IS~筋肉青年の学園奮闘録~ (いんの)
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序章 新世界
第0話 生の終わりと死の始まり


 皆さん初めまして、いんのと申します。正真正銘の初投稿です。未だ右も左も分からないような状態ですが、どうぞよろしくお願いいたします。感想・指摘等じゃんじゃん送ってくれると嬉しいです。
 鉄血のオルフェンズのキャラクターである昭弘・アルトランドくんが、インフィニット・ストラトスの世界に行ってしまうというお話です。各キャラクターの心理描写には特に力を入れていきたいと思っております。

 ちなみに、この戦場ではあくまで昭弘視点なので、鉄血本編とは若干異なるシーンや描写があると思いますので、ご了承ください。


 その時、二人の少年は戦っていた。

 

 モビルスーツという名の鋼鉄の巨人を駆使し、無数の銃弾と砲弾が荒れ狂う荒野を縦横無尽に駆けていた。

 その様は、安直な言葉を使うならまるで“悪魔”そのもの。

 

 阿頼耶識。

 それこそが、2人の“強さ”と“力”とを今この瞬間も繋ぎとめていた。彼等2人の脊髄には特殊なインプラント機器が埋め込まれており、操縦席側の端子と神経を直結させている。つまり、文字通り機体と繋がっているのだ。

 人々はこのシステムを『阿頼耶識システム』と呼んでいる。由来は解らない。

 兎も角これによりモビルスーツをより生物的に動かす事ができ、更に、2人の極めて高い操縦技術も合わさって2機の巨人は最早誰にも手に負えない強さを振るっている。

 既に荒野には数えきれない程の敵モビルスーツが鉄屑と成り果てて倒れ伏しており、それらのコックピット周りは血とオイルと鉄で綯い交ぜになっていた。

 

 しかしそれでも尚、2人を取り巻く戦況は余りに絶望的であった。

 元々数的に圧倒的不利な戦況下で彼らの仲間の多くは死に絶え、残りの仲間も後退させていた。対して敵の数は未だ多く、今現在荒野に転がる屍など敵の総数の5%にも満たない。

 つまり勝てる可能性は最早0なのだ。

 それでも2人の闘志はまるで衰える事を知らず、獣の如く喰らい付くその姿に敵の有象無象は例えようのない恐怖を抱いていった。

 2人は決して諦めない。2人が戦えば戦う程、今後退している仲間もとい「家族」の生存率は上がっていく。

 2人はその事を良く理解しているのだ。自分たち2人が助からない事も。

 

 すると戦場に変化が訪れた。

 敵が少しずつ引いて行くのだ。2人のうちの1人『三日月・オーガス』は通信越しに疑問を口にしたが、2人のうちのもう1人『昭弘・アルトランド』は「敵さんも勝ち戦で死ぬなんざ御免蒙るんだろうぜ」と通信越しに三日月に返した。

 

 その解答は半分正解、半分不正解であった。

 2人は何だか全方位から見世物にされている様な“何か”を感じると、思考するより早く咄嗟に空を見上げる―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――光った―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――そう感じた直後、避ける事など到底できないような速度の“何か”が2人を貫いた。その衝撃たるや凄まじく、槍の様な何かは2人の足元に広がる荒野にそのままの勢いで突貫し、下へ下へと突き進む。砂埃がまるで爆風の様に舞い上がり、遥か遠くにまで激しい揺れが行き渡り、2人の居た荒野は最早完全に地形そのものを変えてしまっていた。

 

 敵兵たちは今度こそ安堵の息を漏らした。

 アレを喰らって生きていられる生物など居ない。専門知識の無い一般人でも、今の荒野の状態を見ればその位の事は解る。例えモビルスーツに守られていたとしてもだ。

 

 がしかしその安息の時間は長く続かず、再び彼等の表情が恐怖で塗り固められる事になる。

 

 

 

 

 

 

 昭弘は薄れゆく意識の中、これから確実に訪れる“”と言う事象について考えを巡らせていた。

 彼はここ数年、戦場に赴く度に「死んだらどうなるのか」が非常に気懸りになっていた。切っ掛けは過去の戦場で生き別れとなってしまった、彼の弟の発言にあった。

 

死んだら新しい命となって生まれ変わる

 

 その言葉が、昭弘の頭にしがみ付いて離れない。

 そして何と言う巡り合わせか、今正に彼は「死」へと近づいている。

 

 死んだらまた別の自分となって生まれるのだろうか。

 今まで死んでいった家族達に逢えるとでも言うのだろうか。

 唯々消えて無になるだけなのか。

 

 いくら考えを巡らせようとも、それらは所詮「死ななければ解らない」のだ。

 ただ一つ、解る事がある。そう、死んだ所で「今までこの世界で過ごしてきた家族」だけは、永遠に再現する事なんて出来ないのだ。同じ過去を繰り返す事なんて不可能なのだから。

 そんな、今においてはやった所でしょうがない自問自答を続けていると、一本の通信が昭弘の耳を通じて頭の中に響いた。

 

《昭弘ォ、まだ生きてる?》

 

 普段と何ら変わらない声量で発した三日月のその言葉を聞いて、昭弘の思考は自身でも驚く程早く現実に引き戻された。

 

「……ああ、どうにかなぁ…」

 

 大小様々な破片が突き刺さって血塗れになっている己の身体を辛うじて起こし、どうにか三日月に言葉を返せた昭弘。

 そうだ、俺は、俺達はまだ生きている。確かに俺達はもうじき死ぬ。だが、それでもまだ生きている。そして、まだ生きているのならば―――

 

「しょうがねぇ…死ぬまで()()を…果たしてやろうじゃねぇかぁぁぁぁッ!!!」

 

 自身に微かに残っている生命力を振り絞って、昭弘は叫ぶ。先程まで考え込んでいた自分を怒鳴り飛ばすかのように。

 

 今は亡き彼等の団長が残した「最後の命令」。

 

 

 

止まるな、唯々止まるな。

 

 

 

 言われるまでもない。俺だってまだ止まりたくはない。進み続けたい。生きたい。

 そんな想いを巨人の全身に乗せながら、昭弘は自身のモビルスーツ『グシオン』を辛うじて大地に立たせる。グシオンもまた、昭弘と同じく身体中から血と言う名の赤黒いオイルを垂れ流し、原形を辛うじて留めている程度にボロボロになり果てていた。だがやはり両者ともそんな状態では、機体を立たせるのがやっとだった。

 

 その一方で三日月と『バルバトス』は、ズタズタになりながらも縦横無尽に荒野を駆けていた。それは今まで以上に凄まじく、まるで狂獣の様だった。

 

 朦朧とした意識の中、昭弘はそんな三日月とバルバトスを目の当たりにして、悔しさと誇らしさを捏ね合わせた様なモノを感じた。

 昭弘自身が背中を預けられる数少ないパイロットの一人、戦場において絶対の信頼を乗せることができる親友(ライバル)、それが彼にとっての三日月・オーガスだった。

 やはり三日月(あいつ)は凄い。だが、この最後の瞬間くらいは奴と並んで戦いたかった。そして、もし可能であるならば奴を超えたかった。それができない自分自身が腹立たしくて仕方が無かった。

 

 そんな昭弘の願望を無情にも踏み躙るが如く、一機のモビルスーツが接近してくる。どうやら、カラーリングからして指揮官機らしい。

 指揮官が単騎で突っ込んで来るなんて阿呆かと一瞬昭弘は思ったが、直ちに意識を冷たいものに切り替えた。

 

―――こいつを殺す

 

 もし指揮官クラスであるのならば、ここで殺せば現場の指揮系統は多少なりとも混乱する。それにより、今逃げている家族達への追撃を大幅に遅らせる事ができるかもしれない。

 それに先程から自分自身にイライラしていた所だ。なら猶更丁度いい、こいつには自分の憂さ晴らしに付き合って貰うとしよう。こんな状態のグシオンでも、一機位なら殺れる筈だ。

 

 その指揮官機は馬鹿正直に正面から突っ込んで来る。恐らく、既に瀕死のグシオンに対して多少なりとも慢心を抱いているのだろう。

 昭弘は微かに残っている意識を「その一点だけ」に集中させ、相手と自分との距離を見極める。そして、自身の間合いに入った瞬間、巨大な鋼鉄の塊が左右からその指揮官機を包んだ。グシオンに装備されていた『シザーシールド』である。

 昭弘は指揮官機をシザーシールドで挟んだまま地面に叩きつけると、串刺しまみれな己の肉体をそのまま引き裂いてでも動かし、圧殺しようとする。

 

 しかし、正面から更に2機の敵モビルスーツが急接近してくる。最早今の昭弘に周りを気にしている様な、はっきりとした意識は残っていなかった。残っていたとしても、どの道こんな状態のグシオンでは逃げ切れない。

 当然の帰結として、敵モビルスーツの剣が昭弘のコックピット付近に深々と突き刺さった。鋭利で長大な金属片が、昭弘の胴体を貫通していく。

 

 それでも昭弘は止まらなかった。敵指揮官機のコックピットをシザーシールドでじわりじわりと、丹念に確実に潰していく。

 その光景は宛ら、ライオン数頭に囲まれた手負いの小さなハイエナ。だが侮る事無かれ。ハイエナの顎の力は、ライオンのそれを優に凌ぐ。例え身体中をズタボロにされようと、家族(クラン)の為ならその身を犠牲にしてでも噛み付く。

 

《うぅ…あぁ…!わ、わだじは、こ、こんなっ所で!!ぅぐ…ぁぁぁああアアア゛ア゛!!いぎィィエ゛ッァ゛ァ゛ァ゛ア゛ァ゛ァ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア!!!!》

 

 

 

 今正に消えかかっている意識の中、最早身体中に突き刺さっているモノの痛みすら分からなくなっていく意識の中、敵指揮官の無様な叫び声が聞こえた…様な気がした。

 

 そして、死は、もう目前だった。

 

 

 嗚呼、漸く死ぬ。ずっと気になっていた疑問の答えが、もうすぐ解る。けれども―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 もっと家族(あいつら)と生きていたかったな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 こうして2人の少年の内の1人『昭弘・アルトランド』は、一つの戦場にて短い生涯を―――終えた。




 いかがでしたでしょうか。というか、SS書くのって物凄い時間かかるんですね・・・。これしか書いてないのに丸一日分くらい消費した気がします。
 
 さて、次回は遂にあの「天災兎さん」が登場します。やっとだ・・・やっと昭弘とISのキャラクターを絡めることができる。


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第1話 死後の世界(前編)

 皆さん、まず先に謝罪しておきます。本来ならもう少し長くなる予定でしたが、執筆中後半部分を保存し忘れるというとんでもないドジを踏んでしまい、かなり短めになってしまいました。
 大変申し訳ございません。
 取り敢えず、前編後編に分ける形で、対応しました。明後日までには後編も投稿しときます。
 それと、お気に入り登録してくれた皆さん、大変ありがとうございます!嬉しすぎて「ウゥオッ!」ってなりました。

追記:一部修正を入れます。


 瞼を開けると辺り一面白い世界が広がっていた。

 未だ目覚めたばかりだからか白い霧がかかっているかの様な薄ぼんやりとした景色しか、昭弘には認識できなかった。

 

 そうして少しずつ、目の内側にある霧が晴れていく。一番最初に認識できた物は、縦に長い白く光る棒だ。蛍光灯…だろうか。それを視認して初めて、昭弘は今現在自身が横になっているということに気が付いた。

 

 更に目が慣れてきたので、今度は辺りを見回してみる。色んな物が目に飛び込んできたが昭弘の脳裏に一番濃く焼き付いたのは、独りでに動く機械だった。大きさは昭弘より一回り大きい程度。ガッシリとした人型で薄黒いボディに床まで届きそうな長い手。頭部には赤いカメラアイが一つ、怪しく光っていた。

 掃除…をしているのだろうか。濡らしたモップをビチャビチャと鳴らしながら、床に黙々と擦り付けている。

 

 すると突然、昭弘の()()()()()()()()()()のかその機械がこちらに振り向いた。

 

 4~5秒程昭弘を見つめながら静止しているその機械は、何と言葉を発した。

 

《メ…メ…目覚メタ…?》

 

 ステレオタイプのスピーカーから流れる様ないかにも機械的な音声だったが、確かにそう発していた。

 すると―――

 

《タ……!束様ァァァ!!!目覚メマシタ!!目覚メマシタヨォォォォ!!!》

 

 そう部屋の壁を突き破らん声量で叫びながら、機械は大慌てで飛び出していった。それを切っ掛けに、昭弘の頭にもようやく「混乱」の二文字が訪れた。

 

―――ここは何処だ?

―――そもそも自分はあの荒野で死んだ筈だ。それは間違いない

―――では此処は死後の世界…なのか?

―――それとも新しい生命として生まれたのか?

 

―――あの機械は何だ?生前(?)ではあんな機械見たことがなかった。しかも、自分にはその機械が独りでに動いていた様にしか見えなかった。それとも中に人が…?

 

―――それと…あの機械が発していた『タバネ』とは一体誰だ?少なくとも組織(家族)には、そんな名前の人物は存在しなかった筈

 

―――…「()()()()」?此処で?…あの機械が発していた言葉や自分の今の状況を考えると、自分は少なくとも死んですぐ此処に突如として現れた訳ではない。もしそうだとしたら、自分はどれだけの時間、このベッドの上で眠りについていたのだろうか

 

 

 いくら自身の頭で候補を挙げても答えなんてまるで出てくる筈もなかったが、彼がこれ程までに混乱している理由はもう一つ存在した。その理由は、どう言う訳か彼自身()()()()()()()()()()を着ているのだ。

 

 自身はあの時、大小様々な鉄片が突き刺さっていた状態だった。であれば自身は裸体で医療用カプセルに入っているか、全身を包帯で巻かれているか、何かしら治療した痕が残っている状態でなければならない。なのに今は、自身が愛していた組織(かぞく)鉄華団』の花のマークが入った馴染みの深いジャケットを羽織っていた。

 つまり、普段通りの服装ということだ。身体の方にも、異常がある様にはとても思えなかった。あるとしたら、目覚めた時の倦怠感くらいだ。

 

 そもそも、病室(らしき所)のベッドに()()()()()()()()こと自体が可笑しい。

 普段から彼は彼自身の背中から生えている2本の突起物(阿頼耶識のピアス)のせいで、仰向けで寝ることができなかった。しかしこの病室のベッドにはどうやら細工が施されており、背中の突起物が丁度良くベッドにフィットするよう位置的に枕のすぐ手前辺りに深めの溝が作られていた。

 

 

 以上のこともあり、昭弘は今の状況を正常に把握できないでいた。まるで夢を見ているかの様な、夢から覚めたかの様な。

 何度瞼を閉じても夢と現実の境界を上手く見出せない昭弘は、まさか本当に此処が「死後の世界」なのではないかと、根拠なき錯覚に襲われてしまう。

 

 

 

 

 

 どれ程の時間が経ったのだろうか。数分かもしれないし、数十分かもしれない。それでも、昭弘は少しずつではあるが漸く普段の巨木の様な落ち着きを取り戻してきた。

 取り敢えず、先ずはベッドから降りて少しずつ体を慣らしていこうと思い至ったその時、先程機械が飛び出して行った自動扉が再び静かにスライドした。すると兎のような耳の生えた“何か”がゴロゴロと高速回転しながら入室し、勢いをそのままに昭弘のベッドへ近づいてきた。

 

「ジャジャジャジュワーーーン!!!☆やっふぅ!やっふぅぅううう↑↑!!!みんなのアイドルゥ!篠ノ之束さんドゥエエエエッス!!!」

 

 先程以上の混乱+困惑が、昭弘の脳回路を焼いた。

 

 

 

 

 

「いんやぁ~驚かせちゃってメンゴメンゴォ~。君が目覚めたって聞いたから余りの嬉しさで勢い余っちゃって~~☆」

 

 この“兎耳女”の衝撃的な登場のすぐ後、先程の機械が慌ててフォローに入り昭弘に謝罪をしつつ、マグカップにホットティーを淹れて「どうぞ」と促してきた。ガタイの割に器用な事をする機械だ。

 まだ彼女らを信用していない昭弘は、未だマグカップに口をつけてはいないが、機械のフォローもあってどうにかこうにか落ち着くことくらいはできた。

 

 第一に女の恰好が異常だった。ファンタジックな水色のドレスに白いエプロン、頭頂部には兎の耳のような蠢く機械を付けており、見る者を混乱させることに長けすぎていた。

 昭弘は一先ず機械に軽く礼を言った後、漸く口を開く。

 

「……昭弘・アルトランドだ」

 

「おや?そっちから名乗ってくれるの?」

 

 突然の彼の名乗りに、女も拍子抜けた表情を見せる。訊きたい事は山の如くあるだろうに、と。

 

「どうやらオレは短くない時間ここに居させて貰ってたみたいだからな。状況的にそれぐらいは何となく分かる。だからせめて名乗りくらいはこっちからやらないと()()()()()()と、そう思っただけだ」

 

 “筋を通す”とは、昭弘の行動理念の一つとも言えた。それはやはり、彼が元居た組織(かぞく)「鉄華団」団長の影響を強く受けていたからかもしれない。

 

「………筋、ねぇ…あっ!ゴメンゴメン何でもないよぉ☆」

 

 一瞬女の表情が曇った様に見えたが、今は特に気にする必要はないと判断した昭弘は見て見ぬフリをした。

 

 すると、じゃあこっちもと言わんばかりに女は自身と機械とを親指で指し示しながら自己紹介を以て返す。

 

「私は篠ノ之束(しのののたばね)☆イェイ!!天才科学者だよ☆そんでこっちがお手伝いロボットの『ゴーレム』!束さんが作ったんだよ!できれば愛称を込めて『タロ』って呼んであげてネ!』

 

《デハ改メマシテ、初メマシテ昭弘様。タロト申シマス。私ト同ジゴーレムタイプノ『IS』…失礼シマシタ。モトイ、ロボットハ他ニモ沢山オリマスノデ、見カケタラ気兼ネナク声ヲカケテ下サイ》

 

 ロボット…は聞いたことがあるような気がする。しかし、『あいえす』なんて単語昭弘は聞いたことが無かったし思い浮かべることもできなかった。

 だが今は先ずより重要なことから聞くべきだろうと、昭弘は一旦あいえすなる単語を保留にした。恐らくタロも、自分を混乱させないようわざとロボットと言い換えたのだろうと、昭弘はそう解釈した。

 

「タバネにタロか、よろしく頼む。そんじゃ悪ぃが、早速質問に入らせてもらうぞ。まず此処は何処だ?」

 

「ここは束さんの研究施設(ラボ)の一つなんだよねぇ。えっへん!所在地は内緒♡」

 

 ラボ…昭弘には縁の無い場所であった。束の様な研究者が根城にしている基地の様なものなのだろうと、彼は足りない知識で適当に予想する。

 まぁ別段気に留める程の事でもないので、そのまま昭弘は質問を続ける。

 

「…オレは一体どのくらいの間眠り続けていたんだ?」

 

「うーん、ざっと一ヶ月位かな?最初っからその恰好だったよ!」

 

 一ヶ月前…更にはこの格好…。

 だが尚も昭弘は質問を続ける。束の口から発せられる情報に対する疑念や動揺、余計な憶測を今は必死に押し殺して。

 

「……今何年だ?」

 

「西暦2022年1月16日だよ~」

 

「………オレは何処に倒れていたんだ?」

 

「そこら辺に!」

 

 そう言うと束は窓の外を指さした。そこには、ラボを覆い隠すように雑木林が広がっていた。

 

 昭弘は、束から得た情報を一旦整理するべく険しい表情で自身の頭を撫でた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

西暦?

 

 

 

後編へ続く。




 束さん描くのすっごい楽しいです。
 今現在ラボに居るゴーレムは、クラス代表戦襲来時のゴーレムのモノアイバージョンだと思ってもらえれば、分かりやすいかと思います。声は皆さんの想像にお任せします。
 原作にはいないキャラかと思いますが、皆さん気に入っていただけましたか?


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第1話 死後の世界(後編)

 なんとか今日中に間に合いました。今回も前回と同様、昭弘、束、タロの3人による会話が主です。
 昭弘の入学までは、もう少し時間がかかるかもしれません。できれば、第3話辺りから入学させたいと思っております。


 西暦…そんな年号を昭弘は聞いたことがなかった。

 自身が生きていた時代の年号は『P.D.(Post Disaster(被災後の))歴』だった筈。

 それに自身は一ヶ月間意識がなかったと、束は言った。少なくとも昭弘の感覚では、自身が死んだのはついさっきだった。死んだ場所もこんな緑生い茂る雑木林ではなく、赤茶色の荒野。あの荒野で戦っていた一ヶ月前に、こんな雑木林に訪れた記憶もない。

 

 昭弘はこういうことを深く考えるのが苦手だ。戦場においても考えるより先にブッ潰す戦い方をしていた彼は、今回も不本意ながらそれに倣ってみることにした。

 

「……こんなこと言ったら笑われると思うが敢えて言うぞ。オレはついさっき、確かに「死んだ」筈なんだ。そしてこんなこと訊いたらそっちも混乱するかもしれないがそれでも聞くぞ。此処は『死後の世界』ってヤツなのか?」

 

 それはもう昭弘自身もビックリする程の単刀直入な質問だった。だがそうとしか訊けないのだからしょうがない。

 

「…」

 

 当然、いきなりそんな事を訊かれて即座に答えられる程、人間は反射で生きていない。

 まるで時間が止まった様な両者の沈黙に対し、やっぱり不味かったかと昭弘が思った瞬間―――

 

「やっぱり?」

 

「は?」

 

「やっぱり君って!『別次元の世界』から来た人なんだぁぁぁ!!ヒャッフゥゥゥゥイ!!!束さん大☆発☆見!!!!」

 

 兎耳女が発狂した。

 

 

 

 何故束がこうもあっさり昭弘の言葉を受け入れたのか、昭弘には理解できなかった。しかし、少なくとも束が常識の通用するタイプの人間でないということは昭弘も薄々勘付いてはいたので、そこに関しては昭弘も気にするだけ無駄だと判断した。

 

 その後の話は比較的スムーズに進んだ。

 昭弘は取り敢えず、自身の一生に関して束とタロにざっくりと話した。海賊の襲撃による肉親の死、それから奴隷のように売り飛ばされる日々、そんな日々の中で背中に埋め込まされた『阿頼耶識(ちから)』、目的すら分からない戦場、そこから独立するように孤児達(オルフェンズ)で立ち上げた民間軍事組織『鉄華団』、そこで芽生えた家族としての確かな絆、そして、最後の戦い。

 

《……何ト言イマスカ》

 

「波乱万丈すぎない?」

 

 20年にも満たない歳月でなに常人の一生分にも匹敵しそうな人生送ってんだと、束は昭弘の途方の無い経歴に顔を引き攣る。

 タロに表情は無いが、もしあったら束と似たような顔をしてたのだろう。

 

「…そうなのか?」

 

「うん、そだね」

 

 束がつい慣れない突っ込みを入れてしまった。人生観の違いとは恐ろしいものである。

 

「それにしても、そのモビルスーツとか阿頼耶識システムとかいうのはちょっと、いんや、かなぁ~~~り興味あるかも!是非是非詳しく!!」

 

「かまわないが、モビルスーツなら兎も角阿頼耶識に関しては感覚的な事しか説明できないぞ?」

 

「ダイジョブダイジョブ☆束さん天才だし!」

 

 束は子供みたく自身の胸部の真ん中をドンと叩いてそう言って見せる。

 

《家事全般整理整頓ハスッカラカ「何か言った?タロ?」…イエ》

 

 そのやり取りを見て、昭弘は「クスッ」と微笑を零した。本当にごく自然と零れた笑みだった。

 

「お前らのやり取り見てると、此処が死後の世界だなんてとても思えなくなってくる」

 

 それは本当に、何処にでもありそうな現実の世界そのものな光景だったのだろう。

 

「まぁ束さん達にとっては、現実世界以外の何物でもないしぃ~。昭弘…『アキくん』でいいや☆アキくんも素直に『この世界』を受け入れちゃえば?」

 

 急に渾名で呼ばれて昭弘は一瞬言い淀むものの、意を決したかの様に口を開く。

 

「いや、それでもオレはやっぱり此処を死後の世界と割り切ろうと思う」

 

 それは今決めたのか、それとも目覚めた時から変わらぬ本心なのか。

 

「なんでさ?」

 

 束がキョトンとしながら疑問符を浮かべる。

 此処が死後の世界だろうと現実の世界だろうと、束の言う別次元の世界であろうと、昭弘が今後この世界で生きていくことに変わりはない。何故そんなに此処が死後の世界であることに昭弘が固執するのか、束には理解できなかったのだ。

 

「あの世界で家族と過ごした日々、鉄華団(かぞく)と過ごした日々、出会い、別れ、全てあの世界じゃなければ得られなかったモノだ。だから此処を死後の世界と割り切らないと、あの世界で得たモノが「掛け替えのないモノ」じゃ無くなってしまう気がしてな…」

 

 確かに昭弘は、この世界で一人の人間として生きていくのかもしれない。

 だが昭弘は、あの世界で生まれてそして死んだのだ。その事実だけは譲れなかった、譲ってはいけない様な気がした。

 

 対して、束もタロもただ黙って聞いていた。肯定も否定もせずに。

 すると束がタロの懐から「何か」を取り出し、昭弘にポイッと投げ渡した。それは折り畳み式の果物ナイフであった。

 

「アキくんアキくん☆まだ()()()()()確認して無かったよね?」

 

 束がそう言うと、昭弘も「そういえばそうだったな」と納得する。

 昭弘はナイフの切っ先に何も塗られていないことを確認し、右手にナイフを持ち、それで左手の指先に短く浅い切り傷をつけた。

 当然の帰結として“痛み”と同時に“血”が流れ出てきた。生きている人間なら誰にでも流れている生命の雫だ。

 

 痛みと血。それらはあの世界でのソレと匂いから何まで寸分違わない様に感じられた。

 

「この世界をどう解釈しようとアキくんの自由だよ。けどこれだけは忘れないで。君は()()()()()()()()()()ということを」

 

 考えてみればごく当たり前のことだった。自身の血と彼女の言葉、それこそが唯一無二の答えだった。

 それでも、昭弘の考えが変わることは無かった。

 

「そうだな…ありがとう束。お陰でこの「死後の世界」で生きていく覚悟が固まった気がする」

 

「死後の世界で生きていくって、何か変な感じするけどね!」

 

《私ハ珍シクマトモナ事言ッテル束様ノ方ガ、遥カニ変ナ感ジシマスガ》

 

「あっ、言ったなこいつぅ☆」

 

 冗談を口に出すタロに、束が肘打ちを食らわす。

 

「てかアキくんって、割と深く考え込むタイプなんだね」

 

 そこを突かれて、昭弘は苦笑する。確かに自分らしくないとは思った。しかしながら鉄華団(かぞく)のことになると、昭弘にだって「譲れないモノ」があるのだ。

 

 その後、昭弘はモビルスーツや阿頼耶識のことを粗方説明し終えると、気が付いたらホットティーを全部飲み干してしまっていた。自身でも気付かない内に随分とこいつらのことを信用してしまっている様だと、昭弘はまたも苦笑を零した。

 

 

 

 

「さて、そろそろそっちの情報も寄越してくれないか?」

 

 先程から昭弘が気に掛けていた「あいえす」だけに留まらず、世界情勢や生きていく上での社会的常識など、吸収せねばならない知識は盛沢山だ。

 

「お~っとその前にぃ!アキくんには、ある条件を提示したいと思いまぁ~す!!」

 

「…条件?」

 

「そ!この条件を吞んでくれれば世界情勢とISのこと、それに束さんのあ~んなことやこ~んなことも教えちゃうよ☆」

 

 所謂取引というやつだと昭弘は解釈した。吞むかどうかは内容にもよるが、一先ず聞いてみることにする。

 束のあんなこんなはどうでもいいとして。

 

「…言ってみろ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ちょっとIS学園ってとこに入学してくんない?」




 昭弘ってガチムチとか脳筋とか言われてますけど、意外と悩んだり葛藤したりするとこあるんですよね。
 さて、いよいよ次回はIS学園への入学に向けて、色々と準備するみたいな回になると思いますので、自分の文章でどこまで説明できるか不安ですが、頑張って早めに投稿したいと思っております。

 あと今更ですけど、私はIS原作を読んだことがないです。二次創作を読んで、それで大まかな流れを把握している程度です。


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第2話 決心

昭弘「世界観の説明は上手くできましたか・・・?(小声)」
オレ「できませんでした・・・(小声)」
昭弘「でしょ?じゃあオラオラ来いオラァ!!!(豹変)」

 UA1500突破ウレシイ・・・ウレシイ・・・(ニチニチ)
 お気に入り数が36・・・異常だな!(感涙)お気に入り登録してくださった皆さん、本当にありがとうございます。


 その夜、昭弘はベッドに横たわりながら深い思考の渦に嵌っていた。今日初めてこの世界で目覚めた時と違い、天井の蛍光灯は純白の輝きを放っておらず、薄暗い部屋に溶け込むように輪郭を僅かに残していた。

 時刻は既に0時を回ろうとしていた。日中からそれだけ時間が経過しているにもかかわらず、昭弘は未だに頭の整理ができずにいた。

 

 時は少し遡る。

 

 

 

 

「『あいえすがくえん』?」

 

「そ!その名の通りISについてお勉強す場所☆「学校」ってヤツだよ。因みにISってのは『インフィニット・ストラトス』の略称ね!文字で表すとこう書くの!!」

 

 学校と言う言葉は昭弘も聞いたことがある。鉄華団にも、妹や弟を学校に通わせたいと言っている団員がチラホラ居た。将来社会に出る為に必要なことを勉強する場であり、友達を作るための社交場でもあるとか。

 IS(インフィニット・ストラトス)に関しては、何か「人型のロボット」の様なモノなのではないかと、昭弘は推測する。先程、ロボットであるタロが自身のことをISと言いかけていたのが、その理由だ。

 

「…オレがそこに行かねばならない理由を聞いてもいいか?」

 

「それは言えないなぁ~」

 

 その束の即答から、雲行きの怪しさを昭弘は密かに感じ取った。

 

「…ISについては?」

 

「それも言えなぁ~い☆」

 

 間を置かずにあしらう束に対し、少しずつ昭弘の表情が険しくなっていく。

 

「……もし、その申し出を断ったら?」

 

「アキくんには悪いけど、無一文で出て行って貰うかなぁ~」

 

 束が普段と何ら変わらない口調で昭弘にそう言い放つ。それを機に、先程まで和気藹々としていた雰囲気は一変する。昭弘は眉間に皺を寄せ、静かに束を睨みつけていた。タロも万が一を警戒してか、束を庇うように位置を変える。

 この取引は、昭弘に選択の余地など無いに等しいものであった。

 

 そもそも昭弘はこの世界のことを何も知らないし、金銭も今現在は持ち合わせが無い。そんな状態で追い出されれば、路上で野垂れ死ぬのが関の山だ。場合によっては、それこそ前の世界で言う『奴隷(ヒューマンデブリ)』のような立場に逆戻りだ。第一この森から生きて出られる保障すら無い。

 昭弘は、この取引という名の脅迫に対して「YES」と答えるしかないのだ。今現在、昭弘の生殺与奪の権限は彼女たちにあるということを、今更ながら昭弘は思い知ることになった。

 

 だからこそ昭弘は、自身を脅してでも『IS学園』に入学させようとする束の思惑に強い警戒心を抱いていた。そこで自分に()()()()()つもりなのだと。

 

 暫くの間睨み合いが続いたが、やがて束の方が先に折れて口を開く。

 

「…一応言っとくけどさぁ、別にそこで「人殺せ」とか「何か盗んで来い」って訳じゃないからねぇ?」

 

 昭弘は束の今の言葉を全面的に信用した訳ではないが、そう言われては警戒心を多少緩めるしかない。

 

「それにアキくんにもちゃんとメリットがあるんだよ?例えば背中の阿頼耶識」

 

 そう言われて、昭弘は無意識に背中の阿頼耶識を指でなぞる。

 

「実はさっきアキくんの話を聞いて、束さん閃いちゃったんだよねぇ!その阿頼耶識を上手く使って、アキくんにいい思いさせてあげられるかもよ?」

 

 まるでセールスマンの様に、束はそのまま続ける。

 

「それにそれにぃ!そこの教師には束さんの大親友も居るから、アキくんの助けになってくれると思うよ!!」

 

「………」

 

《………本当デスヨ?》

 

「オイゴラクソガキ。何だそのまるで束さんに友達がいること自体疑わしいみたいな目は。あとタロ、お前もアキくんの表情だけで察してんじゃねぇよ解体すんぞ」

 

 まんまと己の心中を見透かされた昭弘。

 束の交友関係は兎も角として、昭弘は今から束の条件を飲まなければならない。それしか選択肢が無い以外にも、昭弘は此処で一ヶ月間束たちに世話になっているのだ。その恩は返したい。

 それに、束の言う「いい思い」というのは詳しくは分からないが、昭弘にもメリットがあるというのは確かな様だ。それでも昭弘は―――

 

「……スマン。丸一日考えさせてくれないか?」

 

「いいよぉ別に。どうせ答えは変わらないだろうし☆」

 

 いくら選択肢がそれしか無いと言っても、昭弘も所詮は人間だ。この選択一つで自身の今後の生き方が決まってしまう可能性もあると考えてしまえば、「YES」と答えるにはどうしても躊躇いが残る。

 それに昭弘自身も、今持っている情報と考えを整理した上で引き受けたいと思っていた。今は兎に角、頭を落ち着かせる時間が欲しい。

 

「じゃ、明日の朝までにね!決まっていなかった場合は「NO」と見なすね☆」

 

 

 

 その後、束は他のゴーレム達や同居している盲目の少女『クロエ・クロニクル』を昭弘に紹介した。

 束としてはどうせ昭弘は引き受けると思っているので、今の内に自身の仲間(メンバー)を紹介しておこうといった腹積もりであった。

 昭弘自身もゴーレム達と共に身体を慣らしたり、『昭弘式』の筋トレをしながら頭の中を整理していった。

 

 

 

 

 

 そうして現在に至る。

 実際、昭弘の頭の整理は凡そ完了していたが、それでも昭弘は悩みが拭えなかった。自身が今何に悩んでいるのか、それすらも解らなかった。

 しかし、その原因が束にあることは分かっていた。(彼女)の目的が何なのか、それがどうにも昭弘には気懸りでしょうがないのだ。まるで自身の脳内を得体の知れないヌメリとした何かが這いずり回っている様で、気分が悪くなってくる。

 

「……オルガ」

 

 悩む頭に誘われる様に、ふとそんな名前を昭弘は口にした。

 

オルガ・イツカ

 

 前の世界で鉄華団団長を務めていた男であり、昭弘をヒューマンデブリという鎖から解放してくれた恩人でもある。

 『決して止まらない男』。それが昭弘のオルガに対する人物像だった。鉄華団(かぞく)にいい思いをさせてあげたい、安寧を与えてやりたい。しかし、それらを手にするには戦うしかない。そして戦えば当然、鉄華団(かぞく)も死んでいく。そんな矛盾に悩みながらも、オルガは突き進んで行った。

 

 昭弘はそんなオルガを心から尊敬していた。常に鉄華団(自分たち)の為に悩み、そこから最善の答えを出して突き進む。

 今思うと本当に凄い男だったんだなと、改めて昭弘は思う。何故ならその昭弘も今「悩んでいる」からだ。自身の悩みなんて一つしか答えの無いちっぽけなモノだ。それでも、独りで悩むことがこんなにも大変だなんて思いもしなかった。それをオルガは、いくつも答えがある中から何度も悩んで選び抜いてきたのだから、昭弘にとっては果てしないことだった。

 

 だから昭弘は、無意識にオルガという名前を発したのかもしれない。「オルガの悩みに比べたら、自分の悩みなんてまるで大したことなど無い」と、自身を鼓舞する為に。

 現にそれを機に、昭弘の脳内を這いずり回っていたモノは、塩をかけられた様にきれいさっぱり溶けて無くなってしまっていた。

 

(束の目的が何かは知らんが、それでも…)

 

 一つ息を溜めた後、昭弘は普段の仏頂面を崩して静かな笑みを浮かべた。その目からは、この世界で生きていくことに対する揺るがない「志」が滲み出ている様にも見えた。

 

()()()()()()()()解からない。そうだろ?オルガ」

 

 

 

 

―――翌朝09:00―――

 

 束は気分を高揚させながら、左右の肘を激しく振り猛ダッシュで昭弘の部屋に向かっていた。今回は一対一で昭弘と話したいという束の命令で、他のゴーレムたちは各々の持ち場に就いている。

 

―――早く教えたい早く訓えたい早く教えたい早く訓えたい早く教えたい早く訓えたい

 

 そんな想いで頭を埋め尽くしながら、束は昭弘の居る部屋の自動ドアが開くより早く突き破る…かに思えたが、意外と律儀に開ききるまで待った後勢いよく入室する。

 

「アキくん!!オッハヤンベェ~~!!!さぁ!答えを聞かせて貰…ってウゥオォッ!!?」

 

 自動ドアの向こうには、上半身裸で腕立て伏せに勤しんでいる昭弘の姿があった。

 

「フンッ…おおフンッ…束かフンッ…お早うフンッ…」

 

 これは余談だが、束は男性の裸体にまるで慣れていない。

 基本的に一日中自身のラボに籠りながら研究をしており、話し相手といえばゴーレムかクロエ程度しか居ないのだ。しかもよりによって、相手はハリウッドスター顔負けの鍛え抜かれた筋肉を持った昭弘だ。彼の裸体をなぞる汗という名の雫のオプション付きまである。

 

「フンッ…良し、こんなもんか。ん?どうした、何故隠れる?」

 

 束は兎耳だけを覗かせながら、部屋に入ってこようとしない。

 

「ああえっとその…まぁうん、アレだ。今の君の姿は束さんの目に毒だから…さっさとシャワー浴びてきたら?」

 

「?…じゃあそうさせて貰うが」

 

 昭弘は訳も分からないまま、部屋の奥に小さく潜んでいるシャワールームへ、ヒタヒタと素足を運んで行った。

 

 

―――15分後

 

 

「ほい!そんじゃ気を取り直してぇ!!答えは「YES」ってことでいいよね☆」

 

「ああ。入学するまでの間、宜しく頼む」

 

「こちらこそ宜しく!」

 

 昭弘が右手を差し出すと束も右手を差し出して、二人は固い握手を結んだ。

 

 昭弘の新しい生活、その始まりを告げる握手だ。

 

 

 

 その後、束は早速ざっくりとではあるがISについて話した。

 

 『IS(インフィニット・ストラトス)』とは束が開発したマルチフォームパワードスーツであり、女性にしか扱えない。

 今現在ISは世界最強の兵器として台頭している。

 ISが女性にしか扱えないというのもあって、世界には『女尊男卑』という風潮が蔓延している。

 原初のISによって引き起こされた『白騎士事件』によって凡そ2000発もの弾道ミサイルが無力化され、核兵器の存在意義が極めて薄くなってしまった。

 ISには夫々『ISコア』があり、それが全世界で467機しか存在しない。コアを作れるのは全世界で束だけだが、現在は生産をストップさせている。故に、とてもそうは見えないが束自身指名手配の身であるらしい。

 そして、『少年兵』と呼ばれる兵士たちの変化。

 

「とまぁざっくり説明するとこんな感じ。何か質問ある?」

 

 正直何を質問すればいいのかも分からない昭弘だったが、一つだけ思いついたことを質問した。

 

「女性にしか扱えないんなら、オレはIS学園に整備士として入学するのか?」

 

「よくぞ聞いてくれたッ!結論から言うと、アキくんもIS乗りとして入学して貰うよ☆」

 

 それを聞いて昭弘は細く懐疑的な目を束に向けるが、一先ず最後まで聞くことにした。

 

「アキくんの阿頼耶識を通じて、アキくんにしか扱えない『トンデモIS』を創り上げてあげるよぉ!!」

 

 確かに昨日、束は阿頼耶識の話を聞いて何か閃いたとか何とか言っていた。阿頼耶識を利用すれば、女性にしか扱えないISが昭弘でも使えるようになるとでも言いたいのだろうか。

 

 昭弘はそんな風に半信半疑で聞くが、次の質問に移ることにした。

 

「何故ISは女性にしか扱えない?」

 

「束さんがそう設定したからだよ」

 

 それを聞いて昭弘は「理解に苦しむ」と更に目を細めて訴えかける。それはつまり、束ならいくらでもコアを男性用に設定し放題ということではないか。

 

「…何故?」

 

「別に大した理由は無いよ?ただこの世界では長きに渡って「男尊女卑」の風潮が続いていたから、そろそろ女性が世界に台頭してもいいんじゃないっていう短絡的な考えですハイ」

 

 束はそう言うが、昨日からのフザけ具合を見るとどうにも信じられない。失礼ながら「単に面白そうだからそうしてる」と言われた方が、遥かに説得力がある。

 

「因みに無人のISを作ることも余裕だよ!」

 

 まぁそれは、タロたちを見れば一目瞭然だ。昨日昭弘も、タロたちの中に誰も入っていないことは確認済みだ。

 

 だが、昭弘の頭にもう一つの疑問が一直線に浮上してきた。

 

「じゃあ何故態々オレの阿頼耶識を使う?コアを男性用に設定すれば済むだろう」

 

 昭弘の質問に対して、束は怪しい笑みを浮かべながら得意げに返した。

 

「フッフッフ☆実はアキくんの阿頼耶識、束さんの考えが正しければISと直接繋ぐことで爆発的な性能を引き出せるかもなんだよねぇ!」

 

 束のその言葉で、昭弘は背中から生えている二本の阿頼耶識をまたもや無意識に触る。

 昭弘にとって、この阿頼耶識は自身の“分身”と言っても過言では無かった。阿頼耶識があったから鉄華団を守れた。阿頼耶識があったから自分自身を守れた。阿頼耶識があったから最後まで戦い抜くことができた。

 昭弘は、最初は無理やり埋め込まれた阿頼耶識をいつしか誇りに思うようになった。だからか、また阿頼耶識(こいつ)を役立てることができると思うと、自然と笑みが零れたのだった。

 

「そいつは…嬉しいな」

 

 

 

 その後はIS学園の話に切り替わった。

 

「そういやアキくんは大丈夫?IS学園は女の子しか居ないけど、抵抗とかない?」

 

「問題無い。前の世界では女ばっかの船団とも交友があってな」

 

「あっ、えっ、その…アキくんてやっぱり…」

 

 束は顔を真っ赤にしながら、とんでもない勘違いを口にしようとする。先程の動揺っぷりも相まって、まるで男子中学生だ。

 

「…いや違うからな?」

 

 さすがの昭弘も、束の反応を察して念を押しておいた。

 

 その後はIS学園にいるという束の友人や、自身の最愛の妹について束が長々と話した。

 特に妹の話はそれはもう長く、殆ど妹の自慢話みたいなモノだった。そのご清聴は何と言うか、いつ終わるとも分からない砂漠を無心で歩き続けるみたいだった。そういう訳で段々うんざりする昭弘を他所に(よそに)、束が思い出したように口を開く。

 

「そうそう!実はアキくん以外にもう一人男性IS操縦者が見つかってるんだった!その子、ISの試験会場に偶然入り込んで偶然発動させちゃってさぁ。んで何故その子が動かせたかっていう理由はその…お恥ずかしい話なんだけどね…」

 

 

 

 

 

「コアの初期設定を間違えちゃった☆」

 

 それを聞いて砂漠から解放された昭弘は大袈裟にズッこける。

 

 全く頭が良いんだか馬鹿なんだかよく判らない科学者である。「馬鹿と天才は表裏一体」みたいな言葉があるが、これもそれに当て嵌まるのだろうか。

 

 

 

 昭弘との話が一段落した束は、ラボの人気の無い廊下をタロと一緒に歩いていた。結局束は、自身の『目的』までは最後まで昭弘に話さなかった。

 それでも、これから昭弘には頑張って貰わねばならない。束の『計画』を実行に移す為にも。昭弘と阿頼耶識は、束にとってはそれだけ重要な「キー」なのだ。

 

 暫く歩いていると、タロが束に話しかける。

 

《束様…ヨロシイノデスカ?“真実”ヲ伝エナクテ…》

 

「んー?いいよアレは伝えなくて。その方が束さんにとって都合いいし」

 

 束はこの『計画』を必ず成功させねばならない。自身の夢である『ISを宇宙に羽ばたかせる』ことを実現する為に。

 今のISはただの兵器に過ぎない。束はそんなことの為にISを創ったのではない。そんなことの為に白騎士事件を起こした訳ではない。束はそんな今の世界が、憎くて憎くて仕方がなかった。だから―――

 

「必ず成功させるよ。この計画を」

 

 束のその目は、昭弘がこの世界で生きていくと決心した時と同様、いやそれ以上の「覚悟」が滲み出ていた。

 

 

 

 それこそ、「どんな犠牲でも払う」と言わんばかりの。




 めっちゃ長くなった・・・。多分毎回これくらいの長さになるかと思われます。
 クロエとの絡みは、別の話で過去回想みたいな感じで出したいと思います。少年兵云々についても同様です。

 束さんの企みについても、凡そ考えが纏まっておりますので、乞うご期待ください。
 
 そしてやっと次回からIS学園入学です。・・・長かった・・・。皆さん是非楽しみにしていてください。


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第一章 の1 IS学園~入学~
第3話 憂鬱の大和撫子


 皆さんお待たせしました。まさかここまで長くなるとは思いませんでした。
 一応昭弘と箒がメインの回です。
 相変わらず設定とか話の構成とかクッソガバガバですが、気になることがありましたらご指摘ください。


―――――2022年4月8日 金曜日―――――

 

 IS学園正門前、喜々として歩を進める若葉の様な乙女達の中に一人、門前にて立ち止まる巨漢が居た。白を基調とした襟の黒い制服を身に纏っている事から、IS学園の生徒であると予想できる。

 

(確か「校舎」って言うんだったか)

 

 昭弘は束から一般教養を粗方叩き込まれており、校舎のような学校に関する単語も大体は教わっている。

 それでも昭弘は実際に学校というものを見て、つい立ち止まってしまった。正門前から見た限りでも真っ白な直方体の建物がいくつも並んでおり、晴れている為か建物に規則正しく並んでいる窓は水色に彩られていた。

 極めつけは校内を囲う様に等間隔で生えている、桃色の花びらで彩られた木々。

 

 昭弘は未だ正門を跨いでいないにも関わらず、真新しいことだらけの学校に驚かされっぱなしであった。束の研究所(ラボ)とも違う、前世では見たことも無い景色ばかりが、昭弘の眼前に広がっていた。

 

 昭弘は、学校という場所に密かに憧れていた。

 彼は前世において、家族や仲間は居ても「友」は居なかった。鉄華団も彼にとっては家族という認識が強く、友という認識は持ち合わせていなかった。『三日月』という例外も居たが。

 学問も同様であり、彼は今まで肉親の仕事の手伝いと戦場での命のやり取りしかしてこなかった。だから束のスパルタ教育も、辛いというよりは新鮮といった気持ちの方が強かった。

 

 昭弘が漸く門の先へ足を踏み入れてから数歩進むと、周りの女子生徒達が急に静まる。

 代わりに、彼女たちの間で小さな言の葉が紡ぎ出されていく。

 

「男子!?何で?」

 

「あれってIS学園(ここ)の制服だよね?」

 

「じゃああの人IS動かせるの?」

 

「ホラこの前ニュースでやってたじゃん。2人目が出たって」

 

「デッカ…あと顔怖っ!」

 

 全校生徒の中で男子は昭弘ともう1人の2人のみ。しかも昭弘は自他ともに認める巨躯の持ち主であり、周囲の視線を集めるのは最早道理と言えた。

 流石の昭弘も、ここまで多くの女子生徒から視線を受けるのは少々むず痒い気持ちになった。

 

 

 少しの痒さを耐えながら、昭弘は昇降口に近づいていった。

 昇降口前にも、正門と同様スーツ姿の女性達が新入生を出迎えていた。束の言っていた「先生」という人達だろうか。

 

 そんなことを考えながら歩いていると、ふと後ろから声を掛けられる。

 

「おい、そこの」

 

 その声を聞いた途端、昭弘の頭の中から一瞬で思考の渦が消えた。

 頭の中がクリアになった直後、ある女性の姿が浮かんでくる。鉄華団と親交が深かった『タービンズ』という女性ばかりの船団。その船団の中で一際活気のある女性パイロットが居た。彼女は昭弘が三日月以外で唯一背中を預けることができ、そして昭弘が生まれて初めて「異性」として意識した女性だった。

 忘れもしない、あの日彼女は敵対派閥に殺されてしまった筈。否、だからこそ彼女もこの世界に来ているのではないか?自分だって死後、この世界に来たのだ。もしかしたら…もしかしたら…!

 

 一瞬の内にそんな淡い期待を織り交ぜながら、昭弘は遂に後ろを振り返りながら叫んだ。

 

「ラフタッ!!」

 

 そう叫んだ後、昭弘が()()()のとその少女が反応を示すのはほぼ同時だった。

 

「!?……ラ、ラフタ…とは、私のことを言っているのか?」

 

 昭弘のそんな淡い期待は虚しく空を切る。

 相手は別人だった。長い黒髪を頭頂部と後頭部の間で纏めており、身長は女子にしては高めだろうか。鋭く真っ直ぐな目をしていた。

 

 唯でさえ目立つ昭弘が突然叫べば、生徒も教師も「何事か」と昭弘へ視線を移す。しかし昭弘はそんな視線を気にすること無く、先ずは人違いをしてしまった相手に謝罪をする。

 

「…すまない、人違いだった様だ。いきなり叫んで悪かった」

 

「い、いやこちらこそ、急に呼び止めてしまって悪かったな」

 

 その後、昭弘は一応周りの人々にも謝罪の言葉を贈った。

 

 

「ところで、オレに用か?」

 

「もう1人の男がどんな奴なのか、ずっと気になっていてな(一夏(アイツ)のライバルになるやもしれんしな)」

 

 どうやら、彼女としては昭弘の人となりが知りたかっただけらしい。

 だが彼女の心なんて読める筈のない昭弘からすれば、その言い方じゃナンパに近い。まぁ一々気にする昭弘でもないのだが。

 

「成程な…ん?その口ぶりだと、もう1人の方とは知り合いか?」

 

 昭弘はつい気になってしまったことを女子生徒に尋ねる。

 

「なっ…!…フンッ!あんな奴のことなんて知らん!!」

 

 何故か顔を赤らめながら否定する女子生徒。だが反応からして、知り合いなのは確かだろう。

 

 

「自己紹介がまだだったな。もうニュースとかで聞いているかもしれんが『昭弘・アルトランド』だ。もし同じクラスなら宜しくな」

 

「宜しく頼むアルトランド。私は……『箒』だ」

 

 その名前を聞いて、昭弘は「もしや」と感じた。髪型や目つき、身体的な特徴も束が話していた妹と合致する。

 もし彼女がそうなのだとしたら、苗字を言いたくない理由も納得できる。当の束は、良くも悪くも指名手配犯なのだから。

 

「…気にするな箒。オレも大声で叫んじまったからな。これでお相子にしようぜ」

 

「そう言って貰えると助かる」

 

 言葉を小気味良く交換しながら、2人は入学式を行う「体育館」に向かっていた。

 昭弘は基本口数は少ないが、無感情な機械ではない。折角の学校で誰とも関わりたくないと言えば嘘になる。無口なりに交友関係はできれば深めていきたいのである。

 

 束のことは抜きにして、此処で箒と出会ったのも何かの縁だと思うことにした。

 

 

 

 入学式が恙無く幕を下ろした後の、1年1組。

 その教室は、喧騒とは違う異様な雰囲気に包まれていた。原因は、本来ならこの教室に居ない筈の男子生徒だろう。

 

 2人の男子生徒の1人『織斑一夏』は、ソワソワしながら最前列中央の席で両手を組んで座っており、顔色も青ざめていた。男子が自身ともう1人しか居ない現状では、肩身も狭くなろう。

 一夏は黒髪で、顔立ちも非常に整っていた。その外見もあってか、周りの女子生徒からは興味と羨望と欲望が入り混じる熱い視線をなすがまま受けていた。

 

 対するもう1人『昭弘・アルトランド』は、険しい顔で参考書を読んでいた。電話帳と同等の分厚さがあるその参考書には、赤青黄三色の付箋がいくつも貼られていた。こちらは重しの如く落ち着いており、座席は一番後ろの扉側。

 身長180cm後半くらいの巨躯で、全体的にガチムチしてそうな体つきをしていた。黒の短髪で太い眉毛、睨まれたら身が竦んでしまいそうな鋭い眼光。そして制服越しでも判る背中上部の“突起の様な膨らみ”。

 

 それだけ特徴を持っているにも拘わらず、一夏とは対照的に誰からの視線も受けていなかった。正確に言えばチラリと視線を一瞬向けられる程度だった。

 その巨体に険しい顔つき、何より「普通の世界」では有り得ない異質な雰囲気。

 そんな相手に、熱い視線を送ることなど当然憚れるものだろう。一夏に対する視線が「興味・関心」なら、昭弘に対する視線は「警戒・恐怖・若干の興味」といったところか。

 

 

 そんな中、1年1組の副担任教師である『山田真耶』が入室すると、先程まで教室中に流れていた会話がピタリと止んだ。

 

「皆さん初めまして!これから一年間此処1年1組の副担任を務めさせて頂きます、『山田真耶』と申します!宜しくお願いしますね!」

 

 沈黙…の中で一人だけ「よろしくお願いします」と返す者が居た。昭弘である。

 教室という空間に慣れていない彼は、良くも悪くも空気が読めないのだ。しかし「先生には敬意を払うように☆」と教わっているので、昭弘としてはそれに従ったまでだ。それ故に何故周囲の視線が自分に集まっているのか、昭弘には理解できなかった。

 

 どの道気不味い空気が場を支配しかけていたので、真耶は焦って進める。

 

「そ、それじゃあ先ずは自己紹介から行きましょうか」

 

 そこから順々に自己紹介が行われていき、直ぐ様昭弘の番となった。

 

「それでは続いて出席番号3番『昭弘・アルトランド』くん、どうぞ!」

 

 呼ばれたのでゆっくりと席を立つ昭弘。

 軽く見回してみると、先程出会った箒を見かけた。同じクラスであることを幸運に思いながら、昭弘は自己紹介に入る。

 

「昭弘・アルトランドだ、宜しく頼む。出身国は()()『日本』だ。先ずは皆に説明しておくことがある」

 

 

 

―――

 

―――さてと!アキくんにはIS操縦者としてではなく、正確には『MPS(モビルパワードスーツ)操縦者』としてIS学園に入学して貰うよ!

―――MPSってのはさっきお前が説明した、「少年兵達に秘密裏に出回っている」っていう…

―――そ!まぁ実際は連中のクッソ出来の悪い『擬似ISコア』じゃなくて、束さんお手製のちゃんとしたISコアを使ったヤツだから、実質ISなんだけどね☆

―――随分と回りくどいな

―――世間は今、ISのお陰で女尊男卑の風潮が強いってのは説明したよね?男性よりも女性の立場が強い社会。そんな状況で『男性のIS適合者』が見つかったら、どうなると思う?

―――……何となくだが、その男性IS適合者に「良からぬこと」が起きる感じか?

―――まぁね。例えば「権力を持った女尊男卑至上主義者の手先に暗殺される」とか「過激な男尊女卑復古主義のグループに誘拐されて洗脳される」とか。因みにもう1人の男性IS適合者である『織斑一夏』くんは、姉が物凄い力を持った人だから変な小細工要らない感じかな!!

―――…MPSはその「隠れ蓑」って事か?

―――ソ☆MPSは現在開発段階の擬似ISコアで、しかも操縦者の肉体に人体改造を施す劣化品ってことにすれば、少なくとも女尊男卑主義者たちは見向きもしないんじゃない?

―――だがそれで本当にIS学園に入学できるのか?入学できたとしてバレないか?

―――そこん所は束さんが()()()()()()をしとくからダイジョブ!んで入学の名目は「崇高なISから色々と学ばせて貰う」みたいな感じで―――

 

―――

 

 

 

(本当にそれだけが理由なのか?)

 

 そんなことを考えながら、昭弘は自身の説明に入る。

 

「皆ニュースを見てるかもしれないが、オレはMPS研究の為、この学園に入学している。だから基本的に、実技などもオレ専用のMPSを使わせて貰うことになる。性能面で皆に迷惑をかけないよう努力はする。これから一年間、宜しく頼む」

 

 昭弘の所属は『T.P.F.B.(To People Free Body)』という企業で、主に中東やアフリカで活動している。

 「自由な身体を人々に」という名の通り表向きは戦争で身体の一部が欠損してしまった孤児や少年兵を保護している団体に、安価で高性能の義足等を提供している。

 

 しかしその「本業」は、複数の傭兵団や反政府軍と秘密裏に交渉し、その少年兵にMPSと接続させる為の人体改造手術を行っている。手術に成功した少年兵はMPSごとその傭兵団に引き渡し、手術代も含めて多額の使用料を頂戴する。手術に失敗した少年兵は機密保持の為に殺処分されるが、年々手術の成功率は上昇している。

 ここまで来ると「武器商人」と言った方が正しい。

 

 傭兵団にとっても高額とは言えMPSという強大な戦力が手に入るので、T.P.F.B.のような組織を重宝しているのだ。MPSは現時点ではISよりも性能面では遥かに劣るものの、戦闘ヘリ以上の機動性・防御力・攻撃力を持っておりコストパフォーマンスも悪くない。

 何より皮肉なのは少年兵にとってもメリットがある点だ。手術に成功さえすれば、MPSという強力な装甲が手に入るのだから。組織内でも、貴重な戦力として上等に扱って貰えるようになる。それこそ扱いを誤れば、MPSによる謀反を起こされかねない。

 尚、阿頼耶識システムに使われている生体ナノマシンは、成長期の子供にしか定着しない。

 

 昭弘の場合は、家族と海外旅行中テログループに遭遇。両親と弟は殺され、昭弘もテログループに誘拐され少年兵に仕立て上げられる。

 戦場で左脚を負傷し、その場で見捨てられた所をT.P.F.B.に保護されたが、彼らが尽力しても左脚は動かず。その為、脊髄に生体ナノマシンを注入しそこから生えてきた突起物に特殊な電気信号を定期的に流すことで、左脚を見事蘇生。

 その後、突起物先端のピアスから『新たな物質』が発見され、その物質を研究する過程でMPSが創られた。

 T.P.F.B.は「このMPSをISの様に人の役に立たせたい」という理由で、昭弘をIS学園に入学させた。

 

 以上が、束とT.P.F.B.で考えたシナリオである。

 

 

 その後もスムーズに各人の自己紹介が続いていき、織斑一夏の番がやってきた。ボーッとしていたのか反応の悪い一夏に対し真耶が涙目になり、一夏は慌てて真耶に謝罪していた。

 

「えーっと…織斑一夏です。………以上です!」

 

 ズコーッ。

 

 昭弘も含め、クラス中の生徒が拍子抜けたように態勢を崩す。少し前のバラエティ番組のような一体感だ。

 直後ーーー

 

「イッテ!」

 

「自己紹介もまともにできんのか馬鹿者」

 

 一夏の頭上に出席簿が振り下ろされる。1年1組の担任である『織斑千冬』が、遅れて入室してきたのだ。どうやら、職員会議とやらが長引いてしまったようだ。

 

「ゲッ!千冬姉!イッ!!」

 

「『織斑先生』だ馬鹿者。山田先生、いきなりクラスのことを任せてしまい、申し訳ない」

 

「いえいえ!お気になさらないで下さい」

 

 真耶に一礼すると千冬は教壇に立ち、再びクラス全員に向き直る。気のせいか、その姿は岩山に立つ獅子と重なった。

 

「私がこれから一年間、諸君の担任を務める『織斑千冬』だ。私の役目は未だ15歳のお前達を16歳に鍛え上げることだ。私の言うことには逆らってもよいが逆らうならそれ相応の覚悟をしておくように」

 

 瞬間、今迄惚け面で千冬を眺めていたクラスメイト達が一斉に黄色い歓声を上げた。流石の昭弘でも、思わず両耳に人差指で栓をする程の声の波だった。にも拘らず「キャーーー❤️」とか「もっと罵ってーー❤️」といった少女達の狂喜に満ちた言葉が、昭弘の指を貫通して耳の奥に響く。

 だがその反応も真耶の予想通り。そう彼女こそ、この惑星において最強のIS使い織斑千冬。通称『ブリュンヒルデ』だ。

 

 当の千冬はそんな生徒達に呆れ果てた反応を示すと、神妙な面持ちとなって昭弘の方に顔を向ける。

 

「すまないなアルトランド。本来なら私が君のことを説明すべきなのにな」

 

「あ、いや…気にしねぇで下さい」

 

 ぎこちない敬語でそう返す昭弘。

 一応、千冬だけは束と昭弘の交友関係を知っている。と言っても、束から「アキくんは束さんとは旧知の間柄だからサポートよろ~☆」程度のことしか知らされていない。無論、束とT.P.F.B.の関係も知る所ではない。

 

 

 その後も自己紹介は続き、箒の番まで回ってくる。

 その表情は、昭弘から見ても決して明るいと言えるものではなかった。まるでこれから秘密が暴かれるのを待っている様な自供する様な、そんな表情だった。

 

「皆さん、初めまして。……篠ノ之箒です」

 

 すると、教室中で少なくないざわつきが起きた。

 

「もう皆さんも察しが付いてるかと思いますが、私は篠ノ之束の妹です。……以上です」

 

 それ以上言葉が見つからなかったのかもう何も言いたくなかったのか、箒はそれだけ伝えると自身の席に力なく腰を下ろしていた。

 

 

 

 SHRも終わり、短い休み時間がやってきた。

 各々がグループを作り、早速会話のキャッチボールを繰り返している。

 

 箒も一夏に話しかけようとするが、当然彼の周囲には人だかりができていた。

 自身の想い人を囲ってキャイキャイと質問を投げかける女子達を忌々しく思いながら、箒は教室を後にする。

 

 しかし、箒は内心一夏と話さないで少しホッとしていた。先程の自己紹介の件で、今自分がどんな顔をしているのかは容易に想像できる。今の醜く歪んだ顔を、一夏に見せたくない。折角数年ぶりに逢ったのだ。一夏の前では凛々しい顔でいたい。

 そんな儚い乙女心が、今の箒を引き留めていた。

 

 

 人通りの少ない廊下でそんな物思いに耽っていると、教室の方から巨大な影が近づいて来た。

 

「…まともに自己紹介もできない私を笑いに来たのかアルトランド」

 

「そこは織斑も一緒だろう」

 

 昭弘に仏頂面のままそう返されて、大きく視線を逸らしながら箒は続けた。

 

「私に近づかない方がいい。お前まで好奇の目に晒されるぞ?」

 

「生憎もう晒されてるんでな」

 

 その後、少しの間を置いて昭弘は言葉を連ねた。だがその声は更に低く重く、ここからが肝であるという昭弘の思惑が伺い知れた。

 

「…なぁ、箒」

 

「…何だ?」

 

「……篠ノ之博士が憎いか?」

 

 長い廊下を支配したその重苦しい言葉に押さえ付けられる様に、箒もまた低く強く言葉を返す。

 

「ッ!……ああ…!憎いに決まっている!あの人がISなんて創らなければ、私たち家族は離れ離れになることは無かった!一夏とも離れることなんて無かった!私があの人の妹というだけでこんな特別視されることも無かった!私は「私」なのに!!そして…こんな風にすぐ姉のせいにする自分も嫌いだ…」

 

 想いを爆発させる箒。

 

 昭弘は押し潰されそうになる自身の心を必死に保ちながら、箒の話を黙って聞いていた。

 昭弘は知っている。束がどれだけ(いもうと)を愛しているかを。ほぼ毎日箒の話をし、その際昭弘が眠たそうな素振りを見せれば胸倉を掴み「ちゃんと聞いてんのか」と凄んで来るくらいだ。そのぐらい束は妹のことが大好きなのだ。

 昭弘は箒にそのことを話したい。しかし指名手配犯である束と自分の関係がバレれば、無用な混乱が起きるだけだ。

 

 感情と理性に挟まれた昭弘は、やがて意を決したかのように堅い口を開く。

 

「箒、お前が篠ノ之博士のことをどう思うかは自由だ。だがな、これだけは言わせてくれ」

 

 そう言うと、昭弘は箒の顔を真っ直ぐに見据える。

 

妹のことを大切に思わない姉なんて存在しない。…オレはそう思う」

 

「!……知ったような口をッ!」

 

「ああ、知ったような口かもな。けど逆に、篠ノ之博士は箒のことが嫌いだと、どうでもいいと、実際にそう言ったのか?」

 

 昭弘にそう言われて、箒は口を噤んでしまう。確かに言われた事は無いし、態度でそう示された事も無い。

 だが直ぐに言葉を探して言い返そうと思った。あの人に限ってそんな事は無い筈だと。

 

「人の想いなんて解からないものさ。言葉にしてないなら尚のことだ」

 

 昭弘もこの世界(ここ)に来るまで解らなかった。オルガがどんな想いで自分を鉄華団に引き入れてくれたのか。オルガが自分たちの為に、どれだけ思い悩んでいたか。

 昌弘にしたってそうだ。最後の最後庇われるその瞬間まで、昭弘には弟の心が解らなかった。

 

 箒も気付いていた。「お前は本当に姉の事を解っているのか」と、昭弘に諭されている事を。

 そして何も解っていないからこそ、何も言い返せなかった。

 

「それにな、オレはこうも考えているんだ。人が人を大切に思うのは「違う」からじゃないかって」

 

 自分とは決定的に違うモノを持っているからこそ、放っておけなくなる、もっと知りたくなる。他者に対する原初のそれが、やがて情へと進化していく。

 

「さっきお前も言ったよな、「私は私だ」と。その通りだとオレも思う。そして篠ノ之博士も、きっとそう在ることを望んでいるんじゃないのか?」

 

 人と人との「違い」によって、争いは起こる。それがどんどん広がっていき紛争、戦争になる。しかしその違いが無ければ、人が人に関心を示さなくなるのもまた事実だ。

 

(………「違う」から…か)

 

 押し黙る箒。しかし、先程のような陰鬱な表情は抜け落ちていた。

 姉への憎しみが消えた訳ではない。だが姉の本心を何も知らないままでは、何も始まらない。そう、「違う」箒を、束がどう思っているのか知るまでは。

 

 箒自身「もしかしたら」と思ったのだろう。姉が自分の事を本当に愛しているのだとしたら、と。

 

「まぁ、言いたいことはそんだけだ。…そろそろ5分前だ、戻るぞ」

 

「“昭弘”!」

 

 その名を呼ばれて、驚きながら振り向いてしまう昭弘。ラフタじゃないと頭では解かっていても、その声で名を呼ばれると心は機敏に反応してしまう。

 

「その……ありがとう」

 

 箒から感謝の言葉を送られ、昭弘もその仏頂面に微笑を浮かべる。

 二人は並びながら、1年1組に戻っていく。

 

 

 

 教室の前まで来て、箒は一夏以外の男子を下の名前で呼んでしまったことに漸く気づき、密かに顔を赤らめた。




 という感じの話でした。実際女子高に昭弘みたいな巨体の強面が来たら、最初はこんな感じの反応に・・・なるんじゃないかなぁと思いました。
 次回はあのイギリスのお嬢様がちょっかいをかけてきます。昭弘とはどういう関係になるのかは、皆さんのご想像にお任せします。
 あと、ちゃんと一夏と昭弘も次回から絡ませていきますのでご安心ください。


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第4話 英国貴族の逆襲(前編)

 不味い・・・投稿ペースがどんどん落ちている・・・。というか今回めちゃくちゃ難産でした。
 文字はやたら多いのに話が全然進んでないように見えるのは、私だけでしょうか。


―――

 

阿頼耶識。

 

長も含めて、皆ソレを身体に付けていた、皆ソレに助けられていた。

 

故に「誇り」とまでは行かずとも身体の一部。大事な大事な身体の一部。

 

故に隠すべからず。家族の為に己が為に、恐れず堂々と視線に晒せ。

 

―――

 

 

 

 

 

 予鈴が鳴り響く中昭弘が教室の引き戸に腕を伸ばすと、中から一人の女子生徒の声が。それ程大声でもないが、声質には多少の憤りが乗っている様に感じられた。

 

 昭弘と箒は戸を引いて教室内を伺う。そこには、一夏に詰め寄っている女子生徒の姿があった。

 昭弘から見たその少女の外見は、金髪で先端がドリルの様になっており、身長は高くも低くもないといった感じだ。服装は他の生徒のそれとは少々異なり、少し長めのスカートを穿いていた。青い瞳がよく目立ち、前頭部には青い飾り物を付けていた。顔は恐らく美人?に入るのだろう。

 

「まぁ!このイギリスの代表候補生である『セシリア・オルコット』を知らないと仰るのですか!?」

 

 先程から明らかに困惑の表情を見せている一夏。

 昭弘はその巨躯をゆっくりと一夏とその少女『セシリア』の方へと向かわせる。

 その昭弘の動向を、周囲の生徒は不安気な表情で凝視している。

 

 昭弘としては、一夏とは仲良くやっていきたいと思っていた。折角の高校生活だ、男友達が一人も居ないなんて寂しすぎる。

 

「オイ、何があったか知らんが予鈴も鳴ったろ?その辺にしとけ」

 

 一夏を庇う様に2人の間に割って入る昭弘に対して、セシリアは一夏に対してのソレとは比べ物にならない険しい表情で昭弘を睨みつける。最早敵意に近い表情だった。

 

 数秒経つと、セシリアがゆっくりと口を開く。

 

「アラアラ、誰かと思えば()()()()()でしたか」

 

 昭弘に対する第一声がソレだった。

 それは箒の耳にも確かに届いた。箒は、先程からセシリアに対して多少なりとも憤りを感じていた。一夏に馴れ馴れしく近づいているかと思えば、やたら高圧的な態度で一夏を見下ろしている。

 それだけならまだ辛うじて我慢できた。しかし、昭弘に対しては上から目線どころか鼠扱いだ。先程から自身を何かと気にかけてくれている昭弘を、そんな言葉で貶したことが箒は許せなかった。

 

 憤怒の表情でセシリアに迫ろうとする箒を、昭弘は左腕を翳して制した。

 

「そいつはどういう意味か聞いてもいいか?」

 

 その疑問に、嘲笑しながらセシリアは返答する。

 

「そのまんまの意味ですことよ。貴方、ニュース等ではT.P.F.B.に保護されたなんて発表されてますけれど、どこまで本当なんだか…」

 

 そう返されて昭弘は表情を曇らせる。そう、確かにそれは束とT.P.F.B.で考えたシナリオにすぎない。

 

「…証拠はあんのか?」

 

「そうだ!貴様の妄想で昭弘を貶めるな!」

 

「ええ証拠はございませんわ。しかしT.P.F.B.の黒い噂は、私も聞いたことがあります。噂の中には年端もいかない少年を使って、非道な人体実験をしてるとか。大方、貴方もその一人では?」

 

 セシリアの言っていることは証拠も何も無い、ただの噂だ。しかし、事実だ。

 

 だが、これ以上口を出すつもりも無い。

 昭弘は別に、自分がモルモットと言われたことは特に気にしていない。彼が気になったことは、セシリアがT.P.F.B.の「悪事」に関する証拠を持っていることだった。が、特にその様子もないので、後は自身への罵声罵倒を授業の本鈴まで聞いているつもりだった。

 

 …そう、それだけなら良かったのだ。それだけなら昭弘も特に思うことは無かった。この後、セシリアが去り際に発する「ある一言」さえ無ければ。

 

「全く、もしそれが事実だとするならばT.P.F.B.には憤りを通り越して、最早哀れみさえ感じますわ。背中にそんな薄汚いモノを施術してまで、ISに勝ちたいのかしら?」

 

 その一言で、遂に激情が我慢を突き破った箒はセシリアに掴みかかろうとする。一夏も憤慨しながら立ち上がり、セシリアに迫る。

 

 が、二人の行為は未遂で終わることとなる。その原因は、昭弘が纏っているその雰囲気にあった。

 普段から鋭いその目つきは更に研ぎ澄まされており、眉間の皺はこれ以上ない程深く刻まれていた。口は閉じたままだが歯を食い縛っているからか、頬筋は歪な形に浮き上がっていた。両掌には堅い拳が握られており、指と指の間からは爪が掌に食い込んでいるからか血が滲み出ていた。

 そう、それは静かながらも、誰の目にも明白な程昭弘はキレていた。

 

 昭弘の禍々しい威圧感に、セシリア以外凍てついた様に動きを止めていた。中には小刻みに震えだす者や、涙を浮かべる者まで。

 こんな巨漢が暴れだしたらどうなってしまうのか。想像するだけでも身の毛がよだつ様な光景が、クラスメイト達の脳裏を過る。

 

 

 

キーン、コーン、カーン、コーーーーン

 

 

 

 本鈴に導かれる様に、クラスメイトはハッと意識を現実に引き戻す。直後、千冬と真耶が威圧感を切り裂く様に入室してくる。

 

 箒が昭弘の席をチラリと見ると、そこには先程の剣幕が嘘の様な仏頂面の昭弘が座していた。

 セシリアも特に動じた様子は無く、高慢ちきな表情を崩さずに自席へ座していた。窓際の最前列という、昭弘とは丁度対角に位置する席であった。

 

「さて、では早速だが1時限目の授業を始める…と言いたい所だが、実は未だ決めていないことがあった」

 

 今思い出したように、一旦授業を中断する千冬。

 

「『クラス代表』についてだ」

 

 クラス代表とは、一般的な学校で言う学級委員みたいなものだ。最大の違いと言えば、学級代表としてISによる『クラス対抗戦』に参加するくらいだろうか。

 更に言うとこのクラス代表、一年間そのクラス全体の指標となるのだそうな。つまりは、クラス代表の実力次第でそのクラスへの評価が変わるという訳だ。だがIS学園にはクラスごとに優劣をつける風習は別段無いので、そのクラスに合った指導方針が為されると思って貰えれば良いだろう。

 

「とまぁ、以上が大まかな内容だ。自推・他推は問わん。まぁ私としては自推して欲しいが、他推された者も拒否権は無い」

 

 千冬の説明を聞き、暫くクラス中に沈黙が流れるが、一人の第一声を皮切りに次々と挙手の波が起きた。

 

「はい!織斑くんが適任だと思います!!」

 

「私も!」

 

「…ってオレかよ!?」

 

 こうなるのも無理はない。一夏は全世界から注目されているただ一人の男性IS操縦者(イレギュラー)。しかも俗に言うイケメンでもある。

 今のところ代表候補生であるセシリア以外クラスメイト一人一人の実力が分からないのだから、他推となれば自身の興味がある人物に指を向けるのが人の心理だ。

 

 先の一件ですっかり怯えられている昭弘は、誰からも推薦されなかった。

 セシリアもまたクラスメイトからの印象が宜しくないのか、同様に推薦されることは無かった。あれだけストレートに差別発言をしたのだから、こちらも当然と言えば当然だが。

 

「お待ち下さいまし!納得が行きませんわ!!」

 

 何か言われるんだろうなと想定していた千冬は、セシリアの抗議の声に耳を傾ける。

 

「実力から言って、イギリス代表候補生であるこのセシリア・オルコットがクラス代表を務めるのは明白。それを偶然ISを起動させたに過ぎない男風情だの実験動物だのに、任せる訳には参りませんわ」

 

 何故この娘は余計な一言を滑らせるのだろうと、クラス全員が思った。皆自分が悪いかの様に恐る恐る昭弘を見るが、特に先程のような剣幕は無い。

 箒はただ腕を力強く組んでいた。セシリアに掴みかかりそうになるのを必死に抑える様に。

 

「…オイ、取り敢えず実験動物っての止めろよ」

 

 昭弘を事ある毎に侮辱するセシリアに、目一杯の憤りを低く強く言葉に乗せる一夏。

 

 これ以上は不毛だと判断した千冬は、ため息交じりに声を割り込ませる。

 

「…ふむ、織斑が他推でオルコットが自推か。ならシンプル且つ公正な手段として、ISによる模擬試合(バトル)でクラス代表を決めるとしようじゃないか。2人ともそれで異存は無いだろう?」

 

 本当にシンプルな方法であった。

 だが、抑々がクラスの指標を決めるのが本来の趣旨なので、千冬としても苦肉の策なのだろう。

 

「上等だぜ。クラス代表とかはよくわかんねぇけど、クラスメイトのことまで馬鹿にされて引き下がれるかっての!」

 

「私もそれで構いませんわ。クラスの皆様に、私の実力を示す良い機会ですわ」

 

 二人が了承したところで、千冬が「他に自推者居ないかなぁ」と縋る様な眼差しを教室中に数秒送った後、懇願虚しく誰も挙手しなかったので泣く泣く締め切りに入ろうとする。

 

 

 

ダンッ!

 

 

 

 突如、教室の右後方から大きな打撃音が聞こえた。

 クラスメイトが振り向くと、昭弘が両手を机に当てながら立ち上がっていた。掌からの出血はもう止まっているようだったが、その顔には真剣な眼差しがあった。

 

「織斑センセイ、今更ながらオレも自推していいすか?」

 

 少し遅れた申し出に、クラス中が困惑の表情を見せる。

 

「…一応、理由を聞いてもいいか?」

 

 そう聞かれて昭弘は自身の阿頼耶識を右手でなぞり、どうしたものかと頭を捻る。

 

 昭弘が自推した目的はクラス代表になることではない。その模擬試合においてセシリアを叩きのめし、先程のことを謝罪させることこそ真の目的である。

 昭弘はあのプライドの塊のような女がそう簡単に頭を下げるとは思っていないので、どうすべきかずっと考えていたのだ。その矢先に、このクラス代表決定戦という提案が舞い降りてきた。

 しかし、昭弘はクラス代表になる為この戦いに参加する訳ではない。ただセシリアを謝罪させる為に、この模擬試合を利用しようとしているのだ。だからこそ、昭弘は理由を聞かれてたじろいでしまう。

 

 がしかし、直ぐに頭の靄を振り払い馬鹿正直に理由を述べた。

 

「そこの高慢ちきなお嬢様をブッ飛ばしたいって理由じゃ、ダメですかね?」

 

 セシリアを指差した状態で、不敵な笑みを浮かべながら千冬を真っ直ぐに見据える昭弘。

 千冬も昭弘を射抜く様な鋭い視線で返したが、やがて彼女も種類の同じ不敵な笑みを零し昭弘に返答する。

 

「いいだろう。その自推を認めてやろう」

 

 無論当のセシリアは昭弘と同様、机を両手で叩きながら千冬に物申す。

 

「織斑先生!彼の自推を取り消して下さいまし!この男はただ、己の憂さ晴らしの為にクラス代表決定戦を利用しようとしているに過ぎませんわ!クラス代表となる意志すら無い者に、自推する資格などありはしませんわ」

 

 が、セシリアの物申しを嘲るかのように箒が勢いよく手を挙げる。

 

「先生!私は昭弘を推薦します」

 

「なっ!?貴女どういうつもりですの!?」

 

 予期せぬ方角からの奇襲に、セシリアは金のドリルヘアーを大きくはためかせて振り向く。

 

「どうも何も、私は昭弘がクラス代表に相応しいと考えたまでだが?他推なら文句もあるまい?」

 

「ッ!」

 

 セシリアは反論できなかった。一夏もまたクラスメイトからの他推により、クラス代表になろうとしている。そして先程千冬は、他推された者も拒否権は無いと言っていた。

 箒はそのことを逆手に取り、敢えて昭弘を他推したのだ。昭弘には先の借りもある。それにこのまま昭弘がセシリアに言われっぱなしと言うのも癇に障る。

 

 嬉しい援護射撃を受け、昭弘は微笑を浮かべながら箒に軽く会釈をした。

 

「…フンッ!まぁいいでしょう。どの道この私が勝利を手にすることは最早自明の理。その無謀な挑戦、受けて差し上げますわ!!」

 

 こうして1年1組のクラス代表決定戦が、1週間後に行われることとなった。

 

 

 

―――一時限目終了後 廊下にて―――

 

「…その、織斑先生宜しかったのですか?確かにオルコットさんの言動には問題があったかもしれませんが、もしアルトランドくんが勝ち抜いたりしたらクラス代表は彼ですよ?」

 

 真耶も、セシリアの昭弘に対する言動に憤りを覚えなかった訳では無い。しかし、私怨の為だけになりたくもないクラス代表に就任するというのは、誰の為にもならない。

 実際今現在1年1組の雰囲気は、決して良好とは言えない。セシリアと昭弘。存在感があって我の強い2人が険悪な状況では、他の生徒にとっても居心地は決して良くないだろう。

 

 対して千冬は、先程教室で見せた笑みをそのまま顔に再現する。

 

「山田先生、私は何も「勝った」者をクラス代表にするとは言ってないぞ?」

 

「では何の為に…?」

 

 真耶が当然の疑問を口にする。千冬は少し考える素振りを見せると、今度は悟りを開いた様な笑みを浮かべて言葉を放つ。

 

「…お互いの認識を改めさせるには、真っ向からぶつかり合うのが一番…とだけ言っておく」

 

 未だ納得しきれていない表情だった真耶を、千冬はそう締め括って宥めた。

 

 

 

―――同時刻 1年1組―――

 

 昭弘が自席にて参考書を読んでいると、何やら清々しい表情の一夏が声をかけてきた。

 どうやら伝えるべき事があるのか、改めて感じる昭弘の存在感に多少たじろぎながらも一夏は言葉を口に出す。

 

「アレだ…さっきは庇ってくれてありがとな!マジ助かった」

 

「気にすんな、オレもお前に話しかける切っ掛けが欲しかったんだ」

 

 昭弘の一夏に対する第一印象は、「掴みどころが無い」といった感じだった。昭弘が今迄出会ってきたどの少年兵とも違う。織斑千冬(世界最強)の弟と聞いていたので、もっと筋肉質で厳かな存在感を放っているのだろうかと思っていたが、そういう訳でもない。

 

「そういや箒と織斑は付き合いが長いのか?」

 

「おうよ!幼馴染だと自負するくらいには付き合いが長いぜ」

 

 その割には、箒の前で一夏の話題を出すと妙につんけんどんな態度になる。だがさっきのSHR後は、箒から話し掛けようとしていた。

 どうも2人の関係性が解らない昭弘。

 

「取り敢えず箒の席まで行ったらどうだ。積もる話もあるんだろう?」

 

「ってそうだ!オレまだ箒と何も話してねぇや!悪い!また後でな昭弘!」

 

 そう言って、一夏は箒の席に向かっていった。

 会話の内容が少々気になる昭弘は、そのまま自分の席から2人を眺めることにした。

 

 

 

―――昼休み―――

 

 昭弘は、束の指導のお陰で問題なく授業内容についていくことができていた。

 箒も特に問題は無さそうだが、一夏は現時点でもかなり厳しいようだ。

 

「全く何度も言うが、お前は本当に馬鹿だな。いくら参考書が分厚いとは言え普通電話帳と間違えて捨てるか?」

 

「うるさいなぁ、もういいじゃねぇかその話は」

 

「解らないことがあったら、オレや箒だけじゃなくクラスメイトやセンセイにも教えを乞えよ?オレ達だってエリートって訳じゃねぇんだ」

 

 昭弘は今、箒と一夏と共に「学食」で昼食を摂っていた。

 因みに一夏と箒が「生姜焼き定食」なるものを券売機で選んでいたので、どんな料理なのか気になった昭弘も同じものを選んだ。

 今回は、一夏の周囲に不思議と箒以外の女子生徒が見当たらなかった。彼の真正面に「元少年兵の強面大男」が居るからだろう。一夏としてはゆっくりと食事ができてラッキーだと、心の中で昭弘に感謝した。

 

 すると昭弘の助言に対し、一夏が奇妙な返答をする。

 

「やっぱその方がいいかなぁ。まぁ山田先生なら兎も角、千冬姉には頼りたくねぇんだよなぁ」

 

 何故か一夏は、千冬の助力を頑なに拒むのだ。先のやり取りからも、姉弟間に確執がある様には見えなかったが。

 等と昭弘が考えていると、一夏は不自然に話題を逸らす。

 

「にしても意外だよなぁ。箒とアルトランドが知り合い同士だったなんてさぁ」

 

「昭弘とは今日が初対面だぞ?まぁその…色々あって仲良くなったのだ」

 

「そうだったのか!?下の名前で呼び合ってるし、凄い仲良く見えたからてっきり…」

 

 一夏のその一言で、先の言葉を予測してしまった箒は露骨に機嫌を損ねる。

 

「全く人の気も知らないで…」

 

 そして先程と同じく顔を赤らめながら、箒は聞こえるか聞こえないか程度の声量で呟いた。

 

「何か言ったか箒?」

 

「な、何でもないこの馬鹿!」

 

 そう言うと、箒は平手で一夏の頭を引っ叩いた。

 何が何だか分からないまま、一夏は波打つ瞳に激しい抗議と疑問を込めて箒に放った。

 

 段々昭弘も、2人の関係性が見えてきた。

 前世、三日月に対して想いを寄せている2人の女性が居たのだが、箒の一夏に対する表情はあの2人が三日月に向けるそれとよく似ていた。

 違う点と言えば、一夏が箒の好意に気付いていない所か。

 

 

「話は変わるけどさぁ、勝てるかなオレ。オルコットに」

 

「まぁ普通に考えて無理だろうな」

 

「…なぁ箒、そこはせめて「現時点では難しい」程度に丸めて欲しかったんだけど?」

 

 冷酷に敗北宣告を言い放つ箒に、一夏は軽く物申す。

 

 当然、昭弘も箒もしっかり一夏をサポートするつもりだ。

 一夏が勝つことはできないかもしれないが、何もそれで“死ぬ”訳じゃない。一週間もあれば一泡吹かせられるくらいにはなるだろう。というのが昭弘の考えだ。

 

 その分昭弘の時間は減るが、昭弘にとっては問題ない。

 昭弘は、一週間やそこらで自身が劇的に進化するとは思っていない。束の下で2ヶ月間みっちりとMPSの機動訓練を受けてきたので、今更1週間猶予を貰ったところで何も変わらない。

 

 それでも昭弘は、対策はしっかり立てようと考えていた。昭弘にとって、今回の模擬試合は絶対にセシリアには負けられないのだ。鉄華団(かぞく)の名誉のために。

 

 とここで、忘れない内に箒へ「先の礼」を伝えておく昭弘。

 

「さっきはありがとうな箒。あの他推がなきゃ、却下されて終わってただろうぜ」

 

「それこそ気にするな。()()()だ」

 

 そう返されてSHR後のことを思い出した昭弘は、仏頂面を柔らかいものに変える。

 

「…なぁ、いい加減箒とアルトランドの間に何があったのか教えてくれないか?」

 

「フンッ!お前にだけは「あの事」は死んでも教えん!!」

 

「なんでぇ!?」

 

 久しぶりに逢った想い人には、暗い顔を見せて余計な心配させたくないのだろうか。乙女心とは何とも解らないと、昭弘は2人を微笑ましく眺める。

 

 だがほのぼのしてばかりじゃ居られない昭弘は、ふと頭の中を別の思考に切り替える。セシリアのことだ。

 当然だが昭弘は、今日という日を迎えるまでセシリアとは一切面識が無かった。何も、セシリアから恨まれる様なことをした覚えも無い。だから、昭弘はあそこまでセシリアに目の敵にされる覚えは無いのだ。

 それとも、単に差別意識が強いだけなのか。

 

 

 

 一方、セシリアも食堂にて一人で昼食を摂っていた。昭弘たちとは、中々に距離がある席だった。

 だが予想以上に騒がしい為、何処か別の場所で食べれば良かったとセシリアは小さな後悔を抱いていた。

 

 セシリアは今回の対戦者のことを思い浮かべる事で、周囲の喧騒を遮断しようとする。

 

(織斑一夏…唯一の男性IS操縦者だと聞き及び、それなりに期待していたのですが、品性の欠片も無いといいますか…まぁ確かに、結構ハンサムかもしれませんが)

 

 多少見下しながらも、セシリアはどこか楽し気に一夏の事を思い浮かべる。

 

 が、次の思考に移った途端セシリアの表情は泥の様に歪んだ。

 昭弘・アルトランド。やはり思い出しただけで、セシリアは腸が煮えくり返りそうになった。

 

(アナタ方『少年兵』は、“あの時”私から両親を奪っただけでは飽き足らず、今度はMPSなどと言う紛い物で崇高なISを汚そうなどと…!)

 

 セシリアは、心の底から「少年兵」という存在を憎んでいた。

 彼女の両親は、彼女が未だ幼い頃列車事故によってこの世を去っているのだ。その事故を引き起こしたのは少年兵を中心とした武装テログループだった。

 

 しかしセシリア自身も、頭では解かっているのだ。彼等少年兵は、何も自分たちの意思でセシリアの両親を殺した訳では無いということを。彼等に選択の自由など無い。大人の命令に背けば、その場で銃殺されるのだから。

 無論、昭弘自身に何の罪も無いことだって重々承知している。元少年兵だからと彼を侮蔑するのは、逆恨みも甚だしい。

 それでも、心までは完全に制御すことはできない。少年兵という存在を許そうが許すまいが、彼女の両親はもう戻ってこないのだから。どんな理由があろうと、実行犯であるという事実に変わりはない。

 

 昭弘とMPSにしてもそうだ。

 両親亡き後、セシリアは自身の家を「親戚共」から守る為に死に物狂いで勉強した。休む間もなく。友人を作る間もなく。悲しむ間もなく。

 IS操縦者としても脇目も振らず努力した。国家代表候補生という強力な肩書を得る為に。そして、最終的には『国家代表』という絶大な地位を手に入れる為に。全ては、家族との思い出が詰まった家の為だった。

 そうしてとうとう、彼女は頂きに手が触れられる距離にまで近づいた。その証が国家代表候補生の肩書だ。セシリアは歓喜した。自身の努力は無駄では無かったと。そして自身を此処まで連れてきてくれたISという存在に、最大限の感謝の意を示した。気が付けばISは、セシリアにとって無くてはならない心の支えとなっていた。

 それをたかが拾われた、しかも少年兵が操る「MPS」などと同じモノにされては堪ったものでは無い。

 

 

 どんなに頭では理解していようと、そんなことで「人の憎悪」は消えはしないのだ。

 

(昭弘・アルトランド。1週間後の模擬戦ではもう此処IS学園に居たくないと泣きべそをかくまで、徹底的に痛めつけて差し上げますわ)

 

 英国貴族セシリア・オルコットは、改めて自身の心にそう誓いを立てた。ドス黒い炎を、そのコバルトブルーの瞳に宿しながら。




 という話でした。セシリアは、原作とは大分違う性格にしてあります(多分)。
 あと、ごめんなさい。もしかしたら次中編後編で分けることになるかもしれません。


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第4話 英国貴族の逆襲(中編)

大変申し訳ございません。
私のヘマかバグのせいで、4話後編のデータが丸々消えてしまいました。恐らく、今現在執筆中のモノが、そのまま上書き保存されたのかと。
今後なるべく早く直して行きますので、初めて閲覧された方には本当にご迷惑をお掛けいたします。
前編・中編・後編に分けます。

追記:4話すべての編集と再投稿が完了いたしました!
   皆さん大変お待たせしてしまい、申し訳ございませんでした。


―――――4月8日(金) 5時限目―――――

 

 その時間は、ISの『最適化処理(フィッティング)」に関する授業だった。

 ISには最適化という機能が存在し、操縦者に合わせて文字通り機体を最適化させるのである。

 先ず操縦者がISを機動させている間、ISコアが操縦者の性格、体力、身体能力、体格、体重、血液型、五感、バランス能力等々読み取る。それらを情報としてIS側にフィードバックさせることで、IS側と操縦者側との間で生じている空中機動のズレを修復するのだ。

 この最適化処理を先に済ませておかないと操縦者の思う通りにISを機動させることが出来ず、その為の安全処置として出力も大幅に抑えられてしまうのだ。

 最適化処理後は機体の形状が変化するのだが、これを『形態移行(フォームシフト)』と呼ぶ。

 

 というのが、この授業の要約である。

 

 

 

―――放課後

 

 昭弘は映像資料室にて、セシリアの公式戦での試合映像に噛り付いていた。先程真耶に部屋の案内をされ、その後真耶に情報資料室での閲覧許可を貰ったのだ。

 機体名は『ブルー・ティアーズ』。中距離・遠距離特化型のISで、まるで大海原からそのまま切り取ったかの様な美しい群青色の装甲を両腕両脚に纏っていた。最大の特徴は4機の浮遊移動砲身「ビット」であり、操縦者からの脳波コントロールによって敵機を追い回し、四方から狙い撃つという恐ろしい兵器だ。

 

(…ビットの威力の低さと、ビットを操っている時はISを動かせないのが弱点か)

 

 心の中でそう纏めると、昭弘は映像資料室を後にする。

 

 そうして昇降口に向かって廊下を歩いている時だった。

 

「あっ!アキヒーだ~~。お~~~い」

 

「ちょ、ちょっとよしなって本音!」

 

 後ろから声が聞こえてくる。「アキヒー」…もしや自分のことだろうかと思いながら、昭弘は不愛想に後ろを振り向く。

 そこには比較的小柄な少女が立っていた。

 

(確か同じクラスの『布仏本音』…だったか?)

 

 僅かに茶色がかった桃色の髪は、両側頭部で小さく結ばれていた。全体的な髪の長さはミディアム程度だろうか。

 まだ話してすらいないが、どことなく小動物と似た雰囲気を纏っている様な気がした。

 

「ふ~やっと話しかけることができたよ~。アキヒーで最後ぉ~~」

 

 どうやらアキヒーとは、昭弘の渾名の様だ。

 

「最後ってのは、どういうことだ?」

 

「話しかけた相手~。今日一日でクラス全員とお話することが私の目標~。アキヒー教室に居なかったりお勉強してること多いから、最後になっちゃった~~」

 

 そんな事の為に自身に話しかけてきたのかと昭弘は思ったが、態々話しかけて来てくれたという嬉しさの方が遥かに大きかった。

 昭弘自身も、クラス中から怖がられているという自覚はあるのだ。よって、ぎこちなく笑いながらお礼の言葉を贈る。

 

「態々ありがとうな。…にしても凄いなお前。全員ってことはあのオルコットにも話しかけたって事だろ?」

 

「そだよ~。「媚び売りのつもりなら、私に構わないで貰えます?」って言われちゃったけど、めげずにもっともっとアタックしてみるよ~~」

 

 昭弘はそれを聞いて「奴ならそう言いそうだな」と思いながら、本音の更に後方へと視線を送る。そこには、明らかに自身に対して恐怖心を抱いている2人の女子生徒が震えながら立っていた。

 

「あれ~?2人共こっちおいでよ~~」

 

 本音にそう促され、2人は猛獣と相見えるリアクション芸人宜しく恐る恐る昭弘に近づく。すると、無理に引き攣った笑顔を浮かべながら名乗り出る。

 

「よ、よよ宜しくお願い致しまする。『相川清子』でご、ございまする」

 

「た、たた『谷本癒子』でご、ございますっ!よ、よ…宜しくお願いしまする」

 

 朝の自己紹介とは偉い違いだ。上がり調子が過ぎる2人に、昭弘は苦笑いを浮かべながら名乗り返す。

 

「昭弘・アルトランドだ。さっきは教室でおっかない思いをさせちまって悪かった。気軽に話しかけてくれると嬉しい」

「さて、オレはそろそろ部屋に戻らないとだな。色々と()()ことがあるんだ。布仏もオルコットへのアタック、頑張れよ」

 

「ありがと~アキヒー。じゃあね~~」

 

 本音はそう言いながら、昇降口へと離れていく昭弘に10cm程余った袖をブンブンと振った。

 

「アキヒーって無口だけど優しいよね~。セッシーとも仲良くできればいいのに~。…アレ~?何で2人共座り込んで白目なんか向いてるの~~?」

 

 

 

 

 昭弘は茜がかった夕焼け空の下、寮へと歩を進めていた。胸の底から湧き上がる高揚感が、重たい昭弘の身体を前へ前へと突き動かす。

 

 寮へと近づくと、聞き覚えのある少女の怒鳴り声が聞こえてくる。

 

(箒か?)

 

 そう頭の中で声の主を予想すると、声が聞こえてくる寮の裏口へと進む。

 

 昭弘の予想通り、箒と一夏がそこには居た。一夏は芝生の上に腰を突き、箒がそれを見下ろしている形だった。

 

(アイツ達が着ている防具は確か…「ケンドウ」だっけか?あのフルフェイスメットみたいなので、頭部を護るのか)

 

 そんな風に頭を巡らせた後、昭弘は彼等に尋ねる。

 

「何してんだ?こんな時間に」

 

「おお昭弘。オルコットとの戦いに備えて、せめて一夏の武術面の勘だけでも取り戻そうと思ってな」

 

 一夏は早速訓練機の予約を1週間分職員室に申請しに行ったのだが、1週間でたったの30分しか訓練機借用の予約が取れなかったのだ。

 訓練機の借用には、IS関連企業への就職に備える為か2年生3年生が優先される。加えてIS学園には、訓練機も含めて精々30機程度しかISが存在しない。たった30分でも、1年生である一夏がこの時期に訓練機を借りれたのは最早奇跡に等しい。

 

「んで勿論、結果はボロボロさ。オレは昔箒と一緒に剣道やってたんだけど、中学じゃずっと帰宅部だったからさぁ」

 

「いい訳無用だ!」

 

 そう言うと、箒は一夏の頭を竹刀で軽く叩いた。

 

「イッ!しょうがないだろ!バイトやら何やらで色々と忙しかったんだよ!」

 

 その後、昭弘も意趣返しの様に箒の頭に軽く手刀を入れる。

 

「理由はどうあれ箒、人の頭を竹刀で叩くな」

 

「ムゥ…スマン昭弘」

 

「……いやオレにも謝れよ!?」

 

 そんなやり取りをしていると、昭弘がある提案を切り出す。

 

「武術面の勘か。確かにそれも大事だが、先ずは体力作りと「体幹」を集中的に鍛えるのもいいだろう」

 

 体力作りは当然として、どのスポーツでも体幹を使わない競技は無い。精密なバランス感覚を求められるISなら猶の事だ。

 

「成程、体幹か…」

 

 無論、今から1週間程度剣道や筋トレを繰り返したところで付け焼刃程度にしかならないだろうが、それでも何もしないよりはマシだ。

 

「毎日剣道もやるんなら、「筋トレスケジュール」みたいなのを組んだ方がいいかもしれんな」

 

「それじゃあ今から私と考えよう。一夏、お前はその間素振りでもしてろ!」

 

「あいよ!時間が掛かりそうなら素振りの後にランニングでもしてくるぜ」

 

「ああ、程々にな」

 

 最後にそう昭弘が母親の様に念を押す。

 

 こうして昭弘と箒による、一夏短期強化プランが話し合われた。

 

 

 そんな3人のやり取りを、寮の屋上から見下ろしている人影があった。茜色の夕日が、その人物の金色の髪を怪しく照らす。

 

「織斑一夏…」

 

 否、当の人物「セシリア」が見ていたのは3人のやり取りではなく、素振りをしている一夏であった。

 

「唯一の…男性適合者…」

 

 ふと、そんな言葉を呟く。一夏の真っ直ぐな瞳に見惚れながら。

 

「…フン、まさか」

 

 セシリアはそう自身に言い聞かせて、今自分が一夏に対して抱いている想いを即座に否定する。「ただ珍しいから意識しているだけだ」と。

 そう無理矢理自身を納得させると、踵を返して部屋に続く廊下へと歩を進める。時折、屋上の手摺に惜し気な瞳をチラチラ向けながら。

 

 

 そんなセシリアの動向は、昭弘にしっかりと察知されていた。

 

「おい昭弘。ちゃんと聴いているのか?」

 

「ああ」

 

 セシリアが見下ろしていた理由を片手間で考えていた昭弘は、箒からそう注意される。

 

 昭弘と箒によるスケジュール作成は、思いのほか時間が掛かっていた。

 放課後における真耶の予習も踏まえて、筋トレの時間帯を細かく調整しているのだ。

 

 ある程度話が纏まったのは、既に一夏がランニングへと出た後だった。

 昭弘は自室に戻って「ある事」をヤロうと思っていたのだが、丁度箒に聞きたいこともあったのでそのまま一夏の帰りを待つ事にした。

 

「…一つ聞いて良いか?」

 

「む?何だ?」

 

「お前は織斑のどういう所に惚れたんだ?」

 

 その一言で箒の仏頂面は大きく崩れ、直後誰の目から見ても明らかな程に顔を乙女らしく赤く変貌させた。

 

「なっ!?な、な、何を言い出すんだお前はいきなりッ!?あんな朴念仁に誰が惚れるかっ!!」

 

 あくまで強がる箒に対し、昭弘は笑いを堪えながら答える。

 

「何も隠す事は無いだろう。それに、今は当の本人も此処には居ない。なぁに話の種ってヤツさ。無理に話せとは言わん」

 

 そう言うと、箒は頬の赤をそのままに口を閉ざしてしまった。

 昭弘が「やはり無理か」と思った矢先、隠せないと観念したのか箒はポツリポツリと言葉を紡ぎ出す。会ってまだ一日と経ってない、昭弘に対して。

 

「…あの時は未だ、小学校の低学年だったろうか。私は当時から武道の家柄もあって「男勝り」な性格をしていてな。よく男子から「男女」とか「リボン付けた男」とか言われて、馬鹿にされていたのだ」

「そんな時、私を庇ってくれたのが一夏だった。「女の子にそんな事言うな」と、その男子たちを追い払ってくれたのだ」

 

「…一目惚れって奴か?」

 

「いや。そんな出来事がある以前から、私は同じクラスメイトとして一夏を知っていたしな。私は多分、アイツの外面ではなく内面に惚れたのだと思う。そしてそれは、今でも変わらない。私のアイツに対する想いは…」

 

 何処までも一途な女である。無論、良い意味でだ。

 これだけの年月が経過して尚、彼女にとっての一夏はずっと「あの時」の一夏なのだ。昭弘は恋愛について未だ理解が少ないが、長い年月が経ってもずっと変わらない想いがどれだけ尊いモノなのかは良く解っているつもりだ。

 

 昭弘はそんな感想を抱いた後、自身の今の心境を語り出す。

 

「…そんだけ好きなら、尚更言葉に出して伝えないとな」

 

「そっ、それが出来たら苦労しておらん!!」

 

 箒が駄々っ子の様に喚くと、昭弘は神妙な面持ちとなって更に語る。

 

「だが言葉に出さなけりゃ何も伝わらない。相手が朴念仁の織斑なら尚のことだろう」

「それに…何だか勿体無い気がしてな。折角誰にも負けない位の強い想いを持っているのに、何時までも伝えられないってのはな。それは何と言うか…お前の気持ちが、お前自身が、酷く“不憫”だ」

 

「…フンッ。また御説教か昭弘」

 

「スマンな」

 

 そう少し反抗的な態度を取る箒ではあったが、本心では「その通りだ」と思っていた。

 それでも「余計なお世話だ」と言う思いが前面に押し出されてしまったのは、彼女と昭弘が出会ってから未だ1日しか経っていないからだ。もう友人と呼べる関係なのかもしれないが、心の玄関にズカズカ踏み込まれるのは未だ抵抗がある様だ。

 

(全く、つくづく昭弘には調子を狂わされる。他人の恋路など、放っておけば良いものを)

 

 そう思いながらも、箒は心の何処かで何故か“安心”していた。その安心感の正体は解らないが、少なくとも今迄箒が感じたことの無いモノだった。

 まるで外側と内側を隙間なく包み込む様な頑強さと全てを委ねられる様な柔らかさ、その2つを同時に箒は感じ取った。

 

 すると丁度一夏がランニングから戻って来た。

 

 箒は当の本人が現れて慌てて意識を切り替えると、もう既に話が纏まった旨を伝えた。

 その後少しだけ今後の事を3人で話し合うと、その日はもう解散となった。

 

 箒と一夏に別れの挨拶を告げた昭弘は、これからスル事に対して大きく胸を高ぶらせていた。

 

 

 

 箒たちと別れて自室である「130号室」前迄来た昭弘。

 因みに箒と一夏は隣の「128号室」であった。

 

 普通なら、男性同士である昭弘と一夏が同じ部屋となるだろう。そうならなかった理由は、簡単に言えば束が国際IS委員会に圧力を掛けたからだ。どの様な方法を取ったのかは不明だが、昭弘をIS学園に入学させた時と同じ方法であろう。

 一人部屋であるならば束やT.P.F.B.と連絡が取り易くなるし、昭弘がこれからスル事にも何ら支障を来さない。一夏は女子と同部屋で大いに混乱していた様だが。

 

 自室の扉を開いた昭弘は部屋の大半を占拠している夥しい数の「筋トレ器具」を見渡し、この日初めて満面の笑みを零す。

 ダンベル、バーベル、ハンドグリップ、プッシュアップバー、チンニングラック、シットアップボード、バランスボール、ベンチプレス、各種プロテイン等々、見ているだけで息苦しくなってくるそれらが悠然と並んでいた。

 

 にしても、バランスボールは念のため2つ調達しておいて正解であった。一夏に貸し出せば、バランストレーニングの幅が増える事だろう。

 そんな事を考えた後、昭弘は直ちに意識を切り替えて自身の「趣味」に没頭していった。

 

 

 

―――4月9日(土)―――

 

 昭弘と箒による特訓は、土日も関係なく続いた。

 

「脇が甘いッ!胴ォッ!!」

 

「グォオ!?」

 

 

 

「ハァ…ハァ…織斑、あと1kmだ、頑張れ」

 

「ゼェハァ…ゼェハァ……おうよッ!」

 

 

 

―――4月11日(月) 放課後―――

 

「織斑。山田センセイの補修はどうだった?」

 

「ウーン何となく解ってきた…様な気がする」

 

「後でオレにもノートを見せてみろ。何か助けになれるかもしれん」

 

「サンキューな、アルトランド。…そういや箒は部活動見学とかいいのか?」

 

「大丈夫だ。どうせ剣道部に入ることは私にとって決定事項だしな。仮入部期間中の今なら多少抜け出しても問題はあるまい…多分」

 

「多分て…」

 

 

 

―――4月13日(水) 放課後―――

 

「どうだ織斑。『打鉄』を纏った感じは?」

 

《やばいな。静止しているだけなのにもう既にフラフラすると言うか…》

 

「最初はそんなもんさ。それじゃあ山田センセイ、後はお願いします。すんません、お忙しい中」

 

《いえいえ!可愛い生徒の頼みですもの!何のことはありません》

 

「むぅ、私も訓練機を借りれたらなぁ」

 

 

 

―――4月14日(木) 放課後―――

 

「良かったな一夏。専用機『白式』が間に合って」

 

「けどこれ、武装が「刀」しか無いみたいなんだけど大丈夫かな?」

 

「刀だけの方が、お前らしくて良いんじゃないのか?」

 

「箒…何か適当言ってないか?」

 

(唯一の男性操縦者だから、データ取りも兼ねて代表候補生でもない織斑に専用機って訳か。ISコアは束が男性用に再設定したのを、コッソリ摩り替えたってとこか?)

 

「まぁ兎も角、先ずは最適化処理だな。どうにか明日までに間に合わせるぞ」

 

「「分かった!」」

 

 

 

 こうして、彼等3人の長くも短い1週間は過ぎて行った。

 

 

 

 

 

―――――4月15日(金)―――――

 

 放課後、4つのアリーナの1つである『アリーナA』にて『1年1組クラス代表決定戦』が行われようとしていた。

 観客スタンドには思いの外大勢の生徒が集まっていた。

 今回の模擬試合は、特例で部活動中の生徒の観戦も認められているのだ。何せ「一国の代表候補生」と「世界初の男性IS操縦者」と「世界初(公式上)のMPS操縦者」という滅多にない対戦カードだ。試合を見学するだけでも得られる物は大きいだろうという、学園側からの粋な計らいだ。

 

 

 場所は変わってアリーナAのピットには既に千冬、昭弘、一夏、セシリアの4人が集まっていた。既に昭弘たち3人は、ISスーツにその身を包んでいた。

 

 千冬が説明した試合のルールはこうだ。

 先ず試合は1対1で行い、シールドエネルギーの枯渇若しくは操縦者の戦意喪失(気絶等も含む)により、勝敗を決める。

 3回に分けて戦い、1回戦目で勝った者が2回戦目で3人目と戦う。もし2回戦目で3人目が勝てば、3回戦目でその者と1回戦目敗者が戦うという仕組みだ。しかしもし3回戦目で1回戦目敗者が勝ったとしても、その時点で今回のクラス代表決定戦は切り上げとなる。他の2年生や3年生の為にも、それ以上アリーナAを貸切る訳には行かない。

 そうなった場合は、クラスメイトからの推薦が最も多かった一夏がクラス代表ということになる。

 

 千冬は粗方説明を終えると、試合の順番を決めるべく話を進める。

 

「試合の順番で何か希望はあるか?ピットからは管制塔の遠隔操作が無ければ試合映像が観れないから、順番で優劣が決まることは無いが」

 

「私は特にございませんわ」

 

「右に同じく」

 

「オレは…1回戦目がいいかな。少しでも昨日の感覚を覚えている内に、試合に臨みたいし」

 

「では先ず、織斑が1回戦目で相手は…オルコットで良いだろう。クラス代表に一番意欲的なのはお前だ。お前が最初に出ておいた方が、クラスメイトからの心証も良い」

 

「分かりましたわ。ではその様に」

 

 順番が決まると直ぐに、千冬は管制塔に続く道へと消えていった。

 

 その後、セシリアが一夏に対し鼻息吹かして啖呵を切りに来る。

 

「織斑さん?私に負けた時の言い訳、今の内に考えておいた方が宜しくってよ?」

 

 そんな風に言いながらも、セシリアの瞳は何処か輝いている様に見えた。まるで気になる相手についちょっかいを掛けてしまったみたいな。

 

「そっちこそ、こんな初心者相手に苦戦なんかするなよな?代表候補生殿?」

 

 負けじと、一夏もセシリアに挑発で返す。

 セシリアはそんな挑発を鼻で軽く嗤うと、今度は昭弘に視線を移す。

 

「…」

 

 無言。

 一夏とは対照的に、唯々濁り切った憎悪の眼差しを向けるだけであった。

 昭弘はそんなセシリアに動じること無く、普段の仏頂面を貫き通す。

 

 

 セシリアが反対側のピットに移動した後、昭弘は一夏に激励の言葉を贈った。

 

「大丈夫だ織斑。オルコットは明らかに慢心している。きっと良い試合運びができる」

 

「ああ!…ありがとなアルトランド、今迄色々と」

 

 まるで今生の別れの様にそう返す一夏に対し、昭弘は無言の微笑みで軽く頷いた。

 

 昭弘の微笑みを見て腹の底から安心した一夏は、早速フィールドに飛び立つべく右手首に嵌めてある「白い腕輪」に意識を集中させる。忽ち青白い粒子が一夏の全身を包み込み、その粒子が純白の装甲へと変わっていく。

 

 いつ見てもISとは不思議な存在だ。あんな小さい腕輪に、一体どういう原理であんな馬鹿デカい装甲を捻じ込んでいるのだろうか。

 

《織斑及び白式、発進準備完了。どうぞ!》

 

 そんな今更どうでもいい事を考えていた昭弘は、管制塔からのアナウンスで我に返る。

 

《んと…それじゃあ。織斑一夏、白式、行きますッ!》

 

 そう言った後一夏は昭弘に対して右手の親指でサムズアップをし、1対の巨大な機械翼を羽ばたかせながらフィールドへと飛び立っていった。




とてつもなく後になりますが、第46話に何故一夏が打鉄を操縦出来たのか、その理由を描写しておきました。

ごめんちゃい


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第4話 英国貴族の逆襲(後編)

皆さん、大変お待たせいたしました。
ようやく、4話全ての手直しが終了いたしました。

旧4話では描写が無かったセシリアと一夏との戦いや、同じく描写が薄かった昭弘と箒と一夏による会話なども追加描写しておきましたので、「もう既に読んだ」という方も、是非読んでみてください!

そして、今4話前半で止まっている読者の方には、大変ご迷惑をおかけしました。


 フィールド上空にて、セシリアはうっとりと見惚れていた。

 彼女は今迄、“男”と言う生物は下等で薄汚いモノだと考えていた。利益と保身の事しか頭にない「情けない生物」だと。

 しかし、自身の真向かいにて佇む天使の如き翼を生やした純白の騎士。その騎士である少年の瞳は、きっとずっと不変であろう輝きを放ちながらセシリアを直視していた。

 

 これじゃ駄目だとセシリアは普段の自分に戻るべく、一夏にある提案を言い渡す。

 

「織斑さん?今なら未だ手心を加えてあげても宜しくってよ?ご安心下さい。専用回線ですので皆さんには聞こえませんし、貴方だって無様な姿を晒したくは無いでしょう」

 

 確かに一夏が勝てる可能性は限りなく低い。圧倒的な大差で負けてしまえば「男の癖に情けない」と、今後ずっと馬鹿にされるかもしれない。それならセシリアの提案を受け入れて、少しでも格好良く負けた方がずっと良い。しかし…。

 

《…断る。それじゃあ今迄特訓に付き合ってくれた昭弘や箒、山田先生に失礼だ》

 

 そう言うと、一夏はより一層瞳の輝きを強める。

 そんな一夏の「男の顔」を見てセシリアはつい一瞬頬を染めてしまう。

 

「…馬鹿ですわね。では思う存分後悔させてあげますわ」

 

 そう言いながらも、セシリアは心の何処かで僅かに期待していた。「この殿方は自分に“何”を見せてくれるのだろう」と。

 

《後悔するのはどっちかな!!》

 

 一夏がそう返すと同時に試合開始のブザーがフィールド上に鳴り響く。

 

 

 

 試合開始から3分後。セシリアは存外な苦戦を強いられていた。強者故の満身や油断等、原因の大部分はそれらが占めているのだろう。

 だがそれに加え、一夏と白式がすばしっこいのなんの。67口径レーザースナイパーライフル『スターライトMkⅢ』の狙いは定まらず、ぼやぼやしてれば白式の機械刀『雪片弐型』の餌食となる。

 

 何より調子が最高に悪かった。

 すれ違い様に覗かせる一夏の真っ直ぐな瞳を見る度、顔が身体中が沸騰する様に熱くなる。

 

 纏わりつく惚けを振り払う様に、セシリアは4機の高速浮遊砲身「ビット」を射出する。

 

 

 

 観客スタンドは大いに盛り上がっていた。

 未だ初心者の一夏が代表候補生相手に互角に渡り合っているまさかの展開に、全生徒の視線は釘付けだ。

 

 夫々が思い思いの感想を口にする中、箒は無言のまま試合を観ていた。

 

(…頑張れ一夏)

 

 ただ一夏を純粋に想うだけの箒には、今はそんな言葉しか浮かんで来なかった。

 

 すると、隣の席に座っていた本音が呟く。

 

「う~ん何かセッシー調子悪そう。ちゃんと“スイッチ”入ってるのかな~~?」

 

 

 

 

 4機のビットから逃げ惑う白式。何発かの黄緑色の線が命中し、少しずつ白式のSEが減少していく。しかし…

 

(なっ!?)

 

 セシリアは己の目を疑った。白式が、ビットの放ったビームを雪片弐型で吸収したのだ。直後白式は、セシリアが動揺した事で動きが鈍くなったビットの一機を雪片弐型の横薙ぎで破壊する。

 白式の単一仕様能力(ワンオフアビリティ)『零落白夜』である。

 

 単一仕様能力とは、簡単に説明すればそのISのみが使える特殊能力の事で専用機にしか備わっていない。通常は最適化(一次移行(ファーストシフト))状態では発動せず、二次移行(セカンドシフト)しなければ発動しない。

 しかし白式だけは別で、束が一次移行後でも発動できる様に白式のISコアを弄っている。恐らく初心者である一夏への配慮だろう。

 零落白夜の能力は、白式のエネルギー刃を当てることでビームを無効化することができるのだ。

 そして、もう一つ。

 

(そんな…私のビット(ティアーズ)が…)

 

 中空でなければ呆然と立ち尽くしたくなるセシリア。

 刀がビームを吸収するという非常識と自慢のビットが一機撃墜された驚愕により、今のセシリアの脳内は「混乱」という二文字が支配していた。

 

《何ボサッとしてんだぁ!!》

 

 再度、白式が迫る。

 

(ッ!?不味いッ!)

 

ザシュッ!

 

 零落白夜の一閃が、ブルー・ティアーズの右脚部装甲に直撃すると…

 

(はぁ!?『絶対防御』が発動したですって!?)

 

 これこそが零落白夜の真骨頂。

 ISは、装甲の無い生身の部分もシールドバリアで覆っている。そこに一撃を加えられると、ISは操縦者を保護する為に絶対防御と言う機能を発動させる。しかし絶対防御が発動してしまうと、SEが大幅に減少してしまう。この機能は装甲部分にも存在する。

 零落白夜発動中、雪片弐型の威力は大幅に上昇し、その余り有る程の強大なエネルギーをぶつけることで強制的に相手の絶対防御を発動させるのだ。

 しかしこの零落白夜にも弱点が有り、発動中は自身のSEも著しく減少していく。

 

(訳が…訳が分かりませんわ。貴方は…一体!?)

 

 そんな混乱をどうにか振り払いながらセシリアは白式から距離を取る。

 

 しかし、セシリアは内心謎の喜びに襲われていた。次は何?次は一体どんな凄い事をこの殿方は魅せてくれるのだろう?と。

 セシリアは最早完全に「スイッチ」が切り替わってしまっていた。それは最早「戦士」としてのスイッチでは無く、一人の「女」としてのスイッチ。

 

 

 

(よっしゃ!流れは今こっちに有る!…もしいざとなったら、山田先生から軽く教えて貰った“アレ”も試してみるか。成功するか分かんないけど)

 

 一夏はそんなことを考えながら、先程から動きが鈍っているビットに狙いを定める。零落白夜でビームを吸収しながら、ビットを次々落として行く。

 しかし最後のビットを落とした瞬間ーーー

 

(ビットが増えてる!?)

 

 白式の周囲に、更に2機のビットが浮遊していたのだ。

 だが関係無い、零落白夜で無力化するまでだ。

 

 しかし一夏の考えは甘かった。

 

バシュバシュゥ!!

 

 そのビットが放ったのはビームでは無く「ミサイル」だったのだ。

 

(!?)

 

 ミサイルは2発とも白式に直撃し、周囲には黒煙が撒き散らされていた。

 

 

 

(やった!?)

 

 セシリアは黒煙が撒き散らされている空間にライフルを向けながら、様子を伺う。しかしその表情は何処が寂しげであった。

 直後ーーー

 

バァォンッ!!

 

 黒煙から“何か”が超高速で飛び出す。セシリアが正体を認識した時にはもう遅かった。

 白式が『瞬時加速(イグニッションブースト)』を敢行して来たのだ。

 

 瞬時加速とはISのスラスターからエネルギーを放出し、その放出したエネルギーを一度内部に取り込み圧縮して再度放出する高等技術である。その際に得られる慣性エネルギーによって、爆発的な加速を生み出すのだ。

 

 セシリアは最早驚愕することすらできなかった。

 代わりに想っていた事は、今尚自身に接近してくる純白の装甲を纏った彼のことであった。

 

(…嗚呼、何故今の今迄気付かなかったのでしょう。いえ違いますわね。気付いていたのに、無理に強がっていただけですわね。…一夏さん私は、貴方の事が…)

 

《ウオオオオォォォォォォォォォ!!!!!》

 

 勝利は目前だった。

 

 

 

 

《白式!SEエンプティ!!勝者、セシリア・オルコット!!》

 

「《……え?》」

 

 一夏とセシリアの間の抜けた声が重なる。

 

「えええええ!!?SE切れかよぉ!!?」

 

 度重なる零落白夜の使用により、白式のSEは枯渇寸前であったのだ。その状態で零落白夜を発動しながら更に瞬時加速まで行えば、当然白式のSEはあっと言う間に尽きる。

 

 SEが尽きると同時に白式の操縦者保護機能が働き、ブルー・ティアーズにぶつかる直前で白式は動きを止める。

 それにより、至近距離で一夏とセシリアの目が合う。

 

 セシリアは顔を真っ赤に染めると、無意識に視線を逸らしてしまう。

 一夏はそんなセシリアの表情に疑問を浮かべながらも、賛辞の言葉を贈る。

 

「流石は代表候補生だな。けど、オレだって結構良い試合したと思うぜ?」

 

 しかし尚もセシリアは無言のまま顔を赤く染め、視線を合わせようとしない。てっきり今迄通りの高圧的な態度で来ると思っていた一夏は、大きく拍子抜けてしまう。

 

《い、一夏さん!》

 

 突然下の名前で呼ばれ驚く一夏。その名を呼ぶと同時に、コバルトブルーの瞳を一夏に向けるセシリア。

 その時のセシリアの瞳は宝石の光沢の様に潤んでおり、そんな瞳で見られた一夏は少しだけ頬を赤らめてしまう。

 

《その……ありがとうございました》

 

「あ…いや、こちらこそ?」

 

 軽く頭を下げてくるセシリアに対し、状況が飲み込めていない一夏は良く解らないまま返してしまう。

 だが彼女は昭弘の仇だ。そこは忘れるなと、彼は自身に言い聞かせるが如く言葉を吐き捨てる。

 

「け、けど未だアンタを許した訳じゃ無いからな?勝負には負けちまったから、何も言えないのは分かってるけど」

 

 一夏にそう言われると、セシリアは酷く落ち込んでしまう。

 女の子にそんな顔をされてしまった一夏は、慌てて足りない頭の中から言葉を探し出す。

 

「ただその…。次の試合、頑張れよな!」

 

 一夏は笑顔でセシリアにそう告げる。数秒では何も見つからなかったので、本心をそのまま言葉にしてしまった。

 セシリアを許した訳では無いが、それでも彼女は同じクラスメイトだ。クラスメイトに激励の言葉を贈るのは、何も不思議ではあるまい。

 

 一夏からそう言われて、セシリアは入学後初めて満面の笑顔を見せる。

 

 

 

 

 

《勝者、セシリア・オルコット!!》

 

 昭弘が待機しているピット内に、スピーカーから流れる悲報が木霊する。

 

(…まぁ、オルコット相手に7分持ったんなら上出来過ぎるな)

 

 実際、試合におけるISバトルは10分掛かればかなりの接戦なのだ。普通、お互いの実力に大きな差がある場合はそれこそ3分と掛からずに試合が終了してしまう。

 

 昭弘はブルー・ティアーズのエネルギー充填等が終わるまでの間、ストレッチでもしながら待つことにした。

 ピット内にて、そんな昭弘の吐息が静かに生々しく響き渡っていく。

 

 

 

ーーー15分後

 

《アルトランド、予定より早くブルー・ティアーズのエネルギー充填と武装補充が完了した。オルコット自身もいつでも行けるそうだ》

 

 管制塔から千冬の通信が入ったので、既にストレッチを終えていた昭弘はベンチから重い腰を上げる。

 

「了解」

 

 短く返事をすると、腰に巻き付けてある迷彩柄のウエストバッグから“ドーム”状の物体を取り出す。その物体は反対側が平面になっていて、縦に穴が2つ並んでいた。

 昭弘は、平面が上になる様な形でその物体を手に持つと、そのまま物体を背中に生えている2本の阿頼耶識へと持って行く。物体平面側の2つの穴に、阿頼耶識のピアスがピッタリと挿入される。

 

「そんじゃあ()()()()()()頼むぜ。グシオン

 

 昭弘は背中の阿頼耶識に付けている待機形態のグシオンに、意識を集中させる。

 するとグシオンから青白い粒子が放出され、忽ち昭弘の全身を包み込む。呼応するかの様に、深緑色の装甲が昭弘を覆っていく。背中から両肩と腰へ、両肩から更に両肘へ、腰から更に両膝へと、先ずは頭部以外が装甲に覆われていく。次に後頭部から頭頂部・前頭部へ、乳突部から耳介部・側頭部へと頭部全体を覆っていき、最後に顔面全体にツインアイのマシンマスクがセットされる。

 その形状は全体的に丸みを帯びており、一目で重装甲だと相手に解らせる代物であった。

 

《アルトランド及びグシオン。発進準備完了。どうぞ!》

 

「昭弘・アルトランド。グシオン、出るぞ」

 

 そう言い放ち、ISコアの『拡張領域』から巨大な『グシオンハンマー』を呼び出し、グシオンのスラスターに火を付ける昭弘。

 全身装甲(フルスキン)の怪物が、フィールドへと遂にその姿を現す。

 

 

 

 フィールド上空には、既にセシリアがブルー・ティアーズを纏って待機していた。

 

 そこで昭弘はある異変に気付く。

 セシリアの様子が可笑しいのだ。

 

 彼女はISを纏いながらも頬を桃色に染めており、瞼を閉じながら右手を右頬に当てていた。おまけに、まるで何かを思い出しているかの様な笑みも浮かべている。

 

 まさか初心者の一夏に勝てて嬉しかった訳でもあるまい。

 気になった昭弘は、専用回線を使ってセシリアに訊いてみることにした。

 

「随分と御機嫌な様だが、何か良いことでもあったか?」

 

 途端セシリアから先程の表情は消え失せ、代わりに敵意を巻き付けた矢が眼差しから射られる。

 昭弘の知るいつものセシリアだ。

 

《…お前には関係の無い事でしてよモルモット》

 

「ああそうかい」

 

 何処までも淡白な返答に対し、昭弘も又淡白に返す。

 そこから更に続けて、昭弘はセシリアにある提案を言い渡す。

 

「おっと、そうだ。アンタに約束して欲しい事があったんだ」

 

《…何でしょう》

 

「もしオレが勝ったなら、オレの背中から生えているこの2本の突起物を侮辱した事、誠心誠意謝って貰う」

 

 昭弘からの要求に対し、セシリアは右手の親指と人差指で顎を触りながら考える素振りをする。

 

《…良いでしょう。但しもし私が勝った場合、お前には此処『IS学園』から出て行って貰いますわ》

 

「ああ、良いだろう」

 

 昭弘は、その自身の要求とまるで釣り合わない要求を何の迷いも無く受け入れた。

 

 

 

(一夏。私をこの試合に笑顔で送り出して下さった貴方に、非の打ち所の無い「勝利」と言う言葉を贈り届けてみせますわ)

 

 セシリアは自身が愛する男への手土産を心の中で選定すると、少しずつ自身の中に存在する「スイッチ」を切り替えていく。

 

(そしてモルモット。貴様には約束通りこの試合を以て、IS学園から消えて貰いますわ)

 

 昭弘への明確な敵意を皮切りに、セシリアのスイッチは完全に切り替わる。そう「戦士」としてのスイッチに。

 今の彼女は一夏と相対した時とは違う。目の前の昭弘の事を一つの「敵」としか認識していない。

 

 直後、皆が待ち焦がれていた試合開始のブザーが、アリーナ全体を轟かす。

 

 

 グシオンは開始早々ブルー・ティアーズに突っ込んで来るが、セシリアはスラスターを下方へと吹かして上方へと回避する。

  グシオンが横凪ぎに大振ったハンマーは、虚しく宙を切る。

 

(図体の割には意外と速いですわね)

 

 グシオンは体勢を立て直すと更に下方に向けてスラスターを放ち、自身の上方に佇んでいるティアーズへと肉薄する。

 今度は下からハンマーを掬い上げる様に振るが、ティアーズは左半身を後方にずらして最小限の動きで避けて見せる。

 

 が、彼女は歯噛みしていた。

 スターライトMkⅢも、こうも追い回されていては狙いを定める前にあの巨大なハンマーで叩き落とされる可能性が高い。ミサイルビットや“奥の手”も、あの重装甲には効果が薄いだろう。

 

(向こうもビットの事は調べている筈。威力が低いと知っているなら、ビットの攻撃など意に介さない。そうなればビットによる牽制も無意味。寧ろ悪戯にビットを出して、早い段階でビットの動きに順応される訳にも…)

 

 彼女にとっても遺憾だろうが、暫くは回避に徹して相手の弱点を探るのが賢明だ。

 

 こうしてフィールド上では逃げるティアーズ、追うグシオンと言う構図が出来上がった。

 

 

 

 グシオンとティアーズによる単調なドッグファイトが始まってから、既に5分が経過していた。

 

 観客スタンドは先の試合と一転、フィールド上での終わりの見えない鬼ごっこに辟易していた。

 

 そんな中、箒だけは未だに熱い視線をグシオンに送り続けていた。「きっと何かが起こる筈だ」と、そんな根拠の無い期待を胸に抱きながら。

 

 すると、隣で何やら意味深な含み笑いを浮かべている本音に箒は反応する。

 

「しののん~?私の予感が正しければ、きっとここから面白くなるよ~?根拠は無いけど」

 

(無いのか…)

 

 思わず肩の力が抜けてしまい、座っているのにコケそうになる箒であった。自身の無根拠は差し置いて。

 

 

 

 管制塔でも、千冬が「成程」と不敵な笑みを浮かべていた。

 そろそろ試合が動くのを予感するが如く。

 

 

 

 セシリアも、何を仕掛けて来るのかと警戒していた為か、何も起こらない単調な鬼ごっこに心底うんざりしていた。

 

(ま、所詮モルモット。作戦も纏まりましたし、そろそろ終わらせようかしら)

 

 セシリアの作戦はこうだ。

 先ず、ティアーズを区画シールドの方へと相手に勘づかれない様移動させる。そして区画シールドギリギリの所迄接近し、そこでグシオンの攻撃を躱す。勢い余ったグシオンがそのままシールドに激突した所を、ライフルで至近距離から狙撃。シールドへの激突と至近距離からの狙撃により、装甲へのダメージとSEの大幅な減少は必須。

 そうして、ビットとライフルによる連携攻撃にて止めを刺す。

 

 セシリアは早速作戦を実行すべく行動するが、同時に胸糞悪い感情が浮き上がって来る。

 

(…理解に苦しみましてよ一夏さん。どうしてこんな奴を貴方は師事するのか)

 

 その感情の正体は恐らく“嫉妬”。

 何故私でなくコイツを?何故コイツばっかり一夏から輝かしい“笑顔”を向けられる?セシリアはそんな現実と、身勝手な嫉妬を燃やす自分自身が、腹立たしくてしょうがないのだ。

 そんな事を考えている内に、区画シールド付近に辿り着いたセシリア。

 

 

 

(区画シールドに?…そういう事か。丁度良い、こっちもそろそろ仕掛けようと思ってた所だ)

 

 昭弘は露骨に笑った。それもフルフェイスマスクに覆われていては、セシリアに勘づかれる筈もなく。

 

 

 

 グシオンがハンマーを振り被った瞬間、ティアーズは左に避けて自身の元居た空間にライフルの銃口を向ける。こうすれば、グシオンがシールドに激突した瞬間をほぼゼロ距離で狙撃できる。

 しかし、グシオンは自身が銃口を向けている空間に来ない。

 

(ッッ!!??)

 

 瞬間、まるで一瞬の内に身体中を駆け巡る電撃の様な悪寒がセシリアを襲う。それと同時に、ハイパーセンサーのアラートが雷の様に鳴り響く。

 後方に振り向いた時には何もかも遅すぎた。

 

ガァギャィィン!!!

 

 

 

 観客スタンド組一同、口を大きく開けたまま思考停止してしまっていた。一瞬の内に様々な出来事が起きたので、殆どの生徒は情報の処理に時間が掛かっているのだ。

 

 先ずグシオンはハンマーを振り被ってそのままティアーズに突撃すると見せかけ、斜め下方向へと軌道をずらす。ティアーズの丁度真下迄来ると、突如青白い粒子を纏い出して“形状”を変えたのだ。

 直後、凄まじい速度でティアーズの背後に回り巨大な「斧」で叩き墜としたのだ。

 

 

 

「やはりかッ!!山田先生!これから面白くなるぞ!?」

 

 管制塔では、突如騒ぎ出した千冬に唯々困惑している真耶が居た。

 

 

 

 昭弘は土煙が舞っているグラウンドを、『ハルバート』を構えながら油断なく見下ろしていた。

 

 今グシオンの外見は、先程の重装甲とは別物と言っても良い程に変化していた。

 色は深緑色からベージュ色へ、全体的に丸みを帯びていた重装甲は幾らかスマート且つ鋭角的になっていた。頭部は更に小顔で鋭角的になっており、両側頭部からは後方に伸びる橙色の角が左右対称に付いていた。背中からは一対の丸い翼の様なユニットが伸びており、腰には楕円形のシールドがスカートの様に付いていた。

 先程のグシオンが「怪物」だとするなら、今のグシオンはまるで「中世騎士」を彷彿とさせる外見だ。

 

 『グシオンリベイク』。これこそがグシオンの真の姿である。

 

 

 もし先の一撃でセシリアが気絶していたなら、戦意喪失と見なされ昭弘の勝利となる。

 しかし、砂煙が晴れるに従って昭弘の表情が曇る。

 

(チッ、“化け物”が)

 

 未だティアーズは健在だった。

 ハルバートの直撃を受けた際のダメージこそ有るものの、落下した際のダメージは殆ど見受けられなかった。

 何とセシリアは、頭から落下しているあの一瞬で体勢を戻したのだ。そして地面に激突する瞬間、それこそ生身で着地するみたいに両脚に姿勢制御の全てを集中させ、衝撃を最小限に抑えた。

 

 しかし昭弘が感銘を受けているのもそこまで。今のグシオンは先の重装甲とは違い、ビット兵器によるダメージを普通に受けてしまう。

 相手が攻撃態勢を整える前に、こちらから打って出ねばならないのだ。

 

 

 

(うぅ…未だ眩暈がしますわ。あんな衝撃を食らったのは久方ぶりでしてよ野蛮人めが!)

 

 セシリアが悪態をつく間も与えず、グシオンはスラスター全開にして一気に距離を詰めてくる。

 

 この速度、ティアーズもライフルも間に合わない。

 咄嗟にセシリアは回避を選択するが、グシオンの振るったハルバートはティアーズの左腕装甲に直撃する。

 

(馬鹿なッ!?今のはギリギリ回避が間に合った筈!なんてスピードですの!?)

 

 更にSEが減少するティアーズ。

 尚もグシオンは猟犬の如く追撃を止めない。

 

(チィッ!これでは「あのモード」に切り替える余裕も…)

 

 

 

 

「しかし解せません。どうしてアルトランドくんは最初からあの形態で出撃しなかったのでしょう」

 

 真耶が、恐らく観客全員が思っているであろう疑問を口にする。

 

「“慣れ”さ」

 

 千冬の呆気ない答えに、真耶は目を見開く。

 

「アルトランドはオルコットに重装甲グシオンの機動に慣れて貰う為、敢えて単調な攻撃を繰り返していたんだ。その鈍足に目が慣れてしまったオルコットは、今のグシオンの高機動に付いて行けなくなっているんだ」

 

 恐らく今のグシオンの動きは、セシリアからすれば今迄の5倍にも6倍にも感じられるのだろう。しかし、両機のスペック上の機動力は殆ど差が無いと言っていい。

 

「…けど、所詮は慣れですよね?時間が経てば結局、今のグシオンの動きにも慣れてくると思うのですが」

 

 真耶がそう意見すると、千冬は待ってましたと真耶を指差しながら答える。

 

「そこからが面白いんだ。オルコットが慣れる前にアルトランドがどう攻め抜くか、アルトランドの猛攻をオルコットがどう凌ぐか」

 

 

 

 昭弘は内心焦っていた。

 昭弘の想定よりも遥かに早く、セシリアがグシオンの高機動に慣れてきたのだ。少しずつ、グシオンとの間合いが離れていく。

 

(そろそろ“アレ”を使うか?…いやまだだ、まだその時じゃねぇ)

 

 

 

 

(この辺りで仕掛けると致しましょうか。向こうは恐らく「動き回りながらビットは操れない」と考えている筈)

 

 その思考の後、セシリアはほくそ笑みながら思考を続ける。

 

(確かに()()()()のティアーズは無理ですわね)

 

 

 

 昭弘はティアーズを見て驚愕する。何と動きながらビットを操り始めたのだ。

 

(ッ!?……成程、2機迄なら何の制約も無く操れるって訳か)

 

 だがビット2機分の弾幕なら、多少食らっても問題は無い。

 しかし…。

 

バシュバシュゥッ!!

 

(ミサイルビット!?)

 

 ミサイル兵器はビーム兵器よりも衝撃力が強い。直撃を食らえば、大きく体勢が崩れてしまう。

 その隙に、スターライトMkⅢで狙い撃ちされてはたまったものでは無い。

 

 昭弘は直ちに軌道を斜め上方向に変え、ミサイルを避ける。当然、2発のミサイルはしつこく追尾してくる。

 昭弘は自身の直ぐ後方までミサイルが接近した所でグシオンを反転させ、真正面のミサイルを腰部シールドで防ぐ。

 

ドガガァァン!!

 

 2発ともグシオンの腰部シールドに吸い込まれる様に直撃し、周囲に黒煙を撒き散らす。

 昭弘は黒煙から脱すると、見たくも無い光景をその目に焼き付けてしまう。ティアーズがライフルをしっかりと構えてこちらを狙っているのだ。

 

 昭弘は咄嗟に腰部シールドを構える。

 しかしライフルが銃口を光らせることはなく、代わりに飛来してきたのは…。

 

《お行きなさいッ!ティアァァァズ!!》

 

 通信越しで聴こえるセシリアの怒号と共に、合計6機のビットが昭弘へと向かっていく。

 

(占めたッ!万全を期す為に態々ビットとの連携攻撃に出たか!!)

 

 6機のビットがグシオンを取り囲む瞬間、それは寧ろ昭弘にとって最大の好機。

 

ジャキッ!!

 

ドゥゥルルリリリリリリリリリリリリ!!!

 

ダァォダオォォン!!!

 

 『M134B ビームミニガン』と『炸裂弾頭搭載型滑腔砲』が火を噴いた。

 

 

 

 セシリアは突然の事態に身を硬める。よもや、まだ武装を隠していたとは。

 

 ビットがグシオンを囲む直前、グシオンの背中に生えている2つのユニットから“新たなる腕”が一本ずつ生えてきたのだ。そしてビットが取り囲んだ瞬間、計4本の腕に夫々ミニガン2丁と滑腔砲2丁が呼び出された。

 それらが放つ無数の「黄緑色の線」とビット近くで炸裂する「花火」により、ビームビット2機とミサイルビット2機が地に墜ちる。

 

 しかしセシリアの硬直も一瞬で、直ぐ残り2機のビームビットを引き戻す。

 

(……そんなに…そんなにも撃ち合いを御所望でしたら悪夢を見せて差し上げますわ!)

 

 心の中にある容赦も躊躇も狂笑で吹き飛ばすセシリア。

 直後、彼女の両目を青藍色のバイザーが覆い隠す。

 

キュィィィン

 

 不気味な起動音を放ちながら、バイザーの端から端まで続いている一本線の様なカメラアイが紅く輝く。

 

ーーーブルー・ティアーズ、『中距離高速戦闘特化モード』に移行。スターライトMkⅢを『アサルトモード』に切り替えます。

 

 ブルー・ティアーズの中から、無機質な音声が静かに響く。

 

 

 

(残り2機…居ない!?)

 

 2機のビームビットはいつの間にかティアーズの直ぐ傍まで戻っていた。

 それらに向かって、ビームミニガンと滑腔砲による一斉射撃を行おうとする昭弘。

 

 だが、速い。

 ティアーズは、まるで悶え苦しむ蛇の様な軌道を描きながら超高速でグシオンに接近してくる。両肩付近には2機のビットを浮遊させていた。

 

ミ゛ィ゛ィン!!ミィミィィン!!ミ゛ィ゛ィ゛ィ゛ン゛!!

 

デュゥーーン!!デュデュデュデュデュデュゥン!!!

 

 2機のビットとアサルトモードのスターライトMkⅢによるビームの嵐を食らい、グシオンのSEが大きく減少する。

 

(チィッ!さっきのミサイルビットと言い、公式戦の映像を当てにしすぎたな。だがもうここまで来れば小細工は関係ねぇ。そうだろうオルコット)

 

 昭弘も賢しい思考は頭の角に追いやり、負けじとビームミニガンと滑腔砲で応戦する。

 

 

 

 観客スタンドは熱狂の渦に包まれていた。

 先程の退屈な鬼ごっこが一変、フィールド内では激しい銃撃戦が繰り広げられていた。

 

「アキヒーもセッシーもカッコイ~~!」

 

「ああ!本当に凄いぞ昭弘!」

 

 箒もまるで野球観戦でもしている様に、らしくもなく握り拳を高く掲げてしまう。

 

 2機共「動く」「狙う」「撃つ」という動作の他に「操る」という動作まで取り入れていながら、動きの精細さをまるで欠いていないのだ。その様は最早芸術的とさえ言えた。

 狂笑を浮かべながら区画シールド沿いを流水の如く動き回るセシリアとブルー・ティアーズは、生徒たちを大いに魅了した。その美しい黄金色の髪に余りにも不釣り合いで不気味なバイザーが、その魅力に拍車を掛けていた。

 そしてそんなティアーズを機械的な無表情で迎え撃つグシオンは、生徒達に大いなる恐怖と畏怖を抱かせていた。

 

 

 更に戦いは熾烈さを増していく。

 ティアーズは、両肩に浮遊させていたビットを自身から遠ざけるとまるでグシオンを囲い込むかの様に「ティアーズ、ビット、ビット」による3方向からのオールレンジ攻撃に出たのだ。

 

 グシオンはこれを生物的な機動を以って躱していくが、何発か直撃してしまう。

 しかしグシオンは区画シールドを背にする事で死角を減らし、オールレンジ攻撃の効果を半減させる。まるでシールド上を脚部スラスターで滑る様に移動しながら攻撃を掻い潜り、ビームミニガンと滑腔砲にて応戦する。

 

 そして滑腔砲が放った炸裂弾頭がビット付近で爆発し、ビット1機を撃破する。

 未だにSE残量ではティアーズが上だが、ビット1機が落とされたことにより少しずつ昭弘に軍配が傾き始める。

 

 

 

(チィッ!ですが未だSE残量はこちらが上!)

 

 なればやることは単純にして明確。こちらのSEが尽きる前に、グシオンのSEを削り切るのみ。

 セシリアはそう己を鼓舞し、今迄以上にグシオンに接近しながらビームの雨を降らせる。

 

 彼女は決して負けられない。一夏の為に。

 そう、彼は言ってくれた。真心の籠った「頑張れ」を。

 なれば「頑張った末に負ける」のでは無く「頑張った末に勝つ」事こそが、大好きな彼への手向けとなるだろう。その想いは、昭弘を学園から追い出したいという邪な思いを優に凌駕していた。

 

(にしても強い。私が今迄戦ってきた者達の中でも、恐らく3本の指に入る程に)

 

 今のセシリアは、昭弘をモルモット呼ばわりしていた数分前の自分を恥じていた。それ程迄に、セシリアから見て昭弘の実力は別格であった。

 

 

 

(なんつー気迫だ。ビット1機落としたってのにまるで勢いが衰えねぇ)

 

 「それ程自分をこの学園から追い出したいのか」とも昭弘は考えたが、やはり違う。たかがその為だけに、これ程迄にねばるとは昭弘には思えなかった。

 もしかしたら、彼女もまた自分と同じく何か“譲れないモノ”の為に戦っているのかもしれない。

 

 だが負けられないのは昭弘も同じだ。家族を侮辱した事、セシリアに絶対謝らせねばならない。

 

 昭弘は全ての銃口を残りのビット1機に向ける。

 その際ティアーズからの猛攻を受けてしまうが、最後のビットの撃破に成功する。

 

 

 

(もうビットが!?しかし奴のSEも残り僅か。後はこちらが先に削り切れば!)

 

 

 

(後少し!後少しだ!!絶対こっちが先に削り切る!)

 

 お互いに譲れない想いをトリガーに込め、そして唯々指を引き続ける。今の2人には最早「回避」という考えすら無かった。

 

「ウォ゛ォ゛ォ゛ォ゛ォ゛ラ゛ァァァァ!!!」

 

ドゥルリリリリリリリリリリ!!!

ダダォォン!!ダダォォン!!

 

 

 

「ア゛ア゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛!!!」

 

デュデュデュデュデュデュデュデュデュデュデュデュデュデュデュゥン!!!

 

 

 

ビーーーーーーッ!!!

 

 試合終了のブザーが、アリーナ全体に短い静寂をもたらす。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《ブルー・ティアーズ!SEエンプティ!!勝者、昭弘・アルトランド!!》

 

 管制塔からのアナウンスが鳴り響いた数秒後、観客スタンドからはまるで雪崩の様な拍手喝采が巻き起こった。

 

 

 

 セシリアは、俯きながらビットに戻ろうとする。その表情は情けない自身を卑下している様であり、去れど後悔の色はどこにも見当たらなかった。

 

 すると昭弘から専用回線で通信が入る。

 

「…何ですの?謝罪でしたら来週の月曜日にちゃんと…」

 

《その件じゃない》

 

 昭弘に自身の言葉を遮られ、僅かに眉を顰めるセシリア。

 

《…お互い良い戦いだった。…そんだけだ》

 

 セシリアはそんな昭弘の言葉に少し驚いた顔をすると、口角を僅かに上げながら言葉を返す。

 

「…ええ、()()()()()()

 

 この日、漸くセシリアは昭弘のことを苗字で呼んだ。




やっとだ・・・やっと話を進められる。

追記:第55話にて、グシオンの装甲変化に関する説明を描写しておきました。


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第5話 悔いの無い

・・・・・・アレ?何か気が付いたら一夏との戦闘が長くなってしまった。
もっと手短に済ませようと思ってたのに・・・。
きりが良いのでこのまま投稿します。



 一夏はピットにて静かに待機していた。

 ピット内は一夏以上に静寂…と言う訳でも無く、僅かな機械音がそこら中から聞こえてくる。そんな小さい環境音に耳を傾けながら考えていることは無論、次の対戦者のことだ。

 

(次は昭弘が相手か…。けど流石に1戦目程の緊張は無いな。さっきの戦いで、白式(こいつ)の扱い方も何となく解ってきた)

 

 無論一夏は、昭弘に敵う等微塵も思っていない。

 昭弘の勝利の報は、一夏にもしっかり届いていた。あのセシリアに勝つのだから、少なくとも自分より格上の実力を持っていることは明白。

 それでも、やれるだけのことはやる。「まだ初心者だから」という言葉を言い訳にはしたくない。それに、どんな状況だろうと本気でやらなければ、今まで練習に付き合ってくれた箒や昭弘に失礼だ。何より“男”らしくない。

 

(…やってやるさ。オレは家族を…千冬姉を護れる男に…)

 

 最愛の家族を護る。それは果たして目標か目的か、それともただの願望なのか。

 それは不可解にも、一夏本人ですら解らない。

 

《織斑、向こうのエネルギー充填と武器・弾薬補充が完了した。いつでも行けるぞ》

 

 そんなことを考えていると、管制塔からの千冬の声がピット内の環境音を掻き消す。

 

「…了解」

 

 一夏は短くそう答えると、白式を展開し純白の装甲を身に纏う。

 

《織斑及び白式、発信準備完了。どうぞ!》

 

 管制塔からの通信を受け、ピットからフィールドを見上げる。

 

「織斑一夏、白式。行きます!」

 

 1対の非固定式の美しき機械翼を羽ばたかせ、一夏と白式はフィールドへと飛翔する。

 

 

 

 フィールド上には既にMPSを纏った昭弘が待機していた。

 ハイパーセンサーで敵機の名称や特徴等を確認すると、一夏は先程の試合とはまた違った緊張感を味わうことになった。

 

(アレが昭弘のMPS『グシオンリベイク』か…。武装は主に射撃兵装…なのかな?なんと言うかこう、フルフェイスって不気味だよな。表情が分からないのが不安感を煽るって言うか…。あとカッコいい、ツインアイの部分とか)

 

 今回昭弘は、最初からグシオンリベイクで出撃することにしたのだ。

 全体的な性能では、重装甲グシオンよりグシオンリベイクの方が上だ。敵機の情報がほぼ無い状況ならば、後者を選ぶのが妥当であろう。

 

《そんなに気張んな織斑。好きなようにやりゃいい。オレもちゃんと“本気”で行くから安心しろ》

 

「お、おうよ!オレも本気で行くぜ!!(生きて帰れるかなオレ!?)》

 

 緊張を解すために放った昭弘の一言は、一夏にとっては却って重荷となってしまった様だ。

 それでも一夏は不器用なりに自身のことを気に掛けてくれた昭弘に、重荷以上の感謝も感じていた。

 

(よし!最初は“アレ”で行くか!)

 

 一夏は、頭の中で最初に自身が起こすべき行動を既に決定していた。

 

 

ビーーーーーーーーー!!!

 

 試合開始のブザーが鳴る…と同時に。

 

バォンッ!!

 

 一夏が最初に取った戦法は、言うなれば“先手必勝”であった。

 まず一夏は、試合開始のブザーが鳴ると同時に瞬時加速を敢行。機動性と加速力に優れた白式の爆発的なスピードで、自身とグシオンとの間合いを一気に潰そうとする。

 それと同時に零落白夜を発動させる。

 

 その様はまるで隼だ。しかし、一夏の行動は昭弘に完全に読まれていた。

 グシオンも又、試合開始のブザーが鳴ると同時に大きく右方向へとスラスターを吹かした。直進しかできない瞬時加速の弱点を突いたのだ。これにより、一夏にとって渾身の一撃は空しく宙を斬る。

 白式が態勢を立て直している隙を昭弘が見逃してくれる筈も無く、先程のセシリア戦と同じように「M134B ビームミニガン」2丁と「炸裂弾頭搭載型滑腔砲」2丁による一斉射撃を行った。

 

ドゥゥゥリリリリリリリリリリリリリ!!! ダダォーーン!! ダダォーーーン!!

 

 それらをモロに食らってしまった白式は、SEを大幅に減少させてしまう。

 一夏は自身の作戦を悔いるよりも前に、グシオンの変貌っぷりに驚愕の色を示していた。

 

(なんじゃありゃ!?腕が背中から更に2本生えてきたぞ!?)

 

 一夏が驚愕している間にも、グシオンの猛攻は絶え間無く続く。未だ戦闘経験の浅い一夏は、それらの攻撃を必死に避ける事しかできない。

 

 

 

 観客席にて、箒は2人の試合を固唾を吞んで観ていた。余りにも一方的な試合を。

 一夏は今もグシオンの猛攻を必死に掻い潜ってはいるが、いくら機動力に長けた白式でもあれだけ濃密な弾幕を全弾回避できる筈も無く、少しずつ白式の被弾数が増えていく。

 対するグシオンは、未だにスラスターによるものでしかエネルギーを消費していなかった。

 

 箒は、正直なところ2人の勝敗なんて求めてはいなかった。

 勿論、同じ剣術家であり想い人である一夏にできれば勝って欲しい気持ちはある。だがそれ以上に、互いに悔いの無い戦いをして欲しいのだ。

 しかしそんな儚い願望とは裏腹に、現実的な結果は箒にだって目に見えている。

 

 白式には射撃武装が存在しない。増してや一夏はほぼ初心者。そんな状況で昭弘の様な歴戦のパイロットにああも弾幕を張られてしまえば、最早攻め入ることなんてできない。

 セシリア戦では相手が油断していたというのもありビームを上手く無効化することで善戦できたが、今回は訳が違う。昭弘に油断や慢心なんて一切無いし、ビーム兵器とは言え速射能力の極めて高いミニガンが相手では零落白夜で弾くにも限界がある。しかもそれが2丁。更には実弾を搭載している滑腔砲まである。

 

 ここまで条件が揃ってしまえば、一夏の惨敗は最早決定事項と言っても過言では無い。

 箒は、自分はつくづく我儘な女だと己を責めた。何が悔いの無い戦いだ。初心者とは言え一夏は一方的な猛攻に晒され、昭弘は心を鬼にして嬲りたくもない一夏を嬲り続けねばならない。

 一体これの何処に悔いの無い戦いがあるというのか。そんなもの、自分の身勝手な願望でしか無いというのに。

 

 

 

(クソッ!シールド残量は…16%か。流石にもうキツイな…)

 

 ひたすらに前向きな一夏でも、この状況は最早絶望的としか言えなかった。否、考えが甘すぎたのだ。敵わないことは分かっていたが、それでもここまで一方的な試合になるなんて思いもしなかったのだ。

 慢心していたセシリア相手に多少善戦した程度で何を浮かれていたのだと己を責めようとする前に、昭弘から通信が届く。

 

《織斑。言っておきたい事がある》

 

 攻撃を続行しながら通信を入れる昭弘に、一夏は驚く。返す余裕なんて今の一夏には何処にも無いので、そのまま黙って聞くことにした。

 

《箒にいいとこ魅せてやんな》

 

 その言葉は、まるでこの瞬間の為にあるが如く一夏の心の奥へと急速に浸透していった。

 そうだ、いつもずっと一緒に居てくれたあの娘。苦言を呈しながらも、どんな時でも自身を支えてくれたあの娘。それは、此処IS学園に来てからも変わらなかった。

 そんなあの娘にせめてもの恩返しがしたい。喜ぶ顔が見たい。自身のかっこいい所を魅せてあげたい。

 あの娘に対して“悔いの無い”顔をしていたい。

 

(そうだ!未だ試合は終わってねぇ!!何かある筈だ!一矢報いることができる何かが!!)

 

 一夏は、何か使えるモノが無いかと回避を続けながら周囲を見渡す。すると、あるモノが自身の目に飛び込んできた。

 フィールドを囲む観客席のスタンド。そのすぐ外側から聳え立っている、フィールドを照らす照明だ。

 それを見た一夏は、心の奥底から叫んだ。

 

「ソレだぁァァァァァ!!!」

 

 叫ぶと同時に照明のある方角へと突っ込んでいく一夏。今までとは違い馬鹿正直に一直線な軌道だった為に、白式の被弾率はさらに上昇する。

 シールド残量は5%、もう零落白夜は使えない。

 

(けどっ!ならせめて一撃だけでもッ!!)

 

 

 

 昭弘は照準を白式に合わせたまま、一斉射撃を続行していた。一瞬たりたも白式への視線を外さずに…しかし、それが却って仇となってしまった。

 白式が向かった先は、丁度照明とグシオンとの中間点に位置する空間だった。当然、白式から視線を外さなかった昭弘は白式の後方から光る照明をも視線に捉えてしまう。

 

(ッ!?しまった!逆光か!)

 

 突然自身の目を通じて脳内へ雪崩れ込んでくる膨大な光の束に、昭弘は反射的に右手を眼前に掲げてしまう。

 

《隙有りィィィィィィィッ!!!》

 

 その隙を一夏は逃すこと無く、ここぞとばかりに瞬時加速を使う。逆光を背に超高速で突っ込んで来る白式は、流石の昭弘でも正確な視認が困難であった。

 

(“迎撃”間に合わねぇ。“腰部シールド”間に合わねぇ。“回避”間に合わねぇ。…食らうしかねぇか)

 

 一瞬でそう判断した昭弘は、両腕の肘を曲げて眼前で交差する。更に両脚も同じように曲げて交差し、まるで蹲るかのような防御姿勢をとる。

 

ガゴォォン!!!

 

 一夏は、雪片弐型を袈裟懸けの要領でグシオンの真正面に叩き込んだ。

 最早捨身の突進の様な白式の斬撃に、後方へと大きく押し出されるグシオン。しかし、フィールドの区画シールドに激突するギリギリの所でどうにか踏みとどまる。

 白式は瞬時加速とグシオンに突撃した際の衝撃によって、遂にシールド残量が0という数値を迎えてしまう。それに呼応する様に、白式も青白い粒子へと形を崩していく。

 

 白式の展開維持が限界を迎え、落下しそうになる一夏を昭弘は右腕で優しく抱き止める。

 

《白式、SEエンプティ!勝者、昭弘・アルトランド!!》

 

 アナウンスと同時に、先の試合に負けない位の歓声と拍手が響き渡る。

 確かにシールド残量的には昭弘の圧勝だが、一夏による捨て身の斬撃は2年生3年生からも感銘の声が上がっていた。

 

「昭弘ッ!やった!やったぜ!?オレッ!」

 

 敗者であるにも拘わらず、まるで勝者の様な雄叫びを上げる一夏。その理由は正に“悔いが無いから”その一言に尽きるであろう。

 昭弘はそんな一夏に対し、フルフェイスマスクの中で優しく微笑み返す。例え一夏に見えなくとも。

 

《ああ、本当に良くやった。にしても無茶をする、最後の逆光からの突撃は流石に焦ったぞ》

 

 一夏の大胆な戦術をそう評価すると、昭弘はハイパーセンサーを使って箒の姿を探す。一夏に、箒に、今のお互いの表情を見せてあげたかったのだ。

 

「…お!居たぜ箒!昭弘のすぐ後ろ。区画シールドを跨いだスタンドの最前列」

 

 そう言われて振り返ると、満面の笑みでこちらに手を振っている箒がそこに居た。

 

「…箒があんなに笑うとこすげぇ久しぶりに見たな」

 

 そう言って、一夏も満面の笑顔で手を振り返す。

 

 

 

(…何だか、先程の自分が馬鹿馬鹿しく思えてくるな)

 

 箒は夢中で手を振っていた。先程の陰鬱な彼女は、もう遥か彼方へと吹き飛んでしまっていた。そう、ただ2人を信じて見届けていれば良かったのだ。

 

 そんな箒に気づいて笑顔を浮かべる一夏を見て、箒は嬉しさの余りはしたなくも手の振りを激しくしてしまう。

 

 対する昭弘は箒を見ているだけに留まり、マスクのせいで表情も見えなかった。

 

 箒は、そんな昭弘の静かな反応に一抹の寂しさを感じた。

 その感情は、幼い頃箒が一夏と離れ離れになってしまった時のモノと少し似ていた。

 

 

 

(折角の2人だけの時間だ。オレまで顔出して手を振るのは野暮ってもんだな)

 

 この時、昭弘は気が付かなかった。箒は一夏だけでなく、昭弘に対しても手を振っていたということを。

 

 

 

 

 

 こうして、短い様で長いクラス代表決定戦は幕を下ろした。




えっ?未だにMPSの説明も他のISキャラとの進展も無い?
次回から描写していける・・・といいなぁ・・・。


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第6話 夫々の思惑と夫々の謝罪

―――――4月15日(金) 某時刻―――――

 

 2人の教師が、人払いが為されている映像資料室にてある映像とデータを照らし合わせていた。

 映像はISとMPSによる模擬試合を映したモノだ。

 

 肝心なのはデータだった。

 有り得ない数値が出ていたので、真耶は千冬に再度訊ねる。無論、計器の方には異常など無い。整備課のお墨付きだ。

 

「……織斑先生、確認なのですがISと搭乗者との『シンクロ率』は高くても80%前後、最大でもあなたと『暮桜』の92.7%…そうですよね?」

 

「ああそうだ」

 

 この『シンクロ率』という数値が高ければ高い程、搭乗者の思い描いた通りの生物的な空中機動が可能となる。

 

「では、アルトランドくんとグシオンの数値…シンクロ率99.4%。この数値が示す意味って…」

 

 普通に考えれば有り得ない数値だが、昭弘は神経を有線で機械側と直結させている。そうなれば話はまた変わってくる。

 

「…MPSは分からないがISならこのシンクロ率が100%に達した場合、ISとその搭乗者は理論上完全に“一体化”する」

 

 一体化すると搭乗者がどうなってしまうのかは、千冬にも真耶にも分からない。前例なんて無いのだから。

 

 兎も角、先ずは昭弘の体調面や精神面に気を配るしかない。彼女達にとってはMPSなど未知数な代物だ、心配し過ぎるに越したことは無い。

 

「可能であれば2週間に1回のペースでアルトランドの身体検査やメンタルチェックも行うべきだろうな」

 

「はい…そうですね」

 

 2人は教師として、生徒の安全を第一に考えることにした。

 

 それでも2人にとって、グシオンは余りにも不可解なことが多すぎた。

 ISにはそのコアが放つ識別信号があるが、グシオンからの信号は少なくとも純正のISコアでは有り得ない反応が検出された。この反応からして、少なくともグシオンは擬似ISコアにより動いていると2人は判断した。無いとは思うが、純正ISコアの信号を「何らかの方法」で改竄している可能性も頭に入れている。

 

 シンクロ率がMPSとその搭乗者にどんな影響を及ぼすのかもまるで不明だ。

 映像からも、ブルー・ティアーズとグシオンはほぼ互角の戦いをしている。ティアーズとセシリアのシンクロ率は77.3%。そのティアーズと互角と言うことは、MPSにとってシンクロ率とはそこまで重要なファクターでは無いのかそれとも…

 

 一つだけ解ったことと言えば、グシオンの装甲がISの纏っている部分装甲とほぼ同じ原理で稼働しているということだけだ。

 堅牢な装甲を更にエネルギーシールドで覆っている所だけは、ISと変わらない仕様らしい。

 

 

 ある意味一夏以上の爆弾かもしれないと千冬は心の中で呟き、右手で目尻を抑えながら真耶と共に映像資料室を後にした。

 

 有機体の消えた室内には、大小の機械が今迄と何ら変わりなく並んでいた。

 

 

 

 

 

―――――4月17日(日) 21:32―――――

 

 昭弘は寝間着姿のまま、自室の窓から唯々外を眺めていた。

 その日の分の筋トレもノルマは達成し、明日の授業の予習も済んでいた。この時間帯は、アリーナのスケジュールが埋まっているので機動訓練もできない。箒と一夏も明日に備えてもう寝ているかもしれないので、彼らの部屋にお邪魔するのも遠慮しておいた。

 

 特にやることが無いので唯何となく気晴らしに外を眺めていたのだ。

 と言っても、時刻はすでに21:30を回っている。窓越しに昭弘の目に入る景色は、暗黒の中でポツンと照明に照らされながら不気味に輝くアリーナAくらいだ。

 

ピロリロリロン ピロリロリロン ……

 

 唐突に昭弘の液晶携帯が静寂の中で鳴り響く。

 深緑色の外殻で覆われた液晶携帯の画面に表示されている名前を見て、昭弘は表情を曇らせる。電話越しだろうと、彼にとって余り積極的には話したくない人物だった。

 そんな思いの中、昭弘は渋々と電話に出る。

 

《夜分遅く失礼致しますぅ↑》

 

 男性にしては若干高く独特な発音をした若々しい声が、電話越しに昭弘の脳を揺らす。

 

 この男こそT.P.F.B.の代表取締役であり、束と“秘密の契約”を結んだ張本人『デリー・レーン』である。生粋のアメリカ人だ。

 束とT.P.F.B.との取引がスムーズに進んだのも、この男の異常に早い決断力のお陰である。

 

 束から持ち掛けられた取引は、昭弘の阿頼耶識システムに関する技術の譲渡であった。

 束は昭弘の背中に埋め込んである阿頼耶識のピアスは自分が創り出したと嘘を吐き、阿頼耶識の技術をT.P.F.B.に“条件付き”で提供したのだ。無論、束への見返りは無い。

 その「条件」とは

 

 1.今後、昭弘・アルトランドのMPSの戦闘データを私「篠ノ之束」を通じてT.P.F.B.に送ることになるが、その際のデータに関しては決して余計な詮索を入れないこと。

 

 2.送ったデータはあくまで兵器としてのMPSの性能向上や量産化の為だけに使い、それ以外の用途を禁ずる。

 

 3.今後、MPSと少年兵に使われている有機デバイスシステムの総称を『阿頼耶識システム』と改名すること。

 

 デリーはこれらの条件を受けて尚、この取引に快く乗った。MPSに関する最新の技術を無償で提供してくれる様なものだ。

 無論デリーは不気味な程にこちらが有利な取引に裏を感じなかった訳でもないが、取引相手は世界を揺るがすあの大天災。無下に断ったとしたら何をされるか分かったものではない。だからこそ、彼は危険を承知で即決したのだ。今後どんな災厄が起ころうと、今滅ぼされるよりはマシなのだから。

 

 束もデリーのその即決さと狡猾さが解っていたからこそ、この取引をT.P.F.B.に持ち出したのである。

 

「何の用だ?グシオンの戦闘データならもう束がそっちに送った筈だが」

 

《もぉそんな冷たい反応しないで下さいよぉ~~。さぁ気を取り直してぇ↑先ずは昭弘様、遅くなってしまい恐縮ですがセシリア・オルコット嬢への勝利、おめでとうございますぅ↑!》

 

「…そいつぁどうも」

 

 デリーからの祝福の言葉に、昭弘はどうでも良さそうに返事をする。

 

《それにしても素晴らしいデータでしたよぉ↑!やはり天災様様でございますなぁ。あの戦闘データさえあれば、従来のMPSなど比較にならない強力なMPSが作れること間違い無し!》

 

 と、技術部の連中が呟いていたらしい。勿論、昭弘の操縦技術が勝敗を分けたことはデリーも重々承知している。

 

 T.P.F.B.は“人体”側の阿頼耶識システム技術はもう持っているが、“MPS”側の技術は束から与えられていない。理由としてはやはり、グシオンに純正のISコアが使われている事実が大きい。

 ISコアは現状束にしか作ることができない。グシオンのデータをそのままT.P.F.B.に送ったとしても、擬似ISコアしか作れない彼等ではデータの扱いに困り果てるだけだ。

 ISコア内の詳細な技術データ込みで送り付けることも可能ではあるが、そうなると束にとって不都合が起きるのだ。自身の計画の為にも、彼等の様な武器商人にISそのものを“兵器”として量産化されてしまっては堪ったものでは無い。

 

 だからこそ束は、グシオンのデータを彼等でも()()()()()ようにする為「グシオンによる戦闘データ」を更に束が“編集”したモノを送り付けているのだ。彼等に渡ったら不味い情報を改竄するという意味合いも含めて。

 態々IS学園で戦闘データを取るのも、有名なIS操縦者との戦闘の方がデータに箔が付くからである。理由としてはもう一つあるが、ここでは省略する。

 

 恐らくデリーも、戦闘データが後から手を加えられていることは察している。彼にとっては、利益にさえなればそれで良いのだろうが。

 

「そんなことよりアイツらは元気にやってるか?」

 

《おや気になりますかぁ?元気も元気ぃ↑ですよぉ↑》

 

 “アイツら”とはT.P.F.B.の本社支社の警備に就いている少年兵達のことである。本社等の重要な拠点においては、MPSで武装させている場合もあるのだ。MPSのデータを取らせる意味合いも有るのだろう。

 ただ彼等も表面上は義手義足等を開発・販売する真っ当な企業。MPSの存在が公となる訳にもいかないので、待機中のMPSを戦力として駆り出すのはあくまで最終手段だ。

 

 昭弘も束と共にT.P.F.B.本社へ訪れた際、彼等少年兵に会っていた。皆生き生きとしており、私兵として雇ってくれたT.P.F.B.には感謝してもしきれないといった思いを持っていた。

 

 昭弘はそんな彼ら少年兵の笑顔を見て、T.P.F.B.に対し複雑な感情を抱いた。

 昭弘はT.P.F.B.のことが正直気に入らなかった。子供を商売の道具にすることがどれ程薄汚れたものなのかは、昭弘自身がその身をもって体験している。“物”としてぞんざいに扱われる日々、過酷で危険な仕事、いつ死ぬかもしれないという恐怖。それと同じことを、T.P.F.B.が子供たちにやらせていると思っていたのだ。

 だからか生き生きと仕事に励む少年たちを見て、昭弘は何が正しいのか何が間違っているのか解らなくなったのだ。分かったことは、彼等少年兵がT.P.F.B.を慕っているということだけだった。

 

 昭弘は、そんな彼等少年兵のことを唯々心配する。昭弘にとって彼等の境遇は最早他人事ではない。

 変わらず元気にやっているのか、T.P.F.B.の技術者共に騙されてはいないか。今の自身と似ている様で似ていない境遇の彼らを、昭弘は気にかけずにはいられない。

 

《彼等にも本当に感謝してますよぉ↑。彼らが我々を護ってくれているからこそ、我々も日々の業務に集中できる訳ですからねぇ↑。貴方様のことも「MPS乗りの誇りだ」と良く言っておられます》

 

 昭弘は、このデリー・レーンという男に対して束とはまた違った不気味さを感じていた。

 少年兵を商品や実験体としか思っていない割には、まるで彼らに敬意を払っているような素振りも見せる。昭弘に対してもそうだ。物としか見ていない癖に、今回の様に不必要な連絡を入れてくる。デリーが何を考えているのか、昭弘には良く解らないのだ。

 それとも、社会に身を置いている商人という人種は皆こうなのだろうか。

 

 一先ずこの男には仕事のこと以外では関わらないようにしようというのが、昭弘の出した結論だった。

 

「アイツらが変わらずやっているならそれでいい。そんじゃもう切るぞ?明日も早いんだ」

 

《はいは~い↑!もし差し支えなければ束様にも宜しく言っておいて下さいましぃ↑。何故か我々からでは一切連絡が取れませんのでぇ》

 

「わかった。そう伝えておく」

 

 そう短く返すと、昭弘はそそくさと逃げるように通話を切った。

 その後昭弘は静かにベッドに腰を下ろす。考えることは“今の自分”についてだった。

 

 自分は本当に此処に居ていいのだろうかと、昭弘はそう思わずにはいられないのだ。

 本来なら昭弘は、彼等少年兵と同じ道を辿っていたかもしれないのだ。それが何の因果か篠ノ之束という天災に偶然拾われ、此処IS学園という学校で平穏な日々を送っている。

 昭弘は、そのことに少なくない罪悪感を覚えているのだ。自身がこうしている間にも彼等少年兵は戦場で生きるか死ぬかの瀬戸際であり、大人たちから理不尽な暴力を受けている。

 

ゴッ!!

 

 昭弘は、右拳の甲の部分で己の額を殴った。

 

(しっかりしろ!どんなにウジウジ考えたところで過去は変えられねぇ)

 

 変えられないのなら、今も戦っている少年たちの分まで今を必死に生きるしかないのだ。

 昭弘はそう自身に言い聞かせて、半ば無理やりプラスの思考へと引っ張ろうとする。

 明日からまたIS学園(此処)での日常が始まるのだ。自身の身勝手な罪悪感にクラスメイトまで巻き込む訳にはいかない。

 

 そんなことを考えながら昭弘は部屋の明かりを消しベッドに潜り込み、瞼を閉じる。

 

 此処での日常に備えて。

 

 

 

 

 

―――――翌日 08:11―――――

 

 屈強な男が、その風貌に似つかわしくない制服をキッチリと身に纏いながらIS学園の廊下を歩いていく。

 

 すれ違う女子生徒たちは、そんな彼を見ると反射的に目を逸らしてしまう。理由は簡単、恐いからだ。しかし少数派ではあるが彼の制服越しでも解る屈強な肉体を一目でも拝もうと、頬を赤く染めて凝視している女子生徒も居るには居る。

 そんなすれ違う女子生徒たちの反応に一切動じず昭弘は1年1組の教室に辿り着き、扉を左に引いて入室する。

 

「おはよう」

 

 昭弘はそう短く朝の挨拶を発する。

 

 箒、一夏、本音の3人が自然な調子で昭弘に挨拶を返すと、他の生徒達もそれに続いて若干震えが混じった声で昭弘に返す。

 

 昭弘が座席に着いた直後、同じく教室右前方の扉がガラリと引かれ、セシリアが入室してくる。

 彼女は先ず皆にさらりと挨拶すると、直ぐ様一夏の下へと軽やかな足取りで駆け寄る。

 

「一夏!おはようございますっ!」

 

「おっ!?おう、おはよう()()()()

 

 桃色の笑顔で挨拶をしてくるセシリアに、一夏は困惑しながら返す。

 そんな馴れ馴れしく自身の想い人に近づくセシリアを、鋭く睨みつける箒。

 

「わ~いセッシーだ~おはよ~。ぎゅ~~っ」

 

「はぁ…はいはいおはようございます布仏さん」

 

 毎日どれだけあしらってもそれを上回る勢いで距離を縮めてくる本音に対し、セシリアは諦めの籠った挨拶をする。

 

「その…挨拶をする度に抱き着いてくる癖はどうにかなりませんの?」

 

「だって~~セッシーは抱き着き心地が良いというか~」

 

「何ですの抱き着き心地って…」

 

 セシリアは困惑と疲労が混ざった表情をしながら、後ろから抱き着いている本音の拘束を優しく解く。

 

 

 そんなセシリアが、本日最初の目的を果たすべく向かうは昭弘の席だ。

 そして早くも、座していて尚巨大な青年と真正面から対峙する。

 

 1年1組に一週間半ぶりの緊張が走る。今度は何を言う気なのだと、ビクビクしながら皆は2人の様子を伺う。一夏は不安気な表情で2人を見つめ、箒は既に臨戦態勢でセシリアを注視している。正に虎と龍の再会だ。

 しかしセシリアの表情からは、昭弘に対する侮蔑の様なものは感じられなかった。

 

 直後セシリアは身体を前方へ90度に曲げて、その姿勢を維持しながら次の言葉を発した。

 

「昭弘・アルトランドさん。貴方の背中の突起物を皆の前で侮辱したこと、心の底から後悔しておりますわ。…大変、申し訳ございませんでした」

 

 その言葉に皆唖然とする。あのプライドの塊の様なセシリアが、あれだけ忌み嫌っていた昭弘に謝罪したのだ。しかも、あんなにも腰を折り曲げながら。

 昭弘が口を開こうとするより前に、セシリアが謝罪を続ける。

 

「それと…貴方をモルモット呼ばわりしたことに関しても猛省しておりますわ。既に口から出てしまった言葉が消せないことは重々承知しておりますが、それでも謝らせて下さい。本当に、申し訳ありませんでした」

 

 昭弘は意外そうな顔をしながら、未だに腰を深々と折り曲げるセシリアを見る。あの時の口約束に、その件まで謝って貰うとは一言も言っていなかったからだ。

 セシリアは姿勢を元に戻すと、真剣な、と言うよりも何処か悔しげな面持ちで更に言葉を連ねる。

 

「貴方が今迄どの様な血の滲む努力を重ねてきたのかは、私にも測りかねます。確かな事は、貴方が私よりも“強い”ということ。出自等関係無く、その一点だけは私も認めざるを得ませんわ」

 

 セシリアがそこで言葉を区切ると、今度は昭弘が口を開く。

 

「…ならばオレからも謝罪の言葉を贈らせて貰おう。オルコット、すまなかった。オレもアンタを誤解していた」

「だがあの戦いでオレも気づいた。アンタにも譲れない何かがあるということをな」

 

 謝罪の後そうセシリアのことを評すると、徐に右手を差し出す。

 

「だからまぁ今までの事は水に流して、仲良くしてくれると嬉しいんだが」

 

 セシリアもまた呆気に取られていた。

 まさかアレだけ罵声罵倒を浴びせた相手から逆に謝罪されるとは夢にも思わなかったのだ。しかも極めつけには仲良くして欲しいと来たものだ。

 ここまで来るとお人好しを通り越して何か裏があるのではないかと、貴族特有の勘繰りが働いてしまうセシリア。

 

 そういった勘繰りを抜きにしても、セシリアは昭弘とは特別仲良くなろうとは思わなかった。

 無論昭弘への謝罪の気持ちは本物であるし、自身よりも腕が立つ強者だということも認めてはいる。しかし、それが仲良くする理由にはならないのだ。

 

 実際セシリアは少年兵への憎しみを捨てた訳ではないし、昭弘とMPSの背後関係への疑念も失ってはいない。

 何より彼女自身、昭弘とは馬が合わないと分かりきっていたのだ。貴族令嬢と元少年兵。考え方や価値観が余りにもかけ離れている事は、火を見るより明らかだ。それに先の戦いでも解ったことだがお互い我が強く、それこそ相手が負けを認めるまで己を貫き通そうとする。

 自分と彼は正に水と油だ。

 

 そんなことを考えながらも、温和な笑みを浮かべたセシリアは昭弘からの握手をきっちりと右手で握り返す。

 

「…ご厚意、感謝致しますわ。しかしながら単刀直入に言わせて頂きますと、「仲良くする」ことに関しては丁重にお断りさせて頂きますわ。気の合わない相手と無理をして仲良くする程、私も大人では御座いませんの」

 

 どうやら振られてしまった様だ。

 たがそれならそれで構わない。無理して仲の良い振りをするのも可笑しな話だ。

 故に昭弘は握手の意味合いを少し変える。

 

「それじゃあこれは“仲直り”ではなく、“互いの強さを認める”握手にしないか?」

 

 昭弘がそう提案すると、セシリアも笑みの種類を温和から不敵へと変貌させて同意する。

 

 

 そのやり取りが終わると、クラス中から安堵の息が漏れる。

 この一週間ずっと2人の間で険悪な雰囲気が続いていたのだ。まるで骨を抜かれた様に、皆の身体から力が抜けていく。

 

「えぇ~?セッシーとアキヒーにはもっと仲良くなって欲しいのに~~」

 

 どこか不満そうな顔をしながら発言する本音に、セシリアの不敵な笑みは困惑に上塗りされる。

 

「そんなこと言われましても…」

 

「オレも2人にはできれば仲良くなって欲しいなぁ」

 

 今度は一夏がそう言うと、セシリアは途端に態度をコロっと変える。

 

「一夏まで!?…一夏がそう仰るのでしたらまぁ…仲良くしてやっても良くってよ?アルトランド」

 

 唖然。

 さっきまでの貴族令嬢らしい貫禄は、一体何処に置き去ってしまったのだろうか。「恋は盲目」とは恐ろしい言葉であると昭弘は実感した。

 そんなことを考えながら、昭弘は心底呆れ果てた視線をこれでもかという程にセシリアへ向ける。

 

「む?何ですのその目は?それよりホラぁ前言撤回ですことよぉ?貴方の望み通り仲良くして差し上げますわよぉ?一夏の為に

 

 セシリアから挑発的にそう言われると、昭弘は先程の自身の発言を心底悔やんだ。そしてこの『捻くれ貴族令嬢』を突き放す様に次の言葉を放った。

 

「…オレも前言撤回だ。お前とだけは死んでも仲良くならん」

 

「なっ!?全くこれだから野蛮人は!柔軟な考え方を持ち合わせていないのですわね!」

 

「何が柔軟な考え方だ。大好きな誰かさんに振り向いて欲しいだけだろが」

 

 普段の仏頂面で冷たくそう返すと、セシリアは大袈裟に取り乱す。

 

「何故そのことを!?」

 

「…逆にアレで隠していたつもりなのか?」

 

 昭弘の爆弾発言も、「誰のことだろう」と首を傾げる一夏には被弾しなかった。お前のことだよ朴念仁。

 

「兎に角!私と仲良くなさいアルトランド!」

 

「断る」

 

「しなさい!」「断る」「しなさい!」「断る」「しなさい!」「断る」

 

 まるで子供の様な押し問答を繰り広げる2人に、周囲は再びの困惑を迎える。

 

「良かった~。オリムーのお陰で2人とも仲良くなった~~」

 

「いや…多分違うと思うぞ?うん」

 

 本音の楽観的な発言に、冷静なツッコミを入れる一夏であった。

 

 

 一方で、事態の余りの急展開についていけなかった箒であった。




こんな感じに仕上がりました。
ISとのシンクロ率云々は完全にうろ覚えです。
あと、ようやくT.P.F.B.のトップの名前と声だけ出すことができました。
昭弘のリミット解除は大分先になるかと思いますが、今後の展開に乞うご期待ください。
最後に、のほほんさんかわいい。


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第7話 戦士たちへの労い

今回は日常回です。
話は中々進みません。あと、チッフが若干ポンコツ化してる・・・かもです。
ISの実技演習や鈴の登場は次回に持ち越しちゃいます。すみません。


―――――4月18日(月) 08:30―――――

 

 朝のチャイムが鳴ると同時に、千冬と真耶が1年1組へ入室する。

 

 クラス全員の出席を取り終えいよいよSHRへと入る前にセシリアが挙手し、この場を借りての発言を求めてきた。

 内容は、平たく言えばクラスメイト皆への謝罪であった。この1週間自身の高圧的な態度や聞く者を不快にする様な発言をしてきたこと、昭弘に対して行ったソレと同じく謝罪したのだ。一夏に対しては特に大袈裟に今までの無礼を謝罪した。 

 そして、今後ISに関して何か解らないことがあったなら是非自分のことを頼って欲しいとも。

 一応、先程未だ教室に居なかったクラスメイトにも配慮して、昭弘には既に謝罪を行った旨も説明しておいた。

 

 皆、そんなセシリアの謝罪を快く受け入れてくれた。

 

 

 そんな訳で少し遅れてSHRが始まった。時間も押しているので、千冬は間髪入れず議題に入った。

 

「ではこのSHRを利用して、()()クラス代表を決めたいと思う」

 

 千冬のその発言に、クラス中が頭に疑問符を浮かべる。クラス代表は昭弘で決定した筈では、と。

 

 皆の疑問を無言から汲み取った千冬は、したり顔で説明する。

 

「何も私は勝った者をクラス代表にするとは一言も言っていないぞ?」

 

 千冬の答えに、皆呆気に取られるが同時に安堵もしていた。入学初日程ではないにしろ、未だクラスメイトの大半は昭弘への苦手意識が拭えていない。

 では何の為の模擬試合だったのかとセシリアが抗議する前に、千冬は話を進める。

 

「クラス全員に再度問う。誰が良いと思う?()()()()は問わん」

 

 千冬がそんな一声を投げかけると、そう短くない静寂が1年1組を支配した。

 しかし、1分程経過するとやがて挙手をする者が現れた。それはセシリアではなく、以外にも一夏であった。

 

「チフ…織斑先生、その……オレにクラス代表をやらせてくれませんか!?」

 

 突然の申し出に、クラス中が一夏へ視線を送る。

 

「ほう随分な気の変わり様だな?」

 

 そんな口調の千冬に対して一夏は彼女が理由を求めているのだと解釈し、これまでの気持ちの変化を語り始める。

 

「最初に他推されたのは、正直嫌でした

 

 ISに関して殆ど知識も無く動かし方すら良く解ってない状態では、絶対無理だと頭を抱えたくもなろう。おまけにIS自体にも興味関心が薄いようでは、ヤル気も起きまい。

 

「けどこの一週間皆からISについて色々教わって、改めて「ISって面白いな」ってなったんです。何よりセシリアや昭弘との模擬戦を通じて、もっともっと強くなりたいと思うようになったんです」

 

 皆の助力が着火材となって、一夏の心に火を付けたのだ。

 

「だからクラス代表をやってみようと思ったんです。代表になればISについて色んな角度から関われるようになるかもだし、 模擬戦の機会も増える」

 

 流石に「千冬姉を護りたいから」とは、この場では言わなかった。

 そこまで言い終えると、一夏は申し訳無さそうに周囲を見渡してから再び口を開く。

 

「…クラスの皆にも迷惑を掛けるかもしれません。1組への指導方針だって、オレに合わせることになるんだろうし。もしそれでも良いと言うなら、オレがクラス代表になっちゃ…ダメですか?」

 

 一夏のその真摯な態度に、千冬は一瞬だけ柔らかい笑みを溢すと再びクラス全員に向き直る。

 

「だそうだ。皆、織斑がクラス代表となることに異議はあるか?」

 

 千冬からの確認に対して、先ずは昭弘とセシリアが返す。

 

「それだけ意欲が有るんなら、オレは一夏がクラス代表で異論は無いっす」

 

「私も、今回の模擬戦で少し頭を冷やしましたわ。冷静に考えてみればクラスの皆さんには失礼かと思いますが、私やアルトランドの実力に合わせるとなると皆さんもついていけなくなると思いますし」

 

 2人の意見を聞くと、千冬は「他には?」と周囲を見渡す。

 

「私も織斑君で良いと思いまーす」

 

「私もそう思います。というか先の模擬戦を観た限りだと、少なくとも私たちよりかは実力あると思いますし」

 

 一応、反対者は出なかった。納得の行かない顔をした生徒も若干名いたが、意見を口に出さない以上数には含めない。

 

 もう少しだけ周囲を見渡すと、千冬は締切に入った。

 

 

 

―――廊下にて―――

 

 朝のSHRも終わり、千冬と真耶は職員室へと歩を進めていた。

 すると千冬は、真耶からの懐疑的な視線に気づく。

 

「どうした?山田先生。私の黒髪に白髪でも混ざってたか?」

 

 等と千冬がすっとぼけると、真耶は皮肉交じりに言葉を放つ。

 

「…良かったですね。()()クラス代表が決まって」

 

「全くだ。これで君も解っただろう?私の考えが」

 

「…織斑先生、失礼を承知で訊きますがまさか「結果オーライ」だなんて考えていませんよね?」

 

 真耶が笑顔で且つ静かな怒気の入った声で尋ねると、千冬はまるで悪さをして飼い主に問い詰められてる家犬の様に首ごと真耶から視線を逸らす。

 

「お・り・む・ら・せ・ん・せ・い?」

 

 そう言いながら真耶が千冬の顔面がある方に回り込むと、千冬は観念したのか深く息を吐いた後素直に白状した。

 

「…ああ、君の想像通りだ。今回の模擬戦については、完全なる「結果オーライ」だ」

 

「…つまり「戦わせれば何とかなるのではないか?」…こういうことですね?」

 

「…………うむ」

 

 その力無い返答を聞いた真耶は、呆れによって身体中の空気が抜けた様に首をガクンと下げてしまう。

 確かに結果だけ見れば実に素晴らしいものだ。昭弘とセシリアの険悪さは成りを潜め、クラスの雰囲気も良くなり、おまけにクラス代表も無難な人選となった。

 しかしまた別の結果も有り得たのだ。やり方としては千冬らしいが、真耶は千冬が「凄さ」と同時に併せ持つ「危うさ」をも改めて実感した。

 

 今後は、自分も副担任としてしっかりせねばと真耶は今迄以上に「教師」として意気込んだ。

 ただ、未だに罰の悪そうな顔をしている千冬を見て「流石に言い過ぎたか」と思い至った真耶は、千冬のフォローに入る。

 

「まぁその…織斑先生のそういう大雑把な所も含めて、私は貴女を尊敬していますよ?ただ、今後は私にも是非意見を求めて下さいね?私はインターン生ではなく、副担任なんですから」

 

 真耶の露骨なフォローを察したのか、千冬は苦笑いを覗かせながら返答する。

 

「ありがとう山田先生。私よりも君の方が余程教師らしいよ」

 

「そ、そんなこと無いですよ!私だって、今回のクラス代表選出は傍観していた様なものですし」

 

「HAHAHAHA!まぁ、お互い今回のことを次の糧にしようじゃないか。なんせ我々は、教師としてはまだまだ未熟も未熟なのだからな」

 

 何やら開き直るための出汁に使われた気がしないでもない真耶であった。

 

 そんなことを考えていると、千冬がもう既に10歩程前を歩いているので慌てて真耶は追いかける。

 

 

 

 

 

―――放課後―――

 

パァン!!パパァン!パン!

