無敵系中ボスが過去にしがみつく話 (竜田竜朗)
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世界が終わったあと

多少誤字修正等を加えた再投稿になります。基本的に内容は変わらないので、一読された方はスルーください


歴史の教科書の最初のページは世界の終わりから始まる。2265年に一度世界は終わったのだ。人類史では大変な出来事ではあるが、地球にとってはたまに有るただの大災害によって。

なんてことはない。空から大量の隕石が落ち、地が裂けて海が陸を飲み干しただけの話だ。脆弱な陸の生き物、特に人間の歴史は一旦そこで閉ざされる。その日に「世界」は終わった。

 

ハズだった。だが人間はしぶとく、結局なんとかなった。

 

世界の終りを予め知っていた人間は、たとえ海が陸を飲み込もうと、地が裂けようと、空から無数の石が落ちてこようとも、被害を一切受けない新世界を作った。七千万人あまりの、主に極東の人間が開発し、移住したのは方舟。宇宙を飛ぶ舟は当時の技術の結晶で、向こう数百年は太陽エネルギーのみで自給自足を可能とする世界だ。そして、そこに住む人々は旧世界の終わりを宇宙から眺めた。

世界が終わる前、人々は新世界の事を「隔離世界(シェルターワールド)」と呼び、住まう人々を世界の危機から逃げた者として、負け犬だのと侮辱した。結果的にはその負け犬こそが生き残ったわけだが。

 

何年とかけて世界は文字通りに荒れた。自然災害という神の所業は、地球という人類の住処をリセットした。

そして新世界の人間は新しい住居である世界の不安に駆られながらも、いつもと変わらない日常を過ごし、自然による淘汰が終わった時には、皆口を揃えて「ここにいて良かった」と安堵し、生を噛み締めた。

これからも自分達はこの中で生きていくだろう。変わらない日常を謳歌し、生きている喜びを刻み込んで生き、死んでいくだろう。その当たり前に歓喜した。

 

今日も新世界は平和だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、それは隔離された世界の中での話であり、荒れた世界で死に逝った者達にも、辛うじて生き残った極少数の者達にも関係の無い話である。

 

確かに大津波は大陸を飲み干した。数えるのも億劫になる程度には人が死んだ。だが、極少数の人間は生き残ってしまった。なぜ生きているのか分からないが生きてしまった。彼らは海水という砂漠が引いた大陸の中心部に集まり、僅かな食料を持ち寄って、いつ災害に襲われるか、いつ食料が尽きるのかわからない世界で生きていた。

初めはよかった。世界には非常食という命綱があり、極少数の生き残りであるがために食事には困らなかったから。海水の引いたかつての街や、かつて街だった海に潜り、世界を水中から見下ろして漂う非常食を集めることは出来た。だが一年もすればそれらは見当たらなくなり、次第に飢え始める。

そこから始まるのは、スクリーンの中でよく観た人間同士の醜い略奪だ。至極簡単な話で、人ではなく自分が生き残るのには効果的なやり方だった。非難などさせはしない。自分が生きていくのに食料が必要で、食料は他人が持っているのだ。だから人々は盗み、争い、殺す。

 

しかし人を襲うのはそれだけではなかった。本当に恐ろしいのは、人ではなかった。

 

 

 

 

 

それは新世界で「エーテル」と名付けられた。エーテルは発見当時、オゾン層付近に漂っていた。今まで地球にて観測されたことのない謎の素粒子は、元々隕石に含まれていたものであり、隕石が地上に衝突した際、地球内部に漂い始めたとされている。地球で一番軽いとされる水素よりも軽い気体で、その結果エーテルは宙へ浮き上がるが、オゾン層より更に上には上がらないらしい。「本来地球にあるべきものではなく宇宙へ帰還しようとしている」様から、科学式で表すエーテルではなく、神学としてのエーテルの名を拝借した。

人類は、新世界の技術が発達した後にエーテルのその特異な性質を知ることとなったが、雨に含まれたエーテルが大地に降り注ぎ、地球に蔓延を始め、その性質が世界に影響を起こしたのは隕石の墜落から二年目。世界が飢えを知ってすぐの事であった。

 

突然、人が手から火を出したのだ

 

それは吹けば消えてしまうような、小さなものだった。煙草に火をつけることすら叶わない、弱々しい、小さな火。しかしそれは日を増すごとに大きくなった。世界の人は歓喜した。これで、暖かく眠ることができると。

 

次に、人が手から水を出した

 

最初は一日に三滴ほどしか出せなかった。飲み水にすらならない。しかし時間が経つにつれ、一日に必要な水分を出せるくらいにはなった。世界は湧き上がった。これで、喉を潤せると。

 

世界の人々はこれを魔術と呼び始めた。新世界にたどり着くことのできない、自分達だけの力だと舞い上がり、自分達は隔離世界などに頼らずとも生きて行くと。

全てが順風満帆に思えた。この奇跡のような魔術の力が自分達の救いだと信じて疑わなかった。だが彼らの誤算は、エーテルが魔術を与えるのは人だけではなかったということだろう。

 

まず獣が人に牙を向いた。単純な話だ。飢えていたのは人だけではない。生き残ってしまった犬が、猫が、鳥が、虫が。エーテルの力によって生態系を崩し始めた。肉体の硬化や、筋力が向上した動物達は正面切って人に攻撃をし、殺害して、捕食する。

後に新世界が解明する事だが、エーテルは付着したものに対して細胞の変化を促す。変化された細胞は魔力を持つ。魔力を持った細胞はそれ自体の性質を高められる。ゲームにして例えるならば、ステータスが全て大幅に上がる。さらに言えば、意識することによって、その機能に対して魔力を振り当て強化される。犬で言えば嗅覚を。猫で言えば脚力を。鳥でいえば飛行速度を。毒をもつ虫で言えば、その毒性を。単純明快にして、最悪な結果だ。

人になす術がない訳では無い。人も同様に、意識すれば腕力を、脚力を、嗅覚を、視覚を、聴力を強化できるのだ。それでも人が追い詰められるのには訳があった。人の体は大きく、様々な器官を有するため、エーテルの浸透率が悪かった。つまり、魔力の保持量が少ない。だから、他の動物のように大幅な強化というわけにはいかないのだ。

 

だがしばらくして、世界の人々は意図せず辿り着く。さらに魔力を得る方法を。数少ない人々しか扱うことの出来なかった奇跡のような魔術を扱える領域に。

 

非常食が尽き、人々は動物を食し始めた。魔力を持った動物達をだ。最初は忌避する者も多かった。あんな得体の知れない動物達を食べるのかと。体に悪いのではないかと。しかし、次第にその感覚は薄れ出す。良心や忌避感では拭えない飢えによって。彼らは飢えを凌ぐために自ら魔力を持つ動物達を食し始める。それは、単純に栄養素の補給と魔力量の増加に繋がっていた。エーテルによって変化したエーテル細胞は、食らえば食らうだけ自らの魔力量の増加に繋がる。食らえば強くなる。気がつけば、最初に魔法で火を出した者は、炎神と讃えられていた。水を出した者は水神と祭り上げられていた。

 

そうして人々は力をつけていく。食べれば食べるだけ強くなると信じて疑わずに。やがて二百年もの時が経過した。その頃、世界は魔術師で溢れ返っていた。魔力を持った動物達、魔獣は数を減らした。そしてそれは、人の力の停滞に繋がった。だから人々は独自の集落を作り上げ、協力し、そして、別の集落に攻め入って他人を食し始める。全ては力のため。魔力のため。自らの集落が最強であると証明するため。何世代もその風習を受け継ぎ、終わらぬ戦いが続いていた。

 

そんな中、彼は産まれた。後に世界の人々を喰らい尽くして、新世界から魔人と呼ばれる世界の成れの果てが。

 

名は、根本亮と言った。



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世界の成れの果て

「ゲホッ……はぁ、はぁ……」

 

男はただひたすら走る。この豪雨の中の森林を全力で駆け抜けるのは余りにも体力を消耗する。それは大量の魔力を持ち、常人の何百倍もの力を手に入れた彼とて例外ではない。

一月程度であれば走り続けるのは容易だ。それくらいであれば飲まずとも食わずとも無問題。骨の髄までエーテルが浸透し、細胞の一つ一つがエーテル細胞となったこの体。常人とはかけ離れたスペックを持っているのだ。車を持ち上げて投げたり、軽くジャンプしただけで5m飛んだりと、化物と呼ばれるくらいの運動能力を有している。

そういう生物は、この世界では「魔人」と呼ばれる。世界に数えきれるほどしか誕生しなかった。そしていつも魔人は仲間の希望であり、敵にとっての絶望であった。

 

そしてその魔人は今、最強の絶望に追われていた。

 

パンッ!と、風船が割れるような破裂音が響いた直後、背後から電柱ほどの太さの紫色の光線が彼の右腕を消し去った。

 

「が……っ」

 

突然の痛みに肺の空気がまとめて抜けた。痛みで叫ぶことなど忘れてしまう。

けれど彼の足は止まらなかった。いや、そんな痛みでも止められなかった。

足を止めてアレに追いつかれるくらいならば、この痛みに耐えている方がマシだと本能が告げている。

それに、気がつけば彼の右腕からは新しい右腕が生えていた。これこそ魔人の真髄。常人には真似できない再生能力だ。体のどこが消しとばされようとも、元に戻る。大量の魔力が枯渇されるまで、永遠と。

 

「(どこだ、どこにいる……今の攻撃は後ろからならもう近くに……)」

 

思考する。恐怖の対象を視認したい気持ちを抑え思考することで位置を割り出す。この速度でこれだけ走り続け、足止めがあったのにも関わらずもう追いつかれーーーー

そこまで思考して、足を止めた。足を止めてしまった。冷静なった。頭が冴え出した。自分の今の状況を振り返った。

 

「あ……」

 

アレに追われ始めた三ヶ月前。自分達は十人いた。仲間だ。この地獄の世界を長い間共に生き抜いて来た仲間がいた。

その仲間達は一人また一人と、アレを足止めすると言って策を講じて、それ以来戻ることがなかった。

その事実を今更思い出した。逃げることに、足を進めることだけに無我夢中になってしまった。

今の自分が一人であることを今思い出した。だから。

 

「もう、逃げなくていいのか」

 

背後から、声が聞こえた。

 

「(追いつかれた……いや、もういい)」

 

覚悟を決めて振り返る。アレと相対し戦うことを今決めた。

無敵の生物とか、そんなことはもう関係ない。

 

「みんなは……みんなはどうした」

「……それは、俺に確認取らなきゃ判断できない事か?お前は魔人の癖して自分が捨てたものを捨てたか分からなくなるのか」

 

ソレは、青年の姿をしていた。この豪雨の中、傘もさしていないのに体を濡らすことなく、ただ歩いてこちらへ近づいて来る。

 

「答えろ……」

「ンー、まぁ回答してやる。一抹の希望を幻想し、策を講じて、偶然すら味方につけて、自分の限界を超えた力を発揮し、最後まで戦った。全てはお前に希望を繋ぐためだ。また笑ってみんなで生き抜くためにな」

 

もう、言われなくても分かった。この目の前の人でなしが何をしたのか。

 

「最後はお前だ。持ってるもの、譲れない物、仲間の想い。積み上げてきたもの全てを総動員して、奇跡でも起こして俺を殺してみせろ」

 

言われなくても。彼はそれに向かって走り出す。ぬかるんだ地面だろうともはや関係ない。明確な殺意を持って、自分から全てを奪っていったものに攻撃する。

 

「うおおおおおおおおおッ!!!」

 

叫んで、力を込めて、それに対して拳を振るう。今までその拳で幾人もの敵を倒し仲間を守ってきた。鉄にすら穴を開ける、鋭く重い拳。

それに想いを乗せる。怒り、恨み、悲しみ、嘆き、後悔、そしてなによりコレを倒して未来を取り戻すという意志。

自分の今持つ全てを乗せた拳は、目の前のソレの顔面を的確に捉えた。

パァン!と甲高い衝撃音。遅れて拳を当てた衝撃で、ソレの背後の木々がなぎ倒され、反動で足元がぬかるんだ地に少し沈む。

 

渾身の一撃だった。この一撃なら、かつてこの地を支配していた炎神や水神をも葬れると確信するほどの一撃だった。

 

だから、彼は膝をついた。

 

「おいどうした、まだ一撃だろ。まだまだそんなんじゃ終われないだろ。お前の想いは。まだ奇跡すら起きてない」

 

ソレは、自分の積み上げてきた物全てを込めた一撃を受けても、傷一つ受けなかった。そればかりか、当たった衝撃でこちらの右腕が砕けた。その上まだやれるとこちらを励ます始末。

 

「は……」

 

知っていた。話には聞いていた。無敵の存在だと。

一応ソレは魔人らしい。炎神と水神を喰らい、魔物の王達である九之枝をも喰らったと聞いた。

全て風の噂だった。それでも魔人は魔人、自分より強い程度、そんな認識だった。甘かった。これはもうそういう次元に止まった存在ではなかった。

 

「はぁ……あんまこういう手は使いたくないんだが」

 

呆れたようなため息の後に、そんな呟きが聞こえた。その直後、顔を掴まれ無理やりその場に立たせられる。不思議な感じがした。魔人というスペックのおかげで、力比べで負けることは一度もなかった。掴まれてわかる。コレにはどれだけ力を出しても勝てる気がしない。

このまま、頭を砕かれ、再生できずに終わるのか。そう諦めながら、ソレの顔が視界に入り、目を見開いた。

 

「ほら、これでやる気も起きるだろ」

 

ソレの声が変わっていた。声だけじゃない。顔もだ。それも、自分がよく知っているもの。

 

「……お前が……」

 

それは、自分が魔人なんかになる前に失い、魔人になった今でも、一番大切だった者の顔。

そして思い出す。目の前のソレは、喰らった者の顔と記憶と性質を受け継ぐ力を持つことを。

 

「お前がっ!」

 

ある日突然居なくなった、自分にとってかけがえのなかった者。

その者の顔が、今自分の目の前にある。

 

それは、つまり。

 

「お前がやったのかああああああああああああああああああ!!」

 

目の前のソレが。自分の一番大切な者を奪っていたのだ。

仲間たちだけじゃない。彼女さえもソレは奪っていた。ソレは自分の全てを奪っていた。その事実が許せなかった。人と人が協力して生きていくべき荒廃した世界で、ソレは自分から全てを奪っていったのだ。だから。

 

大切な者達を想う心が奇跡を起こした。

 

「────っ!」

 

足でソレを蹴り飛ばした。さっきの一撃でビクともしなかったソレが、確かに掴んでいた手を離して下がった。

 

「クソガアアアアアアアアア」

 

逃さず追撃する。ぬかるんだ地を蹴飛ばし、その衝撃で地にクレーターを作り高速を超えて、音速でソレに接近し、殴る。

 

──パンッ!

と、軽快な音が命中と同時に響いた。だが一発じゃすまない。何度も何度も殴りつけ、最後に一発、おおきく振りかぶって一発。

 

「……」

 

その最後の一発で大きく後ろに殴り飛ばされるソレが、冷たい視線を彼に送っていた。

彼はそれに気が付かず、高速で飛ばされるソレに再び音速で近付き、その勢いに任せて蹴りつける。

 

「はぁ、はぁ……まだだ、こんなんじゃ済まさねぇ」

 

言葉を発しながら、両手に魔力を集中させる。大量の魔力を抱える魔人ならでは攻撃だ。濃度の高い魔力が圧縮されれば、それだけで戦略兵器並みの破壊をもたらす爆弾になる。

それを二つ作り上げた。絵の具で白色に塗りたくったような、そういう白色の球体だ。

彼はソレが居るであろう場所に投げ込む。

 

────バッ

と、そこまで聞こえて音が消えた。同時に熱線が皮膚を焼き始めた。コンマ何秒か遅れて、投げ込んだ方向から音もなく土が盛り上がり木々が消し飛んでいく。

彼は地を蹴り音速で下がる。十キロほど後退し、爆発を眺めた。

雨ということもあり、熱が雨を蒸発させ巨大な雲を作っていた。いくら魔人と言えど、あの破壊を正面から受け止めるのは無理だ。下がって良かったと判断し、考える。

 

「次にアイツはどう出る……それに対してどう動いて殺す……?」

 

アレはどうせまだ終わらない。だが大きく後退したことで、多少思考する時間はあるはずだ。

アレが仮に魔人ならば、生きて居たとしても傷を治すのに時間が掛かる。その隙を突き、塵芥残さず消して殺せば──

直後、立ち込めた雲が強烈な風に吹き飛ばされた。

 

「くっ……」

 

遅れて木々や土が飛んでくる。まるで先程の爆発の再現のようだ。飛んでくる大木を拳で叩き割り、五感を済ませて無事であろうソレの襲撃に備える。

あれだけの爆発に耐え、その上であれほどの暴風を起こしていた。どうやったのかわからないが、少なくともそれだけの元気はあるのだろう。ならば今すぐこの場に飛んできたっておかしくない。

 

「……」

 

辺りに気を張る。草の微かな揺れから空気の振動までが伝わる。溢れ出る復讐心は今すぐ追撃を加えろと訴えるが、それを理性で抑える。

どれだけの時間そうしていたのか分からない。長かったような気はするし、短かったような気もする。

それも終わる。

 

「案外冷静なんだな」

 

ソレは普通に歩いてきた。気を張っていた彼を嘲笑うかのように。今更そんな事に腹を立てはしない。眼を見張るべきはソレの状態だ。

傷一つない。あれだけ怒涛の攻撃を真正面から受けたのにも関わらずだ。

 

「全て紙一重で避けたのか」

「ンー、全部そこそこ痛かったぞ。最後の爆発なんか、火傷するかと思った」

 

ソレの言葉を聞いて悲観することはない。むしろ喜ぶべきだ。無敵の存在が痛いと言ったのだ。つまり、何十何百何千だろうと続けて入ればいずれ死ぬ。

それに、ソレは今彼女の顔をしていない。ならば、顔を殴れる。

次の手はどうするかと思考を加速させる。が。

 

「もう無理そうだな」

「なに……?」

 

意味が理解できなかった。無理とはなんだ。まだ自分はやれるし、ソレだってまだ戦えるように見える。まだまだ終わらない。自分のこの気持ちに蹴りはついていないし、こんなところで終わらせるつもりもない。

 

「お前はもう奇跡を起こせそうにないってことだ。冷静になってるしな」

「……言いたいことはそれだけか。こちとらその声を聞いてるだけで腹立たしい」

「なら言葉は要らないな」

 

二人が交わした会話はこれが最後だった。拳で語り合うとか、そういうのも要らない。ただ彼が想いをぶつけ、ソレが砕くだけ。

 

「うおらっ!」

 

今度は音速を超えた速度でソレに接近する。衝突するだけで猟奇殺人が起きるほどの速度だ。知覚する前に死亡する様な、そういう理不尽な攻撃。

人を想う気持ちが奇跡を起こした、魔人の捨て身の攻撃。たとえここで息絶えようとも、ソレを道連れにすることができるのなら構わない。

 

────

音が消えた。一瞬のうちに決すると思われた戦いは、意外にも長かった。

 

「…………?」

 

視界の動きが突然停止した。先ほどまでは未体験な景色を映し出したはずだ。それがピタリと止まった。

 

「……ぐっ……」

 

遅れて全身に痛みが走った。

 

「……が…すぎ……ろ」

 

途切れ途切れで音が聞こえた。目を開こうとするが感覚がない。そうして初めて実感する。これはおそらく速度に耐えられず手足と耳が引きちぎれ、眼球が潰れて全身の骨が折れている。

頭は魔人の特性ゆえかすぐに回復したのかもしれない。詳しい状況は全くわからないが、まだ辛うじて痛みを感じるくらいには頭が動いている。

そして直後に体から痛みが引いて、全身が元に戻っていくのが分かる。瞳を閉じる。もう力を使い果たした。眼球が回復し、瞳を開ければ復讐を達成できているはずだ。

 

だが思い出す。

達成されているのならば、さっきの音はなんだ?

 

「あ……」

 

声が出るようになった。瞳を開ける事への恐怖で息が漏れた。

 

「まぁいい、さよならだ」

 

その言葉を聞いた直後、自分の体から何かが引き抜かれた痛みと、何かに吸い込まれる感覚がした。足から徐々に感覚が失われ、冷たくも優しい、矛盾した理解不能な感覚に包まれる。

目を開けられない。開けてしまえば無情な現実に心が壊れてしまいそうだったから、この感覚に身を任せた。

 

「悪い……会えるといいな」

 

どこからか、そんな言葉を聞いて、彼の人生はそこで幕を下ろした。

 

 

 

 

 

 

 

そうして、世界の果てが誕生した。

 

「終わった」

 

自分を除いた最後の人を食らった魔人は小さく呟いた。なんとなく大の字になってその場に倒れ込む。

全身を覆う魔力の膜のおかげで、この雨の中でも濡れることも泥を被ることもない。

 

「世界征服達成か。なんの感慨も湧かないな」

 

ありとあらゆる集落を壊して回った。地球の隅々まで移動して、人の魔力を感じては手当たり次第殺害し、この体に取り込んできた。

 

『最後の主人公も、奇跡を起こすに足りん存在だったようじゃの』

 

語りかけてきたのは、自分の心の中に居る狐の魔物。かつては九之枝(コノエ)と呼ばれた強力な九体の魔物の内の頂点に位置していた。

今ではソレと一心同体と言える存在になっていて、ソレと考えを常に共有し、それでいてソレに内側から語り掛ける奇妙な状態になっている。

 

「仲間を殿に置いた時点で期待はしてなかったがな。主人公なら誰一人として見捨てずに護り通した上で俺を殺せずとも説得くらいすんだろ」

 

ソレをできない時点で、彼は目的達成のための素材になる可能性は薄かった。最後の激情には少し期待したが、最後の最後で心が折れていた。

それではダメだ。

 

『主の求める物がデカすぎるだけな気もするんじゃが……それはさておき、これからどうするんじゃ?』

「要らない確認してんなよ。決まってんだろ次は魔物だ。魔物だって感情はある。なら、諦めない気持ちや仲間を想う気持ち、生き残りたい本能が奇跡を起こす事だってある」

 

ソレが求めているのはそういう奇跡だ。ソレは想いが力になり奇跡を起こす事を知っている。魔術よりも奇怪で、この世の法則すらぶち壊すような神の術になる事を。

ソレは神の術を求め続け、気がつけば一人になっていた。

 

『……』

「その心配もいらない。覚悟の上だ」

 

狐が言葉として表さずに伝えた思いにそう回答して、ソレは起き上がる。

 

『まだ、まだ彷徨うのか?』

「それ以外に選択肢なんてないだろ」

『うむ……』

 

ソレの体は不老にして不死だ。これまでに何度も自殺というものを試みた。

マグマに飛び込んでみても、熱いという感情すら湧いてこないで終わったし、宇宙に行ってみても、宇宙遊泳を楽しむくらいで終わった。

だから、自分はこの世界で奇跡を探す以外に選択肢はない。

 

「さて、行くか」

 

旧世界にて最後の一人となった、元は人だった魔人が歩き出す。死ぬため、あるいは自分の目標を叶え、自分の全てを取り戻すために。



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チュートリアル
新しい世界へ①


浜辺で足下だけを海につけて歩くと、バシャバシャと水が跳ねる音がする。今この場にはそんな音だけが響いていた。ただしここは海辺ではない。遥か昔、街と呼ばれていた場所だ。現在は「廃墟の」と形容される。以前、世界地図で海沿いだったこの街は世界の終わりの日、海に飲み干された。長い時間をかけてやっとこの辺りの海水は引いたのだ。

 

「……」

 

ボロボロのシャツにボロボロの革ジャンにボロボロのジーパンにボロボロのスニーカーという、まさにサバイバルしてきましたと言わんばかりの格好で廃墟の街を歩いている青年がいる。青年は瓦礫や息絶えた魚の死骸、はたまたかつての住民達の忘れ形見。なんだったのか考えるまでもない腐った肉片などを一瞥し、歩みを続けていた。

 

「ンー、なんにもねえ」

 

どこの街に行っても大体これくらいは荒れている。海水の臭いが染み付いていて、どこもかしこも磯臭く、それを耐えて歩いて見ても、使い物にならないものが転がっているばかりだ。海に侵食されなかった場所はもう回りきってしまったし、まだ海水の引かない場所を隈なく探索するのならばまた何十年と待たなければならないだろう。

だからと言って困ることはない。確かに以前であれば食料やまだ使えそうな便利な何かを探し、なくなれば不安に駆られていた。だが、今は飲まずとも食わずとも生きていけるのだ。今回の探索も、彼にとっては娯楽でしかない。

ここで新しい暇つぶしの道具、本やゲームを見つけたかったのだが、街は完全に水没していたため見つけることは叶わなかった。未知に胸を踊らせ何もないと知って落胆する、というのも久し振りの出来事なので来たことに後悔はない。

 

さてまだ探索を続けるか、それともまた放浪を再開するか。どちらも似たものか。なんて歩きながら考えていたその矢先。

 

「ゴルオオオオオ!!」

 

何の前触れもなく。一匹の獣が彼の背後から飛びかかった。鋭利な牙と爪。皮を破って通常の二倍ほどに膨れ上がった脚の筋肉。真っ赤な目。それはかつて犬と呼ばれていた動物。

それが彼の首を噛み切ろうとして────

 

パスッ

 

という音ともに、犬は頭の中心から左右真っ二つに割れた。

 

「……一応やっとくか」

 

そう呟くが、真っ二つに割れた獣の死骸に背を向けたまま歩みを止めない。しかし、変化があったのはその死骸の方。体を地にこすらせながら、まるで彼の背中に吸い込まれるように移動した。そして浮き上がり、彼の背中に触れた。その瞬間、彼の背の接触面が黒く歪み、それが獣の死骸を吸い込んで行く。瞬く間に死骸は彼の体の中へと消え去った。

 

「使えねえ」

 

足を止めることなく、吐き捨てるように言った。彼が行ったのは文字通り吸収だ。この世に存在するありとあらゆるもの吸い込むことができて、その性質、能力、魔力、記憶、感情、全てを自らのものとする。

つまり彼は吸い込んだ獣の出生も、記憶も、魔力も、殺された瞬間の痛みすらも自分のものとした。そしてその結果、獣はここに訪れたばかりだと知った。ここの情報は何も持っていない。だから使えないと断言した。たかが魔物一体の誕生から死亡までの記憶を体験して感傷に浸るほど高い感受性は、もう持ち合わせていない。

 

「……」

 

気配を感じたので、足を止めて振り返る。視線の先に映るのは、先ほど殺害した獣と同じ生き物。それが二十ほど。揃いも揃って彼を威嚇し、横一列に並んでいる。それを目視で確認した時には両翼から前進し、囲むようにして距離を詰め出していた。これは群れで獲物を狩る時の定石。

 

「一体くらい、なんか知ってるかな」

 

そう期待した瞬間、獣は右翼から動き出し、その後左翼から、そして真ん中。時間差を用いて、それでも隙を作らない全方位からの攻撃。

この連帯に仲間を失ったこともあった。獣のこの動きは、間違いなく獲物を狩り殺す。

 

しかし、なす術がないのは昔の話だ。

 

全ての獣は彼に爪、牙を突き立てる。しかしそれは彼に刺さることはなく、その部位から彼に呑まれる。それは塵が掃除機に吸われるように、惑星がブラックホールに呑まれるように。

 

「……マジで使えねえ」

 

結局、ここでの収穫はなにもなかった。いつものようにただただ使えない獣を喰らい、果てしない寿命を延ばし、力をつけて、ただそれだけだった。

 

『……主』

『なんだ』

 

心の中から自分を呼ぶ声に対して、同じく心の中で簡潔に返す。

 

『また来てるぞ、彼奴等』

『知ってる』

 

ここ最近、ここから20kmほど離れたかつての港に、別の世界から何者かが来ている。一週間ほど港に滞在し、帰っていくのだ。何をしているのかは分からない、興味もない。

 

『……そろそろ、様子を見に行ってはどうじゃ?繕えば向こうに入れてもらえるかもしれんぞ』

『今更どういうツラして新世界に行けっつーんだ。それに理由がない』

 

絶対安全圏、新世界。魔物に襲われることなく、はるか古のように人と人が平和に共存している世界。果たしてそんな場所に自分の入る余地はあるのだろうか。

 

『考えている事はわかる。懸念もその通りじゃ、が、このままこちら側を捜索しても、きっと主の望むものは手に入らないと思うぞよ』

『向こうにならあると?』

『それはどうかの。主の望むものを向こうが持っているのなら、わざわざ年に一度こっちへ来ることもないが……向こうが持ってないとしても、あるかもしれない』

『持ってないからないってわけじゃないってか』

『そゆことよ』

 

しかし遥か昔からの言い伝えによれば、今新世界に住む者たちはこの地球が荒れる前に地球から逃げ出した者達だと聞く。ならば今自分がひたすらに求めて止まない奇跡。「神の術」を持っているとは思えない。そればかりか、「魔術」すら向こうは持っていないのではないだろうか。

 

『遺跡は知る限り全て回った。水没してる場所には遺跡などないじゃろ』

『……』

 

彼の内側に住み着く彼女の言い分もわかる。しかし、イマイチ乗り気にはなれなかった。

 

『……主、気持ちはわかるが、彼女は』

『わかったよ。どの道、いずれ行かなきゃならない場所だ』

『そうじゃ。丁寧なもてなしをもらったならば、新世界ごと壊してしまえば良い。もしそれで主が生き絶えるのならば、それはそれでいいじゃろ』

 

それもそうだと返して、彼は港へと足を向けて、その場から跳ぶ。二十メートルほど跳躍して水没していたのにも関わらず、崩壊していないビルの屋上へ降り立ち、そこからさらに跳躍。これの繰り返しだ。

 

そうして、20kmほど離れた港へは30分足らずで到着する。

 

「あれか」

 

今やどこからが陸なのか判別のつかなくなった港には、五隻ほどの潜水艦が停泊していた。その周辺には五十人前後の人。それらが持ってきていたのであろうテントなどを張り、仮設基地の組み立てをしているところだった。

 

「軍人ってやつか」

 

記憶にはある。国防等を担う戦士達だ。生きる事と戦う事を切り離せないこっちの世界では意味不明な概念ではあるが、それだけ向こうの世界は平和ということだろう。

彼は港の倉庫の上から、魔術で光学迷彩を発動させつつ観察していた。

 

『どう付け入るのじゃ、主』

『どうもなにも普通に挨拶して入れてくれって言えばいいんじゃねえのか』

『や、流石に軽率すぎるぞ、敵とみなして襲われたらどうするのじゃ?』

『攻撃が痛かったら黙らせる。そうでもなかったら会話だ。見てた感じ魔力はあるが、俺以下、というか魔獣以下だ。もちろん神聖は持ち合わせてない』

 

相手にならないから大丈夫だろうとタカをくくり、光学迷彩を解除。倉庫から飛び降りて、徒歩で近づく。

 

『あ、ちょま主!』

「誰だ!」

 

心の内側の声も虚しく、着地時のゴンという音で、彼に視線が集まる。

 

「新世界の奴らだよな。俺はこっちのもんだ」

 

一斉に銃口を向けられる。彼も一時期銃を扱っていたため、知識は持ち合わせているが、彼らが持っている銃は彼も見たことがない。向こうのオリジナルのものだろう。

 

「人、だと……」

「いやあり得ない。こっちに人など……まさか」

「アバターじゃないのか……くっ、今日の極術師は」

「深淵だがまだ来ていない。明日からだ……待て、動くな」

「はいはい」

 

歩いて近寄っていたが、どうにも警戒が厳しいようで止められる。心の中では当たり前じゃろ。なんて聞こえてきた。

 

「どうやって入った……?センサーには反応がなかった」

「センサー……?知らねえよ」

「……今、上の者に指示を仰ぐ。待っててくれ」

「注文多いな」

『だから軽率だと言ったのじゃ』

 

棒立ちの状態でそのまま三分ほど待たされる。軍人の内の一人が、大掛かりな箱から受話器を取り出し何か会話をしていた。恐らくは彼らの言う上の者と会話をしているのだろう。

 

『あれ、こういう時って手を挙げてた方がいいんだっけか?』

『知らぬわ。大人しくしとけばいいじゃろ』

 

体内ではあまりにも緊張感のない会話が繰り広げられていた。

 

「お前、なんでここに来た?」

「新世界に連れてってほしい」

「……他に仲間は?」

「居ない。多分この世界に人は俺しか居ない」

 

一人残らず殺したから。とは言えない。

 

「アバターではないんだな?」

「他の生物になりきるあいつのことか?なら違う」

『と言ってももはや人とも言い方がの』

『黙れ狐』

 

余計なことは言えない。まずは自分が無害である事を示すのが一番手っ取り早いはずだ。

そうしてしばらく待っていると、少し離れた位置から叫び声が聞こえた。

 

「隊長!!来ました!ポイント1にウォッチドッグです!」

「っ!?警報機は鳴ってないぞ!?」

 

慌てつつも戦闘態勢に入る軍隊達。素早く、無駄のない動きだ。

 

「隊長、どうやらセンサーが感知不能なほどの魔力を検出したらしく、そのまま壊れております」

「今はそんなことはいい。まずは安全を確保するのが先だ」

 

言いながら、懐から小型の無線機を取り出す。

 

「ワンからシックス、ポイント2の位置へ!セブンからイレブンはポイント3。トゥエルブはこいつを見張れ!残りは全てポイント1へ!」

 

隊長の声とともに、部隊は迅速に動き出す。動き出した者たちと、この場に攻め入っている犬の魔物達の動きを彼は全て把握している。魔力を形として持って動く生物全ては気配として探知できるからだ。

それを感じ取って彼らが如何に無駄のない動きで迎撃に当たっているのか分かる。だが同時にこれは少々手こずるかもしれないという予感もあった。

 

『もうしばらく待ちじゃの』

『だろうな、本当に間が悪い』

 

ちなみに、本来であれば彼らの持つ防御システムが作動して、ここまでの騒ぎにならなかった。その防御システムを起動させるためのセンサーを壊したのが誰かとは言うまでもない。

 

「ポイント2、数が多すぎる!守れそうにない!」

「ポイント3もだ!」

「ちっ、ポイント1から何人か援護に回れ!」

 

やはりというか、想像通り苦戦しているようだ。隊長の持つ無線機から、悲鳴混じりの報告が聞こえる。

 

『ウォッチドッグって犬のことか』

『のようじゃの。だとしたら鉛玉は相性悪かろうて。しかし四十か、多いの』

 

死人こそ出ていないものの、不規則な銃声からして、素早く避けるウォッチドッグに弾を当てられないようだ。知能の高いウォッチドッグ達は、恐らく彼らの弾が切れるまで避け続けるだろう。弾倉を変えるなどの無防備を晒しているうちに首を搔き切る。そういう手段に出るはずだ。ここで彼らが死ぬのを待ち、こちらへ来た時にまとめて潰し、隊長に命の恩人となるのもいいが、待つのにはそろそろ飽きて来た。

 

「で、俺まだこのままか?手伝うか?」

 

無線を持ってどう采配するか思考する隊長にそう問いかける。

 

「くっ……力を貸してくれ」

 

多少の苦悩はあったようだが、交戦の許可は下りた。賢明な判断だ。人の命はなににも変えられない。だから。

 

「ン」

 

返事をした瞬間。戦闘は終わる。大凡四十体。犬の魔獣、彼ら風に言うなればウォッチドッグは、一体の例外も残さずその場で動きを止める。まるで金縛りにあったかのようだ。

 

「……助かった……のか?」

「なんなんだこれは……」

 

ウォッチドッグと戦闘をしていた兵達は、今のこの状況を理解できていないらしい。

かく言う隊長も、ここから戦場は見えないが、当然止んだ銃声からして、事態をある程度は把握したようだ。

 

「全部死んではいない。殺していいなら全部殺すが。生け捕りにするならこのまま運ぶ。なんかやってんだろ、あんたら」

「……っ……俺たちはウォッチドッグの目を回収したい。できるか?」

「眼球は潰さず殺せばいいのか。ほらよ」

 

間髪開けずにウォッチドッグ達の首が落ちる。比喩ではなく、文字通り首が胴から離れてその場に転がったのだ。ドパドパと首から流れ出る赤い血を見て、兵達は我を取り戻す。理屈はわからないが脅威は去ったと。

次々と隊長へと無線が入る。敵は胴と首が離れて沈黙したと。全ポイントの報告を聞き終えたのち、青ざめた顔で彼を見て、口を開く。

 

「……お前はなんなんだ?」

「人だ。名前は根本亮だ」

『嘘つけ。……あ、ちょ、主!?まっ……』

 

無言で心の中の狐を心の闇に沈めた。ともかく、こうして、この場で亮は兵達の信頼を勝ち取った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結論から言って新世界に魔術はあり、国民のほぼ全てが魔術を扱える。亮は野営地にて保護という名の監視下に置かれた。

 

「ンじゃあれか、そのセンサーとかいうのは犬……ウォッチドッグの眼球を機械に繋げて視界内を範囲として、それに映った魔力に応じて警報をならすんだな」

 

ウォッチドッグと呼称される魔物は、その目を通じて魔力を見定める。当然ウォッチドッグを取り込んだ亮はウォッチドッグの見え方を知っている。彼らには魔力を持つものを見ると、その対象の魔力量に応じた靄が見えるのだ。

試しにそれを使って目の前の隊長を見てみると、とても薄い靄が見えた。もはやお察しである。

 

「あぁ、そういうことだ。だが装置がどういうわけか壊れていた。君を感知して壊れたみたいだな」

「気がつかなかった。悪い」

 

深夜。軍の張ったテントに囲まれるようにして、亮は隊長と食事をしていた。さっさと目的地である新世界に連れて行って欲しいところだったが、彼らには任務があるらしく、それを手伝って欲しいとのこと。それが終われば新世界に連れて行ってくれるそうだ。

 

つまりは審査。どれ程の力があるか。新世界を荒らす心の持ち主か。その辺を見定めたいのだろうと亮は考える。

 

「気にするな。こうして直った上に、研究対象も綺麗な状態で手に入れることができた。技術部の連中も満足だろう。」

 

隊長、現在のコードネームはゼロ。彼は、亮を恐れることなく会話をしてくれている。理由を尋ねたら、「君がその気になれば全員死ぬ。なら、この部隊の恩人とは気兼ねなく話して礼を伝えてから死ぬ」との事だ。全員殺してしまうと自分は入れないだろうと伝えると、なら安心だと笑っていた。

 

「……ン、美味いなこれ」

「それは焼き鳥だ。鳥肉を焼いたものだな。お気に召したのならなによりだよ」

 

こちらの世界、つまり旧世界で食料といえば缶詰や魔物を調理したものばかり。お世辞にも美味いとはいえない。その上、食事を摂る必要のなくなった亮は、ここ何十年か食事をしていない。久し振りの美味しい食事に感動を覚えた。

 

「本当なら君とは一杯やりたいところだが、生憎と仕事中でね」

「一杯やる……酒か」

「こっちにもあるのか?」

「前はな」

 

知識として、酒は知っている。亮は舐めた事しかないが、酒蔵を守り続け、そして死んでしまった人がいた。死して守り通したのは天晴だった。もっとも、何十年後か再びその地を訪れた時は、酒蔵など跡形もなくなっていたが。

 

「隊長、よくあんなのと話ができるな……」

「よせ、聞こえているかもしれないぞ」

 

耳をすまさずともそんな声が聞こえてきた。やはり亮は新世界の人間からすれば得体の知れない何かなのだろう。

 

「……うちの部下の口が悪くてすまない」

「気にしてない。あいつらは、自分たちがこっちに来た本当の理由について知らないみたいだからな」

「っ!?」

 

一瞬にして隊長の顔が強張る。驚きと絶望感溢れる顔だ。どうやらポーカーフェイスは苦手らしい。

 

「あぁ、そっちについても気にするな。責めてなんかいない」

「……なんのことだろうか」

「あんたは俺が来た時に、なぜここに来たのか尋ねていた。だが他の奴らは人がいることに困惑していた。つまりあんたはこの世界に人がいることを知っていたんだ」

 

とことんポーカーフェイスが苦手なようだ。血の気が引いているのがよくわかる。

 

「ついでにこうして、俺が新世界に行くことを拒否しない。危険だから近づくなと言われているだけでなら、こんなに近くに置かないだろう。なら、俺の殺害か、連行か、はたまた聞きたいことがあるか。まぁなんでもいい」

「君が危険だからこそ近くに置いて監視するというのは?」

「部下の士気がダダ下がりになってる。それ見てもなお俺を置いとく理由としては自己保身だ。俺とこうやって話すのもあんただけだしな。だが俺にはあんたがンなことする奴に見えない」

「……」

 

そこまで聞いて、隊長は顔を伏せる。が、それはどうにも見抜かれて絶望している雰囲気ではなかった。それを補填するように。

 

「くっ…………くっ、ふっ、ふははははははははははははは!」

 

声をあげて笑い出した。

 

「さすが!さすがは我らが王だ!旧世界の魔人すら読むとは!」

「……知ってんのかよ」

 

魔人。それは、魔力を取り込み過ぎて不老不死と化したバケモノの総称。

 

「はーぁ、読まれたと思った直後は絶望したよ。これで私は今月の給料なしだ!ふははははははっ!」

「どういうことだ」

「君がこれに気付くのに何日かかるかっていう賭けだよ。今日中に気づいたと言い出したら王の勝ち。私は気が付いても黙って最終日に切り出すと言った。勝てれば今月給料二倍!あぁ、惜しいことをした」

「おい、出会ってすらいない相手を賭けの対象に使うなよ」

 

しかし向こうは王政か。なんて今まで欠片もなかった新世界の情報を手にする。

 

「いや、すまない。ぷっ……よしっ!あぁ魔人、頼むからここの兵達は食さないでくれよ?全員私の大切な部下だ」

「どうでもいいが聞こえてねえのかこれ。お前の大切な部下に」

「大丈夫だ。君が語り出した瞬間に音を遮断する魔術を発動させた」

 

胸元の勲章を指差してそういった。なるほど、それにそういう魔術がオンオフ可能な状態で施されているのだろう。

 

「便利だな」

「あぁ、重宝させてもらっている」

 

魔術があるのは理解できたが、まさか機械化できているとは。これなら多少は目的のための手掛かりを期待できそうだ。

 

「さて審査は合格だ!今すぐ新世界に連れていってもいいがどうする?」

「お前らはやることは?」

「まだある。貴重な研究対象、ウォッチドッグの回収だ。あれをあと30持って帰らなければならない」

「ならそれに付き合う。さっさと新世界に行ってもいいが、時間ならたっぷりある」

「さすが、不老不死は言うことが違う」

 

ゼロはボトルの水を掲げた。亮の記憶によれば、これは乾杯の合図のはずだ。それに倣い、飲む必要のない水が入ったボトルを掲げる。

 

「水ですまないが、乾杯」

「ン、乾杯」

 

人との戯れも悪くはない。体の中の狐としか何百年と会話はしてこなかったからか。この乾杯は、とても新鮮なものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夜間警備部隊を残して全員が就寝した頃、亮はセンサーを壊さないように漏れ出る魔力を抑えながら、一人海辺へ来ていた。月が綺麗に見える夜だった。

寄せては返す波の音だけがこの世界で唯一の音である。そう感じてしまうほどの、静かな空間だ。

 

『はぁ、ようやっと出てこれたわ』

『もう何十年か埋まっててもよかったんだぞ』

『やじゃよ。主の闇に触れとると、どうしようもなく浸って居たくなる』

 

鼻で笑いながら浜辺に腰を下ろし、片膝を立ててただただ月を眺める。

 

『相変わらず綺麗なだけの月じゃの。腹立たしいくらいになにも変わらんわ』

『月が嫌いなのは相変わらずだな』

『主もじゃろ。嫌いな癖して見すぎじゃ』

 

睡眠を取る必要がなくなった亮にとって、昼も夜も関係がない。眼球に世界を映せば最適な明るさとして認識する便利な機能を持った眼球のせいで、光も闇も等しい明るさだ。目を閉じたところで映るのは瞼の裏側。かつてのように、瞼の裏側に心地いい闇が映るわけではない。

 

『たまには睡眠をとってみたらどうじゃ?』

『寝方を忘れた』

『主、わらわに嘘は通じぬよ。ただ浸りたくないだけじゃろうて』

『ン、悪かった』

 

一心同体の存在に嘘はつけない。体の中の狐は自分なのだから。

 

『いいんじゃ。新しい世界が、新しい希望が目の前にあって、それに向かって新しい一歩を踏み出した自分を許せないだけじゃろ』

『……』

 

申し訳ないとも思う。狐は敢えて自分を語ってくれている。

 

『約束を破り、一人前に進むことを自分が許せない。きっと彼女なら主が踏み出し幸せになることを望んでいる。けれどそんなことは関係ない。ただ自分が許せない。どれほど綺麗言を並べても、自分自身を誤魔化せない。だから主は────』

 

狐は残酷だが、優しい。

 

『わかってる。あいつはもう俺の前には現れない。表面上納得するようにしているだけだ。この一歩は俺自身のための一歩だ。俺の目標を達成する。そのために新世界に進む。約束を破り、罪悪感に見舞われて、苦しんで、自分自身を殺したいほどに憎む。その覚悟を決めた』

『ん、ならよいのじゃ。ただ主、忘れないでほしい。妾はいつでも主と共にある。主が妾を救ってくれたように、妾も主を救いたい』

『わかってるよ。お前も俺だ。まぁなんだ、ありがとうな』

 

狐が優しく笑って、心の奥に引っ込むのを感じた。後は覚悟を決めるだけだ。これから一層、自分は苦しむ。だけど、もうこれしか残されていないのだ。安寧の地に行き、そこで手がかりを見つけるしかない。たとえ彼女との約束を違えることになろうとも。

 

「真衣、ごめん」

 

小さな呟きが、自分の耳に入った。それがどうしようもなく、苦しかった。



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新しい世界へ②

旧世界の唯一の人、魔人亮にとっても、新世界の軍のサポートは面倒なものだった。半径300kmまでの魔力を持つ生き物を探知できる身をもってしても、ほぼ狩り尽くしてしまったこの辺りからウオッチドッグを探知し、その場へ行くことは容易ではない。彼一人であるならばまったく問題はないが、ウオッチドッグの速度についていけず、簡単に狩り殺される兵を連れ、兵が戦うとなると話が変わるのだ。

やっかいなことに、他の生物に細胞レベルで化ける「アバター」と呼称される魔物がいるこの世界で、センサーを張り巡らされた野営地から出るのが危険なのである。だから、亮のサポートは「野営地の防衛を潜り抜けて兵と直接交戦し、兵の命を脅かしたウオッチドッグを殺害してよい」ということになった。

 

まぁつまりどういうことかというと

 

『一向に進展ないの!気合入れた矢先にこれは笑えるの!』

『黙れ狐』

 

暇なのである。何百年と世界を放浪してきた身としては、この一時的な暇など大した時間ではないが、目標が決まっていて、自分が動けばすぐさま目標を達成できるのに、それができない、所謂「お預け」状態。それこそ何百年振りか。

 

「悪いな、付き合わせて」

 

倉庫に背を預けて狐と会話をしていた亮に声をかけたのは、この部隊の隊長、コードネーム「ゼロ」。どうやら彼もまた暇を持て余した一人のようだ。

 

「そう思ってるなら許可をくれ。三十分もあれば全部片付けてくる」

「悪いがそういうわけにもいかない。仮にもここに居る奴等は全員、こっちでは期待の新人なんだ。訓練は十分、あとは実践をこなせば一流になるんだ」

「たかだか犬……ウオッチドッグに戸惑ってたやつらがか?」

「……普通は初速50km近い速度で動く犬を目で追うことなんてできないんだ」

 

亮としてそれ以上に速く動く魔物と何度も戦闘しているため、内心首を傾げざるを得なかったが、まぁそれだけ新世界では戦いというものが無いのだろう。

 

「で、君によればこの近くにウオッチドッグは居ないのだったかな?」

「一つ先の街に五。距離として47km。あとは70km以上離れてるな。昨日狩ったのがこの辺りを縄張りにしていたんだろ」

「……その探知はいったいどういう原理なんだ?」

「わからないが、そんな気配がする」

「一介の兵が言うと、玄人を気取るなと渇を入れるところだが、君の場合、そうかと言うしかないな」

 

ウオッチドッグの魔力がある。としか言いようが無いのだ。こればっかりは感覚の世界で、他に言いようが無い。彼は取り込んだ物の記憶を有しているが、どんな哲学書やら科学書やらを用いても説明できる言葉が無い。

 

『ゼロ、着ました。深淵です』

 

ゼロの持つ無線機からそんな言葉が聞こえた。

 

「あぁわかった。それで向こうはどうすると?……なに?だが……いや、わかった。それならちょうどいいやつが居る。向こうも納得するだろう」

 

無線機を懐にしまい、なぜかいい笑顔を作ったゼロが亮に向かって口を開く。

 

「魔人亮、喜べ、仕事だ」

「……」

 

なんとなく、いやな予感がした。これも、どんな哲学書やら科学書やらを用いても説明できない感覚だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

亮はセンサーの範囲外で待機していた。与えられた仕事は、新世界が誇る魔術師、二つとない魔術を操る「極術師」と二人で遠方まで狩りに行けとのことだった。その極術師とやらは先ほど新世界から旧世界に到着したばかりで、準備をした後に、この場で合流らしい。

十分ほど待機したところで、件の極術師はやってきた。

 

「あぁ、君が魔人か」

 

黒いスーツと黒髪のよく似合う女性が居た。こんな廃墟の港にはミスマッチだが、亮の記憶の中にある「THEできるオフィスウーマン2034年三月号」の中に登場する女性にそっくりだ。つまりは、どこにでもいたらしいスーツの似合う女性だ。磯臭い港の外れの荒れた土地には間違いなく不釣り合いだ。

だが亮が一番目を惹かれるのは、彼女から溢れ出す黒く透明な魔力。

見たことない質の魔力だった。基本的に魔力は白く映るものだが、彼女は違った。透き通っているのは変わらないが、黒みがある。

 

「あんたが、深淵」

 

ゼロに前もってされた説明によれば、新世界には何人か、飛び抜けた魔力を持つ者が居る。彼らは「極術士」と呼ばれ、人々から尊敬され、畏怖されるらしい。生まれながらにしてそうあった者、努力を重ねてそうなった者。どちらにせよ共通して極術士は他の者とは一線を画す魔術を使用する。らしい。

 

「話はゼロから聞いている。短い時間だがよろしく頼む。さっそく進もうか」

「あんた、そんな格好でいいのか」

 

挨拶を簡単に済ませて進もうとする深淵にそう尋ねた。

 

「問題はないよ、心配をしてくれてありがとう」

「いや、別にそういうわけじゃない。まぁ問題ないならいいが」

『おぉ!主のツンデレを久し振りに……あ、ちょ主これは洒落になってな……』

 

狐を昨日より一層深いところに沈めつつ、深淵と肩を並べて歩き出す。

 

「さて、君の勘によれば近くの廃虚の街に五匹か」

「ン、そうだ。最近になってこの辺りの海水が引いたからな。俺もここでそっちと会う直前は、そこに訪れていた」

「ならばそこの五匹は任せてもらおう。一応、これでも私は新世界で化け物と称される人種だ。君の反応を見てみたい」

 

化け物。その代名詞も久し振りに聞いた。幼い頃から自分はそう呼ばれてきたが、自分にぴったりだと思ってはいるし、納得もできる。心の中の狐も化け物と呼ばれていた。正確には神であったが──とまぁ、化け物という言葉を身近に感じる身としては、新世界の化け物を拝んでおきたい気持ちはある。未知に心を躍らせる、懐かしい感覚だ。

 

「楽しみにしておく。深淵なんて大仰な名前がついているんだ、さぞすごいんだろう」

「やめてくれ。好き好んでそんな名になったわけじゃない。なんだ深淵って。過の偉人の言葉を借りるならば厨二病という重度の病ではないか」

「この世の境界が曖昧になって平行世界の自分と意識が同化する精神疾患のことか」

「待て、旧世界での厨二病の概念はどうなっている……」

 

と、そんな感じで旧世界の化け物と新世界の化け物が自らの世界の文化交流をしていた。ある程度「厨二病」という概念について意見交換を終えたところで、目的のポジションに到着した。

深淵は襟につけた小型のマイクのボタンを押しながら口を開いた。

 

「こちらダークネス。目標ポイントに到着した」

「ダークネス……」

 

なんともタイムリーなコードネームだった。ゼロの無線機とは違い、彼女の耳に嵌められたイヤホンがレシーバーとなっているので、亮には会話の内容は聞こえない。その気になれば聞くことも可能だが、慌てている様子もないのでそこまでする必要はないだろう。

 

「ああ、わかった。目標を回収したらまた連絡する」

「向こうに問題は?特に何も無いとは思うが。勘だがな」

「残念だが勘ははずれだ。暇を持て余してカードゲームをおっぱじめた部下を殴ったらしい」

「それ軍としては大問題じゃねえかよ」

 

予め、野営地に魔物が接近しそうな場合は亮が深淵を介して連絡する手筈になってはいるが、あまりにも緊張感を欠いている気がする。

 

「平和な世界の軍隊とはそういうものだ。いざという時にならなければ緊張など持てはしない。何度も訓練を積んだからこそ、自分たちであればすぐに対応できるという過信が生まれているのだ」

「言ってる意味はわかるが、実感は湧かないな」

 

いつ敵が来るのかわからない。貯めこんでいた食料がこっそり盗まれるかもしれない。微かな音にすら気を配らなければ生きていけなかった時期を経験した身としては、本当に彼らの感性がわからなかった。

 

「こっちに来れば君もすぐにわかる」

「……ン、まぁ楽しみにして……くるぞ」

 

その言葉を聴いて、深淵の顔色も変わる。直後、彼女は懐に手を突っ込み、一丁の拳銃を取り出した。見た目は亮も旧世界で見て拾って扱った物と同じだが、シルバーのフレームに大きなサイレンサーが装着されており、違った印象を与えられていた。

だが亮は首を傾げる。さて、どこから出したものなのだろうかと。

 

「距離は」

「そこの倒壊したビルの向こう側。殺気を殺してビルの上に二体向かう。三体は俺らの背後に回りこもうと迂回してる」

「それは推測か」

「何百年とああいうのを殺し続けて培った魔人の推測だ」

「あぁそうか、それはなんとも」

 

言葉を区切って深淵は振り返り、銃を構えて。

 

「頼もしい」

 

撃つ。

 

音も無く銃口から弾丸が放たれ、背後から高速で迫ってきていたウオッチドッグの眉間を貫く。

 

「まずは一体」

「上からも来るぞ」

「わかっている」

 

だがどう足掻いても銃でどうにかできる間合いではない。続けざまにもう一体を撃ち抜くが、ビルから降下し、奇襲をかけていたウオッチドッグ一体の爪が彼女の首に触れようとしていて――――

 

「ン?」

 

突然、深淵はその場から消えた。一瞬だ。一瞬の内に彼女の姿が消え去った。彼女の首に爪を立てようとしていたウオッチドッグは、深淵が消えたせいで地面に激突する。ついでに、ビルから同じく降下していたもう一体は亮の体に触れ、前足から彼に呑まれ始める。

 

「忘れてた」

 

このままいくと体全体を飲み込んでしまい眼球が回収できない。即座に吸収を止め、ウオッチドッグを体から切り離す。足が呑まれてなくなったウオッチドッグはその場に痛みでのたうち回っていた。

 

「グロロロロロウ!!」

 

三体のウオッチドッグは姿を消した深淵のことなど忘れ、ターゲットを亮に絞る。ほとばしる食欲からか、足を一つ失ったウオッチドッグも立ち上がり、殺意のこもった目で彼を睨み付ける。

 

「……早くしろ」

 

とっとと全員戦闘不能してやりたい気持ちを抑えて、深淵を待つ。まさか逃げたのかとも思いはしたが、あれはそういうタイプではない。

信じた甲斐があったと言うべきか、亮が二呼吸したところでようやく戦いは終わりをみせた。

 

地面から上半身だけを出した深淵が、ウオッチドッグの死角から銃を構えていたからだ。

 

「なんだそれ」

 

四発の銃弾が正確に四体のウオッチドッグの急所を捉える。それでいて眼球には傷をいれていない。生身の人間の所業とは思えない射撃の腕だ。なにより、水に沈めた物が浮き上がるように全身を顕にする深淵が、理解できなかった。

 

「これで五。後はいないのだろう?」

「……ン、居ない」

 

よし。と、深淵は銃を再び懐に仕舞う。やはりおかしい。どうみてもあのサイズの銃を仕舞ってはおけない。サイレンサーがついているし、何より銃の厚みが仕舞った位置から確認できない。過の偉人が残した、伝説の創作物に登場した猫型ロボットの秘密兵器でもなければ──そこまで考えてようやく気がつく。

 

「影か」

「正確には闇だ」

 

それで納得ができた。だから深淵なのだろう。闇に干渉する魔術。数多の魔物と人を食らい、様々な魔術を手に入れた亮ですら持ち得ない魔術だ。

 

「タネはこれだけではないが、まぁこれが私が深淵たる由縁だ」

 

彼女の言葉に内心、亮は歓喜する。

 

「(あぁ、これなら見つけられるかもしれないな)」

 

神の術があるかもしれない。自分の望む力が手に入るかもしれない。期待に胸を膨らませる。狐の言う通りだった。向こうにはこちらにない何かがある。

 

「さぁ、次に行こうか。どこだ?」

 

深淵の質問に対して亮は勘を用いてウォッチドックの位置を探り。

 

「ここから15キロ離れたところだが……」

「だが?」

「俺ならすぐに着く。ここで待っててくれ」

 

15キロなど大した距離ではない。ビルの上を飛んで行けば五分足らずで到着するし、走って行けばそれこそ一分足らずだ。

 

「ふむ、それならば。私が君の影に入ろう。影の中から特等席で君の戦いを鑑賞する」

 

言うが早いか、再び深淵の姿が亮の影の中に沈んでいき、消える。彼女の言葉が正しければ、今は亮の影の中に居るはずだ。

 

「……マジでなんなんだこれ」

 

もし仮に、この魔術を扱う彼女が「神聖さ」を持ち合わせていたら、すぐにでも取り込んで色々と試していたところだ。人の影に入り込む魔術など聞いたことも見たこともない。

ため息をついたのちに、膝を曲げて伸ばす。たったそれだけの動作で倒壊したビルの頂点へ登る。さらに地を蹴って次々と、まるで大きくスキップしているような軽やかさで移動する。

 

見つけた時には既に、全てのウォッチドッグは首が落とされた状態だった。戦いもクソもない。そもそも戦いにすらなっていない。そういうことだと深淵に伝えると、つまらないと回答が来た。

 

「あとは回収を残すばかりだ」

「持ち運べばいいのか?」

「これを持ち運ぶのか?汚らしい」

「じゃどうすんだ。まさか連中をこっちまで連れてくるわけじゃないだろう」

 

亮の勘でもここから野営地の間には彼らの警戒する強い魔物や、他の生物になりきるアバターは存在しない。連れて来ても問題はないと考えるが、一応向こうは軍だ。色々な誓約がそれを阻むらしい。

 

「こうするのさ」

 

ウォッチドッグの頭に深淵が近づく。そうすると、彼女の影にズルズルとウォッチドッグの頭が沈んで行く。恐らく銃を仕舞ったのと同じ手法だろう。

 

「あとはこれを野営地で解放すればいい。さ、戻って手前に残してきたのも回収するぞ」

「ン、わかった」

 

深淵と魔人。新世界と旧世界の化け物は、こうして二人の初めての共同作業を終えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

睡眠の必要がないことは向こうに伝えはしたが、パーソナルスペースは必要だろうとのことで、亮は自分専用のテントを貰った。短期のバイトの社会保障の一環だとゼロは言っていた。知識としては理解できるが、実際に「社会保障」などという言葉を聞いたのはこれが初めてなので実感がわかない。

 

「(狐、沈めすぎたか)」

 

心の中で声をかけても反応がない。あと軽く三日は戻ってこないだろう。多少の罪悪感は芽生えたが、うるさいより良いかと考えたら、その罪悪感も霧散した。

 

明日には新世界へ入る事ができる。今日狩ったウォッチドッグの数は20。後はゼロ達、新世界の軍の仕事という事で、深淵と二人で新世界に行く予定だ。

 

「魔人、起きているか」

「……深淵か」

「入って良いか」

 

テントの外から深淵に声をかけられた。

 

「ン、大丈夫だ」

 

許可を聞いて深淵がテントに入る。かなり大きいテントだ。人が立ってラジオ体操くらいは余裕でできるサイズ。近くもなく、遠くもない位置で深淵と向き合う。

 

「新世界に入る前に君に聞いておきたい」

「なんだ」

 

真剣な眼差しだった。

 

「君は、新世界を壊すつもりなのか?」

「ンなことないが」

「ハッキリ言おう。君の力があれば恐らくは新世界を壊すことは容易い。だから私は正直君を入れることは反対だ。個人の力で支配することもできる力だからな」

 

やはりか。そんなことだろうと思った。

 

「目的はなんだ?いまさら寂しいからとかいう言葉は聞かないぞ」

 

あの狐しか知らない自分の目的を彼女に語るのは憚れる。偽の目的を伝えても良いが、なぜだろう。正直に話しても良い気持ちだった。

 

久し振りに人に触れたからか?いや違う。同じ化け物なら、きっとわかってくれると思う弱い自分がいるからだ。ダメだ、それは許されない。他人に自分を理解してもらおうと思うな。

そう言い聞かせて、彼は嘘言葉を吐く。

 

「世界に飽きた。別の世界が見たい。ダメか」

「……君は嘘をつくのが下手だな。まぁいい、私が嫌と言っても王は君を新世界へ招くだろうからな」

 

ため息を吐いて彼女は亮に背を向けた。

 

「まったく、その力があればすぐにでも新世界でどんなことでも成し遂げられるだろうに」

 

そう言い残して彼女はテントを後にした。その言葉には、どこか力を持つ亮への嫉妬が感じられた。きっと、彼女は自分の力を使ってでも成し遂げられない事があったのだろう。別にそれを聞く気にはならないが、だがそんな思いを否定する意味を込めてこう呟く。

 

「……こんな力があっても、人一人守れないんだよ」



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新しい世界へ③

新世界への移動には潜水艦を使う。一旦海底に潜り、そこから新世界と旧世界を繋ぐ唯一の穴を通り、浮上する流れらしい。亮と深淵が新世界へ向かうために使う潜水艦は、現在停泊している潜水艦ではない。日が登ってすぐまた別の潜水艦が迎えに来た。ゼロに別れを告げ、深淵と共に潜水艦へ乗り込む。かなり大型のものだ。深淵曰く海に住む魔物に襲われても無傷で目的地へ到着するためのものらしい。

 

深淵とは別の部屋に入れられた。重要人物のための部屋らしいが、中には壁と一体型の長椅子があるだけで、どちらかというと犯罪者を閉じ込めておくための部屋みたいなものだった。一応、分厚い窓が付いていて、外の景色も見える事は見える。亮に続いて銃を持った兵が二人入り、ドアの入り口に陣取って待機している。まったく丁寧な歓迎だった。

 

椅子に座って待っていると、潜水艦の小さな駆動音が聞こえた。潜水が始まったのだ。その間、亮は視線を動かすことなく、ただ虚空を見つめていた。脇へと視線を向ければ、長年に渡って濾過され、綺麗に澄み渡った海中を拝めるのだが、そんなものに興味はない。

彼を監視しているのかどうかはわからないが、銃を持ったまま立っている兵士二人はそんな亮を見て仲間と顔を合わせて首を傾げた。

 

『……潜水艦は初めてか。これは我々の技術の結晶だ。君が驚くのも無理はない』

 

嫌味たらしく言い放ったのは、兵士達の背後にある扉を一枚挟んだ向こう側の男。声は頭上から聞こえて来た。部屋の天井から垂れ下がってるスピーカーが音源だ。が、マイクやスピーカーなんてものはとうの昔に壊れた偉人たちの忘れ物しか知らない。だから亮にとっては珍しいものだった。だが知識にはある。なにも驚くことはない。

 

「なんでわざわざこんな物を使って海に潜るのか考えてたけど、あんたのその言い方を聞いてアホらしくなった。殴れば沈む程度の強度しかない鉄の箱が技術の結晶か、大した技術の進歩だ」

『……分からないのか、これは君を閉じ込めておくための牢なんだ、殴れば沈む程度の強度であるわけがない。それと、あまり粋がるなよ。その気になれば我々はいつだって貴様を』

 

────ゴッ!

と、言葉を遮るように。兵士達の背後の扉だけがグニャッと歪み、まるで紙のように丸まった。

 

「なるほど、これが俺を閉じ込める牢か。殴らなくても沈みそうだ。贅沢言うわけじゃないが、もてなしがなってないんじゃないか。力の差をいち早く理解できたゼロや深淵の方がよっぽど利口だ」

『……チッ』

 

舌打ちを合図に待機していた二人の兵士が亮に銃口を向ける。だが二人とも銃身が震えていた。それはそうだ、彼らはずっと亮を見張っていた。彼が体を動かしていないのを確認している。であるのに、厚さ10ミリの対魔物用に魔力を混ぜ込んだ鉄板の扉が丸まったのだ。兵士達からすれば自分は鉄板より硬いわけじゃないので、いつ自分の体がねじきれるのか気が気じゃない。

 

「安心しろ、到着するまで黙っててくれれば何もしない」

「っ……」

 

そんな彼らの不安を知ってか知らずか、亮はそう言い放って椅子に深く腰を沈めて目を閉じる。潜水艦の駆動音を聞きながら、この先どうするか。ただそれだけを考えていた。

 

 

 

 

 

やがて潜水艦が浮上を始めた。小さい振動がやがてなくなり、到着した様子が伝わる。

 

「到着した。立て」

「ン」

 

片方の兵士の指示に大人しく従って席を立つ。着いて来いと言われ、先導する一人の兵士の後ろを歩き、さらにその後ろをもう一人の兵士が歩く。微かに声が震えているが、今更指摘する気にもならない。

先導する兵士が潜水艦の出入り口の梯子を登り切ったのを確認した後、亮は梯子を使わず跳躍して登り切る。

前後の兵士が何か言いたげではあったが、気に留める事はない。

 

「そこを進め」

 

しばらく進むと、港の倉庫などで見かける大きなゲートが見えた。それを指して兵士が亮に指示する。適当に返事をして言われるがままにゲートへ向かって歩く。兵士は亮の後ろからついて来た。鬱陶しいと思いつつも、ここより明るいゲートの向こうに足を踏み入れた。

光の向こうには彼の想像と違う光景があった。ただ一人、車椅子に座った白髪の男性がポツリと居ただけだった。てっきり、無数の兵士に囲まれるのか、狭い部屋に閉じ込められると思っていた。

 

「ようこそ、新世界へ、魔人」

「あんたは?」

「国王だ。……ふむ、そちらで言うところの長の認識で違いない」

「長か……てことはあんたを殺せばこの里は取れるってことでいいのか?」

 

亮のその不穏な言葉に、背後の兵士が銃口を向けた。面白い事にその兵士には先程まであった震えがなかった。なるほど、目の前の王とやらを守るためなら自分の命は惜しくないらしい。

 

「ははっ、その通りだよ。だが、こちらに戦意はない。全員武器を降ろせ。彼がその気ならとっくに私達は……いや、この世界は終わっている」

「あんたは大分肝が座ってんな」

「そうでないとこっちで王を務めることはできんのだよ。物理的な力を振る事は私のやる事ではない。弱い私はそれをするべきではない。私が使うのはココだ」

 

そう言って自分の頭を指差す。

 

「であるから、交渉相手はきちんと見極め、きちんと礼節を持って接せねばなるまい。間違ってもこの世界を壊さぬためにもな」

 

王は自分の強さと弱さを理解していた。無謀を起こしはしない。いつでも最大限に利益を得るように、最小限の被害に収まるように、全ての物事に対して頭を使って計算し立ち回る。彼が王たる由縁が垣間見えた。

 

「そうか、あんたは強いな」

「世辞でも嬉しいものだな」

 

亮は本音だと返し、王はそれを鼻で笑い、亮の背後で銃口を下ろしているものの、殺気立つ兵達を下がらせる。兵達は危険だと抗議したが、「客人に殺気を立てっぱなしの兵がいて話ができるか」と言うと、彼らは渋々と引き下がった。

先ほどまではあれだけ震えていたのに、いざ王に危険があるかもしれないとなると、あれだけ殺気立てられるのかと二度感心した。

兵達がいなくなったところで、亮は本題を切り出す。

 

「……それで、あんたは俺に何を望む?ゼロや深淵が言うには、あんたは俺がこっちに来る事を願ってたらしいな。なにが目的だ。あんたが持っていない力か?殺して欲しいやつがいるとかか?」

「いや、そうではない。君に求めるものと言えば、世界を壊さないでいただきたい。ぐらいしかないよ。この世界では君を縛ることができない」

 

その言葉に嘘がないことはわかる。だからこそ解せない。

 

「新世界の王がずいぶん謙虚だな、住まわせてやるから働けって言われるものかと思ってた」

「うむ、働くのであればそれはそれで。世界最強の労働力はとても嬉しい。君なら会計も建設もなんでもできるだろう」

 

皮肉を言ったつもりだったが真面目に返されてしまった。

 

「……あんたは何が言いたい?」

「それは最初に言ったよ。ようこそ、新世界へ。ぐらいかね。実のところ、君をこの目で見てみたかっただけなのだ。君に求めるものなど本当に何もないのだよ」

「は?」

「この世界は平和だ。魔物はおらん。君達の世界の……以前のような人と人の殺し合いはほとんどない。皆は平和に暮らし、些細なことで喜び悲しむ。それだけの世界なのだ。世界に悪がないとは言わんが、それでも善が大半を占めている。わざわざ君が出るまでもなく、その悪は駆除できる」

「ならなんで来る事を望んだ?俺がこの中を全部壊す事は考えてないのか?」

「もちろん考えたよ。今この場で殺されても良い様に遺書も記した。だが、これは私が歩まなければならない一歩なのだよ」

 

話が読めない。デメリットはあれどメリットなど何もないではないか。

 

「私は君をこう思っている。世界最強の化け物。旧世界の成れの果て。世界で最も不幸な人間。私は、この新世界で国王になる前から夢を持っていた。一人でも多くの人を幸せにしたいとな。そして君は世界で最も不幸な人間だ。だから、君を幸せにしたい」

 

まったくどんな聖人君子だ。ヘドが出る。一人でも多くの人を幸せにしたい。聖職者か。はるか昔に旧世界で流行っていた悪徳宗教の方がまだそれらしい売り文句を使っていた。

 

亮には、「一人でも多くの人を幸せにしたい」と本気で心から願ってそれを恥ずかしげもなく掲げ、自分の使命として生涯の全てを費やしてでも全うするために生きている彼が理解できない。

 

「……あんたのその夢はあまりにも気持ち悪いが、言いたいことはわかった」

「それは嬉しい。私は自分の夢を誰かに理解して欲しいとは思っとらんよ」

 

まったく掴み所のない老人だった。重ねた歳で言えば亮が遥かに上回っているが、きっと彼は亮より多くのものを積み重ねてきたのだろう。狐と二人でただただ自分を恨みながら長い年月を無駄に重ねてきた自分とは違うのだ。

だから、彼は王なのだ。

 

「……交換条件というか、あんたをこの世界の王と見込んで頼みがある」

 

彼の志を本物と認めた上で、亮は切り出す。

 

「条件次第だが、なにかね」

「こっちに神の術はあるか」

「魔術ではなく神の術……?」

「あぁ。魔術とは違って……そうだな、この世の在り方を歪めるような、そういう術だ」

 

亮の言葉に老人は少し考え込んだ。

 

「ふむ、大概魔術もこの世の在り方とやらを歪めている気もするが」

「スケールが違う。時間を巻き戻す。世界の物理法則をそのまま変更する。そういう、世界の根幹そのものを改竄する術とかだ」

 

他にも、悪しき物を浄化する。影を生み出さない光を作り出す。終わったものを例えなんだろうと再成する。通常の魔術は「原理」が存在するが、神の術は原理などない。なぜなら、振るうものが神だから。それがルールなのだ。神が右と言えば左は右になる。彼が探しているのはそういう力だ。

 

「そういうものがあるという話は聞いたことがないよ」

「些細なことでもいい。……例えば、そう、この世界で一番人々から信仰されている人、銅像でもなんでもいい。ともかく人の想いが集まるものはないか」

 

現在の位置からでは、いや、新世界からはそういうものがある気配は感じられない。神聖さは魔力とは違うから感知できないとあって欲しい。以前は同じ要領で感知できたが実はできなくなってしまったということになっていて欲しい。信じていたい。

 

「……自分で言うのもなんだが、私が一番人々の信頼を……集めている……はず」

 

とっても自信なさげだった。魔人を知っていてその上であれだけ言えるくせに、自分が国民から信頼されているのかどうか不安らしい。

 

「なんか、悪い」

「待ってくれ、信頼されているかどうか王にとってはかなり大事な話なのだ」

「それはわかるが、そうじゃなくて……いやいい、自分で探す」

 

今は無くともその内出てくるだろう。この世界は向こうと違って人がいる。時代を重ねている内に人々が「縋る」物を作るはずだ。

 

「力になれなくてすまぬ。だが、理解できない力という点ではやはり彼女だろう」

 

王がそう言い終えた時、倉庫からこちらに向かって誰かが歩いてくる。

 

「そう、世界に三人しか居ない極術士深淵、笹塚未菜」

「呼びましたか、王」

 

深淵だ。出発前と変わらないスーツ姿で彼女は、王の前で一礼した。

 

「彼は神の術というものを探しているらしい。君は心当たりがないかな?」

「神……それは、かつて旧世界に居た炎神、水神あたりのことか」

「知ってんのか」

 

炎神と水神。旧世界にて最初の魔術士だ。旧世界に希望を齎した彼らは人々に信仰され神となった存在だ。

笹塚が水神と炎神の名を出すと、王も思い出したようでハッと顔を上げた。

 

「君が探し求めているものはよくわかったよ。両者とも一度、宇宙を移動していた時代の新世界の目の前まで来ていたらしいね。当時の者達は生きた心地がしなかっただろう。なにせ、生身で宇宙空間を自由に動いていたのだからな」

「……あの言葉はこれのことか。まぁ知ってるなら話が早い。あぁ言うタイプのやつらだ」

 

存在を忘れていたくらいなのだから、本当にこの世界にはなにもないだろう。期待はせずに言葉を待つ。

 

「ならば尚のことこの世界には居ないよ」

「そうか……」

 

隠している様子もない。本当に居ないのだろう。少々落胆しつつも、そのうちになんとかなると気持ちを切り替える。

 

「何か分かれば連絡をする。君は……そういえば住む場所も決まって居なかったか」

「衣食住どれも要らない。しばらくは探し回って歩いてる」

「魔人、そうはいかないんだ。この世には警察という存在がいる」

「知識としては知ってる。深夜徘徊していたら補導とかいうのされるんだろ。大丈夫だ、姿を透明にしていれば誰にも気付かれることなんてない」

 

王は一瞬驚いた顔をした後にくっくっと笑う。

 

「まさに、君はなんでもできる。我々の保護など必要ないと。ならば笹塚君」

「はい、私も同じことを。不安なので私の家に置こうかと」

「は?」

 

いいかね。と、王は一呼吸置いて。

 

「この世界では無闇矢鱈に魔術を行使してはいけない。人々が好き勝手に振るえば世界は荒れる。君ならバレずに済むから罪にはならない。けれどね、そういう教育を親は子にする。そしてその子は親となり、子にするのだ。家族の絆が、そうやって世界を平和に導いて来たのだ」

「……仮に罪に問われたところで」

「君には関係ないだろう。牢に飛び込められても牢を壊せる。そもそも私達では君を拘束することは叶わない。けれど、ダメだ。世界で最も強いからそれが許される道理はない」

 

本当に、王は強い。亮はそう思った。自分に立てた誓いを破ることはない。たとえ何が相手だろうと。自分の心に立てた柱が揺れることはないらしい。

 

「……ン。あんたがそこまでいうならいい。昼間に自分で探す。魔術も使わない」

「身体能力も並々の人間にとどめて置いてくれよ。街中で突然ビルまで飛び上がったらそれこそ大問題だ」

「わかったよ」

 

深淵の補足にもそう返事をした。

 

「あとはそうだな……」

 

王はある程度考えた後に口を開く。

 

「君はお金というものを知っているかな?」

「何度か見たことはある。円形の形の整ったやつ。後は偉人の肖像が書かれた紙。金で物を交換……買うって言ったか?」

「その認識で間違いはない。こちらの世界でもお金の概念は変わらない。金は多くの物が買える。食料、衣服、家、娯楽品、新世界に流通する八割以上の物は金が手に入れられる。そして、その金を手に入れるには」

「働くってことか」

「そういうことだ。だが君にまともな仕事をしてもらうには、ふむ」

 

王は亮の格好を足から頭まで一通り見て苦笑した。それはそうだ、亮の格好はボロボロのスニーカーにボロボロのジーパン、そしてボロボロのシャツの上にボロボロの革のジャケット。この格好で出歩けば、間違いなくホームレスと思われるだろう。

 

「まずはその服はどうにかしないと、な」

「わかった」

 

返事をした亮の体に異変が現れた。

突然、体が真っ黒に染まり、そしてそれが一瞬にして晴れる。そうしてどういうわけか、新品同様の服に着替えられていた。

 

「……それはなんだ?」

「取り込んだ物ならいつだって出し入れできる」

 

最も取り込んだものはガラクタばかり。服は何着かあれどまともに使えそうな物はほとんどない。

 

「王、下手しなくとも彼は自分持ってる旧世界の遺物を売るだけで」

「うむ、間違いなく億万長者になれる……」

 

小声で深淵が王にそう言っていた。ヒソヒソ話のつもりだろうが、亮にはよく聞こえている。

 

「ゴホン。それも人目のつく場所での使用は控えるように」

「あぁ、わかった」

「お金については私の店で働いてもらおう」

「あんたの店?」

 

なんだろうか。まさか彼女がサービス業を営んでいるとも思えない。能力を活かす点と言えば、何でも屋と言う名の殺し屋か。

 

「本屋だ」

「本屋……?」

 

とても、なんとも言えなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

王は魔人がこれから生きていくための資料作りに取り掛かる。役人に任せておけるものではない。そんな不正をやらせるわけにはいかない。

彼の今後の生活は深淵、笹塚未菜に任せておけば問題ないだろう。今は自分にできることをやるだけだ。

 

彼を真っ白な存在として扱うには根本家という架空の一族を作る必要があり、何世代も存在しない人物を作るのには手間がかかった。完全管理されているこの世界だからこそだ。遥か昔は様々な国が存在していたため、そういうのは簡単だと教わったことがある。

 

「……ふむ、これでよし」

 

出来上がった資料の最終チェックを済ませて机から離れる。使用人に持って来させていたコーヒーに口をつけ、執務室を後に、長い廊下を通ってエレベーターへ乗り込む。

他に人が乗っていないことを確認すると、鍵を刺して回した後に1F、7F、2F、1F、の順にボタンを押した。すると押したボタン全ての灯りが消え、エレベーターが動き始める。

この隠しコマンドを入力して向かう先は最下層だ。物の数秒で駆動音が消えて扉が開く。資料の作成で少々の眠気を感じていたが、扉を開いた直後に流れ込む冷たい空気がそれらを吹き飛ばした。車椅子の車輪を動かし部屋の奥へと進んでいく。

そこには巨大な剥き出しのコンピュータがあった。排熱のためにカバーは邪魔になる。横12m奥行き10m高さ6mの巨大なコンピュータとなれば尚更だ。ど真ん中のキーボードまで進み、起動キーを入力してコンピュータを起動させる。

 

「ようやく、この時が来た。これで、全ての計算式が揃う。私の代でやっと完成させられた」

 

カタカタとキーボードを叩く音はコンピュータの起動音にかき消される。

 

『安定装置を起動させるためにはエンターキーを押してください』

 

無機質な合成音声が響く。王はその指示に従いエンターキーを押す。

 

『世界の人間を確認中────』

 

いつもはここで弾かれる。たった一人足りなかった。何にも揺るがされない唯一の存在が足りなかったからだ。だが。やっと。

 

『確認できました。安定装置を起動します』

 

やっと、来た。

 

「……ふぅ……」

 

車椅子に深く体を沈める。体からこんなに力が抜けるのは初めてだった。

 

『起動完了。フェイズワン。安定装置が危険な状態にあります。安定装置が世間に露見しない政策を取ります。フェイズワンは安定装置の守護が魔人になると完了します』

 

まだもう一つ工程を挟むことに多少の落胆を覚えたが関係ない。魔人は世界で最も不幸な存在だ。彼は表向きの生活など送れない。すぐに闇に堕ちる。深淵と同じように。

 

「だが、人類はこれで大きな一歩を踏み出した。なれる。世界の人々が幸せになれる」

 

彼は確信している。何代も前から、世界の人々が幸せになるために作り上げて来たこの安定装置が、新世界から不幸な人間を無くすと。誰もが笑顔になれる世界になると。



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新しい生活①

王との会話を終えて亮は笹塚と共に建物を出た。彼らが居たのは新世界の最北端。ブルー地区と呼ばれる土地の軍事基地だ。レッド、ブルー、グリーン、イエロー、ホワイト、セントラルの六つの地区に分けられているこの世界で、ブルー地区は唯一軍事基地を保有している。それがまた社会問題になっていたりはするが……

 

建物を出て亮はすぐに足を止めた。

 

「空に……陽の光?」

 

青い空が広がっていて、眩しい陽の光に照らされた。ここは仮にも隔離世界と称される、外とは隔絶された空間だ。陽の光は愚か、空すら見えないはずだ。

 

「空はホログラフィックだ。あるように見せかけているだけに過ぎないよ。陽の光は本物。太陽光を吸収、拡散して照射しているんだ」

「ホログラフか。どんな規模だよ」

 

ホログラフィックという技術は知っているが、新世界の内部まるまるをしかも本物の空と錯覚させる程度には高度なホログラフィック技術。それに加えて太陽光の照射。これは遥か昔の人々が構築したというのがまた驚きだ。

 

「雨は蒸留した海水や、旧世界で雨が降った時に溜めた物を使って降らせる。次に雨が降るのは五日後だったか」

「そうか、人工的に降らせるわけだから予め世間には伝えてあるのか」

「あぁ、旧世界が滅びる前は人工衛星を使い不確定な予報を立てていたみたいだが、こちらでは天気予報というものは存在しない」

 

便利な世界だ。壊れかけのものなら何度も使って来たが、傘と言われる雨を凌ぐ道具も、この世界なら常に持ち歩いたりする必要はないのだろう。雨が降る時間、量は予め伝えられ確定しているのだから。

 

「歩きながら話そうか」

 

深淵がそう切り出し、頷いて肩を並べ歩き始める。

 

「天気といえば、旧世界の天候は随分荒れるみたいだな」

「場所によるが、雪降った後に晴れて雨降って気温が四十度前後になったり、砂漠だった場所に雪が降るとか。まぁ色々ある」

「とても快適とは言い難いな」

 

昔は苦労した。濡れないために屋根のついた場所を探したり、壊れていない傘を探し回ったり。今では全くそんなものは必要なくなった。

 

「と、この基地を抜ける前に一箇所に寄る場所がある」

「なんだ」

「内部の病院だよ。健康診断をして、その記録を王へ提出しなくてはな。でなければ君の戸籍情報は完成しない」

 

知識だけは有している健康診断という概念。間違いなく必要なく、結果など想像したくなかった。が、郷に入っては郷に従えという。わかったと返事をして、大人しく笹塚の後についていくことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

案の定、問題だらけだった。

 

身長はいい。176cm。一般の男性の平均的な身体だ。だが、体重から狂い始めた。

16kg。彼は体重を16kgしか持ち合わせていなかった。体重計の故障が疑われ、四回ほど計り直すも結果は変わらず。魔術を使うなと言われるも、使ってなどいない。確かに魔術というかエーテルの作用でこうなったのは間違い無い。笹塚が間に入ることでなんとか記録には16kgと記す。

次は血圧だが、測定値は0。流れていない。これまた二回ほど測り直したが、結果は変わらず。医師の方は笹塚と顔を合わせて頷いて、その結果を記した。もう大体わかって来たようである。

視力、聴力検査は異常な値を示した。もちろんいい意味ではあるが、良すぎて測定不能なレベル。もう笹塚の介入も必要ない。あるがままを記入する。

X線検査の結果、彼の体の中は空洞。何も映らなかった。心電図も同様だ。一応聴診器を体に当ててはみるが、静寂が支配していた。

尿検査に移ろうとしたところ、彼は排出物を出さない体で、これは検査できず。その他諸々、検査不能なためもはや何の診断なのかわからなかった。備考のところに「これは人間の健康診断です」と嫌みたらしく書かれる程度には異常だった。

最後に魔力量の検査が行われた。これは箱型の装置に入り検査する。中にはウォッチドッグの眼球を用いた測定器があり、これで受診者の姿を映すことにより、測定する。ウォッチドックの目を通じて映った受診者の体の靄の量と濃度に応じて、機械が格付けをするのだ。

……一応、亮は止めた。やめた方がいいと言ったが、まぁそういうわけにもいかず。

 

案の定、機械が壊れた。

 

映るには映ったが、機械側が判別するための処理を終えることができなかったのだ。医者曰く無限大の値が永遠と計算され続けてるらしい。よって、最後の検査も測定不可で終了。

まともな検査結果は身長しかなかった。

 

もっとも、身長の方も伸縮自在なので何の意味もない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うん、シェイカーには悪いことをしたな」

「やっぱやる意味ないだろあれ」

 

あれは人間の健康診断である。魔人の健康が測れるわけがない。そもそも健康も何もそういう概念がない。

 

「君にこちらで波風立てない振る舞い方を教えてやろう。やれと言われたら一応やっとけ。だ」

「真摯とかそういうのは」

「必要ない」

 

こっちの世界の人々が平和ボケする理由がわかって来た気がする。

 

「さて、これに乗りたまえ」

 

基地内の病院を出て、しばらく歩いたところで駐車場に辿り着く。数台車が停まっていたが、笹塚は迷うことなく黒く平べったい車の前に行き立ち止まり、そう言った。

 

「おぉ、車か。しかもスーパーカーとかいう奴に似てるな。傷ついてない奴初めて見た」

「ふふん、これは私の自慢の一台でな」

 

相変わらず知識として車がガソリンを用いて動くのは知っていた。が、亮達にはそれを補給し走らせる意味がほとんどなかった。それはそうだ、草木が鬱蒼と茂り、倒壊したビルがたくさんある。車を走らせられるほどのスペースがほとんどない。

だから、車は基本的に投擲物だったり盾だったりした。

 

「本当は過の偉人達が乗り回していたガソリン車に乗りたいんだが、車に原油を使うほどこちらの世界にエネルギーは余っていないんだ」

 

笹塚は心底残念そうに俯いたが、気を取り直したようで顔を上げた。ドアノブに手を当て解錠し、亮に助手席に座るよう促す。シートに腰を下ろしてシートベルトの締め方をレクチャーし、発進の準備が完了する。

 

「行こう」

 

車が動き出す。音はほとんどない。モーターの駆動音とロードノイズくらい。ただ違和感があるとすれば、電力に混じって魔力、というよりエーテルがあることだろうか。

なるほど、エーテルと結合した電気ならば少ない電力でも大きな電力になる。

 

なんて思考していると、基地のゲート目の前に到着。笹塚と守衛が話をし、ゲートが開かれた。それから五分ほど舗装されてはいるが両脇は木々が生えていて、森の中のような雰囲気の通りを走る。そしてやっとその空間から抜け出し。

 

「……すげえな」

 

亮の視界に映っているのは、壊れていない建物の数々だった。綺麗にの整った建物がいくつもある。壊れた箇所なんて一切見つからない。それに、何人もの人が歩いている。立ち止まって談笑する者。友人と並んで歩く者。

辺りを警戒することもなく、ただただ生活しているその光景が、とても、凄かった。

 

「……それはよかった」

 

笹塚はその一言以降、口を開かずに車を走らせていた。目を輝かせて新世界を車窓から眺める魔人は、外見相応の少年に感じられた。いつもならばお気に入りの音楽を流しながらドライブするところだが、あんな顔をする彼の邪魔をするほど無粋ではない。笹塚はただただ車を走らせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ン?」

 

亮は車が地下の駐車場へ入ろうとした時に、自分が笹塚の車に乗せられていたことを思い出した。

 

「随分と夢中になっていたな」

「……あぁ、向こうで拾った雑誌とか写真でどんなものかは知ってた。だけど、実際に見るのとは違う」

 

美しい景色だけを切り取った雑誌とは違う。あの雑誌に映っていた景色と、ここまで移動するのに見てきた景色を比較すれば、単純な美しさでは雑誌の景色に軍配が上がるだろう。だが、そうじゃない。清濁合わさったこの現実の光景は、美しいとかそうではなく、リアルだった。

 

「車を走らせ続けた甲斐があったというものだよ。さぁ、降りよう」

 

車庫入れを済ませ、亮に促す。二人はシートベルトを外して車から降りる。最後に笹塚がドアノブに触り施錠も完了だ。

 

「こっちだ」

 

地下に笹塚の声が反響する。入庫前の景色と照らし合わせて考えてみると、ここはどうやら大きなマンションの地下駐車場らしい。ということは上のマンションのどの部屋かが彼女の部屋ということか。

エレベーターの使い方を教えてもらいながら、彼女の部屋があるというフロア、二十のボタンを押す。二十階建て中、二十階に住んでいるということは、先程の王との話と合わせて考えると彼女はかなり働いて稼いでいるということか。

 

エレベーターが二十階に到着し、エレベーターを出て左を向く。そうして目の前に扉があった。エレベーターから十歩足らず。他に通路は見当たらず、扉も視認できる限りでは一つしかない。

 

「そこの扉がそうだ。このフロアには私の部屋しかないから安心してくれ。ちなみに下のフロアが職場だ」

「へぇ」

 

感動は薄い。この世の価値観というものがわからないからだ。

現在二人はホワイト地区にいる。もっとも人口の多い地区で、その分住宅が並ぶ。そして二人のいるマンションは国に認められた人しか購入できないという、特殊な物件だ。一般人からすればそこに住んでいるというだけで、畏怖か尊敬の対象になる。

 

「先に鍵の開け方を教えておく。間違っても壊すなよ」

「わかってる」

 

ドアの真横に鍵穴とディスプレイ、指を置くための装置があった。指紋認証システムだろうか。

笹塚が自分の指を当てた後、ディスプレイに様々な情報が映し出される。ピッピッと音が鳴り、亮に自分の指をかざすよう指示する。

 

「これは魔力の質を検知するタイプの物だ」

「あぁ、なるほど」

 

指紋情報による認証システムは使い古されており、一般化されていった。技術も熟知されている。だから、空き巣等の犯罪を行う者は自然とそのシステムを潜り抜ける方法を身につけた。よって高いセキュリティを望むのなら別の方法を使わなくてはいけない。その答えが魔力の質による認証システムというものだ。

この世界に魔力を持たない人間はいない。多かれ少なかれ魔力を持っている。そして魔力というものは遺伝子配列のように人によって確実に異なる。双子であっても。なぜかは解明されていないが、今のところ同じ質の魔力というのは二つとないという。しかも人の成長によっても変わらない、指紋と同じ永遠のものだからという理由。

 

「…………あれ」

「……魔力を認識できていないみたいだな」

 

画面にもう一度かざしてくださいとの表示が出て、何度か試してみるが結果は変わらなかった。

 

「さて、どうしたものか」

 

笹塚が唸って考える中、亮は別の方法を思いつく。

 

「これならどうだ」

 

その方法で指をかざすと、登録完了の文字が出た。そのまま続けて解錠の手順を踏み、きちんと登録できていることを確認した。

 

「一体何をし……その姿はなんだ?」

 

笹塚が改めて亮の顔を見ると、そこには亮とは全く違う人が存在した。

 

「菅原詠一ってやつらしいな。旧世界の住民だ。取り込んだ人間の一人だよ」

「……取り込んだ人間に化けたと言うのか」

「お前らで言うとこの、アバターの力だ」

 

アバター。原型は真っ黒に染まったゲル状の生物だ。それ単体では基本的に脅威にはならない。戦闘には火炎放射器などの物理攻撃以外の手段を取る必要があるが、移動が遅くすぐに逃げられる。

しかし、もし逃げることができずアバターに接触してしまうと、体を飲み込まれ消化される。その後アバターは消化した生物をコピー、記憶も含めて細胞レベルで対象になりきる。即席のクローンとでも言えるか。その後はその生物が取るべき行動をとり成長し、その生物として死んでいく。都市伝説のドッペルゲンガーのような存在だ。

 

「……そうか、その性質を利用して物の出し入れを」

「それはまた違ったりするが、まぁそう言うことだ」

 

恐ろしい。彼は唯一この世界で完全犯罪をいとも簡単に行える存在だろう。殺された人間になりきれるのだから。連れてくることが本当に正解だったのか、気が気ではない。

 

「間違ってもこの世界で使おうとは思ってない。安心してくれ」

「あぁ、くれぐれも頼むぞ」

「ン」

 

そう返事をして、彼の顔が真っ黒に染まり、すぐさま元どおりとなる。

 

「さて、家に入ろうか。と、その前に君にこの家でのルールを伝えよう」

「ルール?」

「法ではない。しかし破ってはならない我が家のルールだ」

 

家族間のルールというやつだろうか。

 

「家を出るときはたとえ中に人がおらずも、いってきます。同様に誰も居なくても、帰ってきたときは、ただいま。そして自分が家に居る時に人が帰ってきたときは、おかえりなさいだ。見送る時はいってらっしゃ。忘れるな」

 

それは、笹塚が亮を家族として迎え入れるということだった。どこかむず痒い感覚がする。亮にとって家族とは、遥か昔に失った旧世界での仲間たち以外はあり得ない。それに、いまさら家族なんかを欲しがるのは許されないことだと思っている。

だから、笹塚の申し出は嬉しくはあるが苦しくもあった。今だけだ、ごっことしてこれを承諾する。どうせ目標を成し遂げれば全て無かったことになるのだ。別にいいだろう。

 

「わかった。忘れないようにする」

「そうか、ならば」

 

笹塚は先に玄関へ一歩踏み出し、振り返って亮を見る。

 

「おかえり、亮」

「ン、ただいま」

 

こうして、深淵、笹塚未菜と魔人、根本亮の生活が始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

笹塚の家は一人で暮らすにはあまりにも広すぎる。それはそうだ、高級マンションのワンフロアが丸々が彼女の家なのだから。ダイニングキッチンでバーのカウンターのような作り。大きなテーブルをコの字で囲うようにソファがあり、あまりにも大きいテレビがある。どうやって入れたのか甚だ疑問なサイズのテレビだ。玄関からは入らないだろう。

 

トイレ、風呂も当然あり、浴槽の方は人がまんま寝っ転がっても余るくらいの広さがある。ついでテレビとクーラーがついていた。

部屋は五部屋あり、それぞれかなり大きいサイズ。一室が和室で一番大きく、残り四部屋は洋室。五部屋全てはベランダからも繋がっており、ベランダも大きい。灰皿が置かれていて、その周辺だけ汚れが少々目立っていた。

 

「私が使っているのは端の和室だ。後はどこも洋室だが、君の好きな部屋を選べ」

「なら、端の洋室にする」

「わかった。ベット、テレビは既に備え付けられている。後君の服は……」

「必要ない。体に何着も入ってる」

 

破れたとしても再構成できる。新しいものを買う必要はないのだ。

 

「だとしても、人として生活するならばその力は使わないでおくべきだ。それに魔術はなるべく使わない。魔術ではないという言い訳は聞かんぞ」

「……わかったよ。だが俺には金がない」

「それくらい私が出してやる、安心しろ、金ならある」

 

取り込んだ本の中の一冊、「男なら一度は言ってみたい台詞集」に書かれていた台詞を聞けるとは思っていなかった。

 

「他にも生活に必要だと思うものがあれば言ってくれ」

「今はまだわからないが、出てきたらお願いする」

「ふふっ、それもそうか。一服したら行こう。それまで部屋で好きにしていてくれ」

 

そう言って笹塚はベランダへ向かう。ベランダで吸うのだろう。旧世界での家族一人も愛煙家だった。それに憧れて吸ってみたいと思っていた時期があった。

今度一本もらえないだろうかと考えつつ、自室を見て見る。そこそこのサイズのテレビに大きなベット。膝を置けるオフィスチェアに学習机。押入れも十分なスペースがある。よっぽど物を置かない限りは快適に過ごせるだろう。

 

「待たせた。行こうか」

 

部屋を見ているとベランダから笹塚がそう伝えた。頷いて回答し、玄関へ向かい、靴を履いて外へ出る。

遅れて笹塚が出てきて、そこで施錠の仕方も教わる。

 

「君にまずはデパートというものを教えてやろう」

 

車を使うのかと思ったが徒歩だった。デパートというのは亮も旧世界でよくお世話になったものだ。原型が残されているデパートは様々な人に荒らされていたが、それでも取り残しの物を取って生き抜いてきた。

荒らされず、きちんと物が並んでいるデパートはきっと活気に溢れているのだろう。旧世界の場合はどちらかというと占拠している連中からの殺気の方が溢れていたため、戦場にならないデパートというのは楽しみである。

 

「あぁ、そうだ。君にいくつか伝えておきたかったことがある」

「わかってる。そっちの言葉は守るし、盗みもしないぞ」

「そうか。ならよかった。ならあと一つ、伝えておきたいことがある」

 

それは、おおよそ街中を歩きながら伝える台詞ではなかった。人の生き死にに対して冷めた考え方をする亮であっても、それはわかる。

 

「私はあと半年と三日で死ぬ。それまでに私の元で常識を学んでくれ」

「…………は?」

 

怒涛の半年が始まる。



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新しい生活②

人がゴミのようだ、という過の偉人の名言がよくマッチした場所だと思う。徒歩五分で到着したホワイト地区有数の巨大なデパートでは、一体どこから湧いてきたのだろうかと思うほどの人がいた。

亮が活気溢れるこの空間に感動を覚えたのは最初だけで、いざその人混みに紛れると激しい憂鬱に襲われる。

 

「……なるほど、人混みってのはこんなに鬱陶しいんだな」

 

魔力や人の視線、気配を感じるだけじゃない。人の七十倍の嗅覚を持つ亮にとって、人が入り混じるこの空間はある意味で地獄だった。耐えられなくはないが、気分を害されるとわかりそれらの感覚を抑える。

 

「慣れろ。確かにここの人の数はすごいが、セントラルほどじゃない」

「セントラル……確か、長……王の根城がある地区だったか」

「そうだ。面積が一番小さい地区ではあるが、人の密集がすごい。富裕層ばかりが住んでいることもあり、休日のこういった大型のデパートにはこれでもかと言うほど集まる」

 

想像したくない話だ。一度感動を味わうと、もう後は亮の中で評価が下がっていくばかりだった。

 

「適当に君の生活用品を揃えようか」

「ン、わかった」

「逸れるなよ、行くぞ」

 

確かにこの人混みに紛れ逸れたら、目視での捜索は手間がかかりそうだ。亮は笹塚の魔力の質と感覚を覚え、彼女の後に続いた。最も、特異な質を持つ彼女の魔力はそうそう忘れられはしないが。

 

「メンズの服といえばこの辺だろう。何か好みは……亮?」

 

聞くが早いか亮は早足で洋服を選び始め、さっさと手に取る。そんなにこの人混みが嫌なのかと思ったが、洋服を手に取る亮の顔がどこか輝いていて、好みの物だったのだと知る。

 

「これ頼む」

「あ、あぁ」

 

ジーパン、黒の無地のTシャツ、革のジャンパー。二式ずつ。本当に選ぶのが早かった。

 

「好きなのか、この組み合わせ」

「あぁ。俺の師匠が……いや、まぁ、おう」

「ふっ、そうか」

 

可愛いところもあるじゃないかというのは、心の内にしまっておく。

 

「次は歯ブラシ等の日用品だな」

「適当でいい」

「ならスーパーマーケットで食材の買い出しと共にすませよう」

 

そうして向かったスーパーマーケットで、亮はまた感動を募らせた。旧世界で何度も世話になったスーパーマーケットだが、商品棚は倒れ、食い荒らされていたりと散々な店舗しか見てこなかったので、綺麗に商品が並んでいる光景が本当に新鮮だった。

 

「すげえ、占領すれば二ヶ月は持つな。節約すれば一年持つぞ」

「あー、やめてくれ」

 

物騒な言葉を止めて、懐からメモを取り出す。それに従って商品を選び、買い物カゴに放り込む。

 

「……なんで加工前の食材は取らないんだ?」

「亮、料理というのは娯楽だ。インスタントや冷凍食品にも十分な栄養素が含まれている」

「あんた、料理できないのか」

「違う、しないんだ」

 

ひどい大人の言い訳を見た気がする。かく言う亮も料理などできる環境ではなかったため、したことはないが取り込んだ料理本のおかげでやろうと思えばやれる。

 

「よし、他に見て回りたいものはあるか?」

「いや、特には。終わったならさっさとあんたの家に戻りたい」

「そうか。なら行こう」

 

買い物カゴに商品を入れたまま出口に向かい、商品を買い物カゴに入れてそのまま店を出た。

 

「そういや、服の時もそうだったが、あそこのレジとか言うので会計はいいのか?」

「あぁ、ここはいいんだ。会計は店の出口通過時に自動で行われる。体内にそういうものが入っていてな。今はそれが主流だ」

 

自動会計システム。クレジットカードというものが失われた今は、体内のチップが手に取った商品を認識し、出口を通過すると手に取った商品を自動で会計するというシステムになっているらしい。支払いはバンクからの引き落とし。まぁ、クレジットカードがチップになっていると言っていいらしい。

利用には事細かい制約があり、通らないものはレジで現金会計をしなければならない。平均的な生活水準を普通に保てるものならば、大抵は自動会計だそうだ。

 

「さて、帰るか。荷物もかさばってきたところだ」

「貸してくれ、持つ」

 

そう言って笹塚から荷物を取り、両手に購入した衣服と日用品、食材を持った。

 

「気がきくじゃないか」

「……?当たり前じゃないのか」

 

突然襲われた際、生存率を上げるならば死なない方が荷物を持って動く方がいい。

 

「ほう、君は中々、女の扱いというものを心得ているらしいな」

 

が、そんなサバイバル精神に則った上での行動だとは知る由もない笹塚は、単に亮が無意識系のイケメン精神の持ち主だと感じていた。

 

「そういうわけじゃないが、まぁいいか」

 

何か勘違いされている気はするが、好印象を持たれたのならそれでいい。価値観の齟齬は中々埋まらない。まぁ初日だしと諦め半分で、亮は笹塚と共に帰路に着いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ただいま」

「……ただいま」

 

笹塚につられるようにして帰宅の挨拶をし、購入した荷物の収納を教わりながら片付けていく。一通り片付けて落ち着いたところで笹塚に呼び出された。

ダイニングの大きなソファに腰を下ろして、笹塚は真面目な表情で切り出した。

 

「さて、出発前の続きだが、今から言う事は他言無用で頼む」

「……あぁ」

 

並々ならぬ雰囲気を感じて、亮も構えた。

 

「まず、私は後半年の命だ。もちろん、この世界の人々はみな自分の寿命を把握しているわけではない。私が特異なんだ」

「つまりあんたは普通の人間じゃないと」

「リバースオブダークネス。新世界の最初の魔術師、深淵の体細胞を使ったクローン。その成功例が私だ」

 

クローン。その単語は旧世界でもよく聞いた出来事だ。人類最大の業、自然破壊によって枯れ果て始める資源を複製するための技術。植物、動物の複製が行われていた。だが人の複製は禁止されていたはずだ。こちらの世界では当たり前なのだろうか。

 

「もちろん人の複製など御法度だが、人の心の闇というものがその計画を立ててしまった。そして、生まれた瞬間から私は自分の死期を決められている」

 

亮は黙ってそれを聞いていた。

 

「そのことに関して今更どうこういうつもりはないが、私がそういう物だと言うのは知っていてほしい。君には程度の低い話かもしれないが、それが私の、新世界の化け物の現状だ」

 

大した感情は浮かばなかった。複製品として生まれてきたから、死期を定められていて、どうせ新世界内では残酷な扱いをされてきたのだろう。ただ、現在は不自由なさそうな生活を送っているところを見ると、なんとかなったのか。なんとかしてもらったのか。

 

「だから君には半年でこの世界で生きていくのに十分な知識と常識を身につけてもらい、そして、私から全てを引き継いでほしい」

「引き継ぐ?」

 

遺産相続とでも言うのか。それとも自分の意思を継げとでも言うのか。

 

「君は私の義理の息子ということにする。そして私の遺産を継いでもらう。クローンだから、子供なんて物は居ないし作れないのだよ」

 

苦しそうな笑顔だった。

 

「……まぁあとは来るべき時に頼む事がある。新世界の化け物として、旧世界の化け物にお願いがある。君には、それを果たしてもらいたい」

「やっとしっくりきた」

 

全てはこのためなのだろう。彼女が自分を引き取ったのも。ようやく亮は納得できた。王のような「幸せになってほしい」などという理解できない気持ちではなく、そういう明確な目的があった上での慈悲の方が納得できる。

 

「俺は、自分のために動く。少なくともこうなってから誰かのために動いたことはない。だから、今まであんたらの行動原理が理解できなかった。あんたらに利はないからな」

「あぁ、よくわかる。利のない行動ほど信用できないものはない」

 

そういう生き方を彼女もしてきたのだろう。

 

「しかしな、世の中にはいるんだよ。自分に利はないのに、誰かのために行動できる正真正銘の化け物が」

 

彼女は知っているのだろう。そういう人種を。

 

「目の前で困っている人がいたら見捨てられない。利がなければ理すらない行動を、自分の命すら捨ててでもしようとするヤツ」

 

忌々しそうに語る彼女の笑顔は、まるで懐かしむような、そんな印象を受けた。

 

「私は憧れた。惚れた。一度はそうなりとさえ思った。まぁ、無理だったがな。……この話はいい。あとは君に関係する事か……あぁ、君の職についてだが、下のフロアの蔵書庫の整理を頼む」

「蔵書?」

「あぁ、今世間では電子媒体の書が一般的だが、紙媒体の本もある」

 

確か、デパートに書店というものはなかった。たまたま無いだけだと思ったが、そういうことかと納得する。

 

「紙というのは貴重な資源でな。だが需要はある。そういう趣味を持つもののために下のフロアでありとあらゆる紙媒体の本を保管しているんだ。時には売ったりもする」

「そのための整理か、わかった」

「その仕事も教えるから安心しろ。あとは、そうそう、君には一ヶ月間はこの家からは私の同行がない限りは出させないぞ。私は別の仕事もあるから、その最中に、勝手に家を出ないように」

「は?」

 

唐突な制約に亮は焦る。

 

「今日の君の動向を見ててわかった。さすがに世間を知らなさすぎる。これは命令だ。破るなら刺し違えてでも君を闇に沈めよう」

「やれるなら、と言いたいとこだが、まぁいい。どうせ時間は無限にある」

 

一ヶ月間ならば、暇だがどうにかなる。何百年と退屈な日々を送ったのだ。今更一ヶ月程度だ。

 

「出発前も言ったが、半年間。よろしく頼むぞ」

 

そしてまずは一ヶ月。

 

 

 

 

 

「亮、このザマはなんだ」

「いや、片付けをしてみたんだが、必要なものを出してまとめてみたら収集つかなくてな」

「いや、必要なものなど携帯と財布だけでいいんだ。なぜそんなに取り出す」

「突然家が燃え上がったらどうするんだよ」

「君が緊急事態を常に想定した用心深い人物というのはよくわかった」

 

 

 

「亮、これは?」

「ン?あぁ、エーテルを利用したプラズマだ。大気中のエーテルを凝縮して高密度のエネルギーを作り」

「わかったもういい」

「そうか」

「……プラズマを握りつぶすな」

 

 

 

 

「笹塚……さん、この本はどこにしまえばいい?」

「これは……向こうのアダルト作品の棚に」

「ン、わかった」

「……君はそういうものに興味はないのか」

「興味があった時期はあった。今はちっとも」

「……」

「なんだその目は……」

「いや、なに。健康診断でも見たが、男性なのにモノがないというのはどういう気持ちなのかと」

「うるせえ」

 

 

 

 

「今日の夕食のメニューはなんだ」

「ンー、鳥の唐揚げとポテトサラダ。あさりの味噌汁か」

「レモンはいらない」

「あんたそろそろビタミン取ったらどうだ」

「大抵の栄養素を取っていれば今の体格は維持できるような体質で生まれてきた。問題はない」

「揺るぎねえな」

 

 

 

 

「今日は仕事で遅くなるかもしれない」

「ン、店番は任せてくれ」

「君ももうこの店の経営に関しては一人前だな」

「誰かさんに仕込まれてるからな」

「ふっ……行ってくる」

「いってら」

 

 

 

 

「ただいま帰った」

「おう、おかえり。風呂沸かしといたぞ」

「気がきくようになったな」

「慣れた」

「後は口の利き方を気をつければ家政婦にでもなれそうだ」

「……ンー、おかえりなさいませご主人様?」

「やめろ気持ち悪い。それは間違っていないが違う。というかどこからそんな知識を仕入れてきた」

「旧世界だ」

「……まったく旧世界にはいったいどういう娯楽が流れてたんだ」

 

 

 

まぁ、上手くいっていた。些細な問題はあれど、親子として順調な生活を送っていた。旧世界の化け物はある程度、「普通」の皮を被っていられた。深淵にはそう見えた。

だが、違った。それは新世界の化け物の目線に、旧世界の化け物が合わせただけに過ぎなかった。

 

一旦新世界に一人で出てしまえば、化け物の化けの皮は簡単に剥がれる。

 

「……こうなってしまったか」

 

一ヶ月。社会の常識というものを知識として理解した亮は一人で外へ出た。目当ての「神の術」に繋がるものを探すために。深淵が一度同行して買い物に行った時は問題なかったが、まさか彼一人の外出一回目からこうなるとは思っていなかった。

 

「人助けというものの範疇だと思ってるんだが、ダメか」

「……いや」

 

チンピラに絡まれて攻撃されたところを反撃した。など簡単な話ではないのが問題だ。

亮と笹塚が居るのはホワイト地区の雑貨ビルの一室。中にはジャケットだけを羽織った半裸の女性一人と、外傷がない状態で意識を失っている六人の成人男性。

 

「……これがただの人助けで終わらないことを君は知らないだろう」

「違うのか」

 

それはそうだ。知るはずもない。新世界で生まれ育った者でも、知らない者の方が圧倒的に多いだろう。

 

「君がそこに転がしている男達は、新世界の犯罪組織の者達だ。そして、その内のそこの人物が指名手配できないくらいには犯罪に手を染めてきた男だ」

「……なるほど。要するに、笹塚……いや、深淵の職場ってとこか。ここは」

 

彼女が「新世界が表沙汰にできない人物の抹消」を仕事にしているのは知っている。そして自分は今その彼女の仕事を代わりにやってしまったのだと気がつく。

 

「君には知って欲しくはない世界だった。君を幸せにしたいという王の気持ちを踏み躙ることだからな、これは」

「わからないな。こういう連中を知らないことが幸せなことなのか?」

「普通であれば気分が悪いはずなんだ。そして人によってはそれが見ていられず助けてしまう。誰かが人を不幸にしようとしているのを我慢できない。そういう人種がいる」

「なんだそれ、主人公か」

「かもしれないな。いや、きっとそうなんだ。自分が納得できないから人の秘密だろうがなんだろうが土足で踏み込み、みんなが納得できるやり方で納得する。それも一人じゃない。仲間や、時には敵と協力して目標を成し遂げ、最後には皆笑顔になる。……思い出すだけで腹立たしい」

 

そういう笹塚の顔は、亮が見たことのない笑顔だった。実際にそんな人物が居たのだろうか。そしてその誰かは、彼女と何かしら繋がりがあったのだろうか。

まぁ、そんなことはどうでもよかった。

 

「俺はンなことない。いつだって自分優先だ。俺は俺が最も大切だ。この状況も助けない場合、なにかしら罪に問われるんじゃないかと思っただけだしな。次からは見て見ぬ振りでもするさ。ンで、こいつらどうするんだ、殺すのか?」

「あぁ、君の手を借りるまでもない」

 

懐からあちらの世界でいた時に見た拳銃を取り出し、それで的確に倒れた男たちの頭を撃ち抜いていく。亮は先ほど自販機で購入した缶コーヒーを飲みながら、その光景を眺めていた。

 

「わかってはいたが、君は本当にこちら側の人間なのだな」

「そんな大層な話でもないだろ。目の前で人が殺されても無感情であるかないか。事実通りの差でしかない」

 

人を殺すとその人から恨まれるという。霊がどうのこうのとかいうのを聞いたことがある。この世界でならば、人を殺すことは犯罪で、償えないほど大きい罪である。後は殺された人の家族たちが悲しむ。人を殺しちゃいけない理由なんて様々あるが、亮には当てはまらない。

罪になるかもしれないが、彼を拘束できる存在はこの世に存在しない。殺された人の家族が悲しむかもしれないが、心底どうでもいい。そうすると社会的な立場が完全になくなり、新世界の敵になるが、新世界など敵ではない。

では殺された人に恨まれ呪われるというのは?

それは、望むところだった。殺してくれるのであれば殺してほしいのが本音だ。最も、呪い殺されるのが本当であるならば、とうの昔に死んでいるとは思うが。

 

「そうやって割り切れてしまっているから、君は世界で一番不幸なんだ。目の前での人の生き死にを、客観的に見れてしまうのが」

「……そうでもない」

 

人の生き死には統計で見れば大したことではない。だが関係者になればそうはいかない。そんなことは知っている。人の生き死に多くの想いが関わる。だが、亮は関わり過ぎた。主観で見てみる努力はする。現にしてはいる。殺したら親族はどう悲しむか。考えて、その後を思考して、けれど、その上でどうでもいい。

 

「……先に帰っていてくれ。そして今日のことは見なかったことにしてくれ。何もなかった。何も関わっていない。そうしてくれ」

「わかった」

 

そうまでして関わらせたく無いのだろう。きっと、踏み出してはいけない一歩を彼女は止めてくれている。そんな感じがした。

ならば、彼女が生きている間は留まってやろう。人を攻撃して、一ヶ月ぶりに感じた事がある。

 

やはり、こっちの方が気が楽だと。

 

『まったく主はつくづく幸せにはなれんのじゃな』

『さあな』

 

久し振りに語りかけて来た狐が、くつくつと笑っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

亮は表の世界を笹塚の元で学び続けた。表の世界での常識、価値観、感性。理解できたとは自分でも思う。性に合わないとは思っているが、馴染むことはできているだろう。居心地は悪いが。

 

そして、その時は来た。

 

「もしもし」

『魔人か?』

 

笹塚に渡された携帯電話に非通知からの着信が来る。それに応答したら、知らない声が聞こえた。

 

『深淵が倒れた』

「……あぁ、もう、半年か」

 

覚悟はしていたのに、胸が痛んだ。自分に人らしい心が残っていることに苦笑する。

 

『メールを送る。その病院に来い』

「あんたは?」

『深淵の上司とでも言っておこう。あぁ、笹塚未菜の友人とも。名前は……ナナシでいい』

 

彼女にも友人というものが居たのか。なんて考える。ナナシ、名無し。もう少しうまい偽名がないものか。

 

「わかった。すぐに行く」

 

そう言って電話を切った。

 

優しい世界が終わる。平和な世界が終わる。なんとなく、そんな気がした。



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新しい生活③

病院への足取りは思っていたよりも軽い。笹塚はもう死んでいるかもしれないし、まだ虫の息で生きているかもしれない。最後に何か話しをしたいことはしたいが、いまいち激情が湧いてこなかった。大切な者を亡くし過ぎた弊害か。それでも心配なのは心配という、自分でもよくわからない感覚だった。

 

「ホワイト地区中央病院に」

 

適当にタクシーを捕まえて目的地を伝える。走って行ってもよかったが、昼間にそれは目立ちすぎる。まぁ、そんなことを考える程度には冷静だった。

後部座席に座り、頬杖をつく。

 

「…………そういや、最後に何か頼みがあるとか言ってたな」

 

どんなことだろうと聞いてやろう。

激情が湧かずとも、彼女には自分をこちらの世界で適応できるようにと育ててくれた恩がある事に変わりはない。大抵の大切な人は最後の言葉など伝えずに逝ってしまう。そういう世界で生きてきた。だから、それくらい聞いてやろう。

 

「(ンー、また、なくすのか)」

 

そう思うと、感じ慣れた痛みが胸に走った。だが、車窓から流れる街並みを見ていると、その痛みもすぐに流れ去っていく。それを感じて、亮は呆れるように笑った。

 

 

 

 

 

 

病院に着いてすぐに看護師に笹塚の部屋番号を聞く。どうやら、普通の部屋ではなく特別な部屋に彼女はいるらしい。自分は同行できないのでこの通りに進んでくれ、との説明に頷き足を進める。

関係者以外立ち入り禁止の扉の横の装置に、教えられた暗証番号を入力して解錠し中へ。階段を降りて進んでいくと、壁に背を預けた名前の知らないスーツ姿の女性がいた。

 

「やぁ、魔人。君は人を生き返らせることができるか」

「……人じゃなく、魔人としてなら」

 

名乗りもしない唐突な質問。だがこの場にいるということは、笹塚の関係者だろう。それに自分が魔人ということは、一部の人間しか知り得ない事実。ならば彼女はその一部の側の人間だ。だから、ただ回答する。

人を生き返らせるのは試したことはないが、自分の魔力を流し込み、全細胞にエーテルを浸透させれば魔物はできた。同じ要領でできるだろう。心臓を動かし、脳を動かす。魔力を補給できるならば無限の生を与えることができる。流石にそこまでは言わない。どんな扱いされるか分かったものではない。

 

「そうか。もし彼女が望めばその時は……いや、なんでもない」

「友人として死んで欲しくないか」

 

亮の指摘に女性は鼻で笑い、顎で病室を指して口を開く。

 

「……そんなとこだ。さぁ、行ってこい。未菜が待ってる」

 

彼女の脇を通り抜けようとした亮は彼女の前で一度足を止め、顔を動かさず口頭で伝える。

 

「そうだ、あんたのとこで働きたい。面接を希望する」

「合格だ。早く行け」

 

今度こそ、亮は彼女の元へ歩き出す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……おぉ、来たか」

 

病室に足を踏み入れると、案外元気そうな笹塚の声が返ってきた。顔色は悪いが、それ以外は見た目では元気そうだった。

 

「あんた、話せるのか」

「気分的には問題ないが、体の具合として死ぬ寸前らしいな」

 

笑ってみせる笹塚。亮はベットの隣の椅子に腰を下ろした。

部屋は殺伐としていた。地下だから窓など無く、白い壁と天井が色の全てで、アルコールの匂いが支配している。

 

「やっとその時だ。私は産まれた時からこのタイミングで死ぬようにされている」

 

きっと彼女には、もう自分があと何時間何分何秒生きていられるのか分かっているのだろう。とうの昔覚悟は決めていて、だから達観した様な笑みを浮かべた。

 

「……そうだ、亮、少し昔話に付き合ってくれないか」

「そんな余裕あるのかよ」

「まぁな。さて……そうだな」

 

天井を見上げて、懐かしむように彼女は口を開いた。

 

「私は昔から一人だった。物心ついた頃には深淵で、極術師。面倒を見てくれた人は多くいた。不自由はなく暮らしていただろうな。使用人のいる大きな家、美味い飯、暖かい服、寝心地のいいベット。ストレスなく生きていける環境だっただろう。だからかな、空っぽだった。特に悩むこともない、悩みがないことにすら気がつかなかった」

 

亮とは真逆の生活だろう。しかし羨ましいとも思わない。黙って笹塚の言葉を聞いていた。

 

「君たちから言わせれば贅沢だろう。この世界の基準でも贅沢だ。そしてそんな贅沢な生活を、十六年間過ごしたある日のことだ。私の元に平凡な少年が訪れた。彼は私のクラスメイトだった」

「学校なんて所属していたのか」

「私も最初は不信に思ったが、一応私は一年A組だったらしい。危険はないと使用人が言った。だから私は彼を家にあげ、持ってきたプリントを受け取り、興味本位で学校がどんな場所なのか聞いたんだ」

 

その彼とやらに、亮は何とも言えない不信感を覚えた。

 

「彼は楽しそうに語ってくれたよ。学校のシステムだけじゃない。クラスメイトの事や学校から見える景色がどうとかな。それだけじゃない。私の住む屋敷の感想、最近の街の様子。聞いてもいないのに話し始めた。全く私には分からなかった。どうしてそんなにテンション上げて語れるのか。何がそんなに面白いのか。そうして私は、学校ではなく彼に興味を持った」

 

その感覚は、嫉妬から来るものでもなく。

 

「きっと彼は私と世界の見方が違う。だから気になる。彼の見聞きしているものが私のものとどう違うのかが。それから私は学校にも行くようになった。反対する人間も居たは居たが、私が行きたいと強く訴えると引き下がってくれたよ。それからは……楽しかった。多くの未知を知り、それらを知っていく。一つ一つ消化していくのが本当に楽しかった。そして隣に彼が居てくれた」

 

嫌悪だ。

 

「楽しいことも、悲しいことも、嬉しいことも、辛いことも。色々な事を知り、時間を共にした。私がどうしようもない事態に陥った時も、彼は側にいて、一緒に解決してくれた。私にとって、彼はヒーローだった。だから彼に惹かれた。初めて恋をした、彼が愛おしかった。けれど、それでも私は彼に想いを伝えることなく……彼を失ってしまった」

 

主人公という、助けた上で放り捨てるヒーローに対する嫌悪。

 

「彼は私以外の誰かを助けた。その代償に自分の命を捨てた。彼はヒーローだったが、私は彼のメインヒロインではなかったんだ。そうだな、彼のハーレムの一員。そんなポジションだったのだろう。だがそんなことは関係ない。私は彼がいないこの世界に絶望した。彼が居ない世界はあまりにも……暗かった」

 

彼女の中で、その誰かはヒーローだった。だが、助けるだけ助けて死んだ。そんな無責任な誰かに、亮は嫌悪感を覚えた。人に光を浴びせるだけ浴びせて、当の本人はまた別の誰かに光を浴びせる。

だから深淵はより一層、深い闇に叩き込まれた。だが、それでも、彼女にとって彼は光だったのだろう。

 

「あんたも、大切なものを失くしたんだな」

「そうだ。いつか話してくれた……君と同じようにな。しかし、だから私は君の気持ちはよくわかるわけじゃない。仮に同じ経験をしたとしても、同じ想いはない。永遠に理解なんてできないし、させない」

「……」

「第三者にできるのは傷を和らげようと側にいることと、傷を舐め合うことくらいだ」

 

まぁ、と言葉を区切って。

 

「それでも誰かが理解しようとしてくれるのは、嬉しいことだ。深淵だろうと魔人だろうと関係ないよ。寂しいものは寂しいんだ。本当にただそれだけなんだ」

 

なんとなく、しっくり来た。多くの言葉を並べられるよりも、心に突き刺さる一言だった。そして思う。彼女も自分と同じ心の固まり方をしているのだ。

 

「亮、一つお願いがある。あの時の頼みだ」

「言ってくれ、なんだってする」

「コレを……」

 

一枚の紙切れを笹塚は亮へ渡す。そこには住所だけが綴られていた。

 

「そこに書いてある場所に、私のクローンが作られる。それがいつ行われるかはわからない。ただ、私を作った技術の応用でより素晴らしい深淵が産まれるハズだ。そして、君にはその親を頼みたい」

「……親」

 

なんとも突飛なお願いだった。自分に親になれと。とてもできるとは思えなかったが、亮はそれを受け取り頷く。

 

「きっと実験動物として、兵器として使われるだろう。だから、頼む。その子の親として、立派な人間に育ててくれ」

「……わかった。任せろ」

 

その言葉に安堵のせいかベッドに深くもたれかかり、大きく脱力した。終わりが近い、そう見えた。

 

「すまないな。本来なら私がやらなくてはいけない事だったんだが……ゴフッ……」

 

血を吐いたわけでもない。が、苦しそうな咳をした。タイムリミットが近づいているのがわかった。

 

「……後は?なにかないか?」

「……あぁ、それだけだ。もう心残りは……ないよ」

「そうか」

 

今更になって、亮は寂しさを感じた。もう、自分が彼女にしてやれることがないと思うと、無力感に襲われた。慣れたくせに、土壇場になって、心が痛む。

 

「……あぁ……でも、そうだな私はやっぱり……」

「亮、君と、もっと生きてみたかったな……」

「っ……」

「なぁ……楽しかったよなこの半年間。あぁそれと……私は、きちんと君の母親になれたか?」

「あぁ、なれてた。……母……さん」

「ふっ、それを聞けて満足だ……ふふっ……親、か……いいもんだ」

 

彼女が何か諦めたのを感じた。それと同時に、亮は視界から彼女の不思議色の魔力が消え失せたのを確認する。なんだかんだ楽しかった。そう思えたこの半年が、終わりを告げる。

 

「なぁ、一樹……会えるかな……会えたら、いいな」

 

そして、深淵、笹塚未菜は瞳を閉じて、静かにその生涯を終えた。死後の世界があるとしたら、彼女はその誰かに会えたのだろうか。

亮にはわからない。天国や地獄があるなら、誰かを救い続けた主人公は天国で、誰かを殺し続けたヒロインは地獄に行くのだろう。誰かが決めた善悪のせいで、きっと彼女は彼に会えないのかもしれない。

 

「後は、任せろ」

 

亮はそう言って彼女から離れる。

 

「……やらなくていいのか、ナナシ」

 

廊下を出てすぐ、壁にもたれかかった名前の無い誰かがいた。最初から彼女はここに居た。どうやら壁一枚挟んで笹塚の最後を見届けたらしい。そんな彼女に尋ねる。笹塚を、深淵を魔人として生き返らせなくていいかと。

 

「いや、いい。深淵は……未菜はもう十分やった。死を受け入れたんだ。生き返らせるのは酷というものだ」

「……なら、あの人の仕事は俺にくれ」

「追って連絡する。しかしいいのか、未菜はきっと君がこっち側に踏み込むことを望んでいない」

「だろうな。だがいい。踏み躙る事にはなるが笹塚さんは死んだ」

 

死人に口はない。止めることなどできはしない。

 

「親不孝者が。あぁ、そうだ。これを」

 

名無から一丁の拳銃を渡された。それは、笹塚が愛用していたあの拳銃だ。ズッシリとした重みと、鈍く黒い輝きは消えていない。

 

「君がこっちに来るならば、これを君に託すと」

「確かに受け取った」

 

体に取り込み、自分のものとする。結局、あの人にはすべてお見通しだったようだ。親には勝てないなと、納得して階段を登る。

 

『また、神の術を手に入れなければならない理由ができたの』

 

心の中の狐が語りかけて来る。彼女は直接笹塚と交流はなかったし、笹塚は彼女の存在を知らなかったが、どうやら狐は狐なりに思うところがあるのだろう。

 

『そういうことにはならない。お前も俺ならわかってんだろ』

『んー、まぁの。じゃが神の術を手にすれば、ただの人として生き返らせ……違うの。彼女に一から報われる人生を歩ませられるに違いにいじゃろ』

 

神の術を用いれば地球にとどまらず、この世を一から自分の作りたいように作り直せる。きっと狐のいう世界にもできるだろう。だが。

 

『あの人は自分で納得してる。諦めた。なら、もう終わりなんだ。俺は俺の叶えたい世界を……真衣を。それ以外にやらなきゃいけないことなんかない』

『……そうじゃったな』

 

半年の寄り道は終わる。親の意思との約束は守るが、目的にはならない。彼の目的はあの日からブレることはない。笹塚未菜の終わりで変わることはない。

 

『じゃが主。表に出るなら、まずは涙拭いてからにしとくのじゃよ』

『黙れ、狐』

 

また一つ大事な物を手に入れて、無くした。きっとこれからも繰り返す。慣れても変わらない。寂しいものは寂しい。彼女の言葉をきっと、忘れることはない。




前章終了!次話から本編


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モンスターハウス
手にした生活


ホワイト地区の最北端は丘陵地だ。自然保護の名の下に各地区には名物となるの自然があるのだが、ホワイト地区の名物は新世界で最も標高の高い山と、そこから見下ろす住宅地だろう。

昼間は見晴らしがとてもよく、天気が曇りの日でなければ遠くにセントラルタワーが見えるほどだ。

夜中は住宅街を上から見下ろし、家々が夜中に点灯させている電気のイルミネーション。そして圧倒的な静寂が支配する、世界に自分が一人しか居ないのではないかと錯覚するほどの孤独感。

 

「俺はこの空間が好きなんだ」

 

その静寂を、魔人の声が引き裂いた。

 

「俺の恩師が教えてくれた一番のスポットでな」

 

声とともに、魔人の足音がする。木の枝を踏んでパキッと割る音。踏み出した足が草に触れ、その草が他の草を揺らして奏でる自然の音。

 

「やめろ……来るな……!」

 

堪らず声を出してしまった。頭が重い。胸の鼓動がハイペースで刻まれる。手足から力が抜ける。立つことすらできない。手が麻痺している。瞼が重くて視界がより暗くなる。

極限の緊張感に意識が持っていかれそうだった。

なぜこんなことになったのかと絶望する。あんなことをしなければと後悔する。

 

「じ、自首する!全ての罪を認めて謝る!だから殺さないでくれ!!!あんな死に方したくない!」

 

見えない何かに手足の爪を一枚一枚剥がされ、骨を一本一本砕かれる。痛みで意識を失うも回復させられる。そしてまた同じことを繰り返して意識を失えばまた回復させられる。意識だけではない、剥がされた爪、折られた骨も含めてだ。

五回ほど繰り返し、「飽きた」の一言で彼の体に吸い寄せられ、体が飲み込まれ、この世に何も残さず消滅する。

自分が最も尊敬していた兄貴分の死に様だ。

 

見えない何かに両目を抉られたと思いきや、なぜか視神経がゴムのように伸びて視力を失わず、自分の体を客観的に見た上で、手足が折られ砕かれる。視界からの痛みも手足の痛みも同時に来る。だが意識を失うことだけができない。そして彼も同様に魔人の体に飲まれて消えた。

自分が可愛がっていた後輩の死に様だ。

 

「あれはあいつらがいけないんだろ。お前らが隠している暗証番号を言わないからだ。あれだけやって口割らないとかどういう執念だよ」

 

三人組の犯罪組織が国から抜いた金額は五千万に登る。過の偉人達が生きていた時代と違い、貿易のないこの国で五千万の金が一定の場所から動かないというのは結構な無駄だ。

それを保管している金庫は二十一桁の暗証番号を入力しなければならない。暗証番号は彼ら三人がそれぞれ七桁ずつ持っており、三人分の記憶を得る必要があった。拷問すれば出てくると思っていたが、彼らの執念は固かった。

 

「な、七桁の番号なら言う!7961543だ!なぁ頼むよ殺さないでくれぇ……」

 

泣きながら地面に突っ伏する大男は惨めなことこの上ない。だが無様晒した甲斐はあったというところか。魔人の足音が消えた。そして段々と遠ざかっていく。

 

「たす……かった?」

 

安心はできない。あれだけ惨虐なことをしつつも、缶コーヒーを片手に事務所の本を器用に片手で読んでいた化け物だ。

助かったと思ったところを殺されてもおかしくない。

 

そして、そう思うと余計に体に力が入らない。

 

「っ……はっ……ふぅ……」

 

ホラー映画なんか見るんじゃなかったと一瞬思うもそれどころじゃなかった。後ろに誰かいる気がして仕方がない。今立てば殺されるかもしれない。後ろを振り向いたらあの化け物がいるかもしれない。

そして自分も兄弟達のように生き地獄を味わって死ぬかもしれない。なにもできなかった。声を出すことも、逃げることも。呼吸すらままならない。

ただただ恐怖に襲われるだけの時間が何時間と続いた。いや、そう感じているだけで実際は数分かもしれない。左手を持ち上げれば、腕時計で現在時刻を確認できる。けれどそれをしたら殺されるかもしれない。

 

男は震えながら日が昇るのを待った。彼は生涯その一晩を忘れないだろう。

 

そして、日の光が差す。

 

「朝……やった!……やった!!生きてる!」

 

立ち上がり、感極まって走り出した。何度も木の根っこに躓きコケながらも、土を蹴ってただ走る。生きている喜びを噛み締めた。

 

やがて舗装路に出て、展望台に到着した。そして彼は朝焼けのホワイト地区を見下ろす────

 

その前に。

 

「ン?おお、恐怖で自殺しなかったか。やるな、コーヒー飲むか?」

 

ガードレールに座り、缶コーヒーを啜りながら朝のホワイト地区を見下ろす化け物がいた。

 

「っ……ぁ……」

「いや待て……まぁそらトラウマか」

 

声を上げることなく、男はその場で気を失った。

 

『だーから主はやりすぎだといつも』

『仕方ねえだろ。いつまで経っても口割らねえんだし。だから聞き出しとか嫌なんだよ。一回取り込んで分解したヤツを再構成して投げ出すの面倒なんだぞ。まぁ、どうせ記憶消すんだから変わんねえかもしれんが』

『ナナシに伝えとくんじゃの。もっとも、他に人材がいればの話じゃが』

 

倒れた男の頭を掴み、頭だけを体に入れて一度脳内を自分のものにする。先ほどまでの絶望と、その後の希望からの絶望の記憶が強く残っており、それに対しては「なんかすまんかった」と感想を残してそれらの記憶を消し去る。

ついでに今までの犯罪に対する記憶も消して、その後彼の頭を再構成し、吐き出すように取り込んだ頭が亮の体から抜けて出た。きちんと首と胴はくっついている。

 

「まぁ、新生活スタートの記念にこれでもやろう」

 

自動販売機に小銭を入れ、缶コーヒーを購入し、倒れたままの彼の頭の隣に置いておいた。

そして仕事用の携帯電話を取り出して、ある人物に発信する。

 

「俺だ、今全部終わった」

『問題は?』

「ない。あの三人はこれからある程度は真っ当に生活できんだろ。奇跡でも起こしてこの日の記憶を取り戻さない限りは」

『ふむ、予定通り監視をつけておくか。さてご苦労だった。だがすまないが早く家に帰れ』

「なんだ、もう次の仕事か?」

『そこまでこの世界は荒れていない。だが仕事といえば仕事か。深淵がご立腹だぞ。私の方にまでクレームの電話がきた』

「……忘れてた」

 

ポケットからプライベートの方の携帯電話を取り出す。電源を入れ忘れていたのだ。つけてみると、ネットワークに繋がった途端に百七十四件のメッセージと四十件の不在着信。十件の留守番電話を受信した。

 

『早く帰ってやれ』

「ン、わかってる」

 

光学迷彩の魔術を使い、姿を透明にして山から飛ぶ。朝の柔らかい日差しと、空を切る感覚は快適だったが、いかんせん気が重かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「遅いっ!!」

 

扉を開けて家に入ると、玄関に仁王立ちで怒りを露わにする少女がいた。

 

「携帯の電源入れ忘れてた。と、ただいま」

「おかえり。……二時には帰る、遅れそうになったら連絡するって言ってたじゃん」

 

頬を膨らませてそう言う。これ以上話を延ばすと彼女が学校に行く前の時間がとても面倒くさそうなので話を別の方向へシフトすることにする。

 

「悪かった。ンで、飯は作ったのか」

「ん、いつもの感じだけどね」

 

そう言葉を交わして、亮は靴を脱いで丁寧に並べ、ダイニングへと進む。話を逸らすことには成功したようだ。最近は料理に精を出し始めたので、その辺りの話を振っていれば忘れるだろうとタカをくくり、彼女の作った料理に目を向ける。

 

トースト、スクランブルエッグ、簡単なサラダにコンソメスープ。まぁいつもの朝食というところか。

 

「やっとこれくらいは作れるようになってきたってとこだな」

「まっ、これくらいはやれないとね」

 

これくらいやれるようになったのは、つい最近ではないかと文句を言ってやりたいところだが抑える。

 

「食器並べて食うか」

「うん!」

 

二人で手分けして朝食の準備を進めていく。片方が戸棚から食器を出し、片方が盛り付け、最後に二人でそれをテーブルへと運ぶ。

 

「「いただきます」」

 

行儀よく手を合わせてそう言ってから朝食が始まった。

 

「それで、どうだったの今日は」

 

彼女がそう会話を切り出す。蒸し返されると思ったが、仕事の内容の方で一安心だ。

 

「小悪党取っちめて終わりだ。あのレベルなら警察でもいい気はしたんだが、国庫からデータで金が抜かれたってことだけに公表できなかったらしい」

「へぇ、ってことは全部の金融機関にそれぞれ振り分けて下ろしたってこと?」

「ン、そうだ。しかも長期にかけて細かく、バレずにな。下ろした金は自分達の金庫に保存しといたんだから、賢いのかバカなのか」

「この場合は改竄されてることに気がつかなかった中央銀行の方がバカだね」

 

朝からなんとも物騒な話だった。凡そトースト齧りながら話す内容ではない。

 

「……あー、そっかそろそろか」

 

話をほどほどに切り上げて、テレビを見ていた少女が面倒臭そうな顔をした。

 

「なにがだ」

「けんこーしんだーん」

「なんだそれか」

 

そう言えば二十年前に自分もそんなことしたなと思い返しつつ、なにが面倒なのかを尋ねる。

 

「ん、ほら毎年、学校の魔力測定機がスペック不足で、極術師を映すとエラーが出るからセントラルまで行かなきゃ行けないって」

「そういやそんなことあったな」

 

それで去年は確か二人でセントラルに行ったのだ。ついでにセントラルにできたショッピングモールも見てみたいとかで、面倒臭かったと記憶している。

 

「今年も一緒に行こうよ」

「嫌だよ、俺は職場で暇してるから」

「暇なんじゃん!どーせお客さん来ないからいいじゃんかー」

 

確かに、どこにも宣伝していないし紙媒体の書籍だし超高級マンションのワンフロアを使っている本屋など誰も来ない。というか、今までで二人しか客が来たことなどない。

 

「来週の話だろ、気が向いたらな。……お」

「ん?」

 

ふとテレビ画面の次のニュースが目に入った。内容は亮にとってとても身近なものだった。

 

『来週から始まる世界一斉の健康診断と体力測定。毎年、魔力の測定による順位付けが話題になっています』

 

俗にイケメンと呼ばれる顔をしたアナウンサーがチラチラと手元の台本を見ながら言葉を続ける。確か先週から始まった新しいコーナーで、そのアナウンスを担当している新人だったか。

 

『中でも高性能の測定機でないと結果が出せないと言われる極術師達の順位付けが気になるところですね』

「気になるってよ」

「人をピエロにしないでほしいかな。そういうのは芸能人とかアイドルとか、そういう人たちの仕事だよ」

 

名前まで公開されているのだ、それこそ極術師は下手な芸能人よりも知名度は高い。

 

『去年の一位は希代の天才魔術師ブラスターことマグナス・スローンさん。二位は原初の魔術師の血統を継ぐ者、根本愛菜さん。三位は何代と極術師を世襲してきた絶対零度、宮里由紀さん』

「原初の血統ねえ」

「世間的にはその体裁で通すって話しただろ。愛菜もあの人も含めて、深淵の名前はそうそう隠せるもんじゃねえんだよ」

「ん、わかってるけどさ」

 

なにせ、新世界で最初の魔術だ。馴染み深い昔話レベルでの知名度を誇る。

 

「ンなことよりそろそろ学校行く時間じゃないのか」

「んー、まだ慌てる時間じゃない」

 

慌てる時間じゃなくとも時間に余裕を持った行動を心掛けてほしいものだった。

 

「遅刻はするなよ。内申点に響く」

「多分、日を跨げば三回くらい平気だよ。言ってるじゃん、学校ではめっちゃ礼儀正しい、触れ難い優等生を演出してるって」

「器用なもんだな」

 

全く想像できない話だ。家の中ではダラけるか仕事かの二択の生活を送っている。仕事すらゲームで言うところのお使い感覚で行われるようなものばかりなので、亮は彼女が真面目に何かに取り組んでいる所を見たことがない。

 

「きっと遅刻したら体調を心配されるくらいじゃないかな」

「ならいいが、一応お前の保護者としてはきちんと行ってもらわねえと困る」

「なら保護者じゃなくて旦那さんになろう。それなら何も心配しなくていいし全て丸く収まるよ!」

「……」

「おっけい学校行ってくる」

 

亮の両肩が黒く歪み、それぞれから狐の顔の骨がゆっくりと現れるのを見て、愛菜は朝食をかき込みカバンを持ってそそくさと玄関へ向かった。

 

「いってきます!」

「ン、いってこい」

 

この家のルールである挨拶を交わし、彼女を送る。その後、亮は食器を片付けて食洗機へ放り込み、洗剤を適量入れて始動させる。

その後は自室を通ってベランダへ。革ジャンのポケットからタバコを一本取り出し口に咥え、親指の爪先を魔術で着火させタバコに火を移す。

 

「……はぁ、どうしたもんかな」

 

ちょうどマンションから出て通学路につく愛菜が見えた。彼女も亮に気付き振り返って手を振った。手を振り返して、もう一口煙を吸う。

 

考える。新世界に来てから早い事に四十年の時が経った。三十九年半年前から名前のないナナシの元で仕事を続け、空いてる時間には新世界で神聖さを持ったものを探し続けた。

だが、一向に手掛かりはない。

 

『可能性があるとしたら、あの安定装置とやらじゃろ』

 

体の中の狐が言う。

 

『わかってるが、後何年かかるんだよ』

 

三十八年前、その当時の王の最後の日に公開された安定装置。王の出す政策を助けるための超高性能なスーパーコンピュータらしいが、そのコンピュータは優秀すぎた。この世に必要な政策を次々と打ち出し実行。円滑な経済の循環、資源の無駄のない使い方、人々の娯楽も考えた規制や、その撤廃。王なんか飾りで安定装置に全て任さればいいという声すら上がる始末だ。

その認識が人々の間に積もり積もれば、安定装置を「信仰」し始める連中が現れ、「神聖さ」を持ったとしても不思議ではない。

 

もっとも、この世界で人々は「何かに縋り信仰しなければ心が折れる」ほど苦しむ者がほとんどいないため、安定装置を信仰する者がいてもそこまで神聖視しないだろう。であれば、神聖さを持つにはかなり時間がかかるはずだ。

 

『かなり時間を要するじゃろうが、しゃあなしよ。もっと手っ取り早くやりたいなら、シェルターを破壊して、ここの者共を外に出したらどうじゃ?それで主が助ければ主が神になれるやもしれんぞ』

『……ンー、それは最終手段だ』

 

悪くはないし、手っ取り早い。ただ残念な事に亮には現在、果たさなければならない約束ができてしまった上に、自身も約束の内容を成し遂げたいと思ってしまっている。

笹塚未菜の策の内なのかもしれない。居場所も具体的な目標もない亮にその両方を作り、世界を壊させない。見事にその術中にハマってしまっている。

 

『……ほーんと、立派に親しとるの』

『黙れ、狐』

 

タバコの火を消し、ベランダの灰皿にタバコを捨てる。ベランダから上がる際に足の裏についた汚れを魔術で分解し、綺麗にしてから部屋へ上がる。

 

「さて、仕事するか」

 

亮が笹塚未菜から受け継いだ時、紙媒体の本の店頭販売のみだったが、亮はこちらの世界での常識を学ぶうちにインターネットで販売すれば売れるじゃねえかという結論に行き着き、現在はそれも行なっている。

確か一件注文があったと記憶しているので、注文された本を探して梱包、発送する予定だ。それを終えると他にやることはないが、部屋の片付けやら風呂掃除やら洗濯物やら、後は食材の買い出し。やろうと思えばやることはある。

 

「……だる」

 

こんな感じで、世界最強の化け物は生活している。

 



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新しい手がかり

根本愛菜は世界で五人しかいない極術師のうちの一人であり、深淵の異名を持つ黒髪ロングの文武両道の超絶美少女である。というのが世間の認知である。

ホワイト地区の第一高校に通い、学年で一位を争うほどの優秀さを持っているが、その自身と身内は世界の闇とも言えるほどに真っ黒。それを知る者は新世界の裏側という深淵に呑み込まれる。それでも彼女が学校に通えるのは魔人亮という、その気になれば新世界に喧嘩を売っても、缶コーヒーを飲み終えるより先に新世界を破壊できる化け物の後ろ盾があるからだ。

 

もちろんその事を知る者は一部の人間に限られるし、仮にたまたま知ってしまったらその者がどうなるかは明らかだ。

 

「あっ、根本さん、おはよう」

「ん、おはようございます」

 

登校中に話しかけてきたクラスメイトと歩速を合わせる。面倒なので無視して行きたいところだが、これからまだ半年も同じクラスで過ごすクラスメイトだ。無下に扱い嫌な奴のレッテルを貼られるわけにはいかない。

 

「そろそろ健康診断だね」

「そうですね。うっかりしてて体重が心配なとこです……」

「えー、でも根本さんスタイルいいじゃん」

 

こういう振られ方は死ぬほど面倒臭いという心の声を抑える。

 

「スタイルいい?それ私の胸見て言えますか」

「え、あ、あはは……」

 

遺伝か知らないが全く腹立たしい限りである。どれだけ栄養を補給し、健康な生活を送ってもそれらの上限は全て遺伝子に決められている。それは科学者達が発見している事実だが、公にはされていない。

それをすると経済のみならず、人の価値観そのものを変えてしまうからだ。

それを知る愛菜としてはいくら努力したところで、栄養全てが胸に回らず腹回りに回る事を知っているので腹立たしいことこの上ない。

 

「いいですか、Aカップの45kgとDカップの45kgは違うんですよ。知ってます?」

「ご、ごめんねホント」

「そこで謝られると私の立つ瀬がないんですが」

 

いい具合に嫌な奴のレッテルを回避できた気はする。やはり過の偉人達のライトノベルという文化は素晴らしい。男性のみならず、女性も学ぶべきだ。あれには波風立たぬあしらい方や、それこそ人がこうあるべきという理想像が練りに練り込まれている。

 

「あ、あーそうだ今朝のテレビで根本さんの名前出てたね」

「ニュースのやつですね。個人情報保護って言葉をメディアって知らないんですかね」

 

確かに、極術という人が扱える範囲を超えた物を持つ者への恐怖を克服するには知ることが一番だ。人は知らないことが一番怖い。だから公開し、知れば人は恐れない。

 

「極術師は大変だね。私みたいな下位術師には言う機会なんてなさそうな文句だよ」

 

本当に面倒だ。こうして自分を卑下するくせにその通りだと言うとこちらが性格悪いという扱いになる。これも上から極、上位、下位なんて露骨な格付けのせいだろう。

 

「そんな私は……あ、あれ加瀬さんじゃないですか」

「あ、ほんとだ。加瀬くーん!」

 

前を歩く学年一のイケメンに彼女を送る。彼の元に駆け寄る姿を見て、やっと解放されたと安堵する。

 

「(ああいうののどこがいいのかわっかんないなぁ)」

 

上位術師ではあるが、どこぞの魔人と比較すると力はない。

顔はかっこいいだろうが、どこぞの魔人と比較すると風格がない。

気が利くのかもしれないが、どこぞの魔人と比較すると────

 

「(やっぱ亮がいいな、うん)」

 

百歩譲って亮を抜くとすれば、後方で友人とバカやってるクラスメイトのヒーローの方がまだ見所はある。見所があるというだけで、個人的には嫌いなタイプではあるが。

 

「違うんだ飛鳥!あれは不慮の事故で」

「どこの世界に轢かれそうな女子助けてその子の胸揉みしだく野郎がいるのよ!狙ってコケたんでしょ!」

「まさか段差があるとは思ってなくて」

「あんたはいつもいつも……」

「和馬のラッキースケベ値はカンストしてるから仕方ない」

「双海も何納得してんの!助けてもらった手前こんなのに胸揉まれても文句言えない子の身になって見なさい!」

 

どうやら朝から女の子を助けてラッキースケベを発動してきたらしい。その上女子二人に囲まれての登校だ。関わり合いになりたくないものだ。

愛菜に過の偉人が残した小説に許せないものがあるとすれば、それは主人公と言われる類の連中だ。あの辺りは見ていると、なにかこう、胸に嫌な感情が溜まる。けれど読んでしまうくらいに面白いから気にしないようにはしているのだが。

 

「……主人公か」

 

もしこの世に主人公がいて、それが色んなものを結果的に救えるのなら、なぜ彼を救ってあげないのだろう。何千年と一人で苦しみ続ける彼に手を差し伸べないのだろう。

彼が幾人も人を殺してきたから?救いようのないヤツだから?

