帰ってやるからな」と絶えず声をかけていた。くたくたになって母艦で休んでいるとき、わたしは訊いた。なんで死体に話しかけているのだと。長月は涙の跡の残る顔で答えた。「なにも考えたくないからだ」

 泣くには終戦から何年もかかった。あのころは涙を流す余裕もなかった。気がつけばつぎの作戦、つぎの任務に就いていた。日々の仕事をこなすだけで精いっぱいだった。死者のために泣いたのは、戦争が終わって、磯風でなくなって、四、五年経ったころだ。悲しむのにそれだけの時間が必要だった。

 後付けではあるかもしれないが、仲間の死という現実に理解が追いつかなかったから、任務の遂行以外のことに思考のリソースを割かずにすんだともいえる。心の整理がつかず戦闘ストレスに潰されてしまう艦娘を何隻もみた。彼女たちは、同胞が命を落とせば、時間差なしで悲しむことができたのだ。目の前で無惨に殺されたならなおさらだろう。尾を引いたままつぎの任務に赴くことになる。人としては正しいことだと思う。しかしそれが海でも正しいとはかぎらない。わたしが戦後に神風をみたように、交戦中の波間に、以前の作戦で沈んだはずの僚艦をみることもあっただろう。意識を奪われたその造次顛沛(ぞうじてんぱい)が命取りになったのではないか。だとするならば、死者への哀惜という人間として真っ当な感情の揺洩(ようえい)が、彼女たちを殺したのだ。

 除隊したわたしは、退役艦娘庁に斡旋されたいくつかの仕事を経て、家業を継ぐことに決めた。父は師匠となった。父は職人としてわたしを厳しく鍛えたが、一方で、わたしの集中力をしばしば褒めた。彼にはいわなかったが、わたしはなにかに集中せざるを得なかったのだ。ひとつのことに無我夢中になっていないと、また神風をみるかもしれないと不安になる。なにも考えないためにわたしは必死に打ち込んだ。戦場の後片付けで遺体に話しかけていた、あの長月のように。

 戦争の時代から戦争のない時代への変化に追いつくことができていないのは、なにもわたしの精神だけではない。わたしの足下に敵機の爆弾が落ちてきたことがある。みてのとおり一命はとりとめたが、弾殻と、砕けた艤装の金属片、あわせて七一七個の破片がわたしの体内にもぐりこむことになった。戦争が終わっても、艦娘をやめても、そのときの断片が体の内側から押し出されて、皮膚を突き破ってくる。髪を洗っているときに、頭皮から飛び出ていた破片で指を切ったことも。

 いまでもわたしの体には四十九個の破片が埋まっている。仕事でしばしば飛行機に乗るが、空港で金属探知機を通るだろう、わたしはあれにひっかかるから、以前に病院で撮ってもらったレントゲン写真を持参することにしている。これからもわたしは、飛行機をつかうたび、わたしの全身に散在する金属が白抜きとなったあの写真をパスポートみたいにいつでも提示できるようにして、ゲートへ向かうだろう。いまや親よりもながい付き合いとなったこの破片たちで重要な血管が切れたりするまでは。

 皮膚から鋭利な細片が顔を覗かせるたび、また、筋肉中を移動することによる突発的な激痛や内出血に見舞われるたび、わたしは、わたしの肉体もまた、戦争が過去のできごとであるという現実の時流に適応できていないのではないかと思い知らされる。すべての破片が排出されたとき、わたしの戦争は終わるのかもしれないが、わたしはどこかでそれを恐れている。最後の一個が抜けたときに、まだわたしの精神が戦後に馴染めていなかったら?

 まだ深海棲艦の手に落ちるまえのリランカへ任務で赴いたときのことだ。村民が陽気な祭りを催していた。なんの祭りかと問えば、悪魔祓いだという。悪魔祓いというと女の子の首が回るおどろおどろしいものの印象しかなかったわたしたちにはいささかの衝撃だった。彼らはみんなで精も根もつきるまで踊り、歌い、笑って、活力を取り戻し、癒されていた。

 人類のもっとも偉大な発明は農耕であるということに異論はあるまい。われわれは極めて多種多彩な動植物を食料として利用しているが、最も基幹的な食物は穀物だ。しかし、五〇〇万年ともいわれる人類史を見渡してみると、狩猟採集時代はその九十九・八パーセントを占める。農耕をはじめたのはごくごく最近だ。最も人類と付き合いのながい穀物といわれるコムギでさえ、一万年少々の歴史しかない。

 いまから七万年前から一万年前までつづいた最終氷河期の中東は、乾燥のはげしい草原と沙漠がひろがっていて、人々はガゼルのような草原動物を狩猟しながら季節的遊動生活を営んでいたものと考えられる。ヒトはもともと狩猟採集民だった。日本語でもイノシシは「一の肉」を意味するが、これは日本で最初に名前をつけられた食糧でもあるといわれている。そして一万二〇〇〇年まえ、地中海東岸のレヴァント地域、いまでいうシリアやイスラエル、パレスチナのあたりでは、世界にさきがけて定住集落が成立してくる。

 この時代の地層にふくまれる花粉を分析してみると、落葉ブナが急増し、かわりにヨモギが減少している。氷河期が終わり、温暖湿潤化するにともなって、ユーフラテスが大河となり、それまで草原だったレヴァント南部に潤沢な水資源が供給されることで、中東最初の本格的な森林が進出してきたことを示す。森林はドングリやピスタチオ、アーモンドといった栄養価の高い堅果類を豊富に産出し、ユーフラテス川の水をもとめてガゼルやヤギもやってくる。ちょうど日本の縄文文化と同様、森から無尽蔵に得られる多種多様な動植物を利用する生活をはじめたのだ。

 こうした状況になると、狩猟採集時代ほど移動する必要はなくなる。年間を通じて一ヶ所にとどまることができた。妊婦や幼児、老人といった、移動に困難がともなう弱者を守ることができるようになり、産児制限もしなくてよくなった。人口の増加が許せる時代になったわけだ。

 すでに草原性の野生ムギも利用していたが、残された種子が出土種子全体の数パーセントにすぎないことから推定するに、あくまで採集するだけで、栽培はしておらず、彼らには数ある食糧のうちのひとつとしか認識されていなかった。定住かつ狩猟採集で糧を得る文化をナトゥーフ文化という。

 定住という生活様式をもった人々はさらに生活圏を拡大し、隣接する内陸草原地帯に進出した。戦前に中東有数の穀倉地帯を形成していたシリア北部の大草原地帯だな。2水戦としてシリアに派遣されたとき、輸送や他部隊との連携ミスが重なって、数日のあいだなにもできなくなってな、消極的休暇で観光もどきをした。砂と岩と悪臭の国だったよ。わたしたちはシリアの自慢だという遺跡に案内された。ユーフラテス川沿岸のテル・アブ・フレイラだ。タブカ・ダムが深海棲艦の空爆で破壊されていて、それまで湖の底だったテル・アブ・フレイラ遺跡が数十年ぶりの太陽を浴びていた。テル・アブ・フレイラは一万二〇〇〇年まえの定住村落の姿をいまに伝える語り部だそうだ。われわれよりよほど流暢に英語をあやつるガイドに懇切丁寧に説明されても、当時のわたしは退屈でしかたなかったので、そこらへんのゴミと一緒に落ちている男物のパンツを「イエスの忘れ物だ」と振り回していたが。

 それはさておいて、だ。気候変動の年表ともいえるグリーンランドの氷床を調べると、テル・アブ・フレイラで豊かな食糧を背景に人口が増えはじめたちょうどそのころに、地球が低温期に入ったことが記録されている。ヤンガー・ドゥリアス期。氷河期が終わって一方的に進むかにみえた温暖化が中断されて冷や水を浴びせられる、いわば地球規模の「寒の戻り」だ。急激な寒冷化で酒池肉林の暮らしはたちまち崩壊し、増えすぎていた人口を支えるには食糧があまりにも不足した。彼らは必死に打開策を模索しただろう。

 ヤンガー・ドゥリアス期にあたるテル・アブ・フレイラのナトゥーフ文化後期層からは、一五〇種を超える植物の種子がまとまって発見されている。さらに時代がすこし下った九八〇〇年まえの文化層で、コムギとオオムギの出土種子はそれまで数パーセントだったのが六十パーセントにまで激増してくるのだ。

 どうだ、気候の激変から食糧危機に陥った人類が、自らの生存をかけ、試行錯誤を経てムギを選び、栽培にこぎつける、その過程がまぶたに浮かぶようだろう?

 栽培に適した植物はかぎられている。果樹は植樹から収穫まで時間がかかりすぎる。しかも高密度に植えることもできん。ところがコムギは一年生で、生来密集する性質があった。人類にとってまさに救世主といえよう。

 また、コムギをはじめとした穀物が食糧としてもっとも優れている点は、備蓄ができることにある。コムギは種子の状態で何年も栄養価を保ち、食べることも栽培することも計画的に行なうことができる。

 デンプンを多くふくみ、高カロリーで、貯蔵でき、畑という一定の面積にまとめて多量に栽培できる効率のよさと、製粉したり水で煮たりするだけで利用できる加工の手軽さ。まるで神が人間に食糧と労働をあたえるために創造したかのような、なんとも都合のよいイネ科植物との邂逅は福音といっていい。

 世界各地で農業は根づいている。定住して農耕牧畜で食糧が供給されるようになると狩猟採集時代には考えられないほど人が増える。そこで必要になるのがコミュニケーションだ。大きな集団を束ねるため、コミュニケーションの必要性が高まり、言語が発達し、文字ができる。文明が産声をあげた瞬間だ。

 アフリカに従軍したことがあったろう? ハーツ&マインド(人心掌握。人道支援や安全保障、技術指導を通じて現地住民に親日家を増やすこと)の一環で、ピグミーの村にやっかいになったことを覚えているか? そう、大人の男でも背丈が一〇〇センチ程度しかなかった、あの小人たちの村だ。彼らは人類が農耕をはじめるまえの狩猟採集時代のまま現代まで生き延びてきた、いわば人類の原初の姿をとどめた生き証人だ。社会の規模は数十から一〇〇人程度。季節の変化とともに地域を移動する獲物を追う生活で弱者は生存できない。平均寿命はせいぜい四十年だという。だからあまり人口が増えない。

 移動生活だからよけいな荷物は足手まといで、物質的な執着がない。狩猟で採集したものは平等に分配される。蓄えようにも肉や魚、果物はあまり保存がきかないからな。よって貧富の差は起こりにくい。私有財産という概念も薄いから、ほら、よくわれわれの装備品や携帯口糧が盗まれただろう。彼らに悪気はない。さっさと消費してしまわねば腐るだけだ、だから個人の所有物であることには頓着せず、共同体のみんなでおのおのが勝手につかう。集団のなかでの地位や役割の分担も限定的で、肩書きも乏しい。非蓄積的な平等社会、それが一万数千年まえの人類だった。

 ところが農耕がはじまるとパラダイムシフトが起こる。なんといっても穀物は貯蔵がきく。定住も可能となる、というより、畑や倉庫は動けないから定住に移行せざるをえなくなる。ものをため込むことができるようになり、貯蓄自体に意味を見いだすようになる。ため込んでいるほど上等な人間とみられる。そこには貧富の差が出現する。

 例の殺人的に退屈なシリア観光ツアーのしめくくりとなる博物館で、わたしはどんぶりのような器をみせられた。白っぽく、なめらかな肌で、両手でもつのに具合がいい。九〇〇〇年まえのものだから土器でなく石器だ。たしかにずしりと重い。だが見た目はそれこそ陶器のようにつるつるで、きれいな丸みを帯び、厚さも一定だった。根気よく丹念に石を削り、地道に磨いてつくったに違いない。はたしてひとつ仕上げるのにどのくらいの時間がかかったのか。

 その石器からは農耕のもたらした変化を推察できる。分業がはじまり、かならずしもすべての人間が食糧獲得のために働かなくてもよくなったこと。また、定住することによってものを持ち運ぶことがなくなったため、重い道具をつかうことも可能になったということ。

 ダムが造成されるまえのテル・アブ・フレイラからは、一六〇体の人骨がみつかったという。ある女性の臼歯には、顎を横切るような溝が刻まれてあった。これは籐のような繊維を口でしごいて、篭を編む仕事に専念していたために残されたと推定されている。

 また、べつの女性は、狩猟採集時代にはなかった病変が足の指に現れていた。指が上へ直角に反っている。関節炎で歪んでいるのだ。えてして農耕遺跡からは粉化具である石皿と磨石が数多く出土する。テル・アブ・フレイラも例外ではない。石皿に乗せたコムギを磨石で挽いて脱穀し、粉にしていたわけだ。体重をかけて行なうために腕、背中、腰、そして足の指に継続的な負担がかかる。骨が歪むほどの重労働だ。身を粉にするという言葉は脱穀と製粉が起源らしいな。

 農耕は、安定して食糧を供給する一方、労働の負担も増やすことになった。出土した人骨の足の指を詳細に研究すると、平均的なものよりかなり太くなった骨があった。これは石皿で粉を挽く動作を成長過程からはじめたために起きたと考えることができる。当時の子供は乳離れするとすぐにその社会の日常的な仕事に参加した。骨の変成は、七歳から九歳ごろから、一日に何時間も脱穀の作業に専念していなければ説明がつかんという。幼い子供が社会的義務から労働を課される。まるでわたしたちのようじゃないか。

 農耕には計画が必要だ。人口に対し必要な生産量を得るには、いつどこの畑を耕し、いつ種をまき、いつ収穫するか、一日に労働者の何割を稼動させれば継続的に労働力を拠出できるか。灌漑(かんがい)を要するならどのように進めるか、工事に割く人員や資材をどう捻出するか。得られた禾稼(かか)(穀物、とくに収穫したもののこと)をどのように分配するか。つまり富の再分配だ。多くの場合、これらの計画者たちは監督のかわりに労働を免除され、人事や給与計算という権力を握る。非蓄積的な平等社会は、蓄積的な非平等社会に変化したというわけだ。

 農耕によって人間の食糧事情だけでなく意識にも変化がもたらされた。肩書きだ。その人が小作人なのか、地主なのか、商人なのか、統治者なのか。個人は地位で判断され、役割に沿った行動が期待される。わたしたちでいえば、わたしという個人ではなく、駆逐艦娘磯風、おまえなら長波としてみられる。個人がただ個人として存在していた狩猟採集時代とは大きな差違だ。

 時間の観念が成立したことも挙げられよう。動物を仕留めれば肉という報酬を獲得できた狩猟と違い、農耕は待ち時間が非常にながい。種をまいて、数ヶ月かけて作物を育て収穫する。労働の成果はその日にはでない。未来の某日のためにきょう働く。我慢に我慢を重ねて、ある日その対価をようやく得る。

 このふたつの意識の変容は現代の人類が抱える苦悩の根源でもある。肩書きを課せられたことによる役割への過剰適応だ。部長という役割に引きずられ、部長としてこうあらねばならないと理想像を自分におしつけ、個人としての欲求を抑圧して働き、やがて過労死してしまう。結婚して専業主婦となり、良妻賢母を演じているうち、自分の人生はこれでよかったのか、本当はなにがしたかったのかと悩みはじめる。

 ある命題にイエスかノーか判断を下さなければならないとき、個人としてはイエスだが、社会的地位からノーといわざるをえないときもあるだろう。そのとき彼にノーといわせたのはだれなのか? 役割が本人に優越して発言権をえたのか? だとするならば、役割は本人に比肩する確固たる人格を確立しているということになるのでは? しかもその役割という人格は行動をも支配する。

 なんのことはない、艦娘にならなかった人々も、だれしもが、役割というホーミングゴーストと同居しているのだ。このゴーストは農耕とともに生まれた。農耕は文明の基礎だ。文明社会に生きるかぎり、われわれ人間は役割からは逃れられん。

 そして、未来への疎外だ。いい高校に入るために中学時代は遊びたいのを我慢して勉強しよう。高校に入ると、いい大学に入るために。就職のために。昇進のために……そうして未来のために「いま」やりたいことをやらない生き方に終わりはなく、死ぬまでつづく。未来の一瞬のために生きている人生には、いま生きているよろこびはない。

 精神の分裂と、未来というみえない時間のためにいまを犠牲にする空虚感。農耕に源を発する文明社会の人間は、臼歯の溝や関節炎のように、それまではみられなかった新たな問題と向き合うことになる。なんだかわかるか?

 そう、自殺だ。

 狩猟採集時代の人間は自殺をしなかったそうだ。ピグミー族にも自殺を意味する言葉はなかった。農耕により、役割と時間という自然の摂理から外れた観念の鎖にがんじがらめに縛られて、人間ははじめて自殺するようになった。

 このように農耕は弊害も大きかったが、さりとて、もはや人類は農耕なき時代に後戻りはできなかった。農耕を捨てても、増大してしまった人口密度は狩猟採集生活では絶対に維持できない。人類は一計を案じた。期間限定で狩猟採集時代にもどる。

 それが、祭りだった。

 豊作を願う、収穫に感謝する、いろいろな口実で祭りを開いて、窮屈な肩書きを脱ぎ捨てて踊りまくり、生命力を燃焼させ、人々は農耕時代にありながら狩猟採集時代という旧き良き時代を甦らせていた。役割も未来のことも考えない、生物としての人間本来の姿を祭りによって取り戻す。その瞬間に人間は癒される。

 リランカの「悪魔祓い」もそんな祭りのひとつだ。だれもかれもが仕事を投げ捨てて、しがらみから解放され、歌と踊りでよろこびを爆発させる。そうして役割という悪霊(ゴースト)を祓う。ひとりの赤裸々な人間にもどる。自由だった狩猟採集時代に回帰し、自分は森羅万象の一部なのだと再認識する。孤独ではないことを知る。そうして安息を得る。だが、産業社会に入ると集団的な祭りは衰退していく。

 ひまをもてあましたバカどもが「自分さがし」などという得体のしれない遊びに走るのも、役割や地位から自分を捉えるのではなく、自分自身を呼び覚ます、未来のなにかのための行動をいったんやめてみて、あるがままの自分を意識することだとすれば、集団的祭りを失った現代では、むりからぬことなのかもしれない。各種のセラピーやエンカウンターグループなどの心理療法は、共同体の祭りに代わる、個人的な祭りといえるだろう。

 人類は何百万年とつづいてきた狩猟採集からある日突然、農耕革命により劇的な転換を迫られた。じつはまだ人間の深層意識は農耕以来の新時代に順応できていないのだ。追いついていないといったほうが正しいか。

 いまの人類は農耕社会に適応しようともがいている。ときには休まねばならない。クジラだって、もとはオオカミのような動物だったが、最初から海中深く潜ったりはしなかっただろう。水辺の犬かきからはじめて、ときには陸で休みながら、一〇〇〇万年かけて、魚のように泳げるようになった。われわれの農耕はまだ一万年だ。そして、わたしたち艦娘が海から還って、まだ二十二年にすぎない。

 おまえは陸に馴染めないというが、そんなに早く適応できなくて当たり前なのだ。人間そのものが、一万年もかけてまだ原始時代の郷愁にすがっているのだから。焦らなくていいんだ。前へ進むだけでなく、つらくなったら適度に後退してもいい。人が祭りで狩猟採集時代に還るように。わたしにとっての祭りは、おまえのような艦娘仲間と会って、他愛のない話をすることだ。そうしてわたしはときおり艦娘だったころに「もどる」。それが、わたしがまだ正気を保っていられる秘訣なのかもしれないな。

 

 適度に後退していい。その言葉に元長波は深い感銘を受けた。ほんのわずかながら、許された気がした。

「でも、“If all the year were playing holidays, To sport would be as tedious as to work.”だろ?」

 元長波は本心とは裏腹にまぜっかえす。「もし一年じゅうが休日だったら、遊びは仕事とおなじに退屈になる」。『ヘンリーⅣ世第一部』の台詞だ。

「そこがわれわれ現生人類の問題だ。原始と文明の過渡期にあるわたしたちは、農耕文明に適応できていないだけでなく、精神的にも狩猟採集時代に完全に回帰することはできない。どっちつかずだから両方を往復しなくてはならない。娑婆(しゃば)の人間と艦娘とのあいだで揺らぐように。わたしは幸運だった。艦娘にもどるための話し相手がたくさんいた。それは在郷艦娘会の連中であり、いまでは顧客になっている海外の元艦娘たちでもある」

 元磯風はみごとに社会の一員となっていた。たとえいま、元長波の足元に、首のない神風の姿がみえていても。

「試してみるか?」元磯風が顔色ひとつ変えずウェッジをつきだす。

「もうドライバーは打てないけど、ショートゲーム(グリーンに乗せるアプローチショットと、ホールへ転がすパッティングの総称)ならできると思う」元長波も賛同する。

 ふたりは工場に併設された試打場へ回る。

「輸送艦の甲板でゴルフをしたこともあったな」

 グリーンの近くまで褐色の芝生を歩きながら元長波はいう。

「なにもすることがなかったからな」元磯風が元長波に歩調をあわせる。輸送艦の広大な全通甲板は格好の遊び場だった。ヘリが一機もいない頃合いをみはからって艦娘たちはしばしば球技に興じた。野球、サッカー。民主主義に則った採決でその日はゴルフになった。

「甲板にティーを刺すわけにもいかないから、ゴムホースをこれくらいの長さに切って」元長波は右手の親指を立て、その第一関節を人差し指で区切った。「それをティーがわりにしてボールを乗せたりとか、いろいろ工夫してな」

 元磯風がいう。「洋上とはいえ風の強い日だった。サラトガがマリリン・モンローになるくらいに。朝霜のやつが思いきり飛ばしたら、高く舞ったボールがいきなりアゲインストに吹かれた。それで、よりにもよって司令や艦長のいる艦橋の窓にOBした」

 元長波がいう。「白いひびが入ったのが甲板からでもわかった。だからすかさず叫んだんだ、“敵襲!”って」

 ふたりは笑う。

「みんなてんやわんやになった。おもしろい偶然だけど、そのとき本当に深海棲艦の偵察機が波間にかくれる超低空飛行でこちらに触接してたんだよな。そいつがなにかぶつけてきたんだろうってことになって、一件落着になった。深海棲艦に感謝した唯一の例外だよ」と元長波。

 グリーンまで五十ヤードのところで元磯風がボールを置いた。自社製のハンドメイドウェッジを元長波に渡し、かわりに杖をもつ。

「ロフト角五十八度だ。感覚は体が覚えているだろう」

 助言された元長波が、両足を拳ひとつぶんだけ開いて構える。振られたウェッジがボールを高くもちあげる。放物線を描いたボールはピンの五、六ヤードそばに落ちてぴたりと止まる。

「やるじゃないか」手で目庇した元磯風が讃える。

「これのおかげだな」元長波があらためてヘッドを確かめる。鏡のように美しい。「ボールを包み込むみたいにやわらかい打感だ。なのに芯がある。じつをいうといま打った瞬間、ミスったって思ったんだ。でもわりといいところに飛んでくれた。こいつはいいな」

「多少ダフっても(ボール手前の地面を叩いてしまうこと)クラブがカバーする。アプローチが苦手というゴルファーは多い。だが、思ったとおりのところへ飛ばすことができれば、ゴルフはもっと楽しくなる」

 それはゴルフ人口、ひいては顧客を増やすことにつながる。

 ふたりはグリーン周りまで近づいた。グリーンぎりぎりからのアプローチは、距離が遠いときよりむしろむずかしい。

 ロフト角五十四度のウェッジを試す。

 ボールは手前十ヤード少々のところまで転がって止まった。五十四度のウェッジははじめてだった。もう一度おなじ位置から挑戦する。今度はピンから二、三十センチまで寄せられた。三度めもほぼおなじ距離につける。

「なるほど、集弾率いいな。まるでアプローチ名人になったみたいだ」

「おなじように打てばおなじようなところで止まるクラブ、ミスをしてもうまく打ったときに近いショットにできるクラブ、それが父から受け継いだ技術だ」

 元長波は四度めでアプローチからカップインしてみせた。感嘆の息をもらす。

「そういえば」元磯風が思い出す。「いま、あのウォースパイトはスピードゴルフにハマっているらしい」

「なんだそりゃ」

「ふつうのゴルフは十八ホールの打数を競うだろ、スピードゴルフは、打っては走って、十八ホールの打数とタイムの合計スコアで競うんだ。おもしろいぞ、ティーショットを打ったかと思えば自分でゴルフバッグ提げてボールを追いかけて、打ってまた駆ける。だいたい一時間で十八ホールまわる」

「マジかよ。ふつうなら五時間かかるのに」

「しかも、それで十八ホール終えたあとに、いつものゴルフを十八ホールやるんだ」

「ゴルフ漬けか、うらやましいかぎりだ」元長波は自然に笑う。

「いまではアークロイヤルやジャーヴィスも、ウォースパイトと一緒になってスピードゴルフのとりこなんだそうだ」

「あの連中がどたどた走って打ってを繰り返してるってのは、なんか新鮮だな」

 語らいながらショートゲームを楽しむ元長波と元磯風は、ゴルフを通じて過去にもどっている。自分たちこそが世界の支配者だと信じて疑わなかった、年相応に幼く、傲慢で、腹臓なく意見をぶつけあう仲間がいて、オクラの粘液と納豆の汁を着けて乾燥させたストッキングを使用済みとしてネットオークションで販売したり、ショッピングモールから無断で借用してきた買い物カートで下り坂を競争するというような、知性のかけらも感じられない愚行に全精力をかたむけていた、一分一秒が輝いていた、生きている実感に溢れていた、あのころに。



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二十四 鶴は翔んでいく

「瑞鶴さんのことは知ってるか?」別れ際に病身を案じる言葉をかけた元磯風が、さぐるように付け足した。

「タウイタウイにいた?」元長波に元磯風が頷く。ひまわりのような笑顔がよく似合う空母艦娘の颯爽とした麗姿が鮮やかに甦る。この世の人間がみんな彼女のようだったらと願わずにはいられない女性だった。「生きて終戦を迎えたとは聞いたけど」

 元磯風の眉が曇る。「知らないのか。時間はあるか? 遠くはない。住所を教えるから、あしたにでも行くといい。先方へはわたしから連絡を入れておいてやる」

 

  ◇

 

「はい、110番、兵庫県警察です。事件ですか、事故ですか」

「事件です」

「どうされましたか」

「家庭内暴力です」

「家庭内暴力。けがはされていますか」

「母が、母の目の上から血が出てるんです。何度も殴られて」

「血が出てる。あなたは大丈夫ですか」

「はい、大丈夫です」

「場所を教えてもらえますか」

「姫路市の、――」

「――、はい、わかりました。ご住所もそこですね?」

「はい」

「いまパトカーがそちらに向かっています。救急車は必要ですか」

「たぶん」

「では救急車もこちらで手配します。殴られたのはいつですか」

「ついさっきです」

「相手はいまどこにいますか」

「二階の自分の部屋に。彼女が通報しろと。きのう、タイホされるようなことをしてやるとわめいていたんですけど、ああ、本当にこんなことをするなんて。もうわたしたちには面倒をみきれない!」

「落ち着いて。相手は武器を携帯していますか」

「いいえ、素手です。でも彼女は軍隊にいたことがあるの。艦娘だったの。だからわたしたちではとても」

「わかりました。素手での暴行で、相手はお宅の自分の部屋にいる。お宅にはあなたとお母さんと相手のほかにだれがいますか」

「それだけです」

「その三人ですね。あなたとお母さんはいまどこにいますか」

「一階のリビングです」

「おふたりとも一階のリビング。お母さんは落ち着きましたか」

「血が……」

「きれいなタオルで押さえててあげてください。もうすぐ救急車が到着します。警察がそちらに向かっていることを相手は知っていますか」

「わたしの声が聞こえてると思う」

「パトカーが到着するまでこのまま通話にしておくことはできますか」

「え?」

「そちらにパトカーが着くまで、このまま通話にしておくことはできますか」

「はい。え? お母さん、なに? ああ!」

「どうしました?」

「やめて! こないで!」

「どうしました?」

「――――」

「大丈夫ですか」

「もういや……」

「大丈夫ですか。なにがありました?」

「あの子が降りてきたの。また上がっていったわ」

「なにかされましたか」

「いいえ、なにも」

「あなたと相手との関係は」

「わたしの妹です」

 

「兵庫本部、姫路27現着」

「現着了解。マルガイと接触したということでよろしいか、どうぞ」

「これより家のなかに入り確認する。しばらく待ってもらいたい。どうぞ」

「兵庫本部了解。受傷事故等留意(かた)願いたい」

 

「姫路27から兵庫本部」

「兵庫本部、どうぞ」

「家の二階の窓から女が飛び降りてきた。対象の女にあっては、PCの上にのぼって、放尿。公妨の容疑で午後十時三十六分、緊逮。どうぞ」

 

  ◇

 

 元磯風を訪ねた翌日の朝、元長波は予定から一時外れて播但線で南に下った。携帯端末が振動する。トイレの時間だ。尿意があるわけではない。だが彼女は一定時間ごとにトイレに立つ。ただ便座に座って、なにも出ないことをたしかめ、手を洗い、また席に着く。

 

 艦娘の一ソーティーあたりの平均任務時間は四十八時間だった。作戦によっては二週間も母艦を離れて行動する。その間、排泄は海に垂れ流しか、オムツの着用で対応していた。人間がもっとも無防備になるのは排泄時だから、作業や見張りに従事しながら用を足せる工夫は重要だった。海軍のオムツはすこぶる優秀だった。大手オムツメーカーが軍むけに新開発した高級不織布の表面材は、尻を濡らすひまもなくオムツ内側へ尿を送り込み、その吸水速度は砂漠におさおさ劣らない。吸水材は二リットルもの水を呑み、ゼリー状に固まることで尿が染みだしにくく、さらに防水シートはミクロの穴が無数に開けられていて、液体は漏らさず、湿気のみを外に逃がす。伸縮材と徹底的に人体を研究して生まれた形状は、戦闘で体を激しく動かしても完全に追従し、通気性を確保しながら外漏れを防ぐ。これら多層構造がすべて生分解性の素材であるため海にそのまま投棄できる点も艦娘たちに強く支持された理由だった。ポリウレタンやポリオレフィンなどの石油製品をもちいた従来品が採用されていた時代は、環境保護の観点から、排泄物をたっぷりたくわえた使用済みオムツを母艦まで持ち帰らねばならなかったのである。

 元長波も現役時代はオムツを穿いて出撃した。

「もよおしてもいちいちトイレに行かなくていいんだ。便利だよ、たかがクソ小便のために作業を中断しなくていいんだから……。みんなそうしてたし、軍にいたころは気にならなかった。よくいうだろ、乞食と役者は三日やったらやめられないって。どちらも初日は必死だから周りが目に入らない、二日めには知り合いに見られないかびくびくする、三日めにはどうでもよくなる、そんでもってもう元の暮らしには戻れなくなる……。人間てのは、恥ずかしいと思う気持ちは三日で消えてなくなるんだ。慣れるんだよ。なにしろ周りは女しかいないし、だれもかれもがオムツ穿いてるか、立ったまま澄まし顔で海を便所がわりにしてる。慣れさえすればこれほど楽なもんはない、便所に行くのが死ぬほどわずらわしくなる」

 艦娘は砲や魚雷よりオムツを選ぶと元長波は語る。

「もし敵戦艦の砲弾で上半身を吹き飛ばされて、使命感と道義心に溢れた僚艦が下半身だけでも連れて帰って、遺骨にして、帰国後にあらためて遺族のもとを訪れたとき、母親は涙を流しながらこんなことを訊くかもしれない。“そのときあの子は、ウンチまみれのオムツなんて穿いてませんでしたよね? 真っ白なオムツのまま逝けたんですよね?”。そこで弔問の労をとってくれた僚艦にうそをつかせるわけにはいかない。彼女が胸を張って“ええ、聖母マリアでも使い回したくなるくらいきれいでしたよ”と報告できるようにしておかなくちゃいけない」

 元長波は遠い目をする。

「でも、退役して、そのままもとの生活に戻ったら、どうなるか。オムツもしてないのに、つい小便や糞を垂れ流してしまうんだ。ももが濡れてようやく気づく。そして毒づく。“ちくしょう!”。しくじるたびに、こんどこそ尿意や便意がきたら便所に行こうと自分に言い聞かせるんだが、何年も体に染み付いた習慣はなかなか治せない。つぎにもよおすときにはうっかり忘れてる。これもクソッタレTBIのせいなのかな。いやクソッタレなのはわたしか……」

 いっそ現役のときみたいにオムツを穿こうとした。家族から露骨にいやな顔をされた。「子供や年寄りでもあるまいし、恥ずかしいからやめて。わたしたちがご近所さんから笑われる」。元艦娘がいる家はよくも悪くも町中から耳目をあつめる。介護が必要な老親がいるわけでもないのに、元艦娘がたびたびドラッグストアで介護用オムツを購入している姿が目撃されれば、口さがない世間の人々はたちまちうわさの種にする。

 もともと女性は、腹圧性失禁――重いものをもったり、くしゃみをした拍子に尿漏れする――が男性にくらべて多い傾向にあるが、事態はより深刻だった。尿意を覚える暇もあらばこそ、底に穴のあいた桶のように、溜まることなくそのまま尿が流れていってしまうのである。 大便もおなじだった。

「惨めだったよ。戦地に行って、海原を縦横無尽に駆け回って、そして勝利して還ってきた艦娘ともあろう者が、一からトイレトレーニングが必要だなんて……小さな子供だってトイレに行けるっていうのにさ。わたしはそれすらできないんだ。自分で自分が信じられなかったし、腹立たしかった。どうしようもないのが余計にね」

 インターネットの通販には大いに助けられた。だれとも顔を合わさずオムツが買える。「いまは離婚届もネットのフリーマーケットで買う時代なんだとか。ああ、わかるよ。その気持ち」シートで元長波は健康な表情をつくってみせる。

 大手インターネット通信販売会社によると、介護用オムツの売れ行きは二十年前から年々右肩上がりがつづいている。この需要が本来想定されていた老人介護によるものか、元艦娘の女性たちによるものなのかは、わからないとしている。

 あるメーカーが元艦娘むけと銘打って成人女性用のオムツを販売したことがある。性能面はもちろん、ランジェリーのようにおしゃれなデザインが売りだったが、予想に反して売れ行きは伸び悩んだ。発売から三年で製造も終了となっている。

 メーカーはマーケティングを行なって需要を見込んだからこそ販売を決定したはずだった。なぜ売れなかったのだろうか。

「そんなのがあったなんてわたしは知らないけど、あったとしても遠慮してただろうな。やっぱり、顔の見えない通販でも、そりゃあ女だもの、隠れて買いたいのが本音だよ。だからわたしたち専用に作ったものよりは、いままでどおり介護用のオムツで代用したいっていう奴が多かったんじゃないかな」

 いずれにせよ、いつまでもオムツを穿き続けるわけにはいかなかった。だから元長波は、尿意も便意も知覚していなくても、決めた時間にトイレに行く。

 

  ◇

 

 姫路市に入った元長波は列車を下りる。

「わたしが知ってる瑞鶴さんは、タウイタウイで世話になったんだけど、生まれたときからリーダーだったっていわれても異論はないって人だった。艦娘だって人間だからね、口先だけの先任なんていくらでもいたさ。でもあの瑞鶴さんはいつも行動で示してた。泊地所属の艦娘じゃ最多の撃沈数を記録してて、しかも出撃のたびに更新する。これはとんでもないことなんだ。何十っていう艦載機を同時に管制する集中力。機体に付与した干渉波が弱体化する時間を見計らって帰還させ、稼動戦力を常時維持するマネジメント能力。いや、それよりなにより、戦果を稼げるほどの最前線に出張って、なお轟沈せずに何度も、何年も出撃できるほどの、ずばぬけた危機管理能力。そして気高さ。彼女は自身のスコアよりも、僚艦を全員連れて帰ることを誇りに思うっていう人でね。わたしもあまのじゃくだからさ、死んでこいってふんぞりかえってのたまうやつのいうことには逆らいたくなるけど、瑞鶴さんみたいに、絶対にだれも死なせないっていう人の下だったら、ああ、この人のためなら死んでもいいなって思っちゃうんだ」

 実力もあってその瑞鶴は殊勲のコレクターとなった。瑞鶴は、殊勲手当の賞与を独り占めせず、かならず僚艦との飲み会で散財した。「わたしひとりじゃ取れなかったんだから!」。それが瑞鶴の口癖だった。

 海軍にはいくつもの伝統がある。艦娘たちにも伝統がある。そのひとつが、年に一度だけ、旗艦は随伴艦の言いなりになるというものだった。

「いつ、だれが思いついて広めたのかわからないけどね。伝統ってそういうもんだろ。いつもは命令ばかりの旗艦と、隷属してる随伴艦の立場が逆転するんだ。日ごろの恨みとばかりに随伴艦があれ持ってこいだの肩揉めだの、くだらない、他愛のない命令を下す。旗艦はおとなしくしたがう。恨みを買ってる旗艦ほどひどい目に遭う。随伴艦もあとが怖いからあんまり無茶はいわない」

 瑞鶴率いる艦隊にもそのときがきた。伝統にのっとり、わざわざ泊地司令が部屋にきて「三、二、一、いま」と開始を宣言した。

「そんときの瑞鶴さんときたら!」元長波は目で笑う。「小間使いみたいになって、へい、へいって、雑用をてきぱきこなしてさ。わたしらのほうがむしろ恐縮して、しかも他人になにかやらせるなんて、あまり経験がないから、背中掻いてとか、煙草買ってきてとか、思いつくかぎりの使い走りさせたんだけど、すぐにネタがつきた。なのに、瑞鶴さんときたら、“さあ次は? 次は?”って顔してくるから、わたしたちが命令する側なのに“早く終わってくれ”って」

 消灯時間前、ふたたび司令がきた。「三、二、一、いま」。元長波たちは「やっと終わった」と脱力した。

「これも伝統なんだけど、終わったら随伴艦一同から旗艦へお小遣いをくれてやるのね。わたしたちも熨斗袋に包んで“ごくろう”って渡したら、“は、ありがとうございます!”って瑞鶴さんが平身低頭で押し頂いた。これで正式に逆転劇は終わり。やっかいな伝統だ」

 何ヶ月かしたのち、瑞鶴の部屋を訪ねると、神棚に熨斗袋が飾ってあったのをみつけた。「まだ使ってないんですか?」と驚いて訊くと、瑞鶴は、はにかんで笑った。「なんかもったいなくて」。そういう女性だった。

 こんなこともあった。まれにみる激戦で、海はウレコット・エッカクスのためではなく艦娘の血で赤く染まった。元長波らの艦隊も、自力航行可能だが全員が負傷しており、弾薬も底をつきた。「どうすんです?」魚雷のない元朝霜がいった。「どうするって、そりゃあ」艦載機はあるが持たせる兵装がない瑞鶴は含み笑いで返した。「逃げるしかないじゃない」。

 撤退をはじめて半日経ったころだった。小さな島のそばを抜けようとしたとき、岩陰から重巡ネ級が姿をみせた。十数メートルという至近距離だった。元長波たちは仰天した。ネ級も仰天しているようにみえた、と元長波は記憶しているが、のちに元朝霜から聞いたところでは「無表情だった」という。どちらの記憶が正しいかはわからない。とにかく元長波たちは咄嗟遭遇戦に備えた。弾がないので構えるだけだった。

 ネ級もまた、腰から生えた二本の尾をもたげ、その先端にある砲口をむけたまま、撃ってはこなかった。

 膠着が続いた。元長波は思った。こちらの残弾がないように、相手も弾切れなのではないか? 仔細に観察してみるとネ級も無傷ではなかった。

 瑞鶴が手で随伴艦を制した。元長波らは砲を下ろした。

「瑞鶴さんは、いきなりネ級に敬礼したんだ。あれほど完璧な敬礼はなかなかお目にかかれない。わたしたちもなにがなんだかわからないまま敬礼した。そのまま、ゆっくり、島から離れた。ネ級はじっとこちらをみつめてくるだけで、最後まで、攻撃してこなかった」

 小島が豆粒になると、瑞鶴は「助かった」と息を吐いた。敵前逃亡だった。瑞鶴は疲労を感じさせない、よく通る声でいった。「わたしたちはなにもみなかった。そういうことにしとこう」。元長波らは頷いた。瑞鶴は白い歯をみせた。「これでわたしたちは共犯者ね」。

 

 元長波はいう。「ああ。あの瑞鶴さんの共犯者なら、よろこんでなってやるさ」

 

 白鷺城の異称に恥じず、眺めていると雪目になりそうなほどの至純の白亜をまとった姫路城。そこからほど近い新興住宅地の一角を訪ねる。呼び鈴を押すと、待っていたかのようにひとりの女性が応対にでる。元長波は、よそゆきの表情で出迎える彼女の顔の皮一枚下に、長年にわたって蓄積された憔悴と疲弊と諦念とが、いまだに代謝されることなく汚泥となって沈殿しているのを透かし見た。自分の母親の顔とおなじだ、と元長波は思った。PTSDにさいなまれる元艦娘とひとつ屋根の下で暮らす家族は、みんなおなじ顔になる。

「瑞鶴さんにお世話になったものです」元長波はしかるべき挨拶として名乗る。

 女性も深々と頭を下げる。

「あの子の姉です。こちらこそ、妹がお世話になりまして……」鼻をすする。顔を上げるとすでに涙ぐんでいる。詫びながら元長波を家へ上げる。

「六年まえのことです。ここ数日、妹の姿をみていない……そう気づいたときには、もう遅かったのです。わたしも朝に仕事へ出て夜遅くに帰る生活ですから、妹と会わない日がつづいても、すれ違いになっているだけだろうと、あまり気にはしていませんでした」元瑞鶴の姉は訥々と語った。その声に後悔が滲んだ。「両親もおなじで……もしかしたら、あのときのわたしたちは、妹の顔もみず、怒鳴られることもない日々に心が安らいで、あの子に積極的にかかわろうとする気持ちが、もうなくなっていたのかもしれません」

 元瑞鶴の姉が当時のことを語って聞かせる。部屋の扉をノックしても返事がなかった。恐々としながら開けてみると、もぬけの殻である。まさか、という思いが頭をよぎった。妹を最後にみたのは何日まえだったかを姉と両親は話し合った。けさは妹をみたか。みていない。きのうはみたか。みていない……。三人とも、自分は近ごろ元瑞鶴をみていないが、家のだれかが一日一度くらいは妹と顔を合わせているだろうと、とくに根拠もなく考えていた。しかし話を突き合わせてみると、どうやら八日前の日曜に父が深夜にトイレに立ったさい、通りがかったリビングキッチンで元瑞鶴が電灯も点けずに冷蔵庫を漁っていたところを目撃したのが最後らしかった。そのときはとくに声もかけなかった。元瑞鶴はぎくりと振り返って、トイレへ通じるアコーディオンカーテンを開ける父を、冷蔵庫の室内灯を頼りにじっとみつめていたが、やがて「なんで怒らないの」とひどく掠れた声で呟いたという。父はなにも答えずにトイレに入った。用を足して出たとき、リビングに元瑞鶴の姿はなかった。その日が日曜であることを父はよく覚えていた。母の声はおののいた。「きょうは月曜よね、それはゆうべのことじゃないわよね」。先週の日曜だった。それで八日ものあいだだれも元瑞鶴の所在を知らなかったことがあきらかになって、家は静かな騒ぎとなった。

「心当たりのあるところへはすべて電話をかけました。市川の磯風だったかたにも……」元瑞鶴の姉は弱々しく首を横に振った。「妹はどこにもいませんでした。まるで最初からどこにもいなかったかのように、彼女は忽然と、かき消えてしまっていたのです」

 いつ家を出ていったのかもわからない。日記も書き置きもなく、SNSもしていないから、足跡をたどろうにも手がかりがなかった。それでも発覚してから何日か、鶴首(かくしゅ)して帰りを待ったが、元瑞鶴は姿をみせないばかりか、どこからもなんの連絡もない。それが六年と三ヶ月経ったいまも続いている。年老いた父母は娘の安否をたしかめることすら叶わないまま失意のうちにこの世を去った。伽藍のように広く感じられるようになった家で、元瑞鶴の姉だけが、たったひとりで妹の帰りを待ちわびている。家と土地は持っているだけで負担になる。金銭的にはやはり厳しいという。ひとりで暮らすなら売却してアパートにでも居を移したほうが賢明だと知人たちにも助言された。しかし彼女は、できるかぎりはいまの家で待つと譲らなかった。

「だって、この家があの子の帰ってくる場所であるはずなんです。知らない土地で生きていくのに疲れた妹が、帰る家をもとめて、ふらりとここへ戻ってきたとき、なにもない更地になっていたり、別の家が建って、別の家族が住んでいたら、とても悲しむと思うから」

 元瑞鶴の姉は話した。

「妹は正義感の強い子でした。家に女はふたりもいらない、お姉ちゃんはお父さんとお母さんをお願いね。そういって軍に志願したんです。艦娘学校へ行く前日には写真屋さんで遺影を撮影しました。でもあの子ったら、シャッターを切られるときに、まるで記念撮影みたいに弾けんばかりの笑顔になって、ピースサインまで振りかざして。そんなうれしそうな遺影があるかって父は呆れたんですが、あの子はそれを額に入れるといって聞きませんでした。“お葬式なんて辛気くさいに決まってるんだから、遺影は明るい顔のほうがいいの!”と。箱にしまった遺影を、妹は“わたしの代わりだと思ってね”と父に手渡しました。わたしたち三人は涙が溢れてくるのを止めようもありませんでした。まだ死ぬと決まったわけではないのだからと、かえって妹になだめられるかたちになって……」

 まさにわたしの知っているあの瑞鶴だ、と元長波は写真屋での感涙を誘うひとコマを容易に想像することができた。

 はたして遺影を使わなくてすむ僥幸(ぎょうこう)に恵まれた。だが終戦の翌年に帰国し、艦娘でも海軍でもなくなった元瑞鶴を迎えに行った姉は、ほかの帰還者たちとともにタラップを降りてくる妹をみて、こう思った。「どくろみたいだわ」。

 ふたたび家族の一員となった元瑞鶴は、退役前に取得していた資格――軍隊でしか通用しないMOSや、退役したと同時に失効する特例資格などではない、ちゃんと社会で役に立つ資格――を活かして神戸の損害保険会社に再就職した。第二の人生が開けると家族は信じて疑わなかった。戦争が楽しい記憶ばかりであるはずがない。だが、妹ならその泥の堆積物からでも今後の人生の役に立つ黄金をみつけることができるはずだ。国民として最高の義務を完全に遂行し、生きて戦争の終わった時代を歩む果実を手に入れた彼女には、それを何者にも邪魔されることなくまるごとほお張る権利があった。前途は洋々とひらけているはずだった。しかし、

「ある日、会社から電話がきました。妹が何日も無断欠勤していると。母は驚いて悲鳴をあげたそうです。話をきいたわたしもびっくりしました。だって、妹は毎日、ちゃんと出勤していたんです」

 元瑞鶴は、会社に行くふりをして、夜までどこかで時間を潰し、出勤をよそおっていたのだった。

「妹が帰ってくるなり父は妹を怒鳴りつけました。どこでなにをしているのかと。妹はうなだれて、しばらく黙っていました。母は泣いていました、“どうしてなの”と。父に問い詰められて、妹はようやくぽつぽつと話しはじめました」

 

 救国の英雄として鳴り物入りで入社した会社だったが、持ち前の明るさと艦隊旗艦や教導部隊長など要職を歴任した経歴を買われて配属された営業部で、元瑞鶴は思ったように成果を挙げられなかった。当時三十三歳だった。三十路過ぎの新入社員はただでさえ扱いにくい。しかも同業種でキャリアを積んで転職してきたというわけでもない、能力面では新卒同然の、年齢ばかりを重ねた三十三歳だ。それでも軍隊出身だから、上司には絶対服従、与えられた仕事はかならずやり遂げるものと会社は期待していたらしい。しかし三十三歳の元瑞鶴にとって先輩や直属の上司は年下になる。互いが距離を測りかねた。民間で働いてきた彼らと、軍以外の世界を知らずに生きてきた元瑞鶴とでは話題も合わなかった。

 職場の仲間だけでなく、取引相手からもよく注意が会社に入れられた。「おたくの営業担当は世間話ができない」。軍事や飛行機など、自分が興味のある情報なら延々と話すが、それ以外の話題が非常に乏しい。なにが取引先との商談におけるとっかかりになるかわからないから興味のない分野でもとりあえず片っぱしから頭に入れておく、という意識に欠ける。商売では商品のスペックは二の次だ。まず会社の顔となる営業担当者が顧客に気に入られなければ商品をみてももらえない。

 一緒に食事をしながら会話をして取引相手との距離を縮めることもできなかった。食事を五分ですませる軍隊の陋習(ろうしゅう)から、元瑞鶴もまた解放されることはなかった。

 仕事を一から教え込まなければならず、職場では仲間との折り合いがつかない、営業成績も最底辺――元瑞鶴は社内で孤立を深めていった。

 ある日、元瑞鶴は、出社しようとして、会社の前で足がすくんでしまい、どうしてもエントランスをくぐることができなかったという。雑踏にまぎれて行きつ戻りつしているうち、始業時刻が過ぎた。元瑞鶴はパニックになった。逃げ出した。知らない町を当てもなく彷徨した。昼になった。いまさら出社などできない……元瑞鶴は、大阪湾で寄せては返す波をぼうっと眺めて夕刻まで過ごした。会社帰りのサラリーマンたちに混じって帰宅した。家に会社から電話がきていないか怯えながら。

 いちど無断欠勤を犯した以上、もはや出勤などできようはずもなかった。マリアナやサマールの死闘にも一歩も退かなかったのに、自分の失態を責め立てるであろうものたちが待ち構えている職場に針路をとる勇気は、どこをさがしてもみつからない。しかも悪意からのいじめを受けているというわけでもなく、譴責される原因はほかならぬ自分の過失と不甲斐なさにあることが、元瑞鶴をさらに追い詰めた。逃げ場がない。翌日は暗憺たる心持ちで駅に行った。永遠に駅に着かなければいいと本心から願った。改札に入ろうとしたとき、急にはげしい腹痛に襲われた。人ごみをかきわけてトイレに駆け込んだ。PT小鬼群が腹のなかに入り込んで腸を好き勝手に食い荒らしているような痛み。水のような下痢はいつまでも治まる気配をみせなかった。こもっているうちに発車ベルが響いた。出勤時刻に間に合う最後の電車だった。声を聞かれないよう流水音の擬音装置を働かせながら、元瑞鶴は忍び泣いた。

 混雑する時間帯が過ぎ、うそのように閑散としたホームで元瑞鶴は目を腫らしたまま、ベンチに腰を沈めてただ虚空をみつめた。どれほどの時間そうしていたか、「先輩? 瑞鶴先輩ではないですか?」という声でようやくわれに返った。

「やっぱり先輩。お久しぶりです」。終戦の数年前に正規空母として元瑞鶴の艦隊へ配備され、彼女が手ずから面倒をみて鍛え上げた元加賀だった。その元加賀は幼少のみぎり、両親の無理心中にきょうだいともども巻き込まれて、ただひとり死に損なった。軍に入ってからも他人に心を閉ざしたままだった。そんな自分の闇を照らしたのはあなたという太陽だったと、元加賀は声を感激で震わせた。「あなたにはたいへんお世話になりました、言葉ではいいつくせないほど。あなたはわたしのために本気で怒って、涙を流して、そしてわたしなんかを仲間と認めてくださった。いまのわたしがあるのは、すべてあなたのおかげなんです」。投げかけられる感謝は元瑞鶴には刃に等しかった。元加賀は旧情を温めるべくすこぶる饒舌になっていた。「むかしのわたししか知らない人に会うと、びっくりされるんですよ、あんなに無口で仏頂面だったのにって」。そんな元加賀に元瑞鶴は生返事をするのがようようだった。

「先輩は、いまどちらでお仕事を?」。元瑞鶴が平静をよそおいつつ社名を告げると、元加賀は手を叩いた。「大手じゃないですか。さすが先輩」。

 そういう元加賀も、いま会社員として忙しい日々を送っているとのことだった。「朝から晩まで馬車馬みたいに働かされてます。あれもこれもみんなやらなくちゃいけない。でも結果を出せればきちんと評価されますし、達成感もある。戦争を生き抜いたことも自信につながっています。さきごろはわたしの出した企画が通って、言い出しっぺということで、プロジェクトリーダーまで任されてしまいまして。いまもそれで提携先と打ち合わせに行くところです。まるで飛脚みたいに行ったり来たりですよ」。元加賀はわざと疲れた表情をしてみせた。充実感のある疲労だった。ホームに電車が入ってきた。「先輩も外回りですか? まさか、いまから出勤ではないでしょう?」。元加賀は軽い冗談だという顔でいった。元瑞鶴は自分の心が重油のようなもので黒く塗りつぶされるのがはっきりわかった。

「ごめん、わたし急ぐから」。耐えられなくなった元瑞鶴は、会社とは反対の方向へむかう電車に逃げるように飛び乗った。走り出した車内で乗客の目も気にせず歔欷(きょき)した。また夜になるまで海で波の数をかぞえながら時間を浪費した。

 いつまでも無断欠勤する毎日が続くはずもないとはわかっていた。だが、どうしようもなかった。

 

 元長波は信じられない気持ちで聞いていた。あの美しく、はつらつとして、正確無比な戦局眼で作戦を運び、艦隊を強力に牽引し、だれからも愛される艦娘だったあの瑞鶴の英姿からは、にわかには信じがたい話だった。元長波は、公園のベンチに腰かけて母親の持たせてくれた弁当をひとりぼっちで食べている元瑞鶴を想像した。惨めさに泣きながら箸を進めていたかもしれない。

 多数の艦載機を同時に操る技能も、五分で食事を終わらせる早食いの特技も、手旗信号をすばやく読み取る技術も、保険会社ではなんの役にも立たなかった。何年も地道に訓練と実戦で鍛えてきた自負を粉々に打ち砕かれたにちがいない。元長波はわが身に重ね合わせながら思った。創造性をもとめられ、ミスをしない以上の成果を挙げ、口は出すが金は出さない物分かりの悪い客に頭を下げる仕事は、ある種の退役艦娘には耐え難い。

「それなら、もっと自分に合う部署に転属を願い出るとか、いっそ転職でもすればよかったのに……せめてわたしたちに相談でもしてくれたら」

「できなかったんでしょうね」元長波は自身の体験を交えて答える。「自分がPTSDを患ってるなんて、認めたくないんです。言葉にすれば認めたことになる。自分は頭の病気なんだという、つらい現実を受け入れなければならなくなる」

「PTSDって、そんなに恥ずかしいことなんですか? 病気なんですから向き合わないと治らないのでは」

 元長波は悲しい顔をする。

「敵から受けた名誉の負傷でもない心の傷なんてものを、戦争が終わったのにいつまでもひきずっている、しかも強くあれと徹底的に教育された艦娘が。屈辱です。だから自分は病気じゃないと言い張る。それで適切な治療も受けられず、ますます症状が重くなる」

 病気は病気でもがんなら病院へ行く。わかりやすい病変がある。PTSDやTBIは自分でも認めたくはない。外傷も出血もないから周囲の理解を得がたいと理解している。いつまでも仕事を覚えないとか、物忘れが激しいとか、遅刻が多いとかいった、ただのだらしなさを病気のせいにしているだけだ、とみんなに思われるのではないか……そんな不安が拭えない。「え? 取引先との会合をすっぽかした? ごめんなさい、わたしTBIで記憶が抜け落ちることがあるの。わたしのせいじゃなくて、戦争のせいだから、わたしを責めないでね」。そう平然といってのけることができればどんなに楽だろう。そして元瑞鶴は言い訳を自分に許す女性ではなかった。

 

 退職した元瑞鶴は自宅で静養に専念することになった。とにかく心と体を休ませるべきと家族は考えた。元瑞鶴の好きにさせた。彼女には時間が必要なのだと。元瑞鶴はある日、川の水面を歩いて渡ろうとして溺れかけた。火にかけたやかんの蓋がカタカタと音をたてると悲鳴をあげてテーブルをひっくりかえした。なにを話すにも断定形と命令形だった。ウォッカの一・五リットルのびんを一日で空けるほど酒に溺れた。いつまでもオムツがとれなかった。

 昼夜の区別がつきにくくなって、不眠と過眠の両方に悩まされた。元瑞鶴は現役だったころ新機軸となる夜間航空攻撃システムの運用試験でテストベッドとして参加していた時期があった。当然のことながら任務は夜間に集中した。長期間の昼夜逆転生活が鬱病と概日リズム睡眠障害を引き起こしたのかもしれない。元長波はそう推量した。

 朝はみんなで食事をしようね。家族は元瑞鶴と約束した。規則正しい生活が回復への一歩だと考えたからだ。元瑞鶴も最初はいわれたとおりにした。だが、鎮痛剤、抗鬱剤、抗不安薬、過覚醒を抑える薬、幻聴を抑える薬、睡眠剤、抗悪夢薬、気分安定薬、抗精神病薬など、服用する薬の種類と数が増えるにつれて、朝起きるのも困難になっていった。

「十二時間寝ても目を覚ましていられないとか?」

「そういってました。どうしてそれを?」

 夜戦を主たる任務としていた元長波は弱々しく肩をすくめる。「わたしもそうだから」

 いつまでも元瑞鶴の調子は改善をみなかった。むしろ悪化しているようだった。部屋だけは不気味なほどいつも片付いていた。それを家族にも強いた。父親がリビングのテーブルで新聞を読んでいた。飲み物をとりに席を立った。テーブルには新聞が広げられ、椅子は引かれたままだった。そこへ元瑞鶴が二階から降りてきた。「どうしてよ」見るなり元瑞鶴は怒鳴った。「どうしてそのまんまにしとくのよ。信じられない」。わめいた。叫んだ。手がつけられなかった。

 元瑞鶴は海軍転換艦隊総合施設を受診しなかった。姉は妹の反対を押し切ってでも施設に行かせるべきだったと後悔している。どの段階で施設に相談すればよかったのだろう。軍の報告書に書かれてあったように「利発で、外交的、礼儀正しく、愛国者で、よく働き、優しくて真面目な、義務感に溢れる女性」だった妹が艦娘になると宣言したときだろうか。戦争に行く前、とびきりの笑顔を収めた遺影を撮影した日だろうか。戦争が終わって、解体されて帰郷し、シーツにしわのひとつも許さないほど潔癖になって、社会復帰に失敗したときだろうか。それとも、泥酔して家族に暴行した夜、通報を受けて駆けつけたパトカーの屋根にのぼって、小便をしたときだろうか。 

 

「妹は家族の自慢です。贔屓目でしょうが、りっぱな子です」元瑞鶴の姉は、これまで何度も何人もの人間にいってきたことを元長波にも主張する。「二度と帰れないかもしれないのに、自ら望んで海に行ったのです。だから、生きて帰ってきたときは、心の底からうれしかった。これからはきっと素敵な毎日があの子を待っているんだろうって、信じて疑いませんでした。軍へ行って別人みたいになってしまった艦娘のかたがいるとは聞いていましたし、事前に海軍から送られてきたパンフレットにも“辛抱強く見守ってあげてください”って書いてありましたけど、妹にかぎってそんなことはないと……。けれど、そのとおりだった。わたしたちも、たぶんあの子本人も、絶対に認めたくなかったけど、妹は壊れてたのよ……」

 壊れてた。元長波もおなじだった。「教えてくれ。わたしはどうしちまったんだ」と頼った元朝霜は、まず防衛省の外局で死傷艦娘に関する行政が所掌の退役艦娘庁に連絡し、回された死傷艦娘支援局に説明して、元長波にそこへ行けといった。理解できなかった。死んでもいないし、傷もないのに。「いいから行くぞ」。元朝霜が付き添ってくれた。戦闘ストレスと書かれたプレートの部屋で、すべてにあてはまる精神科医の問診を受けながら、元朝霜は間違っていなかったと彼女は理解した。壊れていた。死んでいた。

「わたしたちは、なにがなんでも妹をサポートしようとしました。きっとたいへんなことがあったんだろう、せめてこの家は妹が安心して心の傷を癒せる場所にしないとって。でも」

 姉は迷いながらも続けた。

「何日も、何日も、とくに職を辞めてから、あの子の様子はひどくなるばかり。つらかったのはわかるけど、もういい加減にしてよっていうのがわたしの本心でした。戦争が終わってもう何年も経つのに、いつまで引きずってるのよって。いつあの子に怒られるか、わたしたちはいつもびくびくと……でもいつかは、むかしのあの子に戻ってくれるものと」

  両親に、既婚者なら夫に、軍は「思いやりをもって接してあげてください」と忠告した。「焦らないで」とも。艦娘として戦地に赴いて奇跡的に生きて帰ってきた彼女たちを深く愛していた者たちほど、それを忠実に守った。ベッドのシーツがほんのちょっとしわになっているだけでわめきちらされ、「あんたは最低の出来損ないだ。ちゃんと赤い血が流れてるかどうか、その不恰好な鼻をへし折ってたしかめてあげようか」と罵られ、髪をひっつかまれて床に顔を押しつけられても、必死に耐えた。いつかもとに戻ってくれるはず。そう信じていた。だって、軍は「きっと大丈夫」と約束してくれたのだから。彼らは健気だった。

 元瑞鶴は感情をコントロールできなくなっていた、と姉はいう。気分にむらがあり、こみ上げてくる怒りをどうにもできず、ちょっとしたことで感情が爆発した。深夜でもおかまいなしだった。意味をなさない叫び声をあげて地団駄を踏んだ。

「戦地であの子になにがあったのか」、それを元瑞鶴は明かそうとしなかった。「話せば少しは楽になれるかもしれないわ。お願い、話して。わたしたち、たったふたりの姉妹じゃない」。落ち着いているときに訊いた。

 すると元瑞鶴はウォッカの注がれたグラスを離さず訊き返した。「お姉ちゃんは艦娘に志願した?」。

 姉は答えた。「いいえ」。元瑞鶴が海軍にいたころ姉は大学へ進学していた。

「じゃあ、姉妹じゃない」。元瑞鶴は姉のほうに目もくれずに暗い声でいった。

「どうして?」「艦娘の姉妹は艦娘だけよ。おなじ訓練を耐えて、お互い戦場で命を預けあった。固い絆で結ばれてた」。元瑞鶴は断言した。「わたしの姉は翔鶴姉だけだよ。たとえそれがわたしの会ったことのない翔鶴姉でもね」。姉はそれ以上なにもいえなかった。

 

「艦娘の結びつきは、そんなに強いものなんでしょうか」

 元瑞鶴の姉が元長波に尋ねる。理解したいという真摯な面持ちがある。

「たとえばわたしは駆逐艦でした。艦隊行動中の駆逐艦の仕事は、対水上と対潜警戒です。横方向と、水平線より下の海を見張るわけです」元長波が身振りを加えて説明する。「空母は艦載機をつかって空を見張ります。進行方向に索敵機を飛ばして、水上と空中に敵がいないかたしかめる。駆逐艦は基本的に目線より下を注視します。空から敵機に爆弾でも落とされたらひとたまりもありません。でも絶対に上はみない。その瞬間にこっちが敵潜や雷跡を見落とすかもしれないから。信じるんです、空母や対空警戒に割り当てられてる仲間を。彼女たちもわたしを信じてる。空母は艦載機から送られてくる映像をモニターしてなきゃいけないし、防空艦は空から目が離せない。足元ががら空きなわけです。互いが互いの仕事を完全に果たしてるって信じているからこそ、わたしたちは自分の仕事に集中できる」

 逆に空母に足元を気にされることは駆逐艦にとって最大の屈辱とされる。元瑞鶴が空と空中投影型ディスプレイの艦載機映像から目を離すことは一度たりともなかった。元長波はその事実が自宅の靴の箱に詰め込んである負傷勲章すべてよりも価値のある勲章だと思っている。元長波にとって元瑞鶴とはそういう女性だった。

 

「日常生活ではそんな仲間はなかなかできないでしょう」元長波は言葉をえらんだ。「もう無理だと思った局面を共に乗り切ったときの高揚感は言葉にできません。汗まみれ、血まみれ、油まみれの体で仲間と抱き合って泣きながら迎えた夜明けは、最高に美しかった。――生きている。そのよろこびを分かち合う戦友がいるってことは、これ以上ないほどの幸せです。その感動を知っている人間にとって、戦後の日常が味気ないものに思えることは否定できません」

「戦争のない、安穏とした時代の人間関係が、薄っぺらいとか、うわべだけにしか思えないということですか?」

「そう受け取ることも可能です」

「あなたもそうでしたか?」

「くらべてしまうことは、しばしば」元長波は正直に告白した。

「妹もそうだったのでしょうか」

 一般社会で築いた関係がまがいものにみえたのかもしれない。血をわけた家族でさえ戦地の仲間に劣ると思ってしまったのかもしれない。

「でも、あの子は帰ってきたときから、すでに別人だったの」

 

 何年かぶりの帰国と再会でも、妹には、彼女と不可分だったはずの笑顔はなかった。食卓に置く調味料の向きまでそろえるようになっていた。夜中に部屋からすさまじい絶叫が響くことがたびたびあった。最初にそれがあったのは? 帰還した初日の夜だ。「ごめんなさい、ごめんなさい」と、ひとりしかいないはずの部屋で何度も繰り返していた。戦後に馴染めなかったことだけが元瑞鶴を失踪に追いやった原因ではない。やはり戦地でなにかがあり、それが妹を変えたのではないか。姉はそう推論を述べた。

「だとしたら、あの優しくて愛される妹に、なにがあったのか」

 軍隊に行かなかった姉には知りようもない。

「わたしが知っている瑞鶴さんは、おそらくあなたがご存知の妹さんそのものだったと思います」元長波も推し量る。「わたしが転属になったあと、終戦までのあいだに、なにかがあったんでしょうね」

「いったい、なにがあったのでしょう」

「わたしの経験からでしか申し上げることはできませんが」

 前置きする元長波に、元瑞鶴の姉は、それでもいいから考えをきかせてほしいと懇願した。

「なにか戦闘ストレスになるような出来事があったとして、それ自体は、じつはたいしたことではなかったかもしれません」

「どういうことですか」

「心っていうのは、体とおなじで、傷がつくと血を流すんです」元長波は自分の心臓あたりを指差す。「流れた血を受け止める器があります。その大きさには個人差がある。家族ともいえる僚艦が目の前で沈む。心の傷になる。血が流れる。最初の一回で器がいっぱいになる艦娘もいる。何回か経験しても溢れない艦娘もいる。その違いがどうして生まれるかはわかりません」両手で杯を象る。「妹さんの器はとても大きかったのだと思います。だから僚艦の轟沈を目の当たりにしても、本人ですら自身の出血に気づかなかった。いくつもの死をみつめてきたタフな艦娘だから大丈夫と本人も周りも思ってたはずです。でも、身近な人間の死なんて慣れるものではありません、まともな人間ならね。ただ傷が増えるだけです。最後の最後、それまで何度も経験したはずの随伴艦の轟沈で、そのこと自体は心の血を一滴垂らすだけだったかもしれませんが、すでに溢れんばかりだった器が限界を超えて、ついにこぼれてしまった。ちょうど、コップになみなみと水を満たして、表面張力でなんとかもちこたえてる状態のときに、ひとしずくでも垂らすと一気に溢れて流れ出てしまうように」杯を模していた手が解かれる。元瑞鶴の姉は、溜まっていた血が流れ落ちて床に跳ねるさまを幻視している。

「こうなった艦娘は、もう二度と海に立てません。今度は自分が沈む番だという確信にとり憑かれるんです。もし戦時中だったら泊地やキャンプの救護所で精神医に診断を下してもらって、後方へ送られていたでしょう。でも、おそらく、ちょうどそのときに終戦になった。正確には、もう深海棲艦の大規模な攻勢はないと世界が認めたから終戦宣言がなされたんですが、つまり、もう正規空母の出番はないという時局になっていたんです」

 

 日本海軍においても終戦の十ヶ月前から正規空母および戦艦の出撃数は激減していた。公式記録では日本の正規空母最後の出撃は終戦六ヶ月前、横須賀所属の三個独立混成海上旅団によるものだ。しかもこれは純粋な敵邀撃のためではなく、威光ある艦隊の掉尾(とうび)を飾るための、半ばデモンストレーションの意味が大きかったといわれている。

 

「正規空母は優先的に解体されました。妹さんは心の器が血まみれになっていることに気づく前に解体されたのかも。軍から民間への転換で忙殺されて、自分がどんな状態にあるのか自覚できないまま、またしかるべき機関が彼女の精神の問題を認識するひまもないまま、除隊となってしまったのではないでしょうか」

 

 すべては憶測でしかない。円満な第二の人生を歩めない元艦娘がいることの理由は軍もいまだ答えを見出せていない。外傷性脳損傷が元艦娘に与える影響について研究している医師たちは、三度の海外派兵ののち隊舎で自殺したある艦娘の検死解剖で報告書にこう書いている――解剖の結果、脳変性疾患が原因で記憶障害、混乱、鬱、妄想、衝動的行動などが起きるようになったという証拠が発見された。

 脳変性疾患は、脳に絶えず衝撃を受けるボクサーやサッカー選手などのスポーツ選手にもみられる。爆弾で繰り返し衝撃を受けてきた艦娘が社会に復帰できなかったり自殺する理由はこれなのだろうか。PTSDではなく、物理的に脳を襲い、理性と自制心を奪う病気のせいなのか? いずれにせよ毎月東京で開かれる海軍自殺防止調査会議を構成する将校たちは、だれもがおなじ疑問にぶつかることになる。なぜ、おなじ戦闘を経験して、市民生活にすんなり移行できる元艦娘がいる一方で、自暴自棄になってあまつさえ自ら命を絶つ元艦娘がいるのだろうか。

 軍は自殺する艦娘の共通点を探そうとしている。現役のうちに自殺する艦娘もいれば、除隊後に自殺する元艦娘もいる。元駆逐艦だったものもいれば、元戦艦だったものもいる。PTSDと診断されていた艦娘もいるが、そうでない艦娘もいる。精神衛生の治療を一度も受けていなかった艦娘もいたが、自殺艦娘のうち半数以上は治療を受けていた。はっきりした要素は頼りないほどわずかな点ばかりだった。海外派兵の回数が多いほど自殺しやすい。おなじ回数なら短期間に集中しているほうが自殺しやすい。既婚者は未婚にくらべ自殺しにくい。至近弾を経験した艦娘で、寝る前に自分の体験をだれかに話した艦娘のほうが、話さなかった艦娘よりもストレスが軽減されている。しかし、いくら自殺艦娘の事情を文面にしたところで、パターンがわかるわけではなく、パターンがわかったところで、効果的な治療法がわかるわけではない。寄生生物を移植する適合手術に原因があるのか。ホーミングゴーストが関係しているのか。個人の資質ではなく、女性を兵士として戦地へ大量に動員する対深海棲艦戦争という、歴史上前例のないタイプの戦争が問題なのか。調査はいまだ中間報告の域を出ていない。

 

 海軍には海軍の報告書がある。元瑞鶴の姉には彼女の報告書がある。「どくろみたい」になった妹が帰ってきてから姿を消すまでのあいだ、生活をともにした記録だ。海軍の報告書は正式な書面で公文書管理法第六条に基づいた方法で保管されている。元瑞鶴の姉の報告書は携帯電話で作成され彼女のパソコンのフォルダに保管されている。妹が帰国してから事態は悪化しつづけ、姉は家で起きていることをつぶさに記録しておきたくなった。携帯端末で打たれた文章は、元瑞鶴の精神崩壊の記録となった。

 

 六月三十日。「無断欠勤を重ねた妹が退職した。その次の日、仕事が休みだった父が甲子園の地方大会の中継で母校の試合を途中から観戦していると、妹が自室で家中に響く大声で悲鳴を上げて暴れた。試合終了のサイレンに反応したらしい」

 七月五日。「家を出ると玄関先にゴミ袋がいくつもあった。中身は妹の集めていた模型ばかりだった。模型はどれも粉々に壊されていた」

 十二月十一日。「妹は一時間以上も水道で手を洗っている」

 一月五日。「トイレで妹が嘔吐している。過食症かもしれない」

 三月二十日。「脱衣所に歯が落ちていた。父も母も自分のではないという。歯はぼろぼろだった」

 四月二十八日。「妹と父が大喧嘩をした。妹は父の髪をつかみ、床におしつけ、怒鳴りまくった。父でさえ軍隊だった妹には勝てない」

 九月三日。「妹はこのところ一睡もしていないらしい。新聞配達や郵便配達がこの家を監視しているといいだした。あいつらは深海棲艦とグルになってる、と爪を噛んでいる。夜中、わたしたちが寝静まっているとき、大声で叩き起こされた。この家には盗聴器が仕掛けられていると。深海棲艦に盗聴されているといって聞かない。自分の部屋へ帰っていった。わたしたちは呆然としたまま取り残された」

 九月十七日。「妹がゴミを漁っていた。リサイクルできるものは選り分けて、できるだけゴミの量を減らさなければならない、やつらがゴミから情報を集めているからだ、という。やつらが銀行口座とクレジットカードの使用歴を調べているから買い物は現金でするようにと命令された。彼女は自分の通帳やキャッシュカードもハサミで細切れにしていた。こんなとき翔鶴姉がいてくれれば、と何度も口にする。あなたの姉はここにいるのに」

 十一月一日。「妹は完全に昼夜が逆転している。艦娘の軍縮はとんでもない大失敗だった、政府が深海棲艦とつながっているんだ、地球侵略に邪魔な艦娘を排除するためにやつらは政府と接触したんだ、政治家はみんな売国奴だ、姫路と豊富(とよとみ)の変電所は隠れ蓑だ、あそこから艦娘をオカシクする電波が出されてる、だからわたしはこんなことになってる、でもまだこれは序の口だ、オカシクする電波はまだ実験段階で、いずれはあんたたちのような艦娘にならなかった人間にも作用させられるようになる、あんたたちはわたしをきちがいだと思っているんだろうけど、近いうちにみんながこうなる、やつらは世界中の人間をきちがいにするつもりだ、そのほうが侵略しやすいからだ、というようなことばかり話している」

 十二月五日。「妹が、ゆうべ、太平洋の海底でたいへんなことが起こった、という。わたしのなかにわずかに残っている寄生虫の因子ではっきり感じたと。深海棲艦が新たな軍団をつくった、もうすぐ本当になにもかもがトンデモナイことになる、盗聴器の線を切った、といった。それは家の固定電話の電話線だった」

 三月二十四日。「妹がわめきちらしている。逮捕されるようなことをしてやる、といった」

 三月二十五日。「母のなにげないひと言が癇に障ったらしい妹が、母を何度も殴った。血が出た。死にたくなければ通報しろと妹がいう。警察も深海棲艦の仲間だから、元艦娘が事件を起こしたと聞けばすっとんでくるはずだ、それでわかると。通報した。パトカーが何台もきた。妹は二階の窓から、やっぱり深海棲艦だ、と叫んだ。飛び降りてパトカーの一台にのぼり、そこでおしっこをした。妹は逮捕された。警官がわたしに、妹さんは精神病にかかっているか、と尋ねた。わたしは、その疑いがあるだけと答えた。わたしたちは被害届を出さなかった。公務執行妨害だったが検察も不起訴にした」

 こういったことが逮捕と釈放のあとも十一年と五ヶ月つづいて、元瑞鶴は失踪した。

 

 壁の不自然な高さにカレンダーがかけられている。元瑞鶴が怒りに任せて殴ったくぼみがあるからだ。リビングの床には抉れたような傷がある。沸騰したやかんの音に怯えた元瑞鶴がテーブルをひっくり返したからだ。勝手口のガラスはいまもガムテープで目張りがされている。元瑞鶴がつかんで放り投げた自分の遺影の額縁で割れたからだ。

「彼女の部屋をみせてもらっても?」

 姉は承諾して二階へ案内した。

「あの子がいなくなってから、そのままにしてあるんです」先導して階段を昇る姉の言葉に、元長波は、いつか元瑞鶴が帰ってくる日のために手をつけていないのだと思った。

 奥の部屋を開けた。姉に断ってから足を踏み入れた元長波は言葉を失う。フローリングの部屋には、隅に置かれたゴミ箱とベッド以外、なにもなかった。テレビも、机も、パソコンも、姿見も、本棚も、ポスターの類いも、なにひとつない。軍で何度か入れられた営倉に似ているが、これが懲罰房ではなく、個人の趣味とプライベートに満たされていてしかるべき私室であるということが、なによりも異様だった。人間の住む空間とは思えない。ある意味でグロテスクな光景に、元長波は眩暈すら覚えた。

「ここは妹がいなくなる前からこうなっていました」行方をくらます前に身辺を整理したのだろうか、という元長波の希望的観測に近い疑問を見透かしたように元瑞鶴の姉がいった。「もともとはもっといろんなものがあったんです。軍に行く前から飛行機や軍艦の模型が大好きで、よくつくっては飾っていました。ところが、そう、会社を辞めたあとから、どんどん捨てはじめて……」

「辞めてから失踪するまでは?」

「十三年になるでしょうか」

 元瑞鶴は退職してすぐ携帯電話も解約したという。十三年ものあいだ外界から隔絶され、壁と床と天井しかないこの殺風景な虚無の地獄で、どうやって過ごしていたのだろう。難問に逢着すると同時に、姉が元瑞鶴の部屋に手をつけていないといった意味がようやくわかった。たしかに私物らしい私物がないのでは片付けようもない。

 広漠(こうばく)な海を当てもなく泳ぐようにさまよっていた目が、ふとクロゼットに止まった。

「開けてみても?」

 どうぞ、と促され、元長波は壁にもたれかかりながらクロゼットまで歩き、折れ戸を引いた。襟にファーのあるモスグリーンのブルゾンが一着、ハンガーにかけられている。ほかにはなにひとつない。「夏物も冬物も、大方持っていったみたいです。だから、いっときの気まぐれや出来心ではなく、覚悟の家出ではないかと父はいっていました」姉の話を背中で聞いていた元長波は、もう一度承諾を得てからブルゾンのポケットをさぐった。紙製の箱があった。板チョコほどの大きさで、パッケージには英語の商品名や内容量が無機質に並んでいる。

「わたしたちもそれをみつけましたが、中は空っぽでしたし、なんの箱かもわからなかったので、ポケットへ戻したんです」

 元長波は英文の成分表示に目を通す。「モクロベミドですね。服用薬です」

「どういうお薬なんでしょうか」

「抗鬱剤です、しかも重度の鬱病患者が使う。とても効き目が強い。鬱だけじゃなく、慢性的な疲労感や、社会不安にも効果が」

「社会不安?」

「人前でなにかをする、たとえば、取引先と話をするとか、レストランで食事するとかが、異常に怖い。不特定多数の面前でスピーチなんて死に勝るでしょうね。単なるあがり症じゃなくて、緊張しすぎて全身が震えたり、はげしい動悸があったり、嘔吐したり、身体的な症状がでる」

 

 説明しながら元長波は、あの瑞鶴だった社交的な女性がモクロベミドを有効成分とする抗鬱剤を服用していた事実が受け止めきれずにいた。空母は戦艦や重巡同様、艦隊の旗艦を務めることが多いため、ただの一戦力としてだけでなく、艦娘大学校にて随伴艦を指揮するリーダーの教育も受ける。艦娘大学では朝礼時に五分間講話と呼ばれるスピーチがある。日替わりで各艦があらかじめ定められていたテーマに沿ってクラス全艦の前で五分の演説を行なう。終わるとほかの学生艦娘らが意見を述べ、論理を戦わせる。ディスカッションを通して、部下を動かすリーダーに欠かせないコミュニケーション能力を培っていく。

 事実、元長波のよく知る瑞鶴は、彼女ほどリーダーにふさわしい艦娘は、パラオの翔鶴という例外を除けば、世界の海に目を向けても発見できないだろうと思わせる英傑だった。人当たりはすこぶる良好で、豪放磊落、納得いかなければ上官にも食ってかかるが、部下を人前で怒鳴ったことは一度もなく、どんな拗ね者でも、彼女の前に立つと、自らの処世がいかに幼稚であるかを思い知らされ、胸襟を開いて深い信頼を寄せずにはいられなくなるのだった。諧謔(かいぎゃく)を解し、自然と周りの人間を前向きにさせる力があり、だれもが認めるスコアを叩き出していながら、その輝かしい戦歴を鼻にかけなかった。ひとりの人間として完成された、理想形とさえいえる女性だった。そんな瑞鶴だった彼女が、社会不安?