 

 食堂にて、軽快なクラッカー音が空間を震わせる。

 

「「「「「織斑くん!クラス代表就任おめでとうございまぁす!!」」」」」

 

 困惑する一夏を他所に、勝手に盛り上がり始める1年1組のクラスメイトたちであった。

 

 一夏のクラス代表就任を記念して、食堂を使ったパーティが開かれたのだ。放課後且つ他の部活動の迷惑にならないという条件付きで、許可が下りた。

 実は今回のパーティ、入学初日から相川らが密かに計画していたものだった。食堂の貸し切りも、先週の月曜日に済ませておいたらしい。凄まじい行動力である。

 一応IS学園の防音対策はしっかり為されているし、学食周囲には決まった部活動も無いので特に問題は無い。実際此処は、放課後クラスの集まりに偶に使われていたりする。

 

 一夏の両脇には、右手側にセシリア左手側に箒が控えており両者の間で陣取り合戦が行われていた。

 昭弘は、そんな三者の様子を少し離れた所から微笑ましく見ていた。

 

「貴様!さっきから鬱陶しいぞ!」

 

「鬱陶しいのは貴女ですわ!」

 

 箒とセシリアが言い争っている間に、今度は他の女子生徒たちが一夏の隣を陣取る。

 

 一夏は心底疲れ切った眼だけを昭弘に向けて助けを求める。

 

(オレが行っても周囲の居心地が悪くなるだけだしな…)

 

 そう申し訳なさそうな顔をしながら、昭弘は一夏の懇願の眼差しから目を背ける。

 

 昭弘の表情を見て、一夏は自身の懇願とは関係無しに一抹の虚しさを覚える。折角のパーティで友人が一人で居るのは、一夏にとっても気分の良いものではないだろう。

 一夏は未だセシリアと口論を続けている箒にアイコンタクトを送ると、一夏と付き合いの長い箒はそれだけで彼の考えを察した。

 

「あっ!織斑くん!何処行くの?」

 

「ちょっ!篠ノ之さん!逃げる気ですの!?」

 

 2人して昭弘の方に向かうと一夏が昭弘の右肩、箒が左肩を掴み半ば強引に昭弘を連れて行こうとする。

 

「いやしかし、オレまで居るt「「いいから来い」」…わかったよ」

 

 有無を言わせぬ2人に押し切られた昭弘は、後ろめたい気持ちを隠しながら皆が居るテーブルへと赴く。

 

「わぁ~~い、アキヒーも来た~~」

 

「一夏のご厚意に感謝することですわねアルトランド」

 

 本音とセシリアが対照的な反応をしながら昭弘を迎え入れた。

 

 昭弘が来た途端、やはりと言うべきか先程の賑わいがピタリと止んだ。

 連れてきた張本人である一夏と箒も、どうにか話題を切り出そうと必死に頭を振り絞る。がしかし、いくら頭を捻ってもクラスメイトと昭弘との共通の話題が見つからない。すると―――

 

「…皆はもう学校生活に慣れたか?」

 

 意外にも、昭弘からクラスメイトに話しかけてきたのだ。

 

「えっ?あ…はい、それなりには…」

 

 一人がそう答えると、昭弘は静かに笑みを溢しながら返した。

 

「そいつは何よりだ。オレはまだまだ此処での生活に慣れてなくてな。皆はどうなのか、少し気になってたんだ」

 

「そうなんですか?」

 

 谷本が意外そうな反応を示す。昭弘が余りに普段から落ち着いてる為、もう慣れたものとばかり思っていたのだ。

 

「そんなこと無いさ。何せ今迄、此処とはまるで違う世界で生きてきたんだからな」

 

 昭弘が今迄やってきた事は、平たく言えば“人殺し”だ。確かに鉄華団を立ち上げてからは強い目的意識を持つようにはなったが、仕事の内容は以前とほぼ変わることはなかった。

 束達と過ごした2ヶ月間を以てしても、昭弘の根幹に染み着いた“日常”までは変わることが無かった。

 

 そんな昭弘にとって此処IS学園は、言うなれば「別の惑星」に等しい場所であった。

 子供が誰一人として武装しておらず、 緊急時に“殺す殺される”と言うこと自体想定されてないのだ。

 「先生」と呼ばれる大人たちも暴力を振るうどころか常に子供たちを心配しており、暖かい目で見守っている。少なくとも昭弘にとって大人は子供を殴って当たり前、子供は大人に殴られて当たり前だった。

 他にも細かい違いは有るが、挙げるとキリがないので省略する。

 

「本当に此処は何もかもが違う。勿論それは良いことだ。この一週間と少しの間で誰も死んでいないのが、その理由だ」

「誰一人死ぬことなく、皆日々の勉学や活動に生き生きとしながら取り組んでいる。…時々オレは思うんだ、此処は「天国」なんじゃないかってな。実際のオレは()()()()()()()()()()()、今迄頑張ってきたオレへの褒美として誰かがこの平穏な世界をくれたんじゃないかってな。まぁ実際に人を殺しまくったオレが、天国に行けることはないと思うが」

 

 クラス一同、真剣な面持ちで黙って昭弘の話を聞いていた。そして、その途方もない位に異なる“価値観”を脳内にしっかりと刻んでおいた。

 学校という閉鎖された空間、決して楽ではない授業、人間関係、規則・規律。自ら望んで入学したにしろ、彼女たちにとってそんな日常は決して天国などではなかった。そんな当たり前の日々の繰り返しも、昭弘にとっては1日1日が掛け替えの無いモノなのだ。

 

 そんなことを考えただけで、彼女たちは自分自身が酷く情けなく思えてしまう。これだけ恵まれた環境に身を置いていると言うのに、何を日々の学校生活に疲れた気でいるのかと。

 

「話が長くなりすぎたな。…そういや、今回のこの「パーティ」とやらは誰が企画したんだ?」

 

 昭弘が周囲にそう尋ねると、相川が吃りながら名乗り出る。

 

「わ、わわ、私ですっ!その…お気に召してくれましたか?」

 

 パーティの主役は一夏だから自身に訊くのは筋違いな気もすると昭弘は考えたが、彼女の為にも素直に答える事にした。

 

「まぁ、皆で騒ぐのは存外嫌いじゃない」

 

 昭弘の返答を聞いて相川は胸を撫で下ろし、緊張で強張っていた表情を緩ませる。

 確かに、主役が居るとは言え皆で楽んでこそのパーティだ。だからか相川なりに、折角のパーティで少し距離を置いている昭弘のことが少し気懸りだったのかもしれない。

 

 

 その後は雰囲気も元に戻り、彼女たちの雑談は続いた。

 

「ねぇねぇ!オルコットさん!“アレ”やってよ!」

 

 アレとは何の事か身に覚えの無いセシリアは、クラスメイトからの“謎の要求”に首を傾げる。

 

「ホラ!この前アルトランドさんと戦った時のあの“凶悪な笑み”!私達アレ見てオルコットさんのファンになっちゃったんだよねぇ!」

 

 彼女達4人の瞳は、期待の光で満ち溢れていた。

 

「は、はぁ…(何ですのこの方たちは!?俗に言うマゾという奴ですの!?)」

 

 内心で動揺しながらも、セシリアは彼女たちの要求に応えようとする。

 この1週間クラスの雰囲気を少なからず悪くしていたので、少しくらいならクラスメイトからのお願いには応えたいのだ。一夏との絡みを邪魔されたのは癪だが。

 

 一つ小さくため息を吐きながら、セシリアは彼女たちに向き直る。

 

……ギロリ

 

「「「「きゃーーーーーッ!!!」」」」

 

 黄色い歓声が食堂に響き渡る。

 

 対して引き攣った笑いを浮かべるセシリアは、彼女たちから僅かに距離を取る。

 

「確かにかっこいいな!やっぱアレか?お嬢様が普段見せない「ギャップ」みたいなのもあるのかな?」

 

 一夏からそう言われて、セシリアの引き攣った笑みは満面の笑みへと変貌する。脳内が一夏が関わるとお花畑に変貌する苗床にでもなっているのだろうか。

 

 そんなセシリアに、箒は嫉妬の眼差しを向けながら呟く。

 

「フン!馬鹿共が」

 

「お前も一夏にやってみたらどうだ?」

 

 脳内が一夏が関わると沸騰する鍋になっている箒は、昭弘の言葉で取扱説明の通り顔を赤く染める。

 

「だ、誰がやるか!」

 

「えぇ~?しののんもやってよぉ~~」

 

「布仏さんまで…」

 

 流石の箒も本音の頼みは中々断れないのか、一夏に顔を向けることにした。結局やるようである。

 

「うん?どうした箒?」

 

 地よりも深く呼吸をし、顔の表情を両手で軽く解すと自身の思い描いた「かっこいい笑み」を浮かべる。

 

………ギロリッ

 

「うぉ恐ッ!?ど、どうした箒!?オレまた何かやらかしたか!?」

 

「死ねぇぇぇぇぇぇ!!!」

 

 箒は一夏に向けた“表情”をそのままに、椅子を両手でブン回しながら一夏を追い回す。

 

 取り敢えず、暴れる箒を止める為に重たい腰を上げる昭弘。

 熱せられた鍋を持つ時は必ず取っ手を掴むのだぞ昭弘。

 

 

 

 その後、新聞部副部長『黛薫子』が食堂へと訪れ、昭弘・一夏・セシリアに今回の模擬戦についてインタビューを繰り出していった。

 ただこれらは彼女にとって前座で、最大の目的は1年1組の記念撮影だ。いくら記事が面白くとも、写真が無ければ華がない。

 

 まさかのサプライズに歓喜の叫び声を上げる1組一同は、黛の指示に従って早速並び始める。

 

「そうそう!織斑くんが真ん中に…ってこらこらオルコットさん篠ノ之さん!織斑くんを取り合わないの!アルトランドくんは…そうだ!腕を組んで端っこで仁王立ちしてみて!良いねぇ!!何か担任の先生みたい!顔はもっと眉間に皺寄せて…そうそう!コワカッコイイ!」

 

 暫くして全員顔が見える位置に並び終えると、黛がシャッターを切る。

 

「はいそんじゃ撮るよぉ!あいえすぅぅ~?」

 

「「「「「がくえぇぇ~~~ん!!!」」」」」

 

カシャアッ!

 

 

 

 

 

 クラス代表就任パーティも終わり、パーティ用の装飾で彩られていた食堂は普段通りに戻っていた。

 

 辺りもすっかり暗くなっている中、学生寮の裏庭にて昭弘と箒は斜面になっている芝生の上に腰掛けていた。一夏達には、話があるからと先に帰って貰っている。

 

「んで、話って何だ?また一夏関係か?」

 

「まぁ、それ()ある」

 

 「も」と強調した部分が昭弘は気になるが、取り敢えずこちらから切り出してみることにした。

 

「今回は()()()()だったんじゃないか?あそこまでお前が露骨にアピールしたんだ。流石の一夏も“何か”は感じたろう」

 

 そう言われて箒は仏頂面に照れを見せるが、何故か嬉しさの他に僅かな不満を覚えた。原因は当の箒にも解らない。

 

「それと同じ位オルコットの邪魔も入ったがな」

 

「しょうがない。男のオレから見ても、一夏は十分ハンサムの部類に入る。倍率も高くなるさ。大体、周囲を蹴落としてでも独り占めしたいものなのか?皆で仲良く愛せばいいじゃねぇか」

 

 昭弘の意見に、箒は激しく反論する。

 

「そんな訳が無いだろ。好きな相手に一番に愛されたいのは、男女問わず当たり前の感情だ」

 

 一夏は私だけのものだ。要するに箒はこう言いたいのである。一見身勝手かも知れないが、日本での恋愛とはそう言うものだ。

 

「じゃあ蹴落とされた奴はどうなる?皆が皆、負けて「はいそうですか」と引き下がるのか?」

 

「ッ!……敗者のことなど知らん」

 

 箒がそう突っ返すと、昭弘はそれ以上何も言わなかった。これ以上は、自分の考えや常識を相手に押し付けている様で気分が悪い。

 箒の一夏についての話は、昭弘の奇妙な恋愛観のせいで途切れてしまった。

 

 暫く両者の間で沈黙が続くと、またも昭弘から言葉が投げかけられる。

 

「さっき「それもある」と言ったが、もう一つの話ってのは何だ?」

 

 そう言われて箒はハッと顔を上げる。それは「話したいこと」と言うより「訊きたいこと」と言った方が正しい表現だった。

 

「…その、無理に答えなくてもよいぞ?」

 

 言ってみろと、昭弘は顎を軽く上下させて箒に促す。

 

「……ラフタという女性だ。一体どんな人だったんだ?」

 

 そう、箒は昭弘と初めて会った時からそのことがずっと気になっていた。今の今迄、一夏の特訓やら何やらで訊く機会が中々無かったのだ。

 確かにあの時の昭弘の取り乱し様を見たら、どんな人間なのか気にもなる。今思えば随分こっ恥ずかしい間違えであった。

 

 ま、ラフタの為人くらいなら話してもいいだろう。組織やモビルスーツの部分を伏せればいいだけだ。

 

「名前は『ラフタ・フランクランド』。兎に角明るい人だったな。年上とは思えないくらい、普段から元気と活気で満ち溢れていた。ムードメーカーって奴だったのかもしれん。結構好戦的な部分も多かったがな」

「金髪で髪を後ろで2つに縛っていてな、あとマニキュアとかいうのを爪によく塗っていた」

「それに、オレは彼女のことを人として尊敬していた。未来をしっかり見据えていて、そこに続く道を臆せず選択できる人だった」

 

 箒は昭弘からラフタの詳細を訊いて、自虐じみた笑みを浮かべてしまう。

 

「私とは真逆だな、ラフタさんという人は。会っただけで嫉妬してしまいそうだ。まぁ好戦的な所は似ているかもしれんが」

 

「…もう二度と逢えないがな」

 

 昭弘の反応を見て、箒は自身の何気ない一言を心の奥底から悔やんだ。

 

「す、すまない昭弘」

 

「フッ、気にすんな」

 

 その後、またも沈黙がその場を支配する。風によって草木の擦れ合う音だけが、その裏庭に響いていた。

 そんな沈黙の後、今度は箒から口を開く。

 

「…昭弘はその女性(ひと)のことが“好き”だったのか?」

 

「!…―――

 

 

―――――ぎゅーーーーーっ!!!―――――

 

 

―――…異性として意識していたのは確かだろうな。だがそれが恋心だったかどうかは、オレにも解らん」

 

 好きな異性を独り占めしたい気持ちが解らないのは、ハーレムと言う恋愛観を前世で学んだからというだけではない。昭弘自身、恋愛というものが何なのか良く解っていないからだ。

 

「そうか…」

 

 「恋心かどうか解らない」…箒は何故か、その言葉に強い“親近感”を覚えた。一夏に恋してるのは間違いないのにだ。

 

バンッ!

 

 箒が謎の親近感に浸っていると、唐突に昭弘の巨大な平手が箒の背中を襲う。

 

「お前も今自分が抱いている想いを大事にしろよ?そしてそれが恋心だと解っている内に、とっとと一夏に告っちまえ」

 

 ラフタの話の後だからか、箒には昭弘のその言葉に今迄以上の重みを感じた。

 

「…ありがとう昭弘」

 

 箒はそう言うと、昭弘は優しく微笑んでくれた。

 

 昭弘と話していると落ち着く。何でも余計な反応をせず聞いてくれるから、他人には話したくない事もつい昭弘には話してしまう。そして的確で気持ちのいい助言を与えてくれて、最後にはごく小さくだが笑ってくれる。

 幼馴染とも違う、ただありのまま全てを受け止めてくれる山脈の様な優しさを昭弘は持ってる。

 

 箒はそんなことを思いながら、昭弘と共に寮の正面入口へと歩いて行った。

 

 

 

「お帰り箒…ってどうした?熱でもあんのか?」

 

「…へ?」

 

 一夏にそう言われて初めて、箒は昭弘の微笑みを見た後から自身の頬が紅葉していたという事実に気づいた。

 

 本当に箒は身勝手だ。一番好きな人に一番愛されたいと言っておきながら、自身は無自覚にももう一人愛してしまっているのだから。



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第8話 来襲、中国娘

今回は意外と早く投稿できました。・・・内容は薄いかもですが。

そしてまさかのUA10000突破!
これも普段から愛読してくれている皆さんのお陰です!
それと、いつも誤字報告をしてくれる方、本当にありがとうございます。いや・・・あれでも投稿する前にちゃんと見直してるんですよ?・・・いやマジで。

それと、今更クッソ恥ずかしいミスに気づきましたが、「滑空砲」じゃなくて正しくは「滑腔砲」でした・・・。後で修正しときます。大変申し訳ございませんでした。


―――――4月19日(火) 夜―――――

 

 IS学園の正門前、一人の少女が仁王立ちしていた。

 女子の中でも比較的小柄で、茶色の髪は丁度両側頭部辺りで結んでいた。左右に伸びるそれは彼女の両肩より内側の部分で重力に逆らえなくなり、両肘より奥まで垂れるしかない。

 顔の各部位はどれも整っており十分美人の部類に入るのだろうが、彼女の表情からは勝ち気で血気盛んな雰囲気が伝わってくる。

 

 何故彼女が態々夜に訪問したのかと言うと、簡単に言えば道に迷ったのである。

 電車の乗り間違えが何度も重なった結果、日中に訪問する予定が大幅に狂ってしまったのだ。既に液晶携帯の履歴には学園からの着信が積み重なっていた。

 しかし彼女はそこまで動揺している様子は無く、寧ろ「遅れてしまったものはしょうがない」といった感じで開き直っていた。

 

「此処が『IS学園』ね」

 

 そんな彼女は、自身の身長に似つかわしくない巨大なボストンバッグを肩に掛けながら翡翠色の美しい瞳を輝かせていた。

 

「待っていなさいよ!一夏!」

 

 その名を嬉しそうに口に出すと学校の敷地に足を踏み入れるべく、歩を進める。

 

「……まっ、乗り越えちゃってもいいわよね。一応学園には遅れるって言っといたし」

 

 彼女自慢の身体能力で閉まり切っている正門を乗り越えると、センサーが反応して警報が鳴り響いた。

 

「うわっ!…ま、まぁアタシは明日から『此処の生徒』なんだし守衛さんたちも多めに見てくれるっしょ!」

 

 等と言った彼女の希望的観測は空しく駆けつけてきた警備隊からは厳重注意を受け、確認を取る為警備隊に呼ばれたIS学園の教員からもこっ酷く叱られ、彼女は転入前日から流したくもない涙を流す羽目になってしまった。

 

 

 少々みっともない登場を果たしてしまったが、彼女の名は『凰鈴音』。中国の代表候補生であり、此処IS学園の新たな仲間である。

 

 

 

 

 

―――――4月20日(水) 2時限目―――――

 

 その時刻は晴天。と言う程でもなく、見上げた先の青空と比較して4割程の雲が掛かっていた。

 

 場所はIS学園グラウンド。時々太陽の眼前を通過する羊雲が、ISスーツを纏って整列した1年1組の生徒たちの頭上を影となって覆ったり通り過ぎたりを繰り返している。

 そんな中、彼女たちの多くは何故か顔を赤くしながら目のやり場に困り果てていた。原因は寒さでは無く、ある人物の服装にあった。

 

「これよりISの機動演習を行う!まだ肌寒い季節だが辛抱してくれ!」

 

 白いジャージに身を包んだ千冬が、クラス全体にそう告げる。千冬の隣には昭弘、一夏、セシリアの3人が控えていた。

 すると千冬はクラスメイトたちの赤面に気付き、恐らくその原因であろう人物に訊ねる。

 

「…先の模擬戦時も思ったがアルトランド、ISスーツのデザインはもう少しどうにかならなかったのか?」

 

「オレはかっこいいと思うけどなぁ」

 

「えっ?…そ、そうでしょうか」

 

 昭弘のISスーツは、言うなればかなり際どいデザインをしていたのだ。

 全体的に黒色で、丁度心臓の部分には「白い炎」のようなイラストが描かれていた。そして、右脇腹付近には『T.P.F.B.』のロゴマーク。

 下半身はレギンスの様なモノを履いており、丈は足の踝まで伸びていた。しかし女子のまるでスクール水着の様なISスーツ同様素肌との密着率は極めて高く、昭弘の麗しい筋肉がそのまま浮き彫りになっていた。流石に()()()()()()まではその限りでは無かったが。

 上半身は更に凄まじい。最早タンクトップとほぼ同形であり、本来襟で覆われている筈の部分からは昭弘最大のチャームポイントでもある大胸筋が姿をチラつかせていた。そして何よりスーツ越しに筋肉が浮き彫りになっているどころか素肌に色を塗っただけなのではという程に、スーツが昭弘の筋肉に減り込んでいた。

 

 要するに途轍もなく“ガチムチ”な状態なのだ。

 

 因みにこのスーツの発案者はデリー本人である。何でも見る者にインパクトを与える為とか。

 

「…同種のISスーツしか持ってませんが」

 

 一体何の問題があるのだろうと、昭弘はキョトンとしながら訊き返す。

 

「年頃の女の子に見られて、何か思うことは無いのか?」

 

「いえ特には…」

 

 前世では上半身裸で過ごすことも多かったからか、この程度の露出なら気にもならない昭弘。例えそれが異性の前だったとしてもだ。

 余りにも昭弘があっさりと否定するので、千冬は最早問い詰める気も失せたのか溜め息交じりに次へと進む。

 

「…まぁいいだろう。さて諸君!先ずはこの3名による飛行演習を見学してくれ。それが終わり次第、諸君らにも訓練機『打鉄』に搭乗して貰う!」

 

 グラウンド脇には、訓練機『打鉄』が10機程並んでいた。

 

 先ず千冬が3人に出した指示は、IS及びMPSの展開であった。

 各々がIS・MPSを展開する中、皆まじまじと昭弘によるMPSの展開を凝視していた。

 

 各々が小声で感想を述べている中、昭弘とセシリアの展開は完了した。

 しかし、一夏だけは多少時間がかかってしまった。

 

「少し遅いぞ織斑。実戦じゃ相手はお前の準備を待ってはくれないのだぞ?」

 

《はい!すいません!》

 

 千冬の叱責に、一夏は素直に返事をする。クラス代表である彼は、こんなことでへこたれる訳には行かないのだ。

 更に千冬が次の指示を飛ばす。

 

「今度は3人揃ってその場から急上昇しろ!上空300mの所で静止。そこまで到達したら3分程好きな様に空中機動をやってみろ」

 

ドヒュゥッッ!!

 

 ブルー・ティアーズとグシオンリベイクはほぼ同時に離陸をし、ほぼ同時に目標地点に到達した。

 白式は最初の加速が遅れた為か、若干後に目標地点に到達する。

 またもや、千冬から叱責を受ける一夏であった。

 

「頭に角錐を思い浮かべる…上手く行かないなぁ…。スペック上は、加速やスピードなら白式がこの中で一番上な筈なのに…」

 

 自身に何が足りないのだろうと思い悩む一夏に、セシリアは優しく声を掛ける。

 

《焦る必要はございませんことよ一夏。さぁ?私と手を繋いで、少しずつ空中機動に慣れて行きましょう》

 

 がしかし、そのセシリアの提案に昭弘は反発する。

 

《いや逆だ。一夏、厳しいかもしれんが今の内に少し無茶な機動もやるぞ》

 

 セシリアが折角一夏と良いムードになろうと思っていた矢先に昭弘からの横槍が入ったので、当然彼女は気分を害する。

 

《お前の意見は聞いていませんことよアルトランド。大人しく私と一夏のフォローに入っていれば宜しいのですわ》

 

《放課後のアリーナ使用時間は限られている。こういう時に少しでも激しい機動に慣れておくべきだ》

 

《お前は教員でもない癖にそんなことを初心者同然の一夏にやらせて、彼や地上に居る皆様の身に何かあったらどう責任を取るつもりですの?》

 

《寧ろそうならない為のオレ達だろうが。そろそろいい加減にしとけよ?》

 

 ジワリジワリと、2人の間に存在する大気が歪んでいく様に一夏には見えた。

 セシリアはまるで蛇の様な鋭い視線を昭弘に送り、昭弘はグシオンの表情無きツインアイを不気味に光らせている。

 一夏はただオロオロしながらそんな2人を見ている事しかできなかった。

 

《おいお前らぁ!!喧嘩も良いがもう1分が過ぎたぞぉ!》

 

 ハイパーセンサーが拾った千冬の一声に、2人は我に返る。

 

《…すまなかった一夏。オレ達がフォローに入るから好きな様に動いてみてくれ》

 

《申し訳ございませんでした一夏…》

 

「お、おう!」

 

 一夏は内心千冬に感謝の言葉を送りながら、改めて2人の気の合わなさに戦慄した。

 

 

 3人の空中機動が終わった後、最後に千冬は急降下からの急停止を3人に命じた。目標は地上10cm。

 ティアーズとグシオンは丁度いいタイミングで態勢を立て直し、脚部スラスターを上手く利用して地上10cmでの急停止に見事成功した。

 一方の白式は完全に初速を誤り、猛スピードでグラウンドへと突っ込んで行ってしまった。地面に激突しそうになるところを上手いことグシオンとティアーズがキャッチしたお陰で、グラウンドに穴を開ける様な事態にはならなかった。

 

 その後は、打鉄を使っての本格的な機動演習へと入っていった。

 昭弘たちも他のクラスメイトを教えるべく、グラウンド内を行ったり来たりしている。

 

 

 

《浮いた浮いた~!。セッシーあっちの方行ってみるね~~》

 

《ちょっとお待ちなさい布仏さん!勝手にウロチョロしないで下さいまし!》

 

《えへへ~こっちこっち~~》

 

《お待ちなさいったら!!》

 

 

 

《緊張すること無いぞ谷本。いざISに振り回された時はオレが力尽くで押さえ付ける》

 

《はっはいぃぃっ!!》

 

(…増々緊張させちまったか?)

 

 

 

「ISを動かすことに慣れていない内は、先ず両腕両脚に重しを付けている状態をイメージしろ。いきなり生身の時と同じ感覚で動こうとすると、ISに振り回されるだけ振り回されて終了だ」

 

《はいっ!織斑先生!!》

 

 

 

「だっ大丈夫ですよ!?篠ノ之さん!こ、怖がること無いですよ!?」

 

《分かりましたから山田先生こそ落ち着いて下さい!》

 

 

 

 等と言った具合で、どうにか時間内に全員ISに乗ることができた。

 

 

 

 

 

 2時限目が終わった後の休み時間、1年1組はある話題で持ち切りだった。

 何でも今月末にクラス対抗戦があり、優勝クラスには学食のスイーツが半年間食べ放題になるとか。

 

「昭弘、確かクラス対抗戦って各クラス代表によるトーナメント戦だったよな?」

 

「ああそうだ。スイーツだかには興味無いが、お前にとっても今後に向けての良い刺激になるんじゃないか?」

 

「余り気負いすぎないことだ。だが普段世話になってる皆の為にも、無様な試合をしたらぶっ飛ばすからな?」

 

「箒お前!そんなこと言われたら嫌でも気負うわ!」

 

 3人が普段通りの会話をしていると、最近ではすっかり昭弘グループに入り浸りなセシリアも混ざってきた。

 

「一夏。どちらにしろ現時点で他クラスに専用機持ちは存在しません。訓練通りに戦えば、十分勝ち越せるかと」

 

「そんなに凄いのか?専用機って…」

 

 そう、それだけ専用機は桁違いの性能を有している。誰にでも扱える汎用型で生産性を重視している量産機とは異なり、その一個人の為だけに創り上げ、生産性をまるで無視した最新科学の“結晶体”。それが専用機と呼ばれる所以なのである。

 他のクラスメイトも、セシリアの発言に便乗する。

 

「セシリアさんの言う通りだよ!アタシたちなら楽勝だって!」

 

「そうそう!例の転校生の話も気になるけど、スイーツ無料券は1組のモノも同然!」

 

 その「転校生」という単語を聞き、昭弘たちは「この時期に?」と疑問を浮かべる。

 

 直後…

 

 

「その情報!古いよ!!」

 

 

 突如1組の右前方出入口からやけに凛々しい声が…否、()()()()()()()()()()()かの様な声が聞こえてきた。

 

「2組も専用機持ちがクラス代表になったの。そう簡単に勝てるとは思わないことね」

 

 その“謎の人物”の姿を見て、一夏は目を丸くする。

 

「……鈴?お前鈴か!?」

 

「そう!中国代表候補生『凰鈴音』よ!!久しぶりね一夏」

 

 鈴音がそう決め台詞気味に返すと、一夏は苦笑いを隠しながら感想を述べた。

 

「そのキャラ全然似合ってないぞ?」

 

「う、煩いわね!」

 

 鈴音は一夏の感想に顔を真っ赤にしながら反応を返す。

 どうやらこちらの表情が、彼女にとってのデフォルトらしい。

 

 対して、箒は冷たい視線を一夏と鈴に送る。

 

「そろそろ2人がどういう関係なのか聞かせて貰えるか?」

 

 そう箒に凄まれ、一夏はおずおずと鈴音との関係を説明する。

 昭弘も一夏と親しい人間ということで興味があるのか、彼の話に耳を傾ける。

 

 話によると、鈴も箒と同じ幼馴染とのことだ。

 箒は小4の時に一夏の学校から他県へ引っ越してしまい、鈴は小5の時に箒と入れ違える様に一夏の学校へ転校してきたのだそうな。

 

 一夏が説明を終えると、鈴音は何故か得意げな表情を浮かべて箒に視線を送る。

 その箒にとって余りにも分かりやすい挑発に対し、彼女も負けじと嘲笑を浮かべながら左手を差し出す。

 

「篠ノ之箒だ。宜しくな、2 番 目 の 幼 馴 染 殿 ?」

 

「宜しくね~、遠 い 過 去 の 幼 馴 染 さ ん ?」

 

 両者はそう言いながら()()()()()()()()()と、引き攣った笑いを浮かべながら相手の左手を握り潰さん程に目一杯力を込めた。

 がしかし。

 

ゴスッ

 

「イタッ」

 

 昭弘が箒の頭に軽く手刀を入れたことにより、両者の睨み合いは一先ず中断される。

 

「初対面の相手に対してそれは無いだろう箒。()()で握手をし直せ」

 

「し、しかしだな昭弘」

 

「ホ・ウ・キ」

 

「…あーもう分かったよ昭弘!」

 

 昭弘に威圧され渋々右手を差し出す箒。鈴音もソレに倣って、半ば投げやりに右手を突き出す。

 両者が一瞬だけ握手を交わすと、昭弘は鈴音に弁明する。

 

「悪かったな凰。オレは『昭弘・アルトランド』だ」

「こいつもちと不器用なだけで、別に悪気は無いんだ。大目に見てやってくれ」

 

 昭弘がそう言うと、鈴音は顎に右手を当てながらまるで品定めするかの様に昭弘を見据える。

 

 昭弘・アルトランド。男性でも扱えるパワードスーツ『MPS』の(公式上では)最初の搭乗者。彼のIS学園入学が決定した時は、流石に鈴音も“不気味な何か”を感じた。IS至上主義の権化とも言われるあの国際IS委員会が、こんなにもあっさりとISの紛い物とその搭乗者の入学を認めるとは鈴音にはとても思えなかった。

 何か“裏”がある。根拠は無いが鈴音はそう睨んで、必然的に昭弘への警戒度も上げていた。

 

 しかし今の箒と昭弘のやり取りを見て、少なくとも彼がそれなりの良識を持っているということは分かった。

 

「へぇ~何か意外ね。アンタってニュースでしか見たこと無かったけど、もっと野蛮な人間かと思ってたわ」

 

「そんなことは御座いませんわ。野蛮人は所詮いつまで経っても野蛮人ですことよ」

 

「お前は黙ってろ“ヒネクレイジョウ”」

 

「お前も普段通り大人しくしてなさいなこの“筋肉ダルマ”」

 

 今度は昭弘とセシリアが不毛な言い争いを開始しようとする。当初ビリビリしていた龍虎も、今じゃまるで柴犬と三毛猫の小競り合いだ。

 

 段々と、鈴音は昭弘を警戒するのが馬鹿らしくなっていった。元々他人を疑うことが好きでない彼女は、「無理に警戒する必要も無い」とマイナスの思考を一旦切り離すことにした。

 

 

 

 鈴音が2組に去った後、昭弘は先の己の言動について考え込んでいた。

 

(…流石にお節介が過ぎたか?)

 

 昭弘は、先程箒に行った叱責を思いの外気にしているのだ。「いつからお前はそんなに偉くなったんだ」と。

 

 しかし、それだけ昭弘が箒のことを心配しているのもまた事実だ。正直な所、彼女は昭弘や一夏、本音位しかクラスで話せる相手が居ない。本音も様々なクラスメイトと交流している為、普段から箒と一緒に居るわけでは無い。そう考えると実質的には、昭弘と一夏しか話相手が居ないのだ。

 先程の鈴音や先日のパーティにおけるセシリアへの態度からも判るように、箒は一夏に近寄る女子を快く思っていない。それは即ち、1年1組の大半のクラスメイトを快く思っていないということになる。

 

 クラスメイトたちも箒からそんな風に思われていては、嫌うとまでは行かずともいずれは悪い印象を抱くだろう。例え箒がそれで構わなくても、友人である彼女が皆からそう思われるのは昭弘だって嫌なのだ。

 

 自分がやっている事はきっと余計なお節介なのだろう。それでも、だからと言ってこのままの状態を傍観する訳にも行かない。

 

(難しいもんだな、此処での人間関係ってのは)

 

 そう。此処での人間関係は鉄華団の様な“家族関係”とは違う。

 何処まで行っても“自分”と“他人”。その間には好意、悪意、尊敬、侮蔑、哀れみ、恐怖、関心、無関心、困惑、嫉妬、様々な“感情”が犇めいている。他人に対するそれらの感情は、ふとした切っ掛けでたちまち「変化」していくモノなのだ。良い方向にも、悪い方向にも。

 

 

…ヒロ……………キヒロ………オイ昭弘!」

 

「!?」

 

 一夏の呼びかけによって、漸く思考の世界から脱した昭弘。

 

「スマン、何の話だったか?」

 

「だから鈴の事だよ。この時期に転入っておかしいなって話」

 

「…確かにな。何故入学式に間に合わなかったんだ?」

 

 それは中国の政略にあった。

 中国政府は本来、鈴音をIS学園に入学させるつもりは無かった。中国でテストパイロットとして育成した方が、ISに関する技術開発面でも代表候補生である鈴音の育成面でもメリットが大きいと判断したからである。

 しかし男性初のIS適性者である一夏の存在が知れ渡ってからは、態度を一変する。少しでも男性適性者に関する情報を一夏とその専用機から得る為に、国際IS委員会に対し急遽鈴音の入学を認めさせようとしてきたのだ。鈴音を新入生として選んだ理由も、一夏とは旧知の間柄でより情報を得やすいと考えたからだ。

 

 余りにも急な申し入れの為、1度目はどんなに多額の“資金”を積んでも断られた。IS委員会内にも各国のパワーバランスがあるのだ。無茶な要求をあっさり呑んでしまうとそれを機に委員会内での中国の発言が強まり、パワーバランスが一気に崩されかねない。

 

 そんな中国の眼前に現れた一筋の希望の光こそが、昭弘とMPSの存在だ。

 「MPS操縦者の入学は認めるのに何故IS操縦者の入学は認めないのか」と、中国はIS委員会にとって痛い所を突いてきたのだ。これによりIS委員会に対する悪評を恐れた各国は、渋々了承したのだ。

 ただし前回提示した資金と各費用はあくまで中国が支払い、IS学園理事長の説得やその他調整により、早くても入学は4月下旬になるといった条件をIS委員会は提示した。

 

 上記のような各国のやり取りにより、鈴音は4月20日という非常に中途半端な時期に転入する羽目になったのだ。

 

「大方お国絡みでしょう。何れにしろ、IS操縦者である私たちが深く考えた所で時間の無駄かと」

 

「それもそうか?」

 

「そうだ!一々あんな奴のことを考えるな一夏!」

 

「お前どんだけ鈴のこと嫌いなんだよ…」

 

 一夏たちがそんなやり取りをしている中、昭弘は再び思考の渦に沈んでいく。

 

(凰…一夏関連で妙なトラブルが起きなきゃいいんだが…。さっきの箒との一件もあるしな)

 

 そんな不安を抱えながら、昭弘は箒の不機嫌そうな横顔を見つめる。その横顔を見て更に不安になったので、今度は窓の外に広がる雲一つ無い青空を見上げる。

 

 しかし昭弘の中に渦巻く不安と心配は、いくら青空が美しくても拭えることはなかった。




あの「最強」の生徒会長も、そろそろ出そうかと思っております。


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第9話 想うということ

今回は、色々と冒険してみました。
セシリアと箒は、前々からじっくりと会話させてみたかったんです。というかこの2人に限らず、昭弘以外にももっといろんなキャラ同士で会話させてみたいというのが本音です。だから前半ダルいと思った人は   ゆ     る     し     て



―――――4月20日(水)―――――

 

 4時限目が終わった後の昼休み、箒はセシリアに昼食に誘われた。屋上から見上げる空は未だ快晴だ。

 

 一夏なら兎も角恋敵である自分だけ態々昼食に誘うと言うことは、何か裏があるのではないのかと警戒している様だ。

 

 そんな箒とは対照的に柔らかい微笑を溢しているセシリアは、意を決したのか途端に真剣な面持ちへと変貌する。

 

「単刀直入に申しますわ篠ノ之さん。貴女はもう少し「人付き合い」と言うものを覚えた方が宜しくてよ」

 

 どうやらセシリアも昭弘と同様、先程の箒と鈴音のいざこざに何か思うところがあった様だ。

 そのお節介自体は箒も慣れているが、選りにも選ってセシリアの口から出てきたのは意外だった。自身の知るプライドの塊の様な彼女と、いまいち人物像が重ならない。

 

「…本当に下らないお節介だな。第一貴様には関係の無い話だろう」

 

 箒の案の定な反応を聞いたセシリアは、呆れによって肩の筋肉が弛緩する。

 

「そう言う所でしてよ篠ノ之さん?私が相手だから良いものの、他のクラスメイトに対してもそのような態度を取るおつもりですの?」

 

「それがどうした?私にとっては他人だ。他人にどう思われようと知ったことではない」

 

 それに箒はクラスで孤立している訳ではない。一夏と昭弘がいつも傍に居るではないか。

 

「確かに()()それで良いのかもしれません」

 

 セシリアが強調した“今”という単語を聞いて、箒は次に彼女が何を言おうとしているのか凡そ察しが付いてしまい視線を反らす。

 

「ですが、来年も彼らと同じクラスになれる保証など何処にも有りはしなくてよ?」

 

 更にセシリアは残酷な現実を突き付けてくる。

 

「例え運良く彼らと3年間同じクラスだったとして、その後はどうなさいますの?その頃には貴女の齢は18。その歳になるまで異性の友人しか居ない3年間を過ごした貴女が、社会に出てからまともなコミュニケーションを取れる自信が?」

 

 実際箒は今現在に至るまで、姉である束が指名手配犯となってからはずっと孤独な学校生活を強いられて来た。

 

 日本政府が行った『要人保護プログラム』により篠ノ之家の身の安全を確保するという名目の下、名前を偽り各地を転々とさせられた。だが実際はそれ以外に、篠ノ之束の親族の身柄を抑えることで束側からの日本政府への“接触”を期待していた節もある。悪い言い方をすれば体の良い「人質」だ。

 よって箒は短い期間でしか同じ学校に滞在できず、友人も誰一人できなかった。―――どうせ直ぐ別れるから―――…箒の心に芽生えてしまったそんな気持ちが、他者との関わりに自然とブレーキを掛ける様になってしまったのだ。

 

 それを危惧したからこそ、箒の両親は日本政府に掛け合って娘をIS学園へと入学させた。

 超法規的機関であるIS学園なら、他国からも日本政府からも干渉を受けることは無い。少なくとも3年間は、移動する必要無しに安全な生活が保障される。箒が今現在本名を名乗れているのも、此処が安全だからという理由だ。ある程度ほとぼりが冷めたというのもあるが。

 国際IS委員会も、かの『天災科学者の妹』というだけで入学をあっさり認めてくれた。

 

 無論家族とは離れ離れになる為、当初箒は猛反発した。しかし「これ以上娘に孤独な思いをさせたくない」という両親の必死な説得の末、漸くIS学園への入学を決意したのだ。

 

 以上の様な経緯が箒にはあるので、セシリアからの問いかけには“否”と答える他無い。

 箒が黙って俯いていると、セシリアは再度優しく微笑み箒に語り掛ける。

 

「貴女は今非常に恵まれた学級に身を置いていると私は思いますのよ?」

 

 はっきり言ってクラスの皆は“良い人”たちだ。箒を篠ノ之束の妹と知っていながらそこには一切触れず、箒を特別視しなければ除け者扱いすることも無い。

 

「そして篠ノ之さん、貴女も“良い人”だということを私は知っております」

 

 そう、セシリアが昭弘を侮辱した際も箒はまるで自分のことの様に怒りを露にしていた。彼とはその日が初対面の筈なのに。

 

「……何が言いたい?」

 

 箒は尚も湿った視線のまま訊ねるが、セシリアは笑顔を崩すことなく答える。

 

「貴女に解って貰いたかったのですわ。クラスメイトも貴女自身も“良い人”だと言うことを。だから貴女も皆さんを警戒する必要はございませんし、かと言って無理に仲良くしようとする必要も無くってよ。ただほんの少しだけ心を開くだけで、1組の皆さんとも良い関係を築けると私は思いますわ」

 

 何せ箒も1組の皆も、セシリアが認める“良い人同士”なのだから。

 

「そうやって少しずつ他人じゃなくなっていくものでしょう?人間関係というのは」

 

 箒はセシリアの説教を聞いて正直戸惑っていた。何故そこまで友人でもない自分の為に親身になってくれるのかと。

 箒がそんなことを考えていると、セシリアは思い出したかのように言葉を捻り出す。

 

「あ、最後に一つだけ。次からは「貴様には関係ない」等とは決して言わないで下さいまし。酷く傷つきましたわ」

 

「え?」

 

「貴女が私をどう思おうと勝手ですが、少なくとも私はとっくに貴女を大切な“友人”と思っておりますのよ?弱い癖に強がる所とか、一見凛としている割には子供っぽい所とか、不愛想だけど本当は優しい所とか。正直、見ていて放っておけなくなりますのよ()のこと」

 

 無論一夏の恋敵である事実には変わらないのだろうがそれはそれ、これはこれという訳だ。

 

 セシリアからの告白に、箒は増々戸惑ってしまう。今迄他人だと思っていた相手から突然そう言われては仕方がないかもしれないが。

 しかし心の奥底からは戸惑い以上の確かな嬉しさが込み上げてきたので、箒は気恥ずかしさからか強がって不愛想を貫こうとする。

 

「…お喋りが過ぎましたわね。気を取り直して、早々に昼食を済ませてしまいましょう」

 

「………()()()()、その……ありがとうな

 

「アラ?聞こえませんでしたわよ?」

 

「…何でもない」

 

 そうして変わらぬ青空の下、2人の昼休みは過ぎていった。

 

 

 それにしても、セシリアが普段から啀み合っている昭弘と似たような心配をしていたのはちょっとした皮肉である。

 

 

 

 

 

―――放課後

 

 薄紅色に彩られた空の下、海水が崖に打ち付けられる音が印象的なアリーナCにおいて昭弘は訓練に勤しんでいた。無論巨大なアリーナはその時間帯に一人の生徒だけが使うものでなく、他にも大勢の生徒が使っている場合が殆どだ。

 そして今回も例に漏れず、いやそれ以上の生徒がアリーナCを使っていたので、高速機動訓練は危険であると判断した昭弘は高速切替(ラピッド・スイッチ)の訓練に移ることにした。

 

 高速切替とは、簡単に説明するとISコア内に格納されている武装を「素早く手元に呼び出す」技術(テクニック)である。

 コア内には様々な『後付武装(イコライザ)』が入っており、これを『量子返還(インストール)』することで自由に手元へ呼び出すことができる様になっている。高速切替を使わずに武装を手元で構成するには、通常1~2秒程掛かる。

 又、コア内において後付武装を格納する領域を『拡張領域(バススロット)』と呼ぶ。この拡張領域に格納できる武装数には限度があり、グシオンも例外ではない。

 

 さて早速訓練に取り掛かる昭弘。

 先ずは両手と両サブアームに、それぞれミニガンと滑腔砲を呼び出す。所要時間は0.1秒。

 次に両手に現れたミニガンを引っ込め、左手にハンマー右手にハルバートを呼び出す。引っ込めてから更に呼び出す迄の時間は0.2秒。

 今度は両サブアームの滑腔砲を引っ込め、空いたサブアームの手元にミニガンを呼び出す。こちらの総所要時間は0.3秒であった。

 

(両手に関してはまぁ上々か。ただ、サブアームだと僅かに時間が掛かるな。…納得いくまでもう少し連続してやってみるか)

 

 昭弘は暫くの間、高速切替の練習に勤しむことにした。

 サブアームにハンマーとハルバート、そこから更に左サブアームにあるハルバートを引っ込め空いた左サブアームで腰に外付けされているシールドを取り出し、それと同時に右サブアームのハンマーをミニガンへと変える。

 この様な高速切替による組み合わせをひたすらに繰り返していった。

 

 

 

 その日の訓練を終えた昭弘は、自室のある寮へと向かっていた。実はこれから『ある人物』と連絡を取る予定なのだ。

 

 ところが丁度寮の入り口が昭弘の視界に入ると同時に、髪を左右で結んだ女子生徒が寮の入り口から飛び出して来た。しかも泣き喚きながら。

 

 昭弘はそれだけで、何となく“嫌な予感”がした。

 

「あっ!アルトランド丁度良かったわ!ちょいと面貸しなさい!」

 

 鈴音はそう言いながら、強引に昭弘の腕を引っ掴む。

 

 残念ながら電話は後回しだ。

 

 

 

 一先ず人気の少ないベンチに腰掛けた2人。すると、鈴音はまるでミニガンの如く愚痴を零し始める。

 

「もうほんと信じられないあの一夏(馬鹿)アタシが中学の頃にあいつと約束した「大きくなったら毎日酢豚を食べさせてあげるね!」って約束を勘違いして覚えていたのよ何よ酢豚を御馳走してくれるって普通は女子からそんだけ言われれば嫌でも理解するもんでしょあぁもう増々イライラしてきた「パー」じゃなくて「グー」で殴っておくべきだったわ大体何よこの学校普通は男女で部屋は別々にするもんでしょうしかもそれが寄りに寄って(アイツ)と一夏が同室だなんてちょっとぐらい譲ってくれたっていいじゃないそれとも何まさかアイツアレで一夏を独占しているつもりなの自分だけが一夏の幼馴染だとか本気で思ってんじゃないでしょうね!!?」

 

 句読点をすっ飛ばしながら息も絶え絶えに語る鈴音に対し、昭弘は落ち着くよう控え目に手を翳す。

 

「要約すると、お前の「愛の告白」を一夏は今の今迄勘違いしていた。そんでもって箒が一夏と同室なのが気に食わないと」

 

 要点を解りやすく纏めた昭弘に対し、鈴音は改めて同意を求める。

 

「ええそうよ!アンタだって一夏が悪いと思うでしょ!?」

 

 そう言われて、昭弘は少し頭を捻らせる。確かに昭弘も、一夏のそういう所に何も思わない訳ではないが。

 

「だからと言って、一夏を叩いて良い理由にはならん」

 

「は、はぁ?女の子との約束を破るような奴叩かれて当然でしょ!?」

 

「ああ、確かに約束を破るのは良くないことだ。けどな、暴力を振るうよりも先にもっと言うべきことがあったんじゃないのか?」

 

「それは…」

 

 口ごもる鈴音。

 その様子を見て自身の予想が図星だと踏んだ昭弘は、呆れを隠しながら助言を言い渡す。

 

「…箒にも言ったんだがな、回りくどい事しないで素直に「好き」と言えばいいんじゃないのか?」

 

 しかし、鈴音は顔を赤く染めながら猛反発する。

 

「ばっ馬鹿じゃないの!?言えるわけないでしょーがそんなこっ恥ずかしいっ!!」

 

 だが致し方無しだ。恋愛に関して知識の乏しい昭弘にとって、異性に「好きだ」と想いを伝える感覚はイマイチピンと来ないのだ。

 だから馬鹿と言われても否定しないが、それでも昭弘は持論を展開する。

 

「お前が思ってる以上に、一夏は子供なんだ。良い奴だが察しは悪いし、他人の気持ちや想い今自分が置かれている状況も良く理解していない節がある。…凰、お前が一夏に告白した時どれ程の想いを込めたのかは知らんが、飾り立てた言葉で相手が理解しないんなら素直に言うしかないだろう」

 

 昭弘が頭の中から捻り出した言葉に対して、鈴音は神妙な面持ちとなって黙りこくってしまった。

 

 一夏に対する憤りが消えた訳ではないが、昭弘の冷静且つ客観的な言葉によって鈴音自身も変に冷静になってしまったのだ。

 一夏が朴念仁だなんて、彼女にとっては最初から解りきってることだ。だのに感情に任せ、つい手を上げてしまった。

 

 そうなると鈴音を襲うのは後悔の念だ。折角久しぶりに大好きな一夏に逢えたのに、自分の想いに気づいて欲しかっただけなのに、何であんなことしてしまったのだろうと。これじゃあ告白以前の問題だ。

 

 だがだからと言って此方から一夏に謝るのも腹の虫が収まらない。朴念仁な一夏にだって非はあるのだ。

 

 

 どの道先ずは仲直りからだ。何か切っ掛けがあればいいのだが。

 

「そう言えば、クラス対抗戦では一夏と凰が戦うんだったよな?」

 

「…ええ。……ってソレよぉっ!」

 

 勢い良く飛び上がり、昭弘を指差す鈴音。

 

「もう思いついたのか?」

 

「ぼんやりとね!細かい部分は部屋でじっくり考えるとするわよ!」

 

 再び後悔から立ち直った鈴音はそう言って立ち去ろうとする。と思いきや、クルリと振り向いて昭弘に次の言葉を贈った。

 

「その…ありがとねアルトランド。大分冷静になれた。…結構難しいんだよね、好きな人に正直に“好き”って伝えるの」

 

 恥じらい、それと相手の反応。他にも原因は色々あるのだろう。解り易ければ解り易い程言葉とは鋭く磨かれるものだと、昭弘だって理解は持っている。

 

「礼はいい。それより、何で態々オレに相談したんだ?」

 

 失礼だがこんな恋愛素人の昭弘なんかよりも、2組にはもっと適任な娘がいるだろうに。

 

 すると鈴音はキョトンとしながら淡々と返答する。

 

「だってどいつが一夏を狙っているか分からないじゃない。相談相手まで一夏に気があったら、逆にアタシが蹴落とされかねないわよ」

 

「…だから男のオレに相談した訳か」

 

 意外と狡猾な奴だなと、昭弘は心の中で鈴音への印象を再構築した後再び口を開く。

 

「それと凰、箒のことなんだが…」

 

「分かってる。さっきはアタシもイライラしててああ言ったけど、別にあの娘と悶着起こした訳じゃないから安心して。まぁ物凄い剣幕でアタシを睨んではきたけど」

 

(意外だな、あの箒が)

 

 何か心境の変化でもあったのかと、昭弘は箒のことを考えながら一先ず鈴音と共に寮の入り口へと赴くことにした。

 

 

 

 

「あ」

 

「うげ」

 

 昭弘と鈴音は、寮の入り口に居る人物を見て心の声を漏らす。

 

 入り口では一夏が周囲を見回しながら頭を掻いていた。汗の量からして、どうやら鈴音を探し回っていた様だ。

 2人に気づいた一夏は、至る所から流れている汗を気にすることなく駆け寄ってくる。

 

「鈴!昭弘も!結構探したんだぞ鈴!?」

 

「……フンッ」

 

 鈴音は一夏の言葉にそう短く返すと、そそくさと自身の部屋のある3階へと向かっていった。

 一夏は鈴音からの冷たい反応にガクリと肩を落とすと、今度はまるで縋る様な眼差しで昭弘を見つめる。

 

 昭弘はその眼差しだけで「相談に乗ってくれ」と彼が言っているのが解かった。

 

 

 

 

「ったく鈴の奴、思いっきり引っ叩きやがって未だイテェし。オレが何したって言うんだよ…。おまけに箒からは「馬に蹴られて死ね!」って…」

 

 昭弘の部屋で左頬を抑えながら、一夏は愚痴愚痴と言葉を吐き出し始めた。

 隣の部屋には箒が居るが、IS学園寮の防音対策は万全中の万全なので愚痴を聞かれる心配は無い。

 

「氷でも持ってくるか?」

 

「いや大丈夫。わりぃな心配掛けて」

 

 昭弘は事の顛末を概ね把握しているが、話を進める為にも取り敢えず原因を聞いてみることにした。

 

「何か心当たりは無いのか?」

 

「多分、原因は酢豚の話だとは思うんだ。鈴が「あの時の約束覚えてる?」っていうから、オレが「酢豚を奢ってくれるって約束だろ?」って答えたら「スパァン!」だよ。何でアレで怒ったのか理由が解んなくてさ…」

 

 成程確かに、言葉の真意を解ってなければ叩かれた一夏からすると意味不明だろう。それでは何をどう謝れば良いのかも解らない。

 

「…理由を本人から聞き出すしかないだろうな」

 

「けどどうやって?今の鈴はその…あんな状態だし」

 

「まぁ()()無理だ。暫くは様子を見た方が良い」

 

「……正直、怖ぇよオレ。ずっと様子見している間に鈴と疎遠になったらって思うと…」

 

 一夏はそう言いながら右手を額に当てると、力無く項垂れてしまう。

 

 昭弘から見ても、はっきり言って一夏は馬鹿で鈍感だ。だがいくら朴念仁と言っても、今迄親しい仲だった者と疎遠になるのは嫌に決まっている。それが幼馴染なら猶のことだ。

 ある意味、鈴音以上に一夏の方が心細いのかもしれない。彼からすれば、理由も解らないまま絶交されかねない状況なのだから。

 

 昭弘はそんな一夏の左肩に右手を乗せると、優しい口調で語り掛ける。

 

「幼馴染ってのは一度の喧嘩で疎遠になる程、脆い関係じゃないだろう?凰を信じろ」

 

 昭弘がそう言うと、一夏は項垂れていた首を上げる。

 

「少なくとも「クラス対抗戦」迄は、辛抱して待ってみろ。…なに、また精神的にキツくなったら何時でもオレんとこに来い」

 

「……分かった。もう少し鈴の事を信じて待ってみるよ。…いつもありがとな昭弘」

 

 そう言って一夏は昭弘の部屋を後にした。

 

 前のクラス代表決定戦の時もそうだが、一夏は愚鈍に見えて意外と精神面は繊細だ。毎回こうやって昭弘へ相談しに来るのがその証拠だ。

 

 昭弘は時々思うのだ。何かの拍子に一夏が壊れてしまうのではないかと。根拠は無いが毎晩自身の部屋で力無い一夏を見ていると、そう思わずにはいられない。

 

 

 だが一夏も普段の元気を取り戻したのだ。昭弘も気持ちを切り替えるしかないだろう。

 

 

 

―――19:49

 

 昭弘は深緑色の液晶携帯を取り出すと、電話帳に乗っている人物の名前をタッチする。着信画面にデリーの名前が表示されている時とは違い、にこやかな表情の昭弘がそこに居た。

 

トゥルルルル…トゥルルルル…トゥルルルル…

 

《はい、クロエ・クロニクルです》

 

「久しぶりだなクロエ。オレだ、昭弘だ」

 

《昭弘様!お久しぶりです》

 

 クロエ・クロニクル

 束の下で生活している盲目の少女だ。何でも某国の研究所にて非道な人体実験をされていた所を、束率いるゴーレム達に助けられたのだそうだ。

 今は、束や他のゴーレムたちから娘同然の様に大切に育てられている。昭弘にとっても、クロエはこの世界に於ける掛け替えの無い家族の一人だ。

 

「悪いな、電話を掛けるには遅い時間帯か?」

 

《いえ、私にとってはまだまだ大丈夫な時間帯です。どんなご用件でしょうか?》

 

「いや、ただ久しぶりに家族の声が聞きたくなってな。束にも連絡を入れようと思ったんだが、色々と忙しいだろう」

 

 昭弘は此処IS学園に来てから、束たちと未だに連絡が取れないでいた。

 日々教師から命じられる少なくない課題、放課後を使ってのMPSの機動訓練、先の様な一夏や箒からの相談事、そして「学校」という不慣れな空間での生活。

 昭弘は最近になって漸くこれらの「日常」に慣れて来たのだ。慣れてくれば、自然と心の余裕も生まれてくるもの。そんな心の余裕が最も欲したものが、家族の声だったのだ。

 

《そうでしたか。私も久しぶりに昭弘様の声が聞けて嬉しいです》

 

「世辞でもそう言って貰えると嬉しい」

 

《お世辞じゃないです。…全く、そういうところは相変わらずのご様子で》

 

「ハハ、すまんすまん」

 

 こうして、昭弘とクロエの長電話による近況報告が始まった。

 

 クロエの話によると、最近では束のラボにてゴーレムによる騒ぎがあったらしい。

 発端はタロとジロの言い争いであり、原因がクロエへの教育方針についてと言うのだから驚きだ。それで結局そのままヒートアップで殴り合い、仲裁に来た他のゴーレムも加わっての大乱闘に発展したらしい。

 当然あのデカイ剛体が暴れれば、周辺の機材は見るも無惨な姿になるだろう。クロエが怪我一つ負わなかった部分だけは、ゴーレムたちの空間把握能力を評価すべきたろうか。

 

「束から相当シゴかれたんじゃないのかアイツら」

 

《はいそれはもう。ざまぁないです》

 

「まぁそう言ってやるな。結果はどうあれお前のことを想っての行動だろう」

 

 昭弘とクロエが電話越しにそんなやり取りを繰り返していると、クロエの声が電話越しから僅かに離れる。

 

タロ?そろそろ代わって欲しいと?しょうがないですね…。昭弘様、タロが代わりたいそうですが宜しいでしょうか?》

 

「勿論だ」

 

 他の家族とも話したい昭弘が即座にそう返答すると、クロエはタロと代わった。

 

《昭弘様!オ久シュウゴザイマス!》

 

 束からシゴかれた後にしては割りと元気そうなタロであった。

 

「おう。その元気を少しオレに分けられないか?」

 

《…流石ニソコマデノ元気ハゴザイマセン。本当ニ死ヌカト思イマシタ。束様ノシゴキハ》

 

 どうやら昭弘の為に気丈に振る舞っただけらしく、思った以上にダメージは大きいようであった。

 

 そしてジロとの仲直りだが、少なくともタロから謝るつもりは無いとのこと。何でもジロはクロエのことを何も解ってない、クールぶった馬鹿だとか。

 因みに、ジロが裏でタロのことを明るいだけの馬鹿と言っていた事実は伏せておく昭弘。

 

「確かにお前から見れば、ジロはクロエのことを余り理解できていなかったのかもしれん。だがな、ジロだってクロエのことをお前に負けない位大切に想っているんだ。そこだけは評価してやれ」

 

《デハソノ1点ダケ評価シテ残リノ99点ハ見下シマス》

 

「それじゃ本末転倒じゃねぇか…」

 

 昭弘達は、その後も電話越しに色とりどりな会話を繰り返した。

 

 久しぶりの家族の声。それは昭弘に久しぶりの安寧をもたらしてくれた様だ。

 

 

 

 そうして電話が終わった後、今週の土日に会えないだろうかとふとそんな事を昭弘は考えていた。

 

 

 タロたちゴーレムは“機械”だ。機械に家族の様な情が湧くことは、可笑しいことなのだろうか。

 等と言った思考を「家族に会いたい」という感情に上書きされた昭弘は、おめでたくもごく近い未来のことばかり考えてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 これから訪れる悲劇も知らずに。




殆ど説教かカウンセリングばっかじゃないか(呆れ)

最後は少々不穏が残る様にしてみました。
今後昭弘に訪れる悲劇・・・それはいったい・・・?


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第10話 望まぬ再会

今回は、昭弘の束のラボでの過去話が大半を占めています。
描いている自分が言うのも何ですが、ゴーレムクッソかわいいですね。・・・あ、そうでもない?
まぁけど、やはりクラス対抗戦までは若干急ぎ足になってしまった感は否めないですね。

あと、今回からゴーレムタグを付けようと思います。


―――――2月13日(日)―――――

 

 束のラボにて昭弘は無人ISである『タロ』『ジロ』と共にいつも通りの訓練を終えた後、雑談しながら束が今現在籠っている研究室へと向かっていた。

 純白で無機質な廊下を、1人と2体の足音が根本から異なる音響を奏でながら進んでいく。

 

「にしても相変わらず強いなお前ら。こうも負けが重なると流石にショックを受けるな…」

 

 昭弘の力無い一言に、タロが長い腕を小さく振りながら反応を示す。

 

《ゴ謙遜ヲ!未ダ調整段階ノグシオンダトイウノニ、モウジロ程度ナラ少シズツ勝チ星ヲ取レテキテイルデハアリマセンカ!コノママ順調ニ進メバゴーレム最強デアル私ニ対シテモ、十分勝チ越セルヨウニナルカト》

 

 そんな上から目線なタロに、ジロが苦言を呈する様に昭弘へ警告する。タロとは正反対の白銀のボディが、より一層タロへの反発心を露わにしているかの様な光景だ。

 

《昭弘様、コイツノ言葉ハ真剣ニ聞クダケ無駄カト。力ニ己惚レテイル様ナ奴ノ言葉ナド、所詮ハ高ガ知レテオリマス故》

 

《昭弘様、ドウヤラジロハ私ノ実力ノ高サニ嫉妬シテイルヨウデス。温カイ目デ見守ッテアゲテ下サイ!》

 

《抑々戦闘面以外ノスペックナラ、貴様ヨリ私ノ方ガ全テニオイテ上ダ。貴様ハモウ少シ己ノ置カレテイル立場ヲ再認識スベキダ》

 

 要するに調子に乗るなとジロは言いたいのだ。

 

 タロとジロによるいつもの口論が始まると、昭弘は心中で懲りない奴らだと呟く。

 元気でお調子者なタロ、冷静で常に客観的な思考のジロ。毎回そんな2体による衝突の間に挟まれる自分の身にもなって欲しいと、昭弘は思わず溜め息を吐く。その上辛辣な部分はお互い共通しているので尚たちが悪い。

 

 すると、丁字の角の部分で「水色に白い斑点模様」のゴーレム『サブロ』と遭遇する。サブロは、自身の右肩の部分に銀髪の少女『クロエ』を乗せていた。

 

「お疲れ様です昭弘様。訓練の方は如何でしたか?」

 

 動物は五感の内一つを失うと、他の感覚がその機能を補うようになると言われている。人間に於いても例外ではない。

 クロエもその例に漏れず、靴音から生じる昭弘の体重、匂い、大気の流れの変化等から情報を読み取ったのだ。

 

「まずまずってところだな。タロを倒すにはもう少し時間が掛かりそうだ。…そう言うお前はどういう風の吹回しだ?サブロの肩に座ったりして」

 

 少しばかり彼女を小馬鹿にするかの様に昭弘が訊ねると、彼女は恥じらいながら答える。

 彼女だって別に好きで乗っている訳ではない。

 

「サブロが「疲れているだろうから乗ってください」と…。私、まだ10歩程度しか歩いておりませんのに」

 

《イエ昭弘様。クロエ様ハ明ラカニ疲レテオイデデシタ》

 

「…本心は?」

 

《クロエ様ヲ僕ノ肩ニ乗セタカッタダケデス》

 

 そんなこんなで昭弘は、合流したクロエたちと共に束の籠る研究室へと歩を進める。どうやらクロエも束に呼び出されてる様であった。

 

 

 

 束の保有する実戦投入可能な無人ISは全部で136機。世界各国で実戦配備されているISが総計322機と考えると、相当な軍事力を束が保有しているのが解る。

 近距離・遠距離万能対応型の『ゴーレムタイプ』が10機、遠距離・中距離射撃特化型の『メテオタイプ』が26機、索敵・支援・陽動特化型の『エイジェンタイプ』が100機と言った構成となっている。

 

 ゴーレムタイプは創造日が古い順から『タロ、ジロ、サブロ、シロ、ゴロ、ムロ、ナロ、ハロ、クロ、ジュロ』といった名前が付けられている。どの個体も極めて高い戦闘力を誇っており、その実力は平均的な国家代表候補生をも凌ぐ。タロ・ジロに至っては国家代表とタメを張れるレベルだ。

 メテオタイプも代表候補生級の実力を備えており、ゴーレムタイプと同様個体ごとに名前が付けられている。

 エイジェンタイプは索敵や後方支援等が主な目的だが、素の戦闘能力においても現行の量産型ISを大幅に上回る。即ち、索敵も支援も戦闘もこなせるある意味ゴーレム以上の万能機なのだ。エイジェンタイプにも1機1機に態々名前を付けているらしい。

 

 真に恐るべき事は、束にとってこれらがあくまで必要最低限の戦力に過ぎないと言うことだ。彼女がその気になれば、あっという間に500機でも1000機でも無尽蔵に戦力を増やせる。

 そうしない理由は単に彼女の目的が侵略行為に非ず、自衛の戦力だけで十分だからだ。現在束が推し進めている『計画』を優先する為にも余計なことに労力は使わないべきであるし、何より余分な戦力は管理も周辺各国の目も厳しくなるだけなのだ。

 

 

 

 脱線した話をレールに戻す。

 

 昭弘は会話に夢中になっていた為か、気が付いたら研究室のすぐ前まで来ていた。

 中に入ると、束が忙しなくホログラムキーボードを指先で叩いていた。同じく青白くホログラム化されている画面を真剣に見つめていた束は、入室してきた昭弘たちに振り向くと作業を中断させて笑顔で駆け寄ってくる。束を手伝っていたジュロも、その巨体を昭弘たちの下へゆっくりと向かわせる。

 

「来たねぇ?皆の衆☆」

 

 束はそう言うと、クロエに視線を移す。レディーファーストと言う事でクロエが先らしい。

 

「ハイこれ☆」

 

 束は上品そうな白いシルクの布を捲ると、その中に静かに佇んでいる『黒い直方体』をクロエに手渡す。

 

 突然謎の物体を渡されて困惑するクロエに対し、束は両手を腰に当てると得意げに説明する。

 

「君の専用IS『黒鍵』だよぉ☆一応電脳戦に特化した第3世代機なんだけど、それ以外の部分は通常のISとほぼ一緒だから安心して☆詳しい説明は後程ねっ!」

 

 よくよく見るとその待機状態のISはピアノの盤上における「黒鍵(こっけん)」と同じ形状をしており、ネックレスの様な細い鎖が通されていた。

 

「おっとぉ2人とも「何故今更?」とか思っているでしょ?正直私としては、くーちゃんを“兵器”としてのISには乗せたくないんだけどね。けど今後はアフリカ中東勢力がより活発化していくから、護身は今迄以上の方がいいでしょ?」

 

 現にこの黒鍵、電脳戦以外にも防御力や機動力には異常なまでに特化している。確かにいざという時逃げるには打って付けだ。

 

「あ、ありがとうございます束様。大切に使わせて頂きます」

 

《良カッタデスネクロエ様。コレナラ昭弘様ヤ僕タチトモット遊ベルヨウニナリマスヨ》

 

(アフリカ中東勢力か…)

 

 束の計画と何か関係あるのだろうかと昭弘が考えていると、思考を遮るように束が昭弘の方へと振り向く。

 

「さて、アキくんにはグシオンの“設定”の件で話があるんだっ☆」

「今迄はグシオンの戦闘データに基づいて、束さんが細部を設定してきたでしょ?今後はアキくんが自分の戦闘経験に基づいて自分で設定してみて欲しいんだ☆」

 

 確かにその方がより感覚的な部分まで調整が行き届くだろうし、IS学園への入学に備えて今の内に慣れておいた方がいいだろう。

 だが昭弘は、ISの設定・整備関係はまだ勉強段階だ。最初の内は束が昭弘に付き添うのだろう。

 

「悪いな、何から何まで」

 

「いいって事よ☆…で、武装の方は満足行ってる?」

 

 束が若干心配そうに尋ねると、昭弘は喜々として答える。

 

「どれも良い武装だ。T.P.F.B.が考案したんだったか?」

 

「流石は裏で悪どい商売しているだけのことはあるよねぇ」

 

 正式名称『非接触式炸裂榴弾』は、考案も開発もT.P.F.B.だ。砲弾の側面に特殊なセンサーが埋め込まれており、例え外しても目標との距離が10m以内ならセンサーが反応して爆発し、破片が広範囲に飛び散るのだ。更にセンサーは砲弾の側面にしか付いておらず、直撃させることも可能。

 

「性能面でこの束さんに折り紙付きと言わせるなんて、認めたくはないけど大したもんだよ」

 

《結局、ビームミニガンヲ開発スル技術ハ持チ合ワセテイナカッタ様デスガ》

 

 ビームミニガンを創った束を神格化する様な、T.P.F.B.を見下す様な口ぶりのジュロ。流石は、普段から誰よりも近くで束の研究開発を手伝っているだけある。

 

 ジュロが会話に混ざり更にゴーレムが増えた事で、視界が無人ISだらけになった昭弘は自然と次の言葉を発す。

 

「お前たちにもいつも感謝している。訓練とか……家事とか」

 

《…ソレダケデスカ?》

 

 いきなり何か言い出したと思いきやまるで誉め言葉を思い付いていない昭弘に対し、タロが赤いカメラアイを更に紅く光らせる。

 

「い、いやちょっと待て。他にも沢山あるぞ?………」

 

 昭弘が真剣に頭の中で褒められるような事を探す。タロ、ジロ、サブロ、ジュロが昭弘を4方向から囲み始める。彼らに表情は存在しないが、どうやら昭弘を急かしている様だ。

 束とクロエは、そんな光景を目の当たりにして懸命に笑いを堪えている。

 

 昭弘は漸く思いついたのか、顔をゆっくりと上げる。

 

「…アレだ。今更こんなこと言うのも恥ずかしいんだが…」

 

 少し顔を赤らめながらも、昭弘は思い切って“その言葉”を口に出す。

 

 

「いつもありがとな、一緒に居てくれて」

 

 

 

 

 

 

 

―――――4月25日(月) 3時限目―――――

 

 「ISコアの感情」は、既に入学初日に行われている授業内容である。しかし今回の授業では「本当にISコアに感情はあるのか」「ある場合はどう立証するのか」と言った、よりコアについて深く理解していく内容となっている。

 ISにとってISコアは最も重要な部位と言っても過言では無い。コアについて深く理解することは、今後社会においてISと関わっていく者の定めなのだ。

 

 先ず始めに、千冬はコアに感情が“ある”派と“無い”派の意見をそれぞれ黒板代わりの巨大なタッチボードに取り上げていくことにした。

 

 

 意見としては“無い”派の方が圧倒的に多かった。その理由は「科学的に第三者に証明できないから」といったものが殆ど。

 コアとの意思疎通に成功したというIS操縦者は一定数存在するが、コア自身は搭乗者にしか己の感情を見せない。いくら彼女たちが「私は自身のISのコアと意思疎通をした」等と体験を語った所で、第三者に且つ科学的に証明できなければ意味がない。

 人間の脳とは違ってISコアの中身は完全なる“ブラックボックス”状態であり、名立たる科学者たちがいくら英知を振り絞っても何一つ解明できないでいた。無論そんな状況でISコアの感情を観測出来る筈も無く、しかも自分以外の人間には一切感情を見せてくれないともなれば、感情があると結論づける事はできない。

 

 しかし感情がある派の中には、中々興味深い意見を持ち出す者も居た。拡張領域に「ぬいぐるみ」や「フィギュア」等、武装以外の物を入れてみてISコアがどのような反応を示すのか確かめてみるといった奇抜な意見もあった。

 

 議論が白熱している中、昭弘は全く別のことを考えていた。

 先日、会えるかどうか駄目元で束に相談してみた昭弘であったが、余りにあっさり断られたことが少しショックなようだ。

 

(まぁあいつは指名手配の身だから、しょうがないことなのかもしれんが…)

 

 昭弘が残念そうな顔をしていると、突然千冬から指名される。

 

「アルトランドはどう思う?コアに感情はあると思うか?」

 

 突然の指名に昭弘は僅かに狼狽するが、直ぐに思考を切り替える。

 

「…オレは、あると思います」

 

「何故そう考える?」

 

 何故。昭弘は、千冬からそう訊かれて答えを出すことができなかった。

 昭弘は彼等のことについて何も考えたことが無かったのだ。何故感情が与えられたのか、その感情は自分達人間と同じモノなのか異なるモノなのか。そんなことを考える前に、昭弘は彼らを家族として受け入れていた。それだけ、彼らの存在は昭弘にとって最早自然そのものだったのだ。

 

「…すいません、理由は解らないです」

 

 故にそう答えるしか無かった。

 

「そうか。元々MPS使いであるお前にはISコアの感情なんて縁の無い話かもしれんがな、ISをより深く知りたいのならそういった所もしっかり考えておけよ?」

 

「…ハイ!」

 

 昭弘は自身を戒める様に、低くドスの利いた声で短く返事をした。

 

 

 

―――――3時限目終了後 休み時間―――――

 

「一夏、放課後の訓練はどうする?」

 

「おう!今日もよろしく頼むぜ昭弘!…正直()()()()もあるし、訓練にせよ何にせよお前と一緒じゃないと心細いんだよ…」

 

 そんな2人のやり取りを見て、箒とセシリアは危機感を募らせていた。ここ最近、一夏が何時でも何処でも昭弘と一緒に居るからだ。少しでも一夏と男女の距離を縮めたい彼女たちからすれば、これは由々しき事態だ。

 

 なればこそ女なら即行動と、2人は手始めに放課後の特訓を自分たちとしようではないかと一夏に提案する。

 

「いや別にいいけど…昭弘も一緒じゃなきゃ嫌だぞ?」

 

「ウッ……分かり…ましたわ」

 

 渋々セシリアが了承した後、箒が尋ねる。

 

「…一夏、そんなに昭弘が好きなのか?」

 

 箒はそう言いながら、嫉妬の眼差しを向ける。ただし、彼女の場合()()()()()()()()()()()()()のか判らないが。

 

「好きだけど?」

 

「「「「「えええぇぇぇぇぇぇ!!?」」」」」

 

 箒とセシリアを含めた女子生徒たちの叫びが、クラス中に木霊する。

 そんな壮大な勘違いをしているクラスメイトたちに、昭弘は心の中で「馬鹿共」と毒づく。

 

 そんなやり取りが1年1組を満たしている頃。

 

(……何だこの感じは)

 

 突如、昭弘は背中から“何か”を感じ取った。冷たい手で背中を撫でられているかの様な感覚。少なくとも、良いモノでは無いということだけははっきりと解った。

 

 昭弘はあくまで表情は変えずに、ゆっくりと首を冷気が漂ってくる方に向けていく。

 そこに居たのは、IS学園の制服を纏った一人の女子生徒だった。

 丁度教室の入り口付近に佇んでいて、扉に寄り掛かっていた。学年は黄色いリボンからして2年生、まるで空に溶け込んでしまいそうな美しい水色の髪型は外ハネ、深紅の瞳は間違いなく昭弘を捉えており口元は静かに笑みを零していた。

 右手には扇子を持っており広げたソレは彼女の口元近くに在るのだが、彼女はその扇子で笑みを隠そうともしない。

 

 彼女は昭弘と2~3秒程視線を交わした後、ゆっくりとその場から立ち去った。

 

(……何だったんだ今のは?)

 

 当然の疑問が、昭弘の脳内を埋め尽くす。

 唯一戦士としての直感が捉えたことは、彼女がとてつもなく強いということだけ。恐らく自身やセシリアよりも。

 

 

 

 

 

―――――4月29日(金) 5時限目―――――

 

 クラス対抗戦当日、天候は晴れ。

 今回のクラス対抗戦は放課後だけではとても時間が取れないとのことで、5時限目以降全て対抗戦で埋め尽くされている。

 IS学園人工島の丁度中心に位置するアリーナAにおいて、昭弘は観客スタンドの丁度中腹部分に大仏の如く腰掛けていた。

 

(しかしまさか、いきなり1回戦目から一夏と凰がぶつかるとはな)

 

 昭弘はそんなことを考えながら、2人の試合を今か今かと待ち望んでいた。彼の左隣には相川が座しており、相川の更に左隣には谷本が腰掛けていた。

 先日のパーティを機に、相川も谷本もすっかり昭弘と打ち解けた様だ。

 

 箒とセシリアは一夏の姿をより近くで拝みたいのか、スタンドの最前列に腰掛けていた。

 

 そして昭弘の数列後方には先日昭弘に殺気を送っていた水色の髪の少女が腰掛けており、今も彼に気を限界まで静めた視線を送っていた。

 

(今のところ妙な動きは無し。何か事を起こすとしたら、今日は絶好の日なのだけれど。…もしこの前送り届けた殺気が効いているのならこの上無く嬉しい限りだわ)

 

 どうやら彼女は、昭弘に対して強い懐疑心を抱いている様だ。

 T.P.F.B.が絡んでいる時点で怪しいとは感じていた様だが、同じ男子生徒である一夏が居るのに態々一人部屋にされるともなれば、更に強い懐疑心を抱くのも無理はないだろう。

 

「『生徒会長』、今の内に休まれては?私が目を光らせておきますので」

 

 左隣に座していた三つ編みの少女が、心配そうに声を掛ける。

 

「大丈夫大丈夫虚ちゃん!試合が始まったら交代して貰おうと思ってた所だから」

 

(それでは私が試合を観れないではありませんか…)

 

 何処までも都合が良く自由奔放な『更識楯無』生徒会長は、そう冗談を言いながらも監視を続ける。

 

 

 

 一夏と鈴音は、既にピットから飛び立ってフィールド上にて待機していた。

 一夏は少々気不味く感じながらも、鈴音を見つめる。ハイパーセンサーに表示された相手のIS名は『甲龍』。全体的なカラーリングは紫檀色で、所々小紫色の部分もある。脚部は比較的鋭角的で踵が異常なまでに後方へと伸びていた。上背部からは非接触式の小さい翼の様なユニットが浮かんでいる。

 

 すると先に鈴音から専用回線で通信が入る。

 

《一夏、アタシが何であの時アンタを引っ叩いたのか知りたい?》

 

 突然の鈴音からの通信に半ば意表を突かれるが、一夏は気をしっかり持ちながら答える。

 

「知りたいね」

 

《でしょうね》

 

 鈴音はそう短く返した後、まるで考えるかの様な素振りを見せながら更に続ける。

 

《…アタシに勝てたなら教えてあげるわ。勿論この前引っ叩いたことも謝罪する。但しもしアタシが勝ったなら……こっ今度一緒に買い物に付き合って貰うから!》

 

「お、おう!上等だよ!(買い物関係あんのか?)」

 

 一夏が鈴音とそんな約束を交わした直後、試合開始のブザーがアリーナ全体を揺らす。

 

 

 

 昭弘は一夏と鈴音の闘いを冷静に観ていた。どうやら甲龍も近接格闘メインのISらしい。巨大な青龍刀『双天牙月』と白式の雪片弐型が、金属音を撒き散らしながら激しくぶつかり合う。

 すると…。

 

ドォン!!

 

 何の前触れも無く白式が吹っ飛ぶ。

 

「うわっ何々今の!?突然白式が吹っ飛んだよ!?」

 

 相川がお手本の様な良いリアクションを見せる。

 

「…衝撃砲、不可視の砲撃だ」

 

「知ってるんですか?」

 

 実は昭弘、第3世代機の事は暇な時間を見つけては粗方調べ上げている。相変わらず勉強熱心な事だ。

 

「原理は解らないが空間に強い圧力をかけてその場に砲身を作り、衝撃を砲弾の様に打ち出しているらしい。要するに空気砲だ。しかも空間圧縮によって見えない砲身を作り上げている訳だから、相手が何時どのタイミングで自分を狙っているのか分からないし射角も無限だ」

 

 つまり衝撃砲に死角は存在しない。

 昭弘の説明を聞いた谷本は顔を青ざめながら、力無く言葉を吐き出す。

 

「そんなの一体どうやって倒せば…」

 

 現に吹っ飛ばされてからの白式は、衝撃砲を警戒してか明らかに攻めあぐねていた。

 だが、完全無欠の兵器なんてこの世に存在しない。どんな兵器にも必ず欠点はある。

 

「考えてもみろ。砲身が見えないのは凰だって同じ筈だ。的を狙って撃つ際、持つ銃の砲身が見えないのは致命的。その的が高速で動いてるのなら猶の事な」

 

「けどさっきは普通に当たってましたよね?単純に近かったから…?」

 

「恐らくな。現に、距離を取っている白式には未だ1発も当たっちゃいない。いや、もしかしたら()()()()()()のかもな」

 

 何やら意味有り気な昭弘の発言に、相川と谷本は互いを見合って答えを探ろうとする。

 

「命中精度が低いなら、散弾の様に銃弾をバラまくのが常道だ。衝撃砲もそうだとするなら、散弾という特性上距離があればある程威力は弱まる」

 

 だから距離を取っている白式に当たっても、僅かなダメージにしかなっていないのだろう。

 

「しかもさっきから観ている限り、そこまで衝撃砲の連射性は高くない。案外、付け入る隙は結構あるかもしれないぞ?」

 

 昭弘の言った通りなのか、少しずつ白式が攻勢に出始めた。

 まるでタイミングを見計らっているかの様に、甲龍に対してヒットアンドアウェイを繰り返しているのだ。

 実はこれ、昭弘が一夏に戦術の一環として教えたものだ。昭弘は今回、2人の戦いに水を差すまいと敢えて一夏に甲龍の情報を与えなかった。故に今一夏は、自分で考えた上で最適な戦法を繰り出しているのだから大したものだ。

 

 だが鈴音も代表候補生。すぐさま白式の変化に気付いて戦法を変え、序盤の近距離戦へと再び移行すべく白式を追い回す。

 

 2人とも中々良い戦いっぷりである。特に一夏は短期間でよくぞここまで強くなったものだ。相手は代表候補生だと言うのに。

 昭弘はそんな2人の熱戦を微笑ましく観戦していた。

 

「アルトランドさん何か」

 

「子供の試合を観戦している“お父さん”みたいですね」

 

「身体がデカいからそう見えるだけさ」

 

 昭弘たちは観戦しながらそんな談笑を繰り返していた。

 

 瞬間―――

 

 

 

 

 

ドガァァァン!!!!!

 

 

 

 

 

 フィールド中央で巨大な爆発が起こると同時に、衝撃でアリーナ全体が激しく震える。

 

「「うわっとぉッ!!?」」

 

「何だ何が起こった!?」

 

 辺りは騒然となり未だに事態が把握できずに固まって動けない者も居れば、一目散にスタンドの出口へと駆けていく者もいた。

 昭弘はフィールドに視線を戻すが、巻き上がった土煙で内部の状況がまるで判らない。

 

 ならばと、昭弘は上空へと視線を移す。先程の爆発が上空からの攻撃であることは、昭弘も既に把握していた。上空には人型の何かが移っていた。

 

(クソッ良く見えん)

 

 昭弘はグシオンのハイパーセンサーを部分展開させ、再度人型の飛行物体を確認する。

 

 人型の“ソレ”は、ハッキリとハイパーセンサーに映し出された。

 

 

 そう、残酷なまでに()()()()と。

 

 

 

 

(…………タロ?)




次回からは、結構原作ブレイクが多くなるかと思われます。


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第11話 その慟哭は誰にも聞こえず(前編)

大変お待たせしました!色々と構想に時間が掛かってしまいました。
今回は確実に10000字は超える事が予想されるので、前編と後編に分けることにしました。
残念ながら、前編は昭弘の出番は余りございません。観客スタンドの状況や学園側の対応等、面倒なことを先に済ませておきました。なので、昭弘は後編に凝縮することにしました。


パリィン!

 

 上空から()()が割れる音が聞こえた。だが有り得ない。四方と上方を頑強なるシールドバリアで覆われているフィールドには、今対峙している白式と甲龍だけだ。

 

 “何事か”と、一夏と鈴音が割れた音の方角を見上げるより先に―――

 

 

ドォガァァァァン!!!

 

 

 シールドを外側から破壊した“ビーム”はそのまま地面へと突き刺さり、巨大な爆炎は土煙を纏う。白式と甲龍はその衝撃に吹き飛ばされてしまう。

 しかし2機ともどうにか受け身が間に合い、シールドに激突することは無かった。

 

「何だってんだ一体!?鈴!無事か!?」

 

《大丈夫!一夏こそ怪我無い!?》

 

「今のところはな!と言うか何が起こったんだ一体!?土煙で何も見えねぇ!」

 

《落ち着きなさい!多分上空からの砲撃よ!それとハイパーセンサーが着弾地点に反応しているわ!…これは…IS?》

 

 確かに白式のハイパーセンサーもISの反応を示している。

 一夏と鈴音は取り合えず、シールドに密着する形で土煙が晴れるのを待つことにした。もう既にシールドの割れた部分は自己修復が完了しているので、脱出できないのだ。

 今のところ観客スタンドの生徒たちや来賓の方々に被害は無い様だが、突然の事態に大いに混乱している。

 

 そして少しずつ、舞い上がった土煙が重力に従いながらゆっくりと落ちていき薄ぼんやりと人形の輪郭が見え始める。

 とうとう土煙が完全に晴れ、一夏と鈴音の瞳に飛び込んできたソレの形状は正に“異形”そのものだった。

 その全身装甲(フルスキン)のISは異常に両腕が長く、頭部は完全に両肩部分と繋がっていて首が存在しなかった。そして頭部の中心付近で赤く輝くカメラアイが、白銀の全身をより不気味に際立たせていた。

 

《一夏!来るわよッ!》

 

 鈴音の掛け声と同時に、その白銀のISは白式へと突っ込んで来る。

 

 

 

 昭弘は懸命に頭を巡らせていた。

 しかし周囲の喧騒もフィールド内の状況も今の彼の頭には入らず、有るのはハイパーセンサー越しに映るタロの事だけであった。

 

―――何故タロが此処に?

―――何故一夏たちを撃った?

―――そもそもアレは本当にタロなのか?

 

 しかし、昭弘が頭を巡らせるのもそこまでだった。いや、考えるよりも先に身体が動いてしまっていたのだ。

 昭弘は念の為インナーとして着込んでいたISスーツを露にし、今現在背中の阿頼耶識に接続している待機形態のグシオンに意識を集中する。忽ち青白い粒子に追随するかの様に、鋼鉄の肉体が昭弘を覆い尽くす。

 

 昭弘はグシオンリベイクを完全に展開すると周囲に生徒たちが居ないことを確認し、スラスターを吹かせて飛び立った。

 

《何をしているアルトランド!一生徒が勝手にMPSを展開するな!》

 

「すいません織斑センセイ。罰は後で受けます」

 

 管制塔の千冬からの叱責を昭弘は短くあしらうと、直ぐ様タロへの専用回線に切り替える。

 

「タロッ!オレだ昭弘だ!一体どういう事だ!?」

 

 らしくもなく口調を荒らげる昭弘。

 本来生徒によるIS・MPSの展開は、教員の許可が必要である。有事の際も基本的に鎮圧を行うのは教員の仕事であり、生徒の主な役目は避難誘導やISによるそれらの護衛等である。

 無論昭弘自身そんな事は百も承知だ。しかし自分の家族が今正に人を傷つけようとしている時に、悠長に規則を守ってなどいられない。

 

《…》

 

 しかしタロからの返事は無く、その赤い単眼はただ機械的に昭弘を見つめていた。

 そんなタロの反応に対し昭弘は憤る気持ちを抑えながら、今度は口調を落ち着かせてタロに尋ねることにした。

 

「何故フィールドを攻撃した?…束からの命令か?」

 

《…》

 

 尚もタロは答えない。

 段々と昭弘の憤りは恐怖に取って代わっていった。昭弘の知るタロは、兎に角お喋りでお調子者。そんなタロが一言も喋らないなんて昭弘には今の今迄想像もできなかったし、したくもなかった。

 

 そんなやり取りとすら言えないやり取りの中、昭弘は漸くハイパーセンサー上に表示されている新たなISの存在に気づく。

 今の今迄、タロしか視界に捉えていなかったからだろうか。ハイパーセンサーには、白式と甲龍の他にジロの反応もある。更に上空にはサブロ、シロ、ゴロの反応も。

 

 そんな中昭弘は気づく。ハイパーセンサーに表示されているISの位置だ。フィールド内に、白式と甲龍とジロの3機が固まっているのだ。嫌な予感が、昭弘の脳裏を過る。

 そして少しずつフィールド内の土煙が晴れていき、3機のISの姿が露わになる。

 

(オイまさか……止せ…ジロ…!)

 

 昭弘のそんな願いが届く筈も無く、ジロは白式に突っ込んで行きそのままフィールド内にて交戦が開始されてしまう。

 

「止せェェェェェッ!!!」

 

 昭弘は雄叫びの様に静止の声を張り上げながら、フィールドを覆っているシールドへと突っ込もうとする。

 

ガゴォン!!

 

 しかしタロの長い右腕による殴打を食らい、グシオンのSEが減少する。

 

(……どうしてだ)

 

 昭弘はアリーナ外へと吹っ飛ばされてる最中、頭の中で問いを繰り返す。

 

(どうしてなんだタロ!ジロ!)

 

 いくら自問を繰り返した所で時は待ってなどくれない。今はタロたちを止める方が先だ。

 昭弘は頭の中に充満している問いを半ば無理矢理取り払うと、各部スラスターを器用に小さく吹かしながら体勢を整える。直後、グシオンの全スラスターを後方へと思一気に吹かしタロへと躍りかかる。

 

 

 

 管制塔にて千冬は事態の収拾に追われていた。真耶の方は、観客スタンドの避難誘導に向かっている。

 

 クラス対抗戦の最中にて突然の襲撃。千冬は直ちにエマージェンシーコールを掛け、教員部隊の出撃命令を下した。しかし事態は最早最悪の一歩手前辺りまで来ていた。

 

 一つ、襲撃ISの異常なまでの火力である。

 アリーナのフィールドに使用されてるシールドバリアの強度は当然のことながら並大抵のものでは無く、如何に火力重視のISであれ破壊することなど到底不可能だ。

 そんな代物をしかもたったの一撃で破壊してしまう程の火力を秘めている怪物が、今まさにシールドの内側で暴れているのだ。もし奴の流れ弾がシールドを突き破って観客スタンドに直撃したら怪我人程度では済まない。

 

 もう一つは、そのアリーナAの観客スタンドから誰一人出られないのである。アリーナ全体のシステムに異常が発生したのか、どのエリアのゲートも扉も開かなくなってしまったのだ。

 その事が混乱に更なる拍車を掛けて、最早観客スタンドは恐慌状態と化していた。

 

 3つ目はシールドがこちらの操作を一切受け付けなくなっているのだ。これではフィールド内の一夏と鈴音に増援を送ることができない。

 幸いフィールド直上に佇んでいた黒色のISは昭弘が上手くアリーナAから引き離してくれたが、それでも無断でMPSを起動させたのは決して関心できた物ではない。

 

《こちら教員部隊!織斑先生、出撃準備完了しました》

 

「了解、少々予定を変更する。指示があるまでそのまま待機」

 

《し、しかし!それでは生徒たちの安全が…》

 

「現在のアリーナAは、最早生徒も含めた観客全員が人質に取られた様なものだ。フィールド内のIS以外にも、上空では既に3機の未確認ISが確認されている。悪戯に奴らを刺激して、観客席を攻撃されては敵わん。歯痒い気持ちは解るが…」

 

《…了解…しました》

 

 通信先の教員は無理矢理自身を落ち着かせた様な低く張った声で返事をすると、通信を後にした。

 

 一番不気味なのは敵の目的がまるで判らないところだ。

 もし仮に世界初の男性IS操縦者である一夏の身柄が目的だとしても、ならば何故一斉に襲い掛かって来ないのか。何故上空の3機はずっと待機しているのか。

 

 千冬は襲撃犯に得体の知れない不気味さを感じながらも、直ぐ別の心配事に思考を塗り潰される。

 

(勝てとは言わん。せめて無事でいてくれ一夏、鈴音)

 

 今フィールド内では自身の弟とその幼馴染が懸命に戦っている。しかもこれは演習ではなく実戦で、下手をすれば命に係わる。そんな状況に置かれている弟を心配しない姉など居はしない。千冬もその一人だ。

 しかし今の彼女はあくまで一教師。ISと言う名の装甲に護られている2人と、無防備な状態で観客スタンドに取り残された生徒たち。どちらを優先するかは最早語るに及ばずだろう。

 

 すると、管制塔に一本の通信が入る。

 

 

 

 観客スタンドでは、悲鳴と怒号が行き交っていた。

 

「何で開かないのよッ!」「出してよぉぉっ!死にたくないぃぃ!!!」「ちょっと押さないでよ!!」「み、皆さん落ち着いて下さい!ゲートに殺到しないで下さい!」

 

 その群に理性は無かった。あるのは「生」を掴もうとする本能のみ。それは視界を狭め思考を遮断し行動を弾純化させる。故にゲートと言う名の「一点」に集まり群衆は尚も膨れ上がる。

 

 パニックに陥りかけている箒も又、群の仲間入りを果たす一歩手前だ。

 

「このままではフィールド内で暴れている奴の流れ弾が、バリアを割って飛んでくるぞ!」

 

 そんな風に取り乱す箒を、セシリアは普段の口調で制する。

 

「落ち着きなさい箒。確かに事態は深刻ですが、未だ最悪という段階ではございませんわ」

「先程フィールド内で暴れている敵性ISの流れ弾がシールドバリアに直撃したのですが、私が見た限りではシールドバリアは()()()()()()()でしたわ」

 

「どう言うことだ?」

 

 混乱から疑問へと切り替わった箒に、セシリアは考える素振りをしながら返答する。

 

「最初に砲撃を行ったISよりも威力が低いタイプなのか、エネルギーを消耗してしまったからなのか、それとも意図的に威力を抑えているのか」

 

「だがそうと解れば、周囲の人たちにもその事を伝えて落ち着かせないと!」

 

 箒はあたふたと周囲を見回すが、セシリアは相変わらず氷の如く淡々と最新の状況を伝える。

 

「現状ではやるだけ無駄かと。この恐慌状態では誰も話など聞いてはくれませんわ」

 

「そんな…。そうだ!セシリアのブルー・ティアーズなら、ゲートを破壊できるのではないか!?」

 

 この方法ならいけると思った箒だが、セシリアは苦虫を嚙み潰した様な表情をしながら上空を見上げる。

 

「先程私も、ハイパーセンサーを部分展開し索敵したのですが…遥か上空にも3機、敵性ISが待機している様ですわ。しかも砲塔をこちらに向けて」

 

「ッ!…それはつまり」

 

 箒は今度こそ絶望する。その内容を、セシリアは無情に告げる。

 

「こちらが妙な動きを見せれば、砲撃される危険性は十分に有り得ますわ」

 

「要するに私たちは「人質」ってことよ」

 

 箒とセシリアが打開策を話し合っていると、あらぬ方向から凛とした声が返ってきた。声がした方に振り向いてみると、そこには水色の美しい髪を持った生徒が悠然と立っていた。

 

「貴女は…更識生徒会長!」

 

 セシリアがその名を呼ぶと、楯無は融和な笑みを零す。

 

「ソッ!皆のだぁい好きな更識生徒会長で~す!…と、おふざけはこの位にして、2人共真剣に話し合ってるとこ悪いんだけど、現段階で打開策は無いわ」

 

 楯無の冷徹な一言に、箒が物申す。

 

「…では何ですか?このまま指を咥えて唯々見ていろと?」

 

「はいそうカッカしな~い。実はさっき、管制塔に「ある通信」を入れておいたの。もうちょっと待ってて」

 

 直後、アリーナ中に設置されているスピーカーから大音量で「指示」が飛んでくる。誰もが知っている力強いその声は、群を構成する知能が著しく低下した者たちに気付けの氷水をぶっ掛ける。

 

《こちらは管制塔である。現在フィールド内に居る敵性ISの砲撃だが、シールドバリアを突き破る程の威力は無いということが判明した。もう1機の敵性ISも、今現在はアリーナAから引き離されている。故にアリーナから無理に退避する必要性は無い。アリーナの機能不全に関しては目下調査中である。教員並びに生徒会員の指示に従い、安全な体位で待機せよ。又、周囲に傷病者等がいる場合はこれの応急処置に努めよ。繰り返す…》

 

 管制塔からの千冬の言葉に教員たちは安堵の息を漏らし、恐慌状態にあった観客たちも比較的落ち着きを取り戻し始める。

 

「成程。つまりは更識会長も、事態の凡そは把握しているという事ですのね。上空の3機は、伝えれば更に無用な混乱を招く恐れがあるから敢えて伝えなかったと」

 

「そこは織斑先生の判断だけどね」

 

 楯無が千冬に伝えたのは、フィールド内の敵性ISがシールドを破壊できないという旨だけだ。

 

「シールドが破壊されない、上空からの攻撃も今のところは無いのなら、下手に動く必要も無いでしょう?」

 

 未だ安全とは程遠い状況にあることに変わりはないが、先ずは観客を落ち着かせることが重要だ。先の状況は正に、群衆雪崩が起きる一歩手前の状況であったのだ。

 既にその恐慌が原因で怪我人も出始めていた。

 

「2人共思う所もあるとは思うけど、今は“限られた状況”でやれることをやるしかないわ」

 

 楯無のその言葉を受けてセシリアは力強く頷き、箒は力無く頷いた。

 

「そんじゃっ!私は生徒会長としての役目を果たさなきゃだから、ここらで一旦さよならするわね」

 

 そう言いその場を後にする楯無。流石は生徒会長、事態への落ち着き度なら教員にも匹敵するか。

 

「箒、私は本音を探してまいりますわ。無事だとは思うのですがどうにも心配で…」

 

 どうやらセシリアも、観客スタンドが落ち着くのを待っていたようだ。今なら安全に移動もできよう。

 

「……強いな、セシリアも皆も。私なんか慌てて取り乱してばかりだ」

 

 箒はそう言うが仕方が無い。昭弘は突然飛んで行ってしまい、一夏はフィールド内に取り残されてしまう。心を支える友人たちがそんな状況になっては、心も乱れよう。

 

 だからか、セシリアは少し間を置いてから優しく微笑んで言った。

 

「私だって本当は怖くて怖くて仕方がありませんわ。今もこうして戦っている一夏の身にもしものことがあったらと思うと…考えるだけで背筋が凍りますわ。私はそんな思いを必死に隠しているに過ぎません」

 

 だから怖いのは箒一人だけではない、勝手に自分一人を責めるな。

 要はそう言いたかったセシリアは、安全な体位を心掛けながら動き出す。この状況だから仕方が無いが、その様は貴族令嬢とは程遠かった。

 

 その後姿を見送った後、箒は苦笑を浮かべながら「敵わないな」と小さく呟いた。

 

 

 

 鈴音はフィールド内の敵性ISに激しい憤りを感じていた。それは正に、毒々しい怒りの炎に彼女の心中が包まれているかの様だった。

 自身と一夏による、2人っきりの真剣勝負を邪魔されたのだ。憤りを覚えるのも当然だろう。

 しかし…。

 

(ったく!図体の割にメチャクチャ速いわねコイツ!)

 

 鈴音は、敵性ISの機動力の高さに思わず愚痴を溢しそうになる。

 機動力だけで無く、乗っている者の実力も相当なものだ。鈴音と一夏が件のISと交戦してから未だ2~3分程度しか経っていないが、少なく見積もっても代表候補生以上の実力が有ることだけは解る。

 ただ例の砲撃の威力が、アリーナを最初に攻撃した一撃よりも低くなっているのは少々気懸りだった。初撃を担ったISよりも威力が低いタイプなのだろうか。

 

ミ゛ューーーーーーーーン!!!

 

 白銀のISが両腕の先端に2門ずつ付いている砲塔から、合計4本の極太のビームを放つ。白式はそれを既の所で避けると、一気に距離を潰して斬り掛かろうとする。先程鈴音に対して行っていたヒットアンドアウェイ戦法だ。

 あれ程の威力があるビームじゃリロードにも相当時間が掛かると踏んだ一夏は、このタイミングなら行けると考えた。

 

 しかしそれは敵の罠だった。

 

デュゥルルルルルルルルゥン!!!!

 

 砲と砲の間に仕込まれていた窪みから、ビームの雨霰が飛んでくる。その内何発かが白式へと直撃し、SEが減少する。

 

《グアッ!クッソッ!!》

 

 鈴音も白式とほぼ同時に、敵の右腕に斬り掛かろうとしていた。しかしこちらもギリギリの所で避けられ、お返しとばかりに右手による裏拳を貰ってしまう。

 

(なんて奴なの!わざと大出力のビームを放ってこっちの攻撃を誘った!?)

 

 しかしその思考より若干遅れて、鈴音は「ある重要な事柄」に気がつく。

 見間違いだろうかあのIS、自身を殴った時()()()()()()()させていた。

 

 もしソレが鈴音の見間違えで無いと言うのなら、件の敵性ISは“人間”ではないと言うことになる。腰が360度1回転する様な人間など、この世に存在しない。

 

(じゃああのISは…)

 

 鈴音は相手の出方を伺いながら、一夏にも確認を取ることにした。

 

「ねぇ一夏。アンタ見た?あのISの動き」

 

《ああ腰の動きの事だろ?バッチリ見たぜ》

 

 一夏のハッキリとした返答を聞いて、鈴音はほぼ確信を持った。と言うよりも、半ば無理矢理確信付ける事にした。

 敵の正体が曖昧なままだと、こちらの心理的な負担が無駄に大きくなるだけだ。

 

 直後、鈴音と一夏の出した答えは内容もタイミングも完璧に一致していた。

 

「《無人機》」

 

 

 

 

 

後編へ続く




てな具合の話になりました。
少々退屈だったかもしれませんが、後編は昭弘をいっぱい出しますので、乞うご期待ください!


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第11話 その慟哭は誰にも聞こえず(後編)

すみません。今回めっちゃシリアスです。


 鈴音は件の敵性ISを「無人機」と判断はしたが、判断した自分自身でも信じられなかった。

 現段階におけるこの世界の科学力では、無人ISを創る事など不可能だ。鈴音も代表候補生という立場上様々なISをその瞳に焼き付けてきたが、未だ実物の無人ISは見た事が無かった。

 

 逆に一夏にはそこまで驚く様子は見受けられなかった。彼の場合IS学園に入学するまではISに関わったことが無かったので、無人ISに対してそこまでの新鮮さは無かったのだ。「何処かで秘密裏に創られてても可笑しくは無い」程度の認識なのだろう。

 

《無人機のメリットは戦闘の際に恐怖や躊躇いが無く、より効率的・効果的に相手を殲滅できることね。何より有事における犠牲者が少なくて済むわ》

 

 そんな鈴音の分析に対し、一夏が更に付け加える。

 

「メリットならこっちにも有るぜ。相手が無人機ってんなら、情け容赦なく戦える。相手の安否を一々気にする必要も無い」

 

 一夏の言葉に対して、鈴音は笑みを浮かべながら同意する。

 

《それもそうね。丁度良いわ、さっきからこのISには随分とムカッ腹が立っていたのよねぇ》

 

 一夏も又そんな鈴音に笑みを溢すと瞳に今迄以上の闘志を燃やし、雪片弐型を正眼に構える。

 

《そんじゃまぁ》

 

「気を取り直して」

 

「《行くとしますか!!》」

 

 その台詞と同時に白式と甲龍は其々別方向にスラスターを吹かして、行動を開始する。

 

 

 

 昭弘は学園から5km程離れた海上凡そ300m地点にて、タロと一進一退の攻防を繰り広げていた。

 

 彼は常にタロより上方に位置することにより、タロのビーム砲が学園側に向かない様努めていた。その分昭弘が学園側に銃口を向けてしまう事になるが、ビームミニガンはあくまで中距離戦用にカスタマイズされているので、ビームと言っても射程距離が1kmに届くことは無い。滑降砲においても、5kmも離れていれば砲弾は届かない。

 

 グシオンリベイクはタロの直上からビームの雨を降らせるが、タロは難なくこれを回避。

 しかし、続け様にサブアームに装備されている滑降砲から炸裂弾頭が発射される。砲弾はタロの回避先へと一直線に向かって行き、一発は大きく回避されるがもう一発の砲弾のセンサーはタロをしっかりと捉えて起爆。大小様々な破片がタロへと降り注ぐ。

 

(良し、少しずつこちらに形勢が傾きつつあるな)

 

 後はこのまま形勢を維持できれば、先にタロのSEが切れる。そう易々とは行かせて貰えないだろうが。

 それにどうにも先程から、タロにしては立ち回りが消極的すぎる様に昭弘には感じられた。

 

 昭弘はタロに対して射撃戦を徹底している。タロは他のゴーレムと比べると近接戦に極めて特化していたが、射撃戦に関しては他のゴーレムより若干見劣りするレベルだ。

 しかし相手はゴーレム最強の無人IS。射撃戦だけで勝てれば、昭弘も束のラボであそこまで苦労はしなかった。

 

 

 

(やはり私を撃破するつもりは無い様ですね昭弘様。動きにいつものキレが無い。高が機械の私に随分とお優しいことで)

 

 タロは心の中で、賛辞とも皮肉とも取れる言葉を昭弘に対して贈っていた。

 

(いや、甘いのは私も同じか)

 

 タロも又、グシオン相手に本気を出せないでいた。

 無論束からは「箒以外の人間は気にせず全力で戦え」と指示を受けている。しかしいくら実戦慣れしているタロと言えど、非戦闘員であるIS学園の生徒たちに銃口を向けるのは束の命令だろうと流石に抵抗があるのだ。でなければ、昭弘の誘いにこうもあっさり乗ったりはしないだろう。

 誘いに乗った後も、タロは学園の生徒の安否が気懸りなのかイマイチ戦闘に集中できないでいた。

 

 すると突然グシオンからの攻撃が止み、代わりに昭弘から専用回線で通信が入る。

 

《…タロ。もう止めにしないか?》

 

 タロは尚も、昭弘からの通信に対して無言を貫く。しかし動きは完全に止めてしまっていた。

 

《お前たちが本気じゃないことも、操られていないことも判っている。でなければお前がオレの誘いにこうもあっさり乗り、学園から離れる訳が無い。それにちょくちょく学園側へ視線(ハイパーセンサー)を向けているのが丸分かりだぜ?大方、犠牲者が出ていないか気懸りなんじゃないのか?》

 

 尚も昭弘は続ける。

 

《お前らの目的は知らん。だが今投降すれば楽になるぞ。IS学園の教員は、皆話の分かる人たちだ。犠牲者が出てない今なら、きっと寛大な処置をしてくれる筈だ》

 

 当然のことだが、昭弘は犠牲者が一人も出ていないと言う確証は持っていない。しかし、タロたちを止めるにはこう言う他無かった。

 

(…本当に貴方様は御優しい。その御心遣いだけで私は満足です。…が)

 

 タロたちだって無意味に攻め込んできた訳では無い。例え拘束されることになったとしても、目的は果たさねばならないのだ。

 

 昭弘にタロを殺させる。

 

 それが束からの命令なのだ。そして彼等ゴーレムにとって束からの命令は“絶対”。

 

(思えば最初から「あの方法」を採っていれば良かった。今この方と相対して解った。恐らく私はこの方から嫌われたくなかったのだろう。しかし昭弘様、申し訳御座いません。私たちにとっては束様こそが創造主であり絶対者であり、神であるのです)

 

 タロはそう決意を固めると、あの方法とやらを実行に移す為に行動を起こす。

 

 

 昭弘は、固唾を吞んでタロからの返答を待っていた。しかし…

 

ヴゥイイィィィン…

 

 タロは身体を学園側に向けると、そのまま瞬時加速を敢行しようとする。

 

(何をする気だ!?)

 

 昭弘はビームミニガンと滑腔砲で牽制しようとするが、遅かった。

 

ダオォォォン!!!

 

 タロは瞬時加速により、一気に学園へと迫る。

 昭弘も直ちに瞬時加速を行い、タロに追随する。音速を大きく超えるタロとグシオン。グシオンがタロに攻撃する間もなく、あっと言う間に2機共アリーナへと辿り着いてしまう。

 

 

 タロはアリーナAの直上数十m付近に辿り着くと、再び昭弘と相対する。

 

ヴイィィン…

 

 するとタロは両腕計4本の主砲から深紅に輝くビームサーベルを展開。腕の先端から2本ずつ伸びているソレは、まるで長大な“鉤爪”を彷彿とさせる。

 その『ビームクロー』を構えると、タロは恐らくフルフェイスマスクの中で表情を歪めているであろう昭弘に専用回線で通信を入れる。

 

《コレダケアリーナガ近ケレバ、モウ射撃兵装ハ使エマセン。ソシテ近接格闘ナラ貴方ヨリ私ノ方ガ上デス》

 

 すると、昭弘から哀愁の籠った声が返ってくる。

 

《…やっと話してくれたと思ったら第一声がソレか。けどな、オレにはもうこれ以上お前と戦う理由は無い。お前たちが学園の生徒を傷つけられない事は分かっている》

 

 昭弘が通信越しにそう言うと、タロは腰を少し折り曲げ俯く様に返答する。

 

《…ソウ言ウト思イマシタ》

 

 するとタロはある指令を下す。()()()()()()()()様に。

 

《コチラハタロ、コレヨリ第3フェーズニ移行スル。サブロ、シロ、ゴロハ直チニ…》

 

篠ノ之箒ヲ捕ラエヨ》

 

 

 昭弘はタロがサブロたちに下した「指令」を聞いて、頭の中が白く染まる。しかし直ぐに、これから起こりうる“惨劇”が昭弘の真っ白な頭中を侵食していく。

 教員部隊との避けられない交戦、その流れ弾によっていともたやすく蒸発していく観客たち、爆風によって物言わぬ肉塊へと変わる生徒。そして連れて行かれる箒、そんな光景を見て絶望し発狂する一夏。

 

 ゴーレムたちがそんな惨劇を起こさない事は、昭弘も頭では解っている。

 しかし一度でも最悪の事態を想像してしまっては、後はもう止まらない。その悍ましい脳内映像に嗾けられるかの様に、昭弘はアリーナに向かっている3機を食い止めようと動く。

 が当然の如く、タロは昭弘に立ち塞がる。

 

「頼む退いてくれタロ。もし退かないと言うなら…」

 

《私ヲ倒スシカアリマセンネ》

 

「…クソったれが」

 

 昭弘がそう呟くと同時に、グシオンのハルバートとタロのビームクローが勢いよくぶつかり合った。

 

 

 

 千冬はアリーナに向かって来る敵性ISに動じること無く、教員部隊に出撃命令を下す。

 国際IS委員会にも既に報告は入れてあるが、千冬自身彼らの動きには正直期待していない。例え増援が間に合ったとしても、指示系統が却って混乱するだろう。かと言って事後報告にする訳にも行かないので、取り敢えず報告だけは入れておいたというのが千冬の本音だ。

 

「こちら管制塔。事態急変につき教員部隊は直ちに出撃せよ。但し到着後はアリーナA周辺にて待機し、こちらからの指示を待て」

 

《こちら教員部隊、了解!》

 

 更にアリーナ全体に指示を出す為に、千冬は一瞬だけ頭を巡らす。

 

(…止むを得ん、待機を継続させるべきだな)

 

 どの道今から避難の指示を出しても間に合わない。混乱による怪我人が増えるだけだ。

 千冬は苦渋の決断をし、指示を出す。

 

「こちらは管制塔。現在IS学園に所属不明のISが接近中。慌てること無く、その場での待機を継続せよ。繰り返す―――」

 

 

 

「な、何だ?こいつら?」「こいつらも敵…なの?それとも味方?」

 

 観客スタンドに降り立った3機のISは、暴れることなくゆっくりとスタンド内を歩き始める。

 観客たちは楯無の予想と異なり、唯々困惑しているだけに留まった。千冬の迅速な指示もあるのだろうが、事前情報が「所属不明のIS」しかない観客たちにとっては「突然現れた謎のIS」程度の認識なのだろう。

 

 その3機のISは、歩き回りながら紅くて丸いカメラアイをキョロキョロと動かしていた。

 

(まるで何かを探している様な…)

 

 箒は、相手の目的が何なのか考え込んでいた。

 

 実際サブロたちは、ハイパーセンサーによって箒の居場所は既に特定している。それなのに探す素振りをしている理由は、無用な混乱を避ける為にある。彼等の最大の目的は、あくまで全開状態のタロを昭弘とグシオンに倒させることなのだ。

 重要なのは今箒を捕えることでは無く、観客スタンドに立つことで「いつでも箒を捕縛できるぞ」というアピールを昭弘に対して行うことにある。

 

 ふとサブロたちは、観客たちが上空を見上げていることに気づく。

 

 彼等ゴーレムが危害を加えてこないから、警戒心が薄れたのだろうか。それにしては、観客たちの表情が可笑しい。まるで「この世のモノとは思えない」何か強大なモノを見ているかの様に、口を「あ」の字に開けながら目を見開いている。

 しかしサブロたちは彼等観客が何を見ているのか、凡そ見当は付いていた。彼等が今観ている光景こそが、束の狙いなのだから。

 

 箒はその光景を観て、ただ茫然と立ち尽くすしか無かった。

 

「昭弘…」

 

 彼の名前を呟くと同時に、箒は思った。「()()()()は本当に昭弘なのだろうか」と。

 

 

 

 ジロも又、フィールド内にて激戦を繰り広げていた。

 

(成程、流石は中国代表候補生。ISを“生物”の様に操っている。一夏様も白式のコアと上手くいってる様で)

 

 そんなことを考えながらも、ジロは2機の専用機を相手に互角以上に渡り合っていた。タロとは正反対の射撃戦に特化したジロは、様々な射撃武装を駆使して白式と甲龍を翻弄する。

 

 甲龍は至近距離から衝撃砲を発射した後、双天牙月を2本同時に大きく振り下ろしてくる。更に背後からは、白式が雪片弐型を腰だめから振り上げてくる。

 ジロは衝撃砲を上方に躱した直後、両手の主砲を瞬時に「散弾タイプ」に切り替える。そして向かってくる甲龍にはそのまま左手で、背後から接近する白式には長い右腕を左脇から後方に回した状態で夫々黄金色に輝く無数の熱線を浴びせる。

 

 

 

「グゥッ!」

 

《キャアッ!!》

 

 無人ISからの思わぬ反撃に、鈴音と一夏は痛みも感じていないのに声を上げてしまう。

 

《ああもうッ!あの主砲にどんだけ“飛び道具”詰め込んでんのよコイツゥ!》

 

「畜生!今のは絶対に入ると思ったのに…」

 

 その時、一夏も又フィールド上空を見上げてしまっていた。見上げた理由は彼自身にも良く解らない。唯、何となく気になったのだ。しかし彼は今現在戦闘中であるので、一瞬見上げたら直ぐに意識を切り替えた。

 それでも尚、一瞬だけ見えた“ソレ”は一夏の脳裏にこびり付いて離れない。

 

(……一瞬だったから良く見えなかったけど、MPSって…()()()()()できるもんなのか?)

 

 そう考えた途端、一夏は例えようのない恐怖を感じた。それは一瞬見えたグシオンリベイクが恐ろしかったからでは無い。

 まるでそう、昭弘が「何処か遠く」へ行ってしまい、そして二度と戻って来ない様な…そんな確証の無い恐怖だ。

 

 実はこの時、箒も一夏と全く同じ恐怖を感じていた。

 

 

 

 タロは、常に瞬時加速顔負けな超高速機動でグシオンに迫る。深紅のビームクローが、タロが通過した空間に深紅の峠道を描いていく。

 その勢いをそのままに、タロの禍々しい右腕のビームクローがグシオンを横薙ぎに切り裂かんとする。昭弘はグシオンの左腕に腰部シールドを構えてこれを防ぐが、タロの有り余るパワーに押し負けてしまい右後方へと大きく吹っ飛ばされる。

 

 グシオンはアリーナに激突する前に体勢を立て直すが、そんなことお構いなしにタロは突っ込んで来る。

 

(………何だ…この感じは…?)

 

 昭弘は、タロと交戦していく内に妙な違和感を覚える。それは迫り来るタロでは無く、自分自身に対してだ。

 しかし昭弘は、直ぐにその違和感の正体に到達する。

 

(泣いているのかオレは?……何故だ?)

 

 何故。それは心当たりが無いのではなく、心当たりが多すぎるが故に浮かんだ言葉だった。

 

 家族を相手に戦わなければならない絶望、箒が連れて行かれるかもしれない恐怖、こうすることしか考えが思い浮かばない自身への激しい怒り、決して犠牲者を出してはならない事への焦燥。

 そして形はどうあれ、こうして久しぶりに家族に会えたことへのほんの僅かな喜び。

 

 それらの感情が昭弘の中で渦の様に混ぜ合わさり、形の見えない激情となっていったのだ。

 更に昭弘の激情は加速度的に膨張していき、それは阿頼耶識を伝ってグシオンにも影響を与え始めた。

 

(何だ?…タロ以外の景色が白く霞んでいく。…それに…タロの動きがどんどん遅くなっていく)

 

 まるで昭弘の激情にグシオンが呼応するかの様に、昭弘とグシオンはより深く、深く、深く、深く繋がれて行く。

 

―――シンクロ率:99.8%

 

(グシオンを纏っている感じがしない……?)

 

―――シンクロ率:99.99999999%

 

(……違う………()()()()()………()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――シンクロ率:100%

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昭弘の結論を、グシオンから流れているアナウンスが冷徹に遮る。

 

―――グシオン、リミッター解除を確認。これより、単一仕様能力『狂獣(マッドビースト)』を発動します。

 

 直後、グシオンの緑色のツインアイが紅く輝き始める。

 

 

 

 タロはグシオンに対して、左手のビームクローによる渾身の突きを放つ。

 

ヴゥォン!!

 

 しかし、その空間に既にグシオンの姿は無かった。

 

グァシッ!!

 

 タロの直上から飛来したグシオンに、タロは頭を鷲掴みにされる。

 グシオンはそのまま瞬時加速を敢行し、タロをシールドバリアに外側から叩きつける。その衝撃でタロのSEは大きく減少し、今尚もタロの頭部に圧力が加えられているので更にSEが減少していく。

 タロはその巨大な両腕でグシオンを無理矢理引き剥がそうとするが、まるで万力の様にビクともしない。

 

(…止むを得ませんね)

 

 タロは右手のビームクローを解除。その後左手のビームクローでグシオンを斬り続けることにより、万力の様に動かないグシオンでもSEは減少していく。

 そして空いた右手の砲塔を器用にシールドへ向けると、そのままシールドが割れるギリギリの出力でビーム砲を放つ。丁度タロとグシオンが居た部分のシールドが割れ、タロは身体を僅かに沈める。

 同じ様に体勢を崩し、タロの頭部から一瞬力を抜いてしまったグシオンをタロは思いっきり長大な両腕で突き放すと、割れた部分が塞がる前に即座にフィールドから脱出する。

 

 

 タロに突き放された昭弘は右手にハルバートを構えると、間髪入れずにタロに突撃する。タロは腰を沈め躱し、昭弘の懐に左手のビームクローを手刀の様に叩き込もうとする。

 しかし昭弘は恐るべき瞬発力を以て左手の腰部シールドでそれを防ぐと同時に、いつの間にか右サブアームに呼び出していたグシオンハンマーでタロを叩き落とす。

 タロは再び、フィールド上方のシールドに叩きつけられる。

 

 今の昭弘には、タロの動きの全てがスローモーションに見えていた。

 しかし昭弘はこの能力に驚嘆する余裕すら無かった。

 

(ウグッ!ゥ゛ゥ゛、ア゛頭が割れそうだ…!ほんの少しでも気を抜いたら…意識を持っていかれちまう…ッ!!)

 

 しかしタロは悶え苦しむ昭弘のことなど構わず、更に腕を変形させて突っ込んで来る。各腕に2本ずつ並んでいる砲塔が腕ごと縦に裂ける様に分離したそれは、まるでサブアームを展開している昭弘と同じく腕が4本あるかの様だ。

 2連砲塔が分離した事で各腕の先端に1本ずつ生えているビームサーベルを自由自在に操るタロと、再び昭弘は切り結ぶ。

 

 昭弘とタロは目まぐるしいドッグファイトを繰り広げた。

 昭弘のツインアイとタロのビームサーベルが、まるで複雑に絡み合う様に美しき紅い光の曲線軌道を描いて行く。その中で彼らが切り結んだ際に生じた火花が、複雑な曲線軌道に更なる彩を加えていく。

 

 そんな最中、タロが2本の右腕を掲げて迫る。昭弘は未だ動かない。タロは昭弘とぶつかるギリギリの所迄接近すると、右腕と見せかけて2本の左腕をそのまま突き出す。しかしこれも今の昭弘の驚異的な瞬発力には敵わず、昭弘の右手と右サブアームに捕まってしまう。

 

 タロを捕まえた状態で、昭弘は左手と左サブアームで力強く握ったハルバートを振り下ろす。

 しかし「カチャン」という音と同時に、タロは掴まれている2本の左腕を根元から分離することで昭弘の拘束から脱する。大きく空振って体勢を崩す昭弘に、タロは再び巨大な右腕による横薙ぎをお見舞いする。

 吹き飛ばされる昭弘だったが、直ぐに各部スラスターを小さく刻む様に吹かして最小限の動きで体勢を立て直す。

 タロは再び右腕を縦に裂き片方を左腕無き左肩に連結させると、再度昭弘と切り結ぶ。

 

 しかし形勢は最早覆らない。ゴーレム最強のタロでさえも、昭弘とグシオンの驚異的な瞬発力と機動力に付いていくことができなかった。しかも昭弘は、サブアームですらもまるで“生身”の様に扱っていた。

 

 昭弘がタロをハルバートでアリーナ外の地面に叩き墜とすと、遂にタロのSEは底を尽きてしまう。しかしシールド以外のエネルギーが未だ残っている為か、タロは尚も起き上がろうとする。

 昭弘はそのままタロの元へ急降下し、ハルバートを用いてタロの両腕両脚を淡々と切断していく。

 

 昭弘は最後の一閃をタロの頭部に叩きこもうと、ハルバートを振り上げたところで動きを止めた。それは、振り下ろそうとする“昭弘自身”を必死に抑え込んでいる様にも見える。

 

「タロ、オレは未だこいつの能力を制御できてる訳じゃねぇ。今こうして刃を止めているのも、後何秒持つか分からん。…だから頼む、箒たちを解放してくれ。オレにお前たち“家族”を殺させないでくれ…」

 

 タロは、数秒程昭弘を見つめていた。しかし、返って来たのは余りにも残酷な言葉であった。

 

《デハコウシマショウ。私ヲ殺サナケレバ、観客全員ヲ「皆殺シ」ニシマス》

 

 その言葉を受けて、昭弘は心の中で必死に鬩ぎ合う。

 

―――ハッタリだ。サブロたちが無抵抗の人間を殺める筈がない。

―――そんな保証が何処にある?現にアイツらはいつでも人を殺せる状態にある。

―――武装しているという確証は無い。

―――武装していないという確証も無い。抑々武装が無くたって、アイツらは人間を簡単に肉塊にできる。

―――タロは家族だ、オレに殺せる訳が無い。

―――じゃあ観客を見殺しにするか?たかが機械と何百人の命、どちらが大事かなんて一々考えるまでも無いだろう。

 

 昭弘の鬩ぎ合いも空しく、無情にもその時は訪れる。

 

《……コチラハタロ。新タナル指令ヲ下ス。観客ヲ全員…》

 

 

 

《殺セ》

 

 今その言葉を聞いてしまった昭弘には、もう選択肢など無かった。

 

 

 

 

 

ガシュッ!!    ゴトン…

 

―――昭弘様…もウしワけ……あリ…マ…せ…

 

 

 

―――――現在作戦遂行中の全ゴーレムに伝達事項有。

―――――グシオンによるタロの撃滅を確認。作戦完了。

―――――機密保持の為、現在作戦遂行中の全ゴーレムの記憶を消去。機能も完全に停止。

 

 

 

―――嗚呼、ヤッたのでスネ昭弘様。…折角久シぶリの再会だといウノニ、な…ンノオモ…てなシ…も…デキ………ナ…

 

 一夏と鈴音は防戦一方の状況に追い込まれていた。

 衝撃砲以外は近接武器しか持ち合わせていない2人にとって、様々なビーム兵器を使い分けるジロは最悪の相手と言って良いだろう。零落白夜も、散弾やフルオートで攻撃されれば対処が難しい。

 SEも残り僅か。一夏が何か手は無いかと頭を振り絞っていると…。

 

(…何だアイツ?動きを完全に止めている…?)

 

 いくらジロが一夏たちを手に掛けるつもりが無かったとしても、何も知らずに追い詰められていた一夏と鈴音にとっては最早一つの敵でしかない。例え機能を停止したとしても、極限状態に陥った人間はそう簡単には止まらない。

 

《何か分かんないけどチャンスよ一夏!アタシは後ろから!アンタは前から串刺しにしちゃいなさい!》

 

「おうよ!ウウウォォォオオオラァァァ!!!」

 

ガシュッ!! ゴァシャァッ!!

 

 

 

 観客スタンドにおいても、同様の現象が起きていた。

 

「な、何コイツら!?急に倒れたわよ!?」「え?何で急に?」「ちょっと皆!ゲートが開くようになったよ!!」「マジ!?やったぁ!!」

 

 周囲が歓喜に浸る中、楯無は倒れた状態のISを見つめて顔を顰める。

 

(結局、こいつらの狙いは何だったのかしら…?)

 

 

 

 

 

 昭弘はタロ()()()金属の塊を抱きかかえていた。しゃがんだ状態でその金属の後頭部の様な部分を左腕で起こし、顔と思しき部分を唯々見つめていた。

 その顔を見つめていると、彼等と過ごした日常が頭中に湧き上がってくる。思えば、この世界で一番最初に遭遇したのもタロだった。ドス黒いボディに深紅のカメラアイ。最初に見たときは凶悪な印象しか抱けなかったのも、今となっては最早懐かしい記憶だ。

 

「…タロ」

 

 昭弘はタロの名を呼ぶ。一言だけでいい。「何デショウカ」と言って欲しかった。しかしタロに繋いだままの専用回線は、耳障りなノイズが響くばかりだ。

 

「なぁ…タロ…」

 

 尚も、タロの名を呼ぶ。先程と何一つ変わらないノイズだけが、昭弘の耳を劈く。

 

 

 

「…」

 

 

 

「………ああ」

 

 

 

「あ゛あ゛あ゛あ゛ア゛ア゛ア゛ア゛アアアアアアアアァァァァァァァァ!!!!!!」

 

 

 

 昭弘はただ叫ぶ。顔を涙と鼻水で濡らしながら。

 しかし未だタロとの専用回線に繋いだままの慟哭は、誰の耳にも届きはしない。

 どんなに顔面をグシャグシャにしようと、フルフェイスマスクに包まれた彼の表情は誰にも判らない。

 どんなに大声で泣き叫ぼうと、返ってくるのは聞きたくも無いノイズだけ。

 

 

 

 どんなに強く抱きしめても、そこに在るのは唯の鉄屑に過ぎなかった。




昭弘を不幸のまま終わらせはしません。
さて、次回からが難しい。各国政府の動きとか束の葛藤とか昭弘の葛藤とか・・・。
自分も早く、シャルやラウラと昭弘を絡めていきたいです。


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人物紹介・その他設定

今回は、ちょっとした息抜きに人物紹介なるモノを投稿してみました。
もしかしたら、本編で抜けている部分も上手く補正できていたりするかもしれないので、是非読んでみてください。

※誤字修正
 「ウツロ」ではなく「ウツホ」でした。すいませんでした。



・登場

 

 

昭弘(アキヒロ)・アルトランド

 本作の主人公。

 戦場にて命を落とし、目が覚めたら全く別の世界に転移していた謎多き青年。天災科学者「篠ノ之束」との契約により、IS(インフィニット・ストラトス)操縦者育成学校「IS学園」に通うことになるが、昭弘はその理由を一切聞かされていない。現在は「T.P.F.B.」という企業に所属しており、IS学園で得た自身のMPS(モビルパワードスーツ)の戦闘データを、束を通じてT.P.F.B.に送っている。

 基本無口で不愛想な男だが、情に厚く、困っている者や悩んでいる者を放っておけない性格をしている。その巨躯や人相の悪さが災いし、IS学園の女子生徒からは常に怖がられているが、彼と親しい者からは相談事を受ける事も多い。特に箒や一夏とは仲が良く、彼等からはほぼ毎日の様に相談事を受ける。

 筋トレをこよなく愛しており、彼の部屋の大部分は筋トレ器具で占拠されている。その甲斐もあり、制服越しでも判る程の屈強な筋肉を持っている。露出度の高いISスーツを着ている時は、その余りにもガチムチな肉体美に、1組の生徒が顔を赤くして目を逸らす程。

 背中に「阿頼耶識」という名の管が2本生えており、これにより脊髄とMPSを直結させることでMPSを起動させている。元々少年兵であった彼自身の抜群の戦闘センスも相俟って、「天下無双」の実力を発揮する。

 

 

篠ノ之箒(シノノノホウキ)

 昭弘のクラスメイト。

 篠ノ之束の妹であるが、本人はその事について快く思っておらず、束に対して激しい劣等感を抱いていた。しかし、昭弘にその内に秘めた想いをぶちまけてからは、少し考えを改めた様子。

 凛とした顔立ちをしており、如何にも「大和撫子」と言った雰囲気を纏っているが、意外と子供っぽい一面が目立つことも。また、人一倍人見知りが激しく、クラスメイトからはその事で良く心配される。

 幼馴染である一夏に対しては、異性として密かに想いを馳せている。そして、彼に近付く異性に対しては激しい敵対心を持つ。最近では、昭弘に対しても「特別な感情」を抱くようになってきているが、箒自身は未だそのことに気づいていない。

 

 

織斑一夏(オリムライチカ)

 昭弘のクラスメイトであり、1組のクラス代表。

 世界で唯一、男性の身でありながら女性にしか扱えない兵器「IS」を動かした人物。その原因は、IS適性試験会場に密かに置いてあった、偶々束がコアの設定ミスをした機体に、偶々乗り合わせた為に起きた偶然であった。

 基本的に、明るく活気な性格をしているが、精神面は見た目以上に子供で、他人の想いが汲み取れない部分も多々有る。

 昭弘を「実の兄」の様に慕っており、彼にだけは自身の抱えている苦悩を曝け出す。実の姉である「織斑千冬」を「家族として、男として護りたい」と思っている反面、何か「別の感情」をも抱いている節がある。

 整った顔立ちをしており、異性から好意を抱かれることが多いが、一夏本人はそのことについて全く自覚が無い。

 

 

セシリア・オルコット

 昭弘のクラスメイト。

 イギリスの国家代表候補生であり、次期国家代表最有力候補とまで言われている「若きカリスマ」。

 入学当初は常に周囲に高圧的な態度を取っていたが、一夏や昭弘との模擬戦以降はその態度を改め、クラスメイト全員に今迄の無礼を謝罪した。

 昭弘との模擬戦では文字通り「一進一退」の接戦を繰り広げており、その「優雅と狂気」を融合させたかの様な超機動によって、観客の女子生徒達を大いに魅了した。現時点では、セシリアのファンクラブまで存在する程だ。

 セシリアも箒と同様、一夏に異性として好意を抱いているが、箒のことも「友」として大切に思っている。しかし、昭弘とは相も変わらず「犬猿の仲」で、事あるごとに衝突する。

 

 

凰鈴音(ファンリンイン)

 2組のクラスメイトであり、クラス代表。

 中国の国家代表候補生で、急遽IS学園に転入してきた。

 血気盛んで勝ち気な性格をしており、転入初日は一夏絡みで箒と火花を散らしていた。

 彼女も一夏の幼馴染であり、例に漏れず彼女も一夏に惚れている。一夏に対する愚痴を真剣に聞き、それに対する適切なアドバイスをしてくれた昭弘の事は、「男友達」として頼りにしている様だ。

 IS乗りとしては、1年間という短期間で見る見る成長していき、あっと言う間に代表候補生の座に躍り出た天才肌の持ち主。しかし、クラス対抗戦でのゴーレム襲撃の際は、一夏と共に果敢に応戦するも、ジロ相手に終始翻弄され続けてしまった。未だ代表候補生になって日が浅いのと、相手との相性が悪かったことが災いしてしまった様だ。

 

 

布仏本音(ノホトケホンネ)

 昭弘のクラスメイト。

 入学初日において、クラス中が昭弘に恐怖心を抱く中、物怖じせずに昭弘に話しかけた人物。

 常に間延びした様な口調で話し、クラスメイトからは非常に可愛がられている。人とのコミュニケーション能力に長けており、クラスの誰とでも仲良く接することができる。セシリアとは特に仲が良く、セシリアが未だクラスメイトに高圧的だった時期から、彼女にしつこく話しかけていた。

 

 

相川清香(アイカワキヨカ)

 昭弘のクラスメイト。

 入学当初は、昭弘に対して激しい恐怖心を抱いていた。しかし、クラス代表パーティーでの彼の素顔を知って以降は、少しずつ彼に対する警戒心を解いていった。今では、昭弘に対して「まるでお父さんみたいですね」と軽口を言える程だ。彼に対して敬語なのは相変わらずだが。

 谷本と仲がいい。

 

 

谷本癒子(タニモトユコ)

 昭弘のクラスメイト。

 彼女も相川と同様の経緯で、昭弘への警戒心を薄めていった。一夏と鈴音によるクラス対抗戦を観戦していた時は、昭弘の実況と解説を相川と共に生真面目に聴いていた。

 相川と同様、昭弘に対して敬語なのは、やはり彼を年上の様に畏怖しているからだろう(実際に昭弘は、実年齢では彼女たちより年上なのだが)。

 

 

更識楯無(サラシキタテナシ)

 IS学園生徒会長。

 ロシアの国家代表であり、IS学園最強の生徒会長。IS操縦者としての詳しい実力の程は未知数だが、恐らく昭弘やセシリアをも上回っている可能性が高い。

 昭弘に対して激しい懐疑心を抱いており、入学初日からずっと監視の目を光らせて来た。クラス対抗戦が近付くと、自ら1年1組に赴いて昭弘に分かる様に視線で「殺気」を飛ばし、「何も事を起こすな」と無言の威圧を加えた。

 しかし、普段はかなりおちゃらけた自由奔放な性格をしており、常に笑みを崩さない。

 

 

布仏虚(ノホトケウツホ)

 IS学園生徒会役員。

 楯無の従者であるが、学年的には楯無が2年生で虚が3年生であり、彼女の方が先輩に当たる。本音の姉でもある。

 良く楯無に振り回される。

 

 

織斑千冬(オリムラチフユ)

 1組のクラス担任であり、一夏の実の姉。

 世界最強のIS操縦者であり、「ブリュンヒルデ」の異名を持っている。生身で量産型ISを圧倒してしまうと言った噂も。

 世界の全女性の憧れでもある彼女は、当然生徒からも絶大な人気が有り、入学初日から今現在に至るまで既に数名の女子生徒から告白されているらしい。無論断ったのだろうが。厳格でクールそうに見えて、意外とフランクな性格をしていると言うギャップも、彼女の人気に拍車を掛けているのかもしれない。

 仕事はできる方なのだろうが、意外と猪突猛進な所があり、度々副担任である真耶から静かなる叱責を受ける。

 

 

山田真耶(ヤマダマヤ)

 1組のクラス副担任。

 千冬とは対照的な印象を受ける、おっとりとした物腰の教師。高校時代からの、千冬の後輩でもあるらしい。

 普段は弱腰な印象を受ける彼女だが、千冬に対しては時々強気に出ることも。

 

 

 

 

篠ノ之束(シノノノタバネ)

 ISの生みの親である天災(天才)科学者。宇宙にISを進出させるという夢を持っている。

 彼女は中学生の時にISを創り上げ、早速学会にて発表した。しかし、彼女の発明は「馬鹿馬鹿しい夢物語だ」と一蹴されてしまう。

 業を煮やした彼女は、世界中の2000発もの弾道ミサイルをハッキングし、日本本土へと発射するという凶行を起こす。その2000発もの弾道ミサイルを、自身の原初のIS「白騎士」に無力化させるという途方もないマッチポンプを行ったのだ。

 しかし、この「白騎士事件」により、ISの優位性は「宇宙進出」ではなく「兵器」として強く認識されてしまう。絶望した彼女は、ISコアの生産をストップし、姿を隠すようになる。その結果、世界最大の「お尋ね者」となってしまった。

 ・・・そして、今度こそ自身の「夢」を実現させるために、「計画」を実行に移したのだ。その計画の全容は、未だ見えては来ない。どうやら、T.P.F.B.に新型MPSの技術を提供している様だが・・・。

 常にハイテンションでふざけた言動が目立つ彼女だが、実の妹である箒のことは誰よりも大切に思っている。しかし、彼女は基本的に自身が興味を抱いた者以外の人間はどうでも良く、例え死のうが何とも思わない。IS学園をゴーレム達に襲撃させた際も、多少犠牲が出ても構わないと考えていた様だ。大切な人間の優先順位としては、箒>クロエ>千冬>昭弘>一夏であり、それ以外の人間は彼女にとって「ゴミ」と一緒である。

 

 

クロエ・クロニクル

 IS関連の研究所にて非道な「人体実験」をされていた所を、束率いるゴーレム部隊に救出された盲目の少女。

 自身を救ってくれた束のことを「絶対者」として崇拝しており、彼女自身も束からは「実の娘」の様に大切に育てられている。昭弘のことも、家族の一員として大切に思っている様だ。

 

 

デリー・レーン

 T.P.F.B.の代表取締役。

 俗に言う「武器商人」であり、独特な敬語口調が特徴。

 極めて冷酷な人間であるが、自身が「商品」や「利益」として価値を見出した人間に対しては、誠心誠意を持って接する。昭弘もその対象に含まれているが、昭弘からは苦手意識を持たれている様だ。

 束からの技術提供には何らかの「裏」を感じてはいるものの、世界の情勢よりも自社の利益の方が遥かに大切な彼にとっては些細な問題らしい。

 

 

 

 

 

・登場IS&PS

 

 

グシオンリベイク

 昭弘の専用MPS。

 全身装甲(フルスキン)型のMPSであり、全体的にロボットの様な形状をしている。全身はベージュ色で、背中から生えている一対のユニットが特徴。そのユニットから、サブアームを展開することができる。

 MPSと認識されてはいるが、実際には純正のISコアを使っているので、実質的にはISである。

 中距離・近距離型のMPSであり、昭弘と神経を直結させることで驚異的な「シンクロ率」を誇る。そのシンクロ率が100%に達した時、単一仕様能力(ワンオフアビリティ)「マッドビースト」が発動し、パワー・機動力・反応速度が飛躍的に向上する。また、相手の動きが極めて「遅く」映る様になる。

 しかし、この能力は昭弘自身未だ完全なる制御下に置いた訳では無く、初めて能力を発動させたときは、意識をグシオン側に持っていかれそうになった。

 又、全身装甲にはデメリットも多い。肌の露出が無いので絶対防御という機能が抑々存在しないのだ。昭弘のグシオンリベイクも例外では無い。

・武装:M134Bビームミニガン×2 炸裂弾頭搭載型滑腔砲×2 ハルバート グシオンハンマー 腰部シールド サブアーム×2

 

 

白式(ビャクシキ)

 一夏の専用IS。

 束が一夏の為に男性用にコアの設定をし、「倉持技研」に作らせた純白のIS。束のミスにより運悪く適性試験会場にてISを発動させてしまった一夏に対し、束がせめてもの「罪滅ぼし」として一夏に贈ったモノ。未だ一次移行(ファーストシフト)状態であるのに単一使用能力が使えるのも、束が初心者の一夏用にISコアをそう設定したからである。

 近接戦闘特化型の高機動ISであり、武装が「雪片弐型(ゆきひらにがた)」という機械刀1本しか存在しない。単一仕様能力は「零落白夜(れいらくびゃくや)」であり、発動中は雪片弐型の威力が大幅に上昇し、当たれば絶対防御が発動する程。実はこの零落白夜、絶対防御機能の無い全身装甲型のISに当てれば、相手の装甲を粉砕することができる危険な能力でもある。又、発動中は白式自体のシールドエネルギーも減少していく諸刃の剣。

・武装:雪片弐型×1

 

 

ブルー・ティアーズ

 セシリアの専用IS。

 群青色の美しいISであり、遠距離・中距離に特化している。主な使用武器は、「スターライトMkⅢ」という67口径のレーザースナイパーライフルである。

 最大の特徴は第三世代兵装である6機の浮遊砲身「ビット(ティアーズ)」で、搭乗者による脳波コントロールで自由自在に動き回ることが可能。しかし、ビットを3機以上操った状態では、並列思考に限界が生じる為か、ブルー・ティアーズ本体を動かすことができない。

 又、スターライトMkⅢは銃身を変形させ「アサルトモード」に切り替えることで、中距離での激しい撃ち合いにも対応可能。その場合は普段以上の高速機動下での戦闘が予想されるので、高速機動戦用のバイザーが自動的に装着される。

・武装:スターライトMkⅢ ビット×6 インターセプター(コンバットナイフ)×1 高機動用バイザー×1

 

 

甲龍(シェンロン)

 鈴音の専用ISで紫檀色の派手な色合いをしている。

 白式と同様、近距離特化型のISで、機動力に重きを置いている。

 最大の特徴は、第三世代兵装「衝撃砲(龍砲)」であり、空間圧縮によって「見えない砲弾」を発射する。強力な兵装だが、弱点がバレればあっさりと形勢を逆転されてしまうことがある「極端な兵装」でもある。代表候補生である鈴音だからこそ、この穿った性能の衝撃砲を上手く使いこなしているのである。

・武装:双天牙月×2 衝撃砲×2

 

 

ゴーレム

 束が創り上げた無人IS。

 人間の脳と何ら遜色が無い程の、高度なAIを兼ね備えてる。現在10機が確認されているが、どの機体も感情が豊かで、昭弘やクロエは「家族同然」の様に彼等と接している。どの機体も優しい心を持っており、決して無抵抗の人間を傷つけることを良しとしない。

 遠距離・中距離・近距離と、どの局面にも対応可能であり、その実力は少なく見積もっても国家代表候補生以上だと言われている。又、4門のビームカノンは出力の調整が可能。

 

タロ

 束がゴーレムの中で一番最初に創り上げた漆黒のIS。

 性格は明るくてお喋りだが、調子に乗りやすく、創造者である束に対しても時々軽口や憎まれ口を叩く。

 これ迄、束を狙う輩との度重なる戦闘で、膨大な戦闘経験値が蓄積されていき、現在では最早国家代表と肩を並べる程の実力を秘めている。しかし、束の計画の犠牲となってしまい、現在は記憶を抹消されたISコアだけが残されている。

・武装:大型ビームカノン(MB-46S ビームカノン)×4 高出力ビームクロー×2(高出力ビームサーベル×4)

 

ジロ

 名前の通り、束によって2番目に作られた白銀のゴーレム。

 常に冷静で客観的に物事を考えることができるが、その為かタロとはよく衝突する。

 タロに次ぐ実力者であり、様々な射撃武器を自由自在に使い分けることが可能。彼も又、タロの撃滅と同時に記憶を抹消されて機能停止となり、その直後白式と甲龍によって止めを刺される。現在はタロと同様記憶の無いISコアだけが残されている。

・武装:大型ビームカノン(MB-46S ビームカノン)×4(戦闘中に散弾タイプやスナイプタイプに変更可能) 小型ビームマシンガン(H&K MPB5 内部収容型ビームサブマシンガン)×2

 

サブロ、シロ、ゴロ

 ゴーレムの中でも比較的良識のある3機であるが、毎日の様に喧嘩をしているタロとジロに対しては常に切れ気味。

 タロの撃滅に伴い、3機共機能停止させられる。記憶は既に残っていないが、未だに無傷の状態なので、再起動すれば直ぐに目覚める。現在はIS学園にて保管中だが、今後の処遇は不明。

・武装:大型ビームカノン(MB-46S ビームカノン)×4

 

ジュロ

 良く束の研究を手伝っているゴーレム。ゴーレムの中では末っ子であるが、束と接している時間は最も長い。

・武装:大型ビームカノン(MB-46S ビームカノン)×4

 

 

 

 

 

 

 

IS学園

 ISの操縦者や整備士を育成するための教育機関。人工島に建てられており、4つのアリーナ、広大なグラウンド、IS整備用の格納庫、食堂、学生寮、大浴場等が有り、極めて広大な敷地を有している。

 最近では無人IS部隊の襲撃を受けるも、外部の力を借りずに事態を収束させ、犠牲者を一人も出さなかった。

 

 

T.P.F.B.

 表向きは義手や義足等を格安で医療機関に販売しているが、本業は兵器開発であり、その販売も同社で行っている。近年ではIS以外の新たなるパワードスーツ「MPS」の開発にも着手している。ISよりも性能面では遥かに劣るものの、コストパフォーマンスの良さと戦闘ヘリをも上回る戦力として、人気が高い。現在も着々と会社の規模を拡大させている。

 又、彼らによる紛争地域への武器の提供が、戦火を更に拡大させてしまっている。

 更に、束から新たなMPSの戦闘データを受け取っており、もしこのMPSが量産化されてしまえば、アフリカ・中東地域の内戦や紛争は更に拡大する可能性が高い。




束だけ長すぎる。

現在怒涛の4話中編後編大編集中です。なるべく内容は変えないようにしますので、ご安心ください。
なので、次話はもしかしたら再来週くらいになるかもしれません。
本当に、申し訳ない。

追記:大変お待たせいたしました!
   4中編後編がようやく完成しました!内容は大まかには変わっていませんが、セシリアVS一夏や、昭弘と箒・一夏との会話等、追加描写も増やしましたので、既に読んだという方も気が向いたら是非読んでみてください。


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第12話 波紋

またオリキャラを出してしまった・・・。


 某所の最上階。更にそのプライベートルーム。

 

 内装は黒一色に染まっており、壁をよく見ると何かの花の模様が無数に掘られている。

 テーブルと椅子だけがまるで激しく自己主張しているかの様に、白く輝いていた。その丁度真上には山吹色のダウンライトが1つだけポツンと。

 ガラスの外は何処までも漆黒となっており、下には人工による無数の光点が延々と続いていたが、それらに掻き消されている上の光点は風前の灯みたいに弱々しかった。内側の人間に対しては美景を魅せるそのガラスも、外側の人間には内の一切を見せる事はない。

 

 そんな一室にて2人の男女が向かい合って座していた。男は純白のスーツに黒のYシャツを、女は露出度の高いワインレッドのドレスを身に纏っていた。

 しかし首から上だけ見れば、2人の顔が瓜二つと言うのもありまるで美女が鏡を覗いている様な光景であった。

 

 2人はとある組織の2トップ。不定期にではあるが、こうして毎度場所を変えながら意見交換や情報交換を行っている。

 

「最近「そっち」はどうなのだ?」

 

 そんな中、男が女性の様に甲高くも麗しい声を発し女に他愛もない話を切り出す。しかし、女は澄まし顔で上等そうなコニャックを傾けながら話の流れを絶つ。

 

「それよりさっさとに本題に入ったら?」

 

 面倒事は先に済ませておきたい性分の女。

 誰もが嫉妬してしまいそうな美しいアッシュブロンドの髪を静かに撫でなから、女は尊大な態度を崩さない。

 

「せっかちは相変わらずで安心した。まぁアタシはお前とは違って優しいからな、要望通りさっさと本題に入ってやろう」

 

 男も又、女の態度に一切動じること無く無表情のまま左胸辺りで束ねてある自身の髪を弄る。女の髪と全く同色の美しいその髪を。

 

「本部にこんなモノが届いた」

 

 そう一言だけ口にすると胸ポケットから半透明なケースを徐に取り出し、女に中身を見せる。

 

「…SDカードがどうかしたの?」

 

「少し待ってろ」

 

 男はそう言うとSDカードを楕円形で掌サイズの機械に挿入し、映像のホログラムを観せた。

 映像にはとある学園で暴れる2機の全身装甲ISと、そのISを撃破する1機のMPSと更に2機のISが映っていた。

 

 この映像の最も肝心な所は、2機のISは襲撃IS1機相手に手も足も出なかったのに対し、MPSは単独で襲撃ISの内の1機を撃破している点である。

 

「へぇ。あのアルトランドくん(坊や)がねぇ」

 

「同封されていた手紙には「好きに使え」と書かれていた」

 

 数秒程女は夜景を観た後、男に質問を投げ掛ける。

 

「相手は判ったの?」

 

「あらゆる手を尽くして探している最中だ。アタシの予想が正しければ、その人物は見つからんだろうがな」

 

 「見つからん」という言葉で、女も誰が送り主なのか察する。

 

「…天災ちゃん?」

 

「ああ。そもそも最新鋭セキュリティの塊であるあの学園で、これ程鮮明な映像を誰にも気付かれずに撮れる者などアタシは天災しか思い浮かばん」

 

 当然、学園側でも今回の件には厳しい緘口令が敷かれている筈。恐らく今現在この映像を持っている者はごく一部の人間かこの男だけか。

 

 すると女は話を強引に進める。

 

「で?私にどうして欲しい訳?」

 

「話が早くて助かる。明日の幹部会で、この映像における全てのISとMPSの戦力評価をして欲しいのだ。「実動部隊トップ」であるお前なら容易いだろう『スコール』」

「理由は言わずとも解るな?」

 

 観ての通り、これは世界をひっくり返しかねない爆弾映像だ。状況が多少異なるとは言え、IS2機掛かりで倒せなかった敵の1体をMPSが倒したのだから。

 そんなお宝映像を幹部連中に「相手が弱かった」だの「どんぐりの背比べ」だのと思われては敵わない。

 

 その女『スコール』は、少しばかり考えた後男の要望に応じる。

 

「ええ。別に構わないわよ。偶には幹部会に顔出しておこうと思ってたし。けど実動部隊も暇じゃないの。連中には遅れるって伝えて貰える?」

 

「良いだろう」

 

 男の即答を聞いた後、スコールは一番肝心な事を彼に訊ねる。しかし、スコールの口調はまるで男の返答が分かり切っているかの様であった。

 

「で?「運営トップ」のアンタとしてはこの映像をどう使うつもりなの?『トネード』」

 

 男『トネード』は先程のスコールの様に夜景を数秒程眺めた後、ゆっくりと口を開き始める。

 

「無論ばら撒くさ。主に『アフリカ・中東地域』にな」

 

 上手く行けば彼等に「MPSでもISに対抗できる」という認識を植え付けられるだろう。トネードはそれらも明日の幹部会で、ばら撒く対象の組織やタイミング等詳細を決定する腹積もりなのだ。

 

 トネードの返答を聞いて、スコールは口角を釣り上げる。

 

「量産化されているMPSの性能が右肩上がりな今、正に絶好の機会って訳ね」

 

「ああ」

 

 そう短くトネードは答えると、グラスに注がれている赤ワインを舐める様に眺めながら更に言葉を連ねる。その時の彼は、全ての人間を優しく包み込むかの様な柔らかい微笑みを浮かべていた。

 

「今現在この惑星に我が物顔で踏ん反り返っている先進人共は、思い知ることになるだろう。この惑星の“正当な支配者”が一体誰なのか」

 

 その呟きを皮切りに、トネードはグラスの中身を一気に飲み干す。

 

 その後も『ミューゼル兄妹』は雑談の様に情報交換を繰り返して行った。

 

 中でも重要だったのはT.P.F.B.から「ご要望の『究極のMPS』がもう直完成する」という旨の連絡が、スコールに届いていたことであった。

 その情報によって、2人はある一つの確信を持つ。それはこの映像を送りつけて来たであろう天災が、自分たちの計画を知っていると言う事だ。スコールに究極のMPSに関する連絡が届いた矢先、まるでそれを後押しするかの様な映像が送られて来たのだ。そう考えるのが自然である。

 

 ただ一つ2人にとって気掛かりなのは、自分たちの計画を後押しして天災にどんなメリットが有るのかということだ。どの道折角の情報だから有難く使わせて貰うだけなのだが。

 

 

 そしてある程度話が纏まると、2人は何事も無かった様にその空間から出て行った。個室の窓から辛うじて視認できた天然の光点たちは、広い雲が掛かり完全に見えなくなってしまった。

 

 

 

亡国機業(ファントムタスク)

 

 それが、彼らの組織の名であった。

 

 

 

 

 

―――――T.P.F.B. 某研究所―――――

 

 とあるデータを閲覧した技術主任は、髪を「七三分け」に固めている男に自身の興奮をぶつけていた。

 

「んーとぉそんなに凄いんです↑?このデータ」

 

 そんな七三男の微妙な反応に、技術主任は口調を荒げる。

 

「そんな次元ではありませんよ!この戦闘データと先の「ブルー・ティアーズ戦」のデータがあれば、従来のMPSを大幅に上回る「新型MPS」の量産が可能となる!超短期間で!」

 

 技術主任はモニターに映っている呪文の様な数式の羅列を指差して、七三男にそう告げる。

 技術主任の反応を確かめた後、七三男は今自身が2番目に気に掛けていた事を技術主任に尋ねる。

 

「その新型、戦力としては何機でIS1機分になりますぅ↑?」

 

「少なく見積もっても、2機でラファール・リヴァイヴ1機分相当の戦力にはなるかと」

 

 驚愕の事実を聞いて、七三男は金魚の様に目を丸くする。

 従来のMPSは戦場で重宝されていたにしろ、ISの足元にも及ばない性能であった。その次元は精々20機でIS1機に太刀打ち出来るかどうか。

 それがまさかの「2機でIS1機相当」と言う途方も無い戦力のインフレーションを成そうとしているのだ。

 

 その事実に心踊らせた後、七三男は「1番気掛かりな事」を技術主任に訊ねる。

 

「…それじゃあミューゼル様からご依頼があった『究極のMPS』も…いけますぅ↑?」

 

「勿論です。寧ろこのデータはそちらが本命なのでは?」

 

 自信満々にその技術主任が答えると、七三男は満面の笑みを浮かべて両腕でガッツポーズを取る。その際、七三男の黄緑色に彩られたブレザーの裾が上下に荒ぶる。

 

(いいですねぇ↑いいですねぇ↑!束様と昭弘様には、本当に感謝感激雨霰ってヤツですねぇ↑!)

 

 これで亡国機業からの莫大な益と信用を得られれば、T.P.F.B.の安寧は最早不動のものとなる。

 

 七三分けの男『デリー・レーン』は気分を高揚させながら、そのままスコールに電話を掛ける。

 

 トネードの下に件の映像が届いたのは、その僅か1日後だったと言う。

 

 

 

 

 

―――――4月30日(土) 03:02―――――

 

 ベッド身を預けていた昭弘は未だ意識が朦朧とするからか、此処の正確な場所が把握できないでいた。しかし仰向けで寝ている事を考えると恐らく…。

 

「起きたかアルトランド」

 

 横たわっている昭弘の左腕手前辺りに、ここ最近ですっかり見慣れた人物の顔があった。

 

「…織斑センセイ、此処は?」

 

「お前の自室だ。…すまない、未だ保健室にはお前の背中に対応したベッドが無くてな。やむを得ず此処で応急処置を取った」

 

「応急処置…ですか?」

 

 昭弘は、今放った言葉に「事の顛末を教えてくれ」と言う思いを密かに乗せていた。視線は未だに千冬を捉えたままだ。

 それを察してくれたのか、千冬は事細かに一から説明してくれた。

 

「お前があの無人ISを撃破した後、お前はグシオンを纏ったまま2時間程意識が無かったのだ」

 

 話によると、グシオンが待機状態に戻った後も昭弘は今の今迄ずっと意識が途切れたままだったらしい。一応簡易的な検査も施したが、肉体精神共に目立った異常も見られなかった。

 意識が無い状態で待機形態のグシオンを引き剥がすのも危険だと千冬らは判断し、 未だ昭弘の背中にはグシオンが付いたままとの事だ。

 

 本日の午後保健室にてより詳しく検査すると言った後、千冬は何故か押し黙ったまま昭弘の右腕側に目配せをすると意味深な笑みを零す。

 

「それにしてもモテモテだなアルトランド。そいつらだけはいくら言ってもこの場を離れなくてな」

 

 千冬の発言により、昭弘は漸く自身の右腕側に視線を移した。そこには2人の男女が居り女は椅子の上で、男は壁にもたれ掛かって寝息を立てていた。彼らは眠気に負けてしまった様だ。

 

「箒…一夏…」

 

 昭弘は2人の名を口にすると、仏頂面を柔らかい微笑に変える。一先ず2人の無事が分かって、少しばかり安堵した。

 幾らか心が落ち着いたのか、昭弘は今自身が訊きたい事をポツリポツリと吐き出していく。

 

「学園の被害は…どうでしたか?」

 

「多少施設は壊されたが安心しろ。犠牲者は一人も出ておらん。怪我人は出たが、全員軽傷で済んだ」

 

 千冬の返答で、昭弘の安堵は大きくなっていった。

 

 しかし次の質問に移ろうとすると、昭弘の中から安堵の思いは消え失せる。

 

「…襲撃犯である無人ISは?」

 

 昭弘の次なる質問に対し、千冬も又笑顔を消し去る。そして少しだけ間を置いてから答える。

 

「…すまないアルトランド。その件は未だ何処まで話せばいいのか…。お前は無人ISを撃破したとは言え、あくまで一生徒の域を出ない」

 

 そう突き返される事を予想していた昭弘ではあったが、実際に言われると中々に堪える。

 自身が気絶していた間家族(ゴーレムたち)がどうなってしまったのか、何処に連れていかれたのか、今の昭弘には想像も付かない。と言うよりも「想像したくない」と言った表現の方が、寧ろ正しいのかもしれない。

 知りたい様な知りたくない様な、昭弘はそんな感情が心底から浮き上がって来るのを感じた。

 

「いえ、結構です」

 

 昭弘は必死に自身のはち切れそうな想いを隠しながら、萎れた声で千冬にそう返した。

 

「本日、土曜日ではあるが学園全体に緘口令を敷く為に全校集会を開く」

 

 既に全生徒に緘口令のメールは送っているが、実際に伝えた方が効果があると学園側が判断したのだろう。

 が、千冬としては次の思惑の方が強かった。

 

「今回騒動に巻き込まれた生徒に対する「事情聴取」の意味合いも含めてはいるがな。特にアルトランド、お前に関しては生徒会長が直接聴取したいと言っていてな。…ここだけの話だが更識には気を付けろ。奴はどうにも、今回の騒動に関してお前に何らかの疑惑を持っていてな」

 

「…分かりました」

 

 昭弘がそう淡々と答えると、千冬は「私も同席するから安心しろ」と軽く笑いながら返してきた。

 

「私はそろそろお暇するが、その2人はどうする?起こすか?」

 

 千冬にそう言われて、昭弘は意外にも思い悩む。

 安らかな寝顔だ、2人を起こすのは悪い。いやしかし折角この時間まで居てくれたのに、目覚めた事実を伝えないと言うのも…。

 

 思い悩んだ末、昭弘は2人を起こすよう千冬にお願いする。

 千冬は2人の頬に軽く平手をお見舞いしながら、彼女なりに優しく起こす。

 

 もう少し優しく起こせないのだろうかと昭弘が苦笑を零していると、先に箒が唸り声を上げながら目覚める。

 

「昭弘ッ!」

 

 その直後、一夏も同じ様に目覚め背もたれを解く。

 2人は全身から心配のオーラを発しながら、問い質す様に昭弘に迫る。

 

「本当に何とも無いのか!?」「お前本当に昭弘だよな!?変な別人格とかだったりしないよな!?」「私が判るか!?」「オ、オレが判るか!?一夏だよ一夏!」

 

 昭弘とグシオンの「あの動き」を見た後では、2人のそんな反応も無理はない。2人も怖かったのだ。昭弘が昭弘でなくなっているのではないかと、2度と昭弘が目覚めないのではないかと。

 昭弘もそんな2人に困惑こそしつつも、自身を心配してくれていると言うことだけは分かった様だ。

 

「ああ、別に何とも無い。心配掛けてすまなかったな」

 

 昭弘の口から流れ出る普段通りの重低音に箒と一夏の興奮は沈められ、代わりに安堵をもたらした。

 

 その後昭弘は、こんな深夜まで自身の為に残ってくれた3人に感謝の言葉を贈った。

 

 

 

 3人が退出すると、再び昭弘だけの時間が訪れる。

 一人の時間。今の自身を見ている者が居ない時間。考える事は、自身がこの手に掛けてしまった家族の事であった。

 

(……オレが……殺した)

 

 昭弘は心の中で、一つの事実を大した意味も無く復唱する。

 昭弘は前世で家族を失う事こそあったものの、自分の手で殺めたことは一度たりとも無かったのだ。

 

(「罰」なのだろうか…オレへの…)

 

 この世界には、昭弘と同じ境遇の少年が数えきれない程存在する。その少年たちは親も居なければ、寝る場所すらも無い。そんな中、昭弘だけが平穏な生活を送っているという事実。そんな自身への罰だと思うと、昭弘は何も言える筈が無かった。

 若しくは「何てことは無い、少年兵(彼ら)が今正に感じている絶望と比べれば」と、そんな事を考えているのかもしれない。

 

 

 

―――こいつは鉄華団を裏切った

 

―――オレがこんな思いしている間…ッ!アンタだけ「家族」と幸せに…ッ!

 

 

 

 彼の脳内にて、前世で聞いた言葉が再生される。

 家族を殺した自分に対して、三日月は何を思うのだろうか。

 報いを受けた自分を見て、(昌弘)は自分を赦してくれるのだろうか。

 

 今は亡き家族たちの言葉にどれだけ意識を向けようと、タロはもう戻っては来ない。そんな当たり前の事に、かなりの時間を要して漸く気づいた昭弘であった。

 

 

 今は先ず、ジロたちの現状を確認するのが先だ。

 

 そう心の中で意識を切り替えると、彼は明日の取り調べに備えて己の情報を纏める。

 中でも彼を悩ませているのが、束の事を何処まで話すかだ。束のことは、少なくとも「昭弘と深い繋がりがある」点は生徒会にも言うべきだろう。ただあの狡猾な兎女が、昭弘に対して何の「口封じの策」を講じていないとも思えない。

 

 昭弘が束と自身の関係を脳内で説明用に構成していると、今度は束との今後について頭が巡ってしまう。

 

(…オレは今後アイツとどう接するべきなのだろうか。家族にあんな事をさせたアイツと…)

 

 束の狙いが何なのかは相変わらず分からない。そもそも、彼女が今回の首謀者であるという証拠すら無い。

 それでも唯一つだけ解ったことがある。それは、少なくとももう束とは「今迄の様な関係」では居られないということだ。

 

 昭弘はある程度情報を纏めると、残りの時間を睡眠に割くべく瞼を閉じる。

 

 ジロたちの無事を祈って。

 

 

 そして願わくば、いつもの日常に戻れることを祈って。




出来れば次回か次次回あたりで、学園のゴタゴタを片付けたいです・・・。


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第13話 昭弘の奮闘、束の葛藤

仕事が忙しくて投稿が遅れてしまいました(クソ言い訳)

昭弘がサブロたちを何とかするために、色々と頑張るお話です。
長い上に駄文全開なので、読む際にはご注意を。


―――――4月30日(土)―――――

 

 その日は土曜日。時刻は09:00。

 

 本来なら多くの高校生は未だ布団の中で丸まっているか、部活動に精を出している時間帯だ。中には友人との買い物や恋人とのデートを、その日の予定に組み込んでいる者も。

 

 しかし、そんな彼女たちの望む普段通りの土曜日は訪れなかった。全校集会と言う形で、今回の襲撃事件に関する「緘口令」を聴かなくてはならないのだ。

 唯でさえクラス対抗戦が中止となって気が滅入っている生徒一同にとって、それは中々に酷であった。

 

 因みに当日来訪していた一般観衆には、人数も少なかった為その日の内に“口止め”を済ませてある。

 

 

 

 緘口令が終わった後、何名かの生徒はそのまま体育館に残された。これから何班かに分けられて取り調べが行われるのだ。

 学園側としても、今回の事件において少しでも情報を集めておきたいのだ。犯人の目的や、今後の対策も踏まえて。

 何名かは強制参加となっている。

 

「取り調べって…何するんだろうな」

 

 一夏がそう不安げに昭弘を見上げる。まるで予防注射を待つ子供みたいだ。

 

「別に固くなる必要も無いだろう。戦っていて気になったことを、有りのまま言えばいい」

 

 尤も、昭弘の場合はそうも行かないだろうが。

 

「ホントよ。シャキッとなさいよ一夏」

 

 昭弘からの温かい返答に、鈴音も乱暴に便乗してくる。

 

 

 今回の取り調べに自主的に参加した箒は、昭弘たち3人を少し離れた所から見ていた。

 

「凰さんが疎ましいんですの?箒」

 

 所在無さげにしていた箒に、セシリアが小声で話しかけてくる。そのすぐ傍には本音も居た。

 

「別にそう言う訳じゃ無い」

 

 そう言いながらも、その視線はしっかりと鈴音を見据えていた。「失せろ」とでも言いたげに。

 

「セシリアこそ、一夏と居た方が有意義なんじゃないのか?」

 

「一夏の傍に邪魔な「大木」が居りますので」

 

「またまた~、1人で居るしののんが気掛かりだったクセに~~」

 

 本音の一言に対して、わざとらしく咳払いをするセシリア。どうやら的を得ていた様だ。

 

 

 そうやって生徒一人一人の口数が増していく中、体育館前方から「パシン!」と手鳴らしが小気味良く響き渡る。その人物の一拍子で、不思議と生徒の雑談はピタリと止む。

 

(!…確かこの前教室の入り口で)

 

 昭弘が頭の中でその人物を探し出す。数秒程目を合わせただけに留まったが忘れもしない。その鮮やかな水色の髪と、血流を一瞬で止めてしまう程の“圧”を。

 

「はいはーい!皆静粛で宜しい!」

「先ずは今回の取り調べに自主的に参加してくれた皆に、感謝の意を評します。そして強制的に参加させられた子達には、悪いけどもう少し付き合って貰うわ」

 

 昭弘は生徒会長と言う単語を聞いて、深夜での千冬の言葉を思い出す。

 ゴーレム襲撃前から教室入口で昭弘を睨んでいた点を踏まえると、入学初日から昭弘に目を付けていたと考えるのが自然だ。

 

 昭弘が頭の中で「生徒会長」という人物を特定した後も、楯無による今後の説明は続いた。

 

 

 

 今回昭弘は、「生徒指導室」で取り調べを受けることになった。昭弘はその空間で()()()()()なだけに、まるで肌を紙鑢で削られているかの様な威圧感に襲われていた。

 その原因の1人である楯無が今回の取り調べに参加させてくれた千冬に礼を述べると、今度は昭弘に向き直る。

 

「じゃあ先ず自己紹介から!私は『更識楯無』。改めて宜しくね!」

 

「昭弘・アルトランドです。宜しくお願いします」

 

 楯無の演技がかった明るい振る舞いに対し、昭弘は静かに模範的な挨拶で返した。

 

 2人の軽い自己紹介が済むと、千冬は早速取り調べに入る。

 一応昭弘も、何処まで答えるか凡その考えは纏めてきた。

 

 

 

 何個か質疑が済むと、千冬は一旦インターバルを設けた。

 

(…予想はしていたが、あの無人機集団が束の所有物だったとはな。そしてアルトランドも、あの無人機たちと浅からぬ面識を持っていたのか)

 

 何より千冬が驚いたのは、あの無人機に「自我」があると言う点だ。俄には信じ難いが、嘘か本当かは()()()()()()()()()済む。

 

 楯無も又、考えている事を頭の中に留める。

 

(学園襲撃には無関係…今のところ“嘘”は付いてない、か。あの時発動した単一仕様に関しても「自分でも良く解らない」の一点張りね)

 

 楯無の「観察眼」は常人の域を飛び出す。相手の眼の動き、口調の僅かな変化、ちょっとした表情の強張り等々、それら外側の情報だけで相手の嘘が判るのだ。

 

 ふと千冬からの視線に気づいた楯無は、昭弘の言葉に嘘偽りが無い事をアイコンタクトで伝える。

 

 

 インターバルが終了すると、楯無は間髪入れず“ある事”を昭弘に訊ねる。

 

「……単刀直入に訊くけど、『篠ノ之束博士』と『T.P.F.B.』って何か関係あったりする?」

 

 それは今の昭弘にとって最もして欲しくない質問だった。

 昭弘は出来るだけ早く質問に答えるべく、頭を必死に回転させる。

 

(関係無いと嘘を吐くか?いやもし嘘だとバレればオレの状況が悪くなるだけだ。じゃあ「お答えできません」と言うのは?…駄目だ。そんなの遠回しに「関係ある」と言っている様なもんだ)

 

 この質問は、昭弘にとってギリギリの綱渡りであった。

 

 昭弘も解っているのだ。あの狡猾な束が、自身から情報が漏れるリスクを考慮してない訳が無い。なれば何らかの口封じを講じている筈。

 昭弘は、その口封じが「周囲諸共」であるのを一番恐れているのだ。

 

 しかしどうにか答えを導き出すと、昭弘は祈るように言葉に変えて吐き出す。

 

「T.P.F.B.と篠ノ之博士が、関係を持っているのは確かです」

 

「ッ!馬鹿な!あのプライドの高い束がT.P.F.B.と…」

 

 意外な旧友の一面に狼狽している千冬に構うことなく、楯無は更に質問を続ける。

 

「それはどんな関係?」

 

「それ以上は「社内情報」になりますので、流石に言えません」

 

 昭弘はそう締め括って頭を下げた。要するに「詳細はそちらで調べてくれ」と言うことだ。

 

 楯無は一旦質問を中断し、思考の渦に身を委ねる。

 

(…けど輪郭は見えてきたわ。もう少し情報も欲しいけど、流石に会社の情報は話せないか。それに無理強いして織斑先生から不興を買うのもねぇ…)

 

 生徒会長とは言え楯無も一生徒。今回の取り調べも、特別に参加させて頂いている様なものだ。そんな状況で教員である千冬以上に出しゃばるのは、流石の楯無でも躊躇われる。

 

「…だそうですが、織斑先生からは何かあります?」

 

「特には無いな。T.P.F.B.と束が繋がっているという情報だけでも、大きな収穫だ」

 

 千冬も今の情報だけで満足している様なので、楯無はそれ以上の詮索を止した。

 

「…今回オレが話した情報は内密にお願いします。せめて教員内だけで…」

 

「当然だ」

 

「はーい!(私の組織にはバラすけどね)」

 

 

 千冬と楯無からの質問が一段落すると、今度は昭弘が無人ISの安否を訊ね始める。

 

 千冬は昭弘からの質問に答えるが、楯無は渋い表情を昭弘に向ける。未だ彼女は、昭弘に対する疑いの目を濁らせてはいない様だ。

 

「…織斑・凰と交戦した無人ISは、2人に撃墜された。今はお前が撃墜した黒いISと同様、記憶の無いISコアだけが残されている。他の3機は問題なく機能しているが、此方も記憶が抹消されている」

 

 千冬の声によって感無量に並べ立てられた文字の羅列を聞いて、暫く昭弘は顔を俯かせる。

 

(…そうか、ジロまで)

 

 ISコアは『コア・ネットワーク』という情報網にて繋がれている。ゴーレムも例外では無い。

 このコア・ネットワークによって、ISの「公開回線(オープン・チャネル)専用回線(プライベート・チャネル)」による通信が可能となっている。応用すれば、ISコアの蓄積データを別のISコアに移動させることも可能だ。

 

 束はタロたちによる計画の漏洩を防ぐ為、任務完了と同時に記憶が完全に消去される様に設定していたのだ。しかも、外部からの余計な情報がタロたちに入らない様にコア・ネットワークを分断してある。

 

 そんな理由を凡そ予想しながらも俯いている昭弘に対し、千冬が恐る恐る口を開く。

 

「…アルトランド。今のお前の気持ちが解らない程、私も馬鹿ではない。だが織斑と凰の事は恨んでやるなよ?」

 

 そんな千冬の言葉を聞くと、昭弘は僅かに顔の角度を上げる。

 

「解っていますよ」

 

 “戦場”と言う極限状態の中で殺すなと言う方が、寧ろ無理があるだろう。

 

 昭弘が納得している様子を確認した千冬は、安堵しつつも何処か申し訳なさそうに視線を下げる。

 

 その後も、昭弘は質問を重ねていった。今度はゴーレムの処遇についてだ。

 

 千冬は一瞬だけ楯無に目配せをしながら答える。

 

「未だ議論は為されてないが、2つのコアも3機の無人ISも恐らくIS委員会預かりとなるだろう。生徒達に危険が及ばないとも限らないし、何より無人ISは最新科学の結晶体だ。一教育機関に預けていい代物じゃない」

 

 千冬が至極真っ当な事を一通り述べると、昭弘が重たい口を開き始める。

 

「織斑センセイが仰っていることは尤もですが…」

 

 昭弘がこれから述べようとしている提案を察して、楯無は口を挟む。

 

「あの無人機たちを「この学園に残す」なんて言うつもりじゃないでしょうね?」

 

 楯無の問いに無言で頷いた後、昭弘はいくつかの「利点」を上げていく。

 

 先ず一つ目は生徒に対してだ。彼等の中身は生徒の知識として大いに役立つ。IS委員会に対しても、向こうの息の掛かった研究員をIS学園に置いておけば済む。寧ろ研究施設まで輸送するリスクの方が高い。

 二つ目は単純に“有事”の際の戦力として優秀と言うことだ。昭弘が知る限り彼らの実力は国家代表候補生を凌ぐ。今問題となっているアリーナAの復旧作業にも、大いに役立ってくれるだろう。

 三つ目はIS委員会側に置いた場合のデメリットになるが、ゴーレムを良く知る人間が居ないという事だ。扱いによってはゴーレムが暴走しないとも限らない。その点昭弘は、彼等ゴーレムの事を良く知っている。

 それにIS委員会には、IS至上主義と同じく『女尊男卑至上主義者』が多く存在する。そんな彼らが、無人ISを世の為に有効的に使うとは考え難い。

 

 昭弘は一通り利点を述べ終えると、千冬と楯無を曇りなき眼差しで見据える。

 

(へぇ、何も考えなかった訳じゃないようね)

 

 楯無がそんな風に昭弘に抱いていた印象を若干上方修正していると、千冬が突然とんでもない事を言い出す。

 

「良しじゃあゴーレム…だったか?奴らを5機とも此処に留める方針で行くか」

 

「…って「良し」じゃないですよ織斑先生!何勝手に話進めちゃってるんですか!?」

 

 芸人宛らな突っ込みを入れたせいで、先程から纏っていた日本刀の様な威圧が消えてしまった楯無。

 

「そう言われてもな…。アルトランドの言う通り向こうの研究者やら技術者やらをIS学園に置いた方が、向こうもリスクが少なくて済むだろう」

 

 それにIS委員会も、生徒の心配なんて所詮は表面上だ。

 楯無だってそんな事は解っているが…。

 

「…では管理責任はどうなさるのです?事が起きた場合、IS学園が責任を押し付けられるのがオチでしょう?それに私は『生徒会長』です。生徒を危険にさらす可能性を秘めた物を、此処に置きたくはありません」

 

 楯無の反論を千冬は認める。だが昭弘が述べたメリットも捨てがたいとも考えていた千冬は、僅かに間を置いて答える。

 

「…生徒の安全と同じ位、生徒が持っている「可能性」を広げることも重要だ」

 

 楯無はそう言われて、言い返すことができなかった。それは千冬に賛同した訳では無く、言い返したところで意味が無いからだ。

 方向性は違えど、楯無も千冬も生徒を想う心は同じだ。そんな2人が反論を重ねたところで意地の張り合いになるだけだし、抑々最終的に決議するのはIS学園理事会と国際IS委員会だ。

 

「なぁに、ゴーレムが暴れたら私とアルトランドで対処しよう。なぁ?アルトランド」

 

「勿論です」

 

 昭弘の迷い無き返答を聞いて、満足げな笑みを零す千冬。

 

「取り調べは以上だ。色々と貴重な情報をありがとうアルトランド。明後日の理事会では私やIS委員会の連中も出席するから、その場でゴーレムのメリットについて上手く説明しとくさ。管理責任に関しても、まぁ何とかなるだろう」

 

 千冬の肯定的な反応を見て、昭弘は一先ず胸を撫で下ろした。しかし聞いていない事が最後に一つ残っていた昭弘は、そのまま千冬を呼び止める。

 

「…ゴーレムたちには…いつ会えますか?」

 

「少なくとも今日は無理だな」

 

 ゴーレムたちだが、今正に整備課の教員たちが意思疎通を繰り返している所だ。後は彼女たちの判断により、地上の格納庫へと移動させるらしい。

 

 今現在、サブロたちに記憶は無い。昭弘の事も、一片の欠片も無く忘れてしまっている。

 それでも昭弘は、一刻も早くサブロたちの顔が見たい。そして、どうしても彼等に直接言わねばならない事があるのだ。

 

 むず痒い思いを抱えながらも、昭弘は一先ず肩の力を抜いて生徒指導室を後にする。…前に、言い忘れていた千冬に呼び止められる。

 

 内容は、今後昭弘と束との連絡を一切禁止とする旨だった。T.P.F.B.とのやり取りも有るだろうから携帯の没収とまでは行かないが、もし束から連絡が来た場合電話には出ず直ちに一報をくれ、との事だ。

 

 昭弘は諦観した様に目線を斜めに下げながらも了承し、今度こそ生徒指導室から先に立ち去る。

 

 

 

 その後昭弘は予定通り午後から身体検査を受け、身体に別段異常が無いことを確認して貰った。

 グシオンの単一仕様能力に関しては、余程の事が無い限り使用を控える様命じられた。

 

 それらが全て滞りなく終了して、昭弘は漸く自身が消されていない事実に気付いて安堵した。

 これでまた、平穏な学園生活を送る事が出来ると。

 

 

 

 取り調べが終了した後、楯無は生徒会室へと続く廊下をゆっくりと進みながら今回の襲撃事件について頭を巡らせていた。

 

(…目的は恐らく、MPSと無人ISを戦わせること。あの状況はそうとしか考えられない)

 

 実際IS学園の重要なデータは何一つ盗まれておらず、教員部隊を近づけさせないような上空の無人ISの動きも相まって、楯無はそう考えていた。

 白式と甲龍まで戦わせたのも、それに関係していると彼女は睨んでいる。アリーナAへのハッキングのタイミングから考えて、意図的に白式・甲龍を無人ISと戦わせたのは明らかだ。

 

(それと昭弘・アルトランド。IS学園に対して、敵対意思は無い様だけど…。今回の学園襲撃も、私の予想通りなら間接的な原因は彼にある。まだ安易に「味方」と思わない方が良さそうね)

 

 色々と考えている内に、気が付いたら楯無は生徒会室の扉を開けてしまっていた。

 

 その先は正に地獄絵図と形容してもいい程に、生徒会役員たちが天手古舞であった。

 クラス対抗戦が中止になったと言う事は、即ち優勝したクラスも存在しないと言う事。では褒賞はどうなるのかと、生徒からの問い合わせが殺到しているのだ。

 

(…先ずこっちからね)

 

 自由奔放な生徒会長殿の平穏は、暫くは訪れそうにない。

 

 

 

 一夏と鈴音もまた、長い取り調べが漸く終わった所であった。2人同じ様に背伸びしながら廊下を歩いていると、一夏は思い出した様に口を開く。

 

「結局勝敗は決まらなかったけどさ、あの約束…どうすんだ?」

 

「ブホッ!?」

 

 一夏の言葉を聞いて、鈴音は不覚にも奇声を上げてしまう。その直後、少し慌てながらも即座に言葉を返す。

 

「も、もういいわよその約束は!」

 

 鈴音の半ばやけ糞な返答に対し、得心のいかない一夏は反論する。

 

「良くないだろ。それじゃあ何でオレが鈴に怒られたのか解らないし、お前の買い物だって…」

 

 そう言われて、鈴音はらしくも無く腕組みしながら考える。どう落とし所を着けるかと。

 

 鈴音は心の内側で葛藤しながらも漸く打開案が見つかったのか、一夏に向けて右手の人差指を突き立てながら言った。

 

「両方勝ちってことにしましょう!襲撃してきた無人機の1体を2人で倒したんだし!」

 

 鈴音の提案に、一夏は目を丸くして感心する。

 

「良いなソレ!じゃあ早速お互いの約束を果たそうぜ!鈴がオレを引っ叩いた理由と、買い物に行くって約束だったよな?」

 

「わ、分かってるわよ!ち、ちゃんと理由を説明するから、ちょっと待ってなさい」

 

 鈴音は頬を赤く染め上げながら言うと、目を瞑りながら深呼吸をする。新鮮な空気を取り込むと言うより、心の中にある余計なモノを削り出すよう意識しながら。

 ある意味、ここからが鈴音にとって最大の正念場であった。

 

「…その前に先ず…ゴメン、アンタのこと引っ叩いたりして」

「アンタを引っ叩いた理由は、アンタが酢豚の約束を勘違いして覚えていたから」

 

「やっぱそうか。それで、あの約束の本当の意味は?」

 

 これ以上先を言ってしまえば、それは最早『告白』と同義である。鈴音もそんなこと百も承知だ。

 心の鼓動が全身に響き渡る。その喧しい鼓動音が、鈴音の発声の邪魔をする。

 

―――素直に「好き」と言うしかない

 

 しかしあの時の昭弘の声が、鈴音の中で響き渡っている鼓動音を一瞬だけ掻き消してくれた。

 今だ。鈴音がそう思った時には、彼女の告白は終了していた。

 

「あの約束の本当の意味はね…「これから毎朝、アタシが作った味噌汁を飲んで欲しい」って意味だったのよ!」

 

 言い切った直後、鈴音は「しまった」と心の中で大きく叫んだ。

 

 普通の人間なら、今の言葉が「愛の告白」であると容易に解釈するだろう。しかし、相手は織斑一夏。筋金入りの朴念仁には、今の言葉の真意ですら常人とは全く別の解釈として映ってしまう。

 

「…そうだったのか。鈴、オレに毎日酢豚を食べて貰うことで、どの味付けが一番美味なのか採点して欲しかったんだな!ホントごめん鈴!どうしてオレはこんな簡単なことに今迄気付かなかったんだッ!!?」

 

 鈴音は余りにも予想通りな一夏の反応を見て、口を「あ」の字に開けながら半ば放心状態に陥った。気のせいか、肌もコピー用紙の如く白く変色してる様に見える。

 そんなこと等気にも掛けずに、尚も一夏は上機嫌に話を進める。

 

「酢豚の真意も解ったことだし、今度はオレが鈴の約束を果たす番だな!折角の買い物なんだし、昭弘や箒たちも誘おうぜ!」

 

「……もう、好きなだけ誘えばぁ~」

 

 鈴音は放心したままそんな言葉を発すると、永遠に続いている様に見える廊下をフラフラと進んで行く。

 すると、突然ピタリと止まる。

 

「…」

 

「どうした鈴?」

 

「ウガア゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ッッ!!!そんなド直球なことやっぱ言える訳無いでしょうがぁぁぁッ!!!アルトランドのヴァカァァァ!!アタシはもっとヴァカァァァァ!!!一夏はもっともっとヴァカァァァァァァ!!!」

 

 鈴音は発狂し、頭を掻きむしりながら廊下を全力疾走で駆けていく。

 

「おい鈴!廊下を走るな!」

 

 一夏も又、廊下で危険行為を繰り広げている幼馴染を止めるべく、早歩きでそのまま続いた。

 

 

 

 

 

―――――篠ノ之束の某ラボ―――――

 

 盲目の少女が銀色の美しい髪を棚引かせながら、短い歩幅で重厚な自動扉へと向かう。少女がその扉にある程度近付くと文字通りに自動扉が真横にスライドし、薄暗い内装が露わになる。

 

「おんやぁクーちゃん!どしたのどしたの☆」

 

 するといつも通り機械の兎耳を付けた束が、これまたいつも通りな感じでクロエに近づく。傍に居たジュロもそんな束に釣られて、クロエが佇む入り口の方へと向かう。

 当のクロエはどこか恥ずかしそうに、束の研究室に来た訳を話す。

 

「…眠れなくて」

 

 ボソボソと己の寂しさを主張するクロエに対し、束は「プププー」と嘲笑を堪えながら人差し指でクロエの右頬を優しく突っ突く。

 

「ま、タロもジロもサブロたちも居なくなっちゃったし、しゃーないって☆」

 

 束は自分でそんな事を言うと、どうした事からしくも無く黙り込んでしまう。

 

 余りにも長く口を閉ざす束を不気味に思ったクロエは、どうしたのか訊こうとする。

 しかし、束が口を開く方が少しだけ早かった。

 

「…ねぇクーちゃん。私の事…恨んでるよね」

 

 束は力無い声で、クロエに束自身の心の内を吐き出す。クロエはそんな束に怒りも哀れみも見せずに少しだけ悲しげな表情を見せながら、今度ははっきりと己の想いを口に出す。

 

「…確かにタロたちが居なくなったのは、私にとってこの上なく悲しいことに違いはありません」

「ですが私にとってもタロたちにとっても、貴女が一番なのです」

 

 束はそんなクロエの言葉を聞いて、表情を隠すように視線を床へと向ける。

 

「貴女の為に貴女の命令で死ねたなら、きっとタロたちも本望だった筈です。そしてそれは…私も同じです。私を此処迄生かせてくれた貴女に、「死ね」と言われれば私は喜んで死にます」

 

《クロエ様…》

 

 クロエの覚悟とも悲壮とも取れる言葉を聞いて、ジュロは思わずクロエの名を呼ぶ。

 再びクロエは、いつまでも俯いている束に声を掛ける。母親が子供にそうする様に。

 

「寧ろタロたちは幸せ者です。自分たちの為に泣いてくれる人が居るのですから。今の束様みたいに」

 

 束はクロエのそんな言葉を聞いて、俯きながら必死に言葉を紡ぎ出す。

 

「はぁ?何であんな奴等が居なくなった位で、この天災束様が泣かなきゃなんないのさ?寧ろ毎回喧嘩ばっかしてるタロやジロが居なくなって、済々している位だよ?クーちゃん盲目だからって、あんまし適当言っちゃいけないよぉ?」

 

「…でも束様の顔から涙の匂いがします」

 

 束はクロエのその一言で、まるでダムが決壊したかの様に力無く姿勢を崩してしまう。

 そして涙腺から流れ出る感情の雫をそのままに、クロエを抱き締める。

 

「ホント…駄目だよね…束さん。弱くて…」

 

 束は涙声を隠そうともせずに、更にクロエに言い聞かせる。

 

「それとね…クーちゃん…。束さんなんかの為に…「喜んで死ぬ」なんて…言わないで欲しい」

 

 束はそう言うと、クロエを抱き締める力を強くする。

 

「…良く理解しました。ごめんなさい、束様」

 

 そう束に謝罪した後クロエは不安げな表情を束に対して向け、恐る恐る口を開く。

 

「昭弘様とは…もう会えないのでしょうか?」

 

 束はそんなクロエの言葉を聞いて、今度は薄暗い天井を見上げる。そして、そのまま瞼を閉じる。だが暗い天井を見た後瞳を閉じても、結局似た闇を見ている事に変わりは無い。

 

 1分程瞼を閉じ続けた束は、漸く瞼を開けると再びクロエに向き直る。その時の彼女の瞳は、先程の涙に被われていたソレではなかった。

 束はクロエの両頬に優しく両手を当てて言った。

 

「アキくんはもう家族じゃない。…諦めて」

 

 束が無情にもそんな事を言い捨てるとクロエは再び悲しげな表情を露にし、無言のまま頷いた。

 

 その後、束はジュロに対してクロエに付いていてあげるよう指示し、クロエとジュロはそのまま研究室を後にする。

 

 1人となった束は傍にあった椅子に力無く腰掛けると、溜息と同時に心の中身を誰に対してでもなく吐き出す。

 

「ホント束さんってどっち付かずだなぁ」

 

 束はとうに覚悟を決めていた筈だった。「夢」の為にどんな犠牲も払うと。

 しかし、実際の程はどうだろう。自分自身でタロたちの犠牲を選択しておきながらその結果泣き崩れ、挙げ句の果てにはクロエにまで心配を掛ける始末。

 

 結局彼女は、未だ割り切ることが出来ていないのだ。夢を叶えたい。けどその為に、出来れば家族を犠牲にしたくない。出来れば昭弘にもう一度会いたい。そんな想いが、未だに彼女の中でドロドロと燻っているのだ。

 

 そして次の台詞こそが、束が割り切れていない何よりの証拠だった。

 

「サブロ、シロ、ゴロ、せめて箒ちゃんだけでも……護ってよね」

 

 束の計画により、世界が大きく乱れる事は束自身1番良く解っている。間違いなく世界を巻き込む大戦が起きるだろう。そんな中、IS学園に被害が及ばない保証など何処にも無い。

 

 天才故に、天災故に、何だって手に入った少女『篠ノ之束』。そんな彼女は「選択」と言う概念そのものから、余りにもかけ離れすぎていた。

 

―――夢も、妹も、家族も、何一つ失ってなるものか

 

 そんな切望にも似た彼女の想いは哀しい程に勢いを増し、選択と言う概念を飲み込んでいった。




私の構成力では、10000字で纏めるのが精いっぱいでした。

次回は買い物回です。ようやくだ・・・ようやく昭弘を日常に引き戻すことができる。皆さん、長らくお待たせしてしまい、面目次第も御座いません。

あと、次回でタロとジロに対する昭弘の想いもしっかりと描写しますので、どうかご安心を。



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第14話 決壊

皆さん大変お待たせしました!