 

「んー」

 

考えてももちろん答えは出ないが、そうだとしたら、自分は彼を死ぬまで支えよう。そして、彼が目的を果たした時、笑って彼がどこかの女性の元に行くのを見送ろう。それができたら多分、いい女というものになれるはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仕事用の携帯が電話を受信した。ポケットから取り出し、通話する。この電話に連絡をかけてくるのはナナシしかいない。世界は荒れていないと言ってた割には短いスパンだと思う。

 

「なんだ」

『シェイカーが呼んでる。好きなタイミングに行ってこい』

「またか」

 

この世界に来た当時、亮の健康診断を担当した軍の医者の娘だ。シェイカーという研究者としての名前を世襲し、医者としてではなく研究者として活動している。彼女も新世界で表に出せない、こちら側の人間だ。

 

「宅配便出すついでに行く。二時間で前後で着く」

『伝えておこう』

 

それだけ残して通話が切れた。ここから彼女の研究所があるブルー地区の軍基地には車だと一時間半かかるが、宅配便の事務所に一度赴くのでそれくらいの時間だ。

梱包された本を持って家を出て、地下駐車場で自分の車に乗り込む。車は三十九年前から変わらない。笹塚未菜が乗っていたものだ。

 

「やべ、顔」

 

こんな真昼間から青年の顔でこんな化石みたいなスーパーカーを乗り回していると、間違いなく注目を浴びる。服をスーツに、顔を風格のある六十代前後の男性のものへ変えてから車を発進させる。

 

不老不死の弊害というか、最近は近所の目も考えなくてはいけない。近くに大型のデパートがあるので、そこで三十九前と同じ顔の青年を見たら違和感を覚えるだろう。だから愛菜とも近所のデパートではなく、ちょっと足を伸ばして別のスーパーに行ったりもしているし、顔を変えたりと小細工をしていたりする。

 

「行くか」

 

パドルを叩き、ブレーキを離して車を発進させる。ブルー地区までドライブと思えば、少しは楽しめるかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

空は青く澄み渡り、一面に広がる草原は生き生きとして風になびかれている。のどかな風景と形容するのが一番しっくりくるだろう。ただし、次々と何も無い空間から現れる、迷彩服を身にまとって黒光りする銃器を構えてる男や、キャタピラで走行し魔術を込めた大砲を発射する戦車が居なければの話ではあるが。

遥か上空から眺められれば違うかもしれないが、身長176cmの亮が見渡す限りでは兵士、兵士、兵士、戦車。おおよそ一人を相手に用意するべき戦力ではないだろう。これが上位術士辺りまでならオーバーキルだの過剰戦力の範疇だ。が、言わずどもがな相対しているのは魔人であるため戦力としては矮小すぎる。というより、戦力外だ。

 

「よくここまで用意できるもんだな。これなんだ、仮想空間だったか?コンピュータだろ」

『しかも一人一人に本人に限りなく本物に近い思考回路を搭載してある。奴らは自ら考えて動き、お前を殺害しようとして来るぞ』

「最近のゲームってすごいんだな」

 

生きるために致命的な自我を失うなど脳に障害を持つ者。年齢を重ね物事を判断出来なくなった者。はたまた精神疾患によって現実世界を生きていく気力を失くした者。本来、仮想空間の技術はそういう者の居場所、または症状を改善させるために開発されていた。

人の考えとはえげつないもので、こういう応用の利くものは直ぐに転用されるものだ。

その一例が亮が今行っている戦闘シミュレーション。

戦闘シミュレーション自体は既に仮想空間内で行われた事はある。しかし、その時の仮想の敵は予め組み込まれた機械的な動きしかできず、「リアルな戦争ゲーム」という枠組みに収まるという中途半端なデキであった。それくらいであれば昨今は金さえかければ家庭で遊ぶことが出来る。そして次に焦点を当てたのが、実際の兵士の思考回路を備えたNPCを用意するという、突飛な内容だった。AIというものは、当然ではあるが人間の思考に近づけようとすればするだけ複雑になり、さらに大きなデータ容量を必要とする。ついでに膨大な時間がかかる。反復して学習させる必要があることに加え、人の思考というものはあまりにも非効率的だからだ。だから完成は一年二年程度で済む話ではない。前例もないので、過去のものを最適化して。なんてこともできない。

ではなぜこんなことができているのかというと、安定装置のデータを使ったからだ。安定装置は過去の外界遠征での戦闘データに加え、犯罪者の心理や肉体のデータ、さらには世界中の監視ネットワークから情報を得ている。それらのデータを拝借し、より人の思考に近い仮想人というものを作り上げた。

 

『それでは戦闘を始めるが、秒殺はやめてくれ。無敵でいいが物理的に倒してくれ。爆殺等の範囲攻撃はやめてくれ。空間を湾曲するようなものもだ』

「じゃあどう戦えばいい」

『殴る、蹴る、斬るという物理的な攻撃だ』

「そういやあったなそんなの」

『だが一挙動は光速を越えないでくれよ。処理が追いつかん』

「注文多いな」

 

最近は大気中のエーテルを使ったり、魔力を操って見えない手を作ったりなどして確実に対象だけを最小の被害でどうこうする手法ばかりだったので、その手の攻撃を忘れていた。

 

『3カウントで始める』

 

カウントが始まるも亮が構えることはない。突然始まり砲撃されようが鉛玉を浴びせられようが痛みはないし体になんら影響を与えることはない。

 

「全砲撃て!」

 

上から砲撃が、正面からは鉛玉が。それぞれ耳を突くような音を立てて発射される。

 

「はぁ」

全ての攻撃はエーテルを多く含んだ魔弾だろう。比重を増した上に、物によっては魔術がかけられている。外界遠征くらいしか使い道のない、そもそも人に向けて撃つべきじゃない代物だ。

 

「面倒くせえ」

 

これらを回避するにはいくつも手段はあるが、それをするとこの戦闘そのものが終わるものが多い。それに範囲攻撃をするなとのお達しなので、防ぐついでに全滅させることはできない。

ならば回避はいいやと考え、そのまま直撃をもらう。

 

『ふむ。当たればセントラルタワーが更地になるくらいの火力はあるんだがな』

 

砲弾が直撃し、地面は深いクレーターになるも亮は平然と歩いている。間を開かずに砲撃をくらい、どちらかというと地面の方が先になくなりそうだ。

 

「よっ……」

 

深すぎるクレーターから上空へと飛び上がるが、それを見計らっていたかのように真上からこちらへ落下してくる砲弾が行く手を阻む。

右手から取り込んでいた刀を取り出し、それを砲弾に向かって放り投げた。刃先が砲弾を上手く切り裂く。当然、切り裂いたところで砲弾が爆発しなくなるわけではない。上空で爆発するが、その爆風を受けることで急速に落下する。

 

「硬いな」

 

落下しながら爆風で先に落下してきた刀を手に取り、刃こぼれしているのを見て言う。

 

『そうだろう。上位の硬化の魔術が込められている魔弾だ。まだ実地では使われていない、対大型魔物用のものだよ』

「言っとくがこれじゃ足りねえぞ」

『……え』

 

自信作だったのか、シェイカーの素っ頓狂な声がした。

刃こぼれした刀に魔力を流し、仕込んである発火の魔術を起動。それを適当な戦車の砲口に放り投げ、一台が爆発した。中の者、それと随伴兵は戦闘不能だろう。何人か巻き込む形になっているが、一応同じ土俵で戦っているので許してほしいところだ。

ちなみに、シェイカーとしてはそんなことより自信作が大して使えないかもしれないという現実に苦悩している。

 

「それだと、多分……直撃させたとして砲弾二百は必要だ」

 

そう言い放ちつつ、左手に愛銃を持つ。依然として兵達は空に舞う亮に向かって弾幕を張っているが、その射線を見極め全ての弾丸をすり抜ける位置に拳銃を構え発砲する。放たれた弾丸は全ての弾丸をすり抜け、兵士一人の胸を撃ち抜いた。

その後着地し、同じ要領で六発撃ち込みそれら全てを急所に当てて殺害。一々クレーターを作られ高低差ができあがるのが面倒なので、また新しい刀を生成しそれで砲弾を切り裂き、威力を分散させることで大地への爆発を抑えつつ、拳銃で敵を沈めて行く。

 

その後、ある程度距離を詰めたところで一方的な殺戮が始まる。刀と銃を体の中にしまい、一人一人拳や足で沈めて行く。

距離を詰められ味方を巻き込めないがために、置物と化した戦車も同様だ。時には戦車を持ち上げ別の戦車に向かって放り投げることで数を減らす。そういう同じことの繰り返しで、もはや何かのデータ収集としては旨味のない戦いになってしまった。

 

『……あー、もういい。終わらせろ』

「ン、わかった」

 

シェイカーの許可が降りる。やっと退屈な流れ作業も終了ということだ。だから、亮の背から狐の顔の骨が現れる。真っ白で健康的な狐の顔の骨はやがて彼の体から離れ、浮遊する。そのまま口が開いたかと思うと、紫色に輝き、そこから半径10cmの紫色の光線が放たれた。それが物に触れると跡形もなく消し飛ぶ。兵も戦車も例外なくだ。

 

しかし、亮は失念していた。その光線は大地に向かって本気で撃てば、地球を貫通して裏側に出るほどの出力を持った魔術であることを。

彼に取り込まれ、神聖さを彼に盗られたとは言え、九尾の妖狐と崇められ恐れられたかつて神だった狐の力だということを。

 

『まずい魔人それやめろ』

 

そしてここが、仮想空間ということを。

 

────プツン

と、音を立てて、視界が黒へ。

 

『処理落ちだ。接続を外すぞ』

 

声が聞こえた後に、亮の視界に光が戻る。そこはもう仮想空間の中ではなく現実世界。天井、壁紙、共に白に統一された研究施設だ。

体の感触を確かめた後に、神経を接続するために剥き出しにしていた頭皮を復活させ、ついでに接続のためにわざわざ構成した自分の脳をエーテルへ分解させる。

 

「悪かったな」

「まぁいい。さっきので必要データと、貴様の言う狐とやらの力の一端は取れた」

「ンで、結論は」

 

今回の実験はただの戦闘データ収集ではない。もちろん、安定装置の記録データを用いた兵達の行動がきちんとインプットされているかというのもあるが、本当の目的は違う。

 

「無理だ。君のような魔人が新世界に対して攻撃を仕掛けた場合、新世界は抵抗しても抵抗にならず全滅する」

 

亮以外の魔人が生まれた場合のシミュレーション。だからわざわざ加減して戦ってもらった。が、それでも遠く及ばない。兵が恐怖で敵前逃亡という事態を抜いたとて及ばない。

 

「やはり君が新世界の敵に回るのは避けたいところだな」

「こっちに危害を加えないなら敵になるつもりはない」

 

亮とて新世界を敵に回し、目的への達成を遅らせるつもりはない。その目的だけが彼の全てであるからだ。

 

「これで今回の実験は終わりだ」

「帰っていいか」

「あぁ。だが、その前に渡しておくものがある」

 

シェイカーは懐から一枚のマイクロSDを取り出し、それを亮へ渡した。

 

「それは?」

「君が欲しい情報」

「っ……」

 

すぐさま携帯電話にそれを差し込み、SDに記録されているPDFファイルを開く。ファイルのタイトルには「神術の提唱とその一例」とあった。

それを速読し、全ての情報を刻み込む。

 

「……満足したか」

「足りないだろうが。助かる。少なくとも神聖さは持ってそうだ」

 

早足で動く。やっと、手がかりが一つ見つかった。何年か振りに心が躍る。

 

「また連絡する」

「頼む」

 

シェイカーに見送られ、地下研究所から抜け出し、駐車場へ。車に乗り込み基地を抜け、仕事用の携帯電話でナナシへ通話をする。

 

『なんだ』

「問題を起こすから隠蔽を頼む」

『……具体的に』

 

電話の向こうからザワザワと声が聞こえた。サポート陣が狼狽えているのだろう。なにせ、魔人が問題を起こすと言っているのだから。

 

「光巾とかいう宗教あるだろ」

『あぁ』

「そのトップを殺す」

『はぁ…………わかった。くれぐれも罪のない人には……そいつにも罪はないが、死人は最小限にしてくれ』

「わかってる」

 

そうは言っても、果たして久し振りの手がかりを前にどうなるからわからないが。

 

『時間は?』

「夜。愛菜には黙ってろ」

『了解した。彼女には適当な仕事で君を駆り出すと伝えておく』

 

通話を終え、今後の予定について考える。

 

「とりあえず、夕飯か」

 

その日の夕食が少し豪華で、愛菜に心配されたのは言うまでもない。

 

 

 



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光巾

宇宙なんてものが生まれる前。世界には闇しかなかった。だがある日、神は「光あれ」と言った。光が生まれ、そして今日まで至る。我々の生みの親は光である。というのが光巾の考え方だろう。だから光の神を信仰するべき。信仰していれば救われる。そんなところだ。

その考え方は古く昔からあるようだが、最近になって現在の主教がとある魔術を習得し、教徒を多く獲得した。

それこそが亮の求める神の術、改めて神術「聖光」だ。その光の大きな特徴は影を生み出さない。この世の理から外れた術だ。だが真に恐ろしいのは、その光を浴びていると「心が安らぐ」こと。温かい気持ちが胸の奥から湧いてきて、これからの活力になったり、前を向いて歩き出すことができる。それが多くの教徒を獲得した大きな理由だろう。

 

「……ンー、薄そう」

 

携帯電話で光巾のホームページを見ていて思った。新世界では最低限の生活が保障されているので、神に縋ることはやらなくても生きていける部類に入る。旧世界はもちろんあんな世界だったがために、主な代表で言えば「炎神」や「水神」を信仰し、集落に入れてもらい、神から恵みを受けることは生活するに必要なことだった。

だから信仰者が多くとも、現在「聖光」やそれを操る主教、暘谷(ようこく)を食らったとしても大した神聖さは得られないかもしれない。それに街を歩いて自分が観測できない神聖さだ。信仰されているのは暘谷ではなく術の方なのだろう。

それでも食う理由は、待っていても増える可能性は少なく、これ以上世間で大きく認知されるとやりづらくなるからだ。無いだろうが国教になった場合、殺すに殺せない。

 

『じゃが、下手に待って暘谷が逝き、他の誰かに聖光が移るよりかは今のうちに刈り取った方がいいじゃろ』

 

内側から狐が語りかける。

 

『……それに、聖光がもし、万が一、あの黒いのに手をかけたら』

『それもそうか』

 

狐が言う黒いのとは、深淵、愛菜のことだ。愛菜が操る深淵は笹塚のそれとは違い、大幅に強化されてはいるが影を生み出さない光の前には弱い。この世界で数少ない深淵へのアンチだ。

 

人は人を守れない。

そう心から思っている亮としては、自分が守るべき対象がやられる可能性のある物は刈り取っておきたいものだ。

 

『それに。もし、暘谷とやらが神格化したら手間かかるじゃろ』

『確かに。神が使う聖光はもう相手したく無い』

 

やれないことはないが、周りへの被害は大災害並みになる。信仰の度合いに寄るが、最悪の場合は新世界そのものが物理的に破壊される戦いになるかもしれない。

それほどの戦いをして勝利しても、恐らく神聖さは足りないだろう。足りるのならば狐を取り込んだ段階で既に目的は達成されている。

 

『ん、そろそろ時間ではないか』

 

深夜23時50分。後十分で暘谷が教会で祈りを捧げる時間だ。光がどうたら言う割に一日の最初の祈りは夜明けではなくこんな時間とは。なんて思いつつ、タバコを取り出して火をつける。

 

『悠長にしとる場合か』

『祈りは三十分。しかも一人だ。一服する時間くらいある』

 

と言っても、肺すらない自分には喫煙というもの自体に一服という表現が適切かどうかわからない。ただそれを言い出すとこの世のありとあらゆる行為が無為に帰すので、それに何か言われることはない。

三分ほどタバコを味わった後、吸い殻を手から取り込み分解する。

 

「ンし、行くか」

 

五歩踏み出して、高層ビルから落下する。姿を透明化し、手から透明な魔力を放出して減速することで着地での音と衝撃を殺す。チラホラと歩く人を見かけるが、透明になっている彼に気付くものはいなかった。

 

「(下もか……まぁ、当たり前か)」

 

先程は屋上からこの高層ビルへ侵入できるか確認していた。案の定、上も下も施錠されていた。暘谷が祈りを捧げる聖像はこのビルの八階にある。どちらも施錠されているのならば最も近い地上から進むのが楽だ。なにせこのビルは最上階が七十階になっているのだから。

 

このままドアを破壊して進んでもいいが、被害は最小限と言われてる手前そういうわけにもいかない。仕方なく、体を液体化させる。

体がドロドロと溶けていき、やがて体が完全に液体となってから扉の隙間を通り中へ侵入する。

 

「(センサーの類はない、な。カメラも熱源タイプではない。よし)」

 

見つかって騒ぎになるのは本意ではない。なってもいいが今後の動きに支障をきたす。

安全を確保してから体を元へ戻し、エレベーターへ向かって歩き出す。警備員の巡回があるためかエレベーターは十五台ある内の二台だけ生きている。

魔力の反応を見る限り現在この建物には亮を抜いて二人いる。一人の貧弱な魔力の持ち主が恐らく警備員。一定の場所から動かずかなり上のフロアにいる。もう一人、平均的な人より少し魔力を持つ者が暘谷だろう。予想通り八階を歩いている。警備員がもしエレベーターのカメラを見ていたら問題だ。一度体を液体化させ、エレベーターの乗り込み口からエレベーターの下へ出る。エレベーター自体は警備員のいる上のフロアで停止しているので、そこから一気に八階へと飛び上がり、また体を液体化させてフロアへ出る。

 

エレベーターを出ると、そこは既に教会だった。なぜ高層ビルの中に教会があるのかと思う。五メートル近い聖像もあるとすれば本当に意味がわからない。

 

「(趣味悪いな)」

 

黄金色の聖像だけでなく、掛け軸やら壁や天井の装飾も黄金色だ。携帯から送信されたメッセージを表示する電光掲示板の文字も金色に装飾されている。

 

光を浴びて前へ向く元気が出ました。

暘谷様のお言葉でもう少し仕事を頑張ってみようと思いました。

転職の決心がつきました。

彼女には振られましたけど、めげずに頑張ろうと思います。

子供の頃の気持ちを思い出せました。ありがとうございます。

こんなに少額の会費で本当にいいんでしょうか。

 

読んでいてまぁ心の支えになってはいるんだなと思う。先に調べていたので知ってはいるが、会費はもはや子供のお小遣いで払えるレベル。暘谷が直々に相談を受けたり、心の荒んでいる者に聖光を浴びせたりと素晴らしい善行だった。人によっては暘谷を神聖視する者もいるらしいが、ここから祈りを捧げる暘谷を見ても神聖さは大して感じられない。

自分の勘が鈍っているのか、大した信仰されていないのか。可能性としては後者が最も高い。

 

「(どれでもいいか。どのみち食らう)」

 

そう思って、暘谷に攻撃しようと決めたその時。

 

「まぁ待て、そこの御仁よ」

 

正座をして祈りを捧げていた暘谷が言った。間違いなく、姿気配を隠している亮に対してだ。

 

「なんだ気付いていたのか」

「姿や気配を消せても光には照らされるものだ」

「なるほど、流石は神に選ばれた聖光使いだ」

 

並べられている長椅子に腰を下ろし、暘谷を見据える。暘谷は未だ聖像に向かったまま動かない。

 

「説教を聞きに来たわけでもあるまい。祈りは終わる。暫し待たれよ」

 

誰か助けを呼ぶ様子もない。死ぬ前の最後の祈りとして待っててやろうと攻撃の意思を止める。そうすると狐から文句が来たが、たまにはこういう遊びもいいだろうと宥めた。

 

それから十分程度の時間が流れた。その間、亮も聖像を眺めて小さく笑っていた。

 

 

あぁ、見覚えある顔だなと。

 

「お待たせした。して、私を殺してなんとする」

「別に。その力をもらうだけだ」

 

その言葉を聞いて、暘谷はようやく立ち上がり亮へと向き直る。

 

「賊とも違う。お主からは強い信念や決意を感じる。金儲けや名声ではない」

「それが、アンタが主教たる所以か。人を見る目があり、正義の心やらを持っている」

「私は神より授かりしこの力で、ただ一人でも多くの人を助けたいだけだ」

「どこぞの王みたいな発想だな」

「その通りだ。私は、王に憧れていたからな」

 

そう言って暘谷は聖像を見上げた。

 

「かつて、私が幼かった頃の王は言っていた。私は無力だ。この地位にいても、幸せにできない者がいる。その者は誰より苦しんでいるのに、私は居場所を提供することしかできないと。そんな者を生まないために、君たち一人一人が困っている人を助けられる者になってほしい」

 

二代前の、亮が世話になった王のことだろう。

 

「なんて謙虚なんだと私は感銘を受けた。幼いながらにしてこの方のようになりたいと思った。誰かを助けたい。その意思を持って私は歩み続けた。その結果が今の私だ」

 

確かに王は亮の目から見ても聖人君子だ。他人の幸せを自分に幸せなどと宣うだけのことはある。そんな王に憧れ努力し続けてきたのが彼なのだろう。

 

「ただの上位術師だった私に、導きの光を授けてくれた神を愛している。こうして私はなりたい自分になれているのだから」

 

その言葉に、亮の眉間に一瞬皺が寄る。

 

「君が覚悟してここにいることはわかっている。だが、人を殺めてまで成し遂げるべき理想など、そんなものは間違っている!」

 

暘谷は手を掲げた。それに呼応して、眩い光が走る。

 

神術「聖光」

そのまま、ただの、聖なる光。影を作らないその光を浴びたものは暖かい気持ちに包まれる。敵意を消し去り、前を向いて歩む勇気を与えてくれる。素晴らしい術だと思う。彼は戦わずして勝利できるのだ。

浴びたものはきっと、賊だろうと話し合いを始めるだろう。

 

私が間違っていた。すまなかった。いやいいのだ、わかってくれたならば。さぁ共に手を取ろう。そうすれば明日も怖くない。大丈夫、私達が側にいる。自信を持って踏み出そう。そして歩むことに疲れたらまたここに来ればいい。話せば楽になる。もしかしたら協力してあげられるかもしれない。

 

まぁ、そんなとこだろう。ちなみにこれは当然のことだが。

 

「何遊んでる」

 

自分の意思を持って。自分の歩んだ道に納得している者に対しては効かない。

 

「なに……!?」

 

ーーーーゴッ!

と、高速で殴りかかってきた亮に慄く。それはそうだ。神の聖なる光を浴びながら攻撃してくるものなど居ないと思っていたから。

そのまま殴り倒して終わりだと思っていたが、事態は違った。亮の岩石を砕く程度の威力に加減された拳は、暘谷に触れるも傷一つつけるに至らなかったのだ。

 

「どーりで魔力で殺せないわけだ」

 

暘谷が話をしている間、亮はいつもの魔力による殺害を試みていた。だがいざ彼に触れると魔力が霧散し、エーテルへと還る。

 

「……このペンダントが私を守ってくれている」

「そいつは……」

 

暘谷の胸元で輝くペンダント。とてもよく、見覚えがあるものだった。

 

「私が聖光を手に入れた時、共に神から託されたものだ」

「……」

「この聖像のお方が夢の中で私に授けてくれた。これが私の身を守るものだと。神の加護が込められたペンダントだ」

「……」

「君がどれだけ私に敵意を抱こうと、私は君を止めてみせる。君の攻撃を耐えて、君を許してみせる」

 

暘谷の語りを亮は聞いてなどいない。そんな他人の理想などどうでもいい。

 

「一つ聞く。本当にそのペンダントはその聖像になってる者からもらったんだな」

「まさしく彼女は神だ」

「あぁ、そうか」

 

思わず笑みが溢れる。いや、笑うしかない。

 

「くっ……」

「……なにがおかしい」

 

肩を震わせる亮に、暘谷は気味の悪さを感じた。本来、自分はそういう者と向き合うべき存在だというのに。

 

「そうか、そういうことか。まだお前は……本当に……なぁ暘谷。そのペンダント誰のか知ってるか」

「なに……?これは神の物に決まっているだろう」

「ペンダントの裏に親指を押し当てて魔力を流してみろ」

 

気味の悪さを感じつつ、暘谷は言われるがままにペンダントの裏に親指を押し当てて魔力を流した。直後、カチッと音がした。ペンダントの仕掛けが起動し、表側が開いたのだ。そこには切り取られた写真がある。

それを見て暘谷は亮の顔を見る。暘谷の顔はみるみると青ざめていった。

 

「まさか……これは……」

「それは俺のだ。何百年と前に無くしたもんだけど……なっ!」

 

高速を超えた。音速でも足りない。そんな速度で亮は距離を詰める。そして、その速度のまま。

 

「返してもらう」

 

ただ殴りつける。別に神の加護を砕くほどの思いを乗せたわけではない。神の加護による絶対不可侵の聖域を打ち破るほどの想いの力で奇跡を起こしたわけではない。そんなものを彼は持っていないし、これから持つこともないだろう。

ではなぜ砕いたのか。なんてことはない。神の加護を上回るただの力を彼は持っていた。それだけだ。

 

「な、なっガッ!?」

 

威力は神の加護とやらに殺されたものの、それでも亮の拳は暘谷の頬を捉え、吹き飛ばす程度の威力はあった。

 

「せ、聖像に傷が!?」

 

丈夫な体なのだろうか、それともまだ何かしらの魔術が働いているのか、亮の一撃を受けてもまだ意識はあるらしい。

 

「……あああああああああああ神よ……」

「そっちか」

 

どうやら自分が受けたダメージよりも、敬愛する神を象った聖像に傷が入ったことの方が彼にダメージを与えているらしい。

 

「……なるほどな、狂信者は自分よりも信仰対象の方が大切。対象が壊れると信仰者の精神の方に大きなダメージか。覚えとけよ、神様」

 

自分に言い聞かせるようにそう口にする。

ふん、と鼻を鳴らすような声が心から聞こえた。

 

「なんてことだ……なんてなんでなんてなんでなんて」

 

暘谷の呪詛にも似た嘆きの言葉が、しばらく部屋を満たす。その間亮はと言うと、先ほどからの変貌っぷりにドン引きしつつ、暘谷へと歩いて近寄る。

 

「なにが神だよ……」

 

亮の言葉に暘谷の呪詛が止まる。

 

「さ、時間だ」

「っ……!?や、やめろ!私を殺めれば今悩んでいる者達はどうなる!?誰が導いてやればいい!」

「それはそいつらの人生だろ。赤の他人がどうなろうが知ったことじゃない」

 

歩みを止めない。

 

「わ、私なら君を救ってやれる!」

「アホくせえ。あぁそうだ、一つ教えといてやる。その聖像の人物を神だと言ったな」

 

止められるわけがない。これはもう単に手がかりのうちの一つというわけじゃなくなった。

 

「その子は神なんかじゃない。焼き魚が好きで、可愛いものが好きで、編み物が好きで、ブラコンなだけの女の子だ。それくらい知ってから死ね」

 

そして、魔人の両手が暘谷へ伸びた。左手で暘谷の首からペンダントを奪い取り、右手で暘谷の頭を掴み。それで、この戦いは終わった。

暘谷を食らった直後、亮の頭の中に暘谷の記憶がインプットされる。彼の生まれてから殺されるまでの一生が。喜び、悲しみ、痛み、快楽、何もかも全てだ。

 

そう、暘谷の神との邂逅も。

 

「……真衣、ありがとう。もう二度と無くしたりしないから」

 

ペンダントを体内へは取り込まず、手に持ったままエレベーターへと向かう。何百年と生きてきた。だけどやっと、ゲームで例えるなら達成率が1%進んだ。そんな気分だった。



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深淵

「あ、亮お帰りなさい」

 

暘谷を取り込み、目標までの新しい一歩を踏み出し、帰宅した亮を迎えたのは愛菜だ。ドライヤーで髪を乾かしながらテレビを見ていた。

この時間まで彼女が起きているのは珍しい事ではないが、髪を乾かしているのは珍しい。

 

「ただいま。お前今風呂出たのか」

「うん。さっきまでちょっと用があってね」

 

さっきまでとは。時刻は深夜一時半だ。こんな時間にさっきまで用とは。それに風呂。少し思考してハッと思い当たる。

亮は感慨深く頷いた。

 

「そうかそうか。お前にもついに……俺の事は気にせず朝まで遊んでてよかったんだぞ」

「……ん?あー、そういうことじゃなくて、学校の人を助けてきたの」

「なんだ」

 

てっきり彼氏でもできて云々していたのかと思ったが、全然違うらしい。まぁ愛菜は生殖器官も性欲も、ついで言えば亮が与えるまで痛覚すらなかったのだ。そういう行為に及ぶ事はないのだろう。

 

「や、彼氏とか無いから。亮がいるしね」

「俺は気にせず作ってみればいい。大切な人が居ると世界観変わるぞ」

 

いつだって自分が守っていられるわけじゃない。自分は彼女のために自分の全てを捨てられるわけじゃない。自分の全てを捨ててでも守ってくれる相手を見つけて欲しいと思う。

 

「んー、ほんといらないよ。私は亮が居ればいい。他の有象無象は要らないよ」

 

ドライヤーを止めて、片付けながら言葉を繋ぐ。

 

「私は亮が差し出してくれた手を忘れてない」

 

きっと、初めてあったあの日を言っているのだろう。死体の山を背景に蹲る少女に手を差し出した。亮もその記憶を忘れてはいない。

 

「使命とか、そういうのじゃなくて、私はいつだって亮の側にいたいし、亮を守るためならなんだってできる。そう思ってるよ」

 

笑顔で言い切る愛菜。その言葉にきっと揺るぎはなく、本心だ。心からそう思っている。だから不安になる。その笑顔を失う可能性がこの世にはいつだって付き纏っているから。当たり前に続いていく日常に終わりがある事を誰よりも理解しているから。

 

「……飯食ったか」

「んーん、これから作ろうと思ってた」

「風呂出た後で悪いけど、牛丼でも食い行くか」

「うんっ!」

 

あの日もこうして手を差し出した。八年そこらの、自分にとっては最近の記憶が、とても懐かしく思えた。

 

 

 

 

 

 

『まだ弄んどるのか』

 

食事を終え帰宅し、愛菜が自室で眠りについた頃、亮はベランダで夜景を眺めながらタバコを吸い、先程暘谷から奪い取ったペンダントを弄んでいた。

 

『お前も俺ならわかるだろ。これの大切さが』

『まぁの』

 

亮と真衣、それと年の近い男女二人ずつ。彼が苦楽を共にし、大切と言えるもの達だ。あの荒れ果てた世界で魔物と戦い、人と戦い、死んでいった。今ではこのペンダントだけがあの頃の証明。いつだって過去に戻りたいと望んで止まない、彼の形ある目標。

 

『じゃが』

『記憶通り。その日に無くしたというか消え去った。どっかの誰かさんのせいでな』

『……しょーじきすまんかったと思ってる』

 

このペンダントはかつて神だった狐と対峙した際、狐に「浄化」され消えたものだ。

 

『もういいって前も言っただろ。その分、俺だってお前の大切なものも、そもそもお前自身をもらったわけだからな』

『うんむ。ならその言葉に甘ておくとする』

 

吐き出す煙が、夜空へ溶けていくのを目で追う。

 

『あいつ、何考えてんだろな』

『あそこまで神へ上り詰めた存在は、いくら神だった妾でも想像できぬよ』

 

彼女は亮のせいで唯一無二の神へと登り詰めた。個体としての神ではなく、人が「神」と呼んで真っ先に思い浮かぶ、不安定な神として。実体を持たない神、人が知覚できない、なんでもできる神だ。

そんな彼女ならば、わざわざ誰かにペンダントや聖光を託さずとも、直接自分に渡してくれればいい。その過程でもし彼女の姿を瞳に映せるなら、それだけで生きる活力になるのに。

 

『それができないのか。やらないのか。なんにせよ神術や神聖さを持つものを集め、主が神術を取り戻すまではお預けなのかもしれんの』

『先が長え』

 

灰を灰皿に落として再び口をつける。

 

『炎神の聖火、水神の聖水、暘谷の聖光、妾の聖移。はて、主はどれだけ神に近いだけの化け物になるのか』

『神だろうが悪魔だろうが化け物だろうが、事をなせば全部無かったことになる。どうでもいい』

『ん、それでこそ主じゃの』

 

目的のためには手段を選ばず、どんなことだろうと彼はやって来た。折れそうな心をたった一つの想いで繋ぎ止め、そうしてここにいる。狐はそんな彼をどうしようもなく、好いていた。

 

『あ、お前自身をもらったってなんか良い響きじゃない?』

『黙れ』

『んまーた主はそうやって照れて……あ、ちょ、呑まれ……そう言えばなんか久し振りな気があ、いやごめんなさ』

 

うるさい狐を心の闇に沈め、ペンダントの仕掛けを起動し、開く。

 

これを作るのにはとても長い手間をかけた。カメラを修理し写真を現像して、たまたま拾った本の手順に従って一から作った。鉱物はみんなで集めたし、加工も手間暇かけた。

 

「(……くそっ)」

 

写真に映る自分達。戦いのない平和な瞬間を切り取った一枚。そこに映る笑顔の自分。それが今の自分を嘲笑っているように見える。写真の自分は何も知らないだろう。これから大切なものを全て失うことを。だが知らないから笑っていられる。それが羨ましくて、妬ましくて。ペンダントを閉じてタバコを灰皿へ捨て、ベランダから部屋へ戻り、寝れないくせにベッドへ転がった。

また今日も眠れない夜だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

安定装置は王の打ち出す政策の保管や手助けを主な仕事としているが、新世界の安定のためという名目で、王が思いつか無いような提案をすることがあり、その全ては経済のみならず、倫理的にも配慮されており、人々の信頼を集めた。

 

だが、それはあくまで公開できる範囲内での話。安定装置にはそれに近しい者しか知り得ぬ事実がある。これは極一部の限られた人間にしか知らされてはいけない事実であり、知る人は知る事実。そして知る者はそれを守り、また別の者はそれを壊そうとする。

亮は最初にそれを知ってこの世界を俯瞰して見た時、そもそも安定装置自体の存在がとても歪に思えた。どうやら安定装置の役割は一定の安定ではなく、振り子幅のある安定らしい。

ズレなく物の生産と消費を安定させ続けるのではなく、生産が多い日があれば生産の少ない日もある。しかし長い目で見ればプラスとマイナスは0に収束する。そういった結果論の安定。

それを経済だけではなく、世の中の治安にすら当て嵌る。

 

まぁつまりそれがなんだというと。

 

『レッド地区の売人を刈り取る時がきた』

 

犯罪者はある程度の期間、好き勝手できる。だが時期が来れば刈られる。それが公開できない事実の片鱗だ。そんなものが表沙汰になれば世間から安定装置への信頼が消えて無くなる。

刈り取るのが魔人亮と深淵愛菜の仕事だ。問題を大事にせず、確実にこなし、王や安定装置の望む形に収束させる。亡き恩師の後を継いだ亮と、元々そういう用途で生み出された愛菜には、今更そういう行いには何の躊躇いもない。

実のところ、恩師に愛菜を普通の人間として育てて欲しいと言われた亮は、愛菜が仕事をすることには反対していた。それで新世界は一度滅亡の瀬戸際にあった時期もあったのだが、愛菜本人の意志もあり事は落ち着いている。

 

「放置してた奴らか」

 

夕食を終え、リビングでのんびりしていた亮と愛菜は、ナナシからの通話をスピーカーモードで聞いていた。

 

『そうだ。人数は七人。騒ぎも遺体も残さずこの世から消してくれ』

「どっちが行った方がいい?」

 

この程度の内容であれば愛菜でもこなせる。

 

『問わない』

「じゃあ私が」

 

簡潔な回答に間髪入れず愛菜が志願する。

 

「ダメだ。俺の方が早く終わる」

「亮はこの前行ったからいいよ。私もたまには動かないと鈍っちゃうし」

「それならそれでいいだろ」

「やだよ。適度な運動が健康の秘訣」

「じゃ体育でもがんばってろ」

「緊張感を持つことは将来役に立つと思う」

「なら選らばれた論文大会の代表を辞退するな」

「世界の平和のために貢献したい!」

「誰だお前」

 

どちらが行くかで揉める二人。ナナシとして心底どっちでもいい。どうせこなすだろう。

 

『あー、なら二人で行ったらどうだ。深淵は魔人の影に入ればいいだろう』

「ナイスアイデア!さっすがナナシ!」

「余計なことを……」

『両者共、無線の準備をしろ』

 

亮は体に取り込んであるため、無線は勝手に受信する。愛菜は懐から闇を使って無線を取り出し耳にはめる。

 

『今回は敵の中に上位術師がいる。肉体強化、主に脚部だ。逃げられる可能性は万が一にある』

「そのための無線か」

 

確実に案件をこなすために無線を使うことがある。傍受される可能性を考慮して、いつもは携帯電話でのやり取りになってはいるが、今回はそれだけこなさなければいけないものなのだろう。

 

『奴らを放っておきすぎたらしい。麻薬だけなら良かったが、少々問題になるものを開発してしまった』

「なんだ」

 

麻薬だけでも随分問題な代物だとは思うが、そういうものはある種必要なものなのだ。善悪をつけるための必要悪。二代前の王は根絶したかったらしいが、結局残ってしまっている程度には必要なもの。

 

『媚薬だ』

「……は?」

 

思わぬ名称が飛び出した。

 

『性的な興奮を誘発させる薬。注射して血液と共に流す。これは非常にまずい』

「あー、昨日の」

 

愛菜は心当たりがあるそうだ。

 

「なにかあったのか」

「昨日帰り遅かったじゃん?それの関係だったんだ」

「友達を助けたってそれのことだったのか」

 

後手に回ってるらしい。既に流通が始まっているのか。

 

「ンで、お前は?」

「舐めプして注射されたけどなんもなかったよ」

「……そうか」

『それなら話が早い。大元を絶ってさっさと流通を止める。媚薬なんていう男の夢みたいな薬だからな。回るのが早すぎる』

 

確かに止めておくべきものだろう。麻薬と聞くと抵抗感を感じる者は多いし、副作用も広く認知されている。しかし媚薬となると話は違う。真新しい薬は認知度が低いし、媚薬と言われれば麻薬より抵抗感はないはずだ。もし広がれば、これから未来を担う若者達のモラル低下に繋がる。

 

「わかった。それの製造場所は?」

『レッド地区の倉庫街。ちょうど奴らが集まっているはずだ。詳しい場所は移動しながら指示する』

「ン。なら早速行くか」

「うん!久し振りに亮と二人ですな!」

「そうだな。まぁすぐ終わるだろう」

 

携帯電話を閉じて、ソファから立ち上がり玄関から二人で外へ。

 

「入れ。さっさと向かう」

「ん」

 

答えて、愛菜は亮の影へと沈んで行く。本当に便利なものだ。闇と一言で言ってしまえば、曖昧で基準がわからない。実際は影のみならずトンネルや日の光の入らない部屋などいくらでもある。ある一定の暗闇でないと入らないと愛菜は言う。その区別は感覚によるものらしい。

夜の街は完全に彼女のテリトリーだ。一度入られればどこから出てくるのか全くわからない。

 

「行くか」

 

いつもの様に姿を消してからその場で跳ねて、手すりを蹴って屋上まで飛び上がる。その後は膝を曲げてからさらに高く飛び上がる。新世界の天井付近まで飛んでから、手を下に向け魔力を放出することで浮遊する。そのままレッド地区まで一気に飛行する。本来ホワイト地区からレッド地区へ行くにはセントラルを突っ切って行く。当然時間もかなりかかる。

だが、魔人には大した距離ではない。ステルス機並みの飛行速度で空を駆けるのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

レッド地区倉庫街の一角に薬品の製造場がある。基本的に倉庫街には運送会社や保管庫などが多くあるのだが、作った薬品の保管庫も担うとの名目で製造場も作られたらしい。その時点でかなりキナ臭い話ではあるが、裏が取れたのはつい最近なのだ。なにせ薬品の運輸もそこで行うため、製造して即出荷の形を取るからである。

 

「積み込みはそれでラストか?」

「はい!」

 

たとえ深夜でも彼らの仕事は終わらない。裏で違法な薬を使ってるとは言え、基本的にはそんなことも知らずに表の仕事をしているものがほとんどなのだ。

 

「あ、この箱は?」

「それもだ」

 

試供品と記された段ボールもトラックに積み込み、彼らの仕事はひと段落する。

 

「よーし、これで上がりだ。後は時間潰してていいぞ」

 

リーダーの声で各々休憩室へと戻っていく。薬品の運輸場の割には、どうも通常の運送会社のような雰囲気。

 

「衛生どこ行った」

「知らね」

 

その向かい側の建物の屋上に、魔人と深淵は腰を下ろしてその光景を眺めていた。

 

「ナナシ、爆破でいいんだな」

『事故を装ってな。地下の連中は皆殺しだ』

「あそこに見える積み込みのリーダー的なのが上位術師だっけ?」

『そうだ』

 

先程入れていた試供品と記されたものが件の薬だろう。彼はその箱の中身がただの試供品ではないと知っているはずだ。

 

『逃すなよ。製造法を知っている可能性もある』

「わかってる」

 

無線での通信を終え、二人は立ち上がる。

 

「手筈通り。お前がやって俺が爆破だ」

「あいさー」

 

言って、愛菜は夜の闇に沈んでいき、亮は姿を消す。

それから亮はその場から飛び上がって倉庫へと侵入する。何人かが休憩室に入っているので、影があるとはいえ透明な亮に気がつくものは居ない。そのまま倉庫区画を通って、地図にあったブレイカー室へと足を運ぶ。

 

「(これか)」

 

拳で殴りつけてブレイカーを全てオフにしていく。所々から困惑の声が聞こえてきたが、誰かが誤って電気を落としただけだろうとブレイカー室に来る気配はない。全く平和ボケというのもここまで来るとお笑いものだ。

 

「愛菜、行けるか」

「楽勝」

 

電気が消えるということは闇が訪れるということだ。愛菜は最短ルートで影の中を移動し、地下の研究施設移動する。話に聞いていた通り、この時間の研究施設には裏の者ばかりが揃っていた。

卑しく笑いながら衛生も何もない格好で薬品を混ぜるものから、クマのできた瞳でパソコンに張り付く者。大凡まともに薬品製造業務に携わっているとは思えない。

 

「(んー、地下は上のブレイカーじゃ電気落ちないのか)」

 

予想は外れて地下は通常通り通電していた。ここから闇に沈み込み殺害という常套手段は取れないらしい。

地下の見取り図は入手できていない。ブレイカー室を探す。なんていう手間はかけられない。であるならば。

 

「速戦即決」

 

闇から六本の小型のナイフを取り出し、片手三本ずつ持ってなんの躊躇いなく部屋に入る。気配を消すとか、足音を立てないとか、そんなまどろっこい事はしない。

 

「なっ、深え」

 

いち早く彼女に気付いた者は、懐から拳銃を取り出そうとしたが、それよりも早く、愛菜はカーボンナイフを投げる。鋭い切れ味で且つ軽量。寸分の狂いなくナイフは男の頭に突き刺さり絶命する。

 

「後五人全員いる」

 

機械的な冷たい声で人数を確認する。間髪開けずにもう片手で別の者へナイフを投げる。再び狂いなくナイフは胸元へ命中する。

 

「隠れろ!」

 

誰かの声で男達はデスクの下や壁に張り付き始める。なるほどこういう修羅場も潜ってきているようだ。対応が早い。だが、隠れるという行為は深淵には悪手。それは知らないらしい。

男達は各々懐から拳銃を取り出して迎撃の体制を取る。腕だけ出して威嚇射撃をして時間を稼ぐ。

 

「……居ない?」

 

頭を出して深淵の位置を確認した。が、先程まで彼女が居た場所には誰も居ない。この状況で侵入者を見失ってしまった。

 

「どこに……っ!?」

 

その瞬間、喉元が掻き切られた。

 

「ま……さか」

 

気がつく。自分の影が、デスクの影と重なっていることに。

 

「残り三」

 

無機質な彼女の声に誰もが冷や汗を流した。闇と重ねれば殺される。そんな恐怖に全員が怯える。

そして、緊張感に包まれたまま静寂が訪れ、その時がくる。

 

────パチン

と、軽快な音が響いて。

 

「亮、ナイス」

 

声が聞こえて。

 

 

辺りが闇に包まれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「助かったよぅ!」

「なんか時間かかってたからな」

 

誰も居なくなった研究施設にそんな二人の会話だけがある。六人は皆ナイフで急所を切られ刺され絶命して居た。血を流す遺体が六つもある空間で、彼女の快活な声はとても異質だった。

 

「んー、全然電気消えてなかったからさ」

「やっぱ俺だけでよかったじゃないか」

「まぁまぁ、終わりよければそれでいいって」

 

遺体からナイフを回収し、二人でアルコール薬品を遺体に垂らしていく。

 

「んじゃ、先に出てるね」

 

闇に沈んで愛菜は先に研究施設を抜けて製造場から離れる。流石の深淵と言えど生身で爆風に耐える事はできないからだ。亮はその場でタバコに火をつけて、吸って吐き出しつつ、辺りを捜索。

 

「これか」

 

ノートパソコンの画面に媚薬の製造法が映し出されていた。残念ながら亮にはそのデータが外部に持ち出されたどうかわからない。だが分かることといえば、このノートパソコンを物理的に砕いて仕舞えばこのデータは誰も見ることができないということだ。

ガシャッと音を立ててノートパソコンは見えない魔力の手によってクシャクシャに丸められる。

 

「これでいいか」

 

加熱用に使っていただろうガスの元栓を開けてゴムホースを引っ剥がす。そのままタバコをガスへと放り投げ。

 

製造場は爆炎に包まれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぐっ……うぅ……」

 

辛うじて生きながらえた最後の一人は、全身に火傷を負いながら這いながら製造場から離れようとしていた。新しい薬の開発に成功し、これからだと言うところでこのザマだ。自分はなんとか身体強化で爆風に耐えることができたが、これでは中の者達は全滅だろう。

いったい誰が。事故だとしたらなんと言う体たらく。

 

「ちく……しょう」

 

やなりあの馬鹿どもはダメだ。もっと大きい企業にあの製造法を売り込んで、それから。

なんて、考えて。頭を掴まれた。

 

「ぐ、がああああああああああああああああああああああああ」

 

炎が体を包む。詳しいことはわからないが自分の体が燃えているのはわかる。命の危機に際して魔術が自動で働く。驚異的な身体能力で手から逃れようとするも、そんな自分の最後の力すら、自分の頭を掴む手の力には届かない。

 

「ああああついぃ……」

 

次第に悲鳴をあげる力すら抜けていく。意識が消えかけたところで、頭を掴んでいた手の感覚ががなくなる。ついでに自分が投げ飛ばされたことに気がつく。

自分が飛ばされる先の光景を見て絶望する。赤く燃え上がる炎。真っ黒に焦げた同僚達。

 

彼も仲間入りした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「画して未来の若人達の倫理は守られましたまる」

「おう」

 

亮と愛菜は家に帰り、遅めの夕食をとっていた。テレビでは先程の火災が報道されていた。あれは予定通り事故と処理されるらしい。その辺りの手回しは本当に早い。

 

「やっぱり二人で何かするのはいいね」

「……そうだな」

 

元々、彼女はそういう用途で生み出された。

シリアルナンバーMA70E。今はなき「アバターオブダークネス」の成功に限りなく近い失敗作。亮は彼女が仕事を終えるたびに後悔している。これでは恩師、笹塚未菜との約束を果たせていないのではないかと。

 

「……亮、前も言ったけどさ、私はやりたいからやってるんだ」

 

そんな彼の心情を読んだように、箸を置いて言葉を紡ぐ。

 

「あの場所から亮に救ってもらって、当たり前の生活をさせてもらってる。人を殺すのが好きなわけじゃない。けど、私にはその才能があって、それが亮の負担を少しでも軽減できるのなら、私はやりたい」

 

それは何度も聞いている彼女の言葉。

 

「亮が私に道を示して、導いて、私を理解してくれて、心の支えになってくれてるから、私もそうしたい。私も亮を理解して、いつか。私は亮にとってなくてはならない存在になりたい。ただそれだけだよ」

 

何度同じことを言うのだと呆れるのは簡単だ。ただし、誰よりもさみしがり屋な亮にはそんなことはできない。自分に寄り添おうとしてくれるものに、そう言えない。

 

「ン、ありがとう」

「ん、どういたしまして」

 

二人の日常はいつだってそんな感じだ。二人だけの日常はいつまでも続く。そう思っていた。

 

 

 

 

 

 

「……あ……あぁ」

 

愛菜は絶望する。目の前の光景が理解できない。天才と揶揄される彼女でも状況判断が追いつかない。

 

なぜなら。

 

 

 

 

「ん、おぉ、黒いのか。おかえり、じゃったか」

 

白い狐耳の幼女が、最愛の彼の膝の上に座っていたからだ。

 

「なんじゃわれええええええええええええええええええええ!」

 

二人だけの日常が続くと思っていた。なんか一人増えた。



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八代①

「じゃ、行ってくるね」

「ン」

 

三年に一度の修学旅行は二年時の夏前に行われる。ホワイト地区の山岳部にある林間学校が宿泊先だ。闇に身を置く極術使いの深淵と言えど、一応身分は学生。特に予定がない限りは彼女も学校行事には参加する。もちろんなにか非常事態があれば断念せざるを得ないが、亮の方針として、基本的には学業を優先させる事になっている。彼女を働かせる条件としてナナシ達へ通したものだ。極術使いのクローンでも人間らしく生きてほしい。同情心ではない。丸っきりないと言えば嘘になるが、本命はそこではない。

 

かつて、自分をこの世界で生きていけるようにと育ててくれた恩師が、自分にやってくれたように。だがそれ以上に恩師が残した言に従うという、使命にも似た感情。

 

「あ、私がいないからってご飯抜いたりしちゃダメだよ。ちゃんと三食きちんと食べるんだよ」

「わかってるよ。気にしないで友達としっかり楽しんで来い」

「心配なの!」

「だから気にすんなって」

 

しかし、これだとどちらが親なのか分からないなと自分でも思う。

 

「一日三食なんか食べるよ。えーとなんだ、あれ、政府のオススメ摂取量?通りに」

「そこまでしろとは言ってないけど……まぁでもそうだね、それくらいがむしろ丁度いいかもね」

「ちょうどいいってどう言うことだよ」

「そりゃ、亮は私がいないと何も食べないじゃん。だからきっちりしてる方がちょうどいいよ」

 

食事をすることには何の意味もないが、わかったと言った方が彼女は早く行ってくれるだろう。

 

「じゃもう行くけど絶対だよ」

「わかったよ。いってこい」

「うん、いってきます」

 

玄関で彼女を見送り、ソファに座りテレビをつける。テレビではついこの間行われていた健康診断の格付け結果が出ていた。本当に個人情報保護のない事である。

相変わらず順位の変動はなく、ブラスター、深淵、絶対零度の順。炎、闇、氷。深淵の場違い感が否めない。閃光辺りと並べば絵にはなるが、あれは少ない魔力量で最大限の動きを目指した物理特化の人間だ。物理法則やら物体の法則を無視する深淵とは別種。

 

「(絶対零度は宮里由紀だったか)」

 

愛菜の通う高校、ホワイト地区第一高校の一つ上の学年に属しているとは聞いている。なんでも他の極術師と違い、絶対零度程度ではなんの実験にもならないとの事で、彼女は新世界の裏側に足を突っ込んでいない。

確かナナシも宮里由紀を使うくらいならマグナス・スローンの方が何倍も価値があると言っていた。まぁ、どれもこれも所詮は人が辿り着ける領域のものでしかない。マグナスだろうが愛菜だろうが宮里だろうが、魔人亮や、それこそ体の中の狐の手にかかれば赤子の手を捻るようなものだ。テレビの電源を落とし、タバコを吸うためにベランダへ向かった。

いつものようにタバコを咥えて指から火を出し、着火させる。

 

「暇だな」

 

愛菜が居なくなる。別にこれ自体は日頃彼女が学校に行っている時と同じ状態ではあるが、二泊三日。つまりは二日後の夕方にならないと帰ってこない状況は今回が初めてだ。

 

「(仕事があるわけでもないしな……)」

 

心の中でボヤく。こういう時に仕事があれば情報収集等の準備も含め、ゆっくりやればかなり時間を潰すことが出来るが、今は取り組まなければならない仕事もない。世界が至って平和であるのはとても良いことではあるが、他にやることがないので亮としてはもう少し荒れた世であってほしいと思う。

 

『主』

『なんだ狐』

『言わずともわかろう』

 

自分と自分の会話だから彼女の言いたいことは理解できる。だから、亮は心の中で頷いた。暘谷を食らい、聖光という神術を手に入れたからだろう。亮の心情としては、まぁ、やっと今この瞬間という時がきたか。程度の事だ。いつか来るとは思っていたし、来たことに驚きはない。

 

『うんむ』

 

亮の心を完全に理解し、許可が降りたと認識した狐は、動く。

亮の身体が黒く歪み出す。海に様々な要因を揃えた場合に発生する渦巻。それが彼の身体から発生しているイメージだ。そうして渦の中心から静かに手が伸びる。やがてもう片方の手が、腕、頭。浮き上がるようにそれらが出現し、最後に脚が抜けた所で渦が収まる。そうして、人の皮を被ったかつての神が降臨した。

 

「くふふ、久し振りの現世ぞー!!妾は帰ってき」

「うるせえよ白髪ギツネ」

 

両腕をあげて、体全体を使って台詞を吐いたのは今出てきたばかりの旧神。見た目は140cmほどの身長の少女ではあるが、彼女の頭部から生えた白く縦に長い耳。背面の腰のあたりから大きく伸びる九本の尾が普通の少女ではないことをアピールしている。

巫女服に通ずる白と赤の袴。こっちの世界では完全なコスプレだ。狐巫女服。こちらの世界では創作物のお約束キャラと言っても過言ではない。

 

「なんじゃ、ノリが悪いのう主。というか、仮にも神前ぞ。手を合わせて妾を信仰し給えよ」

「お前を信仰した途端、お前の言うことを聞かなきゃいけなくなるだろ」

 

世界にエーテルが溢れ、旧世界にて神聖が意味を持ち始め、それがやがて神となるのは一部の人間のみが知りうる事実だ。が、恐らくその一部の人間でも知らないであろう事。それは、一度人が神を信仰するとその神の恩恵を得る代わりに、その神に絶対服従を誓わなくてはならない。それは魔人である亮も例外ではない。力ではどうにもならない神が制定したこの世のルールだ。

 

「……ンなことより、マジでもういいのか」

「うんむ。伊達に主の魔力を貪り食っていた訳では無いよ」

「貪り食ってた自覚あったのか。……ンじゃお前もう帰れ」

「……ふぁっ?」

 

突然出たそんな言葉に、狐はコクっと首を傾げた。

 

「お前を取り込んだのは、あの時ただ力が必要だったからだ。傷を癒すのに取り込みっぱなしにしたのはその返しみたいなもんだ。それが終わったんなら、早くあの社に帰れ。別にもうなんも困りゃしないだろ。こっちも、お前の有無は誤差すら生まない。あの件を通してわかってると思うが、邪魔にならばいつでも消すぞ」

 

ただ淡々と伝える亮。言外に邪魔とまで言っているのは、誰が聞いてもわかるだろう。

 

「……妾はもう不要か?」

「おう、あの時は助かった」

 

狐が敢えて確認し、亮が即答する。

 

「……出て行けと?」

「おう」

 

また確認して、即答される。

 

「……やだ。やだ、絶対やだ」

「……は?」

 

いつもの口調を忘れて、涙を流し始める狐。

 

「やだ。絶対やだ。帰らない。主の中にずっといる」

「いや、だから……っと」

 

亮が口を開いた瞬間、狐が亮に飛びかかった。

 

「入れろぉぉぉぉ!妾を中に入れろぉぉぉぉ!」

「……はぁ……」

 

タンタンタンと両拳で亮の胸板を叩いて泣き叫ぶ。もうなんか九尾の狐として威厳とかそういう格的なものが消し飛んでいた。

 

「やだもう向こう誰もいないから寂しいもんー!!戻るなら主も、亮も来るの。来て。一緒じゃなきゃやだ」

「……さっきまで神前がどうとか言ってたヤツの言葉かこれ」

「知らない。神様返上する」

 

魔力を持った八体の狐を喰らい、社に放り込まれ魔除として信仰され、やっと成り上がった神としての地位を返上してまで一緒にいたいらしい。

無理矢理彼女を帰すことは容易い。どれだけ暴れられようが力で押さえつけた上で運んで置いてくればいいだけなのだ。以前の神としての狐であれば一筋縄ではいかない、難しい話だが、神聖さを亮に吸われ、九尾の狐である彼女を黙らせるのは容易い。

だが、亮はそれをしなかった。

 

「……わかったよ。じゃこれからは今までの話はなしだ」

「一緒にいていいの?」

「ン」

 

パァァァァっと笑顔が咲く。彼女の中身は亮と同じく相当歳を食ってるため、年相応の笑顔。とは言えないが、その外見相応の笑顔だった。

 

「主、では今度から妾は主のなんだ……ペット?ペットってやつになるぞよ」

「愛玩動物か」

「その、あいがんどうぶつ、というのが何かは分からぬがペットよ。よって、主には名前をいただきたいのじゃ」

「……狐?」

「それ以外の!」

 

亮にその発想はなかった。今まで彼女は一心同体。完全に心を通じあわせてきた仲だから。自分で自分に名前をつけるなど意味のわからないことをしたことはない。

だから彼女に名前をつけるなど、想像したこともなかったのだ。

 

「ン……」

「なんか悩まれてると、愛されてる感が出てよいものよ!」

「フォックス」

「主、こう言った直後に安直な名前を付けられるのは照れ隠しと解釈してよいのか!?」

「ンなわけあるか。逆に聞くが名前つけろとか唐突言われて付けられるもんか普通」

「うむむ、確かに言われてみると……」

 

今回は愛菜のように参考になるようなものがあるわけじゃない。変な社に住んでただけの狐の神だ。人類のほぼすべてと言っていいくらいの知識を保有する亮ではあるが、名付けというものは知識よりも才能の方を必要とするものだった。

 

「神と狐を併せてゴックスとか?」

「雌の名前の最初の一音をゴから開始させ且つ安直すぎる名前をつけるその勇気に妾は敬意を評するわ!」

「そう言われてもな……本気で思い浮かばないんだ」

「くぅ、なんだこの歯痒い感じは……」

 

目頭を押さえて亮の回答を待つ狐。旧世界で初めて会った時、彼女は神で、神としか呼ばれていなかった。名前という概念を彼女は知らない。とても楽しみで、すぐつけられるもの。すぐ終わるのに時間がかかるのは、なんだかむず痒い。

 

「あー、じゃあれだ、やしろでどうだ」

「やしろ……字は?」

「お前が居たとこの社でもいいが、音的にやしろがしっくりきたな。字はなんでもいい」

「そうか、では八の代わりと書いて八代にしようかの」

「……そうか」

 

彼女なりに自身を除いた八匹に思い入れがあるのだろう。八匹の代わりに。悪くないと思った。

 

「なら八代。あの時は悪かった」

 

しっかり八代の目を見て、亮は謝罪をした。

 

「あの日のこと……かの」

「あぁ。俺はあの時、お前達を騙し、水神とやりあって。あの瞬間、間違いなくお前が消えようとも気にしてなかった」

 

人と魔物の共生を願って、それに勤めていた八代。彼女や、彼女を慕う魔物達を騙し、旧世界のツートップの片方にぶつけた。その結果がコレだ。八代は慕うもの達を失い、つい先ほどまで自分の形すら失っていた。

 

「うんむ。そういうつもりだったというのは、主の中に入ってよう伝わった。けれどの、主。謝るのは、妾の方じゃ」

 

糾弾されることはあれど謝られる道理はないはずだ。

 

「……理由は?」

「妾は唯一、主の全てを知っておる。主がその一生でどれだけ苦しくて悲しくて、寂しい人生を送ってきたか、全て。魔物だけではない。救われるべきはもっと他にいた」

「……」

「妾は、何もできぬ。主に対して慰めの言葉を送っても、それは全て意味がないことを誰よりも理解しておる。主のその苦しみは、主が最も会いたい存在にしか柔らげることはできぬ。全てを知りながら何もできない。九尾の狐だとか、神だとか、そうは言っても人一人救えぬ。妾は主に救ってもらったと言うのにの」

 

八代と離れ、言葉で想いを受け取る。自分ではなく他人の言葉が突き刺さる。

 

「人は人を救えない。主がそう思ってるその言葉の意味。妾はよく理解できるぞ。けれどの、妾は主に救われた。諦める。自分のために生きるという選択肢をもらった。だから……なんじゃ」

 

うーんと考え、まとめ、言葉を紡ぐ。

 

「妾は自分のために主を救いたい。あれじゃ。主が黒いのに対してそう思ってるようにの」

「……そうか、ありがとうな」

 

贖罪。償い。使命。そんな崇高な目的ではなく、そうできたら自分が嬉しい。そのために行動する。そんなところだ。

 

「それに。こうして主を助けていれば好感度が上がる可能性もなきにしも」

「あらずだ。来世から出直してこい」

「え、来世ならわんちゃんあるん?はまじ?」

「言葉の綾だ。マジで黙ってろ」

 

何が悲しくて年齢三桁声の動物と添い遂げなければならないのか。それを言ったら自分もそうだが、せめて人類がいい。

 

「つーれないのー」

 

頬を膨らませて、体を傾けて亮の膝に頭を置く。

 

「……なにしてる」

「んー、いや、いいもんじゃなと。触れ合いというのは、なんというか、ありきたりじゃが……暖かい」

「……」

 

鼻で笑って八代を押し退け立ち上がる。

 

「どこか行くのか?」

「タバコ」

「お?ん?照れ隠しか?そう受け取っちゃってよいのか?」

「黙れ八代」

「くっ、肉声で罵倒されるのも中々新鮮じゃなの!」

「……うぜぇ」

 

こうして、旧世界にいた時以来、二人は顔を見て会話をするようになった。旧世界の魔物の神の一柱と、それらを平らげた魔人。そんな二人きりの二日間が始まる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新世界のどこかで主人公を見守る誰かが気がついた。

 

「ん?」

「どうしたんだ」

「ごめん、なんでもないよ。早く行こう」

「おう。おーい、双海!飛鳥!正輝!お前ら早すぎるぞ」

 

学校の林間学校。バスに乗り込むために学校からターミナルまでの道のりで、ふと足を止めたのは異変に気が付いたからだ。

 

「がんばれ、亮」

 

彼女はいつだって応援している。たとえこの先、彼が努力し仲間と築き上げて行くだろう生き様の全ては結果に結びつかないことを知っていても。この世で唯一神の知る運命を壊して奇跡を起こせるのがそこにいる彼だけだとしても。

それでもただ彼を応援する。彼をただ愛しているから。



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八代②

「のう主。妾めっちゃやべぇ問題に気が付いたぞ」

「……一応聞くがなんだ」

 

人のことは言えないが問題だらけだろうというツッコミは控える。

 

「妾、服がこれしかない」

「……そういやそうだったな。けど外に出なきゃいいだけの話だろ」

 

まぁ確かに獣耳に九本の尻尾に幼女体系という、かなり気合の入ったコスプレイヤーみたいな格好の者と一緒に外を歩きたくなどないが、家に閉じこもっていれば格好など気にしなくてもいい。外出する用があれば、愛菜にもきちんと事情を説明し買ってきてもらえばいいし、最悪再び八代を取り込めばいいだけの話だ。

 

「えぇ、主、妾久し振りに実体を持って歩いているわけよ。お散歩ぐらいしてみてぇわなのじゃ」

「なら行ってくればいいだろう」

「空気読めよ!主と一緒に行きたいってことよ!それともあれか、主は鈍感系主人公なのか!?」

「遠回しに嫌だって言ってんのわかんねえか」

 

何年も一心同体を続けているのだ、彼女が自分に好意を抱いているのは知っているし、彼女もそれが受け入れられるわけがないというのも知っているだろう。

 

「よいのか主。有る事無い事喚き散らして二度とその顔で表歩けないようにしてやるぞ」

「顔くらい変えられる」

「ちぃ、本当に空気読めない奴じゃのう……」

 

本当の主人公ならばこういう些細な脅しに乗って渋々、やれやれというのがテンプレだろうが、主人公ですらない人外にはそんなお約束は関係なかった。

 

「……あぁ、忘れとったが主、数量限定の卵と秋刀魚買いに行かんでよかったのか?」

「お一人様一パックだったろ。それなら夕方のタイミングで行った方がいい。コスパ的には夕方の一パックを二つ買う方がいい」

「今なら二人だから二パック買えるのじゃぞ」

「準備しろ八代。服はひとまず愛菜のを借りればいい」

「金に困っているわけではないのにこの執着様はなんなんじゃろなぁ」

 

前深淵、笹塚未菜がこういう事に対してにあまりにもズボラだったために魔人の主夫力は高い。並大抵ではない家事スキルに、世界で最高の知能でコストパフォーマンスを割り出し、節約をする。旧世界で生きてきた身として無駄遣いに過敏な亮は、全て計算尽くで家計を立てるのだ。

 

「あるじー、服がダボい!」

 

愛菜の部屋に入り服を漁っていた八代からそんな声が聞こえた。

どうやら服選びに手間取っているらしい。

 

「半袖着てスカートでいいだろ。七分袖にロングスカートになったと思えばいける」

「それだと腰が緩い上に組み合わせが」

「知らねえよベルトしろ」

「これでも妾は雌なんじゃがっ!」

「考えたこともねえ」

「んなっ!?」

 

その後も口論をしながらもなんとか八代が出てきた。基本的に愛菜は亮の好みに合わせてか黒い服ばかり持っていて、先程まで八代の着ていた白い巫女服とは真逆の格好だ。

 

「どうじゃ主、似合っとるか?」

「知らん。ンなことより耳と尻尾消せ。スカートの中見えるし、そのまま外を並んで歩くとかごめんだぞ」

「ぬぅ、しかしそれでは妾のチャームポイントが」

「なんなら切り落としてやろうか」

「はーいすいませんでした」

 

力ない者は力ある者に従うしかない。悲しいかなこの世の理である。

八代は言われるがままに尻尾と耳を一瞬で消し去り、まともな人間らしい外見に。そうしてやっと準備が整う。

 

「よし、お前も俺ならわかると思うが戦場だ」

「お、おおう」

 

確かにと記憶からあの光景を掘り返す。タイムセール、限定という言葉の前に人権はもはや存在しない。商品を手に取り精算を済ませた者だけが勝者なのだ。

亮は顔を変え、体を大柄な男にして準備を整える。

 

「行くぞ。ついてこい」

「(なんか、主、いつも以上に気合い入ってないじゃろうか。というか、妾とやりあった時よりやる気満々じゃん?)」

 

スーパーのタイムセールに劣ってると思うと、なんだかやるせない気持ちになった八代だった。

 

 

 

 

 

「うむ、まさか卵と秋刀魚どころかお肉もゲリラセールだったとはな」

「ンー、これだからあのスーパーは侮れない」

 

見事タイムセールを制した魔人と九尾はマイバッグをそれぞれ片手に、並んで会話をしていた。

 

「開店待ちも今日は一段と多かったの」

「あぁ、強奪のサチ子に強襲のマサ子。オマケに剛腕のカヨ子まで居るとはな。まさに歴戦の猛者の凱旋だった」

「何言うとるん主。人食らいすぎてついに気でも狂ったか」

 

何千何万人もの人の記憶や感情を自分のものとする魔人。現になりかけの時はその記憶や感情に苦しめられていたものだ。

 

「そういや八代に食欲は?」

「あることにはあるが食わずとも。主と同じよ」

 

食事は娯楽であり生きて行くのに必要はない。どれほど強力な存在であっても飢えには勝てないというが、魔人や神には必要ないという事だ。

 

「じゃが主の手料理は食べたいの」

「まぁ久し振りの食事だろうし作ってやろう」

 

彼の体を通してどういう味なのかわかっている。けれど、自分の舌で味わってみたい。はっきり言って無意味な事だ。そんなことはわかっている。それでも自分だけの意志と体でそれを食するというのは、きっともっと、いいものなのだ。

 

「のぅ主、妾は手を繋ぎたいのじゃ」

「なんでだ。混雑してたさっきならまだしも今なら手を繋ぐ理由ないだろ」

「そうじゃの、しかし理由のない無意味な行動というのもたまには悪くない」

「まぁ、いいか」

 

八代から差し出された手を、亮が取る。

 

「……ん、悪くないの」

 

彼女とは長い付き合いだがこうして並んで歩いたのは初めてだった。彼女が神だった頃は直ぐに敵対し、そのまま彼女を自分に取り込んだからだ。あの頃、周りなんか本当にどうでもよくて、神聖の手がかりがあれば何も考えずに、狂ったように食らい尽くした。世界を周り、なんの手がかりも無くなったところでやっと彼女は自分と会話をしてくれた。

悪くない。言葉で表すことは難しい。きっと彼女もそんな気分なのだろう。亮はこの無意味で何の価値もない、ただ無駄に時間を消費するのを、たまには悪くないと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

案外その無意味な時間も一旦終わりを告げるのは早かった。帰宅して昼食をとり、二人でまったり寛いでいたところでナナシから着信があった。もちろん、仕事の依頼だ。

 

「なんか最近頻度多くねえか」

 

基本的に仕事は一ヶ月に一度あるかないかだ。丸一年ない時もあった。それがこうも立て続けに来るのは珍しい。

 

『そこは我々も疑問に思ってるところだ。なにせ今回も殺害だからな。こんなに殺しが続くと少々今後が心配だが、まぁいつも通り安定装置からの依頼だ。もちろん遺体もこの世に残すな。そいつらのDNAは新世界に要らないらしい。あぁ、今回は記憶も要らない。座標を送る、その建物内にいる人間全てを殺害しろ』

「はいよ」

 

突然の仕事だが、内容は簡単でさして困るものではなかった。追跡やら尾行やらとなると時間がかかって面倒この上ないのだが、相手の居場所が割れてる上での発見イコール終了はとても楽なのだ。

しかし、人数が多い今回の仕事は手応えはあるが心配が残る。建物ごと破壊していいのであればなんの問題もないが、それができないとなると手間だ。中に入って片っ端から、見つからずにやる必要がある。しかし手間なだけでできないことはない。

 

「ふむ、ちょうどいいの。主!今日は妾がやってみよう!」

「なんでだよ。時間かからねえかそれ」

 

遺体を残さず処理であれば、発見次第、敵を魔力で掴み体に取り込めば済む話だ。周りになんの被害も出さず、確実に終わることができる。八代がそれ以上に有効な手段を持っているとは思えなかった。

 

「妾、久し振りに体を持って動くからの。たまには自分の力を振るいたいのじゃ。向こうと違って、こちらは平和すぎる」

 

確か、彼女は自分の集落に仇なす魔物や人を何十年も屠ってきた実績がある。平和ボケしたこちらの世界の者を処理できない道理はないだろう。たとえそれが何百年のブランクがあったとしてもだ。

 

「だが」

「主よ、心配してくれるのは至上の喜びではあるが、妾ならば全く問題ないぞ」

「あー……まぁそこまで言うなら任せる。一応ついては行く」

 

亮の心配は彼女の調子がどうとかそういうものではなく、やりすぎた結果、周囲の建物にまで被害を及ぼすことだが、日頃の自分の体を通して仕事を見てきたのだ。杞憂に終わるだろう。

 

「んー、主、お願いがある」

「なんだ?」

「建物すべてに、あれよ。ばりあーを張って欲しいのじゃ」

「……あぁあれか」

 

旧世界で食らった誰かがそんな魔術を持っていた。対象に対して膜を張り、全ての攻撃を無効化すると謳っていた。実際は亮の攻撃には耐えきれず破壊されたため、彼の能力になったのは言うまでもない。

 

「妾の攻撃で破壊されないものを頼む」

「おいお前どこまでやる気だ。つーか、それ相当労力必要なんだが」

 

その気になれば惑星一つ破壊できる攻撃を完全を抑えつける膜。張ろうとするならばそこそこ魔力を使う必要がある。それでもそこそこで済んでしまうあたりが魔人亮だ。

 

「建物も破壊できんように頼むぞ!」

「はぁ、わかったよ」

 

そのまま出入り口まで塞いでしまえばいいだろうと考える。確かにそうすれば中で何をしようと関係ない。誰も出入りできないのだから。

 

「んじゃ、行くかの!!」

「まだはええよ。真昼間からするわけねえだろ」

「ぬぅ、そういえばそうじゃった」

 

仕事熱心なのは結構だが、先が不安だ。

 

「楽しみじゃの」

 

体の感触を確かめるように手を開いて閉じる。久し振りの体で久し振りの戦闘を前に興奮気味な様子だ。たとえ相手が自分には及ばないゴミだったとしても、自分の体で動く。それそのものに楽しさを感じているのだろう。

 

「どうせすぐ終わる」

「それはどうかの。土壇場になって奇跡を起こし、進化し、超えて来るかもしれん。それが人間というやつじゃろ」

「お前も俺に似てきたな」

 

彼女のその言葉は、いつも亮が思ってることだ。人の力の凄いところはそこにある。

生存本能、守りたいもの、譲れないもの、負けられない理由、誰かのため。なんでもいい。強い意志があれば神にも匹敵する奇跡を起こして窮地を脱する。もしかしたら自分を殺してくれるかもしれない。亮はいつもそれに期待している。

 

「当たり前じゃ。妾は主なのじゃからの」

 

そんな八代の言葉を鼻で笑う。九尾の狐の再誕祭はもう少しだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

月が綺麗な夜だった。ホログラフィックのくせに実物と遜色ない。見慣れた絵ではあるが、今更そんな風に思う。

 

「妾に相応しい夜じゃの」

 

いつもの巫女服に着替えた八代は亮と共に今晩の戦場である廃ビルの前に立った。ここまで来るのに車を使ったので、歩いているところを通報されるようなことはない。

それにしても、この現代風景に巫女服の違和感が半端無い。

 

「それでは主、手筈通りに頼む」

「あいよ」

 

八代がビル内部へ侵入した後に手でビルの壁に触る。初めて使う魔術だが、使い方は彼の中の誰かが知っている。無色透明の魔力の皮膜がビルをコーティングするように張り巡る。これでこのビルから出られるものも入るものもなくなり、密閉状態になる。今頃内部では停電に加えてガス、水道、ネットワークからも切断されているだろう。

 

「……まぁ、大丈夫だろ」

 

八代の光線に耐えられるか少々心配ではあるが、彼女の神聖さは亮に取り込まれた事でほとんど消失している。今の彼女に二つ名をつけるなら、魔獣の神、九之枝の一柱ではなく、九尾の狐だろう。

ならば破られることはないはずだ。

 

「ン?灰皿か」

 

だから紫煙を吹かせて待つことにする。彼女の巨大な魔力をもし見失うことがあるならば自分が行けばいい。その時は笑って仇討ちをするとしよう。ないだろうが。

 

 

 

 

 

 

「おい、どうなってんだ」

 

男はブレイカーが落ちているのを確認して、元に戻したのに電気が通らないことに喚く。

 

「水道もダメだ」

「ガスもつかねえぞ」

 

それぞれこの状況に対する言葉が交差する。

 

「そろそろ拠点の替え時だろうな。一度本拠地に戻る必要があるかもな」

「廃園か。親父はこええからなぁ」

 

元々ここはとある組織の仮拠点でしかない。そして彼らも下っ端の一部でしかないわけだが、それでもこの拠点もいずれは買い取った後に事務所として使用する予定だった。

 

「全部止められたってことは、俺らの存在が勘付かれたわけだ。諦めろ」

 

そういうことなので、さっさと退散し、次の仮拠点候補を聞き、移動するしかないのだ。

 

が。

 

「お邪魔するのじゃ」

 

そこに、堂々と巫女服のケモ耳幼女が現れる。

 

「……おいおいおい、ここはイベント会場じゃねえぞ」

 

突然の怪しい来客に驚きつつも、見た目からそういう警戒はない。

 

「上が俺らのお楽しみように回してくれたんじゃねえですかね?」

「こんな餓鬼回してどうすんだ。そういう趣味あるやついるのか」

「俺っす」

「いるのかよ」

 

実際は世界の誰よりも長寿だが、そんなことは知る由もない。

 

「ここには何人おるのかの?」

「八人だ。悪いが今はそんな状況じゃ」

 

男の言葉を遮る様に、彼女が右手を挙げた。

 

「さて、やるかの」

 

廃ビルの一室に彼女の声だけが響いた直後。

 

「……まずい」

 

彼女の背から八つの狐の顔の骸が湧いて来る。白い狐の顔の骨は浮遊し、光の宿らない瞳でそれぞれ敵と定めた男達を見据えている。その異常な光景は、正しく魔物。

 

「加減するのじゃぞ」

 

その言葉を皮切りに、狐の顔の骸の口から黒い光線が放たれる。

それはただの魔力だ。有り余るほどの魔力。本来無色透明で、そのものには害のない魔力。人の血液と同じで、消費されるものではない魔力。

 

ーーーーバン!

という耳をつく様な破裂音が響く。それは男の一人に命中し、塵芥残さず彼をこの世から消失させた。

 

「ん?色が違うの……主の影響か」

 

かつて自分が使っていた時は白かったが、誰かさんの闇に浸りすぎたせいか、はたまた神聖さが消えたせいか禍々しい黒へと変貌していた。それに威力も落ちている気がするし、浄化の力は感じられない。破壊の光線に変わっている。

 

「やべえぞ!」

 

男達はそれぞれ机に隠れたり、反撃ために拳銃を持ち出し彼女に向けて発砲する。

 

「おっと」

 

被弾しそうになるが、狐の骸が彼女の盾となり防ぐ。

 

「行くのじゃ」

 

八つの骸はそれぞれ机に向かって口を開き、放つ。残念ながら机なんてものは破壊の光線の前には盾にすらならない。机ごと人を消し去る。

 

「くっそ!なんだこれは!」

 

あの停電やらはこのせいか。とも考えるが、それどころではない。こんな魔術があってたまるかとも思う。が、それもそれどころではない。拳銃が通用しないものに対してどう立ち回り破壊すればいいのかがわからない。

 

「俺が相手する!そのうちにお前らは逃げろ!」

 

その場のリーダーが叫んで机から立ち上がった。その瞬間に魔術を使い、炎の球体を八代に向かって飛ばす。当然それは八代に当たることなく、狐の骸の光線に消される。ついでに光線はその男を消し去ろうとするが、右に転がって間一髪避ける。

 

「叔父貴!」

「いいから行け!」

「まぁ、全くなんとも微笑ましい光景じゃの」

 

さっきから放つ八代の光線は亮の張った魔術を貫通しない。そこそこの出力で撃っているのだが、破れることはなさそうだ。ならばきっと、彼らはどこに逃げても逃げられないだろう。

 

「(ほんと主はどうかしてる)」

 

この力で魔物の頂点に立ち、魔物の信仰を集め神格化したというのに、それをこうも簡単に止められるとは。

 

「(……妾じゃ主は殺れんか)」

 

八代の顔に一瞬影がさす。その瞬間に。

 

「うおおおおおおおお!」

 

隠れていた誰かが八代をナイフで刺した。

 

「……ん?」

「や、やった!」

 

脇腹を貫かれた。一瞬を気を抜いたらこれだ。気配を消した相手に不意を突かれる。

 

「バカ離れろ!」

 

誰かが叫んだ。なるほど、彼は分かっている。この程度で死なないことを。

 

「え、なん」

 

刺した者に右手を向けて、そこから光線を使う。床を破壊しない様に、顔だけ。

ナイフを手で抜いて、投げ捨てると傷口はすぐに塞がった。

 

「全く……手応えがないの」

 

そろそろこの遊びにも飽きてきた。あまり主を待たせるわけには行かない。そろそろ終いにする。

 

「適当に頼むぞ」

 

八代は足を翻し、部屋から出る。まだ上のフロアにもいるかもしれない。ならばさっさとそちらも終わらせる必要がある。

八代の命令で、狐の骸は部屋を縦横無尽に飛び回り、的確に敵を消滅させて回った。後には悲鳴と破裂音だけが響いていた。

 

 

 

 

 

 

 

「待たせたの」

「ン、お疲れ」

 

ちょうどタバコを一本吸い終えた頃に、八代は階段から降りてきた。

 

「案外時間かかったな」

「少々遊びすぎた」

「遊べる相手だったか」

「まぁの」

 

こちらが床や天井に対して攻撃しないとわかると屈んだり、色々と対策を取って攻撃してきた。何人か飛び降りて逃げようともしていた。まぁそれすら叶わなかったわけだが。

 

「やはり人はすごいの。諦めない」

「まぁお前が一人取り逃がすほどにはか」

「ん?」

 

亮が顎で指した方向に人の首だけが転がっていた。これは階段から降りてきた人のものだ。逃げられると思ったのだろうが、逃げた先には亮がいた。希望を寸のところで消された残念な男だ。

 

「手間をかけたの」

「構わねえよ」

 

魔力でその首を自分体に触れさせ、体に取り込む。

 

「他も終わりのようじゃ」

 

言葉の直後、階段から狐の顔の骸が降りてくる。

これで全て終了だ。灰皿にタバコを捨て、壁に手を当ててバリアを消す。そのまま二人は雑貨ビルを出て車を停めた駐車場まで並んで歩く。

 

「そういやなんで九尾の狐なのにこれは八個顔なんだ?」

「外界の世界の伝記で九尾の狐というものは、魔力を蓄えた狐が九本の尾を持つと言われておったからじゃが、生憎、妾は魔力を蓄えた訳ではなく同士を八体食らっただけよ。だから、尾も九つあるが、顔も九つある。奴らの八つの頭と妾の頭を合わせて九つよ」

 

要はアプローチの違いから生まれた違いだ。九尾になるのに自然と魔力を蓄えたのではなく、魔力を持った狐を八体食らったから自身と合わせて九。本来の九尾の狐であるなら九つあるのは尾だけだが、この場合は顔も九つある。

 

「しかしそんなことは毛ほども問題ではない。重要なのは、九本の尾骶骨が動くより、八つの顔の骨が動いている方がカッコよい!」

「あぁ、そうかよ」

 

その実は果てしなくどうでもいい理由であった。




前書きと後書きって何書けばいいんですかねぇ


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第一危険人物情報

当記録は新世界を破壊できるとされる者の個人情報です。これらの情報の流出は、新世界に大混乱を招く可能性があります。この情報の閲覧は、セキュリティクリアランスSクラス以上の職員、またはSクラス職員に許可書を貰い、安定装置から認可をもらったAクラスの職員(そのSクラス職員の同伴時)のみ行えます。情報の持ち出し(撮影、メモなど)は禁止されております。閲覧後はその場で脳波制限と対記憶操作魔術用の魔術をかけます。これらの情報を閲覧者の記憶だけに留めておくための処置です。

 

上記の内容を理解の上、閲覧の準備が整っている場合は画面をスクロールしてください。お使いの端末があなたのクリアランスを自動で判別し、条件を満たしている場合は情報が閲覧できます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アクセス完了。ようこそ

 

 

 

 

 

 

 

 

根本 亮

 

年齢不明(推定10900〜12000歳)身長175cm、体重5kg

術位:未登録

使用魔術:バーナー(極術相当)、ウォーター(極術相当)、ウィンド(極術相当)、バリア(極術相当)、ハンド※①

現在確認できている魔術はこの五つのみ。追加情報があり次第、Sクラス職員が随時追加してください。

 

全世界にて最も強力な存在です。海底、極寒、マグマ、宇宙、如何なる状況下でも死亡が確認できず「弱る」という概念を持ちません。本人曰く、元は「ちょっと他の人より強い」程度の存在でありましたが、旧世界でのとある事件(恐らく炎神との戦闘。現在調査中)にて生物を超越した模様です。

18歳の時に魔人※②化。成長がそこで止まりました。現在も当時と同じ外見ですが、顔に限らず自分の外見を自在に変化させるので確証はありません。

また、取り込んだとされる魔物の力を借り、体内から狐の顔の骸を用いた攻撃も存在。それから放出される魔力による光線は、現在防ぐ方法がありません。

 

彼の思考は極めて極端で、MA70Eに関しない限りは世界に害をなす事はありません。当社からの指令には従順に従います。住居はホワイト地区、唯一の書物保管庫です。

 

旧世界より来訪した唯一の魔人で、以前は二代目深淵、BS59Cと共に生活していました。彼女の死後に彼女が管理していた書物保管庫を引き継ぎました。

後に三代目深淵、MA70Eを回収、共に生活を始めると共に現在は1867代目の王の命により安定装置の最終防衛ラインを担当。

 

 

①不可視の魔力です。魔力を自在に動かしていると本人は語ります。彼の戦闘データを集めた結果、手のように掴む事を主要に扱う機会が多いため、ハンドの名称になりました。

②旧世界にて何人か確認された存在です。膨大な魔力を持ち、強力な身体能力を持つことは広く知られています。真に恐ろしいのは身体能力ではなく、魔人の持つ固有の能力である捕食です。口径からの摂取ではなく、対象を体に接触させることで質量を無視し、取り込みます。そして取り込んだ対象の記憶、固有能力、魔力をそのまま蓄えます。蓄えたものはいつでも自分の体外へ放出、複製も可能です。詳しいデータは「魔人」の項目を参照してください。

 

 

 

 

根本 愛菜

 

年齢17、身長162cm、体重不明(本人の都合により)

術位:極術師

使用魔術:深淵

 

魔人亮に次いで警戒されるべき極術師です。二代目深淵が初代深淵の体細胞から生み出されたのに対し、こちらは二代目深淵の体細胞とアバターの細胞使って生み出されたクローンです。前任者の代でも未だに全容の掴めない深淵の解明。二代目深淵の消失により空きとなった安定装置の防衛。当社の請け負う仕事の全う。その三点のために生み出された存在です。

 

レッド地区の研究施設にて製造。同じ失敗作のクローン等を栄養源として生活していましたが、魔人の手で人間と同じ生活を始めました。当社の元で魔人と共に暗殺、強奪などの仕事を担っております。

 

魔人に害をなすような事がなければ当社を敵視することはありません。

 

ホワイト地区第一高等学校にて学業に従事。深淵として能力の一部を使用せず生活することで、表面上の交友関係を築いています。

 

魔人よりも脅威度は低くありますが、深淵という魔術が未知数のため、軽視することはできません。

 

四十歳と二ヶ月七日後に死亡する予定です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

七尾 真衣

 

未入力



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魔人と九尾と深淵

その日は照りつける日差しが鬱陶しいくらいには快晴だった。友の一人がいつものように辺りの調査に向かい、何かあれば自分たち主力メンバーで回収する予定だった。

犬の魔獣の気配もなく、全て滞りなく、いつもと同じ、些細な日常になる。ハズだった。

ここは別の集落、しかもあの炎神を信仰する者たちの狩場で、自分達は土足で踏み入ってしまったのだ。なんとか敵を退け、撤収しようとした時。誰かが彼女に向かって火を当て、殺害しようとした。それに激昂した自分はその誰かを殺してしまった。

 

それが神の逆鱗に触れた。

 

仲間達は、家族は、兄弟は、みな炎神の神聖な炎に浄化された。そして、無限に思えるような戦いの末、自分は彼女と力を引き換えに炎神を食らった。

たった一晩で自分は全てを失った。彼女がどこかで自分を見守っているのはわかる。けれどもうきっと、並んで歩くことはできないし、家族達と過ごしたあの時間に戻ることもできない。

 

世界が自分の全てを奪った。自分にとって、彼らが居てこその世界だった。彼らのおまけでしかなかった世界が、彼らを奪った。

 

もう一度、あの時間を取り戻す。そのために彼は世界を歩いた。人を殺し、魔物を殺し、神を殺し。孤独に苦しみながら、それでも狂うことは許されない。

彼は過去にしがみつく。過去を見据えて、後ろを向いたまま前に歩く。見つめる過去は後ろにあるのに、そこへ行くことはできない。

けれど信じている。きっと、いつか戻れると。それがまだ、果てなく遠くても。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

八代の初陣を終え、遅めの夕食を取った後、入浴を済ませ、自分で淹れたこだわりのコーヒーを飲みつつ、下のフロアから持ち出した本を読んで居た。

読んでいる本が文学系であれば絵になるような優雅なものだが、表紙の二次元美少女と「幼馴染に甘く起こされてたい」というタイトルがそれを許さない。

 

「ン、やっば幼馴染だな」

 

感慨深く頷きつつ、コーヒーを啜る。彼の性能上、本を一度取り込んでしまえば一瞬のうちに全て読み終えることができるのだが、それをせず敢えて無駄に読み、時間を費やす。こういった無駄で無意味な行為は数少ない楽しみだ。

 

「あるじぃ〜」

「なんだ、起きてたのか」

 

本来、八代は寝れない存在だったハズだが、亮から離れ、しかも神聖さを失ったことで寝れるようになった。帰り際に「眠い」と呟いた時には二人揃って驚愕したものだ。

 

「……寝れぬ」

「眠いんじゃねえのか」

「違うんよ。眠いんのは眠いんじゃが……なんか、ぞわぞわして寝れぬのじゃよ」

 

ちょっと何言ってるか分からなかった。

 

「ンー、なんなら眠らせてやろうか」

「妾の神経に何かするとかいう物理的な方法じゃなければ歓迎じゃ」

「ダメなのか」

「……あれじゃよ、寝る時、というか、主の中で沈む時、いつも主の感覚があったからの。なんじゃ……あれじゃよ」

「添い寝しろと」

「ハッキリ言うでない!」

 

今更何を恥ずかしがる必要があるのか亮には分からなかった。

 

「七面倒臭え狐だな」

「妾は八代で、九尾じゃけれど」

「……」

「いや、あの、すまんかった」

 

亮の白い目に耐えきれない八代が謝罪。それを受けてため息をつきながら、亮は本を閉じて立ち上がる。

 

「行くぞ」

「うっしゃー!」

 

手のかかる子供、老人と言うべきか。一度愛菜という子育てを経験している亮だが、手のかかる者が増えるとは。

八代の部屋となった空き部屋に二人で入り、消灯して八代をベッドに寝かせ、自分はベッドに腰掛ける。

 

「主は……そうか、寝れぬのか」

「わかってんだろ」

 

だからわざわざ横になる必要などない。

 

「……妾、もう一度主の中に入ろうか?」

「要らねえよ。普通の、人の生活になれるならなった方がいい。前も言ったが、もうお前は要らない」

「…………なんか、やだなぁ」

 

口調が変わってきたが指摘しない。大抵こういう時に語るのは本心だからだ。

 

「なにがだ」

「んー、今までは主の中で、主の心を聞いて感じてたけど、なんか。今は、大事な、大切なものが欠けてる気分」

 

その感覚は亮にも理解できる。自分は彼女ほどその欠けた物に依存してはいないが、彼女は違ったのだろう。寝れない理由も恐らくそこだ。

 

「気にすんな。大丈夫だ、寝るまで側にいてやる」

 

言って、八代の頭を撫でる。

 

「……うむ」

 

八代は安心したように、一度大きく息を吸って吐き、脱力した。

 

「主は、寂しくない?」

「別に」

「……そう言えば、主はいつだって寂しかったんだった」

「うるせえ」

 

八代に、狐に隠し事はできない。彼女は自分自身だったから。そしてその逆も然りだ。もうこれ以上語る言葉ない。八代にとって、亮が側にいる。それだけでいい。

 

「すぅ……」

 

しばらく黙っていると、静かな寝息が聞こえてきた。今まで隠していた狐の耳がヒョコッと現れ、尻尾は邪魔なのか出てきていない。寝たかどうかは耳で判断すればいいかと思うと少し可笑しい。

 

「(戻るか)」

 

ベッドから立ち上がり、リビングへ出る。コーヒーを口につけるが、どうにも本の続きを読む気にはなれなかった。今は静かに、ただコーヒーを啜り、ぼーっとただ虚空を見つめる。もう、心の中から誰かが話しかけて来ることはなくとも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結局、そのまま愛菜が修学旅行から帰宅する時間になった。一日と半日の間はこれと言った仕事も問題もなく、八代と二人で無駄に時間を費やした。

問題といえば仕事の事後処理でナナシから「やりすぎ」とお叱りを受けたがその程度。そういえば彼女に八代のことを伝えていなかったが、まぁそのうち機会が来るだろうと気に留めなかった。

 

夕食を作るのもまだ早く、特にすることもなかったので、ソファに腰を下ろして適当にニュースを流し見していると、下のフロアから本を取って戻ってきた八代が亮の膝の上に座った。

 

「重い」

「邪魔とかじゃなくて重い!?」

 

そう言うと大抵、愛菜なら退いてくれる。余計なやり取りをせず自発的に退かす手っ取り早い方法だ。

 

「や、主にはこの程度で重いとかいうことはないじゃろうて」

「重いかどうかじゃなくて邪魔だってことだ」

「ぐぅ……お?」

「愛菜が帰ってきたか」

 

玄関で扉を開く音がした。愛菜の特殊な魔力の気配もする。間違いなく彼女だろう。

 

「ただい……ま」

 

リビングに入るなり、亮と八代を見て固まる愛菜がいた。片手に待った、着替えなどが入ったバッグが音を立てて落ちる。

 

「ん、おぉ、黒いの、おかえり。じゃったか」

 

亮の膝の上から八代が声をかけると。

 

「なんじゃわれええええええええええええええええええええ!」

 

愛菜が発狂した。

 

「うるせえよ」

「いやいやいや、こんなん叫びたくなるって!」

「品がないの」

「狐耳のロリが品を諭すん!?」

 

帰宅早々元気なことだ。向こうで少々問題が起きたと連絡があったが、どうやら無事解決できたようだ。

 

「……あれ、これが噂に聞くデリヘルってやつ?亮ってこういう性癖だった……?」

「ンなわけあるか」

「ほほう、今日はどんなコースにするのじゃ、主」

「チェンジ」

「ん?それは私をご所望っていう」

「くたばれ」

「チェンジですらない!?」

 

軽い茶番を繰り広げてから、さっさと本題に入ることにする。

 

「このコスプレイヤーみたいなのは八代っていう……ペットだ」

「……なんか、より一層理解が追いつかないんだけど。ちょっとレベル高くない?」

「愛玩動物じゃよ」

「きっと私にはまだ早いお話なのかもしんない」

 

愛菜が遠い目をし始めたが、気にせず続きを語ることにする。

 

「あれだ、前に話したろ。狐のこと」

「そゆこと」

 

かなり前の話だが、何度か八代、狐の存在は彼女に伝えてある。普通の精神ならば頭がどうかしてると一蹴するような内容だが、どうやら忘れずに受け止めていてくれたようだ。

 

「狐改め八代じゃ。お世話になる。よろしく頼むぞ、黒いの」

「うん、よろしくね、八代ちゃん。私のことは愛菜でいいよ」

 

頷いてお互いに挨拶を終える。特に問題なくことが運んでいるのはいいことなのだが、どうにも亮は嫌な、面倒くさい予感がしていた。

 

「……んで、八代ちゃん、いつになったらそこを退くのかな」

「主が立つ時かの」

「逆だよね、いつ亮が立ってもいいように退いておくべきじゃないかな。八代ちゃん、邪魔じゃないかな?」

「おん?」

「あ?」

「……これか……」

 

面倒臭い予感が的中する。ともかくこのままではヒートアップする一向なので、さっさと八代を見えない魔力の手で持ち上げて膝から退かす。恐らく我関せずでタバコを吸いに行くのが最善の手であるはずだ。

 

「やーい退かされてやんのー!」

「幼子のような煽りも大概にせい。主に全く相手にされないくせに」

「は、退かされてタバコに負けた狐が何言ってんのかなまったく」

「それ言うならお主は全てのアプローチを鼻で笑われたりそもそも気づいてもらえなかったり、子供イタズラと思われたりと」

「……やる?」

「ふん、深淵ごときが魔物の神に刃向かうと?」

 

とかなんとか、八代と愛菜が口論をしている間、当の亮は興味なさそうにベランダでタバコを吹かしていた。家族の様な者たちに好かれているのは嬉しいことは嬉しいが、あくまで家族愛の範疇に留めておいて欲しかった。

 

とかなんとか考えてた時、巨大な破裂音がした。直後にベランダの窓ガラスを消し炭にする黒い光線が亮の真横をすり抜けようとして、流石にまずいので片手でそれを止める。さらに間髪開けずにカーボン製のナイフが頭部に突き刺さった。

どちらも普通の人間ならば、跡形もなく消し炭になるのと、シンプルに死亡するタイプのやつである。

 

「……あかんやつじゃこれ」

「……あれに比べればまだ私ナイフだからセーフな気がする」

 

ぶち抜かれたドアの穴から二人が仲良く亮を覗き見る。その仲の良さをなぜさっき発動できなかったのか、問いただしたいところである。

まぁそんなことより。

 

「お前ら今のやつの十倍の攻撃を同じ部位に受けるか二人仲良く夕飯作るか選べ」

「「ただいま準備します!!」」

「ン、仲良くな」

 

風穴の空いたドアや窓ガラスを見てため息をつく。これからまた同じ穴が空くかもしれないた思うと気が重い。

そういえば、自分をここで育てた恩師も、子育ては難しいと言っていたか。なんとなく、その気持ちが理解できた気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

セントラル地区王居の一室。窓からは枯山水の庭園が良く見えて、けれど室内は洋一色の、芸術家が見たら渋い顔をするだろう。その和洋折衷を拡大解釈した様な部屋の主人、つまり王は、好物の梅昆布茶を啜ってから口を開いた。

 

「そんで、修学旅行はどうだったん?」

 

ベッドの上に腰をかけた、見た目十代の王は、椅子に腰掛けて上品にコーヒーを飲む少女へ問いかける。

 

「そこそこ楽しめたよ。久し振りに未知があったからね」

 

そう笑いかける少女の口振りはまるで、知らないことなどないと言いたげだ。

そしてその少女が未知という要素は穏やかじゃない。王はおちゃらけた雰囲気から一変し、真面目な口調でこう返す。

 

「……やはりあの少年は……」

「私が理解できない存在かな。私はあの場で宮里由紀が大怪我を負うって定めたはずなのに、それを彼が助けた」

「……神の定めた運命に縛られない存在か」

 

それもそのはずだ。対面の少女は、この世の最高に位置する神だから。

 

「それで仕込みは終わりなのか」

「まだあと一つ。それで私の出る幕は最後になるかな」

 

優しく笑う彼女がむしろおっかない。

 

「神を超えられる存在はきっと彼に他ならない。だからこれから彼が主人公の物語を作り、それを使う」

 

神は描く。主人公が己を超えてこの世界をハッピーエンドに導く様を。

 

「仲間とともに成長し、助け、時には助けられて、艱難辛苦を共にし、敵を倒し、謎を解いて真実に辿り着いて、真に倒すべき敵を見据えて、世界を救う。そして最後にハッピーエンドをもたらし、英雄になる」

 

神は願う。バッドエンドで描かれたこの物語を主人公が救うことを。

 

「……そうしてあんたは、神は敗れるのか」

「そう。そして、やっと私は……んー、楽しみだね」

 

神神は望む。もう一度、彼と共に歩める日が来ることを。

 

「言っておくが、新世界を破滅させるのなら私は容赦しない。神だろうと私は許さないぞ」

「ん、がんばって」

 

それだけ言って、神は立ち上がり、唐突にその場から消え去った。まるで最初からその場に居なかったように。一瞬にして。

 

「……まったく、これだから化け物は」

 

残ったのは王と。

 

「んん……」

 

ベッドに横たわる少女だけだった。




高評価をお二方からいただきました。数字間違えてないか甚だ疑問ですが、励みになります、ありがとうございますorz


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七尾優衣①

ホワイト地区の第三公園には、新世界建造に携わった者達を埋葬した巨大な古墳がある。今の自分たちの生活は彼らが居なければなかったものなので、感謝しよう。まぁそういう道徳の教科書を二ページほど埋められる程度には昔から世間に認知されている場所だ。

実際のところは少々の空き地と、有刺鉄線に囲われた山形の古墳があるだけなので、昼間に幼子を連れてきたママさん方くらいしか人はこない。街灯に照らされる事もないため夜には人など居らず、住宅街の隅の方に追いやられているので酔い潰れたサラリーマンがベンチで寝ていることもない。

ともかく、街灯も月の光にも照らされないこんな場所に、スーツ姿の女性が歩いていた。

 

「……」

 

コツ、コツ、コツと一定のリズムでヒールが地を叩く音だけが第三公園を支配する。古墳に向かって歩くその姿を誰かが見たら、気味の悪さを覚えるだろう。間違いなく異質だ。

やがて彼女は有刺鉄線の柵に辿り着き、上着のポケットから一枚のICカードを取り出した。それを網にかざすと、どこからかピピッという音が聞こえた。

そのまま彼女が網に触れると、その部分だけがまるでそもそも存在していなかったかのように消える。それに対して特に驚くような事はなく、古墳の中へ侵入していく。

さらに歩いて進んでいくと、小さな墓石があった。墓石に先ほどと同じICカードをかざすと、今度はその墓石が消失する。墓石があった場所には下に降りる階段があった。女性はその階段をゆっくりと降っていく。

 

「測定。確認。ノーネーム」

 

機械的な音声が光のない空間に響き渡った。それも特に気に留めず、さらに下へ。降り切った後に彼女を待っていたのは鉄格子だった。鉄格子に近付いて、鉄格子の向こう誰かに声をかける。

 

「アバターをどこに送った」

「……」

 

返事はない。

 

「お前が深淵のクローンを作るためにアバターを使ったのはわかっている。MA70Eの体細胞にアバターを掛け合わせていたことも」

「………十年ぶりの挨拶がそれか、名前のない女」

 

低い男性の声が返ってきた。

 

「答えろ。お前がそこから出られるのが早まるかもしれないぞ」

「……誰が出るか」

 

その声は震えていた。

 

「あんな化け物が混じった世界に誰が出るか!俺をこんな体にしやがった奴がいる世界になんか出るわけねえだろお!」

 

四肢を失い、胴と顔だけになった男が叫ぶ。

 

「娯楽をくれ、食べ物をくれ、手足をくれ、光をくれ。もういっそ殺してくれ。気ぐらい狂わせてくれ。なんだ、なんなんだこの体は……」

 

震える声に生気はない。生きる気力を失い、もう何も持たない男はそれでも生かされていた。死ぬことを許されず、気が狂うことも許されない。そんな体に変えられた。

 

「……話せば魔人に掛け合ってやろう」

「本当か……?」

 

縋るような、そんな声が聞こえた。

 

「本当だ。それだけ今回の件は大切なことなんだ。だから答えろ。アバターをどこへ送った」

「先に保証しろ!俺を殺してくれるかどうか!」

「答えぬ限り交渉はしない」

「なら俺は言わねえぞ」

「なら諦めて帰ろうか」

 

このやり取りに駆け引きなどあり得ない。男には切れるカードなど一枚しかないのだから。

 

「クソッ!!このクソッタレ共が!」

 

叫んで理不尽を嘆く。そんなことをしても何も意味はないと分かっていてもだ。

 

「……俺の下に着いていた奴のとこだ」

「お前の下にいた連中は全て魔人が処理した」

「へ、藍進は生きているだろ」

「シェイカーのことか……チッ」

 

シェイカーと呼ばれる、今はブルー地区の基地で医療、研究を担う彼女を思い出す。どの情報を探っても彼の下にシェイカーが居たなんて記録はなかった。

だが不思議な事ではない。記録の改竄なんてのは裏の仕事に従事していた者ならば当たり前の事なのだから。

 

「……奴は深淵じゃなく、別の極術師のコピーに興味を持っていた。きっともう目的を果たしてるかもな。言っとくがマグナスじゃねえぞ。あいつを研究対象にしてる組織なんていくつもあるからな」

「絶対零度だろう」

「ご明察だ。それで、話は終わりか?なら早く確認しろ」

 

男に急かされ、ナナシは懐から携帯電話を取り出した。

 

「魔人か、私だ」

『なんだ、仕事か』

 

電話越しでも面倒臭そうなというのが伝わる。

 

「君に一つ聞きたいことがある」

『なんだ……おい八代!お前また油揚げ食っただろ!味噌汁に使うってこの前言ったばっかだろ』

 

つまみ食いしたのだろうか誰かを叱る声がした。しかし、あの魔人から油揚げがどうの言われると拍子抜けする。

 

「……掛け直すか?」

『ン?あぁいや、悪い、でなんだ』

「魔人化した者を殺す方法あるか?」

『別の魔人が食らうか、神術で浄化するか。何百年かかるか分からないが、何も食らわずに時間経過するかだ』

 

事情を知らない側ならば、その質問は遠回しに自分を殺す方法を聞いているに他ならないのだが、電話の向こうの魔人はそんなことを気に留めることなく答えた。

 

「ふむ……なら、君が魔人化させたあの男を殺したいのだが」

『あいつか。俺ならいつでも殺せる』

「ならば頼んだ」

『飯食ったら行く』

 

こうして、鉄格子の向こうの男の死はとてもスムーズに決まった。

 

「……どうなんだ?」

「しばらくしたら魔人が来る。殺してくれるそうだ」

「あいつが……ふ、ふはっ……あぁ。やっと終われるか」

 

軽く笑う彼を見て、ナナシは背を向ける。もう、彼に話すことも聞くこともない。階段を登ろうとした時。

 

「……ナナシ、お前はいつ死ぬんだ?」

 

鉄格子の向こうの男が尋ねる。

 

「友との約束を成し遂げるまで、死なんさ」

 

それだけ答えて階段を一段一段上がる。今年で八十になる女性とは思えない足取りだ。一度死んだあの日から変わらないこの姿で、彼女は今日も仕事に従事した。

 

「直ぐにシェイカーを調査しろ」

 

電話口で部下たちに伝える。今日も裏方の者たちは忙しい。

 

 

 

 

 

 

 

神術の提唱とその一例

 

世界の理を改変させる術。もしくは、既存の魔術に限りなく似てはいるが、この世の理を無視する特殊な効果を内包する術。どちらも共通して言えることは、この世の理を無視するという点にある。

魔人から口頭で伝えられた内容であるがゆえに確証はないが、事例として「対象に応じて燃やす。もしくは癒す聖火」や「対象に応じて溶かす。もしくは癒す聖水」。「生物に希望を与え影を生まない聖光」。聖火、聖水を観測したことはないが、聖光は現在、光巾と呼ばれた宗教団体の主教、暘谷が操るとされる。

 

魔人が言うに、旧世界の方で聖光を操る神が居たという。その者は他の生物に対し強制的に己を信仰させていたらしい。魔人は神の仕組みについてあまり語らないため、それがどれほどの効力を持つのかわからないが、魔人を以ってして「かなりダルい」と言わしめるほどである。

 

神術について詳しく知るには、暘谷や魔人に聞き出す、もしくは脳を探るしかないと思われる。

 

従って──

 

王はそこまで論文のデータを読み、PCを閉じた。腕を組み目を閉じて考える。これから自分の起こす行動にミスはないか。どうなるか。ありとあらゆるシミュレーションをして、起こさない時のものと比較する。メリットデメリットに点数付けをして、起こりうるイリーガルも考慮して、そうしてようやく一つの答えに行き着く。

 

「あー……んんんー……まぁ、面倒くせえからええか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それは唐突な呼び出しだった。携帯電話に見知らぬ番号から着信がきた。一応知り合い全ての番号は把握している。万が一の情報流出に備えて登録はしていないが、数字の羅列が誰なのか合わせて覚えることは難しいことじゃない。そしてこちらの番号を把握している人物も限られている。

まぁ、つまり。

 

「……面倒くせえ気配がする」

 

愛菜は現在学校で、特に連絡がないということは彼女の身になにかあったというわけではないだろう。そして名無しの仲介役は非通知による発信だ。これは番号を明記しているため違う。

嫌な予感を感じながらも電話に出る。開口一番に誰だ、と、投げかけた。その後。

 

「あー、もしもし、俺俺、王様。キングキング。ちょっとさ、王居まで来てくんね?」

「……」

「おいちょっと聞いてる魔人。王の命令、勅命。来いよ、後でな」

 

そのままプツリと切れた。意図せず。国王の携帯電話の番号を手に入れた。

 

「……これ、プライベートの方の電話じゃねえか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

出かける、帰宅時間はわからない。と、愛菜へメールを送信し、亮は単身、セントラルへと向かった。八代が自分も共に着いて行くとグズっていたが、スーパーで買い込んだ油揚げを差し出すと渋々引いた。全く現金な狐である。

ホワイトからセントラルまで電車を乗り継いで行くと、かなり時間のかかる距離ではあるが、ホワイト地区中心からセントラル地区中心へのリニアモーターカーが出ている。適当にタクシーを捕まえて駅へ行き、適当に座席を買う。当然ではあるが、座席を購入するのにそこそこの金額が必要となる。亮の見た目くらいの年齢の人ならば、多少時間をかけても半額以下の普通電車を利用したり、格安の深夜バスを利用したりするのが普通だ。

なのに平然と紙幣の最高金額を二枚入れ、しかも手ぶらで乗車する亮はだいぶ浮いていた。おそらく仕事で利用しているのだろう、スーツ姿の大人の何人かが怪訝そうな顔で亮を盗み見たりしていた。

 

「ン?絶対零度……違うか」

 

通路を通る少女がかの極術師、絶対零度の宮里由紀に見えたが、本人より十センチほど身長が低い上に。

 

「(……なんでこんなとこに魔物いるんだ)」

 

絶対零度の魔力と同じ質の魔力とアバター独特の魔力を感じ取った。間違いなくアレは魔物である。何かの実験の成果か何かはわからない。

 

「(まぁ面倒だしいいか)」

 

首を突っ込む必要はない。そんな仕事を受けていないし興味もない。放置したことでこの列車が停止するとかであれば話は変わるが、そうでないならどうでもいい。

しばらく待っていると発車のアナウンスが入る。どうやら特に問題はなく出発のようだ。携帯電話でネットサーフィンして適当に時間を潰していると、やがて動き出し、甲高いモーター音と風を切る音が聞こえてきた。

 

しばらくしてから携帯電話を閉じて窓に肘を着き、景色を眺める。前にこれに乗ったのは七年ほど前になる。あの時はまだ大人しかった愛菜が、おっかなびっくりで窓の景色を覗いては顔をそらしたり、目を輝かせていたりしていた。

 

「(どこで育て方間違えたんだろうなぁ)」

 

今後の教育方針を見直す必要があるかもしれない。なんて、そんな親心溢れる魔人だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

亮は王居に到着する前に、人目につかないところでそれらしいスーツの男性の顔と格好にする。ついでパスケースに少し前に王から貰った来客用の通行証入れ、紐を首から垂らす。

入り口の警備員に呼び止められるも、王居に入るための通行証を見て王への来客として通行を許す。やがて建物の入り口に到着すると、携帯電話に着信があった。

 

「……もしも」

『入ったら二階の通路の突き当たりの部屋にカモン』

 

ツーツーと通話が切れる。全く言いたいことだけ言う王である。しかし用をさっさと済ませて帰宅したい身としては、下手に長引かせられるよりかは幾分もマシと言うものだ。

言われた通りに建物に入り、赤い洋風の玄関で靴を脱ぎ、客用のスリッパを履いて二階へ上がる。従業員か清掃員か、分からないがその者は不審そうに亮を見るも、首からぶら下げた特別なゲストカードと身だしなみを見て直ぐに警戒心を消していた。なんともガバガバな警備だと心の中で笑った。

 

「らっしゃーい」

 

ドアの前でノックをしようとしたが、その前に室内から現国王の声がした。

なんとなく腹立たしい気もするが、現国王がこんな性格なのは今に始まったことではないのだ。

 

「よく来たな、まぁ座っちくり」

 

身長156cm。16歳。新世界の歴史上、最年少の王は茶化すように言いつつ、椅子を指した。

室内はシンプルな会議場のような場所で、長いテーブルと高そうなデスクチェア、テーブルの上にはプロジェクターが置かれている。

亮は言われた通りに椅子に座り、テーブルを挟んで対面の王へと言葉を投げる。

 

「ンで用件は?さっさと帰って晩飯作らないといけねえんだ」

 

新世界の王相手に無礼な言葉遣いなことこの上ないが、別にそれはもう今更である。

 

「おぉぅ、なんか理由が主夫だな……まぁ落ち着けよ。今週のチャンプ読んだ?うち、販売の一日前に届くから読んでもええよん」

「……」

「おけ、さっさと本題に行こう」

 

おちゃらけてた王だったが、その言葉で纏う空気が一変する。

 

「お前に会わせたい奴がいるんだ。というか、正確には面倒を見て欲しい奴がいる」

「面倒……?」

 

王から押し付けられる人間がどんなものかはわからないが、旧神に深淵。これ以上他の特殊な人物を家に入れるとなると、神経的にキャパオーバーかもしれない。

 

「入ってええぞ」

 

扉が開き、白い服の小柄な女の子が入ってきた。亮は目を見開き、その姿を捉えて離さない。離せなかった。離せるわけがなかった。

 

その姿は、自分の記憶の中に輝き続けてる姿で、もう二度と見ることができない姿だったから。

 

「……真……衣……?」

 

それが。その姿が、今、目の前にある。

 

「七尾優衣です。こんにちは、義兄さん」

 

魔人に、義理の妹ができた。




なんか、すっごい評価とお気に入りをいただきました。みなさん押す数字間違えてないか心配ですが、ありがとうございます。この作品は言ってしまえば自慰作品ではありますが、お付き合い頂けて幸いです

誤字報告してくださった方々、本当に助かります。拙い上に誤字とか救いようなく恥ずかしい限りです……


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七尾優衣②

「……ゆ、い?」

「そうですよ、義兄さん」

 

何が何だかわからない。年の功とでも言うべきか、亮はある程度の超常現象やら理不尽ならば鼻で笑える自信があるくらいには経験を積んできた身だ。たとえ天地がひっくり返ったところで慌てるようなことはない。

が、何百年も前にこの世から消えた最愛の女性の生き写しが目の前に突然現れるなんて現象を前にすると違う。それが自分の事を兄と呼んだのだ。

 

「驚くのは無理もないです、私はつい昨日、この世に生まれたのですから」

 

その言葉である程度を把握する。この世界で最も位の高い神が創造したのだろう。ならば、無条件で信用する。

 

「……大体わかった」

 

神からの贈り物。そんなところだ。亮には文字通りこの世のすべてを理解する神の思考はわからない。が、世界でただ一人、彼女を信仰する自分はその神からの贈り物を捨てる理由はない。

 

「さすがやな魔人。俺様にはなんなのかさっぱりやで」

「意思意向を理解しようとしても無駄だからな。あいつが望むならそのまま従ってやる」

 

今も大切にポケットにしまっているロケットと同じだ。彼女が自分に託したのなら受け取る。そもそも受け取らないという選択肢を彼は持ち合わせていないのだ。

 

「優衣……は、何をするために?」

「特に教えられてはいません。自分の意思で生きていれば姉さんの思うがままに進みます。それが運命と言うものです」

 

世界の全てを統べる神を以ってすればそんなところだ。運命に逆らうなんてことは有り得ない。自分の運命を知り、抗ったとしても抗うことまでが織り込み済みなのだ。何を思考し、行動に移したとしても神はその過程から結末を知っている。だからこそ最高位の神なのだ。

 

「ン、ならこれからよろしく頼む、優衣」

「よろしくお願いします、義兄さん」

 

二人が仲良く挨拶を交わすところを、王は目をぱちくりさせながら見ていた。やがて耐え切れなくなり口を開く。

 

「いやいや、飲み込み早すぎね?」

「言われてもな……」

「俺ですらちょっとは考えたぞ?神に反逆してやろうかなぁとか。でも、まぁ色々考えてたけど、そのもの言い聞いてるとそん辺ぜーんぶ神は知ってるってことなんよな?」

「まぁ、そういうことだ」

 

七尾優衣という神からの贈り物を、言われた通り魔人に渡すか渡すまいか考えた。だが考えるだけ無駄だと思考を放棄した。その事すら運命だった。もしはない。それが運命というわけだ。

 

「まったく、あの神様も可愛い顔してやることがエゲツない」

「……真衣を見たのか?」

「おう、そこの嬢ちゃんと同じ顔を……おい待て魔人なんだその殺気はちょマジシャレになっとらん!」

 

なぜ自分には姿形を見せないくせに暘谷然り別の人間には姿を現わすのか。別に実態じゃなくても、幻でも、その姿を見て声を交わすだけでこれまでの全てが報われるのに。

 

「あ、あの義兄さん、まだ他に話すことあるから、やめよ?」

「わかった」

「うごぉぅ……威圧感だけで殺されるかと思った……つーか、なに。その嬢ちゃんの言うことならなんでも聞いちゃうん?シスコン?」

「なに当たり前のこと聞いてんだ?」

「……魔人のキャラのブレ方がパネェ。マジパネェっす」

 

愛する彼女と同じ外見、同じ声。たとえ創作物としても自分を慕ってくれる妹であるならば、それはもう。ただの保護対象である。

 

「……えーと、私は取り敢えず姉さんに作られたっていうことで、一つだけ神術を与えられました」

 

神術を扱うものはごく僅かでも神聖さを感じられるものだが、今優衣から神聖さを感じない。また既存の概念に縛られない話か。と、亮は彼女の言葉に意識を傾ける。

 

「物を直すことができます。再聖と呼んでください」

「……修理屋さん?」

「王様の言う通りです。外からの影響で壊れたものを直します」

 

これはなんともエゲツないものが出てきたと亮は思う。いくつか神術というものを見て来たわけだが、その中でも上の方のエゲツなさだ。

 

「便利そうやな。部品とかなくても直せるんやろ?」

「はい」

 

わざとスケールの小さい話をしているのだろう。彼もその神術のトチ狂った本質はわかっているはずだ。亮が睨むような視線を送ると、王はため息をついてから表情を変えて話し始める。

 

「……対象の時間を巻き戻すって解釈でいいのか?」

「それはどちらかと言うと……義兄さんのもの、です」

「なに……?」

「まぁ、今は使えないけどな。そんなことはいい。優衣のそれは壊れたものを在るべき形に戻す。それでいいか」

「はい、多分、義兄さんが考えてるので合ってると思います」

 

生き物は生まれた瞬間に終わりが決められている。遺伝子情報に刻まれた寿命という死は、再聖では生き返らない。それは正しく死んだからだ。しかし、もし事故などの外的要因で死亡した場合、再聖は適用される。それは寿命という在るべき形で死亡していないからだ。

 

「……永久機関でも作れそう小並感」

「それどころか……まぁいい」

 

彼女も自分たちと等しく、この世を滅ぼす可能性が高いが、きっとそれに気づいているだろうし、語る必要はないだろう。

 

「そんなことより、魔人。お前が時間を巻き戻せるってなんだ?」

「……今使えない物を語る必要あるか?」

「あるな。そんなもの持ってたってどこにも記録はないし、伝えられていない」

「使えたら。そもそもこんな世界に居ねえよ」

 

それだけ言って、亮は席を立つ。これ以上の長居は無用だ。

 

「それが。お前が神聖さを求め続ける理由か」

「……そんなとこだ」

「……駅まで送る。着いてこい」

 

その必要はないと言いたいところだが、優衣を連れたまま来た道を戻るわけにはいかないだろう。ここの入場、退場は厳しく管理されているのだから。

 

「あぁ、頼むよ」

 

そういえばあの同居人どもには彼女のことをなんて説明すればいいのだろうか。果てしなく面倒臭いことが最後に残ってるのが、少々の憂鬱だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「「……」」

 

亮と優衣が帰宅して早々。八代と愛菜は固まっていた。それはそうだ、二人とも七尾優衣という存在の外観を知っているのだから。

 

「……七尾さんがなんでぇ?」

「主?ついに拗らせて作って来たん?」

 

二人の反応に、むしろ亮の方も一瞬処理に困った。

 

「八代の方はいいとして、愛菜はなんで知ってる?いやまぁいい、取り敢えず座って話す」

「お邪魔します」

 

二人で靴を脱ぎ室内へ。そのままリビングのソファに四人で腰を下ろし、会話を始める。

 

「まず、神からの贈り物でここに住むことになった……七尾優衣だ。二人とも頼むぞ」

「ふぁっ?贈り物?え?」

「……そういうことかの」

 

八代は全て悟ったようだが、愛菜の方は未だに錯乱している。

 

「義兄さん、根本さん……愛菜さんはクラスメイトなんです」

「そう!ついこの前の修学旅行も一緒に行ったし」

「それはまぁ、私って言うことになってるんですけど、そういうことです」

「……なるほど」

 

別の人とすり替わったのか、もしくは七尾優衣という存在をこの世界に組み込んだことで、過去が改竄された結果なのか。どちらにせよ、この世界で七尾優衣という存在は元々あったという形になっているらしい。

 

「それがなんで?え?」

「わかった、詳しく話す」

 

愛菜には詳しく神術や神の類について語っていない。この世界においては大して必要ない知識ばかりだったし、そういう超常にはあまり関わらせたくなかった。神術や神は等しく理不尽だ。知っていたところで対処のしようはないものなのだから。

しかしこうも神が生活に関わってくるとなると話は違う。だから神や神術の仕組みについて粗方話す。彼女という存在がどういうものなのか、だけでない。これまで自分がなぜ神聖さという曖昧なものを求めて来たのか。それを、しっかりと。

 

「頭で考えちゃダメなん感じなんだね。んで、亮も昔はそういうものが使えて、それをもう一度使うために今まで生きて来たと」

「そういうことだ」

 

きちんと理解しているようでなによりだ。まぁこれで愛菜も神術について詳しく知る数少ない存在となってしまった。これまで以上に彼女を守ろうと誓ったところで。

 

「八代ちゃん」

「うむ」

 

二人が顔を合わせて頷き。

 

「「ならそいつ殺す」」

 

世界が暗転する。訪れたのは一寸の光も差さない闇だった。

 

「……なんのつもりだ」

 

反射的に亮は聖光を展開することで世界に光を差す。状況はわかる。愛菜が世界から迫害されないために、使用させないようにしてきた深淵の力の一部。それによってもたらされる闇の世界。そこに今いる。

 

「や、今更何を考えてこんなもの寄越したのかなって」

「主、もう何年経った。主が全てを失った日から。それが今さら?しかも紛い物を寄越すなんて、神はそこまで偉いのかの」

 

二人にとって亮が何よりも大切だから。だから、彼を苦しめる要因は全て排除する。たとえ本人に止められようともだ。

 

「優衣、自分の身を守れるか」

「……ごめんなさい、義兄さん、まさかこんなことに」

「気にすんな。まぁこんなことになるだろうとは思ってた」

 

予想の範囲内だ。彼女達が自分のことをどれだけ大切に思っているかなんて、痛いほどわかっている。

 

「愛菜、ここでの行いは全て現実世界に影響しない。闇の中の異世界。それでいいんだったな」

「……うん」

「八代、さすがのお前でも今死んだら生き返らない。間違いないな」

「うむ」

 

なら。と、一度目を閉じて、開く。

 

「かなり遅めの反抗期、まぁ保護者として躾けてやろう」

 

闇の果てで意図せず始まった。世界を壊せる者達の戦いだ。

 

「今まで生活でいいじゃん、神が何考えてるか知らないけど、亮は絶対その子に誰かを重ねる。そしたら、また苦しいだけでしょ」

「妾はよく知っとるからの」

「いいから、早くしろよ」

 

言った直後、八代の黒い光線が暗闇で輝いた。互いに互いを思う無意味な戦いの火蓋は落とされた。




短めですが、次回長いです。


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家族喧嘩

新世界において最初に観測された魔術、深淵。

そのすぐ後に有用な魔術が生まれたが、影に潜むという他に見ないような特殊な性質が、昨今まで原初の魔術として高い知名度を誇る大きな理由だ。

だが、この魔術を持っていた初代深淵と呼ばれる、新世界で最初の魔術師がどういう存在だったのか知る者は少ない。なにせ、彼は引き篭もりだったのだから。

整っていない顔立ち、太った体系、上がり症、冴えない頭脳、内気な性格、小さい声量、滑舌の悪さ。彼の悪いところを上げれば切りはない。そんな彼が新世界で貶され、尊厳を踏み躙られ、自分の世界に閉じ篭り、孤独で無様で惨めな生活を送っていたのは語るまでもない。原初の魔術師と言われても彼の顔写真を誰一人として見たことがないくらいだ。

そんな彼は引き篭もり続け、暗い闇に自分だけの世界を作った。

 

それが、深淵の世界に公表できない真なる深淵の本質だ。

 

闇、静寂、孤独

その三つを願って創造された縦50m横50m高さ50mの正四面体の世界が彼の世界だった。深淵はその世界に自分や対象を送ることができる。その事を、誰かが、闇に落とすと言った。

今、彼らがいるのはそんな世界だ。誰にも邪魔されず、記録されることのない闇の世界。

 

世界を壊せる者達に相応しい舞台だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まず、八代が放った惑星丸々一つ消滅させる光線を左手で払いのける。代償に掌が消滅するが、特にこれと言った意味はない。すぐに元通りになる。これは、魔力を犠牲にして回復させるとか、残りの寿命をすり減らすことで回復するような、そういう弱者の所業ではない。

八代も喜ぶようなことはない。これを例えるならスポンジを押して凹んだと喜ぶようなものなのだ。彼女もそれはわかっている。

だから続け様に、優衣の方へ光線を放つ。亮は目で見てからとある魔術で優衣の前に立ち、それを再び掌で防ぐ。当然、亮がその程度で優衣を守れないなんて、八代も思っていない。それでも真正面から、止められると分かっていてやるのには訳がある。

 

優衣の背に、音もなく、カーボン製のナイフが迫る。

 

聖光がこの闇の空間で唯一の光として輝いている。が、亮が聖光で照らしている場所はかなり範囲が狭い。もちろん、全員を照らしてはいるが、走って移動すればすぐ出られる範囲だ。八代がわざわざ亮に無意味な攻撃を放ったのは、愛菜が闇に入るため。そして闇の中で優衣の背後まで周り、影体を出してナイフを投げた。

惑星を破壊する光線を囮にしてナイフ一本を投げる。最初からそんなことを予想していた亮は鼻で笑う。

ナイフは優衣に触れることなく、見えない何かに触れてその場に落ちる。

 

「ンで、満足したか」

「……人は、人を守れないんじゃなかったのか、主」

「守れないさ。現に俺は、お前らを攻撃できないから防戦一方だ。それに、この空間に来た時点で、俺はもう守れていない。愛菜を殺さなきゃ出られない訳だからな」

 

この空間の出入りは深淵にしか行えない。魔人とて例外ではない。最初にこの空間に入った時は、そもそも入れたことに驚いたものだ。彼はとある事から存在が揺るがなくなってしまったから、この空間は元いたあの世界と同じ世界だと考える。反世界か、次元の下地か、詳しいことはわからないが、それならば、空間を湾曲させたりし続ければそのうち出られるかもしれないが、愛菜を殺した方が早い。

 

「だからもう」

 

言って、突然、愛菜と八代は彼の前に並べられる。愛菜の方は影に入っていたにも関わらずだ。

 

「っ……」

「聖移……」

 

八代が魔物の神として君臨していた時の神術、「聖移」だ。言葉にすれば大したものではない。対象を問答無用で瞬間移動させる。ただそれだけ術。口にするのは簡単。しかし、星を星に移動させたりもできるとすれば話は変わる。そんなことはしたことがないからどういう結果になるかはわからないが。ともかく物を特定の座標に無理やり移動させるのだ。人を人に重ねて二人をありえないやり方で殺すという事だってできる。通勤時間の短縮からビックバンの誘発まで幅広く使える便利な術というわけだ。

 

「終わりだ」

 

そのまま二人を魔力で拘束する。そして二歩歩いて二人の目の前に移動する。魔人の右手が愛菜に迫り、左手が八代に迫る。触れれば終わる。そんなことは二人がよく知っている。

愛菜は亮が相手に触れることなく対象を葬ってきたのをよく見ている。想像するまでもない。

八代は亮の中で幾度もその手で多くの血を流してきたのかをよく見ている。想像するまでもない。

 

そして、二人は亮が自分の邪魔をする者に対して一切の情けをかけないことを知っている。だから、その手は彼の邪魔をした自分達を消し去る手だ。

その手が自分達の頭に触れる、二人は目を閉じ諦めた。死を覚悟した。が。

 

ーーーーコン

「「いたっ」」

 

軽くチョップされた。

 

「……とりあえず、お前らアニメの見過ぎと漫画、ラノベの読みすぎだ。まず話し合えよ」

 

二人にとって彼女の存在が許しがたいというのはわかった。だが、だからと言って即殺害はどうかと思った。

 

「そんな子に育てた覚えはないぞ」

「「えぇ……」」

 

が、八代と愛菜からすれば一体どの口が言っているのだろうというところだ。話し合いなしで虐殺してるのを何度も見ている。

 

「……まぁなんだ、お前らが俺を想ってこんなことしてるのはわかる。だから、頼む」

 

頭は下げない。が、彼の言葉が心からのお願いだと言うのを、二人はよく知っている。

 

「俺は大丈夫だから、信じてくれ。あいつから、真衣から頼まれたから仕方なくじゃない。俺がやりたいんだ」

 

おそらく。こらまでのやりとりも含めて全て、神の定めた運命の通りだろう。亮も、八代も、愛菜も、こんなの神からすれば茶番。そう思う。だけど、家族である亮の心からの頼みを断るなんて、二人にはできなかった。

 

「……仕方ないなぁ」

「そうじゃの」

 

瞬きする間に元の、自分たちの家へと風景が変わる。先ほどまでの八代の光線の影響なんてどこにもない。彼らの暖かい家庭というものが、変わる事なくそこにある。

 

「優衣ちゃん、この家のルール。帰ってきた時はただいま。行くときは行ってきます」

「見送る時はいってらっしゃい。迎える時はおかえりなさいじゃ。忘れたら消し飛ばすからの」

「……はい、二人とも、ありがとうございます」

 

そんな微笑ましいやり取りが、亮の目の前にある。

亮はかつて自分の全てを失った。もう自分には何も無い。本当に、何もなかった。けれど今は手に入れてしまったらしい。守らなきゃいけないものを。

 

「……ンし、じゃあ買い物行くぞ。今日は好きなもん作ってやる」

「妾は油揚げをトースターで焼いたやつに醤油垂らしたいの!」

「牛丼!」

「私は……唐揚げを食べてみたいです」

「……優衣は癒しだな」

 

愛菜と八代の協調性の無さと言うかなんと言うか。しかしこれで日常というものが帰ってきた。たかが数分の家族喧嘩であったが、無事に丸く収まった。

またいつ非日常というものが来るのかはわからない。きっとすぐだと思う。そしてそれは終わりの日で、その日になれば皆笑顔で笑えるわけがない。でも、それまではこの怪物達の家での生活を楽しもう。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……うだー……」

 

愛菜は思った。好きな人にしてもらう膝枕というものは、どうしてこんなに快適なのだろうかと。好きな人の体温を感じつつ、その柔らかさを堪能し、鼻に意識を集中させれば、自分の好きな匂いがする。

こんな時間が無限に続けばいいと思った。この状態から動きたくない。彼の膝の上という、されたい放題なポジションをキープし、されたい放題されたい。腕を自分の上において欲しい。こっちを見て欲しい。頭を撫でて欲しい。こうしているだけで暖かい何かが心を満たしている。そしてその何かがもっと欲しい。他は何も要らない。この暖かさがあればーーーー

ただし、これは本来一人で味わうものである。

 

「……うだーん……」

 

よって、亮の右膝で同じようなことをしている銀髪クソ女狐こと八代が邪魔だった。

 

「八代ちゃん、狐の寿命って二年から五年だって。まだ?」

「朝っぱらから紛い物の人間かっこ試験管培養かっこ閉じに喧嘩を売られた」

「ほーん?同胞食いの畜生行為で九尾の妖狐かっこロリババアかっこ閉じになった愛玩動物風情がなに言ってんのかな」

「畜生行為?え、お主がそれ言う?知っとる?彼の偉人達の言葉を借りるとそれブーメランって言うのじゃよ」

「くっ、そう言えばそうだった!!」

「……お前ら人の膝の上でおっかない口喧嘩するんじゃねえよ」

 

突然おっぱじめた喧嘩。亮は本を読みつつ口を開いた。読書中に煩いことこの上ない。

 

「だって八代が!」

「黒いのが!」

「きっかけは愛菜だが、八代も乗った時点で喧嘩両成敗だ。どっちも謝れ」

 

唐突に喧嘩を売った愛菜が悪いのは分かるが、八代なんて自分以上に年齢を重ねた立派な大人である。さらに言うなら老人を超越した何かである。子供に売られた喧嘩を買わないで欲しいところだ。

 

「悪いが主、妾は謝る気はないぞよ!主の膝の所有権は妾にある!」

「ないよ!!亮の体はナノミクロン単位で私のもの!」

「おん?」

「は?」

「いや、俺のものなんだが」

亮のもっともな言い分を無視して、二人の喧嘩はさらにヒートアップする。

 

「やるか黒いの。妾は確かに神を返上した身。しかし、小娘一人消し去るのなんて容易いぞ!神聖な妾の力に浄化されるといい!」

「いいよ旧神。たかが神ごとき、深淵に呑まれると思い知らせる。闇の空間で永劫に後悔するといい!」

「やめろ世界が滅ぶ」

 

神性さは弱まったとはいえ、亮の魔力を取り入れて邪悪なる力を合わせて振るうことができる八代。

未だ実態を掴めないとは言え、世界をそのまま闇に落とせるとされる極術、深淵を使う愛菜。

両者が本気で激突したとして、新世界が壊れるだけで終わるかどうか怪しい。旧世界も含め、世界そのものがなくなる可能性もある。

 

「……そもそも、お前ら人の膝の上をなんだと思ってる」

「聖域」

「天国」

「コイツらの盲目な愛が重い」

 

家族に愛されるのはまぁいいことなのだろうが、この二人の場合は恐らく一般的な家族愛という概念に収まっていない気がする。

 

「そうじゃなくてな、お前らにそうやって膝に居られると俺は動けねえんだ。好いてくれるのは嬉しいがもうちょいこっちを気遣って」

「お、照れてる。別に言ってくれれば退くし、いうこと聞かなかったら無理やり引き剥がせばいいのにね?」

「まぁそう言ってやるな黒いの。主は紳士に見せかけた年齢三桁超えのピュアボーイ。きっとイヤイヤ言ってるように見せかけて実際は退いてほしくない感じなのじゃよ」

「お前ら口閉じて膝から退くかこの家出てくか選べ」

「「すいませんでしたっ!!!!」」

 

そう言われた直後、二人は常人では目で追うことのできない速度で亮の膝から離れ、ピシッと直立し、声を合わせて謝罪する。確かにこの前までこの面子での平和な日々をとか思っていたが、八代を再び取り込んだり愛菜を追い出したりしてもいいのかもしれない。

 

「ぅぅ……おはようございます、義兄さん、みなさん。朝からどうしたんですか……?」

 

なんてやり取りをしていると、今まで空き部屋だったところから優衣が目をこすりながら出てきた。きちんとしてると思いきや、優衣はかなり寝坊助で、ほっとくと昼過ぎにならないと起きてこないタイプだった。

 

「あ、おはよ、優衣ちゃん」

「おー、白い方か、今日も遅いの」

「おはよう、優衣。朝飯何か食べるか?作るぞ?」

 

朝の挨拶をしつつ、亮は朝食を提案する。三人は三時間ほど前に済ませた。

 

「んー、自分で作りますから大丈夫ですよ」

「いや、暇なんだ、やらせてくれ」

「でしたら、昨日の残りの鯖煮と軽いサラダを準備しておいてくれませんか?私はお風呂に入ってきます」

「任せろ」

「義兄さん、ごめんなさい、お願いします」

「気にすんな、ゆっくり入って来い」

 

優衣が脱衣所へ入り、扉を閉めた瞬間、座ったままの体制で聖移を発動。冷蔵庫の前まで移動し、中からタッパーに詰めた鯖煮と、トマト、キュウリ、レタスを取り出し調理を開始する。

 

「相変わらず、白い方には優しい……というか、神術をそんなポンポンと……」

「文字通りポッと出のくせに……ある日突然誕生したくせに……」

「そもそも主の恋人と全く同じ容姿で、記憶は持たずとも同じ性格というチート。何をどう取ったら妾達に勝利があるのか」

「「はぁ……」」

 

なんてため息が聞こえてきたが、戯言なのでスルーする。優衣は真衣が亮に託した存在だ。それと同等に扱えという方が、彼の中で無理な話である。

 

「っし、後は鯖だ」

 

3分クッキングもびっくりな早さでサラダの調理を完了した亮は、タッパーの鯖を鍋に移し、鍋を右手で持って鍋底に左手を当て、その左手から火を出すことで擬似的なガスコンロとした。普通に魔力の無駄遣いである。

 

「んー、暇だなぁ」

「そやの」

「お前らもうちょい趣味とか持って動いたらどうだ。休みの日なんか一緒に買い物行くか、こうやってグダグダしてるだけだろ」

「んー、私としては亮と色々するのが趣味なんだけどなぁ」

「うむ。そこは黒いのに同意じゃの」

「どこで育て方間違えたんだろう、コイツら」

 

保護者としては人に誇れる正しい趣味を持って欲しいところだ。誇れなくとも、夢中になれる何かを持って欲しい。

 

「わかった、じゃ優衣ちゃんの朝食の準備が終わったら二人で買い物に行こうよ」

「……だとよ、八代」

「え、妾?」

「違うよ!亮だよ!新しい服買いたいから選んでほしいな」

「やだよ一人で行ってろ」

 

何が悲しくて娘のような愛菜の洋服選びに付き合わなくてはいけないのだろうか。まぁ好きな人に選んでもらった服をとかそういうことなのは分かる。がそれを理解した上で面倒くさいものだ。

 

「あ、よし」

 

愛菜が突然なにかを思い出したかのように立ち上がり、リビングの壁に設置されている、お風呂場と音声のやりとりができる装置を使い始めた。

 

『今日も早く起きれなかったなぁ。まだ二人とぎこちない感じだから、なんとかしたいんだけどなぁ』

 

優衣のそんな声がスピーカーを介して聞こえてきた。

 

『早起きして、ご飯の準備とか、少しでも恩返しできればいいのに』

「……いい子だ」

「ええ子や」

「さすが俺の義妹」

 

聞いてた三人が口々に感想を漏らす。

 

「どうしよう罪悪感が……ええいままよ」

 

よくわからないが一瞬なにかの葛藤があったらしくも、通話のボタンを押した愛菜がスピーカーに向かって口を開く。

 

「優衣ちゃーん!」

『ひゃっいたっ!?ま、愛菜ちゃん?どうしたの?』

 

突然聞こえてきた愛菜の声に驚き壁に頭でも当てたのだろう。ゴンと結構痛そうな音が聞こえた。

ちなみに、優衣と愛菜はタメ口で話している。最初こそ堅苦しかったが、クラスメイトという事でなんとかやってるらしい。亮は学校など行ったこともないため、学校で二人がどういう生活をしているのかはわからない。

 

「この後、お洋服買いに行かない?」

『ふ、服?ていうかそれ今誘わなきゃいけないの?』

 

仰る通りである。

 

「そう!今じゃなきゃダメ。だから今決めて」

『……こういう愛菜ちゃんを学校で見せたらすごいことになるんだろうなぁ。あ、行くよ、せっかくの休みだし』

 

その言葉を聞いた亮が一瞬、小さくだが震えた。

それを見た愛菜がニヤリと口元を歪ませる。

 

「そーいえば今日、鈴木さんとか双海さんとかも遊ぶって言ってたよね、たまには男の人に選んでもらうとかいいと思わない?」

『そういえば言ってましたね』

「だから優衣ちゃんも鈴木、君とか双海さんとかに選んでもらうとかありじゃないかな」

「ほぎゃああああああああああああああああ!あるじ!みみ!妾の耳が燃えとる!!動揺しすぎじゃってええええ!」

 

やたら君を強調するのに優衣は不信感を抱いていた。それとなぜか聞こえてくる八代の悲鳴がとっても気になっている。

 

『ま、まぁそうですね……』

「うんうん!じゃあ行こうね!ゆっくりどうぞ〜!」

「いたひ……焦げとる……ちりちりじゃ……」

 

とっても賑やかなリビングだった。

 

「んで、亮は行かないんだっけ?」

「……そういや新しい土鍋買いたいとか思ってたな行く」

「計画通り……!」

 

まぁそんなこんなで。根本家の化け物四人組は買い物に繰り出すことになった。

 

そしてその頃、どっかの地下施設で魔人と深淵と優衣の監視に勤めていた名前のない誰かの愉快な仲間たちがディスプレイに貼り付けになっていた。

 

「ナナシ。魔人に動きがありました」

「話せ」

「それが……その……魔人、深淵、妖狐、七尾優衣の四人で外出をしております……」

「……はあああああぁ……クソ国王め、なにが世界の脅威はすべて魔人に引っ付けとけばいいだ!!この状況下で!彼らの前で!面倒ごとが起きてみろこの世界じゃ手に余る面倒ごとが増えるだけだぞクソッタレ!!」

 

世界を崩壊に導くことができる化け物三人プラス壊れた世界を修復できる神の使い一人。この四人が並んで歩いているだけで心臓に悪い。

 

「……どうします?」

「とりあえず監視だ。何かあったとしても我々じゃどうしようもないがな!祈ってろ。何もないことを」

「……なにに、でしょう」

「わからん」

 

祈るべき神はきっとこの光景を見て微笑んでいるに違いない。きっと助けてくれはしないだろう。

 

「はぁ……」

 

今日もナナシの胃に多大な負荷がかかる。そして思い出す。過の偉人風に言うならば、これはフラグというやつではないかと。




そんなに長くなかったorz


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主人公と中ボス①

ホワイト地区の高級住宅街に置かれたデパートは、新世界中のブランドが集まる。休日に人が集まるのも納得な規模を持ち合わせているが、その実はセントラル並みの価格設定。凡そ学生や貧富な者が容易く手を出せる範囲にあるものではない。はずなのだが、あろうことか本日はモール内全ての店で割引中。いつもより活気が三割増しになっている。

日頃、スーパーマーケット等で買い物をしていた亮は、そんなことを知る由もなかった。

 

「ねえ義兄さん、今日行くデパートってどういうところ?」

「ンー、なんかすげえいっぱい入ってるところだ」

「大体デパートって色々入ってる気がするけど……うん、でも楽しみにしてる」

「おう、俺もだ」

 

道中、亮は優衣と会話に花を咲かせていた。彼女と道を歩くことが、自分の好きな彼女と道を歩いているような、そんな感覚に見舞われ、受け入れ、充実していた。

 

「おい黒いのマジでこれどーする?」

「どーするもなにも……どうにかなるのかな?」

 

優衣と亮の数歩前を歩く愛菜と八代は、互いに顔を寄せてこの状況について話し合っていた。

 

「妾とお主と主の三人で行くならまだよかった。どーせ五十歩百歩で妾達には興味を示さんかったじゃろ。しかし主のことじゃから、本当に似合うものがあれば似合うと言ってくれるはずじゃ」

「うんうん。本当、そういうところ卑怯なんだよね」

 

三度ほど頷いて互いに理解を深め、さらに会話は続く。

 

「じゃが!今回はあの白い方がおる。つまり主は妾達の方にはマジで一切興味を示さず、何百年とかけて培ってきた全ての知識を使って白い方の服を選ぶことじゃろう……」

「……つまり」

「多分妾達なにしても虚しいだけだと思うんよ……」

「がっでむ!」

 

茶番のようなやりとりだが二人にとっては死活問題だった。数少ないデレられる機会というものが激減してしまっている。

 

「完全に悪手じゃったの」

「けどこうでもしない限り亮と外出って機会ないよね」

「…………」

「ん、そういえば八代ちゃんはよく買い物行ってたか。あー、なるほど、裏切りね」

「や待て落ち着くのじゃ黒いの今は仲間割れをしている場合ではないと思うん」

「……まぁ、そうだね。きっとチャンスはやってくる。それを逃さないようにしよう」

「うむ、がんばるのじゃ!」

 

とまぁ、それぞれ思いを込めながらデパートへと歩いて向かう。化け物達の愉快な行軍だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人が多い。普段ならばそれだけで帰宅に値する。が、本日の亮にその選択肢はない。それはもちろん、優衣という最愛の彼女の妹を名乗る、彼女に似た存在があるためだ。彼女が服を選んでくれと言うなら自分の持ち得る全ての知識と財産を使い果たして選ぶことを厭わない。が。

 

「おっ、根本さんと七尾さんじゃん、どういう組み合わせ?」

「意外な二人」

「あ、鈴木君、双海さん、こんにちは」

「っべぇ主人公キタ」

 

到着するなり愛菜と優衣に話しかける二人組がいた。二人については亮はある程度の情報がある。クラスメイトの鈴木和馬と双海寧音。どうやら身内間でのお買い物はお預けらしい。

 

「八代」

「わかっとる」

 

この流れでは向こうと合流した買い物になるだろうと踏み、亮は八代と自分の姿を透明にさせる。周りに多数の人がいる状況ではあるが、瞬時に透明になることで周りには違和感を感じさせるだけで済む。

 

「あれ、いま誰か居なかった?」

「き、気のせいじゃないかな?」

「(亮、逃げた……)」

 

当初の計画では彼らを発見次第、自分は亮の影に入り、優衣を彼らにに押し付け最大の敵を排除してから八代とタイマン。だったのだが、まさかこんなに早く、しかも自分も排除されることになるとは思ってもいなかった。

 

「何かの縁。みんなで回ろう」

「そうだな。七尾さんと根本さんなんて組み合わせも珍しいし」

「そうだね」

「……うん、わかりました」

 

寧音の提案に、数馬、優衣、愛菜の順で乗っかって行く。優衣は割り切れたようだ。

 

「(っしゃあ!!妾の一人勝ちぃぃぃ!)」

 

ガッツポーズを決めた八代と、別の適当な女性の姿に変化した亮は遠くから四人を眺めていた。そう、男性ではなく女性である。私服の高校生に見られる外見だ。旧世界で食らった少女をベースに、女性が着ていても違和感のない服装をチョイス。

これで周りにはボーイッシュな女の子が妹を連れている風に見える。

 

「ある……いやお姉ちゃん?」

「黙れ狐。向こうの声が聞こえない」

「……ボケの方にツッコンでー。え、というかこれずっと続けるん?」

「当たり前だろ。あの鈴木数馬とか言ったか。優衣に触れたら二度と外歩けない体にしてやる」

「……妾、勝ったと思ったんだけどなぁ……」

 

なんとも非情な世界だった。普段なら絶対にやらないであろう女装からの気合とやる気に満ち溢れた尾行。八代が知る中でトップに入る真剣さである。

 

「どしてこうなったんじゃ」

 

それくらいしか言葉が出てこなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ため息を着いてから一歩を踏み出した。せっかくのチャンスがタイミング悪い時に出現した彼らのせいで消し飛んだ。恐らく彼らというよりかは、鈴木数馬その人が原因。彼はいつもいつもとても良いタイミングで現れる。

訳あって保健室で着替えてる時に侵入して来る。ナンパされてる時に遭遇する。媚薬の件でちゃっかり首を突っ込む。修学旅行では宮里由紀の自称妹と一戦交える。そして今は自分と亮の時間を邪魔する。

 

「(……いつか闇に落として二度と戻ってこれないようにしよう)」

 

心に決めて先を行く数馬と寧音と優衣の後に着いて行く。この光景からすると優衣だけくっつけて自分はフェードアウトしてもいいんじゃないかと思うが、一緒に行くことに合意してしまった手前そうもいかない。それに。

 

「……めっちゃ見てるんだよなぁ」

 

亮と八代がこちらの様子を伺っているのはわかる。どこにいるかは分からないが気配がする。このままフェードアウトしたり、逸れたと誤魔化し亮と合流しても、亮の行動は変わらないだろう。ならば別にここで彼らと行動するのとなんら変わらない。

 

「根本さん」

「ん、双海さん」

 

とまぁ考えていたところで寧音が愛菜の隣に並ぶ。

 

「この前は、ありがとう」

「……んーと、なんの話ですか?」

「その……薬の……」

「その件はもうお礼を受け取りましたから」

 

媚薬の事件の時の被害者がこの寧音だ。たまたま彼女が車で拉致られるのを目撃し、放置して帰ろうか悩んだものの、たまたま数馬が居合わせてしまっていたので救出したのだ。もし彼が居なかったら助けなかっただろう。

 

「まだ足りていないわ」

「なら今度、牛丼でも奢ってください。それで」

「わかったわ。何杯でもいい」

 

別に有象無象のお礼など要らなく、期待していないわけだが。こう言っておけば無難に話は終わる。

 

「すげえさすがセール」

「……割引で桁が一つ減ってるとお得な感じがするね」

「いや七尾さんそれはわからなくはないけど、たぶん騙されてるから」

 

数馬と優衣は商品を眺めつつ、楽しそうな会話を繰り広げている。

 

「……」

「やー、主。耐えてる方だと思うんけど、殺気ぱねえのじゃ……あぁ、胃が痛い……」

 

それに比例して八代の精神が削られていく。女性の姿の亮が殺気を滲ませるという前代未聞の事態は、旧神、九尾の狐と言えど想定の斜め上を行くものだったのだ。

 

「んー、これどうかな」

「いいんじゃねえの?白のカーディガン、よく七尾さんに似合うと思うぜ」

 

とまぁ必然的にそうなるだろう。数馬の方は亮など知らない。似合うかと聞かれて似合うなら似合うと答えるだろう。ただそれだけの当たり前のことが。

 

「……」

「主空気が冷えてる言うかそれはまずいんよ地球が土星になっちゃう。あ、そうじゃ!これはサプライズで後で合流する時、可愛い白いのが見れると思うと良さげな感じあるじゃろ!」

「……一理ある」

「(セーフッ!)」

 

さすがは魔人と一心胴体の存在だったと言うべきか。しかし、こんなところでそんな経験を発揮しても仕方ない。本当につくづく仕方ない。

 

「んー、このパーカーは……」

「……根本さん、また黒い服?」

「まぁ。根っから黒が好きなんです。名は体を表す、って感じですかね」

 

愛菜と寧音は優衣と数馬に少し遅れて着いている。亮に選んでもらうことはこの際諦め、いつものように彼の好きそうな服装を考えて、それに近付けるような物を選ぶことにした。

名は体を表すなんて嘘だ。自分の名も体も彼に貰ったものだから、彼の好みが自分の好みになる事は必然。

 

「そう。……この黒のキャスケットなんてどう?」

「ん、いいかもですね。どうですか?」

「凄く様になってると思う。イメージカラーが黒のあなたにぴったり」

「……買いですかね!」

「即断即決。いいと思う」

 

この時、愛菜は愚か、八代も気付かなかった。優衣の方にばかり注視していた亮が、一瞬愛菜と寧音のやりとりを見て、満足そうな表情をしていたことを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、楽しいショッピングの時間はそろそろ終わりを告げる。別に帰宅の時間になったとかそういう話ではない。忘れてはならない要素が一つある。

この場には、主人公がいるということだ。

 

主人公とその仲間とボスキャラとその仲間。それらが集結している場に、問題が起きない世界など存在しない。そんな物語は読者を興ざめさせてしまう。

少なくとも、このシナリオを書いた神が読んだ創作物の中では必ず問題が起きる。それは主人公が一歩を踏み出すために、あるいはボスキャラに主人公を認知させるために。神が描いたこの物語でもそれは変わらない。

 

今までラスボスと行動をし、この世の闇を知り、問題に首を突っ込んでは解決し、ハッピーエンドに導いてきた鈴木数馬は今日この場で無敵の中ボスと邂逅することになる。偶然を操作された必然の結果。そのための過程のもう一歩。

まずは亮の元に連絡が来た。

 

「なんだ」

『コードC……そのデパートに三台の盗難車が向かっている。おそらくは議会制民主主義、彼らの過激派の連中だ』

 

現在の王政というやり方が気に食わない。ただそれだけの集まり。表立って活動している連中はまだいい。議会制民主主義の名の下にきちんと話し合いの場を設け、王や公的機関に現在の政策、経済などに意見や意義を申し立てる。名乗るだけあって、彼らはきちんと国民の声に基づき行動する。例えばSNSなどで次回の対話の際に投げかける質問を募ったり。逆に政府側から彼らの行動力を買われ、現在の政策による国民への影響分析などを任されることもある。もちろんそれらは公的に行われてもいるが、彼らの調査と結果が大きく異なったり別の意見が出たりすることもあるのでバカにはできないのだ。

まぁそれが表向きの連中。その裏では革命を謳った者達が少なからず存在していた。武力によって王権を揺るがし、その隙を議会制民主主義が付け入る。それはもちろん彼らとて望んだ形ではない。しかし過激派の連中は望まずとも王権が弱まれば彼らが進出することを知っていて、彼らはそれが狙いだとわかっていても、国が荒れるなら進出をやめることはない。

過激派はどうにかしなければならないといけない存在ではあるが、それはあくまで表の者達がどうにかしなければならない問題である。

 

まぁつまり。

 

「……手を出すなと」

『正当防衛をするなとは言わんが、あくまで表向きの連中での処理を頼む』

 

正直なところ。魔人に一人取り込ませ、記憶を手に入れ、アジトや今後の方針を知ることで二日足らずで壊滅する。しかしもしそんなことをしてしまえば、国の治安維持を疑われるというものだ。メディアに警察がやったと流せばしばらくはどうにかなるかもしれない。が、警察関係者が知らないと言えばもうおしまいだ。

 

「残り時間は」

『六分。武装のレベルからしてそこの警備隊では役に立たないだろうから制圧には五分から十分。そこの構造上、まず表からかなりの人数が侵入。少数が非常階段あたりから四階の警備室に突入するはずだ。だから最も安全なのは屋上と言ったところか』

「ン、わかってる」

『……どうでもいいが、なぜ女性の声を』

 

通話を途中で切り上げ、八代を呼ぶ。

 

「楽しい買い物どころじゃなくなってきたの」

「そういうことだ。お前はとりあえず屋上で待機だ」

「んー妾は人質、というものをやってみたいのじゃ」

「……はぁ」

 

たかだか武装集団如きに遅れを取ることは無いから、人質になることにはなんの問題もないだろう。鉛玉程度で傷を負う体ではない。それに、ないだろうが万が一、亮や八代が出なければならないほどの事態の場合、内側から崩せるのは奇襲の面でも良い手になる。

勝手にしろと許可を出し、携帯電話で愛菜へ発信する。

 

「愛菜、コードC。五分だ」

『…………ごめんそれなんだっけ』

「お前な……まぁいい。なんか創作物の中みたいな事案が発生するから気をつけろ」

『……んー、まぁそんな気はしてたから大体わかった。亮と八代ちゃんは先に戻ってていいよ。一応私は善良な極術師として売名してくる』

「善良……?」

「うるさい!」

 

たかだか武装集団如きに遅れを取る面子ではないが、こういう表立った舞台に亮と八代が立つわけにはいかない。亮が一人で壊滅させ英雄になり信仰を集める道も考えはしたが、恐らくは一時的に英雄視されど、それはいずれ恐怖へと変わるのが目に見えているので却下する。

しかし、愛菜は極術師として名を馳せているのでこれには当てはまらない。もちろん、闇に沈めるをことを除いてではあるが。

 

「ン、まぁともかく頼んだぞ。八代は人質志望らしいから、俺は優衣を探してくる」

『大丈夫だと思うけど、了解。んじゃまた』

 

通話が切れると同時に。

 

────ババババババ!