「たしか、あの子」不眠、手足のしびれ、立ちくらみ、全身がかゆいといった体調不良を訴えていなかったか元長波が質すと、瑞鶴の姉が思いだす。「会社に行こうとして、玄関先でふらついて転んで、下駄箱に頭をぶつけたことが。血が出ていたのでわたしも母も病院に行くよういいましたが、とくに返事もしないまま駅のほうへ……」

 ふらつきはモクロベミドの典型的な副作用だ。しかし、一度の転倒だけで治療薬の服用を見抜き、そこから元瑞鶴がどんな症状、悩みを抱えているのか推理することは不可能だろう。

「でも、この薬は」元長波は英字で埋め尽くされたパッケージをみせた。「まだ日本じゃ認可されていません。個人輸入したんでしょう。海外の強い薬に頼らざるをえないほど苦しんでたんだな」

 元長波はモクロベミドを飲んだことはなかった。元長波の常用している抗鬱剤の有効成分はセルトラリンだ。モクロベミドより効果も副作用も少ない。三十年近くPTSDとTBIで苦しむ元長波でさえ、セルトラリンで済んでいる。瑞鶴、あんたはどれほどの苦しみを負ってたんだ? あんたほどの素晴らしい人間が、なんだってこんなクスリになんか? 心のなかの瑞鶴に問いかける。瑞鶴は背中を向けてうつむいたままなにも答えない。

「この空き箱がここにあったのは」元長波は自分に置き換えて思考してみる。「単純に捨て忘れていただけという可能性もありますが、これをみつけさせることによって、あらゆる事物に責め立てられている自分の状態を、その一端でも理解してもらいたかったのかもしれません」

 元瑞鶴の姉はとうてい得心できないという顔をする。そこには埋めがたい断絶がある。戦地からもどってきた元艦娘は、娑婆(しゃば)の人間たちからすれば言葉も常識も通じない別の世界の生き物にみえるのかもしれない、と元長波はあらためて思い知らされる。

 

「わたしたちは帰国するとき、お偉いさんの政治家から祝辞を受けたことがあります。長ったらしかったけど、彼は最後にこう締めくくりました。“きみたちは自由だ”。彼はわたしたちから大歓声を浴びると思っていたのでしょうが、わたしたちは休めの姿勢のまま、なにもいいませんでした。その政治家は肩透かしを食らった顔をしかけて、とっさに無表情でおおいましたがね。ほかのみんなはどうだか知らないが、彼が決め台詞をいったとき、わたしはこう思ったんです」

 元長波はため息に混ぜて、いった。

「自由? そんなものがほしいとでも思ってたのか?」

 元瑞鶴の姉には不可解しかなかった。彼女は元長波に対してだけではなく、元瑞鶴、ひいては艦娘だった女性たちすべてに対して、理解することへの白旗を揚げている。

「小学校を出ると同時に艦娘になりました。それからはずっと軍隊です。軍ではわたしは本名ではなく艦名で呼ばれていました。艦娘はみんなそうです。駆逐艦長波として十二から二十歳まで生きてきた。長波はわたしのすべてだった。成してきたこと、やらかしたこと、仲間と飲んで食べて歌った日々。すべてが長波の二文字に凝縮されてたんです。それをある日、突然捨てなければならなくなった。取り上げられたっていってもいいかな。あとに残ったものは? なにもない。軍隊でしか通用しない資格と常識だけ、交友関係も艦娘仲間だけ、ほかの世界のこと、世間一般のことなんかなにも知らないし、将来の夢も、これといった趣味も特技もない、ただの二十歳の女。再就職しようとして“あなたを年一五〇万で雇って、うちにどんなメリットがありますか?”と訊かれてもなにも答えられない、からっぽの、つまらない女。焦りましたよ。わたしから長波を取り上げたら、なにも残らないじゃないかって」

 元長波は元艦娘の代表のつもりで言葉を紡いだ。

「いままで積み上げてきたものがそっくりそのままゼロにさせられちゃうんです。無駄な日々を続けました。海の上でたったひとりあがいているようでした。あがいているけど、どこにもたどり着けそうにもない。どこへ行けばいいかもわからない。だれか命令してくれよ。だれか必要としてくれよ。長波でなくなったわたしを受け入れてくれよ。それが叶わないならあの日々へもどしてくれよ。毎日、そんな無益なことばかりを」

 元長波は自分自身と向き合いながら話す。

 武器も持たなくていい。真夜中に非常呼集をかけられることもない。食事に一時間かけてもいい。部屋を掃除しなくてもだれにも怒られない。座学も訓練もない。休日にはブドヴァイゼルをあおりながら一日中映画を観て寝っ転がっていてもいい。毎日温かいお風呂に入れて、ふかふかのベッドで朝まで寝られる。憧れていたはずだった閑雲野鶴(かんうんやかく)の生活に、なんとか順応しようとして、なにもできないでいるうちに、どんどん時代が変わっていく。いつのまにか知らないビルが建っていて、風景も変貌していく。軍でなにくれと面倒をみてやった後輩が、いまでは自分よりもはるかに年収を稼いで、プライベートも充実させている。

 

「海にいたころは、わたしたちが世界を回しているんだって実感できてた。歴史(History)男の物語(His story)っていうけど、いま歴史をつくってるのはわたしたちだって、大きな作戦を成功させるたびによろこんでた。時代はわたしたちのあとについてくるってね」

 自らの幼さを披瀝した元長波は弱々しい笑みをつくる。

「時代が、わたしを置き去りにしていく。あのころ、わたしは時代のさきを駆けていたのに、もう、いまのわたしにはだれも一瞥もしてくれない。長波でなくなったおまえに用はないといわんばかりにね。実際、長波以外にわたしには取り柄がなかった。本当は人間は何にだってなれるんだ。なろうと思いさえすれば、その勇気がありさえすれば」

 不動産業者となった元朝霜、ダイビングのインストラクターとなった元伊168、社会福祉士となった元朝潮、農業と狩猟の新しい未来を提示する実業家となった元神威、ウィッグのチーフスタイリストとなった元山風、アイアンヘッドの職人となった元磯風らが脳裏によぎる。

「そのためにはまず、いまの自分がひとりの裸の人間であるってことを認めなくちゃいけない。つらいことです」

 誰何(すいか)されて、わたしは長波だ、といえばそれで通った。存在を認めてもらえた。長波にふさわしい役割を与えてもらえた。何時に出発してこの航路で目的地へ行けと命令してくれた。いまは違う。また新たに一から努力し、なにものなのか、なにができるのかを知ってもらい、自分で目標を設定し、そこへたどり着くまでの航路を自分で考え、進んでいかなければならない。たったひとりで海に放り出されたような孤独感ばかりがつのる。そしてなにもしなかった空虚な日々だけが積み重なる。

 

「だから、わたしには、妹さんの気持ちがわかるような気がする」

「ええ、あなたにはあの子のことがわかるのでしょうね。きっとわたしたち以上に」

 元瑞鶴の姉はふっ切れたような表情でいった。

「あの子が会社を辞めて、まだわたしたちに暴力をふるうようになる前、そこの縁側に腰かけて、ぼうっと中庭を眺めていたことが」元瑞鶴の姉が指差すほうをみやる。リビングから通じる坪庭は小さいながらも手入れが行き届き、サンダーソニアやコルチカム、エーデルワイス、プリムラ・ジュリアン、そしてアルストロメリアがつつましやかな花を咲かせて彩っている。

「穏やかな日差しが心地よい日でした。あの子はぽつりと、“タウイタウイに帰りたいな”ってつぶやいたんです。行きたいじゃなく、帰りたいと。わたしは“あなたの家はここでしょ?”といいました。妹は、自分のいったことの意味にはじめて気づいたようにおどろいた顔でわたしをみました。それから悲しそうな目になって、また庭をみながら、そうだね、と」

 元瑞鶴の姉も、元長波も、しばらく庭に視線を送りつづけた。さびしげに座っている元瑞鶴の背中が風景に重なる。

「戦争がなくて、妹が艦娘になんかならなければ、こんなことにならずにすんだのでしょうか。それとも、べつのかたちで、こうなっていたのでしょうか……」

 その問いに対する答えを元長波は持ち合わせていない。

「警察には捜索願を出してはいますが、正直にいえば、期待はしていません。朗報がないかわりに訃音(ふいん)も届いていませんが、身元がわからないとか、遺体が発見されていないだけということも考えられます。生きていればもう五十五歳。あと九ヶ月であの子が失踪してから七年になります」

 失踪から七年経てば法律上は死亡したとみなされる。

「いまも軍人年金があの子の口座に国から振り込まれています。でも死亡扱いになれば、軍人年金は打ち切られ、遺族年金に変わります。そのときわたしは妹の死を実感として受け入れることができるのか。いまはまだわかりません。踏ん切りがつくかもしれないし、やっぱりここで待ちつづけるかもしれない。いまでも妹の家出がなにかの間違いであってくれたらと無性に願うことがあります。奇想天外なからくりでもいい。家族に顔を合わさない生活をつづけることで何日かみかけなくても不審に思われないようにして、艦娘時代の仲間のかたがたとひそかにつなぎをとって見事に失踪を演出したのでもかまわない。肉親を裏切り、世間をあざむいて、裏でこっそり舌を出しているのでもいい。どこかで生きているのであれば……帰ってくる気がなかったとしてもいいから、どこかでひっそりとでも生きつづけていれば……」

 一縷の希望を覗かせた元瑞鶴の姉は、最後にいった。

「戦争が終わって、たくさんの人たちが帰ってきました。でも結局、わたしの妹は、戦地から帰ってくることはなかったのです」



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二十五 渚より愛をこめて

 元瑞鶴の生家を後にした元長波は、駅へむけ杖をついて歩いていたが、前触れもなく口を開け、痙攣しながらアスファルトに崩れ落ちる。白目をむく。顎が外れそうになる。全身の筋肉が強張る。上半身が左に屈曲していく。彼女の意思ではどうにもならない。残る活力を総動員してペンダント型のピルケースから薬をてのひらにこぼし、震えながら口に放り込む。脳みそを粘土のようにこねられているような頭痛。頭のなかに回転する羽根があって、それが脳を切り刻んでいる。しばらく耐えていると薬効が現れ、波が引くように痛みも痙攣も緩解していく。杖にすがりつく。公衆トイレで休んでから、彼女はふたたび歩き出す。ピルケースを確認してみる。ペンダント型の中身は少ない。

「あと一回ぶんってとこかな」

 元長波は笑いをみせてから、嘆息した。

 

  ◇

 

 空からターボプロップのエンジン音が控えめに降り注ぐ。小型の双発旅客機が点となって青い空を航過していく。

「ああいう小さめのプロペラ機をみるたび、基地航空隊を思い出す、とくに双発はね」

 撃墜の危険性などなどみじんも気にかけなくともよい快適な空の旅を提供する一翼を見送ってから、元長波はまた歩く。

「なんで深海棲艦を倒すのに艦娘なんていう珍妙な兵種が必要だったかっていったら、突き詰めていえば、水爆もシャットアウトできるやつらの干渉結界を中和できるからだ。わたしたちは寄生虫の力を借りて発振した干渉波を、砲弾やら魚雷やらに貼りつけて敵にぶつけた。それでノイズキャンセリングみたいな原理で連中の結界を破ってたんだ」元長波はいう。「でも手元を離れた瞬間から弾頭に与えた干渉波は減衰していく。だからわたしたち駆逐艦はできるかぎり肉薄してたし、空母でさえ最大火力を叩きつけるためには被弾のリスクを負ってでも接近しなきゃならなかった。敵のシールドは波の性質があるから、結界密度がめちゃくちゃ高いときもあれば、比較的弱くなってる瞬間もあるんだけど、波形を可視化できるもんでもないし、弾着時にどの強度を引くかは運次第。鬼や姫クラスにもなると結界強度が最低のときでさえとんでもなく固くなる。干渉波を維持したまま攻撃が届くように夜陰にまぎれて至近から撃ち込むのが常套なんだが、それでさえ結界を破れない敵が現れはじめた」

 

 弾頭に付与した干渉波の減衰は、時間に対して単調減少ではあるが反比例ではない。艦娘から物理的に離脱して十秒前後のあいだで、グラフに表せば断崖絶壁のように急落し、漸近(ぜんきん)線に接近しながら下降をつづける曲線を描いて、およそ三〇〇秒で実用的なエネルギーを失う。

 アイアンボトムサウンドの特攻で、爆発物を抱いた艦娘に突撃させれば一定の効果があることは証明されていた。しかし育成に多額の血税を要する艦娘を必死の一撃に投じる「使い捨て」は経済的とはいえない。

 

 そこで考案された解決策が、戦闘で脳に不可逆的な損傷を負って自発呼吸もままならなくなった、あるいは昏睡状態から回復する見込みがないと三人以上の医師が診断を下した艦娘を個別に攻撃機に搭載し、目標に十数メートルまで接敵して爆雷撃を敢行するものであった。艦娘を完全に干渉波発生装置と割りきるのである。制御は遠隔操縦で行なう。微動だにしない艦娘ひとりと生命維持装置、武装、燃料さえ積載できればよいので機体は必ずしも大型である必要はない。機体規模は近距離小型旅客機に近いものとなった。無線信号で遠隔操縦することから操作の反映にタイムラグがつきまとい、回避行動が遅れることで被撃墜の可能性は非常に高いが、もとより乗っている艦娘は脳死もしくは植物状態である。

 

「入隊時にサインさせられたクソみたいに長ったらしい契約書のなかに、任期中にそういう状態になったら国の好きにしていいよってな感じの項目もぬかりなく書かれてあるわけよ。陸攻をみるたび、ああはなりたくねえよなって、仲間内でいったもんだ」

 

 陸上攻撃機は干渉波が強力な状態で命中させられる点だけでなく、単純な火力も空母艦娘の艦載機の比ではなかった。艦娘がもちいる魚雷は携行を考慮しているため野球のバットほどしかなく、航空魚雷はさらに小型だが、プラットフォームが全長十九メートル、全幅二十メートル、最大離陸重量十三トンの陸上攻撃機は、全長二・六メートル、重量二三〇キロの、艦娘登場以前に各国海軍が標準的に採用していた短魚雷を搭載できた。結界さえなければ、炸薬量四十四・五キロの破壊力に耐えられる生物はいない。

 

「いままでさんざ苦労させられた敵をいともたやすく木っ端みじんにしていくんだ。かろうじて生き残った敵も腕か足のいずれかが吹っ飛んでてとても戦える状態じゃない。とどめをさすだけの仕事してたら、ビスマルクがこういった。“まるで残飯処理ね”」

 

 対水上、対潜、対地だけでなく、基地航空隊は対空目標掃滅にも絶大な効果を挙げた。くんずほぐれつの空戦は望むべくもないが、なんといっても空対空ミサイルが使用できたからだ。深海棲艦の艦載機にもシールドがある。これを基地航空隊の戦闘機のミサイルなら突破できるのだ。射程二十キロ、速力マッハ二・五の槍にひとたび追尾されたら、飛行性能そのものはレシプロ機なみの敵艦載機は逃れようもない。深海棲艦の航空機は空を飛ぶという特性上、鳥がそうであるように莫大な余剰熱を常時放射して機体を冷却しなければならない。よって従前の赤外線誘導シーカーで比較的容易に捕捉できることもさいわいした。なお、健常な艦娘を戦闘機パイロットに育成する試みはコストの面で頓挫している。

 

 旅客機がみえなくなって、抗鬱剤と抗不安薬と眠気を抑える薬を服用した元長波が歩を進める。

 

「戦争は変わったと思ったよ。作戦が大規模であればあるほど、その趨勢(すうせい)は基地航空隊の働きいかんにかかるようになったんだ。あれだけ大暴れできるんならジャム島でああも中央が基地航空隊に拘泥したのもむりはないかなって思ったもんさ。とはいえ基地航空隊のおかげで艦娘がより安全に戦えるようになったかといえば、答えはノーだ。飛行場設営の好適地付近の制海権と制空権を確保し、施設部隊と資材の荷揚げを護衛して、飛行場ができたあとも敵襲に備えて、いざ決戦ってときには、ターゲットの捜索、それから現在位置を無線操縦のオペレーターに教えるために、わたしたちが突っ込んでかなきゃならなかった、レーザー指示器を後生大事に抱えてさ。レーザーは曲がらないだろ。それを陸攻の攻撃が当たるまでずっと照射しつづけるんだ。わかるだろ、隠れるものがない海でそれをやるってのがどういうことか……」

 

 元長波は山陰本線に乗り、はじめて配属された艦隊で旗艦を務めていた軽巡艦娘酒匂だった女性に会いに鳥取県へ針路をとる。山陰本線はおおむね日本海の海岸線をなぞるように走るが、鳥取県内ではまず摩尼山や本陣山を南へ迂回してから鳥取市を横断し、日本最大の湛水面積をほこる池である湖山池と鳥取空港のあいだをのぼって沿岸へもどる。よって車窓から鳥取砂丘をその片鱗すら望むことはできない。

「タダではみせないってことなのかもね。みたいんなら通り過ぎずに降りて、ついでになんか買ってけみたいな。鳥取にくる人間の九割は仕事か砂丘目当てだろうけど、残念ながら、今回はおあずけだ」田舎の風景に挟まれたローカル線の車内で元長波は窓外に目をやる。元長波には時間がない。砂丘自体は舞鶴時代によく海側から眺めた。鳥取砂丘は敵の上陸地点にうってつけだったからだ。

 

「それにしても」彼女はあくびを噛み殺す。暖房と規則的で小刻みな振動、つぎの停車駅を知らせる録音音声がまろやかに心地よい。「列車ってのはなんでこう眠気を誘うんだろうね。ゆりかごみたいだ」うつらうつらしそうになって、薬をまた口へ放り込む。

 

  ◇

 

「もしもし……ええ、長波です、お疲れさまです……ええ、いま湖山駅に……いまからそちらへ……いえ、場所さえ送信してくれれば……はい、失礼します」

 駅に降り立った元長波は、携帯端末に送られてきた地域検索サービスのルート検索を頼りに杖をつく。布勢までは徒歩で二十分。いまの元長波なら三十分かかる。耕作放棄地、作付けを待つ田畑、住宅地。元長波がキャリーバッグを転がすキャスターの音だけが響く。夜になれば表を歩く人間の足音を部屋のなかからでも聞き取ることができるだろう。

 

 築二十年の木造アパートの前に立つ。住居としては築古の部類に入る。だがそれでも戦争が終わったあとに建てられたものだ。建物が築古物件になる以上の時間が経ってもいまだに戦争を終えることができていない自分はなんなのか。考えながら呼び鈴を押す。あわただしい気配がして、ドアが開かれる。タートルネックを着た女性。かつて軽巡酒匂だった女性は、元長波の顔をみるなり涙ぐんで両手を伸ばす。

「会いたかった」

 抱擁したまま元酒匂は泣きじゃくった。

 元長波も目許を光らせながら背中を叩く。「ご無沙汰してました。採薪之憂(さいしんのうれい)があったとはいえ、不調法をどうかお許しください」

 元長波に元酒匂はしゃくりあげながら何度も頷いた。

「わたしも、あなたがいちばんたいへんだったときに、力になってあげられなかった」

 と五十歳の元酒匂は逆に詫びた。

 

 元酒匂はジャム島へ行かなかった。独立混成第60海上旅団が32軍の傘下に編入される直前、すでに2水戦の資格を持っていて空きができるのを待つ身だった彼女に、補充要員として異動がかかったからだ。当時はジャムが激戦地となるとは元陸奥の女性中将など一部を除いてだれも予想していなかった。元長波や深雪たちは晴れて2水戦への鶯遷(おうせん)が決まった元酒匂を心から祝福した。ジャム島の戦いが終わり、死に場所をもとめた元長波が2水戦に飛び込んで彼女たちは再会し、ともにブラジルへ教導のため転任した。

「河でアナコンダが出たときのこと、覚えてる?」落ち着いた元酒匂が居間へ導きながらいう。

「目測で五、六メートルくらいはありました。わたしも朝霜も磯風もギャーッてなりましたね、いつも深海棲艦と戦ってるのに」杖を玄関先に立てかけた元長波が壁に体重を預けて歩きながら返す。

「地元の艦娘はきょとんとした顔で、いきなりアナコンダを撫ではじめて。そうしたらボールみたいに丸まって」元酒匂はジェスチャーをまじえて柔和な顔をみせる。

「ダンゴムシみたいな防衛反応なんでしょうね。朝霜はアナコン団子とかいってましたが。でもって、コーヒー牛乳の艦娘が、丸くなっても大の大人が膝抱えたくらいもあるアナコン団子を笑いながら持ち上げて、“おまえたちも持ってみろ”みたいに差し出してきました」

「みんなで押し付けあったよね」元酒匂は椅子を引いて勧める。

「結局わたしがやることに」元長波は元酒匂の手を借りながら腰を下ろす。「意外と肌触りがよかった」

「現地の人たちは、こんなの子供だ、もっと大きいのがいる、乗ってたカノア(カヌー)ごと巻きつかれて呑み込まれた人間もいるって」

「あの人らの話はアマゾン河みたいに大きいですからね」

「だから、ブラジリアでは二メートルのミミズが採れるって聞いたときも、話し半分に聞き流したんだけど」

「マジでしたからね。ミミズ掘りのマエストロが町外れの荒野でおもむろに穴を掘ったら、おお、たしかに土中にぬらぬらした赤黒い肉の管、でもやっぱりそんなに太くないなあ、これじゃ長さもさほどではないなあってにやにやしてたら、出るわ出るわ、どこまでも延々とミミズの胴体が。当時のわたしがまっすぐに立って、腕を上へ伸ばしたよりもまだ長かった。一七〇くらいかな。最初の一匹でそれだから、二メートルのがいるってのもあながちうそじゃない、それで、みんなで“ははー、参りました”と」

 音信をとらなかった二十年以上の時間を取り戻すように、ふたりはとりとめのない話を楽しむ。「でも、アマゾンのワニは精力絶倫で、死んでからでもアレをさすってやるとムクムク大きくなるっていうのは、さすがに眉につばつけてると思いますけどね」「おいしかったけどねえ」「“アマゾネス”たちに技術指導したときのことを? ここはこうだ、あれはああだ、違う、そうじゃなくてこれはこうしてあれはああして……って説明してたら、笑顔のままいきなりどっか行って、夕食どきになってやっと帰ってきた。しかもけろっとした顔で。悪びれることもないし、怒りや憎悪もない、きょうはじめて会ったみたいにニコニコしながら。あれほどに清々しく徹底的な拒絶は、あとにもさきにもみたことがありません」「ストレスに対する拒否反応なんだろうけど、なにか少しでもわずらわしくなると、話の最中でも三猿みたいになにもかもシャットアウトして、はい、さよなら、だもんね。ただでさえ、あしたのことはあした考えるっていう人たちだもん。あんなふうに嫌なもの、面倒くさいものからは素直に遠ざかるっていうのが、ほんとの人間のありようだったりするのかも」「インディオの血を引く艦娘たちは、役割とかしがらみとかと無縁だった狩猟採集時代の人間に近いのかもしれませんね。最近の若いもんは責任感がないだとか、ちょっと叱るとすぐ折れるとか、おっさん連中は嘆くけど、なんの、アマゾンのあの連中にくらべれば、かわいいもんですよ、ほんと」

 熱狂、惑溺、遡行、爆笑、旅愁、黄昏。いま、元長波はまさに駆逐艦娘長波で、元酒匂は軽巡艦娘酒匂になっている。

 

「海のど真ん中で、艦隊が孤立したことも」

 元長波がいうと元酒匂も「あった、あった」と複雑に笑う。

 アマゾンに行く前、2水戦に入る前、ジャム島に転属する前の、元長波にとっては最初の艦隊での強烈な記憶。

 酒匂だった目の前の女性や、深雪、敷波、巻雲たちと、ほかの一個小艦隊の艦娘らと一緒にティルトローター機に詰め込まれて作戦海域へ向かっているとき、雁行(がんこう)していた僚機がなんの予兆もなく爆発した。一機、また一機と火だるまになって墜ちていった。海にも空にも敵の影はない。元長波らの乗る機が最後に残った。元長波は、搭乗機の前半部が消失する寸前、出征前に遺影用に撮影したカメラのストロボよりもまばゆい爆光が機体をつらぬいたことを覚えている。

 

 テラワット級のレーザーで人工衛星を撃墜するソシエテ諸島の深海棲艦が、大気圏内の航空機をも射程に入れるようになったと判明した、はじめての事例だった。深海棲艦は人類の人工衛星を駆逐するいっぽうで自分たちの軍事衛星を地球同期軌道に投入していた。アーサー・C・クラークが衛星を中継した通信のアイデアとして、赤道上の地表面とおなじ速度で地球を周回する高度の利用を考案したことからその名がつけられたクラーク軌道で、深海棲艦の衛星は誘電体多層膜ミラーを展開させ、地上からのレーザーをリレーさせることで、地球の裏側の人工衛星のみならず、高度二〇〇〇フィート以上の飛行物体を例外なく狙撃するのである。

 宇宙へ進出した深海棲艦がついに絶対の制空権を確保したという事実に世界は震撼したが、はるか三万五七八六キロの天空より閃いた光線の鉄槌に輸送機が撃墜され、海へ投げ出されながらも命からがら助かった元長波たちにとっては、正確な現在地も定かではない大海原からいかにして生還するか、それだけが問題だった。

 

「旗艦のわたしがしっかりしなきゃいけなかったのに、長波ちゃんたちには苦労させちゃったね」

 元酒匂は暗い顔になる。

「あんな状況じゃ、だれにもどうしようもありませんでしたよ」

 だが元酒匂の顔は晴れない。

「巻雲ちゃんのことも……」

「わたしたちみんなの責任です。酒匂さんだけのせいでは」

 PTSDプログラムではっきりさせられた、元長波が最初にトラウマを負った時点まで立ちもどる。

 

 内陸の出身ながら訓練と幾度かの実戦で海はすっかり見慣れたものだと自負していたが、海の無慈悲なまでの壮大さ、碧海の美しく圧倒的な無辺際を突きつけられて、新兵を脱するまでには至っていなかった当時の元長波は、ただただ無力、茫然とするばかりだった。無人島でもいいから陸地があれば休めるが、岩礁ひとつ見当たらない。

 

「世界中が海になってしまったみたいでした」と元長波はいう。

「機内ですでに艤装を着装してOSMもぜんぶ持ってたのが不幸中の幸いではあったけれど」元酒匂も記憶のレコードに針を落とす。「何日も揺れる海の上で救助を待った。食べものも尽きて、つぎに水が。海水と混ぜて文字通り水増ししたけど、五日が限界だった。容赦のない日射しが降り注いで体から水分がしぼりとられる。足下には艦隊のみんながお腹いっぱい飲んでも飲み干せない十四億立方キロメートルの海があるけど、飲むわけにはいかない。これは堪えたよね。目の前に水があるのに飲めないのはね……」

「いっそ一滴も水がないほうがましでした。人間にとって海は砂漠より利用できる水が少ないですからね」

「この海のむこうに日本があるって思うと、なんだか不思議な気持ちだった。フィリピン沖ってことはわかってたから、フィリピンじゃなくて、北に走って日本に帰ろうかって思った」

 わたしもだと元長波は(がえん)じる。

 

 遭難時はその場から動かず救助を待つのが鉄則だ。しかし墜落地点は海のただなかだった。航空機はレーダーの管制下で運航されるが、太平洋は広大すぎるために、地上レーダー施設、艦上レーダーのいずれでもカバーできない空白地帯がある。輸送機編隊が墜とされた海域はまさにレーダーの空白地帯だった。パイロットは緊急事態を宣言するひまもなくコクピットごと蒸発した。予想される捜索範囲は日本の本州よりも広い。消息不明に軍が気づくまであと十八時間はかかる。そこから捜索隊が派遣されて、精衛填海(せいえいてんかい)を恐れず干し草の山から針を捜すようにして自分たちを発見するまで、何日かかるか。そのとき自分たちは生きているだろうか。

 相乗りしていた小艦隊と臨時に統合して元酒匂が旗艦となって生存者をまとめた。相手方の旗艦は助からなかったからだ。元酒匂は星座から現在座標を読み、計画的にフィリピンへ航行することに決めた。燃料がなくなれば寄生生物は休眠状態に入るため水上を歩くこともできなくなる。極限まで燃費を追求した経済的な速度を厳守しなければならなかった。うまくいけば七日でルソン島にたどり着ける。

 そのあいだはほぼ不眠不休を強いられた。海面に座ることはできるが、横になるわけにはいかない。物理的に可能でも、海上に寝そべるとどうしても渇きに抗えず海水を飲んでしまうからだ。

 深雪が声を上げた。指さす方向には海面を音もなく裂く三角形の背びれがあった。サメが近づいていた。「あわてないで、そのまま、そのまま」。元酒匂が艦隊を鎮めた。巨大なサメは一同の足元を追い越して悠々と去っていった。サメは視力が低く、はっきりと対象の輪郭がみえないので、姿かたちで判断するのではなく不規則な動きをするものを獲物と思って噛みつく習性がある。逆に獲物と認識しなければ絶対に攻撃しないため、とりあえず噛んでみて食べられるかどうかたしかめるということはない。砲はあるが、もしサメを傷つければ、一〇〇キロ先で一滴の血が海に落ちても追跡できるというサメの嗅覚を刺激してしまい、四方から新たな群れがあつまってくる危険性がある。海の上で騒がずやりすごすのが上策という元酒匂の判断は正解だった。

 空腹、疲労、深海棲艦とサメの恐怖、夜間の冷温……生存者たちを苦しめたものを数え上げれば枚挙にいとまがない。しかしそれらをすべて合わせても、喉の渇きひとつが苦難の王者として元長波らの頭上に堂々と君臨した。雲の一片もなく、めいめい尿をあつめては飲んで、あるいは海水を汲んだ容器にビニール袋をかぶせて太陽にさらし、内側に付着した蒸発水にむしゃぶりついたりして、なんとか命をつないだものの、とても足りない。人間は体重の二十パーセントの脱水で死にいたるが、日射の厳しい洋上では十パーセントの水分を失った時点で命はない。四パーセントの水分喪失でも運動能力は十五パーセント低下する。もしいま敵と遭遇すれば平常時の八割の実力しか出せないまま対処に迫られることになる。海の水がとてつもなく旨そうにみえた。随伴艦のだれかが口にしようとするたび、当時酒匂だった彼女の叱責が飛んだ。水、水、と生命からの渇望が艦隊に渦巻いた。

「お願いだよ酒匂さん、海の水飲ませてよ」。敷波の懇願も元酒匂は断固として撥ね付けた。

 元長波はというと、元酒匂の目を盗んで海水に口をつけようとして、巻雲に止められた。

「でもよう、どっちみち飲まなきゃ死ぬんだ、なら一か八か飲んだほうが」「だめ!」。巻雲の声はからからに渇いた口と喉で掠れていた。「飲まなかったらあと何日かは持ちこたえられる。でも、飲んじゃったら絶対に死ぬんだよ」。巻雲の幼顔(おさながお)は脱水による体温の異常上昇でトマトのように紅く染まっていた。全員が似たような状態だった。元長波が海水の魔力に誘引されるたび巻雲に制された。巻雲の監視の目は元長波から片時も外されることはなかった。

 墜落から七日め。元酒匂も脱水が限界に近づいて注意力が減退していた。目がかすんで随伴艦の顔もろくにみえない。疲労と睡気が頂点に達している。ふだんならどうということはない、胸くらいまでの波をひとつ越えるだけでも、そのたびに全身の片隅に残留しているなけなしの気力をかきあつめなければならなかった。それが二、三秒に一回ある。

 元長波はほとんど意識を失いかけていた。外界からの刺激にも反応が鈍くなっていくなか、元長波の意識には雨漏りのように悔恨が滴った。青雲の志を抱き、家族の経済的事情のため軍の道をえらんで、一年の訓練生活に甘んじてようやくいっぱしの艦娘として最前線の末席に連なったかと思いきや、まさか、敵との撃ち合いに破れて轟沈するのでなく、ただひろびろとした海で道に迷って、その生涯を閉じることになろうとは。

 艦娘学校で教わった、絶海の孤島に漂着した駆逐艦娘たちのごとく、自分たちの末路も学習教育の戦訓と逸話に組み込まれるのだろうか。兵隊のしくじった話は他人事だと思っていたが、やけに親しいものとなった。同時に、十四歳という幼さのためにどこかで自分を人生の主人公だとうぬぼれていたが、なんのことはない、自分もまた、後世のだれかに「こんな間抜けにはなるまい」と教科書で流し読みされる無名の脇役でしかなかったのだと思い知らされるようだった。

「水、水が飲みたい」「一滴でいいから冷たい水を」「きのうからずっとおしっこが出てない」「酒匂さん、お願いだから、海の水を飲ませて」「やだ、もうやだよ」「長波の意識レベルがやばい。こいつはもうだめだ。最後に海水でいいから飲ませてやろう」「喉が塞がりそうだ」「海水飲んじゃだめっていうなら、水くださいよ」……士気は低下し、2水戦有資格者の酒匂をもってしても綱紀を粛正しようもない。ひとおもいに海水を末期の水にしようという空気に駆逐艦娘たちが染まりはじめる。

 そのとき、ずっと沈黙していた巻雲が、なにを思ったかおもむろに海面に這いつくばった。「海水を飲んだらどうなるか、みせてあげます」。いうが早いか顔を海へ突っ込んだ。喉を鳴らす。「飲んじゃだめ!」。元酒匂の警告も、頭を首まで沈めている巻雲には届かない。

 しばらく喉へ海水を送り込んでいた巻雲が、ずぶ濡れの顔を跳ねるように上げた。ひと息ついた当時十五歳の巻雲は、あきらめたような笑みを虚脱状態の僚艦らへ向けた。「みんな、あと三十分だけ待って。わたしがどうなるかをみて、それで飲むかどうか決めて」。すでに水分の欠乏で腎機能が弱りきっていた巻雲には最後のとどめとなった。じきに眼鏡の奥で目の焦点が合わなくなり、「痛い、痛い、いたたた」とうわ言のように繰り返した。十分もすると濃い紫に変色した歯茎から重油のように粘つく真っ黒な血液がにじみ出てこぼれた。なにもない水平線へ向かって「ママ、ママだ。ただいま」と出血の止まらない口で話しかけ、そちらへ単身針路を変えた。引き留めようとしてもだれひとり燃料に余裕がない。追えば道連れになる。孤影となった巻雲はやがて立っていられなくなり、海に寝そべって痙攣しはじめた。「おいしい、おいしい」。倒れたまま海水をむさぼる巻雲の顔には苦痛と恍惚とが等配分されていた。

 波の音。風のざわめき。艦隊は前進しながらもう一度、巻雲のいた方向を振り返った。丈のあまった袖だけが水面に浮かんでなびいていた。それもすぐ海に呑まれていった。

 

 以来、元長波の夢にも、元酒匂の夢にも、巻雲は現れる。血のかたまりのような肉塊が水底から浮かび上がってきて、巻雲の声で語りかけてくる。それは元長波には「どうしてあなただけが助かったの」という言葉だが、元酒匂の夢では「水が飲みたい、水を飲ませて」ということになっている。元酒匂は退役してから就寝前には水でいっぱいのコップを枕元に置くようになった。そうすると巻雲は夢に出てこない。コップを置かなかった夜はかならず現れる。ここでも戦争はつづいている。

 

 元長波と元酒匂の自己を見つめ直す記憶の旅は、シャングリラ事件にまでおよんだ。

 ネビルシュート作戦において、元長波は基地航空隊を展開させるための飛行場設営に適した島の確保で任務を終えたが、元酒匂の仕事はそこからだった。彼女が所属していた艦隊には〈シャングリラ〉の殲滅に直接おもむく任が与えられた。〈シャングリラ〉は、かつてディープブルー作戦で熱核攻撃に被爆して損傷を受けたヲ級個体だった。

 

「基地航空隊のエアカバーを受けながらわたしたちはビキニ環礁へと向かったわ。そう、〈シャングリラ〉が指揮をとっているであろう敵泊地へ殴り込みを。あんなにおぞましい深海棲艦は見たことがなかった。辺りが暗くなると〈シャングリラ〉の周囲の海は青く光るの。二十海里離れていても水平線が輝くほど。とても美しい光だったわ、この世のものとは思えないくらいに。雲霞のような敵機の群れをかきわけて、針の振り切れたガイガーカウンターががりがりとひっきりなしに音を刻むなか、旗艦〈シャングリラ〉を倒すことには成功したんだけど、その代償として、決戦に参加したわたしたちはみんな、一生消えない呪いをかけられてしまった」

 

 元酒匂はタートルネックの襟を下げた。白い喉には切開術の跡があった。

 

「わたしの喉も、夜になると〈シャングリラ〉のように光るの。甲状腺を全摘したいまもだよ。わたしは生涯にわたって、甲状腺ホルモンをはじめとした二十八種類もの薬を毎日飲みつづけなければならなくなった……」

 

 作戦後、〈シャングリラ〉は深海海月姫(しんかいくらげひめ)と正式名称が定められ、その寄生体をもとに大型正規空母艦娘サラトガが実用化されただけでなく、ライセンス生産が許可されていたZ1やビスマルクと同様に日本が国産化できるようになったことは大々的に広報された。しかし、直接対決におもむいた艦娘たちが退役後も後遺症に悩まされた事実が顧みられることは、少ない。

「いくら修復材でも、放射線障害まで無害化できるわけじゃないからね」

「むしろ、細胞分裂の活性化という原理で傷を治す修復材との相性は、最悪でしょうね」

「ネビルシュート作戦の参加艦のうち、長門さんは皮膚がんが見つかって、闘病の甲斐なくあっという間に筋肉や骨、肺、腎臓にまで転移して……。長門さんが入院してから、わたしは時間を見つけてはお見舞いに通った。彼女はもともと面倒見のいい、旗艦にふさわしい艦娘だったけれど、わたしのことは配属当初からとくに可愛がってくれた。わたしのどこかを気に入ってくれたのか、ホーミングゴースト現象にひきずられただけなのかはわからないけど、わたしがあの長門さんにひとかたならぬ恩があることには変わりないから。長門さんが好きだったアイスクリームも毎回持っていってあげたわ。艦隊にいたころは毎月、トン単位で食べるほどだったんだよ」

 おかしそうに話す元酒匂に元長波も誘われて笑う。

「長門さんは生真面目だから、医師に食事を制限されているんだとはいっていたけど、それが本心じゃなくてただの建前にすぎないことくらいわかってた。だから、わたしはぴゅううとか、ぴゃああとかいって聞き流しながら、いつも冷凍庫をアイスクリームでいっぱいにしてたの。そうでもしないと口にしてくれないから。でも、最初のころはお見舞いのたびに空になっていた冷凍庫に、だんだんとアイスが余りはじめて、長門さん自身も日を追うごとに痩せ細っていくのがわかった。抗がん剤の副作用で髪も眉も脱け落ちて、半身を起こすだけでもつらそうで、なにを食べても吐いてしまうと。“そのうち、この体が家具に変身するかもしれんな”なんて冗談をおっしゃってたけど、駆逐艦の子たちがお猿さんみたいにぶらさがっていた、あのたくましい二の腕も、最後のほうにはこれくらいしかなかったわ」

 そういって元酒匂は、中指と親指で環をつくってみせた。

「そのころになると、全身の痛みがとても激しいみたいで……まるでベッドがフライパンで、それに全身を焼かれているようだといってた。モルヒネで一日中眠ったままになることが多くなって、たまに起きたかと思うと、たぶん、ご自分が旗艦だったころにまで記憶が逆行してたんだろうね、“艦隊、この長門につづけ”とか、“夾叉か、つぎは当てる”とか、そら言を呟くばかりだった」

 それまで冷静に語っていた元酒匂が、言葉を詰まらせる。

「わたしの勤務時間中に亡くなったから、最期を看取ることはできなかった。ほんものの家族じゃないから危篤の報せを受けても早退の許可が下りなかったの。母や姉が亡くなったとでも偽ればよかった……実際、わたしにとって彼女はそれらに等しい存在だったから。でもわたしをびっくりさせたのは、病院に駆けつけたときのことよ。病室には、長門さんの息子さんふたりと娘さんがいた。三人とももう成人して結婚もされていて、次男のかたとは何度かお見舞いのときにお会いしたことがあったけど、あとのおふたりとは初対面。彼らは母親の遺体を前に、嘆くでも悲しむでもなく、もう遺産相続について揉めていたの。次男のかたは、お母さんが入院してからもろもろの費用や手続きいっさいの面倒を見てきたから遺産はすべて自分のものだと言い張り、長男さんと娘さんは、自分たちも法定相続人だから均等にもらう権利があると……わたしは信じられなくて、それこそ艦娘になってはじめて放心状態になってしまって、お互いを罵りあっているお子さんたちをよそに長門さんの手を握った。寝ているときとは違う、なんの力も入っていない、ぐにゃりとしたその手には、まだほんのりと温もりが残っていたわ。まだ温かいうちから、彼らはお母さんとの思い出やお葬式の段取りではなく、お金のことで言い争っていたのよ。血の繋がりのない他人の身ながら、わたしはなんだか情けなくなった。わたしが艦娘だと知ると、娘さんはわたしにこういった。“国からの弔慰金や遺族年金はいくらなのか教えてちょうだい”。なんと答えたのか覚えてないわ。勇戦活躍した大戦艦ということで国葬が営まれたけれど、戦没扱いじゃなかった。あくまで任務とは無関係の病死ってことになってた」

「おいくつだったんですか」

「五十歳。後衛を務めることが多い戦艦でもあの長門さんほど長く前線に立ち続けた艦娘はほかにいないわ。でも、わたしももう、彼女の亡くなった年齢に追いついちゃった。わたしなんかが」

 目尻を拭って元酒匂はつづけた。

「プリンツ・オイゲンちゃんとは、ドイツに帰国したあとも季節ごとに手紙を交わしていたんだけどね、除隊してから、白血病と診断されたって……。あの作戦から三年後のことだった。椅子に座っているだけでお尻と太ももの裏が内出血を起こすとか、白内障にもかかって、テレビを見るのもひと苦労だとか書いてあった。長波ちゃんも知ってるだろうけど、抗がん剤治療や放射線療法はただ過酷なだけでなく金銭的負担も大きいでしょ、退役艦娘は公共交通機関や医療費が無料だったのが、ドイツでも日本同様、法改正で段階的に廃止されたから、オイゲンちゃん、“レモンの種が泣くまで搾り取られちゃうみたい”と書いてた……オイゲンちゃんなりの精いっぱいのユーモアだったんだと思う。いつも笑顔を絶やさない子だったから。あの子の明るさに何度救われたか。でも、それまでは手書きだったのに、その手紙からは印字になってたの。彼女がどんな思いで手紙を綴っていたかと思うと……」

「あのオイゲンが」元長波はやるせない顔になる。そのプリンツ・オイゲンは、ジャム島に救援にきたプリンツ・オイゲンだった。「恩給などはなかったんですか」

「作戦に従事したために重度の放射線障害に苦しめられることになったと、戦傷病者特別援護法を利用して恩給を願い出たわ。でも、“作戦の遂行と症状とに因果関係は認められない”ってことで、全員の申請が却下に。かりに〈シャングリラ〉との交戦で被曝したとしても発病が早すぎる、作戦後五年以内に発症した被曝者は作戦以前から罹患していた可能性があるっていう理由からだって。おかしな話。ならなんで、いまだにビキニ環礁は高濃度汚染区域として立ち入りが禁止されてるんだろう」

 

 深海海月姫ひきいる敵艦隊を覆滅した翌週、天皇皇后両陛下ほか一二〇万人の復仇を果たした記念として、東京の日比谷公園には石碑が除幕をみた。碑文はこう刻まれている。「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」。

「犠牲者はいつもこうだ。文句だけは美しいが……」元長波は苦い顔でいう。「命に軽重はないけど、戦った艦娘たちにもその名文句を捧げてほしいよ」

 ネビルシュート作戦の日程は除幕式の日取りありきで決められたといううわさもある。そのため放射線からの防護措置や回避策がじゅうぶんに施されないまま作戦が強行されたのかもしれない。

「いまでは、わたしたちが使える医療制度は一般市民とおなじ健康保険だけになった。命懸けで戦って、その結果、働きたくても働けない体になってしまったのに、戦争に行かなかった人たちとおなじ制度しかないの」

 元酒匂は深海海月姫と干戈(かんか)を交えた僚艦たちのその後を元長波に聞かせた。

「あの作戦でわたしたちを敵艦載機の猛撃から守ってくれた照月ちゃんと摩耶さん――摩耶さんは艦娘学校で助教をしていて、懇請のすえ現場復帰したっていう人だった――は、がんの治療と再発を繰り返して、最後には困窮から満足な治療も受けられないまま亡くなったわ。わたしといっしょに夜戦で〈シャングリラ〉を追撃した綾波ちゃんは、作戦からほんの三ヶ月後に、急性白血病で……。大鳳さんも、子宮がんがリンパに転移して、手の施しようがなくなって……。ご遺族からお手紙をいただいたんだけど、最期はスパゲッティ・シンドロームで、モルヒネで眠ったまま息を引き取ったので、お別れもいえなかったそう」

 元酒匂は滔々と語った。

「オイゲンちゃんも、もういないの。最後の手紙は、“わたしたちがしたことは、この程度の価値しかなかったのかな”っていう言葉で結ばれてた。彼女のお母さんからの手紙も同封されてた。昏睡状態がひと月つづいて、回復する見込みはないと医師に告げられて、家族で悩みに悩みぬいた結果、しかるべき手続きに則って生命維持装置を外したと。お葬式をすませ、身辺を整理していたらこの手紙を見つけたので、わざわざ送ってくれたって。日本もドイツも戦没者慰霊式典を開かなかった。あんなにいい子だったのに」

 元酒匂は元長波の来訪にあわせて用意していたアルバムを開いてみせた。さまざまな国の、さまざまな艦娘たち。ネビルシュート作戦決戦艦隊が出撃する直前に撮られた集合写真もあった。長門、プリンツ・オイゲン、照月、摩耶、綾波、大鳳、翔鶴、酒匂だった彼女、ほか大勢の艦娘たちが決意に満ちた顔を並べている。

「ネビルシュート作戦に参加した艦娘で残っているのは、もうわたしだけ。わたしもそう長くないと思う。弁護士の先生といっしょに国を相手取って戦ってきたけど、たぶん、時間切れでわたしの負けかな。こんな戦いが待ってるなんて、みんなと海にいたころには想像もしてなかった」

 

 元酒匂らを苦しめたのは放射線だけではない。

 

「最近ではね、命を国に捧げたはずの艦娘が、国相手に裁判を起こすなんて、国賊だっていう声もあるの。いきなり知らない人から電話がかかってきて、“艦娘だった奴がよく国を訴えられるもんだな、金の亡者め、恥知らず!”とか罵られて、一方的に切られるっていうことも」

 差出人不明の郵便物もしばしば届くという。

「これね、おととしのお正月にきた年賀状。こっちはことしに送られてきたの」

 年賀状には、

“明けましてご不幸でした うそつきやろう にせものやろう 日本のハジサラシ 死ねばじごくだ”

“大変だ 大変だ 金ほしさにやぼこいた売女が勝つなんて 良心があるのか”

 と殴り書きされていた。ほかにも何通とある。いずれも筆跡が異なっている。消印も共通点をみなかった。

 

「最近、不思議に思うことがあるの。艦娘として外地に出征するとき、出航する護衛艦に乗ったわたしたちに手を振って見送ってくれた人たちと、この葉書を出した人たちがおなじだったら、と……。そして、どんな顔で書いて、投函したんだろうかと」

「きっと、違う人間ですよ。世の中にはどうしようもないクズっていうのがいるんです。そういうやつは、自分が取るに足らない、いてもいなくてもいい存在だってことが心のどこかでわかってるから、それを認めたくなくて、がんばっている人や偉大な人間を貶めようとするんです。他人を冷笑することで精神的に優位に立とうとしているクソッタレのマスかき野郎どもです。こんなもの、焼いちまったほうがいい」

 アルミ箔はないかと元長波がまくしたてると、元酒匂は戸惑いながらもキッチンへ行き、アルミホイルを手にもどってきた。

 元酒匂の許しを得てからアルミホイルで即席の灰皿をつくり、その上で元長波はライターで年賀状に一枚一枚火をつける。ホイルに置かれた葉書が声なき悲鳴をあげながら燃えて萎縮する。罵詈雑言が炎のなかに消えていく。

「酒匂さんは、美しい思い出だけをいっぱいに抱えるべきなんです。こんなくだらない、薄汚い有象無象の遠吠えごときに、記憶の容量をとられるなんてもったいない」元長波は微小の燃え残りをところどころに宿した灰をみながら吐き捨てた。

「そういってもらえて、踏ん切りがついた。もしかしたらわたしが悪いことをしてるからこんなものを送られるのかもしれない、ちゃんとこういった声にも耳を傾けなきゃいけないって思うときもあったから……」

「無視するんです。差出人の名前も住所も書かれてないでしょう、反撃を受けない安全地帯からじゃないと批判もできない腰抜けばかりなんですから、耳を貸す価値もないですよ」

「そうだよね。こんなもの大事にもってても、しょうがないもんね」

 元酒匂は元長波にありがとうといってから、灰の盛られたアルミホイルをシンクに運び、たっぷりの水で濡らしてから丸めて捨てた。

 

「作戦のあと、翔鶴さんは……」もどった元酒匂に元長波は訊ねた。どうしても知りたかったことだった。

「翔鶴さんは、戦後になってリンパ節結核と糖尿病を併発して、合併症で目が見えなくなって、左足を切断する手術を受けたんだけど、それからすぐに原発不明がんで。戦争が終わってから十年めのことよ」

 そうか、と元長波は悔やむ。終戦から十年といえば経済白書が「もはや戦後ではない」としめくくられた年だ。元長波がパラオ泊地で世話になった翔鶴は、ネビルシュート作戦に際して元酒匂らとおなじ決戦艦隊に異動となった。

「彼女の配属が決まったとき、だれもが複雑な思いだったと思う。ただの翔鶴じゃない。あの420-010016の翔鶴さんだもの。わたしだって」

 元酒匂が麻のように絡まったままの胸中を覗かせる。

「翔鶴さんにいい感情を持たない艦娘がいたこともたしかだった。でも、あの翔鶴さんがいなかったら、艦娘になれなかった人もその場にたくさんいた。だれもがそれを理解してた」

 実際、ネビルシュート作戦における決戦艦隊の二個独立混成海上旅団にかぎってみても、八割以上の艦娘が艦娘無制限時代突入後に建造された、いわゆる“ポスト・ホリデイ”世代だった。

「どんな人なんだろうってずっと思ってた。実際に会ってみて、作戦に向けた訓練をともにして、信じられなかった。“こんなすばらしい人が?”って」

 元酒匂は元長波をみつめた。

「本当にあの人がやったことなの?」

 元長波の瞳にも感傷の色が混じる。

「わたしがパラオであの翔鶴さんと出会ったとき、子日もいたんです」元長波は厳しい顔で告げた。「軍事指導でブラジルに一緒に行った、あの子日ですよ」

 元酒匂の目が小さくない驚愕に見開かれる。

「あとから考えれば、あの翔鶴さんは子日にはとくに目をかけていたようでした。転属で別れるってなったときに、あいつには打ち明けたみたいです」

「子日ちゃんは何て?」

「うわさなどで以前からうすうすは知っていましたけど、はっきりと本人から伝えられたことで、やっぱりどうにもやりきれない気持ちはあったらしいです。翔鶴さんには、“できれば話さないままでいてほしかった”と……」元長波は答えた。

 元酒匂は息を吸って吐く。吸って吐く。意を決していう。

「でも、あの翔鶴さんこそ、本物の愛国者よ」



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二十六 許されなかったいのち

 土曜日の札がかけられた冷たいコンクリ床の部屋で、哺乳類とも爬虫類ともつかない四足歩行の動物たちがもの悲しい声を響かせ、濡れた瞳でガラス越しに訴えかける。大きさは犬や猫ほど。いずれもペット用の深海棲艦だ。なかには人影に恐怖して隅で震える深海棲艦もいる。

 アンモニアと獣の臭いが壁にも床にも天井にもしみついている施設内で、職員は黙々とボタンを操作する。部屋の壁が左へ動いていく。動物愛護センターの六つに仕切られた部屋にはそれぞれ月曜から土曜の札がある。センターには毎日のようにペット用深海棲艦が持ち込まれ、あるいは回収されてくる。収容された深海棲艦はまず月曜の部屋に入り、一日経つごとに火曜、水曜と部屋を移される。深海棲艦たちに与えられた猶予は一週間。そのあいだに新たな飼い主が現れることを職員たちは心から願っている。だが、里親がみつかるケースは一割にも満たない。

 事実上あと一週間の命となった深海棲艦たち。せめて最後の一週間は清潔な環境で過ごせるようにと、職員たちは糞尿の絶えない収容部屋の掃除にかかる。

 きょうも愛護センターの大型トラックが市内を巡回する。コンテナには「飼えなくなった愛玩棲艦の引き取り車」とある。飼い主に不要とされた深海棲艦を回収して、動物愛護センターへ運ぶ。以前は有料で回収していたが、山や河原に捨てられる深海棲艦が激増したため、無料にせざるをえなくなった。財源はもちろん税金だ。

「気まぐれに餌をやったらさ、うちに居着いちゃって。それが赤ちゃん産んじゃって、もうどんどん殖えてくんだもん。餌代だってすごいし、臭いもあるしさ」利用者の中年女性はいう。

「病気になっちゃって」またある飼い主はいう。「歳とったせいか病気がちなのよね最近。そのたんびに病院に診せて。この子、純血で血統書もあるんだけど、もう買ったときの金額より病院代のほうが高くついちゃってね。病気のを飼ってても、おもしろくないじゃない。だからもう引き取ってもらおうって」不要ペット回収車に回収された深海棲艦がどうなるか、その飼い主は知らない。「また新しい飼い主さんみつけてくれるんじゃないの? 知らないけど」

「好きで飼ってるわけじゃないんだよ、もともと動物があんまり好きじゃないのよ、ぼくは。犬でも猫でも深海棲艦でも。一回、餌をやったらそれからずっと毎日うちに餌ねだりにくるわけ。困るよ、正直」また別の飼い主は、子猫ほどの深海棲艦を何匹も詰め込んだレジ袋を職員に押しつけ、鬱陶しそうに説明する。

 

 つぎの回収ポイントでは中型犬ほどの深海棲艦を連れた男性がトラックを待っていた。

「この子のお名前は」職員が訊ねる。

「ソラっていうの」

 六年間も生活をともにしたと飼い主の若い男性は話す。家庭の事情から飼育がむずかしくなったという。

「吠えたり咬んだりしますか」

「しないしない。おとなしいもんだよ。餌食べてるときにうちの彼女がイタズラで餌皿取りあげてもじーっとみてるだけだもん」

 飼い主が抱きかかえてトラックの檻に押し込む。「今度、結婚することになって。で、彼女が元艦娘でね、ペット用でも深海棲艦は嫌だって。もうじき子供も産まれるし、まあお役ごめんだよね」飼い主は肩の荷が下りたように晴れ晴れとした顔をみせる。トラックの後方ドアが閉じるまで、ソラはずっと飼い主をみつめつづける。

「信じてるんですよ、飼い主を」職員は運転席に乗り込みながらいう。「しばらくおうちを離れるだけ。またすぐに帰れる、飼い主に迎えにきてもらえるって信じてる。どの子もそうです」

 職員は吐息する。

「どうして最後まで飼ってあげられないのか。終生飼養できないなら、最初から飼うべきじゃない」

 

 ソラは血統書つきの純血種だった。男性が独身時代にペットショップで購入し、以来ずっと寝食をともにしてきた。男性が仕事から帰るとかならず玄関まで出迎えた。頭を優しくなでられるよろこび、一緒に散歩する楽しさ、だれかとおなじ部屋で暮らすことのうれしさ、食事のおいしさ、それらを教えてくれたのは飼い主の男性だったからだ。生まれたときから仲間と引き離されてペットショップのショーケースで販売されていたソラにとって、生まれてきてよかったと思えたことは、すべて男性から与えられたものだった。男性と過ごした時間はソラの宝物だった。男性のそばで丸くなっているだけでも幸せだった。

 しかしいつしか男性には恋人ができた。仕事と恋愛を両立させるうえで、どうしてもソラとの時間がとれなくなくなっていった。だがソラは、男性の邪魔をしたくないために寂しい気持ちをこらえて、ひたすら待っていた。「吠えたり咬んだりしますか」「しないしない。おとなしいもんだよ。餌食べてるときにうちの彼女がイタズラで餌皿取りあげてもじーっとみてるだけだもん」。そういうことだ。我慢強い性格だった。

 きょう、リードをつながれて家の外に連れ出されたとき、ソラはうれしかった。男性との散歩だ。むしろソラがリードを引っ張って外へ出た。だが、いつもの道を回るでもなく、よく遊んだ土手の公園に行くでもなく、ソラはトラックの真っ暗なコンテナに積み込まれた。お留守番だろうか。ソラはまだ男性を信じている。

 動物愛護センターの「月曜日」の部屋に入ったソラは、みたこともない数の深海棲艦とまとめて管理されることになる。どの深海棲艦も悲鳴のような鳴き声をあげて飼い主の姿をさがすなか、ソラは吠えずにおとなしくしている。トイレがないため床に直接排泄する。いきおい糞尿と生活することになる。清掃の頻度にも限りがあるからだ。夜になると人の気配がなくなる。深海棲艦はたくさんいるのにひとりぼっちのような気持ちで夜明けを待った。心細いが我慢した。すぐに男性が迎えにきてくれるはずだ。だから耐えられる。ソラはまだ男性を信じている。

 翌朝の午前八時半、重々しい轟音とともに壁が動く。ソラたちは追いたてられて「火曜日」の部屋へ移る。

 ソラは入り口に座って待つことにした。「飼い主がきたらすぐみつけてもらえるようにしているんでしょうね。そういう子は多いですよ」職員はそう語る。前を通りすぎる人影をみるたび、一瞬、ソラは飼い主の男性かと思ってドアにすがろうとしてしまう。ソラはまだ男性を信じている。

 翌日の朝にも壁が動いた。「水曜日」、「木曜日」と日ごと部屋を移動していく。散歩こそさせてもらえないが、職員は世話のさいにソラやほかの深海棲艦の頭をなでていく。うれしかった。だがやはり飼い主の男性の手のほうがいい。ソラはまだ男性を信じている。

 また朝がくる。ソラたちがいる部屋は「土曜日」。時計の針が午前八時半を回る。職員がスイッチを押す。壁が重い金属音を轟かせて強制的に深海棲艦を追い込む。いつものことだとソラは思っていた。だが愛護センターには「日曜日」の部屋はない。壁に追いやられたさきの部屋はいままでとは比べ物にならないほど狭く、窮屈だった。愛護センターの最後の部屋。六面ステンレスケージに囲まれたその密室はドリームボックスと呼ばれている。職員が「注入」の赤いスイッチを操作すると、ドリームボックス内に炭酸ガスが満たされていく。深海棲艦たちが異変を察知して暴れはじめる。顔を上に向け、口を大きく開き、胸のあたりを波立たせてあえぐ。

 ソラも窒息の苦痛と戦った。逃げ場のないガス室で薄れゆく意識のなか、ソラは男性が助けにきてくれるのを待っている。

 やがてソラは小刻みに痙攣し、倒れたまま手足をばたつかせ、失禁し、脱糞し、口から泡を吐き散らしながら、苦しみ抜いたすえに絶命する。半開きの目は殺されてもなお飼い主を待っているかのようだ。ソラは最後の最後まで男性を信じていた。

 三十分後、職員が折り重なるように横たわる深海棲艦を一匹一匹調べ、死亡を確認する。深海棲艦たちの尿で水溜まりができている。ドリームボックスが傾いて、ソラをはじめとした深海棲艦の死体が、糞と一緒に焼却炉へ機械的に落とされる。肉と骨のぶつかる鈍い音が反響する。流れ落ちる尿は滝のようだった。

 窯のような炉内に真紅の火炎が猛烈に吹き荒れる。ソラたちは生ゴミのように焼かれていく。六〇〇度の容赦ない業火が死骸の肉を炭化させる。残るものは原型をとどめた骨だけだ。あとは遺骨を粉砕してひとまとめに産業廃棄物として処理される。

 環境省の発表では、年間四十万頭のペット用深海棲艦が殺処分されている。一日に一〇〇〇頭を超える計算だ。

 毎日、一〇〇〇頭以上の“ソラ”が愛護センターでドリームボックスに入っている。

「絶望してるひまなんかないですよ」職員は疲労の色濃い顔でいう。「だって、あの子たちには毎日、“日曜日”がくるんですからね」

 

 こうした殺処分を請け負う動物愛護センターは全国の自治体に五六九ヶ所ある。

 しかし、山口県ではこの五年間、愛護センターのドリームボックスは使用されていない。愛玩用の深海棲艦をふくめたペットの殺処分数ゼロを実現している。かつて海軍でシリアルナンバー404-021222の初春型駆逐艦娘子日(ねのひ)だった女性が代表を務める、NPO法人の尽力によって。

「よしよし、きれいなウンチしてるね」

 元子日たちはこれまで五〇〇〇頭以上のペットの命を救ってきた。元子日は動物愛護センターに持ち込まれた、あるいは回収された動物をわけへだてなく全頭引き取っている。三十九年前の総武本線空襲事件でただひとり生き残り、艦娘として2水戦で戦歴を残しながらも生きて終戦を迎え、除隊後は元艦娘の地位向上運動に貢献し、いままた山口県のペット殺処分ゼロの偉業を成し遂げた彼女を、人は奇跡の女性と呼ぶ。

 

 保護施設には動物園顔負けの数と種類の動物たちが暮らす。総数は一二〇〇頭を超える。犬、猫、インコ、ミニブタ、フェレット。なかには三メートルの大蛇もいる。

「このヘビはボア・コンストリクターっていう種類なんです。おととい脱皮したばかりだから、ほら、光が当たったところが青とか緑に反射して、とてもきれいでしょう?」元子日はケージから太ももほどの胴回りもある大蛇を持ち上げて首にマフラーのように巻きつける。ヘビは舌を出し入れしながら元子日にしたがう。「見た目と違っておとなしいんです。ハリウッドの映画に出てくる大きなヘビはまず間違いなくこのボアコンですね。ブレードランナーとか、ハリー・ポッターとか。映画の撮影でつかわれるっていうことは、それだけ出演者やスタッフに危害を加える心配がないってことです。でも日本で飼育するには許可が必要です。この子は法律で義務付けられてるマイクロチップの挿入もなかった。密輸でしょうね。で、結局大きくなったとかで飼えなくなって、そこらへんに捨てたと」

 そのヘビが県内の山中で保護されたのは三年前の秋口だった。南米原産のボア・コンストリクターは日本での越冬を知らない。発見が遅れていれば凍えて死んでいた可能性もある。

「人間の都合でふるさとから連れてこられて、飽きたら捨てられるんです」

 

 元子日は深海棲艦であっても差別なく保護する。毎日の散歩だけでも四時間かかる。深海棲艦たちは元子日の足音を耳にしただけでも尻尾をちぎれんばかりに振って、親愛の情を表現する。

 

「愛情だけじゃ動物は飼えません。でもまずは愛情がないと。それは深海棲艦もおなじです。飼うっていうのは、生かしておくということだけではないんです」

 

 この日は多頭飼育崩壊したある家の深海棲艦を全頭捕獲するよう長門市から依頼されている。寄生生物に寄生されずに第四形態に移行した深海棲艦は、去勢・不妊手術をしないまま複数で飼育していれば際限なく殖える。やがて家が深海棲艦の大群に占拠され、餌代も捻出できなくなり、排泄物の処理がおろそかになって、極めて不衛生な環境で暮らすことになる。飼い主の管理能力がパンクして人畜双方の生活が破綻した状態を多頭飼育崩壊と呼ぶのだという。

 依頼された家も典型的な多頭飼育崩壊だった。車で家に近づいただけでも、魚が腐敗したようなすさまじい異臭が鼻をつく。元子日たちは鼻の下にメンソールを塗って、マスク、手術用手袋、足カバー、ビニールキャップに身を固める。

「うわあ、これはすごい」

 玄関を開けたスタッフのひとりが思わず嘆息する。元子日たちを迎える深海棲艦の群れ、群れ、群れ。上がり框から廊下まで埋めつくす無数のペット用深海棲艦たちが、真っ黒な目を大きく見開いて、職員たちをじっと凝視してくる。吠える。あるいは尻尾を振る。興奮して走り回る個体もある。このごく平凡な二階建ての一軒家には百頭以上の深海棲艦がいるというが、正確な数は飼い主にさえわからない。

「じゃあ、ケージをまずここにひとつ置いて。なかにご飯撒いて。だれかひとりみてて、五、六匹入ったら閉めて。そのケージはここへ」元子日がてきぱきと指示を出していく。

 ドライフードに釣られた深海棲艦たちがケージにつぎつぎ流れ込んでいく。見知らぬ人間が大勢いて警戒はしているが背に腹は代えられないという様子だ。いずれも飢えている。

 リビングにも深海棲艦が溢れ、台所の収納も引き出しも彼らの住みかを兼ねた遊び場になっていた。爪研ぎで傷だらけの壁紙、調度。錆びだらけのストーブ。汚れた食器の積まれた流し台。

 ペットボトルやコンビニ弁当の容器が詰まったゴミ袋がうずたかく重ねられている一角もあった。家はいわゆるゴミ屋敷でもあった。

「二階にもいるよね、これ」

 元子日がケージ片手に階段をあがる。踏みしめるたびに階段が軋む。尿で腐敗しているからだ。

 二階の一室を開ける。床に泥土が流入して乾いたあとのようにみえるが、すべて深海棲艦の排泄物だ。糞が乾きかけた上に糞をして堆積していくことで汚物が粘土のようになっている。おそらく深海棲艦の腐乱死体も混じっているだろう。そんな部屋でも子猫のように小さな深海棲艦が闖入者におびえて逃げまどう。捕虫網にもちかえた元子日はためらいなく踏みいる。

 

「どこの現場も似たようなものですよ。ここが特別ってわけじゃありません。この家は類型にして典型です」

 

 この家ではもともと四人の家族が暮らしていた。しかしふたりの子供が独立し、夫婦水入らずの老後を楽しもうとしていた矢先、妻が十五年前にがんで他界した。残された男性は寂しさを埋めるように愛玩用の深海棲艦をつがいで購入した。深海棲艦はあっというまに殖えていったが手放すことができず、およそ十年のあいだにいまの状況になったという。餌代だけでも月十万円以上はかかる。

 若い女性職員の叫び声。握りこぶしほどもない頭部が転がっていた。まだ子供の深海棲艦だ。白骨化が進んでいる。極度の空腹が蔓延したことから共食いが起きていたのだ。

「こういうことになるから、やっぱり不妊なり去勢なりの手術はしとかないと」

 元子日が苦言を呈した。飼い主の老人男性の「だよねえ」という返事は、どこか他人事だ。

「わかっちゃいるんだけどさ、不妊手術ってけっこうお金かかるじゃない。人間さまの病院と違って医療保険きかねえからさ」老人男性は家からとめどなく運び出されてくる深海棲艦でいっぱいのケージを眺めながら愛想笑いする。「それに子供産めなくする手術ったってかわいそうだしさ。ほんで生まれた子供なんかも家族だから、もう情が移っちまってるから、どっかに引き取ってもらうってのもなかなかできなかったんだよね」

「でも、殖えれば飼いきれなくなって、結局こんな劣悪な飼育環境になるわけですから」

「ほんとだよねえ、(手術は)しないとダメだねえ」飼い主からは後悔や反省の色はうかがえない。

 

「悪気があってやってるわけではないと思います」作業にもどった元子日には、汗とともにやりきれない表情がにじむ。「だって、彼はここで十年もこの子たちと一緒に暮らしてたんですから。本人は残酷なことをしているつもりなんてない。ながいあいだに慣れちゃってるんです。要は、いまのままでなにも問題ないと思ってるんですよね」

 

 この日、回収した深海棲艦は一三五頭。近隣住民からのべ数十件の苦情を寄せられた市は、二年前から飼い主に改善の警告を行なってきて、ようやく行政代執行のかたちで元子日のNPOに要請を出した。もし元子日らが多頭飼育崩壊の現場を把握していても、飼い主か行政の依頼がなければ家に一歩たりとも踏み込むことはできない。もっと早く保護に乗り出せていたら、飼い主が乱繁殖を放置していても、まだ個体数がいまより少ないまま対処できていたはずだ。共食いも起きていなかったかもしれない。しかし、元子日が保護活動をしていなければすべてドリームボックスに入っていただろう。

 

「少しでも多くの命が救えた。そう思って前に進むしかありません」

 

  ◇

 

 翌日。元長波が杖をつきながら山口市郊外にある元子日の動物保護施設を訪ねた。都会の喧騒を疎むように山と川と休耕田に囲まれた静かな土地だった。

「遠目には旅館みたいだな」

 元長波の目線が建物から門で待ちわびている女性に定まる。

 元子日は元長波の姿を認めると弾かれるように駆け出した。「おひさしぶりです」元子日は積年の思いをぶつけるように元長波に抱擁を浴びせる。元長波も杖で支えながら片腕で元子日を抱き寄せる。本当なら両手で力いっぱい抱きしめたい。それすらできなくなった自分の体が恨めしい。

 

「いくつになった?」元長波が目尻を湿らせながら訊く。

「去年、四十歳の大台に乗りました」

「おまえが四十路か。どうりで歳をとるはずだ。白兎赤烏(はくとせきう)は飛ぶのが早い」

 

 いまここにいる実感をお互いにたっぷり確かめあったあと、元子日は保護施設を案内した。三〇〇坪ほどの敷地には、おおまかに犬、猫、爬虫類、小動物、深海棲艦と分けた収容施設が屋根を連ねる。いずれも飼い主から虐待されたり捨てられたものだ。

 深海棲艦の区画に通される。「おお」元長波は驚きを隠せない。ここでは五〇〇頭の深海棲艦が生活している。猫くらいのものから、立ち上がると人間ほどもある品種まで種類はさまざまだ。姿かたちはイ級にどことなく似ているが愛玩用だけあってよほど愛らしい。どれもじゅうぶんなスペースでのびのびと過ごしている。

「みんな譲渡待ちです。新しく家族になってくれるという飼い主を待っています」

「希望者が現れなかったら?」

「もちろん、ここで一生飼います」

 元子日が柵のひとつを指し示す。小型の深海棲艦がトロ舟から上半身だけを覗かせて鳴いている。

「この子は下半身不随で歩けないんです」元子日が頭をなでてやる。

 深海棲艦は元子日の手に頭突きをして甘える。よくみると背中がくの字に屈曲している。飼い主が背骨を折って山に捨てたのだという。

「なぜ背骨を?」

「普通に捨てたんでは追いかけてくるからでしょうね。かといってひとおもいに楽にしてやる勇気もなかった。結果的に最も残酷な仕打ちをすることになった」

 地元の獣医師の助言を得て元子日らが製作したリヤカーのような車椅子が代わりの後ろ肢だ。装着してやると前肢で器用に走り回る。元子日の後ろをずっとついてくる。

「こういう言い方はわたしは大嫌いなんですが、ペット用の深海棲艦を愛玩棲艦、愛艦というんですね。愛艦っていうのは人間のぬくもりがなによりも大事なんです。愛艦は自分よりも人間ファースト、飼い主ファーストです。その飼い主に、もう要らないって背骨を叩き折られて、ポイされたんです」

「わたしがこいつだったら、目に入った人間だれかれ構わず噛み殺してるだろうな」

「まったくです」

 

 歩けない愛玩棲艦はまだいる。

 

「こっちの子は」別の柵でトロ舟にいる深海棲艦は全身が雪のように白い。目は瞳孔までが朝露に濡れたラズベリーの赤さだった。「悪質なブリーダーのもとで繁殖ばかりさせられていました。身動きできない小さなケージに閉じ込められて、ただ子供を産む機械みたいに扱われていたのです」

「みたことない色だ」

「おなじアルビノでも、体色が白で目が赤くないものはルチノー、この子みたいに目が赤いものはリアルレッドアイ・アルビノと呼ばれて、特に高値で取引されていました。産ませれば産ませるだけお金になる、だから母体の健康状態なんかお構いなしに年に何度でも繁殖させるんですね。リアルレッドアイ・アルビノの子供ならノーマルの二十倍の値がついたこともありましたし、ノーマル体色だったとしても、母親が赤目のアルビノですから、その遺伝子を持ってるってことで、五倍くらいで売られていた時期も。卵を予約する飼い主だっていました。この親が包卵したら全部くれと。業者にはそれこそ金の卵にみえたでしょうね」

 立つこともできない劣悪な飼育環境と、度を越した繁殖によって、元子日らが引き取ったときにはもう体の自由がきかなくなっていた。

「歩けなくなってからもまだ繁殖につかわれていました。歩けなくても産めますからね。そのブリーダーからすれば、交尾と産卵、これさえできればいいという認識なんです」

 リアルレッドアイ・アルビノの愛玩棲艦に人気が集中し、供給が激増した結果、値崩れが起きた。商品価値が落ちたことから遺棄したらしい。いまの愛玩棲艦のトレンドはアルビノから、全身がパステルカラーの紫に染まるフジムラサキと呼ばれる品種や、琉金のように寸詰まりのショートボディに移っている。それらもいずれつぎの流行に追われるだろう。

「おそらくこの身体障害の子たちを譲渡してほしいという人はいないでしょう。だからわたしたちがいっぱい甘やかして、一生面倒をみます。どんな命だって、幸せになる権利があるからです」

 元子日に抱かれている新雪のような愛玩棲艦の横顔は、安心しているような印象を受ける。

 

 深海棲艦は本来、海中のみで一生を終える。ところが、深海棲艦の生態研究を目的とした累代繁殖の過程で、陸上で孵化から繁殖まで行なう陸棲タイプが誕生した。ある意味で進化であり、品種改良である。さらには体格の小さな個体群をえりわけて交配させることで成体でも小型のまま成長がとまる血統の固定に成功した。寄生体がいないので生殖能力も失わず、原油や鉱物ではなく動物性タンパク質を主食とするため餌は既存のペットフード製造ノウハウが流用できた。一年に五回繁殖し、一度のハッチ(孵化)で平均して五匹が産まれる。年に二十五匹殖えることになる。産まれた子供も半年で性成熟する。短期間で量産が可能なのだ。深海棲艦がペット商品となった瞬間だった。

 戦後、晴れ着族という流行語がうまれたころ、ファッションリーダーと持て囃されていた女性芸能人のブランドバッグから愛玩棲艦が顔を出している写真が雑誌に掲載された。それがペット用深海棲艦のブームに火をつけたといわれている。真似する女性が続出した。愛玩棲艦は犬のダックスフントや猫のマンチカンのように手足が短く、ちまちまと不器用に歩くそのさまが人気に拍車をかけた。愛玩棲艦の動画は安定して再生数が伸びた。

 現在もSNS上に写真を投稿する目的で愛玩棲艦を購入する人間は多い。「いいね!」の数が自分の存在価値だと盲信している人々は、おしゃれなランチの写真を撮り、友人役を派遣する企業に依頼してでも大勢でパーティーを開いて写真を撮り、流行の愛玩棲艦を買って着せ替え人形のように着飾らせて写真を撮る。もし愛玩棲艦の写真で思ったほど「いいね!」が稼げなかったら、飼育にかかる費用も手間も負債でしかない。捨てるか愛護センターへ持ち込むことになる。

 

「よく、愛艦を山に捨てる人たちが“自然に帰す”といいます。動物は自然から借りたもの。だから自然にお返しする。捨てた飼い主たちはたぶん、愛艦も大自然のほうが幸せに暮らしていけるとでも思ってるんでしょう。大間違いです」元子日は首を横に振る。「愛艦にかぎらず、動物にとって自然界は絶えることのない闘争と逃走の戦場です。隙をみせればたちまち食いものにされてしまう。人間にいっときでも飼われた動物にとって自然界はお家ではありません。ペットの家は、飼い主の家以外にありえないんです。まして愛艦は、人間がつくったようなものでしょう、陸上動物としての歴史がないから自力で餌も探せません。自然に帰す、だなんて、子供だましもいいところです」

 不随の白い愛玩棲艦を抱いたまま元子日が説く。

「愛艦を捨てる、彼らがいうところの“自然に帰す”っていうのは、人間でいえば身ぐるみを剥いで、ジャングルの奥地にひとりっきりで置き去りにするようなものです」

「そう考えるとむごいな」

「ええ、とても」元子日は赤目の愛玩棲艦の顔を覗きこむ。「もうこの子たちは飼育下という環境でしか生きられない。それを人間の都合で、みたこともない自然だなんていう異世界に放り出される。残酷な話です」