買い物回です。ゴーレム要素はありません(大嘘)6人分の私服のコーデ考えるのスゲーキツかったゾ~。

あと、相変わらず文章構成クッソガバガバで、すみません。


―――――5月1日(日)―――――

 

 IS学園裏門にて、一夏は黒いレザーベルトで固定された腕時計を凝視していた。時刻は09:01を指しており、黒い文字板を覆う透明なケースに雲一つ無い澄んだ青空が薄く写る。

 

「やっぱ30分前は早過ぎたんじゃない?」

 

 隣で所在無さげにしていた鈴音が、一夏にそう声を掛ける。

 2人共私服に身を包んでおり、一夏は黒のチノパンと白のウエスタンシャツをシンプルに着こなしていた。鈴音は白いデニムのホットパンツとショッキングピンクのバルカン・ブラウスを着ていて、一夏と比べるとかなり派手さが目立つ。

 

「けど、言い出しっぺであるオレたちが最初に集まっとくべきだろ?」

 

「皆も誘うって言ったのはアンタよ」

 

「…スマン」

 

 約束とは言え、一夏と2人きりではない鈴音は若干不機嫌な様子だ。

 

 箒と違ってコミュ力の塊である鈴音は、他人と関わることに抵抗はない。しかし大好きな異性と2人きりで居たい想いは、やはり女としての性なのだろう。

 鈴音は今更になって「ちゃんとデートって言えば良かった」と後悔してみる。

 

 2人がそんなやり取りを繰り返してから10分後、セシリアと本音の影が少しずつ一夏と鈴音に近づいて来る。

 

 本音は相変わらず袖のダボダボなパーカーにハーフパンツで、フードには獣耳が付いていた。

 セシリアは白のシャツジャケットを羽織っており、青く真っ直ぐなタイトスカートを履いていた。

 

 

 2人が裏門に到着すると鈴音は顰めっ面を喜色溢れる笑顔に切り替えながら、セシリアたちに挨拶となる第一声を掛けた。

 対してセシリアと本音も、慣れた具合で短い自己紹介を済ませた。

 

「にしてもアンタたち、そんな格好で暑くないの?アタシが暑がり過ぎるだけ?」

 

「お洒落は暑さや寒さを耐えてこそだと、私は考えております」

 

「暑いけど可愛いでしょ~?」

 

 滑らかに会話を進めていく3人の社交性の高さに、一夏は苦笑いを浮かべながら尊敬にも似た感心を覚えた。

 反面、中々姿を見せない昭弘と箒を心配する。

 

(箒の奴、オレより早く起きてた癖に「先に行ってろ」って…そんなに服装に拘る奴だったかな?昭弘は…ノックしたときの反応からしてまさかの寝坊か?)

 

 

 

 裏門へと続く道を、昭弘と箒は早足気味に進んでいた。

 昭弘は湿った眼差しを箒に向けながら、ため息混じりに吐き捨てる。

 

「服選ぶのにどんだけ時間掛けてんだ」

 

 箒は僅かに慌てた様子を保ったまま、昭弘に言い訳と言う名の単語の羅列を吐き捨てていく。

 

「一夏の事ばかり考えながら服を選んでたら、時間を忘れていたんだ」

 

 そんな事をお互いに言い合いながら、昭弘は白いTシャツと迷彩柄のカーゴパンツを、箒は水色で七分丈のジャケットと黒のミディスカートを各々小刻みに揺らしながら歩を進める。

 

 そんな中、ふと箒は自身の中で燻っている感情に違和感を覚える。

 今、箒は緊張している筈。自分の服装に対する一夏の反応を、他の何よりも意識している筈だ。なのに…

 

(()()()()()()()()のは何故だ?)

 

 それは既に昭弘に服装を見られているからである。

 昭弘への想いに無自覚な箒がその理由に勘づく筈も無く、箒は謎の違和感を抱えたまま一夏たちと合流することになる。

 

 その際箒はやはりと言うか鈴音と目を合わせようとせず、鈴音も箒と無理に話そうとはしなかった。

 

 

 

 IS学園人工島から日本本土へと延びる長大なモノレールを滑らせること約30分。一同は高低入り乱れなビル郡に囲まれている駅へ到着し、その駅近くに位置する広大なショッピングモール『レゾナンス』へと向かっていた。

 

「にしても昭弘の筋肉スゲェよなぁ。Tシャツパッツンパッツンじゃん」

 

「さっきも同じこと言ってきたが、そんなに凄いもんなのか?」

 

「ねーねーアキヒー『おっぱい』の筋肉触ってもいい~~?」

 

「…布仏よ、ちゃんと『胸筋』と言ってくれないか?」

 

 昭弘の筋肉で盛り上がる一夏たちを箒、セシリア、鈴音たちは濁り切った瞳で後方から眺めていた。

 だが無理もないのかもしれない。折角一夏の為に服装にいつも以上の気合いを入れてきたと言うのに、当の一夏は昭弘の筋肉に夢中だ。想い人に振り向いて貰えない徒労感に加え、魅力で男に負けた事への屈辱が追い打ちを仕掛けてくる。

 

 そんな中、先に行動を起こしたのはセシリアだった。

 彼女は昭弘を押し退けて彼らの間に割り込むと、にこやかに一夏の右腕を両腕で抱え込む。

 

「そう言えば一夏。未だ私のコーデの感想を聞いておりませんでしたわ。さぁさ是非!」

 

 朴念仁の一夏は一瞬呆気に取られるが、少しだけ悩んだ末にやはり朴念仁らしい感想を述べる。

 

「…似合うけど、暑そうだよなセシリアの服装!」

 

 一夏の微妙な反応が予想外過ぎたのか、セシリアも又苦笑いを浮かべながら種類は違えど微妙な反応をしてしまう。

 

 セシリアが前に出たことで、箒は鈴音と共に取り残される。気不味い空気の中、箒はチラリと一瞬だけ鈴音に視線を移す。

 すると其処には、目を細めて箒の顔を凝視している鈴音の姿があった。睨んでいると言うよりは、何かを探っていると言った感じだ。

 

「な、何だ?」

 

 箒は、声のトーンを低くして威嚇する様に訊ねる。

 

「うーん…やっぱ何でも無いわ。それより早く進まないと逸れるわよ?」

 

 鈴音は箒の反応をさらりとは躱すと、前方の昭弘たちにとっとと合流するよう箒に促した。

 

 

 

「一夏、私にもジーンズが似合うかどうか、御検討宜しいでしょうか?」

 

「ちょっと一夏ぁ。これ試着するから見てくんない?」

 

「見てオリムー、猫耳ぃ~~」

 

「分かったから一人ずつにしてくんない!?」

 

 駅から歩くこと10分。会話に夢中だったからか、気が付けば昭弘たちはレゾナンスに到着していた。

 並んでいる様々なテナントの一区画にて、やはりと言うべきか女性陣は早速今流行りのコーデを試している。そんな物色している少女たちに()()()()タイミングを、女性店員が棚の影から虎視眈々と窺っている。

 

(…やっぱ慣れないもんだな。こう言うのは)

 

 そんな女3人男1人を遠目に見ながら、木造りのベンチに腰掛けた昭弘はそう内心呟く。

 

 今回昭弘が参加したのは、決して時間を持て余していたからではない。件の事件において勝手にMPSを起動させた罰則として、反省文を20枚以上書かねばならないのだ(襲撃者撃墜の功績から、謹慎処分等には至らなかった)。今朝の寝坊も、深夜までそれを書いていた為である。

 更にはサブロたちの今後について、整備課との綿密な調整や引き継ぎ等も行わねばならない。

 要するに多忙なのだ。

 

 それでも合間を縫って今此処に居るのは、ただ単純に箒や一夏たちと一緒に居たかったからだ。ただ一人苛まれながら「伝える瞬間」を待っているだけでは、心が圧迫に耐え切れず破裂してしまう。

 

 

 そんな中心配そうに見詰めてくる箒に対し、昭弘は平静を装う様に小さな笑みを浮かべながら答える。

 

「…お前も一夏に服でも選んで貰ったらどうだ?」

 

「はぐらかさないでくれ。お前何かソワソワしてないか?やることでも残っているみたいに…」

 

 箒にそう言われて、昭弘は「つくづく自分は隠すのが下手な男だ」と思った。それとも余程傷心の類が表面にまで出てきているのだろうか。

 

 今の昭弘の気持ちは、一度水に沈めば底に着くまで延々と沈んでいく石と同じだ。駄目だ、もっと軽くすべく癒さねば。今だけは忘れなければ。箒たちに心配を掛けない様にせねば。

 そうして昭弘は焦燥感溢れる表情を意識的に消し飛ばし、普段の不器用そうな笑顔を箒に見せる。

 

「オレも何か服でも見てくる」

 

 そう言って一夏たちと合流しようとする昭弘を、箒は慌てて止めようとする。

 

「待て昭弘!未だ私の質問に答えてな…」

 

 昭弘に意識を集中させていた箒は、自身の直ぐ左横から突き刺さる視線に大分遅れて反応する。そこには、いつの間にか先程と同じく自身を凝視している鈴音の姿があった。

 

「何なのだ貴様は!さっきから人をジロジロと…」

 

 ズイと迫る箒に対し、鈴音は表情を変えないまま昭弘たちの方角をチラリと見やる。そうして自分たちとはそれなりに距離がある事を確認すると、再び箒に向き直って口を開く。

 

 

 

アンタ昭弘の事好きでしょ?

 

「…………へ?」

 

 

 

 自分が、昭弘の事を、好き。解釈は色々ある。友として、家族として、兄弟として。だが鈴音にそう突き付けられて、何故か箒はそれらを第一候補として挙げられなかった。

 混乱の渦の中、箒は壊れたラジカセの様に何度も何度もその文面を脳内で繰り返す。

 

 声を漏らしてからどれ位経っただろうか。箒にとっては短すぎるその間も、実際には鈴音がイラ立ち始める程時間が経過していた。

 痺れを切らした鈴音が箒の左頬を軽く2回叩く事で、漸く箒は声を発することができた。

 

「い、いやいやいや!なな、な、何を訳の分からない事を言っているッ!?」

 

 動揺しながらも激しく否定の意を示す箒に対し、鈴音は自身が観察した結果を冷静に述べる。

 

「だってアンタさっきから昭弘の事ばっか気に掛けてるじゃない?」

 

「特別気に掛けてる訳では無い。一人で居るから「友人」として放っておけなかったのだ!」

 

「じゃあ何で指摘されてそんな茹でダコみたいになってんのよ」

 

 鈴音の淡々とした受け答えが、徐々に箒を追い詰めて行く。箒は鈴音の包囲網を突破すべく、「急に顔が赤くなった他の理由」を必死に考える。だが遂に何も思い付かなかった箒は、歯軋りしたまま下を向く。

 そんな箒が少し居た堪れなくなったのか、鈴音は溜め息交じりに助け舟を出す。

 

「…別に良いんじゃない?好きな人が何人居ようが。最終的にはその中から1人を選ばなきゃならないんだろうけど。アタシとしても「一夏が欲しいから昭弘とくっ付いて欲しい」なんて無粋な事言うつもり無いし」

 

 どうやら、勘付いたからどうこうしようって訳ではないらしい。助け舟とまでは行かなかったかもしれないが、鈴音のそんな言葉で箒は少しだけ落ち着きを取り戻した。

 更に鈴音は続ける。

 

「後ね、アタシの言う事あんまし気にしなくていいわよ?悪い癖でさ、気になる事があると余計な口が開くのよ。アタシのせいでアンタがアルトランドに変な意識向ける様になるのも、どうもね…」

 

 鈴音は言うだけ言うと、一夏たちの下へ戻って行く。

 

 どうにか普段の心へと戻りそうな箒は両手で己の両頬を叩き、頭の靄を振り払おうとする。

 鈴音の言う通り、一々他人の言葉に惑わされてはいけない。昭弘は大切な「友達」なのだから。きっとこれからも。

 

 箒は自身にそう厳しく言い聞かせ、靄を振り払ったつもりになった。

 

 

 

 一通り買い物を終えると、一同は腹拵えをしていた。チョイスは「しゃぶしゃぶ」屋だが、日曜日と言うこともあって時刻が13:00を回っていても未だ混んでいた。

 

「?…なぁ肉ってのは焼くもんじゃないのか?」

 

 確かに何処にも「鉄板」らしき物が見当たらない。

 

 昭弘の素朴な疑問に対し皆一時唖然とするが、直ぐに「昭弘がしゃぶしゃぶに行ったことが無い」という事実を察する。そんな中、一夏が率先して昭弘の疑問に答えて行く。

 

「ここでは肉を「焼く」んじゃなくて「茹でる」んだよ。焼肉とは大分食感が違うけど、サッパリしてて美味いんだぜ。オレと鈴が茹でるから、皆適当に取ってってくれ。こういうの慣れてるだろ?鈴」

 

 昭弘に良い所見せたいと言う一夏の思惑を悟った鈴音は、渋々手伝う。言われなくても彼女なら自主的に捌くのだが。

 

 一夏と鈴音は食材を捌きつつ昭弘にしゃぶしゃぶの食べ方を教えていく。

 箒は肉や野菜を取りながらも、何か手伝うべきかとチラリチラリ一夏たちに視線を移す。

 本音は構うことなくマイペースに食べ続けていた。

 

 そんな中、セシリアが昭弘に口を挟む。

 

「まるで大きな「お子ちゃま」ですわね。恥ずかしくありませんの?」

 

「…悪かったな」

 

 セシリアが嘲笑しながら皮肉を口にすると、昭弘は顔を顰めて短く返す。

 

 しかし、その僅か数分後。

 

「アッツッ!アッチチ!ファ、凰さん!!何やら激しく沸騰しておりますわッ!溢れてしまうのではなくて!?」

 

 しゃぶしゃぶに慣れていない英国貴族は、鍋の中で盛り上がる熱湯の塊を見て喚き散らす。

 

「落ち着いて!火弱めるから。アンタもう危なっかしいから下手に手出さないで!」

 

 鈴音に叱られ、らしくも無くしょぼくれるセシリア。そんなセシリアを見て、昭弘はニヤつきながら次の言葉を言い放った。

 

「無理すんな「お子ちゃま」」

 

 その直後、昭弘とセシリアの間で不毛な罵り合いが始まった。

 真ん中で懸命に茹でる鈴音は、6人用のテーブルで対角線を作る啀み合いの被害をモロに受けた仕返しとして、昭弘とセシリアには一切具材をよそわなかった。当然怒鳴り散らした上でだ。

 

 

 

 帰りのモノレール内にて、昭弘一同は大量の紙袋を抱え込んでいた。

 久しぶりの外出でストレスが発散できたからか、皆疲れの表情に爽やかさを色濃く残している。

 

 ただ一人を除いて。

 

 セシリア自身、一夏と昭弘の仲が良い事はとうに把握している。しかしあの模擬戦以降、セシリアも一夏には多大な好意を以て接しているつもりだ。それなのに未だ一夏からセシリアに接してくる割合は、昭弘と比べるとかなり少ない。

 セシリアはその事実がどうにも気に食わなかった。「こんなにも一夏を愛しているのに何故?」と。

 

 何が足りないと言うのだろうか。人としての魅力か、性の壁か、それともISの技量か。

 

 確かにIS・MPSの技量に関しては、昭弘に大きく天秤が傾く。

 今までほぼ互角であった両者の均衡は、あの学園襲撃事件を切っ掛けに崩れ去ってしまった。あの異次元的なまでのグシオンの機動・パワー・俊敏性。少なくとも今のセシリアとブルー・ティアーズでは到底届く事の無い領域であった。

 

 セシリアは額に手を当てながら、昭弘と楽しそうに話す一夏の横顔を見つめる。

 もし自分が昭弘より強くなれば、一夏はその笑顔を向けてくれるのだろうか。セシリアのそんな考えは、最早推測の域すら出ない。何の根拠も無い、単なる思い付きに等しかった。

 

 セシリアがあれこれ考えていると、いつの間にか本音がセシリアの顔を下から覗き込んでいた。

 

「セッシー怖い顔してるけど大丈夫~?」

 

 そう言われて初めてセシリアは今自身がどんな顔をしているのか気付き、本音に苦笑を漏らす。

 

「…私がもっと強くなったら、一体どうなるのだろうと考えていただけですわ」

 

 そんなセシリアの言葉に対し、本音は迷うこと無く満面の笑みで堂々と返した。

 

「セッシーがもっと強くなったら、もっともぉーっと恰好良くなるね~!だって『セッシー』だもん」

 

「!」

 

 本音の無垢な笑顔と共に放たれたその一言で、セシリアの悩みは呆気なく消え去った。

 

 そうだ、自分は次期国家代表最有力候補『セシリア・オルコット』。その自分が更に強くなってどんなデメリットがあるのか。唯でさえ完璧な自分がその上更に強くなれば、最早落とせない男など居はしない。

 どの道、国家代表を目指すには更に実力を付けねばならないのだ。何より負けっぱなしは自分の性に合わない。何にしても「勝って」こそ、真の自分だ。

 

 強くなろう。IS乗りとしても、人間としても、女としても。

 そしていつもセシリア・オルコットを見てくれている本音(この娘)の為にも。

 

 セシリアは本音に柔らかい笑顔を向けて礼を言った後、紙袋の紐を握る手に力を込め今度は昭弘に鋭い眼光を送る。それは入学初日に向けた濁り切った眼光では無く、“倒すべき好敵手”に向ける覚悟の込もった眼差しであった。

 

 

 

 

―――17:08 IS学園

 

 千冬は昭弘と本音を従えて、学園端に在る格納庫へと早足で進んでいた。

 

「私も驚いた。まさか僅か一日でゴーレムの地上格納庫への移動許可が下りるなんてな」

 

 1時間だけと言う条件付きではあるが。

 ただ、ウイルスや自爆装置等も見当たらず、意思疎通も極めてスムーズに進んだそうだ。千冬が薄気味悪さを感じる程に。

 

「えへへ~無人ISと会話するの楽しみ~」

 

 一応生徒会の書記であり整備にも詳しい布仏も、今回ゴーレムとの対面に参加することとなった。その名の通り本音は駄々洩れだが。

 

 会話を続けながら早足で進んでいた彼等は、あっと言う間に格納庫へと辿り着いていた。

 格納庫には整備課の教員が数名と、生徒会長である楯無が居た。

 

 昭弘はその中に一人、髪色がやけに印象的な少女を見かける。

 

(うん?…アイツも1年か)

 

 楯無と何処か似ているその「水色の髪の少女」は、格納庫の隅っこで針葉樹の如く静かに立っていた。

 

 しかし今の昭弘はいつまでも他人に関心を引く程、心の余裕が無い。その少女を一瞥だけすると、昭弘は心臓の鼓動を早くしながら正面の「ユニットハウス」の様な黒い直方体に近づく。

 直方体は近くで見ると極めて重厚感があり、扉の近くにはパネルの様な物が付いていた。話によると、IS学園の地下施設に直接通じているとか。

 

 千冬は、物体の中に居るであろう教員に「出せ」と連絡を取る。

 

 楯無や未だゴーレムと接していない教員が身構える中、千冬は特に之と言って緊張している様子も無くただ静かに扉を見つめていた。

 しかし、昭弘にはこれ迄とは違った緊張が直走る。記憶を失った家族と、一体どう接すれば良いのか。何を話すかは事前に決めていても、“接し方”だけは実際にやってみなければ分からない。

 

ウィーン

 

 昭弘が緊張を抑えるのに四苦八苦している内に、その重厚そうな扉が真横にスライドして開かれる。

 

 先ずは中から先導役らしき整備課の教員が出てきた。

 その教員の合図で黒い物体の中から夫々「水色に白斑点」「深紅に白の2本線」「黄緑色で胸部に白の星」の模様をした全身装甲ISが、長い腕を小さく揺らして歩み出る。

 その内、水色に白斑点の模様をした1体が昭弘に声を掛ける。

 

《初メマシテ。ボクハ『XFGQ-03 機体識別名:SA.BU.RO.』ト申シマス。以後オ見知リオキヲ》

 

 他の2体も、続いて自己を紹介する。

 

《『XFGQ-04 機体識別名:SHI.RO.』ダ。オレノ「紅イボディ」ヲ気ニ入ッテ貰エタラ嬉シイ》

 

《同ジク『XFGQ-05 機体識別名:GO.RO.』ト申シマス。整備課ノ皆様トハ、トテモ有意義ナ時間ヲ過ゴサセテ頂キマシタ》

 

 いかにもな機械的で抑揚無い声を流暢に使いこなす彼等を目の当たりにして、楯無は言葉を失ってしまう。

 

(本当に無人ISなのか、疑いたくなるレベルね)

 

 まさか冗句や感想まで織り交ぜてくるとは。実は中に人が入っている、なんてオチまで彼女は考えてしまう。

 

 3体の軽い自己紹介が終わると、昭弘は少しの間顔を俯かせる。記憶を失っていると事前に聞いてはいるものの、実際に会って「初めまして」と言われると精神的なショックは何倍にも膨れ上がるようだ。

 それでも昭弘は、駄目元で訊いてみることにした。

 

「…『昭弘・アルトランド』だ。失礼を承知で訊くがオレの事、覚えているか?」

 

 昭弘がそんな質問をすると、ゴーレムたちは人間の様な仕草でお互いのカメラアイを見合う。

 互いの無機質なカメラアイから何かを見出せた訳でもないが、サブロは質問に答える。

 

《…申シ訳ゴザイマセン。貴方トハ本日ガ初対面ノ筈デスガ》

 

 やはりと言うべきか、返って来たのは昭弘にとって残酷な一言。昭弘の顔を見て名前を聞いて思い出してくれる程、現実は生易しくないらしい。

 昭弘は再び俯いた後、3体に謝罪の言葉を贈る。

 

「いや、此方こそすまなかった。気にしないでくれ」

 

 その後も自己紹介は続き、IS学園残留が決定した場合の流れなども軽く話し合われた。

 

 

 

 ある程度話が纏まり昭弘と千冬以外の人間が解散すると、この状況を狙っていた昭弘は千冬に切り出す。

 

「織斑センセイ。ゴーレムたちと、少しだけ話してもいいですか?できれば、あの黒い直方体の中で」

 

「構わないが一応私も立ち会わせて貰うぞ?中からは自動で出られるから安心しろ」

 

「…分かりました」

 

 千冬が条件付きでお願いを聞き入れると、昭弘は疎ましそうに彼女を見る。出来る事なら誰にも見られなくないし、聞かれたくもないのだろう。

 そう察しながらも、千冬はその黒い物体のパネル部分に左手を翳す。機械音と同時に扉がスライドすると、2名と3体が中に入って行く。

 

 

《アルトランド殿、話トハ?》

 

 サブロが昭弘に訊ねるが、昭弘は未だに無言を貫いたままだ。

 暫く沈黙が続くかと思われたが、千冬やサブロたちの予想は大きく裏切られる事となった。

 

「!?」

 

《 《 《!!?》 》 》

 

 皆が驚くのも無理はない。昭弘がいきなり両膝を付き、首を垂れて来たのだから。

 千冬が昭弘を問い質すよりも早く、昭弘が先に口を開く。

 

「お前達ッ!…本当にッ……すまなかった!」

 

 唐突な土下座に続く大音量の謝罪によって、皆の驚愕はいよいよ頂に達しようとしていた。しかし皆の反応など構わずに、昭弘は尚も独壇場を維持する。

 

「オレはお前たちの家族を…タロを殺してしまった。ジロも死なせちまった。どうにか……止めようとしたが…駄目だった…」

 

 昭弘の表情は本人が俯いているせいで良く見えないが、濁りの無い透明な雫がポタポタと床に落ちていた。サブロたちはその床に出来たシミを見つめながら、昭弘の言葉に耳を傾き続けた。

 

「もうお前たちに…家族の記憶が無い事は分かっている。今のオレの行動なんざ意味不明だろうさ…。それでもッ…ずっと謝りたかった」

 

 昭弘は己の内に蔓延っている感情を、濁流の様に吐き出していく。

 悲しむ余裕が無かっただけではない。この学園には、タロとジロを失った悲しみを吐き出せる相手が居なかったのだ。それはそうだ。誰もタロたちを知らないのだから、誰にとっても無人ISなんて機械でしかないのだから。共感してくれる筈が無い。

 純粋な謝罪の気持ちには、そんな昭弘の中に溜まっていた哀惜も過分に含まれていた。

 

 更に昭弘の激情は増大し、言葉による表現もより過激さを増していく。

 

「赦して貰えるなどと思っちゃいない。今この場でお前たちに殺されたとしても…文句なんざ一言も口にしねぇ……」

 

 そう言うと、昭弘は頭をサブロたちの足下に向ける。まるで「殺してくれ」と懇願する様に。

 千冬は驚愕に表情を任せつつも、念の為携えていた警戒棒を構えながらサブロたちを睨む。

 

 硬直状態が続き、息苦しいまでの沈黙が昭弘と千冬を襲った。

 

 しかしサブロが発する機械音声により、その状態はアッサリと途切れた。

 

《……「アリガトウ御座イマス」昭弘様》

 

 意外な一言であった。

 少なくとも昭弘は、彼等に感謝される様な事はしていない。寧ろ今自分がしている事は、彼等にとってはとんだ傍迷惑だろうに。

 

 サブロの想いを代弁する様にゴロが続く。

 

《確カニ記憶ノ無イ我々ハ、怒レバ良イノカ悲シメバ良イノカ赦スベキカ赦サナイベキカ解リカネマス》

 

 続いてシロが、その代弁に加わる。

 

《ダガオレタチノ中デハ今、確カナ“嬉シサ”ガ渦巻イテイル》

 

 「嬉しさ」という単語を耳にした昭弘は、少しずつ頭を上げていく。

 

《機械デアルオレタチノ為ニ泣イテクレル人ガ居ルト言ウ事。ソレガタダ嬉シイ》

 

「…」

 

 尚も姿勢をそのままに沈黙を続ける昭弘に、サブロが歩み寄って腰を屈める。

 

《ダカラ今ハソノ気持チダケデ十分デス。改メテ謝ルノハ、僕タチガ全テヲ思イ出シタ時ニシテ下サイ。ソレガ済ンダラ、『タロサン』ヤ『ジロサン』ノ話ヲ沢山シマショウ》

 

 その言葉を最後に、3体は地下施設へと続くエレベータの前まで歩を進める。そのタイミングを見計らって、今度は千冬が昭弘に歩み寄る。

 

「…私もこのまま彼等に付き添うが…お前の方はもう大丈夫か?」

 

 千冬の声掛けに対し、昭弘は無言のまま小さく頷く。

 

 

 千冬たちが地下施設に移動した後、昭弘は暫くの間一人でその場に座り込んでいた。

 全てを吐き出した今の昭弘の中には虚無感と安心感、そして僅かな寂しさが残っていた。

 

 

 中でも一番色濃く残っている感情は、記憶を失ってもそんなに変わっていない家族への“嬉しさ”であった。




今回一夏の影が薄かったけど、ラウラ編辺りから一夏の抱える闇を皆さんに見せて行けるかと思います。
簪さんは、一応容姿だけ出しときました。生徒会でも整備課の人間でもないけど、楯無の妹だし整備得意だし、ま、多少はね?


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第15話 波乱は直ぐ其処に

今回も日常回・・・なのかな?
昭弘と鈴音みたいな「男友達」「女友達」な関係っていいですよね。何と言うか絶妙な距離感と言うか、なんか安心するんですよこの2人。



―――――5月3日(火)―――――

 

 1時限目終了後の休み時間にて、1年1組は事態の急展開に大いに沸き立っていた。

 

 今朝、全校集会にて3体の無人IS『ゴーレム』の紹介が行われた。生徒たちは、前日に「明日の朝、全校集会を開く」としか伝えられていなかった。

 「事前情報がソレしか無い中」「学園の襲撃犯が」「ステージの中央で」「流暢に挨拶をしてきた」のだ。当事者たちの混乱は計り知れないだろう。

 

 結局彼等は月曜日に開かれた「合同会議」にて、学園残留が決定したのだった。

 昭弘の提案通り、委員会側の研究員を学園側に置くと言う事で双方は納得した。しかし管理責任は学園側が負う事となり、昭弘の提案を持ち出した張本人である千冬自身にも「現場監督責任」が課せられた。

 しかし唯でさえ多忙な千冬が現場まで見張れる筈も無く、実質的には整備課教員が現場を見る事になる。

 

「正直アタシは反対ね。もう決まった事だからしょうがないけど」

 

 当然の様に1組に居座っている鈴音が、当然の様に会話に割り込んで来る。

 彼女がこれから述べる言葉は、正に全校生徒皆が心の何処かに持っている懸念の代弁と言えた。

 

「実際に戦ったアタシだから言うけど…危険過ぎるわ」

 

「確かに、あの白い奴と同型機のアイツ等が暴れたらと思うと…ゾッとするよな」

 

「私の見立てでは少なくともあの黒と白の無人ISは、実力的に国家代表にも匹敵するかと」

 

 鈴音の言葉に、一夏とセシリアは同意にも似た反応を示す。学園襲撃から未だ日も浅いのだ。やはり彼等の脳裏には「暴れるゴーレム」の姿が焼き付いて離れないのだろう。

 

 クラス全体がゴーレムに対して否定的になりつつある中、箒が杭を打ち込む様に話に割って入る。

 

「私は特に問題無いと思う。先生方の判断を信じるべきだ。現に彼等は…ゴーレムは、アリーナの復旧を既に済ませてくれたのだろう?」

 

 意外な人物からの意外な発言によってか、クラスは一旦静まり返る。ゴーレム自身が原因とは言え、アリーナの復旧作業を昨日一晩で片付けてくれた事実は変えようがない。

 

 そのタイミングを見計らってか、昭弘は漸く口を開く。

 

「何はともあれ、先ずは今後のことだろう。…確か鷹月と四十院は整備科志望だったよな?お前たち的には、今後の事で何か思う事はあるか?」

 

 そう言いながら、昭弘はクラスメイトである『鷹月静寐』『四十院神楽』に意見を求める。ゴーレムが実質的に整備課預かりとなる以上、彼女たちの考えは気になる所だ。

 

「…不安はありますね。ただ恐怖と言うよりも、整備科として上手くやって行けるかと言う「自分への不安」と言いますか…」

 

 そう鷹月が「黄色いヘアピン」を少しばかり弄りながら、オドオドと昭弘の質問に答える。確かに無人ISと言う知識は、学園のカリキュラム自体を大きく変えてしまう可能性すらある。

 対し、長く麗しい黒髪を僅かに揺らめかせながら四十院も物静かに答える。

 

「私は特に不安等は無いわね。寧ろ早くゴーレムと接触してみたい好奇心の方が大きいわ」

 

 四十院の好奇心に応える様に、鷹月はつい先程得た情報を声で配る。

 

「先輩の話によると、整備課の先生か織斑先生の許可が下りれば一応誰でもゴーレムに会えるらしいよ?タイミングが良ければそのまま整備科の2・3年生と一緒に、ゴーレムの調査・研究ができるかもって。生徒会や整備科志望の生徒が優先されるだろうけど」

 

 鷹月のざっくりとした説明に、一夏が目と口を丸くしながら興味を示す。

 

「オレも今度、駄目元で先生に頼み込んでみようかな?何か気になってきたし」

 

 一夏がふとそんな発言を零すと、我先にと水滴を拾い上げる様にセシリアが勢い良く立ち上がる。

 

「では私も参りますわ。ゴーレムと接触するのでしたらこの私『セシリア・オルコット』の知識がきっと一夏の御役に立つかと!」

 

 そう言いながらセシリアがしたり顔で鈴音を見やると、鈴音も慌てて立ち上がる。

 

「ア、アタシも行くわ!情報を集めるには良い機会だし」

 

「わ、私も気が向いたら行くとするか。別に一夏はどうでもいいが…」

 

 釣られた最後の一人である箒の素直でない言葉を聞いて、昭弘はニヤついた顔を隠そうともしなかった。

 

 しかし昭弘は、それとは別に心の中で自身が「安堵」している事実に気付く。それは昨日から、しかも1組に居る時だけ感じるモノであった。

 その原因を直ぐ見つけ出すと、昭弘は先程のニヤつきとは違った安らかな笑みを浮かべる。

 

(皆、オレと今迄通りに接してくれてるんだな)

 

 タロとの激戦時まで遡る。

 昭弘とグシオンは単一仕様能力を発動させることにより、タロの撃墜に成功した。そう、文字通り“狂獣”の様に相手を攻め立てて。

 昭弘自身、突然悪魔的な力を発揮した己とグシオンには少なからず恐怖を覚えた。本人ですらそう感じる程なのだから、傍から観ていた皆は尚の事だろう。

 

 それなのに1組の皆は特別昭弘を避けることもせず、普段通りに接してくれていた(未だ昭弘を怖がっているクラスメイトも勿論居るが、それは元々である)。

 

 そんなクラスメイトたちに、昭弘は心の奥底から感謝した。

 

 

 

 

 

 夜、皆が寝静まらないギリギリの時間帯。

 男の口から一定間隔で流れ出る短い重低音が、男の部屋中に小さく響き渡る。低い声が響くと同時に、男の腹を分厚く覆っている肉の鎧が強張る。

 

 そんな光景に慣れ切っているツインテールの少女は一切動じる事無く、自身の「考え」をペラペラと口にする。少女は寝巻き姿のままソファに深々と腰を預けており、我が物顔で男の部屋に入り浸っていた。

 男は「趣味」に勤しみながらも、少女の話には耳を傾けてあげていた。

 

「ゴーレムと実際に戦ったのはアタシと一夏とアンタだけだし。少なくともゴーレムへの知識量なら確実にオルコットや篠ノ之を上回れるわ。それにアタシの代表候補生としての知識と抜群のコミュ力が加われば、アタシが一夏を独占できるは明白も明白よ!」

 

 それはまた随分とショボいマウント取りであると、毎度毎度自身の部屋に押しかけて来る少女に対して男は思った。

 

 その少女「鈴音」が話し終わる所で、丁度男も本日のノルマを終えた様だ。鈴音の自信に満ち溢れた表情を見ながら、男「昭弘」は言い辛そうにしながらも冷酷な現実を突き付けてくる。

 

「水を差すようで悪いが、ゴーレムたちと会えるのはもう少し先になるぞ?」

 

「…マジ?」

 

「ああ。研究員の到着が、早くても1週間後らしいからな」

 

 言うまでも無いが彼等が来る迄、勝手に調査や研究等してはいけない。それはIS委員会の範疇だ。

 それに何度も言われている様に、整備科志望の生徒が優先される。

 

 

 実はこのIS学園、普通科よりも整備科の方が圧倒的に多いのだ。

 

 IS操縦者は、確かにIS関連企業の「花形」と言ってもいい存在ではある。しかし将来への選択肢は狭く、精々が「テストパイロット」「代表候補生」「空軍」程度だ。

 抑々ISコアの絶対数には限りがあり必然的に操縦者の数も限られてくるので、世界はそこまでIS操縦者を欲している訳ではない。

 

 逆に、整備士として進んだ場合の選択肢は広い。先ず、ISに関する知識量がIS操縦者と比べて遥かに多い。その膨大な知識量を武器に、ISの専属整備士以外にも「ISの研究・開発」と言った分野への進路変更も可能だ。

 更にISを勉強する過程で得た「情報・工学的知識」は、IS関連以外の企業でも大いに役立てる事ができる。

 

 

 そんな整備科生・整備科志望者の多い現状で、既に代表候補生である鈴音やセシリアが後回しにされるのは当然だ。専用機持ちである一夏も然り。

 そんな事実を知った鈴音は、昭弘の様な仏頂面を醸し出しながら呟く。

 

「暫くはお預けって訳ね。篠ノ之やオルコットと差を開くチャンスと思ったんだけど…」

 

「…だったら尚更、オレの部屋でウダウダやってる場合じゃ無いと思うが」

 

 呆れ果てる昭弘。こうしてる間にも、どんどん箒は一夏との距離を狭めて行く。

 

 そんな事心得てる鈴音は反抗する様に答える。

 

「それはしょうがないでしょーが。いくらアタシが一夏の部屋にお邪魔した所で、ルームメイトである篠ノ之のアドバンテージは揺るがないわ。ならそれ以外の点で攻めていかないと。でもって一人でウジウジ考えてても能率悪いから、アンタの部屋にお邪魔してるんじゃない」

 

 そう言う鈴音に対し、昭弘はある素朴な疑問を浮かべる。その内容は以前箒に対して投げかけた疑問と同じであり、はっきり言ってもっと早くに訊いておくべき事だった。

 

「…今更なんだが、鈴音はどういう経緯で一夏を好きになったんだ?」

 

 昭弘のそんな質問を受けて、鈴音は真顔のまま数秒間固まってしまう。その後、少し恥ずかしそうに右頬を人差指で掻くと溜め息交じりに語り出す。

 

 切っ掛けは、言葉にしてみれば在り来たりだ。

 鈴音は日本の学校に転入してきた当初、当然だが日本語が上手く話せなかったらしい。それが原因で同年代の子供からよく揶揄われてたとか。

 それを止めてくれたのが、他でも無い一夏だったと言う訳だ。

 

「そこから仲良くなっていったんだけど…多分その時から“異性”として意識はしてたんだと思う」

「それとね…アタシの両親「中華屋」を営んでたんだけど、今後の方針について真正面からぶつかっちゃってさ。そんで2人が険悪になってる時も、一夏はアタシに色々と良くしてくれたの。ま、結局疎遠になって別居する事になっちゃったんだけどね…」

 

 どうやら鈴音も、箒と似たような理由で一夏を好きになったようだ。

 

 それを聞いて、昭弘は一夏の人の良さを改めて実感する。やはり自分と彼とでは、「育ち」や「生き方」がまるで違う。今迄の自分ならば家族の事を考えるのに精一杯で、他人に構っている暇など一切無かった。

 

 昭弘は、そんな一夏を少し羨ましく思う。誰をも愛し、誰からも愛される。決して、昭弘には出来ない生き方だ。同年代の女性から好意を寄せられるのも納得だ。

 

 しかし同時に併せ持つ一夏の脆さも、昭弘は知っている。それは決して悪い事ではない。完全無欠な人間など、この世に存在しないのだから。昭弘自身も、心に脆さを抱えている人間の一人に過ぎない。

 だからこそ昭弘は思うのだ。一夏が、無理をしているのではないかと。

 

 鈴音がその事を知っているのか定かではないが、取り敢えず昭弘は訊ねてみる事にした。

 

「…一夏のそんな男らしい所に惚れたのか?」

 

「ま、そうね」

 

 やはり箒や鈴音にとって、一夏はヒーローのようだ。

 

 教えるべきなのだろうか。一夏の脆い一面を。

 そんな考えを、昭弘は蜘蛛の巣を掃う様に頭から追い出す。言った所で鈴音にどんな影響を及ぼすか、解ったものではない。

 

 それにいずれは彼女たちにも知られる時が来る。昭弘は今も一夏を想って照れている鈴音を見て、そんな風に感じた。

 

 

 

 小一時間程居座って漸く出ていった鈴音を見送った後、昭弘は心に蟠りを抱えたままシャワーを浴びる。タオルで拭き取った後も素肌に僅かに残った汗と言う名の水滴を、濁り無き温水が塗り潰していく。

 

 シャワーを浴びて寝間着姿となった昭弘は、先程鈴音が腰掛けていたソファにゆっくりと腰掛ける。そのまま数分程ボーッとしていると、ベッドに置いてあった液晶携帯が突如鳴り響く。

 

(!?…束か?)

 

 昭弘は、警戒しながらその小さな液晶を覗き込む。

 

『クロエ・クロニクル』

 

 その名を見て昭弘は出るかどうか一瞬たじろいでしまうが、意を決して通話ボタンを押す。

 その時昭弘は「クロエとの通話は禁止されていない」と言った屁理屈を頭に浮かべていた。

 

《昭弘様!良かった。てっきり出てくれないのかと…》

 

 相も変わらずなクロエの静かな声に、昭弘は安堵しながら答える。

 

「出ない理由が無いだろう」

 

 昭弘にそう言われて、勝手にマイナスに思い込んでいたクロエは少し照れくさそうな声を漏らす。

 

「それで、どんな用件だ?」

 

 そう訊かれると、クロエは口籠りながらも単語を継ぎ接ぎの様に足し合わせていく。

 

《あっ、えと……そうそう!束様から言伝を頼まれたのです》

 

「言伝?」

 

《はい。今月中IS学園に「2人の代表候補生」が転校してくるそうです。しかも内1人は“男性”とか》

 

 その時昭弘は、「転校」や「代表候補生」と言う単語ではなく「男性」と言う単語に意識が向いた。

 

「有り得んだろう?男性に反応するのは現『白式』のISコアだけだ」

 

 するとクロエは、自分で言うのも恥ずかしいのか声量を小さくしながら答える。

 

《それが…実はもう1機、束様がコアの初期設定を誤ったISコアが存在するそうなのです》

 

「」

 

 驚愕、と言うよりも昭弘は唖然とした。天下の大天災がそんなんで良いのかと。

 確かに、世に出たISコアの総数は467機。1機のみならず、2~3機程設定に誤りがあっても可笑しくはない…のかもしれないが。

 

 真正面から襲い掛かって来る「混乱」と言う二文字を振り払う様に、昭弘は質問を続ける。

 

「だが、なら何故今迄その事実を束は隠していた?」

 

 その質問に対して、クロエは特に口調を崩す事無く答える。更に恥ずかしいのか、声量だけは限界まで小さくしながら。

 

《単純に「忘れていた」だけだそうです…。束様にとっても、至極どうでも良い事柄だったのでしょう》

 

 その言葉を聞いて今度は持っていた携帯を思わず落としそうになる程、昭弘は手の力が抜けた。

 要するに、今更になって思い出したのだ。大方、何らかの方法で各国の機密情報を閲覧している時「そう言えばこんな奴いたっけ」と言った具合で思い出したのだろう。束らしいと言えばそれまでだが。

 

 気を取り直して、質問に戻る昭弘。

 

「そいつの国籍は?」

 

《フランスとドイツからだと聞き及んでおりますが、どちらが男性かまでは明言しておりませんでした》

 

「そうか…。貴重な情報感謝すると、束に伝えておいてくれ」

 

《はい》

 

「…」

 

《…》

 

 2人の間で沈黙が続いた。お互い言いたいこと、訊きたいことはまだあると言うのに。

 しかしだからこそ互いに押し黙ってしまうのだろう。昭弘は、クロエは、きっとまだ何か言いたいことがある筈だと譲り合う様に。

 

 そんな沈黙を先に破ったのは、クロエであった。

 

《あの…昭弘様》

 

「何だ?」

 

 そう、昭弘は優し気な口調でクロエの発言を促す。

 

《……タロたちの事なのですが》

 

 「タロ」と言う単語を聞いて、昭弘は言葉を失ってしまう。

 正確に言えば、何と言えば良いのか解らなかったのだ。タロを殺めたことを謝罪すれば良いのか、タロたちを差し向けてきた事に対して怒れば良いのか。

 

 結果、昭弘が選択した言葉はそのどちらでも無かった。

 

「大丈夫だ。サブロもシロもゴロも記憶を失ったが元気にしてるし、タロとジロだってISコア自体はちゃんと生きている。心配すんな」

 

 その言葉が、今この時において正解なのかは判らない。しかしそれは間違いなく、昭弘が今クロエに伝えたかった言葉であった。

 

《…そうですか。…ありがとう昭弘様》

 

 クロエは満足した様にお礼を言った後、別れの挨拶を告げて通話を切る。

 

 昭弘も元気そうなクロエの声が聞けてホッとしたのか、明日に備えて寝床に入る支度をし始めた。

 

 

 ベッドに仰向けのまま倒れこんだ昭弘は、汚れ無き純白の天井を見つめながら例の転校生について頭を巡らす。またもやとんでもない時期にやって来るものだ、と。

 

(…やはり一夏と白式が狙いなんだろうか?)

 

 凡その予想を立ててみる昭弘。

 しかしそれとは別に、昭弘は漠然とした胸騒ぎを抱えていた。直感ですらない嫌な予感が、昭弘の心を不規則に揺らす。

 

 しかし昭弘のそんな希望も虚しく、「波乱」は少しずつ確実に足音を大きくしていきながら、IS学園に近付いて来るのであった。

 

 

 

 

 

《束様ニバレタラ叱ラレマスヨ?》

 

 ムロが束に無断で昭弘に電話を掛けたクロエを心配していると、クロエは開き直った様に口を開く。

 

「確かに「家族じゃない、諦めて」とは言われましたが、電話をするなとは言われてませんし」

 

 クロエは昭弘と似たような屁理屈を並べる。先程「言伝」等と嘘を吐いたが、要は昭弘とただ話したかっただけなのだ。

 

《マァ開キ直ッテイル様ナラ安心デス。束様ニモ特別黙ッテオキマショウ。ドノ道、今ノ人類ノ技術デハ我々カラノ通話ヲ逆探知ナドデキマセンシ》

 

 ムロの気遣いにクロエは「ありがとう」と感謝の言葉を述べると、少しだけ口調を強めて更に続ける。

 

「例え束様のお言葉でも、私は諦めたくありません。…いつか昭弘様とも家族に戻れる日が来ると信じ続けます」

 

 そう言うと、彼女は僅かに瞼を見開く。細く開かれた瞼の先には、黄金色の瞳が鈍い輝きをチラ付かせていた。

 しかし何も見えはしないその瞳は、まるでマネキンの様に無機質で視点もハッキリとしていない。

 

 それでも無意識に瞼を見開いてしまったのは、それだけ家族に再び逢うことを切望しているからだろうか。




鷹月さんと四十院さんは整備課志望っていう設定にしておきました。今後もちょいちょいと、機会があれば1組のクラスメイトを出していきたいと思います。

次回からは皆さんお待ちかね、あの2人が遂に登場しまぁす。どちらが男性なのかは、お・た・の・し・み♡

そして、もうそろそろ一夏の絶望的な苦悩が始まります。今迄以上に複雑な心理描写をしていける様に、頑張りたいと思います。


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第一章 の2 IS学園~ニューフェイス~
第16話 2人の転校生(1時限目前)


今回も、何話かに分けようかと思います。
どちらが男子なのか判らない様に描くのって、意外としんどいですね・・・。


―――――5月9日(月)―――――

 

 この日も、IS学園周辺は雲一つ浮かんでいない快晴であった。5月ももうじき中旬だからか、1組の生徒たちは登校で流れた汗をSHRが始まっても未だ額に滲ませたままだ。

 しかし1組の副担任である真耶は、生徒たちとは種類の違う汗を流していた。その汗は暑いから流しているモノではなく、言うなれば「困惑」「焦燥」から来るモノであった。

 

「え、えーと…。きょ、今日は「転校生」を紹介したいと思います」

 

 本日、1組担任である千冬からSHRを任された彼女は転校生と思しき2人に度々視線を送っていた。

 千冬はその様子を、腕を組みながら心配そうに見守っている。

 

 彼女がこれほどまでに動揺している理由は、昭弘の心の声がそのまま代弁してくれた。

 

(無理もない。鈴音の転校から1ヶ月も経ってないってのにもう新しい転校生。しかも2人と来た。更には全校集会も無しにいきなりだ。それが自分の受け持つクラスに2人とも入るなんて、山田センセイからすれば「意味不明」の一言に尽きるだろう。おまけに…)

 

 そこで昭弘の心の声は途切れるが、今度は生徒たちの不気味に過ぎる静寂が昭弘の思いを声も無しに代弁する。

 皆一様に口を半開きに目を大きく見開いたまま、2人の転校生を凝視していた。何故ならば、2人の服装が少なくとも()()()()()()()()()()()からであった。

 

 兎にも角にも、先ずは2人に自己紹介を促す真耶であった。それに対して、先ずは『金髪の少年?』がニコやかに応じる。

 

「皆さん初めまして。『シャルル・デュノア』と申します。出身国はフランスです。一応「2人目」の男性IS操縦者になるのかな?異性の身で色々と御迷惑をお掛けする事もあると思いますが、1年間宜しくお願いします」

 

 直後、クラス全体を無言の静寂が覆った。

 しかし昭弘は何となく理解した。これは只の静寂ではないと。

 

 その少年は非常に中性的な顔立ちをしており、長い髪を襟足の部分で1つに結んでいた。睫毛はまるで女性の様に長く、小さく可愛いらしい口が彼の笑顔を更に上の次元へと昇華させていた。

 そんな美少年のまるで「天使」の様な笑顔を目の当たりにした女子生徒一同が、終始無言のまま終わる筈も無く…。

 

「「「「「きゃぁぁぁーーーーーーッ!!!!!」」」」」

 

 昭弘の左耳に衝撃が雪崩れ込んで来る。それは昭弘の脳内を激しく掻き回し、右耳から濁流の如く放出された。その突然すぎる女子生徒たちの黄色い歓声に、昭弘は耳を塞ぐ間も無く唯々歯を食い縛って耐えていた。

 一同はそれだけ叫んでも飽き足らず、怒号にも似た声をそのままに各々の感想を口にしていく。

 

「3人目の男子ッ!!!」「しかも織斑くんやアルトランドさんとは違う護ってあげたくなる系!」「天使だわ!」「わ、私夢でも見てるのかしら」

 

 彼女たちは、ここぞとばかりに“鬱憤”を爆発させる。エリートとは言え、彼女たちも思春期真っ只中の女子高生。イケメンと言える男子が一夏しか居なかった現状では、彼女たちにとって正に朗報中の朗報と言えよう。

 そして彼女たちの熱い視線は、もう1人の転校生にも飛び火する。

 

「ネェネェじゃああの子も?」「流石に女子じゃない?髪長すぎるし小柄過ぎるし」

 

 期待と疑問を秘めながら、彼女たちはその「少年?」の容姿を小声で伝え合う。

 

 シャルルとは真逆の印象を受ける「少年?」であった。

 何処までも冷えきった紅い瞳。その瞳を更に際立たせる様な鋭い目つきをしていながら、顔はまるで人形の如く美しく整っていた。左目はアイパッチで覆われていたが、その美しい顔には不釣り合いであった。銀色の髪は色素を削がれた様に生気が無く、脚の脹脛まで伸びていた。

 服装はシャルルとは少しばかり異なり、ズボンの膝から下はロングブーツで覆われていた。

 

「み、皆さんお静かに!自己紹介の続きに入りますよ!」

 

 いつまでも静まる気配が無い生徒たちを、真耶は懸命に制する。

 

 クラスが静まり返ると、真耶はその銀髪の転校生に自己紹介をするよう促す。

 

「…」

 

 しかし真耶の言葉の一切を無視するかの様に、転校生は無言を貫く。

 

 それを見かねた千冬が、大いに困惑する真耶に助け船を渡す。

 

「…『ボーデヴィッヒ』自己紹介をしろ」

 

「はいッ教官!」

 

 『ボーデヴィッヒ』は大きな張りのある声で短く返事をすると、クラス一同に向き直る。

 真耶の時とはまるで異なる反応を示したボーデヴィッヒに対し、皆疑問を浮かべる。その時、昭弘も含めたクラス全員が「教官」という単語を決して聞き逃さなかった。

 

「『ラウラ・ボーデヴィッヒ』だ」

 

 ラウラがたったそれだけ口にすると、真耶は顔を引き攣らせながら恐る恐る訊ねる。

 

「あのぅ…以上でしょうか?」

 

「以上だ」

 

 真耶の問いに対し、ラウラは淡々と即答する。

 

 

 

 ラウラが自己紹介を終えた後、昭弘はクラス一同とはまったく別の事に頭を巡らせていた。

 

(もしデュノアの言っている事に嘘偽りが無いとするなら、デュノアが男でボーデヴィッヒが女って事になるのか。いやしかし、デュノアには悪いが「男」と言い張るには()()()()()()()()

 

 昭弘のそんな感想は、至極的を得ていると言って良い。

 高校生にもなれば、例え制服越しだろうと男女の身体的相違は否応無しに現れる。その最たる例が肩幅であるが、シャルルのソレは男子高校生にしては余りにも狭すぎるように昭弘には感じられた。

 しかし勿論身体の成長には個人差があるので、昭弘の疑念は所詮推測の域を出ない。

 かと言って、それはラウラも同じ事。結局の所、直接確かめる事が出来ない限りはどうしようも無い。

 

 そんな事を考えていると、昭弘は突如ラウラから嫌な気配を感じ取る。

 

 

 一夏も又、他のクラスメイトたちとはまるで別の反応を示していた。

 

(名前からして「ドイツ人」…だよな?それに千冬姉の事を「教官」と言っていた…って事はやっぱり)

 

 一夏はそこまで考えると、瞼を僅かに細めてラウラを凝視する。それはまるで見たくもないモノを見る様でもあり、因縁を投げかけている様でもあった。

 

 ラウラはそんな一夏の視線に気付くと、彼の直ぐ目の前まで歩を進める。それは一見すると今迄通りの無表情に見えるが、その瞳はしっかりと一夏を捉えていた。

 

「おい()()()

 

 千冬の制止も構うことなく、ラウラは席に座っている一夏の目の前に佇む。一夏の顔を正面に捉えるとラウラの無表情は我慢の限界を迎えたかの様に崩れ去り、そこには憎悪に彩られた鬼の形相があった。

 

「…貴様が…!」

 

 そう言うとラウラは右手を強く握り締めて「拳」を作り、それを天高く掲げる。

 

「ッ!?」

 

 余りにも突然の事に驚いた一夏は、反射的に左頬を両腕で覆う。

 クラス一同は制止の声すら掛ける猶予も無く、唯々表情を驚愕に染める事しか出来なかった。

 シャルルは未だ傍に立っていたからか対処が早く、ラウラの右腕を押さえようと動く。しかしラウラが拳を降り下げる方が早いであろう事は確かであった。

 

 一夏が衝撃を覚悟した瞬間、右後方の席からドスの利いた低い声が静かに響く。

 

「止めとけ」

 

 その一言は見えない手となって振り上げた腕を掴み、ラウラの動きを止める。

 

 声の主である先程から最後列で静かに座している「巨漢」を睨み付けると、ラウラは臆する事無く抑揚の無い声で問い質す。

 

「何だ貴様は?」

 

「『昭弘・アルトランド』だ」

 

 その青年『昭弘』は軽く名乗り終えると、初対面である事を気にも留めずに自身のお節介を述べていく。

 

「お前が一夏とどんな関係なのかは知らんが、そういうのはお前の為にならん。だから止めておいた方が良い」

 

 対して、どういう意味だとラウラは更に問い詰めようとする。

 

パンッ!

 

 しかし、問いはその軽快な一拍子によって遮られる。その音を発した張本人である千冬が、合掌していた右手と左手を切り離すと有無を言わさず次に進もうとする。

 

「自己紹介は以上だ!デュノアとボーデヴィッヒは事前に指定されてる席に座れ」

 

 その雷の様な一声がクラス中を痺れさせ、シャルルは多少慌てながら、ラウラは渋々と自分の座席に着いた。

 

 一先ず表面上は落ち着いた様に見えるが、ラウラの中で燻っている憎しみの炎は、未だ衰える事を知らなかった。

 

(今日の所は引いてやろう『織斑一夏』。だが私は認めない。貴様があの人の弟だなどと…認めるものか…!)

 

 

 その後どうにか動揺を押し留めた真耶は、残り僅かな時間を使って今日の予定を伝達していた。

 

 

 この際男性云々は後回しにして、先ずラウラをどうにかすべきだろう。かと言って、シャルルを一夏に任せきりにする訳にもいかない。

 

 そんな事を考えた後、昭弘はこれから確実に訪れるであろう「波乱」を想像してしまい思わず深い溜め息をついた。

 

 

 

―――――SHR終了後 休み時間―――――

 

 昭弘がラウラに話し掛けようと立ち上がると、いつもの様に一夏が駆け寄って来る。普段と違う点は、箒の代わりにシャルルが居る点だ。

 どうやら、2人は互いの自己紹介を既に終えている様だ。

 

「昭弘、さっきはサンキューな!デュノア、紹介するよ。もうテレビとかで観ただろうけど彼が『昭弘・アルトランド』。寡黙そうでおっかなく見えるけど、優しい奴だから安心してくれよな」

 

 シャルルはそんな一夏に合わせる様に、改めて自身の名前を口にする。

 

「改めて宜しくねアルトランドくん。『シャルル・デュノア』です。同じ男子生徒として仲良く接して貰えると嬉しいな」

 

 シャルルが短い自己紹介を終えると、昭弘もその巨躯を立ち上がらせ己の紹介に入ろうとする。

 立ち上がった昭弘によって生み出された巨大な影が、シャルルに上から覆い被さる。その迫力に、シャルルは顔を蒼褪めながら僅かに後ずさりしてしまう。

 

「『昭弘・アルトランド』だ。宜しく」

 

 その後、昭弘は巨大な右手をシャルルに差し出す。シャルルはその武骨な右手を、恐る恐る自身の華奢な右手で握り返す。

 

(近くで見ると本当におっきいなぁ…。手なんて僕の2倍くらいあるんじゃないかな。…言っちゃあ悪いけど、無言だと確かに凄く怖い)

 

 

 そんな光景を遠目から見ていたセシリアが、箒に他愛もない感想を零す。

 

「ああして見てみると、本当に同い年の男子とは思えませんわねあの2人」

 

「…うむ」

 

 微妙な反応を示す箒を見てみると、寂しげな視線を一夏に送っている彼女が其処に居た。

 セシリアは今の箒の心境を察すると、更に言葉を連ねる。

 

「仕方がありませんわ箒。転校生に対して親身に接するのもクラス代表としての立派な勤め。今は辛抱なさって下さいな」

 

 セシリアにそう宥められて、箒は渋々と一夏に向けていた視線をセシリアへと戻す。

 

 

 自己紹介の後、一夏は昭弘にある提案を持ち出す。

 

「でさ、この後実技だろ?更衣室まで、3人で固まって行かないか?」

 

 その時の一夏は、少しばかり焦っている様にも見えた。

 

 IS学園では基本的に女子が教室で着替えるので、男子は仮設の更衣室まで移動せねばならないのだ。

 一夏自身1人で移動した時は多数の女子生徒に絡まれ、授業時間に間に合わない事があった。増してやシャルルは誰もが認める絶世の美男子。絡まれるどころか最悪の場合集団で追い回される様な事は、流石の一夏でも想像出来た。

 そこで昭弘の出番である。大多数の女子生徒から怖がられている昭弘が一緒に居れば、被害を大幅に減らせると一夏は考えたのだ。

 

「ああ」

 

「よし!そんじゃ遅れない様にとっとと移動しようぜ」

 

「な、なんかゴメンね僕の為に…」

 

 未だ学園の雰囲気に慣れていないシャルルは、健気に笑みを浮かべながらもどこか落ち着きが無い様に見えた。

 

 昭弘はそんなシャルルを気に掛けつつ、クラス内を軽く見渡す。

 すると、良く目立つ「銀色の髪」がクラスの何処にも見当たらない事に気が付く。先に更衣室へ移動したのか、自分たちが話している間に教室で着替えたのか。

 そんな事を考える間もなく、一夏が昭弘に声を掛けてくる。

 

「どうした?昭弘。早く行こうぜ」

 

 

 

 

 IS学園の廊下にて、女子生徒たちは極めて歯痒い想いに襲われていた。

 

 俗に言う正統派イケメンである織斑一夏と、中性的な可愛らしさを秘めたシャルル・デュノアが並んで歩いている光景。

 しかし本来ならば群がるなり写真を撮るなり質問攻めに興じるなりの行動に出る筈の彼女たちが、何故か立ち尽くしているのだ。

 その理由は、彼等と共に歩いているもう一人の巨漢の存在にあった。制服越しからでも良く解る程の屈強な肉体。顔面も、その肉体に良く似合う強面であった。そんな男がしかも不機嫌そうに歩いていては(実際は不機嫌でも何でも無いのだが)、近づくのも躊躇われると言うもの。

 

「そんなに怖いかな?昭弘の事」

 

 一夏の素朴な疑問に、昭弘が抑揚の無い声で返す。

 

「外見だけが理由じゃ無いだろうさ。元々オレは「人殺し」を生業にしていたからな。怖いと思わない方が珍しいさ」

 

 付け加えるなら、前回のゴーレム戦の影響も強く表れているのだろう。

 戦いの最中、突如豹変したグシオン。その豹変っぷりと余りに異次元的過ぎる力を目の当たりにしてしまえば、恐怖に似た感情を抱いても不思議ではない。

 

 昭弘の淡々とした受け答えを聞いて、一夏は思わず目を伏せて黙り込んでしまう。 

 友人をそんな風に思っている周囲の人間が腹立たしいのか、どうにも変え難い現実という理不尽が気に入らないからか、周囲からそう思われている昭弘をまるで利用しているかの様な自分自身が嫌になったのか。

 今の一夏には、黙り込む原因などいくらでも思い当たった。

 

 そんな気不味い空気を払拭する為に、シャルルが慌てながら話題を変える。

 

「そ、そう言えば仮設の更衣室ってどんな感じなの?」

 

 シャルルの質問に答えるべく、一夏は気持ちを切り替えて顔を上げる。

 

「仮設っつっても、そこら辺は天下のIS学園だから結構奇麗で広いぜ?」

 

 それを聞いて、シャルルはホッと胸を撫で下ろした。

 

 

 

 更衣室に着いた3人は、遅れない様に急いで着替え始める。否、正確には急いで着替えているのは一夏と昭弘の2人だけだ。

 シャルルは、何故か一夏の露出した素肌を見て顔を赤らめている。恥ずかしがる様に、視線を逸らすシャルル。しかし、視線を変えたシャルルの瞳にあるモノが飛び込んで来ると。

 

「うわぁあッ!!」

 

「ど、どうした!?」

 

 一夏が、両手で目を塞いでいるシャルルに声を掛ける。シャルルの真正面にあるモノは…「筋肉」、大小様々な形状をしていた筋肉の山であった。その持ち主である昭弘も、シャルルの様子を確認する。

 

「何だ?」

 

「そ、それ程に凄いか?昭弘の筋肉」

 

 2人がシャルルに訊ねると、シャルルは慌てて目を塞いでいた両手を取っ払う。

 

「そ、そう!余りにもアルトランドくんの筋肉が凄すぎてビックリ仰天しちゃった!じゃ、じゃあ僕隣の列で着替えるね!」

 

 そう言い終えると、シャルルは逃げる様にそそくさと着替えを持って移動する。

 

「?…っとぉ!オレらも急いで着替えないとな!」

 

「……ああ」

 

 シャルルに向けていた意識を、直ぐ目の前まで迫っている授業に向け直す一夏。

 しかし昭弘は、シャルルの反応に不信感を抱いたまま着替えを続けていた。

 

(…普通男が男の裸見て、あんな反応するか?)

 

 昭弘も余り考えたくはないが、もし仮にシャルルが()()()()性別を偽っているとしたら。

 

 どうにも、不吉な予感を振り払えない昭弘。

 ラウラだけではない、シャルルも何か途轍も無い「爆弾」を抱えている。昭弘は先程のシャルルの反応と行動に、そんな事実が見え隠れしている様な気がしてしょうがなかった。

 

 2人が転校してから未だ初日、しかも1時限目前。波乱はまだまだ始まったばかりだ。




単にホモなだけかもしれない。

ラウラと昭弘は次回もっとしっかり描写しますんで。


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第17話 2人の転校生(初日終了)

いんの「山田先生との模擬戦どうすっかな・・・。セシリア強化しちゃったから、原作通りの圧勝とは行かないし・・・。」

いんの「そうだ!ゴーレムと組ませよう!!」


─────5月9日(月) アリーナA─────

 

 今回の実技は1組と2組による合同演習だ。しかも、1時限目と2時限目を丸々使いきる拡大版ときた。

 態々合同演習と言う形を採った理由は、千冬があるモノをより多くの生徒に見せたいが為だ。

 

 

『タッグトーナメント』

 

 

 2対2で執り行われるトーナメント戦であり、先月のクラス対抗戦を凌ぐ規模の一大イベントでもある。

 

 無論、皆IS学園の一生徒として練習はしている。景品も当然欲しい。

 しかし圧倒的戦力を誇る専用機持ちの存在が、彼女たちの意識を沼の底まで沈めていた。どうせ勝てないけど、一大イベントだから仕方なく練習する。そんな意識で練習をした所で、時間ばかりが過ぎ行くだけだ。

 

 

「オルコット!凰!これからお前たちには「模擬戦」をして貰う」

 

 千冬にそう言われて、当人たちは渋々と重たい足を運ぶ。

 

「面倒くさぁ~…」

 

 代表候補生の風上にも置けぬ言葉を、鈴音はボソリと溢す。

 

「こう言うのは「見せ物」みたいで、気乗りしませんわね…」

 

 セシリアも『オルコット親衛隊』の熱視線をこれでもかと言う程に浴びているのに、当の本人は乗り気では無い様だ。

 

 そんな2人に発破をかけるべく、千冬が魔法の言葉をボソリと呟く。「一夏」と。

 

 瞬間、2人の表情は夏の朝日に照らされる。

 

「織斑教諭直々の指名とあらば、イギリス代表候補生筆頭として全身全霊を持ってお応えしますわ!」

 

「やってやろうじゃないの!」

 

(チョロくて助かる) (とか思ってんだろうな) (何で突然やる気満々に?)

 

 千冬、昭弘、一夏が夫々全く違う事を思っていると、鈴音とセシリアが早速睨み合っている。

 今にもISを展開しそうな2人を、千冬が静かに制する。

 

「落ち着け恋する少女(ガキ)ども。別にお前たち2人の模擬戦を見せたい訳では無い」

 

 千冬はそう言うと同時に、僅かに羊雲がかかっている青空を見上げる。

 すると雲に小さな黒点が映り出した。その黒点は大きさを増して行き、形状が肉眼で確認できる頃には生徒たちが既に「回避行動」を取っていた。

 

「ど、どいて下さぁぁぁいッ!!!」

 

 久方振りの搭乗だからか、訓練用の『ラファール・リヴァイヴ』を纏った真耶がコントロールを失ったままフィールド目掛けて突っ込んで来たのだ。その矛先に選ばれてしまった不幸な人間は、一夏であった。

 

 慌てて白式を展開し、衝撃に備える一夏。ラファールは白式を巻き込みながら、小規模のクレーターを作ってしまった。

 昭弘や箒らが、安否を確認すべく駆け寄る。

 

「はぁ…これで教師とはな」

 

 偶然昭弘の近くに居合わせたラウラから、聞き捨てならない台詞が聞こえてくる。

 だが、咎めるよりも先ずは2人の安否だ。

 

 しかし、昭弘は心配して駆け寄った事を酷く後悔する。一夏が真耶に覆い被さって、彼女の大きな乳房を鷲掴みにしているのだ。

 その様な体勢となった原因は不明だが、当の一夏も不本意であろう大胆不敵な行為により、4人は顔を真っ赤に染め上げていく。真耶は「羞恥心」から、箒・鈴音・セシリアの3人は「怒り」から。

 

 そんな3人の一夏に対する激昂を、千冬の昂った声が遮る。

 

「おぉーっと!そろそろ「特別講師」の登場だ」

 

 千冬は前歯を白くギラつかせながら言うと、先程と同じ様に青空を見上げる。

 生徒たちも釣られて顎を上げると、小綺麗に編隊を組む3つの光が見えた。それらはあっと言う間にアリーナ上空へと到達し…。

 

ゴォォオン!!!

 

 真耶と同様に多少の土煙を巻き上げたまま、ソレらは勝手に会話を進める。

 

《良シ!奇麗ナ着地ダ!》

 

《君ハモウ少シ静カニ降リル癖ヲ付ケヨウトハ思ワナイノデスカ?》

 

《ソウダ、フザケ過ギルト生徒タチニ嘗メラレルゾ》

 

 土煙が晴れるまでも無く、その機械音声だけで生徒たちはソレらが何なのか理解し仰天する。

 

 何故ゴーレムが此処に。抑々外に出して良いのか。

 等と言った生徒の疑問を千冬は一切無視し、やたら楽し気に話を進める。

 

「これから諸君に見せたいモノは「オルコット・凰」ペアと「山田・ゴーレムペア」による模擬戦だ!ゴーレムたちには安全措置としてリミッターを施してるから安心しろ」

 

 楽し気な千冬の言葉に対し、セシリアと鈴音は顔を顰める。代表候補生である彼女たちに対し、訓練機とリミッターを掛けられた無人機が相手と来れば、嘗められてるとも思ってしまう。

 

 かくして、異色のタッグマッチが幕を開けることとなった。

 

 

 

 観客スタンドにて箒と一夏は呆気に取られ、昭弘は気を抜かずに観戦していた。

 生徒たちの予想を裏切って、戦況は真耶・サブロペアに大きく傾いていた。

 

「これってどっちも初タッグなんだよね?訓練機で専用機を圧倒するなんて…ヤマダ先生って強いんだね」

 

 シャルルが昭弘にそんな言葉を零すと、昭弘は補足を織り交ぜて返答する。

 

「それもあるが、やはり一貫した戦法を取れているのが大きい。山田センセイもサブロも、中距離射撃戦の利点を良く理解している」

 

 今回セシリアはビット4機を操り、遠距離からスターライトMkⅢで狙撃すると言う普段通りの戦法を取っていた。何せ鈴音とのタッグは初。アサルトモードで激しく動き回れば、機動力特化の甲龍を妨害してしまう恐れがある。

 

 しかしそれが仇となってしまう。

 真耶はセシリアが援護に徹すると見抜くと、瞬時加速で一気に距離を詰めて来た。セシリアはビットをラファールに差し向けるが、振り返り様に放たれた51口径アサルトライフル『レッドバレット』によって、ビット2機を落とされてしまう。

 中距離寄りの近距離まで接近されたセシリアは、最早狙う余裕もアサルトモードに切り替える余裕も無く、距離を取るべく逃げるしかなかった。

 

 鈴音もラファールに接敵しようと務めるが、サブロの執拗な妨害に悪戦苦闘を強いられる。ラファールに接近しようとすればビームの嵐を降らされ、サブロに斬りかかろうとすれば直ぐ様距離を置かれて撃たれまくる。

 鈴音がそうこうしている内に、ブルー・ティアーズのSEは着実に減っていった。

 

 

 そんな中、昭弘は少し離れた所で一人観戦しているラウラの姿を目にする。

 

 昭弘はそんなラウラの隣に座し、取り留めの無い話を切り出す。

 

「随分と夢中になってるな」

 

 そんな昭弘を一瞥すると、ラウラは無表情のまま冷たく返す。

 

「気安く話しかけるな」

 

 しかし、威嚇に構うこと無く昭弘は続ける。

 

「アンタも代表候補生だったか?」

 

「それがどうした?」

 

「なら話が早い。ドイツの代表候補生として、この試合を詳しく批評してはくれないか?勉強になりそうだ」

 

 昭弘がそんな話題を切り出した途端、ラウラは語調に喜色を織り交ぜながら話し出す。

 

「何より目を見張るのは、あの無人ISと山田教諭の戦況判断能力だな。無理なチームプレイに徹するよりも「1対1・1対1」という状況を作り上げる方が、より効果的に相手にダメージを与えられると瞬時に判断したのは見事だ。山田教諭への陰口は訂正せざるを得んな。専用機の2人もぶっつけ本番にしては悪くない動きだが、相手が悪すぎたな。何より皮肉な所は、“チームプレイに徹しよう”とした方が“チームプレイに徹しない”相手に見事に翻弄されている点だな」

 

 そこまで言い終えると、ラウラはハッとした様に昭弘を一瞥する。そこには、優し気な笑みを浮かべた昭弘の顔があった。

 

「お前さん、戦い(バトル)については随分饒舌になるんだな。…まるで織斑センセイみたいだ」

 

 昭弘のそんな反応に対してラウラは恥ずかしそうに舌打ちをすると、今度は不機嫌そうに席を立つ。

 

「…もう私に構わないでくれないか?一人が好きなんだ」

 

 更に、ラウラは昭弘を突き放す言葉を付け加える。

 

「それに、私の標的は『織斑一夏』唯一人だ」

 

 ラウラはそこまで言うと、更に離れた席に移動してしまう。追おうとした昭弘であったが、その頃にはもう試合が終わってしまっていた。

 

 

 

 フィールド上空にて完封勝利に喜ぶ相手チームをジトリと見つめながら、鈴音は口を「ヘ」の字に曲げていた。

 

《申し訳ございません凰さん。戦法を誤りましたわ》

 

 セシリアが謝罪の言葉を贈ってくると、いやとんでもないと鈴音も謝罪で返す。

 

「こっちこそゴメン。ゴーレムに気を取られ過ぎた」

 

 そう言い終えた後、鈴音は千冬の思惑を大方予想する。

 

(アタシとセシリアは「ダシ」に使われたって訳ね)

 

 

 

 

 模擬戦闘終了後、再び生徒達をフィールド上へと呼び戻した千冬は伝えたい言葉を前置き無しに述べる。

 

量産機でも、専用機には勝てる。…確かに山田先生やゴーレムの様に、技量も戦術も必要だ。だが機体の性能なんざ、タッグマッチではそこまで役に立たん。それが今回の模擬戦で解ったろう」

 

 千冬のそんな激励にも似た言葉は、先の模擬戦を観て燻っていた生徒たちの動力炉に火をつけるには十分過ぎた。

 

 生徒たちの目がやる気の炎に満ち満ちた所で、千冬は思い出したかの様にもう一つの警告と言う名の冷水をぶっかける。

 

「…お前ら、今後これを機に「教師」に対する態度には気を付けろよ?教師が一体どれだけ強いのかよぉ~く解ったろう?」

 

 それは正に、真耶に対する生徒たちの接し方を指摘するものであった。まるで同級生宛ら当然の様にタメ口で真耶に接する1組の生徒たちには、千冬自身前々から憤りを感じていたのだ。

 特に…。

 

ギロリ…

 

 猛虎の如き眼光を以て、千冬は銀髪の生徒を激しく睨みつける。ラウラの真耶に対する陰口は、千冬の耳にしっかりと届いていた。

 ラウラは痛烈な眼光を受けて、顔を強張らせながら大量の冷や汗を掻く。そして自然と気を付けの姿勢を取ってしまう。

 

 

 

 千冬からの激励後、生徒一同は「代表候補生・専用機持ち・ゴーレム」から教えを乞うべく夫々別れていた。

 

 一番人気はやはりと言うか、一夏とシャルルであった。

 群がりすぎないよう千冬や真耶から指示が飛び、どうにか均一に分かれてはいったが。

 

 

 それと、ゴーレム3体に質問攻めをしている生徒も意外と多かった。整備科志望者が多い以外にも、先程のチームプレイに感銘を受けたのだろう。

 

《「コツ」ト言エルカ分カリマセンガ、相手ノ嫌ガル事ヲスルト効果的デスヨ。ソウイウ意味デハ、相手ノ情報ヲ集メル必要ハアリマス》

《ソレト射撃兵装デスガ、威力ヤ取リ回シノ良サナラビーム兵器ノ方ガ上デス。シカシ実弾兵器ノ方ガ種類モ豊富デスシ、戦術的ニハ相手ニ読マレニクイデス。何ヨリ整備ガ楽カト》

 

 殆どゴロが回答していたが。

 先程からのやり取りも踏まえて、段々とゴーレム3体の関係性や性格が無駄に解ってきた生徒たちであった。

 

 

 

 昭弘も、生徒たちからの要望や質問に答えられる範囲で答えていた。

 

 しかし、またしても昭弘の視界に長い銀髪が飛び込んで来る。観客スタンドでの光景の焼き回しの様に、1人暇そうにしている。

 今朝の出来事を考えれば、1組の生徒が近寄らないのも頷ける。そうでなくとも、あれ程に誰も寄せ付けない雰囲気を醸し出されては2組の生徒でも近付くのに難儀する。

 

───私に構わないでくれないか?

 

 ラウラの言葉を思い出す昭弘。

 しかし本人の要望とは言え、それを大人しく聞き入れる程昭弘のお節介は生易しくない。クラス内で孤立する事が、本人にとっても周囲にとっても良い影響を与えない事は昭弘も何となく理解している。

 

 ()()()()()()()()()()()のだが、昭弘は未だその事に気付いていない。

 

「すまん相川、ちょっと待っててくれ」

 

 そう言うと、昭弘は暇そうに座り込んでいるラウラに再度近付く。

 ラウラはそんな昭弘を見て渋い顔をすると、気ダルそうに口を開く。

 

「…ほっとけと言ったろうが」

 

「…ちょっと手伝ってくれ」

 

 突然の申し出に、ラウラは「あ?」と苛立ちを含みながら短く威圧した。

 

「オレはIS操縦者じゃない。戦術や感覚面なら教えられても、ISに関するより突っ込んだ部分となるとそうもいかん」

 

 口実の為に言ったその言葉は、然れど事実であった。どの道先程のままでは、いずれ教えるのに限界が来ていた。

 

「教えとは乞うものだろう?何故私から教えに行かねばならん」

 

 大人が好みそうな正論でラウラは突っ返すが、昭弘は尚も食い下がる。

 

「だから今こうしてオレが教えを乞いている」

 

「雌共の代わりにな」

 

「そう言う訳じゃない。…頼む、無学なオレを手伝ってくれ」

 

 そう言って昭弘は頭を下げる。

 

 そんな昭弘を、ラウラは真っ直ぐに見つめる。その普段より深い紅を帯びた瞳は、少しばかりの驚きが潜んでいる様にも見える。何故自分如きに頭を下げてまで頼み込むのか、と。

 

「……少しだけだぞ」

 

「恩に着る」

 

 ラウラの渋々とした返事に対し、昭弘は更に深々と頭を下げる。

 

(頼まれたからにはしょうがない。それに、教官の前で駄々を捏ねる訳にも行くまい)

 

 

 

 昭弘は臨時指導員として、ラウラを皆に紹介する。

 

「皆すまない。やはりオレだけじゃ指導には限界があるんで、急遽ボーデヴィッヒに助っ人を頼んだ」

 

 他の専用機持ちは生徒の指導でいっぱいいっぱいだ。昭弘の人選は相川たちも納得していた。

 しかしどこからどう見ても不機嫌なラウラを見て、不安を覚えない筈もなく。

 

「心配すんな。ボーデヴィッヒはこう見えて結構良い奴だ」

 

 それは、彼女たちの不安を紛らわせる為の一言に過ぎなかった。

 しかし昭弘の何気無い一言は、ラウラの胸中に深々と染み込んだ。

 

(…「良い奴」か。部隊以外の奴からそう言われるのは初めてかも知れんな)

 

 心の中でそんな感慨に浸っていると、ラウラは自然と溢れそうになる笑みを堪えた。

 

 

 ラウラが加わった事で、相川たちへの指導はよりスムーズに進んだ。

 

《ど、どうだった?》

 

 空中機動を終えた谷本が打鉄を纏ったままラウラに訊ねると、ラウラは先程の気だるげな雰囲気を微塵も感じさせずに答える。

 

「軌道が単調すぎる。それでは戦闘機と変わらん。もっと脚部スラスターを有効活用しろ。自身の脚でより複雑な軌道を生み出す為のソレだ。そうだな…暫くは脚部スラスターだけで飛んでみて、慣れて来たら背部スラスターを織り交ぜてみろ」

 

《う、うん!》

 

 谷本が快活に返事をすると、ラウラは他の生徒たちに向き直る。

 

「皆、ISにおけるスラスターと言う物を勘違いしている節がある。戦闘機と違い何故其々脚や背中等、全く別の位置にスラスターが付いていると思う?」

 

 そこでラウラは一旦区切ると、人指し指で自身の側頭部を軽く2回程突く。

 

「脳だけでコントロール出来るからだ。例えば右脚部スラスターをどれ程吹かして背部スラスターをどれ程抑えるかと言ったエネルギーの微調整は、手動では限界がある」

「ISがあんな形をしているのも、各スラスターを脳で自由自在に操るのに人型が最も適しているからだ。背中で加速し両脚で泳ぐ…どうだ?実際イメージし易いだろう」

「各員次からは、その事を念頭に入れて飛ぶように」

 

「「「「「ハイッ!!」」」」」

 

 少女たちの返事に、最早先程の不安は見え隠れしていなかった。

 ラウラの教え方に感心していた昭弘も、彼女たちに合わせる様に気持ちを切り替える。

 

 しかし、谷本が再びラウラの元へ駆け寄る。笑顔のまま顔面スレスレの所まで急接近されたので、ラウラは軽く驚いて後退りしてしまう。

 

「ボーデヴィッヒさんって「見掛けに依らない」って良く言われるでしょ?」

 

「あぁ?どう言う意味だ?」

 

「御想像にお任せしまーーす♪」

 

 脈絡も無しに言いたい事を言い終えた谷本は、今度こそ鎮座している打鉄に向かって行った。

 

 ラウラはむず痒い気持ちに襲われながらも、そのまま普段通りを装い続けた。

 

 

 

 合同演習終了後。

 後片付けの最中、ラウラは昭弘の元へヅカヅカと無遠慮に向かって来る。

 

「オイデカいのッ!今度こそこれ以上私に構うなよ!?」

 

「…」

 

「聞いてるのか!?オイッ!」

 

「…」

 

 

 

───3時限目終了後───

 

「ボーデヴィッヒ、トイレが何処か分かるか?」 「知っている。失せろ」

 

「じゃあ男子用のトイレは?」 「知っている。失せろ」

 

「食堂は何処か知ってるか?」 「知っている。失せろ」

 

「さっきの授業で何か解らない所はあるか?」 「無い。失せろ」

 

 

 

───昼休み───

 

「しつこい奴だなお前は本当にィッ!」

 

「そう言うなって。一緒に昼飯食おうぜ」

 

「断ァる!」

 

「アナタたち!廊下を走らないの!」

 

「「すいません!!」」

 

ダッダッダッダッダ……

 

「走るなっつってんだろがぁッ!!」

 

 

 

───屋上───

 

 正にピクニック日和と言い切れる青空の下、一夏たちはシャルルを誘って昼食を摂っていた。

 シャルルは最初こそ遠慮気味であったが、一夏たちのお蔭か大分笑顔が目立つようになっていた。

 

 そんな中、箒だけはどうにも浮かない顔を滲ませていた。

 

(…一夏と2人きりと思ったらこれだ。昭弘も居らんしな…って何故そこで昭弘が出てくる!?)

 

 箒の無意識な寂しさにまるで同調するかの様に、一夏も憂色を含んだ声を上げる。

 

「やっぱ昭弘が居ないと締まらないよなぁ。大黒柱がポッカリ抜けたと言うか」

 

 またしても昭弘の事に意識を向けている一夏に対し、鈴音とセシリアが憤慨する。

 

「アタシらじゃ不満だっての?」

 

「全くですわ。それに大黒柱なら一夏の方が万倍相応しいですわ」

 

 威圧的な鈴音とセシリアに対し、一夏は尻込みしてしまう。女性に対して弱腰になってしまう所は、彼の悪癖の一つだ。

 急変してしまった雰囲気に飲み込まれたシャルルの笑顔は、再び不安に覆い尽くされてしまう。こ奴らのコレはいつもの事なので、そんなに怖がる事でもないのだが。

 

 

 すると不穏な雰囲気をリセットするかの様に、屋上に続く扉が開く。そして、中から誰もが知っている見知った巨漢がヌルリと現れる。

 

「「昭弘!」」

 

 箒と一夏が、待ってましたを声に出すまでも無く身体中に纏いながら昭弘に駆け寄る。先ずは何故汗だくなのか訊こうとするが、昭弘からの質問が一歩早かった。

 

「ボーデヴィッヒが来なかったか?」

 

 その質問を受けて箒も一夏も同じように固まってしまうが、その後の反応はまるで異なった。

 

「いや、来ていないが?」

 

「…」

 

 ごく普通に答える箒に続く様に、シャルルたちも首を左右に数回振る。

 しかし、何故か一夏は不機嫌そうに目を背けるだけであった。一夏の反応が気懸りだった昭弘だが、一先ず事情を説明することにした。

 

「アイツを昼食に誘おうと思ったんだが、逃げられちまってな」

 

「それは御愁傷様ですこと」

 

 セシリアが若干皮肉交じりに返したタイミングで、一夏も表情を切り替えて昭弘に昼食を摂るよう促した。

 昭弘はもう一度ラウラを探そうと一瞬考えたが、空腹がそれを許してはくれなかった。

 

 

 売店で買っておいたチキンバーガーを勢い良く頬張る昭弘に対し、鈴音が呆れの混ざった声で軽く訊ねる。

 

「アンタも物好きと言うか、お人良しよねぇ。ボーデヴィッヒって、SHRでいきなり一夏をブン殴ろうとした奴でしょ?」

 

 どうやら、ラウラの蛮行は1組以外のクラスにもしっかり認知されている様だ。噂話を媒体として。

 昭弘は「それがどうした?」と言わんばかりに、ラウラの悪印象を修正しようとする。

 

「未遂で終わったんだ、大したことじゃ無い。皆、何時までも気にし過ぎなんじゃないのか?」

 

 実際、谷本や相川はもう大分ラウラに懐いている。

 しかし、ここぞとばかりにセシリアが鈴音の側に付く。相変わらず、昭弘とは色々と合わない様だ。

 

「お前が止めていなければ、奴は確実に一夏を殴り抜いていましたわ。そんな危険人物、警戒しない方が可笑しくてよ」

 

「…オレが止めなくたって、アイツは途中で拳を止めてたさ」

 

 昭弘にしては根拠に欠ける言い分に、鈴音とセシリアは瞼を細めていた。

 

 誰の目から見てもラウラを庇っている昭弘に対し、箒は出来る限り中立を装って訊ねる。

 

「何故そこまでしてアイツを構うのだ?転校生なのだから親身に接するのは解るが…本当にそれだけか?」

 

 箒の鋭い観察眼に、昭弘は感服する。

 

 そう、昭弘がラウラを構うのは単に転校生だからという理由だけではない。恐らく彼は重ねてしまっているのだ。ラウラに、今は亡き弟である「昌弘」の面影を。

 当然、外見が似ている訳でもないし性格も掛け離れている。しかし孤独を貫き通そうとするラウラを見ていると、どうしても弟の「死に際の表情」がチラついてしまうのだ。

 家族を殺され、「奴隷(ヒューマンデブリ)」として売り飛ばされてきた弟。そしてとうとう新しい家族を得る事も叶わず、最後に昭弘の姿を瞳に焼き付けて息絶えた。

 そんな死ぬ間際、昌弘が何を想っていたのか昭弘には解らない。

 

 確かな事は、昌弘が絶望的なまでに永い間孤独を味わっていた事だけ。

 ラウラにもそんな思いをさせたくはないという身勝手な感情が、昭弘を激しく突き動かしていたのだ。

 

 

 しかしそんな想いと同じ位大きな感情が、昭弘の中で確かに芽生えつつあった。昭弘はその感情を惜しげも無く、箒に対する答えとする。

 

仲良くなりたいのに、理由が必要か?

 

 飾り気の無い一言だった。

 しかし、箒は珍しく笑みを零しながら昭弘の答えを受け止める。

 

「…ならこれ以上、私もとやかく言えんな」

 

 箒も同じだ。昭弘たちとは今後も仲良くしていたいし、1組の皆とももっと仲良くなりたいと思っている。そこに理由や打算なんて無い。

 だから昭弘のそんな単純にして明確な答えは、箒が最も聞きたかった答えだ。

 

 他の3人も、昭弘の言いたい事に自然と理解を示した。解らないが解ると言う具合に。

 

 しかし一夏だけはどこか表情に“影”を落としていたのを、昭弘は見逃さなかった。

 

 

 その後、鈴音が自作の酢豚を一夏に食べさせた事により、箒・鈴音・セシリアの間で軽い諍いが起こった。その結果として、セシリアが一夏に「自作のBLTサンド」を分け与える事になったのだが……。

 

 これ以上は、一夏の為にも明記しないでおく。

 その後真相を確かめるべく味見した昭弘が、小姑の如く甘いだの甘すぎるだの脳に味噌じゃなく砂糖が詰まってるのかだのとセシリアへ罵声罵倒を繰り出したせいで、普段通りいや普段以上のいがみ合いが発生したとだけ伝えておく。

 

 

 

 

 

───5時限目終了後───

 

「ボーデヴィッヒ、結局昼食はちゃんと済ませたか?」 「済ませた。失・せ・ろ」

 

「部屋番号は?」 「『212号室』だ。失・せ・ろ…ってしまった!」

 

 

 こうして、昭弘にとって長いようで短い学校が今日も過ぎていった。

 

 

 そしてこの日が波乱の一端に過ぎないという事を、昭弘は何となく察していた。




責任者だからって色々と好き放題やっちゃうチッフでした。ゴーレム辺りはTNP悪くならない様に、出来るだけ不自然無く削ったつもりです。
あと、今回大分昭弘をハッチャケさせてしまいました。まぁでも声のトーンは普段通りだからセーフって事で・・・許して貰えませんか・・・。
ラウラは、一応原作通りっぽくしたつもりでしたが、まぁチョット優しさ20%増し位にしました。
一夏はこっからどんどん精神的に病んでいっちゃいます。無論、病んだまま終わらせはしませんが。


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第18話 少年と少女の正体

何となくどちらが男か察している人も多い気がするので、もうこの回で正体をバラしてしまおうと思います。
普段よりも変態的な描写が多い気がするので、そう言うのが苦手な人はご注意を。


───5月9日(月) 20:43 212号室前───

 

 ラウラとシャルルがIS学園に転校してから、漸く1日が過ぎようとしていた。

 

 昭弘は放課後の訓練を終えた後、ラウラが5時限目終了時にサラっと口にした「212号室」前まで赴いていた。

 他の部屋と何ら変わりない扉を前にして、昭弘は立ち止まる。今部屋に居るだろうか、居たら追い返されるだろうか、ルームメイトは誰であろうか。数秒間の沈黙でそんな事を思い浮かべた後、昭弘はインターホンに翳していた指に力を加える。

 

ピィィン…ポーーーン

 

 重々しいチャイムが部屋の内外で異なる音を奏でた直後、子機のスピーカーから少年の様に若々しい声が機械音と交わりながら漏れる。

 

《…ちょっと待ってろ》

 

 子機に備え付けられたカメラで昭弘を確認したラウラは、何故か疲れ果てた声でそう一言だけ述べた。

 その時、微かに黄色い声が混じっていたのを、昭弘は聞き逃さなかった。

 

 そうして玄関扉が内から開かれた。

 直ぐ下に視線を移すと、寝間着姿の小柄な生徒が疲労を滲ませた顔を隠そうともせずに昭弘を見上げていた。シャワーも既に浴びたのか、長い銀色の髪は目視で確認できる程度には湿っていた。

 その目は、昭弘の到着を待っていた様にも見えた。

 

「上がれ」

 

「…邪魔する」

 

 随分すんなりと自身を上げてくれた事に疑問を抱く昭弘であったが、そんな疑問を一旦隅に追いやってラウラに続く。

 

「あっ!こんばんはー昭弘さん」

 

「あ…こ、こんばんはアルトランドさん…」

 

 部屋には1組のクラスメイトである相川と、同じく1組のクラスメイトである『鏡ナギ』が既に寝巻姿のまま我が物顔で寛いでいた。

 鏡はショートヘアーの相川とは対照的に、黒髪ロングで椿色のヘアピンを付けていた。相川とは違い整備科志望の彼女だが、昭弘には未だ苦手意識を持ち合わせている様子。

 

「悪いな邪魔して。どっちがボーデヴィッヒのルームメイトだ?」

 

 昭弘が今頭の中に浮かべている疑問点を相川に訊ねると、相川は腕を組んで得意げな表情をする。

 

「聞いて驚かないで下さいよ?何とッ!私とナギとラウラ!3人で一部屋扱いなんですよぉ!」 「名前で呼ぶなと言っている」

 

 何故3人部屋なのか昭弘が訊ねようとする前に、相川がこれまた得意げに答える。

 

「ラウラとシャルルくんって、急遽入学が決まったじゃないですか。空き部屋なんてどこにも無いって話で、私たちの部屋に捻じ込む事になったんですよぉ!」

 

 つまり元々212号室は、相川と鏡の部屋だったのだ。

 実際IS学園学生寮の部屋は、流石と言うか2人部屋とは思えない程広く設計されている。実際この3人部屋は、昭弘から見ても手狭には思えない。

 

「私としては勿の論大大大歓迎ですよぉ!」

 

「3人部屋の方が楽しそうだしね」

 

 相川も鏡も、3人部屋にはさして抵抗が無い様だ。

 しかし、当のラウラは抵抗感剥き出しでぐったりとしていた。煩くて敵わないのだろう。

 

「お前を部屋に上げた理由も、こいつらの話し相手をして欲しかったからだ」

 

 ラウラの気ダルげな苦情に、相川が駄々を捏ねる。

 

「ヒッドォーーイ!」

 

「ラウラ?清香から「お喋り」を抜いたら「スポーツ観戦」しか残らなくなっちゃうから、大目に見てあげて?」

 

 彼女たちの反応に舌打ちを大きく鳴り響かせながら、ラウラは踵を返して移動する。

 

「小便」

 

 そこまで言うと、ラウラは洗面所のドアを乱暴に閉める。

 

 昭弘はラウラが戻って来る迄の短い間、彼女たちと何を話すか考えていた。相川は兎も角、鏡とは接点が殆ど無いので中々話題が口から出て来ない。

 

 そんな中最初に口を開いたのは、やはり双方と親しい相川であった。

 

「そう言えばラウラって、結局「どっち」なんですかね?」

 

 すっかりラウラの性別の事を忘れていた昭弘は、相川の素朴な疑問に脳を揺すられて思考がSHR時にまで戻る。

 

ガチャッ

 

 ラウラはドアを開けた後、ノソノソと自身のベッドに向かって行った。

 

 そんなラウラの行動に昭弘は何も思うことは無かったが、女性である相川と鏡は不審な点を見つける。

 そしてとうとう、相川が自身の持つ疑問点を口にする。

 

「…トイレ…早くない?1分も経ってなかったよ?」

 

 ラウラはその疑問の意味が解らないまま、返答する。

 

「さっき“小便”と言った筈だが?」

 

「いやそうじゃなくて!普通「お花摘みに行く」時、ほら…その…“拭く”なり何なりで、2分近くは掛かるじゃない?」

 

 少々恥ずかしそうにしながら、相川はラウラとの会話を噛み合せるべくそんな事を口にする。

 相川の言っている意味を何となく理解したラウラは、さも当たり前の様に答える。

 

「それは“女”であるお前たちならばの話だろう?」

 

 ラウラの返答を聞いて、3人共ほぼ確信を持った。そして重力が反転する程の混乱が、彼女たち2人の脳細胞に襲い掛かる。

 

 そんな彼女たちを余所に、昭弘は今一度洗面所に連れて行こうとラウラの左腕を鷲掴みにする。

 

 

 有無を言わせず自身を洗面所へ連れてきた昭弘に対し、ラウラの機嫌は斜めどころか垂直に角度を変えていた。

 昭弘はそんなラウラに臆する事無く、自身の中で渦巻いている疑問を口にする。

 

「単刀直入に訊くがお前……“男”か?」

 

 その一見馬鹿馬鹿しい質問は、昭弘にとってはこの上無く重要なモノであった。

 しかしラウラにとっては一見通り余りにも下らなさ過ぎる問い掛けであったので、声に更なる苛立ちを募らせながら答える。

 

「男に決まってるだろ阿呆か?」

 

 自身の予想があっさりと当たってしまい、長く重い溜息を吐いてしまう昭弘であった。別に男がいい女がいいと言う趣向はこの男には無いのだが。

 しかし()()()()()()()を確認すべく、気持ちを直ちに切り替える。

 

「全裸になれ」

 

「は?」

 

 ラウラは右耳を前方に傾けながら、昭弘の発言の正当性を求める。

 

「悪い訂正する。“男性器”を見せろ。お前が“男”であると言う確証が欲しい。明日何か奢ってやるから…」

 

「チッ…まぁ良いだろう。言葉をそのまま鵜呑みにするのは無能の所業だ。「確認」は大事だからな」

 

(良いのか…)

 

 意外な程あっさりと、ラウラは昭弘の要求に応じる。昭弘からお願いしておいて何だが、やはりどこかズレた奴である。

 そして何の躊躇も無く、股間のファスナーを勢い良く下げる。この「男に対する恥じらいの無さ」も、ラウラが“男”であると言う確証になり得た。

 

 そして社会の窓からチョコンと姿を覗かせている「肉の塊」を、昭弘は然と目に焼き付けた。

 もう間違いは無い。『ラウラ・ボーデヴィッヒ』は歴とした“男性”だ。

 

 ラウラに言っておきたい事、訊きたい事は山程ある昭弘であったが、一先ずは彼女たちに真実を伝えるべくラウラと共に洗面所を出る事にした。

 

 

 

「……嘘…ですよね?」

 

「ハハハ!まっさかぁ!」

 

 相川と鏡の反応は多少異なっていたが、「信じられない」と言った思いは一致している様であった。

 

 そんな2人の反応を掻き消すが如く、昭弘は冷徹に真実を突き付ける。

 

「間違い無くボーデヴィッヒは男だ。洗面所で“男性器”を確認済みだ」

 

 昭弘の口から発せられた重低音が、彼女たちの耳を通じて身体全体で幾重にも響き渡る。彼女たち2人は唯唯黙り込み、まるで時間が静止したかの様に身体を硬直させてしまった。

 そんな重苦しい雰囲気をまるで意に返す事なく、ラウラは呆れ果てる。

 

「何だ貴様ら、今の今迄私を女だと思っていたのか?」

 

 そんなラウラの反応に対し、ここぞとばかりに昭弘が口を開き始める。お前な普通そう思うだろうと。

 

「長い髪に、華奢な身体、高い声に「私」っつー一人称。おまけに…同性にこう言うのは気恥ずかしいが、顔立ちも整っていると来た」

 

 昭弘の長ったらしいクレームに対し、ラウラも又長々と正当性を主張し返す。

 

「制服はちゃんとズボンをはいているだろう?抑々私は軍人だからな。軍人たるもの、一人称から口調まで常日頃から厳然たる態度で居なければなるまい。髪は元々切る習慣が無かったんでな。体つきや顔立ち、声帯に関しては最早どうしようもない。抑々、ちゃんと学園には「男子生徒」として籍を置いているぞ?気付かない貴様らが悪い」

 

 思い起こしてみれば、ラウラが男であると言う兆しの様なものはあったのだ。

 1時限目前の着替えもとっとと教室で着替えたのではなく、単に先に移動して男子更衣室で着替えただけの話だ。2時限目終了時の着替えも、後片付けを上手くサボって先に男子更衣室で着替えたのだろう。それに男子用のトイレも、何故かしっかり把握していた。

 籍に関しては、余りに急過ぎる転入のせいで生徒一同確認するどころでは無かった。外見が女の子っぽいから、皆そうであろうと思い込んだのだ。

 部屋割りについても同様で、最早協議する猶予すら無く殆ど適当にブチ込んだと言うのが現状だ。

 

 昭弘もその気になればあっさりと確認の許可を取れたのだろうが、途中で性別云々に関しては後回しを選んだので今回の様なタイミングで気付かされてしまった。

 

 そんなことを思い返していた昭弘は、未だに硬直している相川と鏡に再び向き直る。

 

 無理も無い。1日とは言え、ずっと同性の同級生として接していたのだ。ショックを覚えない事は無いだろう。

 そう思いながら、昭弘は彼女たちに何と言えば良いのか模索し始める。

 

 

 しかし昭弘が話し掛けるより前に、何やら彼女たちはブツブツと呟き始める。

 

 そんな彼女たちを不審に思った昭弘とラウラは、目を細めて耳を傾けてみる。直後。

 

「「超絶美少年」」

 

 相川と鏡はお互いに向き合いながら、まるで確認するかの様にそんな単語を発した後、発狂した。

 

「キタァァァァァ!!!まさかの転校生がどっちも男子ッ!!どっちも美少年!!」

 

「神様…貴方様は本当に存在したのですね…。これで『鏡ナギ』主人公の「逆ハー恋愛小説」が完成されます…」

 

 相川は奇声を発し、鏡は合掌しながら天井を天上と見立てる様に仰ぎ見ていた。

 

 そんな2人を昭弘とラウラは、先程よりも2歩引いた場所からお互い同様に顔を歪ませながら唯々見ていた。

 

「……オイアルトランド」

 

 満身創痍な状態で、ラウラは辛うじて声を絞り出す。

 

「今日一日だけで良いお前の部屋に私を泊めてくれ頼む一生のお願いだ」

 

 ラウラが心の奥底から息継ぎせず懇願すると、昭弘はラウラの左肩に掌を静かに乗せながらその願いを聞き入れる。

 

 そうして2人は未だに騒いでいる相川と鏡に気づかれぬ様忍び足で後ずさり、その狂った空間にそっと蓋をする。

 

 

 

 昭弘の部屋である130号室に上がり込んだラウラは、先ずその部屋のまるで夢に出てきそうな現状に絶句する。

 見渡す限り鉄、鉄、鉄。居るだけで目眩を覚える程の夥しいトレーニング器具が、其処にはあった。

 

 

 自身の部屋にラウラを招き入れた昭弘は、先ずクローゼットから「寝袋」を取り出す。

 

 どうやら先日一夏たちとレゾナンスに赴いた時、昭弘もちゃっかりと買い物に精を出していた様だ。

 

「何か飲むか?」

 

 昭弘の気遣いに対し、ラウラは素っ気なく答える。

 

「もう寝る。寝袋、ありがたく借りるぞ」

 

 ラウラは寝袋を近くのソファにセットし、アイパッチを外すと直ぐ様両足から身体全体を突っ込む。既に歯磨きも、昭弘が212号室へ来る前に済ませてある。

 にしても、疲れているのは本当の様だ。慣れない学園生活の初日でしかも昼休みには昭弘と全力疾走で追い駆けっこをしたのだから、当然と言えば当然だが。

 

 昭弘はラウラが眠りに就く前に、訊いておくべき事を幾つか声に出す。

 

「さっき「軍人」って言ってたが、その年でも入隊できるもんなのか?」

 

 昭弘の疑問に対し、ラウラは若干眠気を帯びながらも答える。

 

「私の場合は色々と特殊なんだ。長くなるから詳しくは言いたくないが、『試験管ベビー』とだけ教えておこう。それ以上は面倒だから聞くな」

 

「…そうか」

 

 『試験管ベビー』。

 昭弘も束から聞いたことはある。確か、文字通り試験管の中で人工的に生み出された子供だ。クロエと同じ様に。

 

 クロエの研究所での境遇を束から聞かされている昭弘は、ラウラの出生を知って居た堪れない気持ちになる。少なくとも、人並みの生活を送れなかった事は間違いないだろう。

 もしかしたらラウラとクロエが少し似ている点も、何か関係しているのかもしれない。

 

 出来ればその辺りをもっと詳しく訊きたい昭弘だが、本人に言われた通り今は訊かないでおいた。自身の疑問よりも、ラウラの睡眠を優先すべきだ。

 

 昭弘は気持ちを切り替えて、次なる話題に移る。

 

「それと、デュノアの事なんだが…」

 

 そう、クロエの話に寄ると男性IS操縦者は転校生2人の内1人だけ。その男性IS操縦者がラウラであると判明した今、シャルルは必然的に女性であると言う事になる。

 

「あの女がどうかしたのか?」

 

「…やっぱりお前も勘づいていたのか。デュノアが女だって」

 

 少し驚く昭弘を、ラウラは鼻で笑う。

 

「あの程度一目で判ったぞ。この学園の女共は、余程男に飢えていると見た。瞳に「願望」と言う名のコンタクトレンズでも着けてるんじゃないか?」

 

 随分と辛辣な言い様ではあるが、その冗談混じりな予想は恐らく正しい。

 日々異性に飢えている彼女たちは、「男子」と言う甘美な響きを耳にしただけで視界に都合の良いフィルターを掛けてしまったのだ。

 

 昭弘は心中で同意した後、本題に入る。

 

「デュノアの性別をバラすのか?」

 

 昭弘の簡単ながらも真摯な問いに、ラウラはどうでも良さげに答える。

 

「まさか。性別を偽って転入したと言う事は、要するにIS学園を騙している事に他ならない。そうなると国家ぐるみで騙しているか、国家そのものを騙しているって事になる。どちらにしろ国際犯罪だ。そんなのに巻き込まれるのは願い下げだからバラさん。「触らぬ神に祟りなし」だ」

 

 昭弘の漠然とした嫌な予感は、どうやら的中してしまった様だ。

 

 この時の昭弘には、シャルルを「何とかしてやりたい」と言う思いは薄かった。

 それよりも「彼女と行動を共にしている一夏の安否」「性別を偽る目的」「背後関係」等々、そんなことばかりが気に掛かった。それもその筈で、昭弘は彼女がどういう人間なのか未だ何も解っていないに等しいのだから。

 ラウラ程冷淡ではないにしろ、シャルルの事で熱くなれると言われれば嘘になるのだ。

 

「取り敢えず、お前のお蔭でデュノアは想像以上に「ヤバイ存在」だと言う事が判った。ありがとよ」

 

「…フン」

 

 ラウラの突っ慳貪な返事を聞いた後、昭弘はさっきから感じている達成感をそのまま口に出す。

 

「にしてもお前、随分と喋る様になったんじゃないか?そろそろオレも気に入られてきたって事か?」

 

 そんな昭弘の言葉を、ラウラは口調を荒げて否定する。

 

「勘違いするな!」

 

「そうかい」

 

 昭弘が適当に返すと、ラウラは少しばかり訂正するかの様に再度口を開く。

 

「…部屋に泊めてくれた事は、本当に感謝している」

 

「オレもお前のイチモツを見ちまったからな。お相子って奴さ」

 

 昭弘が似つかわしくない軽口を叩くと、ラウラは小さな笑みを溢した。

 

 その後暫くの間沈黙がその場を支配するが、何を思い出したのか昭弘は唐突に口を開く。

 

「もう1つだけ訊きたい事があったんだ。…お前と一夏はどういう…」

 

 しかし、ラウラが夢の世界に招かれる方が僅かに早かった。どうやら、先程の沈黙は再び物事を訊ねるには長過ぎた様だ。

 目が覚めている時の鋭い眼光は鳴りを潜め、其処には少女の様に純真無垢な寝顔だけがあった。アイパッチを外している事も相俟って、瞼を閉じた姿は尚更クロエの佇まいと重なる。

 

 そんなラウラを眺めていても仕方ないので、昭弘もシャワーを浴びて寝る準備をする…訳にも行かず、課題に全く手をつけていない現実に気付く。

 

 自身の怠惰を嘆きながらも、ラウラとの距離を僅かに縮められたと思い込む事で「負の感情」を半ば無理矢理「正の感情」へと引き上げた。




鏡さんも整備科志望にしときました。

あとすみません、昭ラウ(♂)に時間を割きすぎましたね。次回からはちゃんとシャルも描写していけたらいいなぁ。


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第19話 周囲に映る2人、昭弘に映る2人

シャルと昭弘を絡めるのが非常に難しかったです。


─────5月10日(火) 130号室前─────

 

 普段通りの廊下、普段通りの学生服で、一夏は普段通りの登校をすべく部屋のインターホンに指を翳す。

 唯一普段と異なる点は、彼の隣に居る「新しいルームメイト」の存在だろうか。

 

ピィン…ポーーン

 

 チャイムを内外に響かせた後、一夏の新たなルームメイトである『シャルル』が他愛もない質問を繰り出す。

 

「一夏っていつもアルトランドくんと登校してるの?」

 

 そんな質問に、一夏は喜色を滲ませながら答える。

 

「ああ!昭弘と登校しないと一日が始まんねぇよ。オレにとっちゃ「兄貴」みたいな存在だからな」

 

 一夏の喜々とした返答に対し、シャルルは温和に微笑む。

 

 2人が雑談を繰り返していると、気が付けばドアの開閉音と同時に見慣れた巨漢が姿を半分ほど覗かせていた。

 

「おはよう。待たせたな、一夏…ん?」

 

 昭弘は、本日も一夏の隣に黒髪の大和撫子が居ると想定していた。しかし、居るのは金髪の貴公子(女)であった。

 呆気に取られる昭弘を見かねて、一夏は新たなルームメイトの紹介に入る。

 

「昨日からシャルルがルームメイトになったんだよ。男同士、オレと相部屋にしようって事になってさ。箒には部屋を移動して貰ったんだ」

 

 一夏が何食わぬ顔のまま説明を終えるが、箒が猛反発したであろう事を昭弘は直ぐ様予想してしまった。

 

 彼女には可愛いそうだが、何時までも年頃の男女を同じ部屋にしておく訳にも行かない。…と言っても、シャルルの性別を鑑みると()()()()()()()()()()のだが。

 

 昭弘は居辛そうに引き攣った笑顔を浮かべるシャルルに対し、疑念で塗り固められた瞳を一瞥だけ向ける。

 思い起こしてみると、シャルルは基本ずっと一夏の傍に居る。男性同士ならそれも納得だが、シャルルは女性だ。

 男性として性別を偽り、一夏に近づく理由は何なのか。そう考えると部屋替えに関しても「シャルルの意図が絡んでいるのでは」と、昭弘はつい頭を巡らせてしまう。

 

「早く出ろ」

 

 昭弘の熟考を、子供の様に高い声と自身の脹脛への軽い衝撃が遮る。爪先で軽い小突きを繰り出したのは、昨晩から昭弘の部屋に泊まり込んでいる『ラウラ・ボーデヴィッヒ』であった。

 

 

 一夏の瞳に、薄気味の悪い『銀色の髪』が僅かに映る。全身は未だ昭弘の影に隠れてはいるが、その吐き気を催す様な「憎たらしい声」も合わされば嫌でも誰なのか判る。

 しかもあろう事か、そいつは何故か昭弘の部屋から出て来た。

 

───何だこいつ。何時から昭弘とそんなに親しくなった?『千冬姉』だけじゃ無く『昭弘』まで手籠めにする気か?

 

 一夏は隣に居るシャルルの事など気にも留めずに、ラウラの全身が現れたと同時に問い質す。

 

「何でお前が昭弘の部屋に居るんだよ」

 

 普段の明るげな雰囲気は一変し、低く威圧的にそう訊ねる一夏。しかしラウラはその質問に答えず、一夏の顔を見て普段の無表情を歪ませる。

 

「アルトランド、何でこいつが部屋の前に居るんだ?」

 

 ラウラは針の様に人差指を一夏へ向けたまま、怠さ全開な表情で昭弘にそう訊ねる。

 

「何でって…さっき「一夏たちと一緒に登校するが、構わないか?」と言ったろう。んでお前は首を縦に振っ……寝ぼけてたな?」

 

「…」

 

 恐らく肯定の意思であろう無言で返すラウラに、昭弘は呆れを高濃度に含んだ溜め息を吐く。

 

「お前一応「軍人」だろうが。朝に弱くてどうする」

 

「軍人にだって得手不得手はある。大体、寝起きでそんな事を訊ねてくる貴様にも非はある」

 

 昭弘とラウラが言葉で小競り合いに興じているのを見て、一夏は先程以上に苛立ちを募らせていった。自身の質問を完全に無視された上、昭弘と親し気に喋繰っているのがどうやら癇に障った様だ。

 一夏は、尚も口調を荒げてラウラに訊ねる。

 

「オイッ!先ずはオレの質問に答えろよッ!」

 

 怒声に近い一夏の一声を聞いて、シャルルの困惑は混乱へと突き上げられる。温和な雰囲気が、ラウラが現れた途端に一変。その急過ぎる空気の変動に、シャルルの頭は付いて行けなかった。

 

 昭弘も当惑していた。その剣幕はどこからどう見ても、昭弘の知る普段の一夏ではなかった。

 

 ラウラはと言うと、余りにしつこい一夏に嫌気が指したのか場の雰囲気がやり切れなくなったのか、後頭部を少し掻きながら次の様に言い放った。

 

「アルトランド、やはり私は一人で登校しよう。適当にその辺をプラついてくる」

 

「ボーデヴィッヒ…」

 

 昭弘が呼び止めようとするも、ラウラはそそくさと早足で出て行ってしまう。

 

 その後数十秒程、3人の間で気不味い沈黙が続いた。

 

 そんな思考すらままならない息苦しい沈黙の中でも、昭弘はラウラの姿が消えた玄関口を未だ見つめていた。その瞳が宿していたのは憂いか遺憾か心配か、それとも悲壮か。将又そのどれでもない「何か」か。

 

 いつも眉間に寄っている昭弘の太い眉毛が、その時だけは「八」の字に近い水平へと力無く横たわっていた。

 

 

 

 

「一夏。さっきのは流石に取り乱し過ぎなんじゃないか?」

 

 寮の玄関口を出てから、最初に言い放った昭弘の言葉がそれであった。

 優しく諭している様にも聞こえるが、普段無口で温和な昭弘の第一声がそれだったのだ。昭弘が結構“怒ってる”ことは、然しもの一夏も理解していた。

 

 当然だろう。先程のラウラに対する一夏の物腰は、誰の目から見ても理不尽そのもの。おまけに未だ不安も多かろうシャルルを、その場に放置してしまった。

 

「……ゴメン。昭弘、シャルル」

 

 一夏の律儀な謝罪を聞いて、シャルルは胸を撫で下ろしながら返答する。

 

「い、いいよそんな事!」

 

 そうは言いながらも疑問が拭えないシャルルは、この機に乗じてラウラと一夏の関係を訊ねてみることにした。

 

「一夏って、過去にボーデヴィッヒさんと何かあったの?」

 

 シャルルに先を越されてしまった昭弘は、無言で耳を傾けるしかなかった。

 

「実際に会った事は無いんだ。千冬姉の事を「教官」って呼んでたから、昔千冬姉がドイツに滞在していた頃の教え子…なんだと思う」

 

 そこまでは昭弘とシャルルも解っている。

 

 気になる点は、一夏がラウラと過去に一度も会った事が無いという点だ。

 そのボヤけた部分の輪郭をはっきりとさせるべく、昭弘が更に切り込む。

 

「なら何故あんなにもアイツを敵視する?確かに初日のSHRで最初に仕掛けて来たのは向こうだが…」

 

 それは昭弘だけでなく、シャルルも感じていた違和感だ。一夏にしろラウラにしろ、初対面であの険悪っぷりはどう考えても普通じゃない。

 昭弘の質問に対し、一夏は打って変わって逃れる様に口籠り始める。

 

「…それは……千冬姉を……」

 

(織斑センセイが何か関係してるのか?)

 

 昭弘が今度は千冬の事について頭を巡らすと、一夏はそれを遮るかの様に続ける。

 

「…悪い。これ以上は言いたくないかな」

 

 まるではぐらかす様に愛想笑いを浮かべながら、一夏はそう言い放った。その言葉を最後に、今日一夏がこの件に関して口を開く事は無かった。

 そんな一夏の曖昧な答えは、昭弘とシャルルに更なる謎だけを残す歯痒い結果となった。

 

 頭の中を蒸す様な重苦しい霧を残したまま、3人は校舎へと歩を進めていった。

 

 

 

─────1年1組 SHR前─────

 

 自身の机に顔を埋めながら、箒は力無く溜め息を吐き出す。彼女自身解っている、そんな事をした所で何も変わらない。口から追い出された空気は、誰の目に留まる事無く四散していくのだから。

 

 らしくもない箒の姿を見かねて心配したセシリアと本音が様子を覗きにくると、箒は重たい首を辛うじて持ち上げる。

 

「…部屋がな…変わってしまったのだ」

 

 箒が2人に与えた情報はそれだけであった。しかし社交性が高く察しの良い2人は、それだけの情報で事の顛末を凡そ把握する。

 一応確認の意味合いも含めて、出来るだけ角が立たぬ様に単語を並べる。

 

「つまり、一夏と一時的(若しくは永久)に別々の部屋になってしまったと。そして一夏の新たなルームメイトは恐らく…」

 

「デュッチーだろうね~。タイミング的に」

 

 奇麗に当てて来た2人に感服する間も無く、箒はまたらしくも無く愚痴を零し始める。

 

「私だって理解はしている。しかしだな!いくら年頃の男女が相部屋とは言え、ある日いきなり部屋を変えるなど横暴も横暴だ!大体昭弘の部屋にブチ込めばそれで済むだろう!?」

 

 上の都合を、儚い感情論で否定していく箒。

 確かに、昭弘とシャルルを相部屋にすればそれで済む話ではある。しかし、昭弘の1人部屋はIS委員会からの指示だ。どうしようもない。

 

「ああもう…どうして私は一夏と一緒に居ちゃいけないんだ…」

 

 先程から興奮したり沈んだりと忙しない箒を、取り敢えずセシリアと本音は宥める。自転車を走らせるには、第一にバランスを整える必要がある。

 

「先ずは落ち着きましょう箒。憤慨しても憂んでも、現実は変わりませんわ。上が決めた事と割り切るしか御座いません」

 

「そ~そ~。部屋が変わってもオリムーとは何時でも会えるし~」

 

 2人の健気な慰めによって多少落ち着きを取り戻した箒だが、日陰の如く薄暗い雰囲気は先程と余り変化が無かった。

 今日1日限りは、そんな状態の箒を優しく照らす様に見守るしかないのかもしれない。

 

 

 程無くして、1組の教室に歓声にも似た黄色い声が響き渡る。一夏とシャルルが教室に足を踏み入れた様だ。2人は大袈裟とでも言いたげに、視線を避けながら席へと着いていく。

 昭弘はいつも通りに、その巨体を悠々と自身の席へ進めていく。

 

 更に2分後、少し遅れてラウラも1組へと入室する。

 先の歓声から生まれた明るさは一変。怯える様にラウラから視線を逸らす者も居れば、異物を見る様な目で睨みつける者も。

 ラウラはそんな周囲の反応を一切気にも留めずに、教室中央付近に位置する自身の席に着く。

 

「ラウラーおっはよう!」 「お早うさーん」 「おはよー。今日も目つき悪いね」

 

 そんな雰囲気を初夏の風で換気するが如く、相川・鏡・谷本らがいつものテンションでラウラに接して来る。

 周囲はそんな3人を心配そうに見つめるが、それは杞憂に終わる。

 

「朝っぱらから喧しい。それと「目つき悪い」とか抜かしたのは誰だ?」

 

 返した言葉自体は威圧的だが、ラウラの口調と言うか目つきと言うか、それらは丸みを帯びていた。

 

「癒子だね」

 

「うわ、あっさり売られた」

 

「どっか行けお前ら…朝は駄目なんだ」

 

 普通な感じでラウラと会話する彼女たち。

 一体どうやってあの問題児と仲良くなったのか皆が考えを巡らしていると、やはりと言うべきかあの巨漢もラウラに近付く。

 

「ッデ!!」

 

 昭弘に手刀を御見舞いされたラウラは、奇声を上げた後頭頂部を抑える。

 

「何するかッ!」

 

 ラウラが不当な暴力を繰り出してきた張本人を睨みつけると、昭弘は当然とばかりに言い放つ。

 

「挨拶には挨拶で返せ。それとクラスメイトに対して「どっか行け」はないだろう。これはその仕置きとお前への眠気覚ましだ」

 

 昭弘の言い分を聞いて、相川たちは軽く吹き出しそうになる口を利き手で押さえる。

 ラウラがそんな言い分で引き下がる訳も無く、赤面しながら昭弘に命ずる。

 

「貴様も頭を向けろ!手刀がどれ程のものかその身体に染み込ませてやる!」

 

「断る。オレは眠くも何とも無い」

 

「おのれぇ…」

 

 そう吐き捨てた後、ラウラは何とか昭弘の頭に手刀を御見舞いしようとする。

 しかし最早大人と子供程の身長差がある昭弘に対し、ラウラの手刀がまともに当たる筈が無かった。昭弘との身長差を埋めるべく小刻みに跳ね回り手刀を繰り出す小動物の様なラウラを、相川たちはケタケタ笑いながら見ていた。

 

 クラス中がそんな光景に困惑と少しの安堵を感じる中、一夏だけははしゃぐラウラに冷ややかな視線を送っていた。動き回るラウラを凍らせるかの様に。

 

 

 

 1時限目が終わった後、相変わらずの難しく濃い授業内容に不機嫌なんて塗り替えられた一夏は、取り留めの無い話を昭弘たちに振る。

 

「さっき授業中なんだけどさ、セシリアがずっと携帯弄ってたんだよ」

 

 その話を聞いて自身の耳を疑った昭弘は、授業中に携帯、あの糞真面目な貴族令嬢が、しかも最前列で、と何度も脳内で復唱する。

 

「…確かか?」

 

 千冬と真耶が気付いていない筈もあるまいに。

 

「確かだって!さっき授業中、気分転換に外の景色見ようと窓の方振り向いたら堂々と携帯弄ってたんだよ」

 

 更に、一夏は先へ先へととんでもない事実を列挙していく。

 

「何より驚いたのがさ“同時”に弄ってたんだよ、机の端末と携帯を。右手でしっかりと板書してて、左手で器用に液晶画面動かしててさぁ。その割には、問題当てられてもスパスパ答えてたし…」

 

 一夏のとんでも発言に対し、昭弘とシャルルは腕を組みながら瞼を閉じる。

 そうして少し考え込んだ後、シャルルが自身の憶測を述べる。

 

「その時偶々、携帯で調べものでもしてたんじゃないかなぁ?」

 

「よりによって鬼のブリュンヒルデの授業でか?」

 

 一夏が尤もな言葉を返すと、昭弘とシャルルはより瞼を力強く閉じながら再び考え込む。だが幾ら捻り出す様に顔面の筋肉を収縮させても、情報が無ければどうしようもない。

 すると、熟考を諦めた昭弘が言葉を吐き出す。

 

「…後で本人に訊いてみるか」

 

「「……うん」」

 

 何かセシリアに特別な事情があるような気がしないでもない3人は、直接訊く事に多少の抵抗がある様だ。

 

 

 その後の授業でも一夏は度々セシリアの座席を一瞥したが、やはりどの授業でも液晶携帯を弄っていたらしい。

 

 

 

─────昼休み 学食─────

 

「ああその事ですの。ちゃんと織斑先生から許可は頂いておりますわ」

 

 恐る恐る訊ねる一夏に対し、セシリアはフォークとナイフによって豚カツを器用に捌きながら何ともない様に答える。

 許可済みなら安心だが、やはり肝心の内容が気に掛かる一同。

 

 味噌汁の御椀を左手に持ったまま、自身の薄暗い雰囲気をどうにかひた隠しながら箒が訊ねる。

 

「…携帯で一体何をしていたのだ?」

 

 セシリアは小さく刻んだ豚カツを口に運んだ後、携帯の液晶画面を見せながら答える。

 

「“計算”ですわ」

 

 液晶には、既に『計算アプリ』のホーム画面が開かれていた。

 

「うわ…(計算嫌い…)」

 

 麻婆豆腐に向かわせたレンゲをその場で静止させて、己の弱点に対し引き攣った表情を浮かべる鈴音。そんな鈴音に構うことなく、セシリアは何故と訊かれる前に自ら説明する。

 

「要は“並列思考”の特訓ですわ。今迄通り授業を受けつつ、それと同時進行でアプリから自動出題された計算を解いていくのです。出題形式は「足し算・引き算・掛け算・割り算」の何れかがランダムに出題されますの。このアプリ、成否に関係無く問題が進むにつれて複雑になってきますので、授業終盤では流石に頭が痛くて仕方がありませんでしたわ」

 

 随分と簡単に言ってのけるセシリアだが、抑々並列思考とはそんな生易しいものではない。増してやIS学園の授業レベルも鑑みると、更に上の次元の話だ。

 鈴音はセシリアのそんな話を聞いただけで、何か不味い物でも食べてしまった様な表情を浮かべてしまった。

 

 そんな鈴音を尻目に、より詳細を訊くべくシャルルが僅かに身体を乗り出す。自身の頼んだカレーライスが、袖を汚さない様気を付けながら。

 

「最高記録は?」

 

「1問1点で100点満点なのですが、今のところ最高69点ですわ。残りの問題が間に合わなくて…」

 

 やはりセシリアと言えど、初っ端からいきなり100点近くは取れない様だ。

 

 更に質問は絶え間なく流れる川の様に続く。

 

「けど何でまた急に?それに並列思考って…」

 

 一旦箸を置いた一夏がそう訊ねると、セシリアが答える前に昭弘が軽く説明する。

 

「要するにオルコットは、自身も動き回りながらビットも“全機”自在に操れるようになりたいんだ。だが精密な操縦技術が要求されるISを動かしながらとなると、そう易々とはいかない。Aを処理しながら、Bも処理すると言う能力が必要だ。その為に並列思考を鍛えてるって訳だ」

 

「成程…」

 

 昭弘のフォローに対し、手間が省けたセシリアは右手を軽く上げて感謝の意を示す。

 少しばかり突っ込みたい部分もあるがそこは一先ず置いて、一夏の質問を優先すべくセシリアは溜め息交じりに答え始める。

 

「やはり最大の切っ掛けは、昨日のタッグ戦ですわね…」

 

 以前から並列思考の訓練はしているセシリア。だがアレ程一方的に叩きのめされた彼女は、このままの訓練ではタッグトーナメントで勝てないと踏んだのだ。

 “打倒昭弘”を密かに掲げている彼女にとって、この程度無茶にすら入らない。

 

 セシリアの切っ掛けを聞いた一同は、何故か皆一様に鈴音へと視線を向ける。何かを訴えかけている様な或いは少し呆れている様な、皆そんな瞳をしていた。

 

「な、何よその目は!?アタシだってちゃんと特訓してるわよ失礼ね!」

 

 無言の視線を鈴音はそう解釈し、軽くむつける。昨日のタッグ戦において同じく苦汁を飲まされている彼女も、彼女なりに何か対策を考えているのかもしれない。

 すると再びシャルルが、今度は弱々しく潤んだ瞳をしながら開口する。

 

「何はともあれ、2人共無茶し過ぎないようにね?特訓が原因で倒れたりしたら本末転倒だよ」

 

 意外な人物から心配されて、セシリアと鈴音は目を丸くする。

 その後2人は予定調和宜しく頬を紅く染め上げながらも、どうにか平静を装って感謝の言葉を贈る。

 

「お、御心遣い感謝御礼申し上げますわ」

 

「何よ急に…まぁアリガト」

 

 どうやら貴公子の心遣いは、セシリアや鈴音までもを魅了してしまった様だ。2人は赤面を誤魔化す様に、食事のペースを早める。

 既に大盛りのオムライスを完食していた昭弘は、そんな2人を少し憐れむ様に見つめる。知らぬが仏であると。

 

 

 心の中でそう呟いた昭弘は気付かれぬようシャルルに視線を移し、彼女の人となりを簡単に纏める。

 昨日今日見た限りだと、性格はまとも。と言うより、普通に良い奴と言った感じだ。授業に遅れている様子も無し、対人関係も良好そうに見える。只、隠すのが下手過ぎると言うか、毎度動揺し過ぎな部分がある。

 正直言って、最後まで正体を隠し通すなど到底不可能に思えてくるレベルだ。

 

 更に昭弘は、彼女に対して個人的に思う所を頭の中で述べ上げる。

 

(正直言って、オレはこいつがどうも苦手だ。良い奴過ぎると言うか人の顔色をひたすらに窺っていると言うか…そこが却って不気味だ。一緒に居て何も「面白く感じない」のは、それが原因なのだろうか…)

 

 ラウラとは正に「正反対」、対極に位置するタイプの人間だ

 

 無論、未だシャルルが環境に慣れていないからと言われればそれまでだが、それを抜きにしても昭弘から見た彼女はどうしてもそう映ってしまう。

 

 しかしそれは悪い事ではない。

 昭弘個人がどう思おうと、他人を気遣う性格も相手の顔色を窺うことも対人コミュニケーションの基本事項だ。学園と言う閉鎖空間において大多数の人間は、それらがしっかりと備わっている人間を慕うのだから。

 逆に言えば、だからこそラウラは大多数の人間からは中々受け入れられないのだろう。

 

 

 兎も角、今後もシャルルの監視・観察を怠る訳にはいかない。

 昭弘が心の中で纏めた性格が彼女の本質であろうと、内に全く別の本性を隠していようと、昭弘がすることに変更はないのだから。




一夏はこれでも耐えてる方なんですよ。逆に言うなら、それ程彼が抱えている「歪み」はデカいです。

セシリア「超強化」への伏線。下手したら昭弘より強くなっちゃうかもです。鈴音も・・・ちゃんと特訓してるのでご安心ください。今後はグシオンの単一仕様能力を含め、個々人の特訓も上手いこと描写していけたらなと思います。

そう言えば、最近昭弘と箒の進展がないですね・・・。こちらもちゃんと描写していこうと思います。


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第20話 初恋の呪縛を破れ

ガッツリ「アキホウ」回です。ただ、少しやりすぎましたかね・・・。
あと短くてすみません・・・。


―――――5月10日(火) IS学園寮―――――

 

 本日も普段通りの訓練を終え既にシャワーを浴びた昭弘は、自室にて本日受けた授業内容の復習に勤しんでいた。テレビも点けずに教本を開き、授業中に引いた蛍光ペンの赤い跡をなぞるように視線で追う。

 

 そんな彼の視線を遮る様に、突如インターホンが鳴り響く。ここ最近の客人からして一夏か鈴音辺りを予想していた昭弘は、モニターを観て予想を外す。

 

(箒か。オレの部屋に来るのは久し振りな気がするな)

 

 丁度今月に入ってからだろうか。箒は、何故か昭弘の部屋に殆ど来なくなってしまったのだ。それだけならまだしも昭弘はここ最近ラウラかシャルルに付きっ切りだったので、余り箒とは話す機会が無かった。

 

 久しぶりに箒とゆっくり話せると思いながら、昭弘は嬉しさを隠しながら静かにドアを開ける。

 その先には、浴衣姿の箒が気不味げにしながら立っていた。

 

「…上がったらどうだ?」

 

 中々口を開かない箒に対し、昭弘はいつも通り部屋に入るよう促す。さも学友が学友を自室に招き入れる様に。

 しかし箒は、昭弘の部屋に上がる事を頑なに拒んだ。

 

「その…エントランスで話さないか?」

 

 十分な広さを誇るIS学園寮のエントランスホールには、複数のソファ等が用意されており壁にも巨大な「液晶テレビ」が埋め込まれている。

 何故部屋でなく態々エントランスまで赴く必要性があるのか解せない昭弘であったが、特別断る理由も無いのでそのまま部屋を出る。

 

 

 廊下を歩きながら、箒は自身の意味不明な行動に内心混乱していた。普段通り昭弘の部屋に上げて貰えば良かっただろうに。

 

 感情の変遷。

 いくら彼女が昭弘を「友人」だと主張しようが、部屋に上がるのが躊躇われると言う事は彼を「異性」と意識してしまっていると言う事だ。箒が昭弘への想いに無自覚であろうと、否、()()()()()()()()()()昭弘の部屋に上がる心の準備がまるで出来ていなかったのだろう。

 

 それでも尚、昭弘と2人で居るだけで胸の鼓動が収まらない箒。

 目が昭弘の様々な部位を艶めかしく捉える。黒いTシャツが薄く頼りないものだから殆ど露わになっている筋肉たち。鉄甲冑を彷彿とさせる腹筋、エアーズロックの如き胸筋、腕全体に纏わりつく脂肪無き大蛇たち、岩石海岸の様にボコボコした背中、首から肩へと架ける肉の橋。

 エントランスに続く廊下が、こんなにも長いものかと箒は感じてしまった。

 

 そんな箒の心情など知る故も無い昭弘は、普段通り話し掛ける。

 

「新しい部屋はどうだ?」

 

 その一言で瞬時に意識を切り替えさせられた箒は、代わりに慌ただしさを残したまま答える。

 

「ヘ!?あ、ああ部屋か。427号室なのだが、ルームメイトには良くして貰っている」

 

 先ずそれを聞けて、昭弘は安心したのか口角を僅かに上げて笑みを零す。

 そのまま彼は質問を続けた。

 

「「3人部屋」か?」

 

「ああ。2人部屋に私を捻じ込んだ形になってしまった。2人共快諾してくれたのだが、それでも面目ないと言うか…」

 

 2人が他愛もない話をしながら歩を進めていると、気が付けばエントランスに到着してしまっていた。時刻は20:50を少し回った所だが、平日と言うのもあってか誰一人その空間に居なかった。寮の消灯時間である23:00迄、まだ時間的に余裕もある。

 

 2人は近くの自動販売機で飲み物を購入すると、玄関口から離れたソファに腰掛ける。

 

「それで、今日はどんな相談事だ?」

 

 先程から箒の様子が可笑しい事に気づいていた昭弘は、そう訊ねる。

 しかし、そんな昭弘の予想は大きく外れてしまう。勘の良い彼にしては珍しい事だ。今日は何処かの山で猿が木から落ちているのではないか。

 

「何と無く、昭弘と話がしたくなったのだ。ここ最近2人で話す事がなかったろう?部屋も隣同士でなくなってしまったしな…」

 

 今の箒の部屋は4階だ。気軽に昭弘の部屋へと立ち寄れる距離ではない。

 それに、ルームメイトも今迄の様に勝手の知った幼馴染ではない。ルームメイトへの気配り等を考えると、そう頻繁に部屋を出て行く訳にも行かないのだろう。人によっては「自分と居るのがそんなに嫌か」と気分を害する事だってある。

 

 箒の言いたい事を何となく理解した昭弘は、少し申し訳なさ気な表情で言葉を連ねる。

 

「…すまない箒。オレだけ1人部屋なせいで、皆に迷惑を掛けちまってる様で…」

 

 昭弘が力無くそんな言葉を吐き出すと、箒は語調を少し強めて昭弘に言葉を返す。

 

「それこそ、元を辿ればあの2人を転入させた奴等が悪いだろう」

 

 まさかの箒に励まされた事に気恥ずかしさと嬉しさを覚えた昭弘は、ネガティブな自分を鞭打つ様に苦笑する。

 

 

 そんな、廊下を歩いている時からずっと続いていた2人の取り留めのない会話に終止符を打つように、箒が話題を変える。実はある意味、箒にとってはこちらが本題でもあるのだ。

 

「……な、なぁ昭弘」

 

 そこまで言葉を絞り出しておきながら、箒は本当に昭弘に“この話”をして良いのか今更悩みだす。

 しかし、当然の帰結として昭弘は箒に向き直る。昭弘の鋭く真っ直ぐな目と自身の目が交錯すると、箒は増々言い辛くなってしまう。

 

―――まただ。またしても胸の鼓動が早くなる。顔も熱い。何故?どうして?昭弘を見ているとこんな気持ちになるのだろう?わからない分からない解らない判らないワカラナイ…

 

 それは正しく、初めて一夏を好きになった時の感情と同じであった。いくら昔の事とは言え、そんな大切な感情を箒が忘れる筈などない。

 

 しかし一夏を好きになった時、そして一夏と離れ離れになってしまった時、一途な箒は心に誓ったのだ。もう誰も好きにならない、私にとっての異性は一夏だけだ、と。

 それだけ、彼女にとっての一夏は特別な存在であった。周囲の異性が霞む程に、周囲を異性として見たくなくなる程に。

 

 だから箒は「わからない」のだ。昭弘を想う感情の正体が。何故なら、自身が一夏以外の異性を好きになるなど有り得ないから、あってはならないから。

 もしそんな事があったのならば、自身が一夏と別れてから今迄ずっと彼を想い続けて来た5年間は、一体何だったのか。

 

 そんな心の奥底で彼女を固く縛る「初恋」と言う名の鎖が、昭弘に対して抱いている想いの正体へと近づかせない様にしているのだ。

 

 それでも箒は昭弘に問う。昭弘が箒自身の事を、()()()()()()()()()

 

「……お前は私の事を……友達と思っているか?」

 

 箒にとっては決死の言葉も、昭弘にとっては余りに突拍子の無い質問である故、彼は返答が大きく遅れてしまった。

 

「?……そりゃ当然、箒はオレの大切な友人だが…それがどうかしたか?」

 

 昭弘の返答を聞いて、箒は胸を撫で下ろす様に口を開く。

 

「そ、そうか!それは…良かった…」

 

 そう返した直後、本日最大の衝撃が箒に襲い掛かる。

 昭弘が右手で箒の左肩を掴んでいるのだ。

 余りの急展開に、先程の昭弘と同じく反応が大きく遅れてしまう箒。

 

 その為か箒が取り乱すよりも早く、昭弘が先に肩を掴んだ訳を述べる。

 

「何で泣いてんだ?」

 

 そう昭弘に指摘されて、箒は頬を指で拭ってみる。拭った指には、透明な液体が付着していた。

 それを見て初めて、箒は自身が今「泣いている」ことに気が付く。

 

「あ、アレ?…目に…埃でも入ったのかもしれん…」

 

 そう言いながら、箒は浴衣の袖で無我夢中に涙を拭い始める。しかし、拭っても拭っても涙腺から流れ出す雫は湯水の如く増えるばかり。

 普段冷静な昭弘にとっても予想外過ぎる事態だからか、慌てながら周囲を見渡す。

 

「ち、チョット待ってろッ!何か拭く物……」

 

「エ、エグッ……き、気に…しないで…ヒック…くれ…」

 

 箒のそんな言葉に反応している余裕など今の昭弘には無く、急いで使えそうな物を探す。すると、テーブルの上にある備え付けの箱ティッシュが、漸く昭弘の視界に飛び込んで来る。

 直ぐ様昭弘はそれを強引に引っ掴むと、箱ごと箒に差し出す。

 

「…ス…マン、昭弘…」

 

 そう言うと箒は、残量などまるで気にする事無く連続してティッシュを引き続けた。その大量のティッシュを以てして鼻をかみ、頬を拭き、瞼の涙を拭い取る箒を見て、昭弘も一旦落ち着きを取り戻す。

 

(フゥ…此処にオレたち以外誰も居ない事が、不幸中の幸いってや…)

 

 心中の言葉も途中、昭弘は背後に奇妙な悪寒を感じてしまう。

 恐る恐る後ろを振り向くと、昭弘は右手で両目を覆いながら首を落とす。

 

 

 廊下の角付近に居たのは、半袖半ズボンのジャージに身を包んだラウラであった。

 

 彼は口を半開きにしながら、気不味そうにその場で立ち尽くしていた。恐らく、箒が泣き出した辺りからそこに居たのだろう。

 

 箒は未だ俯いたまま涙を拭っているので、ラウラの存在には気付いてない筈。今の箒が自身の泣き顔を他人に見られていたと知ったら、その場で取り乱す可能性が高い。

 なので昭弘は、ラウラにコッソリと「ジェスチャー」を送る事にした。

 

昭弘:人差指を自身の口に当てる。

 

ラウラ:首を小さく縦に振る。

 

昭弘:俯いている箒に対して2回程振り向く動作をした後、再びラウラに向き直る。すると左手の平をラウラに向け、まるで「腕立て伏せ」の様に肘を使ってゆっくりと数回スナップさせる。それと同時に右手を自身の顔面近くまで持っていき、親指と人差指を突き出して指と指の間に2cm程度の空間を作る。その後、合掌してラウラに懇願する。

 

ラウラ:昭弘が「箒が泣き止む迄でいい、廊下の角に隠れていてくれ、頼む」と言いたいのだと理解し、忍び足で廊下の角に隠れる。

 

 

 どうにかこうにか箒が落ち着いてきたのを見計らって、昭弘は箒に声を掛ける。

 

「どうだ?」

 

 昭弘の優し気な言葉を聞いて、箒も普段の落ち着いた声を取り戻していく。

 

「…ああ、もう大丈夫だ」

 

 箒はそう言うが、昭弘は納得し切っていない様子だ。

 人が泣く時は大抵、痛い時、悲しい時、嫌な時、感動した時、精々そのくらいだ。だがさっきの箒の号泣は、そのどれとも当て嵌まらない。まさか、昭弘と友達でいるのが嫌と言う訳でもあるまい。

 

 昭弘は再び箒に訊ねようとするが、結局止めてしまう。廊下の角から泣き止んだ箒の姿をしっかりと確認したラウラが、昭弘の直ぐ隣で不機嫌そうに腕を組んで仁王立ちしていたからだ。

 

 そんなラウラを見た箒は、警戒心を強めて僅かに後ずさる。

 

「ボーデヴィッヒ!貴様いつから此処に!?」

 

 箒からそう聞かれてラウラは昭弘の目を一瞥だけした後、仕方が無さそうに答える。

 

「…今来たばかりだが?」

 

 ラウラがそう答えると、昭弘は小さく息を吐いて胸を撫で下ろす。

 

 落ち着いた所で昭弘は単純に気になった為か、何故エントランスにしかもこんな時間に来たのかラウラに訊ねた。

 

 ラウラは疲れと苛立ちの混ざった声で答える。

 

「部屋でニュースを観たかったのだが、馬鹿の相川と阿呆の鏡が見たい「バラエティ番組」があると言うんでな。仕方なくエントランスのテレビを使う事にしたのだ」

 

 そう言うとラウラはテーブルに置いてあるリモコンを手にし、テレビのスイッチを入れた。

 

「だがパソコンや携帯で観る事も出来たんじゃないのか?」

 

「唯でさえ煩いアイツラがバラエティ番組を観るんだぞ?イヤホンを使おうと集中出来ない事は目に見えている」

 

 昭弘の更なる問いに対し、ラウラはニュースを観ながらそう答える。

 

 箒はラウラと未だ話したことがない為か、一歩引いたところで警戒しながら見ていた。

 すると昭弘が箒に声を掛ける。

 

「ラウラは結構可愛い奴だぞ」

 

 すると、当のラウラは不本意そうに昭弘の左肩を掴む。

 

「貴様「可愛い奴」とはどう言う意味だ?」

 

「そのまんまの意味だが?」

 

 ニヤつきながらそう答える昭弘を見て、ラウラは赤面しながら短く舌打ちをする。

 

「な?可愛い奴だろう?」

 

 昭弘のいらぬ一言を聞いて、ラウラは昭弘の頭に手刀を食らわせる。今朝の手刀の仕返しがまさかこんな形で実現しようとは、ラウラ自身思いも寄らなかったろう。

 

 仲睦まじい2人を、箒は少し恨めしそうに見つめる。

 その様に感じると言う事は、ラウラを未だ女性だと思い込んでいるのだ。

 

 

 

 結局3人はそのまま一緒にニュースを観た後、その場で解散する事となった。

 

 

 

―――427号室―――

 

 箒はルームメイトたちと軽く談笑した後、歯を磨いていつも通りにベッドへと潜り込んだ。

 仰向けになり、既に光を失っているダウンライトを下から眺めながら、箒は声に出さずに頭の中で自身の想いを整理する。

 

(…もう、認めるしかないのだろうな)

 

 「友達」と言われて、ショックで流した涙がその証拠だ。

 

 そう結論付けると、箒は未だに熱い目尻を指で優しく撫でる。その後、熟考を再開する。

 

(岸原さんに相談すべきだろうか。いや、反応がウザそうだ。ではメースさんに…それも止めておこう。変に気を遣われたくない)

 

 岸原理子、セレーヌ・メース。2人共箒のルームメイトだ。

 岸原は茶髪のショートヘアーで眼鏡を掛けている、箒と同じ1組の生徒だ。

 メースはカナダ出身で、黒髪を頭頂部辺りから横に垂れる様に結んでいる。彼女は5組だ。

 

 思えば、箒は今迄昭弘以外の人間に「相談事」を持ちかけた事がなかった。

 そんな箒にとってルームメイトに相談事を打ち明けるのは、中々に勇気が必要だった。コミュニケーション能力に乏しい箒にとっては、やはり「他者からどうこう思われたくない」「変に騒がれたくない」と言った思いが強いのだろう。

 

(ならやはりここはセシリアに…。いや、だが最近特訓で忙しそうだしな)

 

 大体何と相談すれば良いのか。「一夏だけでなく昭弘も好きになってしまったのだが、どちらを選ぶべきか」と訊けば、それでいいのだろうか。そうなればセシリアだって一夏を狙っているのだから、「昭弘を選ぶべきだ」と言われて終わりだ。

 

 長らく熟考した結果、漸く一番相談するのに最適な人物が箒の頭に浮上した。

 

(…機会があれば『本音』に相談してみよう)

 

 今はもう、明日に備えて寝る事しか出来ないのだから。

 そう自身を落ち着かせようとも、やはり箒は中々意識を切り替える事が出来ないでいた。

 

 初恋の呪縛を振り解いてでも、異性として愛してると認めざるを得ない。それ程の相手が、この日遂に箒の中で新たに誕生してしまったのだ。箒の心に去来せし混乱は、最早想像を絶するものなのだろう。

 

 

 しかしその強大な混乱の渦中に確かな「嬉しさ」が混ざっている事を、今の箒に認識する余裕など無かった。




と言った回でした。
セレーヌさんは完全にオリキャラです。名前は洋楽アーティストから取りました。皆が皆、ルームメイトが同じクラスメイトだと違和感バリバリかなと思ったので、他クラスの生徒をぶち込みました。ただ、他クラスの生徒だと鈴音や簪以外は流石に分からないので、今回の様な形となりました。

それと、本来はニュースの内容も細かく描写したかったのですが、そうなると全体的な恋愛描写が「大きく断絶されてしまう」と判断したので、今回は割愛させていただきました。
よって、今回は少し構成に工夫を凝らして、ニュースの内容だけ次回に持ち越したいと考えております。ニュースを使ってどうしても描写しておきたい内容がありますので。無論、ニュースを観ている間の昭弘、箒、ラウラのやり取りも、しっかり描写しますのでご安心を。

なので次回は、今回とは打って変わって大分「堅苦しい」内容になるかと思いますが、ぜひ読んでいただけると幸いです。



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第20.5話 四角い世界

あらかじめ言っておきますが、この物語はアフリカや中東での「紛争・内戦」と大きく関わっていきます。
第一章(福音戦まで)ではそう言った描写が少なくなってしまいますが、今回の様に描写できる機会があればどんどん描写していこうと思いますので、堅苦しかったらごめんなさい。

後半は、ちょこっと亡国機業サイドの描写を追加しとこうと思います。









けどやっぱ自信ないッス・・・。


 ラウラが昭弘に手刀を打ち込んでいる時、丁度テレビの画面がラウラの観たかった内容に切り替わる。

 

 箒の恨めしそうな視線など我関せずに、ラウラは映像にかじりつく。

 昭弘もニュースが流れていたら観る様に習慣付けているので、自然と視界の中心をテレビに向ける。

 2人に合わせる様に、箒も視線をテレビに向ける。彼女自身なるべくニュースは観るようにしているので、嫌々と言う訳ではない様だ。

 

《こんばんは。9:00のニュースをお伝えします》

 

 壮年のニュースキャスターがそう挨拶した後、テロップが画面右からスライドして来る。

 そのテロップには『アフリカ情勢、新たなる展開か』と表示されていた。テロップに合わせながら、キャスターが言葉を紡ぎ出す。

 

《コンゴ民主共和国で現在も尚進行中の「武力抗争」に、新たな動きがあった模様です》

 

 キャスターがそう述べると、背景の液晶パネルの映像が切り替わる。

 

《近年、再度勢力を増してきた反政府勢力SHLA。これに対し、『M・A(モノクローム・アバター)』と呼ばれる武装集団が大規模な掃討作戦を展開しております。ウガンダ政府を中心とした周辺諸国や複数の武装勢力から多大な支援を受けており、SHLAへの掃討作戦としては過去に類を見ない規模となっております。突如として戦場に現れた組織M・Aとは、一体どのような…》

 

 『SHLA(Shi Honor Lord Army):神を尊びし軍勢』とは30年以上にも渡って活動を続けている反政府武装勢力であり、ウガンダ、コンゴ民主共和国、中央アフリカ、南スーダンを主な活動地域としている。

 元々はウガンダでの反政府活動が主な目的であったが次第に過激な武力活動へと発展していき、略奪や現地民の殺戮、強姦、誘拐等は当たり前になっていった。特にコンゴやウガンダでは、それらの残虐行為が顕著であった。

 戦闘員の90%近くは「少年兵」が占めており、その殆どは誘拐された子供だと言われている。更に近年ではMPSの登場によって少年兵への需要が増していき、推定誘拐者数は2万人から5万人へと急増した。

 

 キャスターの台詞も未だ途中な所で、昭弘がラウラに口を挟む。

 

「M・A…聞いたことあるか?」

 

「『亡国機業(ファントムタスク)』と言う犯罪シンジケートの実働部隊だな。流石に実態までは何も解らんが」

 

 何故そんな組織の部隊がと昭弘は訊かずに、心の中で思い留めた。話し合うのは、もう少しニュースが進んでからでも良い。

 しかし箒は自身の中で引っ掛かる事でもあるのか、未だ馴れていないラウラに対して辿々しく口を開く。

 

「SHLAは5年前の掃討作戦によって、その規模を大幅に縮小させた筈では…?」

 

 流石は天災の妹と言った所か。世界の情勢には常にアンテナを伸ばしているらしい。

 

「簡単なことさ。弱体化したSHLAを脅威と見なさず野放しにした→SHLAが再び子供を拐い始め少年兵を増やした→周辺の武装勢力を取り込んで更に勢力を拡大させた。それだけの事だ」

 

 事実、近年ではウガンダ北部の都市『グル』にまで火種が広がっており、其処では既に数十人の民間人が殺害されている。

 

 ラウラは何げなく答えるが、箒はまだまだ疑問点が多く残っているのか納得しきれていない様子だ。

 箒の反応も尤もだ。アフリカで度々起こる内乱や紛争は、情報が発信されにくいのだから。

 

 昭弘も又、ラウラの返答に片耳を傾けていた。その時の昭弘は表情にこそ出さなかったが、歯を強く食い縛っていた。

 昭弘の頭は「少年」という単語に支配されていた。敵であろうと味方であろうと、子供が子供を殺すという狂気。それが現地では常態化しているのだ。元少年兵である昭弘がその狂気に無関心でいられる筈もなく、まるで自分事の様な寒気に襲われる。

 今も尚命を散らしている少年たちの断末魔が、聞こえてもいないのに昭弘の中で木霊する。

 

 すると丁度テレビの画面が切り替わり、現地のリポーターがキャスターの代わりにより詳細な状況を伝える。地理的に離れている為か、リポーターの反応は毎回数秒程度遅れる。

 

《……はい!私は現在、ウガンダ北部の都市グルに来ております。こちらのグル市役所付近では戦闘の痕跡は見られませんが、先程から装甲車や軍用トラックが度々往来し、物々しい雰囲気が犇々と伝わって来ます。しかし既にウガンダ全域の掃討作戦は一昨日までに完了しており、以降は散発的な銃声すらもピタリと止みました。コンゴ民主共和国東部州の掃討作戦も本日完了し、残すは南部地域のみとなりました》

 

 頭の中に記憶してある文章をハキハキと読み進めていくリポーターに対し、キャスターがこちらも台本通りであろう質問を繰り出す。

 

《M・Aに関しては、何か詳細な情報を掴めましたでしょうか?》

 

《……はい!ここ数日、多くの軍関係者に対し取材を試みて来たのですが、皆一様にM・Aに関しては堅く口を閉ざしており、有力な情報は得られませんでした》

 

 そこまで言った後、リポーターは驚愕の情報をキャスターに暴露する。

 

《只、現地住民の方々の話によりますと、M・Aと思しき部隊とSHLAが人型兵器を使用しているのを目撃した、との事です》

 

 リポーターの発言に激しく反応したのは壮年のキャスターでなく、テレビ画面を凝視していた箒であった。

 

「馬鹿な!ISの軍事利用は禁止さてれいる筈だ」

 

 「IS運用協定」通称『アラスカ条約』においては確かにその通りだ。

 しかし、明文の解釈によっていくらでも兵器運用が可能となっているのが現状だ。明文には「あくまで自衛の為の戦力であるならば、その保有を可能とする」と記されている。その癖「自衛の範疇」に関しての詳細は一切明文化されていない為、軍事基地や軍事工場への攻撃も「自衛」と見なされる可能性が高いのだ。

 

 どの道、犯罪シンジケートである亡国機業にとってはどうでもいい事なのかもしれないが。

 

 箒の驚愕を代弁する様に、キャスターも詳細を訊ねる。

 

《つまり今回の掃討作戦には、ISが投入されていると言う事でしょうか?》

 

《……いえ、話によるとISではないそうです。外見の特徴としては全身を鋼鉄の鎧で完全に覆っており「空中を浮遊していたり、地上をホバー移動していた」そうです》

 

 リポーターからの情報を聞き、昭弘とラウラは状況を飲み込んだが箒は未だに話が見えて来ない。それもその筈で、MPSが実戦配備されていると言う事実は一部の人間しか知らない。

 昭弘とラウラは、その事実を箒に教えるべきか考えていた。しかしやはり一般人が知るべき情報ではないし、無用な混乱を招く可能性もあるので2人は頭を抱えている箒をそのまま放置する事にした。

 

 そんな3人の心境など知る由も無いキャスターは、番組内での進行を乱す事無く話を進める。

 

《ではISとも違う「第2の人型兵器」が、今回の掃討作戦で使われていると言う事でしょうか?》

 

《……はい、極めて進度の早い掃討作戦からしてもその可能性が高いと思われます。しかし、戦闘区域及びその周辺ではマスメディア等の立ち入りが異常なまでに厳しく制限されております。よって証拠となる映像や音声も存在せず、今のところ信憑性の高い情報は何一つ得られていません》

 

 リポーターがそこまで言い終えると、疑問を解消するどころか猶更増やしていくニュースに苛立つ箒が口を開き始める。

 

「…解せない事だらけだな」

 

 未だ思考の整理すら儘ならない箒に対し、昭弘は助け舟を渡す事にした。

 

「どうせ不確定な情報なんだ、第2の人型兵器の件は置いとこう。それより何故今になって亡国機業とかいう犯罪組織が、SHLAの掃討を買って出たのかが気になるな…」

 

 そんな昭弘の疑問を嘲笑うかの様に、ラウラは答える。ラウラにとっては、考えるまでもなく解る事だからだ。

 

「どうせコンゴに眠る鉱物資源が目当てなのだろう。…あの辺りの紛争はいつだってそうだ。革命やら反乱やらで政権が変わろうと、中身は何も変わらん。民族衝突、資源獲得競争、その結果起こる内戦・紛争、その繰り返しだ」

 

 冷たくそう言い放つラウラ。

 

 だが抑々そうした民族対立が起きるようになった原因は、元を辿ればかつての列強諸国による「分割統治」に行き着くのだ。

 支配する際、1つの民族には富を与えもう1つの民族には富を与えない。民族同士で敢えて差を付ける事で互いを争わせ、不満の矛先が自分たちに向く事を防ぐのだ。

 

 勿論ラウラだってそんな事は解ってる。それを踏まえた上での発言だ。

 

 だがら昭弘もラウラに物申さない。

 昭弘自身、子供を戦争の消耗品として使う様な連中に同情など一切しない。

 

 2人のそんなやり取りを見て、箒もまた今回の紛争で感じたことをポツリポツリと口に出す。

 

「…結局ISと言う夢のマシンが生まれようとも、争いはなくならないのだな。…どの時代、どんな場所でも」

 

 箒はそんな言葉を口にした後、増々力無く俯いてしまう。

 箒が今、姉である天災科学者のことをどう思っているのかは定かではないが、影響は受けている筈なのだ。ISへの想いを、ISへの願望を、ISへの期待を。だからこそ箒はやるせないのだ。本来なら人を幸せにする為のマシンであるのに実際はどうだ、と。

 

 そんな箒のISに対する想いを大まかに察しつつも、ラウラはあくまで冷淡に現実を突き付ける。

 

「当然だろう。ISによっていくら利便性が増えようと科学技術が進歩しようと、人間という生物から争いが消える事はない。自分の利益の為に、どこまでも合理的に利用するだけだ」

 

 ラウラ自身も、その為に生み出された人間の一人だ。だから言い切れる。夢のマシンなんて言葉、人間が人間を踏み台にして益を取る為の方便に過ぎないと。

 

 ラウラの冷えきった正論を聞いて、箒は俯いたまま膝の上に置いている両拳を強く握った。その拳は現実に対してか、それとも考え方が甘かった自身に対してか。

 

 だが大体ラウラや箒がISの事であーだこーだ言えるのも、先進国で生まれ育ったが故だ。財政が芳しくない発展途上国は、ISコアを保有すらできないのだから。

 

 

 2人の会話を真ん中で聞いていた昭弘は、自身が今居る世界と前居た世界を比較しながら心の中で嘆く。

 「どの時代、どんな場所」どころじゃない。どんな「時空」、どんな「次元」の世界だろうと戦争からは逃れられないのだ。其処に人間が居る限り。

 此処IS学園は、偶々平和なだけなのだ。

 

 

 3人がそんなやり取りを繰り返している間、壮年のキャスターは次のニュースに移ろうとしていた。

 

《コンゴ民主共和国の情勢変化によってアフリカ全体がどの様に変わっていくのか、今後の動きが注目されます。では次のニュースです》

 

 所詮どんなに彼等がアフリカの紛争について頭を巡らせようと、液晶テレビに移っている「四角い世界」には何一つ干渉など出来ない。

 テレビはただ、己の四角い画面から淡々と情報を提供するだけだ。戦場とは遠く離れた、安全で平和なこの空間に。

 

 

 彼等3人は遣り切れない思いを抱えたまま、各々の部屋へと戻って行った。

 

 

 

 

 

―――――5月10日(火) 某作戦指令室―――――

 

 スコールは退屈そうにモニターを眺めていた。モニターには自身の保有するMPS部隊が、SHLAのMPS部隊を造作もなく殲滅していく様子が映し出されていた。

 鮮血が飛び散り焼け爛れた身体の一部が無造作に映し出されても、スコールが表情を変える事は無かった。

 

「…了解。司令、東部州の制圧がたった今完了したとの報告が入りました」

 

「そう。予定通りにと伝えておいて」

 

「了解」

 

 部下からの報告にも、声色を変える事なく淡泊に指示を出す。

 

 しかしそんなスコールも自軍の「あるMPS」が映し出された瞬間、表情に喜色を浮かべる。

 純白のボディは混沌とした戦場において幻想的な輝きを放っており、右手には敵の返り血が乱雑にペイントされた巨大な金棒が握られていた。

 

 楽し気にそのMPSを見つめているスコールであったが、唐突に邪魔が入る。左手側のホログラムには自身の顔が映し出されていた…様に見えたが、よくよく観ると自身の顔ではなかった。

 

《退屈と言う事は順調の様だな》

 

 自身の数少ない楽しみを邪魔されたスコールは、不機嫌そうにトネードに返答する。

 

「順調過ぎると、何か裏を感じてしまうものでしょ?最新型MPSの量産が間に合っていれば、もっと安心して構えていられるんだけど。それに今回の作戦はISを使えないでしょう?『オータム』と『エム』が「私たちも殺したい」って煩くて…」

 

《だが順調と言う事は、現地でしっかりと指揮を取っているのだろう。現地民から忌避される様な言動を犯していなければ良いのだが》

 

 先程ラウラは、M・Aの目的を鉱物資源と予想していた。無論それもあるのだろうが、真の目的はどうやら違う様だ。

 今判っている事は、SHLAを倒す事で現地民の支持を得る事。ISではなくMPSで敵を圧倒する事により、MPSの有用性をより強固なものにする事。そしてそれらの目的は、先進各国には知られたくない様だ。

 

《彼の調子はどうだ?》

 

 「彼」と言われると、スコールは再びモニターに映っている純白のMPSを見つめる。あのMPSに搭乗しているのが、トネードの言う彼なのだろう。

 

「そっちも順調よ。後は「究極のMPS」の完成を待つだけ」

 

《そうか。『イスラエル侵攻』に間に合えばそれでいい》

 

 トネードが短く返すと、スコールは少し拍子抜けた様に目を丸める。

 

「未だ用件があるんじゃないの?」

 

 妹に見透かされたトネードは短く息を吐くが、無表情のまま自身の要求を述べる。

 

《…IS学園「タッグトーナメント」、観に行くのだろう?》

 

 トネードの言葉は「IS学園を襲撃する」と言う暗喩ではない。そのまんまの意味だ。

 言わずもがな、亡国機業トップとしての素顔は隠して行くのだろう。

 

「ええ。使えそうな子、脅威になりそうな子を見定めておこうと思って。アンタも観に行くっての?」

 

《ああ。観戦の理由はお前とほぼ一緒だ。アタシも運営トップとして、その辺りの事もある程度は把握しておかねばな》

 

 トネードの在り来たりで面白みの無い返答を聞いて、スコールは嘲りながら確信に近い憶測を述べる。

 

「大好きなアルトランドくんに会いたいだけでしょ?」

 

 スコールの予想を聞いたトネードは僅かに笑みを零すが、否定はしなかった。

 

《そう言うお前こそ織斑くんの試合を観るのが一番の目的だろう?》

 

「イヤン!バレちゃった♡ま、お互いその日までには「目先の仕事」を片付けておきましょうか」

 

《ああ、健闘を祈る》

 

 トネードは再び無表情に戻ると、その言葉を最後に通話を切った。

 

 スコールはまたしてもモニターを見つめ始めたが、純白のMPSは既に映っていなかったのでつまらなそうに溜め息を吐いた。

 

 

 彼等の計画は、まだまだ途上も途上だ。




申し訳程度の中東要素。

SHLAの元ネタは、皆さんで調べて頂ければ分かるかと思います。
アラスカ条約の「自衛云々」は自分で適当にアレンジしました。

あとすみません。今更気づいたのですが、MPSが少年にしか使えない理由について、全く触れていませんでしたね・・・。理由は鉄血本編と同じく、生体ナノマシンが成長期の子供にしか定着しないからです。第3話に修正入れときました。

純白のMPSを操る少年は、一体何者なのか・・・。







と言うか、やっぱ話のテンポ遅すぎますね・・・。けどやっぱしシャルル・ラウラ編は今迄で最長になる事は分かり切っていたので、どうにか挫けない様頑張ろうと思います。


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第21話 居場所

千冬がカッコいいと思った(小学生並みの感想)


 銀髪の全体的にみすぼらしい少年は、今日も自己否定しながら下らない雑用をこなしていた。

 普段から下を向いている少年はいつも通り白いアスファルトを見下ろしていると、女の影がそこに出来上がった。

 今日もされる。少年は身体への衝撃を覚悟しながら諦めた眼差しで見上げる。するとそこには見た事無い女が仁王立ちしていた。

 何もしてこない、何も言ってこない、女はただ少年を真っ直ぐ細部まで観察する様に見据えていた。

 虫けらの自分をそんな真剣に見ていて楽しいかと少年が思っていると、女はやっと口を開いた。

 

 今日からお前たち全員を鍛え上げる、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――5月13日(金)―――――

 

「中止になったクラス対抗戦の景品なんだけど、全クラスに「学食スイーツ1ヶ月間食べ放題券」配る事になったらしいよ?」

 

「マジ!?良かった~」

 

 登校中、曇天を仰ぎ見ながら鏡と相川の会話に聞き耳を立てるラウラ。最初こそ鬱陶しく感じていたその姦しさも、慣れれば存外にも悪くない様だ。

 

 しかしそんな彼女たちを見ていると、ラウラは己が如何に異質な存在なのか思い知らされる。

 

 平和な空間で、安寧を胸一杯に享受し、それを当たり前として日々を過ごす。正に彼女たちは、本来人類が目指すべき居場所を体現していると言っても良い。

 そんな、誰もが恋い焦がれている居場所に疎外感を抱いてしまうラウラ。そう考えると、やはりラウラも根本的には昭弘や少年兵たちに近しいのだろう。

 

(…アルトランドの苦悩が解った気がする)

 

 ラウラは密かに昭弘を称賛した後、己の目的をもう一度見つめ直す。

 

(楽園を楽園として心置き無く謳歌する彼女たち。楽園と言う空間に居ながらも、戦場を心から遠ざけられないアルトランド。そして教官、貴女にとってこの楽園は一体どんな場所なのか。「私の部隊」から離れる程のモノなのか。もしそうだとしたなら、私は貴女の何を見れば?)

 

 そんなラウラの声なき独り言は、相川によって遮られる。

 

「ラウラ大丈夫?いつにも増して眉間に皺が寄ってるけど…」

 

 心配する相川と鏡に対し、ラウラは普段通り物静かに答えようとする。が、丁度いいとも思ったので2人に「ある事」を訊ねてみる事にした。

 

「…なぁお前たち。もし織斑教諭がIS学園から居なくなったらどうする?」

 

 唐突なラウラの問い掛けに対し2人は互いの顔を見合うが、その後腕を組んで考え始める。

 すると、先ず初めに鏡が己の考えを口にする。

 

「正直泣いちゃうかも。けど1週間も経てば、また普段の私に戻るんじゃないかな」

 

 千冬の事を普通に慕ってると言っていい回答であった。

 鏡の答えに異を唱える様に、相川も続く。

 

「私は一生立ち直れないかな。「世界で一番憧れてる人」だし」

 

 冗談ではない低く真剣な声で、相川はそう答えた。どうやら彼女の千冬への慕情は、通常より2段も3段も上の次元にあるらしい。

 

 2人の回答を聞いたラウラは、それがどうしたと訊き返される前に答える。

 

「それだけ織斑教諭を大切に想っているなら、もっと日々を噛み締めて生きろよ?」

 

 ラウラの余計なお節介とも取れる言葉に対し、2人は馬鹿正直に「はーい」と返事をする。

 そんな2人に対し、ラウラは心の奥で謝罪する。

 

(すまないなお前ら。私は今日、お前たちの想いを真っ向から踏み躙る行動を起こす。…本当にすまない)

 

 そんな心の謝罪が、彼女たちに聞こえる事などある筈もなかった。

 

 

 

 

 

―――放課後―――

 

 既に日も沈みかけて曇り空が更に薄暗くなっている頃、昭弘は職員室へとその巨体を向かわせていた。「放課後、職員室に来てくれ。職員全員が出払ったら連絡する」と言う千冬の言葉通りに動いていた昭弘は、職員室前まで来て足を止める。

 

「どうしても考え直してはくれませんか」

 

 声の主はラウラであった。普段の厳格さが微塵も感じられない弱々しい声に、昭弘はただならぬ何かを感じた為か不本意ながらも盗み聞きに出た。

 

「何度懇願されても答えは同じだ。私は此処IS学園を離れるつもりはない」

 

 千冬が冷たくあしらうが、ラウラは食い下がる様に理由を訊ねた。何故そうまで此処に拘るのかと。

 別にラウラだって、IS学園の生徒や教員を侮辱している訳ではない。ただ、人には適材適所があると言いたいだけなのだ。

 

 そのまま、千冬の返答を待たずにラウラは続ける。

 

「貴女だって解っている筈だ。貴女にとっても私や私の部下たちにとっても、此処は貴女が居るべき場所ではない」

 

 遠回しに、ラウラは「もう一度我が隊の教官を勤めて欲しい」と言っているのだ。

 

 千冬は一時期ドイツ軍に出向しており、そこで1年間教官を務めていた。そんな千冬の教官としての能力は、今のラウラがそのまま物語っている通りだ。

 事実、ドイツ軍はIS学園以上に千冬と言う人材を欲しているし、千冬自身も此処で教鞭を執るより新米軍人を鍛え上げる方が向いていると感じてはいる。

 

 最後に追い討ちをかける様に、ラウラは千冬を諭そうとする。

 

「此処が本当に貴女の居場所なのですか?「厳しくも優しい教師」と言う仮面を被ってまで、居る意味があるのですか?」

 

 2人しか居ない職員室内に鈍痛の様な沈黙が流れる。先に声を発した方が斬られるかの様な、抜け出したいのに抜け出したくない沈黙。

 昭弘は自身の吐息を響かせない様、空調音と同化させようと呼吸を小さくする。

 

 千冬が言い返せないと確信したラウラが踵を返した時、千冬は斬撃をものともしない調子で語り出す。

 

「私はな、ISと言うパワードスーツの本質をより多くの人間に知って欲しいのだ」

「抑止力としての核兵器が意味を成さなくなった今、それをたった467機のISコアに頼らざるを得ない先進各国」

 

 もし仮に何処かの国、何処かの地域で467機のISを上回る戦力が備わってしまったら。抑止力は消え失せ、その国の思うがままの「破壊と暴力」が世界を覆い尽くすだろう。

 しかし「IS至上主義」と言う思想が蔓延している今の世界では、その危険性に気付ける人間自体極めて少ない。

 

 その話を盗み聞いていた昭弘の脳裏に、ある戦慄が一瞬だけ浮かび上がる。それは、先日のニュースでも報道された第2の人型兵器「MPS」の存在であった。

 未だその実態は報道されていないが、今やアフリカでは戦闘ヘリの上位互換としてMPSは優位性を確立している。

 

(……まさかな)

 

 それでも、どんなにMPSが進化しようと兵器としてISを凌ぐ事など有り得ない。昭弘は自身にそう言い聞かせながら、頭の靄を振り払う。

 

「無限の可能性と言っても絶対数が限られている現状、有事の戦力としては数的限界がある。そんな今大切なのは、ISをより深く理解した上で“ISこそ絶対”と言う固定概念を払拭する事なのだと私は考える」

 

 千冬がそこまで答えると、ラウラが千冬の代わりに結論を述べる。

 

「…だから未来を担う子供たちに、その事を教えたいと?」

 

「そうだ」

 

 千冬は短くそう返すが、ラウラはやはり納得し切っていない。

 そんなラウラの心境を察した千冬が、今度は“居場所”について語り出す。

 

「それとなラウラ、私は何時だって仮面を被っているぞ?ひたすらに冷静で合理的な教官としての仮面、厳しくも優しい教育者としての仮面、姉としての仮面、友としての仮面、世界最強(ブリュンヒルデ)としての仮面。唯一被っていない時など、精々一人でビールを飲んでいる時くらいだ」

 

 人と接する時、人は無意識に仮面を被るものなのだ。

 

「居場所にしたってそうさ。この世に唯一無二の居場所なんて存在しない。今自分が無意識に仮面を被りながら人と接する空間。それこそが居場所の正体だ」

 

 だからIS学園も、家も、ラウラの部隊も、全て千冬にとって大切な居場所なのだ。

 

 そんな千冬の言葉は昭弘の心を照らし、そして大きく揺さ振った。

 鉄華団、束のラボ、そしてIS学園。夫々異なる人々と接して来たそれらの居場所に、優劣など付けようがないのだと昭弘は悟った。

 

 ラウラは再び黙り込むかと思われたが、性懲りもなく我儘を貫き通そうとする。引こうとしないその様は、まるで後方に狼でも待ち構えているかの様であった。

 

「…貴女の考えは良く解りました。ですがやはり、ドイツ軍(あそこ)こそが貴女の居場所だ。それ以外の貴女など、私は認める訳にはいきません」

 

 自身の身勝手な価値観を捨て台詞に、ラウラは今度こそ踵を返して職員室を後にする。

 

 

 ラウラは昭弘を見ると、最初から気付いていたかの様に苦言を呈する。

 

「悪趣味だな。見損なったぞアルトランド」

 

 そう言われると、昭弘は罰の悪そうな顔をしながら言い訳を述べる。

 

「スマン。どうしても気になったもんでな」

 

 昭弘がそう返すとラウラは彼の傍まで近寄り、小声で念押しした。

 

「余計な事するなよ?」

 

「…」

 

「無言なら「YES」と受け取るぞ」

 

 最後にそう言うと、ラウラはそのまま昭弘の脇を通過して行った。

 その際、長く麗しい銀髪の先端が昭弘の右手を冷たく撫でた。更に念押しするかの様に。

 

 

 

 職員室に入った昭弘に対し急な呼び出しを謝罪した千冬は、給湯室にて茶を淹れている。

 対し、昭弘も同じく千冬に謝罪する。

 

「…すみません織斑先生。先の会話、聞いていました」

 

「気にするな。悪いのはお前を呼び出した私と、押し掛けてきたラウラだ。寧ろ話が省略できて楽だ」

 

 千冬のそんな言葉で、昭弘は話の内容をある程度予想する。昭弘があれこれ予想しているのを見越す様に、千冬も話を続ける。

 

「…さっきの口論、お前はラウラに何を感じた?」

 

 一見唐突なその質問も予想の範囲内だった昭弘にとっては動じるまでもない事なので、そのまま正直に答える。

 

「…織斑センセイに対して、異常なまでに執着していると言うか……」

 

 昭弘の答えに対し、正解だと言わんばかりに千冬は力無く頷く。

 そして自身とラウラの過去について、なるべく手短に昭弘へと伝えていく。

 

 

 

 落ちこぼれ。

 

 千冬が最初、ラウラに抱いた印象がそれだったと言う。

 とても信じられなかった昭弘だが、更に千冬の話を聞いていくと手の平を反すように納得してしまった。

 女尊男卑社会である今日、男性の身であり更には片目を患ったラウラが部隊内で孤立する事は最早必然と言えた。

 

 酷い有様だったらしい。雑用にも劣る仕事ばかり任されていたとか。

 

「だが何よりも酷かったのは、そんな環境を受け入れ何もかも諦めていたラウラ本人だった」

 

「…そんなボーデヴィッヒを救ったのが、織斑センセイだったと?」

 

 昭弘が核心めいた事を言うと、千冬は気恥ずかしそうに訂正を加える。

 

「過大評価だよ。アイツが勝手に吸収していっただけだ」

 

 それからのラウラは別人の様に成長していった。隻眼である事をものともせず。

 その常軌を逸した特訓内容と成長速度は、部隊の連中も心を入れ替えざるを得ない程だった。

 

 そこまで言い終えると、千冬は一段落したかの様に息を吐く。

 大分省略はしたのだろうが、以上の出来事が今のラウラを築き上げたと言う訳だ。

 

 絶望的な状況にいた自身に、手を差し伸べてくれた千冬。ラウラの瞳には、それこそ千冬が「救世主」の様にでも映っていたのだろう。

 

「…今のラウラはな、私しか見ようとしないんだ」

 

 ラウラの目的は「ブリュンヒルデの千冬」になる事ではなく、「千冬の様なブリュンヒルデ」になる事なのだ。そうなる為に、ラウラはひたすら「千冬」と言う存在を見つめ続けて来た。此処IS学園でも。

 

「だが奥底の本心は違う筈なんだ」

 

 その辺は、昭弘が一番良く解っている。ラウラの不器用な優しさを。だからラウラは昭弘や相川たちを無視する事が出来ないし、無意識に千冬以外の人間の事も想ってしまう。

 

 ラウラは恐らく揺れ動いているのだ。千冬と言う絶対的存在と、昭弘たちとの狭間で。

 

 

 漸く前置きが終わった所で、千冬は昭弘に自身の頼みを力の抜けた情けない声に変換しながら吐き出していく。

 

「頼むアルトランド。無能な私の代わりに、ラウラを私と言う呪縛から解放してやってはくれないか?」

 

 此処での千冬は、軍に居た頃の千冬ではない。ラウラがいくら彼女を見たところで答えは出ないし、優しいラウラでは「織斑千冬」になんてなれない。

 

「アイツは私の言葉には何も考えず従うだろう。だがそれでは駄目なんだ。アイツには自分の意思で、変わって欲しいんだ」

 

 IS学園と言う、ラウラにとって異質な居場所。そこで自身がどうなりたいのかどうありたいのか、それはラウラ本人にしか解らない。

 そしてそれらを実行に移すには、本人の強い意思が必要になるのだ。とても、他人に言われて成せる事じゃない。

 

 千冬はそこまで言い終えると、昭弘の返答を待つべく敢えて口を閉ざす。しかし昭弘から帰って来た言葉は、了承の言葉ではなかった。

 

「……態々オレに頼むって事は、「ボーデヴィッヒの友人」としてオレを信用しているって事ですよね」

 

 その雰囲気や風貌に似つかわしくない、筋金入りのお節介焼き『昭弘・アルトランド』。そんな彼にとってその様な頼み事は、寧ろ自分から望むところなのだろう。しかもラウラの友人として自身を頼ってくれると言うのだから、お節介心も燃え滾ると言うもの。

 そんな昭弘の答えは、言うまでも無く1つしか無かった。

 

「喜んで引き受けます」

 

「ッ!ありがとうアルトランド!」

 

 千冬は大いに感謝すると、昭弘の右手をしっかりと両手で握り締めた。

 

 彼女はこれまで、誰に対しても委縮した事はただの一度もない。だがこの時ばかりは、昭弘に対して多少ながらも委縮してしまった。

 

 

 千冬が固く熱い握手を解いた後、丁度昭弘は訊きたい事を思い出したので彼女に訊ねる。

 

「そう言えば織斑センセイ。一夏とボーデヴィッヒの確執について、何か心当たりはありますか?」

 

「…それは『第二回モンド・グロッソ』での出来事だろう」

 

 『モンド・グロッソ』とは、3年に1度だけ開催されるISの世界大会である。様々な部門に分かれており、総合優勝者にはブリュンヒルデの称号が与えられる。

 つまり、第一回大会での優勝者こそが千冬なのだ。

 

「…第二回大会では、センセイが途中で棄権したと聞きましたが。一夏と何か関係が?」

 

 昭弘もモンド・グロッソに関しては、束からある程度話を聞き及んでいる。

 しかし、詳しい真相に関しては一切報道されなかった。昭弘も又、真相を知らない人間の一人だ。

 

「…そうだ」

 

 それ以上、千冬はモンド・グロッソに関して昭弘に口を開こうとはしなかった。昭弘も「機密性の高い案件なのだろう」と察し、それ以上訊こうとはしなかった。

 

「ラウラも焦っているのだろう。一夏の剣術もISもそして雪片も、全てが私の生き写しだ」

 

 今のラウラを鑑みると、一夏に対して悪しき執着心が芽生えても不思議ではない。モンド・グロッソでの出来事が、それに拍車を掛けてしまったのだろう。

 個人に対する負の感情は、積み重ねられた分だけ肥大化していきやがて憎悪と化す。

 

 千冬はラウラの心境について予想を立てると、昭弘に“ある確認”を取る。

 

「ん?…なぁアルトランド、一夏もラウラを疎ましく思っているのか?」

 

「ええ、少なくともオレからはそう見えました」

 

 昭弘の返答を聞いて、千冬は手の甲を顎に当てながら考え込む。

 

 千冬を崇拝するラウラからしてみれば、千冬に最も近しい存在である一夏を妬ましく思うのは解らなくもない。

 しかし姉である千冬から見ても、一夏がラウラを疎ましがる理由はどうやら解らない様だ。

 

 この時、昭弘は勿論千冬自身も知る由など無かった。一夏が一体、どれ程千冬と昭弘に執着しているのかを。

 

 

 

 結局一夏の事が何一つ解らなかった昭弘は、歯痒い気持ちを押し殺す様に茶を飲み干すと職員室を後にした。

 

 

 そんな中、昭弘と千冬は今更な問題にぶつかった。

 

 

 

(…あんな頼み事をしておいて何だが、アルトランドは何か秘策でもあるのだろうか)

 

 

 

(…引き受けたは良いが、何をどうすれば良いんだ?)