と、銃声がデパート内に響いた。

 

「……マジでデパートをテロリストが襲撃か。なんだこれ」

 

使い古されたシチュエーション。苦笑いしか出てこない。亮は五階フロアからライフルを発砲させながら事を進める彼らを見下ろしていた。




次回は別視点を混ぜつつ話を進める流れです

番外編として過去話やらキャラとの個別エピソードを挟むか迷いまいまい


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主人公と中ボス②

Q.対物ライフルから放たれた弾丸を1m先の生身の人間が受けるとどうなるでしょう。

A.死ぬ。

 

例えばそんな問題があったとして、上記の解答をした場合、レ点をつけることはできないだろう。問題文に最低字数の設定はないし、結果だけを明確に記した内容だからだ。「死亡すると書きましょう」などの理由で減点することはできるかもしれないが、本質は何ら変わらない。

それに、どれだけ詳細に記述したとしても、その結果が覆ることはないのだ。回答者が棍棒から衛星レーザーまで幅広く扱う武器商人だろうが、伝説と呼ばれるような歴戦の兵士だろうが、対物ライフルが何かはわからないが銃だと思った一般人だろうが、綴った字数が何万字になろうとも最後にその結果は記される。

 

そして誰かが思った。普通の人はその光景を目の当たりにするとどういう反応をするんだろうと。

 

だから少し前にVR技術を利用したとある心理テストゲームが話題になり削除された。

ゲームをネットにアップロードし、利用者がダウンロードしてプレイできるサイトで無料配布されたのがそのゲームだ。

「心理テスト」とだけ銘打たれたそのゲームを開始すると、無料配布のゲームには珍しく録画機能を使えない、VRモードでのみプレイ可能の注意事項が出てから、自身のアバターのメイキングが始まる。と言っても、顔、体系はプレイヤーのリアルの物と同じになるため、選ぶのは数多用意された服装のみだ。

次にパートナーを選ぶ。性別の選択から始まり、顔や体格を細かく設定する。もちろんあらかじめ用意されたものもあるが、このゲームは自分の理想の相手の作成を推奨していた。

その後に声の設定をする。まずサンプルボイスを選んでからその音声の声色などを細かく調整して自分の好きな声を設定する。そしてそのキャラが自分の名前を呼ぶ。発音、アクセントなどまた細かい設定を経て、本当にその人に自分の名前を呼ばれるようにする。

最後に理想のパートナーの性格を設定。いくつもの五択の質問を繰り返し、その結果がパートナーの性格となる。

キャラメイクだけで何時間もかけた人が出るくらいには細かい設定。ここまで詳しくキャラを設定できるゲームは無料配布されているものの中では稀にもないレベルだ。

 

ゲームを始めると、それはもうただの本格恋愛シミュレーションだった。中学一年の入学式から時間が始まり、パートナーと出会う。恋愛ゲームであれば通常、選択肢は二択や三択が多いが、このゲームでは十択以上の選択肢から選び進めていく。しかもその頻度もかなり多いし、その選択肢ごとで今後の展開もかなり変わる。本当に学生時代に戻り、青春を送っているような、そんな感覚に陥る者も少なくなかったらしい。高度なVR技術のおかげで視覚からの情報があまりにもリアルであるがためだ。

ゲームのレビューは高評価。大手のゲームレビュー会社のブログにも取り上げられた。

「無料配布でこのクオリティはすごい」「心理テストだと思っていたらハイクオリティのギャルゲーだった」「これ金取れるだろう」「理想の嫁と理想の恋愛ができる」

大体そんな感じで多くのユーザーに広がっていった。

 

そのゲームがやっと心理テストだと思い出すのは、何十時間以上もプレイし、パートナーと結ばれ、自分から、もしくはパートナーからプロポーズされゲームがエンディングを迎える時だ。

自分の選んだ選択肢などから心理テストとしての結果を表示する。それはとても正確で、クリアした者たちは認めるしかなかった具合。商品化や追加コンテンツなどが期待されていたのだが、このゲームはそれで終わらなかった。

 

二周目。というものがあった。同じパートナーとまた恋愛シミュレーションをし、ゲームを進める。一周目に選ばなかった選択肢を選んだり、同じ選択肢を選び物思いにふける。どちらも共通して言えることが、もうプレイしている者はそのパートナーをただのキャラクターとして見れていない点だ。

そしてそれは、製作者の意向だった。前回と同じようにエンディングを迎え、結ばれた二人のラストエピソードとして、二人は一周目の最初にデートをした場所へ行く。二周目のパートナーが覚えているはずのない、その時の思い出話や、これからのこと。そして、パートナーからプレイヤーへ想いを伝えたとき、画面が一度ブラックアウトし、機械的な女性の音声が流れる。

 

 

「今から目の前で衝撃的な事案が発生します。発生から20秒の間のあなたの反応で診断します」

 

 

直後。画面が元に戻り、パートナーが目の前でテロリストらしき人物から対物ライフルで撃たれ、胴に風穴が開く。

 

 

ともかくプレイヤーの反応をみて20秒後に心理テストの結果が出る。

 

それがそのゲームが削除された理由だった。

最初にそのエンディングを迎えた人は、「僕の彼女が死んだから生きていられない」と遺して自殺したらしい。当時はそのゲームが原因とは考えられていなかったが、何人もがそのエンディングに辿り着き、その者らは一斉に評価を下げ、運営に削除呼びかけをする。

これは人の心を壊すゲームだと。

 

当然運営もそれを受けてゲームの配信を停止し、プレイしないことを呼びかけた。が、未だに一部の熱心なファンはプレイしている。何周も、何十周も。ゲームの作者も顔を出し、自ら命を絶つまで追い詰められた者、その遺族、そして世間からの圧力に耐えられなくなり、遺書を残し自殺。それでこの心理テストゲーム騒動は幕を閉じた。

 

ちなみに最後のシーンで最も多かった反応が沈黙からの発狂だ。人間、理解できない状況や、思考容量の限界を突破するとそうなるらしい。

ちなみに深淵、根本愛菜は二周目のそのシーンでこう感想を漏らした。

 

「え、で?それだけ?もーちょいこう、スプラッターな方がリアリティあると思うなぁ」

 

プレイした者は多かったが、ここまで冷静に感想を漏らしたのは彼女だけである。

ついで、そのゲームが削除されたときに制作者はこう言った。

 

「ンー、マジか。やっぱダメか。面白いと思ったんだけどな」

 

言うまでもなく。人の尊厳やら気持ちを試すような真似ばかりするのは魔人である。遺書を残し自殺したのはとうの昔に食われた彼の中の誰かだと言うのは極少数のみぞ知る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

つまり何が言いたいかというと、そのゲームのような光景が今、目の前で起きたのだ。

 

「ふ……たみ……?」

 

鈴木数馬の目の前で、大事な友人が吹き飛んだ。もしこれがさっきから乱射されているライフル当たりならもう少し冷静になっていたかもしれない。だが当たったものは7.62x39mm弾ではなく12.7x108mm弾だった。彼に弾の口径などわからないし、ワンフロア下の入り口にいる大男が両手で抱えて発砲している大型の銃がなんなのかはわからない。

 

だが、左胸に穴を空けた人間が死ぬのはわかる。

 

「……え」

 

言葉にならない。万年赤点の頭の処理速度ではこの事実を受け止めることができなかった。実際、万年満点だろうと大概の人間は受け止められないものだが、ある程度場数を踏んだ万年赤点は寧音の遺体を引き摺りテナントの奥へ。

 

「おい!おい双海!!くっそ……誰か!治癒術を使える人!!」

 

開いた胸から流れる赤黒い血が止まらない。もはや上位の治癒術だろうが治せるレベルにないが、それでも僅かにもない希望に賭けて声を上げる。が、それはデパート中に響き渡る悲鳴と銃声にかき消された。

 

「っ、そうだ!七尾さん、彼女ならどうにかできるはずだ!」

 

鼻歌交じりで時を止め、死者を生き返らせ物理法則を捻じ曲げた神。そんな存在が自分とすり替えた彼女なら何かできるはずだと考える。今日は詳しく教えてはくれなかったが、優衣からは微かにあの神のような、優しい圧力を感じた。きっと神の位の魔術を使えるのかもしれない。

人頼みなことこの上ないが、もはや形振り構っていられる場合ではない。自分の身近な人が助かるのならば、それに越したことはないのだから。

 

「待っててくれ、すぐに連れてくる!」

 

確かワンフロア上のアクセサリーショップで愛菜とプレゼント用の小物を選んでいたと思い返す。

状況を整理する。テロリストは一階の入口から堂々と侵入してきた。屋台の的当て感覚で適当に銃を放って大勢を殺害しながら中央、東、西のエスカレーターを目指して歩いていた。数馬がいるのは二階フロアの北側のエスカレーター付近。このまま走って駆け上がればすぐに二人がいる一個上の三階フロアに行けるのだが。

 

「出遅れた……」

 

北側のエスカレーターはテロリストたちの動きを察知した人たちの行列が出来上がっていた。とっても危険な人の山々だ。我先にと逃げる者たちが、今のところテロリストたちから最も遠い北エスカレーターに、デパート内の人々が駆け込んでいる。我先にと他人を蹴落とすような勢いで。

まさしく安全を求めた凶器の状態。見れば、エスカレーターには押されたのか倒れた人がいる。それを、後ろから多くの人が人を踏み抜いていく。安全を求めるがあまり、人が人を踏んでいく。

 

「くっ……」

 

見るに堪えない。助けたいとも思うが、もうこれは自分一人でどうにかできる状況ではない。

 

「どうにか上に行く方法は……」

 

辺りを見渡す。おそらく目に見える移動手段は全部使えないだろう。非常事態に置いては目に見える日常的な手段に頼ってしまうものだ。非常階段が使えるのに止まったエスカレーターに殺到している今がいい例である。

ならば普段使えない方法。アニメや、子供が妄想するような、常識では絶対にやらない手法がいい。そこまで考えて、やっと見つける。

それは一階フロアから伸びている大きな木。どこから持ってきたのかは知らないが、その大木はかなり上のフロアまで伸びているはずだ。ならば。

 

「うおおおおっ!!」

 

走って、跳ねて、手すりを蹴って、大木にしがみつく。

 

「くっ……あっぶねえ……」

 

下位術師ではあるが一応は身体能力強化を扱う身。普段の測定では大したものにはなっていないが、こういう時くらいはこれくらいできるものだと安堵する。が、今は達成感に浸っている場合ではない。大木をよじ登っていく。観賞用のせいか、目に見えて大きなでっぱりが少ない。足をかけるスペースがほぼないがため、必然的に腕の力を頼っていく形になる。

 

「高い……落ちたらケガじゃ済まないやつだ。なるべく下は見ないようにと」

 

そうやって考えていたその時。

 

『死んだ奴はご臨床様。生きてる奴はおめでとう。これから君たちは人質だ』

 

放送が流れた。テロリストたちだろう。

 

『我々の要求を無能な王へ通すため、死んでもらったり交渉の材料にさせてもらう。聞こえているものは今すぐ二階のフロアへ来い。五分だ。五分以内にここへ来れば人質として丁寧に扱おう。来なかった者は発見次第殺す。さぁ、カウント開始だ』

 

とりあえずまずい。二階のどの場所かはわからないが、もし寧音を見つけた場合、仮に優衣を連れて行っても治せないかもしれない。それはそうだ、明らかに死亡している人を、大勢の目の前で治せるわけがない。

 

「(でも、まずは二人を見つけないと)」

 

話はそこからだ。そう心に言い聞かせてから、より一層力を込めて木を登る。登ってるところをテロリストや他の人に見つかり、騒がれる心配もあったが、そんなことはなく、なんとか三階フロアまで来た。

三階フロアの少し上まで登り、腕を伸ばして着地点を見据える。まさか創作世界で見るような事をする羽目になるとは思わなかったが、覚悟を決めて膝を曲げる。

 

「よっ!」

 

思い切り木を蹴る。体を伸ばして少しでも距離を稼ぐ。その回あったが、大の字のまま上半身はフロアの方に入ってる。そう、上半身は。

 

「おうふっ……」

 

下半身は微妙なラインだったがため、股間を手すりに強打した。男性特有の激痛と引き換えに無事、三階フロアに入れたわけだ。

 

「……なんか、締まりませんね」

 

激痛に耐えていた数馬に声をかけたのは、根本愛菜だった。

 

「ね、根本さん……」

「や、私にはその痛みはわからんで気安い言葉はかけませんが、落ちるよりからマシということにしましょ」

 

テロ現場とは思えないやりとりだった。

 

「……と、痛がってる場合じゃない。七尾さんは?」

「優衣ちゃんならそこですよ」

 

愛菜が指差した先は女性物の洋服売り場。

 

「双海が撃たれた。七尾さんならどうにかならないか」

「……撃たれたって」

「胸を……なんか馬鹿でかい銃で」

 

対物ライフルの方かと愛菜は理解する。テロリストの武装は見ていてある程度を把握していたからだ。しかしそれだと重傷ではなく誰の目から見てもわかる絶命のレベル。

確かに重傷だろうが絶命だろうが七尾優衣にかかれば等しく治る。だが問題はなぜそれを彼が知っているのかだ。

 

「ならこっち」

 

とりあえず、優衣の元へ数馬を連れて行く。今ここでその辺りを尋ねてもいいが、さっきの放送が流れた以上、あまりグズグズしていると治すに治せない状況になる。

 

「鈴木君……無事だったんだね」

「七尾さん、頼む、双海が撃たれた。治せないか。前みたいに、なんかよくわかんないけどすごい力で」

 

縋る。常人では理解できないような、神の力に。

 

「……双海さんは?」

 

優衣が居場所を尋ねる。できないとは言わない。目の前の彼はその力を見た事あるし、一度それに助けられた事を知っているからだ。

神が、自分が姉と呼ぶ存在がそれを見せたということは、自分が使えることを彼に見せても問題ない。そう判断した。

 

「二階、この真下だ」

「わかった。すぐに行こう」

 

下はテロリスト達と人質が集まっているはず。ここからは気が抜けない。それに、彼らが定めた五分はすでに経過している。見つかれば発砲されるのは間違いないだろう。

 

「仕方ないですね。友達のために一肌脱ぎますか」

 

と、愛菜も言う。この場に魔人が居れば鼻で笑っただろう。

 

「ごめん、力を貸してくれ、根本さん」

 

極術使いが仲間にいれば心強い。このメンバーならきっと双海の元にたどり着き、彼女を助けられる。

 

「よし、行こう」

 

そんな光景を、魔人は四階の管理室で眺めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

主人公が仲間と共に立ち上がる前。人質希望の八代を放って四階の管理室に向かった。優衣を探すならば監視カメラの映像を見て、居場所を知ってから向かうのが一番手っ取り早いと思ったからだ。

 

「(邪魔くせぇ)」

 

銃声を聞いて逃げ惑う人々。押し退けるのは簡単だが、視界が効かないのが面倒。なので姿を透明化させてから天井に飛び張り付き、天井を歩く。

 

「(大丈夫だと思って目を離したらこれだもんな。まったく)」

 

そのまま愛菜や優衣を追っていたのならば、多少「神聖」を失ってでも聖移を使って帰宅したのに。とも思うが、こうなってしまった以上仕方ない。

 

とりあえず五階フロアから飛び降りて四階フロアに移動する。またこちらでも人の波が凄いのでもう一度天井を歩く。管理室がどこか分からないので虱潰しに「関係者以外立ち入り禁止」を見て行くしかないのが面倒なところだ。

そうして移動を始めた時。

 

「(……なんだあの猿)」

 

気をよじ登る人を発見した。恐怖でおかしくなる人は結構いるが、そういう奇行もあるんだなと変な関心をしてすぐにまた移動を始める。

そうして直ぐに四階の非常階段から出てきた、覆面のテロリスト三人を発見。

彼らが管理室まで案内してくれるだろうと踏み、彼らの頭上からついて行く。その移動途中。

 

「くらええええ!」

 

その三人に対して誰かが魔術を撃ち込んだ。雷球で威力は上位ほど。当たればかなりのダメージになるのは間違いない。これは思わぬ反撃かと思った。が。

雷球はテロリストに当たることはなく、当たる寸前に消滅した。

 

「えっ……」

 

撃った本人は軽く放心状態に陥る。射程範囲内だと思っていた。なのになぜ。そうこう考えているうちに発砲されて頭を撃ち抜かれ絶命した。

 

「(ンー、エーテルの分散か」

 

魔術除去装置を小型化したものかと思ったが、それだとそもそも魔術が発動できないという結果になる。ついでテロリストに近づいてエーテルが分散したのだから、範囲内のエーテルを分散させる何かと考えるのが自然だ。

よくもまぁ、絶対に失敗する計画にここまで国を動かせる切り札を使うものだ。最近の若い者が考えることは理解できない。なんてジジくさいことを考えて、大人しく彼らに着いていく。

 

「……こちらJ。管理室の制圧を開始する」

 

彼らは管理室と思われる場所へ侵入。最新のロックシステムであるエーテル認証をどういうわけか正常に通して中へ入り、ご丁寧に鍵を締める。

 

「(……ン。どうすっかな)」

 

恐らく、この件は表向きでは正常に解決される。それは間違いない。この場には愛菜も居るし、警察部隊も集まり出している。だが、それだけで全ては解決しないだろう。今回は闇に葬られるべき物が多くある。彼らの装備、先ほどのエーテル認証、この手際の良さ、彼らの存在そのもの。本来こんな大々的に出てきていい者たちではない。

 

つまり、今晩は出勤になる。

 

だから彼らを取り込んでおくべきかの悩みだ。メリットは仕事が楽になる。デメリットは事後に警察の捜査でおかしな点が現れるというところ。五秒ほど費やしてメリットデメリットを計算し、答えを出す。

とりあえずは中に侵入。ということで、体を透明なまま液体化。中へ入る。

先に入っていたテロリスト達は端末を弄り、全てのドアを塞ごうとクラッキングを試みていた。全て終えればシャッターが降りて、ここの建物から出る方法が非常階段のみになるだろう。それから警察達に移動用のヘリやらを用意させれば無事脱出だ。もっとも、その後の保証はないが。

 

「あと二分ほどで完了します」

 

と、無線で誰かに伝えていたが。

それがそのまま遺言となる。液体化していた体を元の女性ではなく、普段の姿へと戻し、三人まとめて見えない手で首を絞める。

死なない程度に窒息、気絶させて監視カメラの映像を目で追った。

 

「大丈夫そうだな」

 

愛菜、優衣、数馬。三人が戦いの舞台へと向かうところだった。

 

ここからは主人公の舞台。魔人の出る幕ではなく、彼が、仲間と共に奇跡やらその辺を起こして解決されるべき事件。なので、亮は。

 

二階フロアで目を輝かせながら縛られている八代をどうするか考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

勝利を掴み取った。

 

途中何度もアクシデントがあったり、脚を撃たれたり、腕を撃たれたり。水流に押されて溺れかけた事もあった。

でも、それでも鈴木数馬はテロリストの親玉を殴り飛ばし、人質を解放して、双海を生き返らせた。皆で笑い合い、人質だった者に感謝され、死に逝った者達の遺族に優衣の力を教えることができない事を悔やみ、それでも仲間達と共に元の生活に戻ることができた。

 

そして、最後の最後。

 

「あ、亮」

 

それは普通に二階フロアに現れた。

 

「無事か。なんか大変そうだったな」

「や、どこ居たの?」

「喫煙所」

 

周りの声が煩くて愛菜と亮の会話は聞き取れない。だが、数馬は今まで感じたことのない気味の悪さを彼から感じた。

 

「ほら、八代、帰るぞ。愛菜と優衣は学友と遊んでけ」

 

人質だった女の子と共にデパートを去ろうとする。何か、今何かを彼にしなきゃいけない。数馬はそんな衝動に駆られていて、思わず。

 

「あ、あの!」

 

と、声をかけてしまった。

彼は顔を動かし、声を発した数馬の方を見る。そして目と目が合う。その瞬間、数馬が抱いていた気味の悪さの正体が分かった。

 

「ン?なんか用か」

「あぁ……いや、なんでもありません」

「そうか」

 

一言言って歩き去る。もう止める気にもならなかった。なぜなら彼は、前に自分が好きになった女の子が愛していると言った恋敵だったから。

 

そして、自分の家族を皆殺しにした男だったから。




遅くなる投稿。抗えないネタ切れ。滲み出る語彙力不足。


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ベランダでの意味のない回想の前座①

「ンで終わりか」

 

三十秒で倉庫内に集まっていた者どもは窒息死した。数は事前の情報通り二十四人。皆、先ほどまでの息ができない苦痛の顔のまま、蒼白の顔で死に絶えている。

そしてここからが本番だ。死体を浮遊させそれらを体に触れさせ、取り込む。二十四人も取り込めば今日のデパートの襲撃から今後の計画までの全容を把握できるだろう。と、その前に携帯電話に着信があった。

 

「作業中だったら迷惑だぞ」

『君一人での仕事の場合はほぼ行って帰ってきているだけだろうに。さて、君からの要請を受けてシェイカーに使いを送ったが、死んでいた。氷漬けにされてな』

 

今日のテロリストの装備。エーテル分散装置が気になって、帰宅してすぐにナナシへそのことを伝えた。その結果、シェイカーは氷のオブジェクトになっていたらしい。

 

「氷漬け?なんだ、宮里由紀か」

 

現在、人を氷漬けにするほどの魔術を扱うのは極術師の宮里由紀ただ一人。一応上位術師で氷を扱うものが居ないことはないが、彼らはどうあがいても氷の造形を作る事に留まる。

 

『そこなんだ、解せないのが。氷からは宮里由紀と同じ魔力が検出されている。が、本人は今日明日でイエロー地区にて家族旅行だ』

「昨日やって今日発見されたって可能性は?」

『ない。昨日シェイカーは新しく開発した魔術を込めた弾薬を、次の外界遠征で使うために遅くまで軍の上層部と会議だった』

「あいつ、ブルーの軍基地に住んでるんじゃねえのか」

『最近は定時でホワイト地区の家に帰宅していたらしい。研究熱心なシェイカーには珍しい事だと内部でも噂されていたが』

 

ならば必然的に犯行可能なのは帰宅してから深夜に使いが入るまで。それだけあれば同じ地区内の宮里由紀ならばやれないこともない。しかし、宮里由紀は殺しなんてしたこともない、珍しい極術師だ。殺さなきゃいけない理由があったのかもしれないが、だが、それよりも可能性が高い事がある。

 

「そういや、宮里由紀のクローンっつーか、アバターいるだろ」

『……突然、何を言い出すんだ……』

 

図星を突かれたとか、そういう空気ではない。これは、本当に知らなかった感じだ。

 

「この前、王居に向かう時、リニアモーターカーに宮里由紀の子供みたいな形したアバターがいたぞ。あれじゃねえの」

『……………………なぜそれをもっと早く言わないんだああああああああああああああああああああ!!!』

「うるせえよ」

 

ナナシが声を荒げて叫ぶなんてのは珍しいが、電話口であるのを忘れないでほしい。痛くなるような鼓膜は持っていないが、人の叫び声というものは気分を害するものなのだ。

 

『初耳だぞこっちは!!今日の件だって大人しくしてろと言っただろふざけるな管理室で寝かしたやつ!あれ警察間で未だに原因不明なんだぞ!!あと君のペット!なんだ人質になって事情聴取なしで帰宅ってふざけてるのか!?』

「世の中には理解できないことっていくつかあるだろ?」

『君ら化け物共の行動は超常現象と!』

 

確かに珍しく自分でも遊びすぎた感はある。最後の最後で顔を出して愛菜と会話してしまったのも含め。

 

『……まぁいい』

「そうだ。あんま怒るとシワが増えると聞いた。まぁあんたには関係ないか」

『黙れ……それで、食事は終わったのか』

「食事じゃねえよ。人を殺してるだけだ」

 

言って窒息死させた二十四人を同時に浮かせ、四体ずつ体に触れさせ、取り込んでいく。そうして一人一人の人生が無い脳に刻まれていく。幼少期の記憶から窒息死する瞬間までと、その人生の中での喜びやら悲しみやらその他も諸々。

 

「いっつ……はは」

『……どうした?』

 

初めて。ナナシは魔人が痛みと言う言葉を発したのを聞いた。

 

「あぁいや、他の方法だったならいいんだが、二十四人の窒息死をほぼ同時に食らうと二十四人分の痛みがちょいと。ン、久し振りの痛みで大したことないのにオーバーリアクションになった」

 

亮に痛覚はない。が、痛いという記憶が集合して痛みを錯覚しただけのこと。予め知っていれば声を出すほどではないのだが、最近は二十四人を取り込むなんてしていなかったので、予期せぬ感覚に声を漏らしてしまっただけのことだ。

 

『で、何かわかったか』

「…………ンー、なんだ、これは……あー」

 

珍しく魔人が得た情報の処理に困っている様子。ナナシは嫌な予感を抱きながらも魔人の言葉を待った。そして、数秒の間ののちに、口を開く。

 

「大袈裟に言って、新世界が危ない。控え目に言って王と宮里由紀が危ない」

『……なに?』

 

ちょうどいい塩梅の言葉は果たしてどこに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とりあえず、これから起こりうる事態とその被害を分析したものをナナシに伝え、仕事は終わり。これからの方針はナナシと、ナナシの上司である王が決まる。あくまで下っ端の亮は言われた仕事をこなすだけなのだ。

 

「ただいま」

 

いつものようにそう言って、扉を開く。

 

「おかえりー」

「主、おかえりなさい」

「義兄さんおかえりなさい」

 

愛菜、八代、優衣が迎えてくれる。三人の言葉を聞いて、少し心につっかえていた何かが落ちた気がした。今更だが、亮の中には何百以上の人の記憶がある。自分の意思と並行して、その何百の記憶が渦巻く。慣れているとは言え、常に何百の喜びやら悲しみやらが身体中を這いずり回っているのだ。その心内の想像は常人にはできない。

 

「お前らまだ起きてたのか。夜遅いだろ」

 

今日のデパートで購入した腕時計を見ると、もう深夜の一時半を指していた。

 

「んー、なんとなく?」

「みんな義兄さんが心配だったんだよ」

「そゆことよ!」

 

いつも通り。暖かい家庭だった。自分が積み上げてきた冷たい行いとは真逆。間違いなく自分が持っていてはいけないものだ。

 

「そう思ってくれてんのは嬉しいが、夜更かしは体に良くないぞ。ほら寝た寝た」

 

はーい。と声を合わせて、それぞれ自室に戻っていく。全員が部屋に入り、シンと静まったリビングを眺めてから、電気を消して、亮も自室に戻る。

毎晩。この時間が憂鬱だった。自分には当たり前で、慣れた事であれど憂鬱。とりあえずは帰宅してからの一服をしようと思い、ベランダへ出る。

 

「……はぁ」

 

このタバコを吸うという行為は、気持ちの鎮静剤にして、思い出すための切っ掛け。今日も今日とてポケットからロケットを取り出し、握り締め、思い出し、浸る。まず顔を上げて月を見た。今日は確かこの世界では満月が設定されていた。設定通り、満月は輝いていた。

嫌な夜だと思う。大切な人の受け売りだが、人は空を見上げて月が輝いているとまずそこを見る。月が綺麗だと口にする。半月だろうと三日月だろうと、今日は綺麗に見えないだの欠けているだの口にする。

大切な人はそれを嫌った。夜空で一番輝く存在が、その周りで小さく輝く星々を邪魔する。最も輝く存在の前には、周りで小さく輝く存在が意味を持たない。意味を持っても、装飾品になることが多い。

 

あの世界では、炎神と水神が太陽と月だった。それに属さない自分たちは、周りで輝く星以下だったのだろう。或いは、太陽と月を必死に飲み込もうとする雲か。

どっちでもいいが、どうせ二つの輝きの前には無意味だった。

やがて自分は二つの輝きを飲み込む闇になったわけだが。

 

「最近の厨二病患者の方がもう少し上手い例え方するか」

 

そう鼻で笑った時、ガラガラとベランダの戸が開く音がした。この距離でならば顔を見ずとも誰かは察しがつく。

 

「寝ろって言っただろ」

「んー、なんとなく寝れなくて」

 

愛菜。深淵として産まれ、亮として新世界に来てからの二人目の家族。自分が新世界に対して牙を向けないたった一つの理由。

 

「結構前、亮が言ってたじゃん。寝れない時はベランダに出て、外の空気を吸って、夜景を観ろって。そうしたら世界なんて大したもんじゃないってわかって、別に怖いものなんかないって。それでも寝れない時は俺のとこに来いって」

「やめろなんか痛い」

 

本当にそう思って言った言葉ではあるし、もし今も愛菜があの頃と同じで世界を怖がっていたなら同じ言葉をかけたとも思う。が、自分の言った言葉を復唱されるととっても恥ずかしいのだった。

 

「まぁでも、それで私は気持ちよく寝れてたからいいんだよ」

 

バカにするわけでもなく、笑顔で言い切った愛菜。この笑顔は彼女がいつになっても変わらない。彼女に名前をつけて、手を伸ばした十年前の笑顔から何も変わっていない。

だからだろうか、亮はこう切り出した。

 

「たまには、昔話でもするか」

「むかし話?……それは、亮の?」

「ン、そうだな、俺と、お前の話だ。俺がお前を拾った日の話だ」

「ん、ちょっと恥ずかしいけど、たまにはいいのかな」

 

根本愛菜の原点として、彼女もきっと覚えているはずだ。だからこそ彼女は未だに牛丼が好きなのだ。

 

「あの日はナナシを本気で脅して居場所を吐かせたんだったな」

「えぇぇ……あれって脅しに乗るタイプ?」

「普通は乗らないと思うが、まぁ新世界と天秤にかけたら仕方ないってところだ。力は偉大だな」

「亮らしいね」

 

世界を壊されたくなければ国家機密を一つ差し出せ。国があっての国家機密なのだから、実質取引にすらなっていない。

 

「ンで、それからはーーーー」

 

語り出すのは全く意味のない過去の話。語る必要すらなく、理由もない。ただ確認するためだけの話。これを話したからと言って、今更二人の仲が深まる事も違える事もない。

それでも、過去を思い返す。それはいつまでも過去にしがみつく彼の得意分野だ。




おっかなびっくりで詳細見たらお気に入りが100件超えてました。何が起こってるのかよくわからんのですがありがとうございますorz
これからもクソみたいな話にお付き合いいただけると幸いです。


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三代目深淵

 ――――ガゴンッ!

 

「ん?なんの音だ?」

 

警備担当はそんな堅い何かが落ちる音を聞いた。普段ならば不自然な音ではない。下層で研究者が実験を行ったり、被検体達が実験の過程で殺し合いをしていればこれくらいの音は多々聞こえてくる。

だが、今は久々の休業日だ。研究者達は休みを満喫し、被検体達は牢に隔離されている。被検体達の悲鳴ならば昼間に聞こえてきたが、今は叫び疲れたのか、はたまた今日は薬がないことに絶望し、意識を失ったのか静かになっている。

ざっくり言うならば、今の音は異音だ。

 

「こちら秀吉。不審な物音が聞こえた。確認に向かう」

 

無線を飛ばし、自分の行動を伝える。これには大きく二つの意味がある。一つはこれからの行動を伝えることによって、もし何かあったとき、味方が迅速に状況を判断することができる。今であるならば、もし彼の身になにかあったとき、その音の発生源、付近で何かあったのだと推測できる。

そしてもう一つ。

 

「かったりぃなー」

 

仕事しているアピールである。もしなにかあったとき、無線機を提出しなくてはならないため、みんなで楽しいお話ではなく、異常の確認とかよくやってますよ的な記録を残しておかないといけないのだ。まぁ、雇用主が雇用主なだけあって、その辺の管理の仕方は分からない。問題があれば無線の内容がどうとか関係なく闇に葬られるだろう。問題児の餌にされてしまう未来も見える。

 

「(たしか、ここを右に曲がって……)」

 

機関銃と監視カメラに見下ろされた廊下を進み、音のした方向へ、突き当たりを右に曲がり。

 

 

 

 

「よう」

「えっ?」

 

それが、彼の最後の言葉だった。

 

 

 

 

 

 

極術使い「深淵」を人工的に製作する計画。「アバターオブダークネス」の成功作に限りなく近い失敗作を回収する。自分を新世界に馴染むようにと育ててくれた親の最後の願いに報いるため、亮は単身で件の施設に乗り込んでいた。

まさか緑生い茂るホワイトの森の中にこんな巨大地下施設を作ったとは驚きだが、いざ施設内部に侵入してから理由がわかる。施設内の設備などは確かに最新鋭のシステムで固められているが、壁天井床などはかなり年季が入っていた。百年以上前のものなのは確実だが、それ以上かもしれない。そもそも、どう頑張ってもこの規模の施設を秘密裏に作り上げるなんて現在の新世界では無理だ。もしかしたら新世界の建造時に作られた物かもしれない。なんて色々考えるが、だからと言って自分のやることに変わりはないので思考放棄。

 

まずは土で隠された入口を探し出して土を払い、蓋された秘密の階段を降る。そこからいつもの様にエーテル認証システムで施錠されたドア。笹塚未菜、つまりは深淵の魔力を浸透させた義手を自分の手と交換し、認証。想定通りにドアは開いてくれた。もし開かなかった場合はプランBとして虐殺開始のところだった。

その後通路を進んでいく。施設内の全てのセンサーを特殊な目で見てスルーし、熱検知式監視カメラを自分の姿と体温を辺りと同化することでかわし、そうしてようやっと研究施設に入るためのエレベーター付近。

そこでやっと人の魔力を感じ取り、無数に取り込んである手頃な石を落として呼び寄せたところ、見事に引っかかって今に至る。

 

「っと」

 

出会い頭に気絶させた男の首を右手で持って握りつぶす。男は絞殺を越えた首の切断により死亡する。倒れて音を立てる前に体をそのまま取り込み、そして間髪空けず今取り込んだ男へ装備諸々姿を変えた。

 

「小野定道。独身二十九歳……子供が死んで奥さんは逃げた。両親はとうの昔に他界。親戚には見捨てられた。現実逃避で娯楽に逃げ込み破産。生活費を稼ぐために闇に落ちる。小学生の時のあだ名はチリチリ。髪の毛のことか、なるほどかわいそう」

 

取り込んだ際にフラッシュバックするその者のこれまでの過去の記憶、その人が人生で積み上げてきた全てに適当な感想を残して、亮は装備品の無線機のスイッチを押し、残りの警備員を集めるために無線を飛ばす。

 

「こちら秀吉。あー、B区域で異音を聞きつけ向かったんだが、どう処理すればいいかわからないものを見つけた。信長か家康、来てくれ」

 

亮は彼の記憶にある、ほかの警備員のコードネームを呼んで、こちらへ集める。

 

『了解、そのポイントなら俺が近い。すぐ向かう』

『こちら家康了解』

 

できれば二人まとめて来て欲しいものだったが、そう都合のいいものではなかった。

 

「(生体反応ナノマシン……やり方変えるか)」

 

取り込んだ男の情報をもう一度精査する。どうやら警備担当の人間達は、意識一つで同じタイプのナノマシンを組み込んだ者達の位置をかなり精密に把握できるらしい。ただし、生きていれば。

つまり、死亡した時点でその者の位置は把握できなくなり、逆にそれが何かあったと伝えることになる。よって今からこちらへ訪れるコードネーム信長という人間は殺さずに処理しなければならない。殺した事に家康が気づき、警報でもならされてしまっては、今日の計画は丸々頓挫してしまうから。

 

亮は二人の居場所の割り出しに意識を集中させる。ここからの距離を正確に判断し、これから自分の取るべき行動をシミュレート。何パターンもの計算を終え、最適解を導き出す。これでいいと判断したところで、呼び寄せた信長の反応が近くなり。

 

「おう、どうし……ぐっ!?」

「ちょっとそのまま寝ててくれ」

 

つまりは殺さなければいい。魔力を放出し、対象の首を殺さない程度に締める。

これで後はさっさと事を済ませればいいだけだ。大騒ぎになる前に深淵を奪取して逃げる。最悪、皆殺しにする。正解はわからないが、不可能はない。二択の問題を空欄で提出する理由なんてないのだ。

 

『後一人は頼む』

『処す?』

『気絶で』

 

久し振りにお呼ばれして殺意満々な狐に残り一人の家康とやらの処理を頼む。呼ばれて早いが亮の背から狐の顔の骨を出現させ、浮遊しながら高速で通路を駆け抜けていった。

 

「ふぁっ!?」

 

間抜けな声が響き渡った後にゴン!と音が聞こえ、間髪開けずに骨が帰って来る。

 

「たでーま」

「なるほど、これはそういう声になるわ。つーかお前喋れんの?」

 

B級ホラーをスクリーンで見るとコメディ映画に見えると過の偉人が言っていた意味がわかった気がした。狐の顔の骨が凄い速さで突っ込んで来ると、なんか凄い。一瞬語彙力が欠如する。

 

「ンで、警備はこれだけだったか。薄いが人を動員すればその分外部に漏れるリスクがある。こんなもんか」

 

言いながら、最奥にあるエレベーターまで辿り着く。そういえば入口の詰め込んだような無人警備装置の数々は、警備を外に出さないためなのかもしれないなんて考えて、とりあえず一つ下のフロアへ移動した。

 

 

 

 

 

降りた先は研究施設というより、凶悪犯を詰め込んだ刑務所の様だった。新世界の刑務所は四人一部屋だが、ここは一人一部屋、最も鉄格子の中は二畳程度の広さしかない。

 

ここで今一度状況の整理を始める。自分が探すべきは「MA70E」というシリアルナンバーを割り当てられた深淵のクローンだ。できたらここ最近で多発した失踪事件と何か繋がりがあるかもしれないから、その確認も頼むとナナシから言われている。

が、行方不明社数は三十。鉄格子の数とは合わない。しかしこの狭い世界でこれだけの人が居るとなると、本当にどっから連れてきたのかと思う。

ともかく、シリアルナンバーを確認してさっさと見つけようと動き出す。

 

かつて食べた火を操る魔物。当時はわざわざ加熱する必要がないため好んで食べていたが、気がつくと体から火が出せるようになっていた。魔人化が完成したのはその頃かと過去に思いを馳せながら、鉄格子を触って溶かし、向こう側の被検体へ声を掛ける。

 

「シリアルナンバー」

「F14R007」

「はやっ。だがハズレか」

 

髪が延びきり、少女なのか少年なのか判別のつかない子供が無機質に答える。立ち上がって踏み出せば自由の身になれるのにも関わらず、子供はその場から動こうとせず、鉄格子が壊されたことに喜びもしない。子供の頭の中には「自由」という概念が存在しないのだろう。喜ぶことも悲しむことも、当たり前の生活を送るという事が頭の中にはないのだ。

 

「慣れってこええな」

 

そんな子供に同情することもせず、適当な感想を述べて次の牢へ向かう。

 

「シリアルナンバー」

「F14R008」

「……これ、この一列全部F14Rってところか」

 

ざっと見たところ、牢は五十は並んでいる。それらが全て「F14R」系列であるならば皆ハズレだ。彼が探しているシリアルナンバーは「MA70E」。何の関連性もない文字列。であるならば、そもそもこのフロアでない可能性が高い。下にはまだ7フロアもあるので、さっさと違うフロアへ移動した方がいいと考えた

 

「……エレベーター……いやいいや」

 

呟いて、右膝を持ち上げた。上げた瞬間に足の裏から金属を擦る音と共に刀が生える。足踏みしてそのまま刀を床に差し込み、足でコの字を描く。床にかなり厚みがあるが、刃の長さを伸ばすことによって、下のフロアの天井を突き破る。ガリガリガリと削るような音がするが、刃が折れることも欠けることもなく、綺麗に切れ目が入る。そのままもう一度足踏みすることで床を踏み抜き下へ続く穴が出来上がった。

そのまま落下してフロアを移動する。

 

「……骨が折れそうだ」

 

移動して真っ先に出てきた言葉がそれだ。上のフロアと同じように一本の廊下の脇に牢が立ち並んでいるのだが、長さが上の比ではなかった。一体どれだけ収容されているのだろうか。

 

「また聞いて回るか」

 

虱潰しはどうも性にあわないと感じるが、自分は範囲内の人間の脳内を見て回れるわけじゃない。そんな便利な手段を持ってる仲間はかつていたが、もう居ない。

まぁ、目的が破壊や殺しではない時点で面倒なのは確定しているのだった。

 

そうして面倒臭くなりながらも歩き回り、聞いて回っていたら、声がした。

 

「お兄さん、そのシリアルナンバーを持つ被検体は一番下のフロアにいるわよ」

「会話ができるヤツ居たのか」

 

二つ先の牢から幼い女の子の声がした。驚きながらもその牢の前へと歩く。

見た目はその辺の牢の子供と変わらない。もしかしたら声が高いだけの男の声かもしれない。外ならば個性的な外見だが、この場では無個性極まりない。

 

「えぇ、私はコミュニケーションを取ることができる。そういう風に作られたわ」

「何が目的で?」

「さぁ?ただの実験体である私に人権はないし、知ろうとすることも許されないもの。興味がないわ」

「そうか」

 

確かにその通りだ。与えられた実験のためだけに動けるようになっていればいい。その他の機能は与えられていない。ただそれだけのことだ。余りにも残酷なことだが、それだって仕方ない。それが最も効率が良いのだから。

 

「ただそうね、お願いがあるのお兄さん」

「なんだ。叶えてやれるかどうかはわからんが聞こう」

「難しいお願いじゃないわ。私を、殺してくれないかしら?」

「なんでだ?別に逃げればいい」

「私はここ以外で生きていく方法がわからないし、どのみち私の寿命は残り五ヶ月。無理して生きていたいとも思わないもの」

 

よく喋る事よりも、生き死にについて語れる知能がある事に驚く。なげそんな機能を持っているのかが驚きだ。だが別にその望みを叶える事に抵抗なんてない。

確かに余生を謳歌できる保証はない。王あたりに頼めばできるかもしれないが、この世の常識を身につけてしまったら死ぬのが怖くなったり、そもそも表を歩けるほどの常識を身につける頃には寿命で死ぬのではないかと思う。

 

「ン、わかった。来世でがんばれ。教えてくれて助かった。ありがとう」

「どういたしまして。さようなら」

 

伸びきった髪で表情は見えなかったが、笑顔だった気がした。だからせめて苦しまない様に、聖火を使う。ロウソクの様な小さな火が漂って彼女に触れる。その瞬間、優しく燃える火が彼女を包み込む。

 

「不思議な火ね……暖かい」

 

眠る様に倒れた。この世で最も安らかな死を彼女に与えてから、亮はエレベーターへと向かう。

 

『珍しいの』

『生きていたく無いのに生かされるなんて苦痛なだけだろ』

『……まぁ、気持ちはわかる』

 

世界はとても強くて、人はひどく弱い。それを知ってるからこそ、彼は自分から命を断ちたいと思う事を否定しない。生きていれば幸せを掴めるとか、報われるとか、そういう希望論を嫌う。そう思う者はそれでいい。そうとすら思えない者の気持ちを自分は汲み取る。

だって自分は死ねないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここか」

 

エレベーターから降りると、そこは闇だった。真っ暗な廊下を進んで行くと、先ほどの少女から教えて貰った部屋と思わしき場所へ辿り着く。道中の真っ暗な廊下では不可視のレーザーカッターが絶え間なく走り続けており、いちいち避けるのも面倒で自身を液体化して通ってきた。扉も厳重に閉じられていたが、これに関しても蹴り一発で開く、もとい壊れるので問題にはならなかった。もうここから先は問題が起きようと気にしない。

そこは「部屋」というよりかは「倉庫」と言う方が正しいだろうか。ダンボールやプラスチックのケース、なにかの基盤。ジメジメとした肌にまとわりつくような空気が流れるその空間は、今までの独房とは明確違う。他の独房に付いていた豆電球すら取っ払われており、光源になる物は一切存在しない。暗闇に対応できる目を持つ亮だからこそ、そこに物があると判断できるが、恐らく普通の人間ならばこの部屋を歩くことはできないだろう。

積まれたダンボールの迷路を縫うように進んでいくと、ピチャ、ピチャと水滴の跳ねる音が聞こえた。亮は音の発生源に近づき、右手を伸ばす。水にしては感触がおかしく、少しぬめっとしていた。残念なことに亮の目はこの闇の中で色まで判別できるほどの高性能ではないので、警備員の装備であった小型の懐中電灯を出現させて持ち、右手を照らす。

 

「なんだ、血かコレ。ンー、もしかして」

 

確認しようと思い、大型の懐中電灯を体内で100ほど生成。ついでに瞬間接着剤を周りに塗りたくって一気に放出。懐中電灯が様々な物に当たる音が聞こえ、至る所に光を射す。そして、彼の視界に映った光景。それは

 

「……おお、すげえ」

 

天井まで積み上げられた人間の遺体。山一つでは足らず、二つでもダメなようで三つ目に突入している所だった。わざわざ数える気も起きないが、100はあるだろう。問題なのはここまでどうやって死体を並べたのかではなく、どこから生きていた人を調達したのかだ。ブリーフィングで教わった行方不明者の数は三十人。山はその三倍以上もある。

取り敢えず、亮は右手に懐中電灯を出現させ、遺体の顔を確認していく。そうすることで、やっと気が付いた。

 

「あぁ、もしかしてここに居る者ほとんどがクローンか」

 

一体一体の顔を拝んでいくと、同じ顔が多々あることが分かる。それはつまり最初の三十人をベースにしてクローンを複製、それを殺害、この山が出来上がったのだろう。人間のクローンを作ることは禁じられているはずなので、上に居たクローンと合わせればこの数はなかなか思い切った行動である。幼い子供ばかりだったのはそのせいか。

そして次に浮かび上がる不明な理由。それはなぜわざわざクローンを複製して殺害しているのか。自分のような魔人を強化するのならば、複製の理由は分かる。同じ魔術を持つ者を食らえば食らうほどその魔術に対応する魔力の質は向上していき、強力な魔術を扱うことができる。だが、ここで研究されているのは人工的に極術、深淵を開発する方法だ。魔人ではない。

 

「(笹塚さん……あんたが死んだせいで余分な仕事が増えてるんだけど)」

 

笹塚未菜、今は亡き極術使いに思いを馳せる。亮にとっては面倒見がよく、一周回ってうざい、ちょっと変わった魔術を使うだけの人だったが、彼女の欠落はここまで世界を狂わせるらしい。

 

「はぁ、面倒く……ン?」

 

呟いた瞬間。首を切られた。冷たく、少し粘ついた刃を首元に当てられそのまま切られた。だが背後に気配はなく、振り返っても誰もいない。完全に暗殺者の手口だ。殺される間際にすら姿が見えない、殺気もなく気配もないため、そんじゃそこらの暗殺者より質が悪い。普通ならばこの瞬間ジエンドだが、切られた首元は切られた瞬間に修復され、そもそも刃一つで殺されるような体ではない。

 

「中々、ご丁寧な歓迎だな。そうやってこの山を積み上げてきたのか」

 

 返事はない。ただ相変わらず血が滴る音のみ響いている。

 

「言葉が通じているのかは知らないが、お前を助けにきた。大人しく連行されてくれ。俺は、あの人の複製品だろうが傷を付けたくない」

 

 伝える。別に傷つけたくないわけではないが、向こうに心とかその辺の物があると信じて。だが、返ってきたのは言葉ではなく刃物だった。ブスッと亮の頭に突き刺さる。

 

「言葉で済ませられる内に終わらせときゃいいものを……」

 

聖光があれば直ぐに済ませられそうだが、生憎とあの時は食らえなかった。無い物ねだりしても仕方ないので、とりあえず。より一層懐中電灯を生成して放出していく。影を光でかき消す。闇をゴリ押しで払う。

 

「あ……ぐ……」

 

その甲斐があってか、亮の真後ろから呻き声が聞こえた。光が眩しいのか、目を押さえている。

 

「深淵。闇や影に潜んでその中を高速で移動、相手が影や闇に近ければ闇へ引きずり込み、現実とはまた違った理の世界へ飛ばす。そこを行き来できるのは術者だけ。他は知らんけどそんなとこだろ」

 

振り向いて、近づく。呻いてしゃがみこむ深淵の頭を掴んで、放り投げる。

 

「あがっ……」

 

壁に当たって落ちる。今ので骨の何本かは折れたであろう。それを示すかのように、彼女の細い右足はあるまじき方向へ向いている。人の肉ばかり食っていたからか、体はひどく脆い。

だがそれには目もくれず、深淵の元へ一歩ずつ歩いて向かう

 

「お前はこの研究所でなにを見てきた?」

「…………っ!」 

 

 折れてもなお、ボロボロなパーカーの内側の影からナイフを放り投げる。それは見事、亮の首に突き刺さる。だが、当然亮は足を止めない。顔に一つ、首に一つ、刃物が突き刺さっていくだけで、なんの意味もない。

 

「人の闇だろうな。光の射すことのないドス黒い闇だ。己の利益のために人を道具として扱い利用する。俺も大差ない。自分のために命を粗末に扱うことに関しては」

「…………うあああっ!」

 

 もう三本。突き刺さる。が、やはり意味をなさない。

 

「がんばれ、生きるために対抗するのは悪いことじゃない」

 

言葉の最中に追加で五本刺さるが、それで最後だったらしく、深淵はしゃがみこんで壁により掛かり、まるで、化け物を見るかのように亮を見上げる。実際、そうだが。

 

「……そんな目で見るな。俺もお前も、異常という面で見れば大して差はない。むしろ俺の方が普通だ。魔物になり損ねた魔人なんだからな。異常に成り切れなかった紛い物だ。っても伝わってないよな。さて、何を言えばいいものか……」

 

怯える深淵に対して掛ける言葉がない。これでも彼は驚いている。なにせ、人工的に作られた極術使いだ。恐怖、怯え、そういう感情は排除して、死ぬことすら恐れない戦闘マシーンになっているものだと思っていたから。それがどうだろう、突然入ってきた彼に攻撃し、通用しないと分かると怯えている。この光景を見る限り、普通の独房に閉じ込められた子供達の方がまだ戦闘マシーンらしい。彼らは生きることを捨てているから。

 

「……あれだよ、お前、結局闇の中で殺して盗んでってやるんだったら、一日三食好きなもの食べたくね?」

「…………?」

 

しゃがんで、体と頭に突き刺さった刃物を捨て深淵にそう語りかける。すると、彼が自分に攻撃をするつもりがないを察知したのか、首を傾げた。

 

「ごはん。わかる?ごはん」

「うんうん」

 

コクコクと頷く。どうやらある程度の言葉、イエスのジャスチャーは可能なようだ

 

「よし、腹減った。飯食べに行こうぜ」

 

そう言って、亮は彼女に右手を差し出した。

 

「はらへった……?」

「そう、腹減った。食べ物、食べたい……わかる?」

「うん。食べ物、食べたい」

 

 これも通じた。この調子で行けば、案外まともな会話ができるのはすぐかもしれない。というよりも、ご飯やら食べ物という言葉で完全に敵意や殺意、恐怖までもが消えている。

 

「ン。じゃ、外行くぞ」

「ん。そとなに?」

 

深淵は再び首を傾げた。深淵も当たり前といえば当たり前だが外の世界。いや、世界というものを知らない。

さてどうしたものかと亮は考え込む。よくよく深淵の体を見てみると、上着はボロボロになった挙句血塗れの黒いパーカー。しかも前がチャックで閉まるタイプで、パーカーの下には何も着ていないので胸元まで見えている。下半身は同じくボロボロの薄い生地の布。まるで手術終了直後だと言いたげなほどには血濡れ。

 

「間違いなくこのまま外に出したら俺が捕まるな」

「つーかーまーる」

 

初めて聴いた言葉を繰り返す深淵。さすがは極術使い。そこそこの学習能力はあるようだ。まぁ仮にもあの人のクローンかと納得しつつも、どうやってなんの問題も起こさずに表に連れ出そうか考える。

ついで言えば、あるまじき方向にひん曲がった足も直さなくていけない。

 

「しんえ……いちいち深淵って呼ぶのもアレだな。お前、シリアルナンバーは?」

「MA70E」

 

他の非検体同様、シリアルナンバーと聞かれれば即座に応答する。そういう風にプログラミングされているのだろう、彼女達の脳は。

 

「そうか、MA……じゃ、今日からお前の名前は真……いやダメだなに考えてんだ俺……よし、愛菜だ」

「……名前……ま……な?」

「あぁ、愛菜」

「…………?」

「はい。だろ?」

 

名前の概念を理解出来ていないのだろう、深淵改めて愛菜は首を傾げるだけだった。

 

「愛菜」

「…………」

 

亮は彼女の新しい名を呼び続け、理解させることをやめない。これは彼女の遺言に従った依頼だ。もし人としてやり直せるのならばやり直させる。無理なら殺す。後者は亮とてやりたいものではない。彼女ならやらないから。だからこそ人としてやり直させる。名前をつけるのはその第一歩だ。

 

「愛菜」

「……い」

「愛菜」

「は……ぃ」

「愛菜」

「はいっ!」

 

そして、何度も繰り返し、ようやく名前のない深淵は、愛菜になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それからしばらくして、主任はやって来た。今日も今日とてあの失敗作に餌を与え兵器として成長させたり、完全なる初代深淵を生み出す事に励まなければならない。

職場の仲間たちと今日も楽しく人体実験。

 

「……あ……」

 

が、彼を待っていたのは、アットホームな職場ではなく。

 

「聞きたいことがある」

 

魔人だった。




なんとなく、俺Tueee系の需要だけでここまで評価されている事に気が付き始めました


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本屋さん

「そんな感じだったんだね」

 

亮が思い出を語り終えると、愛菜は視線を夜景から亮へと移す。その時の彼の目は、時々見る、彼がとても脆く見える色をしていた。彼は未来が嫌いだ。過去を語る時だけ、本当の彼が見え隠れする。愛菜はそれをよく知っている。

 

「んー、じゃあ今も亮は私をお母さんの言葉に従って養ってるわけだ」

「ンー、どうだろうな。少なくとも、今の俺にとってお前は無くてはならない存在だ。あの人がもういいって言っても今の環境を壊す気はないよ」

「……っ!?」

 

思わぬ言葉に一瞬愛菜がビクッと震える。これが昼間なら「っしゃおらぁ!」などと叫んでいたかもしれないが、満月の夜空と街の光が織り成す夜景のせいでそこそこ雰囲気が出ているため空気を読む。

 

「八代も、優衣も同じだ。けど、しょっちゅう考える。愛菜が死んだ後、どうすんのかなってな」

「……」

 

懐からタバコを取り出して、火をつけ吸って吐く。いつも通り、吐き出した紫煙は宙に溶けて消える。面白くも何ともないのに、それを目で追う。

ちなみに最初の言葉で愛菜が冷静になったのは言うまでもない。

 

「絶対に守る。幸せにしてみせる。なんかのドラマだかアニメだかゲームの受け売りだか忘れたけど、俺はそう誓ってダメだった。そんな想いだけが先行して、大切な人達を死なせた上に一番大事な人を何だかよくわからない存在に昇華させた。守るために戦ったはずなのに、全部失って勝利した。大切な物は無くしてから気づくって言うけど、無くさなくても大切だってわかってたのにな」

 

仲間を失いたくなくて、大切な人を守りたくて戦ったのに。誰一人守れず、ただ無敵なだけの存在になった。何百年とただ曖昧なものにだけ縋り付いて、無意味に生きた。

 

「俺はお前達が大切だ。失いたくない。八代はいい。優衣も大丈夫。多分そこ二人は死ぬってことがない。けどお前は絶対に死ぬ。お前はちょっと変わった魔術を使うだけの人だからな」

 

それは避けられない。避ける方法はあるが、するべきじゃない。魔人なんてならなくていいならならない方がいい。こんなのはただ強いだけの悲しい存在だ。

そしてそれは、必然的に別れがあることを指す。

 

「お前が死んだら。その後がなんか、想像付かなくて」

 

違う。想像なんて付く。四十年前のように何のあてもなく神聖さを求めて歩き回るだけ。方法はわかる、だが終わりが見えない。しかしそこまで考えて、ふと気がつく。今だって神聖さを求めて動いているではないか。この前の聖光だって見た時は歓喜し、躊躇なく食らった。問題になって万が一でも愛菜に何か被害がないとは限らなかった。それでもやった。

愛菜の有無は目的にはなんの関係もーーーーと、そこまで考えて。

 

「んー、亮。そこはさ、ほら」

 

少し唸って考えて、愛菜は亮の心を見透かしたかの様に言う。

 

「私が死んだら寂しい。でいいんじゃないかな。私だって亮が居なくなったら寂しいもん」

「……そうだな」

 

さすがはあの人のクローン。いや、娘と言ったところかと感心する。言うことが変わらない。先の見えない未来があるからとか、無駄に長く築き上げて来た経験のせいでまた忘れていた。

大事な人が居なくなるのは寂しい。ただそれだけだったと。

 

「じゃそういうわけで、もっと二人の時間を大切にするという理由をこじつけて一緒に寝よう」

「あー、ホントお前は素直っていうか」

「そういう風に育てられたからね!」

「……どこで育て方間違えたんだろ」

「え、ねえ亮、今のなんかマジっぽいんだけど……」

「ごめんな、愛菜」

「そのタイミングで謝られると……え、え、あれホントあの……」

「ほら、寝るなら早くこい。俺の部屋でいいか?」

「え、う、うん…………ちょっと、悔い改めないといけない感じなのかなこれ」

 

必要のない、無意味な時間だった。ただそれでも、その愛菜は亮の膝を枕に、ゆっくり寝れた。亮はいつになっても変わらない愛菜の寝顔を見ながら、いつまでもこの寝顔を守りたいと思った。

人は人を守れない。だけどそれは守ろうとする意思が無駄だと言うわけじゃない。そんな矛盾を抱えて、自分が寂しくならない様に、守りたいとまた決意を固めた。

 

「黒いの、貸しじゃぞ」

「愛菜ちゃんよかったね」

 

翌朝、八代と優衣がそう言って愛菜の肩を叩いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もうなんか忘れそうになるが、根本亮は紙媒体の書物を販売するお店の店長である。

 

「ンー、どこだ」

 

インターネット通販で注文された商品を本棚から探す。一応タイトルは五十音順で並んでいるので、普段はすぐに見つかるのだが、今日だけは直ぐに見つからなかった。

 

「氷河期戦争……ひょうがきせんそう。だよな……」

 

「ひ」の列を探すもその本は見当たらない。ここにある本は笹塚より託された検索機に全て登録されているので、無いと言うことはないのだが。

 

「あーるじー、あーそーぼー」

「仕事中だ」

「これ以上働いてどうするん?お金ならたんまりあろうて」

 

確かに夜の仕事で貰っている金額はかなり多い。が、悲しいことにその金額の大半は自分の貯蓄という事にはならない。どう言うことかと言うと、金額が膨れ上がりすぎて国営に影響を及ぼす規模になっているので、一応自分が好きに使えはするが国が税金とは別に持っていく事があるというもの。

まぁそれでも生活に困ることはないのだが、自分だけの金が欲しいとか、そういう自己満足を満たすための仕事だ。

 

「つーか、お前邪魔だから上でやれよそういう遊び」

 

八代の方に目をやると、通路で自分の家族達、つまり八体の顔の骨を積み上げて遊んでいた。子供が積み木で遊んでいる構図に似てはいるが、積み木がとってもホラーだった。

 

「ちょい、顎の部分削っていい?」

「あかん」

 

狐の顔の骨が短く抗議する。

 

「唐突に喋んなこええよ」

「あるじー!ヤスリとかある?」

「いっそお前のレーザーだかビームだか、あれでいいんじゃねえの」

「おお、その手があったか」

「ファッ!?」

 

一体どこからそんな甲高い声が出ているのか気になるところではある。

まぁそんな感じで物騒ながらも平和な時間が流れていた。宮里由紀のアバターがどうとか色々あったが、やれと言われなければ、八代や愛菜や優衣に害を与えられなければ、亮には全くなにも関係のない話なのだ。

 

「ンー、マジでねえな。やべえどうしよう」

 

と、未だに行方の分からない氷河期戦争を探していたその時。

ーーーーガチャッ

 

「「っ!?」」

 

店の入り口のドアが開いた音がした。愛菜と優衣の気配ではない。殺意や敵意なども感じない。それらの条件を合わせて導き出される答えは一つだ。

 

「こ、こんにちは……」

「「いらっしゃいませ」」

 

客。お客様である。めっちゃ久しぶりのインターネット通販ではなく店頭での客である。

 

「(お前マジで失せろ)」

「(え、やだ。妾もこんな辺鄙なところで店頭購入する変人の顔を拝みたい)」

「(八つ裂きにするぞ八代。大事なお客様に何言ってる)」

「(八代だけに?…………や、主それ仕舞おう。こんなギャグパートで使われる封印した主の誓いの刀が流石に不憫すぎる!!)」

 

お客様をバカにした上に死ぬほどつまらないギャグをかます者の制裁には全力を注いでも多分無問題。が、流石に客がいるのに八代を八つ裂きにしてしまうと普通に問題なのでなんとか抑える。

取り敢えず八代を切るのに出した、かつて亮が人だった頃に使っていた刀を体の中に仕舞って、来店されたお客様の元へと足を運ぶ。

 

「いらっしゃいませ。向こうの端末が検索機になっております、何かお探しの物がありましたら、ご活用ください」

「あ、ご丁寧にありがとうございます」

 

来たのは紺色ブレザーを着た、金髪の女子高校生だ。制服に見覚えはある。愛菜と優衣の通うホワイト地区第一高等学校の物。そういえば二人もそろそろ帰ってくる時間だ。

必要なことをお客様に伝えたので、亮は改めて氷河期戦争を探すことにする。流石に八代も見られるのはマズイと思ったのか、狐の顔の骨と耳と尻尾を仕舞って適当な本を読み始めていた。幼い少女が文学してるのは中々可愛らしい絵になるが、読んでいる本のタイトルが「主人との蜜月記」であるがために全て台無しになっている。

 

「……あのぅ」

 

と、お客様が亮へと声をかけた。

 

「こちらのお店でアイスエイジ・ウォーという本を注文した者なんですが」

「(……これアイスエイジウォーって読むのかよ)」

 

とうの昔に他界したここの前任者に憤りを感じる。検索機でのタイトルの読みは「ひょうがきせんそう」になっていたのだ。完全に登録ミスである。確かにその読み方に考えが及ばなかった自分もいけないのかもしれないが。

と、まぁそこまで言われればこのお客様、確か注文者の名前は佐々木歩美。彼女が何しに来たのかは想像できる。

 

「申し訳ありません、ただいまその商品の方の準備をしているところで」

「では整い次第、ネットでの注文を取り消して店頭購入での形を取らせてもらってもいいですか?」

「承知致しました。それまではどうぞご自由に店内を見て回ってください。あちらの方に休憩スペースもございます。気になる本がございましたら、手にとって読んでいただいても構いません」

「本当ですか!ありがとうございます!」

 

電子書籍が一般となっている現在、紙媒体の本は触れることすら珍しい。教科書などはテーブルと一体化した端末を使って読むものだし、本なんかは自分の携帯端末にダウンロードするものだ。試し読みで最初の何ページかを読むことはあれど、こう手に取って買ってもいない本を読むなんて本当に珍しいことなのだろう。

 

「(よし、アイスエイジ・ウォーだな)」

 

「あ」の列に移動して、本を探す。そこがわかってしまえば早いものだった。あ行の頭の方に氷河期戦争の背表紙を見つける。それを手に取って本の状態を確認する。目立つ汚れや破れがあれば、お客様に確認してもらい、減額しての販売だったり注文の取り消しを受け付けたりする。今回は特になかったので、カウンターの方は持っていき、表紙全体を柔らかい箒で払って埃を落とし、ビニールで包んでビニール袋に入れる。

休憩スペースで椅子に腰を下ろし、本を読むお客様、佐々木は本当に楽しそうに本を読んでいた。本を読むことが好きなのが見ているだけで伝わってくる。電子書籍の場合は読まずとも朗読機能があったりするので、文字を読まずとも本を読むことができるが、わざわざこうやって足を運び、選んで触って読む。それが好き。その気持ちは亮にもよくわかる。

 

「お客様、お待たせしました。こちら商品になります。当店は自動会計に対応しておりませんので、お帰りの際にお声掛けください」

 

本の世界に入っているのを邪魔するのは気が引けるが、そっとを声を掛けてさっさと用件を伝えて済ませることにする。

 

「それとこちらは当店からのサービスです。ごゆっくりどうぞ」

 

言って、トレイに載せたホットコーヒーと砂糖、ミルクを差し出す。別にそこまでする必要はなかったが、せっかく足を運んでくれた常連でもある。基本的に亮は自分と自分の家族以外がどうなろうが知ったことではない。が、それはそれ、これは仕事である。リピーターを増やし、儲けを出すためならばこういう気遣いも厭わない。

 

「ありがとうございます。でもいいんですか?」

「えぇ。お恥ずかしいところですが、当店までわざわざ足を運んで来てくれる方なんて稀ですので。寂しい場所ではありますが、せめてゆっくり本を味わって頂きたいと思っております。それに、佐々木さんにはご贔屓にしていただいているので」

「そうですか……ではお言葉に甘えて、頂きます」

「では、失礼します」

 

そうして佐々木の元から離れる。

 

「(ン……まぁ結果オーライか)」

 

勝手に長居すると決めつけてホットコーヒーを持って行ったのは間違いだったかもしれない。もしかしたら後で予定があるかもしれないので、アイスコーヒーを持って行った方が良かったか。

その点を反省しつつ、とりあえず亮はいつも通りの作業へ戻るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「「「「いただきます」」」」

 

四人揃って夕食の時間が始まる。今日の夕飯は炊き込みご飯にトンカツ、キャベツの千切りにポテトサラダと海鼠の味噌汁。この家では平均的な食事である。

 

「義兄さん、今日も美味しい」

「そうか、それはよかった」

 

そう言ってくれるだけで作る甲斐があるというものだ。

 

「むぅ、油揚げがない。主、明日は妾も手伝うから味噌汁に油揚げを入れるのじゃぞ!」

「手伝ったらな」

 

手伝うとその日のおかずの一品を選べる。というのはこの家の暗黙の了解みたいなものだ。作る側としてもリクエストがあった方が悩まないで済むのでありがたい。

 

「あ、そういえば亮って鈴木さんと知り合いだったの?」

「鈴木数馬のことか?知らないが」

 

昨日尾行時に初めて見た、なんか妙に優衣と親しいがどこにでもいる平凡な高校生。というのが亮の印象だ。優衣と親しいという点を除けば覚えるに値しない、道端で見かけるただの高校生。

 

「そっか。なんか怪しかったから報告だけど、鈴木さんは亮のこと知ってるみたいだったよ」

「へぇ」

 

どうせいい覚え方をされているわけではないだろう。犯行を見られたとか、殺した者の遺族とか、どうせそんなところだ。

 

「あ、それは多分、姉さんが持ってた義兄さんの写真を見たからだと思います」

「……は?」

 

優衣の言葉に亮が手を止めた。箸と茶碗を落とさなかったのは力が抜けるとかそういう概念がないからだろう。もし彼がまだ人だったら床にぶちまけて叫び散らかしていたに違いない。

 

「私はこの世に元々居たとして組み込まれたわけじゃなくて、姉さんが仮の体で過ごしてたものとすり替わった存在なのです」

「じゃなにか、真衣は愛菜と優衣のいる学校で普通に学生してた時期があるってことか」

「はい。姉さんは肌身離さず義兄さんの映ってる写真を持っていて、それを鈴木君が見てしまったのだと」

「……なんで、それを早く…………あぁいや悪い」

 

言葉を飲み込んだ。確かに。自分も、予測できたはずの真衣が人の形を持って存在したという可能性を考慮できなかった。

 

「……これだから神は」

 

八代が呻くような低い声で言う。そう、誰も考慮できなかったのだ。それくらいできるはずなのに考えが及ばなかった。そんなのは決まっている。彼らが抜けていたのではなく、その可能性を考慮しない運命を神が決めたのだ。

 

「姉さんはよく、理由はわかりませんが鈴木君と行動を共にしていたので、そう言う機会があっ」

「「主(亮)待てえい!」」

 

椅子に座ったまま聖移を用いて本気で数馬を殺しに行こうとした亮を八代と愛菜が叫んで止める。危うく未曾有の大虐殺が発生しかけた瞬間だった。

いつものことだが、亮は真衣の事となると思考回路が極端になる。ヤンデレは自分の恋路を邪魔する者を殺害するものだが、亮の場合は過程で世界を破滅に導く可能性もあるので物騒極まりない。

 

「悪い。取り乱しかけた」

「「かけた……?」」

「義兄さん面白いね」

 

全ての原因はお前の発言にあるんだと、愛菜と八代は心の中で叫ぶ。もしかして狙ってやっているのではないかとすら思う。

 

「腹わたがあったら煮えくり返ってるところだが、まぁ真衣が元に戻るのにその鈴木数馬の力を欲しているのはわかった」

「鈴木さんの力って。あんなのどこにでもいるただの肉体強化系の下位術師だよ?そんななら直接亮の力を借りてる方がいいと思うんだけど」

 

実際、数馬にやれて亮にやれないことなんてほぼないだろう。物理的な力、精神力、戦いや交渉における技術。全てにおいて亮の方が上だと断言できる。

 

「愛菜、そういう単純な話じゃない。どうせ、鈴木数馬は仲間達と共に大きく成長して負けられない戦いには何があろうと勝利してどんな苦痛だろうとそれに負けない人間離れした意思の持ち主なんだろ。お前もよく言ってるだろ、主人公だって」

「……それは物の例えだけど」

 

トラブルメーカーでラッキースケベで巻き込まれ体質で。創作物の中でしか見ないような事ばかりだからそう例えているだけ。しかし亮はそれに意味があるという。

 

「俺は俺のやり方で目的のために動く。真衣は真衣のやり方で動いてる。そんだけだろ」

 

目的が同じでもプロセスが違う。同じ目的に二人で協力して取り組めないのは本当に悔しいが、必要だと言うのならば仕方ないことだ。

 

「よし、飯が冷める前に食べるぞ」

 

そうして食卓に戻る。特に何事もなさそうに食事をとる亮を見て、愛菜達も箸を進めた。本人が気にして居ないのならば、自分達が喚いても仕方ないものだ。

 

「……ちなみにだが着替えを覗いたとかないよな?」

「「めっちゃ気にしとるやん」」

 

独占欲の強い化け物だった。




タグにヤンデレ入れた方がいいのか


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Old World
氷の幻影


それから一週間が経った。裏の仕事のない極一般的な日々を過ごし、特筆することのない平和な時間が続いていた。気にかかるわけではないが、鈴木数馬が休んでいるらしい。あわせて、一つ上の学年の宮里由紀も。大方、彼女を象ったアバターを追っているのだろう。愛菜曰く、彼は偶然トラブルに遭遇しては解決する、そういう体質らしいから。なんとも人生楽しそうな体質だ。

 

アバターに関して気になることがある。アバターは本来、その人にまんま成り、意識を失う象られた者を殺害してからその者に成り代るものだが、亮が見たのは幼い宮里由紀。それに宮里由紀自身も生存している。本来のアバターの生態とはだいぶ違っていた。

 

「八代、アバターが真似た相手より幼くなったって事例あるか」

「唐突になんの話じゃ。向こうの魔物が恋しくなったか?」

「それはお前の方じゃないのか」

 

亮がそう返すと、八代は狼狽える。彼女がかつて成そうとしていた夢に共感した友人達の事でも頭によぎったのだろう。

 

「……妾は聞いたことも見たこともないの」

 

昼頃。愛菜と優衣は学校で、亮と八代は二人でソファに腰を下ろし、昼ドラを横目にそんな会話を始めていた。

 

「お前で知らないならないか」

「我が子らにはアバターを見かけたらすぐさま逃げろと命じとった。アレとはあんま関わりないから、断言はできんがの」

 

八代は聖移を使って数体の魔物に自分の思考能力を移動させ、魔物の統率を図っていた。そうして知能を持った魔物に、同じ種族の魔物を統制させ、ゆくゆくは全ての魔物を殺し合うことなく繁栄させる。そして、人と共存することを目的にしていた。特に何の目的もなく対象に成り代るアバターは排他する存在だったのだろう。

だが実際、紛れても統率はできるし、成り代わる相手を殺害した後のアバターは成り代わった相手と全く同じ行動をとる。同じ物ではあるが、仲間がアバターだったという時の気持ちは複雑を通り越した何かだ。

もっとも、八代の目的はアバターがどうの以前に魔人の前にあっさり散ったわけだが。

 

「じゃが、極術師の子供を象ったクローンなんてどっかで聞いたことあるとは思うがの」

「愛菜と同じだと言いたいわけだろ。愛菜はアバターの一片が使われてるらしいな。けどあの宮里由紀はまんまアバターだった」

 

何かトリックがあるのか。はたまた見落としている何かがあるのか。少々考えるが、よくよく考えてみるとわりとどうでもよく、とりあえずベランダで喫煙のため立ち上がる。

 

「うっわ、さすがにお昼に放送するもんじゃなかろうて。何人死んどるんこの話」

 

確か夫に浮気された妻が最初の夫を殺し、継いで二人目も殺し、ついに警察にバレるもしばらく逃走するも逮捕。が、彼女を追っていた刑事が彼女に惚れて釈放後に二人は結ばれる。そして今、その刑事が殺されたところだ。

そんなドラマをそこそこ楽しんでいる八代を微笑ましく思いながらも、自室を抜けてベランダへ。

 

「……」

 

タバコに火をつけて吸って吐く。建物側の壁に背を預けて、昼間の面白みのない街並みを一望した。新世界を覆う壁にはリアルな太陽が映し出されていて、どういう原理か太陽光すら放っている。ちなみにそれらの原理はこの世界で一般的に公開されていない。そういう物を公開するということは、人々にこの世界が作り物だと言うことをはっきり伝えることになる。新世界の創世記からかなり時間が流れているため、人々は大抵、新世界の中だけが本当の世界と思い込んでいる。各地区の壁際は立ち入り禁止になっているのにも、そういった理由がある。全ては外の世界に目を向けさせないための手段だ。

もっとも、成長していけば隔離されているこの世界に違和感を感じるようになり、この世界が海底にあることもすぐに判明するわけだが。それでも完全に、どういう仕組みで隔離されているのか知っているか知っていないかの差は大きい。

そもそも外界遠征などという行事もあるのだから、隠す必要もないような気もする。これはかつて自分もそうだったような、デリケートな人の心とやらを守るための措置なのだろう。

 

「そういえば、そろそろか」

 

外界遠征とは年に一度、極術師一人と大規模に編隊された軍が旧世界へ赴く行事だ。ちょうど亮が旧世界から新世界へ移住するきっかけになったアレである。期間は一ヶ月ほどで、目的はその都度変わっている。過去の遺産の持ち帰りやら魔物の駆除やら様々だが、全てに共通して言える事は命懸けの行事であるということ。亮から言わせれば、人が居なくなった現在の旧世界には危険などないとは思うのだが、平和ボケしたこちらの世界の者からすれば命懸けらしい。

そしてそんな行事には今年が愛菜が赴く。愛菜が外界の魔物共に遅れを取るとは思っていない。心配する必要など全くないのだが、なんとなく、存在しない頭に何かが引っかかる。そこまで考えて、亮は携帯電話を取り出し、着信履歴から番号を選んで発信した。

 

『はい、もっしー』

 

聞こえてくるのは、現国王の声。発信相手はこの国のトップだ。今はこの茶番に付き合う気になれない。さっさと用件を伝える。

 

「王、頼みがある。次の外界遠征に行かせてくれ」

『……いきなり穏やかじゃないな。その理由は?』

 

最初のふざけたような声が消える。代わりに重く、刺すような声になる。

 

「なんとなく」

『乗船まではメディアの目もあるし、中に入れば軍隊も居る。やっとお前の存在が消えつつあるのに、また世界の者に悟られるのは良いことではないんだ』

「そうか。確かにその言い分は最もだし、俺が行くメリットの方が少ないか」

 

そこまで言い切って、大きくタバコを吸って吐き出し、灰皿が一杯になっているのを確認して吸い殻を体内へ取り込む。

少し考えればわかる。魔人がそういう行事にでしゃばるのがよろしくない理由の数々。

今回で言うと、それだけの力を持つ彼が居るならばそもそも軍隊などが不要になる点。新世界では巨大過ぎる力を持つ彼の居場所がなくなる点。隠蔽しようとするならば、知ってしまった者への対処。その他諸々、挙げれば切りがない。

 

そして亮はそれを把握した上でこう続ける。

 

「なら言い方を変える。行かせろ。ではきゃ今すぐこの世界ごと旧世界に行くことになる」

『……お前さ、交渉下手だよな』

「ン、否定はしない」

 

それだって仕方ない。彼が世界の平和を望む者に対して力というカードを切れば、相手はイエスと言わざるを得ないのだから。

 

『わかったけど、マジで深淵以外に存在を悟られんなよ。死ぬほど面倒くせえんだぞ』

「気体として潜水艦に入るか、液体として入るか、透明なまま水中を泳いで行くかで悩んでる」

『あぁそう、好きなの選んでちょ』

 

どれもこれもまともな人間からすれば同じだ。戦いに精通した者なら、彼が姿を消していても気配やら魔力やらで察知することはできるが、新世界では今のところ愛菜以外、そんな者を見たことがない。力の差がありすぎて気がつかないからか、理由を考えたことはないがそんなところだ。

そんな者達があの世界に赴くのだ、死んで当たり前である。周りの人々が敵と味方の二つに区別できない世界で、自分の身を守る事を忘れているのだから。

 

『……にしても魔人きゅんは律儀なのな』

「なにがだ」

『黙って行けばいいものを、わざわざ許可を取るとかさ』

 

どうせ無理矢理言うことを聞かせるなら、黙って行けばいいという話なのだろう。一理ある。

 

「別にコソコソ動きたいわけじゃないからな。面倒だが連絡してれば何かあったとしても状況把握が早い。それに、そっちもそっちで俺が居る事を前提に、手を打てるんじゃないのか」

『くはっ、ばれてーら』

「言ってみろよ。ある程度ならそう動いてやる」

『ってもやってもらうことなんて簡単だ。拠点を広げたいから、先に殲滅しといてほちぃってとこだ』

「それくらいなら構わない」

 

魔物など大した敵ではない。かなり手軽なオーダーだった。

 

『詳しい内容はメール送っとくわ。適当にチェキしとき』

「なんか使い方違くないか」

『え、なんの?チェキ?』

「ン、まぁいいや」

『良くない知りたい。え、おい待』

 

通話を終えてもうタバコを取り出して再び口にする。壁を背にして上を見る。相変わらず空にしか見えない壁だ。旧世界にて様々な本やらを取り込み、多くの知識を有したはずだが、コレを建造できる技術はわからない。いつかこの世界の隠された何かを暴くのも面白いと思い、そして次にその向こう側を想う。

この地に足を踏み入れてから、あの地に戻ったことはない。久し振りに戻ることになる。

 

「……なんの感慨も湧かないな」

 

別に、思い出の地を巡るわけではない。愛菜を守り、王の命をこなす。ただその二つだけのために動く。そういえば八代はどうするか、と考えた直後、携帯が震え、メールを受信した。王からだ、先ほどの話の詳細だった。亮が参加ということで変更されたプランが事細かに記されている。この短時間にこれだけ仕上げるとは流石の手腕と言ったところか。亮はその内容を丸暗記してからそのメールを削除する。携帯を仕舞おうとした時、二度携帯が震えた。今度は電話、相手はナナシ。仕事の話だろう。

 

「俺だ」

『仕事だ。例の、宮里由紀のアバター』

 

やっと出番か。なんて思いつつ、ナナシの言葉の続きを待つ。

 

『まずは事の顛末を話そう』

 

別に聞きたいわけではないが、一応ナナシの言に耳を傾けた。

 

簡単にまとめるとこうだ。アバターは培養されたもので、宮里由紀の細胞を与えたら構成情報を読み取り、宮里由紀として成長を始めた。しばらく研究施設で育てられていたが、宮里由紀の存在を知り、姉として認識し、会いたい、遊びたいと思った。だから研究施設を氷漬けにし、研究員、シェイカー達を殺して外へ出た。たまに騒ぎを起こしたから存在が認知され始めた。ここまではついこの間取り込んだ者達の記憶を統合し、辿り着いた答えだった。

だがつい昨日、宮里由紀、鈴木数馬は宮里由紀のクローンと出会い、ぶつかり、話し合い、分かり合い、宮里由紀の元で生活することになったらしい。

大体亮の予想通りだ。もし二人が動かなかったら、新世界はクローンに氷漬けにされる可能性もあった。二人はクローンを受け入れ、ハッピーエンドを迎えた。

そして、このタイミングで自分の番だ。

 

「ンで、なにすればいい」

『食らえ。跡形も残さずこの世から抹消しろ』

 

まぁ、そうなる。

 

「宮里由紀はそいつを妹として迎えてるんだろ。いいのか」

『当たり前だ。アバターが今後暴走しないとも限らない。それに近々外界遠征も控えている。まさか連れていくわけにも行かないし、一人残して寂しいとかふざけた理由で街を氷漬けにされるわけにもいかない。研究機関に盗まれまたアバターを複製されたら問題だし何より世間に今更なんて説明する』

 

正論のオンパレード。間違いなく当たる問題からもしもの事態まで。例を挙げて事例にメリットデメリットを付けていった結果。まぁ、この世にいない方がいい。

遥か昔の自分ならこの話は蹴っていただろう。魔物だろうと関係ない、前を向いて歩き出した者の希望の芽を摘むことはできない。くらいな戯言を垂れて。

 

「まぁわかった。塵芥残さず取り込んで無かったことにしてくる」

 

なんて事はない。魔物を一体食うだけだ。たとえそれが、好きで生まれたわけじゃないのに、人の悪意にさらされ苦痛の中でもがき苦しみ、やっとこれから真っ当な生活に向かって歩き出し、大切なものを手に入れた存在だとしても。

 

そんなものは魔人にはなんの関係もない。

 

『……ちなみに、私は乗り気じゃない』

「そうか」

 

はぁ。と、電話口からため息が聞こえた。

 

『いくつになろうとも、前を向いた歩き出した存在を葬るのは好きにはなれないんだよ』

「あぁそう。でも仕事だろ」

 

珍しく愚図るナナシに正論をぶつける。ここまでナナシが自分の心を語るのは本当に珍しい。根は優しいのは知っているし、その心を殺してこの仕事に就いているのも知っている。たまにはこういう事もあるんだろうくらいに考えた。

 

『魔人、お前はどうだ』

「死ぬほどどうでもいい」

 

育った環境のせいだろうか。身内の事なら当たり前だが、何の関係もない第三者にそこまで気を使う。そんな心を理解はしているが、そうしてみたいと思ったことはなかった。

 

『……そう言えば、お前の座右の銘はなんだったか』

「俺が良ければ全て良し。誰かのためにってのが当たり前なこの世の中だ。一人くらい自分のためだけに動いていたっていいだろ」

『相変わらずブレないな、お前は』

「変わらない何かを持ってみろ。失くさない限り変わらない、変えられない」

『ふっ、考えておこう。……仕事は明日の日の出までだ』

「ン、わかった」

 

通話を終えて、短くなったタバコを吸いきり、また吸い殻を体内へ取り込む。灰皿に溜まってる灰と吸い殻も捨てるのが面倒だと感じて、灰皿の中に手を突っ込み全て取り込む。汚れが付着する前にも取り込んでいるため、手が汚れることもない。

 

「……ンー」

 

悩むのは外界遠征の事だ。宮里由紀のクローンの事はどうでもいい。ナナシは自分のことをブレないと言った。確かに考え方は変わらない。目指すところは何も変わらないからだ。だからあの場所へ戻っても、自分の心情など変わらない。

しかし変わるかもしれないとも思う。あの頃と違い、今は愛菜という守るべきものを手に入れてしまった。今あそこへ行けば、何か景色が違って見えるのかもしれない。

 

「……ふ」

 

また無意味な事を考えていると分かって、鼻で笑う。

 

「あーるじー!おやつ!!油揚げをトースターで焼いて醤油かけるやつ!!」

「ダメだ油揚げは今晩おひたしにして食べるから」

「ぬぅ、買いにくいのじゃ!!」

「……はぁ、支度しろ」

「うぃー!!」

「外でやるなよそれ」

 

そういえばポン酢が切れそうだったか。一人で繰り返していた無意味な思考は、気がつけば冷蔵庫の中身の思い起こしと、一週間の献立へと切り替わっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ナナシより送られてきた、絶対零度、宮里由紀のアバターは宮里由紀の家にいるらしい。さすがにしばらくは家から出られないのか。それに下手に表に出すよりかは、家に居させた方が安全というものだ。

 

「(無駄に硬いセキュリティだな。元絶対零度も一枚噛んでるかこれ)」

 

外観は少し大きい普通の一軒家。と言ってもここはホワイト地区の高級住宅街なので、周りの物とは大差ない。だが、家全体に張り巡らせてある魔力の膜はこの家特有だろう。本来目で見えるものではない、亮だからこそ見えるものだ。これなら基本的には誰が来ても侵入者を探知できる。

魔力の膜の正体は、家の中に恐らく置かれているだろういくつかの装置によるもの。膜自体に侵入者を撃退する効果はないが、予め設定された魔力を持つもの以外が触れれば警報が鳴る仕組みになっているはずだ。以前、外界遠征で軍隊が使用していた物の改良版だろう。

仕事とだけ言って、内容は愛菜達には伏せて来たのが悔やまれる。このセキュリティを掻い潜るのは愛菜なら簡単なのだが、いかんせん魔力の塊である自分には難しい。それこそ聖移を用いらなければ。だがあまり使いたくないというのもある。

 

だから、取れる行動は一つ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

らしくない夢だと笑われそうと思いながらも、由紀は今見ている夢がとても楽しかった。自分と、妹になった自分のクローン、もっと言うならばアバターの由美と、今回の件で行動を共にし、そして恋した鈴木数馬の三人でイエロー地区の遊園地で遊ぶ夢だ。

ただただ楽しい。なんのアトラクションに乗っているのか曖昧で不明だが、ともかく楽しいと感じていた。

この夢を実現させるのには、きっと多くの障害があると思う。でも、妹として受け入れたのだから、ただ真っ直ぐ人として生きて欲しいと思う。そのための障害など全て払ってやる覚悟は持った。この夢のように、きっと何の憂いもなく笑える日を手繰り寄せてみせる。揺るがない思いを持っている。そして。

 

 

────ピピピピピピピ!!

と、警報機の音が家中に鳴り響いた。

 

「由美!!」

 

その音を聞いて由紀は飛び起きる。さっきまでの夢とは真逆の現実が訪れる。

 

「(早い、早すぎる……普通はもっと機を見て……)」

 

考えが甘かった。極術師が最も警戒している時期に突入されると思っていなかった。そんな命知らずが居るとは思っていなかった。そんなネガティブな考えを振り払い、寝間着のまま、部屋を飛び出て隣の由美の部屋へと駆け入る。

 

「由美!!」

 

部屋を開け、目の前の状況を瞬時に理解する。もう、その部屋には誰もいなかった。そんな現実を受け止めたくなくて、割れた窓の方へと駆け寄る。窓から顔を出して辺りを確認する。人を連れ去り、三階から降りるのならばまだ下にいるはず。だから下を見るが。

 

「……ぁ」

 

居ない。窓が破られた以外の痕跡がまるで何もない。下は庭の芝生だ。登るための梯子が掛かっていたならそれがあるはずだし、芝の上に置いた跡が残っているものだ。だがそう言った明確な痕跡は何一つない。

 

「……っ!」

 

由紀は窓から飛び出し、氷の階段を瞬時に作り上げながら下へ降りる。表へ出て夜の住宅街を駆けた。自分が裸足で寝間着なのなんて忘れてしまった。

ついこの前知ったはずだった。この世界の闇を。世界のために誰かを犠牲にする事があることを。ここはそういう犠牲の上に成り立っている世界だったことを。極術師というレッテルは闇の中では大した意味を持たないことを。なのに、大丈夫だと思った。一度日の光を浴びたのならば闇は払われたと思った。その結果がこれだった。

 

「由美!……由美!!」

 

当てもなく走り続けて、名前を呼んだ。大切な妹の名前を呼び続けた。

 

 

 

 

 

そんな彼女を、元凶はタバコを加えながら彼女の家の屋根に座り込んで眺めていた。

その隣で、彼女の母親は彼を、魔人を恨みと増悪を込めた目で睨んでいた。

 

「……まぁ、こんなとこだろ」

 

由紀の声が遠くに行ったところで、亮は呟いた。

 

「……やっぱり、あの子を関わらせるべきじゃなかった」

 

宮里由紀の母親、元絶対零度の宮里紀子は震える声でそう言った。

 

「当たり前だろ。あんたは何を思って関わらせた。止めるべきだっただろ」

 

タバコを吐いて、紀子の言葉を待つ。

二人は知り合いだった。彼女が絶対零度としてこの世の裏側に居た頃の同僚だ。だからこそ彼女はこの世の闇をよく知っているはずだった。それなのに、彼女は自分の、闇を知らなかった自分の娘をこっち側に関わらせた事が解せなかった。

 

「変えられると思ってたのよ。あの子と、あの子に手を貸してくれた彼の二人なら」

「その結果がこれか」

「……あなたはいつもそうね、人の気持ちなんて欠片も理解せずにただただ合理的」

「仕事だからな」

 

もう一口タバコを吸おうとしたところで、タバコが突然凍る。どうやら話はこれで終わりにするらしい。

 

「まぁ、宮里由紀と俺を関わらせなかっただけ、まだ理性的だな」

「あなたみたいなのと関わらせるわけないでしょう。そうしたら、あの子はもう二度と普通生活を送れなくなる」

「そうだな」

 

紀子は右手を突き出し、魔人を氷漬けにするべく魔術を発動させる。元絶対零度。極術としての力は失われたが、それでも上位術の中でも上の方に位置する。自在ではない。だが人を凍らせる程度の力はある。伊達で闇に居たわけではない。

 

「あなたはここで終わらせる」

 

生み出した氷は、未だに座ったままの亮を足元から覆い始める。逃げることなどできはしない。力でどうにかできる硬さではない氷だ、例え肉体強化の魔術を使う者でも逃げ出すことはできない。

 

普通は。

 

「もう会わないといいな」

 

だが、亮は頭からその存在を気体へと変える。砂場に作り上げた山が風に流される様に、魔人はその場から消失した。後には彼を固めようとしていた氷だけが残される。

 

「……くっ……」

 

この世は犠牲の上に成り立つ。その犠牲を積み上げる者と、無力な自分を恨んで、紀子は膝をついた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

風に乗って流された先はホワイト地区の路地だった。取り敢えず自分自身を人の形に戻して帰路に着く。すぐさま体の中から懐から取り出して雇用主へと終業連絡をする。

 

『終わったか』

「あぁ。そういや、元絶対零度と会ったぞ」

『……そうか、彼女はなんて』

「娘を関わらせるべきじゃなかった。と」

『あぁ……これは、もう彼女と飲みになんていけないな』

「行ったことなんてあったんだな」

『彼女が初めて人を殺めた時に、な』

「へぇ。ンじゃ切るぞ」

 

余り興味がなかったので早々に通話を終え歩き始める。数歩歩いたところで亮はふと足を止めた。思い返すのは紀子の言葉だ。

 

「(元絶対零度は世界の裏側を知っていても娘を関わらせた。そうするべきではないと分かっているのにだ。それはきっと、鈴木数馬のせいだ)」

 

紀子は最初は止めようとしていたと考える。そして鈴木数馬と会ったのだろう。会って、会話をし、鈴木数馬が紀子の考え方を変えた。

 

「(それが、その魅力とも言えるものが……鈴木数馬を真衣が選んだ理由)」

 

そこまで考えて、亮は飛び上がった。そのまま空を蹴って、帰路を急いだ。

 

「(俺じゃダメな理由……)」

 

主人公補正とでも言える様な何か。絶対無理だと思っていても、何とかしてくれると思わせてくれる感覚。無力でも勇気だけで立ち向かう強さ。そして、奇跡を起こす想いの強さ。

 

「……チッ」

 

舌打ちをした時には、自分の家のベランダは目の前にあった。手すりに向かって透明な魔力の手を伸ばして掴み、ワイヤーを巻き取る要領で体をベランダに入れる。そのまま座り込んでタバコを取り出し火をつけ、大きく吸って吐き出した。

 

「……なんで、俺じゃないんだろうな」

 

風に流される紫煙を見つめ、そう呟いた。




だいぶ空きましたけど一応生きてます、ちまちま投稿していく予定です


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ベランダでの意味のない回想の前座②

拭えない苛立ちが募り、いっそこの世界を壊してやろうかと思ったのは、あれから四本目のタバコを吸い切り箱の中が空になった時である。創造の前には破壊があるとは言うが、それで自分の望む未来を創造できるならこれほど悩むことではなかっただろう。壊すことは得意分野なのだから。

相変わらず過の偉人達の言葉は理解できない。物事をポジティブに考えるのは恐らくいい事なのだろうが、それが先行して物事の本質から目を逸らし、希望論を展開する。そういうのは好きじゃない。

努力は報われるというのもそうだ。それは基本的に報われた者が言う言葉だし、報われなかった者が言うのは負け惜しみの様なもの。他の事に活かせたからよかったという結果論に基づいた言葉なのかもしれないが、本当に果たしたかった物を果たせなかったくせに。と思う。

 

この思考は結局、世の中前向きに生きて幸せを掴もうとする者達への当てつけであると思い、鼻で笑った。選ばれなかったから拗ねてるだけだ。

 

「主、お帰りなさいじゃ」

 

八代がベランダに出てきた。図った様なタイミングだ。

 

「……なんだよ」

「うむ、なんとなくの」

 

なんとなくで、彼女は亮の憂いを察した。彼が突然、些細なきっかけで拗ねることくらい、今まで数え切れないほどあった。それを体感してきたからこそ彼女はなんとなくで彼の前に現れた。

 

「野生の勘ってやつか」

「まだ妾に野生があるとは思わんが、そんなことはどうでもいいんじゃよ。こういう時でないと主への好感度アップができないと思うての」

「あぁそうかよ」

 

色々と台無しな気もするが、彼女のこれは平常運転だ。いつも通りすぎて返す言葉もない。

 

「……本当のところは、必要のない睡眠に興じとったら、ふと思い出してしまっての。主と共に浸りたくなったわけじゃよ。これも主が昼間に思い出させるからじゃ。責任とりなさいよねってやつじゃ」

「それは俺の知ったことじゃない。歳食いすぎたババアのヒステリに付き合うのは趣味じゃないんだがな」

「えぇ、それ主が言うん?」

「…………確かにな」

 

思い返せば、自分がこうなった時、八代はいつだって彼に言葉をかけた。それは自問自答の様で意味などまるで持たない。彼女が言おうと言うまいと、彼の行動になんら影響は与えない。

無駄と知って長い間、年増のヒステリに付き合って居たのは彼女の方だった。

 

「そういうわけじゃから、まぁ、なんじゃ……」

 

八代は亮に近寄って彼の服の裾を掴み、俯いたまま口を開いた。

 

「寂しいから、主の、中に、入りたい」

 

そう弱々しく願った八代の言葉を聞いて、亮は屈んで八代と目を合わせる。

 

「このまま取り込んでも、以前のようにはならないかもしれないぞ」

「……聖移を用いる。そうすることで妾は主の中で意識を移動させられた。じゃが、すまぬ忘れてくれ」

 

気を使ったのは明らかだ。神術の使用には神聖さを消費する。本来、神術を扱える者は人々から信仰された結果、神術を扱えるようになる。その上で信仰され続けるので神聖さの消費など気にする必要はないのだが、亮の場合は違う。

彼は神聖さを持ち合わせている者を喰らうことでしか神聖さを手に入れられない。消費を気にしなければならない。加えて物質の移動ならば大したことはないが、形のないものは大きく消費する。

つまり、下らないネガティブに付き合うと目的への達成が大きく遅れるということだ。

 

当然、無駄なことに付き合う理由なんてない。

 

「ン、わかった」

 

そう言って、亮は両腕で八代を抱き寄せた。

 

「主……!?なんで」

「ほら、こういう時じゃないと好感度アップはできないんだろ」

「……そじゃの」

 

なんとバカバカしく、無駄なことだろうと八代は思う。そうまでしなくても、彼に対する好感度などとうの昔に振り切れている。

 

彼の腕に抱かれて、感じ慣れていた冷たくも優しい感覚に見舞われる。冷たく沈んでいく。思い出すと胸が張り裂けそうで、絶望に視界が覆われる様な過去に埋もれていく。

 

これは、人々から魔物の中でも強力とされた九之枝と呼ばれる九体の魔物のうちの頂点。九尾の狐と恐れられ、敬われた魔物と、全てを失った後の魔人の、無駄な回想。



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九尾の狐①

連チャン投稿


ある日、唐突に全てを失った。数えるのが億劫になるくらいには時間が経った。今もまだ俺は生きている。

あの時まで、世界にはお前しかいないように見えた。お前がいたから世界があるように見えた。だけど、それは違った。世界はお前を奪った。眼中になかった世界程度が、お前の装飾品程度でしかなかった世界がお前を────俺の全てを奪っていった。

 

「……朝か」

 

また日が昇った。お前が居なくとも世界は進む。時間は止まらない。俺はまだ死んでいない。

 

「……真衣、苦しいよ」

 

日の光は眩しい。この光みたいに未来は明るい。そう二人で信じていたあの頃の俺たちが、今の俺の首を絞める。

だから歩き出す。この苦しみを終わらせるために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

神の所業。それはきっと、かつて自分が持っていたあの力の事だろう。体の一部を代償として支払い時間を巻き戻す。たったの一時間だけだったが、時間を巻き戻すなんてきっと人間の取り扱える範疇を超える。だからこそ考える。あの力をもう一度使えて、一時間の制約を取っ払えるとしたら。あの日、あの時に戻って彼女を助けたい。

しかし、どうすればいいのかだけがわからない。この世にはそもそも人の数が少ない。魔物であればいくらでもいるのだが、知能の低いそれらが自分のこの問題を解決するヒントを持っているとは思えない。言ってしまえば手詰まり。自分にはもうどうすることもできないの。

そういう自分への無力さが募り、気晴らしも兼ねて魔物は殺害する。

 

だからこの現状も彼にとっては良くある虐殺。

 

「ガッ、ゴ……」

 

かつて自動車と呼ばれた物に押し潰された群れのリーダーは、彼を睨んだまま息絶えた。長い間、群れのために戦ってきたその生涯はここで閉じられた。

そのリーダーに思うところがあったのか、リーダーの上の自動車に体当たりをして助けようとした何匹かの魔物は、彼に放り投げられた同族に当たり、どういうわけかその同族は爆発した。それだけに留まらず、その爆発は自動車のガソリンに引火し、誘爆した。やはりその何匹かは爆発によって息絶えた。

 

そういう虐殺は、もう二時間近く続いている。もし動物達の間にも天国やら地獄の概念があるなら、ここは地獄の一部に等しい空間だろう。見えない何かに遮られ、彼から逃げる事はできない。愚かにも彼を捕食しようと集まった魔物達は、追い詰めたつもりで追い詰められ、殺されていた。その数は3桁を超える。様々な種族によって構成された魔物の集まりはもう壊滅寸前だった。

 

「ガロオオゥ!!」

 

ウォッチドッグといずれ呼ばれる犬型の魔物が彼に取りかかり、首元に喰らい付こうとする。が、その口が首に届く前に頭を手で掴まれ、そのまま頭が潰れた。彼は落下する胴体を蹴っ飛ばし、後方にいた別のウォッチドッグへぶつける。間髪開けずに上空から爪を立てて接近する鳥の方を向いて────

 

「飽きた」

 

その言葉の直後、全ての魔物は彼に吸い寄せられる。魔物だけではない、植物、瓦礫、ありとあらゆるものがだ。そしてそれら全ては彼に触れ、彼の中へと飲まれて消えた。

更地になったその場所で、全て食らった魔人、亮は辺りを見渡してから呟いた。

 

「……ここはなにもないか。次だ」

 

どれだけ歩いただろうか。長い時間かけてやっと辿り着いた場所に手掛かりとなるものはなにもなかった。使い物にならないガラクタばかりだった。今食らった魔物達もそうだ。仲間やら同族のことばかりで、そのくせして奇跡を起こせるほどの想いを持たない。使えない生物ばかりだ。

 

割りに合わない。こんなことをする意味はない。

 

けれど諦めるなんて、そんな選択肢は存在しない。諦められない。探し続けるしかないのだ、そして探し出して間違いなくそれを成し遂げる。たとえ何を犠牲にしようとも。

 

魔物を逃さないために、周囲に張っていた魔力の膜による結界を解除して歩み出した。そのとき。

 

「ガウ」

「なんだ、こいつ」

 

その動物は行く手をふさぐ形で唐突に現れた。知識にはある。以前、世界では「虎」と呼ばれていた存在だ。もちろん魔力の影響で、雰囲気だけは変わり果てている。しかしこれは逆に珍しい。本来であれば原型は留めていても、なにかしら外観に変化があるものだ。なのに、目の前の存在は、取り込んだ書籍、「小学生の動物図鑑」の中の写真のままだ。つまりは異常な存在ということだ。

 

「どうした、腹減ってるわけじゃないのか。つーか、この惨状を見て敵意を持たないで来るか」

 

基本、魔物は三大欲求の一つ、食欲を満たすために行動する。人や生き物の数が減ってきている今では、生物を見つければ即捕食。それが一般的だ。であるのに、目の前の魔物はこちらに敵意を向けない。まるでこちらを見極めるような、そういう意思を感じる。

 

「……Come on」

「…………は?」

 

聞き間違いでなければ。目の前の魔物は喋った。

 

「Follow me」

「マジでなんなんだお前」

 

魔力の影響で知能が上がったのだろうか。外観に現れるほどの肉体強化ではなく、知能に魔力があてがわれている。そう考えれば納得できるが、前例は見たことも聞いたこともない。

 

「我らが主人があなたに会いたがっている」

「言語が不安定だな。……その主人とやらがこっちに来るのが道理だろ」

「それについては「すまない」とおっしゃっていた」

「お前の主人は未来でも見通せるのか?」

「……わからない」

 

冗談といえば冗談だ。別に未来予知ができずともそれくらいの予想はできる。それでもそう聞いたのは、自分が今求めているのが未来予知のような普通ではない力を探しているから。

しかし、魔物が俯いたのを見ると、これは期待できるかもしれない。

 

「隠してるわけじゃないな。まぁいい、連れてけ」

「Sir」

 

なかなか面倒臭い魔物が居たものだ。恐らく滅びた国の言語、アメリカ語だか英語だかだろう。取り込んだ本の情報と照らし合わせて間違いないはずだ。

しかし、そんなことよりも獣の魔物が言葉を喋る。そして言葉を喋る魔物が慕う、もしくは畏怖していて、理解できていないなにかが居ることに心が踊った。こんな気持ちは久し振りだ。会話ができる生物と出会うのは何十年ぶりだろうか。そしてそれが全てを取り戻すための手がかりを握っている可能性がある。高揚しないわけがない。

 

「ところで、なんで会話ができる?それもお前の主人とやらの力か?」

「……Maybe」

「ハッキリしないんだな」

「では。あなたは自分がなぜそんな力を有するに至ったのか。理解できていますか?」

「そういう感じか。理解した」

 

生まれ持った特別な才能。そうとしか言い表せない。生まれた時から自分はこうであり、そしてそれが当たり前だったのだ。

この魔物もそういう道を辿って来たのだろう。成長の過程で身につけた物はあれどそれを身につけるための才能は元からあった。周りにはない自分だけの才能があった。

 

それからお互いに軽い世間話を挟みながらも歩みを続ける。久し振りに会話をしたが、話せば話すほどこの魔物の知能の高さが伺えた。

言葉の選び方から場の空気の読み方まで、まるで人間の様だった。

 

「少し、休憩を入れます」

 

三時間ほど歩いただろうか。綺麗な湖のほとりの木陰に、獣は座り込んだ。

 

「なんだ、暑いのか」

「……Sorry」

 

そう言って立ち上がり、湖へと足を進め、完全に浸かり切ってゴクゴクと湖の水を飲み始める。仕方ないだろう。気温は現在、55度ほどある。自分は気温など大した問題にならない体ではあるが、普通はこの気温に体がついていかないものだ。

 

「気にするな。どうせ時間なんていくらでもある。急いで行ってお前に倒れられる方が面倒だ」

 

適当な大石を見つけ、それに座り告げる。

 

「やはり、あなたは優しいのですね」

「ン?突然なんだ」

「……当初、私は不安でした。あなたを連れてくるというのが」

 

水を滴らせながら湖を出て、ブルっと体を震わせて水を飛ばす。

 

「あなたにとっては有象無象かもしれませんが、私の同郷の者達は皆、あなたに殺されました」

「……」

「責めるつもりはありません。元々あれらは死んでもいい類の魔物です。知能は少なく、食欲に突き動かされるような者ですから。しかし、ああも簡単に。魔物の中でも最強の一族と謳われたアレらを、一瞬で全滅させた。私は力を持つあなたが怖かった」

 

亮を見据えながら魔物は言葉を続ける。だがその瞳に恨みの類の感情は篭っていなかった。もしこれが逆の立場の場合、亮ならば、たとえ自分が死ぬことになろうとも殺しに行くが、そうはならないのならば、本当に同郷の魔物をなんとも思っていないのだろう。

 

「しかし、こちらかに敵意がないことを知ると、あなたは一切手を出さなかった。私は嬉しかったのです。この世界はまだ種族間を越えて和解できる。きっとみなで協力し、平和な世界を築くことができる。その可能性の一端が見えた」

「……そうか」

 

本心としては、面白そう。利用できそう。手がかりになりそう。なんていう、平和とか友好とか協力とか、そんなものを鼻で笑う下心があるのだが、まあ勝手に勘違いしてくれて都合よく事が進むのは悪くない。

罪悪感は湧かない。使えるものは全て使う。当然だ。

 

「参りましょう。まだもう少し歩きますので」

 

先導して歩き出した虎の後に続いて、亮も歩き始めたが、数歩進んだところで敵意を感じて足を止めた。まだ距離はあるが、速度と気配の殺し方からして鳥。

虎の方が気付いたのは、軽く手遅れな距離になってからだった。

 

「Shit……」

 

流暢な英語の後にはもう既に鳥の魔物が虎の眼前に居る。速度を殺さず、むしろ降下による位置エネルギーも加えて加速していた。絶体絶命の危機的な状況だが、幸い虎に同行しているのは魔人だ。

鳥は虎に触れる前に見えない壁に阻まれ激突し、ゴリッと骨が折れる音とべちゃっと肉が潰れる音を同時に発して息絶えた。

 

「どうした。あれくらい気が付けただろう」

「申し訳ありません、助かりました。暑さで反応が鈍りました」

「…………はぁ、ほら」

 

仕方ないとため息をついて、獣に対して魔術を行使する。

 

「So cool……これは?」

「氷の魔術も元を正せば温度の操作だ。これはその応用みたいなもんだ」

 

何も相手を氷漬けにするだけが氷の魔術じゃない。その性質を用いれば対象の体に膜を張って涼しくする事だってできる。デカイ口を叩いて説明したが、これも食らった誰かの知識によって会得した物だ。

 

「Thanks」

「……日本語で頼む」

 

随分と変な生き物に懐かれたと苦笑し、待っているのであろう更に変な生き物の元へ歩みを進めるのだった。

 

 

 

 

 

 

「Here」

 

もうだいぶ聞き慣れた唐突な英単語。もはやなにも言うことはなく聞き流してその建物を見上げる。

 

「……随分立派なことで」

 

目の前にそびえ立っているのは、ボロボロな外装の社。木造の巨大な建物だが、腐っていたりあるべき柱が無かったりと今にも崩れそうな具合だ。だが置物のような装飾品などは綺麗に飾られている。終わってしまった過去の遺物をせめてもと飾り立てている様だ。

 

だがそんなことよりも。なんだろうこの背中にまとわりつくようなこの妙な感覚は。まるでこの建物に威圧されるような、吹けば崩れてしまいそうな建物なのに、輝いて見えるのは。

 

「こちらです」

 

虎の先導で社の階段を上がり、真っ二つに割れた賽銭箱を避けてその先の扉の前へ。本殿だかなんだかと呼ばれる場所だと記憶している。

だが扉は閉ざされているようだった。

 

「どうした、開かないのか」

「いえ、この扉を開けて中に入るのには合言葉が必要なのです」

 

また大層な仕掛けだ。見たところ扉に魔術などが施されている形跡はない。これも主人とやらの未知の力によるものか。ますます楽しみだと思った直後、虎が息を大きく吸って合言葉を放つ。

 

「I'm back」

 

苦笑することすら忘れた。

 

「よいぞ、入るのじゃ」

「(そっちは古の日本語かよ……)」

 

このマッチ感には流石にツッコミを入れざるを得なかった。むしろ声に出さなかった自分を褒め称えて欲しい。魔物とは知性を持つとこんな面白動物になるものなのか。

 

「失礼します」

「……普通に扉を押して開くのかよ」

 

今のやりとりに合言葉を挟む必要がどこにあるのだろうか。亮はとうとう口にしてツッコンだ。

 

中は正しく和一色の雰囲気だ。所々床に汚れが目立つが、それでも今の世界では綺麗と言える範疇のもの。中でも奥の白いレースのカーテンは汚れが一切見当たらない。その奥に件の主人がいるのは明白だった。

 

「お主は下がれ」

「Sir。表にて待機します」

 

主人の命を受けて虎は足を翻す。

 

「あぁ、ここまで道のりご苦労じゃった。ありがとう」

「ありがたきお言葉」

 

部下への労いを忘れない主人らしい。言葉は通じそうだと思いつつ、亮はその主人が居るであろう仕切りの前に立つ。

「よくぞ参った、魔人」

「顔くらい見せたらどうだ。それが客人に対する態度か」

「ふっ、そちらこそ頭が高い。控えろ、神前ぞ」

「なに……?」

 

仕切りの向こうの存在はそう言った。神前、と。そして納得する。

 

「(そう……か。この感覚は。この感触は)」

 

思わず口元が綻ぶ。このピリピリと背中を刺すような何か。息がつまるような威圧感。肺を握られているかのような圧迫感。間違いない、これは、神の気配だ。

 

「妾は神。文字通りお主とは位が違う」

「そうか。神……探したぞ」

 

口元が綻ぶ。やっと、やっと見つけた。

 

「ほう」

 

それを見てか、臆すことのない亮に何か感じたらしい。このまま今すぐコイツを食らってその力を拝借したいところだが、まずは事を荒立てずに目標を達成できるか確認する。

 

「いくつか聞きたいことがある」

「わざわざ来てもらった礼よ。なんでも一つ、答えてやろう」

「お前は死んだ人を生き返らせられるか?」

「管轄外と言っておくよ」

「なら、時間を巻き戻すこと」

「妾は一つと言った」

「ケチくさい事を言うなよ。時間なんていくらでもあるだろ」

「ならぬ。上下関係の瓦解は規律を乱す」

 

なんとも面倒臭い神だと思う。

まぁこの神はみんな仲良く、みんなのためになることとりあえずやってた炎神の様な、自由に振る舞った結果周りに人が集まるタイプとは違うのだろう。元々自分が頂点で、属する者なら誰も彼も仲間に引き入れるがそれ以外はダメ。なんていうタイプだ。

こういうのはやりやすい。一人じゃ生きていけないから周りの者を全て奪ってやれば自滅する。誰よりも一人であることを恐れているから。

 

「……ならいい、ンで何が望みだ」

「魔物と人間を繋ぐ架け橋になれ」

 

まぁこんな環境を作り上げている時点でまともな奴じゃないと思っていたが、やはりまともじゃなかった。だから即答する。

 

「断る」

「なぜじゃ?もう戦わずに済む」

「なぜ戦うことがダメなんだ」

「ふむ、そういう感じか。ならば妾の手足になれ」

「断る」

「ならば、妾と語らえ」

「だいぶ妥協したな」

 

従えと言っていた割には随分と下手な提案だ。

 

「話し合わんと始まらん。語らい、互いに理解し、それでも理解できない時に拳を振るうものじゃ。もっとも、大抵力でわかりあうことなどできはしないがの」

「そうだな」

 

そもそも、他人とわかり合おうとすること自体に無駄が大きいと思っているが、そんなことを言って早々に可能性を摘むのは避けたい。今は使えなくとも、コレを神として成長させていけば死人を生き返らせたり、時間を巻き戻す力の手がかりになる可能性もあるのだから。

 

「ならば近くに寄れ」

「自分が動けよ」

 

そう返すと、向こうはくっくっ笑った。仕切り越しに影が動いたのが分かる。神が動いた。たったそれだけだが、それは大きな意味を持つ。

そうまでして、自分の立場を弱めると知って神は動き、魔人へ近寄った。

神が仕切りの目の前に立つと、突然仕切りが消え去る。あたかも初めからその場に存在していなかったかのように。そして神の姿が露わになる。

 

「……狐か」

 

幼い白髪の幼い女の子。だが背中から生えた九つの尻尾が異質さを表している。身の丈に合わないサイズのそれらは上を向いてゆらゆらと揺れている。

亮の記憶では過の偉人たちの創作物の中にあったケモ耳幼女を連想した。まんまそのままである。違いがあるとすれば、この姿を見ても可愛いなどという感想を抱かない点だろう。立ち振る舞いのみならず、神の発する雰囲気には強い神聖さがある。

 

「もしやお主……」

 

狐の神は魔人を見て目を見開いた。何を驚いているのかはわからない。

 

「良き語らいができそうの」

「……なんだわからないが。それはよかったな」

 

笑顔を見せた神に対してそう言って、これからどう立ち回るべきか模索する亮だった。



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九尾の狐②

話をする。という事で、亮は柱に背中を預け、片膝を立てて座り込んだ。神の方はわざわざ自分が座していたボロボロな座布団をこちらへ持ってきて、そこに正座をする。

 

「ンで、会話をするのは構わないがなにを話すんだ」

「……言われてみれば確かにの」

 

長い間、人付き合いなるのものが無かった亮はなにを話せばいいのかわからない。神の方も神であるがゆえに世間話というものはした事がない。

 

「本日はお日柄もよく?」

「お日柄良過ぎて虎はバテてたぞ」

「ふむ、あとで労ってやらんとの」

 

基本的に彼女は面倒見がいいタイプのようだ。一人で社の中に閉じこもって加護を与えているから、他の者は働いて当たり前。みたいな思考回路かと思っていたが、そういうわけではないらしい。上下関係を作った上で自分はやるべきことをやっているのだろう。目の前のこれが正しく神だと再認識した上で、気になったことを尋ねる。

 

「そういやお前を信仰する者はどれだけ居るんだ?まさかあの虎だけってことはないだろうが」

「さての。具体的に把握してはおらんが、そこそこ居ると感じておるよ」

 

そういえば炎神もそんなことを言っていたと思い出す。自分の事を信じてくれている人が居れば、自然とその想いが伝わるそうだ。位置はわからない。けれど居ることは伝わる。そういう曖昧な感性だそうただ。

 

「立派に神様してんだな」

「さぁどうかの。皆のためになる事をと思い動いてはおるが、妾程度では世の二神には程遠い」

 

この世の二神と言えば炎神や水神の事だろう。あれらは自分のやりたい事をやっていれば周りに自然と人が集まり信仰してくれる、という化け物だ。水神は未だに出会っていないのでわからないが、炎神は誰かのために動く事を全く苦痛に思わず、むしろそれで誰かが喜んでくれるならと率先して行動するタイプだった。

初めて会った時も、炎神は畑仕事の手伝いをしていたし、行動だけ鑑みれば過の偉人達の思う神とはほど遠い。

 

「お前がアレらを越えようとする姿勢を見て、お前を信じてるやつもいるだろ。届かなくても、気にする必要はないと思うが」

 

と思ったままを口にした。それを聞いて神は小さく微笑んで口を開く。

 

「……ふむ、お主はやはりいい奴なんじゃの」

「別に、客観的に判断しただけだ」

「なんと言ったか。……ツンデレ?」

「黙れ」

 

くっくっと笑い出す神を見て溜息を吐きつつ、まずはこの神の思惑を思考する。

神は亮に自分を信仰させ、人と魔物の架け橋にしたいと語っていた。多くの魔物と人を殺めてきた自分にその役は不適当な気はするが、逆に魔物も人も敵である自分が降れば、他の人々も協調できるというアピールになる、ということだろう。狙い所は悪くない。

 

「……お主の言葉は嬉しいが、人と魔物を纏めるのに人の頂点に劣っているようではならぬ」

 

この神の想いは本物だ。ただこうして会話しているだけで伝わってくる。きっと自分が降るとか関係なしに、やがては炎神、水神達のように大きな存在になるはずだ。

だが、そんな気持ちを受け取っても、亮の心を動かすには足りない。

 

「まぁがんばれ」

「うむがんばる」

 

そう言って小さく笑う神を見て、亮は神から別の思いを感じ取った。と同時に。なんとなくだが、この神と初めて会った気がしなかった。そして多分、向こうはこちらのことを知っている気がする。自分に向ける笑顔の眩しさがそう思わせる。

 

「(……だが、俺はこの神に会った記憶がない)」

 

そうやって既視感を抱かせる様なタイプの神なのだろうか。会話を続けているだけで自分に好意を抱かせるような。有り得ない話ではない。狐につままれる、という言葉がある程度に、狐という生き物はズル賢いとされている。その「ズル賢い」の特性が見た目の年齢詐称に留まればいいが、併せて神である以上、何があってもおかしくはない。亮はよく知っている。神が白と言えば黒は白になる。この世の法則程度、神には通用しないことを。

 

「しかし話題がないの……」

 

うむむと唸る姿は幼子の様にしか見えない。見た目以上の年齢なのは間違いないが、少なくとも自分にこんな知り合いは居ない。

 

「(どう詮索したもんか……)」

 

下手な事を話題にして敵対するのはまだ早い。炎神の時と違い、もうやり直しはできないのだ。殺されてしまえばそれで終わる。まずはこの神をよく知るのが先決だ。知っている事はそのまま武器になる。相手を知り、有利な立ち回りができれば、この程度の神ならやれる。

とりあえずはこの無意味な会話に付き合い、情報を引き出そうと決めた時、神の方が口を開いた。

 

「のう、お主の連れの女子はどうしたのじゃ?」

「……なんの話だ」

 

ここ数十年以上、誰かと行動を共にした事はない。

 

「何十年前かの……居たであろう、黒く長い髪の少女が」

 

そう言われて、該当する人物は一人しか居ない。だが、彼女がこの世から消え去ったのはその数十年以上前の話だ。つまり、目の前の神と自分は数十年以上前に会ったことがある可能性が高い。

 

「お前、どこかで会ったことあるか」

「うんむ、お主は覚えとらんみたいじゃがな」

「お前みたいな個性的なのと会ってたら忘れねえよ」

 

彼女がいた頃の自分は、確かに今の様な記憶力はなかったが、狐の耳と尾を持つ幼女なんてそうそう忘れる事はないだろう。

 

「では、炎神の治めていた土地付近で倒れていた狐を介抱した記憶はあるか?」

「……ある」

 

いつものように探索をしていた時のことだ。道端で負傷していた狐がいた。体の至る所が折れて抉れ、片耳と尾を失い瀕死の状態。それでもなお意識があり、通り掛かりの自分達を見るや立ち上がってこちらを見据えてきた。間違いなく魔物であり、状態からして殺すのは容易い。だが亮達はそうはしなかった。

狐を抱え、自分達の家に連れて帰り、水や食料を与えた。回復し次第、狐に攻撃される可能性もあったが、狐は特にその様子も見せず徐々に回復していった。それからしばらくして、傷が癒えるという時にあの日が来た。それ以来、狐がどうなったかは知らないし、今の今まで忘れていた。

 

「……覚えて、おるか?」

「さてな」

「……はぐらかすでない。妾が、どれだけこの日を心待ちにしていたと思っておる」

 

かつて狐だった神が、あの時と同じ瞳でこちらを見据える。冗談を言えるような状況ではないことを察する。雰囲気から恨みなどは感じない。別れ方が別れ方なだけに恨まれている可能性も否定できないが、ここで有耶無耶にし続ける方よりマシだと思って口を開く。

 

「俺たちが拾ったのは、全身傷だらけの狐だった。体を洗ってやる時になぜかいつも、俺だけ親指噛まれてたのは忘れてない」

 

と言っても、今思い出したことである。だがそう付け足すわけにはいかなかった。言った直後に、対面の神が、かつての狐が涙を流し始めたからだ。

 

「覚えていて、くれたのか……」

 

まぁ今思い出したとはとても言えないし、狐なんかよりも、噛まれる自分を見て彼女が心配したり、笑ってくれたり色々あった思い出の方が大切とも言えない。

 

「狐みたいな女の子を拾った記憶はないがな」

「……ふふ、この姿は妾の願いによるものじゃ。妾は正真正銘、お主達に助けられた狐よ」

 

願い。種族という枠を取っ払って人の形になれるほどの想いの強さを、この神は持っている。あの後、何があってどういう想いを抱いて狐が神になったのかはわからないが、拾ったペットが今の自分に必要な力を持ってきたという事実が目の前にある。

 

「(どう殺すかな)」

 

つい先程までは、この神を放置し、力をつけさせてから食らう選択肢もあった。だがなぜだろう、これがあの狐だったとわかると、その気が失せた。

早い段階で終わらせると心に決める。

 

「のうお主、それを踏まえて、もう一度、妾の元へ来い」

「断る」

「……悪いようにはせぬよっ!」

「なんだ、俺以外は悪く扱うのか」

「ぬぅ、あの頃より遥かに捻くれとる……」

「ほっとけ」

 

ともかく、そうやって二人はしばらく会話を続けていた。神が勧誘して亮が断り続けるだけの本当に意味のない会話の応酬だった。途中から勧誘というか、一方的に神の方が過去の話を吹っかけていただけだったが。亮としてはその頃の話はあまりしたくない。もし心なんて物があるなら、壊れているとは思う。が、過去を思い出して青かった自分に辟易したり、青いどころかもうなんか自分じゃない自分が起こした理解不能な行動に身悶えすることがないわけではないからだ。

それでもこの無意味な会話でそんな気持ちにならなかったのは、神が真衣の名を出さなかったからだろう。いつの間にか、察して話題に出さない程度の気遣いはできるようになったらしい。全く人間らしいと思い知らされる。

 

「────つまりそういうわけで、お主が我が元へ降れば、時間はかかるとは思うが過の偉人達が暮らしていた時代のようにもなれるってことじゃよ。人が集まれば情報も増える。うぃんうぃんな関係というやつじゃ」

「なんか発音違くねえか……まぁ、そろそろ諦めろよ」

「……はぁ、確かに、今日のところはこの辺にしておくかの。なにやら……騒がしいしの」

 

騒がしいのはお前だろと思ったが、そういう意味ではないと理解したのはその直後。神は立ち上がり社の出入り口へ視線を送った。

 

「My lord!敵の急襲です!!」

 

亮は視線を移さなかったが、その言葉で案内人の虎が入ってきたというのはわかる。しかし敵とはなんなのか。話には出てきていない。

 

「数は?」

「Twenty。ただいま同士が罠を張って抑えています」

「うむわかった」

 

虎の言葉に頷き、神は立ったまま亮に視線をやり口を開く。

 

「すまないの、妾はこの戦いを抑えに行く。少し待っててくれぬか」

 

そう言った言葉と、瞳には力が宿っている。怒りすら垣間見える。自分を慕ってくれる者に牙が剥かれたから許せない。人間らしく、神らしい動機だ。

 

「いや、俺が行こう。お前は神らしく構えて待ってろ」

「……これは妾達の問題であるのじゃが」

「昔のよしみってやつだ」

 

それだけ行って立ち上がる。理由としては余りにも弱いが、彼が一度言い出すと聞かないのは、神は自分がまだ狐だった頃に知っている。ため息をついて、神は敵の情報を伝える。

 

「……敵は水神を信仰する者達じゃ。時々こうして妾達を攻撃してくる」

「人が敵か。わかった」

 

てっきり魔物だと思っていた。しかし相手が人であるならば。それも炎神の居ない今、もっとも規模の大きい神、水神の信仰者となれば、今目の前にいるこの神を食らうのに使えそうだ。そう考えて亮は頷く。

 

「時間が惜しいの。連れて行こう。場所はどこじゃ?」

「社から南下した二つ目の泉付近です」

「うむ」

 

と、神が頷いた瞬間。虎が消えた。

 

「ン?」

「え?」

 

突然の消失に驚く亮と、どういうわけか亮を見て驚く神。しばらく二人は無言で顔を見合わせ、亮が口を開いた。

 

「……虎が消えたぞ」

「むしろなんでお主は移動せぬのか」

 

どこか会話がズレているのはわかった。移動と言った事も考えて、虎は一瞬にして消えたのではなく移動したのだろう。恐らくは人に想われることによって生まれる、神の力を行使して扱う神の術によって。そして自分はその術で移動できなかったというわけだ。

自分が移動しなかった理由ならば心当たりはあるし、多分それで間違いない。だがそれをこの神に伝えてやる義理はない。

 

「どういうことじゃ……」

「考えるより先に方角を教えてくれ。でないと虎が危ないぞ」

「それもそうじゃの。方角的にはそっちじゃ」

 

神はそう言って指を指す。それだけで十分だ。

 

「ンし、行ってくる」

「うむ」

 

歩いて開きっぱなしの扉へと進む。さて、どうやって物体の瞬間移動をする神を食らおうかと考えながら。

 

「待てお主!」

 

不意に、声高に神に呼び止められた。

 

「なんだ」

「今度は、きちんと帰ってくるのじゃぞ」

「……さてな」

 

簡潔にそう答えて歩き出す。神には申し訳ないが、ここは自分の帰る場所にはなり得ない。もっと言うならばこの神の元が帰る場所ではない。

社を出て沈みかけの太陽を眺める。赤く輝く太陽に鬱陶しさを感じながら、地を蹴って空へ飛び上がる。

 

「そこか」

 

遥か高くから狐の指差した方向を見れば、何匹かの魔物が人と闘っているのを確認できた。背中を起点に魔術を使って炎を生み出す。その勢いを使ってその場所へと向かう。

神曰く、敵は水神を信仰する者達。水神が自分を信仰する者に対してどういう加護を与えているのかはかわらない。だがいい機会だと思う。いずれ水神も糧にしなければならないと思っていた。

 

「原初の魔術師の片割れ水神。まぁその前に魔物の神か」

 

今後の自分の立ち回りを再確認して呟いて、目的の泉の付近の人間を射程圏内に捉える。その内の一人が、先ほど社にいた虎に対して斧を振りかざしているところだった。

 

「(……あいつは色々知ってそうだったな)」

 

別にそのまま見捨てても良かったが、アレにはまだ聞かなければならない事があるので助ける事にする。右の掌を対象に向け、あとはただ掌から魔力を高濃度で圧縮、バレーボールサイズに固形化させ、打ち出すだけだ。音速の二倍程度で飛んでいく球体は見事に人間の手元に命中した。そのまま魔力の球体が触れた部分は、魔力のエネルギーに溶かされ、単純にその人間は両手を失った。

痛みと手を失った絶望からか、叫び声を上げていた。その程度で叫び出す手合いならば特に警戒する必要もなさそうだ。とタカをくくって急降下し、虎の隣へ降り立つ。

 

「What's!?」

「ブレないな、お前」

 

背後には何匹かの力尽きているいろんな種類の魔物と、傷を負った魔物。相手側は三人ほど死亡してはいるが、戦力差では俄然向こうの方に分がある。数も質も向こうが上だ。ならば後はこっちでケリをつけてやるだけだ。

 

「後は任せろ」

「But……」

「大丈夫だ」

 

いいながら、先程と同じ様に掌を敵へ向け、純粋な魔力の球体を放つ。違いと言えば大きさだ。先程よりも小さく、それでいて高濃度。掌を向けてからコンマ5秒程度で作り上げる即席の攻撃。それを敵に飛ばす。動作だけ見れば、それは大したことない攻撃。余りにもあっさりしていて、簡潔的。それが手前にいた、先程両手を失った男に命中する。当たって爆発など大仰な事にはならない。ただ当たった部分からそのまま貫通する。この場合は頭だ。頭が溶けてそのまま終わった。

 

「この膨大な魔力、黒い革のジャケット……っ、すぐに撤退し、報告だ。ディザスターが魔物側に付いたと!」

 

誰かが叫んだ。少し前に水神を信仰する者達の集落を半壊させたせいか、どうやら自分の顔はかなり広い範囲で割れている様だ。このまま敵を一人逃し、その後どうなるか気になるところではあるが、堂々と出てきてしまった手前、あまり無様晒すのには抵抗がある。

 

「(……ンー、まぁあの神の戦いも一度見ておくのがいいか。あわよくば、水神と一戦交えてもらって消耗したところを二人まとめてって手もある)」

 

人々の悲鳴を聞き流し、先程と同じ手順で残る敵を殲滅していく。ただし、後で食らって情報を得るために、頭部は破壊せず、胴体を貫いたり、真っ二つにしたりといった具合だ。いくら水神傘下と言っても、当然だがただの人が飛び抜けて強いわけではない。確かにそこらの人間よりかは強いのかもしれないが、それでも亮からすれば誤差の範囲内だ。現に、敵が抵抗して様々な魔術で攻撃してくるが、どれもこれも当たりはするが亮には効果がない。

だからあっという間に17人もいた敵は一人になる。

 

「……ぅ、ぁ……」

 

消え去った右腕の痛みと、顔色一つ変えず、片手間で次々と仲間を殺害して行った亮への恐怖に腰を抜かし、無様に後ずさりながら呻く。

とりあえずメッセンジャーはこいつでいいだろうと、逃がすために歩いて近寄って行く。無事に生かして逃がすためには、誤って消し飛ばしてしまった彼の右腕の傷口を塞がなければならない。今はいいが、あと一分も経たずに出欠多量で絶命するだろう。そこだけ治療して逃がそうと────と、突然足を握られた。

 

「に、げ……ろ」

 

途中で殺したはずの誰かが、上半身だけの状態で歩みを進める亮の足を握った。

 

「ン、やるな」

 

意識を失う以前に絶命してるのが当たり前の体だ。気力で、仲間を助けるために自分の限界を超えた事に賞賛を送る。しかし悲しいかなその程度では彼の歩みを遮るに足りない。

触れられた足が黒く歪み、男の手がその歪みに消える。そしてズルズルと引きずって、やがて男を徐々に吸い込む様に食らっていく。

仲間を、友を助けるために気力で戦った男は、5秒足らずで人生で積み上げてきた全てを亮に奪われた。

同じ境遇に陥って、出会い、高め合い、共に戦い、そうやって積み重ねた友情がここで最期の力になった。

それを感じた亮は鼻で笑ってから口を開く。

 

「まぁなんだ、お前らの友情に敬意を表して」

 

面倒臭くなったので怯える男に対して高速で近寄り、男が亮の移動に気付く前に腕の切断部に触れ、傷口を焼き塞ぐ。そのまま回復魔術を用いて体力を回復させた。

 

「報告するんだろ。逃してやる」

「あ……あ」

 

男は死の間際から生還したが、目の前で起こった光景で今度は亮に対する恐怖で満たされる。

 

「どう報告するかは知らんが、ディザスターとかよくわからないニックネーム付けるのやめろって絶対に伝えてくれ」

 

それだけ言って男に背を向け、虎の、魔物達の方へ戻る。どうせしばらく腰を抜かして動けないだろうが、それでも間違いなくこの報告は水神や、少なくとも彼等の集落の長に伝わるはずだ。

 

「Thanks your help。おかげでこちらの被害は少なく済みました。正直、我々だけでは……」

「気にするな。ンで俺は戻るが」

「私も戻ります」

 

そう言ってから虎は他の魔物達に魔物の言語でなにやら指示を飛ばす。どうやら生き残った者達は半分が引き続きこの泉の防衛に当たり、もう半分が亡骸の埋葬に当たるようだ。魔物にも死者を埋葬する風習がある事は、食らった魔物達の記憶から理解している。亮としては彼等の記憶を頂戴したいが、さすがにそうは言えなかった。

各々動き出したのを見てから虎は「Let’s go」と呟いて、亮と共に社への帰路につく。

逝ってしまった仲間達を思ってか、しばらく虎は静かにしていたが、五分ほど歩いたところで口を開いた。

 

「……One target、逃していいのですか」

 

一人逃した事を心配しての質問だった。

 

「これでしばらく襲撃は無くなると思う。俺の事が知れているなら、向こうは気安く手出しできないだろうからな」

 

問いかけてきた虎に対して、簡潔に返す。嘘は言っていない。本当にしばらくは水神傘下の者達は襲って来ないだろう。

 

「確かにあなたは自身が我々に付いた事を否定しなかった……」

「そういうことだ」

 

そう。だから、次に襲撃があるとしたら、向こうは総力を挙げて潰しに来る。そして或いは水神という炎神亡き今、誰かさんに次いでもっとも力のある神が来る。

 

「Well……そこまで見越しての行動なのですね」

 

褒める虎を見て、所詮は獣の頭と心の中で呆れる。意図を読まれたら読まれたで、あの場にいた全員は不慮の事故に遭ってもらうつもりだった。が、どうやら。

 

「まぁ、残党が居たってことにしておくか」

「Wha──」

 

────ぷちゅ

っと、虎は、血肉の弾ける音を聞いた。直後に、頭に衝撃が走り、併せて自分の体が倒れるのを見た。突然の視界の変化に一瞬惚けるが、右肩から先が刀に変化している亮の姿を見て全てを把握する。

言うまでもなく、隣を歩いていた亮の仕業である。

 

「もらうぞ、お前の記憶を」

 

自分の頭に向けて伸ばされる左手。

 

「(My 主……やはり、人と魔物は、分かり合えるわけがないみたいです……)」

 

掌が視界の光を遮ったところで、虎は自分の信じて来た物に失望し、意識を失った。

 

 

 

 

 

 

「悪い。突然の事で対処できなかった」

 

社へ戻り、亮は白々しくも虎の胴体だけになった遺体と、食らって来た適当な人の死体を神の前に並べた。

 

「いや、構わぬよ」

 

そう言うものの、神は沈痛な面持ちで首から先のない虎の遺体を撫でる。

 

「よくがんばってくれた。ゆっくり休んでくれ」

 

そうやって、自分を信じて着いて来てくれた者に感謝を伝える。間違いなく、この神は立派に神をしていた。

 

「すまんが、その遺体は適当に処理してもらえぬか。妾は此奴を弔ってくる」

「あぁ、わかった。それと、なんだ。しばらくはここに滞在しよう。こいつの代わりに戦ってやる」

「……すまんの、助かる」

 

それだけ伝えて、亮は人の遺体を抱えて社の外へ出た。森の中で人目がない事を確認してから、その遺体を再び体の中へ取り込む。

 

「……どうっすかな」

 

取り込んだ虎の記憶から、色々と状況を整理する。あの神が扱う神の術は、ありとあらゆるものを移動させる力だった。あの虎は普通の魔物だったが、神の思考力の一部を移動させる事で、人の言葉や知識を手に入れた。そう、何も物の移動だけではなく、形のないものですら移動させる。移動というのが、人の持つ言語で一番近い形なのでそう表現するが、実際はそういう言語で表現できるものではなさそうだ。

例えば、虎の記憶から見つけた、人を岩に移動させるシチュエーション。見事に人の下半身が石に埋まっていた。では岩の中ではどうなっているのだろうか。答えはわからないが、どれだけ力を込めて岩に埋まった人を取り出そうとしても抜けないあたり、一応岩の中で下半身は存在しているらしい。

自分はどういうわけか神の力で移動しないらしいので、恐らくその心配はしなくていいのかもしれないが、いくらでも応用できそうな力だ。戦った際、何をされるのか全く見当がつかない。

ともかく時間はまだある。あまり長くはないかもしれないが、その間になんとしてでも対処法を見つけてみせると誓う。

 

「しかし……最後の最後まで言語が不安定な奴だったな」

 

ポツリと呟きながら、社へと戻っていった。




一応まだ生きてますorz


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九尾の狐③

それから二ヶ月の月日が流れた。あれから一度も水神傘下の者達からの攻撃はなかった。いつ襲撃が来てもいいように警戒しつつ、この辺りの土地柄を見て回ったり、狐の神の傘下の魔物達とコミュニケーションを取ったりと、まぁ退屈はしないで済んだ。見て回れば回るほどに、神が如何に自分を慕ってくれる者を想い統治して来たのかがよくわかる。

 

「(ンー、っても所詮魔物だからなぁ)」

 

しかしながら、魔物というものは自分本位である。

例えば、人は基本的に自分が苦しい時は誰かに助けを求める物だ。過の偉人の言葉にある通り、人は一人では生きていけず、誰かと協力することでしか生きていけない。

対して魔物はある程度成長すると自分の事は自分でどうにかしようとし、非常時には知能の低さ故に自分でどうにかしようとする。

つまり、神が最も想われる死の瞬間に想われない事がある。人は死の間際に大切な人を想ったり、大事な仲間に助けてくれと願ったりするが魔物はそうしない事が多い。その分、神は損しているわけだ。それでもあれだけの力があるという事は、それなりに想われているということだろう。

 

今更そんなことを考える。しかしもう始まってしまったから、この思考に意味はない。

 

「はぁ……」

 

亮は、山の頂上から狐の神が治めていた土地が燃え上がるのを眺めながら溜息をついた。

眼下では人による魔物の掃討が行われている。二ヶ月と割と早い段階で水神傘下の者達は攻撃を仕掛けて来た。悔やまれるは水神自身はこの戦いに参加していないことだ。漁夫の利を得る企みは失敗に終わっている。

しかし、「殺された仲間の仇を取るために命を懸けて戦う」人々の意志は水神に力を与え、近い将来食う時には大きな糧になってくれるだろう。

 

「キュュゥ……」

 

と、考えていると魔犬が一匹、吹き飛ばされてこっちへ飛んできた。かなりの高さにあるのだが、当たりどころが良かったか。

さすがに死んだかと思ったが、脚が一本真逆に曲がってるのにも関わらず残った体力と気力で起き上がって戦場へと戻ろうとしている。

 

「まぁまぁ、立派なことで」

 

戦場ではコレと似たような事がいくつも起こっているのだろう。それが全て神のためであるならばいいのだが。そう思考したところで魔犬がその場に崩れ落ちた。

 

「あぁ、ダメか。なら」

 

結局、絶命した魔犬。死んだなら死んだでその記憶を貰う。右腕を伸ばしてそのまま亡骸に触れ、引き寄せて体に取り込み、その魔物の積み上げて来た全てをいただく。

案の定、死の間際に想って居たのは神の事ではなく、ただ自分を攻撃した者に対する復讐心。これでは目の前のキルゾーンで神が得る力も高が知れる。

 

「先は長そうだよ……真衣」

 

山頂でポツリと呟いたその言葉は、風に乗り、木々の焼ける音と人と魔物の悲鳴に掻き消された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

神の力を振るう者としてまず間違いなく、視界に入った敵は殺せる。視界に入らずとも、臭いや気配を察知できれば同様に殺せる。ついでに言うなら、その程度の敵であるならば傷一つ負うこともない。断言できる。そういう力を持っている。それはかつて、憧れた人達の様になりたくて、今度はその人達を守りたくて、そのために一心に努力を積み重ねて得た力だ。

だが、逆に。どれだけ強いとしても所詮は、ある程度の魔物を束ねるある程度の魔物達にとっての神だった。

 

「あっ……」

 

不意に目の前で。どこからか降ってきた炎の岩石が、自分を守ると言って前方で戦った狼を押し潰した。だが嘆く前にどこから飛んできた弓が体に突き刺さる。別にそんなものは痛くも痒くも無いので消し飛ばす。

 

「くっ、失せい!」

 

間髪開けず視界に入った敵をどこか適当なところへ飛ばす。なんとなく、感触からして地球の中心に入って溶けただろう。しかしそんな事はどうでもいい。

 

「あぶな……」

 

空に異常を感じて、すぐさま上空を旋回するカラスの魔物に警告しつつ、逃がすために神の力を振るい、安全にところに移動させようとしたが遅かった。突然現れた雷に当たり、黒い煙を纏って重力のまま地へ落ちた。

 

「あ……あぁ……」

 

無意識で、そんな声が漏れた。守りたかった者達が次々と自分の目の前で壊されていく。力を使い、前へ出て、たくさん敵を殺して、けれども足りない。

 

「あれは……そっちに行くでない!!」

 

罠を察知し、飛び出した魔犬を止めるも止まらず、なんとか神の術を行使し、瞬間的にその場から逃した。が、タイミング悪く、焼けた大木が逃した先に落ちてしまった。

 

「なんで……」

 

神は、目の前で逝ってしまった者達のことをきちんと覚えている。本当は今すぐ駆けつけて遺体を抱え弔いたい。ありがとう、お疲れ様、おやすみ。それだけでもいいから伝えたい。

だが、ここは戦場である。それをしている間に増えるのは、同じく弔いたい仲間だ。だからできない。今は死に逝った仲間から目を逸らすしかない。少しでも大きく助けるために。

 

「くっ……」

 

それが、ただただ辛い。だからと言ってその事で膝をつくわけにもいかない。そう、この戦場には彼も居る。それを思うだけで、神は再び瞳に力を宿す。

 

「……やらねばなるまい。此奴らの信仰を受ける者として」

 

前を見据える。一人でも多く救うために。それが今自分が一番やるべきことであり、やらなくてはいけない事なのだ。全ては、今まで自分が信じ積み重ねてきた物の正しさを証明するために。きっと、自分達と同じ様に戦っている彼に信じてもらうために。

 

空気が聖なる神の威厳に震える。一つでも多く守りたいから。その想いの強さは、そのまま神の強さになる。

今この場で、神は改めて無敵となった。それでもやるべき事は変わらないが、想いが違う。覚悟が違う。

 

──だから

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────神だけが生き残った

 

「…………」

 

燃え上がる森の中を、魔物の神が徘徊する。あれほど阿鼻叫喚のBGMが流れていたのに、今はそれが嘘の様に木々が燃える音だけだ。そんな中、もしかしたらまだ生きている仲間がいるかもしれないと一抹の希望を抱いて歩き回る。

だがどれだけ歩き回っても、あるのは死体ばかり。それらがどういう想いで生き絶えたのかはわからない。が、ただ守れなかったという事実は理解できる。

 

どれだけ歩き回っただろうか。燃え盛っていた木々が倒壊して空が開けたところで足を止めた。夜が明けて、日の日差しが視界の先の社を照らしていた。

戻ろう、戻れって座して待っていれば、きっと誰かが帰ってくる。希望論にすらならない持論を持って帰路に着く。

土を踏み、死体を跨ぎ、ゆっくりと戻る。自分の居場所まで後100mほど。そしてその時。

 

────ザッ

と、土と何かを擦らせる音が背後から聞こえた。確認するためにゆっくりと振り向く。

本当は見たくなかった。確認せずとも、もうそこに誰が居てこの後どうなるかなんてわかっていた。

 

「まぁ、そういうことで」

「……」

 

足元には魔犬の亡骸が捨てられていた。そして、言葉を発したのは魔人、亮。いつものように、優しさの介在しない冷たい目でこちらを見ている。

きちんと事実を確認し、目を瞑って大きく深呼吸し、目を開く。

 

「きさま……」

 

呟いて。右手を亮へ。裏切り者へ向け────放つ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あっぶねえ」

 

あの白い光線はまずい気がした。触れれば触れた箇所が浄化されるだろう。炎神を取り込み、神聖さによる浄化にある程度の耐性はあるが、あの威力は少々まずいと思った。実際に触れればどうなるかはわからないが、それが怖い。耐えられるかもしれないし、なんともないかもしれない。だが浄化され消し飛ばされる可能性もある。

 

「貴様、貴様貴様貴様貴様貴様貴様貴様貴様貴様貴様貴様」

 

呪詛のようにブツブツと神が呟く。神が持っていた神聖さに、恨みと憎しみと悲しみと嘆きが混ざっていく。

聖なる神の狂気に空気が震える。

 

「なぜ裏切ったあああああああああああああ!!」

 

ついで、聖なる神にこの世の位置関係が服従した。

 

「……チッ」

 

神前に魔人が一瞬で移動する。もちろん本人の意思ではない。目の前の神の力だ。この前試した様に、亮に神の術は通用しないが、足場は別だ。証拠に亮の立っている場所は少し土が盛り上がっている。

しかしそれでは本来、自分は足場を失って浮遊するのみだろう。

つまりこれは、亮の立つ位置は変えず、世界の位置をずらしたのだと把握する。

そう確認している間に頭上、右上、左上、右、左、右後ろ、左後ろに狐の顔の骨、そして正面に神聖なる神が、神聖な白い光線を放つ。死なんて概念を魔人は持たないが、これは直撃すれば消滅するだろう。神の術ではなく、神聖さによる暴力だからだ。

 

「(さて、どうなる)」

 

それらが届くよりも早く、亮は自分の体全体に聖なる炎を纏った。殺意マシマシな神の怒りに対して、特になんの感情もなく、盗んだだけの炎で対抗できるとは思っていない。死ぬならそれはそれでいいとすら思う。だから聖火ごと浄化されると思っていた。そもそも気持ちでは負けていた。

 

だが。

 

「……ンー、耐えられるのか」

 

炎神から盗んだ聖なる炎は魔物の神による攻撃を物ともしなかった。

 

「な……に」

 

眼前の神は言葉を失っている。あの攻撃は万物を浄化する。なのに、目の前の不純の塊を浄化できなかった。その事実を神は認められなかった。

 

「くっ!」

 

続け様に攻撃を加える。先程と同じ全方位による裁き。亮は再びそれを受け止め。

 

「……くっ、ふっ……ははっ、あぁなるほどな」

 

笑う。なんとなくタネがわかったからだ。効かないのが面白いからではない。

 

「何を笑っておる!!」

「お前、俺を殺したいんだろ?恨んでるんだろ、憎んでるんだろ。だからだ。人らしい私利私欲にまみれた殺害欲が神の裁きなわけないだろうが」

 

神は、誰かのために動かなければ成立しないらしい。自分がそうしたいとか、利己的な行動は神の行いじゃない。

そうだと言い切れはしないが、自信はある。自分が使った時もそれは大抵、誰かのためだった。さらに言うなら使えなくなった時は確か────そこまで考えて思考を止める。まずは目の前の、ただの魔物を取り込むのが先だ。

 

「黙れえ!」

 

また、破壊の光線が放たれる。だが、もちろんそれは亮には届かない。鋼すら貫通して消し飛ばす衝撃程度、彼には意味がない。殺意しか込められていない攻撃など通じるわけがない。

それを理解して、亮は先程まであった笑みを消す。興味を失ったおもちゃを見る様な目で、神を、神だった狐を映す。

 

「もう終わりだ」

 

言って、歩いて、狐に近寄る。

 

「くっ……」

 

再び破壊の光線が飛ぶが、亮は足を止めずに正面から受ける。視界が白から開ければ先程まで居た位置に狐はいない。間違いなく移動した。

 

「(……濃度は悪くとも術自体は発動するのか)」

 

ではなぜ自分はという考えが再び蘇るが、上空から飛んでくる白い光線に対して聖なる炎を飛ばして、どちらとも振り払う。

続いて足下から神聖さを微かに感じ、前方へ飛んで──飛んだ先に右手で刀を放り投げて狐の骨を怯ませ、左手でただの炎を使い右へ移動。したところで急降下し、水平に放たれた白い光線を避ける。

それで背後の山の表面が大きく削れる。やはり神聖さが薄れてもなお、破壊という点でこの魔物は飛び抜けていた。

 

「……そうか、お前は九之枝(このえ)の一体か」

 

魔物の中でも上に位置する九之枝と呼ばれた九体の魔物。だからこそ魔物を束ねられたのだろう。亮の質問に関して狐は白い光線で返答するが、別に回答がなくとも構わない。どの道、九之枝も全て食らう予定ではあるのだ。

 

「お前で七体目だ」

 

宣言したからには逃すわけにはいかない。もっとも向こうも逃げるなんて選択肢は持っていないだろうが。そういうわけで手っ取り早く終わらせる。

再び、破壊の光線が四方八方から飛ばされる。先程からチラチラと狐の姿が視界に入るが、一々消えるせいで把握しきれない。だが、一瞬でも動きが止められればそれでいい。そのために。

 

体から、二ヶ月前に食らった虎の亡骸を出現させてその場にほうり捨てる。

 

「き」

 

止まる。ほんの一瞬、怒り叫びたいがために止まる。そして逃さない。

ずっと準備していたエーテルを右手の掌に集め、固め、さらにそこに炎神の神聖さを混ぜ込む。大した量じゃない。狐を浄化するほどの量にはならない。だが、半殺しにはできる。

そしてそれを狐に向けて飛ばす。

 

────ゴッ

と、一瞬だけ大きな爆音がした。

 

「ぐうぅあああぁ……」

 

魔と聖の混じった破壊の衝撃は縦に伸びて天を貫いた。狐の体は衝撃による空間の湾曲に巻き込まれ捻じ曲がり破壊され、それでもその神聖さと九尾の狐として魔力によって回復する。だがダメージは大きい。肉体的にも、精神的にも。狐は力なく膝をついた。

 

「……」

 

亮は無言で狐の目の前に立ち、か弱い狐を見下ろした。

 

「なんで……」

 

狐は力なくそんな言葉を漏らし、続けた。

 

「あの時、妾は……お主達に助けられた…………温かさを知った……妾も、そうありたいと願った……」

 

涙を溢れさせながら狐は続ける。

 

「だからこそ築き上げて、お主達に認めて欲しかった……人と魔物は一緒に生きていけると……お主達を迎えて、一緒に生きたかった……なのに、なぜ」

 

狐は想いをぶつける。届きはしないとわかっている。目の前の彼は、もう自分を助けてくれた彼じゃない。それでも、伝えたかった。

 

「なぜ……お主が壊す!!どうしてこうなってしまった!」

 

力を振り絞って顔を上げて、亮を見上げる。

 

だが狐が目にしたのは、ただ興味もなく自分を見下す化け物だった。

 

「知らん」

 

魔人が右手を自分へ向けた。

 

「(……あぁ……)」

 

あの日、その右手に救われた。傷だらけで力なく倒れていた自分を、その右手で拾い上げ、抱き上げてくれた。

隣にいた少女と本当に心配そうにしてくれて、励ましてくれて、貴重な食料も分け与えてくれた。治った時は自分のことのように喜んでくれて、とても暖かいと感じた。

あの時自分もそうなりたいと願った。

 

何よりも憧れたその右手が今、自分を食らわんとしている。

 

────ごめんな

 

どこからか、謝罪の言葉が聞こえた。自分の都合のいいように解釈された幻聴かもしれない。だが狐はそれを聞いてふと思いついた。

自分の体がどんどん彼に呑まれていくのがわかる。このままではただ彼の糧となるだけだろう。

ならば、せめて。

 

「……なんだ」

 

亮は違和感に気付く。徐々に狐の積み上げて来た物が自分に馴染んでいくのはいつものことだが、なぜだか、その思い出に対して感情移入を強制させられている。

 

「(思いの濃度が濃い……違う……なんだ)」

 

者を食らえば大抵はそれらが積み重ねて来た記憶やら思い出やらを主観的に見ることになるのだが、感情移入を強制されたことはない。最初の頃はそういうのもあったが、今では主観的に見せられても客観的に捉えられるようになった。

だからこの感覚に戸惑う。何故自分は今、こんなにも自分に殺されて悔しい思いをしているのか。と、そこまで考えて気がつく。これは自分の感性じゃないと。

 

「狐、お前まさか」

 

知能を持った魔物たちを思い出す。あれらは狐の思考力を移動させられたから人の言葉を話すくらいの知能を身につけた。狐の使う「聖移」とは物体の移動だけではない。形を持たない感情の移動、或いは意思の移動すら行えるのだろう。

 

「俺の体を乗っ取るつもりか」

 

聞かなくても答えはわかる。答えが頭の中に入ってくる。

 

「(はぁ、なるほどこの土壇場で理性を取り戻し、奇跡を起こしてこの世の法則を捻じ曲げたか)」

 

その想いの強さに感服した。それほどまでならばこのまま自分の体を明け渡すのもいいかもしれないとすら思った。だんだん体の感触が消え始める。さすがにこれは無理だなと諦め始める。

 

だが。段々と薄れていく意識の中、ふと、思い浮かぶ。たった一人、いつまでもただただ好きだった者の笑顔が。

 

「(……ダメだ、足りない。この程度の想いじゃ俺の想いを塗り潰せはしない)」

 

それだけで意識が戻り始める。これは奇跡ではない。ただ単に、想いの力が狐を上回っただけ。いつもと同じ、ただの力押し。

気が付けば体は自分の思う通り動くようになった。だが。

 

「……なんか、居るな」

『……』

 

二人の長い付き合いはこうして始まった。今はまだ口も聞けない間柄だった。二人が冗談を言い合えるようになるのは、まだ先の話だ。



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宝姫①

結局、思い返したとて変わることはない。あの裏切りは今の狐、八代ですら許すことはできないし、決意を新たに、なんてことも無い。いつものように、これは意味を持たない回想だった。

 

『ふむ、しかしいつ思い返しても主はクソ野郎じゃの』

「(返す言葉もない)」

 

否定はしない。だか同時に後悔もしていない。あの場で最も自分に利のある行動だと思っているからだ。もしかしたらもっと他に、完璧と言えるような最善策があったのかもしれないが、そんなものを提示してくれる者など居ない。それに、過去を変えることなんてできやしない。だから思考する意味もない。

 

『じゃが。主がああしたからこそ今がある。全てがうまくいくやり方があったのかもしれんが。妾はあまり戻りたいとも思わんの』

「(なんでだ。お前、あの場を気に入ってたんだろ)」

『わかっておるくせに聞くのか?』

 

今のこの、八代が亮の内側に居る状態において二人の考えは常に共有される。だから本当ならばこのやりとりにすら何の意味もない。ある種の自問自答のようなものだからだ。

 

『……まぁそうじゃの……妾が渇望して止まなかった居場所があるから、かの』

 

居場所。それは問答無用で自分が居ていい場所。帰る場所。

 

『ないなら作ればいい。そして作るのは力ある者の務め。妾は、そう思って信じとった。じゃが』

 

最初はかつての亮とその仲間達のようになりたかった。そのために炎神や水神など、神格化の先達者と同じようになろうとした。

 

『主に取り込まれ、主や炎神の記憶を見て知った。居場所を作るのは力ある者の務めなどではない。どれだけ力があろうとも作れる者にしか作れぬ。才能やら運命やら努力じゃ得られない物がなければいけないのじゃ』

 

寂しそうに語る。自分が信じて積み上げてきた全てが、運命とか才能とかいう理不尽の前に粉々に砕け散る。その絶望に傷付けられた心の傷は、未だに癒えていないのだ。

 

『逆に、才能やら運命やらさえあれば居場所を得ることができる。水神の記憶からそれを知った。居場所がほしくて努力してるわけではないのに、気が付けば獲得してる者ども。妾はそれがどーにも納得できんのじゃよ』

 

知らない努力があるのかもしれない。本当は、こんな感情はただの嫉妬だとわかっている。わかっていても、アレに作れて自分に作れないのがとても腹立たしい。そしてそれを理解してしまえばもう戻れない。

 

『もう妾は神として、誰かのためになんて思わん。自分を殺してまで積み上げたとて、手に入るのは脆く弱い偽物だったからの。偽物を貫き通せば本物になると言うが、自分で納得できなければ意味がない。だから妾は主の側に居たい。傷を舐め合うだけの悲しい関係で構わない。妾は妾のために主の味方で居たい。この場で皆と家族であること、それがきっと、妾にとって一番幸せなことだもん』

 

居場所が、もっと言うならば家族が欲しかった。たださみしがり屋な狐はただそれだけだった。だがそれは手に入れるのがとても難しく、一度失ってしまえばもう二度と手に入るかはわからない。手に入ったから無くしたくない。ただそれだけだった。

 

『主は……どう思う?』

 

答えなんてわかってるくせに、本当に心配そうに尋ねてくる、亮はその質問を鼻で笑ってから回答する。

 

「(俺の本当の居場所はあそこだけだ。アレを取り戻すためだけに生きてる。ここはホームステイ先みたいなもんだ。居心地は良くても本当に帰るべき場所じゃない)」

 

どうせ、いつかはこの居心地のいい場所も消えて無くなる。失いたくないのに失うとわかってる場所を居場所にするなんて、心の弱い自分にはもうできなかった。

 

『そっか……ん、主はそうじゃったの』

 

亮の言葉を聞いて、八代は噛みしめるように心で頷いていた。いつものノリが戻ってきたところで八代は言葉を紡ぐ。

 

『……主ってツンデレというかもうヤンデレの枠に……あ、ちょ主でもこれ久し振りに良さみが無きにしも』

 

自分の心の奥深くに八代を沈めて黙らせる。なんだか久し振りなやり取りだった。初めはこの行い自体にも抵抗があったが、なんだかもう今更だ。きっと、八代は自分にとって良き理解者なのだろう。きっと、普通に生活している人は絶対に持ち得ない存在だ。それを考えれば自分がどれだけ恵まれているのかはわかる。

結局、自分が強欲なだけなのかもしれない。

亮はもう一本タバコを取り出して火をつける。今日も眠ることはできないが、寂しくはない気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『影ながらの護衛だ』

「珍しいな」

 

あれから十日後、外界遠征まであと一週間の所でナナシから唐突に連絡があった。

基本的に殺しやら窃盗やら、過の偉人達の創作物の中に出てくるようなThe・暗部みたいな仕事ばかりなのだ。それもそのはず、殺す側が守る側になるというのは今後の活動に支障をきたす。

速戦即決一撃離脱が当たり前な暗殺者が守る側を務めると言うのは、手の内を明かすだけリスキーな仕事だ。守る側にいると言うことは、襲撃者を逃がすこともある。追撃して守る者から離れるわけにはいかないからだ。そして逃がすと言うことは相手に情報を与えるというのと。

暗殺者が手の内を明かすなんて三流以下である。それを知っていてやらせるということは、それだけこの案件は重要なのだろう。

 

『だがそうでもない。内容は二十七年前と同じだ』

「……宝姫家か。だが宝姫美輝(ほうき みき)は死んでたろ」

 

仕事として護衛し、その何年かあと、忘れかけていたところに亡くなった人物を思い出す。彼女は中々に興味深い物を持っていたので、割と面倒臭い護衛だったのを覚えている。

 

『その娘、宝姫咲輝(ほうき さき)が護衛対象だ』

「娘……マジかよ」

 

どこまでも人間不信だった彼女に子供とは。わからないものである。

 

「まぁ、そこはいいが、いつどこからどこまで何から守ればいい」

『それを伝える前に、まず「インターセプター」を覚えているか?』

「情報収集、尾行で食ってる同業だろ。ちょっと前にリーダーが拠点にしてる廃園で突然、消息不明になったとかいう……ン?」

 

自分の発した言葉に一瞬だけ疑問を感じた。

 

『どうかしたか?』

「いや、なんでもない」

 

記憶から再び、存在しない頭の中で自分の発した言葉をリピートするが、今度は違和感など見つからない。拠点の廃園で消息不明になった事の何がおかしいのだろう、と首をかしげる。

ついに頭やら感性やらが狂ってきたのかと思うが、それはいつものことだし、なによりナナシが何も反応していないのだ。おかしな点などないのだろう。

 

『そのインターセプターだが、正式に次のリーダーが決まった。そしてその最初の仕事が宝姫咲輝の誘拐だ』

「ずいぶん過激になったもんだ」

 

伝説の情報屋なんて呼ばれていて、それ以上でもそれ以下でもなかった連中が誘拐を実行する。これがどれだけ思い切った行動なのかは語るまでもない。

 

『宝姫家の秘密に隠された秘密。そこに手が届いてしまったらしい。多少過激にもなろう』

「どっから漏れた。一応、そっちの方は第一級の機密情報なんだろ」

『現在調査中だ。一級の情報を閲覧できる端末は限られている。記録を洗っていけば引っかかるだろう。……問題はその記録を洗うとこにあるわけだが』

 

完全にネットワークから遮断されていて、他の閲覧機との互換性もない。ナナシ達のアジトにあるものも含めて合計四つの閲覧機で各々使用履歴を見ていかねばならない。ホワイトからセントラルにブルーにレッドと地区を跨いで行くのは、亮ならまだしも身体能力は一般人のナナシには面倒な話だ。

 

「こっちの所属で閲覧権限を持ってるのはあんただけだったな」

『あぁ、私が全て回り、誰が閲覧したのか判明するまで時間を稼いでもらいたい』

「連中を捕まえて割らせればいいだろ」

『それができればいいが、奴らは今姿を眩ませている。足取りを追う意味を込めてのアクセス履歴調査だ』

 

なんだか面倒なことになっている。だが宝姫の持つ物を考えれば、慎重に敵の足取りを掴んでから一気に潰すのが一番だろう。下手に取り逃がし、忘れてた頃にやられた。となるのは組織の名折れもいいところだ。

 

「わかった。あんたからの連絡があるまでって事だな」

『そういうことだ。連中はなんとしてでも宝姫咲姫を生かしたまま連れて帰ろうとするだろう。そうでなければ、心臓が価値を失うからな』

「知ってる。こっちはいつでも動けるが、いいのか」

『今日までは王直属の命としてマグナスが任を請け負っている。明日からは外界遠征の準備で手が離せなくなるそうだ』

「そういうことか。まぁわかった。切るぞ」

 

通話を終え懐にしまい、椅子に深く腰をかけ直してから再び頭の中で「宝姫」という一族を振り返る。

 

宝姫は代々、最初に産まれる子供が間違いなく女の子になる。そして胸の右側に心臓があって、心臓には煌めく宝石がある。なぜかはわからない。原理は不明だが、ダイヤだかパールだかアメジストだか、ともかく何かが入っている。それも普通に流通するものではなく、かなりの大きさなのだ。

そのせいで宝姫家はよく狙われる。情報を隠蔽しようにも、噂が広がりに広がりすぎてもうこれはある意味の一般常識レベルだ。今更隠しようもないし、なにより「誰かが誰かのために生きる」事が当たり前の世界で誰かを殺して金を手に入れようとする者は少ない。

居たとして、いざ実行できるほどの準備をし、実行する者は宝姫の持つ宝石の売却価格と準備費用とが釣り合わない事を知っている。この新世界において宝石とはそこまで価値を持たないし、なにより隔離されたこの世界では犯行がバレる可能性の方が高いからだ。

 

ではなぜインターセプターは宝姫を誘拐し、心臓を摘出しようとしているのか。その回答は簡単だ、世間に伝わっている情報が間違っているからだ。

 

宝姫の者は心臓を持たない。まずそこから違う。胸の右側に埋まっているのは心臓ではなくそのまんま宝石。しかもただの宝石ではなく、術式が埋め込まれたエーテルの結晶。

問題はその術式だ。

 

それは血が流れ続ける限り、魔力を生み出し続ける。

 

魔力を消費して術を発動させるというこの世の法則からズレた魔術。

これは遠回しに魔力を永遠に作る事ができると意味している。そしてそれは、この新世界を征服できるという事を意味している。

魔術はもちろん、魔力で動く物を全て、無尽蔵に使えるのだ。

極術師を上回る魔力というものは、この世界で最強を意味する。

 

この情報が新世界に回れば、世界が混沌に陥るのは想像に難くない。魔術が使えない女性を拉致してその宝石を扱えれば最強になれる。手っ取り早く、簡単な方法。いくら新世界が「誰しもが誰かのために生きる」のが当たり前だとしても、これはその志すら鼻で笑うような、そういう情報。

だからこそ守る必要がある。というのが新世界において、知る人ぞ知る共通見解。

 

「(あんま意味ねえ気もするけどな)」

 

ちなみに二十七年前、亮はその真実を知ったが、自分には用がなさそうなのであまり関係なかった。

別にこれ以上の魔力はいらないし、この世の法則から外れている魔術も、この世の法則から外れているだけで神術でもなんでもなかったからだ。むしろアレは神術で生み出された物だった。宝石に価値はない。必要なのは原石とそれを加工する物だ。

 

「とりあえず晩飯なににしよう」

 

特売だった卵を使ってエッグコロッケもいい。なんて献立を考える亮だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────トントン

夕食を取り終え、自室で読書をしていると、扉がノックされた。読んでいた推理小説が現在、クライマックスに入ってていいところなのだが、仕方なくページ数を記憶してから閉じ、返事をして入室を待つ。

 

「話は聞かせてもらった!!」

「のじゃ!!」

「うるせえ」

 

愛菜と八代、うるさい二人だった。

 

「明日、護衛っていうか尾行っていうか、そういうやつなんでしょ?」

「……余計な事を」

 

間違いなくこの二人が入ると静かに影ながら護衛とか無理である。魔術的に愛菜が最も尾行、影ながらの行動に向いているはずなのだが、性格のせいでプラスマイナスゼロといった具合。

 

「八代はともかく、愛菜は学校だろ」

「のんのん。建校記念日でお休み。よって、三連休」

「ン、そうだったか」

 

しかしながら、もし二人が大人しく黙って居られると言うのなら同行も悪い話じゃない。基本的に一対一の殺し合いならまず負けることはないが、誰かを守りながらとなると話は違う。自分以外の存在に敗北条件が追加された途端、不変の勝利は揺らぐ。そんな曖昧なものだから、より成功率を上げるために彼女達が居るのは案外悪いことではない。

 

「……騒ぐなよ」

「「サーイエッサー!」」

 

いや、普通に悪いことかもしれないと拭えない不安に溜息をつく亮だった。




なんだかんだでお気に入りが300に到達していました。なにがなんだかわかりませんが、ありがとうございます
併せて評価もつけてくださった方々にも感謝を。9を付けてくれている人、大丈夫ですか数字間違えていませんか


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宝姫②

朝三時。新世界を覆うディスプレイには未だ満天の星空と輝く月光が映し出されている。新聞紙が存在しない新世界ではこの時間を支配するのは静寂で、昼間のホワイト地区の和やかな雰囲気とは違う。この世界には自分しか居ないんじゃないかと、使い古された静寂の比喩が過ぎる。だが時々、ほんの稀に通りがかる人や、まだ明かりの点いている住宅を見ればそうでもない事に気がつく。

現在はそんな時間。そういう時間の公園に、亮、愛菜、八代の三人は居た。

 

────ズズズズズッ

と、割と大きな音を立てて銀髪ロリっ子の八代はカップうどんを啜っていた。

 

「うまうま」

 

狐がきつねうどんを食べるなどもうギャグにもならない。

 

「いけねぇ……いけねぇよ……こんな時間にカップ麺を食べるなんて……はぁ、うま」

 

ぶつぶつ言いながら静かに麺を啜るのは愛菜。男の亮にはわからないが、この時間にカップ麺を食べるというのは背徳感というスパイスが追加されて最高に美味になるらしい。愛菜曰く人を殺してる時より悪い事をしてる気がするとのこと。普通に考えれば法律で禁止されている方が悪い。

二人から少し離れた喫煙所で喫煙している亮は、視線をベンチに腰を下ろして食事をする二人からゴミ箱へと目を向け、飲み終えた缶コーヒーの缶をゴミ箱めがけて放り投げる。正確無比なコントロールで投げられた缶は綺麗すっぽり正しく捨てられるべき場所に捨てられた。

 

「「はぁ、スープうまぁ〜」」

「太るぞ」

「「うっさい!」」

 

とりあえずその仲の良さを日頃から常に発揮しといて欲しいものである。というか両者とも太るだの痩せるだのはないと思うのだが、その辺りは複雑な乙女心というのが関係しているのか。気になるのは八代がいつ難解な乙女心を学んだのかである。

 

「満足したら行くぞ。もうマグナスは引いてるみたいだ」

 

先ほどマグナスの撤収をナナシから伝えられた。本当なら今すぐにでも向かわなければいけないが、なんだかんだ二人には甘い亮。こうして食べ終わるまで待っている次第である。が、先程からナナシの催促の連絡が続いているので流石にそろそろ配置につかないとまずい。

 

「「は〜い」」

 

緊張感のない返事が深夜の公園に響いた。

 

今回の案件は最終手段として、亮が宝姫咲輝を食らう、もしくは殺すという物がある。のでぶっちゃけこの護衛自体は失敗しても構わないと亮は考えている。だが国としてはそういうわけにもいかない。

亮達の所属する暗部は王と安定装置直属の、国のために働く謂わば公務員だ。国の、国民のために、一人でも多く救うための暗部だ。だから宝姫咲輝を見捨てることは許されない。ただし、もし宝姫咲輝が誘拐され、その結果奪われる命が増えるのが確定すればその限りではない。

まぁそんなことよりも。

 

「お、油揚げ残ってんじゃん」

「手を出すな!!それは妾が最後まで楽しみにとっておいた至福の一枚!」

「あぁ、そういえば楽しみは最後まで取って置くタイプだったね」

「そういうことよ。……うむ、うまうま」

 

一緒に護衛を務めるこの二人がまともに仕事してくれるのかが果てしなく不安だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

宝姫咲輝はふと目を覚ました。なんとなく、どこからか視線を感じたからだ。眠たい目を擦りながら状態を起こして、暗い部屋を見渡す。

当然だが部屋の中には誰も居ない。月の微かな明かりに照らされているのは変わり映えしない自分の部屋。ふと気づいたのは幼い頃に両親に買ってもらった、吸血鬼の妖精「どらきゅん」が枕元で倒れていたことくらい。どういう設定か背中に背負っている十字架に押し潰されるような形になっていた。むしろなんで彼は苦手な十字架を背負っているのだろう。今更考えてすぐに思考を破棄し、改めてこの場に誰もいないことを確認する。

 

当たり前だ、この家はホワイト地区の高級住宅街の中でも王居並みのセキュリティを有している。警報機付きの赤外線カメラにレーザー、動体探知機、流行りの魔力探知カメラ。上空からの襲撃にすら備えられ、もう家主である自分ですら警備体制を把握できていないくらいにはなっている。

 

「……寝ましょう」

 

呟いて再び布団に入る。明日は何の予定もない日だ。あまり起き上がっていると睡魔が引いてしまう。そうしてせっかくの休日を寝過ごすわけにはいかない。

 

「鈴木様…………」

 

大好きな彼を思い描いて眠りにつく。きっといい夢が見られる。そんな気がして意識を手放した。

 

 

 

そしてそのベッドの下の暗闇の中の世界では。

 

「王手、詰みだ」

「ぐぬぅ……いい線いったと思ったんじゃけどなぁ」

「ちょっとそこ二人!!人が確認してるのに将棋打つな!」

 

愛菜は暗闇の中からあっちこっち移動して表の確認。この中では全く何もできない亮と八代は将棋に興じていた。

 

「っても、この中から外の景色が見えるのはお前だけだ。こっちはすることねえんだぞ」

「そうじゃぞ、マジでこの中なんもないんじゃから仕方ないのじゃ」

「……大体、なんでこの光のないとこで視界が効いてるの!?」

「今さら」

「それな。じゃ」

「ん、そうだね。まともな回答を期待してちゃダメだったね」

 

片や魔人だから。片や元神だから。その辺で納得しておかないといけない。本当にいろんな意味で今更だった。

と、そうやって自分を棚にあげる愛菜だが、こんな世界に人を出入りさせられるのも有り得ないことだ。揃って三人とも化け物だということを彼女は理解できていない。

 

「そういや主、白いのはどうした?」

「優衣は昨日の体育で疲れたって言ってたから寝かせてきた。それに万が一もある。仕事に連れてくるわけには行かない」

「相変わらず過保護というか……あっまあまだよね」

 

優衣に対するベクトルがこっちに向いてくれればと思いつつも、そんなことはないので二人揃って溜息をつく。それも今に始まった事ではないので、愛菜は引き続き闇の中から光の世界を探し始める。

基本的に異常は見当たらない。まぁこれだけハイテクな防犯設備が整っていれば家にまで押し掛けてどうのとはできないだろう。今の自分達もこうして闇の中にいるからこそできる。八代にそんなカモフラージュ能力はないし、亮はどれだけ魔力を隠そうと常人レベルにしか隠せない。対魔物用のセンサーは避けられても、新世界の対人用は避けられない。

そう考えれば、今回は少しでも彼の力になれた様な気はする。そう考えると頑張れる様な、そういう温かい気持ちが湧いてきた。

 

「……ないのじゃ」

「ン」

「あー、そう。将棋の次は囲碁……」

 

なんだか台無しにされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから三人は三時間の間、暗闇の中で過ごした。ある程度暗闇を歩き回り、少し離れたところに監視する者も居ないと確認した。襲撃が少なくとも今晩はなさそうだと分かっても、愛菜が起きていなければこの空間から出られないので、亮は彼女に回復の魔術をかけたりして何とか起きててもらう。

外に日が昇り、闇が完全に払われる前に三人は咲輝の家から出る。日が差してしまうと動ける範囲が狭まる上に、日の当たり方次第では咲輝の部屋の中からしか表の世界へ出てこれなくなるからだ。

亮は自分と愛菜、八代に透明化の魔術を掛け、三人揃って隣の家の屋根へと登る。咲輝の家の屋根にはカメラやセンサーやらが巡らされていたのだ。

 

「ねむ……」

 

ずっと神経を張り巡らせ監視していたせいか、愛菜の顔には疲れが見て取れた。帰って休めと伝えようとしたが、その前に愛菜はゴロンと亮の膝に頭を預けた。

 

「ふへ……すぅ」

 

満足そうに笑うや否やすぐさま眠りついた。

 

「まぁ、今は渡しといてやるかの」

 

実質護衛は愛菜一人で勤めていた様なものだ。いつもは喚き出す八代も今回は大人しく身を引いた。

 

「主、黒いの風邪は引かないんじゃろうが」

「ン、分かってる」

 

全身が高濃度なエーテル細胞になってる深淵。もちろん風邪や病魔になど侵されることはない。だが寝ているならば寒くなるだろうし、屋根の上で寝ていれば起きた時に体が痛くなる。ので、見えない魔力の手で愛菜の体を浮かせ、体から寝袋を出現させて愛菜の下に引き、その上に降ろす。これでマシになる。

 

「ん……」

 

一瞬愛菜が頷いた。言葉はなくとも、朦朧とした意識の中でお礼を言ったのが分かる。

 

「どういたしまして」

 

そう言って朝の日差しが彼女の目に入らない様に、自分の方へと寄せ、そっと目尻の辺りに手を置く。これで眠りを妨げる光はない。

 

「くっ、妾も眠るのを視野に」

「お前は寝なくて生きていけるだろ。黙って監視してろ」

「うぃっすなのじゃ……」

 

二人は揃ってあたりの警戒に努める。こういう暇な時間が長いのは、護衛やら監視やら尾行やらをしていれば当たり前だ。だから好きじゃない。

アニメや漫画などの様に早々に敵が来てれればスマートだが、現実はこんなもんだ。このままナナシから連絡があるまで咲輝が大人しく家に居てくれればいいなと思いつつ、ただただ監視を続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まぁそうそう上手く行くものじゃないとも思っていた。それでも案外なんともないことの方が多い。基本的にそういうものだ。マグナスが見張っている時間の方が長かったし、割合で言えば自分達が見張っている時間は三分の一にも満たない。なのに、なぜ。

 

「大体、数馬が足を運ぶことはない」

「しょうがないだろ、向こうはなんか訳ありみたいだからさ」

 

なぜ、鈴木数馬がこのタイミングで現れるのか。

耳を澄ませ、数馬と隣の双海寧音のやり取りを聴く。既に数馬と咲輝は知り合いであることが分かった。

二人の行動をしばらく眺めていると、チャイムを鳴らして咲輝を呼び出す。もうこの時点で頭を抱えたくなってきた。

 

大人しく三人で仲良く家に居てくれと願ったが、そんな亮の思いが聞き届けられるはずもなく、三人は揃ってホワイト地区の住宅街を歩き出す。

 

「愛菜、起きろ」

「うーん……んぁ……おへよう」

「目覚ませ。お前の嫌いな奴が来たぞ」

 

そう言って愛菜の首を回して数馬や寧音を視界へ入れさせる。

 

「うわ、朝一番から嫌なもんみちゃった……」

「お前マジで鈴木数馬が嫌いなんだな」

「生理的に無理」

 

なるほどこれが女子の裏側というものか。などと思いつつ、影でこれをやられている可能性があると思うと、なんとなくこの世界怖いと思った。

もし、万が一、優衣や今も何処かで見ているのであろう彼女に言われてるとしたらこの惑星を滅せる自信がある。

 

「まぁ、居るものはしょうがないね。大人しく見張ってよ」

「それしかないか」

 

ここで喚き散らしたところで数馬が居なくなる様なこともない。亮は大人しく愛菜と八代を連れて屋根から飛び降りる。魔力をクッション代わりにして衝撃を殺し、音を立てずに着地。彼らから少し離れた位置で通りすがる自動車や歩行者に当たらない様に気を付けながら、静かに宝姫の護衛に勤めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鈴木数馬と双海寧音に宝姫咲輝の三人は、ホワイト地区の高級住宅街を歩いていた。目的地はいつもの、この前襲撃のあったデパートである。

あの事件で一時は閉鎖するという見方もあったが、あまりにも大勢の人が馴染んでしまった場だし、この隔離された世界で丸々一つデパートが突然閉鎖するというのは、出店している企業やら出資者やら色々な人が迷惑を被る。死者はもちろん弔う。だがそのために今を生きる者達が不幸になるのは違う。亡くなった彼らを乗り越えて未来に邁進するのがこの世界だ。

 

「鈴木様、本日はお誘い頂きありがとうございます」

「いいって、そんな」

「そう、所詮数馬」

「双海さん!?変な四字熟語作らないで!」

 

いつもの、寧音の刺々しい言葉に隠された愛など数馬は知る由もない。

 

「それよりも、本当にデパートでいいのか?咲輝もあそこに居たんだろ」

「お気になさらないでください。確かに非日常で、あの事件は目も当てられないものでしたが、もう傷は癒えています」

「……そっか。双海は」

「私も大丈夫。七尾さんに治してもらった」

 

この三人は、この間のデパート襲撃に遭遇した集まりでもある。あれほど重傷を負い、本来なら死んでいた。なのに寧音は強い。そう感心しつつ、ごめんなと彼女の頭を撫でる。頬を赤く染めながらも気持ちよさそうに撫でられる寧音。猫みたいだなんて思った。

 

「むぅ……鈴木様、人が見ておられますよ」

「っと、そうだった悪い悪い」

「……しゅん……」

 

肩を落とす寧音。確かに仕方ない。今は休日の午前10時。これから自分達のようにデパートへと向かう人もチラホラ見かける。不特定多数に見られるのは恥ずかしい。

 

「まっ、二人とも大丈夫ってんなら、今日はしっかり楽しんで」

 

と、そこまで言いかけた時。

 

「咲輝!!」

「え、きゃっ……」

 

前方から雷球が飛んできた。かなりの早さに大きさ。並大抵の術者では出せない物だ。なんとか早く気付けたので、咲輝を突き飛ばして助けられた。

 

「大丈夫か?」

「は、はい……あの」

「うん?……あ、あぁ、わわるい」

「い、いえ……」

「……所詮数馬」

 

いつものようにラッキースケベを発動させつつ、咲輝から離れて、追撃に備えて警戒する。

 

「っていうか今のどこからだ……」

 

飛んできた先を見ても放った術師の姿はない。これは相当の手練れ。もしかしたら、由美の件で戦った暗部、この新世界の裏側の者。そんな可能性が頭をよぎる。ならば早くこの場から二人を逃さなければならない。あんな者達とこの二人をぶつけさせるわけにはいかない。

 

「上!」

 

寧音が叫んだ。その通りに視線を上にやれば、自分目掛けて男がナイフを振り下ろしながら降下していた。この距離からでは肉体強化を使っても左右へ飛んでも避けきれない。ならばと左を翳し、手のひらにナイフを突き立てさせて捕まえる。とそこまで考えて。

 

────ボン!