 

 戦争だ、艦娘が必要だと、まだ人格の基礎も固まっていない時期に軍へ入り、海へ出た。細胞のひとつひとつまでもが軍隊に順応した。戦争が終わったからと、その軍から放逐され、一度も入ったことのない社会へ“復帰”させられた。

 ここで保護されている愛玩棲艦たちは、わたしだ、と元長波は思っている。愛玩棲艦の境遇に自らが重なる。

「わたしたちみたいって思ってますか?」

 元子日の言葉に元長波は顔を上げる。元子日の目には真摯な色があった。

「わたしが捨てられた愛艦たちを引き取ってるのは、それもあるんです。まるで自分をみているようだったから」

 

 施設の二階も愛玩棲艦の王国になっている。動物のいない空間はない。どこにいてもにおいがないのは管理がいき届いている証拠だ。寝室にも、年老いて一日を寝て過ごす愛玩棲艦のケージが並ぶ。

「ここで暮らしてるのか」

「わたしを含めて常時五十人が」元子日は笑いをみせる。「タカは一日八時間以上構ってあげないと飼い主に馴れないといいますが、やっぱり、動物に信頼してもらうには、通勤してそのあいだだけ世話するっていうのじゃ限界があるんですよね。いつ病気になるかもわかりませんし。一緒に寝起きしないと」元子日はケージをひとつずつ確認して、排泄物があれば清掃する。「本当はこの倍のスタッフが必要なんですけど、なかなかむずかしいです」

 

 ここへ愛玩棲艦がくる理由は多岐にわたる。

 飼いきれなくなった飼い主が愛護センターに持ち込んだ。

 経営が行き詰って愛玩棲艦たちを置いたまま行方をくらませた悪徳ブリーダーから保護した。

 そのつぎに多いのが、野山に捨てられた野良の愛玩棲艦、いわゆる捨て艦を餌付けして、殖やしてしまったというものだ。

 

「ゴミを漁ったりして生きていくしかありませんよね。かわいそうだといって、餌をやる。懐くから愛着がわいてまた餌を。本当は死ぬはずだった愛玩棲艦が生き延びて、繁殖してしまう。餌を恵んであげているつもりなんでしょうけど、それは」

 あまりに無責任だ、と元子日は語調を強める。

「愛玩棲艦を飼うっていうことは、餌をあげて可愛がるだけじゃありません。口がありますからウンチもしますしオシッコもします。出したものの始末をしてはじめて“飼う”ということなんです。生きるということはウンチをするということだからです。でも、捨て艦に餌をやる人たちというのは、ウンチやオシッコの世話はしないでしょう。家にすら上げないわけですから」

「つまり、可愛いっていう上澄みというかいいとこ取りで、汚いシモの始末は人任せにしていると」

「そうです。捨て艦もどこかでウンチなりオシッコなりをしている。それはだれかの家の前だとか、ビルとビルのあいだとか、路地裏とか。臭いますからそこで暮らす人が掃除しますよね。捨て艦に餌をあげるだけの人は、そういうなんの関係もない人たちに、排泄物の世話を押しつけているともいえるのです」

 ましてや不妊去勢手術などしない。増え放題になってしまう。

「うちでは引き取った愛艦は全頭、不妊去勢をしています。不幸な命が産まれないために」

「いくらくらいかかるもんなの?」

「一頭三万円ですね。本来はこれも飼育の経費です。ところが、捨て艦の産んだ子供たちはされてなくて当然ですけれど、あきらかに人間が飼ってて捨てた個体も、かなりの割合で手術を受けてないんです。事情はいろいろあるでしょうが、愛玩棲艦は原則として不妊去勢手術をする、それを徹底してほしいですね」

「里親をみつけやすくするために、ここで手術させておくと」

 元子日は明瞭に頷いた。

「ペットの深海棲艦がこんなことになってるなんて、想像したこともなかったな」

 人間に飼われ、信頼していた飼い主に裏切られた愛玩棲艦たちを元長波は見渡す。

「日本では年間に四十万頭の愛艦が愛護センターで殺処分されています。たった十年で、戦時中の三十九年間に日本が撃沈した深海棲艦の総数を上回る計算です。それが、ペットの殺処分ゼロをめざした改正動物愛護法の施行で、愛護センターが引き取りを拒否できるようになったんです」

 殺処分ゼロの公約を実現すること自体は簡単なのだと元子日は語る。

「殺さなければいいんですから。だけど、じゃあ、いままで殺処分していた年間四十万頭の愛艦は、これからどうなるんですかっていう話ですよね」

「余剰の深海棲艦がいなくなるわけじゃないからな。言い方は悪いが、年に四十万匹の余剰が生産されてるってことだろ? その出口だけを閉じちまったわけだ」

「当然、行き場を失う愛艦たちが溢れることになりました。どうなったかというと、余った愛艦を引き取る、引き取り屋と呼ばれる業者の横行を招いたのです」

「引き取り屋?」

「ええ。殺処分するしかない愛艦を引き取る業者です」

「そこだけ聞くと有徳な仕事に思えるけど」

「でしょう? でも実際は」元子日が顔の前で手を振る。「きょうはこれから美祢市の引き取り屋のもとへ、ペットを保護しに向かう予定です。長波さんも同行してくれますか?」

「子日がいいなら」

 

 元子日やスタッフ、ボランティアも支度を整えて、専用のバスとトラックに分乗する。獣医師も同行している。元長波は元子日とともにバスに乗る。杖をつく元長波に元子日が手を貸す。

「その引き取り屋ってのはどういう連中なんだ?」

 走り出したバスの車内で元長波が訊ねる。

「最悪の人間たちです」

 元子日が険しい顔になる。

「これから向かうのは、何十という愛艦を劣悪な環境で飼育している業者です。わたしたちは一年以上前から何度も業者のもとに足を運んで確認し、保護活動をつづけながら、県の保健所に指導を出すようしつこく要請してきましたが、いっこうに改善がみられません。哺乳類、鳥類、爬虫類、深海棲艦で商売をするには、保健所に届け出て第一種動物取扱業の登録を受け、保健所の改善命令があればこれにしたがわなければなりません(動物の愛護及び管理に関する法律第十条から二十四条)。その業者は愛玩棲艦を有料で引き取ったり、あるいは買い取ったりして、繁殖につかえそうな子はブリーダーに転売していました。しかし、大半は飼い殺しにしています」

「買い取りはわかるが、なんで引き取って金までもらえるんだ?」

「まず、日本における愛艦の流通過程についてお話しいたします」

 

 ブリーダーのもとで繁殖された愛玩棲艦は、ペットオークションにかけられ、ペットショップに並び、エンドユーザである飼い主が買い求める。

 

「ブリーダー、ペットオークション、ペットショップ、飼い主。ペットの流通はおおまかに四つのシークエンスを踏みます。このすべての過程で余剰が生まれています」

「どういうことだ?」

「まず、ブリーダーですね。純血種の場合、商品になる愛艦は産まれてきた子の半分しかいないといわれています」

 

 たとえば愛玩棲艦のアルビノは潜性遺伝(劣性遺伝)する。アルビノにかぎらず品種の特徴は潜性遺伝である場合が多い。品種改良とは奇形に稀少価値や美を見出だすものだからだ。潜性遺伝なので発現しないほうが普通である。

 愛玩棲艦の品種改良ではメンデルの法則がそのまま当てはまる。アルビノとは黒色色素を生産する遺伝子の欠如がもたらすイレギュラーである。黒色色素をつくれない遺伝子を仮にaとする。

 しかし有性生殖では父と母から遺伝子をペアで受け継ぐ。黒色色素の生産にかかわる遺伝子も例外ではない。母からa、すなわち黒色色素を生産できない遺伝子が組み込まれていても、父から正常に黒色色素を生産できるAの遺伝子をもらっていれば、Aaとなる。Aのほうが顕性遺伝(優性遺伝)なら、たとえaをもっていても、Aの発現が優先されるので、その子供はなんの問題もなく黒色色素をつくることができる。

 どちらかの親が遺伝的欠陥をもっていてももう片方の親の遺伝子でカバーできる。かつて深雪がいまわの際に語ったように、生物の本質は助け合うことにある。

 しかし、両方の親からもらい受ける遺伝子がaであれば、組み合わせはaaとなり、子供には黒色色素をつくるためのAの遺伝子がないことになる。これがアルビノである。

 

 商品としてみた場合、アルビノが高値で売れるなら、なるべくアルビノの仔を一度に大量に得たい。

 まずアルビノ、すなわちaaのメスを入手して、通常体色AAのオスとかけあわせて卵をとる。産まれる子供たちは外見こそすべて通常体色である。しかし、遺伝的には母親から受け継いだaの因子がある。つまりAaである。このように見かけは通常体色だがアルビノの遺伝子をもっているものをヘテロアルビノという。

 このヘテロアルビノの子供のうち、オスを母親と交配させるのだ。aaの母親とAaの息子とのあいだに産まれた愛玩棲艦の遺伝子の組み合わせは、AA、Aa、aA、aaだから、四分の一の確率でaa、つまりアルビノになる。

 そうして得られたアルビノの孫のオスを、さらに初代アルビノである祖母とかけあわせる。この繰り返しでアルビノの産まれる確率は上がっていく。

 

 そこまで聞いた元長波も合点がいった。

 

「過度な近親交配で血が濃くなるせいで、先天的な疾患をもって産まれてくる子供が多いってことか?」

「そのとおりです。虚弱体質、奇形、無脳症、ダウン症。けれど、流行はいつ移り変わるかわかりません。流行品種を短期のうちに大量生産するには近親交配がいちばん手っ取り早いですからね」

「じゃあ、あの歩けなくなってた白いやつも?」

「ええ」元子日は苦い顔をした。「ひ孫、玄孫と交尾させられるなんて当たり前という状況でした。ブリーダーにとっては単なる赤目アルビノの生産マシーンだったんです」

 アルビノはほんの一例だ。あらゆる品種で近親交配は行なわれている。

「良識あるブリーダーももちろんいます。そういったブリーダーは血が濃くならないよう、代を重ねていく途中で適度に血縁のない相手との交配を挟んだりします。もちろん目的の形質を備えていない子供が産まれることになりますが」

「いつだって悪どいやつのほうが利益を上げられるんだな」

 

 極度の近親交配によって先天的な欠陥がある、もしくは、疾患はないが望んだ表現形ではない、出来がよくないなど、流通の最上流であるブリーダーの段階で早くも「不要」とされて弾かれる愛玩棲艦が出る。

 

「ブリーダーに殖やされた愛艦のうち、とくに優良とされたものは仲介業者がいち早く高価格で買い付けます。そうではない、かといって不要というほどでもない、いわば並の愛艦は、つぎにペットオークションへ送り込まれます。ここではおもにペットショップや問屋を相手にして、競りにかけられます」

 

 オークションのイベント会場では統一規格の小さな段ボール箱がところ狭しと並べられ、三段四段と積み上げられていることもある。なかに入っているのはバッグでも靴でも化粧品でもない。愛玩棲艦だ。もし崩れ落ちたらなかの愛玩棲艦はどうすることもできない。

 

 オークション業者のセリ(びと)がまだ産まれて間もない二十センチそこそこの体をわしづかみにしてバイヤーたちにみせびらかしながら、ちょうど築地のように暗号のような掛け声で値段をアナウンスし、ベルトコンベアー式に売りさばいていく。基本的には上げ競り、つまり価格を上げていく方式で、一〇〇〇円刻みでセリ人が売値を高くしていき、落札を希望するバイヤーはそのたびに手元の応札ボタンを押す。応札するバイヤーがひとりに絞られたら落札だ。競りは一頭につき一分もかからない。またつぎの愛玩棲艦が競りにかけられる。

 

 こうしたペットオークションは全国に二十ヶ所以上存在し、週に一回のペースで競りが開かれているところもある。年間の売り上げは一ヶ所につき数億から数十億円ともいわれている。

 

「日本全体で生産されてる血統書つきの愛艦は、年におよそ六十万頭。そのうち半数以上の三十五万頭がペットオークションを経由しているっていわれてますから、さもありなんです。お金になるからやるんですよね。法律に触れているというわけでもありませんし」

 

 売れ残った愛玩棲艦は下げ競り、すなわち値段を下げていく方式の競りにかかる。それでも買い手がつかなかった愛玩棲艦は「不要」となる。

 

 ペットオークションで落札された愛玩棲艦は箱詰めのままバイヤーに引き取られ、持ち帰られる。東京から名古屋のオークションに参加するバイヤーもいる。人間でも自動車で三〇〇キロも揺られるとなると疲労がたまる。箱のなかで踏ん張るしかない愛玩棲艦には拷問に近い。

 

 しかも日本ではペットは小さいほうが可愛いと思われがちなことから、幼い個体ほど高値がつく。そのためオークションに出品される愛玩棲艦は半数が生後三十五日前後の幼体だ。

 

「深海棲艦は社会性のある動物です。母親やきょうだいとの遊びを通じて社会性を身につけていきます。この生後八週くらいまでの社会化期は愛艦の性格を形成する最も重要な時期です。社会化が不十分なまま親から引き離されたら、ほかの愛玩棲艦や人間との上手な付き合いかたがわからずに育ってしまい、無駄吠え、咬みつきといった問題行動を起こして、結果的に飼い主から捨てられやすくなります」

「散歩させてる愛玩棲艦どうしが出くわすとやたら喧嘩したがるのはそのせいなんだな」

 

 産まれてすぐ母親から引き離され、社会性も体力もじゅうぶんにつかないまま、箱に詰められ、オークション会場に移動し、眩しい照明と大勢の人間の目に晒され、また箱に戻され、長い移動が終われば、ペットショップの透明なショーケースで不特定多数の客の視線が待っている。

 

「日本のペットショップにおける生体販売は、あまり愛艦のことが考えられているとはいえません。視線からの逃げ場がないからです。しかもかろうじて体を伸ばせる程度のスペースしかない。お子さんがショーウインドウを叩くこともあるでしょう」

 

 ペットショップでは入荷して最初の一ヶ月が勝負だ。幼体の成長は早い。あっという間に成体の姿になっていく。店には幼く愛らしい状態で陳列されていなければならない。だからブリーダーは生後三十五日ほどでオークションにかける。すべては店頭で客に「可愛い!」と叫ばせて衝動買いを煽るための戦略だ。生後七十日を過ぎると売れる可能性ががた落ちになるという統計もある。

 ここで旬を逃したものはそのまま展示していても売れる見込みが少ないため、「不要」になる。

 

 愛護センターにペットを持ち込むのは飼いきれなくなった飼い主ばかりではない。むしろ実際にはブリーダー、ペットオークション、ペットショップの各過程で「不要」の烙印を捺された愛玩棲艦のほうが多く持ち込まれている。生産された愛玩棲艦のうち飼い主に届くのは三割程度だという。行政は多額の税金で業者の在庫処分を引き受けていたことになる。

 しかし、法改正で愛護センターが引き取りを拒否するようになると、ブリーダーやオークションやペットショップは「不要」な愛玩棲艦を抱えて途方に暮れる。

 

 元長波にも話がみえてくる。

 

「愛玩棲艦ったって生きもんだから、売れないあいだもずっと餌代はかかるし、場所もとる。かといっていままでゴミ箱みたいに使えた愛護センターには頼れない。そんなら多少の金を払ってでもさっさと引き取ってもらえりゃ願ったり叶ったりだと」

「そうなんです。日本のペット産業が大量生産・大量消費型であることも関係しているでしょう。いつお客さんがくるかわからないから一年中商品を置いておかなければならない、でも愛艦は動物ですから成長します。その愛艦の商品価値は生後数ヵ月までしかない。なら、つねに産ませて、新しいのを仕入れて、幼体の愛艦をいつでも置いて、次から次へ入れ換えて、売れ残りは捨てるということになります」

 

 商品の種類と客足は比例関係にある。品揃えの豊富な店を消費者は選ぶのだ。

 また消費者には、目当ての商品が置いていない、もしくは売り切れということが三度つづけば、もうその店には行かなくなるという心理もある。だからコンビニエンスストアは毎日大量の廃棄を出してでもつねに陳列棚をいっぱいにしているのだが、

「そのビジネスモデルを、命にそのまま当てはめていいのかどうか」

 元子日は疑問だという。

「食べるためでもなく、薬品の安全を確かめるための実験につかうでもなく、ただ在庫として殺すためだけに産ませるのは、わたしは納得いかないんです。たとえ傲慢といわれても」

 

 元子日が車窓から景色をみやる。何度も引き取り屋のもとを訪れている彼女には見慣れた光景だ。これからもこの風景を元子日はまだ何度でもみるだろう。

「もうすぐ着きます。いまさらですが、あまり気持ちのいいものじゃないですよ」

「いいんだ。いまおまえがなにをしているのか知りたいから」

 合流したほかの愛護団体や獣医らとともにスタッフたちが引き取り業者を訪ねる。いまにも崩れ落ちそうな廃屋だ。目に沁みるほどの悪臭が外にまで漂っている。元長波は眉をひそめる。

「ジャム島のにおいがする」

 元子日が先頭に立つ。引き取り業者に友好的にあいさつしてから入る。

「ああ、来たの」業者の中年男性は物憂げに応じる。

 元子日が元長波を振り返る。

「これが、華やかな愛玩棲艦ブームの裏側です」

 元子日の背につづく。

 待っていたのは、異臭、悲鳴、混沌、腐敗、暗黒、汚濁、糞尿。

 斜めに傾いた粗末な小屋は、屋根に大きな穴がある。壁板から吹き込むすきま風が冷たい。冬なのにハエが読経のような羽音で飛び交う。そんななかに、痩せ衰え、怯えた愛玩棲艦の押し込まれた小さな金網ケージが、天井近くまで何段にも積まれて、壁を埋めつくしている。足を進めるたびに靴裏が粘つく。地面をゴキブリが運動会のように走り回る。

 錆びた金網ケージには愛玩棲艦とともに例外なく大便が居座り、ながく放置されていたことを示すように白く変色している。愛玩棲艦の体はいずれも糞で汚れ、なかには皮膚病を発症して赤い筋肉組織が露出しているものもいた。ケージは床面も金網なので愛玩棲艦の足に食い込む。傷口に排泄物がしみこんで感染症をさそう。手足が壊死している個体はめずらしくない。汚物が上段から下段のケージに流れ落ちるので、多くの愛玩棲艦が糞尿を日常的に浴びてしまっている。

 ストレスからよくケージの金網に頭を押しつけていたらしい愛玩棲艦は、顔面の肉が削げて、左の眼球のほぼ全体がみえてしまっている。傷から流れる膿が涙のようだった。

 

「引き取り屋が愛艦を引き取るときの相場は、数千円から高くても二万円くらいです。とうてい終生飼養をまかなえる金額ではありません」元子日がスタッフたちと手分けして愛玩棲艦の健康状態を確認しながら明かす。「即決の現金収入がほしいからです。現金収入さえあれば、あとはほったらかしです」

「これは虐待ですよ」

 今回が初参加だというボランティアの女性が業者の男性に涙ながらに訴える。男性はあっけらかんとしている。

「殴ったり蹴ったりしてるわけじゃないだろ?」

「ネグレクトも立派な虐待です。動物愛護管理法第四十四条には、世話をしないことも虐待にふくまれると明記されてます」

「ああそう。でも、おれも世話してるつもりなんだよね。世話の程度ってのはさ、個人差があるから。おたくらは下にも置かない飼いかたしてるのかもしれないけどさ、これがおれの飼いかたなの。おれにだって生活はあるわけだから。商売なんだし、コスト度外視ってわけにはいかないよね」

「じゅうぶんな環境を整えてやれる範囲で引き取ることが重要だとは思いませんか」

「そうすると引き取り手がいなくて、捨てられるか殺処分になるよね。おれがこの仕事やる前は、この界隈のペットショップはさ、売れ残ったとか、病気になった愛艦を、生きたまんま冷蔵庫に入れてたんだよ。つぎの日の朝には死んでるから。死んだ動物は生ゴミと一緒に出しても違法じゃないから。うちがいなかったらここにいる動物はみーんなもうこの世にいないよ。ほっといたら殺される動物を、かわいそうだなって引き取ってあげてるわけ。大して儲けも出ないからやめちまってもいいんだけど、ペットショップもブリーダーも、やめないでくれっていうんだもん。在庫かかえることになるから。おれらみたいな引き取り屋がいなかったら、ペット業界は回らないと思うよ」男性は悪びれることなくつづける。「こんなんでも世話してることはしてるんだよ。餌とかで月十万はかかってる」

 

「この数をおまえんとこで飼ったとしたら、月にいくらくらいかかる?」ケージ越しのやりとりに耳をそばだてていた元長波は作業を進める元子日に訊いてみる。元子日はケージの山脈に目をやって、

「だいたい一五〇頭くらいいますから、一二〇から一三〇万円というところですね」

 こともなげにいう。どのケージも皿には餌も水もない。

「この目が白濁してしまっている愛艦はティーカップと呼ばれる超小型の人気品種です。成体になるまではティーカップに入るくらい小さいことがその名前の由来です。おそらくブリーダーが繁殖につかっていたのが、加齢で産めなくなって不要になってここへ来た」

 元子日がケージを開けて白内障のティーカップ種を抱く。糞が体にこびりついたティーカップは震えるばかりで抵抗しない。繁殖艦がケージの外に出られるのは交尾させられるときだけだ。暴れたら虐待されると学習しているから、抵抗せずされるがままになるのだという。保護されるティーカップの白く濁った目は人間への不信と恐怖に染まっている。つぎに何が起きるのだろう、と。

「この子を連れて帰ってもいいですか」

 元子日に業者は面倒な様子で応じる。「どうぞどうぞ、持ってって」

 

 不衛生と飢えと渇きで瀕死の愛玩棲艦を元子日らがペット用キャリーバッグに移していく。「どうせすぐ死ぬよ」と笑っていた業者が、あるメスの愛玩棲艦のときに待ったをかける。

「それはまだ使えるんだよね」

 大便のすぐ横で倒れているその愛玩棲艦は、口からチーズ状の膿が糸をひきながらこぼれ、右前肢の腐った肉に蛆虫が群がっている。使えるとは繁殖のことだ。交配で重宝されるハイポメラニスティックという品種なのでブリーダーに転売できる。業者はにやにやとしている。保護したければ金を払って買えということだ。元子日は価格交渉をする。二万五〇〇〇円で手を打つ。「毎度あり」業者は舌なめずりして紙幣をポケットにつっこむ。保護という大義名分があっても勝手に持ち去ることはできない。あくまでもここにいる愛玩棲艦は業者の所有物だからだ。金銭を要求されたらしたがうほかはない。命がかかっている。

「引き取り屋にとっては、わたしたち愛護団体っていうのはケージを空けてくれる体のいい処分先なんでしょう。わたしたちが持って帰ってスペースができればまた新たに引き取れる。場合によってはいまみたいにお金にもなる」確認作業に戻った元子日がいう。

「癪だな?」

「でも、やめるわけにはいきません。やめればこの子たちはここで飼い殺しにされます。根比べです。あきらめたら負けなんです」

 保護は病気の個体を優先する。いちどにすべて連れて帰れば元子日らの施設が多頭飼育崩壊を招いてしまう。

「こんだけひどくて、どうして保健所は動かないんだ。動物取扱業と保健所の関係は、いわば風俗店と生活安全課だろ。元締めの保健所が登録抹消でもちらつかせて、ちゃんとやれって指導すりゃすむ話なんじゃないのか」

 元長波には疑問でならない。

「なら、引き取り屋は保健所にこういうでしょう。“じゃあ今いるこの動物たちをいますぐ全部引き取ってくれるのか?”」

 元子日の返事は淡々としている。

「動物愛護の機運が高まり、愛護法改正をきっかけとして、愛玩棲艦をふくめたペットの殺処分ゼロという数値目標が環境省の音頭で掲げられました。都道府県が殺処分数でランクづけされはじめたことで過剰な重圧に晒されるようになった各自治体は、なにがなんでも殺処分をゼロにしようと狂奔します。逆にいえば、殺処分数がゼロでありさえすればいい。だから引き取り屋の実態を把握していても見逃すことがあるんです。引き取り屋がいるおかげで、販売業者の不良在庫は愛護センターに流れてこなくなりましたし、遺棄も減りましたからね。そこで飼い殺しになっていようが知ったことではない。引き取り屋のもとで死んでもそれは事故死や病死であって、県の殺処分数にはカウントされません。実情を知っている自治体のなかには、引き取り屋のもとで生き地獄を味わうよりはと、涙を呑んで殺処分しているところもあります。そうして殺処分数を減らせない自治体を、世間は人でなしだと非難する」

 

 殺処分ゼロを達成すると、たいていの知事はわざわざ記者会見を開いて快挙を誇示する。しかし、愛玩棲艦の所在が愛護センターから元子日らのような民間の登録ボランティアに移っただけであることは決していわない。まして悪質な引き取り屋が不要ペットを引き取っているおかげでもあるなどとは。

 

「殺処分ゼロを上から厳命されている愛護センターの担当者は、動物愛護団体に対して容赦しません。“あなたが引き取ってくれないとこの子たちは殺処分されるんですよ”。そういわれたら愛護団体は収容定数をすでにオーバーしていても受け入れざるをえません。動物を救いたい一心で真剣に活動している人ほど断れない。そこにつけこむんです。そうして愛艦を押しつけて、やれやれ殺処分のカウントが増えずにすんだと、あとは知らんぷりです」

「お役所のやりそうなことではあるな」

「使命感に駆られるあまり、管理能力を超えて引き取ってしまって、運営が苦しくなり、多頭飼育崩壊してしまった愛護団体をいくつもみてきました」

 そうならないためにも元子日たちはいますぐ全頭を保護したいところを堪えて愛玩棲艦を選んでいく。「ごめんね」牢獄に閉じ込められたままの愛玩棲艦たちに元子日が詫びる。「つぎに来るときまで、どうか生きていて」

 

 そのとき、スタッフのひとりが切迫した声で元子日を呼んだ。駆けつける。ケージの隅で一頭の愛玩棲艦が目を開けたままぐったりとしていてぴくりとも動かない。人気のフジムラサキだ。

「まだ生きてます」

 ペンライト片手の獣医師にいわれて元子日の顔色が変わる。獣医は続ける。「瞳孔反射はありますが呼吸が停止してる。いますぐ病院に連れていかないと死んでしまいます」

 元子日はすぐさま業者から譲り受け、バスに乗せたほかの重篤な愛玩棲艦とともに病院へ急行した。元長波もさすってみたが氷のように冷たい。夕闇の忍び寄りはじめた道中、元子日は車内で愛玩棲艦に絶えず声をかける。「がんばって。きっと助かるからね」元艦娘が深海棲艦を励ます構図を、元長波はじっとみつめる。

 

 保護動物専門として開設された病院では何人もの看護師らが急患の受け入れ体制を整えて待機していた。呼吸停止の愛玩棲艦に酸素マスクを着けさせ、重度の低血糖と脱水のために点滴を行ない、毛布とドライヤーで懸命に温める。その場にいる全員が愛玩棲艦の命を救うために奮戦をつづける。元子日と元長波はガラス窓を隔てて見守ることしかできない。

 苦闘一時間、愛玩棲艦の尻尾がわずかに動いた。意識を取り戻す。弱々しいながらも首を起こしてあたりを見回す。元子日も胸をなでおろした。

 しかし、息を吹き返した愛玩棲艦は、ふたたび眠るようにゆっくり倒れ込んだ。まもなく心肺停止。その後も蘇生措置を試みたが実を結ばない。獣医師が元子日にかぶりを振ってみせる。元子日の顔が苦悶にゆがんだ。

 

 診察の結果、そのフジムラサキは、栄養失調や低体温だけでなく、体内で卵が潰れ、破片が卵巣や卵管に突き刺さって化膿していたことが判明した。ろくな給餌もなく無理な繁殖をさせられていたため、卵殻を形成するためのカルシウム分が不足し、卵が柔らかくなっていたことが原因だった。重度の骨粗鬆症も併発していた。助かったとしても起き上がるだけで手足が体重で骨折していただろう。

 

「あの子は、狭いカゴのなかでただ卵だけ産まされ、おいしいものも、仲間とじゃれあう楽しさも知らないまま、死んでいったんです」

 元子日は声を詰まらせながら元長波に説明した。

「でも最期におまえに助けられた。あいつは、世の中はひどいことするクズばかりじゃなく、自分を救おうとする人間もたくさんいたってことを知ったはずさ」

 元長波に元子日は診療台に横たわる愛玩棲艦から目を離さず何度も頷く。「そうですね」

 

「それにしても」元長波はいう。「艦娘として深海棲艦を何隻も撃沈してきたおまえが、いまはペット用とはいえ深海棲艦の死に涙を流してるってのが、わたしには正直いって不思議だ。いや、気を悪くしたならすまない」

「いいえ。よく抗議や批判はされるんです。たかが深海棲艦じゃないか、そんなものを助ける必要があるのかって。偽善者と何度いわれたかわかりません。元艦娘の人からもお叱りを受けることが。とりわけおなじ子日シリーズだった人は厳しいですね。“子日として恥ずかしくないのか”と」

 診療台ではつぎつぎに愛玩棲艦たちが手厚い治療を施されていく。

「気持ちはわかります。深海棲艦に人生を狂わされた人は数えきれないほどいますから。けれども、あの子たちは戦争となんの関係もないんです。もし、親がだれかを殺していたとして、そのときは生まれてもいなかった子供までが遺族に一生いじめられるということが、果たして許されるでしょうか。わたしも軍にいたときは深海棲艦を殺しました。でもそれは両親の仇を討つためじゃない。わたしとおなじ戦災孤児を増やさないためです。そのためには深海棲艦をできるだけ倒すしかありませんでした。人間に害をなさないのなら戦う理由がありません。まして人間によってペット用に改造されたあの子たちに、いったいなんの罪があるでしょう」

 

 待合室の壁に貼付(ちょうふ)された、定期的な予防接種や終生飼養を訴えかけるくさぐさのポスター群のなかに、幼体の愛玩棲艦が無垢な瞳で見上げているデザインの一枚があった。その不妊手術の実施を呼びかけるポスターにはこうある。「僕 どこへ行くの? 保健所って何するところなの? 僕は 深海棲艦っていうだけで 殺されなきゃならないの?」。

 それに、と元子日は語を継ぐ。

「世界中の人間がみんな愛玩棲艦を憎んでいるわけではありません。わたしたちの団体は企業や個人の寄付で成り立っています。運営ははっきりいって綱渡りです。施設の医療費は月に二百万円にのぼることも。資金は絶えず尽きかけていて、さすがにもう閉じようかと思いはじめると、午前中の郵便で百万円単位の小切手が送られてくる。融資でもなければなんの投資にもなりません。百%善意の支援でわたしたちは保護活動ができているんです。いみじくもさっき長波さんがいったとおり、失われていく命を救おうとする人間も世の中にはいます。わたしはそういった人たちの恩に報いることだけを考えるようにしています」

 元子日の高潔さに元長波は圧倒される。

「強いな」元長波は心から賛辞を贈る。

「強くなんてありません。みんなわたしのことを奇跡の女性だといいますが、わたしが総武本線空襲事件で助かったのは身を挺して守ってくれた両親のおかげですし、山口の殺処分ゼロを実現できたのは支援者やボランティアの尽力あってこそです。わたしがしたことなんて、たかが知れてます」元子日は断言する。「人は助け合えば何倍もの力を出せる。それが翔鶴さんからわたしが教わったことです」

 

 元長波と元子日のあいだに天使が通りすぎるような間があった。

 

「子日自身は、翔鶴さんのことはどう思ってる?」

 訊きながら、元長波は元子日の表情のいかなる変化をも見逃すまいと注視している。

「ひとことでいえば、しかたがなかった。いまならそう思えます」

 元子日の横顔がまとう超然さにはかすかな揺らぎもなかった。

 

 ネビルシュート作戦にともなう異動で、東京十区を数時間で壊滅させる航空戦力を有する敵との決戦に臨むことになり、老練をもって鳴るさすがのシリアルナンバー420-010016の翔鶴も、今度ばかりは生きて帰れない公算が大きいと覚悟を決めたらしい。転属前夜に元子日をひとり呼び出した。余人を排した個室で、翔鶴は、元子日の人生の転機となった総武本線空襲事件は、深海棲艦の仕業であると軍は発表したが、事実はそうではないと告げた。翔鶴はいった。「あのとき、あなたと、あなたのご両親が乗り合わせていた列車を空爆したのは、わたしなの」。

 

 ワシントン・ロンドン宣言遵守をもとめ、子供を戦争へ送るべきではないと、野党は未成年の艦娘採用停止で結託し、連立を組んで与党に猛攻をかけた。参院選の敗北もあって支持率低迷にあえいでいた与党は、やむなく十八歳未満の志願募集を無期限に停止することを決定。年齢制限がかけられたことで志願者数は四分の一以下にまで落ち込んだ。日本はほとんど艦娘を新造できなくなった。セルフ・ネイヴァル・ホリデイのはじまりである。

 艦娘の供給が激減したことで戦線の拡大はおろかシーレーンの維持にさえ支障をきたしはじめた。それまでは未成年者の艦娘を低脅威地域に配属し、脅威レベルの高い方面へ成年艦娘を割り振るなどしてようやく喪失と補充の均衡がとれていた。しかし森でいうところの灌木(かんぼく)である未成年者の志願が断たれた。未成年者の艦娘が兵士として有用な点は損失の補填に時間がかからないことにある。当然のことながら人間が十二歳になるには十二年で足りるが、成人年齢に達するまでには二十年もかかる。再生の早い未成年者という灌木の使用を禁じられたなら、育つまでにながい時を要する陰樹林に手をつけなければならない。いずれは森を使い果たしてしまう。あとには植生の回復もできなくなった荒れ地だけが残るのみとなるだろう。

 供給が減っても損耗の速度は変わらないので艦娘の総数は月日を追うごとに目減りしていく。目減りした戦力で敵に立ち向かうとなれば損耗は増える。悪循環だった。海上護衛に艦娘は必須という時勢になっていたにもかかわらず、一隻のタンカーを本来は軽巡一、駆逐艦娘五隻で守るべきところを、駆逐艦娘一、二隻しかつけられない事態が頻発した。

 

 はなはだしきは、五〇〇〇トン級のタンカー五隻に満載喫水線いっぱいまで沈めて石油を超満載させていた船団が、今か今かと油を待ちかねる日本への途上で全滅の憂き目に遭ったことだった。日本は平時でも石油一億トン、液化天然ガス二億トンを年に消費し、戦時ではこれに倍するエネルギー資源を要するが、海上交通路は茨の道となり、ことに潜水艦型の深海棲艦が船という船をかたっぱしから平らげるので、船腹事情はつねに窮迫していた。石油の輸入量が一〇〇〇万トンを切った年さえあった。国民の生活を切り詰めた上で戦争遂行に必要な海上輸送力は石油でやはり一億トンと計画されていた。つまり日本の戦争遂行力が必要最小限の十分の一以下に減退したことを意味するものだった。油が一滴でも欲しかった。

 

 そこへきて五〇〇〇トン級のタンカーなら八〇〇〇トンの石油が積める。それが五隻である。これほどまでに国運のかかっているこの宝船の一団に、護衛は海防艦娘占守一隻だった。案の定というべきか、南シナ海のまんなかにさしかかったさい、潜水新棲姫と四隻の潜水ソ級のパックにみつかった。潜水新棲姫は潜水艦型深海棲艦としては当時まだ新参だったが、なかなかどうして占守の鋭鋒を巧みにかわし、狼たちはまる一日かけてタンカーを一隻、また一隻と沈め、ついには五隻全部を手柄に変えた。

 ワ・ロ宣言の厳守が日本にどのような船腹事情をもたらしたか。日本船主協会の海運統計要覧から、一〇〇総トン以上の商船にかぎった日本船籍船腹保有総数の推移をみてみる。

 

 深海棲艦出現前年  四〇二九隻 一七四二万八〇〇〇トン

 開戦初年度     二八二六隻 一一二二万二四〇〇トン

 〃 二年度     一二一五隻  五一三万四〇〇〇トン

 〃 三年度      三七一隻  一六〇万四五〇〇トン 

 〃 四年度      二二〇隻   八五万一〇〇〇トン

 〃 五年度      四一五隻  一五九万四八〇〇トン

 〃 六年度     一〇八八隻  四三八万二六〇〇トン

 〃 七年度     一八一〇隻  七二二万八二〇〇トン

 〃 八年度     二五六八隻  九六二万五〇〇〇トン

 〃 九年度     三一五五隻 一〇六四万五三〇〇トン

 〃 十年度     三七〇五隻 一三〇二万四一〇〇トン

 〃十一年度     三七二〇隻 一三〇八万九〇〇〇トン

 〃十二年度     三六九〇隻 一二九五万九〇〇〇トン

 〃十三年度     二八五六隻 一〇三五万二二〇〇トン

 〃十四年度     一八三三隻  七四二万七〇〇〇トン

 

 これに対し、同年代の造船状況は、次のような竣工成績であった。

 

 深海棲艦出現前年   五四〇隻 一四五八万八〇〇〇トン

 開戦初年度      五二二隻 一三四二万一〇〇〇トン

 〃 二年度      五三八隻 一四五三万三九〇〇トン

 〃 三年度      四八一隻 一二九九万四一〇〇トン

 〃 四年度      五一〇隻  九一八万八三〇〇トン

 〃 五年度      五三七隻  八三九万二〇〇〇トン

 〃 六年度      六九二隻  三四六万七二〇〇トン

 〃 七年度      七二五隻  三二一万二六〇〇トン 

 〃 八年度      七六〇隻  三二〇万七七〇〇トン

 〃 九年度      七八五隻  三三九万二〇〇〇トン

 〃 十年度      八〇一隻  三四六万八〇〇〇トン

 〃十一年度      八四〇隻  三六三万六三〇〇トン

 〃十二年度      七二〇隻  三一一万六〇〇〇トン

 〃十三年度      七五七隻  三二七万九一〇〇トン

 〃十四年度      七一五隻  三〇九万三四〇〇トン

 

 この表からは、艦娘が実用化されて初期作戦能力を獲得した四年度には撃沈数が抑えられたことで、保有数の減少に歯止めがかかり、翌五年度からは商船建造数が喪失数を上回って増加に転じていることがみてとれる。艦娘の戦力充実、対深海棲艦戦術のノウハウの蓄積、装備の進歩もあって、七年度、八年度はおよそ七〇〇隻強の増と、当時の日本の造船数がそのまま反映されており、老朽船の解徹による消失も考慮すれば、深海棲艦による商船の撃沈をほぼ完全に防ぐことができていることがわかる。

 これが未成年者志願を停止した八年度は、まだその影響が表面化していないものの、それまで大小あわせて年七〇〇から八〇〇隻で増加の一途をたどるかにみえた船腹保有総数は、竣工数に大きな変化がないにもかかわらず、九年度ではわずか五八七隻の増勢にとどまり、十年度から十一年度にかけては一年でたった十五隻のプラスにしかなっておらず、翌十二年度にはついに減少し、十三年度は八三四隻もの純減となっている。十三年度の商船竣工数は七五七隻だからざっと見積もっても一六〇〇隻近くがほんの一年で海の藻屑にされた計算だ。単純に護衛をするべき駆逐艦娘を筆頭とした艦娘保有数が下り坂を転がり落ちていたこともあるが、戦争のあいだに深海棲艦の側も開戦当初の比にならないほど船団狩りの技術が洗練されており、そこへほとんど裸の商船隊を放り込むことになったのだから、まさに弱り目に祟り目だったのである。

 石油、肥料、塩、その他の重要物資はのきなみ欠乏し、国民生活は一様にしめつけられた。平均的な成年男子の一日あたりの推定エネルギー必要量は二六七七キロカロリーだが(厚生労働省、二重標識水法による算出で、三十から四十九歳の男性、身体活動レベルⅡと仮定)、十一年度の全国食糧消費から計算すると、国民一人一日あたりのカロリー摂取量は一八〇〇平均にまで落ちていたから、食糧事情は悪化も悪化、相当に深刻な状況にあった。国民には飢餓線が出るものさえあった。

 一説によれば、ワ・ロ宣言を端緒とした海上輸送力の低下は、国内に二〇〇万人の余計な餓死者を生んだといわれている。これはシャングリラ事件の死者数よりも多い。未成年の艦娘を政争の具にしたことで、当時の政治家たちは自国に大量破壊兵器を投下したのとおなじ犠牲者を出したことになる。

 いかなる手段を用いてでも可及的すみやかに現状を打破しなければならない。政府か軍か、そのように水面下で策動する一派があったらしい。彼らは、親の庇護のもとで愛情をたっぷり注がれて何不自由なく扶養されなければならない、年端もいかない子供たちを、いかにして戦争に送り込めるようにするか、大真面目に考えていた。セルフ・ネイヴァル・ホリデイに終止符を打つ。それには世論の天秤を未成年者の志願解禁もやむなしとするほうへ傾けることだ。

 そんなある夜、420-010016の翔鶴は赤坂の料亭に()ばれた。セルフ・ネイヴァル・ホリデイ以前に建造された未成年者、いわゆる“プレ・ホリデイ”世代であり、実戦配備されるや飛ぶ鳥を落とす勢いで頭角を現し、当時すでに次代の担い手として将来を嘱望されていた翔鶴は、その席で、さる将官から極秘の任務をおおせつかったという。とはいえ具体的に命令されたのではなかった。いまだ日本本土は本格的な深海棲艦の猛威に晒されたことがない。そのため危機感に欠ける。もし本土が空襲を受けるようなことがあれば、そしてそれがセルフ・ネイヴァル・ホリデイによってじゅうぶんな数の艦娘が配備されていないことで招来された悲劇なら、国民は政府に志願の年齢下限を引き下げてでも増産せよと大合唱するだろう、前線を預かるものとして貴官はどう思うか……そこまでしか将官は口にしなかった。

 すなわち、今夜の話を受けた翔鶴がなにをしようとも、軍も、また政府も、いっさい関知しない。もし真実が明るみに出るようなことがあっても、我々はあくまで、世情に痛憤するあまり暴走した一介の艦娘が独断で行なったことだという姿勢を貫く。そのつもりでことに当たってもらいたい。そういいたかったのだ。

 会食の主旨を万事承知した翔鶴は、ただ「わたくしも若輩ながら現状を憂えておりました。いまのお話でその気持ちに火がつけられたかのようです」と望まれたとおりの返答で三つ指をつき、席を立った。

 総武本線を走っていた列車が松尾-横芝間で突如として爆撃されたのは、その三週間後のことだ。政府は待っていたかのように緊急の記者会見を開いた。「深海棲艦による航空攻撃と思われる。当該攻撃を加えた主体を全軍挙げて捜索中なるも、いまだ発見には至らず」。防衛省幹部は懇意の記者を通じ、艦娘の不足こそが乗員乗客一〇六人の尊い命を、そしてたったひとりの生存者である二歳の少女が両親を失う今回の痛ましい惨劇につながったのだとするコメントを流した。

 新聞各紙はこぞって海軍増強論を訴えるキャンペーンを展開し、志願可能な年齢をいくつにするべきかで競いあった。未成年の募集を再開するのは当たり前、十六歳から志願できるようにせよ。いや十五歳からだ。年代別の人口から考えれば十二歳からが妥当とする新聞もあれば、ワ・ロ宣言以前のように六歳からという論調さえあった。主張する年齢が下である新聞ほど発行部数を伸ばした。

 一方で慎重論の新聞は棒にも箸にもかからない売れ行きになったことにも証明されるとおり、国民感情はたやすく誘導され、艦娘戦力の充実と、それを可能とする志願年齢の引き下げを政府に強硬に求めた。事件から半年後には満十二歳からの志願を認める特措法が可決。十三年つづいたセルフ・ネイヴァル・ホリデイはついに終焉を迎えた。

 永かった“休日”の反動で、日本は艦娘無制限時代に突入したと評されるほどの建造ラッシュに沸いた。隻数では艦娘保有国のなかでイタリア、フランスに次いで下から三番目だった日本は、わずか二年で二位にまでのぼりつめる。

 ただし、あまりに建造しすぎたため今度は維持費が膨らみ、戦時中には一日平均二隻の艦娘を解体処分するなど無駄も目立った。とにかく未成年者の志願解禁直後は、艦娘が足りないくらいなら費用が余計にかかっても余るほうがよいとする時代だった。艦娘の保有数はそのまま国民の安心につながった。艦娘の建造数が増加するにつれ国内の犯罪率も低下した。

 鉄道を空爆した翔鶴は、ただちにリンガ泊地へ転任となったが、よもや事件と結びつけて怪しむものとていなかった。筋道を立てて考えればむしろ翔鶴には比較的安全な内地で要職を与え、労に報いると同時に地位を口止め料とするはずだ。しかし翔鶴は終戦までの十七年間、一時帰国することすらなく、外地を転々としている。

 

「思うに」元子日はいう。「翔鶴さんのほうから栄転は辞退したのではないでしょうか。役目だったとはいえ多くの同胞を虐殺してしまった自分には祖国の土を踏む資格がない、流刑にひとしい外地から外地への転補を繰り返し、内地へ帰還せず前線で戦いつづけ、轟沈することが罰だと……。あるいは中央での陋劣(ろうれつ)な処世に疲れはてたのかもしれませんが」

 

 だが運命のいたずらか、翔鶴は戦争では死ななかった。そもそもが鉄道空爆の実行役として白羽の矢を立てられたのが、単独で本土防衛網をかいくぐって攻撃を成功させ、深海棲艦の仕業を装うためのかすかな干渉波の痕跡以外は証拠も残さず撤退するという至難のわざをやり遂げる艦娘は、彼女を置いてほかになかったからだった。膏火自煎(こうかじせん)といえばそうなる。そういう彼女だから艦隊を組んでおもむく通常の任務ではどうにも沈みようがなかった。相互に支援しあう艦隊行動では轟沈にみせかけた自害は航空戦力の損減、ひいては味方の生命にかかわる。そうこうしているうちに戦争が終わった。

 終戦から十一年後、原発不明がんで翔鶴がこの世を去った直後、防衛官僚の内部告発を発端として、総武本線空襲事件の全容が白日のもとに晒されることとなった。軍は一貫して関与を否定。翔鶴の独断だったとの立場を崩さなかった。非難の矛先を少しでも逸らすためか、すでに故人となっているにもかかわらず、翔鶴を不名誉除隊扱いに変更する異例の対応をみせている。

 

「いまでも口をきわめてあの翔鶴さんを痛罵し、辱しめる人は後を絶ちません。あの人はそれだけのことを覚悟していたでしょう」

 しかし、と元子日はつづける。

「翔鶴さんが引き受けたことでセルフ・ネイヴァル・ホリデイができるだけ早期に終息した、それもまた事実です。あの事件がなければ、艦娘の志願は十八歳からというワ・ロ宣言の束縛から、日本は脱することはできなかったでしょう」

 

 元長波も元子日も、艦娘無制限時代がはじまった後に未成年者として志願した“ポスト・ホリデイ”世代だ。セルフ・ネイヴァル・ホリデイがつづいていれば十八歳になるまで志願はできなかった。艦娘は払底し、戦争の行方も大きく変わっていたかもしれない。日本から人間が消えていたかもしれない。

「あの翔鶴さんはいったいどれだけの苦悩を背負っていたのか」元子日は述懐する。「もう一度逢えるなら、翔鶴さんに謝りたい」

 元長波はまばたきをする。

「おまえが翔鶴さんにか」

「そうです。打ち明けられる前からうわさは耳にしていました。ですが、実際にご本人の口から聞かされると、やっぱり心の整理がその場ではつきかねて……。ひどいことをいってしまいました」

 

 “できれば話さないままでいてほしかった”

 

「あのときわたしは、あんなつまらない言葉を口にするべきじゃなかった。あなたをとっくに許している、あなたを敬愛する気持ちに変わりはないと、はっきり伝えるべきだったんです。死地へおもむくあの人が後顧の憂いなく戦えるように。それだけがわたしの心残りです」

 話し終えた元子日が、翔鶴に関連づけられてよみがえった記憶に笑みをこぼす。

 

「パラオでのお茶会、おぼえてます?」

 

 涙を指でぬぐう元子日に、元長波は、

「ああ、翔鶴さんが茶道やってるってだれかから聞いたわたしたちが、茶を飲むのに作法なんかあるもんなんですかっていったら、では一服お点てしましょうって誘われてな。わたしたち、まだ十四、五のガキだったからなあ」話を合わせた。元子日がつらく苦しい記憶だけでなく、楽しく美しい思い出をあの翔鶴に手向けようとしていると感じたからだ。「みんなの都合の合う日にお呼ばれして、基地の裏庭に、天国みたいな絶景の珊瑚礁を一望できる場所があるから、そこで野点(のたて)をしようってことに」

「ちゃんと毛氈を敷いて、茶釜も杓子もありましたね」

「そんで翔鶴さんが袱紗に包まれた桐箱をひらいて、カンナ屑の詰まったなかからえらく厳重な布の包みをとりだした。それはそれは丁寧に包みを取り去ると、一客の湯呑みが姿を現した……」

 骨董について、素粒子ほどの興味もいだいていなかった当時の元長波たちは、湯呑みの正体がわからず、そろって首を傾げた。翔鶴は恭しく捧げもって、幼い駆逐艦娘たちに微笑みかけた。「これは過日、わたしが宮中にお招きいただいて、皇太后に拝謁したおり、もったいなくも頂戴つかまつった、先帝ご愛用として伝わる志野の茶碗です」。元長波たちは仰天した。皇太后じきじきに拝領される翔鶴はいったい何者なのかということもそうだが、この一見、どこにでも、それこそパラオの首都マルキョクの雑貨屋にでもおみやげ物として並んでいそうな平々凡々な茶碗が、先の時代を歩んだ主上ゆかりの品とは、にわかには信じられなかった。しかし子供らしく無遠慮に眺めているうちに、前天皇のご愛用だったという意識のためか、だんだんと飾らない質素と味気なさに、謹み深さと奥ゆかしさを感じるような気がして、焼き物の奥義とは底がみえないものだと、一同思い知らされる気分だった。

 

「翔鶴さんに、手にとってみてっていわれてさ、おっかなびっくりおしいただいて。いやしくも天皇がお持ちになられてたもんを、いままさにわたしが手にしてる。まるで後ろから先帝に手を添えてもらってる気がしてさあ、そんときはマジで感動したんだよ」元長波は喉に泡のように沸き上がってくる笑いをこらえていう。

 

 畏れ多くもその拝領の茶碗で茶を喫することになった。コバルト色に透き通る海を背景に、亭主をつとめる翔鶴が茶釜で湯を沸かし、歌でもみているように茶を点てる。

 軽口で名を馳せる駆逐艦娘たちは無駄口も叩かず、神妙に支度が整うのをただ待った。ひとりひとり、ありがたく抹茶を味わった。茶の心得のあるものはいない。それでも茶碗をおしいただき、てのひらの上で回す姿がさまになっていた。前天皇の茶碗だからだ。万世一系の天皇の慈愛に触れ、心からなる純粋な忠誠心が茶のかたちをつくっているのだ。

 全員に回ったあと、茶碗が翔鶴に戻された。翔鶴は慈母のように駆逐艦娘たちを見渡した。さて茶碗をやけに軽々しく持ち上げた。「これね」と翔鶴はいった。「きのう、マルキョクの雑貨屋さんでおみやげ物として売られていたのを買ってきたものなの」。元長波たちは前のめりに倒れて転んだ。

「かんべんしてくださいよ翔鶴さん」。駆逐艦娘たちが爆笑しながら可愛らしい文句を集中させた。翔鶴は笑みのまま受け止めた。

「でもいま、あなたたちはいっさいの私心を捨てていたでしょう? 茶の心とは無私です。あなたたちが茶を喫する姿からは、(わたくし)を捨て、無我の境地に入る、日本人としての魂がうかがわれました。お茶を飲んでいたときの自分を思い出してください。雑念もなにもなかったのではないですか?」。いわれて元長波たちはようやく理解しはじめた。「煩悩の横溢するこの現世にいながらにして、精神的にもうひとつ上の次元の世界へ昇ることができる、それが茶道の極意です。作法や道具は問題ではないのです」。駆逐艦娘らは納得して、感謝をこめて額を毛氈にこすりつけた。それから元長波たちはひまをみて翔鶴に茶を習った。板についてきたある日、翔鶴が本物の先帝の湯呑みを開陳して、すでにある程度の目利きもできるようになっていた元長波たちは、たちどころにそれが真物ということがわかったので、またまた仰天したのだった。

 

「盆栽をひと鉢、育ててましたね」

 元子日がまたひとつ思い出話の風呂敷を解く。

「それまでは年寄りの趣味だろと思ってたけど、ながいあいだ日本を離れてると、ふと翔鶴さんの盆栽をみかけたときに、自然と涙が溢れた。そこに日本が再現されてるみたいでさ」元長波の記憶も埃が払われる。

 翔鶴は個室で、本土からの転任のさいに持ち込んだという糸魚川真柏(いといがわしんぱく)の盆栽を愛培していた。(じん)舎利(しゃり)の調和がみごとな銘樹だった。高さ一尺にも満たないが、樹齢は百年を数え、こけ順のよい直幹で、均整のとれた枝振りと力強い根張りが、威風堂々、迫力ある三角形の樹形を構成していた。

「みているだけで、清流のせせらぎや、虫の音まで聞こえてきそうでした」元子日に元長波も頷く。

「剪定したりして世話してるときの翔鶴さんは、幸せそうだった。いまでもあの鋏の音をおぼえてる」ソファに腰かけている元長波は杖を抱く。

 

「あるとき、わたしがなにかの用事でお訪ねして、部屋を辞去するとき、閉める扉のすきまから、窓際に置かれた盆栽を、椅子に座った翔鶴さんが、煙管をつかいながら、なんともいえない表情でじっと眺めていたのが垣間見えました。その光景はたった一度だけなのになぜか眼底に強く焼きついていて、翔鶴さんのことを思い出そうとすると、なによりもまず、盆栽をみつめているあの姿がありありと浮かんでくるんです。いま思えば、あのとき翔鶴さんは、ただ盆栽を鑑賞していたのではなかった。おそらく、盆栽を通して、窓の外、海と空の向こうにある祖国に思いを馳せていたのだと思います」

 

  ◇

 

 保護した愛玩棲艦の診察がすべて終わる。入院が必要なものは残し、あとは施設へ連れて帰る。

 

「どんどん譲渡を進めなければいけませんが、安易な譲渡はできません」元子日が愛護団体代表の顔にもどる。「気軽に飼育をはじめた人は、気軽に手放してしまうことが多いからです。里親を希望するかたには、一頭一頭とじかに触れ合って性格や相性をたしかめ、年間にかかる飼育費用を確認し、講習も受けてもらっています」

「ハードル高いな」

「本当はそれを購入時にも義務化しなければならないのですが、実際にはバッグのようにお金を払うだけで持ち帰ることができてしまうのが現状です」

 

 愛玩棲艦を簡単に買える日本の仕組みは大量生産を支え、引き取り業者の暗躍を招いている。

 純血種を重んじる日本の気風、中古よりも新品、成体よりも幼体という飼い主の嗜好も大きく関係していると元子日は語る。

 

「それらを入手できるのはペットショップですからね。現在、愛艦を飼育している飼い主の七十%はペットショップで購入したといわれています。日本ではペットはペットショップで買うものという認識が根付いています」

「そうじゃないの?」

「一部の国では、愛艦をペットショップで販売することを法律で禁じています。それらの国ではペットショップとはフードやペット用品を置いている場所であり、愛艦は国の許可を得たブリーダーから直接買わなくてはなりません」

「日本はブリーダーと小売店のあいだにオークションがある、だから小売店も自分の売ってる愛玩棲艦がどこのブリーダーで殖やされたもんなのか、どんな性格なのかわからないし、客にも説明できない。ブリーダーから買うなら透明性が確保できるわけか」

 それは素人繁殖家の横行を防ぐ効果も期待できる。

「なんで日本も真似しないんだろうな」

「愛艦の市場はいまでは一兆五〇〇〇億円ともいわれてますからね。経済は内需が第一ですから、冷や水を浴びせることはしたくないのかもしれません。経済動物より人間の都合を優先するのは、当たり前といえば当たり前です」

 

 日本の法律では、一頭の愛玩棲艦につき繁殖させてもよい回数や、何歳から繁殖させてよいかといった制限は規定されていない。ペットショップは在庫を切らさないためにどんどん仕入れ、ブリーダーは売れる品種にどんどん産ませ、成長して売り時の過ぎた在庫はどんどん廃棄する。

 元子日は、殺処分ゼロを国の目標とするなら、そもそも大量生産・大量消費を生む愛玩棲艦の流通の仕組みにも改革のメスを入れるべきだった、と悲しく笑う。「開けっぱなしの蛇口から水が垂れ流されているようなものです。いくらすくってもきりがない。蛇口そのものを閉めないと」

 商品であるかぎり、在庫と廃棄はまぬかれえない。商品が生き物ならどう始末をつけるべきなのだろう。どの国も万人が納得できる答えを出せていない。

「聖ベルナールの名句を思い出すな」元長波はいう。

 

 生まれるのは、苦痛

 生きるのは、困難

 死ぬのは、厄介

 

 暗唱した元子日が、業者から助け出した愛玩棲艦の一頭に温かい笑顔を向ける。「生きづらくなんか、ないよね? ね?」元長波は元子日の愛玩棲艦に対する深い愛情を感じている。

「わたしがこの活動をはじめたころは、山口県では年一万頭の殺処分があって、山口市だけでも一五〇〇頭前後が処分されていました。わたしは山口市の一五〇〇だけでもゼロにしたいなと思って走りつづけてきました。気がつけば、山口市がゼロになり、宇部市がゼロになり、長門市もゼロになり、いつのまにか県の殺処分数がゼロになっていました。人間にできないことなんてないんです」

 元子日は、祖国に両親を奪われたことに端を発する戦争という過去をも自己の一部とし、未来を見据えている。

 

 翌日、九州へ向け出発した元長波の携帯端末に元子日からメールが届いた。保護に入った例の引き取り屋は元子日の告発状を受理した山口県警察により書類送検されたとあった。刑はごく軽いが公権力が動いたことは大きな一歩だ。

 一方、監督責任のある山口県の保健所はその三日前に業者のもとへ視察に訪れていた。飼育とはいえない惨状を目の当たりにしたはずだ。じゅうぶんな指導がなされていたとは思えない。見落としはなかったのか。元子日は質問状を送付したという。仮にも公務員だった元長波と元子日には保健所の回答は見ずともわかりきっている。

 

「どうせ、“個別の案件に関しては答えられないが、法律に基づいた立ち入り調査を実施している。当該業者の案件でもそうしていたものと思っている”とかいってお茶を濁すだろうね。でも役所だから、質問状っていう正式な書面を正規の手続きで提出すること自体に意味があるんだ。おまえたちの仕事をみてるぞっていうメッセージとしてね」

 

 保健所はなおも業者の男性から動物取扱業を剥奪していない。これからも業者は愛玩棲艦の引き取りをやめないだろう。殺処分ゼロ。その理想と現実をめぐる元子日たちの戦いは、これからもつづく。

 

「深海棲艦と家族みたいに暮らすようになった。艦娘だったやつが捨てられた深海棲艦に救いの手を差し伸べている。たしかに、時代は変わったんだろうな」山陽新幹線で関門海峡を渡る元長波には感慨深いものがある。



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二十七 愛は、陽炎型のように

 俗に2水戦の離婚率は九十五パーセントを超えるというが、艦種や所属に関係なく、艦娘の婚姻生活には障害が少なくなかった。

「戦時中は、内地で挙式の日取りが決まってんのに急遽、海外へ派兵させられて、新婦は写真だけで結婚式に出席ってなことがままあった。出だしからそれよ。衛星通信がつかえるようになってからはスカイプで海を挟んで中継しながら式を挙げるやつもいたけどね。でも出征したまま不帰の客になることだってある。家を建てたばっかりなのに外地に転任が決まったりとかね。妊娠するにも大艦隊長、海上旅団長、海上師団長経由で本省の許可が必要だった。家族計画より軍の都合が優先さ。で、許可の申請にも艦隊内で順番が決まっていてね。先任よりさきに申請しちゃいけないって不文律があった。しくじって孕んじまったら同期に頭下げてカンパ募ってでもこっそり堕ろすのがしきたりだった」博多駅のホームに降りながら元長波はいう。耳元ではその生真面目な性分からだれにも相談できなかった浜風の子守唄が通奏低音のようにつづいている。

 

「戦地でも恋愛はあった。外地でながく勤務しているうちに、男娼とか、現地の住民だとか、内勤の軍人と恋に落ちるなんてのはざらだった。艦娘の任務はそりゃあつらいもんさ。くたばるはずの重傷を負ってもバケツで修復して、また前線に送られるんだから。バケツなんてもんが出る前の戦争なら片輪になれば銃後に帰れたのにな。死ぬまで海からは逃れられない。どうせ死ぬなら深海棲艦とさしちがえて、と考えるやつもいれば、どうせ死ぬなら深海棲艦なんかに撃沈されるんじゃなく、好きあってる男と一緒に自分たちの手で、と考えるやつもいた。そういう場合、艦娘は二番めか三番めに好きな男と心中した。そして、一番好きな男には、自分の死後の供養を頼んだんだ」

 では戦争が終わり、任務の拘束から解かれたのちは、艤装を下ろした元艦娘たちは円満な夫婦生活が営めたのか。

「妹のようになにくれと可愛がってくれた男の水兵や士官の多くは、わたしたちには食指が動かなかったみたいだ。ブルネイにいるときに終戦の詔書が渙発されて、そのだいぶ前から艦娘らしい仕事もなくなってたから実態としてはあんまり変わりがなかったとはいえ、やっぱり気持ち的にひと区切りついて、みんなが除隊後のことをああだこうだと夢みるように語り合ってたとき、ある駆逐艦娘が海軍士官に告白したんだ。その士官は船乗りでもあったからよく護衛艦にも乗り合わせてた。一緒に仕事してるうちに惚れちゃったんだろうね。勇気を振り絞って秘めたる想いってやつを打ち明けたわけだ。戦勝ムードにかこつけて。舞い上がってた。すると彼は笑ってこういった。“きみのことは大切に思っているが、艦娘と夫婦喧嘩にでもなったらなにをされるかわかったもんじゃない”。そして内地に結婚を前提に付き合ってる女性がいるとも教えられた。彼はつづけた。“もう戦争を思いださせるようなものは、そばに置いておきたくない。あの子は香水の匂いがするんだ。わかるかい、女の子の匂いだ。血とオイルの臭いしかしないきみとはちがう”。あの雰囲気ならうまくいくはずだったのになあ」元長波は寂しく笑う。「まあ、その駆逐艦娘ってのは、わたしのことなんだけど」

 

 新幹線中央改札口を抜けて、百貨店のように人でごったがえす駅ビル構内を、出口めざして杖をつく。通路という通路は店舗で縁取られ、それがビルの容積の許すかぎり張り巡らされている。ファッション、雑貨、量販店。なかでも外食産業が目立つ。長浜ラーメンの有名店のとなりに担々麺の専門店があり、対馬穴子のにおいが漂い、辛子明太子が山盛りになったどんぶりや、ビーフバター焼きといった、絵に描いたような博多名物がならぶ。地元民でも名物を毎日、口にしているはずはないが、外部の人間が想像する誇張されたイメージに、ここではことさら反抗することもなく、むしろ地名に紐づけられた名物を進んで配置することによって、抽象的にデフォルメされた博多を、博多自身があえて演じているかのようだった。

 

「あとんなって考えたら、無理もないことなのかなって思った。男ってのはある意味で女に幻想をいだいてるのかもしれない。五衰を知らないきれいな生き物ってね。かみさんの出産に立ち会ってEDになる男さえいるらしいよ。男は女が思う以上に繊細なんだ。なのに、任務を終えて母艦に帰ってきたわたしたちは、たいてい手足が揃ってない。お腹からぐにゃぐにゃの内臓が露出してるなんてめずらしくないし、目玉がだらりと垂れ下がってることも。顔が薔薇の花みたいにぐちゃぐちゃでだれだかわからなくなってたりとかね。だから、どんなに取り繕ってみてもこいつは血と内臓と糞尿が詰まった皮袋だってのが、実感としてわかってるわけだ。そんな女を抱けるかどうか。セックスのたびに、目玉とか腸が飛び出てて歯茎むきだしの血まみれの顔を思い出すのは、たしかにごめん被りたいだろうな」

 結婚をゴールインというが、実際にはそこで恋という夢が終わって現実がスタートするのかもしれない、と元長波はいう。なぜ婚姻生活をつづけられる元艦娘とそうでない元艦娘がいるのか、海軍が自殺する元艦娘とそうでない元艦娘の違いがどこにあるのか結論をだせていないように、元長波には答えが見いだせない。

「みんなにはみんなの理由がある。なんの瑕疵(かし)もないのに破局を迎えたやつだっている。わたしは、ただわたし個人に問題があったってだけなのかもしれない。うまくやってる元駆逐艦娘だっているんだから、ほら、あいつみたいに」

 観光客や勤め人を吐き出しては呑み込む博多口のファサードにたたずんでいる、元長波と似た年恰好の女性に顎をしゃくる。その女性は、待ち人をみつけ、弾けんばかりの笑顔で手を振りながら歩いてくる。行き交う人々もひしめく店も、すべてが色を失った書き割りとなる。いまのふたりにとって世界で彩色されているのはお互いだけだ。解体されてから元長波と会うのははじめて、内地で会うのもはじめてという女性は、体をぶつけるように抱きすくめ、

「やっと会えた!」

 と歓喜を爆発させた。かつてシリアルナンバー907-010927、陽炎型駆逐艦娘陽炎(かげろう)だった彼女は、あ、と声をあげて体を離す。

「ごめんなさい、わたしったら、つい。大丈夫?」

 病身の元長波を気遣った。

「わたしの弁護士が、いまので依頼人の余命が縮んだから損害賠償訴訟を起こすってさ」

 元長波に、元陽炎が口元を緩めて、

「そりゃ弁護士(ロイヤー)じゃなくて、うそつき(ライアー)ね」

 といった。元長波も笑った。あらためてふたりは抱擁を交わす。

「元気にしてたか、陽炎」

「それだけが取り柄みたいなものよ、長波」

 駐車場では元陽炎の夫が自動車で待っていた。他人にも自分にもうそがつけなさそうな好人物だった。「長波、こちらがわたしの主人よ。あなた、この人が話してたわたしの先輩。長波だった人」元陽炎があいだに入って紹介した。

「すみません、わたしのわがままに付き合わせてしまって」

 元長波は頭を下げた。元陽炎の夫は恐縮した。「元艦娘で、こいつの先任なら、ぼくにとっても他人じゃありませんよ」

 自らも海軍に籍を置いていた元陽炎の夫は、後部席のドアを開けて元長波を導いた。元長波は礼をいって乗り込む。元陽炎が夫を指さす。

「この人、わたしにはそんなエスコートしてくれたことないのよ」

「あなたにお会いできたらぜひお伺いしたかったのですが、うちの家内はエスコートが必要な女性でしたか?」

 頭をぶつけないよう腕でフレームに庇をつくっていた夫が元長波に訊ねる。元長波は現役時代の駆逐艦娘の役割を思い出して、

「むしろエスコートする側でしたね」

「ですよねえ」夫が勝ち誇った笑みを元陽炎に投げかける。元陽炎は苦笑いで肩をすくめる。そのなにげないやりとりに元長波は夫婦の絆をみてとっている。

「体の調子はどうなの? 歩きにくそうだったから」

 車が走り出してから元陽炎が助手席から訊く。

「老いさらばえてるんだよ。頭も目も耳も、足も悪くなった」

「わたしが三十九だから、長波はまだ四十二でしょう?」

「四十二だぜ、四十二。駆逐艦娘だったやつが。ばあさん通り越して生き仏の域よ。そりゃあ、歳は毎年とるんだから、いつかはなるもんなんだけど、まさか自分が四十代になろうとは、実際になってみるまでは思いもよらなかった」

 車中は三人の笑いで満たされた。

「あと、足が悪いのは脳腫瘍のせいなんだ」元長波は自分からあらためて病状を明かす。「余命ひと月もないんだってさ」

「なんか不思議ね。いまの時代だと余命ひと月ってたいへんなことみたいに思えるもの」

 元陽炎に元長波も同調する。「駆逐艦娘の平均寿命がひと月で、それ以上はオマケって感覚だったもんな。気がつけば二十歳になってて、いいかげんもうそろそろ沈むだろう、きょうかな、あしたかなって思ってたら、終戦に。その日をさかいに、わたしたちの平均寿命は十四歳から七十歳にいきなり伸びたんだ」

 

 終戦の日、元長波はブルネイにいて、元陽炎は霞ヶ関にいた。元長波は除隊まで2水戦にいたが、元陽炎はブラジルから帰国したのち広報に移った。2水戦の艦娘たちがとりわけ危険きわまる任務に従事していることを巷間に強力に宣伝し、正当な評価を得る必要がある。海軍のその方針は2水戦から広告塔になる人物の抽出を要求することとなった。当時子日だった女性はうってつけだった。これに加えて元陽炎をふくむ数隻が送り込まれた。

 艦娘の仕事は、深海棲艦と戦うだけではなかった。戦時中、海軍で行われたある定例記者会見で、記者が広報官に「海軍が最も重要視していることは?」と初歩的な質問をしたことがあった。だれもが「深海棲艦に勝つことだ」という返答を期待した。広報官はこう答えた。「納税者からの理解を得ることです」。

 

 五島列島の姫神島に泊地棲姫Ⅱが上陸するまで、深海棲艦はながいあいだ少なくない数の国民にその存在を疑われた。深海棲艦の存在は政府や軍による翼賛体制の確立を狙ったでっち上げだったと主張する陰謀論者は現在ですら後を絶たない。主戦力となる艦娘の供給源はほかでもない国民である。国民に理解を呼びかけるため、広報を無視することはできなかった。容姿が端麗な艦娘を選り抜いた海上儀仗隊(正確な表記は「海上儀じょう隊」)が設立されたこともあった。艦娘と深海棲艦との戦いを扱った映画が製作されるとあれば、軍は積極的に協力した。

 

 儀仗隊や映画ほどではなくともマスコミに関わった艦娘は少なくない。元陽炎もそのひとりだ。元陽炎は防衛省で広報室勤務を命じられた。

 着任した当初はテレビと雑誌の担当だった。広報はそれまでのお役所仕事――システムをより改善して利用者の利便性を向上させていくのではなく、システムに利用者が合わせることを強要して工夫も改善もしない――とはなにもかも勝手が違った。テレビの記者相手なら、武器装備の型通りの紹介だけでなく、訓練風景や、艦娘のプライベートなど、硬軟織り交ぜたメニューを取り揃え、素材としてつかいやすい切り口でまとめて、「夕方のニュースにいかがですか」と売り込みをかけなければならない。

「わりと楽しい仕事だったわ」と元陽炎は振り返る。「それまで海軍の世界がこの世のすべてだと思っていたのが、世間っていう外部から軍を眺めることになって、視野が開けたような思いだった。なにしろニュース番組も雑誌の誌面もかぎりがあるから一部の無駄も許さない。ときにはこちらの思惑以上に素晴らしい“宣伝”をしてくれたわ。なんせ、政府っていうのはPRのセンスが大破着底してるから」

 たとえば軍が手ずから新聞に広告を打つ。広告には、海軍がどれだけ若者の青春を燃焼させるにふさわしい組織であるか、いかにも教科書どおりに生きてきたという無害な顔の艦娘が、精製水のように透明で味もにおいも感じられない言葉を寄せる。「艦娘になる前、わたしはこれといった人生の目標を持てずにいました。艦娘になった今、親のような上官の方々、きょうだいのような仲間に囲まれ、とても充実した日々を過ごしています。まだまだ至らないところの多いわたしですが、国民の負託に応えられるよう、誠心誠意努力して参る所存です」。併載されている写真ではその艦娘がにぎった拳を掲げて笑顔をみせ、やや大きめの文字が重なる。「艦娘になれば、本当の自分に会える!」。果たして、この広告を見たどれだけの、それまで艦娘に興味を持っていなかった女性が、海軍への入隊を決意などするだろうか?