 

 

 

 

 

((まぁ何とかなるだろう))

 

 猪突猛進な2人は、もう少し「慎重」という言葉を覚えた方が良いのかもしれない。




ラウラの過去や左目については、クライマックスでしっかりと・・・描写しますんで。一夏の過去と第二回モンド・グロッソに関しても同様です。

ラウラ・シャルル編、今までで最長になるかもです。・・・あ、もうなってる?


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第22話 一夏の焦燥

セシリアにだけやたら辛辣な昭弘すき。


―――――5月14日(土) 07:03―――――

 

 土曜の朝であるにも関わらず、昭弘たちはアリーナBでタッグトーナメントに向けた練習に励んでいた。流石にこの時間帯なら、他の生徒は未だ布団に籠っている様だ。

 

 そんな中、箒、鈴音、セシリアの3人が、スタンドで一夏に対し熱心に指導をしていた。お世辞にも上手な教え方とは言えないが。

 

 そんな勢いに任せる彼女たちへ、昭弘が冷風を送る様に物申す。

 

「…お前ら自主練でもしてろ。オレが教える」

 

 その一言を聞いて頭が混乱していた一夏は歓喜の表情を浮かべるが、熱の下がらない女衆は反発する。

 

「何よ昭弘。また一夏を独り占めする気?」

 

「魂胆が見え透いているのですわ。そんなに独り占めしたいのなら、せめてもう少し言葉を選んで立ち回ったらどうですの?」

 

 どうやらセシリアや鈴音にとって、昭弘は一夏に立ち塞がる壁として認識されている様だ。

 当の昭弘は堪ったものではないので、反論すると言うかあしらう。

 

「何故そう言う話になる?それとオルコット、「言葉を選んで立ち回れ」だぁ?今のお前こそ言葉を選んでもう少し解りやすく教えたらどうだ?」

 

「アラまぁここに来て粗探しですの?心の狭い男ですわね」

 

「こんな野蛮人如きの言葉に反論出来ないのか?貴族令嬢様?」

 

「はぁ?野蛮人風情相手をする労力すら惜しいだけですわ」

 

「だぁもうッ!喧嘩するなら別のアリーナ行ってよね!」

 

 もう嫌と言う程見てきた昭弘とセシリアの口論に、鈴音が割って入る。

 

 そんな中、隙を突いた様にシャルルが一夏の傍まで赴く。

 

「一夏。良ければ僕と一緒にどう?射撃武器について色々と教えられるかもしれないし」

 

「お、おう喜んで!」

 

 今の状況では一夏にとって正に好都合だ。

 

 しかし、念の為に箒の顔色を伺う。

 こういう時箒が機嫌を損ねると言う事を、流石の一夏も学んだらしい。理由は当然解っていないが。

 

「シャルルとフィールドまで下りるけど…い、良いよな?箒」

 

 そう恐る恐る聞くも、箒の返答は驚く程淡白なものであった。

 

「別に良いのではないか?」

 

 むつける訳でもなければ、反発する訳でもない。一夏は安心と言うよりも、一周回って不気味なものを感じた。何も裏が無ければいいのだが。

 

 

 箒も、余りに淡白過ぎる自分自身に驚いていた。それは恐らく、好きな異性が2人居ると言う特殊故。心の余裕と言うよりも、以前の様な一夏一人に対する独占欲と言うものが薄れているのだ。

 今の彼女は、もう一夏だけを意識する訳には行かないのだから。

 

 

 

 一同は、一夏とシャルルによる訓練をスタンドから眺める事にした。

 シャルルのIS名は『ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡ』。全体的に橙色の装甲は頭部以外の大部分を覆っており、ブルー・ティアーズや甲龍と比べると幾らか重厚感がある。更に背部から伸びる4本のウイングが、当機の存在感をより激しく主張していた。

 

 早速、両名はフィールド上で楽し気に斬り結ぶ。

 そんな2人を、鈴音とセシリアは苦々し気に見下ろす。何を男同士で楽しそうにと。

 

 そんな2人とは対照的に、昭弘と箒はシャルルの実力や機体性能を冷静に分析していた。

 

「ラファールのカスタム機か。20種に及ぶ武装を収納出来る、膨大な拡張領域が主な特徴だな。機動力こそ第3世代機に多少劣るが、その手数の多さは脅威だ」

 

 どうやら昭弘は、第3世代機以外の専用機をも粗方調べ上げている様だ。

 隣に居た箒は、ISスーツが食い込んだ昭弘の麗しい肉体に顔を赤らめながらも自身の見立てを述べる。

 

「近接戦においても、十分な実力を備えている様だな。一夏が未だ慣らしとは言え、彼の剣戟と互角とは…」

 

 多彩な武装に十分な近接戦闘能力。

 2人の分析を合わせると、シャルルのラファールは専用機の中でも全方面に特化した機体と言える。

 

ドヒュゥゥーーッ!!

 

 そんな中、2人は突如フィールド上に現れた『漆黒のIS』に目を奪われる。

 しかしドス黒いボディの上を揺らめく美しい銀髪を見た彼等は、それが誰なのか一瞬で把握する。

 

「チッあの馬鹿…」

 

 昭弘はそんなラウラを確認すると、急いで直近のピットへと向かう。

 

「昭弘!私はセシリアたちを留めておく」

 

「スマン!頼む」

 

 去り際に、昭弘はそう叫ぶ。

 セシリアと鈴音は、未だにラウラへの敵意を解いてはいない。感情的になって、これから昭弘が「しようとしている事」の邪魔をされては敵わない。

 昭弘はその辺りを理解してくれている箒に、心の中で短く感謝する。

 

 

「ラウラ・ボーデヴィッヒ…!」

 

「何?アイツが一夏をブン殴ろうとした奴?…丁度良いわ、一夏に加勢するついでに軽く痛め付けておこうかしら」

 

「待て2人共!」

 

 そんな案の定今にもピットへ駆け込もうとする2人を、箒は必死に宥めようとする。

 そして、この場において考えうる最良の言葉を思い付く。

 

「い、一夏があんな奴に遅れを取る筈がなかろう!ここは一夏を信じて見守るべきだ」

 

 その言葉は、一夏を愛している彼女たちを留めておくには十分であった。

 

 

 

 折角のシャルルとの楽しい一時を邪魔された一夏は、憎々しげにラウラを睨み付ける。

 

「…何の用だよ?」

 

 半ば投げやりにそう訊ねる一夏に対し、ラウラはどこか得意気に言い放つ。

 

《織斑一夏、私と戦え》

 

 そう言われると、一夏は不安気なシャルルを見つめる。

 一夏自身は戦っても良かったがコイツ如きの為に態々シャルルを困らせたくはないし、シャルルと訓練を続けていた方が遥かに有意義だ。

 そんな一夏は、あくまで口調を荒げずに答える。

 

「嫌だね。する理由がねぇよ」

 

 しかし、無論ラウラは引き下がらずに右肩の長大なカノン砲を向ける。

 

《お前にはなくても私にはある!》

 

ドァォオンッ!!

 

 相手の許可なく一方的に放ったソレは超高速で白式目掛けて飛来する。余りにも突然の砲撃に対し、反応すら出来ない一夏は直撃を覚悟した。

 しかし一夏が予想した衝撃は、傍に居たシャルルがラファールのシールドによって防いだ。

 

 そんなシャルルを睨みながら、ラウラは毒付く。

 

《…ヤルのか?フランスの第2世代機(アンティーク)風情が》

 

 そんなラウラに対し、シャルルも口調を強めて返す。

 

《ドイツの第3世代機(ルーキー)よりは戦えると思うけど?》

 

 シャルルの意趣返しを火蓋に、ラウラは瞬時加速で突っ込んで来る。他の飛び道具を警戒していた2人は、ラウラの予想外な突進に対してまたもや反応が遅れてしまう。しかし…

 

ガギィィインッ!!!

 

 まるで先程のシャルルの動きを焼き増した様に、「巨大な影」がシールドを翳してラウラの突撃を防ぐ。その巨体の後姿を拝んだ一夏は、喜色を取り戻してその名を叫ぶ。

 

「昭弘!!」

 

《アルトランドくん!?》

 

 

 

 2人の異なる反応に対し、昭弘は無機質なツインアイを一瞥だけ後ろに向けると再びラウラに相対する。

 

「チィとおイタが過ぎるんじゃないか?ボーデヴィッヒ」

 

 通信越しに聞こえる昭弘の少しくぐもった声を聴いたラウラは、自嘲する様に口角を釣り上げる。

 

《…ハッ!お前が正しいよアルトランド。そりゃあそうだ、私の様な「鼻つまみ者」に肩入れするメリットなどお前には無いものなぁ?友達でもないなら猶の事なぁ!?》

 

 ラウラの少し演技掛かった返答を聞いた昭弘は、キッパリと否定の意思を示す。

 

「オレが乱入した一番の目的はな…ボーデヴィッヒ、お前と一度戦ってみたかったからだ」

 

《…何?》

 

 それは聞き返すと言うよりも、反射的に放った一言であった。突然の告白に頭が追い付かなかったラウラは、短い単語を発する他なかったのだ。

 

「悪いか?友人の技量が気になっちゃ、闘技場(フィールド)で戦闘への欲求を満たしちゃ」

 

 最後に、昭弘は止めの一言を発した。

 

「ま、勝てない相手に戦いを挑むのはお前にとっちゃ無謀に過ぎるか」

 

ブツン

 

 ラウラは謎の音を脳内に響かせると、ターゲットを一夏から昭弘へと変える。

 しかしラウラの顔にずっと張り付いていた陰鬱な笑みは消え失せ、代わりに無邪気な笑みが浮かび上がっていた。

 

 まんまと乗ってくれたラウラを見て、昭弘はフルフェイスマスクの中でほくそ笑む。

 一夏とシャルルへの通信も忘れない。

 

「つー訳だ。オレが押さえておくから2人は訓練に集中してくれ」

 

《う、うん!ありがとうアルトランドくん!》

 

 シャルルは、快活に感謝の言葉を述べるが…。

 

 

 一夏は先程の喜色溢れる表情を消し飛ばし、ただ茫然と立ち尽くしていた。

 その引き金となったのは、先程昭弘が「一番の目的」を言い放った時だった。

 

 「昭弘が割って入ってラウラを遠ざけてくれた」と言う客観的事実は今の一夏に映らず、暗黒の思考が別の主観的事実を網膜に映し出していた。またしてもラウラに昭弘を奪われた、と。

 

《一夏ッ!!》

 

 そんな一夏を現実に引き戻すべく、シャルルが声を震わせる。

 

 まるで永い眠りから意識を取り戻したかの様に、一夏はシャルルへと振り向く。

 

《と、取り敢えず僕たちは下がっていよ?》

 

 シャルルは白式の手を掴み、後方へと下がる。

 しかしグシオンから離れれば離れる程、一夏の表情は険しさを増していく。その瞳には、仲睦まじそうに見つめ合う昭弘とラウラの姿が映っていた。昭弘の表情はマスクで見えないが、一夏にはそう見えてしまった。

 そして一夏は、思ってはいけない事を思ってしまった。

 

―――こんな事ならさっきボーデヴィッヒをぶっ潰しとけば良かった

 

 

 

「(『シュバルツェア・レーゲン』…ドイツの最新鋭機か)おっとそうだ、ボーデヴィッヒ」

 

 相手の機体名を確認した後、昭弘はラウラにある提案を言い渡す。

 

「射撃武装は無しにしないか?一夏とデュノアに流れ弾が飛んじまう」

 

 しかしラウラは、その提案を嘲りながら却下する。

 

《知るか!当たる方が悪いだ…!?》

 

 ラウラは最後まで台詞を言えず、反射的に腹部を両腕で防御してしまう。その交差させた両腕には、グシオンリベイクの武骨で鈍重な右足が減り込んでいた。

 

「もうとっくに始まってるんだぜ?撃つ気満々なら先にヤクザキックなんて食らうんじゃねぇよ」

 

 昭弘が更に挑発すると、ラウラは歯を食い縛りながらも笑みを浮かべる。戦いの快楽にその身を委ねる様に。

 

《ミスったのは貴様だアルトランド。今のが正真正銘最後のチャンスだったと言うのに近接武器を使わないとはなぁ!》

 

 

 序盤レーゲンは下手に接近せず、高機動を活かしてグシオンを翻弄しようとする。しかし、グシオンはその場に佇んだままだ。

 業を煮やしたラウラは、背後から擦れ違い様に右手の「プラズマ手刀」をお見舞いする。

 ソレを読んでいた昭弘は、振り返りながら左手に腰部シールドを持ってガードする。更にその動きを読んでいたラウラは左手のプラズマ手刀も発動させ、グシオンの顔面に向かわせる。そのジャブ並みに速い突きは奇麗に直撃する…が。

 

 直ちに引き抜こうとした手刀は、あっさりとグシオンの右手に捕まってしまう。

 

(早いッ!)

 

 両腕が塞がったラウラは、またしても驚愕に支配される。

 

(背中に…腕!?)

 

 既にグシオンの右サブアームにはハルバートが握られており、ラウラの予想通りの軌道でソレは振り下ろされる。

 

ギィン!

 

 今度は昭弘が既視感のある兵装に顔を歪ませてしまう。

 ソレは強いて言うなら「縄」、もっと誇張表現するなら「触手」とでも言えば良いだろうか。レーゲンの左腰に付随しているユニットから伸びた3本のソレらは、先端の刃でハルバートを完璧に防いでみせた。

 

(『バルバトス』のテイルブレードを思い出すな。念のため左手のサブアームは隠しておいて正解だったぜ)

 

 昭弘は直ちに左サブアームを繰り出して、その手にグシオンハンマーと言う鉄の塊を呼び出し振り下ろす。

 

 だがレーゲンは右腰のユニットからも3本のワイヤーブレードを出現させ、先程と同じようにハンマーを防ぐ。

 

 グシオンは4本の腕が塞がれ、レーゲンもこの至近距離でレールカノンを打てば衝撃でダメージを受ける。

 

 しかしそんな膠着状態も長く続かなかった。

 ラウラは右手のプラズマ手刀と6本のワイヤーブレードを引っ込めると同時に、右肩を引いて身体を真横に逸らす。その帰結として体勢が崩れたグシオンに蹴りを放ち、左腕の束縛を解く。

 

 

 その後、空中で幾度となく激しく斬り結ぶ2機。

 目まぐるしいまでに交差する、プラズマ手刀とハルバート。その斬り合いにワイヤーブレードやサブアームまで加われば、最早異形の怪物同士の戦いだ。

 

 しかし、昭弘の中にある疑問が生じ始める。

 無論の事、昭弘はレーゲンの事も粗方調べている。レーゲンが搭載している特殊兵器の事も然り。未だにラウラがソレを使わない事が、昭弘は不思議でならないのだ。

 

 

 

 代表候補生でありレーゲンの情報を網羅しているセシリアと鈴音も、その不可思議を感じ取っていた。

 

 そんな中イマイチ状況を把握出来ていない箒を見かねて、セシリアは自ら説明に入る。

 

「平たく言えばレーゲンの特殊能力ですわ箒。1対1の勝負では反則級の力を発揮する能力なのですが、何故それを使わないのか…。まぁしかし、いずれは使うでしょうからどんな能力かは観てみれば解りますわ」

 

 

 セシリアが言い終えたタイミングで、鈴音は思い出したように口を開く。

 

「そう言えば、結局一夏たちは戦わずに終わっちゃったわね…」

 

 少し残念そうな鈴音に対し、箒は今の状況を肯定する。

 

「寧ろそれが良いのだろう。正直一夏とボーデヴィッヒは、余り関わらせない方が良い気がするしな」

 

 箒の余りにも平和的な意見を聞いて、鈴音とセシリアは先程の好戦的な自分自身を恥ずかしく思ってしまう。

 

 今の昭弘とラウラの様に、戦うのは良い。だが争いは、起きない方が良いに決まっている。

 

 

 

 互いの剣先を交互に繰り出しながら、ラウラは忌々しくグシオンを見つめる。

 

 飛び道具を封じている今のグシオンに勝つことは、ラウラにとって造作も無い事だ。それが、レーゲンの特殊能力なのだから。

 では何故能力を使わないのか。それは恐らく、射撃兵装を使わずに向かってくるグシオンの姿勢そのものにあるからだろう。射撃兵装を使わない相手にこの能力を使うのは卑怯だ、と。

 

 結局ラウラは、ここでも千冬の幻影に囚われているのだ。もっと言うなら、千冬を目指しているラウラにとってこの特殊兵器そのものが不要なのだろう。

 

 そんなラウラのジレンマを見破ったかの様に、グシオンは滑腔砲を構える。

 いきなり約束を破って来た昭弘に対して激怒する間もなく、ラウラは反射的に「両手」を前方へと掲げてしまう。

 

 瞬間、グシオンの動きはピタリと停止してしまう。同時に、昭弘から専用回線で通信が入る。

 

《何故、最初から使わなかった?》

 

 『|AIC《Active Inertial Canceller》』慣性停止結界。手を翳すだけで相手の動きを完全に封じる事が出来る、レーゲン専用の特殊兵装だ。

 無論、射程距離や集中力等発動には様々な条件が必要になるが、一度発動に成功すれば無類の強さを誇る。

 

 そんな昭弘の問い掛けに対し、ラウラも約束を違えた事に関して小言を繰り出そうとする。しかし良く良く見てみると、グシオンは滑腔砲を逆向きに持っていた。

 ラウラはしてやられたと思いながらも、昭弘の問い掛けに答えようとする。

 

 しかし言いたくないのか何と答えれば良いのか解らないのか、言葉が上手く出てこない。

 そんなラウラに対し、昭弘はグシオンのマスクを解除しながら言葉を贈る。

 

《…()()()、もう好きな様に戦ったらどうだ?ISってのは、自分の「好き」が許される存在だろう?》

 

 ラウラはその聞き慣れない言葉を、心の片隅に閉じ込めておく。

 そして、AICを使ってしまって気分が萎えたのか昭弘の素顔を見て心が落ち着いたからか、ラウラは戦闘態勢を解いた。

 

「…今日は引き下がるとしよう。中々楽しいバトルだったぞアルトランド」

 

 そう言ってピットに戻ろうとするラウラに対し、昭弘は最後の疑問をぶつける。

 

《何で一夏に挑もうとしたんだ?》

 

「…“任務”兼“私怨”だ」

 

 私怨に関しては昨日千冬から話を聞いている。任務に関しても、一夏に挑んだ事を鑑みれば白式のデータ収集であろう事は昭弘にも予想出来た。

 成程確かにそう考えると、ラウラにとってこの戦いは憎き一夏を痛め付け更には白式のデータ収集も可能。正に一石二鳥と言う訳だ。

 

 と、そこでラウラが何か言いたそうに、しおらしくモジモジとしている。

 そうして落ち着きなく手を腰に当てたり頭に持って行ったりした後、ラウラは少し照れくさそうにしながら次の言葉を放った。

 

「…()()…私を「友人」と言ってくれた事…その、悪い気はしなかったぞ?」

 

 

 

 

―――同日 20:01 128号室―――

 

 ここ最近一夏の様子が可笑しい。口数は以前よりも減り、笑い方もどこかわざとらしい。

 

 さっきまでそんな事を考えていた自分自身が酷く懐かしいと、今シャルルは感じていた。

 

 そう彼…いや彼女は、今さっき浴室で一夏に正体がバレてしまったのだ。

 いつかバレると彼女も思っていたのだろうが、それがこんなに早いとは彼女の動揺からしても予想出来なかったに違いない。

 

 

 時間がある程度経過し落ち着きを取り戻した一夏は、何故この様な行為に至ったのかシャルルに訊ねた。

 

「アハハ……全部話すよ」

 

 バレてしまったものはしょうがないと、シャルルはなるべく手短に己の目的と境遇を纏める。

 

 

 彼女の目的…と言うよりも彼女の父親の目的が、一夏と白式のデータ奪取にあったのだ。

 大手IS企業『デュノア社』の代表取締役を務めていた彼女の父親は、男性操縦者である一夏に近付かせるべく己の娘を男装させてIS学園に転入させたのだ。男装させたシャルルを、会社の宣伝の為に利用する目的もあった。

 それだけでも余りに無茶苦茶な内容であった。

 

 更に胸糞が悪いのは、シャルルの扱いであった。正妻が子供を産めない体質であった為、シャルルの父『アルベール』は自身と愛人の娘であるシャルルに目を付けたのだ。

 

 父の愛人である母親と2人暮らしだったシャルルだが、母が他界してからはデュノア家に引き取られた。それから監獄の様な日々が始まった。

 「愛人の娘」と言う立場上社内でも居場所が無かったシャルルは、今迄一切面識のなかった父親の命令通りに日々を過ごしていた。

 更にIS適性が高いと判明してからは、テストパイロットとしての過酷な訓練を強いられて来たと言う。

 

「…父の会社もよっぽど切羽詰まっていたんだろうね。僕にこんな無茶な男装をさせてまで、データの奪取なり会社のPRなりを画策するんだから」

 

 その後、彼女は諦めた様な笑みを浮かべると己の心境を述べた。

 

「今となってはもうどうだっていいんだけどね。正体がバレた以上、本国に強制送還されるか最悪「裁判」にかけられるだろうし」

 

 今一夏の胸には、様々な思いが去来していた。

 

 何処にも逃げ場がないシャルルへの哀れみ、理不尽を突き抜けるが如き外道を貫く父親への怒り。

 しかし父親の指示とは言え、シャルルの行為はれっきとした犯罪だ。その事実を誰にも報告せずに隠せば、最悪一夏まで同罪になりかねない。

 未だ子供の一夏にはそんな小難しい事など頭に無く、あるのはシャルルを助けたいと言う思いと、『昭弘』を頼るか否かと言う判断基準だけだった。

 

(やっぱ先に昭弘に相談した方が…いやけど)

 

 一度昭弘の事を考えた途端、一夏の脳裏にあるシャルルへの思いは段々と昭弘一色へ滲んでいく。

 

―――昭弘には報告しない方が良いぜ?

―――けどオレ一人でどうこう出来る問題じゃ…

―――出来るさ。何たってオレは『ブリュンヒルデ』の弟なんだからな

―――…それは関係無いだろ

―――それに良いのか?ここで昭弘に「良いとこ」見せておかないと本当に愛想尽かされちまうぞ?唯でさえクソッタレのボーデヴィッヒに入れ込んでるんだからな昭弘の奴。ここは一つ「オレ一人でもどうにかなる」って形だけでもアピールしとかないと

―――…

―――ほーら見ろ反論しない

―――…じゃあ何をどうしろって

―――「あの人」が居るだろ?世界中の誰もが知っているあの人さ

 

 心の中でそんな鬩ぎ合いをしている内に、一夏はある「悪魔的な事」を思いついてしまう。しかし恐らくそれは人としてやってはいけない事だと、一夏自身も自覚している。

 しかしどの道千冬や他の教員に報告した所で、シャルルが犯罪者として本国に強制送還される可能性は高い。

 

 すると一夏は、まるで縋るような目で己を見つめているシャルルに気付く。

 一夏は先程の陰鬱な表情を満面の笑みで直隠すと、シャルルに再び向き直る。

 

「…良しッ!オレが何とかしてやるよ!」

 

 完全に諦めかけていたシャルルは、一夏の思わぬ反応に対して首を傾げる。

 

「良い方法を思い付いたんだ。…ただその代わり、一つだけ確認しときたい事がある」

 

 

 

 シャルルは一夏の言う「確認」を聞いた後、特に迷う素振りもなく肯定の意を示す。

 

「…うん、僕は構わないよ。母の居ないあの国に未練はないし、犯罪者として生きていく位なら…」

 

「…良し」

 

 一夏は短いその一言を発すと、シャルルの肩にやさしく手を置く。あの時、昭弘が自分にそうした様に。

 

「オレが護ってやるよ。女を護るのは男の使命みたいなもんだからな」

 

 一夏にそう言われると、シャルルは安心した様に口許を綻ばせる。

 

「…ありがとう。一夏って優しいね。僕は君から白式のデータを盗もうとしていたのに…」

 

 その「優しい」と言う言葉は、一夏の心を深々と抉った。

 自分は優しくなどない。シャルルの事を本気で想っているのであれば本来なら昭弘に一度相談すべきなのに、自分の焦りを優先して勝手に押し進めてしまった。

 そんな事を考えながら、一夏は視線を逸らして小さく頷く。

 

「それと…一夏にだけは教えるけど、僕の本名は『シャルロット・デュノア』って言うんだ」

 

 今までタイミングを見計らっていたのだろう。『シャルロット』が自身の真を曝け出すと、一夏も改めて自身の真を口に出す。

 

「そんじゃこっちも改めて『織斑一夏』だ!宜しくなシャルロット」

 

 そんな2人は、異性同士である事を忘れるが如く固い握手を結ぶ。

 

 シャルロットは、一夏の先程の様子などすっかり忘れ去っていた。

 そんな彼女が今一夏の中で犇めいている翳りなど、よもや観測出来る筈もなかった。

 

 

 

 一旦寮を出た一夏は、ある人物に連絡を取るべく携帯の液晶をスライドする。

 該当人物の名前が現れると、液晶をタッチする。

 

 

 液晶画面には『篠ノ之束』と表示されていた。




少しずつ成長する箒ちゃん。
IS学園特記事項にある外部からの干渉うんぬんだと、単なる「問題の先伸ばし」になってしまうので、天災科学者にお願いする事にしました。その代償が、昭弘・箒・一夏の関係性を更に複雑にしていきますので、今後も是非御期待ください。
無論、シャルロットの問題もこれだけでは終わりません。

と言うか早くトーナメント本戦まで進めなきゃ。


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第23話 決戦まで

最近投稿が遅くてすみません。もしかしたら、今後も執筆の時間が取れなくなるかもしれませんが、何とかしようと思います。

んでもって大変お待たせしました!次回からようやくタッグトーナメント本戦です!ほんとテンポ悪くてごめんなさい。
私自身描くのが楽しみ過ぎてワクワクしています!

昭弘が誰とタッグを組むのかは、次回へのお楽しみと言う事で。

追記:肝心な事を書き忘れていましたが、ラウラvsセシリア&鈴音、原作と大部異なります。


《おんやぁ☆久し振りぃ!いっくん!》

 

 余りにもあっさりと連絡が繋がり、呆気に取られていた一夏は少し遅れて挨拶を返す。

 

「おっ、お久しぶりです束さん!」

 

 積もる話もあるのだろうが、これから一夏が話す束への頼み事は他人に訊かれてはならない話だ。

 懐古に浸る心を抑えて、人気の無い場所で早速本題に入る一夏であった。沈み切った表情をそのままに。

 

 

《フムフム…お安い御用だね☆》

 

 一夏が言い放った無理難題を、束はお使い事を頼まれるが如く簡単に引き受けた。

 

「あ、ありがとうございます!…けど、本当に可能なんですか?」

 

 懐疑心が拭えない一夏に対し、束は自信満々に返す。

 

《この「天災兎様」に不可能は無ぁい☆ただし…》

 

 無論一夏も、束がただで引き受けてくれるとは端から思っていない。彼女が条件を口に出す前に、一夏は条件の受け入れを仄めかす。

 

「オレに出来る事があるのなら…」

 

 一夏の言葉を聞いて、束は電話越しに口角を釣り上げる。

 

《ホント!?じゃあ言うね?》

 

 そして、束自身の計画とは全く関係の無い己の我儘とも私欲とも言えるようなお願いを、彼女は一切の遠慮も無しに口にする。

 

 

 

《箒ちゃんと結婚して、いっくん》

 

 

 

 

 

 

―――――5月15日(日) 06:09 アリーナB―――――

 

 フィールドの端っこで、1人の重装騎士が佇んでいた。それを纏うは無論の事、昭弘・アルトランドである。

 

 地に足を着いた彼は頭の奥深くへと響く耳障りな男の声を思い出しながら、刃渡り1m以上にも及ぶマチェットを見つめる。

 グシオンの拡張領域に空きがあった為、先日追加武装としてデリーに頼んだ代物だ。

 

 幅15cmはあろう刀身は真っ直ぐに伸びており、刃先と切っ先の間だけが奇麗に反り返っていた。

 

 先ず昭弘は強度を試すべく、その巨大マチェット『ギュスターブ』を思い切り振り下ろす。

 

ブォゥンッ!!

 

 突風の様な風切り音と共に、マチェットはグラウンドに奇麗な切れ目を残した。別段目立った刃毀れ等も無い。

 

(良いなコレ。重さや頑強さは勿論だが、何よりバランスが良い。…名前は兎も角として)

 

 ハンマーやハルバートとは異なり、柄が短く大部分が長く頑強な刃体によって構成されているマチェットは近接攻撃からも身を護りやすい。

 

 昭弘はそのまま暫くの間ギュスターブを振り回し、ある程度慣れて来た所で本命に入る。

 

(さて、後はコイツの「単一仕様能力(ワンオフアビリティ)」だな)

 

 昭弘は今現在、マッドビーストを緊急時以外使わない様命じられている。

 

 しかし緊急時に己の能力を制御出来ない様であれば、それこそ身も蓋も無い。第一、発動の基準や条件さえ未だ曖昧な部分が多いのだ。

 何よりセシリアの存在だ。本来、親友(ライバル)である三日月に対する感情からも解る通り、昭弘は元々負けず嫌いな性分だ。そんな彼は以前よりも着実に力を付けているセシリアに対し、少なからぬ焦燥感を抱いていた。このままでは負けると、もし単一仕様能力を通じて“何か”を得られるならばと、そんな事を考えているのだ。

 

 無論の事、自身の考えは千冬にも伝えてある。結果として、フィールド上に誰も居ない事と終了後に必ず身体検査を受けると言う条件付きで、使用を許可された。

 

 早速、昭弘はあの時の感覚を思い出そうとする。

 しかし忌まわしい記憶が、昭弘の思考を遮る。あの日、昭弘はやむを得ない状況だったとは言え家族(タロ)を手にかけてしまったのだ。思い出したい筈がない。

 それにあの時、グシオンと同化した昭弘は半分本気で家族を殺すつもりで戦っていた。そんな狂戦士に、進んでなりたくはないと言うのが彼の本音であった。

 

 それでもやるしかない。

 クラス対抗戦でさえ、あの様な襲撃が起きたのだ。それ以上の規模である今回の催し物では、何が起こるか分かったものではない。その際、強いに越したことはないのだ。

 そう自身に言い聞かせ、嗚咽を我慢しながらも再び意識を集中させる昭弘。

 

 

 今、昭弘とグシオンリベイクは阿頼耶識によって繋がれている。それは間違いない。

 ではシンクロ率99%と100%を隔てる「1%」とは、一体何なのか。

 

―――オレ自身がグシオンに

 

 ふとそんな言葉を、昭弘は思い出す。

 もしあの時呟いた己の言葉通りだと言うのなら、99%と100%は何もかもが異なる。99%の状態が「グシオンを纏った昭弘」ならば、100%の状態は正しく「グシオンそのもの」なのだ。

 昭弘はその事を踏まえて頭の中をクリアにする。そして、あの時の激情の正体について熟考する。

 

(…そう、色んな感情が蠢いてはいたがオレは最終的に何もかもぶっ壊したくなって。気が付けばオレは、己の破壊衝動を感情と共にグシオンへと委ねた)

 

 その結論に至ると、今度は「グシオン」と言うMPSについて考えを巡らす。それは、強いて言うならグシオン本来の在り方とでも言えば良いだろうか。

 このMPSは一体何の為に創られたのか。

 流石に束の考えまでは昭弘にも測りかねるが、兵器として纏う以上用途は絞られる。それは無論の事、戦う為である。そんなグシオンのコアに、もし自分と同じ様な破壊衝動があったのだとしたら。阿頼耶識と言う名の管を通じて、己とグシオンの破壊衝動が重なり合ったのだとしたら。

 

 その答えに行き着いた時、既に昭弘とグシオンに変化が訪れていた。

 グシオンの在り方を思えば思う程、破壊衝動に想いを寄せれば寄せる程、昭弘は己が人間なのか機械なのか判別がつかなくなっていった。

 そして…

 

―――――シンクロ率100%。これより、単一仕様能力「マッドビースト」を発動します

 

 機械的なアナウンスと同時に、あの時の激痛が昭弘の脳内に襲い掛かる。

 頭を押さえる余裕などなく、早速フィールドを破壊すべくハルバートを掲げるグシオン。

 

(まだだ、まだ動くな…!)

 

 制御に必要なのは、要するに破壊を実行に移すタイミングと何を破壊するかと言う対象を己の意思で見極める事だ。

 

―――2分後に70m先の地面を抉る

 

 そう己の中に目標値を設定するが。

 

ボォゴッ!!

 

 位置は正確に叩いた。しかし2分近くは破壊衝動を押さえられず、1分30秒程で身体が自然と動いてしまった。

 

(…もう少し慣れる必要がありそうだな)

 

 そう思いながら、昭弘は懸命にグシオンと言う名の狂獣を制御し続けた。

 

 

 

(…今度はどうやって戻るかだな)

 

 前回途中で意識を失ってしまった昭弘は、元に戻る方法さえ未だに解っていない。

 

 

 これに関しても様々な方法を試してみた昭弘であったが、結局グシオンのエネルギーが切れるまで解除される事はなかった。

 エネルギーが尽きない限りは、グシオンを待機状態にすら戻せない。案外不便である。

 

 その後、再度グシオンのエネルギー補充を行った昭弘は、他の生徒が来るまで()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

―――――5月16日(月) 09:21 1時限目―――――

 

 1年1組の教室内で、真耶の優しくもハキハキとした教鞭の声が響き渡る。

 

 ラウラはその声に耳を傾けながらも、己の任務について頭を悩ませていた。一夏と白式のデータ収集は未だに一歩も進まず、ラウラはこの学園に翻弄され続けている。

 

 つくづく自分は餓鬼だと、ラウラは思い知らされる。

 友好的な外面を作り、一夏とある程度会話をすればすんなり事が進むと言うのに。それが出来ないからこそ、ラウラはIS学園で孤立気味なのだろうが。

 

 やはり、どうにか一夏と模擬戦でもするのが一番手っ取り早い。だが一夏はラウラと戦いたがらない。

 ではどうするべきかと、ラウラは更に頭を捻る。一夏をその気にさせるには。

 

(…やりたくはないが、奴と親しい人間に危害を加えるなんてのはどうだ?)

 

 確かにそうすれば、激昂した一夏はラウラに戦いを挑む。

 しかしもしそれをやれば、クラスメイトが持つラウラへの反感はより一層強くなるだろう。

 

 ラウラも嫌われる事には慣れているが、やはり躊躇ってしまう。

 もし自分がそんな事をしでかせば、自分と親しい昭弘や相川たちにまで迷惑が掛かるのではないか。それが原因で、昭弘たちから嫌われてしまうのではないか。

 そんな友人と言う甘美な存在に惑わされし心を、ラウラは激しく揺さぶる様にリセットする。

 

(切り替えろラウラ。友人よりも任務だ)

 

 そう自身に言い聞かせると、早速標的とする人物を頭の中で選定する。一夏とより親しく、それでいて自身の実力を誇示出来る程の強い相手を。

 

 

 

―――12:06

 

 時は昼休み。しかしながら、タッグトーナメントの迫ったこの時期にもなると人の流れも変化していく。

 そしてここアリーナAにも、流れの変化に乗じた人間が1人。

 

 セシリアはアリーナAのフィールド中央にて、静かに佇んでいた。

 既に自身の専用IS『ブルー・ティアーズ』を纏っていた彼女は、徐にビットを3機射出する。

 

 トーナメントまでの猶予を考慮するなら、恐らく今日中に目標値を達成しなければならない。動きながらの「ビット3機同時操作」を。

 

 今日に至るまで、彼女は自分でも解る程努力してきた。ISによる機動訓練は勿論の事、授業中に至っても携帯を駆使して並列思考を鍛え上げて来た。

 その努力に意味があったのか無かったのか、今日で決まる。

 

 セシリアは目を瞑り、もう一度ビットについて見つめ直す。

 自身がビットと一緒に、大空を翔るイメージ。そしてそれを実行する為に必要な「並列思考(能力)」。何故2機までは可能で3機からは駄目なのか。

 

 そこでセシリアは、遂に一つの結論に至る。それは「3機のビットを操る」のではなく、「自分自身もビットとなり4機で空を飛ぶ」と言う考え方であった。

 

ドォォォォゥゥンッ!!

 

 その考えに触発される様に、セシリアはティアーズのスラスターを一気に吹かせた。

 セシリアに追従しているビットの数は。

 

(3機共付いてきている…!)

 

 先ず第一段階は成功するが、本題はここから。

 セシリアはフィールド中央付近に浮遊している的を睨むと、全スラスターをそのまま吹かせ続る。

 

―――操ろうと思うな

―――ビット…BT…ブルー・ティアーズ。そう『ティアーズ』とは、その名の通り「涙」。己の体液の一部

―――共に翔んで当たり前、後はリーダーである自身が並列思考(能力)を用いて制御するのみ!

 

 己が思い浮かべるイメージに、己が追い求める戦闘並列思考を寸分違わず重ね合わせていく。

 

 

バシュシュゥッッ!!

 

 セシリアは姿勢制御を懸命に行いながらも、確かにその光景を己の瞳に焼き付けた。3機のビットが、か細い光線によって的を撃ち抜いたと言う揺るがぬ事実を。

 

 祈願の達成であった。余りの嬉しさに己が英国淑女である事を忘れるが如く、彼女はらしくもなく両手でガッツポーズを取る。

 

(後は簡単ですわ。やり方さえ解ってしまえばビットが何機増えようと同じ事!)

 

パチパチパチパチ…

 

 すると彼女の後方から、僅かに鉄の入り交じった拍手が聞こえる。振り返るとそこには、甲龍を纏った鈴音が佇んでいた。

 

《流石は、次期国家代表最有力候補って所かしら?》

 

 鈴音にそう言われると、セシリアは控えめに笑みを溢しながら答える。

 

「恐縮ですわ」

 

《ああそれと。今後アタシの事は「鈴」で良いわよ?チームメイトなんだし》

 

「分かりましたわ。では私の事も「セシリア」とお呼び下さいまし」

 

 一度タッグを組んだことがあり、尚且つ代表候補生同士である彼女たちにとってチーム結成は割と自然な流れであった。

 彼女たち2人は、今回のタッグトーナメントにて必ず優勝しなければならないのだ。それは、ある根も葉もない噂が発端なのだが。

 

 それはさておきと言わんばかりに、セシリアは衝撃砲の運用方法がどうなったのか鈴音に訊ねた。

 

《ちょっと見てなさい?》

 

 そう言われ、鈴音の後方まで下がるセシリア。

 

デュルルルルルルルルルゥウン!!!

 

 セシリアの目に飛び込んで来たモノは、連射型に変更された衝撃砲であった。

 

《設定弄るのに苦労したわよホントにー》

 

「…成程確かに、衝撃砲対策をしている生徒には有効かもしれませんわね」

 

 散弾型と連射型では、射程距離も攻撃範囲もまるで異なる。

 

《それだけじゃないわよ?左肩のユニットは連射型、右肩のユニットは散弾型に設定しといたから戦闘中にいくらでも切り換えや組み合わせが可能な訳。後は本番までに、アタシがコイツをどれだけ使いこなせる様になるかね》

 

 衝撃砲最大の利点にして最大の欠点、それは相手からも自身からも砲身が見えない点にある。だからこそ、鈴音は今まで命中範囲の広い散弾型を採用してきたのだ。

 それをどう克服するかが、彼女の課題なのだろう。

 

 

 するとセシリアは突然反応を示すハイパーセンサーに釣られ、グラウンドを見下ろす。そこには、先日も目に焼き付けた漆黒のISが地に足を付けていた。

 映像を拡大するまでも無く、セシリアと鈴音はそれが誰なのか把握する。その人物をセシリアは冷え切った目で、鈴音は鋭い眼光で睨みつける。

 

 

「お取込み中失礼するぞ」

 

 シュバルツェア・レーゲンを纏っているラウラは、2人を見下す様に見上げる。

 そんなラウラをそのまんま見下す様に見下ろすセシリアと鈴音の反応は、異なるながらも良い反応ではなかった。

 

《まさかアタシたち2人と闘り合うなんて馬鹿な事言わないわよね?》

 

「イヤ、全くもってその通りだ」

 

 当てずっぽうで言った鈴音の予想が当たり、彼女たちは鼻で笑いながらお互いを見合う。

 彼女たちの反応を見たラウラは、断られる前に2人を挑発する。

 

「貴様らなど私1人で十分だ。数しか取り柄の無い国に、古い事に何時までも固執する国の代表候補生如きに遅れは取らんよ」

 

 沸点の低い鈴音は、今の挑発で十分だった様だ。

 

《ねぇセシリア、コイツ少し痛い目見ないと解らないんじゃない?》

 

 しかしセシリアは未だ一押しが足りないのか、鈴音を宥める。

 

《安い挑発に乗る必要性は無くってよ、鈴。代表候補生の格が落ちますわ》

 

 しかし、ラウラは尚も傷口を探る様に挑発を続けた。

 

「おっと唯一貴様らに共通している点があったなぁ。多少見た目の良い「種馬」に欲情して尻を振る所とか」

 

 彼女たちへの煽り文句を極めて簡潔に纏めたその一文を、傷口へピンポイントに投下したラウラ。

 乙女心を貶され何より想い人である一夏をも侮辱されては、最早セシリアも宥められる側となってしまう。そして今この場に、2人を宥める存在は居ない。

 

 セシリアは歯を剥き出しにしながら嗤い、青藍色のバイザーを装着しながら言い放つ。

 

《…馬鹿ですわねアナタ。骨の1本や2本は覚悟なさいな?》

 

 

 

 

 セシリアと鈴音が特訓に精を出している間、昭弘は一夏たちと食堂で昼食を摂っていた。それは彼女たち2人がこの場に居ない事を除けば、一見いつも通りの光景であった。ラウラの雲隠れに関しても、昭弘にとってはいつもの事だ。

 

 しかし奇妙な事が一つ、一夏の様子だ。それはここ最近時々見せる微弱な変化ではなく、誰の目から見ても判る程の変化であった。

 

(今日はやたら静かだな一夏)

 

 そう思いながら、昭弘は黙々と食事を続ける一夏を見つめる。

 しかし一夏は昭弘と視線が重なると、まるで避けるように瞳を左右に逸らす。

 

 箒とシャルルも、心配そうに一夏を見つめている。一夏は2人に対しても視線を合わせようとしない。

 

 昭弘は思い切って一夏が今抱えているモノを聞き出そうとするが、食堂に駆けつけて来た女子生徒の一声に遮られる。

 

「みんなーッ!!アリーナAで転校生がオルコットさんと凰さんにISバトル仕掛けてるって!」

 

 その緊急連絡を聞くと、一夏は我に帰った様に立ち上がる。

 

「あの野郎ッ!…!?」

 

 そう激昂する一夏だが、無言で食堂を駆け出して行く昭弘の後ろ姿を見て頭の熱が一気に引いてしまった。

 直後、彼の脳内は謎の嫌悪感に満たされていく。それはラウラに対してか、それとも昭弘に対してのモノなのか。

 

 

 

 彼等がスタンドに到着した頃、戦いは既に終了していた。

 その光景を観て安堵する一夏とは対照的に、昭弘は血相を変えながらフィールドへと向かって行った。そんな昭弘を、一夏は尚も冷めた目で見つめる。

 

 結果はセシリア・鈴音ペアの勝利であった。

 ラウラはISを待機形態に戻したまま力無く座り込んでいたが、鈴音も近接戦で相当苦戦したのか息を荒らげていた。

 そんな中、既にバイザーを解除していたセシリアは無表情のままラウラを見下ろしていた。

 

 

《何とか勝てたわね》

 

「……ええ」

 

 セシリアは何処か納得が行かないのか、少し間を置いて返事をする。

 鈴音とは未だタッグを組んで間もないとは言え、2対1でどうにか勝利を捥ぎ取る事が出来たのだ。しかも甲龍のSEは枯渇寸前、レーゲンとは相性の良い筈のブルー・ティアーズも幾らかダメージを受けていた。正直言って、セシリアの追い求める勝利とは程遠かった。

 

 それにセシリアは、1つ気になっている事があったのだ。それを確認すべく、彼女は地上で俯いているラウラの近くに降り立つ。

 

《ちょ、ちょっとセシリア》

 

 鈴音もエネルギーの残量が心許ないのか、セシリアに続く様に降下する。

 ラウラの眼前まで来たセシリアは、ティアーズを待機形態に戻し片膝を付く。

 

「何故本気を出さなかったのです?」

 

「…何を言うか。私は全力だったぞ?」

 

「ええ確かに全力ではあったのでしょう。しかし本気ではありませんでしたわ」

 

 セシリアの言葉に心当たりがあるのか、ラウラは再び押し黙る。

 

《それってどういう…》

 

 鈴音の疑問にセシリアは一旦右手を翳して制すると、今度は自身がそう思った理由を述べる。

 

「だってアナタ、今ホッとしているでしょう?負けたと言うのに。顔を見れば判りますわ」

 

 そう言われて、ラウラは表情を隠す様に右手を広げてさり気無く顔を覆う。

 

「更に言わせて頂きますと、戦闘中に観客スタンドを気にし過ぎですわ。誰かに観て欲しかったんですの?」

「…いいえ、それとも観られたく無かったのでしょうか?自分が人を痛めつける所を」

 

 セシリアは全て憶測で言っているのだが、ラウラはそれを無言のまま否定しない。

 

 

「ラウラッ!」

 

 その声を聴いた途端、ラウラは子犬の様に肩を震わせて座ったまま増々萎縮してしまう。何処か申し訳なさそうに。

 

 スタンドを飛び出してきた昭弘は、そのままラウラの下に駆け寄る。

 怪我が無い事を確認すると、昭弘はラウラにセシリアと鈴音へ謝罪する様促した。

 

 だが、ラウラは無言で俯いたままだ。それは意地を張っている様であり、ただ気力が無いだけの様にも見える。

 

「私はそこまで気にしておりませんわ」

 

《け、けどコイツがさっき言った「言葉」まで許すっての?》

 

 

 そんな中、グラウンドへ赴く者がもう1人。その黒いスーツに身を包んだ彼女は、溜め息と喘息を交ぜ合わせながら4人へと近づく。

 

 千冬を視界に捉えたラウラは「気を付け」の姿勢を取り、彼女を真っ直ぐと見据える。

 

「ったく私闘と聞いて飛び出して来たのに、もう折衝が纏まりつつあるじゃないか」

 

 千冬はラウラに目線を向けると、今迄彼に言った事のない命令を出す。

 

「ラウラ「謝れ」…なんて言わん。お前が謝りたいと思った時に改めて謝罪するんだ」

 

 普段の様な命令を心待ちにしていたラウラは、千冬の命令らしくない命令に対して表情を曇らせる。

 

「お前たちもそれで勘弁してくれないか?安心しろ、コイツはいつか必ず自分から謝る。信じてやってくれ。それに、反省文は嫌と言う程書かせる。コイツ1人にな」

 

 そんな千冬の言葉を聞いて、先程まで渋っていた鈴音も一先ず矛を収める。

 

 

 こうして今回のISバトルは一夏が介入するまでもなく、ラウラの自滅と言った形で幕を下ろした。

 

 

 

「一昨日の件と言いお前は本当に戦いが好きだな」

 

 昭弘が冗談交じりで皮肉を口にするも、ラウラは相変わらず口を閉ざしたままだ。

 

 しかしその皮肉の後、昭弘が中々口を開かなかったので自然とラウラはポツリポツリ言葉を紡ぎ出す。

 

「…なぁ昭弘。私はどうしたら良い?任務も、目的も、此処での生き方も、何もかもが中途半端な私は、一体“何”なんだ?」

 

 震えながらそんな言葉を絞り出したラウラに対し、昭弘も又力無く言葉を吐き出す。

 

「本当、難しいよな。此処で自分を保つってのは。周囲に合わせて本当の自分を偽るのも辛いし、かと言って本来のまま過ごすのもそれはそれで辛い」

 

 周囲の生き方や価値観に己を合わせ、尚且つ自分と言う存在を誇示し続ける。一見容易く思えるソレは、そう易々と出来る事ではない。風に従う草原だって、一枚一枚周囲と同じく揺れるしかない。

 

「けど織斑センセイも言ってたろ?唯一無二の居場所なんて無いって。それは逆に言えばどんなに居場所や価値観が変わっても、自分の中にある本質は変わらないって事なんじゃないか?」

 

 居場所に応じた仮面を付けても、仮面の内側にある素顔は変えようが無いと言う事だ。

 

「何も恐れる心配は無いと思うぞ?いくら織斑センセイを目指そうと、いくら友人を大切に想おうと、お前の本質は何も変わらない。不器用で口が悪くて優しい、『ラウラ・ボーデヴィッヒ』だ」

 

 それが、人間と草木との決定的違いなのかもしれない。

 昭弘にそう諭され、ラウラは無言のまま曇天を見上げる。

 

 納得はしていない、安堵もしていない、悩みも残ったままだ。

 しかし昭弘が毎度言い残していく言葉は、ラウラの揺れ動く心に強い芯を残してくれる。その芯は揺れ動き悩む心を是正するのではなく肯定し、それでいて崩れない様に支える役割も果たしていた。

 

「…ありがとう昭弘」

 

 そう感謝の言葉を述べると、ラウラは静かな笑みを零した。

 

 

 一夏は未だフィールド上に残っている昭弘とラウラを、スタンドから見つめていた。鏡の様な潤いが一切無いにも係わらず、その瞳にはしっかりと2人の姿が映っていた。

 

「3人共無事で良かったな」

 

「ホントだよ。この時期に怪我なんてしちゃったら大会にも響くだろうし…」

 

 そんな箒とシャルロットの言葉は、今の一夏には入って来なかった。

 彼は一昨日からずっと、己の在り方について考えを巡らせていた。今この時も。

 

 突然言い渡された、幼馴染との婚約。その件について唯一相談出来る友人も、ここ最近ラウラと言う名の疫病神に付きっ切りだ。

 

 一夏は切望しているのだ。ラウラが来る前の、仲睦まじい3人の学園生活を。そうなれば昭弘はまた以前の様に接してくれるし、箒との婚約だってきっと的確なアドバイスをくれる筈だ。

 そこに何の根拠も無い事に気付いているのかどうかは、一夏本人にしか解らない。

 

―――ではどうしたらいい?どんな自分なら昭弘や箒と以前の様な関係に戻れる?……あ、そうか

 

 一夏はあっさりとその答えに辿り着いてしまった。

 

 今迄通り、明るくて快活な『織斑一夏』を演じれば良いのだ。箒との婚約も含めた全てを隠そう。大会が終わるその時までは。

 邪魔なラウラも、タッグトーナメントで徹底的に捻じ伏せる。その戦いで自分が一番『織斑千冬(ブリュンヒルデ)』に近しい存在だと思い知らせれば、心が折れて自分からIS学園を出て行くだろう。そうなればまた以前の様な3人に戻れるし、千冬も自身の事を見直してくれる。

 そんな上手く行くかも分からない浅はかな計画を、一夏は頭の中で勝手に押し進めていった。

 

 しかし解せない事が1つだけあった。それは、何故昭弘があれ程までにラウラを庇うのかと言う事だった。大切な友人が自身の忌み嫌う相手と親しく接するのは、確かに面白くないだろう。

 事実一夏は今の昭弘に対して、自分でも訳の分からない感情を抱く様になっていた。

 

「おい一夏。さっきから黙りこくりおって。言いたい事があるならハッキリ言わんか!」

 

 そう言って箒は一夏の背中に平手打ちを御見舞いする。

 しかしその頃には、もう一夏の切り換えは完了していた。

 

「ウゥオイッテェェッ!!」

 

 

 それから一夏は、大会でラウラと刃を交えるその時まで笑顔を絶やす事はなかった。

 

 

 

 

 




 その後、時はあっと言う間に過ぎ去り、学園最大の「一大イベント」が幕を開けようとしていた。

 この大会を通じて、ラウラは己に何を見出すのか。セシリアは昭弘を超えられるのか。一夏は何処まで堕ちるのか。箒は何を欲するのか。
 そして…昭弘は。


 夫々の想いはISによって具現化され、大空に無限の彩りを与えるのだろうか。

 それは葛藤を抱えている当事者たちにしか、見えないモノなのかもしれない。


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第一章 の3 IS学園~タッグトーナメント~
第24話 開幕(前編)


皆さん新年明けまして・・・ですね!
今年も今迄通りに行こうと思っている次第に御座います。
出来れば年末までに「この回」を投稿したかったのですが、中々上手く行かないものですね・・・。

と言うかタッグトーナメントに関して大分「オリ要素」詰め込んじゃってますが、まぁ気にせず読んで頂けたら幸いです。


―――――5月某日 IS学園屋上―――――

 

「んで?話って何だよ箒」

 

 中途半端にわた雲が掛かった夕焼け空のたもとで、一夏は屋上に呼び出した張本人である箒にそう訊ねる。勿論の事、張り付けた笑顔は絶やさない。

 

「私とお前との間に、前置きも糞もあるまい。単刀直入に言うぞ」

 

 そうは言ったものの、箒は今から口に出そうとしている己の言葉に、絶対の自信が持てなかった。

 

 

 

―――――更に日付は遡る 布仏本音の部屋(相方外出中)―――――

 

―――オリムーとアキヒーをね~

―――…本音、私は何をどうしたら?

―――う~~~ん……今は難しく考え込む時期じゃないと思うな~。だってシノノン、まだ自分の本心が全然解ってないんでしょ~?

―――…そう…だな

―――私もお馬鹿だから~、的確な助言とかは出来ないけど~…好きな人に告白するのって凄い勇気と言うか「力」が必要だと思うんだよね~

―――(…「力」か)

―――あっ!筋トレとかそっちの意味じゃないよ~。上手く説明出来ないけど~~、今は自分を見つめ直す事が重要じゃないかな~、好きな事に打ち込むとか~。そうすれば気持ちも整理出来ると思うし~

―――…そう…なのだろうか

―――あと、これだけは忘れないでねシノノン。もし告白してお付き合いするのなら、最終的には2人の内どちらかを選ばなきゃならない。それが私の自論かな~~

 

―――

 

 

 

 本音のそんな助言を、箒は「篠ノ之箒としてもっと強くなる事」と解釈した。

 一人の異性を選び抜き、「好きだ」と伝える簡単かつ難行を極める行為。それらを実行へ移すには、多大なる勇気と確固たる意思が必要だ。

 篠ノ之箒として強くなる。その答えは1つしかなかった。彼女が幼少の頃から、徹底的に刷り込まれてきた剣の道。自分を象徴するものであると同時に真っ直ぐで、潔くて、力強くて、そして単純にして深いソレを、箒はいつしか心の奥底から愛する様になっていた。

 それを極めれば、選び抜いた一人の異性に「好きだ」と言える様になるのだろうか。

 

 或いは無理なのかもしれない。剣で恋愛が成功するなんて、普通に考えれば馬鹿馬鹿しい。

 

 だが、この状況でここまで言ったのならば最早伝えきるしかない。

 それは自分の答えが見つかるまで、一夏が他の誰かに靡かない為の言わば「釘」。それでも、ただ釘を刺すだけでは拘束力に欠ける。

 故に、条件と約束とを融合させるのだ。そうなると箒も条件を満たす必要があるが、それで構わない。条件が困難な程、達成すれば約束の拘束力は増す。

 

 だから箒はこう言う。

 

「もし今回のタッグトーナメントで私が優勝したら…卒業するまで他の誰とも付き合うな!」

 

 そう、人差指を一夏の眼前へと差し向ける箒。

 困難は百も承知だ。代表候補生でもない自身が優勝等と。

 だが人はそうした困難を乗り越える事でしか、己の強さを確認できない。

 

 問題はここからだ。それは朴念仁である一夏がこの約束をどう解釈したかだ。

 箒は眼力を強め、しかし瞳を小刻みに震わせながら一夏の返答を待つ。

 

 一夏は笑顔を絶やさぬまま数秒程固まった後、高らかに笑いながら言い放った。

 

「なんだそんな約束かぁ!大丈夫だってIS学園(ここ)じゃあどの道そんな余裕無いしさ!」

 

 しかし、箒は一夏のそんな返答を聞いて内心不安がる。本当に間違った解釈をしていないだろうかと。

 

 その満面の笑顔から、一夏の真意を垣間見る事は出来なかった。

 

 

 

 その後2人の噂は尾ひれを付けて拡大していき、終いには「優勝したら織斑くんとお付き合い出来る」と言うとんでもない解釈を生み出してしまったのだった。

 

 

 

 

 

―――――5月30日(月) 早朝―――――

 

 IS学園人工島の中心地点であるアリーナAスタンド席にて、生徒たちは真剣な面持ちでフィールドの中心を注視していた。

 彼女たちの視線の先には、水色のISを身に纏った髪まで水色の少女がマイクを携えて中空に佇んでいる。然れどまるで違和を感じさせないオーラは、流石国家代表且つ生徒会長と言った所か。

 

 彼女は自身を囲んでいるスタンドを得意げに見回した後、なりふり構わずに怒声を吐き出す。音割れ等一切気にも留めないその一声は、まるで楯無が普段溜め込んでる鬱憤を吐き出すが如くアリーナ全体のスピーカーから飛び出して来た。

 

《これよりぃッッ!!!『第7回 IS学園学年別タッグトーナメント』開催しまァァァァッスッッッ!!!》

 

 

 

 

・IS学園学年別タッグトーナメント 通称『ISTT』

 

 トーナメントと言う形式上、先ずはその本戦に到達するまでの予選だ。それを含めて本日より1週間、じっくりと時間を掛けて戦い抜く事がISTTの凡その概要である。

 1年生は操縦者志望・整備士志望問わず全員選手として強制参加となり、2年生・3年生も普通科は操縦者として整備科生は整備士として参加する事となっている。

 

 「より実戦的な集団戦術の育成」と言う趣旨の下、タッグマッチと言う形式を取っている。

 

 整備科生の場合は、30機と言う限られたISを如何に効率良く運用させるかが主に評価される。その30機の内、ISは打鉄とラファール・リヴァイヴの2種類のみ。搭乗する生徒に合わせて機体のセッティングも変えねばならず、その上エネルギーや銃弾の補充等も含めるとかなり急ピッチな作業が求められる。

 即ち整備科生にとっては主にそれら量産機を使用する1年生の予選こそが、寧ろ本番なのである。

 

 そんな中で教師陣は全ての生徒を戦術面整備面において事細かに評価せねばならず、この1週間は正に激務中の激務なのだ。

 

 評価を付けるのは教師陣だけではない。就職の控えている3年生に対しては各国IS関連企業の監査員が厳正に評価し、本大会でスカウトされてしまう事も。

 各国の重鎮や資産家、大企業の取締役クラスも顔を出しに来る。

 

 1年生の場合予選を勝ち抜いた少数のみが、2・3年生の場合は抑々選手自体が少ないのでそのままトーナメントに進む事となる。

 其々のトーナメントは5日目が1年生、6日目が2年生、最終日が3年生となっている。

 

 景品は優勝ペア、準優勝ペア、3位入賞ペアにのみ与えられる。準優勝3位入賞の景品は決まっているが、優勝ペアには本人たちの欲する物を何でも1つだけ贈呈される。

 当然限度はあり、男子とのお付き合い云々と言った願い事も残念ながら却下されるだろう。

 

 

 

 昭弘の試合はまだまだ先だ。4つ全てのアリーナで試合が行われているので、練習も出来ない。

 しかし少しでも情報を集めたい昭弘は、スタンドから試合を観戦していた。彼の周囲には箒、ラウラ、谷本らが座している。

 

 一定間隔で銃弾を撒き散らしながら淡々と試合を進めていく2機のラファールを、彼等は黙って見つめていた。

 

(…気不味っ)

 

 そう心の中で吐き捨てるは無言が苦手な谷本。

 基本的に口数の少ない3人に加え、試合も先程から単調だ。そんな中、谷本は何か話題を見つけるべく奮闘し始める。

 

「そ、そう言えばラウラと篠ノ之さんが組むって、何か以外だよねー!」

 

 谷本の何気ない一言に対し、ラウラは無言を貫くが箒は静かに答え始める。

 

「一夏は先にデュノアと組んでしまったのでな。セシリアも本音も昭弘も既に相方が埋まっていてな…」

 

「それで「ぼっち」のラウラを選んだと」

 

「い、いやそう言う訳では…」

 

 何ら悪びれもせずにすまし顔でそう言う谷本に対し、箒はラウラの顔色を伺いながらそう返す。実際谷本の言う通りなのだが。

 そんな反応を見て、ラウラは彼女たちに聞こえる様舌打ちを響かせる。

 

 そんな会話劇に、昭弘も参加する。

 

「スマンな箒。今のグシオンは、打鉄よりもラファールと組んだ方が色々としっくり来るんだ」

 

 基本的に近接抜刀術を得手とする箒は、今回の大会においても基本武装として近接ブレードが付いている打鉄を使うつもりでいる。

 防御型で性能的にも安定している打鉄だが、昭弘のグシオンリベイクとはどうも相性が悪いらしい。

 

「…フン、それは何よりだ」

 

 そんな予想以上に機嫌を損ねた箒に対し、昭弘は首を僅かに傾げる。確かに昭弘は組めば優勝も狙える程の実力者だが、それにしたって随分な態度だ。

 箒の事を良く知らない谷本も、自身と昭弘のどこに落ち度があったのか困惑しながらも考える。

 

 結局谷本の奮闘も虚しく、雰囲気はますます重苦しいものになってしまった。

 

 そんな雰囲気が数分程続くと、昭弘は徐に立ち上がる。

 

「一夏を探してくる」

 

()()か。ご苦労な事だ」

 

 ここ最近、昭弘は一夏の様子が気懸りだった。ラウラの発言通り、探しに行くのも今回が初めてではない。

 

(試合観戦で情報でも集めてりゃ、ちっとは気も紛れると思ったんだがそうも行かないか。…やはりオレがラウラを気に掛け過ぎたせいか?いやそれにしても…)

 

 決して一夏と接しなくなった訳ではないが、それでも昭弘は一夏から避けられている様な気がしてならない。確信こそないが、何か隠し事でもしている様な。

 それと反比例するように、一夏がシャルルと一緒に居る時間は増えていった。未だにシャルルへの警戒心を解いていない昭弘は、シャルルが一夏に何か良からぬ事を吹き込んでいるのではと不本意ながらも考えてしまう。

 

 若しくは自身の知らぬ所でずっと一夏と共に居るシャルルに対し、妬みにも似た感情を多少なりとも抱いているのかもしれない。親しい友人が自身を差し置いて他の知人と仲良くしているのは、男女問わず面白い光景ではないだろう。

 友人の友人とは面倒な存在だと、この時昭弘は思った。

 

 

 

「行っちゃったね。まさか篠ノ之さんまで付いて行くとは…」

 

 谷本が意味もなく状況の変遷を述べると、ラウラも谷本に訊ねる。何を隠そう谷本だって、数多くと言うか1学年の殆どを占める一夏ファンの一人だからだ。

 

「お前は行かなくて良かったのか?」

 

「うん、今は少しでも情報が欲しいし。ラウラは良いの?愛しのアルトランドさんにコンビの篠ノ之さんもほっぽいて」

 

「「愛しの」は余計だ。織斑一夏とはなるべく顔を合わせたくないのでな。それなら弱者の試合だろうと情報収集に勤しむ方がマシだ」

 

「ラウラってホント織斑くんと仲悪いよねー」

 

 谷本が呆れ気味にそう言うと、一夏の話から少しでも早く脱したいラウラは不自然に話題を逸らす。

 

「そんな事より谷本、昭弘に迷惑を掛けるなよ?」

 

「んえ?いやいや、常日頃からアルトランドさんに迷惑掛けまくっている君が言うかね?」

 

 そう言われるとラウラ自身面目無いと自覚があるのか、彼は冷や汗と共に口を閉じる。

 

 ああは言ったラウラだが、どの道谷本ならそこまで問題ないのかも知れない。

 実は初日の実技演習以外でも、彼女は度々ラウラの教鞭を受けていたのだ。

 お互いルームメイトでない事を鑑みると、やはりそれだけ初日におけるラウラの指導が好印象だったのだろうか。

 

 どんな事でも貪欲に吸収していき、純粋にISと言う存在を心から楽しんでいる谷本。

 そんな彼女はラウラにとって特別な感情を抱く程ではなくとも、一目置いた存在となっていた。

 

 後は試合を通じてどれだけ伸びるかだ。そう言う意味では、昭弘が谷本を戦力としてどう扱うかにも懸かっている。

 

 

 

 世界が誇るIS学園の一大イベントである本大会。

 当然の事、学園敷地内に散らばっている出店の数もそれに比例するが如く膨大だ。それらの放つ様々な焼き物の匂いが大気中で混ざりながら、生徒や一般来訪者の鼻腔から内部へと侵入し食欲を掻き立てる。

 

 昭弘は一夏を探すと言う明確な目的を持ちながらも、初めて目にする「催し物」と言う存在につい意識が行ってしまう。

 

「ちゃんと探しているのか?」

 

「ん?…ああ」

 

 未だに御機嫌斜めの箒は、斬伏せる様に昭弘を注意する。

 

 流石の昭弘も業を煮やしたのか、箒が不機嫌である理由を問い質す。

 

「なぁ箒。オレだって心を読める訳じゃないんだ。ちゃんと言葉で説明して貰わなけりゃ謝るにも謝れんだろうが」

 

 そう聞かれるも、やはり箒は答えることなく眉を八の字に曲げて視線を反らしてしまう。

 そんな箒を見てそろそろ苛立ちが募ってきた昭弘は、口調を強めて更に問い質そうとするが…。

 

 

 生徒たちの黄色い声に釣られて、その方角を見やる昭弘。

 そこに佇むは「2人の美女」。どちらもサングラスを掛けているが、それでも尚美人だと一目で判る程整った顔立ちをしていた。

 1人は長いアッシュブロンドの髪にウェーブをかけており、上質な白を基調とした少々露出度の高いドレスを身に纏っていた。豊満な胸部を存分に生かしたそのコーデは、性別問わず振り向いてしまう事だろう。

 もう1人は同じアッシュブロンドの髪を左胸に束ね、黒のデニムパンツは生脚に密着しており、上半身は袖無しの白いYシャツに青いネクタイ。胸部は男性の様に平たいが、それ以外のプロポーションは隣の美女に負けず劣らずと言えた。

 

 2人は“何か”を探しているのか、頻りに首を左右に振っていた。

 しかし『Yシャツ』の方は昭弘と視線が合うと、そのまま首の動きを止める。そしてゆっくりとサングラスを外し、深紅の瞳を覗かせると優和な笑みを浮かべて歩を進める。

 

 柔らかな微笑みと紅い瞳に魅入られていた昭弘は、目前まで近づいてくるハイヒールの音で漸く我に返る。しかし、その時にはもう昭弘の目と鼻の先に彼女?の顔があった。

 

「君に会いたかった」

 

 呆気に取られる周囲、呆気に取られる箒、未だ状況の把握が出来ていない昭弘。それら一切をまるで意に返さず、彼女?は己の右手を昭弘の右手と重ねる。

 

「あ、いや……アノ…?」

 

 余りにも突然過ぎるスキンシップに、昭弘はらしくも無く動揺する。

 しかし彼女?は尚も続ける。まるで紅茶を匂いから熱までゆっくりと堪能する様に。

 

「やはり映像と実物では大分違うな。鍛え抜かれた「肉の要塞」が、制服越しでも良く分かる」

 

 そう言いながら、今度はまるで品定めする様に昭弘の周囲を回り始める。

 しかし彼女?の独壇場も、思わぬ方角からの横槍で一旦幕を下ろす。

 

「箒?」

 

 昭弘を背にしながら割って入った箒は、彼女?を鋭く睨みつける。

 

「何か御用でしょうか?」

 

 箒は声にドスを含みながらそう威圧する。

 

 そんなタイミングを見計らってか、後ろに控えていたドレス女も前に出る。

 

「ごめんなさいアルトランドくん。コイツ君の大ファンで…マッチョに目が無いのよ」

 

「一言余計だぞスコ…リィア」

 

 胸の平たい彼女?は再び昭弘に近付くと少し遅れた自己紹介に入る。

 

「申し遅れてすまない。アタシの名は『ロイ・ローエン』、資産家…とでも言っておこうか。こっちが『リィア・ローエン』だ」

 

「ヨロシク♡」

 

「…『昭弘・アルトランド』です」

 

 昭弘が取り敢えずと言った調子で名乗り返すとロイは先程以上に昭弘に密着し、彼の屈強な左腕を制服越しに撫でながら返す。

 

「本当は君と2人で出店でも回りたかったのだが、連れも居る様だしな。歯痒いが今日の所はこれにて」

 

 そう言い、ロイは憎々し気に自身を凝視する箒に目をやる。今にも飛び掛かってきそうな彼女を子供をあしらう様に鼻で嗤った後、ロイは昭弘に激励の言葉を贈る。

 

「君には大いに期待している。誰よりも深く繋がれた君とグシオンが有象無象を薙ぎ払っていく姿、是非この目に焼き付けておきたい」

 

 その言葉を最後に、ロイとリィアはその場から堂々とした足取りで離れていった。

 未だに2人を激しく睨みつけている箒は、昭弘の武骨な右手が己の左肩に乗った事でどうにか意識を切り替える。

 

「さっきは助かったぜ箒。ありがとうよ」

 

 そう言われて、箒は赤面する。

 

 だが行動の発端は、困ってる昭弘を助けたいなんて高尚なモノとは少し違った。煮えたぎる嫉妬と凍てつく様な占有意識に突き動かされ、気が付けば自身の体を割り込ませていた。

 

「私の方こそ、さっきはすまなかった」

 

 ここぞとばかりに、箒は今までの不機嫌を謝罪する。

 昭弘も不機嫌の原因は気になったが、助けてくれた事への感謝の方が大きかった。

 

「もういいって。たこ焼き…とか言うモンでも食って一休みしたら、もう一度一夏を探そう」

 

「う、うむ!」

 

 箒の機嫌が直ったのを確認した昭弘は、静かに笑みを零す。

 

 しかし、その後直ぐ先程の2人について昭弘は考えを巡らす。

 確かに昭弘自身は、ニュースによって世界中の人間に知られてはいる。だが記者会見を受けたのはたった1度のみで、それ以降一切メディア等には顔を出していない。

 そんな中、しかもISが台頭している今の時代において、あそこまで自身に固執する理由が昭弘には解らなかった。

 

 ロイ・ローエンにリィア・ローエン。

 彼女らが偽名を使っている等と露程にも思っていない昭弘は、律儀にそれらの名前を脳内に刻んでおいた。

 

 

 その後2人は結局一夏に会う事叶わず、気が付けば箒の試合が迫っていた。

 

 

 

―――アリーナC ピット内

 

 既に打鉄のセッティングを整備科に完了して貰った箒は、ISスーツのままベンチ脇で正座していた。瞼を閉じて外界の情報を一切遮断し、頭を巡っている雑念を一切取り払う。

 そんな中、同じく準備万端のラウラが箒の頭上から声を掛ける。

 

「もう5分前だ。準備しろ」

 

「…了解」

 

 そう声を落ち着かせながら返答する箒だが、内心は不安一色であった。

 ISによるまともな試合を一度も経験していない彼女にとって、ここから先は全くの未知なる領域。

 

 そんな箒の心情を察したのか、ラウラは気分転換も兼ねて「ある事」を訊ねる。

 

「…篠ノ之よ。お前は今回の大会で“何”を得たい?」

 

 ラウラの静かなる嵐の如く唐突な問い掛けに一瞬戸惑う箒だが、特に考える素振りもせずに答える。

 

「…篠ノ之箒としての「強さ」を得たい。…お前は?」

 

 箒にそう訊き返されると、ラウラは返答にもなっていない言葉を自嘲気味に返答する。

 

「……何だろうな」

 

 その時、ラウラの瞳はフィールドよりさらに遠くの大空を見つめていた。手の届く筈の無いソレを、ただ寂しげに、ただ儚げに。

 

 しかしそんなラウラを見た箒は、少しだけ勇気が湧いてきた。不安なのは自分だけではないと、独りではないと。ラウラのどこか儚げな表情が、今の箒にとっては何より心強かった。

 ただ同時に、そんなラウラに何の言葉も掛けてやれない自分自身を酷く情けなく思ってしまった。

 

 こういう時、昭弘なら何と言うのだろうか。

 

 しかし時間は無情にも過ぎて行き、気が付けば既にラウラは『シュバルツェア・レーゲン』を展開していた。

 

《何してる急げ!》

 

 箒は慌てて打鉄に乗り込むと、頭にパッと思い浮かんだ言葉をラウラに包装もせず贈る。

 

「ボーデヴィッヒ!その…不安を抱えている者同士、全力を出し切ろうッ!」

 

《あぁ!?試合前に何訳の分からない事言っとるんだ!変なクスリでも飲んだか!》

 

「なっ!?貴様「変なクスリ」とは何だッ!」

 

《じゃかしいッ!兎に角足だけは引っ張るんじゃないぞ!?》

 

「貴様こそ!慢心しすぎて墜ちるなよ!?」

 

 そういがみ合いながらも、2機の似ている様で異なる黒のISはフィールドへと羽搏いて行った。

 

 

 

―――同時刻 アリーナB

 

 ピットの更に奥へと続く格納庫内では、多数の整備科生が端末を片手にあっちへこっちへと引っ切り無しに往来していた。PICやら後付武装やら量子変換やら何やら、ISに関する単語が様々な方角から怒号と共に飛んでくる。

 

 そんな彼女たちの奮闘を、教師たちは事細かに手持ちの液晶端末へと入力していく。

 

 すると、2年の整備科生が谷本に急ぎ足で近付く。

 

「お待たせ谷本さん!セッティング確認して貰える?」

 

「あ、はい!」

 

 そんな戸惑いながらも気合い十分の谷本を、昭弘は微笑ましく眺めていた。彼女をしっかり鍛え上げたラウラには、昭弘も頭が上がらない。

 

(あんだけ熱心に教えられたら、誰に言われずとも応えたくもなる…か。オレも負けていられんな)

 

(ニシシシシ!優勝したら織斑くんとおっ付きっ合い~♪)

 

 確かに気合いである事に変わりはないが、欲望を高密度に詰め込んだ様な谷本の動機を、昭弘は聞かないでおいて正解だったのかもしれない。

 

 

 

後編へ続く




男ラウラやトネードに関しては、完全に私の“性癖”です。なので、あまり小難しく考えなくて結構です。・・・と言うかBLタグ付けた方がいいのかな・・・?
一夏とシャルは単に昭弘と別行動してるだけなので、どうかご安心を。攫われたりとかしていませんので。
まだまだ描写したいシーンが沢山あるのですが、それは後編に持ち越そうと思います。


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第24話 開幕(後編)

予選の戦闘描写はなるべくカットし、とっとと決勝トーナメントまで行っちゃおうと思います。
簪も少しだけですが、出ます。大丈夫です、一夏・ラウラ・シャルのゴタゴタが片付いたら嫌と言う程出番がありますので。勿論楯無姉さんも。最近出てないゴーレムくんたちも、色々と片付いてから出そうかなと思ってます。


 セシリアと鈴音は出店で購入したクレープを片手に、パラソルの刺さった八角テーブルの席に座していた。

 そこで彼女たちは、観戦によって得た情報を互いに曝け出していく。

 

「…先ずは一番ヤバい奴らだけ言うわね?…『ボーデヴィッヒ・篠ノ之』ペアよ」

 

 そう少し得意気且つ忌々し気に言った後、鈴音はクレープに噛り付く。

 ラウラの実力は、彼女たちもその身を持って体感している。しかし箒の強さは予想外だった様だ。

 

「短期間でよくもまぁあそこ迄腕を上げたもんよ。剣術だけでも十分脅威だってのに」

「戦術…に関しては何とも言えないわね。だって抑、()()()()()()()()()()し」

 

「…成程」

 

 ラウラと箒の戦術は、『真耶・サブロ』の戦術を真似たモノであった。相手に連携を取らせず、互いに「1対1」の状況で戦うと言ったやり方だ。

 そうなると、余程の実力が無い限りラウラの突破は当然難しい。箒に対しても、例え射撃武器をふんだんに使った所で堅牢な打鉄を落とすには時間が掛かってしまう。そうこうしている内に接近されてしまえば、そのまま箒の剣捌きの餌食となる。

 

「…けど負けらんないわ、特に篠ノ之には(昭弘の事を含めてね)」

 

 先のレゾナンスにて鈴音は箒の昭弘への想いに気付いた時、内心酷く動揺していた。

 その正体は恐らく、心の深淵で生じてしまった自身の“卑しい感情”が発端であろう。「早く昭弘とくっついてくれないかな、一夏を狙うライバルが減るし」と。

 無論表面上は、その感情を否定した。しかし自身の恋愛を最優先し、昭弘と箒の心境も考えずにそんな事を思ってしまった自分自身を、鈴音は酷く恐怖し軽蔑した。

 

 それ以来鈴音は誓ったのだ。ISでも、恋愛でも、全て実力で捻じ伏せると。

 あの時の卑しい感情を、もう2度と味わいたくないから。どんなに頭を使おうとも、ソレだけは実行に移さない。例え負けようともそんな後悔だけは残したくない。それが鈴音の在り方となっていた。

 

 箒にISバトルで勝てたからと言って、それが直接恋愛の勝敗となる訳ではない。精々、精神的に優位に立てる程度だ。

 だがその精神面こそが、本来感覚的なタイプの人間である鈴音にとっては大事なのだ。恋のライバルに、何の卑怯も後悔も無く真正面から打ち勝つ事が出来た、と。

 

「…アンタはどうだったのよ?」

 

 今度は鈴音がセシリアに訊き返す。

 

 だが、セシリアは少し固まってしまう。クレープを齧る口を止めたその表情は、まるで鈴音の侮蔑を恐れている様であった。

 するとセシリアは、クレープを眺めながらゆっくりと語り始める。

 

「……鈴、私は本当にアルトランドに勝てるのでしょうか?」

 

「…はぁ?」

 

 普段の彼女からは懸け離れた弱気な発言に対し、鈴音は疑問を浮かべると同時に少しの憤りを覚える。

 

「奴の試合を観ましたわ。…「圧倒的」の一言でした。1分と掛からず、相手ペアのSEは底を尽きましたわ」

 

 確かにセシリアは、以前よりかは強くなった。しかしそれは昭弘とて同じだ。

 その点に気付いてしまったセシリアは、昭弘たちの戦術に触れる事無く更に続ける。

 

「…結局の所、奴が私より一歩勝っている状況が延々と続くだけなのでは?…そんな事を、考えてしまいましたの」

 

 鈴音とて、一端の代表候補生だ。セシリアの不安や悩みは解らない訳ではない。

 それでも昭弘とセシリア、どっちが強いかなんて鈴音には判らない。強い方が勝つとか勝った方が強いとか、正直彼女には余りピンと来ない。

 だからこそ鈴音は、セシリアに対してこう言うのだ。

 

「…絶対に勝てる勝負なんてこの世の何処にもありゃしないわよ。その一点だけは、昭弘も含めて全員等しく一緒なんじゃない?」

 

「…」

 

 1%でも負ける確率があるのなら、その勝負に絶対はない。昭弘も、先の試合でその1%を大いに恐れながら戦っていた筈なのだ。

 

 セシリアは思った、全く以てその通りだと。

 セシリアも昭弘も皆も、“絶対”を持っていないからこそ必死になるのだ。

 

「…ありがとうございます鈴。当たり前な事に気付けましたわ」

 

 

 その後、クレープを食べ終えた彼女たちは再び別の試合を観に行った。

 絶対の無い勝利の確率を、少しでも上げる為に。

 

 

 

―――午後 アリーナD

 

 本音はスタンド席から「そのIS」を恍惚とした眼差しで見つめていた。

 蒼くしなやかなボディを時に激しく時に麗しく動かすそのISは、四方八方から閃光の嵐を降らせていた。ペアである「紫色のIS」は、その閃光を上手い事掻い潜りながら敵機に斬り込んでいく。

 

 そんな本音を見て、彼女の相方であり親友でもある「眼鏡を掛けた水色髪の少女」はか細い声で呟く。

 

「…本音…何か静か、だね」

 

 日光によって白く彩られた眼鏡のせいか、少女の瞳までは良く見えない。

 本音はそんな彼女の呟きに遅れて気付き、少し慌てる。

 

「ごめんごめ~ん。セッシーとティアーズに見とれちゃってたかも~~」

 

 そう言う本音に対し、『更識簪』は自身の客観的な評価を述べる。

 

「確かに強い…よね。自身も動きながら、更には…ビット兵器も4機同時に…動かせるんだもの。今のブルー・ティアーズには弱点と言うものが…存在しない。おまけにビットを甲龍に付ければ…射撃面で簡易的なアシストも…可能」

 

 長々と自身の分析を述べた後、簪は本音の顔を軽く覗き込む。その時の本音の表情を目の当たりにして、簪は本音が「そんな一面」を見ていた訳ではないのだと気付く。

 

(やっぱり本音…オルコットさんと組みたかったんだよね…)

 

 セシリアに対する本音の表情を見ただけで、簪はその事実に気付かされる。

 互いの付き合いが長いと、言わずとも言われずとも解ってしまうのだろう。その結果として簪が「本当は自分と組みたくなかった」と考える様になるのは、仕方が無いと言えた。

 

「…ゴメンね本音。私なんかと…ペアで」

 

 ついそんな言葉を呟いてしまった簪。

 どうか自身のか細い声が、周囲の歓声で掻き消されているようにと彼女は切に願う。

 しかし、本音は簪の声をしっかりとその耳で拾っていた。

 

「けど、カンちゃんと組みたかったのも事実だよ~~?」

 

 1番ペアを組みたかったのはセシリア、けど駄目だったから簪にした。思考がマイナス寄りな簪は、本音のそんな言葉も「本当に組みたかったのはやはりセシリアなのだ」と解釈してしまう。

 しかし、簪の擦れた思考も本音の次の言葉によって消し飛ばされた。

 

「なるべくしてなったんだと思うんだよね~。セッシーがリンリンと組むのも、私がカンちゃんと組むのも。だって今のセッシーには…優勝(オリムー)しか見えていないから。そんなセッシーと組んだら、きっと私は本気を出せないんじゃないかな~」

 

 何処か遠い目をしながら、本音はそう言う。

 噂とは言え、セシリアの目的は優勝して一夏と付き合う事なのだ。そんなセシリアと組むと言う事は、本音がセシリアと2人で居れる時間を自ら手放すと言う事になる。セシリアに限らず、好きな人とは2人っきりで居たいに決まっているのだから。

 

(……本音、もしかしてオルコットさんの事…)

 

 簪の声無き言葉は、試合終了のブザー音によって途切れる。

 

 その時の本音は、親友である簪から見ても「形容しがたい表情」をしていた。セシリアたちの完封勝利を称える様な、セシリアが優勝に一歩近付いた事を嘆く様な。

 

 

 

―――同じく午後 アリーナA ピット内

 

 草臥れた様に息を吐き、白式を解除する一夏。

 そんな一夏に対し、同じくラファールを解除したシャルロットが自前のタオルを渡す。

 

「サンキュー」

 

 短く感謝の言葉を贈る一夏に対し、シャルロットは少し照れた様に視線をずらす。

 そうした2人の様子を、整備科の2・3年生は興奮気味に眺めていた。

 

 2人の様子からも解る様に一夏たちは今回の試合、かなりの余裕を残して勝利出来た。

 そんな幸先の良いスタートに、シャルロットは浮足立っていた。

 

「にしても凄いよ一夏。専用機持ちとは言え、4月時点では初心者同然だって聞いたのに。流石は『ブリュンヒルデの弟』だね!」

 

 シャルロットが何気なく言い放ったその単語を聞いて、一夏は笑顔のまま固まる。

 その時、一夏は切り裂かれる様な胸の痛みを堪えて彼女に言葉を返す。あんな相手じゃまるで話にならないと。

 

「もっと強くもっと倒し甲斐のある奴が相手じゃないと…」

 

 一夏のその言葉に一体どんな真意が隠されているのか、シャルロットに解る筈なかった。しかし「強く倒し甲斐のある奴」は凡そ見当が付いているので、彼女はその名前を述べる。

 

「…ボーデヴィッヒさん…の事だよね」

 

 不安気に、シャルロットはその名前を口にする。暴発寸前の火薬庫に銃弾を撃ち込むが如き言動だ。

 しかし、一夏は“あくまで”明るげに返答する。

 

「大丈夫だって!もうボーデヴィッヒの事は何とも思ってないしさ!」

 

 流石の彼女も、今の一夏の言葉には些か疑問を抱いた。あれだけ険悪で仲直りをした様子もないと言うのに、何故そんな風に言うのかと。

 先程から漠然とした疑問ばかりが浮かんでくるシャルロットは、一先ず今一番気になる事を一夏に訊ねる事にした。

 

「…一夏はどうして強くなりたいの?」

 

 そう自分から訊いておきながら、彼女は酷く後悔していた。何の確証も無いが、一夏の『触れてはならない一面』に触れてしまいそうな…そんな予感がしたのだ。

 しかし、返って来た言葉はシャルロットの想像とはまるで異なるものだった。

 

「そりゃあ千冬姉ぇに憧れてるからな。それに一応クラス代表だし、弱い訳にもいかねぇでしょ」

 

 ごく在り来たりで真っ当で、誰しもが抱いているような言葉を一夏は事も無げに「答え」として彼女に返す。

 未だ細かい疑問は残っているシャルロットだが、それを聞いて一先ず安心した。安心する事にした。

 

 

 そのやり取りの後、制服に着替えた彼等はピットから出ようとする。

 

ティロロロロロ……ティロロロロロ……ティロロロロロ……

 

 突然鳴り始める、一夏の液晶携帯。

 一夏は少し慌てながらそれをポケットから取り出す。液晶画面には『昭弘・アルトランド』と表示されていた。

 昭弘の名前を確認した一夏だが、何故か電話に出るのを躊躇ってしまう。その時の一夏は口角こそ普段通り釣り上げていたものの、目はまるで人形の様に大きく見開いていた。

 着信音と無機質に表示される名前が、一夏の聴覚と視覚を同時に支配する。

 

 しかし、8コール位経過して漸く一夏は電話に出る。

 

「オウ昭弘!どった?」

 

 昭弘に変な勘繰りをされぬ様、一夏はいつも以上に声に喜色を乗せる。

 

《スマン急に。先月の襲撃事件が、頭を過ってな。それでお前の身が気になって電話しただけなんだ。それに…最近オレたち顔合わせてないだろう?》

 

「流石に心配し過ぎじゃないか?詳しくは知らないけど、警備だって例年の2倍近く強化してんだろ?てか、教室でいっつも顔合わしてるじゃんか」

 

《それはそうなんだが…。それと一夏、デュノアの件で訊きたい事が…》

 

「あー悪い昭弘。オレ、今後の試合についてシャルと色々打ち合わせるからもう切るぞ?」

 

《あ、オイいち…》

 

プツッ

 

 逃げる様に、昭弘との通話を一方的に切る一夏。シャルロットの正体について、勘繰られると思ったのだろう。

 そんな一夏を案じたのか、シャルロットが声を掛ける。

 

「…最近一夏、アルトランドくんや篠ノ之さんとあんまり一緒に居ないよね」

 

「まぁあくまでオレはシャルとペアだし、しょうがないっしょ」

 

 無論それだけが理由ではない。一夏は今、昭弘と箒だけを意識的に避ける様にしている。

 シャルロットの正体、束に言い渡された箒との婚約。大会が終わるまでは試合に集中し、それらのゴタゴタはなるべく考えない様にしたいのだ。

 なのに昭弘や箒と一緒に居ては、嫌でもそれらのゴタゴタが頭の中で暴れ回るだろう。現に今、一夏はラウラとの試合しか頭にない。それによってラウラを打ち負かす事こそが、彼の目的なのだから。目的と言う崇高なものですらないのかもしれないが。

 ただ、露骨に避け過ぎては却って怪しまれるので向こうから話しかけて来た場合はしっかりと応対している。

 

「…本当に僕とペアで良かったの?一夏」

 

 やはり、彼女なりにその辺りが気掛かりな様だ。

 一夏は昭弘や箒との時間を割いてまで、相方として自分に付き合ってくれている。自分なんぞに果たしてそれだけの価値があるのかと、不安を感じているのだ。

 

「…シャルだから良いんだよ。ISの性能的にも相性的にもな」

 

 計20種にも及ぶ膨大な武装を保有している『ラファール・リヴァイブ・カスタムⅡ』は、近・中・遠距離共に隙がない。

 それを操るシャルロットの操縦技術も、代表候補生に登り詰める程のレベルだ。先ず、安定した戦績を叩き出せるのは間違いないだろう。

 

 しかし、シャルロットも男の姿に身を包んではいるが一応乙女だ。

 一夏の「シャルだから良いんだよ」という言葉の意味があくまで戦術的なものだと頭では解っていても、つい顔を赤らめてしまう。

 そんなシャルロットを見て、一夏は案の定首を傾げる。

 

(…良し!僕もやれるだけの事はやってみよう!今日まで僕の事を色々と助けてくれた恩も、一夏に返したいし)

 

 シャルロットもまた覚悟が固まった様だ。

 

 社内でただ命令通りの日々を過ごしてきた彼女は、今の今迄誰からも頼られた事がなかった。そんな今、彼女の中には感じた事の無い充実感が満ち溢れていた。

 

 そして、頼られているのならばそれに応えるべきだろう。きっとそうすれば、今己の心を満たしている充実感はもっと大きくなる筈だから。

 

 

 

 

 

 それから予選の4日間はあっと言う間に過ぎ去り、遂に1年生にとってのクライマックス「決勝トーナメント」の日がやって来た。

 

 泣いても笑っても、このトーナメントの頂に登り詰めた2人こそが学年最強と言う事になる。

 

 例え優勝した本人が望まなくとも。

 

 

 

 

 

―――――6月3日(金)―――――

 

 早朝から、アリーナAの電光掲示板前には多数の生徒が集まっていた。

 しかしこれから映し出されるトーナメント表に名前が載っている者は、この中でも極少数だろう。野次馬も含めて、皆唾を飲み込む音を大きく響かせながら予選を勝ち抜いてきた猛者たちの名前を目に焼き付けようとしていた。

 

 そして遂に、最初の対戦カードがトーナメント表の左端に表示される。

 

・Aブロック 篠ノ之箒&ラウラ・ボーデヴィッヒ

       織斑一夏&シャルル・デュノア

 

 いきなりの好カードに、生徒一同は大いに沸き立った。

 皆大好き一夏シャルルペアと、クラスから問題児扱いされているラウラが一体どんな試合をするのか楽しみでしょうがないのだ。「箒とラウラ」と言う意外過ぎる組み合わせも、注目を集めている要因の一つだ。

 

 

 そんな計4カード(8ペア)の発表が終了すると、一夏は笑顔を浮かべたままラウラへと近付く。

 

「お互い、全力を出し切ろうぜボーデヴィッヒ!」

 

 白々しくもそんな言葉を明るく投げ掛けてくる一夏に対し、ラウラは冷やかな視線を維持したまま答える。

 

「…いつまで持つか見物だな。その“薄っぺらい仮面”が」

 

 しかし一夏はラウラの冷気に凍える事無く、笑顔を絶やさずに返答する。

 

「“仮面”?ハハッ!何の事だよボーデヴィッヒ!」

 

 尚もラウラにとって胸糞の悪い笑顔の仮面を向けてくる一夏。

 

 千冬は「人は誰しも居場所に応じた仮面を付けている」と言っていた。しかし少なくともこの男のコレは、そんな奇麗なモノではない。もっと薄汚いもっと低俗な“何か”だと、ラウラは心中で毒づいた。

 

 

 そんな2人を、昭弘は仲裁に入ろうか迷いながら眺めていた。

 別に諍いを起こしている訳ではないが、昭弘から見ても一夏の「あの笑顔」は正直見るに耐えない謎の不気味さがあった。

 

「こんな時でも他者の心配ですの?」

 

 そう言いながら、セシリアはまるで行く手を遮るかの様に昭弘の眼前へと現れる。

 そんな彼女を押し退けるかの様に、昭弘は口調に若干の苛立ちを含みながら言い放つ。

 

「何の用だ?」

 

「掲示板を御覧なさいな」

 

 そう返され、昭弘は渋々としながら再び電光掲示板に目を遣る。相も変わらず、4組の対戦カードがA~Dブロックまで左から順に並んでいた。

 

「アルトランドと谷本さんはCブロック、私と鈴はBブロック。…何を意味するのかお解りでしょう?」

 

 そう言うと、セシリアは右掌を上に向けながら昭弘の発言を促す。

 

「…オレとお前は、決勝まで行かないと戦えない…か」

 

 トーナメントのセオリー通りとなると、彼と彼女は決勝戦まで進まない限り戦う事すら出来ない。

 そして、それを態々本人の口から言わせるという事は。

 

「宣戦布告…とでも言いたいのか?」

 

 そう言われると、セシリアは正解とも不正解とも取れる様に口角を釣り上げながら答える。

 

「どの様に捉えようとお前の勝手です事よアルトランド。ですが…これだけはハッキリと言わせて頂きましょうか」

 

 直後彼女の顔から笑みは消え失せ、猛禽類を彷彿とさせる様な無表情かつ鋭い眼光が表に現れる。

 

「勝たせて頂きますわよ」

 

 それを聞いた昭弘もまた、己が今感じているモノをそのまま言葉として吐き出した。

 

「勝つのはオレたちだ」

 

 昭弘の返事を聞いたセシリアは先程浮かべていた笑みを顔に引き戻しながら、その場を去って行った。

 

 その際チラリと一夏の方角に瞳を向けるが、彼がそれに気付いてくれる事は無かった。

 少しばかり幸先の悪さを感じ取ったセシリアは、俯き気味に視線を戻す。

 

 昭弘とセシリアの間には、賭け事も条件も約束すらも無かった。

 ただ「戦いたいから戦う」「勝ちたいから勝つ」と言う欲求だけが、2人を支配していた。

 

 

 

 そうして間も無く始まる。

 白と黒、己と言う名の全存在を賭けた大勝負が。




次回、遂に一夏対ラウラ、因縁の対決が始まります。毎度の通り、前編後編で別れるかと思われます。
原作とはまるで異なるラストになりますので、ご了承下さい。

後、めっちゃ今更なんですが、作品自体のタイトルを変えようと思います。もう少し分かりやすく、とっつきやすそうなタイトルにします。
いやね、まさかここまで続くとは思わなかったんですよ。だからタイトルも適当に考えた後、ずっとそのまんまで・・・。


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第25話 私は「何」 (前編)

只管に戦闘回です。ただ、やはり昭弘VSセシリア以上の戦闘描写は難しいですね・・・。
あと、ヴォーダン・オージェのとこ結構うろ覚えです。


―――――6月3日(金) 09:00 アリーナA―――――

 

 白・橙・黒・黒。

 無機質なフィールド上にて、互いの存在をアゲハ蝶よりも激しく主張するが如く堂々と中空に佇む4機のIS。

 それらを操る戦士たちは、相手を見据える眼に力を入れながら試合開始のブザーを今か今かと待ち侘びていた。

 

 スタンド席の観衆はその姿を目に焼き付けながら、各々が感じたものを心中で呟く。

 

 

 勝敗は兎も角、悔いだけは残さないで欲しい。

 どちらが勝って欲しいと言った気持ちはないが、そう思わずにはいられない昭弘。あわよくば、この試合を通じて一夏とラウラを遮る壁が無くなってくれればと、そんな甘い事を考えているのだろうか。

 

 

 管制塔に身を置く千冬は、己の昂りを抑えるのに必死だった。

 楽しみなのだ。『昭弘』と言う特異な存在が、ラウラにどんな影響を与えたのか。そして、一夏がどれ程腕を上げたのか。

 

 

 VIP専用の観戦エリアにて、リィアこと『スコール』は身を乗り出しながら白式を見つめる。

 目立つ行動を慎む様リィアを嗜めるロイもとい『トネード』も、妹と同じ様に身を乗り出していた。

 

 そんな2人に、他の富豪たちは困惑の眼差しを送っていた。

 

 

 そして、遂に「その時」は訪れる。

 

 

 

ヴーーーーーーーッッ!!!

 

 

 

 鳴り響くブザーと共に、4機はスラスターを勢い良く点火。

 

 先ず最初に鍔迫り合うは白式と打鉄。ブレード同士が互いの刃を押し付け合い、青白い火花が散っている。

 

 箒の打鉄は、通常の打鉄よりも装甲を大幅に増やしてある。これは敵の弾幕を容易に突破する為だが、無論装甲が増えた分機動力も下がる。

 それを補う為の追加ブースターによって、拡張領域を全て埋め尽くしてあるのだ。よって、箒の打鉄はグシオンリベイク並みにゴツい外見をしている。

 そうなると箒の武装は近接ブレード1本になるが、箒にとっては充分だった。重装甲のISが、超高速で、達人並の剣術を以て突っ込んでくるのだ。射撃武装を主軸としたISにとってこれ程恐ろしい事は無い。

 

 しかし白式との相性は最悪。

 打鉄も白式も至近距離での斬り合いが主軸となるが、全体的な性能では専用機である白式の方が上だ。

 

 様々な角度から刃を振り下ろし、突き出し、振り上げていく両者。時代劇における殺陣を彷彿とさせるその様は、スタンドを大いに沸き立たせる。

 しかしいくら装甲とブースターを増やした打鉄でも、機動力・反応速度で白式に後れを取る以上SEは少しずつ削れて行く。

 箒もシャルルのラファールを狙おうとしたのだが、それも一夏に読まれていた。一夏も、タッグマッチでラウラに勝つ為のプランは十全に練っているのだ。

 

(勝たせて貰うぜ箒!オレと箒と昭弘、「3人の安寧」の為なんだ!)

 

(負けられん!私は強くなるのだ!)

 

 互いにこの試合に対する想いを心中で叫ぶ両者。

 もし仮に想いの強さが試合に何らかの影響を及ぼすとするなら、やはりより“偽りのない”想いが勝敗を制するのだろうか。

 

 どの道2人がそんな事を考えた所で、現実に存在するSEは「技量・性能・時間」と言った要因によって着実に減っていく。

 

 

 

 ラウラも又、ラファール相手に苦戦を強いられていた。

 55口径アサルトライフル『ヴェント』を右手に、62口径連装ショットガン『レイン・オブ・サタディ』を左手に夫々持ちながら、シャルルはレーゲンに銃弾の雨霰を降らせていた。これでは、有効範囲の狭いAICは使えない。

 又、AICの発動には多大な集中力が必要になる。例えAICで対象の銃弾を止めたとしても、ラファール以外に対して無防備になる。それでは白式に「どうぞ攻撃して下さい」と言ってる様なものだ。

 なのでラファール本体を停止させ、透かさず強力な一撃を加えたい所。

 

 しかしラウラも歴戦の代表候補生。

 機体を仰け反らせながら錐もみ回転させて銃弾を躱し、そのまま螺旋を描く様なロール軌道で急接近した後、ワイヤーブレードを2本叩き込む。

 

《ウグッ!》

 

 シャルルは苦悶の表情を浮かべるが、直ぐ様体勢を立て直す。

 

 ラウラは歯噛みしていた。AICの有効範囲までは接近出来ず、更には今の所ダメージも五分。

 このままの状況が続けば、一番最初に打鉄のSEが尽きる。そうなれば、ラウラは専用機2機を相手取る羽目になる。

 今現在のラウラと箒の状況は、正に「1対1戦法」を逆手に取られたようなものだ。

 

 打鉄の援護に回れば、ラファールの弾幕に押し潰されるだろう。

 ならば、打鉄が落ちるよりも先にラファールを潰すしかない。そうなれば2機がかりで白式を沈められる。

 

 ラウラは作戦を纏めると、早速行動に出た。

 彼はラファールの弾幕を躱しつつ、ワイヤーブレード6本を肌が露出している部分近くに展開。更には顔面を覆い隠す様に両腕を交差させる。

 そしてそのまま上下左右に伸びる複雑な曲線軌道を描きながら、ラファールに急接近。

 

 

 レーゲンが距離を縮めれば縮める程、弾丸はレーゲンのボディに吸い込まれSEを削り取っていく。しかしレーゲンが展開しているワイヤーブレードに阻まれ、絶対防御を発動させるには至らない。

 そして遂に、AICの射程圏内まで接近されてしまうシャルロット。高速切替でシールドを展開するが、案の定レーゲンが右手を掲げた途端動きを封じられてしまう。

 

(不味いッ!)

 

 シャルロットの心の叫びを間近で聞いていた様に、ラウラはほくそ笑む。

 そして装甲で覆われていない腹部を狙い、そこに『大口径レールカノン』をお見舞いする。

 

ダァゴォォンッッ!!!

 

 唯でさえ高威力なレールカノンの、近距離での直撃。露出部である腹部に命中した事による絶対防御の発動。ラファールのSEは、かつてない程大幅に減少してしまった。

 衝撃で吹き飛ぶラファールを必至に制御し、どうにか区画シールドにぶつかる前に体勢を立て直す。

 

 しかしラウラはレールカノンの爆風によるダメージも気に留めず追撃してくる。

 

 

 

 一夏は防戦一方の打鉄に刃を斬り込ませながら、吹っ飛ばされるラファールを見やる。

 しかし一夏はこれを好機と捉える。

 

(ボーデヴィッヒの奴は、恐らく「オレが先ず最初に打鉄を墜とす」と踏んでいる筈!)

 

 

 突如自身から距離を取る白式に、箒は目を見開く。

 白式が向かう先は、今正にラファールに対して追撃を行っているレーゲンであった。

 

「させるかッ!」

 

 見開いた目を剣幕へと変えた箒は、白式に追い縋るが…。

 

(…駄目だ速すぎるッ!)

 

 ここでも、白式と打鉄の性能差は如実に現れていた。

 

 

 

 ラウラは歯噛みしていた。

 AIC、ワイヤーブレード、レールカノン。千冬の戦闘スタイルから懸け離れたそれらを、やはりラウラは使いたくないらしい。

 しかし、それらを使わなければこの試合に勝つ事は出来ない。

 

―――勝つ?何故?どんな目的があって…?

 

 脳内を、何かグルグルとしたモノに侵食されるラウラ。

 この試合に勝って、この大会で優勝して、自分の望む物が手に入るのか。抑々、千冬のスタイルを無視している時点で、自分の望む物など自ら手放している様なものではないのか。

 いや抑々、自分の望む物は本当に千冬…

 

ガギャイィィィンッ!!

 

 自身のグルグルとした思考は、横薙ぎの一閃によって吹き飛ぶ。

 斬撃を食らった方向に目をやると、白式を纏った一夏が笑みを浮かべながら雪片弐型を構えていた。

 しかし、直ぐその場から離れて打鉄からの追撃をヒラリと躱す。

 

ダギンッ!!! ドドドドドドドドドドドゥン!!!

 

 憎しみの籠った瞳を白式へ向けた直後、ラファールの61口径アサルトカノン『ガルム』とマシンガン『ホッチキス Mle2022』が、仕返しとばかりにレーゲンのSEを奪い去る。

 再びラファールに意識を向けると、一度離れた白式がまたもや舞い戻って来る。そこで漸く、ラウラは一夏の戦法に気付く。

 

「ヒットアンドアウェイかァッ!!」

 

 

 

 予想通りの接戦により、スタンド席は宛らライブ会場の様な熱気に包まれていた。

 

 そんな中、昭弘だけはいつも通り腕を組みながら静かに座っていた。彼は一夏と箒の急激な成長っぷりを目の当たりにして、普段の仏頂面を別人の様に緩めていた。

 しかしそんな快晴の嬉しさの中に、不気味に佇む灰色のわた雲が1つ。先程白式の斬撃を食らったレーゲンから、“謎の紫色の漏電”が見えたのだ。その後ラファールからの反撃を受けた際も、同色の放電がチラリと見えた。

 

 よもや専用機に限って、整備不良と言う事もないだろう。

 

 ではレーゲンに纏わりつく様に迸った、あの電流は一体何なのか。

 そんなレーゲンの姿は、まるで“何か”を封じ込めているかの様な。少なくとも昭弘にはそう映ってしまった。

 

 

 

 箒も一夏の戦法に気付く。

 そこで、箒は急遽ターゲットをラファールに変更する。もし上手く行けば「打鉄対ラファール」「レーゲン対白式」と言う、箒とラウラにとって都合のいい状況を作り出せるかもしれない。

 

 しかし、それこそが一夏とシャルルの狙いだった。

 

《篠ノ之ォ!後ろだぁッ!!》

 

 ラウラからの一声で、箒は直ぐ後ろに迫っていた白式の存在に気付く。しかも零落白夜を発動している。今の打鉄のSE残量では、零落白夜に耐える事は出来ない。

 

―――どうする?白式を迎え撃つか?それともこのままラファールに突っ込むか!?

 

 打鉄の機動力では白式から逃れられない。かと言って、白式に近接戦を挑んでもジリ貧だ。レーゲンの援護も、ラファールが張り付いている限り期待は出来ない。

 ならば。

 

「瞬時加速ならァッッ!!」

 

 一か八か、瞬時加速を使ってラファールに突っ込む。しかしこれなら、さしもの白式も瞬時加速を使わない限り打鉄には追い付けない。

 それにラファールはレーゲンに集中している。当たるかもしれない。いや、当てる。

 

 一本線の軌道が、フィールド上に煌めく。

 

 

 

 打鉄の目標変更を察知したシャルロットは、高速切替によって右手にシールド、左手にヴェントを装備。そしてヴェントによってレーゲンを牽制しつつ、打鉄の斬撃に備える。

 しかし打鉄の取った行動は―――

 

(瞬時加速ゥ!?)

 

 彼女が驚愕した時には、もう打鉄のブレードがシールドに減り込んでいた。

 

ガゴォォォゥン!!!

 

 衝撃と同時に、大きく後方へと追いやられるラファール。シールドで防いだとは言え、瞬時加速の衝撃によるダメージは無視出来ないものであった。

 しかし、衝撃によるダメージは打鉄も同じ。今迄のダメージもあって、打鉄のSEは風前の灯となっていた。

 

 

 

《篠ノ之ォォッ!早く離れろォォ!!》

 

 ラウラはラファールのばら撒く銃弾を気にも留めずに、そう叫びながら突っ込む。

 しかし、今の打鉄は弾丸数発分程度しか耐えられない。離れた所でラファールに蜂の巣にされるか、今も尚向かって来ている白式に斬られてお釈迦だ。

 

「スマン!ボーデヴィッヒ!今の私にはこれ位しか…」

 

 そう言いながら箒はラファールのシールドを左手で掴み、右手に持った近接ブレードを素早く振り上げる。

 それでもシャルルは、未だにレーゲンへの牽制を続けている。一夏の刀を信じて。

 

《間に合えええぇぇぇぇ!!!》

 

 既に零落白夜を解除した一夏は、そう叫びながら打鉄に向けて刃を滑らせる。

 

ガギィィンッ!! ガシュゥゥッッ!!

 

 直後、まるでこれから試合が大きく動く事を示唆する様に、アナウンスがアリーナ中に響き渡る。

 

《打鉄!SEエンプティ!!》

 

 

 

 己の援護が間に合わず歯噛みを隠せないラウラに、安全圏迄退避した打鉄から通信が入る。

 

《…本当にすまない。私の力量不足だ》

 

 箒の力無い声を聞いたラウラは、自身の感想を正直に言い放つ。

 

「いや。最後まで諦めず、よくぞ戦い抜いてくれた。礼を言うぞ、誇り高き剣士よ」

 

《ボーデヴィッヒ…。ありがとう、健闘を祈る》

 

 僅かな可能性を捨て去らず、最後の最後でも残された自身の為にラファールのSEを削いでくれた事が、ラウラは純粋に嬉しかった。

 

(…私も全てを出し切ってみるか)

 

 勝つ為の目的が見つかった訳ではないが、どんな状況でも常に「本気で全力」な箒の姿を見て、ラウラはそう思わずには居られなかった。

 

 そして、左目を覆っている眼帯に触れる。その眼帯の奥には、今迄1度も使った事の無い禁じ手が封印されていた。

 

 全てを出し切ろうと誓ったばかりのラウラだが、やはり躊躇ってしまう。自分如きに扱える代物なのか、抑暴走しないのだろうか、使ったら自分はどうなってしまうのだろうか。

 

 そんな得体の知れない恐怖が自分を襲う時、ラウラは思い出す様にしていた。「あの男」の顔を、言葉を。

 何故ならそれらは、迷った自分の背中を優しく撫でてくれるからだ。

 

―――お前さんならモノに出来るさ。その“力”をな

 

 あの男“昭弘”ならそんな事を言うのだろうなと思った時には、ラウラは既に左目の眼帯を外していた。

 この先どんな絶望が待ち受けて居ようと、自身の心を昭弘の言葉が支える限り、必ず最後に胸を張ってみせる。

 

―――――擬似ハイパーセンサー『越界の瞳(ヴォーダン・オージェ)』起動を確認。

 

 左目に映った外界の景色が引き金となり、レーゲンの機械音声がラウラを音速の世界へと誘う。

 

 

 

 今正に次なる一撃を加えようとしていた一夏とシャルロットは、レーゲンの変貌ぶりに目を奪われる。

 

 速い、途轍もなく疾い。

 

 狙えるとか狙えないとかそんな次元の話ではなく、ハイパーセンサーで捉える事すら困難なレベルの速さだ。

 レーゲンは瞬時加速にも匹敵する速度を維持したまま、複雑な軌道を描いて白式に迫る。

 

「こんのぉッ!」

 

 白式も激しく動き回りながら迎撃の構えを取るが、それより速くレーゲンのプラズマ手刀が擦れ違い様に横腹を斬る。

 

 一夏は悶絶の表情を浮かべながら、白式のSEが大きく減少するのを肌で感じ取る。

 

 

 

「グゥゥゥォオオォ!!?ア、頭が破裂するゥ…ッ!!」

 

 越界の瞳とは、一言で言い表すなら「ハイパーセンサーを備えた肉眼」。

 肉眼に擬似的なハイパーセンサーを生み出す為のナノマシンを移植し、ソレとIS本体のハイパーセンサーを同調させる事で、超高速戦闘下における「脳への視覚信号伝達」と「動体反射」を大幅に強化させるのだ。

 ブルー・ティアーズの高機動用バイザーも、肉眼への処置を除けばこれに近いシステムを用いている。

 尚、越界の瞳が発動されると同時に、レーゲン本体も自動的に超高速機動状態となる。

 

 そんな今、正にラウラは暴れ馬の手綱を引いた状態と言っても過言ではない。

 普段の何倍もの速度で移り変わる景色。それらは大量の情報として、ラウラの脳に殺到する。もし越界の瞳が無ければ、ラウラは何が起こっているかも解らず只管レーゲンに振り回されていただろう。

 しかし、それでも手綱を引くのでラウラは精一杯だった。今の彼にはAICもレールカノンも、ワイヤーブレードすらも使う余裕はなかった。

 

(な…何でも良い!兎に角…近くに居る方をッ!)

 

 辛うじてそんな事を考えるラウラは、再び白式に狙いを定める。

 

 しかし昭弘の目に映った紫色の電流は、先程以上に激しく迸っていた。

 

 

 

《一夏ッ!僕の後ろヘ!!》

 

 シャルロットは白式を庇う様に、レーゲンに対して弾幕を張る。ホッチキスで牽制している間に、シャルロットは器用にもヴェントのマガジンを交換。

 

《レーゲンに何が起こったかは解らないけど、多分向こうは今のレーゲンを扱いきれていない。ワイヤーブレードもAICも使わないのがその証拠だよ》

 

 事実、レーゲンの空中機動も今迄の精細さを維持しているとは言い難かった。どちらかと言うと、暴れる機体を押さえつけている感じさえ伝わって来る。

 

「…まだチャンスはあるって事だな?」

 

 2人は通信を専用回線に切り替えると、レーゲンからの猛攻をやり過ごしながら即興の作戦を練る。

 

 

 

 ラウラはレーゲンを懸命に制御しながらも、謎の悦を感じ取っていた。 

 

 近接武器を用い、疾さと純粋な戦闘能力だけで勝利を捥ぎ取る。今の彼は、今迄の中でも限り無く千冬に近いのかもしれない。

 

 しかしそれは所謂錯覚に過ぎない。

 何故なら彼は暴れるレーゲンを制御する為に、プラズマ手刀以外の武装を封じているだけなのだから。自分の為に武装を限定するのではなく、ISの為に武装を限定する。その時点で、ラウラはISを自由自在に支配する千冬から寧ろ遠ざかっているとも言える。

 

 すると、ラウラの視界に奇行を繰り返す白式が飛び込んで来る。区画シールドの付近を、まるでラウラを誘う様に飛行しているのだ。

 

 そんな白式に対し、ラウラは迷う事なく突っ込む。

 罠だと解っていても、今のラウラはそんな事にまで構っている余裕など無かった。織斑一夏を倒し、己の優位性をこの戦いで確立させる。今の悦に浸っているラウラにとって、それが「勝つ為の目的」だと信じているから。

 

 相も変わらずレーゲンから逃げるだけの白式に対し、ラウラは情け容赦なく背後からプラズマ手刀を叩き込もうとする。

 しかし、逃げながら白式はレーゲンの方に向き直る。

 

 すると、雪片弐型の刃体をまるでラウラに見せびらかす様に構える。

 

カッ!!!

 

「!!??」

 

 何とそのまま零落白夜を一瞬だけ発動させたのだ。

 

「グギィ゛ヤ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ッッ!!!」

 

 左目を覆いながら、ラウラは突如として発狂し出す。

 視覚信号伝達を大幅に強化している今のラウラにとって、零落白夜が放つ光は最早眩しいだけでは済まない。無論姿勢制御を行う事など叶わず、そのまま区画シールドに激突する。

 更にレーゲンを下後方から付けていたラファールが、区画シールドで悶えているレーゲンに組み付く。

 

「き、きき貴様ァァァ!!!」

 

《終わりだよボーデヴィッヒさん》

 

ズドオォンッッ!!!

 

 69口径パイルバンカー『灰色の麟殻(グレースケール)』通称:盾殺し(シールド・ピアース)が、火花と共に射出された。

その衝撃は凄まじく、絶対防御が発動しているにも関わらずラウラの腹部に突き刺さる様な鈍痛が残る。

 

 それらの衝撃と鈍痛によって、悦に彩られていたラウラの脳内に再び先程のグルグルが舞い戻って来る。

嫌なグルグル、自分が何の目的も無い人形だと言う事実を突きつけてくる冷たいグルグル。零落白夜による閃光も相まって、今のラウラの思考は最早グチャグチャになっていた。

 

―――教官

 

 しかも一発ではない。シャルロットは無慈悲に、相手のSEが切れるまで何発も穿ち続けた。

 

―――貴女の様になりたかっただけなのに…結局私は

 

 SEの減少に比例する様に、レーゲンがそこら中から放つ放電の勢いは増していく。

 

―――…いや、「織斑千冬の様に」って何だ?

 

《シャルッ!何かレーゲンの様子が変だッ!一旦離れろッ!!》

 

《え!?ウ、ウン!!》

 

―――スマン昭弘。もう答えを探すのも疲れた…。誰か教えてくれ…空っぽな私に

 

教えてあげようか?

昭弘の助言なんかより、よっぽど明確で解りやすい“答え”を

 

 

―――――SE残量、危険域に突入。搭乗者保護の為、これより『VTシステム(ヴァルキリー・トレース・システム)』を起動します。

 

 

 

 

 

 アリーナ中が一斉にどよめき出す。

 

 

 彼等の目が捉えたモノは…

 

 シュバルツェア・レーゲンから溢れ出す、真っ黒な泥。それらはやがてレーゲンを取り込み、搭乗者であるラウラをも静かに包んで行った。

 そしてレーゲンよりも一回り程大きくなったソレは、やがて「己があるべき姿」へと形を整えていく。

 ソレは人と同じ形状へと変貌し、右手と思しき部分には雪片と同形状の刀が握られていた。両脚部は太くどっしりとしていて、背部には2枚のウイングが伸びていた。ISを彷彿とさせるソレは、やがて頭部の形状も定めて行った。

 

 その姿は正しく。

 

「織斑…センセイ?」

 

 

 

後編へ続く




次回、遂に一夏が発狂します。
そして滅茶苦茶熱い展開になりますので、乞うご期待下さい。


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第25話 私は「何」 (後編)

【ヴァルキリー・トレース・システム】

 モンド・グロッソ部門受賞者の「動き」を模倣するシステム。搭乗者の精神状態や強い願望、ISが受けたダメージ量等、様々な条件が重なった時にだけ発動する。
 搭乗者の保護と言う名目で発動されるが、発動中はISコア側の主導権が著しく強まり搭乗者の意識が反映されにくくなる。

 未発達且つ制御不能な未知のシステムであり搭乗者やその周囲が受ける被害も考慮してか、アラスカ条約に於いては使用、研究、開発全てが禁止事項と定められている。
 但し、もしこのシステムを搭乗者が完全なる制御下に置いた場合は、功績として「特例措置」が認められる場合もあるとされている。


 突如シュバルツェア・レーゲンから滲み出て来た漆黒の泥。

 それは繭の様にラウラを包み込み、再度形状を再構築していった。

 

 しかしそんな過程は既に一夏の記憶から消え去り、彼はレーゲンの“今の姿”に意識の全てを集中させていた。

 

―――…千冬…姉?

 

 レーゲンの剣、レーゲンの構え。それらを見てその名を思い起こした瞬間、グツグツと煮え滾った何かが胸の奥から出口を求めて膨張して行く。

 

―――……メロ……やめろ

 

 駄目だ、このまま叫ばずにいたら胸が破裂する。

 そして遂に、熱湯の様なソレは言葉となって一夏の口から激流の如く放出された。

 

「ヤァァァメェェェロォォオオォォォオォォオオォォ!!!!!」

 

《一夏!?》

 

 叫んだ時には、無意識に白式のスラスターに火を付けていた。

 シャルロットの驚きに彩られた声も、今の脳を震わすことはない。

 

―――お前がッ!お前如きが「あの人」を真似るなッ!!ソレはオレノォォォッッ!!!

 

 一夏の顔面に張り付いていた“笑顔”は、荒れ狂う憎悪によって消し去られた。まるで最初から無かった様に。

 

 

 

 突如変貌したラウラとレーゲン、発狂しながらそれに突っ込む一夏。どう見ても異常な事態を目の当たりにした観客は、混乱とまでは行かずとも大なり小なりざわつき出す。

 

 そんな中、泥の中で何か光るモノを捉えた昭弘はレーゲンの「目と思しき部分」を凝視する。

 そこで煌めくモノが何なのか確認した途端、行動を起こすべく立ち上がろうとするが―――

 

ストン

 

 昭弘の右肩に謎の力が加わり、そのまま座席へと押し戻される。

 昭弘が歯軋りしながら後部座席に振り向くと、そこには今もなお昭弘を押さえつけている張本人が。

 

「何処へ行こうと言うのかな?」

 

 楯無はそう笑みを浮かべながらも、昭弘を押さえ付ける力を緩めてはくれなかった。

 

 例え昭弘でも、その道のプロである彼女の気配に労無く気付くなんて無理難題だ。

 だが昭弘はそんな楯無の忍者っぷりに感心する間もなく、激しく睨み返す。

 

「…放してくれないすか?(万力かよ動けねぇ)」

 

「一般生徒は危ないから教員部隊が到着するまで待っててね?」

 

 ぐうの音も出ない正論だ。不確定要素が多すぎる今、悪戯に乱入すればどんな事態になるか分かったものではない。

 加えて、楯無は昭弘に少なからず疑念を抱いている。この様な行動に出るのも必然だ。

 

 だがその間にも、フィールドの状況はどんどん変化していく。

 突っ込んで行った白式はレーゲンの猛反撃を食らい、遂にSEが切れてしまう。その光景は、昭弘の焦燥感を煽るには十分だった。

 

「…そんなにオレが信用出来ないすか?」

 

「アナタでなくとも、一生徒が出しゃばった所で状況が悪化するだけよ」

 

「…アンタにとっちゃ生徒の安全が第一じゃなかったんすか?」

 

「言い方を変えようかしら?一生徒が向かった所で犠牲が増えるだけよ。2人には悪いけど、部隊が来るまで耐えて貰うか上手いことピットに逃げ込んで貰うしかないわ」

 

 言論による奮闘も虚しく、楯無は一向に考えを改める気配など無い。

 

 昭弘が諦めかけたその時―――

 

ガシッ

 

 どよめく観客を掻き分けながら、その少女は辿り着くや否や楯無の右腕を掴む。

 楯無にとっても昭弘にとっても「意外過ぎる人物」に、2人は大小の差はあれど似た様に目を丸くする。

 

「簪…ちゃん?(な、何でぇ!?)」

 

 最愛の妹から久方ぶりの接触を受けて、困惑しつつも嬉しさで大いに浮き足立つ楯無。

 ゴーレム関係で少しばかり面識はあるものの、今この状況で簪が絡んで来る理由が解らない昭弘。

 

 そんな2人の反応を意に介さず、簪は楯無に告げる。

 

「お姉ちゃん…この手を放して…!」

 

 何と簪が付いたのはまさかの昭弘側。流石の楯無も「え?」と首を傾げる。

 しかしそこは生徒会長。「妹が自身の味方をしてくれない」と言う寂しさをどうにか心の奥へと追いやる。

 

「え…えーと簪ちゃん?彼は今あのフィールドに乱入しようとしているの。生徒会長として、一生徒にそんな危険な行為をさせる訳には…ね?」

 

 そんな態度を貫く楯無に対し、簪は心中で呟く。

 

(…完璧な貴女に私の気持ちなんて……どうせ解らない…!)

 

 他クラスである簪は、ラウラを詳しく知っている訳ではない。

 しかし、彼が何らかのコンプレックスで苦しんでいる事は何処と無く察していた。似た様なコンプレックスで苦しんでいる簪にとって、ラウラに何らかのシンパシーを感じても不思議ではない。

 そんな感傷が、彼女をこの様な行動に駆り立てたのだろうか。

 

 そうして簪は、自覚無き必殺の一言を楯無にぶつける。

 

「…もし放さないのなら…もう貴女とは一生口をきかない」

 

 その一言を聞いた楯無はガーンと言うグランドピアノみたいな効果音を頭に響かせ、ショックの余りつい右手への意識が疎かになってしまう。

 その一時の弛みを、昭弘は決して逃さなかった。

 

「あっ!コラ!!」

 

 スルリと楯無の手から逃れる昭弘。勿論、簪への感謝の言葉も忘れない。

 

「助かったぜ更識妹!借りが出来たな!」

 

 楯無がそんな逃走劇を許す筈も無く、自慢の身体能力を使って追おうとする。彼女に掛かれば、コバエだろうと隼だろうと逃げられはしな―――

 

「ヂョッ!!簪ちゃん!?」

 

 簪は楯無を真正面から腕ごとホールドし、その場に留めようとする。傍から見れば、少し微笑ましい光景だ。

 そんな素人程度のホールドなど、楯無なら意図も容易く抜けられる筈だが。

 

(?…何でこの人、少し鼻息荒いの?)

 

 今楯無の中では、「妹に抱き付かれる」と言う嬉しさと「生徒会長」としての責務がせめぎあっていた。

 

 

 

 管制塔から、既に千冬はピットへと指示を飛ばした。現状区画シールドとハッチへの異常は検知されてない故、待機を維持せよと。

 しかし、未だ観客スタンドには敢えて放送を流していない。今の所レーゲンの形状が変わっただけで、明確な脅威とは断定し難い。先に仕掛けたのも白式で、レーゲンは反撃したに過ぎない。

 それに、今回は各国のVIPも馳せ参じている。彼等に悪い心証を抱かせない様、穏便に済ませたいと言うのが千冬の本音だ。

 

 いや、本音はもっと別にあるのだろう。

 自身の姿に変貌したレーゲン、それを見た途端別人の様に怒り狂う一夏。今すぐ専用回線で2人に問い詰めたい気持ちを押し留め、千冬は事態収集の最適解を探る。

 

《織斑先生!到着しました!!》

 

「アリーナ外周からピットに続く導線は確保しておいた。道が狭いようなら多少破壊しても構わんッ!」

 

《了解!》

 

 管制塔から、千冬は現着した教員部隊に指示を飛ばす。万が一に備えて、ピット内まで部隊を派遣しておく。

 

 そんな中、千冬の視界が「ある人物」の姿をフィールド上に捉える。

 

 

 

―――数分前 ピット内にて

 

 丁度昭弘が駆け付けた時、待機を指示されたピット内では皆池を泳ぐ鯉の如く右往左往していた。

 

 そんな中今にも飛び出して一夏たちを助けたそうに拳を握っていた箒は、一早く昭弘の存在に気付く。

 

 それに釣られて、他の整備科生も昭弘を見やる。時間の惜しい昭弘は彼女たちを見渡した後、自身の考えを口にする。

 

「…「非常通用口」を使って、オレが生身で出ます」

 

「「「「「…はい?」」」」」

 

 入っていきなり突拍子もない事を主張し出す昭弘に対し、整備科生たちは上ずった声を漏らす。

 確かに、ピット内にはフィールドへと続く通用口がある。センサーが反応する事で通用口のシールドだけ一時解除され、通過すれば再びシールドが起動すると言うシステムだ。無論、フィールド側からは一切反応しない。

 しかしその通用口のスペースは精々「人」一人分。ISを纏った状態ではとても通過出来ないのだが…

 

「そうか!昭弘ならMPSをその場で展開できる!」

 

 次の試合に備えて別のピットで待機している鈴音とセシリアも、同じ事を考えているだろう。未だフィールドに飛び出して来ないのは、整備科の先輩方が必死に押さえているからだ。

 

 昭弘はそのまま通用口へと向かう。

 しかし、整備科生は勝手にやってきて勝手に進める昭弘を制しようとする。

 

「ちょっと待ちなさい!…アナタまさか「自分ならどうにか出来る」なんて思ってるんじゃないでしょうね?」

 

 対し、少しだけ間を置いて昭弘は先程のレーゲンを思い返す。レーゲンの目と思しき部分。そこから、黒い泥とは異なる「透明の雫」が流れ出ていた。

 それが何なのか、どんな物質なのか昭弘には解らない。それでも直感したのだ。ラウラをあのままにしてはおけないと。

 

 だから昭弘は進みながら振り向かずに答える。

 

「オレはただ「御節介」を焼きたいだけなんですよ。所詮は「自分の為」にやっているんです」

 

(昭弘…)

 

 より多くの人を、より効率的に救う。この男『昭弘・アルトランド』には、それが出来ないのだ。

 自分の目に映った仲間をどうにかしてやりたい。それが全てで、名も知らぬその他大勢は後回しなのだ。

 

「センセイ方には「アルトランドに脅された」とでも伝えて下さい。では…」

 

 そう言って、昭弘は通用口の前に立つ。

 その時の昭弘は、箒の知るどの昭弘とも違っていた。目つきは憂いや後悔を抱いている様に生気が無く、しかし足取りは普段以上に堂々としていて、口元は覚悟でも決めた様に強く噛み締めていた。

 

 そしてシールドを抜け、フィールドに足を踏み入れた昭弘を見て箒は思わず戦慄してしまう。

 

(昭弘?…何故グシオンを纏わないんだ?……待て…駄目だ…!)

 

 駆け出そうとする箒を、整備科生たちは必死に止める。

 

「アンタは専用機持ってないでしょーが!?」

 

 そんな当たり前な事実を聞いて尚、箒は必死に藻掻いた。今彼女の脳裏には、肉塊と化した想い人の姿が鮮明に映し出されていた。

 

 

 

 既に地上に降りているレーゲンを、昭弘はフィールド端から注視する。

 

 昭弘の予想通り、どうやら危害を加えられない限りレーゲンは攻撃して来ない様だ。

 しかし、昭弘が生身で居る理由はそれだけではない。千冬の姿を模したアレは、未知数な点が多過ぎる。もし昭弘がMPSを展開すれば、その時点で攻撃対象と見なされるかもしれない。

 第一アレはラウラがレーゲンを操っているのか、レーゲンがラウラを操っているのかそれすら解らない。

 

 白式はSEこそ尽きたものの、まだ展開常態を保っていた。ラファールも今のところ無事な様だ。

 何やら専用回線を用いて話し合い…と言うよりも一夏が一方的に怒鳴り付けている様に見えるが。

 

 

 

《シャルロットォ!!ラファールのエネルギーを寄越せッ!!》

 

「!?」

 

 確かに、ISからISにエネルギーを送る事は可能ではある。しかし余りに突然で脈絡の無い要求に、シャルロットは思わず身を竦める。

 

《奴はオレと白式の「零落白夜」でしか倒せねぇッ!!》

 

 意味が解らない。一体何を根拠にそんな事を言い出すのかと、シャルロットは初めて一夏に懐疑心を抱く。

 それでも最終的に今まで培ってきた一夏への信頼が勝ってしまい、シャルロットは彼の要求を飲む。

 

 

 

 

 

 身体の芯から冷え込む、辺り一面暗黒の世界。そこでラウラは、今迄得た事の無い達成感を味わっていた。

 

 間も無く叶う、「千冬の様なブリュンヒルデ」になると言う夢。後は有象無象をこの力で圧倒すれば、自分は『織斑千冬』として完成する。

 

 そんなラウラに気になる事が一つ。それは、自分から相手を攻撃する事が出来ない点だ。

 

 しかし、ラウラ自身は既にその理由に辿り着いていた。

 

 程無くして、ラウラの眼前にその“不完全な答え”が現れる。

 何も見えない真っ暗な世界で、「その男」だけは何故かハッキリと姿を捉える事が出来た。

 

先ずは彼を消そう。君を迷わせて苦しめる元凶だ

君だってもう十分悩んだろう?正しい答えはもうすぐそこだ

 

 ラウラはレーゲンのコアが放つ言葉を素直に聞き取り、昭弘の下へと赴く。

 未だ迷いを抱いたまま。

 

 

 

 

 

 突如、昭弘に向かってゆっくりと移動するレーゲン。

 しかし、昭弘はあくまでその場を動かない。どの道逃げられないし、何より逃げたくはないのだろう。

 

 そして遂に千冬の姿を模した巨大なレーゲンは、昭弘の目と鼻の先に佇む。

 そんなレーゲンの顔を、昭弘は突っ立ったまま下から覗き込む。目の部分からは、やはり涙かどうかも解らない透明な液体が止めどなく流れ出ていた。

 

「……苦しいのか?ラウラ」

 

 昭弘は心配そうに、だがどこか申し訳なさそうにそう訊ねる。

 千冬の姿を模しているレーゲンを見て、先程から昭弘の中である考えが芽生え始めていた。

 

 結局ラウラは、千冬の様になりたかっただけなのではないのか。

 今迄自分が行ってきたお節介は、ただ単にラウラを悩ませ苦しめただけだったのではないか。

 

 今も尚流し続けている透明な雫と、自分からは攻撃しないと言うその行動原理は、昭弘からすれば今も悩んでいる事への裏返しとしか思えなかった。千冬の様でありたい、去れど学園の皆を傷つけたくはない、と。

 

 それでも、昭弘には彼を悩ませる事しか出来ない。

 

「…すまないラウラ。どうなりたいかはお前が決めるしかないんだ。だから…」

 

 そう言うと、昭弘は両腕を左右に大きく広げながらラウラに「究極の選択」を言い渡す。

 

「好きにしてくれ。これからお前が起こす行動に、オレは文句を言うつもりはねぇ」

 

 例え自分の命が朽ち果てようと、それがラウラの「本望」に繋がるのなら昭弘はそれでも構わなかった。

 

 そんな昭弘の真意が伝わったのか、レーゲンは巨大な機械刀「雪片」をゆっくりと振りかぶる。

 

 

 

 

「シャルロットまだか!?急げッ!!ボーデヴィッヒをぶっ飛ばすッ!!」

 

 

 

 

「昭弘オオォォォォォォォッッ!!!」

 

「篠ノ之さんッ!教員部隊が着いたから落ち着いて!」

 

 

 

 

「アンタたちいい加減退かないと中国拳法お見舞いするわよ!!?」

 

(アルトランド…)

 

 

 

 

 其々がどんな想いを胸に抱こうと言葉にしようと、ラウラの意思が変わらない限りその剣は振り下ろされる。

 昭弘の意思が変わらない限り、彼の鮮血はフィールドを濡らす。

 

 

 

 

 

 この一太刀を振り下ろせば、ラウラは織斑千冬として終われる。もしかしたら自身の命も終わるかもしれないが構うものか。例え一瞬でも、織斑千冬になれるのだから。

 

 昭弘が居る限り、自分は延々と悩み続ける。それだけ昭弘の「言葉」は大きい。昭弘の言葉により、これ以上悩みと迷いに苛まれる位なら…。

 

―――昭弘を殺したくなどない。だがお前を殺せば…きっと私の迷いは消える。「この居場所」を諦める事が出来る。どうせお前だって…私と居て楽しくなど無かったろう?

 

そうだよラウラ。さぁ夢を叶えよう

 

 レーゲンからの言葉に何ら抵抗感を覚える事無く、ラウラはその剣を無造作に振り下ろ―――

 

 

 

 

 

「今まで楽しかったぜ」

 

 

 

 

 

 

…君は何故、まだ迷うの?

 

 レーゲンの言葉は、今この瞬間だけはラウラに聞こえていなかった。ラウラをそんな常態に至らせた原因は、昭弘のそんな“ふとした言葉”にあった。

 今この場で死ぬと言うのに、今までラウラに聞かせてきた言葉が水泡に帰そうとしているのに、何の悔いもなしにそんな言葉を言ってのけたのだ。

 

―――楽しかった?いやそんな筈は無い!少なくとも私はずっと苦しかった!こんな「空っぽ」な私なんかと居て楽しい筈が…

 

 

 漸く、ラウラは“もう一つの答え”に行き着いた。そう、彼は空っぽなどではなかったのだ。

 

 互いの違いを確認し合い、それを日々の糧として楽しむ。時にそんな己と他者との違いに苦しみ、自分の在り方について見つめ直す。それが悩みや迷いを生み出す。

 ラウラの空っぽな中身は、昭弘たちと通じて得たそれらによってもう十分満たされていたのだ。更に言えば、自分の在り方について悩み考え苦しむ事こそラウラが『ラウラ・ボーデヴィッヒ』である確たる証拠だった。

 

 それに行き着くや否やラウラの頭を侵していたグルグルは急速なる逆回転を始め、ラウラの心を支えてくれた言葉たちを蘇らせる。

 

 この世に唯一無二の居場所など存在しない。

 悪いか?友人の技量が気になって。

 お前の本質は何も変わらない。不器用で口が悪くて優しいラウラ・ボーデヴィッヒだ。

 

―――今なら解る。昭弘と教官が紡ぎ出した言葉の真意を

 

 昭弘も谷本も相川も鏡も箒も、此処でのラウラをラウラとして見てくれていたのだ。感じてくれていたのだ。

 それらの言葉を思い返した後、再びレーゲンの声がラウラの脳内に響く。

 

本当にそれで良いの?自分について、今後もずっと君は苦しむよ?

 

 それに対し、ラウラはいつまでもこれからも苦しみ藻掻く自身を笑う様に答える。

 

―――私の本質は変えようが無い。何処まで行ってもラウラ・ボーデヴィッヒであって、織斑千冬になどなれない。それに…

―――昭弘たち(アイツら)と一緒に悩むのは…苦しいが結構好きなんだ

 

 

 

私が何者なのか、気付かせてくれるから

 

 

 

 ラウラ自ら導き出した結論を聞いたレーゲンは、それ以上声を上げる事など無かった。

 レーゲンも気付いたのだろう。ラウラは織斑千冬にはなれないし、なってはならないのだ。

 何故なら、同じになれないからこそ人は憧れる事が出来るからだ。

 

 憧れが何なのか知ったラウラはその第一歩として試合を続行する為、昭弘の言葉を再度記憶から引っ張り出す。

 それはラウラを今迄で一番悩ませ、同時に一番心に痕を残した言葉であった。

 

 もう好きな様に戦ったらどうだ?ISってのは、自分の「好き」が許される存在だろう。

 

 この瞬間、ラウラはIS乗りとして再度スタートラインに立った。

 勝つ目的など、最初から必要無かったのだ。

 好きな様に思った様に戦いたい。そんな本当の自分としての限界を知りたい。

 

 それを実行する為に、ラウラは感じたままにレーゲンと言うISに自分を重ねて思い描く。

 

 

 

―――――VTシステム、「完全起動」を確認。「二次移行(セカンド・シフト)」開始。

 

 

 

 VTシステムの神髄とは、「モンド・グロッソ部門受賞者(ヴァルキリー)をトレースするシステム」ではなく、「自分の思い描く戦乙女(ヴァルキリー)をISにトレースするシステム」だったのだ。

 それは悩み抜き、悩み続ける者でしか辿り着く事は出来ない境地だろう。

 

 

 

 

 

「終わりだボーデヴィッヒィィィッ!!!」

 

 剣を振り被ったままのレーゲンに対し、一夏は叫びながら白式を突っ込ませる。

 

 

 

キュバァアッッ!!!

 

 

 

 レーゲンは白式が突っ込むよりも教員部隊が突入するよりも早く、異音と同時に纏っていた泥を周囲に撒き散らした。白式はソレを避ける様に距離を取り、昭弘は衝撃で尻餅をついてしまった。

 撒き散らされた泥は粒子となって中空へと消えて行った。しかし皆そんなモノには目もくれず、泥を撒き散らした張本人を注視していた。

 

 その「銀髪の美少年」は、両足を僅かにクロスさせながら腰に手を当てて物静かに佇んでいた。新しい朝を迎えた様な、得も言われぬ爽やかさを全身から放ちながら。

 纏っているソレは黒を基調とし、脚部も上半身も極めて装甲が薄く、一目見ただけでも異常な可動性が容易に想像できる程であった。その異形は、最早ISと言うよりも細身のサイボーグを彷彿とさせた。

 そして左目の瞳を彩る黄金色の輝きは、まるで初めて外界を目の当たりにしたかの様にアリーナ全体を見渡していた。

 

 訳が分からない昭弘は尻餅をついたまま、そんなラウラを見つめる。

 そんな昭弘に対し、ラウラは事も無げに手を差し伸べる。

 

 ラウラの右手を掴み、腕と腹筋に力を加えて起き上がる昭弘。

 立ち上がってみると、ラウラが纏っているISの小ささがより浮き彫りとなった。

 普段のラウラと身長はほぼ変わらず、先程のレーゲンとは打って変わって今度はラウラが昭弘を見上げている状態だった。

 更にはレールカノンやワイヤーブレード、プラズマ手刀等武装らしい武装も見当たらない。

 

 訊きたい事は山程ある昭弘であったが、一番最初に訊くべき事は既に決めていた。

 

「…もう苦しくはないのか?」

 

《…苦しいさ。左目もまだ少し痛む。…だがもういいんだ》

 

 何がいいのか、昭弘には何となくしか解らなかった。

 しかし今の胸を張ったラウラを見てしまえば、それが悪い事ではないと誰しもが気付くだろう。

 

「お前がそれでいいのなら、それでいいさ」

 

 そう言って、昭弘はラウラの頭に手を置く。するとラウラは気恥ずかしさからか、顔をしかめて昭弘の手を払う。

 

《おっとこんな事をしている場合ではなかったのだ。下がっていろ昭弘》

 

「あ?何言って…ッ!?」

 

 

 

 その光景は一夏にとって劇物に他ならなかった。

 

 いつも己の眼前で昭弘を独占し、更には身の程知らずにも千冬を模倣する。

 中でも一番許せないのは、千冬の姿を模倣しておきながらソレをあっさりと脱ぎ捨て、どこかサッパリとした表情をしているのだ。これが侮辱でなくて何だと言うのだ。

 それを機に一夏の脳内は完全にオーバーヒートし、憎悪に任せて白式のスラスターを爆発させた。

 

 今の彼にあるのは、ラウラに対する殺意のみ。

 

 

 

「オイ一夏!もういい!ラウラはもう大丈夫だ!」

 

 しかし一夏は昭弘の制止を見向きもせず、白式の出力をまるで緩めない。

 

 ラウラはまだ地面に足を着けたまま、迫り来る白式を静かに見据える。何かを待っているかの様に。

 

 速さと身軽さ。

 ラウラにとって己の戦闘スタイルを見つめ直すには、その2点さえ揃っていれば十分だった。それ以外の武装は、今の彼には寧ろ不純物。

 何故ならラウラには、どんな速さをもモノに出来る左目(ヴォーダン・オージェ)があるのだから。

 

 その左目でラウラは見極める。自身の短い腕が、迫る雪片弐型よりも早く白式に届く間合いを。

 そして、一夏が鬼の形相でソレを大きく真横に振りかぶる瞬間―――

 

―――ここッ!!!

 

 刃先が白式の後方を向いている、最も前面へのリーチが短い一瞬。

 ラウラは左足で地面を思い切り蹴り、それをバネにする様に右拳を突き出す。ジャブとなったソレが一夏の顔面に届くまで、正にほんの刹那であった。

 

 

 

 一夏の眼前を小さな拳が覆い隠した瞬間、絶対防御が無慈悲にも発動する。ラファールから貰った僅かなSEでその一撃に耐えられる筈もなく、今度こそSEの数値は0を迎えた。

 当然一夏へのダメージは無い。だが肉体的な疲労からか怒りや憎しみから来る精神的な疲労からか、一夏の意識はバッテリーがイカれた様に途切れてしまう。

 

 最後に彼が聞いた音は、冷たく鳴り響く試合終了のブザーだった。

 

 

 

 

 

「決めた。コイツの名は『シュバルツェア・シュトラール』だ」

 

―――――音声認識『ラウラ・ボーデヴィッヒ』。ISの再登録、完了。




ラウラ関係のゴタゴタは、これで9割近くが完了です。後はまぁIS学園に在籍する為の調整やらドイツとのやり取りやらが1割ですかね?兎も角、皆さん長々とお付き合い頂いてありがとうございました!

一夏もちゃんと救済しますんでご安心下さい・・・こんな終わり方しといて何ですが。

あと、色々追加設定ぶっこみすぎました。反省はしていません。ラウラの新機体、まだまだ特殊能力やら何やら隠されておりますので、是非期待して下さい。

次回、原作通り大会が中止になるか、それとも続行となるかはお楽しみと言う事で。


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第26話 続行

クソみたいに投稿が遅くなって申し訳ございません・・・。

ただその分、怒涛のテンポで話を進めました(当人比)
けど、短文で相手の強さを表現するのって難しいですね。


 先の事態をレーゲンの暴走とは汁程も思っていないVIPたちは、能天気な感想を互いに溢し合う。フィールドに乱入した昭弘の事も、何らかの演出程度に思っているのだろう。

 

 そんな中スコールは不機嫌を隠そうともせず、腹の底から空気砲の様に大きな溜め息を吐き出す。

 

「期待して大損ね。所詮は「弟」って訳かしら」

 

 やはりスコールは、今大会で一夏の実力を見定めておくつもりだった様だ。場合によっては、自身の部隊に引き入れる算段もあったのかもしれない。

 他の誰よりも戦闘に精通している彼女の事。恐らく今回の試合で、一夏の限界がある程度解ってしまったのだろう。

 

「姉が異常過ぎるだけで、アタシは織斑くんもいい線行っていたと思うが?」

 

 申し分程度に一夏を擁護するトネードだがそんな事でスコールの機嫌が変動する筈もなく、舌打ちを響かせながら脚を組み換える。

 そんな妹に対し、トネードは冷たくあしらう様に言い放つ。

 

「先に帰ったらどうだ?」

 

「…残るわよ。VIPの途中退館って何かと面倒だし」

 

 そんな渋々としたスコールとは対称的に、トネードは普段の無表情が崩れる程度には上機嫌だった。

 

 己の意を貫く為に、自らの命をも白刃の前に差し出す。

 その有り様は大人の命令でしか己の命を賭けられない少年兵と比べると、明らかに異質と言えた。トネードはそんな異を放った元少年兵に、改めて不思議な魅力を感じたのだ。

 

 そんな彼の恍惚な瞳は、今昭弘が居るであろうピットを射抜く様に見つめていた。

 

 

 

 ピットに戻った昭弘の胸部には、箒の額が重々しく寄り掛かっていた。彼女は涙を流しながら、両手の拳を昭弘の盛り上がった胸筋に何度も力無く叩き付けていた。

 

「もう「あんな事」…2度としないでくれ」

 

 余りに真っ当な反応。

 しかし、昭弘はこう言った反応に不慣れであった。前の世界、常に生きるか死ぬかの極限空間に身を置いていた彼からすれば、箒の取り乱し様こそ異常そのもの。

 

 ラウラに右肩をスパンと叩かれてどうにか気を取り直した昭弘は、取り敢えずこの場面に相応しかろう言葉を模索する。

 そんな3人の傍から見れば青春真っ只中なやり取りを、整備科生たちはニヤつきながら流し見していた。

 

「……心配掛けた…スマン」

 

 そう言い、昭弘は己の武骨な手を箒の肩に優しく添える。

 それでも尚、箒の涙腺から流れ出る滴は中々治まらなかった。

 

 

 

 箒が落ち着いた所で、2人は一夏の様子を見に行くべくピットを出ようとする。

 

 しかしそんな昭弘と箒をラウラは静かに制する。

 

「気持ちは解るが、今はお互い次の試合に集中すべきではないのか?」

 

 それを聞いて、昭弘と箒は似た様に押し黙る。

 一夏の気絶が単なる疲労だと言うのは、既に昭弘も箒も聞き及んでいる。だが、あの発狂の後なのだ。今精神状態の不安定な一夏に会ったとしても、互いの心が痛むだけだろう。その心傷は、確実に試合にも影響を及ぼす。

 どの道今の2人には、あんな常態の一夏に何と声を掛けたら良いかまるで解らなかった。

 

 

 そんな時、ここぞとばかりにピットに千冬が現れる。

 彼女は凶悪な笑みを浮かべながら昭弘を視線で射止め、親指で自身の後方をクイッと指し示す。

 

 昭弘は諦めながら千冬の後に続く。

 

 

 

 管制塔に連れられた昭弘を待っていたモノは、千冬と教員部隊からの度重なる叱責であった。

 

 クラス対抗戦での襲撃と今回の事態、2度に渡っての独断行動。更には、試合中のフィールド上に生身で侵入すると言うとんでもない暴挙。怒られない筈が無い。

 

 昭弘の行動はあくまで結果的に上手くいったに過ぎない。それがどれだけ英雄的に見えようと、規律を破った事への罰は与えておかねば他の生徒まで規律を軽んじかねない。

 

「昭弘・アルトランド。今大会に於いてお前個人への景品は全て取り消しとする。更に反省文を30枚、期日までに提出せよ」

 

「…分かりました」

 

 千冬から言い渡された罰を、昭弘は静かに受け止める。

 少々甘い罰かもしれないが妥当な落とし所だろう。昭弘を大会から棄権させれば、相方である谷本まで迷惑を被る事になる。

 

 

 長い様で長い説教が終わり、教員部隊が全員退室したタイミングで昭弘も最後に管制塔を出ようとする。

 

「アルトランド!」

 

 千冬に強く呼び止められ、ゆっくりと後方を振り向く。昭弘の瞳に映ったモノは、深々と頭を垂れる千冬の姿であった。

 

「…ありがとう、ラウラを解放してくれて。…今度何か奢らせてくれ」

 

 千冬が今回、一番言いたかった言葉がソレだった。管制塔からもハッキリと見えたのだろう。千冬の今迄見た事無い、長いトンネルを脱したかの様なラウラの清々しい表情が。

 その想いは、昭弘の独断行動や危険行為に対する憤りを軽く凌駕していた。

 

 そんな千冬に対し、昭弘は軽く会釈する。大した事はしてないとでも言いたげに。

 

 

 

 大会はこのまま続行する形となった。

 レーゲンの暴走に関しては、殆どの観客からは「二次移行が完了するまでの一時的な不具合」程度の認識だ。怪我人や設備の異常等も、報告は無い。

 第一2・3年生の試合、それを査定する各企業、学園内に出店している各テナント、今この時も試合を待ち侘びている一般観衆やVIP。そして今迄この大会の為に動いてきたカネ、これから動くであろうカネ等々。

 それらを考慮すると、流石に「IS1機の異常」程度で大会を中止にする訳には行かないのだ。

 

 

 

―――保健室

 

 寒さすら感じない深淵から、一夏はまるで逃げる様に浮上する。

 ある程度浮上するとパッと外界の景色が映る様になり、同時に五感も甦った。

 

「一夏!…良かった、本当に只の疲労だったんだね」

 

 そんなシャルロットの一言で、一夏は漸く今まで自身が気を失っていた事に気付く。

 そして、既に分かりきっている事を意味もなく彼女に訊ねる。

 

「…試合は?」

 

 その質問に、シャルロットは目を逸らしながら答える。

 

「…僕たちの負けだよ」

 

 レーゲンはラファールの放ったグレースケールがトリガーとなって、VTシステムを発動させた。しかし、その時点でもSEは未だ僅かに残っていたのだ。

 そのSE残量は二次移行が完了した後もそのまま継続され、最終的にSEの残っていた機体はレーゲン改め『シュバルツェア・シュトラール』だけだったと言う訳だ。

 

 「そうか」と一言だけ静かに呟いた一夏は、シャルロットのある異変に気付く。先程から、一夏と目を合わせようとしないのだ。それはまるで、話したくない相手と同じ空間に居る時の反応と似ていた。

 恐らく彼女も、一夏とどう接すれば良いのか解らないのだろう。彼女の目に映るのは、もう今までの一夏ではない。一夏の明るくて優しい外壁の内に隠れた翳りを知ってしまった以上、もう今迄の様には接し難い。

 

 当然、一夏も先の試合での一件を詫びようとはしていた。しかし、同時に謝ってどうなるのかとも感じていた。

 一夏が犯した愚行は、ガチガチに固めた外面による謝罪で済む問題ではない。己の激情のせいで勝機を逃し、シャルロットの考えも録に聞こうとせず、更には生身の昭弘の存在も考慮せずに零落白夜を発動して突撃すると言う危険極まりない行為。

 

 だから敢えて一夏はこう言う。

 

「…ごめん、シャルロット。出てってくれないか?今は一人で居たいんだ」

 

 今の自分と一緒に居た所で、彼女が苦しいだけだ。そう思い至っての発言だった。

 

「……分かった。また来るね?」

 

 そう優しく言い残し、彼女は保健室を後にした。

 

 常勤の保険医が別の生徒に付き添っている今、そのカーテンで仕切られた空間には一夏一人が残されていた。

 

 しかし望んでいた筈の一人の時間は、ラウラに敗北したと言う厳しい現実を思い出させる。

 その現実は、彼を絶望の淵へと沈めんとばかりに重くのし掛かる。

 

 

 昭弘や箒との今後の関係、婚約の件、そして自身のアイデンティティの喪失。それらの問題は、一夏一人で抱え込むには余りに重すぎた。

 しかし、今更どの面下げて昭弘に相談しようと言うのか。ラウラに敗北した自分自身に、昭弘は愛想を尽かしているに決まっている。

 例え相談出来たとしても、自身の勝手な判断で押し進めたシャルロットの一件まで打ち明けてしまえば、確実に昭弘から激しい叱責を受けるだろう。それを切っ掛けに、もしかしたら嫌われてしまうかもしれない。

 

 一夏のそんな考えは流石に下降思考が過ぎる。しかし端から「昭弘から見た自分」をそう思い込んでいた一夏は、項垂れながら頭を抱えることしか出来ない。

 

 相手がどう思っているかなんて、相手にしか解らないのだから。

 

 

 

 

 

―――トーナメント 第2試合(Bブロック)

 

 少しの時間を置き、漸く再開されたトーナメント戦。

 

 既に試合は大きく動いており、半ば大詰めに差し掛かっていた。

 

《そぅらそぅらこんな程度!?「専用機持ち」様ッ!》

 

 打鉄相手に、鈴音は存外にも苦戦を強いられていた。

 

 相手は2機共打鉄であり、装備も「追加装甲+IS用重機関銃『ブローニングXM2020』+アサルトライフル『焔備』」で統一している。両機共近接ブレード『葵』を取っ払っており、その分取り回しの良いサブマシンガン『FN P90』を装備。

 

 基本的に甲龍は、こうした中距離で弾幕を張る相手が苦手だ。

 加えて千冬の教育が予想以上に行き届いている為か、相手の実力も相当だった。どれだけ甲龍が距離を取ろうとしても逆に距離を詰めようとしても、相手はそれに応じて中距離を保ち続けた。

 

 しかし鈴音を追い詰めていた大本の原因は、やはり彼女自身の心境にあった。

 

―――一夏

 

 その名に支配されていた彼女の頭は、戦闘と言う高密度な状況に暗雲を落としていた。まるで鈴音と甲龍の繋りが、その名前によって遮られているかの様に。

 ブルー・ティアーズによるビットの援護があって尚、鈴音は気迫で相手に押されていた。

 

 

 

 鈴音の不調を既に感じ取っていたセシリアは、4機のビームビットを甲龍の元に向かわせていた。そんなティアーズを支えるのは、スターライトMkⅢと2機のミサイルビットのみ。

 しかし―――

 

《ダァッ!何故当たらない!?》

 

 アサルトモードのティアーズとセシリアを相手に、弾の飛ばし合いで優位に立てる事はなかった。どんな角度どんなタイミングで引き金を引いても、弾道は空しく線を引くばかり。

 

 そして止めとばかりにセシリアは相手の死角からミサイルを撃ち込み、SEを削り切る。

 

《駄目かぁ~~!》

 

 相手の落胆した声に耳を傾ける間も無く、セシリアは直ちに甲龍の援護に入る。

 

 

 

 険しい表情でピットに戻って来たセシリアと鈴音。どうにか試合には勝てたが甲龍のSEは2%しか残っておらず、ティアーズもSEが大きく削れていた。

 

 セシリアは鈴音の不調の原因を、ある程度予想していた。

 突如として豹変し、遂には気を失ってしまった一夏。そんな想い人の現状を、心配しない人間が何処に居ようか。

 それはセシリアとて同じ事。単に彼女は、気持ちの切り替えが上手いに過ぎない。

 

 故にセシリアは、在り来たりな言葉を贈るしかなかった。

 

「心配なのは私も同じですが、今は目の前の試合に全神経を注ぐべきかと。きっと一夏も、そう望んでおられる筈ですもの」

 

「……ごめん」

 

 短くそして力無く返事をする鈴音。

 そんな彼女を見てセシリアは、自分の言葉が所詮は付け焼刃と気付かされる。

 そして遂に、セシリアはそれ以上の言葉を思い付かなかった。彼女も又、鈴音と同じ苦しみを携えているからだ。だからこそ鈴音の気持ちは痛い程解るし、解るからこそ安易な言葉を掛け辛いのだ。

 それらの言葉に何の効力も無い事に、同じく苦しむセシリアは気付いてしまったのだ。

 

 

 

 

 

―――トーナメント 第3試合(Cブロック)

 

 昭弘はセシリアたちの試合と比べると、安定した結果を出せていた。

 グシオンリベイクのSEはある程度余裕があり、谷本とラファールリヴァイブもこれと言った不調は見られない。

 

 彼等も一夏の容態は気掛りなのだろうが、上手い事気持ちを切り替えられている様だ。

 

「ウォォォォアアアァァァァッッ!!!みっちゃん!グシオンめっさ怖いって!!あと谷本ラファールが死ぬほど邪魔!!」

 

 サブアームに携えたミニガンと滑腔砲で敵のラファールにビームと炸裂弾を撒き散らしながら、もう片方の打鉄を追い回すグシオン。

 マチェットとハルバートを構えた相手に追い回されれば、そんな奇声を上げたくもなるだろう。そんな打鉄の搭乗者はグシオンに銃口を向けたくとも、谷本からの執拗な弾幕に妨害されてしまう。

 

《いやマジゴメンて!こっちも躱すので手一杯…あ》

 

 『みっちゃん』の奮闘も空しく近くで起爆した炸裂弾の破片を浴び、SEが尽き果てる。

 

「みっちゃーーーーーんッ!!!おのれィ!私一人でも凌ぎき…て無理無理無理ィィィィ!!!」

 

 

 その直後、試合終了のブザーがもう怖くないよと優しくみっちゃんと相方の耳を撫でた。

 

 こうして圧勝とまでは行かないが、昭弘と谷本は上々な滑り出しを見せた。

 

 

 

「いやはや余裕でしたね♪」

 

 そんなあからさまに慢心している谷本を、昭弘は軽く叱責する。

 

「1回戦目であの実力なんだぞ?準決勝では更に手強くなる。優勝するまでは気を引き締め続けろ」

 

「ヘイヘーイ」

 

 そう気だるげに生返事をする谷本。

 試合時の真剣さから大分普段通りの意識に戻って来た彼女は、チョクチョクと気になる事を口から漏らし始める。

 

「にしても織斑くん大丈夫ですかね。気を失った事じゃなくて…」

 

 谷本がその後言わんとしている言葉を先読みするが如く、昭弘は言葉を返す。

 

「オレも何処と無く嫌な予感はしていたんだ」

 

「仲悪かったですもんねーあの2人。けど何であそこ迄怒り狂ったんですかね?」

 

 一夏は千冬の姿を模したレーゲンを見た途端、ああなった。

 その事実を思い返すと、やはり昭弘の脳裏には一夏が過去に発した「あの言葉」が浮かび上がる。

 

―――千冬姉を…

 

 千冬をどうしたいと言うのだろうか。守りたい、超えたい、それとも…。

 

 いくら予想を立てた所で、本人の口から直接聞いてみない限りは答えなど出ないだろう。そしてそれは、今の昭弘には叶わない。

 

 

「レーゲンと言えば、二次移行格好良かったですよねぇ!まさに覚醒って感じで!」

 

「新機体の名は『シュバルツェア・シュトラール』と言うらしい。間近で見たが、地面を蹴る時の動きが最早人間そのものだった」

 

 「間近」と言う単語で思い出したのか、谷本はまたしても話題を変える。

 

「と言うかアル兄、よく生身でフィールドに乱入しましたよね。目茶苦茶怒られたでしょ?」

 

「それはもう。ただまぁ、お前には連帯責任だのペナルティだのは無いから安心しろ」

 

「良かった~」

 

 互いにそう笑いながらも、昭弘はある2つの大きな感情に苛まれていた。

 ラウラが「自分」を見つけられた事は昭弘も嬉しいが、それと対をなす様に崩れ堕ちていく一夏への憂いも同じ位大きい。それらは例えるなら、昭弘の心に生じている熱風と冷気。

 一体そのどちらに意識を向ければ良いのか、今の昭弘には解らなかった。

 

 

 因みに谷本の昭弘に対する「呼び方」は、苗字呼びがいい加減面倒臭くなったからだそうだ。「さん」も付けて8文字では口も疲れる。

 名前で呼べばいい気もするが、そこは彼女なりの拘りでもあるのだろう。

 

 

 

 

 

―――トーナメント 第4試合(Dブロック)

 

 フィールド中空に、4機のISがブザーを待ちながら佇んでいた。

 

 そんな中、日本の代表候補生である簪は最新の専用機に身を委ねていた。

 打鉄の後継機である第三世代型IS『打鉄弐式』。ボディは全体的に水色で、両脇にロケットの様な非固定ユニットを夫々浮遊させていた。

 武装は背部の連射型荷電粒子砲『春雷』と、対複合装甲用超振動薙刀『夢現』の2つのみ。

 

 実はこの機体、未だ完成形ではないのだ。

 話によると何らかの要因が重なった為に、開発が途中で頓挫したとか。

 しかし専用機とは言え未完成の機体で此処迄勝ち上がって来た戦績は、見事としか言いようがない。

 

 それだけの実力があって尚、簪は安心したいが為に相方の横顔をチラリと覗き込む。

 打鉄を纏った本音はそんな簪の視線に気付くと、いつも通りの笑顔を見せてくれた。

 

 簪はいつも親友が見せてくれるこの笑顔が大好きだった。彼女の笑顔を見た後だけは、不思議と手の震えが止まるからだ。

 改めて簪は、本音とペアを組めた事に感謝を示した。

 

(…打鉄弐式と私の実力を信じよう。本音だってついてる。それに…どんな理由であれ本音はオルコットさんではなく私と組んでくれた。その事実を前にして、みっともない試合はしたくない)

 

 この時だけ、簪は姉への劣等感から解放されていた。彼女の頭は、フィールドでいつも自分の傍に居てくれる親友の存在に埋め尽くされていた。

 

 

 そんな彼女たちの善戦を願うかの様に、試合開始のブザーが高らかに鳴り響いた。

 

 

 しかし…。

 

 

 

 時は過ぎ去って試合も後半。簪は無意識に歯軋りを続けていた。

 それは単に苦戦故か、それとも先の自信に満ち溢れた自身に対してのものなのか。

 

 だが簪は別段調子が悪い訳でもなく、その辺りは本音も同様だった。

 にも拘わらず、SE残量は相手の方が僅かに上。

 

 今迄予選で下してきた相手とは、明らかに次元が違っていた。

 それは単に強いと言うのもあるが、「戦い方」が一癖も二癖も異なっていたのだ。更に言うなら、とてもISらしい戦い方と呼べる代物ですらなかった。

 もっと具体的に例えるならまるで「フィールド全体が襲い掛かって来る」かの様な、そんな感覚を簪と本音は覚えた。

 

《カンちゃん!!》

 

 区画シールド沿いに居た本音は、弐式に執拗な波状攻撃を仕掛けている相手の打鉄を狙おうとする。

 

ドガァンッ!!!

 

 突如、本音の居た直ぐ近くの区画シールドが爆炎を吐き散らし、彼女を地面へと吹き飛ばす。

 彼女は地面に激突する直前で体勢を立て直すが、今度はその地面から爆炎が上がり更に打鉄のSEを削り取る。

 

(このままじゃ負ける!)

 

 そう思い至り、敵打鉄からの攻撃をやり過ごしながら簪は勝利への糸口を探すべく頭を振り絞る。

 

 しかし余りにも相手の動きが読めなさ過ぎて、簪は決定打が中々見出せない。

 こうやって戦闘への意識を疎かにさせる事も、相手の策略なのではないかと簪は思ってしまった。

 

(考えても仕方が無い!こうなったら一気に距離を詰めて、夢現でこの打鉄から捻じ伏せる!その後「トラッパー」であろうラファールを、本音と2人掛かりで…)

 

 そう今後のプランを固めた簪は、タイミングを見計らってスラスターを一気に爆発させる。

 

 そして相手に肉薄したその瞬間―――

 

ポイッ

 

 相手が自身に向かって投げ捨てたモノを、簪は数瞬遅れて理解した。

 

―――スタングレネード!?

 

 気付いた時にはもう遅く、大量の光が簪の視界に雪崩れ込む。

 結果として身体を丸める様に体勢を崩すが、相手は投げる瞬間に頭部を腕で覆っていたのか直ぐ様反撃に転じる事が出来た。

 サブマシンガンで軽く弐式のSEを軽く削った後、今度はIS用重機関銃のストックを使って弐式を地面へと叩き落とす。

 

ドォォゥン!!!

 

 すると轟音と同時に地面が爆発した。

 それらの連続攻撃に、残り少ない弐式のSEは耐える事が出来なかった。

 

《打鉄弐式、SEエンプティ!!》

 

 簪は歯噛みしながら、ズル賢い相手の打鉄を見上げる。

 しかし当然その打鉄はSEの尽きた弐式には見向きもせず、残った本音の打鉄へと向かって行った。

 そんな光景を見た簪は、トボトボとピットに戻りながら本音の奮闘を祈る事しか出来なかった。

 

 本音の実力は決して低くはないものの、代表候補生に届くレベルではない。彼女の打鉄も「追加装甲・葵・焔備にサブマシンガン『H&K MP7』2丁」と、特段穿った武装と言う訳ではない。

 

 そんな本音が残りSEの少ない状態で打鉄とラファールを相手取れる筈もなく、遂には試合終了のブザーが無慈悲な結果だけを告げる。

 

《打鉄、SEエンプティ!!勝者、『××××・〇〇〇』ペア!》

 

 

 例え代表候補生だろうと専用機だろうと想いが強かろうと、負ける時は負けるのだ。勝負に絶対はない。

 簪と本音は特段悔いがある訳ではなかったが、この試合を通じてその事を再認識した。

 

 

 簪は危機感を覚えていた。

 今後は代表候補生だの専用機だの、そんな肩書に甘える事は出来なくなる。一般生徒でも量産機でも、戦い方によっては猛者を食らえるのだ。木上から鹿を襲うクズリの様に。

 しかし、同時に良い体験をしたとも感じていた。これを切っ掛けに、打鉄弐式をより実戦向きに改良できるかもしれない。そうなれば、もしかしたら『(あの人)』を超えられるかもしれない。

 

 

 対する本音は、この戦いそして今迄の戦いを通じて気付いた事があった。

 それは結局ISに関わる以上、「操縦者としての経験」と「整備士としての知識」の両方が必要だと言う事。戦うにも知識は要るし、整備するにも戦闘経験が居る。ISに対する興味が人一倍豊富な彼女は、それらの経験・知識をフルに活用できる道がないか今模索しているのだ。

 普段何処かフワフワしている彼女も、やはりこういった所はれっきとしたIS学園の生徒なのだろう。

 

 

 

 何はともあれ、こうして昭弘と谷本の次なる対戦相手が決まった。




原作主人公が気絶している間に、とっとと進んじゃうタッグトーナメントくん。
ラウラの聴取やシュトラールに関しては、次回色々と説明を入れようと思います。

簪と打鉄弐式をも凌駕する「謎の強敵」現る。一体誰なんだ・・・?

次回、「セシリアVSラウラ」「鈴音VS箒」 乞うご期待下さい。


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第27話 すれ違う羨望

【PIC(パッシブ・イナーシャル・キャンセラー)】

 ISの機動に必要不可欠な装置で、全てのISに搭載されている。
 物体の動作には、常に「慣性(他から力の作用を受けると現在の運動状態も変化すると言う性質)」が働いているが、これを取り消す為の装置(即ち空中機動の際にISが受ける重力や風圧等を取り除く為の装置)である。これと大小の推進翼が、ISの空中における加減速や静止行動を可能としている。
 PICは搭乗者の思考によってマニュアル操作が可能であり、それにより複雑な機動を行う事も出来る。例えばPICを弱めて慣性が働く様にすれば、ISは重力に従って降下・落下していくがそれを応用した空中機動も可能である。


―――12:31 アリーナA

 

 ピット内にて、やはり気分が滅入っている鈴音に対しセシリアは再び声を掛ける。

 

「…鈴、「目の前の試合に集中しろ」と言いましたが…ソレは無視して頂いて結構です事よ」

 

 あくまで優し気にそう言うセシリアに対し、鈴音は控えめに反論の目を向ける。じゃあ試合に集中しなくていいのか、と。

 

 すると今度は一変。セシリアは語調を強める。

 

「自由に戦ってみなさいな。一夏の事を考えるも良し、溜まった鬱憤を箒にぶつけるも良し」

 

 セシリアがそう諭すと、鈴音は考え込む様に少しだけ俯く。そんな我儘が、試合中に許されるのかと。

 またも難しく考え込む鈴音に対し、セシリアは間を置いて再度口を開く。

 

「もっと貪欲で我儘で自由な貴女を見せて下さいまし」

 

 セシリアのその言葉は無理に慰めるものでもなければ、強要するものでもなかった。

 

 しかし何処か温かさを感じるそれは、自然と鈴音の脳内に定着していった。

 

―――…良いんだ、そんなアタシで

 

 何も気負う事はない。

 今心の中に貯めている全てを、相手にぶつければ良いのだ。

 

 

 

 

 

 同時刻。ラウラは既に聴取を終えていた。

 

 聴取と言うよりも、身体検査と言った表現の方が正しいかもしれない。結果も特に肉体的、精神的な異常は見られなかった。シュトラールの方も同様で、VTシステムはその役目を果たした様に綺麗サッパリ無くなっていた。

 

 聴取らしい聴取と言えば、精々VTシステムが搭載されていた事実をラウラ自身知っていたのかと言う事だけだった。無論、ラウラの答えはNOだ。

 

 

 当のラウラは今、入念なストレッチを行っていた。

 彼はISスーツのまま脚を180°左右に開き、そのまま上半身全体をペタリと床に付ける。

 

 ラウラの身体の柔軟さに感心する反面、不安を隠せない箒は声を掛ける。

 

「…本当にシュトラールは大丈夫なのか?」

 

 今、シュトラールの拡張領域にはレールカノン、ワイヤーブレード、プラズマ手刀が詰め込まれている。

 しかしこれらはシュトラールのコアによって拡張領域ごとロックが掛けられており、ラウラ自身も使用出来ない常態なのだ。それは即ち、武装を取り出す事も他の武装を捩じ込む事も出来ないと言う事だ。

 

 かと言って当アリーナは言わずもがな本番中、他のアリーナも2・3年生が明日以降の試合に備えて貸切っている。シュトラールの慣らし運転は出来ない。

 

 ラウラがまともにシュトラールを動かしたのは、一夏をブン殴ったあの一瞬だけだ。

 つまり実質次の試合がぶっつけ本番と言う事になる。

 

 

 これからの戦いに憂いを隠せない箒に対し、ラウラは少々ぶっきら棒に微笑み掛ける。

 

「どうにかなる」

 

 箒はラウラのそんな根拠無き言葉よりも、彼の表情に目を奪われていた。

 そこには今迄の何処か虚し気なモノは無く、その瞳に映し出される紅い大空は何処までも純粋で、そして美しかった。

 

 箒もラウラと同じ様に大空を覗いてみる。

 当然その時の自分がどんな表情をしているのかは箒には分からないが、感じたモノはラウラと一緒であった。

 

―――折角のバトルだ、楽しもう

 

 あの大空の下に出てしまえば、やる事は皆同じ。力のぶつけ合いだ。その事実は、箒の頭中に発生している靄を晴らすには十分だった。

 

 

 

 

 

 フィールド上空にて箒は葵を中段に構え、ラウラは左目を覆っているアイパッチを外す。

 後は待つだけだ。

 

 箒の狙いはブルー・ティアーズ。重装甲高機動型にカスタマイズされた打鉄は、ティアーズの様な弾幕を張るタイプの方がやり易い。

 ラウラも箒がティアーズを狙う事は分かっている。

 

ヴーーーーーーーーーーーーッ

 

 ブザーと同時に、早速箒とラウラは各々の獲物に対して突っ込もうとする。

 

 が、先んじたセシリアの行動に箒はたじろぐ。

 ビット6機全てを甲龍の護衛に付けたのだ。

 これでは、弾幕量の減ったティアーズを狙う意味が少なくなる。近接格闘型であるシュトラールも、ビット相手では不利。

 

 箒はやむ無く狙いを甲龍へと変える。

 基本的に箒との連携攻撃はしないラウラも又、甲龍からティアーズに目標を変える。

 

ガギィィン!!

 

 打鉄の葵と甲龍の双天牙月が勢い良くぶつかり、そのまま鍔迫り合う両者。

 そんな常態で鈴音はほくそ笑み、同時に全てのビットが再びティアーズの元へと戻って行く。

 

 再度ティアーズに向かいたい箒だが、位置的に甲龍がティアーズを背にしている。そんな常態で鍔迫り合っていては、そう易々とは動けない。

 

「チッ!」

 

 箒にとっては余り嬉しくない試合展開となってしまった。

 

 

 

 

 

 やるべき事は最初から決めていた。それは疾く飛ぶ事。瞬時加速と同じ位、いやそれよりもっと疾く。

 白式を殴り抜けた時、ラウラは理解していた。己の左目が最も活きる、最高の「単一仕様」を。

 

―――――単一仕様能力『ゴルトロム』発動。

 

 左目の瞳が黄金色に輝き出す。

 

 直後、観客はシュトラールの姿形を捉える事が出来なくなった。

 シュトラールの居た空間は次の瞬間には過去の場所となり、シュトラールの輪郭が生み出した無数の黒い線と黄金色の一本線を残した。

 

 

 セシリアは己の目を疑った。

 バイザー越しに映る黒き小さなISは、瞬時加速を使った訳でもない。なのにそのISの速度は瞬時加速と同等かそれ以上、更には上下左右前後縦横無尽にフィールド内を駆け巡るのだ。

 しかし高機動用バイザーを付けているセシリアは、どうにかシュトラールを目で追えていた。

 

 彼女はスラスターを無駄なく放出させながら相手との距離を一定に保ち、4機のビームビットを周囲に展開させていた。

 ミサイルビットはこの試合では使わない。追尾能力があるとは言えあの超機動を追えるとは思えないし、何より制御するビットが増えるだけだ。脳波でコントロールする以上、増えれば増える程ビットの動きは鈍くなる。

 

(速度にしてはエネルギーの減りが少な過ぎますし、スラスターの勢いも無さ過ぎる)

 

―――…アレが単一仕様能力?

 

 少ないエネルギーでの超音速機動を可能にする能力。即ち「エネルギー変換効率の大幅な改良能力」なのではと、セシリアは予想する。

 

(未だ攻撃を仕掛けて来ないのも、機体の動きに慣れる為…?)

 

 だとしたら今が攻め時ではある。

 だが、ビットを誘い込んでいる様にも見える。あの超越的なスピードなら、不意を突いてビットを破壊する事は十分可能。若しくはビットに無駄撃ちをさせて、ビームを消耗させる狙いもあるのかもしれない。

 

 故にセシリアはビットを自身の周囲に配置し、牽制射撃に勤めた。

 

 

 相手はあのセシリア。恐らく此方の単一仕様にも勘付いている筈。

 ラウラはそんな予想を立てながら、ティアーズからの牽制射撃を躱していく。

 

(にしても凄まじい。本当に牽制射撃なのか疑いたくなるな。…昭弘が警戒するのも頷ける)

 

 牽制射撃と言っても、相手の銃口はアサルトモードのスターライトMkⅢとビームビット4機の計5門。例え実力者でも、これを突破出来る人間はそうざらには居ない。

 ただし…。

 

(そろそろアレを試してみるか)

 

 ラウラとシュトラールは例外だが。

 

 

 突如として突っ込んで来るシュトラール。

 しかしセシリアは動じずに、ビット2機とライフルの3門から光線を放つ。

 シュトラールは身体を捻る様にソレらを躱し、ティアーズの下方を取ろうとする。

 そんな動きを先読みしていたセシリアは、残り2機のビームビットでシュトラールの軌道先を狙うが―――

 

―――!?

 

 シュトラールが空間を“蹴った”。

 

 そのままバネの様に上方へとジャンプしたシュトラールは、ティアーズに向けて足刀を勢い良く突き出す。

 

 これはAICを超高速戦闘向きに応用したモノだ。

 「手」若しくは「足」を進行方向に向け、手先足先だけが空間で停止する様にAICを発動させる。これによりまるで空中で着地した様な挙動をISが取り、タイミング良くAICを解除する事で空間を蹴る事が出来るのだ。

 だがこれは超高速機動中におけるPICの微調整が必要であり、超絶的な技量とセンスが要求される。

 

 余りの速さに迎撃する余裕等無いセシリアは、どうにか身体を反らす。直後、黒い装甲で覆われた足刀がセシリアの眼前を下から横切る。

 

 

 最善のタイミングで放った渾身の一撃。

 ソレを躱されたラウラは、改めてセシリアとティアーズの回避力に戦慄する。中距離戦で右に出る者が居ない彼女の強みは、そのズバ抜けた回避力にもある様だ。

 

(だがこれならどうかな!?)

 

 ラウラはティアーズ直上の空間に左手をつき、しゃがむ様に折り畳んだ左肘と右膝を思い切り突き伸ばす。それにより生み出される超音速の鋼踵が、セシリアの頭頂部に迫る。

 

 しかしシュトラールの右踵は、ラウラが欲した手応えとは大分異なった。

 シュトラールの動きにもう対応し始めていたセシリアは、連続して回避行動を取ったのだ。更にはビームビットによるカウンター付きで。

 

 蹴りはティアーズの右腕装甲に命中したが、シュトラールも又ビットの放ったビームを浴びてしまう。

 威力の低いビットからの光線だと言うのに、SEがゴッソリ持って行かれた。

 

 見た目の通り機動力と柔軟性に重きを置いているシュトラールは、拳部足部以外の装甲が極めて薄い。

 その分、通常のIS以上にSEの消費が激しいのだ。

 

 

(何て威力ですの!?装甲で受けたと言うのにこのダメージ…)

 

 

 互いが互いに直感した。短期決戦になると。

 

 

 

 

 

 箒は甲龍からの度重なる斬撃を、どうにか葵と追加装甲で凌いでいく。

 

 そんな技の応酬の真っ只中、甲龍から通信が入る。

 

《アンタ結局どっちを選ぶのよ?》

 

「ッ!」

 

 突然の問い掛けだが、箒はその質問に心当たりがあった。更には、誰にも聞かれぬよう専用回線で問い質して来ると言う事は…。

 

「…確かに私は昭弘と一夏の狭間で揺らいではいる。…ハッキリしない女だと罵りたいなら好きにしろ」

 

 剣戟を続けながらも、箒はそう言い返した。心理攻撃には動じないと意思表示する様に。

 その後も口八丁による挑発が来るのかと箒は身構えたが、鈴音の反応は予想と大分異なった。

 

《…アンタが羨ましい》

 

「は?」

 

 一体自分の何処をそう感じたのかと、箒は忙しなく斬撃を繰り出しながら眉を潜める。

 

《羨ましいわよ。“一夏以外”を好きになれるアンタが。「異なる恋」で悩めるアンタがっ!》

 

 鈴音が言葉を発するにつれ、双天牙月も又重々しく伸し掛かって来る。彼女の鬱憤を体現するかの様に。

 

 鈴音にとって、一夏こそが異性の中での唯一無二。もし自身の内に秘めた激情を、一夏が受け入れてくれなかったら。それでも、彼女は一夏1人を愛し続ける事が出来るのだろうか。

 そんなジレンマを抱えた鈴音は限りなく苦しそうで、そして少し誇らしげにも見えた。

 

《アンタも幼馴染なら解るでしょう!アタシの気持ちが!》

 

 箒にとってそんな鈴音は、例えるなら研ぎ澄まされた刃。

 どんな異性が現れても揺らぐ事の無い、余りにも真っ直ぐで哀しい程純粋な想いを秘めた彼女を、箒はつい尊敬してしまった。

 

 そして鈴音が箒を羨む様に、箒もそんな鈴音を羨ましく思った。

 鈴音にとっての初恋は、もうその時点で刃が完成されていたのだ。その刃に一夏しか映らない程に。

 だからか、箒は次の言葉を吐き捨てずにはいられなかった。

 

「…まるで解らないな」

 

《何ですって!?》

 

「貴様だって解らないだろう。想い人が2人居る私の苦痛が」

 

《何処が苦痛だって言うのよ!?》

 

 2人の想いは、何処までも平行線を辿っていた。

 それを知った箒は、まるで諦めた様に言葉を返す。

 

「もう十分だろう凰、衝撃砲を使え!」

 

 箒は、鈴音が意識的に衝撃砲の使用を避けている事に気付いていた。

 

 だが鈴音は聞く耳持たない。

 重装甲である箒の打鉄に対しては、衝撃砲よりも双天牙月の方がSEを削り安いのだ。白式が打鉄に対してそうであった様に。

 

 

 

 

 

 シュトラールは鋭角軌道と曲線軌道を組み合わせながらティアーズに迫る。

 ティアーズはそんなシュトラールを近付けさせまいと、出来るだけ広範囲にビームをばら蒔き続ける。その内2発がシュトラールに命中し、SEを大きく削り取る。

 

 しかし、ティアーズの方もビーム残量はビットライフル合わせて残り僅か。シュトラールのSEを削り切るには足りない。

 小型且つ超音速、そして予測が難しいシュトラールの軌道は流石のセシリアでも命中させるのに難儀していた。

 その必然として、ビームの消費も激しくなる。

 

 止む無しの打開策を思い付いたセシリアは、中空に静止したままビームビット4機に意識の全てを集中させる。

 

 

 ラウラの瞳には、露出部を覆う様に身を丸めて防御体勢を取るティアーズの姿が映った。その周囲には、砲身を外側に向けながら超高速で旋回する4機のビットが。

 

(こちらの攻撃を誘っているのか。ビーム省力の為とは言え大胆なマネを…)

 

 確かに相手が近ければ近い程、飛道具の命中精度は高まる。

 だがそれは同時に己の身も危険に晒す事になる。

 

(強みである回避力を捨ててまで当てに来るか。面白い)

 

 

 セシリアの予想通り、シュトラールは彼女を包囲する様に電光石火の如く飛翔する。その軌道は宛ら音速のピンボールを彷彿とさせる。

 どのタイミングで打撃をデリバリーするのか伺っているのだろう。

 

 ビームビットは、一発撃つと多少のリロード時間が必要になる。よって4機同時にビームを発射するのは避けたい所。

 その事を念頭に置きながら、セシリアは唯々待つ。シュトラールからの攻撃の瞬間を。

 

 そして「その瞬間」はあっさりと訪れる。

 

―――止まった!!?

 

 正確には、シュトラールは止まった訳ではない。そのまま足刀で突撃するのではなく、ティアーズの直近で一度空間を踏んだのだ。

 

 そして、セシリアの予測結果が再度頭中に現れる。

 

(この一撃で決める気ですか!?)

 

 本来打撃とは、地面を蹴る事で威力を増幅させるもの。

 左足で空間を踏みしめ、それによって生まれた力を右脚へと送り届けたシュトラールの蹴りは、最早今迄の比ではない。

 ラウラ自身も、ビームを食らう前提でこの攻撃手段に出ている。シュトラールのSEがギリギリ持つと踏んだのだ。

 

 刹那、セシリアは考える。

 

―――ビット4機による一斉射撃に出るか?しかしその後、こんな至近距離でライフルが間に合うのか!?

 

 セシリアの下した決断は……「当てれる時に全部当てる」だ。

 

 

 直後、シュトラールの足刀がセシリアの背部に減り込むと同時に、ビットが放った4本のエネルギー体も又シュトラールに全弾命中する。

 

 

 余りの膂力に、ティアーズは大きく前方へ吹っ飛ばされる。

 

 ギリギリ仕留め損ねたシュトラールは、最後の一撃を加えるべく超音速でティアーズに追い縋る。

 ここで仕留めないとビット4機のリロードが間に合ってしまい、猛反撃を受けて終わりだ。

 

 吹っ飛ばされた事でシュトラールとの間に距離が生まれたセシリアは、身体を反転させながら即座にライフルを構えようとする。

 アサルトモード時特有の短銃身がシュトラールを捉えた時には、既に黒き左爪先がセシリアの間合いに入ろうとしていた。

 セシリアは冷静にビームの着弾予測点を見極め、引き金を握る。

 

 目を見開き、奥歯を激しく噛み締めるセシリア。

 鋭い眼を更に釣り上げ、歯を剥き出しながら口を大きく開けるラウラ。

 

 そして黒鋼の脚と黄緑色の熱線が交差し、両者の眼前に迫る。

 

 タッグマッチに於いては公平性の為、先にSEの尽きたISが自動停止するよう設定されている。

 

 先に動きを止めたのは―――

 

 

 

《シュバルツェア・シュトラール!SEエンプティ!!》

 

 セシリアはバイザーの手前でピタリと静止する、シュトラールの爪先を冷汗混じりで凝視する。

 近接格闘メインのISにこれ程追い詰められる等、彼女にとっては初めてだ。

 

 射撃兵装による弾幕と近接格闘、どちらが有利なのかは語るに及ばずだ。ましてやセシリアクラスの実力者が相手となると、近接格闘で勝つ事は不可能に等しい。

 だのにこの僅差。セシリアは思わず肩の力が抜けてしまう。

 

 数秒程経ち漸くシュトラールを動かせる様になったラウラは、左脚を静かに下ろす。

 

《あの時のリベンジをと思ったんだがな、流石だセシリア・オルコット。さぁ、私のパートナーを撃ち伏せに行くがいい》

 

 しかしセシリアは今も尚剣を振るい続ける両者を見詰めながら、ラウラの提案を却下する。

 

「そうしたい所ですが、私の割り込む余地がございませんわ」

 

 そんな何処か満足気な笑みを見せるセシリアに習い、ラウラも箒たちの戦いに目を向ける。

 

《成程。貴様の判断は合理的ではないが間違ってもいない。どの道、敗者である私に口出しする権利はない》

 

 勝者であるセシリアが、箒と鈴音の戦いを見届けたいと言っているのだ。なればこそ敗者であるラウラは、その言葉に従うまで。

 

 

 

 

 

 躍動的に双天牙月を振るう甲龍に対し、打鉄は一閃一閃無駄なく葵を振り抜いて行く。

 迫る双剣を受け流し弾き返し、そして時に装甲を利用しながらやり過ごす箒。

 

―――強い筈!アタシの想いの方が…強い筈!