と、爆音にも似た音が聞こえ、男が何かに横殴りにされて飛ばされた。

 

「……白昼堂々と、それでも暗部の端くれか」

 

黒いコートを着て、左頬に大きな切り傷を持った大男が、背後から数馬達の隣に並び立った。

 

「あんたは……」

「マグナス・スローン」

 

言わずとも知れ渡る、この新世界の頂点。その中でも圧倒的な力を持つと言われる、マグナス・スローン。それが、その彼が彼らを救った本人だ。

 

「げふっ……くそ……てめえは昨日もう……」

「ふんっ!」

 

男が言い切るよりも早く、足元から火を噴射し推進力で近付き殴る。それでも殺しはしないと加減し、襲撃者の意識を刈り取るに終わる。

 

「少年、見事だった。怪我はないか」

 

振り向いて数馬へと声を掛ける。

 

「あ、あぁ。助かった」

「ならばよし……さて」

 

それだけ確認してから、マグナスは今度は数馬達の方へ歩き、そして追い越し、立ち止まり、後方を見据えながら口を開いた。

 

「そこに居るのは分かっている。出てこい、顔を見せよ」

 

側から見れば、虚空に対して口を開いたに過ぎない。

だが、そこには姿を透明化させた三人が居た。

 

 

 

 

 

 

「(なるほど、伊達で極術師じゃないってことだな)」

 

この世界に来て透明化した自分を見抜かれたのは初めてだった。マグナス・スローンという男への認識を改めつつ──けれど姿は見せない。

 

「あくまでシラを切るつもりか」

 

言って。間髪開けずにマグナスは掌から火球を作り出し、亮へ飛ばす。八代の光線ほど速くはない。それでも常人の反射速度では避けきれない。その火球を体の軸を横に向けることで避ける。

 

「ぬっ……?」

 

手応えが全くないことに慄く。その様子からするに、気配やそういう種類は探知できているだけなのだろう。正確にどこにいるかまでは分からないようだ。

ならなおさら姿を見せてやる必要はない。彼を殺すのであれば見せるのもいいが、そういうわけではない。

 

「(や、主出てあげようよ!)」

「(そうだよ!これだとあの人ちょっと……ぷっ………)」

 

まぁ、確かに白昼堂々と「そこに居るのはわかってるごっこ」に途轍もなく気合を入れてしまった痛い人にしかならない。

 

「(いいから逃げるぞ)」

 

魔力の壁で三人を包み込み、足音などが伝わらないようにしてから、愛菜と八代の首を掴んで地を蹴って空へ飛び上がり、その場から離れる。

 

「(……しかし、宝姫咲輝もあの襲撃に居合わせていたのか。なんかキナ臭い事になってきたな)」

 

段々と、この件はただの誘拐で終わりそうにない気配が漂ってきた。もし議会制民主主義派とインターセプターが繋がっているとして、その場合は表と裏が混合した大きな事件になる。

 

「(外界遠征を間近にこれか……)」

 

一悶着あると確信したところで、やっと地面が側まで近付いてきた。自分と八代と愛菜の足に魔力を使って減速、そのまま着地の衝撃を殺し、周りに人の姿が確認できないと踏んでから透明化を解除する。

ちょうどそのタイミングで携帯電話が振動した。開いて確認すると、発信者はナナシだった。

 

「ン、俺だ」

『終わったぞ。確認できた。閲覧者は幽霊だ』

「で誰だ」

 

ナナシにしては歯切れの悪い言い方だ。ただこういう言い回しをする時は大抵面倒臭い時に限っている。

 

黒鎌 帝(くろがま みかど)。死んだ前国王だ』

 

なるほど、面倒臭いと鼻で笑うのだった。

 

 




なんか気が付いたら沢山ある方々から応援を頂きました。これからもこんな感じで続いていくので、よろしくお願いいたしゃす


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宝姫③

ようやっとアカウントのメールアドレスを発掘。
細々と再開します


黒鎌帝を道歩く人に尋ねても、その名はパッと出てくるものではない。前国王とか、歴代で最も任期が短い王とか、政策の全てを安定装置に頼り切った不甲斐ない王とか、そういう言い方をすれば誰でも分かるだろう。今では笑い話のタネになりつつあるような存在だ。

 

今まで王と呼ばれた者達は、基本的にその生涯を王という立場に捧げ、全うし続け、老いか病に倒れるものだった。

エーテル細胞を持つこの世の人間が、科学の発展した新世界で病死とは珍しいのだが、それは王の血族はエーテル細胞を、言うなれば魔力を一切持たないことに起因する。

そう、王族はこの新世界において魔術が使えない。さらに言うならこの世で最も弱い血族。

黒鎌帝も例に漏れず、王としての職務を始めてからたったの十五年で病により命を落とした。世間にはそう報じられている。

 

実際は違う。彼は自ら命を絶った。その理由はわからないが、部屋で自らの心臓にナイフを突き刺して自殺。

世間には病死と隠された。本来ならば大々的に行う葬儀をひっそりと行い、その遺体は焼却され、今は王居内にある王達の墓の下で眠りについている。葬儀にはスタッフとして亮やナナシも参加した。遺体もきちんとその目で確認している。

 

つまり、黒鎌帝がデータベースの閲覧者というのはあり得ない。

 

「アバターの次は亡霊かよ。ここ最近の新世界は向こう以上のカオスだな」

『こちらでの亡霊の正体の大体は、実は生きていた。もしくは生体情報を用いた別人だ。そっちでは本物の幽霊が出てきそうではあるが』

「こっちの亡霊は九割がアバターで一割が魔人だ。単純明快でわかりやすい」

『それは……亡霊より恐ろしいな』

 

隙を見せれば死んだ上でよくわからない何かが自分でして生きる生物か、遭遇すればほぼ死んでしまう化け物。

それと何をするのか全くわからない霊的存在のどちらが恐ろしいかと問われると、亮はどちらかというと後者だった。

 

「ンで、こっちはその亡霊の正体が割れるまで宝姫咲輝を見てればいいのか」

『あぁ、引き続き頼む。なんとか外界遠征までにカタを付けられればいいが……』

「正攻法で追い詰めようとしてんだ。それを熟知した相手には難しいだろ」

『これでも、こちらはどの組織よりも優れたシステムを使って……うん?……クソ』

 

言葉を途中で止めて、ナナシは悪態をついた。珍しく苛立ち気味だ。

 

「どうした」

『マグナスの通信を盗聴していたんだが、どうやら回収した男が突然死亡したらしい。外傷はないとの事だ』

「毒殺か」

 

考えられない話ではない。敵に情報を与えないための策だろう。この状況でそれをやれる技術はこの世界ではかなり普及している。

 

「遠隔操作、或いは患者の体調で自動解放できる医療用のカプセル。行動不能を察して、予め血管に流していたカプセルを解放した。その辺か」

 

悲しいことに医療用に作られたもののほとんどは、人を殺すために使える。本来は突然の発作を抑える薬をカプセルに封じて置き、発作時に遠隔、または自動で解放される物だ。今回はその薬が毒だった。ただそれだけのトリックだ。

 

『頭のキレる連中だ。戦力だけ見れば大したことない組織なんだがな』

「仲間を毒殺したやつ。そしてそれを受け入れるやつ。中々の覚悟と意思はあるみたいだな」

 

力が全てじゃない。ある程度の力があるなら、それを如何に効率よく使うかで価値は上がる。毒殺された彼は組織のためならと命を張ったのか、はたまた無理やりやらされたのか。どちらにせよ彼は自分の持ち得る力を使い組織に貢献したわけだ。

 

「ンで、本当に俺は見てるだけでいいのか」

 

今からでも毒殺された死体の元へ赴き、それを食らえば敵の正体は割れるだろう。死人だろうと頭があるならば記憶は読み取れる。当然毒も食らうことになるが、毒で殺される様な体は持ち合わせていない。

その後も引き続き亮が追えば早い。迅速に目的地に辿り着き、相手が居ればそこで終了だし、居なかろうと何かしら手掛かりを見つけられるはずだ。

間違いなく最善策で、全てを迅速に解決できる手段。だが。

 

『……うむ、変更はない』

「そうか、わかった」

 

スピード解決を重んじるナナシにしては珍しい指示だ。こういうものは基本的に守り続けるよりかは、攻撃側を全滅させるのが手っ取り早い。最も確実な護衛というのは、予め全ての障害を排除することだ。

亮はもちろんそれを知っているし、ナナシとて知らないわけではない。これまでそういうスタンスで仕事をしてきたのだから。

何か、話せないわけがあるのか。しかし、自分の周りに影響が出る事柄でないのなら特に亮は気にもならなかった。

 

「ンじゃ切るぞ」

『あぁいや、少し待ってくれ。念のために君に一つ聞きたいことがある』

「なんだよ」

『君や、極術師なしでこの世界は魔人を倒せるか?』

 

そんなナナシの質問でなんとなく察する。彼女が突発的に意図の分からない質問をした時は新世界存亡の危機だ。前例もある。

新世界の裏側の、さらにその奥深い組織の頂点。そのナナシが自分の持ち得る全ての情報を使えば新世界において分からない事などごく僅か。であるのに、念を押したこの問答。それはつまり、新世界の裏の頂点が理解できない事と同義である。

 

「……俺の知る限り、真に完成した魔人を無力化する方法は三つだ。魔人が魔人を喰らう。深淵があの空間に引きずり込む。それと」

 

と、間を空けて。

 

「人が奇跡を起こして、神の所業に手を出す」

『神術か……だが魔人は物質を喰らい、その性質を自分の物とし、力にする。魔力、神聖も例外なく。ではないのか?』

「神聖を取り込めるのは俺だけだ。完成した魔人でも神聖に対する耐性は一切ない。俺は出来損ないだからな」

『……君は出来損ないの意味をじっくり辞書で調べるべきだ』

「彼の偉人は言った。人は自分の人生という物語の主人公だと。人の物語は死をもって完結する。それができない俺は魔人でも、魔物でも、人でもない」

 

永遠に完結しないものほどつまらないものはない。ありふれた日常を淡々と垂れ流す物語だって、「いずれ人は死ぬから今を最大限に楽しむ」とか「日常生活から成長の喜びを知る」みたいな意味があるのだ。

であるなら、それが出来ない自分は────

 

「話を戻そう。俺を遠征に連れて行かないなら、そんな運頼みにはならないと思うぞ。魔人だろうと人を殺すのと大して変わんないからな」

 

たとえ完成された魔人でも、神術があれば問題はない。消したいと思えばそれだけで消せる。

 

『いや、君は旧世界へ行っていてくれ。……この世界は、そろそろ困難に立ち向かってみる時かもしれない……か』

 

ポツリと呟かれた後半の言葉はナナシの気持ちではないのだろう。誰の言葉か。ナナシの背後には今回の件の黒幕が居るのか。亮は知らない……というよりも、興味が湧かなかった。

 

「……まぁ俺は命令されたことをやるだけだ。引き続き仕事に戻る」

『そうしてくれ』

 

それ以上語ることはなく、通話を終えた。

 

「どんな話だったの?」

「魔人を倒す方法がどうのって聞こえたのじゃが」

 

大人しく待っていた愛菜と八代が通話を終えた亮に尋ねる。

 

「敵が何しようとしてるのか分かっただけだ」

「え、なにそれ。この事件終わりじゃん」

「ン、そうなんだが本気で止める気は無いみたいだ」

「複雑な新世界の事情ってやつじゃな。社会って面倒臭いの」

「そうだな。だが、外界遠征までは宝姫咲輝の護衛はする。もう襲撃はないと思うから、お前ら帰ってていいぞ」

 

亮の頭の中では、もう既にこの事件の収束までの流れを読めている。詳細まではわからない。黒幕が最終的に何をしたいのかもわからない。だがこれだけは言える。黒幕は最後の最後で目的を達成できない。

 

「ないと思うって……諦めたってこと?」

「外界遠征が始まってすぐか、一週間後か、その辺りに仕掛けてくるだろ」

「極術師の不在を狙うか。セコい立ち回りじゃの」

「妥当っちゃ妥当だ。つーか、今までそれを警戒して外界遠征は極術師一人が駆り出されてたんだろ。なんで今年だけ全員で行くのかがわからなかった」

 

極術師の存在そのものが、犯罪の抑止力となっているのは語るまでもない。正義感の強いマグナスや、イエローで自警団をしている本名不詳のリフレクター。彼らの活躍を代表として鑑みれば、極術師の抑止力としての効果はかなりの物といえる。

だからこそ、彼ら全員が居なくなる今回の外界遠征の時期に反動で大きな犯罪が起きる。そんなことは火を見るより明らかだ。

 

「そんなの、裏でこそこそやってる奴らにでっかく動いてもらうためじゃないの?」

「ふむ、肉を断たせて骨を切るってやつかの」

「や、それ逆」

 

愛菜の言い分が最も正しいだろう。期間限定の大チャンスを与えて炙り出し、一網打尽にする。多少の犠牲は出るだろうが、今後のことを考えれば仕方ない犠牲と割り切れる範囲。

しかし今回炙って出てくるのは魔人だとナナシは考えている。その場合、肉を切らせるとそのまま骨まで断たれるだろう。

それはもちろん八代も分かっていたようで。

 

「……しかし、その話の流れなら問題は犯罪者などより魔人。という事になると思うんじゃが」

「ナナシはそう言ってるな」

「魔人……亮みたいなのって事だよね?」

 

亮は愛菜の疑問に対して頷いた。

 

「俺は魔人のでき損ないみたいなもんだから、あんま参考にならないが。まぁ概ねその認識で間違いない」

「無理じゃん。どうするの」

「奇跡頼みだな。簡単にまとめると、「多分きっと分からないけど誰かが恐らく何とかしてくれるから何とかしてもらう」ってよ」

「えぇ……何その超平和ボケ思考。この国狂ってる……」

「「今さら気づいたのか」」

「外界から来た人たちは言うことが違うなぁ……」

 

人口二千万人。彼の偉人達の時代よりかは遥かに少ないらしいが、これだけの人数をこんな狭い世界に突っ込んで、みんな仲良く平等に。なんて一応できている方がおかしいのだ。

徹底した教育によって生み出された道徳、有識者や安定装置による経済のコントロール、クローン技術や培養などで安定して生み出される食糧。この世界は徹底的に争いの種を潰している。

人間の原動力は欲望であり、欲望に従えば必然と争いは生まれる。だが、発生する争いや犯罪さえも今や安定装置によって管理、処理されている。

欲望のままの争いを知っている旧世界育ちの亮と八代の目には、この新世界は狂っているようにしか見えない。

 

「うーん、やっぱり私達か、亮だけでも残った方がいいんじゃないかな」

「黒いのに賛成じゃ。極術師不在のこっち側で大きな犯罪。それも一つだけではない可能性があり、終いには魔人じゃろ?主や妾以外に事を丸く収めることができるとは思わんが」

 

普通に考えればその結論に至るだろう。二人の言うことには賛同できるし、その方が新世界の平和を守るという点では合理的。だが。

 

「ナナシがこの件に俺らの出番はないとよ。それに考えてみろ、こっち側も大事かもしれないが、愛菜、お前が行くのは外界、旧世界だ」

 

年がら年中、人一人の命を簡単に奪える魔物が徘徊している。それも新世界の技術を用いても全滅させられないほどの数。極術師ですら足並みを揃えないとやられるかもしれない世界。

単純な力で言えば、愛菜があの世界で生きていけない事は無い。影や闇に溶け込み、ヒットアンドウェイだけで戦い続ければどうとでもなるだろう。

だが進化を続ける魔物達が、自分の知らぬ間に「神聖」を手にしている可能性もある。その場合、たとえ深淵だとしてもどうしようもない。とどのつまり。

 

「新世界の平和は大事だろうが、ンなことより愛菜。お前の方が大切だ」

 

新世界がどれだけ荒れようと、そこに大切な物がなければどうだっていい。それよりも大切な者があちらへ赴くというのだ。ならば亮はそれを守るために動く。

 

「っ……えへ」

「ぬぅ、黒いのズル」

 

だらしなく頬を緩ませる愛菜とむくれ顔の八代。亮にとって、守らなくちゃいけないのは彼女達であり、この新世界なんかじゃない。

 

「(それに……鈴木数馬に宝姫咲輝が知り合いで、ンで魔人。まぁもう結末は一つしかない)」

 

亮が想像した事の顛末はこうだ。外界遠征が始まり、新世界が荒れる。鈴木数馬は知り合いを守ろうと新世界を走り回る。その隙に宝姫咲輝が拉致される。それを知った数馬は仲間と共に情報を集め、やがて咲輝に辿り着く。

そしてそこで数馬を待ち受けるのは魔人だ。だが臆することなく、彼は立ち向かう。圧倒的な力の差は彼が諦める理由にはならない。その想いが、奇跡を起こし、魔人を討ち果たす。そんなところだろう。

 

と、思考し、であるならば自分はそこまでの流れを円滑に進めるため、どうせ一枚岩ではない敵の黒幕のために宝姫咲輝の護衛を勤めるしかない。

 

「ンじゃ、そういうことで」

 

それだけ伝え、再び亮の体が透明になり地を蹴って飛び上がる。愛菜と八代の静止の声が聞こえたが無視。あっという間に新世界を覆うシェルの付近にまで到達し、足元に魔力を固めた足場を作り、その上に立つ。

 

「(……さ、どこかな)」

 

この限りある新世界に置いて、人一人の魔力を辿るのは至難の技だ。人口密度が高いこの環境では、人が自然と放つ魔力が複雑に絡み合うからだ。

流石の亮でも駅などの特に人口密度の多いところに行かれると、特定はかなり面倒臭い。愛菜や八代の様に異質かつ膨大で、長いこと感じる機会があれば話は違うが。

それはそれとして、奥の手も無いことはない。対象の居場所へ「聖移」を用いる方法があるにはある。だが家の中などとは違い、正確に判明している情報が少ないため消費される「神聖」の量がわからない。加えて一刻争うような事態でもないので、冷静に考える。

 

「(……そういや事件のあったデパートがどうとか言ってたか)」

 

先日襲撃があったあの場だろう。そう判断し、とりあえず向かうことにする。難しいことはない。建物さえ見つかれば後はそこから自由落下するだけだ。

風を切りながら落下していく。さすがに地上に落ちるのはまずいので、とりあえずデパートの屋上を目指して落下していく。

 

「……当たりみたいだな」

 

降下中に数馬や咲輝を見つけたわけじゃない。だが確信を持ってそう言える。

そのデパートの屋上には先程遭遇したマグナス・スローンが居たからだ。

 

「(正義感が強いのも考えもんだな)」

 

アレも、目の前で困っている人が居たら助けずには居られない口なのだろう。もしこの世に鈴木数馬という存在がなければ、主人公だったのはマグナスかもしれない。

しかし、炎を扱い人の上に立つ正義感がカンストしているなんて、どこかの誰かに似ている──なんて考えつつ。

 

「(そろそろ邪魔だ)」

 

彼にはきちんと外界遠征に向けて準備を整えておいてもらわないといけない。何も極術師全員を駆り出す理由が新世界内部の掃除に止まるわけない。極術師全員でやる何かがあるのだろう。それに向けての準備を怠られるわけにはいかない。

 

だから、亮はマグナスの背後に着地し、透明化を解除した。

 

「……今度は、姿を見せたか」

 

マグナスはこちらへ振り向きながらそう言葉を発した。

 

「別に、姿を見せたのは戦いたいからじゃない。そもそも俺がお前を倒したいならもう終わってる」

「姿を隠し、こそこそしていた者にしては口が達者だ」

「ン、確かにそうだ。だから試してやろう。かかってこい」

 

その言葉の直後、言われずともとばかりにマグナスが無言で火球を放つ。見た目はただの火球。しかし内包している魔力の濃度は桁違いに高い。

極術師並みの魔力量でもまともに受ければ火傷では済まないだろう。触れれば最後、炎という生物共通の弱点に呑まれて消える。

しかしマグナスが相手にしているのは、魔力という人の進化の遥か向こう側に位置する魔人を超えた、魔人の出来損ないだ。

 

迫り来る殺人級の炎の球体に臆することはない。亮の体に触れれば呑まれて消えるのは炎の方だ。

 

「……なんだそれは」

「才能はある。ブラスターとか大層な名前の理由はわかった。が所詮はお山の大将だ」

 

マグナスの火球からは「想い」を感じた。それは間違いなく、この世の理不尽に晒される少女を守る決意を乗せた攻撃だった。だがこの程度の「想い」はまだ亮に傷を負わせるほどの「神聖」にはならない。

 

「戦うだけ無駄だから黙って話を聞いてこっちの用件を聞いて頷いた方がいい」

「……たかだか、火球が意味を成さなかった程度で跪けと?」

「跪け……なるほど、その手もあるか」

 

まるで感心したように呟き、一呼吸空けてから言葉を続けた。

 

「なら跪け」

 

同時に、マグナスは膝を折る。

 

「……体が……」

 

余りにも奇怪な現象に襲われた。今まで受けたどんな攻撃にも当てはまらない初めての体験。

自分の中の知識に無理やり当て嵌めるなら、子供のイタズラに膝カックンなるものがある。マグナスはされた事などないが、イメージはできる。そしてそのイメージ通りの現象が起きた。新世界トップの魔力量を備えて、常人を遥かに凌ぐほどの身体能力を持っているのにも関わらずだ。

加えてその膝を折った状態から体が全く動かない。体が重いとか、力が入らないとかではなく、まるで体全体を寸分の狂いもなく壁で覆っていて、どれだけ体を動かそうとしても妨げられて動けない。そんな感覚。

 

「これは、念力……?お前が久坂陽吾か」

「残念ながら俺は極術師なんて大層な肩書きは持ってない。ついでに補足しとくなら、それは念力じゃない」

 

念力ももちろん亮は扱える。旧世界においても、汎用の利く魔術は便利だった。ただ、無限の魔力を持つこの身で人を押さえ付けるような使い方をすると、誤って潰してしまうくらいなので使い勝手が悪い。使い慣れたこのやり方だからこの状況が作れてはいるが、亮にとって人とは柔らかいもの。喩えるなら豆腐を握るというのは難しい行為であると言ったところか。

 

「……隙間がなく動けぬのなら隙間を作ればいいだけのこと」

 

試しに、マグナスは全身から熱を放射し、その体を覆う何かを探る。摂氏100℃を優に超える熱。並みの物質ならば溶け出したり燃えたり、ともかく抜け道を作るには十分な温度だ。空気を震わす熱を作れば念力程度は振り切れるだろう。

 

しかし、当然ながらそんな上手くいくはずもない。

 

亮が用いたのは常套手段である空気中の魔力の操作だ。自分の体内から溢れ出る魔力を空気中の魔力と結合させ硬質化。それで柔軟かつ強固な魔力の空気が出来上がる。

行動を封じるも良し、首を絞めて殺すも良し、鋭利にして切り落とすも良しの、万能の一言に尽きる。

 

「……ならば」

「……ン?」

 

しかしながら、マグナスに取ってそんな事は問題じゃない。たとえ理解不能な何かに押さえつけられようと、それが困っている人を助けない理由にはならない。

 

──ボオオオオオオオオン!

と、爆音を響かせ火柱が立った。新世界の天井にまでは届かない。だが大火災と呼ばれても遜色ない爆発の様な火柱。常人では近くにいれば大火傷では済まないだろう。

 

「期待してたのと違うが。まぁいい」

 

ため息すら灼熱に焼かれる。

軽く適当に囲っていたとは言え、新世界で魔力の壁を打ち破ったのは、またしても彼が初めてだった。熱気で空気が震える状況の中、亮は嘆息しつつ説得に全力を尽くすと決め──そして携帯が鳴った。

灼熱の炎で埋め尽くされる視界の中で、マグナスが今の火柱で相当の力を使ったのか、未だ膝をついていることを気配で確認し、携帯を取り出して通話をする。取り出す際は魔力の壁で携帯が熱で溶けない様に配慮することも忘れない。

 

「もしもし」

『この事態はマグナスとの接触を控えろと言わなかった私が悪いか?』

「いや、なんかイライラした俺に非がある」

『お前が苛立つ理由に興味が無いわけじゃないが、前回の件もあってそのデパートは致命的な損害を被る。その上マグナスの名を出せば極術師というレッテルに傷がつく。誤魔化すがこの落とし前は?』

「任せる」

『……全く、よく他人事のように言えるものだ。追って連絡する』

 

それで通話が終わる。どんな罰を与えられるのか分からないが、今のところ興味ない。

 

当座の問題は、たった今地を蹴って業火の中からこちらへ高速で突っ込んでくるマグナスだ。

速度が速度。向こうは間違いなく殺しに来ているが、亮にその気は無い。彼を殺さないように止めるのが少々手間だった。

 

「仕方ない」

 

あまり使いたくないが、こうでもしないと戦いの規模がこの屋上に留まりそうにないので、最終手段を使うことにした。

だらんと垂れていた右腕のその先にある右手、人差し指の先端に雫を作った。指先の雫はやがて引力によって一滴、地に落ちていく。

 

「悪しき炎を浄化しろ」

 

神術がここに発動して──

 

 

────ピチャ

と、マグナスはどこからか水滴の滴る音を聞いた。有り得ない話だ。大気中の水分が焼き尽くされ、炎が焦がす音が支配するその場に置いて一滴の水が跳ねる音が聞こえてくるなど有り得ない。加えて自分は今正体不明の誰かに高速で突貫している真っ最中。水滴の音など聞こえるはずがない。

 

直後に。

 

一滴の聖なる水が、悪しき炎を消し飛ばす。

 

「っ!?」

 

空気を焼き焦がす灼熱が、一瞬の内に消えてなくなった。遅れて自分の顔に何かが付着した。冷たくもなぜか暖かいその液体。先程まであった正体不明の者への危機感、敵意が何故か徐々に薄れていく。

 

「(精神操作?しかしそれでは炎が失せることは……!?)」

 

気が付けば。高速で移動していたマグナスはその場に停止していた。これもまた理屈がわからない。あの速度からの停止にはかなりの衝撃があるはずだ。そもそも止まり切れるはずもない。先程の突貫は捨て身の攻撃の様なもの。真正面から受け止められた場合、その衝撃でこちらがやられることすらあったはずだ。

 

「(私は一体何と戦っている……?)」

 

極術師として、この世界の頂点としての自覚はある。自惚れではないが人の身には有り余る力を持っていると考えている。そんな自分の捨て身の一撃を、たった一滴の液体で止めた目の前の存在はいったいなんなのか。

 

「……貴様は何者だ」

 

停止した位置から、正体不明のソレに質問を投げ掛ける。

 

「残念ながらおいそれと話せるものじゃないな。だが、お前と同じで宝姫咲輝を守る立場に居る」

「それを信じろと?」

「俺がお前に対して危害を加えない理由を考えろ。最初に言ったはずだ、戦うだけ無駄だから黙って俺の用件を聞いて頷けと」

 

愛菜や八代がこの場に居たら、間違いなく「そういう言い方だからこうなるんだ」なんてツッコミを頂くところだろう。冷静に考えればその通りなのだが、なんとなくマグナス相手にそこまで丁寧になれなかった。

 

「ならば貴様の用件とはなんだ」

 

マグナスとしても、不本意とはいえ冷静になった今、ここでアレと事を構えるのは得策ではないと判断した。

 

「宝姫咲輝の護衛は俺に任せろ」

 

たったそれだけの用件。ではあるが、マグナスはそう簡単にその要求を呑むわけにはいかなかった。そんな事は彼自身の教えに反する。

 

「人が困っているのを知っていて、助けるなと言うか」

「あぁ」

 

有り得ない。

それがマグナスの心だ。ただの一般人が本気で命を狙われ実際に殺されかかった。それを知っていてその一般人を守らないなんて選択肢は有り得ない。仮にも自分はこの新世界で最も強い力を持っている。たった今それを覆されたばかりだが、それでも手を伸ばすことで助けられる位置に人が居るのならば手を伸ばす。

 

「……ワケは?」

「仕事」

 

胡散臭いにもほどがあると思いつつ、しかし間違いではない。暴走した世界の裏側の住民を討ち果たし、亡霊を炙り出して企みを止め、一人でも多くの人を危険に晒さないためには宝姫咲輝というエサが必要なのだ。

 

「私を説得する気はあるのか?」

「悪いな、他に言葉が見当たらない」

 

この状況だと何を言っても嘘くさい気はする。世界平和とか口にしていたらもう一戦始まっていただろう。

まぁ正直に答えたところでマグナスが納得するはずもないので、もう少し言葉を付け足す。

 

「……ンー、まぁ言うなら、お前にやるべきことをやってもらって少しでも俺の目標に近付いてもらうためだ」

 

ここでマグナスを外し、亮から鈴木数馬へバトンを繋ぐ。そうしなければ数馬の成長はない。数馬には早いところ「神聖」を手に入れて貰いたいと思っていた。

ゆくゆく、数馬は成長するにつれ特別な力を持つだろう。きっと神術に匹敵する様な何かだ。

そして、それを喰らえばきっと自分はただ一つの目標を達成できる。と、考えている。

 

「信じろなんて虫のいい話だが、俺が見ている間、宝姫咲輝には傷一つつけさせない。それは約束しよう」

「…………」

 

マグナスは黙って亮に視線を送っていた。品定めする様な目だ。信ずるに足りる存在かどうか。暫くしてマグナスが口を開いた。

 

「……私の目には、貴様はある種の悟りに到達している様に見える」

「……は?」

 

唐突に何の話か分からなかったが、そういえばマグナスはレッド地区の寺の出だったと思い出す。産まれてすぐに寺に引き取られ、そこで育てられていた。

 

「最後に問う。貴様が信じる物はなんだ」

 

これはきっと「どこの宗教か」なんて簡単な話ではない。仏の禅問答と言うやつだろう。十字架の聖者や八百万の神の教えならば旧世界で喰らった者たちの記憶から考え方を理解できるが、仏の神は少々知識が足りない。

だが亮からすれば、そんな問いに意味なんてなく、答えは一つだ。

 

「一人の女の子」

 

即答だった。

 

「……そうか」

 

誰。なんて野暮なことは聞かない。マグナスは、そうとだけ答えた亮の瞳の奥底に、先程までとは違う、何かを感じ取った。

 

「分かった、私は貴様を信じよう。私が思ってる以上に、貴様は生きていた」

「そいつはどうかな」

「私は貴様に従い、行くとしよう。後は、任せた」

「ン、任された」

 

マグナスは地を蹴って飛び上がる。両掌を後方に向け、炎を噴射、彼の偉人達の時代にあったジェット機と同じ容量で、そのまま飛んで南下していった。レッド地区にある寺の跡地がマグナスの住処だと聞いている。恐らくそこに戻るのだろう。

 

「……お前が育った寺を全壊させて、恩師の「我郎」を殺したのは俺だとは言いにくくなったな」

 

なんてボヤきつつ、宝姫咲輝の捜索に移る。先程と違い、距離は近いのは感じ取れる。ので、魔力を放出し、デパート内部とデパートの出入り口から溢れ出す人の並から宝姫咲輝を探し出す。

反応はすぐにあった。どうやらまだデパート内に居るらしい。

 

「(近くに一つ……いや二つか。確か双海寧音と、吹けば消し飛びそうな魔力は鈴木数馬か)」

 

どうやら三人は表に出て人混みに紛れるよりも、中で隠れている方がいいと判断したらしい。本来であればこの人混みに混じってしまえば基本は手出しされない。だが、もし敵が本当に情け容赦を持たない場合、一般市民を巻き込んだ攻撃からの逃げ道がなくなる。肉の壁だって爆発には耐えられないのだ。

 

「気長に見張るとするか」

 

いつものように姿を消して、屋上から咲輝の動きにのみ気を配りつつ、ふと思考する。

 

「(ナナシは外界遠征までにカタをつけられればいいと言った。だが宝姫咲輝が利用されることも折り込み済み。つまり、黒幕の思惑は外界遠征中に宝姫咲輝を拉致することだ。だが、協力関係にあるインターセプターはなるべく早く事を済ませようと今日襲撃してきた。一枚岩じゃないのは確実……)」

 

矛盾を大きく含んでいる点も、インターセプターの暴走と考えれば納得が行く。つまりナナシがカタを付けたいのはこの事件ではなく、インターセプターの方だろう。暴走している方を抑えられれば、後は黒幕の描いた通りに事が運ぶという事だ。

本当に黒鎌帝が黒幕かどうかまでは想像がつかないが、もしそうだとするならば、これはかなり昔から計画されていたという事になる。

 

「(狙いは宝姫の心臓を用いて魔人化する事だろうな。そのための準備は……まぁシェイカーの研究資料から出来上がってるだろう)」

 

帝とシェイカーは深い仲にあった。シェイカー自身も魔人という存在には興味を持っていた。色々混ぜるのが大好きな一族の研究者だ、魔人というありとあらゆる物を取り込む性質が興味深かったのだろう。魔人はある意味、万能ミキサーみたいなものだから。

 

「(はたして、鈴木数馬は魔人相手にどれだけ戦えるか。それは楽しみだ)」

 

亮は口元を歪める。鈴木数馬の頑張り次第では奇跡が起きる。どれだけ完成度の高い魔人ができるのかは分からないが、低くとも魔人は魔人。それを超えるなら、本当に鈴木数馬が自分と、神の希望に成り得る。

 

と、そのタイミングでデパート内の咲輝達が移動を始めた。恐らくサイレンの音から警察車両の到着を察知してだろう。人混みに紛れながら真ん中の出入口から出てくる。

 

「せいぜい気張れよ主人公」

 

そう呟いて、亮も不可視化の魔術を使ってデパートの屋上から飛び上がった。



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監視

街中を逃走する鈴木数馬と宝姫咲輝と双海寧音の三人を、亮は屋根上から追跡し、監視していた。十分ほど走り回って路地裏に入ったところで咲輝が足を挫いて休憩の運びになっていた。

壁に寄りかかって三人で何か話していたが、ちょうどいい屋根が彼らの近くになかったので会話が聞き取れない。耳をすませればどうとでもなるが、どうせ仲良くイチャイチャしてるだけだろうしと聞く気にはなれなかった。

屋根の上に立って眺める。退屈だとか、暇だとか、そういう気持ちがないわけではないが、何百年以上もの暇な時間を経験してきた亮からすれば、この程度の暇は大したものじゃない。

監視しながら外界遠征に向けた事だって考えられるし、今後起こるであろう新世界の危機についてだって────

 

「あっ、義兄さん!」

「ン?」

 

亮にとってはいつまでも聴いていたい声が聞こえた。数馬達が居る裏路地の手前の通りで、七尾優衣が亮を見つけて手を振り、声を掛けてきた。

現在自分は姿を透明にさせているので、肉眼では見つかることなんて無いはずだが、まぁそんな事は些細な話だ。

彼らはしばらく動きそうにないので、自分の目を視覚を魔力に変換してその場に置いて、体の方は優衣の方へと向かうために屋根から飛び降りる。

 

「どうした、優衣」

「特にやることがないから、ブラブラしてたの。そしたら、なんとなく義兄さんが居るような気がして、来てみたら」

 

そう言って笑う優衣。その笑顔を見るともう仕事なんて放り出して一緒に遊び出したい気分になる。

同一人物ではない、紛い物だとしても、存在しない脳裏に焼き付いた笑顔と変わらないものだから。

 

「と、でも義兄さんは仕事なんだよね、邪魔しちゃってごめん」

「気にするな。なんなら仕事の方が邪魔だからな」

「ふふ、そう言って貰えると嬉しいな」

 

ただのバカップルのやり取りを繰り広げながらも、それでも充実した時間だった。名残惜しくはあるが、そろそろ数馬たちが動き出すような素振りを見せているので、会話を切り上げる方向に。

 

「ンじゃ、そろそろ」

「ん……私も今日一日だけ着いてってもいい?」

「着いてくって、仕事にか」

 

思わぬ提案に亮が尋ね返すと、優衣は小さく首を縦に振った。

 

「邪魔はしないようにするから」

「……だが、万が一てのがある」

「そこは大丈夫だよ。たとえ何があっても、義兄さんが守ってくれる、でしょ」

 

全くずるいなと思う。例えばこれが愛菜ならば、絶対に守れる確証なんてない。と言っていたところだ。ただその顔で、その声で守ってくれるかなんて聞かれたら。

 

「それもそうだな」

 

肯定するしかない。真衣と優衣は同一人物ではない。だけれど、かつて自分が一度失敗した事は知っているはずだ。絶対に守ると誓って、心の底からかけがえのない大切なものと思って、守れなかったことを。

だから優衣の言葉は自分にもう一度チャンスをくれているようで──それがたまらなく嬉しかった。

であればと意識を切り替える。守られる側にも最低限、知っておくべきことはある。その確認へ。

 

「仕事内容は知ってるか?」

「うん、宝姫咲輝って子の護衛って愛菜ちゃんから聞いたよ」

「その通りだ。退屈な時間が続くと思うが、大丈夫か?」

「もちろん!宛もなくお散歩してるよりは退屈じゃないよ」

「そう言ってくれると助かる。ンじゃ、そこの屋根の上まで飛べ……飛べないか」

 

さてどうすると。自分はもちろん八代はその気になれば空の果まで跳べるが、愛菜と同じように優衣もそんな飛行能力は有していない。愛菜の場合、夜であれば必要無いが昼の場合は魔術で浮遊させるか、魔力の壁に包んで持ち上げるかの二択でどうにかしている。

ただ今回は勝手が違った。

 

「(……力加減間違えて痛い思いさせたらどうしよう……)」

 

愛菜にやっているようにやればいい。ただそれだけの話ではある。ではあるのだが、ガッチガチに緊張していた。

 

「(力加減って……あれ、俺いつもどうしてたっけか……)」

 

何千人と何億体の魔物の喜びやら悲しみやら快楽やら痛みやらを常に全心身を這いずる中で正気を保っていられる亮ではあるが、こと彼女が絡むと錯乱するのだった。

 

「あ、そうか」

 

動き出さない亮を見て、優衣は何を察したのか亮の背後に回り込んだ。

 

「ン?」

「よっと」

 

そこで軽く正気に戻り、何事かと思った矢先、優衣の掛け声と共に小さな衝撃と背中に柔らかい感触を感じた。

 

「……!?」

「準備できたよ、義兄さん」

 

別になんてことは無い、背中から優衣に抱き着かれただけだ。俗に言う「おんぶ」という状態なだけだ。そこまで理解して、透明化を優衣にかける。このままだと第三者から見れば、優衣は空気にしがみついてるみたいなよく分からない体勢になってしまうからだ。

 

「これで義兄さんが居た屋根まで戻れるね」

「……おう」

 

遥か昔。こうして飛び付かれた事もあった。今でもその時の感覚は覚えている。その時と変わらない温かさに、とても気持ちが安らいだ。

 

「……じゃ、行くぞ。しっかり捕まっとけよ」

「うん!」

 

優衣の元気な返事を聞いてから、膝を少し曲げて飛び上がる。あっという間に先程まで居た屋根へ到着した。

 

「義兄さん、ありがとう」

「ン、どういたしまして」

 

そう言葉を交わしてから、優衣は亮に回していた腕を離し、屋根に着地しようとして──足を滑らせた。

瓦を詰めて傾斜を作らせている屋根は、瓦一枚一枚は並行ではあるが、段になっているので階段の踏み間違いのような事は起こりうる。というか今起きた。

 

「っ!?」

 

再聖というこの世の法則をぶち壊す力を持ってはいるが、七尾優衣には他に特別な力はない。新世界における平均的な身体能力以下の持ち主である。

だからこんな事も起こりうる。

 

「大丈夫だ」

 

のを、もちろん亮は把握していた。

優衣がコケるより先に、魔力の壁を柔らかくして優衣の体を包み、固定させた。

 

「あ、ありがとう」

「ン。優衣も、おっちょこちょいなんだな」

「……こういうところも同じに作ってくれなくてもいいのに……」

 

不満そうな優衣の言葉に小さく微笑んで、空中に寝っ転がるような体制の優衣へ右手を差し出す。

 

「まぁ、あいつにはあいつの考えがあるんだろ。俺には全く見当つかないがな」

「義兄さんで分からないなら私も分からないかな。あ、鈴木君達は向こうに行くみたいだよ」

 

数馬達は自分達の居る家とは反対方向へ進み出した。これではまた屋根から屋根を移動していかなければならない。

 

「みたいだな。よし、優衣、来い」

 

言って、優衣に背を向けて屈む。

 

「か、構えられると恥ずかしいね」

 

そう言って照れつつも、近付いて亮の首に腕を回し、しっかりと握った。

振り落とされない具合であることを確認してから、亮は再び数馬達を見失わないように屋根から屋根へと飛び移る。

 

「ねぇ義兄さん」

「なんだ?」

 

飛び移りながら、優衣が話しかけてきた。

 

「今のこの状況、愛菜ちゃん達が見たらどうなるかな?」

「……考えるのも面倒臭いくらい面倒臭い事になりそうだから考えさせてくれるな」

「ふふっ。愛菜ちゃんも八代ちゃんも、義兄さんのこと大好きだもんね」

 

と、言い終えたところで次の屋根に着地した。

 

「好きって言うか、アレはもう依存しているだけな気はするがな」

「依存?」

「あぁ。八代は長過ぎる時間を俺と共に過ごした。単純にもう……俺と同様にぶっ壊れてる」

 

随分長く持った方だったとは思う。何せ百年近くは裏切った自分を憎んでいたのだから。

 

「……なんで知ってるのか自分でもよくわからないけど、水神が関係しているんだよね」

 

確かにそれは優衣が知り得るはずのない事だが、別に知っていたって不思議じゃないので特に反応はしない。

 

「そうだが、それは切っ掛けに過ぎない。いくつもいくつも旧世界の人々と魔物の記憶を見て、思いを知って、諦めた」

 

決定打は平行世界だかなんだかからの、魔物の憑依者を喰らってからだったと記憶している。それを境に本格的に考えが自分と共通化されてきた。

 

「人と魔物も取り決めを作り、互いに理解を深めればいつかは平和な世界が築ける。端折って言えばこんな理想を持っていた。だが今は現実的な思考だ。人と魔物どころか、人と人すら基本分かり合えない。だから別に自分が良ければ他がどうなろうと知ったことじゃない」

 

子供の夢を捨てた大人の考え。そう決め付けるのは簡単な事だが、八代に取っては今までの生を否定する決断だった。大人は自分のかつての夢を子供だったと笑う。

八代は過去の夢を憎悪する。自分はなんて無駄な理想を掲げていたのだろう。なんて無駄な時間を過ごし、愚かにも本当に大切な事を忘れていたんだろうと。

 

「俺達はたとえ「世界」に否定されようと、「自分の世界」を守れるのならば、「世界」なんてどうでもいい。「自分の世界」を守るためなら、「世界」だってぶっ壊す」

 

二人は、一人と一匹は、そういう考えで動いている。

ただし、これは別段二人が特別な考えだという話ではない。一言に自己中心的な思考回路の持ち主なんて吐いて捨てるほどいる。

ただ、世界に届くほどの特別な力を持っていて、それでも「自分の世界」のためだけに「世界」を切り捨てられるのが彼らだ。

 

「まぁ、そんな俺に育てられたんだから、愛菜だってそうなる」

「……愛菜ちゃんも確かに極端だもんね」

「出自の関係もあるからな。どこか普通の人とズレているのを昔から理解していた。俺や八代やナナシみたいなのと居る方が居心地がいいって事だ。あいつも、寂しがり屋だからな」

 

物心着いて直ぐに人を殺し、血肉を食べて生きてきた。その記憶を持った状態で普通に生活できるはずもない。未だに殺していいと言われた人以外殺した事はないが、それでもズレは拭えない。学校に行きだしてからは価値観の相違にだいぶ悩んでいた。優等生を演じているのもこのせいなのだろう。なるべくしてこうなっただけだ。

 

「んー、分かったかも」

「ン?」

 

優衣の閃きに耳を傾ける。

 

「結局さ。みーんな寂しがり屋だってこと、だよね」

 

優衣の言う通り、結局それだけだ。

世間ではメンヘラだのなんだの言うのかもしれないが。

 

「……はは、確かにな。優衣は?」

「ん?」

「優衣は違うのか?」

 

どういう訳か。優衣は弱々しく尋ねる亮に少し首を捻りつつも、答える。

 

「違わない。寂しいよ」

 

その言葉が。優衣の思いなのかどうか分からない。ただ、首に回された腕の力が少し強くなったのを感じた。別に自分に害を成すほどの力ではない。優衣がいくら力を込めたところで、亮にどうということはない。

けれど、彼女(・・)の想いが伝わってくるようで、それがどうしようもなく、苦しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

多少シリアスな場面もあったが、亮達の都合なんてお構いなく数馬達は進んで行く。

 

「あいつら、マジでどこに向かってんだ?」

 

デパートから最も近い咲輝の家かと思っていたが、それを過ぎ去ってさらに南下して行く。あの防犯設備フル装備の要塞に逃げ込むのが安全な筈なのだが。

 

「この方向だと……もしかして遊園地かな」

「遊園地って……なんだ、あの爆発の後に遊園地で日常パートに持ち込もうってか。どんだけ図太い神経してんだよ……」

 

確かに今回のデパートでの爆発を敵の襲撃だと仮定した場合、その後の襲撃が無いから敵は人目のつく場所では襲撃しないと考える。であれば確かに人の多い遊園地などはいい逃げ道になるのかもしれない。人の山に紛れてついでに遊び倒せば、よっぽど追跡に長けている者で無ければ見失ってしまうだろう。

ここまで思考できるのならば、彼らはどれだけ場数を踏んでいるのやらである。間違いなく普通に生活していたらこの選択肢は無い。

 

「……んー、これは義兄さんと二人で遊園地デートってやつなのかな」

「優衣、愛菜みたいなこと言ってんな。バカになるぞ」

「義兄さん本当に愛菜ちゃんと八代ちゃんには辛辣だよね」

 

亮としてはそういうつもりは無いのだが、どうやら優衣にはそう見えてしまったらしい。

 

「まぁあれだ、親心ってやつだ」

「そっか。それは私には分からないね」

 

なんてやりとりをしていると、またワンブロック、数馬達が遊園地の方向に進み出していた。再び飛んで屋根を移動して、後を追う。

もう少しで件の遊園地の通りだ。住宅街のど真ん中に存在する遊園地は、騒音防止の遊園地を覆うようにドーム状になっている。一度中に入られると外からでは中の様子が分からない。

別にやりようがない訳では無いが、タダでさえインターセプターの襲撃は打ち止めになると考えているのに、遊園地なんて襲撃のしようの無いエリアで、わざわざ魔力に視覚を込めて。なんてやる気にならない。

 

「あ、やっぱりそうだ」

 

入ってくれなければ良かったのだが、そう上手くいく物ではなかった。数馬達は遊園地入り口の列に並んで居る。

休日ということもあって、長蛇の列になってはいるが、ゲートを通過すれば埋め込まれるチップで入場料は自動精算してしまうので、流れはかなり早い。

 

「よし、優衣、行くか」

「私達も遊園地に?」

「そうだ。万が一があるからな」

 

万が一なんてないとは思うのだが、せっかく優衣と二人で出掛けているのだ。遊園地に入って少し楽しむくらいはいいだろうと判断した。

 

「そっか、そうだよね」

 

背負っているため顔は見えないが、声色で喜んでいてくれているのがわかる。

取り敢えずあの人混みの中で不可視化を解くのはまずいので、もう一度宝姫咲輝の魔力を記憶する。その後に路地裏の人目のつかないところに飛び降りて、優衣を背から下ろして不可視化を解除した。

背中の優衣の感触が無くなったのがとっても寂しかった。

 

「っと。義兄さんありがとう」

「ン」

 

優衣のお礼を聞いてから、二人で歩き出す。咲輝の魔力はちゃんと記憶してあるので、これだけの人混みでもどこにいるかはきちんと把握できている。

 

「にしても、本当にここは色んな地区から人が来るんだな」

「遊園地はホワイト地区とグリーン地区とセントラル地区に一つずつしかないからね。遊園地大好きな人は遠くの地区でも拘りがあって来るみたいだし」

 

新世界の真の支配者とか呼ばれてる赤と黒のネズミがマスコットのセントラル地区の遊園地。

新世界に唯一存在する魔物と呼ばれる黄色いネズミがマスコットのグリーン地区の遊園地。

ただ無駄にでかい遊園地がホワイト地区の遊園地だ。特色も何も無い。

 

果たして他地区の二つに比べて地味なのにホワイト地区の遊園地にこれだけの人が来るのか。

答えは簡単だ。ここの遊園地は他二つに比べて面白くないから並ばなくて済むと思った者達が沢山来るから並ぶ。

結局どうせ並ぶことには変わりないと気が付いた者は何人いるのだろうか。

 

「人の列が凄いね」

「休日だからな」

 

二人とも大人しく列に並び始める。数馬達はかなり前に居るわけだが、しっかりと咲輝の魔力を認識しているので、見失うことはない。

 

「ここのアトラクションは結構種類が豊富だから、色んな所を回ることになると思うよ。もちろん、その分待つ時間も長いだろうけど……」

「元々退屈な仕事だったわけだからそんなに気にならないが…………ていうか優衣、この遊園地来たことあるのか?」

「私じゃないけど、姉さんは鈴木君達と来たことあるみたいだよ」

「……あぁ……なるほどな」

 

今すぐ鈴木数馬を魔力の壁で圧殺しようと本気で思ったが、隣に優衣も居ることだしと動揺を抑えた。鈴木君達と言っていたし、数馬と二人きりで言った訳では無いので良しとした。

 

「義兄さんは?愛菜ちゃんとかと来たことはないの?」

「愛菜がちっちゃかった時は行ったな。ただその遊園地は潰れちまったけどな」

「あそこかぁ……今度は、ここにみんなで来ようね」

「そうだな」

 

外界遠征が終わったらそれもありだろう。確かに最近は愛菜と遊びに行くような事も少なくなっていた。この間の買い物だって結局行ってないような物だし、たまには労ってやるのもいいかもしれない。

 

「そろそろ順番か。そういえば、優衣はIDとか持ってるのか?」

「うん。姉さんが作ってたみたい」

 

新世界の者達が体に埋め込まれているチップが優衣の体に入っているのか気になったが、さすがに抜かりはないようだ。

この新世界で生きていく上で、体内にチップがあるのは当たり前のこと。飼っている動物に首輪を付けるように、新世界で生きていくにはチップが必要だ。

 

「まぁ、どこからお金が出てるのか分からないのがちょっと心配なところだけど……」

「銀行に行けば確認できるだろ」

 

と、亮が言うと優衣は途端に遠い目をした。

 

「…………銀行に行って、ATMで自分の口座を照会したら、どういうわけか銀行から外に出てるんだ……」

「こええよ」

「携帯電話で口座を調べるとなぜか圏外になるし……パソコンで照会しても表示されないし……」

 

みるみるうちに優衣の顔色が悪くなっていく。どうやら優衣には割と神の手が入ってるらしい。それもかなり杜撰なようだ。

 

「八階建てのマンションの九階に住んでたり、部屋中どこで撮ったのか分からない義兄さんの写真で埋め尽くされてたり……」

「……なんか聞き捨てならない発言があったような気がするんだが」

 

深く聞きたい気持ちは抑えて、優衣を正気に戻してやらないといけない。まだブツブツと改竄された現実を列挙している。

 

「優衣、一旦置いておいて、楽しもう。順番回ってくる」

「……そうだね」

 

咲輝の監視なので本来、楽しんではいけないのだが、こうでもしないと神の杜撰さに潰れてしまいそうだった。

二人で遊園地のゲートを通り、無事に料金の支払いが終わった。何かエラーが出ないか、優衣はビクビクしていたが、特に問題なく通行できて安心していた。

 

「さて奴らは……」

 

咲輝の魔力の感じる方向に進んで行く。メリーゴーランド、屋台の群れ、ジェットコースターを通り過ぎて、到着したのはお化け屋敷。待機の列に彼らの姿も確認できた。

 

「……」

「優衣?」

 

お化け屋敷を見上げて膠着する優衣。不安になって声をかけたら、直ぐにハッとして列の最後尾に並んだ。

 

「行こう、義兄さん」

「お、おう」

 

そう言えば。と、亮は彼女の微笑ましい一面を思い出しながら、この後にその思い出が再現されるかと思ったら、優衣には悪いがとても楽しみになっていた。

 

 

 

 

 

 

 

入り口で係の人に案内され、二人で暗い室内を進んでいくと、やがて広い部屋に出る。まぁ最初のホラースポットだろう。

部屋のど真ん中に井戸がある。もう何が起こるのか分かる。もうちょっと隠せよとツッコミたい気持ちを抑え──

 

井戸の中から真っ白な手だけが出てきた。

 

「ぎぃぃやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

「(……ホント、一緒なのな……)」

 

彼の偉人達が残したDVDなる物を二人で観賞した時も、中身がホラー物で終始ビビってたのを思い出す。確かその時は驚いて抱き着いて来る時の感触と、ビビってるのがめちゃくちゃ可愛いとかそんな事ばかり考えていた。

 

「(……あぁ、めっちゃかわいい)」

 

今もそんな感じである。

とまぁそんな事を考えている間に、井戸の中から段々と頭、顔を覗かせてくる。

 

「……っ!!!っ!!」

 

言葉になっていない。叫びたいのだろうけど声が出ていない。

 

「う、うううぅぅぅ……」

 

井戸から首元辺りまで覗かせた幽霊が呻き声を上げた。

 

「義兄さんっ……」

 

意味不明なくらい素早い動きで、優衣が亮の背に隠れた。今までに見た事のない俊敏な動きである。

遅れて背中にさっき失われた柔らかい感触が伝わった。先程とは比べ物にならない力で抱き締められている。

 

「(……今なら死んでいいわ)」

 

そして亮は数十年振りに途轍もない充実感に満たされていた。

 

「残業代ぃい……残業代いいいいい!!」

「助けて義兄さん……っ!」

「大丈夫だ優衣、そこの看板に「親ガチャ失敗してロクな学歴が無くブラック企業に就職して残業代が出ないけど退勤時間が遅くて疲れたから自炊せずに安いからという理由で牛丼ばっかり食べていたのでお金が無く奨学金の取り立てに会いヒモジイ苦しさから消費者金融に手を出しそれも返せなくて破産して仕事が無くなり泣く泣く自害した彼の偉人達の時代の霊」と書いてある。よくある話だし、どうせ人を呪える様な強い意志だって持ってないだろうから問題ないさ」

「そんな世知辛い世の中やだよぉ〜」

 

というかここの幽霊屋敷の幽霊の設定がやたら生々しくもこじつけ感が尋常じゃないのはなんなのだろう。どうして状況の理由で自殺した霊が井戸の中から出てくるのかが分からない。

 

「こぉんげつぅ……手取り11まぁぁぁぁん!!」

「いやあああああああああああああああ!」

「演技が真に迫ってるな」

 

新世界でお金に不満を感じたことが無いので、この者の苦しみは理解できないが、なんか可哀想な気がした。

 

 

 

 

 

 

 

お化け屋敷を出た時、優衣の瞳は真っ赤に腫れていた。めちゃくちゃ怖かったらしく、涙の跡がすごい。亮の着ている革ジャンが濡れていて、お化け屋敷に入ってしまった罪悪感が湧きつつも、可愛いなとか思ってしまう亮だった。

目の腫れに気が付いたのか、優衣は恥ずかしそうにした後、唐突に神術「再聖」を発動。

──聖なる神の使いの願いに世界の理が従う。

自分の目元を正しく再生させ、あるべき姿に戻す。まぁつまりは目元の腫れと涙の跡が消え去ったという事だ。

 

神の力の圧倒的無駄遣いである。

 

その後、数馬達の後を追って辿り着いたのは。

 

「ジェットコースターか」

「義兄さんには刺激が足りないかな?」

「いや、優衣と居るから何しても楽しい」

「そっか。私も義兄さんと居るから楽しいよ」

 

列の先に並んでいる数馬達一行よりも遥かにバカップルの様な二人だった。

ちなみに前方では宝姫咲輝と双海寧音による鈴木数馬の隣はどっちが座るか戦争が勃発していたりするので、遊園地に野郎だけで来てしまった連中のヘイトは全てそっちに集中していた。

 

「鈴木君達とはギリギリ同じタイミングに乗れそうだね」

「そうだな」

 

言われてどうしたものかと考える。一応、自分も優衣も顔は知られているので、こちらに気付かれると少々問題がある。自分は顔を変えてしまえばそれで済むが、優衣の顔までは変えられない。

 

「(……まぁいいか)」

 

最悪、その場で自分だけ消えればいいのだ。その時優衣には申し訳ないが……

 

「義兄さん、順番だよ」

「ン、乗ろう」

 

今は、この時間を何よりも優先していたかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後も様々なアトラクションに乗って、そろそろ日も沈む。そろそろ帰宅だろうと予想し、それを裏付けるように数馬達は観覧車の列に並び出した。締めに観覧車は鉄板というのは分かるが、女性二人と男性一人の組み合わせで観覧車とかどうなのだろうと思いつつも、いずれ愛菜や八代と来たら女性三人と男性一人になるので、あまり考えないようにした。

 

「観覧車かぁ」

「どうした?並ばないと乗れないぞ」

 

優衣は観覧車の列から少し離れた場所で止まった。

 

「んー、これは乗らなくていいかな」

「……そうか、そうだよな。俺と乗るの嫌だよな……悪い気が付かなくて」

「ち、違うよ!義兄さんお願いだから落ち込まないで」

 

顔を伏せて露骨に落ち込む亮。ちなみに本気で気を落とすのは、こういう体になってから初めてである。

 

「あのね、何となくなんだけど、これは義兄さんと二人で乗っちゃいけない気がするの」

「ン?どういうことだ」

「ほんっっっとうに、よく分からないんどけど、乗ったら、私、消されちゃいそうな気がする」

 

優衣の言っている事を馬鹿なと笑うことはできない。神に作られた優衣にしか理解できない何かがあるのだろう。優衣に対して怒ることなどできはしない。

 

「そうか……理由は分かるか?」

「多分、嫉妬じゃないかな?」

「だったらお前早く出てこいよって思うのは欲張りなのか」

 

何かしら理由があるのは察せるが、そこまでするなら早いところ出てきてくれよと。

 

「まぁいい。ンじゃ少し離れたところで様子を見よう」

「うん。ごめんね、義兄さん」

「いいよ。気にするな」

 

残念なことだが仕方ない。亮達は観覧車から離れ、数馬達の動向を見張ることにする。途中の自動販売機で飲み物を買って、その近くにあるベンチに腰を降ろした。

 

「義兄さんの言う通り何も起こらなかったね」

「まだ終わってないから安心はできないが、少なくとも今日はもう無いだろうな」

 

彼らも完全に日が落ちる前に帰宅するだろうし、忘れそうになるが、襲撃は今日あったのだ。その時にマグナスの姿を見ているのだから、警戒するのは当たり前。

 

「あ、話は変わっちゃうけど、義兄さん今日は晩御飯どうするの?」

「要らないよ。愛菜と八代と、三人で好きに食べちゃってくれ。つーか、俺はしばらく帰らないから、好きにしててくれ」

 

外界遠征の前日か、その辺まで帰宅できないだろう。間違っても監視の対象が襲われるのは、ナナシのゴーサインが出た時でないといけない。

 

「そっか。お仕事じゃ仕方ないもんね」

「悪いな、優衣には全然構ってやれなくて」

「大丈夫だよ、住まわせて貰ってるんだし……それにいつか、私の出番っていうのがあるはずだもん」

 

確かに、なんの意味もなく、リスクの高い自分の分身なんてものを置いていくはずがない。それがなんなのか分からないが痛いところだが、神は未来を見通すもの。

それに「再聖」という戦いには向かないが、回復のような力があるのだ。想像したくはないが、きっと、何か失敗した時の保険なのだろう。

 

「優衣の出番か。ないに越したことはないんだがな」

「それはきっと義兄さん次第なのかもね」

「そうだな、俺ががんばらないとな」

 

缶コーヒーに口をつけて、味わう。やっぱり自販機の微糖は微じゃないな、なんてどうでもいいことだ。絶対にブラックの方が美味しい。

 

「……鈴木君達、もう少しで降りてくるよ」

「ン、そうみたいだな」

 

数馬達を乗せたゴンドラが一周してくる。この後は遊園地を出て、数馬が咲輝、寧音の二人を送り届けて終わりだろう。それはつまり、優衣と二人の行動の終わりを意味している。

 

「義兄さん、今日は無理言ってごめんね」

「気にするな。楽しかったからな」

「ホント?私も楽しかった」

 

ありふれた言葉しか出てこない。こういう時にはもっと気の利いた言葉があるのだろうが、素直に楽しかったとしか言えない。

 

──本当は、物足りない。なんて言えるはずがない。

 

心にそんな罪悪感が湧いてくる。せっかく一緒に、このつまらない監視なんていう仕事に着いてきてくれたのに。自分の浅ましさに嫌気が刺す。

もちろん楽しかったのは本当であって、それでも、それでも──

 

 

 

 

 

 

 

「大丈夫、もう少しで会えるよ、亮」

「っ!?」

 

声がして、慌てて優衣の方を見る。

 

「ん?」

 

だが、そこにはキョトンと首を傾げる優衣が居るだけだった。

 

「どうしたの、義兄さん」

「…………いや、なんでもない」

 

直ぐに数馬達のゴンドラへ視線を戻す。

 

「(……真衣、今言ったからな。忘れんじゃねえぞ)」

 

少しだけ、ほんの少しだけ、浅ましい心が満たされた気がした。




レイルロアの略奪者に私の執筆時間が略奪されました


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スタートライン

それは雨降る夜。夜中にトイレに行きたくて目を覚ました。出すもの出して自室に向かっている時、ガタンと物音を聞いた。

音は父と母の部屋から聞こえた。不審に思ってそちらに向かうと、扉が半開きになっていた。どうしたのか不安になって扉の近くに寄ると。

 

「手を汚す君を糾弾するつもりはない。君はその立ち位置を強要されているだけだからだ」

「でもそこにしがみつく理由はないでしょう。私達の計画に協力してくれないかしら。そうしたら、こんな巫山戯た世界を変えられるわ」

「お前らの思いはよく分かった、素晴らしい物だとは思う。だが」

 

父と母と、聞き覚えのない声がした。お客さんかと思ったが、そういう雰囲気ではない。ただ、子供の危険察知能力はそこまで高くはない。知らない声がしたとしても、父と母が招き入れたのだから、危険があると思っていない。

だから、お客さんと揉めないでと父と母に伝えたくて部屋の扉に手をかけた。

 

「別にンなもんどうだっていいんだよ」

 

──ボキッ

と、軽快な音が聞こえた。軽快ながらも気味が悪い。そんな、よく分からない音。

同時に。よく分からない現実が視界に広がった。

 

「……えっ?」

 

視界には、あってはならない方向に首が曲がって倒れ込む父と母。そして、フードに顔を隠した見知らぬ誰かが居た。

 

「……子供か。気が付かなかった……魔力無さすぎんだろ」

 

淡々と告げられる意味不明の言葉。いや、言葉の意味は分かっても、視界に広がる光景のせいで言葉が頭に入らない。

ただ、フードに顔を隠している革ジャンの男の冷たい視線が、やけに印象的だった。

 

「悪いな、忘れとけ」

 

声が聞こえて、次の瞬間に視界が暗転した。頭が何かに触られている。

直後、意識が途絶えた。何が起こったのか全く理解できないまま終わった。

 

これは本来、自分が持っているはずのない記憶。消された記憶。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「っ……」

 

双海寧音と宝姫咲輝と三人で遊園地に行った翌日、鈴木数馬は日が昇り切る前に目を覚ましてしまった。

原因は先程の夢だ。つい最近、死んで、生き返ってからこの夢をよく見るようになった。生き返らせてくれた人に聞いたら、「再聖」のせいで封を切っちゃったと言っていた。

これは万年赤点の自分でも理由は分かる。あの日の革ジャンの男に魔術かなんかで記憶を操作され、それが生き返った時に戻ってきたのだろう。

 

「くそっ……なんだってんだ……」

 

今更、そんな事実を思い出してもどうしようもない。両親の死は十一年前の話だ。もう心傷は癒えているし、今の生活に不自由しているわけでもない。

 

ただ、この前のデパート襲撃事件の際に、アレと同じ瞳を見た。

七尾真衣。神と名乗り、その名に恥じない奇跡を自分の目の前で見せ、その奇跡で自分を生き返らせた者──と瓜二つの外見で、死者を生き返らせた不思議な術を扱う少女と、根本愛菜という新世界に五人しか存在しない極術師の二人と親しくしていた男。

自分の両親を殺した男と、デパートで見た男が同一人物である可能性は、現実的に考えると無い。十一年の歳月があるのだ。ほとんど体に変化がないのはおかしな話。

 

考えていても仕方ない。ともかく今はこのムカムカした気分を払いたい。せっかく昨日は楽しい気分だったのにと思いつつ、洗面所で顔を洗う。

冷たい水が目を覚ましてくれる。目が覚めて頭が冴えれば、この後やるべきことが見えてくる。

 

「……昨日は本当に不自然な点が多かった」

 

まず午前中。何なのか全くわからない組織からの襲撃、そのあとのマグナスによる救援。最後には行った先のデパートでの爆発事件。

間違いなく宝姫咲輝の周りで起こっている。だが最後の爆発事件に関しては、一概に咲輝が狙われたとは言えない。大きな騒ぎにはなっていたが、だったらデパートの中で爆発させた方がいいし、外に誘い出したかったのならばあの後なんの音沙汰も無かったのは不自然だ。

 

そしてなにより、マグナスが出てこいと言ったあの瞬間。何かあるようには見えなかった。人影は無かったし、マグナスの言葉に反応を示しても居ない。

 

「……あーもうわかんねえ!」

 

頭を抱え興奮するも、鏡に映るその姿を見たらなんだかアホらしくなって、冷静に考える。

こうやって悩んで迷っていたら、取り返しのつかないことになるというのは、宮里由美の件で学んだ事だ。何か行動を起こさなければ。と思うものの、具体的な案は浮かんでこなかった。

 

「とりあえず、行ってみるか」

 

まずは昨日の午前中、最初に襲われた地点、言ってしまえば咲輝の家まで向かうことにする。さすがにこんな早朝から起こすつもりは無い。ただ昨日襲われた現場を見てみるだけだ。何かあるとも思えないが、ここで悩んでいるよりはいい気がした。

 

そうと決まればと寝間着から普段着へ着替える。財布をケツポケットに、携帯電話をズボンの左ポケットにツッコミ、それだけで準備が完了する。

履きなれたスニーカーを履いて、扉を開き──

 

「ったぁ!?」

 

半開きになったドアの向こうから、そんな声が聞こえた。しかもなんだかつい最近聞き慣れ始めている声の様な気がする。とりあえずゆっくりと扉を開き、声の主を確認すると。

 

「さ、咲輝!?」

「……お、おはようございます、鈴木様……」

 

恐らく先程のドアがヒットしたのであろう額を抑えて、半分涙目な咲輝が居た。

 

「あ、悪い、気が付かなくて……大丈夫か?」

「……はい、問題ありません」

「でも、赤くなってるし……ちょっと触るぞ」

「へっ……!?」

 

額とはいえ、女性の顔に腫れを作ったかもしれない。なんて言うのは容認できない。確認する意味合いも込めて、数馬は優しく咲輝の額を撫でた。

 

「腫れては居なさそうだけど……念の為冷やしとくか」

「だ、大丈夫です鈴木様!」

 

首を振って数馬からの提案を拒否した。冷やさなきゃいけないのは額じゃなくて頭になってしまいそう。

 

「そっか。痛んだりしたらすぐ言ってくれよ」

「はい、ご心配をお掛けします」

 

冷静さを取り戻し、ペコリとお辞儀する咲輝。彼女の動作は礼儀正しいお堅い物ではあるが、その動作を滑らかにこなす。会ったばかりの頃はお嬢様感が滲み出すぎているせいで仲良くできるか不安であったが、今ではその懸念が馬鹿らしくなるくらいの仲になっている。

 

「それで、こんな朝早くからどうしたんだ?」

 

それくらいの仲になっているとは言えど、朝の五時半に予定もなく会う間柄でもない。多分、付き合いたてのカップルでも朝の五時半に押し掛けるのは困惑される奴である。

 

「そうでした、鈴木様、こちらを見てください」

 

言って、咲輝は携帯電話の画面を数馬の方へ向けた。

 

「……えーと、咲輝?画面、暗いままになってる」

「えっ、も、申し訳ありません!」

 

あたふたしながら携帯電話を操作し始める咲輝。最近の携帯のロックは魔力認証タイプが主流。手に持てばそれだけで画面のロックは解除されるのだが、なんだか上手くできていないようだ。

 

「(まっ、咲輝は一人で居ることが多かったみたいだし、仕方ないことなのかもな)」

 

いつも慣れている動作も、誰か他の人となると全く別物になるなんていうのは、よく聞く話だ。

 

「お待たせ致しました!こちらをご覧下さい!」

 

今度は問題なく見えている。これはメールか何かだろうか。四行ほどの文字列があるだけで、何か重大なメールというわけでは無さそうで──

 

「……っ!?」

 

文章を良く読むと重大なメールだった。しかも今後の予定が埋まりきってしまうような、そういうメール。

内容はこうだ。

 

『咲輝、今回君の周りで起きている件について話がしたい。翌朝、ホワイト地区の廃墟となった遊園地へ来て頂けるだろうか。もちろん一人では不安だろう、信頼の置ける人物を連れて来てくれて構わない。久し振りに君の顔を見れる事を楽しみにしている。 黒鎌帝より』

 

 

全て読み切ると、もう頭がクラクラしてきた。廃墟の遊園地、黒鎌帝、この二つの単語でもうお腹いっぱいで気持ち悪い具合だ。

 

廃墟の遊園地は、数馬が一度死んだ場所。

黒鎌帝は既に死亡している一代前の王の名前。つい最近、王族について調べたから知っていた事だが、その死亡したはずの王の名前がそこに乗っていて、かつ咲輝と知り合いな様子が文章から読み取れる。

 

「咲輝、これを見せてくれたってことは」

 

真剣な顔で数馬は咲輝に問う。それに対して、咲輝は数馬の目を真っ直ぐ見据えて口を開いた。

 

「……鈴木数馬様、あなた様を危険に晒してしまう事、そして、あなた様に大切な事を伝えていないのを承知して、お願い申し上げます」

 

大切な事を伝えていないと咲輝ははっきりいった。黒鎌帝との関係や、宝姫の心臓の話だろう。そんなことは数馬でも予想が着く。そして、それは新世界そのものの裏に関わる事だろう。

数馬は知っている。新世界は深く暗い闇を持つ事を。

 

神の存在、廃墟の遊園地、外界の魔物アバターによる極術師のクローン、そのクローンを誰にも気付かれることなく誘拐か殺害かをした誰か。

そして、十一年前に両親を殺害したあの男。記憶を弄るなんて極術師は存在しない。

 

およそ、一介の下位術師が関わっていい世界じゃない。

 

「私と一緒に来て頂けませんか」

 

言って、咲輝が頭を下げる。それを見て数馬は──

 

「おう、任せろ」

 

当然、頷く。

断る理由ならいくつもある。関われば命に関わる。受けるメリットなんて何も無い。

 

知り合いが自分を信じて助けを求めた。それだけで、鈴木数馬は命を賭けられる。

 

「じゃ、早速行こうぜ」

「はいっ!」

 

扉に鍵をかけ、数馬と咲輝は歩き出す。敵の本拠地に向かうとは思えない歩みだし。およそ暗い闇に向かっている様には見えない。

 

 

 

 

 

そんな事を思いながら、亮は数馬の住む学生寮の屋上から二人を監視していた。

 

「……どうなることやら」

 

いざとなれば手を出さなきゃいけないのだろうか。とも思いつつ、亮も二人の追跡を始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

廃墟の遊園地。かつてはホワイト地区にただ一つの遊園地として栄えていた。

だが新しい遊園地が建つことと、保有するアトラクション等の数が少ない事から潰れる事が決まった。

かと言って早々に更地にして何か建てるような計画もなく、規模が規模なため解体業者がそう簡単に決まることはなく、とりあえず国が土地を買い取ってそのままになってる。一応、来年か再来年には解体作業が始まるとの話もあるが──

つい最近までは、インターセプターと呼ばれる組織がその遊園地の一部を拠点として使用していた。彼らは国の一部のお偉いさん方が秘密裏に組織した者達であり、主に表沙汰にできない事件や人物の追跡や調査等を担っていた。

だが組織のトップが行方不明になり、今回の騒動に至る。

 

行方不明になった件は数馬も知っている。何せ当事者なのだから。

 

「(……またここに来ることになるなんてな)」

 

前回は夜に来ていたので、不気味とだけ感じていた。しかし今見ると違った感想抱く。

 

錆び付いたジェットコースターのゴンドラ。メリーゴーランドの黄ばんだ白馬。朽ち果てた看板。椅子も机もなくなった食堂。

諸々が朝の柔らかい日差しに照らされ、哀愁を漂わせている。

 

「……こちらです」

 

咲輝はそんな遊園地には目もくれず、ただ一点に向かって歩いていた。

 

「場所が分かるのか?」

「……はい、以前、教わっています」

 

どういうことかと疑問に思いながらも、それが伝えられない大切な事なのだろうと理解して咲輝に着いていく。

 

三分ほどで咲輝は足を止めた。正面にあるのは劇場の様だ。建物の上部には大きな電光掲示板があって、その右側に「本日の演目」と書かれた看板がある。

所々傷んではいるが、新世界には強風や大雨なんて存在しないため、比較的綺麗な外観を保っている。

 

「参りましょう」

 

そう告げて咲輝は劇場の中へ進んで行く。自動ドアは開いていた。電源が入っていないため、自動で開くことは無いから、誰かが手で開いたのだろう。確かに、人が通ったような形跡はある。

 

ドアを潜ってから受付を抜け、舞台の方へ進む。舞台は床、壁、天井が真っ白だった。恐らく全てがスクリーンになっているのだろう。どういう劇をやっていたのかは分からないが、臨場感溢れるものになっていたに違いない。

 

「あれ、咲輝どうした?」

 

数馬が辺りを見渡していると、観覧席の最前列辺りで咲輝がしゃがみこんでいるのを発見した。

 

「確かこの辺りに……ありました」

 

咲輝がそういうと、カチッと何かを押し込んだような音がした。

 

「なんだ?今の」

「少し待っていてください、今、道を開きます」

 

言って、咲輝は今度は壇上へ上がる。それから壁の中央を探すように触り始めた。

 

「えっと……はっけん!」

 

なんだか楽しそうな咲輝の声が聞こえて、再びカチッと音がする。

今回はそれだけでなく、遅れてゴッ!という音がした。

 

「なんだなんだ?」

 

何が何だか分からない数馬は困惑する。いきなり白い床と壁をまさぐり始めて、廃墟であるはずの施設で異音を耳にすれば当然だ。

 

「鈴木様、後ろをご覧下さい」

 

咲輝に促されるまま振り返る。パッと見ただけでは分からなかったが、確かに、変化があった。入口の辺りに、下に向かう階段のようなものが出現している。一定の手順を踏むことで現れるのだろう。それが咲輝の行っていたよく分からない行動の理由。

 

「そこを降りていけばいいんだな」

「はい、その通りです」

 

数馬の確認に咲輝が頷き、数馬は階段の前で咲輝が壇上から降りて来るのを待つ。階段はかなり地下深くにまで繋がっているのか、現在の位置からでは底が見えない。

こうなってくると、先程までの廃墟への哀愁なんてものは消え去った。この先に何が待っているのかという緊張感が勝る。

 

「鈴木様、こちらの階段を降りてしまえば、もう後戻りはできません」

 

数馬の傍に来た咲輝が忠告を始める。ゲームならばここがセーブポイントだろう。引き返す事は出来ない。新世界の闇にもう一歩踏み込む事になる。そして踏み入れたらもう後戻りはできない。

 

「鈴木数馬様、本当に、着いてきて頂けますか?」

「もちろんだ」

 

これはゲームではない。セーブなんて出来ない。それでも数馬は間髪空けずに「はい」を選ぶ。

 

「……ありがとうございます。では」

 

咲輝が最初に階段へ踏み入り、それに数馬が続く。この先にあるのは非日常。本来触れる必要もなく、見ることの無い闇。それでも二人一緒であるならば、暗い闇の中でも進んで行ける。

咲輝も数馬も、ただそんな気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

階段を降りきると、暗くてよく分からない部屋に出た。携帯電話のライトの機能を使って辺りを見渡すと、楽屋か何かだったのか、椅子や机、鏡に劇で使っていたのだろう小道具の詰まった箱などがある。

楽屋にしては出入口に大仰な仕掛けがあるのはどうなのだろう──それは置いておき、更に扉を発見した。

ただ、その扉だけはここの風景に合っていない。なんというか、後から取って付けられた様だ。

 

「なんか、やたら焦らすなぁ……」

「も、申し訳ありません。この次の部屋が最後ですから」

「えっ、なんで咲輝が謝って……ていうかそんな事知ってんの!?」

 

先程のスイッチといい、なんだか知りすぎな気がする。が、まぁそれも伝えられないことの内に入っているのだろうと──

 

「昔はよくこの楽屋に来ていたので」

「……そうか」

 

特に入っていなかったらしい。普通に教えて貰えた。どういう理由で彼女が関係者以外立ち入り禁止な区画に出入りしていたのかは不明だが、これが最後だと咲輝は迷いなく言いきった。この扉の向こうに、何かが居る。

 

「この扉、どうやって開くんだ?」

「少々お待ちください」

 

数馬の質問にそう返して、咲輝が扉に近付くと。

──ピピッ

という電子音と共に、扉が開いた。

 

「電源が、生きているのか……」

「ここだけ特別に。です」

 

ここまで来てやっと実感が湧いた。自分が体験してきた新世界の闇と遜色ない闇がここにはある。

それから咲輝が先陣を切って歩き出す。扉の向こうは暗くて良く見えない。それでも咲輝は迷いなく一歩を踏み出して──

 

 

パチッ。と、電気がついた。

 

「っ!?」

「きゃっ!?」

 

突然の光に目がついていかない。頭が痛くなるほどではないが、一瞬視界がホワイトアウトする。

しかし、暗闇に居た時間もそう長い訳では無い。視界は直ぐに回復していき、そしてそこで数馬は異様な光景を目にした。

 

「なんだ、ここ」

 

そこには、机と反対側を向いている椅子があるだけだった。あれだけの騒ぎを起こし、黒鎌帝を名乗る者なのだから、パソコンやら書類だらけの部屋だと思っていた。それが実際は何もない。

およそ人が住めるような環境でもない。部屋は楽屋よりいっそう寒いし、ベットだって見当たらない。

 

「驚くようなことでもあるまい。地位と名誉を失った者にはこれくらいが相応しい」

 

声が聞こえた。前方。反対側を向いている椅子。そこからだ。

 

「よく来てくれた、咲輝」

 

椅子がクルリとこちらを向く。

 

「あんた……本当にまさか」

「お久しぶりでございます。黒鎌帝様」

 

その顔を見たことがないものなんて、新世界には早々居ない。

 

「本当に久しい。大きくなったね」

 

歴代で最も無能と言われた元新世界の王が、そこに居た。

 

「……どういう、事だ」

 

六年前に死んだはずの王が生きていて、しかもこんな所にいて、二人が知り合いで──全く意味がわからない。

 

「どういう事だと?それを聞きたいのはこちらだ」

 

なぜか、数馬は明確な敵意を向けられた。背筋が震える。王がなんの力も持たない存在だというのは数馬も知っている。だが、この圧力はなんだ。

絶対に勝てない不変の存在。そういう圧力を感じる。どこぞの神とはまた違った圧力。それに潰されそうで、身動きが取れなくて。

 

「全く、寄りによって男を連れてくるとは。咲輝、今日、私はこの男をぶん殴ればいいのかな」

「あ、あの帝様!?それはどういう」

「自分が面倒を見ていた子が男を連れてきたのだよ。育て親として取り敢えずで一発殴っておくのが礼儀というものでは無いかね?」

「ち、ちち違います帝様!!鈴木様とはそういう関係ではありません!!」

「しかし、私は信頼しているものならば連れてきていいと言った。別に一人でなくとも構わないのだがね。それでも君が一人の男を選んで連れてきたと言うことは──」

「わー!わー!わー!!」

 

状況が全く呑み込めない。

 

「(……俺は新世界の闇の底に来たのでは???)」

 

自分のいる位置が全く掴み取れない。出発前とか、そこの扉を入る前の覚悟とかが虚しくなってくる。

 

「さて、楽しいお話は後にして、早いところ本題に入ろうか」

 

言って、帝のまとう空気が変わる。明確に変化する。一気に空気が重くなり、咲輝も数馬も、表情が強ばる。

これが王。たとえ歴代で最も無能だと世界に言われようとも、彼の本質は王だ。

 

「まず、咲輝とそこの君──名前を教えて貰えるかな」

「……鈴木数馬だ」

「…………そうか、君が。分かった、咲輝、数馬君、二人に約束して貰いたい。ここで聞いたことは誰にも話さないで欲しいと」

 

まるで。子供に内緒話を始めるような、そういう感じ。

 

「もし話したら?」

「私が困る」

「口を割ったら殺すとか」

「それは私の見る目がなかっただけだ。咲輝と、咲輝が信頼すると連れてきた者を、私は信じている」

 

理屈は通らない。そんなもので本来は人を信じるには値しない。ましてやついさっき会った者に対して向ける言葉ではない。

それでも、それが出来てしまうのも彼が王たる所以か。

 

「よろしいかな?」

「もちろんでございます」

「……分かった」

 

帝の確認に、二人は頷く。

 

「まず私の目的は安定装置の破壊だ」

「「っ!?」」

 

端的に。有り得ない事実が伝えられた。

安定装置は、もうこの新世界を運営していくに、なくてはならないものである。この世のありとあらゆるものを精査するに必要。

安定装置が無ければ早い内に新世界は滅びるとさえ言われている。それだけこの世は安定装置に頼りきりだ。

そう聞くとあまりいい物には見えなくなってはくるが、安定装置があるからこそ稼働してから大きな不況など、世界中の物が不幸になるようなことが無い。

 

世の中を少しでもより良く安定していられる装置。そのキャッチコピーに違わない成果を見せている。

 

「そのために、咲輝の力が必要なのだ。だからこうして交渉し、力を借りたいと思っている。……いや、居たのだ」

 

二人が知り合いならば、最初からあんな風に襲う必要なんてない。どういう事かと問いかけるまでもなく、帝が続ける。

 

「私は自分の死を偽装し、安定装置破壊のためにとある組織を使ったのだが、その組織がトップを失ったことで裏切った。ちょうどこの廃園を拠点にしていた者なんだがね」

「(……すげえ心当たりある)」

 

脳裏に、鼻歌まじで人一人を消し飛ばした女の子が浮かんだ。

 

「私の邪魔をしたいのか、はたまた私のために動いてくれているのか分からない。だが咲輝を拉致しようと動いてしまっていた。護衛は信頼のおける者に頼んでいた。心当たりがあるだろう」

 

マグナス・スローンの事だろうと考えた。確かに、護衛として彼の右に出る者は居ないだろう。新世界の頂点なのだから。

 

「暴走した者達はやっと落ち着いた。だからこうして咲輝を呼び出し、交渉を──いや、そんなことよりもまずは咲輝、君はもう狙われない。それを伝えよう。本当に申し訳ない」

帝が頭を下げる。心が籠っているかとか、偽りはないかとか、考えるまでもなく、帝は謝っていた。

 

「頭を上げてください、帝様。あなたは人に頭を下げてはいけません」

「……私はもう王ではない。私が頭を下げたところで、私を信じて着いて来てくれた者の尊厳を踏み躙る事は無いのだよ」

 

全てを失った。地位と名誉と、自分が守りたいもの全て。だが数馬はそれが引っかかった。

 

「……あんたは自分に無能のレッテルを貼った安定装置を破壊したいのか」

「違う。もう二度と、誰かが誰かの犠牲にならなくていい世界を作るためだ」

「……どういうことだ」

 

意味がわからない。そういう世界にしなくていいために安定装置がある物だと、数馬は、いや、新世界に生きる全ての者が思っているだろう。

 

「安定装置は、長期的に安定を約束する。たとえ、今を生きる者を踏み躙ってでも。世界にプラスがあれば、それと等しいマイナスを作ることで安定する。逆にマイナスがあれば、プラスを作ることで安定する」

 

少しを間をあけて、帝は補足した。

 

「たとえばそう、寂しくて辛くて、それでやっと居場所を得られた極術師のクローンなんていい例だ」

「……そういうことかよ……」

 

その話を受けて、今自分が新世界の闇に両足を突っ込んでいる事を再認識する。

宮里由美。極術師宮里由紀のクローンで何者かによって拉致され行方のわからない女の子。由紀や自分と一緒に、これから新世界で生きていく覚悟を決めて、前を向いた女の子。それが今ここで出るとは思わなかった。

 

「……けれど、安定装置は所詮機械です」

 

咲輝が最もな言葉を紡ぐ。ただの大きなコンピュータであることは、もちろん新世界の者が把握している。セントラルタワーの地下に存在している事も併せて公開されているのだ。

 

「安定装置を壊すことだけならば誰にでもできる。電子上での破壊は難しいが、物理的に、ハンマーでも持っていれば子供でも壊せるだろう」

 

ならばわざわざこんな大それた事をしなくても──

 

「守る者が問題だ。安定装置の守護者が、この新世界の闇の頂点が」

「……闇の、頂点?」

 

王ではないかと思った。表も裏も王が管理しているのではないかと。

なにせ極術師のクローンなんて者さえ知っているのだ。世間に公開できるはずもない闇。

 

「魔人、と呼ばれる存在がある。たとえこの新世界の全ての人間が一致団結し、力を合わせて全員で襲いかかろうと傷一つ負うことなく、缶コーヒー片手に全員虐殺できる化け物が」

「スケールがデカすぎてよく分からないんだが」

「そうだな……クローンだろうと極術師絶対零度。それを一瞬で無力化できる存在がソレだ」

 

言われて。分かる。

 

「咲輝、それを抑えるために。君の心臓を貸してほしい」

 

話の全貌をやっと把握する。咲輝が話せないと言った大切な事。それが、今回の件の全て。

 

「私と共に、今の新世界を壊してくれ」

 

かつて。この新世界を心から愛し、人々の頂点から全てを守ろうとして、それを奪われた男。彼の復讐劇。

数馬はそのスタート地点に、今立った。

 




あともう一話鈴木パートです


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準備

「(……ンー)」

 

先日ナナシと通話した時に感じた違和感。「インターセプター」のリーダーが拠点の廃園で行方不明になったという話。その違和感が今晴れる。

 

「(本当にお前は……)」

 

拠点の廃園で行方不明。冷静に考えると意味がわからない。なぜ拠点で行方不明になったのに今まで違和感がなかったのかと。これは恐らく彼女がここに居る黒鎌帝について誰にも知られたくなかったからなのだろう。

そこはいいと割り切る。よろしくない点は。

 

「(色々とガバガバ過ぎんだろ)」

 

今この瞬間まで「鈴木数馬と七尾真衣がインターセプターのリーダーをこの世から消したという事実を魔人に知られない」運命を決定していたのだとして、行方不明の違和感について神の介入があったのは今となればよく分かる。

まぁ確かに、もっと前の段階で彼女が廃園に現れていたとしたら、一人で隈無く廃園を捜索していた自信はある。彼女に繋がる微かな手掛かりがあるかもしれないのならば、それだけで世界だって壊せるのだから。

そうさせないためにこういう設定にしていたのだろうが……

 

「(まぁ、仕方ないか)」

 

取り敢えず。

 

「やはり……目的は私の心臓になるのですね」

「……咲輝の心臓って?」

「それは、私の口から説明して構わないかな?」

 

今は自分の目の前で繰り広げられている、三人の話の内容に耳を傾けている方がいい。

 

「(……早く終わんねえかな)」

 

体を気体にしているせいで耳──は無いのだが、耳を傾け、それでも興味があるわけでもなく。暇な時間を潰すためのBGMとして黒幕の計画を聞き、ただただ時間が過ぎ去っていくのを待つのだった。

 

 

 

 

 

「待ってくれ、咲輝の心臓には宝石が着いてるってだけの話だろ。なんでその魔人ってやつを抑えるための手段になるんだ」

 

宝姫家の長女の心臓には宝石がくっついている。それはこの世界で周知されていることのはずだ。

 

「咲輝から聞いていないかい?その話は偽りだと」

「なんだって?」

 

数馬が確認するように咲輝へ視線を送ると、小さく首を縦に振った。

 

「咲輝の心臓に宝石がついてはいない。宝石が心臓なのだ」

 

帝の言葉に、数馬は疑問符を浮かべた。

 

「宝石が心臓って事は……じゃあなんだ、咲輝は心臓を持ってなくて、代わりに宝石があるってことか?」

「その通りだよ」

「っ……」

 

数馬としては冗談で言ったつもりだった。

人は心臓を持たなければ生きていけない。そんなことは子供でもわかる前提事項。

それがひっくり返ってしまっているのが、宝姫咲輝という人物らしい。

 

「咲輝の心臓は宝石が果たしている。そして、その宝石が少々特殊でね」

 

少し間をあけて。

 

「血に触れさえすれば無限に魔力を生成し続ける」

 

どこか。苦しそうな表情で言った。

 

「魔力って、元々人の体にあるもんだろ。人の代謝みたいな要領で手に入るんじゃないのか」

「厳密には違うのだ。その方法では魔力が回復するだけだ。筋肉と同じだよ。休めば酷使された筋肉は回復するだろう。咲輝は違う。血が流れれば流れるだけ、筋肉が増えていく」

「……私、女子なのですが」

「すまないね。適切なたとえが他に見あたらなかった」

 

帝と咲輝がそんなやり取りをする中、数馬は言葉を失っていた。帝の話が本当ならば、咲輝はこうしている今も魔力を生み出し続けていることになる。

 

「それじゃあいつかパンクするんじゃ」

「この話を聞いて、そちらの疑問を先に聞いてくる辺り、さすがは咲輝が信じた人だね」

「……数馬様、私は直ぐに魔力が外に漏れ出すため、体が魔力で溢れることはありません」

 

咲輝の補足に、数馬は肩を降ろす。魔力を大量に持ちすぎると、外界の魔物のように凶暴性が増すという話を聞いたことがあった。

 

「ここで本題だ。私は咲輝を一度とある装置に入れて、心臓から流れ続ける魔力をこの身に受け続ける」

「なに……?」

 

ここで。一気に帝が怪しい者に見えてくる。

 

「魔力を宿し続けて力を得る。そして、安定装置の守護者、魔人と相対する」

 

王族は魔力一切持たない。だから魔術を扱う上で咲輝から魔力を貰い受けようという話なのだろう。そのために咲輝を得体のしれない装置に放り込むという。

 

「それで咲輝はどうなるんだ」

「全てが終わるまで、その装置の中で眠っていてもらう。咲輝が死ぬことは無い。全てが終わったら、今まで通りの生活ができるようにはなる」

 

ここで数馬の中の何かに引っかかった。

 

「待てよ。後の安全が保証されてるからって、咲輝をモルモット扱いする気か」

「そういう風に捉えられてしまっても仕方あるまい」

 

数馬の言葉でも、帝の表情が変わることは無い。その通りだと、隠すつもりもない様だ。

 

「……咲輝、行こうぜ。わざわざこんな話に乗ってやるまで」

「いいえ、鈴木様。私はこの話、受けようと思います」

「えっ」

 

数馬が差し出した手を、咲輝が振り払った。

 

「鈴木様、少し昔話になるのですが、私は親の事を覚えていません。私が物心着いた頃には、二人とも亡くなってしまいました」

 

数馬へと視線を向けて語る。今まで触れたことのなかった咲輝の話を、数馬も心して聞く。

 

「この心臓のせいなのかは分かりません。その頃の私には自分の心臓の価値が分かりませんでした。色んな人のお力を借りて、成長し、やがて自分に、宝姫家のこの呪いについて知りました。当然です。どんな場所へ行っても、私が宝姫の者だと知られれば、一人になってしまいますから」

 

宝姫の表立った事情は新世界で周知されていることだ。宝石という、この世で価値のあるものを抱えている少女。好き好んで近寄ろうとする者はそうそう居なかったのだろう。

子供だって、親に言いくるめられるとかで離れていくのも頷ける。

 

「そんな時、なんの混じり気もなく接してくれたのが帝様です」

「……」

 

帝も黙って咲輝の話を聞いていた。

 

「彼は私に色んなことを教えてくれました。この心臓の本当の価値もそうです。ただ寂しかった私の傍に居て、人の暖かさを教えてくれました。今でも忘れません。人はみな自分の人生という物語の主人公だ。諦めてしまったら、そこで物語は終わってしまう。だからどんなに辛くても、希望を捨ててはいけない。きっと、それを見て、分かってくれるものが君に手を差し伸べてくれると」

「……受け売りだがね」

「それでも私は救われました。そして巡り会えたのです」

 

言って、数馬に微笑みかける。

 

「鈴木様、貴方様は私に手を差し伸べてくれました。ですが、本当の、一番最初は帝様が手を引いてくれたのです。その手の恩を返せるのならば、私は、この心臓を差し出す事くらいやってみせます」

 

咲輝の瞳。そこには強い覚悟が宿っている。数馬はその瞳にどこか見覚えがあった。

 

「(……あの時の、由紀と同じ……)」

 

宮里由紀が宮里由美を助けて共に生活をしていくと、守っていくと決めた時の瞳。何を言っても聞かない、女の子の覚悟が宿った瞳。

 

「……説得は、できそうにないな」

「申し訳ありません、鈴木様」

 

ペコリとお辞儀をして、咲輝が謝罪する。

 

「黒鎌帝」

「なにかな」

 

咲輝の覚悟を覆すことは出来ない。であるならば、数馬が言うことは一つだ。

 

「咲輝をちゃんと返せよ。咲輝の物語は、まだ終わりになんかならねえ」

「当然だ」

 

帝の方もそうだった。咲輝と同じ、覚悟を瞳に宿している。

 

「ここに宣言しよう。この安定装置というふざけた物に支配され、犠牲が認められている世界を変える。そして、たとえ私自身を犠牲にしようとも、宝姫咲輝の物語はまだ終わらせない」

 

確固たる意志を持った約束をして──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まだ続けんのかよこれ」

 

結構続きそうだったのを見越した亮は、聴覚だけ先程の部屋に置いてきて、劇場の屋上で喫煙していた。

なんだかんだここで戦いになる気がしていたのだが、予想が外れ、なんだか二人で固い約束を交わしていた。

 

「人は自分の人生という物語の主人公。間違って受け取られたみたいだな」

 

以前、亮が帝に投げ掛けた言葉の真意はそれじゃないのだが。

確かに、帝の受け取り方の方が夢があっていいんじゃないかと訂正する気にもなれず、取り敢えずただただ煙を味わっていた。

 

「自販機でもあればいいんだがな」

 

当然廃墟の遊園地に生きた自動販売機などあるはずもない。タバコには缶コーヒーと亮の中で決まっているのだが、今回はタバコだけで我慢するしかないようだ。

 

「にしても、俺も随分過小評価されてるもんだな。たかだか無限の魔力程度で抑えられると思ってんのか」

 

宝姫家の心臓を利用して無限の魔力を得る。発想自体は悪くないが、自分という存在と相対するにおいて、魔力なんてものは意味を持たない。無限に魔力があろうと神聖に叶うはずがないのだから。

 

そんなことは亮が身をもって知っている。

 

「まぁいい。帝を止めるのは、どうせ俺の役目じゃないからな」

 

黒鎌帝、前国王の企みは鈴木数馬が止めるはずだ。現状で二人はなんだか分かり合えてしまっているようだが、確かシェイカーが開発していた魔力を流し込む装置は、宝姫の心臓を入れるの専用で、心臓しか入らないはずである。

人工血液を通すことで心臓の効力を最大活用し、魔力排出用のチューブを人にくっつけることで、永遠と魔術を打ち続けられる固定砲台にするための装置だったはずだ。

魔人の取り込み、分解の特性を手に入れれば、その装置ごと体に取り込むことで無限の魔力も夢ではない。

 

それさえ知れば、数馬が帝と相対する流れになるはずだ。

 

「(……つーか、まだ出てこねえのかよ)」

 

三人で今後の作戦について話しているのが聞こえる。どうせその期間中は外界遠征に行っているので、特に亮には関係の無い話だった。

 

「……はぁ」

 

ため息と共に、紫煙が空を舞う。そこそこ登ってきた日差しが、どうにも憂鬱だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

完結に言うならば、五日間で何事も無く宝姫咲輝の護衛は終了した。問題だったインターセプターも来ることなく、黒鎌帝との話以降は本当に何も無くない終わった。

帝と咲輝が合流するのは外界遠征が始まってからの様で、その期間は亮も外界に出ているため、もうこの件に首を突っ込む事は無いだろう。

 

「ンー」

 

そんなわけで、もう護衛は要らないというナナシの命令により、亮は帰路に着いた。悩みの種は明後日の外界遠征だ。

 

帰還の命令が出た時、ナナシが発言した事だが、どうやら外界の拠点に巨人が出現したらしい。

巨人と言っても、身長は20m前後。確かに大きいが、そこまで強い類の魔物では無かったはずだ。亮の基準で言えばそこら辺の雑草を踏むのと大差ない手間で殺せる存在ではあるらしいが、ナナシ曰く、明後日は極術師による乱戦になると踏んでいるらしい。

 

「(そこまで強くなっているわけがないんだがな……)」

 

正直、マグナスどころか宮里由紀の火力で十分瞬殺できるレベルの存在だと思う。乱戦になるほどの敵ではない。だが、ナナシの談ではマグナス一人でもだいぶ時間がかかるとの事。

つまり亮はなにか裏があると踏んでいるのだ。

 

「(まぁ、行ってみれば分かることか)」

 

明日の朝、亮は極術師達より一日先に旧世界へ向かう事になった。目的は先んじて巨人を始末しておくこと。と言っても全滅させる訳ではなく、二、三体残しておく必要はあるそうだ。巨人のような目に見えて強そうな存在を自分達の手で撃破できれば、自信もつくとの事。ただ自分の知る限りの極術師達にはそういう願掛けのような物は必要ないと考えてはいる。

 

路地を右に曲がり、数歩進んだところで足を止め。

 

「と、そろそろいいか?」

 

先程から自分に着いてきている者に声を掛け、振り向いた。

わざわざ遠回りの路地に足を踏み入れたのもそのためである。

 

「やはり気が付いていたか」

 

声を聞かずとも、誰が着いてきていたのかは分かっていた。

マグナス・スローン。青いコートに身を包んだ彼がそこに居た。

 

「なんか用か。宝姫咲輝の件なら終わったと連絡があったはずだろ」

 

ナナシに頼んでマグナスへ連絡が入れて貰ったのだ。

 

「あぁ、連絡は受けた」

「ならストーキングされる理由はないと思うんだがな」

「本当に、そう思っているのか?」

 

確かに、ストーキングした上で攻撃される心当たりならある。が。

 

「当然だ」

 

もちろんシラを切る。回避できるなら回避するに越した事は無いのだ。

 

「……先程、名もなき者から連絡を受けた際、電話口から深淵の声を聞いた」

「……あぁ」

 

シラを切った甲斐があったようだ。彼の育て親殺害の件で無いのならば戦う必要はないだろう。

だが愛菜が関わっているとなると、これはこれでややこしい問題ではある。特に出自関係なんてどう誤魔化せば良いのやら。

最悪の場合はこの場でマグナスの頭を弄って忘れさせる事も念頭に入れた。

 

「貴様は深淵と繋がりがあるのか?終わったから帰るとかなんとか聞こえたが」

「(あのバカ……)」

 

仕事中に彼女からの連絡を無視していたのが誤りだった。わざわざナナシの所に行っていつ終わるのか確認に行ったのだろう。そのタイミングでマグナスとナナシが通話をしていたらしい。

 

「いや待てよ、なんでその話の内容で俺に繋がるんだ」

「宝姫咲輝の件以外でそのタイミングに終わる仕事など私が認知している物は他にない。加えて、名も無き者が直接噛んでいる。それは国の機密事項に当たる事がほとんどだ。であれば、国の機密である貴様を連想するのは必然。更には原初の魔術師深淵が帰るとまで繋がれば」

 

誤魔化そうと思ったが無理そうだと諦める。さすがに新世界の頂点にここまで知られると逃げ道はない。

 

「……もしそうだとして用件は?」

 

上手い具合に誤魔化すには、用件を聞いてそれを叶えてやり、借りにして黙っていてもらう他ないだろう。幸い口は固そうだ。

 

「……うむ、彼女に……会わせて欲しい」

「………………ン?」

 

とりあえず目を疑った。新世界の頂点と謳われる炎の大男、ブラスターことマグナス・スローンが目を伏せて愛菜に会わせて欲しいと言ってきたのだ。

 

「会わせて欲しいって、愛菜……深淵にか?」

「そうだと言っている」

「(マジかよこいつ趣味悪いな)」

 

亮は鈍い男ではない。マグナスが愛菜に好意を寄せた上で会わせてくれと言っているのは分かる。

だが同時に、どう足掻いてもマグナスの想いが成就しないのも理解している。

自惚れではなく、愛菜は自分以外の男性に興味を持っていない。なんなら男性のみならず、一緒に住んでいる八代や優衣以外の存在に興味を持っていないだろう。嫌っているという点を含めるなら鈴木数馬の存在があるが、なんにせよマグナスに希望があるとは思えなかった。

 

「一目でいい!軽く挨拶ができる程度でも構わない!!」

 

ガシッと亮の手を握って頭を下げるマグナス。

 

「落ち着いて俺の手を離せ」

 

そう窘めるとマグナスは手を離したが、なんともこの前会った人物とは別人だった。テンションが上がるとこうなってしまう質らしい。

 

「はぁ……わかった、愛菜に会ってくれるかどうか聞く」

「すまないがちょっとそれは……」

「なんでだよ」

「聞いたら会ってくれないだろう」

「コイツやべえ、面倒くせえ」

 

天下のマグナス・スローンの色恋ボケに辟易する亮。もしかして極術師って面倒なやつばっかりなんじゃないかと思う。

 

「それになお前、会うったってもう21時だぞ」

「む、確かに……こんな夜中に押し掛けるのも迷惑か」

 

どうやらプライドは捨てても常識は捨ててなかった模様で、亮は一安心した。わざわざ今顔を合わせなくても、明後日には嫌でも同じ潜水艦で旧世界へ赴く事になるのだ。その時に軽く話でもしてやれと、愛菜に伝えておけば解決する話だと────

 

「……最悪だ」

 

空に件の存在を感じ、呟いた。とてつもなく間が悪かった。

 

「みぃいつけたァ!!」

 

寄声を上げて空から愛菜が降ってきた。家に魔力がないと思ったら、どうやら闇の中から自分を探していたらしい。夜の闇から愛菜が飛び出て降ってきた。しかも一直線にこちらへ降下している。このままだと衝突してしまう。すり抜けさせるかどうか考えたが、マグナスがいる手前下手なことは出来ないので、魔力の壁を用いて止める事にした。

 

「あたっ……」

 

そこまで硬い壁にしてはいないが、それでも壁は壁。高いところから落ちて当たればそれ相応の痛みはある。

 

「危ないことしてるからだ」

 

ただまぁ、激痛が走ってる中でも空中で体制を整えて綺麗に着地する辺りは流石と言ったところだ。

 

「痛いよ!」

「なら普通に出て来いよ」

 

極術の無駄遣いを指摘すると、涙目で不満の表情を浮かべた。

 

「わざわざナナシの所まで行って…………あれ、ん?」

 

亮の隣のマグナスの存在に、愛菜はやっと気が付いたようだ。

 

「……図らずとも会えたじゃ……おい、どうした」

「……」

 

突然愛菜が現れたからか、マグナスは軽い放心状態に陥っていた。元々強面な顔であるがために、無表情のマグナスはなんかもう仏である。

 

「んー、思い出せない。誰この人」

「ブラスター、マグナス・スローン」

「あぁ、どっかで見たことあると思った」

 

本人を目の前にして何とも辛辣な言葉を向けた。だがそのおかげかマグナスも我に返った様で、その通りだと肯定した。

 

「んで、マグナスさん、亮に何か御用ですか?」

「いや、彼にではなく、君に。明後日に控えた外界遠征。事前の挨拶にと思ってな」

 

上手いこと理由を作ったものだと亮は関心していた。見かけによらず大分繊細な心と高度な思考能力の持ち主なのだろう。

 

「あぁ、なるほど。わざわざどうもありがとうこざいます。こちらこそ、明後日よろしくお願いしますね」

 

そう言ってペコリとお辞儀をしてから、純度100%の営業スマイルをマグナスへ送った。営業スマイルだと分かっているがために、亮は内心マグナスに同情していた。

 

「……先日、そこの彼とは拳を交えた。彼と君は?どういった関係であるか?」

「え、もちろん彼s……!?」

「兄妹」

 

躊躇いなく地雷を踏みに来たマグナスのために、せめて踏み抜かせまいと愛菜の口を魔力の手で無理やり塞ぐ。愛菜と恋人なんていう冗談は、二人の事を知っていれば有り得ないという結論に至る。だが傍から見れば二人は外見的には歳も近いし、何よりこのやり取りだって恋人同士なら別に無くは無いやり取りだ。

そこまで考えた上で愛菜の口を塞いだ。

 

「なるほど血縁者か。深淵の血筋と言うならば、存在が秘匿されている理由は分かる」

 

その甲斐あってかマグナスも納得したようだ。

 

「そういう事だ」

 

亮はすかさず肯定する。

 

「……!!……!!」

「それで彼女はなぜ先程から兄上の胸を殴り続けているんだ?」

「待て聞き捨てならない言葉が聞こえたぞ」

「何の話だ兄上」

「それだよなんだよ兄上って」

 

まだ二回しか顔を合わせていない人に兄上と呼ばれるのがこれほどにない複雑な心境だった。何万人以上の記憶を持っている亮でも初体験なので、心の底から戸惑う。

 

「深淵の兄であるのだろう。ならば兄上ではないか」

「いや、その理屈おかしいだろうが」

 

愛菜にマグナスに、思い返してみれば恩師の笹塚未菜も、宮里紀子もおかしいところがあった。極術師は術と引き換えに何かを失ってしまったのだろうか。

そう思う亮に、人のことを言えないだろうと突っ込む者はいない。

 

「し、深淵、よければこの後、明後日の作戦会議などどうかな?」

 

言葉が突っかかりながらも、愛菜を誘うマグナス。こっちの話は無視かよと亮は思いつつ、それでも誘う勇気を振り絞ったことを讃えた。が。

 

「いえ、結構です」

「…………そうか」

 

間違いなくこうなるとも思っていた。

ここでフォローして愛菜を行かせるかとも思ったが、五日ぶりに帰って来たわけなので、話すこともあるだろうと踏んでマグナスにはご退散願う事にする。

 

「まぁマグナス、嫌でも明後日共闘することになるんだろ。作戦だかなんだかもその時でいいんじゃねえのか」

「……ふむ、それもそうだ。すまない、邪魔をした」

 

分かってくれたようでマグナスは二人に背を向け歩き出す。哀愁漂う背中であった。

 

「…………なにあれ」

「やめてやれ。あいつは頑張った」

「どゆこと?」

 

鈍いのは愛菜であったようだ。愛菜の場合は鈍いというかそもそも興味が無いというのが正しいか。ともかくこれから努力しても悉くスルーされるであろうマグナスに同情しつつ、亮と愛菜は二人並んで帰路に着いた。

 

「なにか変わったことはあったか」

「特に何も無いよ。優衣ちゃんが壊滅的に料理がヘタクソだったことが判明したくらい」

「……まぁ、あいつも料理できなかったしな」

「あれだよね、自分よりできない人を見ると自信湧くよね」

「いい性格してんな」

 

今年で何度目だろう。育て方を間違えた罪悪感を感じた。

 

「亮の方はどうだった?」

「別に何も」

 

帝の件はわざわざ伝える必要も無いだろう。安定装置の物理的な守護は自分の仕事であり、愛菜には何の関係もない。百歩譲って鈴木数馬が負けて自分の出番が来たとしても、愛菜は絶対に行かせない。

微かな油断で魔人に取り込まれるような事がないとも限らないから。さすがに、愛菜を取り込んだ魔人を取り込んで、愛菜を自分の体から生成して出すなんてことはしたくない。

それくらい亮に取って愛菜は大切な存在だ。

 

「そんなこより、外界遠征について少しは考えたのか」

 

愛菜は外界遠征においても大きな制約がある。いつ見られるか分からないので、相手を闇に落とさない。つまりは影から奇襲を仕掛ける戦法しか使えないのだ。

これは愛菜にとって大きな負担だ。闇に相手を落とすことさえできれば、たとえ相手がなんだろうと、落とした闇の中に放置していればそれだけで勝てる。

その必殺の手が使えないわけなのだから。

 

「あ、思い付いたことあるんだよ」

「なんだ?」

「亮がたまに使う拳銃貸してくれない?」

 

というと一つしかない。笹塚未菜。自分を新世界に馴染むように育ててくれた恩師が託してくれた銃。たまに脅しとかで使う程度で、最近は使用していなかった。

というのも、昔は魔力を操作して相手を拘束する事が難しかったからだ。体を拘束しようにも、こちら側の人間は脆すぎて無意識に使うとスプラッターな事になってしまう。最初の頃はそれで何度かナナシを困らせたものだ。

だが今はその加減もわかったので、わざわざ銃で足を撃つなどをしなくていい。それで必然的に使用頻度も下がっていった。

ならば。

 

「やるよ」

 

言って、右手を黒く歪ませ、拳銃を取り出して愛菜に渡す。

 

「くれるの?やった……っておもっ」

 

片手で受け取ったら想像以上に重かったらしく、危うく落としかける。

大きなサイレンサーが付いているせいだろう。この銃は重量バランスも偏っている。真っ直ぐ撃てるようになるには、そこそこの筋力と慣れが必要だ。

 

「ンで、思いついた事ってなんだ」

 

しっかり持ち直した愛菜に尋ねる。

 

「えっとね……実演した方が早いかな。亮、的ある?」

「俺でいい」

「わかった!」

 

当てる先も確認したらところで、愛菜は銃の安全装置を解除し、亮へ向けて。ではなく、自分の足元に銃を向けた。

 

「ン?……そういうことか」

「えい」

 

亮が理解したと同時に、愛菜は引き金を引いた。

次いで、パスッ!と、軽い音が響く。

するとどうだろう、愛菜の足元、つまりはコンクリートに当たってそこで終わりのハズが、亮の頭に弾がヒットした。

 

「一度お前の領域を介して、当てる感じか」

「うん!」

 

元気よく返事をして、銃の安全装置を掛けてから拳銃を闇の中にしまう。

仕掛けはこうだ。まず、どこでもいいので闇に向けて弾を撃つ。一度闇の中に入った弾を、再び別の闇から取り出す。取り出す場所を敵の影とか、近くの暗い場所などに設定すれば不意をついてヒットする。

相手の意表を突いた一撃必殺だ。

 

「よく思いついたな」

「さすが私ってところだね」

 

実は前深淵も同じような事をしていたとは言えない。彼女は闇そのものに手を突っ込んでいた。愛菜の方が意表を突くという点ではメリットだが、その分コントロールが難しい。だがそのうち慣れるだろう。

 

「その調子で気抜かずにがんばれよ」

「うんっ!」

 

言って、愛菜は左手を亮の右手に重ねた。

 

「……あれ、振りほどかないの」

「……まあな」

 

明日。一先ず亮は一人で外界、旧世界に向かう。この五日間、家を空けていたが、また空けなくてはならない。

愛菜は特に変わらない様子で笑ってはいるが、それでもわざわざナナシのところまで出向いていたのだ。きっと寂しい思いをしていただろう。

罪滅ぼしなんて大それた物ではないが、少しそれを紛らわせてやる分にはいいかと。繋がれた手を離すことはしなかった。

 

「お、デレ期かな」

「ほどくぞ」

「ごめんなさい!」

 

五日間なんて、亮にとって大した時間じゃない。ただ、このやり取りが酷く懐かしく思えた。




サブタイトル。死ぬほど難しい


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遠征前日

「ただいま」

「ただいま~」

 

帰って来た時はただいま。欠かすことの許されない言葉は自然と重なった。

 

「あ、おかえりなさい、義兄さん、愛菜ちゃん」

「主おかえりじゃ。ついでに黒いのもの」

「むっ、ついでってなにさ」

 

洗面所から出てきた優衣と、リビングから出てきた八代。二人ともわざわざ玄関まで出迎えてくれた。

 

「ちょうどいい、三人に話すことがある。リビングまで行くぞ」

 

明日の早朝に一人で外界に向かうことを、早いところ伝えなくてはならない。

家を出る時間を朝の四時と考えているので、もう後六時間ほどしか残されていないのだから。

 

「あ、先行ってて」

「ン」

 

なにやら愛菜は靴を脱ぐのに戸惑っていた。見てみるとこれまで家になかった靴のようだ。

外界遠征用に新調したのだろう。かなり丈夫そうだ。確かにあそこは好き放題に崩落している。新世界の舗装されている道路と比較するまでもない。

 

「主よ、コーヒーを入れておるから座っとるのじゃ」

「ン、気が利くな。ありがとう」

 

促されてソファーに腰を降ろす。つい直前まで八代はテレビでも見ていたのか番組が流されている。

 

「……マグナスか」

 

外界遠征を控えているのか、極術師、マグナス・スローンの特番だった。

 

「義兄さんがデパートの屋上で会ってたって人だよね」

「あぁ」

 

寝巻きに着替えてきた優衣が亮の隣に腰を降ろし、一緒に番組を見始める。

番組ではマグナスがこれまでの人生で成し遂げた偉業が語られている。犯罪者を抑え込むとかベタな物から、学校で子供に魔術の扱い方や扱う上での心の持ちよう。あるいは仏の教えやら。

極術師の名に恥じぬ程度に、マグナス・スローンは新世界の英雄らしい。

 

「……なんだか、似てるね」

 

ポツリと優衣が呟いた。

 

「誰にだ?」

「ほら、え──」

「できあがったぞ」

 

優衣の言葉を遮るように言って、八代が後ろのキッチンからマグカップの乗ったお盆を持って来た。

 

「なんの話じゃ?」

「んーん、なんでもないよ」

 

優衣はそう話を切り上げたが、まぁ、亮には誰と似ていると言おうとしていたのか、予想はつく。

 

──炎神

そう言おうとしたのだろう。八代もどうせ聞こえていて邪魔したに違いない。

確かに、未だにあの存在は自分の中で大きな者である。もしアレが今目の前に現れたとしたら、体の中を這い回る何万人以上の記憶、想いを上回るレベルで喜ぶだろう。

一度殺した程度じゃ満足できるはずもない。もう何万回か殺してやりたいと思っている。しかし何万回殺したところで気分が晴れることもないだろうが。

 

それはともかく、優衣の言い分は分かる。

炎を扱う点といい、あの正義感といい、外見は似つかないが成長途中の炎神はこんなのでしたと言われても違和感はない。

 

「ほい主。んでこっちが白いのの」

「ン」

「ありがとう、八代ちゃん」

「黒いのはまだかの?」

「お待たせ〜」

 

八代がコーヒーをそれぞれに配膳しているところで愛菜もリビングに到着した。

 

「私ここ座る」

「そう言うと思っとった」

 

すぐ様、優衣と反対側の亮の隣に腰おろし、八代もそう言って机に愛菜のマグカップを置いた。その後に亮達の座るソファーとLの字になっているもう一つのソファーに座る。八代がここで愚図り出さないのは、話の内容が気になっているからだろうか。

八代が容れてくれたコーヒーに口をつけてから、本題を切り出すことにした。

 

「帰ってきて早速だが、明日の早朝に、先に俺だけ旧世界に向かうことになった」

「亮だけ先に?」

「それはどうして?」

 

愛菜、優衣が問い掛ける。

 

「なんでも、極術師が束になっても殲滅し切れない魔物が出たらしい」

「……割とそんなのいっぱい居そうな気はするんじゃが」

「海蛇や怪鳥のレベルじゃない、巨人でだ」

「ふむ、それは妙な話じゃの」

 

海蛇、怪鳥などの、ほとんど絶滅させた大型の魔物であれば、自分が出張ることになるのは分かる。

海蛇ならば大きな体からは想像のつかない機動力に、水圧カッター。

怪鳥ならば同じく大きさと機動力からの、エアカッター。

およそ極術師程度では太刀打ちできない。かつて人が居た時も、それらの相手は魔人の担当になっていたことがほとんどだ。

 

だが今回はそういうのではなく、巨人。

 

「巨人ってなに?」

「言葉のまんまだ。人型の身長でいうなら20mほどのヤツ」

「なにそれキモい」

「とは言ってもペラい連中じゃからな。黒いのでも頭部にナイフを五本ほど刺してやれば殺せる程度の奴じゃよ」

「いや、高さ20mの頭にナイフを刺し込むその手間よ……」

 

別にできないことは無いだろうが、闇に落とす事ができないのだから手間であるのだろう。

 

「ンで、その巨人がかなりの数で新世界の拠点に現れたらしい」

「先に行って殲滅して来いってことじゃの」

「そんなとこだ」

 

八代は理解が早くて助かるなと思いつつ、更に言葉を続けて行く。

 

「一通り終わったら、別途指示があるらしい。愛菜、お前と合流できるかどうかは分からない」

「えぇ、なんか一気にやる気なくなってきたぁ……」

 

ソファに深く寄りかかる愛菜。亮と共に行動できなくなるということは、恐らく他の極術師達と行動することになるだろう。愛菜は基本的にチームプレイというものが苦手なので、それもやる気を損なわせている原因になる。

 

「ンでた。めちゃくちゃ不安だからこいつを持ってろ」

 

言って、亮は愛菜に何かを差し出した。

 

「なにこれ?ペンダント?」

「っ!?主それは」

「……」

 

亮が差し出したのは、現在彼が最も大切にしているロケット。かつての、無くしたはずの宝物。

 

「それに魔力を流せば、ここの蓋が外れる。ピンチになったらそうしてみろ。たとえどこに居ようと助けに行く」

「……どうやって?」

「それを体の中に入れて二度と無くさないように色々やった。蓋が開けば分かる。ンで、それを頼りに聖移を使えば、消費する神聖を最低限に移動できる。はずだ」

 

聖移は、術者が願えばどこにだって行ける。座標を参照とか、そういう細かい人間の理由なんて関係なく。本来ならば人を思い浮かべるだけでその者の場所に行けるのだが、その場合に消費される神聖は多い。信仰され続ける神であるならば、そんなものはどうでもいいのだが、亮の場合はそうは行かず。

だから、体に入れ、自分の一部として扱えるそのロケットを愛菜に託す。そうすることで、聖移で飛ぶ時に、「自分の体」を移動先にできる。それならば消費される神聖は少ないと考えた。

 

「正直、お前と同じくらい大切な物だ。絶対無くすなよ」

「んー?ここは物と同じであることを嘆くの?それともそんな大事な物を渡してくれた事を喜ぶの?」

 

亮がそういうものの、愛菜は少々複雑な気分だった。

 

「愛菜ちゃん、義兄さんが姉さんに関係あるもので同じくらいって言ってるんだから、それはもう」

「やめてくれ優衣」

「おぉっと。これはデレ期ってやつが来たのかな!」

「没収するぞ」

「はいツン入りまし……いたいたいたいたいたい!」

 

見えない魔力の手が愛菜の頭をグリグリと押し付ける。そんなことをしながら、当の本人はコーヒーを啜る。

 

「……妾もそういうのほしい……」

「八代ちゃんも見えない何かに頭グリグリされたいの?」

「白いのってもしかしなくても頭悪いん?」

「あ、二人にとってはそういうのもご褒美なのかなって」

「マジでごめんなさいごめんなさい!」

 

五日ぶりの何気ないやり取り。そして明日からもまたしばらく起こりえないこのやり取り。自分の帰ってくるべき居場所の暖かさを再認識しつつ、亮はコーヒーの味を噛み締めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……なんだよ」

 

深夜一時。いつものようにベランダでタバコを吸って、考え事をしている亮のところに、八代がやってきた。

 

「すっかり失念しとったんじゃが、妾どうすりゃいいん?」

「好きにすりゃいい」

 

一緒に持ってきているコーヒーを口に着けてから、さらに言葉を続ける。

 

「着いてきてもいいし、行かないでこの家を守ってくれていてもいい」

「うーむ、主はどうした方が良いと思うんじゃ?」

「……どっちでも……」

「マジでどうでも良さそうじゃの……」

 

一緒に着いてきたところで、大した役割がある訳では無い。残ったところでもそうだ。何かあった時に残っておいた方がというのもあるかもしれないが、この家には大して大事な物があるわけでもないし、極術師が居なくなった後に起こると思われる騒ぎだって、このマンションをどうこうしようというのも無いだろう。

致命的に八代にはやることがなかった。

 

「んー、どうしようかの……」

 

その点は八代自身もよく分かっているようで、悩んでいるようだ。

八代は、かつて魔物を束ねようとしていただけあって合理的な選択を探すことができる。今回は逆にその経験が仇になっているようだ。

適材適所として自分にも何かやるべきことがあれば悩む必要は無いが、外界に着いて行っても亮が居るからやることはない。かと言って残ってもやることはない。だから悩む。

 

「はぁ、分かった。ンじゃ着いてこい」

「!あいわかった!」

 

ので。こういうのが一番手っ取り早い。

のだが、なんだか言い方のせいか隠されていた耳と尻尾が現れて、尻尾に至っては物凄い速度で振られていた。

 

「あるじあるじ!入る!」

「分かったけど尻尾どうにかしろ」

 

魔力の壁を作っていなければ、危うく灰皿が吹き飛んで近隣に迷惑をかけるところだった。

 

「うん!」

「……ほら、来い」

 

体勢を変えるとかはせず、八代を近寄らせ、頭を触る。

 

「外界遠征中は頼むぞ」

「任せれよう!」

 

満面の笑みで受け入れる。およそ、これから食われようとする狐の顔ではない。ただ嬉しさだけが顔に現れている。

 

「……まぁ、やっぱりあそこに戻る時は、お前と一緒じゃなきゃな」

「っ!?主のデレ期が──」

 

面倒な事になる前にさっさと八代を体内に取り込む。掃除機に吸われる塵芥の如く、八代は亮の体の中へと消えていった。

 

『……わっふい!』

『やべえ、もう二度としないと誓ったはずの後悔が』

 

何はともあれ、これで準備は整った。亮と八代。旧世界という地獄に残った二人は、今日改めて新世界から地獄へ戻る。

慣れ親しんだ地獄だ。今更存在を脅かすような物はない。だが、それでも思い出に押し潰されそうになるあの場所には、二人で行くのがちょうどいい。

 

「タバコ……買いに行かないとか」

 

体の中で残り少なくなってきたタバコの本数を懸念しつつ、亮はもう一本タバコを取り出して、火をつけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

朝四時。新世界を覆うディスプレイが朝の陽射しを映し出す。優しい陽の光が夜の闇を払っていく。ホワイト地区の高級住宅街にはこの時間に出歩く者などほとんど居ない。先んじて外界遠征に向かう亮は、そういう街並みを歩いていた。

目的地は近場のコンビニだった。どれだけ滞在するかは不明なので、向こうで吸うためのタバコを買いに向かっていた。それからいつもの様に姿を消して朝の街を飛んでブルーの軍事基地まで向かう予定である。

 

その手筈が、歩き初めて四分で潰えた。

 

「あなたが、ディザスター?」

 

マンションを出て2つ目の路地を右へ。それからしばらく進んで左に曲がったところで、そう声を掛けられた。

日が昇らない時間から何となくこの地区内で動き回る者が居るのは感じていたが、その正体がそこで分かった。

 

「朝っぱらから物騒だな。極術師、絶対零度の宮里由紀。何の用だ」

「……何の用か言われないと分からないかしら」

 

このやり取りには激しいデジャブを──というかほとんど同じことがあったわけだが、昨日と違うのはマグナスではなく由紀であって殺気を漲らせている点。

彼女がここに来た理由は十中八九、彼女のクローンの事だろう。そんな事は分かりきっているが、二点ほど問題がある。

 

なんで彼女が自分の存在を嗅ぎ付けたのかが分からない。

そしてどこまで自分のことを知られているのかが分からない。

別に自分の身を案じているわけではなく、彼女は愛菜と同じ学校に通う者だ。もし愛菜との関係性まで知られている場合、鈴木数馬などを介して愛菜にまで被害が及ぶ可能性がある。

 

『……立て続けに、極術師に所在を知られるのはまずいよな』

『確認するまでもなかろうて。つーか妾的にはマグナスとやらと昨晩会っていたこともまずいと思うんじゃがな』

 

八代の言う通りである。昨晩マグナスに愛菜と近い関係にあると知られただけでもかなり致命的なのに、どういうわけか由紀にも知られている。マグナスと彼女に繋がりがあるとは考えにくいので、別口から彼女は亮を特定したのだろう。

相変わらずガバガバな新世界の情報統制に辟易しつつ──亮の足元が凍った。

 

「随分と丁寧な挨拶だな」

「答えて!なんであの子を殺したの!?」

 

由紀の怒声と共に、足元の氷がどんどん亮の体を覆い尽くしていく。氷の強度も侵食の速さも、母親、宮里紀子の全盛期以上だった。それと、不思議なことに前回彼女の家で見た時と魔力の質が違う。普段の彼女の魔力であれば家にいた時点で存在を認知できたが、彼女は何かが違う。

しかしながら、そんな事は大した問題ではなく、その程度では亮に傷一つ与えられない。

 

「仕事だ」

 

と、端的に。それでいて完璧に答えた。詳しい理由は様々あれど、亮が明確に実行に移す理由はその一言でしかない。

 

「ふざけないで!!」

 

それが由紀の逆鱗に触れた。氷の侵食が膝あたりで止まるのと同時に、由紀の肩より少し上、その辺りから先端を鋭く尖らせた氷の矢が現れる。矢尻を頂点としてその底面の平たい部分に掌を当て、押し込む事で亮へと飛ばした。

足元を氷漬けにし、身動きが取れない相手に殺意溢れる矢を放つ。

表の世界で誰一人殺したことがない宮里由紀が、明確な殺意を持って凶器を亮へと放った。

──が当然、それは亮に触れると同時に飲まれて消えた。

 

「っ!?」

「全く知らない何の関係もない赤の他人を殺すのに、仕事とか誰でもよかったとか、そういうふざけた理由以外あるか?」

「開き直るな!」

『ごもっとも』

『うるせえよ』

 

驚愕も消し飛ばすような亮の言い分を聞いて、我に返った由紀は亮の足元の氷をさらに成長させ、やがて亮は下半身が丸々氷に飲み込まれる。氷の成長からするに、このまま全身を凍りつかせる算段だろう。絶対零度というレッテルらしい殺し方だ。

最も、亮の知る宮里由紀はここまで人を殺せる攻撃はしなかったハズだ。

 

「……まぁいいか」

 

呟く。彼女の内にどういう心境の変化があったのかは知らない。だが、それもどうでもいい事だ。

下半身の氷も体に取り込み、聞くことを聞いてさっさとここから去る事にする。相手にするだけ無駄だ。彼女はただ怒りのままに攻撃して来ている。復讐のために来ているのだろうが、その打ち止め方も見えていない。

ただこの場で亮を殺せれば全て解決するものだと思っている。

 

「っ……」

 

特に大した動作もなく、氷が消えたのを見て由紀は慄く。

熱で溶かされたのならわかる。

力技で砕かれたでも納得は出来ないが理解できる。

しかしどれにも当てはまらず、氷はまるで掃除機で吸い取られたかのように消えた。

 

「終わりだ」

「まだ──っ!?」

 

続いて亮からの終了宣言。由紀の体が突然動かなくなる。だが体が動かなくなるだけならば魔術を使えばいいだけだと氷の矢を展開するが、先程と同じ様に亮の体に吸い込まれ消えた。

 

「お前の攻撃は俺には効かず。身動きも封じられ、そして俺はいつでもお前を殺せる」

 

端的に事実だけを並べていく。これから行う取引の下準備だ。

 

「だが俺はお前を殺さないし、だからと言って金銭やらを要求するつもりもない」

 

そこで亮は初めて振り返った。ゆっくりと由紀へと向き直る。

 

「……」

 

初めて近くで見る亮の顔。鋭い目付きではあるが、どこか少し覇気を失ったくすんだ瞳。別に良くも悪くもない顔立ち。探せばどこかしらに居そうな、由紀としてはそういう印象を抱いた。

 

「いくつか質問答えろ。それでこの件は水に流す。まぁその後にお前がもう一戦始めるかどうかは別だがな」

「復讐に来た相手に、取引を持ち掛けるって言うの」

 

どこまでも舐めた態度に、由紀の怒りは募る。

 

「そうだな。無理やりお前の頭を覗いてもいいが、それだって手間だ。いくつか質問するから答えてくれればいい」

 

そう言いながら歩いて由紀の近くへ寄る。

 

「誰が──」

「まずどこから俺の居場所を知った」

「……話すと思う?」

「それもそうだな。ならばこうしよう、人質として」

 

そこで。由紀は亮の瞳を覗き込んだ。

 

「宮里紀子がどうなってもいいか?」

 

そう言った亮に、由紀はここで初めて恐怖を感じた。

瞳の、その冷たい目に。人質が居るぞと優位に立つ者の目ではない。極術師を完封しているこの状態で、何かに絶望している様な目だ。

 

「(こいつ何を考えているの……?)」

 

凡そ。その瞳には自分を映しているようには見えない。母親を人質に取ったと言ってはいるが、それもまるで自分にはいくつも手札があって、その中から適当に弾き出したと言っている様に聞こえる。

まぁこれでいいんじゃないか的な言い回しで母親が人質に取られている事に腹が立たないわけではないが、今は不気味さが勝る。

 

「ンでどうする。答えないなら今この場で宮里紀子を殺すが」

「……笑わせないで。お母さんは家に居る。今から向かうなら時間が掛かるわ。その間に逃がせないと思うの?」

 

まず昔極術師であった母親を殺せる確証もない。由紀としては未だに母親より強い自信はない。それにいくら目の前の存在が化け物だったとしても、彼が数キロ先にある家まで行く間に連絡を取る事だって可能だ。

 

「できないと思うか?」

 

だがそんな希望も、亮のこの一言に砕かれた。

脅しに屈するのは癪だと思う。ましてや相手は妹の敵だ。そんな者の脅しなんて意地でものりたくないはない。そう思っているのに。

 

「……シェイカー博士。彼女の遺品の中に、あなたの存在が記されていた。最初は、なんの冗談かと思ったわ」

 

嘲笑う様に口元を歪め、由紀は言葉を続けていく。

 

「知ってから直ぐに、死人から電話がかかってきた。今日この時間、街中を歩く革ジャンの男が居たら、それが敵だって」

「死人?黒鎌帝か?」

「……」

 

沈黙してはいるが正解なのだろう。この時間に家を出たことを知っているのは、家の者とナナシしか居ない。ナナシは今回の件、黒鎌帝との繋がりがあるだろうから、ナナシ経由で帝に繋がり、それから由紀に伝わったのだと考える。

そんな意味の無い事をする理由が心の底から分からないが。

 

次の問題は、自分と愛菜達との繋がりがバレているかどうかだ。というか、これが最も大切なことだ。亮は小バエに何万刺されても問題ないが、愛菜に関しては違う。

 

「分かった。ンで次の質問だ、お前はどこまで俺の事を知っている?」

「……さぁ。あの子を殺したこの新世界の闇だって事しか」

 

本当かどうかは定かではないが、家を出た時に見つかっていたわけではないのであれば大丈夫だろう。何せ彼女は最初から亮を見つけていた訳では無い。

本当についさっき目撃したから声をかけられた。革ジャンっていう特徴だけで判別していたようだから。

しかし保険をかけておく必要はある。脅しとも取れるかもしれないが。

 

「そうか。なら一つお願いしておこう」

 

亮は手を背中に回し、そこから紙とボールペンを生成して、由紀にはあたかも後ろのポケットから出したように見せかける。その紙にボールペンで何かを書き出した。

 

「何か聞きたいこと、殺したいから来いとか、そういう事があればこの電話に掛けてこい。答えられる範疇の事なら答えるし、戦いたいなら言ってくれれば戦ってやる。だから、これ以上俺の身辺を嗅ぎ回るな」

 

そう言って、ここで由紀の拘束を解いた。突然体に自由がきくようになって由紀は驚くが、紙を差し出され、それを受け取る。

確かにそこには携帯の電話番号が記されていた。

 

「……そっちは由美を攫ったくせしてこっちには」

「お願いだと言ったはずだ。調べたければ調べればいい。だがお前の目の前にいるのは新世界で絶対に明かされてはいけない者だ。もしそれを嗅ぎ回って闇を解き明かそうとするならばどうなるか分かるか、という話だ。別にお前だけならいいかもしれないが、お前の周りには沢山の人がいて、その一人一人に支えられていることを忘れるな」

 

由紀は今自分が何を相手にしているのかをハッキリと理解した。

得体の知れない闇だ。入学式で初めて深淵、根本愛菜を目撃した時と同じ──その何十倍も濃い闇。体に纏わり着くことなく、ただすり抜けていく闇。

 

「その場の勢いで復讐なんてするな。綿密に計画を立てて、自分の気の済む終わり方を探して、憎悪を込めて実行しろ。でないと、終わりが来ないからな」

「お説教ってわけ?」

「アドバイスだ。何があったのか知らないが、お前は自分を見失ってんだろ」

「っ……」

 

そうでなければ、彼女の魔力の質がここまで変わることは無い。

魔力というものは基本、人のDNAに寄って構成される。血液と何ら変わらない。確かに人のDNAは変化していくが、それでも元の物から大きく逸れることは無い。本来は大して変わる事の無いもの。

であれば、亮の知る限りここまで大きく変わる要因、それは間違いなく心だ。

健全な肉体に健全な心が宿るという様に、健全な心に健全な魔力が宿る。

今まで由紀の魔力は健全なそれだった。

 

だが今はどこか──感性で言うならばマイナス。負の面を大きく含んだような感じ。この感覚を亮はよく知っている。大抵自分に殺されそうな物が最後の気力で振り絞る魔力と似たものだった。絶望に支配され、ヤケクソで攻撃してくる時のそれ。

自分の価値観を狂わせられた時のような、そういう魔力の質を由紀から感じる。

 

「八つ当たりで復讐を急ぐなよ。そんなんで復讐に成功しても、満足できねえぞ」

「……アンタに私の何が分かる!」

「何もわからない。知りたいとも思わない」

「さっきから本当にコイツは……!」

 

由紀に苛立ちが募っている。ここまで彼女の心が揺れ動く理由は何か。興味はない。それもそうだ、年頃の女の子がここまで心を揺れ動かし、自分が妹として迎えた子が殺された時以上のマイナス感情。

 

『フラれたか』

『……あれじゃの、多分、鈴木数馬に助けを求めに行ったら宝姫咲輝と一緒に居たってやつじゃの』

 

そんなことだろうと予想した。まぁ確かにそりゃ絶望する。

あの一件からずっと妹の敵を調べ続け、自分の心の痛みと戦い続け、取り戻そうと力を振り絞り続け、でも辿り着いた先には殺されたという絶望があって、そして志を共にしていた、大好きな男は他の女の子と仲良くしていたと。

 

『……うわぁ、しんど』

 

八代が心の中でポツリと呟いた。まぁ仰る通りである。

 

「なんだ、そういうことだから俺は行く」

「なっ、待ちなさい!まだ終わって──」

 

突如。由紀は意識を手放した。首を絞められたとか、そういう物ではなく、プツリと糸がちぎれるように意識が途絶えた。

もちろん、亮の仕業だ。脳を操作する魔術で意識を途絶えさせただけ。

倒れ込む由紀には柔らかい魔力の壁を作ってクッションにし、そのまま壁に乗りかからせた。

 

「早いところタバコ買いに行かなきゃな」

『そうじゃの、あまりゆっくりもしてられん』

 

特に何事も無かったように歩き出す。目的地はとりあえずコンビニだ。




仕事が終わった事に大歓喜し、積みPCゲーの消化作業がすごい


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ブリーフィング

ブルー地区の軍事基地。そこに海底に沈む新世界が、外界に繋がる唯一の穴がある。それは新世界が開発する大型の潜水艦が一隻だけ通れるサイズだ。

具体的にまず壁を一枚開き、潜水艦が通ったらその扉を閉める。最後に直接外界へ続く扉を開く寸法だ。

もちろんその穴を通るには潜水しなればならない。そこから穴を通れば、深海の水圧が容赦なく襲いかかる。生身の人間が通れるはずもない。

 

というナナシの説明を右から左へと聞き流した。

 

「ンでまだか?」

「……話は最後まで聞け」

 

ここに到着してからかれこれ三十分は待たせれていた。

宮里由紀を置いてきてからすぐ様コンビニへ行き、タバコをカートンで購入してから人目のつかないところで体に取り込み、時間が時間だったので音速飛行。あっどういう間に到着した。正門から手続きを踏んで入ろうとしたところ、軍事基地には似合わないオフィスレディーな格好のナナシと鉢合わせた。

どうやら共に行く者達が居るようで、その者らの準備が終わるまでこの会議室にて待っている次第だ。

 

五分ほど前にナナシが入室してきており、今日一日で亮にして貰いたいことを解説しているそうなのだが、状況説明ばかりで本題が遠い。

 

「一応聞いておくが、君は深海でも動けるんだな?」

「あぁ」

「……一言で返されるのがなんとやら。まぁいい。潜水艦に乗って行くか、泳いで行くかは任せるとしよう。次はこちらを見てくれ」

 

言って、会議室前方のスクリーンに映像が投影された。

 

「これは、これから上陸する外界拠点の現在の映像だ。衛星からの映像であるがために、まだ不鮮明なところは多いがな」

 

かなり乱れてはいるが、大体の状況は読み取れる。沖から少し離れた所に大きな建物があって、それが拠点だ。四階建ての建物で、具体的な大きさはわからないがかなり横にもデカい。そしてその建物を囲うように四本の柱が立っている。

この柱には覚えがあった。

 

「今回の第一の目的として、この結界の交換を行う」

 

結界。四十年前はただのセンサーだった。一定量以上の魔力を感知することで警報が鳴り、魔物の侵入を伝えてくれる物だったが、今では新世界基準の魔力を持つものまでは通し、それより大きな魔力を持つものが触れると、レーザーに切り替わる代物になっている。拠点としている建物に被害がないのは、この結界が仕事をしているからだろう。そうでないとあんな建物を維持できるはずもない。

 

「四本の柱を差し換えている間、護衛をしろと?」

「いや、それは明日来る極術師達の仕事だ。君にしてもらいたいのは、以前通話した時の内容と同じ……ここだ」

 

言って、スクリーンに映し出された映像が北へスライドする。距離がどれほどかは分からないが、山一つ超えた辺りの地点でスライドが止まる。そこに映し出されているのは巨人の群れだった。

 

「やたら多いな」

 

高さ20mほどの全裸の巨人が、少なくとも40。スクリーンに映っている者が全てであるとしても、この数は異常だった。

 

「我々も巨人が存在するのは知っていた。だがこれほど集まって居るところは見たことがない。そっちの住民としてどう思う?」

「俺もだ。基本的に巨人は散らばって生息してるもんだ。コイツら、元々は人の細胞だったくせして群れないからな」

 

と、亮は軽く吐き捨てた。

 

「元は人だと?」

「でなきゃ人の形になるわけないだろうが」

 

明かされた事実にナナシが慄くも、亮はさも当たり前の様に言葉を紡いでいく。

 

「魔人の定義は覚えてるか?」

「エーテルと結合した細胞、つまりエーテル細胞が全身にあり、エーテルそのものの特性を扱えるようになった者」

「そうだ。俺らは魔人の「食らう力」を使える者を魔人と呼んでいた。ンじゃ、食らう力はなんの力だ?」

「それはエーテルの力だろう。エーテルはあらゆる物に結合しようとする」

「ンじゃ、人が死んだ時、エーテル細胞はどうなる?」

「エーテル細胞と言えど人の細胞だ。人が死ねばエーテル細胞は……まぁ、君の口振りからして死なないのだな」

「察しが良くて助かる。一部のエーテル細胞は人が死んでも生きていて、生きるために無理矢理辺りを食い散らかす。そして、遺伝子に刻まれた様に細胞分裂して生きていこうとする。結果、エーテル細胞という元々の遺伝子とは違う遺伝子が人を形作ろうとして、人の出来損ないになる」

「だがその理屈で言えば……いや、やめておこう」

 

人の出来損ないになる。それから連想し、産まれるのは巨人だけではないと言いたいのだろう。確かにその通りだと心の中で肯定しておき、「ンで?」、とナナシに本題を促す。

 

「……ともかく、君にはこれらの数を減らしてもらいたい。ついでに、これだけ集まる原因がわかるならば、その解決も」

「わかった」

 

こういう時に魔人の力はとても便利だ。巨人を食らえば記憶を読み取れる。ならば巨人達が集まっている理由の解明にも繋がるだろう。

それに、この映像を見ているだけで妙に引っ掛かることがある。

 

『……妙に統率が取れてるの』

 

八代がポツリと呟いた。

 

『専門家の意見を聞こうか』

『分かっとるくせに……まず、巨人になる前に大量の物を食らうが、食らいすぎて食らう力が薄れる』

『水分取りすぎて血液が薄くなるようなもんだな』

『んでじゃ、食らうという、生物の最大の欲求の一つを占めていた機能が失われれば、必然的にそれを補おうとする。巨人の場合は経口摂取じゃの。じゃが、経口摂取から体内での栄養補給では鉄などの無機物は食えん。じゃから以前より食べられる物は少なくなる。自分が沢山食べたいがために群れる事無く餌場を探す。最悪の場合は共食いとかありうるからの』

 

彼の偉人達よりはるか昔の時代では、人は他の生き物を一人で殺せないから社会を形成したと言われているが、巨人は個の力である程度の生き物は殺害できるし、調理だって必要は無い。社会を形成する必要が無い。

 

『全く必要がなく、寧ろ害しか無いのに群れているという事は、統率する者が居るのかもしれん』

『そうか』

 

統率する者が居る。その意味に少々心を躍らせた。

 

「……そろそろ良いだろう。行くぞ、魔人」

 

腕時計で時間を確認して、ナナシは部屋の扉に向かった。

亮も椅子から立ち上がり、ナナシに続いて行く。

 

「潜水艦は第三倉庫でだ。そろそろ兵隊の乗船も済んでいるはずだ」

 

歩きながらナナシが口を開いた。

 

「俺も潜水艦に乗るのか?」

「どちらでも構わない。彼等は君を知ってるからな」

「なに?」

 

一応、自分は国家機密ではなかったかと不安になる。一般の兵士に知られる国家機密とはと。

 

「ワン。それが部隊長の名だ」

「……ゼロの後継者か」

 

四十年前、自分が初めて触れ合った新世界の住民のコードネームがゼロ。

 

「外界遠征を行う部隊は、この新世界に忠誠を誓う最強の部隊だ。そして、部隊間にはゼロと君の物語が未だに語り継がれる。国民にとっては、知られれば絶望の象徴となる君も、この部隊では生ける伝説として伝わっている」

「やめろ気持ち悪い」

「それは、ゼロに言ってくれ。そう決めたのは彼だ」

 

しかしゼロはとうに殉職していると聞いている。死人には口もなければ耳もない。無理な話だろう。

 

「伝説に会えば士気も上がるだろうが、不必要なテンションを作る必要も無い。君に任せよう」

「……まぁ、ゼロには借りがある、いいか」

 

たとえその時の王に図られていた事だったとしても、彼が居なければこの新世界に来る事はなかったかもしれない。もしかしたら他の誰が来ていてもこうなっていたかもしれないが、それでも今自分がここに居るのはゼロの存在があったからだ。それが借り。息絶えてしまった、新世界の最初の友への。

ここで返しておこう。下手に引き摺る必要も無い。

 

「さぁ、到着だ」

 

言って、ナナシが扉を開く。

 

「……」

 

目の前には、二十人あまりの男達が右手を額に当てて整列している。

敬礼というポーズだと言うのは、亮の知識にある。そしてその意味も知っている。

 

ゼロ。

彼が何を部隊に遺して逝ったのかは知らない。それでも遺した物はきちんと伝わっているという事が伝わった。

 

「何してる。早く乗り込め。予定時間は間もなくだぞ!」

 

ナナシの一喝で部隊は統率された動きで、背後の巨大な潜水艦へ搭乗していく。

 

「で、君はどうするんだ?」

「乗るさ」

 

そう言って、亮もゆっくりと潜水艦に向かって歩いていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

簡潔に、亮は搭乗したことを後悔した。少し考えれば当たり前の事だが、自分という存在を知っていて、恐怖を抱かないのならば、質問攻めに遭うことは明白だった。

それでも借りを返すという目的があったので、耐えることは吝かではなかったのだが、自分の強さから私生活まで根掘り葉掘り聞いてくるので、かなり辟易した。なんなら途中でナナシから「うるさい」と止めに入られるほどである。

 

ちなみにナナシも同乗している。ナナシは裏の人間という認識が強いが、表の肩書きは「外界遠征部隊総司令官」である。そういう肩書きである以上、こういう機会に彼女が出張らない理由はない。

 

『間もなく浮上します』

 

と、アナウンスが流れた。揺れはない。ついで、静寂が船内を満たした。先程までの和やかな雰囲気とは打って変わった様相だ。一人一人、目付きが鋭くなり、ライフルを持つ右手に力が込められている。

 

ここはもう旧世界。人一人簡単に殺せる生き物が闊歩する無法地帯。

 

『浮上します』

 

と、最後のアナウンスが響いた。その直後。

 

『魔人っ!』

「はいよ」

 

ナナシのアナウンスが響いた。かなり切羽詰った様。乗組員達に状況は理解出来ていないが、ただ一人、亮だけは違う。新世界を出た時点で地上の状況まで理解出来ていた。

浮上を狙ってか、上空で八十前後の鳥達が待ち構えていることも。

 

潜水艦の上部が海から出ていることを、何となく感じて確認してから立ち上がり、浮上途中の天井のハッチのバルブハンドルを、魔力を用いて超高速で回しハッチを開く。開いたハッチから飛んで出れば、すぐ様上空の鳥が5.6体突っ込んでくる。

 

『妾が行こう』

 

当たる直前に八代の声がして、直後に亮の胸元から紫色に輝く黒い光線が放たれた。

一直線に亮へと向かって飛んでいた鳥達は光線に焼かれ、塵芥残さず絶命する。それだけに留まらず、減衰を知らない様に放たれた光線はそのまま天まで届き、もう何匹かを巻き込んでいる。

 

「なら任せた」

『うむ、妾達にお任せを、じゃ』

 

取り敢えず八代はやる気満々な様なので、体から九体の狐の顔の骨を出して、好きにさせる。

まるで上空で遊び回る鳥達に混ざるように、狐の顔の骨達は上空へと超高速で飛んで行った。骨達は狙いが定まれば、先程と同じくらいの質の光線を鳥に向けて次々と放っていく。特に問題はなさそうなので、亮は未だに浮上を続けている潜水艦の上部に腰を下ろして空を見上げた。

 

「快晴だな」

 

変な異常気象に被ることもなさそうだ。空は蒼く澄み渡っている。

 

まぁ、時々、黒く禍々しい光線が走ってはいるが、それを除けば絶好のピクニック日和というものだ。

 

『いやっほーい!飛ばし放題じゃあああい!!逃げ惑えチキン共!!狐につままれて絶命せよ!』

 

楽しそうな子供の声も脳内に響き渡っている。少々、いやかなり耳障りではあるが、まぁ、アレも全力全開な力を発揮できず辟易していたのだろう。

 

「どんな感じだ?」

 

気が付けば浮上も終わり、ハッチから顔だけ出した兵士の一人が亮にそう尋ねた。

 

「もうちっと掛かりそうだからゆっくり支度しててくれ」

「了解」

 

簡潔な返事が聞こえて、再び兵士の頭がハッチの中へ消えていく。

取り敢えず八代による殲滅が終わるまではゆっくり考えられそうだった。蒼く澄み渡る空から、一番近くの山の方へ視線を送る。

 

「…………さて、この神聖の正体はなんなんだか」

 

山の向こうに。かなり強い神聖を感じた。恐らく、巨人共を統率する者だろう。少し考えれば分かることかもしれないが、ああいう者共を纏められるのは神聖を持つものしか有り得ない。

かつての八代がそうだったように、魔物という本能の化け物達を纏められるなんて言う力は、まともな物じゃない。

 

「無駄足にはならなさそうで安心だ」

 

口を元を歪めた。これでまた、夢に一つ近付けると。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鳥達の殲滅が終わり、八代の家族達も亮の体の中へと帰還し、安全を確保したところで続々と兵士達が潜水艦を降りていく。各々荷物だけ持つ者。潜水艦の別のハッチから組み立て式の結界の柱を取り出す者。

皆それぞれ迷いなく自分達に割り振られた準備をこなしていく。だからか、出発の準備は三分足らずで完了した。ピクニックにしてはやたら物々しいなと思いながらも、平和ボケした新世界でもこれほどの兵が作れるんだと改めて感心していた。

 

「先導します!」

 

一番手隙な男が先頭に立って部隊が進む。亮はその最後尾に着いていた。

 

「初っ端から助けられたな」

「気にするな」

 

ナナシに声をかけられる。彼女も最後尾から着いていくようだ。

 

「しかし、あの鳥達は本当に厄介だ」

「鳥の餌は魚だからな。波の動きを観察するより、目で水中を見る方がいい」

「言っている意味はわかるが……」

 

余りにも暴論だった。確かに、彼の偉人達の時代の海鳥は、波の動きや魚が跳ねるタイミングなどで獲物を捉えていくと知っている。だからって進化した結果、海の中を見える目になったというのは些か無理な話だ。

 

「生物の進化なんてそんなもんだ。彼の偉人達より前の時代の者だって、世界が終わるから宇宙に逃げようなんて思ってないだろ」

 

それでも頭ごなしに否定はできない。亮の言う通り、生物の進化はいつだって人の予想を超えてくる。本来その枠には人類だって当てはまるハズなのに、常識という停滞が進化を阻害する。新世界で亮が学んだ事の一つだ。

 

「そうだな。君という生き物が居るんだ。何が生まれていても不思議ではないか」

「そういうことだ」

 

そんな会話をしながら進んでいき、巨大な建物。拠点に到着した。確かに四本の柱に囲われているが、一見すると結界があるとは分からない。

実際は不可視の線が四本の柱を繋ぐように放射されていて、触れてみないと分からないのだ。それを証明するように、建物の周りにはウォッチドッグの死骸がいくつかある。

 

先導している者は柱の近くに行くと、腕に着けた機械で何か操作をしていき、十秒足らずで顔を上げ、不可視の線が走る部分に手を翳す。特に異常がない事を証明してから、部隊に進入するよう促した。

それを見て建物へと近づいて行き、全員の進入を確認すると、また機械を操作していた。

確かこの結界は新世界の人間には適用されないと聞いたのだが、まぁこれも安全策の一つというものだろう。誰かが引っかかって誤作動し、初日から半壊なんてのは目も当てられない。

 

「あいつは入らないのか?」

 

そこまで踏まえた上で、先程先導していた者が結界の外に居たまま結界が閉じたことに疑問を投げ掛ける。

 

「彼はこのまま潜水艦を新世界に戻して明日に準備だ」

「なるほどな」

 

確かに潜水艦を戻さなければ、普通、人は新世界から旧世界に入って来れない。

 

「そう言えば、君の書店の方はどうなんだ?」

「優衣が店番してくれている。ネット通販は打ち止めだがな」

 

突然思い出したかの様なナナシの質問に答えつつ、建物中に入り、階段を上がって2Fの大会議室に入っていく。

荷物を持っていた者たちは1Fの部屋に入っていった。荷物置きがあるのだろう。

兵士達は壁に沿って立っていて、不動の姿勢になっている。これから始まるのが全員合同のブリーフィングという物だろう。別に兵でもなんでもない亮は、備え付けのウォーターサーバーを目にし、まだ水が入っていることを確認すると、紙コップにこれまた備え付けの、未開封なインスタントコーヒーを開封してコーヒーを作る。その後は一人適当な椅子に腰掛けてコーヒーを啜っていた。

 

しばらくしてから荷物を置きに行った者達も合流し、ナナシがスクリーンの前に立って手元の携帯電話を操作し始めた。するとスクリーンに映像が映し出される。

 

「今後の活動について再確認しよう。アルファからガンマは設備点検。デルタは装備点検。残りは哨戒と警戒に当たれ。午前十時に再びここに集合。時計を合わせる。7時3分」

 

手馴れた様子でナナシは次々と指示を飛ばす。相も変わらず亮は椅子に座ってコーヒーを飲みながらその光景を眺めていた。まるで他人事である。

 

「最後に、ここからはこの場だけの機密だ。分かっているな」

『サー!』

 

兵士達の返事を聞いてから、ついでナナシは口を開く。

 

「魔人は巨人の殲滅。ただし数体残せ。終わったら帰って来い」

「はいよ」

 

当たり前だが。残せなんて命令を他言していいわけがない。簡単に殲滅できる脅威を残しておけなんて命令を、この旧世界でやっていいわけが無い。

それでも、この場の兵士達が口を割ることは無い。調教された新世界の犬達に、ナナシの言葉に逆らうという選択肢を持っていない。

 

「かかれ」

 

ナナシの言葉で、一同は動き出す。列になって一人一人が各々の仕事に取り掛かる。

全ての者を見送ってから、亮は立ち上がった。

 

「気を付けろよ」

「誰に言ってんだ」

 

一言返してから、飲み終えた紙コップをゴミ箱に放り投げ、大会議室を出る。階段を降りて外へ出て、先程と変わらない空を見上げ──

直後、そこには砂埃だけが残った。なんてことは無い。かつてのセンサーをぶっ壊した時と違い、結界が働かない空へ飛んだだけだ。

 

遥か上空から旧世界を望み、直ぐに視界に巨人の群れが目に入った。

 

「さ、始めるか」

『うむ!!』

 

ただ静かに、狩りの時間が始まった。




明けましたけど別に自分の私生活には特に影響なさそうですがおめでとうございます。
今年も気が向いたらこの駄文にお付き合い頂けると嬉しいです。取り敢えず今年の抱負は完結とちまちま書いてる外伝とメタルギアのSSの投稿です。


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巨人

巨人達はまるでゾンビの様に立ち尽くしている。50体前後の巨人が棒立ちしている様はある種のホラーだ。元々巨人達は20mほどの高さで色白な肌をしている。身体のあちこちに傷が入っていてるため、ゾンビのような風貌ではあるが、こうも立ち尽くしているとそれが際立つ。

ゾンビが出てくるゲームに例えるなら、それはプレイヤーの到着を待っているような。そういう雰囲気だった。

 

その静寂は、唐突に終わる。

 

──ブシャ!