 

「アイオワは艦娘になってマジで変わったらしいけどな」元長波が後部座席から口を挟む。

「そうなの?」

「そうか、陽炎はタウイタウイにいなかったんだっけ。そこにいたガンビア・ベイがアイオワとミドルスクール時代の同級生でね、学校じゃアイオワはそりゃもう目立たないナードだったらしいよ。ガンビアの記憶にあるアイオワは、真っ黒な髪をきつい三つ編みのおさげにして、デコも丸出し、そばかすがあって、度の強い眼鏡かけて、歯の矯正具つけてるせいで少ししゃべっては唾をすすらなきゃいけなかったんで、だれとも付き合わずに本ばっか読んでるガリ勉だったんだとさ。で、海軍に入って、新しい環境ってことでチャンスと思ったのか、あのチアリーダーみたいな感じにキャラ変えたと。艦娘になってから再会したときは、最初だれかわからなかったとか」

「そういう意味じゃ、艦娘になって変わったといえるかもしれないわね」

「でもまあ仕事は真面目で優秀だし、それでいて言語の違いを超えた雄弁さがあるっていうか、頭は回るし、ごく自然に気づかいもできるし、素直で気持ちのいいやつだった」

「あなたたちと違って警察沙汰なんか起こさなかったしね」と元陽炎が笑う。

「若さっていうのは悍馬みたいなもんなんだよ」と元長波も笑う。

「そんなに警察のお世話になることが?」

 打ち解けてきた元陽炎の夫が運転しながら会話に参加する。

「若いころの悪事を自慢したいわけではありませんが」元長波は断りを入れてから、「2水戦はバーでよく騒動を起こすということで有名です。わたしたちは不利な状況でも深海棲艦と戦って生き残るすべを叩き込まれてる。でも中身は子供のまま。このふたつが同居してるのが、2水戦なんです。どんな人間になるかわかるでしょう? ところで、繁華街やバーでは、やたら見ず知らずの人間に絡みたがるチンピラがみられます。肩をぶつけてきたり、にやにやしながら睨みつけてきたり。たいていは無視することと思います。でも2水戦にそんなことをすれば、なにせ子供ですから我慢できずに殴り倒します。相手がだれかはそれから考える。精神が未熟なのに、腕力と白兵戦の心得だけはあるからたちが悪い。基地の上官も喧嘩をするなとはいいませんでした。無駄だから。ただ“自分からは仕掛けるな”という最低限のROE(交戦規定)だけは徹底させ、わたしたちは厳守しました。だからいちおう弁明しておくと、2水戦がらみの喧嘩は、2水戦がなんだ、おれにかかればいちころさ、ヒイヒイいわせてやったぜ、そう仲間に自慢する武勇伝をほしがる連中の稚拙な功名心からはじまるんです」

「われわれ男連中は上官から、酒場で2水戦にだけは絶対に喧嘩を売るなと釘を刺されていました。法的に自殺と認定されるという冗談も」

「仮にも女なんだからバーでは口説かれたいのにね」元長波はそういって笑った。「あれは何度めかの派兵を終えて待機任務で佐世保にいたころだったっけ。わたしと朝霜と磯風の三隻でちょっと遠出して、新しいバーを開拓しに行ったんです。見慣れない女三人、それも十代の子供が、艦娘の身分証があるとはいえ我が物顔で酒飲んで、煙草ぷかぷか。騒いでもいた。案の定、ごろつきたちが難癖つけてきました。おれたちの税金で飲む酒はうまいか、寄生虫飼ってるような女は失せろ、みたいな感じで。売り言葉に買い言葉を繰り返してたら、相手のひとりが“そんなに飲みたいなら飲ませてやる。おごりだ”って、朝霜にビールぶっかけたんです」

 ハウスミュージックに満たされた店内をびんやテーブルが飛んだ。悲鳴がこだました。立っていたのは駆逐艦娘三隻だった。

「そうしたら、あの店の常連には2水戦に喧嘩を売る骨のあるやつがいるらしい、と鎮守府でうわさになりました。ほかの2水戦のやつらが喜び勇んで通い詰めました。するとチンピラたちのあいだでも、あの店には2水戦が毎日きてるらしいぞとうわさが広がって、ある夜、仕返しをかねて準備万端待ち構えていたらしいんです。その夜は留置場が満員御礼になったそうですよ。わたしと朝霜はその日は行かなかったんですが」

「なんで?」元陽炎が訊いた。

「入渠してたんだよ。わたしももう十八歳かそこらだったからさ、時間がかかって」元長波がいうと元陽炎は納得する。高速修復材で促進される細胞分裂の速度はもともとの活性に依存する。年齢を重ねて細胞の分裂が遅くなると修復材による治療時間も長くなっていく。元長波がはじめて入渠したとき、右腕は希釈液でも十分少々で再生した。佐世保にいた2水戦の大半が酒場を経由して留置場に無断外泊することになった夜は、元長波は昼の任務でひさしぶりに重傷を負って鎮守府にいた。空から落ちてきた砲弾がすぐ後ろで爆発して、破片が右の二の腕を切断し、衝撃波が音速より速く後頭部をぶちのめした。目玉が両方とも飛び出した。おなじく負傷していた朝霜だった同期に「アメリカンクラッカーみてーになってんぞ」とからかわれた。希釈された修復材では右腕一本を再生するだけで一時間以上もかかるようになっていた。

 元長波はこのときに外傷性脳損傷(TBI)患者の仲間入りをした。元長波の目玉を流星のように眼窩から射出させた衝撃波は脳もぐらぐら揺らした。新しいことを記憶しにくくなった。ひとつのことに長時間集中できなくなった。意味もなく激昂するようになった。ドックで適温の修復材溶液に浸かりながら欠損部位がのんびり再生していくさまを眺める元長波はまだ知らなかった。自分の脳が壊れたことも、2水戦の仲間たちが例のバーでならず者たちと大乱闘を演じたことも。

「いまでもその店がある街は、艦娘はいっさい出入り禁止なんだそうです」

 と元長波は思い出話をしめた。

 

 艦娘は喧嘩くらいなら逮捕されても起訴はされず、されたとしても棄却される。その一件でも2水戦だけが早々に釈放された。問題はマスコミ対策だ。

「そういう事件が起きるたび、先手を打ってメディアに連絡をとって、最低でも事実を正確に報道してもらう、あわよくば手心を加えてもらうようにお願いするのも、わたしたち広報の仕事だったわけ」元陽炎がいう。

 テレビ、雑誌の広報担当でキャリアを積んだ元陽炎は新聞担当に移っていた。防衛省記者クラブとの付き合いで元陽炎は、新聞こそが名実ともにいまなおマスメディアの頂点に位置し、しかも鎮守府に集まる新聞記者たちは、いずれ劣らぬ多士済々であると実感させられた。

「孫子が“兵は国の大事なり、死生の地、存亡の道、察せざるべからざるなり”(戦争は国民を生きるか死ぬかの瀬戸際に立たせ、国家存亡の危機に陥れてしまうから、軽々に考えていてはいけない)というように、いつの世でも国防は最も重大な関心事だし、実際に日本は深海棲艦と戦争してる真っ最中なんだから、各社はどこも一級の腕利き記者を防衛省記者クラブに送り込んでたの。味方につけることができたら心強いけど、軍の小飼いじゃないから油断がならない。うまく利用するのが上策なのよ。あいつに恩を売っといて損はないと思わせるというか。それは相手としてもおなじことだっただろうけど」

「記者クラブの除名をほのめかして、いうこと聞かすとかは?」

「いちばんやっちゃいけないことね。言論統制だファシズムだと騒ぎ立てられることになる。利用するっていっても基本的にジャーナリストには頭が上がらなかったわ。彼らのペン一本で軍の評判が決まるもの。前線の艦娘がどれだけ戦果を挙げても、マスコミに取り上げてもらえなかったり、まして批判なんかされてしまったら、仲間たちの血の犠牲もすべて水の泡。だからなんとかご機嫌をとった」

 内局広報課、海軍幕僚広報室、各地方総監部広報室は競うように記者サービスに努めた。夜の広報室はさながら居酒屋の観を呈した。

「接待の面でいうなら海軍は陸と空より有利だったかもね。潜水艦娘に獲らせたオコゼとかアコウづくしの料理とか出せたから」

 そういう元陽炎も広報担当として積極的に記者と酒を酌み交わし、本音をぶつけあった。記者たちは軍の度重なる不祥事を舌鋒するどく批判し、元陽炎は元陽炎で「不祥事は面目ないことですし、報道されてしかるべきですが、幼くして親元を離れた艦娘たちが、遠い海でわが国のために命がけで挙げている成果についても触れなければ、御社としても公平性を欠くのでは?」と報道姿勢について忌憚なく反論した。そうしてはじめて信頼が生まれ、単なる仕事上の付き合いを超えた親密な人間関係が構築できると話す。

 

 なかにはジャーナリストの威光を笠に着て権柄づくな態度をとる記者もいたという。

「ゴルフの接待があってね、北海道に記者クラブの人たちを招待したの。航空券もホテル代も全部広報室もちでね。空港からゴルフ場に行く車のなかで、ある記者のゴルフバッグがないことに広報班長が気づいた。大の男が大わらわになって、べつのバスに乗ってる記者に知られないうちに探そうと急いで空港にとんぼ返りしても、どこにもない。わたしも一緒に随いていってたんだけど、班長ったら真っ青になってたわ。このままじゃ、軍はロストバゲッジするような三流会社に自国民を乗せるのか、だなんて書かれかねない。軍は大恥をかく。そのお鉢は必ずわたしたちに回ってくる」

 沈痛な思いで広報班長と元陽炎はゴルフ場へ戻った。元陽炎は携帯端末で代替のゴルフ用品を購入できる店を探しながら、こんなことのために艦娘になったのだろうかという疑念が払拭できなかった。

「結局、どうなったんだ」

 元長波がせきこんで訊くと、

「そいつ、元からゴルフバッグなんて持ってきてなかったのよ。自分は接待される側なんだから手ぶらで来て当たり前、道具はもろもろ一式こちらが用意するものと思ってたんですって」

 元陽炎は馬鹿馬鹿しそうに答えた。

「他人のクラブでゴルフやって楽しいのかね」

「他人に用意させたものだからこそ楽しめるっていう人種だったんでしょうね」

 

 しかし多くの記者は話のわかる手練れだった。こんなこともあったと元陽炎は話した。かつて潜水艦娘部隊のトンガ海溝偵察作戦を〈緯度0大作戦〉と名づけた全国紙から配置されていた、ある社会部の女性記者と、元陽炎は格別に気が合った。立場の違いこそあれ、広報室や六本木界隈の居酒屋でたびたび深酒し、女だてらに天下国家を論じるのが日課になった。記者の帰宅途上に元陽炎の官舎があるときは新聞社の社用車に便乗させてくれるほどの仲だった。

 某日、その女性記者から相談を受けた。「わたしが駆け出しのころにお世話になった京都府の支局長から、五年前のMI作戦のおりに奇襲された本土を第234海上師団と連携して防衛せしめた、かの第140海上師団に、海上師団長を表敬したいと要請されたのですが、よろしくお願いします」。お安い御用と元陽炎はさっそくに第140海上師団広報を通じてアポイントをとった。海上師団長はMI作戦当時から代替わりしていたものの、孤塁死守の苦境を乗り越えた自負、また得られた教訓は大きく、いまも自分をふくめ隷下は祖国蹂躙を防いだ先人たちの系譜に連なるものとして恥じるところのないよう、ひとりも余さずたゆまぬ努力に励んでいる、訪問は望外のよろこびだと、もろ手を上げて歓迎した。海上師団長は訓練施設の案内を買って出たばかりか、支局長と昼食までともにした。

 その日の夕刻、女性記者が海上幕僚広報室を訪れ、元陽炎に支局長の第140海上師団訪問セッティングの礼を述べてから、「折り入ってお話が」と神妙な顔つきになった。「京都支局長とのお話のなかで、140海上師団長が、“欧州貴族には高貴な者こそ国家と大衆へ奉仕する義務があるという伝統があります。現に、ドイツでは歴史ある貴族の家からビスマルクやグラーフ・ツェッペリンが輩出されていますし、英王室でも女性は一度は艦娘にならなければならず、現在タウイタウイ泊地に英国から海外特派されているウォースパイトもロイヤル・ファミリーのメンバーです。日本でも皇室のかたがたが率先して艦娘をふくめた軍への勤務をしていただけるようになれば、国民の国防意識もさらに高まることが期待できるのではないか”というような趣旨の発言をされたそうです。京都支局長はひそかに録音もしていたようで、これを記事にしてゲラを本社に送ってきたんです。本社は特ダネとしてあすの朝刊に出す方向で一致しました。いちおう、お耳に入れておこうと思いまして」。

 元陽炎は手足の末端から血の気が引いた。軍が皇室に文句をつけている――そんな記事が世に出ればどうなるか、考えるまでもない。世論は(かなえ)の沸くがごとしとなり、防衛省が非難の矢面に立たされ、防衛大臣の辞職どころか、内閣が倒れるところまで元陽炎にはたやすく想像できた。140海上師団長はもちろん、海軍大将、防衛省事務次官は更迭されるだろう。表敬訪問をお膳立てした元陽炎も辞表を書かなくてはならない。

「そこでわたしは、海にいてとびっきりやばかったときのことを思い出した」元陽炎はいう。「圧倒的劣勢で、生きるか死ぬか、一秒ごとにコイントスで決められていたような戦闘を。それにくらべれば、なんてことはないって、一気に冷静になったわ」

 取り乱すことなく、元陽炎は自分でも驚くほど泰然とした顔で対応した。「そうなんですか、報道の自由はわが国が世界に誇ることのできる美徳のひとつですからね。しかし、その記事が実際に紙面に掲載された場合、果たして御社の利益にかなう結果になるでしょうか。釈迦に説法になりますが、皇室関連の話題がいかにデリケートであるかは、ご承知のことと思います。今回の件を報じるにあたっては、軍と皇室の関係、また日本の国防における“高貴なる者の義務”の適否に至るまで、広く世に問うことになるでしょう。それは御社の経営ないし、報道戦略に、かならずしも合致するとはいえないのではないですか」。そこでわざと表情を和らげて、「わたしは京都支局長の表敬とうかがっていたものですから、正式な取材ではないと考えていました。140海上師団長もそう信じていたからこそ、非公開の施設を案内し、実弾射撃訓練までご覧に入れて、腹を割ってお話しをさせていただいたわけです。よもや天下の四大紙に数えられる御社が、恩を仇で返すような仕打ちはなさらないと信じていますよ」。記者はしっかりと頷いて広報室を後にした。

 うろたえる同僚たちをよそに、元陽炎は広報室で時計とにらみあいながらじっと時間をすごした。朝刊の締切時刻は二十二時、二十四時、二十五時、二十五時半の四段階ある。配達に時間のかかる地方の印刷所としては早く原稿がほしい。だから本社から離れた地域ほど早い締切時刻で版を刷る。遅い版になるほど締め切りにも余裕があるのでより最新のニュースが盛り込める。全国紙の本社は東京にある。おなじ日の朝刊でも、東京から遠い地方に配達される版は締切時刻が早いので情報としては古い。都内で配達されるのは最後の版だから、最新の情報が入った完成形が配達される。田舎で購読する全国紙では昨夜のナイターの試合結果が途中までしか入っておらず、地元紙では最後まで載っているというようなことがあるのは、本社から配達地域までの物理的な距離で締切時刻が変わってくることによる。新聞記者たちは午前二時以降に災害や大事件が起きないように夜毎祈るという。

 元陽炎もこのときほど締め切りに胃痛をおぼえたことはなかった。二十二時がすぎ、二十四時がすぎた。二十五時になっても連絡がない。

 時計がついに二十五時半を示し、元陽炎がため息をついて椅子に座ったまま伸びをして、辞表の入った引き出しに手をかけたとき、例の記者が広報室へなんでもないような顔で訪ねてきて、まるであしたの天気について話しているようにさりげなく「記事は取り下げになった」と伝えてきた。元陽炎も「ふうん」としか答えなかった。なにごとも起こらなかったような、ただ退勤時間が遅い以外はいつもの水曜日だったという様子で、記者も元陽炎も社用車で家路に就いた。

「まさかわたしひとりの説得だけで見送りになったとは思えないけどね。編集部や経営陣が再考した結果、ネタが危なっかしくてやめたってだけかもしれないし」

「とはいえ一度は掲載が決まってたんだろ? それが覆ったんだから少なからずおまえの忠告が影響したんじゃないか。わたしなんかよりよほど胆が据わってるよ。やっぱりエスコートするほうが向いてる」

 車内は爆笑に包まれた。

 艦娘の戦場は海だけではなかった。深海棲艦のいない本国の、霞ヶ関の、コンクリートで囲まれた都市の、ビルのなかの、情報で輻輳する広報室もまた、艦娘にとっての戦場だった。

 戦後の社会も、元艦娘にとっては戦場なのかもしれない。

 

「では、積もる話もあるでしょうから、ぼくはそこらへんをぶらぶらしていますよ」

 家に着いてひと息入れていると、元陽炎の夫はそういって廊下へ出るドアに手をかけた。

「奥さんをしばらくお借りします」

「そんなのでよければ、いくらでも」元陽炎の夫はほがらかに笑う。元陽炎も怒るふりをして笑う。

 元陽炎の夫が出ていく音を聞き届けてから、元長波は、

「いい旦那さんじゃんか」

 とちょっかいを出した。

「あげないわよ」

「盗るかよ。すぐに未亡人になっちまうだろ、あっちが」

「もう生理は上がったの?」

「終戦から五年めくらいだったかな。仮にわたしが生理上がってなくて、まだくたばらなかったとしてもだな、いまから仕込んで産んだら、子供が高校卒業するころには還暦だぜ」

「いっそ長波とあの人との子供なら可愛がってあげられたかもね。もっと早く連絡をとればよかったわ。“長波、子宮を貸してちょうだい、あと卵子”って」

「倫理とか道徳とかを、クソと一緒にサーモン海に捨ててきたのか。しかもわたしの都合は無視かよ」

 ふたりは動物の子供がじゃれあうように軽口を交わした。元長波いわく、減らず口が駆逐艦娘のあいさつだ。

「未婚者として気になることなんだが、旦那さんのどこに惚れ込んで結婚を決めたんだ?」

 興味本位で質問すると、茶を淹れた元陽炎は、

「たぶん、相手のどこかを好きになって結婚した夫婦って、いつかうまくいかなくなると思うのよ」

 と、カウチに腰を下ろしながら自分の茶に口をつけた。元長波には思いもかけない返答だった。

「わたしも元艦娘仲間とか、仕事でみてきた夫婦のことしかわからないから、ただの独断と偏見ってやつなのかもしれないけど」

「わたしが聞きたいのは、まさにそれさ。つづけてくれ」

「女が男を好きになる理由はいろいろあると思う。ワイルドなところが好きだとか、トークが上手くて楽しませてくれるから好きとか。でもそれって、十年後にはそのまま嫌いな理由になるのよ。ワイルドだった男はただガサツなだけに思えてくるし、話が面白い人はひとりになりたいときも話しかけてくる鬱陶しい人になる。だから、ここが好きっていう理由は、いらないのかもしれない」元陽炎は茶を含んだ。「わたしがあの人を選んだのは――こんなことをいうと怒られるかもしれないけど――明確にあの人のどこが好きか、よくわからないの。ただ、一緒にいることが負担にならなかった。会話のない沈黙すら心地よかった。たぶん、これからの人生で、こんな人は二度とわたしには現れないだろうって思った。一緒にいてほしい人には、はっきりと言葉で伝えて、理解を請い、がっちりと係留しないと。取り替えがきかない、失いたくない人だと気づいたら、なにを置いても絶対に手放しちゃいけないのよ。出逢えたというチャンスをしっかり手繰り寄せて、黙っていてもいまの関係がつづいてくれるなんて甘えず、自分の弱さを包み隠さず並べてみせて、こんなわたしでもあなたに心臓を預ける覚悟はできているから、あなたの隣にいさせてと、許可を得るの」

 告白したときの彼の反応は、「ぼくのほうからいうつもりだったのに、先を越されちゃったな」だった。

「いまどきの人たちは、子供ができたのをきっかけに籍を入れるっていう場合が多いんでしょうけど、わたしにはそれがないから、できればわたしのほうからいいたかった。戦争のおかげで、いまでも朝起きるたびに“きょうが人生最後の日だとしたら、わたしはなにをするべきか?”って考えられるようになってたから。ま、戦争から勇気はもらえたわ」

「“人生最後の日だとしたらなにをするべきか”……なるほどな」

「わたしが思うに、自分はいつまでも生きていられる、ずっと若いままでいられるってなんの根拠もなく信じてるから、多くの人は毎日を無駄に流されるまま過ごしちゃうんじゃないかしら。わたしたち駆逐艦娘はつぎのソーティーから帰ってこられる保証がなかった。きょう死ぬかもしれない。それが毎日つづいた。長波もいってたでしょ、あのときのわたしたちの平均寿命は二十歳、駆逐艦娘なら十四歳だった、それが戦争が終わった瞬間に七十だか八十だかになった……。そう考えると、命っていうのは時間そのものであるともいえるのよね。十四年が八十年になったわけだから。しばしば戦争の話を職場の人たちからせがまれて、生と死がべったりと密着したあのころのことを聞かせると、たいていの人がこういうの……“いまの話で生まれてはじめて、死というものを意識しました。怖いです”。なにが怖いのかっていうと、死ぬことが怖いっていう。わたしには理解できなかった。命とは時間なのよ。ということは、仕事をするならそれだけ寿命を差し出してるってわけ。終身雇用なら四十年の寿命を提供して対価を得てる。なら、本当にいまの仕事は自分の寿命を差し出すのにふさわしいものなのか、ほかにもっとやりたいことはあるんじゃないかって考えるはず。仕事をするとしたら、全力を尽くしても、会社のお荷物になるような働きぶりでも、失う時間はおなじ。命は時間であるなら、時間を無駄にするということは、命を失ってるのとおなじことよね。なぜ時間を失うことは平気でやれるのに、死ぬ、つまり命を失うことが怖いのかっていう話になる」

「たしかにな。きょう死ぬ、あした死ぬって意識していれば、一日だって無駄にはしない。自分にとって本当にするべきことはなにか真剣に考えるし、答えがみつかればすぐに行動に移すだろう」

 脳腫瘍が発覚してから仲間たちに会おうと決心したわたしのように、という思いを込めて元長波はいった。

「そう。一日一日を寿命だと考えていればおのずと後悔のない選択ができる。なにもせずに過ごした場合とわずかとはいっても差がつく。そうして十年も経てば大きな違いになる。振り返ったとき、きっといままで毎日がんばってきた過去の自分に感謝したくなる。わたしは、未来の自分に感謝される人間でありたいの。あのときああしていればみたいな後悔なんてしたくなかった。いまのわたしは、ちゃんと彼に気持ちを伝えることができた自分に感謝してる」

 元陽炎は澄んだ瞳を伏せ、

「まして、わたしは子供が産めないもの。あの人はそんなわたしでもいいっていってくれた。わたしの人生でいちばんの戦利品よ」

 自らの下腹部に手を当てた。

 

 元陽炎は現役中、改二になった。艦娘は深海棲艦から摘出した寄生生物を移植することで深海棲艦と戦う能力を得る。自由生活では生存できない寄生生物は生き延びるために人間を代替の宿主とする。寄生生物は艦娘の体内で枝分かれするように分裂して増殖する。一定の密度になると寄生生物の一部がオスに性転換する。しかし寄生生物どうしは生殖しない。一隻の深海棲艦に寄生している寄生生物は遺伝的にすべて同一個体である。艦娘もまた、建造時に寄生生物を二頭以上移植すると体内で激しく争い、生き残った一頭だけが定着する。そこから自らのコピーを量産して宿主のなかに王国を築く。

 よって、いくら性転換しても、宿主の体内にいる寄生生物はすべて自分とまったくおなじ遺伝子をもつクローンであるために、交配しても意味がない。

 ならば寄生生物はどうやって生殖するのか?

 寄生生物は、まず性転換したオスが血流に乗って、宿主である深海棲艦の生殖器官をめざす。やがて卵巣に侵入したオスは、深海棲艦の卵子と、自分の精子を受精させる。この直後にオスは死ぬが、受精卵はなんら問題なく育っていく。こうして深海棲艦は寄生生物の幼生を産むことになる。宿主の生殖器官を自分専用に改造してしまう寄生虫はほかにフクロムシが知られているが、卵子まで利用するのは極めて特異である。

 

 同様の現象は艦娘でも起きる。オスの寄生生物が卵巣にたどりつくと卵子に精子を結合させようとする。しかし、寄生生物と人間の受精卵は着床しない。人間が犬を獣姦しても子供が産まれないのとおなじである。むしろ寄生生物が分類的にまったく縁のない深海棲艦の卵子を利用できることのほうが異常なのであるが、その謎は解明できていない。

 とはいえ、人間の卵子でも受精卵の着床がなされないだけで、受精自体はする。つまり卵子を無駄遣いされることになる。

 生きているかぎり生産できる精子と違って、卵子の数には限りがある。卵子は素体である卵母細胞のかたちで卵巣中の卵胞(らんほう)という個室にひとつずつストックされている。女性は一生ぶんの卵胞と卵母細胞をもって生まれてくるが、これらは思春期を迎えるまではいったん休眠に入る。この休眠状態にある卵胞が原始卵胞である。

 思春期になり、卵胞刺激ホルモンと黄体形成ホルモンの合図を受けると、毎回二十個ほどの原始卵胞が活動を再開し、六ヶ月かけて成長をはじめる。

 発育を同時にスタートさせた二十個のうち、最終段階まで成熟できる卵胞はひとつだけである。選ばれた卵胞はついに破裂し、内部で大切に育まれていた卵子が排出される。これが排卵である。用済みになった卵胞は黄体というホルモン爆弾に変わり、プロゲステロン(黄体ホルモン)とエストロゲン(女性ホルモン)を大量に分泌して子宮内膜を良好な状態に維持し、受精卵の着床を支援する。

 ヒトの女性は、生まれたときには二〇〇万個の原始卵胞と卵母細胞を持っているが、初潮を迎えるころには二十万から三十万個にまで減少している。さらには一回の月経ごとに十代では一〇〇〇個が、三十代では三〇〇個が、卵子になれないまま死滅していく。二〇〇万個の原始卵胞のうち排卵できるのはわずか四〇〇個前後といわれている。2戦教によって徹底的にふるいにかけられた精鋭だけが2水戦になれるのとおなじだ。選び抜かれた原始卵胞だけが卵子を産む資格を勝ち取れる。

 排卵は通常、二十八日に一度であり、初潮から閉経、すなわち原始卵胞のストックが尽きるまでは、平均して三十五年から四十年間となる。

 オスの寄生生物が分泌するホルモンは原始卵胞を強制的、かつ高速で卵子にまで成熟させることが確認されている。このホルモンは、本来はプロゲステロンやエストロゲンとおなじく、深海棲艦の卵子と自身の精子の受精卵を、より確実に着床させる役割があると考えられる。

 オスの寄生生物は、艦娘の原始卵胞をどんどん発育させて排卵させては、着床しない受精卵をつくっていく。しかも通常の月経も並行して進む。そのため艦娘の閉経は通常の女性より遥かに早い。

 寄生生物によってすべての原始卵胞を消費され尽くされてしまうと、新たな変化が生じる。寄生生物はひたすら枝分かれの増殖に専念し、個体数が激増することから干渉波の出力が上昇する。より強固な結界を有する深海棲艦とわたりあえるようになるのだ。それは艦娘として次なる階梯(かいてい)へ昇ったことを意味する。これを軍ではさらなる改、改二と呼称した。

 改二の艦娘は、原始卵胞をすべて寄生生物に消費されてしまうほどの長期勤続に耐えた、それだけ死なずに生き延びて任務をこなしてきたことを意味し、性能向上もあって尊敬の対象となる。また改二になると外貌が美しくなるという俗説もあった。寄生生物のオスは、宿主の卵子がなくなったあと、排卵した卵胞のように死ぬまで着床支援ホルモンを分泌しつづける。このホルモンは女性ホルモンと酷似した性質をもつ。女性ホルモンにはコラーゲンやヒアルロン酸の合成を促進する作用があるため、美肌の効果があり、髪のキューティクルも整えられる。しかも、女性ホルモンは乳房の発達にも大きな影響を与えることが知られている。

 よって、改二になった艦娘は、肌のきめが細かくなり、髪には艶が生まれ、バストもアップして、女性的な魅力が増す傾向にある。艦娘たちのあこがれの的にならないわけがなかった。

 いつ改二になるか、それは個人差が大きい。おなじ長波シリーズでも、期別が下の艦娘が閉経して改二になっていくなか、元長波は現役中に卵胞が尽きることはなかった。

 元陽炎は改二だった。同期のなかでは最初の改二ということもあって自慢して回り、生理痛に悩む僚艦に、「あんたまだ卵産んでんの」とからかうこともよくあった。月経がないことはそれだけで肉体的にも精神的にも楽だった。子供は産めないが、平均寿命十四歳の駆逐艦娘にとっては、欠点でもなんでもないはずだった。

「だって、まさか生きてるうちに戦争が終わって、しかも一生添い遂げたい人までみつかるだなんて、想像もしてなかったんだもの」

 彼女たちは戦争を勝利というかたちで終わらせた英雄だった。英雄は戦後も幸せでいなければならない。そんな重圧を世間から感じたことは一度や二度ではなかった。

「艦娘から人間にもどって、女として充実した第二の人生を歩まねばならない。だれかがはっきりそう言ったわけじゃないわ。けれど、華々しい活躍をした英雄が、戦いの終わったあとに失業者になり、いつまでも過去の栄光にすがってアルコールに溺れるなんて、だれもが幻滅するに決まってる。やがては鬱陶しがられるの。“あなたには感謝している、でもいつまでも面倒はみられない”ってね。戦争を生き抜いたバイタリティと運を持ち合わせている英雄は、戦後も民間でひとかどの人物になれるとみんな根拠もなく信じている。その幻想を笑顔でおしつけてくる。戦争で生き残ることと幸せになれることは、まったくべつの才能なのに」

 十八歳で閉経した元陽炎が述懐する。

「幸せというタグをつけるために結婚したわけじゃないわ。彼のことは愛してる。心から愛してるから結婚した。けれど、わたしは愛する彼の子供も産めないの。街を歩いているとき、ふと彼の視線が子連れの家族に動くときがあるわ」

 元陽炎は自分の両手に視線を落とす。

「わたしは普通の女性たちのように赤ちゃんをこの手に抱けない。わたしと同年代や若い母親、そう、戦争に行かなかった彼女たちのように、子供の入学式に出たり、授業参観に行ったり、PTAに入ったり、反抗期で手を焼いたり、成人式で晴れの姿をみることもできない。孫の顔だって。彼はそれでもいいって言ってくれてる。わたしという人間を愛しているからべつにいいんだって。だけど、わたしには、彼のその優しさがつらい……」

 元陽炎は顔をおおった。

「わたしだって、子供の名前で悩みたかった! 産着(うぶぎ)はどれにしようかって迷いたかった! お母さんっていわれたかった! そのすべてを捨ててしまったの、このわたし自身が。しかもそれを自慢さえしてた。バカだったの。大バカだった……」

 嗚咽する元陽炎に、元長波はかけるべき言葉を失った。やっとの思いでいえたのは、

「養子とかは……」

 という、およそこの場にふさわしくないことがわかりきっている問いだった。

「彼にもいわれたわ。でもね、あの人の血もわたしの血も入っていない子供を愛する自信が、わたしにはなかった。愛って、すばらしいもの、美しいものって思われがちだけど、じつはとっても排他的だと思うの。わたしたちは人類愛のために深海棲艦っていう異物を排除したわけでしょ。それとおなじ。愛した人以外はいらない。赤の他人を家庭に入れたくなんかないわ」

 元陽炎は涙をぬぐいながら答えた。

「だからわたし、あの人に言ったのよ。“だれでもいいから、女性と子供をつくって。その子をふたりで育てましょう。あなたの血が半分入っている子なら、わたしはきっと愛せるから”」

 元長波は愕然とするしかない。元陽炎の目にも声色にも冗談は含有されていなかった。

「そうしたらね、こっぴどく怒られた。あの人があんなに声を荒げて怒ったの、はじめてだった。それからわたしを抱きしめてくれたの。きみだけでいいんだって。でもわたしは知ってる。結婚が決まったとき、あの人が両親や親戚の人たちから“石女(うまずめ)なんかと結婚したら孫の顔もみられないじゃないか。この親不孝もの!”と責められていたことを。針のむしろの彼が、それでもわたしを愛しているから絶対に結婚すると庇ってくれていたことを」

 元陽炎はふたたび顔をくしゃくしゃにした。

「彼には申し訳ないことをしてしまったわ。わたしは後悔しない選択をしたつもりだったけれど、それは結局、わたしのひとりよがりだったんじゃないか、本当に彼を愛しているなら、身を引いて、ちゃんと子供が産める女の人と一緒になれるよう祈るにとどめるべきだったんじゃないか。わたしは、わたしのわがままで彼の人生を台無しにしちゃったんじゃないか。そう思うと不安なのよ……」

 泣きじゃくる元陽炎を元長波はただとなりに座って抱き寄せた。なにもいうことなく、ずっとその頭を撫で、背中を叩いてやった。

 元陽炎の夫が帰ってきたときには、元陽炎はすっかり落ち着いていた。

「おかえり。ちょうど思い出話がひと段落したところよ」

 元陽炎は笑顔をつくってみせる。

「泣いてたのか?」

 充血した目に気づいた元陽炎の夫は、あいまいな笑みのまま質す。元陽炎は少しだけ迷ったが、すぐさま彼女らしい快活な笑みを浮かべ、

「女の秘密!」

 宣言してから、元長波に「ねー」と女生徒のように同調をもとめた。真夏の青空よりも爽やかな表情だった。元長波もすかさず「ねー」と返す。元陽炎の夫は「仲間外れとは手厳しい」とおどけてみせる。

 きっと彼ら夫婦はこれからも苦悩をかかえ、そのたびに折り合いをつけながら乗り越えていくのだろう。彼らにならできるはずだ。そう元長波は信じている。

 

「生きてるあいだにまた会えて、よかったよ」

 翌早朝、博多駅まで見送りに立った元陽炎を元長波は片腕でハグした。

「じつは脳腫瘍なんてヤブ医者の誤診でした、とかいう古典的な展開で、また会いにきてくれたっていいのよ。お腹が妊婦みたいになるまで博多のおいしいところを案内するから」

 元陽炎もまた涙を目尻からひとすじこぼして懐抱する。置き去りにされる子供がすがりついているようでもある。

「そんときはよろしく頼もうかな。もしわたしがほんとにおっ死んじまったら、あの世の名所をほうぼう案内してやるよ。なんせあっちは金とか健康とか心配しなくていいからな。飲み放題だぜ」

 そういって、元長波は、笑みをたたえながら、

「できるだけゆっくり来いよ」

 体を離して、拳を突きだした。元陽炎も拳をつくる。軽くぶつける。

「じゃあな」

 元陽炎を指差しして、手を振り、新幹線の改札へ向かった。元陽炎は、エスカレーターに乗った元長波が階上へ消えたあとも、声を殺して泣くばかりで、しばらくそこを立ち去ることができなかった。

 

  ◇

 

 戦争中、毎日はおなじように始まった。艦娘たちは事務仕事のように遺書をしたため、死や性にまつわる冗談を交わしながら、髪や爪を切って同封した。旗艦の煙草から火を移した煙草を()んだ。防弾ベストを締めた。イヤー・プロテクションを装着した。細い手首が折れてしまいそうなほどに大きなG-SHOCKの時間を合わせた。戦術情報が視界に投影される拡張現実コンタクトレンズを目に着けた。マウスピースをふくんだ。耐火性手袋をはめた。艤付員らの手を借りて艤装を神経と接続した。艤付長の指示にしたがって砲塔や魚雷発射管の動作チェックをした。「抜錨」という号令とともに、母艦のウェルドックから海へと躍りでていった。海で自分たちを待ち受けているものがなにかよくわかっていた。艦娘たちは、海水を飲んだ巻雲が幻覚に引き寄せられて隊列から落伍し、笑いながら沈んでいくのをみた。親潮が生きたままハ級に噛み砕かれて食われるのをみた。神風が頭を撃たれて倒れ、首がないのにじたばたともがくのをみた。志願年齢の下限が六歳だったころに入隊した十歳の海防艦娘福江(ふかえ)が、すでにこと切れた同期から飛びでている臓物を腹腔に押し込んで、どうして生き返らないのかと首をかしげているのをみた。ポーラが脳溢血によってろくに航行もできなくなった隙を衝かれてピンク色の水柱になるのをみた。変色海域で全身がばらばらになった僚艦が赤い海に散るのをみた。艦娘たちは、血の赤とウレコット・エッカクスの赤の境目を探そうとした。きょう、自分は生きるのか、あの赤に溶け込むことになるのか。やがて沈んでいった僚艦の末期の言葉が不意に聞こえるようになり、仲間の燃えるにおいが前触れもなく鼻を掠めるようになり、心臓が休まることなく激しく鼓動し、自分の意思とは関係なく涙が溢れるようになる。彼女たちには戦争がどのようなものかわかっていた。勝者はいない。敗者すらいない。映画のようなフィナーレはない。終わりがない。家に帰れる日までひたすらがんばり、戦後の人生もおなじようにがんばりつづけなければならない。

 彼女たちは戦争のがんばりから立ち直るためにがんばっている。

 それで元朝潮はジャム戦にかかわる記事を壁に貼りつけるようになったのかもしれない。元神威はビジネスとしての狩猟をはじめたのかもしれない。元山風は金魚を集めるようになったのかもしれない。元霞は自ら命を絶ったのかもしれない。元瑞鶴は家を出たのかもしれない。

 戦争が終わって二十二年が過ぎても、彼女たちはいまだに戦場にいて、戦争を戦っている。艦娘はだれもがそうだ。だが、必死にがんばったところで、戦争はどこまでもつきまとってくる。

 

 喫煙スペースから自分の座席へ戻る途中、列車内の通路を歩いていた元長波は、一瞬、灼熱と悪臭のブルネイにいるような錯覚に陥って、立ち止まる。通り過ぎた座席に座っていた子供。寒いのか親がかけたブランケットから床に届かない小さな足首が垂れていた。それが目に入ったせいだ。

 

 元長波は動悸に耐えながら席に着く。

「わたしが最後にブルネイに赴任していたとき、その年に2水戦になったばかりっていう清霜が配属されてきたんだ。かわいいやつだった。ホーミングゴーストの関係で艦娘は同型艦にはより強い同属意識をいだくことが多いんだけど、わたしも朝霜も、それ抜きでかわいがってやった。妹ができたみたいでね」

 あるとき、ブルネイに派兵されていた海上師団の男性士官が現地女性に性的暴行をはたらいたことがあった。男性士官の身柄は日本とブルネイ間で締結されていた地位協定によりブルネイ側には引き渡されず本国へ帰任となった。ブルネイに限らず以前から海軍の在外基地における事件、事故はあとを絶たなかった。しかも「重要な案件以外、第一次裁判権は日本側が有する」という取り決めがあって、重要かどうかの判断も日本に任せることになっていた。

 事実、在外日本海軍関係者の犯罪について、終戦前の五年間に起きた事件は約一万五〇〇〇件、うち現地で裁判が行なわれたのは五〇〇件足らずであり、九十九パーセントの裁判権を現地政府が建前上「自主的に」放棄している。

 在ブルネイ日本海軍基地の周辺では反日を掲げた大規模な抗議活動が連日行なわれた。かねてより地位協定改定が切望されていたが、住民たちのたまりにたまった日本海軍への不満が、強姦の一件でついに爆発したかたちだった。深海棲艦の活動が沈静化に向かっていることも作用した。

 戦争終期、在ブルネイの日本軍は深海棲艦ではなく路上で爆発するIED(即製爆弾)に悩まされるようになっていた。日本軍の車列がジュルドンの平凡な街道を進んで、とある十字路を越えたとき、先頭から二輌めのトラックが真上に飛び上がった。巧妙に偽装されていたその手製の地雷がなぜ一輌めではなく二輌めで爆発したのかはわからない。とにかく車輛は火だるまになった。それを合図にするように、建物や道路の影から小銃やRPG(ロケット推進擲弾)による攻撃が車列を襲った。撃ち合いは二時間続いた。この事件で五人の男性兵士と十二人の艦娘が死亡した。そういうことが幾度か続くうち、艦娘たちは腹部が異状に膨れている犬の死体や、風に飛ばされずに置かれてある重そうな段ボール箱や、道路に向けて転がっている樽や、路肩に駐車してある車がIEDだとわかるようになった。それでもブルネイでは二日に一回IEDが爆発した。

 街のどこかで爆弾が爆発したり、撃ち合いが起きるたびに、日本軍は武装勢力に協力している情報提供者を探し出し、家宅捜索し、ときには急襲した。夜中に陸軍の特殊部隊がドアを蹴破って突入し、家人を取り押さえ、家のなかをひっくり返した。急襲する家を間違えることもあった。それはブルネイ人の反日感情に油を注ぐ以外の効果はなかった。ある日、ジュルドンで家宅捜索を受けている家を遠巻きに見つめながら、住民は言った。「この街はふたつの勢力に牛耳られている。日本軍と、反日武装勢力だ。武装勢力に協力すれば家宅捜索を受けるし、日本軍に協力すれば武装勢力に殺されてしまう」

 国道沿い――IEDの爆発を皮切りとした銃撃戦が展開された道路――の薄汚れた壁には、反日スローガンが日に日に増えていった。「アラーのほかに神はなし」「不信心者の日本人を殺せ」「神を侮辱する売女どもよ、日本へ帰れ」といった具合だ。そういう情勢のなかでの性的暴行事件だった。市民感情はどのIEDよりも過激に爆発した。

 ブルネイ・マレー語のシュプレヒコールが基地を取り巻いていたその日、元長波たちは2水戦のオフィスでうわさ話の花に水をやっていた。元長波の後輩にあたる浜波が「バンダルスリブガワン(ブルネイの首都)の知り合いから聞いたんですけど」とつっかえながらいうには、被害女性は事件の一ヶ月前から「いい金づるつかまえた」「日本の軍人」と周囲にもらしていた。水商売を営んでいたが、裏路地から目抜通りへ店舗を移転するなど、急に羽振りがよくなったという。

 しかし、男性士官は赴任のあいだだけの遊びのつもりであったのに対し、被害女性はどうやら「裕福な日本人との」結婚を当て込んで親族から借金を重ねていたらしい。男性士官にその気がないことを知るや、慰謝料目当てか腹いせか、レイプされたと騒ぎはじめた、というのが真相であるようだった。

 それが本当なら、どちらにも非がないとはいえない、いっそその話をメディアにリークしてはどうだと、元長波たちは冗談まじりに爆笑した。普段から風や砲声に負けないよう声を張り上げてしゃべるくせが身に染み付いている彼女たちだった。大きなエネルギーで発振された話し声は、室内の空気を振動させるだけでは満足してくれなかった。

 いきなりドアを蹴破るくらいの剣幕で2水戦の先任艦娘が乱入してきて、その場にいた艦娘たちは残らず殴り飛ばされた。

「めったなこと口にしてんじゃねえ! 上のもんの耳に入ってみろ、どうなるかわかんねえのか。一度警告したぞ。つぎはその横に裂けたマンコみたいな口を工廠のバーナーで溶接してやるからな。覚えとけ!」。信頼の揺らいでいる本国の立場を考えれば当然の措置だった。先任艦娘は台風のように立ち去っていった。

「かわいそうなのは清霜だよ。清霜はわたしたちの下世話な話には参加せず、ただおなじ2水戦ってことで部屋にいただけなんだから。朝霜がうめきながら、“(きよ)、とんだとばっちり食らわしちまったな”って声をかけた」

 すると、ほほが赤く腫れた清霜は、直立不動になって低頭した。「いえ、いい勉強になりました!」。元長波もふくめ、だれもが「なにが勉強だよ」と口ではいいながら、恨み言のひとつもいわない十六歳の最後任に相好を崩した。この一件で清霜は元長波らの全面的な信頼を勝ち取った。まさに末妹のような存在だった。

「でもブルネイの対日感情は日に日に悪化の一途をたどった。わたしたちにブルネイから出てけというもの、日本海軍が駐留してるから仕事にありつけてるもので住民は二分された。あのころはどこの泊地も似たようなもんだったはずだ」

 ある三人家族が基地に助けを求めてきた。たまたま元長波らも目にしたが、日本海軍と仕事上の付き合いがある一家だった。そこの七、八歳の一人息子は家計を助けるために靴磨きの商いをしていて、元長波らもよく世話になっていた。自分のブーツを磨くことは艦娘の仕事だが、任地で現金を使うことも日本軍人としての大切な役割だったからである。

 父親は、「反日団体から脅迫されている。保護してほしい」と門衛に訴えた。母親はしがみつく息子を不安そうに抱いている。門衛も対応を決めあぐね、佐官クラスに繋ぎをとったが、「われわれではどうすることもできないので、現地警察に頼んでもらいたい」としか返答はなかった。一度前例をつくればあとからあとから押し寄せてくる。

「ゆうべ、武装勢力がうちにきて、日本人と口を利けば皆殺しにするといわれた。子供だけでも助けてくれ」。父親が涙を流して両膝をついて再度懇願しても、門は冷たく閉ざされたままだった。一家は消沈して帰途についた。子供が一度だけ振り返った。黒い瞳が恐怖に沈んでいた。

「なんとかしてあげられないのかな」。清霜はいい募った。元長波が呼ぶまで、清霜は一家の背中を所在なさげに見送った。

 翌日になって、その家族が死体となって発見されたとの連絡が現地警察から寄せられた。

 現場は一家の自宅だった。身元確認の一環として基地の海軍関係者もきてほしいという。軍の警務隊が向かうことになり、深海棲艦の空襲にそなえて艦娘数隻も同行した。清霜はぜひにと申し出た。

 日射しの強い日だったと元長波は記憶している。警務隊に随行した元長波は靴磨きの少年の家へはじめて足を踏み入れた。空調すらない貧しい家だった。子供が学校にも行かず靴磨きをしなければ食べていけない家。暑熱。悪臭。

 無言の出迎えを受けた元長波たちは、みな眉間にしわを刻んだ。父親と母親は壁に並んで背を預けていたが、首から上がなかった。ふたりとも目が半開きになった自分の頭部を抱かされていた。壁には死者のものとおぼしき血で「裏切り者」と大書されてあった。

「あの子は?」。清霜の声で元長波も思い出した。靴磨きの子供がいない。警官はベッドを示した。清霜が薄汚れた掛布団をそっとめくった。閉じられた両目から乾いた血の跡を流して眠る子供が現れた。清霜がむせび泣いた。「おなじ国の人に、どうしてこんなひどいことができるの。この子がなにか悪いことをしたの?」。

 元長波はというと、清霜を置いて、外で警戒している元朝霜らのもとへ戻った。

「白状するよ、わたしはその子供の死体に興味がなかった。物体としての死体にも、それが物語る事象としての死も」元長波の顔には消耗しきった人間特有の表情が掠める。「なんせその子は日本人でもなければ艦娘でもなかった。どちらかならわたしはきっと血を分けた家族のように痛憤したにちがいないけれど、どちらでもないならただの他人という以上の感慨は持てなかった。わたしはその自分の感情がわれながら興味深かった。ひとつひとつ系統だてて整理するために、わたしは家の外にでたんだ。清霜は変わらず子供の死体にすがってた。泣きながら、自分にできることを模索して実行に移そうとしていた。わたしは背中を向けていたけど、気配で、抱き起こそうとしているらしいとはわかった。遺体にみだりに触るなよと思ったけど、止める気力もなかった。暑かったんだ。ため息をついた」

 つぎの瞬間、彼女は後ろから、音より速い速度の見えない壁に激突された。壁は元長波の体をたやすく貫通し、内臓をふるわせて駆け抜けていった。音が消えた。耳鳴り。脳圧の急上昇による頭痛。元長波は自分の声すら聞こえなかったが仲間たちに怒鳴った。「伏せろ!」。爆発のとき、ちょうど口を開けて息を吐いていた瞬間だったので肺は破裂せずにすんだ。周囲を見渡す。背後を振り返る。凄惨な殺人現場だった家が、一瞬のうちに砂煙と岩石の瓦礫に変貌していた。「清霜! おい、清霜はどこだ!」。元長波たちは安全を確かめたのち瓦礫を力づくで掘り起こした。駆逐艦娘たちの爪が剥げて岩と砂が血を吸った。見つかったのは、清霜の右足首だけだった。

「連中は子供を殺しといて、かっさばいて、はらわたのかわりに爆弾を詰め込んどいたってわけだ。ガキの死体なんかどうでもいいと見捨てたわたしがそのために助かって、清霜は抱きしめようとしたせいで吹っ飛ばされた」

 元長波は右の拳をぱっと開いてみせた。

「これのどこに因果応報が? 艦娘になった以上、いつかは深海棲艦とやりあって沈むもんだと思ってた。遺書も書いてた。だけど、人間のしかけた爆弾で、陸で死ぬなんて。あんなにいい奴が」

 愛は排他的なものだと思う。元陽炎の言葉が思い返される。

「わたしは愛する対象を限定してた。つまり同胞だ。日本人か、艦娘か。同胞であるかぎりわたしはそれを愛することができた。博愛主義なんてのはけっきょく、だれも愛してなんかいないんだ。でもあの清霜はちがった。あれをこそ献身というんだ。清霜は、わたしなんかとは違う、正しいヒューマニズムに命を奪われた」

 

  ◇

 

 小倉駅で乗り継いで宮崎駅をめざす。宮崎には、陽炎型駆逐艦娘(あらし)だった女性がいる。小艦隊こそ異なるが、ともに独立混成第60海上旅団に所属し、ジャム島でおなじ壕にこもった、あの嵐だ。だれよりも歌が上手だった嵐。だれよりも男勝りだった嵐。

「こっちから行くっつったのに」

 博多駅から五時間かけて到着した宮崎駅をでた元長波は、回遊魚のような人々の流れにあってただひとり、柱のそばに立っている女性をみつけて苦笑いする。記憶にある嵐の顔と、その女性とが、二枚のスライドが重なるように一致する。髪をながくしているが間違いない。むこうも名前を呼ばれたように元長波に視線を向け、顔が明るくなる。

「待ちきれなかったんだよ」四十五歳の元嵐は杖が手放せない元長波に気を遣いながらいった。「二十八年ぶりで合ってるよな?」

「ああ、二十八年だ」元長波は繰り返した。二十八年前、ジャム島が戦線崩壊して、元長波は司令部の南部撤退にともなって放棄された野戦病院から、泥まみれになっての逃避行で壕にたどり着いた。壕内には嵐や敷波のほか、32軍だけでなく地方人も身を寄せあっていた。軍の拠点に民間人が入り込むなど考えられないことだが、熾烈な砲爆撃に住居も家財も焼却されては、地方人も藁にもすがる思いで32軍の壕に逃げ込むほかなかった。南部には難民と化した地方人のいる壕がいくらもあった。壕がすでに地方人で充満していて撤退してきた艦娘や兵が入りきらない場合もあった。軍が無理矢理に壕から地方人を追い出す例もあった。元長波がもぐりこんだ壕のごときは、独立混成第60海上旅団の大艦隊がどれも壊滅しかけて、しかも部隊がばらばらに分断されて頭数が極端に減っており、先客の地方人たちがいてもなお生存者を全員収容できる余裕があったから、たまたま同居が成立しているというだけのことだった。

「あの壕をでたあとは、どうしてたんだ?」

 ワンボックスの後部席に元長波の荷物を乗せつつ元嵐が尋ねる。荷物の預かりかたひとつとってもどこか手馴れている。

「島をうろうろしてたよ、ゴキブリとか食いながら。はぐれてた深雪にも会えた」

「長波の旗艦だった深雪か? 最初に割り当てられた壕であたしたちと一緒だった?」いいながら元嵐が元長波の乗車を手伝う。

「そう、その深雪」

「生きてるのか?」

 元長波は「いいや」と答えるにとどめた。さすがに深雪の肉を食うというかたちで一体となって生還したとはいえない。

「気の毒に」イグニッションにキーを差して回す元嵐の言葉には心からの愛惜があった。

 元長波は礼を述べる。息を吸い込む。「それはともかく、きょうは世話になるよ」

「どうぞどうぞ、二日でも三日でも泊まってけ」

「迷惑じゃなかったか?」

「泊めてといわれて嫌がる民泊なんて、ないんだよ」主婦のかたわら副業で民泊を経営している元嵐は、年長というだけではない、親だからこそできる落ち着いた顔つきでいった。子供を産むということは、大地に根を下ろすようなものなのだろうか。

「民宿ならわかるけど、民泊ってのはどういう客がくるもんなんだ?」

 元長波は訊ねた。

「ターゲットはバックパッカー。宿泊費をなるべく安く抑えたいっていう一定のニーズがあるんだ」

 元嵐は流れるように車を走らせる。これまでの利用客はすべて外国人だという。

「バックパッカーは、快適さだけがパッケージングされた紋切り型の旅行じゃなくて、自分の足で好きに歩いて、その国の庶民的な文化や習慣を肌で感じたいっていう人たちだから。ビジネスホテルや旅館は、すでに飽きちゃってて、かといってカプセルホテルやネットカフェは味気ない。あたしたちだって普段の生活でホテルをつかうことはないだろ、彼らはまさにその国の“普段の生活”を体験したいんだってさ」

「なら、民泊はうってつけかもな」

 宮崎駅まできた予約客をこうして車で迎えるのだと運転しながら元嵐が説明する。

「どこの国の人間が多いとかいうのはあんの?」

「国籍でいえば、とくには。アメリカ人もいたし、ドイツ人、中国人も。中国人の場合は日本製品を大量に買うための拠点につかう、とか。中国人以外ではだいたい白人が多いね。黒人の予約は、不思議ときたことない」

「わたしと同期の朝霜も、外人のお遍路さんはほぼ白人だって話してたな、黒人のお遍路がひとりもいないってことはないはずだけど。白人は旅が好きなのかね」

「そうでもないと、わざわざ海の果てに新大陸をみつけになんて行かないよな」

 他愛ない会話は、どこまで相手の人生に踏み込んでいいかの確認だ。最終的に行き着くところはおなじであっても、手順を踏んで、馴染ませながら進めていかなければならない。最初から膣を子宮口までペニスで貫いてはならない。入り口から少しずつ侵入し、互いに呼吸を合わせて肉を混ぜていかなければならない。

「民泊は、やっぱり自分の家の一室を間借りさせて?」

「もちろん。子供が独り立ちしたら、家が急に広くなってさ。部屋が余ってるんなら、民泊でもやってみようかって、あたしが。ローンの返済の足しにはなるかなーって」

「旦那さんは?」

「昼間は仕事。だから、民泊の運営はほぼあたし」

 助手席の元長波からは、ハンドルを握る元嵐の左薬指に光る指輪がよくみえる。

「宿泊してるあいだ、家の出入りは?」

「自由だよ。ゲストに鍵渡してる」

「ええ? 危なくないか? 家んなかに男とふたりっきりになることもあるわけだろ?」

「もちろん、全く見ず知らずのを無条件でなんて泊めないよ。ちゃんと事前にチェックはする。あたしみたいに部屋を貸したい人をホスト、借りたい人をゲストっていうんだけど、ホストとゲストのマッチングサイトってのがある。そこに登録すれば、ゲストは地理や宿泊費なんかの条件で検索をかけて、好みのホストを探せるわけ。そのサイトでは、ホストにもゲストにもそれぞれレビューがつけられる」

「ここの民泊はいいとこだったなあってゲストが高評価入れたり、あのゲスト部屋汚して帰りやがったっつってホストが低評価つけたり?」

 そうそう、と元嵐はごくごく自然に受け答えした。民泊のシステムについてはこれまでにも幾度か質問された経験があるのだろう。「だから、うちでは優良なレビューのゲストだけを受け入れるようにしてる」

「なるほど。ゲストからしたら低いレビューつけられるとどこのホストにも泊めてもらえなくなるから、ルールを遵守する姿勢は期待できるわけだな。ほかにも信用できる客か見極めるポイントはなにかあったりする?」

「アカウントにちゃんと顔写真があって、登録されてる名前をSNSで調べて実在する人物なのか確認したりとか。IDやパスポートの個人情報登録ができているかもだいじだね。やましいところがないってことだから」

 そうして客を厳選しても、外国人旅行客に「なんてエキゾチックなんだ」と圧倒的人気を誇る和室が提供でき、元嵐が英語に堪能ということもあって、空室になる日は月に片手で数えるほどしかない。寝ることができてトイレとシャワーがあれば御の字というゲストばかりだから、同室に何人も宿泊するということに頓着しない。バックパッカーはむしろ旅先で相部屋になることの偶然の出会いと交流を楽しむ。一日二五〇〇円だから、仮にひと月あたり二十五日をゲストふたりが使用していただけで、住宅ローンの返済はじゅうぶんにペイできる。

「銀行を儲けさせるためにあくせく働いてるようなもんだよ」

 そう自虐していても、元嵐は家庭を築き、母になり、マイホームを手に入れている。そのすべてを持っていない元長波にはまぶしい存在に思える。

「持ち家ってのは、やっぱ憧れるよ。家そのものというより、家を建てるっていうひたむきさ、潔さに」元長波は正直にいってみせる。「茶化してるわけじゃなくてね。三十年のローンを組むってことは、三十年後の自分を信じるってことだし、土地を買うってことは、そこから逃げ出さない覚悟を決めるってことだから」

 そうともいえる、と元嵐はほほえむ。「艦娘だったころは、三十年後どころか来月まで生きてるとすら断言できなかったしな」

 しかし、元嵐は家というものに夢をいだいていなかった。恐怖すらしていた。だから夫にマイホームの購入を何度提案されても、「住めりゃいいんだから、このまま賃貸でいいじゃん。手狭になったら広いとこに引っ越しすればいいし、子供が独立したらまたふたりでちょうどいい物件に移ればいいんだし」と、ことごとく乗り気でなかった。しかし夫は、元嵐がただ謹み深いだけだと好意的に解釈した。

「普通は女のほうが家建てたいってせがむんだろうけどね。ふたりめが産まれて、そのときあたしが二十五歳で、旦那は三十。返済期間を考えれば、家を買う準備をはじめる最後のチャンスだった」

 家という光溢れる牢獄をほしいと思わない気持ちに変わりはなかったが、反面、老後まで自分との将来を見据えてくれている夫の決心が、元嵐にはうれしくもあった。ならありがたく協力するべきだ。無目的だった貯金は頭金のための貯金に変わった。

 とはいえ、

「モデルハウスの展示場に行ったりするだろ? あれって、自分たちがそういう家に住んで、新しい生活をしているところを想像して楽しむもんだと思うんだけど、全然、ぴんとこなかった。凝ったガーデニングはいったいだれが手入れするのか、テラスでバーベキューなんて絶対やらない、ましてスカイバルコニーにガーデン用テーブルやら椅子やら出してご飯とか、テント張るだとか、間違いなく最初の半年で飽きる。なのにそれがいかにも永遠につづくように演出してある。なんていうか、不気味だった」

 見学にきていたほかの家族の女性が、調理しながらでも食卓までみわたせるピカピカのシステムキッチンの使い心地をたしかめるように、意味もなく引き出しを開け閉めする。新築の家でその新車なみに値の張るキッチンに立って腕を振るう自分を思い浮かべていたのだろう。そのとき自分は幸せだろうか、きっと幸せに違いない、と。

 女性が近くで待機していた女性社員を呼んで質問する。色は、機能は、食器洗浄機の有無は。社員はここぞと、しかしおしつけがましくならないようアピールする。「やっぱり、日々の暮らしはキッチンを中心に動きますから。使いやすいキッチンだと、お料理はさらに楽しくなりますし。たとえばこのワークトップはセラミックで、熱々のフライパンをじかに置いたりしても傷みませんから、とても使い勝手がいいんです」。それに妻はこう感嘆する。「やっぱりおなじ女だからかしら、目の付け所っていうか、わかってるなって感じするわぁ」。しかし元嵐は知っている。さきほど別の家族の夫婦に、男性社員が一言一句おなじ説明をしていたことを。要は受け取り手がどう聞くかの問題にすぎない。

 

 付属品であるはずがないスタイリッシュな輸入家具、家庭用ワインセラー、ちょっとしたデッドスペースを如才なく緑で飾る観葉植物、シックな壁際で演奏者をまつアコースティックギターが、まるでこの家を買えば自動的についてくるかのような顔でパントマイムをしている。「こういう家で暮らすのが、幸せな人生なんですよ」とでもいわんばかりに。

 本棚に収まる本はすべて英字の洋書で占められる。家は生活の場であるはずだ。しかし客に人生最大の買い物をさせるには、なによりも現実を忘れさせてやらなければならない。夢をみせ、非日常の興奮でトランス状態に導き、スーパーのチラシを見比べて一円でも安い店へ自転車をこぐ倹約家から正常な判断力を奪うのだ。日本語の新聞や雑誌は、錆びついた日常生活を思い出させて、観客を一気に現実へ引き戻す。夢の世界では生活臭はタブーでしかない。

「だからさ、モデルハウスっていうのは、家の見本とかサンプルとかじゃなくて、ありゃディズニーランドかなんかなんだよ。ディズニーランドじゃ夢心地になってるからポップコーンが三五〇〇円でも買っちまう。それとおなじで、モデルハウスはあくまでアトラクションであって、見て楽しむことはあっても、それそのものを買うわけじゃない。家っていう二五〇〇万のポップコーンを買わせるための、テーマパークなんだと思うわ」

 販売価格の三倍はかけているといわれるモデルハウスを、そのまま建てられる家族がどれだけいるだろうか。モデルハウスは季節を超越する。そこには凍てつく冬もなければ、過酷な陽射しの夏もなく、紅葉とともに実りの終局を告げる秋すらもない。うららかで快適な春だけが、いつまでも終わることなく閉じ込められている。雨も台風もなく、おとぎ話のようにあたたかい春と好天だけの世界があったとしたら、そんな家も許されるのかもしれない。

 問題はここが地球で、日本だということだ。いざプラン作りにとりかかると、出番を終えた理想は、その座を現実になんの未練もなく明け渡す。台風銀座の宮崎ではスカイバルコニーでの食事やベランダ・グランピングは望むべくもない。星空を仰げるということは雨ざらしになるということだ。余裕ができてからととりあえずカーポートを断念する。車は青空駐車となる。ブロック塀の安っぽい見た目を嫌ってむき出しにした周囲に、緑の植え込みを巡らせる日は? 家は通行人の視線を遮ることなく裸身を晒す。生活の利便性を優先したら想定よりも坪単価が高くて、設計プランには妥協に妥協を重ね、思い描いていた家とはかけ離れたものに変貌していく。

 夢が醒め、モデルハウスと家は別物だということに気づいたときには、もう土地も押さえていて、具体的な設計案も固まり、資金計画表もできている。坂を転がる車輪に自身を止めるすべはない。営業マンにいわれるまま話が進み、ああすればこうすればといまさら思いつくことばかりだが、やっと手に入れた念願のマイホームであることに変わりはない。「これでいいんだ」「これがいいんだ」と自分を納得させる。

 

「旦那には感謝してる。元艦娘のあたしと結婚して、家まで建ててくれたんだから」

 元嵐のその言葉に、元長波はうその成分を検出することはできない。

 

 到着した家は立派な戸建てだった。表札を出して一人前と世間はいう。世間とはだれなのだろう? 通された六畳の和室には炬燵が据えられている。

「この子が指名率ナンバーワンとうわさの」

 元長波の問いに、元嵐は「引っ張りだこ」と笑って返す。「この部屋をみせると、“一度でいいから畳の上に布団を敷いて寝てみたかったんだ”って大喜びするゲストがね、けっこういるんだよ。なにがそんなにいいのかわかんないけど、とにかく稼ぎ頭の部屋だね」

「では失礼して」

 元長波が炬燵に足を差し込む。

「ああ……」

 硬直していた筋肉が液体になる。漏れた声に元嵐が「おばさん通り越しておっさんじゃねえか」と大笑いする。再会してから、元長波ははじめて、目の前の女性に駆逐艦娘嵐の面影をみることができた。

 このあとは夕食まで予定のない元嵐も炬燵に入る。

「軍にいたころ、知り合いにリシュリューが一隻いたんだ、フランスの。そいつが基地のレクリエーションルームに置かれた炬燵にえらくご執心でね。出ろっつっても出やしない。とうとう寝息立てはじめやがった」天板に腕まくらして元長波がいう。「案の定、つぎの朝、風邪ひいてやんの。“どうして暖かくしてたのに風邪ひくの”って、鼻水垂らしながらめっちゃ不思議がってた」

「実際、ここに泊まるゲストも、炬燵で寝ようとするから、油断ならないんだよ」元嵐も苦笑する。

 

「嵐は、ジャムのあとはなにを?」

 かじかんでいた指先がすっかり解凍されたあたりで、元長波が聞き出す。

「使いもんにならなくなってね」元嵐は自嘲の笑みを浮かべていう。「壕に救助がきたときも、信用できなかった。“こいつも深海棲艦なんじゃないか?”って」

 人語で生存者たちを洞窟からおびきだす深海棲艦は元嵐に根深い不信を植え付けた。体調が悪い日は、人間が深海棲艦に思えてならなかった。

 部屋でくつろいでいると、深海棲艦がドアを蹴破って襲いかかってきた。「タスケニキタゾ、タスケニキタゾ」と繰り返しながら。そういう夢がひっきりなしにつづいた。

 夜は元嵐をフラッシュバックで苦しめた。暗闇が元嵐をジャムの壕へ引きずり戻す。タスケニキタゾ。耳を塞いでも声が頭蓋で反響する。その声は鼓膜を振動させるのではなく、脳みそに住み着いているからだ。タスケニキタゾ。ジャム島から生還したばかりだった元嵐はほとんど発狂した。「電気を、電気を消さないでくれ! 暗くなるとあいつらの声が聞こえるんだ。俺をジャムに戻さないでくれ」。

 元嵐は休暇ののちブインへ派兵された。幻聴は悪化し、動悸ははげしくなり、呼吸困難になり、夜だけでなくただの暗がりまでも異様に恐れ、多くの光を求めようと目がちかちかした。基地にある戦闘ストレスのドアに助けを求めた。それで帰国が決定された。

 水上分隊長だった元嵐は水上班長のひとりに、水上分隊の艦娘を集めてくれと伝えた(水上分隊は四隻編成。駆逐艦娘のみで構成されていることが多い)

「悪いけど、俺は内地に戻ることになった」。切り出すと、部下と後輩たちは目を伏せたり、お互いの顔を見合わせたりして、戸惑いをみせた。

「なにか問題でも?」。部下の初春が沈黙を破った。

「精神衛生上の問題だ。アクセル踏んでも走らないんだ。自分になにが起きてんのか俺にもわからない。でもこのままここにいたら、おまえらの安全が保証できない」。いいながら、元嵐は情けなかった。あんなになりたいと願っていた艦娘になって、順調に昇進もしていたのに。

 三日月がいった。「いつ帰ってくるんですか?」。元嵐は返答に窮した。「長いことかかるかもしれねえし、帰ってこねえかもしれねえ」。

 元嵐の部下だった三隻の艦娘はかわるがわる握手をし、「短いあいだでしたけど、お元気で」のあとに、十代の子供らしい言葉を繋げた。やっかみを装った、下手くそで、瑞々しいねぎらいだった。元嵐はそのときほど後ろめたい気持ちに襲われたことはない。けがもしていない、がんがみつかったわけでもない、なのに自分は前線から逃げようとしている。

 翌朝、水上分隊は新たな旗艦に率いられて輸送艦に乗り込んで出発した。ひとり残った元嵐はなにもすることがなかった。酒のつまみになりそうなものを山のように買い、水上分隊の部屋の机に積み上げ、「みんなで食ってくれ」とメモを残した。

 ようやくヘリコプターの到着時刻になり、元嵐は荷物をまとめて通路を歩いた。ブインの基地を横切っているあいだ、元嵐の気分は最悪だった。艦娘として働きたいのに精神がいうことをきかない。「なにが気に入らねえんだよ」。自分にそういいたかった。「なにが気に入らねえんだよ!」。

 発着場では別の一個大艦隊の艦娘たちが整列していた。ヘリコプターが降りてきた。艦娘たちがフォーティンブラスにしたがう兵士たちのように吸い込まれていった。だが、搭乗しようとした元嵐の衣服を海曹長がつかんだ。「おまえは別の便だ」。ヘリコプターは元嵐を置いて離陸していった。入れ換わりにまたヘリコプターがきた。胴体に赤十字が描かれていた。死傷者後送用のヘリだった。「俺はもう死んでるんだ。壊れてるんだ」。ダウンウォッシュを浴びながら、そんなことを思った。

 復員艦娘病院は、元嵐を海軍転換艦隊総合施設へ入院させることを決めた。規則正しい生活。他人を尊重し、おなじくらい自分を尊重することを学ぶプログラム。心に傷を負った艦娘や元艦娘たちが円形に椅子を並べ、自分の身上や将来に向けた決意を発表しあうセラピー。そして寝る前には窓口に列をつくり、処方された薬をその場で()んで、舌の裏をみせる。

 施設の卒業時に元嵐は解体の決定を知らされた。「これがいまのあなたにとって最善の選択なんだ」と説明された。おめでとうございます、あなたはもう使い物になりません。元嵐にはそう聞こえた。

 退役して日常生活に戻った。軍が斡旋した外郭団体に再就職して日々を過ごした。いまこうしているあいだにも自分が逃げ出した海で仲間たちが戦っている。そう考えると焦躁がつのった。だが元嵐にしかみえない深海棲艦が相変わらず襲撃してくる。タスケニキタゾ。タスケニキタゾ。

 そうしているうちに、元嵐はおなじ職場で働くひとりの男性と距離が近くなった。仕事帰りによくふたりで酒を飲んだ。「艦娘だったんだ」「そうなんだ」「書類上は名誉除隊なんだけど、体よく追い出されたようなもんなんだ」「へえ」「いまでも深海棲艦に襲われるんじゃないかと、怖くてたまらないときがある」「そうか」。安っぽい慰めはなかった。男にありがちな、武勇伝を延々語るなどということはなかった。自分は女の気持ちがわかるんだという露骨なアピールもなかった。ただ話を聞いてくれるだけだった。いい男だと思った。腕の中が心地よかった。相手が結婚するまでは不当に専有していたかった。だからある日、プロポーズされたときは信じられなかった。

「信頼できるやつだったから、いつかはお似合いの子をみつけて所帯もつだろうなと思ってたけど、まさかこっちにくるとは思わなかった。あたしには結婚する資格がないと思ってた。厳密にいえば、母親になる資格が」元嵐はいう。「子供を手にかけている母親を止めなかったあたしに、家庭をもつ権利なんてあるわけないと」

 しかしいまの元嵐は二児の母になっている。

「妊娠が発覚したとき、“うれしい”っていう気持ちもあったけど、“やっちまった”って思ってる自分もいたんだ。ジャムの壕であたしが見殺しにしたあの赤ん坊が、復讐のためにお腹に宿ったんじゃないかって思ったときもあった。どんな子が産まれるんだろう、出産してすぐあたしのほうをみて、“どうしてぼくを見捨てたの”っていうんじゃないかなんて、バカなことを考えた。産むまで毎日不安だった」

 新たな命はなんの問題もなく育ち、産まれた。女の子だった。かねてから夫とふたりで思案して選んだ名前をつけた。

 自分には罪がある。だが子供に罪はない。なにがあっても大切にしていかなくてはならない。陣痛の残る元嵐はすやすやと眠るわが子を抱きながら心に誓った。

 元嵐は闇と悪臭の洞窟にいた。タスケニキタゾ。外では深海棲艦が生存者を探しもとめている。元嵐はむずかる赤ん坊の首を絞めている。体重をかけて気道を塞ぐ。不意に空が晴れたらしく、入口から差し込んだ陽光が曲がりくねった坑道の壁に反射を繰り返して、元嵐たちのいる深部までかすかに届いた。動かなくなった赤子の顔が浮かび上がった。その赤子は、愛娘だった。

 絶叫した。目を醒ました。驚いた娘が火のついたように泣き叫んだ。元嵐は寝汗で濡れたまま抱き上げてあやした。ごめんね、ごめんねと。

 

「育児ってどんなもんなの。やっぱたいへん?」

 元嵐が「サービスだ」と冷蔵庫から出してきたビールをお猪口に酌してもらいながら、元長波はなんとなく訊いてみる。

「戦争だよ」

 元長波にビールを注がれる元嵐が灯火のようにほほえむ。

「子供ったって人間だから。いっちょまえに自我があるから、思い通りにはいかないことばかりだった。じっとしててっていっても聞きやしない。優しくしてくれたらだれにだって懐くしね。憎たらしいくらい。自分の利益になる相手かどうか見極める嗅覚だけは、超一流」元長波に礼をいって、つづける。「赤ちゃんは天使だなんていうけど、それは寝てるあいだだけ。起きてるときは悪魔。しかも育児にゃ休日がない。ハイハイしだしてからは余計に目が離せなくなるし。赤ちゃんの頃は、持て余さなかった日は一日もなかったよ」

 お猪口で乾杯する。ビールはグラスになみなみ注ぐよりお猪口で少量ずつ飲むほうが旨い。最初のひと口めの感動がずっとつづく。

「夜泣きとか?」

「そりゃあもう、すごかった。ノイローゼになりかけた。こりゃ、濡れた半紙を顔に置きたくもなるなって思った」

 真夜中でも容赦ない泣き声に悩まされ、夢のとおり絞め殺してしまうのではないかと自分を恐れていたころ、元嵐は育ての親に電話で相談した。どうすれば夜泣きをやめさせられるのか。実母よりも遥かに尊敬している養母の返事は、思いもかけないものだった。

「夜泣きをやめさせる必要はないって。要するに、夜泣きは頭がよくなってる証拠なんだってさ」

「頭がよくなってる?」空になった元嵐のお猪口を満たしてやる。

「養母がいうには、あたしたちは、家のなかだろうが外だろうが、人の家だろうが外国だろうが、どんな光景をみても、そこから受け取る基本的な情報はどこでもおなじだから、別になんとも思わない。でも赤ちゃんにとっては、みるもの聞くもの、すべてが初体験のものばかりなわけだ。大人なら必要な情報だけを自動的に拾うけど、赤ちゃんはすべての情報が一気に脳へなだれ込んでくる。どの情報が必要か必要じゃないのかっていうのがまだわからないから全部拾っちゃうんだ。毎日が情報の洪水ってわけ。でも、入力が多いからって処理能力までが高いわけじゃない。人間は昼間の記憶を夜に整理する。これが夢なわけだろ。赤ちゃんの場合あまりに処理する情報の量が多くて、オーバーフローを起こして、それで感情が混乱して泣くんだって。赤ちゃんが夜泣きしてるのは、脳みそがアップデートされてるってことで、だから夜泣きをするたびにうちの子は賢くなってる、そう思いなさいっていわれた」

「大胆な考え方だ」

「だろ。なんというか、救われた気分がしたよ。その日からは夜泣きが気にならなくなったし、むしろ頼もしく思えるようになった」

 また、養母の教えは、元嵐に天啓をもたらした。

「トラウマってのは精神の傷だ。病気だ。傷や病気は治さなくちゃならない。だからトラウマもきれいさっぱり消さなきゃならない。そう考えてた。でも、トラウマも自己の一部として、一緒に生きていく道だってある。そう考えられるようになった」

「トラウマと一緒に」

 生きていく。元長波には思いもよらない発想だった。

「無理に忘れようとしても、忘れられるもんじゃない。忘れたくないっていう自分もいるんだ。つらい記憶を削除したら、自分が自分でなくなる気がしてね。ならいっそ、トラウマを抱き締めてさ、一生ずっとそばにいてくれる友だちだとでも思ったほうがいいんじゃないか、ってね」

 ジャム島の夢をみるときは、知らず知らずのうちにストレスを与えていた肉体や精神がSOSを発しているのだと思うことにした。休養を優先した。ジャム島は遠のいた。

「トラウマに助けられたこともある」と元嵐はいった。「前の職場でのことなんだけど、やたら横柄な女の先輩がいたんだよ」

「どんなふうに?」

「女だということを盾にしているというか。深海棲艦との戦争で自分たち女性は人生を懸けて国を守ったんだ、あなたたちがいま生きていられるのは女性が必死に戦ったおかげだ、だから女はなにごとにおいても男より優先されなければならない、そういう考えの持ち主でね。仕事中に携帯いじってるのを男の上司に注意されたら“女のわたしに口出しするんですか? 戦時中、わたしたち女は戦争に行く役目を背負わされて、ずっと抑圧されてきたんですよ!”……傑作なのが、そいつ、艦娘でもなければ海軍にも行ったことないんだ」

「なんだそりゃ」元長波は失笑した。

「で、あなた戦争に行ってないでしょって指摘されると、“戦争に行かないことで周りからプレッシャーを受けてたわたしの気持ちがわかるんですか! わたしもフリハラの被害者なんですよ! わたしは被害者!”って、地団駄踏んで喚く。みんなから煙たがられてた」

 艦娘にならない女性に対して海軍へ志願するよう周囲が圧力をかけることを、女性たちはフリートハラスメント、フリハラと呼んだ。

「フリハラなんていうやつ、マジでいたんだ……」

 元長波がいうと、元嵐は微苦笑しつつ何度も頷いた。

「そういう女がいちばん憎んでる人間はどんなやつか、わかる?」

 元嵐が訊いた。元長波は肩をすくめる。

「それはな、本物の元艦娘だよ。そんなもんがすぐそばにいれば、自分は戦争のせいで我慢を強いられてきた女ってアドバンテージがなくなる。なんせ本当に戦争に行ってきた女がいるんだから。そんなわけで、その先輩に目をつけられた」

 ねえ、お子さんいるんでしょ、保育料ってどのくらい。ことしの夏はどこに旅行に行くの、航空会社は、ホテルは。根掘り葉掘り訊かれた。そんなことを知ってどうするのかわからなかったが、波風を立てたくなかったので素直に答えた。「そんなに安いの? いいなぁ。うちは世帯収入が一〇〇〇万超えてるから保育料も高いのよ」「あらぁ、温泉。うちはモルディブ行くのよ、ファーストクラスが人数分ぎりぎりとれて。ホテルもねー、三つ星」「あ、そうだ。ところでさぁ、みて、このバッグ。自分へのごほうびで先週買ったんだけど、これ十万だったの。これで十万なら安いわよねぇ」。ひとしきり聞かされて、なにか釈然としないまま席に戻ったあと、ただ先輩に「うちのほうが上なのよ」と優位性を主張されただけだったということに、ようやく気がついた。

 その先輩は、元嵐が同僚と休憩中に世間話をしていると、いきなり割り込んできては、さりげなく自慢をしていった。「こないだ、うちの子が試験で学年十位だったの、前回よりも落ちててちょっと不安なのよね。ところで、あなたのお子さんはだいたい何位くらいなの?」。

 またなにかにつけ、元嵐を見下そうとする努力を怠らなかった。仕事上の伝達で「ここの取引先は来週の水曜までは連休だから」といわれたので、確認の意味で「じゃあ次に行くのは木曜日ですね?」と訊くと、「当たり前じゃない、水曜の次は木曜に決まってるでしょ。バカじゃないの?」。万事がその調子だった。

「そういう先輩がいても、普通は我慢して、なんとかうまくやっていこうとするんだろうけどね」ほろ酔いの元嵐はいう。「ひさしぶりに、ジャムで下の娘の首を絞めてた。それで、あたしの精神が悲鳴をあげているんだなってわかって、さっさと転職することにした」

 職場を去るといううわさが伝わると、さっそく例の先輩が嫌みをいった。「辞めちゃうの? なにか悩みごとがあったんなら相談してくれればよかったのにぃ、わたしたちのこと信用してくれてなかったの?」。わたしたち、と自然に自分が職場の人間の代表を気取っていることが癇に障ったが、わざわざことを荒立てることはないと聞き流した。「でも、だれも引き留めてくれないのねぇ。だめよぉ、こういうときは引き留められるくらいの人間にならなきゃ。そんなんじゃどこも拾ってくれないわよ」。しかしその顔には、自分の精神的優位を脅かす元艦娘がいなくなってくれてせいせいしたと書いてあった。

 先輩の言葉とはうらはらに、退職した直後から待っていたように転職のオファーが複数舞い込んだ。まじめに仕事をしていればだれかはみていてくれるのだと実感した瞬間だった。

「PTSDのおかげだよ。あのまま我慢していたら心が折れてたかもしれない。つらいなら逃げればいい。でも人間っていうのは、ついがんばろうとしてしまう。我慢っていうのは美徳だと思うだろ、でも我慢は、本来は“わがまま”って読むんだ。本当はなんの得にもならないのに、耐えてる自分がかっこいいとかで、ストレスを溜め込んで、結果的に周りに迷惑をかける。我慢なんかしないほうがいいんだ。あたしのトラウマが我慢の潮時を教えてくれた」

 いって、元嵐はお猪口をぐっとあおった。元長波は感心している。

 

 元嵐の夫と、上京していたふたりの娘が帰ってくる。玄関からの声に「和室よ」と元嵐が呼びかける。顔も声も、妻と母のものへ切り替わっている。三人が元長波と元嵐が炬燵で暖まっている和室へ顔を出し、「あ、お客さま?」と上の娘があいさつする。元嵐が元長波を紹介する。「母がお世話になってます」下の娘が元嵐似の顔に満開の花を咲かせる。元長波は「わたしのほうが、お母さんにお世話になったんだ」と応じる。母親が夢のなかで幾度となく絞殺したふたりの娘は、揃って無邪気な喜色をほほに上らせた。夫は笑顔のまま「ほら、邪魔をしちゃだめだよ」と娘たちをうながす。大学生だという娘ふたりは、笑いながらもけっして礼を失しないよう、作法どおりに部屋をあとにした。丁寧な物腰は両親のしつけのたまものだろう、と元長波は思った。

「わたしがあの子らの歳だったころより、ずっと礼儀がなってる」

 元長波に元嵐は、ビールを口に運びながらも喜んだ。

「お互いにおかえりをいう家庭があって、子供たちも順調に自分の道を進んでる。わたしには眩しいよ」

「長波は、幸せってなんだと思う」

 元長波の杯に新しく開けたビールを注いでいた元嵐がいった。陰のある顔だった。元長波が答えられないでいると、

「あたしたちは、子供のころは艦娘になって深海棲艦と戦って、お国のために散るのが女の幸せだって教えられた。でもいまじゃ、結婚して母親になることが女としての幸せっていわれる」元嵐は息を吐いた。「女の幸せっていうのは、世の中が勝手に定義して、押しつけてくるもんなんだ、いつだって」

 元長波も、二十歳も半ばを過ぎるころから、結婚はしないのか、子供を産むなら早いほうがいいと、周囲に口を出されることが増えた。三十路にさしかかると「早く結婚しないと手遅れになるよ」とほとんど脅された。まるで結婚していることが社会人の証明書だとでもいわんばかりに。自分の面倒でたくさんだった。四十になるともうだれもなにもいわなくなった。

「結婚するのが女の幸せだなんて、いったいだれがいいだしたんだろうな」

 元長波はつぶやいた。

「女は子供を産んで一人前。――何度聞いたかわかりゃしない。子供を産んだからって無条件で神さまかなんかになれるわけでもないのに」元嵐は吐き捨てる。「子持ちの母親が、まだ子供ができない同性に向かって、やたら上から目線でものをいったり、自分は子供を産むっていう社会的意義を遂行したけどあなたは違う、みたいな感じで冷たく接してるのを、あたしは数えきれないくらいみてきた。親になったからといって、それだけで人格的に成長するとは、あたしは思えない」

 そういう母親たちの二言めはこれだ。「あなたは子供がいないからわからないのよ」。

「子供を産めば幸せになれる。それははっきりいって幻想だよ」母親である元嵐は断言する。「結婚した、子供を産んだ。そうなるともうどこにも逃げられないし、妻として、母として、その逃れられない役割を、一生背負っていくしかない。逃げても逃げても追いかけてくる役割と。だから、自分の選択は間違ってなかったと言い聞かせるために、結婚することは幸せ、親になることは幸せ、結婚も出産もしてない女は自分より下の人間なんだと思い込もうとする。まあ実際、そうでもしなきゃやってられないってとこはあるけど。子供を産んだからって幸せになれるとは限らない。でも確実に責任だけは増える。要は、その責任の重さを幸せと思えるかどうかだろうな」

 いまの元嵐は、陽炎型駆逐艦娘〈嵐〉のホーミングゴーストからは解放されたが、妻というゴースト、母親というゴーストを背負っていた。

「あんた自身は、いまの自分を幸福だと感じるか?」

 元長波の問いに、妻であり母である女は、

「好きになった男と結婚できた。ふたりの子供にも恵まれた。どんだけ手がかかっても、やっぱり自分の子供だからね、可愛いもんだよ。あたしにはもったいないくらいのもんが手に入った。たいへんだったことも多いけど、それも全部ふくめて、幸せだって、ああ、思えるよ」

 真正面から見据えながら、かすかな笑みとともに何度も小さく頷いた。そしてつづけた。

「あたしは幸せだ。あたしは幸せにならなきゃいけない」

 虎落笛(もがりぶえ)が家の外から聞こえた。

「それは、あんたが海軍に入ったことと関係が?」

「あたしが艦娘になった理由は、長波には話してなかったっけ。ジャムで会ってジャムで別れたもんな」

 元嵐は笑って凝り固まった体勢を直した。

 

 どっから話せばいいのかな。あたしが二歳か三歳のころに親が離婚してさ。母に引き取られた。

 母は恋多き女って奴でね。男をとっかえひっかえ……。父が親権を譲ったのは、裁判で負けたからなのか、あたしが自分の子供かどうかわからなかったから放棄したのか……母があたしを引き取ったのだって養育費目当てだった。あたしの目の前で月にいくら使えるって金勘定してたから。

 離婚してからも、母の男癖の悪さは治らなかった。あたしはひとりで冷凍の食事をチンして、ひとりで食べてた。

 母が帰ってきたんで、玄関に迎えに行ったら、知らない男を連れてた。その男はあたしを見るなりこう言った。

「コブつきかよ。話が違う」

 母は母で、

「違うの、別れた旦那の子供だから、気にしないで」

 なにが違うんだかな。つぎの週、母はあたしの靴を部屋に持ってきて言った。

「これから人が来るから。あたしは独身で子供もいないってことになってるから、あしたの朝まで部屋から出てこないで。声も出しちゃだめよ」

 あたしはその夜、この世界のどこにもいないってことになった。お笑い番組を見ても笑っちゃいけない、泣ける映画を見ても泣いちゃいけない。ヘッドフォンをかぶって、自分でもびっくりするくらい無表情でテレビを見てた。壁越しに母と顔も知らない男のお盛んな声がするもんだから、ヘッドフォンは耳栓がわりにもなった。息を潜めて、トイレに行きたくなっても惣菜の空容器に出したりしてさ、あたしなりに母の言いつけを守ってたんだけど、いつかはバレるよな。男に別れられるたび、母は酒に溺れた。ある日、泥酔した母があたしにいったんだ。

「あんたがいなけりゃ、あたしはもっと自由に生きられたのかなあ……」

 勝手に産んどいてよくいうよ。

 あたしはその夜、家を出た。アテがあったわけじゃない、とにかく母とおなじ家にいたくなかった。あとで気づいたんだけど、その日、あたしの誕生日だったんだ、傑作だよな。十五歳のね。十五の夜さ。バイクは盗まなかったけど。

 でも子供がひとりで生きてくなんて無理だ。腹は減るし、やっぱり屋根のあるところで寝たい。橋の下で寝たこともある。自販機の釣り銭を漁ってたら、そこらを縄張りにしてるホームレスにすごい剣幕で怒られた。

 どうしようもないからあたしは、自分が女だってことを使った。適当な男に声をかけて、飯と、ひと晩寝泊まりさせてもらうかわりに、セックスする。一宿一飯の恩義だよ。ひとりなんか女を殴りながらヤるのが趣味の奴がいてさ。ひどい目に遭った。それからはできるだけまともそうな男を選ぶことにしたよ。人を見る目は養われたかもな。面白いのが、ヤッてるときは夢中で腰振って、ガキの胸にむしゃぶりついてくるくせに、終わったあとになって急に、

「こんなことしてちゃいけないよ、親御さんが悲しむぞ」

 とか説教しはじめるのがけっこう多いんだ。ゴムつけてるとはいえ、いまさっき間抜け面さらしてナカイキしたやつが、なにいってんだって話だよ。

 そんなことを繰り返してるうち、自分が母親とおなじことしてるって気づいた。もうなにもかも嫌になった。自分が女であることがたまらなく汚らわしく思えた。男に生まれてたら違う人生があったのかなと思ったりもした。それで自分のことを俺なんかいってみたりしたけど、なにか変えられるわけもなかった。ただ食べるために体を売るだけの毎日だった。

 いつものように会社帰りのリーマンみたいなのを引っ掛けた。マンションに連れてかれたら明かりがついてた。まさかと思ったら、そのまさかだよ、きれいな若い女の人が出迎えてきてさ。あんときのあたしはどうかしてたんだな、左手の薬指に気づかなかった。

「どうしたのこの子?」

「拾ってきた。お風呂とご飯を頼む」

 ……奥さん、最初は驚いてたけど、いきなり転がり込んできたあたしに嫌な顔ひとつせずに、旦那さんのためにつくってたはずの手料理食べさせてくれてさ。そんときまで手料理っていうの、食べたことなかったんだ。生まれてはじめてだった。おいしかった……ご飯ってこんなにおいしいんだって思ったよ。布団もさ、奥さんが添い寝してくれたからかな、いままで寝たどんなベッドよりあったかく感じた。

 次の日さっさと出ていこうとしたら、いろいろ訊かれた。勇気を出したよ……いきさつ話したら、奥さんが、母のことを、許せないって怒りだして、しまいには泣きはじめた。きのう会ったばかりのあたしなんかのために。

 旦那さんのほうは、しばらくなんにもいわずに黙ってたけど、腕組んで、

「どんな事情があっても、未成年をいつまでも匿うわけにはいかない」

 そりゃ当然だよな。奥さんは「そんな」って同情してくれたけどね、最悪、この夫婦が誘拐の罪に問われかねない。やっぱり帰るべきだなって思った、そのときだった。

「だから、きみをわたしたちの養子にしようと思う」

 あたしは最初、意味がわからなかった。ゆうべ会ったばかりのあたしを養子だって?