 

 箒に芽生えたもう1つの恋を羨む反面、自身の一途な恋の優位性をも欲すると言う矛盾。だがいくら箒を羨んだ所で、一夏以上の恋愛対象が2度と現れない事も鈴音自身解っていた。

 

 だからこそ、彼女は箒に対して証明せねばならない。自分こそが、一夏を一番愛しているのだと。その証明手段がISによる真っ向からの斬り合いと言うのは、鈴音らしいと言えば鈴音らしいが。

 だが必然か偶然か、この剣による証明は箒にとって何よりも重く伸し掛かる。

 

 

 両者共、剣戟だけで互いのSEを削り合っていた。しかし性格から考え方まで何もかも正反対な2人だと言うのに、不思議な程拮抗は崩れない。

 その様はまるで歪んだ鏡に自身を映しているかの様だった。動きは全く異なるのに、何かが似ているのだ。

 

ガギィィィンッ!!!

 

 剣戟の最中、両者の思考が偶然にも一致したのか1本の剣と2本の双剣が真正面から激突する。

 

 

 ギリリと金属音が脳内を掻き毟る中、箒は鈴音の瞳を見据える。

 腹立たしい程に、綺麗で真っ直ぐな瞳だ。

 この瞳に比べて迷いを抱えた自分の瞳は一体どれ程不安定で弱々しいのかと、思わず目を反らしたくなってしまう箒。

 そんな事、箒を見据えている鈴音にしか分からない。

 

 

 鍔迫り合いの最中、鈴音の視界は箒の瞳を中心に捉えていた。

 何故。迷っている癖に何故そんな強い眼差しが出来るのか。

 この瞳に比べて自分の瞳は一体どれ程狭く卑しく曇っているのかと、鈴音は思わず歯を食い縛る。

 そんな事、鈴音を見据えている箒にしか分からない。

 

 

 お互いそんな自身への不満をぶつける様に、鍔迫り合ったままスラスターを爆発させる。

 それにより互いの剣は益々けたたましい悲鳴を上げる。しかし互いのスラスターの出力が一致しているからか、双方ビクとも動かない。

 

 ならばと、2人がソレを思い付くのも実行に移すのもほぼ同時だった。

 

 鍔迫り合ったままでの瞬時加速。

 

ダァオオォォォォォォォォォゥンッ!!!

 

 余りに無謀、無鉄砲、大胆不敵。

 本来SEとは、IS本体のエネルギーを源に稼働している。エネルギーが減ればそれに比例してSEも減少していく。

 則ち瞬時加速の様なエネルギーを多量に消費する行動は、SEの大幅な減少に繋がるのだ。

 その瞬時加速同士でぶつかり合っている為、SEは二重の要因で加速度的に減少していく。

 

 それだけの圧力を互いに掛け合っていて尚、2機のISは中空に静止したままだ。

 背部脚部夫々のスラスターから放出される青白いエネルギー体により、鍔迫り合う2機を真横から観た光景は宛ら1匹の蝶を彷彿とさせた。

 

 

 しかし互いのSE残量が10%を切った時、唐突に「終わり」が訪れる。

 

 

 

バギンッ!!

 

 

 

 IS2機分の全開出力。

 例えIS用に拵えた機械刀だろうと、そんな圧力にいつまでも耐えられる事はなかった。

 そして甲龍が持つ極太の双天牙月、打鉄が持つ細身の葵。割れたのは、言うまでも無く後者であった。

 

 支えていたものが無くなった結果、両者は瞬時加速のまますれ違うしかない。

 箒は折れた葵に気を取られながら、鈴音はそのまま双天牙月を打鉄の装甲に滑り込ませながら。

 

 

 

《打鉄!SEエンプティ!!勝者、オルコット・凰ペア!!》

 

 

 

 アナウンスが鳴り響いて5秒程経過した後、会場全体から拍手喝采が止めどなく溢れ出す。

 

 

 鈴音は納得しきれていない表情をしながら、未だに折れた葵を見つめる箒に目を遣る。

 

 そんな徒競走で1位になれたが記録は縮められなかった様な状態の鈴音に、ティアーズがゆっくりと近付いて来る。

 

《…あんなキレの良い貴女の剣技は、私も初めて見ましたわ》

 

「……ううん、気持ちでは完全に負けてたわ」

 

 あの鍔迫り合いの後にこの台詞である。

 自分では分からないと言うのは末恐ろしいものだと、セシリアは良くも悪くも大いに呆れ返ってしまう。

 

《…本当に強情なのですから。貴女も箒も》

 

「どういう意味よ?」

 

《貴女と箒、何処か似ているなと思いまして》

 

 セシリアが何気なく放ったその小さい火の粉も、鈴音にとっては火山弾と同等だった。

 

「はぁ!?アタシがあんな根暗女と似ているですってェ!?」

 

 いつも通りの鈴音に戻った事を確認したセシリアは、クスリと小さく笑った。

 

 

 

 折れた葵は、正に箒の敗北を象徴しているかの様だった。

 

 今の彼女を支配している感情は「焦り」。それはまるで周囲が高みに登り詰める中、自分だけが後方へと取り残されている状況に似ていた。

 

 何がいけないと言うのか。やはり自分にも専用機が必要なのだろうか。いや抑々、自分如きに専用機を乗り回す資格があるのか。

 

 鈴音に負けたと言う現実は、どんどん彼女の思考をマイナス方面へと引っ張って行く。

 

 そんな箒を見かねたラウラは、脇から軽く肘打ちをかます。

 

《いつまでもウジウジするな。貴様がどれ程羨もうと、無いものは無いのだ》

 

 厳しい現実を容赦なく突き付けるラウラに対し、箒は悪態を付こうとするが…。

 

 箒の発言を遮ったものは、彼女の視界が捉えたラウラの震える両拳であった。

 

《悔しいのは貴様だけではない》

 

 当然である。誰だって勝ちたいに決まっている、負けたくないに決まっている。

 

 そんな人間なら誰しも抱いている当たり前の感情を思い起こし、箒は黙って俯く。今は悔しさに任せ、ただそうするしかないのだ。

 次に勝つべく。

 

 

 

 

 

 鈴音が羨む程の「2つの最愛」を持つ箒。

 

 彼女は、この2つの内どちらかを選び抜く強さを手に入れる事が出来るのだろうか。

 

 それとも最愛を2つ持っているからこそ、箒は強くなれるのだろうか。




昭弘から見て一番一途なのは箒、けどその箒から見て一番一途なのは鈴音と言うね。・・・と言うかまさかの昭弘未登場。
新しくカスタマイズされた衝撃砲に関しては、決勝戦で御披露目したいと思います。

PICの内容は確かこんな感じだった筈・・・です。
シュトラールの単一仕様能力とかその名前とか考えるのに、滅茶苦茶時間を削がれました。AICを上手く文章で絡めるのも、中々厳しかったです。

最後に、気がついたらUAが50000を超えててビックリ仰天しました。お気に入り登録者数もまさかの300超え・・・。
これも皆さんのご愛読のお陰です。本当にありがとうございます!今度はUA100000を目指せるよう、より一層努力しようと思います。


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第28話 エネミーフィールド

 毎度の事ながらテンポ悪すぎで泣きたくなる。描写したい内容が多すぎて・・・。
 残り2、3話くらいでこのガバガバトーナメント編も終わりますんで、皆さんどうか耐えて下さい。是非、最後までお付き合い頂けると嬉しいです。


―――――西暦20??年?月?日(?)―――――

 

 ごく普通の家庭に、ごく普通の少女が居た。

 

 普通の学校に通い、友人の数も普通、そしてISの教育も人並みに受けていた。

 特徴らしい特徴と言えば、スポーツ観戦も含めたスポーツ全般が好きと言った所だろうか。

 

 そんな彼女にも「好きな人」がちゃんと居た。

 

 液晶テレビが絶え間なく垂れ流す映像の一つに「その人」はいた。

 何処か浮世離れしている様な凛とした顔立ち。黒く煌びやかな髪。そして人の心を見透かしてしまう程の、透き通った瞳。

 当時未だ幼かった少女は、その人を見る時の感情の正体が良く解らなかった。確かな事は度々テレビに映る奇麗なその人を観るのが好きだった、と言う事だけ。

 

 

 時が流れ、その感情が「恋」だと知った頃にはその人の正体にも行き着いていた。世界最強の兵器IS。それを使った競技で、文字通り頂となった人。

 

 その人の存在により、夢も無くただ何となく生きていた彼女は初めて目標と呼べるモノを見出す。

 手の届く筈の無い天上の人。少しでもその人の近くに居たい。

 そして願わくば、一度だけで良いからその人に会いたい。更なる我儘が許されるのなら、その人に告白したい。

 

 以来、彼女は我武者羅に努力した。才能無き自身を憎みながらも。

 

 その人が居る場所「IS学園」へ入学する為に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――6月3日(金) 13:11 アリーナAピット内―――――

 

 整備科の先輩方が、呼吸の如くラファールリヴァイブの機体チェックを済ませていく。

 

 その搭乗者である谷本がベンチに腰掛けながら何処か神妙な面持ちをしているので、気になった昭弘は計らずしも声を掛ける。

 

「…準決勝で緊張するか?」

 

「それもありますけど…“あの2人”が勝ち上がって来るのが意外過ぎて…」

 

 当然、先刻の簪たちの試合を観ている昭弘と谷本は、例の量産機コンビが誰なのか把握している。昭弘ですら予想外の2人だ。

 

「織斑センセイの言っていた事がそのまま現実になった…か」

 

 昭弘の言葉に頷きつつも、谷本は神妙さを維持したまま問いに移行する。

 

「作戦どうしましょうか?例の「猛獣みたいになるヤツ」使えないんですよね?」

 

 今大会における量産機最大の強みは、試合試合において武装を変更出来る点だ。だからか、昭弘も谷本も相手がどんな手段に出るか読みあぐねていた。

 又、試合や模擬戦等に使われるISには「競技用リミッター」の設置が義務付けられている。マッドビーストは発動時にそのリミッターも解除されてしまう為、使用自体が禁止されている。

 

(…どの道『マッドビースト擬き』は決勝戦まで使うつもりはねぇ。間違いなくオルコットや凰はこの試合を観ている)

 

 奥の手は最後まで隠しておくと言う事だろう。情報ほど頼りになる味方と厄介な敵はいない。

 

「いつも通りで進めるしかない。後は状況次第だ」

 

 昭弘が2機同時に相手取り、谷本がそれを援護する。そのやり方が彼等の言う「いつも通り」であった。

 

 

 

 時間は過ぎ去り、場面はフィールド上空へ。

 

《癒子ーッ!アルトランドさーんッ!宜しくゥ!》

 

 気さくに声を掛けて来るのは、打鉄の搭乗者である相川清香だ。相変わらず元気そうに右手を振っている。

 相川に合わせる様に、ラファールを操っている鏡ナギも遠くから昭弘たちに手を振る。

 

 改めて昭弘と谷本は思った。まさか準決勝戦でこの顔ブレが出揃う事になろうとは、と。

 失礼ながら、2人は相川と鏡を侮っていたのだ。トーナメントまで登り詰める事はないと。

 

 そんな感慨に浸る時間も短く、昭弘は2人が付けている黒いゴーグルに着目する。

 アレでは「試合中にスタングレネードを使うよ」と教えている様なものだ。

 

(此方を近付かせない為のブラフだな)

 

 スタングレネードの有効範囲は、半径にして凡そ15m。それが来ると分かっているのなら、普通は距離を置く。

 それこそが相手の狙いと見た昭弘は、谷本に専用回線を開き指示を出す。

 

「ゴーグルに気を取られるな。普段通りで良い」

 

《了解!》

 

 そうして4人共心の準備が完了した所で、お馴染みのブザーが試合開始の合図を告げる。

 

ヴーーーーーーーーーーッ!!!

 

 開始早々、昭弘と谷本はトラップを設置しにグラウンドへと向かう鏡に迫る。

 

ヒュゥンッ!!

 

 グシオンリベイクと谷本ラファールの手前辺りに、打鉄から謎の豪速球が飛んでくる。その距離100m以上。

 それがスタングレネードだと気付いたのは、視界が真っ白に染まった正にその瞬間であった。

 

 IS・MPSを纏っていても、人間である以上その光を網膜に焼き付けてしまえば身体の自由は奪われる。

 

(初っ端からブン投げやがったッ!)

 

 予想が大きく外れ、面食らう昭弘。

 

 それはそうだろう。不意を突いて投げ捨てたり、山形に投げ込むならまだ解る。

 いくら相川がハンドボール部とは言え、出端からISの怪力に任せてスタングレネードを100m先の相手に真っ直ぐ投擲する等、誰に予想出来ようか。

 

 前屈みに身体を丸める2機に対し、打鉄は急接近して容赦なく火花を降らせる。

 その右手にはグシオンに向けたコンバット・ショットガン『AA ー12』が、左手には谷本ラファールに向けた『焔備』が握られていた。

 

ダァォ ダァォ ダァォ ダァォ ダァォ ダァォ ダァォ ダァォ!!!

 

ダダゥン!ダダダダダダダダダダダダゥゥン!!!

 

 絶え間無き散弾が、グシオンのSEを奪う。更には両手に携えていたビームミニガンと滑腔砲も、其々破壊されてしまう。

 ラファールもSEを削られる。

 

 そして駄目押しと言わんばかりに最後の一投が放たれる。

 

ボンッ!

 

 発煙手榴弾だ。黒色の煙が、グシオンとラファールを瞬く間に覆い尽くす。

 

 ISのハイパーセンサーには、機体の位置情報補足機能が備わっている。敵機や僚機を見失っても凡その居場所は特定可能。

 しかしあくまで凡そだ。正確な位置までは把握できない。その影響は、銃弾の命中精度にも如実に現れる。

 

《今度は煙幕!?》

 

 閃光から暗黒へ急激に移り変わる視界。谷本は軽いパニック状態に陥る。

 

「落ち着け!先ずは煙幕から脱出だ」

 

 素早く指示を出す昭弘だがもう遅い。昭弘たちは相川と鏡の術中に嵌まってしまった。

 

バシュバシュバシュバシュゥッッ!!!

 

 鏡がグラウンド中に仕掛けたばかりの発煙装置を作動させ、フィールド中が黒煙に包まれる。

 

 

 

(このゴーグル、暗視装置にも早変わり出来るんだよね~)

 

 黒煙の中で相川は得意げにせせら笑う。

 

 通常、暗視装置で煙を透過する事は出来ない。

 しかし現代における透過能力の優れた暗視装置ならば、ハイパーセンサーと併用させる事で像をハッキリ捉える事が可能だ。

 

「ナギっち」

 

《今大急ぎで設置してるよー。スイッチで自由自在に爆破可能ー。多分コレであの2人はフィールド端に行けない筈》

 

 元々整備科志望である鏡は、基本的にこうしたトラップ仕掛けや相川のサポートに徹する事が殆どだ。射撃武装も、一部を覗いて保有していない。

 

 

 

 込み上げるパニックを抑えながら谷本がフィールド端に行くよう提案するが、昭弘はソレを却下する。鏡のフィールド中を周回する様な動きは、レーダーでも確認済みだ。

 

「恐らく区画シールドに爆弾を張り巡らせている」

 

《けど流石に広大なシールド全体に張り巡らせる量の爆弾、いくらラファールの拡張領域でも…》

 

「今時の爆弾なんざ、いくらでも小型化できるさ。爆発範囲をそのままにな」

 

《そんな…》

 

 己の楽観が外れ、谷本に絶望が這い寄る。

 

 覚悟を決めるしかない。もうこのフィールド自体が敵なのだ。

 

 兎も角、区画シールドに接近し過ぎない程度に動き回るしかない。これでは良い的だ。

 狙いも先ずは鏡に絞る。これ以上トラップを仕掛けられては敵わない。

 

 2人はハイパーセンサーの位置情報とレーダーを頼りに鏡を狙うが、やはり当たらない。

 凡その位置情報だけでは、動く的を狙い撃つには無理がある。

 

 そんな悪状況に更なる追い打ちをかけるが如く、AA-12の吐き出す散弾がグシオンとラファールに降り注ぐ。連続で襲い掛かるソレは、もう1つのビームミニガンをも損傷させる。

 2人は急遽武装を拡張領域に収納する。これで昭弘の射撃武装は滑腔砲1丁のみ。

 

 もう射撃武器は使えない。出せば散弾に食われる。近接格闘も、この視界じゃ空しく宙を切るだけ。

 時間経過によって黒煙が晴れたとしても、それまで打鉄からの猛攻にグシオンのSEが耐えられるか怪しい。

 

(こっちも小細工に走るしかないな)

 

 直後、グシオンの背部ユニットと腰部シールドが青白い粒子へと変わり、グシオン全体を覆い尽くす。

 次の瞬間には、分厚い装甲に覆われた深緑色のグシオンがその姿を現す。

 

「谷本、オレの背後ヘ回れ!」

 

《え!?ア、ハイ!》

 

 今の所打開策が思い付かない谷本は、無我夢中でラファールを動かす。

 

 

 

 フィールド上方からグシオンとラファールを狙う相川は、ゴーグル越しに表情を曇らせる。そうなった原因は重装甲のグシオンにある。

 

(攻撃が当たらない、機動力も意味無し。だから攻撃力も機動力も捨てて防御に徹する、か)

 

 このまま何もせず時間が経てば煙幕も晴れる。そうなれば、フィールドはグシオンの独壇場となってしまう。

 

 相川は専用回線をグシオンへと繋ぎ、言葉による心理攻撃を仕掛ける。

 

「装甲厚くしたって煙幕が晴れた頃にはSEなんて枯渇寸前ですよー?そーゆーの焼け石に水って言うんじゃありません?」

 

 しかし昭弘からの返答は無かった。見え見えの揺さぶりでは、昭弘の地中深くまで固定された精神は微動だにしない。

 

「…私、アナタたちの様な「専用機持ち」、前々からいけ好かなかったんですよね」

 

《?》

 

 それは果たして挑発なのだろうか。その割には声のトーンが重々しい様に、昭弘には感じられた。

 

「今の言葉を挑発と取るか私の本心と取るかはご自由に。と言うか出来れば忘れて下さい」

 

 その言葉を最後に、相川は専用回線の相手を再び鏡に戻す。

 

「ちょっと早いけど仕上げに入るよ!!」

 

《了解!フィールドの天辺まで上がるね!》

 

 鏡に指示を飛ばした後、相川は御望みとあらばと言わんばかりにグシオンに大量の銃弾を浴びせ始める。

 

 先ずは焔備。弾が切れたらリロードして同じ事を繰り返す。

 そうしてマガジンも含めた焔備の弾薬が費えた所で今度はIS用重機関銃『ヴィッカースISM』を構え、焔備と同様に弾薬を全て使い切る。

 最後に、AA-12の残弾とマガジンを全て使い果たす。

 

 これで打鉄の中で残弾の有る武装は、護身用のサブマシンガン『イングラムM11』のみ。

 

(グシオンのSE残量は30%強。ギリギリ“アレ”で削り取れる)

 

 自身の予想を信じて、相川はフィールドの天辺にて“ソレ”を抱える鏡の元へと向かう。

 

「ナギっち。出来ればグシオンに直撃させて欲しいんだけど…」

 

 不安気に訊ねる相川に対し、鏡は表情を自信に満たして強く頷く。

 

 そして鏡は、両手で持っていた特大サイズのソレを手放す。

 

 

 

 

 

―――

 

―――――5月某日 放課後―――――

 

 今にも小雨が降ってきそうな、どんよりとした放課後の廊下。

 

 千冬は何度も呼吸に溜め息を織り交ぜながら、目的の場所へと重たい脚を運ばせる。

 

放課後、校舎裏で待ってます。

 

 そんな手紙にも劣るメモ紙を読むのも、今年に入ってもう6回目だ。

 教師である以上、断る事等最初から分かり切っている生徒からの「愛の告白」。千冬を悩ませるのは、それをどう角を立てずに断るかであった。

 

 多忙な身分である彼女だ。そんな紙切れ無視しても良い筈だが、誰が送り付けて来たのかは一応把握しておきたいらしい。

 そう言う所はやはり教師だ。

 

 

 そうして校舎裏に辿り着いた千冬。こう言う行きたくない時、慣れた道のりが異常に短く感じる。

 

 そこには、千冬を見た途端赤面しながら動揺する1人の女子生徒が。

 しかし千冬も時間が惜しい。相手の様子に構う事なく用件を聞き出す。

 

「…何の用だ『相川』」

 

 そう訊ねてくる千冬に、相川はらしくもなくモジモジしながら無意味に髪を弄る。緊張の余り、声が出ないのだろうか。

 しかし意を決したのか相川は両手を強く握り締め、自身の気持ちを言葉に表す。

 

「あ、あのっ!…タッグトーナメントで優勝したら、何でも欲しいモノ貰えるんですよね?」

 

「…限度はあるがな」

 

 「限度」と言う単語を聞いた相川は、数秒程表情を曇らせる。しかしここから先を伝えなければ、勇気を振り絞って千冬を呼び出した意味がない。

 だから彼女は伝える。

 

「その…あ、あの…えと……もし私が優勝したら…私と付き合って下さい!…なーんて」

 

 言い切った後「言ってしまった」と彼女は瞳を潤わせながら、握っていた両手を所在無さげに後ろで組む。

 

 愛の告白どころではない。「~出来たら付き合って」と言う要求・約束事であった。それをどの様に捉えるのかは、千冬自身なのだが。

 どの道「教育者」である以上、千冬はこの約束を断らねばならない。

 

「…」

 

 千冬は無言のまま、彼女の目を見る。

 

 千冬の目を恐れながらも健気に見つめ返してくる彼女を見て、千冬は相川の大会への本気度を再確認した。動機はどうあれそれ程強い意欲を持った生徒を冷たくあしらう事等、千冬には出来ない。

 それ故に考えた折衝案を、千冬は彼女に言い渡す。

 

「…1日デート券で我慢しとけ」

 

 それを聞いた彼女はパァッと表情を輝かせ、千冬に深く一礼した後その場を去って行った。

 

(堕ちたものだな私も)

 

 相川の意欲を削がない為とは言え、自分を餌に彼女を駆り立てた事に対し、千冬は嫌悪感を示した。

 同時に、相川がどれ程成長するのか楽しみな千冬も確かに存在した。

 

―――

 

 

 

 

 

 腕を前面にクロスさせながら、昭弘は上空の2機を見やる。

 

 もうこれで打鉄は凡そ弾切れだろう。鏡ラファールに至っては、抑々射撃武装を殆ど積んでいない筈。

 

 そんな昭弘の予想に反して、鏡ラファールが「何か」を手放す。ソレは此方に向かって、重力に従いながら落下してくる。

 どの道避けるまでもない。例えSE残量が40%を切っていようと、この重装甲なら余程の攻撃じゃない限り十分防ぎきれる。

 

 

 “余程の攻撃”じゃなければだが。

 

 

 

コォン!

 

 巨大なソレがグシオンに触れた瞬間―――

 

ドォォッガァァォォォォォゥンッッ!!!!!

 

 衝撃波に従いながら、火炎がフィールド全体を一瞬で覆い尽くした。

 

 それを目の当たりにした観客は叫ぶ事すら出来ず、ただ目を見開き口を丸く開け、一瞬で炎化粧が施されたフィールドを凝視する事しか出来なかった。

 

 

 

 航空機搭載型のUGB(無誘導爆弾)『Mk.84』。

 それの炸裂による爆風は打鉄と鏡ラファールの元まで届き、互いのSEが僅かに削れる。爆発地点から優に200mは離れていようか。

 その爆風は煙幕を一瞬で消し飛ばし、代わりに爆発によって生じた粉塵が再度フィールドを満たしていく。

 

《グシオン!SEエンプティ!!》

 

 それが聞けて、ホッと胸を撫で下ろす相川と鏡。

 

 しかし、直ぐに一言足りないアナウンスに気付く。

 グシオンの僚機であるもう1機の名前。それが何を意味するのか、先に鏡が通信越しに答える。

 

《清香、気を付けて!癒子のラファールはSE以外全部健在!》

 

 対して葵を外している打鉄の残武装は、サブマシンガン『イングラムM11』1丁。鏡ラファールは、護身用の『グロック18C』1丁しか持ち合わせていない。

 

 しかし、相川はあくまで冷静に支持を下す。先の一撃でグシオン諸共仕留め切れなかったのは痛いが、想定の範囲内だ。

 

「この粉塵が煙幕代わりになる!それにさっきナギっちが仕掛けた爆弾もまだまだ生きてる」

 

 その言葉を皮切りに、2機はギリギリの戦いにその身を投じていく。

 

 

 

 当たる直前、組んでいた両手両足を広げたグシオン。それにより谷本への爆風が更に遮られ、ラファールのSEはどうにか持ち堪えるに至った。

 

 谷本は気付いていた。昭弘は自ら楯となる事で彼女に全てを託したのだ。

 それは即ち、昭弘にとって谷本は最早単なる随伴機ではない事を意味していた。

 たった1機取り残されたとしても、その苦境を打破する事の出来る実力、頭脳、そして更なる伸びしろを昭弘は見抜いていた。

 

―――けど出来るのだろうか。代表候補生でもないごく普通の一生徒である自分なんぞに

 

 自分を信じられない谷本に、昭弘から通信が届く。

 

《谷本、お前は強い。だから勝つビジョンだけ見据えろ》

 

 そう言い残した後、グシオンはピットへと戻って行く。

 

 たったそれだけであったが、今の谷本にとってはこれ以上無い程的確な助言であった。

 

「…ありがとうアル兄。やってみせます」

 

 先ず谷本は、粉塵の比較的少ない地表付近へと移動。

 そこで動き回りながら、状況を整理していく。

 

 相手のSEは両機共ほぼ満タン、おまけに暗視装置付き。対して此方のSE残量は30%以下。

 打鉄とラファールの拡張領域を鑑みると、相手の武装は護身用のサブマシンガンくらいしか無い筈。火力なら此方に分が有る。

 区画シールドに張り巡らされた爆弾も、未だ健在の可能性が高い。

 

 どの道、視界的には谷本が不利だ。向こうからはラファールの姿形がハッキリと見えている。

 そこで谷本は、先ずこの邪魔な粉塵を蹴散らす。

 

 彼女は全スラスターと脚部の追加ブースターを吹かしながら、粉塵に突っ込んでは脱出してを繰り返していく。

 

 時折相手が放ってくる小弾丸を食らおうと、一切気にせずに同じ事を反復する。

 

 そうしてまるでラファールの軌道に巻き込まれるかの様に、粉塵が薄くなった時だった。

 

―――見えた!

 

 微かに輪郭の見えた鏡ラファールに対し、谷本は左手に持った『ブローニングXM2020』の12.7mm弾をお見舞いする。

 

 

 

 戦闘全般が苦手な鏡は、グロックをチョクチョクと連射しながら谷本の目を引いていた。

 そんな谷本に、相川はM11を向けながら突っ込む。

 

「ツッ!」

 

 しかし、谷本が右手に出現させたアサルトライフル『FN F2000』が打鉄に対して火を噴く。

 M11の有効射程50m前後に対し、F2000の有効射程は500m。距離を取られれば、とても撃ち合いでは敵わない。

 

 更に相川は指示を飛ばす。

 

「今度は私が癒子を区画シールドに追い遣ってみる!タイミング見て起爆して!」

 

《わかった!》

 

 相川は谷本がフィールド端に移動する様あらゆる角度から接近しては撃ち殴り蹴り突進するが、谷本は軌道を大きく変えようとしない。

 

 そうこうしている間にも、打鉄と鏡ラファールのSEはどんどん減って行く。

 

 火力だけではない。追加ブースターを抜きにしても、高度な機動性を谷本は見せていた。相川がどうにか食らいついて行ける程の。

 その機動を見ただけで一体どれ程彼女が努力してきたのか、嫌でも相川は理解してしまう。

 そして遂に―――

 

《ゴメン清香。弾切れ…》

 

 その通信の後、再びアナウンスが響き渡る。

 

《ラファール鏡機!SEエンプティ!!》

 

 好機を逃さなかった谷本の猛攻に、鏡は耐えられなかった。

 

 少しずつ、じわじわと、相川の背後に敗北と言う名の死神が近づいて来る。

 

 しかし、それでも相川は諦めなかった。

 未だ残っている粉塵と煙幕の濃い部分をどうにか隠れ蓑に使いながら、打鉄は尚もラファールに追いすがる。

 

 だが、死神の魔の手は遂に相川の肩にその手を掛ける。M11の残弾数が、遂に残り1発となってしまったのだ。

 対するラファールのSE残量は、未だに11%。これではどの道仕留めきれないと、相川は嫌でも悟ってしまう。

 

(まだッ!良く狙って「絶対防御」を発動させれば―――)

 

 相川はラファールからの銃口に気付き、思考を中断して反射的にM11の銃口を向け返す。その距離は40mも無い。確実に仕留める為に敢えて向こうから接近してきたのだろう。

 

 2機は互いに静止したまま動かない。

 相川の場合、動いた所で撃たれて終わりだと解っているから。

 谷本の場合、絶対防御さえ気を付ければ最早動く必要すらないから。

 

 

 そんな中、先に相川が引き金ではなく口を開く。諦観に侵食されながらも、諦観から逃げようと足掻く様に。

 

「…残酷…だよね癒子。結局IS乗りとしての優劣は稼働時間、機体の性能、そして適性。そう言う「持ってる」人たちだけ頂に手が届いて、それ以外の人たちは頂に振り向いてすら貰えない」

 

 結局それらを持たない者は、この手あの手に頼るしかない。相川の様に。

 

 まるで谷本に訴えかける様な共感を求める様な、相川の心からの声。ここで「そうだね」と頷く事が、彼女の望みなのだろう。

 だが谷本は彼女に同意する訳にいかない。同じ持たざる者として。

 

《…清香、私ね…最初はアル兄のおまけと割り切ってたんだ。居ないよりはマシ程度に》

《けど実際はそんな甘くなかった。皆私が弱いからって、私を先に落とそうと躍起でさ。逆もあったよ?アル兄ばかり狙うタッグとか。そう言う相手を「攪乱しろ!」って無茶言われたり》

 

 それは一見、相川と同じ様な嘆きに聞こえるが、次の力強い言葉が丸々全てを飲み込んだ。

 

《そしてこの試合で漸く気付いた。私はおまけじゃないって。それを教えてくれたのはアル兄と…清香とナギっちだよ》

《だからさ…そんな事言わないでよ。届かない頂なんて…この世の何処にも無いよ》

 

 届かない頂きは無い…甘い言葉だ。現に相川は今回、頂きに届かないではないか。千冬に触れられないではないか。

 

 それでも相川は、量産機を纏いし谷本の言葉を聞いて小さく笑った。

 弱者である相川の意志が今、同じく弱者である谷本に継承された様な気がしたからだ。

 

 

 直後、2人は同時に引き金を引いた。

 

ドゥルンッ!!!

 

ダダダダダダダダダゥンッ!!!

 

―――嗚呼、負ける。「あの人」が遠退いていく。後少しで届くと思ったんだけどなぁ

 

 

 

《打鉄!SEエンプティ!!勝者、アルトランド・谷本ペア!!》

 

 

 

 

 

 ピットでは、一人であろう女子生徒の泣き声が響き渡っていた。

 

 整備科生の邪魔にならない程度に、千冬はその泣き声の主を懸命に探す。

 

 すると隅っこで鏡に慰められながら、周囲を一切気にせずに泣き崩れる相川の姿があった。瞼や鼻から流れ出る透明な液体が、彼女の顔を醜く仕立て上げていた。

 

 そんな彼女に対し千冬は近づいて片膝を突き、次の言葉を優しく贈り届けた。

 

「良く頑張った。……本当に良く頑張った」

 

 

 その本心を言葉にすると相川は増々泣き崩れ、千冬の胸に飛び込む。

 

 

 それ以上の言葉が見つからない千冬は、泣き止まない彼女を優しく撫でる事しか出来なかった。




チフキヨと言う誰得すぎるカップリング。

映画のエクスペンダブルズで「AA-12」を目の当たりにした時の衝撃は、今でも忘れられません。あの音すき。


さて、次回はとうとう昭弘とセシリアによる因縁の対決が始まります。前半後半に分けるかもです。
皆さんはどちらのタッグが勝つと思いますか?



追記:説明不足なシーンがあったので、ほんの少しだけ描写を追加しておきました。


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第29話 蛮人と貴人は表裏一体

前話にて細かい所に「抜け」がありましたので、少し修正を加えておきました。

それとすみません。今回、殆ど会話ばっかです。
次回は確実に戦闘回になるとして・・・・・・・・・決勝戦、次回で終わるといいなぁ・・・(遠い目)


 昭弘と谷本は決勝戦に備えて最終調整を行っていた…訳ではなく、出店が無数に並んでいる通りで小休止を挟んでいた。

 

 万全の状態で決勝に挑む為、少しでも心身に残る疲労を取り払っておきたいのだ。

 そう言う訳で昭弘も谷本もぐでーんと椅子に凭れ掛かっており、空を眺めながらソフトドリンクを飲んでいた。

 

「怖くないのか谷本。凰もオルコット程ではないにしろ十分化物だぞ」

 

 そんな2人と同じテーブルには、もう試合なんて控えてない故気楽そうなラウラと箒も居た。

 ラウラの問いに対し谷本は少しだけ考えた後、つらつらと答え始める。

 

「…甘い敵なんて居ないよ。一々怖がってたらキリないし」

 

 最早今の谷本には、代表候補生と一般生徒の明確な違いが判らなくなっていた。武器を手にした時点で、どの相手も等しく脅威。それが今の彼女の認識であった。

 先の「相川・鏡」戦は、彼女の中に残留していた固定観念を崩すには十分過ぎた。

 

 元々、ISの事なら何でも吸収していった谷本。昭弘と共に何度も空を駆けた彼女が、一体どれだけの事を学んだのかラウラには想像も付かなかった。

 

 

 彼等がそんなやり取りを繰り返しているからか憩いはあっと言う間に過ぎ去り、昭弘と谷本は重たい腰を上げる。

 行きたいけど行きたくない、戦いたいけど休みたい。本番前のこれだけは、どんな場面どんな人間でも避けられない感情だ。

 

 そんなどんよりした背中を向けて去ろうとする彼等に、箒は後ろから「待った」と声を掛ける。

 

「……私たちの分まで頑張ってくれ!」

 

 それは、箒の無念が凝縮された激励だった。

 彼等には、優勝へ向けた箒の想いは分からない。だが同時に、アレ程の戦いを繰り広げるのに一体どれ程肉体を酷使したのか想像するのも容易だった。

 

 そんな箒の優勝への想いが、決して小さい筈が無かった。

 

 

 

 ピットへ続く道の途上、昭弘は谷本の強張った表情に気付く。上手く気持ちを切り替えたのかと思ったが、それは間違いだった。

 

「……自分なんかに、決勝に進む資格あるんでしょうか」

 

 それを聞いて首を傾げる昭弘。勝ったのだから当たり前だ、とでも言いたいのだろう。

 そんな彼を他所に、谷本は少し俯きながら続ける。

 

「清香の執念、アル兄も感じたでしょう?あそこまで本気な彼女、私初めて見ました。…きっと、優勝して絶対に叶えたい願いがあったんじゃないかな」

「篠ノ之さんだってそうですよ。刀一本の打鉄で、専用機にあれ程食い下がるなんて…」

 

 比べて谷本の目的は「一夏とのお付き合い」だ。そりゃ彼女だって付き合えたら嬉しいが、無理なら無理で別にと言う程度だ。

 

 強い望みがあるからと言って、必ずその試合に勝てる訳ではない。そんな単純な事、谷本だって解ってはいる。

 しかし大した望みも無い自分自身が決勝に進む事自体、何処か納得が行かないのだ。

 

 そんな彼女に対し、今度は昭弘が問い掛ける。

 

「…じゃあお前は何でそんなに強くなれたと思う?」

 

 それは勿論ラウラの教えや昭弘と共に潜り抜けた数多くの試合、そして何より彼女自身の努力の賜物だ。

 しかし、昭弘はそんな事を訊きたいのではない。それを解っていた谷本は、もっと別の答えを探し出した。

 

「…多分、ISが好きだから…です」

 

「何処がだ?」

 

 昭弘が更に突っ込んだ質問に乗り出すと、ISについて考え出した谷本は強張った表情を少しずつ元に戻していく。

 

「格好いいし、自分で色々カスタマイズしたりセッティングしたりするのも面白いし、純粋に空を飛ぶのが楽しいし…」

 

 その後少し間を置いた谷本は、一番肝心な部分を答えた。

 

「そして名前の通り、無限の可能性を与えてくれる所が大好きです」

 

 彼女の様な凡人でも嵐を巻き起こす事が出来るのだと、彼女はISから教わった。

 そんな彼女とISは、どんな力でも切り離せない程強く結び付いていた。

 

 彼女の想いを聞けた昭弘は、豪快さを含んだ優しい微笑みを浮かべながら言葉を贈った。

 

「ならそれでいい。ISが好きだから、自分の中にある無限の可能性を試したいから戦う。その想いは箒や相川の願いにも、引けを取らないと思うがな」

 

 それが、昭弘の自論であった。戦いに資格なんて要らない。ただ本心に従って戦えばいいのだ。

 

 それを聞いた谷本は少しの間押し黙った後、語調を強めながら改めて自身の意志を口にする。

 

「…怖い事言いますね。だとしたら私、益々負けられないじゃないですか」

 

 そう言うと、再び谷本は表情を強張らせる。しかし同じ強張りでも、先程のソレとは別物であった。前方のもっと奥を見据える様な、そんな表情であった。

 

 彼女はISが大好きだ。

 本気で好きだからこそ今迄ずっと負けたくなかったし、これからも勝ち続けて行きたいのだ。

 

 

 そんな彼女に倣う様に、昭弘も緩ませていた表情を彫像の如く引き締めた。

 優勝する為の明確な目的が無い彼も、谷本と同じ心境だからだ。

 

 谷本に対する先程の言葉は、昭弘自身にも言い聞かせていたのだ。

 

 

 

 

 

 ピット前にて、セシリアと鈴音は「ある意外な人物」に遭遇していた。

 

 初対面故セシリアはキョトンと首を傾けるが、鈴音は唇を震わせながらその人物を見詰める。

 

「お父…さん?」

 

 鈴音が頭に浮かんだ単語を自然に呟くと、男も又砕けた調子で鈴音に話し掛ける。

 

「ヨォ!!久しぶりだなぁ鈴…うぉっとォ!」

 

 男が台詞を言い終える前に鈴音は涙ながらに男に抱き付き、心に浮かんだ言葉を纏めもしないで口にする。

 

「お父さんッ!とうして此処に!?お店は!?」

 

 余りにも唐突な、何年かぶりの実父との再会。言いたい事訊きたい事、互いに山の如く積み重なっているだろう。

 

「だーもう落ち着けぇ!!お店は今日だけ臨時休業だよぉ!!電車の乗り間違えとかで、随分と遅くなっちまったがな」

 

 男がそう言うと、鈴音は更に抱き締める力を強くする。日本の電車迷路が苦手な部分も父娘そっくりだ。

 

「鈴ちゃん、抱き締めてくれるのは父ちゃんも嬉しいんだがよ、そろそろお隣さんの事も紹介してくれるかい?」

 

 そう言われると鈴音はハッとしながらセシリアに振り向くが、セシリアは先に自己紹介を始めてしまっていた。

 

 男『劉楽音』は後頭部を掻きながら辿々しく自己紹介をセシリアに返すと、再び鈴音に向き直る。

 

「んで?どうでぇ鈴ちゃん自信の程は」

 

 楽音がそう訊ねると、鈴音は涙を拭いながら力強く答える。

 

「控え目に言って絶好調よ!」

 

 箒との真っ向勝負以降、鈴音の精神面は驚く程安定していた。心に沈殿していた不安も含めて、全てを綺麗さっぱり出し切ったからだろうか。

 

「本当にぃ?オルコットさんに迷惑掛けてないん?」

 

「かっ、掛けてな…いとも言えないけど」

 

「ハッハッハ!」

 

 久しぶりの再会でギクシャクすることも無く、仲睦まじく会話を続けていく両者。

 

 セシリアはその良き父親良き娘を、何処か遠い眼差しで見詰めていた。もう永遠に、セシリア自身には訪れる事の無いその光景を。

 

 

 

 結局、試合前の鈴音とセシリアを気遣ってか、楽音は10分やそこらでその場を後にした。

 

「ホント大会が中止になんなくて良かった~!まさか父さんが駆け付けてくれるなん…て」

 

 ピット内にて未だ再会の喜びに浸っていた鈴音だが、何と返せば良いか解らず静かに頬笑むしかないセシリアを見て、漸く彼女の境遇を思い出す。

 

「ごめんセシリア。アンタはその…」

 

 先程の様子から一変。罰の悪そうな反応を示す鈴音に対し、セシリアは普段の調子で言葉を返す。

 

「久方振りのお父上との再会ですもの。周囲の反応を気にする事こそ、可笑しな事だと思いましてよ?」

 

 しかし彼女の言葉はそこで終わらず、「ただ…」と隙間風の様に続いた。

 

「私の両親ならどんな反応をしただろうと…そんな事を考えてしまいましたの」

 

「セシリア…」

 

 鈴音は必死に言葉を探す。だがどれだけ頭を捻っても奇麗事しか思い浮かばない鈴音は、情けない自身の頭を殴った。

 

 そんな鈴音を他所に、セシリアは益々感慨の深淵に浸っていく。

 

 思えば「あの事故」から全てが始まった。

 

 皮肉な事に「今のセシリア」を形作った起因こそが、両親の死なのだ。

 もし彼女の両親が生きていたなら、彼女はごく普通の貴族令嬢として育てられたろう。家を守る為に「国家代表」と言う地位と肩書を手に入れよう等と、夢にも思わなかったろう。

 今の強さ、今の人格。両親の死と言う切っ掛けでそれらを手にし、その結果今この大会における決勝まで進むに至った。

 

 そう考えると、確かに両親が生きていたら等と言う仮定は、今のセシリア自身を否定するが如き無意味な妄想だ。

 

(…では「あの男」ならどう思うのでしょうか)

 

 彼女は、不意に昭弘の存在を頭に思い浮かべる。

 彼も又、セシリアと同様家族を失った人間だ。

 

 家族を失った事で、種類は違えど永い時間孤独を味わった昭弘とセシリア。

 

 その孤独を紛らわす為に、両親との思い出の詰まった家と言う過去を守り抜くセシリア。

 その奮闘が何の因果か、今はIS学園と言う友に溢れた孤独とは程遠い場所に身を置くに至る。この場所で得た様々な出会いは、セシリアにとって過去と同じ位大切なモノとなっていた。

 

 一方、孤独と絶望に心を炙られ、只管に今を生き抜く事しか許されなかった昭弘。

 そうして生き抜いた結果、過去を振り返る間もなく『鉄華団』と言う新しい家族に出会い、再び今生の別れを遂げる。

 新たに辿り着いたIS学園と言う平穏な場所で心の余裕が生まれた昭弘は、漸く過去に想いを馳せる事が出来る様になっていた。

 

 価値観や生き方もそうだが、そうした孤独に起因する現在と過去の認識の違いこそが、昭弘とセシリアを決定的に分けるものなのかもしれない。

 

(数奇ですわね。そんなアルトランドと私が、決勝戦でぶつかる事になろうとは)

 

 それも又因果なのだろうか。それとも単なる偶然か。

 

 正反対な様で同じな様で、やはり何処か異なる2人。決勝でその2人が激突すれば、互いに何かが解るのだろうか。抑々何が解ると言うのだろうか。解った所で何だと言うのか。

 互いにもう家族に会えない事実は、決して揺るがないと言うのに。

 

 

 何れにしろ「今のセシリア」は、そんな事にいつまでも浸ってなど居られない。彼女のパートナーである鈴音も、この学園で新たにできた大切なモノの一つなのだ。

 

 だからセシリアは、自分如きの為にいつまでも頭を抱える鈴音をそのまま放っておいたりしない。

 

「鈴、私に「奇麗事」を言って下さいまし。…皮肉等では御座いませんのよ?言って頂けるだけで、本当に私は嬉しいのですわ」

 

 例え表面だけだろうと、奇麗に越した事は無いのだ。

 

「…」

 

 未だ罪悪感の拭えない鈴音は、噛み締めながらもセシリアに奇麗事を並べる。

 

「…アンタの母さんや父さんだって…きっとアタシの父さんみたいに笑っていたと…思うわよ」

 

 その言葉は、今のセシリアにとって贅沢過ぎる一言であった。奇麗事だと分かっていても。

 その証拠にセシリアは、心の底から自然と笑みを零した。

 

 そんな彼女を見て、鈴音は胸が張り裂けそうになった。

 今の鈴音から見たセシリアは、自身を心配させない為に敢えて笑っている様に見えてしまっていた。

 

―――いつもアタシは助けられてばかり

 

 そんな鈴音は、自身の目的とは関係無しに次の言葉をセシリアへ贈らずにはいられなかった。

 

「セシリア……必ずアンタを勝たせるよ」

 

 力強い声の中に、弱々しさが滲み出ていた。こんな事でしかセシリアに恩返しが出来ないのだから。

 

 鈴音からそう言われてセシリアは目を見開くが、直ぐに表情を戻して鈴音に言葉を贈り返す。

 

「ありがとうございます、鈴。私も 貴女を勝たせますわ」

 

 

 

 

 

 時間は過ぎ去り、いよいよ決勝戦直前まで迫った。

 

 後数分程度で、数日間の激戦を勝ち抜いてきた4人の兵がフィールド上空にその姿を現すであろう。

 当然、観客席は満員御礼だ。皆握り拳に汗を滲ませながら、戦士たちが現れるのを待ち望んでいた。

 

 

 そんなただ中、生徒会長『更識楯無』の透き通った声が、スピーカーによってスタンド中を駆け巡っていた。

 

《今年の決勝戦は正に「異色の組み合わせ」です!何と4機の内1機はMPS!更にもう1機は量産機ッ!》

 

 決勝戦まで勝ち進めるのは、例年「専用機」と相場が決まっていた。

 その事実を良く知っている多くの観客は、胸の昂ぶりをそのまま声に出していた。

 

《織斑先生織斑先生!この状況どう見ます!?》

 

 隣に控えていた千冬に、楯無は解説を任せた。

 

《実力の高さもあるだろうが、量産機のカスタマイズやセッティングが、彼女の実力をフルに引き出せたのだろう。これはトーナメントにおける全ての量産機に言える事で、最初から完成されている専用機には難しい芸当だ。味方のMPSも、ラファールに大いに助けられてる印象が強い》

 

 遠回しに整備科生の事も褒め称えながら、無難に纏める千冬。

 

 

 そんな進行を欠伸混じりで聞きながら、観客スタンドに座している『デリー・レーン』は無人のフィールドを景色の一部の様にボーッと眺めていた。

 

(何でもいいから早く始めて下さいよ~。夕方から打ち合わせがあるんですから~)

 

 特段VIP扱いでもない彼は、大会初日と本日の決勝戦だけ観に来ていた。

 恐らく「昭弘の勝敗」を最初に知っておきたいのだろう。MPS操縦者である昭弘の優勝は、今後彼の商売にも大きな影響を及ぼす。他は、御得意先への挨拶回りと新たなコネを作る為の営業が主な目的だ。

 生の女子高生を拝む為の理由付けでもあるが。

 

ストン

 

 そんな彼の右隣に、見慣れない服装の生徒が腰掛ける。

 どこがどう見慣れないのかと言うと、ほぼ女子生徒しか居ないIS学園で何故か「男子の制服」を身に纏っているのだ。

 その顔が整った金髪の美少年に、デリーは心当たりがあった。

 

(……あぁ↑!『デュノア社』の↑!)

 

 左手の平を右拳でポンと叩きながら、デリーは右隣の彼がデュノア社の御曹司である事を記憶を頼りに思い出した。

 

 そこまで来れば彼の行動は早い。

 相手はIS企業の御曹司。ここで関係を作っておいて損はないだろうと、彼は営業スマイルを浮かべながら『シャルル・デュノア』に声を掛ける。子供相手とは言え名刺も忘れない。

 

 

 デリーの思惑と並行して、楯無の進行も恙無く続いた。

 

 彼女の進行に従い、3機のISと1機のMPSがピットから飛び出す。

 

 その貫禄に満ち溢れた雄姿を目の当たりにした観客は、心の内に押し留めていた興奮を爆発させる。

 

 

 

 フィールド中に、緊迫した雰囲気が充満していく。

 深海の水圧の如く押し潰しにかかるソレを、4人は必死に耐えていた。

 

 しかし特に作戦らしい作戦は、両者共考えていない。

 

 昭弘たちからすれば、相手は2機共専用機。しかもその片方は、ビット兵器によってどんな戦況にも対応可能なブルー・ティアーズ。

 作戦や小細工で打破出来る相手ではない。

 

 それはセシリアたちも良く解っていた。

 純粋な強者である自分たちを相手に、今更ラファールが貧弱な装備で挑む筈もないと。

 

 両者が最大に警戒しているのは、未だ隠しているであろう相手の「奥の手」だ。

 だから、いやそうでなくとも、互いに奥の手を序盤から曝け出すつもりでいる。出し惜しみをしていたら間違いなく先に食われる。

 そしてこの期に及んで機を伺える程、彼・彼女たちの闘争本能は生易しくない。

 

 闘争本能に従う様に、4人はその張り詰めた空気をすんなりと受け入れながら、ただ只管に待つ。

 最後の試合開始のブザーを。

 

 互いに息を飲む。互いに眼力を強める。互いに汗を滲ませる。互いに耳を澄ませる。

 

 

 

ヴーーーーーーーーーーーーーー ッ!!!!!

 

 

 

 そんな4人の状態等何処吹く風と、最後のブザーはごくいつも通りに鳴り響いた。

 

 

 一瞬の内に、昭弘はこの瞬間まで大切に温存しておいた「とっておき」を起動させる。

 

 大会迄に研鑽を重ねに重ね、脳への負担から何度も気を失いかけ、漸く手に入れたマッドビーストの完全制御。

 グシオンの「筋力面」だけリミッターを維持する事で最大パワーを抑制し、攻撃する相手への安全性を確保。

 

 千冬からも、大会ギリギリでどうにか許可を得られた奥の手。その性能の程は如何に。




久し振りのデリー登場。しかもシャルと絡むとは・・・。自分で書いといて何ですが、この2人の会話は全く予定にありませんでした。自分でも驚きです。

鈴音の親父さんは、前々から登場させる予定でした。


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第30話 蛮人と貴人の「決着」

長い戦いでした。この3週間、本当に長い戦いでした・・・。シフト増えるわ(最大要因)、展開が全く思いつかないわ、何度も書き直すわで・・・。

と言う訳で、何度目になるかは分かりませんが、大変お待たせ致しました!

シャルとデリーの会話は、後の「解決編」か次回に持ち越そうかと思います。話の構成的に、その方が良いかと判断しました。

武装の「使用制限(ロック)」辺りはうろ覚えでした・・・(小声)


 開始早々。

 

 セシリアがバイザー越しに見据えていたグシオンリベイクは巨大マチェットを振り翳し、サブアームに呼び出したミニガンを乱射しながら一気に距離を詰めてきた。そこまでは良い、セシリアは距離を取るだけだ。

 

 問題はそのスピード。

 瞬時加速と見紛う程のソレは、ブルー・ティアーズを決して逃してはくれなかった。

 

 今なお向かって来るグシオンに対し、セシリアはビームビットとスターライトMkⅢで牽制する。

 

 

(鈴、ラファールは任せましたわよ?)

 

 その言葉は勿論鈴音を信頼しているが故であったが、何よりセシリア自身ビットを甲龍の援護に回す余裕など無かった。

 文字通り全てを出し切らなければ勝てない相手だと、セシリア自身良く解っているのだ。

 

 そんなセシリアが一切の慢心をかなぐり捨てた弾幕を、グシオンはスピードを維持したまま上下左右に躱していく。

 

 セシリアは距離を取るグシオンに対し、今度はミサイルビット2機を展開。ソレから射出された小型ミサイルは、グシオンを執拗に追い回す。

 

 

 

 昭弘にとって、意外にもミサイルは厄介な相手であった。理由はその追尾能力。

 確かに逃げ続けていればいずれミサイルの方が燃料切れになるし、何なら射撃武装で撃ち落とせば良い。しかしどんな軌道で飛ぼうとしつこく迫って来るミサイルは、嫌でも昭弘の意識を分散させる。

 

 そうこうしてる内にティアーズ本体の周囲を護る様に浮遊していたビームビット4機は、既にグシオンを取り囲んでいた。

 

 「悪夢のオールレンジ攻撃」の始まりである。

 

 

 

 

 

 谷本の目的は決勝戦だろうと変わらない。グシオンの援護、そして相手の妨害だ。

 

 鈴音の場合はティアーズの邪魔をさせない事、グシオンへの援護を分断する事が今試合の目的であった。

 

 そんな2機が真正面からぶつかり合う事は、最早予定調和と言って良いだろう。

 

 一先ず谷本が甲龍に対してすべきは、兎にも角にも近づかせない事。近接特化の甲龍に対して、谷本の戦術は実にセオリー通りと言えるだろう。

 ()()()()()ならばの話だが。

 

デュルルルルルルルルルルルゥンッ!!!

 

「!?」

 

 彼女が驚くのも納得だ。

 連射型に改良された衝撃砲など、今までセシリア以外誰も見た事がない。

 

 しかし彼女が真に驚いているのは、ソレが自身に当たると言う点だ。

 砲身が見えないのは鈴音も同じ事。ならば散弾の様に空気弾を撃ち出さない限り、当てるのは困難を極める。

 

 

 

 連射型にセッティングし、その上更なる改良を加えた左肩の衝撃砲。その予想以上の性能に、鈴音は満足していた。

 発射する際、生成された空気砲身を振動させる事で、連射時に集弾されている筈の空気弾を拡散させているのだ。これなら散弾時の命中範囲をある程度維持し、有効射程も大幅に伸ばす事が可能。

 

(衝撃砲の真髄はこっからよ!)

 

 鈴音は甲龍の機動力を存分に活かしながら、フィールド中を縦横無尽に飛翔する。

 

 

 

 既に衝撃砲が連射拡散型に改造されていると見抜いた谷本は、IS用重機関銃『ブローニングXM2020』とアサルトライフル『FN F2000』で応戦する。

 見えないとは言え、集弾率と弾幕なら此方が有利と踏んだのだろう。

 

 絶対防御をなるべく発動させない為、彼女は肌の露出を極限まで抑える様にラファールの追加装甲をセットしていた。機動力を損なわない様、出来るだけ薄く小さく。

 

 そんな衝撃砲対策も万全な谷本であったが…。

 

(何この動き!?)

 

 いくら甲龍が高機動型とは言え撃ちながら飛ぶとなると、それに応じて空中機動も限定的になる。それは、銃口・砲口を敵機に向ける必要が有るからだ。

 だが甲龍の衝撃砲の射角は無限だ。どの角度、どんな体勢でも相手に銃口を向ける事が可能。

 

 これこそ衝撃砲の真骨頂。

 射撃武装を使っているとは思えない程の、自由な空中機動。双天牙月を両手に携えたまま、縦に横に回転しようと急激な加減速・旋回を行おうと、見えない銃口はしっかりとラファールを捉えている。

 

 谷本はそんな常に止まらず縦横無尽に動き回る甲龍を、更には見えない弾幕に晒されながら狙わねばならない状況にあった。

 

 

 

 

 

 ビットによって様々な角度から放たれる閃光を、グシオンは最小限の動きで躱していく。

 

 しかしビットのオールレンジ攻撃に加えて、 ティアーズ本体からも止めどなくビームの嵐が降り注ぐ。ビットの合間を縫う様に、細かく分断された光の糸がグシオンに襲い掛かる。

 単純なエイミングの高さ。ライフルの引き金に合わせたビットの絶妙な配置転換。恐らくはその両方であろう神業だ。

 

 更には2機のミサイルビット。ミサイルが燃料切れで墜ちていったら、また追加の小型ミサイルを発射してくるのだ。

 そんな八方塞がりな状況では、流石の昭弘でも全弾は捌き切れない。

 

 勿論、グシオンもただ逃げ惑っている訳ではない。

 両手両サブアームに呼び出した計4丁のビームミニガンと滑腔砲で、ビットを蹴散らそうとする。

 

 そんな中、1機のビームビットが炸裂弾の破片を浴びて墜ちる。

 

 するとどうした事か、ビットのスピードが上がった。

 

 操っている物体が1つ減った為、ビット1機当たりにおけるセシリアの集中力が上がったのだ。単純計算で1機当たり16~17%から、20%に増えたと言った所だろうか。

 結局ビットを全機落とさない限り、状況は余り変わらないらしい。

 

 どの道、先ずはビットに集中するしかない。

 ビットとティアーズ本体に攻撃を分散させれば、飽和攻撃に押し負ける。

 

 

 

 

 

 試合前父親に言った通り、鈴音は正に絶好調であった。

 いつも以上に機体が良く動き、それでいて視点はブレない。かと言って慢心も無く、何処までも冷静で落ち着いていた。

 

 だと言うのに、戦況は今の所拮抗していた。

 

(速いわね…!無駄弾も少ないし地味に堅い)

 

 どれだけ接近しようと努めても、ラファールは弾幕を駆使して甲龍を突き放そうとする。

 

 

 

(考えるな!躊躇うな!兎に角弾幕を!!)

 

 しかし甲龍の勢いは衰える事無く、相も変わらず見えない弾丸を連射しながら突っ込んで来る。

 

 谷本目掛けて飛んでくる、無数の透明なる凶器。

 

 奥底から沸き上がってくる得体の知れない恐怖を感じながらも谷本は敢えて避けず、甲龍からの斬撃だけを警戒する様後退しながら弾幕を張る。

 広範囲に且つ疎らに飛来する弾丸は、避けても避けなくても結局命中してしまう。それなら細かな回避運動よりも射撃に意識を回した方が、寧ろ相手を狙い易い。

 大事なのはより多く撃ち、より多く命中させる事だ。

 

 

 

 緊迫したドッグファイトは尚も続く。

 ラファールは5.56mm弾をばら蒔いて撹乱し、12.7mm弾を甲龍に叩き込む。

 だが甲龍は、衝撃砲を放ちながら尚も迫って来る。

 

 ある程度接近すると、今度は右肩の散弾型衝撃砲をも導入する甲龍。

 対してラファールは高速切替を使い、取り回しの良いサブマシンガン『FN P90』『Cz EVO3A1 スコーピオン』を其々呼び出す。

 

ドゥルルルルルルルルルルルルルン!!!

 

ダダダゥン!! ダダダゥン!! ダダダゥン!!

 

 P90の弾丸を甲龍の軌道先に送り付け、スコーピオンの三点バーストで確実に弾丸を当てに行く谷本。

 甲龍はある程度食らおうが構う事無く、遂に双天牙月の片方をラファールの左脚に滑り込ませる。

 

ガィィン!

 

 激しい金属音にも怯まず、ラファールは尚も全速後退しながら撃ち続ける。

 

 しかし斬撃と同時に放った甲龍の空気散弾がラファールに降り注ぎ、P90が破損。

 どうにか距離を取った谷本はサブマシンガン2丁を引っ込めると、再びアサルトライフルと重機関銃を高速切替で呼び出し同様に弾幕を張る。

 

 

 そんな撃ち合いを続けて、もうどれ程の時間が経過しただろうか。

 何が何でも接近し、斬る。何が何でも後退し、撃つ。それらしか頭に無い彼女たちは、互いのSEにも互いの弾数にも気付いていない。互いの目に映っているのは迫る甲龍、逃げるラファールだけ。

 

 そして―――

 

カチッ カチッ

 

 先に弾薬が切れたのは、ラファールの重機関銃とアサルトライフルであった。

 

 これで残武装はサブマシンガン1丁と―――

 

ジャゴンッ!!

 

 重機関銃に代わる谷本最後の切り札、IS用ガトリング砲『GAU‐0 アトラクター』であった。

 

 25mmの砲弾が、高速回転する7連砲身から硝煙と共に放たれる。

 

ガァルルルルルルルルルルルルルルルルルルル!!!!!

 

 今迄とは比べ物にならない量の砲弾が、甲龍を突き刺さんと迫る。

 

 

 

 

 

 今正に昭弘が感じている音速の世界。

 完全なるマッドビーストではないからか相手の動きがスローモーションで映る事は無く、目に映る物全てが目まぐるしく変化していった。

 

 それ程まで底上げされているグシオンでも振り払えない5機のビット。しかも、1機落とす毎に機動力が上がっていく。

 

(ッ!そこッ!!)

 

 ミニガンから放たれた無数の閃光の内、1本がビームビットを貫いた。

 結果更に速度を増すビット兵器。そして相も変わらず鳴り止まないミサイルアラートと、ティアーズからの援護射撃。

 グシオンのSEは、もう大分削れてしまっていた。

 

 ミサイルビット自体は、スピードが上がろうと脅威度は然程変わらない。全ては、ビットが射出した小型ミサイルの追尾次第だ。

 逆にもしミサイルビットを先に撃ち墜としてしまえば、残るビームビット2機の速度が更に上がってしまう。

 それもセシリアの狙いなのかもしれない。

 

 しかし、動きこそ速いがビームビットの数は残り2機。リロードの関係もあるのか、弾幕自体は大分薄くなっている。それを把握した昭弘は回避と言う選択を捨て、ビームビットを墜とす事に全神経を集中させた。

 

 

 

 セシリアの予想通り、ビットはグシオンによって次々と撃破されていった。

 しかし、グシオンのSE残量は50%を切っている。射撃兵装に至っては、ビットに残弾の殆どを使ってしまった。

 

(やはりミサイルビットは破壊しない様で)

 

 セシリアは口角を上げる。バイザーで両目が隠れている分、その様はかなり不気味だ。

 

 そして遂に、最後のビームビットが破壊されると…。

 

ダァォゥンッ!!!

 

 まるで重厚な鎖から解き放たれた様に、グシオンは勢い良くスラスターを吹かせる。

 ビームビット(邪魔者)が居なくなったからだろう。グシオンは両手に持った巨大な刃物をギラつかせながら、ティアーズに迫る。

 

 セシリアとしても本当は距離を取って迎え撃ちたい所なのだが、流石のティアーズでも今の状態のグシオンからは逃げられない。余りにも速過ぎる。

 よってグシオンの斬撃を躱し続けるしかない。

 

 その割に、彼女は何処か楽し気であった。

 

 己との実力が拮抗するであろう好敵手。

 その存在は目的に囚われがちな日々における新鮮なスパイスとして、彼女の心を刺激する。

 

 同時にその存在は彼女を酷く不安にもする。

 もし敗北すれば、実力の程を思い知らされるから。そしてそれは目的を更に強大なものにしてしまい、己の心を圧迫する。

 

―――それを支えてくれるのが友人…か

 

 セシリアはIS学園に来て知った。目的だけでは駄目なのだと。

 目的を成す為の近道となり、遠回りにもなる好敵手。それらを見据えて励む自分を見守ってくれる友人。

 今と言う瞬間を生きていく以上、目的を持つ人間にはそれらが必要なのだ。

 

 

 

 ティアーズに追い付いたグシオンは、右手のマチェットを振るうと見せかけて左手のハルバートを突き出す。

 フェイクに騙されたセシリアは避けられないと判断し両腕をクロスさせ、胸部を覆う。斧の先端が腕の装甲を突き、ティアーズのSEが減少。

 

 ティアーズは吹っ飛ばされながらもビームを放ち、何発かがグシオンに命中する。

 そのまま後退しながら乱射し続けるが、グシオンはサブアームで腰部シールドを掲げながら構わず突っ込んで来る。

 

 斬る、防ぐ、斬る、防ぐ。躱す、撃つ、躱す、撃つ。そんな攻防を何度も繰り返す両者。

 高速で且つ何度も入れ違う2機の軌道は、フィールド上に美しい二重螺旋を描いていった。

 

 

 

 

 

 VIP専用の観覧席にて、今日も2人のセレブが身を乗り出しながら試合を観ていた。

 他の紳士淑女らは、そんな彼女たちに冷やかな視線を目一杯送り付けていた。

 しかし2人は周囲に一切の興味が無いのか、まるで気にする素振りを見せない。

 

 もう完全に一夏の事など眼中にないスコールは、今目の前で繰り広げられる戦力と自軍の戦力を比較し分析する。

 

(量産機乗り…ああ言う娘も居るんだ。おまけに専用機とは違って誰にでも扱えるとなると…ウチの戦力ももう少し見直す必要がありそうね)

(それにアルトランドくんとグシオン。反応速度、エイミング、姿勢制御、どれを取っても国家代表レベル)

 

 その昭弘が敵に回る可能性。

 スコールは否定出来なかった。例え短くとも平穏な空間で生きてきた人間は、心をも「平和」と言う名の取り除き難い細菌に侵食されるのだから。

 故に彼女は次の様に焦る。

 

―――もっと「彼」と「彼のMPS」を強くしないと

 

 彼とは恐らく、先の紛争で白いMPSに乗っていた少年だろう。

 

 常にあらゆる可能性を考慮しているスコールは、昭弘と彼が激突する展開をも視野に入れるしかなかった。

 

 

 

 

 

―――――龍砲左肩部、エネルギー残量無し。

 

 頭内に響くアナウンスを聞いて漸く気付いた鈴音。

 

 しかし未だラファールしか見えてないからか、尚も鈴音は胸の昂ぶりをそのままに追い縋る。

 

 同時に、ある疑問が鈴音の中に生まれる。それは相手の目的だ。

 第2世代型の量産機で、何故そこまで食い下がれるのか。彼女をそこまで駆り立てるモノは何なのか。

 

 砲弾の嵐を掻い潜る中、気が付けば鈴音は専用回線を開いていた。

 

「随分な腕前だけど、そうまでして優勝したい理由は何なの?」

 

 谷本は突然の通信に驚くが、冷房でフィールドを満たす様にアッサリと答えた。

 

《大した事でもないけど、織斑くんと付き合えたら良いなって》

 

―――大した事でもない?

 

 谷本のどうでも良さげな言い方は、まるで自身の想い、延いては一夏そのものを馬鹿にされた様に鈴音には感じられた。

 

 鈴音は相手の言葉を心の中で反復した後、熱風の様な怒りに心を煽られる。

 

 

 

 谷本の挑発通り、怒りに任せた鈴音は甲龍のスラスターで大気を熱した。

 

 しかし怒りをそのまま「良い勢い」に昇華してしまう鈴音に対して、挑発は場合によっては逆効果だ。

 

 先の嫌な言い方は、そのまま谷本の本心なのだ。

 

―――大した目的で無くて何が悪い?好きだから強くなって何が悪い?

 

 負けられないのは谷本だって一緒だ。ISが、ISに関わる全てが好きだからだ。

 そして何より、彼女自身が友に言ったのだ。「届かない頂など無い」と。そんな彼女がここで負けては、余りに格好が付かない。

 

 谷本は身体ごとガトリング砲を甲龍に向けたまま、完全に後ろ向きの状態で飛行し始める。その姿勢は安定した照準を生み出し、絶え間ない砲弾は甲龍の接近を許さない。

 しかし極めて連射性の高いガトリング砲は、直ぐに弾切れを起こしてしまう。

 

(そうなる前に削り切る!)

 

 決して近付けさせない。かと言って離れ過ぎては、命中率が悪くなる。

 その事を意識しながら彼女は脚部スラスターと全身のバーニアを微調整し、甲龍との適切な距離を保つ。

 

 鉄塊を絶え間無く噴射するラファールに対し、甲龍は大きく上下に回避軌道を取りながら迫る。

 

 

 

 最適なコースで、ラファールをシールド際まで追い詰めようとする甲龍。

 しかし間隔の短い弾幕は、やはりどうしても何発か命中してしまう。しかも命中したそれらは25mm砲弾。一発一発のダメージは大きい。

 

 それでも鈴音は弱味を見せない。

 

 如何に撃たせ、如何に避けるか。

 鈴音はそんな思惑を、激情と共に甲龍へと乗せる。

 

 

 

 

 

 ビームビットの無い今のティアーズは、マッドビーストを発動しているグシオンの敵ではない。現に近接戦以降、グシオンのSE以上にティアーズのSEは大分削れてしまっていた。

 ミサイルビットも弾切れだ。

 

(だと言うのに何だこの威圧感は。何でそんな楽しそうに笑っていられる)

 

 まだ何か隠している。それは昭弘にも解っていた。

 

 それを抜きにしても、昭弘はセシリアに少なからず恐怖していた。前の世界ですら、滅多な事で恐怖などしなかったと言うのに。

 

―――…またオレはこうして過去を思い出す。何故だ?何故オレは此処の皆と関わっていると、いつもこうなるんだ?

 

 そんな昭弘の動揺に巻き込まれるかの様に、グシオンの動きも段々と精細さを欠いて行った。

 

 

 

 グシオンの僅かな挙動の変化を、セシリアは見逃さなかった。

 

 彼女は今迄通りの軌道を維持し、グシオンの攻撃を待つ。そうしてマチェットとハルバートによる斬撃を真横に回避するティアーズ。

 

 その直ぐ後ろから、隠れていたミサイルビットが姿を現す。

 

カチッ

 

 グシオンがミサイルビットから離れるより先に、セシリアはミサイルビットの自爆スイッチを押していた。

 

ドォォゥン!!!

 

 小規模な爆風が、またもグシオンのSEを奪っていく。

 

 

 

 ミサイルビットも撃ち落としておけば良かったと後悔するより先に、昭弘は兎に角動きながら頭のモヤモヤを掃おうとする。

 しかし、思考の道は霧で見えなくなるばかり

 

 そんな調子の昭弘に付け入る形で、ティアーズは最早後退もせずにビームを乱射しながら突っ込む。

 

 そのまるで後先を考えない戦い方は“今この瞬間”に徹底している様に、昭弘には感じられた。

 

―――…“今”?

 

 その単語を心中で復唱した後、昭弘は漸く気付いた。恐怖、そしてセシリアをライバル視する全ての理由が。

 

―――そうか…オルコットは“過去のオレ”なのか

 

 今を生きる。

 セシリアの過去など知る由も無い昭弘は、彼女を前の世界の自分と重ねてしまっていたのだ。

 

 あの日あの時、今と少しの未来だけ考えていても尚激動の様に過ぎ去って行った日々。それだけで昭弘は、その日々を十分楽しめていた。過去を振り返らずとも。

 それと似た様なモノを、昭弘はセシリアから感じ取っていた。明確な目的を持ち、此処での日々を全力で楽しむ彼女から。

 

 だから怖いのだ、過去の自分と重ねたセシリアに負けるのが。それに負けると言う事が、今迄此処で過ごして来た自分自身を否定する様で。

 

 今の昭弘が過去の昭弘より強いのかなんて解らない。

 それでも昭弘は、今の昭弘で戦うしかない。過去を想わずにはいられない、今の昭弘でだ。

 

 確かに負けるのは怖い。だがそれ以前に―――

 

―――オレは過去のオレに勝ちたい

 

 短くも、此処「IS学園」で過ごしてきた日々。

 その日常は、昭弘の記憶を鮮やかに彩っていた。そして知った。己の価値観とは懸け離れた、新たなる世界を。

 だから勝ちたいのだ、信じたいのだ。鉄華団に勝るとも劣らない、こんなにも素晴らしい仲間が居る今の昭弘の強さを。過去に想いを馳せる事を許してくれた、戦いの楽しさを教えてくれた、この居場所を。

 

 直後、グシオンは再び狂獣を取り戻す。

 

 迫るティアーズに対しグシオンは目にも止まらぬ速さで背後に回り込み、ハルバートを振り下ろす。

 ティアーズは寸での所でそれを躱すが、回避先を読んでいた昭弘はサブアームに呼び出していたミニガンを斉射。命中はしたが、グシオンの残弾はこれで全て空だ。

 

 だが寧ろ好都合。これで迷いなく近接戦に集中出来る。

 

 昭弘はグシオンの両手にハルバートとマチェット、両サブアームに腰部シールドとグシオンハンマーを呼び出し、フル装備でティアーズに突撃する。

 

 

 

 ティアーズは迫るグシオンに向かって、牽制射撃を行う。

 

ガチンッ!

 

 こちらも、マガジンを含めた全ての残弾が費えてしまった。

 

(まだまだッ!)

 

 セシリアは最後のミサイルビットを自身の背後に隠す。機を見て叩き込むつもりだ。

 そんな事お見通しである筈の昭弘だが、勢いを止める事は無かった。

 

 ティアーズはグシオンの動きを一瞬封じる為、敢えて防御態勢を取った。絶対防御が発動しない限り、1発分なら持つと踏んだのだろう。

 

 しかし昭弘もティアーズが動かないと読んでいたのか、ハンマーを大降りに掲げる。

 最大の攻撃力を以て、一気にSEを減らすのだ。

 

ガゴォゥンッ!!!

 

 膨大な衝撃が上から雪崩れ込む。SEが大幅に削られる中、どうにか吹っ飛ばされずに堪えたティアーズ。そして―――

 

チュドォォン!!!

 

 ハンマーの直撃前、グシオンの背後に回しておいたミサイルビットが特攻、爆散。

 その隙に大きく距離を取ったセシリアは、爆炎を見詰めながら唾を飲み込む。

 

 が、グシオンは爆炎から飛び出し、今度こそティアーズを仕留めんと迫る。

 

「チィッ!!!」

 

《オルコットォォォォォッッ!!!》

 

 既に互いのSE残量はギリギリだ。弾丸1発でも掠ればそれで終わる。

 それが解っているセシリアは、後退しながら何かを捻り出す様に強く瞼を閉じる。

 

―――間に合って!!!

 

 数秒後、彼女の右手に護身用のコンバットナイフ『インターセプター』が呼び出される。普段近接武器を一切使用しない分、呼び出すのに時間が掛かってしまった。

 ソレを、迫るグシオンに向かって弾丸の如く投擲する。

 

 しかし、最後の切り札もグシオンの腰部シールドに阻まれてしまった。

 

 これでティアーズは完全に丸裸だ。

 

 セシリアは、青褪めながらも必死に機体を動かす。

 絶対に負けたくない。今迄この瞬間に至るまで、一体どれ程の時間と労力を費やして来たのか他でもないセシリア自身が一番良く知っている。

 だが現実に、もう敗北は目の前まで来ている。よもやシュトラールの様に拳足で立ち向かえる程の格闘技術など、セシリアにある筈もなく。

 

―――また…また負けると言うのですか!?結局また…

 

 己の弱さに落胆するセシリア。同じ相手に負けると言う悔しさが、「また」と言う単語を何度も吐き出させた。

 

 守りたい家が、愛する人が遠のく。

 

 それでも噛み締めるしかなかった。

 

 悔いは無い、持てる全てを出し切った、今はこれが限界なのだ。

 

 

 その時だった。

 

 

 

 

 

 遂にGAU-0の全砲弾が尽きてしまったラファール。

 一方の甲龍は、まだ僅かに右肩衝撃砲のエネルギーが残っていた。

 

 直後、鈴音も谷本も初めて己のSEを確認する。互いにもう5%を切っていると確認した両者は、一気に距離を縮め始める。

 甲龍は双天牙月を振り翳しながら。ラファールはフルオートに切り替えたスコーピオンを構えながら。

 

 弾丸を掻い潜り、刃をやり過ごしていく2機は、狭い空間に似て非なる放物線を描いていく。

 

 しかしそんな近距離で全ての攻撃を躱し切れる筈も無く、終わりは直ぐ訪れる。

 

 両機のSE残量が1%に達した時だった。高速戦闘の最中、偶然にも互いの銃口が向き合う。

 僅かな弾丸、僅かなエネルギーを、目の前の敵にぶつけようとする。

 

 

 刹那の出来事であった。

 

 鈴音の視界の端に、ティアーズとグシオンが入り込んだのだ。丁度、ティアーズがグシオンに対してコンバットナイフを投げた直後だ。

 

 空気砲をラファールに向けたまま、鈴音は一瞬の内に思考する。

 試合も終盤。このタイミングで射撃武装ではなく、ナイフをしかも投げると言う事は…ティアーズの武装はもう…。

 

 瞬間、鈴音はティアーズとグシオンに向けて牙月をブン投げた。

 理由は彼女にも解らない。極めて感覚的なモノだ。

 

 だが、確かな事が1つだけあった。

 それは鈴音が「あの約束」を片時も頭から離さなかったと言う事だ。「セシリアを勝たせる」と言う口約束を。

 

 そして甲龍の手から双天牙月の片方が離れた瞬間互いの弾丸が命中し、アナウンスが響き渡る。

 

《甲龍、及びラファールリヴァイブ。SEエンプティ!!》

 

 互いの動きがピタリと止まる中、巨大な青龍刀だけが回転しながら突き進んで行った。

 

 

 

 

 

 向かってくるソレに対し、セシリアは思考を放棄して無我夢中で手を伸ばす。

 

 「後付武装は他者の使用に制限がかかっている」「だが初期装備なら」「持ち主のSEが尽きたら或いは」。そんな事を考える余裕など、あればとっくに勝利している。

 

 伸ばした手にはまるで牙月の柄が自然と吸い寄せられていく様に、ピタリと収まった。

 

 そして既にマチェットとハルバートを大きく振り上げているグシオンに向けて、振り返り様に一刀を力の限り振り下ろした。

 

 

「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!!!」

 

 

「ウォオ゛ォォォォラ゛ァァァァァァァッッ!!!!!」

 

 

 

ガァギャァァァァァンッ!!!!!

 

 

 

 激しくぶつかる金属同士。

 向かい合ったまま、同じ姿勢で硬直する2機。

 

 先にSEが尽きたのは―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《グシオンリベイク!SEエンプティ!!》

 

《優勝!オルコット・凰ペア!!》

 

 

 

 甲龍から託された牙月の切っ先は、グシオンの鋼鉄のボディに到達していた。

 

 グシオンが放ったマチェットの刃は、セシリアの肩峰直前で静止していた。

 

 

 それがこの試合のごく“一部”であり、“結果(全て)”であった。




次回、試合後における各々の心情を描写します。ある意味ではこっちが本編と思う方も多いのではないでしょうか。
いつになるかは何とも言えませんが、なるべく今月中に投稿しようと思います。




疲れた・・・。
少なくとも、今日はもう何も書きません・・・。


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第31話 勝利の果て(前編)

3位決定戦は、面倒なので描きませんでした(正直者)


 全スタンドの観客各々が異なる湧き上がりを見せる中、セシリアは未だに「信じられない」と牙月を握る右手を見詰める。

 

 SEが切れた事でセーフティがかかり、動きを止める自分以外の3機。

 そんな中セシリアとブルー・ティアーズだけが、喜びよりも少しの混乱を内包させながら周囲を見渡していた。

 

 やがて10秒程時間が経ち動けるようになった3機の内、甲龍が駆け寄る様に飛翔して来る。

 そして嬉しそうに笑いながら右手で拳を作り、それをセシリアの眼前にボンと突き出した。

 

《言ったでしょ?必ず勝たせるって》

 

 そう得意げに言う割には、一目で判る程鈴音の息は荒々しかった。如何に極限状態の中であの青龍刀を投擲したか、鈴音の息使いが全てを物語っていた。

 そんな彼女を見たセシリアは、漸く自分たちが優勝したと言う事実に到達する。

 

「ええ、勿論信じておりましたわ。…ありがとう鈴」

 

 青黒いバイザーを外したセシリアはお返しの様に満面の笑みを浮かべ、同じ様に右拳を突き出す。

 右拳と右拳がコツンと軽く衝突した直後、観客スタンドは更なる歓声を辺り気にせず上げた。

 

 

 しかし歓喜に浸るセシリアの心には、少なからず翳りが見え隠れしていた。

 

 全力で飛び本気で狙い、最善を尽くした上での勝利だと言うのに、何故かセシリアは勝った気がしなかったのだ。

 

 

 

 谷本は俯く事しか出来なかった。

 

 大会が始まって以来、初めて経験する敗北。その事実は後悔となって、彼女の心をきつく締め上げる。

 

《…ピットに戻るぞ。先ずは身体を休めろ》

 

「…」

 

 不思議な程淡々とした昭弘に、谷本はトボトボと続くしか無かった。

 

 

 ピットに戻り、ラファールから普段よりも重い身体を下ろした谷本。

 そのまま彼女は暫く棒立ちした後、先程まで自身が纏っていた深緑色の甲冑を優しく撫でる。数ある量産機の内の一つでしかないそれを、彼女は慈しむ様に見詰めていた。

 

 ふと気が付けば、ラファールに添えていた優しい平手は硬い握り拳へと変わっており、それに同調するかの様に彼女は奥歯を食い縛りながら「涙」を垂らし始める。

 

―――あんなに頑張ったのに、こんなに好きなのに、どうして

 

「本当に…ゴメン…」

 

 涙ながらの謝罪は、一体誰に対してのものなのか。

 昭弘(パートナー)相川(ライバル)たちか愛機(ラファール)か、それともそれら全てに対してか。

 

 留まる事を知らない、彼女の涙。

 

 昭弘はその光景を、何も言わずに見る事しか出来なかった。

 彼もマスクの中で小さく泣いていた。己の声が漏れぬ様、外部への音量をシャットアウトしながら。

 

 過去の己と重ねるまでに、強くライバル視していたセシリア。彼女に負けた事への悔しさは、やがて今の自分の否定へと矛先が向きそうになる。

 そんな負の感情を押し流す様に、昭弘はマスクの中で涙の水滴を4つ5つ垂らす。

 

 今の昭弘が、谷本にとやかく言える筈が無かった。

 

 

 

 ある程度落ち着いた頃合いを見計らって、箒とラウラが昭弘たちの下に赴く。

 既にグシオンの全エネルギーが尽き掛けていた昭弘は、泣き顔を見られたくないので隅っこでコソコソとグシオンを解除する。

 

 「凄まじい戦いだった」「最後は惜しかった」等々在り来たりな感想を出し合う中、箒が本題を切り出そうとする。

 

「昭弘、あのだな…」

 

「分かってる。表彰式が終わったら一夏の様子を見に行こう」

 

 箒の台詞を先読みしていた昭弘。

 未だ敗北への無念はささくれの如く残っているが、過ぎた事より一夏が優先だ。

 

 駄目元で一応ラウラも誘ってみるが…。

 

「遠慮しておく。奴と顔を合わせたくないと言うのもあるが…少々やる事もあるしな」

 

「分かった、谷本は?」

 

 一夏の御見舞いに行くか行かないかと言う簡単な選択なのだが、谷本は悩む素振りを見せる。

 一体「何に」対して悩んでいるのか昭弘たちが疑問に思っていると、谷本は漸く答える。

 

「私、表彰式が終わってもピットに残ります。整備科の先輩方にもお礼をしたいしそれに…」

「合間を見て、ISの事色々と教えて貰おうと思うんです」

 

 3人共感心が過ぎて目を見開く。

 

 既に1年生の全試合は終了した。谷本自身も決勝で敗れたばかりで、悔しさから脱していないだろうに。

 だのにもう、谷本は先を見据えて自ら動こうとしているのだ。

 

 そんな彼女の「IS熱」によってか、同じく敗北した3人も胸が熱くなるのを確かに感じた。

 負けたのなら、猶更落ち込んでる場合ではない。次勝つべく、行動あるのみだ。

 

 

 

 それは外の空気を吸いに、昭弘と箒がピットから出た直後の出来事であった。

 

「やぁ」

 

 一度見たら忘れられない、麗しきアッシュブロンドの髪。相も変わらず露出度の高い上半身。

 まるで昭弘がピットから出て来るのを見計らってたかの様に、その髪の持ち主は壁にもたれ掛かっていた。美しい人間は、どんな場所どんな体勢でも様になる。

 

「…どうも、ローエンさん」

 

 先日の事もあってか、ロイに対して僅かに身を引きながら挨拶する昭弘。

 箒は相も変わらずロイに対して激しい眼光を飛ばしているが、箒を単なる置物とみなす様にロイは昭弘へ語り掛ける。

 

「今時のMPSが一体どこまで進化しているのか、君の戦いを見ていると考えさせられるものがあるな。アタシとしては、試合結果が不服でしょうがない」

 

 心底腹立たしそうな反応を見せるロイだが、昭弘はあくまで静かに返す。

 

「結果は結果です」

 

「…フッ、アタシよりずっと大人なんだな。それとも…」

 

 そう言うと、ロイは冷えきった瞳を箒に向けた。

 

「周りが餓鬼過ぎるから、そんな心持ちになるのかな?」

 

 明らかなる自身への口撃を受けて、箒は眼光を更に強める。それでも口を堅く閉ざしている分、良く耐えている方であろう。

 

 何も言わない箒を見てロイは詰まらなそうに溜め息を吐くと、再度昭弘を見やる。

 

「アルトランドくん。「時」が来たら、アタシたちは君を迎え入れようと思っている。君の“本質”が活きる「本当の居場所」にね」

 

―――本質?本当の居場所?

 

 当然、昭弘はロイが言っている事にまるで見当が付かない。感じるのは、自分の事を何でも知っているかの口振りなロイに対する、底知れぬ気味悪さだった。

 

 表情を歪める昭弘を見て、ロイは物寂しげな顔を見せながら近付こうとするが―――

 

「近寄るなッ!」

 

 人気の無い空間で、箒の怒声が響く。大会初日と似た様な光景が、その空間に再現されていた。

 だがロイは変わらず、哀しそうな目で昭弘を視界の中心に捉えていた。

 

 すると何処からか声を拾ったリィアが、ロイの後方からゆらりと現れる。

 

「らしくもないわねロイ」

 

 トラブルはゴメンであると、呆れ果てる妹。

 流石に潮時と見たロイは、去り際に一言だけ添えて行った。

 

「いずれ君は知るさ。「此処は自分の居場所じゃない」とね」

 

 歩を進めながら、ロイは何時までも寂しげな眼差しを昭弘に向け続けた。

 

 対してリィアは、踵を返す一時だけ昭弘に警戒の籠った視線を送った。

 

 

 

 2人が去った後、箒は先程までの剣幕を一気に崩し、不安気に昭弘を見上げる。

 強がりながらも、やはりロイの放った言葉が気懸りな様だ。

 

「…大丈夫だ箒。オレはIS学園(此処)で良いし、IS学園(此処)が良い。これからもずっとな」

 

 此処で得た楽しみ、苦しみ、そして悔しさ。もう決して心から消え去る事のないそれらは、昭弘にとって戦場に代わる日々の糧となっていた。

 

「…私もだ」

 

 昭弘の言葉によって不安を洗い流された箒は、そう力強く頷いた。

 

 

 

 そうして多少の時間が過ぎ3位入賞ペア×2、準優勝ペア、優勝ペアの表彰式が恙無く行われた。

 

 そこで優勝ペアは、例年通りお望みの景品が何なのかリクエストを受けたのだが―――

 

 

 

 

 

 男は白衣に身を包んでいた。

 

 細身で長身。髪は縮れ毛の様にボサついており、顎髭の処理も適当と言わざるを得ない。更には、センスの悪い銀縁メガネを掛けていた。

 周囲から「所長」と呼ばれているその男は、大勢の研究員らしき男たちに混ざって研究所内を行ったり来たりしていた。

 

ピリリリリリリ ピリリリリリリ 

 

 仕事用の黒い携帯電話が突如鳴り響いたので、所長は画面もろくに確認せず気だるげに応答する。

 

「ハイ、此方◯◯◯◯研究所ですが」

 

《久しぶりだな下衆野郎》

 

 その少女の様な声だけで、所長は相手の名前を言い当てる。

 

「ボーデヴィッヒくんじゃあないか。いきなり「下衆野郎」とは穏やかじゃないね」

 

《しらばっくれるな『VTシステム』を内蔵させた張本人が。それなりの権限がある奴の中で尚且つレーゲンとVTシステム双方の開発に精通しているのは、研究所では貴様だけだ》

 

 早速問い詰めに掛かる若き軍人に対し、所長は尚も気だるげに返す。

 

「仕方がないさ、仕事なんだもの」

 

 誰からの指示なのか自身の独断なのかまでは言わず、所長は更に続ける。

 

「それよりデータありがとね、拝見させて貰ったよ。…他には?」

 

《…》

 

 少しの沈黙を破って、ラウラは返答する。特に怒り狂った様子も無く、あくまで事務的に。

 

《別に、今後の仕事仲間に「挨拶」をしたまでだ》

 

「仕事仲間…って事は()()()()()が出たんだね」

 

 一夏と白式のデータ収集は、どちらかと言うと「表の任務」と言った意味合いが強かったのだ。そんな任務の内に隠された「真の任務」こそ、VTシステムの完全制御。

 悪い言い方をすれば、ラウラは良いように踊らされていたのだ。

 

 そしてつい先程下った正式な指令こそ、『シュバルツェア・シュトラール』の戦闘データ収集と言う訳だ。様々なISが集うIS学園なら、確かにデータ収集には打って付けかもしれないが。

 そしてそのデータを、今後も所長が直接貰い受けると言う訳だ。

 

「ま、お互い良い事尽くしじゃないの。君は戦闘データ収集と言う名目で、シュトラールの調整や強化が出来る訳だし。「休暇を貰えた」と思えばいいんじゃない?レーゲンとVTシステムの開発者である僕も、確実に表彰もんだし」

 

 他人事の様に、所長は軽口を叩く。結果次第では惨劇も十分有り得たと言うのに。

 そんな何処か倫理観のぶっ飛んだ男に、ラウラは再度訊ねる。

 

《最初から解っていたのか?こうなる事が…。抑、何故態々IS学園で実験を?》

 

「まぁ成功確率は、君が一番高いと思っていたね。軍部にそう助言したのも僕だし」

「だって『織斑千冬』だよ?常人なら望んで受け入れちゃうって」

 

 VTシステムの完全起動を果たすには、ISコアが強く求める「織斑千冬像」を拒絶する必要があるのだ。そうする事で己の意思表示を明確にしなければ、ISコアの要求に応じる傀儡になり果てるのみ。

 確かに女性の憧れでもあり「力」の象徴でもある織斑千冬は、誰しもが望む姿なのだろう。それを拒絶出来る程強い“なりたい自分像”こそがVTシステムの完全制御、延いては自分とISの進化に繋がるのだ。

 

「どれだけ除け者にされようと挫折しようと這い上がる。常人を遥かに凌駕した君のメンタルこそが、君が選ばれた最大の理由だ」

 

 科学者らしからぬ考え方だが、理論や数字だけではISに通用しないのも事実だ。決して数値化出来ない感情も又、重要なファクターを占めている。

 

「IS学園に君を入れたのも、君の中にある織斑千冬像を崩壊させる為さ」

 

 違う人生を歩んでいる千冬のもう一つの顔を見せる事で、ラウラの中にある千冬のイメージを変えたかったのだろう。

 何れにせよそれでも成功確率が高い様にはどうしても思えなかったラウラは、その辺りの事も一応訊いておく。

 

《もし私が失敗していたら?》

 

「夜逃げでもしてたかね。責任取りたくないし」

 

《貴様…!》

 

 言葉の真偽は兎も角、ラウラはこの男の「こう言う所」が嫌いな様だ。無責任、無感情、適当。この男にはそれらの言葉が良く似合う。

 

「そろそろ失礼するよ?僕も暇じゃないんでね。あと一応言っとくけど、一度こっちにシュトラール戻してね。拡張領域のロック、解除してあげるよ。そんじゃ健闘を祈るね~」

 

 その言葉を最後に、所長は通話を一方的に切る。

 

 今後ドイツのIS事情は確実に変わっていく。それだけ、今回の功績は大きい。

 アラスカ条約に定められている特例措置により、暫くの間ドイツに限ってはVTシステムの私用・開発・研究が認められるようになるだろう。

 当然細かな制約はかかるのだろうが、それでもこのアドバンテージは大きい。

 

 だからあながち、所長が暇でないと言うのも嘘ではない。

 ラウラが成し遂げたVTシステム完全起動と言う眉唾物のデータ。そのデータを基とした更なるシステムの向上、開発に着手せねばならないのだ。

 上手く進めば最終的にはVTシステムによる全ISの二次移行が可能となり、更には『織斑千冬(ブリュンヒルデ)』を完全制御下でトレースする事が出来るようになるかもしれない。

 

 

 世界を巻き込む大戦に、間に合えばの話だが。

 

 

(そう言えば彼、IS学園で何かあったのかな?少し大人びた様な気がするけど…まぁどうでも良いか)

 

 手に持つ端末を弄りながら、所長は一瞬だけそんな事を考えた後直ぐに忘れる。

 どの道、所長が知る必要はない事なのかもしれない。

 

 何が誰が切っ掛けだろうと、結局制御に成功したのはラウラ自身なのだから。

 

 

 

 

 

 話は再びIS学園へ。

 

 一年生の表彰式も終わり、多くの生徒たちは全アリーナの清掃を自主的に手伝っていた。

 

 その一人である相川は、ゴミ拾い用のトングを片手に他愛の無い話を繰り出す。

 

「終わっちゃったねー」

 

 鏡も「そーだねー」と溜め息混じりに返す。彼女たちの一言には、目的を達成出来なかった事への無念が色濃く残っていた。

 

 そんな中本音はゴミの溜まった袋を持ったまま、僅かに青空の覗く空を見上げていた。

 

「本音!雲数えてないで手を動かす!」

 

 鏡がそう注意すると、本音はゴミ袋を縛ってゲートへと駆けて行く。

 

「ゴメ~ン用事思い出しちゃった~。これだけ捨てて行くよ~~」

 

 そう言い、本音は新しいゴミ袋を鏡たちに渡す。

 

「行っちゃったよ…清香?」

 

 相川はそんな様子の本音を見た後、改めて左手に持っているトングを見詰める。

 

 こんな事をしている場合なのか。

 彼女はそう言いたげに視線をトングから逸らすと、鏡に向き直る。

 

「ゴメンナギっち、私も急用。直ぐ戻るから!多分!」

 

 そうしてトングを渡された鏡は、当惑を顔と身体全面に醸し出しながら「えー」とだけ発音した。

 

 

 

 1年生の表彰式が終わったのち、職員会議までの小休止中である千冬は管制塔からフィールドを見下ろしていた。ただ何となく、されど意味有り気に。

 

コンコンコン

 

 感覚が常人よりも遥かに鋭敏な彼女は、背後の扉奥に相川が佇んでいる事など知っていた。今は一人で居たかった彼女だが、ノック音を聞いては流石に此方から開けるしかない。

 

「し、失礼しますぅ織斑先生ぃ」

 

 少々萎縮気味の相川を見て、千冬は無言ながらも入る様促す。

 

 

「それで?」

 

 相川用に緑茶を淹れながら、千冬は一応訊ねる。

 

 相川はありがたく頂戴した後、静かに答え始める。

 

「その、何だか急に織斑先生に会いたくなっちゃって。鬱陶しかったら今すぐにでも出て行きますので!」

 

 先にそう言われると、却って断り辛いのが人間の心情と言うもの。

 

「好きにすればいい。私もフィールドを眺めてただけだ」

 

「…どうしてフィールドを?」

 

 相川の問いを受けた千冬は、控えめに且つとても楽し気に笑った。子供の無邪気さを隠す様に。

 

「…思い出していたんだ。5日間の戦いをな」

「どの戦いも凄まじかった。昔の私を思い出したよ。中でも一番心が躍ったのは、やはり決勝戦だな」

 

 しかし、楽し気に語る千冬に対し相川は少し意気消沈気味だ。一番心の躍った戦いが自分の試合でなかった事に、予想通りとは言えやはりショックを覚えた様だ。

 

 決勝戦で思い出したのか、千冬は相川に奇妙な質問をする。

 

「なぁ相川よ。お前はアルトランドとオルコット、どっちが「勝った」と思う?」

 

 質問の意図が相川は解らなかった。当たり前の結果を答える前に、千冬の意図を必死に考える相川。

 しかしどんなに頭を巡らしても答えは変わらず、「オルコットさんの勝ち」と言うしかなかった。

 

「…だろうな。いや、お前が正しいよ。ただ実際に戦った当人たちは、どう感じているのかと思ってな」

 

 千冬がそこまで言っても、やはり相川は解らなかった。

 それは当然の事だ。相川の様な策で戦うタイプの人間にとっては、基本的にルールと結果が全て。そして千冬が言う様に、それは正しい事だ。

 

 千冬の想いが読めない事に、相川はどうしても疎外感を覚えてしまう。

 毎日顔を合わせてるのに毎日授業を受けているのに、自分は彼女の事を何も知らないのだなと、相川は改めて痛感した。

 

 だからか、彼女は話の流れを敢えてブッタ切る事にした。

 

「あのっ、織斑先生はどう思いましたか!?私の試合!」

 

 自分が千冬にどう映っているのか。それを知りたいが為の一言であった。

 

「良くも悪くも「ブッ飛んだ試合」だったな。フィールドを黒煙で覆い尽くすわUGBを躊躇無く落とすわ。私も毎年色んな試合を観てるが、UGBを戦術に組み込む生徒は初めてだ。フィールドの整備は大変だったそうだぞ?」

「それとお前の武器だが、AA-12とは渋いチョイスだ。アレが中々曲者でな、威力こそ高くはないが広範囲に散弾を連射出来る分、武器の破壊には打って付けなんだ。更には―――」

 

 意地の悪そうな笑みを浮かべながら、今度は子供の無邪気さを隠そうともせずに自身の正直な感想を長々と述べる千冬。一人で居たそうにしていた彼女は最早影も形も無い。

 

 しかしその「笑み」から千冬がどういう人間なのか、少しだけ解った様な気がした相川だった。

 

―――もっと貴女が知りたい

 

 そんな事を考えている相川など構わず、千冬は尚も楽し気にバトルの感想を言い連ねた。

 

 

 

「「ハァ」」

 

 似た様に間の抜けた溜め息を漏らす、セシリアと鈴音。

 原因はやはり優勝者への「景品」にあるのだろう。

 

織斑一夏と付き合える

 

 そんな根も葉もない噂に耳を傾けていた自分自身を、2人は強く殴りつけてやりたい気分なのだ。

 

「アタシ一体何の為に…」

 

 溜め息交じりにぼやく鈴音。それだけが優勝する目的ではないのだろうが、トホホと肩を落とす気持ちも解らなくもない。

 

「…それでも、私たちが優勝したと言う事実に変わりはありませんわ。気持ちを切り替えましょう」

 

 彼女たちが今大会の勝利者なのだ。だのに胸を張らないでいては、負けて行った者たちに失礼極まりない。

 

 それに、まだやるべき事は残っている。それは「当の本人」に自分たちの優勝を伝える事だ。

 それで一夏がどんな反応を示すか、セシリアと鈴音は楽しみでしょうがないのだ。

 現に彼女たちは、今正に一夏の待つ保健室へと向かっていた。

 

 

 それは、丁度出店通りの終盤地点付近であった。

 

 

 彼女たちと同じ方角に向かおうとしていた、大柄な青年と不愛想な少女に、偶然にも鉢合わせてしまった。

 

 

 

 

 

後編へ続く




次回予告:昭弘とセシリアが思い描く「勝利」とは・・・?そして、勝ち続けたセシリアを待ち受けていたモノとは・・・?

アレですよね、勝ったとしても納得できない事ってありますよね。まともな勝利を殆ど味わった事のない私が言うのもなんですが。
ラウラの一件は、この回を以て完全に片付けたつもりです。理系方面は全くの無知なので、何か「ふんわり」とした感じになってしまったかもですが。


次回でタッグトーナメント編は最終回です。
昭弘、セシリア、一夏がメインになる予定です。

シャルも必ず出します。折角の最終回ですし。

新編では当初の予定通り、一夏、シャルに焦点を当てていきたいと思っております。


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第31話 勝利の果て(後編)

 少年は姉に憧れていた。
 世界で最も強く、世界で最も崇高で、世界の英雄を務めるそんな姉に。

 少年は青年に依存していた。
 大きくて、厳しくも優しくて、自分の弱さを受け入れてくれるそんな青年に。

 自分こそが姉に最も近しい存在だ。
 何時までも青年は自分を見てくれている。

 それらは少年にとって当たり前の事となっており、今後も決して崩れることはないと考えていた。


 既に、そんな少年にとって「自分の意思」など二の次三の次となっていた。
 「姉の勇姿」と「青年の目」。それが少年の全てとなりつつあった。


 時間が経過する度一人、二人と大通りを通過した人の数は増していく。

 そんな中昭弘たち4人だけが、時間の流れに逆らうかの様にその場で静止していた。昭弘とセシリアが、箒と鈴音が、気不味そうに互いの視線を送っている。

 

 重苦しい空気を最初に切り裂いたのは、セシリアであった。

 

「丁度良いですわ。アルトランド、御話が」

 

 あのセシリアから昭弘への申し出。それは水と油が馴染み犬と猿が相容れるのと同じ、中々にあり得そうにない出来事であった。

 

 

 

 出店通りの比較的人混みの少ない場所を見つけたセシリアは、そこに孤立している八角テーブルを囲う椅子に座す。

 昭弘もそこの椅子に重い腰を掛ける。

 

 余り良い予感がしないのか、昭弘は「で?」と不機嫌そうに話を促す。

 

 対し、セシリアは軽く息を吐くとゆっくり話を切り出す。

 

「……私はお前に「勝った」のでしょうか?」

 

「…あ?」

 

 その抽象的な質問に対し、昭弘は感じの悪い聞き返しをしてしまう。

 よもや表彰式まで終えた当の本人が、今だ勝利を実感してない筈があるまいに。負けた昭弘からすれば、たちの悪い嫌味にすら聞こえる。

 最早深く考える事すら馬鹿馬鹿しいのか、昭弘はありのままの事実を意趣返しのつもりで懇切丁寧に答える。

 

「…SEが先に切れた方が敗者、残っていた方が勝者、試合に於ける絶対のルールだ。あの時オレも谷本も、SE切れで身動きが取れなかった。だがお前はそうではなかった。機械もオレたちの試合を観ていた人間も、お前たち2人が勝者だと判断した。それだけの事だ」

 

 昭弘の「お前たち2人」という言葉に反応したセシリアは、虚しげに自嘲し始める。

 

「そう、私はあの時負けていたのですわ。 もし1人だったなら、鈴が居なかったなら」

 

 鈴音が投げた牙月を手にしていなければ、確実に負けていたあの一瞬。セシリアは、その「有り得たもう一つの結果」がどうしても頭から離れない。

 

 それでも尚、昭弘はあくまで淡々と答える。

 

「何が「もし」だ。大事なのはその状況でどう結果を残したかだろうが」

 

 多対多による攻防が繰り広げられる空間において、戦況は刻一刻と変化する。

 そんな状況で、セシリアはタッグマッチと言う状況を最大限に利用した。昭弘にはそれが出来なかった。要はそれだけの話であった。

 

「…しかしそれでも私は───」

 

バンッ!!

 

 何度言っても納得しないセシリアに、昭弘も苛立ちを表面化させる。巨漢の平手で叩かれたテーブルは、軋みを上げながら波打つ様にグラつく。

 

「しつこいぞ。いい加減「結果」を受け入れろ」

 

 しかしセシリアは揺らぐ所かより一層反発する様に、険しい眼光で昭弘を見据える。

 

「それでも私は負けましたわ。勝ったのは「私と鈴音」ですわ」

 

 良くも悪くもプライドの塊であるセシリアが望むのは、自分自身を含めた全てが納得の行く完全勝利だ。相手が彼女最大の好敵手である昭弘なら、尚の事その想いは強くなる。

 

 昭弘は理解に苦しんだ。

 勝利は勝利敗北は敗北、それ以外に何があるのかと。その思想は前の世界において、脳細胞に二度と消えぬ程深く刻み込まれている。

 昭弘だって負けたのは悔しい。だが試合である以上、勝敗を決めるのは自分達以外の第三者だ。

 

 

 相容れぬ両者の間で幾分か沈黙が続いたが、先に抜け出したのはセシリアだった。

 

「先程から「結果が全てだ」とでも言いたげな口ぶりですが、では決勝戦に至るまでの「過程」に何も思う所はないと…そうお考えで?」

 

「…」

 

 「そうだ」と昭弘は言えなかった。何故ならそれは、昭弘と谷本のこれまでを否定する事に繋がるからだ。「結果が全て」とはっきり言えなかったのも、それに起因する。

 過程を無視出来ないその思考回路は、セシリアのソレと何ら変わりのない事に流石の昭弘も気付いてしまった。

 

 しかし、昭弘は負けじと訊き返す。

 

「お前こそ「2人で掴み取った勝利」と言う解釈は出来ないのか?だとしたら、それこそ鈴音に対してどの面を下げるつもりだ?」

 

「それは…」

 

 セシリアも又、その問い掛けに口籠ってしまう。

 鈴音が牙月を投げ渡した事への「嬉しさ・安堵・感謝」も又、紛れの無い本物であった。それにより勝利を手にした事への感激も、心に根強く残っている。

 

 問い掛けるだけで返答をしない問不答を繰り返す両者。

 

 ただ、2人は今更になって解った事があった。それはタッグマッチの本質だ。

 2対2で進行する以上、一騎討ちなど簡単に望める事ではない。それに気付けなかった最たる例が、正に決勝戦であったのだ。

 

 無我夢中でやり合う昭弘とセシリア。

 その結果があの勝敗だが、大会を迎えるまでの研鑽からパートナーと共にあった彼等は、どの道似たような結末を迎えていたのかもしれない。その時まで相方と培ってきた過程からは、逃れられないのだから。

 その過程が有る以上、完全なる独力での決着なんて望める筈も無い。

 

 それでも昭弘とセシリアが猛者たちを退け、決勝戦まで勝ち進めたのも偏にパートナーのお陰だ。

 決勝戦においても互いが互いの勝負に挑めたのは、パートナーを第一に考える谷本と鈴音の立ち回りあってこそ。

 

 誰が勝者・敗者だとか、結果やら過程やら、そう言う問題ではないのだ。

 敵を抑え、仲間を助け、そして仲間に助けられる。それらの我を貫き通し、何の疑問も抱かない心根こそが肝心なのだ。正に鈴音の様な。

 

「…勝ったと思えば「勝ち」、負けたと思えば「負け」か」

 

 昭弘の簡単な結論は、セシリアの脳内で何度も反響していった。

 

 

 

 少し離れた所でベンチに座りながら、両者を見守る箒と鈴音。

 

 やはりと言うか、お互い話し掛け辛い様だ。テーブルの2人と同様、彼女たちも時間の経過や試合と言った切っ掛けで仲良くなれるタイプではないらしい。

 

 しかし何時までも沈黙に耐えられる鈴音ではないので、渋りながらも箒に話し掛ける。

 

「まぁ「一夏の豹変(あんなこと)」もあったけど、会えば何とかなるわよきっと」

 

 鈴音の発言は、恋敵に塩を送るが如き行為かもしれない。それでも折角箒が持っている「2つの最愛」。些細な事で、その片方を曇らせたくないと言う気持ちの方が強かった。

 

 そんな鈴音に対し箒は「ありがとう」と言おうとしたが、やっぱりやめた。恋敵に対してそこまで素直になれる程、箒は子供でもないし大人でもない。

 

 

 程無くして昭弘とセシリアが戻って来たので、4人は保健室への移動を再開した。

 

 

 

 

 

 上下黄色で統一させた悪趣味なスーツを身に纏った男は、金髪の美少年と歩を進めながら話し込んでいた。

 男は、周囲からの突き刺さる様な視線にまるで気にする素振りを見せない。寧ろ自分への忌避の眼差しを、感賞の眼差しと勘違いしている節すらある。

 

 そんな男を遠目に見ていた箒たちも、口々に毒づく。

 

「あの男、恥ずかしくないのだろうか?」 「痛々しいわね…と言うか本当に目が痛いんだけど」 「親の御尊顔を拝みたいものですわね」

 

 そんな中、昭弘は少しずつ後ずさる。デリーに見つからない様ゆっくりと。

 しかしその巨体をか細い少女たちの身体で隠せる筈もなく、昭弘を視界の端に捉えたデリーは相変わらずのハイテンションで駆け寄る。

 

「うぉっとぉ↑!!何処行ってたんですか昭弘スァン↑!」

 

 箒たちから驚愕の視線を向けられる昭弘。彼はつい片手で両目を覆ってしまった。

 デリーの来訪は昭弘も想定していたが、この「変態と知り合いであると友人から知られる」展開だけは避けたかった。

 

 

 仕方なく、やむを得ず、出来ればやりたくなかったがデリーを紹介する昭弘。

 箒、鈴音、セシリアも夫々引き攣った笑顔を向けながらデリーに挨拶する。美少女が一気に3人も増えたからか、デリーは余計にテンションを上げる。そのテンションだけは黄色のスーツと見事にマッチしていた。

 

 

「にしても意外だな。まさかデュノアがコイツと知り合いだったとは」

 

「ついさっき知り会ったんだ。アルトランドくんの上司さんなんだね」

 

 「不本意ながらな」と昭弘は切実に返す。

 話によると、シャルルと共に表彰式を観終えた後デリーは挨拶すべく昭弘を探し回るが、当然スタンド席の人混みではそう簡単に見つからない。

 そこで「保健室のある校舎に向かえば」と言うシャルルの予想に従った結果、現在に至るそうな。

 

 

 その後「打ち合わせがあるから」とデリーは挨拶も早々に彼等の下を去って行ったので、昭弘たちはシャルルも連れて保健室へと再び足を運ぶ。

 

 

 シャルルの事を信用していない昭弘は、彼女がデリーとどんな会話をしていたのか気懸りだったので、道すがらの話のタネとして訊ねる事にした。

 

「…ゴメン、個人的な話だし…。それに、正直僕もレーンさんが言ってる事余り理解出来なかったから…」

 

 大方下らない思想でも吹き込もうとしたんだろうと、困惑するシャルルを見た昭弘は普段のデリーを連想し、そう予想を立てた。

 

 

 しかしシャルルの心の片隅には、デリーの新鮮な言葉がしっかりとこびり付いていた。

 

 シャルルがその「言葉の真意」を理解するのは、もう少し先の話になる。

 

 

 その後一夏の容態を訊ねてくる一同に対し、シャルルは落ち着いていると返した。

 そうである確証はないが、意識の回復からもう大分時間も経っている。そう判断するのが妥当だ。

 

 

 

 そうしてとうとう保健室へと辿り着いた一行。

 

 シャルルの言葉を信じきっているセシリアと鈴音は、「自分たちの優勝」を聞いた一夏の反応に期待を膨らませていた。

 昭弘と箒はやはり言葉が見つからないのか、セシリアたちとは対照的な雰囲気を纏っている。

 唯一落ち着いているシャルルが、先陣を切ってカーテン越しの一夏に声を掛ける。

 

 

 

 トーナメントの終わりまで、一夏はそのまま安静にしていた。

 しかし、心は全く休まった気がしなかった。不安感が睡眠を妨げ、視界に入る真っ白な天井は一夏の体感時間を大幅に引き延ばしていた。

 そんな状況が続いた一夏は、自然と「昭弘の目」を欲する様になっていた。愛想を尽かされていると思い込みながらも、やはり昭弘の顔を拝みたいらしい。

 

 昭弘や皆と会えば少しは心も落ち着くだろうと、一夏はそう思っていた。

 

「一夏。皆が来たからカーテン開けるよ?」

 

「…ああ」

 

 シャルルの聞き慣れた声を聞いた一夏は、生返事と共に意識を切り替えた。

 

 

 

 純白の間仕切りが開かれた先には、無表情で俯いた一夏の姿があった。

 

 ワンテンポ遅れて先ずシャルル、セシリア、鈴音を視認した一夏はぎこちない笑顔を浮かべてか細い声を発する。

 

「よぉみんな、ありがとな態々。もう大丈───」

 

 そう言いかけた一夏は視界が昭弘を捉えた途端、まるで心臓が凍った様に全身が硬直してしまう。

 

───アレ?可笑しいな。折角昭弘と会えたのに。…怖い…寒い…どうしてだ?

 

 昭弘の視線は普段と変わらない。一夏を心配する眼差しだ。

 

 拒絶しているのは、一夏の方だった。

 あんなにも欲していた、昭弘の視線。しかしその視線に映る「今の一夏」は、一夏自身が一番良く知っている。

 その事実が、一夏は耐えられないのだ。今の無様な自分を見られるのが。そしてそれを見た昭弘がどう思っているのか、考えるだけで胃が圧迫される。

 

「気分は如何程で?本当に大事ありませんこと?」

 

 セシリアのそんな言葉ですら脳が理解を拒む程に、視界が波打つ。

 込み上げて来る吐き気を懸命に堪える一夏。しかし全ての言葉は劇物となって、彼の脳を揺さぶる。

 

 そんな一夏の変貌も、端から見ればごく微細なもの。気付けたのは、一夏の弱い一面を知っている昭弘だけであった。

 嫌な予感がした昭弘は面会を切り上げようとするが、一足遅かった。

 

「聞いて驚かないでよ?一夏。「優勝」は何とアタシたち!」

 

「…」

 

 そう思い切り良く告げた鈴音であったが、一夏からは何の反応も返って来ない。

 

「ちょ、ちょっと一夏大丈夫?聞いてる?」

 

「やはりまだ気分が優れませんか?だとしたら、ご無理はなさらないで下さいまし」

 

 尚も黙り続ける一夏。

 そして漸く口を開くが、その言葉はセシリアと鈴音が期待していたモノとはまるで別のモノだった。

 

「……なぁ」

 

 低く曇った声で、一夏は投げやり気味にそう始める。

 

「「当て付け」のつもりなのか?トーナメントで醜態を晒した、オレへの」

 

 再び視線を自身の膝元に落としながら、突然そんな事を言い出す一夏。

 余りに予想と違う反応にセシリアと鈴音は酷く困惑するが、直ぐに意識を切り替えて否定する。

 

「い、いきなり何よ!んな訳ないでしょーが!」

 

「私たちはただ…」

 

 それ以上先を言えば、それは「告白」に近しい。今の彼女たちに、この場でそんな事が出来る程の勇気は無かった。

 

「ただ何だよ?…嗤いに来たんだろ?無様なオレを」

 

 それは昭弘に向けた言葉でもあった。

 その事に気付いた昭弘は、彼女たちと一夏の間に入る。罵声を一身に引き受けるかの様に。

 

「…一夏。見舞いに来た人間に対して、勝手な思い込みをぶつけるのは止めろ。お前も相手も苦しむだけだ」

 

 それを聞いた一夏は、昭弘を下からカチ上げる様に睨みつける。その瞳には憎しみと恐怖が複雑に混在している様に、昭弘には思えた。

 

「一番苦しいのは…オレだよ!」

 

 その後、息苦しい程の沈黙が彼等の居る空間を覆い尽くした。

 余りに予想外の展開に対し、シャルルは嫌な汗をかいてしまう。

 先程から押し黙っている箒は、今迄見た事のない幼馴染の変貌ぶりに目を見開いて絶句していた。

 

「…もう出てってくれ」

 

 漸く沈黙を破ったのも、一夏のそんな冷たい言葉であった。

 

 5人は暫くの間、一夏を見詰めたまま黙りこくる。

 その後セシリアは一夏に一礼し、悲し気な表情のまま退室して行く。

 鈴音も、沈痛な面持のままその場を去って行く。

 そんな2人にシャルルも続いた。

 

 昭弘と箒は、あの時箒と一夏が気絶したままの昭弘に寄り添うみたいに、未だ弱々しい一夏に相対していた。

 

「…出てけって言ってんだよ…!」

 

 一夏が再度そう言い放つと、昭弘は物悲し気に奥歯を噛み締めゆっくりと一夏のベッドから離れる。

 

 箒は去り行く昭弘を見た後、再び一夏に振り替える。

 それを何度か繰り返した後、まるで縋る様に昭弘に続いた。

 

 

 昭弘たちが去った室内で、一夏は両手で頭を抱えていた。

 

「オレは何を…」

 

 先の発言を心底後悔する様に、一夏は一人そう吐き捨てた。

 

 

 

 校舎の外に出ても尚、一行が口を開く事は無かった。

 

 そんな中、閉ざしていた口を最初に開いたのはまたしてもセシリアであった。

 

「皆さん、先に行って下さいまし。…少し一人になりたくて」

 

 セシリアは木造りのベンチを視界に入れた後、軽く微笑みながらそう言った。

 

 鈴音はそんな彼女に何か言おうとしたが、一人にしてあげる事にした。

 

 

 昭弘たちが去った後、望み通り一人ベンチに腰掛けるセシリア。

 少しだけ青い部分を覗かせる空を見上げながら、彼女は物思いに耽る。

 

(…今思い返してみれば、何と軽率な行動だったのでしょうか)

 

 一夏の精神状態を何ら考慮せず、己の一方的な愛を優先させようとした自身をセシリアは責める。

 

(やはりアレは勝利などでは御座いませんでしたわね…)

 

 勝ったとしても、それにより一夏との距離が遠ざかっては意味が無い。

 結局彼女の心は、昭弘にも試合にも勝った実感を味わえないままであった。

 

 

 その時だった。

 

「あ~居た居た~!セッシー!」

 

 セシリアのコバルトブルーの瞳に、アリーナAの方角から駆けて来る『布仏本音』が入り込んだ。

 

 

 

 突如として現れ、セシリアの隣に座する本音。「何故私の居場所が?」と訊いても「何となく~」と返すのだろうなと予想したセシリアは、少し違う訊き方をした。

 

「…何故私を探しておりましたの?」

 

「ん~セッシーに会いたくなって。ここ最近会ってなかったから~」

 

 確かにと、セシリアは納得する。

 5日間教室と言う空間に足を運ばなければ、学園内だろうと案外そう会わないものだ。いや、広大なIS学園内だからこそだろうか。

 

「セッシーは一人で何してたの~~?」

 

 セシリアは考える。先の出来事を本音に話すべきかどうか。一人になりたかったのは事実だが、このまま自身を苛み続けるのも精神衛生上好ましくはない。

 

 結局セシリアは話した。無論、本音を巻き込みたくはない。それでも、当事者ではない彼女の客観的な意見が聞きたかった。

 

「……そんな事があったんだ~」

 

 彼女は余った袖をプラプラさせながら、先のセシリアと同じ様に空を見上げる。

 すると彼女はニッコリと頬笑みながら、セシリアの右手に優しく両手を添える。

 

「誰も悪くないと思う」

 

 優しい、然れど嘘偽りの無い強い言葉。その本音らしい答えを聞いたセシリアは、彼女の笑顔に引き寄せられて口元を緩めてしまう。

 それは慰めの言葉等ではない。彼女の言う通り、誰も悪くなどないのだ。様々な偶然と結果が、その時重なってしまっただけなのだ。

 

「…貴女は凄いですわ本音。少し、心が軽くなった気がしますわ」

 

───貴女に訊ねれば或いは

 

 別の正しい答えを心の奥からパッと出せる本音に対し、セシリアは「こんな事」を訊いてみる。

 

「本音は私の勝利…どう感じましたか?」

 

 神妙な面持ちで訊ねるセシリアに対し、本音は笑顔を絶やさずに答える。

 しかしセシリアの右手に添えられていた両手がギュッと握る様に震えた為か、その笑顔は普段より真剣に見えた。

 

「勝敗よりも、最後まで諦めないセッシーの姿に…凄く感動した」

 

「!」

 

 本音は、それはもう嬉しそうに笑っていた。本音の喜びの根源は、正しくそんなセシリアの姿にあったのだ。

 

───部外者に言い渡される勝敗等ではない。勝利を手にする為に足掻く「私の姿」そのものが…貴女を笑顔に

 

 セシリアは胸の内が熱くなるのを感じた。ソコには先の敗北に彩られた部分など、奇麗に溶けて無くなっていた。

 

 勝つか負けるかのギリギリの攻防こそが、試合において最も輝く瞬間。

 

 その一面において本音を喜ばせたと知った彼女の心は、今確かなる「勝利」を感じていた。

 

勝ったと思えば勝ち、負けたと思えば負け

 

(今になって、その意味が漸く解った気がしますわ)

 

 セシリアが手にした勝利は、自分自身の「心の状態」によって勝利にも敗北にも変化するものだったのだ。

 それは一夏を介して敗北へと変わり、本音を介して勝利へと変化していった。

 

 「勝利」とは元々セシリアの中にあったのだ。

 

 重要なのは完全勝利ではなく、心にある自分だけの勝利。

 それは鈴音の様な揺るぎない勝利とは、また違う答えでもあった。

 

 

 それこそが、彼女が勝利の果てに得た真なるモノであった。

 

 

 

 4人は再度アリーナ方面に向かっていた。

 1年生の場合、表彰式が終了した後に関しては別段指示が出ている訳でもない。なので、何か手伝える事がないか探している最中であった。単に動揺する気を紛らわせたいだけかもしれないが。

 

「皆…ごめん。僕も一夏があんな酷い状態だなんて、思わなくて…」

 

 シャルルは3人に謝罪するが、鈴音はいつもの調子で返す。

 

「ま、幼馴染であるアタシですら気付けなかったし、気にしない気にしない!」

 

 異様に元気良く振る舞う鈴音を、昭弘は却って心配する。

 

「鈴、余り思い詰め過ぎるなよ?」

 

「別にあんな馬鹿の事、もう毛程も気にしてないし」

 

 そう強がる鈴音だが、声が震えているのをその場に居る全員聞き逃さなかった。

 

 

 普段明るくて快活な人間は、それだけで周囲の人間に安心感をもたらす。逆も又然りで、その人間が明るくなくなれば周囲の人間にも不安感をもたらす。

 その究極形が、今の一夏と昭弘たちだった。

 

 

 

 その後、鈴やシャルルと一旦別れた昭弘と箒は一足先に寮へと向かっていた。

 結局、手伝える事は凡そ無かった様だ。

 

「箒、さっきから一言も喋らないが…やっぱショックだったか?」

 

 歩きながら、昭弘がずっと無言の箒にそう声を掛ける。

 

「…側に、居てやろうと思ったのだ」

 

 しかし彼女にはそれが出来なかった。

 今迄一度たりとも見た事の無い、幼馴染みの別の顔。それを見た時のショックは、箒の正常な判断力を鈍らせるには十分だった。

 

「別人の様だった。そんな一夏が怖くて…。それは一緒に居たいと言う想いすら、凌駕していって…」

 

 永い時間を共に過ごして来た幼馴染みだからこそ、受けた衝撃は昭弘の比ではない。

 そしてその衝撃を受け止められる程、箒の心は未だ強くはなかった。

 

 弱々しい声を変えずに、箒は続ける。

 

「もう“あの日々”は戻って来ないのだろうか」

 

 昭弘が心の何処かで恐れていた事だった。

 小さな不安だと思っていたが、箒の言葉によってそのおぞましい未来が現実味を帯びてきた事に、昭弘は気付かされる。

 

 そんな未来死んでも御免だと、心の中で強く否定の意思を示した昭弘は、心に掲げた誓いをそのまま言葉にした。

 

「戻って来る」

 

 昭弘は思った。もう負けられないと。

 結局、優勝と言う目的を果たせなかった昭弘。彼は負けていい試合等何一つ無い大会において、最後の最後で大敗北を喫してしまった。

 しかし、それ以上に迎えてはならない「敗北」がある。それは、大切な友人との関係性の消失だ。

 

 昭弘は今回の敗北を深く胸に刻み、これ以上の苦痛を味わわないと心に誓う。

 

 

 しかしこの時、彼は未だ知らなかった。

 これから挑むソレが、セシリアをも上回る程の強敵だと言う事を。

 

 

 

 

 

 後日、予定通りに2年生・3年生のトーナメント戦が行われた。

 相も変わらず満員御礼での盛り上がりを見せた2つのトーナメントだったが、双方とも大判狂わせが起こる事無く終わりを迎えた。

 

 それは1年生の戦いが如何に特別で異質であったのか、遠回しに伝えているかの様でもあった。

 

 

 正確に言えば、戦いは未だ終わってなどいない。

 

 一人の青年の奮闘は、この先もまだまだ続いて行くのだから。

 

 果ての見えない、勝利を追い求めて。




と言う訳で、漸くトーナメント編が終了しました。


それと誠に恐縮なのですが、2ヶ月~3ヶ月程投稿を休ませて頂く事になるかと思います。
物語の構成や文章力をもう少し勉強したいのと、先の展開をもう少し固めてから、投稿したい所存です。

そんな訳で次編では、よりパワーアップした本二次創作をお見せ出来ればと思っております。


皆さん、それまでどうかお待ち頂けたらなと思います。では!!


重ねて申し上げますが、失踪だけは絶対に無いのでご安心下さい。・・・ホントダヨ?


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第一章 の4 IS学園~織斑一夏の変革~
第32話 大海の一滴へ


少し遅れましたが、連投開始で。


―――――5月16日(月)―――――

 

 地上から遠く離れた、オフィスビル最上階の一角。

 『アルベール・デュノア』はそこに置かれている黒色のエグゼクティブデスクにて、息苦しそうに頭を抱えていた。それは部屋の湿気のせいか、それとも今起きている現実離れした事態に対してか。

 最上階より下の階層では社員一同右へ歩く左へ走る、受話器を取っては声を張り上げ血眼になりながら口論を繰り返す。

 

 デュノア社は今、大規模なサイバー攻撃を受けているのだ。それにより社内で厳重に保管されている「ある情報」が、一方的に書き換えられていく。

 情報が泳ぐ電脳空間は時間と共にジワジワと侵食され、皆段々と諦めムードを醸し出していった。

 

 いくらか時間が過ぎた後アルベールは頭を抱えていた両手を静かに下ろし、生気の無い瞳を天井に向ける。どうやら、社員一同による必死の抵抗も徒労に終わったようだ。

 

 彼と愛人の間に生まれた、哀れな娘の存在。

 データ上に記されたソレは、今やもう綺麗サッパリ消失してしまった。ご丁寧な事に、デュノア社側からの操作を一切受け付けないと言うサービス付きだ。つまりそれは、全てのシステムを掌握されたと言う事を意味する。ここまで来ると最早魔法の領域だ。

 

 そして止めの一撃は、勝手に起動した彼のノートPCに綴られていた言葉だった。

 

 

“お前の娘は存在しない”

 

 

 そのごく短い文章を頭の中で何度も反復した後、アルベールは静かに呟いた。

 

「…これが私への罰か」

 

 己の娘を、「息子」として世にPRしようと画策していたアルベール。それが断たれた今、経営的に自身の会社が、延いては彼自身が終わりを迎えた事を意味する。

 

 にも関わらず、彼の表情はどこか安らかにも見えた。まるでこれ以上愚行を重ねずに済む事に、安堵するが如く。

 自分でも自分の悪行に歯止めをかけれなかった彼は最後に「良いタイミングかもな」と吐き捨て、常軌を逸したハッカーへ密かに感謝の念を抱いた。

 

 

 生地主義の根強い国、フランス。どんな人種だろうとこの国で生まれ落ち、決まった年月を過ぎれば国籍の取得が可能となる。

 悪天候に見舞われたこの日、そんなフランスから『一人の国民』の国籍が抹消された。デュノア社の時とは違い、ひっそりと誰にも気づかれる事無く、データ上からも書類上からも完全にパッと消えたのだ。

 

 

 同時刻、それと似たような事態がIS学園でも起こった。

 

 第一発見者は『山田真耶』教諭。

 日課としている、1組生徒の履歴書の閲覧。その時はつらつらと流し読む程度だったらしい。それでも、彼女の網膜はそこに書き換えられていた「名前」と「性別」をどうしても見逃す事が出来なかった。

 

 発覚から程無くしてフランス本国、そしてデュノア社に対して問い合わせを行ったIS学園。だが、どの部署からもまともな回答は得られなかった。

 国際IS委員会にも問い合わせたようだが、「こちらの履歴書にもそう記載されている」「その性別と名前で正しい」の一点張りだそうだ。

 

 

「…兎にも角にも、この件は生徒には内密に。今は私達にとっても生徒たちにとっても、大会が最優先です」

 

 生徒が寝静まっている深夜の職員会議にて、密かにそんな決定が下された。

 

 

 

 

 

 場所は再び変わり、某所の某ラボ。その日、事を終えた「鋼鉄のエージェント」たちは皆一様に片膝を着いていた。

 人骨をモチーフにしたからか身体は全体的に細く、鋼鉄でできた白銀色のボディはISコアによって不自然なく動かされていた。その有り様は、人体における心臓と肉体の関係に酷似している。

 さて、無人ISである彼等が綺麗に揃って頭を垂れる相手は所謂彼等の創造主。主であり絶対者である「彼女」は、先ずはエージェントたちに労いの言葉を放つ。

 

「さて皆の衆☆燃えるゴミの処分ご苦労様♪」

 

 燃えるゴミとは、ハッキングで消す事の出来ない情報が記載されている「紙」の事だろう。

 彼等は彼女のおちゃらけた口調に大きな反応を示す事無く、100体近く居る内の1体が機械音声に言葉を混ぜる。

 

《…我等ニカカレバ書類ノ隠滅ナド造作モ無キ事。ソレモコレモ、我等ヲソノ様ニ御創造サレタ貴女様ノ功ニゴザイマス》

 

 誰にも気づかれずセキュリティを掻い潜り、書類の迷宮から「一個人の存在証明」を全て探し出す。どうやら彼等には、その様な悪魔の所業が可能なようだ。

 正確にはそんな彼等を一から創り上げた彼女こそ、悪魔そのものと言えるのかもしれない。

 

 

 

 

 

―――――6月6日(月)―――――

 

 早朝、無数の積雲に覆われた空の袂。「128」と数字の載った扉の前。

 一人の巨漢がその見た目に良く似合う大きな人差指を、インターホンの呼出しボタンに翳す。少し力を入れると、限りなく鐘の音に近い電子音が部屋の内外に響く。

 男の右隣には黒髪を一つ縛りにしている堅物そうな美少女が、左隣には長い銀髪を脹脛まで伸ばした可憐な少年が、それぞれ異なる態度で佇んでいた。

 

 その時、巨漢が期待していた音は扉の奥から此方へと近付いて来る足音であった。が、代わりに返ってきたのは凍てつくような無音。

 落胆する巨漢『昭弘・アルトランド』に対し、黒髪の美少女『篠ノ之箒』がおずおずと口を開く。

 

「…もう少し待ってみないか?」

 

 しかし銀髪の美少年『ラウラ・ボーデヴィッヒ』は、機嫌を斜めにしながら口を動かす。

 

「どうせ先に出たんだろう」

 

 昭弘は無言のまま両者の言葉を聞き入れると、もう一度だけベルを鳴らす。結果は、先と同じ光景が繰り返されるだけであった。

 

 昭弘と箒はトボトボと校舎へ足を運び、ラウラはやれやれと溜息を吐きながら後に続いた。

 

 3人が登校する間、積雲は段々と増えていき薄暗い雨雲が日光を遮り始めた。少し早い気もするが、そろそろ梅雨入りなのかもしれない。

 

 

 そうして少し遅れて自分たちのクラスへと辿り着いた昭弘たち3人。足を踏み入れるや否や、重苦しい空気が3人を出迎える。

 早朝であろうと活気溢れる昭弘のクラス『1年1組』。その空間を重々しい雰囲気に変貌させている元凶は、昭弘たちよりも先に教室へ入っていた「128」号室の住人『織斑一夏』であった。

 一夏は朝礼前であるにも関わらず、勉学に勤しんでいた。ただ黙々と淡々と、彼は参考書のページを捲りながら机の端末もスライドさせていく。その様はまるで、周囲の人間を寄せ付けない為だけに勉学と言う手段を取っているようにも見えた。

 

 だが昭弘は一夏が纏う無言の壁など気にも留めず、出来る限り普段の昭弘を装いながら話し掛ける。

 

「おはよう一夏。朝っぱらから勉強か?」

 

 一夏はそんな昭弘をチラリと一瞥だけすると、少し遅れて「ああ」と小さく返した。

 

「良かったら今日の放課後一緒に練習しないか?アリーナに空きがあればだがな」

 

「……いや、いい」

 

「…そうか」

 

 余りにもあっさりと且つ静かに、一夏は昭弘からの誘いを断る。

 元々無口な部類に入る昭弘は、それ以上話題を切り出せなかった。箒に至っては、声を掛ける事すら出来ないでいた。

 

 その時、黄金色の髪を一つに結んでいる美少年…ではなく美少女『シャルロット・デュノア』も遠目から一夏を見ていた。無表情のまま机の甲板と対面する彼を見て、彼女は一体何を想ったのだろうか。

 

 その後も重苦しい空気は漂い続け、SHRの予鈴が全校舎に流れた。

 

 

 SHRが終わった後も、1組にはどんよりとした気が立ち込めたままであった。だがクラスの中にはそう言うのを気に留めない者も居るには居るもので、ラウラもその1人だ。

 

「オイ優勝コンビ。結局代わりの景品は何にしたんだ?」

 

 彼が話し掛けた相手は、英国の貴族令嬢『セシリア・オルコット』。そして、2組であるのに当然の如く1組に居座っている中国の代表候補生『凰鈴音』だ。

 突然の問い掛けに訝しむ2人。そうでなくとも、周囲の空気的に余り快く応答する気分でもない様子だ。

 だが答えない理由も無いので、仕方ないと言った具合で答える。

 

「…私は『劇場館3ヶ月無料パス』なるものでも、貰おうかと」

 

「アタシは特に考えてないけど……旅行券とか?」

 

 比較的無難な回答をして来た2人に対し、ラウラは「普通だな」と若干幻滅気味な表情を浮かべながら返す。

 そんな今現在のクラスの雰囲気にそぐわない会話に、『布仏本音』も自然な足取りで混ざる。彼女もまた、雰囲気に流されない人間であった。

 

「いいな~2人とも~。ね~ね~セッシー私も劇場館連れてって~」

 

 本音の間延びした声色に釣られてか、更に何人かがセシリアと鈴音の周囲に集まる。「いいなー」「どうせ殿方と行くんでしょ~?させないよ~ん」「半分千切って分けてよ」と、様々な角度から羨望の声が飛んでくる。

 どんな状況であれ、やはり自分の気になる話題には、どうしても反応を隠せないものなのだろうか。

 

 そうして少しずつ、クラスの薄暗い雰囲気は鳴りを潜めていった。

 

 

「…そうだ。オルコット、凰」

 

 ラウラは、そう言って話の流れを半ば強引に塞き止める。途端―――唐突に頭を深々と垂れる。それは、セシリアと鈴音に対してのものだった。

 無論、余りに突然の謝罪。2人は口を半開きにしながらコチンと表情を固める。

 

「今更……本当に今更だが先月は2人の訓練を邪魔してしまい、大変申し訳なかった」

 

 長い銀髪の先端を床に掠めながら未だに謝罪の姿勢を崩さないラウラに、クラス中から注目が集まる。

 セシリアと鈴音は周囲からの視線に羞恥を覚えると、ラウラに一旦頭を上げるよう促した。

 

 そんな3人のやり取りを、教室の端から目の当たりにした昭弘。奥底から込み上げてくるのは、羽毛の様に軽くて柔らかい安堵感だった。

 

(信じてはいたが、ちゃんと覚えていたんだな)

 

 その謝罪で、漸くラウラがクラスメイトとして馴染み始めた。そう思わずにはいられない昭弘は、留まる事を知らない嬉しさに突き動かされついついその巨体をラウラたちの方面へ向かわせてしまう。

 出しゃばり過ぎだと思いながらも、昭弘は躊躇わずに話に割り込んだ。

 

「織斑センセイの言う通りだったな」

 

 状況はどうあれ、ラウラが自分から謝罪したのは事実。そんな思いを伝えるかのような昭弘の一言を聞いて、セシリアと鈴音もラウラに言葉を返す。

 

「…まぁ、許してやっても良いですわよ?今回限りは」

 

「随分と遅い謝罪だけど…ハァ、次からは時と場合を考えてから謝ってよね?」

 

 2人もそこまで気に留めてはいない様だ。それはトーナメント戦以降ラウラへの印象が、かなり上方修正されてる事をにおわせる一場面であった。

 

 2人から一応許して貰ったラウラを見て、昭弘は喜びと同時に少なくない儘ならなさを覚えた。

 原因を知り誠意を込めて謝れば、解決する問題などいくらでもある。だが昭弘は、一夏に対して何を謝れば良いのか皆目見当も付かないのだ。抑々どちらかが謝れば解決する問題なのか、それすらも解らない。

 

(一夏、オレはどうすれば…)

 

 昭弘はそう思いながら、ラウラから一夏へと視線を戻す。

 しかしいくら昭弘が縋る様な視線を向けても、一夏の表情は先と変わらない。生気の薄い瞳を、参考書の文字列と机の端末に向けているだけだった。

 

 

 

 ラウラの一声が切っ掛けで、クラスの雰囲気は普段通りの活気を取り戻した。

 そんなラウラにシャルロットは羨望の眼差しを向ける。

 

(…僕とは大違いだ)

 

 デュノア社内で常日頃から忌避の目を向けられて来た彼女は、周囲の視線や反応、雰囲気に人一倍敏感だ。嫌われないよう敵を作らないようにと周囲の顔色を伺ってしまう彼女にとって、ラウラは正反対に位置する人間なのだろう。

 

 そんな彼女の眼差しを、昭弘は偶然にも視界の隅に捉える。

 

 

 

 

 

 帰りのSHRが終わり、終業のチャイムが1組の教室に鳴り響く。結局昭弘は、その日殆ど一夏と会話を交わす事が出来ずにいた。

 

 そんな折、昭弘の視界をシャルルがユルリと横切る。どうやら千冬と真耶から呼び出しを受けているようであった。そして直ぐに、千冬・真耶・シャルルの3人は足早に教室から出て行く。

 別段「問題児」でもないシャルルが呼び出されるその光景を、昭弘は不思議そうに目で追う。

 しかしシャルルが呼び出されてからの一夏の反応は、それよりも更に不可思議であった。呆然と立ち尽くしたかと思えば、どこか思い詰めた表情をしながら逃げる様に教室から出て行ったのだ。

 

 箒も一夏の様子が気に掛かったのか、耳打ち気味に昭弘へ話し掛ける。

 

「…一夏の奴、デュノアと何かあったのだろうか?」

 

「…かもしれん」

 

 彼等の間で何が起こったのか皆目見当も付かない昭弘にとって、それはまるで全てが溶け出す大海原。そこからごく小さな雫を手探りで見つけ出すような思いで、昭弘は一夏の後を追う。

 部活が待っている箒は、歯痒そうに昭弘の後姿を見詰める事しか出来なかった。

 

 

 

 万全な防音対策が敷かれている「生徒指導室」。

 純白で埋め尽くされた簡素な空間は、研ぎ澄まされた日本刀のような千冬の威圧感をより鮮明に際立たせていた。その直ぐ隣に座している真耶も、千冬程ではないが警戒の色を全面に押し出していた。

 何故其処に呼ばれたのか、概ね察しが付いているシャルル。彼は俯き気味に、テーブルを挟んで真正面に腰掛けている千冬からの問い詰めを待つ。

 

「さて、先ずはこれを見てほしい」

 

 千冬はそう言うと、ノートPCの画面をシャルルに見せる。画面には彼自身の顔写真、その直ぐ傍には彼の本名と性別が載っていた。本名『シャルロット・デュノア』、性別「女性」と。

 それを見ても然して動揺を示さないシャルルを見て、千冬は瞼を細めながら軽い説明に入る。

 

「これは、本学園におけるお前自身の「編入履歴から在籍証明までが詰まった大元のデータ」とでも言うべきか。さて可笑しいな?少なくとも私の記憶には、『シャルル・デュノア』「男性」と表記されていた筈なのだが?」

 

 フランクな口調で痴呆を演じる千冬に対し、シャルルは恐怖を圧し殺しながら突っ返す。

 

「…データがそう記しているのなら、それが正しいのではないでしょうか」

 

 そんな言葉を聞き入れた千冬は、眉間に皴を寄せながら深い深い溜息を吐き出す。

 今まで黙っていた真耶も、珍しく語調を荒げながら再度問い質す。

 

「デュノアくん、ふざけるのは止めて下さい。この件について、何か知っている事があるなら話しなさい」

 

「…」

 

 今更語るまでもないが、IS学園のセキュリティは極めて厳重だ。様々な情報を保管している電子空間なら、ハッキングによる情報の書き換えなど尚の事不可能に等しい。しかも千冬と真耶の様子を見る限り、逆探知による特定も失敗に終わったのだろう。

 となると当然、ハッカーの正体もごく限られてくる。と言うよりも、千冬が知っている中で凄腕のハッカーなど最早一人しかいない。

 千冬は頭の中でそんな推測を進めていくと、黙秘を貫くシャルルを糾す。

 

「もっと直球でいこうか。誰に頼んだ?…まだ足りないか?いつ、何処で、何故、どうやって『篠ノ之束』に頼んだ?」

 

 しかしシャルルの口は恐怖で震えながらも、その口内を覗かせる事はなかった。

 過程はどうあれ大元の情報が書き換えられてしまった今、シャルルが男性として入学していたと言う証拠は存在しない。どれ程千冬と真耶が問い詰めようと彼がだんまりを決め込む限り、犯罪者として本国に送り返される事もないだろう。

 実を言えば今の彼に本国と呼べるものがあるのかどうか、それ自体が怪しいのだが。

 

「…もういい。答える気がないのなら他の生徒に当たるまでだ。お前とずっと行動を共にしていた人間など、ある程度絞り込める。『一夏』とかな」

 

 千冬のわざとらしい最後の一言を、シャルルはしっかりと内耳の奥に届けてしまう。直後、今まで俯き気味だった顔を上げ目を見開く。

 その表情の変化が答え合わせになるとも知らず。

 

 

 

 同じく放課後。昭弘は歩を進めながら、一夏にどう訊ねるか考えを巡らせていた。まともな会話すら儘ならない現状では、訊き方は勿論話し掛け方にも注意を払うべきだ。

 

 だが時間の流れとは無情なもので、気が付けば昭弘は一夏に追い付いてしまっていた。何の言葉も纏まっていないのにだ。

 学園寮の手前辺りでそんな昭弘の存在に気付いた一夏は、無言のままやつれた表情をぬるりと向ける。

 

「…」

 

 改めて余りに普段の一夏とかけ離れた顔を間近で見る昭弘は、思わずたじろいでしまう。それでも、話し掛けなければ何も始まらない事もまた解っていた。

 

「一夏、単刀直入に訊くぞ。…デュノアと何かあったか?」

 

 直後、一夏の額から油汗が滲み出る。目の焦点は大きくぶれ始め、身体は電動歯ブラシの様に震え出す。そんな反応を示しながらも、一夏はボソリと否定の意思を言葉にする。

 

「知らない」

 

「本当にか?」

 

「…ゴメン、オレ勉強しないと」

 

 一夏はそう突っ返すと、学園寮入口へと足を向ける。そんな一夏を、昭弘は声を張り上げて引き留める。

 

「一夏!」

 

 昭弘の大声を聞いた一夏はビクリと身体を震わせ、再びゆっくりと昭弘に振り返る。その時、昭弘を映す瞳は不規則に揺れていた。

 しかし昭弘の口から溢れた言葉は、更なる問い詰め等ではなかった。

 

「…無理するなよ?解らない事があったら何時でもオレたちを頼れ」

 

 昭弘の言葉が意外だったのか、一夏は僅かに口を開いてポカンとする。その後幾らか間を置いた一夏は、再び学園寮に身体を向ける。

 無理矢理にでも、訊き出すべきなのかもしれない。しかし、今の昭弘に後悔している様子は見られなかった。

 話したくないのなら話さなくてもいい、勉強がしたいのなら思う存分勉強すればいい。今の一夏に必要なものは、尋問などではない。昭弘だってそれくらい何処と無く理解している。

 

 かと言って、それも度が過ぎれば単なる甘やかしになる。昭弘は改めて「人間関係とは難しいものだな」的な思いを、心中でぼんやりと吐露する。

 

(兎も角、もちっと情報を集めないとな。今度は…信用できんが、デュノアに訊ねるしかないか)

 

 昭弘は小さく溜息を吐くと、重たい足を引き摺るようにシャルルを探し始めた。

 

 未だ彼は、大海原に触れてすらいなかった。



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第33話 己の価値(前編)

―――――6月3日(金)―――――

 

 IS学園人工島の中心点に位置するアリーナA。其処では決勝戦の火蓋が、今正に切って落とされようとしていた。選手、観客、教師に係員、皆無言のまま試合開始のブザーを待っている。

 

 しかしそんな中でも、デリーが気を配っているのは眼前のシャルル・デュノアだけだ。デリーは試合や周囲の空気などどうでも良さげに、ベラベラと大きな口を開閉する。

 

「いやぁよもやISTTの決勝戦で貴方と巡り合えるなんて、私何だか運命めいたものを感じてしまいますぅ!」

 

 デリーはそうやって前置きの様な言葉を繰り出すが、シャルルは先ず最初に気になる事を訊ねる。

 

「あの…話の途中で申し訳ないのですが、何故僕の名を?」

 

 確かに突然話の流れを切るのは相手に失礼だが、シャルルがそう感じるのも仕方無し。

 社長と愛人の間に生まれた身の上など、理由は色々あるのだろう。彼はフランス代表候補生であるにも関わらず、情報が一切公開されていないのだ。

 唐突なシャルルの問い掛けに、デリーは嫌な顔一つせずに答える。

 

「以前一度だけ、デュノア社の本社ビルに営業訪問させて頂いた事がありまして。その時、思わず性別を見紛う程の美少年の姿を偶然この目が捉えてくれました。それが貴方だった訳ですが、名前に関しては完全に盗み聞きでした。お許しを」

 

 シャルルは、無理矢理納得するように成程と小さく返す。

 そんなシャルルの言葉に覆い被さるように、試合開始のブザーがアリーナ全体を震わす。同時にグシオンがブルー・ティアーズに襲い掛かるが、デリーは調子を崩さずに喋り続けた。

 

 

 何やかんやで、シャルルはこのデリー・レーンと言う男と普通に会話を続けていた。

 無論初対面で見ず知らずの相手。一言二言話したら、機を伺って席を離れようと考えていた様だ。が、不思議と会話がスラスラと進んでしまった。流石に社を営んでいるだけはあると言う事だろうか、コミュニケーション能力はシャルルの比ではない模様だ。

 また大なり小なり、一夏の一件で鬱憤でも溜まっていたのだろう。どんな話でも聞いてくれるデリーに、シャルルもつい喉の疲れを忘れてしまっていた。

 

(この人に話せば、少しは楽になるのかな)

 

 シャルルがそんな考えに至った時には、既に口が開かれていた。

 

「あの…突然なんですけど、レーンさんって自分に嫌気が差した事ありますか?」

 

 今までとは打って変わって、今度は聞き出す側に回ったシャルル。しかしデリーは特に困惑した表情を見せず、瞼を強く閉じながらウーンと唸って過去の記憶を探る。

 

「申し訳ありません、私は特にないですねぇ。物事をプラスにしか捉えられないので」

 

「…ハハ…それは何と言うか凄く羨ましいです」

 

「シャルル様は何かご自身に嫌気が差す事でも?」

 

 デリーなら聞き返してくれると信じていたのか、シャルルはホッと息を吐きながら声を出す。

 

「…僕は僕が嫌いです。環境のせいだったとは言え、周囲の視線ばかり気にして、父親にも何ら反抗の意思を示せず。そのせいで…関係の無い多くの人たちを騙してしまった」

 

 己の身に起きた出来事を、詳細は伏せながら話すシャルル。彼が何の事を言っているのか、勿論デリーには解らない。それでもデリーは先程までのおちゃらけた雰囲気を一転させ、口元を下げながら黙って聞いていた。時々コクリと頷きながら。

 シャルルはデリーの態度に甘んじ長々と、そして段々と感情を乗せながら己への悪口を無限に湧いて出る溶岩の如く吐き出し続ける。

 

「そしてとうとう、起きてはならない事が起きてしまった。…バレちゃったんです、僕のしてきた事が友人に。けれど心優しい友人は僕の行いを密告するどころか、僕の境遇をどうにかしようと行動してくれたんです。…僕はそれで友人がどれ程苦しい思いをするのか、考えもしなかった。イヤ、目を逸らしていたんです。自分の事で頭がいっぱいで。…僕が此処に来なければ…僕さえ居なければ、友人は辛い思いをせずに済んだんです」

「周りばかり気にして、言われるがままに生きて、そして人に迷惑を掛ける。そんな人として価値の無い僕に、存在意義なんてあるんでしょうか?」

 

 シャルルは最後に自身を強く否定すると、感情のマグマが底を突いたのか力なく項垂れてしまう。対するデリーは何ら変わらない。腕を組み口をへの字に曲げ、静かに呼吸をしているだけだ。

 初めて、2人の間に静寂が割り入る。そんな彼等に相反して、フィールド内での銃撃戦は苛烈さを増すばかり。

 ガヤガヤと歓声が飛び交う中、デリーはニカッと普段の笑顔を取り戻すと優しい口調で沈黙を破る。

 

「シャルル様。高々中小企業の長である私は、貴方様に偉そうな事を言える立場に御座いません。ですので私の助言も、Z級映画の脇役で出演している5流俳優の台詞だと思って聞いて下さい」

「人間は必ず、何かしらの価値を持っているものです」

 

 シャルルは、もっと別の言葉を期待していた。しかしデリーの口から溢れた言葉は、平たく言えばありきたりな言葉であった。思わず落胆する気持ちを、表面に出さないよう努めるシャルル。

 そんな美少年を尻目に、デリーは更に言葉を付け加える。

 

「私も社の長となってそれなりに経ちますが、少なくとも利用価値の無い人間は見た事がありませんでした。利用価値だって価値の一種でしょう?居なきゃ困る事に変わりはないのですから」

 

 シャルルは益々理解出来なかった。利用価値だなんて、そんなの「物」と一緒ではないか。

 しかし、シャルルはデリーの言葉を否定できなかった。彼を気遣ったからではない。理解出来ないからこそ、頭の中に強く粘着して離れないのだ。

 

―――人間は必ず何かしらの価値を持っている

―――利用価値も価値の一種

 

「…先程も申しましたが、私の言葉はどうぞ忘れて頂いて結構に御座います」

 

 その様子は小難しく考えるなと、大人が子供に諭すみたいであった。そんなデリーの念押しによって、シャルルは随分と長い間デリーの言葉を脳内で 反復していた事に気付く。

 シャルルの熟考を中断させたところで、デリーはまたさり気無く助言を述べる。

 

「何はともあれ、その御友人と今一度会ってみてはいかがでしょうか。貴方様も含めた大勢の御学友と会話を交わせば、御友人の心持ちも少しは楽になるかと」

 

 デリーが言い終わると同時に試合終了のブザーがけたたましい電子音を奏で、勝者を称えた。それに気づいたシャルルは周囲に釣られて力強く拍手をし、デリーは渋りながら乾いた拍手をするだけだった。

 

 

 

 

 

―――――6月6日(月)―――――

 

 雨上がりのジメジメとした曇り空の下、シャルロットは憂鬱さを身体全体で表現しながら寮へと足を運ぶ。雨水に寄って潤された草木や土の匂いが、彼女の鼻腔の奥へ進入していく。

 担任を敵に回したかもしれないと言う恐怖。周囲や一夏に対する今後の身の振るまい方。しかしそれらは、彼女の中で激しくうねっている「ある感情」に比べればそこまで大きなものでもなかった。

 その正体は、恐らくは自身への失望。

 

―――しらばっくれ、黙り込み、そうまでしてのうのうと助かりたいのか。明日には一夏まで尋問されるかもしれない状況で

 

(いつもそうだ。無価値だ何だ言いながら、結局僕は自分が一番かわいいんだ)

 

 正に恥知らず。ただ父親の命令通りに動き、ただ一夏の優しさに乗っかり、その結果がこの状況だ。

 ではどうすれば良かったのかなんて、今更考えた所で何になると言うのか。自分が何を望んでいるのかすら、良く解っていないのに。

 

 帰路だけを見下ろしながら自虐を繰り返していたシャルロットは、気付けば寮の正面玄関口へと辿り着いてしまっていた。それにより彼女は、ルームメイトである一夏の事へと強引に気持ちを切り替えようとするが…。

 

「そろそろだと思ってたぜ」

 

「あ…」

 

 乙女の園『IS学園』には似つかわしくないテノールボイスが、玄関先のエントランスホールから聞こえてくる。振り向くと、シャルロットが頭に思い浮かべた通りの人物『昭弘・アルトランド』の姿があった。彼はテーブルに参考書を広げながら、ソファチェアにドカッと腰を落としていた。

 彼の言う「そろそろ」とは、此処に座っていれば彼女に会えると言う事だろう。寮の出入口は、正面玄関と非常用の裏口しかない。そして当然、寮生が出入りするのは基本的に正面玄関だ。

 互いに顔を見やると、昭弘の方から「ちょっといいか」と二声目を掛けてくる。

 

「…全部話してはくれないか。お前、一夏と何があった?」

 

 そんな言葉を掛けられるがシャルロットは…

 

「…」

 

 口を閉ざしたままホールを素通りしようとする。

 瞳を半開きにしながらのそのそと進むその姿は、憂鬱さだけでなく確かな疲弊も感じ取れる。既に聴取を受けたばかりであるシャルロットにとって、これ以上色々と問い詰められるのはまっぴらだろう。

 加えて彼女は、昭弘と深い仲でもない。自身の秘密を話したくはないだろうし、話す必要もない。他人にバラされても敵わない。

 

 そんな心境でホールを抜けようとする彼女に対し、昭弘は尚も落ち着いた口調で声を掛ける。

 

「何があったか知らんが、そんなんじゃ状況はいつまで経っても好転しないぞ」

 

 流石のシャルロットも、その言葉でつい足を止めてしまう。

 その通りだった。自分の境遇を唯一知っている一夏は、今やまともな状態ではない。一夏以外誰も自身の境遇を知らない現状では、全ての問題を自分一人で解決せねばならないのだ。

 他の誰かに、悩みや境遇を打ち明けない限り。

 

(一人でなんてそんなの僕には…)

 

 なれば自分から行動を起こすしかない。情報は、一人で占有するのと他人と共有するのではまるで価値が違ってくる。その考えに至ったシャルロットは、昭弘が座っているソファへ静かに顔を向ける。

 

「…誰にも言わないって約束してくれる?」

 

 そう念を押すシャルロット。そもそも何に悩んでいるのか、彼女自身整理が出来ていない。

 昭弘がそんな彼女の心境が解っているのか定かではないが、返した言葉は肯定でも否定でもなかった。

 

「断言は出来ん。話の内容による」

 

 シャルロットはそう返されて、再びその場を去ろうと足の角度を変える。しかしその状態で数秒程静止したのち、意を決したように昭弘の下へと赴く。

 

 何故昭弘に話そうと思ったのかは良く解っていない。四の五の言っていられない状況が、彼女の心を激しく煽ったのだろうか。

 それとも、諦めに似た何かによるものか。

 

 

 

 昭弘の部屋に上がったシャルロットは、まるでトレーニングジムにでも迷い込んだような錯覚に陥る。

 何処を振り向いても、彼女の視界には必ず何かしらの筋トレグッズが飛び込んで来る。IS学園の寮部屋はかなり広い筈だが、正直ビジネスホテルの部屋の方が広く感じられる程昭弘の部屋は筋トレ器具で埋め尽くされていた。

 空調設備によって換気されているにも関わらず、空気中で混ざり合ったであろう汗と鉄の臭いが未だ僅かに残っていた。

 

 もう自身の部屋に対する客人の反応に慣れている昭弘は、さっさと話すよう促す。

 

 言葉とは便利なようで、案外不便なものでもある。事情を知らない人間に一から説明する際は、それが特に顕著だ。

 シャルロットはその事を念頭に入れながら、先ずは自身がこの学園に転入した理由から話し始める。

 

―――デリーさんとの会話は省こう。…あの人の言葉だけは自分で考えたい

 

―――以下省略―――

 

 そうしてどうにか、シャルロットは己の性別も踏まえて全てを説明し終える。これでデリーとの会話以外、昭弘とシャルロットは情報をほぼ完全に共有した事になる。

 ちゃんとその共有が出来ているかの確認も踏まえて、昭弘は本件の肝である出来事をぼそりと口に出す事で纏める。

 

「性別偽装を無かった事にする為のデータ改竄。及び実父、デュノア社、フランスとの関係証明の抹消…か」

 

 つまり彼女が男性に偽装し転入したと言う証拠の全てを、根こそぎ消去すると言う策略だ。

 女性として正式に転入し且つ学園生活では男性の恰好をしているとなれば、それは学園側が男装を容認していると言う事になる。

 つまり例え一般生徒が騙されていたとしても、教員側が最初から許可している事になれば問題にはならない。と言うのが、シャルロットと一夏の言い分である。

 

 そんな絶対不可能とも思える事を、一夏が誰に頼んだかまでは彼女も知らされていないと言う。

 しかし、不可能な事象を意図も容易く成し遂げてしまう途方さ。一夏があっさりと連絡を取れそうな相手。それらを加味すると、可能性が圧倒的に高い人間が一人だけ浮かび上がる。『篠ノ之束』だ。

 

(束の事は一旦置いておくか。首謀者である確証も無いしな。気になるのは、この計画の進行状況に対する一夏の反応だ)

 

 シャルロットの言葉通りなら、残った問題はクラスメイトへの釈明と彼女自身の新しい国籍くらいだ。

 今、彼女が無国籍の状態なのかは定かではない。ただ、IS学園はどの国家機関にも属さず他国からの干渉も受ける事はないと、アラスカ条約にも定められている。無論それはIS学園に在籍している限りだ。国籍が無ければその生徒の身柄を証明できる国が存在しないと言う事になるので、基本的に在籍扱いにはならないだろう。学費の問題もある。

 よって、シャルロットは既に新しい国籍を取得している可能性が高い(つまり束が既に手を回している可能性が高い)。

 

 それだけ計画が進んだ状況だと言うのに、一夏の“あんな状態”は確かに不自然である。

 

(大体、何故一夏は独断でこんな行動を?確かに教員たちに知られれば、コイツが犯罪者として国に送り返されるかもしれんがそれでも…)

 

 何故友人である自分達や担任を頼ってくれなかったのかと、昭弘は一夏に対して失望に似た感情を覚える。

 

 そうしてあれこれ考えながら、昭弘はグラスに注がれた緑茶を見詰める。3つ程浮かんでいた氷は半分以上溶け、草色の内容物は少しだけ薄くなっていた。

 話し出した頃からずっと俯いているシャルロットも、自然とテーブル上のグラスに目が行く。彼女は重苦しそうに、グラスの上部から垂れてくる水滴を眺める。

 

 そうしてとうとう昭弘は沈黙を破るかのようにグラスを引っ掴み、薄くなった緑茶を強引に喉へと押し込む。

 シャルロットに問い掛ける第一声が決まったようだ。

 

「…お前はどうなんだデュノア。クソみたいな父親と関係を断てて、犯罪者としての汚名も被らずに、嬉しいんじゃないのか?」

 

 昭弘は静かに、且つ無感情にそう訊ねる。対して、シャルロットも必死に無感情を装いながら言葉を返す。

 

「…何で、今そんな事を訊くの?」

 

 そう言われるまでも無く、昭弘だってシャルロットに口酸っぱく言ってやりたい事は滝のようにある。だが、今は目の前の男装少女よりも一夏の事が先決だ。

 

 昭弘の瞳には何処となく重なって映ったのだ。現状に対する、一夏とシャルロットの様子が。だから彼女が今抱いている感情の正体が判れば、一夏の心情の一欠片に触れられるのではないか。

 と言った思惑がある昭弘は「いいからさっさと話せ」と抑揚の無い声で促す。

 

「…うん、嬉しい。嬉しい筈なんだ。だけど…本当にこれで良いのかって、気持ちもあって」

 

 シャルロットは右手でくしゃくしゃと己の髪を激しく撫で回し、瞼を強く閉じる。そうしながら心の言葉を必死に探り、どうにか見つけた言葉を纏めようとする。

 

「僕は何と言うか、嫌になったんだ。自分が一番大事な癖に、周囲の事ばかり考える素振りをして自分の本性を覆い隠すのが。…いや、と言うより…ああ、何て言ったら良いか」

 

 そう悩む彼女に、昭弘は助け舟となる言葉を言い渡す。それは昭弘が偶然見かけてしまった、日常の光景。その一部から抜き取ったものだった。

 

「『ラウラ』みたいになりたいのか?」

 

 そう言われた途端彼女は撫で回す手を止め、目を大きく見開きながら顔を上げる。

 「何でその事を」と昭弘に訊く前に、彼女はどうにか纏まりそうな自身の感情を忘れてしまわない内に言葉として残す。

 

「…そうなんだろうね。周囲に流されず言いたい事を何でも言えて、色んな人から必要とされるボーデヴィッヒさん(彼女)みたいに」

 

(…必要とされるだと?)

 

 まるでシャルロット自身が誰からも必要とされてないかのような口ぶりに、昭弘は反応する。それを機に、今まで盤石であった昭弘のポーカーフェイスは段々と剥がれていった。

 

「一夏からあんだけ必要とされていながらよく言うぜ。大会前も大会中も、ずっと一夏がお前にべったりと張り付いていたじゃねぇか」

 

 言い切った後、自身の言葉に明確な怒りが混ざっていた事に昭弘は気付いた。

 昭弘は、ここ最近シャルロットに多少の嫉妬心を抱いていたのだ。まるで自分の事を避けるような一夏の行先は、いつだってシャルロット。昭弘にとってみれば、彼女が一夏を澄まし顔で独占しているようにも見えるだろう。

 だから先の彼女の発言が、昭弘にはどうしても聞き捨てならなかったのだ。

 

バァキン!!

 

 しかし次の瞬間、昭弘の瞳に映ったのはテーブルを思い切り叩くシャルロットの姿だった。両掌で叩かれたテーブルは小刻みに震え、互いの側にあるグラスの底を小突く。その時彼女は食い縛った前歯を剥き出しにし、眉間に皺を寄せ、両耳を紅く染め上げていた。

 動じる程ではないにせよ、こんなにも怒りに満ちた彼女の表情を昭弘は見た事がなかった。

 彼女は激情に任せて声を震わせながら、昭弘に言い放つ。

 

「何も分かっていないのはキミだよ!一夏にとって僕はいつも二の次だったッ!」

 

 そう言った後、今度はさっき以上に力無い声に戻り悲痛な声でつらつらと言葉を漏らす。

 

「解るさ…一夏の様子を見てれば。確かに彼はいつもにこやかな顔を向けて、楽し気に話してくれる。けどいつも何処かソワソワしていて、何か別の事を考えていた」

「一夏が激昂してシュトラールに突っ込んで行った時、保健室でキミの顔を見て豹変した時、ボクは確信した。一夏が一番必要としているのはアルトランドくん、キミだよ」

 

 頭の中がグルグルとシェイクされる感覚を、昭弘は覚えた。

 確かに昭弘は幾度となく一夏を助け、支えてきたのだろう。

 だが「一番必要」と言う部分が、昭弘にはどうにも理解出来ない様だ。何故なら昭弘にとっての友人は、皆等しく「友人」だからだ。そこに誰が一番必要だとか、そう言った競争の様なものは昭弘の中に存在しない。

 若しくは、それとは別に昭弘自身他人から必要とされる事に慣れていないだけなのかもしれない。

 

 大体が、本当に昭弘の事が必要なら何故あんなにも昭弘を避けるのだろうか。そんな考えも、シャルロットの次なる発言のせいで一旦頭の端へと追いやる事になる。

 

「もう分かったでしょ?僕は誰からも必要とされない無価値な人間なんだ…」

 

 その言葉の後、水分をふんだんに含んだ泥のように重たい沈黙がその場に流れる。

 しかし「沈黙の種類」は互いに異なっていた。シャルロットの場合、全てを言い切りもうこれ以上口を開く事はないと言った沈黙。しかし昭弘の沈黙は、思いを言葉にするべく頭の中で急速に言葉を作り上げているが為の沈黙であった。

 

 一夏が昭弘に抱いている感情、それは未だ解らない。

 だが目の前に居るヒステリーな根暗女の事は、少しずつ解ってきた様だ。昭弘の勝手な想像かもしれないが、恐らく彼女は誰かから必要とされたいのだ。

 そして彼女の望みと合致する様に、昭弘も今正に人の助けを必要としている。

 

 そうして言葉が出来上がると、昭弘は恥ずかしげもなくその言葉を口から声と共に出す。

 

 

後編へ続く



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第33話 己の価値(後編)

「………少なくとも、オレはお前を必要としている」

 

―――は?

 

 シャルロットは己の耳を疑った。

 

 彼女にとっては縁遠い言葉。だが同時に、今の彼女が最も欲している言葉でもあった。

 

 そしてそれにより、もう全て出し切ったであろう感情が再び彼女の頭で増殖していった。

 

 しかしそんな彼女よりも早く、昭弘が再び口を開く。

 

「お前のお陰で少しずつだが、一夏の心情が解ってきた」

 

 確かに一夏が何も話してくれない今、この収穫は決して少なくない。

 シャルロット自身自覚がないのだろうが、彼女は大会前から一夏の事をいつも間近で見てきたのだ。

 

「…少々悔しい気もするが、オレも知らない一夏の一面を多分お前は知っている」

 

 その後も、昭弘は捲し立てるように話を進めた。

 

「デュノアよ、頼み込む前に先ずはさっきの言葉について謝罪する。お前の気持ちも考えずに、己の感情を優先した言動だった。…すまなかった」

 

 こんな適当に謝っておいて、虫がいいのは昭弘だって百も承知だ。彼女が望む見返りも、与えてやれないかもしれない。

 それでも頼むしかない。

 

「手を貸してくれ。一夏の事をもっと知るには、他人の気に敏感なお前の力が必要だ」

 

 最後にそう締め括ると、昭弘は両手をテーブルに付けて頭を深々と下げる。

 

 展開が急過ぎて、イマイチついていけない様子のシャルロット。

 

 しかし、彼女の心には一度だけ感じた事のある「気持ち良さ」が芽生えつつあった。それは、大会中パートナーとして一夏に期待を寄せられていたあの日々の心情に良く似ていた。

 

 だからこそ同時に、シャルロットはその顛末を思い出してしまう。決勝戦に向けてのトーナメント戦。自分の力が及ばなかったせいで、一夏は一番勝たなければならない相手に敗れてしまった。

 そう思い込んでいる彼女にとって、それは期待に応えられなかったと言う事を意味する。

 

 今回も同じ様な結末を辿るのではないかと言う恐怖が、彼女の口に「分かった」と言わせてくれない。そんな故で黙るしかない彼女に対し、昭弘は雷のような一声を突き出す。

 

「無理なら無理と言ってくれて構わん。お前の心のままに答えてくれ」

 

 無理。

 一体今まで、何度シャルロットはその言葉につき従ってきたのだろう。周囲の環境がそうさせたのだろうか。だが今の彼女に、そんな(しがらみ)は存在しない。故に彼女は自由に答えられる。

 逆に言えばそれは、自分で考えなければならないと言う事でもある。

 

 ここで無理と言ったら、増々自分の価値が無くなってしまうかもしれない。

 だが昭弘の頼み事は、自分には何のメリットもない。引き受けたとしても自分はまた失敗するのではないか。そうなれば、今度こそ周囲から忌避の目を向けられてしまう。

 それらネガティブな打算に、シャルロットは支配されそうになる。

 

 それでも、彼女は昭弘の言葉をもう一度頭の中で復唱する。「自分の心はどう思っているのだろうか」と。

 利害だとか体裁だとか自分の能力だとか、それだけで答えられればどんなにシャルロットも楽だろうか。

 残念ながらそうは行かない。心の奥底で燻る感情は、それらの要素では一切測れないのだから。

 

 そんな事を頭に巡らせながら自身にとっては比較的短い時間、昭弘から見ればかなり長い時間悩んだシャルロット。

 そうして遂に彼女は心の声を曝け出す。そこには、打算などと言う要素は欠片も感じられなかった。

 

「……分かった、手伝うよ昭弘。心の底から喜んで」

 

 まるで己の意思表示の様に、初めて『昭弘』と名前で呼んだシャルロット。

 

 昭弘自身も予想外の回答だったのか、彼女の強い眼差しを睨み返しながら確認を取る。

 

「…本当にそれで良いんだな?」

 

「うん。一夏は僕を、父から解放してくれた。その恩は返したいしそれに―――」

 

 それが一番の理由ではないのだろう。自分に何が出来るのか、自分の価値とは何なのか。昭弘の「必要」という言葉を切っ掛けに、それらへの疑問と期待が強力な燃料となり彼女の心を熱したのだ。

 だから彼女は、「それに」の次へと続く言葉に想いの全てを乗せる。

 

「今のままじゃ駄目だって事だけは、僕にも解るから」

 

 それが一夏に対しての言葉なのかシャルロット自身に対する言葉か、昭弘には知る由もなかった。

 しかし昭弘もまた、彼女と同じ言葉をずっと脳内に浮かべている。この2人にとって「今のままじゃ駄目」という言葉は、少なくとも辿り着く方向性は一緒なのだろう。

 

 言葉を介さずにその点を理解したのか、2人は右手を突き出して固い握手を結んだ。

 

 

 

「シャルロット・デュノア、か…」

 

 彼女が部屋を去った後、昭弘はソファに寄り掛かりながらそんな言葉を静かに呟いた。それを切っ掛けに思い出すのは、彼女の強き眼差しと意気の籠った言葉だった。

 

「…ああ言われるとな」

 

 昭弘はついさっきまで、シャルロットとは深く関わらないようにしていた。親しくもない他人の厄介事に首を突っ込む程、彼もお人好しではない。だからこそ先程は話だけさらりと聞いて、とっとと帰って貰おうと考えていた。

 しかし彼女は言ってくれたのだ。「手伝う」と。嫌な表情一つ見せず、昭弘の顔色ではなく自分の意思でそう言ってくれた。昭弘も「見返りはない」とは言ったものの、やはりこのまま何もお返し出来ないと言うのは気が引けた。

 と言うより、彼女の必死な雰囲気が言葉よりも雄弁に伝わって来た為か、謎の御節介心が昭弘の中に芽生え始めた…と言った方が正しい。

 

(悪ぃなシャルロット。オレはオレで勝手に行動させて貰う)

 

 心の中でそんな事を決めると、昭弘は未だ制服姿のまま鋼鉄まみれの部屋を出て行く。廊下に満遍なく敷かれている絨毯の上を歩きながらも、昭弘は夢中でシャルロットの心境を考察する。

 

(…アイツは恐らく、自分の本当の望みが自分でも分かってないんだ)

 

 だから実父との関係が断てても、素直に嬉しさを感じられない。人から必要とされたいと言うのも、心に充満しているボンヤリとした輪郭の無いモノだ。

 

(じゃあオレに協力してくれた理由は…)

 

―――「今のままじゃ駄目だから」か?

 

 そう、そのままの意味だ。

 ここから先は昭弘の勘に過ぎない。良く当たってしまうのが末恐ろしい所だが。

 

 今の彼女は、自分の力で答えを見つけ出そうとしているのかもしれない。今のままじゃない、本当の自分が何なのかを。なら昭弘に出来る事、それは誰にもシャルロットの邪魔をさせない事だ。例え尊敬すべき担任だろうと。

 

 そんな昭弘は当然のように本校舎、その一角にある職員室へずいずいと進んで行った。

 

 

 

 巨大なオフィスビルにおけるテナントの貸室のように、広く白く小奇麗な職員室。

 しかし各教員のデスクには、PC液晶上の文字列やデスク上の書類が仕事の単位を現すかのように大量に積み重なっていた。

 教員たちがそれらの処理に追われている中千冬は自分の机上に重なっている仕事の山を無視し、グラス内で静止しているアイスコーヒーを眺めていた。千冬が目の前の仕事を無視してまで考えている事は、シャルル・デュノア改めシャルロット・デュノアの事であった。

 

(何とかしてやりたいが…せめて素直に事情を話してくれればな)

 

 シャルロットに対して脅す様な尋問を繰り出した彼女だが、それでも担任は担任、教え子は教え子だ。シャルロットがどれ程反抗的だろうと、心配しない筈がない。

 ただ、こうして仕事を中断して心配する事しか出来ない自分を、千冬は段々情けなく思うようになっていった。

 

 その時、千冬の右肩にか細く優し気な平手が置かれる。その手の主は真耶であった。千冬は自分の元後輩に対し、弱った瞳を静かに向ける。

 

「織斑先生…アルトランドくんが、私とアナタにお話があると…」

 

 途端、千冬は真耶も他の教員もビックリする程勢い良く立ち上がる。昭弘なら何か知っているかもしれないと、千冬は無言ながらも行動で表現していた。

 

 

 

「……もう一度言って貰えるか?」

 

 誰にも聞かれたくないと言う昭弘の要望を受けた千冬と真耶は、再び生徒指導室を貸切る事にした。そこで昭弘から言い渡された言葉を、余りに信じられなかったのか千冬は眉を顰めてもう一度確認しようとする。

 

「…シャルロットの一件、今暫くは手出し無用でお願いします」

 

 2たび同じ言葉を発した昭弘は、彼女たちが声を荒げない内に訳を話す。

 

「御二人の気持ちは良く解ります。事情はどうあれシャルロットが学園側を欺いていた事、そして間接的にではありますが、学園のハッキングを誰かに依頼していた事。それらを考慮すれば、彼女の行いはれっきとした犯罪行為だ」

「しかし、男性として入学していたと言うデータも書面も奇麗さっぱり消えちまった。そんな証拠もない状況じゃ、どの道どうにもできないでしょう」

 

 しかし真耶は怯む事なく反論し、千冬も静かに問い詰める。

 

「問題はそこじゃありません!我々も教師である以上、そう言う事は細かく把握しておく義務があるんです!」

 

「…何故お前まで庇う?」

 

 そう訊かれた昭弘は、自身の部屋におけるシャルロットの強い瞳を思い出しながら普段通りの調子で答える。

 

「…アイツは今、自分自身と戦っているんです。自分の何が正しくて、何が間違っているのか。今の状況で自分にできる事は何なのか。それらを必死に探している。だから今のシャルロットに、余計な横槍だけは入れないで頂きたい」

 

 そう言われて、優しく気弱な真耶は言い返せなくなってしまう。しかし千冬は小難しい事を考えるように頭を掻きながら、落ち着いた口調で尚も食い下がる。

 

「私たちだって別にデュノアをIS学園から追い出したい訳じゃない。寧ろ教師として―――」

 

「教師としてどうにかしてやりたいのでしょう?…オレはたかが一生徒ですが、オレだってどうにかしたい」

 

 千冬の台詞を、昭弘の言葉が遮る。そして昭弘は間髪入れずに「互いに想いが一緒ならどうかお願いします」と、深く深く頭を下げる。

 そんな最中、千冬は返答する前に現状の整理に努めた。

 

 シャルロットの情報改竄。この事を知っているのは千冬たち教員、シャルロット本人、昭弘、そして恐らくだが一夏と束。

 シャルロットの詳細な事情を知っているのは昭弘、推定だが一夏と束。

 シャルロットは今自分を見つめ直す為に行動し、昭弘もそれを手伝っている。

 

 軽くそれらを纏めた後、千冬は次なる問いを昭弘に繰り出す。

 

「デュノアは今、具体的には何をしているんだ?」

 

 昭弘は少しの間悩む仕草を見せた。どこまで話すべきか、回答を事細かに調整しているのだろう。少なくとも千冬と真耶を安心させる為にも、最低限の情報は与えるべきであろう。

 

「…オレと一緒に、本件の計画を立てたであろう人物に関する情報収集を行っています」

 

 間違ってはいない。ただ、言い方としては疑義を感じてしまう。

 現に千冬は以下の様に解釈してしまった。

 

「成程、主犯格の真なる目的まではデュノアも知らないって訳か」

 

 これではまるで捜査だ。だがそこまで細かい事に拘る性格でもない昭弘は、それ以上訂正もしなかった。

 そして千冬から最後の問いが投げられた。

 

「で?その主犯格に関しても、我々から直接手出しをして欲しくはないと?」

 

「…申し上げにくいのですが」

 

 そこで昭弘からの回答は終わりだ。

 結果として、狭く無機質な空間にいつ終わるかも分からない沈黙が訪れる。真耶は幾許か瞼を閉じた後、縋る様に千冬の横顔を見詰める。そんな真耶の潤んだ瞳に気付いた千冬は、増々回答を先延ばしてしまう。

 そうして8~9分程が経過した所で、漸く千冬は声を出した。

 

「分かった。我々もこれ以上デュノアを直接問い質すような事はしない。…但し猶予は1週間だ。主犯格に対しても、手出しをしないと言う約束は出来ない」

「それともう一つ。事が全て片付いたらデュノアとその主犯格、私と山田先生に直接叱らせろ。涙を流すまで徹底的にな」

 

 1週間以内に関しては、昭弘も特に問題は無い様子だった。一夏を一刻も早く立ち直らせたい昭弘自身、長引かせるつもりはない。

 説教に関しても、まましょうがないとタカを括った。説教と反省文50枚程度で済むのなら正直安いものだ。そんな訳で、一夏とシャルロットには残念ながら泣いて貰う事になるだろう。

 出来れば一夏を問い質す事も止めて欲しかった昭弘だが、流石にこれ以上は千冬も譲ってくれないと諦めた。

 

「…分かりました。本当に、ありがとうございます」

 

 そう感謝の言葉を述べて生徒指導室を出ようとした昭弘は、最後に振り向いてもう一言だけ添える。

 

「…織斑センセイ、山田センセイ。いつもいつも迷惑を掛けちまって、本当に申し訳ありません」

 

 昭弘からの謝罪に対し、千冬は少し此度れた様な笑みを零しながら返す。

 

「全くだ。お前の周囲では毎回色々起こって、我々も退屈しない」

 

 千冬の言葉を皮肉と捉えた昭弘は、冷や汗を掻いて早々にその空間から退室していった。

 

 

 昭弘が退室して再び生徒指導室には沈黙が訪れたが、先のそれよりもずっと短かいものだった。千冬が弱音に近い言葉を、真耶に吐いたからである。

 

「…私は教師失格かもな山田くん。生徒に生徒の問題を任せるようなマネを…」

 

「…仕方がありませんよ。時には生徒を信じる事も大事だって、織斑先生も良く言っているじゃないですか」

 

 そう言って先輩教師を慰める真耶だが、最後の最後に少々余計な一言を発してしまう。

 

「それにホラ!アルトランドくんって1組における3人目の担任みたいな存在ですし!」

 

 真耶なりの冗句なのだろう。

 しかしここ最近の昭弘を見ている千冬にとっては、中々どうして冗句に聞こえてこない様だ。その為か、千冬は弱音を吐いた時以上に瞳の生気を失ってしまう。

 

「…イヤイヤ織斑先生!?じょ、冗談ですよ冗談!」

 

 ここは生徒指導室。教師と生徒が入室してからは、終始張り詰めた空気が蔓延する。

 今回は普段の数倍空気が張り詰めていたが、最後の最後で何とも言えない微妙な空気で締め括られる事になってしまった。



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第34話 憧れに隠れているモノ

―――――6月10日(金) 5時限目―――――

 

 6月。

 IS学園の生徒たちにとって、その季節は中々身に堪えるものであった。

 

 最新鋭設備の塊であるIS学園。当然の事、冷房等の空調関係も完備されてはいる。

 ところが冷房をつけて良いのは外気温が30℃を超えた場合、しかも生徒が勝手気儘に操作できるものではないとの事。ざっくりとした理由を述べると、利便には費用と言うものが付きまとうからだ。

 

 要するに25℃を超えて30℃を下回る日が多いこの季節は、彼女たちにとってとてつもなく暑いのだ。

 彼女たちは少しばかり息を荒らげながら、素肌から排出した水分を純白のYシャツに染み込ませる。黒っぽく濡れ透けたYシャツは彼女たちの生肌に密着し、その奥で乳房を護っている下着が僅かに透けて見える。

 

 そんな思春期真っ只中の男子が見たら大いに漲りそうな光景の中に、その巨漢は居た。

 汗によるYシャツの透け具合は周囲の少女たちと一緒だが、内に搭載されている肉の量と生肌の質感は最早別の生物と揶揄されても不思議ではなかった。

 そんなガチガチな肉体を普段通り張り詰めながらも、青年はまるで繊細な電子機器を取り扱う様な視線をある人物に向けている。この百花繚乱な空間でどの女子を見詰めているのかと、誰しもが思うのだろう。しかし筋肉青年『昭弘』の視線の先には、数少ない男子生徒の虚しげな背中があった。

 

 

 

 

 

 時は6月7日の昼休みまで巻き戻る。

 天上の大部分を多い尽くす積雲には、キレイな等間隔を維持しながら青空がその姿をちょこちょこと覗かせている。辺りを一望できるIS学園の屋上も、そんな青空からすれば平面にポツンと置かれたボタン程度にしか見えないのだろう。

 屋上と言う名のボタンの上には、更に小さな点が此処彼処に散らばっていた。

 その内、昭弘、箒、シャルルと言う名を冠した点は、一角に集まって何かを話し合っている。もっと正確に言えば話し合っているのは昭弘とシャルルで、箒は2人を見比べなから漫然と握り飯を口内に運んでいた。

 

「一夏の様子で他に気になっている事は、やっぱり織斑先生についての反応かな」

 

「と言うと?」

 

「大会中、僕が一夏に対して「流石はブリュンヒルデの弟だね」って言った事があるんだ。直後少しの間だけど、一夏は笑顔のまま硬直した。まるで彫刻の様な笑顔のままね。…凄く微細な事かもしれないけど」

 

 昼食も放ったらかして、一夏の事で長々と喋る2人。どうにか絶え間ない会話の隙間を見つけた箒は、困惑を隠さず自身の疑問を割り込ませる。

 

「な、なぁ昭弘。これはデュノアも私たちに協力してくれる…と言う解釈で良いのか?何の説明も受けていないのだが…」

 

「ああそうだ、それより箒。幼少気の頃、一夏は織斑センセイについて何か話してたか?」

 

 そうバッサリ答えると、昭弘は未だ状況を把握しきれていない箒に早速質問を投げ掛けてくる。

 「昼休み、屋上で話がある。シャルルも一緒だ」としか言われていない箒。そもそもいつから昭弘とシャルルは仲良くなったのか、何故シャルルまで協力してくれるのか。そうやって1つの疑問が頭に浮かんでは、また新しい疑問に上書きされる。

 

 何より、箒自身気分が悪い事に自分の事ながら漸く気付き始める。先程から齧っている握り飯も、中々喉の奥へと進んでくれない。

 自分にとってのヒーローであり、初恋の相手でもある殿方。そんな幼馴染の「裏の顔」について、開幕からいきなりあれこれ分析されるのだ。箒からすれば、食事を放棄して耳を強く塞ぎたい所だろう。

 しかし、箒はそれらの疑問や気鬱を一旦追い出しどうにか気持ちを切り替えようとする。いつまでも今までの一夏に囚われる訳には行くまい、と。肝心なのは今までの一夏ではなく今の一夏だ。

 

「……そう言えば、自分から千冬さんの話題を出す事は一度も無かったな」

 

 当時は、箒もその事について特別思い入れ等無かったのだろう。今さっき昭弘から聞かれて、初めてその事に違和感を覚えたようであった。

 

「…高校生なら兎も角小学生くらいの子供なら、姉弟の事とか友達に喋るものなんじゃないかな?」

 

「ましてやその姉は天才ブリュンヒルデだ。子供なら自慢げに言い触らすもんだと思うが…」

 

 そんな感想を漏らす2人に、箒は少しばかり不機嫌そうに口角を歪めながら言う。

 

「じゃあ何か?一夏は千冬さんに憧れている訳ではないと…そう言いたいのか?」

 

 だがそれもそれで可笑しい。ならば何故、一夏は千冬の姿を模したレーゲンを見てあれ程までに激昂したのか。そもそも、何故千冬の剣術をしっかりと身に付けているのか。よもや無理矢理教えられた訳でもあるまいに。

 憧れではないと言うのなら目標かそれとも…。考えた所で答えなど見つからないと悟ったのか、昭弘は千冬に関する一夏の台詞を頭の中で何度も反復する。

 

―――千冬姉は頼りたくない

 

 昭弘の言葉に対し、さらりと一夏が零した言葉だ。真耶の事なら頼るとも言っていたので、教員ではなく意識的に千冬を避けたのは明らかだ。

 

―――それは千冬姉を…

 

 昭弘の「何故ボーデヴィッヒを敵視する」と言う問い掛けに対する、一夏の途中で終わった返答だ。その後「これ以上は言いたくない」とも。

 つまり皆に知られたくない感情なのだろうか。だとしたら少なくとも憧れではない。それとも、一夏自身も千冬に対する感情が良く解っていないのか。

 

 思考の渦に嵌る昭弘を尻目に、シャルルはハッとしたように瞼を大きく開ける。

 

「焦りだ」

 

 そんな一言をボソリと呟いた後、シャルルは普段の口調に戻って続ける。

 

「織斑先生に擬態したレーゲンを見た時の一夏。アレはボーデヴィッヒさんへの嫉妬心以上に…何処か焦っている様にも見えた。大会予選にしたってそうだ。どれだけ勝っても、もっと強くもっと強くって……ッ!」

 

 言い終わった時の反応からして、どうやらシャルルは気付いた様であった。

 そして、シャルルは次の言葉を繰り出すべきか大いに悩み始める。それは質問が纏まっていないと言うよりも、訊いてはいけない事なのだと昭弘や箒を気遣っているように見える。

 それでも、前に進むにはやはり訊くしかなかった。

 

「……2人共怒らずに聞いて欲しい。一夏は今後一生、IS乗りとして織斑先生を超えられると思う?」

 

「―――」

 

「―――」

 

 全く同じ沈黙。唐突な質問に対する、言わば呆気である。

 しかし2人の沈黙は、直ぐ様別方向に分断される。箒の言葉によって。

 

「い、一夏を侮辱しているのか!?そりゃあ当然……」

 

 それ以上、箒は声に出せなかった。

 幼少期から千冬の剣術一夏の剣術を見比べており、剣の道にも精通している箒。一夏の今後における伸びしろを加味しても、2人の実力差がどれ程離れているのか彼女が誰よりも良く知っていた。

 だからこそそこから先を言わなかった、言えなかった。

 

 昭弘に至っては未だに沈黙を継続したままだ。

 だが呆気に取られた沈黙から、黙秘の様な沈黙へと変わっていた。昭弘も又、千冬の試合を映像資料室で観た事があるのだ。だから昭弘も言わない、言えない。

 

 

織斑一夏は織斑千冬を超えられない

 

 

 心の奥底にずっと隠していたその残酷な答えを、昭弘は頭に浮かべるだけで声には出さなかった。代わりに一夏が千冬に対して抱いているであろう感情を、力無き声で示す。

 

「……劣等感か」

 

 今までの千冬に対する一夏の反応が、もしその類の感情から来るものならば憧れよりよっぽど納得が行ってしまう。

 そして悲しい事に、昭弘も箒もそれ以外の答えを見つけ出す事が出来なかった。

 

 

 

 

 

 そんな事を思い出しながらも、昭弘の虚し気な瞳は一夏を捉えたままだ。

 心なしか普段の一夏の背中よりも酷く小さく見えるその背中を目に焼き付けながら、昭弘は自分の行いを振り返り始める。

 

(結局オレは、ずっと目を逸らしていたって訳か)

 

 昭弘や周囲の助力もあって、日々着実に成長していく一夏。

 しかし、人間の成長には必ず終わりが来るものだ。そしてその成長が終わった時一夏の実力がどれ程のものになっているのか、昭弘も箒もある程度予測していた。一夏が頑なに固執する、一刀による至近距離での攻防。それでは千冬は疎か、ラウラすら超える事は出来ない。

 それでも昭弘と箒は一夏を想い過ぎたが故、その未来を必死に否定し奇麗事で覆い隠した。きっと強くなる、だから一夏の好きなようにやらせよう、と。結果、ラウラの存在も相まって一夏の中にある劣等感はどんどん一夏の心を侵食して行った。

 

 一夏はその劣等感を無意識に隠し続けた。千冬に憧れていると、千冬のようになりたいと、自分自身をも欺いて。

 それは恐らく、此処IS学園に来てからではない。もっとずっと昔から。

 

 

 

 5時限目も終わり、唸り声と共に身体の至る所を伸ばしながら疲労を表現する1組の生徒一同。

 そんな中、一夏は疲労感を表に出す事もなく教本を勢い良くバタンと閉じる。そして教壇から今正に降りようとしていた自身の姉に、比較的落ち着いた調子で声を掛ける。

 

「織斑先生、少しお話が」

 

 しかし授業はあと2時間は控えている。次の授業までそれ程間もない状況もあってか、千冬にはかなり急いでいる様子がありありと見て取れた。

 

「何だ織斑?今ここで話すと言う事は手短に済む話なんだろうな?」

 

 千冬の問いに対し、一夏はコクンと一回だけ頷くと直ちに用件を述べる。

 

「オレと模擬戦をしてくれませんか?…出来れば今日中に」

 

 教え子からの唐突な挑戦に、千冬は2、3秒身体の動きを止める。

 周囲の生徒たちも、クラス代表からの突然の申し出に一人一人異なる疑問を口にする。やがてそれは小さなざわつきを引き起こす。そのざわめきで我に返ったのか、千冬は後頭部を軽く掻きながら理由を訊ねる。

 

「…どうしたんだ?急に。自分の実力を確認したいのなら、他に適任などいくらでも居るだろう?」

 

 しかしそんな疑問をぶつけてくる千冬に対し、一夏は安い挑発を吹っ掛ける。

 

「オレに負けるのが怖いんですか?」

 

「……本当にどうしたんだ?一夏」

 

 増々首を傾げる千冬。

 そんな中、一夏の後方から巨大な影が近づいて来る。その影はゴツゴツとした右手で一夏の右肩を掴むと、一夏を制止しようとする。

 

「…もういい一夏、止せ」

 

 そう言う昭弘の目には、一夏への哀れみが籠っていた。

 そんな大男に掴まれていた一夏は、誰よりも早く昭弘の哀れみに気付くとボソボソ反抗の意思を示す。

 

「…何がもういいんだよ?」

 

「それは……」

 

 それ以上昭弘は口を開けなかった。

 昭弘と一夏を見て、収拾をつけるのに時間が掛かりそうだと判断したのか、千冬は理由を聞き出す事無く一夏に返答する。

 

「分かった。今日の放課後、お前と模擬戦をしてやろう。大会後で練習に使っている生徒も少ないし、3年生も先日の大会でかなりの人数がスカウトされたしな」

 

 それに折角の生徒からの挑戦である。多忙とは言え、教師として無下に断る訳にもいくまい。

 

 承諾してくれた千冬に対し、一夏は深く一礼すると淡々とした足取りで席へと戻って行く。

 そんな一夏を遠い目で見送った昭弘は、焦りながら再び千冬に振り返る。

 

「織斑先生、しかし…」

 

「さっきから何だと言うんだアルトランド、お前らしくもない」

 

 よもや、今この場で「一夏は千冬に劣等感を抱いている」と言える筈もない。一夏を制止した理由も「更に状況が悪くなる気がする」と言う、非常に曖昧で根拠に欠けるものだ。

 

「…もう行くぞ?急いでいるんだ」

 

 その言葉を最後に、千冬は未だにざわめきの途切れない教室を後にする。

 

 昭弘は普段と何ら変わらない千冬の後姿を、呆然と立ち尽くしながら見る事しか出来なかった。

 そして、心の中で何度も言葉を繰り返す。無理やりにでも止めるべきだったのか、それとも止めるべきではなかったのかと。誰に問い掛けているでもないそれは、昭弘の中でただ虚しく回転していた。ダムに塞き止められた水が、行き場をなくしたように。

 席に戻ろうとする昭弘の視界に、また一夏が映り込む。さっきと何も変わらない生気の薄い瞳で教材を読み耽る一夏が、そこに居た。

 

―――この日の為にそうまで勉強をしていたのか。あんなにもアリーナに行き通っていたのか

 

 昭弘がそう考えたのは、あくまでごく一瞬だった。そう、そんな筈はないのだ。

 たかが数日間、少しばかり練習量や勉強量を増やした程度で劇的に強くなれるなら訳ない。精々、しないよりはマシと言う程度にしかならない。かと言って、今の一夏に勝機がある様にも見えなかった。

 

 よってか、一夏が勉強するその姿はいつも以上に昭弘の不安を煽った。

 まるで意味の無い事を、無心に繰り返している様で。



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第35話 憎悪

 何処かに保管されていた、ある事件の記録。

〈20XX年XX月XX日 ○○:○○〉

 大会中、前大会覇者であり今大会の選手でもある織斑千冬。その弟が正体不明のテログループに拉致、監禁される。
 調査の結果、犯行に及んだグループは亡国機業の下部組織と判明。動機に関しては、織斑千冬の大会2連覇阻止が濃厚。しかしこの事件が亡国機業の指示によるものか下部組織の暴走によるものか、現時点では不明。拉致の手段等、詳しくは別紙を参照されたし。
 本事件に際し、織斑千冬は大会を途中棄権。時を待たずしてそのまま弟の救助に向かう。結果、ドイツ軍による情報支援もあって弟は無事救助される。しかし、織斑千冬は大会2連覇を達成出来ず。同じく、詳細は別紙にて。
 尚本件に関しては、織斑千冬の棄権以上の情報をメディア等及びその他一切に漏らさないよう留意せよ。



「もうここに一人全部知ってる部外者が居ますけど~?」

 自慢のハックで盗み出した文書の一部を流し読み、束はせせら笑いながらそう口にする。

「ふぇ~中学生で拉致監禁されるなんて、いっくん良い体験したじゃん☆」

 どこが良い体験なのかは理解に苦しむが、どうやら彼女の中では「珍しい体験=良い体験」と言う式が最初から出来ているらしい。

「おっとイカンイカン」

 と言って束は思考を切り替える。「未来の可愛い弟の事もっと調べておかないと☆」などと言う建前の元、気紛れで盗み出した第2回モンド・グロッソ誘拐事件の極秘資料。
 本命は一夏の変化だ。


 話が逸れるが、束は人間が持つ「思考・感情・精神」の変化に以前から興味を抱いていた。はて、かの天災科学者が興味とな。
 しかし、それもまた必然なのかもしれない。直接人間の脳回路を意のままに操る事など、いくら束でも出来はしない。精々可能な範囲と言えば、何らかの事象を起こす事でそれを見た人間の思考を変える程度だ。だがそれは、間接的で確実性に欠ける。
 束が今現在押し進めている計画も、それが起因となっている。もし束自身の意思1つで、全人類の脳回路を操る事が出来てたらMPSを量産させる等と回りくどい事はしない。
 つまり束にとってMPSの大量生産とは、全人類の思考や感情を変える為の第一段階に過ぎないのだ。


 話は戻るが、そんな訳で束は調べる。ホログラム化されたキーボード上に自身の両手を高速で這わせながら、彼女は資料をがめつくかき集めていく。
 誘拐事件が起こる前と起こった後での、一夏の違い。その大元となる、アリーナ中にセットされた監視カメラに映る一夏の表情。そして救出直後の綿密なメンタルチェック。それらの結果を示し、一纏めにされたレポート。
 それら全てに目を通した直後、束の一言目は―――

「…何じゃこりゃ」

 そんな反応を示した理由を、束は続けて独りごちる。

「いっくんの精神面に変化なし?と言うより、事件前から精神異常状態じゃんこれ。…拉致られる前、何か嫌な事でもあったのかな?」

 安直な予想を口にした後、束はあくまで可能性の一つとして次の言葉を脳内に作り出した。

―――まさかずっと前から?