と、巨人の一体の頭が弾け飛び、ゴロンと、頭が地を転がった。

 

「……」

 

巨人より上。その位置にプレイヤーは、魔人は浮かんだまま、冷たくゾンビ共を見下ろしていた。

 

『ふむ、神聖持ちは……向こうの瓦礫の辺りかの』

『出てくるまで遊んでりゃいい』

 

どうせ大した神聖は持ち合わせていない。精々、新世界で宗教をしていた暘谷に届くかと言ったところだ。ならばここに屯している有象無象共を転がして遊んでいれば、その内大切な仲間の仇と出てくるだろう。怒り狂って居ても構わない。亮としては前者が望ましいが、知能の低い巨人に何を期待してもたかが知れている。

 

「ボオオオオオオオオ!」

 

と、巨人のどれかが亮を見て雄叫びを上げた。それを聞いてか、離れたところにいて亮に気が付かなかった者達も一斉に亮の方を向いた。

 

『妾は?』

『アイツらの高さで撃ってみろ。拠点まで貫きかねない』

『へーい』

 

八代は八代で抜けているところがある。先程の鳥の時もそうだが、新世界内部では放てない威力で撃てるためかテンション上がり気味である事も加味すると、一旦落ち着かせた方がいい。

それにしても、一度は心の底から大切にしたいと思っていた魔物達を、己の快楽のために塵芥にしようとする辺り、彼女もだいぶ自分なのだなと思う。

 

『たまには身体を動かすか』

 

このまま魔力だけで殲滅してもいいが、八代に毒されたのかそういう気分だった。

 

『そんなもんどこにあるんじゃか』

 

八代のツッコミを聞き流して、適当な一体の巨人に狙いを定める。ここから見ている限り、ナナシが懸念するほどこの巨人共は強くない。保有する魔力も平均的な巨人の物である。統率が取れているという点だけは異常ではあるが。

神聖を使う必要もないし、あの刀を持ち出す必要も無い。亮は掌を黒く歪め、そこから何処にでもあるただの魔刀を取り出した。

刀身80cm、柄は20cm。一般的な物より少し長いかもしれない。刀身は黒紫色に輝いている。これは魔刀と呼ばれる型には当然のことで、使用者の魔力を吸い続ける性質がある。使用者が流すのではなく、刀の方が勝手に吸い続ける。

魔力を吸わせていれば、詳しい原理は分からないがシンプルに切れ味が上がる。

製作者曰く「魔剣とかの類にはお馴染みだろ?」との事だったが、魔人くらいの魔力保有量でないと五分間と握っていられない刀に馴染みもクソもあるかとツッコんだ記憶がある。それも掛け替えのない大切な思い出だ。

 

まぁともかく、そういう思い出の品を握り締め、標的に向かって突撃する。

 

音を置き去りにするほどの速度での降下。もちろん、ただの巨人にそれを見切ってカウンターを合わせる、なんて芸当はできない。20mの巨人の太い首に刀が当たり──その寸前に急停止、腕を振って首が取れた所で落下する前に頭を蹴っ飛ばし、次の標的の元へ飛んだ。

尋常じゃない踏力で蹴られた頭は、一応原型を留めたまま大地に打ち付けられ、その勢いでブチッと嫌な音を出す。

そんなものには目もくれず、次の標的に──到達する前に右拳が迫ってきた。見えていたのかたまたまか。ともかく眼前に巨大な拳が迫る。当たったところでダメージなどないが、せっかく身体を動かしているのだからと左手を開いて正面に突き出す。そのまま掌から右手に握る魔刀と同じ物を五本ほど出現させ、巨人の拳に刺さらせる。

巨人が悲鳴を上げて体勢を崩す前に五本の魔刀を切り離して一本だけ握り締め、引き抜きながら身体を上に捻って巨人の腕に乗る。そのまま流れで左手の魔刀を巨人のこめかみに投げ付け、絶命させる。巨人の身体がグラッと揺れて右斜め後方に傾き始めたので、力が抜けて腕が降ろされる前に蹴って額の魔刀を回収し、左手で握り締める。

 

『飽きてきた』

『はっや』

 

ここからはもう段々亮の動きが適当になった。ただただ巨人を切りつけていく。辛うじてまだ避ける気力は残っていたので、飛んで避けるとかはするのだが、もう覇気が籠っていない。最終的に迫る拳も刀の峰で叩き落とすという力技で回避するようになり、合計で16ほど沈めたところで。

 

『いやもういいや』

 

の、一言。まずドーム状に全ての巨人を包む透明な魔力の壁を展開。そして、その壁をどんどん中心へと狭めていく。当の本人は飛んで壁の外へ。

あとはただの地獄だ。減って40前後になった巨人達は魔力の壁に押し込められていく。中心へと。段々と、少しずつ人口密度が上がっていく。三十秒程で巨人達は全員が密着し始めた。

 

──ァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!

 

と、阿鼻叫喚の地獄がその恐ろしさを見せる。バキ、ゴリ、ブシャッと骨と肉と血の音が混ざる。魔力の壁に圧迫され、プレスされていく。骨が折れ、圧迫され、飛び出た骨が他の巨人を貫き、それでも圧迫され、潰れ、肉も弾け──ただただそれを繰り返していく。

 

『こういうのなんつー遊びじゃっけ?おしくらまんじゅう?』

『ンな物騒なおしくらまんじゅうがあってたまるか』

 

地獄を作り出した張本人は二本の魔刀を体内に取り込み、代わりにタバコを取り出して一服休憩としていた。絶叫と人体の弾ける音をBGMにしていても、タバコの味は変わらない。

 

『もうちょいじゃの』

 

もうほとんどが魔力の壁の内側を赤く染めている。悲鳴よりも血肉を潰す音と骨が折れる音の方が大きくなってきたところで。

 

「やっと来たか」

 

吸殻を体内に取り込んでから空を見上げ、口を歪めた。

 

「収穫としては上々。こっからどれだけいい餌になるかはやり方次第か」

 

──ゴオオオオオオオ!

と、雄叫びが響いて、亮の真上に、全身コケまみれの巨人が高速で降ってくる。

か、まずは軽く蹴り飛ばした。空から降ってきたコケまみれの巨人、コケの巨人を空へと蹴り飛ばす。

 

さすが神聖持ちというだけはあるのか、ダメージを負ってはいるものの、それだけで外傷は無いようだ。完全に潰れきっている巨人達に同じ物を当てれば、 それだけで絶命しているはずの威力だ。

 

ともかくコケの巨人は吹っ飛ばされても空中で体勢を変え、木々を踏み潰して着地した。

そこでコケの巨人を改めて観察する。

 

身長は60mほど。先程の巨人達の三倍の大きさ。どういう訳か全身はコケに覆われている。水中で生活でもしていたのか。

 

まぁ、亮には心当たりがあった。

 

 

『どう思う?』

『わざわざ聞くことでもなかろうて……相対して分かった事じゃが、十中八九、聖人様とやらの果てじゃの。戦った時に爪でも剥がれて雨風に流れたか』

 

元々の彼の住処は山奥で、食らったのも彼を信仰していた者達の住む山の村だったが、どうやらここまで流されてきたらしい。

しかし大体予想は付いた。今回の巨人達は神聖を持つこのコケの巨人を勝手に信仰し、着いてきていたのだろう。自分達と同じ姿で形は大きく神聖を持つ。これの傍に居れば安全だと本能で思ってしまったのか。それも後で食らっていけば分かることではあるが。

 

『来るぞ』

『ン』

 

八代の警告の直後、コケの巨人は拳を握り締め、天高く振り上げた。その動作は架空世界の巨大な生物と同じく、とてもゆっくりとした物だった。

 

「ッオオオオオオオオオ!!!」

 

雄叫びが響いて。

 

────ゴォオ!

と、風を切る音が遅れて聞こえた。巨人は予備動作とは打って変わり、とてつもない速度で亮目掛けて突っ込んでいき、超高速で亮目掛けて拳を振り下ろした。物理的な力で言えば、下手な魔人より上のものだろう。これほど単純な暴力による破壊は中々お目にかかれるものじゃない。確かにこれは、神による破壊と形容しても相違はない。

 

だが、それほどの力にしては辺りの被害は少なかった。

コケの巨人の目には、全く理解不能な光景が映っていた。

 

まず粉々に砕けた鉄の塊。

 

「一応、新世界のシェルターと同じ強度なんだがな」

 

コケの巨人には言葉の意味がわからなかったが、問題は言葉を平然と紡いで居られる事だ。

 

「やっぱり、普通に強いなコイツ」

 

粉々に砕けた鉄の塊の先には、悠々と左手で巨人の拳を受け止めている亮がいた。顔色一つ変えず、ゴムボールを片手て受け取る様な気楽さで、亮は破壊の拳を受け止めていた。

 

コケの巨人が驚く間に、バキバキバキバキ!と軽快な音が聞こえた。何かとコケの巨人が視線をズラせば、亮の背後の木々達が、見えない力で浮き上がっているところだった。音の正体は木々の根が折れる音だった。

 

「そら、受け取れ」

 

言葉についで、浮き上がっていた木々がコケの巨人に向かって一直線に飛んで行く。大木の本数は二桁じゃ足りない。三桁に届くかどうかそれくらいの数。

 

「ボオオオオオオオオオウ!」

 

間髪開けず、亮の左手に全体重を乗っけ、その反動を用いてコケの巨人は後方へと大きく飛び上がった。

飛ばされた木々達は目標を見失い、遥か上空へと消え去る。コケの巨人の方は飛んでいった先の池へと着地し、しかしぬかるんでいたのか足を滑らせて転倒した。その衝撃で水しぶきが上がり、軽く雨が降ったように辺りが濡れる。

 

『妾以外の九之枝共と同等くらいかの。しかもドジっ子属性も持ち合わせていると……全くいつこんなのが産まれたのか』

 

少なくとも、亮が旧世界に居た四十年前には見かけなかった。そもそも聖人様と呼ばれていた者は神術を扱える神。亮に食われたので、元々神聖な物だったとしてもこれほどの神聖を蓄えているのも不自然だ。巨人に信仰される程度には神聖を元々蓄えていて、四十年の間にこれほどまでに成長した。

四十年前にこれほどの存在があればまず自分が気付く。

 

『こやつ、ここでは倒さず放置しておれば、暘谷と同じく、それなりに神聖な存在になりえそうじゃの』

 

八代の言う通りだ。四十年でこれだけの神聖を得られるのならば、もう四十年、もっと時間をかけてもいい。かつての八代やそれ以上、たとえば炎神や水神クラスにまで成長できるかもしれない。そしてそれを食らえば、それだけで目的が達成できる可能性はある。

 

『かもな。だが、コイツはここで終わらせる』

『ほう、その心は』

 

ここで刈り取るのは合理的ではない。八代に分かって亮に分からないなんて言うことは無い。それでもここで摘み取る選択を取る理由。もちろん、八代には分かる。亮に取り込まれている八代には亮の考えが、心が分かる。二人は一心同体なのだ。それでも八代はそう問うた。

 

『コイツはもうこの時点で新世界を破壊できる。海底に行っても死なないしシェルターをぶち破って虐殺できるほどの力を持ってる』

 

それだけであれば、構わなかった。たとえ新世界の何千万人が息絶えたとしても、亮には何の関係もない。しかし。

 

『愛菜をこっちで生活させるわけにはいかない。約束したからな』

 

恩師の最後の願いが、新世界の崩落を許さない。愛菜という鎖に繋がれている今、新世界を破壊させるわけにはいかない。

 

『俺にはいくらでも時間はある。愛菜が息絶える時間くらい待ってやるさ』

 

人の一生の長さ程度、亮からすればほんの一部にしかならない。彼の偉人達の創作物の神が言うような、人の一生は自分にとって一瞬とは言わない。時間の流れの重さは変わらない。だが、あと数十年程度、愛菜が笑って暮らせるような環境を守ることくらいやってみせる。

 

『であれば』

『ン、殺す』

 

転倒していたコケの巨人も起き上がり、遠くから殺意溢れる目で亮を睨んでいる。簡単に拳を止められた事で恐怖しているかと思えばそうでもない。どうやら知能が低くとも、負けられない理由を持ち合わせているらしい。

 

「ヴォオオオオオオオオオ!!」

 

コケの巨人が走り出した。明確な殺意を持って、目に見える暴力を用い全力で亮を殺しにかかる。一歩一歩踏み抜く度に大地が震えた。木々が振動で傾き、あるいは倒壊する。

亮との距離を縮め、まずコケの巨人は走りながらに大岩を蹴っ飛ばした。2mほどの大きさの大岩が飛んでくる。それだけで人にとっては脅威だ。大抵の魔物だってコレに当たれば即死する。

 

「……」

 

だが亮は動かない。棒立ちのまま、その脅威を受ける。大岩が亮に触れ、当然のように飲まれて消えた。

 

「ヴルルルウオッ!」

 

直後。大岩が意味をなさないことを知った上で、コケの巨人は大地を蹴って飛び上がり、空中でクルッと頭を下へ。亮へ向かって急降下する。右拳を握り、腕を手前に引いた。

なんとも読みやすい攻撃だ。全体重と重力加速に物を言わせた暴力。だが高速で動けるもの者でなければ避けることはできない。拳から避けたところで巨人その物に触れてしまえば圧殺される。破壊の規模だってどれだけの物になるか。

コレをここで殺す選択はやはり正解だと改めて感じた。新世界では手に余る。

 

「八代」

『かしこまった』

 

亮の呼び掛けに八代が答え、間髪入れず亮の体から一匹の狐の骨の顔が現れる。骨は口を大きく開き、濃縮された魔力のレーザーを放った。かつての神聖さを薄れ、禍々しい輝きを放つレーザーは黒く、ある種の美しさを持つ。

だが見惚れてはいけない。それは純粋な魔力による破壊なのだ。

 

──パァン!

と、破裂音にも似た発射音に続いて、コケの巨人の右拳から肩にかけてが消し飛ばされた。

 

「グルアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」

 

コケの巨人の悲痛な叫びは彼方まで木霊する。あまりの痛みに、流石のコケの巨人でも叫びを上げることしか──できないわけではない。

 

『んー、まーじぃ?』

 

八代の驚きの言葉が亮の頭の中に反響した。しかし驚くのも無理はない。コケの巨人は右拳から肩までがキレイさっぱり消し飛ばされたのに生きていて、さらに諦めず左拳を突き出して来たのだ。

八代は驚きのあまり、狐の顔の骨の方に指示を出すのを忘れていたらしく、亮とコケの巨人の間で浮遊していた骨の顔は、コケの巨人の左拳をモロに受けてしまった。

 

『アウチ』

 

まるで感情の籠っていない三文字を呟き、殴られた衝撃で一直線に超高速で亮の方まで飛んで行き、直撃し、そのまま亮の体に呑まれて消えた。

 

『おかえり』

『たでーま』

『あれなんか主達仲良くない?』

 

別に骨の方も自分の体に居るから仲がいいも何も。なんて言い返そうとしたが、コケの巨人のせいでそれどころではなかった。

 

「……ン?……やばいかこれ」

 

とある物を感じ取り、亮は久し振りに「危険」を認識した。すぐさま大地を蹴ってコケの巨人の拳が届く前に、600mほど飛び上がる。地上では大地が揺れて大きなクレーターが出来上がり、衝撃で木々が倒壊し始める。

だが本来、これほどの力を持ってしても単純な物理攻撃は亮に対して一切通用しない。魔人の「食らう」力の前には核爆弾ですら意味をなさないのだ。だからこの攻撃もそのまま受けてもなんの問題もないはずだった。触れた位置からそのまま亮の体に取り込まれるのだから。

 

それでも亮は今、コケの巨人の攻撃を避けた。理由は簡単だ。

 

『八代、お前が中途半端な攻撃したせいであのデカいの、拳に神聖を乗せ出したぞ』

『ははははは!天晴じゃの!』

『笑ってる場合か』

 

今のコケの巨人の攻撃は、亮を殺せる。幼子が大人を殺すのに何回拳を叩き込めばいいのかは分からないが、拳を叩き込んだところで意味をなさない先程までとは大違いだ。

 

「……殺せなくなるのも時間の問題か」

 

この場合、問題になってくるのは攻撃だけではない。上手く神聖を使いだしたのならば、防御面でも相当な力になっているはずだ。完璧に防御に対して神聖を使っている場合、亮でも物理、魔力を用いた攻撃でコケの巨人を倒すことはできない。

神聖には神聖を。神術を使う羽目になってしまう。

 

『八代、全部出せ』

『あいあい』

 

取り敢えず。山どころかその気になればこの惑星そのものを簡単に消し飛ばす八代の家族を八体出させる。微かではあるが神聖が乗る八代達、九尾の狐の攻撃であれば、コケの巨人を殺害できると踏んだからだ。

 

『きちんと加減しろよ』

『わかっとるのじゃ』

 

八代は八体の家族に指示して地上のコケの巨人に対して、いつものビームを発射させる。全力全開で放ってしまうと、避けられた場合に地球というこの星自体を破壊することになってしまうので、いつものように威力は抑えさせる。

 

────!!

 

音はない。そういう速度で。それくらいの魔力の圧で。先程とは比べ物にならない程には「強い」ビームが放たれる。

しかしこの程度であるなら、避けられても地盤を貫ぬく程度に終わるだろう。酷くて数年に及ぶ竜巻の発生や大津波や大地震や季節外れの大雪などの天変地異程度で済ませられる程度の威力。

 

『あれま』

『防がれたか』

 

地上では八つのビームを掌で受け止めるコケの巨人が居た。亮がやったのと同じように、顔色一つ変えることなく掌で受け止めのは意趣返しのつもりか。

 

『仕方ない』

 

八代達の攻撃で止められないのならば、もうこれは多くの神聖を使った攻撃や、神術を使うしかない。こうなる前に仕留め切るのが最適解ではあったが、迷いにも似た様子見の時間を作ってしまった自分に非がある。

 

『方法はいくつもあるが、どうするかな』

 

聖火や聖水で浄化しきるならば弱らせる必要がある。巨人を浄化するのに消費する神聖が多過ぎるからだ。かと言って弱らせるのにそれらを使ってしまうと、今のように学習し、耐性ができあがる可能性がある。

コレを撃破するには、スリップダメージではなく一撃で終わらせる必要がある。

 

『槍というのはどうじゃ?』

『そう思ったとこだ』

 

する必要のない意見のすり合わせをし、コケの巨人の最後を決めた。

それでも最小の神聖でコケの巨人を殺すには、少々弱らせる必要がある。幸い、まだ防御に神聖を全振りできているわけではなさそうなので、新世界では使えない手で弱らせていくことにする。

 

「ゴ?」

 

突如、コケの巨人は後ろに体が引っ張られた。何かに吸われるような感覚。だが体が持っていかれるほどではない。別にこれくらいの竜巻か何かなら旧世界にはよくあることで──と、コケの巨人の足が大地から離れた。驚く間もなく体がとある一点に吸われていく。では一体何に吸われているのか。

 

──ゴオオオオオオオオオオオ!

と、黒く禍々しい輝きを放つ竜巻だ。どう見ても普通のそれじゃない。これだけ大量に砂や木々、瓦礫やら魔物やらを巻き上げて居るのに、竜巻そのものは以前黒く輝くだけだった。

誰がどう見てもヤバイと思える脅威。逃れようともがくも、生憎コケの巨人は空中を蹴って移動する方法を持ち合わせていない。奮闘も虚しく、コケの巨人は黒い竜巻に吸い込まれた。

 

竜巻の中は魔力の刃が永遠と中の物を切り裂き続ける。吸引型のシュレッダーの様なものだと亮は考えている。たとえどんなものだろうと一度この中に入ってしまえば文字通り粉々になる。これ単体でいくつもの集落を細切れにした実績はある。恐らくこれをもう一つか二つ作っておけば新世界も終わらせられる。

つまりそういう攻撃。亮にとっては片手間で作り出せるが、この世の基準で言えば戦略兵器に準ずるもの。

 

だがそれでも、神聖を持つ者を終わらせられるとは思っていない。

なので、ついで右手を眼下のシュレッダーへ向ける。

 

「これで終わってくれればいいんだが」

 

呟いて。右の掌に竜巻と同じく黒く禍々しい魔力が一瞬のうちに集まる。半径60mほどの球体が出来上がった。余りにも異常な光景だ。黒い竜巻の隣に黒い球体。になったところで、一気に小さく収束される。

大きさにして僅か2cmの黒い玉。亮はそれを竜巻へと放り込んだ。

 

『生きてたらどうするんじゃ?』

『傷を負いつつもピンピンしてるなら同じことをもう2.3回やればいい。無傷なら仕方ない、神聖を用いた戦いだ』

 

なんて話をしている間に、黒い玉が竜巻に到着し。

────!

と、柱が出来上がった。天くらい貫く、かつて八代に当てたものを遥かに凌駕する黒の柱。

 

『あぁ、妾のトラウマが……』

『……』

 

狼狽える八代は放っておき、黒の柱の威力を感じて確認する。亮が亮たる所以、魔力が物を食らう速度。それをそのままに濃度の高い魔力として放つ。魔力が物を食らう。その極地。もう少し気合い入れて作ればこの惑星そのものを食らう事だってできる。

威力はこれで申し分ない。これ以上は被害を拡大させないように展開させている魔力の壁の方がやられる。これが限界。地球という亮にとって狭いステージで戦う上での限界。もしこれに耐えられるとしたら。

 

「ヴオオオオオオオオオオおおおおおおおおお!!」

 

耐えている。そして、間違いなく悲鳴が人の声に変わっていく。

 

「惜しいな」

 

黒の柱の中で、耐えて、生きている人を認識し、同時にダメそうなのも把握する。だから地上まで降下して、足を地につける。

 

「まぁいい」

 

歩いて黒の柱に近寄っていく。柱の前に立ち、黒の柱を止める。

 

黒が晴れて、亮を睨み付けるコケの巨人が立っていた。だが、目に力は篭っていても身体はボロボロだ。60mの身体が、その傷の多さを見やすくしている。皮膚が剥がれ、肉がえぐれ、右目が外れ、指は半分も失われていた。

だが、それでもコケの巨人は立っている。

 

あの日の恨みか、それとも──

 

 

まぁ、そんなことはどうでもいい。亮の右肩から少し上、宙に真っ白な純白の槍が現れる。

 

「聖なる槍に貫かれて死ね」

 

その槍がコケの巨人の頭に向かって飛んでいき、貫いた。音はない。そして外傷もない。ただ誰がどう見ても、白く透き通った純白の槍は巨人を貫いている。

そして、コケの巨人はゆっくりと瞳を閉じて、その場に倒れ込んだ。

 

『かつて自分が使っていた槍に殺される。哀れじゃの』

『哀れがどうのってお前も大概だろうが』

『誰のせいじゃったかなぁ……』

 

後は向こうに積載している血と骨と肉の山とコケの巨人を回収して、仕事は終わりだ。

 

『結局、どれも大したこと無かったの』

『何言ってんだ、これからが本番だ』

 

明日は愛菜がこの地に足を踏み入れる。彼女を守りきる。それだけがこの外界遠征での本題だ。

 

『そうじゃったの』

 

新世界の方でも、明日には事態が動き出すかもしれない。鈴木数馬という主人公が、どれだけ成長できるかは黒鎌帝に掛かっている。

 

全てはあの頃に戻るために。

 

『まぁ、とりあえず今はこの残ったゴミを回収だ。コイツらもうるせえし』

『せやの』

 

心の奥底で泣き叫ぶ、かつて旧世界の山の村でひっそりと暮らしていた女の子と聖人様と慕われ信仰された神の想いを無視して、亮は食事に勤しむのだった。




いつか投稿しようとちまちま書いてる外伝の話を軽く盛り込みつつ、戦闘回でした。もうあと5話あるかないかでこの章は終了予定です


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出発式

「ンし、綺麗になった」

 

全ての巨人の残骸を体内に取り込み、血痕やら骨やら肉やら。明日、極術師達が来た時に怪しまれない程度に場を掃除した。先程の黒の柱でできてしまったクレーターの部分等はそのままではあるが、別にこの世界にクレーターなんて珍しくも何ともないので放置している。

 

『2、3体じゃったか?』

『残しとけって言われたな。まぁ、出すか』

 

結局面倒臭くて全部殺してしまったので、先程の巨人を生成して体内から取り出す。亮の全身が黒く歪んでいき、巨人が現れていく。現実的に考えると大きさ的に出てくるはずはないのだが、出てきた後に肥大化していくという何が何だか分からないような状況だ。

 

そんなこんなであっという間に三体の巨人が出現し、クレーターで三体とも、亮が来る前と同じ様に立って虚空を見つめている。ちなみにもうその三体が亮に攻撃することは無い。そういう風に作った。

 

『ぱーふぇくとじゃの』

『少し時間食ったがな』

 

あの拠点を出てから現在までにかかった時間は三十分と少し。思った以上に時間を使ってしまった。まぁ本来、三十分でどうにかできる相手ではないのだが、その辺が魔人クオリティである。

 

『早いところ拠点に戻るか』

『うむ。ナナシ……と言うより、王の方は主にやらせたいことがあるみたいじゃったしな』

 

亮が王に電話した時のことだ。脅して外界遠征に出る事が決定したタイミングに八代は居なかったが、こうして八代を取り込むことで記憶は共有されている。

王が亮にやらせたいことの内容も分からないが、まぁどうせロクなことでは無いだろう。王から直接依頼されてロクな仕事だった事は過去に一度もない。

取り敢えず拠点に向けて足を進めて──と、その時、ピリリリリと仕事用の携帯電話が体内に鳴り響いた。携帯電話を右手に出現させながら通話ボタンを押して電話を取る。

 

「なんだ」

『終わった様だから連絡をさせてもらった』

「何かあったのか?」

『王から連絡が入った。やってもらいたいことが変更になったからプライベート用の番号を何時でもどこでも取れるようにしておいてくれ。だそうだ』

 

ちょうどその事を考えていたのでタイミングはいい。だが、やってもらいたいことが「変更」とはどういう事か。なんだか振り回されている気がする。

 

「分かった。ンで俺はこのあとどうすりゃいい?」

『好きにしていてもらって構わない』

「……分かった」

『では。戻ってきたら一言かけてくれたまえ。後、結界は壊すなよ』

「分かってる。ンじゃ」

 

言って、通話を終えて体内に携帯電話をしまう。旧世界に来て早々にやる事が終わってしまった。仕事が早く終わるのも考え物だなと思いつつ、やることはないが、やりたいことはあった。

 

『……行くのなら、妾は出ていこうか?』

『気にしなくていい。ただ、静かにしてろよ』

『ん、わかった』

 

愛菜達が来る時間まであと一日ならばと亮は拠点とは真逆の方向に進み始めた。

 

「帰る……か」

 

ポツリと呟いて、生い茂る木々の中に亮は消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

丁度その頃、新世界、ホワイト地区ではつまらなさそうに愛菜がデパートに向けて足を進めていた。

目的は明日の外界遠征に持っていくための日用品の購入。衣類は既に準備できてはいたが、歯ブラシやらシャンプーやら女子として身嗜みを整えるための物が不足していたのだ。買いに行かなくてはと朝からデパートへ。一人で行くのも味気ないので優衣も誘ってはみたのだが。

 

「私は義兄さんからこのお店の番を頼まれちゃったから、ごめん!」

 

と、張り切って下のフロアの書店に篭もりきりなので、仕方なく一人で歩いている。

 

「ひっと言もなく出てくんだもんなぁ……」

 

別に起こしてもいいから挨拶くらいして出ていって欲しかったと思う。いってらっしゃいとかいってきますとか、ちゃんと言えって言うくせに……なんて不機嫌な愛菜。

イライラしながら歩を進めるも、どこか落ち着かなくて、被っているこの前買ったキャスケットの位置を直してみたり。なんてしているうちに、前方の警察車両に気が付いた。

 

「(ひったくりとかかな?珍し)」

 

家の近所で物騒だなと思いつつも、日頃自分の方が物騒な事してるし、別に関係なさそうなので警察車両とは反対側の歩道を進む。あまり近くを歩いて職務質問を受ける。なんて言うのも面倒臭い。静かに気配を殺して通過しようとしたところで。

 

「あの、少しいいかな」

「(がっでむ!)」

 

たまたまこちらの方に視線を向けた警察官に声を掛けられてしまう。

 

「はい、なんでしょうか?」

 

足を止めて警察官の方に体を向ける。世の中には職務質問の拒否をする者もいるそうだが、一応愛菜は極術師。新世界の戦力の象徴の一部として受けざるを得なかった。

 

「実は早朝に、この路地で氷を扱う術師が倒れていてね。何か知っていることは無いかな?」

「知りません。向こうのマンションに住んでいますが、そういう音も聞こえてきませんでした」

 

こんな住宅街でよくやる物だと思いながら、質問に回答した。

 

「そうかぁ……あ、IDいいかな?」

「どうぞ」

 

言って、警察官はポケットの中から端末を取り出して愛菜へ向ける。直ぐにピピッと電子音がした。

 

「はい、ありがとう。これで協力してくれたお礼が……っ!?」

 

この新世界では公的機関への協力には謝礼が出る。缶のドリンク一本をタダで買えるとか、そういう小さいサービスではあるが、まぁ多少なりとも時間を割いてくれたお礼というやつだろう。

大変有難い話ではあるが、個人情報を確認してギョッとするのは頂けなかった。

 

「えっと、もう行っていいですか?」

「ど、どうぞ!お時間を頂いてありがとうございました!」

「失礼します」

 

警察官の端末には愛菜の身分証、名前と生年月日と顔画像、そして術位が表示されているのだろう。それを見て知って、態度が変わるなんてよくある事だったので、特に気に止めることも無く進み始める。

──極術師

その称号には、まぁ人の態度を変えさせるくらいの力を持っている。

そして、それを実感する度に、この新世界の小ささを思い知る。極術なんて言うのも所詮はこの狭い新世界での上限というだけの話なのだ。家にいる自分を除いた三人とかにかかれば、そんな称号なんて霞んで消える。愛菜はそれを見てきたし身をもって実感している。

加えて言うなら、愛菜は見ていないが、路地でもう溶けている氷が、それを証明していた。

 

「(……気を取り直してお買い物を……)を?」

「おっ……うあああっ!」

 

ダン!と、左側の路地から出てきた誰かが愛菜の前で盛大に倒れ込んだ。何となく嫌な予感がして足を止めたから良かった物の、あのまま進んでいればぶつかっていただろう。

 

「大丈夫ですか?」

「ってて……だ、大丈夫大丈夫。驚かせて悪い……ってあれ、根本さん?」

「…………あぁ、鈴木さん」

 

起き上がって顔を見れば、嫌なのに見慣れてしまった顔があった。

鈴木数馬である。見たところ今日は他に誰も居ないようだ。いつもなら誰かしら他の女性を連れているはずなのだが。と、そこまで考えて。

 

「(……これは、私が取り巻きになるパターン?うっわ)」

 

この流れからしてその可能性は非常に高いと思われた。

 

「こんなところで奇遇だな」

「……そ、そうですね」

 

そうなる前にさっさと立ち去ってしまおうと決め。

 

「じゃ、私は急いでいるので」

「あっ、ちょっと待ってくれ!」

 

これで。と、言い切ろうとしたタイミングで引き止められてしまった。控え目に言って最悪である。

 

「由紀……宮里由紀を知らないか?」

「……知っていますけど、何処にいるかは」

「そっか……じゃあ、シェイカー博士って聞いた事あるか?」

 

さてどうしたものかと困った質問が投げ掛けられた。知ってはいる。だが、話して良い物かという話だ。一応、博士には表と裏の顔があって、自分は裏の顔のシェイカー博士しか知らない。世間一般的に使える研究を発表しているのは知っているが、研究に協力してた時は専らヤバい研究ばかりだった。

だが考え方を変えてみれば、知られても大丈夫そうな研究内容の方を伝えてしまえば、そちらに気を取られて勝手に居なくなるのではないかと思い付く。

そうと決まれば早い。

 

「えぇまぁ。たまに研究にお付き合いさせていただきました」

「っ!頼む!何か……そう、すっごい魔術師を作る研究してたとか知らないか!?」

「とてつもなく抽象的で私には何が何だか分かんないんですけど」

 

すっごい魔術師を作るとは何か。極術師のクローンの話か、はたまた極術師に成長させる話なのか。

 

「あー良い表現が出てこねえ……心臓!すっごい魔術師!」

「心臓……?まぁでも心臓がどうのなら、ここの道をあっちに行って、七つ目の交差点を右に。二つ目を左に行ってから四件目の一軒家。そこが博士の没商品の保管庫になっていて、結構その類のものがあったはずですよ。あ、この事は他言無用でお願いしますね」

 

あそこの家ならば問題ないだろう。医療機器や電化製品とか、国を揺るがすほどヤバい物は無い。人体関で魔力の送受信のやり取りをする物はギリギリ怪しいかもしれないが、アレだって戦闘時に魔力が枯渇して戦えなくなった人を一時的に助ける様な装置だし──

 

「本当か!!助かる!ごめん俺もう行く!」

「はい、どうも」

 

っし!と、内心でガッツポーズ。もう今日はこれで関わらなくて済みそうだ。

 

「……また何かに首突っ込んでるんだろうなぁ」

 

術位向上事件、学校の稲妻の件、媚薬の件、デパートの襲撃、宮里由紀のクローンの件、一体どれだけの物事に手を出していくのやら。潜り抜けた修羅場の数なら、裏の人間にも負けず劣らずなのではないか。

 

「(私には関係なさそうだからいいけど)」

 

一応、これでも魔人に並び国の機密事項。彼が深淵の真実を知り、敵対する時があるとしたら。それはもう、数馬の方が新世界の敵になっているはずだ。

その日は実際に訪れそうな気がして──まぁいいかと割り切って再びデパートへと足を進るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日。この日はついに外界遠征当日である。ブルー地区の軍事基地での集合時間は午前9時。その後直ぐに出発式が始まる。

電車を乗り継いで大体2時間掛かるので、朝7時に家を出る。ので、色々と準備がかかるので朝6時に起床した。シャワーを浴びて、身嗜みを整えて二人分の朝食を作る。亮の様に手早く、それでいて手の込んだ物は作れないので、パンを焼きながらベーコンエッグとコンソメスープだけ作って、さっさと朝食を済ませる。

諸々の準備を終えきった時にはもう時刻は7時に迫っていた。最後の最後に大仕事が残っていて、それに立ち向かう。

 

「優衣ちゃん起きて〜!」

「すぅ……にーさん……ゆーすけ………裂いて……」

「?????」

 

一体彼女はどんな物騒な夢を見ているのだろうか。頭の中に大量の疑問符が浮かんだ。というか一体誰を裂けと言っているのか。気になるところではあるが取り敢えず早く起こさないと遅刻してしまう。流石に外界遠征は「いっけな〜い遅刻遅刻!」とはできない。

 

「ゆーいちゃーん!」

「おとー……ふっ……ふふふ……」

「ダメださすが神様の妹、世俗なんて知ってこっちゃないって顔して寝てる」

 

体を揺すっても起きない優衣に対して感想を述べつつ、もう普通の方法では起きなさそうだった。粘れば可能性はあるかもしれないが、本格的に遅刻してしまう。

 

「仕方ない、亮から教わった最終手段を使うしか……」

 

あまり使いすぎると耐性ができるから非常時以外は使うなと教えられた、優衣を起こすための手段。彼曰く、神の妹ならばこれで起きる筈だと。

 

「優衣ちゃん、マキさんがまた変な本拾ってきたよ」

 

言い切った直後。ガバッと勢いよく優衣が上体を起こした。

 

「はっ!あのバカ兄さんまたりょ……あれ?」

「おはよう優衣ちゃん」

「…………おはよう愛菜ちゃん……あれ……?」

 

何が何だか分からなさそうに優衣が首を傾げた。

 

「……大丈夫?」

「うん……ただ何か、絶対に許してはいけない全ての災厄の根源を滅ぼしたい衝動に駆られて……ってごめんなさい、何か用?」

「うん。私もう行くから、朝ごはん作ったのと、後これ」

 

言って、愛菜が優衣に一枚の磁気カードを差し出した。

 

「これは……」

「牛丼屋さんの定期券」

「?????」

 

今度は優衣の頭に疑問符が並ぶ。

 

「これがあればね、近所の牛丼屋さんで牛丼が一ヶ月食べ放題なの」

「は、はい」

「私思ったんだ。優衣ちゃん、家に誰も居なかったら飢えて死ぬんじゃないかって」

「え、えぇ、私だってインスタントくらいなら作れる……」

「インスタントは体に悪いよ。でも大丈夫、これで牛丼が食べ放題だから」

「べ、別にインスタントも牛丼も変わらないんじゃ」

「あ?」

「な、なんでもない、なんでもないよ。牛丼なら安心だね……」

 

一瞬、愛菜が本気で人を殺しそうな目をしたので、慌てて訂正する。

 

「そうっ!牛丼なら安心だから、学校に持ってくお弁当に牛丼を持って行っていいし、晩御飯も食べられる!それにこれを使えば卵も付けられるからね」

「あ、ありがとう?で、でも牛丼ばっかり食べてて太らないかな……?」

「んー、優衣ちゃんなら再聖があるから大丈夫だよ」

「一応、神の起こす奇跡なんだけどなぁ……」

 

確かに。過剰に摂取した部分を害と見なせばその栄養価だけ無かったことにできるが、そこまでしたいとは思わなかった。

 

「起こしちゃってごめんね、でも大切な事だったから」

「うん、わざわざありがとう。愛菜ちゃん、気を付けてね」

「ん。亮と一緒に、無事に帰ってくる」

 

優衣の言葉に、愛菜は笑顔で答える。この場には居ない亮が思っている以上に二人は仲良しだった。

 

「それじゃあ行ってくるね」

「うん、いってらっしゃい」

 

亮とはできなかったが、優衣に見送られて、昨日から何となくザワついていた心に、少し落ち着きを取り戻す愛菜だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

午前9時15分。ブルー地区の軍事基地は、既に人で溢れ返っていた。官僚にメディアに、極術師達を人目見ようと一般の者まで。例年の何倍もの人が集まっている。

極術師総出の外界遠征は前例にない。この新世界に置いて魔術師の上限に位置するとされる五人を、一枚の写真に映せる機会はこれが初めてだからだ。

 

今はまだ五人の姿は見えないが、もう間もなく予定。集う者たちは今か今かとその時を待ち侘びている。

 

「深淵を生で見れる日が来るなんてな」

「あの子はよくテレビに出るから、個人的にはリフレクターの方が気になるかなぁ」

「もーちょっと前に行けないかな」

 

なんて人の声の数々が重なってガヤガヤ。といった具合。もはやアイドルか何かのイベントの様な雰囲気が流れている。これで極術師達が入場する時はもっと弾ける様な歓声に溢れることだろう。

 

だが、そんな空間に、ボンボン。と、音が響いた。至る所に設置された拡声器からの音であることは明白。

 

『時間だ』

 

直後に、声が響いた。現国王の声。もちろん彼がこの場に居ないなんて事は無い。この第三格納庫のもっとも奥、潜水艦が停泊している海面のほんの少し手前に立てられた即席の壇上に、王が立っている。

 

『まずはお集まり頂いたことに感謝を。そして静まれ』

 

最後の一言は喝の様な強い口調で紡がれた。

 

『さて、これから出発式を始める。興奮する気持ちは分かる。私だって極術師五人を送り出す側になるわけだ、興奮してる。けれど忘れるな、これは撮影会でも握手会でもない。これは、彼等を、この新世界の頂点たる五人を、地獄に見送る場だ』

 

場の空気が固まった。

 

『旧世界はかつて我々の祖が住まっていた土地らしいが、今はご存知の通り魔物が巣食っている。そして魔物達はとても、凶暴だ。魔物達からすればただの人は新鮮な餌にしかならない。公の場でこの発言は頂けないかもしれないが、これは明白な事実だ。我々はそういう場所に極術師達を向かわせようとしている』

 

彼の言葉を遮る音はない。誰しもが王の言葉に耳を傾け、聞き入っている。

 

『けれど彼等は決して、魔物の餌になりに行くわけじゃない。先祖の愛した土地を魔物の手から取り返す。そのために向かう。今回の遠征の目的は旧世界にある我々の拠点の整備、拡張、そして近くに住む魔物の撃滅。大した事ないように聞こえるか?しかしこれはこの新世界に置いて彼等にしかできない!』

 

強く言い切って、間を空けた。

 

『だから、君達は静かに見送ってくれ。携帯電話をしまえとは言わない。だが、地獄で我々の代わりに戦ってくれる彼等を、力強く見送ってくれ。話が長くなった。さぁ来い、最強の五人』

 

第三格納庫。その入り口の大扉から五人が並んで入ってくる。王の言った通りに、この場は静まり返っている。カツ、カツ、と彼等の足音だけが響く。

 

『静まってくれてるところ悪いが、一人一人私が解説しろってカンペ出されてるから解説する』

 

少々不服そうな声で王が言った。クスリと笑う声が所々から聞こえている。締まらないとかいうレベルじゃなかった。

 

『通り名はブラスター。真名はマグナス・スローン。恐らく極術師の代名詞だな。彼は産まれたその時から極術師だった。そしてその才に劣らぬほどの努力を重ねて、今この場に居る。彼の炎は、悪しき魔物を燃やし尽くしてくれるだろう』

 

ド真ん中を歩く大男。王によるマグナスの解説が終わる。彼はなんかそこそこ恥ずかしい紹介のされ方をされているのだが、まぁそれは意に介さずといった様相だ。いつも通りに、ただ真っ直ぐ前を見て歩いている。

 

『続いてドリフター、久坂陽吾(ひささか ようご)。小柄な男の娘だからって舐めちゃいけない。コイツの念力にかかれば最後、大抵の奴はもみくちゃのバターにされる』

「そ、そんなことしませんよ!!」

 

王の紹介に大声で反応したのは小さな少年。身長は愛菜と大して変わらない。茶色の短い髪の先端が少し赤色に染まっているのが特徴的だ。

他の極術師と足並みを揃えながらも否定の声を上げ続けている。

 

『あー、悪かった、次行くぞ?きっとここに居る全員、一度はその通り名を聞いた事あるだろう。絶対零度、宮里由紀。一族代々極術師の血統、今日は一段と冷たい目だな?』

「……」

 

王が茶化すも、由紀は答えない。いつもの彼女を知る者でないと分からないが、確かに彼女の目はいつもの様に凍り付いていた。果たして、目だけで済んでいるのかどうか、分かる者はこの場にはいない。

 

『…………よし次、知る人ぞ知る極術師、イエローで自警団してるって言えばコイツの事だ。名前は俺でも知らん、リフレクターで覚えとけ。ちなみに俺は認めてねえからな?』

「なら早いところてめえらできっちり取り締まれよ」

 

そう言うのは黄色い髪が長く下ろされているのが特徴的な青年。マグナス程ではないにしろ身長が高く、今は王に対して怒りの表情を作ってはいるが、傍目に見れば好青年といった様な雰囲気。

 

『全地区で警察隊の増員を予定している。今後一時的な物になるかもしれないが検問の予定も多く入っている。何の罪もない人も検問されるかもしれないが、許してくれ』

 

と、王はその言葉は雰囲気を変えて紡いだ。かと思えば直ぐに表情が崩れた。

 

『最後。原初の魔術師、深淵。根本愛菜。相変わらず黒いなお前』

「……」

『おいおい怒るなよ。てかそのパーカーに革ジャンにジーンズって。お揃いにしてき──ふぉぉぉお!?』

 

歩きながら革ジャンの内側に手を突っ込んで暗闇からナイフを取り出して投げた。もちろん王に当たることはなく、壇に突き刺さるに留まっている。もうこれ以上喋るなという愛菜の意思表示である。

 

『ま、まぁあれだ、やる気があるのはいい事だわ。全員なんか俺への扱いが大分雑なのが気になるところだが……これで全員の紹介は終わったな』

 

と、王が言い切るタイミングでもう既に王の立つ壇の前に極術師達が並び揃っている。真正面から見れば、圧巻というやつだろう。この新世界の上から五人が王を背にして立っている。まさに、これが新世界。そう言わんばかりの光景だ。

それを確認してから、王は再びマジな雰囲気を纏って、目付きが変わる。

 

『……さて、これからこの五人にはこの世の地獄に行ってもらうわけだが、私から言うことは一つだ』

 

少し間をあけて、王が言い放った。

 

『生きて帰って来い。健闘を祈る』

 

その言葉が言い終わってから、カメラのフラッシュ音が響いた。一つ、また一つと小さな光が弾ける。しばらくしてから、再び王が口を開いた。

 

『一つだとか言っといて二つ言った気がするが気にするな。これにて出発式を終える!!』

 

まぁ、なんとも最後の最後に締まらない王だった。




す〇パスが消える時、私の牛丼生活が終わる()

後なんか初期構想では極術師9人でした。ただなんか多いなと思って最初の書き溜めからは変えているのですが、修正しきれて居なくて9人になってたら書き直すので教えて頂けると幸いです


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外界遠征①

人の手が入らなければ緑は増え続けるものである。だから旧世界はかつてそこに住んでいた者たちの遺構を消し去るように自然で溢れかえっているのだ。

そんなものは新世界の拠点から出て旧世界を見て回れば簡単にわかることである。

 

だからこの光景は異質だった。

 

木々が生い茂る森の中に存在するのに、緑一つ介在しない。生命が枯渇した大地。段々緑が少なって、気が付けば砂漠。というのはあるが、ここはそういうのでもない。どこまでも続く様な長い森があって、けれどそれが突然枯れた大地になっている。

旧世界のどこを見ても、ここ以外にこの景色は存在しない。

 

一際際立っているのが、その大地に無造作に突き立てられたかのような六本の十字架だ。大体の等間隔で、物によっては斜めに傾いて、それでもしっかりと枯れた大地に突き刺さっていた。これらは石造りや木製でもなく、鉄で作られていた。なのに言って錆びている様子もない。

 

この十字架達が何のためにあるのかは、十字架に人の名前が彫られているのを見れば一目瞭然だろう。

 

つまりここは墓地。

現在、新世界で一部の者のみが認知する魔人亮が一人になる前の家族達を弔う場所。

 

そしてその十字架の一つに、腰を降ろして、片膝を立て、亮は座り込んでいた。

彼の足元には十数本のタバコの吸殻があって、今また火を付け、吸い込んで、吐き出している。

 

「……」

 

昨日の朝、巨人を葬ってからここに到着してからずっとこのままだった。一言も声を出さず、ただ座り込んで虚空を見つめ、吸いたくなったらタバコに火をつけ、また虚空を見つめる。日が沈み、日が昇り、それを意に介さない。

そして時間が経って、またタバコが消費された。立てた右膝に腕を置いていて、もう火がフィルターまで達したのを見て、そのまま吸殻から手を離した。

 

「……時間か」

 

呟いて、ゆっくりと立ち上がり、振り返る。

 

「次来る事があったら、その時は、真衣と一緒に来ます。けれど、最善はもう一度あの時間に。今度は、俺が師匠を守ってみせます。じゃあ、行ってきます」

 

そう声を出して、「七尾真輝(ななお まき)」と彫られた十字架から離れていく。

 

『もう良いのか』

『あぁ。悪いな、退屈だったろ』

 

心の中で八代が話しかけてくる。ここに来る前に言った通りに、八代は一言も話さずにただ待っていてくれた。

 

『いんや、主の中には何万以上の人と何千万以上の魔物の記憶があるからの。それらの人生を追体験していれば、時間なんて勝手に潰れてくれる』

『ン、退屈してないのならよかった』

『それに今回は早かったからの。長い時は九十年ほどこのままだったりしたじゃろ。それに比べれば一瞬みたいなもんじゃ』

『そうだったな』

 

と、答えた頃には枯れた大地を抜け出していた。これから新世界の拠点に戻る訳だが、そろそろ極術師達が到着する時間になっていた。ここから拠点までは大体の200kmほど離れた位置にある。愛菜達はあと10分少々で到着するだろう。歩いて行くわけには行かないので、取り敢えず天高く飛び上がる。

方角に間違いが無いことを再認識してから、足で空を蹴る。

 

────ボン!!

と、爆音に似た何かが響いて。その場から亮が消失した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新世界から旧世界へ向かう潜水艦の中の空気は重かった。兵士は昨日の内に現地入りしているため、潜水艦の操縦士を除けば極術師の五人だけが広い船員室に座っている状況である。

極術師の貸切と言えば聞こえはいいが、接点は基本それだけ。愛菜だって久坂陽吾とリフレクターは初めて見た。マグナスは一昨日少し話をしただけだ。唯一、宮里由紀とはそこそこ話をした事があるが、一緒に遊びに行くとか、そういう仲でもない。

 

「(しかもなんかめっちゃ機嫌悪そうだし)」

 

王が出発式で言っていたように、由紀はどこかおかしい。元々取っ付きにくそうな雰囲気ではあるが、それがいつもより増している。

 

「(……あれ、かな……私にはわかんないからな……)」

 

女性の機嫌が悪くなる一因を聞いたことがあるが、自分には決して訪れない現象であるがために想像する事しか出来ない。

 

「(うん、そっとしておいてあげよう)」

 

愛菜は知らない。そういう中途半端な気遣いが余計なお世話だと言うことを。

そして、由紀が機嫌が悪い理由はそういう単純な話ではなく、昨日の亮とのやり取りであることを。

 

「みんな、少しいいかしら」

 

愛菜がそう決心した矢先に、静寂を破ったのは以外にも由紀だった。

声を上げた由紀に視線が集まる。

 

「ディザスター。という名前に聞き覚えは?」

 

由紀の質問を聞いて、まず反応しないで隠し通した自分を褒めてやりたかった。声を上げないのはもちろん、眉ひとつ動かさずに居られたのは勲章物だと自分で讃える。

 

「口開いたから何かと思えば。御伽噺だろ」

 

真っ先に答えたのはリフレクターだ。やれやれと言った様子でジェスチャーも加えて首を振っている。

 

「僕も見たことは無いかな。ただ、そういうのが居るかもしれない。そういう話は聞いたことあるよ」

 

続いてドリフター、久坂陽吾が回答した。

と、そのタイミングまで愛菜は高速で思考を巡らせていた。

ディザスターというのは間違いなく亮の事だ。当然、知らない者に知られるのはまずい。どういう訳かマグナスは亮と話をしながら帰ってきたが、だからって極術師全員に知られていいわけがない。この場はシラを切る必要がある。

 

「……私も、です。ホワイト地区に居るという話は聞きますが、荒唐無稽な噂話ばかりが先行していて、確かに御伽噺の様だなと」

 

いい具合に誤魔化せたはずだ。そして次に問題になるのはマグナス。彼も闇の組織に身を置いてはいる。間違いなくディザスターの名は聞いたことがあるだろう。亮とイコールで結び付けるのは、一度でも亮と相対したのなら分かるはず。

もしここで、マグナスが話してしまう事があれば最悪、この場で全員と戦わなければいけないことも念頭におく。

 

「……マグナス・スローン、あなたは?」

「ない。皆と同じく、話だけだ」

 

外には出さないが緊張が解れる。ここでマグナスも自分に続いてくれたのは本当に助かった。

 

「とか言うお前はどうなんだよ」

 

そして、リフレクターが話を盛り返した。まぁ、恐らく由紀も実態は掴めていないだろうと腹を括り──

「昨日、会って、話をして、やられたわ」

「え……」

 

想定外の言葉に声が漏れてしまった。

 

「根本さん?」

「……いえ、驚いてしまって。私もホワイト地区に住んでいるので、まさか実在するなんて……」

 

あの野郎マジでホイホイ顔を出してんじゃねえよと叫び散らかしたい衝動を抑える。マグナスに顔を出したことだけでも一応困惑しているのである。それが続いて由紀にも……しかもやられたとは。

 

「だ、大丈夫だったの?」

 

心配そうな顔で陽吾が尋ねる。

 

「見ての通りよ。特に興味無さそうに……見逃された」

「(記憶くらい消しといてよ心臓に悪いよ……!)」

 

心の中で文句を言いつつ、一応心配そうな表情は作っておく。

 

「襲われた心当たりは?なんかあんだろ?」

「………逆、ね、私から攻撃した」

 

リフレクターの問いに由紀が答える。愛菜の方はその言葉を聞いて少々むっとするが、なんとか心のうちに留める。由紀程度の存在が彼に傷を付けることなど有り得ないわけだが、分かっていても思うところはある。

 

「復讐か」

「っ……」

 

突然のマグナスの言葉に由紀はたじろいだ。

 

「君のクローンがディザスターに殺されたというのは、一番噂されている話だ」

 

鋭い目付きでマグナスが言葉を続けていく。まるで諭すような声色で、それかマグナスが寺の出自だという事を思い出させる。

 

「君と君のクローンの間に何があったのかは知らない。だが、その恨みを戦場に持っていくな。恨みに身を任せるような戦いをしていては、死ぬぞ」

 

マグナスの警告に由紀は言葉を失った。理解して貰えない悲しさとか、苛立ちたとかではなく。

ただマグナスの言葉が最もで、正しくて、それは理解出来ていて。

 

「……それもそうね、ごめんなさい」

 

今は、ただそう言ってその場を終わらせることしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

それからしばらくして旧世界に到着し、今回は何事もなく浮上した。先行して旧世界に到着した部隊の活躍と、昨日の八代の働きが効いている。元々海の近くというのは魔物の数が少ない。天候が荒れればすぐに水没してしまうし、陸上の魔物では海中の魚を取るメリットがないからだ。

それに八代が沢山ブッ放したおかげでこの辺りを餌場にしていた鳥達のほとんどが消えた。いくら魔物の繁殖速度が早いと言えど、一日で回復する事は無い。

だから割と拍子抜けと言った感じで、極術師達は拠点に入ることが出来た。

ちなみに持ってきた荷物などは、潜水艦の所まで迎えに来た兵士が持って行ってくれた。

 

その後数名の兵士に2階の小会議室へ案内される。どうやら大会議室の方では兵士達のブリーフィングがある様だった。

中では既に総司令官、ナナシがスクリーンに今回の作戦概要を表示した状態で待機している。全員揃うなり、早々にナナシが口を開いた。

 

「手早く済ませよう」

 

衛星からの映像で、昨日亮が吐き捨てた三体の巨人の居る地点が映し出された。

 

「ここから徒歩で二十分ほど北上した地点だ。まずはここへ行き」

 

ついで、巨人を上から見た映像に切り替わる。

 

「この五人で三体の巨人を討伐してもらう」

 

確かに三体の巨人がその場に佇んでいた。三体が動く気配ない。ただこうして見ていると、立ったまま死んでいるようにすら感じる。

 

「こいつらは新種か何かか?」

 

まず質問したのはリフレクターだ。

 

「いいや。以前から観測されてはいるが、この近辺に現れたのは初めてだ」

「……何か目的があるのかな?」

 

続いて陽吾が声を上げる。

 

「ここにいる者たちは一度は外界遠征を経験しているから分かると思うが、魔物達に目的などない。強いて言うなら食欲と言ったところか。 ともかく巨人の出現の原因は不明だ」

 

目的があったとして、人の言語を話さない魔物の目的など理解できるはずもない。先程拠点に戻ってきた彼ならば知っているかもしれないが。そう考えるも素直に彼が伝えるとも思えないので保留にする。何にせよやることは変わらないのだ。

 

「巨人討伐後はこちらへ戻って結界の張替えを行う。君達は兵士と共に結界交換の間、無防備になる兵と拠点防衛だ」

 

どちらも仕事の内容として分かりやすい。倒す、守る。その二種類。

愛菜の魔術、深淵の特性からすれば「守る」という行為は難しいのだが、マグナスに由紀に陽吾と広範囲をカバーできる魔術師が居る。

今の由紀にそこまで気が回るのかは分からないが、まぁ取り敢えずマグナスが居れ誰も傷つく事無く終えられるだろう。よっぽど死にたがりな者でなければマグナスが守ってくれる。前回、宝姫咲輝を守った時の気合いの入りようを見れば、彼がどれだけ「罪のない人を守る意思」を持っているのかは分かる。

 

「現状こちらで把握している巨人の武器は、やはりあの体だ。体躯の通りとてつもない力を持っている。その上見た目の癖に動きは素早い。振り下ろす拳は大岩くらいなら砕く。一撃も貰うな、死ぬぞ」

 

今もどこかで見ているであろうと誰かさんは、その何百倍以上の力を持った一撃を片手で止めていた訳だが、当然それができるのはその誰かさんだけである。

 

「弱点は頭部。小さくはあるが脳を持っている。そこを狙え。深淵、リフレクター、君たちの武器ならば貫けるだろう」

「ん」

「オーケー」

 

愛菜が小さく頷いて、リフレクターが右手を軽く上げて返事をした。愛菜も正直なところリフレクターという者がどんな戦い方をするのかは知らない。名の通り跳ね返るとは聞いたことがあるが、同時に動いて剣を振るうというのも聞いた。攻撃手段が魔術でなく刃物などの武器である様だ。

 

「極術師同士、協力して……とは言わないが、くれぐれも味方を攻撃するな。さて質問はあるか?」

 

ナナシがそう尋ねるも、声を上げる者はいなかった。

 

「ならばゆけ。旧世界の木偶の坊に新世界の頂点を見せ付けて来い」

 

その言葉を聞いて、一番ドア側にいた陽吾から順に小会議室を後にして行く。

一番最後に愛菜も続いて行こうとして。

 

「深淵」

 

だがナナシに呼び止められた。

 

「なに?」

「言伝を預かっている。一応見てる、だそうだ」

「……そっか、ん、わかった」

 

どうやら彼はもう近くに居るようだ。この外界遠征、自分の深淵としての力は十全に使えないが、制約の範囲内でも十分戦える。彼が見ているのだとしたら、無様な姿は見せられない。そう思うと、この退屈な行事にも、少しやる気が湧いてくるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

拠点を出れば直ぐに兵士達に見送られた。リフレクターだけ結界を出る前に兵士から武器である剣を受け取っていたので、少し後ろから着いてきている。誰一人待つとかしない辺り、チームワークは期待できない。愛菜としても、下手に協力だので行動が制限されるよりかは良い。元々協力プレイに向いてる魔術でもない。

それに、日頃戦闘を行う事があっても一人で戦うか、亮という万能過ぎるサポーターに一方的に手伝ってもらうことしかないのだ。彼との場合は協力と言うよりかは介護されていると言った方が良い。

 

「深淵」

「なんですか?」

 

ふと先を歩いていたマグナスに声をかけられた。

 

「日が出ていると戦いにくいと聞いた。相手はかなりの大きさだ、戦えるのか?」

 

暗に戦力になるのか?という問いに聞こえるが、マグナスの表情からその線はなさそうだ。本当に心配そうな顔をしている。敵対していない限り、そういう貶すとかいう行為はしないのだろう。

 

「はい。むしろ大きい相手であれば、影ができます。その点では戦いやすい相手だと思ってますよ」

「そうか、ならばいい。要らぬ心配をした」

「いいえ、気を使ってくれてありがとうございます」

 

ニコッと完璧な作り笑いで礼を述べた。

 

「と、当然だ……」

 

そっぽを向いてマグナスが答える。どこからか「残酷な奴だ」という聞き慣れた声が聞こえた気がした。

 

「このメンバーだと頼もしいなぁ。僕、外界の魔物ってやっぱり怖いんだけど、これなら安心して戦えそうだよ。宮里さんもそう思うよね?」

「……えぇ、そうね。私も頑張らないと。みんなに遅れをとるわけには行かないわ」

 

陽吾と由紀もそんな会話をしていた。潜水艦内でマグナスに諭され、由紀も少しは調子を取り戻した様子。後は陽吾の明るく緩い雰囲気が気持ちを和らげているのだろう。酷く謙虚な事を言ってはいるが、魔術だけで言えば陽吾の魔術、念力はかなり強い部類になる。彼の逸話には動かなくなった列車を動かしたという物がある。

念力は上位術師でも人一人動かすのが限度と言われているのだ。陽吾の持つ魔力の量がもっと多くなれば、亮の魔力の壁の様にもっと強力なものになるだろうと、愛菜は考えている。

 

もちろん汎用性で考えるのならば、由紀の魔術も侮れない。いつでもどこでも好きな時に空気中の水分を凍らせ、魔力でその氷の性質を弄れる。やたら滑るとか、硬いとか、そういう操作だ。地味に聞こえるが侮れるわけがない。よっぽど力がなければ彼女の作る氷は砕けないし、足場を凍らされればまともに動けない。もちろん動けなければ足元から凍りついて、やがては氷のオブジェクトに成り果てる。

 

今一度価値観を訂正していかなければならない。意思一つで惑星を貫くビームを放ったり、この地球から文明を消し去る神の御業を使ったり、片手で地球を割れる者達の価値観に合わせていてはいけないのだ。

 

「そろそろだぞー」

 

しばらく歩いて居ると、少し後ろからリフレクターの声がした。言われてさらに警戒を強める。映像で巨人は微動だにしていなかったが、今もそうだとは限らない。

久しぶりの魔物との戦いに緊張感も湧いてくる。

 

「見えたわ」

 

少し声を落として由紀が言う。木々に隠れてはいるが、確かにもう少し先に肌色の巨体を確認できた。

 

「さ、作戦とか作る!?」

 

興奮気味に、それでも小声で陽吾がジェスチャー交えに発言。

 

「あ、でしたら私が。影さえ作ってくれれば頭に行って刃物刺してきます」

「……物騒な事をすごい平然と言うわね……」

「魔物にかける慈悲はありません」

 

と、陽吾、由紀、愛菜の三人で各々アイディアを上げる。一応協力して見ようという志ではある。それに相手を闇に落とすことが出来ないのだから、やれることと言えばそういう不意打ちが主になる。魔力コントロールで多少は防御力を持ってはいるが、流石にあの巨体から繰り出される拳に直撃してしまうと死ぬ。なので大立ち回りなんてできるはずもないのだ。

 

「……案は出たか?私にもできることがあるなら手伝おう」

 

話を聞いていたマグナスもそう言って会話に混ざってくる。なんなら彼一人でどうにかなりそうな気はするのだが、コミュニケーション能力を持っているからだろう。協力してくれそうな雰囲気だ。

 

「そうね……まずは私が氷を上空に作って……」

 

と、由紀が頭の中で練り上げた作戦を伝えようとしたその時。

 

「策なんて要らねえだろ!やるだけやっちまおうぜ」

 

と、声を上げてリフレクターが飛び出して行った。

 

「えぇ……」

「アレでよく自警団のトップに立てるものだな」

 

愛菜が白い目をしつつ、マグナスが呆れる。

 

「っしゃあ!」

 

まず、リフレクターは走りながら並び立つ木に向かって飛んでいき、それに思い切りぶつかった。傍から見ればただ木に向かって衝突している間抜けにしか見えないのだが、当たった瞬間、リフレクター自身がまるでピンボールの様に弾かれた。

そしてまた別の木に当たってまた弾かれる。そして次の行き先は開けた大地に立ち尽くす巨人の元だった。

 

「うおおらぁっ!」

 

右手に携えた剣を構えて、未だに立ち尽くしていた巨人の胴体を切り付ける。

そのまま巨人の横をすり抜けて反対側の木にぶつかり、そしてまた弾かれ戻ってくる。

 

「わぁ、すっごい速いね」

「リフレクターって……そういう?」

「光とか音とか、そういう全く関係ないわね」

「……まあ、反射していると言えば反射はしているが……いや、どちらかと言うと反発か?」

 

取り敢えず極術師達の魔術の命名がかなり適当だということがよくわかった。

誰が付けているのかは分からないが、センスのなさが垣間見える。

 

「グボオオオオオオオ!」

「うぉっ!?」

 

反対側の木に当たって戻ってきて、もう一度斬りつけようとした所、やっと動き出した巨人が雄叫びを上げていた。

 

「うるさ」

 

声はかなり大きく、それでいて低いので響き、空気が震える。人の恐怖を煽るようなそういう音だった。

 

「しかしどうする?これではもう不意打ちも何も無いだろう」

「そうみたいね……はぁ、まったく」

 

しかしまぁたかが雄叫び如きビビる極術師ではなかった。

 

「おいお前ら!見てないで助けに来いよ!」

 

雄叫びにビビったのか一撃も当てずにこちらへ戻ってきたリフレクターがそう抗議した。勝手に突っ込んでったのはお前だろと声は出していないが、そういう視線がリフレクターに集まる。

 

「……仕方あるまい。みな巨人の元へ向かうぞ、森の中では分が悪い」

 

あの巨体が森に突っ込んできた場合、倒壊する大木が凶器になってしまう。愛菜としてはその方が影ができて助かるのだが、まぁ多数決ということで仕方ない。先に駆け出した彼らに続いて飛び出すことにする。

 

「わわっ、来たよ!」

 

陽吾が声を上げた。先程リフレクターに切られた一体がその巨体に似合わず小走りでこちらに向かってきている。ダンダンと地を揺らしながら走ってくる巨体はもうそれだけで必殺の力を持っている。

 

「あれは任せて!」

 

由紀は一旦その場に止まって巨人の行先を氷漬けにした。ツルッと転けさせる寸法だ──ったのだが。

 

凍った部分に足を乗せた途端、巨人は両足をしっかりと氷の足場に付けて、その上を滑って行った。

 

「えええええええ!?」

 

由紀が素っ頓狂な声を上げる。ワックスがけした床を滑る子供の様な事を始めた巨人、そりゃまぁ声を出すのも無理はないというものだ。

 

「ダメじゃねえかよ!」

「ま、まさかあんな事されるなんて思わないでしょ!!」

 

リフレクターに咎められ、そう返す由紀。誰一人として氷の上を滑るとは思わなかったため、あまり強く言う者は居ない。取り敢えずこのまま前進すると距離を縮めるだけなので全員足を止める。

 

「マグナスさん!」

「任された!」

 

あの巨人を止める手立ては愛菜には浮かばなかったため、何とかしてくれそうなマグナスにお願いする。

好きな人のお願いという事でマグナスもやる気満々な様子だ。右腕を後ろに引き、右手に魔術で業火を溜める。二呼吸ほどで腕ごと前に突き出した。

 

「はあああっ!」

 

──バアアアアン!

と、空気が爆ぜる音が響く。開けた草のない大地に業火が真っ直ぐ巨人に向かって飛んで行った。

 

「す、すごい」

 

思わず陽吾が声を上げた。確かに尋常じゃない火力だ。巨人は炎を避ける手立てを持たず、業火に身が包まれる。当然足も止まった。

 

「っし俺らも負けてられねえな!陽吾!念力で俺を巨人に向かってぶっ飛ばしてくれっ!」

「わ、わかった!」

 

炎に見惚れる陽吾にリフレクターがそう声をかけ、陽吾もそれに応じる。念力でリフレクターを包んで、思い切り巨人目掛けてリフレクターを飛ばす。リフレクターは一直線に、それでいて超高速で巨人の元へ飛んで行った。

 

「いい速さだ!」

 

言いながら業火に焼かれる巨人の顔面を切り付ける。そのまま反対側に飛んで行って。

 

「陽吾!」

「うんっ!」

 

その直後、リフレクターはあるはずのない木にぶつかった。タネは簡単だ、陽吾が念力で倒木をリフレクターの行先にセットしていた。そしてリフレクターはまた反発してもう一度業火に包まれた巨人を切り付けた。

 

「絶対零度!!」

「わかったわ!」

 

今度は由紀に合図を送る。先程までは巨人の思わぬ行動にパニクって居たが、ちゃんと自分のやることを把握した。

リフレクターの行先に氷の壁を作る。そうすることでもう一度リフレクターは反発して巨人に切りかかる。

 

「っしゃ乗ってきたぜ!!」

 

そのまま連続で巨人を挟んで往復し、その度に切りつけていく。中々いい感じのコンビネーションになっていた。

 

「どうなることかと思ったが、中々いいコンビネーションであるな……よし、私達も…………深淵?」

 

マグナスは感心しながら三人の連携を眺めていたが、途中で愛菜が居ないことに気がついた。

 

「む?」

 

辺りを見回すも見当たらない。一体どこに行ったのかと思っていると。

 

「グオオオオオオオオ……」

 

と、少し離れた位置にいた巨人の一体がその場に倒れ込んだ。

 

「っ!?一体誰が……」

 

呟くも、その答えは倒れ込んだ巨人の後頭部にあった。

 

「よっこら」

 

愛菜がそんな事を言いながら巨人の後頭部から飛び降りていた。見れば、両手に血にまみれたナイフを持っている。

 

「あ、気付かれた」

 

もう一体の残っていた巨人が愛菜の方に近寄っていく。それを見て取り敢えず全力で走ってマグナス達の元へ戻っていく。

 

「宮里さーん!!」

「……しゃがみなさい!」

 

愛菜に声をかけられ、由紀は自身の右手に先端を尖らせた氷の槍を出現させた。それを槍投げの要領で投げる。多少放物線を描きながらも愛菜を追う巨人の顔にまで飛んで当たった。

 

「グボオオ!?」

 

思っきり右目を貫いていた。たまらず足を止めて痛みに震えている。

 

「これで終いだ!」

 

リフレクターの方もやっと刃物が首の左半分をぶった切っていた。先程から何度もそこを狙っていたのだが、巨人の生命活動に必要な神経は少ないらしく、やっとそれを切れた事で全身が黒く焦げた巨人が倒れ込む。もう声を上げる元気も無いようだ。

 

「残りはあれだけか」

 

マグナスが呟いた。視線は右目に刺さった氷の矢を引き抜いて血を流す巨人のみとなった。

 

「これくらいの敵ならもう適当に済ませちまえばいいじゃねえか」

「……敵だけに?」

「久坂君、それは寒いわ」

「絶対零度の宮里さんでも寒いんですね」

「……頼む、仲がいいのは結構だが真面目にやって欲しい」

 

新世界の頂点を四人が死ぬほど下らないギャグを繰り広げている。取り敢えずマグナスは頭を抱えるしかなかった。

 

「じゃ、あんまり活躍できていない僕が……っ、来るよ!」

 

陽吾の声で全員の意識が最後の巨人へ。そして全員驚愕する。

 

「ガ……グ……ボ」

 

突如。巨人の右腕が黒く歪み、血なのかそれとも別の液体なのか、よく分からない気泡の様な何かが現れ始めた。

 

「(……あれって)」

 

気泡の方はよく分からないが、あの黒く歪む感覚は愛菜には見覚えがあった。どっかの誰かさんが体の中から物を取り出す時に見る物だ。

 

「散れ!何か来るぞ!」

 

マグナスの声で全員別々の方向に走り始める。リフレクターが左、マグナスが右、由紀は後退して陽吾は念力で自身を浮かせて上へと言った具合だ。出遅れた愛菜どれに着いていこうか一瞬悩み。

 

「あ、入れてください」

「え?お、おう」

 

走るのが面倒だったのでリフレクターに許可を貰って彼の影に入る。

 

そうこうしている間に巨人の気泡が収まって、その直後。

 

「宮里さんっ!」

 

上にいた陽吾が声を上げた。30mか、それだけ離れていた巨人の右腕が、由紀に向かって、伸びた。

移動したとかそういうのではなく、まるでゴムのように右腕が由紀に向かって一直線に伸びたのだ。しかも速度は先程のリフレクターの比ではない。人の肉眼でギリギリ捉えられるか、そういう速度。

 

「(しまっ……)」

 

条件反射で氷の壁を展開していくも、間に合わない。もう巨大な拳が目と鼻の先にある。

 

──バリン!

と、強い音が響いて。

 

「……ぇ」

 

それでも、由紀に衝撃は伝わってこない。頭の中は真っ白になったまま、取り敢えずその場に固まる。

 

「良かった!間に合ったんだね!」

 

陽吾の声がして、視界の情報を頭で処理すると、自分が作ったと思われる氷の壁が出現していた。それが巨人の拳を受け止めきっており、先程の音は拳が氷を叩いた音だと推測できる。

 

「(……どういう……こと?)」

 

しかし納得できない。間違いなく間に合っていなかった。加えるならば条件反射であれほどの力を抑えられる氷の壁は作れない。そしてなにより。

 

目の前のこの氷からは自分の魔力が感じられない。

 

何となくではあるが、自分の作った氷は自分で作ったと感じられるものだ。作った事を覚えているとかではなく、慣れ親しんだような、そういう感覚があるもの。目の前の氷の壁からはそれを感じられない。自分の作る氷より、もっと固く、もっと異質な感覚がする。

 

だが身に覚えがあった。この、酷く冷たい感覚には。

 

「(これは……)」

 

昨日の朝、やっと見つけた妹の仇。その存在を思い出して。

 

──ゴオオオォォォォ……

と、呻き声の様な巨人の声が聞こえ、その直後にバタンと倒れる音が聞こえた。

 

「……どういうことだよアレ」

 

リフレクターが呟いた。彼の視線の先には由紀の元まで腕を伸ばしきったまま、その場に倒れ込む巨人の姿があった。

死んでいるのは見て分かる。だが死亡する原因も分からない。誰もあの巨人に攻撃した訳では無いからだ。

 

「取り敢えず、終わった、のかな」

 

陽吾が呟いて、取り敢えず戦いの終わりに実感が湧いた。

 

ただ誰も最後の巨人が何をしたのかだけ理解出来ていない。

 

「(……あんにゃろう)」

 

たった一人、リフレクターの影の中に居る愛菜を除いて。

 

 

 

 

 

 

『あるじぃ……』

『反省はしている』

 

少し離れた森で、犯人はその光景を眺めていた。




別に極術師が弱いわけじゃありませんよと言うことだけお伝え致します。


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外界遠征②

廃墟として未だに取り壊されていないホワイト地区の廃園に、タンタンタンとコンクリートを蹴る音だけが軽快に響く。

 

「はぁはぁ……っ……」

 

結構な時間走り続けたせいか、息が切れている。肺が休息を求めているのが痛みとして伝わってくる。だけれど休息を取るなんていう選択肢はない。今は一刻も早く宝姫咲輝を見つけなければならない。

 

シェイカー博士のあの物置から消えていた物を黒鎌帝が持ち出した物であるならば、一刻も早く止めなければ行けない。そうでなければ咲輝の命はない。

 

そう思えばこの苦しさなんて無視できる。咲輝は家には戻っていなかった。だから後はこの廃園の、この前帝が居たあの劇場。きっとそこに二人揃っている。そう確信して、鈴木数馬は劇場のドアを力任せに開いて彼がいたあの地下の控え室へ向かう。

 

「咲輝っ!」

 

最後の扉を開いて、名前を呼ぶ。

 

「…………っ」

 

だが、そこには誰も居なかった。ただ椅子と机が取り残されている。それだけの部屋だった。

 

「っ……クソッ!!」

 

悪態を吐いて、膝を着いた。

 

「遅かった……」

 

昨日、愛菜にシェイカー博士の家を教えて貰い、それから半日ほど時間を費やして黒鎌帝が言っていた人から魔力を受け取る装置を発見した。

 

そう、発見したのだ。最初に見つけた時は、「この装置を使って魔力の受け渡しをするのか」と楽観視したが、ふと冷静に考えてみるとその装置はこの世に流通していない。もし仮にオリジナルのこれ一つしか無いとすると、では帝はこれを持っていかずにどうやって受け渡しをするのか。

 

それを帰宅して日を跨いでから思い出し、もう一度シェイカー博士の物置宅へ。

そして今度は壁に貼ってあった物のリストから欠けている物を発見した。

臓器交換機。高さ2m、幅3mの大きな装置だけがこの家から欠けていた。もし、これを帝が持ち出しているのだとしたら、彼は咲輝を騙し、彼女の心臓を自分に移植しようとしているのではないか。

 

そう気付いたらもう止まらない。シェイカー博士の物置を飛び出し、咲輝に電話しながら彼女の家まで全力で走る。だが咲輝は電話には出ず、家にも居なかった。嫌な予感どころじゃない。予感は確信に変わり、続いてこの廃園まで走ってきた。

 

そして今、膝を着いているのだ。

 

「(どうする、他にどの宛がある、由紀や根本さんは今日外界遠征に行ったばっかで連絡は取れないし、寧音を巻き込むわけにもいかない……後は……)」

 

誰かに協力を仰ぐなんて選択肢は本来有り得ないのだが、今回に限ってはもう悠長な事は言ってられない。

手掛かりが全くないのだ。宛が全くないこの状況では、少しでも情報が欲しい。かと言って、本当に無関係でこの新世界の裏側について知らない者まで巻き込む事は出来ない。足を踏み入れたら、もう二度と今まで通りの生活なんて送れない。そういう世界であることは数馬自身がよく分かっていることだからだ。

 

「けど、どうすりゃいい……」

 

足りない頭をフル回転させる。けれど一向に案など浮かんで来ない。

当然、諦めるなんて選択肢は数馬の中には存在しないが、手詰まりというこの状況では……と、考えていたその時。

 

──タン、タン、タン

と、ゆっくりと足音が背後から聞こえた。まさか帝が戻ってきたのか、とは思わなかった。なぜなら、姿を見なくても確信を持ってソレが誰だか言い当てられるほどの気配があるからだ。

 

空気が震えている。視界に広がる光景が、ぐにゃぐにゃと濡れた紙に描かれた風景画の様に歪んでいる。数馬にはこの異常な光景を見た経験が一度だけあった。この廃園で、恐らく今後ろにいる彼女が戦う意志を見せた時だ。

 

「……ま、さか……」

 

呟いて、振り返る。

 

「こんにちは」

 

この異常な風景には合わない。

 

この捻れ曲がった空間で彼女の姿だけが、ただ真っ直ぐ、正しく存在している。

 

「七尾……真衣」

 

小さく、名前を呟いた。

 

「ん。少しだけ、必要な情報を伝えに来たよ」

 

そう言って、小さく、にっこりと微笑む少女が、神がそこに居た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ン?」

『ん?』

 

時は同じく、所だけ変わって旧世界。拠点の屋上に居る亮は、ふと違和感を感じた。

 

『……なんじゃ今の』

 

違和感はもちろん八代も感じている。二人は一心同体な状況なのでこれもまた当然の事だった。

 

『分かんね』

 

形容しがたい感覚がしたのだ。何かが引っかかって、けれどすぐさま戻された様な。まるでこの世の空気というか雰囲気が、重いとかではなく全く別の異質な何かに変わってしまったかのような。

ともかく、今まで亮が食らった全ての者の語彙力を使っても言葉が見当たらない程度にはよく分からない感覚だった。

しかし、そんな感覚も今はない。もう気のせいだと片付けられる程度の違和感だ。気のせいだと吐き捨てるのが正しいとは思えないが、取り敢えず後回しにするしかない。

 

理由は簡単だ。眼下で、旧世界の拠点を死守しようと極術師達が戦っているからだ。

 

先程、拠点の結界の交換作業が始まった。交換している間、無防備になる拠点を死守するのが交換に参加しない兵士と極術師の役割だ。最初は敵の姿など一切見えなかったが、気が付けば周辺には魔物が湧き溢れていた。

 

「っおらぁ!」

 

目に入りやすいのはリフレクターだ。剣を振り回し、拠点を囲うように現れた魔物の群れを縦横無尽に動き回って切り続けている。

あまり新世界では見られない戦闘スタイルだ。肉体強化を扱えるものならば、ああいった事ができるかもしれないが、ビルだらけの新世界では難しい。何より戦う機会という物が基本ないのだから、ああいったリスクのある戦い方ができる者は本当に限られる。

 

「……」

 

ついで、ドリフターこと久坂陽吾の戦いに注視する。新世界にて数少ない念力を扱い、その頂点に位置する彼。応用の利く点から、下位術でも羨ましがられる魔術だ。だから、極術ともなれば。

 

──ドオオオオオン!

と、打撃音が響き渡る。やったことは簡単だ、巨大な倒木を持ち上げて魔物の群れに落とした。ただそれだけだ。

 

「ふぅ、重たいものはちょっと疲れるなぁ……」

 

念力で宙に浮いている陽吾は、ポツリと言葉を漏らした。これも先程の巨人との戦いで知ったことではあるが、重たく大きいものはそれだけで凶器だ。念力で一体一体プチプチ潰していくよりも効率が良い。

 

「……はっ!」

 

宮里由紀もそれと似たようなことをしている。魔物たちの上に大きな氷の板を作って重力落下。永遠と氷の板を作っては落とし、作っては落とす。酷く地味ではあるが、実はこれはこれで難しい。

 

「やっぱり、瞬時に生成しないと変な向きで落ちていっちゃうわね……かと言って、脆いと殺傷力がない……」

 

口にして考えをまとめながら、それでも同じ動作を繰り返す。時々、近くに来る相手には氷の壁を作って行く手を阻んだり、氷の矢を投げたりと多彩な方法で魔物達を撃破していく。

 

「ふんっ!」

 

少し離れた位置では、マグナスの放つ業火が大量の魔物を焼き払っていた。少しでも森の木々に引火すると大惨事になるので火力は抑え気味ではあるようだが、それでも魔物達を焼死させるには十分な火力だった。

 

そんな感じで四人は各々戦っている。協力している訳では無いが、互いが互いの邪魔をしないという点では協力とも取れるだろう。襲撃してきているウォッチドッグ、猫型のクローキャット、つい先程命名された空を飛んでいるクイックバード達も数を減らしてきている。それでもまだかなりの数は残っているが、この調子ならば凌ぎきれるだろう。

 

『あれ、黒いのおらんくない?』

『ちまちまやってんだろ。あいつは一体一なら無敵に近いが、こういう乱戦には向いてないからな』

『あ、居た。なんか、あやつ土龍(モグラ)みたいじゃの』

『九之枝のモグラか。確かにな』

 

陽の光はちょうど高いところにあるため、拠点の影が少々小さい。しかしあることにはある。それを活かして拠点の影から胸あたりまでを出して低い位置から魔物をハンドガンで撃っている。弾が切れたら再び影に潜って弾倉を交換し、再び安全な影から撃つ。

 

『ああいうのなんつーんじゃっけ。芋砂?』

『もうアレはチーターじゃねえの』

 

ゲームに例えるとそういう不名誉なレッテルが貼られてしまうが、ルール無用の実戦ではこれほど強い戦い方はない。

 

確実に安全な位置から確実に殺す。

 

深淵という愛菜の唯一無二の魔術に制限が掛けられている今、最も正しい使い方だ。

 

『……しかし妙じゃの。こんだけの数が揃っとるのに、親玉が見当たらん』

 

八代の呟きが頭の中に響く。確かに、統率者がいないにも関わらず、これだけの数が集まって連携を取って居るというのは、あまり見かけない。大抵は高い知能を持った統率者が居て、それが指示を出していたり、決まった動きを取らせていたりするものだ。

今集まっている魔物達は大雑把に「敵をみんなで囲って倒す」という戦略を取っている。それだけ聞くと戦略も何も無いような気はするが、実際亮が旧世界に居た頃は特定の種族だけが固まった動きをするというだけに留まるのがほとんどだった。

 

例えばウォッチドッグとクイックバードの二つの種族に同時に襲われた場合、ウォッチドッグを相手している人間をクイックバードが奇襲するという流れがほとんどだ。

そう聞くと協力しているようにだが、これは結局、クイックバードの方がただ隙を突いているだけに過ぎない。ウォッチドッグとの戦いに囚われ、こちらに気付いていないから攻撃するという、その場の状況から引っ張り出してきた回答でしかない。

 

だが今は違う。取り敢えずみんなで囲って殺す。ウォッチドッグ、クローキャット、クイックバードの三種族が一緒に攻撃する。そういう状況になっている。

 

『九之枝と同じくらいの魔力を持ったなにかでも産まれたんじゃねえのか』

『四十年でか……まぁ先のコケの巨人の件もあるし、その可能性も無くはないと言うところかの』

『そういうこった……ン』

 

なんて八代と考えの擦り合わせをしていると、上空のクイックバードが亮を見つけて襲いかかってきた。三十ほどの数ではあるが、尋常なく速度が速い。屋上には魔物を感知するとそれに向かって発砲する機銃が備え付けられてはいるのだが、速度が速度。鉛玉はクイックバードを半分ほど落とすにとどまる。

 

『こういう時に兵器が役に立たないのはお約束か何かなのか』

『知らんのじゃ』

 

仕方ないので残りは魔力でクシャッとそれぞれ握り潰す。悲鳴はなく、ボキボキボキと骨が折れる音だけが響いた。それだって大した音ではない。下で戦っている極術師達にこの音が聞こえることはない。

ともかく、鶏団子となったクイックバード達を海まで高速移動させて捨てる。

十四個の肉塊が目に見てぬ早さで飛んでいく様は未確認飛行物体そのものだが、人の目で終える速さではないので誰かに目撃されることも無い。

 

こんな風に万が一愛菜に何かあった時ように亮は控えていた。見ていると今は大丈夫そうではあるが、油断は禁物だ。と、改めて警戒を始めたその直後、背後に気配を感じので振り返る。

 

「魔人」

 

気配を感じた時には気付いたが、声の主はナナシだった。右手に携帯電話を持っている。

 

「なんだ」

 

大方予想はつくが、一応端的に問い返した。

 

「……王からだ」

 

言葉はそれだけで、右手の携帯電話を差し出された。普段、ナナシは無表情だが、今のナナシからは諦めに似たマイナスな表情かま見て取れる。まぁ、その表情だけでこの電話の内容は理解できる。

取り敢えず電話を受け取って会話を始める。

 

「なんだ、直接電話してくるんじゃなかったのか」

『……茶化すなよ。頼みたい事だ。前国王を、黒鎌帝を止めて欲しい』

 

王としての威厳のある態度はない。かと言っていつもの様なノーテンキな雰囲気もない。電話口から伝わってくる声色には絶望が含まれていた。

 

「止める?殺していいのか?」

『…………っ』

 

意地悪を言ったつもりは無い。亮のこの問いは、ただ彼の、王の真意を確認したいがためだ。

 

「ハッキリ言えよ。望むなら生かしたまま行動不能にさせたっていい」

『そんなことしてどうすんだよ』

 

ただまぁそんな亮の意思は曲解して理解されてしまったようだ。

 

「動けなくさせて、お前が説得すればいい。そして前国王の全ての罪に目を瞑り、顔を変えて名前を変えてただの一般人として生かせばいい。もう親子として会う事なんかできないだろうが、それでも、大事な人が生きていてくれる」

『そ……んなこと……』

 

亮が提示したその言葉は間違いなく、王ではなく、黒鎌正義(くろがま せいぎ)としての最適解だった。父が生き残ってくれる最適解。父も死なないで済む。自分も父を殺さなくて済む。悲しむ者が居ない、そんな素晴らしい答え。

 

「俺にならできる。もちろん殺せと言うなら殺そう。あいつが今何をしているのかは知らないが、王としてお前があいつを生かすべきでないと思うのな」

「魔人!」

 

と、言葉を遮ったのは意外にもナナシだった。

 

「……これ以上、虐めてやるな。十代の子供にやるにしては悪質過ぎる」

「そんなつもりは無いんだがな」

 

なんだか、彼等は自分が思ってる以上にこの問題を深く考えすぎている気がした。これが温度差と言うやつか、なんて思いつつ、沈黙して王の回答を待った。

 

『…………殺せ』

 

最初は小さい呟きだった。

 

『殺せ。彼はもう、黒鎌帝は逆徒だ。この新世界の安定装置を破壊し、混乱をもたらそうとしている。王権が絶対である以上、前国王の彼がこんな暴挙に走ったとしられるわけにはいかないっ!……だから!!』

 

涙ぐむ王の、黒鎌正義の声がする。泣いて、空気が吸えなくて、それでも彼は言葉を紡ぐ。

この世の食物連鎖の頂点、生きとしていけるもの全てを片手間で殺す魔人亮に対して、指示をする。

 

『黒鎌帝を殺せ』

 

力強く、けれど涙を隠さない。王として、黒鎌正義として、そう指示した。

 

「ン、わかった」

 

そして亮はそれに対して間髪開けずに返答し、通話を切る。

 

「ほら」

 

そのままナナシに携帯電話を差し出した。

 

「……魔人。黒鎌帝は先程セントラルタワーの隣にある競技館から地下通路に侵入、王だけが知るあの通路から彼の、黒鎌帝の隠された部屋で宝姫咲輝の心臓を移植し終えた。これからまた再び地下通路からタワーの最下層にある安定装置の居場所へ向かうつもりだ」

 

簡潔に、ただナナシが言葉を連ねる。

 

「なんで部屋が残ってんのかは聞かないが、まぁ分かった。……ちなみに、他には?」

「……現在、鈴木数馬という下位術師が地下通路内で黒鎌帝と戦闘中だ」

「やっぱりか」

「知っていたのか?……まぁいい、どこからあの通路に入ったのかは不明だが、そいつが莫大な魔力を得た帝を抑えている。お前は」

「指示はもういい。ともかくやることをやるだけだ」

 

どうせ安定装置の前で待てと言いたいのだろう。鈴木数馬を救えとは恐らく言わない。別に救うまでもなく、力を得たとしても帝が無関係な人を殺すことなんてあるはずもないのだから。

 

「……頼む」

「ン。ああそうだ、愛菜のことは頼んだぞ」

 

亮はそう言って、屋上から飛び上がり、海の方へと移動する。風を切る音だけが耳に響く。

 

「(果たして俺の出る幕があるのか)」

 

鈴木数馬がそのまま帝を殴り倒して誰も悲しまないハッピーエンドを迎えさせてくれる事を期待しつつ、亮は海に飛び込み泳いで新世界へと向かうのだった。




キリのいいところで切ったら短かった。次回はちょろっと時間が巻き戻って鈴木数馬のパートです。帝の下りはあと二話で終わる予定です


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黒鎌帝①

「ん。少しだけ、必要な情報を伝えに来たよ」

 

捻れ曲がり歪んだ世界で、可愛らしい笑みを浮かべながら神はそう言った。

何も知らない普通の高校生だった時は、その笑顔に見惚れていたものだが、今はもう次はどんな摩訶不思議が起こるのか気が気じゃない。

 

けれど味方になってくれるのならば、これほど頼りになるものが存在しないというのもまた事実だ。

 

「本当か!助かるよ、今は些細な情報でもいい!」

「(……んー、分かってたけどここで「黒鎌帝が宝姫咲輝を攫う前に戻してくれ」とか言わないあたり……)」

「?」

 

目線を逸らして口を閉ざした真衣を見て、数馬は頭に疑問符を浮かべている。

そこまで考えていないのか、それともまだ咲輝が死んでいないと信じているのか。真衣は鈴木数馬を除いたこの世の全てを知っているため、咲輝がどうなっているのかも知っている。

ただそれを伝えてしまうのはやりすぎだ。まったく手掛かりがなく、手詰まりという彼のこの状況を打破する情報を与えるくらいが妥協点。

 

「この新世界には地下通路があって、今二人はそこにいるよ。入口はどこもかしこも巨大な施設の関係者しか入れない場所にあって、しかも基本的に関係者ですら知らない。王様専用の隠し通路ってところ」

「無理矢理にでも入る!どうすれば」

 

と、数馬が言い切る前に。

 

──ゴゴゴゴッ

と、どこからか音が聞こえた。どこからか、というのも今のこの不思議な状況だと彼女以外の音が酷く歪んで、あちこちに反響して聞こえるからだ。

 

「言ったでしょ、巨大施設の関係者以外立ち入り禁止の場所にあるって」

「……そうか、だからここがいつまで経っても取り壊されていない理由か」

 

納得した。確かにそういう通路があるのならば、安易に取り壊しなんてできない。

 

「ここから入って行って、二つ目の部屋に探してる人が居るよ。それと、気を付けてね。彼は強いよ」

「そんなこと関係ない。咲輝は助けなきゃいけないんだから、助けに行く」

 

神の忠告は主人公特有の謎理論で一蹴された。言っていることは分かるが、そう短絡的になれるのが主人公というポジションなのだろう。昔は、彼もそうだった。なんて思いつつ、真衣は数馬の言葉に頷いた。

 

「……そうだ、それとさ」

「ん?」

 

先程までの勢いを無くして、数馬が少し不安そうな声で切り出した。

 

「七尾さんが持ってたあの写真……そこに映ってた人は」

「それは内緒。恥ずかしいから」

「……なんだよそれ。もう答えてる様なもんじゃねえか」

「ふふっ、どうだろうね」

 

二人で少し笑って、けれどあまり長くそうもしていられない。時間を止めて話し込んで居られるほど、この世界は丈夫(・・)にできていない。

 

「頑張ってね」

「おう!」

 

一言ずつ交わして、世界が戻る。数馬の部屋から歪みは消え、音が正しく認識できる。

 

「よし、行くか」

 

この部屋に現れたぽっかりと開いた扉。特殊なタイプだったのか扉が開いた様な形跡は全くなく、壁自体が溶断されたかのようにすっかり綺麗に真っ暗な通路へと続く穴が空いている。

携帯電話を取り出してそれでライトを付け、右手で先を照らしながら真っ暗な通路を駆け出した。この先には黒鎌帝が居て、その先に宝姫咲輝が居ることを確信して。

 

 

 

 

 

 

 

どれだけ走り続けたのかは分からない。二、三分か十分か、照らしている視界以外が真っ暗だと本当によく分からない。体感時間がそろそろ狂い始めたと思った頃。

 

「……はぁ……っと、なんだ、これ」

 

数馬は箱状の物に行く手を阻まれた。荷物が入ってそうな物ではなく、側面がガラス張りで、どこかグリーン地区にあるロープウェイのゴンドラの様な物で──そこまで考えてそれが移動用のゴンドラだと察した。

 

「……そっか、王の隠し部屋に繋がってんだもんな。ここホワイトだし、セントラルの近くにまでこれが運んでくれるってことか」

 

冷静に考えてここからセントラルまで走っていくのは無謀だ。間に合う間に合わない以前にそもそも一日走り続けて到着できるのか怪しい。

取り敢えずゴンドラの搭乗口から中へ入り、そこに何かのパネルがあることを確認する。少し正面を照らしてみると、レールのような物も見えた。ゴンドラを動かしていくのが正しいのは間違いなさそうだ。

 

「……えーと、これか?」

 

適当にそれらしいボタンを取り敢えず押す。そうすると、ボオオオンという起動音が聞こえた。どうやら無事に起動はできたみたいだ。

 

「15秒後に出発致します。安全確保のためシートベルトをお締めください」

「は?シートベルト?」

 

車か何かとツッコミを入れつつ、少々時間を使ってからその意味を理解する。

 

「あぁ、そっか。セントラルまではかなり距離があるもんな。これもリニアみたいにすっごい速度で走るって事か……………………やべええええ!!!」

 

直ぐに背後を振り返る。六人ほどが座れそうな長椅子を発見した。飛びがかかる様にそれに座り込み、ベルトを探して──

 

「出発致します」

 

音声の直後、尋常じゃない加速Gに見舞われた。

 

「っ!?」

 

余りの速度に尻が浮き上がりそうになるが、両腕でシートの座の部分の出っ張りを握り締めて耐える。シートに腰掛けて居なかったら背後の鉄板に叩きつけられていた事は間違いないだろう。

何が何だか分からない存在と戦う前に重傷を負っていたところだ。

 

「…………ひ、一安心かな」

 

しばらく進んだところで加速が止まり、安定してきた。このままの体制を維持していれば大丈夫そうだ。

 

「間もなく到着致します」

「はやっ!?」

 

安心したのも束の間、アナウンスに慄く。当然だが加速したんだから減速もする。まぁつまり。

 

「ぎゃああああああああああああああ!?」

 

急激に減速。今度は減速の衝撃で前方に体が引っ張られる。

 

「あっ、無理」

 

とうとう耐えきれなくなり、前方に放り出された。ゴンドラのフロントガラスにドン!と体を打ち付ける。

 

「ぐっ!……ふっ……」

 

空中でクルっと回されて背中から行った。しかしそこまで強烈な痛みはなかった。ゴンドラが完全に停車し切ってから体を起こし、溜息をついてから降りる。

 

「……帰りは乗りたくねえなぁ……」

 

そんなことをボヤきながら再び真っ暗な通路を携帯電話の明かりで照らしながら進んで行き、直ぐに変化があった。

 

「見つけた……これが一つ目か」

 

今度は分かりやすい扉だ。鉄か何かでできている扉には何も書かれていないが、この扉の向こうから感じる空気が何となく違う。それなりの場数を踏んで来た数馬は、こういう感が馬鹿に出来ないのをよく知っている。

一度深呼吸して、扉を見据え、歩み出す。近づくと、カシャッと小さな音ともに扉が横にスライドした。

 

部屋の中は先程の通路と違い明るく、視界はよく効く。きちんと端から端まで見渡せるのだが、だからこそこの光景に度肝を抜かれた。

 

「なんだ……これ」

 

まず目に着いたのは、綺麗に並べられた謎の大きな試験官だ。これはいつだったかテレビ番組で豚の培養をしている所を映したのを観たことがある。

番組ではこの試験官の中に豚が眠っていたが、ここにある試験官の中には臓器の一つと思われる何かがあった。それが部屋いっぱいにある。数馬には何が何だかわからない液体に浸されている臓器の数々に、生理的嫌悪感を抱く。

 

「(七尾さんは二つ目の部屋に居ると言ってた……これが一つ目の部屋だとしたら、もう一つ先に部屋があるって事だよな……)」

 

一つ目の時点でなんだか陰鬱な気分になっている。いくら場数を踏んでいるとは言えど臓器なんて教科書のイラストくらいでしか見たことがない。こうも人体に関わる直接的な物を見ると気分が萎えるのは仕方ない。

 

「……早く助けに行かねえと」

 

だが一々気にかけている場合でもないので、部屋の中を進んで次の扉を探す。扉は直ぐに見つかった。

真正面の試験官の奥に隠れていただけだったからだ。この部屋が何なのかは分からないが、これより先に部屋があるのならばこれよりヤバいことは間違いないだろう。そんなところに咲輝を居させるわけにはいかない。早く連れ戻さなければ──

と、そこまで考えた直後。

 

──カシャッ

と、見据えていた扉が小さく音を立てて開かれた。

 

「どうやってここに?」

 

初めからここに居るということは分かっていたが、まさかこんなに早く会う事になるとは思って居なかった。

言わずどもがな出てきたのは黒鎌帝だった。

 

帝も帝で数馬が居ることには本当に驚いていた。王の血筋か、もしくはあの名前のない者くらいしかこの道を知る者は居ないはずなのだ。それに、どの入口も普通の人間が入れる場所にはない。

しかし、元々数馬が自分の前に立ちはだかる事も予想はしていた。咲輝が信頼を置いていた者だ。ここに来れない道理はない。

 

「そんなことより!咲輝は!?」

 

数馬が怒鳴るようにして尋ねる。帝の問いに答えるつもりはなく、何より彼女の安否が最優先だった。

 

「私のこの後ろの扉を抜けて通路を進めば、私の隠した部屋に行ける。そこにその答えがある」

 

答えは自分の目で確かめろと。そう言った。

 

「なら、お前をぶっ飛ばしてから確かめてやる」

 

臆することは無い。元々帝に言わるまでもないと、睨み付けて数馬が宣言する。

 

「いいだろう。来たる本命の前の準備運動と行こう」

 

帝が数馬の言葉にそう返したと同時に、帝の左胸が赤く輝き始めた。

 

「っ……」

 

不思議な現象だ。崩れなんてないほどスーツを完璧に着こなして居るのに、その赤い輝きが数馬にも見えている。スーツですら遮光し切れていないほどの輝きは美しくもある。

当然だが見とれているわけには行かず──気が付けば帝は数馬が認識し切れない程の速度で接近していた。

 

「ふんっ!」

 

──ダッ!

と、大振りな右拳が数馬の胸板を殴り付ける音が響く。

 

「ぐっ!?」

 

ただ吹き飛ぶ。浮き上がって背後の壁に叩き付けられる。当たる直前、これまでの経験のせいか肉体強化の魔術をほぼ無意識に発動させ、体の重心を後ろにずらし、ダメージを最小限に抑えていたつもりではあったが、それでもこの威力。

 

「っはぁ……はぁ……」

 

肺が空気を求めている。けれど胸に叩きつけられた拳と壁に当たった背中の衝撃で思うように呼吸もままならない。

 

「腹の底から力が湧いてくる。これが、魔力……力か……」

 

幸いなことは帝が自身の力の方に関心していて、追撃が無い事だ。今同じ様に追撃されてしまうと避けることも身を守ることも出来そうにない。

 

「……これほどの力を持っていながら……アレは……」

 

数馬には聞こえないほど小さな声が発せられ、帝は再び右拳を強く握り締めた。

 

「(……来る!)」

 

やっと呼吸が整ったとほぼ同時に、帝が腰を低く構えた。30mか、それほどの距離がゼロになるのにその動作から一秒と時間は掛からないだろう。

だから、その段階で数馬は起き上がって右に転がった。

 

──バンッ!!

と、真左で大きな音が響いた。予想通り、転がっていなければ意識を刈り取るか、最悪死亡するレベルの拳を叩き込まれただろう。

その証拠に殴られた壁に帝の拳がめり込んでいた。

 

「なに……!?」

 

帝は驚きながらも数馬の方に視線を向けながら壁に埋まった拳を引き抜き──

 

「っぶね ……ねぇ!!」

 

間髪空けず。帝が体制を整える前に強化された左拳を帝目掛けて奮う。

 

「ぐ……!」

「まだぁッ!」

 

左が気持ちいい具合に帝の胴体を抉るようにヒットしたのを確認して、ついで右拳を帝の左頬目掛けて振り被る。

 

「ぐはっ!!」

 

予想外にも、帝は数馬の拳を受けて後ろへ吹っ飛んだ。

 

「えっ……?」

 

ミートしたのは手の感触から分かる。右拳もヒリヒリと痛んでいるし、身体強化を右腕に注ぎ込んで殴りつけたのだから、かなりの威力が出ている自覚もある。

 

「(咲輝の心臓を使って生み出される「魔人」って、こんなもんなのか……?)」

 

おかしい。こんな大仰な手順を踏んで出てきた敵は、自分の全力で通用するはずがない。

 

「くっ……想像と大分違うものなのだな、魔人とは」

 

帝が起き上がってそう言葉を吐き捨てていた。

 

「まさか、痛みを感じるとは」

「ちっ……」

 

やはりアレだけの拳を受けても帝に外傷はない。というか、これは予想通りだった。むしろ先程の拳で吹っ飛んだ事が不思議なくらいだ。

 

「いい目だ。もう少し付き合ってもらおう」

 

さて、と思考を始める。先程のはほとんどまぐれで交わして拳を叩き込めたが、帝が新しい力に少し理解を示した事で、次はそう簡単に打ち込めないだろう。

かと言って交わすことを諦めるわけにはいかない。当たれば一発KOは免れない。相手の攻撃を避けきった上でカウンターを決めるしかない。そこまで考えて。

 

「ばっ!!?」

 

尋常じゃない衝撃が走った。何が起こったのかは考えるまでもない。数馬が認識できないほどの速度で近付かれ殴られただけだ。

 

──ドンッ!!

と、再び数馬は壁に打ち付けられる。この二つの衝撃で意識を持っていかれなかったのは不思議でしょうがない。たた不思議がってる場合でもないのは確かで、早くその場から動かなければと体に力を入れようするも、今度は体の方が言うことを聞かない。

 

もう、たったこれだけで体に力が入らない。

 

「がっ……く……そ」

 

覆しようのない圧倒的な力の差だった。たった一撃で全身が悲鳴を上げている。視界も効いていない。見えてはいるが視界から入ってくる情報を脳が処理してくれない。万年赤点の頭は全て痛みの認識に使われてしまっている。

 

「拳が痛む。か、やはり、魔人になっても痛覚はそのまま……」

 

呟きながら帝が歩いて数馬に近寄って来る。数馬は五秒ほどで思考できるほどに回復したが、もうその頃には帝が目の前におり、そのまま胸倉を掴まれ宙に浮かされた。

 

「さて、こんな体制で申し訳ないが、少し話を聞いてもらおう」

 

そう帝が言うも、そんなつもりは全くないと数馬は足に力に身体強化の魔術を発動。足に全力を集中させて蹴り飛ばす。が、ガンッ!という音がしただけで、今度も帝に外傷はなく、そして痛がる素振りも見せなかった。

 

「大人しく聞いておけ。鈴木数馬、私がしようとしていることは、かつて君の両親がなそうとした事だ」

「な……に?」

 

唐突に。帝はそう切り出した。

 

「二人は、セントラルタワーで働く優秀な職員だった。よく働いてくれたよ。本当に……だから辿り着いてしまった。安定装置の真実に。そしてそれは、触れなくていい新世界の闇だった」

 

両親のことなんて初めて聞いた。確かに自分は生き返ってから両親の死の瞬間を思い出したが、思い出したのはそれだけだった。あの頃の幼い数馬には両親がどんな仕事をしていたのかは知らないのだから、覚えているも覚えていないもないのかもしれないが。

 

「新世界の闇を知って、彼らが出した答えは安定装置の破壊だった。破壊しなくちゃいけない。その理由は先日話したな」

 

安定装置は世界の平和のために人を犠牲にする。簡単に言えばそれだ。

 

「だから最後には安定装置の守護者に葬られた。私が…………そう指示した」

「な……に……ぃ?」

 

では現在なぜ彼が安定装置を破壊しようてしているのか。数馬の頭には両親を殺害した事よりも、先にそちらの疑問が浮かんだ。

 

「そんな私を変えてくれたのは、宝姫の一族だった。当時にはもう両親を失い、一人無機質に無感情に生きている咲輝に出会い、正義と一緒に育て、やがて安定装置に定められている宝姫の運命を知った」

 

数馬の疑問に答えるように、帝が言葉を続けて行く。

 

「宝姫一族は、新世界の最終兵器として扱われる予定にあった」

「兵器……」

「ロンギヌスの槍。彼の偉人達の神話に登場した全てを貫く槍。それを目指して造られた兵器が新世界にある。目的は、彼の偉人達の時代に起こった大災厄を繰り返さないため。その装置の起動には莫大な魔力を必要とする。無限の魔力とも取れるほどの魔力が」

「……じゃ……なに……か。それを使わせないために安定装置を壊そうってか!」

「その通りだ」

 

そう帝が言い切った。

 

「……しいだろ……おかしいだろ!!なのになんで咲輝が死ぬんだ!?そのためになんで咲輝を!」

「……簡単な話だ。宝姫が他に居るからだ」

「っ!?!?」

 

宝姫の一族が他に居る。それは数馬が知らない事実。だが、であるならば帝の話に辻褄が合い、そして何より許せない事実が生まれた。

 

「てめえはその誰だか分からない宝姫のために咲輝を殺したって言うのかっ!!」

 

叫んで、その怒りのままに帝を振り払おうと動く。

 

コイツは許してはいけない。

コイツは死んで咲輝に詫びなければいけない。

コイツは死ななくちゃいけない。

 

そういう怒りの感情が渦巻く。だから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──ダンッ!

 

 

「くっ……そ」

 

だが、届かなかった。帝の拳が数馬の鳩尾に叩き込まれた。

 

「少年。お前と私は失ったものが違う。失ってから得たものが違う」

 

地位と名誉と自分を捨てた者は、数馬を見下す。二人の間には歴然とした差がある。

 

宝姫咲輝が持っていた心臓から供給され続ける魔力によって産み出される力の差。放たれる魔力の球体、強化された脚力、腕力。単純だがわかりやすい力の暴力。

 

そして想い。この日のために自分の積み上げてきた物を捨て、目標のために新しく手にした全てを使い果たす覚悟。

 

対する数馬は、ただの肉体強化の下位術師で、しかも帝の言葉で怒りのままに彼を殺そうとした。

 

だから、勝てるわけがない。

 

「目が覚めたら次は本当の新世界だ。それまで眠っているといい」

 

数馬の返事を待たず、帝が数馬を放り捨てた。

 

「ぐっ……ふっ……」

 

痛みと衝撃で意識が薄れていく。

 

先ほどまでの怒りも段々薄れていく。そしてその薄れる思考の中でもまだ迷っていた。

 

「……本命が来たようだ」

 

薄れゆく意識の中、そんな帝の言葉が耳に入った。

 

「久し振りだな、王……今は黒鎌帝と呼んだ方がいいか」

 

どこからか、聞き覚えのある声が聞こえた。

 

「帝と呼ぶがいい。もう王ではない」

「ン、わかった。なら帝。終わりだ」

 

頭が曇っていて、誰かは分からない。必死にその誰かを認識しようとして──意識が途切れた。




次回で帝の下りはおしまいです


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黒鎌帝②

ナナシからの情報を元に少し本気で咲輝の魔力を探したところ、割と直ぐに見付けられたのでここまでやってきた訳だが、鈴木数馬が地に伏して居るところを見るに、ちょうどいいタイミングで来れたようだ。

 

「魔人、亮。やはり最後に立ち塞がるのはお前か」

「一応、これでも安定装置の守護が本当の仕事なんでな」

「だから安定装置は傷一つつかない。お前という絶対的な守護者がいる限り、触れることすら叶わない」

 

帝はそう言って事実を確認する。過去に安定装置を破壊しようとした者は二人居た。

その両方共、魔人によって潰されている。全て帝が王の時に起こった事だ。当然、帝は亮の力を目の当たりにしている。

 

「じゃ早々に諦めて再び死ね」

「そういうわけにはいかない。力しか持たないお前には負けられない」

 

言って。帝が手のひらを亮へと向け、直後、七つの魔力の塊が手から一つずつ、球体となって亮へと高速で飛んでいく。

 

確かに。今の数馬では荷が重いだろう。白いその球体は一つ一つに極術師一人分の魔力とほぼ同等の力が宿っている。威力で言えば鉛玉の比ではない。一つでただの人間を原型留めず消しされるほどの力。

 

「……」

 

だがしかし、それらは当然のように亮に触れれば飲まれて消える。

 

「食らったな?魔人」

「……ン?」

 

帝はとてつもない魔力の塊が通じないのを見て、絶望するどころかそう笑ってみせた。理由は簡単だ、元々、あの塊は亮に食らわせるためにあったから。それを証明するように。

 

──ボンッ!

と、空気の詰まった瓶の栓を抜いた様な音が響き。亮が消し飛んだ。

 

「よしっ……」

 

帝の先には白い煙だけが残っていた。爆発した魔力の残りだ。色は魔球と同じ白で香りはない。このタチの悪い爆弾はかつて存在した極術師の魔術だ。

威力は申し分ない。亮の体内で爆発したのにも関わらず、近くにあって試験管のガラスが砕け散り、入っていた液体と臓器を撒き散らしている。およそ、人が受けていい爆発では無い。増してや体内で起こっていい爆発でも無い。

 

「なるほど、考えたな」

 

音が聞こえて。白の煙がスッと流され代わりに亮が先程と全く同じ場所に立っていた。

 

「外から攻撃してダメなら内側から破壊してやりゃいい。悪くない発想だ。素直に驚いた」

「……そう言う割には、驚いている様には見えんが」

「驚いた時には四散していたからな、仕方ないだろ」

 

そうおどける。どう見ても爆発四散した者の取る態度では無かった。

 

「ちなみに、今の術は死んだボマーから拝借したのか?」

「貴様に話してやる義理はない」

「それもそうか、お前を殺した後に食らって確かめてやろう」

 

亮の言葉の直後、帝の視界が、ズレた。

 

「(なんだ……?)」

 

と、思っている間に、視界は床に埋め尽くされる。下を向いたつもりは全くない。更に床が迫る。そう思った時に、全てを理解した。

 

理解させてくれたのは、激痛。

 

「……!」

 

声が出ない。当然だ。

首から上が落ちているのだから。喉に空気が通らなければ声は出ない。

 

「さて、お前の魔力は何回再生すれば枯渇する?」

 

激痛に頭が侵されていても、どうやら聞いてそれを処理する機能は残っているらしい。亮のその呟きに、帝は恐怖──ではなく、魔力が残り続ける限り戦える事に歓喜した。だから、頭だけとなったその顔で、魔人に対して笑みを作って見せた。

 

「笑ってられるなら、期待してやろう」

 

一瞬だけ視界が暗転し、転がった首から上の感覚がなくなった。しかし次の瞬間には、正しい位置に頭があった。なるほどこれかと帝は亮が再生した理由を理解した。魔力が有り続ける限り、何度だって再生できる。

取り敢えず、何百何千何万何億と殺せば亮も死ぬ。勝利条件の一つにそれを付け加えた。

 

「さぁ、黒鎌帝。お前がこれまでの人生で積み上げてきた全てを総動員して奇跡でも起こし、俺を殺してみせろ」

「言われずとも」

 

互いに一撃ずつ加え終わった後ではある。それでも、これが開戦の合図だった。

 

まず帝が動く。先程数馬にやったように、人の目には追えない速度で亮へと近付いた。その勢いのままに腕を引いて亮の胸元に掌底を叩き込む。

当てる瞬間、亮の顔を盗み見れば、目でこちらを見ていた。どうやらこの速度でも彼は見切って来れるらしい。けれどカウンターを合わせてくる様子もない。

 

──バンッ!

強烈な音が出ているだけはある。亮の体は大きく後ろへ流されていく。ただし、吹き飛ぶとかそういうのではなく、床の上を滑って行く様な感じではあった。

それよりも当てた部分が亮に取り込まれなかった事に違和感を抱いた。何か裏がある様な気はする。なので一旦帝は攻撃を中止し、次に口を開いた。

 

「この力を得て分かった。魔人、お前が本当に、心の底からこの世界に関心を持っていない事を」

 

それは、帝から亮へ対する失望の言葉だった。

 

「これほどの、いや、これ以上の力を持ちながら貴様は世界の者たちを守ろうとはしない。あまつさえ手に掛ける側に立っている」

 

故に批難する。世界のみんなを守れる力を持っていて、それでいて旧世界の者たちを全滅させた事を。

 

「深淵を救い、共に生活する姿を見て、貴様にも人の心があると思っていた。だが違う。人の心があればそもそも人を殺す事はしない。貴様には仇なす者を殺す覚悟しかないのだ。私は違う、私には世界に住む全ての者を守る覚悟がある!」

 

言って、再び帝の姿が消える。今度はそれに合わせて亮も動いた。

突貫してくる帝の背後に回り込むように、彼も高速で移動した。けれどやはり攻撃の意思はなく、ただ二人の位置が入れ替わっただけに留まる。

 

「確かに、お前はたくさんの人のために人を捨てる覚悟を持って、ンでもって実行して、ここに立ってるんだろう」

 

ついで、亮が言葉を発した。それで居ても帝は間髪開けずに亮へと追撃。

 

「お前は大切な新世界の頂点という立場を捨て、新世界を救おうとしている」

 

亮が言葉を紡いでいる間にも帝の攻撃は止まらない。

一度最初の攻撃を紙一重で交わすも、拳と蹴りの連続攻撃が続く。競技の様に形はない。ただ人の目に追えない速度で人の身に余る攻撃が続く。そして亮はそれをいなして、けれど言葉を止めない。

 

「俺は、全く関係ない人々と、俺を信じて疑わなかった人々の想いを踏みにじって自分のためだけにここに立ってる。お前とは比べ物にならねえよ」

 

上下関係の話ではない。ただ性質の違いを述べただけだ。方や誰がために。方や己がために。どちらの想いが尊重されて然るべきかなんて、比べるまでもない。

 

「分かって!!お前はまだ私の前に立ち塞がるのか!!」

 

言葉の最後に、容赦のない右拳によるアッパーが亮にヒットして、亮の体が宙に浮き上がり、天井に叩きつけられる。

当たった衝撃で天井がベコッと音を立ててへこむほどだ、常人ならば首から先が飛ぶどころか消し飛ぶ威力。

帝は新しい力を十分に使いこなしていた。

確かにこれほどの力であれば、安定装置を守る障壁も破壊できるかもしれない。

 

「……言ってるだろ、奇跡でも起こして俺を殺してみせろと」

 

だが、それでも尚、亮は一切表情を変えることは無かった。右手で天井に触り、勢いを完全に押し殺していた。そのまま何事もなかったように後方へ飛んで帝と距離を取り。

 

「それじゃまだ俺は殺せないぞ」

「ちっ……」

 

帝の舌打ちに次いで、亮が右腕を真っ直ぐ前へ伸ばした。ようやく、彼が自発的に動いた。

 

「お前の意志は、覚悟は、想いは、まだまだそんなもんじゃないはずだ」

 

言って、伸ばした腕が黒く歪み始める。

 

「……まずい」

 

帝は、戦いに精通した者ではない。殺気を感じるとか、魔力を感じるとか、そういう第六感を持ち合わせてはいない。

なのに、その黒い歪みを見て鳥肌が立った。それは本能が全力で警戒しているというサインだった。

だから間髪入れずに出せる限りの爆発する魔球を亮に向けて放った。数えるのも億劫になる程には多い。歯向かうものを数と力の暴力で押し潰さんとする魔球の数々は亮に当たり──だが遅い。無数の魔球は、亮の右腕から出てきた何かに喰われた。

 

「コイツは、世界を欺き自分の身を挺して人々を守ろうとするお前の相手に相応しい」

 

それは、蛇だった。

 

「────!!」

 

音が出ていたのなら。キシャァーとか、蛇らしい声が聞こえていたはずだ。右腕の蛇はそう言う風に大きな口を開けて居るのだから。だが音は無い。「まぁ別に声なんて要らねえだろ」といった適当な感じに亮が出したからだ。

 

「蛇……?」

「九之枝の一つ、大蛇。かつて、大切な人を守るために大切な人達に蔑まれる事を選び、優しい嘘を貫き通した蛇だ。ってもお前には分からないか」

 

大蛇は肩口からではなく、亮の脇腹より少し上からを胴を現している。余りにも不格好ではあるが、5m前後のぶっとい蛇が腕の様に生えているのを見れば生理的嫌悪感を感じるだけなので気にすることは無い。

大蛇の体が毒々しい紫色である事も拍車を掛けている。

 

「まさか、これほどの存在を……」

 

およそ、人の体に収まっていたとは思えない。この蛇から発せられる魔力は空気を震わせている。比喩ではない。文字通り、蛇の周りだけ空気が震え、まるで陽炎の様に揺らいでいる。

 

「コイツも弱くはない。だからお前に勝利条件と報酬を設けてやろう。もしコイツを行動不能にさせたなら、無条件でお前の下についてやる」

「なに……?」

 

それは破格の取引だった。いつ終わるのか分からない戦いに身を投じなくて済む。力の差はあるだろう。けれど予備動作なしで魔人となった自分の首を切り落としてくる者を殺し続けるよりは勝算がある。

 

なにより勝利した暁には彼が味方になる。

自分よりも強い、というか旧世界も含めて世界で最も強い男が自分の所業を手伝ってくれる。それに、彼がついてくれるなら間違いなく深淵もおまけで付いてくるだろう。彼女の居場所が彼の居るところだからだ。

 

絶対有利な取引。メリットしかない。それに彼は約束を違えることはない。彼の性格上、そんなくだらない事はしない。そういう者だ。そこまで全て確認した上で。

 

「いいや、私の勝利条件は変わらないよ」

 

そう回答する。絶対有利な勝利条件を放棄する。

 

「そうか」

 

対する亮も、その回答には大して驚きもせず──

 

蛇が動く。音もなく、その巨大な体が地を這ってうねりながら帝の元に、突っ込んでいく。途中で行先の試験管を破壊しながら進んでいく。一応かなり大きな装置で床に埋め込まれているものなのだが、それすら意に介さず進んで行くあたり威力は保証されていた。

 

真正面から受け止めるのはまずい。そう判断した帝は右へ大きく跳ぶ。当然それに合わせて追従してくるが、予想通り。そのまま亮の背後に回り込むように再び跳ぶ。

 

「ン?……あぁ」

 

取り敢えず何をされるのか、亮は察したようだ。

このまま大蛇が追従していけば、右腕から大蛇を出している亮は巻き付かれる。それを避けるために亮が真上に一度飛び上がる。

 

「そこだっ!」

 

もちろん、それは帝が誘発させた事だ。亮が両足を地から話した瞬間に飛び掛る。空中であれば直ぐに避けられる限りではないと予想したから。

 

──バンッ!

と、掌底が命中する。

 

ただし、それは亮にではなく大蛇の胴体に。

 

「くっ!?」

「蛇が素早く動けないと思ったか」

 

紫色の胴体の向こう側からそんな声が聞こえる。隙を突いた一撃は意味を為していなかった。大蛇の方にも効いている様子はない。ゴムのように弾力性のある皮膚が衝撃を吸収している様に感じた。

一撃を受けても大蛇は怯むこと無く宙でグルっと帝を中心に回り始める。

 

「ガッ!」

 

気づいた時にはもう遅い。尋常じゃない力で体が締め付けられる。いくつもの骨が折れていくのを痛みで感じる。肺が潰されて呼吸ができない。

 

「(なにか……なにか……!)」

 

だが思考はできた。そう、亮の言うように、こんなもんじゃない。まだ意志は潰えない。たかが大蛇の締め付け如きに潰される想いじゃない。

 

「(そうだ、食らう……魔人の象徴と言える力……!)」

 

それを用い、大蛇を食らう事でここから脱せる。更には大蛇の力も我が物となる。

 

「(……だが…………いいのか?)」

 

ボマーの細胞を使った時とは訳が違う。食らえば、性質も記憶も何もかもを手に入れ、自分の力にする。

 

「(それは、自分が散々嫌った犠牲ではないのか……?)」

 

食らうという事は、誰かを犠牲にして自分の糧にすることでは無いのか。そう自分に問掛ける。食らうと言っても食事ではない。力を得ることだけを目的に誰かの人生を奪うのが「食らう」という事だ。

 

それをして、手にした勝利を自分は誇れるのか?

 

「っ……」

 

悠長に考えている間に視界が暗転した。もはや体の全てが潰れている。至る所から血が吹き出し、けれど何度も回復し続けその分殺されている。

迷っている暇はない。迷えば迷うだけ無駄に魔力を消費する。

 

「(仕方……ない、のか……)」

 

あまり乗り気ではない。けれどこのまま無惨に終わるわけにもいかない。

新世界を変える。誰も、誰かの犠牲にならなくていい世界を作る。その目的の第一歩である安定装置の破壊を成しえずして倒れられない。

 

そう覚悟を決めてから始める。具体的なやり方は分からないが、爆発する魔球もイメージするだけで出せた。食らうことも要領は同じだろう。幸い目の前で実演してくれているので、ただそれをなぞる。

 

体が黒く歪み、歪んだ黒で触れているものを取り込むイメージ。目を閉じて、大蛇を巻き込み、引き込み、一体化する。

 

成果はすぐに現れた。

目を閉じた暗闇の中に、全く誰か分からない人々の顔が思い浮かんだ。具体的に何人かとか、どういう人達か、というのは分からない。分からないが、自分はその者たちと楽しく遊んでいたり、この居場所を守ってくれと頼まれた。もちろん帝自身には全くそんな記憶はない。

 

ただ、これはあの大蛇の記憶なのだと確信した。

 

次いで、「自分は彼らを守る」という強い意志が湧いてくる。だがその意志とほぼ同じタイミングで守りたかった人々に攻撃される映像が、一人称で再生された。

これも仕方ない事だと笑って、けれどとてつもなく悲しくて、辛くて。

 

そして、最後の最後に帝を襲ったのは絶望。

 

通りがかりの革ジャンの男に自身を含めた全てを奪われた、その絶望。全ての悲劇を、自分が彼らの敵となることで回避したはずなのに。そのために自分はアレだけ辛い思いをしたのに、なのに、ただの通り魔に全て台無しにされた。

 

「……あぁ、なんか悪いな」

 

奪い尽くした後に、大した関心もなくそう呟いた亮の姿が、帝に憎悪の感情を植え付け──

 

 

 

──ブツン!とその想いと光景が弾き飛んだ。

 

何が起こったと困惑する間もなく、残された黒だけの世界に声が響いた。

 

 

 

 

『誰の許可得て妾の楽園に入って来とる』

 

 

 

酷く冷たい少女の声で帝は思わず目を開く。

 

「(……今のは……)」

 

背筋に寒気が残っている。あれは明確な殺意だった。王であった帝はこれまでに本気の殺意を向けられたことは何度もあったが、それらが可愛らしく思えるような殺気。目を開けて亮を見据えても、その肌を貫く様な殺気は感じない。

つまりアレは亮の中に居る誰かから発せられた物だ。常識的に考えれば人の中に誰かいるとか有り得ない話だが、彼と相対する時に関しては常識の枠を取り払わないといけない。

 

ちなみに、その誰かは『どこが楽園だって?』『ヴァルハラと読むんじゃよ!』『人の頭で頭の悪いこと言ってんな』『なんかカオスじゃの』なんて亮とくだらない漫才を繰り広げていた。そんな事はこの戦いが始まる前から始まっていて、現在進行形で続いているのだが帝にそれを知る術はない。

 

それはさておき、思考が戻ってきた帝か次に気が付いたことは、大蛇が消えていた事だった。自分の体を押し潰していた大蛇から解放されており、そればかりか亮の右肩からは正常に、正しい腕が生えている。

 

あのままではただ死を待つだけだったのに。亮はあのまま同じ事を続けていれば勝利できたのに。だからこそ酷く不気味だった。彼にどういう意図があるのか図れない。元々何考えてのか分からない存在だったが、こうして相対すればそれが顕著に現れる。

 

「どういうつもりだ。なぜ引っ込めた。まさか今更心変わりというわけでもあるまい」

 

帝がそう問い質すと。

 

「……もういい。なんつーかお前、なに満足してんだ?」

「満足……?まさか。私はまだ安定装置を壊していない。満足など」

「だからもういい。お前の、自分で理解できてない蛇足に付き合っていられるほど暇じゃない」

 

言って、亮は右手に槍を握る。体から出現させたわけではない。ただ「思った」から出たのだ。

 

「悪しき者よ、聖なる神の力の前に死ね」

 

形はただの槍。創作物で雑魚が持っているような何の変哲もない槍。ただし、白く透き通って神々しい輝きを放っていなければの話だ。

 

「聖なる神……?貴様が?笑わせる」

「これは聖なる神の業だ。ンでお前はソレを使う俺の敵。ならお前は悪しき者で俺が聖なる神だ」

 

亮の言葉は酷く滑稽な屁理屈にしか聞こえなかった。およそ、相手に納得させる気は無い。無茶苦茶で理不尽。けれどそれだって仕方ない。それが事実であり、世界の理なのだから。

 

「ならばその神の力とやらをっ!?」

 

帝が言い切る前に、帝の体が吹き飛ぶ。試験管の二つ貫いて帝の隠し部屋に通じる扉にぶち当たり、それでも勢いは止まらず扉を破壊して更に奥へ。

 

「(勢いが……止まらない!?)」

 

理解不能な点は明確だ。自分は何をされたのかが分からない。あの槍で貫かれたわけではない。亮に殴られたとか蹴られたとか、風に流されているとかでもない。見えない何かに押されているわけでもない。

 

よく分からないし理解できないが物理法則を無視して吹っ飛んでる。

 

わかったのはそれだけだった。気が付けば隠し部屋の扉の前まで飛んできてしまっている。ここで初めて、帝は焦り始める。

 

「(まずい、まずい、まずい!このままでは……!)」

 

このままこの扉を突き破って更にその奥にある機械に触れてしまえば……その時は、本当に自分は何も為し得ずしかもただ失うだけの結果に終わってしまう。

 

「っおおおおおおおっ!」

 

床に向かって手を伸ばし、コンクリートの床に思い切り手を埋める。痛みに悶えている場合ではない。コンクリートを引き剥がしながら何とか飛ぶ勢いを押し殺していく。ガリガリガリガリと音を立てて、爪が剥がれ指が折れ、再生させながらまた剥がれて折れる。

結果、隠し部屋に到達する直前で止まることができた。

 

「っ……」

 

引かない痛みを気に掛けながらも床から両手を引き抜いて──

 

──バキッ!