「うちの子になれば、うちにずっといてもだれにもなにもいわれない。うちには子供がいないから気兼ねしなくてもいい」旦那さんは当然のことのようにいった。奥さんも乗り気になってた。

「もちろん、きみの意志が最優先だ。きみさえよければ、わたしたちはぜひ、うちの子になってほしいと思ってる。十五歳以上なら実の親の承諾はいらないからね。本人の意思で養子縁組ができる。でも、もしきみが自分の家のほうがいいというなら、わたしたちはきみの意志を尊重する。きみが選ぶんだ」

 そういわれて、あたしはあの母親がいるあの家を思い出した。あの家で暮らしてた日々を。あの家に帰る? いままで当たり前だと思ってたいろんなことが、たったひと晩、その夫婦の家で過ごしただけで、もう二度と帰りたくない、とあたしに思わせた。もうあの家で生きていける自信がなかった。ぬくもりを知ってしまったんだ。あたしはなんとか「ここにいたい」っていえたよ。

 そうと決まったら早かった。旦那さんはまず事実関係の確認のため、あたしの家に行って母と直接話をした。いくら法的に不要とはいっても実の親だからね。留守がちだったみたいで三度めでようやく会えたっていってた。帰ってきた旦那さんは、なんだかやりきれない顔してたよ。いうべきかいわないでおくべきか迷ってたみたいだけど、きみは当事者だから知っておく必要があるとか、あまり思い詰めることはないとか、いろいろ前置きを述べて……たぶん、わたしが少しでもショックを受けずにすむようにしようっていう心遣いなんだろうな、いい人だなぁって、暢気に構えてた。

 で、旦那さんがいうには、おたくの娘さんを養子にしたいって切り出したら、母はあっさりと「いいですよ」って。「あの子の父親と連絡とれなくなって。飛びやがったのよ、あいつ。だからもう養育費入らなくなっちゃったの。あてにしてたのに。でももうお金が入ってこないんじゃあね、家に置いとくだけ赤字になるのよね。軍にでも行かせようと思ってたんだけど、めんどくさいからもういいや。養子でもなんでもお好きにどうぞ。なんならおたくにあげますって、一筆書いたげましょうか?」だってさ。警察に捜索願すら出してなかった。当のあたしは、母がどんな人間かわかってたから、いかにもあの人らしいなって、とくになにも感じなかったんだけどね。

 書類上の手続きをすませて、正式に夫婦の子になった日、旦那さんに、ひとことだけでいいから、実の母親にあいさつをしておくべきだっていわれた。いい思い出はないかもしれないが、産んで、育ててくれたことに対するけじめだって。遠慮したかったけど、これが最後だって思って、養父になった旦那さんに付き添われて行ったんだ。「いままでお世話になりました」そしたらインターホン越しに「そ。さよなら」……それで終わり。感動もクソもない。踏ん切りはついたけどね。

 夫婦はあたしをそれはそれは大切にしてくれた。本当はあたしはこのふたりの子供で、なにかのまちがいであの女のもとで育てられてたんじゃないかって思うときがあるほど。至れり尽くせりだよ。お礼の方法なんて体しか知らなかったからさ、「どうやってお返しすればいいですか」って訊いたら、「きみの人生を見つけてくれればじゅうぶんだ」だって。あんなお人好し、みたことない。

 あたしはあたしなりに恩返しの方法を考えた。サラリーマンにみえた養父は海軍の募艦担当官だった。だからあたしは十八のときに言った。艦娘になるって。

 養父は思いとどまらせようとして、ぐっとこらえた。やめろなんていえるわけがない。自分は人の娘を艦娘にして戦場へ送ってるんだから。ただ「どれほど危険な仕事かわかってるのか」って訊くだけ。わかってるって答えた。養父は「そうか」っていって、あした地方協力本部へくるようにとだけ伝えた。あたしは頭を下げた。

「短いあいだでしたが、お世話になりました」

 実母のときとはちがって、心をこめてね。いまのうちにいっとかなきゃって思った。あした会うときは、父じゃなくて、軍の担当官としてだから。

 適性検査に合格して、艦娘学校へ行くために家を出るとき、見送りに立ってくれた養母が、あたしの背中へ「元気でね! 元気でね!……」と二回、声をかけてきたのを、いまでも鮮明に覚えてる。

 実の子供でもないあたしを精いっぱい愛してくれた、あのふたりの期待だけは裏切れない。りっぱな艦娘になってみせる。そう誓った。

 でも実際には、あたしは生き残ってしまった。しかも精神的な理由で除隊。恥ずかしかった。悔しかった。せめて英霊になりたかった。国のために轟沈した英霊になって、あのふたりの美しい思い出になりたかった。なのに、おめおめと帰ってきたあたしを、ふたりは大粒の涙を流して温かく迎えてくれたんだ。頭が上がらないよ。

 世間のいう幸せの定義が変わって、いまは死ぬことじゃなくて家庭を持って親になることが女の最終目標ってことになった。養父母の恩に報いるためにも、あたしは幸せになって、手の届く範囲の人間を幸せにしなくちゃいけないんだ。

 

 吐き出すようにしゃべり終えた元嵐が喉を鳴らしてビールを飲み干す。

「親に復讐してやりたいって思ったことはないの?」元長波は好奇心から訊いた。

 元嵐は苦笑いした。

「あたしにとって、実の両親はそんな価値もないんだ。それにあたしがもし殺人なんかやらかしたら、養父と養母だけじゃなくて、いままで世話してくれた人たちに幻滅される。それだけは耐えられない。しょうもない生い立ちの人間でも立ち直って、社会に貢献できるってことの見本になりたい。そうすれば、あたしみたいなやつに手を差しのべる人も増えるかもしれない。いまのあたしには家族もいる。あたしの人生はもうあたしだけのものじゃないんだ」

 元嵐は、ながい星霜を経て(かど)がとれ、磨かれ、まるくなった石のような笑顔でいった。

 

 軍にいたあいだに、元嵐の家庭環境にはふたつの変化があった。ひとつは養父母が子供に恵まれたこと。元嵐は自分がお役御免になったと思った。実子がいれば、自分は沈んでも養親をあまり悲しませずにすむだろう。

 しかし、養父は航海中の輸送艦へ寄せた電話で、「たとえ子供ができても、きみがわたしたちの最初の子であることには変わりない。これからもわたしたちをいままで同様に親だと思ってくれ。そして、この子のお姉さんになってくれないだろうか」と、温かい言葉をかけてきた。元嵐は電話口で泣くばかりで、決まりきっている返事は、喉で糸のように絡まった。

 もうひとつは、実母から音信があったことだ。ショートランドに赴任していたとき、基地に元嵐あての電話があった。どうやってか、元嵐が艦娘という名の特別職国家公務員になったことを知り、連絡先まで突き止めたものらしい。

 実母は「あたしが悪かったわ、いっしょに暮らしましょう、親子がいっしょに暮らすのは当然のことなんだから……」と、猫なで声で訴えた。

「丁重に断ったよ。いまは任務に集中したい、あたしはもう親離れしたんだ、巣立った鳥が巣に戻ったりしないだろって」

 その三日後、元嵐は実母の訃報を受け取った。

「付き合ってた新しい男のかみさんに刺されたって。いつかはそうなる予感はしてた。そういう生活をしてたんだから自業自得だ。つくづく勝手な人だよ。勝手に産んどいて、勝手に死ぬなんて……」

 元嵐にとって家とは、実母に「いないことにされる」場所だった。息をひそめ、部屋から出ずに排泄し、母の嬌声から耳を塞ぐ牢獄だった。内心では養親と過ごした家庭にあこがれていても、脳髄にこびりついた実家の記憶がホーミングゴーストとなって影を落とす。――マイホームがあれば幸せだって? あたしは母のいた家でちっとも幸せなんかじゃなかったぞ。

「結局、家っていうのは、家族がいるところであって、家そのものはどうでもいいんだってことがわかった。戸建てだろうが賃貸だろうが……逆にいえば、あたしが嫌いな一戸建てでも、楽しい思い出をみんなでつくっていけば、幸せになれる」

 元嵐は、女というゴーストから逃れようとして、しかし和解を果たし、いまは妻、母のゴーストを望んで受け入れている。かならずしもホーミングゴーストから逃げつづける必要はないのかもしれない。克服しようとがんばってきたが、克服する必要すらないのかもしれない。元長波は思った。わたしたちは、ゴーストから逃げたっていいし、ゴーストとともに生きていくことだってできるのかもしれない。

 

  ◇

 

 翌日、元長波は宮崎空港から羽田行きの飛行機に乗った。大気の清浄な日で、左側の機窓からは、九州の東崖と、四国の西崖に挟まれた、豊後水道のきらめきを望むことができた。

 四国の南に、四足獣の肢のように太平洋へ突きだした足摺岬と室戸岬のつま先を通過して、旅客機はまっすぐに羽田へ向かう。

 羽田空港へ降りて、バスを乗り継ぐ。宮崎から羽田へ飛ぶのとおなじ時間をかけて羽田から自宅のマンションへたどり着く。

「やっぱり、わが家がいちばん。賃貸だけどね」

 旅の荷物を開いて、洗濯物を洗濯機に放り込んでいるとき、元長波は、突如、鑿と金づちで頭蓋を砕かれているような激痛に立っていられなくなり、床にのたうち、もがき苦しむ。いままでの発作で最も痛みが大きい。自分の意思とは関係なく暴れる手足が部屋の荷物をはじき飛ばす。涙とよだれと鼻水を垂れ流しながら、ペンダントのピルケースから発作を抑える薬を残量すべて掌中に移して、鉄のように硬直した腕の筋肉をむりやり動かして、口へ投げ込む。

 薬が舌で溶けても神経の爆発が止まらない。元長波は痛覚の狂嵐のなかで混乱する。脳を真っ二つに引き裂かれるようだ。悲鳴すら上がらない。

 元長波はその日、都内の病院へ救急搬送された。



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二十八 栄光の代償

 精査加療のため緊急入院したあくる朝、ベッドの上で窓外の景色をぼんやりと眺めている元長波に来客があった。

「よう、気分は? 冥土の土産にあたいの顔がみられて最高だろ?」

 元朝霜だった。魂の抜けたようだった元長波の顔に生気が戻る。

「さっきまで最高だったけど、おまえの顔をみたせいで大暴落したよ」

 いわれた元朝霜は安心したように笑って、両手に提げていた、大きく膨れたふたつのバッグを床に置く。「で、人生の卒業式はいつなんだよ」

「もう発作の薬も効かないくらい進行してるんだってさ。膠芽腫(こうがしゅ)ってやつで」元長波は医師から宣告された病状をかいつまんで教えた。自分のこめかみを指で弾く。「つぎに発作が起きたときが、わたしの命日らしい」

 元朝霜も言葉少なに「そうか」と相づちを入れるにとどめた。

 元長波にはそれよりも気になることがある。

「おまえ、仕事は?」

 千葉に勤めているはずの元朝霜はわざとらしくため息をつく。「有休ってのは、消化するためにあるんだよ」

「おまえも旅がしたくなったのか?」

「ばかいえ。身寄りのない寂しいおまえが入院したら、おまえの身の周りの世話してくれるやつなんかいないだろ」

 バッグのファスナーを開け、羽織るものや箱ティッシュ、ウェットティッシュ、新品の下着、耳栓、歯ブラシや歯磨き粉、落としても割れない強化プラスチックのコップ、ほかにも日用品の山脈を築いていく。

「鉢植えの胡蝶蘭(こちょうらん)も買おうかと思ったんだけどさ、急ぎで運び込まれたって聞いたから、ろくなもんねえだろうって思って、とりあえず思いつくもんだけ持ってきた。おまえんちにある着替えとか、ほかに要るもんとかあったらいってくれ」

 元朝霜は、呆気にとられている元長波に笑ってみせる。

「おまえが三途の川に進水するのが先か、あたいの有休が切れるのが先か、競争だな」

 

  ◇

 

 元長波にはふたつの選択肢がある。治療を拒むか、わずかな望みに賭けるか。

 もう四十二年も生きた。「戦後の二十二年はボーナストラックのようなものさ」と元長波はいう。なくてもアルバムは完成する。終戦までの二十年、より正確には、戦争中の八年間こそが人生のハイライトだった。生涯の素晴らしい瞬間をすべて戦時中に前借りした。「いまは捨て曲ばかりを凝集した人生だ。生き恥をさらしてきた二十二年だった」

 だが、今回の旅で再会した仲間たちの二十二年は、どうだろう。だれもが、苦悩をかかえ、思い通りにいかない現実に、それでも真正面から向き合って、元艦娘というだけではない、何者かになろうと努力していた。彼女たちはややもすると、死と隣り合わせだったがために生命力を燃焼させなければならなかった戦時中より、むしろ現在のほうが輝いていなかったか。それは、生きようとする姿こそが生命の天分であり、きょう死んでも悔いのないよう、いまの一瞬に全精力を傾注しているからこその美しさだった。彼女たちの戦後の人生に捨て曲はなかった。一日たりとも。

 元長波は、少しでも彼女たちに近づきたい、と思った。ならば選ぶ道はどちらか、考えるまでもないことだった。微小でも可能性があるうちから死を受け入れてはいけない気がした。生きようとあがくことでしか、彼女たちの隣に立つ資格は得られないのだ。

 元長波は医師に呼ばれて治療法の説明を受けた。腫瘍は四方八方に浸食するように根を伸ばしている。発生場所もわるく、腫瘍というよりは染みのように脳神経を浸潤しているから外科手術は不可能である。化学療法と放射線治療を併用して根気よく潰していくしかない。不幸中の幸いというべきか、腫瘍によって血液脳関門の機能が弱体化していて、抗がん剤が脳へ届きやすくなっているから、化学療法が有効だと考えられる。一方で、化学療法および放射線治療には副作用がつきものである。むろん、どのような副作用が出現するか、すでにわかりきっているから、適切な支持療法(副作用への対症療法)を実施する体制は整えてあるが、過酷な闘病生活を強いられることには違いない。 そうして医療と患者の双方が最善をつくしても二年生存率は三割を切る。たとえ根治したようにみえても、治療の影響が晩期合併症を招く危険性があるだけでなく、腫瘍そのものの再増大の可能性もつねにつきまとう。セカンドオピニオンも視野に入れて熟慮を重ね、納得のいく選択をしてもらいたい。――そんな医師の話だった。

「最後に、なにか質問しておきたいことがありましたら」

 元長波は、ではひとつだけ、と人差し指を立てて、

「あなたのお母さんが、わたしとおなじ病気になったとして、あなたはこの治療法を勧めますか」

 と訊ねた。長波より年若い医師は、寸秒だけはっとしたが、「ええ」としっかり頷いた。

「そうですか。なら、お願いいたします」

 元長波は深く頭を下げる。

 診察室から帰る途中、元長波はひと組の親子とすれ違った。母に手を引かれている幼い男の子は、元長波に無邪気な問いを投げる。

「艦娘さんなの?」

 そうだと答えたら、つぎにどんな質問を浴びせられるか、元長波は知っている。どこに行ったの。深海棲艦を何匹殺したの。そのときどんな気持ちだった。全人類から投げかけられた気さえするほどに訊かれて、答えてきた、お定まりの質問。いつしか「ちがうよ」と答えるのがくせになっていた。

「そうだよ。長波だったんだ。駆逐艦娘の」

 元長波は、もう自分を偽るのをやめた。わたしは元長波だ。隠すことはない。それで面倒な質問攻めに巻き込まれても、別にいいじゃないか。きょうが人生最後の日ならどうするか。この先もおなじ質問に繰り返し回答しなければならないと考えるからうんざりするのだ。だから最後だと思えばいい。その日その日を最後だと思って生きる。きょうがその第一歩だ。

 元長波は身構える。続くはずの決まりきった質問に備えて。

 子供は、両手を膝で揃えて、深々と腰を折った。

「ごくろうさまでした」

 それだけいうと、ふたたび母親の手をとって通路の角を折れて去っていった。姿がみえなくなったあとも、元長波は、しばらく親子が消えた通路をみつめた。

「簡単なことだったんだな」元長波は笑いながらも小さくしゃくりあげる。「こんな簡単なことに気づくのに、ずいぶん遠回りをしちまった」

 

  ◇

 

 入院生活は一日がながい。元長波はベッドで雑誌を読んで時間を潰した。元朝霜が毎日のように見舞いにきては、洗濯物を回収して、清潔な衣料と、化粧水をはじめとした消耗品を補充し、本やタブレット端末や携帯ラジオなど暇潰しできるものを置いていく。いま読んでいるのも元朝霜の見舞品だ。

 その元朝霜が、紙袋を手にきょうも元長波の個室を訪ねる。やけににやにやしている。

「なんだよ、そのドリンクバーでコーラと別の飲みもんを混ぜてきたような面は」

 元長波が雑誌を閉じながらいうと、元朝霜は訊き返す。「おまえ、またハゲるんだよな?」

「わたしの頭を水晶玉に見立てて占い師ごっこができるくらいにはな」

「そんなおまえにお土産だ」

 元朝霜が紙袋から繊維のかたまりを「じゃじゃーん」と取り出す。元長波の呼吸が、刹那のあいだ途絶する。

「山風だったやつ、いたろ。おまえが入院して、治療を受けるって連絡したらさ、あいつがつくって、長波に渡してくれって、送ってきたんだ」

 元朝霜が披露したのはウィッグだった。ながく美しい黒髪は豊かに波打ち、それだけならただのウィッグでしかないが、濡れ羽色のあいだから見え隠れするピンクのインナーカラーが、一風変わったアクセントになっている。長波シリーズ特有の髪を模したウィッグだった。

 差し出された元長波は、まだ信じられず、おそるおそる、恭しく両手で捧げ持つように受け取った。カラーリングは長波だった彼女からみても完璧で、質感も地毛そのものだ。

「でもこれ、高いだろ」

「みんなからのプレゼントだってさ」

「みんな?」

「イムヤとか、神威の会社の元艦娘とか、磯風とか、陽炎とか嵐とか、おまえの知り合いの朝潮とか。おまえが現役んときに助けたっていう国後だったやつが、ほうぼうにかけあったらしいぜ」

 元長波には言葉もなかった。鴻毛(こうもう)のように軽いウィッグが急に重くなったようだった。

「副葬品になるかもしれないぞ」引きつった笑みで元朝霜を見上げる。

「もうおまえのもんなんだから、好きにしろよ」

 ちょっと被ってみろと元朝霜に促され、元長波はウィッグを装着した。渡された手鏡で確認しながら手ぐしを通す。

 そこには長波がいた。しばらくみつめて、我に返った元長波は照れる。「こんなばばあな長波がいるかよ」しかし、熱心に鏡を覗きながら毛先をいじる元長波は童心に返っているようにみえる。

「お礼いっとかないとな」元長波は携帯電話を使用してもよいエリアへ行くために杖を引き寄せる。

 乳がんを患ったさいにも利用した高額療養費制度と限度額適用認定証――除隊時の講習で教わった公的制度だ――の申請をすませ、六週間の集中治療にのぞむ。二グレイの放射線治療を三十日間。内服と点滴の二種類の抗がん剤。

 治療をはじめて三日め、予想していたとおり嘔吐の副作用がでた。元朝霜がすかさず差し出したバケツへ吐く。舌と歯がざらざらする。吐瀉物の跳ね返りを浴びても元朝霜は気にしない。

 吐き気止めが処方されたが、五日めには食事をしてすぐに吐き戻した。何度も何度も。胃の内容物がなくなったあとも、褐色の胃液まで。

 一週間をすぎるころ、朝に起きると枕が抜け毛だらけになっていた。

 元長波は元朝霜に髪を刈ってもらうことにした。ケープを纏った元長波と向かい合って、元朝霜がバリカンを手にする。

「心の準備は?」

「G.I.ジェーンだと思って、景気よくやってくれ」

 元朝霜が元長波の薄くなった頭髪を刈る。たちまち元長波は坊主頭になった。「いやはや」元長波が情けなさを作り笑いで糊塗していると、おもむろに、元朝霜は自身の額にバリカンをあてた。そしてためらうことなく頭を撫でた。健康な元朝霜の額から後頭部まで、一直線の畦道ができていた。それは連帯の表明だった。あっけにとられる元長波に、丸坊主になった元朝霜が額を合わせて、すがすがしく笑った。

「あたいたちはいつも一緒だ。そうだろう、艦娘?」

 

 元長波は、元山風謹製のウィッグをありがたく被った。

「抗がん剤のハゲってのは、全身の毛が抜けんのか? 頭だけ?」

「全身だよ」

「じゃあ、シモの毛も?」

「シモの毛も。いまのわたしは剃り跡のない完全なるパイパンだからな」

「じゃあいまは、月面もかくやというほどのツルツルか」

 元朝霜は笑いながら、窓越しの青空に薄くスライスした玉ねぎを貼りつけたみたいに浮かぶ半月を指さした。

「でもな、あの月もようやく思春期になって、色気づいたらしくてね」髪だけ長波に戻った元長波が指を二本立てる。「マン毛が二本だけ、生えてきたらしい」

「その心は?」

「マン毛が二本で、マンゲツー……」

 ふたりは爆笑してしまいたいのをこらえて、体をくの字に折って震えた。落ち着きを取り戻した元朝霜が、息も絶え絶えに、

「オイゲンに、オショーガツーだのカドマツーだの、変な日本語を吹き込んだのはおまえか!」

 元長波はそっぽを向いた。それがまたおかしくて元朝霜はまた笑い、元長波もつられた。

「あたいも朝霜のウィッグつくってもらおうかな」話しながら元朝霜は、元長波が入院時よりあきらかにやつれてきていることが気にかかっている。脳腫瘍のせいか、治療の副作用なのかは、元朝霜にはわからない。経口で食べられないというわけではなく、抗がん剤で胃腸の消化吸収能力が低下しているため胃瘻(いろう)は意味がない。牛乳で溶く粉末タイプのシェイクでなんとかカロリーを摂取できている状態だ。嘔吐だけでなく下痢も日に四、五回つづいている。「きのうより痩せてんのがみてわかるわ」

「だろ。治療前より五キロ落ちたんだ」

 まだ折り返しの三週間も経っていない。

「がんになれば嫌でも痩せる。これは流行るぞ、がんダイエット。確実に体重が減らせてリバウンドもなし。よけいな寿命も削れて一石二鳥」元長波がむりをしているのが元朝霜にはみてとれる。

「命拾いしたら本でも書け。痩せたいくせにバカみたいに食いまくるやつは、さっさとがんにでもなれってな」

 元長波が、「ならいまからサインの練習でもしておくか」と笑おうとするが、声には疲労の色が濃い。

「ため息のひとつもつきたいが、幸せが逃げるっていうしな」

 元長波が嘆くので、元朝霜は、

「ため息ごときで逃げる幸せなんて、ハナっから大したもんじゃねえんだから、好きなだけつきゃいいんだよ」

 といった。元長波は苦笑いして、「それもそうだな」といってから、盛大にため息をついた。「ああ、なんか楽になった」

「せいぜい養生しろ」

 元長波を寝かせてやった元朝霜は、

「ここの病室は客のもてなしがなってねえぞ。またあしたくるからな。覚えとけ」

 と言い残して、部屋を後にした。元長波にはひとりで休む時間が必要だと考えたからだ。

 

 元長波の容態は日に日に悪化しているようだった。体が鉛のように重いという。とくに食事がつらいようだった。半身を起こすだけでもいまの元長波には重労働である上、食欲はなく、やはり抗がん剤の副作用で口内炎ができていて、食べ物がしみると痛く、なんとか食べても吐いてしまうのではと思うと、どうしても憂鬱にならざるをえない。しかし元長波は点滴を拒否し、自分の口で食べることにあくまでもこだわった。時間をかけながら毎回完食した。「朝潮が介護してたっていう元赤城だって、しんどいのを押して食べてたはずだ」制吐剤を服用して元長波はいう。

 自立歩行訓練も、元長波には欠かせない日課だった。病院に併設されているリハビリテーション施設へは杖をつかいながらも自力で歩く。理学療法士の補助のもと、股関節や膝の曲げ伸ばし、足首の曲げ伸ばしなど、関節の可動域を維持、拡大するストレッチを受ける。これは顔がゆがむほどの痛みをともなう。

 訓練では麻痺している足と杖を同時に前へ出し、つぎに健康な足を出す二動作歩行を繰り返す。

「リハビリっていうのは、反復練習が命なんです」理学療法士が元長波にアドバイスする。「人間の神経はけっこういい加減にできています。たとえ麻痺していても、歩こうという確固たる意志をもって何度も何度も動かしていれば、脳がこういう指令を出したときは足を動かすんだって体が勘違いして、本当に動くようになる。体を騙せたら、こっちの勝ちです」

 元長波はほかにも平行棒を用いて、座位の状態から立位に自分で移行する訓練、そこから歩行をはじめる平行棒内歩行訓練、スクワット、段差を置いて階段昇降の練習を重ねた。

 抗がん剤による倦怠感と手足のしびれもあって苦しいはずの訓練に、元長波は愚痴もこぼさず率先して挑んだ。その前向きな姿勢には大勢の患者をみてきたスタッフたちも目を丸くした。

「2戦教のほうがよほどつらい。なんてったってここにはエアコンがある。艦娘学校の新人教育にも及ばないかもね」

 歯を食いしばる元長波はむしろ楽しんでいるようだった。元長波はけっして音を上げなかった。「つぎは?」それがここでの元長波の口癖になった。リタイアの鐘なんか、絶対に鳴らしてやるもんか。

 血のにじむ努力が実を結んだか、四週めには、杖なしでベッドの周りを一周できるようになった。

「治ったら、なにか仕事をしたいんだ」元長波は元朝霜に語った。「まだ決めてないけどな。もう四十二だけど、まだ四十二ともいえると思うんだ。なにかをはじめるのに遅すぎるってことはないだろ。少なくとも十年後、二十年後よりはいまのほうが年下なんだから」

 きょうが最後ならどうするかと考えつつ、十年後や二十年後のことも考えられるようになった。そこにいっさいの矛盾はない。大きな進歩だと、元朝霜は自主的に歩行の訓練をしている元長波を見守りながら安堵している。元朝霜の胸には希望が芽生えはじめている。ひょっとすると、元長波は本当に回復するのではないか。銚子ではなんらの症状もなかったのに、ひと月足らずで杖が必要になったと聞いたときは進行の早さに驚いたが、いま、元長波はだれの力も借りず、自分の足で立って、ゆっくりではあるが歩くところまで復調している。人間の生きる力に感動するとともに、元長波の生命力に元朝霜は、希望が雨上がりの雲間から射し込む光芒のように、親友を照らしていると感じられた。

 しかし、それはやはり光芒と同様、一時的なものでしかなかった。

 年明け最初の診療は治療六週めの検査にあたった。長かった治療の成果があらわれる。MRI画像をみる医師の表情は、険しい。

「神経繊維に沿って病変が進展しています。つまり、もぐら叩きのように、いまみえている病変に放射線をあててがんを死滅させても、がん細胞が少しでも残っていればまた別のところから顔を出す。まだ成長していない腫瘍は小さすぎてMRIにも写らないことがしばしばあります。写らないと照射のしようがありません。また、抗がん剤に対する感受性の高いがん細胞と、そうでないがん細胞が混在しており、完全な治癒はむずかしいというのが正直なところです」

 脳腫瘍は機械の目をすり抜けながら元長波の脳すべてを食い尽くそうとしていた。根治しなければ峻烈なリハビリテーションの日々はすべて無駄になる。だが元長波には落胆の色はない。「治るまで、どうぞよろしくお願いします」

 一月五日、元長波はとうとう食べたもの、飲んだものをすべて吐くようになった。制吐剤はいま以上には増やせない。点滴で水分と栄養補給をすることになった。

 歩行訓練は続行したが、筋力はみるみる落ちていった。効果がみえない訓練ほどむなしいものはない。それでも元長波はあきらめなかった。戦争が終わったあとも、仲間たちは平和な時代でそれぞれの新たな人生をみつけるために戦った。わたしは逃げてばかりいた。いまこそ戦うときだ。これがわたしの戦いだ。

 

「具合はどんなだ?」

 元朝霜は病室を訪ねるとき必ず開口一番にそれを訊く。

「最高」

 ベッドの元長波は元朝霜の顔をみると安心したように唇をゆるめる。荒れてひびわれた唇を。

「きょうは、おもしろいニュースみつけてきたんだよ」元朝霜は元長波にリップクリームを塗ってやる。

「戦時中に海軍が極秘裏に実用化しようとしていたっていう、艦娘たちの強い部分を組み合わせて建造した究極の艦娘、〈うばふそうがさ改二〉がついに発見されたとか?」

「ちょっと違うな」

 元朝霜はタブレット端末を操作してトピックのひとつを呼び出した。

「おまえ携帯の電源切ってたんだろ。若狭のほうで市民マラソンがあって、おまえが山風の家で会ったっていう長良が参加してたみたいでな」

 画像には、元山風や元国後と一緒に鍋を囲んだ、あの元長良が、元長波の知らない女性ランナーの肩を借り、必死にゴールを目指しているさまがあった。焦点はふたりにあっているが、ぼやけた奥の沿道の見物人たちが、みんな彼女たちへ声援を送っていることは間違いないようだった。

 記事によると、元長良は人生最後というマラソンに挑戦し、三時間を切るであろう好タイムを維持していたが、ゴール手前わずか百メートルの地点で、背中のコンプレッサーで防げないほどの痙攣が足を襲った。自力で立ち上がることもできない。断腸の思いで棄権しようとしたとき、一度は追い抜いていったひとりの女性ランナーが反転し、元長良を抱きかかえ、ゴールまで付き添った。スタッフも改めてゴールテープを張り直して元長良を迎えた。元長良がテープを切ったのち、女性ランナーもその背に続いた。

 その女性ランナーは元長良とはまったく面識のない赤の他人だった。ただ、完走直前でアクシデントから挫折しようとしている、おなじマラソンを走る仲間が放っておけなかったのだという。

「わかるか?」元朝霜は画面をスクロールしてふたたび画像を表示させた。自分の成績など構わず、見ず知らずの元長良に肩を貸すランナー。「あたいたちが守ったのは、こういう世界だ」

 元長波は液晶のなかの元長良をじっとみつめた。

「わたしの八年がこれにちょっとでも貢献できたんなら、悪くない気分だ」

 液晶に透明なしずくがひとつふたつ落ちた。

「この長良は、もう走れないんだ」元長波は途切れとぎれにいった。「いまごろはわたしみたいにがんと戦って、リハビリしてるだろう。この美しい世界へいつか還るために」

 治療によって、元長波に発作が起きる可能性は低くなっている。だがゼロではない。そのときがくれば訓練も無意味だ。この六週間、自分なりにがんばった。しかし人生をやり直したいという元長波の意思に反して肉体が枯れてしぼんでいく。表には出してこなかったが、いままで抑え込んできた、徒労ではないかという気持ちが、一気に溢れでてきた。

「わたしは、生きることさえ許されないのか? わたしはもっと生きたいんだ。除隊してから、いや、ジャムから帰ってきて以来、はじめてそう思えるようになった。全力で生きて、それからじゃないと、さきに死んでいった艦娘たちに顔向けできないんだ。わたしはもうなにをしても無駄なのか。ただ衰えて苦しんで死ぬしかないのか。それでみんなは、よくやったって、いってくれるだろうか……」

 肩を震わせて泣く元長波を、元朝霜がそっと抱き寄せた。

「戦争が終わって、散り散りになって、二年めだったかなあ、おまえがいきなり電話よこしたことあったろ」

 “教えてくれ。わたしはどうしちまったんだ”

「怒らないでくれよ、あたいはあんとき、嬉しかったんだ。艦娘学校じゃおまえは裏も表もないやつだった。でも2戦教の試験で会ったときな、変わったなって思った。どこがっていわれると困るんだけど、仮面かぶってるっていうか、本音をとことん隠してる感じがしてさ。戦後に頼ってきたあのとき、あたいは久しぶりにおまえの素顔がみられた気がしたんだ」

 元朝霜は背中をさする。

「もうがんばんなくていいんだ。おまえは二十二年なにもやってこなかったなんていうけどさ、ちゃんと生きてたじゃないか。二十二年もがんばったんだよ。つらかっただろ。“みんなにできて、なんで自分だけ”。その連続だったろ。もうそういうの気にしなくていいんだ。無理しなくていいんだ。だからさ、あたいだけはいってやるよ。おまえはよくやった。いまは、ゆっくり休みな」

 日を追うごとに元長波の四肢は麻痺が進み、車椅子でなければ移動もできなくなった。集中力と記憶力の低下もいちじるしい。なんの抗がん剤を服用したか、ではなく、服用したことそのものを覚えていられない。元朝霜に持ってきてもらったホワイトボードに、抗がん剤の名前を書いておき、服用したら丸をつけるようにした。つけたはずのない丸があって当惑することもあった。脳腫瘍が脳を侵していく。一度破壊された脳細胞は再生しない。高速修復材でさえ不可能だ。細胞分裂しない脳と心臓だけは修復できなかった。まるで、そのふたつは個人を個人たらしめる魂の座であるから、傷もそのまま個体の歴史として留めておかねばならない、とでもいうように。

 日々、できることが減っていく。ただし元長波は悲観することをやめている。脳腫瘍も、弱っていく体も、自分自身であることには変わりない。透析が必要な腎臓と生きていくと決めた元伊168のように、ジャムの記憶をかかえていくと決めた元朝潮のように、周回遅れの悲しみを自己として進んでいくと決めた元磯風のように、各々の事情をいまの人生の糧とすると決めた元神威たちのように、トラウマとともに歩んでいくと決めた元嵐のように、この病身とともに残りわずかな時間を過ごす道もある。

 追いかけてくる亡霊からはだれも逃れられない。だから、元長波は逃げずに、抱きしめてやった。生きることをあきらめたのではない。あるがままを受け入れる。過去も、病気も。元長波は、長波のホーミングゴーストと、はじめて向き合えた気がした。

 

 一月九日。朝に目覚めたときから、元長波には予感があった。いつもどおり見舞いにきた元朝霜が「なにかしてほしいことは?」と問いかける。元長波はベッドのかたわらにある車椅子に目をやる。

「海へ、連れていってくれないか」

 暖房のゆりかごにあった病院内から一歩外に出ると、空気が針となって肌と気道を刺す。いまはこの苦痛すら心地よい。気にかける元朝霜に元長波は本心から返す。「大丈夫だ」僚艦に強がるためでも、カウンセラーをあざむくためでも、強い艦娘を演じるためでもない。「大丈夫だ」

 外出許可は意外にもあっさりとれた。それが意味するところをふたりとも理解している。だが、いわない。

 車椅子が積めるタクシーを拾い、病院の近場で、海がよくみえる場所という条件を満たす、葛西臨海公園へ向かう。海ならどこでもいい。

 元長波の腰かける車椅子を元朝霜が押していく。葉のない灰色の枝振りの並木に挟まれた石畳を下る。水族園も観覧車もいまはふたりの目に入らない。遠くから波濤の声がする。四十三億年ものあいだ、海はずっとおなじ潮音(ちょうおん)を響かせてきた。生命は三十八億年、それを聞いてきた。波の音は変わらない。何億年前でも、ジャムにいた二十八年前でも、戦争の終わったいまでも。

 汐風の広場からなだらかな下り坂をさらに進むと、木々で遮られていた視界が一気に開け、瑠璃色の輝きがいちめんにひろがる。

 (みぎわ)を洗って、白く泡立ってはまたひっぱりこまれる、さざ波の歌。潮の香り。陽光を反射して、まばたきの間だけ宝石が散ったようになる水面(みなも)

 元長波の双眸から、涙が流れる。

「ああ、これだ。これがわたしたちのいた場所。わたしの職場、わたしの墓所だったはずのところ。わたしと仲間たちを引き合わせてくれたところ……」

 元長波は、何度も涙をぬぐいながら、海から目を離さなかった。

「十二歳の身で艦娘になって、二十歳で終戦になるまでの八年間、わたしが一生涯でこれほど一心に、命をかけてなにかに打ち込んだことはなかった。若いエネルギーと情熱のすべてを燃焼させた。笑った。怒った。泣いた。ただがむしゃらに生きた。つらいこともたくさんあった。そっちのほうが多い。もう二度とごめんだけど、いま思えば、全部ひっくるめて、楽しかった。青春ってそんなもんだと思う。そう、海はわたしの青春だった。だれがなんといおうと、海と戦争は、わたしのたった一度の青春だったんだ」

 潮騒が、元長波の叫びを受け止めて吸収していく。

「でも、また子供のころに戻ったとしたら、わたしはやっぱり艦娘に志願するだろうな。わたしにとって長波はなくてはならない存在だ。長波がわたしのすべてってわけじゃない。長波になったこと、海軍で仕事をした日々、そこで出会った人々……すべて含めて、わたしなんだ。ジャムでのことでさえも、わたしの一部なんだ。浜風の子守歌とともに生きることだってできる。手足のないあの長波の懇願が夢に出たっていいじゃないか。深雪の肉の味がしたっていいじゃないか。それらも含めて“わたし”なんだ。やっとわかったんだ。やっと……」

 吐露し終えた元長波は、あとはただ、子供のように泣きつづけた。元朝霜には、子供のまま大人にならざるをえなかった元長波が、あらゆるしがらみから解き放たれ、ひとりの子供に戻ったようにも思えた。

 その夜、食事中の元長波は致命的な発作に襲われ、意識不明に陥った。医師たちの奮闘もむなしく、元長波の目は二度と開くことはなかった。

 翌未明、元長波は息を引き取った。享年四十二だった。

「やっと、おまえの戦争が終わったんだな」病室のベッドで眠っているようにしかみえない元長波のほほを、元朝霜は優しく撫でた。「がんばったなあ。大変だったなあ」

 死亡届や火葬場の手配など、やるべきことを引き受けていた元朝霜は部屋を離れ、病院の外で携帯電話の電源を入れた。夜明け前の澄んだ墨色の空に星がまたたいている。不在着信に元朝霜が気づく。

「酒匂さんからだ」

 着信があったのはつい数分前だった。あの常識人が、こんな時間に? かけ直してみる。相手はすぐに出た。

「もしもし……すみません、病院だったんで電源切ってたんです。いえ、いいんです、ずっと起きてましたから……実は……え?……ええ、長波はたったいま、ついさっき、眠ったまま。でもどうして……?」

 元酒匂の話を聞いていた元朝霜の瞳孔が開いていき、声を詰まらせる。「そうでしたか……はい……はい……またこちらから……はい……じゃあ、ひとまず失礼します」

 元朝霜が通話を終える。潤んだ目は充血している。

「酒匂だった人からだよ。長波の最初の艦隊で旗艦をしていて、2水戦じゃ、あいつと揃って世話になった……」

 その元酒匂の話は、こんな内容だった。

 

 いまさっき、夢をみたの。長波ちゃんが桜並木に立ってた。桜吹雪がとてもきれいだった。

 花びらが舞うなかを長波ちゃんが歩いてたらね、そのさきにたくさんの人たちがいたのに気づいた。艦娘たちだった。深雪ちゃん、巻雲ちゃん、敷波ちゃん、ポーラさん。川内さん、大井教艦、香取さんと鹿島さん、摩耶さん。プリンツ・オイゲンちゃん、皐月さん、綾波ちゃん、清霜ちゃん、翔鶴さん。

 それに、わたしの知らない荒潮ちゃん、浜風ちゃん、舞風ちゃん、野分ちゃん、瑞鶴さん、長波ちゃんじゃない長波シリーズのふたりに、長波ちゃんと同年代の艦娘たち。

 深雪ちゃんは待ちくたびれたような顔で、敷波ちゃんは肩をすくめて、川内さんはあのまぶしい笑顔で、清霜ちゃんやオイゲンちゃんや瑞鶴さんは思いきり手を振って、翔鶴さんはやわらかいお顔で、教艦たちは優しい表情で。

 みんな笑ってた。声はきこえなかったけど、彼女たちは長波ちゃんを待ってた。

 長波ちゃんも、照れながらそっちに歩いていくの。わざとらしくほっぺなんか掻いたりして。いまにも走り出しそうなんだけど、恥ずかしいのか無理に足を遅くして。

 それがね、不思議なのが、みんなむかしの、現役時代の姿だったの。わたしたちが若かった、子供だったころの。艤装まで背負って。

 長波ちゃんがみんなのところへたどり着いて、深雪ちゃんとハイタッチするところで、目が醒めた。

 なんだか変な予感っていうのかな、長波ちゃん、脳腫瘍があるって聞いてたから、気になって。

 

「そっか」元朝霜はほほえんで、色褪せはじめた夜空に白い息を昇らせた。「みんなに逢えたんだな」

 

  ◇

 

 遺言にしたがって葬儀は開かなかった。翌々日は友引にあたったので、火葬はさらに次の日に行なわれた。元山風のつくったウィッグをかぶったまま、元長波は、元朝霜立ち会いのもと、荼毘に付された。

「散骨にしてほしいっていわれたんだ」

 パウダー状に粉骨した元長波の遺骨を詰めて小分けにしたパックとともに、元朝霜は葬儀社が手配した船を海へ出してもらった。駆けつけた戦友たちも同船している。なかには終戦以来から顔を合わせていなかった元艦娘もいる。

 元伊168と元神威、元子日が、青く煌めく洋上で花びらをまく。

 可憐に彩られた海面へ、元朝霜と、元酒匂、嗚咽の止まらない元国後、目元を腫らした元朝潮が、白い粉末の遺骨をふりかける。

 元長波が、海へ溶けていく。

「ここは東京湾だけど、海はつながってる。ブルネイも、パラオも、タウイタウイも、ブラジルにも。あたいたちの海だぞ」

 一升瓶を渡された元磯風が、元山風が、元陽炎が、元嵐が、かわるがわる献酒していく。「たっぷり飲め」海面へ清酒をそそぐとき元磯風はいった。

 弔いの鐘が響く。海は青い。空もまた、青い。

「敬礼!」元酒匂が号令をかける。元朝霜たちは揺れる船上から、まだ花びらがたゆたっている海へ敬礼する。

 輝く水面(みなも)の光に、元朝霜は、姉妹艦でもあった朋友(ほうゆう)の笑顔をみた気がした。

 戦争に人生を捧げ、かけがえのない仲間たちとともに海原を駆けた元長波は、いま、すべての生命力を燃やして自由な灰となり、そして、静かな海へと還っていった。




 長波だった彼女と、艦娘だったすべての女性たちの思い出に捧げる。


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断章(没プロット)
一   地獄からの誘い


本編で採用しなかった没プロットを清書したものです。「海風」だった女性を元長波が訪ねます。時系列としては元文月篇のあと、元磯風篇の前くらいとなります。
本プロットは4話構成です。


「みなさんに質問したいことがあります。このなかで、スマートフォンを持ってるよっていう人は、手を挙げてください」

 

 温和ながら活力に満ちあふれた四十一歳の女性が、体育館のステージ上から問いかける。彼女は金沢市内でビルの管理会社を経営している。かつては海軍でシリアルナンバー405-070331の白露型駆逐艦「海風(うみかぜ)」だった。集められた生徒たちのほとんどが、膝をかかえたまま互いに顔を見合わせながら挙手する。

 

「じゃあ、もうひとつ質問です。ひまさえあればスマホをいじってるって人。なにか見たいものがあるわけじゃなくて、ただ眺めていたいから無限に眺めてるっていう人」

 

 多くの手が挙がったまま下ろされない。

 

「正直でよろしい。手を下ろしていいですよ。たぶんね、今はほとんどの人がそうだと思います。子供だけじゃなくて大人もね。すぐスマホに手が伸びちゃうんですよね――じゃあ、最後の質問です。スマホを取り上げられたら死ぬっていう人」

 

 これにスマホを持っている生徒の全員が賛意を示す。教諭らは渋い顔をしている。

 

「そうですよね、わたしもすぐ手元に置いてないと安心して眠れません。わかります」

 

 手を下ろさせた元海風が泣きぼくろとともに柔らかい笑顔を見せる。すでに生徒らは、自分たちに共感してくれる元海風に友人のような親しみやすさを覚えている。

 

「――わたしの場合は、それが薬物だったんです」

 

 元海風がいうと、生徒たちからは笑いが消えた。体育館の空気が変わる。

 

「薬物中毒者がニュースに出るたび、どうしてそんなものに手を出すのか、不思議に思ったことはありませんか? わざわざお金を出して、身も心もぼろぼろにするお薬なんか使って、なにが楽しいのか。なぜやめられないのか。みなさんにとってのスマホを違法薬物に置き換えたのが、ちょうどわたしでした。クスリを取り上げられたら死ぬ。そう思っていました。わたしたち中毒者がクスリをやめるのは、みなさんでいえばスマホを捨てて一生使わずに生きるようなものです。スマホを触らない生活を想像してみてください。薬物をやめるのがどれだけ難しいか、ちょっとわかってくれたんじゃないでしょうか」

 

 体育館は水を打ったような静けさに満たされ、そこに元海風の言葉の残響だけがこだました。

 

「ひとつ、訂正があります。みなさんにとってのスマホがわたしにとっては違法ドラッグだった、と過去形でいいましたが、わたしはいまでも中毒者です。もう九年使っていませんが、いまこの瞬間も、わたしはクスリを使いたくてたまりません。毎日です。使いたいって毎日思います。そして毎日耐えています。それを三千日続けてきただけです。これは一生続きます。わたしはこのさき一生、ドラッグを使いたい欲求と戦い続けなければなりません。薬物中毒者には、治る、完治するということがありません。一定の期間がまんし続けたら、ある日もう使いたいと思わなくなる、なんてことはないんですね。死ぬまで治りません。それが依存症のやっかいなところなんです」

 

 この日、市内の中学校で薬物乱用防止教育の一環として招かれた講師の元海風の話を、生徒たちは食い入るように聴いた。

 

「わたしがおもに使っていたクスリは覚醒剤でした。覚醒剤をシャブっていいますけど、これは人間を骨までしゃぶりつくすことからそういわれているんだそうです。わたしもぜんぶ奪われました。わたしじつは、歯がないんです」

 

 おもむろに元海風が口に親指を突っ込む。下顎と上顎から総義歯を取り外す。暗い空洞のような口腔。左右の人差し指で口の端をひろげ、まだ四十代なのに一本の歯もない歯茎をさらす。ふっくらとしていた頬もこけて、魅力的な女性だった元海風が、一瞬で醜い老婆のように変容する。生徒らの間から息を呑む音が漏れる。

 

「わたしはまだましなほうです」

 

 入れ歯を口に戻した元海風がいう。

 

「シャブを乱用して亡くなった友人がいて、身寄りもないからわたしたちが簡単ですけどお葬式をあげました。火葬して、お骨を箸でとりあげるとき、砂みたいにぼろぼろ崩れて、お骨上げができませんでした。彼女は骨までしゃぶられたんです」

 

 生徒らは身じろぎすらせず元海風の話に聞き入った。

 

「骨までしゃぶる、これは文字通りの意味だけではありません。人生もしゃぶりつくされます。さっきいった、クスリへの欲求とずっと戦わないといけないというのもそうですし、わたしなんか夫には離婚されて、子供の親権も当然取れませんでした。最初、わたしは腕に注射していましたけど、注射跡が目立つでしょう、だからつぎは足、太ももとか足の指のあいだとかに刺していました。するとどこも血管が潰れて、拾えなくなりました。それで、わたし、まだ小さい子供に、血管を探させてたんです。どこに刺さるかって。まだ小学校に上がる前でしたね。子供にはわたしがいけないことをしているなんてわかりませんから、素直に血管探してくれるんです。ママ、ここ刺さるよって。自分がシャブを打つ血管を子供に探させる、それがどんなにおぞましい光景か、当時のわたしにはわかりませんでした。どうやってクスリを体に入れるかって、それだけで頭がいっぱいだったんです。わたしはシャブが効いているあいだはとても気分がいいんですが、切れると動けないか、子供に当たり散らす、そんな二重人格みたいな母親でした。シャブを打ってると機嫌がいい、打ってないと機嫌が悪い。そういう親のもとで育った子供はどうなるか、わかりますか」

 

 尋ねられても、だれもなにも答えられない。三角座りのまま凍り付いている。

 

「子供がね、ママ、シャブを打ってよ、血管探してあげるから、っていうようになるんです。シャブを打って元気になって、と。そうしたらにこにこした優しいママが戻ってくるから。シャブ食ってるあいだは怒鳴られたり殴られたりしないから。それに子供って、なにか親の役に立ちたいっていう気持ちがあるんですよね。血管を探せたら、わたしに、ありがとう、えらいね、って褒められる。あの子は叩かれたくないという以上に、褒めてほしくて、シャブを入れるお手伝いをしたがるようになっていました。わたしは最低の母親です」

 

 元海風は断言した。

 

「それでも、もうどこにも針が入らない。いまでも後悔していますが、もうどこにも血管ないよっていう子供を、わたしは怒鳴りつけたんです。役立たずって。血管が拾えないなら打てません。じゃあどうするかっていうと、ウォーリーっていう仕事をやっている人を呼ぶんです。シャブを打つのを助けてくれる人です。ウォーリーをさがせ、みたいに上手に血管を探してくれるんです。そんな人たちでも見つけられなくなりました。そこでわたしは、クスリを溶かした水溶液を肛門とか、性器、赤ちゃんが生まれてくるところですね、そこに注ぎ込んでました。子供が見ていようとお構いなしに」

 

 想像もしたことのない家庭環境に嗚咽を漏らす女子生徒もいる。となりの女子が抱きしめながら自身も目を真っ赤にしている。

 

「わたしは六回逮捕されています。いずれも違法薬物がらみです。女性受刑者には薬物関係の事由が多かったですね。ほとんどの受刑者に反省の色はありません。たまたま運が悪かったから捕まっただけだとしか考えていないツネポン――ポン中でもさらに筋金入りの常用者のことです――そんな人ばかり。出所したあかつきにはお祝いにシャブを打とう、その日がくるのを心の支えにして刑務所暮らしを耐えよう。そうして虫をわかせている人ばかりでした。虫をわかせるっていうのはまたシャブを使いたいという欲求をつのらせるっていう意味です。もちろんわたしもそのひとりでした」

 

 元海風がドラッグに手を出したのは退役から二年後のことだった。戦争が終わり、艦娘でなくなった。だが戦時中に轟沈した2水戦の仲間や、後輩の涼風(すずかぜ)に関する記憶は、亡霊のようにつきまとった。

 

 赤ん坊のおむつを交換するときに、うんちが手に付着した。「あンたがいれば、こンなひでえことにはならなかっただろうな」。スロップシンクで手を洗っていると涼風が沈んだ日に別の艦娘にいわれた言葉が脳内で何度も繰り返し再生された。わが子の泣き声で我に返った。元海風は七時間も手を洗っていた。手の皮がふやけて一部はずるりと剥けていた。

 

 戦争体験を起因としてアルコール依存症に陥る元艦娘は多い。だが元海風は酒が飲めなかった。体質もあるが母親がアルコール中毒だった。元海風は父親の顔を知らない。小学生のころは放課後になっても閉門の時刻になるまで校庭で独りで遊んだ。家を少しでも遠ざけたかった。暮れなずむ黄昏と一番星にあざ笑われながら帰ると、むせ返るような酒の臭い、それとは異なる生臭さ、そして母と見知らぬ男のいびきが元海風を迎えた。

 

 それでアルコールに頼らずに酔って逃避できるものとして、大麻を吸った。

 

「友だちに勧められたんです。わたしも軍にいたころは煙草を吸っていましたから抵抗はありませんでした。気持ちよかったです。未成年が喫煙するとろくな大人にならないということです」

 

 大麻をゲートウェイドラッグ(違法薬物の入り口)として元海風は覚醒剤と出会った。

 

「運命だと思いました。それくらい気持ちよかった。みなさん、SNSでバズったことってあります? いいねが何万もついたり、トレンドに乗って、いろんな人にこの人面白いとか、最高とか、ネット上で褒められたり。その気持ちよさを一としたら、シャブは百ですね。それくらい気持ちいいです。しかもなんの工夫もいりません。ただ打つだけ。お手軽にとても気持ちよくなれる。悩みごとなんて吹き飛んじゃう」

 

 元海風は右腕に注射を打つジェスチャーをしながらいった。

 

「わたしの場合、もともと戦争の後遺症で、沈んだ艦娘たちが戦後になっても目の前に現れたり、その人たちにまつわる思い出が勝手に脳内で再生されて、そのあいだは何もできずただぼーっとするしかなかったんですが、シャブを打ったら、それがきれいになくなりました。代わりに、自分でも忘れていた、仲間たちと一緒に遊んだり、いたずらしたり、協力して厳しい訓練をやり遂げたり、そんな楽しい思い出に置き換わりました。人生でいちばん充実していた時期に戻れたんですね」

 

 元海風の笑顔が、わずかに曇る。

 

「でも、クスリが切れたら終わりです。また仲間が死ぬ瞬間ばかりが頭のなかを駆け巡ります。家のふすまとかクローゼットから、沈んだ艦娘が出てきて、どうしておまえだけ生き残ったんだって責めてくる。クスリを打ったら消えてくれる。だから、ひっきりなしに打たなきゃいけなくなるんです」

 

 四度の逮捕で離婚。さらには子供への接近禁止命令が出された。五度目の逮捕で発起し、出所後に治療プログラムに参加した。のち、また覚醒剤所持と使用で逮捕された。

 

「クスリをやめたいって思っていたのは本当です。でも、意志を作っているのは脳ですよね。その脳がクスリを強烈に欲しがるから精神論ではどうにもなりません。みなさん、本当はいまもSNSで自分の投稿に新しい“いいね”や返信がつけられていないか、気になって仕方ないんじゃないですか? なにか投稿したあと、通知が来るまでじっと画面とにらめっこしたことは? それと同じで、仕事とかに集中しようとしても脳みそが“クスリ! クスリ!”って叫ぶから集中できないんですね。ここから立ち直るのは本当にむずかしいです。しかも立ち直ってようやくマイナスからゼロに戻れる、それだけのことです。無駄な努力をさせられるのが違法薬物です。わたしの会社にもそういう人がたくさんいます。クスリになんか手を出していなければもっと上にいけて、いまごろは結婚して子供もいただろうなって、本人たちもいってます」

 

 ビル管理会社を経営する元海風はいま法務省認定の協力雇用主として、刑務所から出所した元犯罪者を雇用し、その社会復帰を支援している。だが犯罪加害者が立ち直るのはむずかしい。元海風も何度も裏切られている。「もう絶対にクスリには手を出しません」と誓った覚醒剤常習者の夫婦が、元海風に雇用されて一か月後、無断欠勤を続けた。

 

「保証人になってあげたアパートに行ったら、鍵がかかってる。でも出ない。郵便受けも内側からガムテープかなにかで目張りされて中が見えないようになってる。居留守です。彼らなりに罪悪感があってわたしに合わす顔がないんですね。なぜかというと、またクスリをやってしまったから。仕事でなにかつらいことがあったのか、売人が接触してきて、これが最後だからと使用したのか。そういうケースはめずらしくありません。というか、ふつうです。わたしだって、自分から治療したいっていっておきながらまたシャブで逮捕されましたからね。心の底からやめたいって思っていても、やめられない。そうして人を裏切ってしまい、みんな離れていって、つらい、寂しい。そういうみじめな気持ちから逃げるためにまたクスリに頼る。だから見捨ててはいけないんです」

 

 最後に元海風は最も伝えたいメッセージでしめくくる。

 

「違法薬物に手を出せば気持ちよくなるのはたしかです。でも、わたしみたいに歯も人生も失うこともたしかです。いちどでも使えばもとのまともな人間に戻ることはできません。もし薬物が目の前に来たら、わたしの不細工な顔を思い出してください。友だちに誘われたら、縁を切ってください。日本の人口は一億人もいます。何年か前に一億を超えたはずです。そのうちのたったひとりに嫌われたからって死ぬわけじゃありませんからね。地元が世界のすべてと思わないでください……」

 

 講演ののち、元海風は舞台袖で教頭から苦言を呈された。「薬物が気持ちいいとかいわないでください。万一、生徒が興味を持って手を出したらどうするんですか」

 

 元海風は薬物中毒から立ち直った経験者として全国から講演に招かれている。この種の苦情は慣れたものだ。返答も決まっている。

 

「そうですね。申し訳ありませんでした」

 

 弁明はしない。頭を下げ、関係者に然るべきあいさつをすませ、学校をあとにする。

 

「わたしがメッセージを伝えたかったのは子供たちです。あの子たちはわたしの話を自分のことのように感じて涙を流してくれました。クスリの恐ろしさと、ジャンキーのみじめさを知ってもらえた。それだけでじゅうぶんです」

 

 元海風は至境に達した者のように晴れやかにいう。

 

  ◇

 

 元海風は戦争が終わる直前に解体された。元海風が「壊れて」いたからだ。

 

 それまでは元海風は勇敢で、自らも十代半ばの子供にすぎないのに、さらに年下の部下たちの姉代わりをよく務める模範的な艦娘だった。しかしそうでありつづけることはなかった。目の前で旗艦の最上(もがみ)が息絶えて、全身骨折で動けない明石(あかし)が駆逐ナ級に生きながら食われ、玉波(たまなみ)の脾臓から噴き出した血を顔に浴びても、元海風はりっぱな艦娘であろうとした。

 

 五度目の派兵ではトラック泊地に到着してすぐに気分が悪くなった。決定的だったのは、元海風が参加するはずの哨戒任務に代わりに出た涼風(すずかぜ)が、海面下にひそんでいた深海忌雷にばらばらにされたことだった。別の艦娘が「あンたがいれば、こンなひでえことにはならなかっただろうな」といった。それは元海風を称える言葉だった――事実、元海風はどんなに巧妙に隠れた深海忌雷も必ず発見していた――が、元海風には非難の言葉として聞こえた。おまえのせいだ、おまえのせいだ、と元海風は自分を責めた。

 

 その日をさかいに新しく生まれた細胞は罪悪感でつくられた。すぐに元海風の体は罪悪感で置き換えられた。目がちかちかし、ふいに動悸が激しくなり、手から汗が噴き出て、唐突に涙があふれ、死にたいのではなく死ぬためにどうするかしか考えられなくなった。だがだれもそのことに気づかなかった。だれもが元海風を信頼すべき立派な艦娘だと思っていた。

 

 思い返せば、四度目の帰還のときには元海風はすでに壊れていたのかもしれない。義務を果たした艦娘の帰りを祝うため、親戚やその幼い子供たちが実家のベランダに並んでいた。「おかえり!」と手を振っていた。元海風は彼らに向けて、帰り道のコンビニで買っておいた打ち上げ花火を打ち込んだ。爆笑を期待した。しかし親類や通報で駆けつけた警察や消防にむしろ怒鳴られ、責められた。ちゃんちゃらおかしかった。それ以上に、最高のジョークを用意してあげたのにふいにされて、元海風はむかっ腹が立った。「花火くらいでおおげさな。こっちは毎日のように空爆や砲撃を受けてきたんですよ。消防車なんか来てくれやしなかったわ」。元海風は笑いとばした。母親はひたすら周囲に頭を下げた。「こんな子じゃないんです。どうしてこんなことを」

 

 安穏とした内地の暮らししか知らない甘ったれた親族や近隣住民が、疎ましく、不愉快だった。温室育ちのお坊ちゃんが悪童に「ばか」と罵られたくらいでこの世の終わりのようにショックを受けて泣いているのを見る、そんな気分だった。荒療治で鍛え直してやりたいと思った。「あなたたちは過保護にされすぎているのよ」。元海風は海の常識を家に持ち込もうとした。それで何度も衝突した。

 

 元海風は危機感を持ってほしかった。母親は元海風に優しく思いやりのある穏やかな娘に戻ってほしかった。両者の希望が叶えられないまま、元海風に五度目の派兵のときがきた。

 

 ある日元海風は、トラック泊地の応急救護所にある「戦闘ストレス」のプレートがかかったドアをあけて助けを求めた。精神科医はいった。「きょう、きみがここに来てくれたおかげで、何人もの人間が助かったかもしれない」。そうして元海風は再起不能のスタンプを捺された。十九歳だった。

 

 あれから二十二年。

 

 元海風が経営しているビル管理会社は、北陸一の歓楽街ともいわれる石川県金沢市片町(かたまち)の一角にある。一七〇人あまりの従業員のおよそ半数がさまざまな犯罪歴をもつ元受刑者だ。社長室の壁には、元海風が更生保護事業に大きく貢献したとして、金沢保護観察所から表彰された感謝状が額縁に入れられている。

 

 従業員のひとりが、受け持ちのビルの清掃から会社に帰ってくる。いまどきの髪型をした体格のいい若い男。暴力団から半グレへ移り、詐欺や恐喝の罪で服役した、本人いわく「ろくでなし」。刑務所内のテレビ放送を見て元海風の会社を知り「まともになりたい」と自ら手紙を出した。その手紙にはこう綴った。「でもその方法がわからない。出所の日にきっと悪い仲間が迎えにくる。断る勇気がない」。数年前の出所日に元海風が迎えに来てそのまま入社した。業務の合間を縫って高卒認定試験に挑み、四年かけて合格した。

 

 更衣室で地味な作業服を脱ぐ。朝六時から業務をはじめ、受け持ちのビルすべての清掃を終えるころには夕方にさしかかっていた。首から下を覆いつくす和彫り調の刺青がろくでなしの半生を物語る。

 

「きついですよ」ろくでなしは苦笑いする。「詐欺なら一回の案件で二〇〇(万円)とか稼げたんで、よけいに」

 

 しかしろくでなしにとって再犯は「したくない」という。

 

「高校中退してすぐに暴力団に入って、すぐ辞めて、仕事を探そうとしました。でも、元ヤクザだとか、刺青がとかで、働く場所がない。お金がないってなると、犯罪以外に思いつきませんでした」

 

 手を染めたのが特殊詐欺だった。自分とおなじように暴力団が肌に合わなかったという元暴力団員が中核メンバーの半グレ集団に入り、犯罪で稼いだ。

 

「いわゆる美人局ですね。女の子を何人か集めて、売春させて、あとから性的合意がなかったって、示談に。だいたい二、三〇〇万くらいで。それくらいなら一括で払えないこともない。不同意性交罪で起訴されたら初犯でも実刑食らいますし、不起訴になっても社会的ダメージは大きいからまず百パーセント応じる。税金もかからないんで足もつきにくい。恐喝ですけど、それを相手が告訴するとなれば、自爆覚悟。そんな勇気がある人はいません」

 

 一か月で数千万円を荒稼ぎしたこともあった。夜ごと豪遊した。味のわからない高い酒を飲んで朝まで遊んで、何者でもない自分を大きく見せようとした。

 

「まじめに働くのは、正直いうと大変です。ああ見えて社長は厳しいし怖いですから。でも初めてお給料をもらったとき、僕、ばかみたいに号泣したんです。社長から手渡しで給料袋をもらったんですけど、十八万七〇〇〇円とかだったかな。そのとき僕三十歳で、人生で生まれて初めての、まともな給料だった。そうして一生懸命働いてやっと稼いだお金を、ぼくらは人から簡単に横取りしていたんです」

 

 ろくでなしは真新しい預金通帳を出す。「先月、やっと手にできました」元暴力団員で詐欺の前科もあるろくでなしは脱退後五年を過ぎても通帳を作れなかった。元海風が奔走し、たった一行の地銀が熱意に押されて口座の開設に応じた。ろくでなしはいう。「ここまでしてくれる人、いままでいなかった」

 

 以前、ろくでなしは元海風に「社長は艦娘だったんですよね」と訊ねたことがあった。

 

「ええ。はるか石器時代の話ですけどね」

「お母さんも艦娘だったんです。ぼくが生まれたときはもう辞めてたんですけど。変な宗教にはまって、深海棲艦は神さまの使いだから、沈めた数だけお金を寄付して罪を償わなきゃいけないとか。それでいつもお金がなくて、夜ご飯なんか菓子パンを水道水で流し込むだけで。だからぼく、艦娘って、えーと」

「クズばかりだと思ってた? 残念ながら否定はできないですね」

「いえ、でも、社長はすごいと思ってて。ぼくなんて、自分のことだけで精いっぱいどころか、それすらちゃんとできてないのに、ぼくらみたいなのに仕事くれたりして、住むところも用意してくれて、めっちゃ面倒見てもらってるんで、すごいです」

「それもね、わたし自身が人生をやり直すため。何年も腐ってたから、あのころのわたしに戻りたくなくて、いま一生懸命やってるっていう部分が結構あります。だからね、じつはわたしは、あなたに救われているの。あなたが更生できて、真っ当な人生を歩めるようになったら、わたしのやってることは間違いじゃなかったってわかるから。わたしもいま、やり直している真っ最中。一緒にがんばらせてください」。そのとき、ろくでなしは敬意を払うに値する人間に初めて会ったと思った。

 

 去年結婚したろくでなしは一児の父でもある。妻とともに会社へ連れてきた赤子を真っ先に元海風に抱いてもらった。赤ん坊を抱っこする元海風からいわれた言葉をろくでなしははっきり覚えている。

 

「ありがとうって泣きながらいわれたんですよ。まともになってくれてありがとうって。こっちがお礼いわなきゃいけないのに」

 

 守るべき家族ができたろくでなしは夫と父親の責任を果たすため、現場の仕事をこなしながら資格取得の勉強にも励んでいる。人生をやり直している。

 

 一方、やり直せない元受刑者もいる。

 

 その日、元海風は昼食もそこそこにSUVに乗り込んだ。新車で買ったが四年で走行距離は十八万キロを超えた。向かうのは、兼六園から五キロのところにある金沢刑務所。そこである受刑者の出所が予定されている。その男性受刑者は強盗や薬物売買で服役後、元海風が従業員として採用した。働きぶりは真面目だった。元海風でさえ更生したと信じていた。

 

「ある日、警察から電話が来ました」元海風が苦い記憶をたどる。「おたくのだれだれさん、そこの従業員ですかって。“逮捕しましたんで”」

 

 男は元海風の会社で働くかたわら自動車窃盗を繰り返していた。懲役二年の実刑判決を受け、刑務所に逆戻りした。

 

「お酒とパチンコにのめりこんでたそうです」とハンドルを切りながら元海風はいった。「借金がふくらんで、恥ずかしさからわたしにも相談できず、金策に困って、むかしの伝手を頼って闇バイトに」

 

 違法薬物なら月に数百万円を稼げる。その成功体験で脳の報酬系が破壊されてしまった人間にとって、地道な努力で月の手取り二十万円しか給与されない「ふつう」の仕事を続けるのは極めてむずかしい。現役時代は一本一億八〇〇〇万円の携行型誘導魚雷や、腕一本を再生させるのにちょっとした豪邸が建つといわれる修復材の使用権限を任され、高い死亡率から将来設計を考えずに給与を分不相応な奢侈(しゃし)につぎこむことに慣れきった艦娘が、退役後に再就職して最低賃金で働くみじめさに耐えられないように。

 

 元海風は何度も面会に刑務所を訪れている。「忘れてないよということを伝えたいからですね。彼がいま刑務所にいるのは、彼の再犯を防げなかったわたしの責任でもあるからです」

 

 市街地から顔を隠すように、裏日本の陰気な山の裾野にすがりつく金沢刑務所。その駐車場に車を停めて待つ。「出てきました」車にもたれかかっていた元海風が動く。格子状の引戸門扉の向こう、二階建ての庁舎から、刑務官に案内されてひとりの男がダッフルバッグ片手に出てくる。まだ若い。門扉がスライドする。男は一瞬、青空を仰ぎ見た。服役中も運動の時間などで空は見える。だが刑務所の囚人として見る空と、出所してから仰ぐ空の色は違う。

 

 元海風の姿を認めた男が申し訳ない顔をする。元海風はただ抱き寄せる。男は泣く。「すいませんでした」

 

 元海風は刑務官に深く頭を下げる。それから男の荷物を持つ。運転席に乗り込む。男は後部座席に乗る。車が動く。

 

「なに食べたい?」

 

 訊かれる男はばつの悪い笑みを浮かべる。

 

「甘いものですかね」

「塩味のものばっかりだもんね。お寿司なんかは?」

「ああ、食べたいですね」

「お寿司と甘いもの。決まり。寮の部屋はそのままにしてあるから」

「一年半ですからね」

「まずは掃除しないとね」

 

 車内に笑いが戻る。

 

 翌日。さっそく男を清掃の職場に復帰させる。片町にある自社ビルで空き物件となっている高級ソープランド。ワンフロアテナントの広い店内は日本人が想像するヨーロッパの王宮のような豪奢な内装で彩られている。天蓋付きの巨大なベッドに、とろみのある分厚いカーテン。大理石の床。アールヌーヴォーのランプ。『ヴィーナスの誕生』をモチーフにした貝殻の浴槽。ストーン風の女神像。レリーフ。油彩画。グランドピアノまである。昼の時間帯にくると統一感がなく悪趣味にしか映らないが、夜の営業時間になれば客に現実を忘れさせる極彩色の異空間を演出する。広いうえに調度品も多いので掃除には手間がかかる。元海風は男の几帳面さを知っている。この物件が適任だと判断した。

 

 男は前にも増して勤勉に働いた。

 

 一か月後、会社の電話が鳴った。馴染みの刑事からだった。既視感があった。一週間前に男が神社で賽銭泥棒をし、防犯カメラにその犯行の映像が残っていたため逮捕状が発布されたという。

 

 元海風は応接室に男性を呼んだ。ふたりきりになって問い質した。男性に留置所行きの荷物をまとめるよういいつけた元海風は部屋から出てきて苦笑いする。

 

「やったのかやってないのかって訊いたら、“やりました”。いくら盗んだのかっていうと、三千円かそこら。窃盗は十年以下の懲役です。十年ここでまじめに働いていれば三千万円は稼げます。あなたは三千円のために三千万円を捨てたのよっていいました」

 

 男性は、いわれて初めて驚いた顔をしていたという。そこまでいわれなければわからない。犯罪者にはこの男性のように中長期的な損得勘定ができないものが少なくない。

 

「まるで若いころのわたしを見ているようです」と元海風は話す。「あした沈むかもしれないのだから、今を楽しもう、たとえ法を犯したとしても。そういう環境で人格の柔らかい十代を過ごしたことで、数年先、数十年先のことを考える力が育たないまま大人になってしまいました。言い訳かもしれません。おなじ環境で子供時代を過ごして、退役したあとも罪を犯さずりっぱな社会人になっている元艦娘もいますから。ともあれ、浅はかで近視眼的という点では、虞犯少年や犯罪者とわたしは似ているんです」

 

 男性は翌日に元海風に付き添われて出頭することになった。男性は泣いて元海風に何度も詫びた。「裏切ってすみません。ほんとうに申し訳ないです。どうしてこんなことしちゃったのか」

 

 警察から電話のあった翌朝、元海風の運転する車に同乗して男性は警察署に出向いた。留置に備えて荷物を詰め込んだボストンバッグを抱えて後部座席に沈む。

 

「あなたが実刑を受けたとしても、わたしは出てくるのをずっと待っています。あなたが更生して、ふつうに仕事をして、ふつうの人生を送れるようになって、幸せになるまで、わたしはあなたを絶対に逃がしません。いい?」

 

 ハンドルを切る元海風の言葉に、男性はひたすら嗚咽を漏らす。やがて警察署が見えてくる。

 

「これで逮捕三回めなんです」と男性。「もうどうしようもない」

「たった三回でしょう。わたしなんて六回よ。五回目で“ああ、これはだめだな”って気づいたくせに、またパクられたの。ばかでしょう? 大丈夫。まだやり直せる。だいじなのは、自分をあきらめないこと」

 

 近くのコインパーキングに車を停める。元海風は男性を車から降ろし、ともに警察署の自動ドアをくぐる。

 

「残念ですけど、犯罪者っていうのは、ふつうに生きてたら犯罪者になったっていう人たちなんです」

 

 と、警察署から駐車場の車へひとり戻った元海風はいう。

 

「窃盗犯の再犯率は二十%で、これは薬物犯罪の次に高いんです。くせになってるんですよね。ばれたらまた刑務所に逆戻りだとわかっていてもうっかり盗んでしまう。彼、ずっと泣いていたでしょう。あれだけ泣いて後悔するなら窃盗なんてばかなことしなきゃいいのにと、だれもが思います。本人も思っています。でも、再犯してしまう。なぜなら、反省することと、再犯しないことは、まったくべつの問題だからです。犯罪は一種の病気です。反省で治る病気なんてないんです」

 

 更生の道は遠い。あるいは死ぬまで更生しつづけなければならないのかもしれない。死の床についたとき、ずっと再犯してこなかったと振り返ってはじめて更生したといえるのかもしれない。

 

「退役艦娘とおなじです。自分が社会に溶け込めていたかどうか、今際になってやっとわかるんだと思います」

 

 次の日、元海風のもとに警察署から連絡が入る。男性を釈放するので迎えにきてほしいとのことだった。異例のことだった。元海風も驚く。車で署に急行する。

 

 元海風が警察署に入っていく。手続きに十五分。出てくる元海風のうしろに中身を使わなかったバッグを提げた男性が所在なく従っている。男性が罪を認めており、加えて元海風が身元引受人になっていることから逮捕は見送られた。元海風が刑事らに頭を下げる。隣の男性も頭を下げる。元海風のほうが深く腰を折っていることに気づき、下げなおす。