 しかしコロッと気が変わった様に、束はその可能性を軽く一蹴する。

「んな訳ないって!束さんのお・バ・カ☆束さんの可愛い可愛い箒ちゃん♡その未来の旦那さんがそんな精神異常野郎であって堪るかっての!」

 少し年の離れた、束の愛おしい妹である箒。そんな箒が予てより想いを馳せていた、黒髪の剣士。
 束にとって、そんな2人が末永く結ばれる事は既に決定事項のようだ。
 当然、そこには根拠も何もない。あるのは、妹への歪んだ愛情だけだ。


「千冬姉!はいお弁当!」

 

「ああ、いつもすまないな」

 

 何の変哲もない一軒家の玄関口で、毎日繰り返されている日常のワンシーンが、今朝もいつも通りに繰り広げられていた。他の家庭と異なる点と言えば、2人に両親が居ないと言う事だろうか。

 姉は勿論、両親の顔も性格も知っている。

 しかし少年は覚えていなかった。少年が人の顔を覚えるには、両親の蒸発は時期が早過ぎた。だから少年は、本当の家族と言うものを知らない。姉こそが、姉だけが少年の知る家族と言う概念だった。

 

 そんな少年は姉が大好きだった。

 何故なら少年が好きで好きでしょうがない「ヒーロー」と言う存在を、その身一つで体現してくれるからだ。その雄大さは大地の如く、鋭さは雷の如く、美しさは海氷の如く、そして強さは竜の如し。

 そんな姉の存在を常に間近で感じていた少年は、そう在る事こそが絶対の正義であり自分もいずれそうなるであろうと確信していた。彼女の弟なのだから、彼女と血が繋がっているのだから、同じ血が流れているのだから。

 その感情が「憧れ」であると気付くまで、そう長い時間は掛からなかった。

 

 

 そんな少年にとって、学校は最適の場所と言えた。

 どんな行動がどんな言動が自分の思い描くヒーロー像に近しいのか、同級生たちの反応を見れば自ずと最適解も見えてくるからだ。そう、同い年の少年少女たちは格好の観察対象であったのだ。剣の道に身を費やすのも体育で良い成績を取るのも、虐められている同級生の少女を助けるのも、全ては姉に近付く為であった。

 現にそんな少年を見て、生徒も教師も皆口を揃えて言った。「流石は織斑千冬の弟だ」と。

 誰もが認め誰をも魅了する彼女の名を冠せられる事に、少年も又無上の喜びを覚えた。

 

 だが、何故か少年は自分から姉の話題を出す事が無かった。

 

 

 時が経つにつれて、少年の心に少しずつ黒点が出来始める。

 「いいぞー!織斑弟!」「凄い!本当に千冬様みたい!」と、その日も歓声や憧憬の眼差しを受ける少年。少年自身も、太刀筋がより洗練されているのを強く感じ取っていた。

 しかし、何故か少年の心は満たされなくなっていた。

 その原因に気付く事なく少年は次の日も笑顔で、唯一の家族である姉に自作の弁当を渡す。

 

「千冬姉!今日は野菜増し増しだぜ!最近摂ってないんだろ?」

 

「ウッ…やだ」

 

「オイオイ…ちゃんと全部食べてくれよ?」

 

「…分かった」

 

 少年の笑顔に隠れるごく僅かな変化に、姉は気付く事がなかった。

 

 

 謎の黒点は徐々に少年の心を蝕んでいく。

 その日もその次の日も、少年は姉を思い浮かべながら切磋琢磨していった。

 しかし、少年はジワジワと気づかされ始めた。周囲の人間は、自分を『織斑千冬の弟』としか見ていないと言う事に。どれ程剣を振るおうと、どれ程それらしく振舞おうと、少し小さなコピーでしかなかった。いや、剣の腕が劣る分コピーですらなかった。

 そんな少年の心の汚染をどうにか食い止めたのは、他でもない姉との血の繋がりであった。

 

―――オレも「14の歳」になれば、同じく14歳だった当時の姉は超えられる筈

 

 足りないのは時間と更なる研鑽、それさえ乗り越えれば自分はきっと姉を超えられる。そうして漸く、自分は『織斑一夏』として認められる。

 少年はそう思い込む事で、ずっと抱いていた確信を保ち続けた。

 

 少年は今日も毎日の様に、姉に弁当を渡す。満面の笑みが放つ太陽光で、心の黒点を覆い隠す様に。

 

「今日は何だと思う?」

 

「ほう…開けてからのお楽しみと言う奴か?だが匂いで大体解るぞ?」

 

「流石は千冬姉。けど、実際見てみないと解らないもんかもよ?」

 

「…開ける直前、肉料理である事を祈るとしよう」

 

 一日の始まり。今日も弟の笑顔に癒された姉は、軽い足取りで家の門から出て行った。

 

 

 少年の確信は皮肉にも時間が経てば経つ程萎んでいった。

 12歳になっても13歳になっても、どれ程研鑽を積んでも少年には当時14歳だった姉を超えられるビジョンがまるで見えて来なかった。剣の腕が上達しようと理想のヒーロー像を追い求め続けても、増えるのは歓声だけ。それも自分に対するものではない、原本である姉を称えるものだ。

 誰も自分を見てはくれない。姉の肩書きが自分にのし掛かる限り、自分の剣も理想も所詮は姉の劣化版。

 段々と少年は姉に対する憧れの裏側に、別の感情を抱く様になっていた。その感情が明確になったのは、少年が14の歳を迎えてからだった。

 

 他の追随を許さぬ程、強く成長した少年。その剣筋は、遥か年配の高校生にも引けを取らない次元へと昇華されていた。

 そんな少年にとって肝心な事はただ一つ、姉を超えられたかどうか。だが少年の淡い願望は、偶然盗み聞いてしまった会話によってズタズタに引き裂かれた。

 

「確かにメチャクチャ強いけど、当時の千冬様程じゃないよね~」

 

 

 後日、少年は大会への出場を辞退した。

 当然トップエースである少年の唐突な辞退は、顧問を怒らせるには十分な材料だった。それでも少年は頑なに拒み、遂には部を抜けてしまった。

 その報は、既にIS学園へその身を置いている姉の下に届く事などなかった。

 

 

 その日、少年は弁当を作った。姉は、家族はもうその家に居ないと言うのに。

 レタスやブロッコリー、ウインナーやミニハンバーグの詰まった色鮮やかな弁当。少年はそれを光沢の無い黒一色の瞳で見詰めながら、憧れの裏側に潜む感情を増大させていった。

 

―――何故、どうして貴女は持っていて、オレは持っていないんだ。顔も似ていて、流れる血だって一緒なのに、何故オレは貴女に届かない

 

ナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼ憎いナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼ

 

 自身の醜悪な部分に浸る事数分、少年の心に1つの野望が芽生え始める。

 それは今における少年の瞳を更に色濃くした様な、卑しくどす黒い野望であった。くつくつと引き笑いを不気味に響かせながら、少年はその野望をひとり口にする。

 

「……いつか、オレがアンタをマモれるようになって見せるよ千冬姉」

 

 自分が姉を超えた時、姉はどんな顔をするのか。

 血の劣る、剣の劣る自分に護られると言う絶望的屈辱。それにより、毎日毎日落ち着いていて何処か余裕そうなあの表情が一体どの様に歪むのか、少年は考えただけで狂笑が止まらなかった。

 

―――オレが味わってきた屈辱。アンタも美味しく味わってくれたら良いなぁ

 

 周囲の目に映るそんな自分は、宛ら神の様にでも見えてしまうのではないか。それを思い浮かべただけで、少年は胸の高鳴りが止まなかった。

 少年はその感情を、憧れの裏側に大切に保管する事にした。それこそ太陽の如き笑顔で、心の翳りを照らし隠す様に。

 

 

 

 それからも、剣の修練を今まで通り続けた少年。

 そうして時間が経つ事一年後。何の因果か、少年は男性の身でありながらISを起動させてしまう。

 同時に、予感に似た何かが少年の脳内を電流の様に駆け巡った。

 

―――今度こそ姉を超えられるかもしれない

 

 予感に呼応させる様に、少年はそんな言葉を一人高らかに宣言した。

 女性にしか扱えないISを、男性である自分が扱えると言う不合理。きっとこれは、神様からの啓示なのだ。もうISしかしがみ付けるものがない少年は、そう考えるしかなかった。

 

 

 

 

 

―――――6月10日(金) 放課後―――――

 

 アリーナBのフィールド上にて、打鉄を纏った千冬は軽い動作確認をしていた。手の平を閉じてはまた広げ、四肢の関節を曲げたり伸ばしたりもしていた。

 久し振りにISを纏うからか、心なしか彼女の表情も何処か初々しげだ。

 

 だが反対側で同じように佇む純白のISを見て、彼女はすぐに頭を切り替える。

 今回の模擬戦は一夏からの申し出だが、千冬自身も良い機会だと考えていた。一夏を今件における主犯だと睨んでいる千冬にとって、向こうから接触して来る事は寧ろ僥倖だった。

 何より千冬が気掛りなのは一夏のその様子だ。大会が終わってからと言うもの、まるで人が変わった様に一夏から活気が抜け落ちてしまった。唯一の家族である千冬でさえ、今までこんな状態に陥る一夏は見た事がなかった。

 

 そんな試合前に余計な事を考える千冬に、白式から専用回線で通信が入る。

 

《織斑先生、本気でお願いします》

 

 それはまるでアナウンス音の様に、抑揚の無い無機質な声だった。それでも千冬は、敢えて普段通りを貫こうとする。

 

「オイオイ、2人で居る時くらい名前で呼んでくれてもいいじゃないか。それに、私にとっても久方ぶりのISバトルだ。相当なまってるだろうから、余り期待はするなよ?」

 

 そう軽口を叩く千冬だが、一夏からは何の言葉も返ってこない。それどころか、表情すらも変わらない。

 あの笑顔を見せてはくれないのかと、千冬までどんよりとした気分になってしまう。

 

(…切り替えろ。弟との折角の立合いなんだ。楽しもうじゃないか)

 

 そう自身に言い聞かせながら、半ば強引に気分を引き戻す千冬であった。

 

 

 

 スタンド席から、昭弘はフィールド上に浮かぶ黒と白のISを見比べる。

 色とは不思議なもので、並ぶ2つの色が補色であればある程互いの色合いをより際立たせる。丁度、今の打鉄と白式の様に。

 

 千冬の打鉄は、見たところ背部に一対の追加ブースターを付けてるだけだ。焔備も取っ払っている。

 

(構えは…IS戦でその構えは有効的なんだろうか)

 

 同じ構えを取る2機のISに対し、昭弘はついそんな事を考える。

 無駄を徹底的に排除したその中断構えは、見た者に透き通った流水を彷彿とさせるだろう。

 そんな構えも、剣道にそこまで精通してない昭弘にとっては決して合理的には思えなかった。ISの空中機動に、何か特別な働きかけでもするのか。それとも儀礼的な意味合いが強いのか。

 だがそれ以上に、昭弘には入学当初から解せない事が1つだけあった。一夏の「構え」を見ていると、どうしても昭弘はその疑問を思い出してしまうのだ。

 

「なぁ箒。一夏はずっと中学時代は帰宅部だったんだよな?」

 

 隣に座す箒に、今更な過去を確認する昭弘。

 

「…ああ。そう訊いているがこれは…」

 

 しかし、箒の様子に戸惑いは見られない。寧ろ昭弘の疑問に同調している様に見える。

 中学時代ずっと帰宅部だったと言う事は、少なく見積もっても3年はブランクがある筈だ。だが一夏は最初のクラス代表決定戦において、あれ程の剣技を披露してみせた。たったの一週間それもごく限られた時間の中で、3年のブランクをああも簡単に埋められるものなのか。

 昭弘も箒も、薬指にできたささくれの様にその事がずっと気になっていた。

 

 結論から述べると昭弘と箒は、一夏が自分たちに嘘をついていたのではないかと疑っているのだ。

 もしそうだとしたら何故そんな嘘をついたのか。中学時代、剣技に纏わる事で何か嫌な事でもあったのだろうか。

 

 もう一つ昭弘には気になる事があった。非常に些細な事と承知で、昭弘はそれを箒に訊ねる。

 

「そう言や部活はどうした?」

 

「……顧問には遅れると言っておいた。理由を探すのに苦労したが」

 

「そりゃ気になるよな、特にお前は」

 

 人が変わったみたいに、様子が可笑しい箒の想い人。そんな状態で、模擬戦の相手に態々実の姉を指名した。相手なら他にいくらでも居ると言うのに。

 きっと何かある。五感と言う枠組みを超えた第六感的な何かが、箒をこの場に導いたのだ。

 

 箒でなくとも、かのブリュンヒルデとその実弟によるISバトルなのだ。スタンドにはそれなりの人数が詰め掛けていた。

 セシリア以下「いつもの面子」も、昭弘と共に居る。セシリア、鈴音は箒と同じ理由であろう。シャルルも恐らく、それに近い所以だ。

 ラウラやついでに居る相川は、ここ数年では滅多に拝めない千冬のISバトルが純粋に観たいだけだ。

 

 ただ昭弘、箒、シャルルはやるせない気分でいっぱいだった。どう転ぼうと決して良い終わり方など出来ない。今の一夏を見ていると、どうしてもそんな予感が込み上げて来るのだ。

 

 

 各人そんな様々な想いを胸に秘めているからか、まるで心の準備が出来ていなかった。

 

 そんな彼女らが呑気に植物を毟り食うシカなら、突如として鳴り響くブザーは密林から躍りかかるベンガルトラと言った所か。

 

 そうして試合が始まってしまった。

 

 

 直後、戦いですらない一方的な蹂躙が幕を開けた。

 

 

 

 一夏のコンディションは極めて良好だった。

 呼吸も乱れておらず、倦怠感も一切ない。何より、千冬への集中力が極限にまで高められていた。今の彼は、千冬以外一切見えていないと言っていい。

 それでいて試合開始のブザーだけは拾える様に、両耳には必要最小限の意識を回していた。

 

 ブザーは一夏の予想した時間帯にピタリと合致する様に鳴り響いた。直後、白式は千冬に向かって瞬時加速を使―――

  

 

えなかった。

 

 消えたのだ、千冬が。瞬きもせず、ずっと両の目で捕捉していたと言うのに。

 

 しかしその更に一瞬後、一夏は左側から針の様に細く鋭い気を感じ取る。瞬発的に自身を護る様に掲げた雪片へ、葵の刃が激突した。

 当然一夏は何が起こったのか分からない。目を丸くしながら、少し経って漸く目の前で自身と鍔迫り合っているのが千冬だと認識する。

 

《こうして直接立ち合ってみると、本当に凄いな一夏。この数か月で今の一撃を見切れるようになるとはな。…私の腕が落ちたと言うのもあるが》

 

 そう自身を褒め称えてくる千冬だが、一夏には分かっていた。今の一撃が、本気ではないと言う事を。

 その事が腹立たしいのか、一夏は鍔迫り合っている刃への意識をそのままに怒りをどうにか押し留めながら物申す。

 

「…接近した時、何故オレの背後を取らなかったんですか?本気でお願いしますと言った筈ですが」

 

《さっきも言っただろう?ブランクは短くないんだ。背後を取れるか怪しかったんだ》

 

 一夏は腹立たしさが消えなかった。「何がブランクだ化け物め馬鹿にしやがって」と、一夏はそう声に出したい衝撃を抑え低い声で念を押す。

 

「もう一度言います織斑先生、本気の本気でお願いします」

 

 凄む一夏とは対照的に、千冬は軽く溜め息を吐きながら応答する。

 

《……分かった。努力する》

 

 

 

 試合は1分と掛からずに終わった。

 

 

 

 観客スタンドでは、昭弘を含めたほぼ全員が動きを止めていた。「信じられないものを見た」と語る彼女たちの瞳は、生身の状態で地面に両手を付く一夏と打鉄を纏ったままそれを見下ろす千冬が映っていた。

 いまいち現実味がない一同は、もう一度先の出来事を頭の中で再現する。

 

 白式、背部(バック)ブースター装備の打鉄。高機動近接特化と言うだけあって、2機の戦術は全く同じであった。

 だが同じなのは戦術、そして空中を通った跡(軌道)だけ。2機の間に存在する次元の壁は、10枚も20枚も重なっていた。

 白式が1動けば打鉄は10動く、白式がその一刀を振り下ろせば打鉄は五刀も六刀も振り下ろしてくる。そして白式の雪片は打鉄に掠りもせず、打鉄の葵は何度も何度も白式の装甲に叩き込まれた。

 そんな光景が閉鎖空間で幾度となく繰り返された。

 最後には打鉄からの上段一文字を食らいグラウンドへと叩き落され、白式のSEは尽きた。

 

 ブランクを感じさせないどころではない、これが世界最強(ブリュンヒルデ)

 生徒たちは改めて思い知らされた。千冬が一体、どれ程途方もない存在であるのかを。大地の様な存在感、雷の様な剣の鋭さ、それでいて海氷の様な美しさを内包していて、その強さは最早神話の生物「竜」としか表現できない。

 

 

 ラウラは覚悟を決めていたつもりだった。

 だが実際に戦う千冬(ブリュンヒルデ)を目の当たりにしたショックは、やはりそれなりに大きい様であった。今の自分と、一体どれ程の差があるのか。

 ラウラもそんな事考えたくはないのだろうが、差を埋めるにはその大きさを細かく測り何が足りないのか分析するしかない。

 

(…私はこんな怪物に並ばねばならないのだな)

 

 そう心中で呟いた後、ラウラは油ぎった汗を体外に排出すると同時に生唾をゴクリと飲み込んだ。

 

 

 セシリアと鈴音が未だに放心気味である中、昭弘、箒、シャルルの意識は既に跪いている一夏へと移動していた。

 昭弘たち3人が予想した結果と言う名の線を、そのまま奇麗になぞった今試合の結末。

 俯く様に一夏を見詰める彼等からは、強い後悔の念が感じ取れた。さっき教室で力づくでも一夏を止めるべきだったと、今更そんな事を考えた所で最早どうにもならない。

 

 そう一夏を中心に捉えている3人の視界に、千冬と打鉄が舞い降りてくる。その佇まいは悪魔の様に黒い姿をしていながら、天使の様な清廉さをも兼ね備えていた。

 

 

 

 少し湿り気のある地面が、一夏の眼前に広がっていた。だがそれを見る一夏の瞳はガサガサに乾いていた。それはつまり、瞬きを忘れる程のショックが一夏を襲っていると言う事だろうか。

 地面から見た一夏の目は、生気を吸い取られた様に黒く染まっていた。

 

 いつまでも四つん這いの姿勢で跪く一夏に、グラウンドへと降りた千冬が近づいて来る。

 そして暫く一夏を見ながら思案すると、右手で後頭部を掻く素振りをしながら口を開く。

 

《いつまでそうしてるつもりだ?本気を出せと言ったのはお前だろう》

 

 千冬の声が、一夏の心をチクチクと突く。

 

《大体、お前はまだISと関わってから半年も経っていない。教師に勝てないのは当たり前だ。ブリュンヒルデである私が相手なら尚の事だ》

 

 千冬は別に、慰めているつもりではなかった。千冬の言う通り、教師はISのプロだ。教育段階にある生徒に負ける事など、そう簡単にあってはならない。

 だが今の一夏には、いい加減な慰めにしか聞こえなかった。一夏は風船の様に膨らんでいる自分の心を、尖った何かが厭味ったらしく小突いてくる様な気がした。

 未だに顔を上げない一夏を見て、千冬は良かれと思ったのか次の言葉を言い放った。

 

《それにお前は私の「自慢の弟」なんだ。きっといつか、私を超えられる日は必ず来るさ》

 

 微笑で千冬はそう言った。

 

 

 

 一夏の心は破裂した。

 

 

 心から流れ出た感情は出口を求めて彷徨うが、直ぐに口と言う「言葉の出口」を見つけてそこに殺到する。

 

「……アンタに何が解る」

 

 思わぬ一夏の反応に千冬もまた微笑を止める。すると一夏は遂に顔を上げ、奇声に近い怒声を張り上げる。

 

「オレは…!オレは努力してきたッ!してきたんだよずっとッ!!アンタを超える為にィッ!!」

 

 顔を上げたと思った矢先、突如、千冬が今まで見た事もない程顔を醜く歪める一夏。流石の千冬も動揺するが、一夏はそんな彼女の様子など気にせずに続ける。

 

「分からないだろうなぁ!!?全部持って生まれたアンタにはッ!人の痛みなんて…何も…何もォッ!!」

「アンタさえ…アンタさえ生まれてこなければオレはこんな感情を抱かずに生きていけたッ!!普通の…普通の子供として生きていけたんだ!ブリュンヒルデの弟でさえなければなぁ!」

 

 涙と鼻水を派手に飛び散らせながら、一夏は叫び続けた。

 そして最後、一夏は力尽きる様に言葉を吐き出した。

 

「憎い……アンタの事が憎くて憎くてしょうがない…。オレの…全てを奪っていったアンタが。自分だけ「ヒーロー」でいられるアンタが…」

 

 憎悪で濁り切った瞳を、一夏はこれ見よがしに千冬に見せつける。

 

 一夏の瞳に映る千冬は、ただ茫然と立ち尽くしていた。信じられないものを、受け入れられないものを目の当たりにした様に。

 身体と表情をピタリと静止させながらも、千冬は瞳だけをあらゆる方向へ細かく移動させていた。

 彼女は自身が今まで慕っていた存在が崩れ落ちていくのを、身体全体で感じ取っていた。

 それが完全に瓦解すると、笑顔の絶えない一夏は彼女の心から消え失せた。

 

 

 千冬の眼前には、彼女をひたすらに憎み醜く歪んだ一夏の顔があった。



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第36話 さらば、偽りの日々よ

―――模擬戦後 19:15 学園寮屋上

 

 夜空は雲で覆われているにも関わらず、昭弘は手すりに両肘を掛けながら頭上を仰ぎ見ていた。星が見える訳でもないと言うのに。

 隣で同じ様に手すりに寄りかかる箒も、昭弘に倣う様に顔を上げていた。

 

 此処に来て5分、ずっと2人の間で沈黙が続いていた。それは互いを気遣っている訳でも、ましてや雰囲気を大事にしている訳でもない。何も言葉が浮かんで来ないのだ。2人の心にあるのは、言語にし辛いモヤっとした苦しみだった。

 故に、ただボーッと夜空を眺める事しか出来ない。

 

 しかしそれからまた少し経つと、箒が己の心情をどうにか言葉に変え始めた。尚も曇った夜空を眺めながら。

 

「……試合が終わった後、区画シールドのせいで一夏が千冬さんに何を叫んでいたのか私には分からなかった。だが一夏のあの形相を見れば、何を言っているのか大体予想もついてしまう」

「…私にとって一夏はずっとヒーローだった。どんな時も助けてくれて、笑顔が絶えなくて、真っ直ぐな剣を持っていて。…それらは全部、嘘だったと言うのか?私の愛した一夏は、何もかも偽物だったと…?」

 

 段々と、箒の声が低く震えていった。認めたくないのだろう、知りたくないのだろう。これ以上、今の織斑一夏を。

 

「結局私は、何もアイツの事を理解してなかった。あんなに長く濃密な時間を過ごしてきた筈なのに…」

 

 遂には自身の事まで否定し始める箒。昭弘たちと出会って多少は心が強くなった彼女だが、こう言う所はまだまだらしい。

 負の感情を吐き出し続ける箒を庇う様に、昭弘も自身の至らなさを吐露する。しかしそれは、溜まった感情を言葉に変換する事で鬱憤を晴らす様でもあった。

 

「オレだってそうさ。なんにも…一夏の事を何も解っちゃいなかった。イヤ、解ろうとしなかった。表面上とは言え、オレはいつだって明るくて笑顔の絶えない一夏に、どこか安心していた」

 

 千冬や箒、昭弘だけではない。一夏と関わった、ほぼ全ての人間に言える事であった。

 

 それは一夏が隠し通してきた、ただそれだけが原因じゃあない。

 今に至るまで、誰も『織斑一夏』と言う存在を見ようとしなかったのだ。織斑千冬の弟と言う強力過ぎる肩書きが、既にあったのだから。

 そして、本人も姉らしくあろうと切磋琢磨していたのだ。多少劣っているとは言え、目の前にそんな『千冬の様な存在』が居るのだ。周囲にとっては表面だけで満足だろう、中身など態々知る必要もないだろう。何より、実にその方が都合の良かった事だろう。

 

 ただ楽しければ良い、自分の欲が満たされれば良いと言った、周囲からの強い様で浅い興味。

 周囲の人間を、単なる観察対象としか見なさなかった一夏。

 風が吹けば宙に消える薄紙の様な人間関係そのものが、今の一夏を形作ったのかも知れない。

 

 だがしかし、そうだとすると昭弘も、箒も、セシリアも、鈴音も、シャルルも同類だと言うのだろうか。今の今まで一夏と過ごしてきた時間は、全てが嘘っぱちだったと言うのだろうか。

 強がりなどではない。昭弘には、とてもそうとは言い切れなかった。

 だからこそ箒の憂いを修正する。

 

「…確かにオレたちの知っている一夏は、全部偽物なのかもしれん。けどな…一夏と共に居た時間までは、偽物じゃないとオレは信じたい。何であれ一夏は一夏だ」

 

 自分たちと一夏が過ごした時間。肝心なのは、それを一夏がどう感じていたかだ。恐らくその感情こそが、一夏の「本当」なのだろうから。

 それをどう引き出すかが、解決の糸口になるのか、それとも…。

 

 昭弘が言い放った「一夏は一夏」と言う言葉に感化されたのか、箒は少しだけ調子を取り戻す。

 

「…その通りだな。一夏を信じるとしよう」

 

 

 

「信じて、ずっと待ち続けるつもりなの?」

 

 突如、屋上へと続く出入口の側から高く柔らかい声が響き渡る。

 昭弘と箒が振り向くと、夜闇で見え辛いが金色の髪がテラリと光った。それだけで昭弘と箒は相手が誰なのか把握する。シャルル・デュノアだ。

 現れていきなり物申してきたシャルルに対し、箒と昭弘は余り歓迎ぜずに応対する。

 

「そうだ。友を信じて待ち続ける事の何が悪い?」

 

「強引に説得した所で、一夏が増々苦しむだけだ。どの道、見守って待ち続けるしかない」

 

 二対一となり、シャルルは少しだけ視線を下げる。

 しかし直ちに反論へ転ずる。

 

「…2人はさ、少し優し過ぎるんじゃないかな。一夏に対して」

 

 「優しい」

 箒には、シャルルの言っている事が理解出来なかった。彼女は今まで、一夏に対して常に厳格に接してきたつもりだからだ。

 

 しかし、昭弘は何処か心当たりがあるのか表情をそのままに瞼を閉じる。

 と言うより、シャルルの指摘は間違いなく当たっていた。現に昭弘は、今日まで一夏に対して大きな行動を起こせていない。故に何も言い返せない。

 

 2人の反応に構う事なく、シャルルは続ける。

 

「信じて待った所で、一夏が考えを改める保証なんて無いよ…。彼は今日に至るまで、ずっと織斑先生に執着していたんだよ?…言っちゃ悪いけど「一夏は一夏」だなんて、そんなの奇麗事だよ」

 

「「…」」

 

 昭弘も箒も思わず沈黙してしまう。シャルルの言葉を肯定する訳でもない様だが、否定できるだけの根拠も故もない。

 

 だが箒は尚も食い下がる。それはシャルルが来る直前、昭弘へと言い零す予定の言葉であった。

 

「…私には一夏の気持ちが解るのだ。私も姉の名に翻弄され、自分を見失っている人間の一人だったからな。それが昭弘の言葉や周囲の人間と接する事で、少しずつ少しずつ治っていったんだ。そして今も、完全には治っていない。必ずどこかで姉の幻がチラつくのだ」

 

「だから強引なマネはすべきではない、と?」

 

「………そうだ」

 

 やるせない様に、箒は力無く頷く。

 本意ではないのだろう。一夏をどうにか出来るものなら、今すぐにでも行動に移りたいのだろう。

 だが彼女も又「姉」と言う幻影に囚われた人間だ。自分は差し置いて一夏だけを責める事など、彼女には出来ない。

 

 そんな箒を真似る様に、シャルルも自身の体験を語り出す。

 

「僕だって君と似たようなものだよ。昭弘が居なければ、多分ずっとあのままだった。いいや、昭弘の言葉で僕の意識はガラリと変わった」

 

 箒は今度こそ完全に口を閉じてしまう。

 素直にシャルルの言葉を認めたくない彼女だが、確かに「昭弘」と言う切っ掛けは同じだ。

 結局、同じ切っ掛けでも言葉や相手によっては結果もどうしようもなく変わっていく。箒と一夏、立場が似ているだけで実際は同一人物でも何でもない。ゆっくりと永い時間を掛けようと、箒と同様に治るとは限らないだろう。

 

 箒から反論が来ないのを見計らってか、シャルルは昭弘に向き直る。

 

「昭弘、君だってもう分かっている筈だよ?あの時僕に対して言ったように、一夏にも面と向かって言うしかない。それで今の自分を、現実を、受け入れさせるしかない」

 

 永い時間を掛けるべきか、直ちに考えを改めさせるべきか。

 しかし、昭弘はもうそこまで長く悩みはしなかった。シャルルの言葉で、余計な思案が取っ払われたのだ。

 一夏に対するその場凌ぎの優しさ。その要素を差し引いて考えてみると、やはり自ずと答えは片方に傾いてしまう。もう、大きな行動に出るべきなのだ。本当に一夏の事を想うのなら、一夏が苦しむ時間は短いに越した事はない。

 

 それでも昭弘は未だ「うん」と言えなかった。その原因を解消する為に、昭弘はシャルルに問う。

 

「…何か策はあるのか?正直、今の一夏はもう言葉だけじゃどうにもできないぞ?」

 

 まさか何も考え無しでさっきの啖呵を切った筈も無し。無論の事そう考えていた昭弘は、シャルルの策を先に確認したいのだ。

 

「2人も解っている通り、一夏は剣術では決して織斑先生に勝てない。ISバトルでは尚の事だ。だから先ず、今の戦闘スタイルを捨てさせるべきなんだ。それを一夏本人に解らせる事こそが…」

 

 そこから先はシャルルも考えていないのか、発言が途切れる。

 苦言を呈しようとも思った昭弘だが、口に出したのは今から自分たちがすべき事だった。

 

「…仕方ねぇ、今から3人で考えるぞ。…箒、お前もそれでいいな?」

 

「……ああ」

 

 俯きながら低く少し擦れた声で、箒は同意せざるを得なかった。結局彼女も、一夏に優し過ぎた事を認めるしかなかったのだ。

 一夏のこれからを考えるのに優しさが必要ないと言うのなら、昭弘も箒もその優しさを捨てるしかなかった。

 

 ただ、一つだけ変わらない想いが昭弘と箒にはあった。今までの日々が偽りでも、その日々に別れを告げようと、一夏と過ごした日々は決して彼等の記憶から消える事はない。

 昭弘にとっても箒にとっても、やはり「一夏は一夏」なのだ。

 

 

 

 

 

―――模擬戦後 20:30 寮長室

 

 溜まりに溜まったその日の分の仕事を、どうにか終わらせた千冬。

 寮長室。そこは謂わば千冬の家でもあり、少ないプライベートが許される空間でもあった。

 其処で彼女は、冷蔵庫でじっくりと冷やしていた缶ビールを乱暴に取り出す。強引にステイオンタブへと人差指を捻じ込み、プシュッと空気の抜ける音を確認すると無心で中の液体を口内に放り込む。つまみを合間に於保張る訳でもなく番組を観る訳でもなく、ただ無心に。

 それ故か、思わず嘔吐きたくなる様な気持ちの悪い苦みが彼女の舌を襲う。

 

 それでも千冬はその麦酒を丹念に味わう。その樣はまるで嫌な出来事を忘れようとしている様であり、苦みで己を戒めている様でもある。

 

 

 一夏は千冬にとって自慢の弟だった。正義感が強く情に熱く、家庭的で料理も上手い。そしていつも眩しい笑顔で、姉としての自分を強く慕ってくれている。

 彼女はそれらが全て本物だと信じていたし、真の姉弟愛だと疑わなかった。

 だからか、千冬は未だ夢見心地な気分を拭えなかった。あの憎悪に歪んだ一夏の顔。アレはきっと何かの間違いなのではないか、程度を知らない冗談なのではないのか。

 一夏の姉想いで快活な一面しか知らない千冬に、今の一夏をそう簡単に受け入れられる筈などなかった。

 

 これが、一人の人間である織斑千冬なのだ。ブリュンヒルデなど、所詮は世界が作った幻想に過ぎない。

 そして虚しい事に、こうして一人で居る時、千冬は一番人間らしく居られるのだった。誰も自分と言う存在を見ていないのだから。

 

ピン…ポゥン…

 

 千冬が現実から逃げる様に酒を嗜む最中、控え目なベルが部屋内に響く。

 それにより強引に現実へと引き戻された千冬は、中身が半分程残っている缶を慌てながら冷蔵庫に隠す。

 散らかった部屋を出て応対室を通り抜け、不機嫌そうに壁のモニターを見る。そこに映っている3人の顔を認識すると、千冬はモニター脇の受話器を手に取って力無い声で入室を促した。

 

 

 

 テーブルには良く冷えた麦茶が4つ。片面にはシャルル、もう片面には昭弘と箒が腰掛けており、入口から一番遠い中間面には千冬が座していた。

 昨日の聴取を思い出しているのか、シャルルは気不味そうに千冬から視線を逸らしている。

 

 3人が用件を述べるよりも早く、最初に千冬が弱々しく口を開く。

 

「…あの模擬戦の後だ。何の用かは大方予想が付く」

 

 それを聞いて、やはりと言うべきか最初に答えたのは昭弘だった。

 

「単刀直入に言います。…織斑センセイ、1対多数で模擬戦をしてくれませんか?」

 

 確かに単刀直入だ。

 当然、千冬対生徒多数と言う意味だろう。

 千冬も、どんな理由で相手が誰なのか解らない限りはハイと答える筈が無い。ちゃんと昭弘は訳を話した。順序を追いながら丁寧に、そして正直に。

 千冬に断られた時点で、この作戦は失敗してしまうのだから。

 

「……本当にそれしか方法がないのか?」

 

 草臥れた様子をそのままに千冬はそう確認すると、ずっと黙っていたシャルルが答える。

 

「はい。僕たち3人でずっと案を出し合いながら考えていましたが…多分これが最善だと思います」

 

 しかし千冬は未だに両腕を組み、肩を落として黙ったままだ。その瞳に普段の輝きなど見る影もなく、半透明な膜でも貼ってあるかの様であった。

 

(まだ言うべきじゃなかったかもな)

 

 と、心の中で昭弘は少し後悔してみる。

 千冬は大人であり、昭弘たちの担任だ。どんな時でも生徒からの相談は受けねばならないし、それに対して的確な助言を言い渡さねばならない。

 だが、教師と言う形を保つのにも限界と言うものはある。教師であろうと「何か」があれば表情や仕草、行動にまで些細な変化は現れる。その何かが大きければ大きい程、変化もまた大きく膨れ上がるというもの。

 千冬が最愛の弟の本性を知ってしまったのは、つい3時間程前なのだ。そう簡単に切り替えられる筈がなかった。

 

 だがいつまでもウジウジされると、昭弘たちも困る。状況も決して四の五の言っていられるものではない。

 よってか、昭弘は無慈悲な言葉を掛けざるを得なかった。千冬なら半端な慰めよりも、厳しい叱咤の方がより効果的だろうから。

 

「そろそろ現実を見て下さい。一夏は貴女を憎んでいる。当然、貴女に非がある訳ではないのでしょう。だが問題はそこじゃない。肝心な事は、一夏が織斑センセイをずっと憎んでいたと言う事だけだ。その事実…イヤ、真実をどうか受け入れて頂きたい」

 

 何の脚色も無い昭弘の言葉は、千冬にとって酷く痛烈であった。

 千冬はIS乗りとしての実力は勿論、心もそれに劣らず強靭だ。だがそんな千冬の心でも、昭弘の言葉は受け入れるに余りある痛みが伴った。

 

 千冬はそんな痛みを和らげるかの様に、回答とは関係のない言葉を吐き出し始める。

 茶色い液体に浮かび、キラキラと部屋の照明を反射しながら溶け出す氷へ憐憫の視線を向けながら。

 

「………不思議なものだよな、人間とは。外面と内面を器用に使い分け、心に思った事に様々な脚色をつけ言葉にし、相手にその言葉通り認識させる。それを信じ切った相手は、言葉を放った人間の真意に永遠に気づく事は無い」

「…何だったのだろうな、私の人生は。ただ剣の道を極めたかっただけなのだがな。ただISが好きだっただけなのだがな。人に憎まれるつもりなど、なかったのだがな。……唯一の家族である弟の事を、一番大切に思っていたんだがな」

 

 一見脈絡のないそれらの言葉には、世の中の不条理に対する千冬の悲しみが込められていた。千冬はただ、生きたいように生きているだけなのだ。

 但し生きる千冬を目にした有象無象の人間たちは、一人一人様々な感情を抱く。

 純粋な憧れを抱き、生の感情を前面に押し出す者。安易な打算を思い付き、それを成す為親身に接する者。そして、激しい憎しみに駆られる者。何よりその憎しみに駆られた者が、よりにもよって実の弟だと言う理不尽。

 

 だが一夏に対する憤りの色は、一切見えなかった。千冬の次なる言葉は、それを強く象徴していると言えた。

 

「本当に、楽しい日々だった。一夏にとってそれらの日々が偽りだろうと、私にとっては幸せだった」

「…姉失格だと思われてもいい。何故共に過ごしていた家族の心情が解らなかったのか、とな。…イヤ、解りたくなかったんだろうな。今のままで幸せだから、今の弟が好きだから…」

 

 腑抜けた姉だと、千冬は自分自身を一蹴する。それは悪く言えば自分勝手な、されど切実な感情だった。

 結局の所、千冬も昭弘と同じだったのだ。

 

 しかしそれはあくまでついさっきまでの、何も知らなかった千冬だ。

 その理由を昭弘が答える。まるで昭弘自身にも言い聞かせる様に、彼は敢えて敬語を取り除きながら話す。

 

「だが今のアンタは違う。もう一夏の心情が解っている。そして今この瞬間も、それを受け入れようとしている」

 

 良くも悪くも、知ってしまった以上千冬はもう今までの千冬ではいられない。解っていながらそれでも尚見て見ぬ振りをするのは、千冬が最も忌み嫌う行為の一つだ。

 つまり唯一残った選択肢、「受け入れる」しかないのだ。

 ならば昭弘たち3人への答えは、もう最初から決まっている。

 教師としてでも、ブリュンヒルデとしてでもない。織斑一夏の姉『織斑千冬』として、答えねばならないだろう。

 

ガシッ

 

 突然、千冬は自身の席に置いてあったグラスを割らんばかりに強く鷲掴み、中で静止していた麦茶をゴクゴクと飲み始めた。まるでグラスの中で儚く溶ける憐れな氷を、丸ごと押し潰すかの様に。

 昭弘は細い目を丸くし(自分もやっていた癖に)、箒は口をあんぐりと開き、シャルルは思わず二度見する。

 千冬は茶色い液体を一気に飲み干すと、ゴトンとまた勢い良くグラスを置いた。そしていつもの猛虎の様に鋭い眼光で昭弘を睨むと、ハッキリとした口調で答えた。

 

「引き受けよう。とっとと残りの面子に話を付けてこい。日程は安心しろ。私の権限でアリーナなどいくらでも確保してやる」

 

 今の千冬には迷いも、過去の日々への慈しみも感じられなかった。あるのは、弟の中に潜む「本当」と真正面から向き合うと言う覚悟のみ。罪滅ぼしとか自身への罰だとか、そんなチャチなものではない。

 己の心を互いに曝け出せるのが、家族と言うものだからだ。

 

 

 こうして最後の仕上げに向けてのスタートラインが、切って落とされた。



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第37話 戦う理由

 千冬に模擬戦の約束を取り付けた昭弘たち3人。

 

 

 次に彼等は学園寮エントランスホールにて、今作戦に相応しい戦士を選りすぐる。

 

 因みに昭弘の欲する戦力は4人と言った所だろうか。当然、かのブリュンヒルデを相手取るのだ。複数掛りとは言え相当の実力者でなければ、戦力の天秤は大きく傾いてしまう。

 そして人選の肝は、己が戦闘スタイルを確立している者でなければならないと言う点だ。これは一夏への説得に重要なファクターを占めるのだそうな。

 更には、よりやる気のある者の方が好ましい。要するに一夏への想いが強い者だ。2年生や3年生にはもっと実力の高い人間も居るのだろうが、関係無い人間まで巻き込むべきではないと言う見解に至った。

 少なくとも今回の模擬戦、千冬に勝つ事が目的ではないらしい。

 

 それら全てを加味すると、自ずと人選は絞られてくる。それが誰なのか昭弘は口頭で並べる。

 

「一先ずの人選は箒、セシリア、鈴音、シャルルの4人…でいいか?」

 

 昭弘の提案に箒もシャルルも首を縦に振りながら同意したが、シャルルは一点だけ気になる事がある様だ。

 

「ボーデヴィッヒさんや相川さん、谷本さんが外れる理由を訊いてもいい?」

 

 ラウラに関しては、箒が事細かに答える。昭弘にばかり喋らせて自分だけずっと黙っているのが、それなりに気になっていたのだろう。

 

「ラウラが却下された一番の理由は、シュバルツェア・シュトラールをドイツに一時預けているからだ。他のISを動かせられるのかは知らんが、どの道専用機でなければ実力を出し切れないだろう。それに一夏とは知っての通りの仲だ。手を貸してくれるとも思えん。セシリアが昭弘の為に動かないのと同じ道理だ」

 

 昭弘はそれを聞いて苦笑を漏らした後、小さく溜め息を吐きながら続く。

 

「最後の一言が余計だが、ラウラに関してはそう言うこった。相川は、閉鎖空間において1人を多数で迎え撃つ戦術には向かないだろう。谷本もISの能力的にシャルルと被っちまう。それに、味方が多すぎても却って連携が難しくなる。4人が妥当な所だとオレは考える」

「それにラウラって訳じゃないが、2人共一夏と特別仲が良い訳でもない」

 

 成程、一応理に叶った人選…なのだろうか。

 

 しかし気になる事はまだまだある。

 その一つは、何故昭弘は模擬戦に参加しないのかと言う点だ。実力ならばセシリアと並ぶ学年トップである筈なのだが。

 抑々、何故一夏を更生させるのに再度の模擬戦が必要なのだろうか。そして、当の本人である一夏は何故参加させないのか。理由を知らない者からしたら、頭に幾つものはてなマークが浮かんでしまう。

 それらをちゃんと把握し理解している箒とシャルルは、昭弘に期待の眼差しを送る。

 

「じゃ話術は任せたよ?昭弘」

 

「話術とまではいかないが努力する」

 

 どうやら結局昭弘が一夏を説得するらしい。それと模擬戦にどんな因果関係があるのかは、現時点では此処に居る3人と千冬しか知らない。

 

 そうして、三者三葉と言った具合で3人はその場からばらけていった。

 昭弘は鈴音の下へ、箒はセシリアの下へ、シャルルは一夏の部屋へ。

 

 

 

 

 

「…成る程ね」

 

 舞台は更に切り替わり、130号室。

 そこで昭弘の説明を一通り聞き終えた『凰鈴音』。その説明には、当然一夏の本性も含まれている。

 

 普段から彼女はここ昭弘の部屋に出入りする事が多かったのだが、大会が迫ってからはその機会もめっきり減ってしまった。故に2人でこうして話すのは中々に久しい。

 更にはラウラの一件で立場的に対立気味となる事も少なくなかったので、2人ともこの空間でのやり取りに奇妙な新鮮さを感じ取っていた。

 そんな感慨に浸るのも短く、昭弘は鈴音に早めの返答を求める。

 

「皆や織斑センセイのスケジュールも考えて、決行は明後日の日曜日だ。…どうだ?引き受けてくれるか?」

 

「…」

 

 鈴音は口を開いてはくれなかった。しかし、それは昭弘が頭に思い描いていた通りの光景だった。

 最初の発言通り彼女も平静を装ってはいるのだろう。が、頭の中は恐らくミキサーの様な物でグチャグチャに扱き混ぜられている。

 今まで彼女が接し、そして強く感じていた織斑一夏と言う存在。それらが偽りだと知らされて「はいそうですか」とすんなり受け入れられる程のドライさは、流石の彼女も持っていない。

 脳内がそんな状態では、答えられるものも答えられない。

 

 そんな彼女の混乱を少しでも和らげようとするが如く、昭弘は無言の鈴音に代わって口を開く。

 

「気持ちは分かる。だが、お前だって予感の様なものはあった筈だ」

 

 千冬に化けたレーゲンを目の当たりにして、不自然な程発狂する一夏。保健室で見せた豹変も、最後のトリガーとなったのは鈴音の「優勝」と言う単語だ。それから時を待たずして、千冬への挑戦と来た。

 これらを目撃してきた鈴音が、何も憶測をしない筈が無い。レーゲンに対する発狂は千冬に対する異常なまでの執着、優勝と言う言葉に対する反応は勝利延いては力への強い渇望。

 確証など無くとも、人はそうやって推察し思い込む事で自分だけの情報に変換してしまう。

 

「……ハハッ当たってたんだ、アタシの一方的な思い込みが…」

 

 鈴音は力無く嗤う。今までの一夏を愛してきた自分自身を、軽くあしらって見せる様に。当たって欲しくはなかったのだろう、下らない思い過ごしでいて欲しかったのだろう。

 

 だからと言って一夏を諦めきれる筈もない。少しずつ頭の混乱が引いてきた鈴音は、昭弘にある確認をする事とした。

 今までの一夏を、彼女の大好きな一夏を、出来る事なら取り戻したいから。

 

「…その模擬戦とアンタの説得が成功したら、一夏は…私の知っている一夏はどうなるっての?」

 

 その問い掛けに、昭弘は答えたくなかった。鈴音に厳しい現実を突き付ける事になるからだ。

 だが例え鈴音がどんな反応を示そうと、どの道言うしかない。昭弘自身、何も言わずに鈴音を参加させるのは彼女を騙している様で気分が悪い。

 

「……性格の方は、大きく変わってしまう可能性が高い。それだけならまだしもモノの考え方、価値観、他者への接し方までも変わってしまうかもしれん。だが…」

 

 一夏と共に居た日々、それら全てが嘘偽りと言う訳ではない。ここから先は、昭弘のそんな淡い希望で満ち溢れていた。

 

「変わらないもんだってある。何もかも偽物だって言うなら、きっとオレは一夏と友達にはなれなかった。そこに何の根拠もないのは分かっているが、友人を信じるのにいちいち細かい根拠も必要ないだろう?」

 

 基本的に不愛想な昭弘は、表情の変化もまた小さい。しかしそれはあくまで小さいだけで、実際は事細かに変化している。

 目の前の鈴音には、先程からそんな昭弘の表情が目まぐるしく変わっているのが特に良く分かっていた。

 

 昭弘を見ながら鈴音は思った。自分は今どんな顔をしているのだろう、と。

 もう自身の知る一夏が戻る事はないと聞いて、奈落より深く落胆しているのか。それとも、全てが変わる訳ではないと聞いて胎内にいる赤子の様に安堵しているのか。

 

「……ねぇ昭弘。アタシ今どんな―――」

 

 気になった鈴音は、つい途中まで訊ねてしまった。今の自分の表情が判れば、答えられる気がしたからだ。

 逆に言えば、それ程までに彼女は悩んでいた。眼前の人間に、彼女自身の気持ちを教えて貰おうとする程に。

 

 だが昭弘は恐らく答えてくれないだろう。鈴音のそれは、思考の放棄と同じだからだ。昭弘の重苦しい眼光が、その事を無言ながらも物語っていた。

 

―――アタシは一夏を愛せるの?どんなに変わっても?

 

 遂に鈴音は、そう自身に問い掛けるしかなかった。しかし、その簡潔な問い掛けで答えは出ているのだ。あとはそれを声に出すだけ。

 ただ、鈴音にとってそれは酷く勇気が必要であった。この件に応じると言う事は、今日この瞬間までの一夏と自分の関係に永遠の決別をする事になる。

 そう思うと、どうしても声が出なかった。

 

 そんな彼女をずっと見ていた昭弘が、遂に再びその大きな口を開いた。そして重々しく、それでいて何処か優しい声が鈴音の脳を揺さぶった。

 

「大丈夫だ、鈴」

 

 その一言だけだった。それは一体何に対しての「大丈夫」なのだろうか。一夏の事か鈴音自身の事か、それともその2つを含めた全てか。

 しかし、鈴音がそれらに思考を割く事などなかった。代わりに湧いてくるのは、安心と勇気。

 低く太く身体の芯まで優しく響く昭弘の声、確かな安らぎを与えてくれる「大丈夫」と言う短き言葉。その2つが合わさるだけで、何故か自分の事を強く信じられるようになる。

 

 もう鈴音に迷いは無かった。

 彼女は小さく笑った後、いつも振り撒いている勝ち気な笑顔を昭弘に見せる。

 

「…どんな一夏だって愛してやろうじゃない!」

 

 鈴音は暗雲を吹き飛ばす勢いでそう答えた。つい昭弘も釣られて顔を綻ばしそうになるが、出来るだけ無表情を維持しながら確認する。

 

「本当にどんな一夏でも受け入れるんだな?」

 

 すると鈴音は、どこか寂しそうな笑顔になりながら答えた。

 

「…人って変わるもんでしょ?変化を怖れてちゃ前に進めないわ。一夏も、アタシもね」

 

 人間は生きている限り変化し続ける。変わらないものなんてない。変化が大きいか小さいか、それだけだ。昭弘も、その人間としての大前提からは逃れられない。

 それでも、昭弘は最後に1つだけ言っておきたい事があった。

 

「さっきも言った様に、決して変わらないものだってある。一夏とオレたちの交友関係は今後もずっと変わらないし、変えさせはせん」

 

 人は変わる。かと言って関係性まで変わるのかと言うと、必ずしもそうではない。友は「友」だ。それを大切に思う気持ちは誰だって変わらない。

 

 

 そして2人は、漸く同じ様に笑った。

 

 

 

 

 

 昭弘が鈴音を誘っているのとほぼ同時刻。寮の外、人気のない通りには小綺麗で存在の浮いたベンチがポツンとあった。

 其処で箒は、昭弘が鈴音に説明していた内容をそのままセシリアに話していた。じめっとした蒸し暑い闇夜の中、セシリアは時たま小さく相槌を打ちながら箒の説明を最後まで静かに聞いていた。

 そうして長い話が漸く終わると、箒は途端に無言となってセシリアの返答を待った。

 

「…」

 

 しかし、セシリアは無表情で口を閉ざしたままだ。彼女の沈黙に、箒はねばついた唾を飲み込みながら耐えていた。悩む素振りすら見せないのが、逆に恐ろしいのだろうか。

 普段から口数の少ない箒も、こういう沈黙には慣れていなかった。彼女はどうにかこの嫌な沈黙を打破しようと頭の中でその場凌ぎの言葉を見繕うが、箒がそうこうしている内にセシリアが沈黙を破ってしまう。

 

「……何と、仰ったらいいやら。とても不思議な感覚ですわ。自分でも意外な程、心に受けたショックが小さくて…」

 

 そんな言葉を聞いた箒は思わず声を漏らしてしまうが、間も無く納得する。

 ここ最近、一夏の様子が可笑しい事など1組全員が知っている。当然、セシリアならその原因を頭の中に幾つかの候補として挙げていた筈だ。

 つまりは、セシリアの嫌な予感の一つがそのまま当たってしまったに過ぎないと言う事だ。

 

 それも要因の一つなのだろうが、セシリアは次なる言葉に別の要因を挙げた。

 

「我ながら情けない話です事ね。確かに一夏と過ごしてきた時間は、箒や鈴とは違って短いものでした。想いの強さに時間など関係ないと、考えていた私が甘かったのでしょうか…」

 

 セシリアも一夏の事は強く愛していた。

 それでも、セシリアは幼少期から永い時間を過ごしてきた幼馴染ではない。

 故にか、一夏がどう言う存在なのかセシリアには箒たち程イメージが固まっていないのだ。一夏に大きな変化が見られた所で、「信じられない」と言うより「そんな一面もあるのかも」と言った思考の方が強くなるのだ。

 

 それにしたって、先におけるセシリアの沈黙はやはり違和感が残る。ショックが小さいにしては、発言までの間が長過ぎやしないだろうか。

 それは、ショックが小さいのに言葉が見つからないと言う矛盾にある。

 その矛盾を解消する為か己の気持ちを整理する為か、セシリアは尚も話を続ける。

 

「私はもしかしたら、入学した時から揺れ動いていたのかもしれません」

 

 その言葉に心当たりがあるのか、箒は自身の予想をそのままセシリアの台詞に後付けする。

 

「…入学当初から一夏の本性が、セシリアの脳裏には少なからずあったと?」

 

 しかしセシリアは首を縦には振らなかった。頭を斜めに傾けながら、別の回答をセシリアは考えた。

 

「それも…少しはあったのかもしれません。ただそれでも、真相を知る今この時まで、私が一夏を愛していた事実は変えようが御座いません」

 

 では何故セシリアは揺れ動いていたのか。何に対して心が揺れていたのか。強い芯を持つセシリアを惑わせていたのは何なのか。

 その存在を、セシリアは“光”に例えて答え始める。

 

「私にとって一夏は太陽そのものでしたわ。けれどもう一つ、私にとっての太陽が御座いましたの」

 

 セシリアの全てを温かく照らした、空一面に広がる太陽である一夏。

 それとは別に居た、一夏とは比較にならない程小さな小さな太陽。その存在を深く慈しむ様に、セシリアは語り始めた。

 

「最初は酷く鬱陶しく思っていました。一夏と言う太陽を全身で拝みたいのに、脇から横からか細い日光をチマチマと」

「…ですが時が経つにつれてその小さな太陽は、私にとって欠かせない存在となっていきましたわ。自由で気儘で、かと言って無理をする訳でもなくひたすらに正直で。小さくても何も偽らず隠さず本当の光を無意識に与えてくれるその太陽は、何にも代えがたい心地良さでしたわ」

 

 大きな偽りの太陽と、小さくとも真なる太陽。

 セシリアがそのどちらを選んだのか、次の台詞に全てが詰まっていた。

 

「そんな私の中で2つの太陽が逆転したのは、決勝トーナメントが終わった後でしたわ。…己を隠し続けてきた巨大な太陽は、その代償もまた大きかった。そしてそれを拝み続けて来た私も、何が正しいのか解らなくなりましたわ」

「けれども、小さな太陽は決して変わらなかった。私がどんなに道を見失っていても、変わらずにありのままで私を照らしてくれた。…もう分かるでしょう箒。私が何を言いたいのか」

 

 セシリアは長々と語ったが、箒でもごく簡潔に纏められる答えだった。要は、一夏以上に愛した人間が出来てしまったと言う事だ。

 当然、箒にはそれが誰なのかまるで分からない。

 

(……まさか昭弘ではあるまい。となるとデュノアか?いや、しかしとてもそうには…。大体奴は本当に男性なのか?いやいや!それならラウラの性別だって…?…??)

 

 頭がこんがらがって来たのか、箒は直ちに意識を引き戻す。今箒にとって一番肝心な事は、セシリアが千冬との模擬戦に参加するか否かの回答だ。

 

 箒はセシリアを急かそうとしたが、その必要はなくなってしまう。セシリアがあっさりと答えたからだ。

 まるで自身の愛を語り終えたら回答すると、予め定めていた様に。

 

「…引き受けましょう、箒」

 

 意外な返答だった。

 セシリアは一夏の事などもうどうでもいいと、箒自身そう考えていたからだ。先の話の流れ的に、そう解釈されても致し方ない。実際、一夏への恋愛感情から来るものでない事は確かだ。

 またしても何故に何故にと箒が考えていると、セシリアは自ずから理由を述べる。

 

「きっと私は、新しい一夏に恋愛感情を抱く事などもうないでしょう」

 

 偽りの太陽と言えど、セシリアはそんな一夏が好きだったのだ。

 

「では猶更この戦いに参加したくないのではないか?恐らくほぼ確実に、一夏は変わってしまうぞ?」

 

 疑問を呈する箒。対してセシリアは、何て事はないとでも言いたげに軽く笑ってみせる。

 

「それで宜しくてよ。いつまでも古い愛をズルズルと引きずるのは、私の恋愛道に反します。なので寧ろ私にとっては良い機会ですわ。…それに、一夏に教えてやりたいのですわ。自分を偽って生きていける程、世の中は甘くないと」

 

 それがセシリアの理由であった。

 参加の理由としては少し弱い気もするが、最大戦力が了承してくれた事で箒は一先ず安堵する。

 

 しかし箒はセシリアの話を聞いて以降、一抹の不安を覚えていた。まるでそれは、聴覚が捉えた病原菌によって思考全体が支配される様な感覚に近かった。

 

―――もし一夏が変わってしまっても、私は変わらず一夏を愛する事が出来るのか

 

 同時刻、別の空間で、鈴音が感じていた恐怖と同じモノを箒もまた感じ取っていた。

 永い時を共に過ごした幼馴染だからこそ、想い人への愛が変わってしまうのが怖い。例え一夏は一夏だと信じていたとしても。

 

 だがやはり、一夏がずっと今のままなのはもっと恐ろしい。

 箒はそうやって比較し、小さな恐怖を大きな恐怖で覆い隠そうとした。



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第38話 絶望の淵で

 昭弘そして箒が各々の相手と対面し話を進めている頃、シャルロットは恐る恐る128号室のドアノブを握る。

 

 当然此処はシャルロット自身の部屋だ。ノブが回ればそのまま勝手に入室し回らなければ(カードキー)で解錠するだけなのだが、彼女はどうにも入室を躊躇っている様に見える。

 ノブが回ったので、そのまま彼女はドアを押して玄関に足を踏み入れる。鍵が開いていると言う事は、大抵の場合中に人が居ると言う事だ。

 シャルロットはその事を念頭に置きながら、差し足気味に奥へと進む。前室を何歩か進みベッド等が置かれている主室へと続く扉を、彼女はソッと開ける。

 すると、見えた。シャルロットが帰宅を恐れていたその元凶が。

 

 織斑一夏。

 彼女のルームメイトであるその少年は、ソファチェアに腰を落としながら虚ろな瞳で窓を眺めていた。

 正確には、窓の外に広がっている暗黒の世界をだ。暗い外の景色を背にしている窓には、部屋の様子が鏡の様に反射して映っていた。

 故に、一夏の眼球はソッと部屋に入って来たシャルロットの姿を捉える。

 一夏は夜闇に視線を向けたまま、低くそしてくぐもった声を彼女に掛けた。

 

「……ああシャルロット。おかえり」

 

「アッ…う、うん!ただいま…」

 

 自分から挨拶が出来なかった事を若干後悔しながら、シャルロットは一先ず自身のベッドに座り込む。

 そして今一度、チラリと一夏を見る。先程千冬に惨敗した直後と比べると、幾らか落ち着いている様に見えた。

 

 しかし反射した窓に映る瞳の輝きは鈍く、顔もまるで魂が抜けた様に蒼白としていた。そんな状態を保ちながら、一夏はいつまでもどこまでも窓一面に広がる暗黒の世界をただボーッと見ていた。

 それはまるで窓に反射して映る自分自身を覗いている様にも、シャルロットには見えた。

 

 己を隠し、姉を妬み、自身の才能に落胆し続けてきた一夏。その成れの果てを見ながら、彼は何を思うのだろうか。

 今における一夏の感情なんて、いくらシャルロットでも解らない。出来る事と言えば、一夏の外見と言う名の視覚情報で判断した一方的な解釈のみ。

 

 一夏自身、先の戦いで嫌と言う程解ってしまったであろう千冬を超えられないと言う現実。だがそれを受け入れた瞬間、一夏は自分が何の為に生きているのかきっと分からなくなってしまう。

 一夏の頭では絶対的な実力差が確実に存在すると言う現実と、何も成さずに消えたくないと言う願望が激しく鬩ぎ合っているのだ。それはまるで生と死の狭間に取り残される感覚に、何処か似ているのかもしれない。

 心がそんな状況にある一夏は、自分の事だけで精一杯だった。他人を気遣い言葉を交わす余裕など、今の彼にはない。

 

 

 先程、昭弘と箒に対して一夏の件で強気な発言を繰り返していたシャルロット。

 そんな彼女も、一夏に何と声を掛けたら良いのかまるで頭に浮かばなかった。どんな慰めの言葉も激励の言葉も今の彼には毒にしかならないと、そう思っているようであった。

 

 それともデリーが彼女に対してそうした様に、シャルロットも一夏に言えば良いのだろうか。「価値の無い人間などこの世に存在しない」と。

 だがその言葉の真意を未だ理解していない彼女にとっては、やはり単なる受け売りでしかなかった。そう考えると、どうしても言葉に出せなかった。

 

 互いのそんな心境によってか結局この日、冒頭の挨拶以降2人が会話を進める事は無かった。

 

 

 

 消灯時間が過ぎ去り、日付までも跨いだ深夜。

 128号室では、夢に入り浸っているシャルロットの静かな吐息だけが四方へと染み渡っていく。

 その空気と空気が擦れ合う音色を、一夏は未だソファチェアに座りながら聞いていた。聞きながら考えていた。

 

 此処IS学園に来てから、一夏は初めて考えるようになった。「家族とは何だろう」と。

 それが良くも悪くも一番身近な存在だと言う事は、一夏も物心ついた時から知っていた。一夏にとってその存在は(千冬)しか居なかった。そのたった一人の家族へ向けた嫉妬、愛憎、劣等感。

 一夏が家族に抱いていたものは、それら負の感情でしか構成されてなかった。

 そして疑問も抱かなかった。他の家族なんて気にも留めなかったから、千冬しか見えなかったから。

 

 IS学園に来てからも、そうあり続けると思っていた。

 だが違った。唯一、一夏が弱さを曝け出せる人物が現れたのだ。最初は一夏も、その人物に当り障りなく接していた。数多く居る友人の一人に話し掛けるように。

 しかし話していく内、次第に一夏は気付き始めた。「この男は違う」と。他の人間と何がどう違うのか、説明するのは難しい。

 ただ一つ言える事は、その青年と一緒に居ると表現し難い安心感が生まれるのだ。本来安心とは誰もが経験する感情だが、人と接していて安心した事の無い一夏にとってそれは余りにも未知なる感情であった。

 その安心感を享受する為、青年に依存・傾倒していくのは自然の成り行きであった。

 

 奇妙な現象だ。血の繋がっている姉を憎み、血の繋がっていない元は赤の他人である青年を慕う。同じ血の通う姉には本心を隠し通し、血の異なる青年には本心を見せる。どっちが家族と言えるのだろう。

 そもそも家族とはどういう存在なのだろう。邪魔な存在が家族なのか、それとも必要不可欠な存在が家族なのか。

 

 結局この日も答えは出なかった。

 だが、先程の模擬戦で解った事がある。千冬へ向けた憎悪、昭弘に振り向いて貰うべく奮い起たせていた気力、その両方を一夏は失ってしまったのだ。

 それらを失ったと言う事は、一夏自身の目的自体をも失った事を意味する。千冬を超える為、昭弘に認めて貰う為、ISにその身を捧げてきたのだから。

 それらが抜け落ちた一夏の心は、正に外郭だけを残した蝉の脱殻と言えた。

 

 そんな自身に今更気付いた一夏は、遂には考える事すら止めた。己を動かす燃料であった憎悪の炎も安心への依存も、今の一夏にはない。

 故にどれだけ熟考しようと、家族の定義は最早過去の産物でしかない。

 

「二兎追う者は一兎をも得ず…か」

 

 最後にそんなことわざを一人ボソリと呟いた一夏は、力が抜けた様にソファチェアへ寄り掛かり瞼を閉じた。

 

 

 外灯も月光りもない暗黒の世界。瞼を開けようと閉じようと、どの道一夏の視界には闇しか広がっていない。

 

 

 

 

 

 結局その日、何も活力が湧いて来なかった一夏は部屋から殆ど出てこなかった。そう言う意味では、この日が土曜日である事に感謝した。

 更に運の良い事に、シャルロットも夜まで部屋を出ていた。誰と何処で何をしているのだろうと、多少はシャルロットの事に思考を割く一夏だが―――

 

(…どうでもいいか。シャルもオレと居るより100倍は有意義な時間が過ごせるだろうし。…オレも落ち着く)

 

 一人で居ると、誰とも会わないと、何となく安心する。仲違いを起こすリスクもゼロだ。今一夏にとってこの部屋は、他者の視線から守る強固なシェルターに思えるのだろう。

 しかし閉じ籠る事での安心は、所詮その場凌ぎの紛い物でしかない。皆はどうしているのか、自分は何の為に生きているのか。頭のどこかにそう言う不安がある限り、心が満たされる事は決してない。今の一夏の様に。

 

 

 

 

 

―――6月12日(日)―――

 

 頭に響く目覚まし時計が奏でる不快な爆音によって、一夏は仰向けの状態からモソリと上体を起こす。

 そのまま普段通り目覚まし時計に振り向く。時間は普段過ごす日曜日と同じ、短針は8と9の中間点を、長針は6の位置を指していた。

 

 少し前なら宿題、勉強、ISの特訓、そして昭弘たちとの約束事と言ったその時間に起きる目的があった。

 だが今、一夏には何の予定も何かをしようとする活力もない。休日であるのに目覚まし通りに起きても、ただ眠たいだけだった。

 

 だが少し経つと、シャルロットの安眠を妨げてしまったのではと一夏は罪悪感を抱き始める。恐る恐る隣のベッドに視線を向けてみると……ベッドは既にもぬけの殻だった。

 ホッと胸を撫で下ろすと同時に、一夏はどうでもいい疑問を抱く。何時、彼女の目覚まし(アラーム)が鳴ったのか。だとしたら自分はどんだけ爆睡していたのか。そもそもちゃんとセットされてたのか。

 そんな些細な疑問を頭から追い出し、一夏はシャルロットが何処へ行ったのか考え始める。確か昨日も彼女は一夏に内緒で外出していた。

 

 しかし眠たいからか気力が無いからか、まるで頭が回らない。やがて馬鹿馬鹿しくなり、一夏が再び頭を枕に預けようとしたその時―――

 

ピィン…ポゥン

 

 情けない電子音が、一夏の行動に待ったをかける。眠気のせいかその音が128号室の前で待つ客人からの呼び出し音と気付くのに、数秒程時間を要した。

 

「…」

 

 今誰にも会いたくない一夏の取った行動は、言うなれば居留守であった。幾らか間を置いて2度目の呼び出し音が鳴るが、尚も一夏は意地悪く無視する。

 更に間を置いて今度は―――

 

ドンドンドンドンドン!!

 

 硬く力の強い何かで、ドアを叩く音だった。一夏は心臓をビクンと震わせ「賊か!?」と身構え、傍に立て掛けてあった竹刀を構える。

 当然もうここまで来たら、意地でも出ようとしないだろう。

 

ピッ

 

 一夏は一瞬、己の両耳が飾りなのではと疑う。何と、玄関口の方面からカードキーによる解錠音がしたのだ。

 一夏の他に、128号室のキーを持っているのは同室のシャルロットだ。普段なら、一夏にとってルームメイトが部屋の扉を解錠する事など日常茶飯事だ。

 しかし今回は違う。態々インターホンを2回も鳴らしあまつさえ扉を激しく叩いた後、解錠したのだ。どう考えても異常だ。

 故に一夏は、業を煮やした寮長である千冬がマスターキーを使って乗り込んで来たのかとも考えた。

 

 そのどちらなのかと言った一夏の推察は、正直余り意味を成さない。もう既に玄関扉は勢い良く開かれ、ズシンズシンと響く足音は前室と主室を隔てる扉の目前まで迫っていたからだ。

 誰なのか考えるまでもなく、セキュリティの掛かっていない内扉は直ぐに開けられてしまうだろう。

 実際、直ぐに開いた。

 

 その顔を見て、思わず一夏は名前を呼んでしまう。此処に来た理由を、訊ねるよりも遥かに早く。

 

「昭弘」

 

 静かにその名を呼ばれた青年は、ごく普段通り仏頂面で口を閉ざしたまま一切曇りのない瞳で一夏を見ていた。

 

 

 決して広くない空間で互いに見つめ合う、昭弘と一夏。一夏は寝間着姿のまま、昭弘は上下をタンクトップとジーンズで組み合わせていた。

 じめっとしたこの季節、密室で男2人が対面するその光景は中々にむさ苦しいものがあった。

 

 もうまともに顔を合わせる事もないと、勝手に思い込んでいた一夏。昭弘と改めて顔を合わせた彼は、蒸し暑さ以外に何を感じているのだろうか。

 そんな感情に浸るには、頭に浮かぶ疑問が余りに多すぎる一夏。彼は、何をどう訊けば良いかも分からずに硬直していた。

 そんな一夏が抱いているであろう最初の疑問を、昭弘は鈍く輝くカードキーを見せつけながら答える。

 

「シャルルから借りた」

 

 それだけ伝えると、昭弘は間髪入れずに一夏の二の腕を乱暴に引っ掴む。

 

「イッ!!」

 

 筋肉と骨が激しく圧迫され、一夏は歯を剥き出しにして苦悶の表情を浮かべる。

 

「な、何を…!」

 

 抗議と反抗の意が籠った眼差しを昭弘に向けるが、昭弘は表情だけ普段のまま一夏を部屋から引きずり出そうとする。

 突然過ぎて意味が分からな過ぎて二の腕が痛過ぎて、唯々混乱に飲まれる一夏。

 兎も角、一夏は昭弘から逃れようと必死に藻掻いた。だが全身が膨大な筋肉の塊である昭弘に捕まっては、一夏も成す術がなかった。

 次第に、藻掻いても体力を無駄に消耗するだけだと気づいた一夏は一先ず抵抗を止めた。それでも、昭弘は寝間着姿の一夏を無理矢理引き連れて行く。その行為に、普段の優しさは欠片も感じられなかった。

 

 

 寮から出て何歩か進むと、漸く昭弘は再度口を開く。

 

「お前に見せたいもんがある。拒否権は無い」

 

 それだけ一方的に言い放つと、昭弘は再び黙り込む。「先程から何なのだ」と、一夏は理不尽と言うより最早別人の様な昭弘に憤慨し始める。

 そんな一夏の視界端に、ある巨大な構造物が入って来た。始めこそ小さく映っていたそのアリーナAは、昭弘が脚を前へ前へと動かす度に段々とその大きさを増していく。

 一夏の不安は、それに比例する様に増大していった。

 

―――嫌だ、アリーナ(其処)にはもう行きたくない。見てるだけで吐き気がする

 

 アリーナは自分が負ける場所だ、恥をかく場所だ。そんな恐怖が脳裏に刻み込まれてしまっていた一夏は、さっき以上に激しく暴れ始める。

 一夏が暴れると、昭弘は更に強く一夏の腕を握り締める。その激痛は、二の腕が引き千切られてしまうと錯覚する程であっただろう。

 端から見るとそんな光景は、母親が駄々捏ねる子供を叱りながら無理くり引き連れていく様であった。

 

 一夏の抵抗も無駄に終わり、2人はとうとうアリーナAに到着する。精神的苦痛のせいか目眩がする一夏は、完全に抵抗を諦めてしまっていた。

 

 その後もグイグイと引っ張られ、遂にはスタンド席へと着かされる。何を見せられるのか鮮明に想像出来た一夏は、目眩だけでなく腹痛にまで襲われる。

 此処はアリーナしかも観客席。見るものと言えばISバトルに他ならず。

 そしてそのISバトルは、今や一夏が最も敬遠しているものの一つだ。逃げ出したい一夏だが、真後ろに座している昭弘は一夏の両肩を肉のもみじで押さえつけている。

 

 そうしてある程度時間が過ぎると、5機のISがフィールド上にその姿を現す。

 一夏から見て右側に集まっているのは箒:打鉄(重装甲追加ブースター装備)、セシリア:ブルー・ティアーズ、鈴音:甲龍、シャルロット:ラファール・リヴァイブ・カスタムⅡの4機だ。

 

「お前の仇討ちなんだとよ」

 

 昭弘の言う仇討ちの相手は、一夏から見て左側。これからその4機を同時に相手取る事がさも当然であるかの様に、悠然と佇む打鉄が1機。

 搭乗しているのはブリュンヒルデ、惑星最強(レックス)等の異名を持ち、誰しもが敬愛し畏怖する神に選ばれし人類の最高傑作『織斑千冬』だ。

 

 一夏は、そんな千冬をもうこれ以上見たくはなかった。自分との間に確実に存在する、最早何を詰め込もうと埋めようのない実力差。

 その現実を直視出来ない一夏は、観戦を避ける様に瞼を閉じて俯く。

 しかし昭弘はそれすら赦してはくれなかった。

 

「逃げるな」

 

 そう言うと一夏の両側頭部をまるでボールをガッシリと捕まえる様に押さえ、強制的にフィールド上空へ顔を向けさせる。そのまま両手で側頭部を掴みながら指を一夏の目元へと這わせ、上瞼と下瞼の間に指を捻じ込む。

 瞼を強制的に開けられた事で、またしても一夏の視界に現実が映り込む。

 

 千冬の打鉄は前回よりも更に極端な改造が施されていた。

 背部から延びる一対の大型ブースター直下にはもう一対のブースターが付けられ、各脚部にも小型のブースターが見え隠れしていた。装甲も、打鉄がISとして機能するギリギリのラインまで削がれている。当然、武装は一本の(ブレード)だけだ。

 それは即ち、前回の模擬戦を大きく上回る超超高機動特化の打鉄と言う事になる。

 

「お前との模擬戦は、久々のISに慣れる為の言わば「慣らし運転(テスト)用」の装備だったんだ」

 

 一夏のメンタルなど構わんと言わんばかりに、そのままの事実を何の脚色もせずにズバズバと言い放つ昭弘。つまりは今の装備こそが、モンドグロッソで見せた本来の千冬に限りなく近いと言う事になる。

 逆に言うと一夏と戦ったあの時、千冬は本気ではあっても全開(本来のブリュンヒルデ)ではなかったと言う事になる。

 

 しかし既に絶望しきった一夏にとっては、大して心に堪えるものでもなかった。絶望的強さを持つ怪物が、更に強くなったと言うだけだ。

 

 

ヴーーーーーーーーーーーーー!!!

 

 

 前回の様に、試合開始のブザーは唐突に鳴り響いた。まるで一夏の終わりを告げる様に。若しくは一夏の始まりを告げる様に。

 はたまた、これから始まる昭弘の孤独な戦いを告げる様に。



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第39話 ヒーローとは

―――決行日 前夜

 昭弘は思い起こしていた。何をと問われると、それはシャルロットが吐き捨てていた「嘆き」とでも言えばいいのだろうか。

 一夏は昭弘を一番必要としていた。

 何度考えを巡らせても、やはり昭弘には解らなかった。
 
 何故自分なのか。友人とは言え、交友関係だって精々2ヶ月やそこらなのに。
 自分に何を求めているのだろうか。与えてやれるものなど高が知れていると言うのに。

 考える度、昭弘は思った。自分は本当に自分自身の事をちゃんと理解しているのか、と。
 此処における自分がどういう存在なのか良く解っていないから、一夏の気持ちにも気付けないのではないか。

 残念な事に、昭弘は自身の事を考えるのが苦手だ。他者の事は深く考えれても、自分の事は他者に訊かなければ解らない。

 だからこそ昭弘は自ら一夏の説得役を買って出たのだ。
 何故一夏が昭弘を欲するのか、昭弘自身には解らない。だがシャルロットの言葉を信じるとするなら、一夏は今も尚昭弘を必要としているのかもしれない。そう思わずにはいられなかった。
 もし仮にそうだとするなら、一夏は今この時も昭弘に助けを求めているとも言える。然らば、手を差し伸べるのが友人としての筋だ。

 兎にも角にも、自分にしか出来ない事がある筈だ。
 そんな想いを秘めながら、昭弘は明日の作戦内容を入念に確認し続けた。


 正直、箒にとってこれは無謀な戦いと言わざるを得なかった。例え4機掛かりで相手取ろうと。

 

 あの一夏が手も足も出なかった前回の模擬戦。数年のブランクがあって尚、千冬はあれ程の戦いをやってのけたのだ。それに付け加え、勘を取り戻した千冬は打鉄をやり過ぎなまでの超高機動特化にカスタマイズした。

 億が一にも、スピードでは誰も追いつけないだろう。

 

 箒たち4人チームも、戦術や立ち回りを考えたのは昨日一日だけ。互いの役割を理解しているとは言え、どれだけ連携を取れるか未知数な部分が多すぎる。

 だからと言って、決して諦観している訳ではない。箒自身、無謀な戦いはISTTで既に経験済みだ。その辺りは他の3人も一緒だろう。

 

 フィールドに飛び出してからずっとそんな事を繰返し考えていると、思考を遮る様にブザーが鳴り響く。4人はその遮りに身を任せながら、別々の方向へと一気に散開していく。

 当然、動いたのは彼女たちだけではない。

 

(ッ!?居ない!)

 

 一夏の時と同様、千冬がパッと消えた。当然、実際に瞬間移動(テレポート)してる訳ではない。肉眼でもハイパーセンサーでも追えない程、千冬が速いだけだ。

 しかし4人は知っていた、最初に狙われるのが少なくとも箒ではない事を。

 打鉄の堅牢さは言わずと知れた事。その上、箒用に更なる重装甲を追加装備している。いくら千冬でも、落とすには多少の時間が掛かるだろう。それは即ち、他の3機から狙われる時間が延びると言う事になる。

 故に打鉄は後回し、故にセシリアたちは一瞬の内に身構える。

 

(来ますわッ!)

 

(最初に食らうのは恐らく凰さ―――)

 

 彼女たちの予想はピタリと命中した。打鉄程の装甲は無く、射撃武装も少ない相手。セシリアは直ちに、真っ先に攻撃を受けるであろう鈴音にビットを送り出すが―――

 

ギィン!!

 

《ングッ!!》

 

 鈴音もまた分かっていた。来ると分かっていて尚、回避も受け身もセシリアからの援護すらも間に合わない。

 

 しかし斬撃を免れた3人の行動は速かった。

 一番不味いのは、攻撃が鈴音1人へと集中し早くも4人から3人へと仲間が減る事。

 よって箒は鋼の集合体と化した己を突っ込ませる。セシリアとシャルルは、弾数など気にしない勢いで様々な色合いの光を降らせる。鈴音を助ける為。

 

 そして、絶望的戦力を誇る力の権化に一矢報いる為。

 

 

 

 IS(インフィニット・ストラトス)戦闘機(ラプター)よりも速く飛べる超高性能のPS。

 しかし言わずもがな出せるスピードには物理的限界があり、その速度性能もISによって様々だ。戦闘中に至っては急旋回(ハイGターン)や急減速等、速度を落とさざるを得ない状況も必ずある。

 

 一夏にとって千冬の動きは、そう言ったISにおける絶対原則の様なものから大きく逸脱している様にさえ見えた。

 どうしてたかが量産機である打鉄で、あんなスピードが出せるのか。ISとは、あんな動きが出来る様に設計されているのか。そんな疑問が1つ、また1つと際限無く増えていく。

 が、増えるだけで何の解消もされないので唯々頭だけが風船の様に膨れ上がっていった。

 

 そして何より、観客スタンド(外側)からだと千冬の機動(マニューバ)がより全体的にはっきりと見える。

 それがどれ程途方も無いモノなのか、千冬がスラスターを噴出する度に一夏は思い知らされる。前回の模擬戦で十分思い知った筈なのにだ。

 

 そんな感想を抱きながら千冬を目で追う一夏に、昭弘が問い質す。

 

「…一夏、今だから問うぞ。お前は今の戦闘スタイルで、織斑センセイを本当にいつか超えられるか?」

 

「…」

 

 その無言が答えとも言うべきだろうか。

 ISの稼働時間が長ければ長い程、技術もそれに比例して上達する。だがIS適性、そして何より戦術とISとの相性によって伸びしろは大きく左右される。一夏のIS適性は確かに高い。だがそれは千冬(IS適性「S」)には到底及ばない。剣術も千冬に大きく劣る。

 つまり近接剣術を駆使したIS戦で一夏が千冬を超える事は―――ここから先を、一夏はどうしても口にしたくなかった。受け入れたくなかった。

 それでも昭弘は何の躊躇も容赦もしなかった。

 

「一夏。直視したくない現実ってのは誰にだって必ず来る。けどな、いずれは受け入れなければならないんだ。例えその現実が、今までの自分を否定するようなものでもな」

「受け入れて自分を見つめ直して、新しい道を探すしかないんだ。でないと一生前に進めやしない」

 

 そう言われて一夏は思わず頭を抱える。「ならどうすればいいんだ」「一から全部やり直せとでも」と投げやりにそんな言葉を吐こうとした一夏だが、まだ昭弘の話は終わってなかった。

 それも、今までより声色が明るくなっていた。

 

「視野を広めれば、その「道」はいくらでもあるんだがな。一夏、お前さっきから織斑センセイしか観てないだろう?」

 

 昭弘の言葉によって誘導される様に、一夏は今千冬を相手に戦っている4人の猛者へとその視線を変える。

 

 

 

 数年のブランクから解放された千冬。今、スラスターも大小のブースターも生身の手足同然に千冬の命令を聞いてくれる。

 

(…不味いな)

 

 しかしそんな心模様の通り、決して余裕ではなかった。最初に狙いを付けた甲龍が予想以上に粘る粘る。その上、甲龍に張り付く箒の打鉄が邪魔で仕方が無いのだ。完全に捨て身覚悟で甲龍を護っている。

 更に厄介なのが、ティアーズとラファールのまるで遠慮を知らない弾幕だ。仲間が近くを飛んでいるといった躊躇いがまるで感じられない。よってか未だ直撃こそないものの、段々と千冬に弾丸やらビームやらが掠り始める。

 

 そんな状況だと言うのに、千冬は口角を上げ真っ白い歯をギラつかせて笑い出す。五体を流れる戦士としての血が戦いに反応して沸騰し始めているからか或いは―――

 

(良い仲間を持ったな一夏)

 

 一夏の為ここまで奮闘する彼女たちに、称号(ブリュンヒルデ)以上の輝きを見出したからだろうか。

 何れにせよ、彼女たちは我武者羅に戦い続けるしかない。だから千冬は、何度も次の言葉を戦闘中に繰り返していた。

 

(頼むぞアルトランド。コイツらの生き様、しっかり愚弟(馬鹿一夏)に伝えておくれよ?)

 

 

 千冬も、箒も、セシリアも、シャルロットも、鈴音も、そして昭弘も、皆必至だ。一夏を、絶望の淵から引き上げる為に。

 

 

 

 試合が始まってから3分。未だ、千冬が操る打鉄へのダメージは僅かだ。

 しかしそれ以上に、かのブリュンヒルデ相手に未だ誰も脱落してないのは更に驚嘆すべき事実であろう。

 

 一夏は考え始めた。何故そうまでして自分の為に戦うのかと。4人掛りと言う些か卑怯な手を使ってまで。

 

 昭弘は一夏のそう言った思考を読み取ったのかそれとも最初から想定していたのか、今度は箒たちについて語り出す。

 

「箒の基本戦術は至近距離での斬り合いだが、打鉄の高い防御力を活かす事で敵からの弾幕を気にせず突撃出来る。そのまま仲間の楯になる事もな」

「オルコット最大の強みは、ビットで仲間を援護出来る点だ。状況に寄っては、近接型の味方を強引に重火力型へと変貌させられる」

「近接格闘に務めながら見えない砲弾を無限の射角で扱いこなす鈴音は、遠近共に隙が無い。衝撃砲の短所も既に改善済みだ」

「そしてシャルルが操る多彩な武装は、どんな戦局にも対応出来る。相手からすれば、何を仕掛けてくるか予測の難しい厄介な奴だ」

 

 今回も彼女たちは、昭弘が大まかに述べた分析通りに戦っていた。まるで己の長所を存分に活かす様に。これこそが自分だと、誰彼構わずアピールする様に。

 昭弘は彼女たちの戦い方に敬服しながらも、その感情をどうにか抑える様に口だけを動かした。

 

「…けどな、最初は4人共目指していたものは同じだった筈なんだ」

「光の様な速さと、剣一本で敵を圧倒する純粋な強さ。それはIS乗りなら必ず一度は夢見る力だ」

 

 一夏は千冬に憧れ、そして最終的に憎悪した。しかし一夏だけではない。箒、セシリア、鈴音、シャルロットもまた、一度は千冬に憧れたのだ。

 

「だがISとはそんな生易しく出来ちゃいない。己の望む力と実際に強くなる為の最適解は、必ずしも一致しない」

「アイツら4人だってな、断腸の思いで織斑センセイの戦闘スタイルを諦めたんだ。強くなる為に、前に進む為に。そうして何度も何度も戦術を変え様々な武装を試し、試行錯誤を繰り返してきた。アイツらの戦い方は、そうやって漸く手に入れたものなんだ」

「そして…アイツらは好きになっていったんだ。自分で見つけた自分だけの「強さ」を」

 

 一体どれ程の時間をISに費やせばあんな戦いが出来るのか、戦闘スタイルを変えた事のない一夏には到底想像出来なかった。

 だが実際、目の前で繰り広げられている戦いは4対1。一夏からしてみれば、やはり箒たちが酷く滑稽で卑怯に見えてしまう。

 一夏がその事に突っ込むより先に、昭弘は尚も話を続ける。

 

「こう思ってるんだろ?それでも千冬より大きく劣る事に変わりはない…ってな。確かに、アイツら単独じゃとても織斑センセイには敵わない。故に徒党を組んだ訳だ」

 

 その後、少しの間を置いて昭弘はまるで一夏を蔑む様に睨んだ。そして北風の如く冷たく言い放った。

 

「それでもお前より遥かにマシだ。何時までも自分が望んだ強さに固執し続け、無理と判ったらそれが己の終わりだと思い込み塞ぎ込むお前よりはな」

「あの4人の内誰か1人抜けたとして、お前にそいつの代わりが務まるのか?箒の様に仲間の楯となれるのか?鈴音の様に敵を引きつけ、執拗な攻撃に耐えられるのか?セシリアの様に自由自在にビットを操って、仲間を援護出来るのか?シャルルの様に数多くの武装を使い分け、戦況に応じて弾幕を変えられるのか?」

 

「…」

 

 ネチネチと厭らしく、昭弘の辛辣な言葉は一夏の逃げ道を塞いでいった。そして遂に止めの一言が言い渡された。

 

「無理だろうな。もしお前が誰かの代わりに戦ったとしたら、今頃全滅してたろうぜ。それは決してお前の戦闘スタイルだけが問題じゃない」

「自分がヒーローじゃなければ、中心じゃなければ気が済まないお前にはチーム戦なんて無理なんだよ」

 

 か細い頂にて、もう周囲360°何処を見渡しても逃げ道など無い一夏はそのまま転がり落ちるしかなかった。

 

 そうして奈落で蹲る一夏の中には、純粋な感情だけが残った。その感情を隠す外殻は、もう昭弘の指摘によって全て取り払われてしまったのだ。

 故にもう隠す事も出来ないからか、一夏は何の躊躇も見せず言葉に変えて声に出した。捨てられた子猫の様にか細い声で。

 

「……ヒーローに、ずっと憧れていた。自分だけの力で悪を懲らしめて弱い者を助けて、皆から崇められる、そんな存在に。……駄目なのかよ、そんな存在を目指したら」

 

 一夏はずっと、理想のヒーローになる事を諦めきれなかった。ただそれしか、自身のアイデンティティを見出せなかったが為。千冬と言う一夏の理想を体現する存在が、余りに身近過ぎたが為。

 しかし、一夏の定義するヒーロー像とは果たして本当にヒーローと呼べるものなのか。そして一夏の道は、本当にそれしかないのか。

 それらを一夏に諭す為、昭弘はいくらか口調を優しくしながら切り込んで来る。

 

「ヒーローなんて本人がなりたくてなれるもんじゃない。そいつの行いを人々がどう思うかだ」

 

 そう言われた一夏は、不思議そうに昭弘を見るが…。

 

「ッ!」

 

 一夏の視界端がフィールド内の「大きな動き」を捉えた。すると思わず、一夏は昭弘に向けていた視線を今一度フィールド内のバトルへと戻す。

 

 鈴音と甲龍はもう既に限界を迎えていた。

 最早数える事すら馬鹿らしく思えてくる程の、目まぐるしい千冬からの斬撃。彼女自身の巧みな剣捌きや衝撃砲に箒たちの援護もあってか、鈴音はどうにか猛攻を凌いでいた。

 

 直後、余りに呆気なく甲龍のSEが尽きる。

 

 しかし一夏はその目でしっかりと目撃した。鈴音の表情を。

 笑っていた。一片たりとも悔いはないとそう言いたげに。

 

 箒たちの苦戦は更に加速する。次なる千冬の狙いはシャルロット。

 3人にまで減らされた現時点では、鈴音以上に早く脱落してしまう。

 しかしやはり気のせいなどではない。シャルロットも何処か楽し気に笑っていた。

 

―――…何でだ。負けると分かっていながら何でそんなにも

 

 一夏は首を戻しては傾げる行為を繰り返す。

 

 そんな戦況の激変に合わせる様に、昭弘は続ける。

 

「織斑センセイもアイツらも、ただISが純粋に好きなだけなんだ。だから負ける事が判り切っていても勝つ事がほぼ確定していても、絶対にバトルを止めはしない」

 

 話の途中、シャルロットのラファールも遂に食われた。

 ビット全機による援護、盾となる打鉄、そしてシャルロットが魅せる色とりどり大小様々なる弾丸の嵐。

 それら全てを千冬はまるで海中を泳ぐ様に躱し、最小限のダメージで凌いで見せた。

 

 残りは箒とセシリアのみ。

 

 気を取られる事なく昭弘は絶えず口を動かす。

 

「奇麗だよな。自分の好きな事を、やりたい事をやっている人間ってのは。…ヒーローだって同じじゃないのか?ただ純粋に目の前の困っている人間を助けたいから、助ける。ヒーローだなんだと称賛されたいからじゃない」

 

 大いなる目的があり、それを成す為に切磋琢磨しそして成し遂げる。その者の生き様に強く共感し延いては憧れを抱く人間が、あくまで一方的にその者をヒーローと認識する。

 ただ単に皆から称えられるヒーローになりたいから、したくもないのにそれらしい事をする。それでは例え感謝されても、心が満たされる日など永遠に訪れない。

 

 一夏は考え始めていた。それはヒーローについての定義ではなく自分の本当に好きな事、本当にやりたい事をだ。

 一夏の為だけじゃない、戦いたいから戦う。彼女たちの戦い(ISバトル)には、重ね重ねろ過されたみたいにまるで不純物が無かった。

 そんな彼女たちの戦いを、昭弘の言葉がより煌びやかに輝かせる。

 

 網膜が映し出す戦いと、鼓膜を響かせる昭弘の言葉。それらが、一夏の本当の心を引きずり出そうとしているのだ。

 

 だが肝心の戦いはと言うと、最早万事休すと表現すべき状態だった。

 

 予想通り最初にビットを全機落とされたセシリアは、残されたビームライフルで箒と共に決死の抗戦を続けていた。一応それなりのダメージは千冬に与えたつもりのセシリアだが、彼女自身も後がない。

 セシリアが落ちたら、千冬と箒の一騎打ち。そうなればもう…。

 

 そして遂にその時が訪れる。得意の回避で躱しても躱しても、追跡してくる千冬の白刃。とうとうその斬撃に捕まってしまったのだ。

 

 もうこれで、残っているのは2機の異なる打鉄だけ。SE残量は五分だが、箒の敗北は濃厚どころか最早決定的と言ってもいい。

 しかし箒は諦めない。ISを纏っている限り、SEが切れるその瞬間まで戦い続ける。このひと時が楽しいから、己の感情には逆らえないから。

 対する千冬も一切の加減をしない。どんな時でも、大好きなISで全力を出し切る。そしてそれこそが、相手への礼節となるからだ。

 

 その姿を一夏は固唾を飲んで見守り、昭弘は静かに見据えていた。

 そして案の定、昭弘は話し続ける。一夏の為だけじゃない、昭弘自身の為、そして皆の為。

 

「この戦い、よく目に焼き付けておけ一夏。そしてもう一度「自分」と言う存在を感じてみるんだ」

 

 一夏は昭弘の言葉にそのまま身を預けるが如く、戦いを最後まで見届ける。

 

 箒は躊躇う事無くブースターを炸裂させ、千冬へと突っ込む。何度も何度も、そして何度も。

 しかし千冬にはやはり追い付けない。いくら葵を振り下ろしても、掠りもしない。

 

 そして躱した分、千冬は同じ葵を切り込ませてくる。何度も何度も、そして何度も。

 

 

 とても届かない。一矢報いるどころですらない。

 

ヴーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!

 

 試合終了のブザーが鳴り響いた後、箒は…泣いていた。

 彼女だけじゃない。セシリアも鈴音もシャルロットまでも、程度は違えど皆泣いていた。

 悔しいのだ彼女たちは。負けると分かっていても、やはり負けたくはなかったのだ。

 

 その光景を観て、一夏は己の心が沸騰しているのをはっきりと感じ取っていた。それはまるで入学したての頃、昭弘や箒と特訓を繰り返し日付も忘れて作戦を練っていたあの日々の中感じていた、胸の昂ぶりによく似ていた。

 

 昭弘はそんな一夏の両肩をガシッと掴み、一夏の身体を左へ90°方向転換させる。フィールドから視線を外された一夏の視界全体を、昭弘の顔面が埋め尽くす。

 

 そして昭弘は話す。一番一夏に話したかった事を。

 

「一夏。勝った織斑センセイと負けた箒たち4人、どんな違いがある?どっちも、ただ好きな事を自分の好きな様に続けていただけだ」

「一夏、もう答えなんて解っている筈だ。お前自身もISが好きで堪らないんだから」

 

 そんな事、他ならぬ一夏本人が一番良く解っていた。

 一夏も同じだった。ISが好きなのだ。本当にどうでもいいなら、ISの事で昭弘や箒たちと熱く語り合ったりなんてしない。

 つまりは、そうやって育んできた此処(IS学園)での人間関係も決して偽りではないのだ。

 

 なら自分の「好き」に従って生きれば良いと言うのに、一夏にはそれが出来ない。好きな事をした所で、ヒーローになれる訳でもないし千冬を超えられる訳でもない。ずっと、そう考えて来たのだから。

 だから一夏は、何も答えられなかった。

 

―――もういいんだ一夏

 

 無言の一夏を見てそう思った昭弘は、最後の一言を添える事にした。一夏を雁字搦めに縛る「千冬を超えるヒーロー」と言う夢を、完膚なきまでに破壊すべく。

 

「…別にな、皆のヒーローになる必要はないんだ一夏」

 

「その一時だけ誰かのヒーローになれればいいんだ」

 

 一夏の心の奥底そして五体に至るまで、昭弘の言葉は血流へと乗る様に浸透していった。

 今に至るまでの、箒たちの試合と昭弘の言葉。それら全てを簡素に凝縮した様な言葉だった。

 

 何と言う事だろうか。誰だってヒーローになれるのだ。

 意のままに好きな事を続け、その様を見た100人中1人の心を揺さぶれれば、ただそれで良かったのだ。

 

 今更そんな簡単な事が解った一夏。では今までの一夏は何だったのか。千冬に憧れ千冬を憎み続けて来た一夏は、一体。

 

 違う、肝はそこではなくこれからなのだ。

 自分の好きな事をすると言うのは、自分に正直になると言う事でもある。それ即ち、偽りの無い自身の本当の心を理解すると言う事。

 至極簡単に聞こえるそれは、中々どうして難しい。

 果たして一夏にそんな事が出来るのか。ずっと自身を偽り続けて来た、一夏に。

 

 それが怖かった一夏は、昭弘を見詰める。普段悩みを相談する時みたく、縋る様な目で。

 

 対して昭弘は微笑を零し、小さく1回頷くだけだった。

 

 そんな昭弘の優し気な表情を久しぶりに見た一夏は、自然と涙が溢れて来た。

 その涙は懐かしさから来るものではなく、安心から来るもの。そしてとうに諦めた筈であるその安心感こそ、今一夏が一番欲しかったものだ。

 お陰で余計な不安は涙と共に流れ出て行った。

 

 故に一夏は「もう大丈夫だ」と言いたそうに覚悟を固める。“何か”から解放されたみたいな表情で。

 だって、もう千冬を目指さなくていいのだから。好きな事の為に、自由にそして素直に生きればいいのだから。受け入れるべき現実なんて、もうとっくに見えているのだから。

 

―――今からオレは、本当の『織斑一夏』だ

 

 そう決心した一夏は、パジャマの袖で涙を粗雑に拭き取り再度昭弘に向き合う。

 

 そして思い起こす。もう昭弘の目を気にする必要はない、と。気にしなくとも、昭弘は常に一夏を見てくれている。一見目を逸らしている様でも、ちゃんと一夏を見ているのだ。

 今回、一夏にはそれがはっきりと分かった。

 

 だが常に昭弘の目があるのだから、好きな事には本気で取り組まねばならない。さもなくば、またも昭弘に要らぬ心配を掛けさせる事になる。

 

 それだけではない。「誰かのヒーローになれればいい」と言った、昭弘の提唱。

 一夏はもうその実体験に巡り合えたのだ。

 

 

 何故なら昭弘こそが、たった今一夏にとってのヒーローとなったのだから。

 

 いやもしかしたら最初から、昭弘は一夏にとってのヒーローだったのかもしれない。




次回、一夏・シャルロット編、最終回です。前半後半に分けるかもです。


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第40話 日常へ(前編)

―――――5月16日(月)―――――

 薄気味の悪いピンク色のブレザーを羽織る男が一人、社長用らしきデスクに居た。そこに座している訳でもなく、普段のにこやかさを困惑の表情に変えながら液晶携帯を片手にデスク周辺を彷徨いている。

「いきなりそんな事言われましてもねぇ~」

 そう、液晶画面の向こう側から面倒事を押し付けてきた相手に悪態をつく。

《デリーく~ん☆私がお前の会社にもたらした利益、忘れてないよね~?》

 安くも効果的な脅し文句だった。実際、技術提供によるT.P.F.B.への貢献度は計り知れない。

 この桃色スーツ変態七三男デリー・レーンに、良心が痛むと言った感情は薄い。が、相手が持つ絶大な力、今後における更なる技術提供の可能性も考慮すると無下には断れないのも事実。

「しかしですねぇ~。養子だなんて言われましてもぉ、僕に何のメリットが~?」

 成程そりゃ断りたくもなる。脳容量の99%を利益追求に当てる男には、余りに縁遠い話だ。

 電話の相手は僅かに残った優しさからか、取って付けた様なメリットをデリーに話してやる。

《実はその娘IS操縦者なんだよね☆MPSの性能向上に何か役立つかもよ?》

 更に、今度は口調を豹変させて続ける。

《但し、ISのコア情報までは聞き出すなよ?どうせその娘も知らないとは思うけど》

 そして再び子供の様な口調に戻る。

《だからお願~い!デリーちゃんしか頼めそうな人居ないんだよね☆戸籍とか学費とか養子縁組とか、面倒なのはこっちで調整しとくからさ!》

 どの道デリーに拒否権は無い。それを差し引いても彼は断らない。強大な力を持つ者との関係性は、良好であるに越したことはないのだから。デリーに負けず劣らず、ふざけた相手ではあるが。
 よって首を縦に振るしかないデリーは、「社会勉強の一環」と自身に言い聞かせ思考をプラスへと切り替える。

「アーハイハイハイ分かりましたってば。後で写真と名前送って下さいなったらもう」

 デリーの返答を聞いて相手は「決まりィ☆」と叫び、通話を切った。


 1分後、デリーの人情の様に薄っぺらいノートPCに一通のメールが届く。早速その中身であろう写真と氏名を確認しようとする彼だが―――

「社長、ミューゼル様からお電話で―――」

「ハーイッハイハイハァァァイッ!!!」

 事務員にも秘書にも見える女からそう通達されるとデリーは喧しい程元気良く返事をし、メールを後回しにする。
 女が口にした名は、今デリーにとって最も大事なクライアントだ。
 メールの事など忘れる勢いで、デリーは毒々しいスーツをあらゆる方向にはためかせながら受話器を片手にヘコヘコする。



 そして6月。
 デリーがメールの中身を確認したのは、IS学園から戻った後だった。そこに載っていた写真と名前を閲覧した瞬間、デリーの脳内をあらゆる信号が突き抜ける。
 名は『シャルロット・デュノア』。1000人に1人居たらいい程の美少女で、濃くも和かな印象を受ける金色の髪を持っていた。
 
 本来なら大好きな美少女を見た事で酷く興奮するデリーだが、この時は違った。彼はこの少女と会った事があるのだ、それも2回も。
 デリーは一先ず、脳味噌に残っている記憶と少女に対する認識を整理する。

(観客席で会った時は男だった筈…)

 記憶の情報とメールの情報が食い違い、ウーンウーンと唸るデリー。しかし簡単且つ都合のいい答えが見つかったのか、頭蓋骨の中を豆電球が明るく照らす。

「双子かぁ!!」

 そうだそうに違いないと、デリーは自身が導き出した答えに絶対の自信を秘めた。


―――――6月12日(日)―――――

 

「この数日間、誠に……御迷惑を御掛けしました」

 

 4対1と言う異色のISバトルも終わり、ピットに集まる5人の戦士と2人の観客。

 場の雰囲気は夏の川辺よろしく清々しいものだったが、その中で1人重々しく深々と腰を折るのは一夏であった。

 謝罪の相手は彼以外の6人全員。何に対しての謝罪なのか、列挙していたらキリがない。今までの愚行、としか纏めようがない。

 

 謝罪された6人は、皆一様に困り果てた笑みを浮かべていた。その表情には謝罪された事への嬉しさ、多少の動揺、そして何より「謝罪される資格などない」と言いたげな自責の念が見て取れた。

 一夏の闇に気付けなかった、或いは見て見ぬ振りをしていた、そう思っているのだ。

 しかし―――

 

「許す!」

 

 誰よりも早くそんな状態から脱し、そう言ってのけたのは鈴音だった。気持ちの切り替えが早くズバズバと物事を言ってのける彼女には、その時一番必要な言葉が解るのだ。

 鈴音の見えない糸に引っ張られ、千冬も箒もシャルルもセシリアもそして昭弘も、鈴音と同じ笑顔を見せる。

 何であれもう過ぎた事。これからの一夏にとっても昭弘たちにとっても、過去を振り返るのはごく偶にで良いだろう。

 

 昭弘たちの良好な反応を確認した一夏は、再び深く一礼した。

 

 

 

 一夏の謝罪後、一同は解散した。昭弘とシャルロットをピットに残して。

 無論偶然などではなく、昭弘からの申し出だ。建前としてはピット内の軽い後片付けであるが、真の理由は他にある。

 ただその時、箒が不満そうに頬を膨らませていたのを2人は知らない。

 

「で、国籍はどうなったんだ?」

 

 建前上の後片付けを律儀にこなしながら、昭弘は最初の質問を送る。

 一瞬答えるか迷うシャルロットだが、答えない理由もないと悟り口にする。昭弘と似た様に、律儀に小箒で塵を掃き集めながら。

 

「…アメリカだよ、黙っててゴメン。国籍に関しては昭弘から訊かれなかったから…」

 

 先に謝罪と軽い言い訳をする彼女だが、昭弘は特にそれを咎めもせず質問を続ける。

 

「国籍は一夏から言い渡されたのか?だとしたらいつだ?その事は教員たちも知ってるのか?」

 

「い、一遍に訊くねぇ。…6月8日、一夏が無言でメモを渡してきたんだ。丁度織斑先生と山田先生に呼び出されてから2日後って事になるね」

「当然、履歴書(データ)もまた(ハッカーに)変えられたんだと思う。だから先生たちも、大っぴらにしないだけで相当慌てたんじゃないかな」

 

 ケロっとした顔でとんでもない事を暴露する彼女。

 もし一夏が6月8日に束から国籍取得完了の連絡を受けていたなら、シャルロットは5月16日から6月8日まで無国籍状態だったと言う事になる。

 なのに学園を追い出されなかったのは、履歴書に記載されたままだった「フランス国籍」のお陰だろうか。フランス本国から籍の確認が取れずとも大元の履歴書にそう記載されている限り、短期間の内は学園から追い出す訳にも行かないだろう。

 一応IS委員会からも「シャルロット・デュノア、女性、フランス」と言う履歴書で「合っている」と、言質も取っている。

 恐らくこれに関しては、束からの差し金か圧力があった。

 千冬と真耶が6月6日、彼女の国籍に触れなかったのも未だ履歴書がフランス国籍のままだったからだ。

 

 要するに、色々と有耶無耶な期間だったのだ。そんな事、一生徒である昭弘があれこれ考えた所で仕方が無い。

 それが分かっている彼は、さっさと頭を切り替えて別の質問に移る。

 

「んでお前、クラスの連中にはどう弁明するつもりだ?」

 

 途端、固まった彼女の手から小箒と塵取りが滑り落ちる。

 そうして10秒程だろうか。固まった後に彼女は頭を抱えた。

 

「完全に忘れてた…」

 

「阿呆」

 

 そう言って、昭弘は両手の乗った彼女の頭を軽くパチンと平手打ちした。

 

 唸ろうと呆れようとどうにもならないので、急遽2人はその場で一策を講じる事にした。

 

 

 

「ほ、本当にそれで大丈夫かなぁ」

 

「喧しい。男装していた理由としては一番無難だろうが」

 

 話は纏まった様だ。後はクラスの皆に弁明し、誠心誠意を以て謝罪すれば丸く収まる。

 と言いたい所だが、実はまだある。

 

 寧ろここからが本題であった。

 それを確認する為、昭弘はシャルロットに話し掛ける。先の質問とは違い、低い声に更なる重みを乗せながら。

 

「…答えは見つかったのか?」

 

 再びシャルロットは身体の動きを止める。先程よりも長く、まるで周辺の機器と同化する様に。

 

 しかしその後、気が動転する訳でもなく彼女は儚げな笑みを浮かべながら答える。いつか答える時が来ると、覚悟していた様に。

 

「…昭弘に必要と言われて、その期待に応えていく内に気付いた。僕はずっと…父から必要とされていたんだ」

 

 余りに手遅れな気付きであった。実父に会えない、会う気も起こらない今となっては。

 

「勿論父は、ただ僕を利用していただけだと思う。それでも僕が居なければ、会社の行く末も無かった」

 

 それだけの価値を、彼女は持っていたのだ。

 

 その価値に何故今まで彼女は気付けなかったのか。

 それは至極簡単な事で、何も考えてなかったからだ。会社(獄中)で日々を生きるのに精一杯だった彼女は、自分の事を考える余裕なんて何処にもなかったのだ。

 

「自分に価値が無いだなんて、今思えば軽率だった。父が僕に求める価値を、僕自身が望んでいなかっただけだ」

 

 人は常に人を必要としている。傍に居て欲しい、手伝って欲しい、教えて欲しい。しかしそんな欲求に、相手が必ずしも応じてくれるとは限らない。

 シャルロットもそんな普通の人間に過ぎなかった故、父親から逃げ一夏の助け舟に乗り込んだ。

 

 デリーの言う通り、価値なんて誰にでもあるのだ。

 単に彼女自身、父親が彼女に見出した価値を価値と見なさなかったに過ぎない。だからずっと、自分に価値が無いと思い込んでいた。

 

 では今の彼女は一体「何者」なのか。持っていた価値を自ら捨て去った彼女に、どんな価値が存在意義があると言うのか。

 それを彼女は喜々として口にする。

 

「今の僕には、自分の存在意義なんて正直未だ良く解らない。けど一つだけ言える事がある」

「…此処IS学園には、昭弘の様に僕を必要としてくれる人が居る。父みたいに「物」としてじゃなく、「人」としての僕に価値を見出してくれる人が」

 

 昭弘との親交、箒たちとの共闘を通じて、シャルロットは強く予感した。此処なら自分の新しい価値を見出せるのではないか、と。

 

「それに今の僕は、父の作った牢獄(鳥籠)で何も考えずに過ごしていた雛じゃない。だから僕は…僕が『シャルロット・デュノア』である事を知っている」

 

 生まれ変わった一夏を見て、彼女もまた感じたのだ。人はいくらでも変わる事が出来る。それでいて、自分と言う存在を保つ事もまた可能だ。

 選択する事も自分を見つめ直す事も、当人の思考次第。今のシャルロットには、その力がもう十分に備わっていた。

 

 それがシャルロットの答えだった。将来の為に自分の価値を知り、自分がどういう人間なのか理解していく。

 それは正に、将来を選択して行くごく普通の高校生そのものであった。

 

 そうしてやっと、シャルロットはデリーが放った言葉の真意に辿り着いた。

 

―――価値ある大人になる為、自分について考えるのを止めるなって事か。…最初からそう言ってくれればいいのに

 

 

 

 振りの後片付けを終えた昭弘はシャルロットと別れ、今度こそ寮へ戻ろうとしていた。

 

「…まだ一夏とは一緒に居辛いか?」

 

 アリーナ入口付近にてすれ違い様、所在無さげに佇んでいた箒に昭弘はそんな第一声を掛ける。既にISスーツではなく、学生が運動時によく身に纏っているハーフパンツとスポーツシャツ姿であった。

 箒は浅い溜め息を短く吐きながら答える。

 

「…今日一日は一人にさせて欲しいそうだ」

 

 明日からは本来の一夏、即ち今までとは別の一夏としてクラスメイトと接するのだ。やはり、それ相応の心の準備と言うものが要るのだろう。

 その件には昭弘も理解を示している。だが昭弘が今一番知りたいのは、現時点における箒の情緒だ。

 

「お前はどうなんだと訊いている」

 

 今訊かれたくない一言だった。箒にとって一夏の変貌は、決して生易しいものではない。

 今まで愛してきた一夏が根こそぎ変わってしまうかもしれないのだ。不安でいっぱいに決まっている。力を込めて「大丈夫だ」と答えられる筈も無い。

 

「…大丈夫ではない。一人で居ると、明日への不安でどうにかなってしまいそうだ」

 

 上瞼を落とし、虚ろな瞳を覆い隠す様にしながら箒は弱々しく答える。己に気合いを入れ過ぎると、それはやがて気負いへと変化し己を磨り潰していく。

 箒にそんな状態に陥って欲しくない昭弘は、彼女の心を宥めんとする。

 

「そう堅くなるな。明日会ってすぐ、好きか嫌いか決めれる訳でもないだろう」

 

 そんな言葉で心を撫でられても、やはり箒の様子は変わらない。彼女にとって先程の模擬戦が受験日だとするなら、一夏と対面する明日は正に合格発表日。

 態々待っていたのも、昭弘と会う事で箒自身の緊張を和らげたかったからだ。

 

 それでも心が晴れないのは、箒の我儘が直接の原因であろう。

 そう彼女は今、出来る事なら昭弘と一夏と自分の3人で居たかったのだ。

 

―――もう誰かが欠けているのはウンザリなんだ

 

 今まで通りの3人で居られる保証なんてない。だから箒は明日が怖いのだ。だから昭弘から何を言われても、心が癒されない。

 

 明日になれば嫌でも分かる事なのに。今こうして憂いに浸っていても、未来が変わる事などないのに。

 解っていても、箒は誰にも理解して貰えないであろう不安を一人で抱え込むしかなかった。

 

 

 

―――22:33

 

 今日一日は一人にさせて欲しい。

 

 海より深い謝罪と共に一夏からそう懇願されたシャルロットは、今昭弘の部屋に居る。青いストライプの入ったパジャマと僅かな湿り気を感じさせる髪から察するに、既にシャワーと歯磨きを済ました後なのだろう。

 其処で彼女は昭弘から渡された「ある物」を手にしながら、当惑していた。

 

「あのぅ昭弘。これは…?」

 

「見りゃ解るだろう。寝袋だ」

 

 そう説明されるシャルロットだが、彼女は何度もベッドの方角に目配せをする。

 

 そんなジェスチャーを見て、彼女が寝袋での睡眠に抵抗がある事だけは理解した昭弘。

 だがレディファーストと言う単語にまるで縁の無い彼は、中々に冷たかった。

 

「ここはオレの部屋でありオレがルールだ。それに従えないってんなら廊下で寝るか?」

 

「…ココデネブクロシイテネマス」

 

 怯えながら、そして不貞腐れながら観念するシャルロット。

 

「一晩くらい我慢しろ。寝袋もちゃんと洗ってある」

 

「ハイ」

 

 そう投げやりに返事をすると彼女は近くのソファに寝袋を敷き、渋々と巣穴に潜り込んで行った。

 

 

 慣れない生地に包まりながら、シャルロットは今更になってある事を思い出す。

 

(…そう言えば家族とかどうなるんだろう。やっぱり誰かの養子…って事になるのかな?)

 

 どの道、残り2年と数ヶ月はIS学園で暮らす事になっている。故に新しい家族の事なんて考える暇は、彼女にはなかった。確かに、近い内会う事もあるのかもしれないが。

 

(…考えるのはまた今度にしよう。先ずは明日を乗り切らないと)

 

 明日、と言うよりも明日以降か。

 形だけとは言えこの1ヶ月間、男性としてクラスメイトと接してきたシャルロット。そんな彼女は明日から、初めて女性として1組に立つのだ。

 そう言う意味では明日からが新しい学園生活のスタート、とも言えるのではないか。

 

 もっと家族の事について色々と考えたかったシャルロットは、惜しむ様に瞼を閉じた。

 

 

 

 

 

―――――6月13日(月)―――――

 

 晴れ。雲一つ無い、透き通る様な青が何処までも続く快晴であった。

 

 こんな日はきっと今を輝く女子高生も、その豊潤なる生命エネルギーを周囲へ解き放っているに違いない。

 等と言った願望に近い予想は、ここ1年1組に至っては大きく外れてしまっている。皆暗い…と言うより、何やら落ち着きが無い様に見える。

 

 原因は、今正に1組の教室へと向かっているクラス代表の存在にある。

 実はこのクラス代表、先日担任とのISバトルで惨敗し、精神的に大きなショックを受けてしまった。故に心優しい1組の面子は、ちゃんと登校してくるかを酷く心配しているのだ。

 

 しかしそんな彼女たちとは隔絶された様に、昭弘と箒は鋭い緊張感を纏っていた。

 2人はクラス代表が本日登校してくる事を知っている。そして、彼が大きく変わってしまったであろう事も。

 だから心配ではなく緊張していた。まるで久しく会っていない旧友との再会を待っている時の緊張感、と言えば想像しやすいだろうか。

 セシリアも同様の緊張に襲われていたが、昭弘たち2人程ではないと言った所か。

 

 そんな訳で彼等3人は、クラスメイトが入室する度にビクリとしながら引き戸へ視線を向けていた。

 

 そしてSHRまで残り10分を切った頃。

 

カララッ

 

 と音を立て引き戸の車輪が転がる。当然、昭弘たちも振り向く。

 失礼ながら地味で特徴の無い黒髪。高くもないが低くもない、日本男児の平均的な身長。そして整った顔面。間違いない、その姿は正しく―――

 

「おはよう」

 

 クラス代表『織斑一夏』であった。まるで別人の様なと付け加えておく。

 以前の明るい一夏と比べると口調は年不相応に落ち着いており、顔もそれに合わせている様に無表情だった。かと言って暗い雰囲気でもなく、堂々と胸を張りながら自分の席へと歩いて往く。

 

 しかし昭弘以下クラス全員、一夏の更に大きな変化に目を奪われていた。

 

(眼鏡?)

 

(眼鏡だ)

 

(メガネですわね)

 

 3人は心中でそんな単語を呟いてみる。

 当然一夏の視力は極めて良好であるし、眼鏡を掛けている姿なんて、このクラスの誰も見た事がない。

 何故?どうして?もしかして寝惚けているのか?短時間で考えてもそんな理由しか浮かばない昭弘は、席に着いた一夏に第一声を掛けてみる事にした。

 

「おはよう一夏」

 

 先ずは挨拶。対する一夏は重たそうな黒縁眼鏡のフレームを摘まんでクイッと位置を上げ直すと、静かに「おはよう昭弘」と返した。

 

「…どうした?その眼鏡」

 

「伊達眼鏡。昨日あの後、レゾナンスで購入してきた。税抜き1380円よ」

 

「…オレの聞き方が悪かったな、訂正する。何故眼鏡を掛けている?」

 

 昭弘の右肩からひょこっと顔を出した箒も、昭弘の疑問に激しく同意する様にコクコクと頷く。

 対して一夏は落ち着きをそのままに、されど何処か得意げに答える。

 

「先ずは形から…って言うだろう?」

 

 確かに人は心を入れ替える時、その節目として髪を切る事もある。どうやら一夏も、それを模倣したつもりの様だ。

 つまり昭弘たちが考えている様な、深い理由は無いのだ。

 

 箒ももう居ても立ってもいられないのか、後先考えずに口を動かす。

 

「…邪魔、じゃないか?」

 

「正直かなり邪魔」

 

「なら外せばよかろうに!」

 

「いやだ。折角買ったのに勿体ない」

 

 無表情ながらも、一夏は頑として眼鏡を外そうとしない。大した理由でも大した代物でもないのに。

 

 しかし、セシリアは何やら面白そうに一夏を見ていた。

 

「私は案外似合うと思いましてよ?それに何事も試そうとするその姿勢、嫌いじゃありませんわ」

 

 すると一夏はちょこっとだけ笑みを見せ、フレームを摘まんでこれ見よがしにクイクイ動かす。

 

「流石、セシリアは目の付け所が違う。だからって惚れちゃだめよ?オレは今IS一筋だもの」

 

「…勘違いしているようなので一応言っておきますが、前の一夏の方が万倍格好いいですわよ?」

 

 呆れたセシリアにそう突っ返された一夏は、「アァン残念」と軽くしょげる。それでもメガネは決して外さない。

 

 一夏が入室してからと言うもの、昭弘は謎の頭痛に襲われていた。一夏の余りの豹変ぶりに、頭が付いて行けてないのだ。

 昨日までの自分を殴り飛ばしてやりたい衝動を、必死に抑える昭弘。何が「変わらない部分もきっとある」だ、今の一夏は最早完全に別人ではないか。

 まるでその衝動を外へと逃がす様に、昭弘はつい口走ってしまった。

 

「無理をするな一夏」

 

 机に手を置きながらそう言う昭弘を見て、一夏は首を傾げる。そして漸く静かになったかと思いきや、片手で口を覆って何かを考えていた。

 漸く昭弘が何を言ってるのか理解すると、一夏はまるで聖母の様に優しく微笑み昭弘の手の甲に自身の平手をソッと乗せる。

 

「オレは無理なんてしちゃいないよ。寧ろこっちの方が前より楽だ。何と言うか…自由で良い感じなんだ。何より―――」

 

 一夏は次の言葉への間を溜めに溜めた。余程大事な言葉なのか、それとも単なる気恥ずかしさからか。

 そして意を決した。

 

「また皆とこうして話す事が出来る様になったんだから」

 

 昭弘は己の発言を心底恥じた。先の言葉は、今の一夏への侮辱とも取れるだろう。

 一夏は良い意味で変わってなどいなかった。変わって欲しくない所は、ピンポイントでそのままだった。それは勿論、箒やセシリアも感じ取っている事だろう。

 

 昭弘は嬉しさに浸るのも短く、直ちに謝罪した。

 

「すまなかった一夏。無理をするな等と…」

 

 一夏はそんな昭弘を赦す。昨日、昭弘たちが自身を赦してくれた様に。

 

―――謝罪………あ!

 

 唐突に何かを思い出した一夏は、打ち上げられたロケットの様に勢いよく立ち上がる。

 

 大きな歩幅でズンズン進んで行くと、ある人物が座する席でピタリと止まる。

 

後編へ続く



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第40話 日常へ(後編)

「…何だ織斑一夏。取っ組み合いなら昼休みにしてくれないか?」

 

 相手はそう言いながら、冷ややかな視線をこれでもかと一夏へ注ぐ。

 それでも一夏は動じず、凍てついた瞳をしっかりと見据えた。

 

「ラウラ・ボーデヴィッヒさん…くん?」

 

 一夏は椅子に座しているラウラの視線に合わせる為、膝と腰を曲げて屈む。

 何をする気なのかと、昭弘はその巨体を割り込ませる準備をする。

 

 すると一夏は徐に眼鏡を外すと、何とソレをそのままラウラの顔面に掛けたのだ。

 

「……はぁ?」

 

 空気が抜けた様にただただ困惑の声を漏らすラウラ。

 その理由を、一夏はあくまで真剣な眼差しで説明する。

 

「眼鏡を掛けたままじゃ失礼だから外させて貰ったよ」

 

 本人は至って真面目に言うが、正直突っ込み所てんこ盛りな説明であった。

 

(何故机に置かないんだ…)

 

(大体眼鏡を掛けていたら失礼な状況って何だ?)

 

(無断で相手に眼鏡を掛ける方が余程失礼かと思いますが…)

 

 昭弘、箒、セシリアが的確な感想を心に留める。

 

 

 各々の心境など読める筈が無い一夏は構わずラウラだけに全神経を集中させ、勿体ぶる様に長い間を置いてからその頭を下げる。

 

「ラウラ・ボーデヴィッヒ殿。今までにおける非礼の数々、申し訳ありませんでした。……ただそれだけを伝えたかった」

 

 心に充満している罪悪感を全て乗せる様に、ゆっくりはっきりと一文字ずつ丁寧に発音する一夏。それは余計な説明や言い訳を、敢えて取り外している様でもあった。

 

「織斑一夏…」

 

 一夏の想いが伝わったのか、ラウラの瞳から冷気が消え失せる。

 代わりに宿っているのは、未だ頭を下げ続ける一夏に何かを伝えようとする明確な意思。

 

 果たしてその言葉は―――

 

「チャック空いてるぞ」

 

「!?」

 

 言われてハッとした一夏は、頭を下げた状態でそのまま己の股間へ視線を這わせる。社会の窓は、目覚めの朝を迎えた様に全開だった。どうやら1組の皆は、眼鏡を掛けた一夏の顔面に気を取られ過ぎていて気付ける事にも気付けなかった様だ。

 それを確認した一夏は、謝罪の姿勢のままラウラに視線を戻すと―――

 

「………イヤン」

 

 真顔でそう言い、一夏以外のクラス全員を爽快なまでに転倒させた。

 立っていた者は見えない何かに突進された様に倒れ、座していた者は重力が傾いた様に椅子から落ちる。

 

 箒とセシリアの下敷きになっている昭弘は、グチャグチャな頭の中でどうにかこうにか思考する。

 

(一先ず仲直り…って事でいいのか?これは)

 

 ラウラが一夏を赦したのかは何とも言えない。

 だが色々と吹っ切れている今のラウラにとって、一夏を敵視する理由も無い。

 

 これを期に、今後少しずつ2人の関係性が改善されていけばと思わずにはいられない昭弘であった。

 

 

 何はともあれ、昭弘も皆も少しずつこの「新しい一夏」に慣れていくしかないだろう。

 そしてそれが、きっとまた新しい日常になる。

 

 

 

 一夏の一悶着も過ぎ、漸くSHRが始まろうとしていた。

 しかし未だクラスメイトが1人足りない事に、殆ど全員が気付いていた。その存在は、異性に飢えている彼女たちにとって正に目の保養とも呼べる超絶美男子シャルル・デュノアくんである。

 一夏の時以上に心配し、オロオロし出す彼女たち。

 だが担任である織斑千冬先生と副担任である山田真耶先生が入室すると、嫌でも背筋を伸ばすしかなかった。

 

「今日は諸君に転入生を紹介する!」

 

「「「「「ええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!??」」」」」

 

 驚かない筈が無い。先月に続いて今月もと来た。訳が分からない彼女たちは様々な憶測や噂を投げつけ合うが、千冬の鋭い一声によって遮られる。

 

「ようし今だ!入れ!」

 

 荒々しい千冬の声に服従するが如く、その生徒はそろりと引き戸を開ける。

 普段から見慣れている黄金色の髪、愛らしい素顔。そこまでならば、彼女たちも黄色い声を張り上げるだけだろう。

 声を上げれなかった理由は、その生徒が女子の制服を身に纏っているからだ。

 

 疑問に陥る彼女たちの反応に怖気づきながら、その転入生は自己紹介に入る。

 

「皆さん初めまして…じゃあないですよね。改めて名乗らせて頂きます。『シャルロット・デュノア』と申します」

 

 つまり彼は、実は彼女であったと言う事だ。

 

 昭弘と一夏とラウラ以外、最早声すら出ない。人は突発的な出来事に身体の筋肉が硬直してしまう事があるが、今の彼女たちは正にそれだった。

 それより何よりシャルロットが今最も説明すべきは、男装でその身を覆っていた理由だろう。

 その事を訊かれるまでもなく彼女は訳を話す。

 

「先ずは、何故僕…私がずっと男装していたのかを話したいと思います。それは―――」

 

 やはり勇気が要るのか、シャルロットは間を置く様に口を閉ざす。

 その間、いくらか落ち着きを取り戻した箒やセシリアは様々な憶測をする。が「よもや男装が趣味な訳ではあるまい」と、その思考だけは見事に一致していた。

 確かに余りに単純且つ阿呆らしい理由だ。

 しかし―――

 

「―――趣味だからですッ!!」

 

 そのギャグみたいな理由が当たってしまうだなんて、一周回って誰に予想出来ただろうか。

 

 今クラスは「3つの反応」に大別されている。

 未だに彼女が女性である事を信じられず、放心状態の者。

 下らない予想が当たり、身体の力が抜ける者。

 そして「では何故男性としてずっと振る舞ってきたのか」と言う疑問を抱く、怖いくらいに冷静なごく少数の生徒。 

 シャルロットは、そのごく少数が抱く疑問に答える。

 

「最初は冗談半分で、直ぐに正体を現すつもりでした。けど、皆完全に私が男だと信じ切っていて言い出し辛くて…。もっと言うなら私自身、その状況が凄く楽しくて…」

「けどいずれはバレる事。…そう考え始めたのが、つい先週でした」

 

 説明する彼女に対し、千冬も弁護に加わる。

 

「言っておくが我々教師陣も、デュノアが女性である事は最初から知っていた。故に彼女はIS学園まで欺いていた訳では無い」

 

 学園の規則でも、女子が男子の制服を男子が女子の制服を着てはならない等とは一言も書かれていない。

 

 シャルロットは千冬の釈明に軽く頭を下げた後、今度はクラスメイト全員に対して重々しく頭を下げながら謝罪の言葉を述べた。

 

「今まで皆さんの事を騙していて…本当にッ!申し訳御座いませんでしたぁッ!!」

 

 大きくはっきりとしていながらも、恐怖と羞恥で酷く震えた声であった。

 もし赦して貰えなかったら。そんな不安が、彼女の繊細な心を握り潰そうとしているのか。

 だが今の彼女はその場に立ち尽くすしかない。出来る事と言えば、ずっと自身を凝視しているクラスメイトたちの瞳を見回す事だけ。その瞳には、各人様々な感情を秘めている様にシャルロットには思えた。

 

 とここでもう一人、シャルロットを弁護する者が現れる。真耶だ。

 

「その…デュノアさんも言葉には出しませんが、悪気があった訳じゃありません。ただ男装して皆が喜ぶ顔を見たかっただけ…それだけなのではないでしょうか」

 

 受け入れるしかない。真耶の言葉には、そんな真意が見え隠れしている様に思えた。

 シャルロットに対しても、変貌した一夏と同じく時間を掛けて慣れて行くしかないのだ。未だに混乱している彼女たちだが、落ち着けば自ずとその結論に行き着くだろう。行き着かねばならない、と言った方が正しいだろうか。

 赦すか赦さないかは兎も角として。

 

 しかしここで千冬が、また更なる混乱を生む余計な一言を口から滑らしてしまう。空気を和ませようとしたが故の一言であった。

 

「そう気を落とすな。美少年なら未だボーデヴィッヒが残っているだろう?」

 

 それは正に、本日4度目となる青天の霹靂であった。千冬と生徒のラウラに対する認識の差異が、生み出したが衝撃。

 ラウラが男性であると言うクラスの一部しか知り得ない情報は、この時あっさりとバラされた。

 

 天使は彼女たちの手から滑り落ちた。だが彼女たちの手には、それと引き換えに新たな天使が舞い降りたのだった。

 

 身の危険を感じたラウラは、周囲に向かって焦り気味に念を押す。

 

「オイ!貴様等!大声を出すんじゃな―――」

 

 遅かった。

 

 彼女たちは、男装したシャルロットを初めて目の当たりにしたあの時の歓声をそっくりそのまま再現したのであった。

 

 

 

 休み時間。混沌に塗れたSHRも終わったのだが、1組は未だに先の空気を引きずっていた。その証拠に、シャルロットとラウラはクラス中から質問攻めに会っていた。

 だが雰囲気からして、誰もシャルロットを咎めている様にも思えなかった。

 

 その人だかりを避けながら、鈴音は普段通り堂々と1組へ入室してくる。目的は当然一夏だ。

 ほろ甘い緊張を胸に秘めながら、彼女は一夏の座席へと向かうが―――

 

「白式の機動力と派手な外見、ISバトルで活かせないかね」

 

「機動性なら兎も角、派手な外見は寧ろ不利になりそうだがな」

 

「いっその事、射撃武装を追加してみては?」

 

「セシリアには申し訳ないけれど、銃は遠慮しておくよ。織斑先生程ではないけど、剣術はオレにとって最大の長所だからね。銃を手にしたら却って動きが疎外されちゃう」

 

「一夏と白式の長所を活かせる新しい戦術に、白式の派手さが大きな鍵になるのだろうか…」

 

 白式の事で熱心に語り合うのは他ならぬ一夏、それに昭弘、箒、セシリアであった。社交性の高い鈴音は、普段なら躊躇なく会話に割り込んで来るだろう。

 それが出来ない理由は、余りにも普段と懸け離れている一夏の雰囲気と、4人が放つ真剣な空気があるからだ。

 

(何その眼鏡!?悪いけど全然似合わない…。と言うか本当に立ち直ったの?凄く落ち着いてると言うか)

 

 しかしずっとたじろいだままなのも情けない話。どんな一夏も受け入れてみせると、誓ったあの日の彼女は何処へ消えたのやら。

 それに気づいた彼女は、恥も外聞も捨てる事にした。何でもいい、会話に入れる一言が無いだろうか。

 そう考えて思い付いた一言を、鈴音は会話への材料とした。

 

「派手な外見を活かすならタッグマッチでの陽動役なんて良いんじゃな~い?」

 

 正直、却下されると鈴音は思っていた。今の言葉は、会話に入る為の足掛かりに過ぎなかったからだ。

 しかし4人の反応は違った。まるで見た事のない新種の生物を発見した様な、そんな目を4人は鈴音に向けていた。

 そして鈴音からして見ればダサい眼鏡を掛けた一夏がゆっくりと立ち上がり、鈴音と対面すると―――

 

「それだ」

 

「は?」

 

 一夏は鈴音の後ろに回り、両肩をガッチリ掴むとそのまま彼女を自身の席へと連れ、そこに座らせる。

 一夏は座った鈴音の両肩に手を置いたまま、自身は立ちながら宣言する。

 

「皆、オレは決めたよ。今後オレはシングルマッチを捨て、タッグマッチ一本に絞る事にする。その事に気付かせてくれた鈴ちゃんに、どうか盛大なる拍手を頂戴な」

 

 一夏の奇行に動じる事なく昭弘たち3人はノリノリで拍手をする。それだけ一夏にとっても3人にとっても、陽動は盲点だった様だ。

 鈴音はと言うと、肩を掴まれて席に座らされるまでの記憶が曖昧なのか、ただ茫然としていた。

 

(これがあの一夏…?)

 

 正に先程昭弘たちが抱いていた感情そのものだった。もし今その言葉を声に出していたとしても、昭弘からは「慣れろ」としか返って来なかっただろう。

 

 果たして鈴音は、この落ち着いている割に良く喋る少しお姉さん口調の入った伊達眼鏡一夏に慣れる事が出来るのだろうか。

 

 

 

―――放課後

 

「織斑一夏くん!シャルロット・デュノアちゃん!」

 

 帰りのSHR直後。千冬が高らかにそしてにこやかに2人を教壇へと呼び出した。隣で立つ真耶も、不気味な程にニコニコしていた。

 

 一夏とシャルロットは水の様に重たい溜め息を吐いた後、膝をガクつかせながら立ち上がる。これまで行ってきた事を大いに自覚している2人は、控えめに言っておぞましい事が起こると予測しているようだ。

 普段の彼女から乖離した満面の笑みのまま、千冬は無慈悲に告げる。

 

「行こうか!生徒指導室へ!」

 

 まるでこれから旅行にでも行く様な、ハツラツとした語調だった。

 シャルロットは早速下瞼に涙を溜めたまま、一夏は眼鏡のフレームを摘まんでぎこちなく動かしながら返事をした。

 

「…アイ」

 

「…優しくお願いネ?」

 

 観念して付いていく2人に、昭弘は哀れみの視線を向けながら見送った。

 

 

 この日、3時間もの間生徒指導室が貸し切り状態となったそうだ。

 超防音対策が施されているにも関わらず、ほんの僅かにだが解読不能な怒声が室内から漏れていたと言う。

 

 

 

―――19:10 学園寮屋上

 

 夏至も近いからか、19:00を回っても辺りは草木の輪郭を視認出来る程には明るかった。

 若々しい男女の声は、その薄暗さを時間に逆らって保持するかの様に屋上から周辺へと響き渡る。

 

「にしても、一夏からあのボーデヴィッヒに謝罪するなんてな」

 

 箒は出来る限り真顔を維持しながら、他愛もない会話を繰り出す。

 

「千冬姉に囚われない以上、もう彼と敵対する必要もないからね。まだ、そう簡単に仲良くはして貰えないかもだけれど」

 

 一夏は少し寂しげに笑いながらそう答える。3時間近く怒られていた割に、立ち直りは早い。

 ラウラだけじゃなく、クラスメイトとの仲もだ。以前の様な関係に戻るには、やはり短くない時間が必要だろう。性格であれ何であれ、変化によるそう言った弊害は必ず大なり小なり起こるものだ。

 箒も未だ変化に付いて行けてない人間の一人だ。

 

 そんな大きく変わった一夏から急にこうして呼び出されては、何事かと身構えるのも無理らしからぬ事。

 一夏も雑談を早々に切り上げ、箒にある事を訊ねる。

 

「ゴメン箒。突然こんな事訊いたら酷く動揺するかも」

 

「箒って、「好きな人」…居たりする?」

 

 箒はその時、ただ一夏の顔を見ていた。レンズ縁から覗く彼の瞳は正確に箒の瞳を捉えていて、眉も目も口も奇麗な並行を保っていた。

 突然の質問、そして一夏の透き通る様な表情。それらを前にして硬直してしまう箒。

 だが少しずつ脳神経が回復していくと、目を逸らしながら彼女は考え始めた。居ると答えるべきか居ないと答えるべきか。

 そう悩む理由は一夏を想っての事じゃない、自分を想っての事だった。ただ単に、本人の前で答える勇気が無いだけなのだ。

 

 だが居ないとも答えられない箒は、結局そのまま押し黙ってしまう。

 

「…箒ちゃん?黙るって事は“居る”って言ってるのと同じじゃないカシラ」

 

 そう言われて箒は「しまった」と再び一夏へ振り向く。同時に、一夏の朴念仁らしからぬ言動に悪寒の様なものを感じる。

 

「お前いつからそこまで分かるように!?」

 

「いや馬鹿にしてるでしょ、オレだってその位は察せるの。それと、誰が好きなのかまでは見当も付かないから安心して」

 

 箒は胸を撫で下ろした。バレずに済んだと言うのもあるが、一夏が朴念仁のままである事に奇妙な安心感を抱いた様だ。

 

「ただそれが知りたかっただけさね。昭弘を連れて来なかったのもそれが理由」

 

 そう言い、一夏は先に立ち去って行く。

 

 

 一人残された箒は、一夏の後に続く訳でもなくぼんやりと現れてきた星を見上げていた。何となく、意味も無さげに。

 

 ただ、一人になる事で考えられる事もあるようではあった。

 

(昭弘と一夏。本当にどちらかを選べる日は来るのだろうか)

 

 本音から言い渡された助言。それを為す力を得る事が、箒の目的であった筈だ。

 だが実際、片方を選んでどうなると言うのか。例え告白出来たとして、振られればそれまでだ。その後は友人にすら戻れない。仮に2人が結ばれても、もう片方への恋愛感情は捨てねばならない。

 そうなる位なら、もうずっとこのまま昭弘と一夏を想い続けた方が幸せなのではないか。そんな考えが、今の箒にはあった。

 

 その様な考えが芽生える時点で、箒は本来得る筈だった強さをまるで得られていないと言う事になる。

 

―――このままじゃ駄目だ。もっと強くならなければ。もっと…もっともっともっと……

 

「ッ!」

 

 我に帰ると、箒は自分自身を酷く侮蔑した。ほんの一瞬だけだが考えてしまったのだ。姉である篠ノ之束の事を。彼女に一言頼めば、至極あっさりと自身が望む力を与えてくれるのではないかと。

 だが他人から与えられた力など、所詮は紛い物。その力で心まで強くなれるかどうかは全くの別問題だ。

 かと言って、どうすれば強い心を持つに至るのか見当がつかないのも事実。このままでは、箒はずっと弱いままだ。

 

 頭がごちゃごちゃしてきた箒は、再び星を仰ぎ見る。まるですがり付く様に。

 そして先程星を見ていた時の心情に、リセットするかの様に。

 

 

 

 一人歩きながら一夏は液晶携帯を片手に画面を開く。親指で液晶をなぞり、電話帳の中身を開く。

 ただし通話が目的ではない。

 

 単なる追憶、と言えば良いだろうか。

 

篠ノ之束

 

 その名を見る度、一夏は思い知らされる。今、自分の人生が一つの道へと縛られている事に。

 

(束さん、ごめんなさい。オレはまだ箒に告白する事は出来ない。自分が箒をどれだけ好きなのか、箒の好きな相手は誰なのか、見極めるまではね)

 

 約束とは言え、異性として好きかどうかも解らない相手に告白するのは後々互いに苦しむ。かと言って束との約束を反故にする訳にも行かない。

 そんな板挟みに、一夏は未だ苛まれていた。

 

(もし箒が箒の好きな相手と一緒に居たなら、オレの異性としての心は動くのかな)

 

 一夏自身、恋愛なんて経験した事が無い。

 嫉妬なら昨日まで嫌と言う程感じてきたが、果たしてその感情を箒が好きであろう相手に向ける事は出来るのか。

 そもそも箒の好きな相手なんて知る由もない一夏が、そんな事を考えた所で全くの無意味なのだ。

 

「アラ」

 

「ん」

 

 すると廊下で、一夏はばったりと遭遇する。見ているだけで安心感が芽生える、不愛想な大男に。

 

「昭弘じゃない。星でも見に行くの?」

 

「まぁな」

 

 しかしその後、昭弘は何処か照れくさそうに手を腰に当てながら一夏の予想を訂正する。

 

「付け加えるならオレと箒と一夏、3人で久しぶりに…な」

 

 途端一夏の迷いは心の隅へと逃げ去り、代わりに友愛が彼の心を満たし潤していった。

 もう一夏は一人で居る必要なんてない。今の一夏なら、どんな時でも昭弘と箒が居るのだから。

 つい自然と笑みを零してしまった一夏は、喜んで昭弘の提案に乗る。

 

「じゃあ最後の一人も探しに行こっか。案外もう屋上に居たりして」

 

「そんな都合の良い…。ま、行くだけ行ってみるか」

 

 そんなやり取りをしながらも、2人は箒の下へと足を急がせる。その様は焦りと言うよりも胸の高鳴りに突き動かされている様であった。

 

 

 昭弘と一夏が屋上に着く頃、既に辺りは真っ暗だった。その為、星はさっきよりもずっとはっきり見えていた。

 そして一夏の予想通り、箒も屋上に居た。今正に帰ろうとしていた彼女は少しの戸惑いの後、そのまま残る事にした。

 

 3人は無数に輝く星を目に焼き付けながら、ずっと取り留めの無い話を繰り返した。新しい日常を噛み締める様に。

 

 そして今はまだ3人で居られるこの一時を、他の何よりも尊ぶ様に。

 3人が見上げている星々だって、永遠の様に思えて永遠ではないのだ。

 いつかは終わりが来るからこそ、今を大切に生きねばならないのだ。

 

 

 それこそが、日常なのだ。




お待たせ致しました。一夏・シャルロット編、これにて終幕です。シャルロットとデリーは、いつかタイミングがあれば会わせたいと思います。
何と言うか、ラウラとシャルロットが転入してから、もう一年近く経ってしまいました。改めて、時間かかりすぎだなと、我ながら思い知らされました。けど、自分なりにどうにか纏められたのが気持ちよかった(小並感)

次回は、また人物紹介を投稿しようと思います。前回の人物紹介に居なかったキャラや、一夏みたいに色々と変化したキャラを、紹介しようと思います。読まなくてもストーリー上は問題ありませんが、それでも読んでくれる猛者が居てくれたら嬉しいです。
また、オリ武器等の紹介に関しては、私の趣向がたんまり詰まった自慰みたいなものですので、読む際はご注意を。

それと、今後も昭弘・箒・一夏の三角関係は、まだまだ続きます。乞うご期待下さい。


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人物紹介2・兵器解説

対象:主人公、まだ紹介されてない人物、何かしらの変化があった人物

兵器:新IS、オリジナルIS、オリジナル兵器のみ。ビーム兵器は原理がよく解らないのでカット。グシオンのマチェットも本編以上説明する事がないのでカット。


〈登場物〉

 

昭弘・アルトランド

 本作の主人公である、筋肉隆々の巨漢。常に不愛想で寡黙だが、他人にお節介を焼きたがる一面も。アクションを起こすのは昭弘からだけでなく、クラスメイトからもよく相談事を受ける。そのせいか、担任教師からも「第3の担任」「副副担任」等と認識されてしまう事もしばしば。しかし、意外と大人げない部分もあり、仲の良い友人が別の誰かと仲良くしていると、女々しく嫉妬したりもする。また、セシリア・オルコットとは犬猿の仲であり、よく子供じみた口喧嘩を展開していたりする。

 セシリアやシャルロットに対しては厳しめな昭弘だが、基本的には他人に優しい。只、余りに優し過ぎる面もあり、敢えて厳しく接する事が苦手だ。また、周囲への察しは良いが、自身がどういう存在なのかよく解っていない節もある。ここ最近起きたトラブルでは、それらが要因の一部でもあった。―――1年1組所属

 

篠ノ之箒

 剣術家。髪を後ろで1つに縛った、厳格な雰囲気を漂わせている美少女。入学当初は極度の人見知りであったが、昭弘や仲間たちと接している内に、少しずつ改善されていく。

 昭弘と一夏には異性として想いを馳せており、最終的にどちらか片方を選ぶ事が、当面の彼女の課題だ。だが箒自身、本当にそれが正しいのか、最近になって悩み始めている。それらが要因なのか、ここ最近は「力」や「強さ」に固執気味であり、時々そんな自身を叱りつけている。―――1年1組所属

 

織斑一夏

 箒と同じく剣術家。少し前まで姉である千冬の存在に苦しみ、「自分はこうあるべき」と己に言い聞かせ続け、無理に明るく振る舞っていた。今では、昭弘や箒たちの尽力もあってか、無理をせず自由に振る舞っている。

 伊達眼鏡を掛けており、表情の変化が少ない。口調も大分落ち着いたが、以前よりも寧ろ良く喋り、そして何故か時々お姉さん言葉を発する様になった。理由は何とも言えないが、一夏は昔から家事、中でも特に料理が得意であった。そんな一夏の大元に根付いた女性らしさが、時々入る謎のお姉さん口調の原因なのかもしれない。―――1年1組所属

 

セシリア・オルコット

 英国貴族。令嬢らしい上品な金髪を持っており、顔も相応に美しく整っている。プライドこそ高いが、仲良くなればかなり頼もしい存在でもある。昭弘が周囲にとっての兄貴的存在なら、セシリアは姉御的存在と呼べるだろう。只、その昭弘を酷くライバル視しており、未だ互いに苗字で呼び合っている。

 少し前までは、一夏を異性として愛していた。しかし、もっと愛おしい人間が出来てしまった為、一夏の事は既に諦めている。しかし、今でも彼女にとって一夏は大切な友人であり、彼女なりに親しく接している。―――1年1組所属

 

凰鈴音

 中国からの転入生。勝ち気な性格をしている、ツインテールの美少女。人との交流に積極的であり、休み時間中は自身のクラスである2組と1組を行ったり来たりしている。特に、昭弘やセシリアとは仲が良い。また、頭の切り替えが早く、例外もあるが基本的に過ぎた事は気にしない。そしてこれは自身も認めているが、思った事を口に出さずには居られない率直な性格をしている。

 一夏は幼馴染であり、また、意中の相手でもある。ただ、一夏の変化に未だ振り回されている感は否めない。これに関しては、時間を掛けて慣れていくしかないだろう。―――1年2組所属

 

シャルロット・デュノア

 フランスから転入してきた、元フランス代表候補生。今現在はアメリカ国籍を取得し、フランス国籍は既に抹消されている。

 転入当初は訳あって男装しており、女子生徒から狂信的な人気があった。だが、当の本人はかなりのネガティブ思考であり、自身の存在を無価値と評していた。昭弘と交流を重ねて行く内に、大分思考がプラス寄りに変わり、自分の意見もそれなりにはっきりと言える様になった。気弱な部分は相変わらずだが。

 性別発覚後、以前の様な狂信的な人気は鳴りを潜める。故に、クラスメイトから嫌われている訳でもないが、特別仲の良い人間が居る訳でもない。ただし、俗に言うボッチではなく、昭弘たちとはグループになって良く喋っている。―――1年1組所属

 

ラウラ・ボーデヴィッヒ

 ドイツからの転入生、且つ代表候補生。左目に黒い眼帯を付けており、長い銀髪を持つ美少年。転入当初は、多くの人間から女子と間違われていた。所謂「試験管ベビー」であり、親と言う存在がどう言うものなのか知らない。また、黒兎(シュヴァルツェ・ハーゼ)と言う部隊の隊長も務めており、佐官クラスの階級も持っている。

 織斑千冬に強い憧れを抱いていて、自分自身を捨ててでも「織斑千冬そのもの」になろうとしていた。今ではその考えを改め、純粋にIS乗りとして千冬を超えんと切磋琢磨している。

 一見すると、無表情で冷たい印象を受ける。物怖じせず、良くも悪くも空気が読めないので、鈴音と同様思った事をズバズバと口にする。その上、口も悪いので、仲良くなるには人を選ぶかもしれない。ただし、昭弘とは大の仲良しで、時々彼の膝上に腰掛けたりもしている。―――1年1組所属

 

更識簪

 日本の代表候補生。髪は水色のセミロングで、眼鏡の様な機器を付けている美少女。人と接する事に慣れていないのか声が小さく、一言の中で間を置く回数が多い。本音とは幼馴染であり、親友。姉である更識楯無には、何らかのコンプレックスを抱いているが、楯無は簪の事を溺愛している。

 ISの整備面にも造詣が深いのか、よくゴーレムの研究を手伝っている。その為か、昭弘とはゴーレムを通じて多少の面識がある様だ。―――1年4組所属

 

谷本癒子

 1組の騒音担当その1。ISTTで昭弘とタッグを組んでいた、ツインテールの美少女。代表候補生でもない彼女だが、昭弘と無茶な試合を繰り返していく内にみるみる成長していき、決勝では鈴音と互角の戦いを繰り広げた。

 普段はごく普通の女子高生だが、ISの事になると途端に熱く語り出したりもする。相川と仲良し。―――1年1組所属

 

相川清香

 1組の騒音担当その2。ショートヘアーで快活な美少女であり、スポーツ観戦が好き。IS適性こそ低いものの、トリッキーな戦術を駆使して相手を翻弄する。谷本とは大の仲良しだが、ISTTで彼女に敗北した事を機に、ライバル意識も芽生え始めた。

 前回の人物紹介で「千冬は何人かに告白された事がある」と書いたが、相川こそ正にその一人であったのだ。しかし、千冬以外の同性に欲情している様子も無いので、レズビアンなのかどうかは不明。―――1年1組所属

 

鏡ナギ

 整備科を目指して日々地道に努力する、長めの黒髪に椿色のヘアピンを付けた美少女。基本的にIS戦は苦手だが、相川と同じく戦術面に秀でており、ISTTではトラッパーとして活躍した。

 決して煩い訳ではないが、時々ラウラにちょっかいを掛けたりする面も。だが、昭弘には未だに苦手意識を持っており、余り積極的には話そうとしない。―――1年1組所属

 

鷹月静寐

 1組の中では比較的真面目なタイプの優等生で、黒のショートヘアーに黄色いヘアピンを付けている美少女。彼女もまた整備科志望だが、進路の事で色々と不安を抱いている様だ。

 学園に関する情報の把握が早く、行動力もあるので、クラスメイトからは「しっかり者」と言われている。―――1年1組所属

 

四十院神楽

 長く麗しい髪を持つ、何処か大人びた雰囲気の美少女。整備科志望。クラスの誰よりも落ち着いているが、それでいて堂々としており、周囲の反応に流されない。

 その見た目にそぐわず、無人ISであるゴーレムには強い興味を抱いている。―――1年1組所属

 

織斑千冬

 ブリュンヒルデの異名を持つ、世界最強のIS操縦者。1年1組の担任教師であり、織斑一夏の実姉でもある。年下の女子からモテる。

 教師としては比較的優秀の部類に入るが、姉としてはそうでもない一面も。料理はお世辞にも上手ではないし、何より弟の本性にごく最近まで気付けなかったのが、その好例だ。気付いた後は相当のショックを受けた彼女だが、昭弘からの喝でどうにか立ち直った。

 

スコール・ミューゼル

 謎多き闇の組織、「亡国機業」の実動部隊リーダー。と言うのはあくまで建前で、実際は亡国機業の持つ兵器兵力の殆どを管理・保有しており、実質的には組織のトップである。アッシュブロンドの美しい長髪を持つ、血の様な紅い瞳の美女。しかし、年齢や素性等、現時点では一切不明。

 昭弘の存在を酷く警戒していて、交戦状態に陥る事も視野に入れている様だ。昭弘が仲間になる確証も無いとなれば、当然の想定なのかもしれないが。

 

トネード・ミューゼル

 亡国機業における運営面のトップであり、支配者。双子の妹であるスコールと2人で、組織を牛耳っている。髪はスコールと同じアッシュブロンドの長髪で、瞳も同じく紅い。か細い身体、露出の激しい衣服、そしてその美貌から女性と間違われる事が多いが、れっきとした男性である。スコール以上に謎多き人物であり、実はサイボーグなのではないかと言う噂も存在する。

 スコールとは違い、昭弘の事を偉く気に入っており、必ず仲間に加わってくれると信じている。

 

 

 

〈登場S〉

 

シュバルツェア・レーゲン

 ラウラ専用IS。全体的に黒色の第3世代型ISであり、近接攻撃から中距離・遠距離攻撃まで、何でもこなせる万能機。

 特に、第三世代型特殊兵装である慣性停止結界(AIC)は、1対1なら反則と言ってもいい程強力な兵器である。手を翳すだけで対象の動きを封じる兵器など、他に存在しないだろう。しかし、この兵装の発動には多大な集中力が必要であり、発動中は止めている対象以外への注意が疎かになってしまう。タッグマッチ等では、特に隙が多い。

・装備 ワイヤーブレード×6 プラズマ手刀×2 大口径レールカノン

 

シュバルツェア・シュトラール

 シュバルツェア・レーゲンが二次移行した姿。漆黒の様な色合いはそのままだが、全体的な大きさは生身の人間サイズにまで小さくなった。装甲は極めて薄いが、肌の露出部分はレーゲンよりも少なく、首から上と上腕部以外は全て黒い装甲に覆われている。また、主な攻撃手段となる拳と足の装甲は、途轍もなく硬い。

 他のISとは文字通り次元の異なる機動力を秘めており、瞬時加速以上のスピードで複雑な軌道を描く。余りに速過ぎる為、ハイパーセンサーでなければ目で追う事すら儘ならない。更に、AICとPICを応用する事で空間に手や足を着く事が出来、これを利用した鋭角的な空中機動(エアバウンド)も可能だ。

 しかし、現時点では武装を何一つ使う事が出来ず、拳や足による打撃格闘術でしか攻撃出来ない。

・装備 現在なし

 

ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡ

 シャルロット専用機で、橙色のIS。第2世代機だが拡張領域が異常に広く、様々な武装を格納出来る。その数は近接武器から射撃兵装まで、最大20種にも及ぶ。しかしこの機体を使いこなすには、状況に応じて瞬時に武装を切り替える技術が必要であり、それが出来なければ単なる宝の持ち腐れとなる。

・装備 近接ブレード(ブレッド・スライサー) 55口径アサルトライフル(ヴェント) 61口径アサルトカノン(ガルム) 62口径連装ショトガン(レイン・オブ・サタディ)×2 50口径マシンガン(ホッチキスMle2022) 69口径パイルバンカー(グレースケール) 59口径重機関銃(デザート・フォックス)×2

 

打鉄弐式(未完成)

 簪専用の第3世代型ISであり、色は白に近い水色と、見た目の印象はまるで打鉄と異なる。そして、見た目だけに留まらず性能も真逆で、打鉄が防御重視なのに対し、弐式は機動力重視の性能となっている。

 しかし、研究所で何かしらのいざこざがあったのか、未だ完成には至っていないらしい。それでも尚、荷電粒子砲や対複合装甲用超振動薙刀は強力で、搭乗者である簪の実力も合わさり見事決勝トーナメントに進出した。

・装備 春雷(連射型荷電粒子砲2門) 夢現(対複合装甲用超振動薙刀)

 

 

 

〈IS専用兵器

 

 

IS専用重機関銃(マシンガン)

 IS用に改良が施された、大型の50口径重機関銃。今現在、ISに最も運用されている兵器。設計としては、クローズドボルト方式とオープンボルト方式とがある。長くなるので詳細は端折るが、連射可能時にボルト(遊底)と稼働部品が前進したままで、銃身が閉じた状態なのが前者。後退したまま、開いた状態なのが後者である。銃身自体、連射が続くと高温になるが、後者の方が冷却されやすい。

 現在世界で使われているIS専用重機関銃は、以下で述べる3種類のみである。

 

ブローニングXM2020

 ブローニングM2を、そのままIS用に改良した重機関銃。

 M2は1933年、アメリカ軍に採用された。以降、80年以上経った現在でも、未だに現役な長寿機関銃である。歩兵一人での携行が難しい為、主に固定兵器として使われている。銃本体だけでも40kg近くはあり、最低でも銃を固定する三脚が無ければ、運用は不可能だ。しかし、M2はその重量のおかげで発射時の反動も軽減される。何より12.7mm弾の威力は絶大で、航空機や装甲車にとっても十分な驚異となる。それを、ISの怪力によって持ち上げるのだ。

 ライフルの様に手持ちで撃つ為、グリップとフォアグリップ、ストックが新たに追加。銃後方に付いていた逆V字型の両親指での押金式トリガー(バタフライトリガー)も、片手に合わせた弓状トリガーへ変更された。よってか、銃本体の重量は50kg近くまで増量された。それでも、ISを纏った人間にとっては、手軽に振り回せる重量であった。

 片手撃ち補助機能も、新たに追加された。片手でグリップを持ったまま肘を伸ばす事で、ストック下部に内蔵されたセンサーが反応し、ストック後方から上腕部を固定する為の機械腕が伸びるのだ。これにより、片手撃ちでも腕を伸ばしたままなら、それなりの精度を保つ事が可能となる。弾数よりも取り回しを重視する為、弾帯(銃弾を横一列に連結したもの)も排除し、代わりに保弾板(銃弾が20発程並んだ板)をケースで覆った保弾板倉(フィードストリップマガジン)を使用している。

 クローズドボルト方式である為、銃身に熱が籠りやすく、コックオフ(熱による弾薬の爆発)を引き起こす可能性が高い。よって、長時間の連射が出来ず、多くても10発程度連射したら間隔を開けねばならない。M2においては、銃身の根本部分に複数の穴が空いており、これにより幾らか銃身が冷却されやすくなっている。

 ISTTにおいて、谷本癒子の他にも多くの生徒に使われていた。他2種の重機関銃と比べると軽く、取り回しが良いバランスの取れた性能となっていて、精度も高い。故に、初心者や訓練生から人気が高い。IS用の重機関銃としては、現在世界で最も多く普及している。

 何故より連射性能の高いM3ではなくM2なのかと言うと、単純にコストパフォーマンスの良さがある。元々M2は三脚固定、車両・軍用機・甲板設置型、連装型など、様々な運用法がある。対してM3の運用は、軍用ヘリのドアガンか、ガンポッド程度だ。単独携行型に改良させるならば、より多彩な運用実績を誇るM2の方が、コストも掛からないと判断された。また、M3は連射性能が高い分弾切れも早いので、必然的に弾倉も更に大きくなる。よって、銃全体の重量も大幅に増してしまうし、弾倉が大き過ぎて取り回しもシビアになってしまう。以上の様な理由で、ISの御供にはM2が選ばれた。

・口径:50口径 銃身長:1143mm 全長:1820mm 本体重量:50.2kg 発射速度:毎分485~635発 有効射程:2000m 最大射程:6770m

 

ヴィッカースISM

 ヴィッカース(マシンガン)は1896年に完成し、1912年にイギリス軍が正式採用した、7.7mm弾専用の水冷式重機関銃である。6~8人チームで運用され、射手が1人に装填手が1人、他がその補助を務めた。極めて頑丈で、信頼性の高い機関銃であったと言う。1916年以降、一時期は戦闘機用の航空機関銃としても使われていた。イギリス軍から退役したのは1968年であり、M2程でなくとも長い間使われていた事が分かる。

 IS用としては、新しく50口径12.7mm弾型が製造された。つまり、ヴィッカースと言う名を踏襲してはいるが、中身は殆ど別物である。銃身周りを覆っていた、冷却水を入れる為のウォータージャケットも存在しない。しかし、基本設計はクローズドボルト方式のままだ。ISTTでは、相川清香が決勝トーナメントで使用していた。

 基本構造は、XMと大体同じである。発射速度こそXMに劣るが、XMよりも内部機構が単純で、何より異常な頑強さを誇る。ダイヤモンドに次ぐ硬度をもつCBN砥石(ボラゾン砥石)が多く含まれていて、それをカーボンで覆っているのだ。故にストックによる殴打も強力で、銃本体の重さも相まってその威力は大型のスレッジハンマーを優に凌ぐ。つまり、近接武器としても大いに役立つのだ。また、CBN砥石は高温にも非常に強く、900℃までなら加水分解しないと言われている。こう言った頑強さは、ヴィッカースの名を冠するに相応しい部分ではある。

・口径:50口径 銃身長:1202mm 全長:2000mm 本体重量:136.1kg 発射速度:毎分430~580発 有効射程:2200m 最大射程:7000m

 

ホッチキスMle2022

 数字の通り、現時点で最も新しいタイプの重機関銃。

 1897年、フランス軍に正式採用されたMle1897を、何度も改良して完成したのがMle1914である。基本的に3人1組で運用し、戦車にも搭載されていた。1940年まで、同軍に使用された。

 Mleシリーズの最終型となったMle1914も、元々は8mm弾専用の空冷式重機関銃であり、それを12.7mm弾用50口径に現代改良した。因みに、弾帯や弾倉の代わりとなった保弾板倉は、Mle1914の保弾板機構からヒントを得たのだと言う。本編ではシャルロット・デュノアが愛用している。

 上記の2丁とは異なる、オープンボルト方式の重機関銃である。この方式最大の強みは、連射後も銃身が開いている為冷却されやすく、より長時間のフルオート射撃が可能な点だ。しかし、銃身が開いている分砂埃が入りやすく、酷い悪天候下では故障の原因にも繋がる。また、長大な弾帯を使用している訳でもないので、フルオート射撃と言っても保弾板倉にセットされている20~30連発が限界だ。それでも尚、撃ち続けられるアドバンテージは大きく、対IS戦でも大量の銃弾をバラ撒く事が可能だ。その利点が認められた為、今更になってオープンボルト方式が採用された。今までその方式が採用されなかった理由としては、M2の存在が大きい。現存する重機関銃の中で最も信頼性が高く、IS用の改造も簡単かつ低コストで済むM2は、やはりISの兵器としても優秀であったのだ。

 元々Mle1914は弓状トリガーであったので、グリップ周りは殆どそのままだ。フォアグリップ、ストック、片手撃ち補助機能に関しては、上記の2種と同様に追加された。

 因みに、Mle2022を開発・生産したのは他ならぬT.P.F.B.であり、XMに代わる低コスト単独携行型重機関銃を目指している。過去、デリーがデュノア社に訪問したのも、本銃に関する商談が主な目的であった。

・口径:50口径 銃身長:1250mm 全長:1930mm 本体重量:102.9kg 発射速度:毎分430発 有効射程:2150m 最大射程:6900m

 

 これら重機関銃には1つ、大きな弱点がある。その存在こそ、今日における重戦車である。その分厚い装甲を破るには、12.7mm弾では質量も速度も足りないのだ。但し、キャタピラー等は十分破壊可能なので、動きだけなら封じられる。

 もしISで戦車を仕留めるならば、従来通りの対戦者ライフルか、20mmクラスの弾丸を撃ち出せる兵器が必要となるだろう(特殊な兵装を積んでいる第三世代型ISは例外である)。

 

 

・IS専用ガトリング砲

 多銃身式の機関砲であり、機関銃など比較にならない程の発射速度を誇る。環状に並んだ複数の銃身を回転させ、それぞれの銃を同じ位置で撃発させる事で、驚異的な連射を可能としている。その構造上、銃身の回転が速ければ速い程、発射速度も早くなる。近年では戦闘機搭載用ガン、ミサイル及び戦闘機迎撃用の艦載兵器(ファランクスシステム)として活躍している。それを重機関銃同様ISで持ち上げるのだが、重機関銃より巨大な兵装である為、取り回しが難しい。

 現在2種類が存在し、その内片方を紹介・説明する。

 

GAU-0アトラクター

 攻撃機(AV-8B ハリアーⅡ)、ガンシップ(AC-130U スプーキー)、自走式対空砲(LAV-AD)にも搭載されているGAU-12イコライザー。これをIS用に改造したのが、GAU-0アトラクターである。本来25mm口径5砲身のイコライザーだが、更なる発射速度向上の為に7砲身へと増やされた。重量よりも発射速度が優先されたのは、砲身を減らしても大きな軽量化にはならないからだ。どうせ大して変わらないなら、少しでも発射速度を向上させ、小さく素早いISに1発でも多く砲弾を当てるべきだと判断された。同じ7砲身ガトリング砲に30mm口径のGAU-8アヴェンジャーがあるが、余りに巨大且つ超重量過ぎた為、ISでの運用は流石に無理があった。

 驚異的な連射性能で25×137mm弾を吐き出すその攻撃力は、重戦車も含めてほぼ全ての標的を撃ち抜く。ISであっても、SEの大幅な減少は避けられない。只、やはりその重量と大きさ故、例えISを纏おうと扱いは難しい。発射衝撃が大きい分、片手撃ちが不可能なので、アトラクターを使用している際は他の携行兵器を使えないのだ。当然、それだけの巨砲を両手で持ったままでは、空中での機動力も著しく低下する。発射衝撃を抑える為、PICにもエネルギーを割かねばならない。本編では、谷本癒子が自在に振り回していたが、誰もがあんな風に扱える訳ではない。練習以前に、兵器との絶対的な相性が必要だ。抑々が、広大な拡張領域を保有しているラファールリヴァイヴでなければ、この兵器の運用は厳しいだろう。

 「attractor」には、「引きつける者、魅力ある者」と言う意味がある。「equalizer(平定者)」や「avenger(正義の復讐者)」と比べると、ネーミングの方向性が違う。これは「手持ち」と言う、今までとはまるで異なる、ガトリング砲の新しい運用方法を示唆している。そう言った意味では「0」と言う数字に関しても、「始まり」を表現しているものと思われる。

 そしてこれは余談だが、ラファール専用の武装であるクアッド・ファランクス(ガトリング砲×4門)にも、GAU‐0が使われている。IS中最強の火力を誇るクアッド・ファランクスだが、発射時は一切の移動が出来ないと言う多大な欠点を持っていた。一説によると、「過ぎた火力を止まって撃つより、適切な火力を動きながら撃つべき」と言う発想が、アトラクター開発の発端になったとも言われている。

・口径:25mm×7砲身 全長:2.11m 重量:139kg +給弾装置:250kg 発射速度:毎分4300~5000発 有効射程:1100m




また暫く休みます。前回ほど長くはならないと思います。


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宇宙の兎に

すみません。何か急に投稿したくなりました。


―――――6月13日(月)―――――

 

 一切の照明器具が点灯していない、洞穴みたいに暗く無駄に広い空間。

 其処には、不気味に浮かぶ蒼白いホログラムが至る所に展開されていた。その気味悪くも何処か幻想的な光景を水族館みたいで綺麗等と心の中でほざいているのは、この部屋の主だけに違いない。

 

 そんな室内の主たる篠ノ之束は、無機質な空間で違和を放つ格調高いソファにドカリと腰を降ろしていた。気怠げな表情から察するに、一作業を終えて間もないらしい。兎耳を模した頭頂部の機械も、ダラリと垂れ下がっている。

 

 しかしある1つのホログラムが視界に入った途端、束は別人の様に真剣な面持ちへと変貌する。

 その視線の先には、巨大なホログラムによって形成された「アフリカ大陸」が。

 そして大陸内には、まるで鮮血を塗した様な真紅の矢印が点在していた。良く良く見るとその大小様々な矢印は、大陸内のある一点だけを向いていた。まるでその一点に集束していく様に。

 そしてその一点から弧を描く様に伸びた特大の矢印は、もう一方の大陸を指していた。位置的に中東か或いは欧州辺りを、大雑把にだが指し示していた。

 

「束様」

 

「ぅわぉ☆ありがとクーちゃん!」

 

 束と少し離れた所で紅茶を淹れていたのは、同居人であるクロエ・クロニクルだ。

 淹れ終えたので主の名を呼んだクロエだが、やはり怠いのか束はソファから動こうとしない。

 仕方無くクロエはティーカップと洋菓子の入った小皿を其々盆に乗せ、束の元へと持って行く。紅茶が溢れぬよう慎重にチョコチョコと歩く銀髪美少女の姿は、可愛らしい西洋人形を思わせる。

 

 

 それは水中で何の前触れも無く現れた小さな泡の如きに、ふと思い付いた事だった。

 クロエはそれを忘れない内に、その小さな口を動かす。

 

「そう言えば束様、どうして一夏様からの要求にああもあっさりと応じたのですか?」

 

 クロエにとって今更ながらも、どうしても気になる疑問だった。

 束が一夏に掲示した条件である箒との婚約だって、所詮は口約束。一夏がその気になれば、いくらでも反故にされてしまうだろうに。

 対して束が為した事は、彼女とは何の関係も無い女子学生の国籍及びその他諸々の情報抹消。更には新しい国籍の用意と来た。

 正直これでは、束がタダ働きしたも同然と言える。

 

 すると束は、美味しそうに紅茶を啜りながら答える。

 

「だってほらさ、いっくんのお陰でちーちゃんの詳細な戦闘力が判ったからさぁ」

 

 クロエはか細い首を傾げた。

 千冬の戦闘力、一夏のお陰、一体束は何の話をしているのだろうか。

 

「要するに、束さんの計画を進める上でちーちゃんはラスボスみたいな存在なんだよね。だからずぅっと、ちーちゃんの現時点における全開能力が知りたかったの。昔と今とじゃ数値にも大きな隔たりがあるだろうし。んでそれをいっくんに引き出して貰おうって魂胆だった訳。ちーちゃんちょっとしたブラコンだから、いっくんのお願いならすんなり本気出すって睨んでたし。その後の4対1は流石に予想外だったけれどね?」

 

「…ですが幾つか新たな疑問が生まれます。余りこう言う事を口にしたくはありませんが…千冬様とて生身なら幾らでも倒す方法があるのでは?それこそ、エイジェンタイプを5機程度送り出せば済む話です。それに先程の口振りからすると、束様は一夏様が抱く姉君への劣等感に最初から気付いていたと言う事でしょうか?」

 

 鋭いクロエだが、束はチッチッチと人差指を左右に振る。

 

「それじゃあダメなの。ISを纏った本気全力絶好調のちーちゃんを倒せなきゃ意味無いの☆」

 

 クロエはその理由を訊ねようとするが、束が一夏の件をも続け様に答えた為に遮られる。

 

「いっくんの劣等感だって知ってたもんね~。ISを動かせる事が判って近い内にちーちゃんに挑む事も、予想通り過ぎて笑っちゃったよ!」

 

(…まさかその為だけに、一夏様でも動かせるようわざとISコアを設定していた…?)

 

 クロエはその考えを口にしようとするが、やはり踏み留まった。流石に被害妄想が過ぎると、自身を戒めたのだろう。

 常人の被害妄想を実際にやっていそうな所が、天災の真に恐ろしい部分なのだが。

 

「ブリュンヒルデの実力も判って、おまけに口約束だけど箒ちゃんとの婚約も取り付ける事が出来た。束さんとしては寧ろ貰ってばっかで申し訳ないくらいだったよぉ。しくしく…」

 

 瞼を閉じたまま、クロエは束の嘘泣きに辟易しながらも口頭で要点を纏める。

 

「…そう言う意図も踏まえれば、束様にとっては十分釣り合いが取れていたと?」

 

「そゆこと♪それだけちーちゃんの限界能力は、束さんにとって眉唾物の情報なの。それに比べれば例え見ず知らずのメスガキだろうと、国籍の1つや2つ安い安い☆」

 

 更に付け足すと、一夏からしてみればタダ働き同然である束に対して多大な恩義を感じざるを得ない。

 故に口約束だろうと、一夏が箒以外の異性に靡く事は確率的にはかなり低くなった筈だ。

 

 しかし当のクロエはどうにも納得し切れない様子だった。確かに一夏の要求を飲んだ理由は解ったが、ただそれだけだ。

 全体と言うか大元と言うか、束が真に成そうとしている事がまるで見えて来ないのだ。

 

 どの道、クロエには氷山の一角を地道に叩いていく事しか出来なかった。以下の疑問の様に。

 

「…そんなにも妹君と一夏様をくっ付けたいのですか?」

 

「少なくとも元少年兵(アキくん)とくっ付くよりはマシでしょ?」

 

 その時の束は、分かりやすい位に視線を大きく逸らしていた。

 対してクロエは、小さいながらも憤りを覚える。この期に及んで未だ昭弘の事で白を切るのか、と。

 

 それを言葉に変えて吐き出す為、クロエは少しだけ語調を強めた。

 

「…束様。私も貴女との時間を無意味に浪費している訳ではありません。昭弘様の事で、何か隠している事くらい分かります。…昭弘様とグシオンには一体どんな秘密があるのですか?」

「それだけではありません。そもそも貴女は何を引き起こそうとしているのですか?どうしてISではなくMPSの強化・量産を図っているのですか?どうして大切な御友人である千冬様を倒そうとしているのですか?…貴女の最終目的とは、一体何なのですか?」

 

「…」

 

 束は目を逸らしたまま、石像の様に口も身体も動かそうとしない。

 そんな束の反応を目にしたクロエは、今度は語調を酷く弱めながら空気を冷たく震わせる。

 

「……私の事が、そんなにも信用出来ないのですか?家族なのに。…いいえ束様にとって私なんか、家族でも何でもないから…」

 

 そう言われると束は慌ててクロエに向き直り、今にも泣き出しそうな位に顔を歪める。

 そうして少しの間たじろぐと、どうにか言葉が見つかったのか束はクロエを優しく両腕で包み込む。

 

「違うよクーちゃん、家族だからこそだよ。余計な情報を与えて、今を生きるクーちゃんを苦しませたくはないの」

「だから…解って欲しい。私の計画が成功しようと失敗しようと、クーちゃんは私たちと変わらず過ごしていけるから…」

 

「…その中に昭弘様は含まれていないのですね」

 

「…」

 

 再び束は口を固く閉ざす。それはやはり、もう二度と昭弘とは家族に戻れない事への裏付けなのか。それとも、束でさえ予測出来ない未来だからだろうか。

 そんな頭の中に漂う濁りを振り払うべく、束は話の流れを強引に絶つ事にした。

 

「そぉれぇよぉり!クーちゃんそろそろお勉強の時間でしょ☆ナロとクロが待ってるよ♪」

 

「………分かりました」

 

 クロエはそう返事をし、寂しげな表情をそのままに退室した。

 その時、普段なら活気良く揺らめく彼女の銀髪が動く事などなかった。

 

 

 

 情けない溜め息を吐いた後、再び各大陸を表すホログラムに向き直る束。大小の赤い矢印を目でなぞりながら、束は状況を整理する。

 

―――残った仕事は箒ちゃんの身を護る為の新型機『紅椿』の完成。それとアメリカ・イスラエル(蛆虫共)が手掛けている邪魔な『福音』()()の始末くらいかな?後は亡国機業(働きアリ)が勝手に事を進める。それを見届けるだけ…

 

 しかしそこで、束の脳裏に昭弘の顔が浮かび上がる。

 完璧な計画、そして絶対的な成功への確信が束にはあった。

 だがあの男『昭弘・アルトランド』なら、土壇場で起死回生の一手を仕掛けて来るのではないか。ここ最近における学園での昭弘を監視してきた束は、ついそんな事を考えてしまう。

 当然ソレは、何の数値にも現れない予感以下の何かに過ぎない。

 

 束はらしくもなく根拠も確証もないソレに酷く怯えている自分自身に、数秒遅れて気付いた。

 

―――馬鹿なのかな?私は。例えアキくんが首だけで噛み付いて来ようともう世界は止まらない。あんな奴1人、敵になろうと味方になろうと何も変わりはしない

―――けど…生まれて初めてかもね。この天災である私が自分の事を小馬鹿にするなんて…

 

 そんな感慨に浸り、数年ぶりに苦笑を漏らす束。

 それは気持ちを切り替える為の笑みなのか、今の心情に入り浸っているだけなのか、束自身にも判別出来なかった。

 

 やがて束は徐に右手を上げると―――

 

パチン!