と、背後から亮に首を折られる。視界が暗転し、激痛の中で体が放り投げられるのを感じた。

 

「(まずい……ダメだ、それは……)」

 

彼女が、鈴木数馬ではなく根本亮に見つかってしまうのだけはまずかった。

やがて首もあるべき方向に戻り、視界も戻る。

 

「まぁ、生きてるわな」

 

次いで、亮の呟きが聞こえる。そう、この帝の隠し部屋の中には彼女が、宝石 姫咲輝が居る。心臓の移植に使う大型装置の中に、彼女は眠っている。

 

「…………ふっ……満足か……確かに、お前の言う通りなのかもしれない」

 

諦めて言葉を紡ぐ。どうやら今自分は亮に踏まれているらしく、体がピクリとも動かせない。食らおうとしても先程の冷たい声の者に止められてしまうだろう。手詰まり。だから、言葉で戦う。

 

「もう、私は本当にやりたかった事を果たしてしまった。咲輝を、宝姫の呪いから解放してやれた」

「……前の部屋にあった試験管の中身は、宝姫咲輝の新しい心臓か」

「あぁ、私は世間から身を隠し、この装置の改良と咲輝に移植しても拒絶を起こさない心臓を作った。シェイカー博士の力も借りたが……」

 

咲輝がまるまるま収まっている、ポットの様な装置に付いているディスプレイに目を移せば、バイタルサインも安定を示している。もう咲輝には新しい心臓が移植されており、後は彼女の覚醒を待つだけの様だ。

 

「わざわざ鈴木数馬に隠した理由は?」

「一応、この移植にも危険は伴う。全てを伝えてしまえば、「宝姫の呪いがあろうと咲輝を守り通してみせる」と押し切られてしまいそうだった。それに、あんなに警戒されているのに一から十まで信用されるとも思えん。現に彼はここに来た」

 

彼は向こうの部屋でノビてはいるが、普通、魔人の存在を知ればここまで、しかも一人で来るなんて有り得ない。以前、宮里紀子も言っていた様に、彼にはよく分からない魅力がある。無謀と紙一重の勇気。そしてそれを無謀とは全く思わせない何か。無条件で信用させてしまうような、そういうよく分からない性質。

もしかしたら帝もそれを感じ取って、だからこんな嘘を吐いたのかもしれない。

 

「……そうか」

 

亮はポツリと呟いて。右手を黒く歪ませた。

 

「な……にをするつもりだ」

 

次いで、話していた帝から装置の中の咲輝を見据える。

 

『エグいこと考えるのぅ……』

 

心の中で八代がドン引きしてるのが伝わってくる。だからといって彼女が亮のする事に反対はしない。二人はそういう関係だ。

 

「爆弾」

 

亮の右手に球体が現れる。

 

「取り敢えずコレを投げる。あぁ、威力はお墨付きだ。お前がさっき使ってたヤツと同等だからな」

「……貴様……まさか」

 

右手で転がし始める。野球のボールを手に馴染ませるような気軽さで、生物をダメにする球体を弄ぶ。

 

「分かってると思うが、魔人でも痛いのは痛い。だが死にはしないから安心しろ」

 

一通り馴染んだところで球体を握りしめ、今度は帝を見据えながら口を開く。

 

「まぁ、人間は間違いなく死ぬがな」

 

その言葉で、帝は予想した最悪の展開に確信を持った。

 

「やめろ!その子には!咲輝には関係がない!!」

「爆発の条件は同じだ。念じれば爆発する」

 

淡々と、宝姫咲輝の死亡条件が告げられた。それは同時にそのまま帝の敗北条件となる。

 

「よせぇ!その子に罪はない!ただの人だ!私に脅されて協力しているだけだ!!やめろ!」

 

帝はただ叫ぶ。どれだけ体に力を入れても動けない。もうそれしか方法がない。

 

「そうか、ならあれだ、これも安定装置を破壊しようとする、世界の平和を乱そうとした者へ協力した罰だ。世界平和っていう絶対正義の前に死ね」

 

言って、ポイっと。空き缶を捨てる様に、放り投げた。

 

「やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

 

帝の叫び声は、爆音に掻き消される。ボオオン!と空気を焼き、衝撃が振り撒かれる。亮ですら体内で爆発すればああやって消し飛んだ威力。それが、ガラス一枚隔たれたただの人間の目の前で爆発した。

もう何も語らずともどうなるかなんて明確だ。

 

『嫉妬というか、腹いせにしてはタチ悪うない?』

『自覚はある。だが別にいいだろ』

 

黒い煙が蔓延する空間で、亮は八代と会話をしている。無実の、ただ今回の事件に巻き込まれただけの被害者を殺し終えた後とは思えない気軽さ。

何故なら何の罪もない者を殺めることには慣れているからだ。彼の周りにいる者達は時々勘違いするが、元々彼はそういう「クソ」な者なのだ。

 

理由はもう一つある。

 

『宝姫咲輝も死んでないしな』

 

やがて黒煙が晴れていく。爆発のせいで排気扇がフル稼働し、スプリンクラーが放出されている。新世界の技術に掛かればこの程度では直ぐに消化も終えてしまう。

 

ともかく、晴れた視界の先には、先程足元で喋っていた黒鎌帝が咲輝のポットの前に居た。

 

「そうだ、その奇跡を待ってた」

 

帝と、咲輝が収まっているポットを取り囲む様に、白っぽく透き通る壁があった。蜃気楼の様にゆらゆらと揺らめいては居るが、壁は壁。それも魔術なんて低俗な物じゃない。

 

黒鎌帝は、咲輝を守りたい一心に奇跡を起こした。

 

──神術

彼はその境地に辿り着いた。

 

「……魔人、亮。やはり貴様はこの新世界に来るべきではなかった。父は間違っていた。コイツは救われるべき存在ではない」

 

白の蜃気楼はポットを囲ったまま、そこから枝分かれする様に帝だけを囲っていく。

発現したばかりの神術を帝は手慣れたように扱っている。元々魔人という物にも直ぐに慣れた帝だ。戦いのセンスというのは保有しているのだろう。

 

何はともあれ、ここからが本当の戦い。無限の魔力では、魔人では亮と同じ土俵には立てない。しかし神術は違う。帝は今間違いなく亮と同じ土俵に立った。この力であれば亮は殺せる。不死身のディザスターはこれで終われる。

 

「行くぞぉ!魔じ──」

 

──だが、聖なる槍が黒鎌帝を貫いた。

 

「大した量にはならないが、プラス収支で終われたか」

 

亮の右手にあった槍が帝を貫いている。貫通はしていない。出血もない。傷だってついていない。けれど槍は蜃気楼ごと帝を貫いている。

 

「昨日と今日で合わせれば上々の収穫だ、ありがとう」

 

謝辞と共に、帝を貫いていた槍が独りでに引き抜かれ亮の体へと呑まれていく。

 

帝はそのまま地に伏した。

 

「…………咲輝には……手を……」

「安心しろ、もう興味ねえよ」

 

聖槍(せいそう)に貫かれてもまだ喋れる当たり、これもかなりの奇跡ではあるのだが、もう長くない。歩いて帝の方へと近付いていく。もちろん、彼の全てを奪うために。

 

「……そう……か……くくっ……せい……ぎ……」

 

腰を落として左手で帝に触れる。後はもう食らうだけ。

 

「お前が王として輝く姿を見たかった……すまなかった」

「……伝えておこう」

「……ふっ、助かる」

 

それを遺言として、音もなく、一瞬で帝は亮の体に呑まれて消えた。

 

そして亮の存在しない頭には黒鎌帝の人生の、想いの全てが再生される。これまで彼が積み上げてきた物と、意志は、亮の中に溶けて行く。

 

『……ふむ、マジでこやつの第一目的は宝姫の呪いを外すことにあったか』

『ン、だからまぁ、殺した俺が言うのもなんだが、満足して死んだんだからいいだろ』

『本当に主が言うことじゃねえのじゃ』

 

もちろん亮が知れば八代も知る。

 

『結局、帝がやりたかったのは咲輝の解放と今の王を安定装置の傀儡にさせない事だろ。後者は成されなかったが、前者は達成させられた。ンでコイツはその段階で満足してた。本当は、新世界の事なんかより、自分の大事な人が健やかに生きていて欲しかっただけだ』

 

食らってわかる。黒鎌帝の気持ち。ただ後者の達成には王としての想いが混ざってこんな面倒臭い方法になってしまって、そして自分の死を招いた。

 

『コイツも馬鹿だからな。宝姫咲輝も、黒鎌正義も、そんなことよりただ笑って傍に居てくれればそれだけでいいのによ』

 

二人の気持ちなんて分からない。だが、帝の記憶の中に焼き付いている二人の笑顔を見れば、そうだと思える。

 

「まぁ、お疲れ」

 

いつもの様に。食らった者が積み上げてきた人生に適当な感想を残して、亮はその場を後にした。




一件落着ということで数話日常パートを挟んで次の章へと向かう予定です。
イチャイチャパートに需要があるのかは怪しいところではありますが。


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外界遠征③

「……っ……う……」

 

鈴木数馬はやっと意識を取り戻した。目はまだ開ききらない。滲む視界の中で、それでもと体に力を入れて立ち上がろうとする。だがまだダメだ。ボロボロになった体が前に進むことを拒否している。

仕方ないので這って動く。

 

「咲輝……」

 

彼女がどうなったのか知らない。進まないと、確認しないといけない。もう手を遅れかもしれない。なんて考えは放棄している。そもそも思考に浮上して来ない。

ただ助けるという意志の元にただ進んだ。帝の姿が見当たらないのに引っ掛かりはしたが、もうそんなことはどうだって良かった。

 

部屋の出口に辿り着いた時にやっと体に少しだけ力が入るようになった。

壁に寄り掛かり、体を擦りながら暗闇に支配された通路を進む。当然歩速は遅い。それでも足は踏み出していける。

どれだけ歩いたかは分からない。ただやっと終着点を見付けた。どういう訳か扉は破壊されている様で、本来あっただろう扉は無く、暗い通路からも部屋の様子が分かった。

 

だからそれで体に力が入った。駆け出す。光射す部屋で何かの装置に入れられ目を閉ざしている咲輝の元へ。

 

「生きて……るのか?」

 

安らかに瞳を閉ざしている彼女をこうして見るだけではどうなのかは分からないが、装置についているディスプレイにテレビ等で見る波形が映し出されているのを確認した。

 

「……波打ってるってことは」

 

ダメな時はピーと音を立てて横一直線になるというのだけは理解している。

今咲輝の状態を映していると思われる波形は安定して波打っていた。数馬が知る限り、この状態ならは問題ない。

 

「これどう触ればいいんだ」

 

ボタンらしき物は見当たらない。であればディスプレイを触っていくしかないのだが、如何せん専門的な機械過ぎて何も知らずに触っていいのか怪しい物だった。

数馬は取扱説明書は読まないタイプの人間ではあるが、さすがに人命が掛かってるとその限りではないのだ。

 

「画面を触って……」

 

だからといって悠長にしていられず、ディスプレイをタップしてみる。

ピッと音がして画面が切り替わって、ゲームのメニュー画面の様な一覧が現れた。

 

「これか?」

 

目に入ったのは「終了」のボタン。なんだかよく分からないが終われば解放してもらえるかもしれない。めちゃくちゃ浅はかな考えで取り敢えずそのボタンをタップした。

直後、装置からガシャッという音が聞こえた。どうやら当たりの様だ。

装置のガラス部分がスライドして行く。そしてそれは咲輝の体が解放されたという事。

 

「咲輝っ!」

 

解放され、重力のままに前方に傾いて倒れていく咲輝を真正面から抱いて受け止める。

 

「大丈夫……そう、だな」

 

仰向けにさせて自分の膝に咲輝の頭を乗せ、首元に手を当て脈を測る。それをするまでもなく、心地良さそうな寝息が聞こえてきてはいるのだが、念の為というやつだ。

 

「……ともかくよかった。黒鎌帝の姿は無いし……それに、この部屋で何かあったみたいだけど」

 

荒れ放題な部屋を見渡し観察する。元々は綺麗に片付いていたのであろうが、辺りには本やら絵画やら様々な物がほとんど破壊された状態で散らばっている。むしろ、なぜ咲輝の入っていた装置だけが無事なのかがよく分からない。

 

「……っていうか、この装置は心臓を移植するためのものだよな……帝は咲輝の心臓を持っていたのに、なんで咲輝が無事な…………まさかっ!」

 

ある可能性に行き着いて、咲輝の緑色の手術着に手をかける。予想が正しければ、咲輝には──

 

「っ……んん……?」

 

と、手術着をズラして左胸を確認しようとしたタイミングで咲輝の目が開かれた。

 

「…………………………あ」

「………………」

 

冷静に考え直す。いくら「咲輝の心臓が普通の人間の物に移植されたのか確認しようとしていた」という大義名分があったとしてもだ。今数馬がやっている事は本人以外から見れば「手術着を来て寝ている女の子の胸を触ろうとしていた」様にしか見えない訳であって、まぁつまり。

 

「っやあああああああああああああああああああ!!」

「ごぶっ!?」

 

咲輝にぶん殴られても文句は言えないわけである。

 

「か、か、かかか数馬様!?」

「ごめ……ん」

 

思い切りを顔面をグーで殴られた数馬は、咲輝に膝枕したまま、後ろに倒れ込んだ。なんとも締まらない構図である。

 

「え、ええっと、どういう……」

「いや、待って。まず順に状況を確認したいんだ、俺も」

 

本当に数馬の考えている通りなら、黒鎌帝がどうなったのか。というより、彼の本当の目的は、自分の思っていた事と全く違う物になる。

 

「俺、このまま倒れて上向いてるからさ、咲輝は自分の心臓を見てみてくれよ」

「私の心臓、ですか……」

 

少々困惑気味に咲輝は自分の左胸に手を当てる。

 

「これは……心臓が動いています!どうして……いつもはこんな……」

「やっぱりか」

 

ドクンドクンとリズムを刻む自分の左胸に、咲輝は戸惑いを隠せない。宝石の心臓に鼓動はなかった。この左胸の鼓動は咲輝にとって初めての感覚だった。

 

「帝は……咲輝の心臓と自分の心臓を交換したんだ」

「……」

 

数馬は咲輝の生存で確信を持った自分の想像を彼女に伝えていく。

 

「冷静に考えれば、咲輝から力を借りるなら今じゃなくていい。もっと前にだってできたはずだ。このタイミングで行った理由は、咲輝の体に合う心臓を作っていたからじゃないか?」

「……私に合う、心臓……」

 

そうだとすれば、一つ前の部屋にあったビーカーに入った臓器の数々に納得が行く。あそこで咲輝の体に拒絶反応を起こさない心臓を作り、そしてそれができたから今回の件を始めた。

 

「今、帝の姿はどこにもないからそうだって断言できないけど、多分そうなんじゃないかな」

「そうでしたか……でも、そうしたらあの方はどこに」

「……分からね」

「数馬様が帝様を打ち倒し、私を助けてくださったのではないのですか?」

「いや、俺は負けちまったんだ。帝の足元にも及ばなかった」

 

数馬はあの帝との戦いを振り返る。一矢報いはしたが、それだってまぐれのようなものだ。帝の力と想いに為す術もなかった。

 

「気を失って、目が覚めたのがついさっき。その時にはもう帝は居なかったよ」

「では帝様は本懐を成し遂げに行かれたのかもしれませんね」

「そうだといいけど……」

 

少し嬉しそうな表情の咲輝に釘を刺すように、数馬は言葉を繋げていく。

 

「……意識を失う前にさ、声が聞こえたんだ」

「声、ですか。ここに数馬様の他に、誰かが?」

「あぁ。終わりだって、確かに言ってた」

 

あの時はもう視界が利かないほどにダメージを受けていた。その声の主の顔は見えなかった。その時はいっぱいいっぱいで気が付かなかったが、今冷静に思い返してみればあの声の主には思い当たる節があった。

 

「……多分、その誰かが、帝が言ってたこの新世界の闇の頂点ってやつだと思う」

「では、帝様は……」

「そう決めつけるには早いさ。外に出てみればわかるハズだ。……ただ」

「どうかされましたか?」

 

言葉を詰まらせた数馬の顔を、咲輝が覗き込む。手術着はきちんと整えられてはいるが、それでも素肌に一枚しか着ていないのだからかなり危うい格好だった。

しかし、数馬はそれを眼福だと思う気力すら湧かず。

 

「……ちょっと体動かねえや」

 

咲輝の無事を確認できて安心できたのか、体に力が入らなかった。冷たい床が心地良く、身に染みる。

 

「動かないって……大丈夫ですか!?」

「大丈夫、ちょっとだけ休ませてくれ」

 

言ってゆっくり目を閉じて、ただ意識は残したまま、心地良さに身を委ねがら思考していく。

それは、あの誰か分からない声の主の事だ。

 

「(あの声は……アイツは、父さんと母さんを手に掛けた奴と同じ声……そんでもって……)」

 

一番新しい記憶を引っ張り出す。はっきりと一度だけ、顔を見て声を聞いたタイミングがある。

 

「(あのデパート襲撃事件で、根本さんと七尾さんと一緒に居たやつ。もし同一人物だとするなら。新世界の闇の頂点は思っていたより近くに居るんだな)」

 

聞きに行くしかないなと覚悟を決めた。幸いなことに手掛かりの一人はクラスメイトだ。帝に打ち倒されていたら、もう探る必要なんてないのかもしれないが、そう楽観視できない。

この部屋は多分、帝が絶対に守りたかった部屋のはずだ。その部屋がこうも荒れているのを見れば、もうそれはそのまま答えになってしまう。

 

「……よいしょっと」

 

思考の隙間でそんな咲輝の声が聞こえた。ただ気にかける余裕はない。

もし、根本愛菜や七尾真衣──今は七尾優衣ではあるが、彼女達にその彼の事を聞いて、もし会えたとして、帝にまるで歯が立たなかった自分が、帝を打ち倒した相手とまともに戦えるかどうか。

少し恐怖も湧いてくる。帝も上位術師と比にならないほどに強かった。極術師と同じくらい無茶苦茶で、強さの次元がズレていた。同じ人間という生物だとは到底思えない強さだった。

それより強い存在が居たとして、恐怖しないという方が無理な話だ。

 

「……って、あれ」

 

気が付けば、頭に何か暖かい感覚があった。

 

「置き心地はどうですか?」

「えっ、いや、なにしてるんだよ」

 

驚いて目を開けた。

 

「膝枕という物だと思います。先程まで数馬様にやって頂いたのと同じ。数馬様に助けていただいたのです、これくらいは」

 

そう言って、咲輝は優しく微笑んでいた。しかし、数馬は素直にその笑みを受け取れる気にはなれなかった。

 

「……俺は結局帝に負けちまったんだ。だから、俺は咲輝を助けられなかったんだよ。俺に、そんな資格はないさ」

 

帝に元々その気がなかったから今回は良かったものの、もし咲輝を殺して心臓を奪い取っていたとしたら、間に合ってすらいなかった。そう、助けられていなかった。

それに今だって帝が居ないからここまで来れたのだ。そして今の自分に帝を退ける力はなかった。

 

「そんなに卑下しないでください。あなた様がここまで来てくださった。この現実、その物に意味があります。命だって失う可能性があったのに、自己を省みず私を助けに来てくださった」

 

だが咲輝にとっては、ただそれだけで十分だった。「宝姫」というだけで腫れ物扱いされるというのに、それを知っていても尚普通の人間として接してくれた。それどころか命を懸けて助けに来てくれる。

もうそれだけで咲輝にとっては尽くしたい相手になり得る。膝を差し出すくらい、なんてことはない。

 

「数馬様が自分を卑下していては、それだけで堪らなく嬉しい私が馬鹿みたいではありませんか」

 

心を救われ、こんなにも暖かい気持ちを与えてくれた。きっとこの気持ちは──けれど一旦胸にしまい、笑顔で隠す。

 

「……そっか、嬉しく思ってくれるか……じゃ、それでいいかな」

「はい、それでいいのです」

 

言葉を交わし終えれば、直ぐに数馬から寝息が聞こえてきた。黒鎌帝が事を成しえたのか、確認するのはもう少し後になりそうだった。だが咲輝に不満はない。自分を救ってくれた者をこの場に放りだすことなんてできやしない。

それはきっと、帝も分かってくれる。

 

「私は、薄情者なのでしょうか……」

 

ふとそんな疑問が浮かんできたが、それでもやっぱり膝の上の数馬を退ける気にはならないのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここは、あの廃園か」

 

帝を食らってから通路をひたすら進んでいたら、この前帝と咲輝と数馬の三人が会話をしていた廃園の劇場内部に辿り着いた。途中にはレールとトロッコの様な物があったが、亮にそんなものは必要ない。レールを敷くほどの距離があるならばと地を蹴って高速で飛んで行った。

 

『他にも隠されていた通路がいくつかあったようじゃの』

『隠されているのは当たり前として、なんでここだけこんな…………あぁ、そういうことかよ』

 

微かに。ほんの微かな、残り香の様な神聖を感じ取って、ある程度は察した。

 

『主』

『ン、早いところ行っちまおう』

 

少々腹立たしいが、今ここでイライラしても変わりはしないし、彼女が彼に期待している事実に揺るぎはない。感情はいつもの様に押し殺し、歩いて劇場の控え室から舞台の観客席まで行き、そこで体内から携帯電話を取り出した。

一応この件も仕事だ。であれば仕事終わりには報告の義務がある。迷わずにナナシ──ではなく、今回の依頼者である王へと直接電話かけた。いつぞや彼から掛けられたプライベートの方の電話だ。

 

『もっしぃ~!』

「うぜえよ」

 

通話が開始されてからのやりとりはいつも通りだった。およそ自分の父の死を聞く者の態度ではない。

 

「仕事は無事に終わった。黒鎌帝はもうこの世に居ない」

 

隠していても仕方ないので、端的に事実だけ伝える。

 

『相変わらず仕事が早いことで』

「そうでもない、今回は移動時間より戦ってる時間の方が長かった」

『通勤時間と勤務時間を比較すんなよ税金泥棒って呼ぶぞ』

 

呆れた様な声を聞きつつ、さっさと帝の遺言でも伝えてやるかと思い、口を開く。

 

「王として輝くお前の姿を見たかった。帝の遺言だ、伝えたからな」

『……おうさ』

 

流石に先程までのテンションはなりを潜めている。敬愛していた父の死を誤魔化しきれるほど、まだ大人に──いや、冷酷にはなり切れないらしい。

 

「一応、お前の知らない部分の顛末を話そう。帝は、宝姫咲輝のために動いていた」

『……っ』

 

電話口から呻くような声が漏れていた。けれども気にせず言葉を続ける。

 

「シェイカーと何かしていたのは知ってると思うが、奴らは自分と咲輝の体の合う心臓を作ってた」

『んだよそれ。全く違うDNAを持ってる者二人に合う心臓なんて……』

「普通は無理だ。だからシェイカーの頭を借りた。アバターに取り憑かれた研究者の頭をな」

 

シェイカー博士がアバターで宮里由紀のクローン、宮里由美を作った事から分かるように、シェイカーは最もこの新世界でアバターの使い方を知った者だ。

もっとも、そのクローンに殺されるというヘボな研究者でもあるが。

 

「アバターの一部を流用して、宝姫咲輝か黒鎌帝のどっちかの細胞に触れればそれに同化したDNAを持つ心臓を目指し、自分の死を偽装してひたすらにそれを研究し、見事完成して今回の騒動に至ったわけだ。全ては、宝姫咲輝を宝姫の呪いから解き放つため。そしてなにより」

 

これは帝を食らって分かったことだが、帝の第一目標は違っていた。言葉にはしなかった本当の目的。帝を食らい、彼の心の奥底にあった強い願い。

腹の底にため続けていた、けれど自分では気が付かないようにしていた本当の想い。

 

「宝姫の名を宝姫咲輝に捨てさせ、それから王の役割をお前に捨てさせ、もう一度、三人で笑い合うため」

 

言葉にすれば些細な願いだった。けれど帝が何よりも成し遂げたかった思いだ。

 

「三人で、もう一度遊園地にでも行きたかった」

『やめろてめえが知った口きくんじゃねえ!!』

 

王の、黒鎌正義の怒声がスピーカーから響く。

 

『てめえに何が分かる。その未来を奪ったてめえにッ!!』

「黒鎌帝の全てだ」

『んだと!?』

 

こうなるのは目に見えていたが、この際亮も彼に言いたいことがあった。もちろんそれは帝にも通じることではあるが、まぁ伝えてしまおうと、柄にもなく小さい王へと告げていく。

 

「黒鎌帝を食らった俺は帝の思いの全てを奪った。だからこそ言える訳だが、三人で笑い合うって、こんな手順が必要なのか?」

『……あ?』

「王の役割を捨てるとか、宝姫の名を捨てるとか、そんな大層な事しなくちゃダメなのか?お前もお前だ、始める前に、俺が提案した様に帝の顔でも変えて生活させるんじゃダメなのか?」

 

亮には分からなかった。なぜ、彼らは自分の願いのためにプライドを捨てられないのだろうと。

 

「なんで中間が取れない。王でも、呪われててもいいじゃねえか。大切な人と一緒に居るのに、一緒に居たいっていう想い以外要らねえだろ。くだらない大義名分なんか捨てりゃいいのによ」

『……それは……』

 

王という立場が邪魔するのだろう。咲輝のためとは言え、世間を混乱させ、正義のためとは言え、安定装置を破壊しようとした帝を「王」は許せないのだろう。

だがそうだったとしても、黒鎌正義として、黒鎌帝を許すことは出来るはずだ。

 

「まぁ、済んだことだからもういいけどよ」

『っ……ぁ……』

 

ただもう遅い。先にこれを言わなかったのもあれだが、そこまで面倒見るつもりもない。別に、亮にとっては関係の無い話だ。

 

「ンじゃ切るぞ。ナナシにも連絡しないといけないからな」

『……』

 

返答はないが、どうせ泣いてるのは分かるので返事は待たずに切る。

どうか今回の件でもう彼が迷うこと無く「王」として優秀になってくれることを祈るばかりだ。恐らく、これから彼は悩んだ挙句、「王として父親を殺した。もう戻れない、だから自分は王道を全うしよう」辺りの結論に着地するだろう。

 

そうなったとて、自分の仕事はいつもと変わらないので関係ない。

次はナナシへと電話を掛ける。

 

『私だ』

「俺だ。終わったぞ、次はどうすればいい」

 

事務的に会話を始める。個人的にはさっさと愛菜の元へ戻りたいのだが、ナナシがどういう判断を下すかはまだ分からない。

 

『こちらもつい先程、結界の設置を終えたところだ。今は明日からは領土拡大に向けて休息の時間になっている。好きにしてもらって構わない』

「そうか。なら早々に戻る。愛菜は?」

『心配はない』

「ならよかった」

 

愛菜はまだ弱い。万が一の心配が今も残ってはいるが、まだ大丈夫そうだ。

 

『宝姫咲輝はどうした?』

「鈴木数馬があの場にいた。今頃起きて二人一緒に居るだろ」

『なるほど……しかし、本当によく下位術師が自力であそこに侵入し、生きていられる物だ』

「自力かどうかは怪しいところではあるがな」

 

あの控え室に漂っていた「神聖」から見るに、神の介入があったのは確かだ。だとすれば、あのトロッコも含めそもそもあそこに入口があったのかどうかさえ怪しい。神の手が加わったとするなら、「最初は通路なんてなかったけど最初からあった」という意味不明な事にもなりえるのだから。

 

『まぁ、彼女が無事であるならそれでいい』

「なんだ、そんなに妹の曾孫(・ ・ ・ ・)が気になるか」

『……黒鎌帝を食らい、知ったか』

「そうだ。奴は安定装置を壊してロンギヌスの槍とやらの起動キーになってるお前もついでに助けられる。そういう望みも持っていた」

 

何とも素敵な話だ。帝は自分の行いで救われない知人達を片っ端から救おうとしていた。

 

『おせっかいな王だ』

「違いない」

 

しかし、ナナシにとってもそれは要らぬ世話だったようだ。

 

『……して、新世界の魔人はどうだった?』

「なりたての魔人じゃ俺の相手にはならない。まぁ、マグナスよりかは強そうだったがな」

 

宝姫の心臓のおかげか、単純に魔力で言えば新世界で亮が見てきた者の中ではトップ。新世界最強の称号を持つには相応しい力だろう。それでも力を使いこなせては居なかったが。

 

『魔人の食らう力。それは君と同じ物だったのでは?』

「なわけないだろ。魔力でしかない俺と、人の形を持った帝。違い過ぎる。宝姫の心臓は血液さえ流れれば確かに無限の魔力の様だが、それだけだ。蛇口捻って永遠に水が流れ続けるとしても、所詮は蛇口の口からしか水は流れない」

 

濃度とか質とか、そういう違いは大きい。蛇口から永遠に水を流し続ければ皿にこびりついた汚れもいずれかは流れるかもしれないが、だったら限られた水でももっと水圧を強めた方が流れる。

 

『質か……』

「長い時間をかけて、何万以上の人と何百万以上の魔物を食らった俺に魔力で並ぶなら、最低でもあの心臓を弄って魔力の質を高めさせる細工を作り、永遠に魔力の濃度を上げさせ続ける。そうすればいい勝負できるだろ」

 

最も、魔力で並んだところで「神術」で攻撃されればあまり意味は無いのだが。

亮の解説を聞き、なるほどなと納得したナナシは、次の質問を始めた。

 

『彼は……黒鎌帝は主人公だったか?』

 

それはナナシには珍しい、あまりにも抽象的な言葉だった。だが意味はわかる。

 

「いいや、ただの中ボスだ」

 

だからこそ断言する。彼は主人公ではなかったと。

 

『人は自分の人生という物語の主人公。彼はお前にそう教わったそうだ』

「言ったな。随分好意的に解釈されていた」

『……本当の心は?』

「自分が物語の主人公ならば、自分以外の者はみな主人公未満な訳だ。第三者からすればサブ、モブキャラにしかならない。そんな世界のためにお前が身を削る必要があるのかと伝えたかった」

 

随分と僻み精神溢れる解釈だが、これもある種の真実だと亮は知っている。

世界のどこかで誰かが命を落としても、世界のどこかの誰かはそれに気付くことすらない。

彼の偉人は「人類みな兄弟」なんて言ったそうだが、「人類みな他人」というのが的確だ。他人に起こった出来事はどこまで行っても他人事だ。

 

『報われないな』

「報われたさ、奴は自分の大切な人は助けられた。黒鎌帝の人生に置いての主人公が自分だとしたら、宝姫咲輝を宝姫の呪いから解放し、黒鎌正義に消えない傷を残して、本当の主人公に疑念を植え付けるという物語で完成した。俺の知る限りじゃ中々いい結末だと思うぞ。良くも悪くも何かを成し遂げ残せた。最悪なシナリオは……お前もよく知ってんだろ」

 

自分の知る限りでは大したことせずに逝く者が大半を占める。ナナシと共通の知り合いの者を匂わせた言葉を投げれば、「あぁ」と頷かれる。

その彼女と比較すれば、帝は随分脚本に恵まれているわけだ。

 

『笹塚未菜は……いや……それで貴様は戻って来るのか?』

 

途中で止めはしたが、二代目深淵、笹塚未菜の「何も成し遂げられなかった」人生に、ナナシも思うところはあるのだろう。

 

「あぁ、直ぐに戻る。切るぞ」

 

そろそろ言いたいことも言い切ったので通話を終える。さっさと劇場を抜けて表に出るなり姿を透明にさせ、地を蹴ってブルー地区の基地へと飛んだ。

 

『ナナシの長寿の秘密が宝姫の呪いだったとはの』

 

移動中に八代が体内でそう語り始めた。

 

『何かタネがあるのは間違いなかった。それに大したことじゃないだろ』

 

帝の記憶にも完全な詳細はないが、なんてことはない。この新世界で多々ある犠牲者の一人というだけだ。

 

『……事故にあった子供の体に手を加え、運良く不老不死の体になることが大したことではないと……まぁ、なんか良くありそうな事じゃの』

 

恐らく微かに残った自分の中の良心と共鳴してこんなこと言い出したのだろうが、冷静に言葉にしてみればそうでも無いことに八代も気付く。

王の目の届かない所で時々行われる、こういう非人道的行為は新世界では良くあることだ。特に安定装置が起動していなかった時代には多くの闇を抱えていた。だからこそ笹塚未菜の様な者が居たのだ。

ただ今もナナシや自分という存在が必要とされている事を考えると、あまり昔と変わっていない様な気もするが。

 

『詳しいことは本人に聞かないと分からないだろうが、俺はあまり興味無い』

『……上手くいけば、黒いのが不老不死になるとしても、か?』

 

八代の言葉が存在しない脳裏に響く。八代は亮だ、彼女の言わんとしてる事はわかるし、それを考えもした。

 

『確かに不老不死は幸せな事ではなかろう。じゃが、黒いのが不老不死になれば、主は一人にはならなくて済む』

 

八代の言う通り、愛菜は死ぬ。どんなに脅威から守ろうと、DNAに刻み込まれた最後の瞬間を間違いなく迎える。それは人として生きている限り避けられない運命で、この世の理に定められた末路。

けれどそれを覆す方法はいくつもある。魔人化然り、ナナシの不老不死も同様だ。

 

ただ、そう分かっていても、亮は切り出せない。

 

『さっき主も王へ言っとったじゃろ。大切な人と一緒に居るのに、プライドは捨てられんのか』

『……』

 

邪魔しているのは笹塚未菜の最後の願いだ。愛菜を人として、普通に生活させてやりたい。その願いだけがどうにも心の中に引っかかる。

 

『……まぁ、こんな自問自答にも意味は無いがの。主にも答えが出せぬという事は妾にも答えが出せぬという事じゃ』

 

八代の言う通り、彼女に何を言われようと答えなんてでない。これは自問自答だから。

 

『プライドか……』

 

自分の心に引っかかる何かが、そんなご大層な物なのかは分からない。ただ愛菜が自分らと同じく、永遠に生き続ける存在になったとして、それを喜べない理由はプライドではない気がする。

 

『…………まぁ、暇な時に聞いてみるか』

 

さすがに無断で人を不老不死にする訳にもいかない。どうせ聞いたとしても「亮とずっと一緒にいられるならなるー!」みたいな回答が返ってくるのは目に見えているが、もう少し腹を割って話してみれば違う意見も出てくるだろう。

最終的にはそれだって本人が生きていないと聞けないことなので、取り敢えずもう一度空を蹴って飛ばして加速し、ブルー地区の軍事基地へと急ぐのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

旧世界では結界の設置を終え、軍も極術師達も各々で休息の時間を満喫していた。

そんじょそこらのスーパーマーケットよりかは大きい外界拠点ではあるが、流石に娯楽施設などは有していない。それに、旧世界という魔物が蔓延る場所ではそういう気も起きない。

給仕班の作った「海軍カレー」なる物を昼食として摂り、愛菜は女性用に割り当てられた和室で壁に背を預け、亮から託されたロケットペンダントを弄んでいた。

 

「……んー」

 

悩みがあるわけではないが、声が漏れた。とりあえず暇だった。

 

「それは贈り物?」

 

そんな愛菜を察してか、真ん中の座椅子に腰を掛け、テーブルのポットに備え付けのお茶を注ぎ終わった宮里由紀が質問する。

 

「預かり物、と言ったところです」

 

いつもの様に、他人行儀に返事をする。基本的に愛菜は他者には敬語を使う。それを外して騒ぐのは、家族と呼べる者に対してのみだ。

もちろんこれは他者に敬意を払っているとか、そんなご大層な理由じゃない。

 

単なる仕切りだ。自分のことを知らず、何より彼の事を知らない有象無象に対しては何の感慨も浮かばない。ならばわざわざ自分の言葉に感情を込めて伝える必要が無い。だから機械的に、「敬語」という誰に対しても角の立たない便利な表現を用いている。こうすれば誰も文句は言わず、好意的にも取らない。誰も関わってこないで済むから、楽。

 

「預かり物にしては熱心に見てるわね」

「そうでしょうか?」

 

彼が、亮が大切にしている物に全く興味が無いと言えば嘘になるが、だからと言ってコレに思うところはない。

コレは自分なんかが介入していい物じゃないと分かっているからだ。あの亮が大切と言うならば、「神」が、彼の何より大切な人が関わっていると断言出来る。ならば自分に関わる意味は無いと心の底からそう思っている。亮の過去への想いに自分が介入する隙は全くないから。

 

「えぇ。そんなに意味ありげな顔の根本さんを見るの、初めてよ」

「……」

「学校で時々あなたを見かけるけど、いっつもつまんなそうな顔してるもの」

 

由紀にそう言われ、ちょっと苦い顔になる。そこまで露骨に出てしまっていたかと。

 

「……そう言う由紀さんこそ、なんだか思い詰めてそうですけど」

「っ……」

 

反撃に出てみる。出発式で既に違和感というか、なんだかイライラした様子だった。その後の潜水艦の中で「ディザスター」について聞かれた時点で察したが、どうにもそれだけには留まらない気がした。

 

「なんの事かしらね」

「……気のせいでしたか」

 

まぁ別に深く聞きたいわけではない。たかだか同じ学校で、同じ極術師という枠に居るだけの間柄だ。

 

「……そうね……ねぇ、根本さんなら、どうしようもない理不尽にあった時、どうする?」

 

しかし何を勘違いしたのか由紀はそんな質問を投げ掛けてきた。しかも質問の意図も良く分からない。ただ単純に考えればディザスター、魔人亮についてどうすると尋ねられている様に聞こえるが──しかし変な事言って関係について勘づかれても面倒なので、ありのまま、自分の思ったままに答える。

 

「逃げます」

「……?」

 

意味が分からなさそうに。由紀は首を傾げた。

 

「理不尽……要は自分の力じゃどうにもできないってことですよね。なら逃げます。自分には関係ないと放り投げます」

「そんな無責任な……」

「いいじゃないですか。自分じゃどうにもできないなら、目を逸らして逃げたって。自分が困らないならそれで。もし赤の他人が困る事になっても、私には関係ないですから」

「ぁ……」

 

あまりにも無責任な、自分本意で利己的な愛菜の回答に由紀は慄く。

 

「ただ自分に取って本当に大切な人が困るとしたら……他の事がどうなっても構いません。無謀だろうがなんだろうが立ち向かいます。だって、大切な人が困るなら、それは私が困るって事ですから」

 

それは、他人のためと称した自分のための行動原理だった。そしてそれを恥じることなく愛菜は語る。余りにも極端な線引きに由紀は言葉を失う。愛菜はどこまで行っても自分のためにしか生きていない。

 

「これじゃダメですかね?」

 

ダメだと、由紀は口にできなかった。だけどもちろん肯定なんてできない。

ただ愛菜の回答を聞いて、自分の中に選択肢ができあがってしまった。その事に、由紀はどうしようもない、胸糞の悪さを感じた。

 

「……逃げる……」

 

ポツリと呟いた。それは、どうしようもないあの存在から、宮里由美という妹を取り返すことを諦めることと同義。常に自分に味方してくれる存在が居ない事を、由紀は知っている。鈴木数馬に素通りされたあの時に思い知った。

自分じゃない誰かのために奔走する彼を見て悟った。

 

一人で立ち向かえない壁があって、自分を支えてくれる者が居ないのなら、諦めてもいいのではないか?

 

そう思ってしまう自分が嫌になる。この心に渦巻く、冷たくドロドロとした気持ちの悪い感覚に、とても気分が悪くなる。

 

そして、この感覚を自分は知っている。昨日の朝、相対したあのどうしようもない存在から感じた感覚だ。

 

「……宮里さん?」

 

心配そうに自分の顔を覗き込んでくる、自分と同じ極術師の女の子。

 

「根本さんは……」

 

入学式だったか。確か、目の前の少女を見た時にも、何故かこの感覚を感じた。ふと思い出すと、目の前のこの少女と、どうしようもないあの存在がダブって見えた。

だからか、突拍子もない言葉が出てきた。

 

「ディザスター?」

「……………………は?」

 

まぁそんな訳もなく、マジで何言ってんだお前と言わんばかりの顔をされた。

 

「へ、変な事言ったわ、ごめんなさい」

「びっくりしました」

 

苦笑いを浮かべる愛菜だったが、内心では「っぶねええええ焦ったあああああああっ!!」とパニック状態。文脈的には正解だったりするから心臓に悪い。

王にも指摘されたが、やはりこの格好が悪かったのかと不安になる。

 

「……正直、根本さんの考え方には全面的に賛成はできないけれど、ありがとう。とっても参考になったわ」

「それなら良かったです?」

 

尋常なく身勝手な言葉を綴らせたと自覚はあるのだが、まさかそれが参考になったと言われると思っていなかった。

愛菜は由紀の気持ちを考えたことは無いし、何より彼女はあの鈴木数馬に恋心を寄せる者として「諦める」という選択肢を持たない人種だと思っていたからだ。

たとえ何があろうと自分の心に決めたものを曲げない、そういう人外タイプだったはずではと。

 

「あ、そうだ、ねえ根本さん。一緒にお風呂行かない?」

「大浴場がありましたっけ」

「えぇ、前回外界遠征に来た時に入ったのだけれど、すごい大きいところだったわ。相談に乗ってくれたお礼に背中くらい流させてよ」

「嫌です」

「え……」

 

簡潔に拒否され、由紀にショックが走った。

 

「な、なんでよ」

「だって……同性だからってお風呂は一緒に入るものですか?」

「そういわれると……」

 

まだ仲が良く無いから、みたいな雰囲気を作ってやんわりと断る。実際の理由は体を見られて色々詮索されるのが面倒だからだ。亮に手を加えられ、「MA70E」だった頃よりかは綺麗になっているが、深淵のクローンとして未完成な自分は完全に再生しきらない部分がある。背中には明らかな凹みがあったりする。そういうのでやり取りが発生するのが面倒くさい。

 

「まぁそういうことで、また何かの機会に」

 

と、会話をぶった切ろうとしたその時、部屋の外からドタドタと誰かが走ってくる音が聞こえた。やがてその足音は部屋の前で止まり、間髪開けずにバタンと扉が乱暴に開かれた。

 

「二人とも!大変だよ!!う、海にっ!」

 

駆け込んできたのはドリフターこと久坂陽吾だった。どこから走ってきたのか肩で息をしていた。上手く言葉を紡げそうにない陽吾を見かねたのか、由紀は座椅子から立ち上がって陽吾の元に駆け寄った。

 

「落ち着きなさい!ほら、深呼吸して」

 

背中を撫でながらそう言って落ち着かせる由紀。

 

「すー……ふーっ……ありがとう宮里さん」

「どういたしまして。それで、どうしたの?」

 

陽吾が落ち着いたのを見て、続きを促す。

 

「海に、すっごく大きい魔物が出たんだ」

 

軽い沈黙がその場を支配した。そりゃ陸にあれだけの魔物が居たら海にだっているだろう。しかし、現状それほど慌てる材料が見当たらない。この拠点がピンチという訳でもなさそうだ。

 

「あ、潜水艦」

 

ボソッと愛菜が呟いた。

 

「そうっ!!潜水艦が危ないんだよ!」

 

旧世界と新世界を繋ぐ唯一の乗り物が潜水艦。確かにそれが破壊されると新世界に戻れなくなる。破壊されても新世界から別のを持ってこさせればいいのだが、巨大な魔物が海に居るとなればそう簡単にはいかない。

 

「今他の二人が食い止めてくれてるから、二人とも手伝って!」

「もちろんよ!行きましょ、根本さん」

「はいです」

 

もうちょっと休ませて欲しいものだと思いながらも、愛菜は立ち上がって二人に続く。

 

「(マグナスさんとかが居て足止めって事は、結構な魔物って事だもんね。がんばったら、亮、褒めてくれるかな)」

 

歩を進めながらふとそんな事を考えていた。さっきの話ではないが、そう思ったら、少しはやる気も出て来るのだった。




やりたいことができて日常編なんか始まりませんでした。


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外界遠征④

文が抜けてたので再投稿。お騒がせしました。


陽さ傾き始めている。オレンジ掛かった光が広大な旧世界を照らしていた。

海面に光が反射し、煌びやかだがどこか哀愁を漂わせる。新世界ではお目にかかれない光景ではあるが、携帯電話を取り出してシャッターを切る余裕はない。

 

「来るぜ!」

 

リフレクターの声が廃墟の港に響き渡る。沖から少し離れた所でマグナスと共に海面を睨みつけ、右手に持った剣を構え──

 

ザッバアァァァァァン!

と音を立てて海面を割いて何かが顔を出した。

 

海の大蛇。そう形容するのが妥当だろう。灰色の鱗に覆われた細長い体が、海面から30mほど空に向かって伸びていき、やがて陸にいる新世界の者達に顔を向け。

 

「ギュルルルルルルルルルル!」

 

と、頭の中まで響き渡るような甲高い叫びを上げた。海の大蛇と陸の者達との間には300mほどの距離があるにも関わらず、頭痛すら引き起こしてくる音だった。

ただその音に怯んでいる暇はなく、海の大蛇は大きな口を開け、水を発射してきた。とても細い水の線が海面を走って陸の方へと向かっていく。水圧による切断、水圧カッターと呼ばれる新世界の兵器に近いそれが、海を裂いて彼らに襲いかかる。

 

「マグナス!」

「承知した」

 

リフレクターに呼ばれ、マグナスは右手を真っ直ぐ前へかざす。二人ともコレを避けきれない訳では無いのだが、援護として後ろに控えている兵士達もそうだとは限らないからだ。

 

「はっ!」

 

マグナスの右掌から業火が放たれる。ただし、ただの炎ではない。いつものように焼き尽くす炎では海の大蛇が放った水圧カッターを止めることは出来ない。

目には目を、圧力には圧力を。という事でマグナスは熱線を放った。水圧カッターよりかは少し太い、真っ赤な、真っ直ぐに飛んでいく熱線。鉄すら溶かして切断する高温高圧の熱線が水圧カッターに真っ向からぶつかり──

 

──ボンッ!

と爆音を響かせ熱波が走る。火は水を蒸発させるが、この圧力同士のぶつかり合いは蒸発程度では済まなかった。爆ぜて、人の身に触れれば火傷では済まないレベルの熱波が広がり、音よりも速くそれが広がって──

そんな事はマグナスも分かっているので、だから彼は正面を左手で払った。熱波に対してそれよりも強い熱波を当てる。人智を超えた魔物の攻撃に対する炎の魔術の応酬は、極術師の名に相応しいものだった。

 

「っこりゃ……あんた一人で十分なんじゃね?」

 

目の前の無茶苦茶な光景にリフレクターが思わず口にする。

 

「消費する魔力量が多い。そう何度も使える手では無い」

 

マグナスは端的に否定した。

考えてみれば午前中から夕方の現在まで、途中で休憩を挟む事はあれど戦い続けている。マグナスはリフレクターとは違って武器はない。魔術で炎を扱う攻撃手段しか持ち合わせていないのだ。いくら新世界で頂点の魔力量を持っていると言えど限界はある。

 

「今の手も使えて後四回ほどだ」

「じゅーぶんだろ。その頃には……おっ、やっと来たか!」

 

振り返ればドリフターこと久坂陽吾が宙に浮かんでこちらへ来た。少し遅れて絶対零度、宮里由紀の姿も見えた。

 

「おまたせ!二人とも連れてきたよ!」

 

陽吾が宙に浮いたまま制止しリフレクターに告げる。

 

「二人って……深淵はどうした?」

「ここです。よいしょっと」

 

そう言いながら、宙に浮く陽吾の影から愛菜が顔からゆっくりと姿を現していく。そんな光景をリフレクターは興味深そうに見つめながら口を開く。

 

「さっき戦ってる時も思った……なんかホラー映画のクリーチャーみたいだな!」

「……ありがとうございます?」

 

褒められているのか怪しいところではあるが、リフレクターの目はなんだかキラキラ輝いていたので悪意は無さそうだった。

 

「そこ二人!呑気に話してる場合じゃないでしょ!」

 

走りながらも、まるで学校のクラス委員長の様に注意するのは宮里由紀。遅れてきた理由はシンプル。陽吾や愛菜と違い、彼女は人ならざる移動方法を持ち合わせていないため、走ってきたのである。

 

「おっせえぞ絶対零度!」

「悪かったわね、こっちは空中浮遊とか影に入るとかはできないのよ!」

 

リフレクターの言葉にそう返しつつ──

 

「全員備えろ」

 

呑気に会話をしている場合ではない。マグナスの言葉に即反応し、海の方へ意識を向ける。

 

「ギュオオオオオオオオオオオッ!」

 

と、海の大蛇、海蛇が雄叫びを上げる。先程の水圧カッターかと全員身構えるが、どうやら違う様で、海蛇は雄叫びの後に口を閉じた。

 

「……チャンスじゃない?今のうちに」

「いや違う……」

 

由紀は何もして来ないなら攻勢に転じるチャンスだと訴えかけようとしたが、マグナスがそれを即座に否定し。

 

「来るぞ!」

 

いつもの落ち着き払った様相を捨て、叫ぶ。その剣幕にただ事じゃないのは分かったが、他の者達には何が何やら……しかしその意味は直ぐにわかった。

 

──ゴゴゴゴゴゴゴッ!

と、激しい地鳴りの様な音が海から聞こえ、海から大きな波が見えたからだ。

離れたところから規模を増して迫ってきている。まだかなり距離があるのだが、それでも10m以上大波になっている事は見て取れる。

陸ごと自分らを飲み込もうとしているのは明白だった。

 

「久坂君ならあの波どれだけ抑えられる?」

 

由紀が陽吾に尋ねる。

 

「ごめんね宮里さん、ちょっと無理かな……」

「いいわ。私も無理だもの」

 

流石に極術師とて自然災害その物を抑え込むことはできない。二人でも精々被害を抑える程度が限界だ。

 

「まっ、そりゃそうだよな……軍隊どもは下がれ!あの規模の波じゃ守り通せねえ!」

 

二人の会話を聞いていたリフレクターが後方の部隊に向かって叫ぶ。

 

「総員撤退!装備は捨て置け!!」

 

間髪開けずに後方からそんな叫びが聞こえる。むしろアレを見て、戦う意志をみせていた部隊がどうかしている様な気はする。流石は外界遠征専門の部隊と言ったところかと愛菜は感心した。

と、そんなことを考えている間にも皆各々、津波への対策を講じていた。

 

「マグナスさん、潜水艦どうしよう?」

 

陽吾が不安そうにマグナスに尋ねた。

 

「久坂陽吾、潜水艦を持ち上げることは可能か?」

「できることはできるけど、身を守れなくなっちゃうかも」

「ならば潜水艦を頼む。君は私が守ろう」

 

言って、マグナスが陽吾の前に立ち、津波に対して堂々と構える。

そして、その背中に勇気を貰った陽吾は、津波から自分の身を守ることを放棄し、持ちうる力を全力で注ぎ、150mを超える潜水艦を魔術で持ち上げた。

海底の水圧にすら耐えうる鋼の塊が、天高く舞い上がる。

 

「ふーっ。気合い入ってんな陽吾。ちょいと俺も使わせてもらうぜ」

 

言いながら、リフレクターはその場にピョンピョンと跳ね始めた。軽快にステップを踏んでいる様に見えるが、これは彼にとっての助走の様なものだ。

 

「さん、に、いち……っと」

 

──ダンッ!

と、地を蹴っ飛ばす豪快な音を立てて、リフレクターが遥か上空へと飛び上がった。目にも止まらぬ早さで上昇するリフレクターは、そのまま陽吾が持ち上げた潜水艦の上へと着地する。

 

「危ないよーっ!」

「聞こえねぇーよ!」

 

危うく念力のバランスを崩しかけたが、何とか保ち、リフレクターも上手くバランスを取って落ちずにいる。

 

「わー、みんな無茶苦茶するなぁ……」

 

力の制限を差し引いても、愛菜にはこういった物理法則内での大技はない。逃げ場がないのなら別の世界に逃げればいいなんていう反則技なら持ち合わせているが、真っ向から自然現象に立ち向かうほどの火力はない。

 

「よっこいしょっと」

 

大人しく自分の影へと消える。一定の暗さがないと出てこられないが、どの道、日が沈まない限り自分の出番はないので、しばらくは闇の世界で大人しくしている事にする。

 

残りの一人、由紀は目を閉じてからこれからやることをイメージしていた。言葉にすればなんてことはない、自分を攫わんとする波だけを凍らせるだけだ。なんてことはないが難しい。だが、それくらいできなくては。

 

「絶対零度の名にかけて」

 

元々、氷の矢を作って放つとか、氷の壁を作るとか、そういう小手先の魔術ではない。先祖の逸話に拠れば氷を身に纏い、触れた物を凍らせる。幾十もの暴徒達を一瞬で行動不能にした。そういった所業から畏怖を込めて「絶対零度」と呼ばれたらしい。

 

ならば、自分もできなくては。せめて自分に触れた物全てくらいは凍らせなくては。でなくては、絶対零度ではないし──(ディザスター)には届かない。

 

「(いつだったか、お母さんが言っていた、想いは力になるって言葉。その言葉があったからこそ、お母さんはお父さんと結ばれたって……なら、この想いもきっと届く)」

 

強くなりたい。その想いが力となり、いつも以上に冷たい冷気が迸る。由紀の足元は一瞬で氷の床へと変わり、由紀の周りの空気すら震え始めた。

 

「絶対零度!!」

 

波はもう目の前だとリフレクターが叫ぶ。

コンクリートの大地すら巻き込んで、ありとあらゆる物を飲み干さんとする大津波が陸ごと極術師達を襲撃した。地を抉り、鉄やコンクリート、樹木、様々な物が入り乱れたこの津波は正しく災害。これに飲まれれば流されるだけでは済まない。人間なんかが飲まれれば恐らくは原型を留めないほどにはもみくちゃにミキサーされること間違いなし。

その大津波が由紀を飲み込み。

 

──天空めがけて伸びる氷の柱が現れた。

 

「なんじゃそりゃ……」

 

空からその様子を眺めていたリフレクターが驚嘆の言葉を呟く。10m以上の高さの氷の柱は、津波に飲まれても変わらず立っていた。由紀を内包したその柱は災害に襲われても、青白く透き通り、夕日に照れされ輝きながら、ブレることなくそびえ立つ。

揺るがない氷のオブジェクトは、絶対零度の名に恥じない造形物だった。

 

そしてその直後。

 

──ゴオオオオオオオッ!

と、爆音とともに、氷の柱とは離れたところで火柱が立った。

 

「うっへ、あっちもあっちでやべえな」

 

言うまでもなくマグナスの仕業である。由紀が自分に迫る津波を凍らせるならば、マグナスは津波を蒸発させている。やはり水を蒸発させ続けていれば爆発が少々起きるが、よく目を凝らしてみれば炎の柱は何重にも発生していてそれら全てを火で打ち消している。

 

氷と炎の極められた魔術は自然災害にも通用した。

 

それから迫る波に耐えに切り、そのまま返す波も防いだ。実際の波ならば、再び大きい波が来るのだろうが、海の大蛇のこれが魔術なのか波はそれで終わった。

 

終わってみれば被害はさして大きくない。陸はかなりぐちゃぐちゃになっているが、だからといって陸が海に飲まれたわけではなく、津波も拠点にまでは届いていない。

見た目ほど酷いものでは無かった。これなら何度使われても同じ要領で防げるだろう。

 

「しかしまぁ、こりゃ持久戦になりそうだわ……よっ」

 

リフレクターがそう言って、やれやれと首を横に振り、陽吾の持ち上げる潜水艦から飛び降りた。

 

この戦い、こちら側から与えられる決定打がなく、敵は攻撃を終えれば海の中へと潜って行ってしまう。上手い具合にカウンターを当てる事が勝利への道ではあるが、海蛇に届いて、且つダメージを与えられるほどの力を持つのはマグナスだけだろう。そしてそのマグナスとて魔力を使い切る前に海蛇を倒せるという訳でもない。

 

こう聞けば「負け」という印象が強くはなるが、交代交代で海蛇を抑える手段が見つかればマグナスを休ませる択も生まれるし、夜になれば愛菜が動ける。ついでにまだ試されてはいないが現代兵器という手段も有しているため、可能性としてはまだ負けてはいない。

 

「怖気付いたか、リフレクター」

「おいその冗談はつまんねえぜマグナス。むしろ燃えてきたとこだ」

 

剣を構え、その剣先を海蛇へと向けた。

 

「こんなに斬りごたえのありそうな奴を斬れるんだ。燃えねえ方がおかしいぜ」

「……ふん。絶対零度、陽吾、リフレクターに続くぞ」

 

マグナスの声に皆が続く。ブラスター、ドリフター、リフレクター、絶対零度の四人が力を合わせて旧世界の魔物に挑む。

 

決してコンビネーションがいい訳では無い。ただ互いの邪魔をしないように戦っているだけ。けれど、それでもこの戦いを拠点の屋上から眺めていたナナシは後世に語り継がれるべき戦いだと思っていた。

 

「……暗黒の闇夜が恋しいぜ!…………ん、ないかな」

 

若干一名足りないが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから二時間と少し、夜空の星々の輝きが目立つくらいには暗くなってきた頃、亮は泳いで新世界から旧世界に戻り、図体がでかいだけの海の大蛇の脇を姿を隠して通り抜け、ナナシのいる拠点の屋上に辿り着いた。着くや否やナナシに「戻った」と一言挨拶して、いつもの様にタバコを吸いながら愛菜を見守っていた。わざわざ必要のない呼吸をして、タバコを味わうだけの亮に痺れを切らしたのか。

 

「あれはなんだ?」

 

と、ナナシがそう会話を切り出した。

 

「海中で育った海蛇。多分魔力に適応力がありすぎて、ンで食いすぎてデカくなった」

 

亮は淡々と答える。てっきり黒鎌帝の話でもされるかと思ったが、そういうわけではなさそうだ。

 

魔物のあれほどの進化は旧世界基準でも珍しい事ではあるが、百年に一度は現れるくらいだ。かつて魔物の中でも特別とされた「九之枝」達には、体の大きさだけなら並べるかもしれないが、力で言うならば遠く及ばない。

 

「……大した理由もなくあの大きさか」

「新世界でもそうだろ、生まれながらにして極術師のやつ。努力を重ねれば極術師になれるやつ。死に物狂いで努力しても下位術師止まりなやつ」

 

別に特別なんかじゃない。どこにでもある生まれながらの差だと伝えた。

 

「あれは大量に食事をすれば巨大な化け物になる才能を秘めていたと」

「そういう事だ」

 

新世界の者から見れば、あの大きさは才能とかそういうレベルじゃないと思いたいだろう。亮だって昔はああいう存在は災害の一種だと思っていたが、長い間生きたせいで割と規格外はポンポン産まれてくる物だと知った。

食らって見れば悩みだって持ってるし、自分の才能を嘆く者もいた。周りから理解されないだけの存在だ。その点で言えばも極術師と同じ様なもの。新世界の一般人の枠から飛び出たのが極術師ならば、アレは魔物の枠から飛び出ただけの存在だ。

 

「……彼らは勝てるか?」

「もちろん」

 

亮が即答する。

 

「極術師達が協力して、二日間くらいぶっ通しで戦い続ければ海蛇も死ぬ。どれだけの被害が出るかは分からないけどな」

 

ただそれは勝てるか負けるかの二択の話であり、勝てるから直ぐに終わるかと言うとそうじゃない。現実の戦争というのはそういう物だ。

 

ちょっと苦戦はするが何か明確な決定打を見つけて反撃に移り、協力して弱点を攻撃して終了。

 

そんな都合の良い話はない。

数人の犠牲で百年に一度の魔物を撃破できるのならば随分と安い出費だ。

 

「……どうにも、そういう訳にはいかなくてな」

 

そう言ってナナシが自分の携帯電話の画面を亮へと向けた。顔を動かしてその画面を見る。

 

「ン?……あぁ」

 

画面に映っていた物を見て、亮は納得した。

 

「確かに外界がどうのなんて言ってられる状況じゃなさそうだが……それは何時のことだ?」

「三十分前だ」

「……そりゃなんとも計画的な事だな」

 

大体の事態は把握できた。外界遠征はあの海蛇を撃退次第中止、即刻新世界に戻るべきだろう。

 

「インターセプターの壊滅と黒鎌帝の死、そして極術師の不在を少々甘く見積り過ぎた」

 

予め、極術師の不在とインターセプターという監視、追跡に長けた組織の完全壊滅、極術師の不在により起こりうる被害予想は立てられていた。それも安定装置という新世界の核が直々に弾き出した予想だ。

それを大幅に上回る良くない現実が今、携帯電話の液晶に映し出されていた。

 

「安定装置の計算ミス……いや、偽りの結果を提示した線もあるか」

「……感情まで計算したとしたら、か」

 

ナナシの言葉を受けて、亮も呟く。

 

「偽りの結果を提示することで黒鎌帝とインターセプターの排除を行わせる。もしこの結果を提示すれば我々が感情で排除を渋ると計算して」

「やっぱ機械が感情を知るとロクな事にならねえな。使う側が使う物に対して疑心暗鬼になってる時点でもう……何にせよ安定装置を信用し過ぎた弊害だ」

 

言葉を終えてからタバコの最後の一口を吸って手のひらから吸殻を体内に取り込み、海上から顔を出している海蛇を見据えた。

 

「……安定装置の件は後回しだ。今は早急に新世界に戻り、それをどうにかしなければなるまい」

 

携帯電話を懐にしまいながら亮に向かって口を開く。

 

「魔人、仕事だ。即刻あの海蛇を退けろ」

「ン、分かった」

 

ナナシの要求に亮は即答し、右手を握り締める。

 

「私は先に下へ向かう」

「あぁ」

 

右拳を握ったまま空に向かって振り上げ、手を解く。

ナナシは何か小さく紫色に輝く光の玉が天へと昇っていくのを見た。彼女には魔力を感じるとか、そういう能力はない。けれど空に昇っていく光球がヤバい物というのは見て取れた。だから安心して屋上から建物中へと続くドアに向かって再び歩き出すのだった。

 

屋上に残った亮は、タバコの最後の一口を吸ってから吸殻を屋上から放り投げ、口を開く。

 

「こうも立て続けに理不尽な目に遭うとは」

 

夜空の星々に紫色の小さな光の玉が消えていくのを確認しつつ、亮が呟く。思い出すのは今海蛇と戦っている少女と、かつて共に仕事をした女性の事だ。

 

「ツイてないな、宮里家……いや、宮里由紀は」

 

直後、夜空が紫色の空へと変貌した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その場にいる誰もが息と動きを止めた。時間が停止したとか、そういう話ではない。抽象的ではあるが、理由を言うなら視界の色が変わったからだ。強烈ではないが驚くほどの紫色の光が視界に入り、やがて黒と星の輝きだけだった空がその光と同じ色に変わった。

 

その直後、音もなく空から光が落ちてくる。

それは雷。

新世界にはないが、旧世界であった現象だと知っている。空から電撃が降ってくるとか、そういう抽象的な伝わり方ではあるが、新世界の者でも知識として保有する者は居る。極術師達も外界遠征に際して知識としてこの現象は知っていた。

ただ、それがこんなにも突然、空から落ちてくる物だとは誰一人思って居なかったが。

 

──ズドン!

という音は、稲妻と思われる紫色のそれが海蛇に直撃してから聞こえた。

 

「……」

「ちぃっ……」

「きゃっ……」

「わあああ!」

 

特に驚かないマグナスに、落雷の衝撃による大地の揺れで膝を着くリフレクター、コケる由紀に大パニックの陽吾。生まれて初めて、しかもこんな至近距離で体験する雷を体験すれば、こんな反応になるのも当たり前だ。

 

「(あぁ、私の活躍の場が奪われた……)」

 

当然の様に愛菜はこの落雷が誰の犯行か理解している。馴染みのある魔力が空を覆っている時点で察せない方が難しい。

そんなことより心配になるのは、この一撃でマグナスか由紀に亮が今ここにいるのを知られてしまう事。ナナシの指示とかであればフォローしてくれる分、安心だが、時々彼は頭良いくせに思考放棄して行動を取るところがあるので不安になる。しかしまぁなるようになるかと嘆息した時には、もう空が元の色を取り戻していた。

 

「……これで、終わっちまったのか……?」

 

リフレクターがポツリと呟いた。

 

「みたい……だね」

 

陽吾が肯定する。

 

海上には、長い胴体を浮かべた海蛇が力なく倒れ込んでいた。灰色の鱗と青黒い胴体は焦げて真っ黒になっていて、もう動く様子はない。

 

「こんなあっさり……」

 

自然災害。完全に管理されている新世界にはない現象。それが、こんなにもあっさと化物の命を奪っていく。戸惑いと嬉しさと恐怖。その三つが由紀の心を占めていた。

 

「災害……ディザスターってやつか?」

 

ポツリとリフレクターが呟いた。

 

「朝のお話のこと?」

 

陽吾がリフレクターに尋ねる。

 

「そういうわけじゃねえけど、雷ってのは災害って奴だろ?割と身近にあるもんなんだなって」

 

この雷が人為的な物だと理解しているのは愛菜だけ。リフレクターの言うことは全く持って正しいなと肝を冷やす。もう今日だけで何度目か分からない。

 

「……」

 

チラッと隣の由紀の顔を盗み見れば、未だに驚いているような顔だった。はたして気付いたのか、それとも突然の自然災害(人為的)に驚いているのか。愛菜には人の心の内を読み透かす能力など無いので、どちらかは分からない。

 

「……とりあえず、戻りましょうか」

 

影から出てきた愛菜が、凍った空気にそう言い放った。全く活躍できなかったが、わざわざ彼が出張らなきゃいけない理由が何かあったのだろう。ならばナナシから何か連絡があるかもしれない。

 

愛菜の言葉に全員頷き、拠点へと歩を進める。さすがに愛菜以外の者達の足取りは重い。ずっと戦いっぱなしで魔力を大きく消耗しているし、戦っている間は集中するものだ。およそ新世界では得られない経験だろう。

 

「ったく深淵は出番なしかよ。何するのか気になってたんだけど」

「いやーすいません。まさか私もこんなオチが付くとは思ってませんでしたから」

 

リフレクターもまだそういう軽口を言う程度には余裕があったらしい。

 

「……っつ」

「宮里さん、歩ける?」

「えぇ、大丈夫よ久坂君。少し疲れただけ」

「そっか。僕もさすがに疲れちゃった。早く戻ってゆっくりしようね」

「そうね」

 

なんて陽吾と由紀はお互いに励ましあっていた。今回、二人はかなりの大立ち回りをしていたがために魔力の消費が激しい。常人ならばとっくに枯れ果てている所だが、まぁそこは彼等が極術師たる所以だ。

 

「ふむ……」

 

中でも、全員に気を回して守りながらも攻撃さえ行っていたマグナスはケロりとしている。最も魔力を多く持っているだけはあるが、それにしたって顔に出ていないのは、彼が仏の教えに忠実な身だからか。

 

なんにせよ、彼等は勝利した。終わり方はアレだが全員生き残った上で外界の巨大な魔物を退けた。

 

外界遠征の初日を飾るに相応しい舞台だった。

 

そしてこれが、今回の外界遠征の最後の戦いになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

極術師一行の帰還を、軍隊達が礼節を持って祝福していた。いつ魔物に襲われるか分からないレーザーの囲いの外でだ。

それを見て極術師達は安堵の表情を浮かべる。長い戦いを終え、ようやく腰を落ち着けることが出来ると。

 

部隊長らしき者が代表して声をかけ、休んでくれと伝える。その頃にはレーザーの解除班が既に囲いを外し終えた。さぁそれでは各々休息をと歩き出したその時。

 

 

──パッパッパッ

と、小さな音が三回響いた。この場の誰もが動きを止めた。会話の最中に響いたその音はとても小さかったが、明確に彼らの話を中断したのだ。音で会話を邪魔したとか、そういう子供の嫌がらせの様な低次元の物ではない。

 

部隊の三人の頭から血飛沫を撒き散らす形で。

 

「っ!?」

 

音源に向けて全員が戦闘体制に入る。この場に、この事態をすぐ理解できない者はいない。揃って「誰が、何をした」のか理解してる。だからこそ誰もが銃口と武器を彼女に突き付けるだけに留まった。

 

一応、仲間として釈明を聞かなければならない。

 

「深淵、どういうことだよ?」

 

リフレクターが、犯人である、根本愛菜に剣を向けてそう尋ねた。

 

「どういうことって」

「彼らは仲間よ。なのになんで撃ったの!?返答次第じゃただじゃ」

「いやですから」

 

片手をブンブン振って誤解を解こうと口を開く。右手に拳銃を持ったままなので危ないことこの上ない。

 

「貴様ら、何をしている」

 

が、その言葉は拠点から歩いてきたナナシに遮られた。

 

「総司令っ!深淵が」

「見れば分かる。武器を降ろせ」

「深淵!銃を」

「違う!武器を降ろすのは貴様らだ」

 

ナナシが愛菜を擁護したことに誰もが困惑した。たった一人マグナスを除いてだが。

 

「貴様らは深淵が味方を撃ち殺したと言いたいわけだ。尋ねよう、どこに味方がいる?」

 

ナナシはそう言って愛菜が撃ち抜いた者を見ろと顎で指す。

 

「私には、魔物が撃ち抜かれたようにしか見えないのだが?」

 

そこには、体をドロドロと溶かしていく人の形だった何かがいた。

 

「アバター……」

 

誰かがポツリと呟いた。

 

「そういう事だ。我らの仲間、相澤と小松と片倉の三人はもう既に死んでいた」

 

ナナシは淡々と事実を口にする。それに反論する者は誰もいなかった。

 

アバターの話は外界遠征に出張るこの部隊に所属していれば、必ず聞く話だった。粘着質のスライムの様な黒い何かが死んだ者、或いは死にかけの者を殺し、体を溶かしてそれと全く同じ存在になる。

記憶は死亡直前の物になっており、DNAの配列すら変わらない。だから生体認証だってすり抜けるし、生活だって成り代わられる前と同じ。どこの誰かの情報提供かは分からないが、寿命だって変わらないらしい。

 

ただ死亡した時に全てが判明する。今目の前でドロドロの何かに溶けていく三人の様に、死亡した時にその者がアバターだったと分かる。

今まで人間だと疑いもせず過ごしていた大切な人が、亡くなり、弔う瞬間になって初めて人ではなかったと理解する。

 

「くっそ!」

 

誰かが言った。仲間の死と、それに気付けなかった自分への悪態。それはこの場でショックを受けている者たちの心そのもの。

そんな状況を見兼ねてか、ナナシはしばらく間を置いてから愛菜に向かって口を開く。

 

「深淵、よくやってくれた。お前が気付かなければ、私達は三人をアバターだと疑うことなく過ごしてしまっていただろう」

 

小さく腰を折り曲げ、感謝を示してから続ける。

 

「それは三人の尊厳を踏み躙ることだ。これから歩むはずだった道のりを、得体の知れない魔物に歩ませるところだった。この場の者と、亡くなった三人に代わって感謝しよう」

「ん……あ、いえはい。受け取っておきます」

 

全員が沈痛な面持ちなのは変わらないが、それでも代表としてナナシが愛菜に頭を下げたことで、少しずつ顔を上げる者が現れた。愛菜の行いが間違いではなかっただけで、三人の死は覆しようの無い事実ではあるが、この場にいる者達は自分の命と仲間の命を失う覚悟で来ている。

一分後には皆が涙を堪えながら顔を上げた。

 

ただ一人、宮里由紀を除いて。

「(あれ、なんで皆こんな簡単に諦められるの……?)」

 

皆が拠点へと引き上げていく中、由紀だけは、その場に立ち止まっていた。

 

「(……よく分からない事はあったけれど、上手くいったって喜んでた……それに、アバターって言ったって、その人と全く同じ記憶を持ってて……何かされるわけじゃないのに……)」

 

考え事が止まらない。クルクルと次から次へと言葉が思い浮かぶ。

 

「(でも……本人じゃないのなら……ううんでも記憶はあって……)」

 

自分の中の矛盾が渦巻いていく。

この場にいる彼らが、アバターになったあの三人の死を受け入れている事に引っかかり続ける。目眩すら催しそうな思考のループ。

 

「(あれ……アバターじゃ、ダメ……なの?)」

 

一旦そこで思考が落ち着きかけ──

 

「絶対零度。お前の件とコレは関係ない」

 

だがナナシの声によって抑えられた。

 

「……っ」

 

言葉が詰まる。「お前の件」と彼女はあっさり言った。宮里由美がアバターだと知っているのは、ごく一部の者に限られるはずだったが。

 

「気にするな。私から言えるのはそれだけだ」

 

そう言い切って離れて行ったナナシを追求する気にはなれなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「予定変更だ。これから直ぐに帰還する」

 

拠点の会議室に集められてすぐ、ナナシにそう言われた。

 

「各地区で爆破テロが発生。主要な交通機関であるリニアのラインがやられた。暴動も複数の地区で起きている。特にレッドとイエローは規模が大きい」

 

だから極術師達は帰還しろという達し。一同がそれに反論することは無かった。新しい土地を開拓する外界遠征よりも新世界の内情の方が大切というのは共通見解だから。

 

それから直ぐに帰還の準備を整え出発する。疲労困憊な極術師達の足取りは重かったが、さすがにそうも言っていられない状況だった。

急ピッチで潜水艦の出発準備を整え、ものの三十分で潜水を開始する。それからまた一時間と掛からずに新世界へと帰還。

 

当初予定されていた帰還式なんてものは無い。「各々、成すべきことをしてくれ」とナナシから一言だけあって、それで解散となった。自警団のリフレクターは誰よりも早くその場から離れ、空を飛んでイエロー地区へと向かっていった。続いてマグナスや陽吾も、それぞれの魔術を使って、それぞれのやるべき事がある地へと帰っていく。

 

「愛菜ちゃん、私達も」

「絶対零度、残れ。深淵、ゲートに迎えが来てる」

「は〜い。宮里さん、お先に失礼します」

 

同じホワイト地区の極術師である愛菜に声をかけたが、それはナナシに遮られる。元から一緒に帰る気なんてサラサラなかった愛菜には有難いことだった。

 

そうして由紀は愛菜を見送った後、ナナシの「着いてこい」との言葉に従う。

なにか特別な場所ではなく、外に出ただけだった。だが人払いされているのか、人は見当たらない。

潜水艦から荷物を運び出している兵士達の声や物音が遠くから聞こえてくるだけで、姿がない。ナナシは「ここでいいか」と呟き、由紀の方へ振り返った。

 

「いいか、宮里由紀。手短に言う。気を確かに持って聞け」

 

いつもの様に真剣なナナシの目に少々気圧されつつも、「なに?」と答えた。

それから、数秒の間があって──

 

 

 

「元極術師、宮里紀子が没した」

 

 

 

そう言葉を連ねたナナシに対して、由紀は。

 

「…………は?」

 

言って、首を傾げた。

 

 

宮里由紀の道は、まだまだ狂っていく。

 

 

 




次回から新章ですかね


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Reveger
復讐の火種


時間は戻り、日が沈み始めた頃。外界では極術師達が海の大蛇と戦っていた時間帯。

宮里紀子は夕食を作っていた。何処にでもある平凡な一軒家に、どこの家庭からも聞こえてくる様な包丁でまな板を叩く音が響く。トントントンと刻む音は素早く、一定のリズム。かれこれ二十年近い主婦として積み上げてきた経験の現れだ。

 

「由紀、大丈夫かしら……」

 

料理を作っていてもその心配が頭から離れてくれなかった。愛する者を失ってから女手一つで娘を育ててきたのだから、当たり前といえば当たり前のことだ。

紀子も極術師、絶対零度と呼ばれていた頃に外界遠征は何度も行ってきたからこそ、余計に。

 

「(……他の極術師も居るのは分かってても、心配ね)」

 

旧世界の魔物達の生態は未だ不明な点が多い。いくら他の極術師達が共にあるとは言え、生きる死ぬの戦いに慣れていない者達が一緒では少々心許ないのは否めない。

自分も汚れ仕事に従事していた時は、戦いのいろはを教えて貰って──と、あまり思い出したくない記憶に蓋をして、ついでにフライパンにも蓋をする。

 

由紀が外界遠征で家にいない今、わざわざ料理を作る必要も無いのだが、主婦としてのルーティンが身に染み付いているのか作らないと落ち着かない。

 

『ただいま入った情報です。レッド地区東部の、第二駅と第三駅を繋ぐ線路で爆発がありました。この爆発で──』

「物騒ね……極術師達の不在を狙ったテロか何かかしら。けれどなぜ線路だけを……タイミングさえ合えばレッドヒルズに……はぁ……これは悪い癖ね」

 

テレビから入ってきたニュースに対してついつい考察してしまう。一応、表に出せない犯罪者達を数多く見て、闇に葬ってきた身。とっくに引退してはいるが、それでも汚れを察知する能力は消えてはくれなかった。

 

「(彼に会ったから、かしらね)」

 

ふと娘の抱えてしまった出来事について思い返す。

由紀が妹だと言って連れ帰った由紀のクローン、宮里由美。人間のクローンの製造が禁止されているこの世界で、その存在は間違いなく認めてはいけないものだった。深淵のクローンであった者の話をいくつか聞いていたから、尚のことそう思う。

あの彼ですら心を痛めていたのだから、心の優しい由紀にはきっと耐えられない。初めはそう思っていた。

 

ただ、それでも。

 

『きっと何か良くないことが起こるのは分かってる。でも、それでももうほっとけないから』

 

『由紀の事が心配なのは分かります。ですけど、由美は由紀と戦っている時、本当に楽しそうな顔をしていました……多分、寂しいんだと思います。だったら俺達が傍に居てやらないと。きっと彼女は独りぼっちになっちまう』

 

二人の真剣な眼差しに気圧されてしまった。そして、この二人ならば、自分も飲まれてしまったこの新世界の闇からクローンを引き上げられるかもしれないと思ってしまった。だから。

 

『もう会わないといいな』

 

最後に、それは思い込みだったと、彼に現実を突き付けられる。

昔と何一つ変わらない、この世の全てに無関心な顔で霧の様に消えていった。

最初に二人に説得を受けた時、もっと彼の存在を思い出していればよかったのだろうか。いや、思い出した結果がコレだ。

 

『想いは力になる。お前が成し遂げたいと強く想って諦めないのなら、奇跡でも起きるだろうさ』

 

あの人を愛した時、助けたいと思った時。彼が背中を押してくれた。それは彼の優しさなんだと思っていた。

 

だが、今になってわかる。

 

彼は公平なだけなのだ。誰に対しても彼は期待している。強い想いが奇跡を起こす物なんだと。だからたとえどんなに強い想いを持ってしても、彼はそれを摘み取る。

 

想いがどれだけ強く、儚く、尊く、切実であったとしても。

 

何故ならそれは、自分にとっては食らうべき対象であり、他の事は何の関係もないから。

 

「……って、やだ、由紀の分まで……」

 

そこでフライパンの中身に気を奪われた。ハンバーグが二つ焼かれてしまっている。

これもいつもの癖という奴かと溜息をつきながら、もう一つのハンバーグは冷凍庫行きかと考えて──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──ッ!!

と、頭が認識しない程度には大きい音がして、視界が赤く燃え上がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ニィィッヒヒヒッ、いーっ音だねぇ!」

 

元の原型を消し去り、瓦礫と木材の山となった家の前で子供のように無邪気で、けれど気味の悪い笑い声がした。声の主は白髪ツインテールの少女。見た目は可憐な少女だが、下卑た笑い声と醜く顔を歪めて笑う様が台無しにしている。

夕食時には少し早いが、それでも遅くない時間に家丸々ひとつ瓦礫の山に変えた爆発を前に、そんなことを言える奴は間違いなく犯人かその関係者。

 

「我ながら会心のデキって奴だぜ!」

 

ついでもう一人、ガタイのデカい男が手元の携帯電話を軽く投げては持ってを繰り返して、空いてる手でガッツポーズを決めている。

 

「……」

 

そして最後に一人、中背中肉の、黒い前髪を左に流して左目を隠した男が黙って燃え上がる瓦礫の山を眺めていた。

 

彼等は全員、黒いコートを羽織っていた。みな一様に真っ黒で、腰の辺りまで裾がある。街中を歩っていればただの怪しい集団だが、家一つ全焼なんて悪事をやっているのだから怪しいでは済まない。

 

「前哨戦にしちゃ派手すぎましたかねぇ?」

 

大柄な男が左目を隠した男にそう尋ねた。

 

「構わん。元でも絶対零度だ。……それにまだ終わっちゃいない」

「ニィ……ボスの言う通りィ、高圧の魔力反応ありィ」

 

ツインテールの少女が右腕にベルトで固定した小さな端末を確認しつつ言う。

小型の液晶ディスプレイには自分達の正面、つまりは瓦礫の山の中に大きな魔力反応がある事を示している。

 

「備えろ、来るぞ」

 

目を隠した男がそう忠告した、その直後。

 

──パリン!

と、何かが砕けるような音がして、まず瓦礫の山が二つに割けた。巨大な氷が中央に現れ、それを中心に瓦礫の山が押し出される。瓦礫を燃やしていた炎も低温と溶けた氷によってある程度消化され、煙も晴れる。

 

そして、その巨大な氷に身を包んだ紀子が瓦礫の山から出てきた。

 

「ニヒッ、なぁにあれ。歩くアイスブロック?キモっ」

 

四角柱の透明な氷の中に紀子が入っていて、彼女が歩を進める度にそれが動いていく。ズシッ、ズシッと地を削って進む氷はまるで戦車か何かのようだ。

 

「ったくよ、こんだけド派手にフィーバーしてやったのに防ぎやがるたぁノリの悪いヤツだぜ」

「年増だからねェ、仕方ないねェ」

 

二人でやれやれと首を振りながら、まず大男が動く。

 

「くらいな!」

 

コートに隠していた長物の銃を取り出して、標準を定めることなく由紀へ向かって放った。

 

──バァン!

と、大きな破裂音が響いた。連射ではなく一発だけなのは、この銃がショットガンと呼ばれる類の物だからだ。撃たれてから三つに分散してそれぞれが紀子を包む氷に触れ。

 

 

──バババババババッ!

と、何度も爆発した。ネズミ花火が上げる音よりも大きく、間の短い爆発。およそショットガンから撃たれた弾が出す音じゃない。

 

何度も何度も続いた爆発が、衝撃と熱を持って紀子の氷を砕いて溶かしていく。

その爆発が全て収まる頃には、紀子を覆っていた氷の壁はボロボロになっていた。だが、それでも彼女に戸惑う様子はなく、もう使い物にならないと踏んだのか、氷の箱は中央から左右に分離していく。

 

「インターフォンが見つからなかった訳じゃなさそうね」

「ギャグセンスもふりィんだよ!」

 

大男が続けて同じ弾を放った。一つの弾丸が紀子へ飛んでいき、氷を纏っていない紀子に触れ──凍ってから小さな氷に阻まれた。

 

やった事は単純だ。弾丸を凍らせるとほぼ同時に凍った弾丸の勢いを殺すために氷のクッションを作る。

 

途轍もない早業で、弾丸の威力を完全に見極めた上での神業。

 

「ニィ……大体わかったァ」

 

しかし、それくらいの所業は予想の範囲内だ。今襲撃に来ている彼らは、「化物」だと分かった上で殺しに来ているのだから。

ツインテールの少女が右腕の端末のディスプレイを左手の小指で弾いている。動作からするに何かを入力しているのだろうかと観察しつつ、何にせよそれを放置してはいけないと即座に氷の槍を空中に作る。

生成速度、矢の大きさ、全てが極められた物で、その造形は美にすらなりうる。

 

「はっ!」

 

掛け声と共に右手を真っ直ぐ右に伸ばし、掌を大きく開く。直後、生成された槍の真後ろに氷の手が現れた。

 

「……はぁ、確かに歳ね」

 

思った以上に小さく、脆さを感じる氷の手に溜息を漏らしながらも攻撃の手を止めない。大きな氷の槍の柄を氷の手が持って放り投げた。

 

目指すはツインテールの少女。彼女が何をしているのかは分からないが、完成する前に止めようとして──

 

「おらババア!てめえの相手は俺だぜっ!!」

 

が、その前に大男がツインテールの少女の前に立ち塞がり、再び銃の引き金を引いた。しかも、今度は引き金を押し込んだまま、指を離さない。

 

──ダダダダダダッ!!

と、銃声が絶え間なく響いた。

 

「くっ……」

 

氷の槍に弾丸が触れ、その弾丸一つ一つが爆発していく。美すら感じられた氷の槍は複数回の爆発によって粉々になった。紀子は思わず顔を顰める。由紀にはこの弾丸に着いて心当たりがあったからだ。

 

「(確か、彼の偉人達が禁じた兵器の中にクラスター爆弾とか言うのがあったわね。そのあの弾丸はその応用……そして、それを可能にした極術師が、ボマー。その継承者ってわけね)」

 

紀子自身はボマーに会った事は無いが、かつての極術師であり犯罪者のボマーがそういう手を使ったと聞いている。教えてくれた者は「鬱陶しいだけだった」と適当な感想を漏らしていたが、実際に受けてみたら鬱陶しいなんてレベルじゃない。

人一人を殺害できるほどの火力をもった爆発が複数回も発動するなんて言うのは、鬱陶しいの言葉で片付けられるものじゃない。

 

「(恐らく、術は弾丸に埋め込まれているはず……なら、銃その物か弾丸を凍らせれば)」

 

瞬時に術について思考し、適切な対策を導く出せるのはそれなりの場数を踏んだから。世界の裏側での経験は活きているからこそだ。

導き出したなら答えは簡単。直ぐに大男の銃に座標を定めて魔術を発動させ──

 

「はぁ〜いだぁめ!」

 

声と共に、白髪ツインテールの少女に拳銃の様な形の物を向けられた。黒いそれは拳銃ほどのサイズではあるが重心部分がやたら大きく、ティッシュ箱くらいの大きさがある。であるにも関わらず、銃口は小さく、大型の弾やらグレネードやらが出てくる様には思えない。

 

「(っ!?術が!)」

 

術が発動しない。そればかりか、自分を守っていた冷気が消え失せていた。そしてこの現象を紀子は知っている。上手く魔力が集結せず、だから術も発動しないという現象を。

 

「(まさかアレが魔力除去装置(マジックキャンセラー)!?)」

 

と、理解した時には。

 

──バンッ!

と、一発の銃声が響いて、弾丸が紀子の胸元を貫いていた。

 

「ニイイイイィィィィィィィイエエエエイ!」

 

銃口を紀子に向けたまま、ツインテールの少女が歓喜の声を上げる。どうやらあの銃は魔力除去装置であり、同時に拳銃でもある様だ。

 

「ぐっ……」

 

胸のど真ん中。心臓を撃たれた訳では無いが、苦しさからしてもう、ダメなのが理解できた。

 

「……」

 

地に伏せた紀子の前に、何もしていない男が立った。

 

「やつは何処だ」

「……や……つ……?」

 

男の疑問に対して、掠れた声で返す。

 

「十八年前の床下だ。忘れたとは言わせんぞ」

「ぁ……そう……あの時の…………なら、あなた達の狙いは……」

 

ならば、さっさと本命に当たって砕けて欲しかったなんて思考して、意識が消え始める。

 

「何処だ!奴はどこにいる!?」

「……知らない……わ」

「……チッ。ならば、沈め」

 

言って、男が右掌を開いて、紀子へと向けた。直後、その掌から真っ黒い野球ボールほどのサイズの球体が現れる。直ぐにその球体が紀子の体へとゆっくり飛んでいき、触れる。

 

「……ゆ…………き……」

 

最後に、そう呟いて、宮里紀子は生命活動を終えた。

 

「いーち抜けピってヤツだ」

「ニィィッヒヒッ」

 

上手く戦いを運び、勝利した嬉しさに大男は笑顔で煽って少女は汚い笑いを漏らす。元とはいえ、闇の世界の深淵にいて極術師だった宮里紀子を殺害できたことは、これからの戦いへの大きな自信に繋がった。

 

「さぁ、復讐の時だ。俺様達を切り捨てたこの世界を嫐り殺すぞ」

 

それが掛け声となり、この平和な新世界の犠牲者の一部達が動き出した。

 

彼等は復讐者であり代行者。自分のため、或いは自分達と同じ復讐心を抱える者達の代わりに狼煙をあげた者達だ。




キリよく区切ったら短くなってしもうた……


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狂い出す心

「今から約四時間前、君の自宅で大きな爆発があった。その後、小規模な戦闘があり、警察官が駆けつけた時には……宮里紀子が遺体で見つかった」

 

ナナシが沈痛な面持ちで事実を宮里由紀に伝えている。

由紀の方は脳の処理が追いついていなかった。

 

「ホワイト地区、第三病院に搬送されたが、もう手の施しようは無かったそうだ」

「…………うそ」

 

喉からやっと出たのは二文字の言葉だ。そして一言出たのなら、言葉は止まらない。

 

「だって、だってお母さんよ?そんなことで死んじゃうわけないわ。それにあそこは住宅街のど真ん中!他の誰かがすぐに」

「日が沈み切る前なんてタイミングで魔術による爆破。複数人による襲撃。彼女の遺体はエプロン姿だった。対処のしようはない。戦いの火蓋は爆破で切られた。普通の人間は爆発があったらそこから離れるものだ」

「っ……!」

 

返す言葉が無かった。確かに自分の家のセキュリティがフル稼働するのは夜だけだ。昼間に稼働させていたら、些細なことでアラートが鳴ってしまう。

それにナナシの言う通り、普通、爆発があったら離れるのが先だ。きっと敵はそういう事を知った上でその時間に襲撃したのだろう。

 

そうだ。自分の命が危険さらされる可能性があったなら、人はそれから身を守るものなのだ。

 

堂々と攻撃されている誰かの前に立てるヤツなんて、普通はいないのだ。

 

「行かなきゃ」

「待て!」

 

ナナシが声を上げるもそれを振り切り、由紀はその場から駆け出した。長い敷地を越え、門での手続きも行わず、外壁を氷の足場を作ることで飛び越える。

 

ここからホワイト地区まではかなり距離がある。時速600km以上で走るリニアですら1時間以上掛かるのだから当然だ。何か移動手段を見つけなければならない。

 

「(……リニアもテロのせいで使えない……どうすれば……)」

 

頭をフル回転させてはいるが最適な解答が浮かばない。これが他の極術師なら別の手段も取れただろうなんて一瞬無いもの強請りするが、そんなこと言ったって仕方ない。

 

取り敢えず進まなくては。立ち止まっていても解決はしない。そう決めて、まずは駅の方へと走り出す。リニアが運行しているという一抹の希望にかけ──そういえば携帯電話で運行情報を確認すればいいんだと閃いて、一度立ち止まり懐から携帯電話を取り出す。

 

「(……やっぱり、全線運休。これじゃ……)」

 

手詰まり。リニアが使えないなら残る選択肢はタクシー等の乗り物になるわけだが、片道約5時間以上、往復すれば10時間以上の運行をしてくれるタクシーが直ぐに捕まるかどうかは怪しい。

 

どうすればいいか、再び悩み始めたその直後、一般の車からは到底聞こえない様な甲高いモーター音が響いて、それが次第に近くなり、自分の真横でソレが止まった。

何事かと車道に目を向ければ、見たことのない平べったい車がいた。荷物なんかほとんど載りそうにないコックピットに目を向ければ、そこには知った顔があった。

 

「乗れ、絶対零度」

 

窓を開けて助手席を親指で指したのは、先ほど別れたはずのナナシ。どうやらこの見たことの無い車で追い掛けてきたらしい。

 

「総司令……ありがとうございます」

 

礼を述べて直ぐに乗り込む。普通の車で無いことは見る限り明らか。タクシー等を捕まえて向かうよりよっぽど早く到着できそうな雰囲気だ。

 

「しょっ……と」

 

余りにも座りにくい。二人乗りなのはもちろんの事だが、普通の車よりも体の位置がシートに固定されていて、お世辞にも快適とは言い難い。それも速さの代償と思えば気にはならなかった。

 

「シートベルトは締めたな。行くぞ」

 

ナナシの掛け声と共に車が甲高い音を上げて急加速する。

加速Gの強烈な負荷が体にかかった。

 

「これは……」

 

レーシングカーなんて安直な表現じゃ足りない光景だった。前方の窓ガラスには現実の景色ではなく、カメラで拾っているものなのか映像が映し出されていた。しかもその映像の中では物体の向こう側にある物すら認識して、その情報を映し出している。

そのためか、たとえ赤信号でも通行する車がいないと分かれば突っ切っていく。

速度だってこんな普通の一般道で300kmを超えていた。

 

「そ、総司令、これは?」

「車の運転を補助するAIの上限を見定め、市販車にどこまで運用させればいいのかを決めるための、云わばプロトタイプだ。もっとも、もうここまでくると補助の領域をすっ飛ばしているがな」

 

言って、ナナシがハンドルから手を離す。ピピッという警告音が響いたが、それも一回だけ。勝手に自動操縦モードに切り替わり、夜の街を平均250kmで駆け抜けていく。

時刻は21時半を過ぎた頃。この世界は多くの会社や店が19時には閉まる交通量はそれほど多くはなく、疎ら。渋滞に引っかかるようなことも無さそうだ。

 

「ハイウェイは使うが二時間はかかる。それまでゆっくり休んでおけ」

 

はてさて、その時間計算だとハイウェイでは一体時速何キロで走るというのか。しかし好都合だ。日付が変わる前にはホワイト地区に到着できるらしい。

 

「……あの、犯人は。犯人は分からないんですか」

 

帰るという問題はクリアできた。そしたら次の問題が由紀の脳裏にチラついて、堪らずそれを尋ねる。

 

「あぁ。しかし、魔力の残滓を照合すれば犯人はすぐ特定できるだろう。警察に任せておけ」

「……」

 

彼女の言う通り、この件は国が対応する物だろう。いち個人が犯人を特定し、罰を下すものでは無い。

 

「犯人を逮捕した段階できちんと伝えよう。法による裁きだって正しく下される。だから君はこれからの心配だけしていろ」

 

フロントガラスに移された映像の景色が高速で流れていくのを見つめながら、確かに彼女の言う通りだと納得させる。だが、どうにも納得できないことが一つだけあった。

 

「…………もし、もし犯人がこの世界で表沙汰にできない人だったら、どうするの?」

 

考えられる中で、最も最悪の結果が頭をよぎってしまった。母親を殺められる人物なんてそう多くはない。以前より衰えたと言っても自分と同等以上の魔力量。そして自分以上に術をコントロールしている。そんな母親を殺害できたのだから──ハッキリ言ってしまえば「ディザスター」が絡んでいる。由紀はそう踏んでいた。

そしてそのディザスターは新世界の表にできない闇の部分だと、自分で言っていた。ならば、もしディザスターが噛んでいるなら、この件は──

 

「そいつは関係ない。そう言って信じてもらえるか?」

 

由紀の懸念を見抜くような言い方だった。

 

「……知って、いるんですか。アレを」

 

だから思わずそう尋ねた。もし彼女がディザスターを知っているとすれば、それは本当にアレがこの国に存在することを認めていることになる。

 

「良くな」

「なら」

「やめておけ。今ここで私を攻撃しても、そいつについて話せる事は少ない」

 

魔術で脅してでも情報を引き出す。それすらも止められてしまった。

 

「まだこの件に奴は関わっていない。これは奴の為じゃなく、君のために言っている」

「……そんなこと言われても」

「信じられないだろうが、信じろ」

 

暗に、あの存在を追うなと言っている事は聞いて取れた。はいそうですかと納得できる話ではないが、取り敢えず今は「分かり、ました」と答える。まずは病院に生き、母親の生死について確かめることが先決だ。

それを確認してから追う。それでもまだ遅くはない。

 

「(……お母さん)」

 

いつの間にかハイウェイを走っていた。人の目で追えないくらいの速度で景色が流れていく。

 

休めと言われても、この状況じゃ眠ることはできなさそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やっ」

「ン」

 

ブルー地区の軍事基地から駅とは違う方向に、数ブロック離れた位置で愛菜は亮と合流した。深夜とは言えない時間だが、日の落ちた時間に目付きの悪い革ジャンの男が電信柱に寄っかかって缶コーヒーを飲んでいる様は、シンプルに不審者であったが、愛菜は敢えて口にしない。

 

「なんか大変な事になってる?」

「みたいだな。だがまぁ、今回は俺らでやる事は無いだろ」

 

一言かわしてから二人は並んで夜道を歩き出した。取り敢えず向かうのは駅だ。レンタカー屋が駅近くにあるのを把握しているので、そこで借りてからホワイト地区の最寄りのレンタカー屋に返却する算段。

この時間なら愛菜は闇の中を高速で移動できるし、亮も当然の事ながら飛んで行ってもいいのだが、急いで移動する必要は無い。

 

「へえ。なんかヤバい組織が暴走したとかじゃないんだ」

「ヤバいかもしれないが、世間が知っちまったからな」

「なるほど、世間様に何とかしてもらわなきゃってことだね」

 

ナナシ率いる組織は国が公表できない問題を解決する事が仕事である。逆を言うならば、一度陽の光を浴びてしまった事件には手出しできない。亮が動くならば半日も経たずに今回の問題を片付ける事は出来るが、ここまで騒ぎになってしまっている以上、そういうわけにもいかないのだ。

 

「やーでも、なんか激動の一日だったなぁ。日帰りで旧世界に行くなんて思わなかった」

「あぁ、俺も二往復する事になるとは思わなかった」

「やっぱ途中で居なかったんだ」

 

黒鎌帝の件を片付けに一度戻った。愛菜に彼の件を伝えていないが、わざわざ話すような事でもない。

 

「優衣ちゃん、どうしてるかな」

「キッチンにさえ立たなければ、優衣は完璧な存在だからな。きちんとやってるだろ」

「……もう何も突っ込まないけど、牛丼の定期券を渡したから美味しく食べてるかなって」

 

朝家を出る前に渡した牛丼のタダ券。きちんと使って牛丼という完全食を食べているか、そしてその感想を聞きたくてうずうずしている愛菜。対して亮の表情には陰りがさした。

 

「ンなもん渡してたのか」

「うん!」

 

しかし食べ物を何も用意していなかったので、ある意味助かったのかもしれない。

 

「私、気付いたんだ。毎日牛丼食べるにはどうしたらいいかって」

「突然なに意味わかんねえこと言ってんだ」

 

素直に感謝をと思ったが、だいぶ雲行きが怪しくなってきた。

 

「優衣ちゃんが牛丼大好きになったら、毎日亮が作ってくれるんじゃないかって」

「馬鹿なこと言ってんな。いくら優衣が食べたいと言っても、ちゃんと栄養バランスを考えてきちんとした食事を」

「わぁ、亮の口から栄養バランスなんて言葉が出てくるとか大丈夫かなこの世界」

 

この世で最も栄養バランスから縁がなく、そんなもの全く気にした事がなかった者の発言とは思えなかった。

 

なんて、会話を亮の心の中で聞きながら。

 

『……今日も世界は平和じゃの』

 

八代は新世界で起こってるテロに関して二人が無関心過ぎるなんてツッコミも言えなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「到着したぞ」

 

ホワイト地区第三病院に、ナナシと由紀が到着した。やかましい車の音が近隣住民あるいは入院患者に対して果てしなく迷惑な物であること間違いないので、由紀を降ろすなりナナシは早々に消えていった。これも車の中で打ち合わせていた事なので由紀に驚きはない。

そんな事よりも、早く母親に会いたい。その一心で夜間の緊急用の入り口から中に入り、人を呼び出した。

 

「……宮里さんの親族の方ですか」

 

出てきた看護師に問われ、首を縦に振る。

 

「先生が来ます。少々お待ちください」

「そんな、早くお母さんに」

 

と抗議の声を上げたところで、白衣の男性がこちらに歩いてきた。中年の男性でありながらも落ち着いた髪型で髭ひとつない清潔な姿は、やり手の医者という印象を与えた。

 

「宮里さん、こちらへ」

 

挨拶もなく、そういって医者は再び由紀に背を向けた。着いて来い。その言に従って、歩いていく。

通常窓口と違い、緊急の方は床、壁紙、天井の全てが無機質な白だ。もちろん目を凝らして見れば汚れ等はあるが、装飾品や電光掲示板ひとつ無い、足音だけがよく響く廊下は気が滅入る。

 

時間にして30秒にも満たない。大きな扉の前に辿り着いた。

 

「どうぞ」

 

医者が扉を開け、由紀を中に入れ、扉の近くで待機した。彼は後ろに控え、見守るだけらしい。

 

部屋の中は明るく、冷えていた。寒気すら感じる気温ではあるが、由紀には低温は気にならない。無機質な白の壁紙と廊下には無かった手術道具や機械の数々がより一層そんな寒気を強く感じさせる。

しかしもうそんな事はどうだっていい。

 

「おかあさん」

 

近寄る。中央のベッドの上にいる母親の元へ。一歩一歩踏み出す足は重かった。踏み出す事になる足音がやたら大きく感じられた。

だがそれでも踏み出す。きっと、近くに寄らないと返事が聞こえないから。

 

そして、見た。

 

ただ静かに、永久の眠りに着いている母親の顔を。

 

「おかあ……さん」

 

顔を触った。冷たく、硬い。人の肌から感じられるはずの温度が感じられず、ハリのあった肌は硬化し、土色にすら見える。

 

十秒、それ以上かもしれない。どれほど時間が経ったかは分からないが、そのタイミングで、やっと、理解した。

 

さっきまで、いや、今この瞬間までは心のどこかで現実を受け入れていなかった。母親なら、この新世界なら、死すら覆してしまうんじゃないかと。実は昏倒状態とか、いつかいつもの日常に戻るための条件が残されている状態なんじゃないかと、心のどこかで思っていた。

 

そんな都合のいい現実はないと知って。

 

「(あ、わた……し……もう、独りだ……)」

 

自分が、独りになったと理解した。

 

由美は居ない。アレに殺されてしまった。

 

母親は居ない。誰かに殺されてしまった。

 

「…………ぁ」

 

くらっと視界が暗転した。同時に平衡感覚が無くなって左側に倒れ込む。

 

「っ、宮里さん!」

 

付き添いに来ていた医者の声を聞いて、そして、意識を失った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

由紀が目を覚ました時、そこは病院のベッドの上だった。起きてから直ぐに看護師が来て、それから直ぐに昨日とは別の医師が自分の元に来て、話を聞いた。

と言っても一番聞きたい母親の話ではなく、自分が疲労と精神的なショックで倒れたという説明だけ。

 

だから話のほとんどは聞き流した。

 

自分の体のことなんて、自分が一番知っている。これはただの気の持ちようなのだ。

 

「(……どこに行こう……)」

 

病院の個室でベットに腰を下ろして、悩んだ。

 

「とりあえず、シャワー行こ……」

 

看護師の話によれば、二個下のフロアに無料のシャワー室があるらしい。取り敢えずそこで一度体の気持ち悪さを流したかった。フラフラとした足取りでエレベーターへと向かう。

途中、他の入院患者に挨拶をされたが、それに返答するような元気はなかった。

 

エレベーターを呼び、ボタンを押して扉を閉める。幸いエレベーターの中は一人だった。他の人が乗ってきても、まともに挨拶を返せるような気力はない。

 

エレベーターを降り、シャワーを借りたい述べを伝える。自分の事は通していてくれていたようで、担当の人は何も言わずに通してくれた。

 

狭い個室のシャワールームに入り、脱衣場で上着を無造作に放り捨て──

 

ヒラリと一枚の紙切れが舞った。

 

「……?」

 

拾い上げて中身を見て、思い出す。

 

「……ディザスター……」

 

汚れ、掠れてはいるが、そこに記されている数字はなんとなく読める。

 

手掛かりはここにあった。

 

「(あぁ、そうだ。コイツだ……)」

 

由紀の目が見開かれていく。生気を失っていた瞳に、力が宿っていく。

 

「(コイツだ、コイツが全ての元凶なんだ……)」

 

ただし、瞳に宿る力は前向きな物ではない。憎しみ、恨み、その辺りの負の感情。まとめて復讐心なんて呼んだりするもの。

 

「コイツを、殺せば」

 

何かが変わる。

 

論理なんて投げ捨てた謎理論で、由紀の体には力が湧き上がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「会社でボーナスが出る。20万円貰う。ちょうだい」

「ほいじゃ。んで妾の出番じゃの……ふむ、ペットが急死……ショックで一回休み…………うおおおおおわらわー!!」

「……あ、私もボーナスだ。20万円、やった」

 

なんてボードゲームに興じる三人の音をBGMに、亮は食材の有無を確認しつつ、魔力の手で風呂場とトイレの清掃をしていた。複数の家事も彼にかかれば簡単に終わってしまうものなのだ。

 

「(トイレットペーパーと酢……後でタバコ買うついでに買ってくるか)」

 

もう少し物品が足りていなかったらスーパーマーケットに買いに行く所だが、それほどではない。

 

「ねぇさっきから優衣ちゃんいいマス止まりすぎじゃない?」

「そうじゃぞ、妾なんかもう40万の借金じゃと言うのに……」

「何でだろうね」

 

神直々の創作物なんだからそりゃ運だって良いもんだろと思いつつ、掃除機でも掛けようとしたその時。

体内の携帯電話が鳴った。ようやく仕事かと思ったが、鳴っているのはプライベートの方の携帯電話。こちらの電話は今そこで仲良く遊んでる三人以外からかかる事はない。鳴るとしたら心当たりは一つだ。

 

「もしもし」

 

だから臆することなく電話を取った。

 

『…………正直、繋がるとは思ってなかった』

 

宮里由紀の低く、怒気を孕んだ声が電話口から聞こえる。

 

「そうかよ。ンで、俺はどこ行けばいい?」

 

それも含んで直接会って話した方がいいだろう。このタイミングだ、電話でやり取りしていい内容ではないに決まっている。

 

『……ホワイト地区、廃墟の遊園地』

「ン、わかった」

 

またそこかよというツッコミは心の奥底に押し止めておく。

 

『すぐ来て』

 

その言葉を最後に、ブチッと電話が切れた。

 

「はぁ」

 

ため息をついてから携帯電話を体内へ戻す。

まぁコンビニに行くついでだと思えばいいかと割り切って、ボードゲームに興じる三人へ声かける。

 

「ちょっと、買い物行ってくる」

「妾も行く!」

「コンビニだから何も買ってやんねえから来るな」

「あーい!」

 

八代は大人しく引いてくれて助かった。愛菜と優衣もまだボードゲームの最中なので、行きたいとせがむ事もない。

 

いってきますと声をかければ三人はいってらっしゃいと返してくれる。

 

時間は昼を過ぎた頃だ。あまり長く彼女と話していると夕食の準備に遅れてしまう。

 

「(さっさと、済ませるか)」

 

どうせ、宮里紀子、母親との事だろう。

 

「(さて、宮里由紀は奇跡でも起こして俺を越えられるかな)」

 

少々の期待を寄せつつ、亮は家を後にした。




話が一向に進まず申し訳ありませんorz

なんか最近やたら病院に行く機会が多く、自分で書いてて複雑ですわ……


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汚れていく心

勇気を振り絞って作品の詳細を見たところ、沢山の方々に評価とお気に入り登録頂いておりました。お付き合い頂いてありがとうございます!


時刻は昼を過ぎて、新世界のドームのてっぺんに太陽の映像と溜め込まれた太陽光を照射する時間。一応、それに合わせて気温も上がっているのだが、26℃と相変わらず人にとっては過ごしやすい気温。服だって長袖半袖、長ズボン半ズボン、或いはスカートと選べる幅が広い。

 

「(買い物は後にするか)」

 

しかし、だからと言って革ジャンは暑い。まともな人間の感性なら見ているだけで暑い。故に、その姿で亮が外出する時は、たまに「うわお前マジかよ引くわ」といった視線が彼に注がれる。

もちろん亮だってそんな視線には気付いているが、我関せずと言った様相だ。

 

「……さて」

 

そんな彼が真昼間から廃墟の遊園地の金網を前にそんな呟きをしていた。

 

もちろん、それを他人に見られれば「怪しい」という自覚を持っているので、既に姿は他の存在からは認知されない、いつもの透明な状態になっている。

ここにはいくつものカメラがレンズを光らせていている。廃墟になった遊園地をここまで監視する理由は、つい昨日収束した帝の件で使用した地下通路のせいだろう。

インターセプターという壊滅した暗部組織の拠点があったことも挙げられる。表の世界から裏の世界を守るための設備達。だが、彼等が壊滅し、地下に帝が潜む必要もなくなったので、そろそろここも取り壊すべきだろう。

個人的にはまたショッピングモールになるのだけは辞めてもらいたい。なんて思いつつ、高さ8mの金網の上へとジャンプして越える。

 

「……そういやどこ行けばいいんだ?」

 

宮里由紀は「廃園に来い」としか言っていない。具体的にこの廃園のどこで合流するのだろうか。亮の喰らった人の中にこの経験はあった。「駅集合ね」「はいよー!」なんて言ったはいいが駅が広すぎて合流までにかなりの時間を要した。合流してからは「次は具体的にどこにするか決めよ」なんて言ったはいいが次回もまた同じミスをする。

 

「まぁ、いいか」

 

記憶の中でもそうだが、こういう時は適当に歩き回っていれば見つかるものだ。

 

亮が入った場所から少し進むと老朽化した建物が二つ並んでいて、それを繋ぐようにアーチ状の電光板が残っている。ココがゲートで、この下をくぐり抜けると勝手に入場料を支払ってくれる流れだった。電光板には「ようこそ」とかそういう言葉がマスコットキャラの映像と共に流れていた気がする。

 

もちろん今はそんなシステムは生きていない。普通にゲート潜り抜け、いくつもの土産屋がならんでいたのだろう店舗が建ち並ぶ通りを抜け、AR技術を駆使したパレードを行っていた広場に出て──

 

そこに宮里由紀が居た。

 

青いジーパンに黒いジャケットを羽織ったボーイッシュな姿は、どこか亮と共通していて暗いイメージを与える。目付きも鋭く、明確な敵意はそれだけで見て取れた。

ある程度距離を空けた位置で立ち止まる。まずは由紀の言葉を待った。

 

「……アンタがお母さんを殺したの?」

 

その質問は予想していた。

 

「いや違う」

 

なので簡潔に返す。

 

「本当に?」

「あぁ、殺す理由がない」

「……前はお母さんを人質にした」

「そうだったな。だがあの時はお前から情報を聞き出すという理由があった。ンでお前が話したから手は出していない」

 

事実だけを端的に並べて問答を繰り返す。この場所でこの状況。別に向こうだって会話がしたかった訳では無いだろう。

 

「そう。じゃあもういいわ」

 

言って、由紀は左足を少し前に出し、右手を掲げて氷の矢を数本作り上げた。

 

「死んで」

 

前回と同じ──ではなく、前回よりもさらに強い氷の矢が飛んで来る。数も威力も速さも以前とは比べ物にならないが、それは二の次だ。

 

「(恨み、憎み、嘆き)」

 

矢を食らえば、そんな由紀の気持ちが心に刺さる。強い想いだ。

理不尽な世界と、何より無力な自分を恨んで憎んで嘆く。この前よりも比べ物にならないくらい、矢にはそれらの想いが含まれていた。

 

「(だがそんなものより、根底にあるのは寂しさか)」

 

元々持っていただろう力ある者特有の孤独。

 

その上さらに彼女には重い現実がのしかかった。

 

せっかくできた新しい家族を守れなかった無力感、喪失感。

ようやく自分を見てくれた者が、自分だけを見てくれた訳じゃなかった寂しさ、嫉妬。

トドメは最大の理解者で、いつでも自分の味方でいてくれた唯一の肉親、母親の死。

 

孤独から抜け出したと思っていたのに、それら全てが改めて自分が独りだと実感させた。

しかも、全てはこの一年以内に起きた出来事。彼女はこの短い間に数少ない自分の柱を全て失ってしまった。

 

心が壊れるのには十分すぎる。

 

「タネはわかってるわ。あなたは幻覚か、もしくはここにいるあなたは遠隔操作されてる存在」

「……あ?」

「今ここにいるあなたに攻撃しても意味は無い。本体はどこにいるの?」

 

全く的外れで、けれど自信満々に言い切った由紀に、亮は溜息を吐く。

死にかけの心を復讐心で支えるのは立派ではあるが、ポジティブシンキングも現実を曲解しだすと憐れなものである。

 

「全くどうしてそういう都合のいい解釈するんだか」

 

確かに、創作物ではそういう展開がテンプレートだったりする。亮の知っている物の中では、適当な味方が足止めし、主人公が本体の元に行ってる流れが多いが──恐らく由紀のコレもそういう影響を受けての発言だろう。強大な敵を前に、弱点を探し、諦めることなく戦うのは立派な事だし、尊敬に値する物ではあるが、今回に関しては現実逃避が過ぎる。

 

「……あくまでバラす気はないってこと?」

「現実見ろよ。そんな馬鹿なことある訳ねえだろ」

 

言って再びタバコに吸って、吐き出してから続ける。

 

「俺は幻でも何でもない。お前とは違った生物なだけだ。お前だってそうだろ?」

「っ……」

 

最後の一言は文章の構成としてはおかしい。だけど、意味は明確に伝わった。

由紀の脳裏に、自分を「化物」だと指差して離れていった者達のシルエットが浮かぶ。

 

「……理解されていないだけだって……言いたいの?」

「ンなところだ。よく言うだろ、上には上がいると」

「いちいち癪に障る言い方……っ」

 

深く考えずとも、自分より上の存在だと言われているのが分かった。ただこの面倒臭い言い回しと、余裕たっぷりな態度に腹が立つ。

 

「説得力を持たせるなら……そうだな、わざわざ幻や人形はタバコなんか吸わねえだろ」

「知らないわよ、そんなの」

 

何言っても言葉は届かなさそうだと諦め、短くなったタバコを吸いきって吸殻を掌から取り込む。

 

「……そうかよ。シェイカーの研究資料から何を見たんだか……ンじゃキリが無さそうだから、攻撃するぞ」

 

声色を変えることもなく、大層面倒くさそうに予告された。この前のように、見えない何かにやられる前にと由紀は正面に氷の壁を展開させる。

パキパキと音を立てて地面から生えてくる氷の壁は、ドームの様に曲線を描き、由紀と亮を隔てる。これが実際に効果があるのか、由紀には分からないが、前回は一瞬で意識を失ってしまったのに、今回はまだ意識がある。

 

彼の魔術は一定時間、対象を視界に収め続けていなければいけないとか、そういう条件があるのだと思考する。

 

「(なら、氷で盾を作るとか……上手い具合にアイツの魔術を発動させないようにして戦えば、勝機はある)」

 

相手の手の内は分からずとも、防ぐ手立てがあれば時間をかけて分析して──

 

バキンッ!!!

と、氷の壁が砕け散った。

 

「……っ!?」

 

飛び散っていく氷の破片の先には、先程と同じく表情のない亮がゆっくりと歩いてこちらに近付いているのが見える。

 

「(……あの……目だ。また……)」

 

これで二度目。いや、三度目だとここで確信した。

 

「(この目に、私は映っていない。本当に、心の底から興味が無い……だから……)」

 

様子を見るとか、戦闘不能にして口を割らせるとか、そういう事も考えていた。

 

「(あぁ、やっぱり、コイツはここで)」

 

だがそんな論理的思考に裏打ちされた理性よりも、殺意が勝った。

 

情け容赦はしない。絶対零度の名を持って、自分の想いに誓って、ここで殺す。

 

──その強い復讐心が、力を与えた。

 

「はああああっ!!」

 

由紀を中心に目に見える形で冷気が溢れ出る。好き放題生い茂った草、土、近くにあった看板、それらがたちまち凍りつき始める。ついには空気すら白く輝き始めた。

 

「(前よりマシになったか)」

 

足を止め、彼女の起こす魔術を分析する。廃墟を彩る白銀の雪景色などもう見飽きてしまったものだが、短時間でこれをやれるくらいに成長したのならば、中々興味深いものだった。

 

なんて思いつつ眺めていると、視界あらゆる場所に氷の矢が現れた。視界のあらゆる場所にだ。数は十、二十じゃ足りない。百にたどり着くかどうか。

 

「死ねええええええええええ!!!」

 

はち切れんばかりの叫びと共に、それらが何のモーションもなしに降り注いできた。

確か、彼女も彼女の母親も矢や槍を飛ばす時は飛ばすために何かしらの工程を挟んでいたのだが、それすらない。

 

「(まぁ将来が楽しみだ)」

 

ネガティブな感情でここまで成長できた事に感心する。大体、復讐だなんだ言って理性を失ったキャラクターは、主人公などと一度敵対するも必死の説得でその復讐心を克服し、志新たに力を身に付けるものだ。

彼女も一度その工程を踏んでくれればもっと強くなるはずだ。

 

なんて考えている間に氷の矢の全てが亮に向かって飛んできて、全てが体に刺さる。まぁ意味は無い。それらは取り敢えずまとめて食らってみる。

刺さった部分が黒く歪み、その歪みの中に氷の矢が消えていく。

 

矢から感じたのは、やはり先程と変わらない思いの数々だが、先程よりも数倍以上の重みとなった殺意が印象的だ。背負った心の傷を、自分への復讐心に組み込むことで生み出した殺意。

これほどの殺意をぶつけられたのは久し振りだった。旧世界でなりふり構わず人を食らって回った時以来の物。

 

しかしそれだけだ。

 

「…………ぇ?」

 

由紀の表情は絶望に染っていた。

 

「ン?どうした、そんなもんか」

「…………ぁ……」

 

徐々に辺りの温度が戻っていく。物体を覆っていた氷が溶けだす。それは由紀の魔術が解除されたことを示している。

 

「……な……んで」

 

今のは、紛うことなき由紀の全力全開を超えたものだった。本来、最初の冷気で人は意識を失うはずだった。当然だ、気温25℃からマイナス130℃近くまで瞬時下げられたのだから。人なら温度差で死亡し、何かの奇跡で生き残っても呼吸するだけで死亡する。

だがそれでも尚、亮は動じなかった。だから残りの魔力を使って氷の矢を放った。

 

その結果がこれ。前回と何も変わらない。顔色一つ変えず、それで次はなんだと言ってくる。

 

だから由紀は膝を着いた。

 

「終わりか?それで終わっていいのか?」

 

そんな由紀に対して、亮は残酷にもそう口を開いた。

 

「お前の復讐心はンなもんか?まだ動けんだろ、終わってねえだろ」

 

言い聞かせるように亮が言葉を紡いでいる。

 

「こんなもんじゃない。まだ立てる、動ける、終わってない。僅かでも希望があるなら踏み出せるだろ」

「何を言ってるの……」

 

彼が、いや、コレが余りにも不気味で恐怖すら感じた。

一体何を言っているのか、何を期待しているのか、目の前の化物は何を求めているのか。

 

「心の中に巣食う痛み。悲しみ、寂しさ、恨み、憎しみ。残ってんだろ」

 

その結果がいまのコレだと、由紀は言いたかった。だけどもうそんな気力も湧いてこなくて──

 

「その想いは力になる」

 

それは、つい昨日思い出して、自分の成長の糧とした母親の言葉だった。いつだったか、母がそう教えてくれた。その言葉をコレが使った。

 

「……違う」

「ン?」

 

ゆっくりだが、確実に、脚に力が籠っていく。

 

「それは、その言葉は……そんな後ろめたい気持ちに使っちゃいけないの」

 

汚させはしない。母親が教えてくれた、前に一歩踏み出すためのその言葉を。

母親が残してくれた、その心を。

 

「それに……アンタみたいな、人でなしが使っていい言葉じゃないッ!!!」

 

左手を亮へと突き出し、魔術を使った。掌から冷気が吹き出る。ただしそれは最初の一瞬。気が付けばそれは猛吹雪に変わっていた。

 

──ゴオオオオオオオオツ!

と、爆音の様な音を立てて吹雪が亮を襲う。

 

旧世界でよく見かける吹雪。自然の起こすそれよりも遥かに強く、冷たい。これを人間が受ければ間違いなく凍死する。先程のような溢れ出す冷気とは違い、吹雪が触れる点だけを凍らせる攻撃。これも絶対零度に相応しい魔術の使い方だろう。

 

「……」

 

十秒、十五秒と時間が経過していく。先程の温度低下のように辺りは空気ごと白く輝き、美しくも死の蔓延する景色が出来上がっている。もう由紀ですら吹雪の先は見えない。殺したい対象が居た所は白に染め上げられている。

 

そして、二十秒で吹雪が止んだ。

 

「くっ……はぁ……」

 

グニャリと視界が歪んだ。魔力の使い過ぎだ。エーテル細胞から魔力を気合いで絞り出して今の攻撃をした。意識してやったわけじゃない。ただ、自分の限界を超えた行いだったということは、体が教えてくれている。

歪んだ視界はバランス感覚を奪い、フラッと横に倒れる。体を僅かに捻って受け身を取れたのは奇跡に近かった。

 

「(……ディザスター……は……)」

 

もう目を瞑って寝てしまいたい。自分の限界を超えた力を使った。もう終わって欲しかった。

 

「さっきより弱くなってんじゃねえか」

 

声が聞こえた。だが驚くことはもうない。

分かっている。手応えは無かった。百を超える氷の矢を飛ばした時より力が入っていない事も、自分では理解していた。

 

「(お母さんの言葉を汚されたのに……もう、それすら……あぁ、もうやだなぁ……)」

 

暗くなっていく視界の中で、相変わらず傷一つない妹の仇がいた。

 

「(……私じゃ、アレは殺せない)」

 

事実を再認識する。自分の持つ力全てを使い果たしても、傷一つ付けられない。それにもうこれ以上は力が入らない。

いや、言い訳だ。

 

「(……私には、無理だ)」

 

──心が折れた。

それが真実だ。どんな想いを持ってしても、自分ではアレを越えられない。どれだけ自分の限界を超えても、アレには勝てない。

頭ではなく、心がそう思ってしまっている。妹を殺した者への復讐は不可能だと。

 

「……まぁ、もういいか」

 

倒れ込んだ由紀を見て、亮はそう言った。やはり復讐心だけではこの辺りが限度だろう。もちろんトドメを刺すことはしない。せっかく奇跡を起こせそうな程には不幸な人生を歩んでいるのだから。

摘み取るなら、彼女が本当に心の底から全てを諦めた時か、真っ直ぐ前を向いて歩き、奇跡に到達した時だ。

 

「なんの収穫もなく終わるのアレだろ、一つ教えてやるよ」

 

そのためには、きっと彼女が自分の母親の仇の元に到達する必要があると踏んで、今回の敵について教えてやるとする。

 

「お前の母親、宮里紀子を殺した奴らは多分、極術師を狙ってる。その内お前も誘い出されるハズだから、覚悟しとけ」

 

それだけ言って踵を返す亮を、もう由紀は追うことが出来なかった。恥ずかしくも生きている事に安堵し、そのまま、まどろみに襲われる。

 

「(……もう、いいや……)」

 

何を諦めてしまったのか、自分でも分からない。取り敢えず、現実から逃げ出したい。ただそのために、由紀は眠りに着いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「っ……」

 

次に由紀が目を覚ました時、空は夕焼けを映していた。四季なんて存在しない新世界では夕焼けになる時間帯は17時半と決まっている。あれから四時間近く眠りに着いていたのだ。

 

上体だけを起こして、頭に手を当てて考える。

 

「(……失敗した。旧世界の時以上の力は持っていたはずなのに……)」

 

未だに体からダルさが抜けない。それくらいには自分の力を使った。それでも、アレには勝てない。

 

「(いいわ、ディザスター。今は見逃しておいてあげる…………なんて、虫のいい話ね)」

 

見逃されているのは自分の方……いや、そもそもアレは自分の事を大した脅威に捉えていない。アレにとってきっと自分は虫のような存在なのだろう。

 

「(……もっと、強くならないと)」

 

極術師である自分の攻撃が通じない化物。自分達人間とは違う法則で生きている何か別の存在。アレを殺すには、自分もアレと同じ存在に昇華するしかない。今のままでは絶対に勝てない。それが明確にわかった。

 

「もっと、もっと力を手に入れないと、ね」

 

きっと直ぐには無理だろう。けれど何年、何十年かけてでもなし得てみせる。

今回の敗北で、由紀はその決意を手に入れた。

 

それが、ただの現実逃避だと指摘する者はいない。

 

そして次に考えたのは、この後どうするかだ。病院に真っ直ぐ戻るべきなのだろうが、まだ少しその気にはなれない。

 

「(そういえば、家はどうなってるんだろう……)」

 

爆発があったと聞いていた。どれだけ破壊されたのかは気になるところではある。物が残っているなら取りに行きたいものもある。

仮に立ち入り禁止が出ているなら素通りして戻ればいいだけだ。幸い、ここからならそこまで遠くはない。

 

そうと決まればと歩き出す。睡眠したことで魔力も少し回復したので、行きにやった様に、人目につかないところで氷のスロープを金網に繋ぎ合わせて作り超えていく。

 

少し歩けばもうそこは住宅街だ。ここまで来たらもう不法侵入で捕まることもない。安心して家へと歩を進めていく。

 

「(……なんだか、戦いが嘘みたい……)」

 

歩いていれば、夕方という事もあり交通量が多い。休日の部活帰りの学生や自転車を漕ぐ主婦。はたまた休日出勤で仕事帰りのスーツ姿の男性。

昨日今日でアレだけ命のやり取りをした。その感覚は未だに体の中に残っていて、どうにもこの平和な世界に違和感を感じてしまう。

 

「(私も……早く終わらせてこっち側に戻らなきゃ)」

 

全ての復讐を終えたなら、この違和感も無くなるだろう。全てを失う前のあの頃に戻れるだろう。

 

なんて考え事をしている間に、角を曲がれば家。という所まで来た。

しかしなんだか、妙に騒がしいなと思いつつも角を曲がれば。

 

「っ!?」

 

自分の家の前に三台の自動車と十五人ほどの人が居た。

その中に四人ほど大きなカメラを持った人が居たので、彼らが記者だというのは直ぐにわかった。

 

「(うそ……来るのが早すぎる……)」

 

基本的に、訃報についてメディアが親族等に取材できるのは、死亡した日から一週間後と定められている。ただし、親族の許可があればその限りではないとされている。

もちろん、由紀は許可した覚えなどない。にも関わらず、自分の家の前に陣取ってる者達は何なのだろう。

 

「あの、宮里由紀さんですか」

「えっ……」

 

考えている間に、後ろから声を掛けられた。振り返ればスーツ姿の若い男性が笑顔で立っていた。

 

「申し遅れました。私はホワイト地区放送の──」

 

挨拶を交えながらスーツの内ポケットから携帯電話を取り出し、名刺画面を差し出してきた。確かずっと昔からある名刺アプリケーションの画面だ。

中を確認してみれば確かに本人の名前と顔写真。それと会社の名前や電話番号が見える。疑う余地もなく、テレビ放送局の者で──つまりそれは見つかってしまったという事だ。

 

「今回の爆破テロになにか関係があると思って伺ったのですが、何か──」

「いや、うちは関係ありません」

 

なんて断言するが、関係あるだろう。きっと今世間を騒がせている爆破テロの者を追っていけば、母親を殺した者に辿り着けると感じている。意識を失う前に、アレは極術師を狙っていると言っていた。ならばそう遠くないタイミングで仇と相対する事が出来るはずだ。

 

それは逆に、今回の爆破テロの犯人は母親の仇に聞けば分かるという事。

 

「そう断言出来る理由はなんでしょう?」

「……それは」

 

なんて問答をしてしまっている内に、家の前を陣取っていた者達がこちらに気づき、向かってくるのに気が付いた。

 

「やば……失礼します!」

 

カメラマンに関しては走って来ている。恐らく姿を映すだけで十分と踏んでいるからだろう。

 

「待ってください、今回の爆破で紀子さんが死亡したというのは本当ですか?」

「どこでそれを……」

 

母親の名前を出され、一瞬足を止めてしまった。

 

「もう巷で噂になっています。どうなんでしょう?元と言えど新世界の頂点に位置する極術師が殺されたかもしれない。新世界の人々は不安で仕方ないんですよ。どうでしょう、新世界の人々のために真実をお話頂けませんか?」

 

まるで畳み掛ける様に言われた。どうやら彼らは爆発なんて二の次で、紀子の生死を確かめる事が本命のようだ。

そんなことは予想していたが……由紀は黙って走り出した。

 

「それでも極術師ですか!?世界の人に対する責任は無いんですか!!」

 

捨て台詞を叫ばれた。挑発しているつもりなんだろう。

 

「(……効くわね。今すぐ黙らせたい気持ちになってしまったわ)」

 

敵意を一般人に向ける訳にはいかない。それは問題だし、何より今の自分に手加減できる自信がなかった。

 

「(…………あーあ、なんなのよ……この世界は……)」

 

こんなにも、心が痛いのに。

 

「(……消えて無くなればいいのに。私ごと)」

 

誰も助けてくれない。

 

「(こんなのの為に外界に行って命を掛けて戦ってきたなんて、笑わせるわね)」

 

途端に新世界が憎くなってきた。しかし、理性ではディザスターを殺せなかった八つ当たりみたいな物だと分かってはいる。分かってはいるが。

 

「……疲れた」

 

由紀の呟きは、黄昏の空に溶けて消えた。




闇落ちしかけたヒロインを主人公が回収する展開あんま好きじゃないです(ネタバレ)


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壊れた心

「ただいま」

 

由紀との戦闘になっていない戦闘を終えてから、コンビニで必要な物を買って帰ってきた。この家のルールである挨拶をすれば、家の中から「おかえり」の声が聞こえてくる。

靴のままフローリングに足を踏み入れ──る瞬間に靴を体内に取り込んで靴下で踏み抜く。

 

廊下を歩いてリビングへの扉を開けば、八代、愛菜、優衣の三人は大型のテレビに視線を釘付けにされていた。

 

「……?」

 

気になって少しだけテレビを見る。

 

『現在も犯人は人質を連れて立て篭っています!』

 

無人機からの映像と共に、アナウンサーの切羽詰まった声がスピーカーから聞こえてくる。

テロップと映像を見る限り、ホワイト地区南側のビルで立て篭り事件が発生しているそうだ。同じホワイト地区でも亮達の住む北側とはかなり距離がある。外で騒ぎになっていないのはそのためだ。

 

「線路の爆破事件に関係ある人なんだってさ」

「そうか」

 

一応、何か仕事の関係かもしれないと思って、キッチンに荷物を置き、彼女達から少し離れた位置で観賞する。

小型無人機が飛行しては映しているのはビルの8F。窓側に人質を抱えながら、片手で拳銃を人質の頭部に向けつつ何か話していた。中の様子は今の無人機の角度からは見えない。

 

「(……あの女の子……)」

 

人質である、灰色の髪を腰まで伸ばした背の低い女の子が目に止まった、その直後。

 

『あぁ、良かった生きていてくれた』

 

と、頭の中の誰かの強い想いが響いた。もちろん、これは亮の想いではない。喰らった誰かの記憶に残っていた想いが溢れ出て心に響いているだけだ。

 

無人機が撮影している人質だった女の子が堪らなく懐かしい。あれからどうやって過ごしてきたのか。苦労はないか。彼女は偏食だったから今はきちんと食べているのだろうか。きちんと学校に行っているのか。友達はできたのか。お姉ちゃんは元気か。あの子達とも仲良くしてるか。

 

などなど。想いが止まらない。

 

「(……チッ)」

 

その強すぎる想いに、やがて亮を含めた他何十万人もの記憶と想いが希薄になっていく。

 

会いに行かなくては。

 

という強い意志の元、勝手に右脚が動き──

 

 

だがその瞬間、「亮」の大好きな人の笑顔が浮かんだ。

そして、たったそれだけで「亮」が戻る。一万年近く募った想いが打ち勝つ。

 

いつか八代はコレを呪いだと形容したが、これが無いとそもそも自我なんて保てないのでどちらかと言うなら「加護」だろう。

 

おかげで、今回の事件の理由も確信に変わった。

その上で、改めて今回の事件において自分の出る幕の無さを実感する。敵の目的の一つに間違いなく自分の抹殺があると分かっていてもだ。彼等は復讐の対象として自分を狙ってくる。

しかしそれは一部の者達の考えで、大半はきっと──そこまで考えてから夕食の準備に取り掛かろうとキッチンへ足を運んだ時、携帯電話が震えた。仕事用の携帯電話だ、ナナシで間違いないだろう。

 

「俺だ」

『今夜か明日の夜明け前か、早い内に仕事だ』

 

先程までの考えはこんなにも早く否定されてしまった。出勤することもないと思っていたが、どうやらそんなことは無いようだ。

 

「……昼下がりに立て篭りする奴ら相手に出る幕あんのかよ」

『私もそう思っていた。このままテロが続くだけならコーヒーを片手に鑑賞する予定だったが、連中は随分と厄介な物を持っていてな』

 

つまり今彼女は忙しいのだろう。新世界の闇としての情報網を持ってしてもそれだけ時間をかけて足取りを掴めるような敵を追っているはずだ。

 

「なんだ、核でも持ってたか」

『それなら表が対処する。敵が持っていた……いや、作っていたのは魔力除去装置(マジックキャンセラー)だ。しかも小型のな』

 

またそれかよと思いつつ、最後に強調した部分については亮も気になった。

 

「小型?なんだ、この前、デパートを襲った連中が持ってた奴か」

『それの改良と取れる。あれは取り付けた位置から数メートル範囲に効果を及ぼすものだった。だが、今回見つかったものはより一層範囲が広くなり、更に範囲が絞れるようだ』

「範囲が絞れる……一方的に敵の魔術を消せるって事か」

 

これまでの安定装置はただ一定範囲内の魔術を無効化する──実は具体的な理屈は亮も知らない。特殊な磁場を形成して魔力の流れを無茶苦茶する事だけは知っているが──ともかく、その魔力の流れを乱す磁場の範囲を決められるという事だろう。

 

『あぁ。こんな物が流れれば、極術師の抑止力が機能しなくなるだけじゃない。善良な市民の自己防衛能力を奪う結果に繋がる』

 

新世界の平和は魔術によって成り立っている点が多い。通り魔なんて言葉が風化している理由の一つに、「人は魔術を使える」という共通認識があるのだ。凶器を持っていたとしても、殺そうとした誰かが魔術で反撃してくるかもしれない。という認識があるため手を出せない。

抑止論なんて人の善性に任せた身勝手な理論で世界の平和は維持されている。

 

だがもし、一方的に相手の魔術を封殺する術があるとすれば、その理論は瓦解する。

 

『この装置が存在する事は世間に流せない。よって、我々の……君の出番ということだ』

「わかった。で、誰が作ったんだ?」

『まだ確定ではないが、十中八九、ニーナ・ヴァルバット』

 

それは知っている人物だった。

 

「『床下』出身か」

『そうだ』

 

この新世界の地下区域には、「アンダー・ザ・フロア」、通称「床下」と呼ばれる地区が存在する。ホワイト地区の半分にも満たない面積の地区だ。

そこには家庭環境のせいで良識を身につけられなかった人間だったり、余りにも突出した能力を悪用する人間が生活している。

最も厄介なのは、危険すぎる魔術を身につけて産まれてしまった者。能力的には間違いなく極術師に届くが、活かす方法が存在せず、また人格的にむしろ人に害しかなさない場合にぶち込まれる。

 

床下からは正しい知識、良識、常識、そして何より正しい心を身につける事で出られる。大規模な更生施設と言っても過言ではない。そう聞けば刑務所の様に聞こえるかもしれないが、治安の悪さはあれど新世界と大して変わらない生活が送れる場所だ。

 

先程テレビに映ってた人質も床下出身だし、何より、現極術師、リフレクターが床下出身だ。

 

『彼女と、彼女の妹は天才過ぎた。そしてそれを悪用することに長けてしまったから床下に放り込まれた。その悪性がなりを潜めたから床下から出てきた訳だが……』

「潜めてただけって事だろ」

『……そうだな』

 

ナナシの事だ、心を痛めているのだろう。こういう馬鹿なことしなければ普通に生きていけたのにと思っているのは間違いない。

なにせ、魔人に依頼されてしまったからには「死」を免れない。彼女は今しがたニーナ・ヴァルバットに死刑宣告を下した。世界平和の名の元に死ねと言ったのだ。

 

『職務内容は二つ。ニーナ・ヴァルバットの殺害と小型魔力除去装置の製造方法の抹消。彼女の記憶があればこの事件の黒幕も判明するだろうが、それは表の仕事だ。よって記憶は不要。彼女の居場所の特定は現在我々で行っている。判明次第連絡する。いつでも出れるようにしておけ』

「了解だ」

 

返事をして通話を終え、体の中に携帯電話をしまう。何にせよ居場所が分からないければどうしようもないので、取り敢えず亮は夕食を作り始める。

 

「……コロッケだな」

 

冷蔵庫の中身を思い出してから今日の献立を呟いた。半玉になったキャベツをさっさと消化しなければならない。

よって、添え物はキャベツの千切り、通称キャベ千。後は油揚げの入った味噌汁があれば問題はないだろう。そうと決まればまずは米を研いで──

 

「うわぁあいつまじかよ」

 

愛菜の嫌そうなリアクションが耳に入った。なに事だとお米を研ぎながら視覚をテレビの前に作る。目が三つある感覚にも慣れてしまっているので問題ない。まぁ問題があるとすればテレビの映像だ。

 

「(鈴木……数馬)」

 

無人機が映し出した映像の中に、犯人と対峙して会話する者が一人居た。それが彼、鈴木数馬。彼は建物の中で人質を抱えた犯人と向かい合っている。

 

「(どうなってんだよ、帝と昨日戦ってボコボコにされたばっかだろ……)」

 

どうやら彼はまたしても首を突っ込んでいるらしい。一体今回は何の理由でどの女の子のために戦っているのか。知る由もないが、間違いなく一つ言える事がある。

 

「(……報われないな、宮里由紀は)」

 

彼が宮里由紀のために戦っている訳では無いという事だ。そもそも彼は宮里由紀が旧世界から戻ってきている事も知らないだろう。戻ったと正式に発表されるのは明日だと愛菜経由で聞いている。

 

「あるじー、晩御飯なにー?」

 

もう興味を失ったのか、八代がキッチンに来た。まぁ中継の方も彼がいるなら何とかなるのだろう。どうやるのかは分からないが。なので視界を消して料理に集中する事にした。

 

「コロッケ」

「厚揚げの?」

「ンだよそのゲテモノ」

 

ツッコミを入れながら研いだお米を炊飯器にセットしてスタートボタンを押す。その間に八代の隣に優衣が立っていた。

 

「義兄さん、なにか手伝うことある?」

「いや、無いよ。優衣は寛いでてくれ」

「妾は?」

「邪魔だ失せろ」

「この扱いの差よ……」

 

亮には自分自身に気を使うなんて器用な真似はできないのだ。

 

「でも義兄さん、作ってもらってばっかりなのも……私にもキャベツの千切りくらいできるよ!」

「……優衣、俺はかつてそう言った真衣に刃物を握らせたことがあったんだ」

 

亮は思い出す。確かまだ年齢が二桁にいかないくらいの時の、おかしく不気味で、けれど大切な思い出を。

 

「真衣が包丁を入れた時、その食材は燃えたんだ」

「えっ?」

 

あの時の衝撃は今でも忘れられなかった。

 

「ど、どういう理屈で?」

「いや、俺にもまったく分かんね」

 

あれはもう料理が苦手とかそう言うレベルじゃない。料理ができないを文字通りいく様な出来事だった。

 

「というか、白いのにはその記憶はないのかの?」

「う、うん……多分、義兄さんの記憶にしか……」

 

なんだか引っ掛かる言い方ではあるが、言及するのはやめておくことにした。

 

「やったの……」

 

八代も察したようだ。気を使われ、且つ神様としてその力の使い方はどうなんだとどこか遠い目をする優衣。と、直後に優衣の背後から手が伸びて肩にポンと置かれた。

 

「優衣ちゃんは鈴木さんの活躍でも観てるといいよ。亮のお手伝いは、私がする!!」

 

愛菜だった。キッチンにやってくるなり、無い胸を張って宣言した。

 

「もうテレビはいいのか?」

「飽きたっ!」

「そうか」

 

人質になんか取って立て篭ってても結末なんて一つだ。幾人か犠牲はあれど犯人は捕まる。そもそも限りあるこの世界で逃亡なんて無理だ。バカかよっぽど強力な後ろ盾がなきゃそんなことはできない。

 

「……ンじゃ、愛菜、手伝え。優衣と八代はいい、好きにしててくれ」

「ぅ……わかった……」

「負けた……」

 

優衣と八代があからさまにがっかりしているが、愛菜には話すこともあったので、ちょうどいいタイミングだったというだけだ。

 

「キャベツ出して千切りにしてくれ」

「あいさ〜」

 

その間に亮は衣を作るために小麦粉やらパン粉やらを取り出して作業準備に掛かる。

 

「手、動かしながら聞け。渡したロケットペンダント、まだ持ってるよな」

「うん、もちろん。返す?」

 

キャベツを千切りしつつ、愛菜答えた。トントントンとまな板を叩く音は結構大きいので、声は聞こえにくい。だから二人とも声量は少し大きめだ。

 

「今回の件が収束するまで預けとく。その代わり、お前、敵と遭遇したら真っ先にロケットに魔力を流せ」

「私でも勝てないんだ」

「勝てるかもしれないし勝てないかもしれない」

 

向き合ってよろしくお願いしますと挨拶してから始めれば十分勝機はある。だがそんな殺し合いは無いだろう。もし、さっき「亮」に飲まれた誰かの記憶にある奴が今回の黒幕だとしたら尚更だ。

珍しく真面目に自分を心配してくる亮を見て、愛菜も興味が出たらしい。

 

「……どんな魔術を使われるの?」

 

尋ねる。知れれば対策のしようはあるだろう。

 

「黒い球体を放って、触ったら死ぬ」

「わぁ、シンプル」

 

厳密には理屈が存在しているが、理屈を知ったとしても止められないので簡単に伝えた。

 

「まぁ、うん、分かった」

「ワンチャンあるじゃんとか思うなよ。俺の迷惑がどうとか、ンなもんどうでもいいから遭遇したら呼べ」

「う……うん……うえへっ……」

 

頷いた愛菜に、笑みが零れた。

 

「……」

 

笑った理由については察せるし興味無いのでさっさと人参、玉ねぎを取り出して空いてるスペースで微塵切りに。

 

「…………そこは、なんで笑ってるのか聞くところだと思うんだけどなぁ」

「心配してくれるのが嬉しいとかだろ」

「うわぁ、それ自分で言う!?」

 

相も変わらず、普通にフラグというものを粉々にへし折ってくる亮。もう少し乙女心って言うやつを理解した対応をして欲しいなと思うのだった。

 

 

 

 

 

 

「はぁ……はぁ……つ……疲れた……」

 

昨日今日、これだけ戦った上に更に全力疾走でマスコミから逃走し振り切った宮里由紀は、流石に肩で息をしていた。元々運動とかはできるタイプではあったが、もはやそういう次元の話ではない。

 

「(喫茶店で時間潰そ……)」

 

彼の偉人が「木を隠すなら森の中」と言ったように、人を隠すなら人の中だ。由紀は取り敢えず一通りの多い最寄り駅近くに来た。リニアが全線運休してはいるが人並みは変わらない。それにこの駅近辺にはいくつもの店があって、中には2Fと3Fが喫茶店になっているところがある。そこで座って休憩しつつ、やり過ごし、この後について考えればいい。

 

そうと決まれば動きは早い。馴染みのあるその店に行き、有人ではなく無人のカウンターの方でアイスコーヒーの真ん中のサイズを注文する。首の方に埋め込まれたメインチップではなく、右手の平に埋め込んだサブチップで支払いを行う。首のチップで支払いする時は、読み取り機を首の裏に持ってきて通さなければならないため、なんと言うか不格好が凄い──という新世界の女性としての感性が働いているためだ。そのためにサブチップを購入する者は多い。

 

余談だがどっかの極術師は「え、でもそれって腕切り落とされたら損しちゃうじゃん」という理論で購入はしていない。

 

ともかく支払いを済ませた由紀は次のレーンで店員が出してきたアイスコーヒーを受け取った。夕食前の時間帯ということもあり、満席という事もない。取り敢えず隅っこの席がいいなと探す。どうやら2Fにはないようなので、階段を使って3Fへ。3Fには数人の人しか見当たらなかった。お誂え向きに壁際、階段側の席が空いていたのでそこに腰を降ろす。

それから流れるような動作で壁に備え付けられている二つのボタンの内、白っぽい方のボタンを押す。仕掛けは簡単だ、押せば壁に埋め込まれていたトレイが開いてフレッシュミルクが出てくる。小さな容器に入れられたフレッシュミルクを少しだけアイスコーヒーに入れ、元の位置に戻せば壁が閉まる。

もう見慣れた光景なので、それには目も向けず、ストローでアイスコーヒーをかき混ぜた。カランと音を立てる氷の音に少し落ち着きを取り戻した。

 

「……ふぅ……」

 

肩から力を抜いてからストローに口をつけて、アイスコーヒーを飲む。慣れ親しんだ苦味と甘みが安心感をくれた。

 

「(三十分くらいしたら流石に諦めるでしょ……)」

 

彼等の粘り強さは尊敬に値するものではあるが、流石にしつこい。確か「絶対零度の特番を組みたい」と言われた時も執拗に追い掛け回された事があった。あの時もしつこいとは思っていたが、今回の件では事が事なだけに、余計にそう思う。

 

「(……思い出したらイライラしてきたわ。気でも紛らわそ)」

 

懐から携帯電話を取り出す。特にゲームとかはやらないので、開くのインターネット。特に調べたいものがあるわけではないのだが、気になった単語を調べたりとかしていると、割と面白かったりする。いつもはそうやって時間を潰していた。

 

だが、ホームページに設定しているサイトのニュースの項目。そこに気になるものがあった。

 

【生中継】爆破テロの犯行グループの一味、立て篭り犯を確保!

 

忘れていた……いや、忘れようとしていた。今だけは落ち着いて、リラックスしたい。そう思っていた。

 

だが、世界がそれを許さなかった。

 

お前はもう追いかけるしかないんだと言われている気さえした。今ならまだ間に合う。見なかった事にして適当な単語を入力し、スペースを入れてから意味と打ち込めばいい。それだけでいつもの日常戻れる。

 

「(…………戻れるわけ、ない)」

 

一度思い出してしまえば、そんなことは自分が許さなかった。

 

由紀はその生中継を開く。概要欄に記されている事の経緯は取り敢えずすっ飛ばして生中継の映像を見る。もちろん音は消して、字幕表示を設定。

どうやら警察の部隊が突入し犯人を確保した直後だったらしい。映像を見ながら状況は大体把握した。

 

これを見てしらなきゃいけない事は、犯人の顔、特徴、見覚えのある人物かどうか。一つでも手がかりがあればそれを元に調べていく。そうする事でしかテロリストには辿り着けない。

 

目を凝らして映像を見る。そして、あるタイミングで由紀の目は見開かれた。

 

「っ……」

 

解放された人質と共に建物から出てきた、鈴木数馬を見た瞬間だ。

 

「(…………なんで、数馬がそこに……)」

 

胸が締め付けられる様に痛かった。今すぐ蹲ってしまいたかった。だがこんなところでそれはできない。だからなんとか理性で押さえつける。

 

「(…………あぁ、そう。そうよね。数馬は……別に私だけのヒーローってわけじゃ、ないものね)」

 

ディザスターと戦っていた時も、マスコミから逃げていた時も、彼はずっとそのビルで戦っていたのだろう。

 

そう、自分ではない、他の誰かのために。

 

「っ……」

 

そして新しく気が付いた。数馬の隣にいた人質には見覚えがあった。確か、彼と同じクラスで成績優秀だが圧倒的に出席日数が足りていない、変わり者の女の子の──二ーノ・ヴァルバット。

 

クラスメイトのために動いていたのか。ならば仕方ない。なんて、思い込もうとして──

 

「(…………なんで、私は助けてくれないの)」

 

自分勝手な想いが湧き上がって、それに気づいて、唇を噛み締めた。そうでもしないと涙を流してしまいそうだった。

 

携帯を閉じて、彼に「助けて」と一言送れば、どんなに気が楽になるだろう。

きっと彼は助けに来てくれる。だが、彼に何をしてもらえばいい?

アレには絶対に勝てないし、母親を殺した程の相手と戦わせるわけにもいかない。

それに何より、復讐なんて物に彼の力を借りられるわけがない。

 

「(……独りで、やらなくちゃ……そうよ、今までやってきたことじゃない)」

 

昔から、友達なんて呼べる友達はいなかった。絶対零度の名を継ぐ前は、絶対零度の娘だからと壁を作られ、いざ絶対零度になれば近付いてくる者はいなかった。だから独りでやってきた。

勉強で分からない所があれば自分の力でどうにかしてきた。学校行事はなるべく人と関わらなくていい様にしてきた。

 

「(彼と関わって、私、弱くなっちゃんたんだ……)」

 

今でも忘れられない。鈴木数馬は何も物怖じせず言ってのけた。

 

『極術師ったって、宮里は普通の女の子だろ?術が強いってだけじゃんか』

 

ナメられてる。確か最初はそういう風に捉えた。何も知らない癖になんだコイツと思った。でも彼にとって本当に自分はただの女の子だと、心の底から本気で思っていた。

だから、由美の件も彼にだけは話せた。そして、誰か味方がいてくれる事の心強さを知ってしまった。

 

「(だからもう、私は、数馬には頼れない)」

 

携帯電話の画面を落として、コーヒーを一気に飲み干す。さっきまで安心感を与えてくれた慣れ親しんだ風味が、なんだか毒々しく感じた。

けれど気にすることなく返却口にグラスを置いて、いつもより早く階段を降って外へ出る。熱くなったせいで周りが見えて居なかったのが災いして、店を出るなり人にぶつかってしまった。

 

「……ごめんなさい」

 

一言謝罪を入れる。だが本当に謝罪したつもりはない。むしろ邪魔だとさえ思った。

 

「ニヒッ……いいよ」

 

少し気味の悪い笑いの後に謝罪は受け入れられた。灰色のパーカーでフードを深く被っているせいで顔はよく見えないが、別にそんなことはどうだっていい。

 

取り敢えずさっさと病院に戻ってゆっくり情報を集めたかった。何か手掛かりになるものを集めなきゃ気が済まなかった。

 

「(……邪魔臭いわね)」

 

病院まで走って行きたいが、この人混みが邪魔臭い。さっきまではコレに助けられたが、用がないと思ったら鬱陶しく感じた。できるなら今すぐ氷のオブジェクト──いや、それはやり過ぎだし八つ当たりが過ぎるか。と冷静に考えて、早足で病院への道のりを進む。

 

「(……そういえば、わざわざ病院に戻る必要もなくないかしら。そうね、荷物だけ取ってネット環境のある場所行きましょ)」

 

携帯端末では限界があるし、病院では音も出せない。ならばネット喫茶で寝泊まりし、情報収集に務めるのが得策だろう。荷物だって外界遠征時に持っていった大型のバックが一つだけで、その中にはある程度生活できるくらいの物は入っている。

最悪なくても極術師に国から渡される給付金等がある。生活用品を一から買い揃えたとしてもネット喫茶に一年泊まり続ける事に躊躇いは湧かないくらいの金額だ。

 

「(……お金なら沢山あるものね、私)」

 

歩いて行くことに固執していたが、お金があるんだからわざわざ歩いていく必要は無い。ここは駅前なんだからタクシーなら停まっている。

今までは必要ない事にお金は使わないとか、いざと言う時のために取っておくとか考えていたが、今使わないでいつ使うんだという話だ。そうと決まればと由紀はタクシーに乗り込んだ。

 

「ホワイト地区第三病院までお願いします」

「かしこまりました。中央通りから向かいます」

 

作り慣れただろう上っ面だけの笑顔とマニュアル通りの対応が、今の由紀にとっては居心地いい物だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから由紀は病院に戻ってから荷物を受け取り、今後について話をした。

自分は大丈夫だという事と、母親の遺体はしばらく安置していて欲しいということ。メディアが嗅ぎ回っていて、今は公表したくない事を伝えたら頷いてくれた。葬儀社等とのやり取りは代行があるということで、直ぐに連絡を取り一通り手続きを済ませる。流石に顔を見せないでのやり取りは問題があるので、二日後には一度面会する事になった。一通り終えてからバックを持って再びタクシーに乗り込み、ネットで調べたホテルに向かう。

最初はネット喫茶を考えていたが、途中何かあって直ぐに出入りする事を考慮し、丸三日借りることの出来るホテルにした。

 

到着した時には20時を過ぎていた。手続きには少々手間取ったが、本人確認をした際に極術師である事が露呈し、更に由紀の表情から相当機嫌が悪いことを察した受付は素早く彼女を部屋へと案内した。

 

部屋に入って直ぐに着替えを持ってシャワーを浴びる。体の汚れを流し、気持ちを切り替えた。

直ぐに体を拭いて着替え、髪を乾かした。それから部屋のど真ん中にある机の上のパソコンに電源を入れた。電源を入れるなり、壁一面にパソコン画面が広がった。

そう、この部屋は壁一面がまんまパソコンのディスプレイになっている。

だがこれは別に珍しい事ではない。少々値は張るが、一般家庭にあるところはある程度の設備だ。

ついで、ディスプレイに向かい合うように置かれている二人がけ用のソファに腰を下ろした。

 

「……えーと、これね」

 

それからソファの正面にある机に置かれているヘッドホンを装着する。その直後、机が光り、やがてキーボードが現れた。別に物理的に現れたわけじゃない。机をタッチパネルとした擬似キーボードだ。キーボード以外の部分はマウスとして扱われる。人の手でなければ反応しないので、物を置いていても問題は無い。

 

「よしっ……始めましょ」

 

情報収集の時間だ。まずは母親の仇に復讐する。そのために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──ブーッ!ブーッ!

と、携帯電話がけたましく響いて、由紀は手を止めた。調べ物を初めてから四時間が経過しているから、現在は0時になるかというところ。

 

「(……誰?)」

 

さて、おかしい。この時間に電話がかかってくるなど有り得ない。まずそもそも電話帳に登録されている人の数が圧倒的に少ない。中にはこの時間に掛けて来そうな人物は思い付かない。ならば病院からの電話かと思って──

 

「……まさか、数馬?」

 

もし、もし掛けてくるなら彼だ。事情を知った彼なら、こんな時間だろうと連絡してくるかもしれない。マスコミが自分の家の爆発を知っていたのだ、知らぬ間に報道されていて、それを見て、連絡をくれたのかもしれない。

 

だからか、携帯電話のディスプレイをゆっくり見た。

 

そして、電話を取る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………………だれ?」

 

違った。ディスプレイに映し出された番号は登録された者じゃなかった。そして、電話番号000000000なんて、本来存在し得ない番号からかかってきた。

 

『はあ〜ぁい!ど〜もぉ〜!!』

 

電話口から響いてきたのは煩いくらいテンションの高い声だった。

 

「……だから、だれ?」

 

苛立つ。腹立たしい。認めたくないが、微かな希望に縋りついて取った電話の相手が、全身の神経を逆撫でしてくるタイプの人間だった事が──

いや、鈴木数馬以外の人物だったことが。

 

『ニイィ……やーさー、あんまりにもムダなことしてるからさぁ〜』

「……何言ってるの?」

『暴走したカスの使いっ走りのこと調べてたってしかたなーいのっ!って言いたいわけよ』

 

気味の悪さを覚えた。この電話口の相手は、今自分が今日の立て篭り事件について調べている事を知っている。

 

『アンタの母親殺した身としてはさァ〜、さァ〜っさとこっちの居場所突き止めてもらわなとおもんないっつ〜か』

「…………………………は?」

 

今聞き捨てならない言葉を聴いた気がした。

 

『あんま遠回りされてっと〜、こっちから行かなきゃ行けなくなっちうんよねェ〜』

「待ちなさい。アンタ今、お母さんを殺したって言った……?」

 

怒気を、苛立ちを含めた、自分でもビックリするくらいの低い声で尋ねた。この状況でその言葉は、冗談では済まない。

 

『えぇ〜言ってないよォ〜!』

「ふざけないで!」

『だってェ〜、言った?って聞いてきたでしょ?だからぁ、言ってない〜って答えたの!』

「っ……このっ……」

 

明らかに人を舐め腐った態度。あの化物とはまた違ったベクトルで腹立たしい。

 

「(……けど、確定ね。コイツはお母さんの仇……!)」

 

どうして自分の仇はこうも相手を舐め腐った態度を取るのだろうか。会ったこともない人間に対して、こんな事を言えるなんて、どれだけ人格破綻者なのだろう。いや、恐らく逆だ。人格が破綻しているから人を殺せるのだろう。

 

『は〜あ……一通り楽しんだし、もういいや。携帯に居場所送ってあげるから、早く来てねぇ〜』

「まっ……切れた」

 

止める間もなく切れた。再度かけ直そうと着信履歴を確認するも、履歴が存在しなかった。その直後に携帯電話が振動し、メッセージの受信を知らせてくれた。さっき電話口の者が言っていた居場所の件だろう。

コンピュータウイルスが入ってるとか、そういう可能性は否定しきれないが、今のところ開く以外に選択肢はない。

 

「…………ホント、ナメた真似してくれるわね」

 

別に、コンピュータウイルスも何も無い。普通に、さも当たり前の様に座標と居場所に関する手掛かりが記されていた。

 

「ぶっ潰す」

 

悪意を隠さない強い決意を持って、由紀は立ち上がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

タバコを吸って吐いてから、携帯電話の通話ボタンを押す。

 

『ニーナ・ヴァルバットの居場所が割れた』

「どこだ」

 

日付が変わってから30分経った。割と時間かかったなと思う。

 

『ホワイト地区、西部、白露(はくろ)大橋の内部』

「内部?」

『かつて橋の内部に歩行者専用通路と複数のテナントを設置する計画があった。それに伴い改造が行われていたが、完成目前であの「緋刃事件」が発生。以降、向こう側のホワイト地区第六高等学校閉校に伴い、改造は中断、そればかりか橋は閉鎖。向こう側の現状は君も知っての通りだ』

「別に、歴史の授業を受けたいわけじゃねえ」

『……橋の真下から、橋の真上を覗いてみろ。そこに入口がある』

「わかった。業務内容に変更は?」

『ない』

「ン」

 

そうして通話を終え、携帯電話を仕舞い、夜のホワイト地区にディザスターは溶けて消えた。




一応補足です。
人質:二ーノ
敵:ニーナ

誤字ではありませんので安心してください


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折れた心

やっと50話!
どん亀投稿ペースにお付き合い頂いてる方々には最大限の感謝を
これからも多分こんなもんですがよろしくお願いいたします


ホワイト地区でもっとも大きく、そして現在は封鎖されている白露橋。珍しい石造りの橋だが、目立った装飾が施されているわけではない。ホワイト地区らしく白を基調とした造りも相まって、酷く地味な印象がある。

だがそれは昼の話で、日が落ち切った夜は違う。新世界の天が映し出す月明かりが無骨な橋を照らし、それが哀愁の様な寂しさを醸し出していた。それだけならマニアの集まるスポットになっていただろう。封鎖された橋の先にある大きな時計台と、その下にある廃墟の学校と寮が無ければだが。

 

200年前、「緋刃事件」呼ばれる大虐殺があって以降、白露橋の手前までが大きな柵で塞がれている。この柵は廃墟の遊園地を囲うちゃちな物とは違い、触れれば感電。かなり痛い思いをするタイプの物だ。これだけ厳重な理由は、鎮魂のためと言われている。

 

「大分前に社会科見学で来て以来、だったかしら」

 

既に宮里由紀は柵の向こう側。つまりは踏み入れてはいけない区域にいる。当然監視カメラ等のセキュリティはあるはずだが、アラートの鳴る気配はない。最も、今の彼女にとってそれは些細な問題だ。

 

敵から送られてきた座標データと画像によれば、この橋であることは間違いない。後はあの橋の内部への入口を見つけるだけだ。

 

だけなのだが、肝心の入口が分からない。

 

「……ううん?」

 

データを観察しながら唸って考える。「裏」と橋の画像に文字が入っていた。裏とは果たしてなんの事か。

 

「(ホワイト地区の白露橋の裏……?何かの暗喩?いえ、でも橋に矢印が付いてるから、はしの裏……しは?……意味わかんないわね…………単純に)」

 

まさかそんな簡単なわけないだろと思いつつも、他に思い浮かばなかったのでまず川へ飛び降りる。途中で氷の床を作ってテンポよく飛び降りていき、最後に川へ着地──する瞬間に足場を凍らせる。そのまま川を凍らせながら歩いて行き、やがて橋の真下に到着した。

 

「……まぁそんなわけ」

 

言いながら上を向く。流石に夜だから真っ黒で何も見えなかったので、携帯電話のライト機能を使って照らす。

 

「あるのね……」

 

人一人どころか、車が三台くらいまとめて入れそうな穴があった。「裏」を暗号か何かだと思っていたのが恥ずかしいレベルの単純さだった。穴があったら入りたいなんて一瞬思ったが、そこにあったしこれから入るところだ。

 

しょうもない考えは置いておき、氷の階段を作って侵入しようと魔術を発動させ──ようとした瞬間、足場から何か音がした。

 

──ゴゴゴゴゴッ

と、小さく、けれど確実に地を鳴らす音が響いた。その振動はやがて足元の氷からも伝わってきた。

 

「っ!?」

 

膝を着いて振動に備え、いつでも魔術を発動できる様に頭を切り替える。氷を砕いて今立っている足場が上昇し始めたからだ。一体どんな仕掛けだと作った者に文句を言ってやりたいところだが、確か改造途中で捨てられた橋だということを思い出して、これはその時に放置されたリフトだと思い至る。今は川の水で見えていないだけなのだろう。

 

それはつまり、敵に存在を悟られている事を表していた。

 

「(……やってやろうじゃない)」

 

冷静に考えて、母親を殺めた者のアジトに誘われるがまま堂々と正面から行くなんていうのは自殺行為に等しい。時期を改めるとか、仲間を連れてくるとか、そういう選択肢を取るべきだ。

或いは魔力の完全回復を待ってからこの白露橋その物をぶっ壊す選択肢もある。今の彼女ならそれをやれるくらいの力はある。

 

そして、そんな事は自分でもわかっている。

 

それでもこの無謀をやめられないのは、収まらない怒りによって生み出された、痛めつけて殺してやるという願望のせい。

 

独りで、仇を、徹底的に痛めつけ、命乞いを聞き、その上で殺す。

 

そうすれば、そうすればきっと──その続きは、自分には分からなかったが、まぁそれはいい。

 

リフトが上昇し終え、橋の内部に進入した。中は真っ暗だと思っていたが、意外な事に小さな明かりがいくつもついていて、わざわざ携帯のライトで照らす必要はなかった。

建設資材等は全て撤去されているらしく、広い。リフトが上昇仕切った先が橋内部の通路だった事もある。

 

「どこかしらね」

 

いくつか仕切りで区切られていたり、扉のついているところは部屋か何かか。虱潰しではかなり時間がかかってしまいそうだ。何か手掛かりが欲しいと思った矢先。

 

『はぁ〜い!よ〜こそオレっちの秘密基地へ!』

 

天井に埋め込まれたスピーカーから、電話口で聞いたあの声が響いた。やはり向こうにはこっちの位置は筒抜けらしい。

 

『いやァ〜助かっちゃったよわざわざ来てくれてあんがとね』

「ならさっさとあなた自身でおもてなしするものじゃないかしら?」

『はっ!極術師でも最弱のヤツにオレっちが直接出るわけないじゃ〜ん!ちょっと自惚れ過ぎなんじゃねェ?』

 

本当にいちいち癪にさわるやつだと舌打ちをする。

 

『怒んなってオレっちの居る場所教えてやっから!ほら、その通路、テメェの向いてる方向に進んで!音声ナビゲェ〜ションしてやっから!』

 

姿が見えないのも相まって、気味の悪いナビゲーションが始まった。これまで癪に触るとか、そういう感想ばかりだったが、この廃墟という空間においては不気味という感覚が強い。

間違いなく罠だと思ってるからこそそう感じるのだろうか。

 

「(罠だとして、それを乗り越えれば隙ができるはず)」

 

リフトの起動、このスピーカーから聞こえてくる音声、相手がここにいる事は間違いない。ならば向こうは罠を張ってその先にいるに違いない。都合のいい解釈かもしれないが、驚異を排除できる設備の先に居ることが安全な物だ。

 

指示されるがままに通路を進んでいく。本来稼働するはずだったオートウォークを早足で歩く

 

『もぉちょいよ〜』

 

酷く耳障りなナビゲーションは続いていたが。

 

『スタァップ!止まって左向けひだりぃ!』

「チッ……」

 

一分と少し歩いたところで、そんな声が響いた。言われるがままに左を向けば、そこには一枚の扉があった。他の扉と別に何ら違いはない。目立った装飾もない。少し魔術で攻撃してやれば壊せそうな扉。これならば何かあっても魔術さえ使えれば出られる。

 

『ほらいらっしゃいませェ〜ってね』

 

扉が開いた。どうやら電動で開閉するタイプの様だ。

 

「(……魔力は少ないけど……)」

 

出し惜しみはしない。由紀は扉の先に入る前に魔術を使う。

ディザスターとの戦いの時には劣るが、それでも近付いたもの全てを凍りつかせる冷気を放つ。まず床が氷で装飾された。これならばあの電動の扉を凍てつかせることができるため、扉のロックを掛けさせないで済む。つまり、退路の確保は完璧ということだ。

 

『ひゃぁ〜おっかねェー!ほら、早くしろよ』

 

適当な感想がスピーカーから聞こえた。向こうがコレに慄いている様子はないが。しかしこれならば例え何が来ても問題ないだろう。覚悟を決めて扉へ入る。

 

『ニイィ……マジで来たよこいつ……』

 

扉の向こうは広い部屋になっていた。恐らくはホールか何かだったのだろう。

だが、部屋に散りばめられたよく分からない機械の数々と、向かって左側にある大型の機械風なベッドが病院の手術室の様な様相を呈している。

 

「どこ!!早く出てきなさい!」

 

由紀が怒鳴り声を上げた。中に人影はない。辺りを警戒しつつも更に中へと足を踏み入れ────

 

 

魔術が止まった。

 

「っ!?」

 

自分を守っていた冷気が失せる。

 

「これは……」

 

どういうこと、と言葉を紡ぐ前に。

 

──パンッ!