 

「出所してから賽銭泥まではどのくらい?」

 

 会社に戻って男性をまた応接室に通した元海風が訊ねる。

 

「一か月ないくらいです。三週間とか」

「ということは、三週間、窃盗をやめられていたともいえるわけです。じゃあ次は、この三週間の記録をどんどん更新していけばいいんです。最長記録。新記録。きょうからね。一日一日、窃盗も、ほかの犯罪もしない、きれいな日を重ねていく。しんどいと思うけれど、だから仕事をがんばりましょう。目の前の仕事に一生懸命打ち込んで、夢中になっていたら、いつの間にか記録は伸びています」

 

 元海風が雇用主の顔から、母か姉のような顔になり、ソファに座りこんで泣く男性を抱きしめる。

 

「大丈夫。やり直せるわ。わたしがついてる」

 

 男性は何度も謝りながら部屋を去っていく。

 

「あの涙は本物です。死ぬほど悔いている。でも、またいずれ()るかもしれません。どんなに生活習慣を改善してもがんが再発することがあるように。それが更生保護のむずかしいところです」

 

 見送った元海風は自分のその予想が当たらないことをだれよりも願っている。だが砲弾や魚雷と違って最悪の予想はつねに命中率が高い。

 

 二週間後、男性とルームシェアしている同居人から元海風に連絡があった。口座の金が不自然に減っている。男性を問い詰めると、たびたび同居人の通帳と印鑑を持ち出し、勝手に預金を引き出していたと白状した。

 

 元海風はアパートの廊下に男性を呼んでふたりで話した。男性はどこかふてくされている。協力雇用主をはじめてから元海風がよく見る表情だ。何度も罪を暴かれる屈辱を味わうと、人間は開き直ることで自尊心を保とうとする。

 

「いくら盗んだの?」

「盗んだっていうか、借りた」

「そういったの? 借りるって」

「いえ」

「断りもいれずにお金を下ろしたら、それは盗みですよね」

 

 男性は言葉に詰まる。すぐばれる嘘でその場しのぎをしようとする短絡さも犯罪者に共通する特徴だ。

 結局、元海風が男性に同居人へ分割で返済すると約束させたため、同居人は被害届を出さないことに決めた。

 

 しかし、男性はいちども返済しないまま無断欠勤を続けた。十日後に行方をくらませた。電話も着信拒否されている。

 男性とよく連絡をとっていた友人に話を聞いた元海風は、社長室の椅子に深く腰を沈める。背後の壁には協力雇用主の功績を称える感謝状。

 

「年上の女性に恋をしたみたいです。向こうが断ってもあきらめきれない。大金を摑んで振り向かせてみせる、クスリでもなんでも売って金をつくる、そのメッセージが彼の最後の足取りでした」

 

 男性は再犯を匂わせている。死んでいなければいずれ逮捕というかたちで見つかるだろう。だが元海風は、男性に復職の意思さえあるなら刑期を終えたあとにまた雇用するという。

 

「彼のようなケースは珍しくありません。出所者を雇用した全国の会社に対して、全国就労支援事業者機構が実施したアンケート調査によると、出所者の七割近くが一年以内に辞めるか、姿をくらますか、再犯でまた塀の向こうへ行くという結果が出ています。それはわたしの会社でもほぼおなじです。けれど、離職や再犯を裏切りというなら、もとより裏切られるのは覚悟の上です。彼にかぎらず、元犯罪者を信じるというのはそういうことです。裏切られた程度で信じるのをやめてしまったら、それはわたしの負けなんです」

 

 赤の他人を信じるという戦い。元海風は戦後二十二年が経ったいまでも戦っている。



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二   悪夢はふたたび

 待ち合わせていた喫茶店で先に席についていた元長波は、元海風が店に入ってきた瞬間にそれがだれであるかわかって立ち上がりながら手を掲げた。よく一本の長い三つ編みにしていた、海風シリーズ特有の白に近い薄いブルーの髪は、生来の黒に戻ったあとカラーを入れたのだろう、落ち着いたブラウンになっている。しかし穏やかな顔つきと泣きぼくろは変わっていない。

 

 中学校での講演を終えて来店した元海風も、自然に元長波へ視線が吸い寄せられ、それがだれであるかすぐにわかった。ふたりは抱きしめ合い、互いの背を叩き、横たわっていた二十数年の歳月をふたりの体温で融かした。

 

「調子は?」

 

 脳腫瘍のため杖がないと立つこともままならない四十二歳の元長波が訊いた。

 

「最高です」

 

 四十一歳の海風が答える。重度の薬物依存により、四段階の病期のうち三段階目の精神病期まで進行していたため、脳に不可逆的な障害を負い、薬物を絶っているいまでも自律神経症状や意識障害、なにより覚醒剤使用の渇望に悩まされている。

 

 そんな元海風が法務省認定の協力雇用主であることを元長波は知っている。

 

「いまでも他人を救ってるのか。たいしたもんだ」

 

 シートに座り直しながら元長波はいった。元海風が向かいに腰掛けながらかぶりを振る。

 

「救うなんて、そんな大げさなものでは。わたしも彼らに支えられているんです。とにかく、きょう一日、シャブを使わずに生きよう。それを毎朝自分に言い聞かせています。正直いって、これから何十年もシャブなしで生きていくと考えるのはつらいです。だから、きょう一日だけがんばってみよう。それを毎日繰り返しています」

 

 それに元長波は海軍転換艦隊総合施設に入院していたころを思い出す。施設では朝七時と夜七時、半日ごとに点呼があった。もう十二時間だけ、つぎの点呼までがんばってみようとスタッフが繰り返した。退院後も元長波は「きょう一日だけ、生きてみよう。なに? わたしに言ってんのか?」と毎朝、鏡のなかの自分に言い聞かせた。小目標でなければ達成する自信はとてもなかった。

 

 運ばれてきたカフェオレに口をつける元海風は、卓上のガラス製のシュガーポットを極力視界に入れないようにしている。

 

 元長波も同じように砂糖を使わなくてよい飲み物としてクリームソーダを頼んでいる。薬物依存症から立ち直ろうとしている者にとって白い結晶がどれほど目の毒か知っているからだ。そんな元長波に元海風は礼をいう。

 

「わたしにはお砂糖やお塩のように、見てはいけないものがほかにもたくさんあるんです」と元海風。「マリオやカービィ、ピカチュウといった有名なゲームのキャラクター、スーパーマンのSのトレードマーク、レッドブルやアップルやマクドナルド、トヨタなどの日常にありふれたロゴマーク。見た瞬間にわたしは死にかねません。道路標識がいちばんきついですね。見ないわけにはいきませんから」

「麻薬業界は究極の資本主義って聞いたが、聞きしに勝るな」

 

 違法薬物、とりわけMDMAは元海風がいったようなカラフルでポップなデザインの錠剤に成形されていることが多い。いちど薬物をやめても日々の生活で錠剤に用いられていたキャラクターやマークを目にすれば、強烈に結びついたトリップの記憶がよみがえり、再び手を出したくなる設計となっている。

 もう元海風は日常に戻れない。日常にあふれるすべての表象が薬物の味で上書きされている。世界が元海風に薬物を使えと絶えずささやいてくる。

 

 その声から逃れる方法のひとつが、友人とただの会話に興じることだ。

 

「そんな甘いもん飲んじまったら虫歯になるぞ」

 

 と元長波が自分を棚に上げていえば、

 

「艦娘だったころは、虫歯になったらだれかに殴って折ってもらって、修復材で歯を生やせばよかったですからね。それで歯を磨かない子が大勢いて」

 

 と元海風が思い返しながら笑みをこぼす。

 

「それで歯磨きしない習慣が身についたまま退役して、歯がなくなる元艦娘も多いそうですね」

「腰痛と虫歯は艦娘病だからな。おまえは?」

「わたしは総入れ歯です。歯磨きというより覚醒剤の副作用ですけど」

 

 元海風が人工の歯を見せる。

 

 元長波は顎をしゃくる。「シャブには副作用しかない気がするが、なんで歯が?」

 

「唾液が分泌されなくなるんです」

「じゃあ口とかすげえ臭そうだな」

「歩く化学兵器ですよ」

 

 ふたりで飲み物を手に笑う。

 

「あと一か月だなんて信じられないです。ほんとうにお元気そうなのに」

 

 元海風は元長波の病状を前もって聞かされている。

 

「一か月ってのはMST(生存期間中央値)だから、いまこの瞬間にくたばっちゃうかもね」

「まるであのころに戻ったみたいですね」

「むかしのわたしに、おまえは未来であと余命ひと月っていわれて死ぬほどびびってるぞっていったら、腹抱えて笑われるだろうな」

 

 元長波は元海風といちどだけおなじ艦隊に配属されたことがある。本土を空襲した敵大型空母〈シャングリラ〉殲滅を目的としたネビルシュート作戦の一環として、基地航空隊展開の好適地に物資を輸送する任務部隊だった。元長波や元海風ら2水戦は、空母棲姫や空母ヲ級改ほか有力な敵水上艦隊から輸送船団をよく守り、作戦完遂に貢献した。

 

「覚えてるか?」

 

 と元長波がメロンソーダに乗るバニラアイスをスプーンで掬いながらいう。戦時中に間宮で食べたアイスクリームの味にはとても敵わない。

 

「基地航空隊のCAS(近接航空支援)を待ってるあいだ、朝霜が“ところでMS諸島に生息してるアビサルズ(深海棲艦)は何体っていってたっけ?”っていいだしてさ」

 

 当時すでに人工衛星や高高度を飛行する航空機を撃墜する深海棲艦は破壊され、空は取り戻されていた。基地航空隊の目標の捜索やターゲッティングはUAV(無人機)に任せることができた。脳死した艦娘を載せた陸上攻撃機の編隊がMS諸島方面へ向かうのを夜の洋上で仰ぎ見ながら、元長波たちは命令を待った。「ところでMS諸島に生息してるアビサルズは何体っていってたっけ?」。煙草に火をつけながら元朝霜がいった。煙草はウレコット・エッカクスとそれが排出する微小酸素(マイクロオキシジェン)を検知する方法でもあった。長波が答えた。「非武装の補給艦とかも入れたら一二〇〇匹くらいらしいぜ」。そのとき、天の川の淡い帯がながれて海に注いでいる北の水平線がオレンジに染まった。基地航空隊の攻撃だった。すると煙草を咥えたまま海風がいった。「ちょっと減ったわ」。艦隊は爆笑した。

 

「煙草といえば」

 

 元海風が思い出す。

 

「あのとき一緒の艦隊だった玉波(たまなみ)を覚えていますか?」

「もちろんだ。夕雲型ならなおのこと忘れない。年下なのに寡婦みたいな色気があった。あだ名は人妻」

「あの人妻とは2戦教の同期で、ネビルシュート作戦以前にも内地の離島でいっしょに勤務していたことがありました。わすれがたい思い出があります」

 

 給養員も給食業者もいない分遣隊や分屯基地では、食事は艦娘が持ち回りで食当長(しょくとうちょう)(調理係)を担当した。食材は毎月一定の賄い費を艦娘たちから集金して購入する。

 

「ところがあの玉波が食当長だった日、彼女は賄い費をオンラインカジノの負け分に使ってしまった。それで食材が買えない、どうしようかしら、と2戦教の同期のわたしに相談してきました。わたしは面倒だと突っぱねることができませんでした。なぜなら彼女は、前の任地でわたしが先任の、しかも空母艦娘の旦那さんと不倫していたことを知っていたから」

「わお。夜戦はお家芸だな」

「独身だといっていたから寝たのですが、ともあれ玉波には借りがあったので、協力せざるをえませんでした」

 

 しかし当時十四歳だった元海風自身も男娼通いが祟って懐事情が芳しくなかった。くすねていた修復材を横流ししようかと考えたが赴任したばかりで信用できる販路もなく、足がつけば不名誉除隊はまぬかれない。ぼうしん*1から借りればかならず警務隊から何に使ったかを訊かれる金額だった。

 

「野菜は地元の農家のかたから融通してもらうとして、肉はどうしようもありません。八方ふさがりでした。玉波ったら、家畜を殺して肉を奪って、死体の周りにミステリーサークルを描いて宇宙人のしわざに見せかけるしかないって本気でいってました」

 

 夕食の時間が刻一刻と迫ってくる。食事がないとなれば強制的に露見する。玉波とともに悩んだ元海風は「みんなあなたの手料理を楽しみにしているのよ」と漏らした。そのとき、玉波の瞳に「よからぬ光」がよぎったという。「手よ」。玉波はいった。「わたしの腕を切り落として、その肉で料理を出しましょう。修復材で再生すれば人数分の肉は手に入るかも」。切羽詰まっていた。元海風も「そうしましょう」とシンク下の収納から出刃包丁を取り出した。

 

 ふたりしかいない厨房で、元海風が玉波の右手首をまな板に押さえつけた。十代の少女の細い腕。「覚悟はいい? 返事は訊いてない」。元海風が包丁を玉波の肘関節にあてがった。手拭いを噛んだ玉波が頷いた。元海風は包丁を振り上げ、振り下ろした。肘の内側に刃が半ばまで食い込んだ。轡を噛む玉波の喉で悲鳴が炸裂し、涙と脂汗が流れたが、苦悶の表情にすら色香があった。

 

 元海風は峰に手を当てて全体重を乗せた。腕橈関節と腕尺関節は砕けるようにして断ち切られた。あらかじめ上腕をきつく縛っていたため出血は最小限ですんだ。切断した腕を持ち上げようとすると、下側の皮膚がちゃんと切れていなかった。元海風はまな板ごと切るくらいのつもりで包丁を何度も前後させた。

 

「けれど問題が生じました」

 

 元海風が元長波にいう。

 

「問題しかないだろ」

「鍛えてるといっても、しょせんはティーンエイジャーの女の子の腕です。大した目方にはなりません。修復材で再生できるとはいえ、へそくりの修復材の量を、つぎの賄い費の集金日までの食事回数で割ると、彼女の腕では艦娘たちの底なしの胃袋を満たすには足りないことがわかりました」

「片手落ちじゃねえか」

「そこで、彼女の足を切断することにしました。腕に比べれば太ももはたっぷりと肉がついていますから」

 

 さすがに太ももは一刀両断とはいきそうになかったので、まず大腿部の外周をキッチンナイフでぐるりと軽く切った。そこから私物の剣鉈で筋肉と腱をぶつ切りにした。そうしてのこぎりの目が肉を食わないようにしてから骨をごりごりと引いた。切断しては再生させるのを繰り返した。

 

 通常、喪失した血液までは修復材の造血作用では補完できない。そのため大量出血をともなう損壊では修復材の使用に加えて輸血も必要となる。しかしそのときは修復してから即切断しているため出血を最小限に抑えることができたので、輸血用血液バッグや輸血ルートを盗んで講習も受けていない輸血を行なう愚を犯さずにすんだ。せいぜい玉波が血圧低下や頻脈や顔面蒼白を起こすだけだった。

 

 玉波の遺伝子を設計図に修復材の多能性幹細胞で生成された、何本もの太ももが、枝肉のようにキッチンカウンターに並んだ。夕食の肉は確保できた。魚醤と黒蜜に漬けて手っ取り早く柔らかくしたあと骨から外した。

 

 献立は何の肉かわかりづらくなるハンバーグに決めた。フードプロセッサーだけでは間に合わないので一部は玉波が包丁で叩いて挽き肉にした。時間がきた。玉波のもも肉ハンバーグ定食。

 

 元海風も玉波も時間に追われるあまり味見をしていなかった。味や匂いが変だと騒がれないだろうか。動悸を抑えかねた。艦隊が食卓についた。

 

 世界中の子供がそうであるように、食べざかりの艦娘たちは付け合わせの野菜には目もくれず真っ先に湯気の立つハンバーグに箸を入れた。口に入れた瞬間、彼女たちの顔が輝いた。ハンバーグはかつてない好評を得て、食当長の玉波には惜しみない賞賛が送られた。元海風は息を止めながらあまり噛まずに呑み込んだ。いっぽう玉波はいつもの寡婦のような笑みで、自分自身のひき肉をなんのためらいもなく食べ進めていた。

 

 すると先任の駆逐艦山風(やまかぜ)が、ハンバーグのかけらを箸で翳していった。「人間みたいに脂肪が黄色いんだね。なんのお肉?」。元海風は呼吸がとまった。急いでいたためかなり粗びきにしていたのが裏目に出た。

 

 だが玉波はいささかも動ずることなかった。「ここの家畜はこの時期、飼料にトウモロコシを多く給餌されるので、そのカロテノイドで脂肪が黄色くなるそうです」。玉波は主演女優賞の栄冠に輝いた。幸いにも畜産が身近でない山風はむしろ感心して、溶けかかった黄色い脂肪が覗くハンバーグを口に放り込んだ。山風の妹だという重巡古鷹(ふるたか)と戦艦大和(やまと)もにこにこして姉に倣った。

 

 それからひと月のあいだ元海風は玉波の脚を切断するのが日課となった。ハンバーグにするときは念のため挽き目を細かくした。

 

 そんな玉波とともに元海風が〈ネビルシュート作戦〉後に第3遠征総軍第38軍独立混成第34海上旅団司令部付チーム8に編入されて臨んだ任務が、〈トーチ作戦〉だった。

 

 深海棲艦の手に落ちた西ヨーロッパを解放し、欧州全域を人類の手に取り戻す橋頭堡とすることで希望の(トーチ)をともす〈トーチ作戦〉。その総仕上げとして、前年の欧州遠征作戦で打倒された欧州水姫に代わって大西洋一帯を支配下に置く戦艦未完棲姫*2率いる深海カサブランカ要塞在泊艦隊壊滅に、第3遠征総軍は38軍を当てた。

 

 2水戦有資格者からさらに選抜されて編成されたチーム8の任務は、深海棲艦によって要塞都市に改造されたカサブランカに空挺降下しての破壊工作だった。

 目標は、本隊による戦艦未完棲姫覆滅および北アフリカ解放の障害となる飛行場姫や港湾夏姫Ⅱ、砲台小鬼、および船渠棲姫*3

 これらをすべて破壊したのち、独立混成第34海上旅団の本隊(定員六〇〇〇名。そのうち艦娘は約八五〇名)が、特定有害指定生物対策特殊航空集団第3航空群所属の基地航空隊と協同で洋上の敵を殲滅し、主目標である戦艦未完棲姫を完全破壊、カサブランカに上陸して2水戦と合流し同地を解放する手はずとなっていた。

 

 38軍隷下には独混34海旅のほかに四個の海上師団もあるが、第2海上師団は日本からの途上でインド洋の対潜哨戒、第21海上師団はアラビア海制圧でそれぞれ消耗しており、第37海上師団は紅海からスエズ運河を抜けてアレクサンドリアに拠点を構築、固守。第55海上師団はそこから地中海を越えてスペイン南部に飛行場開設の必要資材を輸送し、基地を防衛する任務に割り当てられていて、カサブランカ上陸作戦に直接参加は望めなかった。とはいえ、事前の情報では独混34海旅一個のみで作戦目標は遂行可能と38軍首脳部は情報部より教示を得ていた。

 

「出撃の前日、スペインの基地で出た夕食がハンバーグでした。鶏肉でしたが、ちゃんとしたハンバーグ。旗艦の最上(もがみ)さんがちょうどその日がお誕生日だったので、わたしたちも久しぶりに人間らしい食事にありつけました。けれどわたしも玉波も思い出し笑いをこらえながら食べました。ほかのみんなが訝しんでいたのがよけいにおかしくて」

 

 そのとき同席していた2水戦のひとり、白露型駆逐艦村雨(むらさめ)が左右で色違いの目を輝かせて「なになに? もしかしてこのハンバーグ、人肉だったりするんですか?」と冗談めかしていってきたので、こんどこそ元海風と玉波はのけ反って爆笑した。

 

 その村雨は、降下直前、暗室のセーフライトのような赤い照明に満たされた空軍の輸送機のカーゴルームで「身支度」に余念がなかった。四点式シートベルトで荷物のように座席に固定されたまま、あとでヘルメットと酸素マスクで頭部をすっかり覆ってしまうというのに、亜麻色の長い髪を注意深く二つくくりにし、鳶色(とびいろ)の左目と緋色の右目のまつ毛をビューラーでカールさせ、糊のきいた制服をととのえ、地上の自動車からもぎ取ってきたらしいサイドミラーを手鏡代わりにして、いつまでも自身のディテールにこだわっていた。時間が許せば一週間でもそうしていただろう。

 

 これから街へ買い物にでも出るかのような僚艦に、初春型駆逐艦有明(ありあけ)が、すり切れた新約聖書を音読している夕雲型駆逐艦の高波(たかなみ)越しにため息まじりにいった。「男に会いに行くんじゃあるまいし」。村雨は前髪の毛先にまで気を配りながら「似たようなものよ」と答えた。「戦場で女を張らずにどこで張るの」。ウインクする村雨ばかりが特異なのではなかった。少なくない艦娘が戦地であっても――あるいは戦地だからこそ――女の子であることを忘れまいと、軍規に抵触しない範囲内で可能なかぎり身なりを飾ろうとした。野暮ったい恰好で死にたくなかった。元海風も長く伸ばした青銀の髪を一本の三つ編みにして洋上で靡かせるのが好きだった。

 

 有明はなおもちょっかいをかけた。「じゃあその錨はなんに使うんだよ」。死傷率が他部隊に比し突出している2水戦は個人装備に高い自由度が認められていた。主砲や魚雷発射管など制式採用されたもの以外のアクセサリーには各艦娘の哲学が如実に現れた。ボディアーマーのプレート、チェストリグ、ナイフ、コンパス、腕時計、スカーフなどに、艦娘たちは自分がこれと決めた最高の製品やハンドメイドを充てた。

 

 その村雨は私費で調達した長い錨鎖を背嚢に取り付けていた。先端には大振りのアンカーもあった。「無用の長物もいいとこだろ」という有明に、村雨は鎖をチャリチャリと持ち上げて僚艦に笑いかけた。「あら、意外と使えるのよ」「何に?」「あなたを黙らせるため」。有明は機体が乱気流(タービュランス)に揺れるなか、わざと白目をむいて肩をすくめた。

 

 第3航空集団の前線基地としてスペイン南部のペドロ・バリエンテに突貫で整備された飛行場を発った輸送機二機は高度一万二〇〇〇メートルまで昇り、三〇〇キロ離れたカサブランカ上空に迫った。元海風は煙草を一本、となりの席の玉波に渡した。玉波はベストにしまいこんだ。「それは?」。向かいの有明に訊かれた。「幸運の煙草。ふたりで最初に出撃したとき、もし助からない傷を負ったらこれでも吸って死のうって、たまたま残ってた二本の煙草をわけあったの」。玉波が後を継いだ。「それで生きて帰れたから、幸運の煙草。帰ってから吸うとおいしいのよ、こんなまずい安煙草でも」

 

「“またすべての人が酒かっ食らって喫煙し、そのすべての労苦によって楽しみを得ることは神の賜物である”ってか」。有明が芝居がかって語り口でいうと、クリスチャンの高波が聖書から顔を上げた。「まさか、わたしの思い違いかもですが、コヘレトの言葉第三章十三節のつもりですか? “またすべての人が飲み食いし”です」。それに有明はけらけら笑った。この初春型はわざと聖書の文句を間違えて高波をからかうのが数ある趣味のひとつだった。元海風も共通の趣味を持っていたので「こんど深海棲艦にとどめを刺すときには、エゼキエル書第二十五章十七節を読み上げましょうか」と便乗した。有明も「めっちゃ尾ひれつけたやつな」と白い歯をみせた。高波はかわいらしい顔をむくれさせるばかりだった。

 

「水の上を歩けたら神の子だってんなら、あたしらは揃いも揃って神の隠し子かよ」。笑う有明に高波がますます頬を膨らませた。「湖面を歩いたというくだりは、それ自体は重要ではないんです。水面を歩くという奇跡を起こしてもおかしくないほど素晴らしい人だったという意味で……」。そこで旗艦最上のよく通る声にさえぎられた。「楽しいおしゃべりは終わりだよ。仕事の時間だ。みんな、仲睦まじいお尻と座席の離婚届を出して。さあ二本足の出番だ。給料ぶんは働いてもらうよ」。シートベルトを外した最上が手を叩きながら促した。元海風はいたわることを知らない座席に清々しく別れを切り出した。

 

 主傘を背負い、体の前には艤装や弾薬など装備品を収納した背嚢を提げ、歩くのもひと苦労なチーム8がロードマスターの指示で整列した。レッドライト。機体の左右にある空挺扉がひらいた。光害がないために無数の星が所狭しと輝く夜空と、闇に沈む北アフリカの大地との狭間がかすかに円みを帯びていた。グリーンライト。分乗していたチーム8がパスファインダー部隊の誘導もなく次々に闇へと飛び出した。そのなかには、工作艦明石(あかし)の姿もあった。

 

 本来、明石シリーズは干渉波出力が著しく低い代わりに、艦娘用武器装備の改修や複数の艤装の艤付長(ぎつきちょう)として整備および修理を担当する。弱いとはいえ干渉波を使えるので艦娘の装備品を自らテストできる点は大きい。よってもっぱら後方支援担当だった。それが敵地に突撃するために極めて高い2水戦の損耗率を軽減させる弥縫策として、このとき試験的に空挺部隊に編入されていた。

 

「わたしもみなさんとご一緒できてうれしいです。ずっと後方に閉じこもってばかりで歯がゆかった。さすがに砲撃戦や魚雷戦はできませんが、きっとみなさんのお役に立ってみせます!」。作戦前日、初の実戦参加で意気込む明石を元海風たち2水戦三十六人は戦友として迎えた。つまり、尻が腫れるまで元海風や玉波や村雨その他が代わるがわる平手で叩き、有明にいたっては、明石の行灯袴(あんどんばかま)ふうスカートのポケットや、下着のなかや、襟首へ、ありったけのゼリービーンズを流し込んだのである。それは彼女たちが新入りの2水戦隊員に対しておこなう洗礼とまったくおなじものだった。

 

 その場で最も階級と年齢が高かった明石は「ギャー」と悲鳴こそあげたが、肩章にものをいわせるでもなく、七〇〇ミリのモンキーレンチ片手に悪がきどもの尻を笑いながら追いかけることで2水戦の文化にすばやい順応をみせた。そうして元海風らはダブルヘッズのないその明石を仲間と認めたのだった。

 

 闇に満ちた空で、互いを見失わないよう足首に装着した発炎筒の火を頼りに元海風ら三十七人は複数の班にわかれて円陣を組み、一万メートルの大気を貫いた。大西洋の渚に面したハッサン二世モスクに寄り添う、高さ二〇〇メートル余の尖塔(ミナレット)が目印だった。真っ暗な地上にいくつものストロボがまたたいた。敵の対空砲が唸りをきかせて元海風の身体をかすめていった。手を伸ばせば地面に触れられそうな低高度に達したところで開傘し、艤装の入った背嚢を空中で切り離して投下してからDZ(デーゼー)(Drop Zone。降着地点)のモスク*4広場に降り立ち、モロッコ最大級ともいわれる礼拝堂へ集結した。一名が対空砲の破片をうけ、四名が着地の衝撃で骨折や内臓破裂など重傷を負い、また艤装も大きく破損していた。だがそこには明石がいた。

 

 明石はいわば艦隊に帯同する自走式ドックといえた。軍医でもあるこの工作艦は輸血、血中ナノマシンの充填など修復材だけでは補えない生体部分の修復はもとより、こと艤装の修理においては、本隊から離れた遊撃を主任務とするために応急修理を学んでいる2水戦でさえ足元にも及ばない手腕を発揮した。なにしろ彼女は明石なのだ。

 元海風たちは拠点として設定したハッサン二世モスクの礼拝堂へ集結した。重傷者らを明石が艤装の冷蔵庫で保存しておいた修復材で治療しているあいだに、必要なら彼女らへ輸血をほどこし、艤装を手品のような手さばきで修理して、艦隊の損失をゼロに抑えた。

 

 予定通り拠点に設定したハッサン二世モスクの礼拝堂は広大だった。天井まで六十メートルあり、サッカーコート二面ぶんもの巨大な空間を内包しているが、いまやひとりの教徒もない。そこには荒廃だけがあった。白骨化した大樹のような巨柱のあいだに、二階建ての家一軒ほどもあるヴェネツィアングラスのシャンデリアが落ちて無残に破片を散乱させたまま放置されているありさまだった。礼拝堂に人間が足音を響かせたのはおそらく数年ぶりと思われた。

 

 信仰する者もいない伽藍で、元海風らは背嚢から取り出した艤装を互いに装着させ合った。腰に人工肛門(ストーマ)のように設置された給油口へ艤装側から注油ホースを接続して寄生体に重油を供給し、COMTACのヘッドセットをかぶって指でスナップし、ボディアーマーの上に着た弾帯に予備弾倉と爆雷を収納し、圧縮包帯や止血帯を詰め込んだIFAK(個人用応急処置キット)のポーチをベルトに取り付け、体の各所に這わせたチューブに冷水を通して放熱性を高める冷却システムをオンにして、水分補給のためのハイドレーションキャリアを右太ももにマジックテープで貼り付け、主砲に弾倉を装填してチャージングハンドルを引いた。

 

 すでに敵は異常を察知していた。飛行場では敵機の第一陣がタキシングに入り、沿岸砲台のレーダーが侵入者を探した。そうでなくとも深海棲艦には赤外線視力がある。広場に残った足跡の体温も遠からず見つかるだろう。

 

 深海棲艦の要塞都市と化したカサブランカで、2水戦は夜陰に乗じて迅速かつ極めて精確な作戦行動を展開した。

 飛行場姫Ⅸや港湾夏姫Ⅱから飛び立った小型の深海棲艦*5による都市区画ごと蹂躙するような空爆で、艦娘たちの手足が飛んだ。海軍ならマークスマンになれる腕前の砲台小鬼の砲撃で防弾衣をぶちのめされて内臓が破裂した。船渠棲姫や戦艦未完棲姫も動けぬ身ながら背水の陣で応戦した。

 

 艦娘たちは負傷するたび明石のいるモスクで治療を受け、失った手足さえも再生させて再出撃した。敵からすれば元海風らは不死者の軍団にみえただろう。

 

 その明石のもとに有明が僚艦の手で担ぎ込まれた。クラスⅣのプレートがずたずただった。破れた腹から傷だらけの大腸が生きているようにはみ出てきて、さらに腸管の破孔は内容物を漏洩させていた。

 

 直後に村雨が搬送されてきた。右腕と両足を失い、止血処置こそ施されているものの失血で顔色が白蠟より白くなっていた。

 

 どちらも一刻を争う状態で、艤装にも損傷があった。有明が「あたしは後だ。村雨を頼む」と明石の腕を血まみれの手で握った。ゆうべ明石のスカートへゼリービーンズを流し込んだ手だった。有明は改二ではなかった。村雨は改二だった。有明なりに優先順位を考えた結論だった。

 

 すると明石は、ものわかりの悪い後輩が何度もおなじことを訊いてきたときのような顔でいった。「わたしをだれだと思ってるんですか?」

 

 艤装の冷蔵庫から、作戦前の交差試験で適合を確認してある赤血球製剤の血液バッグを取り出し、手早く輸血の態勢を整えた。クレーン様の艤装にバッグをそれぞれ吊り下げて有明と村雨に輸血し、ナノマシン入りの生理食塩水を混注し、修復材で治療し、経過観察しながら武器を素早く直した。明石の護衛のため礼拝堂の門で警戒していた元海風は、作業に没頭する彼女の腕がまるで四本あるように見えたことを覚えている。そうして有明と村雨はたちまち同時に元通りの姿に戻り、口々に明石に駆逐艦娘らしい礼を述べながら敵のもとへ復帰していった。入れ替わりにまた負傷者が運ばれてきた。

 

 空が白むころには2水戦はひとりも欠けることなく目標を完遂し、地上の脅威は排除された。あとは沿岸に停泊している戦艦未完棲姫を本隊が艦隊決戦で撃沈するだけだ。元海風たちはハッサン二世モスク内の礼拝堂内で待機した。

 

 作戦司令部を兼ねる母艦からの入電を通信士の高波が旗艦の最上へ伝えた。カサブランカ郊外で警戒していた駆逐ナ級や軽巡ト級などからなる数百隻規模の大艦隊が、ハッサン二世モスクに向け、時速七キロほどで接近しているとのことだった。とても対抗できる戦力差ではなかった。それでも元海風らは楽観していた。イスラーム建築特有の壁や扉を埋め尽くすモザイク画のアラベスク模様とともに礼拝堂で待っていれば、敵がこのモスクにたどり着くまえに上陸部隊が制海権を確保し、合流して内陸へと押し返せるはずだった。

 

 しかし、その本隊は思わぬ蹉跌(さてつ)に陥っていた。試作空母姫、高速軽空母水鬼、複数の空母棲姫改や空母ヲ級改Mk.2といった敵洋上航空戦力の前には、赤城と加賀、蒼龍、飛龍、イントレピッド、サラトガ、ホーネット、ヴィクトリアスなど空母艦娘と、大和、伊勢、日向ら航空戦艦娘らをもってしても、航空優勢獲得はいかんともしがたいものがあった。

 

 というのは、事前の情報と敵の航空戦力にいちじるしい食い違いが見られたからだった。これについては深海棲艦は人類の偵察衛星の軌道計算に一部成功していたとの仮説が提唱されている。

 

 深海棲艦はそれまでの膨大な戦闘で戦域に戦力を集結させる時間を意図的にずらしており、そのつど実際に人類側が投入してきた対抗戦力の規模を確かめていた。そうして「答え合わせ」をし、偵察衛星が当該空域の低軌道へ下りてくる周期を推測。それをもとに〈トーチ作戦〉最終段階開始直前、偵察衛星の最後の偵察結果が出てから次に衛星が上空に現れるまでの間隙をつく形で、地中海に潜伏させていた大規模空母機動部隊をUAVにも見つからないよう隠匿しつつ神速でカサブランカ沖に移動させ、海軍の作戦計画を大きく狂わせたのだった。

 まだ常時監視体制が整うほど偵察衛星が打ち上げられていなかった時期であったとはいえ、深海棲艦が情報戦で人類を出し抜いた特筆すべき事例とされている。

 

 なんにせよ空に不安があるなかでは、大和や武蔵、アイオワ、ワシントン、サウスダコタ、リシュリューにウォースパイトといった味方戦艦の援護射撃と、防空巡洋艦アトランタ、駆逐艦フレッチャーおよび秋月、照月、初月の「傘」とさえ形容された強力な対空射撃があるとはいえ、敵艦隊の熾烈な反撃をかいくぐっての上陸作戦は困難を極めた。空爆だけでなく、カサブランカ沖を埋め尽くす戦艦水鬼や戦艦仏棲姫、重巡ネ級改Mk.2、戦艦レ級、大型駆逐艦ナ級の群れとも干戈を交えねばならない。

 

 後年の証言によると、上陸作戦時にカサブランカ沖の海面は白く煮えたぎっていたという。弾着の水飛沫ではなかった。空中で炸裂した敵味方の対空砲弾の破片が沛然(はいぜん)たる豪雨となって海を叩いていた。無数の鋭利な破片が天空からふりそそいで、海上師団の艦娘たちを海ごと()ち、ときに体や頭や艤装に食い込んだ。

 第3航空群の近接航空支援はなかった。作戦開始直後に陸攻の航路設定ミスが判明し、配置転換に時間をとられていた。

 

 予期せぬ猛烈な迎撃に呻吟し、あてにしていた支援も得られないため、上陸してチーム8と接続するはずだった本隊は大損害をこうむって撤退を余儀なくされた。

 

「つまり、戦術目標は達成できたけれど、敵旗艦を撃滅する戦略目標は未遂に終わったということです。完全破壊した飛行場姫や砲台小鬼も、こちらが再出撃するまでのあいだに敵は問題なく再整備できるでしょう。よくある話ですが、わたしたちは無駄な戦いをしていたのです。おまけに敵地に置き去りでした」と元海風。

 

 無線機の向こうも混乱しており、当時の元海風らに全貌を知る術はなかった。わかっていたのは、沖合にいた敵大規模前衛艦隊と艦載機群が反転して、カサブランカ市を目指しはじめたことだった。

 

 孤立したチーム8は挟撃という最悪の事態に追い詰められた。陸海空から包囲されつつあるモスクは容赦ない砲爆撃でいまにも崩壊の危機が迫っている。もし礼拝堂へ侵入されれば袋のねずみだった。迷っているひまはなかった。

 

 最上が決断を下した。背後の海はすでにダースどころかグロス単位の敵駆逐級で覆われている。むしろ敵の進撃速度が極端に低下する陸路のほうが逃げ切れる可能性は高い。しかも深海棲艦は水源のない陸上での無補給連続行動時間が二十四時間前後だから、内陸へ向けて丸一日撤退できれば成算はある。

 

「逃げるなら前だ。敵陣を中央突破する。衝突上等! 複縦陣。針路を1-5-0にとって最大戦速で戦域を離脱。アトラス山脈めざして突っ走る!」。母艦と協議した旗艦の最上が、このうえなく単純な命令を飛ばしてから不敵に笑って全員を見渡した。「お嬢さんたち、ケツまくって逃げるのは得意だろ?」。これに駆逐艦娘らが雄叫びで応えた。

 

 先陣を切る元海風と玉波が礼拝堂の門から外へ発煙弾を投げた。

 広場に濃い煙が拡散した頃合いを見計らい、艦娘三十七名がモスクから早朝の広場へ飛び出した。煙の壁に沿って走った。

 

 頭上を敵弾が不気味な唸りを残してかすめた。かと思えば走っているすぐ横に砲弾が落ちて破片(シュラプネル)に殴られた。機銃の火線が元海風と玉波のあいだを縫った。元海風らも移動しながら応射した。

 

 轟音が響いて、元海風は主砲を手に走りながら振り返った。

 二〇〇メートルもの高さで天に挑むようにそびえ立っていた尖塔(ミナレット)に、戦艦クラスの砲弾が命中。半ばから折れるように倒壊するところだった。白を基調とした巨塔が青空を背景に元海風たちへ恐ろしく緩慢に倒れこんでくる。ゼリージュ技法で施された塔の精緻極まる透かし彫りのようなターコイズグリーンの細部が次第に明瞭になる。地響き。風圧。

 

 間一髪のところで下敷きにならずにすんだ。だが礼拝堂のすべての出入口が大量の瓦礫に塞がれた。最上の判断があと数秒遅ければ、元海風らは永遠にモスクで祈りを捧げることになっていた。

 

 粉塵を味方にした艦隊はムレ・ユッスフ通り沿いに南下した。かつては港湾都市として栄えた商業ハブであるカサブランカでもさらに指折りのショッピング街として名を馳せた方格(ほうかく)設計の旧市街(メディナ)は、いまや多くの建造物が瓦礫の山に変えられ、深海棲艦の排泄したアスファルトで醜く埋まり、人の姿も絶えて久しい異界の街となっていた。

 

 RWR*6で示される光点が一気に増えた。敵がレーダーで捜索しはじめた。砂塵も煙幕もレーダーには効果がうすい。

 艦娘用RWRの丸い画面は二重の円で構成される。中心が自身を意味し、画面の上方向が十二時方向となる。受信したレーダー波の発信源は光点で表され、方位は特定できるが、中心から光点の位置は彼我の距離を意味しない。外側の円にいる光点は受信が断続的なので危険度が低いことを示す。

 レーダー波を連続的に照射してきている光点は内側に表示される。それはつまり敵に発見され、射撃管制レーダーにロックオンされたことを意味した。だがおびただしい光点はいずれも外側にあった。まだ望みはあった。

 

 とはいえ敵レーダーの探知から少しでも逃れなければならなかった。このまま南進したさきにある、砂糖菓子の宮殿のようなアールデコの聖心大聖堂があるアラブ・リーグ・パークは、ひらけた広大な市立公園なので遮るものが少ない。チーム8は公園の直前でムレ・ユッスフ通りを右に折れ、白い家(カサブランカ)の名のとおり真っ白な外壁の政府機関や商業ビルの残骸が並ぶムサ・ベンヌ・ヌッセール通り沿いに南西へひた走った。直線の細い街路は左右に逃げ場がないため敵爆撃機からすれば好餌にしかならない。それよりも敵レーダーからの遮蔽を優先した。

 

 村雨が敵機にアプローチさせないため、艦隊後上方の空へ間断なく主砲で制圧射撃した。コンタクトレンズの拡張現実で僚艦の背中にその艦娘の残弾数が表示される形で視覚化されている有明が、頃合いをみて村雨の肩を後ろから二回叩いた。村雨が弾倉の交換に入った。そのあいだ有明が空へ弾をばらまいた。リロードの終わって槓桿(こうかん)を引いた村雨が、有明の背後から肩に手を乗せて引っ張るようにして艦隊の進行方向へ後退した。有明が弾倉を撃ち尽くすタイミングで村雨が肩を叩いた。三十六人が一連の動きを繰り返して明石を守りながら戦略的撤退をつづけた。最上は三式弾で効果的に敵機のIP(爆撃発起点)進入を阻止した。

 

 そうしてルー・タハ・ハセイン通りを横切りつつ直進をつづけ、片側四車線ある幹線道路のモアメ・アークトゥニ通りに出る交差点に差しかかったときだった。

 

 発煙弾を投げてビルの峡谷から飛び出て、このモロッコ独立運動の指導者にちなんで名づけられた大通りを横切り、真正面にある傾いた高層アパートと無残に崩落している商業施設に挟まれたアジズ・ベラル通りに先頭の元海風と玉波が突入した。

 

 続いてその後ろを走っていた村雨が、砂塵の充満した交差点北側、つまり艦隊の三時方向から突如姿を現した軽巡ト級と、至近距離で出くわした。いくつもの頭部を持つ小型バスほどの大きさの深海軽巡が反応するより、村雨の発砲のほうが一瞬早かった。遅れて有明と元海風、玉波たちも撃った。ト級はすべての口から銀色に濁った血を吐きながら地響きをともなって倒れた。

 

「やられたわ」。村雨がつぶやいた。砂煙が風で晴れた。元海風にもはっきり見えた。ト級の死体と村雨の腹は一本の黒い管で繋がれていた。ト級がとっさに尾の先端にある悪名高き産卵管を打ち込んでいたのだった。

 

 村雨の腹の内側でなにかが激しく暴れた。数秒で臨月よりも膨れた自身の腹をこの気鋭の改二艦娘は躊躇なく主砲で撃った。胎内に植え付けられて急成長した、人間の女児に昆虫のような頭部を組み合わせたようなおぞましい姿の深海棲艦が三艇、それぞれ村雨の子宮や大腸や肝臓を口に咥えて、腹部から飛び出した。うち子宮を噛んでいた一艇は、即断即決の砲撃で左側頭が砕けて死んでいた。

 

 村雨から生まれたのはシュネルボート小鬼だった。シュネルボート小鬼はPT小鬼の地域変異と考えられている。PT小鬼の外骨格が黒色を呈するのに対し、こちらは灰褐色で体格もやや大型であることで見分けられる。

 

 腹ががらんどうになった改二駆逐艦は、内臓ごと腹筋を失ったために膝から崩れながら、残る二艇のうち片方の首根っこを右手で摑んだ。母体の血をまとった小鬼が掌中でじたばたともがいたが、村雨が死力を振り絞ってその首をへし折った。

 

 三艇めは早くも生成した生体魚雷二本を脇にかかえ、廃墟の市街地を右に左に逃げながら投擲の機会を窺った。深海棲艦は海洋生物や人間の死体を原料として火薬を合成することが知られている。炭素基動物の血中や肝臓から得たβ-グルコース分子をグリコシド結合により重合化したセルロースにニトロ基をつければ、トリニトロセルロース爆薬を合成できる。

 

 また脂肪をグリセリンと脂肪酸に加水分解し、グリセリンを硝酸エステル化するとニトログリセリンになる。

 

 むろん真核生物である深海棲艦は窒素固定作用をもたないため、ニトロ基が三つある物質を作り出せない。しかし体内で共生関係にある原核生物や古細菌の一部は窒素固定を可能とする。深海棲艦はそれらを利用して脂肪を加水分解したエネルギーを使って窒素固定を行い、セルロースとグリセリンをエステル化させ爆薬を生産している。輸送ワ級が運んでいる物資の七割は火薬の原料となる人間や動物の死体だといわれている。

 

 シュネルボート小鬼はト級から受け継いだ共生微生物に、村雨の肝臓から奪い取ったグルコースからトリニトロセルロースを、おなじく村雨の脂肪からニトログリセリンをそれぞれ合成させて、魚雷の弾頭に詰め込んで艦娘たちに熨斗(のし)をつけて返そうとしていたのだった。

 

 その小鬼は多分に漏れず投影面積が小さいうえに動きが素早いので、元海風たちが一斉射撃を行なってもまったく命中弾を得られなかった。小鬼は交差点の北側にあるかつて金融コンサルタント会社だったらしい近代的なデザインのビルの陰に身を隠した。その付近へ元海風と玉波と、クリスチャンの高波が絶え間なく射撃を加えて顔を出せないようにした。ほかの艦娘は対空射撃を担当した。

 

 援護を受けながら村雨のもとへ駆けつけた有明が、白露型の襟首を摑んで明石の待機するムサ・ベンヌ・ヌッセール通りへ引きずって戻った。小鬼がわずかに顔を覗かせては隠れた。

 

 埒が明かないので、瀕死の村雨をいったん街角の建物の陰に安置した有明が、ヘッドセットの無線で最上に声をかけて振り向かせた。にぎった爆雷を示した。建物にへばりつくようにして弾倉を交換した最上が頷いた。小鬼の位置を固定するために最上は制圧射撃の維持を部下たちに指示した。有明は安全ピンを抜いた。三秒数えた。後ろへ大きくのけ反るほど左腕を振り上げた。つまり(・・・)爆雷を握り締めた左手が(・・・・・・・・・・・)陰から(・・・)通りにさらけ出されていた(・・・・・・・・・・・・)。「フラグ・アウト!」。有明のコールが終わらないうちに、元海風たちのヘッドセットはけたたましいRWR警報をかき鳴らした。見ればRWR画面の内側、二時方向に光点がひとつあった。

 

 有明の左腕が爆雷を握ったまま宙を舞った。凄まじい砲声があとから追いかけてきた。腕は足下に落ちた。当然、腹を食い破られて失血死寸前の村雨もそのすぐそばに倒れていた。

 

 分離した掌中で爆雷はなおも点火へのカウントダウンを刻んでいた。有明はすかさず村雨のむなぐらを隻腕でつかんで大通りへと放り投げた。それから爆雷を握る自分の腕に飛びかかって覆い被さった。直後、十五歳の有明の華奢な体が、轟音とともに四方八方へ飛び散った。有明は防弾衣に守られた胴体と艤装だけになった。

 

 元海風は小鬼への牽制射撃にかかりきりだったので見ていないが、いままで元海風がひた走ってきた街路の二百メートル後方、ルー・タハ・ハセイン通りとの交差点北側のショッピングモールの角から、頭に三連装砲を載せた目のない大蛇が覗いていた。

 

 それは重巡ネ級改Mk.2の尾だった。ネ級はいわゆるヒト型深海棲艦に分類される一種で、身体の基本的レイアウトは人間に近い。しかし腰から生えた、それぞれ三連装砲を備えた二本の尾と、二階に頭部がとどく三メートル超の身長が異形を象っている。

 

「ネ改2だって聞こえたとき、冗談でしょって思いました。市街戦では遠慮したい相手です。陸地での機動力は非ヒューマノイドタイプに比べて圧倒的に優れていて、しかも干渉結界は異常なまでに強力でしょう。おまけにレーダーで全周を常時警戒していて、自動的に結界を展開できるから不意打ちの狙撃も完璧に防げる。とどめに主砲の威力はちょっとした戦艦クラス。その三連装砲がしっぽの先端にあるから、隠れながら有明ちゃんの腕を撃ったようなコーナーショットもできる。そのネ級はきっと生きているかぎりわたしたちの撤退を見逃してくれないし、かといって時間がかかればほかの敵、たとえば地を埋め尽くすナ級の群れに追いつかれます」

 

 消耗も重なり、空爆と間接射撃の戦艦砲がふりそそぐなかでは、三十人あまりの2水戦ですらシュネルボート小鬼とネ級はたやすい敵ではなかった。小鬼に隙を与えれば修復材での治療も叶わない威力の魚雷が飛んでくる。元海風らは小鬼を釘付けにするために、かえって釘付けになっていた。

 

 だが、末期の力を振り絞った村雨が、私物の錨鎖をカウボーイの投げ縄のように頭上で振り回して投げた。鎖は芸術的にカーブし、隠れている小鬼の横っ面に先端の錨を食い込ませた。小さな悪鬼の細い腕から魚雷がこぼれ落ちた。爆発が小鬼と隠れていた金融コンサルタント会社の一階部分を吹き飛ばした。

 

 最上が村雨を民家の陰に待機していた明石のもとへ運んだ。そばでネ級との戦いが繰り広げられているなか治療が始まった。明石に腹腔へ流し込まれた修復材が、村雨の体組織をリプログラミングして人工多能性幹細胞に変えた。無限に増殖する自己複製能と、生物のあらゆる部位の成熟細胞に成長できる多分化能をあわせもつその細胞は、同じく修復材に含まれている有機物と無機物を材料に、欠損した臓器を高速で再生させた。

 

 失血も深刻だったので、明石は作戦前の交差試験で適合を確認してある赤血球製剤の血液バッグを冷蔵庫から取り出した。意識レベル確認も兼ねて口頭で本人確認と血液型を照合しながらバッグを振って混和した。輸血ルートの針からプロテクターを外し、自らの艤装をテーブル代わりに水平に置いた血液バッグの輸血口に差し込んだ。そのバッグをクレーン(よう)艤装のフックに吊り下げた。クレンメを緩めてチューブと針の先端にまで血液を導いて、ふたたびクレンメを閉めた。16Gの太い針で村雨の腕の静脈に穿刺したのち、クレンメを開放して輸血を始めた。流れるような手さばきだった。半死半生の村雨の頬に血色が戻っていった。通りからは依然として砲声の応酬が続いていた。

 

 進化を重ねたネ級の干渉結界は、駆逐艦娘どころか、国産重巡としては最強に近い最上の干渉波を付与した徹甲弾ですら運動エネルギーの大部分を奪ってしまい、本体にはかすり傷しか与えられなかった。かまわず最上が引き金を引いた。かちん。徹甲弾の弾倉が尽きた。残るは貫通力のない三式弾が込められた弾倉だけだった。

 

 ネ級はフォトン・リアクティブ・シールドの強度にものをいわせて歩を進めた。特徴的な隻眼が元海風たちを睥睨した。2水戦の必死の攻撃をものともせず、わずかでも隙ができると二本の尾を掲げ、六つの砲口を閃めかせた。そのたびに精鋭の艦娘たちは手足をなくした十代の重傷者に変えられた。

 

 つぶさに観察すれば、そのネ級は異様な風体をしていた。通常、ネ級は脚を甲殻類のような重装甲で覆っている。しかしこのとき元海風らを追ってきたネ級は、病的に白い素足をさらけ出し、かかとの高いサンダルのようなものを履いていた。さらには右手にはひびわれたフロートグラスがあった。下半身に巻かれた黒い布はパレオのようにみえた。

 身にまとったアイテムだけなら、さながらビーチの海水浴客のようだった。元海風はそのさまをみて「吐き気をもよおした」という。

 

 空母棲姫や戦艦棲姫、重巡棲姫など、一部のヒト型深海棲艦は高い学習能力から人間の行動様式を部分的に模倣する習性がみられる。それらの深海棲艦は夏季になると装甲の一部を外し、あるいは傘のようなものを差し、あるいは帽子のようなものをかぶった。夏に肌の露出が多い装いをしてパラソルや帽子を携えて海辺にくる人間をみて学習したものと考えられている。対深海棲艦戦争中も海水浴は世界共通の娯楽でありつづけていた。ときに安全が確保されておらず立ち入り禁止区域に指定されている海岸でも人々は水遊びに興じた。

 

 そのネ級もまた、水着のような恰好をし、どこかの廃墟から手に入れたのであろうグラスまで「装備」して、海にバカンスに訪れた人間の真似事をしていたのだった。

 

 元海風は当時を思い返す。「まるでAIロボットが性行為のまねをしているのを見るような、いちじるしい生理的嫌悪感を覚えました」

 

 水着姿を模するために装甲を外しているとはいえ、やはり結界が強力にすぎて駆逐艦娘や巡洋艦娘の砲撃では歯が立たなかった。

 

「それも当然です。たしかネ改2は、戦艦でさえ、長距離の支援砲撃で轟沈できた例はなかったはずだからです。その強固な結界を突破するには、基地航空隊が肉薄するか、改二艦がそれこそ特攻でもして熱々のお届け物をするかしなくてはいけない。まあ、三連装砲の載ったしっぽ二本の砲撃をかいくぐることができればのお話ですけれど」

 

 そのためネ級改Mk.2は姫級と同様に、体温を隠蔽したうえで夜闇にまぎれて近接し、付与した干渉波が可能なかぎり最大値に近い状態で砲弾と魚雷をたたきこんでようやく有効打を与えられるかどうかという難敵だった。

 

 治療を受けていた村雨が意識を取り戻した。起き上がるなり、凄まじい形相で「殺してやる」といった。

 村雨が重傷者たちと入れ違いに対ネ級の戦列に加わった。稼働可能な改二艦は村雨と最上だけだった。「村雨、やれるか?」。陰から撃つ最上が上を指さしながらいった。村雨は自身の魚雷発射管をたしかめて、返した。「やるなっていわれても」

 

「いけ!」。村雨は解き放たれた猟犬だった。大通りの交差点にある傾いた高層アパートのエントランスへ飛び込んだ。最上は元海風や玉波ら八名にネ級への射撃を命じ、それ以外の艦娘に対空射撃の継続を下令した。

 

 深海棲艦は鉄壁の結界を展開しているあいだは自身も攻撃ができない。それを利用して間断なく射撃を加えながら元海風らは後退をつづけた。

 碁盤の目状の区画を回り込んでネ級の背後をとった別の艦娘たちの射撃も、自動的に結界で防がれた。むしろネ級は自分がシールドを張ったことで後ろの敵に気づいた。

 

 ネ級の二本の尾が前後それぞれに指向した。戦艦砲に準ずる威力の発砲だった。ビルの白い壁や塀を薄紙のように貫通した砲弾は艦娘たちを吹き飛ばした。

 

 そのうち一発が、元海風の前方の建物の物陰から射撃していた高波の腹に直撃した。十四歳の小さな体が後ろへ吹き飛んだ。しかも通りのど真ん中に倒れた。ネ級が狙いをさだめた。

 

「援護を!」。元海風が飛び出した。玉波を筆頭に仲間の艦娘がネ級を弾幕で牽制した。結界を張っているかぎりネ級自身も結界に阻まれて砲撃できない。元海風は通りを駆け抜け、仰向けになって動かない高波のもとへ駆けつけた。襟首を掴んだ。ひきずりながら容体を確認した。防弾プレートはネ級の徹甲弾の前には温められたバター同然だった。明石のもとまで装備込みで総重量三〇〇キロ近い高波を牽引しなければならない。高波は指一本動かなかった。

 

 砲声の入り乱れるなか、元海風は高波を引っ張りながら語りかけた。「ねえほら、重いんだから起きてよ、そうだ、あなたの愛読書にわたしの好きな一節があるの――“されば心正しき者の行く道は、心悪しき者の利己と暴虐によって行く手を阻まれるものなり。愛と善意の名によりて、暗黒の谷より弱き者を導きたる、かの者に神の祝福あれ。なぜなら彼は兄弟を守る者、迷い子たちを救う者なり。主なる神はこういわれる、わが兄弟を滅ぼそうとする悪しき者たちに、わたしは怒りに満ちた懲罰をもって大いなる復讐を彼らになす。わたしが彼らにあだを返すそのとき、彼らはわたしが主であることを知るだろう”……」。途中で高波が血の混じった咳をした。「長すぎかも、です」。そのとき、三発の砲弾が元海風と高波を襲った。

 

 制圧射撃は続けられていた。それでもネ級が結界の向こうから攻撃してきた。ネ級は艦娘たちの砲撃に対し、シールドを正確に「点」で展開することで、射撃を防ぎながら反撃を可能とした。それでも深海重巡の命中精度に多少なりとも影響を与えることはできた。

 

 しかし不運は幸運より出しゃばりだった。たまたま一発が元海風の胸に直撃した。胸郭が粉々に砕けたうえに一瞬とはいえ心停止した。後ろへ倒れてヘルメットに防護された後頭部を路面に激しく打ちつけた。数秒で意識を取り戻したが、プライマリの主砲が手から離れていた。敵味方の砲弾が飛び交うなか、元海風は起き抜けのようにふらつきながら姿勢を低くして高波の無事を確かめようとした。高波が見当たらなかった。高波の体も艤装も目の前にあるのに、それが愛すべき敬虔なクリスチャンの夕雲型だとすぐに気づけなかったのは、高波の顔が下顎しか残っていなかったからだ。

 

 救出を断念した元海風は仰向けのまま後ろへ這いつつセカンダリの機銃をネ級へ撃った。反撃の徹甲弾ですぐそばの路面が爆ぜた。元海風は砂が目に入りながらも引き金をひいた。とっくに弾切れになっているのに引き金をひきつづけ、空撃ちのむなしい音を響かせた。一方でネ級の砲弾が元海風の右脚を膝から切断した。運よくバイタルパートを外れただけだ。次こそは急所に当たる。そう思えば、無意味とわかっていても、頭を庇って赤子のように丸くなるしかなかった。

 

 つぎの瞬間、元海風は襟首を掴まれ明石のいる陰へ引きずられた。玉波だった。全損した胸郭と破断した脚を修復材で治療されながら、元海風は機銃に新しい弾倉を込めようとした。しかしアドレナリンの反動で手が震えてなかなか弾倉挿入口に装填できなかった。

 

 ネ級へ射撃できる艦娘が一時的に最上だけとなった。いかに体内の寄生体が極限まで増殖した改二の重巡といえど、ひとりでネ級の侵攻を押しとどめることは不可能だった。かといって対空射撃組から人員を割けば敵の空爆を許してしまう。何発かネ級に射撃したあと最上はきびすを返した。主砲をハイレディにして脱兎のごとく駆けだした。

 

 大通りを渡り切ったあたりで砲声が弾けた。三発が最上の背中の艤装を粉砕して防弾プレートに音を上げさせた。最上は何度も路上を回転して倒れた。からくも立ち上がって走り出したが、傾いた高層アパートの前でふたたび倒れた。

 

 最上が振り返るのと、ネ級の足が降り注ぐのは同時だった。鉄のサンダルが体重を乗せて最上の腹に食い込んだ。内臓が次々と潰れ、肋骨と骨盤が軋んで砕けた。

 

 ネ級は、この唯一自分の結界に対抗できそうな重巡艦娘を標本の昆虫のように地面へ固定し、最優先で排除しようとしていた。最上の顔面に左手で指をつきつけた。二本の尾が足元の艦娘へ向けられた。三連装砲二基が最上の顔に狙いをつけた。

 

 身動きできない最上は内臓出血を吐きながらネ級を見上げた。そのさらに後方、青空を遮る倒れかけたアパートを仰ぎながら、笑った。「これが立体攻撃さ、三隈」

 

 斜塔と化した高層アパートの四階から、村雨が身を投げた。白露型三番艦は魚雷を手に、直下のネ級めがけ、念入りに手入れした亜麻色の髪を翼のようになびかせて降り注いだ。

 

 空中で魚雷を振り下ろした。だがネ級の後頭部に弾頭が触れる直前で結界が展開された。レーダーと連動している自動防御システムだった。ネ級はそこでようやく空から思わぬ伏兵が降ってきたことに気づいた。振り仰ぎ、村雨を脅威と認識して結界を一極集中させた。

 

 互いの干渉波が食い合った。村雨とネ級のあいだで七色の火花が水しぶきのように散った。依然としてネ級が優勢だった。深海重巡の左目、わずか数センチメートル手前で魚雷は五彩の防壁に阻まれて、それ以上進めなかった。ネ級改Mk.2の結界を総動員されては干渉強度が理論値の状態の村雨改二ですら相殺には至らない。

 

 ネ級に踏まれたままの最上が発砲した。回復した元海風や玉波もネ級へ集中砲火を浴びせた。むろん結界が自動ですべて防いだ。それこそが元海風たちのねらいだった。ネ級の結界出力が分散した。村雨に対する結界がそのぶん弱体化した。自動でシールドを展開する鉄壁があだになった。

 

 薄くなった結界を村雨の干渉波がついに突破した。魚雷がネ級の隻眼に突き刺さった。悶える三メートルの巨人の首にとりついた村雨は、こぶしで魚雷の尾部を叩いて半ばまでおしこんだ。よろめいてアパートにぶつかったネ級が、尾を自分の頭ごと村雨にたたきつけた。敢闘した白露型は二階ほどの高さから地面に倒れて転がった。

 

 ネ級は視界を失ったがレーダーがあった。電磁波で仇敵を捜したヒト型重巡が尾の主砲を脊椎損傷で立てない村雨に向けた。白露型が突き刺した魚雷は着発ではなく時限信管だった。起爆するころには村雨もこの世にはいない。

 

 しかし圧搾の拘束から解かれた最上が、踏み潰されて薄くプレスされた腹から黒い血をこぼしながら村雨をかばうようにして間に入った。

 深海棲艦といえども攻撃する瞬間、自身の射線には結界を展開しない。最上は盲目のネ級が撃つより早く、ネ級の眼窩から触角のように生えている魚雷へ向けて三式弾を撃った。瞬発信管でばらまかれた焼夷弾子は海水浴客に擬態した敵重巡の顔をこっぴどく焼いた。さらには魚雷の炸薬を叩き起こす特大の目覚ましとなった。

 

 ネ級の頭部が一瞬、大きく膨れたかと思うと、内側から爆発四散した。頸動脈から噴きあがった石油臭い雨が降った。手にしていたグラスが落ちた。首のなくなった深海重巡がゆっくりと倒れた。

 

 だれも勝利の声はあげなかった。ナ級の咆哮が砂煙の向こうから轟いた。各員が明石から分配された修復材を使って失った手足を再生させ、必要なら輸血を受けた。まだ快癒しないうちから最上がてきぱきと指示した。元海風たちは残弾が心もとないことを確認した。出発。「置いていけ!」。有明の胴体と高波を連れて行こうとした明石に最上が怒鳴った。明石はふたりをその場に置き、敬礼した。

 

「それだけの苦労をしたのだから、きっとこの三十五人は助かる、そうでなければおかしいと思っていました。みんなそうだったと思います」と元海風が回想する。「撤退を再開して、南に進むにつれて、間接射撃や空爆でひとりまたひとりとやられていきました。あんなにかっこよかった村雨ちゃんも、撤退に成功するか、そうでなければ劇的な死を迎えてしかるべきだったのに、たまたま頭上に砲弾が落ちてきたから死んだなんて、あまりにもかわいそうで……まだ十六歳だったのに。ネ級のときのように敵が目の前にいるなら打開策はあります。でも、見えないところから砲弾を落とされたのではどうしようもありません。カサブランカ市外に出るころには、艦隊はわたしと玉波、最上さん、明石さんしか残っていませんでした」

 

 煤と砂埃と血とオイル、それに服の色が変わるほどの汗で汚れに汚れた四人は、やはり廃墟となっているアンテルナショナル・ド・カサブランカ大学のキャンパスで砲身や弾倉の交換がてら小休止をとった。日陰となる三階建て学生寮の外壁に並んでもたれかかって黙々と作業に没頭した。右から元海風、最上、明石、玉波。順番に意味はない。元海風はなにも考えず右端に腰を下ろした。細胞レベルで染み付いた歩兵の心得として、一網打尽にされないよう間隔だけは大きくとった。

 

 学生寮の建物が揺れた。腐卵臭が降りてきた。残弾数を確かめていた元海風は振り仰いだ。屋上からナ級の一隻が艦隊を見下ろしていた。

 

「ぽんっ」。それはナ級が背中の発射管から生体魚雷を射出する音だった。

 真下へ放り出された魚雷は三階ぶんの鉛直距離を穿って、最上と明石のあいだに落ちた。秒速八〇〇〇メートルの爆風がふたりの身体を叩きのめした。

 

 炎が最上を焼き、破片が太ももをざっくりと切り裂いた。衝撃波がその脳をぐらぐらと揺らした。高過剰圧で肺胞が破裂し、呼吸音が隙間風の音になった。

 

 明石は全身を骨折し、手足があらぬ方向に曲がり、体のあちこちから骨が飛び出していた。膝窩動脈がねじ切れたらしく、千切れかけた右ひざから音を立てて血が砂地へこぼれた。ショック症状を起こしかねない失血量だった。また爆発の衝撃波で飛び出した右目が、視神経の尾を曳いて地面に転がった。眼球は砂まみれになった。

 

 奇襲から立ち直れずにいるところへ、屋上からナ級の巨体が落ちるように降りてきた。それから動けない明石を「見た」。全長七メートルの深海魚に一本角のような砲身を生やしたような外観のそのナ級は、瀕死で動けない明石ににじり寄り、その何重にも歯が生えそろった巨大な顎に捉えた。

 

「ヘッドセットは、不意の爆発音や大きな音はカットして、人の声はよく聞こえるようにできているでしょう。だからナ級に生きたまま食べられる明石さんの悲鳴が、とてもクリアに聞こえました。まるで耳元で叫んでいるみたいに」

 

 ナ級の口腔内で明石の背負った艤装が歪み、骨が砕け、湿った肉が凄まじい力で噛み潰され、筋繊維が引きちぎられる音。そのあいだからナ級に懇願する二十二歳の明石の叫び声が、ヘッドセットで明瞭に補正されて響いた。「ごめんなさい!」「痛い痛い痛い!」「お願いだからやめて!」「許してください!」。何度か咀嚼されると意味のある言葉は紡がれなくなり、ナ級が噛むたびにうめき声が漏れるのみとなった。やがてそれも聞こえなくなった。

 

 ナ級が食後の爪楊枝のようになにかを吐き出した。砂色の広場に転がったのは、明石の艤装に備え付けられていた、血まみれの無残に変形したクレーンだった。

 

 それを元海風は遠目に見ていた。三人は明石が捕食されている隙に退却していた。頭部からの出血を何度も拭い、咳き込みながら繰り返し鮮血を吐く最上は、大火傷を負った左半身から絶えず黄色い体液を滲ませた。脳震盪でまともに立てる状態ではなかった。それでも指揮を継続した。

 

 カサブランカ市外に出ると、まるで線でも引かれているかのようにとたんに建物がなくなり、平坦な草原が続く。艦隊はボウスクーラの森に入ることにした。三〇〇〇エーカーもの広大な国有林で、ユーカリの木が鬱蒼と密生しているためレーダーのノイズに紛れ込める。その森から出て一キロ東にはメディウナの旧市街がある。敵航空機も元海風らを見失ったのか、もしくは早朝からの戦役で燃料切れになったか、視界に入る機体はまばらになった。いきおい弾着観測も不完全で、元海風たちが森を駆けるあいだも敵戦艦群がめくらめっぽうに撃つ砲弾がまるで見当違いな場所を耕していた。よほど運が悪くなければ直撃は受けないだろうと思われた。

 

「森が終わるよ。ここからメディウナまではなにもない。括約筋を引き締めていけ!」。爆傷肺の最上が先頭を走って元海風と玉波を強力に牽引した。そのとき、極微の偶然をくぐりぬけた大型砲弾が隕石のように空から落ちてきて、最上の足元で爆発した。

 

 玉波が土を吐きながら周囲を警戒し、元海風が吹っ飛んだ最上へ駆け寄った。

 

 十数時間前に十七歳になったばかりの艦隊旗艦は、右膝から下が消失し、右わき腹を大きく食いちぎられていた。腰椎と脊椎が露出しており、ほとんど体が上下に離れかけていた。腹腔の大きな創部から毒々しい色合いの臓器が溢れた。心拍に合わせて血潮が体のあちこちから何本もの放物線を描いた。息はまだあった。しかし元海風が抱き起して呼びかけても、その目はすでに現実を映していなかった。最上は不規則で浅い呼吸のなか、「家に帰りたいよう。お母さんのごはんが食べたいよう」と、うつろな目から涙を流しながら細い声で訴えた。弱い吐息を最後に呼吸が止まり、目をひらいたまま全身から力が抜けていった。

 

「残ったのは改二でもないわたしと玉波だけ。地図は頭に叩き込んでいたので、エレメント*7のリーダーとして、玉波といっしょに、廃墟の街を上手く活用して敵の目を逃れながら、カサブランカの南に霞む遥かなアトラス山脈の方角に向かって、とにかく走りました。強化外骨格があるとはいえ、二六〇キロの艤装を背負って、口のなかがサハラみたいにからからになりながら。だから、長波さんに教えてもらった、あの愉快なかけ声を思い出して、それを叫びながら走ったんです――ほら、“乳首! 擦れて! 痛い!”っていう――玉波も唱和してくれて。敵は海のある北のほか、東、西からわたしたちを包囲しようとしていました。戦車みたいに砂煙をもうもうと巻き上げるからすぐにわかります。南だ。とにかく南に逃げるんだ、最上さんが命令したように。無我夢中でした。目指すべき目標があればどんなに疲弊していても体は動きます」

 

 幸運なことに、聞き慣れた双発機のエンジン音が降り注いできた。

 

「わがほうの陸上攻撃機部隊です。一式陸攻や銀河が、巻き上がる粉塵の上へつぎつぎ爆弾を落としていくのが見えました。あのときほど基地航空隊が頼もしく思えたことはありません。わたしたち上陸部隊の撤退を援護するために、司令部が虎の子の飛行機を出してくれた。その事実は、追っ手を片付けてくれる以上に、わたしたちの五体を賦活させ、鼓舞する力がありました。かつて戦艦娘の陸奥だったという統合幕僚副長が、統幕長経由で第3航空群航空司令に強力に働きかけ、空から支援してくださったのだそうです」

 

 航空優勢も約束され、UAVが上空から元海風と玉波を見守った。

 

「正直にいいます、そのときのわたしは、大勢の仲間を失ったことよりも、自分と玉波がこの死地から生きて脱出できることの喜びのほうがまさっていました。わたしも玉波もほとんど競争するようにして南進を続けました。いまでは艤装なしでももうあんなに走れないでしょうね。ほとんど砂で覆い隠されてる国道九号を南下して、メディウナという街に入りました。低い建物ばかりの住宅街でした。きっと安心しきっていたのでしょう。気が緩んだ。国道沿いにさらに走ろうとして、わたしはいやしくもリーダーとしてあやまちを犯してしまいました」

 

 元海風が声を詰まらせる。太陽が雲に隠れ、喫茶店の窓外がにわかに暗くなる。記憶の墓土を掘り起こす元海風が、そこで眠っていたむくろの変わり果てた姿に怯えたように、座ったまま小さく身じろぎする。

 

「まさか、深海忌雷が、あのいまいましい忌雷が、陸上で、(たこ)のように周囲の風景に擬態して待ち伏せしていたなんて、想像もしていませんでした」

 

 ある白い二階建ての崩れかけた建物の前を通り過ぎようとした。そこの瓦礫に擬態して休眠状態にあった深海忌雷は神速で玉波の足に触手を絡みつかせ、彼女が倒れるよりも早く起爆した。

 炸薬量にすれば手榴弾ほどだった。玉波の足だったものが隣の元海風にへばりついた。あたりは土煙でなにも見えなかった。元海風は砂塵が目に入るのもかまわず地べたを這いずり回って手探りで僚艦を捜した。「玉波! 玉波!」。やっと見つけた玉波は、両足が極端に短くなっていた。

 

「止血しましたが、玉波の顔がどんどん青白くなって、呼吸も乱れるばかり。修復材もない。内臓破裂の疑いが強く、場合によっては開腹手術が必要になる。そう直感したわたしは母艦の軍医に繋ぐよう司令部に要請しました」

 

 上空の無人航空機が黒煙を避けながら高度三万フィートから撮影したフルハイビジョン映像を、六〇〇キロ離れた大西洋上の輸送艦に中継する。それを見ながら艦の軍医が無線で元海風に指示をだすかたちで手術がはじまった。母艦座乗の艦隊司令と艦長はこんなやりとりを交わしたという。「海風と玉波はなにをしてる?」「手術してます」「戦場のど真ん中でか!」

 

 元海風は追想しながら苦悩を滲ませる。「2水戦の教育課程で応急処置は習っていましたが、オペなんてとても。しくじれば玉波は死にます」

 

「手術に必要なものは持ってるか?」。無線機から男性軍医の声が届いた。「IFAKとナイフ、それに洗濯ばさみだけです」「最高だ」「外傷は両足の破断。こちらはターニケットで処置ずみ。しかし腹部に複数の創あり。顔にチアノーゼ。意識レベルはGSCでE3V5M4の12。血中ナノマシン保有数十八.二二パーセント。大破と認定」「確認した。内臓損傷の可能性がある。管腔系または実質系もしくはその両方に破片様の異物の創があると判断する。一刻も早く設備の整った病院への搬送と、腕のいい医師が必要だ」「了解。どちらも品切れです」「そこときみがそうなるしかないな」

 

 その裏では艦隊司令が第三部長作戦運用担当に命令を飛ばしていた。「CASの第二波攻撃を繰り上げ要請。海風に敵を近づけるな」

 

 周囲で爆音と爆煙と爆轟が巻き起こるなか、玉波の野戦手術が始まった。手術台は舗装が剥がれてむき出しになった地面。照明は無影灯ではなく午後二時の北アフリカの太陽。「腹壁切開し、損傷した臓器を目視で確認、縫合で止血する。正中縦切開。炙ったナイフで切開するんだ」。軍医の指示に従った。私物のナイフ。「傷口に手を入れて広げる。手を使って鈍的剥離を」。玉波の華奢な腹を縦に押し広げた。開腹。血の海に沈む多種多様な内臓が元海風を迎えた。

 

「これでどんな大男も受け入れられるわね」。元海風が洗濯ばさみを曲ペアン鉗子代わりにして皮下脂肪部分の止血をしながら声をかけた。意識を失えば玉波はもう二度と目を覚まさない。「あまり面白くありませんね」。無麻酔でしかも血中ナノマシンを出血で大量に失っているため、マスキングのない痛覚が脳髄を直撃してマウスピースを食いちぎらんばかりに噛み締めながら玉波が返した。

 

 どの臓器が損傷しているか、生理食塩水で術野の血を洗い流して確かめた。横行結腸と下行結腸が破れていた。空腸に穴が開いていた。膵臓が破裂していた。左肺が破れて空気が漏れていた。肝臓の右葉が破片に切り裂かれて半ば千切れかけていた。軍医の教えるとおりに縫合した。終わった。だが玉波のバイタルはまだ悪化しつづけた。

 

「脾臓では?」。軍医に元海風は脾臓を摑んだ。ぱんぱんに膨れていた。深海忌雷の破片が食い込んでいるらしかった。摘出しなければならない。「脾臓が破裂しないように。破裂したら六十秒で死ぬ。脾臓には動脈が繋がってる。腹腔動脈から伸びているやつだ」「了解。脾動脈に触れました」。玉波の体内をまさぐっていた元海風が軍医に報告する。「脾臓への血流を止めるんだ」。血管を洗濯ばさみで挟んだ。

「破片をそっと引き出して」。そこで無線が途絶した。司令部に問い詰めた。反応はなかった。無線機のバッテリーが尽きていた。

 

 元海風は緊張と恐怖に震える手で、慎重に玉波の脾臓から破片を抜き出した。黒い鉄片。手の親指ほどもあった。やった、と思った。やり遂げた。味方の援護に守られながらの野戦手術をやり遂げたのだ。

 

 つぎの瞬間、元海風の顔に爆発的な血しぶきが散った。

 掌中の脾臓が破裂していた。元海風の握り拳より大きかった脾臓が、温かい血をだくだくと吐き出して、空気の抜けた風船のようにたちまちしぼんでいった。出血はなおも止まる気配を見せなかった。

 

 脾動脈は挟鉗できているはずだった。動転して脾臓を小さく持ち上げた。裏に赤黒い軟組織がへばりついて、脾臓と腹膜や腸管に癒着しているようだった。そのぶよぶよの塊は、指の腹で軽くふれただけで急速に血を滲ませた。血流が豊富だった。

 

血管新生(けっかんしんせい)です」と元海風は元長波に話した。「玉波は脾臓に腫瘍があったんです。あとでくわしく映像を検証した軍医からお聞きしました。玉波本人も知らなかった。腫瘍は自分で血管をつくって周囲から栄養を引き込もうとすることがあります。わたしは脾動脈の血流だけを止めました。でも脾臓には腫瘍により、裏口から血が流れ込んでいた」

 

 そのことを知る由もない当時の元海風は、玉波の小さな体のどこにこれほどの血が隠されていたのかというほどの大量出血に、ただうろたえるばかりだった。

 

「六十秒でしょう? 煙草を吸わせてください」。元海風とは対照的に、玉波本人は仰臥(ぎょうが)のまま冷静にいった。

 

「ちがう、まだ助かる、まだなにか方法が、ああ神様」。脾臓はなおもおびただしい血を吐き出しつづけた。元海風は血しぶきを浴びながら脾臓を手で圧迫するしかなかった。このときの元海風にとって、玉波に煙草を吸わせることは、すなわち自身の敗北にほかならなかった。直属の部下を助けられなかったと、運命に白旗を上げて投了することだった。認めるわけにはいかなかった。負けを認める駆逐艦娘はいない。ましてそれで仲間が命を失うのなら。元海風は意味のない声を上げながら脾動脈を指でつまんだ。だが両足のない玉波は青黒くなった唇を動かした。「恨んだりしません。だから煙草を」

 

 元海風はわずか迷った。のちの人生でいつまでも悔やむことになる迷い。「わかった」。ようやく決心した元海風は血まみれの手で懐から幸運の煙草を取り出し、玉波に咥えさせた。防水マッチに火をつけた。

 西の海から風が吹いた。火が消えた。

 もう一本のマッチを灯した。火を手で守りながら玉波の口元に近づけた。

 玉波の唇に煙草は挟まっていなかった。顔の横に落ちていた。玉波の開かれた瞳は何も見ていなかった。

 

 マッチの軸が燃え、指を焼いても、元海風は目が半開きのまま動かなくなった玉波をじっと見つめていた。そうしていればいつか玉波が動き出すのではないかと、半ば本気で思った。

 