 

 と、親指・中指によるフィンガースナップを部屋中に響かせた。

 

 その音を合図に、無数の赤い矢印が大陸(ホログラム)中に溶け出す。

 青かったアフリカ大陸はあっと言う間に赤く染まり、欧州・中東を指し示していた巨大な矢印も同じ要領でユーラシア大陸を赤く侵食していった。それだけに留まらず侵食は北アメリカ大陸、南アメリカ大陸、オーストラリア大陸、そして日本列島まで進み、地球上に存在するであろう全ての陸地を赤く染め上げた。

 それにより、今さっきまで青暗かった室内はまるで夕暮れ時の様に赤暗く変色していた。

 

 その赤は流れ出た人の血を表しているのだろうか。それとももっと根本的な、人間の中に潜む“ナニカ”を示しているのだろうか。

 それは世界中何処を探しても、今この空間で指を鳴らした天災兎耳女本人しか知り得ない事だ。

 

―――そう言えばまだ計画の名前付けてなかったっけ

 

 突如そんな事を思い付いた束は、両手の人差指を左右の側頭部に当てながら猫撫で声で唸り出す。

 そして―――

 

「『コスミックラビッツ計画』…でいいんじゃね?」

 

 

 世界を巻き込む戦乱はまだまだ遠く、ナメクジの様に遅い。

 だがそのナメクジだって、ずっと這っていれば来たるべき所に辿り着く。

 

 その戦乱と言う名のナメクジが最後に落とした宝玉を手にするのは、天災『篠ノ之束』だ。



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第一章 の5 IS学園~日常~
第41話 席替え~昭弘とセシリア~


臨海学校までの間、日常+ゴーレム回が続きます。

日常回では昭弘と1組生徒たち(+鈴音)が、ゴーレム回では昭弘+楯無+簪+ゴーレムがメインになります。

第2章の文化祭以降は、もう完全に超ドシリアス路線まっしぐらになる予定ですので、今の内に昭弘たちの日常をミッチリ描いておきたいんですよね。


―――――6月20日(月)―――――

 

 重い瞼を懸命に上げると、延々と目覚ましが鳴り続けていた事に気付く。鳴って直ぐ目を覚ましたのではなく、目を覚ましたら鳴り続けていた事に嫌な予感を抱きながら時計を恐る恐る覗く。

 

(またやっちまった…)

 

 時計が提示していた時刻は07:44。

 それを視認しどう考えても食堂での朝食時間に間に合わない事を悟った昭弘は、仕方なくカロリーメイトを齧る事にする。

 

 そして流れる様な動作で歯ブラシ、洗顔、着替えを済ませ、鞄を乱雑に引っ掴むと足早に部屋を出る。

 当然、先程まで玄関先に居たであろう箒や一夏たちの姿もそこには無い。

 

(…居心地の良い夢ってのも、それはそれで厄介なもんだな)

 

 そんな感想を心の奥に押し留めながら昭弘は自身がここ最近犯している寝坊と言う愚を、己の潜在意識が生み出したモノのせいにしてみる。

 

 一体どんな夢だったのだろうか。

 

 

 

 どの様な「異」を放っているものだろうと、人間は気付かない内にあっさり慣れてしまうものである。と言うよりも、慣れなければならない。

 究極的には、例え学校の廊下を毎朝コウテイペンギンが列をなして闊歩していようともだ。

 

 しかし待って欲しい、どうやら此処IS学園の廊下には例外が存在するらしい。それは廊下を歩く女子生徒たちの表情を見れば、一目瞭然である。

 

 ただデカイだけではない。通過する度にズシリズシリと伝わる足音、まるで常に臨戦態勢の様な険しい形相、それらを健気にも覆い隠そうとするIS学園の制服。そしてそんな全部が化学反応を起こして出来た様な、異質過ぎる存在感。

 解っていても悪気が無くても、つい振り向いてしまう。そんな少女たちの視線など慣れるまでもなく入学当初から気にしてなかった昭弘は、存在感をそのままに堂々と1組の教室へ赴く。

 

 そしてSHR5分前、教室の扉を破損させないよう意識しながらゆっくりスライドさせると……

 

「おはよう」

 

 と低く短く一言。対して―――

 

「おはよう…って昭弘!何度インターホンを鳴らしたと思っておるのだ!」

 

「おはよう。寝不足なの?」

 

「おはようございます。意識が足りていないのではなくって?全く…」

 

「おはよう。気持ちは解るぞー、だが寝坊助である私より遅いのは頂けないな」

 

「おはよー。欠席かと思ってそわそわしちゃったよ(君が居なきゃ僕の貴重な話し相手が…)」

 

「おはよ~アキヒー」 「おはよーッス!」 「おはよーさん」

 

 挨拶の中に重役出勤に対する指摘を含めてくるクラスメイトへ、昭弘はこう返すしかなかった。

 

「…スマン」

 

 本当に申し訳なさそうな顔であった。根が真面目だからか、昭弘にとって寝坊や遅刻は「恥ずべき行為ランキング」のかなり上位に位置しているようだ。

 

 そうしてどうにか本日も遅刻者が出ない状態で、千冬と真耶を迎える事が出来た1組であった。

 

 

 

「本日の1時限目は「学活」とし、当初の予定通り席替えを行う」

 

 SHRでそんな事を告げられた1組一同は、休み時間を利用して皆やいのやいのと自身の願望をぶつけ合っていた。やれ一夏の隣が良いだの、いいやラウラの隣が良いだの、やっぱりセシリアの隣が良いだのと。

 

 しかし仲睦まじい1組一同でも、唯一危惧する組合せがあった。

 当然、30人以上居る中からその2人が隣同士となる確率は低いと言えよう。それでも絶対と言う保証が無い以上、震える眼を一時その2人にチラリと回すのも無理からぬ事。

 

 

 

 席替えは皆の予想通りくじ引きとなった…等と言う過程はそこまで重要ではなく、問題はその結果にあった。

 どうやら、皆が恐れていた結末は至極あっさりと訪れてしまったようだ。しかも2人が並ぶ座席は最後尾のド真ん中。周囲にとっては中々威圧感が気になる位置だ。こんな残酷な偶然があるだろうか。

 皆、己の喜びも忘れ後方の2人に畏怖の眼差しを送っていた。

 

 そんな中、千冬は今の状況が面白可笑しくて堪らないのか腹筋を固めながらも懸命に爆笑を堪え真顔を貫こうとする。

 同じく真顔のまま座席に着いている、昭弘とセシリアを教壇から見下ろしながら。

 

「…言っておくが意図的じゃないからな?公正なくじ引きの結果だ」

 

「…………………はい」

 

「…………………心得ておりますわ」

 

 千冬が恐らく自分たちに向かって弁明しているのだろうと悟った昭弘とセシリアは、文句の一つも垂れる事なく長い間の後静かに返事をした。

 

 

 

―――休み時間

 

「…お前ら少し大袈裟過ぎだ。誰が隣だろうと別に何も変わらん。勿論、他の奴が隣ならそれに越した事は無かったんだが」

 

「全くですわ。私もそこまでお子様じゃありませんのよ?よりにもよってアルトランドが隣と言うのは誠に残念でなりませんが」

 

 本人を前にして途中から本音駄々漏れな昭弘とセシリアを見て、箒たちは引き釣った笑みを浮かべる。良く言えば互いに遠慮を知らない仲、悪く言えば互いを貶め合う熱湯と冷水と言った所か。

 そんな2人を見て何を思ったのか、ラウラがつい要らぬ口を滑らせてしまう。

 

「なんやかんや仲良いよなお前ら」

 

「「それはない」ですわ」

 

 ラウラの台詞との間を感じさせない程の即答であった。どうやら意地でも認めないつもりらしい。

 呆れるラウラに構う事無く、昭弘は更なる不安を吐露する。

 

「問題は今回の学級活動みたいな、班行動を要される授業だな」

 

「まぁ確かに、昭弘とセシリアの間で意見が真っ二つに割れそうではあるな」

 

 箒がそんな問題点を挙げると、それに答える様にシャルロットが続いた。

 

「折り合いをつけるしかないんじゃないかな?それか、どっちかが書記を務めるとか」

 

「確かにその手もありますが…」

 

 セシリアの心境を理解している昭弘は、代わりに答える。

 

「お互い、一度口論になるとついヒートアップしちまうんだ。書記みたいなサポートに回っても、余計な口を挟むに決まっている」

 

「「「「あぁ…」」」」

 

 確かに2人ならそうなるだろうなと、箒・一夏・ラウラ・シャルロットは納得の声を漏らした。

 

 

 

―――昼休み

 

 先の授業は、IS操縦者保護機能に関してより深い所まで突き詰めた授業であった。

 SEや絶対防御機能との複雑な関係性がややこしかったのか、皆随分と肩が凝った様に見える。

 

 昭弘も例外でないのか、空腹を満たすべく食堂にて親子丼を掻っ込んでいる。

 今回の連れは箒と一夏、それにシャルロットの様だ。箒は普段通り日替わり定食、一夏は自作の弁当、シャルロットはポトフだ。

 

 するとどうした事か、昭弘は急に忙しなく動かしていた箸をピタリと止める。どうやら一夏からの視線に射止められた様だ。

 

「昭弘ってセシリアのどう言う所が嫌いなの?」

 

 一夏のそれは一見急な話の振り方に思えるが、箒とシャルロットも同じ疑問を席替えの時から抱いていた。

 いくら元少年兵と英国貴族とは言え、今日まで互いに競い合ってきた仲なのだ。そろそろ名前で呼び合って良い時期にも思えたのだ。

 

 しかし昭弘は特段考える素振りもせず答える。

 

「正直、別に嫌いな所は無いんだけどな。ただ仲良くなる道理が無いってだけだ」

 

 それは要するに「嫌い」と同義なのではないだろうかと、3人はそう突っ込みたい衝動を心に封じ、昭弘の話の続きに耳を傾ける事にする。

 

「皆知っての通り、オレとアイツは意見の相違で良くぶつかる。んで、どうせぶつかるんなら態々外面を取り繕って仲良くする必要はないって結論に行き着くんだ」

 

 結局の所、そう言った意見の相違も互いの「価値観の違い」から生じるものなのだろう。「淡々と効率性を追求する昭弘」「手間が掛かろうと外聞や礼節を重んじるセシリア」と言った具合に。

 

「つまり昭弘には価値観の相反する相手と、仲良く出来る器用さが無いと言う事か」

 

「…そう言う事だ」

 

 箒にズバリと言い放たれて脂汗を滲ませる昭弘は、溜息混じりに肯定する。

 機に乗じる様に、昭弘は更なる理由を並べる。

 

「大体がな、オレとオルコットが笑顔で仲良くしていたらお前らどう思う?」

 

 一同は少しの間脳内を圧迫すると、頭から捻り出す様に答えた。

 

「不気味だな」

 

「怖いね」

 

「気持ち悪い」

 

「オイ…」

 

 別段、昭弘もわざとセシリアと仲違いを起こしている訳ではない。ただ昭弘にとっても周囲にとっても現状の「昭弘とセシリア」が、一番自然と言うかどこかしっくり来るのだ。

 つまりは、なるようになっているだけなのだ。それも又、繰り返される日常によって生じた産物なのかもしれない。

 

 しかしそれは、昭弘にとって酷く新鮮味を帯びているものでもあった。

 三日月ともオルガとも違う、タカキやライドの様でもない。少なくとも、鉄華団にはセシリアの様な仲間は居なかった。互いの事を悪く言おうと互いの強みを確りと認めている様な、そんな仲間は。

 それは、昭弘にしてみれば全く新しいタイプの仲間とも言えた。

 故に昭弘は―――

 

「だが折角あのオルコットと隣同士だってのに、「何事も無い」のはそれはそれで面白くねぇな」

 

「「「?」」」

 

 不敵に笑いながらそう言い、仲が悪いなりの“挨拶”を考える事にした。昭弘が何を為そうとしているのか、箒たちに予想出来る道理など無く。

 

 

 

―――同時刻

 

「ブッハッハッハ!!昭弘とセシリアが隣同士!?それ絶対織斑先生が仕組んだでしょ!」

 

 場所は変わって本校舎屋上。

 

 セシリアから席替えの話を聞いた鈴音は、可愛らしい八重歯を大きく見せながら持っていた中華まんを握り潰さんばかりに爆笑する。

 偶然とは言え1学年の実力者2トップであり犬猿の仲でもある昭弘とセシリアが低い確率を潜り抜けて隣同士にもなれば、鈴音でなくとも何かしらの勘繰りが働くであろう。

 

 対して、溜め息交じりにセシリアが話を続ける。

 

「…「そろそろ仲良くしろ」と言う、天上からの御告げなのかもしれませんわね。本音だってその方が宜しいのでしょう?」

 

 美味しそうにカレーパンを頬張っていた本音は、話を振られて首を傾げる。

 

「そんな事言ったっけ~?」

 

「言ったではありませんか!入学1週間後くらいに…」

 

「アンタ良くそんな細かい事覚えてるわね…」

 

 どうやらセシリアは、周囲の反応が些か気懸りなようだ。確かに毎度の如く繰り広げている同級生との稚拙な言い争いは、見る者によっては不快感を覚えるだろう。

 

「さっきボーくんが言っていた様に、セッシーとアキヒーは十分仲良いと思うんだけどな~」

 

「そーそ。犬猿の仲って見方を変えれば真向からぶつかり合える仲とも言えるじゃない?アタシ的にはそう言うのちょっと羨ましいかなー」

 

 と言うのが、本音と鈴音の正直な感想であった。

 そう考えると、案外「仲の良さ」と「仲の悪さ」は紙一重な関係なのかもしれない。気を使わないと言うその一点だけは、どちらにも備わっているのだから。

 しかし、あくまでセシリアは昭弘との仲の良さを否定する。

 

「それは貴女方からすればそう見えるのであって、私は奴と仲良くした覚えは一度も御座いませんわ」

「寧ろ奴と仲良く接する事こそ、私の成長を止める一因になりかねません。好敵手と不必要に親しんでは、己の芯がたちまち揺らいでしまうでしょう」

 

 どうやらセシリアは、単なる子供じみた意地を張っている訳ではないらしい。

 好敵手(ライバル)とは即ち超えるべき仮想敵。「負けたくない」と言う思いが強ければ、尚一層超えようと切磋琢磨も出来よう。

 セシリアにとってそんな仮想敵と仲良く接する事は、単なる無駄な行為に過ぎないのだ。

 

「ふ~んそっか~~。じゃあそんなアキヒーと隣同士になっても、今までと何も変わらない?」

 

「仲良く見えるのでしょう?でしたら変わる必要も御座いませんわ」

 

 具のギッシリと詰まったBLTサンドを上品な仕草で小さな口へと運びながら、セシリアは本音の質問にそうきっぱりと答えた。

 

 しかし、セシリアの頭にこびり付いたモヤモヤは晴れなかった。

 好敵手と不必要に親しむ必要はない。それはまるで己の成長の為に、ただ単に昭弘を利用している様にも思えた。決して気分の良いものではない。

 かと言って無理して仲良くする訳にも行かないから、頭がモヤモヤするのだろう。

 

 

 

 

 

 5時限目が始まる迄残り5分を切った頃、セシリアは急ぎ足によって乱れた髪を整えながら授業の準備をする。

 どうやら鈴音たちと長く話し込み過ぎた様だ。

 

 視界の左端で奇行を取る昭弘が映ったのは、丁度その時だった。気になったセシリアは、昭弘を視界の中心に捉えるべく瞳を左方向へチラリと動かす。

 映った昭弘は正面を向いたまま、右拳だけをセシリアの方へ突き出していた。

 

「仲良くは出来ないが…これからも宜しく頼む」

 

 普段の様な感情の読めない仏頂面で、そう彼は一方的に言い放つ。

 拳と拳の衝突による、言葉を介さない意思の疎通。以前鈴音とも同じ行為を交わしたセシリアは、昭弘の思惑を彼女なりに探る。

 

―――…酷く矛盾している。自分も詳しくは解らないが、その行為は友好的な人間との間でしか成立しえないのではないのか?仲良く出来ないと言うのに何故態々

 

 基本的に、右手同士による握手は友好の証だ。そしてこれは国にもよるが、左手同士での握手は相手への敵意や負の感情を表す行為とされている。

 当然、「拳と拳」にもそのような意味合いがあるのかどうかは微妙な所ではあるが。

 

 昭弘の差し出した拳は右手だ。

 しかし昭弘の右席に座しているセシリアが、態々左席の昭弘へ右拳を突き出すとなると不自然な体勢になる。何より「何故自分が振り向いてすらいない昭弘へと態々向き直ってやらねばならないのか」と言った、プライド的問題もあった。

 そしてもう一つは、「仲良くは出来ない」と言う昭弘の発言だ。右手が友好の証だとするのなら、行為と発言がどうにも一致しないように思える。

 

―――ではもし自分が左拳を出したのだとしたら。…右手…左手…仲良くは出来ない…宜しく頼む………!

 

 考え抜いた末、漸く理解したセシリアは小さな笑みを零す。

 位置的にも心理的にも、セシリアが高確率で左拳を出す事は恐らく昭弘も想定していた筈。

 つまりセシリアに敢えて「失礼な左手」で返させる為に、態々姿勢をそのままに右拳だけを突き出した。そう考えれば、昭弘の「仲良くは出来ない」発言にも合点が行く。

 そして「宜しく頼む」と言う言葉。

 

 これらを合わせると、「好敵手(ライバル)」としてこれからも宜しくな」と言う解釈がセシリア的には一番しっくり来る。

 

(…良いでしょう。敢えて左手で、お前と同じ姿勢で拳をお返し致しましょう。お前と私とでは仲良くなど出来ないのだから)

 

 そう思った時には、もう彼女の左拳が昭弘の右拳にコツンと当たっていた。拳でしかもこんな失礼な挨拶を返す等、入学前のセシリアでは考えられない所業だった。

 だが不思議と、頭蓋の内側を満たしていたモヤモヤは晴れていった。

 

「無視されなくて良かった。隣同士そしてお前とじゃなきゃ、こう言う挨拶は出来ないからな」

 

 昭弘にそう言われて、セシリアは僅かに上げていた口角を更に少し上へと釣り上げる。

 昭弘と慣れ合うつもり等無いと言う心は、恐らく変わってはいない。それでも例えどんな形だろうと、挨拶を返さないのは失礼を通り越して非礼だ。

 英国貴族である彼女にとって、それだけは避けねばならないタブーであった。

 

 “挨拶”とは、互いの関係性を再認識する上で重要な行為とも言われている。学校の先生、職場の上司、家族、親戚、そして友人、知人。逆に、通りすがりの何の関係性も無い人間に一々挨拶などしないだろう。

 セシリアも又、昭弘と左右異なる拳を合わせる事で改めて認識出来た。昭弘が「必ず倒したい存在」である事を。

 そしてそれは少なからず彼女を高揚させた。

 

 

 昭弘とセシリア。彼等2人の関係は仲が良いとか悪いとか、好きだとか嫌いだとか、そんな言葉では測り切れないのかもしれない。

 どれ程いってもどんな角度から考察しようと、2人はやはりライバル同士でしかないのだ。正反対な様で何処か似ていて、そして何処までも対等な。

 

 

 

 

 

 ある時代ある組織に、奇妙な2人の青年が居た。名を『三日月・オーガス』『オルガ・イツカ』と言う。

 絶対の信頼と友情以上の何かを持つ2人は、巨大な事を成そうとする時または成し終えた時、決まって互いの拳をぶつけ合った。互いに横並びで同じ景色を眺め、左のオルガが右手を、右の三日月が左手を突き出しながら。

 

 行為そのものに大それた理由は無かった。ただ単に互いを結ぶ絆の確認、それによる安心感・多幸感を得る為だ。

 しかしその行為は2人を何度も暗礁から救い、そして前へ奥へと突き動かす原動力の一部となった。

 

 

 奇しくも此処IS学園に、そんな2人と同じ行為をする2人が現れた。




関係性は全く違うのに、やっている事が何故か三日月&オルガと重なってしまった昭弘とセシリア。そんなお話でした。
何となくですが、視聴者側から観ればオルガが右、三日月が左ってイメージが強かったような気がします(OP然り)。互いの目線に関しては、余り鉄血本編でも定まっていなかった様な気がします(うろ覚え)

次回辺りから、ゴーレム回と日常回が暫く入り乱れるかと思います。「平穏な日常」と「遠方の争い」との間で揺れ動く昭弘を描ければと思います。


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第42話 夢 その①

短めです。


―――――‐年‐月‐日(‐)―――――

 

 日付すらも存在しない、白い世界だった。

 本来茶色い筈の地面、雲が無ければ青い筈の空、見える筈の地平線。それら全てにバケツいっぱいの白いペンキをぶちまけ、そのまま全てを同化させた様な。

 そんな上下左右前後の方向が曖昧な世界だった。

 

 その世界で唯一視認出来るのは、所々ボロついた木造りのベンチ1つだけ。

 そしてそこには、昭弘がどっかりと腰を落としていた。

 彼はその空間が初めてでないのか、酷く落ち着き払っていた。と言うより、ベンチを独占せずに隣だけ空けている状態から察するに、誰かを待っている様にも見える。

 

 そして昭弘の待ち人は、何の前触れも無くパッと隣に出現する。昭弘と同じく堂々と腰を下ろしたその樣は、まるで最初からそこに居た様な錯覚を見た者に抱かせる。

 

「また会ったな昭弘」

 

 長身を被う浅黒い肌。獅子とも虎とも捉えられる獰猛さに確かな冷静さをも内包させた顔面。その顔を更に際立たせる千山の様に尖った白髪に、一角獣を彷彿とさせる前髪。そんな男にワインレッドのスーツは初見では異質を極めるが、見慣れると恐ろしい程に良く似合う。

 その姿は鉄華団団長『オルガ・イツカ』以外に、居る筈もなく。

 

「…オウ」

 

 そう、昭弘は短くも確かな微笑を浮かべて返事をする。

 死んだ筈の男が、目の前で何事も無かった様に腰を下ろしている。本来ならその事実は、冷静な昭弘でもベンチから転げ落ちる程の衝撃に襲われるだろう。

 そうならないのは、ここ最近も同じ状況で会っているからに他ならない。そして昭弘の穏やかな表情を見れば、その時さぞかし愉快な時間を過ごしていたであろう事が解る。「今回はどんな会話をしようか、IS学園の誰の事を伝えようか」と言った浮き足立った感情に襲われているのだ。

 

 しかしオルガは、普段から何か企んでいそうなニヒルな笑顔を静かなる真顔へと変貌させる。

 それを見た昭弘も又、空気が変わった事を理解し表情を引き締める。

 

「なぁ昭弘。お前これからどうするつもりだ?」

 

 低い声でそう大雑把に問い掛けられ、昭弘は硬直してしまう。だが、大して動じている様にも見えない。どうやら何か心当たりがある様だ。

 それでも何も答えない昭弘を、オルガはまるで追い詰める様に問い掛け続ける。

 

「お前だって薄々感付いている筈だぜ?そう遠くない未来、ISとMPSによる馬鹿デケェ戦争が高い確率で起こるって事がよ」

 

 昭弘も既知の通り、グシオンの戦闘データは束を通じてT.P.F.B.に渡っている(正確には、ゴーレム襲撃を最後に戦闘データ収集はもう行われていない)。

 それにより大幅な性能向上を果たしたMPSの標的は、最早戦闘ヘリに留まらない。戦闘機、そして最終的にはISすらも迎撃対象になりかねないのだ。

 そうなればMPSを大量保有する国に対し、ISによる抑止効果は望めなくなるだろう。起こりうる最悪のシナリオとしては、攻め入るMPSと守勢に入るISとの「全面戦争」と言った所か。

 

 昭弘とて例え明瞭な未来を想定出来ずとも、「IS対MPS」と言う単純な構図は少しでも想像した筈だ。職員室での千冬とラウラの一悶着を、盗み聞きしていた時の様に。

 

 だが昭弘の回答は、限りなく現実的でありふれたものだった。

 

「…どうするも何も、オレとグシオンで単身殴り込んでどうこうなる問題じゃないだろ。かと言ってそんな生きるか死ぬかの戦いに、学園の人間を巻き込む訳にも行かん」

「学園の人間を巻き込まず、オレにとって可能な範囲で情報を集める。そして束の企ての全容を暴く。先ずはそこからだ」

 

 束の最終目的。

 それさえ把握出来れば少なくとも彼女がISとMPS、一体どちらを勝たせたいのかが解る。そうなれば何処にどの程度の被害が出るのかも、現状より遥かに予測し易くなる。

 

 それが今の昭弘にとっての限界であった。

 今学園から出た所で昭弘を待っているのは、結局戦いの日々でしかない。戦いの渦中へ近付けば近付く程、背中の阿頼耶識は殺人の道具としかみなされなくなる。争いを止めるどころか、争いに加担する羽目になるのだ。

 余計な面倒事は避けたいであろうT.P.F.B.も、学園から逃げ出した昭弘の事なんてきっと相手にもしない。もう既に、欲しい物(グシオンの戦闘データ)は手に入っているのだから。

 学園の敷地から出れない現状、ハッキング技術等毛頭無い昭弘にやれる事は結局地道な情報収集しかない。

 その情報収集でさえも、束の口封じを警戒するのならばやり方は限られてくる。彼女は、常人には思いもよらない方法で常に“見ている”。兎の視界と聴力に、死角は無いのだ。

 

 少し控え目で冷たい印象を受ける昭弘の返答。だがそれは、目の前の現実を真っ直ぐ捉えてもいた。オルガの予想に反して。

 それが嬉しいのか悲しいのかオルガは瞼を閉じて小さく笑うと、何の反論も返さなかった。

 

「…そりゃそうだわな。悪い昭弘。どうやらオレも、わりと無茶な期待を抱いちまってたみたいだ」

「連中、昔のオレたちと境遇が似ているからついな…」

 

 やはり少年兵への少なくない感傷が、オルガにはあったようだ。救えるのなら救いたいのだろう。無謀だと解っていても、昭弘に飛んで行って欲しかったのだろう。

 昭弘もそんなオルガの気持ちが痛い程解るからか、力無く視線を落とす。

 

「…すまないオルガ。やはり今のオレはオレらしくないのかもしれん。鉄華団に居た頃のオレならきっと…」

 

「そうだな。鉄華団に居た頃のお前なら、後の事は難しく考えねぇで兎に角ブッ潰していった。オレもそんなお前だから安心して命令出来た。けどな―――」

 

 そこで一旦区切ると、オルガは昭弘の左肩をまるで平手打ちする様にその右手を置く。そしてそのまま軽く揺さぶりながら、昭弘に告げた。

 

「『昭弘・アルトランド』っつー芯は、何にも変わっちゃいねぇだろうが」

 

 寡黙な仏頂面も不器用さも、仲間を放っておけない一面も、それらは世界(居場所)が変わっても変わらなかった。少なくともオルガにはそう思えたらしい。

 それはまるでこれまでの昭弘の学園生活を、間近で見聞きしていたかの様な言い草であった。

 

「寧ろスゲー事だと思うぜ?あんだけ平和な学園に身を置いてんのに、芯がブレねぇのはよ。それどころか、ずっと先の事考える頭まで持っちまうなんてな」

 

「…戦いの日々を忘れられないだけさ。いいや、戦場からも離れられず平穏にも馴染めない、中途半端な存在なのさ」

 

 先程から続く昭弘の発言が彼自身の行いを強く非難している事に、オルガは気付いていた。

 今も戦場で戦い続ける、遠い地の戦士たちの身を案じた。平穏を生きる子供たちの事も傷付けたくなかった。そして、後先の事も考える様になってしまったが故の判断。

 

 昭弘が此処IS学園で束にやらされていた事。それがどんな結果をもたらしたのかオルガは知っている。恐らく昭弘も。

 だがだからこそ、オルガは昭弘に言わねばならない。例えその言葉が、事の気休めに眺める風景画程度の効用しか無かったとしても。

 昭弘が一人抱え込む所を一番見たくないのは、他でもないオルガ自身なのだから。

 

バヂンッ!!

 

 まるで電源が落ちた様な異音が、至る所から不規則に響く。

 実際ほぼその通りであった。音が鳴る度、空間の小さな一部が白から黒へと暗転し、純白の世界はジワジワと闇色に包まれて行く。 

 そして連鎖する消灯音も徐々に変化していき、終いには昭弘の良く聞き慣れた音になっていた。

 

「…言っとくけどな昭弘」

 

 そう。オルガは言う。彼に昭弘の行いの善悪は決められないが、それでも言う。

 

「あんまウジウジ気負うんじゃねぇぞ?でないと先に進めなくなっちまう」

 

 昭弘がその言葉を心に受け止めた時には、オルガを含めた全てが闇に侵された。昭弘の身体さえも。

 

 

 

―――――6月22日(水)―――――

 

ジィリリリリリリリリリリリリリリリリ……

 

 けたたましい目覚まし音を止めた昭弘は、朦朧とした意識のままソレが指し示す時刻を見る。

 06:30。学食で振る舞われる朝食には、十分間に合う時間だ。

 

 だが意識が回復しても昭弘の表情は晴れなかった。

 

「……オレのせいで戦争が起ころうとしてるんだな。オレとグシオンの戦闘データのせいで…」

 

 誰に対するでもない言葉を、虚空へと垂れ流す昭弘。

 

 箒との出会い、セシリアとの大勝負、台風の如く現れた鈴音、そしてゴーレムとの邂逅。間も短く押し寄せて来たISTT、ラウラの更正、シャルロットの国際問題、そして一夏の闇。

 それら全てが片付き漸く他の事を考える余裕が生まれた昭弘を待っていたのは、己の行動がこれから起こるであろう戦争の発端を担っていたと言う現実であった。目を背けていた…と言った方が正しい。学友たちが抱える問題だけを真剣に考える事で。

 束の命令だったから仕方無くと言うのも、今更何の言い訳になるのだろうか。他ならぬ昭弘が、一番ISバトルを楽しんでいた癖に。

 

 「MPSの性能が上がれば、それを乗りこなす少年兵たちもより安全になる」。入学前の昭弘はそう考えていて、ずっとその考えは変わらないと思っていた。

 だが実際はそう単純でもなかった。IS学園と言う平穏そのものな世界は、昭弘の頭に潜む常識をも書き換えていった。

 誰も死ぬ事の無いこの世界こそが、彼女たちの当たり前であり日常。もしMPSの性能が更に向上されれば、戦火は何処まで広がるか分からない。もしかしたら此処まで広がるかもしれない。

 そうなれば彼女たちにとっての「当たり前」は、銃声と硝煙と爆風によって塗り替えられる。

 

 もう昭弘は、自分と似た境遇の者だけを考える事が出来なくなっていた。どんな目的があろうとそこにある平穏は決して乱してはならないものなのだと、頭ではなく身体全体で覚えてしまった。

 その新たなる物事の捉え方により、昭弘は今になって苦しめられているのだ。自分が彼女たちの平穏を焼き尽くす戦火を広げる、その元凶となってしまったのではないのかと。

 

 それでも夢の中でオルガに言った通り、今の昭弘には情報を集め、又は提供する程度の事しか出来ない。

 

(すまないオルガ。やはりオレはオレを赦す事が出来ん)

 

 恐らく、今後もずっと昭弘はこうなのだろう。

 誰も巻き込む事無く愚かな己をこのままズルズルと憎み続けながらも、やれるだけの事をやるしかない。いずれ先に進めなくなろうと、足りない頭で考え抜いて新しい脚を創るしかない。

 不器用な男にはそれしか術がないのだ。

 

 そうして気持ちを切り替え、訊き込むべき対象を頭の中で絞り込む昭弘。

 

―――……タロとジロ、難しいがクロエくらいか

 

 最も長く束に仕えていた、ゴーレム部隊の1番機と2番機。記憶を消される前の彼等なら、束の最終目的の断片だけでも何か知っていた可能性がある。

 現状ゴーレムたちのコアは、他のISコアと一切交信不能だ。だがもしサブロ・シロ・ゴロの3機がコアだけのタロ・ジロと交信出来れば、何か状況が動くかも知れない。

 そうなると、やはりサブロたちの協力が不可欠になるだろう。

 クロエに関しては半ば駄目元に近い。束にとっては箒の次に大切な存在なのだから、クロエへの監視の目は当然にして厳しいと見られる。

 

 対象人物をある程度絞ると、昭弘はベッドからゆるりと降り登校の準備をしながら細かなプランを練った。

 

 ただ、昭弘には一点気掛りな事と言うか根本的とも言える疑問があった。

 束がISとMPSを戦わせようとしているとして、では何故彼女が愛するISではなく忌むべきMPSを強化させているのかと言う事だ。思考と行動が矛盾している様に、昭弘には思えた。

 

 そしてこの疑問は、後々まで昭弘を苦しめ続ける事となる。

 

 

 

―――同日 放課後

 

「ゴーレムの所へか?別に構わんが…」

 

 少し忙しない職員室へとタイミングを見計らいながら入室した昭弘は、千冬にゴーレム見学の許可を頂く。その時の千冬は、何やら拍子抜けた顔をしていたが。

 

「今回はまた随分と久しぶりの見学だが、ゴーレムたちを勝手知ったるお前なら別に今更許可など要らないぞ?」

 

「一応規則ですんで」

 

「まぁそう言うとは思っていたよ。おっと一応理由も聞いておかんとな」

 

 昭弘の相変わらずな堅物ぶりに軽い安心感を覚えつつも、千冬は昭弘の急な訪問の理由を訊ねる。

 対して昭弘は、予め用意しておいた定型文を口にする。

 

「ゴーレムたちに何か変わった所がないか、直接この目と耳で確認しようかと」

 

「ふむ…分かった。じゃあそら、SC(セキュリティカード)だ」

 

 昭弘は台帳にSC番号と貸し出し時刻を記入すると、SCが入っているケースを受け取る。

 

「では失礼します」

 

 ケースに結着された紐をそのまま首に掛けると、昭弘は他の教員に気を使う様な足取りで職員室を後にした。

 

 

 

―――格納庫―――

 

 もう既に、ゴーレムが学園預かりとなってから1ヶ月半は経つ。

 それでも尚、格納庫の外にまで微かにだが研究者たちや整備科生の声が漏れ響く。

 ISTTへ向けた訓練等もありここ最近は余り顔を出していなかった昭弘だが、相変わらず活発にやっているようで少し安心する。

 

 格納庫裏口に近付くと、シンプルながらも頑強そうな裏口扉が見えてくる。その直ぐ横にはSCを翳すであろうカードリーダーが、壁に溶け込む様に張り付いていた。

 

 SCを翳そうとした昭弘は、何を思ったのかSCを一旦引っ込める。

 

(…浮かれてんな)

 

 ゴーレムたちと話すのが、どうやら昭弘は純粋に楽しみな様であった。

 しかし今はそんな感情を振り切らねばならない。今もほくそ笑んでいるであろう天災の目的を知る為、どうにか彼等の記憶を呼び覚ましたい。無理だとしても、何らかの欠片だけでも掴まねばならない。

 

 改めて自身にそう言い聞かせた昭弘は夢で逢ったオルガの顔を思い出す事で、浮いた心を水底へ沈める。

 「余り気負うな」と言われたばかりなのだが。

 

 そして今度こそSCを翳す。

 

Pi

 

 と言う通行許可が下りた音を、昭弘はしかと確認する。

 

 

 その音は、まるで何か見えない幕が開けた様な不思議な感覚を昭弘の中に生じさせた。

 

 果たしてそれは今迄と一風違った波乱が訪れる事を、遠回しに示唆しているのだろうか。




夢って基本何でもありだから、描写が結構楽しいです

あと完全に冷戦状態な昭弘と束。


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第43話 CORE Ⅰ

遂にここまで来ました。簪がメインを張る回です、


あと今更ですが、今回はいつにも増して自己解釈全開ですのでご注意を。


―――――6月22日(水) 格納庫―――――

 

 IS学園格納庫。其処は正に、昭弘が驚嘆するには十分過ぎる程の規模であった。

 何よりその広さだ。ゴーレム研究用の設備やPC、有線式の高エネルギー充填装置。そしてそれらを繋ぐ大小様々な配線により、かなりのスペースが占領されている。にも関わらず、格納庫正面ゲート付近はまだまだ空間的余裕を残していた。

 

 感想もここまでに、昭弘は今度こそ目的の為に格納庫を軽く見渡す。

 すると丁度1体暇を持て余しているのが居た。黄緑色のボディ、その胸部には白い星型のマークが大きく1つ。それがゴロであるのを視認すると、早速昭弘は歩を進める。

 

 

 IS学園において、昭弘・束・ゴーレムの三関係を把握しているのは千冬と楯無だけだ(無論、昭弘と束の関係も旧知の間柄とまでしか知らない)。

 生徒たちや他の教職員、研究員に話しているのはあくまでゴーレムと昭弘の関係性のみ。それも「以前T.P.F.B.の命で昭弘の阿頼耶識を無人IS研究に役立てる為、匿名の研究機関に派遣される。そこで現ゴーレムのAIと親交を持った」と言う設定で話を通してある。

 

 態々そうしたのは引継ぎをスムーズにする為だ。

 ゴーレムとの関係性も定かでない人間から注意点やら何やらを説明された所で、信用される筈がない。束の所有物である事実も、昭弘の証言以外何一つ証拠は無い。

 ならば上記の様に説明するのが、嘘であろうと一番混乱も少ない。

 

 

 また話は戻る。

 地を這う無数のコードを踏まぬよう慎重に足を運ばせ、少しずつ距離を詰めるが―――

 

「…だから、アナタたちには…関係ない…でしょ…」

 

 ゴロの方角から、ゴロの機械音声でないか細い声が伝わって来る。

 

《ソンナ事ハ御座イマセン。貴女ダケ毎度毎度一人黙々ト作業ヲシテイルト、否ガ応デモ気ニナリマス》

 

「…私は気にしない…一人が良い…放っておいて…」

 

《私ハ気ニシマス。オット丁度貴女ノ話シ相手ニナッテクレソウナ御人ガイラッシャイマシタヨ》

 

 鮮やかな水色の髪に眼鏡の様な機器、それら全体から発せられる愛らしくも何処か陰鬱な雰囲気。両手をカノン砲から五指の揃う掌へと変形させしつこく迫るゴロを煙たがっているのは、かの生徒会長の妹『更識簪』であった。

 ゴロの言う御人だが、位置的に昭弘を指しているのであろう。

 御人と言う呼び方が気になった昭弘だが冗句にいちいち反応しても仕方がないと、無駄な思考に労力は流さないでおいた。

 

「お疲れさん、ゴロに更識。それで?更識はオレに何の用だ?」

 

「…何も」

 

 あからさまに嫌がっている簪を見ては、昭弘も困り果てるしかない。

 

《更識殿、人トノコミュニケーションハ重要デスヨトイツモ言ッテイルデショウ。コノ際、本音殿以外ニモ御学友ヲ増ヤサレテハ?》

 

「……そろそろ…アリーナ、い、行かないと」

 

 簪は昭弘をただの一瞥もせず、自前のノートPCやら何やらを一纏めに片すと整備科生たちに軽く挨拶をして格納庫からそそくさと退室する。

 昭弘は自分でも良く解らないまま、去り行く簪の細い背中を呆然と見送る。

 

《ソウ気ヲ落トサナイデ下サイ昭弘殿。更識殿ハ駄目デシタガ、イツカ必ズ貴方ヲ受ケ入レテクレル人間ガ現レル事デショウ》

 

「…まるでオレが更識に振られたみたいに言うのは止めろ。お前の御節介が鬱陶しいから逃げたんだろうが」

 

《ソウナノデスカ?完璧ナフォローデアッタト強ク自負シテイタノデスガ…》

 

 昭弘の呆れと憤りを乗せた言葉に、ゴロはそう言いながら首が無いので代わりに腰を傾げる。どうやら頭は良くても相手への気遣いは宜しくないらしい。

 率直な物言いにも、使うべき場面とそうでない場面がある事を昭弘は知っている。

 

 簪とゴロの関係も気になる昭弘だが、今はそれが目的で格納庫に来たのではない。「訊く」為に来たのだ。

 よって、少々不自然ながらも話の流れを変える事にした。

 

 

 がしかし、創造主の事でさえ結局顔すらも思い出せなかったとの事だ。

 

 話は更に続く。

 

「…じゃあこの前も教えたタロジロと言う個体のISコア。それとは何かコンタクトを取れたか?」

 

《ソレモ無理デシタ》

《タロ殿トジロ殿ガ互イダケノネットワークヲ持ッテイルナラ兎モ角、モシソレスラ無イ状況ダトスレバ…。結論ダケ言ワセテ頂クナラ、彼等ノ「自我」ハ崩壊シマス》

 

「!」

 

 ISコアにとってのコア・ネットワークとは、人間にとっての社会そのものだと言われている。

 人間は他者が居るからこそ己と言う「個」を自覚出来る。ISコアも同様に、コア・ネットワークと言う世界で他のコアと様々なやり取りをしている。

 そうやって己と他との違いを知る事で、己が「己」であると知るのだ。

 

 もし記憶の無い個体がネットワークから切り離されれば、己と言う個は衰退していく。タロはタロでなくなり、ジロはジロでなくなるのだ。

 それも、どれ程の期間でそうなってしまうのかすら誰にも解らない。

 

 そんな理屈等知る由も無い昭弘だが、ゴロが嘘を付く理由も見つけられないので、事実として受け入れるしかなかった。

 

「…これは確認だが、お前たち3体のコアはネットワークで繋がってるんだよな?」

 

《アクマデ我々3個体間ダケノネットワークデスガネ。サブロ(阿呆)シロ(短気)ト連携ヲ取ル際ハ、カナリ役立チマス。但シ我々ハ直接皆様トコウシテ接スル事ガ可能デスノデ、ネットワークヲ失オウト自我ガ崩壊スル事ハ御座イマセン》

 

 となると自我の消失を防ぐ方法は2つ。どうにかしてコアをネットワークに繋げるか、新しいボディと接続させるかだ。

 無論そんな事は、ゴーレムに御執心な研究員の皆様が様々な手法を用いて今も試みているに違いない。

 

 昭弘はどうも参った。もう訊く事柄がなくなってしまったのだ。

 ゴロとの会話で昭弘が得た情報と言えば、タロとジロが思いの他不味い状況にある事だけ。

 

《…他ニ無イヨウデシタラ、ソロソロオ暇サセテ頂キマスガ》

 

「あぁいや、もう一つあった」

 

 嗚呼やってしまったと昭弘は思った。まだ訊くべき事なんて何も思いついてないのに、焦って呼び止めれば誰しもそうなる。

 とは言え「何でもない」で終わらせ、機会を放棄するのも勿体ない。ちょっとした会話で得られる物だってある。

 

 止む無く、昭弘は「訊くべき事」から「訊きたい事」へと転換する事にした。即ち単に昭弘が抱いている個人的興味だ。

 

「更識を放っておけないのも、孤独なタロとジロの境遇に似ている部分があるからか?」

 

《……イイエ、少シ違イマス》

《誰トモ接スル事ガ出来ズ只自我ガ消失スルノヲ待ツダケノ孤独感ト絶望感ハ、体験シタ事ノ無イ私ニハ測リカネマス。ソンナ彼等トハ違イ幾ラデモ機会ガ設ケラレテイルニモ関ワラズ、自ラ心ヲ閉ザス更識殿。ソンナ彼女ヲ不愉快ニ思ウ所ガ、私ノ中ニアルノデショウネ》

 

 タロ・ジロと簪の境遇は、一見似てる様で実際はまるで非なるものだ。

 「誰にも会えない」のと「誰にでも会える」のは、数字で例えるなら0と1程の隔たりがある。その間には、まるで宇宙の様に広く永い異次元的な距離が存在する。

 簪がそれだけ恵まれた「1」の世界で対人関係を疎かにするのは、ゴロからしてみれば贅沢に過ぎるのだ。世界のほんの一部だけでも、彼等に分けて欲しいとでも言いたいのだろうか。

 

 だがそんな否定的な感情だけで終わらないのが、束が創り上げた無人機であった。

 

《只、単ニ不愉快ナダケデシタラ私モ彼女ト接シタリシマセン》

《…オ恥ズカシナガラ、何故更識殿ヲ放ッテオケナイノカ私自身ニモ良ク解ラナイノデス。幾度己ニ理由ヲ問イ質ソウト、納得ノ行ク答エハ出マセンデシタ》

《彼女ガ一人デ居ルト、何故カ構イタクナル》

 

 最後にそう言い切ると、ゴロは格納庫の奥で話し合っている研究員たちの元にノシノシとその巨体を向かわせた。

 

(…いや、そんな事は有り得ん)

 

 ゴロが簪に抱く感情。その正体が何なのか昭弘には心当たりがあったのだが、結局即座に否定する。

 確かにクロエはずっと一人だった。束や昭弘や無人機たちは居ても、同年代で対等な友人は居なかった。同じくずっと一人の簪に対し、クロエの姿を重ねても不思議ではない。

 だが似ている存在ならラウラが居る。それ以前に、抑重ねようがないのだ。ゴロには記憶が無いのだから。

 

 では一体、ゴロを突き動かすモノは何なのか。

 記憶の更に奥深く、鈍く光る残照の様なものか。それとも、元から心優しくあるよう創られているのか。

 

 

 もう少し詳しく訊いて回りたい昭弘だが、研究員も整備科生も相変わらず忙しない。

 タロとジロが眠る地下施設は、SCだけで気軽に入室出来る様な場所ではない。

 今直ぐにでも助けたいが、整備科生を大幅に下回る昭弘の知識量ではどの道何をどうすれば良いのか見当も付かない。

 

 そうして選択肢を絞っていき、昭弘はどうにか今やるべき事を見出だす。

 

(先ずは知識だな。特にコアに関する知識だ)

 

 心にそう定めた昭弘は、自身と面識がありISに詳しいであろう人物を思い浮かべる。昭弘の持つ普通科1学年用の教材では、ISコアの専門知識を得るには足りないからだ。

 

 先ず1組は駄目だ。今は殆ど研究組に混ざってる。本音も生徒会だろう。

 整備課の教員たちもゴーレムの一件で忙しい。千冬と真耶にも、これ以上迷惑を掛ける訳にはいかない。

 となると…

 

 現時点では簪が最有力であった。

 昭弘の記憶では、彼女は当初から研究に参加していた。それに先程彼女が持参していた、本格的な機器の数々。整備科並かは何とも言えないが、ISに関してはかなりの知識量を持っている筈。

 また、彼女は基本的に1人だ。集団活動に割り入って場を乱すよりずっと都合が良い。特別親しい訳でもないが、後は彼女の良心に賭けてみるしかない。

 

(アレは確かアリーナDの方角だったな。どの道、丁度良いかもしれん。ラウラが暴走しかけた時の礼もまだだしな)

 

 そんな理由を追加で並び立て、昭弘は先程の簪に倣うように研究組へ軽く挨拶をした後退室した。

 

 

 

―――アリーナD

 

 IS学園人工島。

 この島で本校舎から最も離れた場所が此処「アリーナD」だ。

 その距離故に、利便性はお世辞にも良いとは言えない。加えて、お天道様は今にも小雨が降ってきそうな曇天に遮られている。

 そんな状況で態々「学園島の僻地」と言われる場所に赴く生徒も、そうそう居はしない。

 岩壁にぶつかる波の音はアリーナCと同じだが、人が少ないからか潮騒は唯々虚しさだけを残すばかりだ。

 

 其処こそが簪にとっての穴場であった。

 中に生徒は殆ど居らず、アリーナを管理する職員もごく僅か。ここには自身の邪魔をする人間は居ない。

 ピット内まで微かに響く寂しい波打ち音すらも、作業中の簪にとっては心地良かった。

 

 だが自然が創り出すその音は、時々簪を別の思考へと誘導する。

 

ゴーレム(アイツ等)も本音も、どうして私なんかに構うんだろう)

 

 色とりどりの配線に繋がれた自身のISに向き合い、キーボードをカタカタと指で叩きながらそんな事にも思考を割く簪。

 すると突然―――

 

「オイ」

 

 と低い声がピット内に響く。警戒心を剥き出しにしながら振り向くと、片腕でダンボール箱を抱えた昭弘が立っていた。

 対して簪は、顔を顰めて再び打鉄弐式へと向き直って言い放つ。

 

「…何の…用?」

 

 折角一人の時間に、突如として押し掛けて来た来訪者。簪の気分は最悪の一歩手前だった。

 こう言う中途半端な知人と会うのは、簪にとって却って気不味くなる。赤の他人の方が何も話さない分まだマシだ。

 

 そんな簪の心境を察してか、昭弘は敢えて抑揚の無い調子で事務的に話を進める。

 

「先ずISTTの件でな。ラウラが暴走しかけた時、お前には軽く助けられた。その礼と言っちゃ何だが、スポーツ飲料だ。大したもんじゃないが」

 

 そう言うと昭弘は箱をズシンと下ろす。サイズ的に500mlが24本と言った所か。

 すると簪は作業を続けながら返事をする。

 

「…別に。私が…勝手にやった…事だし。……その、要らなくもないけど…」

 

「じゃあ受け取ってくれ。何なら今飲んでも構わん。残った分はオレがお前の部屋まで運ぶから安心しろ」

「それでもう一つはだな…」

 

 嫌な予感に任せて、簪は昭弘をジトリと見やる。「頼み事ならお役御免だ」と訴えかける様に。

 

「オレにISコアの事を詳しく教えて欲しい」

 

 断る要素しかないので、簪は珍しく即答する。

 

「他を…当たってくれる?私もその…色々忙しいし…。アナタに教える…義理も…無いし」

 

「…残念だ。ああそれと部屋番号を教えてくれ。ついでにスポーツ飲料(コイツ)も、お前の部屋まで運んでおく」

 

「えっ…」

 

 途端に簪の表情に弱々しさが宿り始める。

 スポーツ飲料の入った箱の重さは12kg。更にこのアリーナDから学園寮まで、徒歩だと片道20分は掛かる。

 流石の簪も、そんな重労働を昭弘に強いるのは大いに気が引けた。ここで部屋番号を伝えると言う事は、自分の部屋まで運んでおけと無慈悲に命じている様なもの。

 女子の中でも取り分け細身な簪では、運ぶのは尚厳しい。ピット内にある台車で運ぶとしても、戻す為に再びアリーナDまで戻らねばならない。それは非常に面倒だ。

 

 互いの労力的に最も合理的な方法は、やはり2人で協力して運ぶ事だろう。

 となると簪の作業やら機動訓練やらが終わるまで、昭弘には此処で待って貰う事になる。

 それもそれで申し訳ない。

 

(大体アルトランドくんが此処迄持って来なければ…。もしかして意外と馬鹿なのかな?)

 

 そんな心の中では言いたい放題な彼女だが、そろそろ妥協案が必要な事も理解している。早くしないと昭弘が行ってしまう。

 

(…まぁただ待たせるよりはマシかな)

 

 彼女にとっては不本意の極みだが、色々と手伝って貰う事が現時点では一番後腐れがないのかもしれない。ただ待たせるよりはずっとマシだ。

 昭弘の頼みを聞き入れる事になるが。

 

 さっきからくだらない事で何を悩んでいるのかと、簪は大きな溜め息を吐いた。

 たかがスポーツ飲料ではないか、ISコアの事をさらっと教えるだけではないか。それに比べれば、気遣いの為に色々考える方が遥かに疲れる。

 

「…そ、その……私の事手伝ってくれたら…別に教えても…」

 

「恩に着る。何でも言ってくれ」

 

 面倒臭くなったので適当な気持ちで引き受けた簪だが、昭弘に上手い事誘導された感は否めなかった。

 

 

 簪の条件。それは、自身と打鉄弐式の空中演武を昭弘に見て貰う事だった。

 

 

 

 演武は10分程で終わった。

 敵が今正に眼前で展開しているかの様に迫り、躱し、穿ち、撃つ。その様はシャドーボクシングが最も近い表現だろうか。

 

「ハァ…ハァ…どう……だった…?」

 

 ISスーツのままピットにて息を切らす彼女は、昭弘にそう訊ねる。

 対して昭弘は、箱に隙間なく詰められているスポーツ飲料の1本を一先ず簪に手渡した。

 弐式の演武を見せた理由は未だ不明だが、脚色の無い率直な感想を昭弘は述べる事にした。

 

「…失礼かもしれんがお前の打鉄弐式…もしかして未完成か?」

 

「…何故、そう…思ったの…?」

 

「確かにお前の弐式は速い。だが専用機にしては、どうにも中途半端な感じがした。兵装は薙刀と粒子砲の2種類だけで、かと言って白式程の近接特化な訳でもない」

 

 白式と言う単語を聞いた時、一瞬だが簪の顔に憤りの色が見えたのを昭弘は見逃さなかったが、構わず感想を続ける事にした。

 

「動きに関しては全体的に見事な機動だった。だが、急停止と旋回速度の遅さが少し目立った様に思えた」

 

「急停止と…旋回速度。…分かった…ありがとう」

「着替えが終わったら…後は…約束通りに…」

 

 「約束だけは果たす」と言った態度の簪は、自身のISについて多くを語らなかった。

 

 しかし毎回懲りもせず余計な勘繰りの働く昭弘が、何も訊かない筈もなく。

 

「何故オレにマニューバを見て欲しかったんだ?…弐式を完成させる為の、何か新しい兵装を追加する予定でも?」

 

「……アナタには…関係ない」

 

「抑どうして弐式は未完成の状態なんだ?」

 

「………しつこい」

 

「白式と何か関係あったりす―――」

 

「しつこいってばッ!!」

 

 感情に任せて声を荒らげた事実に、簪は数秒遅れてハッとする。かなり久しぶりの怒声であったのだろうか。

 煙たがれる事はある程度予想していた昭弘だが、怒鳴られるのは流石に予想外だったようだ。そんな動揺を簪に悟られないよう、昭弘は口調を落ち着かせながら謝罪する。

 

「…すまない。ズケズケと踏み込み過ぎたな」

 

「……ううん。私の方…こそ…ごめんなさい」

 

 互いに謝りはしたものの、一度心に現れた水源までは消えてくれなかった。

 

 昭弘は簪の怒声を思い返す度、彼女とそのISに関する疑問と興味が湯水の如く沸き出した。あの剣幕の裏側に、一体どんな理由が潜んでいるのだろうかと。

 

 簪も又、昭弘からの要らぬ質問を脳内で再生する度、突き放さんとする衝動に駆られた。それは誰の力も借りてはならない、自分一人の力だけで成し遂げるべき事なのだから。

 

 

 そんな互いの心に深く根を張る水源も知らぬまま、2人は共にアリーナを去った。

 

 

 

続く




昭弘なら12kgを20分間なんて余裕…なんじゃないかな?無理かな?

次も、結構小難しい話になっちゃいます。


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第43話 CORE Ⅱ

ア「何と言う事だ!君(いんの)の罪(独自解釈)は止まらない!加速する!」


―――学園寮 エントランスホール

 

 寮1階にポッカリと空いた、広くそして人目に付く空間。

 一見すると勉強には不向きに思えるこのホールだが、実際はそうでもないと経験者たちは語る。

 良く良く見れば、視線をある程度遮るパネルも幾つかある。日々勉学に励む生徒たちを想った、学園として当然の計らいだ。

 

 そんな空間を重宝するグループは、何らかの理由で部屋での勉強に抵抗がある生徒たちだ。例えば今居る昭弘と簪の様に関係性が学友未満の異性同士であれば、密室での共同作業は躊躇われるだろう。

 

「……今日中に…全部は…多分無理…だよ」

 

 キャンパスノートをテーブル上に広げる昭弘へ、簪は今一度告げる。

 

「普通科の人間が知っているであろう部分は、省いて貰って構わん。オレもその位の教養はあるつもりだ」

 

「……分かった。じゃあ先ず―――」

 

 

 

―――3時間後

 

 元は真っ白だった昭弘のノートには、様々な図解やら単語やらが満遍なく書き込まれていた。

 テーブルの上には、夫々ラベルの異なる缶とペットボトルが空となって無造作に置かれていた。

 

「フゥ……どう?…大分…ザックリしちゃったけど…」

 

「イヤ助かった。隅までとは行かないが、お陰でかなりISコアの事が解った。途中ちょっとした邪魔も入ったがな」

 

 表面上ではそう言う昭弘だが、やはりまだまだ知識は欲しい。

 だから昭弘は、図々しいと解っていても簪に頼んでみるしかなかった。

 

「もし可能なら、明日から当面の間オレの勉強に付き合って貰えないか?見返りとして、オレに出来る事があったら言ってくれ」

 

「……ゴメン。特に…して欲しい事とか…ないから。…だからもう、勉強は…これきりで…」

 

 それはそうだ。

 昭弘の勉学に付き合うと言う事は、簪の時間が減ると言う事でもある。それに見合う見返り等、そう簡単には見つからない。

 

「…そうか。悪いな無遠慮で」

 

「…別に」

 

 そう言い、簪は荷物を纏めて部屋に戻ろうとする。しかし昭弘の「おっとそうだ」と言う声に、足が止まってしまう。

 

「…何?」

 

「最後に1つ。どうしても気になっていた事があってな」

「お前、ゴーレムの事どう思う?」

 

「…」

 

 黙り込む簪。だがしきりに瞼を開閉させ、眼の動きも安定しない様子だ。言おうかどうか、酷く迷っている事が伺える。

 昭弘は「無理して答えなくても良い」と言おうとするが遅かった。

 

「……嫌い」

「…コミュニケーションだ何だ…って。そうやって…アイツ等が構う事で…私の作業効率は落ちるし…アイツ等にとっても…時間の無駄」

 

 構わないで欲しい。それは、親友である本音に対しても少なからず抱いている感情であった。

 勿論、本音と話すのは簪だって楽しい。だが逆にこうも思っているのだ。自分と過ごす時間程、無駄な時間はないと。

 

「…何故お前はそこまで1人に拘る?」

 

 そこから先は一切口を割らない簪であった。

 答えないのならと、昭弘は追加で自身の考えを図々しくも口にする。

 

「放っておかない相手を、邪険に扱うもんでもないとオレは思うんだがな」

 

 単に冷やかしているのなら兎も角、ゴーレムにも本音にもそんな悪意が無い事を簪は知っている。

 知っていて尚突き放す様な態度でいるから、たった今昭弘から説教じみた言葉が飛んできたのだ。

 更に、昭弘は付け加える。

 

「…皆お前の事が好きだから、世話を焼きたくなるんじゃないのか?」

 

「…」

 

 簪はそっぽを向いたまま昭弘の言葉を聞き入れた後、何も返さずに仕切りを軽く押し開けホールを去って行った。

 

(…教えて貰っといて何様のつもりなんだろうな、オレは)

 

 そう思いながら、昭弘は勉強用具一式を鞄へと仕舞う。こう言う時、彼は自身の性格がつくづく嫌になる。

 

 

 

―――622号室

 

「…ただいま」

 

「あ~!カンちゃんお帰り~~」

 

 いつにも増して薄暗い雰囲気を纏って帰ってきた親友を、本音はいつもの調子で玄関口にて出迎える。

 簪は鞄を自身のベッドに向かってトスすると、迷わない足取りでテレビへと向かう。

 

「何かあった~?」

 

「…うん」

 

「そっか~」

 

 それ以上本音は訊ねなかった。「何かあった」と言う事だけ解れば、本音にとっては十分なのだろう。

 簪にとってもその方が助かる。

 

 簪は何やら未だテレビ脇でガサゴソしている。そして円盤状の物を慎重に手に取ると、それを平たい機械の中へと挿入する。

 

「そう言えば~あのスポドリいっぱいあって良いね~。誰から貰ったの~~?」

 

「…アルトランドくん」

 

「わ~!凄い凄~い!アキヒーと友達になったの~?」

 

「…なってない」

 

「えぇ~?」

 

 自身の安直な予想が外れて、本音は心底残念がる。その様はまるで、娘の交友関係を確認する母親の面影を思わせた。

 対して諸々のセットが完了した簪は、機械の電源を入れた後テレビを点ける。

 すると何やら宇宙空間の様な映像が少しだけ流れ、その後爆薬やCGをふんだんに用いたド派手なオープニング映像が流れる。どうやら簪が観ているのは特撮物のようだ。

 BDをセットする時の手際の良さからして、恐らく頻繁に色んな特撮作品を観ているのだろう。

 

「カンちゃんイライラしてる時はいつもこれだよね~。『爆炎戦隊ボムレンジャー』だっけ~?」

 

「…うん。モヤモヤが吹っ飛ぶから…良い」

 

「あっ!そう言えば~これのグリーンの人、何だかアキヒーに似てない?見た目も性格も~」

 

 OP映像に映ったボムグリーンを指差しながら、本音はそんな感想を零す。

 簪は既に何度も観ているであろうOP映像に噛り付きながら、本音に反応を返す。

 

「…でも私…グリーンは余り好きじゃない。レッドと比べるとヒーローっぽくないし…時々現実的な事言うのも嫌い…」

 

 少し早口気味にそれだけ言うと、それきり簪は意識を完全に液晶テレビへ集中させた。こうなると簪の耳奥に言葉は届きにくくなる。

 それが解っている本音は、だらしなく寝転がりながら漫画を読み時々映像に視線を向ける。

 

 

 今回はレッドが主役の回だったからか、簪の瞳は終始水面の様に輝いていた。

 ただ、レッドがグリーンの言葉を真摯に受け止めるシーンだけは「チッ」と大きな舌打ちを響かせていた。

 

 

 

 

 

―――――6月23日(木) 放課後―――――

 

 程よく雲の掛かった、されどジメジメしていない晴れ模様。

 

 昭弘はジョギングに勤しみたい気持ちを抑えながら、今日も格納庫に足を運んだ。

 すると―――

 

「やぁアルトランドくんじゃないか!」

 

 白衣のまま格納庫の端に座り込み、缶コーヒーの中身を喉の奥へと流し込む中年の男が昭弘に声を掛けた。

 

「どうも井山さん」

 

「昨日は悪かったね。クソみたいに忙しくて君への挨拶を失念していた」

 

「お気になさらず」

 

 『井山千持(いやませんじ)』。

 IS委員会から派遣された研究員たちの、簡単に言えばリーダー的存在である。頭は角刈りで髭の剃り残しが青髭となって顎や鼻下に残る、少し冴えない印象を抱かせる風体の男だ。

 

 ゴーレム研究の大まかな指揮系統としてはその名の通り研究員が主に研究し、生徒が見学及び補佐を、そして整備課教員が全体の監視役を勤める。

 意外に思われるかもしれないが所有者不明であるゴーレムが学園の管理下にある以上、現場で一番偉いのは教員なのだ。

 この構図が、研究員側のリーダーである井山を苦しめている。「ゴーレムのここを分解して調べたい」と言う研究員と、「ここは良い、ここは駄目だ」と下す整備課教員による板挟みに遭っているのだ。

 

 昭弘も当初、そんな立ち位置にいる井山には色々と助けられた。

 

「いやはや、今さっき部下たちに「休んで来い」って強い口調で言われちゃって」

 

「アンタに倒れられたら敵わないでしょうから」

 

「けどただ座ってるのも結構キツいんよ?ジッとしていられない性分でね」

 

 これは好都合。井山は今、昭弘にとって情報収集には打って付けの状況であった。

 

「暇ならオレの話相手にでもなってくれないスか?」

 

「おお!これはとんだ助け舟だ!」

 

 

 

「今も主にISコアの研究を?」

 

「んまぁそれは勿論だけど、ボディ(ハード)の方も研究してるよ。と言っても、調べているのはビーム砲くらいだがね。他はオレたちが保有している実験用の無人ISと、構造的にそこまで大きな違いは無いし」

 

 だが数々のISを診て来た井山にとっても、ゴーレムたちは頭一つ抜きん出た規格外であった。

 第一コアが自ら直接ボディを操る時点で、既に前提が可笑しい。ISコアは動力部(エンジン)に過ぎず、操縦者はあくまで人間と言うのが全世界の共通認識だ。

 事実、無人の状態でコアがISを動かした事例は現時点で一件も存在しない。

 

「コア自体が「高度なAI」っつー部分も、通常のISと同じなんでしょう?汎用人工知能(人間の様な思考を持つ人工知能)って奴だ。操縦者本人にしか意思を見せない通常のコアは、第3者による科学的な証明が無理なんで特化型人工知能(1つの技能に特化した人工知能:指紋認証等)の枠を出ないそうですが」

 

「へぇ良く解ってるじゃないか。アルトランドくんって普通科志望の1年坊だよな?」

 

「…色々勉強したんで」

 

 ISコアは自らの社会(ネットワーク)を持ちそこで他コアと接し、得た情報に対して自ら考える。公開回線や専用回線等は、あくまでその副産物に過ぎない。

 操縦者同士の通信網、そしてそれを応用した機体データ等の送信。それらの用途以外、コア・ネットワークの存在意義は未だ見出だされていない。この事も、ISコア内部がブラックボックスと呼ばれている所以の一つだ。

 

 そして、どんな科学者でも解明できないが故の大きな壁と言うのが無人ISなのだ。

 

「実は我々の技術力で無人ISが創れないのも、その辺に起因していてね。我々は人間の脳→コア→ISと言う「起動の順番」に縛られているからね。無人ISを創るとなると、人間の脳に匹敵する「強いAI」を以てISコアに指令を出す必要性が生まれるんだ」

 

 そんなものが創れたら、人類はIS等と言う前時代の遺物に構っている暇はない。

 やがてAIは人間の知能を超え更に強力なAIを自ら創り、更に強力なAIはもっともっと強力なAIをとそれが無限に繰り返されていく。正に技術的特異点(シンギュラリティ)だ。

 

「…ゴーレムのコアは自分で義体を動かせる。だが通常のISコアは脳の指令が無いと義体を動かせない。となると、ゴーレムコアの方がより人間の脳に近い…って事スか?」

 

「そ・こ・が!目下最大の難問なんだよ…。ゴーレムコアと通常コアを比べるって事は、通常コアの感情や思考についても詳しく知る必要があるからね」

 

 残念ながら、今の人類にはコアの感情を観測する技術はない。解らないのなら比べようもないのだ。

 

「直接義体を動かす以外の違いと言えば、彼等自ら出力の制限(リミッター)を掛けたり外したり出来る点かな。他にもコア周りに小さな違いは幾つかあるけど、中身は相変わらずサッパリ。あくまで仮定と推測を繰り返すしかない」

 

 未だタロたちのコアをボディに接続出来ないのも、コアの中身が未知である事が最大の要因だろう。

 また、ゴーレムコア以外のコアは全て、自らISを動かせないのかと言うとそうでもない。例外も存在する。

 

「実はISTTで暴走しかけた時の旧レーゲンも、コアが間接的に義体を操っている状態に近かったんだ。VTシステムがコアと義体とを繋ぐ「仲介役」を果たしていて、それによりコア側の権限を強めていた。だから搭乗者であるボーデヴィッヒくんの意識は反映されにくくなり、リミッターもコアの意思で外された。…と考えられているね」

 

 つまりVTシステムの類似品を創れば、タロとジロの意識を義体に接続出来るのではないかと昭弘は考えたが、井山の次なる言葉によってその提案は崩される。

 

「ま、ドイツがVTシステムの技術を他国にくれてやるとも思えないけどね。貴重なアドバンテージだし…と言うか普通にこの前断られたし。ボーデヴィッヒくんもそこん所は弁えているだろうから、オレたちに協力してくれるかどうか…」

 

 実はゴーレムの研究に関しては、研究員や教員側から生徒を誘う事が出来ないのだ。

 もしそれでゴーレムが暴走し生徒に被害が出れば、「誘ったのは教員」として学園側の責任がより大きくなってしまう。

 そうでなくとも生徒たちの自主性を重んじるIS学園にとって、大人から声を掛けるのはナンセンスだ。

 

 そんな訳で悲観的になる井山だが、昭弘には一筋の光明が見えた。

 ラウラに整備科程の専門知識が無かろうと、コアに操縦権限を半ば奪われた数少ない体験者だ。感覚的な事だけでも、その価値は決して小さくはないだろう。

 

「オレから直接ラウラに頼んでみますか?誘えば多分来ますよ」

 

「本当!?いつ!?いつ!?」

 

「代表候補生とは言え部活や委員会にも所属していませんし…短時間だけならそれこそ明日か明後日にでも」

 

「ありがとうね!助かるよ!ゴーレムコアとボディの繋げ方が解れば、ISコアについて何か新しい事実が解るかも!」

 

 井山は右手で硬い握り拳を作った。研究が行き詰まっている今、僅かな可能性は砂漠に突如として現れたオアシスにも等しい潤いであった。

 探究の為ならどんな人間の力でも借りるその姿勢は、ある意味「科学者的」と言えよう。

 

 と、昭弘と井山がISコアの事で熱く語り合っていた時だった。

 格納庫では見ない新顔が、慣れない様子で入室して来た。

 

(アレは…鈴音にオルコット。見学に来たのか?一夏の姿が見当たらないが…)

 

 確か鈴音は以前、一夏と一緒にゴーレム研究の見学に訪れると言っていた。

 

 では何故セシリアと一緒なのかと余計な事に考えを巡らす昭弘だが、横からの一声によって再び思考を引き戻される。

 

「井山さーん!…あ!アルトランドくんも来てたんですね!」

 

「オウ」

 

「やぁ鷹月ちゃん、どったの?」

 

「更識さん見ませんでした?」

 

「丁度アルトランドくんが来る直前位に出てったよ?そう言えばあの娘、今日はいつも以上に早く出てったねー」

 

 基本、格納庫全体に気を配っている井山。

 研究員の指揮は勿論の事、常に目を光らせている整備科教員に何時何を訊かれても、即座に答えられる様な心持で居なければならないからだ。

 そして何より生徒たちがしっかり知識を吸収出来るよう、可能な限り作業に参加させねばならない。

 

 だからこそ鷹月は態々井山に訊ねたのだ。

 

「更識に何の用だ?結構重大な事なのか?」

 

 井山の多忙さを理解している昭弘は、休憩中の彼に態々簪の居場所を訊ねた理由が気になった。

 

「ゴーレムコアと通常コアの拡張領域について、更識さんの意見も聞いておこうと思いまして。操縦者としてもバリバリな彼女なら、別の観点から新たな違いを見つけられないかなと」

「っかしいなぁ、いつもならまだ居る筈なのに…」

 

 成程確かに、普段からISを乗り回している代表候補生なら拡張領域を武器庫として頻繁に利用している。整備科よりも関わる機会はずっと多い。

 ただ昭弘が気になったのはそこではなく、簪本人の行動についてであった。

 

「…「いつも以上」に早く出てった?「まだ」居る?」

 

 井山と鷹月の言い方は、まるで普段から簪が早めに見学を切り上げているかの様であった。

 そんな昭弘の疑問に、井山は色々と追加特典を付与してくれながら答える。

 

「毎度の事なんだけど彼女、見学を小一時間位で済ませるとササッと挨拶して出てっちゃうんよ。方角的に行先はアリーナDだと思うけど」

 

 それは、昨日における簪の行動スケジュールともほぼ一致していた。そう考えると、単にゴロの御節介がウザくて出て行った訳ではない事が分かる。

 

 ゴーレムの研究、そしてその後に行われる打鉄弐式のセッティング及びテスト飛行。それだけ判れば、簪の思惑も凡そ掴めてくる。

 

「自身の専用機を完成させる為に、ゴーレムの技術を組み込もうとしているんですかね?(いつも以上に早く出てったのも、昨日オレが指摘した部分を修正する為?)」

 

「それならオレたち研究員(プロ)と一緒に調べる方が、解る事も多いと思うんだけどねぇ。…正直、何でもかんでも1人で成し遂げようとすんのは、言っちゃ悪いけどオレには理解出来ないね」

 

 普段からチームで研究に挑んでいる彼にとって、簪のやり方は嘸かし荒唐無稽に見える事だろう。

 それに続き、鷹月も簪に抱いている感情をサラッと漏らす。

 

「更識さんも悪い娘じゃないんです。ちょっとコミュ障なだけで。ただ毎回1人だけ早めに上がるのは、周囲の心象的にどうかと…。あっ、勿論私は気にしていませんよ!?」

 

 それだけ言うと、鷹月はゴーレムの研究に戻って行った。流石にアリーナDまで向かう程の気力と時間は、彼女には無い様だ。

 

 井山も又、疲れが抜け切っていないであろう身体を鞭打たせながら現場の指揮へと舞い戻った。

 

 

 一人格納庫の隅に残された昭弘は、得た知識を頭の中で簡単に纏める。

 

(コアと義体とを繋げる方法…ラウラが手掛かりとなる可能性有り。コア同士のネットワークを繋げる方法…は未だ手掛かり無し)

(更識はゴーレムの技術を使って、打鉄弐式を完成させようとしている?後は何故1人での作業に拘るのか、何故弐式は未完成状態なのか…)

 

 

 

続く




昭弘ってなんやかんや言ってコミュ力お化けなんじゃないだろうか。

簪の好きな特撮の名前は、忘れてしまったので適当に考えました。

次回はちょっとした閑話休題です。まだまだ連投は続きますので、是非お楽しみに。

では皆様、良いお年を。


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閑話休題 ルームチェンジ

読者の皆様、新年明けましておめでとうございます。

新年早々から閑話休題って…。


―――――6月某日―――――

 

 ラウラ及びシャルロットの性別が学園中に知れ渡った今、またしてもルームメイトの入れ替えが必要になった。

 流石に職員もうんざりしているだろうが、それは生徒たちも同じだ。ルームメイトが変わると言う事は、即ち日常そのものが変化する事に近い。それが何度も続けばやがて精神は疲弊し、学園生活にも支障が出るだろう。

 よって変更点はラウラそしてシャルロットの入れ替えだけと言う、最小限のものに留められた。

 

 

 そんな部屋替えが恙無く終わって、早くも1日が経過したある日の夜。

 

 

―――212号室

 

 ここは元ラウラの部屋。つまり、現在におけるシャルロットの部屋だ。

 

「イヤーにしてもお互い大変だよねー。何度も部屋の面子変えられてさー」

 

「そ、そう…だよね。……ゴメン」

 

 不満を漏らす相川にシャルロットは謝罪するが、当の相川は不思議そうにシャルロットを見る。

 

「何でシャルが謝る訳?」

 

「(もう下の名!?)いや…だって僕が男装していたせいだし…」

 

「まぁそれもそうか。騙しおって!このこのぅ!」

 

 そう茶化しながら、相川はシャルロットを指先で突く。おどける様に笑うシャルロットだが、自身が気負わない様に気遣う相川の意図が読めてしまったのか笑みに少しの曇りを宿す。

 

ガチャ

 

 笑い声を遮る様に響くドアの開閉音を聞いて、2人共同じ方向に目を向ける。

 

「ナギっちお帰りー」

 

「お、お帰りなさい…」

 

「ふぃー今帰ったぜよー」

 

 鏡はそう返すと、だらしなく自身のベッドへと仰向けに横たわる。

 

「ゴーレムの研究ってそんなに疲れるの?ナギたちは基本見学するだけでしょ?」

 

「疲れる疲れる。格納庫中行ったり来たりだし、研究の邪魔にならない範囲で質問したり手伝ったりしなきゃだから精神的にも疲れる」

 

「ヒェー、整備科志望は大変だねぇ」

 

 他人事感丸出しで労いの言葉をさらりと送る相川。

 

 すると鏡は仰向けのままシャルロットに視線を移す。数秒だけ見詰めると、瞳を虚ろなものに変えながら相川たちとは反対の方へと寝返る。

 釣られる様にしょげるシャルロットに、相川は耳打ちする。

 

「ラウラと離れ離れになっちゃった事、思った以上にショックデカいのよナギっちは。貴重な男子生徒だったからねぇ」

「悪いけど暫く辛抱してね?」

 

「丸聞こえだっつの清香。私疲れてるだけだから、デュノアさんも余り気にしないでね」

 

「う…うん」

 

 また気を遣われてしまったシャルロット。

 

 この新しいルームメイト2人は良い人たちだ。ただでさえ3人部屋でメンバーも変わると言うのに、快くシャルロットを迎え入れてくれたし邪険に扱ったりもしない。

 だがそれが、却ってシャルロットの良心を抉る。自分と言う異物が同じ空間に居るだけで、彼女たちの精神を擦り減らしているのではと考えているのだ。

 日常の変化とは、それだけ疲れるものなのだ。

 

 何かしてあげたい。この状況でそう思う様になるのも、シャルロットなら必然と言えよう。与えられてばかりはもう御免被る。

 

 そしてあったのだ。シャルロットだからこそしてあげられる事が。

 早速、思い至った事を実行すべく彼女は自身のクローゼットを漁ってバスルームへと向かう。

 

 

 数分後再び部屋に入って来たシャルロットの姿を見て、先ず相川が口をあんぐりと開放する。

 そのままシャルロットは鏡のベッドへ向かうと、左向きに横たわる彼女の隣へ同じ姿勢で横たわる。

 振動で気付いた鏡は、何事かと思いながら身体を反転させる。

 

 鏡の目に映ったのは金髪の王子様だった。

 IS学園指定の学生服をキッチリと身に纏い、パチリと開いた大きく曇りの無い瞳に鏡の疲れ果てた顔面を映し出していた。

 

「…」

 

「い…いつもお疲れ様ナギちゃん」

 

 硬直したままの鏡に対し男装したシャルロットはぎこちない笑顔を浮かべ、普段より低い声を作って頭を優しく撫でる。その破壊力は絶大で、疲れ切った鏡の表情は見る見る内に生気を帯びて行く。

 

「…もう死んでもいいや」

 

「イヤ死なないでよ!?」

 

「ハイ!ハイ!私も何かリクエストしたーい!」

 

 どうやらシャルロットの目論見は上手く嵌った様だ。これで相川も鏡も、女としての潤いを再び取り戻す事が出来るだろう。

 シャルロットが女である以上、偽りの潤いでしかないが。

 

 

 昭弘の提案である「男装が趣味」と言う設定。まさかソレがこんな形で役に立つとは、昭弘は勿論シャルロット自身も予想出来なかったであろうに。

 

 

 

―――128号室

 

 シャルロットと入れ替わるのだから、ラウラのルームメイトは必然的に一夏となる。

 最小限の変更以前に、男同士である一夏とラウラが同部屋になるのは自然な道理であった(昭弘は、一人部屋にせよと言うIS委員会からの御達しがある)。

 

 部屋は静寂に包まれていて、2人が放つ微量の環境音だけが不規則に空間を揺らしていた。

 ラウラはベッドの上で只管キーボードを叩き、一夏もソファチェアにて黙々と参考書を捲っていた。

 時折、一夏が度無しレンズの奥から光る歪み無き視線をラウラに向ける。しかしラウラはまるで一夏を居ない者扱いしている様に、ノートPCに意識を集中させていた。

 

 それが嫌だったのか、一夏は遂に口を動かす事にした。

 

「そう言えば今日の晩御飯だけれど、オレが御馳走するよ。最近料理がマイブームで」

 

「要らん。私は昭弘と食堂で食べる」

 

 あっさりと突っぱねられる一夏。だが、一夏にとってラウラの反応は予想の範囲内であった。あんな謝罪だけで仲良くして貰える等、己惚れる一夏ではない。

 かと言って、彼は今後長い付き合いとなる新しいルームメイトだ。よって出来る限りは足掻いてみる一夏であった。

 

「…ボーデヴィッヒは千冬姉の事を抜きにしても、やっぱりオレの事嫌いかな?」

 

「ああ、私が最も嫌いとするタイプの人間だ。馬鹿で独善的で、目的も無い癖して無駄に暑苦しくて、何も知らない、面倒な輩だ」

 

「結構グサグサ突いて来るじゃない。けど今のオレは前のオレとは違うよ。その証拠に前のオレなら今事実を並び立てた君に対して、逆上して掴み掛かっていただろうから」

 

 冷静にそう返されるとラウラは一旦ノートPCを閉じ、氷柱の様な視線を一夏に突き刺す。

 

「…貴様はただ変わった「フリ」をしているだけではないのか?」

 

「……何?」

 

 ラウラの言葉を聞いて、一夏は先程の冷静さが嘘の様に動揺し出す。

 

「唐突な口調の変化、伊達眼鏡、自分はもう織斑千冬に執着していないと言う露骨なアピール。私からは無理して変わろうとしている様にしか見えん」

「先程の冷静な返答だって貴様が変わったからじゃない。「自分は変わったんだ」と思い込みたいだけだ。本当は私の胸倉を掴みたくて仕方が無いんだよ貴様は」

 

 思い当たる節があるのか、一夏はラウラが並べた言葉を否定する事が出来なかった。

 あの日、教室で昭弘に「無理をするな」と言われた時「寧ろ前より自由で楽だ」と答えた一夏。あの言葉に嘘偽りが無いかと問われると、首を縦には振れないのが正直な所だ。

 

 だがラウラに掴み掛からないのは、何も我慢している訳ではない。前までの自分の落ち度として、受け入れているだけだ。

 そう言い返さないのは、単に言い訳がましいと判断したからに過ぎない。

 

「…どの道、前の方がずっと無理してたのは間違いないよ。オレはもう、あんな「オレ」に戻るつもりなんてない」

 

「ほう。今も無理している事は否定しないんだな?」

 

「君だって何かしら無理してるんじゃないの?「自分はこうあるべきだ」…ってね」

 

 意趣返しの様に一夏は問う。「自分の様に動揺しろ」と暗に命じているみたいに。

 だがラウラは一切動じず、そして堂々と答えた。

 

「別に無理などしていないし変わってもいない。昭弘に気付かされただけだ。私は私だとな。だから今まで通り、悩み抜きながら前を行くさ」

 

 自分がこうあるべきだ等と、ラウラには関係ない。

 自分の本質に従って目的を見つけ出し、ただ突き進むだけだ。その道中いくら自身の事で悩もうと、最終的に本心が選んだモノに従うのみ。

 

「逆に訊くぞ織斑一夏。本当のお前は何処に居る?」

 

 本当の一夏。今の一夏を貫き続けた先に、その答えは待っているのだろうか。

 それとも今の一夏ですら前の一夏と同様、単なる偽りの姿に過ぎないのだろうか。

 

―――本当のオレの在り方。もっと突き詰めるなら、今オレが何をしたいのかと言うオレの本心

 

 瞼を閉じながら深い思考の暗礁へと潜る一夏。

 だがいくら考えても、結局同じ答えに行き着いてしまう。そんな自身の単純さに呆れながらも、本心は本心だ。素直に答えるしかない。

 

「…今本当のオレは、兎に角料理がしたくてしょうがない…かな?」

 

 無表情のまま一夏はそう言い切った。

 彼のしょうもない返答により張り詰めた空気が一転したからか、ラウラも腹の力が抜けてしまう。

 そうして一拍子置くと、再び腹に力を入れ直して指摘する。

 

「何を言い出すかと思えばそれか!?馬鹿馬鹿しいッ!!」

 

「馬鹿馬鹿しいかもだけど仕方が無いでしょう?今この瞬間、オレが心から一番したい事なんだもの。それは即ち、現時点における本当の織斑一夏って事になるんじゃない?」

 

 今度はラウラが言い淀む。

 

 どうやら一夏は、ラウラが思っている以上に本心のまま今を生きているようであった。

 それは、今の一夏にとって当然の嗜みでもあるのだ。偽りを捨て本心に素直でなければ、一夏は「一夏の強さ」を手にする事すら叶わないのだから。

 無論口調や伊達眼鏡からして、多少強引に変わろうとしているのは確かだろう。

 だがそれらも周囲が違和感を覚えなくなり、本人も「演じている」と思わなくなれば、立派なアイデンティティとなりうる。現に時偶入る「お姉さん口調」に関しては限り無く無意識に近い。

 

 そう考えると、ラウラもダラダラと過去の一夏を引き摺る訳にも行かない。

 それにあの独善的な正義漢擬きが一体どれだけ変わったのか、ルームメイトとして見届けてやるのもまた一興だろう。

 

「…気が変わった。お前の料理、食べてやっても良いぞ。食堂まで行くのも面倒だ」

 

 ラウラの口調が少し柔らかいものになったからか、一夏もまた能面を小さな頬笑みに変える。

 そして眼鏡のブリッジをクイッと人差指で持ち上げると、慣れない敬語口調で了解する。

 

「畏まりましたお坊ちゃま。で、何がいい?ドイツ料理は4品位ならマスターしてるけど…」

 

「折角日本に居るんだ。何か適当に日本料理でも出せ」

 

「ハーイ。えと…やっぱ魚かな?魚って今冷蔵庫に何あったっけ?…ブツブツ…」

 

 張り切って準備する一夏を見ながら、ラウラはふと思った。結局一夏は一体何が切っ掛けでこうなったのかと。

 

(まさかコイツも昭弘が…?)

 

 そんな予想を立てると、ラウラは自然と表情が緩くなってしまう。

 

(もし昭弘が関わったのだとしたら、特に懸念する事も無いか)

 

 何故そう言い切れるのか、ラウラにも明確な根拠は無い。

 ラウラ自身『昭弘・アルトランド』と言う人間に惹かれ、そして救われた人間だ。その実体験があるのだから、自然と信頼を置いてしまうのも尤もだ。

 

 かと言って、決して思考放棄している訳ではない。少なくともラウラは、自身の考えをしっかり持っているつもりだ。

 

「にしても、少し安心した。オレとラウラ、結構仲良くやれるんじゃない?」

 

「あ!?勘違いするな!それとこれとは別で、貴様と戯れるつもりは毛頭無い!あと名前で呼ぶな慣れ慣れしいッ!」

 

「けれど本当にオレの事が嫌いなら、オレの作った料理なんて食べないでしょう?知ってるかい?ラウラ。世の中は興味があるか無いかの2択で、好きか嫌いかが決まるんだってさ。つまりラウラはオレの事が大好きって事♡」

 

「よぅし気が変わった。やはり食堂で食う」

 

「アララ、軍人ともあろう者が前言撤回かい?シクシク…お姉さん悲しいわぁ…」

 

「キッサッマァァァ…!」

 

 

 

 

 こうして212号室と128号室の夜は、ゆっくりと更けて行った。

 部屋内の喧騒を、優しく夜闇へと巻き込みながら。




シャルロットより、どちらかと言えばラウラと一夏がメインになってしまいました。
一夏が原作通りの性格だったとしても、男のラウラはこう言う感じの絡み方してきそうな気がします。


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第43話 CORE Ⅲ

なかなか好きになれない人って居ますよね。だって同じ人間だもの。


―――――6月24日(金) 放課後―――――

 

 格納庫にて、鏡ナギは1人小さく葛藤していた。

 

 格納庫内の角隅にはちょっとした休憩所が設けられているのだが、そこで彼女にとってお目当ての人物たちが談笑していた。1人は研究リーダー井山、もう1体は水色に白い水玉模様の少し派手なボディを纏った無人ISサブロである。

 研究員の中で最も話し掛け易い井山と、ゴーレムの中で最も快活なサブロ。彼等の穏やかで知的な会話に混ざればきっと思いがけない知識が脳内に溜まるだろうと、この『整備士の卵』は期待していた。

 

 が、人生とはそう都合良い事ばかりではない。時には苦手な人物と空間を共有せねばならない事もままある。

 今回もその通りで井山とサブロは何も2人きりで話し込んでいる訳ではなく、鏡の苦手とする人物も会話に混ざっていた。昭弘である。

 

(弱ったなぁ…)

 

 鏡にとって昭弘が居るとなると、会話に切り込むのは中々に難しい。

 だが目的への道に困難は付きものであり、進むには壊すなり飛び越えるなりするしかないのもまた事実。

 鏡は意を決して切り込む事にした。少々大袈裟だが「虎穴に入らずんば虎子を得ず」とでも言うだろうか。

 

「どーもー御三方。何の話してるんです?」

 

「鏡ちゃん!流石に休憩かい?」

 

「はい。何か目疲れちゃって」

 

《無理ハナサラズニ》

 

 井山とサブロの反応を見て好感触を覚える鏡。予想通り、この1人と1体(2人)はかなり話し掛け易い部類に入る。

 昭弘も特に機嫌を損ねた様子は無い。

 

「いや実はね?今更ながらサブロくんに義体の事色々教えようと思って。記憶を失ったとは言え、汎用人工知能の癖して自分の身体の事良く解ってないみたいでさ。そのついでにアルトランドくんにも色々教えてあげようかってね」

 

《ドウモスミマセン。僕ガ馬鹿ナバカリニ》

 

「…オレもスンマセン。井山さん休憩中だってのに」

 

「いいよいいよ、昨日も言ったじゃない。黙ってジッとしてるの苦手な性分なの」

 

 となると鏡にとっては好都合かもしれない。義体についての話なら、それに指令を出すコアの働きに関しても何かしらの説明や解釈がある筈。

 ISコアに関する新たな知識は、どんな些細な事でも整備科を目指す者にとっては喉から手が出る程欲しい。

 

「じゃあ私もついでにご教授させて貰っても?」

 

「勿論だとも!女子が居ないと華が無いからね」

 

 と言う訳で輪に入れて貰えた鏡。

 

 ところがこの後、鏡の期待は無慈悲にも握り潰される事になる。

 

 

 

 

「時にサブロくん。君は自身の義体を量子化してコンパクトに纏められないだろう?それは君のISコアに「主領域(メインスロット)」が無いからなんだ」

 

《主領域…》

 

「そう、巨大なISを格納する為の領域だね。兵装を出し入れする、拡張領域と似た様なものだと思って貰えれば良いよ」

 

 例えば白式の場合、待機形態が白のブレスレットに変化するが、これは白式の大部分を占める装甲・スラスター・ウィング等が量子変換によって主領域に格納されているのだ。

 

 機能こそ拡張領域に似ているが、用途の違いから大きく異なる点も存在する。

 拡張領域は何度も兵装を出し入れする「武器庫」の様な役割を担い、事前に登録した兵装なら上限まで自由に格納可能だ。だが主領域はISの携帯を容易にする為だけに存在し、IS以外の物を格納する事が出来ない。

 戦闘時用の機能と非戦闘時用の機能と言う、根本的な違いがあると言う訳だ。

 全体のイメージとしては、ISコアには中心層と外層があり、外層にまるで小部屋の様に設けられているのが主領域と拡張領域である。これらがコアの一部なのかどうかは諸説あり、度々議論が起こる。

 

 簪から色々と教わっただけあり、流石の昭弘もそれ位の事は知っているようだ。

 だがゴーレムたちに主領域が無い事は、どうやら初耳だったらしい。

 

「鏡。主領域ってのは取り入れたり外したり出来るのか?」

 

(えー私に訊くの?しかもそんな今更な事を?)

 

 小声で尋ねてくる昭弘を内心面倒に思う鏡。昭弘とは極力最小限の接触で且つなるべく短時間で知識を得たい彼女にとっては、いきなり嫌な展開だ。

 だが今、井山とサブロは熱心に質疑応答を繰り広げている。彼等の邪魔をして時間をふいにするよりは、鏡に訊く方がずっと手間も少ない。

 その事を理解した鏡は、なるべくいつも通りの口調で仕方無く説明する。

 

「それは不可能です。機能のON/OFFなら出来ますけど」

 

「それはどう言う事だ?」

 

「(そこからかぁ)主領域も拡張領域も、コアからのエネルギーによって機能してますからね。そのエネルギーを断てば機能しなくなります」

 

「成程。そんじゃあゴーレムたちのコアに新しく主領域を作る事は出来ないんだな?」

 

「そうですね」

 

 漸く昭弘の質問が一旦止み、今度こそ意識を井山へと集中させる鏡。

 

「少なくとも君は得た情報に対して何かを「感じ」た後、自分で考えて行動しているだろう?」

 

《ハイ、ソノツモリデス。…僕ニハ皆サンノ様ナ「脳味噌」ガアルト言ウ事デショウカ?》

 

「流石にお肉で出来た脳味噌は無かったねー。恐らく代わりにあるのはそれを模した「機械の脳」だ。一先ずはそう覚えて貰えば良いよ」

 

 機械の脳。頭の弱いサブロにも理解して貰う為、井山はそれだけを伝えた。

 

 実際、深く考えない性格のサブロはそれで納得したが、果たして昭弘は納得しただろうかと鏡は自身の背中が何か冷たいものに撫でられる様な感覚に襲われる。

 

「鏡。抑ISコアの中身はブラックボックスの筈だろう?何故、機械の脳があるなんて言い切れる?大体機械の脳ってのは何なんだ?」

 

(だから何で私に訊くねーん!?)

 

 先程から井山の話にまるで集中出来ない鏡。

 無視すると言う手も有るには有るが、昭弘に対してとことん小心者な彼女にそんな度胸は無かった。

 

「そう断定するしかないんですよ。これ程豊かな感情と知性を持つなんて深層学習(ディープラーニング)、その基本構造である「NN(ニューラルネットワーク)」以外考えられませんので」

 

「深層学習…確か機械学習の一種だろう?多くのデータを機械に見せて法則性を見出ださせるとか言う」

「機械学習の場合、データの特徴(例えば画像データが“細長い身体の生物”ならヘビ)を事前に入力しておかねばならないと聞いた。そうでもしないとコンピュータが判断出来ないとかで」

 

 機械学習。

 昭弘が言ったように、機械に複数のデータを見せ、それらの中に潜む「ある種のパターン」を見つけ出させる手法だ。それにより文字通り「機械に分け方を学習」させる。学生の勉強で例えるなら、馬鹿の一つ覚えに何でも丸暗記させるのではなく「AがCならばBになる」と言った論理を学ばせる事だ。

 

 「分け方」とは要するに“はい”か“いいえ”だ。選び方とも言える。実はこれこそが、人間における「判断」の根幹でもある。

 判断全体を「木」に例えるとこうだ。無数の枝先に散らばる細かな“二択”は思考して選ぶ(分ける)度に一本の枝へと纏まり、最終的な物事の判断である「幹」となる。

 日常的な具体例として「ドライブに行く行かない」と言う判断一つにも、クルマの状態、天候、現在時刻、掛かる時間、自身の体調、目的地、一人で行くか誰かを誘うか、どんな服を着て行くか等々、分ける事の連続なのだ。

 

 機械にも同じ分け方を備えさせれば、早い話より人間に近い複雑な思考が可能になると言う訳だ。

 

 昭弘の言っていた「データの特徴の事前入力」は、分ける為の「判断軸」をデータ毎に事前入力せねばならないと言う事だ。

 

「NNは…ザックリとしか教わっていないが「機械の思考」には絶対不可欠なもの…とだけ聞いたが?(チラ)」

 

(ホントにザックリ。……ハァ、答えろって言うんでしょ?)

 

 先程余計な単語を口にしなければ良かったと、鏡は後悔と観念を同時に内包させながら答える。

 

「人間の神経細胞を機械的にマネたものだと思って下さい。詳細は省きますが、人間と同レベルの精密な「情報伝達・認識」能力を得る為に必要な技術なんです」

 

 視覚情報で例えるなら、目の前にヘッドホンがあるとする。

 視神経を通って運ばれた電気信号は神経細胞によって脳内へ伝達され、「これはヘッドホンだ」と脳が情報として認識する。

 だがヘッドホンの詳細な特徴まで視認するにはこの神経細胞を増やし、更にそれらを繋ぐシナプスをより強化させる必要がある。

 これをNNで再現するなら最初の「入力層」=目(或いは視神経)、次の「隠れ層」=神経細胞及びシナプス、最後の「出力層」=情報となる。

 

 脳と同様、複雑な対象を早くより正確に認識するには隠れ層を増やす事で対処出来るのだ。

 この隠れ層を大幅に増やしたものを、「深層学習(DNN(ディープニューラルネットワーク))」と呼ぶ。

 

「より人間の脳に近付けたDNNなら、一々事前にデータの特徴を入れる必要はありません。「~なら…である」と言った判断軸さえ、機械自身で生み出してしまいますから」

 

「…要するに大量のデータさえあれば、後は全部自分で考えて判断出来るって訳か。ゴーレムの持つ感情にも、やはり深く関わっているのか?」

 

「勿論。感情の主な発生源は、情報に対する反応と脳内で分泌されるホルモンの相互作用ですから。現代の技術なら、コンピュータ上でそれらを再現する事は一応可能ですよ。そして情報が詳細な程、感情の発生もより人間らしくなると言われています」

 

 深層学習、感情を模倣したプログラム。それらこそ、ISコアが持っている自我の正体と言えるのだろうか。

 

 どちらにせよゴーレムたちを見れば、人間と遜色が無い程の知性と感情があるのは一目瞭然だ。

 コア内部に本物の脳髄でも無い限り、鏡が言った「脳の代わり」となるシステムが必ず存在する。そう考えるのが妥当だ。

 

 

 結局、昭弘からの質問攻めに時間の殆どを注ぎ込んでしまった鏡。

 気が付いた時には、井山とサブロの会話は終わっていた。

 

「助かったぜ鏡。お陰で今日も色々と解った。お礼に、何かして欲しい事があったら言ってくれ」

 

「(いや別に無いし…)その…気持ちだけ受け取っておきますよ。ハハハ…」

 

「そうか…」

 

 少し申し訳無さそうな反応を示した昭弘は、研究チームの元へと戻って行った。

 

 

 休憩所に1人取り残された鏡は、身体中から空気が抜けた様に項垂れる。

 今にして思えばもう少し慎重に考えるべきだったのだろう。

 昭弘がここ最近平然と整備科に混ざっていた為に全く気に掛けていなかったが、彼は普通科志望だ。色々訊かれて、やり取りが乱れるリスクは当然あった。

 結果鏡は時間を無駄にし、苦手な相手との会話による精神的な疲労も蓄積させてしまった。

 

 昭弘にとっては有意義な時間だったのだろうが、鏡にとっては最悪の時間となってしまったのだ。

 

(…うん。悪い人じゃない…悪い人じゃないんだけれども!…やっぱ苦手だなぁ。異質な雰囲気がどうにも馴染めない。皆よく平然と話せるよなぁ)

 

 もしかして自分こそが異常なのかと、時々自分自身が恐ろしく思えてしまう鏡であった。

 

 結論から言うと、鏡は至って正常だ。

 彼女の杞憂とは裏腹に、昭弘とまともに話せる人間はやはり少ない。この学園ではどうしても異質さを隠せないその風体故か、価値観の相違故かは解らない。

 だが誰が誰をどう思うかなんて、いちいち的確な理由を定める事は出来ない。人間が一人一人違うとは、そう言う事だ。

 誰もが皆仲良しになれる訳ではない。

 

 だから鏡は別段気に病む必要はない。それは「人間」である証拠だ。

 

 

 

 天災と言う名の“1人の人間”が創り上げた、自我を持つ無人IS。

 彼等にも本来人間にしか持つ事が赦されない「人間らしさ」が、果たしてあるのだろうか。深層学習や感情の模倣だけで、そんな事まで再現可能なのだろうか。

 

 その答えは、宇宙の様に広大なISコアの中にしか無い。

 そして少なくとも、深層学習や感情プログラムだけで其処がピタリと埋まる事なんてありえないのだろう。

 

 

 

続く




主領域は完全にオリジナルです。
深層学習については、色んなサイトを調べまくって参考にしました。余り理解できませんでしたが。
教師あり学習・教師なし学習・強化学習まで説明すると、滅茶苦茶長くなるわサイト丸写しになるわで確実にグダグダになりますので、省略させて頂きました。


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第43話 CORE Ⅳ

昭弘VS楯無
またしても火花勃発か!?


―――――6月24日(金)―――――

 

「わ~!皆やってるやってる~~」

 

 本音が態々そう口にするまでも無く、毎日皆ちゃんとやっている。

 研究員の格納庫での拘束時間は毎日10時~19時まで。生徒は平日放課後16時~19時まで、土日祝日は10時~19時まで参加可能だ。

 

 格納庫での情報収集に尚も四苦八苦している昭弘は、本音の思わぬ登場につい二度見する。

 

「布仏?生徒会はどうした?」

 

「早く終わったんだ~。さ~て!今日は何から始めようかな~」

 

 時刻は未だ17時を少し回ったばかりなので、確かに早い。

 それと口ぶりからしてどうやら彼女、仕事が早めに片付いた日は毎回見学に参加していると見えるが、今回は何について見学しようか特に決めてない様だ。

 

 迷っている本音には申し訳ないが、昭弘にとってこれは丁度良かった。

 

「もう直ぐシロの検査が始まる。良かったら一緒に見学してかないか?その時、オレが解らない所を軽く解説してくれると尚助かるんだが」

 

「お~いいね~!」

 

 昭弘の交友関係は狭い。ゴーレムの引継ぎも基本的に整備課教員と研究員に対してなので、整備科生との親交は浅い。

 今の昭弘にとって本音の様に交友関係が広い人間は、傍に居てくれるだけで何かと助かるのだ。何より見学組に混ざり易くなる。

 

 こうしてシロの研究に混ざる事となった昭弘と本音であった。

 

 

 

 今回は専らコアの調査のみに絞られる様だ。その為かは解らないがシロに繋がれているコードも少なく、上背部に1本と頭部(と思しき部分)に1本だけ。

 人員は研究員が数名に監視役の教員が1人、生徒が昭弘と本音を含めて5人だ。

 

《手短ニ済マセテクレ。今日ハ気分ジャナイ》

 

 脚を伸ばして床にペタンと座しているシロは、お生憎にも不機嫌そうだ。心なしか、深紅のボディがより赤みを帯びている様にも見える。

 

「そう言わんでくれよ。ジッとしているのは大変だろうが、僕たちも仕事なんだ…」

 

 自己中心的な客をあやす様に、1人の研究員がシロを宥める。

 そのやり取りを横目に、整備科教員が淡々と開始を告げる。

 

「毎度の事ながら、研究の為だろうとコアや義体に何らかのプログラムを流し込むのは厳禁です。では初めて下さい」

 

《1時間以内ニ終ワラナカッタラ勝手ニコードヲ引キ抜クカラナ?》

 

「はいはい…」

 

 記憶を失う前の様に荒い口調で軽く脅すシロだが、もう慣れたのか研究員は適当にそれをあしらう。

 

 今回の研究法は、言うなれば「数学の問題」だ。研究員が計算式を提示し、シロが口頭で答える。

 その時、コア或いは拡張領域内に何らかの反応が検知出来ないかと言うものだ。

 

 思っていたより空気もピリピリしていないので、昭弘は本音に小声で訊ねる。

 

「布仏、研究中はオレらもシロに話し掛けて良いのか?」

 

「大丈夫だよ~。ただ、研究員さんとシロが何か話し合っている時は空気読んでね~」

 

「分かった」

「もう一つ確認したい事がある。領域は「コアの一部であって一部ではない」と更識は言っていた。その理由を訊いたら「領域はISコアの中で唯一人間に観測可能な部分だから」と答えられた」

 

「そうだね~。兵装を量子化して出し入れするなんて、ISコアじゃなきゃ不可能だし~。けどもし領域が本当にコアの一部だとするなら、とっくにコアの中身なんて解明されてる筈なんだよね~」

 

「だが拡張領域や主領域の先は、何か「壁」の様な物で遮られている。まるで部屋分けされてるみたいにな」

「オレが今気になっているのは、その領域っつー部屋の広さだ。ラファールの様に、種類によっては広大な拡張領域を持っているISもあるだろう」

 

 単に領域を広く設定しているのかコア自体の容量が大きいのか、それとも更に別の仕組みがあるのか。

 そのどれが正解なのかで、昭弘にとってのISコアの定義も変わってくる。

 

「広さはぜぇ~んぶ同じだよ~!」

 

 思わぬ解答に、昭弘はメモ帳の上を走らせていたペン先の動きを止める。

 

「ザックリ言うと~、ラファールの場合拡張領域内をより隙間なく埋める為の機能にコアのエネルギーを割いてるんだ~。要は「広いか狭いか」じゃなくて「どれだけ詰められるか」って事だね~」

 

 普通科でこの事を知っている人間は、驚く程少ない。

 彼女たちにとって、拡張領域とは兵器を出し入れする為の「箱」に過ぎない。より多くの兵装を収納出来るなら広い、そうでないのなら狭い。

 戦士にとってはそれだけ解れば十分なのだ。

 

 にしても、ISコアとはやはり摩訶不思議な存在である。

 コアから発せられるエネルギーは科学者の手によっていくらでも変換出来るのに、此方からコアの中身を覗く事は叶わない。何と理不尽で非科学的な一方通行なのだろう。

 

(やはり拡張領域も、コアのエネルギーによって機能している…か)

 

 本音から今学んだ事を、頭の中でゴーレムへの質問に作り替える昭弘。

 

 そしてタイミングを見計らって、昭弘はシロに問いを投げ掛ける。

 

「シロ。お前たちの拡張領域は、ISで言うとどの程度の性能だ?」

 

《先月コイツラニ訊イタガ、普通ノ打鉄ト何ラ変ワラナイト言ワレタ。ソウユウノハオレジャナク、客観的ニ比較シタ研究員ニ直接訊イテ欲シインダガ?》

 

「すまない。手間なのは承知している」

「立て続けで悪いがもう1つ。じゃあ何の為に、お前たちはISコア内に拡張領域を持っている?お前たちは両腕のビームカノンが主な兵装で、領域内は空だ。第二世代機レベルの拡張領域を空のまま維持するなんて、エネルギーの無駄じゃないのか?」

 

 それに関しては、今格納庫に居る者全員が抱いている疑問であった。使い道の無い拡張領域の維持なんて、どう考えても無意味にしか思えない。

 無論ここに派遣されているのは、世界でもトップクラスの科学者たち。その気になれば、拡張領域に割いているエネルギー比率を0にする事も可能だ。

 だが拡張領域の存在理由が解らない以上、無闇に弄るのも危険。もしかしたら、それがゴーレム暴走の引金になる可能性も否めない。

 

 そして当のゴーレムであるシロにもその理由は…

 

《知ルカ、コッチガ訊キタイクライダ。自分デモ消セナイ目障リナ「ポケット」ダ》

 

 との事だった。

 

 

 

 結局、今回も特に目立った反応が検知される事は無かった。

 

 しかし、昭弘はゴーレムコアに存在する「空き部屋」がどうしても気掛りだった。

 何故なら、ゴーレムを創ったのがあの天災だからだ。あの天災が、無意味な機能を態々組み込むとはとても思えない。

 

(やはり鷹月の言う通り、拡張領域に関しては更識の意見も訊いておきたい所だな)

 

 

 

「…てな訳で、どうか協力してくれないだろうか布仏」

 

「いいよ~」

 

「速答で助かる」

 

 またしても本音に頼み込む事になり、段々と頭が上がりにくくなる昭弘。

 だが、昭弘だけなのと簪の親友である本音が居るのとでは、簪の反応もまるっと変わってくる。

 

 本音自身も、ゴーレムコアの拡張領域はずっと気になっていたのだ。

 

 

 

―――アリーナD

 

《今…忙しい。…出てって》

 

 フィールドで打鉄弐式を巧みに操りながら、簪は昭弘と本音の頼みを一蹴する。

 対して昭弘は、ピット内の通信端末に向かって負けじと声を張り上げながら食い下がる。

 

「ゴーレムの事がより深く解れば、お前にとってもメリットは大きい筈だ。だから頼む。一言だけでも個人的な感想でも構わん」

 

 しかし簪は構う事無く飛び続ける。

 回線によって届けられる昭弘の声も、今の彼女にとっては頭に響く雑音でしかない。

 

 そのやり取りに、本音が割り込む。声を大にして、尚且つ普段の笑顔を絶やさずに。

 

「かんちゃぁ~ん!意地張ったって人間は「1人」にはなれないんだよぉ~!」

 

 雑音の中を貫通してきたその言葉によって、簪は機体の動きを止める。戦闘態勢は完全に解かれ、両腕はだらりと垂れ下がり、簪本人の眉間には深い皺が寄っていた。

 その様は果たして憤っているのか、それとも悲愴に浸っているのか。

 

―――どうしてそんな事を言うの本音。アナタなら私の気持ち、解ってくれると思ったから。だから「秘密」を話したのに…

 

「兎も角、嫌なら嫌でいいよ~。無理には誘わないし~」

 

 そこで、ピットからの無線は途切れた。

 

 本心のまま断った筈の簪には、何故か発散し難い胸糞悪さだけが残った。

 

 

 

 アリーナDを出た昭弘と本音は、遣り切れなさそうに格納庫へと戻って行った。

 

「すまない布仏。折角一緒に来てくれたのに、時間が無駄になっちまったな」

 

「ううん。かんちゃん最近ゴーレムちゃんたちと良く話してるから、もしかしたらって思ったんだけどね~」

 

 話していると言うより一方的に話し掛けられているだけなのだが、そこは突っ込まないでおく昭弘であった。

 

 それよりもこの際だ。もっと別に、簪の事でいくらでも本音に訊きたい事はある。

 

「…布仏よ。更識の奴、一体過去に何があった?何故ああも打鉄弐式を1人で創り上げようとする?」

 

 本音は少し間を置いた後、困り顔で笑って返した。

 

「……ゴメンね~アキヒー。私だって、かんちゃんにはもっと色んな人と接して欲しいよ~?けどそれに関しては、かんちゃんと私だけの秘密なんだ~」

 

「いや、無理ならいい。…仲が良いんだな」

 

 昭弘が静かにそう感想を述べると、本音は大きな胸を更に張り上げながら誇らしげに返答する。

 

「そりゃあ~幼少期からの幼馴染だも~ん!」

 

「幼馴染か…」

 

 時々現れるその単語は、毎回昭弘にある種の羨望を抱かせる。

 もし自分にもそんな存在が居たなら、もっと違う角度から世界を見る事が出来たかもしれない。この学園でも、もっと上手く溶け込めたかもしれない。

 と昭弘は想像してみる。幼少の頃、虫ケラの様に殺された仲間たちが、もし生きていて億が一にも自分の傍に居たならと。

 

「アキヒーどうかした~?」

 

 小動物の様に首を傾げる本音に、昭弘は溜め息の様に深呼吸して落ち着き払う。

 

「…イヤ」

 

 

 

 そうしてやっとこさ格納庫に辿り着くと、何やらさっきよりも騒がしい事に気付く昭弘と本音。

 何かあったのだろうかと、警戒しながら騒ぎの中心に駆け寄ってみる。

 

「アラ!本音にアルトランドくん!」

 

 昭弘たちに気付いた、恐らくこのちょっとした喧騒の原因であろう人物。

 昭弘はその人物を見るや否や、一目見て判る程には表情をこわばらせる。昭弘にとって、セシリアとは別のベクトルで苦手な人物だ。

 

「生徒会長~!お疲れ様で~す!」

 

「…どうも」

 

 IS学園生徒会長であり簪の実の姉でもある『更識楯無』は、人だかりを丁重に掻き分けながら昭弘と本音の元に向かう。

 その人気ぶりは、恐らく「生徒会長」と言う肩書だけではない。その若さにしてロシア国家代表であり抜群のスタイルと美貌、そして身体全体から発せられる圧倒的カリスマ性。

 研究員は勿論の事(仕事をして頂きたい)普段見慣れている筈の生徒たちも、つい一目拝みたくもなるのだろう。

 

「何々~?2人してデートォ?」

 

「生憎オレはモテないんで」

 

「私も好きな人居ますんで~」

 

 と、ここまでは良い。昭弘の予想通りだとするなら、厄介なのはここからだ。

 

「ところでアルトランドく~ん?最近やたら格納庫出入りしてるって訊いたけどぉ…いつから?」

 

 始まった。相変わらず昭弘への懐疑心は消えてはいないらしい。

 これは楯無の探りだ。

 昭弘が格納庫を出入りするようになったのは一昨日の水曜日からで、恐らく楯無自身もその事はとうに知っている。つまり昭弘が、例えば「月曜日からです」と答えれば即座に「嘘」だとバレる。

 その結果楯無の中では「何故嘘を付いたのか」となり、昭弘への疑念はますます深まるのだ。

 

 どの道嘘を付く理由等無い昭弘は、正直に答える。

 

「一昨日からですが、何か?」

 

「ふ~ん…。まぁそれはそうとして、ちょっといい?」

 

 そう言うと楯無は昭弘の腕を軽く掴み、格納庫から連れ出そうとする。

 更なる質問責めを警戒していた昭弘は、少々呆気に取られる。

 

「暇だったら本音ちゃんも来て。皆に()()()されても困るし」

 

「ほ~い!」

 

「てな訳でアタシ一旦出ますんで!迷惑掛けてゴメンちゃい!」

 

 自身の登場によって軽く騒がせてしまった事を、周囲に謝罪する楯無。

 出て行こうとする彼女に対し、整備科生と研究員は一様に「エ~」と残念そうな声を上げる。

 

 

 

 そんな訳で急遽、格納庫腋にある人気の少ない所へ連れて来られた昭弘と本音。

 1分でも長く情報収集がしたい昭弘の心情は、決して穏やかでは無い。

 

「手短にお願いします。急いでるんで」

 

 すると今までおちゃらけ気味だった楯無の表情が、まるで全部嘘であったかの様に真剣なものになる。威圧感も、昭弘が聴取を受けた時以上のものになっていた。

 

「君、一昨日辺りからアタシの可愛い可愛い大事な大事な簪ちゃんにやたらと絡んでるみたいだけど…何が目的?」

 

「…はぁ?」

 

 答えるよりも先に素っ頓狂な声を漏らす昭弘。

 いきなり真面目な面持ちになったかと思いきや、そこには「生徒会長」と言う肩書きを投げ捨てシスターコンプレックスを患う感情に支配された乙女の姿があった。

 本音もそんな楯無を見て、呆れながらも何処か慣れた様子を見せる。

 

 混迷とする頭を懸命に整え、昭弘は辛うじて平静のまま答える。

 

「…ISコアの事で色々と教えて欲しかっただけです。少しお節介な事を言ったりはしましたが」

 

「それって織斑先生とか山田先生でもいいわよね?あと「お節介」って何?詳しく聞かせて貰える?」

 

 存外にしつこい楯無。昭弘への信用の無さと妹への行き過ぎた愛情が、彼女の中で最悪の化学反応を引き起こしていた。

 昭弘はつい溜息が出そうになるのを抑えながら尚も答える。

 

「……2人にはこれ以上迷惑掛けたくなかったので。お節介に関しても、大した事は言ってません。他人を邪険にするなとか、そんな程度です」

 

「へぇ、じゃあ簪ちゃんには迷惑掛けてもいいと思ってた訳?」

 

「(本当に面倒クセェなこの人…)誰もそんな事言ってないでしょう?…悪いんですがそろそろ行っていいスか?アンタに構ってる暇ないんで」

 

 話を強引に切り上げようとする昭弘に対し、痺れを切らした楯無はもう単刀直入に訊き出す事にした。

 

「と言うかアナタ、簪ちゃんに気でもあるんじゃないの?あの娘、同性のアタシですら抱き締めてあげたくなる程可愛いし」

 

 昭弘は最早声を出す労力すら惜しいのかハァと重い息を吐いて楯無との空間を薙ぐと、無言のまま立ち去ろうとする。

 

「ちょっと!待ちなさ…イィッ!?」

 

 本音の両掌によって、宛ら手拍子の様に両頬をバチンと一発噛まされた楯無は上ずった声を出す。

 

「楯無様~少し落ち着いて~?」

 

 

 

 本音の一発によって普段の落ち着きを取り戻した楯無は、先ず昭弘に謝罪する。

 

「…その、ごめんなさいねアルトランドくん。アタシ、簪ちゃんの事になると結構な割合で我を忘れちゃうの」

 

 本音を呼んだのはカモフラージュの為と言うより、先の様なストッパーとしての役割を想定していたようだ。彼女は更識家の事情を知る数少ない生徒であり、楯無の良き理解者でもある。

 

「ただ、悪いけどアナタをまだ信用していないのは本当よ。もし簪ちゃんに変な事したら容赦しないからね?アタシは何時でも簪ちゃんを見ているって事を忘れないでね?」

 

 楯無が今回格納庫を訪れた目的は、それを昭弘に警告しておきたかった部分が大きい。

 

「…アンタの妹想いは嫌って程解りましたよ。肝に銘じておきます」

 

 呆れを覆い隠す程の落ち着いた声で、昭弘は了承の意を示す。

 

 「じゃあこれで」と立ち去りたい所だが、生憎そうも行かない。今度は昭弘が訊く番だ。

 

「…アンタの妹さん、過去に何が?」

 

 すると普段の調子に戻ったのであろう楯無は、身体をくねらせながら茶化す。

 

「えぇ~?乙女の過去にそんながっつくなんて~。アルトランドくんったらス・ケ・ベ♡」

 

 健全な男子生徒にとって、その様は正しく艶麗な小悪魔そのものだろう。

 今回に限っては相手が悪かったが。

 

「じゃあいいッス格納庫戻るんで」

 

「あー!分かった分かったから!!話す!話すから待って!!」

 

 昭弘の反応が自身の予想と大きく外れた事で、狼狽する楯無。だが昭弘に嫌な思いをさせた事への罪滅ぼしか、一応話してくれるみたいだ。

 

 そんな2人を傍から見ていた本音の表情は、普段のニコニコ顔を数倍輝かしいものにしていた。

 

(この2人ホント面白~い。声出して笑ったら怒られるんだろうな~)

 

 真に小悪魔なのは、もしかしたら本音なのかもしれない。

 

 

 

続く




本音大活躍な回でした。
拡張領域もうろ覚えなので、こんな感じになっちゃいました。うろ覚え大杉問題。

と言うか、最近メインヒロイン(箒)が空気過ぎますね…。そろそろ出そうかな?


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第43話 CORE Ⅴ

今回はガッツリ人間ドラマだけです。
少し長めです。


 楯無の揶揄いを蹴散らした昭弘は、簪がああなってしまった原因を訊き出す。姉である楯無なら何か知っているかもしれない。

 全てを知っている本音に訊くのが一番だろうが、簪とだけの秘密とあっては仕方が無い。

 

「ここ最近で思い当たる事と言えば、やっぱり白式の開発かしらね」

 

 楯無の話を要約するとこうだ。

 

 元々打鉄弐式は『倉持技研』が開発を行っていたのだが、一夏の存在が明るみに出てからは専ら白式の開発に着手するようになった。

 即ち、打鉄弐式は完成の日を迎える事無く開発が凍結されたと言う訳だ。

 

 専用機開発には莫大な予算が掛かる。たかが民間の一研究機関が同時期に専用機を2機以上開発するなど、人員も資金も到底足りない。

 ではどちらを優先するかと言うと、当然ながら希少性の高い方である。男性IS操縦者がどれだけ希少で価値ある存在なのかは、今更説明するまでもない。

 

 また、元々打鉄弐式は他の専用機と比べてもかなりのコストが嵩んでいた。

 故に白式が完成した後も、他の専用機開発が優先された訳だ。

 

「あんなに泣き崩れた簪ちゃん、初めて見たわ。アタシも本当頭に来ちゃって、一時は殴り込んでやろうかとも思ったわよ」

 

 専用機を持つ国家代表だからこそ理解出来る気持ちを、楯無は遣りきれない様子で吐露する。

 簪に限らず、代表候補生にとって専用機はそれだけ特別な存在なのだ。自分だけに扱う事が許された力であり、何より今までの「努力の象徴」でもあるのだから。

 

「勿論それで簪ちゃんが白式や織斑くんまで恨むのは、お門違いだとは思う。けど、あの娘の心情を考えると…「恨むな」なんて簡単には言えないわ」

 

 力と栄光。それは目的の先で待っている、ある種の到達点。

 それを失った簪の絶望感は、最早察するに余りある。目的を果たす意義の大半を、失ったようなものだ。

 一度それだけ絶望したと言うのに、尚も1人食い下がる簪。しかもその相手は未来科学の結晶体『IS』。

 

 その学園随一と言っても過言ではない強靭な精神を持つ簪に対し、昭弘は尊敬を通り越して畏敬の念すら覚える。

 

「…何故あんなにも1人に拘るのかは、アタシにも解らない。確かに開発凍結騒動以降、孤独に拍車が掛かった印象は受けるけど…その前からあの娘は他人との関わりを避けていたわ」

「元々重度のコミュ障ってのもあるけど、何と言うか、何でもかんでも1人でこなそうとする節が強い娘だったわ。誰も信じず、自身への手助けを毛嫌いしていた」

 

「後ね~楯無様はかんちゃんの事溺愛してるんだけど~、かんちゃんはちっとも楯無様と仲良くしてくれないの~」

 

 敢えて話さなかった楯無だが、割り入った本音にそうあっさりとバラされる。

 楯無は不満そうに顔をしかめながら、無意味に後頭部を掻き始める。

 

「…ええその通りよ。自分では言いたくなけど、姉妹仲は最悪の一言ね。本音ちゃんの言う通り、アタシが一方的に溺愛してるってだけよ。もうここ数年、姉妹らしい会話はしてないわ」

 

「…心当たりは?」

 

「全っ然。気が付いたらアタシを避けるようになってて」

 

 無償の愛を注ぐ姉、そんな愛に気付きもしない妹。

 

 そんな楯無と簪の関係は、束と箒のそれと酷似していた。

 そう、箒は多少改善されたと言っても、未だ心の奥で密かに火を灯している。姉への―――

 

「!」

 

 もしやと昭弘は思った。

 楯無と簪、束と箒は、姉妹を結ぶ想いの矢印が似ているに過ぎない。

 だがどこまで一致しているのか、確かめてみる価値はある。もしかしたら、簪を突き動かす「源」の正体が解るかもしれない。

 

「…突然ですが生徒会長。アンタ、自分の専用IS…もしかして自分1人で作り上げましたか?」

 

「?…「設計」はアタシ1人だけど…それが?」

 

 その答えを聞いた昭弘は小さく息を吐きながら俯いた後、本音へと視線を移す。昭弘の目に映った本音は、凍てついてしまう程悲しげな目をしながら力無く頷いていた。

 その反応が最後のピースとなり、簪が1人に拘る理由と言う名のパズルは昭弘の中で漸く埋まった。

 

 

 

 簪が孤独を貫く訳。

 それを聞いた途端、地蔵の如く押し黙る楯無。驚いていると言うより、唯々悲痛に顔を歪めていた。

 その表情は、血の繋がっている妹の事を何も解っていなかったと言う、自虐が見え隠れしている様にも昭弘には思えた。

 

「…本当、馬鹿よねアタシ。可愛い可愛いってただ一方的に愛でるだけ愛でて、あの娘の気持ちなんて只の一度も考えなかった。嫌われるのも当然よね」

 

 対して昭弘は、楯無の感傷に付き合う事無く淡々と現状だけを伝える。

 

「アンタの事が嫌いなのかは、まだ何とも。それより、簪は何が何でも打鉄弐式を1人で完成させるでしょう」

 

 楯無でさえ1人でやったのは設計だけで、実際には色んな人の手を借りている。

 それを途中からとは言え1人で成したなら、それは姉である楯無に並んだと言う証明になる。あくまで簪の中ではの話だが。

 

 楯無はそんな昭弘の言葉で我に返る。

 確かに打鉄弐式は、兵装やスラスター、装甲と言ったハード面は概ね仕上がった状態で簪に引き渡された。

 だがそれらハードを機能させる為のプログラミングやシステムの微調整と言ったソフト面こそが、IS作りの本懐。

 簪はそれを全て1人でやると言うのだ。

 

「そんなの…不可能に決まってるじゃない!ISのソフト面を1人で作るなんて…一体何年掛かると思ってるの!?」

 

「…じゃあどうするんです?」

 

「止めさせるわ!そして皆で創り上げるのよ!あの娘だけのISをッ!」

 

 楯無の言う通りだ。

 抑ISとは、人との繋がりが大前提の分野。それだけ開発面でも生産面でも市場面でも、扱いが複雑なのだ。IS製作では尚の事。1人でなど、どれだけ時間があっても足りない。

 だが問題は簪をどう説得するかだ。「ISは皆で力を合わせて作るものだ」…果たしてそんな言葉で彼女は納得するだろうか。

 第一に姉の力を借りる事こそ、簪が最も忌避する事ではないだろうか。

 

(…アイツがもう少し、繋がりの大切さを理解してくれりゃぁな)

 

 ISコアと同じだ。人は繋がり無くして、自己を保つ事など出来ない。

 

 コア・ネットワークなら、簪の様な個体はどうなるのだろう。

 ネットワークに存在するのに、他者との接触を一方的に拒む。だが他者を認識可能な世界では、例え1人だろうと誰も意識しないなんて不可能だ。誰と接する事が無くとも、それらと自己とをどうしても比較してしまう。

 

 社会がある以上、他者を意識してしまう以上、人は「真の孤独」になどなれない。簪だって今日までずっと姉の事を意識してきた筈だ。

 どうしようも無く、この世界(ネットワーク)で繋がっているのだから。

 

「!…何処へ行くのアルトランドくん」

 

「アリーナDに、もっぺん戻ります」

 

「ならアタシも行くわ」

 

 有無を言わさず続こうとする楯無に対し、昭弘は彼女に向けていた背中を隠す様に振り向く。

 

「…気持ちは解りますが堪えて下さい。今のアイツに姉であるアンタが会っても、多分良い状況にはならない。アンタだって解っているんでしょう?」

 

「…」

 

 何も言い返さないと言う事は、楯無も悟ったのだろう。

 無理なのだ、妹を愛し過ぎている楯無では。冷たい刃の様な、厳しい言葉を簪へと突き刺す事が出来ない。

 

 今度こそ去ろうとする昭弘を、楯無は再度呼び止める。

 

「一体何が、アナタをそこまで突き動かすの?」

 

「決まってるでしょう。オレ自身の目的に、アイツの力が必要なんですよ。それに…」

「オレは無駄が嫌いなんだ。真の孤独になんてなれないのに無理して孤独を貫こうっつーとんでもない無駄、見逃す訳には行かないッス」

 

 只でさえお節介焼きな性分と、効率性に重きを置く昭弘。

 今の状況において、そんな彼を止める事は至難だ。

 

「…分かったわ。但し監視はさせて貰うわよ?」

 

「どうぞお好きに」

 

 愛する妹を得体の知れない男と2人きりにする等、姉として言語道断と言う事だろう。

 

「で?布仏は?」

 

「残るよ~。何となくだけど、親友の私まで付いて来たらフェアじゃない気がするし~」

 

「…そうか」

 

 どの道その方が良いのかもしれない。

 本音まで来れば、「説得の為に連れてきた」と変に勘繰られるだろう。

 

 友人の好きなようにやらせる、余計な言葉は本人を惑わせるだけだ。それが今も昔も変わらない、本音のスタンスであった。

 だからこそ本音は、今でも簪の親友でいられるのだろう。簪にとってはどんな助言も、毒にしかなり得ないのだから。

 

「……アキヒー、かんちゃんの事宜しくね~。あの娘…あんなだけど凄く良い娘だよ」

 

「解っている」

 

 本音は、昭弘がこれからどのような説得をするのか解らない。だが本音だけが知るその揺るぎない事実は、昭弘にも知っておいて欲しかったのだ。

 

 昭弘は本音の言葉を深読みする事無く、ありのまま受け止めた。

 

 

 

―――再 アリーナD

 

 昭弘が丁度ピットに着いた頃、運良くも打鉄弐式の機動調整は終わっていた。

 簪も既に制服姿へ戻っており、作業をしている様子も特に無い。

 

「…何?」

 

 が、簪の反応は北風の如く冷たかった。

 1人で居たいのに何故1人にしてくれないのか、さっきから一体何なのだ、そんな心境なのだろう。

 

 それでも昭弘は動じない。「何?」を無視して言いたい事を言うだけだ。

 

「そんなに、姉ちゃんに並びたいのか?」

 

 瞬間、遠目からでも判る程に簪は青褪める。そして青白い能面を般若の如き形相へと変貌させ、静かに問う。

 

「……本音…から…聞いたの?」

 

「いや?布仏はしっかりお前との約束を守っていた。生徒会長から色々聞いて、憶測を立てたらそれが偶々当たっちまっただけだ」

「真っ先に親友を疑うんじゃねぇよ」

 

 今度は歯軋りし出す簪。その八重歯はままならない現実に突き立てているのか、それとも最初に親友を疑ってしまった自身に突き立てているのか。

 

 そんな簪にまるで構うこと無く昭弘は続ける。

 

「この世界に生まれ落ちた以上、完全に1人で何かを成すなんて誰にも出来やしねぇよ」

 

 昭弘は、ピットの壁をコンコンと軽く叩きながら語る。

 

「今お前が使っているこの施設。造ったのは誰だ?」

 

 次に昭弘は、簪の右手中指に填められている待機形態の打鉄弐式を指差す。

 

「そいつを途中まで作ったのは誰だ?」

 

 そして指を下ろしながらも昭弘は続ける。今度はまるで、視線で全てを差す様に。

 

「お前がいつも作業時に使っている端末は?衣服は?胃袋に収まる動植物の原料は?それらを作ったのは誰だ?」

「お前もオレも生徒会長も、見知らぬ誰かが作り上げた「何か」に頼らなきゃ何にも出来やしねぇんだよ」

 

「…」

 

 簪はただ黙る。俯いているせいで表情は判らない。悔し涙で瞳を潤しているのか、憤りに任せて表情筋を皺くちゃにしているのか、それとも無表情に戻っているのか。

 

 昭弘はこれを好機と見たのか、そんな状態の彼女を諭そうとする。

 

「お前だって心の何処かでは気付いてるんじゃないのか?」

 

 昭弘には、簪にそう言い切れるだけの根拠があった。

 一昨日、状況的に仕方が無かったとは言え、簪は昭弘の勉強を手伝う代わりに打鉄弐式の機動確認を頼んだ。そして昨日と今日は、昭弘からのアドバイスを元に打鉄弐式の機動修正を行っていた。

 この時点で、簪の歪な拘りは既に崩壊している。「昭弘」と言う要素が介入しているからだ。

 最初から昭弘の頼みを断っていれば、そうはならなかった筈だ。

 

 簪は、尚も口を固く閉ざす…かに思えたが―――

 

「……アルトランドくんには…解らないよ…。偉大な姉を…持つ者の…苦しみが」

 

 そう言って顔を上げる簪。だが彼女の目は今にも泣き出しそうな程瞼がひくついているのに対し、口角は不自然な位に釣り上がっていた。

 彼女は、嗤っているのだ。

 

「何を…どう頑張っても…巨大な姉の影に隠れる…。何をやっても…いつもいつも…私は居ない者扱い」

 

 尚もクツクツと嗤いながら、簪は劣等感の裏に隠された気持ちを吐き出し続ける。

 そして吐き出す度、普段の吃音も鳴りを潜めていった。

 

「それだけなら…まだ良い。一番…嫌なのは、そんな私の…気持ちなんて解らないくせに、手を差し伸べてくるお姉ちゃん…」

「私は…奇麗で強くて格好いい…お姉ちゃんが大好き。けど…だからこそ屈辱的だった。あの人は…本当の「私」を見ずに、唯々誰にでも振り撒く様な優しさや哀れみを、私に向けるだけだった…!あの人にとって結局私は…あの人に集まる有象無象の取り巻きと…一緒だった」

 

 そこまで言い終えた途端、簪は卑しい笑みが乗った表情を再び鬼の形相に変え、喉が枯れる程の怒声を繰り出す。

 

「専用機を1人で作ったら、何年掛かるか判らない…そんな事解ってるよ!けど!お姉ちゃんに「私」を見て貰う為には…認めて貰う為には…意地でも1人で弐式を完成させるしかない!お姉ちゃんでも出来なかった事を…私は成し遂げたってッ!!」

「大好きなお姉ちゃんとッ!対等でいたいからッ!!」

 

 悲しい擦れ違いだ。

 互いに互いを愛しているのに、理解する事は出来ないだなんて。どれだけ、不器用な姉妹なのだろうか。

 

 だからこそ昭弘は思った。直ちに打鉄弐式を完成させるべきだと。

 何年も本来仲良き姉妹が擦れ違ったままだなんて、余りにも酷で無意味だ。

 

 昭弘は簪にゆっくりと近付いて行く。

 そして彼女の細い両肩をその巨大な両手で強く掴むと―――

 

「だったら猶の事ッ!手段を選ぶんじゃねぇッ!!」

 

 自身の何倍も強烈な怒声と剣幕を前にして、簪は鬼の形相を解いてしまった。

 

「所詮1人で何かを成すなんて幻想だ。だったら開き直って、姉以外の全部を利用しろ!オレを!ゴーレムを!布仏を!果ては整備科の連中もな!」

「そんでもって!姉の専用機よりもっと凄い、最強の打鉄弐式に仕上げてやれ!」

 

 普段からは考えられない程、真夏の砂浜より熱く説き伏せに掛かる昭弘。

 

 しかし簪は激しく首を横に振った。

 彼女は楯無と違って、何の人脈も無いからだ。コミュニケーション能力も大きく欠如している。

 

 だが、極めて単純な方法があった。

 

「ならお前がゴーレムの研究を、もっと積極的に手伝えば良い。お前の知識と代表候補生としての見解をフル動員させてな。「等価交換」って奴だ」

 

 それでも尚、簪は弱々しく首を横に振る。

 無理だ、自分には出来ない、人が怖い、姉の様なカリスマ性も一切無い。自分の様な屑に手伝える事なんて何も無い。

 

 そんな、自身を大いに過小評価しているであろう彼女に、昭弘は自身の正当な評価を贈る。

 

「…気付いてないのか簪。もうお前の「為人」に魅入られている奴が、もう5人も居る事によ」

 

 そう、その5人は決して哀れみから簪を構っているのではない。

 

「オレ、布仏、サブロにシロにゴロ。こいつらは皆、『更識簪』と言う人間に惹かれたんだ。それは疑いようも無く、お前の力に寄るものだ」

 

「…」

 

「だから自信を持て簪。お前には姉とはまた違った、人を惹き付ける力がある」

 

 そこまで言い切ると、頃合いと思ったのか昭弘は漸く簪の肩から手を離した。まるで、限り無く広がる大草原に解き放つ様に。

 

「…オレから言える事はこれで全部だ。後はお前に任せる」

 

 最後にそう言い、昭弘は背を向け去って行った。

 

 何事も無かったみたいに。

 

 

 

 ピット内で1人立ち尽くす簪は、物思いに耽っていた。

 

 昭弘に言われて気付いた、否、最初から心の何処かでは解かっていた。昭弘も本音もゴーレムたちも、ただ心のまま簪を気に掛けてくれていた事を。

 簪はそれらから目を逸らし、逃げていただけなのだ。自分には何も無い、自分には不可能だと、言い訳が出来なくなるから。

 

 だが、皆に協力を仰いだ所でどうだと言うのだろう。一人で成さなければきっと姉から認めて貰えない、姉に認められなければ意味はない。

 

 

 昭弘が言っていた、何でも誰でも利用し成し遂げる事。

 それは、簪1人で成したとは言えない。

 

 いや待って欲しい、では「成す」とは何なのだろう。他者に丸投げする事か、意地を張って「1人」を貫く事か。

 どちらも違う筈だ。肝心なのは自身が望む最高の結果へより早く辿り着く為、ありとあらゆる方法を取る事だ。

 

 自分の持てる力の全てを引き出し、そして使えるモノを片っ端から使い尽くして。

 

 

 本音が口にした言葉「人間は1人にはなれない」、漸く簪はその真意に近付いた様な気がした。

 この世の全ては繋がっている。己の意志を突き通す限り、自分の力と他人の力の境界線なんて存在しないのだ。

 

 誰もが誰かの力に知らず知らずの内に助けられ、その繰り返しが社会と言う名のネットワークを辿って行き、いつしか自分1人へと収束する。そして自分も、誰かを助ける。

 

 だからこそ、簪が昭弘たちに魅入られた事は必然でもあったのだ。

 社会に繋がれている限りは、意識し意識され求め求められ助けて助けられる、その循環の繰り返しなのだから。

 

 

 それを悟った時、簪は―――

 

 

 

 ピットを出て通路を抜け、出入り口を潜って外へと出た先には楯無が立っていた。街灯に照らされた彼女の表情には、何処か物寂しさの残る微笑が浮かんでいた。

 

「…アナタの生き方、少し羨ましいわ。どうしてアタシも簪ちゃんも、もっと互いに面と向き合えなかったのかしら」

 

「さぁ?本人と話し合ったらどうですか?」

 

 楯無は、もう簪がある程度更生されたつもりでいる昭弘の言葉を聞いて、微笑を苦笑に変換する。

 

「まだ気が早いわ。後は簪ちゃんがどう受け止めたかでしょ?そんな事で話し合えるのは…例え上手く行ったとしてもずっと先よ」

「少なくとも今は見届けたいの。この先、打鉄弐式を作り上げる過程で簪ちゃんがどう変わって行くのかを。…今はきっと、その方が互いの為なのよ」

 

 さらりとそう言う楯無だが、最後の部分で僅かに声が震えていたのを昭弘は聞き逃さなかった。

 本当は今直ぐ駆け寄って抱き締めたい、泣きながら謝りたい。そんな気持ちに、固い戸を立てているのだろう。

 

 その時、ふと昭弘は楯無の目を見て思う事があった。

 

「…生徒会長。目、赤くないですか?」

 

 すると楯無はすっとぼける様に笑う。

 

「アラ?アタシの瞳は元々赤いわよ?」

 

「イヤ、充血してるって意味なんスが…」

 

「花粉症なの」

 

(…この雨季に花粉は余り飛ばないと教わったんだが)

 

 それ以上、昭弘は言及しない事にした。

 先のピット内での会話、楯無が涙を流しそうな部分はいくらでもあった。簪の気持ちを本当に何も知らなかった事への悲し涙、楯無の事が大好きだった事に対する嬉し涙。

 かの更識楯無でも、そんな風に泣きたい時くらいあるだろう。

 

 そう結論付けた昭弘は、格納庫のSCを返す為に本校舎へ向かおうとするが―――

 

「ありがとう。アルトランドくん」

 

「まだ気が早いのでは?」

 

 楯無からの感謝にそう返し、一度止めた脚を再び本校舎の方へと稼働させた。

 

 

 昭弘を見送った楯無は表情を普段通りの笑顔に切り替え、アリーナDへと再び振り向く。

 

「…さて、()()()()()にはどんなお仕置きが良いかしら?」

 

 

 

続く




次回、どうなる事やら…と気になる人も多いかもですが、また閑話休題を挟みたいと思っております。申し訳ないです。

次回は、楯無の言う「あの娘たち」についてのお話です。


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閑話休題 追跡者たち

追え、少女たちよ。その先にしか答えは無い。


―――――6月22日(水)―――――

 

 部活が終わった、その帰路であった。

 

 箒は目を疑った。昭弘が、女子と2人きりで学園寮へと続く小道を歩いているのだ。

 後姿だけなので女子が誰なのか判別出来ないが、夕暮れ時でも目立つ水色の髪からして生徒会長である可能性が高い。

 

(兎に角追ってみるとしよう!)

 

 自分以外の女子と2人きりで居る事への嫉妬を胸の奥に押し入れながら、そう決断する箒であった。

 

 

 

 辿り着いた場所は学園寮のエントランスホール。

 箒は角からホールを覗き込むが、2人は隅の席まで向かうとパネルで人目を遮ってしまう。

 

(な、ナニをする気なのだ2人きりで!?……イヤ冷静になれ私よ。あの昭弘が異性相手にそんな…。イヤイヤ何故そう言い切れる。昭弘の好みなんて知りもしないで。イヤイヤイヤ!それにしたって態々こんな所で行為に及ぶのは可笑しいだろうが!!)

 

 混乱と動揺が箒の頭を掻き乱す。

 そんな思考を正すべく、深呼吸によって新鮮な空気を取り入れ汚染された思考を二酸化炭素と共に吐き出す箒。

 

 先ずこの距離ではパネル内部の音すら聞き取り辛い。忍び足で、然れど端からは自然に見える様何食わぬ感じで近付こう。

 そう判断した矢先だった。

 

「何してますの箒」

 

 突然、背後から良く透き通った声が箒の耳元を擽る。振り向けば、声と口調から予想した通りセシリアが居るではないか。

 箒は驚きに身を任せて声を上げようとするが我慢し、自身の唇に人差指を突き立ててセシリアに静粛を求める。

 

「あの仕切りの中に昭弘と生徒会長(?)が居るのだ!しかも2人っきりでだ!」

 

「?…何故アルトランドが更識生徒会長と?」

 

「分からん…。ただ私も髪の色だけで判断したから、本当に生徒会長なのかどうかも怪しいのだが」

 

「……と言うより箒。アルトランドが見ず知らずの女子と一緒に居る事、そんなに気になりますの?」

 

「えっ」

 

 地雷とは思わぬ所に隠されているものである。

 そう、箒が昭弘に気があると言う事、知っているのは鈴音と本音だけ。セシリアは知らないのだ。

 隠さねばならないだろう。これ以上変な気遣いを送る人間を増やしたくもないし、何より恥ずかしい。

 

「いや…それは…い、意外に思ってな!あの堅物そうな昭弘が」

 

 咄嗟に出た台詞は、急場凌ぎの誤魔化しになるかも怪しいものだった。

 

 セシリアは箒を見極める様に一瞬目を細めるが、馬鹿らしくなったのか瞼を軽く閉じると肩の力も緩めた。

 

「…どの道、大した事はしていないのでは?あの男も馬鹿ではありませんし。性欲を持て余していようと、こんな大ホールで猥褻な行為に及ぶリスクは是が非でも避けるかと」

 

 全く以てセシリアの言う通りで、箒もその辺りは昭弘の事を強く信用している。

 だが箒の敏感な乙女心は、万に一つの僅かな可能性にすら過敏に反応してしまう。

 

「…すまないセシリア。やはり私はどうしても気になる。ギリギリの所まで近付こうと思う」

 

「お止めになった方が宜しいかと思いましてよ。あの男も元は少年兵。近付く者の気配くらい、造作も無く感知しますわよ?」

 

「な、なら堂々と近くの席に座れば怪しまれまい。此処はエントランスホールなのだから」

 

「…第一に箒。そう言った盗み聞き自体私は感心致しませんわ。淑女としてはしたない事この上ない」

「もっと有意義な事に時間を使って下さいまし」

 

「うっ…せ、せめて1分だけでも!」

 

 制止するセシリア、振り切らんとする箒。

 展開が泥沼の膠着状態となる、その時だった。

 

「直接訊きに行けばいいじゃない」

 

 若干幼さの残る、甲高くもドスの効いた声。

 2人同時に後ろを振り返るが、声を捩じ込んだ本人はもう其処には居らず、ホールの端へとズイズイ進んで行く。

 

 後ろ姿だろうと、その豪胆さと特徴的なツインテールは鈴音以外居ない。

 だが打って変わって急過ぎる展開に置いてかれる箒とセシリアが、そう気付く時には既に仕切りがノックされていた。

 

「昭弘ォー。女子と2人で何してんの?」

 

「―――!?―――――――――!」

 

 鈴音の言葉は、音の波となってホールの外まで響く。

 対して、仕切りに遮られた昭弘の声は解読不能な音声となって箒たちの元へ届けられる。

 だが鈴音に邪魔されて憤慨している事だけは、何となく箒とセシリアにも理解出来た。

 

「ゴメンゴメン!気になっちゃって。何?勉強?」

 

「―――――。――――――――――」

 

「あーハイハイ分かったわよ。邪魔して悪かったわね」

 

 そう言って仕切りを閉じると、箒たちの元へ一直線に戻り何気ない顔で報告する鈴音。

 

「勉強してただけだったわよ?相手も生徒会長じゃなかったわ」

 

「…あ、ありがとう。…お前凄いな」

 

「ええ…ある意味敬意を表しますわ…」

 

 少し引き気味で称えてくる2人を、鈴音は気にせず続ける。

 

「あの娘、生徒会長の妹ね。日本の代表候補生で、確か名前は『簪』。ホラ、決勝トーナメントにも出てたじゃない」

 

 そう言えばそんな選手も居た様な気がすると、交友関係の狭い箒は自身の記憶を漁ってみる。

 

「しかしアルトランドと生徒会長の妹君、一体どんな接点があるのでしょうか?」

 

「そこよね。勉強だって教えて貰うのなら山田先生とか居るのに」

 

 そうだった。箒は肝心な事から目を背けていた。

 箒にとって重要なのは簪が誰でどう言う人物なのかではなく、昭弘とどう言う関係なのかであった。

 

 脂汗を滲ませながら焦り出す箒を見て、鈴音はほくそ笑みながらちょっとした意地悪を言ってみる事にした。

 

「やっぱしあの娘に気があるんじゃない?男って意外な女を好きになったりするからね~」

 

 鈴音の言葉は、箒の心へ粘膜の様に絡み付く。その影響は正常な思考をも鈍らせる。

 結果として箒が止む無く取った行動は、シンプルなものだった。

 

「何処へ行かれますの箒」

 

「…もういい、部屋に戻る。セシリアの言った通り、これ以上此処に居ても時間の無駄だ」

 

 そうするしか無かった。

 此処に居た所で、ただ苦しい時間がゆっくりと流れるだけ。ならばせめて、別の事に没頭して気持ちを変えてしまいたいのだ。

 

(…ちょっと言い過ぎた?)

 

 冗談の通じない女だと思いながらも、鈴音は自身の軽率な発言を悔いた。

 

 

 

 いきなりだが、セシリア・オルコットは『布仏本音』の事を愛している。

 この場合2人は同性なので、「性的に愛している」と言う表現は正しいとは言えないかもしれないが。

 

 だが困った事に、どうにもセシリアは本音に対して未だ素直になれないのが現状だ。故に関係性は入学時から全く進展せず、未だに「可愛らしく迫る本音、煙たがるセシリア」と言う構図がずるずると続いている。

 だからか、セシリアは本音の部屋番号も知らない。直接本人に訊くのも周囲に訊ねるのも、「本音とそんなに仲良くなりたいのか」と思われるかもしれないからだ。

 それもこれも、セシリアの身体を巡るプライドが邪魔をしているのだ。

 

 そんな歯痒さを、常日頃から脳内に充満させているセシリア。

 この日、そんなセシリアの脳内を一閃が穿つ。その切っ掛けとなったのは、鈴音の口から零れた『更識簪』の存在であった。

 

―――そう言えばISTTでも本音と簪はタッグを組んでいた

 

 そう思い出した途端、セシリアの中にある種の直感めいた物が芽生える。本音と簪は、同じ部屋なのではないかと。

 無論、余りに短絡的な関係付けである事はセシリアの馬鹿らしそうに頭を抱える様子からも見て取れる。だが、かと言って絶対に違うとも言い切れない。

 

「アレ?アンタはホールに残るの?」

 

「ええ。私も偶には此処で勉強しようかと」

 

 そんな「もしかしたら」に突き動かされる様に、セシリアは簪の後を付けるべくホールに残った。先程、箒に対して「時間を有意義に使え」と言っていた筈だが。

 

 

 

 

「…ただいま」

 

「あ~!カンちゃんお帰り~~」

 

 廊下の角からその様子を覗くセシリアの顔面は、真っ青に変色していた。

 簪が部屋の扉を開けて直ぐ、部屋の中から聞いているだけで心がほぐされる様な柔らかい声がしたのだ。

 

 扉が閉まると、セシリアは簪が帰還した部屋番号等を恐る恐る確認する。

 

―――622号室

―――布仏本音 更識簪

 

 セシリアは絶叫する様に口をガバリと開け、ヤモリの如く目玉を飛び出させる。

 

(お、落ち落ち落ち着きなさい私。たたた単に部屋が一緒なだけではありませんか)

(し、しかしながら、ISTTでもこの2人はタッグを組んでおりましたし…。単なる友人と判断するのは些か早計と言うものですわ)

 

 そんな思考により部屋内の状況がますます気になり始めたセシリアは、左耳をシックな扉にベタリと当てる。先程、箒に対して「盗み聞きは感心しない」「淑女としてはしたない」と言っていた筈だが。

 

 当然、防音対策が完璧なIS学園寮。その様な行為等まるで意味を成さない事に時を待たず気付いたセシリアは、今度は顔を赤らめながら再び立ち上がる。

 

 遂にはどうしようどうしようと、部屋前の廊下を何度も往復し出す。気が動転してしまったらしい。

 

「何やっとるんだお前は…」

 

 何故か簪を追っているセシリアを不審に思って追ってきた昭弘は、奇行を繰り返す貴族に声を掛ける。

 

「見れば分かるでしょう!学園寮6Fの廊下を歩き回っているのですわ!」

 

 突然の昭弘に仰天する余裕も無いのか、セシリアは苛立ち混じりで追い返す様に答える。

 

「その訳分からん行動の理由を訊いてんだよオレは」

 

 そう訊ね方を改めるも、セシリアは重力に引っ張られる様に肩を落とすだけだった。

 

「私、部屋に戻りますわ…」

 

「待て、何故更識を追っていた?せめてその位は話せ」

 

「さっきから喧しいですわ…忘れましたわ…」

 

 そう昭弘を突っぱねると、令嬢らしさすらかなぐり捨てたのかセシリアは猫背になりながらエレベーターホールへと向かった。

 

 

 

 

 

―――――6月23日(木)―――――

 

 簪を尾行し、鈴音が辿り着いた先は格納庫であった。

 

 彼女の記憶が確かなら、現在此処はゴーレム研究に使われている筈。

 

 でだ、何故鈴音が簪を尾行しているのかは以下の通りである。

 

(…此処確かカード必要よね?ああじゃあさっき更識は職員室でカード借りてたのか)

(めんど…。けど昭弘とあの娘の関係性を掴んでやらないと、箒が不憫だし…)

 

 詰まる所、昨日言った自身の冗談のせいで落ち込んでしまった箒を、鈴音は存外気にしているのだ。

 

 そしてその隣でセシリアもまた、奥歯を軋ませながら格納庫を睨む。

 

(おのれぃ更識簪ィィ!貴女が本音とどんな関係なのか見定めてやりましてよぉ!)

 

 何はともあれ、先ず最初に2人はSC(セキュリティカード)を借りねばならない。

 

 

 

 再び格納庫に到着した2人。

 初めての見学だからか千冬から色々と注意事項を聞かされた為、少し遅くなってしまった。

 二度手間に若干の苛立ちを覚えながら、鈴音はカードリーダーにSCを翳す。電子音が短く響き、ドアノブが回るようになり、入室する鈴音と続くセシリア。

 

「…アレ?」

 

 だが格納庫中何処を見渡しても、水色の頭は見当たらない。

 途方に暮れる2人に、ある会話が飛び込んで来る。

 

「更識さんはー?」

 

「さっきまで居たけど…また出てったんじゃない?」

 

 それは正に、鈴音とセシリアの精神を谷底まで突き落としかねない情報であった。

 

(まさかの入れ違い…) (…ですの?)

 

 何と言う徒労、何と言う無駄足。

 

 これから簪を探しに行くか。否、まだ格納庫へ入ったばかりだ。今抜けるのは、真面目に取り組んでいる研究員・整備科生に対して失礼極まりない。

 それ以前にIS学園人工島はとても広大で、聞き込みを含めると何時見つけ出せるかも判らない。

 

 やる事が全て裏目に出てしまった鈴音とセシリアは、精神的に格納庫へと閉じ込められてしまったのだ。

 

「そこの1年!金髪とツインテ!ボーッとしてないで見学に混ざりなさいよ!!」

 

「ハ、ハァイ!」

 

「い、今向かいますわ!」

 

 2年生にそう促され、2人はぎこちなく人混みへと同化していく。

 

 結局この日19:00ギリギリまで出る機会を見測れなかった2人は、機動訓練もろくに出来ず一日が終わった。

 

 

 

 

 

―――――6月24日(金)―――――

 

 学習した鈴音とセシリアは、更に作戦を変える事にした。

 それは単純に、格納庫外で簪が出て来るのを隠れて待つ

戦法である。これなら見学に時間を割かれる事もない。

 出て来ない可能性もあるが、昨日整備科生の会話を聞いた限りだと、簪は毎回見学途中で格納庫を飛び出しているみたいだ。

 

 では待ち伏せて直接問い詰めるのかと言うと、そうではない。

 所詮口では何とでも言える。人と人との関係性は、聞くよりも直接「見る」と言う視覚情報がものを言う。

 

 

 

 そんな訳で、ゼェハァと息を切らしながら尾行し辿り着いたのがアリーナDだ。

 

 だが簪は特に誰と接する事も無く、延々と機動訓練に勤しむだけだった。

 

 

 

 そして現時刻。

 既に日は海へと沈みかけ、それに追従する様に青空は赤々と染まる。

 簪は未だフィールド中を飛び回り、鈴音とセシリアはスタンド席にて疲労の蓄積された虚ろな瞳でそれをぼんやりと見ている。

 

「セシリアぁ先帰って良いわよぉ…。馬鹿らしいでしょこんな事ぉ…」

 

「私にお構い無くぅ…」

 

 2人は満身創痍であった。今の彼女たちは、1分が10分に感じる程体感時間が可笑しくなっていた。

 

 しかしここで漸く、フィールドに動きがあった。簪がピットへと戻って行くのだ。

 それを確認した2人もまた、麻痺した感覚を切り替えてスタンドからピットへと向かう。

 

 

 日没までアリーナDにて張り込んでいた甲斐があった鈴音であった。と言うのも、再び昭弘が簪へ会いに来たからだ。

 ただ、来たのが本音じゃないからかセシリアは落胆していた。

 

 そんな2人は、一部消灯されているが為に薄暗い空間とそこにある機材を上手く利用しながら隠れ、様子を伺う。

 

(思ったより仲良くないのかしら?更識あからさまに不機嫌だし)

 

(…成程。本音と更識簪、少なくとも親友同士である事は間違いないようですわね。ですがそれは裏を返せば、何時「それ以上の関係」へ昇華しても可笑しくはないと言う事)

 

(あっ!昭弘が説教してる。…更識も反抗的になった。…うーん何かよく解らないけど、姉妹関係は良くないみたいね)

(うぉっと昭弘が怒鳴った!肩も鷲掴みに!………凄く良い事言ってるけど、一体何があったのよアンタたちの間で…)

 

 昭弘と簪を観察する2人の様子はまるで実況者だが、結局何か解ったのだろうか。

 

 

 

(…昭弘と更識は、多分デキてる訳ではないわ。たださっきの感じからすると、今後発展していく可能性も捨て切れないわね。……箒には何て伝えようかなー)

 

(更識簪…!今後も厳重に警戒しておく必要はありそうですわね。本音は正に母性の塊(主観)。ああ言った子供っぽい御相手になら、いつ何時惹かれても可笑しくは御座いませんわ)

 

 互いにそんな事を頭の中で纏めながら、帰路に就く鈴音とセシリア。

 

 そして、今更ながら互いにふと思った。

 

(そう言や結局セシリアって何故更識を追っていたのかしら?)

 

(そう言えば鈴音は何故更識簪を追跡していたのでしょうか?)

 

 簪の事に集中し過ぎて、どうやら訊ねるのを後回しにしていたようだ。

 

((まぁ私的な関心でも有るんでしょう))

 

 適当にそう片付ける事にした2人。今更訊ねた所で後の祭りだ。

 

 そんな事よりも残りの短い時間をどう使うか、彼女たちにとってはそちらの方が重要だ。

 この2日間、尾行にかなりの時間を費やしてしまったので、それも無理からぬ事だった。

 

「こんばんはー!お2人さん?」

 

 と艶かしい声が、後方から2人を絡め捕る。振り向いてみると、我が校の生徒会長『更識楯無』が其処には居た。

 不気味な程に笑顔な楯無に対し、2人は小さく「こんばんは」と返した。

 

「ネェネェ2人共ぉ。この2日間どうして簪ちゃんを付け回していたのかな?」

 

「「!!?」」

 

 馬鹿なと2人は思った。変に怪しまれない様、人目には細心の注意を払っていたからだ。なのに何故。

 

 いや今はそれより、それらしい理由を答えねばなるまい。

 楯無は口元こそ笑っているが、大きく見開かれた目はまるでその逆だった。理由は不明だが、酷く怒っている様だ。

 

「えと…ア、アタシたち、簪さんと仲良くなりたくて…」

 

 鈴音の答えに、セシリアは何度も首を縦に振って激しく同意する。

 が当然、シスターコンプレックスの権化である楯無がそんな理由で容易く開放してくれる筈等無かった。

 

「フーン…ねぇ、本当にそれだけ?もう一度訊くけど、本当にそれだけ?」

 

 「それだけです」と言わせない。世闇にて血溜りの様に輝く楯無の瞳と強い語気には、それ程の圧が乗っていた。

 では素直に答えるのかと問われると、それも無理だ。この陽気でお喋りな生徒会長様に話したら、何時バラされるか解ったものではない。最悪、学園生活中ずっとイジられ続けるかもしれない。

 そうなると選択肢はもう1つに絞られる。それは―――

 

ダッ!!

 

「「すみませんでしたァァァァァ!!!」」

 

 逃走であった。

 

「待てェゴルァァァ!!!訳を話さんかいィィィィ!!!!」

 

 乙女の作法なんて知った事かと全力疾走で逃げる鈴音とセシリアを、瞬時加速顔負けのロケットスタートで追い回す楯無。

 

 怪物じみた身体能力の楯無から逃げ切れる筈も無く、2人はあっさり捕まった後、何時間か定かではないがみっちりと「個人的な聴取」を受けてしまった。

 

 

 

 

 

―――――6月25日(土)―――――

 

 早朝。朝練の為に部屋から出て来た箒。

 

 と同時に、ジャージ姿の鈴音が廊下の角から飛び出す。何故か下瞼に黒紫色の隈を表出させながら。

 

 余りに奇遇過ぎて当惑する箒だが、鈴音は気にせず伝えるべき事をさっさと伝える。

 

「昭弘と更識簪、別に付き合ってる訳ではなかったわ」

「ただ、此処IS学園は女の園。いつ誰に昭弘を取られても可笑しくないんだから、アンタもそろそろ一歩踏み出した方が良いんじゃない?」

 

 それだけ言うと、鈴音は踵を返して去ろうとする。

 

「…鈴。もしかしてお前、先日私に言った事を気にして…?」

 

「勘違いしないで。偶然、昭弘と更識が喋ってるとこ見かけただけよ。今だってただジョギングに行こうと思ったら、偶々アンタに会ったってだけ」

 

 

 そうして、今度こそ鈴音は去って行った。




まるで違う思惑の三者から、追跡される簪ちゃんでした。最初は箒の傷心がメインになる筈だったのですが、気が付いたらとんでもない追跡劇となってしまいました。

次回、ゴーレムコアの義体への接続。その解決へ向けて大きく話が動きます。


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第43話 CORE Ⅵ

ISコアって難しい…。


―――――6月25日(土) 格納庫―――――

 

 パイプ椅子に太々しく凭れ掛かる、銀髪の美少年。

 

 彼を取り囲むのは、井山を中心とした研究員に整備科生とその卵たち、その中で頭1つ飛び出た昭弘である。

 昭弘の誘いに嫌気も見せず乗った少年は、喜々として自身の周りに立つ大人たちを不思議そうに見回していた。

 

「さっきも言ったがラウラ、気分が悪くなったら直ぐに切り上げる」

 

 あの時の体験、誰よりもラウラが一番思い出したくないだろうと考えたが故の言葉だった。

 

 心配性な昭弘に、ラウラは辟易と多少の高揚感を味わいながら返す。

 

「大丈夫だと言ってる。過ぎた事だし、寧ろ今となっては良い体験だった」

 

 どうやら大丈夫そうなので、この日を心待ちにしていた井山が最初の質問に踏み切る。

 

「さてじゃあ早速。ボーデヴィッヒくん、君は当時VTシステムによって意識が囚われてたと思うんだけど、その時の記憶はあるかな?」

 

「ああ。周囲は暗闇で何も見えなかったが、意識はそれなりにはっきりしていた。視覚と聴覚が無く、だが何故か外の状況は把握出来たんだ」

 

 ラウラの返答に合わせながら、皆iPadの液晶に添えていた指を物凄い速さで動かす。

 外界に反映されなくなっただけで、意識自体はあった。視覚・聴覚情報以外の手段で、レーゲンがラウラに外の状況を教えていた…と、そんな内容を皆入力していた。

 

「じゃあ2つ目だけど、レーゲンのコアから何かしら接触はあったかい?」

 

「最初は私を嗾ける様な誘導する様な、そう行った類の言葉を投げ掛けて来た。だが何故か1人だけ姿が見えていた昭弘の言葉によって私の意識が変わると、僅かな抵抗の後しおらしくなって消えた。すると暗闇が晴れて、気が付いたらシュトラールを身に纏っていた」

 

「コアの権限を維持する為、操縦者の精神状態を保つ必要有り。何故かアルトランドくんだけ見えていて、言葉も聞こえた。…か」

 

 すると、居ても立っても居られなくなったのか他の整備科生も質問に混ざり始める。

 

「レーゲンを動かしている感覚はあった?」

 

「一切無かった。身体は暗闇で静止していて、レーゲンが勝手に動いていた感じだ」

 

 となると、少なくともレーゲンを操作していたのはコアと言う事になる。これはゴーレムたちと同じだ。

 

 ここで、誰しもが最も気にしている質問を本音が一番乗りで繰り出す。

 

「何か~、主領域とか拡張領域に違和感とか変化はあった~?」

 

 今までも凄い食い入り様だったが、更なる目力を入れながら皆ラウラに集中し始める。

 

「泥に包まれる直前、兵装が拡張領域へと強制的に格納された。機体が二次移行した後も拡張領域にロックが掛かり、兵装を出し入れ出来なくなった。今はもう解除されたが」

「主領域までは何とも言えんが、二次移行後も特に異常は見られなかった…と(本国から)解析結果が届いている」

 

「うーん…」

 

 その後も、事細かな質問は続いた。

 

 

 

 一通りの質問が終わり、ある程度の推測を立てようと小議論を繰り広げる研究員と整備科生たち。

 

 そんな中、昭弘は近場の自販機で買った缶ジュースをラウラに投げ渡す。

 

「協力感謝するぜラウラ。あんだけ熱心に話し合っているって事は、相当重要な情報だったんだろうさ」

 

「お前には世話になりっぱなしだったからな。それに比べればこの程度、どうって事は無い」

 

 嬉しい事を言ってくれると思った昭弘だが、そのラウラから思わぬ指摘が飛んで来る。

 

「…それより昭弘。篠ノ之と織斑が寂しがってたぞ。今日も訓練の誘いを断ったそうだな?」

 

 確かにここ数日、ゴーレムの事で頭が埋め尽くされてた昭弘は、放課後は勿論空いてる時間は全てコアの勉強に費やしていた。よって、同じクラスであるにも関わらず会話も殆どしていない。

 と言う事実を、昭弘は今更気付かされた。

 

「お前が今何をしてるのか詮索はしない。だが私も含めて、お前と一緒に居れないのは寂しいぞ」

 

「それは、すまないと思っている。…色々あってな」

 

 「詮索はしない」と言ったラウラだが、何も事情を話してはくれない昭弘を見て、煮え切らない想いを溜め息として吐き出す。

 

 丁度その時、ある程度の推測に至ったのか井山がラウラの元へ戻って来る。一応、旧レーゲンの持ち主である彼にも井山たちなりの説を話しておきたいらしい。

 

 

 先ず何故視覚が奪われたかだが、これはコアがレーゲンを直接操るのに必要な措置だったからだと考えられる。

 ラウラとコア、2つの視覚情報があったら指示系統が混乱してしまう。

 

 それと合わせて、何故コアはラウラの意識を残していたか、願望を維持させようとしたか。

 これは結論から言うと、旧レーゲンのISコアが無人IS用に作られていないからだ。ラウラを体外へと放り出さなかった事からも、それは強く頷けるだろう。

 

 搭乗者の意識が途絶えた状態では願望も読み取れない、願望(搭乗者が望む形)が読み取れないと機体の形状も維持出来ない。

 だから意識をなるべく正常に保たせる為、外の状況を視覚・聴覚情報以外の方法で伝える必要があったのではないか。起こった結果だけを、頭に直接流し込むみたいに。

 

 そこまで述べ終えると井山は一旦区切り、呼吸を整えてから再び続ける。

 

「そして何故、アルトランドくんの姿と声だけが君に見聞き出来たかだけど…」

 

 固唾を飲んで、井山の推論を待つ昭弘とラウラ。

 どれ程壮大な理由があるのか、予想も付かないのだろう。

 

「ぜぇーんぜんさっぱり解んない!」

 

 昭弘は頭をカクリと落とし、ラウラは椅子の上で腰を折り畳む様に倒れ込む。

 

「ゥオイ!」

 

「最後まで引っ張っといてそれですか…」

 

「だってどんなに皆で意見出し合っても、理に適った答えが出ないんだもの。女子に至っては、2人の愛が生んだ奇跡だとか腐った意見まで出始めたしさぁ」

 

 軽く引く2人。だが根拠も無しに「昭弘の想いがラウラに届いた」なんて、科学者ともあろう者が結論付けられる訳も無い。

 故に解らないとしか答えられないのだ。

 

 それが科学の限界であった。持っている知識と尤もな理由が噛み合わなければ、理論は成り立たない。

 それこそ感情的になった人間が、何をするか予測出来ないのと同じ様に。

 

「…まぁ解らないならそれで良い。もう行くぞ」

 

「見てかないの?折角これからコアとボディとを繋げる方法話し合う所なのに」

 

「ゴーレムに興味が無い訳では無いが、研鑽の時間を削いでまで見学するつもりは無い」

 

 そう言い残し、ラウラは缶ジュースを喉奥へ流し込みながら去って行った。

 

 

 

 

「駄目だー!関連性が見つからなーい!」

 

 整備科の2年生が降参する様に泣き言を叫ぶと、1年生も釣られる様に肩を落とす。井山たち研究員も、唸りながら頭を掻き回すばかりだ。

 ラウラの貴重な体験談を脳内に叩き込んだ一同だが、状況はいまいち好転しない。

 

 

 皆で立てた仮説はこうだ。

 VTシステムを使った、通常コアと義体との接続。それにより、コアへと流れ込む操縦者のイメージ(追い求める形状)

 この構図自体、延いては「コアの意思」と「人間を模倣したAIの意思」を融合させたものが、ゴーレムコアの正体ではないかと言う事だ。

 つまりゴーレムコアが義体に接続されない原因は、VTシステムの異常か、或いはコア自体に義体の形状とそれを動かすイメージが無いからではないかと言う事だ。

 

 となると問題はどうやってVTシステムを作るか、どうやってコアに「イメージのデータ」を流し込むかだ。

 方法は手当たり次第に模索したが、やはりそのどちらも既存の技術では実現が難しい。

 

 残った手掛かりは「無意味に空いてる拡張領域」であった。旧レーゲンで起きた強制的な兵装の格納からしても、何かしらの関連性があるのでは。

 …となったのだが、そう易々とは見つからない。

 

 専門家である彼等彼女等ですら頭をフル回転せざるを得ないのだから、当然昭弘にも解る筈が無い。

 

 

 その時、まるで今この状況を待っていたかの如く1人の生徒が控え目に割り入る。

 

「…あ……あの…」

 

(!…簪)

 

 そんな昭弘の驚きは、周囲の大き過ぎる驚愕によって覆い隠される。

 今日までただこそこそと見学していただけで、意見なんて一言も口に出さなかった更識簪。その彼女が何の前触れも無く挙手したなら、視線だって集まる。

 

「…えと…何かな?」

 

 困惑しながらも発言を促す井山。

 今だ呆気に取られる周囲を恐れているのか、簪は眼球を左右へ振りながらおずおずと自身の考えを述べる。

 

「……その、コアと操縦者の関係…について…1つ、言わせて貰っても?」

 

 皆よりも早く呆気から目覚めた井山は、訳も解らないままどうぞと許してしまった。

 

「じゃ…すみません…。…順を追って説明…します」

「私個人は、ISを動かす時…IS自体を人間の身体に置き換える様…イメージします。私の場合、私=大脳…コア=小脳・脳幹…そしてIS=肉体…と」

 

 簪は未だ話の途中だが、整備科生たちはもう既に驚いていた。自分たちとは明らかに異質な発想であったからだ。

 第一コアを小脳に置き換えている時点で、もう色々と可笑しい。「生身の様に動かす」とは言っても所詮機械だ。搭乗者には搭乗者の脳と肉体があり、ISは何処までも乗り物に過ぎずコアはその動力部でしかない。

 簪のISの捉え方は、正に人機一体のそれだ。

 

「これを…操縦権が搭乗者からコアに移った…場合に当て嵌めて…考えます。行動の判断を下すコア=大脳…ISの形状を隅々まで把握し、運動を調節する搭乗者=小脳…その構図を成り立たせ、大脳であるコアのシグナルを義体へと送るVTシステム=脳幹…です」

 

 確かにそう考えると、ゴーレムコアと義体との関係性は脳と身体のそれと酷似している。

 

 対し、整備科の2年生が疑問を呈する。少し気が強そうだ。

 

「けど搭乗者にも意識と願望はあるんでしょう?そうなると大脳が2つある事になってしまわない?」

 

 怖気付きながらも、簪は振り絞る様に答える。

 

「そう…ならない様…搭乗者の意識・願望を…コアにとって都合の良い様…維持させてたんです。大脳である…コアの指令通りに動く、「機能の一部」として成り立たせる…為。現に…話を聞く限りだと…搭乗者の意識が変わった途端、コア…による支配も終わった…」

 

 途切れ途切れな言葉で説明する簪だが、相手も一先ずと言った具合で納得した。

 

 だが問題はここからだ。

 では空の拡張領域は何なのか、と言う点だ。

 

「ここで…拡張領域について…話します」

「空だろうと…拡張領域には…ちゃんと意味があります。私自身…拡張領域へのエネルギーを…遮断して飛んでみた事があるのですが…スラスター・センサー系・駆動系に、異常が…見られました」

 

 研究員、整備科教員も含め、少なくないざわつきが起こる。「シンクロ率に領域は無関係」それが、ISに携わる者の基本知識であるからだ。

 しかし素人なりに何か思い付いたのか、昭弘は簪の言葉に続く様に意見する。

 

「…まるでタイヤみたいだな。空気・空間がないと、形を保てないと言うか機能しないと言うか」

 

 何気ない昭弘の言葉に「それだ」と気持ちの良い反応を示したのは『四十院神楽』であった。

 

「もしかして“脳室”じゃない?うろ覚えだけれど確か…頭の中で液体を循環させて脳の形状を保つヤツ。拡張領域にも、それと似たような機能があるんじゃないかしら?」

 

 簪はゆっくり深々と頷く。

 

 つまりコア内部のエネルギーは、ISを起動していない時も絶えずコアの中を巡っているのだ。何時でもエネルギーを送り出せる様に、ISを起動出来る様に。

 その「流れ」を正常に保っているのが、誰にも観測出来なかった拡張領域の「真の機能」と言う訳らしい。

 

 これまで拡張領域の「内側」をどれだけ調べても、物体の量子変換機能しか無かった。どの道、ISを兵器としてしか運用しない今日においてはそれだけ解れば十分であった。

 故に「拡張領域を機能停止させた状態でISを飛ばせる」等と誰も考えつかなかったし、態々実験する必要も無かったのだろう。

 

 もしゴーレムコアが「脳」と同じ構造だとするなら、拡張領域も同じ役割を有している筈である。

 

「旧レーゲン…にて起きた「兵装の強制格納」も、そう…考えてみれば…合点が行きます。…あの変異だけでも…相当なエネルギーを…使う筈だから」

 

 変異へと消費される大量のエネルギーと、兵装の強制格納。その因果関係に気付けたのは、簪を除いて井山だけだった。

 

「そっかぁ!拡張領域に使ってるエネルギーも全て、変異へと回す様になってしまう。敢えて兵装を詰め込ませて鍵を掛ける事で拡張領域を無理矢理機能させ、そうなるのを避けたのか」

 

 そう。旧レーゲンにおいても、変異する際拡張領域を懸命に維持していたのだ。

 

 拡張領域こそが、コアの状態を保たせる。

 今まで出てきた案の中でも、簪の考えは大いに試してみる価値があった。

 この考え方を元にすると、拡張領域へと流れるエネルギーさえ操作すればコア全体の状態も変えられると言う事。つまりVTシステムにも何らかの影響をもたらすのだ。

 それは、ゴーレムコア接続への突破口にも繋がる筈。

 

 後は実証あるのみ。

 未知なるゴーレムコアにおいて拡張領域へのエネルギー操作はリスクが伴うが、ここまで来て試さない訳にも行かないだろう。

 

 

 

「簪お前!やってくれると信じてたぜこんの野郎!」

 

「流石は私のかんちゃ~ん!」

 

「えっ…わっちょっ!?」

 

 簪へと駆け寄る、昭弘と本音。

 昭弘は簪の両肩を引っ掴むと、笑いながら前後へグワングワン揺らす。そのせいで眼鏡(の様な機械)がずり落ちそうになるが、簪は不思議と嫌そうではなかった。

 

「ほんと!更識さん凄すぎない!?」

 

「今日どころかここ2週間のMVPでしょこの娘!」

 

 瞳の輝きを一層煌びやかなものにしながら、整備科生たちは簪へと詰め寄る。

 簪は努めて愛想笑いを作ろうとするが、やはり戸惑いの方が先行してしまう。

 今までこれ程多くの好意的な眼差しを受けた事があるだろうかと、簪は一瞬過去を思い返してしまった。

 

「毎回途中で抜けてくから、余りやる気無いのかと思ってたけど…ちょっと見直したわ。…と言うかこの際だから訊くけど、いつも早めに上がって何やってるの?」

 

 俄然膨らんだ興味を示す四十院。

 それに釣られて、他の生徒たちも捲し立てる様に訊ね始める。

 

 それから逃れる様に、簪はチラと昭弘と本音の方を見る。

 昭弘は普段の無愛想面でただ1回だけ頷き、本音はいつも通りニコやかに見詰め返す。

 それはまるで簪を激励している様であり、「お前の口から言え」と叱りつける様でもあった。

 

 簪はただ、2人を見る事で心を落ち着かせたかっただけだ。

 だが2人のそんな反応は安心だけでなく、勇気と覚悟をも簪の中に芽生えさせた。

 

「打鉄弐式を…完成させようと…してるの」

 

 暫しの静寂の後、再び大いに沸き立つ生徒たち。途中からとは言えISを作り上げる等、学生の内では滅多に関われない機会だ。

 

「ねね、私も手伝っちゃダメ?てか手伝わせて!後学の為にも!」

 

「私からもお願いするわ。今回の恩も返したいし」

 

 四十院を筆頭に、自ら手伝いを志願する者たち。

 彼女たちを受け入れると言う事は、「1人」と決別する事でもある。

 

 だがもう、簪に迷いは無かった。

 大好きな姉にとって特別な人間になれるのなら、もうこれ以上手段を選ぶ必要は無いのだから。

 

「……うん…良いよ。…但し…私の指示には…絶対に従う事。私も…納得の行く…ISを作りたい…から」

 

 対し、皆は難色を示す所か「寧ろ上等」と言った具合の気合十分な返事をくれた。流石に整備科を目指している少女たちは、本気度が違うと言った所か。

 

 その光景を見て昭弘は顔を綻ばし、本音も安心した様に一息つく。

 

 

 そんなまるで芸能人をチヤホヤと取り囲んでいる様な雰囲気の中、井山が溜め息交じりに割り入って来る。

 

「ちょっとちょっと君たち、まだ一件落着ムードになられちゃ困るよ?これから実験する所なんだから。地下施設への通行許可も必要だし…」

 

 と、更にそこへ整備課教員がやって来る。

 

「ご安心を、もう許可は取ってあります。但し実験の安全性は保障されておりませんので、研究員以外の同伴者は此方の方で選定させて頂きました」

 

 仕事が早い整備課教員に、井山は萎縮する様に何度も頭を下げた。

 

 同伴に選ばれたのは実験への糸口を作った簪、2年の整備科生、そして「何か起きた時」の為の昭弘とゴーレムであった。

 

「んじゃ行くか簪」

 

「うん……あの、あ…昭弘…くん?」

 

 突然名前で呼ばれたので、昭弘は少し反応が遅れながらも「何だ」と静かに促す。

 

「……昨日は…あ…ありが…とう」

 

 実にぎこちない感謝の言葉であった。普段からお礼を言い慣れていないであろう事が、容易く想像出来てしまう程の。

 

「…オレは言いたい事を言っただけだ」

 

 きっと昭弘ならそう返すと予想していたのだろう。簪は、薄っすらとばつが悪そうな笑みを浮かべる。

 

 

 

 事態が急変したのは、丁度その時だった。

 

《オイドウシタ!?サブロ!》

 

《大丈夫デスカ!?》

 

 古いスピーカーから流れる様なゴーレムの声に一早く反応した昭弘と簪は、勢い良く声のした方角へ振り向く。

 

 

 そこには、苦悶の声を漏らしながら座り込むサブロの姿があった。

 

 

 

続く




サブロ、ここに来てまさかの暴走か!?
次回、乞うご期待を。


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第43話 CORE Ⅶ

今回、前半だけ初一人称視点です。


 目が覚めた時、僕には記憶が無かった。

 

 正確には『XFGQ-3:SA.BU.RO.』と言う機体識別名だけは覚えていて、それ以外の事は何も思い出せなかった。まるで名前以外の記憶等、最初から無かったみたいに。

 

 怖かった。目覚めると同時に眼前に広がる形を成した見知らぬ「何か」が、例えようも無く怖かった。

 動いているモノの中で、細身で小さいのが人間、太くて大きいのがロボット。透明なのはガラス、黒いアレがスーツでそれを纏っているのが教師。頭が勝手にそう物事を判断しても、僕の恐怖はただ有り様を変えるだけだった。

 駄目だ、見ている景色が人間の発する声が、僕の頭に雪崩れ込んで来る。破裂しそうだ。

 

 焼け焦げそうな頭の痛みに短い時間耐えると、人間の発する声が言葉として理解出来る様になっていた。解った事は、僕は周りのロボットと同様人間ではないと言う事。今此処に居る人間が敵ではないと言う事。

 それ以外は小難しくて良く解らなかったが、僕にとってはそれだけで十分だった。

 

 今はそんな事より、恐怖と頭の痛みが消えてくれた事にただ安堵するばかりだった。

 

 

 

 少し時間が過ぎ、やっと地下施設から出れると言われた。

 

 地上へ出てみると、様々な人間の中に1人だけやたら目立つ人間が居た。理由は2つ、その人間だけ性別が違うのと、単純に身体が大きいからであった。

 『昭弘・アルトランド』と名乗るその青年は、「オレの事覚えているか?」と唐突に訊ねてきた。形状と名称を頭の中で探しても、何一つ一致する情報が出て来なかったので「初対面の筈だ」と答えた。

 昭弘殿は明らかに気を落とすと、それを隠す様に謝罪した。

 

 格納庫内に散らばってた人々が居なくなると、昭弘殿は僕たち3体のゴーレムに対して再度謝罪して来た。

 彼の話によると、彼が僕たちの仲間を殺してしまったとの事だ。

 滝の様に涙を流す昭弘殿だが、抑々僕たちには仲間の記憶なんて無いし、あったとしても彼を憎んだりはしないだろう。

 だって、僕たちの命より人間の命の方が尊いから。機械の身体と肉の身体、どちらが脆く有限的なのかは頭の悪い僕にも解る。僕たち機械の命は、多分そんなに重くはない。

 けれど、だからこそ僕たちの命を人間と同一視してくれた事が、堪らなく嬉しかった。

 

 故に、僕は酷い嘘を吐いてしまった。「全てを思い出す日が来れば」等と。

 昭弘殿の顔と名前を認識しても思い出せなかったのだ。そんな日が来ないなんて事は、馬鹿でも予測可能だ。

 

 だが確かに抱いたこの嬉しさは、何故か初めての感じがしなかった。

 

 

 

 また時間が流れると、僕たちは頻繁に地下施設と格納庫を行き来するようになった。何でも、僕たちについて調べる事になったらしい。

 

 少女の事が気になり始めたのは、丁度その頃からだった。

 水溜まりに映る青空の様に美しい色の髪を持ち、全体的に何処か幼さと儚さを感じさせる彼女は、触れれば潰れてしまいそうな印象を僕に抱かせる。

 

 皆が協力し合っている中、彼女はいつも1人。活気に溢れた空間は、そんな彼女をより一層際立たせた。

 僕はそんな彼女を哀れとは思わなかった。暖かな空間にポツンと咲き心地良い冷たさを放つ彼女に、ただ惹かれていたのだ。それは僕だけでなく、他の2体も同様だった。

 

 何度も彼女に話し掛けている内、気付いた事があった。僕は彼女を誰かに重ねていたのだ。

 その誰かとは、恐らく記憶を失う前の人物なのだろうなと僕は根拠も無く思い込む事にした。では彼女とその人物が似ているのかと問われると、僕は否と答える。これに関しても、足りない頭をどれだけ振り回しても解らなかったので「そんな気がする」と言う感覚的な答えしか出せない。

 

 解っているのは、1人で居る彼女『更識簪』との会話がどうしようも無く楽しいと言う事だけだった。

 

 

 

 

 

 時間は同じ速さで流れて行き、迎えたある日。

 

 格納庫で互いに笑い合う、昭弘殿と簪殿。

 それを目の当たりにした瞬間、僕は内側から串刺しにされる様な頭痛に襲われた。

 

 蹲る僕、心配するシロとゴロ、駆け寄る昭弘殿と簪殿と周囲の人間たち。

 だが集音機器は徐々に機能を失っていき、カメラアイが捉える映像も小刻みな波によって乱れていく。

 それと入れ替わる様に、知らない空間が映像として浮かび上がる。

 

―――人と人だ。楽しそうに談笑している

 

 更に映像は鮮明になっていき、登場人物の顔が遠目からでも認識可能な程度にはなった。

 

―――1人は昭弘殿、今と寸分違わぬ姿だ

―――もう一人は…銀色の長く美しい髪、小さくて華奢な身体、時折見せる小さな口元。だがそこから上はぼんやりと歪んでいて、顔の全体像が見えない。少なくとも、ボーデヴィッヒ殿でない事は確かだ。ましてや簪殿とは外見からまるで異なる

 

 誰だ一体。だが酷く懐かしい。簪殿と同じ、冷たくも優しそうで、人一倍脆そうな体躯は激しい保護欲を掻き立てられる。

 

 どうしてだ。どうしてこれ程の情報が目の前にあるのに、少女の顔も名前も思い出せない。どうして2人と過ごした日々が、見えて来ない。

 

 

 どうして、奥の方でそんな2人を見つめている「真っ黒な影」が思い出せない。

 アナタは一体何なんだ。

 頭には、2本の突起物がある…悪魔か何かなのか。

 

 嗚呼、どうして機械の脳と言うのはこんなにも不便なんだ。

 

 

 僕の憤慨に反して、視界に広がる輪郭はどんどん薄くなっていき、線が無くなった事で混ざり合った色は白く染まった。

 

 目が覚めた時、僕はこの映像を覚えているのだろうか。

 

 

 

 

《………ウゥ》

 

「!…気が付いたか」

 

「だ…大丈…夫…?」

 

 サブロの消えていたカメラアイが再び赤く点灯し、安堵の息を漏らす昭弘と簪たち。暴走する様子も、特には見られない。

 

《……銀色ノ…長イ髪ノ……少女ト…》

《…2本ノ角ガ生エタ……黒イ影…ガ……》

 

 そう並べられた単語を聞いて、昭弘は真っ先にある人物の名前を浮かべる。

 

(ッ!クロエと束か!?)