と何かが破裂する音が響いて。

 

「っ……そ……」

 

突然、意識が薄れ初め──

 

「ニイィ……イッエエエエイ!」

 

嬉しそうな声が背後から聞こえ、由紀は意識を失った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「げっぼ……」

 

宮里由紀は息が詰まって目を醒ました。液体を口に流し込まれたからというのはすぐに理解できたが、自分の状況を理解するのは少し遅れてからだった。

 

「体が……」

 

拘束されていた。先程見たベッドの上に自分が横たわっている。だが体が動かないのはそれだけが理由ではない。手足、どころか体全体の感覚がやたら鈍い。薬物か何かの類か。けれど、膨大な魔力を持つ自分にそんな物が効くはずがない。状況の理解はできるが納得がいかない。

 

「おっはよ」

 

考えている間に声がして、それがあのスピーカーの声だと気が付いた。やがて足音がして、そのスピーカーの声の主が由紀の顔を覗き込むように姿を現した。

 

「アンタは……」

 

見たことがある。しかも学校と、そしてニュースサイトでだ。彼女は確か今日というか昨日、人質になっていたはずだ。

 

「ニイィ……オレっちはニーナ。二ーノじゃねェよ」

「……姉妹?」

「そっ。ただ向こうはオレっちと違っておりこーさんになっちったみたいだけどォ〜」

「お利口……?学校にはほとんど来ていないけれど」

「そーゆー話じゃないんよ」

 

一瞬、どこか寂しそうに言ったのが引っかかったが、さして興味はわかなかった。

 

「私をどうするつもり?」

「んあ、殺すけど」

 

さも当然のように断言された。

 

「(……まぁ、もういいわ……お母さんや由美の元に行けるなら、もう)」

 

どうせ、このまま復讐を成しえたとしても独りで生きていくだけ。現状は変わらない。復讐からは何も得られない。そんな事は分かっていた。分かっていても、やめることができなかった。これはその報いみたいなものだろう。

 

だから黙って受け入れる。死ぬなら死ぬで、もういい。

 

この世に希望などありはしないのだから。

 

「極術師は全員ぶち殺すんだけど、てめえは特別に嬲り殺しにしたげる。宮里紀子の娘だからね」

「……そういえば、聞いていなかったわね。なんでアンタはお母さんをやったの」

「復讐」

「っ……」

 

それは、自分がニーナを殺してやりたいと思う理由と全く同じ物だった。

 

「てめえは知らないみたいだけどさ、てめえの母親は清廉潔白ってわけじゃないんだわ。世界の裏側で人を殺してきた。そして、あたし達の大事な先生を殺した。だから殺してやった」

 

冷たい目で由紀を見下しながらニーナは続けていく。

 

「他の極術師達も殺す。ボスや兄貴がダメでなんで、他の奴らは極術師なんてみんなからチヤホヤされる立ち位置になれる?」

 

そこで初めて、由紀は目の前の悪趣味な少女が狂う理由を見つけた。

 

「別にあたしはいいよ。どーせただの下位術師だし。でもね、ボスや兄貴達は違う。今の極術師達なんかよりぜーぜん強い。けど危険だから。だから上位術師なんて適当な位置に放り込まれて。それで床下だから他の人に避けられる」

 

床下出身の者への差別。そういうのがあるとは由紀も聞いていた。ただ社会問題として取り上げられることは一度もなかったし、由紀もどこか他人事のように思っていた。まさか他人事のように思っていた連中に大切な人を奪われる事になるとは夢にも思っていなかったが。

 

「……こんな世界は一回ぶっ壊さなきゃダメ。平和を維持するにするためにあたし達が犠牲にならなきゃいけないんだから。だからぶっ壊す」

 

ニーナの瞳に、強い意志の力が宿ったのを由紀は見た。

 

「(……コイツも、一緒……)」

 

目の前の存在も、この世の理不尽に絶望し、だけど行動することで変えてやると覚悟を決めた自分の先駆者。同じ痛みを知る者。

 

「手始めにあんた。あたしはあんた達の血族を絶対に許さないから」

 

言って、ニーナの瞳に笑みが浮かぶ。

 

「二ヒィ……楽に死ねると思ってたんならざァ〜んねん!」

 

元の口調に戻り、言いながらベッドに近くのキャスター付きの小さい道具箱から一本のナイフを取り出した。

 

「……」

「意識ははっきりしてるっしょ?飲ませた薬のおかげで元気になってるはずだから感謝しな〜」

 

彼女の言う通り、眠気は吹き飛んでいた。ここに来る前からそもそも疲れが溜まっていたか、それすら吹き飛んでいる。覚醒する切っ掛けになった、飲まされた液体はそういう類の薬だったのだろう。

 

「リタイヤが早いとおもんないからねェ、痛みで意識が吹き飛ぶなんて甘えは許されないかんねェ」

 

ニーナが柄の頂点についているボタンに触れると、ナイフに赤みが走る。見る限り熱。流行りの高周波を流し込んだナイフか、或いは自分の知らないビックリドッキリ最新技術か。何にせよ切れ味はバッチリなことだけが分かった。

ニーナは笑いながら由紀の右側へと回り込み──

 

「ほいっちょ」

 

気さくな掛け声とともに、ナイフが掌に突き刺さった。

 

「っぐ……がああああああああっ!!!」

 

激痛が走る。目の前が真っ赤な見えるくらいのよく分からない痛み。これまで理解したことが無いような、熱さと痛み。

しかも薬のせいかやたらと感覚が研ぎ澄まされている。痛みであやふやになるはずの感覚が残ってしまっている。ナイフが具体的に何処に刺さってどこが熱いのかがハッキリと分かる。

 

「ニヒヒッ……」

 

不気味な笑い声……いや、悪魔の笑い声と共に、刺さったナイフが抜かれる。

 

「あっ……が……」

 

痛い。痛いけど目が冴える。目を瞑って痛みを受け入れる選択肢がない。

 

「二ヒィィ……さァてさっさとこっち側だけは終わらせっかねェ!タイムリミットもうけないとなが〜く続けちゃいそうだし!」

 

何か言っているが理解できない──ことは無い。激痛の中でも聴覚が冴え渡ってしまっている。彼女の行動を目で終えてしまう。

 

「……けて……」

 

ポツリと、由紀の口から言葉が漏れた。

そして、一度言ってしまえば、もうダメだった。

 

「たすけて……かずまあぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

恐怖が心を埋め尽くし、視界は涙で何も見えていない。けれど、頭ではヒーローの姿が描かれていた。あの時、掴んでくれた右手をもう一度掴んでくれると信じている。また、助けてくれると信じてる。

 

それは、余りにも身勝手な願いだと言うことはわかっている。

 

そして、ゆっくりとナイフが振り下ろされ。

 

「ニイイイイイイィィィィィ!」

 

続いてニーナの不気味な声が聞こえて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──ブチッ

と、由紀の視界から右腕が消えた後、そんな音がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

それが、自分の右腕が肩から切り離された音だと理解して。

 

 

 

 

「──────────────────────────────────────────────────────」

 

五十音じゃ表せない悲鳴が部屋の中に響き渡る。

ヒーローは助けに来なかった。だからこんなにも簡単に、あっさり、由紀の右腕は床に転がる。

 

「ヒイイイッヒイイイィィィ!!いいよ!いいよ!宮里由紀ぃ!極術師の!この世の頂点の一人のその顔ォ!!悲鳴ィ!!さいっこぉー!!」

 

悪魔の下品な笑い声と由紀の絶叫が部屋を支配した。

 

「さぁてさぁてさぁぁぁぁてえええっ!!お次はお料理と行こうかなぁァァっ!」

 

由紀の右腕を拾い、その場で断面を下に向け、適当に血を撒き散らしてから近くにあった何かの機械に入れ、スイッチを押した。ブゥーという稼働音から機械の正体が電子レンジだと言うのは想像に難くないが、今の由紀にはそんな想像力を発揮できるはずもない。

 

「っとぉぅ。オレっちとした事がすっかり止血を忘れてた。極術師が出血多量で死んじまうなぁんてのも面白いっちゃおもしろ──」

 

 

 

 

──ボゴンッ!

 

と、ニーナの独り言を遮って、扉が一直線に吹き飛んでいた。幸い扉から離れた位置にいるため、飛んできた扉に当たることは無かったが、さすがに意味不明な状況に。

 

「んあ?」

 

と、声を上げて入口へ向く。

 

「変な悲鳴が聞こえたから来てみれば。天下の極術師が無様だな」

 

この惨状を目にしながらも、つまらなさそうに言葉を紡いで魔人が降臨した。

 

「なんだてめェ?オレっちの楽しい解体ショーを邪魔すんなよ」

「なんだオレっちって……今どきそんな一人称キャラ流行んねえだろ」

 

この場に全く合わない、緊張感のない言葉。

 

「あぁ……助けに来たんだろぉ?けど〜ざァんねん!ご覧の通りもう二度と普通の生活送れなさそーな具合にさせちゃいましたぁ〜!」

 

由紀を見せびらかすように両手を広げて不気味に口を歪めるニーナ。

由紀は彼女に嫌悪感を覚えていたが、残念ながら亮には頭の痛い子にしか見えない。こういう方向に狂った人物なんて時々いるものだ。

 

「別にそれはどうでもいい」

「……反応うっすいなァつまんね!つーか、コイツ助けに来たんじゃねーんかよ!」

「それは後で確認しなきゃな。ンで、お前がニーナ・ヴァルバットでいいのか」

「ちっ……こいつほんとつまんねぇよォ、空気読めよォ……」

「合ってるっぽいか」

 

と、亮の言葉の直後。

 

──ダンッ!!

と、轟音を立てて部屋の奥側の壁が崩れた。

 

「え…………は?」

「……ン?ズレた」

 

突然崩れた壁に驚くニーナと、攻撃した位置が思っていた場所と違うことに驚く亮。

 

「な、なんでェ……?魔術はこの部屋じゃ使えないはずなのに……」

 

魔力除去装置はこの部屋に余すことなく放射されている。一つや二つじゃない。六つの魔力除去装置によって極術師すら封殺する完璧な部屋だった。そのハズだった。

 

「なるほどな、どうりでさっきから肉体の維持に違和感があるわけだ」

「んあ?あ?」

 

感触を確かめるためか、手を開いて閉じたり、まるでピッチャーがボールを投げる前に確認しているかの様な動作。その最中。

 

──ダンダンダン!

と三発の銃声が部屋に響き渡る。言うまでもなく、発砲したのはニーナ。懐から拳銃を取り出して撃ったのだ。

なんだか本調子では無さそうな、隙だらけだったから撃った。間違いではない。僅かでも隙があれば殺しにかかるのは、命のやり取りをする戦いにおいて当然の選択だ。

 

「二ヒィ……ちょーしにのるからそんな事になるんだ」

 

甘いヤツと嘲笑う。それに対して亮は。

 

「そうだな」

 

と、今度は足の感触を確かめながら賛同した。銃弾によって開いた頭の風穴三つも綺麗に塞がる。

 

「…………まさかてめェ……」

 

そこまできて、ようやく、ニーナは悟る。

 

あの時も、こんな光景を見た。

 

「てめェ……あの時の!」

「ン」

 

コクっと頷く。

 

「二ヒィ……てめェは一番最後って決めてたけど、ノコノコやって来てくれたんなら仕方ねェよな!!」

 

一度由紀のベッドにナイフを置き、近くの机の上に置いてあった別のナイフを持ち、拳銃を亮へと向け、メインの魔力除去装置と同じ波長の電磁波を流す。

宮里紀子すら完封したソレで魔術を封じ。

 

「うおおおおらぁっ!」

 

と、ナイフを頭部に刺してからボタンを押す。ナイフからバチバチバチと弾ける音ともに高圧の電撃が走った。人体なら内側から焼け焦げるほどの威力。

それが亮の体の内に走った──が。

 

「鬱陶しい」

 

右手でニーナを押し返した。なんて事ない、彼女の胸に手を押し当てて押しただけだ。どこかに吹っ飛ぶとか、そういうこともない。子供が友達とジャれている時に「やめろよ〜」とやる様な、そういう感覚のソレ。押し出され、ニーナは後ろに仰け反る。

 

「…………へっ?」

 

理解が追いつかない。どう考えてもコレは鬱陶しいで済むせられる代物ではない。理解が追いつかないから体も硬直する。コイツはヤバいとようやく分かった。

 

「さて、どうしてやるかな」

 

顎に手を当てて何かを考えているようだった。体を動けるような状況にあるはずが無いのに。

 

「………………ニィッヒヒッ!……あーやばいどうしよう……ごめんなさい助けてください」

 

だから出てきたのは命乞いだった。

いつも大人しい人は絶体絶命のピンチに際した時、発狂したり頭がおかしくなる事が多いのだが、いつも狂ってる人はむしろ冷静になるらしい。

 

「すげえなお前。ここまでやって謝って許してもらえるとか思ってんのか」

「いいえ、大人しくします。捕まって罪を償います。ですからお願いします殺さないでください」

 

冷や汗を流しながら許しを乞うニーナに対して。

 

「俺の目的は、さっき言ったお前の作った魔力除去装置の完全抹消だ。設計図の入った電子媒体はどこだ」

 

と、本来の目的のために聞き出す。さすがにこの状況で下手な嘘をつけるほどのキモはないだろう。

 

「そ、そこのパソコンです!!流出を恐れてコピーは取ってません!!制作もここでやっていました!」

「ホントだな?」

「はい!本当で──」

 

それがニーナの遺言になった。

ニーナは亮に首を掴まれてから投げ飛ばされ勢いよく後頭部から天井に叩き付けられる。ギャグ漫画の様に頭が天井に突き刺さって──なんてことは無い。ボキッと音を立てて首が折れ、折れた脊椎が皮膚を突破っている。顔は少し膨らみのある胸の少し上の方にくっついていた。

それを観察する暇もなく、重力によってニーナだった物が天井から落下する。亮の目の前に、ドサッと。

 

「……さて」

 

行く手を阻むニーナだった物を、由紀が転がっているベッドとは逆の方向にある、ニーナが指さしたパソコン、つまり右側に向かって、左足で蹴っ飛ばした。

どんな肉体強化魔術を扱う者よりも強い一撃がニーナだった物を水平に飛ばし、パソコンにあたって双方が衝撃でバラバラになる。

 

物理的にパソコンを破壊できたのを確認してから、次はベッドで痛みに震える由紀を見て悩んだ。

 

「たい……ぐっ……あっ…………」

「どうするかなコイツ。ほっとくと死ぬのは目に見えてるわけだが」

 

拘束されているせいで身動きは取れていないが、由紀は痛みで体をよじらせていた。右腕があった場所からは止めどなく血液が流れているので、あと数分で静かになるだろう。

極術師だってただの人間だ。病や痛みに耐性はあれど流石に失血死はする。

 

「死んだ方が鈴木数馬の成長に繋がるが……上司の判断を仰ぐとするか」

 

生かすか殺すかはナナシの判断に委ねるとすると決め、聞いてる間に死なれるとアレなので由紀の右側へ周る。

 

「……た、たすけて……」

 

自分が妹の仇と知って頼んでいるのかどうかは分からないが、仇と意気込んで戦いを挑んできた彼女の面影はない。ただ痛みに震え泣すがる女の子がそこに居た。

別に何の感慨も浮かばなかった。こういう状態の女の子は何度も見てきたし、この状況を作ってきたし、そのままトドメだって刺して来たし、喰らいもした。

表情は一つとして変えず、由紀の右腕があった場所に左手で触れる。

 

「っえ……」

 

痛みが引いた訳ではない。だが、出血が止まった。剥き出しの断面は黒くツルツルした何かに覆われ、先程まであった熱くて、痛い感覚がない。困惑する由紀をよそに、亮はナナシへと電話をかける。

 

「俺だ」

『済んだか?』

「済んだのは済んだが、ちょっと面倒を抱えた」

『面倒……?』

「絶対零度が死にかけてる。助けた方がいいか?」

『助けろ。迷うな』

「…………それもそうか」

 

鈴木数馬の成長を促すというのは、自分の都合だったと今更思い出す。そして自分の所属する組織は新世界を良くするための存在だ。組織の者としては目の前で何も悪いことをしていないのに理不尽な目に遭って死にそうな者がいたら助けるのが当たり前なのだ。

というより人として人命救助は義務なのだが──

 

「だが、右腕がない」

『そんな「金がない」みたいな感覚で言うな。ったくどういうリアクションを取ればいいんだ。普通、右腕を切断された者を見て冷静に助けていいかどうかなんて聞くものか』

「そう言われてもな……とりあえず止血は済んでいる。落ちた右腕は……」

 

探してみるも見当たらない。止血していないのだから近くにあると踏んで──不自然な電子レンジが目に入ってそれかと戸を開けて中から由紀の右腕を取る。

 

「あぁ、もう使い物にならないなこれ」

 

レンジで温められいい具合の柔らかさになってしまった右腕はそのまま放っておく。こういうことするサイコの事だから、後で由紀に食べさせようとか考えていたのだろう。腕は二の腕あたりしかまともに食べたられるところがないから別の部位の方がいい。なんて余計な事は言わない。

 

「絶対零度はどうする?」

 

亮の言葉に、ナナシは唸った。この事態、捨て置けと一蹴できない。ここまで心的ショックを負った後に右腕を失うなんていう不幸の連続。もう由紀はまともに生活していく事なんてできないだろう。彼女は自らの気持ちを切り替えられる可能性のあった復讐に失敗したのだから。

 

『私が彼女と話をしよう』

 

だからナナシが名乗りを上げた。救うことなんてできやしないが、道を示すことは出来るかもしれないから。

 

『しかし彼女にここを知られるのはまだまずい。ふむ、シェイカーの遺した家でも使うか』

「シェイカーの……帝の記憶にあるホワイト地区の物置家でいいのか」

『合っている。そこで二時間後に落ち会おう』

「ン、分かった」

『くれぐれも一般人に見つかるなよ。面倒どころの騒ぎじゃなくなる』

 

深夜に右腕を失った女の子を抱えた青年が居た、なんて怪談話にもならない。

 

「わかってる。そんなヘマはしない」

 

言って通話を終える。それから由紀を運ぶために彼女を拘束している物を手で引きちぎって破壊した。それから距離を取り、彼女が立ち上がるのを待つ。

由紀は立ち上がる際、おもむろにベッドの脇に置かれていたニーナのナイフを手で持って。

 

「うああああああああっ!!」

 

亮へと切りかかった。

 

「ンだよ、随分な礼だな」

 

それに対して亮は特に何もすることなく受け入れる。切れ味のいいナイフに斜めに切り裂かれる。

 

「な……んで……なんで!なんでなんでなんでなんでアンタが私を助けるのよっ!」

「仕事とそのついで」

 

質問に対しては簡潔に回答した。

 

「また……くっ!元はと言えば!!あんたが由美を殺してそこから全てがおかしくなったのよ!!」

 

泣いて、叫びながら、何度も何度も刃物で亮を切り付ける。斬り方に型なんてない。右腕を失い、さらに痛みで感覚も麻痺し、重心が狂ってるせいでそもそもロクに振れてすらいない。由紀はただこの痛みと苦しみを刃物にのせ、この不幸の元凶を切り付けているだけだった。

 

「アンタが居なければ由美も……お母さんも死ななかった!アンタが居なければ私は右腕を失わなかった!アンタが居なければ私は……私はっ!!」

 

切りつけた回数が三十を越えた時、由紀の左手から刃物がスルリと落ちた。

もう限界だった。こんなにも想いをぶつけても、目の前の化物は無表情で由紀を見ている。

 

「…………」

「……何とか……言ったら……言いなさいよ……」

 

体を前に曲げて、落ちた刃物を左手で広い上げ──しかし落ちる。だがもう一度掴み、今度こそ持ち上げた。

 

「アンタが……死ぬまで……切り続けてやる……何度だって、私はアンタを殺してやる……」

 

再び、由紀は左手の刃物を振り上げ、亮に向かって振り下ろした。

 

「はぁ……」

 

そして、ここでやっと亮が口を開いた。

 

「謝る……気に……なった?」

「時間的に、タバコ一本吸ってる間は待ってやるから早く諦めてくれ」

「……………………あ?」

 

亮は右手で胸ポケットからタバコを一本取り出して、口にくわえ、人差し指に火を灯してそれでタバコに火をつけた。

あまりにもスムーズで、迷いのないその一連の流れ。今までの由紀の言葉と、刃物で切りつけられているという現実を完全に無視した行動。

 

舐められているとか、もうそういう次元じゃない。「ハエが一匹居るけどまぁいいかタバコ吸おう」くらいな、そういうイメージ。

 

「っ……こ……こ……このおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」

 

怒りが、憎しみが、殺意が、由紀に力を与えた。

もうダメだった。目の前のこいつは生かしておいてはいけない。生きていることそのものが罪で、これを生かしていて大丈夫な世界が間違っている。

そんな使命感も添えつつ、ありったけの力で許されざる者の顔を切り付け──

 

ピタッと何の音もせず、刃物が動きを止めた。

 

「…………タバコに当たるだろ。切るとこ考えろ」

 

彼の右頭部から振り下ろした。確かにそのまま斜めに下ろせばタバコに当たる。現に刃は亮の右目辺りを斬り裂いた状態で停止している。

 

「あ……っ……」

 

からんとナイフが転げ落ちた。無理だと体が感じて心が折れてしまったから。

膝から崩れ落ちて、顔は下を向く。

 

「ンで、気は済んで……はいないだろうが、お前の憎しみは分かった」

 

やっと落ち着いたとタバコを吐いてから言葉を続ける。

 

「だが、残念な事にお前が今から死ぬまでの間、不眠不休で俺を攻撃し続けてもお前じゃ俺は殺せない」

 

これは覆しようの無い事実だ。人一人の一生を費やして死ぬ存在ならとうの昔に死んでいる。

 

「理解して一旦この場は収めてくれ」

「……ふざけないで」

 

言い返す言葉に力はない。このまま去ればもう二度と会うことはないだろう。

だがナナシと約束した以上、じゃあなと踵を返すわけにはいかなかった。

 

「悪いが、かなり真面目に。言っただろ、お前の憎しみは分かった。だから、お前には知る権利がある、と俺は思ってる」

「知る……権利……?」

「確かに、宮里由美を終わらせたのは俺だ。だが、前も言っただろ。仕事だと。これからその上司に会う。だから来い。ンで、それからお前の復讐の仕方を決めろ」

 

上司。それはつまり、コレに由美を殺すことを指示したもの。つまりは、復讐相手に内の一人。それに会うことができる。

 

「奇跡でも起こして俺を殺せたとして、それでお前の復讐は終わらないと言ってるんだ」

 

相変わらず、彼の言葉は胡散臭い。自分を全く脅威として見ていないから、こういう言葉が出てくるんだろう。ただもう苛立ちは湧いてこなかった。それが無駄だと知ってしまったから。

 

「……分かったわ」

 

だから頷いた。このまま大人しく家に帰ったとしても、きっと状況が好転することなんてないのは分かっていたから。生き残ってしまったからには、きっともう自分には復讐の選択肢しかない。

 

「ン、それでいい。動けるか?動けないなら回復させる」

「…………いいえ。って言ったら、おぶって運んでくれるのかしら?」

 

なんて軽口を叩いて自分を鼓舞する。

 

「いや」

 

否定して由紀に近付き、右手を彼女の頭へと伸ばした。

 

「っ……」

 

恐怖でビクッと震えた。

 

「…………回復させるって言っただろ」

「……分かりなさいよ」

 

どうやら彼に対してはもう本能で怯えてしまっているらしい。今まで彼自身の体で何かされたことは無い。毎回毎回、魔力その物にやられていたのだから、それより強いと思われる体が近付けば怖いのも当たり前だ。

 

「……なによコレ……」

 

触れられた瞬間に効果が現れる。まず疲労が吹き飛んだ。ダルいとか動かないとか、そういうレベルを超越した疲労が一瞬で消え去る。体の違和感も消え、外界遠征に出る前くらいの体調に戻った。

 

「間に合うから分かんねえから急ぐぞ」

「え……えぇ」

 

二人で出口へと向かって歩き出した。

 

これから先に待っているのは新世界の深淵。その事を、ハッキリと自覚したまま。



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違える道

評価頂いたことでランキングにのりお気に入りが増えました、ありがとうございます〜


「きゃああああああああああああああああっ!!」

 

と、深夜のホワイト地区に宮里由紀の悲鳴が響き渡った。

 

「うるせえよ」

 

あまりにも元気の有り余る声量だったがために、亮はどっかの誰かの「消音」の魔術を用いてホワイト地区に響き渡るハズの音を最小限に抑えた。抑えているはずなのにそれでも近くにいる亮には相当な音量で聞こえてしまっている。

これは多分魔術を使っていなければ「ホワイト地区中に響く女性の悲鳴」として怪談話か何かにされていただろう。

 

「そ、そりゃ悲鳴だって上げたくなるわよ!!どーなってんのよコレ!?」

 

と、由紀は抗議の声を上げた。

 

まぁ、空に向かって落下したり、地に向かって落下したり、空に対して平行に落下したりしているのだから仕方ないのかもしれない。

 

「体感してんだろ、それが全てだ」

「理解できないから──きゃっ!」

 

言葉を紡ぎ切る前に、斜め上へと体が引っ張られた。

 

「なんでこんな……」

「お前がバランス取れてないからこういう選択肢しかなかったんだよ」

「うっ、それは……」

 

右肩から先を喪失した由紀は、乱れたバランスに慣れていない。ちょっとの段差に躓いたりと歩いて行くには難がありそうだった。ならばいつも愛菜やらを移動させるときのように、魔力の手で運べばいいのだが、アレはアレで結構神経を使う作業なのだ。

 

そして、先程、ナイフでザクザクされたのが割りと痛かった。痛いだけで別に害があるわけではないだが──だから気を回してやるのがなんだか癪で、他の手段を取る事にした。

 

それが重力操作の魔術。彼は今宮里由紀にかかる重力を自在に操る事で擬似的な飛行に成功させている。

ちなみにこの術で重力を操れる範囲はあまり広くない。精々街一つ潰せるかどうかの範囲なので、惑星を軽々握り潰せる魔力の手に比べればやりやすいのだ。

 

「これ……っ……がっ、アンタのま、魔術……なのっ!?」

「これも、だ。つーか、ンな喋りづらいなら口閉じてろよ舌噛むぞ」

 

対する亮は悠々自適に魔力の手で擬似的に空を飛んでいる。飛行ペースを由紀に合わせているのは彼なりの優しさだったりするのだが、むしろ自分は優雅に飛べてるぞという見せしめくらいにしかなっていなかったりする。

 

「……」

 

由紀は言われるがままに口を閉じてみた。そうすると、やがて落ち着いてクルクル回転しまくる景色を意識する事もできるようになる。

 

「(何も、変わらない……)」

 

街灯の光や、少しの民家から漏れる光だけがこの景色を作り上げている。コレは、あの場所に行く前に、もっと言うならば、連鎖した不幸が始まる前から変わらない景色だ。

これだけ見ていれば自分の身に起こった事なんて嘘のように感じる。今ここで降りて帰路に着けば、最終的には暖かい家が待っていてくれる様な気さえした。

 

そこでグルっと重力が反転し、体も回る。そこで自分の本来右腕があるはずの場所に夜の景色が流れた。

そのせいで、あの日常が戻ってこない事に実感が湧く。

目も当てられない現実が帰ってくる。唯一残された「復讐」という儀式も失敗して、あまつさえ別の復讐相手に助けられる始末。

 

これから先、自分はいったいどうすればいい。

 

そんな拭うことの出来ない不安が頭を過って──だがそんなことよりも。

 

「おえっ……」

 

度重なる回転で胃の中の物が逆流し始めた。何も食べてはいないが確かホテルで飲み物は飲んだので、それだ。

 

「うっ……ぷ……」

「悪かった止まる落ち着け流石に上空からソレを吐き出すのはまずい」

 

魔力の手で由紀を包み込み、重力操作の魔術を解除。空中で静止させた。流石の亮も吐瀉物を魔力の手で掴んで直接体に取り込むとかはしたくなかったからだ。

 

「深呼吸しろ胃液を飲み込め」

「すっ……すー……ウウッ!?」

「…………マジかよ……」

 

この後、無事に目的地には到着した事だけは確かだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

家主の居なくなった一軒屋。そろそろ家具などがホコリを被りそうではあるが、この家を表の清掃業者に掃除させる訳にもいかない。それはこの家に捨て置かれている道具の数々のせいだ。

どれもこれも、失敗作ではあるかもしれないが、それはDr.シェイカーという天才に取っての失敗作であり、凡人から見てみれば時代の先を行く革新的な物ばかり。

そしてそれらを安易に表に出すことは新世界を裏側から管理する者としてはばかれる事だった。だからここはこのまま放置。ここは表の世界の中に紛れ込んだ闇の世界。

 

そんな場所だから、これからの宮里由紀の立場を決めるのには打って付けだった。

 

「あなたは……」

「昨日ぶり、だな。絶対零度」

 

この家の中で唯一綺麗なリビングで二人は邂逅した。由紀から一歩下がった位置に亮が控えている。ここから彼の出る幕はない。

 

「…………」

 

言葉を失う。昨日、車で送ってくれた外界遠征の総司令官が、自分の妹の殺害を指示した黒幕だと信じたくなかった。

 

送ってくれただけだった。でも、それでも自分のためにあんな特殊な車両を持ち出してまでしてくれた者に対して、少なからず好意を抱いていたから。

 

「予め言っておこう。謝罪はしない」

「……いまさら、ごめんなさいと頭を下げられても許す気はないわ」

「そうだろうな。だから私は君の抱えるこちら側の件を解決させようと思う。言葉を尽くそう、許す気はなくとも理解だけしてくれれば嬉しい」

 

君の抱えるこちら側の件。それはナナシが指示し、亮が実行した宮里由美の殺害の件だろう。

 

「全ての始まりは、リバースオブダークネスと銘打たれた計画。新世界ができて間も無い頃に存在した魔術師、深淵のクローンを生み出す物だ」

 

始まったのは、途方もない昔話だった。

 

「……深淵?何の話よ」

「関係ある。だから聞いてくれ」

 

クローンという点しか共通していない。それでもナナシは関係あると言い切った。

 

「初代深淵のDNAを用いてクローンを作り、深淵の世界を研究することが目的だった」

 

深淵の世界。一つ前の世代の深淵が、影の中に世界があると言って、それをメディアが報じていたのは由紀も知っていた。だがそれはあくまで術者のみが行き来できる、言ってしまえば自分達には関係の無い話だと思っていたが……どうやら世界にとってはそう単純な話ではないらしい。

 

「闇しかない世界。その世界とこの世界を闇の中ならば行き来する、二つとない特殊な魔術。もし闇しかない深淵の世界を全ての人類が自由に行き来できるなら。或いはその深淵の世界の更にもう一枚別の世界があるのならば。未開の世界で人類は魔物や自然災害に脅かされることなく生活出来るかもしれない」

 

とてつもない机上の空論。「かもしれない」が複数重なった酷く曖昧な理屈ではあるが、新世界ができて初代深淵が絶えた時代ならば、かつての世界の終わりを知る者が居た時代。

ならば、新しい平和な世界を目指そうとしたのは当たり前の事なのかもしれないと納得した。

 

「だが、新世界は数百年もの間に深淵の魔術を呼び出すことは出来なかった。そしてとうとう計画は打ち切られた。リバースオブダークネスの名は忘れ去られ、深淵の名は原初の魔術として永遠に謎のまま終わる、ハズだった」

 

それで終わらなかったから、現代の深淵が存在する。それは明確だ。

 

「しばらくして新世界が地球の海に着水、外界遠征を始め、アバターを回収した時に流れは変わった。ある研究者がどこからかリバースオブダークネスの計画を知り、アバターの細胞を用いて計画を再び始動させたのだ」

 

アバター。

その魔物の名前に由紀は顔を顰める。

 

「もちろん、この新世界では人間のクローンを生み出すことは禁止されている。だから目立つこと無く、少しずつ、世代すら超え、研究を続けて行った。その結果が、二代目深淵だ」

 

由紀は顔も名前も知らないが、四十年前にいた者だと言うのは知っている。

 

「だが二代目深淵は満足の行く研究成果を出さなかった。記録にあった初代深淵の魔術からはかなり劣り、深淵の世界の調査も全く進まなかった。そして、再び深淵は造られる」

 

その造られた深淵が誰か。そんな事は考えるまでもない。

 

「……じゃあ……もしかして愛菜ちゃんは」

「そうだ。三代目深淵もアバターの細胞を用いたクローン。二代目深淵と同じ、失敗作」

 

根本愛菜に感じた感覚は彼女自身の出生にあったのかと何となく理解した。本当は育ての親の問題だと言うのはまだ由紀には分からない。

 

「それに由美はどう繋がるっていうの……?」

「我々が……というよりそこの魔人が一人で三代目深淵を解放し、研究施設を破壊した。その処理で手に入れた計画の情報を、どこからかシェイカーが手に入れた。これまでの計画のトライアンドエラーを見て、シェイカーはこう考えたのだ。深淵という魔術師の細胞を使うから失敗したのではないか。ならば、一族代々、大体極術師の絶対零度の一族の細胞を使い、どうすればクローンはオリジナルに近付けるか研究しよう。と」

「それじゃあ由美は、深淵の魔術を完璧に再現するための練習、検証用ってこと?」

「そんなところだ。そして見事にアバターを使用して完璧な極術、絶対零度を再現させた」

 

そこまでの情報を前提として。

 

「でも、だからって由美を殺す必要は無いじゃない。愛菜ちゃんが許されるなら、由美だって許されていいハズよ!」

 

ここに帰結する。学校にすら行けてるクローンが居て、なぜ由美だけが許されなかったのか。その疑問は抱いて当然だ。

 

「宮里由美は完璧なクローンだ。では、その彼女が狙われて君は守りきれるか?」

「それは……」

「根本愛菜は失敗作だ。彼女を研究しても失敗作しか産まれない。そして、そこの魔人というこの新世界よりも強い者が守っている。だが宮里由美は違う。新世界の闇から君は守りきれると、断言できるか?」

 

できない。それは今さっき身をもって理解したことだ。新世界の闇の、頂点ですらないたった一人に殺されかけてしまった。あのままだったら死んでいた。自分の身一つ守れなくて、誰かを守れる訳なんてない。

 

「それに、これは我々の独断ではない。上からの命令だ」

 

目を見開く。彼女はここまで新世界の裏側を解説しながらも、中間職だと示したから。

 

「機密事項てんこ盛りの外界遠征で総司令官を務めるあなたを命令する者……まさか王様なんて言うつもりは」

「それだけじゃない、安定装置」

 

その単語に、由紀は言葉を失った。

 

「では我々の事情は置いておき、追加して聞こう。「寂しいから構って欲しい」という理由で人を殺めたクローンを、国を運営する側としてどう庇えばいい?」

「っ……」

 

更に追い打ちをかけられる。現実的で、やがて直面するはずだった問題。

 

「法廷で責任能力が無いと言えばいいのか?最も、三人以上の殺人罪は問答無用で死刑になるが……死刑になると分かっていて国がそういう庇い方をしたら、世間は国……王を信用できなくなる。それだけじゃない、弁護するお前は、お前の母親はどうなる?」

 

誰も彼もが迷惑を被る。そんな事は明確にわかる。

 

「クローンだ。複製品だ。本来産まれるハズはなく、産まれたくて産まれたわけじゃなくとも、世間にそんなことは関係ない。被害者はふざけた理由でクローンに殺され、被害者遺族はふざけた理由を認めてクローンを許さなくてはいけないのか?」

「それは……」

 

ふざけた理由で由美を殺した亮を許せなかった様に、きっと他の者もふざけた理由で殺した由美を許さないだろう。

 

本当は、そんな事は由紀も分かっていた。分かっていても、寂しかったと抱きついてきた彼女を妹と認め、何があっても自分が守ると誓えば何とかなるなんて思っていた。救われるべき存在で、きっとそれは自分が全力を尽くせば世界だって認めてくれるんだと信じて──否、誤解していた。

 

現実を目の前に突き付けられた今だからこそ分かる。

 

「この魔人は、自分の意思で宮里由美を殺したんじゃない。確かに実行したのは彼の意思だが、本当の意味で宮里由美を殺したのは──」

 

だからナナシの言いたいことも分かっていて、それを言葉にされる。

 

「この新世界だ。新世界に生きる者が安心して幸せに生きていくために、宮里由美は殺されたんだ」

 

今度こそ、由紀は絶望した。スっと、全身から力が抜ける。立って居られず、その場に膝を着く。

今まで、これまで自分が何も日向を歩いて来れたのは、自分の与り知らぬところで悲劇があり、それを解決する者がいたからだった。そして今回はたまたま、たまたま自分の番だった。

 

由美を殺した彼は、この新世界の規律においては正しかった。間違っていたのは、自分だった。

 

「なぁ絶対零度、お前のクローンが消え、お前以外に悲しんだ者が居たか?」

 

ナナシは追い討ちとも取れる容赦ない質問を投げかけた。だがこれだって無意味な事じゃない。ナナシは由紀に認識させようとしている。

 

「お前は悲しみに暮れたかもしれない。けれど、お前が悲しんだことで世界の平和は維持された」

「……狂ってる」

「だが狂っていなければこの世界は維持できない。なにせこの世界は狂っているからな」

 

認めたくなかった。狂ってるの一言で済ませたくはなかった。安っぽい言葉でこの理不尽を表現したくはなかった。

 

新世界の平和のため。そんなもののために、理不尽な運命から逃げ出した由美は殺された。

間違っていない。由美を生かしておいて良い理由は確かに見当たらない。だからこそ、それが悔しかった。他でもない。自分が彼女を擁護出来ないで居るのが、悔しかった。

 

そうして膝を着いた由紀にナナシが一歩近づいた。

 

「今、君の前には二つの道がある」

 

一呼吸置き、ナナシが続ける。

 

「この新世界の闇を全て忘れ、母親は居ないが今までと同じ陽の当たる場所を歩む道」

 

スタッと、背後で一歩踏み出す音が聞こえた。後ろに控えている亮だ。

今ナナシの告げた前者も、後ろの彼がやってくれるんだろう。記憶の操作とか、そういう魔術で。もう後ろの存在が何をしても不思議ではない。

 

「そしてもう一つ。我々の元で、世界を守るために働け」

 

そう言って、ナナシは由紀に左手を差し出した。

 

「この仕事は、新世界の闇は、新世界の光に絶望したものでなければ務まらない」

 

この手は、鈴木数馬が差し出した右手とは真逆の手。もう由紀には数馬の右手を握ることは叶わない。だから差し出された左手。

 

手を取るか、取らないか。それを決めるために、由紀はまず口を開いた。

 

「一つ……聞かせて。狂っていると分かっていて、なぜあなたはこの世界を守ろうとするの?」

「簡単な話だ。狂ってでも守りたいものがあるからだろう」

 

その言葉は由紀の胸にストンと落ち着いた。

 

「守りたいものを守るために、何も壊さず、誰も殺さず、言葉を並べるか、少し拳を交えることで分かり合えるならそれに越したことはない。それで解決できるならば私はその解決方法に全力を尽くそう。そんな幸せで完璧な選択肢があるなら誰だってそうするはずだ」

 

それは、鈴木数馬があの時示してくれたやり方だ。そのおかげで、自分は由美を妹にすることができた。

 

「けれど、生きていればそんな選択肢を与えられない時がある。そんな時、どうすればいい?それがきっと戦うべき時だ」

 

それは、母親が死んでしまった時に自分が取ったやり方だ。失敗してしまった道。

 

「戦うなら……いや、殺し合うならば正義なんて綺麗事は言えない。殺してしまえば、その先には復讐の連鎖が待つ。別の戦いを生んでしまうなら、それはきっと正義ではないだろうな。だが正義でなくとも守りたいものがあり、自分が悪になる事で守りたいものが守れるなら、私は悪になろう」

 

守りたいものを守る。自分の守りたいものを奪い取っていった奴が何を言っているんだろうか。あぁ、でも、どこかしっくりとくる物があるのは何故だろう。

 

「アンタは?」

 

次に、由紀は亮へとその質問を投げ掛けた。

 

「俺は化物で、奪われるのは嫌だ。奪う方が性に合ってる」

 

なんて利己的な回答だろう。クズなんてレベルではなかった。だけど、ナナシの連ねた言葉よりも、もっと自分の芯に響いた。

 

「ふっ……」

 

鼻で笑う。下らないならではない。やっと気が付いてしまったからだ。

 

「…………ずっと、違和感はあった」

 

自分の過去を振り返り、なぞるように言葉を紡ぐ。

 

「昔からみんなに一線引かれて、化物だと言われて、気が付けば独りになって。でも、お母さんには力があるからあなたは皆を守れるような人になりなさいって言われて。きっといつか、あなたを見てくれる人が居るからと」

 

それが数馬だと信じて疑わなかった。だけどそれは幻想だった。

 

「私は極術師、絶対零度。奪う方が性に合う。うん、そうね。守りたいものを奪おうとする連中の命を、一人残らず奪う。そして守りたいものを守る」

 

あぁ、なんだ、そういう事か。彼等は、自分を化物だと言ったヤツらは間違っちゃいなかった。

 

自分は、化物だ。

 

「手を取るのに条件があるわ」

「なんだ?」

 

由紀は顔を上げてナナシを見た。

 

「私の大切なお母さんを奪った奴らの命を奪う。そのために力を貸して。そうしたら、私もこの狂った世界を守ってあげる」

 

復讐の連鎖を生み出す、悪のやり方だ。だけど復讐の連鎖なんて割と断ち切りやすいものだと由紀にも分かる。

 

片側が一人残らず全滅すればいい。

 

そのために由紀はナナシを頼った。

 

「いいだろう」

 

それをわかっていて、ナナシは許可した。

その言葉を聞いて、由紀は左手を伸ばし、強く握られ、立ち上がる。

 

「ようこそこの世界の闇を担う組織へ」

 

歓迎の言葉が、どこか心地よかった。

 

「……」

 

対して亮は嫌そうな表情を浮かべる。ナナシはそれに対しては何も言わず、さてと切り返す。

 

「目下、住むところが必要だろう。魔人、部屋はまだ余ってるな」

「ちょっと待て嘘だろ?」

 

出ないはずの冷や汗が出たような気がした。

 

「真面目に、だ。今彼女がホテルだのパソコン喫茶だのに長期滞在してみろ。紀子の件も伏せたままなのに、右腕を失った彼女が報道陣に目撃されれば我々が身動きできなくなる」

 

報道され、一般人に知られれば世間にこちら側の存在が露呈されるリスクがあるので動けなくなるという事だ。紀子の件だけならまだいいが、現極術師が右腕を失ったという報道がなされれば、表の者達も血眼で走り回って真実を突き止めようとするだろう。

 

「お前の血液一滴寄越せ。今この場で右腕作ってくっ付けて記憶消してやる」

「い、いやよ私だってもう決めたことだもの!」

「チッ……」

 

確かに、由紀の意思が硬いのは伝わったし、ナナシの言葉が合理的なのも確かだ。今無言で二人の頭を弄ればいいかと思ったが、ナナシが情に絆されて由紀を新世界の闇に引きずり込んだとも思えない。

何かあるとして、あまり勝手なことをするとそれこそ面倒な事になりそうなので、ため息をついてから。

 

「……住まわせるのがいいが、あいつにはあんたから説得してくれ」

 

恐らく優衣は大丈夫。八代は二、三言文句は言ってもダメとは言わない確信がある。

ただ、愛菜がどうだかは怪しかった。

 

「……私にできると思うか?」

「やれよ諦めんなよ」

 

仮にも新世界の闇を束ねる身が挑戦もせずに投げ出さないで欲しい。

 

「なんだかんだ、君の決定を彼女は受け入れるだろう。耐えろ」

「……」

 

そんなことは分かっているから面倒だと言いたかったが、言わずに仕方なく受け入れる。

 

「絶対零度、君の滞在したホテルにある荷物はこちらで回収後、彼の家に送る。それでいいな」

「えぇ」

 

由紀が頷いたのを確認し。

 

「ならば解散だ。絶対零度、道中に見つかるなよ」

「……行くぞ」

 

亮について歩き出した。未だに彼と二人きりになるのには抵抗があったが、家には他に誰かいるとの事でそれには少し安心感を覚える。

 

何はともあれ、宮里由紀は最悪なスタートをここで切った。

 

 

 

そう、ここで宮里由紀は鈴木数馬と道を違えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………クソッ!!」

 

──ドンッ!

と、壁を叩いて、ただ人工知能の言われるがままに落とさなくていい者を闇に落としてしまった事を悔やんだナナシを知る者は居ない。




闇落ち理由が薄くねと思った方は次回をお待ちくださいorz

やっと全員揃った……


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右腕の代償①

久し振りにギャグ路線。書きたかった。


夜の静寂に二つの足音だけが小さく響いていた。会話はない。片方は何を話せばいいか分からず、もう片方はこれから住人をどう説得すればいいかと悩んでいたから。

言うまでもなく、前者が宮里由紀で後者が根本亮だ。

 

「……」

「……」

 

黙々と歩き続けて5分少々。なるようになれとタカをくくった亮がやっと口を開いた。

 

「お前、腕はいいのか?」

「……そういえばさっき、アンタ言ってたわね。血を一滴寄越せ、作ってくっつけるとか。どういう意味よ」

 

質問に質問で返されてしまったが、これは都合がいい。由紀もあの家で生活するのなら、一度自分について知ってもらわなければいけない。

 

「お前の血液を取り込んで俺の体の中でお前の遺伝子情報から右腕を生成して取り出し、くっつける」

「……は?」

 

この反応は当然といえば当然のものだ。

 

「……えと、食パン一枚食べたら体の中で一斤作れるって事かしら?」

「お前それ自分で言ってて意味不明じゃないか?」

「うぐっ……」

 

理解できないことを自分の分かる範囲に落とし込みイメージしやすくするのはいい事だが、今回ばかりは悪化していた。

 

「そもそも、俺自身について説明していなかった。その点では俺に非があるか……」

 

そう呟いた亮の視界左側に、街路樹が入った。ちょうどいいと亮は左手を伸ばす。

ちなみに、街路樹は手の届く場所にはない。およそ10m、それくらい離れた位置にある。普通の人間ならば手を伸ばしたところで宙を掠めるだけだが、魔人は普通の人間ではない。

 

──ゴッ

と、風を切る音と共に、亮の左腕が街路樹へ伸びる。それから植え込みに生えている雑草を掴んで引き寄せた。

 

「……」

 

別にそれくらいで今更驚きはしなくなった由紀。けれど言葉を失っている。頭では何が起こっても不思議じゃないとわかっていても目の前で起これば疑問符くらい頭に浮かぶものだ。

 

「ここに物体があるだろ?」

「……解説のスタートが随分斬新ね」

「まぁな。ンでだ」

 

左手のひらを黒く歪ませ、体内に取り込む。

 

「……」

 

由紀はその様子をじっくりと観察していた。今度は思考を途切れさせない。コレは、ある意味で自分にとって亮を知るチャンスだからだ。由紀は復讐のために組織に加入した。その復讐の対象にはもちろん亮やナナシだって含まれている。いつかその時がくれば亮だって殺る。そのためには亮の弱点を探すことが先決だから。

 

「これで俺はこの雑草を食らった。正確には魔力で分解し魔力にした。だから性質、細胞、記憶はないが植物として受け継がれた本能みたいなもんを手に入れた」

「……意味わかんないけど、それでも砕いて説明してくれてるのよね?」

「あぁ。自分で言うのもなんだが、人間の基準からかけ離れた捕食と考えてくれ」

 

亮の能力を理解するなら常識の枠を取っ払って考える必要があるのを念頭に入れ、再び由紀は亮の言葉に耳を傾ける。

 

「一度食らったものは再構成し、生成、体外に放出できる。こうやってな」

 

再び亮の左手で黒く歪んだかと思えば、消え去ったはずの雑草が、手のひらから生えてきた。

 

「……雑草だと手品みたいね」

 

実はタネと仕掛けがありましたと言われても納得できてしまう。イマイチ亮の言った物とのスケールの乖離が大きかった。

 

「それもそうだな。ンじゃほらよ」

 

ならば次は。そんな気軽さで、亮の腹が黒く歪み、獣の様なものが出てくる。夜の暗さもあってか、それが何なのか由紀は直ぐに理解できない。けれど形がハッキリとしていくにつれ、それはつい最近見たいものだと判明した。

 

「……ウォッチドッグ……死んでるの?」

「もちろんだ」

 

尻尾の辺りだけ未だ亮の体にくっ付いていて、中ぶらりな状態。

 

「……っ……」

 

言葉が出ない。たとえ魔物だとしても、生き物の死骸を体内から取り出す生命の冒涜をどう表現すればいいのか分からない。

そして、浮かんでしまうのは、もう一つの可能性。

 

「それは……」

 

聞いてしまっていいのか。それを、口にしていいのか。分からない。

だが聞きたい。思考を止めていたら、多分こんなに心は揺れなかったかもしれない。けれど、決めたから。だから由紀は尋ねようと口を開いて──

 

 

 

 

「生き返らせることもできるし、別段この生き物はダメってのはない。人間だろうとな。だからまぁ遺伝子情報さえあれば腕を作るなんてのも造作ない」

 

先に言われてしまった。だから言葉に詰まる。

 

「っ……」

「別にやってもいい」

 

またしても先回りされる。

 

お母さんを生き返らせてくれるの?

 

その回答をこうもあっさり用意されてしまった。余りにも非人道的で、あってはならない選択肢だ。

 

一度死んでしまった者を生き返らせる。

 

あってはならないがとても素晴らしい手段。誰一人悲しむことのない、完全無欠の最善策。そんな物が、ポンと目の前に用意されてしまった。

 

「一度食らう必要はあるし、流石に死後から時間が経過し過ぎれば記憶も少しは曖昧になるかもしれない。ただ身体機能は全く損なわない様にしよう。介護がどうのとかいう心配は無い。少し記憶に欠落が出るかもしれないってだけだ」

 

取り出したウォッチドッグを再び体内に取り込みつつ、追い打ちをかけるように、亮が事務的に語った。彼の人の生き死に対する価値観が狂ってるのを感じつつも、由紀は戸惑っていた。

 

これは願ってもいないチャンス。なのに、由紀はお願いと素直に言うことが出来なかった。

 

これまでの人生で培ってきた倫理観が邪魔をする。反則の様な最善策を躊躇うことなく選ぶことができない。

命を弄ぶ悪魔との取引に、素直に応じることはできない。

 

「まぁ考えとけ」

 

軽く言って再び亮が先導し歩き始めた。由紀は何となくでその足取りに着いていく。頭の中はゴチャゴチャしていて、冷静にはなれない。そんな様子を察してか、歩いて、前を向きながら再び亮が口を開いた。

 

「……俺の提案をどう取ろうが勝手だが、お前はちゃんと思い出せよ。お前が本当に欲しいものを」

「欲しい……もの?」

「そうだ。倫理観に裏打ちされた理性は社会で生きていくのに必要なもんだが、そんな物のために、自分が心から望んで止まない物を捨てるなよ」

「……ぁ……」

 

と、肩から力が抜けた。なぜ彼が背中を押してくれたのかは分からないが、実感の篭ったその言葉に、冷静さが戻ってくる。

 

「多分……つーか、絶対、死人を生き返らせるのは間違ってるし、復讐するのだって間違ってる。間違った選択しかないが、それでも二者択一だ。宮里紀子を生き返らせるなら、復讐は忘れろ。逆に復讐するなら、宮里紀子の死を受け入れることだ」

 

母親を生き返らせれば、復讐する理由は薄まる。激情が湧いてくるかどうか怪しい物だ。

それでも、母親が生き返るなら、復讐しなくて済むなら、それはたとえ間違っていようが最善。完璧だ、そうすればいい。

 

「…………考えさせて」

 

なのに由紀は、即答できなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから約30分歩き通して二人は亮の家に辿り着いた。周りには似たようなマンションが立ち並んではいるが、その中でも2フロア分ほど高いそのマンションの前で一度立ち止まり。

 

「ここだ」

 

告げる。

 

「なんていうか、普通のマンションなのね……」

「何を想像してたんだ」

「廃ビルを改造してた、みたいな。よくありがちじゃない?」

 

ありがちな所にあったら、それは新世界の闇の頂点を隠す場所としては不適切なこと間違いない。

 

「期待に添えなくて悪かったな。行くぞ」

 

ホールのロックを解除し、エレベーターで最上階へ向かってから玄関のロックキーに由紀の魔力を登録する。これで由紀もこの家に好き勝手出入りする権利を得た。

試しに由紀に解錠をさせて見ても上手くいったので、まず亮から中に入る。

 

「ただいま」

「え……」

「なんだ?」

「あなたがただいまって、なんか違和感が……」

「失礼な奴だな。家に帰ればただいまって、当たり前の事だろ」

 

そりゃそうなのだが、人間ではないと自分で言ってのけた者が、人間ですら忘れてしまう様な常識に従っている事に違和感がある。しかし戸惑い続けるわけにもいかない。家主がまともならば相応の挨拶というものがあると思考を切り替え。

 

「お邪魔します」

 

と告げ。間髪開けずに廊下の奥から住人がやって来た。

 

「「……」」

 

我先にと飛び出してきた八代と愛菜の二人は玄関を見るなり膠着し、少し遅れてから二人の間を通って優衣が出る。

 

「おかえりなさい、義兄さんと……ん、いらっしゃい、宮里さん」

 

少し驚いていたが、何かを察したのか、優衣はいつもの様に小さく微笑んで亮と由紀を迎え入れた。

 

「えっと、確か、七尾さん?……なんでここに……っていうか根本さんも……」

 

対して由紀も、顔を見知りが二人もこの場に居るとは全く思っていなかったようだ。

 

「お前ら二人はどうした?何呆けてんだ」

「いや呆けたくもなるじゃろうて……あれじゃよ、ツッコミが渋滞してるんじゃ。そりゃもうGWのデパートの駐車場待ち並に」

「分かりにくい」

 

一心同体となれる八代はもう回復した様だ。最も、何があっても不思議じゃないという諦めに近い感覚を持っているからこそだが。しかし聞かぬ訳にもいかないので、玄関だろうと質問はする。

 

「主……なんで女の子連れて帰って来てるん?拉致?誘拐?」

「俺も連れて帰りたかったわけじゃない」

「……百歩譲って良いてして、なんでその娘は右腕ないのじゃ?」

「そら切り落とされたからだろ」

「あーわかった、妾が悪かったのじゃ。後で説明をたのむぞ主」

「ン、もちろんだ」

 

片腕を失った女の子を連れて帰って来たというぶっ飛んだ展開の説明を玄関先で行うわけにはいかない。その考えは伝わったらしい。

 

「愛菜ちゃん、義兄さん帰ってきたよ?……んー?」

 

愛菜の前で手を振って正気に戻れと優衣が声を掛けている。その甲斐あってか、放心していた愛菜の瞳に力が戻り──

 

「んんんもおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!」

 

と、雄叫びを上げた。優衣は慄き、愛菜から距離をとる。

 

「うるせえよ落ち着け」

「これっ!がっ!おちっ!ついて!いられる!かっ!」

 

言葉のリズムに合わせてナイフが飛んでくる。避けることなく甘んじて受けている。十本ほど体に刺さったところでようやく愛菜が手を止めた。

 

「なんでぇっ!?半年経たずに住人が三人も増えるの!?」

 

出てきたのは切実な言葉だった。全くもってその通りであるので咎められる者はいない。

 

「……元々八代は居た」

「優衣ちゃんは!」

「大歓迎だよな」

「宮里さんっ!」

「……仕事の一環でナナシにしばらく頼むと言われた」

「これだよっ!!」

 

だからと言って何か理由があるのは愛菜にも分かるので、今すぐ返して来いとも言えなかった。だからまぁ、これはちょっとした癇癪だ。心を落ち着けるのに必要な行為。二人きりの時間を返せーという愛情表現の裏返し。

 

「宮里さんに分かる?自分の事を育ててくれた大切な人が大体月一で女の子を連れて帰ってくるこの気持ち!!」

 

その矛先は次に由紀へと向かった。

 

「……わ、分からないわ」

「は?いや、そうじゃないでしょ?」

「えっ……あの……ご、ごめんなさい」

 

状況的に、由紀も強く言い返せず、何より由紀の知る限り敬語を崩してここまで気持ちを露わにしている愛菜を見たことがなく、そのギャップに戸惑っていた。

 

「ん……いいけどさ。宮里さんにも何かあったみたいだしね」

 

愛菜の視線は、途中で切断されている由紀の右腕に行った。

 

「……ありがとう、愛菜ちゃん」

「ええんやで」

「(ええんやで……?)」

 

困惑は深まるばかりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「第42回家族会議いいいー!!」

 

定員ギリギリのソファに全員腰を降ろしたのを確認して、愛菜が盛大に開会の宣言をした。

 

「いえええい!なのじゃ!!」

「わーい!」

 

なんだかんだ初参加の八代と優衣は少々テンション高め。八代の時はすんなりいって、優衣の時は家族会議というか家族戦争が勃発してしまっていたからだ。

 

「い、いえーい……?」

 

同じく初参加ではあるが、つい二時間前にこの家に足を踏み入れたばかりで、かつ学校ではクール&キューティー(可愛い系の女の子が敢えてクールなの良いよね)の称号を欲しいままにしている愛菜のハイテンションに戸惑いを隠せない由紀。

 

「4回もサバ読むな。38回だ」

 

そして、ソファが定員ギリギリで二つあるうち片方がギュウギュウに敷き詰められてしまうのをいい事に八代ではなく大好きな人の妹(創作物)を膝に乗せつつも冷静なツッコミを入れる新世界の闇の頂点、魔人亮。拗らせに拗らせた愛ゆえのスキンシップだが初めて見る者からしたら控えめに言って気持ち悪いだろう。

 

「……多いことには変わりないと思うのだけど……ていうかあの、あなたのイメージが粉々にぶっ壊れるから悪いことは言わないわ七尾さんの位置変えましょ?」

「ンで、何を会議するんだ」

 

由紀の提案を無視し、優衣の長い髪に隠れた亮が冷静に尋ねた。

 

「お仕事だから由紀ちゃんが居るのは仕方ないとして……ほら、この家に住むならいくつも必要なことあるでしょ」

「私のための会議っていうなら少し私の話を聞いてくれてもいいんじゃないかしら!?」

 

なんだか由紀は馴染んできた様だ。ツッコミとしての適性が高いのだろう。ボケが渋滞するこの家庭において有難い戦力である。

 

それはさておき、愛菜が言いたいのはまず由紀の状況の説明。次に家のルールを教え込むことと、後は由紀の生活用品の事とかだろう。確かにこの家には彼女が生活していくために必要な物が不足している。「住む」というのは滞在することとは訳が違う。

 

「はいっ!まずは宮里由紀さん、なんでうちに住むことなったのか、お答えください!」

 

ビシッと愛菜が由紀に指を指した。

 

「は、はい!えーと、私の……私のお母さんを殺害した奴に復讐したくて、一人敵陣に乗り込んだ結果、敗北。捕まったところ彼に助けられ、その流れで外界遠征の総司令官から組織に来いと誘われ、承諾したところ、住む家が必要だろうとこの家に招待頂きました!」

「長いっ!だいたい分かったけどもちっと簡潔にまとめるように!!」

「は、す、すいません!」

 

ぶっちゃけ今回の件をこれだけ短くまとめただけでも頑張った方ではある。

 

「ふむ、では妾から質問……よろしいかな?」

「は、はいっ!」

「八代ちゃんそれどういうキャラよ」

「や、黒いのがなんか詰問役っぽいから妾はどこまでも平等なキャラを演じようかと思うての」

「向いてないと思うなぁ」

「げふん!それでじゃ、好きな色は何色じゃ?」

 

会話の流れをぶった切った質問だった。

 

「し、強いて言うなら青色です!」

 

しかしそんなんでいいのかと割り込む勇気が由紀には無かった。このテンションに着いていくのにやっとである。

 

「んじゃお主は青いのじゃの」

「青いの…………?」

 

なんだか馬鹿にされてる気分になった。

 

「はいそれじゃ次、由紀ちゃんから何か質問は?」

 

……それで終わりかと由紀は少し拍子抜けする。どんな敵と戦ったかとか、今はどういう心情かとか、踏み込んで聞かれると思っていた。だがまぁ自分から掘り返すことは無いので、疑問を口にする。

 

「愛菜ちゃんの話は総司令から聞いたし、さっきも少し言っていたけれど、ここにずっと住んでいるの?」

「そだよ」

 

だから何?と続けられそうなくらい間髪開けずに返された。

 

「……このへんた………………彼とずっと?」

 

優衣の髪に顔を埋める亮と、顔を赤くして微動だにしない優衣の二人を一瞬視界に入れたがために思わず罵倒が出てきてしまったが、視界から外し頑張ってシリアス路線に持ち込む。

 

「んー、ずっとってわけじゃないけど、まっ、概ね」

 

少なくとも、生まれてから数年はあの場所で過ごしてきた。間違いではない。

 

「……だから、ね」

 

どこか由紀は納得したように頷いた。愛菜が見せるあの冷たい瞳の正体。それは彼と共に生活しているからなのだろう。裏付けるように、この場にいる愛菜にはあの瞳を持っていない。その真逆、花が咲くように明るい、無邪気な子供のような暖かい瞳がある。

 

「えっと、次に八代……ちゃん?」

「ちゃんを選ぶ辺り妾の凄さを理解できとらんようじゃの」

「…………ごめんなさい」

 

銀髪の幼い子供が狐の耳と一本の尻尾を生やしている絵面は確かに凄まじいものがある。コレを強要させている人物がいるのだとしたら相当やべえ奴であり、由紀は十中八九これは亮の仕業だと考えていた。自分のことを主と呼ばせているのが決定的だ。

 

「(……もしかして私はとんでもない所に来てしまったんじゃ……)」

 

特殊な危機感に襲われる。新世界の闇の業の深さが垣間見えた気がした。気の所為である。

 

「まぁ仕方あるまい、所詮は高々新世界のトップの内の一人、魔物の頂点たる妾を理解することなどできはしまい」

「……魔物の頂点……?」

 

ここに来て、驚愕の事実が判明する。

 

「そじゃよ!青いのが産まれてくるはるか昔に九之枝の一枝と魔物に崇められ人々から恐れられ、それでも魔物と人との共存を目指し神聖を手に入れたありがたーい」

「ストップ!ストップ!情報量が多い!」

 

そんなノンストップで自分の知っている常識とかけ離れた事を言われても困るのが当たり前だ。九之枝だの神聖だのは由紀の知るところではない。

 

「主から事前に聞いとらんのか?」

「えぇ、一言も」

「ぬぅ……まぁ確かにこちら側の者に一から説明するのはかなり手間じゃの……」

 

神やら信仰やらを一から十まで説明するのは簡単な話じゃない。何せ新世界は神が空想上の存在であると思われているからだ。価値観というより世界観の違い。これを口で説明するのは余りにも難しい。

 

「まっ、それはおいおい語るとするかの」

「……何が何だかわからないけれど、お願いするわ」

 

それから生活用品等は明日買いに行くという事で落ち着き、後はこの家のルールについて教えてもらった。

 

行く時はいってきます。送る時はいってらっしゃい。帰ってきたらただいま。迎える時はおかえりなさい。

食事に自分の好きな物を食べたい時は買い物に付き添うこと。トイレに入る時は鍵を閉める。

なんて、どれもこれも当たり前といえば当たり前のようなルール。マナーじゃなくて、ルールだ。礼儀じゃなくて規則だと言われた。きっとこの家ではこれが大切なんだろう。由紀にはまだ実感は無いが、ルールだと言われた以上、破る気は無い。

 

一応、ここで家族会議はお開きになる。まだ優衣と亮の話は聞けていないが、それは少しずつでいいか。なんて思って。

 

──グゥ〜

と、由紀の腹が鳴った。

 

「(…………そういえば、何も食べてなかった……)」

 

冷静に思い返してみれば食事は今朝……というか昨日の朝に食べた病院食が最後だった。

 

「……ちょっと待ってろ」

 

腹の音を聞いた亮が立ち上がった。少し多めに作ったコロッケが余っている。それを温めて、お米は冷凍の物を使おうと台所へ向かう。

 

優衣を抱き抱えたまま。

 

「ぴゃぁ〜」

 

優衣の悲鳴は台所へと消えていった。

 

「出荷じゃー……おやすみなさい」

 

なんて言いながら八代は自分の部屋へと入っていき。

 

「そんなー……おやすみなさい」

 

同じ様に愛菜も自室へ入っていった。

 

二人の背中に強い哀愁を覚えたのはきっと気の所為ではないのだろう。二人も自分と同じく理不尽な運命を背負っているのだと分かった。別にこんなことで分かりたくは無かったが。

 

「…………この家の事もよくわかった気がするわ」

 

慣れるまでにはかなりの時間を要するだろうが、この場の居心地は悪くない。

そう感じたのだった。




もーそろそろアンケート機能なるものを使ってみたいのですが何をアンケートすればいいのか

誤字報告してくれている方、助かってますorz
誤字脱字のオンパレードなのは分かっているのですが中々治らず……お恥ずかしい限りです


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右腕の代償②

大変お待たせしましたorz


夕食を温め直し、冷凍保存しておいた白米を解凍して由紀に出した。後、食べ終わってもそのまま食器は置いといてくれとだけ伝えて、亮は自室を経由してからベランダへと向かった。出るなり灰皿の前でタバコを取り出し、火をつける。

と、そのタイミングで図ったように仕事用の携帯電話が着信を告げた。今後の方針についての連絡だろうというのは明らかだ。だからさっさと電話に出る。

 

「俺だ」

『つい先程清掃を終えた。そこで得られた情報を元に今後について話をしたい』

 

返事はせず、代わりにタバコを吸って吐くことで続きを促した。

 

『奴らの次の目的はドリフター久坂陽吾……だが、奴らがニーナ・ヴァルバットを殺害されて黙っているとも思えん。恩師を仇を取るために世界を敵に回す連中だからな』

「そういう奴らだからこそ、誰かが欠けようと目的に対して真っ直ぐ突き進む事もある」

『……誘い出す手は使わない方がいいと?』

「あぁ」

 

今回、敵は攻め込まれる事を前提に手を打っている節がある。

リニアの線路や各地で起こした爆破、宮里紀子の暗殺、そして宮里由紀を呼び寄せた事でその確信を強めた。

 

敵は極術師に自分を見つけさせ潰そうとしている。

 

力の誇示、それとも会話をしたいのか。中身はどうか知らないが、わざわざ目立つことをして、火種は大きく起こしているあたり、殺したいだけではなさそう。

亮には、どうにも「弱者でも工夫次第で強者に勝てる」ことを示したがっている様に感じた。

 

「元絶対零度、紀子に対しては合理的に戦ったが、由紀に対してやった事は非合理の塊だ」

『確かに、暗殺とは言えないか』

 

極論、暗殺するなら通り魔の様に油断している所をザクッとやるのが正解だ。紀子に対して家ごと爆破するという手を使った様に、不意をつく攻撃が正解。

わざわざ呼び寄せて時間をかけて嬲ってしまったがためにこんな事態に陥る。

深夜の道を極術師一人に歩かせるだけで目立つのだから、殺してしまえば尚のこと、潜伏地点まで割れる。暗殺どころか自分の居場所さえ露見させてしまう愚行。そんなもの分かっていると仮定すれば。

敵は新世界に対して極術師の暗殺を隠すこと嫌がっている。

 

自分達が極術師を殺害したことを公にし、そして各個撃破していく采配。

 

極術師は絶対ではない事を示し、世間の混乱を招く事が目的だろう。

 

「誘い出すなんてして察知されれば、向こうは来ないだろうな。極術師をきちんと理解しているからこそ、他の条件を自分に有利な物にして戦おうとするハズだ」

 

だからと言っても極術師は極術師。顔を合わせてゴングの音ともに戦いを始めてしまえば、普通は勝てない。だからこそ、工夫で倒そうとしている。弱者が強者に勝てるとすれば搦手しか無いものだ。

 

『だから、罠を張って悠長に構えてしまえば……』

「他の極術師が死ぬかもな」

 

もちろんこれはただの予想。煽って誘えばすんなり来てくれる可能性もなくはない。向こうが仲間想いだったら充分有り得る話だ。全員そうではないだろうが、この件それ自体が仲間のための復讐なのだからその仲間──ニーナの死体でも雑に扱ってやれば怒り狂って出てくるかもしれない。

遺体の肉片や血液取り込み体を生成して屍姦やら解剖やら、彼女の尊厳を踏み躙ったムービーでも送り付けてやれば間違いなく出てきそうである。

もちろん死者の尊厳を踏み躙ることをナナシは許可しないだろうが。

 

『……分かった。情報が入り次第君に連絡しよう。絶対零度には君から伝えてくれ』

「ン」

 

短く返事をして了解の意を示す。

 

『それにしても、今回は随分と散らかしたな』

 

それで終わりだと思ったら、ナナシは別の話題を切り出した。

 

「何の話だ」

『ニーナ・ヴァルバットの遺体は原型を留めていなかった』

「だから何が言いたい?」

『清掃班が愚痴を吐いていたぞ』

「それが仕事だろって伝えとけ」

 

向こうも向こうでかなりの金額を受け取っているはずだ。業務内容に違いは無いのだから文句を言われる筋合いはないと思う。そんなことはナナシも分かっているハズで。

 

『…………なぁ、彼女はいい子だった』

 

その彼女がニーナで無いことは直ぐにわかった。無理やりにでもナナシはこの話題を持ち出したかったらしい。

 

「手のかかる印象しかない」

 

二十年近く前、けれど亮はそれを昨日のように思い返せる。

 

仕方なくこの世界に足を踏み入れた少女に戦いを、身を守る術を、必要になる心構えを教えたこと。

少女はいくつかの修羅場を乗り越え、その果てに大切な人を見つけたこと。

そして最後には自分の大切な者を救い、闇の底から這い上がり、幸せを掴んだことを。

 

『そうだったな。ここの訓練所で君が彼女の額を小突いてる姿は印象的だった』

「昔の話だ」

『あぁ、昔の話だ。もう二度と戻らない。お互い、それを忘れていないなら構わない。ではな』

 

と、亮の返事を待たずに通話が切れた。どうやら、彼女は心配してくれていたようだ。余りにもらしくない殺し方をした事に違和感でも覚えたんだろう。

 

夜空に溶けていくただ紫煙を眺める。思考はない。昔の仲間の死に心を痛め塞ぎ込むほどデリケートな神経を持っていない。作り出した味覚に染み渡るタバコの苦くコクのある風味を味わっているだけだ。

 

「……ふっ」

 

ふと鼻で笑った。なぜか漏れ出た笑みだったが、これはせっかく闇の底から這い上がったのにも関わらず、結局、闇に足を掬われた宮里紀子を哀れんだものだ。

 

──また失った

 

なんていう心の奥底の呟きは、まるで関係ない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「くっ、美味しい……悔しい……」

 

左手で箸を持ち、器用に腕一本で食事をする由紀は、レンジで温められたコロッケが自分の作った物より美味しいことに悔しさを覚えていた。このコロッケは彼の手作りらしいので、この分だと戦闘力以外の部分でも負けている可能性が高い。

 

「(……それにしても、この家どうなってんの?)」

 

広いリビングを見渡してながら考える。マンションの一室にしては広すぎるし、リビングから通じる一人一人に分け与えられた部屋は5部屋もある。亮、愛菜、八代、優衣、由紀の五人で丁度ピッタリの数。まぁおよそ普通のマンションの構造ではない。しかし、だからと言ってワンフロア丸々くり貫いて作ったにしては小さい様な気もしなくはないが。

 

まぁそんなことより問題は住んでいる者達が問題だ。

 

彼は言うまでもないが、同じ極術師の愛菜に、愛菜と同じクラス、自分と同じ学校に通っている七尾優衣。そして狐の耳と尻尾を持った銀髪幼女。

前者二人の関係性なんて同じ学校くらいしか思い浮かばないのだが、それでも二人は対等に、愛菜に至っては学校では見たことがないくらい元気に接していた。自分とは違った方向で接しずらいとか言われていたハズだったが、あんな元気な姿を学校で見せれば一躍人気者になれるだろう。

優衣はそもそもあまり接点がないのでよく分からないが、少なくとも彼があれだけ好意的に接している点からただ者ではない事だけが明確に分かる。

 

そして銀髪狐耳幼女。何だそれは。

 

異世界に転生したとか、ここだけ時空が歪められているとか、そう言われた方が納得できる。

 

「(……ただ、魔物の頂点がどうとか言ってたわね……)」

 

最近聞き慣れた魔物という単語のおかげで彼女の存在に現実味が帯びる。外界遠征時の巨人といい、確かに魔物と言われれば有り得そうな気はしなくもない。

ただ、そんな存在がなぜこの新世界に居るのかは分からないが。

 

「(何にせよ、情報が足りな──)」

 

頭の中で思考を放棄しようとした瞬間だった。ガチャッと音を立てて五部屋の内真ん中辺りのドアが開く。さっきその部屋に入っていったのは──その回答は姿を見ればそのままだ。

 

「ういぃー」

 

八代だ。なんか変な声を上げてはいるが、別にもうそんなのは気にならない。

 

「ういぃー」

 

同じ様な声、というか、音を出しながら八代を頭の上に乗せている巨大な骨が浮遊している光景に全て持っていかれた。

 

「???」

 

驚きの言葉よりも疑問符が並ぶ。自分の体格程の、宙に浮かぶ狐の顔の骨だけの存在の上に、干された布団の様に寝転ぶ狐耳の銀髪幼女というこの世の物とは思えない光景は、取り敢えず語彙力を喪失させるほどのインパクトを持っていた。

 

「ん?青いのまだ食っとったか」

「……え、えぇ」

 

コロッケを飲み込んでから何とか返事を絞り出す。ただそれ以上の言葉は紡げない。

 

「どりんくどりんくー」

 

頭真っ白な由紀にはお構いなく、八代はキッチンの大きな冷蔵庫に向かい、上段を戸を開いて中からペットボトル容器のコーヒーを取り出した。

そのまま由紀の対面に移動し、椅子に腰を降ろした。

 

ちなみに、ペットボトル取り出す動作以外は狐の顔の骨が行っていた。しかも八代が椅子に座った直後、八代の頭に狐の顔の骨が触れたと思ったら、それより小さいはずの八代の頭の中に掃除機に吸われるが如く消えていった。

普通に生活していたらお目にかかる事の無い一連の流れに対する、やっと出てきた由紀の感想は「意味わかんない」だ。

 

「味はどうじゃ?」

「お、美味しいわ」

「そらよかったのじゃ」

 

気を使ってくれているのか、ありきたりな言葉から会話が切り出される。

 

「……」

「……」

 

が、直ぐに沈黙が場を支配した。向こうも向こうで会話の切り口を探しているのだろうか。ならばあの返しは無かったかな、なんて思いつつも残された米を箸だけで丁寧に食べていく。それを見てか、八代もペットボトルの蓋を開けてコーヒーを飲み始めた。

銀髪狐耳幼女がペットボトルのブラックコーヒーを飲んでいく様は、何だかファンタジーな世界観をぶち壊していく。

 

「あーそのなんじゃ」

 

煮え切らない様相で、再び八代が切り出す。

 

「何か聞きたい事とかある?」

 

現在の由紀にとっては超絶回答に困る切り出しだった。そんなものありまくるに決まってんだろとツッコミを入れたくなるものだ。

 

この家はどういう構成?

 

あなたと彼の関係は?

 

優衣はどうしてここにいる?

 

片手で数え切れはしない質問の山。だが、それよりも由紀は、最初に一つだけ、聞きたいことがあった。

 

「彼は、なに?」

 

今更、ちょっと特別な人間なんて枠には収まりきらない。彼はああいう存在だと認識するには構わないが、それでも何か明確に定義付けされているなら、それを知りたい。

 

「ふむ、魔人──ともちと違うが、そうじゃの、魔人という存在じゃ」

「……聞いたことないわ」

 

魔術を扱う人間。なんて単純な言葉遊びではなさそうだ。

 

「お主ら風にいう、エーテル。それが骨の髄まで染み渡り、細胞の一つ一つがエーテル細胞となり、魔力を絞り出し、エーテルの結合……というより、食らう特性を体現した人間」

 

食らう特性。それは何度も目の前で見せられたものだ。

 

「じゃが主は行き過ぎた。肉は持たず、魔力その物が体という概念に当て嵌る」

「……体は持たない?」

「違うの。言っとるじゃろ、体があるとすれば主の持つ魔力。体が無いとすれば最早魔力そのもの。魔人とは違うと言ったのは、そーゆーことじゃ。単に、もう人の枠を超えた完璧な存在じゃからの」

 

まさにファンタジーだ。由紀の頭では理解しきれない。取り敢えず、生物を超えた存在、辺りに一度落とし込む。

 

「……人間の行き着く先が彼ってこと?」

 

そして沸いた疑問がコレだ。エーテル細胞が全身に回り、肉体を失うほどになれば彼になるということは、人類が行き着く先であるかもしれないという疑問。

 

「ちゃう」

 

が、即否定。

 

「良くて魔人止まりじゃろ。主の様になれるはずはない」

 

その癖して、明確な理由は示さない。恐らく、あまり話していいものでは無い物なのだろう。彼の根幹に関わる話なのかもしれない。聞けば戻れなくなる。

そういう警告に感じた。だから由紀は。

 

「教えて」

 

聞き出す。

 

「……」

 

案の定、八代は言葉を詰まらせた。

 

「……彼だけ、私の事を知っているのに、不公平──ううん、違う。知りたいの」

 

理屈じゃなく、知りたかった。彼について聞くことで、ここに来る前に与えられた選択に対する答えが出る。そんな気がした。

 

「……まぁ、いいじゃろ。ダメだったら記憶を消せばいいだけじゃ。長くなるぞ」

「構わないわ」

 

息を吐いて、八代は始めた。

 

「一万年以上も昔、旧世界に残った人々が居た」

 

新世界のでは、地球に落ちた隕石のせいで残った人々は全滅したと言い伝えられている。自分の認識はまずそこから違うのだと切り替える。

 

「飢え、魔物、自然災害、あらゆる不幸に見舞われても生き抜いてきた人々はやがて魔術を手に入れる」

 

ある日突然、人が魔術を使えるようになった、新世界の歴史とそこは同じ。

 

「最初の、火を操る魔術師、水を操る魔術師。二人は人類の希望として称えられた」

 

火と水。その二つを自在に操る者が居たら、確かに担ぎ上げられるだろう。由紀にも想像はついた。

 

「……ここで、青いのは「神」について知っているか?」

「神……?イメージはつくわ。八百万とかそういうのでしょ?」

「…………まぁそれで良いわ。こっからぶっ飛ぶぞ?二人はやがて神となる」

「……」

 

予告すればいいってもんじゃない。意味がわからない。

 

「妾も理屈はわからんし、多分そんなもんないんじゃろ。ただ居た。それが現実じゃ」

 

無理やりにでも落とし込む。嘘は無いのは間違いないだろうから。

 

「神となった火の魔術師は炎神と呼ばれ、水の魔術師は水神と呼ばれた。神となった二人の力は、人には及ばん。そういう存在になり、そして、人々は彼らと共に成長してゆく事となる」

 

世界は彼らを中心に栄えていく。魔物が居るような環境で、絶対的な存在が居ればそれについて回っていく。この新世界が王によって統治されている様な、そういう風景が浮かんだ。

 

「それからどれほどの時間が流れたは分からんが、主が産まれた」

 

彼が生まれたのはそういう時代。由紀はさっきまでの前提を頭に入れつつ、八代の言葉により一層耳を傾ける。

 

「主は生まれながらにして高い魔力との親和性があり、幼いながらにして尋常ならざる魔力を持っていた。齢五つで魔人となる程にはの」

 

才能があった。そういうことだ。

 

「そして、仲間にも恵まれた。皆で力を合わせ、時には喧嘩をし、生きて行った。裕福ではなかったが、不幸ではなかった。そういう生活じゃ」

 

力はあっても向こうではごく普通な生活。向こうの基準での普通が由紀には分からなかったが、特筆することはないのだろう。特筆することのない、当たり前の生活を送れていた。

 

「そして、主は、大切な者を守ろうとして世界の頂点の片割れ、炎神を敵に回した。経緯はすまんの、主の許可が無ければ言いたくない」

 

のじゃ口調を消してまで言い切った。彼女に無理やり聞き出すのは野暮なのだろう。気になりはしたが、頷く。

 

「そして主はたった一人で世界の片割れと戦う。もちろん勝てるわけなどあるはずもない。明確に戦いの火蓋が切り落とされてから、数秒で主は敗北した」

 

数秒。もはやそれは戦いにすらなっていない数字。

 

「……でもそれなら彼は」

「うむ。けれど主には一つだけ反則技があったのじゃよ」

「反則技?」

 

現在の彼は存在そのものが反則だがどういうことか。

 

「体の何かを犠牲に、一時間だけ時間を巻き戻せる」

「っ!?」

 

言葉を失った。なんだそれはと思うが口には出せない。そんな力があれば負けようが無いはずだ。

 

「じゃがの、そんな反則技があっても勝つことは不可能」

「なんでよ?相手が何するか分かっているなら、手の打ちようはいくらでもあるじゃない」

 

たとえ、相手が強くとも、何をしてくるのかが事前に分かっていてるなら、対処のしようはある。逃げようと思えば逃げることだってできるはずだ。

 

「そうじゃの……あれはなんと言えばいいか……」

 

唸る顎に手を当てて考え始めた。炎を操る神の攻撃と言えば、辺り一面を焼け野原にするとかだろうか。なんて予想したが。

 

「触れた瞬間即終了、銀河の端から端まで音速で駆け抜け続けられ、障害物がまるで意味をなさない攻撃をどう避ける?」

「?」

 

スケールが違った。

 

「ゆっくり整理するかの。直径は10cmほどの球体。新世界でも見ることのできる火球をイメージするのじゃ。速度は大体音と同速。次に物理法則を一度追っ払って考えよ。神が「根本亮を浄化する」と定めて放たれた物じゃから、その目標のためなら他の全ては無視する」

「無視するって……」

「……これは炎神後、水神と戦った時に妾も見た現象じゃが、炎神と同じ火球の様な水球は、宇宙空間でも普通に追尾して来おったし、手頃なデブリを盾にしたが、それをすり抜けて来おった。妾の持っていた力を使い、存在の確認されている異世界とこの世界を結ぶ狭間に飛ばしたが、ご丁寧に空間を歪めて出て来おった。まぁ、そういう力じゃ」

「……」

 

スケールが違った。もうこの感想しか出てこない。軍隊と同じ戦力とか、人類の頂点とか、極術師の存在なんかが霞んで消えてしまう話。

物理法則に縛られている身では絶対に届かない。そういう戦い。

 

「そういう、人の身では越えられない者を神と称し、神の術を神術と呼ぶ」

 

──神術

極術とは比べ物にならない力。この世の法則を無視する力。

 

「……話を戻すかの。恐らく、神術と思われる、主の時間を巻き戻す力を用いても、炎神は越えられんかった。当たり前じゃ、一時間巻き戻した所で物理法則に則った動きしかできん主には炎神に傷一つ与えることも叶わん」

 

誰だってそうだろう。恐らく、人の身である限り、勝てる存在ではない。そんなことは由紀にでも理解できた。人の身では届かない存在だから神なのだ。

 

「じゃが。主は諦めんかった」

「そんな存在を前に?」

「うむ、諦めない。万なぞ当たり前、兆ですら足りんし京でも微妙、垓でちょうど良いか?まぁ、それだけやり直した。終わってない。何度でも戦えると。それでも、そのまま主が炎神を超えることはなかった」

 

何度やり直しても、結果が変わることなんてありえない。それが人と神の差だ。下手な鉄砲は数打ちゃ当たるが、当たったところで意味が無いのだから。

 

「(……終わってないって……だから彼は)」

 

自分と相対した時、彼はそう言っていた。「こんなもんじゃない。まだ立てる、動ける、終わってない。僅かでも希望があるなら踏み出せるだろ」と。

アレは、彼自身の経験から出ている言葉だった。

 

「彼は……」

「何故、か?んなもん簡単なことじゃろ」

 

抱いた疑問。何故彼は諦めず戦い続けたのか。八代は簡単だと前置きして。

 

「守りたいものがあるからじゃ」

「……っ」

 

当たり前のことを言った。

 

「守りたいものがあり、それを守るためならなんでもする。ほら、よく言うじゃろ」

 

古くから使い回された言葉だ。「あなたを守るためなら何でもできる」という、聞きすぎて耳にタコができてしまいそうなテンプレの台詞。

亮は、ただそれを実行しただけに過ぎない。

 

ただ、そうだとするならば、何故彼はこんな所にいるのか。

 

「こっからが本番じゃな。何回も同じ時を繰り返した主は奇跡を起こした。自分の大切な人を守りたい。その想いが奇跡を起こす」

「……奇跡」

 

漢字に起こして二文字。音にして読めば三文字。ただしその言葉が内包するものは酷く曖昧で、説明することは難しい。

 

「妾もどうしてか分からんが、恐らくはたった一人のために時間を巻き戻し続けた──言い換えれば、たった一人を信仰し続けた主が起こした奇跡は、信仰対象の神格化じゃった」

「神格化って言うことは、神になったってこと?炎神と水神……だったかしら」

 

人々の希望として神になった二人と同じように、亮が想い続けた大切な人が神となったということか。

 

「そうじゃの。じゃが、その想いは余りにも強すぎた」

「強すぎた……?」

 

件の炎神と水神、それよりも強いと言われても、そんなもの想像はつかない。

 

「お主は神について八百万ならと言うとったが、そういう矮小な存在からは程遠い、唯一神。炎神やら水神とは順序が逆じゃの。世界があり、その中で神の位を得て術を振るう存在ではない。ヤツが、「七尾真衣」がおるから世界がある」

「七尾……真衣……」

 

七尾優衣。ついさっき睡眠についた彼女と同じ姓。ここまで来ればわかる。彼女は神となった七尾真衣の関係者。亮が彼女を溺愛している理由なんて、恐らくその辺で十分だろう。

 

「主が奇跡を起こしたその時、ヤツは神となった。なんなら、今までの世界は消し飛び、ヤツが神となったその日に世界が再誕したと言っても過言ではないの」

「……けど、それなら、彼の望みは全て」

「ならんよ。いや、もしかしたらなる方法はあったのかもしれんな。じゃが、そんな事にはならなかった。炎神に浄化され続けた主は、神に炎神を超えるためだけの力を与えられ、魔人の特性を用いて炎神を食らうた。じゃから、一人になった」

 

彼女があるから世界がある。そんな神がなぜ?と、由紀は思った。炎神や水神ですらこの世の理を無視した所業を成すなら、その上を行く神ならなんでもできるんだろう。

 

「……これは憶測じゃが。神はこの世の未来すら見通すんじゃろ。神の心など妾には分からんが、主が進むこの道の先に、神が──引いては主が幸せになれる世界が待っているハズじゃ」

「そうね、全てを見通せて、その七尾真衣って人が自分の望んだ未来を手に入れようとしているなら……」

 

つまり、過去に彼の前で起こった出来事はいくら変えようと、彼の望んだ結末を得られない。そして、それを成す方法は未来にあるのだと。

 

「じゃが、コレも結局、神が主を愛している場合に限るがの」

「……」

 

全ては、文字通り神のみぞ知るというわけだ。

 

「じゃから、主はそれを信じておる。そうじゃないと困る。それを前提に生きておる。さて、それからじゃが。神は二度と主の前に現れることはなかった」

「……だから、彼は一人になったと」

「そうじゃ。炎神を食らい、意識を失った主は、炎神を信ずるもの達に攫われ、拘束され、何度も何度も体を切断された」

 

今まで信じていた神を殺めた存在を、許せるハズはなかったのだろう。

 

「その度に回復し、そして主の頭の中には炎神がこれまでの人生で築き上げた全て──記憶、想い、感情、感覚、神としての力もじゃな。文字通り全てを手に入れたがために、主は壊れていく。自分の体が何度も切られ、回復していくその痛みがどうでも良くなる程にはの」

 

体を切断される恐怖。由紀がつい最近味わった、もう二度と体験したくないアレ。どうやら、彼もそれは経験済みらしい。

 

「主は、炎神がこれまでどんな想いで人々の期待を背負い、成長し、神と呼ばれ……恋人と離れ、心を痛めながらも皆のためだと涙を流しながら人を浄化していったのか知った──いや、体験した。もちろんじゃが、生身の人間がそんな物に耐えきれるわけが無い」

 

想像がつくようなものでは無いのだろう。

 

「やがて心が壊れた主は、手当り次第に人を食らう。いつしか主の記憶には、自分で自分を殺した自分の中の自分が自分を殺し自分はその自分に食われ──と、まぁ、狂う。理性は消し飛び、手当り次第、それこそ世界を破壊する程度には暴れ回る……ハズじゃった」

 

そうはならないから、今この世界がある。

 

「七尾真衣と会いたい。あの頃に戻りたい。その意思が、主に理性を取り戻させた」

 

何となくだが、八代のその言葉で理解した。彼の生き地獄を。

 

「心が折れ、砕け、自分自身を恨む声が自分の中から幾億と聞こえようとも、主の中のその想いが心の底から溢れ出て、理性を取り戻させる。強すぎる想いを持った者に理性を消されそうになろうとも、主は、自分のその想いだけで取り戻す」

 

まさに愛の力。なんて茶化す気にもなれない。

 

「たとえ死の淵に立たされようと、愛しているから生き返る。いつかきっと、どうすればいいか分からないけどどうにかなるかもだから生き返る。想いが消えないから自分も消えない。コレを……呪いと呼ばず何と呼ぶ?」

 

きっと、彼はこの呪いおかげで今の状態に出来上がったんだろう。無敵の体も、冷えきった心も、無数の人々の意志を大切な人の元へ、という意思で抑え込んでいるから。だから体が無くなろうとも自分が潰えない。

 

「ありがとう、八代ちゃん」

「……」

 

正直、理解は及んでいない。真っ当な人間なら長ったらしい設定だ、なんて一蹴する。それができない理由は、目の前の銀髪狐耳幼女が一滴の涙を流しつつ俯いているからだ。

 

心を痛め、誰かの過去を想って涙を流す女の子を前に、設定だ、なんて言えない。

 

「いいんじゃよ。ここに住むならお主も家族じゃ。主に人生を壊された青いのにこんな事言うのもなんじゃが……知ったからには、どうか、主を見てやって欲しい」

 

なんとも図々しいお願いがあったものだとも思う。

 

「主に敵意を抱くなとは言わん。憎んだって構わん。ただ、一度間違えてしまって、それを間違いだと正す者もおらず、一人間違えたまま戻れなくなった主を、見てやってくれ」

 

そう言って、八代は小さく頭を下げ、そのままペットボトルを持って部屋の中へと戻って行った。

 

「そっか……」

 

静寂を取り戻したリビングで、由紀がポツリと呟いた。

 

「だから彼は、私に選択肢を与えたのね」

 

母親を生き返らせる選択肢を由紀に提示したこと。それは全知全能を気取ってるわけでも、増してや意地悪でも無い。ただ、復讐の果てに独りぼっちにならなくていいと言ってくれていた。

彼はきっと否定するだろうが、八代の話を聞いてしまったら、もうこうとしか思えなかった。独りぼっちの先駆者が、自分のようにならなくていいぞと言ってくれている。

 

「なら、私の選択は決まってんじゃない」

 

ご馳走様と手を合わせてから、由紀は立ち上がった。彼に回答を出す時が来た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時刻は朝の三時半。

もう後一時間半で偽りの日が昇り始める。この世界はそういう風に設定されている。このホワイト地区でも上から数えた方が早い高さを誇るタワーマンションの最上階のベランダで、亮は六本目のタバコに火を付けた。

壁に背を預け、設定された夜空の星々を眺める。実際の夜空をコピーしたこの精密な映像は、亮の大好きな天蓋その物だった。

 

今日は月が設定されていない。それだけで良い。

 

「答えが出たか」

「…………えぇ」

 

夜空からは目を逸らさず、亮は火を付けたばかりのタバコを体内へ取り込んだ。

 

「私は、復讐を成し遂げる」

「……」

 

由紀から出た、意外な言葉。亮は黙ってその続きを待つ。

 

「お母さんと、由美は死んだ。だから私は、二人を殺した奴を殺す」

 

チラリと横に並んだ由紀を見れば、その瞳に迷いはなかった。そして亮にはそれが解せなかった。

 

「……なんでだ。お前は……支えが、居場所が欲しかったんだろ」

「随分知ったようなこと言うわね。それもあなたの力かしら?」

 

ここに来る前、亮が選択肢を与えた時とは立場が逆。由紀は余裕そうな笑みを浮かべながら返した。

 

「魔術を使えば知れるが、ンなことはしていない。ただ、お前を見ればそんなのすぐわかる」

 

世間からは絶対零度のフィルターを通されて見られた。だから気に置ける友人なんていない。宮里由美の件に際し亮と相対した時は一人だった。母親の死後廃園で戦った時も一人だった。そしてニーナの元にも一人で向かった。

自分の心の内を吐露できる存在を彼女は持ち合わせて居ない。そんな事は明白だ。

ならば必要なのは心の支えになる居場所。一部の例外を除き、家族というものは最も大切な居場所のはずだ。それを失い、一人もがき続けているからこそ、亮には分かる。

 

人は、寂しいのは嫌だ。

 

そんな、単純な事実だ。

 

「そうね、あなたの想像通りだと思う。だからこそ、よ。私は、やっと居心地のいい居場所を見つけられたかもしれないから」

「……」

 

まともに会話をしだしたのがついさっきだと言うのに、コイツは一体何を言ってるんだと純粋に思った。

 

「あなたの与えてくれるズルをしても、私はきっと、一人になる」

 

母親が老衰か何かで死んだ後は──なんて話じゃない。

 

「お母さんもね、私の事、分かってくれていなかったのよ」

 

母親であろうと、同じ絶対零度を操る者だとしても、悩みまで同じものではない。

 

「いつか、絶対に。お母さんはいつもそうやって言葉を濁してきた。子供の頃から私が変えたかったのは「今」だったのに。もちろんお母さんが間違ってるわけじゃないわ。だって、その今には絶対零度の称号を無視してまで手を差し出せる人なんていなかったもの」

 

圧倒的な力の称号に恐れを抱かぬ者なんていない。まして理解者なんて早々簡単に現れるものじゃない。

 

「……私が好きになった人は、絶対零度なんて称号があっても、その前にただ女の子だろって言ってくれたけど、本当はそれも悔しかった」

 

言葉にしてみれば、なんて我儘なんだろうと自分で浅ましくなる。

 

「私は絶対零度。宮里由紀。この称号は、私が極術師である証で、プライド。私はこの証を抱えて生きてきたのに、それを否定された気分だった。誰かに手を差し伸べて貰いたかったのに、彼は絶対零度を抜いた私しか見ていなかった事が嫌だなんて」

 

後にも先にも、鈴木数馬という存在以外で絶対零度の称号を気にしないものなんて現れないだろうとは思う。とても貴重で、運命の出会いとかそういう類のものだろう。ただ由紀は、彼とは進む道を違える。

 

「あなたに由美を奪われて、犯罪者達にお母さんを……殺されて、そして色んな人に心配。いえ、見世物にされた……私は、世界が憎い。きっと……あなたもそうなんでしょ」

 

亮は由紀の言葉に反応しない。知った様な口を利いて欲しくないなんて理由じゃなく、その通りだからだ。

 

「憎くて堪らない世界の裏側は、そんな人達で溢れ返ってる」

 

目の前の彼。彼と同じ様に表の世界を冷えきった目で見てきた愛菜。みんなのためなんて理由で全てを奪われた彼のために涙を流す八代。それに、きっと母親を殺した人達も多分そう。

 

由紀が知る限りこう。みな、今のこの世界が嫌いな者達ばかりだ。

 

「だから私は、ここに居たい」

 

そう言い終えた由紀に対して、亮はかける言葉が見当たらなかった。彼女の選択は、世界に負けたと白旗を上げる行為だ。

 

陽の光は眩しいから、当たらない場所へ。

手を取り合うために手を伸ばすのに疲れてしまったから、手を降ろす。

 

亮は宮里紀子が大切にしていた宮里由紀がこちら側に来る事を早々容認できはしない。彼女の意思が無駄になってしまうから。

 

ただ、それでも。痛くて、苦しいから逃げたい。

 

そう思う由紀の嘆きを無視する事はできない。立ち向かうことを諦めて、逃げたいと思う者に無理やり前を向かせるのは好きじゃないから。

 

「分かった。ここは、お前の居場所だ」

 

だから、認めるしかない。

 

「……ありがとう」

 

言って、由紀は亮に左手を差し出した。

 

「ン」

 

それを握り返す。由紀の顔は少し綻んだ。

 

「……あなた、手も冷たいのね」

「悪いか」

「別に……あなた…………りょ……亮さんらしいわねって」

「……」

 

名前で呼ぶ。まぁ随分といきなり頑張ったらしい。ここは自分も彼女に名前を呼び返してやるのが筋だろう。だがそんなことより。

 

「恥ずかしがってるとこ悪いがお前ちょっと血生臭いぞ」

「うぇっ!?」

 

当たり前だ。止血はしたが数時間前には右腕を切り落とされたばかりなのだから。そろそろ血液の生臭さが目立ち出す。

 

「しゃ、シャワー借りるわね!」

 

元気よく、由紀は自室から浴室へと駆けて行った。

 

「はぁ、うるさいのが増えたな」

 

やれやれと首を振る──事は無い。これは独り言ではないから。

 

「そだね」

「そじゃの!」

「楽しみだね」

 

ぞろぞろぞろぞろと愛菜、八代、優衣が自室から出てきた。どうせここで話をすることになるだろうと全員ベランダ付近で聞き耳立ててスタンバってたのだ。

 

「由紀ちゃんをからかい倒す台詞も見つかったし、これで暫くはパシりに使えそう」

「りょ……亮さん……かーっ!初々しいの!」

「……二人とも怖い」

 

熱烈の歓迎が明日……というより、今日から始まるのが目に見えてきた。二人は人の弱味に漬け込むのが大好きな性悪なのだ。

 

「……程々にしとけよ」

 

言いながら七本目のタバコを取り出した。

 

「ねぇ、義兄さん」

 

火をつける前に、優衣が口を開いた。

 

「なんだ?」

「由紀さん……着替えあるのかな?」

 

あるわけがない。

 

「あー、私の服貸しとけばいいでしょ?」

 

と、愛菜が亮に確認を取るが。

 

「お前の服じゃ入らねえだろ。バストサイズ的に」

「はーイビリ甲斐のある後輩が入ってきたもんだよ」

「情けねえ先輩がいたもんだ」

 

哀れなものである。

 

「そしたら私の服も入らないし……どうしよう?」

 

優衣が困ったように尋ねた。愛菜の様に見苦しい事も言わない優しい女の子だった。

 

「……選択肢は二つだ。俺の中にある女物の服を体内から生成して出すか、同じ服を着てもらうかだ」

「普通、両者とも嫌だよね」

 

夜道は普通に歩いてきてしまったが、後者は服の袖もぶった切れているので少なくとも今日の買い物には使えない。必然的に前者が一番合理的になるわけだが。

 

「服のサイズ分かんねえぞ」

「そらそうじゃの」

「仕方ない。愛菜、聞いてこい」

「え、それ私に振る?敗北を知ってイビるとか性格悪い事言った私に振る?オーバーキル?」

 

結局、この後に優衣が聞きに行って、一先ずは事なきを得た。

それでも、先行きに不安が残るのは仕方のない事だ。




話が、進まねえ……


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右腕の代償③

らしくない夢だと笑われそうと思いながらも、由紀は今見ている夢がとても楽しかった。

圧倒的な力で持って、母親を殺した顔も知らない、黒いシルエットだけの者達を氷の氷像へと変えていく。顔は分からないが、「絶望」の表現をした氷像を氷の弓で撃ち抜き砕くために、狙いを絞り──ユサユサと体が揺らされる。

 

揺らすな。穿てない。復讐が、成せない。

 

きっとこれは、自分の中に残った理性が的を絞らせんとしているだけなのだ。

目を瞑って、心を落ち着かせろ。自分にそう言い聞かせ──

 

──だが。

 

「おはようでござんす」

「……」

 

目の前にいたのは、皮を持たない動物の顔だった。まぁつまり、骨である。

由紀が昨日も見たはずの、浮遊する巨大な狐の顔の骨が由紀の体を揺さぶり朝一番の挨拶を告げている。なんてことは無い、この家では日常のワンシーンとしてありがちな物だ。

 

ただ、この家ではありがちなだけで間違いなく他の家でこのモーニングコールはない。

 

よって。

 

「…………おはようでござ」

「ギャァァァァァァァァァァ!!!!」

 

目が覚めてものの数秒で眠気は吹き飛んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お、おはようでござ……ございます……」

 

物凄くげっそりとした顔で由紀がリビングにやってきた。起きて早々にホラー映画に出てきそうなものを見たのだから仕方ない事なのだ。

 

「おはようじゃ、青いの」

 

ソファーでテレビを眺めながら寛いでいる八代から挨拶があり。

 

「ン、おはよう。寝起きに元気だなお前」

「えぇ、だけどもう元気を使い果たしたわ……」

 

次いで亮からも来た。彼が真面目にボケているのか皮肉なのか分からないので、由紀は取り敢えず皮肉を返しておく。

そのタイミングでキッチンからまな板を包丁で叩く音が聞こえた。目をやれば愛菜が料理をしているところだった。

 

「愛菜ちゃん、なに作ってるの?」

「冷やし中華が猛烈に食べたくて気が狂いそうとかいいながら起きて来たから自分で作らせてる」

「えぇぇ……」

 

たまにある。牛丼は当然の事だがチャーハンだったり刺身だったりと、突然何か衝動的に食べたくなっては自分で作ったり亮に作らせたり。

 

「朝から冷やし中華っていうのも、なんか新鮮ね」

「何言ってる時間見ろ」

「時間……」

 

視線を上にやって時計を探す。それ自体は直ぐに見つかった。最近では珍しい、現在時刻のみを示す電波時計ではなく、アナログな針で示すタイプで一瞬読み取りが遅れたが。

 

「12時……すっかり眠りこけてたのね」

 

まぁ今朝の4時に寝て12時の起床なら、睡眠時間だけで言えば健康的な物だろう。ただ毎晩22時には布団に入り、6時に起床を徹底していたのだ。なんだかいけないことをしている気分になるのは、彼女がまだ優等生な証だ。

 

「飯食ったらお前の買い物行くから、身なりは整えとけよ」

 

なんて言いながら、亮は机の上に置いてある黒いブックカバーのかかった単行本を手に取って開き、読み始めた。

 

「も、もちろんよ」

 

いつもの、肩まですらっと伸ばした黒髪ではなく、寝癖で跳ねまくりボサボサと形容していい髪型では外を歩くのに適しているとは言えないだろう。まぁ、このまま出た方が里由紀だと周りに知られることは無さそうだが。

 

「……ねぇ」

 

と、由紀が別の話題を切り出そうとしたその直後。

 

『──番組の内容を変更致しまして、特別放送をお送り致します』

 

と、八代見ていたテレビからよく通る声の男性アナウンサーが画面に映し出された。

 

「えぇ……妾昼ドラ観たかったのに……」

 

口を膨らませて画面に抗議しているが、その想いが届くことは無い。

 

『一昨日の夕方、爆発の起こった一軒家が、元極術師の宮里紀子さんの自宅であることが先日の夕方に判明しました』

 

どうやら由紀の現実の方の件が予定より早く、騒々しくなってきている様だ。

 

『そして、我々の取材班が事件現場付近で、娘の現極術師、宮里由紀さんの姿を確認しましたが、我々の取材に応じることはなく、静かにその場を後にされました』

「…………コイツら……」

 

思わず声に出た。あれほど全力で走らされたのを「静かに」等とどういう神経かと疑いたくなる。

 

『何か情報がありましたら、公式サイトから情報提供をお待ちしております。続きまして、今回の一連の事件の流れを専門家の──』

 

リニアの線路の爆破事件と関連付けて、この手の事件に詳しい専門家がつらつらと言葉を並べていた。昨日立て篭り事件を起こしていた者が床下出身である事から、今回のテロは床下の者達が──なんて、ちょっと考えれば誰でもわかりそうな事を話している。

最も、今回の件は帝の時よりも遥かに簡単な全容だ。過去の事件には目を向けず、「床下出身の者が動機は知らないがテロを起こしている」で片付けられる。

 

「主、チャンネル変えてよい?」

「よいぞ」

 

本を読みながら八代の質問に回答する。

 

「ん」

 

対して面白くなかったんだろうが、事が事なだけに八代も気を使って確認してくれた。大して得られる情報は無さそうなので、好きな番組を観せることにする。

 

「……」

 

由紀は険しい顔でテレビを睨みつけたままだ。画面が切り替わっても表情が変わらない辺り、こうやって人の不幸をネタにしている連中に怒りを抱いているのだ。

だが、こっち側に来たからには連中に怒り心酔して目を曇らせて貰う訳にはいかない。自分達の仕事は、アレらを守ることにあるのだから。

だから少しだけ話題を切り替えることにする。

 

「お前結局腕はいいのか?不便ではあるだろ、飯食う時とか」

「えっ……うーん……そうなんだけど……」

 

寝る前に食事した時に不便である事は実感を持って知ることができた。器を抑える手が欠けただけで想像以上に食べにくい。

本当なら今すぐにでも病院に行って義手の手配をした方がいいのだろう。この時代、義手なら半日もあれば適したものが作れるし、後頭部付近に埋め込まれている性能のいいメインチップのおかげで体の違和感を最小限に抑える良い物になるはずだ。

 

だから今すぐ作りに行こうか、とはならない。

 

そして、その理由はハッキリ出ない。

 

「うーん……」

「復讐の決意の証明か?」

「……そう、なのかしら?もしかしたら復讐の理由を別口でこじつけてるのかもしれない」

 

お前達のせいで右腕を失った。実際その通りなのだが、治してしまえばそのための激情が薄れてしまう──かもしれない。治してみなければそれは分からない。

そこまで考えて、如何に自分が浅ましいのかと思い至る。そうまでして他人を殺す理由が欲しいのだ。

 

「……少なくとも、この復讐を終えるまではこのままでいたいの」

「そうか。まぁ、任せる」

 

亮は追求しなかった。片腕がないことに不便は感じるが、別に生きていけないことは無いなんて言うのはよく知っているからだ。

由紀が歪な理由を抱えていたとしても、構いはしない。

 

どうせ、間違っているのだから。

 

「……そろそろ、優衣を起こしてくる」

「え、あ、わかったわ」

 

本を閉じ、机に置いてから優衣の部屋へ入って行ったのを確認。では自分は髪の毛でも整えるかと洗面所に足を向け──

 

「(何を読んでいたのかしら)」

 

ふと疑問が沸いた。このご時世に紙媒体の本。しかも随分綺麗なブックカバーをかけている。彼の偉人達の時代の有名な文学か何かだろうか。価値観が狂っている彼が読む本なんて気になって仕方ない。

狂人を唸らせる文学があるとしたら、どれだけ人の心を穿って捉えた物なのかと気になって、タイトルを見るべく最初の一ページを開いた。

 

 

 

 

 

 

 

【ねぇ義兄さんお姉ちゃんと一緒じゃダメですか?〜僕達の片側二車線な関係〜】

 

「……」

 

身震いがした。

 

 

 

 

 

 

 

 

それから優衣を起こしてきた亮に冷ややかな目を向けつつも、優衣がまだ眠たそうに目をこすっていたので何かあった訳では無さそうなので一安心し、そのタイミングで愛菜が冷やし中華を人数分、皿に盛って持ってきた。

 

「一回じゃ持ってけないよ〜」

 

と愛菜が言えば、八代と優衣の二人がキッチンに行って残りの皿を全てソファではなく、食事をとる時用の机に並べ──そこで椅子が一脚足りないことに気付いた。

 

「主、妾向こうでテレビ見ながら食っとる!」

「ン、テレビに夢中になってこぼすなよ」

「もちのろんじゃ」

 

八代は箸と冷やし中華を持ってソファへ。気を使ったんだろう。昨日自分は由紀と踏み込んだ話もした事だしと。

 

各々席に着き、いただきますと言ってから食べ始める。こういうところまでしっかりしているんだなと、由紀は関心しつつ冷やし中華に口をつけた。

 

「……美味しいわ」

「ん、よかった。カラシが強いかなぁなんて思ったんだけど」

「初めて食べた味だけど、私はこれも好きよ」

 

なんて極術師二人は仲が良さそうだ。それから優衣も美味しいと言って、愛菜がありがとうと微笑む。

 

「亮は?」

「美味いぞ。だが、この味付けだとチャーシューが欲しくなるな。今度買ってくるからまた頼む」

「うんっ!任せといて!」

 

パァァと花咲くように笑った愛菜の顔を見て、由紀は改めて愛菜への認識を崩す。

別人なんて言葉が適当だ。少なくとも、由紀はこんな笑顔の愛菜を見たことがない。外界遠征の時ですら、学校と同じ、全てに関心が無いような冷たい瞳をしていたのに、この家の中ではこれだ。

本当に彼女に取ってはこの居場所が全てなんだろう。そしてそれ以外に関心がない。一体どういう風に育てられたのか、何となく気になった。

 

「あれ、由紀さん、手が止まってるけど苦手なものとかあった?」

 

少し考え込んでるうちに手が止まってしまったらしい。優衣が心配そうに顔を覗き込んできた。

 

「ううん、そうじゃないのよ……その……よく私に合うサイズの服なんてあったわね。と思って」

「……あぁ」

 

亮がチラッと他二人に目配せすれば、各々頷いてくれた。ここは任せろという亮の意思はきちんと伝わった。亮から生成された服だと知って着ることを嫌がれば少し面倒。二人の見解はそれで一致しているのだ。

ならばここは適当に嘘ついて取り繕うのが吉。

幾万の人々の記憶を持つ亮は完璧な言い訳を弾き出した。

 

「愛菜が見栄張って買ってきて結局使ってなかった奴があってな」

「うおいちょっと待てや」

 

残念ながらサイズの合わない女性物の服を置いておく合理的な理由なんてない。愛菜のプライドを犠牲するのが最も効率的に選択だった。

 

「見栄……?…………あっ」

「あっ、じゃないよ!」

「いいのよ愛菜ちゃん。大丈夫よ、所詮胸なんて女の武器の一つでしかないわ。あなたには他にいくつも武器があるじゃない」

「あ、殺意が」

 

ふつふつと由紀への殺意が湧き上がった。が。

 

「愛菜ちゃん、義兄さんは小さい方が好きだから大丈夫だよ」

「「っ!?」」

 

突然の優衣の爆弾発言に由紀と愛菜がバッと亮に視線を送る。

そんな突然の性癖の暴露を受けながらも、亮は涼しい顔で麺を啜り、必要のない咀嚼を終えてから口を開いた。

 

「違うぞ、優衣。俺が好きなのはアイツや……優衣の胸だ。順序が逆だな。たとえお前がCから由紀と同じDに成長したとしてもだ」

「あぅ……」

 

なんかシリアスに発言してはいるがこれは胸の大きさの話である。空気の読めないマジレスではあるが、優衣は満更ではなかった。

 

「主、これ絶対内心ビビりながら言ってる奴じゃな」

 

テレビの方を向きながら、ボソッと呟いた八代の言葉を亮は聞き逃さない。

 

『Aは口開くな』

 

残酷な言葉は魔術を使って直接八代の頭の中に叩き込む。

 

「人権侵害じゃー!!」

 

と、一人叫び始めた。不信に思われて当たり前の事だが。

 

「なんか、よくあるやり取りに全部持ってかれた……」

「……このタイミングで初めて名前呼んでもらうって……複雑なのだけど……」

「ぅ……」

 

三者三様にそれどころじゃなかったらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

食事を終え、一度各々が自室に戻り外出準備を済ませる。まず刺し当たった問題として、由紀の服装とどうやって顔を隠すかだ。愛菜もそうだが由紀も極術師のレッテルがあるので、メディアへの露出が多い。そのため顔が割れている。

二人とも一部の界隈のアイドル的な存在ですらあるので、並んで歩いて且つ由紀に右腕が無いことまで露呈すれば、ちょっとした記者会見状態になってしまう。

先程テレビで特番を組まれていた事から、王からの言葉がなくともこの世の殆どの者は極術師が外界遠征から戻っていると知っているハズだ。

 

なのでそこを突く。

 

まさか件の有名人が片腕無くして堂々と真昼間の街中を歩くなんて思わないだろう作戦。

ただしある程度顔を隠さなきゃいけないので、愛菜から適当にアクセサリーを借りた。元々部屋に置いてあった鏡で違和感がないかを確認してから戸を開けて、リビングでお披露目とする。

 

「待たせたわね」

 

堂々と出る。完璧な変装だ。これなら文句もないだろうと自信満々な由紀を待っていたのは──

 

「……なんじゃこの既視感……」

「や、それは……」

「あはは……」

「はぁ……」

 

呆れと苦笑と溜息と。好意的な好意的な意見は一切出てこなかった。

 

「どっからどう見ても不審者だから出直して来い」

「な、なんでよ!完璧な変装じゃ」

「あぁ完璧な不審者への変装だ。なんだサングラスにマスクって。有名人ですって自白してるようなもんだろ」

「だって、テレビとか見れば身分を隠す時とかみんなこんな感じじゃない」

「だからその格好すりゃ身分隠してるって事だろ」

「…………あ」

 

想像以上に間抜けだった。どうやら由紀()変装の意味を履き違えているらしい。

 

「(血は争えんの)」

 

二十年と少し前にもこんな光景を見た。

 

「じゃ、じゃあどうすれば……」

「そのままでよかろうよ。あれじゃ、青いのに幻影の類の魔術でもかければ良いのじゃ」

 

亮が解決案を提示する前に、八代がもっとも手っ取り早い策を示した。

 

「……まぁ、それでいいか」

 

幻影の類の魔術なんていくらでもある。対象に魔術をかけることで、周囲からの認識をズラすものが、このケースには適しているだろう。ただし、これは神術の様に無茶苦茶な性能はない。カメラに捉えられれば正しく宮里由紀として認識されてしまう。

店に入り、もしカメラの映像と常時睨めっこしている警備員が居たとしたらバレてしまうが、どの道明日には極術師の帰還が正式に報じられるのだ。買い物中に騒ぎ立てられる事にならなければいい。

 

「……そういう魔術があるなら先に言ってくれればいいのに……」

 

ボソッと由紀が呟いたが、その通りである。

 

「悪いな。まぁだからマスクとサングラスは外していけ」

「そうするわ。愛菜ちゃん、ありがとう」

「う、ううん、いいよ。私も何も気にしないでサングラス貸しちゃったし」

 

むしろなんで貸したのと問い詰めたいくらいだったが。

マスクをゴミ箱に捨て、サングラスはリビングのテーブルに置いておき、これで準備が整った。

 

「気を取り直して行こっか」

「「「ん(ン)」」」

 

優衣の声掛けに、三人が揃えて返した。息ぴったりな頷きを聞いて、由紀は。

 

「…………ん」

 

本当に小さく、ボソッと真似するのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「無理すんな」

「やめて何も言わないで恥ずかしいっ!!」

 

新世界の闇の頂点は、空気の読めなさも頂点だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

正直なところ、これから行くデパートが営業していないかもしれないという一抹の不安はあった。世間はリニアの線路の爆破事件でピリピリしてはいるが、残念ながら一般企業は線路の爆破くらいじゃ止まれないらしい。

「止まったら死ぬ」くらいにはカツカツな企業は安定装置によって管理された社会でも沢山ある。

というよりも、経済を円滑に回すためにはそういう企業が大半を占めてくれている方が効率的な物だからだ。永遠に走り続けて体力がなくなればパッと消える。世界がより良くなるためには必要な犠牲だ。

 

亮の家から最も近い、この前立て篭りテロのあったデパートもその例に漏れない。ホワイト地区の高級住宅街の中にある巨大なデパートこそ「止まったら死ぬ」いい例だ。

 

そんなデパートに入ってすぐ、亮が口を開いた。

 

「由紀、会計は取り敢えず愛菜に任せろ」

「そこまでしてもらう訳には」

「あれだよ由紀ちゃん。お会計なんてしたら一発で由紀ちゃんが買い物したってバレちゃうじゃん」

「あ、それもそうね」

 

人の生活の全てを管理できるチップが当たり前な世界の弊害だ。いくら銀行等を通して会計されるとは言え、店側にも取り引き履歴が残ってしまうのは間違いない。アルバイトか何かの店員がたまたまその履歴を見て、今日中にSNSで発信するなどしてしまえば──まぁナナシに怒鳴られる事は間違いないだろう。

 

「私達は由紀ちゃんよりお金あるし気にしないで」

「お言葉に甘えさせてもらうとするわ。その代わり、今度何かでお返しさせてよね」

「ん、期待しないで待ってるよ」

 

愛菜と由紀はすっかり打ち解けている様だ。二人が並んで先頭に立ち、デパートの中を進んで行く。その後ろを亮、優衣、八代の三人が歩いていた。

事件が起きているという事と相まってか、デパートの中はいつもより空いていた。三人並んで歩いても特に迷惑をかけることもなさそうだ。

 

「愛菜ちゃん、本当に義兄さんみたいになってきたね」

 

唐突に、優衣が切り出してきた。

 

「……優衣、その冗談は面白くないぞ」

「冗談じゃないよ。身内と、それ以外。こんな極端な線引きできるのは、義兄さんと愛菜ちゃん以外、私は知らないから」

「てことは、由紀はもう愛菜にとって身内認定されたって言いたいのか?それは早すぎんだろ」

 

本音で語り始めて一日と経っていない。なのに身内だと断言できる様ないい子じゃないのは亮が良く知っている。

 

「そうかな。この世界が嫌いで、義兄さんのそばに居るなら、それだけで愛菜ちゃんにとっては身内認定されちゃうような気がするよ」

「……」

 

愛菜とて、何も抱えずにこうなったわけじゃない。彼女も、諦めた結果こうして生きている。由紀が世界を嫌い、諦めた結果こちら側に来たのと同じ様に、愛菜もこの世界を諦めている。

 

「……まぁ、優衣(お前)がそう言うならそうなんだろうな。ここ数年は愛菜の頭の中を覗いてないから、俺には分かんね」

 

人の考えや気持ちの移ろいなんてコロコロ変わるものだ。幾万の人の人生を抱える亮だからこそ分かる。

 

人は幼いうちに、自分の心に一本の棒を築く。それはコンパスの針のようなものだ。自分を取り巻く環境で針はあちらこちらへと動いていく。そして、生きる意味やら譲れないものやら、そういう物を手に入れ、自分の行く先を決めたならば、針は中々動かない。

 

愛菜がそういう物を持っているのかどうか、亮には分からない。コンパスを奪わなければ、そんなものは分からない。

 

「亮は──」

「主〜、妾もなんか服買って良い?」

 

優衣の言葉は八代に遮られた。全く気の利くペットだなと鼻で笑ってから。

 

「いいぞ、好きなの選んで来い」

「よしゃ白いの行くぞ!黒いの達と服選びじゃ」

「ん、義兄さん先行ってるね」

「ン」

 

先導する愛菜達の元に二人が駆け寄っていくのを、亮は後ろから眺めていた。

 

「(なぁ、俺が進んでいく先に、ホントにお前は待っててくれるのかな)」

 

揺るがない心のコンパスを持ってしても、自分の行先なんて、自分には分からない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一通り日用品の買い出しは済んだ。五人も居れば荷物だって一人ひと袋ずつ持って歩いていけば問題ない。あの服が良かったとか、気になる小物があったとか、女性四人は楽しそうに会話をしながら歩いている。

魔術をかけてやった甲斐もあってか、特に問題もない。友達五人、もしくは家族五人で楽しいショッピングだったと言えよう。

 

幸せな日常回だ。自分達が変わることがないなら、永遠にこういう日常が続いてくれても構わないと思えてしまうくらいには、平和で幸せな日常。

 

──ブーッ、ブーッ

と、電話が鳴れば、現実は幸せな世界だけじゃないと教えてくれる。

 

亮は両手に抱えた荷物を見えない魔力の手で握り、右手を革ジャンの内ポケットに入れて体内から携帯電話を取り出した。手に取ったのは、仕事用の電話だ。

 

「音は漏れない。要件を」

 

必要事項だけを端的に伝えた。電話口の先の相手も、要件も大体わかっている。だからこれだけでいい。

 

『敵の幹部、隠田 轟(おんだ ごう)の居場所が割れた。詳細な位置情報は後ほどメールで送る。本命は居ないようだが、そいつは爆発物の扱いと、爆発魔術を持っている。間違いなく、元絶対零度の暗殺に関わっているだろう』

 

電話の相手、ナナシは必要なことだけを並べて伝えてくる。亮はそれら全てを存在しない頭の中に叩き込む。

 

『倉庫に隠れているようだが、出入りは現段階で四人ほど確認している。魔人、まだ絶対零度一人で行かせるには荷が重い。お前だけついていけ』

「わかった」

 

元々そのつもりだ。今の彼女を単騎で向かわせたら死ぬだけだろう。刺し違えられるかどうかも怪しい。

 

それからもう少しナナシから情報を貰い、用が済めばすぐに通話を終えた。

 

それから亮は前方を歩く由紀の名前を呼び、立ち止まらせる。

 

「由紀、取り敢えず一人見つかった。今晩行くぞ」

「っ!」

 

由紀の顔が強ばる。想像より早くその時が来たことに慄いているのか。まぁそれはどっちでもいい。

 

「……えぇ、了解」

 

所詮、早いか遅いかの違いだ。やることに変わりはない。

 

 

楽しい日常は一旦終わり、復讐の鎖で装飾された殺し合いの時が再び始まる。

 

 

宮里由紀の復讐は、ここから再スタートする。




コンパスはいいものですわよってジニアさんも言ってた

次回、やっとこさ戦闘に移ります


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右腕の代償④

技術が発展していくことで、人力よりも効率のいい生産方式が出来上がり、やがて人の労力など必要なくなる。

 

その最たる例が工場のライン作業だろう。ただひたすらに同じことを繰り返していくだけの作業。昔は色々と問題もあったが、今現在、その障害は取り除かれたと言っていいくらいに機械が進化した。

そう、人がライン作業をする必要のない世界になった。機械はミスをせず、正確で、効率的に、人間の倍の速度で作業をこなす。

 

それでも、このブルー地区にあるこの工場は人が作業をしていた。理由は簡単だ、人の働き口がないからだ。

 

人の力は機械のメンテナンスへ以降するだけ、なんて言われていたが、蓋を開けてみれば自己修復機能でどうにかなったり、何の知識も持たない人は修理などまるでできない。

 

極端な話。機械に対する知識が浅く、経験もなく、ただ体力だけは有り余っている人材。そういう者が働くのに、ライン作業というものは数少ない働き口だった。

 

そして、そういう者は床下に沢山いて、だから彼等が新世界に戻ってきた際、働く場所はこういう工場だった。

 

「……轟さん! ニーナさんと連絡が取れないって本当ですか!?」

 

今日の勤務を終えた労働者の一人が事務所のドアを開けるなり、デスクで作業をする隠田轟(おんだ ごう)に対して叫ぶ様に尋ねた。

 

「聞いちまったかよ」

 

作業を止めることなく、轟はため息をつきながら返す。

 

「……お前も、知ってんだろ?昨日は作戦の第二段階の実行日だったんだぜ?誰にやられたかなんて、考えるまでもねーだろよ」

「………極……術師」

 

この世界で魔術を極めた──化物の別名。ただどうやら心まで化物なんだと再認識する。

 

「あの魔術を無効化する装置を持ってしても、ダメなんですか」

「そういうことだろうよ、ニーナがやられたってことァな」

「そんな……」

 

あの装置の効力は彼等もよく知っている。だからこそアレは希望だった。大した魔術を持たない自分達が、極術師と同じ土俵に立つための──言い換えれば、相手を自分達の土俵にまで叩き落とす舞台装置。それもどうやら極術師には効かないらしい。

 

と、彼等は事の顛末を知らないがためにそう思い込んでいる。本当に効かなかったのはその先に居る者で、極術師にはバリバリ効いていたのだがそんな事は知る由もない。

 

「ビビっちまったか?なら降りろよ」

 

轟は彼を冷たく突き放した。

 

「いいか、オレらァな、いつまで経っても床下出身だっつーだけで爪弾きにするこの世界が許せねえから立ち上がったんだ」

「っ……」

 

ここにいる者達はみなそういう経験をした。ここはそういう者達の集まりだ。

 

「ニーナは大切な仲間──いや、オレらにとっちゃ家族だ。でもなァ、だからこそ、泣き喚いて立ち止まるわけにゃいかねぇんだ」

 

ここで立ち止まれば、それこそニーナの意思を裏切ることになる。たとえ無謀だとしても、世界を敵に回し、歴史の教科書に犯罪者として名前を残されることになろうと。

 

「復讐を成し遂げ、この世界は間違っていると思い知らせてやんだよ」

「轟さん……」

 

彼の覚悟、それはコレが始まる前にも見たはずだ。そうだ、忘れていた。

 

「そうでした。何も成せぬまま、ただ生まれた不幸を嘆くことしかできないなら、抗って死ぬ。俺も、そう誓ったハズでした」

「……」

 

轟は少年の目を黙って見据えた。時間にして2秒か3秒か。まぁ大した時間ではない。大して時間もかけず、彼の覚悟は見て取れた。

 

「うし、そうと決まりゃオレらはオレらのやることを」

 

 

──カシャッ

と、轟の言葉を遮り、音を立ててスライド式の自動ドアが開いた。

 

「ニヒッ……あんま変わってないね」

 

そのドアから、気味の悪い笑顔を浮かべた少女が入ってくる。

 

「おひさ」

 

再会の挨拶を三文字で終わらせて。

 

「……いまさら、どのツラ下げて来てんだァ?二ーノ」

 

轟の顔には、再会の喜びと、裏切り者に対する怒り、二つの感情が浮かんでいた。

 

「まぁまぁ、あたしもお姉ちゃんと話したいことあったし」

 

対する二ーノはおどけた顔で腰まで伸びた長い銀髪の髪を指で弄んでいる。

 

「突然来るなりワガママなヤローだな。まァいいぜ、オレも聞きたいことと伝えてぇことがたくさんあんだ。来いよ。オレ達のアジトに招待してやらァ」

「ニヒッ、そうこなくちゃ」

 

諸々はその後だと轟が二ーノと、先程まで話していた彼の三人で移動し始める。

 

もし、彼が生き延びる選択があったとしたら、ここ。このままこの工場で会話をしていたのなら、もうしばらくは長生きできただろう。

 

これで、新世界の闇の底の者が、彼のアジトに気が付いたのだから。

 

ついで──

 

 

 

 

 

「んぁ?なんだこれ?」

 

自室で、今では珍しい紙が机に置かれていることに気付いた。拾い上げ、内容を読む。

 

 

おにーちゃん、19時までに帰ってなかったらあたしの位置情報がマップに出るから、迎えに来て〜♡にひっ!

 

かわいいかわいい二ーノより

 

 

「…………だああああっくそ!!アイツなにしてんだよっ!」

 

鈴木数馬という、特大級の爆弾がそこに現れることもなかったのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

由紀はようやく考えることを辞めた。

 

帰宅し、湯船に浸かり、夕食をとり、愛菜と八代の盛大な喧嘩が始まり、巻き込まれて自分も闇の世界に連れていかれ、その中で無数の黒紫に輝く光線が走り回り、最後には空間が引きさかれ元の世界に戻ってきて、亮が愛菜にゲンコツを食らわせ八代が亮の体へと飲まれるというよく分からない事があった。

 

それらはおそらく考えても自分の理解の追いつくところではないので、見なかった事にし、自室で落ち着いて、作戦行動を起こす23時まで後5分のところまで考えて。

ようやく思考が止まったのだ。

 

「お母さんを殺した奴を一人残らず殺す」

 

全ての思考をこの一言で片付ける。言葉にしてはっきりと固まる。相手を許せるかとか、向こうにも何か事情があって──等々考えてみたが、いかなる理由があるにせよ、それが許す理由にはならなかった。

 

自分が人を殺す理由はそれで十分だと再認識して──

 

「行くぞ」

 

ノックもなしに部屋の扉を開けて、亮が簡潔に伝えた。

 

「えぇ」

 

ベッドから腰を上げて答える。今の由紀の瞳は、冷たく、凍っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ナナシから送られてきたデータによれば、ホワイト地区北東部、ブルー地区に近い位置に敵の幹部と思われる者のアジトになっている、倉庫がある。

ブルー地区からホワイト地区に運ばれてきた企業向けの荷物を一時保管するための倉庫だ。他の倉庫との決定的な違いは、基本的に夜に荷物の搬入搬出がないこと。言い換えるなら、深夜はここに人はいない。いくつもの監視カメラと赤外線センサー等の並程度の警備セキュリティだけが生きている。

 

その警備セキュリティも全く脅威じゃない。赤外線センサーに人が触れたら警察に通報がいくとか、監視カメラに見られたら警察に通報がいく。などの一般的なセキュリティ。どこぞの宝石の少女の家のようにガンカメラなどはない。

 

まぁつまり、忍び込むなら空から忍び込めばいいというやつだ。

 

「コレ見ろ」

 

亮が倉庫の屋根に到達するなり、口を開いた。それとほぼ同時に屋根に着地した由紀からすれば、一呼吸くらい入れさせてくれと言いたいが、悠長にしている場合じゃないのと確かだ。

なので、言われた通り亮が示す携帯電話の画像を見る。

 

「この男がお前の復讐先。お前の母親を殺した連中の一人だと思われる……爆発の魔術を扱うやつだ」

「……爆発」

 

家が爆発したという話は聞いていた。この男がそれをやったと亮は言いたいわけかと納得し、それなら復讐の対象になる。

画像を目を凝らして見れば、体格はかなり大柄な様だ。背景に写っている他の人と比較してかなり大きい。身長は190cm前後か……と一通り復讐相手の特徴を頭に叩き込む。

 

「タイムリミットは朝の3時までだ。それ以上続くようなら俺がやる」

「……待ってよ、あと三時間、ここの見取り図も何もわかんないままじゃ進めようもないのだけど」

 

当然だが、由紀は裏の仕事なんかした事は無い。この倉庫が一体どういうセキュリティで、どういう構造をしているかなんて皆目検討もつかないのだ。

 

「ンー……まぁ、これも勉強代ってことにしとくか」

「?」

 

少し悩んだ素振りをみせたが、直ぐにそう呟いた。何事かと由紀は首を傾げる。

 

「先に言っとく。コレはお前の復讐だ。基本お前一人でやれ。死にかけたり、状況を見て詰んだと思ったら割って入る。いいな?」

「え、えぇ……もちろんよ」

 

そんな物は言われるまでもない。最初からそのつもりだ。しかし今ここで言うタイミングか、なんて思いつつ。

 

「ンじゃ──こいつをこの建物の中のセキュリティルームへ」

 

その言葉を聞いた直後──

 

 

「っ…………へ?」

 

由紀は建物の中に居た。

 

「……えっ?はっ?へ?」

 

状況がまるで理解できなかった。倉庫の屋根の上で夜風に吹かれていたはずが、気が付けば空調の冷たい風に吹かれている。瞬きの間にとか、そういうのではく、まるで最初からここにいた様な感覚。

 

「(瞬間移動の魔術……?)」

 

聞いた事すらない。そんな物があれば極術師なんて霞むほどの術だった。

 

実際は、「聖移」による位置関係の操作だが、もちろん由紀にはそんなことは分からない。

この規模ならセキュリティルームくらいあるだろうという予想の元に発動した神術だった。発動した本人は、由紀が消えたことでやはりあったかという安堵と、やはり座標も存在の有無も分からず、「親しみ」もない位置に移動させるには必要な神聖が多いなと後悔していた。

 

「まっ、気を取り直して」

 

彼の無茶苦茶は今に始まったことじゃない。多分、この程度で驚いてはいけないんだと頭を切り替え、目の前にある巨大なディスプレイに目を向ける。

 

「監視カメラの映像と……うん、こっちは見取り図ね」

 

巨大なディスプレイの脇の方にこの建物の見取り図があって、それに監視カメラが設置されているであろう場所に赤いマーキングと番号が施されている。

ディスプレイ正面には監視カメラの映像が分割して表示されており、各画面の左上に番号が振られていることから、見取り図のカメラと対応した物だと理解する。

 

「なんだか色々ゴチャゴチャしててよく見えないわね……」

 

ディスプレイ一面に約60もの映像が分割して映し出されているのだ。これでは何が何だか分からない。せめて4つの映像を4分割くらいになってくれればと適当にキーボードを触れば、ディスプレイの映像が切り替わった。狙い通りの4分割ではなく、8分割になってしまったが、まぁこれはこれでいい。

画面の数が小さくなったせいか、各映像から音が聞こえるようになった。というのも、地を蹴って走る音がスピーカーから聞こえたからだ。

 

「(やっぱり、ここで間違いないのね)」

 

外から見た時は真っ暗だったこの倉庫。それでも足音が聞こえるという事は、中に人が居るということだ。しかし、走る様な音ということは、自分の侵入がバレてしまったのだろうか?なんて不安を抱え──その直後。

 

 

 

 

 

 

『ちょおおい!!二ーノさん何歩いてんの!?』

 

スピーカーから聞こえたのは、静まり返った工場には違和感しかない少年の叫びに近い声だった。

 

「……ま、さか……」

 

聞き覚えはある。ここ最近まで、ずっと聞きたかった声。

目を凝らしてディスプレイを凝視する。見間違いようはなかった。

 

『ニヒッ……とか笑ってる場合じゃないしんどい……お兄ちゃんおんぶぅ〜』

『だからお兄ちゃんたまには外に出て運動しろって言ったでしょぉぉぉ!!』

 

彼は今、どこかの通路を女の子の手を引いて走っているところだった。女の子の方は二ーノ・ヴァルバット。どうやらまた攫われたのか──まぁそんな事はどうでもいい。

 

彼女の手を引いて通路を疾走する、鈴木数馬。その存在が問題だ。

 

「……そう、彼女は二度助けるのね」

 

嫌味ったらしい、嫉妬の言葉が漏れた。厚かましいことこの上ないと自覚はしている。なんで私の時は一度しか助けてくれなかったんだろう、というワガママの様な感情さえ理解している。

 

「……」

 

二人が走っているカメラを見取り図で確認すれば、二人の行き先がわかる。もちろん出口だ。そして改めて見取り図を見れば、もう時期、二人がこの扉の向こう側の通路を通り抜ける事まで分かった。どうやらこの部屋は入口から近い部屋らしい。

 

「(今、私がここを飛び出して、通路に立っていれば、数馬は私を見てくれる)」

 

由紀、なんでここに?その腕は?どうした、何があった──助けて──当たり前だ。俺はどうすればいい?

 

なんて情景が頭に浮かぶ。助けを求めれば、彼は自分のために動いてくれる。何をしてもらえばいいかなんて丸っきりわからない。けれど、彼なら何とかしてくれる。そんな気がする。

 

──タッタッタッ

と、足音が近づいてきた。カメラからじゃない。後ろからだ。どんどん、どんどんハッキリとした音になり、由紀の耳に伝わる。大きくなればなるほど、その足音が心を揺らす。

そして、由紀は。

 

 

──タッタッタッ……

 

 

 

 

 

 

 

 

という足音を、見送った。

 

 

「数馬、あなたはどうかそのままでいて。あなたの手の届かない問題は、私がどうにかするから」

 

彼とはもう道を違えた。彼の差し出す手を取るための手は、もう由紀には存在しない。由紀には、血に汚れた手を掴む手しか残っていない。

 

『外出たらタクって帰りましょー』

『そうだ!俺行きもタクシーだったからな!?帰ったらタクシー代請求すっからな!?』

『ニヒッ……妹にお金をせがむお兄ちゃんって……ニヒヒッ……』

『うっせえお前は妹じゃねぇっつーの!!』

 

相変わらず賑やかな彼。本当に、こんなところでそんな楽しそうでどうするんだと心の中でツッコんだ。やがてその声が完全に聞こえなくなって、再び視線をディスプレイに戻し、映像のチャンネルを切り替えていって。

 

「……みっけ」

 

やはりと言うべきか、通路を抜けた先にある荷物置き場。ここが倉庫だと象徴する広いスペースに、目的の男がいた。ここを出て、数馬達と反対の方向に向かえばいい。

 

『こっちだ!こっちに逃げたぞ!』

 

数馬達を追いかけているのだろう三人の男の姿がカメラに映った。彼等はもうすぐこの部屋の前を通過し、数馬達を追って外に出るだろう。つまりは見送るのが正解。

そうすれば中に一人だけとなった彼と闘える。数で有利を取られるのはまずい。この前の魔力除去装置を彼等が持っていたとしたら、術によるアドバンテージはなくなり、数の暴力でやられる可能性があるからだ。だが。

 

 

由紀は部屋を飛び出して、三人の男達の行く手を阻んだ。

 

「なっ!?」

 

男の一人が声を上げて動揺する。冷気を身にまとって、本来人がいるはずのないセキュリティルームから人が出てきたからだ。しかも、ただの人じゃない。

彼等はよく知っている。写真や映像で何度も彼女の姿を見てきた。

 

「ぜ、絶対零度……」

「なんでそこから……」

 

二人は困惑しながら口を開いていた。有り得ないという現実逃避がまず頭の中を支配し──

 

「落ち着け!」

 

その内の一人が声を張り上げ、懐から一丁の拳銃を取り出し、由紀へと向けた。

 

「俺達の目的、忘れたか!」

 

ついで、鼓舞するように叫ぶ。

 

「もく……てき……っ!」

「あぁ、そうだ!」

 

声を張った者は、先程、轟に自分のやるべきを事を思い出させてもらった男だった。もし、あの件がなければ自分も突然現れた絶対零度という化物に動揺していたかもしれない。

 

「……みろよ、あいつ片腕」

 

一人が、ダラりと垂らさがった由紀の右袖を見て言った。

 

「あぁ、ニーナさんがやってくれたんだ。大丈夫、通用するんだ。俺達でも」

 

勇気が湧く。たとえ負けてしまったのだとしても、ただの下位術師だった彼女ですら極術師の右腕を持っていった。なら自分達三人で、たとえ負けることになったとしても、何か一つ、絶対零度に傷を負わせ、後は轟に任せる事になろうとも──

 

 

 

 

「うるさい」

 

そして戦いは終わる。

 

気がつけば、三人の手足は凍り付いていた。

 

「っそ……だ……」

 

おかしい。と、誰かが思った。彼女についての報告書を読んだ限り、現絶対零度はその名が勿体ない程度には攻撃のバリエーションがなく、まして人を凍らす経験すらないと聞いていた。

 

「手が……体がっ!?」

 

なのに、今、手足から体の感覚が消えている。どころか、消えていく感覚が段々とましていく。

 

「あ……ああああああああああああああああああ!!??」

 

凍る。凍っていく。痛いくらい冷たい感覚があって、それは直ぐに消えてを繰り返し、体が動かなくなっていく。

 

「や、やめ……やめろぉ……」

 

一人の悲鳴が、恐怖を伝達していく。手足から徐々に走っていく氷が、想いを凍らせ生存本能を呼び覚ます。

 

「ぐっ……この……バケモノッ!!」

 

悪態をついてみせるが、残念ながらそれは言葉のチョイスを誤っていた。

 

「黙って死になさい」

 

由紀の言葉の直後──男は氷に包まれた。

 

「あ、あぁ……」

「おい、裕貴!裕貴!くっそぉ……」

 

今しがた氷漬けになった者の名前が裕貴らしい。彼等は物語に登場するモブキャラなんかじゃない。一人一人人生があって、積み重ねてきた想いがある普通の人だ。

 

だが、それも今の由紀には関係ない。

 

「アンタ達がどんな想いで私の前に居るのかは知らないわ。ただ間違いなく言えることがある」

 

残り二人。彼等もその裕貴とやらと辿る道は一緒だ。

 

「どんな想いでも、お母さんを殺して、私の右腕を奪った。それは許せない。たとえその場にいた者じゃなくとも。ただそれだけよ」

 

彼等が最後に見た光景は、月と星の明かりだけが光源のこの通路で、その名に恥じないくらいに冷たい目をした絶対零度の姿だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ、いてぇいてぇ」

 

思い切りぶん殴られた左頬がまだ痛む。見た限り、大した魔術を使っていたようには見えなかったが、生身の右拳があそこまで痛いものだとは。なんて思いながら、倉庫の散らかった荷物を元あった場所に戻していく。

 

「……よかったなァ、二ーノ」

 

作業をしながら思い出すのは、命を捨てる覚悟で二ーノを取り戻しに来た少年の事だ。

 

『その自分勝手な自称妹が迎えに来いって言ったから来ただけだ!!邪魔するってんならお前らぶっ飛ばしてでも連れて帰る!』

 

なんて言葉を、三人の男に銃口を向けられた状態で、普通の高校生が言えるだろうか。自分じゃない他人、床下出身の不登校少女のために、そんな言葉を吐ける者が果たして何人いるだろうか。

 

「(なァニーナ。あいつは復讐以外の道を見つけて元気にやってたぜ。ったく、羨ましいよなァオイ)」

 

思わず笑みが零れた。あの妹分は自分達とは違う道を辿っていることが嬉しかった。復讐に縛られず、自分の居場所を見つけられた彼女が羨ましいのは否定しないが、それでも幸せで居てくれることが嬉しい。

 

それは、自分にはできなかったこと。どうしても、自分達の面倒を見てくれた恩師の死の復讐を成し遂げたいと誓った自分には選べなかった道。

 

「……あァ、今日はいい日だぜったく」

 

最後の荷物を戻し、辺りに荷物のない拓けたスペースに移動してから大きく声を上げた。

ちなみに、わざわざ移動した理由。それは。

 

「…………」

 

今しがた、この場所に入って来て、冷たい目でこちらを見据える絶対零度を確認するためだ。

 

二人の位置関係は距離にして50mと言ったところ。ちょうどいい距離だ。お互いに即殺する方法のない距離。

 

「どうした絶対零度?てめえも復讐か?」

 

なんて言葉を轟がかける。が、由紀の瞳に揺らぎはない。

 

「はっ、だんまりたァ寂しいねぇ」

 

なんてふざけた態度を取る。くだらない会話を挟んでいるのは、何も精神攻撃がしたいからではない。理由は一つ、隙を作らなければ勝てないからだ。なぜそう断言できるかは簡単。

 

今、手元に武器がない。

 

紀子と戦った時に使った爆発の魔術を封じ込めた弾丸も、銃も無い。だからくだらない会話で時間を稼ぎつつ、あの三人の内一人でも戻ってくるか、もしくは向こうの冷静さを欠かせた後、威力は低いがこの辺りの荷物に魔術を使って爆破させ、逃げて事務所にある武器を取りに行かなければならない。

 

「(仕掛けだって動いちゃいねぇ……せめて端っこにあるスイッチさえ押せりゃ……)」

 

積み上げた荷物と荷物の間をくぐりぬけ、右後方のボタンを押して天井に仕込んだ爆弾を起爆させる。そうすることで撹乱できるし、運良く鉄骨が降り注いで潰してくれれば御の字だ。

 

「一つ聞かせなさい」

「あ?」

 

内心ガッツポーズ。見事食いついてきた。

 

「あなたが私の家を爆破したって聞いたけど」

 

言いながら、由紀が歩いて近寄ってくる。まずいと思い、彼女の歩みと同じペースで後ろに下がる。

 

「……ニーナから聞いたか?」

「質問にだけ答えればいい」

「はっ、右腕と引き換えに手に入れたのがその情報とニーナの命ってとこかよ」

「もう一度言うわよ、質問にだけ答えればいい」

 

にしても、と、轟は今更になって慄いている。あの平和ボケした極術師、宮里由紀がこれほどまでに殺気を漲らせる者だったかと。五人の極術師の中で、唯一後ろめたい話を聞いた事の無い陽向の極術師。詳しく調べてみれば母親が意地でも娘に関わらせないよう尽くした結果らしいが。

 

「そうだ。見たかよ、ものの見事に吹っ飛んでただろ?」

「……そう」

「やり方を教えてやろうか」

 

助かったと一瞬だけ気を弛める。由紀が前に進み、こっちが後ろに下がれたことで──荷物に触れられる。

 

「こうやんだよ!!」

 

小さい、恐らくマグカップほどの精密機器を梱包したダンボールを両手で掴む。そして即座にそれに爆発の術を込める。爆破までの時間は3秒。できるだけ火力は高めに設定。

それを由紀の前方目掛け片手で放り投げる。あまり彼女の近くに落としてしまえば、凍らされる可能性があるからだ。

爆発してくれさえすればいい。そうすれば彼女の視界を塞げる。その後に仕掛けを発動させ、向こうが混乱しているうちに銃を回収できる──が。

 

──ゴオオオオオオオオッ!