 爆音が元海風を現実に引き戻した。元海風はナイフで玉波の左前腕を手早く切断した。かつては横領という不祥事を隠すために切り落とした玉波の腕。あのとき腕はただの肉だった。こんどは遺骨を日本に持って帰るために断ち切った。この場合、腕がむしろ玉波の本体といえた。元海風は「玉波」を手に走った。そう思わなければ、玉波を置いて逃げるうしろめたさに足首を摑まれ、敗走する速度がいくらか遅滞しただろう。

 

 元海風は深海棲艦の執拗な追撃の手を逃れ、基地航空隊の戦闘機に護衛された陸軍のティルトローター機に回収された。任務部隊でたったひとりの生存者だった。母艦で軍医から「見落としたわたしの責任だ。それに、最高の医師でも難しい手術だった」と慰められた。

 

「わたしはどこかうぬぼれていました」元海風は元長波に悔いを覗かせた。「素人のくせに、本職の医師と同じように手術して、玉波を鮮やかに救って、ふたりとも生還できると疑っていなかった。でもそんなことなかった。わたしは、特別でもなんでもなかったんです」

 

 元海風は喋りつづけた口を癒やすためにカフェオレを一気に飲む。

 

「せめてあのとき、もっと早く玉波に煙草を吸わせてあげていれば」

 

 僚艦の最期の頼みすら聞き届けてやれなかった自分を、元海風は憎んでいる。いまでも憎んでいる。

 

 艦娘たちは海を見てきた。戦争を見てきた。だが彼女たちは艦隊を構成する一個の部品にすぎなかった。銃のレシーバーやハンマーやボルトが戦争の結末を見ることがないように、艦娘たちも自分の仕事が戦況に与える影響を見ることはなかった。

 

 代わりに見たのは「なあ、おまえも長波だろ。連れて行ってくれよぉ」と涙を流して懇願する、手足のない長波だった。「あたしを食ってくれよ」と虫の息で頼む深雪だった。海水を飲んで歯茎から赤黒い血を流し、幻覚に誘われて落伍する巻雲だった。ピンクの水柱になったポーラだった。足首だけになった清霜だった。

 あるいは深海棲艦の群れに囲まれて「ママ……」と叫ぶ風雲だった。全身が火に包まれる早霜を見た。ハ級に泣きながら食われる親潮を見た。頭部を敵の砲弾に打ち砕かれ、首なしになってもまだ生きているかのように海面でのたうち回って暴れる神風を見た。平均年齢十五.八歳の少女たちを率いていた、先日十七歳になったばかりの頼れる勇ましい艦隊旗艦が、だれの目から見ても助からない傷を負い「家に帰りたいよう。お母さんのごはんが食べたいよう」と泣きながら息を引き取るのを見た。

 

 元長波や元海風は家に帰ってきた。帰ってからも戦争は終わらなかった。勝利し、戦後になっても終わらなかった。終わるはずがない。戦争は終わらないのだ。

 

「いまおまえがしていることを見せてくれないか」

「ええ、ぜひいらしてください」

 

 元海風は杖を突いて立ち上がろうとする元長波に手を貸す。二十年以上も前に沈んだ最後任の涼風(すずかぜ)がすぐそばに立っているのに気づかないふりをしながら。

*1
防衛省職員信用金庫。防衛省職員の組合員が利用できる信用金庫。

*2
〈トーチ作戦〉以前に米国第61、62および69任務部隊ならびに英国・フランス・ドイツ・イタリア海軍を主軸とする多国籍軍による四度の反攻作戦をすべて退け、そのおそるべき性能と、当時まださらなる改装と強化を図っているという偵察結果から、畏敬の念を込めてこのコードネームがつけられた。日本海軍がこの深海棲艦に奇跡的な勝利を収めることができたのは、多国籍軍が度重なる攻勢で敵の兵站ともども少なくない損害を与え、彼女の「完成」を遅らせていた点も大きい。

*3
損傷をドックに似た浅深度の営巣地で修復中の深海棲艦、とりわけ鬼級や姫級に付与されるコードネームで、特定の個体を差す名称ではない。堅牢な掩蔽壕を思わせる巣に守られている場合が多く、撃沈には三式弾や大口径徹甲弾の使用など特殊な対策を要する状態であるために区別された。本作戦で2水戦の迎撃にあたった船渠棲姫は、多国籍軍との戦闘で負傷した姫級の大型駆逐艦(軽巡説あり)が「入渠」していたものと思われる。

*4
イスラームの礼拝堂。

*5
飛行場姫、港湾夏姫はともに、飛翔可能な航空機型や、食料の運搬、滑走路様の営巣地の構築と修復などを担当する繁殖能力のない職蟻のような深海棲艦と、それらを大量に生産する一体の女王により構成される。個体というよりコロニー全体で「飛行場姫」や「港湾夏姫」という深海棲艦を構成している群体といったほうが近い。カサブランカで確認された飛行場姫は通算九体目だったためⅨの、二体目だった港湾夏姫はⅡの呼称番号が付与された。

*6
Radar Warning Receiver. レーダー警戒受信機。

*7
水上班(二隻編成)の通称。

原則として艦娘はこのエレメントを最小単位として運用される。



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三   熱い氷

 初冬の澄んだ日光のもと、ネオンを消した昼の歓楽街は化粧を落とした女のように物憂い顔を見せている。街には取引先の店が閉まっている日中に合い鍵で納品する業者の姿しかない。その一隅(いちぐう)に元海風が元長波を案内する。五階建ての自社ビル。元海風の経営する管理会社だ。元長波がオフィスに通される。社員たちが自分の仕事にかかっている。指が短いものもいる。元海風と同様に薬物中毒者も多い。

 

 元海風が社内にいた十四、五名ほどの社員らに元長波を紹介する。元長波は「十代のうちに煙草吸ってたって人?」と挙手しながらいたずらっぽい笑みを投げかける。ほとんどの社員が照れ笑いしながら手を挙げる。

 

 そのひとりに水を向ける。「何歳から?」

 訊かれた男性社員が答える。ろくでなしだ。「六歳です」

「負けた」元長波が額を手で押さえて天井を仰ぐ。「マウントとろうと思ってたのに。ちなみにわたしは十三歳から」

 大仰な嘆きに、社員たちは笑う。元長波にすぐに親しみを覚える。

 

 オフィスを見渡せる自分の椅子に座った元海風がろくでなしに声をかける。「きょう来る大学生の子らね、将来サツカン(警察官)になりたいんですって」

 

 ろくでなしは複雑な表情を見せる。

 

「やっぱり微妙?」

「微妙っていうか、僕はいいんですけど、向こうがどう思うかですよね」

 

 ろくでなしが刑務所内のテレビで見たように、元海風の会社はいくつかのメディア取材を受けている。過日の報道を見た県外の大学の法学部矯正社会学教授から打診があった。「活動を知って非常に感銘を受けた。社会復帰支援は、特定の団体等に任せきりにしておけばいいものではない。社会全体ひとりひとりが、元犯罪者の社会へ戻ろうとする努力と意志を受け入れることが肝要である。それを身をもって学習するため、フィールドリサーチの一環として、ぜひ学生たちを御社に体験入社させてほしい」。元海風は快諾した。学生たちはきょうの昼前にくる。

 

 ろくでなしも、前科前歴はおろか補導の経験すらない清廉潔白な大学生たちのOJT(実務を通して行う職業教育)は未経験だ。元海風はそんな彼に大学生数人の班をひとつ任せることにしていた。

 

「なんでわざわざ前科者を雇おうと?」

 

 社員らが仕事に戻るのを見計らって元長波が訊くと、狭い事務所で元海風は丸椅子を勧めながら「現在の刑法では再犯を防げないからです」と答える。

 

「不景気もあってか、再犯率は年々上昇しています。昨年は五十.一%で過去最高に」

「へえ。2水戦なら百%に近かったけどな」

 

 刑法犯の検挙数そのものは減少の一途をたどり、戦後最少を更新しつづけている。犯罪者のリピーター化をどう防ぐかが新たな課題だ。

 

「仕事を通して他人と関係をむすび、自分は社会の一員なんだと実感する。それがない人間は、みじめな生活のなかで社会への憎悪を泥のように溜めていく」と元海風。「そういう人にとって、自分以外の他人はすべて同一の存在です。そしてつねに他責的です。みじめな境遇はすべて社会のせい。無関係な赤の他人、それこそ、その日はじめて会った人であっても、にっくき社会を構成する一員なのだから、その人を傷つけることは社会への正当な復讐だと考えるようになるんですね。他人や社会は自分を守ってくれなかったのに、なぜ自分が守ってやらなければならないのか。論理としては破綻しています。しかし一人の殻に閉じこもっていると、指摘してくれる人もいないから、自分が狂っていることに気づけず、殻のなかで自らの怨嗟の声が反響し増幅しつづけて、自分自身に煽られ、ある日突然爆発するんです」

「江戸の敵を長崎でとはいうが、本人にとっては筋が通っている?」

 

 元長波に元海風が頷く。

 

「ですから、再犯を防ぐためにも、仕事という受け皿、社会との結びつきは、絶対に必要なんです。仕事で感謝され、お礼をいわれる環境が」

 

 元海風は時間を確認する。出かける。元長波も同行する。

 市内の公民館。その一室に、長机を並べて参加者たちが談笑しながら元海風を待っている。

 

 元海風は会社経営のかたわら、薬物更生支援団体の代表も務めている。きょうは月に一回の総会の日だった。前回の総会から一か月、薬物を使用しなかったことを全員で報告しあい、互いにたたえ合う。構造は海軍転換艦隊総合施設のPTSD治療プログラムに似ている。

 

「どうですか、一か月、クスリをやらなかった気分は?」

 

 元海風の問いに、だれもが複雑な笑みを見せる。「正直しんどかったです」ひとりの言葉に場が笑いに包まれる。

 

「わたしもじつは、しんどかったです」と元海風。「クスリをしないっていう意志に、脳のCPUの大部分が使われちゃって、そのせいで目の前のやらなきゃいけないことに取り組めなかったり。ほんと、しんどかった」

 

 元海風が語りかける。参加者たちは聞き入る。信頼関係がある。

 

「いまのわたしは、一か月しんどい思いをした過去のわたしの成果だけをいいとこどりしています。なぜなら、しんどかったって、過去形で語っているでしょう? きょう一日耐えれば、あしたのわたしは、きのうのわたしが耐えた成果だけがもらえる。しんどさを過去の自分に押し付けてるわけです。過去の自分なんて、もうこの世のどこにもいないんだから、なんの罪悪感もありません。むしろ、がんばってくれてありがとうっていいたくなる。でしょう? あした、いいとこどりができるように、あしたの自分に感謝されるように、きょうをがんばってみよう。その思いで毎日戦っています」

 

 元長波は、自分以外の2水戦はそうしてセルフコントロールしてヘル・ウイークを耐えたのか、と初めて理解する。

 

 ひとりの参加者がいう。「シャブはやめていますが、抗不安薬を処方してもらっています。飲むと不安がきれいさっぱりなくなって、晴れやかな気持ちになれます。でも、その代わり、ぼくの精神や自我、魂は、薬という化学物質に簡単に左右されるマテリアルの産物にすぎないというむなしさが、ぼくの心を支配するようになりました。そのむなしささえ、抗不安薬が効いているあいだは気にならないのです。効果が切れると、ぼくの心は薬で組み替えられる程度のもので、しょせんは単なる現象なんだ、自分を特定する絶対不変の“個”なんてないんだ、なら自分とはなにかと、思い悩むようになります。だから効果が続くようにずっと抗不安薬を飲んでいます。この場合、薬を飲まない、自然な状態が本当の僕なのか、それとも抗不安薬を服用するという外的要因によって苦悩から解放されている状態が本当のぼくなのか、前者ならぼくは自己の尊厳を保つために、苦しみを甘受してでも薬を飲まずにいるべきなのか、ずっと葛藤が続いています。本当の自分とはなんなんでしょうか」

 

 それに元海風はゆったりとした口調で答える。

 

「本当の自分なんてものはね、ありません。だって、紀元前から数多の哲学者が、人生のすべてを捧げてその命題に取り組んで、なお答えが出ていないんです。なのに、どうしてわたしたちごときがその真理に到達できるでしょう? むしろ不遜とさえいえますね」

 

 元海風がいったん区切る。

 

「それでもあえていうなら、水を思い浮かべてください。水の化学式はH₂Oですよね。H₂Oの本当の姿とは、なんでしょうか。固体の氷なのか、液体の水なのか、気体の蒸気なのか。どれもH₂Oであることには変わりありませんね。それと同じです」

 

 噛んで含ませるようにゆっくり語りかける。

 

「薬を飲んで不安から解放されているあなたも、薬が切れて不安にさいなまれているあなたも、どちらもあなたです。水蒸気が雨になって降り注いで、川から海へ流れ、あるいは極寒の地で氷になって、溶けて海へ流れ、また蒸発して雲になる。すべて水です。沸騰させれば水蒸気になるし、冷えれば水や氷になる。あなたも薬のあるなしで状態が変化するだけで、あなたであることには違いありません。そして、あなたは自分には不変の“個”がないとおっしゃいましたが、薬を飲んでいるときと、飲んでいないとき、どちらにも共通する“個”があなたにあることを、わたしは知っています。あなたも知っています。わかりますか?」

 

 問いかけに、質問者はわからないという意味の笑みを見せる。

 

「それは、シャブをやめようとしていることです」と元海風はいう。「薬が効いているあいだも、薬が切れているときも、あなたはシャブに手は出すまいと戦っています。とても素晴らしいことです。シャブの誘惑を断ち切りつづけているあなたは、本当のあなたではないのでしょうか? みなさんはどう思いますか? シャブと戦っている彼は本当の彼ではないと?」

 

 参加者らに問うと、何人かが口々に「いいえ」と返事をする。「勇気をもって、もっと大きな声でいってあげてください」元海風に、質問者以外の全員が「いいえ」と声をあげる。

 

「もう二度とシャブは使わないという誓いを守り続けている彼は、本当の彼ではないと思いますか? そこに抗不安薬の有無は関係ありますか?」

 

 それに参加者らはさらに確信をともなった大きな声で「いいえ!」と答える。

 

 元海風は質問者にほほえむ。「これが答えです。たしかに人間の自我や感情は科学的には神経の発火にすぎないのかもしれません。でもあなたはシャブを使わないという意志を貫きつづけている。もうすでにあなたは絶対不変の“個”を手に入れていたのです。その意志を持ち続けているかぎり、あなたは本当のあなたでいられます。いっておきますが、これは呪いです。シャブの魔力に負けたとき、こんどこそあなたは自己を定義するために依って立つものを失ってしまうでしょう。それがわたしたちの戦いです。一生終わらない。一生続く。だから一生あきらめない。ここにいるみんながそうです。だから、みんなで戦いましょう。ひとりで戦うのではなく、人を頼りましょう。きょう一日をしのぎましょう。本当の自分を失くさないために」

 

 質問者はなんども頷く。

 

 元長波は、元海風の圧倒的なパワーに気圧されつつ感心している。むかしから元海風はその細い体からは想像もできない胆力の持ち主だった。違法賭博の借金がかさんだ後輩のために架空の領収書をいくつも経理に出し、露見しそうになるや基地をあずかる提督と面と向かって「この件が明るみに出て提督の経歴に傷をつけてしまわないためにも、どうかお力添えを」と、まるで他人事のような口ぶりで揉み消しを要求する艦娘だった。

 

 その元海風が参加者らにいう。「毎回いっていますが、もしどうしてもクスリを入れたいって思ったら、どうせやるのなら、わたしの目の前でやってください。最後までわたしが見ていてあげます」

 

 そう締めたのち、参加者らの近況報告やとりとめのない話が交わされる。総会が終わる。また一か月後に会おうと全員が全員と握手する。塾生はいずれも総会を楽しみにしている。

 

「すごいな。教祖さまじゃん」

 

 会社への帰り道、元長波に元海風が吹き出す。

 

「人間は多かれ少なかれ、なにかに依存していないと生きていけない生き物なのかもしれません。仕事だったり、趣味だったり、話の通じる人間関係だったり、パートナーだったり。むかしは依存先を伝統宗教が提供なり仲介なりしていたんじゃないでしょうか。薬物に溺れる人って、依存先に飢えている場合が多いんです」

「含蓄があるな」

「あの塾生たちもそうです。悩みを相談する相手もおらず、依存先を求めて、手当たり次第に探していたら、クスリと出会ってしまった。だから薬物中毒から抜け出すなら、クスリよりも価値があると思える新たな依存先を与える必要があります。依存という椅子になにかを座らせてあげないといけない。わたしの塾の人間関係が、その空位を埋められればいいのですが」

 

 いっぽうで塾は諸刃の剣だ、と信号待ちをしながら元海風は元長波にいう。「だって、カスタマーが一か所に集うんですから。売人からすれば狩り場ですよね」

 

 任せていた塾長が参加者らに違法薬物を売っていたこともある。薬物は遠ざけようとしても向こうからすり寄ってくる。同一罪名での再犯者率第二位は窃盗で、二十%強。しかし一位の覚醒剤取締法は七十%と突出している。薬物の底なし沼から抜け出すことがいかにむずかしいかがこの数字に表れている。

 

「わたしはあそこでよくシャブを引いていました*1

 

 歩きながら、元海風は金沢堀川新町高架下を指さして元長波に教える。かつて夕方になるとそこにおでんの屋台がきた。とても食べられたものではないまずいおでん。具を特定の順番で注文するのが覚醒剤を注文する暗号だった。ごくまれになにも知らない酔ったサラリーマンが偶然その暗号の頼み方をしてしまって、覚醒剤の入ったパケを渡され、一気に酔いが醒めてそそくさと逃げる一幕も見られた。一斉摘発前は金沢市内でドラッグの売買が横行していた。昼間の交番のすぐ横でも堂々と売人が客と待ち合わせをした。

 

「もうその屋台はありません。プッシャーを市内で見ることもありません。手入れは大きなハンマーとなってこの界隈の薬物犯罪を粉々に打ち砕きました。でも撲滅できたわけではありません。砕かれた薬物犯罪は、細かい無数の破片となってあちこちに飛び散り、見えないところでいまも生き延びています」と元海風。

 

 刑法犯の検挙数が減少傾向にあるなか、薬物事犯の検挙人数は毎年一万人あまりで横ばいが続いている。そのうち六割強が覚醒剤事犯だ。石川県も例外ではない。まずいおでん屋が使えなくなってもネットで注文できる。社会が便利になれば犯罪も巧妙化する。そして、えてして犯罪は真っ当な社会よりも優しい顔をしている。

 

 元海風は会社にとんぼ帰りする。大学生たちが元海風の会社に訪問する時間が迫っている。学生らが来社した。元海風は応接室に通させる。主立った社員らとともに対面する。この日訪れた学生はいずれも三年次で二十数人。みな若さにあふれた顔をしている。戦争を知らない顔。男女の比率はほぼ半々だ。女性が艦娘になる選択肢など想像もせずに高等教育を受けられる時代なのだと、元長波は感慨を覚える。

 

「受刑者のうち、二十五%ほどは行く当てがないまま出所の日を迎えます」

 

 あいさつののち元海風が学生たちを見渡していう。

 

「四人にひとりが、どこでどうすればいいのかわからない状態で刑務所から出て、住むところも、身元引受人もない。住所がなければ定職にも就けませんよね。服役中の刑務作業による報奨金、お給料のようなものを出所時にもらえるのですが、だいたい一年の服役で二万円あるかないかにしかなりません。下手をすれば、それが全財産です。その軍資金が尽きるまえに住むところを探し、就職先を探し、新しい生活をスタートさせなければなりません。無理ですよね。でもスマホで闇バイトを探せば、一回の強盗で日当何万円かもらえる。その日一日のことだけを考えるなら、真面目に生きるより犯罪のほうがコストパフォーマンスが高いんです。捕まればそれはそれで寝食はなんとかなります。だから、受刑者が出所したら次の日からでも働ける場所を作って、もう二度と塀の向こうに戻したくない、そういう思いで協力雇用主をやっています」

 

 間を置く。女子大学生のひとりが小さく手を挙げる。元海風は促す。

 

「報奨金は平均で月四千円と聞いたのですが。一年で五万円ほどになるはずですが」

「たしかにそういう統計はあります。平均はとても稼いでいる一部の人が数字を引き上げてしまうので、みんながみんな月にそれくらい稼ぐわけでもないんですね」

 

 元海風は軍よりも長くいた刑務所の刑務作業について説明する。

 

「まず、作業熟練度によって受刑者は1等工から10等工までランク分けされています。数字が小さいほど作業単価も高くなります。入ったときはみんな10等工です。問題を起こさず作業成績がよければ上がっていきます。そもそも刑期が短ければランクがじゅうぶん上がる前に出所になります。作業にも分類があります。わかりやすくいうと、エリートのA作業、物品を製作するB作業、工場には出ずに自分の房で行なう内職のような最底辺のC作業」

 

 これらのランクと作業分類によって報奨金が変わってくる。元海風が刑務所にいた時代は入ったばかりの受刑者は10等工でC作業に従事することが多かったが、これだと報奨金は月七百円ほど、時給換算で四円となる。

 

「稼いだ報奨金も、日用品や、手紙を書くための筆記用具や切手、あと下着なんかを買うのに使うこともありますから、あまり残らないんですね。これで外に出されても社会復帰はむずかしいです。ただでさえ社会と適合しなくて犯罪に走ったわけですから。ある意味で、犯罪者は障害者なんです。障害者っていうのは、本人に障害があるという意味ではなく、生きていくうえで社会に障害が多い人という意味ですからね。ふつうの人ならいろんなお仕事が選べる。でも犯罪者という障害者は選択肢が少ない。その選択肢をひとつでも増やそうとしているのが、この会社です」

 

 こんどは男子大学生が手を挙げる。胡乱な目をしている。

 

「出所しても帰る家がないとか、仕事がないとか、それは自業自得というか、好きで犯罪をしたのがそもそもいけないんじゃないでしょうか。犯罪をしていたときはいい思いをしていたのですから、その後の人生で人並み以上の苦労をして、ようやく帳尻が合うとぼくは思います。出所者を雇用した協力雇用主には、法務省と厚労省の連携により、ひとりあたり年間七十万円もの助成金が支給されています。社会がまず救済すべきは被害者であって、加害者をあまりに甘やかしすぎではないでしょうか。犯罪者はもっと罪と向き合って、仕事がないのは自分のせいだと反省しなくてはいけないのではないですか」

 

 元犯罪者の社員たちと元長波は、笑いながら「おお」と口を揃え、大学生の勇気を賞賛する。

 

「それは非常に率直で、正直な気持ちだと思います」

 

 元海風も微笑みながら答える。

 

「犯罪なんかせずにまじめに生きている人がいちばんえらいんです。なにかやむにやまれぬ事情があって罪を犯した人もいますが、ただ遊ぶ金ほしさに人を傷つけたという犯罪者もたくさんいます」

 

 再犯を防ぐだけならじつは簡単だと元海風は語る。

 

「犯罪者を片っ端から死刑にするか、終身刑にすればいいんです」

 

 しかし現実はそうはいかない、と元海風が付け加える。厳罰化はある程度の犯罪抑止力を強化するが、一定以上のラインを超えるとむしろ逆効果になってしまうかもしれない。飲酒運転の量刑を死刑と定めれば、飲酒運転で人身事故を起こした運転手は、どうせ捕まれば死刑なのだからと逃走するようになるかもしれない。その運転手は、飲酒運転が死刑でさえなければ救護義務を果たしていたかもしれない。被害者も一命をとりとめたかもしれない。この場合、厳罰化が運転手にひき逃げを促し、事故をひき逃げ事件へと凶悪化させたといえる。そう元海風はいう。

 

「また、刑務所の収容能力や人手や予算にも限界があります。ですから犯罪者は基本的に、更生して社会に帰って働き、納税者になってもらわなければなりません」

 

 そこで元海風はいったん言葉を切る。質問した大学生の顔を覗きこむ。

 

「おじいさんとか、おばあさんとかいますか?」

 

 大学生は、県内の叔父宅で祖母が暮らしていると戸惑いながら答える。

 

「刑務所に再犯を防止する機能がさほど期待できないことは、元受刑者の再犯率が五十.一%、つまり犯罪者のうちふたりにひとりが再犯者という数字を見ればわかってもらえるかと思います。また、再入率*2でいえば、有職者に比べ、無職者は四倍近く多いんですね」

 

 犯罪者も死刑や獄中死でなければいつか必ず出てくる。社会に戻ってくる。三食面倒を見てくれた刑務所と違い、自分で生活費を稼がなければならない。そのとき、住むところも仕事もなかったら? その日食べるものもなく、面接もつぎつぎ落とされて、どうしようもなくなったとき、SNSで高収入を謳う闇バイトの求人を見かけたら? 応募してしまうかもしれない。

 

「そうして強盗の実行犯をやらされて、あなたの叔父さんの家に押し入って、ひとりで留守番していたおばあさんに危害を加えるかもしれません」

 

 元海風の語り口には、実際にそういった事例を見てきた者に特有の波形がある。男子学生もわずかに目が動揺する。

 

「悪いのは犯罪者本人です。けれども、定職に就いていれば防げたであろう犯罪ですよね。ですから元犯罪者に仕事と居場所を与えて、人並みの生活をさせること、これが再犯を未然に防ぐ、おそらく最も現実的で、期待値の高い方法なんです。加害者を甘やかしているように見えているかもしれませんが、それはじつは新たな被害者を出さないために必要なことなんです。あなたのおばあさんのような、何の罪もない弱者を犯罪から守るために」

 

 噛んで含ませるようにいう。「それに」と元海風はつづける。

 

「被害者の救済と、加害者の支援は、けっしてゼロサムの関係ではありません。それらはまったく別個の問題だからです。大昔の海軍と陸軍みたいに予算を奪い合う関係ではありませんから。わたしはわたしにできることとして、協力雇用主として、元受刑者の社会復帰支援をさせていただいています」

 

 男子学生は、理性では理解できるが感情面で納得できないという顔だった。それが人間として正しい反応だと元長波は知っている。大半の人間はふだん論理的に思考していない。だから純粋に合理的な思考から導き出された結論はしばしば非常識なものとなる。

 

 たとえばシャングリラ事件に端を発する〈ネビルシュート作戦〉は、報復の面がいささか否定できない拙速で非合理的で非生産的な作戦だった。だが断行された。主権者たる国民の報復感情と政府への不信を政権は無視するわけにはいかなかった。ゆえに理のために報復合戦という情緒的な作戦がとられた。

 

 情緒は合理的ではないが、情緒をないがしろにするのも合理的ではない。それは司法もおなじかもしれない、と元長波は思う。

 

「社長の会社をぼくらもテレビで見たんですけど、せっかく社長に雇ってもらったのになんども裏切るどうしようもない人がいたじゃないですか。助けてほしいなら、ちゃんとせいいっぱい手を伸ばすべきなのに、受け身に徹するどころか助けてもらう自覚もない。そんな更生する気がない人まで面倒を見る義務が、果たして社会にあるんでしょうか?」

 

 男子学生が言い募る。

 

 そのとき放送された特集では、元海風が金沢刑務所に迎えに行き、再雇用するも窃盗を繰り返して同居人の銀行口座から三十万円を詐取したあげく行方をくらませた男性の話題も出ていた。放送後にテレビ局の公式アカウントが動画サイトに投稿した同番組のコメント欄には、その男性に対する罵倒が並んだ。甘ったれたくず。社会のゴミ。やたら自分の不幸を呪っているが、おなじ境遇でもまじめに働いている人もいる。性別や家庭環境や不運や社会制度や政治のせいではなく、ただ単にこいつ個人が無能で怠惰で邪悪で向上心がないくそ野郎なだけ。救う価値はない。

 

 それらのコメントのなかには元海風をなじる言葉も混じっていた。犯罪者とかいう精神の奇形児を更生できるなどと本気で信じている、頭のおめでたい艦娘あがり。

 

「努力して立ち直って真人間になる、という構図はとても美しいものです。だれだって、支援するならひたむきに努力する人間に手を差し伸べたいと思います」

 

 と述懐する元海風が、忸怩たる思いを込めているように元長波には思える。

 

「けれど、本当に支援を必要としているのは、努力できない人間、あなたのいう更生する気のない人間なんです」

 

 五年再入率を出所事由別で見ると、仮釈放だったものは三十%、満期出所者は四十八%となっている。仮釈放が叶う者より、満期でないと出られない者のほうが出所後に再犯しやすいということを意味する。

 

「模範囚にもなれないような人を面倒見切れないから好きにしろと放っておいても、なんのプラスにもなりません。本人にとっても、社会にとっても。支援したくならないような人こそ、真に社会が支援しなければならないのです。助けてほしいと手を伸ばしてくる人しか救わないのでは本当の解決にはなりません。受け身に徹していたり、こちらの手を払いのけようとするなら、襟首を掴んででも、無理やり正しい道に引きずり出す、それくらいの傲慢さも必要だと思っています」

 

 それから元海風は訊ねる。「刑務所や少年院に見学に行ったことがある人、いらっしゃいますか?」

 

 手を挙げるものはいない。彼らのゼミでは刑事施設への見学は四年次となっている。

 

「荒くれものが幅を利かせる無法地帯を想像しているかもしれませんが、実際には少し違います。受刑者には、境界知能とよばれる人たちが多くいます」

 

 厚労省が定める知的障害の三要件は、

 

 一、知能検査によって確かめられる知的機能の欠陥

 二、適応機能の明らかな欠陥

 三、これらふたつが発達期(おおむね十八歳まで)に生じること

 

 とされている。このうち知能検査ではIQ70以下が知的機能の欠陥にあてはまる。

 境界知能とは、知的機能がIQ70から84に該当し、知的障害というほど知的欠陥があるわけではないが平均を大きく下回る、知的障害者と健常者のあいだにいる存在となる。

 

 本当の知的障害者ならある意味で周囲の理解も得られ、公的支援も受けられる。しかし境界知能はグレーゾ―ンに属していて法的に知的障害とは診断されない。そのため教育や福祉の支援に繋がらず、社会的孤立・経済困窮に陥るケースが多く認められる。

 

「みなさんのクラスメイトにもいませんでしたか? 知的障害とまではいかないけれど成績が低く、スポーツも苦手で、手先も不器用で、自分の話ばかりして、しかも面白くなく、理解力がないのにそれを相手の説明の仕方が悪いと責任転嫁し、プライドだけは高くて、頑固で怒りっぽく、乱暴で、なにかにつけ周りを不愉快にさせ、気が利かず、自分からは仲間に入りたいとはいわずに誘われるのをただ待つだけで、幼稚で、仕草が不自然で、清潔感がなく、顔つきもどこか変で、いじめられていても同情する気が起きない、生理的に受けつけられない、気持ち悪い子」

 

 大学生らは顔を見合わせる。即座に否定はしない。それが答えだ。

 

「誤解のないようにいっておきますが、境界知能だからといって必ずしも犯罪者になるわけではありません。彼らの大半はまじめに生活している善良な一般市民です。これからお話しするのはあくまで傾向の話です」

 

 元海風は前置きしたうえで、

 

「境界知能の人は、日本では全人口の十四%いるといわれています。七人に一人ですね。だからみなさんも今まで何人かは出会っているはずです。ところが昨年度の新受刑者に占める境界知能の人の割合は三十六%にも上ります*3。つまり刑務所には人口比の二.六倍もの境界知能がいることになります。一例を挙げます」

 

 ひとりひとりの目を見ながら語る。

 

「その男性受刑者は殺人と死体損壊遺棄などの罪で服役していました。八歳の女の子を誘拐し殺害したのち、バラバラにしてごみ袋に詰め、可燃ごみの日に出しました。そのごみ袋は彼が普段から生活ごみを捨てるのに使っていました。自分宛ての郵便物まで入っていました。年金事務所や市役所からの催告書とかも。だから死体を遺棄したのがだれかすぐにわかって逮捕されました」

 

 大学生たちは信じられない顔をしている。

 邪魔にならないように部屋の隅で聞いていた元長波もおなじ顔になる。そいつはばかなのか?

 

「彼がそんなすぐばれるような真似をした理由は簡単です」と元海風。「死体と同じごみ袋に自分の名前が入った郵便物が入っていたら捜査の手が及ぶ、それが想像できなかったからです」

 

 その犯人は精神鑑定の過程でIQが境界知能の範囲内にあると診断された。境界知能の人間は、死体と一緒に自分の生活ごみを詰めたら犯人だとばれてしまうという簡単な未来予測、因果の予想、論理の組み立てさえもがむずかしい。よって後先を考えることができない。

 

 犯人の男が取り調べや裁判で語ったところによれば、車を運転していたら、たまたま被害者の女の子を見かけ、好きになったので車に乗せようとした。抵抗されたので首を絞めて気絶させ、自宅で性行為に及ぼうとした。すると目が覚めた被害者に騒がれて、静かにさせるために殺してしまった。とりあえず当初の目的を果たすため遺体を犯したあと、運びやすいようパーツごとに分解して、ごみと一緒に捨てた。なかったことにしたかった。

 

「最初から最後まで、衝動的で場当たり的な行動に終始しています。これが五十歳近い成人のしたことです。そんな人がまともに就職などできるはずがありません。境界知能は、日常生活も犯罪も満足に遂行できない人たちなのです」と元海風はいう。

 

 その幼女殺人犯の裁判では、裁判長に「自首しようとは思わなかったか」と質問された男はにやにやと笑いながら「自首ってなんですか」と訊き返し、説明されると「そんな制度があったなんて知りませんでした」と答えた。一般常識を知らない四十九歳。それが境界知能の人間を端的に表していた。男が終始にやついているのでいら立った裁判長が注意する一幕もあった。

 

 最終的に男は責任能力ありと判断され、無期懲役に服している。無期懲役の仮釈放審理は刑執行後三十年が過ぎた受刑者しか対象とされない。男もおそらく残りの人生のほとんどを塀の内側で過ごすことになるだろう。

 

「受刑者にはそんなふうに知能に問題がある人がたくさんいます」元海風の声が響く。「いわゆるヤンキーとよばれる人たちにも境界知能のケースが多く見受けられます。境界知能は目先のことしか認識できないといいました。だからヤンキーとか暴走族とかは、法律は守らないのに仲間との友情を大切にし、地元の先輩のいうことは守る。彼らの知能では、目の前に実際に存在するミクロで単純で具体的な関係しか認識できません。社会という、もっとマクロで、複雑で、抽象的な概念は理解できないんです。見えている世界がひどく狭いから、先輩やその地域を取り仕切っている反社にいわれたらそれが正しいことだと思い込む。法律などという形のないものが、目の前にいる怖い先輩より強いとは、どうしても思えない。ある日、その先輩に命令されたとおり万引きをする。盗んできましたというと、よくやった、これでおまえも男だ、と褒められる。うれしい。そうしていわれるまま犯罪を繰り返し、気づけばそのさらにバックにいる暴力団や半グレの使い走りとなって、受け子や強盗の実行犯になり、人生を搾取されてしまう」

 

 学生たちは聞き入っている。元海風は彼らに訴えかける。

 

「境界知能の受刑者に共通しているのは、一見すると礼儀正しく、おとなしいということです。殺人や強盗、強姦といった凶悪犯罪の犯人ですら、面会に行ってみると、好青年そのものという印象を持つ場合が多いです」

 

 女児を殺してばらばらにした男も、元海風の面会時には礼儀正しかった。というより「礼儀正しすぎた」。笑顔が仮面のようだった。詳しく話していくと違和感が次々に表出した。まず語彙が極端に貧困だった。また、あいさつの声は大きくはきはきとしているが、世間話のように高度で複雑な会話となると発語が不明瞭になった。元海風は訊いてみた。「自分をどんな人間だと思いますか」。男は自信満々に答えた。「優しい人間だと思います」。元海風は「でも、あなたは幼い女の子を殺した罪でここにいるわけですよね。それは優しい人間のすることでしょうか」と重ねた。男はにやにやしながら戸惑った。それからしばらく悩んで「うーん、違うんですかね」といった。

 

 おそらく男は周囲の人間の行動を表面的にコピーして過ごしてきたのだと思われた。礼儀正しく振る舞っていると褒められるからそうする。あいさつは毎日使うし、だれに対しても同じ定型文でよいのでいつも弾倉に装填できている。だが相手の機微を読み、時と場合により使い分ける必要のある世間話となると、ストックがないため空撃ちになる。自分を優しい人間だといったのも、おそらく子供のころに親にいわれた言葉をそのまま持ち出してきただけで、本当に自分を客観的に見つめて下した評価ではない。にやにやしていたのは、だれかと会話しているときには人は笑っているものだと学習し、まねをしているだけで、悪意があるわけではない。

 

 すべて他人の言葉と行動を咀嚼もせずに模倣しているだけで「礼儀正しく振る舞うのはなぜか」「人はなぜ笑うのか」「いまは笑うべきか」という、健常者なら息をするようにできる掘り下げと判断をしたことがない。それを可能とするだけの知能がその男には欠けていた。男なりに「ふつうの人間」になろうとして必死にまねをしてきたのだろう。しかし結局は表層をなぞるだけで本質を理解していないため、独力では善悪すら判断できず、結果的に子供を殺めるという罪まで犯すこととなった。

 

 元海風はその男と会話していて、カサブランカで遭遇したネ級を思い出していた。水着とサンダルとフロートグラスで人間のまねをしていた深海棲艦。グラスにはなんの飲み物も入っていなかった。「なにをする道具か」も考えず、ただ擬態をしていただけ。男もまた人に擬態した何か別の生物に思えた。

 

 それは自分もおなじだと元海風は思った。ふつうの人は、親類縁者が並んで「おかえり」と帰還を喜んでくれているベランダに花火など打ち込まない。元海風もまた戦争で「人の姿をした何か」になってしまった。そこから元の人間に戻るには、人間のふりをしなければならなかった。どんなときにどんなふるまいをすればいいのか、パターンを覚えて再現する必要があった。ときとして自分があの水着姿のおぞましいネ級とおなじに感じられた。

 

 だから元海風は境界知能の犯罪者も決して生きる価値がないとは思わないようにしている。たとえ、元海風に「被害者の女の子はあなたのことをどう思っていたと思いますか?」と訊かれた男がにやにやしながら「喜んでいたと思います」と答えようとも。

 

 境界知能だけでなく、人によってはさらにADHD(注意欠陥多動性障害)やASD(自閉症スペクトラム障害)などの発達障害、パーソナリティ障害の併発も絡んでくる。ひとくくりにはできない。個人個人を正確に診断し、適切な支援プログラムを組まなくてならない。しかしある程度の共通点は見られる。

 

「彼らは謝罪を“ストレスになる話題を終わらせるための言葉”と認識している場合が多く見受けられます。自分の非を認めるのではなく、謝ったからもういいだろう、という意味ですね」

 

 ゆえに、こんな会話が交わされることになる――「どうしてこんなことをしたのですか」「すみません」「すみませんではなく、理由を訊いています」「いや、だからすみませんっていってるじゃないですか。謝ってるのになんでおなじことを何度も訊いてくるんですか。もういいじゃないですか、謝ったんだから」。過失のストレスと向き合い、正直に非を認め、再発防止策を提示し、場合によっては損害を補償することで誠意を見せるには、忍耐が必要になる。忍耐には知能が要求される。彼らにはそれがむずかしいため、ストレスからの逃避行動として「すぐに謝ってその場を乗り切ろう」とする。謝ることの本質を理解していないし、できない。

 

 ほかには、と元海風がいう。

 

「それまで接してきた人が、みんな自分を攻撃してくるか気持ち悪がるかばかりだったため、彼らは他人を信用することを知りません。支援の手を差し伸べると、彼らは拒みます。“いままでだれかに相談して解決したためしがない。だからもういい”と」

 

 わたしもだ、と元長波は思う。退役後、戦争体験に起因するPTSD(心的外傷後ストレス障害)やTBI(外傷性脳損傷)の苦しみを、元長波の家族はだれも理解できなかった。元長波には、理解されてたまるか、という気持ちもあった。戦争に行ったこともないやつになにがわかる、と手を払いのけた。だから元朝霜に連れられた復員艦娘病院で、「きちがい病院」への入院を勧められても、最初は断った。元長波が戦後になって学んだ数少ないことのひとつが、他人や社会に期待するだけ無駄だということだった。結局無駄だった。元通りには戻らなかった。もういいや。なにもかも。二十年前、支援プログラムを卒業した日、元長波はそうして他人との繋がりを絶った。

 

 元海風の話は続いている。

 

「総じて自分自身の人生をあきらめているから、立ち直ろうとする気持ちもありません。むしろ進んで自分を壊したがっていることさえあります。本人としてはセルフネグレクトでぼろぼろになることで、おまえたちが構ってくれなかったから自分はこんなふうになってしまったんだぞと、社会に見せつけて、罪悪感を味わわせてやりたい、ざまあみろといいたい。すねている、といってもいいかもしれません」

 

 元海風は学生たちに理解する時間を与える。それからふたたび口を開く。

 

「みなさん、いままで学校で出会った境界知能と思われる同級生を思い出してください。気持ち悪い子や、粗暴な不良少年たち。その人たちが、罪を犯し、反省の色も見せず、出所後にその人の知能に見合った職業を斡旋してあげても、そんなきつい仕事できないとわがままをいう、あるいはもっと楽に稼げる仕事を探してこい、役立たず、とののしる。国から協力雇用主の奨励金をもっといっぱいもらっているだろう、全部よこせと怒鳴る。他人をどこまで信用していいかわからないから、支援者にあれもこれもと要求し、とことんまで甘える試し行動に出る。がまんの限界に達した支援者に諫められると、じゃあもう働いてやらないと不機嫌でこちらをコントロールしようとする。自分には才能があるはずだからと勉強も努力もしない。それでいて性欲は旺盛で、おまけに認知の歪みもあり、異性は自分に言い寄られたらみんな喜ぶものと思っている。断られると、裏切られたと勝手に勘違いして怒り狂う。あまつさえ、また衝動的に事件を起こす。そして謝罪しない。でも、見放すわけにはいかない。彼らをこそ支援しなければならない。――これが、加害者支援のひとつの実態です」

 

 学生たちは言葉もない。

 

「深海棲艦のほうが楽ですよ。殺せばいいだけですから。何度裏切られても、唾を吐かれても、信じなければいけないっていうのは、深海竹棲姫よりも強敵です」

 

 元海風は自身が参加した作戦で最も難攻不落を誇った敵の名をあげた。深海棲艦と比べられた社員らも苦笑をもらす。

 

「それに、わたしも元とはいえ犯罪者ですからわかるのですが、境界知能も健常者も関係なく、犯罪加害者は基本的に自分を加害者だと思っていません。むしろ被害者だと思っています」

 

 法の学徒たちが意表を衝かれた顔を並べる。

 

「人は自分が加害者という事実に耐えられるよう設計されていません。たとえば殺人の加害者は、相手は殺されても仕方がないくらい非があったのであって、部外者が結果だけ見て勝手なことをいうなと思っています。あおり運転の加害者は、向こうが先に割り込んできたとか、のろのろと遅く走るとかしてこちらを挑発してきたから仕返ししてやっただけだと思っている。いじめの加害者は、いじめを当然の権利だと思っているから、大人しくいじめられない被害者に対し、権利を侵害されたと思っている。自分が困っていたときにはだれも何も助けてくれなかったくせに、自分が法に背いたときに限って警察が飛んできて、したり顔で説教して、法の裁きを受けさせるのはアンフェアだと思っている。犯罪者のメンタルとはそういうものです」

 

 元海風はそう説いて、

 

「ですから反省しようがありません。自分が悪いとはみじんも思ってないんですから。なのに反省させられると、自分だけ理不尽な目に遭ったと思い、さらに被害者意識が強くなります」

 

 想像してみてください、と続ける。

 

「相手のほうからから先に殴ってきて、身を守るために殴り返した、すると喧嘩両成敗で、自分も相手と同じ罰を受けさせられたとしたら? 納得いきませんよね。そうして怒りと憎しみが募り、自分より弱い人間にぶつけて発散することで、自己の尊厳を取り戻そうと考える。反省させるとは、そういう危険な人間を育てることと同義といえます」

 

 しかし警察も裁判も刑務所も、弁護士さえも反省を求める。反省すればその場はしのげる。減刑も期待できる。であれば犯罪者からすれば、裁判官や看守の前では本心を隠して反省しているふりをするのが最適解となる。

 

「なぜその犯罪者が罪を犯したのか、根本的な原因を司法は解決してくれません。その加害者が貧困から犯罪に手を染めたとして、反省させたって、お金の心配はなくなるわけじゃありませんよね。少なくない犯罪者が、裁判や刑務所では反省している様子を見せるのに再犯を繰り返すのは、こんなロジックがあるからです。反省させるのは無駄どころか、有害でさえあります」

 

 元海風に元長波は無言で共感する。ふたりとも現役時代は重営倉の常連だった。反省を営倉から出るためのパフォーマンスとしか捉えていない。

 

「はっきりいいます、うちの会社にはご存じのとおり元受刑者の社員が大勢いますが、反省することをわたしは彼らには期待していません。口ではなんとでもいえるからです。わたしはただ仕事を与え、働きに見合った給料を与え、キャリアを与え、居場所を与え、互いに承認しあう仲間を作ってもらっています。こんどまた犯罪に手を出せば、それらすべてが失われる。まじめに仕事をしていれば稼げていたであろう収入も、服役中は月給数百円になる。その恐怖心を抑止力にするしかない。失うものがある人間は、自分のためにこそ再犯を思いとどまろうとするはずですから」

 

 その言葉に社員らは動じていなかったが、学生らには戸惑いが見られた。悪いこと、まちがったことをしたら反省しなければならないと教え込まれてきた学生たちにとって、反省を必要としない元海風の思想は、奇矯で、また冷徹であるようにも映った。この会社では過去の犯罪の反省などなんの意味もなさない。ただ真っ当な人生を歩みつづけているという結果だけが求められる。それは2水戦教育課程前期で教艦たちに口を酸っぱくしていわれた「やる気があるなら態度で示せ」と同じだと、元長波だけが気づいている。

 

「では、環境が人を犯罪者にするということでしょうか。もともとの根っこから悪い人はいないと?」

 

 別の女子学生が訪ねる。

 

「環境が善良な人を追い込んで犯罪者にしてしまうことは多々あります。一方で、生まれながらに性根の腐っている先天的な社会不適合者もまた存在します」

 

 元海風は答えて、

 

「おなじ家庭で、おなじように愛情を注がれて育って、ほかのきょうだいが真っ当な人生を送っているのに、なぜかひとりだけが刑務所を出たり入ったりしているケースもあります。幼少期からすでに小動物を虐待して楽しむ犯罪者気質の人もごまんといます。たとえば痴漢や盗撮は、孤独な変質者がするものというイメージがあるかもしれませんが、犯人の大半は定職に就いている既婚者男性です。はたから見て充実した人生を送っていても、いびつな欲望を満たしたいがために罪を犯す人はたしかに存在します。先天的な犯罪者予備軍といってもいいでしょう」

 

 けれど、と繋げる。

 

「たとえ生まれつき犯罪者の素質を持っていたとしても、現実に犯行に及ばなければ問題はありませんよね。そういう人たちに、罪になる欲望を抑える意欲と手段を与える、これもまた、わたしのような前科者や、協力雇用主の使命だと思っています」

 

 元海風の信念に圧倒されている大学生たちを、さっそく実務に就かせる。班分け。元暴力団員で半グレだったろくでなしのもとに、犯罪者が社会復帰できなくて苦しむのは自業自得と主張した男子学生を含む数人が配属される。緊張が走る。

 

 元長波は、社長の元海風の知り合いだと学生らに名乗り、同行する許可をとりつけた。「邪魔して悪いね。いないもんだと思ってくれていいから」

 

 ろくでなしが学生たちを引率し、いつも清掃している雑居ビルに向かう。エントランスには実際に勤務しているかはわからない華やかな女性たちのパネルが並び、性を買えと手招きしている。

 

 ろくでなしがマスクとゴム手袋の着用を学生らに促す。バケツ。ぞうきん。モップ。金たわし。酸性洗剤のスプレーボトル。「洗剤が皮膚についたらやばいんで、気をつけてください。あと吸い込むのもよくないです」ろくでなしがしゃがむ。「タイルの隙間の黒ずみとかをやっつけるのがおもな仕事ですね」洗剤をふきかけ、金たわしでひたすらこする。苦労して汚れがとれる。「こんな感じです。ちょっとやってみますか」それに学生たちが応じる。

 

 床磨きの作業をしていると、ひとりの学生が咳き込み始める。自業自得だといっていた男子学生。「大丈夫ですか?」ろくでなしが訊く。学生はマスクの内側で咳をするばかりで答えられない。ほかの学生たちも程度の差はあれ喉がつらい様子を見せる。

 

「洗剤のせいですね。慣れないうちはどうしても咳が出るんです。なんでしたら外の空気吸ってきてもらっても」

「身体に悪いのでは?」咳のあいだから男子学生がいう。

「よくはないでしょうね。でもこの洗剤じゃないと落ちないんで」

「じゃあどうすんですか?」

 ろくでなしは少し悩む。誠実な答えを出す。「慣れるしかないですね」

 

 ろくでなしが学生たちの前で黙々と作業する。床の汚れを落としながら、以前、不注意から洗剤が手に付着した失敗談を話す。「痛かったですね。やけどみたいになりました。水でちょっと洗って、絆創膏貼って仕事して、帰ったら社長が手を見てびっくりして、病院にいかされました。お医者さんからも怒られました。一歩間違えば、見た目が治っても二度とものが握れなくなるところだったって。皮膚についたら最低でも二時間は水で洗い流せっていわれました」

 

 床には吐き捨てられて黒くなったチューインガムもある。ろくでなしが中性の剥離剤を塗り、ぞうきんで拭く。一度では完全に除去できない。何度も繰り返す。何度も何度も。そうしてやっとガムが一個取り除ける。路面に黒い水玉となったガムの残骸はまだいくらもある。手伝う学生たちが早くも腰がつらそうな顔をにじませる。

 

 次に訪れた雑居ビルには、一階から二階につづく階段に大量の吐瀉物が撒き散らされており、大きなゴキブリが触角を蠢かせて何匹もたかっていた。人の接近を感じて散らばっていく。エレベーター内は尿とおぼしき液体で足の踏み場もない。学生たちは顔をしかめる。

 

「このビルはホストクラブが入ってるんで、これくらいはふつうです。お酒飲んだあとのおしっこは時間が経つと特別臭いですからね。でも、きょうはうんちがないだけまだましです」

 

 嘔吐物を介してノロウイルスに感染するおそれもあるため、学生らは一階の階段下で待たせ、ろくでなしがひとりで清掃に取りかかる。ビル一棟をきれいにしても、あすになればまた同じように吐瀉物と尿と糞便で汚される。

 

「みなさんは大学に行かれるくらいですから、たぶん就職するにしても、やりがいがあって、スキルアップとかキャリアアップとかできる仕事じゃないと、むしろ嫌だって思うかもしれないんですけど、ぼくはむしろ、毎日おなじことの繰り返しのほうがいいというか、それ以外無理なんですよね」

 

 バケツにポリ袋を二枚重ねたろくでなしが、ペーパーで階段の吐瀉物を包み込む。バケツのポリ袋へと捨てる。

 

「決まったことしかできないし、口でいわれた指示も覚えていられない。半グレで詐欺やってたころも実行犯しかできなかったですからね。だからぼくは来る日も来る日も、同じ町のビルを同じ手順で掃除するこの仕事が、たぶん天職なんだと思います。毎日おなじことの繰り返しっていうのが」

 

 吐物をすべて拭き取った階段にペーパーを敷き、その上から〇.二%の次亜塩素酸ナトリウム消毒液をふりかける。消毒を待つあいだに壁や手すりも念入りに拭く。一メートルの高さから嘔吐した場合、吐瀉物はその周辺の半径二メートルまで飛び散る。飛沫ひとつ残さない。消毒液を浸したペーパーを壁にはりつける。

 

 仕上げに水拭きし、新しい手袋を着用して、バケツに二枚重ねしているポリ袋の内側の袋の口を締める。手袋を内側と外側の袋のあいだに入れ、袋の口を結ぶ。手馴れている。

 入念に手を洗ってアルコール消毒したのち、エレベーターの尿を清掃する。きらびやかな繁華街を陰で支える清掃業を学生らが目の当たりにしたのはこれが初めてだ。

 

「バイトとかしてるんですか?」

 

 作業するろくでなしが沈黙に耐えられずだれにともなく訊ねる。

 

「アパレルとか、ラーメン屋さんとか、あとカフェとか、家庭教師とか」

 

 女子大生にろくでなしは吹き出す。「そんなに? ぼくより全然きつい。ぼく、接客とかたぶん無理です。すごいなって思います」

 

 ろくでなしが暴力団から半グレに流れたのはここにいる学生らとおなじ年齢のころだった。

 

「朝、決まった時間に起きるのがめちゃくちゃしんどくて。暴力団も思ってたのと全然違ってたんですよ。幹部でも一日三食袋ラーメンとか。稼げないのに少年院より規則がきつい。それで半グレに。楽しかったですね。好きな時間に寝たり起きたりして、友だちと遊んで、好きなもん食って、それが当たり前だったんで。なのでいまの生活は正直、しんどいです。毎日朝六時に起きて、八時に仕事始めてっていう、それがふつうなんでしょうけど、そのふつうの生活が疲れるっていうのはありますね」

「辞めたいって思ったこととかは」とほかの学生。

「あります。半グレのころって、いまの月給が一日で稼げてたんですよ。だから使えるお金の少なさっていうのが苦しいんですよね。また犯罪したほうが楽だろうなって、毎日思ってて。毎日、その葛藤と戦ってます」

 

 ろくでなしは覚醒剤の犯歴もあった。

 

「好きなことして、好きなもん食べて、いつも友だちと一緒にいて、シャブ食って。そのときの思い出が夢に出てくるんですよ。もうひとりの自分がいってくるんです、いまのこの正しい生活しててなんになるんだって。でも、かみさんや子供や社長の顔を見るたび、とにかくきょう一日がんばってみようって言い聞かせてます」

 

 ろくでなしは出所時、実の家族にも身元引受を拒否された。ろくでなし自身も出所の日を「怖かった」という。

 

「出てなにをすればいいんですか、行き場もないのにって、刑務官の人に訊いても、“犯罪でなければなにをしてもいい。自由の身なんだから”っていわれるだけで。いっそずっと入っていたいなって思ってました」

 

 出所後の居場所と、するべきことを教えてくれたのが、元海風だった。

 

「僕がまじめに働けば、前科者でも使い物になるんだってなって、社長みたいに協力雇用主になろうっていう人が増えてくれるかもしれない。それでちょっとは今までやってきたことの帳尻が合うんじゃないかなって。それを心の支えでもあります」

 

 悪臭を放つ尿をペーパーに吸わせるろくでなしの言葉が、ドアをひらきっぱなしのエレベーターに響く。

 

「中学高校のころはいわゆる非行少年だったんですけど、そのたびにお母さんが警察や相手方に土下座して謝るわけです。それが楽しかったんですね。大嫌いだったんで。ぼくより宗教の決まりをだいじにするお母さんに迷惑をかけたくて、非行してたっていう。でも、社長にだけは、ぼくのために謝らせるようなことしてほしくない。それはぼくが耐えられない」

 

 すると、犯罪者を厳しく断罪していた男子学生がいう。「手伝いたいです。なにをすればいいですか」

 

 ろくでなしの指示で、学生たちが大量の尿をペーパーで拭く。狭いので入れ代わり立ち代わりになる。作業そのものはろくでなしがひとりで行なったほうが早い。それでもろくでなしの顔には優しい笑みがある。

 

 その光景をじっと見つめる元長波も痛感している。解体され、退役して、一般社会に溶け込もうとして、ついにできなかった。元長波がふつうの生活になじむには、変わらなければならなかった。しかも、ある日突然に変われて、それ以降はその努力が不要になるわけではない。変わりつづけなければならなかった。毎日決まった時間に起きて、仕事に行き、どんなトラブルがあってもタスクをこなし、命令がなくとも自分の意思で技能を増やし、さらにはプライベートも充実させなければならない。まるで人ならざる怪異が無理して人に化けるように「ふつうの人」のふりを毎日続けなければならない。そのむずかしさは身に沁みている。

 

 昼過ぎになり、昼食のため一行は会社へ戻る。事務所で社員と学生らが弁当を開く。そのなかには元海風の姿もある。

 

「暑くない?」元海風がろくでなしに思わせぶりにいう。「脱いだら?」

 

 意図を察したろくでなしが立ち上がり、学生らに背を向けてから服を脱ぐ。

 

 現れたのは肌をカンヴァスにした極彩色。筋骨隆々とした背中に大正三色の錦鯉が躍動し、瀑布が弾け、肩、腕にいたるまで牡丹が咲き乱れる。まるでそういうシャツを着ているかのような和彫りに覆われた上半身。しかしところどころに彩色がなく線画だけとなっている。複数回にわたる施術を途中でやめたためだ。

 

 それでも生まれてはじめて目にするであろう刺青の迫力に、学生らの箸が止まる。

 

「彼はもう温泉に入れないの。サウナにも行けない。人前で脱いだらこんなふうに変な目で見られる。一生」

 

 元海風の言葉に学生らはなにもいえない。ろくでなしも後悔を滲ませる。「若いころは将来のことなんてなんにも考えてなかったんで。墨入れたら強くなれるって思ってたんですよね。こんなもんをかっこいいと思ってた」それからふざけてボディービルのポーズを真似る。学生らが笑って緊張を解く。

 

 昼食後、職業体験を再開し、夕方になる。

 会社の前で、元海風が職業体験を終えた学生たちにねぎらいと感謝の言葉をかける。それからいたずらっぽく訊いてみる。

 

「どうでしたか、うちの元犯罪者たちは」

 

 例の男子学生が真っ先に答える。「思ってたよりふつうの人でした」

 

「そうなんです。ふつうの人なんです。逆にいえば、ふつうの人でも、なにかのきっかけで犯罪者になってしまうんです」

 

 元海風に学生たちはいずれも真剣な眼差しをしている。

 

「もし将来、警察官になったら、悲惨な事件ばかりを目にして、犯人が憎いと思ったりするかもしれません。犯罪を繰り返す前科何犯とかいう人をたくさん見て、犯罪者は反省なんかしないクズばかりなんだと思うかもしれません。そのときは、うちの社員と一緒に働いて、一緒にごはんを食べたきょうのことを思い出してください。加害者がふたたび加害者にならないためにはどうすればいいか、それを頭の片隅に置いておいてくれるとうれしいです」

 

 学生たちが社員らと握手を交わす。相手に対する印象が変わったのは学生たちだけではない。ろくでなしを含む社員たちも、警察官を志す清廉な身の上の学生たちをどこか警戒していたが、いまはすっかり境遇の垣根を越えて、友人のように接している。

 

 犯罪認知件数が減少する一方で、再犯率が過去最高を更新しつづけるなか、刑務所のあり方も大きく見直されつつある。

 

 今般、刑罰の懲役刑と禁固刑を廃止して一本化し、拘禁刑が新たに創設されることになった。従来の刑務所は懲罰を主眼に置いていたが、拘禁刑制度のもとでは、受刑者に一律の刑務作業を義務付けるのではなく、再犯防止のセラピーや、個人の特性を生かした効果的な職業訓練などを柔軟に取り入れ、更生に重きを置いている。

 

 元海風たちが学生らを見送るなか、元長波の携帯電話が着信を知らせる。元長波が電話をとる。「よう。……ああ、わかった。悪いね、無理いって……そういってくれると助かるよ。――それは会ってからのお楽しみさ。だろ? ああ、それじゃ」元長波は通話を切る。

 

 応接室の窓からは片町が一望できる。黄昏を浴びて繁華街が寝ぼけまなこをこすっている。まばらに灯りはじめる看板やネオンの明かりは起き抜けのあくびにも見える。空が暗くなるにつれ街が星々から奪った輝きで着飾り、人通りが増え、生々しい活況に満ちる。

 

「わたしたち協力雇用主がいない世の中がいちばんですね」

 

 ふたりだけになった応接室で、元海風はソファに腰掛ける元長波を介助しながら、凪の海にそよぐ風のように笑う。

 

「社会が一丸となって、どんな企業も元犯罪者を普通の人と同じように従業員として受け入れてくれれば、協力雇用主制度なんて不要になりますから」

 

 元海風自身、最初の逮捕では執行猶予がついたが、二回目の逮捕で懲役合算三年半、三回目で懲役二年半、四回目で懲役三年、五回目で懲役三年半。二十代から三十代という人間の人生が決定される最も重要な時期を、薬物と刑務所で無為にした。

 

「最後に出所したとき、三十七歳になっていました。その年齢ではたとえ前科がなくても就職もままなりません」元長波の向かいのソファに座りながら元海風がいう。「そもそも、何億円ぶんもの修復材と武器を頼りに深海棲艦の群れを皆殺しにする以外、これといってスキルもありませんでしたしね。わたしが路頭に迷わずにすんだのは、努力したからとかではなく、単に継父がこの会社を持っていて、縁故入社できたからです。運がよかったんです。なら、その運をわたしと同じ出所者たちのために使うべきだと思い、協力雇用主に」

 

 轟沈しなかった艦娘は社会に戻ってきた。犯罪者も、服役を終えれば社会に戻り、だれかの隣に住む。その点では艦娘と犯罪者のあいだに大した違いはないのかもしれないと元長波は感じている。

 

「やっぱりいまでも疑われる? 近くで薬物がらみの事件があると」と元長波。

 

「ええ、従業員や塾生が問題を起こすと、警察はまずわたしを尿検査しますし、車を運転していて検問を受けたときに、免許証を照会したら、おしっこいいかなって必ずいわれます。前科(マエ)が連合艦隊組んでますからね。あたりまえです。わたしが彼らでもおなじことをします」と元海風。

「いやになったりしない? いい加減うんざりするとか」

「してはいけないんです。それだけのことをしてきたので。むしろ、体にクスリが入っていないことを証明できるんですから、拒む理由がないですね。ですから従業員にも言い聞かせています。あなたたちは前科があるからなにかあるとすぐに警察に疑われるけれど、それを更生を邪魔しにきたとふて腐れてはいけない、自分がまじめに社会生活を送っていて事件とは無関係だというのなら、堂々と応じればいいだけ、なぜなら警察に協力するのもふつうの市民の務めだから、と。出所者の大半は警察を敵だと認識しているので、そういうと驚いた顔をされますけどね」

「わたしはおまえがきれいごとをいってることに驚いてるよ。エイジャックス*4で歯磨きでもしたのか?」

 

 気の知れた駆逐艦娘どうしだけに許された軽口に、元海風は総入れ歯を見せて笑う。その背後で、元海風にしか見えない涼風が無表情のまま、元海風の耳元で延々と呪詛を呟いている。

 

「退役したすぐあとは、あしたが来るのが怖かった」と元海風が窓から夜の街に視線を投げながらいう。「夜になって布団に入るたび、きょうも一日わたし抜きで世間が回った、ああ、きょうもほかの人たちは一日ぶん成長したんだろうな、わたしはなにもしなかったけれど、という思いで胸が沈みました。あしたもきっとそうだろうと」

「わたしもだよ。情けなさに泣きながら寝る毎日だった」

 

 元長波と元海風は共犯者の笑みを浮かべる。

 

「いまのわたしには、やることがあります。だれかの役に立っている。その実感のおかげで薬物に頼らずにすんでいるんです。なにかに夢中になっているあいだはクスリのことを忘れられる。立ち直り支援は、わたしのためでもあるんです」

「わたしらみたいな年寄りには“きょうよう”がだいじだからな。“きょう行くところ”、“用事があること”。きょうよう。おまえはちゃんとそれを自分で作ったんだ。自覚ないかもしれないけど、それはとてもすごいことだよ、ほんとうに」

「ありがとう。でも、作ろうとしていなかったのが、解体直後のわたしだったの。自分で自分を変えようとする面倒くささから逃げていただけ」

「わたしなんて!」元長波は笑う。「変えようとしたのがほんの一か月まえだぜ! それも脳腫瘍にケツ蹴られて、ようようやっと」

 

 それに元海風もころころ笑う。

 

「訊いていいのかわからないから、気に入らなかったら殴ってくれ。どうしてシャブを?」

 

 という元長波に、元海風が自身の内面を見つめる目になる。微笑みを浮かべたままの元海風には、最後の部下のひとりだった涼風(すずかぜ)がすぐ横に立って、いまにも元海風の顔を覗き込もうとしているのが見えている。

 

「そのお話は、わたしが海風だったころから始まります」

 

 元海風にしか見えない涼風にも聞かせるように、彼女は語り始める。

*1
引く=買うこと。違法薬物を売ることを示す「押す」という隠語から。

*2
各年の出所受刑者人員のうち、出所後の犯罪により、受刑のため刑事施設に再入所した者の人員の比率

*3
法務省「新受刑者の罪名別 能力検査値」矯正統計調査。

*4
漂白剤。



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四   星空のバラード

 〈トーチ作戦〉のあと、元海風は内地で卵子を凍結保存し、それから改二になってリンガ泊地へ転属になり、最後にトラック泊地に配属された。

 

「そのときすでにわたしの体調は最悪でした。人と話をしているときだろうがなんだろうが、爆雷に覆い被さった有明ちゃんが胴体だけになるところや、明石さんの悲鳴や、最上さんのひらいたままの目や、煙草も吸えず力が抜けてぐにゃぐにゃになった玉波から腕を切り取る映像……それらが全部同時に再生されてしまって、話した内容を覚えていられない。なにを見ても聞いても食べても気分が悪くなるばかりでした」

 

 それでも元海風は助けを求めなかった。配属先の艦隊で元海風はベテランだった。弱みを見せていい立場ではなかった。部下の艦娘に陰で「あれじゃ海風じゃなく、臆病風だな」といわれるのが怖かった。努めて笑顔をつくった。強く頼りがいのある艦娘を演じた。

 

「思えば、当時のわたしは鬱だったのでしょうね」

 

 鬱病とは極度に悲観的になることではない。自分がいずれ必ず死ぬことを理解していながらも人が毎日笑って過ごせるのは、現実を極めて楽観的に装飾し、不安に靄をかける脳の魔法にかかっているからだ。この魔法が消えて恐ろしい現実を恐ろしいまま直視するようになった人間を鬱病と呼ぶ。だから希望的観測を奪われればだれでも鬱病になる可能性はある。

 

 元海風たちが現役だったころの海に希望はなかった。一秒前までくだらない冗談を交わしていた僚艦が目の前で物体になった。ならば一秒後の自分の生命をだれが保証してくれるのか?

 

 納得のいく理由や原因があるわけでもなく、ただ運がわるかったというだけで、僚艦たちのようになんの感動も脈絡もなく死ぬ。村雨たちチーム8の三十一名が死んだのはたまたま間接射撃の砲弾に被弾したからだ。最上と明石が被雷したのは彼女らの落ち度ではなく、学生寮にもたれかかっていた並び順のせいだった。その後に最上が砲撃を受けて右わき腹をえぐられたのはただの偶然だ。深海忌雷が玉波を襲ったのは、単に元海風より彼女のほうが忌雷に近かったからだ。

 

 そういった体験を何度も経るうちに、こんな考えが頭から離れなくなる。つぎはわたしだ。わたしはけっして特別な存在ではないのだ。わたしがこんにちまで生き永らえていることに明確な因果はなく、ましてわたしの実力でもなく、ただ運がよかっただけなのだ。いずれ運は尽きるぞ、あすにでも。――こうして脳の魔法が消える。

 

 魔法が解けてしまったものにとって、まだ魔法にかけられている人間はときに腹立たしく思える。なぜそんなに能天気に笑っていられるのか。なにも考えていないだけなのではないか。くそったれ。怒りが元海風の血圧を恒常的に一九〇まで上げた。だが元海風には駆逐艦海風という役割があった。小艦隊旗艦という役割があった。怒りを封じ込め、よき艦娘、よき旗艦であろうとした。

 

「玉波の脾臓の血を何度も何度も浴びる夢をみても、わたしは起床ラッパを放送で流す直前にスピーカーに電源が入る音で目を覚まし、総員起こしの声で飛び起きるためにベッドのふちを摑みました。明石さんの叫び声を聞きながら、部下に笑顔でおはようとあいさつしました。最上さんの何も映していない目のことを考えながら、内地のお母さんが恋しくて泣く十六歳の江風の話を聞きました。わたしは海風の名に恥じない艦娘でなければならなかったからです」

 

 元海風を知る艦娘たちは、だれもが彼女を「とてもいい人であり、尊敬に値する」と評した。人柄だけでなく、海中にひそむ深海忌雷を発見する技量でも信頼を勝ち取った。夜でも、暴風雨のなかでも、元海風は忌雷を目敏く見つけた。

 

 トラック泊地への赴任は終戦の直前だった。すでに深海棲艦の活動は減少傾向にあった。ウレコット・エッカクスによる「赤潮」も縮小の一途を辿っていた。世界は長らく――本当に長らく――続いた総力戦体制の出口戦略を模索しはじめていた。商船の護衛でも、哨戒でも、深海棲艦と遭遇しない日、つまりだれも沈まない日が何日も続いた。艦娘たちは信じられないという意味で「不漁だな」と笑いあった。学術分野で深海棲艦のレッドリスト記載が議論され始めたのもその頃だった。

 

「われわれは深海棲艦を沈めすぎたらしい」。当時、米国のホワイトハウス報道官は記者会見でそう語った。「深海棲艦はもはや組織的な脅威ではなく、あくまで野生動物と同レベルの、偶発的で散発的な事故に注意すべき存在に位置づけられるようになるだろう。サメやクマや毒蛇のように。獰猛で危険だが、生態系でなんらかの役割を負っている一員である以上、みだりに絶滅させるべきではない。われわれは必要ならこれまでの方針を転換する用意がある」

 

 これは主要先進国の共通認識となった。事実として元海風もトラック泊地勤務中の二年間で深海棲艦と交戦することは数えるほどしかなかった。せいぜい置き土産の忌雷を除去するくらいのものだった。

 

 この「海のデタント」のため、深海棲艦対策にしか用を成さない「艦娘」という兵種は存在意義を喪失した。潜水艦娘なら深海探査や測量、救難などにつぶしがきく。いまだ少数ながら遊弋する敵潜には海防艦娘でこと足りる。そのため戦艦娘・空母艦娘・重巡艦娘がつぎつぎと解体された。遠からず軽巡や駆逐艦にもその波は及ぶだろうと、本国から遠く離れた西太平洋カロリン諸島のトラック泊地にいても元海風たちは肌で感じていた。

 

「あの時代の移り変わり、空気の色までもが日を追うごとにどんどん変わって見えていた感覚は忘れられません。でしょう? あるとき、後輩の江風がわたしにいいました。“姉貴。海って、青いンだな”。生意気で、手間がかかって、かわいい妹。もちろん白露型の、という意味ですけれど。でも彼女にいわれて、わたしははっとしました。海を見て、わたしは初めて、きれいだと思えたんです。涙が出ました。ほんとうにきれいだった。さびしいくらいに」

 

 帰れる。しかももう二度と派兵されることはない。ほんとうの意味で家に帰れる。戦争は終わるのだ。艦娘たちはこの戦争はいつまでも終わらないと思っていた。すくなくとも自分が生きているうちは続くだろうと思っていた。死者だけが戦争の終わりを見るのだと思っていた。

 

「まさか、生まれたころには始まっていた戦争が、目の前で終わるなんて」

 

 元海風は目を伏せながらいった。

 

「にわかには信じられませんでした。わたしはいつか自分も沈むと確信していました。でも、終わる、終わるんです、戦争が。しかも勝利というかたちで。残りの任期だって、深海棲艦のまとまった群れと戦うこともない。降圧剤でも下がらなかった血圧がすとんと下がりました。怒りが空気に溶けていくのがわかりました。鬱までもが寛解するのを感じました。わたしはこのまま、戦闘ストレスのプレートがかかったドアを叩くこともなく、名誉除隊で軍を去ることができる。希望がみえたんです。久しぶりに毎日を楽しく過ごせました」

 

 いっぽうで深海棲艦のいない海に苦い顔をする艦娘もいた。元長波のように、自分が戦争で「変わってしまった」ことを自覚して、みじめな犯罪者や自殺者になる前に戦死したいと思っていた艦娘たち。

 

 ほかには、家の事情でやむなく入隊したのではなく、深海棲艦と戦うためにほんとうの意味で志願して艦娘になったものたちだ。元海風の艦隊にいた、若いというより幼い涼風もそのひとりだった。

 

「なんとなくお気づきでしょうが、その涼風もシャングリラ事件で艦娘になることを決めた女の子でした。東京の街が空襲で炎に包まれ、陛下のご決断で皇居の各門がひらかれました。お(ほり)のある皇居なら火の手から逃れられると。数万人以上が紫の庭に詰めかけて、そこを狙いすましたように、深海棲艦の爆撃機編隊が皇居を集中的に空爆して、避難民を一網打尽にしました。涼風がその映像を見たのは物心がついたくらいのころだそうですが、とにかくそれで、艦娘になることしか考えられなくなったと」

 

 涼風は初の任地であるトラック諸島で「絶対許せねえ。あたいがみんな沈めてやるさ!」と意気込んでいた。そんな涼風にとって「不漁」の毎日は不満だらけだった。つらい訓練をやっと終えたのに、このまま戦争が終わって、深海棲艦と砲火を交えないまま日本にすごすご帰ることになるのではないか。

 

 当時のトラック泊地では四班が地上勤務と哨戒を持ち回りしていた。洋上哨戒は二十四時間の一交代制で行なわれた。深海棲艦を発見するのはおおむね一週間に一、二回ほどで、それも群れをなしていない単体の駆逐イ級や潜水カ級ばかりだった。空振りに終わって帰投した涼風が、交代で出撃していった艦隊がそういった「はぐれ」と交戦し撃沈した報に接するや、まさに切歯扼腕した。それが何度も続いた。

 

 ある朝の申し送り時、哨戒任務を控えている元海風が、出撃にアサインされておらず簡易トイレの始末が待っている涼風にいった。「わたしの代わりに出てみる?」。その少し前ならおよそ考えられない、卑怯者と痛罵されてしかるべき提案だった。出撃することは死のくじを引きにいくことだった。その九死(くじ)びきをあまつさえ部下に押し付けるのは、艦娘としてあるまじき大罪だった。

 

 しかしここにも変化が訪れていた。もはや海は敵ではなかった。そこは波が歌い、雨が落ち、星が降り、月が()く、無垢なる水天一碧(すいてんいっぺき)だった。哨戒が肉体的につらい任務であることに変わりはないが、死のにおいは水平線のかなたへ吹き散らされていた。

 

 ましてや涼風は深海棲艦と出会いたがっていた。敵と出くわすには少しでも多く出撃することだ。そのアサインを譲ってもらえるなら、彼女にとってこれほどありがたいことはなかっただろう。「いいんすか!」。涼風は顔を輝かせて元海風に礼をいった。出撃の割り当てをその日に当人らが変更して認められるほど泊地司令部も弛緩を見せていた。

 

「なンだ、海風の姉貴、えらくちンちくりンになっちまったな?」。掩体壕の出撃ドックに向かう江風が涼風にいった。「べらぼうめ! あたいはきょう、なにがなんでもキルマーク持って帰っからな!」。涼風が細腕に力こぶを作りながら笑った。元海風はそれを遠目に見送った。

 

 涼風を含む艦隊が出撃した。元海風は涼風が担当するはずだった仮設トイレに向かった。トラック泊地の仮設トイレは非水洗式で、本来は海上輸送用だったドラム缶を便槽に流用していた。もよおした者は間に合わせの階段を登って仮設トイレの囲いに入り、ドラム缶へと最終生成物を落とした。便槽に溜まるばかりの糞尿をだれかが適宜処理しなくてはならなかった。その方法が問題だった。大便が尿に溶け込んで、赤道直下の熱帯気候で温められた茶色い汚物がたっぷんたっぷんと揺れるドラム缶を引きずり出し、所定の位置まで運んで、ガソリンを混ぜ、火を放ち、水気がなくなるまでかき混ぜ続ける。そのときに発生する煙の臭いは髪に染み付き、口臭までもが下水道と化した。トイレからドラム缶を運ぶ段階でたっぷんと揺れたはずみで汚物がこぼれ、服や髪や顔に付着することもしばしばだった。しかもその仮設トイレはずらずらと並んでいた。

 

 よって懲罰あるいは最後任の役割だった。旗艦がやりたがる仕事ではない。それでも元海風は楽しく作業に従事した。涼風がめでたく初の実戦となるか、それともやはり波の音だけを聞いて帰ってくるのか。どちらであっても二十四時間後にあたたかく迎えてやろう。その前にシャワーを浴びなくちゃ。元海風はひとりにこにこしながら燃える糞尿をかき混ぜた。

 

 しかし涼風は帰ってこなかった。元海風がみんなの排泄物を燃やしているとき、涼風は艦隊がエバリッテ水道を航行中に海面下にひそんでいた忌雷に触雷した。涼風の上半身に触手を絡みつかせた忌雷はすぐさま爆発した。涼風は顔の前半分が吹き飛んだ。脳が飛び散った。

 

「あンたがいれば、こンなひでえことにはならなかっただろうな」。帰投して、救護所で鼻筋に食い込んだ涼風の門歯を抜かれながら江風はいった。江風は心優しい旗艦を慰めるためにいったつもりだった。だがその言葉は元海風には「おまえがよけいなことをしたから、涼風は轟沈したんだ」と変換された。

 

 その日を境に、元海風には、彼女にしか見えない涼風が見えるようになった。

 

 基地の自室で昇進の試験勉強をしていると、部屋の片隅に涼風が立っていた。元海風は無感情なその目をじっと見つめ返してやった。見つめながら、あの日「わたしの代わりに出てみる?」と提案しなかった並行世界を観測しようとした。それは単に都合のよい妄想に過ぎなかったが、そのなかでは哨戒に出た元海風はいつもどおり首尾よく忌雷を見つけ、砲撃して誘爆させ、泊地に帰って汚物処理をしていた悪臭まみれの涼風にそのことを語って聞かせ、涼風は忌雷相手とはいえ深海棲艦と遭遇したことをうらやましがり、地団駄を踏んで、ずるいずるい、と悔しがるのだ。

 

 そういう空想を日に何度もした。夢想しているあいだは脳のメモリがそれに使われて何も手につかなかった。

 現実に着地すると涼風はいなかった。元海風がアサインを入れ替える「へま」をしたせいで、実戦を経験せずに帰国して不満たらたらの本人ではなく、戦死公報が親元に送られた。

 

 また怒りが抑えられなくなった。ただし能天気に笑う僚艦らにではなく、自分自身に対する怒りだ。血圧も再び上がった。食事中や仲間と話しているときに不意に涙があふれた。涼風の亡霊を見ると、涼風を代わりに出撃させなかった世界を強制的に想像させられた。それははた目には元海風がぼうっとして怠けているようにしか見えなかった。どうしようもなくなって、元海風は医師という藁にすがった。任を解かれた。解体された。そのあと戦争が終わった。だが涼風は消えなかった。日本にもついてきた。

 

 帰国後、元海風はすぐに涼風の実家を弔問した。玄関先で涼風の母親に正直に打ち明けた。言い訳がましくなるのを避けるため、涼風が深海棲艦との実戦を望んでいたからとはいわず、ただ自分と交代したせいで沈んだと伝えた。元海風は深く頭を下げた。涼風は一人娘だった。きっと罵倒とともに電話機くらいは頭に投げつけられるだろうと覚悟していた。だが涼風の母親は上がり(かまち)で膝を折ったまま、声を荒らげなかった。ものも投げなかった。ただ、こういった。「きっとあの子が出たいといって出たのでしょう。親だからそれくらいのことはわかります。ですからあなたを恨むのは筋違いだとわかっています」。それからこう続けた。「わかっていますが、母としてはあなたを許すことができません。ですからどうかお引き取りください。どうか」。土下座してまで帰ってほしいといわれた。元海風は線香の一本もあげられず家を辞した。それを涼風がニタニタ笑って見ていた。ざまあみろ、と。

 

 涼風の幻覚は終戦してから時間が経つにつれ、消えるどころか悪化した。道行く人のだれもが元海風の「へま」を知っている気がした。雑踏から笑い声が聞こえたときは自分が笑われているように思えてならなかった。退役後の日常生活でも、ことあるごとにフラッシュバックが起きた。

 

 一説によるとフラッシュバックは、恐ろしい記憶を追体験するさいに防衛本能で分泌される脳内麻薬を欲しがる脳によって引き起こされるとされている。元海風の脳は大麻や覚醒剤に溺れる以前にすでに薬物中毒だった。いずれにせよフラッシュバックはその原因となった状況を想起させる特定の条件がトリガーになる。元長波なら肉を食べると深雪の味がする。元朝霜なら、ホルモンの盛り合わせを見ると浜風の腹腔から飛び出した内臓がよみがえる。元朝潮なら、白米を見ると戦友の死体にたかる蛆を食べたことを思い出す。そして元海風は、トイレや排泄物が、涼風の死と強烈に結びついた。

 

 トイレに行くたび、元海風が糞尿の始末を請け合ったがために沈むことになった涼風の顔が脳裏に浮かんだ。トイレに行けなくなった。まだ結婚する前、実家での忘れられないできごとがある。オムツを履いたまま二階にある自室のベッドから出られなくなった。排泄物を受け止めきれなくなったオムツから脱糞の溶け込んだ尿が漏れてシーツを汚しても、元海風は身じろぎすらできなかった。すると一階の玄関からインターホンが鳴った。母が応対に出る声が聞こえた。母は交際している男のところへ遊びに出ているのに。「海風さんいらっしゃいますか」。涼風の快活な声がした。「ええいるわよ、どうぞ上がって」。いないはずの母の声。

 

 すべて幻聴だ。元海風自身が作り出した声だ。わかっていても、階段を上がってくる音が幻聴なのか現実なのか、元海風には判別できない。鍵をかけていたはずのドアが当然のようにあいて涼風が入ってくる。「海風さん」。あの頃と変わらない涼風の声と姿。当然だ。記憶をもとに元海風の脳が再現しているのだ。それでも震えが止まらない。

 

 次の瞬間にはドアが元通り閉じられている。また階段を上がってくる音。ドアが開く。涼風が顔を見せる。「海風さん」。また一瞬にしてドアが音もなく閉じている。階段を上がってくる足音。ドアがひらいて涼風が現れる。「海風さん」。閉じたドア。足音。ドアがひらく。「海風さん」

 

 壊れたレコードのように一連のシーンが繰り返される。何度も何度も。次に涼風が顔を覗かせるときに恐ろしい怪物になっていたらどうしよう。恐怖に駆られてドアと反対の方向に顔を向けた。すると、すぐ目の前に涼風の顔があった。「海風さん」

 

 元海風は悲鳴をあげることすらできず布団を被る。「海風さん」。涼風は親しみを込めた声で呼びつづける。「海風さん」。布団のなかで脅えきり、耳を塞ぐ。すると涼風が凄まじい形相になる。布団を被っているのになぜ涼風の表情がわかるのか。幻覚だからだ。やがて涼風は海の底から聞こえるような冷えた声でいう。

 

「あんたがよけいなことしなければ、あたしは沈みやしなかったんだ」

 

 その言葉が、元海風本人の罪悪感が涼風の口を借りたものだと理性ではわかっている。だが元海風にはどうしようもない。「ごめんなさい、ごめんなさい」と叫ぶ以外には。

 

 夜になって帰宅した母が静かすぎる家内に不審を覚えて娘の部屋を訪ねた。内側から施錠されていて応答もなかった。なんど呼び掛けても返事がないので警察に通報した。警官らは格子の嵌まった窓からの進入を断念し、母親の許可を取って鍵を破壊して入った。そこにいたのは、ベッド上でオムツから尿と糞便を溢れさせ、血を吐いて倒れている元海風だった。元海風は叫びすぎて肺胞の毛細血管が破裂し、自分の血で溺れていたのだった。

 

 病院から退役艦娘庁と死傷艦娘支援局を経由して、六か月待たされて海軍転換艦隊総合施設に入院が決まり、ハイリスクのスタンプを捺された。関係者以外は決して入れない閉鎖病棟にも涼風は難なく現れた。投薬の甲斐あって、涼風が血と挽肉の状態で個室備え付けの便器から溢れるかたちで室内に侵入しては怨嗟の声を投げかけてくる回数は、週に十八回から三回に減った。減っただけだ。涼風が見えるたび、派兵中のトラック泊地に元海風の時間が巻き戻ってしまうことに変わりはなかった。

 

 おなじハイリスク患者として同室だった元(かすみ)の女性は、ある朝、自らの手首を食い破って壁に血書嘆願を残して失血死していた。しかし元海風は、涼風の幻影によって意識だけがトラック泊地に飛ばされていて、そこで涼風の代わりに糞便にガソリンを混ぜて焼きながらかき混ぜたり、そのせいで哨戒にでた涼風が深海忌雷に顔を吹き飛ばされたり、明石の断末魔の悲鳴が耳元で響いたり、上半身と下半身がちぎれかけた最上が「家に帰りたいよう。お母さんのごはんが食べたいよう」と泣いて目をひらいたまま動かなくなったり、玉波の脾臓の血を顔に浴びたり、あるいは別の作戦で敵機から投下された爆弾が耳障りな風切り音とともに降り注いで、志願以外の道を知らない戦災孤児だった十三歳の海防艦鵜来(うくる)を粉々にするのを目の当たりにしたり、その敵機を飛ばした集積地棲姫に艦載の無人戦車*1で報いを与えたりといった、脳髄に棲みついた忌まわしい記憶がすべていっせいに再生されるので、まばたきすらできず抜け殻のようにただ固まっているだけだった。

 

 さらには施設の医師やセラピストらは、あろうことか元海風が重度の鬱状態にあることを見逃した。もし診断を下していれば元海風は自分の症状と向き合えていたかもしれない。だが機会を逃した。元海風は、ベッドから起き上がれなかったり、入浴する気力すら湧かないことを、病気ではなく、ただだらしないからだと自分を責めるようになった。そんな時限爆弾となった元海風の退院が決まった。

 

 退院式では、自分で書いたのか、なにか手本を見ながら書かされたのか、いまとなっては定かではない「社会復帰の決意」をスタッフたちの前で読み上げた。スタッフたちは拍手した。元海風は顔にこそ出さなかったが困惑していた。「ほんとうに? ほんとうに、わたしはこのまま家と社会に帰されるの? なにひとつ解決していないのに? うそでしょう?」。うそではなかった。ほんとうにバスに乗せられて最寄り駅で下ろされた。駅は利用客でごった返していた。だれもが自分の目的地に向かうために確固たる意志を以て行き交っていた。行き場のない元海風は立ち尽くした。人はこんなにも多いのに、元海風は独りだった。

 

 治療は終わったはずだ。だから朝起きられないのも、集中力が持続しないのも、入浴する気力もないのも、やる気が起きないのも、常に自殺願望が頭から離れないのも、それらは病気ではなく、すべて自分のだらしなさのせいだと元海風は決めつけた。自分で自分を部屋から引きずり出した。精神があげる悲鳴を無視した。まともな人間を演じた。結婚した。凍結保存しておいた卵子を使って子供が生まれた。かわいい子だった。目に入れても痛くないという言葉の意味を初めて知った。

 

 やっと幸せを摑んだと思った。ぜったいに放すもんかと固く誓った。

 

 だが育児は戦争だった。鬱症状と涼風の怨嗟に加えて、赤子の泣き声が元海風の脳を蝕んだ。夜でもお構いなしだ。赤ん坊には集合住宅の事情など関係ない。ときには明石の叫び声と重なった。夫は転勤で家を空けていた。母は前年に脳梗塞で亡くなり、義理の両親には弱みを見せたくなかった。よって元海風には頼る者もなかった。「お願い、静かにして。それだけでいいから」。どれだけあやしても泣き叫んだ。こちらが参っているのを赤子が楽しんでいるかのように思えた。わが子が深海棲艦に見えた。

 

「殴っちまいなよ。黙らせちまいなよ」。涼風が耳元でささやいた。その言葉に操られるように元海風は赤ん坊に拳を振り上げた。振り下ろした。すんでのところで思いとどまって、部下の江風を侮辱した民間人を二か月の病院送りにした拳は、赤子のすぐ横のマットレスに深々と沈んだ。反動で赤子の頭が跳ねた。よけいに泣き喚いた。我にかえった元海風は必死に「ごめんね、ごめんね」となだめながら、自己嫌悪にさいなまれた。自分はいま、なにをしようとした?

 

 そんなある日、地元の友人から連絡があった。「会えない?」。話し相手が欲しかった。家に招いた。

 

 友人は笑いながら愚痴をこぼした。「小学校のときの友だちが艦娘になって、何年か前にいちど帰ってきたんだけど、それから連絡いっさいとれなくなったんだよね。薄情だと思わない? 秋津洲(あきつしま)っていう艦娘だったらしいんだけど」。互いの近況を聞き合った。元海風は育児の悩みを打ち明けた。いい母親になれる自信がない。毎日タスクに追われているだけにすぎず、子供に注ぐべき愛情が育っている実感がない。

 

「それに、わたしはいま、なにものでもないの。戦争に行ってたころは、わたしは駆逐艦海風405-070331だった。2水戦有資格者の海風だった。第7方面軍第16軍第48海上師団海上歩兵第47連隊の海風だった。第3遠征総軍第38軍独立混成第34海上旅団第187海上歩兵大隊付チーム8の海風だった。でも、いまは近所の人には、だれだれの奥さん、だれだれのお母さんとしか呼ばれない。なにかの付属物としてしか見てもらえない。夫と子供を通して間接的にしか社会に関われない。自分の座標が特定できないの。まるでたったひとりで大海原に放り出されたよう。いまわたしはどこにいるのかわからない。おかしくなりそう。もうなってるのかも」。なにより沈んだ涼風がいつも視界のどこかに立っている。そのときも元海風は、ソファに腰掛ける友人の背後に立つ、腕が何本も生えて血の涙を流しながら笑う涼風と目を合わせないようにしていた。

 

「つらいね」。友人は元海風と手を重ねた。「たまにはお酒でも飲んで、パーっと忘れてしまえばいいの」「お酒、飲めないの。軍では無理して飲んでたけれど」「そうなんだ。じゃあ」と友人は煙草でも取り出すように乾燥大麻の紙巻を取り出した。「これなら酔えるよ」

 

 外地で薬物に手をだす艦娘はいないわけではなかった。なかには薬物依存症に陥って現地の売人と愛人関係になり、高価な修復材を横流ししたあげく不名誉除隊となった艦娘もいた。元海風は煙草を吸うにとどめていた。

 

 現役時代、艦娘の余命は常に「あと一日」だった。あした沈まなくとも、それはまた新たな「あと一日」が始まるに過ぎなかった。去年までランドセルを背負っていた十三歳の女の子が遺書をしたためて戦場に赴くのが対深海棲艦戦争だった。

 

 多くの国において未成年者の飲酒や喫煙が禁じられているのは、それらが将来的な生育や健康に悪影響を及ぼすおそれがあるからだ。成長途上にアルコールを日常的に摂取していると「将来」脳が萎縮する。早くから喫煙したものほど「将来」肺がんなどの煙草関連疾患になりやすい。「将来」の健康的な生活が脅かされる。

 

 だが艦娘たちには将来がなかった。あす、艦隊の死角からひそかに忍び寄った敵潜水艦の魚雷に水柱へと変えられるなどということはないと、だれも保証してくれなかった。艦娘にはきょうしかなかった。今しかなかった。駆逐隊は二か月でメンバーが総入れ替えになった。何十年後かの「将来」のために、今を我慢する合理的な理由がなかった。

 

 酒を飲んだ。煙草を吸った。煙草は線香や通貨の代わりにもなった。酒を飲まない艦娘は爪弾きになり、かえって寿命を縮めた。元海風でさえ無理して飲んだ。そのうち、飲むふりをして気づかれないように酒を捨てる手管も身につけた。

 

 それでもいっぱしの常識を持ち合わせていた元海風は、旧友の勧めとはいえ大麻というれっきとした違法薬物の所持にも使用にも抵抗があった。「ありがとう。でもわたしはいいかな」。旧友は気を悪くしたふうもなく、「持っておくだけ持っておいたら? どうにもならなくなったらマリファナ吸えばいいや、くらいに思っていれば、気が楽になるかも。お守りよ、お守り」といった。独特の匂いで近所に怪しまれるかもしれないから吸うときはお香を焚くといい、とアドバイスする友人に、元海風は少し考えてから答えた。「このあと警察にタレこんで、うちを家宅捜索させる気でしょ」。これに旧友は舌を出した。「ばれた?」。ふたりは心から笑った。元海風にとって、何年かぶりとなる笑いだった。

 

 旧友が帰ったあと、元海風は大麻を鏡台の抽斗にしまった。吸うことはあるまい。ただ持っているだけ。育児に忙殺されて存在すらすぐ忘れるだろう。

 

 数日後、リビングの床を洗濯物が埋め尽くし、汚れた食器の重なるシンクにもたれかかり、わが子の泣き叫ぶ声をBGMにして、元海風は大麻を吸っていた。

 

 目の前には家事と育児というめんどうな作業が山と積み重なっていて、片づけなければならないことは承知しているが、その日はどうしても体が動かなかった。なのに手をつけなければという焦りばかりが募った。実際にはなにもしていないのにまるで一日中働きどおしだったかのように疲労が蓄積して、元海風から活力と尊厳を奪った。そんな元海風を涼風が無言で嘲笑した。もうわけがわからなくなって、すがるように大麻を吸うことにした。

 

 ハーブのような匂いの紙巻大麻に火をつけた。一口吸った。(まむし)が潜んでいそうな草むらの青臭い匂いの煙だった。なにも起きなかった。

 二口目。何も起きなかった。

 三口目。こんどは思いきり吸い込んで肺に充満させた。なにも起きなかった。頭がぼうっとするが元々だ。眠気すら感じた。

 仮にも違法薬物として濫用を禁じられている大麻とはどんな顕著な薬効があるのか、期待と不安が等分に入り混じっていたが、肩透かしだった。そのまま煙草のように吸い続けた。

 

 それは突然訪れた。喉から勝手に間抜けな叫び声がほとばしった。床が床としての固さを失って海になった。体が下へ下へとどこまでも沈んだ。恐怖。パニック。平衡感覚を失い、座っていられなくなった。体が重くなって這いつくばった。顔が海面下に沈んだら呼吸ができないから、必死に手を突っ張って頭を持ち上げようとした。なおも体の波動が下を向いた。沈む。溺れる。こんなことが現実に起きるはずがないと気づく余裕もない。動悸が異常なまでに加速し始めた。必死に息をした。

 

 かと思えば波動が上に転じた。重力が小さくなったかのように自分の体が床からわずかに浮いている感覚。部屋が広くなった。どんどん壁が遠ざかっていった。

 頭の高さにハートの形の輪がある気がした。その形をなぞるように頭を振った。ぴったり完璧にハートを描くことに夢中になった。何周もした。

 

 頭をハートの軌道に乗せながら笑いがこみあげた。壁が白いのさえ面白おかしく感じられた。部屋が散らかっているのを見て床を何度も叩きながら笑った。ガラス戸が開きっぱなしになっている食器棚で酸欠になるほど笑い転げた。うんちまみれになっている赤ん坊の泣き声で、涙が出るほど爆笑した。

 

 自分がなにか独り言をしゃべっていた。口がずっと動いた。しゃべった数秒後に内容を理解した。自分がなにをいっているのか追いかけるのが楽しかった。

 

 目を覚ました。しばらくは目を覚ましたことすらわからなかった。部屋が薄暗くなっていた。煙のようにあいまいに起き上がり、時計をたしかめると、大麻を吸ってから三時間が経っていた。赤ん坊の泣き声をやっと脳が認識した。

 

 何度も謝りながらおむつを交換し、お尻を拭き、離乳食をつくり、掃除や食器の片づけや夕食の用意をした。クローゼットから涼風が這い出てきた。ふと、大麻を吸っているあいだは涼風が姿を消していたことに気がついた。

 以降、元海風は涼風を近寄らせないために、大麻を常用することになる。

 

 果てのない家事と育児に追われ、息継ぎをするように大麻を吸った。夫が転勤先から顔を見せに帰ってくる前日は違法薬物を使用していることが露見しないよう念入りに掃除した。部屋中に散らばる乾燥大麻、大麻リキッド、LSDの紙片、MDMA、ガラスボング、ヴェポライザー、ガラスの煙管、モンキーパイプ、大麻バターのポップコーン、ボクカワウソを象った自作の大麻入りチョコレート、それにバッズ*2のかす。

 

 薬物と使用器具がそこかしこの収納スペースに潜んでいる部屋で、なにも知らない夫は独りで育児に励む元海風をねぎらい、幼いわが子の寝顔に目尻を下げた。

 

「芳香剤?」。リモコンで湯船に湯を張っていると夫に訊ねられた。換気やお香や消臭剤でも、腹の底にピンク色の泥となって沈殿しそうな大麻独特の重く甘ったるい匂いはごまかしきれない。「ええ、アロマ。赤ちゃんを落ち着かせるのにいいんですって」。夫は疑う気配もなかった。うそをつく罪悪感はなかった。むしろそのうそは正しいことだと当時の元海風は思っていた。自分が違法薬物を使用していると知ったら夫はさぞショックを受けるだろう。妻が逮捕されるとなると仕事も続けられなくなる。だから自分はうそをつくことで夫を守っているのだ。夫が入浴しているあいだに、秘匿性の高いメッセージアプリで馴染みのプッシャーに大麻とLSDを注文した。

 

 夫が数百キロ離れた赴任先へ戻った日の夜、何時間か前まで家族三人の団欒の場だった部屋で、元海風は例の友人を招いて大麻でハイになっていた。「ラスタファリ!」。ふたりとも赤い目でけらけら笑った。とにかく目につくものすべてがおかしくて笑った。そうして配達時間を首を長くして待った。ふだんは赤子を抱っこ紐で抱いて指定場所まで行ってネタを引いていたが、今回は元海風が自由になるのが夜なのでアパート近くまで配達してくれるとのことだった。

 

 スマホが鳴った。近くに来たというプッシャーからの電話だった。お待ちかね。監視カメラがなく人通りの少ないルートを教えた。電話を切って友人とハイタッチし、にたにたしながら階段を下りた。

 アパート近くの暗い路地に金色のミニバンが停められていた。青いアンダーネオンが夜道に悪目立ちする、いかにも怪しい車がプッシャーの愛車だった。元海風らが近づくと運転席にいるプッシャーが窓をおろした。プッシャーは日本人離れした目鼻立ちと浅黒い肌をした若い男で、初めて取引したさいに自分はジャム人と日本人女性との混血児だと、聞いてもいないのに説明してきた。

 

「お母さんも艦娘だったんで、配達料はサービスしとくよ」。恩着せがましくいうプッシャーの額にびっしり浮いた大粒の汗や、異様に見開かれた瞳をみれば、彼自身も薬物依存症であることは明白だった。キッチンドランカーが一流のシェフになれないように、この男も売人としては二流で終わるだろう。元海風は内心で見下していた。薬物中毒者は自分を棚に上げるものだ。

 

 元海風は助手席に、友人は後部座席に乗り込んだ。元海風が六万円を渡した。プッシャーは乾燥大麻五グラムの入ったパケ二袋を元海風に手渡した。元海風は友人に一袋渡してから、パケを開けて深く嗅いだ。いい匂いだった。このプッシャーの扱う品種は肌に合っている。あと一度だけ嗅ごう。それが何度も続いた。友人も同じように匂いを嗅いで恍惚としていた。

 

 正面からパトカーが来ているのに元海風が気づいたのは、そのときだった。あわててパケを隠した。

 

 赤灯を消したままパトカーは元海風らが乗っているミニバンの横を通り過ぎた。三人は息を吐いた。元海風はルームミラーを覗いた。パトカーが後方でUターンしていた。そのまま近づいてきて、ミニバンの真後ろにつけて停まった。

 

「やばいじゃん。どうすんの?」。友人が狼狽した。「ただのバンカケでしょ。普通に対応すりゃいいって」。プッシャーが呑気に返した。元海風はどこか他人事のように状況を客観視していた。深夜の路地、金色のミニバンの車内で、三人の人間がなにかをしている。どう考えても車内検索と身体検査はまぬかれないと踏んだ。しかし大麻は現物を所持していないと逮捕されない。当時は使用だけなら合法だった。要は身体検査時にネタを持っていなければよかった。

 

 元海風は車内に大麻のパケを捨てることで車の所有者のプッシャーにすべての責任を押し付けようと考えた。子供のためにも逮捕されるわけにはいかない。パトカーから下りたふたりの警察官が歩いてきた。プッシャーがそれをサイドミラー越しに確かめていた。その隙に、元海風はプッシャーの足に当たらないよう気をつけながら運転席のレッグスペースにパケを投げ捨てた。

 

「こんばんは。ここ邪魔?」。そうとは知らないプッシャーが自分から窓を下ろして警官に対応した。「なにされてるのかなと思って」と笑顔の警官に、プッシャーが「三人で遊びにいって、家まで送ってるとこ。話し込んじゃって」とでまかせをいった。警官はプッシャーの免許証を確認したあと、腰も低く切り出した。「防犯警戒でここら回ってまして。最近物騒じゃないですか。いちおう、なにか危ないものとか持ってないかどうかだけ、確認させてもらえないですか。ほんと申し訳ない」。定番のせりふ。プッシャーは快諾して車を下りた。とても大麻を売買しているとは思えない堂々たるふるまいだった。売人として百戦錬磨の職質の切り抜け方が見られるのではないかと元海風はひそかに期待した。プッシャーは身体検査を受けた。しかしズボンの上からプッシャーの股間に手を触れた瞬間、それまで柔和だった警官の顔色が変わった。「チンパケじゃねえか」

 

 元海風の失望は深かった。普段から舐めていたが、そのプッシャーがここまで無能だとは思っていなかった。パケを股間というありがちな場所に隠して、それでごまかしきれると本気で思っていたのか。

 

「動くな! おい、わかるだろ? 動くな、いいかげんにしろ! 待て!」。警官の怒声が深夜の住宅街に響いた。プッシャーは元海風らを置いて脱兎のごとく逃走していた。もうひとりの警官が無線で応援を呼んだ。覆面をふくむ六台のパトカーがたちまち駆け付けた。寝静まっていた住宅地はまたたく間に赤い回転灯で溢れてダンスフロアみたいになった。元海風はミニバンの車内でスマートフォンからプッシャーとのやりとりを削除していた。プッシャーはあっけなく捕まり、路地へ連れ戻されてきてパトカーの一台に乗せられた。

 

 鑑識がチンパケの植物片を大麻かどうか予試験でたしかめているあいだ、最初の警官二人組が元海風らに話しかけてきた。「お姉さんがたも身体検査したいんで、車下りてもらえますか」。駆けつけた応援のなかにはぬかりなく女性警察官の姿もあった。

 

 元海風の体からは当然なにも出なかったが、友人は機転の利く人間ではなかったので、いましがた買ったばかりの大麻をブラジャーの中に隠していたのを見つかった。いずれの大麻も予試験で試薬が青に染まって陽性反応を出した。

 

 車内を捜索しはじめた警官がすぐに声をあげた。「運転席にパケあり。緑の植物片」。女性警察官のひとりが元海風に疑いをかけた。「これはなに?」。元海風はしらばっくれた。「えっ、なんですかそれ」。あまりの白々しさに女警は眉間にしわを寄せて、いった。「ねえ、ここまできたら、正直にいおうよ。ぶっちゃけちゃおうよ。自分の口でいって」。会って五分も経っていない小娘が馴れ馴れしいのが気に食わなかった*3。元海風はきっぱりと断言した。「知らないです」

 

 結局、三人は警察署への任意同行を要請された。「部屋に子供がいるんですが。生後八か月の」。元海風は赤子をだしに使ってなんとか連行をまぬかれようとした。「わたしが留守のあいだ子供になにかあったらどうするんですか?」。若い女警は周りの警官らと顔を見合わせてから「なら、お子さんも一緒に来てもらって」といった。元海風は手を鳴らした。「あら! こんな夜遅くに赤ちゃんを叩き起こして、照明の煌々と灯った警察署に連れていけっていうんですか? 素敵なアイデアですね。どうして思いつかなかったんだろう! あなた、お子さんは? いない? やっぱり! 母親ならそんなひどい発想、出てこないですものね」

 

 さらに元海風は女警に畳みかけた。「あなた、艦娘に志願したことはありますか?」「いいえ」「ない? そうでしょうとも、育ちがよさそうですものね。わたしは九年と二か月、海軍にいたんです。駆逐艦でした。あなたが学校でお勉強していたころ、わたしは深海棲艦のあふれる海で、内地にいるあなたたちの生活を守るために戦っていました。あなたもいまはお巡りさんとして、身を挺して日々犯罪と戦っておられます。軍も警察も敬意を払われてしかるべき仕事です。だからお互い、口の利き方には気をつけましょうね」。とどめはこれだ。「任意ですよね?」

 

 ほかのふたりのように違法薬物を隠匿していたならともかく、元海風の身体からはなにも出ていない。元海風は調子に乗った。「警察手帳を拝見できますか? どこの警察署の、なんというお巡りさんに違法な捜査で赤ちゃんを虐待されたって、ネット上に拡散しますから」「見たいなら署に行ったあとで見せます」「なるほど、じゃあ現時点では、わたしたちはあなたが本当に警察官かどうかもわからないですよね。ひょっとして警官のコスプレをしたタタキ(強盗)かなにかで、わたしたちはどこかへ拉致されるのかも」。すると年嵩の男性警官が微笑をうかべて割って入った。「なら、あした来てくれますかね」。ごねるにしてもここらが潮時だろう。元海風は了承した。

 

 元海風は自宅マンションに警官ら数名を案内した。警官らは元海風にそこの住人であることを証明する書類を持ってくるよういった。彼らはその書類と、マンションの外観や部屋の扉を念入りに撮影した。プッシャーと友人が分乗したパトカーが警察署へ向かい、ほかのパトカーも一台また一台と去って行った。いつのまにか集まっていた野次馬たちも潮が引くように家々へ戻った。花火大会のあとのように住宅街に常の静寂が戻った。

 

 周囲にパトカーや警官が残っていないのを確かめ、元海風はエレベーターのボタンを連打し、部屋へ駆け込んだ。家宅捜索を視野に入れておかねばならなかった。まず残っていたなけなしの大麻をすべて吸った。これからしばらく味わえなくなるという惜しさと、遠慮なく大盤振る舞いで吸える爽快さで、いままででいちばん気持ちよく酔った。

 

 翌早朝。赤子にミルクを飲ませたあと、喫煙器具をまとめて捨てに行くことにした。ガラスボングにモンキーパイプ、その他。警官が見張っているかもしれないのでコンビニに行くふりで周辺を偵察したのち、部屋へ戻って喫煙具を紙袋に詰めて家を出た。ボングは大きさが二リットルのペットボトルほどもあるので始末に困った。考えあぐねた結果、山中の貯水池に捨てるのが適当と思われた。貯水池に着いた元海風は人目がないのを確かめて、フェンスの手前からパイプ、電子タバコ、大麻リキッドを投げた。最後にボングを投げた。放ったボングは、弾道軌道を描いてざぶんと思いのほか大きな音を立てて半ば沈みこんだあと、なにか忘れ物でも思い出したのかぷっかり浮かび上がったが、魚雷で土手っ腹に穴を穿たれた船のようにぽこぽこと泡を吐き出しながら濃緑の水中へふたたび沈んでいった。

 

 安心した元海風は家に帰って、子供を抱いて警察署に出頭した。受付で用向きを伝えた。奥から出てきた制服警官の案内で四階にある刑事課のオフィスを通った。デスクに向かって事務作業している刑事たちが手を止めていっせいに元海風ににらみを利かせた。どの刑事の目にも猜疑という薬物が充満しているようだった。元海風は一向に気にせず窓の外から駐車場を見下ろした。村雨ちゃんは、この高さから飛び降りたのね。

 

 オフィスの奥にある取調室に元海風を通した案内の警官はここで待つようにといって去った。スチール机とパイプ椅子だけの殺風景な部屋だった。採光窓を小さくして、おまるがあれば営倉に近い。そんな部屋で赤子をベビーキャリアで胸に抱いたまま待たされた。刑事たちがにらんできたのも、ここでしばらく放置するのも、被疑者を心細くさせて自白しやすいようにするお決まりの儀式なのだろうと思った。扉越しに聞こえてくるオフィスからの喧騒に耳を傾けていると、カサブランカ撤退戦の砲撃や爆音や怒号がオーバーラップした。じっと元海風は扉を見つめた。その向こうに深海棲艦の支配する要塞都市となったカサブランカがあるように思えてならなかった。ソリッドな灰色の扉に、色とりどりの幾何学モザイクで構成された精緻なアラベスク模様が重なった。ハッサン二世。落ちたシャンデリア。有明と村雨を同時に治療した明石。尖塔(ミナレット)。ゼリージュ。シュネルボート小鬼。爆雷。有明。パレオもどきを巻いていたネ級。高波。明石の命乞い。森。最上。忌雷。玉波。

 

 やがて扉がひらいた。涼風が来たのかと思った。だがやってきたのは穏やかそうな顔をした年配の男だった。その背後にあったのは砲火入り乱れる戦場ではなくただのオフィスだった。年配刑事は待たせたことを詫びてから「話は聞いたけど、一緒に乗ってた車の運転手の男が売人ってことでいいのかな」と、やはり穏やかに質問した。まばたきをすることで何年も前の戦地から戻った元海風は「さあ、わかりません」とあくまでしらを切った。

 

 それから年配刑事の質問を三十分ほどのらりくらりとかわしていると、その日二回目の離乳食の時間がきた。「授乳室はありますか?」「いやあ、ないなあ」「でしょうね。では給湯室は?」「それなら」。年配刑事が立ち上がって案内した。彼に続いて取調室から刑事課のオフィスに出るなり、目に猜疑を詰めこんだ若い刑事がつかつかと元海風に歩み寄ってきて「あの運転手から大麻を買ったんだろう。正直にいったほうがいいよ」と問い詰めてきた。元海風は若い刑事を無視して赤子をあやしながら「こんなドラマでも見ない石器時代みたいな方法、本当に使ってるんですね」と年配に話しかけた。年配は苦笑いした。若い刑事がまだなにかいいたそうな気色(けしき)をしていたが、下っ端と話すと自分の格が落ちる気がしたので、それ以降は目も合わさなかった。

 

 給湯室で子供に離乳食を食べさせたあとまた取調室に戻った。聴取はふたたび年配が行なったが、彼が収穫を得ることはなかった。尿検査も「お願い」されたものの、元海風はたまたまその数日間LSDを使っていなかった。陽性反応が出るとしたら大麻成分だけなので素直に応じた。検査は十五分もあれば終わるはずだが年配刑事は尿検査の結果については触れず「じゃあ、聴取はこれで終わりだから。どうもお疲れさん」と元海風を解放した。

 

 車で家に帰りながら、間違いなく大麻使用は発覚しただろうと元海風は確信していた。大麻は最後に使用してから最大三十日ほど尿に成分が出る。やはり家宅捜索はかならず来る。もう大麻もそのほかのネタも使わないと決意した。ガサ入れが空振りに終わって途方に暮れる刑事たちの顔をとくと拝ませてもらおう。

 

 しかしそれから二か月、なんの音沙汰もなかった。涼風が毎日何度も現れた。暗い空洞のような眼窩から重油のような黒い涙を流して笑い、そのたびに元海風の精神を過去の戦地に飛ばすのだ。

 

 出頭から三か月後、元海風の自宅には、ガラスボングにパイプ、大麻のバッズにリキッドにエディブル*4、MDMA、LSDが戻ってきていた。子供がベビーベッドで泣いているのもかまわずに大麻を吸った。

 

 それからさらに一週間後の早朝、オートロックのインターフォンが鳴った。こんな時間にだれだろう。もう少し眠らせて。ゆうべも子供が熱を出して、ろくに寝てないの。

 

 今度はドアをがんがん叩かれた。名前を呼ばれた。知らない男の声だった。どうやってオートロックを突破したのだろう。うっとうしい。元海風は頭をかきむしり、がつんと怒鳴ってやろうとベッドから抜け出た。ドアスコープを覗くと、スーツ姿のいかつい男が立っていた。こんな時間に営業か。チェーンをかけたままドアをあけた。玄関先に立っていたのはひとりではなかった。何人もいた。元海風が口をひらくより早く、男のひとりが紙を広げて見せつけた。捜索差押令状だった。「警察。いまから家宅捜索するから」。眠気が投射機に射出されて飛んでいった。

 

 違法薬物の根城と化していた部屋を捜索する刑事たちはまるで水を得た魚だった。いくらでも物証が見つかった。元海風は女性刑事に留置場へ行くための荷造りと現金の用意を促された。「あの、赤ちゃんがいるんです」。元海風はまたも子供を盾に使おうとした。別の男性刑事が「旦那さんは」といった。「単身赴任です」「じゃあ連絡して。旦那が来るまでは児相に預かってもらうから」。にべもなかった。今回は警察も本気だった。

 

 若い刑事が逮捕状を音読し、事実と相違ないか形式的に訊いて、元海風の両手首に手錠をかけた。手錠の鎖に通した縄を元海風の腰に巻き、犬を散歩させるときのリードのようにして縄の先をにぎった。奇しくもその日は元海風が除隊した記念日だった。国家鎮護の防人だった元海風は手錠と腰縄で連行され、被疑者としてマンションの前に横付けされていたパトカーに乗せられた。

 

 手錠には物理的な拘束以上に人間の心を折る効力がある。手錠をかけられると、自分はいままでどおりの自由な一個の人間ではなく虜囚になってしまったのだという実感が重くのしかかる。それは被疑者をどうしようもなく不安にさせる。不安は自供へつながる。とはいえ、刑事たちにとって元海風は一筋縄ではいかない相手だった。

 

 艦娘または元艦娘は警察官にとってかなり手ごわい難敵とされている。なぜなら艦娘たちは現役時代に一度ならず憲兵の世話になっており、また酒場での乱闘その他違法行為で警察のやっかいになることもしばしばだった結果、黙秘権の行使が取調官への最大の嫌がらせになることを学んでいるからである。

 

 艦娘は(とくに駆逐艦は)自分たちこそが殉国の烈士と自負していた。いわば民間の一般企業において一部の傲慢な営業職が法務部を「非生産的部門」「やつらの給料は自分たちが稼いでいる」と見下すように、憲兵や警察のごときを「深海棲艦と戦うこともできずに安全な内地でままごとに興じるしかない腰抜け」とほとんど憎悪に近い目で蔑視するものが多い。よって警察への嫌がらせとなると嬉々として精を出すのは当然のなりゆきであった。艦娘たちはたとえ自分にすべての非があろうとも堂々と黙秘して取調官らの手をかりかりのウェルダンになるまで焼かせた。黙秘権について定めた刑事訴訟法第311条や、警察は取調の前に黙秘権が使えることを本人に伝える義務があると規定する同198条を完璧に暗唱できるのは艦娘にとって最低限の教養とされていた。そのため戦時中の警察は被疑者が艦娘となるとおざなりな聴取ののち釈放することが多々あった。

 

 元海風も、妹のようになにくれと面倒を見ていた後任の江風を侮辱してきた民間人に暴力を振るうなどして(というのは、そういった状況で手を出さない艦娘は艦隊で一切信用されないからだった)、手錠の冷たい感触も元海風にとっては艤装の次に手馴れたものだった。なつかしいとさえ思った。

 

 三か月ぶりに入った警察署四階の取調室で、家宅捜索のときにもいた女性刑事に「大麻とかMDMAをみだりに所持して使用したことを認める?」とか「逮捕されたことをどう思う?」とか問われても、元海風は「黙秘します。ですが退屈なので雑談なら付き合ってあげます」といけしゃあしゃあと答えた。女刑事は閉口した。

 

「じゃあこれに署名と、拇印を捺して」。女刑事がノートパソコンで作成してプリントアウトした調書の確認を求めた。そこには「私は大麻をみだりに所持し、またジアセチルモルヒネ等以外の麻薬をみだりに所持していたことを認めます」というような文言が書かれていた。すべて事実だったが拒否した。「なぜですか。どこか間違いがありましたか」「理由については黙秘します」「それはなぜ?」「権利だからです」「書かれてある内容は正しいけれど、署名はしないという意味?」「黙秘します」。女刑事は元海風が罪を認めていないという内容に書き直した。それでも元海風は署名しなかった。

 

 否認する調書に署名捺印すれば警察は曲がりなりにも「被疑者は否認した」という証言を得られる。うそのメッキはかならず剥がれる。何度も取り調べをするうちに主張が二転三転する。矛盾が生まれる。そこを突破口にできる。だが否認すらしない黙秘では警察はなんらとっかかりを摑めない。黙秘を続けてほとほと困り果てた取調官が「頼むから調書を取らせてくれ」と泣きついてくるのを見るのが駆逐艦娘たちの数少ない慰みのひとつだった。むろん元海風も例外ではなかったし、退役したあとでもそれは変わらなかった。

 

 初回の聴取を終えると三人の刑事に輪形陣のように囲まれながら三階の留置場へ連れていかれた。刑事の握っていた元海風の腰縄が留置官に引き渡された。刑事課のオフィスは異様な活気にあふれていたが、留置場は古ぼけた蛍光灯のためだけでなく空間そのものに生気がなかった。留置官に腰縄と手錠を外された元海風はふたり入るのがせいいっぱいの狭い事務室で留置手続きに入った。簡単な身体検査。金属探知機。それが終わると留置場貸し出しの灰色のスウェット上下に着替えさせられ、緑色の便所サンダルを履かされた。サンダルにマジックペンで「7」と書かれた数字がかすれかけていた。留置官に「これからは七番と呼ぶから」と機械的に告げられた。

 

 留置官のあとに続いて居室まで連れられながら、元海風は左右交互に前へ現れるサンダルの「7」という数字に視線を落としていた。また七番か。この元白露型七番艦は口元を緩めた。現役時代の番号は九桁だったのがたった一桁の、それも使い回しの背番号になったのは気に入らないが、七という数字に免じて許してやろう。

 

 その留置場は六畳の四人部屋が十二、三室ほどあった。元海風が収容されることになった四号室には先客がひとりいた。元海風は一目見て干物だと思った。ぼさぼさの髪の毛を金に染めているが頭頂部が黒く、眉毛のない痩せぎすの女。干からびた年齢不詳のその女は十五番だった。

 

 居室は前面に鉄格子の扉と配膳口があり、床は畳張りで四人分の布団と毛布が畳まれて置いてあった。奥に洗面台と私物棚とトイレが設置されていた。ここをふたりで使えるなら艦娘母艦の六人部屋よりはるかに過ごしやすかった。なんといっても床が揺れない。三段ベッドのように起きるときは横に転がって抜け出るなどという工夫もいらない。

 

 居室に入った。留置官が施錠した。酸っぱい臭いに気づいた。「なにしたの」。あぐらをかいたまま十五番が訊いた。元海風は「大麻で」と答えた。十五番は眉のない顔でところどころ抜けた黄色い歯をこぼした。「女がこういうところに来るったらクスリだよね。あたしはアイス。あたしも最初は大麻吸ってたけど、いつもみたいに買ってたら売人がおまけでアイスくれた。それでこのざま。逮捕十二、三回目」。アイスが覚醒剤の隠語のひとつだとは知っていた。元海風は正直に明かした。「覚醒剤って、まだ使ったことないんです」「やらんほうがいいよ。臭くなるから」。たしかに十五番からは酢のような臭いが漂っていた。しかし覚醒剤という未知の快楽に対する興味は、たしかに元海風のなかで萌芽を見た。

 

 ひとしきり身の上を話し合ったあと十五番は差し入れされたものらしい漫画を読みふけり始めた。元海風はトイレに目をやった。和式便器が衝立で通路側から隠されているだけだった。突如として便器から水がごぼごぼと逆流して赤黒い肉塊の姿で涼風が這い出てこないか不安になった。視界から外すとその隙に涼風がトイレから侵入してきそうな気がした。だから生活スペースから丸見えの便器を凝視し続けた。どれほどそうしていたかわからない。留置官から「七番、接見。当番弁護士さん。用意して」と呼ばれた。元海風はなおも便器から目を離さず「はい」と返事をした。

 

 透明なアクリルで隔てられた面会室で、先に座っていたダイエットの必要な男性弁護士は元海風に質問した。「それで、今回はなにがあったんですか」。いかにも面倒くさそうだった。元海風は答えた。「大麻を使用していたらガサが来て、物証も押さえられ、それで逮捕されました。黙秘と署名押印拒否は徹底していますから、不起訴か無罪を狙えませんか」。現役だったころは警察に逮捕されても軍が横車を押して釈放させてくれた。その感覚が元海風はまだ抜けていなかった。すぐに出られるものだと思っていた。だが弁護士は鼻で笑った。「薬物事犯は、詐欺などと同様に過失でなく百パーセント故意である以上、司法はかなり厳しい態度で臨みます。それに検察がクルーシャルエビデンスを握っている以上、不起訴はまずありえません。無罪もないでしょうね。まあ初犯なので反省すれば執行猶予は期待できますよ」

 

 元海風は理解できなかった。「執行猶予? それって有罪判決でしょう? それじゃだめなんです。わたしは不起訴か無罪で家に帰らなければならないんです。じゃないと主人の仕事に支障が。あなたはわたしを犯罪者にしたいんですか? 主人を犯罪者の夫にしたいんですか? まだ一歳にもなっていない子供に、おまえの母親は犯罪者だといえるんですか? わたしを有罪にするということはそういうことなんです。わたしではなく、わたし以外の人を苦しめるだけなんです」。これに弁護士は小さく息を吐いた。「それはすべてあなたの責任です。違法薬物に手を出せば、自分だけでなく大切な人まで傷つけるのです。これを機会にきっちり反省して、薬物から離れたほうがいいですよ」

 

 厚生労働省の薬物乱用防止啓発漫画の登場人物みたいな胸くその悪いせりふのあと、弁護士はさらに続けた。「艦娘だったんでしょう? 国を守っていたのなら、ルールも守らないと」。得意になって説教する弁護士にはっきりとした憎しみを覚えた。弁護士は被告人を有罪判決から守るための存在ではないのか? わたしはこんな役立たずを守るために2水戦の訓練をやり遂げ、MS諸島やモロッコやリンガやトラック諸島で戦ったのか? 艦娘にもなれない男のくせに。せめて元艦娘を無罪にするべく奔走するのがせめてもの恩返しではないのか? 元海風は一片の言葉すらこの弁護士に費やすのが惜しくなって(おし)になった。元海風を言い負かしたと勘違いした弁護士は、まるで台本でも読むように権利の説明や国選と私選の違いなどを一方的に説明した。その後ろの壁際では涼風が無音であざ笑っていた。

 

 初回無料の弁護士接見は無駄に終わった。留置場で漫画を読む十五番の居室に戻った。夕食の時間になった。主菜の豚肉の切り身は紙のように薄っぺらくかろうじて塩味がするだけだった。副菜はむやみやたらに塩っ辛い切り干し大根に、まったく味のしないほうれん草のお浸し。白米は生ぬるかった。味噌汁は出汁が効いていなかった。ついでに十五番の饐えた体臭。入浴もないまま消灯時間になった。

 

 翌日も朝食のあと取り調べが待っていた。この清純そうな顔立ちに似合わずふてぶてしい艦娘あがりになんとか口を割らせようと刑事たちは工夫を凝らした。「黙秘していると罪が重くなる」「おまえのためにならない」「知らないなんて言い分が裁判で通ると思っているのか」と口々に脅した。

 

 まだ終戦から一年あまりだったから、横須賀や舞鶴あるいは佐世保のような軍港のある街の刑事たちであれば艦娘相手の取り調べがどんなものか知っていた。なにをいえばいいか知っていた。なにをしてはいけないか知っていた。だが石川の警察はおそらく艦娘を取り調べた経験に乏しいようだった。艦娘というある種どうしようもない人種の扱い方を知らない取調官らに、元海風はむしろ同情さえ覚えた。かわいそうに。時間と税金を無駄にして。

 

 なかでも若い刑事は「持っていたなら正直に話すべきだ。自分から話せば罪も軽くなるかもしれない」といきり立った。無自覚に居丈高な刑事に、元海風は彼の失敗を彼に代わって憐れんだ。そういう言い方は艦娘には絶対にしてはいけないのに。

 

「このまま黙っていたら、うそをついたという罪の意識にずっと悩まされることになるぞ」。若い刑事の言い分が面白くなってきて、元海風はからかってみることにした。

 

「うそはついていません。黙っているだけですから」。これに刑事は逆上する。「ほんとうのことをいわないのは、うそをついているのと同じだ」「勝手に捕まえて、勝手に話しかけてきて、答えなかったらうそつき呼ばわりするんですか? それに、どうして大麻の所持が罪になるんですか?」「法律でそう決まっているからだ」「なるほど。悪法もまた法なりですからね。では、これは個人的な雑談なのですが、なぜ大麻の所持が法律で禁じられているのだと思います?」「殺人犯がなぜ人殺しは罪になるのかといっていたらどう思う?」「殺人は被害者がいますから厳しく罰せられるべきだと思いますが、大麻はだれにも迷惑をかけていないでしょう?」「トランス状態になって他人に迷惑をかける可能性はじゅうぶんある」「ではなぜお酒は合法なのでしょうか。泥酔して喧嘩や交通事故を起こすケースはいくらでもありますよね」「体に悪影響があるだろう」「なら自殺も刑事罰の対象になっていないと筋が通らないですね。悪影響どころか殺しているわけですから」。刑事はとかげを呑まされたような顔になった。そこで元海風の興味は尽きた。また黙秘に戻った。

 

 当時を元海風ははにかみながら回顧する。「子供だったんです。警察を相手に突っ張るのがクールだと信じていました。まだ自分が艦娘だと思ってたんですね。図体だけ二十二歳になった、世間知らずの子供。だれにも迷惑をかけていないですって。子供の面倒も見ずに大麻を吸っていたのに」

 

 逮捕から四十八時間を迎える直前の朝、元海風は検察に身柄が送られた。ここでも元海風は黙秘を貫いた。

 

 翌朝、勾留質問のため地裁に移送された。同じように勾留質問を受ける被疑者がほかに四、五十人はいた。二畳ほどの個室で留置官とともに待たされた。一人ずつ裁判官に呼び出された。時計もない部屋でただ待たされるのは退屈だったが軍で慣れていたので苦にはならなかった。元海風の番が巡ってくるころには夕方になっていて、そのあいだ木のベンチと奥に便器があるだけの殺風景な部屋で微動だにしなかった元海風を、留置官はむしろ不気味なものを見るような目で見た。

 

 勾留質問とは、裁判官が被疑者の言い分を聞いて、検察の勾留請求を認可するか却下するか判断する手続きだ。しかし実際にはその前の段階、検察が提出した勾留請求書と事件記録を裁判官が読んだ時点ですでに勾留か釈放か決めているとされる。しかも薬事犯なら勾留決定はほぼ確実である。よって被疑者の話をいちおう聞くだけは聞いてやったという体裁をとるためのセレモニーにすぎない。

 

 民主主義にセレモニーはつきものだ。いやしくも特別職国家公務員だった元海風はその重要性を知っている。そのセレモニーに元海風が賓客として呼ばれるときがきた。先行する留置官がドアをノックした。「入りなさい」という返事でドアが開かれた。留置官は外で待機する。元海風と中年男性の裁判官と書記官。部屋にはその三人だけとなった。

 

 裁判官が人定質問で本人確認した。元海風は天井と壁の境目を視線でなぞりながら答えた。裁判官はまず黙秘権があることを元海風に告知し、勾留請求書の被疑事実を読み上げ「なにかいいたいことは?」と尋ねた。「黙秘します」。海風がいうと、自動応答のように「では、逃亡、証拠隠滅の恐れがあるので、十日間の拘留を認め、弁護士以外の接見を禁じます」と告げた。書類から顔を上げることはなかった。勾留質問はわずか数分で終わった。流れ作業で人一人の自由を追加で十日奪う盲判を捺す裁判官の態度が不愉快だった。いっぽうで、勾留が決まり切っているのならいっそ手早く片付けてくれたのがありがたくもあった。どうせ艦娘になったこともない男に話すことなどなにもない。

 

 留置場に戻った。昼食のあと鉄格子越しに留置官から正式な勾留延長通知書が手渡された。元海風はその場で準抗告を申し立てた。本当に延長が取り消しになるとは夢にも思っていない。とにかく裁判官によけいな事務仕事を増やしてやりたかった。軍隊と同様に、司法は法に則って正式な手続きで提出された正式な書類を黙殺することはできない。なんらかのリアクションをしなくてはならない。翌日、留置官が準抗告申立却下の通知書を渡してきた。通知書には元海風が一貫して黙秘していて捜査に協力的でないことが理由として書かれてあった。どうでもよかった。このぺら紙を作成させられた裁判官の徒労を想像すると、少しは溜飲が下がった。

 

 延長された勾留期間中も元海風は刑事との取り調べで黙秘を徹底した。いっぽうで軍にいたころのくだらない話ばかりを聞かせた。刑事たちは元海風の機嫌をとれば供述してくれるのではないかと思い出話をひたすら聞いた。それをいいことにこの元艦娘は数時間ぶっ通しでしゃべるだけしゃべって取調室を独演会場にし、満足しては留置場へ帰った。手紙が来ていた。留置場の被疑者は外との連絡手段が警察の検閲を介した手紙か弁護士をメッセンジャーにするかしかない。元海風は弁護士を信頼していなかったので夫に手紙を書いていた。押収された薬物や道具類は友だちのもの。わたしは無罪。すぐに帰るから気にしないで。子供は元気?

 

 返事にはこうあった。会社にはいづらくなって退職した。マンションも引き払った。いまは別のアパートにいる。帰ってきたらまた三人で暮らそう。本当におまえが薬をやっていたのなら、正直に話したほうがいい。

 

 元海風は叫びながら居室の鉄格子にこぶしを叩きつけた。十五番は大笑いした。留置官が飛んできて怒鳴るが知ったことではなかった。おまえたちがわたしを逮捕なんかしなければ、わたしたち家族はいままでどおり生活できていたのに。

 

 十日が過ぎた。もういちど勾留が延長された。二十三日の拘束上限期間いっぱい黙秘を貫いた。元海風は起訴されて被疑者から被告人になった。ひと月後、第一回公判がひらかれて結審し、一週間後に判決がいい渡された。懲役一年・執行猶予三年の有罪判決だった。薬物事犯なので保護観察にも付された。「控訴するだけ無駄ですよ」。勾留初日に当番弁護士として接見にきてそのまま国選弁護人に選任された弁護士が閉廷後にいった。自分は無辜を冤罪や警察検察の横暴から救いたいがために弁護士になったのであって、ドラッグに手を出しておきながら悪びれもしない艦娘あがりなどのために時間を割きたくない、と顔に書いてあった。

 

 しかし弁護士にいわれるでもなく、元海風には控訴する気力が残っていなかった。逮捕からすでに二か月半が経過していた。帰りたかった。手紙でなく夫と子供の顔が見たかった。声が聞きたかった。海風として外地に出征していたころは一年や二年は会えないのがふつうだったが、このときは一刻も早く再会を果たして、生活環境の変化がふたりにもたらした影響の程度が予想より小さいことを確かめて安心したかった。執行猶予なら判決が確定すればその足で家族のもとへ帰れる。

 

 裁判所から日の当たる駐車場に出ると夫が子供を抱いて待っていた。子供は気のせいかずいぶん大きくなったように見えた。夫はぎこちない笑みを貼り付けていた。「おかえり」。見覚えのある表情だった。退役して輸送艦で帰国したときに迎えに来たときの顔だった。元海風が戻ってきたことの安堵と、これからいままで通りに暮らしていけるだろうかという不安が複雑に入り混じった顔だ。

 

 車の助手席に乗った元海風に、ハンドルを切りながら夫はいった。「もう、大麻……なんてものには頼らないでくれ。おれを頼ってくれ。支えになりたい」。元海風は涙をぼろぼろこぼしながら、何度も「うん」と頷いた。

 

 だが涼風の粘つく恨み言を聞きつづけて十日後、元海風はいつの間にか覚醒剤を入手していた。高架下のまずいおでん屋で買う方法は留置場で十五番から聞いていた。購入したのはワンパケだけだった。初心者なら五回ぶんと売人の老婆はいっていた。元海風は一回だけ使って残りは捨てるつもりだった。一回なら依存せずに後戻りできるはずだ。あの十五番が病みつきになった薬物の味を知りたかった。一回だけ。一回だけ。

 

 初回サービスということで無料でもらった注射器の封をあけた。医療用注射器だった。県内の大学付属医療センターで働く臨床工学技士から横流しされているというそのポンプに覚醒剤の水溶液を吸わせた。ゴムチューブを二の腕に巻いて怒張させた静脈に注射した。

 

「その瞬間のことは忘れられません」と元長波に元海風は苦笑する。「脳のしわに溜まった黒い澱がきれいさっぱり洗い流されたようでした。本当にすごかった。あのきらきらとした感じ。まるで魔法だったの」

 

 暗い眼窩から重油のような黒い涙を流す涼風が、深海棲艦と遭遇しない毎日に()んでいたころの快活な顔に変わった。最上が会いにきた。明石が会いにきた。村雨が会いにきた。有明が会いにきた。高波が聖書片手に会いにきた。チーム8の面々が会いにきた。みんなでくだらない話をした。笑った。そこでは江風も「あンたがいれば、こンなひでえことにはならなかっただろうな」などといわなかった。

 

 鬱のため動かなかった体が軽くなった。視界が明るかった。まるで祝福されているようだった。実際にはただ覚醒剤の作用で瞳孔が散大しているだけだが、元海風本人には2LDKの部屋が隈なくきらきら輝いて見えた。元海風の肉体は天国と地獄にそれぞれひとつずつ存在していて、いままでは地獄のほうの肉体に魂が閉じ込められていたが、覚醒剤を摂取すれば天国の肉体に精神を移すことができた。薬効が切れるとふたたび地獄にいる肉体に戻された。そこでは家事と育児が待っていた。体が極度の疲労感で動かなくなった。聞こえる音は赤ん坊の泣き声だけだった。天国には数時間しか滞在できなかった。

 

 パケを見た。あと四回分残っていた。それは天国へのビザだった。どうせ捨てるなら使ったほうが合理的ではないかと思った。もう買わなければいいだけだ。

 

 半年もするころには元海風の腕は無数の注射痕が星座をつくっていた。涼風にちゃんと笑っていてほしかった。江風に責められたくなかった。きらきらがない世界に耐えられなかった。天国のきらきらをいつまでも見ていたかった。元海風は「きら漬け」になっていた。

 

 きら漬けのまま買い物に出た。その日は木曜日だった。車で十分のところにあるスーパーマーケットは毎週火曜と木曜と土曜に冷凍食品が半額になった。元海風はそのいずれかの曜日に決まってスーパーを訪れた。彼女の挙動があきらかにおかしいという保護司からの通報を受けた警察がひそかに彼女を内偵していた。買い物から帰ってきた元海風をアパート前で職務質問した。

 

「身体検査させてもらっていいですか」「どうぞ」。なにも出なかった。「車内見せてもらってもいいですか」「どうぞ」。なにも出なかった。警察官はいった。「おしっこください」「いやです」。大麻と違って覚醒剤は使用だけで違法になる。尿を採られたらそのまま逮捕だ。それは避けねばならなかった。「身体検査には応じました。車のなかも見せました。なぜどんどん要求がエスカレートしていくんですか? 弁当持ちだからってそこまでされなければいけないんですか? わたしはあなたやあなたの家族を守るために戦争へ行ったのよ」「何も出なかったら出なかったでいいじゃないですか」「あなたたちはそれが仕事だからいいでしょうけれど、こちらは時給も出ないのに付き合わされるなんて、納得がいきません」「潔白を証明できるんですよ」「なら最初から疑わなければいいでしょう?」。元海風は強引に家に帰ろうとした。もうひとりの警官が応援を要請していた。たちまち何台ものパトカーが駆け付けて十数名の警官が元海風を囲んだ。元海風の怒りは増した。警官はいつもこれだ。深海棲艦みたいにすぐに数で押し切ろうとする。人として恥ずかしくないのか。

 

 尿の任意提出をあくまで拒むなら裁判所から令状をとって採尿の強制執行になると脅された。元海風はやれるものならやってみろと強硬な態度に出た。そのころには冷凍食品はすべて融けていた。「どうしてくれるんですか! あなたたちのせいでごはんが作れない!」。元海風は怒鳴り散らした。どろどろの冷凍食品を地面や道路に爆雷のように投げ捨てた。警官たちはひとつひとつ拾った。強引に部屋に戻った元海風は子供の食事をつくった。アパートのドアを警官らがあけたまま親子を監視した。その異様な状況で一歳の子供が泣かないはずもなかった。「閉めてください!」。これに警官たちは冷静に対応した。「採尿に任意で応じていただければ、ぼくらもこんなことせずにすむんですよ」

 

 アパートの周囲は依然として複数の警察車両が囲んでいた。「令状が来るまであとどのくらいですか?」。元海風が訊くと警官のひとりが答えた。「だいたい五、六時間くらいを見ていただけたら」。小艦隊三個ぶんほどの警官に囲まれ、開け放した玄関から監視されながら六時間半待った。捜索差押令状が届いた。国家が人ひとりの尿を欲しがってわざわざ法的手続きをとった。そのことが元海風にはばかばかしく思えてならなかった。命がけで守った国家に裏切られた気分だった。

 

 子供はまた児童相談所の職員が預かった。元海風はパトカーに乗せられ、泌尿器科のある病院へと連行された。「いまからでも任意で提出してくれれば、強制執行はなしになるよ」。道中の車内でかけられた若い女警官の声も元海風の耳には届かなかった。足下の床、元海風の両足の間に涼風の後頭部が現れたからだ。いつこちらを振り返るかわかったものではなかった。金青(こんじょう)の髪色が毛先にいくに従って澄んだ秋の空色のように明るくなっていく頭部を元海風はうつむいてじっと凝視した。病院についてもしばらくは目が離せなかった。

 

 元海風は院内の手術室でベッドに寝かされ、さらには両手両足を女性警官たちが押さえつけた。看護師にジーンズと下着をおろされた。医師がカテーテルの先端に滅菌済グリセリンを塗って元海風の無理やり開かされたむき出しの股間に近づいた。元海風はその医師の顔を見た。涼風だった。涼風の目と口から黒い粘液が流れ始めた。口の端が耳まで裂けていった。

 

 元海風はすさまじい悲鳴をあげて暴れた。警官らは全力でこの薬物中毒者を拘束した。医師は激しく抵抗するジャンキー女に、けれどもてこずることもなくカテーテルを外尿道口から挿入した。するすると体内を遡っていくカテーテルがさらに膀胱内を犯した。元海風の意思とは関係なく尿が漏れていった。自尊心が尿とともに流れ出ていくようだった。屈辱のあまり元海風の食いしばった奥歯が砕けた。そうして強制採尿は終わった。

 

 尿からは覚醒剤の成分が検出された。覚醒剤使用の容疑でその場で逮捕された。執行猶予も取り消された。

 

 選任された若い国選弁護士が接見時にいった。「病院や薬物依存症リハビリ施設での治療を検討していると裁判官にいえば減刑される可能性がある」。元海風は拒否した。どうせ海軍転換艦隊総合施設のように画一的な治療プログラムで患者を治した気になる自慰行為に付き合わされるだけだろう。二度とごめんだ、二度と。

 

 起訴される前の勾留中、夫が面会に来た。夫は涙ながらに訴えた。「もう本当にやめてくれ。どうしたら薬をやめてくれる? なにが望みなんだ?」。元海風にもわからなかった。そのときも元海風は刑期を終えたら覚醒剤が使えるとしか考えていなかった。

 

 模範囚だったため元海風は仮出所の対象となった。夫が子供を連れて迎えに来た。「もう二度と、絶対にやらないでくれよ」。元海風はそんな夫がわずらわしく思えた。うるさいなあ、こっちはやっとシャバに出られたのに、しらけるようなこといわないでよ。その本音が声に出ないよう押しとどめるために口をせいいっぱい引き結んだので、なにも返答はできなかった。

 

 大麻のプッシャーとともに逮捕されて収監されていた友人もこの時期には仮出所していた。ある日の昼にふたりで会った。友人は変わらず大麻を吸っていた。「あんたも捕まってたんだ」「そうなの。シャブでムショいってた」。元海風は友人に覚醒剤を教えた。友人も夢中になった。元海風以上のツネポンになるまでそう時間はかからなかった。

 

 保護司は年々減少の一途をたどり、ボランティアであることも手伝って犯罪者や非行少年ひとりに割ける時間はきわめて限られていた。幼稚園全体の園児をたったひとりの保育士で見るようなものだ。元海風が覚醒剤の常習者であることを見抜くには、担当官に与えられた時間はあまりにも少なかった。

 

 元海風は二歳の子供をひとりで留守番させ、車に友人を乗せて覚醒剤を買いに行った。一斉摘発でおでん屋はなくなっていた。だが大麻同様にネットで買えばよかった。むしろ便利になった。旧態依然としたおでん屋が淘汰されたおかげで覚醒剤もスマートフォンで求めやすくなった。それでも早く入手したいなら手押し*5の売人から引くにかぎるのは変わらなかった。買った。さあ家に帰ってパーティーだ。気が(はや)った。アクセルを踏み込んだ。巡回中だった交通機動隊のパトカーにスピード違反を見咎められた。所持品検査をされた。

 

 三度目の逮捕で面会に訪れた夫はいった。「おまえが戦争で大変だったことはわかる。それは俺がどうにかしてやれるものじゃないことも。だが、だからといって、子供をほったらかしにして薬物に溺れていい理由になるのか?」

 

 元海風はそのとき、自分でもわかるほど醜悪な表情に顔が歪んだ。いっさいの反論を許さない正論が憎かった。正論を吐いてどうなる? それでわたしがシャブをやめられるのか? 正しいことをいうだけなら小学生にもできる。大人なら実現可能な提言をするべきなのではないか? 元海風は夫の純真でさえある稚拙さを心から恨んだ。

 

 服役した。出所した。子供は四歳になっていた。いい母親になろうと誓った。一年後には覚醒剤を入れるための血管を子供に探させていた。ドラッグをやめねばならないという意識はあった。つまり罪悪感もあった。だからこのころの元海風は「覚醒剤の使用を正当化する理由」を血眼で探すようになっていた。きょうはこんなストレスを感じる出来事があったから、覚醒剤を使っても許される。きょうは夫にきついことをいわれたから、覚醒剤を使ってもしかたがない。自分に対するいいわけを重ねた。

 

 しかしもうどこにも針を刺すところがないので、お腹を空かせた子供が見ている前で覚醒剤の水溶液を自身の肛門に注いだ。そこを帰宅した夫に見られた。元海風は台所の包丁を持ち出した。柄を両手で握った。刃先を自分の喉に突き付けた。「この包丁を押してよ」。その状態で元海風は尻から水溶液を垂れ流しながら夫に詰め寄った。「この包丁を押してよ」。夫は、自分でも驚くべきことに、そうしてやらねばと思った。子供が泣いた。それで包丁の柄を一押しするのではなく、警察に通報した。

 

 四度目の逮捕。刑務所に面会にきた夫の顔には感情がなかった。「おまえを支えたい気持ちはある。だが、おまえがいるとあの子のためにならない」。抗った。業を煮やした夫は離婚調停を申し立てた。そこでも元海風は一歩も譲らなかった。

 

 駆逐艦娘は拝命した艦名と、所属する艦隊の看板とを背負う自覚が不可欠だった。どんなに些細なものであっても紛争では負けを認めてはならなかった。仲間内での口論、酒場での民間人との喧嘩。すべてにおいて正面から戦いを挑み、堂々と受けて立って、完全勝利しなければならなかった。引き分けは勝利ではなく、勝利ではない以上は敗北とみなされた。敗北した艦娘に名誉はない。名誉は艦娘にとって命にも代えがたいものだった。

 

 事実、こんな挿話がある――元海風が現役中、ある隊で、酒の席における駆逐艦娘どうしのつまらない諍いが起き、自分から謝罪して場を収めようとした誠実な艦娘がいた。彼女は後日、基地中の同名艦たちから「恥晒し」と激しく誹謗中傷され、また艦隊の僚艦らからもいちじるしい不興を買った。「おまえのせいでわたしたちまで笑いものだ」。基地内で孤立し、嘲笑の的となった。耐えかねた彼女はついにトイレの個室のドアノブで首を吊って自殺した。そんな事例は大なり小なりどこの隊にもあった。

 

 だから元海風も調停の場では夫はもちろんのこと、調停委員の説得にも頑として耳を貸さなかった。完全なる勝利以外許されないと信じ込んでいた。説得を聞き入れて拳を収める艦娘に名誉はない。軍ではたとえ軍法会議にかけられる不利益を被ろうとも目の前の勝利を摑む艦娘こそが艦娘として認められた。もう艦娘ではないのに、まだ駆逐艦娘のつもりでいた。時計の針を進めていなかった。

 

 調停不成立から離婚裁判に発展した。一審は元海風の敗訴に終わった。しかも母親側は九割以上勝てる*6親権争いでも負けていた。刑務所に面会に来た弁護士から判決内容を伝えられて、迷わず控訴した。負けた。上告した。棄却された。引き分けですらない完全な敗北だった。「きちがい病院」から退院させられたときと同じく、また独りになった。その孤独を埋めるために元海風はますます覚醒剤に溺れていくことになる。

 

 出所した日、友人にお祝いとして覚醒剤をプレゼントされた。炙って吸引した。上機嫌でひとり車を運転していると職務質問を受けた。パトカーとすれ違う瞬間あからさまに警官から顔を背けたので怪しまれたらしい。「なにか危ないものとか持ってませんか?」「いいえ、拳以外には」「車内とか見せてもらってもいいですかね」。ネタ(薬物)の入ったパケとポンプ(注射器)がとくに隠蔽工作もなくグローブボックスに入っていた。元海風は断固拒否した。警官ふたりはどこか達観した笑みを浮かべていた。「我々もね、わかってて声お掛けしたんですよ。だってお姉さん、目、イッちゃってますもん」

 

 なおも元海風は運転席で粘った。応援の警官十人以上が車を囲んでも粘った。薬物担当の刑事が到着しても粘った。七時間以上も粘った。深夜になっても粘り通した。

 

 裁判所から発行された捜索令状が届くまでのあいだ、最初に職質してきた警官が雑談を交えて元海風の説得を続けた。「前科(マエ)はあるんですか」「あります。きょう出所したばかり」「きょう! もうやめましょうよ、クスリなんて」。やめられるものならとっくにそうしている。「令状届く前に車内検索お願いできませんか」。警官は重ねた。「いやです」と元海風は答えて煙草の煙を長く吐いた。どうせまた捕まる。そのまま送検されて刑務所に逆戻りだ。なら一秒でも長く娑婆の空気を吸っていたかった。

 

 令状が来た。白い結晶の入ったパケが車内からあっさり見つかった。試薬検査がはじまった。結晶は試験管のなかで試薬に染まって鮮やかなブルーを呈した。「青色になったね」。刑事がいった。「ええ、海色(みいろ)ですね」。元海風にとって渾身のジョークだったが、だれひとりとして理解できなかったので笑いはとれなかった。

 

「もう今度こそは反省して、きっぱり足洗いましょうよ」。署へ向かうパトカーの車内で警官がいった。元海風は思わず鼻で笑っていた。呆れて反論する気にもならなかった。反省? 反省ときた。薬物依存は病気なのだ。病気を治すには治療が必要だ。なのに、するべきことが、反省? あなたたちは反省すれば、がんが治るとでも思っているの? 思わない? 結構。安心したわ。ではなぜ薬物依存は反省で治ると無邪気に信じていられるの? 仕事柄ポン中なんていくらでも見てきているだろうに。それでよく警官が務まりますね。やれやれ!

 

 いつもの逮捕。いつもの取り調べ。いつもの黙秘。いつもの勾留質問。元海風は地方裁判所でも心ここにあらずだった。戦闘ストレスに起因する解離症状・無感動・鬱・無限の疲労感、それに覚醒剤の早期離脱症状が重なって外界の刺激に反応することがむずかしくなっていた。五時間待たされても待たされたことを記憶できなかった。裁判官の待つ部屋に呼ばれた。形式的な質問を受けた。舌が勝手に回転して応答した。それを元海風本人は他人事のように見ていた。魂と肉体の座標が一致しなかった。自分が勾留質問というセレモニーの当事者とはどうしても思えなかった。好きにしてちょうだい。

 

「もしかして海軍にいましたか?」。女性裁判官が人間味のある感情を乗せた口調で訊ねてきた。裁判官が女性だとようやく理解できた。「ええ」。元海風にはどうでもよかった。どうせ勾留は決定事項なのだからさっさと流れ作業で片づけてほしかった。「艦娘だった?」「ええ」。いらいらが募った。なにが知りたいんだろう、この裁判官は? セレモニーは台本どおりやってくれなくちゃ。

 

 だが裁判官は決定的な質問を投げかけた。「海風だった?」。元海風は顔を跳ね上げた。このとき初めて元海風は女性裁判官の顔をはっきりと見た。年齢を重ね、紅色だった髪も黄金色だった瞳も生まれつきの黒に戻ってはいるが、間違いなくかつての後輩だった江風(かわかぜ)だとわかった瞬間、元海風の魂は肉体と寸分たがわずぴたりと重なった。元海風は懐かしさに対する自然な反応として笑みを浮かべ、その直後、喉から嗚咽がこみあげてきて「なんてこと」と頭を抱えて泣き崩れた。

 

 トラック泊地では元江風に泊地での生活様式から武器装備の点検の裏技、良心的な娼館まで教えた。最後任だった江風はいつも元海風の後ろをついてきていた。「姉貴、姉貴」と元海風を頼った。その元江風は退役後、中卒の身から想像を絶する苦学の果てに司法試験に合格しさらには司法修習でも上位五%の成績を修めるまでに研鑽を重ねて判事となった。

 

 あの美しい環礁の泊地にいたころ、後任であるその江風のことをどこか見下していなかったといえばうそになる。この子はわたしがついていなくちゃだめ。射撃や魚雷射法の成績も同時期のわたしより下。先任として導いてあげなくては。

 

 ところがどうだ。いま自分は楽なほうへ楽なほうへと流されたすえに違法ドラッグを濫用するけちな犯罪者に成り下がった。元江風は自らの力で波風に逆らってでも目的地へと航海を続け、裁判官という目もくらむような社会的地位に昇りつめた。

 

 最も見られたくない相手に、最も見られたくない姿を、こんな形で見られた。その後悔と情けなさと惨めさで、元海風はただ机に泣き伏せるばかりだった。薬物に溺れている自分を初めて恥ずかしいと思った。

 

「ここで再会したことは残念です。ずっとあなたがどうしているか案じていました」と元江風は、号泣しつづける元海風に冷静に語りかけた。「わたしがいえることは、あなたはわたしが知るかぎり最も優秀で、善良な艦娘だったということです。最高の艦娘でした。わたしにとっては実の姉同然でした。いまのあなたを見て本当に残念です。けれど手遅れじゃない。いまからでもあなたは法律を守って正しく生きることができます。わたしはだれよりもそれを強く願っています。あなたを信じている“妹”がいることを忘れないでください」

 

 元海風は、それまでいちども考えたことのなかった薬物依存症からの脱却を元江風と自分自身に誓うことになる。留置場に戻った元海風は留置官に手鏡を借りた。正気に戻った目で自分を見た。そこには骨と皮だけになったみすぼらしい老婆がいた。まだ三十代なのに痩せこけて頬骨が張り出て、目だけが大きくぎらぎらしていた。黒に戻っていたぱさぱさの髪は半分白髪だった。体重はわずか三十二キロしかなかった。

 

 刑務所では「虫をわかせ」るたびに元江風の成長した顔を思い出した。出所後は依存症治療専門病院を受診した。支持的精神療法・心理教育・個人心理療法・認知行動療法的心理療法・条件反射制御法などさまざまな治療プログラムが元海風を待っていた。

 

 その治療中、友人が違法薬物の過剰摂取で亡くなった。治療の一環として連絡を絶っていたため人づてに聞いた。友人には身寄りがなかった。元海風ら数名の中毒者仲間で引き取って密葬した。焼き上げた骨は砂のように箸からこぼれた。元海風は友人を見捨てたという罪悪感を言い訳に覚醒剤を使用してしまい、その自己嫌悪で通りをふらついているときにパトロール中の警察官に怪しまれ、六度目の逮捕を迎えた。

 

 幸いにも元江風の裁判官と関わることなく刑務所に行けた。だが次はわからない。

 

「江風との再会は、どんな言葉や量刑よりもわたしにシャブから足を洗う決意を固めさせました。あの江風とは、被疑者というかたちでは、もう二度と会いたくないの」

 

 それで父親の会社を受け継ぎ、同じように更生を願う元受刑者らを雇う協力雇用主となってこんにちまで来ている。経済的事情から支払えずにいた子供の養育費も払うことができるようになった。来年には成人する息子とは十年ほど会っていない。会う資格がない。それ以上に、元海風のなかで息子の顔と覚醒剤が強く結びついてしまっているため、会うことがきわめてむずかしい。元海風は薬物から逃れるためにわが子の顔さえ見てはならなくなった。

 

 息子は元海風の誕生日と母の日に欠かさずプレゼントを贈ってくる。元海風も息子の誕生日にはプレゼントを贈る。わずかとはいえ母子の絆を取り戻しつつある。そのきっかけをくれたのが江風だった。

 

 

「判事になったっていうその江風とは、わたしも同じ艦隊になったことがあってね」

 

 と元長波が引き取る。

 

「まあ。奇遇です」

「それ以来会ったことは?」

「いいえ。わたしなんかに時間をとらせるのも気が引けて」

「会って礼をいいたい?」

「もちろん。できることなら」

 

 それに元長波はいう。「実はきょう、来てもらってる」

 

 元海風がぽかんと口をあける。元長波がドアに向かって「どうぞ」と声をかける。開けられたドアの向こうから、背広姿の元江風が知的で人好きのする笑みとともに姿を現す。元海風の下にいたときは十四歳のがむしゃらな駆逐艦だった。いまは三十九歳にして最高裁判所事務総局民事局第一課長と同第三課長を兼任している。きょうは多忙のなか元長波の頼みを快諾して駆けつけた。

 

 元海風は自然と立ち上がって、子供のように顔をくしゃくしゃにしながら元江風に駆け寄る。ふたりは固く抱き合う。元江風の目にも光るものが見られる。

 

「ごめんなさい。こんなで、ごめんなさい」と元海風。

「いいンです。わたしだって、あのときわたしの代わりに殴ってくれた恩返しがしたいと思っていたンですが、なにもできなくて」

「いいえ。あなたのおかげ。ぜんぶ」

 

 元長波には、泣きながら抱き合うふたりが、まだ十代だったころの、海風と江風だったころに若返っているように見えている。きっとそうなのだ。

 

「わたしはあなたを救えたンでしょうか?」

「そうよ。江風のおかげでやめようって思えた。あのときの裁判官があなたじゃなかったら、きっといまでもわたしはやり直そうなんて思いもしなかった。本当にありがとう」

「よかった。あなたはわたしに救われたと思っているかもしれませンが、いままさに、わたしはあなたに救われたンです。この道に進ンだのは間違いじゃなかったって。あなたはわたしにとって特別な存在だったから」

 

 ふたりは体を離し、手を取り合い、涙とともに笑う。

 

「姉貴、ひさしぶり」

 

 と元江風が微笑する。

 

「江風も」

 

 元海風も返す。

 

 それから元長波を見やる。

 

「ありがとう、長波さん」

 

 元長波は軽く手を振る。

 

 過ぎ去った時間は取り戻せない。だがいまこの瞬間に自分を変えようと立ち上がることはできる。そのときようやく戦争を終えられるのかもしれない。元長波は、かつて同じ艦隊で海を駆け、その後あまりに別々の道を歩んでいままた再び交わった数奇な運命のふたりの元艦娘を見て、そう思っている。

*1
空母艦娘らが運用する艦載機と運用思想の根本は同一で、すなわち武装無人ロボット地上車両に干渉波を付与して上陸させ、主たる目標として想定されている敵地上型深海棲艦を攻撃させるものである。操縦方法は母機となる艦娘の遠隔操作を採用している。

*2
大麻の、種のない雌蕊の花穂を乾燥させたもの。幻覚作用は通常の乾燥大麻の数倍にのぼる。

*3
この当時、元海風は二十二歳なので、対応に当たった女性警察官とそう年齢は変わらなかった。艦娘のあいだでは、たとえ同年代であっても海軍に志願しなかった女性を往々にして「小娘」などと見下す傾向があった。

*4
大麻成分入りの菓子。

*5
手渡し。

*6
司法統計年報家事編、「離婚」の調停成立又は調停に代わる審判事件のうち「子の親権者の定め」をすべき件数―親権者別―全家庭裁判所



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