 

と、由紀の体から冷気が放たれた。

 

「ぐっ!?」

 

轟の体を冷たい暴風が襲う。

距離は縮まっていない。これはつまり、50m先の轟にすら届く強烈な冷気。もちろん、さっきの爆発物は凍ってしまった。

 

「(ん……だよこりゃ!?)」

 

氷の矢ではない。そんな甘っちょろい武器なんかではない。生きる生物全てを氷漬けにする殺意の篭った冷たい攻撃。正しく、これは災害だった。

 

「(話と違う……どころじゃねぇ……)」

 

これは、手の打ちようがない攻撃だ。たとえ銃があろうと、こんな災害級の攻撃には意味をなさない。

 

「……腕がっ……」

 

顔を隠していた腕の感覚が消えた。気づいてみれば脚の感覚も消えている。目線を移せば服ごと凍り付いていた。

 

「ハハッ!なるほどなァ、てめえも復讐のために強くなったか!?あァ!?」

 

どうやら、自分達はとんでもない逸材を覚醒させてしまったらしい。

現絶対零度は、前絶対零度に比べて弱い。その認識はたった今崩された。

 

「見くびってたぜ絶対零度!てめえもあいつと同じ目をして人を殺しやがるんだなァ!」

 

轟の記憶に刻まれたあの男の瞳。それと同じ瞳を持つ由紀に、彼は言葉をぶつける。

 

「てめえはもう人じゃねぇ!!あいつと……あのディザスターと同じ化物だ!!」

 

由紀の瞳に揺らぎはない。ただし、これは死にかけの人間の言葉だと関心を持たないわけではない。

 

「その通りよ。私はそっちを選んだから」

「けっ、そうかよ」

「えぇ。それじゃあ、次は地獄で会いましょ」

 

直後、冷風は勢いを増す。人が生きることのできない、極限の領域へと。

 

「(……すまねえボス……)」

 

轟が最後に心配したのは、自分達の兄貴分。彼が一人でやっていけるかどうか。それだけが心残りだった。だが、その思考すら段々と薄れ──

 

「せん……せい……」

 

意識を手放す寸前。脳裏に浮かんだのは、あの頃だ。

 

つまんない人生に、笑い方を教えてくれた一人の男。自分達が先生と慕った彼は、何も成し遂げられなかった自分をどう思うだろうか。それすらも薄れだして──

 

「(……ニヒッ…………んて……な)」

 

教えてもらった笑い方は、最後まで自分には似合っていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

倉庫の温度は随分と冷えた。そりゃこれだけ氷ばかりの空間になってしまえばそれも当然だろう。冷気が漂っているせいか、この空間は余計静かに感じる。

ただただ静かな世界。そしてそれは同時に、由紀にとって復讐を一つ達成した事を意味している。

 

「ぶっ……ふっ……」

 

そんな静寂を引き裂いたのは、他でもない、由紀だった。何かが爆発したように、由紀はまず吹きだした。

 

そして一度そうなってしまえば。

 

「あははは……」

 

何か感情が溢れてくる。その感情のままに、止まらない。

 

「あはっ!アハハハハハハハハハッ!ハハハハハハ──あたっ!?」

 

バシッ!と音を立てて、狂気の笑いは見えない何かが由紀の頭を叩いた事で中断された。こんなことできる者は一人しかおらず、それが後ろに居ることは直ぐにわかった。

 

「な、なにすのよ!」

 

振り返って、当然のように後ろに立っている亮に抗議の言葉を上げた。

対する亮は。

 

「逃げんな」

 

と、一言だけ声を出した。

 

「逃げんなって……私は」

 

その言葉はどういうわけか、由紀の心に強く打ち込まれる。

 

「怖いんだろ」

「っ……」

 

何を言っている。殺したい奴を殺して、復讐を遂げて、それに対して歓喜極まっただけで──なんて、言い訳はできない。

 

「ビビって当たり前だ。お前は取り返しのつかない事をしたからな。だが、それは受け入れろ。笑って逃げんな、狂って誤魔化すな。お前はお前のした事をもっと真正面から受け止めるべきだ」

 

でないと。と間を開けて。

 

「そうじゃないと、何がしたかったのか、わかんなくなる」

 

ほんの一瞬だけ、そう言った亮の瞳に、慈しむような、何かが宿っていた気がした。

 

「亮さんは、分かる?私の、この、気持ち」

 

彼の瞳の変化を信じて、由紀は縋るように尋ねる。

 

「わかんねえよ。経験からこうだろとは言えるが、人に全く同じ気持ちなんてない。俺は食らった人間の心は分かっても、食らってない人間の心は知らない」

 

否定する。何人もの人の感情を手に入れた彼だからこそ、由紀の気持ちは分からないと言う。

 

「その想いを抱え続けろ。後悔と、達成感と、罪悪感と、戸惑いと……諸々、言葉にできない想いすらも抱え続けろ」

 

それは、どこまで果てしない道なのだろう。たとえどんな理由があろうと、許されることの無い人殺しという罪。だがこの世界において、自分は彼等を殺す事を許されてしまった。

いっそ裁かれてしまえば楽になる。そう考えてしまうくらいには、言葉にできないこの気持ち。これを、こんなものを彼は抱えて生きろという。

 

「ソレは誰か他人が背負えるもんじゃない。自分一人で抱えていくしかない。だけどな」

 

亮の手が、垂れ下がった由紀の左手を掴む。そうされて初めてわかった。いつの間にか自分の左手は震えていたこと。

 

「大丈夫だ、お前は一人じゃない」

 

掴まれて、そう言われて、左手の震えは止まっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから、亮は残ってやることがあると自分を倉庫の外まで送ったあと、一人倉庫の中へと戻っていった。帰り道は最寄りの駅まで歩いてき、二台ほどしか止まっていないタクシーの先頭車両に乗り込んで住所を伝えて出発した。

会計の時は帰り際に亮から渡されたカードで済ませる。運転手はICチップの会計じゃないことを不思議がっていたが、まぁもちろん詮索されるようなことは無かった。

到着してからは教えてもらった通り、マンションのロックを解除してエレベーターに乗り、最上階。降りて、新しい家のロックを解除し──愛菜と優衣の二人が寝ていることを考えて、ゆっくり扉を開け──

 

「ん、由紀ちゃんおかえり〜」

 

ちょうどトイレから愛菜が出てきたところだった。由紀に気付くなり挨拶される。もう深夜三時前。寝ていても不思議じゃない時間だ。なんて思った矢先。

 

「おかえり由紀さん、怪我とか無いみたいだね、よかった」

 

優衣が奥から出てきた。彼女まで起きているなんて。と慄く。リビングからテレビの音が聞こえてきているあたり、二人は今たまたま起きたとか、そういうわけじゃなさそうだった。起きていてくれたのか、なんて考えた直後。

 

「遅いぞ」

 

と、リビングからこちらに向かってきたのは亮だった。

 

「あなた残ってたはずじゃ……」

「用事は終わったから飛んで帰ってきた。お前より早く着いた……つーか遅くないか?なんかあったか?」

 

どう考えても亮が早いだけなのだが、もうそうツッコミを入れる気力もないので首を振って否定した。

 

「ン、何事も無かったのならいい。おかえり」

 

本当は、タクシーに乗る前に、適当な公園で考え事をしていた。

内容は、これでいいのか。なんていう、考えても結論のわかりきっている自問自答だ。

 

いいわけがない。だが同時に良かったとも思っている。終わりのない思考のループ。こんな事をした自分に、帰れる場所があるかどうか。ただひたすらに悩んでいた。もちろん答えなんて出なくて、そうしてようやく駅に向かって再び歩き出した。

 

思えば、結論はその瞬間に出ていた。

 

帰る場所は、あった。

 

 

 

「えぇ、ただいま!」

 

復讐だろうとなんだろうと、人を殺すことはいけない。間違っているのはわかる。決して正しくはなく、糾弾され罰せられるべき事だ。ましてや人を殺めたうえでいつもの日常に戻るなど許されることではない。

 

けれど、間違っていても、正しくなくても、罰せられるべきでも。

 

ここはみんなが許してくれる。このモンスターハウスは、心まで化物になった自分を受け入れてくれる。

 

 

だから、ここは、自分の──宮里由紀の居場所だ。




またしても投稿が遅れましたorz
気がつけばお気に入り数が444としおり数が200!なんかこんなこと言ってると減ってしまいそうですが個人的に嬉しかったので改めて感謝を。

ようやく学園のタグを回収する時が来ました(震え声)


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束の間の日常

まだ、まだ終わってない(生存報告)


暖色のLEDライトが照らす部屋で一人の少年が重たい目蓋を気合いで開きながら、小型ディスプレイと向き合っている。もうそろそろ日が昇る様な時間帯に不健康な事この上ないが、別にこんな事は日常茶飯事。

それでも眠気に耐えることには慣れられそうにない。なので、この報告を見たらベッドに入ろうと決めてかかったはいいが、読み始めた瞬間に目は冴えてしまった。

 

「……こうなっちまったかぁ……」

 

現国王、黒鎌正義はナナシから電子メールで送られてきた報告を、完全に頭の中に叩き落としてから呟いた。

記されていた内容は、外界遠征終了時から隠田轟の殺害に至るまで──つまり数時間前までの魔人一家と宮里由紀の動向。そして現時点で推測できる範囲でまとめられた今回の敵の目的。

しかしながらこの報告を見て正義が驚くことは無い。

 

これは、安定装置が外界遠征前に極術師の不在の影響を弾き出した時に示して見せた流れの通りだからだ。

 

言ってしまえば。

 

「まっ、知ってた〜」

 

一個人としては腸が煮えくり返るくらいには腹立たしい流れではあるが、王としては喜ぶべき事態だろう。予定通りに事は運んでおり、懸念材料は排除された。

 

「18年の前、魔人に奴を殺させ、その場に紀子を立ち会わせ……いや、元を辿れば34年前、魔人に奴の娘を殺させた所から始まった」

 

全て、安定装置によるシナリオ通りだった訳だと鼻で笑う。

 

「機械を弄くり回すために生まれてきたニーナ・ヴァルバットと二ーノ・ヴァルバット。二人が協力する事で機械文明のレベルを底上げされる懸念はこれで無くなったわけだ」

 

実の所、真の狙いはそこだ。もちろん大きな騒ぎを起こさせることで向こう数十年上がりの者達を制御する事もあるが、二人が協力する事で許容範囲以上の技術進歩を止める事が最も大切。

技術的特異点(シンギュラリティ)を通過した機械は安定装置とあと二つある装置だけで十分だ。

 

「しかしまぁ良くここまで事が運ぶもんだ」

 

今回の件だって、全てが終わったあとに床下の者達への扱いに対し、王として言及すれば少しは改善されるだろう。世間からの風当たりが良くなるわけではなく、床下者達が恐縮して。という形だが。

 

「人類みな平等であれば幸せな世界など訪れない。不幸な人間がいるから幸せになれるからだ。王としての使命は国民に対し「下には下が居る」と思わせ続けることだ」

 

かつて父親から教わった帝王学を復唱する。なるほど、その通りだとその言葉の正しさに実感を持った。

 

「だからこそ魔人は欠かせない。どの位置に存在する人間だろうと問答無用で殺せるジョーカー。最低だろうと最高だろうと、笹塚未菜との約束がある限り、安定装置の尖兵として機能する新世界の裏の切り札……」

 

こんな歪で曖昧で、個に頼りきりな世界に対して、シンプルに気分が悪くなる。帝が安定装置を破壊しようとした事に対して当然とすら思えてくる。

 

だが王として考えれば、安定装置と魔人の存在はやはり欠かせないものだ。

人類は行き過ぎた。今回の件だって34年前と18年前の件がなければニーナと二ーノが技術的特異点を越えその技術を使った科学を量産させ、人類が行き過ぎた科学力を持ち、世界を混迷させることは間違いなかった。

長い間守り続けている科学力のある一定ラインを越えてしまえば、新世界は終わる。

 

結論は変わりはしない。今回の件はもう終わりだ。後に残る危険人物は魔術で人を絶対殺すだけの者。殺傷力が絶対なだけの存在ではやれる事などたかがしれている。だから。

 

「……あ、やべ、来月刀刃会(とうじんかい)じゃん。あー、今日は外界遠征からの帰還宣言もあんのにちくしょう!」

 

ふと国営行事を思い出して、正義はまた眠れない夜を明かすのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その翌日、由紀は一人で通学路を歩いていた。外界遠征も中止、裏の仕事もないとなれば本業である学生としての責務を全うしなければならない。人を殺めた自分がのうのうと日常の象徴たる学校に向かっている事に酷く違和感を覚えた。

ちなみに、愛菜と優衣とは通学時間をズラしている。同居していることを隠したいわけではないが、わざわざ一緒に出るほどの事でもない。

こういう時、「わざわざ別に出る必要はない」という結論に至らないあたり、由紀ももうモンスターハウスの感性になってしまっている。

 

一人静かに歩いている時に考えるのは、残りの復讐相手の事だ。

 

「(尻尾を出さない……か)」

 

未だに行方を掴ませないボスがいる。新世界の裏の頂点たる組織が探しても見つけられない相手。亮曰く、生き物を絶対殺すだけの魔術師だからこんなに隠れられるのが不思議だそう。

かなり聞き捨てならない言葉が聞こえてきたが、何にせよ見つけなくちゃ話にならない。

 

「おいあれ……」

「話は本当だったんだ……」

 

初めての通学路を歩きながらもやっとこさ学校だと思った時には、周りから奇異の目を向けられ、ヒソヒソと何か言われている事に気付いた。

 

「(そっか、腕か)」

 

昨日送られてきた新しい制服の右袖はダラッと垂れ下がっている。義手の手配も腕の再生もしていないが、するかもしれないので袖を切ったりもしていない。

 

「(まっ、食事以外に致命的な支障はないでしょ)」

 

机に埋め込まれた仮想ノートの筆記に右手は必要ない。筆記ペースなどは落ちるかもしれないが、それだけの話だ。

 

ただ注目を集めるのは良くない。元々極術師として周りからの壁はあったが、こうなっては気を使って近寄ってくる者も現れるだろう。一度世界に絶望したからか、なんだかそれも鬱陶しい様な予感がしている。

それに、変に踏み込まれるのも宜しくない。愛菜や優衣との関係なら別に構わないが、現在家のワンフロア下で商売をしている彼の事を知られてはいけないだろう。

 

なんて考えているうちに校門を通過した。下駄箱で上履きに履き替えるために買っておいた靴べらを取り出し、一度カバンを床に置いてから靴べらを使って靴を履く。

教室ではなく、まずは職員室に向かった。外界遠征がなくなったのでそのための書類の記入と、腕の欠損に関する書類の記入だ。ちなみに腕の欠損は外界遠征時に魔物にやられた事にしてある。

体良く利用された感はあるが、外界の魔物の危険性を伝えることと、今回の件とは関係ない床下の者達にヘイトが向かないようにする二つの理由。由紀としては別にそれでも構わなかった。

 

一番時間がかかったのは、現住所の変更等の書類だ。昨日の王による今回の件の放送で、由紀は母親の死の報道を許可した。家の全損と母の死によって住む家が無くなったので当たり前だ。放送はしていないが、外界遠征時に仲良くなった愛菜と同居中と教職員に伝えた。過程は違うが実際そこに住んでいるので問題は無いだろう。

住民データの変更はナナシ達が行ったらしい。世帯主の欄に全く知らない名前があったことには少々驚いたが、よくよく思い返してみれば約四十年前に亡くなった二代目深淵、笹塚未菜に今年17歳になる娘が居ることはおかしい。

よって、一世代前に存在しない者が居た。その者が世帯主として登録されている。実際に人が来ても亮の事だからどうとでもなるのだろうと由紀は納得した。

 

「失礼しました」

 

一通り終えやりとり、そう言ってから職員室を後にする。先生方からも同情の視線を頂いたが、それだけだった。彼らもかける言葉など見当たらないのだろう。一週間以内に右腕と母親と家を無くした経験を持つものなんて存在するか怪しい。

別にわかってもらおうなんて思っていないのでどうでもいい事だ。と、考えながら歩いていたら向かいから愛菜が歩いてきた。

 

「あ、由紀ちゃん終わった?」

「えぇ。なんで愛菜ちゃんと一緒に来なかったのか聞かれたわよ」

 

立ち止まって少し話す。時間の余裕はまだある。

 

「なんか一緒に行ったら面倒臭い事になりそうで……」

「……まぁ、確かにそうね」

 

二人はホワイト地区に二人しか居ない極術師。そもそもが注目の的であるのだから、そんな二人が並んで登校していたらもっと騒ぎは大きくなっていたかもしれない。

 

「それじゃ、またあとで」

「ええ」

 

そのままスレ違い、由紀は下駄箱を通過して教室へと続く階段を登る。やはりというか、下駄箱を通過した時点で視線が集まる。それは同情の意か奇異の意か、それとも好奇の意か。由紀には一人一人の視線に込められた意味など理解できないが、それらに対し、まとめて。

 

「……はぁ」

 

と、溜息をつくことだけはできた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

職員室で手続きを済ませた愛菜は、由紀と同じように下駄箱を経由して教室へと向かっている。

途中、玄関の方を覗いたら、エアサスペンションとリクライニングシート二つを搭載し馬力を上げた水陸両用のシニアカーだった物に乗る銀髪の髪の長い少女と全てを諦めた様な目をした鈴木数馬の姿が目に入ったが、彼女が登校する時は大体あんな感じなので気にせずスルーする。他の生徒も同様で、「あ、今日は来たんだ」みたいな雰囲気。ちなみになぜ登校中に警察官に捕まらないのかがこの学校の七不思議の一つになっていたりする。

 

階段を登っていつも通り教室に入れば、いつも通りの騒がしさがあった。最近やったゲームが、ドラマが、魔術が──なんていういつもの話と、タイムリーな話題は外界遠征や宮里家の事だったり。

愛菜はどれもこれも興味は無いので黙って自分の席に着く。

 

「(お家に帰りたい……)」

 

心の中で呟きつつ、机の脇の電源ボタンを押し、魔力認証を通してロックを解除する。机そのものがパソコンのような機能を持つため、この様なロックが掛かっているのだ。だからといってゲーム等が好き放題できる物ではない。あくまで勉強用の代物。

一通り準備を終え、頬杖を着き視線を左側にやる。愛菜の席は教室に入って奥、窓側の最後尾なのでよく外が見える。窓から外を眺めても校庭が見える訳では無い。ただどこの地区でも少し高いところにいけば見える様な街並みが広がっているだけだ。

 

平和な世界。いつも彼女が身を置く暗い悲劇の世界ではなく、ただ人がより良く生きていくための日常が広がっている。まるであんな世界は無かったと言うような光景。この学校だってそうだ。由紀に世間が知るよりも過酷な試練があったなんて、誰も知りはしない。ただ昨日の王による宣言を聞いて「かわいそう」なんて言葉で彼女の悲劇を片付けていく。

由紀には今のこの世界がどう見えるのか。それは少し気になって──

 

『ぴんぽんぱんぽん!あー!あー!こちら二ーノ・ヴァルバット!』

 

突然、謎の校内放送が始まった。

 

『宮里由紀さん!おねーちゃんの件でオ、ハ、ナ、シ、があるから昼休みに屋上に来なさ──あ、ちょお兄ちゃんやめ』

 

──ブツッ

と、突然始まった校内放送はそこで終わった。かと思えば。

 

『ッおら二ーノ!!お前また校内ネットワークをクラックしてんじゃねえええ!!』

 

と、教師の声が学校中に木霊する。本当に騒がしいことこの上ないなと嘆息していると、その数秒後。

 

「……全く、センセーも大袈裟ね」

 

銀髪を腰まで伸ばし、跳ねまくった髪の毛を弄る少女、二ーノ・ヴァルバットが教室へと入ってきた。恐らく教師が彼女を探し歩き回っているのだろうが、彼女は何故そこまで堂々とできるのかが甚だ疑問である。

 

「あ、二ーノさんおはよう!今日は来たんだね」

「おはよう……えっと、新堂さん、だったわよね?」

「おぉ!覚えててくれたんだ〜。ていうか、数馬は?今日は一緒じゃなかったの?」

 

新堂と呼ばれたポニーテールの少女の問いに対して、二ーノはいつもの様に「ニヒッ」と笑った後に。

 

「時期にわかるわ。時期にね」

 

と、なんだか意味深な言葉を残し、自分の席へと着席していった。

 

彼女が来るといつもこんな感じだ。賑やかな学校が更に賑やかになる。主に彼女の保護者役の数馬やこのクラスのムードメーカー役の男子達が生贄になるのだが、どうやら今朝の生贄は数馬だけの模様。

 

「んん……何が起こるんだろ?」

 

取り敢えず二ーノがああ言った以上、何かが起こるのは確実なので、新堂は期待半分で自分の席に腰を下ろし。

 

「根本さんどう思う?」

 

後ろの席の愛菜へと尋ねた。

 

「え、それ私に振ります?……んー、爆発するんじゃないですか?」

「やだ見に行かなくちゃ」

「止めないあたり鈴木さんの人望が知れますね」

 

とまぁ、かなり面倒臭いと思いながらも、愛菜はこうやって会話は成立させる。これも生きていくのに必要だと割り切ったからだ。その代わり敬語を崩すことはしない。会話はする。クラスメイトとしては存在する。けれどそれ以上先には踏み入らせない愛菜の意志の表れがこの敬語。

たまに同学年なのに敬語を使うのかと思われる事もあるが、このスタンスを崩さず、且つ彼女が極術師という称号があるおかげで、むしろ敬語は相手に対して好印象を与えることがほとんど。この世の中謙虚な姿勢であることはやたら評価されるのだ。

 

「まぁほら、良く寧音(ねおん)が言ってるじゃない?所詮数馬って」

「双海さんの口癖みたいなものですも──」

 

答えようとした愛菜の言葉を遮るように。

 

『この変態かずまあああああああ!!!』

『ぎやあああああああああああああああ!!』

 

由紀の怒声と数馬の悲鳴が校内中に響き渡った。

 

「……」

「……」

 

愛菜と新堂は目を合わせたまま黙りこける。

 

「……逝ったか」

「南無三」

 

どうやら数馬は氷の女王の怒りに触れてしまったらしい。二人は静かに手を合わせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それからホームルームが始まり、由紀は自分の現在の状況について軽く説明した。王の宣言は本当であり、今の環境についてはあまり触れないで欲しい事。あまり触れないで欲しいと言った手前、虫がいい良いのは分かっているが、片腕の欠損のせいでできない事があった時、「助けて欲しい」と。

クラスメイト達は首を縦に降ってくれた。一人で色々とそつなくこなし、困った人がいれば助けたりもしていた由紀の日頃の行いが幸いしたのだろう。

そんな彼女が「助けて欲しい」とはっきり言ったことに好感を抱いた者が多い。

 

「(……亮さんの言った通り……ね)」

 

そしてこれは、亮のアドバイス。はっきりと助けてくれと言っとけ。後が楽だ。という人の良心を逆手に取った一手。

彼の言う通りその後の授業も困る事はなく、科学の実験では色んな人が手を差し伸べてくれた。

 

何十万以上の人の心を持つ彼のアドバイスを元々疑ってはいなかったが、ここまで来ると不気味ですらあった。

 

だがまぁ不気味なだけで実際スムーズに運んでいるのだから良して──問題は昼休みだ。

 

「(……二ーノ・ヴァルバットからの呼び出し……間違いなく、彼女の事よね)」

 

自分の右腕を奪っていったニーナ・ヴァルバットについての話だろう。一昨日の深夜、数馬とあの倉庫を駆けていた少女は、きっと今回の経緯について知っていることがあるはずだ。

それにしても上手い一手だと舌を巻く。わざわざ校内放送で呼び出した事にはいくつか大きな意味がある。

 

まずこれだけ大勢の人が二ーノの「お姉ちゃん」と由紀に関わりがあると知っていると、自分は下手に知らないなんて言えない。昼食中にクラスメイトに「行かないの?」なんて尋ねられ「行かない」なんて言えば心象は悪くなる。

そして片腕がなくクラスメイトに助けて貰ってる手前、いい顔をしていないと後が苦しくなる。なので今回の屋上での会話から逃げることが出来ない。

 

次に何かあった時、二ーノを黙らせることができない。深夜に一通りの少ないところなら、彼女が復讐相手の一人だと分かれば殺せるが、真昼間に学校で殺しなんてできない。

 

あのニーナと同じく、ふざけている様に見せかけて随分な策士だった。由紀としては究極の切り札「魔人にお願い」があるのだが、流石にこう何度も彼の手を借りたくもなかった。

彼ならこの学校全員の記憶の書き換えるなどの手でこの小細工をどうにでもできるだろうが、これ以上彼に依存してしまっては本当に「自分が何をしたかったのか」分からなくなってしまいそうだった。

 

「まっ、なるようになるしかないわね」

 

割り切って、由紀は昼休み開始のチャイムとともに席を立ち上がり、屋上へと向かった。途中、やはり「二ーノさんのとこに行くの?」なんて声を掛けられたので、「二ーノさんと悪巧みしてくる」なんて冗談を噛ませてあしらった。二ーノ・ヴァルバットの混沌具合は学校中に知れ渡っているので、「関わってはいけない」精神から由紀に着いてくる者は居なかった。

 

三フロア登り、屋上の入口の扉に辿り着いた。案の定扉は電子ロックが掛かっており、ドアノブを捻っても開く様子はない。どうやら二ーノより先に来てしまったらしい。

 

「あら、早いのね」

 

どうしようか考える間もなく、背後から声がした。言わずどもがな二ーノだ。

 

「むしろ、呼び出しておいてあなたが遅いんじゃない?」

「ごめんなさい、お兄ちゃん……数馬が着いてくるって聞かなくて」

「っ……」

 

この場でその名前を出されるのは酷く痛い。これは、遠回しに鈴木数馬が様子を見に来る可能性が高いことを示している。というより、ほとんど来ると言ってるようなものだ。

身内が内緒話をしていて、彼が首を突っ込んでこない訳が無い。

 

「(……今からでも、亮さんを呼ぶべき……?)」

 

頼りたくはない。だが、もし数馬にこれから話すことを盗み聞きされていたら。少なくとも学校には居られないだろう。殺した殺されたなんてやり取りを彼の前でしてしまえば、彼はきっと黙っちゃいない。

そして真相に触れて、根本亮という存在に辿り着いてしまえば。由美が死んだ件すら数馬は知らないのだ。もしそれも知ってしまった場合、数馬がまともな生活に戻れそうにもない。

 

「ニヒッ、安心して。絶対に来ないわ」

「……信じろって?」

「えぇ。あたしだって、お兄ちゃんに知られたくないこと話すのだから」

 

どうやら、彼女も自分と同じ立場らしい。

 

「屋上の鍵も閉めるしカメラはクラック済み。音声も録音できないし、屋上に入ったら奥へ行く。ジャミング装置は今発動した。ドローンが飛ぶこともないわ」

「……それを信じるとして、あなたはそこまでして何を話すつもりなの?」

「家族の最後を聞きたいと思うのはおかしい事?あなたは違うの?」

 

それは至極当たり前の事だった。誰でも思う、当然帰結だった。特に世界の敵である今回の者達の最後はきっと正式に報じられることは無いだろう。二ーノに関しては亮が関わっている以上当たり前のことだ。

 

「……わかったわ、あなたを信じる」

「ニヒッ、ありがと」

 

とは言っても、裏切られる可能性は否定しきれない。何せ彼女が家族と呼んだ者達は新世界その物にケンカを売っている。それくらい無謀な者達の家族なら、たかが学校に居られなくなるくらいわけないだろう。

そして、そんな者とサシで対話をするならそれ相応の覚悟がいる。良いだろう。と、由紀もタカを括る。これもきっと避けては通れない道だ。

復讐とはまた違うものかもしれないが、それでもケリを付けなきゃいけない一件だろう。

 

屋上に入るなり二ーノは屋上の電子ロックを閉じる。学校内のネットワークに好き勝手出入りできる技術を持つ彼女にとって、絶対破られない電子的施錠は造作もない事だった。

 

「マスターキーでも開かないから」

 

そう一言添えてから二ーノはドアに背を向け歩き出す。やがて屋上の端っこまできた。これなら仮にドアで聞き耳を立てられたとしても、よほど大きな声でなければ聞こえないだろう。お誂え向きに今日は風も吹いている。

 

「……それで、何を話せばいいのかしら?」

「せっかちね……ニヒッ、いいわ、あたしもまどろっこしいのは嫌い。ただそうね、先にあたし達の側の事情、聞いてもらえるかしら?」

 

復讐の動機。大体の流れは聞いてはいたが、当事者から聞いたことは無かった。興味が無いわけではないので、由紀は小さく頷いた。

 

「あたし達は床下の孤児院で育った。いつから、なんてのも知らない。物心着いた時には孤児院の人達を家族と呼んで過ごしてたわ。本当の親が居ないことになんの疑問を抱かずにね」

 

普通の家の者が血の繋がりのある者を家族と呼ぶ。それと全く同じ感覚で血の繋がっていないもの達を家族と呼んで育った。親が居ないことが不幸だとか、そういう感覚は由紀には分からないが……けれど家族と呼べる者がいるなら、親の有無はさしたる問題じゃないのだろう。

 

「だけど、あたし達には親と呼べる存在、孤児院の先生がいた」

 

先生。それは聞いたことのある人の事だろう。もちろん、亮が食らったという者の事。それを裏付けるように。

 

「あなたは知ってる?ディザスターと呼ばれる存在を」

 

と、二ーノは尋ねた。

 

「…………」

 

由紀は顔を伏せるだけで答えはしない。二ーノが自分の事情をどこまで知っているか分からない手前、答える訳にはいかなかった。

 

「ニヒッ、その顔……何も言わなくていいわ。ある日突然、そのディザスターとあなたのお母さんは突然現れて、先生と話をしたかと思ったら跡形も残さず消して行った。あたし達はその会話の内容をよく覚えてる」

 

その辺も亮から聞いたことがある。かつて宮里紀子は新世界の裏側に属し、彼女達の先生を亮が殺める際、そばに居たと。

同時にニーナが白露大橋で言っていたことも思い出して顔を顰めた。あそこでの出来事は忘れてはいけないことだが、少しトラウマになっている。

そんな由紀の反応を伺ってから二ーノは続けた。

 

「始まってすらいないだろうが、終わらせに来たぞ。なあに、終わりはしないさ。意志という物は脈々と受け継がれていくものだ。この世界を変えたいという願いは、きっと誰かが受け継いでくれる。そうか、よかったな。くたばれ」

 

芝居がかった身振り手振りで大袈裟に表現した。ただそんな物がなくとも由紀にとってその光景はとても容易くイメージできた。

 

「それだけだったわ。会話が終わってすぐに、先生はディザスターに吸い込まれるようにして消えた。良くある悲劇だな。なんていう呟きを、あたしは生涯忘れない」

 

彼だという確信は強まる。人の想いを取り込み、自分のものとして刻み、それでも「良くある」なんて言える存在はきっと、彼しかいない。

 

「それから、あたし達は復讐のために生きたわ。あの床下で知識と経験を積み重ねて、心を殺し、何とかこの表の世界にまで這い上がった。こそこそ動いて同じ志の者達を集めて──そしてあたしは、鈴木数馬に会った」

 

突然出てきた意外な名前に由紀は驚く。

 

「二年前、たまたま変なのに絡まれていたあたしを、たまたま通りかかっただけの数馬はなんの躊躇いもなく助けた。初めは「表の世界にこんなの居るんだ」くらいな感覚だったけど、その一週間後、たまたまお姉ちゃんと喧嘩して街を放浪していた時に、たまたま相談に乗ってもらった」

 

考えられない様な、そんなたまたまの応酬。だが有り得ない話だとは思わない。それが鈴木数馬だと言うことはよく分かっているから。彼ならやりかねない。

 

「それからね、高校に上がってより一層、数馬と愉快な仲間たちに触れて、あたしは変わってしまった」

 

毒気が抜かれたのか。ならばと由紀はこう尋ねる。

 

「あなたは、復讐はしないの?」

 

結局、そこに尽きる。

 

「そのつもりは、ない」

「……なぜ?」

 

復讐をしない。自分には全く浮かばなかった理由を、由紀は聞きたかった。

 

「この世界はあたしの人生を棒に振っても変えられない。そんなにこの世界は悪いもんじゃないって……数馬達と会って、あたしはそう思えた」

 

至極単純な話だ。それだけだった。この世界が好きだなんて一言も言わない。ただ別に命に代えてまでして、今ある世界をぶち壊す必要を感じられず、その上行動したとて世界を変えられる保証なんてなく、そのくせして死が待ち受けている事だけは間違いない。天秤にかけて自分の命と今ある世界の中に居る方が大切。

 

二ーノ・ヴァルバットは、普通の感性を持ち合わせていた。

 

そして、そこまで理解して、由紀は口元を歪め──

 

「……そう。わかったわ、ありがとう」

 

歪んだまま、感謝を伝えた。

 

「……なに?」

 

そこで初めて、二ーノが由紀に対して気味の悪さを感じた。

 

「教えてあげるわ。あなたのお姉ちゃんの最後」

 

二ーノの話を聞き、由紀の中で結論は出た。由紀の笑みの理由はそれだった。

 

「あなたお姉ちゃんは、あなたが一番最初に憎んだ相手に、文字通り粉々にされた」

「……うそ。だってゴー君はあなたにやられたって……」

「そしてそのゴー君……恩田轟を氷の造形にしたのが私」

「っ……」

 

躊躇いなく言ってのけた。他の誰かに知られるわけにはいかなかった事実を、由紀は二ーノに伝えていく。これは、由紀なりの感謝だ。

 

「あなたのお姉ちゃんに私は負けて、腕を一本奪われたわ。けれど、その代わり、私の左手を取ってくれたのが、あなたの大嫌いなディザスター」

「っ!?」

 

関わりがあるとは思っていた。だが、まさか由紀の背後に居るとは思っていなかった。だから二ーノに驚愕の表情と、何より、恐怖が浮かび始める。

 

「一昨日の深夜。あなたは数馬の背に引っ付いて逃げてたわね」

「……見ていたの?」

「えぇ。そしてそのすぐ後、そのゴー君とやらは息絶えた」

 

大した事なさそうに、さも当然のように、由紀は許されざる現実を並べていく。

そんな彼女を見て、二ーノは早々に諦めた。

 

「くっ…………はぁ……ホントは、少し、期待していたの」

 

ため息と共に吐き出された心から出た言葉、それは何だかんだ由紀と同じものだった。

 

「奇遇ね、私もよ。あなたには復讐を諦める選択肢しかなくて、諦めたのかと思っていたから」

「あたしは、あなたが復讐を止めてくれる人がいなくて、だから人としての道を外れざるを得なかったのだと思っていたから」

 

これは、たったそれだけの差だった。

 

「「あなたとは、分かり合えるかもしれないって思ってた」」

 

根っこの部分は同じだったのに、ただ二人に手を差し出した者が正反対だっただけ。

 

「けどそんなことは」

「なかったみたいね」

 

二人とも、まるで自分の別の可能性を見ている。そんな不気味な感じだった。ゲームで別ルートに行った自分を見ているかのよう。そんな正反対の存在を、理解出来るはずもなかった。

 

「ふふっ……」

「ニヒッ……」

 

二人で笑う。二人とも、「期待した自分が馬鹿だった」と自分を嘲笑う。ならばもうこれ以上の議論は必要なかった。これで会話は終わり、けれど戦うわけじゃない。

 

二ーノは復讐を諦めている。

由紀からすれば二ーノは復讐の対象ではない。

 

だからもうこれ以上、会話をすることは──と、そこでふと由紀が口を開く。

 

「最後に一ついいかしら」

「なに?」

「……あなた、歳いくつ?」

 

考えてみれば。十八年前に先生が無くなったとして、そのことをよく覚えているという事は、年齢的に今高校生であることはおかしい。そんなふと閃いた疑問に対し、二ーノは。

 

「…………ニヒヒッ」

 

笑って誤魔化した。由紀が見た中で、それは中々いい笑顔だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、ちょうど全く同じ時刻の、校舎裏に。

そこには、根本愛菜と鈴木数馬が向き合っていた。傍から見れば愛の告白でもしているかの様な光景だが、二人を知る者からすればコレはそんな甘い話じゃないと理解できる。

 

「えっと、宮里さんと鈴木さんって知り合いなんですよね?屋上行かなくていいんですか?」

 

取り敢えずロクでも無いことを聞いてきそうな数馬に対して、由紀を持ち出し牽制する。が、数馬の表情に乱れはない。

 

「……二ーノが、任せろって言ってた。なら、俺は二ーノを信じるだけだ」

「……そうですか……」

 

きっと、何はともあれ由紀が欲しているのは他でもない数馬からの言葉だと思うのだが、どうやら彼は分かっていないらしい。と、愛菜は相も変わらずな数馬に辟易する。

それから少し間があって、ようやく数馬が本題を切り出した。

 

「根本さん頼む!あの男について教えてくれっ!!」

「……すいません、どの男の事ですか?」

 

十中八九、亮の事だろうとは思うが、一応尋ね返す。

 

「……たまたまデパートで鉢合わせた時、最後に迎えに来ていた人が居ただろ?その人の事について聞きたいんだ」

 

予想通り過ぎるというか、これまた非常に不味い展開になってしまった。

 

「(……最後の最後で顔出すから……)」

 

あの時の亮の軽率な行動が自分に回ってきた事に、愛菜は心の中で盛大な溜息をつく。流石に、ここまで具体的に言われてしまってはシラの切りようがない。

 

「……」

 

ただ、だからといってお家へご招待。ともいかない。数馬に家を知られるのは嫌だし、何より亮に迷惑を掛けたくないという思いがある。元はと言えば彼のせいではあるのだが、それでもだ。自分が数馬にノコノコ着いてきてしまった事に非があるのは否めない。

神の存在を知る彼は最も警戒しなければいけない人物だと分かっていたから、尚のこと。

 

そうやって考えてイタズラに時間を経過させる愛菜に痺れを切らせたのか、数馬が口を開いた。

 

「…………七尾真衣」

 

そっちの名前を聞いて、愛菜は表情を歪めてしまった。

 

「彼女から伝言がある。って言えば、取り合って貰えるって、彼女から聞いた」

「……そう……ですか」

 

詰んだ。その名前を出された上に、伝言なんて言われてしまったら、もうこれは愛菜の手には負えなかった。

 

「……はぁ、分かりました。呼びますから少し待っ──いたっ!?」

 

突然、頭に「バチッ」という電撃のような何かが走った。

 

「ね、根本さん?」

「あ、いえ大丈夫です」

 

ただそれは一瞬だった様で、直ぐに痛みが引いた。自分の出自が出自なだけに、きっと体の不具合か何かだろうと割り切ってから携帯電話を取り出し、亮へと通話をかける。

 

「……あ、もしもし……うん、あのね、なんか鈴木さんが……その、神様から言伝を預かってるって」

 

と、伝えた瞬間。「ギャアアアアアアアアアアア!!!」という八代の悲鳴が聞こえたが、「帰りにまた電話してくれ」とだけ伝えられ、そのまま通話が切れる。

 

「…………なんだって?」

「放課後、一緒に来てください」

「わかった」

 

と、それだけで一応会話は終わったが。

 

「(あぁ、世界大丈夫かなぁ……)」

 

新世界どころか地球やらその辺が今日中に終わってしまうような気がする愛菜だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まぁ、本当は今しがた世界が終わり、新しい世界が始まったのだが、それは文字通り神のみぞ知る。




学園生活しませんでした……orz

ようやく終わりが見えてきました。次々回から別の章へと突入予定です

最近別の作品書くのが楽しくなるとかいうおそらく執筆者あるあるな出来事に見舞われています助けてください


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救われる方法①

今回は短いので早いです


終業のチャイムとともに鈴木数馬は駆け出した。途中、クラスメイトや二ーノから呼び止められたが、一言「ごめん」と添えるだけで立ち止まる事はしなかった。

実際、ここまで急ぐ必要はない。これから会う予定の者との仲介役である根本愛菜だってまだ教室に居た。彼女とは別の場所で一度落ち合う事になっているので、本当に急ぐ意味はないのだ。理性では分かっていても、急ぐ気持ちは消えてくれない。

 

「(もし、そいつが、黒鎌帝の行方を知ってるなら……)」

 

あの事件の後から、どこを探して帝は見つからなかった。こうなったら警察に届けを出そうと提案した数馬に対し、「もう分かっているのです……」と俯いていた宝姫咲輝の顔が頭に浮かぶ。

どんな結末だったとしても、せめて咲輝には真実を伝えないとと鼓舞する。

 

「(もし、そいつが、俺の両親を殺した奴なんだとしたら……)」

 

あの日の帝の言葉が事実だとしたら──どうすればいい?

 

「……」

 

だが、そちらに対してだけは何の言葉も浮かばなかった。自然と数馬の歩速は緩やかなものになっていく。

今回、もちろん彼女からの伝言を伝えることが目的ではあるが、数馬としては帝との件の方が優先度は高い。自分の関わった事件の中でも、ソレは余りにも中途半端に終わりすぎてしまっている。

 

確かに咲輝を助けることには成功した。咲輝は人の身としての心臓を手に入れ、ロンギヌスの槍だとかいう意味不明な兵器に使われることはなくなった。

 

だが、それだけだった。帝の意志は、この新世界の真実は──それらは中途半端なままだ。

 

「行くっきゃねえか!」

 

何にせよ会わないと始まらない。そう思えば、再び数馬の歩速は速くなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

胃が痛い。もうそれ以外に言葉が出てこなかった。いつもはウキウキルンルンで帰路に着いているホームルーム終了後がこんなにもしんどいのは初めてだった。

 

「はぁ……」

 

溜息を吐いて教室を出る。数馬の方は飛び出して行ったが、それを追う気にはなれない。

流れとしては一旦学校を出て学校の生徒がいなさそうな所で再び合流し、それから亮との待ち合わせ場所に向かう。もしかしたらこれで死ぬかもしれないのでゆっくり行こうと思った。そう思えば退屈なハズの学校も少しは輝いて──見えることは無かった。

 

「あっ……」

 

そんな時。たまたま自分の教室から出てきた由紀と鉢会う。

 

「……」

 

家ではそこそこ仲良くなった二人だが、学校で二人の仲がいいと知られる面倒臭さから極力関わらないようにしようと決めていた。愛菜から持ち出した話だったが。

 

「宮里さん」

 

誰もが可愛らしいと心打たれるような作り笑いを顔面に貼り付けた。

 

「は、はいっ!!」

 

愛菜の本当の姿を知っている由紀からすれば、これは恐怖の対象でしか無かった。八代との喧嘩に巻き込まれて視界が全く効かない闇の世界に連れて行かれ、どこからどう見ても触れたらヤバい紫色に輝くビームの嵐のトラウマはまだ根付いたばかりだから。

 

「一緒に帰りましょう!」

「仰せのままに!…………へ?」

 

道連れを連れて、愛菜は数馬との合流場所に向かう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここを訪れたのは何度目か。まだ廃墟になる前と含めれば四回目。

 

愛菜と二人で遊びに来た時に。

鈴木数馬を尾行した時に。

黒鎌帝殺害時に。

そして、今、鈴木数馬と会うために。

 

ここは、ホワイト地区の廃墟の遊園地。内緒話するならここが最適だ。二人が知っている場所で、かつ他人に聞かれる心配もない。

 

「…………ふぅー……」

 

と、わざわざ肺を作り出してタバコを吸う。三本目だ。ついさっき到着してからずっと吸っている。こうでもしないと、落ち着かなかった。

 

愛菜から電話を受けた瞬間から不安と期待に心が包まれている。

 

いつもは数十万人と数千万体の魔物の心達が騒いでいるが、「七尾真衣からの言葉」という求めて止まなかった物がそれら全てを黙らせる。彼らの想いよりも、亮の真衣に対する想いが上回る。

 

『あるじぃ〜』

『ンだよ』

 

着いてきたいと言った八代は体内に取り込んでから来た。

 

『妾の意識が飲み込まれそうだから抑えて欲しいんじゃが』

『……』

 

なんだか水を差されたが、まぁ八代がそう思っているということは、亮自身も心のどこかでその懸念をしていたのだ。飲み込まれていたらきっと、心の中で八代もピョンピョンはね回ったりしているハズ。

 

『まっ、気持ちは分からんくもないんじゃがの』

 

不意打ちなんかじゃない、真衣からの言葉。たとえそれが伝言だったとしても、やっと真衣が与えてくれる言葉。

 

全てを失った時にも、理性を失い世界中の人々を殺し食らい歩いた時にも、理性を取り戻し自分の意志で人々を食らい歩いた時にも、水神の前に膝を折りそうになった時も、全てを食らい尽くしても何も得られなくて絶望した時も──どんな時でも欲しかった彼女からの言葉。

 

想いを積み重ねた時間は、あまりにも長かった。

 

『……じゃが、懸念は白いのからの「もうすぐ会える」ゆう言葉を覆されたことかの』

 

遊園地で優衣と遊んだ時──正確には数馬の尾行だったが──に掛けてもらった言葉は反故にされたという事だろうか。それだけが気掛かりだった。

と、そこまで思い出して、ふと思いつく。

 

『…………なあ、八代』

『…………何が言いたいのかは分かったのじゃ。じゃが見解に相違がないか、いっせーので思うとするかの』

 

多分、この確認はいらない。だが、確認せずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

 

『『優衣って誰だ?(じゃ?)』』

 

一致した。七尾優衣は七尾真衣──つまりは神が作り出した存在。神の使いでも妹でもなんでもいい、そういう存在。

記憶だってある。一緒に生活した。遊園地の件だって変わらない。あの時抱いた感情もある。今朝だって寝坊ギリギリの時間に優衣を起こして学校に向かわせた。

 

だが同時に。七尾優衣が居なかった記憶も持っている。

 

七尾優衣が存在しない世界の記憶がある。なんなら自分達が今まで生きてきた世界の中に優衣は存在しない。

というより、優衣の居ない世界の記憶が正しく、居る世界の記憶が間違っていると断言できる。

なぜか?そんなことは分からない。

 

だが間違いなく、七尾優衣は存在しないと断言できる。

なぜか?そんなことは分からない。

 

そしてこれは、間違いなく神の介入があったという確信があった。

 

『なんか、嫌な予感するな』

 

亮の心にあった期待と不安の比率は、後者に傾いていた。神である彼女がこれだけのボロを出しているのだから。

そして、そのタイミングで。

 

「おーい!」

 

と、愛菜の声がした。もちろん愛菜が近づいていたのは知っていた。ついでに由紀もだ。流れる魔力が大体教えてくれている。二人に並ぶ吹けば消えてしまいそうな魔力も、亮はきちんと認識していた。

 

三人がゆっくりとした歩みで亮の方へ近づいてくる。やがて、一定の距離で止めた。

 

「……ン、初めましてでいいか。それとも、久し振りとでも言った方がいいか?」

「こんにちは、だろ」

 

中ボスと主人公が、ここで初めてまともな会話を始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

数馬は相対してやっと確信を得た。コイツがそうで、コイツはダメだと。

 

いくつかの修羅場を潜り抜けてきた身だから分かる。かつて数馬が対峙した存在から振り切れている。あの手も足も出なかった黒鎌帝からもだ。

佇ずまいが違う。鋭く冷たい目であるにもかかわらず、本当に物を映しているのか怪しい瞳。青のジーパンに黒のTシャツに革ジャンなんてラフであるにも関わらずしっかりと伸ばされた背。にも関わらず、どこか脱力し宙ぶらりんにも見える腕。

 

歪で、曖昧な存在。それが数馬が受けた亮への第一印象。

 

だからこそダメなのだ。この歪さが、どこか神をも思わせる。

 

戦いとか、勝つとか負けるとか、そういう物理法則が通じそうにない。戦いになれば為す術もない事だけが確実。戦いにすらならない。言葉を選び間違えただけで存在を消されると思った。それを踏まえた上で。

 

「てめえ、黒鎌帝はどうした?」

 

敵意を隠さず言った。別に、相手が超常現象だとか、そんなことは関係なかった。

 

「さっそくそれかよ」

 

ただそれだけでどうこうする亮ではない。相手の態度に何かを思うほど豊かな感受性はない。

 

「それが聞けなきゃ、俺は何も言わない」

「……まぁ、お前は脅しなんか通用しなさそうなタイプだ」

 

吐くまで殺して生き返らせてもいいし、直接頭を覗いてもいいが、手間をかけるよりも大人しくこっちが話した方が早いし、何がきっかけで神からの伝言を忘れるか分からない以上、下手な手は打てない。

 

相手の記憶を覗くことがトリガーになるのかという疑問はあるが、わざわざ数馬と合流せざるを得ない状況になっているのだから、会話をする事が神の目的に含まれているに違いない。それをカットするのは気が引けた。チートを駆使した結果、フラグを回収し忘れてしまい進行不能に陥る。そんな気がしたからだ。

 

「答えよう、俺が殺した」

「やっぱりあの後に…………っ」

 

数馬の脳に自分が帝にやられた後の薄れゆく景色が浮かんだ。

 

「なんでだ?」

「聞いただろ?俺は安定装置の守護を任されている。護衛先が破壊されそうになったから破壊しようとした奴を殺した」

「そんな話をしてんじゃねえ!黒鎌帝には黒鎌帝の、咲輝や国を想った──」

「想いがある様に、安定装置にもある。それが対立したってだけの話だ」

「くっ……」

 

だからって殺すことは無いだろとか、そういう言葉が頭に浮かんでは来て、整理してぶつけようとした。

 

「数馬」

「……由紀?」

 

が。数馬が言葉を紡ぐ前に、由紀に止められる。

 

「気持ちは分かるけれど、お願い。先に神様からの伝言とやらを、伝えてあげて」

「……」

 

宙ぶらりんの右袖と、長い彼女の髪が人工的に吹かされた風に靡いている。

右腕の経緯と、彼女の今の立ち位置については、実はここに来ている途中に聞いてた。亮が由紀を助け、今彼女は亮の元に身を置いている事まで。

話を聞いた時には、自分がその場に居ることが出来なかった無力さと、由紀が自分の居場所を見つけたと心から笑った事に対する安堵を覚えた。

だが、今は少々違う。由紀の居場所は、人一人の生死によって生まれた「想い」すら踏み躙る場所なんじゃないか。そんな不安が生まれた。

 

「わかった……」

 

だが従わざるを得ない。痛ましい体で、優しく微笑んだ由紀の願いを踏み躙る事はできなかった。

 

「俺から話すことは三つだ」

 

と、一呼吸置いてから本題に入る。

 

「まず、彼女の立ち位置……「視点」を理解してくれ。七尾さんは、自分にとって、この世界はパソコンの中のロールプレイングゲームだって言った」

 

話を聞くもの達の頭に、一台のパソコンとそれにインストールされたゲームが思い浮かぶ。

 

「この世界っていうゲームの中の俺達は、自分でコマンドを選んで生活したり、戦ったりする。様に見えるけど、実際は運命っていうテキストファイルの通りに動いている」

「……世界の全てを記したファイルがあるってこと?」

 

愛菜が問いかけた。

 

「そんな感じらしい。そんで、基本的にそれらは自分の意志で好きに変えられるとも言ってた」

 

自作のゲームのシナリオを好き勝手に弄くり回す様な、クリエイターとしての力があるわけだ。

 

「人の記憶とか、物理法則とか、必然とか偶然とかいう世界の都合に囚われない完全な操作が売りらしい」

「文字通り世界の全てが自分の思うままってところね」

「……じゃ、なんで亮の所には来れないんだろ?」

 

由紀の補足に対して愛菜が疑問を問いかけた。世界の全てが思うままなら、それくらいできたって……と思ったところで。

 

「ンなの立ち位置考えりゃ分かんだろ。世界の全てを見通す立場にいるっつーことは、たとえ世界に入って来れたとしても常に誰も彼もが自分の思うままになる。それに、ゲームプレイヤーがゲームの中に入れるわけないだろ」

「……そっか。お世辞にも人生なんて謳歌できそうにないよね」

 

それだけだと理由としては弱い気もするが、納得できる理由ではある。少しでも自分の気に食わないことが起きることすらない。何もかも完璧で自分の都合のいい未来しかない人生が如何に面白くないかという話だ。

 

「そんで……えーと、なんだっけあれ……そうだ、次が神術」

 

ポンと手を叩いて捻り出した様に数馬が言った。

この場にいる全員が一応神術の存在については知っている。だから、ソレをなんか忘れかけてたとかいう数馬の神経を満場一致で疑った。

 

「魔術はただの物理のバリエーションでしかないけど、神術は、想いが作り上げる神の真似事。それでも神と同じく内部データその物に干渉するものだって」

 

分かりやすく、的を得ている例えだと思ったが、まぁ神がそういったのだからその言い草はないかと心で笑う。的を得ているというか、そのままなんだろう。

 

「神術による浄化はキャラクターデータ右クリックで削除を選ぶようなもので……えぇと、聖移?は、キャラの内部データをドラッグアンドドロップする様なもの」

 

聖移により知識を与えたりするのは、たとえば人の記憶がテキストファイルかなにかだとして、分け与える記憶のテキストだけ移動させる。場所の移動だってマップデータに介入するような物なのだろう。

 

他の神術も説明がつく。炎神や水神の使った聖火も聖水も、敵である自分にしか影響を及ぼさなかった。太陽の様な炎の球体が大地に下ろされても、燃えてるのは自分だけだったし、水神の時には地球の裏側まで一度逃げたのにも関わらず、地中から水の球体が飛んできたりもした。

全ては敵にしか効果を及ばさないと術者が決めた攻撃だからだろう。

 

大体、再認識できた。だから。

 

「その辺はとっくの昔に分かってる。別にいい……それより、話を妨げてしまうが、時間については何か言っていなかったか?」

 

わざわざ分かりきった神術の話を持ち出して来るのだから当然──

 

「……心して聞いてって言ってたから、頼むぜ?」

 

回答は用意されているらしい。数馬は亮が頷くのを待った。

心して。なんて言ったところからもう嫌な予感がしている。だが聞かない訳にはいかなかった。

 

「あの瞬間から前の時間には戻らない。あの瞬間に世界は一度崩壊した。それは神が消えたから。一度世界は滅んで、ただ残ってた世界のデータをコピーして私が弄れる形式にして貼り付けたのが今ある世界だから」

 

何とかその言葉を人間の考えで落とし込む。恐らく、今まで存在していた世界がロックされ、フォーマット化されたんだと考えた。例えばパソコンをパソコンたらしめるOSの様な──動かすための大前提。あの時間より前の世界が、神のベース。神は人の想いが作り上げるものだ。

それより前の出来事を弄れるのなら、矛盾が生じる可能性がある。その理屈が正しいかどうかは亮には分からないが、ただ明確に言えることがある。

 

「(……なるほど、俺のやってきた事は全て無駄で、きっとこれからもそうか)」

 

数万年と築き上げてきた自分の今までの行いは全て無駄。意味がなく、殺した者も食らった者も無駄な犠牲で、たとえこれからどれだけ神聖を求め動いたとしてもあの時間に戻ることは叶わない。

七尾真衣が神となった瞬間から、その後の根本亮の生に意味はなかった。

 

だがまぁ、そんなことはどうでもいい。

 

これまでの生を否定されたとしても、こうして数馬と引き合わせた神の意志があるなら、今までの生なんて些細なことだ。

 

「ンで、それをわざわざ言うってことはなんかあんだろ」

 

と、亮が続きを促す。

 

「分かった、多分、ここから先が大事な事だと思う」

 

むしろそれまでが前座なのかとツッコミたくなる愛菜と由紀だったが、雰囲気を察して声には出さない。

 

「七尾さんは、消える」

 

亮はまず、自分の意識が消えようとした所を抑えた。理解を拒み、あの時と同じように幸せな記憶の中だけで生きようとするのを止めた。そうしないと、このまま地球が滅んでいたからだ。

 

『主!』

 

八代が精一杯の声を上げてくれたことも一因だ。

 

『……大丈夫……大丈夫』

 

心の中で言い聞かせる。表情や体には一切出さない。

 

「……この世界の神はもう消える。そして、私は魂があるもう一つの世界に行く」

 

希望の言葉だった。神が消えるとか魂とかもう一つの世界とか、もう亮ですら理解できていないが、彼女が行くと言ったのだから、そこに居るのだろう。

 

「向こうの世界の私を探して。仕込みはしてあるから。だって……俺にはチンプンカンプンなんだけど……」

 

少し申し訳なさそうに紡ぐ数馬だったが、別に数馬を責めるものはこの場にはいない。もう一つの世界だの魂だのと、そんなものはどう考えても人の思考で結論を導き出せる領域ではない。

 

「もう一つ……か」

 

恐らく。というか、絶対、今のところ亮が確認している世界。

空間をねじ曲げるくらいの力を用いていれば、それの存在には割とすぐ気付けるものだ。ただ「聖移」ですら行けない世界だ。世界と世界の狭間なら行けるが、その向こう側は亮も知らない。

 

「(……愛菜……)」

 

チラリと愛菜を見る。話についていけないからかポカンとしているが、鍵は愛菜だと気付いた。

正確には深淵だ。世界の下地か何か予想のつかないあの世界。その向こう側にもう一つの世界がある。

 

「鍵は根本さんの魔術だって」

 

その予想は数馬が肯定した。嫌にタイミングが良い。

そんな数馬の声を聞いて、愛菜が口を開いた。

 

「……深淵かぁ。まぁ、最悪私が亮に食われればいいか」

「ン、その時は頼む。死んでくれ」

「言い方ね」

 

何とも異常な問答が繰り広げられ、数馬が喉を鳴らした。だが、今はそれにツッコミを入れる場合ではない。あと一つだけ伝える事がある。

 

「ただその前に葛葉 十花(くずは とおか)をあんたなりに助けて。それが終わったら来てくれって……それで七尾さんからの言葉は全部だ」

「……誰だよそれ」

 

全く聞いたことの無い者の名前が突然出された。お前ら知ってるかと数馬の後ろの愛菜と由紀に尋ねても、首を振られるだけだった。どうやらこれまでの生活にほとんど関わりのなかった存在らしい。

他の三人の極術師の誰かが鍵だったりするのかと思ったが、それすら関係ないようだ。

 

「まぁいい、鈴木数馬、助かった」

「……なぁ、話を戻すけど、帝は──」

「宝姫咲輝に伝えろ」

「っ……」

 

数馬の言葉を遮って亮が口を開く。数馬は黙って聞くことしかできない。この場で咲輝の名前を出されては聞くしかないのだ。

 

「帝からの伝言だ。君の笑顔は私には眩しかった。だから、今度はそれを彼に向けてやれ。後悔だけはするなよ」

「……分かった」

 

と、数馬は頷いたが。

 

「「『「(たぶんコイツ分かってねえな)」』」」

 

モンスターハウスの四人が心の中で呟く。

 

「ンじゃ終わりだな。俺は帰る」

「な……まだ俺からは」

「んじゃ私も」

 

数馬の静止など聞かず、亮と愛菜は数馬の後ろの廃園の出口へと向かって歩き始める。由紀は着いてこないが、彼女も彼と話したい事がまだあるんだろう。別に今の亮にはそれを聞く気はなかった。

 

そんなことよりも、葛葉十花という者を見つけることだけが先だ。

 

「……私はもう少し数馬と話してから行くわ」

 

残った由紀を見て、数馬は亮達を追おうとした足を止める。

 

「おいっ!」

 

だが、声を張り上げた。これだけは伝えなきゃいけないと思ったから。

 

「あの人は!七尾さんは!あんたが大好きだって言ってた!!」

 

ホントは、伝えたくなかった。数馬も七尾真衣という少女に惹かれた一人だった。

この廃園で一度、自分の命を救ってくれた彼女に。いつだってどこか遠くを見つめて儚く笑っていた彼女に惹かれていた。

 

これを伝えることは、自分が恋敵に負けたことを認める様で、嫌だった。

 

でも、これで彼が頑張ることで彼女が笑えるなら。仕方ないと思った。

 

「ン」

 

と、一言言って手を振った亮。もうそれだけだった。

 

 

 

中ボスと主人公の初対談はこれで終わる。

数馬としてはまだ言いたいことはあった。文句だってつけてやりたい。両親との件だって話していない。だけど、今は目の前の少女との会話が先だった。それに。

 

後、一度だけ、二人が相見える機会はある。




次回はやっとこさ上から目線です。
恐らくですが、後10話もなく終わると思います。


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救われる方法②

ホントは①にくい込ませる予定でしたが、まぁなんか視点違うから別にしとこと思いました。よってめっちゃ短ひ


かつての神は「光あれ」と言って世界を創造したらしい。その実は、この世界に物質を生み出したただ一つの衝撃。本当のところは私でもよく分からないけど、やろうと思えばできるから多分それなんだろう。

それにしても、人っていうのは本当に傲慢だ。「光あれ」って、それ目が見えない人、光を享受できない人には何の意味もない言葉じゃないか。神聖と言えば光みたいな風潮が未だに続いてるけど、別に光はただの量子であって、逆に闇はそれが存在しないだけの空間。

全てを創造して、全てを破壊できる立場に立って初めてわかることだけど、この世の全てのものにはその実は大したことないくせに沢山の想いが詰まっている。愛着だったり、願望だったり、思い出だったり、夢だったりする。時には苦痛であったりもするけど、一つ一つ摘み取ってみれば結構面白い。光もそうなのだろう。目が見える人にとって、光というものは常に身近にあるもので、目を瞑って闇に浸らなければいつもそこにある。だから光に救われたいという想いを詰め込む。

そんな都合のいい解釈はとっても滑稽だけど、私は大切にしてみようと思う。運命、未来は全部見えてるし、この先世界がどう辿ってどう滅ぶか。何億分の一の軌跡すら分かってしまうけども、それでもいつまでも期待して見ようと思う。

そんな我儘な想いが、いつか神の奇跡を超越すると信じて。私と彼がもう一度笑い合える世界になると信じてる。

 

 

 

 

 

 

 

信じてはいても、どうやら世界は永遠に亮と私を越えられないらしい。

どれだけテコ入れしても、人は亮を越えられない。全てに置いて亮を上回るスペックの者を作っても、永遠と戦い続けるだけで亮は殺せなかった。決着が着くより先に銀河とかそういう物が終わってしまう。ただ虚しいだけの世界になって、それだけだ。私を越えられない。

 

ならば亮の方をどうにかしようとした。

愛菜ちゃんが復讐者のトップに殺されるのを阻止して、亮が絶望で銀河を魔力で飲み干すほとんど固定されたその未来を変えてもダメだった。

 

八代ちゃんと、社ではなく、海で戦わせてロケットペンダントを無くす未来を作ってもダメだった。

 

優衣を作り、自決要員として亮の傍においてもダメだった。

 

それだって仕方ない。私は亮に愛されているから神として存在する。この世に私を想う者は亮だけ。亮が居なくなれば、誰にも想われない神なんて存在しない。かつて亮が水神を食らうために、水神を信じる者達を皆殺しにするしか無かったように、私がこの立ち位置から降りるにはそれしか方法がない。

 

 

 

何度世界を書き換え続けたか。人間の定めた数の概念を超える程度には色々試した後、異常があった。

 

一人。たった一人、私が弄れない存在がある。

 

それが「鈴木数馬」。本来、存在しない人間。

 

異世界から来た人とかは三人くらい居たが、彼らもこちらの世界に来た際には私が好きにできるようにはなっていた。

 

だが鈴木数馬は違う。彼に対する干渉は、わざわざ時間の概念を合わせて彼に利のある形にしなければ成立しない。

運命も、彼に関わるもの全てがズレる。こうなると決まっているのに、彼が関わると結果が変わる。

 

宮里由紀とニーノ・ヴァルバットがいい例だ。

 

宮里由紀は亮に心酔し依存するだけの心の壊れた存在だったはずなのに、自分の意志をきちんと持った人になっている。安定装置に使い捨てられる未来から、一人の女の子を守って死ぬ未来になっている。

 

ニーノ・ヴァルバットはもっと簡単。ニーナ・ヴァルバットと共に亮に殺される運命から大きく外れて老衰死する。

 

私の手から少しずつズレていく運命。主人公によって狂わされていく世界。

 

どうにかしてくれる人を望んではいた。けれど、腹立たしい。

 

あんなに彼が努力をして、抗ってもがいて、心なんて壊れてしまって。それでも終われなくて。自分自身を永遠に責めて、それでもと生きたのに、彼は自分の力じゃ永遠に目的を達成できない。彼の心の痛みなんて、私がよく分かっていた。

 

だから、彼がどうしようもない時には、二人で語らった。

 

光しかない空間で長々と話をした。彼が何を想って、何を言うのかなんて全部わかってる。

語らい終えればその運命は一度消して、再び新しい運命を築く。だから彼と二人での語らいは全くもって意味の無い行為。

 

ただ、それでも意味の無い時間を紡ぎ続けた意味はあった。鈴木数馬が存在する今の運命は、あらゆる異常が起きている。

 

亮が神のシステムに詳しいのもそれだ。炎神や水神の記憶に含まれていない神の性質の認知も、私が教えたもの。

消したはずの運命の記憶が継ぎ接ぎだらけだけど、残っている。優衣も私が介入させたわけじゃないのに誕生した。

 

それこそ優衣なんて最初は私の生き写しだったのに、気が付けば私の妹を自称する存在になっている。王様の家に現出させたつもりだってない。

 

 

 

 

とうとう、致命的なレベルでズレた。

 

愛菜ちゃんが亡くなり、自分の甘さを知った亮が世界を巻き込み自害しようとして、けれど自分だけが生き残る運命が、崩れた。

 

つまり、神たる私が認知しない世界が出来上がった。

 

そしてそこまで来て、やっと気付いた。鈴木数馬という存在の意味を。

 

「想いは力になる」

 

炎神が亮に対して掛けた言葉。亮が信じ続けるその言葉、その物だ。

私を救いたいという想いが奇跡を起こした様に、私が亮と「生きたい」という想いが起こした奇跡が形作った物。だから私の手をすり抜けていく。

 

ならばこの後の私の運命なんて決まっている。なので、向こう側の世界に私の魂を送り込むことにする。こちらの世界では邪魔なので輪廻転生の概念は追っ払った。アレがあると余分な問題が発生するからだ。

それに、私ももうこの世界じゃ生きていたくもない。科学と魔術の世界より、剣と魔法のファンタジーな世界の方が好きだ。

 

なんて、思ったところで。

 

呼び出される。

 

まぁ、最後くらい格好を付けさせてもらおう。

 

「やっ、待ってたよ」

 

彼に向かってそう言い放った。互いに顔はない。ここにあるのは意思だけだ。

 

「後はがんばって──」

 

もう、幸せだったあの頃に、完全な形で戻ることは叶わないけれど。

 

私と亮が二人で永遠に居られる世界に行けるなら。

 

「──」

 

今は消える。神の座は、もう要らない。




なんかだいぶ前に優衣がいる理由はという感想を頂きました。回答です。
亮の自決要員でした。

いくつか辿った運命の話を、ほんっとーうの初期にはくい込ませていく予定でしたが、継ぎ接ぎだらけの書き溜めが70話を超えたあたりで冷静になりました。


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強制敗北イベント
純粋悪


鈴木数馬との会話が終わったその夜、亮達はいつもの様に四人で夕食をとっていた。面子はもちろん、亮、八代、愛菜、由紀の四人だ。この場にあともう一人居ないことに違和感を抱くものは誰もいない。いつか亮が取り出した席は存在していないし、彼女に使わせていた部屋はもぬけの殻だ。

 

「あ、亮お醤油取って」

「ン」

「あんがとぅ〜」

 

愛菜は醤油差しに醤油を継ぎ足し、置いてから真ん中の皿から刺身を一枚取り、醤油に浸して口へ入れる。

 

「あ、ちょっと愛菜ちゃんそれ私のサーモン……」

「へっ、名前でも書いとけってんだ!」

「無茶言わないでよ!!」

 

と、愛菜と由紀は仲がいいんだか悪いんだか分からないやり取りをしている。

まだ由紀がこの家に来てから一週間と経過していないのだが、とても馴染んでいるように見えた。

 

「……やっぱイカじゃなー、イカじゃよなー……うまうま」

「「あっ、それ私のイカ!」」

 

残った二枚のイカを掻っ攫っていく八代に、すかさず二人からツッコミが入り、口論が始まり──

とまぁ、いつも通り賑やかな食卓は、今日もいつも通りに進んでいく。

 

「そういえば亮、葛葉十花(くずはとおか)とかいう人のところにはいつ行くの?ていうか、何処にいるのか知ってるの?」

 

そんないつも通りの時間を、愛菜の質問が壊した。

 

「皆目見当もつかないが、飯食って洗い物したら行くつもりだ」

「んー前後の文脈がおかしいんだよなぁ……」

 

居場所について見当つかないのに向かうとはどういう事だという話だ。

 

「もう、神術を発動させるための神聖を温存する必要が無いからな。聖移で向かう」

「あぁそっか。便利な術が使い放題だもんね」

 

葛葉十花に関する情報なんて名前だけだが、それだけあれば向かえる。それが神の力という物だ。

 

「そしたら、もうすぐだね。亮が居なくなっちゃうの」

 

という愛菜の言葉に、空気が凍った。

 

「ン……まぁな」

 

愛菜、八代、由紀の三人が手を止める中、亮は特に気にする様子はなく粗食し、言葉を紡いだ。肯定する以外にかける言葉なんて、今はなかった。

 

「相変わらず冷たいなぁ……」

「ンなこと言われてもな」

 

口を膨らませて怒りをアピールする愛菜に対しても、亮はいつもと態度を変えることなどない。

 

「……今すぐ行くわけじゃない。その時が来たら、話せばいいだろ」

「うわぁてきとー……」

 

なんて愛菜から白い目で見られる。

 

「仕方ないだろ。言いたい事なんて、その時になんなきゃ出てこねえよ」

 

なんて言ってその視線をかわした。

 

「ふ〜んだ。後で後悔しても知らないもんね!」

「そこは大丈夫だ」

「まっ、長年の夢が叶うんなら」

「違えよ。今話そうが後にしようがどうしようが、離れ離れになりゃどうせ後悔する。もっと早くそうしておけば良かったなんて後悔は、着いて回るもんだ」

「……亮が言うと重みが違うね」

「そうかよ」

 

どうせ後悔する。それは無数の経験から出た解答だ。自分は大切な人達とは何も言わず別れてしまったし、別れさせもした。食らい殺した者達のほとんどは「こうしておけば良かった」と後悔している。遅いか早いかなんて問題じゃないし、そもそも「こうしておけば」なんて言うのはただの建前だ。

 

それらは「生きたい」から生まれた言葉。

 

生きてこうしたかったという想いを、もう死ぬのが分かっていてどうしようも無いから「こうしておけばよかった」なんて後悔する。

別に今回、亮も愛菜も死ぬわけじゃないが、二人一緒に居ることで訪れるハズだった未来は死ぬ。だからその時にならなきゃ言葉なんて心からの生まれない。

 

「ご馳走様」

 

亮と愛菜が生み出した空気を壊したのは由紀だった。見てみれば彼女の茶碗にご飯は残っていない。隻腕ということもあり、食事のペースは遅いのだがそんな彼女が食事を終えてしまう程度には手が止まっていたらしい。

 

「……あ、待って由紀ちゃん」

 

席を立とうとした由紀を愛菜が止める。

 

「……なにかしら?」

 

いつも通りの表情で由紀が首を傾げる。それを見て、愛菜は尋ねた。

 

「なんで私が楽しみにとっといたカツオの刺身盗ったの……?」

「ふん、名前でも書いときなさい」

「書いてあったでしょ!?」

「えっ、嘘でしょ!?」

 

なんていつものやり取りが、いつもの空気を生み出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この世界なんて壊れればいい。

 

そう思う者は沢山いる。時々そう思ってしまう者はもっといる。一度でもそう思ってしまった人は人類のほぼ全てだろう。

 

けれど、いついかなる時も、無意識の中でも、夢の中ですら思っている者は何人いるだろうか。

 

それはこの世界には二人いる。

 

片方はその気になればこの世界を壊せる魔人。正しさの前に自分の居場所を奪われ、間違えた結果、旧世界を滅亡させたが新世界を滅ぼしては自分の願いが叶わないと分かっているため、ただ理性でそれを成さないだけ。

 

そして、もう片方はそんな彼とは違う弱々しい存在。

 

これはそんな彼女、葛葉十花の短く、夢も希望もない、しょうもないお話だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

──こひゅー、こひゅー

と、ただ呼吸する音だけが部屋に繰り返し響いている。なんだか間抜けな音だが、酸素マスクをつけている状態で呼吸しているため、こんな間抜けな音を出し続けるのもしょうがない。これが無ければ直ぐに苦しくなってしまう。

 

患っている病がなんだったかは知らない。教えてもらった時はまだ漢字で一から十を書いていた時だったから理解もできていなかったし、今となってはどうでもよかった。

もう自分の腕すら満足に動かせる体じゃなくなってしまった。漢字の読み書きなんてもうかれこれ七年近くやっていない。バーチャル技術を用いれば学習もできるが、そんなことをするだけ無駄だ。

 

昔は良かった。

 

両親から出来損ないと罵られ、殴られて蹴られて、それでも食事にはありつけた。

 

学校では虐められ、けれど相談する相手はいなく、そもそも家があの環境だから自分が虐められている自覚なんてない。そんなことばかりの学校生活だったけれど、学校の先生が挨拶をしてくれた。

 

この病を患ってからは直ぐに入院する事になった。両親は保険金がどうとか言っていたが、その時には何のことだがさっぱりわからなかった。

現代の科学でも手の施しようがないらしい体だが、延命だけはできた。

 

入院してからが一番幸せだった。

優しい看護師さんが色んな事を教えてくれて、携帯電話を持ってきてくれて、そのお陰で色んな勉強をすることが出来た。看護師さんはあまり長い時間傍に居てはくれなかったから、短い時間の中で色んなことを話して、そしてまた次の日を楽しみにしていた。

 

ただ、幸せは長く続かなかった。容態が悪化し、だんだん身体が動かなくなっていき、ついに声を出すことすらできなくなった。

それから色んな物事を理解するのに時間はかからなかった。会話ができないからか、看護師さんは必要な事をしたら直ぐに離れて言ってしまう。伝えたいことが沢山あるのに聞いてはくれなかった。そりゃ当たり前だ、話せないのだから。

それだけじゃない。今までコミユニケーションを取っていてくれたのは、話せたからだ。話して、動いていたから会話をしてくれた。だが会話ができず、もう勉強をしたってまるで意味をなさないのなら。わざわざ忙しい時間を割く必要は無い。自分は患者であり、看護師さんは看護師であり、ただそれだけの関係なんだと理解した。理解したから、行かないでと手を伸ばすことを辞めた。

 

全てを理解してから色んな物を憎んだ。家族を、学校の生徒を、看護師を、国を、この世の在り方そのものを。そして何より、どれだけ絶望しても力がなく、自分の命を自分で断つ勇気すら湧かない自分の事を。

 

明くる日も明くる日もただひたすらに憎しみを積もらせた。

 

ただ、それももうそろそろ終わりだ。

 

「(……あたま、痛い……こういう時は寝るに限る)」

 

ゆっくりと目を閉じて眠ろうとする。体調のせいか、或いは体力が少ないせいか、両方か。一日の三分の二以上は睡眠に費やしている。終わりの日はこうやって眠るようにいけるのだろうか。なんて事を考え、目を瞑る。いっそこのまま二度と目が覚めなければいいとすら思えて──

 

 

 

 

 

「コイツがそうか」

 

酷く冷たい声に目を開いた。ただもう見開き切る程の力はない。ただゆっくり、弱々しく、うっすら開くだけだ。だからボヤける。ゆらゆら揺れる視界に映る者は、この世の物とは思えなかった。来ている服が黒せいか、死神か何かにも見えた。

 

「…………」

「……喋れないほど衰弱してんのか」

 

頷くことはない。そんな力はないし、何より突然現れた者の問に答える必要などないからだ。

 

「頭の中で言葉を描け」

 

いきなり命令される筋合いなどまるでないわけだが、久し振りの日常のスパイスだと思い、言われるがままに伝えたいことを頭に描く。

 

『だれ』

 

だが多く語るつもりは満更なく、簡潔に済ませる。

 

「お前を救いに来た」

 

十花の質問に酷く胡散臭い回答が返ってきた。

瞬きの間に目の前に居て、口を開けば「救いに来た」と。まぁ宗教勧誘の演出なら随分手が込んでると褒め称えられるだろう。というのが十花の感想だ。

 

『なに?わたしを治してやるってこと?はっ、冗談言わないで』

「誰もンなこと言ってねえだろ。本当に、心の底からお前がそれを望んでいるならそうしてやってもいいが、多分違うだろ」

『は?』

 

国語の点数低いだろてめえ。というのが率直な感想だ。病に苦しんでいる人を目の前にして「救う」と言い放ち。だけど治すわけじゃないと。これが宗教勧誘なら、神に祈りを捧げるなんて面倒なことしてまで救ってもらう気は無いと言うのだが、そういう雰囲気でもなかった。

 

「やりたい事があんだろ」

 

という男の問いに対し、心の中で笑ってから。

 

『そうね。学校に行って、友達や彼氏を作って、些細な事で一喜一憂して生きたい』

 

と、冗談を垂れる。反吐が出てきそうな文字列。そんな物を望んじゃいない。それを望んでいた時期も昔はあったが、今となっては黒歴史の様なものだ。自分がそう思っていたことが恥ずかしく、恨めしい。

そう、今彼女の望みはただ一つ──

 

『この世界を、全てをぶっ壊したい』

 

と、混じり気のない、純度100%、心から出た気持ちが男に伝わる。伝えようとは思っていなかった。ただ溢れんばかりのその憎しみが、彼女の意に反して伝わってしまった。ただそれだけだ。

 

「珍しいなお前」

『人の心の奥底から出た言葉を聞いて、感想が珍しい、ね』

「あぁ珍しい。心の奥底にあるものが悪意だ。性善説だとか性悪説だとか、ンなしょうもない話をするつもりはないが、人は基本的に愛だとかそういう物を受け取ったからこそ変質し、歪み、悪になる。だがお前は違う。だから珍しい」

 

途中で彼の話は聞き流した。というよりも、聞き取れないという表現が正しい。どうにも長い間耳を傾け言葉の意味を理解する事ができない。それほどまでに衰弱している。

そんな様子を見てか、男は伝え方を変えた。

 

『もう一度言ってやる救いに来た』

『……頭、気持ち悪い……まぁいいわ、それでなに、私の望む力でもくれるわけ?』

 

世界を壊したいなんて望みを叶えられるのは、力だけだ。地位や権力でも壊せるかもしれないが、時間が無い。

 

『それが望みならそうしてやる。だが忘れるな、別にお前のそれを治すわけじゃない。力を渡すことで死期はズレるかもしれないが、かと言ってお前が後一ヶ月以上生きることはない』

 

サラリとお前はあと一ヶ月しか生きられないと宣言されたが、そんなことよりもこの男がどういうつもりなのかがさっぱりと分からない。

 

『そこはどうでもいい。それで、力を渡すから、なにかしろって?』

『いや、渡した後はお前の好きにすりゃいい』

『意味わかんない』

 

十花は困惑し始めた。目の前の男の言う事が心の底から意味不明だった。

現代の科学ですら延命が精一杯の病を抱えた者に対して、治しはしないが世界を壊せるほどの力を与える。力を手に入れたら好きにすればいい。

 

全くもって目的が見えない。

 

『何度も言ってんだろ、好きにすりゃいい。できるかどうかは自己責任だが』

『……本当にそんな力を』

 

と、そこまで考えを紡いだところで、男との念話が切れる。

その代わりに。

 

「あがっ!?」

 

十花が声を上げた。理由は簡単だ。見えない何かが全身に刺さったから。

縫い針なんかよりも細い針の様な何かが、把握しきれない数、体に突き刺さっている。頭、顔、腕、手、胸、脚、足、背──ありとあらゆるところに痛みが走る。

激痛のあまりに全身が震える。もし満足に動く身体だったら、痛みで身を捩らせ、ベットから転げ落ちているところだろう。

 

「(なっ……に……これっ!?)」

 

痛みの次に感じた──いや、聞いたのは声だった。

 

──いたい

その言葉は、十花の声じゃない。何処の誰かも分からない、誰かの声。そんな声を皮切りに、沢山の悲鳴が脳内に響き渡る。

 

老若男女問わない無数の声が十花の頭を埋め尽くした。いたいつらいくるしいどうしてこんなことにしにたいころせ──まぁ一々聞き取るのも億劫になるくらいの、そういう言葉だ。

その言葉の数々には、生への執着やら痛みからの逃避行やら様々な想いが盛り込まれている。そんな中でも一番強い想いは、「理不尽な現実への憎しみ」だ。

どういう過程があったのかは分からない。けれどただどうしようも無い憎しみの塊があった。

 

「……はぁっ……げほっ……」

 

どれだけ時間が経っただろう。十花にはとても長いように感じた。けれど、やっと戻ってきた。憎しみの想いの中から、自分の想いを掴み取って戻ってきた。

 

「気分は?」

 

ようやく目の焦点が合ってきた十花に対して、亮が言葉を投げかける。十花は口元の酸素マスクを右手でひっぺがした後に。

 

「……サイアクよ。殺す気?」

 

と、増悪を込めた目で男を──亮を睨みながら、言った。

 

「……ならいい」

 

二言目には反応もせず、亮は懐に手を入れてタバコを取り出す。いつもの様に指の先端に火を灯して、タバコに火をつけた。

そんな光景を見つつ、十花は──

 

自分のだけの力で上体を起こし。

 

「……ここ、禁煙よ」

 

なんて警告するが。

 

「直にそんな事は関係なくなる」

 

という亮の言葉の直後、ジリリリリリリッ!と、火災報知機がけたましい音をあげ、続いてスプリンクラーが起動した。そんな事を予め知っていた亮は、見えない魔力の手でタバコに水が掛からないようにしていた。

 

「……ホントにサイアク」

 

が、当然十花はそんな芸当は使えない。スプリンクラーから放たれる大量の水に濡れ、服がベッタリと肌に吸い付いている。手を動かして濡れた布団を退けてから床に立った。

七年ぶりに自分の力だけで立ったが、そこに感動はない。あるのは──

 

「どうしました……!……あれ、葛葉さん……どうして……」

 

乱雑にドアを開けた看護師が見たのは、立てるはずもないくらいには衰弱していた十花が、自分の足で立ち、生気のない顔でこちらを見ている姿。

それと、タバコを咥えながら壁に寄りかかり、こちらをチラッと一瞥してはさも当然の様に窓の方にタバコの煙を吐き出す亮。

 

「あなたそれで気遣ってるつもりなの?バカなの?」

「お前ホント口悪いな」

「うるさい」

 

スプリンクラーが水を放つ中、そんな会話をしている二人。どこからどう見ても異常だった。

 

「く、葛葉さんその人は……」

「それで、あなたがくれた力っていうのは?」

「ただ強いだけだ」

「あぁそう」

 

看護師の言葉は二人ともガン無視。そして会話が終わるや否や、十花は看護師の元に歩いていく。ぺちゃぺちゃと素足が水溜まりを踏む音がした。それも丁度スプリンクラーが水を放つのを辞めたからだ。

いい加減声が聞こえないからと亮が完全に煙と熱を認識させないようにしたから。

 

「な、何が何だか分からないけど、良かったわね葛葉さ──」

 

それが、その看護師の遺言となった。

 

──ダンッ!!

と、空気が破裂するような音ともに、看護師の体が後方へと吹き飛ぶ。そのまま壁にぶち当たり、血肉の弾ける音ともに壁を凹ませ有り得ない方向に首がねじ曲がった。

 

「……くだらない」

 

と、看護師を叩くために伸ばした腕を下ろし、死体を見て十花は吐き捨てた。

 

「本当にくだらない力。これだけしかやれることないじゃない」

「少しだけ寿命を伸ばした上でそれだけの力を使わせてやってんだ。その言い草はないだろ」

「……もっとまとめてどうにかできる力を寄越しなさいよ。プチプチプチプチ潰していくのは性にあわないの」

「死にかけが何贅沢言ってんだ」

 

鼻で笑って回答した直後に、十花が目にも止まらぬ早さで亮に近付いてきた。彼にとってはまぁ考えられる範囲内の行動だ。彼女は「取り敢えず世界が憎い」から手当り次第に攻撃しているだけなのだから。

 

──ダンッ!

という爆音にも近いような音が響く。しかし、それだけだ。

 

「……チッ」

 

舌打ちしたのは十花。殺すつもりで放った右拳は亮に触れることなく、見えない魔力の壁に阻まれた。檻の中の動物を見るように十花を眺めながらタバコを吸い、煙は十花の居ない窓側へと吐き出した。

 

「そんな気を使うくらいなら大人しく死んでくれてもいいじゃない」

「お前がどれだけ手を尽くそうとお前の方が先に死ぬ。それに悪いが、生きる理由ができたから殺されてやる訳にはいかないんだ」

「あぁそう」

 

拳を下ろして、亮に背を向ける。殺せない上にこっちを攻撃する気がないのならもう興味はない。

 

「まぁ後は好きにしてくれ。じゃあな」

「……」

 

タバコを体内へと取り込んだ亮はそのまま聖移で家へと帰っていく。十花は亮の方を向いては居ないが、彼が消え去ったのは分かる。

 

「くふっ、あっはは……あはは!」

 

だからという訳でもないが、十花は三年ぶりに声を出して笑った。

深夜の時間に、そんな笑い声が響くのが普通なわけが無い。どうかしたんだと戸惑いながらも、物好きな患者達が十花の病室に入ろうと近付くが、廊下の壁にぶち当たり色々撒き散らしている死体を見て、半狂乱で逃げ去っていく。

 

事態が大きくなるのにさほど時間は掛からなかった。

 

気が付けば病院の外には警察車両がサイレンを鳴らして集まっていたし、病院の中もドタドタと走り回る様な音で溢れ返っている。

 

「始めましょう」

 

一通り事態は把握した。だから十花は窓を開けて淵に足をかけ、立つ。夜風が気持ちいい──という感想すら抱かない。ただ興奮していた。

わざわざ沢山の人間が死にに来てくれた。正直自分のこの体がどれだけやれるか分からないけれど、人一人くらいなら容易く潰せる力があって、目の前に沢山の人が居るなら片っ端から殺す。やれるかどうかじゃない。やれるからやりたい。全人類滅亡なんて夢は掲げない。たとえ途中で拘束されようと、志半ばで息絶えようと構わない。ただ、一人でも多く殺したい。

 

長い間、培ってきた想いを解放する時は──

 

病院の四階の窓から飛び降りて──始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

亮は戻ってくるなり平然と台所に立って自分のマグカップにコーヒーを注いでいた。つい二、三分前に赤黒い光景を見てきたばかりではあるが、それで飲み物が喉を通らなくなるほど豊かな感受性は持ち合わせていない。

マグカップに注いだコーヒーはいい具合に湯気を立てていて、人であればチビチビとしか飲めくらいの熱さだったが、そのくらいの熱さは慣れたものだ。

 

「随分早いわね。三十分も経ってないわよ」

 

浴室に行くところだったのか、寝巻きを持った由紀が部屋から出てきた。

 

「そこまで難しい話しじゃなかったからな」

「……人を救うって、簡単な話?」

「そんなのは人による」

 

どうしようもない孤独を抱えた人間相手なら長い話ではあるが、何も人が苦しむ理由はそういう心情的なものばかりでは無い。

例えば借金で首が回らなくなった人間等はお金を与えてやれば解決するし、病を抱えて生きたいと思う人間がなら病を治してやれば解決する。

 

「何を解決すれば救われる相手だったのか、聞いていい?」

「……簡単だ、自分の手で復讐がしたくて、終わりたい」

「私とは、違うのよね」

 

復讐。そんな単語から似ている者かと思ったが、終わりたいという欲望は由紀には無いものだ。

 

「そうだな。お前とは世界の見え方が、多分違う」

「見え方……?」

 

曖昧な表現に、由紀は首を傾げる。

 

「元々幸せか不幸か、から生じた違いだ。元々世界の暗い部分しか見てなかった。生まれ落ちて物心着く頃には不幸だった。愛なんて受けたことがなく、害を与えられるのが基本で、それが不幸なんだとすら知らない。ただ普通に接してれるだけで幸せだと思うくらいには根が狂ってる」

「……価値観が違うってことね」

 

その気持ちは分からないが、想像はついた。幸せの基準点が低いなんて簡単な言葉でまとめられる心ではないだろうが。

 

「病に侵され、治療はできないが延命はできるから無駄に生きながらえさせられた。日に日に動かなくなっていく体、追いつかなくなっていく思考回路、誰かが助けてくれるなんてこれっぽっちも思っちゃいない。だいたい八年くらいか、そういう日々を過ごした」

「……」

 

傍から見れば不幸の塊。それが由紀の抱いた印象。

 

「害するもの皆死ねばいい。そういう極端な想いが募っていくのを止めてくれるやつは誰もいなかった」

「……じゃあ、その人を救う方法は」

「世界への復讐と、自分の死だ。狂い続けた想いの果てなんて、だいたいその辺に着地する」

 

自分もそうだった。ただ自分は幸いな事に無駄に長く生きた結果活路が開けたわけだが、彼女は違う。

 

「……あんまし、お前は気に召さないだろうな」

「……そうね。無意味に人が人を殺しているなんて、指をくわえて見ていられる話じゃない……じゃない、けど……」

 

一度、絶望を経験した身として、気持ちは分からなくはない。たまたま気持ちを汲んでくれる人がいたから、自分の中で理由を見つけたから今はこうして理性を保っていられる。

けれど、それが無かったら?自分もそうなっていた可能性だってある。それでも無関係な人を殺すなんて良くないのは当たり前だ。

 

「まぁ、止めたいなら好きにすりゃいい。俺も聖移でどこの病院に行ったのかさっぱりわかんねえから、居場所は自分で突き止めてくれ」

「……止めていいものなの?」

 

復讐を果たせないじゃないか。という心配が浮かんだ。

 

「死ぬことも目的の一つなんだ。いいんだ」

「……復讐をしている最中でも、終われればそれでいいってこと?」

「好きなことして死ぬなら本望とかいうだろ」

「…………そうね」

 

言ってる意味はわかるが理解はできない。価値観の相違というやつだ。

 

「ちなみに、あなたがその子に与えた力は?」

 

話題を逸らすのにその質問をなげかけた。失敗前提だったとしても、たくさんの人を殺めるなら相当な力のはずだと思った。もし相対することになった際に参考として尋ねたのだが。

 

「魔人の力だ」

 

聞かなきゃ良かったと少し後悔した。




なんか大袈裟なキャラが出ましたが、これで退場です


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覚醒

終わり間近になると投稿ペース早くなる奴〜


翌日、登校した愛菜と由紀を見送った後、ワンフロア下の書店にて業務をしていた。いつもの様にインターネットで注文のあった本を梱包して出荷する作業と、もう一つ、このお店の閉店に関する作業だ。

 

笹塚未菜──二代目深淵から受け継いできたこの店だが、明日で閉める。

昨日帰ってきてからインターネットのホームページに告知を出した。閉店の手続きは後で行政機関に行かなければならないので、そのための下準備をしているところだ。

 

──ガチャッ

と、そんな最中に店内への扉が開かれた。

 

「あの!こんにちはっ!!」

 

と、同時に女性の声が店内に響いた。亮は声だけで誰が来たのかは分かった。というよりも、このフロアにエレベーターで上がってきた時点で誰かは把握している。彼女──「佐々木 歩美(ささき あゆみ)」は数少ないこの店の常連客だからだ。

 

「いらっしゃいませ」

 

だから驚くことなくいつもの様に挨拶をする。本当はガン無視して手続きを進めておきたいところだが、店は開いていて、そこにお客が来た。ならば必然とやることは決まっている。

と、思考を切り替えた矢先。

 

「あ、あの、閉店するって本当ですか!?」

 

早足で店内を進み、佐々木が食い気味に質問してくる。

 

「えぇ。急な話で申し訳ありませんが、明日には閉店させて頂く予定です。ご注文頂いたお品は今日中に発送致しますので……それとも、お持ち帰りになりますか?」

 

いつもの様に、愛菜とか由紀が聞いたら「誰だお前」と言われること間違いない丁寧な言葉で対応する。

 

「あ、あのボク……じゃなかった……私は……その……」

 

と、亮の質問に答えることなく佐々木は言葉を詰まらせる。ちなみに亮は。

 

「(金髪でボクっ娘かよキャラ濃いな……)」

 

思わぬ一人称にツッコミを入れたいところだったが堪える。

亮としてはさっさと帰ってもらいたかったが、今まで贔屓にしてもらった事もあり、あまり無下にはしたくないのも本心だ。なので彼女が言葉を整理するのを待つ。

 

「……私、本当は、ずっとここで働きたかったんです」

 

切り出し方がもうなんか話長そうだった。やべえ面倒臭えというのが率直な感想だ。

 

「それで……その、ここが無くなっちゃうのが嫌で……」

 

なんだかいつもと様子がおかしい。最初に来た時以降からたまに来店し、その度に少し会話はするのだが、こんなに会話に詰まる──というか、一人称を間違える様な事はしていなかった。

 

「あっ……どこかに、移転しちゃうんですか?」

 

思い出したかの様に尋ねられたが。

 

「いいえ、完全に処分致します。本の買い手は見つかっていますし、このフロアも売り払う手続きを済ませていますので」

 

最初の一言を除き全て嘘。本の買い手などいる訳が無い。かと言って捨てるのも手間なので後で全て取り込む予定だ。このフロアを売り払うというのは嘘。この建物自体、ナナシの所有物だ。空ければ後は彼女がどうとでもするだろう。

 

「そう……ですか……」

 

話はもうとっくに決まっていて、自分の付け入る隙は無いと理解したのか、佐々木はガックリと肩を落とす。

 

「……何か、他に聞きたいことはありますか?」

 

それから黙りな彼女に対して、今度は亮がそう尋ねた。ちなみに読み替えると「用がないなら帰れ」になる。

亮にとってこの本屋は笹塚未菜の遺物で大切な物ではあるが、七尾真衣との再開という出来事と比較すれば大したものでは無い。よって大した物ではない所でしか縁の無い人物は、大したことない人物なのだ。大したことない者の未練に付き合う義理はない。

 

「…………忙しいところ、お邪魔してしまい、申し訳ありません」

 

意を汲んだのか、それとももう諦めたのか。どっちだか分からないし分かりたいとも思わないが、こちらの想いは伝わったようだ。

来た時とは比べ物にならないほどにゆっくりな足取りで、佐々木は出口へと進む。

 

「……あの、今までお世話になりました」

「こちらこそ、長い間ご贔屓にありがとうございました」

 

と、亮は一礼して見送る。佐々木は何か言いたそうな顔をしていたが、結局口を開くことはなく、扉から出て行った。もう、彼女がここを訪れることは無い。

 

「はぁ」

 

エレベーターに乗り込んだ気配を察知してから、溜息をついて再びカウンターのパソコンの元へ。

邪魔する者が居なければ作業は早い。それから五分ほどで事前に入力しておくデータの処理は終えた。

 

その後、そう言えばと彼女から注文を受けていた商品を探し出して手に取る。

 

【並行世界〜例えばそういう世界〜】

 

確か恋愛小説だったと記憶している。並行世界という物が存在すると仮定した世界観で、並行世界の自分の記憶を読み取れる少女が想い人にアプローチしていく話だ。

 

「……並行世界があるなら。そういう可能性もあったんだろうな」

 

残念なことに、この世界に並行世界なんて存在しない。並行する世界があるとすれば恐らく、この作品の並行世界とは違う意味で並行に進む世界だ。

共通点と言えば、基本的に交わることがない事くらいだろう。

 

「まぁ、一緒に働いていた世界もあったかもな」

 

さっき扉から出て行った彼女にそう送って、亮は作業へと戻った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その日の夕方、テレビは、というか、世界は騒がしかった。

そのせいか、愛菜と由紀はいつもより早く帰宅している。というのも、本来5限まであるはずだった授業が4限で終わって帰って来たのだ。

その際に教師から言われた言葉は──

 

「絶対外に出るなってさ。学校来させといてよく言うよね」

「そりゃお昼くらいに話が大きくなったのだから仕方ないじゃない」

 

と、二人はリビングでそれぞれ自分の好きなように作ったコーヒーを飲みながら会話をしている。

もちろん、テレビは付けていた。もしかしたら新世界の裏側の出番があるかもしれない。そうなった時少しでも情報が多い方が良いから。

 

『現在、死者は60名を超えました。犯人は逃走をしつつ、手当り次第に──』

 

というテレビのアナウンス。考えるまでもない、これは葛葉十花の起こした連続殺人について報道しているのだ。

 

「どこのチャンネルもそんなんなんだろ」

「あれ、亮も見たの?」

「いや、昼間八代がブチ切れて下にまで押し掛けてきた」

「……あの子昼ドラ好きよね」

 

邪魔だったので本と一緒に食らったところ、1000冊を超える知識量の波に飲まれて大人しくなった。

 

「ねぇ、こういう時、私達の出番なんじゃないの?」

 

と、由紀が本題に入れてきた。

 

「よっぽどの事じゃないと無いな。前も言ったが、俺達は新世界の表に出せない件だけを扱う。この件はもう表に出ちまってるからな。表で解決するのが筋だ」

「筋も何も……魔人なんて表側の人間で止められるの?」

「えっ、ちょあの女の子魔人なの!?」

 

亮の回答に対して由紀が再び疑問を呈し、その驚愕の事実に愛菜が慄く。

 

「ちょっと強いだけの魔人だから問題ないはずだ。食らう力は限られてるし、それにまぁ、ほっときゃ死ぬからな」

「……ん?ちょっとイマイチわかんない」

 

愛菜が首を傾げた。

 

「葛葉十花は致命的に魔力との親和性がない。あいつの体に無理やり魔力を流し込みはしたが、上手く馴染んでいなかった……だから魔力の……エーテルの特性を十全に活かした魔人にはなれないわけだ」

「……んーつまり?」

「中途半端な魔人ってわけだ」

 

一言でまとめるとそうなる。ただそれだと余りにも抽象的すぎたのか。

 

「中途半端なのに、こんな大事を起こせるようなものなの?」

 

次に由紀が尋ねる。

 

「旧世界基準でちょっと強いくらいが、こっちでどこまでやれるかなんて俺も知らねえよ。ただ警察やらの装備で立ち向かえるハズはない。あいつは今頃、そういう連中に受けた傷と、病による激痛と、動くけど所々に感覚が欠落していく体に戸惑ってる頃だとは思うが……結局、そんなんも意志さえあれば動けるからな」

「あなたの言うところの、想いは力になるってこと?」

「そうだな。どうしようもない恨みが、憎しみが……八つ当たりとすら形容されるような想いがあいつを動かしてんだろうな」

 

以前、自分がそうだった時の光景が目に浮かぶ。与えられる痛みも、自分の体がどうなっているかさえどうでもよく、ただただ世界が恨めしいから手当り次第に壊し殺し続けた。違いといえば食らえないことくらいだろうが、まぁそこは大した差ではない。

 

「……悲しい話ね」

「そうかもな。だが俺は結構好きだ。どうしてもやりたい事のために、痛みを忘れてでも真っ直ぐにやり遂げる。たまたま、そのやりたい事が世間から認められないだけだった」

 

人殺しは悪。社会における基本ルールがあるために、彼女は今後歴史の教科書に世紀の大虐殺犯として名を残す事になるとは思うが、その基本ルールを度外視すれば自分のやりたいことに全力を尽くし息絶えた、中々気合いの入った人間に見えるだろう。

まぁ社会に生きている限り、その基本ルールのせいで普通はそんな事はできないが、社会からハブられた彼女には関係ない。

 

「つーか、結局由紀はどうすんだ。あいつ止めるのか?」

「……近所で問題を起こす様な、止めなきゃいけないような状況になったら止めるわ」

 

と言い切った由紀に、亮と愛菜は言葉を発しないまま、じーっと由紀を見つめた。

 

「……」

「……」

「……なによ?」

 

視線に耐えきれず少し口を膨らませて返した。そんな由紀に愛菜は少しはにかんで。

 

「いやぁ、由紀ちゃんもすっかり馴染んだなぁって」

「死者が60人超えてるのを見て、止めなきゃいけないような状況になってないんだな」

「…………あ……」

 

言われて、モンスターハウスの価値観に毒されていることに気付く。冷静に考えればこれだけ死者が出ている中、葛葉十花への対抗手段が見つかっていないのだから十分大事なのだ。本当なら国が総出でどうにかしなきゃいけない。

であるにも関わらず、由紀は「近所で問題を起こす様な」なんて言ってる始末。

極端だが、自分達が良ければいい。というこの家の方針が由紀の思考にも染み付いていた。

 

「それでいいんだよ由紀ちゃん。力ある人は力の無いものを守らなきゃいけないなんて、弱い人の僻みか、強い人の自惚れなんだから」

 

なんて、愛菜は笑顔で伝えた。その笑顔には一点の曇りもなく、彼女の本心のようだ。

だからこそ、有難かった。もちろん由紀だって怖いのだ。世界の誰よりも強い彼が「少し強い」なんて形容する未知数の相手が。相手を理解できていない恐怖はここ最近で身に染みて分かったことだから。

 

「……うん」

 

と、由紀が小さく頷くと、テレビの映像の方で少し変化があった。

 

『犯人は逃走しました!信じられません、ほぼ一瞬でこの場から飛び去り──』

 

どうやら彼女は上手いこと力を使いこなしているようだ。このままじゃいつどこに出没するか分からない。

 

「……まぁなんでもいいが、突然襲撃されても自分の命くらい守れよ」

 

なんてだけ忠告して、亮は夕食の準備に取り掛かるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同日、夜22時。鈴木数馬はやっとの思いで口を開いた。

 

「……ね……おん……」

 

膝を着き、双海寧音(ふたみ ねおん)だった物に触れる。今しがた機能を停止したそれは、まだ少し暖かい。しかし冷え切るのは時間の問題であり、どんなに手を尽くそうと元の暖かさになることは無い。

 

いくら新世界の技術といえど、バラバラになった人を生き返らせることなどできはしないからだ。

 

「なんで……どうしてこんな……」

 

確か、彼女は昨日実家の祖母が倒れたから様子を見に行ったのだ。「荷物が重いから手伝いに来てほしい」という連絡を受けたのが二時間前。「しょーがねーな」なんて返信をして、数馬は寧音が教えてくれた最寄り駅への到着時刻の少し前に駅で待っていたのだ。

 

ここまではいい。辿ってきた道のりを整理しきれている。全く問題はない。

 

だが問題はその次だ。なんだか重たそうな荷物を持ちながら、キャリーケースを引く寧音の姿が目に入った。彼女もこちらに気付いたのか、手は振っていなかったが気付いたような表情を浮かべて屋根のついた駅からこちらに向かって歩いてきた。その次の瞬間だ。

 

──ゴオオオッ!

と、風を切る様な音が聞こえて、なんだと首を音のする右斜め上へと向けたら、車がベイゴマの様に高速で回転を掛けながら飛んでいるのが目に入った。それとほぼ同時だろうか。人の悲鳴が聞こえて、ガシャァァン!という音がして。ふと視線を寧音に戻した。

 

そこに双海寧音は居なかった。

 

代わりに、赤い液体を引きずったような跡がある。それをゆっくりと追い掛けた。途中で赤と肌色のプニプニした何かが落ちていた。それは特に気にさず、さらに跡を追う。

追いきったところに、先程見た自動車がベコベコになって転がっていた。グルリと自動車の周りを回る。

 

そして今に至る。

 

「……ねおん……おい……おいしっかりしろよ……!」

 

と、元々体の四分の一ほどの大きさの双海寧音に言葉をかけるが、もちろん帰ってくることはない。

 

「おい、なぁおいっ!!」

 

数馬のそんな声は、背景の人々の阿鼻叫喚と銃声と魔術による爆音等に掻き消されていく。

 

後はまぁ、誰か一人の笑い声だ。どうしようもなく狂った笑い声。この地獄絵図を作り出す事が楽しくて楽しくてしょうがない、やつれた少女の笑い声。そんな笑い声は、いくつかの悲鳴を引き出しては黙らせていた。

 

そんな中でも数馬はどれだけ寧音を呼び続け、左側しかない肩を揺すり続けただろうか。

ふと、我に帰って気が付けば、先程まであった笑い声と阿鼻叫喚が静かになっている。代わりにどこからかパトカーのサイレンの音が近くなっていた。

 

祭りの後の静けさとかそういう静寂を裂いたのは、ゆっくりとした足音だった。

 

数馬は寧音から手を離し、彼女の開きっぱなしだった瞳を手で撫でて閉じてから立ち上がり、その足音のする方向を向いた。

 

「……お前か」

 

普段の彼からは想像もつかないような、低い声が出た。

 

「……お前がやったんだな」

 

この状況を生み出した、双海寧音を殺めた存在に対して言葉を投げかけ、拳を握った。

 

「それが?」

 

言葉を受けて、数馬は、六芒星の様な模様の眼球をその瞳に宿し、それからその少女に殴り掛かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──ピリリリリリッ

という着信音を聞いて、いつも通りにベランダで喫煙していた亮は懐から携帯電話を取り出した。業務用の携帯電話だ。これへの着信は仕事に関係する事を意味する。そういえば彼女との会話ももうそろそろおしまいか、なんて考えて通話ボタンを押した。

 

『仕事だ』

 

いつもの様に、ナナシから簡潔に切り出される。

 

「アレの件か」

 

今頃はどこを暴れているのか、そろそろ手が付けられないのかと思いつつ質問のしたが。

 

『例の少女は片付いた。しかし関係ないとも言えんか』

 

予想に反した答えが返っていた。どうやったのかは分からないが、葛葉十花はやられたらしい。大方マグナスかリフレクターにでもやられたのだろうと予想しつつ。

 

「どういう事だ」

 

関係ないとも言えんか。なんて曖昧な言葉の意味を追求する。

 

『魔人、お前が生み出した魔人は化物を生み出したらしい。その化物が真っ直ぐにセントラルタワーに向かってきている』

「その比喩表現やめろ。何言ってるか分かんねえよ」

 

十花に魔物を生成する能力は与えてないし、ましてや別の魔人を作り出すような能力もないはずだ。彼女の言う化物に心当たりがまるでない。

 

『鈴木数馬だ。彼が異常な脚力で地を蹴ってセントラルタワーに向かっている』

「……なに……」

『補足しておこう、貴様が生み出した魔人は鈴木数馬の攻撃によって行動不能になった。駅の監視カメラからの映像からだ。間違いない』

 

ナナシがそう言うのならそうなのだろうが、全くもって状況が理解できなかった。彼が十花とかち合う可能性は──まぁあるかもしれないが、ただの肉体強化の下位術師の彼に十花を行動不能に陥れるほどの力はない。

なにせ黒鎌帝に傷一つ付けられなかったのだ。彼とほぼ同等の十花に勝てるわけが無い。

 

『鈴木数馬の目的がなんなのか分からないが、安定装置が目的だとしたら不味い』

「……また安定装置かよ。まぁいい」

 

いっその事壊してしまえばどうだと提案したくもあるが、残り少ないこちらでの活動なのだからと承る。

 

それに、気になりはするのだ。大して強くないとは言え、魔人の十花を葬った数馬の力を。一体どんな秘密が彼に隠されていたのか、興味はある。

何かのきっかけで主人公が覚醒するなんてテンプレな展開。これが現実に起こってしまえば気になるのは仕方ないことだ。

 

「安定装置の守護はする。あとは知らん」

『それで構わない。任せた』

 

それだけで通話を終える。仕方ないと火の着いたままのタバコを体内へ取り込み、ベランダ伝いに由紀の部屋の方へと向かった。

 

「入るぞ」

「えっ、ちょっ!?」

 

網戸を開けてカーテンを退ければ、そこにはパジャマを脱いで半裸の由紀が居た。こんな時間に、しかも入浴後になぜ私服に着替えているのか疑問ではあったが、それを問い詰めるより先に聞かなければならないことがある。

 

「お前昨日、鈴木数馬と何話した?」

「あ、ああああのね着替え中なの見て」

「聞いたら出てくから早く教えろ。あの野郎今昨日の魔人ぶっ倒して安定装置を壊そうとしてる」

 

確定ではないが早いところ情報を引き出したいので危機感を煽る。これでも吃るようなら直接頭の中を覗くことも視野に入れたが、事が事だけに由紀も恥じらいを捨て、表情を引き締めてから口を開いた。

 

「……由美についての話しを詳しくしたのよ。私が腕を無くしたのも、安定装置のせいかもしれないって話を……」

「お前な……」

 

確定した気がする。大方、何かすんごい力に目覚めて安定装置を壊さなきゃとかいう要らない使命感に駆られている。正直なところ、理由はどうでもいいが間違いなく安定装置を狙っていることは分かった。

 

「ンじゃ行ってくる」

「えっ、え、えぇ行ってらっ……消えた……」

 

聖移で安定装置の元に消えた亮を、半裸のままの由紀が見送った。




相も変わらず数馬君パートをすっ飛ばしです。


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VS主人公

あと三話……二話?そんなもんです


「はぁ……はぁ……」

 

時間は少し戻る。数馬は今しがた殴り飛ばした葛葉十花が瓦礫に埋もれたのを見て、肩の力を抜いた。戦いは激しかった。十花は目にも止まらぬ速さで動き、拳を振ってくる。それだけじゃない、瓦礫や車、果てには人の死体まで持って投げるなどの遠距離攻撃。およそ常人には出せない攻撃の数々だった。一度敗北したあの黒鎌帝を彷彿とさせた。

 

それでも鈴木数馬は、勝利した。

 

全ての攻撃を目で見てかわし、やつれた少女には過剰すぎる攻撃を当て続け、駅の建物に殴り飛ばしてその衝撃で建物を瓦解させる事で、瓦礫で押し潰した。

死んだかどうかは分からないが、あれだけの威力だ。少なくともしばらく出てこないだろうと踏んで、数馬は。

 

「……ちくしょう……」

 

膝を折る。勝つには勝った、自分は生きている。だが、この戦いにおける勝利報酬は存在しなかった。勝利を収めても、これから十花に殺されるハズだった人達を守れたのだとしても、数馬は双海寧音を失った。

 

小学校からの付き合い。面倒見が良くて、いつも冷静で、頭が良くて、自分を気にかけてくれていた彼女。「所詮数馬」とか変なこと言ってくる割には、いつもそばにいてくれて──

 

「なんで……なんで寧音がこんな目にッ!!」

 

余りにもタイミングが良すぎた。人を殺し回っていた者はグリーン地区に居たと聞いていたから、対岸の火事だと。警戒はしなくちゃいけないけれど、過敏になるのは良くないと思っていた。

だがそんなことは無かった。図られたように、寧音は殺された。

 

そう、なるべくしてなった。計算されていた様に。

 

「…………ま……さか……」

 

一度、疑心暗鬼に陥ってしまえば、もう抜け出せない。

 

「これも……計算されてたかもしれないのか……?」

 

ずっと引っかかってはいた。安定装置が生み出した悲劇の数々。数馬はいくつかそれを見てきたし、もしかしたら関係ないと思っていた事件も実は関係あるかもしれない。

それを示すように、由紀は言っていた。

 

『数馬、この新世界はね、王様と安定装置と、これから会う彼によって管理されてるのよ。由美も、安定装置の指示で殺された』

 

新世界を平和にする。一人でも多くの人を幸せにするために、極小数なら平気で不幸にする事を決定する装置。そしてそれを実行する者。

確かに安定装置が完成してから、人々の生活水準は上がったらしい。特に作動した黒鎌帝の代からは人々は平等に幸せになったとテレビでもやっていた。

人々の所得の平均が上がったとか、そういう指標の上では。

 

『私はこの世界を許せない。けれど同時に、仕方ない事なのかもしれないって、今は思ってる』

 

由紀はそう笑っていた。

 

「もし……由紀の言っているほどに、新世界が安定装置によって管理されているなら、この件も安定装置は全部知っていた。つーか、こうなるように仕組んでいた……?」

 

それなら、しかし、だとしたら、

 

「……そうだよ。そもそもおかしいだろ……由美を殺した奴はあんなに強いのに、なんでアイツを止めなかった?被害だって最小限に食い止められたはずだ」

 

つまり、見過ごされた。国はこれだけ多くの人が殺されるのを良しとした。それは何故だ。それは。

 

「安定装置が弾き出したっつーことかよ……くそっ!」

 

怒りが湧き上がってくる。考えれば考えるほど、この件は仕組まれた事である様にすら思えてくる。それから、次の自分の行動を考え行動に移すまでに、大した時間はかからなかった。

 

数馬は立ち上がる。

 

「(……ごめん、寧音。俺、行ってくる)」

 

これが敵討ち──復讐なのかは分からない。けれど、もうこう考えてしまった以上、ただ膝を着いて待っているなんてできなかった。

 

──ダンッ!!

と、数馬の足が地を蹴る音が響いた。あっという間に空高く飛び上がる。それから建物の屋上へと着地し、また飛び上がって、これを繰り返す。

目指すはセントラルタワーだ。移動しながら、ふと思う。

 

「(……意図的に不幸が生み出されるくらいなら。きっと、俺の父ちゃんや母ちゃんもこう考えたんだろうな)」

 

そして計画がバレて、彼に殺された。それがあの晩の出来事だろうと踏んでいる。

今も、自分が安定装置を破壊しようと画策している事がバレたら、殺されるかもしれない。その時に出てくるのは、恐らく彼だろう。その時、自分は彼を打ち倒して安定装置を破壊できるか。なんて思ってから、自分の持っている力について考える。

 

「(……なんなんだ、これ)」

 

視界に、白く透明な三角形を二つ上下に重ね合わせた様な図形がこびり付いている。というのも、目を瞑ろうが開いていようがその図形がずっと見えるのだ。

不安になって高層ビルのガラスを覗いて、ガラスに反射した自分の顔を見る。

確かに、自分の瞳には六芒星の様な模様が映っていた。まるでその模様のコンタクトレンズでも入れたような雰囲気だが、もちろん数馬にそんな趣味はない。

 

「(……何が何だかわっかんねぇけど……これがある内なら……)」

 

さっき葛葉十花を殴り飛ばしたこの力。どういう物なのかは数馬にも理解できていない。ただ、双海寧音を殺めた十花をどうにかしたいと強く想ってから、ずっとコレが付いていた。神の力なのかと思ったが、七尾真衣が見せたああいう雰囲気──神聖さは全く感じられなかった。

何が何だか分からない。けれど、これさえあれば、もしかしたら帝が「新世界の闇の頂点」と呼んだ存在と互角に戦えるかもしれない。

 

「(もちろん、そんな事やってみなきゃ分かんねえけどな)」

 

絶対ではない。それでもチャレンジする価値はある。

 

──ドンッ!

と、コンクリートを抉る音を立てて、数馬は新世界の夜の中を突き進む。

目標は安定装置の破壊。それだけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

寒い。というのが第一印象になるだろう。安定装置を保管するためだけに用意された、セントラルタワーの地下深くにあるこの空間は、安定装置の冷却のためだけに異常に冷やされている。

一体誰がコンピュータの増設やら管理やらを行っているのかと考えながら、亮は壁に背を預けてボーッとエレベーターの方を見つめていた。

 

到着してからそこそこ時間は経っていたが、まだ鈴木数馬はこの部屋に入ってきそうにはない。

 

なのでもう一度、改めてこの空間について観察する。横30m奥行き25m高さ9mという、下手なプレハブの家より大きいコンピュータ。それが安定装置。亮が初めて見た四十年前よりも、その規模は増している。

それがこの部屋のど真ん中に配置されていて、壁やエレベーターからは100mほどの距離がある。とすると部屋の大きさの自体は250m×250mくらいか。一部屋にしては大きすぎるサイズだが。

 

「……ン、そろそろか」

 

ポツリと呟く。たった今、上の方が静かになった。

セキュリティやら警備やらとかち合っていた誰かさんが、ようやく全ての脅威を排除し終えたらしい。

ここまで来るのも時間の問題だろう……と、考えたが。

 

「……そういやあのエレベーターの仕掛け、知ってるのごく一部だったっけか……」

 

特定の順番でボタンを押さなければ、このフロアに来ることが出来ない。これを知っているのは王族やナナシ。後は亮でも知らない連中ばかりだ。果たして一体どのようにして数馬はここに辿り着くのか。なんて期待して。

 

──ガゴオオオオオン!!!

と、爆音に近い音がエレベーターから聞こえてきた。

 

「……なるほどな。エレベーターを落としてきたか」

 

地下にあるのを知っていて、エレベーターを落としたのかどうかは知らないが、数馬は無事に地下にまで到達した。

 

──ガンッ!!

と、先程よりかは少し小さい音を立てて、エレベーターのドアが乱暴に飛んでくる。余りにも速い速度で、かつ真っ直ぐに水平に飛んで行った。その行く先にあるのは安定装置だ。

 

「(……これ位置の問題どうにかしろよ)」

 

と、心の中で愚痴を垂れて亮は飛んでいるエレベーターのドアの軌道上に移動し高速移動し、体に取り込む。そしてそのまま正面に居る存在へと視線を向け、声を掛けた。

 

「昨日ぶりだな」

「……」

 

見間違いもない。鈴木数馬がエレベーターを背にして立っていた。

 

その瞳に、謎の模様を携えている。

 

「……ン?」

 

数馬から動く気配はなく。だからこそゆっくり観察していると、その異常さに気が付いた。

 

「(元々魔力が少ないと思ってたが……消えてんな。それにこの感覚は……なんだ?)」

 

僅かにあったハズの魔力がない。その代わりと言わんばかりに、亮の知らない何かが数馬から流れ出ている。魔力でも神聖でもない何かだ。

 

「(……食らえねえし)」

 

そして、その流れ出している何かに対して、空気中の魔力を移動させて吸収を試みるも失敗。そこには何も無いよと言わんばかりに空気だけを食らった。

 

「……アンタが待ってる様な気はしてた。でも言わせてもらう。そこを退いてくれないか?」

「断る」

 

数馬からの問いに対してそれに返答しつつ、その未知なる力について思考をフル回転させる。亮としては数馬が何を思ってこの場に現れ、安定装置の破壊に至ったかに興味はない。

長く生きすぎた亮の知らない力がある。もう興味はその一点に注がれている。

そりゃそうだ、知り尽くしたこの世界で、亮の知らない力が存在する。神聖すら食らい尽くす亮の魔力で食らえないものがある。

これに興味が湧かない訳がなかった。

 

「そっか……なら、無理矢理にでも退いてもらうぜ」

 

言って、数馬は左足を前に出し、少しだけ腰を落とした。どうやら詳しく力の原理を把握する時間は無さそうだ。

 

「端からそのつもりだろ。お前のその特別な力で奇跡でも起こして、俺を越えて見せろ」

 

殺して見せろとは言わない。死ねない理由ができてしまったからだ。それでも、亮はいつもの様に期待はしている。

 

「……言われなくともッ!」

 

──ゴンッ!!

という音は遅れて聞こえてきた。その音よりも先に、この新世界で戦ってきたどんな者よりも強い、数馬の右拳が亮に──触れる寸でのところで亮の展開する魔力の壁にぶち当たる。

 

「ちっ……」

 

数馬が呻く様に舌打ちをして、今度は左拳を魔力の壁に向かって放った。

 

再び魔力の壁に強烈な一撃が加わり──砕ける。

 

「……」

 

さほど強度を強くしてはいないとはいえ、滅多に破られる事の無い魔力の壁の崩壊。けれど別に驚きはしない。

 

「っ……!」

 

全くもって表情に変化のない亮の表情を盗み見て、巨大な壁を破壊したはずの数馬の表情が強ばる。余りにも底が読めない。自惚れではなく、自分の最初の攻撃はあの帝よりも強い攻撃だったと思っている。それを受けても壊れない壁。もう一撃当ててやっと壊れた。強固な壁を壊されたにも関わらず変わらない表情。

 

「(けど……もうここまで来て立ち止まる訳には行かねぇんだ!!)」

 

その一心で踏み込んだ。前にステップを踏んで、亮の懐へ潜る。左足を前に出し、右足を下げる姿勢を取ってから、右腕を引く。

形は荒い。格闘技に精通している者からしたら、「舐めてんのか」と言われるような姿勢。だが、人の目には追えない動作速度で全てをカバーできる。雑だろうがなんだろうが、音より早い速度で打ち出され、未知なる力で強化された拳の威力が有無を言わさない。

 

だがまぁ、当然、亮はその動作を目で追っていた。まるで、飛び回る虫を目で追って観察するような目で、数馬の動きを見ていた。

 

「(……くっ……)」

 

分かっていても、今更下がることなんてできない。既に重心を前に出したところだ。気付くのが遅すぎたとは思う。こんなにもはっきり目で追われているのなら、カウンターを合わせられるだろう。

止まれないし、ほとんどなる様になれと、ガムシャラに拳を振った。力を込めて、目の前の者を十花の様にぶっ飛ばすつもりで拳を振って──

 

 

──ダンッ!!!

と、音を立てて。

 

「………えっ……?」

 

亮の胸から上が消し飛んだ。

吹っ飛んだとかではなく、文字通り消えた。右拳には間違いなく彼の顔面を捉えた感触があって、だから今の自分の攻撃で亮が消し飛んだのが明確に分かった。

 

「……あ……っ……え……?」

 

そのまま、五秒ほど狼狽える。理解が追いつかない。あんなに無表情で、目で見て追われて、それでいて攻撃を真っ向から受けた。ばかりかクリーンヒットして、胸から上が消し飛んで。まるで実感がわかない。

本当にこれで終わりなのかと思った矢先──異常に気付く。

 

胸から上が消失するほどの威力の攻撃を受けて、なぜ胴体は当然の様に直立不動なのか。

 

その疑問に至った時にはもう遅かった。

 

見えない魔力の手が、数馬を殴りつける。

 

「ごふっ……!」

 

理解が出来ないまま、数馬はエレベーター前まで殴り飛ばされた。ゼロに近かった二人の間合いはリセットされる。

 

「いっつ……なにが……がっ!?」

 

地に伏した数馬を次に襲ったのは謎の重み。何かにのしかかられている訳ではなく、体全体を押さえつけられているかのような──平たく言ってしまえば重力だった。数馬には相変わらず理解できない重力操作の魔術。それによって数馬の周囲だけ重力が5倍ほどにされている。

 

突然の出来事に対応できず、伏せたまま顔だけ安定装置の方に目を向ければ。

 

「ン……マジでなんだコレ」

 

と、さも当たり前のように亮がそこにいた。

 

「どういう力か、マジで分かんねえ……が」

 

数馬の垂れ流す空気中の何かを自発的に食らうことはできなかった。だから明確にこちらを攻撃する意志がある物ならと試しに食らってみたところ、今回は取り込めた。しかしどういう原理か吸収はできなかった。正確には食らってはいるが、食らった何かと魔力が拒絶反応を起こしている。

例えるなら「腹に入れたら腐ってて腹を壊した」みたいな感じだ。ただし、受ける影響は嘔吐感や腹痛ではなく、まるで全身を内側からグチャグチャに引き裂かれる様な感覚だが。

結局その感覚も食らった力を放出する事で消えたが、正攻法でこの力を自分の物にするのは無理そうで。

 

「まぁ、体に良くなさそうだ」

 

そんな常人なら到底耐えられないような感覚に対して、適当な感想を述べる。

 

「(効いてない……のか?)」

 

増幅した重力に慣れ始め、同時に思考も正常な物へと変わっていく。目の前の脅威は未だに未知数だ。さっきの攻撃だってやり過ぎたかと思うくらいだったのだが、彼は平気な顔して立っている。

 

「(……もっと、もっと気合い入れてやらねえとな)」

 

だが数馬とて力を出し尽くした訳じゃない。加減をした訳じゃないが、全力ではない。だからと体に力を入れ、5倍にまで増幅された重力の中、立ち上がり。

 

「うおおおおおおっ!!」

 

そのまま地を蹴る。真っ直ぐ亮に向かって突っ込む。ある点を境に急激に重力が弱まり、予定より上に飛んで行ってしまう……が、それはそれで好都合。別に数馬は亮を打ち倒すことが目的ではない。あくまで目的は安定装置の破壊。

つまり、このまま亮を飛び越え上から安定装置に落下して破壊できれば良い。

 

まぁ、当然、そんな事がまかり通るほど甘い相手では無いのだが。

 

「慌てんな」

 

声と共に紫色に輝く閃光が走った。稲妻とか呼ばれるそういう類の物だ。それが数馬目掛けて飛んでいく。光の速度で飛んで来るソレを避ける手段は数馬にはなかった。

 

「うぐっ!?」

 

尋常じゃない熱量と、神経への痺れが姿勢を崩した。だがそれだけでは数馬の動きを完全に停止させる程ではなかった──のだが、再び、見えない魔力の手が数馬を元の位置へと殴り飛ばす。

悲鳴を上げる暇すら与えられない。体の痺れのせいで、高所から落下した衝撃も酷く曖昧に感じた。

 

「その力はなんだ。どこで手に入れた?」

 

定位置で、亮が淡白に尋ねる。端からそれにしか用がないと言わんばかりで。現にその通りだ。

 

「……知る……か。さっき気が付いたら、持ってた」

 

痺れから回復しないから体が動かない。ただ頭だけは回っていたので、あるがままに返答する。

 

「気が付いたら?兆しは?」

「知るかよ。ただ……寧音が、殺されて……殺したやつを倒さなくちゃ……いけなくて……」

「(……双海寧音……デパートで愛菜と買い物してた奴か)」

 

数馬の幼馴染だと記憶している。愛菜がそんなことを言っていた。幼馴染の死をきっかけに、眠れる特別な力が覚醒した。何ともまぁテンプレな話だが、ふと時系列を整理して考える。

 

葛葉十花がやられたのは、一時間と少し前。ならば、それより少し前に双海寧音が殺されたのだと見ていい。だとしたら。

 

「…………お前、死んだ幼馴染を放ってここに来たのか?」

「……別に、放っておいたわけじゃない」

 

亮の質問に対して、数馬ははっきりと答えた。体の痺れも消えてきた頃合だった。

 

「寧音の死が、安定装置によって計算されてた事なんだとしたら……力のある今!どうにかしなくちゃいけねえだろ!」

 

叫んで、それによって力を入れて、立ち上がる。

 

「……」

「安定装置の起こした悲劇、アンタならもちろん知ってるよな?ならほっとける訳ねえだろ!こんな意図的に起こされた悲劇、見逃せるわけねえだろ!!」

 

全力で訴えかける数馬。正論だった。だからこそ、亮の癇に障る。

 

「お前……相当狂ってんな……」

 

呆れというか失望というか、中々感じる事の無い嫌悪感が生まれる。

 

「本当にムカつくっつーか、腹立たしいっつーか。お前あれだろ、誰かの犠牲を乗り越えて成長するを地で行くタイプだろ」

 

メンタル面に関しては自分以上の化物だと認める。認めざるを得ない。

亮には、大切な人の死を乗り越えて前を向くことなどできない。ましてや直前で幼馴染が死んだにも関わらず、二度とその不幸を起こしてはいけないなんて考えられない。

 

「何言ってんだよ……誰かが、仕組まれて不幸になるなんて……んなことダメに決まってんだろ!!」

「……ン、マジで無理だ。愛菜が嫌悪する理由が分かった」

 

根っからの主人公気質。誰かが困っているなら助けずには居られない。不幸が起きると分かっているなら止めざるを得ない。仲間の死はとても悲しいが、乗り越えて前を向かなきゃいけない。

 

創作物の主人公の綺麗事を体現した様な存在。

 

きっと理想的で完璧な人間。その上。

 

「……その力は、少なくともこの地球には存在していない力だ。魔術でもない、神術でもない。お前だけの、オンリーワンの力だ」

 

純度100%の自分専用。この世の神でもない、運命の枠組みからも外れた何かから託された奇跡。選ばれた者だけの力。

 

「ンな物を元から持ってるのかどうか知らねえが……マジでふざけんな」

 

亮は再び重力操作で数馬を押し潰そうとする。

 

「ぐっ……」

 

だが、殺しはしない。

 

「なぁ、俺は何て言われてここに来たか、知ってるか?お前を止めろと言われたんだ」

 

先程のナナシとの通話の事だ。

 

「あいつが殺せと言わなきゃ俺は誰も殺さない。食らえと言わなきゃ食らわない。止めろだと?今まで散々安定装置の秘密を握った奴は殺させたくせに、お前に関しては止めろと言われた」

 

どんな裏があるか知らないが、これは異例の指示だ。これはつまり、数馬には新世界でまだやる事があると意味している。この理解不能の力を新世界が欲しているのかどうかもしれない。だが、理解不能なら殺しておくべきだ。

安定装置の計算から外れかねない力なんて、無くていいに決まっている。

 

なのに、新世界は、この世の運命は鈴木数馬を生かそうとしている。

 

「……まぁ、もういい」

 

彼の力には興味はある。だが、このままでは苛立ちのままに彼を殺してしまいそうだった。

なので、さっさと止めることにする。

 

「その力、貰うぞ」

 

扱うは神の力。何が何だか分からないが、この世界にあるなら、神の力が届かないわけが無い。その理屈で「聖移」を発動させる。

神の力で、数馬の持つ力の所有権を自分へ移す。悪い言い方をすれば、奪う。

 

「……チッ」

 

さっきの激痛が走り、それと同時に平伏した数馬の目からあの模様が消えていく。

 

「ぐっ……くっ……そ……」

 

力を失った数馬は、そのまま気を失った。この意味不明な力がなければ、数馬はただの人間なのだ。

 

「マジで痛え……」

 

受け入れ難い痛みに耐える。確か太陽に突っ込んで自殺を図った時もこんなんだったなと思い返しつつ、けれど気は紛れない。

だが、人は痛みには慣れるものだ。熱いものは熱いが、居るうちに慣れてくる。それと同じ感覚で、その力を馴染ませていく。

 

「…………」

 

痛いのは痛い。けれど慣れない道理はない。体が引き裂かれるような感覚がしても、別に体はないのだから引き裂かれることは無い。それに、一度慣れてしまえば、それで終わりなのだ。後はその力の原理を理解すればいい。扱えるようになれば完璧だ。

そんな中、ふと、思考に何かが走った。

 

「………………オール……ヴェール……」

 

言葉の意味は分からない。だが、思い浮かんだその名前は記憶に刻み込む。これから先のキーワードになっているかもしれない。なんて予感があった。

 

それから暫くして痛みには慣れた。それからの動きは早い。寝ている数馬の元へ歩み寄り、「聖移」を使って数馬の家へと数馬を移動させる。この力がなければ、もう数馬は一人でここに来ることは無いだろう。仲間を引連れやってくる可能性もあるが、それはまたその時だ。きっとその時には自分の出番は無いだろう。

 

「安定装置……か」

 

振り返って、バカデカいコンピューターを眺める。これのせいで幾つもの不幸が生まれたのは、数馬の言う通り間違いない。ただ、これが無い新世界は果たして平和なのか。

亮が来る前のこの新世界はどうだったのかあまり知らないが、こんな物が必要とされるくらいには荒れていたのだろう。彼の偉人達の時代と違い、「国」という物が一つしかないのだから、行く行く崩壊していたのかもしれない。

 

「……まぁ、どうでもいいか」

 

どうせ、もうこの世界は用済みなのだから。




ちなみに次回作の伏線にもならない伏線でした。んな事より放ったらかしなのどうにかしろよというお言葉はごもっともです……一応メイン話完結後にちまちまやっていく予定です。マグナスと愛菜とか、亮の過去編とかですね。
その辺は読む人いなさそうではありますが、いつも通り自己満で……


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終わって始まる

あと二、三話と言ったな。あれは嘘だ。分割するの面倒臭くて最終回です。


安定装置のあったフロアから、聖なる神の術を用いて行くは自宅のベランダの喫煙所だ。元の持ち主たる八代に怒られる心配はない。結局昼間にいくつの本の知識の山に意識が押し潰されてそのままだ。

まぁ今ばかりは彼女が起きていなくて良かったと思う。こんなにイライラしたのは久し振りだったからだ。いつもより雑に体内からタバコを取り出して、いつもより雑に火をつけて吸う。

必要のない肺を作り出して吸って吐けば、紫煙が偽りの星空に溶けていく。

 

「(なんで、俺じゃない)」

 

数馬の力を見てから──いや、元を正せば、宮里紀子が鈴木数馬を評価したその時から、心のどこかで溜まっていた想いを思い返す。

 

「(この世で唯一の、世界から愛されたと言えるような力を与えられるのが……なんで俺じゃないんだ……)」

 

確かに、自分はナンバーワンでオンリーワンなのかもしれない。神術を手に入れた者を片っ端から食らって回り、もっと単純なことを言うなら、旧世界の人間全てを食らい尽くした。だからナンバーワンにしてオンリーワン。

けどそうじゃない。そういう単純な話じゃなくて、神ですら手が出せない唯一無二の特別な存在。そういうものに、なりたかった。

 

「(……なんで……いや、当然か)」

 

適当に、理由をつけて納得させる。もう、そうするしか無かった。

人を殺したからとか、社会の規範からズレたからとか、なんかもう自分でも納得できないような理由をこじつけて納得させる。「そんなモノ関係ない、こんなに辛い目に遭ってきてなんで報われない?」という心の奥底の本心は黙らせる。

 

「……そうだ、もう少しだ。あともう少しなんだ……」

 

葛葉十花は、死んだだろう。自分が植えつけた魔力をどこにも感じない。ならば救われたはずだ。死が、彼女を救ってくれたはずだ。そして、七尾真衣が葛葉十花を救ってあげてと言っていた。ならこれで良いはずだ。

 

「なら、後は……」

 

こちら側から出向くだけ。まだ仮説でしかないが、試してみたい方法もある。

であれば、さっさと愛菜に協力を仰ぎ──というか、さっさと愛菜を食らってしまえば「深淵」を手に入れ、いくつもの方法を今すぐにでも試すことが出来る。

 

「ふぅー」

 

ただ、どうにもその気だけが起きなくて、紫煙を吐き出す。やけに長く吐いてしまうのは、今さらこの段階に来て、愛菜を食らう事に躊躇している自分を嗤っているからだ。

なんだかんで自分には大切な物ができてしまって──それを振り払う。あまり考えてはいけないと念を押す。情に流されて、本当に求めている物を見失ってはいけない。

思考を切り替えるためにもと亮は仕事用の携帯電話を取り出し、ナナシへとかける。ツーコールほどで繋がった。

 

「終わった」

『そうか。ご苦労。処理班を向かわせ何かあればこちらからかけ直す』

「ン」

 

業務の通話なんてそれだけだ。いつもと同じ様に早い。いつもなら、このまま亮が一方的に切って終わるか、ナナシが口を開くところだ。今回は違った。

 

「なぁ」

『なんだ?』

「……安定装置は、俺が消えたら止まるのか?」

 

かつて、この仕事を始めた時にナナシが言っていた事を思い出して、尋ねる。

 

『安定装置はその守護を担う者と揃って初めて正常に稼働する。全ては、物事を上から見るためだ』

 

これも、前に聞いた話だった。だが改めて聞くことにする。

 

『人の上に立つ、絶対的な力がなければアレは自己保存に走る。そうしないと安定装置としての使命が果たせないからだ。お前が来る前は、それで安定装置は動かなかった』

 

力がなければ、誰かを害すれば破壊されてしまうと計算する。そうなってしまえば、安定装置は「新世界を平和にする」事より「力ある者に媚びを売り自分に害が無いようにしつつ新世界を平和にする」という、それこそ頭がいいだけのただの人間にまで落ちぶれてしまう。

 

『お前以外に、この世界で絶対に死なず敗北しない者は存在しない。だから安定装置は止まる』

「……そうか」

『どうしたお前は、消えるのか』

「まぁな」

『そうか』

 

いつもと変わらない、平坦な声でナナシが返すと、ちゃんそこに沈黙が流れた。どちらもどういう言葉を選べばいいか、図りかねている。そんな空気。

 

『……前深淵、笹塚未菜は、いや、未菜は死ぬ前に言っていた。お前はどうしようもなく、独りよがりな存在だと。自分で自分を許せない。誰も居なかったから自分の殻に篭もることしかできない、寂しい存在だと。なぁ、お前は孤独か?もし違うなら、孤独に戻るのは、孤独になってからでいいんじゃないか?』

 

ナナシの言っている意味は分かる。愛菜が死んでから行けばいいと言っている。ナナシは異世界だのなんだのは知らないが、知らないなりに、最善策を示してくれている。何も急ぐ必要はないと。けれど。

 

「ダメだな。俺は、これ以上救われちゃいけない」

『……この独りよがりめ』

 

そうだ、独りよがりだ。この世には自分にしか価値がなく、そして自分の価値は彼女を取り戻すことだけだ。それだけは履き違えてはいけない。彼女が居ないこの世界には、なんの価値もない。

 

「今まで世話になった」

『こちらこそ。さらばだ魔人亮。多分貴様の事は暫く忘れない』

「ン」

 

言って、亮はナナシとの最後の通話を終える。あまりにもあっさりと終わった。ビジネスライクな関係だったこともあるが、それ以上に、どこまでいっても、どこまで言葉を尽くしても分かり合えることは無いと、互いに理解しているから。世界をよくしようとする者と、自分が良ければそれでいい者が分かり合えるはずもない。

一つ、この世界との繋がりは切れた気がする。あともう一つが問題で──

 

「んぁ、おかえり」

 

なんて声と共に、あともう一つの繋がりが、愛菜が部屋から出てきた。

 

「ン、ただいま」

 

おかえりと言われたらただいまと返す。この家のルールに則り、亮も挨拶を返した。

 

「居なかったけど何してたの?」

「由紀から聞いてないか?」

「うん」

 

てっきり数馬の事が心配で愛菜と相談して、最悪乱入してくるかもしれないと思っていた亮は、「そうか」と簡潔に終わらせ、話を深堀される前に別の話題を持ち出すことにした。

 

「そういや由紀はどうした?さっき着替えてたが」

「えっ、復讐。聞いてないの?」

「聞いてないな。つーかそんなコンビニ感覚で言うな」

 

あんな時間に寝間着から着替えているのはおかしいと思っていたが、由紀の母親を殺害した者達の最後の一人に復讐しに行ったと考えれば納得の理由だ。どこの誰にその最後の一人の居場所を聞いたのかは知らないが、黙って行くなよと思いつつ──

 

──ピリリリリリ

と、プライベート用の携帯電話が鳴った。さっさと懐から取り出して、通話相手を確認する。「宮里由紀」の表記があった。何ともタイムリーな事だが、そう楽観視できるような自体かどうかは怪しいところだ。

 

「……だれ?」

「由紀。ちょっと黙ってろ」

 

一応愛菜に念を押してから通話ボタンを押す。もし彼女が切羽詰っていた場合、愛菜の声が邪魔になる可能性がある。

 

「もしもし」

『良かった出てくれた……あ、あの悪いんだけど、ちょっと……助けて』

「……どうした?」

 

黙って出ていった分際で助けてと頼む事がどれだけ間抜けか分かった上で言っているのだろう。それくらいヤバい状況にある事を察して、かと言って急ぐ様でも無さそうなので冷静に聞き返す。

 

『な、なんて説明すればいいのか私にもよく分からなくて……』

 

が、なんだか危機的状況な訳では無さそうだ。戸惑う由紀の声には余裕がある。しかし説明不足はまどろっこしいことこの上ないので。

 

「……取り敢えず向かう。切るぞ」

『えっ、けど場所』

 

言葉を言い切る前に通話を切断する。

 

「愛菜、俺は……って居ねえし」

 

一声掛けてから聖移で由紀の元に行こうとしたのだが、隣にいたはずの愛菜が居ない。仕方ないので事後報告でいいかと思った矢先。

 

「準備おっけい!!」

 

なんてハイテンションなまま、寝間着から普段着に着替えた愛菜が夜の闇から顔だけ出てきた。あの短い通話時間で深淵を用いて着替えて出てきたらしい。何ともまぁ極術の無駄遣いである。

 

「お前も来んのか」

「うん!」

 

なんて声と共に、闇の中にこじ開けた空間から愛菜の体が顕になっていき、最後には亮の隣へと降り立った。

 

「いやほら、神術ってやつで行くんでしょ?私まだ体感したことないからさ」

「……まぁそうか」

 

今までは時間を巻き戻す神術を行使するのに、膨大な神聖が必要だと思い込んでいた。だから極力使用を控えていた。だがそんな物が必要ないと分かった今、わざわざ便利な力を使わない理由はない。

 

「じゃ行くぞ」

「ばっちこい!」

 

返事を聞いて、使う。聖なる神の意志に、この世の位置関係が服従する。宮里由紀の元へ。酷く曖昧な表現だが、神の意志を世界の理が汲み取るのでそれで問題ない。

 

まるで最初からそこに居たかのように、亮と愛菜は由紀の目の前に現れた。

 

「うえっ!?」

 

間髪開けずに、由紀の素っ頓狂な声が響いた。

 

「うわっなにこれ気持ちわるっ。浮遊感も無かったんだけど……」

 

愛菜は愛菜で初めて体感した聖移の感想を述べていた。

そんな二人を差し置いて、亮は辺りを見渡して状況把握に務める。風景はどこかの工場の様だ。しかもただの工場ではない。機材を見てみればホコリがある。掃除がされていないどころじゃなく、放棄された工場の様だ。自分達以外に人の影はない事から異常や問題は見受けられない。

 

由紀の右肩から四本ほど真っ黒な触手が生えていることを除いては。

 

「由紀ちゃんなにそれグロいってかキモいよ」

「わ、分かってるわよ!!だから助けてって言ったんじゃない!」

 

元から床にどっさり腰を下ろし、何かの装置に背中を預けていた由紀が抗議する。まぁ確かに、元々自分の腕があった場所に四本の真っ黒な触手がダラっとぶら下がっていたら錯乱もするだろう。

 

「……あぁ、そういうことか」

 

一通り思考を巡らせていたら、亮は結論に行き着いた。

 

「ど、どうすればいいの?」

 

縋るように由紀は亮に質問した。確かに女の子として──というか人間としてこんなものを四六時中ぶら下げている訳にはいかなかった。

 

「簡単だ。消えろと念じろ」

「……それだけ?」

 

だが亮から返ってきた言葉はあまりにも単純すぎる言葉で首を傾げる。

 

「愛菜から聞いたぞ、復讐に来たって。何があったか知らないが、突然ソレが生えてきてしかも勝手にそれが動いただろ?」

「え、えぇ」

 

由紀は戸惑い気味に小さく頷く。

 

「殺意に反応して現れ、落ち着いて消えろと思えばソレは消えるもんだ。お前、ビビって俺に電話したんだろうが、多分一度もソレに消えろと思ったことねえだろ」

「……」

 

言われて、由紀は俯く。由紀は先程の戦いでピンチに陥り、コレが助けてくれた事を思い返す。さっきの戦いはコレが無ければやられていたかもしれない。

そして、この新世界の闇を知って感じた恐怖から、コレが必要だと思っていた。消えろと、邪魔だと念じてしまえば、自分を守ってくれるコレが失われるような気がしていたから。

 

「大丈夫だ。お前の右肩の断面を覆ってる物を取らない限り、またお前が想えば出てくる」

「……そう」

 

亮の言葉を信じ、一呼吸してから由紀は念じる。もう役目は終わった。今は失せろと。

 

その想いが伝わった様に、四本の触手は一瞬強ばると由紀の右袖の中に引っ込んでいった。

 

「……うわぁどうしよう。同居人が触手キャラになっちゃった……」

 

その光景を見て愛菜はドン引きである。

 

「うっさいわね!べ、別に私だってもうちょっと可愛いのが良かったわよ!」

「魔人の力に可愛いもクソもあるかよ」

 

と、亮のツッコミに愛菜と由紀の表情が強ばる。

 

「魔人の力?」

「憶測だが、片腕無いことを受け入れて生活していたから魔力が同調したんだろ」

「……同調って……あの……」

 

先程の戦いの中で由紀は声を聞いた。誰の声かは知らないが、ただただ怨み事を言うだけの声。永遠とリピートし続ける恨みつらみに、確かに由紀は共感した。思えば、それが切っ掛けでソレが生えてきたのだった。

 

「だからそれが嫌なら新世界の技術で正しく治療しろ。今はそうでもないみたいだが、もしかしたら同化が進んで全身から──」

「わあああああわかった!わかったわ!」

 

自分で想像してしまう前に亮の言葉を遮る。間違ってもそうなるのは自分でも嫌だ。

 

「ンでどうする?取っ払ってやっても良いが」

「……いいわ、このままで。使える力は持っておく」

「ン」

 

ただそれでも手放す選択肢はない。どうせ一部だろうが、魔人の力なら持っておくに越したことはない。力があるに越したことはないなんて、ここ最近で実感したから。

 

「ていうか由紀ちゃん、結局その復讐相手とやらは?」

「あぁ、そこよ」

 

愛菜の問に対して由紀が指し示したのは巨大なプレス機だった。

 

「……あぁ、なるほど」

 

何があったのか、愛菜は察する。目を凝らして見てみればプレス機と鉄板の間に何かの液体が流れ出ている。その液体が予想は間違いないと裏付けていた。

 

「ねぇ、私より亮さんの方は?」

「別に特になんとも。鈴木数馬には家に帰ってもらった」

「…………そう」

 

絶対それだけじゃ済んでいないだろうが、こうやって濁されては聞き出そうとしても喋ってはくれないだろうと踏んで、由紀は口を噤む。

 

何はともあれ、これで一段落したということだ。

由紀は無事に復讐を終え、亮も安定装置の危機を退け、落ち着いた。さしあたった問題は数馬がこの後どう動くかだが、あの力のない数馬には直接乗り込んで安定装置の破壊なんて真似はできない。

 

ならば、もう後残すことは一つだけだった。

 

「……帰るか」

 

という亮の提案に、二人は頷く。

 

その直後、また聖なる神の意志に従ってこの世の位置関係が服従した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夜は深け終わった時間。後はこれから陽が登っていくだけ。そんな時間になる。あの後戻ってきてから、別れの挨拶なんてものはしていない。なんて切り出せばいいか分からなかったから、由紀は入浴後に寝たし、愛菜は帰って早々に自室へと戻っていった。二人とも、亮の今後については言って来ない。切り出すには、自分から行かなければならない。

ならばとさっさと行動に移すのがいいのだが、イマイチその気に慣れなくて。

自分ではない他の誰かの記憶によれば、「また会える」とか「俺が居なくても元気でな」とか、そういう気の利いた言葉を投げ掛けるのが良いらしいが、どうにもしっくり来ない。

 

結局、これも自分がここと離れたくない言い訳なのかもしれない。

 

そこまで自覚したら、やっとその気になった。本当に心の底から自分の為したいことをなす。そのためにその他全ては切り捨てていい。

覚悟を決めてから、亮は愛菜の部屋への扉を開いた。

 

「すぅ……ふぅ……」

 

愛菜は何とも気持ち良さそうな顔で寝ていた。昔と、彼女を拾った時と変わらない、安心し切った寝顔だ。

 

「(ホント変わんねえな)」

 

昔は食事への欲求だけがやたら強かった。言葉が分からないからか表情で色々伝える事が多かった。亮やナナシ以外の人間が怖いのか、外の人にはビクビクしていた。それが今じゃ別人のようなで……けれど寝顔だけは変わらなくて──

 

「……あれ、亮?」

 

愛菜が目を覚ましてしまった。

 

「……」

「……あれ、もしかして夜這いってやつ?」

「寝ぼけたこと言ってんな。起こして悪いな。実は──」

 

と、先程決めた覚悟の元、告げる。

 

「──あの闇の中に連れてってくれ。試したい事がある」

 

ハズが、この土壇場で日和った。

それを認めたくないので、頭をフル回転させ「結局やることの内容は変わらないから、無用な殺生を避けただけだ」と自分に言い訳する。

 

「えぇ……そんな思いつきで私の睡眠邪魔したの……まぁいいけどさ」

 

よっこいしょと言いながらベッドから這い出て、極術、深淵を発動させる。

光のないこの部屋の床に、亮と愛菜は沈んで行く。新世界の闇の奥深くに住む二人が、そのまた奥の闇へと落ちていく。

 

「……とーちゃくっと」

 

やがて完全なる闇の世界に辿り着いた。どこまでも果てしなく続く闇だけの空間。深淵を扱うものだけが行き来できる、この世とは違う世界。世界の下地か世界と世界の狭間か。

推測でしかないが、もし新世界の者達が考えた後者であるとすれば、この仮説が上手くいくかもしれないと踏んだ。

 

「何するの?」

「真衣のいる世界に行けるかもしれないから試す」

「……とーとつすぎないかなまったく」

 

文句ありげな表情で愛菜が亮を睨む。

 

「悪いな。けど一つだけ……しかも移動できる保証はないし、むしろできない可能性の方が高い」

「……どゆこと?」

 

そんな曖昧なものの為に起こすなと言いたかったが、そこは堪える。

 

「一つ、恐らく異世界の物だと思われる単語を聞いた。それを目標にして聖移を使えば行けるかもしれないと踏んだ。が、無理だった。けれどここからならどうかと思ってな」

「ここからなら行ける理屈は分かんないけど……なるほど」

「かなり安直な考えだからな。ただ試す価値はあるってだけだ」

 

世界の移動がそう簡単にできるわけがない。いくら「聖移」を持ってしても、ある情報は「異世界」と「オールヴェール」という何かだけだ。 それに何より、真衣がわざわざこちら側から向こうに言ったことを言伝で伝え、優衣を消さなければならない事態。神たる真衣の力が及ばない世界に、たかが盗んだ神術で行けるとも思えなかった。

 

「わざわざこんな事のために起こして悪いな」

「まぁいいけど……たださ……」

 

愛菜が吃る。どうにもその後の言葉が紡げない。

 

「……試すなら!試すならほら、私も混ぜてよ?」

「……連れてけってか?」

「うんっ!別にそれくらいいいでしょ?もし成功しちゃっても、同じ理屈でその、異世界とやらからこっちにまで戻って来れるかもしれないし」

「理に叶ってるな……ン、いいだろう」

 

と、亮が頷いてみせる。確かにそれは、愛菜を失わない完璧な方法だ。

 

「なら、行くぞ」

「おけい!あ、パジャマだからもし移動しちゃったら服お願いね」

「ン」

 

闇の中で二人が構える。どうせこのやり方では失敗するだろうが、やるからには真剣に取り組む。

 

「(オールヴェールの元へ)」

 

人名か、地名か、はたまた術名なのか全く分からないが、取り敢えずそう思って神術「聖移」を使う。

 

ちなみに、行くのは自分だけだ。愛菜を連れて行きはしない。

 

その結果。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……失敗?何にも起こらないね?」

 

と、愛菜が亮に問い掛ける。

 

が、返事はない。

 

「…………」

 

この場に、自分しか居ない事は、自分が一番よくわかっていた。

 

「………………ん……そっか……」

 

という愛菜の言葉が、闇に溶けた。

 

 

 

 

根本亮は、こうしてこっちの世界から姿を消した。こちら側の世界を、新世界の家族である愛菜と由紀を捨て、ただ自分が一番会いたい者の元へ一人で向かった。

 

 

それはつまり、根本愛菜の幸せな時間の終わりを意味している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

根本愛菜は、ふと彼の言葉を思い出した。どういう成り行きだったかは思い出せないが、彼と生活する様になって割と直ぐの話だったと記憶している。彼の言葉もかなり断片的にしか思い出せないが、それでもゆっくりと思い出し、心の中で相槌を打っていく。

 

「──そうして帰る場所がなくなって、ようやく孤独を実感して、世界が歪んで見えた」

 

今、私もそう見える。

 

「俺達を認めなかった世界に価値はない。あいつの居ない世界に、価値はない」

 

ない、そうだ。あなたの居ない世界に価値はない。

 

「……もし、もし誰か一人でもそばに居てくれたら、俺はこうはならなかったのかもな」

 

その誰かに、私はなれなかった。

 

「どうしようもない、世界の規律のために全てを奪われたから。あらゆる規律を否定し続けた。人の矜恃を、法律を、信念を、愛を、人の信じる神を、片っ端から壊した。そうしないと、俺はきっと、自分で自分のした事が正しかったと認められなかったからだ」

 

だからこれは、私が受けるべき罰なのだろうか。いつまでも、彼の弱さを見ようとしなかった私は、こうなるしか無かったのか。

 

「だからまぁ……なんだ、結局、お前は、俺みたいになんなよ」

 

あなたみたいになってしまったから、こんなにも──

 

「(まぁいい。考えも仕方ない)」

 

と、心の中で吐き捨てて、愛菜は立ち上がった。

 

『時間だ』

 

と同時に片耳に装着した通信機からナナシの声を聞く。

 

『目標はその施設の最深部にいる』

 

今一度ナナシから目標について話されるが。

 

「別にもういいわよ。さっさと終わらせて帰りましょ」

 

由紀が止める。さっさと済ませて明日の学校のために寝たいのか、もう既に右腕の四本の触手が一本に集まり、巨大な刃物に変化していた。半月の様に形どった刃物が、投影された月明かりに照らされて不気味に輝いている。

 

『そうか。しくじるなよ』

「「ん」」

 

と、二人揃って声を出して、夜の闇の中で狩りを始める。新世界の平和のため。

 

そしてなにより、深淵の世界を研究し、異世界へ向かうためだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

金属がぶつかり合う音や「魔法(まほう)」の生み出す暴風や灼熱やらの音が、玉座の間に響き渡っていた。数少ない光源だったキャンドルの火は半分以下にまで数を減らし、敷かれていた赤い絨毯はボロボロになっている。

 

魔王と勇者のパーティによる戦いは中盤戦に差し掛かっていた。

 

「みんな、もう少しだ!!」

 

右目に四角形。左目に横線を宿した勇者が、その目に対応した魔法を発動させ、パーティのステータスアップを図る。予め準備しておいた力を上げるスクロールは使い果たしたので、魔力の残量は気になるが仲間の指揮を上げる意味でも必要な措置だった。

 

「小賢しい。その程度の力で我を越えられると思うたか!!」

 

紫色の肌を持った人型の生物。魔物達の頂点に君臨する魔王が、左手の杖を掲げた。これから発せられる魔法は先程見たばかりなので──

 

「させません!!」

 

と、大きなハットを被った少女が杖を掲げた。それとほぼ同じタイミングで両方の瞳に宿した魔法陣が変化する。二重の円の間に入っていた文字列が変化したのだ。

これにより発生する魔法は「障壁」の魔法を最大限に強化した物だ。それが戦闘パーティメンバー達に付与される。

 

「さんきゅ!!これなら……行ける!」

 

ステータスアップを発動させた勇者が伝説の聖剣を構えて魔王へと詰め寄った。

 

「くっ……小賢しいと言っおるだろう!!」

 

魔法による攻撃をやめて、魔王は杖を自分だけの固有空間へと仕舞い、代わりに魔剣を取り出した。

 

「うおおおおっ!」

「おおおおおっ!!」

 

二人の雄叫びが響き渡る。これからぶつかり合うは二つの極限同士の衝突。

 

この一撃で押し負けた方が今後の流れを掴み取るはずだ。誰しもがそう息を飲んで見守った──その矢先。

 

 

 

 

「移動できんのかよ」

 

その間に。人の形をした者が現れた。

 

「「っ!?」」

 

突然の来訪者に勇者と魔王は慄くが、止まることはできない。

もう二人の剣は振り下ろされている。それはつまり、その突然現れた者を斬る形になる。

 

──ガンッ!!

と、聖剣と魔剣がぶつかり合った。突然の来訪者を斬る形で。

 

「ン……どういうところに割って入っちまったんだが……」

 

けれど、その間の者は全くと言っていいほど、それを意に介さない。

勇者と魔王はその異常を見てとって離れる。間の者は、斬られたはずなのに、まるでそんな事は無かったと言わんばかりに再生していた。というより、そもそも斬った感触などなかった。

 

「誰だ、貴様は?」

 

堪らず魔王が疑問を投げる。

 

「魔王の下僕ではないのか……なら、誰かは知らないが、ここは危険だ!早く逃げろ!」

 

対する勇者はそう警告する。魔王の味方でない人類なら、それは等しく自分が守るべき存在なのだから。

 

だが。

 

「……この舞台背景といい、ファンタジー世界の魔王と勇者の決戦か」

 

間の者は──魔人亮はニヤリと不気味に口元を歪めた。

 

「いい加減起きろ八代。ちょうどいいチュートリアルだ」

 

と、同時に、彼の背中から一体ずつ、狐の顔の骨が出現していく。

思わぬ現象に、彼らは黙って見ているしかなかった。だから、容易に八体の狐の顔の骨が出現してしまう。

 

『寝て起きたら異世界だった件。妾もしかしてラノベ主人公!?』

 

また要らぬ知識を身につけきた八代への文句は辞めておいて、亮はこの場に居る者達に対して声を上げる。

 

「お前らがどういう流れで戦っているのかはどうでもいいが……」

 

言いながら、右掌を黒く歪ませ、二度と使わないと決めた誓いの刀を取り出す。

 

「お前らの積み重ねてきた譲れない想いを総動員して、奇跡でも起こして、俺を超えて見せろ」

 

こうして、元無敵系中ボスのチュートリアルが始まった。




はい。終わりです。途中で莫大な時間をあけましたが、お付き合い頂いた方々、本当にありがとうございました!
無難な「俺達の戦いはまだまだ続く」エンドですが、まぁこれから後の話は鈴木数馬君のお話なので知りません。

魔人君のお話は次回作「読まなくなった本、魔導書、スクロール、買い取ります!」に続きます。多分今月中に第一話上げると思います。次回作では魔人君は主人公の保護者役、つまりはサブキャラにまで落ちぶれますが、気になる方はぜひお目通し頂ければと思います!
遥か昔にデスノで調子付いたせいで地の文章の大切さを忘れていたせいで、かなり下手な文章になってしまったのが心残りですorz
次回作はなんなら多過ぎるかなくらいな勢いで書かせてもらってます!

ちなみにこちら側でもまだ投稿はする予定ではあります。魔人君の過去話やら愛菜(ロリ)の話しやら、なんだかんだ没にした葛葉十花√やらですね。

何はともあれ、読んでいただいた方、評価していただいた方、感想をくれた方々、本当に、本当にありがとうございました。次回作もマジで、よろしくおなしゃす!

だって次回作で無敵キャラ欲しかったからこのお話書いたんだもん……


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終わった過去、或いは消された運命
いつかの運命の終点


新章の開始といいますか、数話で完結していくお話を投稿していきます。
第一回は亮と真衣のお話です。


ペンダントに愛菜の魔力が流された。本屋で注文を受けた商品を梱包していた亮は、間髪入れずに「聖移」で飛ぶ。時間を巻き戻す神術のために、極力神術は使わない様にしていたが、これだけは別だ。

新世界の闇の中で育った愛菜が「自分の手に負えない」と判断したからこそ、亮にとって数少ないあの頃の繋がりと言えるペンダントに魔力を流したのだ。

温存だのなんだのと言ってられる場合じゃない。笹塚未菜と約束した「愛菜を普通の人間にする」ためには、愛菜には生きていてもらわなくてはいけないのだから。

 

聖なる神の意志に世界の位置関係が服従し。そして、次に見た光景は──

 

禁術とされる魔術、「デス」は躊躇なく彼女を殺していた。

 

「っ……」

 

状況は一瞬で理解できた。「リベンジャー」とか自称していた、床下の復讐者の最後の一人が愛菜を攻撃したのだ。

ニーナ・ヴァルバットも、二ーノ・ヴァルバットも、隠田轟も全員亮が殺した。たった一人、最後の一人は手段を選ばず、こんな道のド真ん中で愛菜を殺害した。

 

あの術、「デス」は生物のありとあらゆる器官を停止させ、死滅させる術だ。発動条件である黒い球体に触れた生物は死滅する。生き物にしか効果を及ばさない術だが、生き物に触れれば効果は絶大だ。

たとえ魔人が食らっても、死滅した細胞は戻せない。機能を停止し、死んでいることが基準となる細胞を取り込んでも元の細胞には戻せない。まぁつまり。

 

──根本愛菜は二度と戻らない。

 

自分が扱える術だからこそ、その効能はよく知っている。数百年に一度現れるか現れないかの術だから、警戒が甘かった。

 

その後悔ももう、遅かった。

 

「あの、大丈夫ですか?」

 

視界の先に、死んだ愛菜の遺体に声を掛ける者がいる。肩を揺るとか、そういう事をして、しばらくして誰かが救急車を呼んでいた。

そんな光景は視界に入ってはいる。入ってはいるが、無駄だと分かっているから何とも思わない。

 

『主よせっ!やめよ!!』

 

心の中で、狐が叫んでいる。未だに住み着き、良き理解者となった狐が、全力で訴え掛けている。心の中で溢れ出る「想い」を推し留めようと必死に叫ぶ。が。

 

ただまぁ、限界だった。

 

「…………はっ……」

 

そうして、彼の中の何かが決壊した。

 

『くっ……すまぬ……』

 

決壊した想いが、狐を押し流し、飲み込む。

 

「……クッソ!!!」

 

力いっぱいに。足をコンクリートの床に叩き付けた。

力いっぱい。それは文字通りの力いっぱいだ。体内から流れ出る魔力で空気中の魔力とエーテルを食らい、それがまた別の魔力とエーテルを食らう。その速度は光なんか比較にならないほど早い。彼が無敵たる所以の力は、足踏みのためだけに使われる。

 

だから。

 

それだけで、世界は終わる。

 

音なんかない。そんな衝撃が地球を砕く。悲鳴もない。衝撃だけで新世界は崩落した。亮は深海から流れ込む海水に流され──その直後に地球そのものの爆発──超新星だかなんだかに海水も溶けて消えた。

亮とて例外はない。その爆発に晒される。彼の形も消えてなくなる。元々耐えるように現した体じゃない。彼も含め、世界の全てが終わる。新世界も、旧世界も、それで終わる。もう二度と人類が誕生することは無い。地球だった物は僅かな破片を残すだけとなる。

 

そして、無数の星々だけが在る世界に、亮は再生する。まるで何事も無かったかの様に、亮だけが再生する。たった一人の人類──もはや人とも呼べない化物だけが、宇宙空間に現れる。

 

「……」

 

地球が終わっても、彼は死なない。たとえ全人類が滅ぼうと、彼だけは死なない。

 

「(結局……こうなんのか……)」

 

ただ、漂って考えた。後悔はない。もう沢山だった。

 

「(……疲れたよ)」

 

瞳を閉じて、視界を消せば、無数の意識達が自分に語りかけてくる。それは常に聞いていた、数万の人々の想いだ。楽しかった、悲しかった、嬉しかった、悔しかった、羨ましかった、寂しかった、辛かった、痛かった──絶望した。

そんな想いの数々が映像を伴って再生される。無数の意識に、亮の意識が飲まれていく。それに抗いはしない。

ずっと無視してきた想いの数々に、自分の意識を沈めていく。

 

「(なにも……想わなくて良いなら……もう)」

 

なんて、諦めて。その寸前で。

 

 

 

 

 

 

──真衣に会いたい

 

その『想い(呪い)』が溢れ出る。

 

「(真衣……)」

 

彼女への想いが、自我の消失を許さない。あの時誓った想いが根本亮を取り戻す。やがてそれらが数万の人々の想いを押し潰していき──消えた。

 

「……ン?」

 

その違和感に、亮は目を開けた。いつだって、想いを自分の想いで抑えることが出来ても、それらが消えることだけはなかった。いつだって食らった人々は心にいた。なのに、それらが消えた。

 

今、根本亮の心には根本亮しかいない。

 

その理由は直ぐに判明した。

 

 

 

 

 

「亮」

 

名前を呼ばれて。世界が変わる。無数の星々だけだった世界は、ただただ真っ白な世界に様変わりした。元々そこにいたかのように、白だけしかない世界に亮は立っていた。

 

「……ぁ……」

 

息が漏れ出た。それと共に、ここ数千年流れなかった涙が溢れ出る。

 

「……ま……い……」

 

そして、彼がこの世で最も大好きな人。最初の、大切な人の名前を呼ぶ。

 

「うん、久し振り。で、いい?」

 

目の前に立っていた。あの頃と同じく姿で。同じ声で。ずっと、ずっと求めていた人がいる。

 

「っ!!」

 

だから、迷いなく亮は彼女に飛び込んだ。誰にも邪魔されないこの空間で、自分と彼女の声しかないこの空間で、亮は真衣と再会した。

 

「わっ……」

「真衣っ……真衣……会いたかった、会いたかった……!」

 

自分の腹部にしがみついて、背中に手を回して力強く抱き締めて、涙を流しひたすらに言葉を紡ぐ亮の頭を撫でる。

 

「よしよし……」

「やっと……やっと……やっと会えた……!あぁクソ……」

 

上手い言葉なんて一つも出なかった。ただそれでも、自分だけの想いから溢れ出た言葉だけを発する。

 

「伝えたいことがいっぱいあるんだ。すごい沢山あって……俺、頑張ったんだ……!」

「ん」

 

小さく真衣が頷く。

 

「あれから……炎神を倒して、でも誰も居なくて……なのにみんな俺を殺そうとしてきて……だからどうしようもなくて……ずっとずっと……ただみんなと一緒に居たかっただけなのに……」

「ん……」

 

「ずっと!ずっとみんなが俺を否定して来るんだ……ずっと怖かった……でも、それでも立ち止まったらもう取り戻せないから……だからずっとがんばったんだ……」

「ん……」

 

「どんなに怖くても……痛くても……苦しくても……止まっちゃダメだから……だから……お……れは……想いは力になるって……信じてた!!信じてたんだよ!!」

「ん……」

 

「なのに……愛菜を助けられなかった……分かってた!考えが甘いだけだって……前と……真衣の時と変わんない……全部俺が悪かった!」

「ん……」

 

「分かってる……人を殺した、人の想いを踏みにじった俺が悪いんだって。納得はしてる。これは俺に与えられる罰なんだって。神殺しの業が降り注いでるだけなんだって。でも……でも……!」

「ん……」

 

「……でも……もう……耐えられないよ……助けてよ……」

 

抱えていた物全てを神へ吐き出す。懺悔には程遠い、余りにも身勝手な心中。

神に反逆し、神を殺し、人を殺し、人の想いを踏み躙った彼は、罰を受けて当然の身なのだ。だからコレはその罪を負ってもなお救われたいと願う犯罪者に相応しい惨めさ。他人が指さして笑う事だって許されるだろう。

それでも、神は違う。

 

「ん、大丈夫、わかってる。全部知ってるよ」

「ン……」

 

「ずっと見てたし、分かるから。だから、ごめんね」

「……いや、違う……これは、俺の自業自得で……だから真衣が謝ることじゃ!」

「んーん、その気になれば私はずっと亮の側に居て上げられる筈なのに、私は自分のために亮の前には姿を現さなかった」

「っ?」

「私も、ね。救われたいんだ」

「……」

 

亮は真衣の言葉に耳を傾ける。

 

「どんなに運命を弄ろうと、世界を作り直そうと、私と亮は幸せになれないんだ」

「……」

「亮の隣にいても、世界の全てを理解してしまう。これから亮が話す言葉、行動の一つ一つがね。それも全て私の思うまま。それが嫌だったんだ」

「……そっか」

 

何度か試した。確かに亮が救われた運命はあった。しかし、それは神の望む運命ではなかった。

 

「あの頃じゃなくてもいい。私は、亮と一緒に未来を紡ぎたい。私の書いたシナリオ通りじゃなくて、私と亮でシナリオを作りたい。だから、私のわがままが亮を……不幸にしてるの。だから、謝るのは私の方」

「……そっか……そうだったんだ……」

 

噛み締めるように、亮は真衣の告白を受け止める。神の行いなのだから、不思議な事じゃない。

 

「……よかった……真衣が……まだ、俺の事好きでいてくれて……よかった……っ!!」

「ふふっ、そんなの、当たり前だよ。亮の想いは、いつだって伝わってるか」

「よがった……ほんとよあったぁ……嫌われたらどうしようって……」

「ん、よしよーし。ほらなんか昔みたいになっちゃってるよー。またみんなに煽られちゃうよー」

「……あんなバカ野郎どもなんかどうでもいい……言わせとけってやつ……」

「そっか、そうだね」

 

ゆったりとした時間が流れていくのに、大した時間はかからなかった。

 

「そういえば、ずっと気になってたんだけど、死後の世界ってあるのか?」

「ないよ。そういうの欲しい?あんまりオススメしないけど、亮が欲しいなら作るよ?極楽浄土とか輪廻転生とか」

「別にそういうわけじゃないけどさ。もし、死ねるなら、向こうにみんな居るのかなって……その、師匠とか」

「兄さんか……会えるなら私も会いたいけど、ダメなんだ」

「……そっか……まぁ、真衣がそういうならそうなんだろうな。それに、今の俺じゃ合わせる顔もないし……いいけど」

「もし、私を越えるような奇跡が起きたなら、その時は、もしかしたら胸を張って会える時かもね」

「ン、そうなったらいいなぁ」

 

そうやって、ずっと、ずっと会話を続けた。何日も何日も。話したいことなんて沢山あった。沢山あって、多すぎた。永遠に続いてしまいそうなくらい時間をかけて、二人はただ話して──

 

 

そして、それも終わる。

 

「……だからさ、また、やり直すんだ。私は」

 

真衣が、亮と向き合って告げる。

 

「私はワガママだから。だから、私の都合で、私はまた亮を地獄に落とす。許してなんて言わないけど」

「いいよ。許すよ。ていうか、俺が真衣を許さないなんて、ない」

「本当に、ごめんね」

「いいよ、俺が撒いた種なんだから」

 

亮もそれを受け入れる。

 

「ありがとう。じゃあ……」

「ン」

 

白の空間で、真衣がゆっくりと手を挙げた。

 

 

神の意思に世界が従う。世界が辿った運命は一度消される。

そうして世界は、作り直され、再生する。

 

神が望む未来を掴むため。そのために、何度も何度も世界は作り直される。

全ては二人に取って理想的な世界になるまで。

また一つ、新しい運命が始まるのだ。

 

いつか、救われると信じて。




復讐編の第一話になる予定だったお話。初期構成で由紀は存在せず。八代も出てこぬまま、愛菜は学校行ってませんでしたが、これも神によって消された運命の一つという事で。


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