 

 だがそこから先を、サブロが口にする事は無かった。

 

 それより何より、一同動揺を隠せない様子だ。こんな状態へと陥ったゴーレムは、今までにない。

 

 まさか、実験に対して何らかの拒否反応を起こしてるのだろうか。情報漏洩を防ぐ為に、何を仕掛けられているか分かったものでもなし。

 等と勘繰る井山だが、かと言って此処で実験を取り止める訳にも行かない。

 

「来れそうかい?サブロ。厳しい様なら無理に動く必要は…」

 

《…イエ、行ケマス》

 

 そう言い、サブロは滑らかな動作で立ち上がる。やはり、義体の方にも何ら異常は無い様に見える。

 

 その後、念の為に義体とコアを検査したがやはり普段との変化は無かった。

 

 確証の無い嫌な予感が残る各員だが、どの道地下には連れてくしかない。

 仮に暴走しようと、地下施設と地上は分厚い隔壁で分断されている。最悪閉じ込めてしまえばどうとでもなるし、人工島から逃げ出される方が遥かに危険だ。

 

 

 

―――地下施設

 

 実験は至ってシンプルだ。

 先ず、井山たちが予め持ち込んで来たゴーレムボディに代わる義体を用意する(元々無人IS開発用に作られたボディで、外見や性能は打鉄を基本ベースとしている。その名も『打鉄零式』)。

 その胸部にタロとジロのコアを夫々セットしたら、拡張領域の機能を一時的に停止。ある程度様子を見たら再びコアのエネルギーを調整し、拡張領域を機能させる。

 ただこれだけだ。

 

「…本当にこんなんで成功すんのか?こんな…「もっかい電源入れたら蛍光灯が直った」みたいなやり方で…」

 

 確かに、これではまるで単なる接触不良だ。

 

「…さっきの…シミュレーション…観たでしょ?シンプルだけど…この方法が…一番成功率が…高かった」

 

 拡張領域へのエネルギーを遮断する事で、ゴーレムコア内部ではエネルギーの流れが混乱する。

 そんな状態から脱却する為、エネルギーは新たな領域を探し始める。この時、拡張領域への門を再度開くと鉄砲水の様にエネルギーが雪崩れ込み、コア内部は一時的な過剰循環状態へ。

 そうなるとコア内は激しく流れるエネルギーにとって酷く手狭になり、更に広い領域を求め出す。

 結果としてエネルギーはVTシステムと言う抜け穴を逃げ道に使い、遂には義体へと流れ行く。

 

 小難しい原理を大幅にすっ飛ばして簡略化した説明になったが、以上が大まかな理屈だ。

 

 

 そんな訳で、強化ガラス1枚を隔てた先には其々黒と白の打鉄零式が悠然と佇んでいる。特段細い胴体と猛禽類を思わせる鋭い頭部が有る点以外は、打鉄とそこまで外見上の変化は無い。

 外側からは見えにくいが、2機の間にも強化ガラスが走っている。

 

 今日までずっとガラクタ同然だった2機の打鉄零式に、果たして魂は繋がるのだろうか。

 

「さて、じゃあ皆下がって」

 

 井山の静かな号令により生徒・研究員は非常扉まで下がり、昭弘・ゴーレム・教員はその前面にて強化ガラス奥の2機を睨む。

 実験が失敗した場合の配置だ。

 

「…良し。はいポチッとな」

 

 そう言い、井山は薄いキーボードの「ENTER」を中指で軽く叩く。

 すると液晶画面に映し出されていたコアの3Dモデルに、拡張領域停止の警告が表示される。

 

 

 そうして数分が経過。シミュレーション上ではそろそろの時間だ。

 井山はキーボード上に細い両手を幾度か這わせた後、再びENTERへと指を持って行く。

 

 すると液晶画面のコアから、夥しい数の警告マークが現れる。

 

 マークの数は秒毎に増えて行き、遂には画面が埋め尽くされそうになる正にその瞬間―――

 

 

ヴィィン

 

 

 深紅のバイザーが、2機の頭部を横切る様に点灯する。

 時を同じくして、液晶画面の警告マークも全て消えた。

 

「せ……成功か!?」

 

 研究員の一人がそう声を張り上げ、皆もそれに続こうとするが―――

 

グラッ…

 

 直立不動だった2機は、操り糸が切れた様に体勢を崩し始める。酔っ払いの様に、或いは立ったばかりの赤子の様にヨタヨタと歩き回る。

 

 

 思わず昭弘は強化ガラスへと駆け寄る。

 生徒たちも突然の異変に恐怖し、非常扉へと手を掛ける。

 

「皆落ち着いて!いきなり意識が現実世界に引き戻されて混乱してるんだ。平衡感覚も、時間が経てば慣れてくる筈だ」

 

 そうして更に5分が経過。

 

 タロとジロが少しずつ重力に慣れて来たであろう事を確認した井山は、恐る恐るマイクを握る。

 すると深呼吸し平常心を保たせ、落ち着き払った声をガラスの向こう側へと送る。

 

「やぁ初めまして」

 

 今初めて聞き取るであろう人間の声に対し、2体は驚く様に首を激しく左右上下へと動かす。

 

「混乱するのは解るが、少し落ち着いて聞いて欲しい。オレの名は井山千持。大丈夫君たちの味方だ。…解ったのなら、ゆっくり右手を挙げて欲しい」

 

 再度井山の言葉を聞いた2体は、少しの逡巡の後言われた通りに右手を挙げた。

 

「(もう言葉を理解し始めたのか…)ありがとう。次に君たちの機体識別名を教えて欲しい」

 

 対して、黒い打鉄が最初に答え、それに白い打鉄も続いた。

 

《………私…ハ…『XFGQ-1:TA.RO.』…ト、申シマス》

 

《…『XFGQ-2:JI.RO.』ト申シマス》

 

 そこまで聞いて、整備科の教員たちは漸く安堵の息を漏らす。

 攻撃の意思は特段見受けられず、言葉も即座に理解、更には自身の名前も憶えている。これは、サブロたちが再起動した時と全く同じ状況だ。

 つまり実験は―――

 

「フゥー……一先ずは成功…かな?」

 

 まるで今迄貯め込んでいた緊張を一気に追い出す様に、井山は軽く宣言する。

 

 それを契機に皆一斉に歓声を上げ、拍手で施設内を満たしていく。

 歓声はこの1ヶ月以上、研究に食い下がって来た自分自身に対してか。拍手は、そんな自分をいつも支えてくれた仲間への贈り物か。

 

 こう言う雰囲気に慣れていない簪は、そんな風に深く考えるしかなかった。

 若しくは、単純な嬉しさから来る気恥ずかしさを誤魔化しているだけなのかもしれない。

 

 

 皆が達成感を味わっている中、昭弘は強化ガラスの中央に立つ。丁度、向こう側でタロとジロを分け隔てている位置だ。

 すると昭弘を視認した2対は、静かに歩いて近付いて来る。

 

《…》

 

《…》

 

 無言で立つ、黒と白の鋼人。言語でしか感情を表現出来ない彼等は、喋らなければどこまでも単なる機械にしか見えない。

 2体の無機質で紅いバイザーは、昭弘を鏡の様に映しているだけだ。

 

 記憶も失い、姿形も変わり果ててしまったタロ、そしてジロ。今の2体は、本当にタロと、ジロと呼べるのだろうか。

 黒と白の機体をガラス越しに見比べながら、昭弘はそんな事を思ってみる。

 

《…オイオ前》

 

 隔離室の集音装置が、タロの声を昭弘の下へと届ける。

 自分が呼ばれたのかと振り向く昭弘だが、タロのバイザーはガラス越しにジロを捉えていた。

 

《サッキカラボーットシテナイデ何カ話セ。コノ御方、機嫌ヲ損ネテイルゾ》

 

 高圧的な口調のタロだが、ジロは尊大な態度を崩さない。

 

《黙レ、次ノ発言許可ガ下リテイナイ以上私カラ人間ヘ話シ掛ケル事ハ無イ。ソンナニ人間ノ御機嫌ヲ取リタケレバ、貴様ガ話セバ良カロウ》

 

《何モ話題ガ浮カバナイカラッテ、ソンナ格好付ケタ言イ訳シナクテモイイジャナイカ》

 

《大体貴様自体ニ問題ガアルノデハナイカ?ソノ下水ノ様ニ黒ク禍々シイカラーリングハ、見ル者ニ多大ナル警戒心ヲ与エルダロウカラナ》

 

《ソレヲ言ウナラオ前ノ白イボディノ方ガ、見ル者ノ毒ダト思ウケドナ。目ニ悪ソウダ》

 

 記憶が無い以上、初対面であろう筈のタロとジロ。

 だのにいきなり罵詈雑言のぶつけ合いと来た。

 

 当惑する昭弘。

 

 だが同時に過去の記憶が昭弘の網膜に覆い被さり、懐かしい気分にもなる。

 あの日々もそうだった。性格も物の考え方も正反対だからこそ、毎日毎日些細な原因で諍いを起こしていたタロとジロ。今繰り広げている口論は内容こそ違えど、昭弘には全く同じに見えた。

 それはつまり、この2体が紛れもなくタロとジロである証明でもあった。

 

 が、安堵している場合ではない。

 皆も会話を聞き付けたのか、何事何事と昭弘の元へ集まり始める。

 意識を切り替えた昭弘は、2体を宥めるべくマイクを取る。

 

「落ち着いてくれお前たち。オレは不機嫌なんかじゃない、この顔面は生まれつきだ」

「あと、ジロはもう喋っても良いんだぞ」

 

 再び昭弘へと向き直る2体。

 

《ソレハ大変失礼シマシタ!何セ目覚メタバカリデ、人間殿ノ表情ガ判別シ辛イモノデスノデ》

 

《私モ見苦シイ所ヲオ見セシタ事、深ク謝罪致シマス。大変、申シ訳御座イマセンセンデシタ》

 

 と、ここでシロが昭弘を押し退けマイクをぶん取る。

 

《イイカオ前ラ。オレタチ3体ハ起動シテカラ1ヶ月以上経ッテイル、言ワバオ前タチノ先輩ダ。デカイ態度取レルト思ウナヨ?》

 

《マァマァ落チ着イテ》

 

《事ヲ荒立テナイデ下サイネ》

 

 昭弘との会話に割り込んで来たゴーレム3体組。

 それらを視認したタロとジロは、ガラリと態度を戻す。

 

《何ダコイツラ?ヤタラ太イケド豚カ?》

 

《馬鹿カ貴様。形状カラ推定スルニ、ゴリラト見ルノガ妥当ダロウ》

 

 毒がたっぷりと含まれた機械音声を聞いたシロは拳を振り上げて強化ガラスを叩き割ろうとするも、サブロとゴロに止められる。

 

 先が思いやられると、昭弘は軽く溜め息を吐く。

 その溜め息と共に雑念も出て行ったのか昭弘はタロとジロに言っておかねばならない事を思い出し、再びマイクに手を添える。

 

「そうだ言い忘れる所だった。…オレはな」

 

 名前。自己紹介の基本型でありある種の象徴でもあるそれを、昭弘は中々言葉に出せない。

 

 昭弘には、タロたちと過ごした記憶が鮮明に残っている。だからこそ、改めて自身の名前を言う事が憚れる。

 名乗る事、それ即ち相手との初対面を自ら認めると言う事でもある。それはまるで、昭弘がタロたちと過ごした日々を無かった事にする様ではないか。

 

 だが名乗らなければ、永遠に『昭弘』と呼ばれる事は無い。

 タロもジロも、昭弘に関する記憶が無いのだから。

 

 否、抑が仕方がないとかそう言った話ではない。これは昭弘にとって、過去との決別を意味している。

 人一倍過去を尊ぶ昭弘が、ラボでの過去を心の奥へ押し留め、ゴーレムたちと此処で1からやり直す。

 

 その覚悟を名前に込める。

 サブロたちに名乗る時、そうした様に。

 

「『昭弘・アルトランド』だ、これから宜しく頼む」

 

 

 昭弘の自己紹介は、短いながらもガラスの向こうへ響き渡る。

 

 

 そして、タロとジロの中へと確かに流れて行った。

 

 

 

続く




タロ&ジロ、漸くの復活です。記憶を失う前よりも、毒舌がより激しくなってる気がします。
機体としてのスペックは、やはりゴーレムボディと比べると劣ってしまっていると思います。でも、格好良さなら断然ゴーレムより上だと思います。

サブロの身に起きた謎の変調は、次回軽く説明して、その後も追い追い触れて行きたいと思います。
因みに、次回がコア編の最終回です。


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第43話 CORE Ⅷ

 地上の格納庫へと戻って来た、昭弘たち一行。

 

 先程タロとジロが目覚めて直ぐ、早速彼等の創造主について整備科教員から聴取が為された。

 結果は「一切記憶に無い」だ。サブロたちと同様、覚えているのは自身の機体識別名だけだった。

 コア・ネットワークも、やはり切断されたまま。

 

 そんな中、井山たち研究員らは早速次なる研究の準備を進めている。

 

「流石に今日はもう休んでは?」

 

 休む事を知らない井山を、心配した昭弘はそう制する。

 接続実験は成功し、コアに関する新事実も幾つか発見出来た。せめて一息ついても良いだろうに。

 

 対して井山は小さく笑うも、応じはしなかった。

 

 これ程「強いAI」なのに、何故「技術的特異点」が起きないのか。どうすればコアの中身を観測出来るのか。

 と、確かに他にもまだまだ解らない事だらけではあるが。

 

「オレたちが学園に居られる期間は、残り1ヶ月と少し。その間に1つでも多くの事を解明したいんだ。それが、科学者(オレたち)の使命だからね」

 

 どうやら簪の存在が、井山たちの心に更なる火を灯した様だ。遥かに年下のIS乗りに良い恰好されては、科学者としての面目も丸潰れだろう。

 流石の昭弘でも、そんな井山を止める手立てはない。

 

「それにさっきのサブロのアレは、一体何だったのやら…」

 

 突然倒れ込んだと思えば、直ぐに再起動して記憶の一部を手にしていた。

 それは嬉しい事なのだろうが原因が解らない以上、井山にとってはちょっとした不安材料であった。

 

「…はい。オレの名前を聞いても何一つ思い出さなかったのに…何故あの時急に」

 

 まるで自分たち科学者みたいに小難しく考え出す昭弘へ、井山は一つの仮説を言い渡す。

 

「…彼等がどこまで人間に近しいのかは解らないけど、記憶の戻り方は人それぞれだ。名前や顔と言った直接的な情報じゃなく、過去と似た様な体験や光景によって思い出す事もある。…さっきサブロのカメラアイには、過去を思い出す様な何かが映ったんじゃないかな。なーんてちょっと軽く考え過ぎかもだけど」

 

 そこまで言うと、井山は準備組の下へと戻って行った。

 タロも、何かの拍子で思い出したりするのだろうか。自身の事、昭弘の事、そして創造者である束の事。

 行く行くは束の計画の全容も思い出してくれたらと、思わずにはいられない昭弘であった。

 

 

 

 簪は格納庫全体を呆然と見渡していた。

 

 3体のゴーレムに2体の打鉄零式が加わった無人機と人々が言葉を交わし入り乱れるその場所は、まるで人間とロボットが共存する未来の理想郷に見えてしまう。

 

 再び現実世界(ネットワーク)へと舞い戻って来たタロとジロ。

 彼等は今何を考えているのだろうか、何を感じているのだろうか。社会を拒絶してきた自分と、どんな所がどう違うのだろうか。

 

 簪は今になって色々と考えてしまう。

 

「お前の一声が作り上げた光景だ」

 

 そう言いながら昭弘は簪の隣に立つ。

 嬉しい言葉だが、違う。義体が無ければ、装置が無ければ、そして皆が居なければタロとジロが解放される事は無かった。

 簪のやった事など、単なる意見具申に過ぎない。

 

 だからこそ簪は言わねばならない。

 

「…悪くはない…かもしれない。「皆で何かを成す」って…」

 

 皆で成す。簪にとってそれは湧き水の様に新鮮で、想像以上に甘美なものだった。

 

 だがその言葉は、昭弘にとっては凍てついた刃そのものであった。

 

「オレ以外の皆…だがな」

 

「?」

 

「タロとジロを助ける為に、お前や皆から色々教わった」

「だが結局無駄だった。ただ見ていただけで、オレは何も出来なかった」

 

 俯きはせず、前を見ながら無表情でそう言う昭弘。どうやら、今回ばかりは流石に厳しい現実に痛め付けられた様だ。

 当然、自分なら必ず救える等と己惚れていた訳ではない。ただ、余りに無力な自分が腹立たしいのだ。

 

 が、尚も簪は目を点にしながら昭弘を見る。

 

「?…いや、昭弘の喝が無かったら…私は自分の考えなんて…ずっと言えなかったし…」

 

 その言葉が慰めでない事は、未だ不思議そうに昭弘を見る簪の表情を見れば解る。

 

 昭弘は己の発言を恥じた。

 そうだった、人の成す事は全て繋がっていて、それらがまた新たな目的を達成するのだった。昨日、簪に言ったばかりの言葉ではないか。

 その簪に気付かされては、これはもう小さく己を嗤うしかない。

 

「…そうだったな、悪かった」

 

「…別に…悪くは…ないけど…?」

 

 

 

 ゴーレムも全員目覚めた所で、いよいよ簪の専用機『打鉄弐式』作りについてだ。

 作業場所はアリーナDとなる。本校舎から遠いが利用している生徒はやはり其処が圧倒的に少なく、ピットにて大人数で作業しても邪魔にならない。

 人員は先ず昭弘と本音、それに四十院たち整備科生十数名だ。格納庫での研究見学は完全自由参加型なので、彼女らが抜けるのは何ら問題にはならない。但し本音は生徒会、四十院は部活があるので参加出来る時間は限られて来るだろう。

 何より一番の問題は―――

 

「ゴーレムの参入は…色々と解決すべき問題が…ある」

 

 難色を示す簪。

 先ず、タロとジロは当面の間格納庫から出られない。同じゴーレムコアとは言え、義体は今回が初起動となる打鉄零式だ。調査すべき事はまだまだ山積みである。そして2体の見張り役として、少なくとも1体はゴーレムが格納庫に残らねばならないだろう。

 第一、ゴーレムの研究もまだまだ道半ばだと言う事を忘れてはならない。

 残った2体のゴーレムも、千冬や整備科教員から何かしらの許可が必要になる事は確実。距離的に最も遠いアリーナDでしかも一生徒の専用機作成の手伝いともなると、最悪監視役の教員を数名同行させる事になる。

 

「だが完成にはゴーレムの技術が必要なんだろう?詳しい事は解らんが」

 

「……うん。けど、最悪…1体でも来てくれれば…どうにか」

 

「ご安心を。もう既に織斑先生から、今さっき許可を得ました」

 

 いきなり第3者の声がした方向に、2人は振り向く。

 

「流石は鷹月だな。オレらが地下に降りている間、織斑センセイに許可を貰いに行ったってとこか?」

 

「ご名答です。ただ、織斑先生ったら余りにあっさり許可を出すので、念の為地上に残っていた整備課の先生にも訊いてみたんです。それで話し合った結果、1体だけならって事になりました」

 

 そんな鷹月に感謝の一礼を送る昭弘と簪。だがそれ以上に、2人は千冬の大雑把っぷりに一抹の不安を覚えた。

 無論許可の早い方が2人にとっても助かるが、「現場監督責任者としてそれで良いのか」とも感じてしまう。

 千冬の忙しさには昭弘も一応の理解を示すが、ゴーレムを信用し過ぎだ。

 

 

 

 後はゴーレムたちの返答だが当然―――

 

《ヤリマショウ!ヤリマショウ!》

 

《アノ簪ガ他ノ人間ト協力シ合ウ光景ハ面白ソウダ》

 

《私モ是非参加サセテ頂キマス。未ダ「人」ニ慣レテオラズ重大ナコミュニケーション障害ヲ患ッテイルデアロウ簪殿ニハ、私タチノ様ナ補佐役ガ必要デショウカラ》

 

 となった。

 

「…やっぱり、コイツら…余り好きじゃない。…ウザイ」

 

「お前と親しい証拠だ」

 

 そう諭す昭弘により、簪はどうにか少しだけ機嫌を戻す。

 

 と、そんな2人と3体に黒と白のコントラストが近付いて来る。ゴーレムボディと比べて全体的に鋭角的なその2体は、細身ながらも貫く様な威圧感がある。

 

《ジロ、コノ方ダ。私タチガ目覚メル切ッ掛ケニナッタ人ラシイ》

 

《フム、確カニ謎ノ気迫ヲ感ジル様ナ》

 

 2体はそう言うと、簪に対して跪く。

 その光景はまるで、昭弘がサブロたちに土下座した時の唐突さを思い出す。

 

 何故片膝を着いてるのか大体は予想出来てる簪だが、かと言って戸惑いは隠せなかった。

 

《…貴女ガ居ナケレバ、我々ハ未ダ目覚メル事ナド無カッタデショウ。感謝ノ気持チガ過ギテ、言葉モ見ツカラナイ所存デス》

 

《自分モジロト同ジ思イデス。貴女ニハ一体、ドンナオ礼ヲシタラ良イヤラ…》

 

「い…いいよ…お礼なんて…。私はただ…切っ掛けを…作っただけだし…」

 

 しかしタロたちは尚も頭を上げようとしない。自分たちが低位の存在であると認める様に。

 

 更には、そんなタロたち2体の平伏を当然視するかの発言をシロが放つ。

 

《ダガオレタチハ所詮命無キ無人機。本来ナラ使イ捨テラレルダケノ存在ダ。ソウ考エルト、コイツラノ頭ガ上ガランノモ納得ダ》

 

「!」

 

 シロの何気無く放った言葉は、冷たい弾丸となって昭弘の心臓を撃ち抜いた。

 自分たちに命は無い、だからこの身全てで人間の楯となり矛となる。シロの言い放った言葉は、詰まる所そう言う事だ。

 

 改めて、ゴーレムたちが自分自身をどう認識しているのか思い知らされた昭弘。

 

 そうして、昭弘は改めて許せなくなった。“あの時”の昭弘自身を。

 そう感じた時には、昭弘も又鏡映しの様に同じくタロとジロに対して跪いていた。

 

《?…何ヲシテイルノデスカ昭弘殿》

 

 純朴な疑問を呈するタロ。まさか機械である自身に向けて跪いているとは、露程も思わなかったのだ。

 

「…2つ、謝らせて欲しい事がある」

「先ず1つ目は、お前たちを死なせてしまった事だ。特にタロ、もう聞いているかもしれないがお前はオレが直接殺してしまった。…本来ならそれは、謝って済む問題じゃない事は承知している。それでも、やはり謝らずには居られない。……すまなかった」

 

 その謝罪に対し、2体共何も言う事は無かった。

 案じてくれたのが嬉しかったのか、理解不能過ぎて呆気に取られているのかは、その無機質な鉄仮面とバイザーからは読み取れない。それらの形状も相まって、その無表情さはまるで遥か遠方を見詰める鳥だ。

 

 だが昭弘は構わず続ける。この2つ目の謝罪こそ、昭弘にとっての本題だ。

 

「2つ目は…オレが何も知ろうとしなかった事だ」

「オレはお前たち“5人”が襲撃して来たあの時、お前たちを絶対に殺すまいと思っていたつもりだった。だが本当は違った。真に心の奥底では、お前たちを殺してもいいと思っていた。現に最後の最後、オレはタロを殺めた」

 

 それはやむを得ない状況と言うのもあったが、それ以前に昭弘はタロたちの命を多少なりとも軽んじていたのだ。「所詮は機械だ」と。

 

 どれだけ人間らしい思考と感情を持とうと、結局は人工的な無機物で人間を真似ているに過ぎない。本当の心なんて何処にも在りはしない。

 そんな風に、ごく自然に家族として受け入れる一方で、自分たち人間の命には届かない存在と心の片隅では見なしていたのだ。あくまで人間よりも低位と言う大前提が、ゴーレムを大切に思う昭弘の中にあった。

 彼等無人ISが何なのかを、考えなかったが為に。

 

 そして、もうそんな自分とおさらばする時が正に今なのだ。

 

「だがな、今なら違うと実感を持って言い切れる。お前たちは確かに生きている

 

 「生きている」。皆が持っている単純で当たり前な言葉に、昭弘は想いの全てをブチ込んだ。

 

 模倣が何だと言うのだ、機械が何だと言うのだ。道具の様に記憶を消された彼等は、それでもちゃんと覚えていた。記憶を失う以前、自分が「どんな」だったかを。

 大切な事は、記憶を消すだけでは忘れようの無い事は覚えていたのだ。

 今この時も、サブロの様に何らかの切っ掛けで思い出そうとしている。

 

 そして、脆弱さも知った。1人では、繋がりが無ければ、人間と同じく彼等も又存在し得ないのだ。

 彼等にとって「自分」を形成してくれるのは、「自分以外の何者か」なのだ。

 

「…だから本当に…本当にすまなかった。お前たちの事を、今迄何一つ知らなくて…」

 

 それが2つ目の謝罪だった。それはタロとジロだけでなくサブロ・シロ・ゴロ、5人全員に対してのものだ。

 

 すると今度は―――

 

《簪殿マデ》

 

 驚くタロを気に留めず、簪も昭弘に倣って片膝を着く。

 

「……うん…昭弘の…言う通りだと思う。だから…私も跪く。…アナタたちを…上から見下ろしたくはないから…」

 

《…ジャア僕モ》 《オレモ》 《私モ倣ウトシマスカ》

 

 サブロたちも、誰に対してかは分からないが同様に跪く。少なくとも此処に居る7人は対等であると、そう言いたいのだろうか。

 

 嘸かし異様な光景だったろう。人間に跪く無人機に対し、同じく跪く人間と言う構図。

 

 そうして七者が「対等」を表現してから何秒かが経つと、ジロが最初に立ち上がった。

 

《戻ルゾ、タロニ3馬鹿。何時マデモ昭弘殿ト簪殿ヲ跪カセル訳ニモ行クマイ》

 

 その言葉を契機に、ジロ以外の6人も立ち上がった。

 だが今度は介する言葉も無く、結局去ろうとする色鮮やかな義体たち。

 

 その中で空色の義体だけが、再び意を決した様に振り向いた。

 

《昭弘殿。…僕タチハ、生キテ良インデスネ?》

 

 何も変わらない無機質な赤いカメラアイからは、サブロの表情なんて読める筈も無く。去れどその言葉は、確かに昭弘の答えを求めていた。

 人間とは程遠い外見、人間の様な口調と言語能力。そんなもの関係無しに、昭弘は即答だった。

 

「ああ。死ぬまで生きろ」

 

 それ以外に、言葉が見つからなかった。

 

 

 

 タロたち5人が研究グループの下へと戻った後、簪は先程嵌っていた思考の渦へと戻る。目覚めた彼等と自分、一体どんな違いがあるのかと。

 

 その答えは「何も違わない」だ。

 簪も彼等も他者を認識し意識し、そして自分自身をも意識しなければ、生きて行く事は叶わない。

 人間にとって「生きる」と言う事は、単に心臓を動かし続ける事でも脳を回転させる事でもない。他者の存在を感じる事なのだ。

 

 今の簪にならそれが良く解る。

 当然、1人での作業は居心地が良かったし、人と会うのはやはり精神的にも疲れる。だが何時終わるとも分からない孤独な作業は、目的を果たせる気がしなかった。

 それが多くの人手を得て目的へ指先が届きそうになった今、簪は確かな「生」を実感していた。

 

「…生きる事って…大変…なんだね、昭弘」

 

「“死ぬ程”大変さ」

 

 

 脳と深層学習。それぞれ異なる「核」を持って生まれた、人間と汎用AI。

 

 だが、背負った宿命は同じだ。

 

 どちらの核も「己」と「他者」を形成しなければ消え行くのを待つだけの、弱くて脆くて、去れどこの世の何よりも尊い存在なのだ。

 

 

 

 

 

―――同日 夜 622号室

 

「アレ~?カンちゃん。ボムレンジャーのその回、グリーンが主役じゃなかったっけ~?」

 

「…うん。最近…グリーンはそこまで嫌いじゃないし…」

 

「へ~どんな心境の変化があったのやら~~」

 

「…うるさい」

 

 

 

第43話 CORE 終




また少し空けるかもしれません。
日常を程よく挟みつつ、打鉄弐式を完成させ、最終的には更識姉妹の仲直りまで行きたいと思います。1話1話投稿するか一気に投稿するか、悩んでる所存です。

それが終わり次第、いよいよ第一章クライマックスの福音戦へと突入したいと思います。


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第44話 名前

この話では、打鉄弐式はまだ出てきません。

打鉄弐式作りなのですが、人数が増えようとやはりそこはIS製作。それなりの長丁場になるかと思いますので、日常的な小話と並行して進める形になるかと思います。

で、色々と考えてみたのですが、「どれだけ順調に進んでも臨海学校までには完成しないだろ打鉄弐式」ってなりました。もしかしたら、本格的な描写は臨海学校(福音戦)が終わってからと言う可能性もあるかもです。ご了承下さい。平日は放課後しか作業出来ないってのがね…。
なのでごめんなさい。楯無と簪の完全な仲直りは、臨海学校よりも後になる可能性が高いです。まぁ、後は簪が楯無の想いや反省に気付くだけみたいなもんですし、最早いざこざと言うレベルではないかもしれませんが。






そう言えば、臨海学校の詳細な日時っていつでしたっけ?
まぁいいや、夏休み前位で(適当)


 阿頼耶識システム。

 とある世界のとある時代に開発された、人機一体を旨とする有機デバイスシステムである。

 詳しい原理は省略させて頂くが、操縦者の脊髄とマシンとを有線で繋げ、操縦者の意識をマシン側に移す。こう言えば解り易いだろうか。

 結果、20m近くにもなる人型マシンの五体をまるで操縦者自身の手足の様に操る事が可能になる。

 

 

 それが何の因果か、一人の天災科学者によって再びその機能を果たす事となる。

 高性能PS(パワードスーツ)であるIS(インフィニットストラトス)。その動力部であり、あろう事か自我を持つとも言われているISコア。

 そのコアと操縦者を繋げる為の架け橋として。

 

 ISの名は『グシオン』、操縦者の名は『昭弘・アルトランド』であった。

 

 

 科学者は知っていた。ISと操縦者が深く繋がり過ぎた場合、最終的にどうなってしまうのか。

 それでも止められなかった。

 青年と出会った、阿頼耶識を目の当たりにしたその瞬間から、彼女の中で錆びれていた歯車は光沢を帯びて再び動き出したのだ。

 

 全ては物心ついた頃から「終着点であり始発点」として定めていた、人が持つには過ぎた「夢」の為だった。

 

―――

 

 

 

 

 

 

 

―――――6月25日(土)―――――

 

《昭弘殿。結局ノ所、私タチハ何ト呼バレルベキナノデショウカ》

 

 其処は若々しい草木が放つ初夏の匂いと人の臭い、そして機械のにおいが入り交ざるIS学園格納庫。打鉄弐式製作メンバーが決まって少し経った頃だった。

 次なる研究の為に機材を運び回る昭弘へ、タロが唐突にそんな事を訊ねて来た。

 

 昭弘はそのモニターらしき機材を壁際に置くと、少しの間考えた後に答える。

 

「何って…タロは『タロ』でジロは『ジロ』だろう?」

 

 昭弘の安直な回答に対し、タロはやれやれと言いたげに首を左右に振る。どうやら、そう言う事を訊きたかった訳ではないらしい。

 

《ソウ言ッテ頂ケルノハ嬉シイノデスガ、私ヤジロニモ「種別」ガ欲シイノデス。打鉄零式デモゴーレムデモナイ、新タナ「種名」ト言イマスカ》

 

 また随分と突拍子の無い事を言い出すなと、昭弘は困惑する。

 だが言われてみれば、タロもジロも打鉄零式とは言い難い存在なのかもしれない。義体こそ正にその通りであるが、実際に思考し動かしているのはゴーレムコアだ。

 人間の脳髄を持ちながら身体は機械である者を、人間以外に分類するのは些か早計に過ぎる。タロについても同様の事が言えた。

 

 ではゴーレムと呼ばれるべきなのかと言うと、そうもいかない。義体自体は打鉄零式だからだ。

 ゴーレムボディと打鉄ボディは人型である外見的特徴こそ似ているが、設計思想からして何もかもが異なる。

 先ずゴーレムボディだが、そのゴツい四肢と胴体からも見て取れる様に「戦闘」が主な目的にある。極太の前腕は大出力のビーム砲2門を収納させる為であり、丸々と隆起した上腕と胸背部は絶大な膂力を持たせる為だ。

 対する打鉄ボディは、「動かす」事を目的に作られた実験機である。先ず歩行をより人間らしくする為、骨格も人工筋繊維も平均的な成人をベースにしている。膂力も空中での機動力も現行の打鉄並にはあるが、ゴーレムとは比較にもならない低スペックだ。

 

 これなら確かに、タロ・ジロ用の新たな分類を考えた方がいいのかもしれない。

 

 だが、残念ながら昭弘は命名なんてした事が無い。

 故に、口を右手で軽く覆いながら小難しく考え始める。

 『身体は打鉄零式でありコアはゴーレムである、義体の用途から見ても分類が難しい存在』。ここまでは昭弘も纏められたのだが、その中から名前として抽出する事が出来ないでいた。

 

《昭弘殿ォ~マダデスカ~?》

 

 頼み込んで来た張本人であるタロは、退屈そうに寝転がっていた。どうやら今直ぐ命名して貰うつもりの様である。

 

《オイソコノ裏返ッタクロゴキブリ。皆サンヲ手伝ウ事デ、ナケナシノ存在意義ヲ少シハ見出シタラドウダ》

 

 タロに罵声を浴びせながら、ジロが床を踏み抜かん勢いでズンズンと歩んでやって来た。彼の場合ガシンガシンだろうか。

 白銀にギラつくボディの隣には簪も居る。

 

「何…してるの?」

 

「ああ、タロたちの分類名を考えていてな」

 

「分類名…」

 

 昭弘に釣られる様に、今度は簪まで悩み始める。

 一度疑問に思った事柄は、解けるまで熟考を止めないタチである簪。彼女が昭弘と同じ状況に陥るのも、無理はなかった。

 

「打鉄零式にもゴーレムにも名前負けしない、それでいて由来が解り易い…ブツブツ」

 

「抑々、本来通常のISコアだけで動かす事を目的とした打鉄零式。それをほぼ人間の脳髄に近しいゴーレムコアで操っているのだから、全く新しい別個の存在として位置付けるべき…ブツブツ」

 

《御2人共。我々ノ為ニ何モソコマデ御悩ミニナル事ハ…》

 

 宥めるジロだが、昭弘と簪は止まらない。

 終いにはノートまで取り出しそれを地べたに広げ、箇条書きで候補を上げ連ねる始末だ。

 昭弘も、ハッキリとしない物事を嫌うタチだ。ゴーレムなのか打鉄零式なのか曖昧なまま切り上げるのは、不本意なのだ。

 

「アキヒーもかんちゃんも、床と睨めっこしてどうしたの~?珍しい昆虫でもいた~?」

 

 作業が一段落した本音は、そう言いながらトテトテと歩み寄って来た。

 

《脚2本欠損状態ノ裏返ッタ巨大ゴキブリデシタラ此処ニ居マスガ》

 

《サッキカラ煩イナァ》

 

 ジロがしつこく放つタロへの罵倒を聞き流しながら、本音は蹲る昭弘と簪を横から覗き込む。

 そこにあるノートと書かれている内容だけで、本音は2人が何をしているのか概ね把握する。

 

「名前~?」

 

「そんな所だ。タロとジロのな」

 

「ゴーレムでも…打鉄零式でも…私たち的には納得出来ないし…」

 

 昭弘と簪はそんな風に言いながら、本音に期待する様な縋る様な眼差しを向ける。

 常日頃から色んな渾名を考えている彼女ならこの苦境を脱するに足る名を言い渡してくれるのではと、2人は思っているのだ。

 

 2人のそんな意図が丸見えだった為、本音は渋々腰を下ろすと胸ポケットから黒のボールペンを取り出す。

 

「えっとね~…「ゴーレム」と「打鉄」を足して2で割って『ゴーガネ』でいんじゃない?」

 

 秒で考え付き、カタカナで大きくノートに名前を書き記す本音。

 

 何の捻りも由来も特に無い名前だからか、昭弘と簪の反応は微妙なものだった。

 ただまぁ本音らしいと言えば本音らしいし、小難しく考え過ぎて長ったらしい候補しか挙げられなかった昭弘たちよりは大部マシと言えた。

 

 何より、タロたちの反応が中々に好感触であった。

 

《呼ビ易クテ良インジャナイデスカ?》

 

《単純且ツ覚エヤスイ、素晴ラシイ名称カト》

 

 他でもない本人たちがこう言うのだ。却下する訳にも行くまい。

 

 とは言え、やはり由来の無い名称はただ発音する為の単語に過ぎない。

 何故タロ・ジロをゴーガネと呼ぶのか、その理由を深く考える必要はあるだろうと、昭弘と簪はまたも眉間に深い堀を作りながら考え始める。

 

 となると先ずゴーガネを和名にするか英名にするかだが、これはすんなり和名で決まった。

 元のボディが日本製である事、タロたちも基本的に日本語で話す事。そして、昭弘たち3人が日本人である事が理由だ。英語を習っていない訳ではない彼等だが、由来を含んだ英名までは流石に作り難い。

 言語の違い、即ち文化の違いと言う「壁」がそこにはあった。

 

「「呉雨芽根」なんてどうかな~。あ、少し捻って「呉雨芽・根」でもいいかな~」

 

「本音…真面目に」

 

「む~真面目だよぉ~」

 

 ノートを様々な漢字で埋め尽くしていく、本音と簪。

 そのページとタロ・ジロとを見比べながら、昭弘はどの文字が最適なのか頭の中で探る。

 束から日常的に使う漢字は粗方教わってはいるものの、それまでは触れる機会すら無かった文字だ。まだまだ、名付けとなるとそう簡単には行かないらしい。

 

 中々しっくり来る漢字が無いからか簪と本音が止む無く携帯端末で調べ始めた頃、「ゴーガネ」と何度も読み返す昭弘の脳内にふとある漢字が浮かぶ。昭弘がタロたちを見て感じているモノを、文字が代弁する様に。

 

「…『郷鐘』でどうだ?」

 

 そう声に出しながら、漢字をノートに書き記す昭弘。

 

「お~!何か奇麗な名前~!」

 

「うん…けど…どうしてこの漢字にしたの?」

 

 興奮する本音と素朴な疑問を投げ掛ける簪に、昭弘は側頭部を人差指で軽く掻きながら答える。

 タロ・ジロは、表情無き鉄仮面のままそれを黙って聞き入れる。

 

「結構感覚的なものでな、深い意味合いまでは考えてないんだ」

「ただ「鐘」については、一応考えてある。「鉄」のままだと、「戦うだけの機械」ってイメージが強いだろう。意思を持って思考する、タロとジロにはどうも似合わん」

 

「確かに…「鐘」ならそう言うイメージは無い…かも」

 

 この時、昭弘はちょっとした嘘を付いた。

 

 最初の閃きは、本音が口にしていた「ゴウガ・ネ」と言う読みであった。声に出さずそれを読み返していく内「ゴウガ・ナイ」→「ごうが・無い」となり、最終的には「郷が無い」となった。

 今この世界に故郷と言う場所の無い昭弘は、その読みに自然とそんな漢字を当て嵌めてしまったのだ。それはタロとジロにも言える事で、彼等も故郷に関する記憶が無い。

 そして皮肉にも、その漢字が美しい形と意味を持っている事に気付いてしまった。

 

 後は「鐘」についてだが、これは昭弘が述べた通りだ。

 

「…素敵な名前…だと思う。この2文字に…美しい…意味が沢山込められている…」

 

 「故郷の鐘」「居場所を鳴らす鐘」「何処からも受け入れられる音」等々、そんな言葉を簪は目を輝かせながら新しいページに書き挙げていく。

 その名はまるで「今は此処IS学園こそ彼等の居場所」と、暗に示しているかの様だった。

 鐘の音は、此処に居ると言う印なのかもしれない。

 

 

 昭弘は協力してくれた簪と本音に感謝を述べた後、早速井山たちにこの名称と由来を提案しに行った。

 彼にとっては人生初の命名だ。昂る気持ちは解らないでもない。

 

 井山としても、近い内にタロ・ジロをゴーレムでも打鉄零式でもない新たなカテゴリとして分類する予定だったらしく、昭弘が掲げた名前を快く受け入れてくれた。

 

 こうしてタロとジロは、新たなる無人IS『郷鐘』となった。

 

 

 

「…何故急に「種名が欲しい」なんて思った?」

 

 戻って来た昭弘は、最初から訊こうと思っていた言葉を今になってタロに零した。

 元々、タロには束の付けた名前が最初から記憶に在る。

 何よりタロたち5人を学園の友人たちと同等に思っている昭弘にとって、態々区別する必要性自体皆無であった。仲間と言う存在に、人種が関係しないのと同じ様に。

 

 昭弘の疑問に対し、タロは暫く間を置いた後スピーカーの音量を下げながら答える。

 

「…私ニモ良ク解リマセン。タダ…新シイ名前ヲ、皆様ニ付ケテ貰イタカッタノデス。我々ヲ助ケテクレタ、皆様ニ」

 

 感謝の気持ちのつもりなのだろうか。いや、だとしたら名前を付けて欲しいと言うのも奇妙だ。

 恐らくこれは、正真正銘タロにとって初めての「要望」だったのだ。

 

 そのままの意味であった。タロは新しい「名前」が欲しかったのだ。

 幾ら昭弘がタロを人間と同等に扱ってくれようと、それでもタロは人間ではない。鋼の身体を持ち、人工の魂によってそれを動かしている。

 例え『タロ』と言う名前があろうと、自分がどう言う存在なのか解らないのは恐ろしいものだ。

 それは、形を持つ者にとって逃れられない宿命。

 

 創造主が付けてくれた名と、命の恩人たちが付けてくれた名。今のタロにはその2つが必要であった。

 自分『タロ』は『郷鐘』であると、ハッキリと胸を張って言える為に。他者からそう認識して貰える為に。

 

「…そうだな。名前が欲しい理由なんて、誰だって「何となく」だよな」

 

 そんな事を頭の中で積み重ねる様に考えた昭弘は、ただそう一言だけそう返した。

 

 

 

 タロが研究員たちの下へ戻って行った後も、昭弘は機材を持ち上げながら物思いにふけっていた。

 

(自分がどんな存在なのか…自分が何者か…)

 

 昭弘には、タロの抱く恐怖が手に取る様に解った。まるで、タロの心と昭弘の心が共鳴し合っているが如く。同質の恐怖に同様の反応を示しているが如く。

 

 その恐怖に突き動かされる様に、背中の阿頼耶識を自身の太い指が撫でる。

 何故、今この時、阿頼耶識を気にしているのか昭弘にはまだ解らない。

 

 だが薄ぼんやりと気が付き始めていた。

 グシオンと深い所まで繋がる度、そして今も、昭弘は“自分”と言う輪郭が霞んでいく感覚に襲われていた。

 

―――タロは「タロ」であり「郷鐘」だ。では自分は?昭弘は「昭弘」であり「何」なのだ?




今日2話ずつ、明日2話ずつで投稿します。


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第45話 第一歩

―――――6月25日(土) 夕方―――――

 

 IS学園人工島端で、まるで一人だけ除け者にされた様に虚しく聳え立つその建物はアリーナD。外観こそ整ってはいるが、閑散としたその様相は最早廃墟にすら思えてくる。

 

 しかし本日、その外観とは裏腹に内部は中々の賑わいを見せていた。

 心なしか、普段なら冷たく纏わり付く潮騒も、今日に限っては生徒たちの活気をより激しく際立たせていた。

 

 ピットの中心付近に集まっているのは、十数名の女子と一人の巨漢、そして一人の無人ISだ。

 

「…あ、え…えと…」

 

「簪、先ずは打鉄弐式の現状を皆に教えてやれ」

 

 人生初の現場指揮に戸惑いを隠せない簪を、昭弘が軽くフォローする。

 彼女は言われるがままに液晶端末から打鉄弐式のデータを送ると、口頭で説明する。

 

 簪が事細かに説明したものをザックリ纏めるとこうだ。

 

 ISTTでも披露して見せた通り、IS自体は既にバリバリな実戦機だ。

 後は最大武装である独立稼動型誘導ミサイル『山嵐』と、シールドパッケージである『不動岩山』を取り付け、授業が無い夏休みの間までに完成させる。これだけだ。

 

 言葉にしてしまえば単純だが、実現への問題は山積みだ。確かに武装の実物は完成しているが、実際にそれを動かすシステム面はまだまだ道中ば。

 特に山嵐に関しては、最大48発のミサイルを同時発射する為のマルチロックオン・システムが最大の鬼門であった。

 

 簪は、このマルチロックオンを破棄する事にしたのだ。

 

「…いや…これ、は…」

 

 簪から送られてきたデータに目を通した如月が、青白い顔に苦笑いを浮かべていた。

 そう、代わりのシステムがまたとんでもない代物だったのだ。

 

 マニュアルによる個別ロックオン・システム、これだけならまだ解る。

 追尾中のミサイル軌道を自由自在に変更すると言う「FMS(フェイクマニューバシステム)」。何かの冗談かと皆は思った。

 

「こ、これって最早「ビット」と同じじゃあ…?」

 

 鷹月の言葉を、簪は何食わぬ顔で首を横に振りながら是正する。

 

「…ううん。ビットは前進から…停止まで、全ての三次元的機動…を脳波で行うけど、これは…言うなればミサイルの軌道を変える…だけ」

 

「つまり…発射する前にミサイルの軌道を設定しておくと?」

 

 恐る恐る確認する鷹月に、簪は「自分の演算処理能力なら余裕だよ」と言わんばかりのキョトンとした顔で頷く。

 そんな顔で頷かれてもと、皆一様に息苦しそうな表情をする。

 

 ミサイルの発射口は8門のミサイルポッド×6機、計48門。1門につき着弾距離、弾速、ミサイル同士の間隔、その他諸々を考慮した軌道プログラムを作るとなると、気が遠くなる様な作業になる。

 それ以前に、ロックオンによる追尾機能とのシステム的な統合も必要だ。

 ハイパーセンサーへのロックオンシステム構築だけでも難しいのに、これでは例え人手が揃っていようと9月までに完成させるなんて無理な話だ。

 

 簪には悪いが、決して現実的な設計とは言えないだろう。

 

 

 皆でその事をなるべく角が立たない様に簪へ説明すると、彼女はシュンと肩を竦めながらも納得してくれた。

 彼女自身、未だハイパーセンサーにしか手を加えておらず、FMSに関しては構想段階である事が幸いした。

 少し前までは、これを数年掛けてでも作ろうと目論んでいたのだから末恐ろしい執念である。

 

 となるとやはりマルチロックオンへの路線回帰だが、打鉄弐式を最強のISに仕立てたい簪はどうしても諦めきれないのか、頭を掻きながら代替案を模索する。

 

 何故そこまでミサイルを自ら操る点に拘るのか、皆が簪に疑問の眼差しを向けると、戦術面に詳しい昭弘が予想を交えて説明する。

 

「幾ら弾数があろうと、単に後方を追尾するだけのミサイルじゃ高機動型のISには通用しない可能性がある。見方によっては、全方位視野と得意の小回りで幾らでも対応可能だ」

「そうならない様、独立稼動型誘導以外の手段も打ち出しておきたい…要するに戦闘中の「駆け引き」が可能な武装にしたい。そんな所だろう簪」

 

 頭に手を置きながら、昭弘の発言に小さく頷く簪。

 単純な追尾能力では駄目、駆け引き、手段…。

 昭弘の説明に紛れていた単語を抽出し、瞼を閉じながら脳を絞っていた簪は、やがて“手数”と言う言葉に行き着く。

 

「…肝心なのは…手数。山嵐をより実戦的に…運用するには、誘導弾と…それとは異なる「動き」をする…ミサイルがあれば…」

 

 十分、駆け引きに使える。何も全てのミサイルを操る必要性は無い。

 山嵐に求められているものは、極大火力で敵を殲滅する事だけではない。ミサイルの数で敵を錯乱させる事だ。

 それは即ち誘導弾でありながら、普通の誘導弾とは「一味違う」追尾能力を持ったミサイルだ。

 

 ここまで解れば、戦いに慣れてない整備士たちでも色々と意見が出てくる。

 途中で追尾機能をカット出来るミサイルだの、6機のミサイルポッドに各々異なる機能を付けるだの、と。

 

「…皆、ありがとう。見えてきた…気がする」

 

 皆の意見をしかと頭に留めた簪が、新たに思い付いたミサイル。簡単に言ってしまえば「射出後は直進飛行で途中から敵機を追尾するミサイル」と言う、新たなFMSである。

 これなら全てのミサイルを操るトンデモ方式よりも、大幅に製作期間を短縮出来る。

 もしこれを通常のミサイルと同時に発射すれば、追尾型で追い回し、途中追尾型に回り込ませると言った挟撃戦法も可能だ。

 更にはこの途中追尾方式を応用出来れば、先の意見通り飛翔中のミサイルを何度も誘導と無誘導とに切り替えられる点にも期待が持てる。

 

 簪の新構想を聞いた一同は湧いた。

 レーダー誘導にするのか赤外線誘導にするのか、レーダー誘導の場合はアクティブ方式にするのかセミアクティブ方式にするのかそれともパッシブ方式となるのか、ハイパーセンサーとどの様に組み合わせるのか等々。

 

 そんな議論の過熱を昭弘が一旦制する。

 

「少し落ち着いてくれ。問題は他にも小山の如く散見してる。何から手を付けるか、先ずは順番を決めるぞ」

 

 山嵐や不動岩山を取り付けた後も、やるべき事はある。言わば打鉄弐式の再設定だ。

 新たな武装を加えると言う事は、それに対応する形で機体の各部出力、今装備している武装にも微調整が必要になってくる。

 先日簪が昭弘の指摘を元に打鉄弐式の機動修正や微調整を行っていたが、アレも言わば山嵐の為だ。

 

 それに、整備科志望者一同ずっと気になっていた事が、無人ISの存在だ。

 

《重量物ノ運搬ヤ演算処理デシタラ、御役ニ立テルト思イマスガ》

 

「あっ、それ普通に助かるかも」

 

 ゴロの言葉に岸原が納得する。

 

 実際、そんな目論見も簪の中にはある。

 故に彼女は、完全自操ミサイルもどうにか作り上げられると楽観視していたのだろう。だが、ゴロは先程自操ミサイルの件で一切口を挟まなかった。

 つまり、ゴーレムの演算処理を以てしても流石にそれだけは手に余ると言う事だ。

 

 だが真の狙いは別にあった。

 それを説明すべく今度はらしくもなく腕を組み、目を瞑りながら文章を短く解り易いものに縮める簪。

 

「……大雑把に言うと…ゴーレムの機動、中身、各部位への指令伝達について…知りたい…としか」

 

 記号・数式やそれらに対応した文章を削り取り、出来上がった文章がそれであった。

 流石に抽象的過ぎたのか、皆曖昧な返事をするしかなかった。

 だが小難しく考えても仕方がない。一先ず、簪が目指す打鉄弐式にはゴーレムとの共通点が多く存在する、とだけ覚えておく一同であった。

 

 

 いよいよを以て、これら全てを踏まえた上での総括と言うか、大まかな作業工程を話し合う若き整備士たちと昭弘と簪。

 

 短くも濃密なやり取りの結果、取り組みの順序は以下の通りとなった。

 先ず最初に、ハイパーセンサーへのマルチロックオンシステムプログラムの構築。同時に、ミサイルを途中追尾型へと変貌させる新たな誘導プログラムも作成。

 その後、各ミサイルポッドに役割を割り当てる。

 それらが片付いてから不動岩山を組み込み、最後にゴーレムを参考にした打鉄弐式の最終調整となる。

 

 

 その後も事細かに、足りない部品は何か役割分担はどうするか等々、日が沈んでも尚話し合いは続いた。

 

 

 

 20:00過ぎになるだろうか。

 日もとうに落ち、海の音を緩やかに誘う暗黒には、虫の音が不規則に絶え間なく鳴り響いていた。

 だが既にアリーナDの内外問わず人も疎らな為、闇に響く虫の調べは寂しさを助長するだけだった。雄のクビキリギスも、雌が寄ってこない事への哀愁をその調べに織り混ぜている。

 

 打鉄弐式の話も纏まり、大体の人間は既に解散していた。

 今作業に取り掛かっても中途半端な所でアリーナの利用時間が訪れるので、今日の所は妥当な引き際だろう。

 

 では今アリーナDには、職員や設備員しか居ないのかと問われるとそうではない。

 外を覆う自然の協奏曲を掻き消す勢いで、フィールド内はISの奏でる音で埋め尽くされていた。

 

 音の源となっているISは、グシオンリベイクと打鉄弐式。

 グシオンは単一仕様能力「バウンドビースト(ISTTにて使用した、筋力面にリミッターを掛けたマッドビースト)」を使って打鉄弐式へ迫り、打鉄弐式はそれを「春雷」で迎え撃つ。

 

 打鉄弐式製作に時間を割けば、その分ISの稼動時間は奪われる。それが原因で腕が鈍ってしまっては、例え打鉄弐式を完成させても本末転倒だ。

 故にこうして時間の合間を縫う形で、試合形式の空中機動を行う事と相成った訳だ。

 

 打鉄弐式を使えるのは、恐らく今日限り。明日以降は打鉄かラファールをどうにかして借りながら、尚且つ作業に支障が出ない範囲で稼動させるしかない。

 だから、簪にとって今この瞬間は貴重な時間だ。

 彼女はまるで今生の別れを惜しむ様に、一突き一薙ぎに至るまで魂を込めて振るう。

 

 だが相手は、バウンドビーストを発動しているグシオン。今の未完成な打鉄弐式との間には、性能的に大きな壁があった。

 おまけにそのグシオンを操るのはあの昭弘。彼は射撃武装を封じているが、それでもどうにか喰らい付けるかどうかな状態の簪であった。

 両手両サブアームに斧・山刀・金槌・楯を同時展開し猛牛の如く突っ込んで来るグシオンは、春雷と夢現しか装備が無い簪にとって悪夢と同義であった。

 

 

 惜しい場面は何度かあったものの、終わってみれば完敗であった簪。

 彼女は息を荒げながら、吐き出す様に昭弘へ物申す。

 

「ハァ…ハァ…やっぱり…グシオンって…色々とズルい気がする…ハァ…ハァ…」

 

 だが昭弘は特に悪びれる様子も無い。

 

《本気でっつったのはお前だろう》

 

 ただ動かすだけでは、腕の鈍りは解消されない。それは簪も解ってはいる。

 

 だからこそ気になる部分もあった。それを、簪は息を整えてから昭弘に訊ねる。

 

「けど…態々射撃武装を封じてまで、どうして…バウンドビーストを使った…の?普段通りドカドカ撃つグシオンの方が…私としては、脅威だけど…」

 

 途端、まるでハイパーセンサーに映る景色がピタリと静止した様な感覚に襲われる簪。

 そんな得も言われぬ威圧を漂わせるグシオンと昭弘を、簪は恐怖を追い遣る様に見据える。

 

《………何でだろうな》

 

 それが、昭弘から返って来た言葉であった。

 自分でも解っていないのか、解っているが敢えて話さないのか、その表情無きマスクからは判別のしようがない。

 

《…ま、細かい事は良いじゃねぇか。それよりエネルギーの補充だ。それが終わったら直ぐ続行だぞ》

 

 はぐらかされたが、時間の許す限りISを動かしたい点は簪も同じだ。

 気にはなるが、ここは思考を切り替えるしかない。

 

 

 

 そんな2人を観客スタンドから観戦している2つの影が。

 

 彼女たちも又、打鉄弐式の製作メンバーであった。

 中々お目に掛かれない専用機同士のバトルだからと、途中まで観て行こういう話になったのだ。

 

 が、やはりそこは色恋に花咲かせたい女子高生。若き男女の組み合わせを観ていると、話が別方向に弾んでしまう。

 

「アルトランドくんってモテないわよねー」

 

 ハルバートを縦に振るうグシオンを観ながら、四十院がそんな感想を零す。

 

「えー?今正に更識さんとISによるランデブー中じゃあないデスかー」

 

 この光景を見て尚昭弘がモテないと言わしめる、四十院の考えが気になるセレーヌ。

 

 しかし四十院は呆れる様に瞼を閉じると、つらつら自身の意見を述べ始める。

 

「1組の彼を見てみれば、アナタも納得するわよ。篠ノ之さんにオルコット嬢、2組の凰さん、デュノア「元」氏。あれだけの美少女と親密なのに、()()()()噂は全く立たず」

 

 IS学園と言う一つの閉鎖空間。そこで寝食を共にする女子高生同士の情報網を、侮ってはいけない。

 一つ所に小火が出れば、学年の垣根を越えての山火事となる。

 

 そんな空間で、複数の女子と親交を持つ男子。

 当然、その光景を目撃した女子は様々な憶測を立てて友人と情報共有し、それが噂へと変化する。

 現に一夏の場合は、様々な曲解が至る所で生まれた。

 だのに昭弘の場合は何の狼煙も立たない。

 

「何故かしらねー」

 

「おっかないから、噂にし辛いとかじゃないデスか?」

 

「それもあるわね。絶対」

 

「織斑くんと言う、絶対的イケメンの存在も大きかったデスし。第一篠ノ之さんは、織斑くんへの片想いで多分確定デスよ?」

 

「或いは当の本人が、その同性である織斑くんやボーデヴィッヒくんとも親密ってのも何か関係してるのかしら?」

 

 あーだこーだと、互いの観点から憶測を立てる両者。

 

 四十院もセレーヌも気付いていない様だが、要するに「乙女センサー」と言う奴である。

 人とは、時に主観によって理的な考えが出来なかったりする。何となく、感覚的、明確な理由は無い等、そう言った感情によって物事を判断するのだ。

 こと「恋バナ」に関してはそれが顕著で、時に男女が放つ雰囲気だけで「そっちの話題」へと事が進んでしまう。

 

 つまりは、昭弘に噂が立たない理由は「女の勘」で片付けられるのである。

 例えば、昭弘が鈴音と仲睦まじく会話している。「あの2人は無いな、私の勘がそう言ってる」これだけだ。

 現に今四十院とセレーヌは、昭弘と簪の関係が進展するとは微塵も感じていなかった。

 

 逆に言えば、大概の女子にそう思わせる昭弘にも謎の凄みがある。人一倍不愛想で、更には「おっさん」や「兄貴分」と言うイメージが強いからだろうか。

 そんな訳で、昭弘がモテない男と思われてもまま仕方が無い部分はある。

 

 実際女の勘とは馬鹿に出来ないもので、昭弘に関しても概ね当たっている。

 現に昭弘は、セシリアとも鈴音ともシャルロットとも異性の関係へと進化する兆しがまるで無い。

 故に簪との関係も、番狂わせ無く「友人」として普通に続いてしまいそうで怖い。

 

 ないとは思うがもし昭弘本人がその事を気に病んでいるのだとしたら、「ドンマイ」としか言いようがない。

 女の好みまでは、神ですら言い当てられない領分だ。

 

 

 

 充填、模擬戦と只管繰り返す時間は、存外に早く過ぎて行った。

 どの戦いも、グシオンのSEを大きく減らすには及ばなかった簪であった。

 

 そうしてピットへと戻り、先にISを解除した簪はある異変に気付く。

 

「…何…してるの?」

 

 簪はそう声を掛けるも、動揺に支配された今の昭弘には届かない。

 戦いに夢中で忘れていた。単一仕様能力を使うと、エネルギーが切れるまでグシオンを暫くの間解除出来ない事を。

 当然このままアリーナ外に出ては校則違反。かと言って、そろそろアリーナの閉館時間も近い。

 鋼鉄のフルフェイスマスクのお陰で簪に焦りを気取られていない点だけは、不幸中の幸いか。

 

 こうなってしまえば、ぶっつけ本番だが止むを得ない。グシオンを背中の阿頼耶識へと収束させるしかない。半ば気合いで。

 

(落ち着け…無理に阿頼耶識から引き剥がす必要は無いんだ。要は展開されてなければ良い。阿頼耶識と接続させたまま、待機形態に戻すだけ…)

 

 例えグシオンが展開状態だろうと待機形態だろうと、阿頼耶識に接続されている点は変わらない。

 ならば原理上、単に装甲を折り畳む事なら可能な筈だと昭弘は考えた。

 

(集中しろ…阿頼耶識を粘土で塗り固める様なイメージだ…)

 

 呼吸を整え、焦りを掻き消す昭弘。

 するとグシオンの量子化が少しづつ始まった。

 普段と比較すると遅いが、指先足先から徐々に青白い粒子へと変化していく。

 

 そして1分程経過し、どうにか普段の待機形態であるミニドームへと戻ったが…

 

(…やはり外れないか)

 

 予想していた出来事にそのまま直面した昭弘に対し、簪が軽く声を掛ける。

 

「…随分、解除に…時間が掛かったね」

 

「ほっとけ、そんな時だってある」

 

「…早く…外したら?」

 

「後でいい。付けててもそこまで邪魔にならんしな」

 

 簪の指摘をのらりくらりと躱した昭弘は、間を置く事無く更衣室へと向かった。

 

 

 

 寮の消灯時間までまだ時間はあるが、それでも人間は時間を気にせずにはいられない生物だ。

 アリーナDから寮へと続く道を、早足気味で進む昭弘と簪。昆虫の大合唱の中で、ヤブキリがシリリシリリと鳴いて2人の足を急かす。

 

 気が付けば、もう生命の息吹が溢れる季節になってしまった。

 怒涛の日々を過ごしてきた昭弘、目的の為に機械的で変わり映えの無い日々を生きてきた簪。種類は違えど、2人が季節の変わり目に意識を向ける余裕が無かった事等容易に想像がつく。

 

 虫たちが放つ生命の音を聞きながら、両者共似たような事を考えていると、途端に簪がその小さな口を開ける。

 

「何だか私たち…最近一緒に居る事…多いね」

 

 そう言われてみればそうだなと、昭弘は歩きながら思った。

 未だ1週間にも満たないとは言え、なんやかんやで簪はここ最近昭弘が最も接している時間の長い相手だ。

 あの如何にも排他的な態度の根暗小娘が、こんな武骨な大男と親交を持つなんて人生分からないものだなと、そんな感想を昭弘は抱いた。

 

「むさ苦しいか?」

 

「うん。…けど、昭弘はお姉ちゃんと本音の…次くらいには好きだし…別に苦じゃないよ」

 

「むさ苦しさは否定しないのかこのガキ」

 

 と言いながら、昭弘は簪の背中を軽く平手打ちする。

 それを受けた簪は一瞬瞼を強く閉じた後、声に出さず軽く笑った。

 

 入学からもう直ぐで3ヶ月。

 何か事が起こる度、少しずつ広がって行く友好の輪。家族とも組織とも違うその輪を、昭弘は偉く気に入っていた。

 運命共同体の様に繋がりを固く重く縛るでもなく、上下関係も存在しない関係性は、彼にとって居心地が良かった。

 この輪がずっと続けば良いと思うのは、きっと昭弘だけでは無い筈だ。

 

 

 そんな切実な願いを、背中の阿頼耶識がせせら笑っているのが昭弘には解った。

 「お前はいずれ気付く。長い間此処には居られない事に」と、未だグシオンの繋がった阿頼耶識が脳内に直接響かせてくるのだ。

 無論それは単なる錯覚に過ぎない。阿頼耶識もグシオンも、言葉なんて発しない。

 だが繋がったまま外れないグシオンを間近で感じていると、血ではない冷たい何かが身体中を駆け巡る様な気がした。

 

 だのに、昭弘は先程単一仕様能力を発動させた。

 何故態々グシオンと深く繋がったのか。解るような、解らないような。

 

 

 いや、恐らく昭弘は解っている。後はそれを認めるだけだ。




ミサイルに関する事細かな部分も、今後の話で描写していきます。ハイパーセンサーとフェーズドアレイレーダーを、上手い事関連付けられる様に描けたら良いなと思います。

原作組の誰を整備科志望者にするか悩んだ結果、彼女たちになりました。
岸原さんは眼鏡キャラで何となく整備科っぽい感じがしたから。
如月さんは、特に理由無しです。原作にしか出て来ないキャラっぽいから、設定が変え易いと思ったのかもしれません。
セレーヌは抑オリキャラなんで、別に良いかなと思いました。出し過ぎないようにはします。


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第46話 「奴ら」は今

―――――6月26日(日)―――――

 

 2人の眠れる機人が目覚め、打鉄弐式の完成計画も纏まると言う怒涛の一日が過ぎ去って早くも翌日。時刻は10時を少し回った所。

 

 この時間帯なら「彼女」は出てくれるだろうか。仮に出てくれたとして、その後果たして自分自身無事で居られるだろうか。

 と、昭弘は深緑色のスマホを右手に、目を瞑りながらそんな不安に駆られていた。

 

 自室の窓から斜めに差し込む朝日によって、薄暗く翳る液晶画面に表示されている名前は『クロエ・クロニクル』。

 成程確かに規則正しい生活習慣を身に着けているかの少女なら、既に起床、朝食、朝の身支度等を終えているであろう。

 更には、彼女の保護者であり監視者でもあろう『篠ノ之束』。比較的夜行性のきらいがある貴奴なら、この時間帯は寝ている可能性が高い。尤も、かの兎に睡眠を取る必要性があればの話だが。

 

 ただ電話を掛けるだけ。だのに何故昭弘がこれ程までに緊迫しているのかと言うと、当の天災科学者と“冷戦状態”にあるからだ。

 直接刃を交えはしないが、昭弘にとっての彼女は現時点では限り無く敵に近い。

 もしクロエへの通話が知れたら、何をされるか解ったものではないのだ。

 

 だが…

 

……トゥルルルル……トゥルルルル…

 

 悩む事こそ時間の無駄。昭弘は通話ボタンを押した。

 そして、時間にして3コールと少しだろうか。幼くも透き通る様な美声が、受話口によって昭弘の耳元へと届けられる。

 

《おはようございます。昭弘様》

 

 変わりの無い元気そうな声に、先ずは素直に胸を撫で下ろす昭弘。

 

「朝っぱらから悪いなクロエ。訊きたい事があってな」

 

《何なりとどうぞ》

 

 前回通話した時と同じく、知れた仲である2人は自然と会話を繋げていく。

 

「…単刀直入にいくぞ。束が今「何」を成そうとしているか、お前知らないか?」

 

 それを聞いた途端、クロエはか細い息を吞んだ。自身と同じ疑問を、昭弘が抱いていたが故の動揺だった。

 クロエも、束が何か巨大な事を成そうとしているのは分かる。だがそれが何なのかまでは知らない。その計画を通過した後の最終目的もだ。

 

 よって、昭弘にどう返答すれば良いのかどうにも解らない。

 かと言って「何も知らない」とだけ返すのも、束と昭弘の家族としては情けない話だ。ここはせめて、ちょっとした単語だけでも昭弘に送り届けたい所。

 

 そう、一つだけあった。大陸のホログラムが浮いていたあの部屋で、束がサラっとその口から漏らした小さな情報が。

 

《…気になる点でしたら1つだけ…アッ!》

 

プツッ プーッ…プーッ…プーッ…

 

 切れた。いや、クロエの声の上げ方からして束に取り上げられたと見ていい。

 だが、クロエを妹の次に溺愛している彼女の事だ。別に酷い仕打ちは繰り出していないだろうと、昭弘は考えた。

 

 それに解った事もあった。

 それは、束も所詮「人間」であると言う事だ。クロエとの通話を強制的に切り上げた事が、それを物語っている。昭弘に、延いてはIS学園の誰かに知られたくない何かがあったのだ。

 情報を恐れ、全知全能の神でもないならば、必ず付け入る隙はある筈。

 

 そんな風に頭で纏め上げた後、昭弘は深呼吸して自身の身体を軽く視線でなぞる。すると今度は、ゆっくりと部屋中を見回す。特に異常らしきものは見当たらない。

 これは束について尋ねた時、昭弘が例外無く行っている習慣…と言うより癖の様なものである。

 それだけ、束による「情報消去」を恐れているのだ。

 

 監視だけではない。間違いなく、此処IS学園には束の放った“見えないネズミ”が居る。

 最初にそう考えたのは4月の13日、それも放課後の出来事だった。

 本来コアの設定上『白式』しか扱えない筈の一夏が、訓練用の『打鉄』を起動させたのだ。

 コアが男性用に再設定でもされなければ、一夏がISを起動させる事は不可能。再設定が可能なのは天災ただ一人だが、彼女の性格を考慮すれば直接IS学園に潜り込むとも考え難い。

 

 そこまで行き着けば、束自慢の無人ISの仕業と言う答えが一番自然だ。

 シャルロットに関する書類を秘密裏に抹消し、束のラボに居た頃の昭弘とも少しだけ面識のある『鋼鉄のエージェント』たちだ。

 

 今もきっと、彼等はこの学園の何処かに居る。主にとって不都合なモノを、内々に処理する為。

 

 そんな事等、とうの昔から勘付いていた昭弘。

 

 だが、ある根本的な矛盾に気付いたのは正に今この瞬間であった。

 それは、ゴーレムの襲撃が終息した時点で自身を始末しないのはおかしいと言う事だ。

 

 無人IS等と言う超技術による強襲は、勘の良い人間なら「天災以外ありえない」と証拠が無くとも予想する。そして、千冬は昭弘と束が旧知の間柄と言う事だけは把握している。昭弘が聴取を受ける事は確実だ。

 昭弘の知る束は、ああ見えてどんな些細な事だろうと決して見落とさない性分だ。そんな彼女が、ごく0.1%でも昭弘から情報が漏れるリスクを放置するかと問われれば、答えは否である。

 

 情報を喋ろうとする直前に消す方法も、改めて考えれば非合理的だ。見張りの手間が増えるし、何より確実性に欠ける。

 なればこそ、事が終わってからさっさと始末するに限る。束なら猶の事だ。

 だが昭弘は今もこうして生きている。

 

 この現状から考えられる事は2つ。少なくとも昭弘の持つ情報は、例え他者に漏れようと束の計画には何ら支障をきたさない。或いは、昭弘に死なれたら計画に支障が出る。このどちらかだ。

 

(つまり逆を言えば織斑センセイと生徒会長、双方との完全な情報共有が可能…か)

 

 そう考えた昭弘は、本日の午後から行われる2度目の聴取と言う名の「密会」で、知っている事全てを話す決意を固めた。

 

 

 

 

 

―――正午過ぎ 地下研究室

 

 タロとジロが目覚めた事で日中は地上の格納庫へと移動している今、IS学園人工島の地中に存在する研究施設はほぼ無人に近い。

 それでも、千冬の権限があってこその貸し切り状態だと言う事を、昭弘も楯無も忘れてはいない。

 

 これから彼等は、「アフリカの情勢とそれに関わっているであろう組織」についての新情報と互いの見解を言い渡そうとしている。

 何故態々地下研究室(此処)なのかと言うと、何らかの「口封じ」から周囲への被害を少しでも抑えたいと言う思いからだ。

 現に一番消される可能性の高い昭弘は、分厚い強化ガラスの向こう側でパイプ椅子に座している。昨日まで、タロとジロが隔離されてた空間だ。

 

「お前だけ隔離する形になってしまった事、改めて謝罪しようアルトランド。周囲を巻き込む可能性が0ではない以上は…」

 

《ええ、オレも理解してます》

 

 千冬の謝罪と集音気が拾った昭弘の応答を皮切りに、楯無が進行を始める。

 

「じゃあ早速、話して貰うわよ?」

 

 

 それまでゆっくりと過ぎて行った時間は、昭弘の語りを追う様に駆け足気味で過ぎ去っていった。

 昭弘は言われた通り、束とT.P.F.B.について脳内に残留している情報を話した。

 但し、自身の出自については話さないでおいた。

 目覚めた直後束から聞いた「この世界と自分について」の話が本当なのかどうか、昭弘自身怪しくなってきたからだ。

 

 

 話を聞き終えた千冬と楯無だが、昭弘が思っていた程動じなかった。

 どうやら、彼女らの予想をピタリとなぞる結果となった様だ。

 

 一部の情報には、関心と言うか驚きを隠す事敵わなかった様だが。

 

「アナタの話通りなら、グシオンはMPSではなく実質的にはIS。そしてISは篠ノ之博士の手にかかれば、男でも操縦可能…って事でいいの?」

 

《…そうです。信じられないかもしれませんが》

 

 昭弘が嘘をついていない事は、類い稀な観察眼を持つ楯無には解る。

 

 それでも尚、あっさりと受け入れるには余りに事の大きい情報だった。

 本当は男性にもISが扱える等、仮に実証されればどれだけの武装勢力が蜂起するのか見当も付かない。

 

 元を辿れば、一夏がISを起動させた時点で察するべきだったのだろう。

 何故か女性にしか扱えない?開発者でもその原因が解らない?今思えばふざけるなそんな筈が無いだろうと言いたい。

 ISコア内がブラックボックスであるのを良い事に、開発者である束が好き勝手に弄っていると考える方が遥かに妥当だ。

 

「…この際、その一件は一先ず置いておこう。それより楯無、諜報部の成果はどうだ?アルトランドの情報を裏付ける様なものはあったか?」

 

 千冬が昭弘に向けていた視線を楯無へと流すが、楯無は変わらず晴れない表情のまま液晶端末の資料を千冬に見せる。

 

 先日事前に知らされずとも、楯無が日本の諜報機関「更識家」の当主であると言う事実に、昭弘はさほど驚きはしない。

 気配の自在な操作、達人級と思われる合気、昭弘の中では幾らでも「その筋」の候補があった。

 

「……証拠と呼べる様なものは何も」

「先ずT.P.F.B.ですが、本社及び支社近辺、義手義足の製造工場、入念な聞き込み調査、そしてそれらの場所から算出した推定位置にも、MPSの製造工場は見つかりませんでした。当然、MPSも少年兵も」

 

 本当に楯無は、勘が鋭いと言うか状況把握が早い。

 

 前回昭弘が楯無に話した内容は、束とT.P.F.B.の内通だけで詳細は何一つ教えていない。

 にも関わらず襲撃によるグシオン最大出力の開放、T.P.F.B.が持つ裏の顔、そして襲撃の黒幕であろう束。これらを掛け合わせ、「新型MPSの量産」と言う推論にまで漕ぎ着けたのだ。

 

 今回の諜報活動は、その決定的証拠を掴む事にあった訳だ。

 

 ここで楯無の「MPSも少年兵も居ない」発言に対し、昭弘は静かに物申す。

 

《ちょっと待って下さい。本社にも少年兵が居ないのはおかしい。オレが訪ねた時は、ちゃんと警備をしていた》

 

 昭弘は現在、T.P.F.B.の内情について何も知らなかった。

 実はT.P.F.B.と正式な契約を結んでいるのは束であり、昭弘ではない。

 よって彼等は例え昭弘から何か訊かれたとしても、勝手に答えてはいけないしその義務も無い。

 デリーとの個人的な電話みたく 、合間の雑談程度ならその限りではないのだろうが。

 

「じゃあ移動させたのよ。証拠が出ないようにね」

 

 楯無の諜報部隊も、その道のプロだ。実際に偽装し、社内まで潜り込んで調べ上げたが故の結果なのだろう。

 それで文書も履歴データすらも出て来なかったのならば、T.P.F.B.は白と言わざるを得ない。ならば、束との繋がりを示すモノも出ては来ない。

 常日頃から“表”と“裏”を使い分けてるだけあって、連中も「目」を欺く事に関しては一級らしい。

 

 ワンマン経営者であるデリーへの尋問も、楯無の表情を見るに失敗に終わったのだろう。

 常日頃からスパイを警戒してる男が百戦練磨のSPに護られ、本社・支社・紛争地帯を頻繁に行き来するのだ。指先一本の接触すら厳しい。

 

 では肝心の工場は何処なのかと、昭弘が訊ねる前に楯無が答える。

 

「以上の事から考えられる工場の場所は恐らくアフリカの、それもコンゴかウガンダ、南スーダン辺りじゃないかしら」

 

 中央アフリカ。其処は、更識家が持つどの諜報網からも外れる地域だ。

 

「「最前線」と言う訳か。道理だな」

 

 納得する千冬だが、それだけではない。

 

 現状、中央アフリカにおける外部からの諜報網構築は難しい。

 

 先ず事前情報の乏しさである。

 何処にどの支部があるのか、組織構成はどうなっているのか、治安は回復したのか。それらが何も判らない以上、あの広大な地域一帯を片っ端から調査する羽目になる。

 また、SHLAの様な残忍な武装勢力の存在も視野に入れておく必要がある。

 他にも流れ弾や地雷原、アフリカならば蚊によるマラリアやツェツェバエが媒介する感染病、猛獣等、命を落とす要因が他の地域に比べて圧倒的に多い。

 

 そんな場所で本格的な諜報活動を行うとなると、いくら更識家でも金と時間と人員が足りない。

 日本政府の支援も、ISが世界の中心である今日では期待出来ない。彼等が態々動くには、中央アフリカは余りにISとの関わりが少な過ぎる。

 

 今回の諜報活動も、更識家の正式な任務に支障をきたさない必要最小戦力による非正規なものであった。

 

 と、そんなIS絶対思想に囚われた世界への憤りを隠す様に千冬は話を進める。

 

「私も中央アフリカの内情についてドイツ軍に協力を仰いで調べては見たんだが、ニュース以上の情報は得られなかった」

 

 『モノクローム・アバター』による「SHLA掃討作戦」が開始されたのは5月上旬。下旬時点で、既に全域での制圧が完了したらしい。

 

「亡国機業が今も中央アフリカで活発に動いているのは、間違いないと思います。以前から連中を監視している諜報員によりますと、掃討作戦以降人員が未だに戻って来ないそうですから」

 

 楯無の情報が正しければ、現地では未だ交戦状態が続いているのか、目的の為に戦力を結集させているかのどちからだ。

 

 ただ、やはり情報が余りに少なく、その後の情勢に関しては世界の知る所ではない。

 「知ろうとしない」と言った表現の方が正しいだろうか。ニュースに取り上げられる回数の少なさが、その現実をありありと目に浮かばせる。単にメディアへの規制が厳しい、と言う事だけが理由ではないのだ。

 

 何が言いたいかと言うと、それだけ人々の関心が薄れていると言う事だ。

 ISの無いたかが発展途上国の紛争等、昨今では誰も見向きもしない。

 例え裏では名の知れた犯罪組織『亡国機業』が紛争に介入していようと、自分たちの損益に関わらなければどうでもいい。関心を示しているのは、ごく一部の“例外”だけ。

 それは即ち話題性の乏しさに繋がり、なればメディアも危険を冒してまで探り入ろうとはしない。

 

「…これが今の世界だ。ISこそが第一で、その他は全て二の次三の次。ISへの行き過ぎた信仰が、中央アフリカでの紛争への無関心に更なる拍車を掛けてしまっている」

 

 重い溜め息を長々と吐き、千冬は額に手を置く。

 

《…兎も角今は、情報を元に篠ノ之博士の最終目的について考えるしかなさそうですね》

 

 昭弘の言葉によって、千冬は脱線していた己の思考を引き戻された。

 

「…そうだな、スマン。箇条書きで、今判っている事をを纏めてみよう」

 

――今現在、中央アフリカの何処かにMPSの生産工場がある

――従来のMPSを遥かに上回る性能を有する新型MPSが、現地で出回っている可能性大

――篠ノ之束が、それら新型MPSの量産に大きく関与している

――中央アフリカでは、未だ亡国機業が精力的に活動している

――先進各国はその事を知らないか、知っていて尚関心を示していない

 

 この5つに大別し、そして一つの糸へと絡まらずに収束させる為、昭弘たち3人は議論を続けた。

 

 そうしてとうとう、束が胸に秘めているであろう思惑が言葉となって表れた。

 それは余りにも滅茶苦茶な、去れど束ならやりかねない様な目的だった。

 

《…IS並に強化させたMPSを、自身の愛するISによって完膚無きまでに叩き潰し、ISをより中心的で絶対的な存在に昇華させる…か》

 

「その線が一番濃厚だ」

 

 世界の誰よりもISを至上の存在として位置付けているのは、他でもない篠ノ之束本人だ。

 

 だがここ最近、千冬の様に抑止力としてのISに疑問を抱く者も少なからず現われ始めた。

 ISを絶対視する束にとって、それは憤慨の極みだろう。

 

 そのテコ入れの為に、束にとっては粗悪品であるMPSを態々強化させ、それら全てをISによって破壊する。無論、生産工場もだ。

 そうすれば世界は今迄以上にISを信奉し、束が以前から忌み嫌っていたMPSも衰退していく。更には、束にとって不快害虫の様な存在であった亡国機業も纏めて一網打尽に出来る。正に一石三鳥だ。

 

 更に楯無が、この説の信憑性を増大させる一言二言を付け加える。

 

「確かにそれなら、世界が関心を向けない様にしてるのも納得です。準備が整った「完全なMPS軍団」を真正面から叩いてこそ、ISはより強固な信仰を得られるでしょうし」

 

 量産体制が未だ整っておらず、新型MPSが完全には普及されていない今攻撃しても、意味が無いと言う事だろう。

 或いはMPS側に先制攻撃させる事で、殲滅する為の大義名分を得る狙いもあるのかもしれない。

 

「それに、アメリカ・イスラエルで極秘裏に共同開発されてる最新型IS『福音』。時期的に考えても、今回の騒動に無関係とは思えません」

 

 イスラエルと言えば、宗教的な問題で国内や中東各国との軋轢が後を絶たない地域だ。

 

 コンゴ・ウガンダで活動していたSHLAも、宗教運動が前身となっている組織。

 これの壊滅により、中東でも何らかの宗教的影響を受けないとも限らない。鳴りを潜めていたテログループの再起も有り得る。昭弘が束からチラっと聞いたと言う、「中東勢力の活発化」とも一致する。

 

 故にこのタイミングでイスラエルの戦力増強を図っても、“表面上”は不思議ではない。

 

「束にとっては、IS側を確実に勝たせる為の新戦力…なのだろうか」

 

 

 こうして、束の目的は不思議な程奇麗に導き出された。余りに呆気なく。

 

 どう考えても、先に挙げた5つの箇条書きは「ISを更に上の次元へ昇華させる」と言う束の目的に行き着く筈。理に叶っている筈。

 昭弘自身今もこうして頭を凝らしているが、やはり同じ答えを辿ってしまう。

 

 だが、脳内に充満する噎せ返る様な白煙が払えない。その原因は、至極あっさりと答えが出てしまった事にある。

 あの予測不能な天災科学者を、果たして自分たちの様な常人に理解できるのか。そんな事を思ってしまっているのだ。

 

(…馬鹿かオレは。束がISを愛してる事は、分かり切ってる事じゃねぇか。だったら最終的にISを勝たせるに決まってる)

 

 そう自身に言い聞かせ、頭をクリアにせんと努める昭弘。考え過ぎは、時に行動を鈍らせる毒にもなり得る。

 

 

 どの道、ISとMPSが近い将来衝突すると言う点は変わらない。そうなれば、確実に多くの犠牲者が出る事だろう。

 それに繋がる確固たる証拠を世界に突き付けない限り、戦争を未然に防ぐ事は叶わない。

 

「…兎も角、今後も地道に調査を進めるしかない。クロエとか言う少女が、アルトランドに何を言い渡そうとしてたかも気掛かりだしな」

「私ももう少し、聞き込み対象の範囲を広げてみる」

 

 「何か新しい事実が判るかもしれない」と、最後に千冬はそう締め括った。



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第47話 夢 その②

自分も時々、現実と区別がつかない程リアルな夢を見ます。目が覚めるまで夢だと気づかないんだから不思議ですよね。


 昭弘はベンチに腰掛けていた。両膝の上にそのまま折り曲げた両肘を預け、頭も同じ風に項垂れていた。

 

 そんな様子の元団員の隣に腕を組みながら座るオルガは、同情の込もった声を掛ける。

 

「やっぱ、ショックはデカいか?」

 

「…そりゃあな」

 

 

―――26日 正午過ぎ

 

 束の企てが判っても、これ以上昭弘に出来る事等たかが知れている。

 ISを使った中央アフリカへの強行偵察、亡国機業の完全殲滅、T.P.F.B.の強制解体。いずれも証拠となるものが無い以上、軍を動かすには至らないだろう。

 第一、モノクローム・アバターによるSHLA討伐を果たした亡国機業の行いは、今回に限り世間的に見て悪行とは言い難い。

 今やれる事と言えば、今まで通り証拠を掴む為の諜報活動。先程千冬が言った地道な調査。

 そしてMPSの生産工場を見つけ出し、破壊する事だ。そうなれば、新型MPSの供給を断つ事も出来よう。

 

 即ち現状役に立つのは、楯無が個人的に動かしている諜報員のみと言う事だ。それも既に述べた通り、中央アフリカでの活躍は期待出来そうにない。

 その事実は、千冬も昭弘も理解していた。

 その上で昭弘は敢えて楯無に訊いた。ドスの効いた低い声に、縋る様な調子を混ぜながら。

 

《生徒会長。何かオレに出来る事は…》

 

 対し、楯無は無慈悲な鉄槌を下す様に言い放つ。

 

「…今迄通り、無人ISから情報を引き出して」

 

 だが良く考えてみれば、束が捨て駒であるタロたち5人に企ての詳細を教える筈が無い。何か引き出せたとしても、雀の涙程度の情報だろう。

 それでも楯無はそれしか言えなかった。「出来る事は何も無い。元凶であるお前はただ普段通り授業を受けて待っていろ」等と、言える筈も無い。

 

 

 証拠が無いとはこう言う事なのだ。実体がまるで見えて来ない。

 実体が見えないのなら僅かな情報を頼りに推測し、自分で“形”を作って行くしかない。だがそれは“絶対”が無い以上、輪郭のぼやけた不安となって自身に襲い掛かる。

 

 此処に居る3人も、その点だけは世界の無関心共と同じだった。この目で見てない以上、確信も実感も持てない。

 心に残るのは、直接的な手段に出れない事への焦燥。そして“虚ろ”への恐怖にも似た歯痒さ。

 

―――

 

 

 何をしようと避けられない事が解った。その事実は昭弘を水底へと追いやり、そのまま圧し潰さんと牙を剥く。

 こんな事なら、先週みたくずっと情報収集に勤しんでいる方がマシだった。

 

 それでもオルガは、あくまで慰めの言葉を贈らない。昭弘にそれが何の意味も成さない事は、団長であるオルガだからこそ良く知っている。

 今の昭弘に唯一効果的なモノは、現状を冷徹に突き付ける事だけだ。

 

「…だがどうする?「お前とグシオンの事」も含めて、そろそろ今後の行動指針を―――」

 

 オルガが言い終わるよりも早く、昭弘は勢い良く立ち上がった。オルガを見下ろすその目は、酷い驚愕の色を帯びていた。

 何の話だ。いや違う、何故「その事」を。

 昭弘は、自分でも知ってる様な知っていない様な冷たい鬼胎に襲われた。

 

 対するオルガは、動じずに昭弘を真っ直ぐ睨み返す。

 今の彼はオルガ・イツカであり、昭弘の夢が作り出した言わば昭弘の一部でもある。昭弘の秘密は、他ならぬ昭弘と同じ位網羅している。

 一々そんな事を説明するのも手間なのか、オルガは構わず話し続ける。

 

「単一仕様能力。お前の感覚では、あと何回やれそうだ?」

 

 オルガの言う単一仕様能力は、恐らくグシオン全てのリミッターを完全開放した状態を指している。

 昭弘にはそれが解っていた。

 

「……あと1回…辛うじて2回って所だ」

 

 その後少しだけ間隔を置く昭弘。

 

 能力を使う度、混ざり合う意識、曖昧になる肉体と機体との境界線。そして、それにより得られる他を寄せ付けない別次元的強さ。

 それらの体感を重ねる毎に、昭弘は本能的に理解していった。いつか必ず、大きな代償を支払う事になるだろうと。

 当然、肉体にも精神にも何ら異常は見つかっていない。だが次発動しても大丈夫なのかと訊かれると、とても「はい」とは言えない。そう昭弘は感じていた。

 それ程、昭弘はグシオンのISコアと「混ざり」を重ね過ぎた。

 

 最近良く見るこの夢は、その影響だとでも言うのだろうか。或いは己の心が無意識の内に叫ぶ、警鐘の様なものなのか。

 それとも背中の阿頼耶識に残留した、グシオンの意識の欠片が見せているのか。

 

 それら全てをもう一度頭で整理し、昭弘は調子を変えずに再び答える。

 今まで朧気だった不吉を、明確なものにする為。

 

「あと2回発動すれば、オレは恐らく『昭弘・アルトランド』じゃなくなるだろう。一体化するってのは、詰まる所そう言う事だ」

 

 そうなる事で一番恐ろしいのは、何が起こるか昭弘自身まるで予測出来ない点だ。

 記憶はどうなるのか、力の制御は可能なのか、意識は残っているのか。

 そして“人間”で居られるのか。

 

 だが逆に、発動させなければ何も起こらないとも言える。

 そう単純に考えればそこまで深刻とも思えないが、昭弘を見るオルガの目にはそんな気楽さは微塵も残っていない。

 

「その2回分、何時使うかちゃんと考えておけよ?後になって悔やまねぇようにな…」

 

 

 

―――――6月27日(月) 早朝 130号室―――――

 

 目が覚めた昭弘の頭には、夢の中でオルガが最後に言い渡した言葉が蠢いていた。鼓舞する様に、押さえつける様に、そして正す様に。

 

―――何時使うか

 

 その言葉を、昭弘は振り払いたかった。

 使う時など、殺し合いの場以外有り得ないからだ。そんな場所にIS学園の学友たちが居合わせている事なんて、あってはならないからだ。

 

 しかし今の世界は酷く不安定だ。そんな状況、絶対に無いとも言い切れない。

 

 もう二度と使いたくはない。

 だがもし、使わざるを得ない強大な敵が現れたのなら…。

 

 

 

 

 

 いつもと同じだ。

 教員の言葉一つ一つを注意深く聞き、内容を理解すべくあらゆる手段を取る。

 近未来的な形状の机に埋め込まれている端末への入力、或いは古風だがノートへの書き殴り、教材の読み返し。それら聴覚情報と視覚情報を照らし合わせ、新たな知識として頭に蓄積させる。

 そんな生徒に対し、教師は自身の話が正しく頭に入ってるか確認する為、時折抜き打ちで問題を与える。

 

 それこそが学び舎と言う空間で行われる授業だ。

 毎日の様に行われる学びと教え。今更何ら動揺する事もあるまい行為。

 

 

 だが昭弘の心は酷く乱れていた。教師の言葉は途切れ途切れでしか頭に入らず、ノートへの記入も「抜け」がそこかしこに見られる。

 あからさまに集中出来ていない自身を叱責する様に、昭弘は嫌な脂汗と小さな溜め息をチリチリと小出しした。

 

 そんな様子の青年に、黒髪一結びの少女は心配の眼差しを送る。

 

 そんな様子の青年と、青年に何度も視線を送る挙動不審な少女を、眼鏡の少年は見比べる様に傍から見ていた。

 

 

 

 

 

―――昼休み 屋上

 

 チキンバーガーとチーズバーガー総数5個が入ったビニール袋を右手に携えながら、本来なら直ぐ様袋に突っ込む筈の左手で柵を握り締める昭弘。

 彼は今、兎に角一人で外に居たかった。館内に居ると妙に息が詰まる。

 原因は解っている。昨日の一件とオルガの夢だ。

 

 曇り空を見ながら、昭弘は思った。

 此処で呑気に授業を受けている場合なのか。やはり自分も、そろそろ大きく動く時ではないのか。

 

 分かっている。それらは全て自身の稚拙な我儘に過ぎない。

 自分一人がそんな行動に出ようと、何も変わらない。昭弘には諜報に関するスキルは無いし、コネも無い。

 つまりは単なる罪滅しにも等しい感情なのだ。

 

 余計な手を繰り出して状況を悪化させたくなければ、学園の生徒を巻き込みたくなければ、ただいつも通りに過ごすしかない。

 

「早く食べたらどうだ?時間は有限だ」

 

 まるで普段の調子を懸命に維持している様な声を掛けてきたのは、箒であった。

 彼女はそのまま近くのベンチに座ると、自作の弁当を広げる。

 

「……そうだな」

 

 本当は「食う気分じゃない」と答えたかった昭弘。だが、「ならば何時食うのか」と言う程度の冷静な思考は生きていた。

 故に箒の隣にどしりと座り、バーガーの1つを手に取り紙包みを剥がし大きな口で齧り始めた。

 

 が、咀嚼の為に口を開けても中々に話を切り出せない昭弘。歯も舌も唇も、ただ己の作業に没頭しているだけだった。

 それで漸く、箒とこうして話すのが少し久しい事に気付いた。

 

「ラウラから聞いたぞ?ここ最近、随分とゴーレムにご執心だったそうだな?」

 

 普段なら皆と昼食を摂っていただろうに。久しぶりで尚且つ様子のおかしい自分に、話し掛け辛いだろうに。

 それでも態々自身の下に来てくれた事に嬉しさを感じる昭弘だが、今は申し訳無さと気恥ずかしさの方が大きくなってしまっていた。

 

「まぁな。…随分と心配掛けちまったみたいだな」

 

「…別に心配していた訳ではない。今だって、単に屋上で食べたい気分だったに過ぎん」

 

 本当に箒は嘘が下手だ。今にも雨が降りそうな曇り空の下、態々屋上に出よう者などそうは居ない。

 自身が気負わぬ様気を遣っているのか、単に強がっているだけなのか。

 そんな事を考える昭弘だが箒の和風な弁当袋が再度視界に入ると、思考を切り替える。もう1つの黒い弁当箱が、袋の口から角を覗かせていたのだ。

 

「…一夏の分か?」

 

「えっ?あっ…ああ!そんなところだ。だがアイツ、自分の分を作ってきていてな。前日に連絡を入れておかなかった私のミスだ」

 

 これも嘘だ。本当は昭弘の為に作って来た。

 だが、只でさえ勘づきやすい昭弘。馬鹿正直にそう伝えれば、昭弘への気持ちがばれてしまうのではないかと尻込みしているのだ。

 更には、もう十分な量の昼食を昭弘は既に持ち合わせている。箒の弁当が出る幕ではない。

 だがこれでも、先日鈴音から言われた通り箒なりに一歩踏み出したつもりだった。

 

 相変わらず意気地の無い女だと箒が思っていると、昭弘が未だ手付かずの弁当を手に持って答えた。

 

「なら勿体無いし2人で食おう。お互い育ち盛りだ。間に合うだろう」

 

「あっ!だ、だが…」

 

 当然、箒は赤面する。好きな人の為に作った弁当を、当の本人と2人で食べる。奥手な箒からすればとんだ羞恥プレイだ。

 そして、昭弘はこんな時でも容赦しない。

 

「食い切れないならオレが全部食うぞ」

 

「いや…そうではなくてだな」

 

「じゃあ何だ?言いたい事があるならはっきり言え」

 

 そう言われてしまえば、黙々と箸を進めるしかない箒であった。

 

 

 先のやり取りのお陰で、いつもの2人に戻りつつある昭弘と箒。昼食も大部片付いてきた。

 

 だからか、昭弘は唐突に「ある事」を訊ねてきた。

 そして、何か特別な事を訊かれるのではと、屋上に出る前から身構えていた箒は既に心の準備が出来ていた。

 

「なぁ箒よ。もしもだ。もし“絶対的な力”を手にしたら、お前どうする?どんな事でも成せる力だ」

 

 それでも、この質問は意識の遥か外だった。

 箒は困惑の言葉を喉奥へと押込みながら、されどそこまで悩まずに答え始める。

 

「…私はただ“強さ”が欲しい。…それだけだ」

 

 正にそれは今の箒にとって悲願だった。自分がまだまだ弱者である事を、箒自身誰より深く自覚している。

 剣にしてもISにしても、そして恋愛に関しても、彼女はブレない芯の様なものが持てないでいた。

 

「…そうか」

 

 箒ならきっと力に頼らずとも必ず強くなれるだろうといった思いを、昭弘はその一言に込めていた。

 自分のとは違う、十分に実現可能な願いだと。

 

 そしてそのまま、昭弘は自身の願いを生気の薄い声で話した。

 

「オレは争いも飢えも存在しない、誰しもが平等になれる世界が欲しい」

 

 昭弘がどれ程本気で、去れどどれ程実現不可能だと悲観しているのか、その震える声と何処か遠くを見詰める眼差しが雄弁に物語っていた。

 

 箒はそんな昭弘の目が嫌だった。その何もかもを諦めている様な目が。見ているだけで、胸が酷く苦しくなる。

 

「…不思議なもんだな、言葉ってのは。口にするかしないかで、こうも気持ちが変化するとはな」

 

 何と途方な願いなのだろう。

 願いとは、箒の様に“自分の力”で叶えられる物でなければならないのだ。叶えられない願いは、最早「神頼み」でしかない。

 

 だが無理な願いを声に出した昭弘の表情は、ついさっきとは違いまるで顔を洗ったみたいにさっぱりとしたものだった。

 

 そう、昭弘は無力なのだ。秀でているのは戦闘技術だけで、殺し合いを止める事も出来なければ、それで苦しむ者を救う事も出来はしない。

 「もしも」なんて何処にも無く、“絶対的な力”は誰であれ届かないのだ。

 

 解っていた、始めから。だがどうしても受け入れられなかった。

 

 それを漸く受け入れたこの瞬間、昭弘の心は普段の落ち着きを取り戻していた。

 何時起こるかも判らないのならば、もう止めようがないのならば、己は来たるその時に“備える”だけだ。

 何故打鉄弐式相手にバウンドビーストを発動させたのかなんて、今になって解ったからどうだと言うのだろう。

 

 箒のお陰で、昭弘の腹はもう決まった。

 備えを、その時が来るまでずっと継続する。それだけだ。

 

「…昭弘」

 

 そう遠くない未来。

 

「…何も話してはくれないのか?」

 

 夢の中でオルガに話した、2回目の発動。

 

「偶には私たちを頼ってくれ…」

 

 “その時”こそ―――

 

ガシッ

 

「何処にも…行かないでくれ…」

 

 この学園と永遠の別れをするのだろう。

 

 昼飯を片付け、去ろうとする昭弘の手首を掴む箒の掌は、北風を地肌に受けた様に震えていた。

 

 箒も一夏も、時たま昭弘にそんな事を言う。昭弘が言葉に出した訳でもないのにだ。

 昭弘が時折見せる「何処か遠くを見詰める瞳」は、どうしようもなく彼等の心を不安定なものにする。

 それは理由の無い、原始的な感情なのだろうか。

 

「何を言っとるんだお前は。オレはいつも頼りにしている」

 

 箒の目を見て、そんな本心をさらりと述べた後

 

「前も言ったろう。何処にも行かん。オレの居場所は此処だけだ」

 

 そんな嘘を、顔を背けながら優しく緩やかに言い放った。

 

 

 

 屋上へと続く兼用附室の中で、一夏はずっと昭弘と箒を覗き見ていた。

 

 途中で食堂から抜け出してまで、昭弘の為だけに此処へと赴いた箒。

 昭弘を見る目、顔の火照り、声の出し方から仕草まで、全てが一夏の知らない箒だった。極めつけは、一夏ですら聞いた事のない箒の願いだ。

 彼女はそれを、他でもない昭弘と共有したのだ。

 

 違うのは昭弘もだった。あんなにも弱々しい姿、そして虚ろな瞳、自分には決して見せた事が無い。

 まるで箒にだけは全てを曝け出している様な預けている様な、そんな一面が垣間見えた気がした。

 

 一夏はそこまで分かっているのに、そこから先がどうしても解らなかった。一体、今自分が何を感じているのか。

 これは果たして“嫉妬”と言う感情なのだろうか。だとしたら、その矛先は誰に向いているのだろうか。昭弘かそれとも箒か。

 将又、3人で居られなくなる事への恐怖にただただ震えているだけなのか。だとしたらそれは、嫉妬と言う歪んだ愛情が介在していない証拠なのだろうか。

 

 あの日、自分は束と約束した筈だ。箒と結婚すると。

 しかしその箒の愛している相手が、もし昭弘だったとしたら。箒を愛しているとも、昭弘を愛しているとも解らない自分はどうすれば良いのか。

 約束通り、強引にでも婚姻を迫るのか。

 それだと自身の気持ちは、箒の気持ちはどうなる。

 何より昭弘はどうなる。

 

(…そろそろ行かないと。2人に気付かれちゃう)

 

 昭弘が去ろうとし、箒が彼の手首を掴むと、一夏も又忍び足で階段を下りて行く。

 

 結局、何が正しいのかも自身の気持ちすらも分からないままだった一夏。

 だがやはり約束は約束だ、守らねばなるまい。

 ならばせめて箒を愛せる様、箒から愛される様努力するしかない。

 

 元より結婚なんてそんなものだろう。

 愛してるかどうかも解らない男女が、子孫を残し財を増やし、程々に楽しく過ごして老いて死んで行く。それこそが人間の本来歩むべき道だ。

 互いを良く知る親しい男女がその道を辿る事に、一体どんな間違いがあると言うのか。

 

 

 そこに自分の気持ちが介在する余地等、ありはしないのだ。

 

 

 

 

 

―――放課後

 

 小道の両脇に広がる芝生、複数のコロニーを形成しているアジサイの群れ。

 それは例え空が灰色でも、美しさを損なう事は無い。どころか、枯れたり物理的に破壊されたりしない限り、その美しさは変わる事など無いのだろう。

 

 その小道を踏み締める箒は、人間は要因によって幾らでも変異してしまうのだと自らで証明するかの様に、晴れない表情で剣道場へと向かう。

 空はとにかく薄暗く、今にも雨が降り出しそうな程分厚い雨雲で覆われていた。それ故か、湿気も最早息苦しさを感じる程だった。

 だがそれらは、箒の顔色とは全く以て無関係なものだった。

 

 彼女は改めて思い知らされた。自分と昭弘、どれだけ見えているものに隔たりがあるのかを。

 同じ時間を同じ空間で生きているのに、知っている事はまるで違っていた。

 箒は何も知らず、そして弱い。だから昭弘だって何も話さないのだ。話せば最終的に箒が傷付いてしまうと、そう考えているから。

 

 昭弘が箒を巻き込まない様にしている事なんて、箒自身何となく解っている。

 それは言い方を悪くすれば、箒が弱い存在である事を昭弘自身認めているに他ならない。

 

 全ては自分が弱いせいだ。自分が弱いから昭弘は何も打ち明けられないし、それで却って傷付いてしまう。

 

 

 

ブブブブブブブブ…ブブブブブブブブ…

 

 

 

 どんどん負の方面に思考が傾いていく箒だったが、突然自身の真っ赤なiPhoneがサイドポケットにて痙攣を訴えた事で我に返る。

 元々、通話する仲の旧友なんて殆ど居ない箒。

 一体誰からの電話かと、iPhone並に右手を震わせながらその紅い長方形の物体をゆっくりと手に取る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 曇り空を鏡の様に映す液晶画面には、「篠ノ之束」と表示されていた。




またも出ました天災です。前も似たようなシチュエーションがあった様な。
原作では箒から束に連絡していた…筈。


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第48話 紅椿~姉妹を繋ぐ花~

 驚愕故、思考も右手の震えすらもピタリと止まった箒。無理もない。実姉と会話をするなんて、もう何年ぶりになるか。

 だが、時は思考の停止に従ってなどくれない。バイブ音が4コール目に差し掛かった時、その圧倒的現実にどうにか気付いた箒は、冷や汗をだらりと流しつつ今自分が何をすべきか考える。

 

 先ず移動だ。実姉とは言え、此処IS学園が安全とは言え、世界一の御尋ね者からの電話だ。なるべく人目に付かない空間での通話が望ましい。

 最大の難関はここからだ。

 急いで近くの校舎裏へと隠れる様に立ち入った箒。バイブ音は、もう8コール目を過ぎた。そろそろ切られてもおかしくない。

 焦る箒、悩む箒。コールの前では、それすら一瞬だ。実姉が嫌いだとか何を話せばとか、逡巡している時間は無い。

 

 どうする箒。思考は意味を成さない。出るか出ないか、その親指を液晶に当てるだけで決まる。

 

 

 結果は、箒の方が一足早かった。

 

「…はい、篠ノ之箒です」

 

 出てしまった。心の準備すら途中も途中と言うのに。

 

《もすもすひねもす~?世界が注目するスーパーアイドル、篠ノ之束さんどぅえーす☆んー久しぶりだねぇ箒ちゃん!》

 

 数年ぶりに聞く、実姉の声。意味不明でハイテンションな口調は、まるであの頃と変わっていない。

 

 顔は当然にして見えていない。だが、箒はその声を聞いただけで怒鳴り散らしたくなってしまった。お前のせいで、自分と家族が一体どれ程辛い目に会って来たか、と。

 割れんばかりに歯を食い縛り、遣り場の無い眼力を飛ばし、液晶携帯を砕かん程に握り締める右手には血管が浮き出ていた。

 だが…

 

―――妹の事を大切に思わない姉なんて、この世に存在しない

 

 昭弘が零したその言葉だけが、箒の激情をどうにか抑えていた。

 

「…お久しぶりです、姉さん」

 

 箒の返事を皮切りに、テンションがもう一段回上がった束は頭に浮かんだ事を纏めもせず声に出す。

 

《ねぇねぇ!友達は出来た?勉強は順調?いっくんとは()()()()進展した!?》

 

 一度に複数の質問を繰り出すのは止めて欲しい。どの道答える義理も無ければ、指名手配犯と長時間通話する気も無い。

 そう考えている箒は、あくまで事務的に話を進める。それは、自身の怒りを静める最善の手段でもあった。

 

「それより、どう言ったご用件ですか?手短にお願いします」

 

《えぇー?折角なんだしもっと話そうよー。あと敬語も止めてー》

 

「…切りますよ?」

 

 箒の無慈悲な一言に、束は「ブー」と唇を振動させると、渋々話を進める。

 

《実はねー?箒ちゃんにプレゼントがありまーす☆》

 

 プレゼントと聞けば、本来ならワクワクするものである。

 だがそれも、この天災科学者が口にすれば嫌な予感しかしない。箒もその病に侵された一人だ。

 

《それは何とぉーー?「専用機」にございまぁーす☆勿論束さんが直々に作った奴ね☆》

 

「………え?」

 

 一瞬、揺らいでしまった箒。いや事実、今も激しく揺らいでいる。

 

 あの天災自らが作り上げた、しかも一点特注の専用機。その性能は如何程なのか、当然箒には計り知れない。

 もしそれが本当に自分の物になるのだとしたら、これ程嬉しい話は無いだろう。あの、箒も良く知る代表候補生たちと、同等の力が手に入るのだ。

 そうなれば、鍔迫り合いで甲龍に負ける事もなくなるかもしれない。

 

 いやそれ以前に、何故唐突にプレゼントなのか。しかもIS等と。

 確かに箒は来月が誕生月ではあるが、それでも憶測を絶やす訳には行かない。今迄何の音沙汰も無かったのに何故、と。

 

《ISの名前は『紅椿』。詳細はお・た・の・し・み♪って事で!臨海学校のタイミングで渡しに行くからね~☆誕プレって奴だよ!》

 

 返事もせず、数秒の間にそんな事を長々と考える箒に対し、勝手に了承したと見なした束は話を進める。

 

 そんな束を制したかった箒は、ぐちゃぐちゃとした頭の中を強引に正したつもりになると、臆病を押し退ける様に答えた。

 

「…お断りします」

 

《…うん?》

 

 自分の聞き間違いか、とでも言いたげな戸惑いの声が返ってきたが、箒は尚も続けた。

 

「貴女の力なんて要らない。そんな物で得た強さなんて、偽りの強さでしかない」

 

 箒が欲しているものは、姉の庇護なんかではない。強さと何の関係もないそれは寧ろ、箒の心を更に弱くしてしまうだろう。

 

《…んーちょっと箒ちゃんが何言ってるのか解んないや。兎に角もう殆ど完成してるら受け取ってー☆この子、箒ちゃんに凄く似合うと思うの!絶対箒ちゃんも気に入るからさ!》

 

 反抗期の子供をあしらう様に、束はまるで箒の言葉に耳を傾けようとしない。

 何でも成せる力を持ち、切磋琢磨を知らない彼女には、妹の言っている事が1ミリたりとも理解出来なかった。

 

 束のそんな態度が電話越しでも伝わった箒は、油を注がれた様にますます燃え盛る。

 

「私は自分の力で強くなると言ってるんです!貴女の力なんて必要無い!」

 

《………は?》

 

 必要無い。

 その言葉だけが、束の脳内を埋め尽くした。黒ずんだ蟻が巣穴から一斉に飛び出したが如く、内側から瞬く間に。

 

 どんな時も今この瞬間も、世界中の人間から必要とされている存在、篠ノ之束。

 それが当たり前となっている彼女にとって、よりにもよって最愛の妹が放った「その言葉」は、精神に甚大な傷を負うには十分過ぎた。

 

 乱れた思考に代わり、感情が際限無く膨張する。それは瞬く間に束の脆弱な心を内側から破り、外部へと放出される。

 

《箒ちゃん……私の事……必要無い……って》

 

 箒にはまるで聞き覚えの無い、実姉のか細く震えた声だった。

 箒にとって余りに予想外なそれは、天下の大天災とは思えない、置いてかれた子供の様な声。まるで別人だが、去れど紛れもない姉の声だ。

 

 その事実が、箒の中に昔からあった感情を少しずつ目覚めさせていく。

 そんな自身の心に大人しく従うしかない箒は、必死に弁明しようとする。

 

「ま、待て姉さん!私はそんなつもりで言ったんじゃ…」

 

《箒ちゃん喜ぶと思って……一生懸命作ったのに……》

 

 だが、もう遅い様だ。心に受けた衝撃を脳が吸収しきれなかった為か、束の耳は最早正常に機能していなかった。

 今の彼女は、ただ感情を言葉に変換して吐き出す事しか出来ない。

 

《箒ちゃん…素直で良い子だったのに…変わったね。まぁ元を辿れば私のせいだけどさ…》

 

 不味い、非常に不味い流れだ。だが口下手な箒には、天災の…姉の機嫌を戻せる様な気の利いた言葉なんて浮かばない。

 

「姉さん聞いてくれ!!私は自分の力で―――」

 

《あーそっかー箒ちゃん私の事嫌いなんだぁ私一人のせいで人生滅茶苦茶いっくんとも離れ離れになっちゃったもんねー私と電話越しで話す事すら汚らわしいからさっきみたいな事言ったんだもんね!?》

 

「待て違う!!私は姉さんの事が―――」

 

プーーーッ プーーーッ プーーーッ …

 

 箒の言葉は、誰に届く事無く肌寒い校舎裏をトボトボと漂うだけだった。

 

「…やってしまった。余計な一言だったな…」

 

 眉を八の字に曲げ、項垂れながら溜め息を吐く箒。

 

 だが致し方ない。数年ぶりの会話だ。流れた時と昭弘たちとの出会いは、良くも悪くも箒を変えてしまった。

 突然の電話で心の準備が出来ていない事も考慮すれば、どの道会話のどこかで綻びは生じただろう。

 

(後で、駄目元で掛け直してみるか。どうせこちらからは繋がらないのだろうがな…)

 

 存外に引き摺る箒。噴火直前の剣幕は、一体何処へ沈んでしまったのだろうか。

 

 だがそれは、何よりも明確な証明となってしまった。やはり箒は、決して束を心底から嫌っている訳ではないのだ。それどころか―――

 

(姉さんの事が…どうだと言うのだ、私は…)

 

 仮に途中で切断されなかったとして、そこから先の言葉を口に出せたのかは箒自身怪しかった。

 

 指名手配犯だとか束のせいで辛い思いをしただとか、そんなものは体の良い言い訳だ。

 本当は大切な家族だと思っているのに、傷付けるつもりもなかったのに、過去の出来事に囚われて素直になれない。

 

「…私は何故いつもこうなのだ。…教えてくれ昭弘」

 

 口に出そうと、この場に昭弘は居ない。またしても、言葉は無駄に無意味に漂うだけだった。

 

 

 

 

 

―――――某所 某ラボ―――――

 

 自室とも研究室とも分からない、整理整頓が行き届いているとは言い難い空間。

 ソファの上で体育座りのままウワンウワンと泣き崩れる20もとうに過ぎた大人を、クロエは瞼を閉じながらも身体全体で見詰めていた。

 

《クロエ様、ココハ自分ガ―――》

 

「引っ込んでいて下さい。事態が悪化しかねません」

 

 乙女の事は乙女に任せろとクロエが制し、ジュロは巨体をシュンと縮こまらせて後ろに下がる。

 

「束様、先ずは涙を拭いて下さい」

 

「グスッ…ヒッ…ゴメン…クーちゃん」

 

 クロエが胸ポケットから取り出したベージュ色のハンカチを力無くブン取った束は、鼻孔と涙腺から止めどなく溢れる透明な液体を懸命に拭き取る。

 クロエはそのまま立ち、兎耳の機械を避けながら束の頭を優しく撫でた。

 

「やっぱり…駄目だった。箒ちゃん、余所余所しくて冷たくって…終いにはさ…束さんなんて必要無いって、紅椿も要らないって…。覚悟はしてたけどさ…」

 

 箒がIS学園に入って以降、束はずっと妹に連絡を取りたかった。

 国の監視も世間の目も無いあそこなら、例えお尋ね者である自分が連絡を入れようと、箒に危害が及ぶ確率は格段に低くなるからだ。

 だが、そんな時でも束の心は脆かった。

 こんな、妹の人生を奈落へと突き落とした元凶を、身勝手で気儘な自分を、果たして拒絶しないだろうか。液晶画面の通話ボタンに指を添えようとする度、そんな恐怖が頭を過ったのだ。

 

 それも、妹の誕生日と紅椿の完成が同時に迫った事で、漸く連絡する決心がついたのだ。

 クロエと無人ISたちは、そんな束を見守る為に半ば強引に立ち会わされたと言う訳だ。

 携帯もスピーカーモードにされており、箒の言葉はクロエたちにもガッツリ聞かれている。

 

 結果はご覧の通りだ。

 少しでも気を緩めたら震えてしまいそうな声を懸命に抑え、可能な限り普段の口調を演じて会話に挑んだ束。

 だが、それも無駄だった。妹の反応は最初からどこか他人行儀で、それだけでもう束は目尻に涙が滲んだ。

 そして止めの一撃となった「あの言葉」で、涙腺も心も中身が全て流れ出てしまった。

 

 その後、箒が何を叫んでいたかなんて、放心状態となった束の耳奥に響いた筈が無かった。

 

(本当、泣き虫でお子ちゃまなんですから…)

 

 そう思いながらも、クロエは束の頭を撫で続けた。

 

 感情の浮き沈みが激しく、常に心が不安定な天災科学者、篠ノ之束。今撫でる手を止めたら、束がグズグズに崩れ落ちて沈没してしまうのではないかと、そうクロエは思ってしまった。

 当の束は嫌がるどころか、さも撫でられ慰められる事が当たり前であるかの様に、想いの吐露を続けた。

 

「もう終わりだよ…完全に箒ちゃんから嫌われた。感情に任せてあんな事言っちゃって…ほんと束さんってゴミだよね…」

 

 自暴自棄に陥る束。

 

 だが、冷静に立ち会っていたクロエは解っていた。箒が何を主張したかったのかも、束を心底嫌っている訳ではない事も。

 かと言って、箒を全肯定する気も無かった。電話を掛ける主の心境を理解していたクロエからすれば、箒の態度は流石に冷た過ぎる様に思えたからだ。

 

 よって、クロエは束に優しく諭す事にした。

 

「…大丈夫、大丈夫ですよ、束様。妹君は、貴女を決して嫌ったりしません」

「だって…貴女は、妹君の事が世界で一番大好きなのでしょう?貴女が全身全霊を以て愛する人が、貴女を嫌うなんて絶対に有り得ません。私が保障しますから。ね?」

 

「…」

 

 少しだけ、咽び泣く声が小さくなって来た。ようしあと一押しと言わんばかりに、クロエは畳み掛ける。

 

「それに、妹君の傍には昭弘様が付いてるでしょう?彼の事ですから、もし仮に妹君が貴女を嫌いになりそうでも、きっと良い方向に導いてくれます」

 

 「あの人、真のお人好しですから」とクロエがそこまで言い終えると、束の身体の震えは無くなっており、先程からテラテラと姿を見せていた涙も流れを止めていた。

 もうこれ以上沈まないだろうと判断したクロエは、束の頭から一旦手を離す事にした。

 

「…クーちゃん」

 

「何です?」

 

 体育座りのまま俯きながら呼ばれたので、クロエはほんの少し腰を屈める様に顔を近付ける。

 

「………昨日、ケータイ取っちゃってゴメン」

 

「昨日の事を謝る気力があるのなら、もう大丈夫そうですね。或いは、私が優しい今なら謝るチャンスと思ったのでしょうか」

 

 腕で包まれている両膝に顔を埋めながら、束は小さく頷く。

 クロエは仕方が無さそうに優しく溜め息を吐いた後、透き通る様な声で束にお願いする。

 

「もう気にしていませんから、返して頂けますか?」

 

 しかし、束は駄々っ子の様に拒否する。

 

「…駄目。またアキくんに告げ口するんでしょ?」

 

「しません。電話も、貴女の目が届く範囲でしかやりません」

 

 クロエがそこまで言い切ると、束は俯いたままボタンの付いた脇ポケットから灰色の液晶端末を取り出し、クロエにポイと渡した。

 

「じゃあ私、そろそろ退室しますけど…宜しいですね?」

 

「ん…」

 

 そのやり取りを最後に、クロエはジュロ以外の無人機を連れて部屋を後にした。

 

 

 クロエのお陰でどうにか束の機嫌が戻りつつあるのを見計らって、ジュロが一番肝心とも言える部分を確認する。

 

《束様、結局紅椿ハドウナサイマスカ?》

 

 目覚し時計の様なその質問に対し、束は頭を気怠げに上げながら、泣き過ぎた為か普段とはかけ離れた低い濁声で答える。

 

「…予定通り、臨海学校の日に渡しに行く。本人が嫌がっても強制する。最悪「学友皆殺しにするぞ」って脅せば、嫌でも受け取るでしょ」

 

《…畏マリマシタ》

 

 物騒な物言いだが、束とて必死なのだ。

 

 近い未来、訪れるであろう戦乱。その直中、何時何処でも自由に展開出来るISを持つ持たないは、即生死に関わる。妹を想うのなら、専用機の譲渡は当然の計らいだ。

 束も本来なら、箒をIS学園以上に安全な場所へ隔離したい。そうしないのは、クロエの様に寂しい思いを、箒にして欲しくはないからだ。

 それが例え、束の間の団欒だとしても。

 

 束の思惑は、それだけに留まらない。それは白式の存在だ。

 この紅椿は、言うなれば白式の“番”でもあるのだ。白式の能力を最大限にまで引き出し、それにより一夏の生存性を高める為の。

 そして箒と一夏を、生きる上でも愛し合う上でも2度と離れられない様にする為の。

 

 

 

 人一倍心が脆く、妹への歪んだ愛情を患っている束。

 もし彼女が、昭弘と箒と一夏の三角関係を知ってしまったら―――

 

 何をしでかすか、考えただけでも恐ろしい。




クロエママ……


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第49話 乱戦

福音戦まで、日常と各キャラの掘り下げ的な事を描きます。よって、昭弘の出番が減ってしまう事もあるかと思います。予めご了承下さい。


―――――6月28日(火) 19:30―――――

 

 IS乗りにとって、日々の鍛練は欠かせない。ただ乗って動かすだけでなく、実戦に役立ちそうな知識の吸収や反射神経・体力・運動能力の向上と、すべき事は時間が幾らあっても足りない。

 特にその中でも強くなる早道は、格上または実力が拮抗している相手と実際に戦う事だ。

 

 だが、それには第一にフィールドが無人の状態でなければならない。

 3年生のアリーナ使用頻度が減ったこの時期でも、丸一日フィールドの貸し切りなんて不可能だ。それが放課後なら尚の事。

 一対一で模擬戦を繰り返していたら、あっと言う間に次の利用者が訪れてしまう。打鉄弐式製作に時間を割かれている某巨漢にとっても、短時間で済むのならそれに越した事はない。

 

 ので、複数人を短時間で戦わせるのなら、全員一遍に戦わせる「集団戦」に近い形体が望ましい。今、此処アリーナCで進行している戦いの様に。

 三つ巴の戦い。文字自体は一見すると可愛らしいものだが、内容は大概壮絶で仁義の欠片も無い。決闘の駆け引きを幾重にも増した様なものだ。

 

 それが今、小さなフィールドで執り行われている。

 この1対1対1と言う状況で生き残るべく、敵を上手く利用する、或いは敵の敵を味方に付けると言った戦術は最早序の口。

 こうしてグシオンに相対する、白式と打鉄の様に。

 

 箒と一夏の戦い方は、三つ巴と言う戦況では一つの正解であった。

 昭弘がこの中で実力も機体性能も抜きん出ている以上、各々が各々をを対等に狙えば、先に白式か打鉄が落ちるのは確実。残った白式或いは打鉄が単独でグシオンの相手をする羽目になり、そうなれば昭弘の一人勝ちは必至だ。

 

 

 当然の様にバウンドビーストを使い、打鉄と白式の息の合った剣風を掻い潜る昭弘。

 どちらも接近戦型である故、やる事は単純だ。ただ距離を取って撃ちまくれば良い。更に付け加えるなら、2対1と言う状況を一早く脱する為、片方のみに狙いを絞るのが上等だ。

 その浅はかな考えを改めざるを得ない状況に、昭弘は今追い遣られていた。

 

(…やり辛ぇな)

 

 昭弘は最初、防御力はあっても機動力は多少劣る打鉄を集中的に狙っていた。

 だが、持って行かれる、意識を。白式の存在とそれを操る一夏によって。

 

 白式の脚部と前腕部付近にて等間隔で点滅している、赤い発光体。気を散らせる為だと頭では解っていても、本能的に逆らえないのが動物の意識だ。

 それに、ハイパーセンサーの広い視界では、どの方角だろうと嫌でも目に入る。

 

(駄目だ、作戦変更。先に白式を落とす)

 

 正しい判断だ。だが―――

 

(チッ、嫌な間合い取りやがる)

 

 高速で追い縋るグシオン。

 対し、即座に逃げの一手へと切り替えた一夏は、ハルバートがギリギリ届かない絶妙な至近距離でちょこまか動き回る。この間合いで激しく逃げ回られては、射撃武装のエイミングも間に合わない。

 

 途端、白式が雪片弐型を水平に構えて一気に距離を潰して来た。

 好機と見た昭弘はサブアームで腰部シールドを構え、高速切替でマチェットを呼び出す。

 

ピタッ

 

 一夏は、雪片が腰部シールドに当たる直前で振りを止めた。

 

《貰ったッ!》

 

 そして、昭弘の意識が白式に集中し切っていた刹那、打鉄の葵がグシオンを斜め後方から急襲した。

 

「ッ!」

 

《追撃よ》

 

 体勢を崩すグシオンに対し、一夏は止めていた雪片に零落白夜を発動させてそのまま横薙ぎにした。

 

ガギャァン!!

 

 凄まじい音と共に、グシオンのSEが大きく減少する。競技用にリミッターを掛けられている為、零落白夜と言えど装甲の破壊(グシオンの場合、絶対防御機能が備わっていない)には至らないが、相変わらずの凄まじい威力に昭弘は戦慄する。

 

(…仕方がない。戦術もへったくれもないが、2機同時に狙うしかないな)

 

 どの道、このままでは一夏の思う壺だ。

 ならば下手な戦術に拘るより、持ち味を活かすのが一番良いのかもしれない。操縦技術と性能なら、昭弘とグシオンの方が上だ。

 

 よって、夫々サブアームに携えたミニガンと滑腔砲で白式を撃ちつつ、マチェットとハルバートで打鉄を討ち取る事にした昭弘であった。

 

 

 

 結局どうにか生き残れた昭弘ではあったが、受けたダメージは甚大であった。SEは0.7%しか残っておらず、滑腔砲も2丁がおシャカとなった。

 乱戦は得手だと自負していた昭弘だが、結果はまさかの辛勝となってしまった。

 

 

 

 ピットに舞い戻って来た昭弘たちを、4人が軽く労う様に出迎える。

 

「乱戦での昭弘を相手に、良くもまぁ喰らい付いたもんだな」

 

「ほんとだよ!何あの発光体?」

 

 呆れ気味に褒め称えるラウラと興奮冷め止まないシャルロットに、一夏はレンズの光で目の色を隠す様に、静かに答える。

 

「相変わらず、1対1じゃまるで敵わないけれどね。集団戦で真価を発揮出来るのも、あの赤色LEDのお陰さね」

 

 タイマン以外の、様々な集団戦を想定した機体と立ち回り。それに白式の高い機動力と鈴音の助言も加味した結果、生まれたものがこの「引きつけ戦法」だ。

 

「オレはレゾナンス隣のホームセンターで買っただけで、付けてくれたのは1組整備科志望の面々よ。今度お礼をしなくちゃね」

 

 日中でもより目立つ様、カバーに特殊な染料が含まれている赤色灯だ。

 それがホームセンターで気軽に買えるとは、便利な時代になったものだ。

 

 それと、案外簡単に付けられるものなのだ。ましてや整備士を目指している彼女たちからすれば、装甲に電池ごと外付けするなんて朝飯前だ。

 後は、量子化やらシールド保護やらをコアに任せるだけ。

 

「もう少し誇っても良いんじゃないのか一夏」

 

 そう言って、一夏の戦いを高く評価する昭弘。戦術を考えたのも、それを最大限生かしたのも他ならぬ一夏自身だ。

 それでも尚、一夏はやはり納得の表情を見せない。

 

「ありがとうね昭弘。けど、まだまだ発展途上だよ。慢心せず、精を出さなきゃね」

 

 口調の割に随分とストイックな一夏を見て、妙なギャップを感じた昭弘。

 だが、以前の様な危うさは微塵も感じられなかった。寧ろ自分の強みと弱みをしっかり把握していて、良い具合に割り切れている感じがした。

 

「ああそれと、零落白夜だ。あんだけ自由自在になるとはな」

 

「それ僕も思った。どんな練習したの?」

 

 腕を組みながら感心の目を向ける昭弘と少し距離を詰めながらまじまじと見詰めてくるシャルロットに対し、一夏は半歩後退りしながら答える。

 

「何も特別な事してないわよ。色々な運用方法模索する為に何度も使い続けたら、自然とね。上手く行かなくて癇癪起こしかけもしたけど」

 

「癇癪って…この2週間でどれだけ稼動させたのだ貴様は」

 

「忘れた」

 

 今日皆に披露するまで、どれ程の労力を白式に費やして来たのか、その疲れ切った一言だけで昭弘たちに解らせた。

 

 一見、和気藹々とした雰囲気の4人。

 

 だがそんな中、紅く光る瞳が射抜く。昭弘の背中から生えた阿頼耶識に未だ覆い被さる、待機形態のグシオンを。

 

 模擬戦だろうと、全力で挑んでこその闘争。ラウラが一番良く解っている、相手への礼節であり自分への特恵だ。

 故に、昭弘が延々と単一仕様能力を使っている事に、とやかく言うつもりは無い。

 

 だがラウラは、漠然とした悪しき予感が拭えなかった。阿頼耶識から離れないグシオンを見る度、磁力によって弾かれる様に目を逸らしてしまう。

 

 

 

「やるじゃない箒!また腕上げたんじゃないの!?」

 

「グシオン相手にあれ程善戦するとは、失礼ながら思いませんでしたわ。乱戦と言う状況を、とても上手く利用していた様に思えます」

 

 セシリアと鈴音も、そう言いながら箒の戦いぶりを称える。日々鍛錬を欠かせていない2人から見ても、箒と打鉄はかなりの段階まで仕上がっている様に思えた。

 それでも、当の箒の反応は明るいものではなかった。

 

「…調子は極めて良好だった。白式との連携も申し分無かったし、判断ミスも無かった。それでも、最初に脱落したのは私だった」

 

「それは…」

 

 セシリアが口籠る。

 普段から箒の瞳に宿る気高き光沢は、黒々と擦れていた。

 毎日特訓を積み重ねても、絶好調でも、専用機とそれを操る者にどうしても箒は勝てない。

 

 無論全てがそうではない。千冬の様に、人間の域を逸したIS適性を持つ者。谷本の様に、多種多様な射撃兵装を組み合わせる者。

 だが箒は違う。攻撃手段は、近接ブレードである葵だけ。装甲とブースターをどれだけ追加しようと、IS適性が特別高い訳でもない箒が、量産機で専用機と渡り合うのはやはり厳しいものがあった。

 

 セシリアはどうにも心が苦しくなった。

 確かにセシリアは、実力で専用機を手にした。だが、確かな実力があるのは箒とて同じ事。

 自分には専用機が有るのに、箒には無い。その構図が、セシリアの中に潜む後ろめたさを増大させていった。

 

「あーもう暗いったら2人共!過ぎた事ウジウジしたってしょーがないでしょーが!」

 

 鈴音が沈んだ気分を上げようと努めてくれるも、箒の様子は変わらない。

 

 しかし、セシリアはその言葉で我に返った。

 鈴音の言う通り、どれ程科学技術が進歩しようと過ぎた時間は二度と戻らない。ならば前を見据えるしかない。

 セシリアの友であり好敵手たちも、日々どんどん強くなっている。

 

 一々後ろを振り返っていては、容易く抜き去られる。

 

「さ!気持ち切り替えて、アタシたちも準備するわよセシリア」

 

「ええ、そう致しましょうか」

 

 鈴音の言葉に従い、箒に軽く会釈をしてから更衣室へと足を運ぶセシリア。

 

 2人が視界から消えた事を確認した箒は、調子の悪いブラウン管テレビを叩いて直す様に額を軽く2度殴った。

 

(惑うな!何時から勝つ事が目的になったのだ私は!)

 

 勝つ事だけに執着すれば、人はやがて力に溺れる。

 

 だが逆に、勝利を追い求めなければ、人は強さをも得られない。その事に、箒は果たして気付いているのだろうか。

 

 

 

 同フィールドでは、三つ巴の勝ち残り戦に続いて四つ巴の戦いが幕を上げた。

 字面では巴が一つ増えただけだが、中身の複雑さは更に数段上がっている。単に三角形から四角形へ、と言う訳には行かない。

 

 小難しい事は考えず打倒セシリアに拘るラウラは、執拗にティアーズを付け狙う。

 遠距離中距離無双のセシリアに生き残って欲しくないシャルロットは、シュトラールに便乗する形でティアーズを撃ちまくる。

 でもってラウラとセシリアによる潰し合いを狙っている鈴音は、更にラファールの邪魔をする。

 

 そしてセシリアはと言うと、ビット6機全てをラファールへと向け、自身は全速後退しながらシュトラールを狙い撃ち、どうにか凌いでいた。

 

 

 スタンドで観戦している昭弘がその中でも特に注目していたのは、やはりシュトラールの新武装であった。

 

(レイピア2刀に、モーニングスターが1本か。レイピアは解るが、スターメイスとはこれまた意外なチョイスだ)

 

 シュトラールの握るモーニングスターメイスは、鎖の無い槍型だ。

 柄の長さが2m程、先端で鎮座している星球の大きさが直径約50cm、突き出た複数の棘を含めれば70cm程と言った所か。

 生身の人間が受ければ忽ち肉塊へと加工されるであろうその凶悪な外見は、ISを纏う人間であろうと恐怖を植え付けられる。

 

 そんな巨鉄を構えながら超高速で飛び回れるISは、やはり超科学が生み出したPSなのだなと、昭弘は小さいシュトラールを眺めながら改めて感じた。

 

「凄いねラウラ。レイピアとモーニングスターを絶妙に使い分けてる。どっちもタイプがまるで異なる近接武装だから、アレをやられちゃ対処が難しいかも」

 

 一夏の的確な感想を聞いて、昭弘も試しに訊ねてみる。

 

「お前の剣でも厳しいか?」

 

「無理無理。悔しいけど、近接戦闘ならラウラはオレの遥か高みに居るわね」

 

 まるで走る様に空間を幾度となく蹴るラウラへ、一夏は諦観にも似た眼差しを向けながらそう言った。

 

「だそうだが、箒はどう思う?」

 

 昭弘は右から左へと首を回しながら、今度は箒に訊ねる。

 

「…一夏と白式で無理なら、私でも無理だ」

 

 箒のそんな言い草に、昭弘は左眉をピクリと動かす。

 

「随分とやけな言い方じゃねぇか。一対一の斬り合いなら、追加装甲のある分箒と打鉄の方が寧ろ白式より勝算は高いと思うが?」

 

「無理なものは無理だ。白式と打鉄じゃ、基本性能に雲泥の差がある」

 

 鬱陶しそうに昭弘を横目で見た後、溜め息交じりに箒はそう吐き捨てる。

 一夏はそんな箒の言葉に妙な含みを感じたのか、表情はそのままにフィールドの観戦へと逃げる。

 

 今日一日、箒は朝からずっとこんな感じだ。

 まるで全く違う方向から押し寄せる不安と迷いを同時に相手取ってる様な、そんな何かを昭弘は箒から感じ取っていた。

 

 当然、昭弘には心当たりがある。

 屋上での昭弘との一件。自分だけ専用機が無い事への焦り、それにより「強さ」と「力」との狭間で揺れる意志。

 

 だが、まだもう一つある。上記の2つだけなら、苛立ったりそれにより他人に当たり散らしたりする筈だ。

 先程からの箒は苛立ちと言うより、単に元気が無い。もっと言うなら遣る瀬無さや後悔、少しの罪悪感が当て嵌まる様に思える。

 そう、例えるなら誰かを泣かせてしまったみたいな。

 

 兎に角箒の頭は今、雑多な思考が乱れ合っている筈だ。先ずは、それを解す事こそ先決であろう。

 

「大事なのはISの基本性能じゃなく、その時その時の力を最適に使う事だ。勝敗だとか専用機だとか以前に、そう言うのが強さに繋がるんじゃないのか」

 

 それは勿論、箒だけではない。今フィールドで複雑な攻防を繰り広げている彼女たちにも言える事だ。

 狭く限られた空間で、自身の乗る(IS)を如何に上手く操るか。競技(フィールド)用にリミッターが掛かった機体の出力を、どう調節すれば良いのか。狭い空間で敵機を撃つなら、アサルトライフルやサブマシンガンで絶対防御発動を狙うのか、多少取り回しが悪くても重機関銃等でゴリゴリSEを削るのか。

 

 そんな事を戦う前、そして今戦っているこの瞬間も、皆は考え抜いている。

 

「…そうだな。…大丈夫だ、ちゃんと解っている」

 

 昭弘の言葉をしかと聞き入れた箒は、軽く頭を振って絡み合った思考の糸を解く。

 

 だが、昭弘の助言はそこまでだった。

 箒が誰かに何かを言ったのかなんて、昭弘には判別出来ない。だがもしそうだとしたら、自分で撒いた種は自分で刈り取るべきだと彼は考えていた。

 傷付けた相手をどう思っているのかは、箒本人にしか解らないのだから。

 

 箒が何かしらの事件に巻き込まれていない限り、無理に介入するのは時として彼女の為にならない。

 

 

 

 最終的に生き残ったのは鈴音であった。

 

 ラファールがビットと甲龍のコンビネーションに耐え切れず最初に落ちた後、枯渇寸前だったティアーズのSEはシュトラールの猛攻により0へ。

 シュトラールもティアーズの反撃により大きなダメージを受けた。

 そして幾らラウラでも甲龍を仕留めるにはSE残量が足りず、後僅かな所で衝撃砲を食らい、敗北となってしまった。

 

「良し!何はともあれオルコットに勝ったッ!」

 

「良しじゃありませんわ!貴方のお陰で私の華麗なる生き残り計画が台無しに!」

 

「ハハ…ドンケツ…」

 

(…何か勝ち残った感じがしないんだけど。何よこの微妙な終わり方。声掛け辛いし…)

 

 ラウラ以外、思い通りの戦果は得られなかった様だが。

 乱戦なんてそんなものさ。

 

 

 

 

 

 時刻は回って21:40。閉館時間も近いアリーナCの閑散としたスタンドにて、セシリアは1人で考え込んでいた。

 既に昭弘たちには、先に帰って貰っている。

 

 アリーナ全体が放つ強力な照明によって掻き消されている星空を探す様に、セシリアは客席に座りながら顔を上げている。彼女にとっては、目を瞑るよりも考え事に没頭出来るのかもしれない。

 彼女は、乱戦で生き残れなかった事、それ自体を気に病んでいる訳ではない。ただ、今回の模擬戦で確信に似たものを得たのだ。

 もう6機のビットでは()()()()と。

 昭弘だけでなく、皆確実に強くなっている。勿論セシリアも日々成長してはいるが、現状ではいつ誰に追い抜かれても不思議ではない。

 セシリアとブルー・ティアーズ、双方の大幅なレベルアップが急務であった。

 

 即ち、ブルー・ティアーズの二次移行(セカンドシフト)だ。それを果たせば、単一仕様能力も解放される。

 二次移行は、機体(コア)によって、そしてそれを操る人によって稼動時間もタイミングもまちまちだ。

 だが、それでもセシリアには世迷言ではない予感があった。近い内、ブルー・ティアーズは二次移行すると。

 そう至った源こそ、ここ最近ビットを使って戦う度に感じた、脳が締め付けられる様な窮屈感だった。

 

 もっと多くのビットを操れる筈、いやそうでもしなければ駄目だ。

 二次移行とは、即ちISの進化。操縦者が進化するに値する力を持ってなければ、つまりはブルー・ティアーズに認めて貰えなければ、進化は無い。

 

 

 セシリアは瞼を閉じた。

 人工島全体を覆う夜闇に、その身を預ける様に。人間以外の生き物たちが演奏する不規則な音色を、無心で聞き入る様に。

 

 己が目指す最強の姿を、脳内で構築する様に。




ラウラくんの武器は描いている途中に思い付きました。本来なら手・肘・膝・踵・爪先全てにプラズマ刀を付ける予定だったのですが、バキシリーズのドイルと丸被りっぽくなってしまうので止めました。

いっくんと白式は…うん、地味な変化ですがタッグマッチだとかなり厄介な相手…の筈です。


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第50話 遠き頂

放課後の話ばっかりですなこやつの小説。


―――――6月30日(木) 1年1組 SHR前―――――

 

「えぇ~!?ビット増やすのぉ~~!?」

 

 声が大きいですわと声を大にして言ってやりたいセシリアだが、もう遅いわバレた所で何なんだわで直ぐ様開き直り、本音に頼み事の詳細を説明する。

 

「ええ。予備のビットが残り11機ございますので、その中から2機を拝借して、計8機のビットにしようかと」

 

「それを私に手伝って欲しいって事~?」

 

 机の上に顔を横たえながら見上げて来る本音に対し、セシリアは気恥ずかしそうにそっぽを向きながら答える。

 

「私としては別に本音でなくとも構いませんし?本音だって生徒会で忙しいでしょうから、無理にとは言いませんが」

 

 すると、本音は机に突っ伏したまま目を閉じて考え出す。

 またやらかした、このままでは本音に断られてしまう。と、自身の突っ慳貪な態度を心の中でボカスカ殴り伏せるセシリア。

 彼女は懸命に焦りを隠すものの、眼球だけはにっちへさっちへと忙しなく動かしながらその蒼い瞳を何度も本音に向けてしまう。

 

 目を閉じてる本音はそんな状態のセシリアに気付く事もなく、じっくり考える。

 当面、臨海学校以外大きなイベントも選挙活動も無いので、生徒会は早く終わるだろう。

 問題は打鉄弐式だ。自由参加ではあるが、親友の成したい事。手伝いたいに決まっている。だが、大好きなセシリアの頼みも断りたくはない。

 

(…あ!)

 

 どうやら、双方とも手伝える妙案が浮かんだらしい。

 

「分かった!手伝っても良いよ~」

 

 その言葉が聞きたかったと、セシリアは安心によって背骨が溶けそうになるが、グッと堪えて気丈に振る舞った。

 

「その代わり~、アリーナDでもいい~?」

 

「?…ええ、私は構いませんが」

 

 偶然にも、其処はセシリアが最近狙っていた穴場であった。

 本校舎から遠く、利用している生徒が極めて少ないからだ。時間を無駄にする事が嫌いなセシリアもこれ迄は利用を躊躇っていたが、最早四の五の言ってはいられない様だ。

 ただ、簪を尾行した日のトラウマが甦った為、彼女は表情筋が凍り付かない様努めた。

 

「やった~!予約は私がやっとくね~。あそこなら直前でも全然問題無いし~」

 

 うむ、大丈夫だ。

 今日に限っては、ブルー・ティアーズのセッティングが主であるセシリア。アリーナAのフィールドも17:00迄しか入れていない。

 其処で機動訓練を終えた後、本音と待ち合わせるのが良いだろう。

 

 

 

 

 

―――――放課後 17:22―――――

 

 分厚い雨曇から点々と裸体を覗かせる紫色の空の下、ヒグラシの儚い調べを掻き分けながら本音と進む事20分。

 

 アリーナDのピットに入ったセシリアを待ち受けていたモノは、普段では中々御目に掛かれない光景だった。

 人数は20人程だが、何ともまあ騒がしくも真面目な空気が伝わってくる。制服のままな生徒も居れば、橙色のつなぎで全身を覆っている娘も居る。

 その中に当たり前の様にゴーレムが混ざっているが、余計な詮索はしないに限る。

 

 チラっと見えた限りだと、モニターに機械言語を入力したり、ホログラムを投影する為のディスプレイを準備している。それらがまるで供え物であるが如く、中央には水色のISが。

 以上の視覚情報だけでも、彼女たちがISを作っている事は火を見るより明らかだった。

 

 では本音は、見返りとして自身にIS製作を手伝って貰う腹積もりなのかと、考えようとした所で一旦思考が飛ぶ。

 

(アレは更識簪…!)

 

 遠目からでも、その水色の髪で直ぐに判る。セシリアが一方的にライバル認定している、本音のルームメイトであり親友だ。

 その傍に居るのは、これまたセシリアのライバルである昭弘だ。

 

 何故奴等が此処にと考えようとした時、セシリアの目を劇物が襲う。

 セシリアを尻目に、簪に駆け寄る本音。少し遠いからか話の内容は耳に入らず、2人が親し気に話し合っている光景だけを視覚が捉えたのだ。

 それだけならまだしも―――

 

(…いや、嫉妬している訳では御座いませんのよ?増してや「本音に抱き着かれて羨ましい」等と、微塵も思って御座いません事よ?英国淑女たる私がその様な下賤な…)

 

 踵を高速でタンタンタンタンと床に打ち付けながら、自身にそう言い聞かせるセシリア。

 

 そして、簪に少しの間作業を抜ける理由を説明した本音は、再びセシリアの下へ。

 激しい動揺の為か製作メンバーへの挨拶を失念してしまったセシリアは、本音が戻ってきたタイミングで彼女たちへ簡易的だが丁寧な御辞儀をするに留めた。

 

「セッシーどうかした~?気でも立ってる~?」

 

「は、はぁ?飛ぶのが待ちきれないだけですわ」

 

「あ~ビット8機って、初めての試みだもんね~」

 

「そう、ただそれだけですわ」

 

 そのやり取りを、昭弘は言語をタイプしつつ呆れ顔で眺めていた。

 

(…アイツ本当に分かり易いな)

 

 誰を好きになるのかは当人の自由だが、せめて素直になるかそれが駄目なら上手に隠すかした方が良いのではと、思った昭弘であった。

 

 

 

 セシリアの第三世代専用機ブルー・ティアーズは、ビットを6機までしか設置搭載出来ない。追加のビットを搭載するには拡張領域に詰め入れるか、或いは本機の直近に浮遊させると言った方法がある。

 高速切替が苦手なセシリアは、後者の方式を選んだ。

 

 セシリアは、ビット6機までの運用となっているブルー・ティアーズを、8機へと仕様変更する。

 その間本音にやって貰う事は、ビットを定位置で浮遊させる為の固定軸形成だ。

 元々、ブルー・ティアーズは本機もビットも様々な運用を想定して設計されている。

 専用のプロットを書き換え、後はコアに追加の浮遊兵器として読み込ませるだけなので、セシリア以外に整備系へ精通した者が1人居れば2時間程度で終わる。

 

 尚、イギリス独自のビット兵器技術が日本に漏れるのではと言う懸念は、この際意味が無い。

 アラスカ条約により、ISに関する技術は原則独占禁止とされているからだ。唯一の例外は、本来なら禁止されているVTシステム研究等の特例措置が認められた場合だけだ。

 

 

 話は作業へと移る。

 

 大きな入口をピット内の中心線とする様に、入口から見て右側では打鉄弐式に大勢の生徒が群がっており、左側ではブルー・ティアーズを2人の生徒が囲っている。

 

 キーボード以外青で統一されたコンソールをブルー・ティアーズ本機に接続し、画面とISを見比べながら慣れない手付きで進めていくセシリア。

 ビットを増やすなんて初の試み、例え持ち主であっても整備士でないのなら致し方あるまい。

 

 対して本音は、にこやか且つスムーズに液晶padを指で叩いていく。

 

 

 作業が始まって5分後位だろうか。無言での作業に耐え切れなかったのか、本音は手を動かしながらもセシリアに話し掛け始める。

 

「セッシーはオリムーの為に強くなりたいの~?」

 

 柔らかな笑みを絶やさぬまま、本音は変わらぬ口調で言う。

 

 そうだ、本音は未だ知らないのであった。

 一夏ではないと教えても良いのだが、「じゃあ誰の為なの~?」と聞かれるに決まっているので、結局そこだけは話さないでおいたセシリアであった。

 

「…私は、自分自身の為に強くなりたいのですわ」

 

 それもまた嘘偽りがない為、堂々とセシリアは宣言した。

 

「どうして~?」

 

 途端、セシリアはピタリと固まる。

 

 絶大な地位と肩書きを得て、家を守りたい。その目的を、セシリアはIS学園では言いたくなかった。

 此処での日常に、自分の過去を持ち出したくはないからだ。

 

 だが、それだけではなかった。

 どうして、何故、自分は国家代表を目指す。本当に、守るべき家の為に、或いは好きな人の為に地位が肩書きが欲しいだけなのか。

 

 セシリアは改めて考えさせられた。自分と言う人間について。

 この学園に来て昭弘(ライバル)と出会って、一体自分の何が解ったのか。

 

「…御免なさい、訂正しますわ」

「私は、強くなりたいのでは御座いません。私は正真正銘、ブリュンヒルデをも超える「世界最強」の存在になりたいのです」

 

 セシリアの途方も無い目的を聞いて、本音は思わず作業の手を止める。

 自分だけの「人間的な強さ」を身に付けたいと言うのなら、本音にもまだ解る。

 だが「世界最強」は、本音にとってはどうにもピンと来ない言葉であった。そんなに強くなって一体何になるのだろう、と。

 

「自身の目的も、それに必要な名誉も称号も褒賞さえも、結局の所二の次に過ぎませんわ」

「最強を目指す理由なんて、ただ一つ。この小さくも大きな惑星の中で、大好きなISを自分が一番使いこなせると証明したい。私もアルトランドも皆も、誰しもがそんな「傲慢以上の何か」に突き動かされてるに過ぎません」

 

 セシリアの言葉は、まるで小学生の純粋な夢に格式張った飾りを付けているみたいであった。

 しかし、言い切ったセシリアからは後悔の念などまるで滲み出ていなかった。自身の言葉を、信じて疑わない様に。

 その様を、不覚にも本音は「格好いい」と思ってしまった。

 

 本音は、自身の割り当てられた作業に意識を戻す。

 

 と同時に、考えずにはいられなかった。自分はセシリアの何を知っているのだろう、と。

 誇り高き貴族令嬢で、時には愛する殿方の為に奔走する可愛らしい一面も持つ乙女だと、勝手に思い込んでいたのだ。

 だが、セシリアの中に潜む本懐は、そのどれでもなかった。頂きに魅入られ、其処を目指して戦い続ける、一周回って清廉さすら帯びている野心を育てていた。

 その様は可愛らしい乙女から程遠く、去れど誰よりもISの本質を捉えていると言えた。

 

 それを今更知れた事が、本音は嬉しくもあり、悔しくもあった。

 

 

 そうしてまた沈黙が続くと、今度はセシリアが難しそうにキーボードを操作しながら問う。

 

「そう言えば、私を手伝って下さるのはありがたいのですが、本音には一体どの様なメリットが?」

 

 まさか自身の事を想って?と、乙女チックで都合の良い妄想を、セシリアは一瞬だけ思い浮かべてしまった。

 

「だってセッシーの事手伝いたかったし~。それにビット弄れるのも勉強になるから、カンちゃんのIS製作に役立つかもって思って~」

 

 セシリアは少しだけムッと口を湾曲させる。

 本音に手伝って貰えるのはセシリア自身嬉しいし楽しい。だが、簪の為と言うのは少々余計であった。

 

 布仏本音、彼女が聖母の如く優しい女性だと言う事は、セシリアも熟知している。日々、色んな人間の為を思って行動しているだろう事も。

 だが今この時だけは、他の人間の事を考えないで欲しいと、我儘と独占欲を掛け合わせて増幅させるセシリアであった。

 

「…そうですか。また随分と仲が宜しいのですわね。まるで()()()()ですわ」

 

「えへへ~、それ程でも~」

 

 セシリアがわざと嫉妬の念を込めてそう口にするも、本音は特に気付かず。それは果たして、幸と言うべきか不幸と言うべきか。

 

 

「…本音…捗ってる?」

 

 セシリアがどうにか心を切り替えようとしている最中、その声を聞いて再び激しく振り向く。

 

「カンちゃ~ん!どうしたの~?」

 

「…そろそろ小休止してこいって…言われたから…」

 

 いつもの事だ。

 ISをずっと1人で作り続けて来た簪は、基本的に休むと言う事を知らない。つまりは、休憩の重要性を理解していないのだ。

 

「ずっとブッ続けじゃ、作業効率落ちるもんね~」

 

「そう…かな?良く解らない…」

 

 子供の様に首を傾げる簪を見て、本音は愉快そうに笑う。

 

 本音と簪による、ほんわかとした雰囲気。

 

 だが単純に作業の邪魔、何より自分に見せつけるなと、二重の苛立ちに押されたセシリアはつい冷水を浴びせてしまった。

 

「お言葉ですが、別の所で休まれては?冷やかしでしたら、間に合っていますので」

 

 初対面とは思えない程、ズバズバと心の内を威圧気味に放つセシリアに、内気な簪は心底慄く。

 

「べ…別に私…冷やかしに…来た訳…じゃ…ボソボソ」

 

「何ですの?はっきり言いなさいな」

 

 それだけで簪は縮こまってしまい、甲羅に籠るヤドカリ宜しく本音の影に隠れる。

 

「カンちゃん気にしないで~。セッシー率直だから~」

「セッシーもだよ~?美人が台無し~」

 

 本音が宥めるも、セシリアの不機嫌は収まらない。

 

 本音の事を差し引いても、セシリアは簪の様な手合いが嫌いだ。

 臆病で何も言えない、まるで今は亡き母の顔色を只管窺っていた生前の父を彷彿とさせる。

 

「「英国令嬢は排他的」ってか」

 

 本音と簪に意識を向け過ぎていた為か、巨大な筋肉の城が接近していた事に、その声で漸く気付いたセシリアであった。

 

「…アルトランド」

 

 まるで簪の意思を代弁する様に、昭弘はずいとセシリアの前に立つ。

 

「コイツはちゃんとした挨拶をしに来ただけだ。布仏の友達だからってな」

 

 昭弘の言葉を聞いて、セシリアは再び簪に向き直る。

 

「ご…ごめんなさい…。ど…どのタイミングで挨拶…すれば良いのか…分からなくて…」

 

 そう、ヘコヘコとセシリアに謝る簪。

 

(いや、ですからそう言う態度が…)

 

 それでも、声には出さないでおいたセシリア。簪の事が気に入らない点は変わらないが、挨拶に来たとなれば話は別だ。

 どうやらセシリアも、簪へのライバル意識が過ぎた様だ。このまま威圧的に接しては、自身が悪者になってしまう。

 

「…いえ、こちらこそ初対面の御方に接する態度では御座いませんでしたわね。謹んで、お詫び申し上げますわ」

 

 そう言いながらセシリアは表情を少し和らげ、それを確認した簪も犬の様に破顔した。

 

 こうしてセシリアと簪の初コンタクトは、恙無くとは行かなかったが無事に終わりを迎えた。

 フォローを入れたのに、礼を言わない言われないセシリアと昭弘は、最早一周回って流石と言った所か。

 

 人見知りで臆病だが、悪い人間ではない様に感じた。恐怖を押し殺してでも親友の友人に挨拶しに来る程度には友好的であるし、裏表も無さそうではある。

 ライバルのそんな為人が解っただけでも、一先ずは良しとしたセシリアであった。

 

「セッシー、様子が変だったよ~?何か焦ってなかった~?」

 

「ああ、それはだな―――」

 

「いいからさっさと自分の巣に戻りなさいなこの肉男」

 

 己の反射的な言葉に、嘗てこれ程感謝を覚えた事はないセシリアであった。

 言った直後になって漸く、思考が反射に追い付いた。昭弘め、さては勘付いたな、と。

 

 対して、昭弘は小馬鹿にした様に口角を釣り上げニヤニヤしながら戻って行く。どうやら、セシリアの予想通りだった様だ。

 

 先程礼を言わなくて正解だったと思ったセシリアは、昭弘を睨みながらシッシッと手首をスナップさせた。

 

 ただ、弱みを握られたとは毛程も思わない分、セシリアもなんやかんやで昭弘を信頼していると言えた。

 

 

 

 途中いざこざもあったが、どうにかビット追加作業が完了した2人。

 

 早速蒼き鎧を纏ってフィールドへと舞い上がったセシリアは、最初に入念な動作確認を行った。

 今の所、本機が静止した状態ならば、ビットは8機ともセシリアの指示通り動いた。少なくともビットとIS本体とを結ぶ指示系統には、何ら問題らしい問題は無い。

 

 問題を抱えているのはセシリアの方だった。

 本人もある程度予想はしていたのだろうが、本体も動かしながらとなると未だ全機操るのは難しい。

 単に本体の周囲を浮遊させた状態による計9機の編隊飛行なら成功したが、その状態で複雑には動かせない。

 

 その後も、新生ブルー・ティアーズのテストは続いた。

 

 

 

―――テスト飛行終了

 

 セシリアは白いベンチに脚を組んで腰掛けながら、ブルー・ティアーズのエネルギーが充填されるのを待っていた。

 前髪によって隠れた俯き顔は表情を伺い知れないが、厳しい現状に直面した事ぐらいは解る。

 

 セシリアは普段通り4機のビームビット、2機のミサイルビットを駆使してダミーを囲み、新しい2機のビームビットを浮遊固定砲として試してみた。

 しかし、そう事は上手く運ばなかった。

 2機のビットを両肩付近に展開させる事は、結局動きながら8機のビットを操ると言う事。その為、操っている6機への集中力は更に分散され、結果的にビットの機動力低下を招いたのだ。

 

 8機と言う壁は、決して低くはない様だ。

 

 だが、だから何だと言うのだ。時間が許す限り、鍛錬に励むのみだ。たかが8機のビット兵器操れない程度では、世界最強どころか国家代表すら昭弘を超える事すら夢の夢。

 セシリアは、少なくとも臨海学校までには8機以上を操れる状態になっていなければならない。よって少しでも長くビットを操りたい彼女は、早く充填が終わるまいかと優雅さの欠片も無い貧乏揺すりを再発させてしまう。

 

 時間と目標に支配された今の彼女には、最早普段の高貴な雰囲気はどこにも滲み出ていなかった。

 

 セシリアは顔を上げた。無機質で何の変化も無い床なんて、もう見飽きたからだ。

 そんな彼女の視界に、今も尚精力を活動に注ぎ込んでいる集団が入り込む。そちらに視点を合わせると、桃色の髪を両サイドで小さく縛った、物柔らかな少女と目が合う。

 少女はセシリアを見てニパリと笑うと、大きく余った袖をパタパタさせながら腕全体で手を振る。

 

 少女に対し、セシリアも又小さく気品溢れる笑みを零し、優雅に手を振り返した。

 

 今日、彼女が余裕を取り戻せたのは、この刹那だけだった。

 

 

 

 

 

―――昨日 日中帯のある時

 

 それは恐怖か武者震いか。青いフレームで覆われた液晶携帯を持つセシリアの手は、夏であるにも関わらず凍える様に震えていた。

 

《…では、決心はついたと言う事で宜しいですね?オルコット嬢》

 

 担当官のダンディなテナーボイスが、手の震え幅をより大きくする。

 やはり取り消そうか。どう考えても、国家代表でもない自分には過ぎた代物だ。

 

 いや何を馬鹿な。これしか方法は無い、解り切ってる事ではないか。取り消した所で、昭弘をも超えられない惨めな日々が続くだけだ。目的が果たせなくなるだけだ。

 

「ええ。…決断が遅くなってしまい、申し訳御座いません」

 

《その点はまだ十分間に合いますのでご安心を。一番の問題は、アレが常人に操れる代物では無いと言う事です。…重ねて問いますオルコット嬢、本当に宜しいのですね?》

 

 一度目よりも更に低く圧の籠った声で、男は最終確認に入る。

 

「…はい。必ずや自在に操ってみせましょう」

 

 セシリアの決意が、大人の威圧に勝った瞬間だった。

 男は自身の敗北を認める様に、セシリアの望みを再度言葉として表す。

 

《…貴女の覚悟、しかと聞き入れました。では、臨海学校時に送り届ける手筈となっていた「ストライク・ガンナー」は却下。高火力大型遠隔無線誘導兵器「マキシマム・ティアーズ」を、代わりの装備として配送致します》

 

「何から何まで忝いですわ。宜しくお願い申し上げます」

 

 セシリアは相手に見えない無意味な御辞儀をし、そのまま通話を切った。

 

 

 まだ手は震えていた。

 

 セシリアはその震えを長く堪能するかの如く、深く息を吸い、そして長々と吐き出した。

 

―――



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第51話 戦場を貫く「白」

やっと7月に突入しました。
昭弘が入学してから未だ3ヶ月しか経っていない事実に、今更ですが驚きました。現実では初投稿から2年近く経過しているのに。

で、私とした事が重要な事を失念しておりました。それはズバリ「衣替え」に関する描写です。昭弘の見目麗しい筋肉を一文字ずつ丁寧に表現し忘れていた自分をぶん殴ってやりたい気分です。
丁度7月に入ったので、今回それに関する話をブチ込んじゃおうと思います。原作ではいつから衣替えだったのか、完全に忘れてしまいましたが。


―――――7月1日(金) 登校時間―――――

 

 IS学園。此処は意外にも、服装に関する規律が緩い。制服の改造等も認められており、女子が男子の制服を、男子が女子の制服を着る事に関しても、明文化された校則は無い。頭髪に関しては完全に自由だ。

 ただ、限度はある。過度な露出はNGであるし、あくまでIS学園指定の制服着用が原則なので、私服での登校も補導される。

 

 そこで気になる点は衣替えだ。

 流石にその位は明確な規則があるだろうと、思わせるのが落とし穴。何と衣替えすら自由なのだ。

 もっと言えば、どの月でも半袖だろうと長袖だろうと構わない、衣替え自体が存在しないのだ。教室内で、生徒が空調を自由に操作出来ない為の措置なのだろうが。

 

「と言うのがIS学園における制服着用の規定なんだけど…昭弘は、知らなかった?」

 

「知る訳ないだろそんなん…」

 

 校舎へと続く小道をゆっくり歩きながら、説明したシャルロットに感じ悪く返してしまう昭弘。

 7月から衣替えだと勝手に思い込んでいた彼は、蒸し暑い6月でも律儀に長袖の制服を捲って凌いでいたのだ。

 それが全くの無意味だったと今気付かされては、抱く徒労感も半端ではないだろう。

 

「でも確かに、先月まで半袖の娘はあんまし見なかったものねー」

 

「私も、7月が衣替えだと思っていたな…」

 

 昭弘の気持ちに、そんな同調を示す一夏と箒。

 解らなくもない。夏と言えば7月と8月を主に連想するのが、大多数の日本人だ。教員から事前に何の通知も無いともなれば、7月から衣替えだろうと自己判断しても可笑しくはない。

 更には、唯でさえ日々の勉学と機動訓練に追われる彼女等だ。仮に6月時点で半袖の生徒を見かけたとしても、大抵の人間は面倒臭がって校内規則なんて一々再確認しない。

 恐らく、3年生でも未だに7月から半袖であると勘違いしている生徒は、少なからず居るだろう。

 

 積極的に詳細な服装規定を調べる人間なんて、生徒では男装するシャルロットくらいだ。

 

「しかし、こうも一斉に半袖の人間が増えると、嫌でも夏だと実感させられるな」

 

 うんざり半分ワクワク半分な判別の難しい表情で、そう言う箒。

 

「うんうん!フランスも四季が日本と似ていて、半袖になるなら6・7月だから、気持ちは凄く解るよ」

 

「「「ほう」」」

 

 短い通学路で服装の事を喋りながら、4人は強力な太陽光を食らう事で白い反射光を放つ校舎へと近付いて行く。

 

 

 そんな4人に、周囲から好奇の目が集まっていた。否、注意深く観察してみると、皆が見ているのは4人ではなく1人だ。

 

 半袖になると言う事は、即ち素肌を曝け出す面積が増える。

 その素肌が袖により圧迫、袖が素肌により引き千切られようとしてるのなら、最早それは筋肉だ。本人の意志により極限にまで発達した、上腕二頭筋と上腕三頭筋だ。

 

 袖には使命がある。人間の素肌を包み隠すと言う、崇高なる使命が。

 肥大化した筋肉はその使命を嘲笑うかの様に、袖を逆に己の存在誇示に利用する。綿で出来てる為、伸びない袖は筋肉を締め付けてしまうのだが、それがより一層上腕二頭筋の隆起と上腕三頭筋の怒張を際立たせてしまうのだ。

 

 昭弘・アルトランド。今日もこの巨漢は、袖と筋肉の熾烈な攻防もそれら全ての生き証人となっている女子生徒たちの視線も意に介する事無く、歩幅も大きく昇降口へと入って行く。

 

 今日も一日は回る、他でもない人によって、そして人を動かす筋肉によって。

 

 

 

―――――2時限目―――――

 

「この時間は自習とする。山田先生、お願いします」

 

「はい、織斑先生」

 

 珍しい事もあるもんだと、1組生徒一同隣同士で互いの顔を見合う。

 だが、生徒たちにとっても丁度良かった。ここ最近授業の進度が加速度的に上昇していたものだから、纏めるなり頭を整理する時間は皆少しでも欲しかったのだ。

 

「すまないがアルトランド、お前も来て貰うぞ。携帯も持ってくれ」

 

「?…はい」

 

 昭弘は「また何かやらかしたか?」と自身に問い掛けながら静かに席を立ち、千冬の後に続く。

 その巨大な背中を、一夏と箒が心配そうに見詰める。シャルロットが千冬と真耶に怒られた「あの日」を思い出し、恐怖で縮こまる。

 

 皆が昭弘全体を見納める中、制服の上背部から浮き出る2本の突起物を注視していたラウラは、ただ目を逸らさない様に右目の焦点を合わせていた。

 

 

 

―――本校舎 地下1階 特別室―――

 

 この空間の用途を、殆どの生徒は知る由も無い。認識としては、空き教室程度のそれだ。場所が場所なので、抑々が存在すら知られていないのだろうが。

 

 だが、実際に入ってみると空間の方が寧ろ少ないくらいだった。形状と色の違うコードがゴウゴウと地べたに張り巡らされており、それらはノートPCやら何かよく解らない箱状の機械やらへと収束していた。

 正式名称「特別諜報室」と呼ばれるこの部屋は、言わばIS学園の「諜報キット」みたいなものだ。

 かの生徒会長殿が学園の何処にも見当たらないのであれば、大抵この部屋に来ていると思って貰っていい。

 

 大小の機械音が部屋を埋め尽くす中、生きた声を発するのは昭弘と千冬だけだ。

 

「さてと、先ず最初に話す事はちょっとした新情報だ」

 

 千冬の言葉を皮切りに、昭弘は目の色を変えつつ胸ポケットからメモ帳を引っ張り出す。

 

「前もって言っとくが、そこまで重要なもんじゃないぞ。アフリカ現地で活動している非営利団体の知り合いから聞いた、噂程度の情報だ」

 

 それでも構わないと言わんばかりに昭弘はボールペンを携えるので、千冬は何でも無さそうな軽い調子ながらも答え始める。

 

「たった一言、「白い機人」が部隊を率いていた…とさ」

 

 白い機人。機人とはMPSの事だろう。ISに見えない人型の機械だから、現地ではそう呼ばれているに過ぎない。

 

「深緑色や迷彩柄なMPSの中で、その1機だけは純白に輝いていたらしい。…妙だとは思わんか?指揮官用に区別する為とは言え、密林で1機だけそんな色じゃいい的だ」

 

 千冬がもたらした情報は、確かに大局には関わりそうにない小さなものだ。

 だが、そのMPSの事がどうにも気になった昭弘は、千冬が抱く疑問に対して自身の憶測を述べる。

 

M・A(モノクローム・アバター)における象徴的な意味合いでもあるんでしょうか。或いは、自身に引き付けた敵を容易く殲滅出来ると言う、搭乗者の絶対的な自信か…」

 

「案外、単に搭乗者の趣向だったりしてな」

 

 千冬が何気無く言い放ったその一文により、純白のMPSに対する昭弘の興味はもう一段階上がった。

 そして何故か、爪先から頭頂部に至るまで、その形状を事細かに想像する事が出来た。

 

「……変な事聞きますがその白いMPS、どんな形状か聞いてますか?あと、頭に黄色い角みたいなものとかはありますか?」

 

「うん?全体的な違いは色だけだ。…いや、確か頭に黄色い突起物があるとも言ってたな。一本角なのか二本角なのか知らんが」

「何か心当たりでもあるのか?」

 

 逆に訊き返されて、冷静になった昭弘は何故こんな事を訊いたのか理由を探る。だが、見つかったのは理由とは到底言えないものだった。

 

「………いえ。何となく、そんな想像をしてみただけです」

 

 嘘ではない。本当に、ごく直感的に昭弘はそう思ったのだ。

 そしてそれは千冬の回答により、興味から予感へと変化していった。

 

(………まさかな)

 

 白いボディに、黄色い角を持った鉄人。その勇姿は、神経細胞の隅々にまで、昭弘の脳裏に固く根差していた。

 アレは間違いなく、昭弘が知る中で当時最強のMS。そしてそれを操る男も、比類無き操縦技術と巌の如き意志、どんな武器よりも鋭い覚悟を持っていた。

 親友だった、互いに切磋琢磨したライバルだった、鉄華団不動のエースだった。

 

 そこまで頭に浮かべた所で、昭弘は思わず己を大声で嗤ってしまいたくなる。何を下らない事をと。色合いが似ているだけだと言うのに。

 

 あの時あの荒野でアイツがどうなったかなんて、死んだ昭弘には解らない。もしかしたら、殆ど0に近い確率で、この世界に来たのかもしれない。

 だがそれは、根拠も法則性も無い、希望的観測以下のメルヘンチックな考えでしかない。

 

 そんな都合の良い話、あったとしたら何らかの報いが来ても文句は言えない。

 

 

 

「さて、アルトランド。お前を呼び出した理由は勿論これだけではない」

 

 そう言うと、千冬は部屋全体を示す様に見回す。

 

「今から我々がやる事は、単刀直入に言えば篠ノ之束博士の現在地特定だ」

 

 言っている千冬本人が、その無理難題性を一番理解していた。彼女は箒や一夏と同様、束の携帯電話番号を知っている数少ない人間だ。

 当然、その番号を利用してあらゆる方法で束の足取りを追ったが、結果は言わずもがな。

 この部屋にも、もう何度足を踏み入れたか彼女自身覚えてない。

 

「切っ掛けは、お前が話していたクロエとか言う少女だ。束の携帯は駄目でも、彼女の携帯なら或いは…と思ったのだ」

 

「確かに、クロエは束と行動を共にしてますが」

 

 言うと同時に、昭弘は何故態々この時間帯に呼ばれたのか理解が及ぶ。前回、クロエと連絡を取れたのが、この時間帯であったからだ。

 ただ、この日の自習は千冬の中で以前から予定されており、昭弘の為だけと言う訳ではない。

 

「しかし、向こうから掛けて来なけりゃ、逆探知なんて無理なんじゃ」

 

「私は逆探知なんて一言も言ってないぞ?今時、電話番号さえ判っていれば、現在地の特定なんて当たり前だ」

 

 GPSと言う奴だろう。だから先ず始めに、クロエの電話番号が検索してヒットするのかどうか、試す必要がある。

 それが駄目なら、「この部屋」を使うのだろう。かつて、束を追った時の様に。

 

 で、最早試すまでも無かったのかもしれないが、やはりクロエの電話番号も何処にもヒットしなかった。

 携帯電話会社とグルなのか束自身で携帯電話を作ったのか衛星や基地局をハッキングしたのか方法は定かではないが、現状、束とクロエの携帯電話番号は「存在しない」扱いになっているらしい。

 

 と言う訳で、いよいよこの部屋を占拠している黒四角い機械たちの出番だ。

 

「こいつらは私が教官の任を終えた時、プレゼントとしてドイツ軍技術部から貰ったものだ」

 

 当時は正直そこまで要らなかったとでも言いたそうな低いトーンで、そう説明を始める千冬。

 先ず、機械に携帯電話をスキャンさせ、現在地の知りたい相手の電話番号を子機に入力。後は、子機に入力した電話番号へ、スキャンさせた携帯電話で連絡を取る。

 千冬も詳しい原理は解らないが、どうやら電波自体を直接追跡する機械らしい。

 

 当然、これらはIS学園が超法規的機関であるからこそ許される事だ。電話を掛けるだけで相手の居場所が特定出来るなんて、どう悪用されるか解ったもんじゃない。

 

「…凄いっすね、ドイツの科学技術は」

 

「ドイツに限らず、今の科学技術を甘く見ない方が良いぞアルトランド」

 

 不敵な笑みを浮かべる千冬。ISが世界にもたらしたものは、何も女尊男卑の風潮や新たな抑止力だけでは無い。

 量子力学の更なる発展は勿論の事、エネルギー問題の大幅な改善、特に通信関係の技術進歩が目覚ましい。

 

 それでも尚、天災の魔法的とも言える科学力には敵わない。今回の追跡も、やらないよりはマシと言うだけで殆ど駄目元だ。

 

「分かりました。ついでに、件の白いMPSに関しても、クロエから聞き出してみます」

 

「ああ、宜しく頼む」

 

 

 

 そして、深呼吸をしてから液晶画面をタップした昭弘だが、千冬の予想通りクロエはちゃんと電話に出てくれた。当然、昭弘の携帯はスピーカーモードにしてある。

 

 昭弘が話を進めていく傍ら、千冬はイヤホンらしき物を左耳に当て、モニターを監視しながら箱状の機器に付随しているホログラム化されたつまみを慎重に動かして行く。

 

《MPS軍団を率いていた、謎の白いMPS…ですか》

 

「ただの噂だがな。…何か心当たりあるか?」

 

 クロエは小動物の様な声で短くウーンと唸った後、更に脳内を探る様に間を置いてから答える。

 

《ごめんなさい、私も今始めて聞きました》

 

「…だろうな」

 

 予想通りの回答だったと、昭弘は落胆を隠す様にそう返す。

 が、案の定苦戦している千冬は「もう少しだけ長引かせられないか?」と、険しい表情で合図を送る。

 

「そのMPSは、束の計画と何か関係あると思うか?」

 

《いえ、計画に直接的な影響を及ぼす人物を、態々前線に出すとも考えられませんし》

《ただ、目立つボディで前線に立っていれば、嫌でも多くの敵から狙われます。もしそのパイロットがまだ生きているとしたら、引き受けた数多の敵機を一網打尽にした「軍神」として、現地では崇拝されてるのかもしれません》

 

 かのSHLAとの紛争がどれ程の激戦だったのか、その場に居なかった昭弘には解らない。

 だが確かに、もし生きていればクロエの言う通り、正真正銘M・Aの主力である可能性は高い。

 

 どちらにせよ、束の計画にMPSとそれを率いるM・Aが重要な役割を果たしているのは間違いない。噂であれ、連中の戦力面の輪郭が少し見えただけでも、良しとする昭弘であった。

 

《他にお聞きしたい事が無いのでしたら、私もそろそろ勉学の時間ですので…》

 

 昭弘は千冬の様子を伺う。彼女は空気が抜ける様に頭をカクンと傾けると、付けていたイヤホンを外した。これ以上は無意味と判断した様だ。

 

「いや、もう十分だ。勉強頑張ってくれ」

 

《とんでも御座いません。では、失礼します》

 

 昭弘の耳元で通話が切れると同時に、室内に張り巡らされていた緊迫の糸もプツリと切れた。

 

 

 昭弘は呼吸を整えた後、千冬がまじまじと見ているモニターを脇から覗き込む。

 

「反応位置は大西洋上をザックリと示してはいるが、詳細な緯度経度は残念ながら不明だ…」

 

「やはり、アフリカ周辺を根城にしているみたいですね。少なくとも今は」

 

 ある程度の位置を予想していた昭弘は、海上と聞いてもそれ程動じなかった。束に掛かれば、ラボなんて海上も氷上も山頂も関係無い。

 ただ、世界中に拠点を持つ彼女の事だ。また何時移動するか分かったものではない。

 

「まったく、我が物顔で全世界に居座りおってあの兎。次は地中海か?黒海か?それともサハラ砂漠か?」

 

 予想通りの結果とは言え、千冬は束の居所がまたしても掴めなかった事に苛立ちを隠せなかった。とてつもなく強力な妨害電波でも発しているのかは解らないが、大西洋全体なんて最早特定とは言えないだろう。

 

「…と、そろそろチャイムが鳴るな。すまない、無駄な時間を取らせてしまったなアルトランド」

 

「…いえ」

 

 気を遣ってそう返した訳ではなかった。それは昭弘自身、白いMPSの存在を単なるホラ話とは考えていないからだ。

 

 証拠となる画像は確かに存在しない。だが、千冬だって信用の置ける人間から聞き込んでいる筈だ。根も葉も無い話を吹き込まれたとは考えにくい。

 それに、M・Aは近い将来、昭弘にとって敵対勢力となるかもしれない部隊だ。強敵揃いと想定しておくに越した事はないだろう。

 

 

 いやもしかしたら昭弘自身、その白いMPS乗りと自分を重ねている部分もあるのかもしれない。

 

 もし自分が束の元に居なかったら、M・Aの様な戦闘集団に拾われていたら、実際に隊を率いて殺し合いの蜷局を駆け抜けていたのだろう。「あの時代」の様に。

 殺して、生きて、手にして、失って、そしてまた次の戦場へ。それが正しかったのか間違っていたのかなんて、今となっては昭弘にも解らない。

 

 顔も名前も判らない、かの白いMPS乗り。

 彼はそんな日々を送り、何を思っているのだろうか、何を感じているのだろうか。何処に辿り着こうとしているのだろうか。

 

 心にそんな問いを残した昭弘の吐息が、薄暗い室内に変わらず漂っていた。




さて漸く昭弘も白いMPSを知る所となりました。果たして激突する日は来るのでしょうか。

特別情報室やら何やらはクッソ適当に考えました。


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第52話 大人たちの詞

今回は楽しいような虚しいような、そんなお話です。


「…おっとそうだ」

 

 と言う具合で、特別諜報室の重々しい空気を軽く押し退ける千冬。

 

「今夜なんだが、一緒に焼肉でもどうだ?ホラ、先月奢る約束をしていただろう」

 

 そんな約束完全に忘れていた昭弘は、唐突なお誘いに困惑する。

 

「…気持ちは嬉しいんですが、放課後は更識さんのIS製作もあ―――」

 

「せっかくだから山田先生も誘っておこう。お前も一人位なら誰か連れてきても良いぞ?時間は―――」

 

(聞けよ…)

 

 

 

―――――教室 休み時間―――――

 

 有無を言わさぬ調子の千冬により、今晩のプランを半強制的に決められてしまった昭弘。簪たちには申し訳ない気持ちでいっぱいだろう。

 だが、昭弘も肉は好物であるし、千冬や真耶とのプライベートも一興かもしれないと思っていた。大人と個人的な話をする機会は、この学園生活では滅多に無い事だ。

 

「織斑センセイと食事…ねぇ」

 

 小さくボソリと呟きながら、昭弘はどんな話題が相応しいか机に両肘をついて考え始める。

 

「誰と食事ですと?」

 

 気配は察知していた。だが耳元でそう囁かれれば、昭弘でも勢い良く振り向くしかない。

 視界の殆どを埋め尽くす至近距離で、おまけに中々の剣幕だったので、それが相川であると気付くのに少しの時間を要してしまった昭弘。

 一先ず、空気を読んで同じく小声で答える事にした。

 

「…織斑センセイと山田センセイだ」

 

 すると、相川は藁にも縋りそうな儚い表情で合掌し、無言の懇願を昭弘に押し付ける。

 

「いやお前、ハンドボール部はどうする気だ?」

 

「どうせ人工島の駅に18:30とかでしょ大丈夫です金曜日は比較的早く終わりますと言うか間に合わせますこの命に代えてでも」

 

 呪文の様に捲し立てる相川。こうまで凄まれては、余程の理由が無い限り断れる人間など居ない。

 

 教師を社会の先輩として尊敬する気持ちは解るが、少々度が過ぎる敬愛を滲ませる相川にストーカー的恐怖を見た昭弘であった。

 

 

 

 

 

―――――18:30 IS学園人工島 駅―――――

 

 私服の真耶に対し、着替えるのも面倒だからかスーツをラフに着こなしている千冬。

 そんな彼女から、普段の威厳は感じられなかった。干上がった蛙の様に乾いている彼女の目を見れば、誰しもが暑さにやられたものだと予想するだろう。

 

「ゼェ…ヒュー…ゼェ…ヒュー…」

 

「あ、相川さん?焼肉入りそうですか?」

 

「本当に間に合わせやがったコイツ…」

 

 完全にしてやられた。誰か1人誘っても良いとは言った千冬だが、まさか相川とは。

 

 昭弘の事だからてっきり部活動に所属していない鈴音やラウラ辺りを誘って来ると思い込んでいた千冬は、素面全開で飲み食い喋ろうと画策していた。

 だが、相川となるとそうもいかない。恐らく未だ自身に気があるだろう相手と、一体何を話せば良いのか。しかも同僚や生徒の前で。

 素面どころか気の使い過ぎで酒も無しに頭がショートしてしまいそうだ。

 

 しかも、嗚呼怖い。ハーフパンツのジャージ姿で汗を際限無く放流させ、瞳をピカピカ潤しながら此方を見ている。

 

(私の馬鹿。少しでも多い方が楽しいだろうと、何故あの時安直にも思ってしまったのだ…)

 

 後悔に浸る千冬。おっと、そろそろモノレールが発車してしまう。

 

 

 

―――――19:00 焼肉屋『陣帝』―――――

 

 困った時はレゾナンス、迷った時はレゾナンス。

 

 そう決めている千冬は、今回も此処のテナントを利用する。1週間前から予約していた、全国展開しているごく普通の焼肉屋だ。

 高いお給金を貰っている千冬としては高級焼肉店でも良かったのだが、余り高過ぎても奢られる生徒たちが萎縮してしまう。

 千冬の名誉の為に一応述べておくが、決してケチった訳ではない。多分。

 

 肉が好きと言っても、焼肉屋なんて初めてな昭弘は、不思議の国に迷い込んだみたく店内を見回してしまう。

 和風っぽい店の雰囲気や構造は、前回行ったしゃぶしゃぶに近いものを感じる。酷く混んでいて、若い店員が声を張っては目まぐるしく店内を流れて行く。

 金曜のこの時間帯は、いつもこうなのだろうか。

 

 昭弘がそんな感想を抱いている内に、店員が昭弘たちのテーブルへ赴いてコースの確認とメニューの説明をし、テーブル中央のコンロに火を付けて去って行く。

 

 千冬は早速テーブル端にあるタッチパネルを操作していく。

 画面を見る限りだと、1人当たり2500円で肉類とサラダ類が食べ放題になるらしい。ジュースや酒類は一枠一枠に値段が付いている事から、別途支払う必要があるのだろう。

 

「はいはーい!アタシ豚トロの塩と烏龍茶でー!」

 

「私はイベリコ豚と、お酒はコークハイを」

 

「了解だ。後は大ジョッキと牛タンと…」

 

 一応教育者なのだから、せめて生徒の前では酒を控えるべきではないか。そんな感想を抱く程、昭弘も馬鹿真面目ではない。

 前の世界でも、団員たち未成年で集まっては飲んでいた。

 

「アルトランドは?」

 

「…じゃあ、適当に何か牛肉を。あとは水で」

 

「分かった。牛カルビにするぞ」

 

 だが、この国の法律で未成年飲酒は許されない。酒に拘りなんてないが、昭弘は寂しそうにお冷を選択した。

 そうして最後に千冬が注文ボタンを押し、お待ちかねの晩餐が始まる。

 

 

 飲み物と4種の肉が届くと、4人は各々のグラスを掲げて乾杯の挨拶をする。

 

 千冬がグビリと大ジョッキ内の黄金液を流し込んでいる内に、真耶と相川が他愛もない話をしながらトングで肉を摘み、金網に置いて行く。昭弘もそれを真似、慣れない手つきで肉を焼く。

 

「にしてもこうして並んでみると、2人共お似合いですよ!身長差が映えます!」

 

「え?…まぁ」

 

「…そりゃどうも」

 

 真耶の勘違いに、昭弘と相川は苦笑を漏らす。確かに仲は悪くないが、()()()()()()ではない。

 真耶の中では真っ先に昭弘が相川を誘った事になってる分、仕方ない所もあるが。

 

 それを聞いて、千冬がチラリと相川に目配せした後ほくそ笑み、相川がむつける。

 

「織斑先生が昭弘さんを食事に誘うのも意外ですよねぇ?マッチョがお好みなんで?」

 

 上目遣いで真正面から千冬をそう挑発し、反応を伺う相川。その傍ら、焼けの早い豚トロはしっかりと掻っ攫っていくのだから抜け目ない。

 

「いや、一夏の様に線の細い男が好みなんでな。ま、流石に同性よりかは断然アルトランドだがな。女同士なんざ気色悪い」

 

「…やっぱり女子にだけモテるの、気にされてるんですね」

 

 “だけ”が余計だったと即座に気付いた真耶は、睨む千冬から逃げる様に肉を引っ繰り返す作業に没頭する。

 当然、千冬の発言が皮肉混じりな牽制であると、気付かない相川ではない。故に、ついムキになってしまう。

 

「織斑先生、アタシや山田先生の前でその言い方は酷くないですか?デリカシー無さすぎ」

 

 千冬の策略通り、相川の一本釣りだ。突き放すチャンスだ。

 

「私はな、女には遠慮も容赦もしないぞ。生徒や同僚でなければ殴るし蹴る。つまり学園を卒業した瞬間その元生徒は御愁傷様と言う訳だ。可哀想にな、顔面が腫れるまでぶたれるなんて」

 

 よっしゃ言ってやったりという具合のドヤ顔を決めながら、千冬は辛い黄金水を飲み干す。さぞかし歯軋りしてるだろうと、千冬は泡の付いた空のジョッキ越しに相川を見る。

 

「織斑先生はそんな酷い事しません」

 

 真顔で放った相川の一言は、千冬の長ったらしい言葉を一刀の元斬り伏せる。

 

 その後、相川はなんでもない様子で塩ダレに漬けた豚トロを頬張り、逆に千冬が小さく舌打ちしながら追加の酒やら肉やらを端末から送信した。

 

 

 謎の攻防を繰り広げている2人をそっと遠ざける様に、真耶は昭弘に話を振る。

 

「そ、そう言えば!アルトランドくんは最近、クラスの皆とはどうですか?」

 

 真耶は一見明るくてふんわりとした印象を受けるが、その実は並の教師以上にお堅い。生徒との会話となると、プライベートでも今みたくクラスに関する話題となってしまう。

 おまけに、男経験の豊富でない彼女だ。相手が歳の近い異性であれば尚の事話題も制限される。

 

 昭弘は暫し考えたのち、なるべく短めに答える。

 

「何名かと仲良くさせて貰ってますし、隣席のオルコットとも上手くやってるつもりです。時々、疎外感は覚えますがね」

 

「疎外感?…あ!ごめんなさい!無理して話さなくても良いですよ!?」

 

 どうやら真耶にとって、昭弘の過去を掘り返す事はタブーらしい。

 

「別に気にしてはいません。育った環境は人それぞれでしょう」

 

 何の動揺も見せず、赤身の少し残った牛カルビを2枚重ねて頬張りながらそう返す昭弘。タンクトップをピチピチに苛め抜いている大胸筋も大喜びだ。

 

 対して、真耶は何だか恥ずかしくなり、ミスを忘れようと黒い愉液を喉に流し込む。

 何か話さねばと思い話題を振ったが地雷を踏みかけ、逆に生徒から諭されてしまった。酒を飲んでなきゃどっちが年上なんだかと、真耶は溜め息をしながら俯く。

 

 そんな後輩を見かねた千冬は、励ます様に話題を広げる。

 

「クラスと言えばアルトランド。誰か好きな女はいないか?いるだろ?見渡す限り獲物なんだから」

 

 また随分と愉しそうな顔で聞いてくるものだ。

 昭弘に意中の相手は居ないし、作ろうとも思わない。堅物親父と思われるかもだが。

 性別など関係無く、皆昭弘にとって大切な仲間だ。それ以上の関係性なんて望まない。もう十分過ぎる程満たされてるのに、これ以上溢れ返れば過去すら思い返さなくなってしまう。

 

「…生憎ですが」

 

 対し、カァーッと言いながら平手を自身の頭に乗せる相川。

 千冬も同様に幻滅しながら、届いた大ジョッキの取っ手を掴む。

 

「味の無い学園生活っすねぇ」

 

「言ってろ。そう言う相川はどうなんだ?」

 

「ちゃんと居ると胸を張りますよー?毎日そして「今」も、その人を堕とすべく勉強訓練の傍ら頭を働かせていますとも」

 

 仕返しのつもりで聞いた昭弘だったが、そうきっぱりと答えられれば揚げ足も取れない。「誰」と聞いた所で「教えない」と返されて終わりだ。

 ただ、千冬は何も言及しなかった。あんなに恋愛話に食い気味だったのに。

 

「となると、主な候補としてはアルトランドくんに織斑くんにボーデヴィッヒくん、それと織―――」

 

「一夏だな、うん。昔から罪作りな男だったからなぁ」

 

 真耶が挙げ連ねた最後の候補を自身の憶測で覆い隠した千冬は、慌ただしく液晶に触れながら次頼むべき肉と酒を選別する。

 彼女とは対照的に、相川は涼しげな顔で烏龍茶を飲み干す。

 

「織斑先生、焦っちゃって可愛い」

 

「きっと弟を取られるのが怖くて、気が気じゃないんですよ」

 

「いや、違うと―――」

 

「そうそうよくぞ言ってくれた山田くん!」

 

 今度は昭弘の突っ込みを遮り、千冬は締め括る様にそう結論付けた。

 相川は、そう動じる千冬を正面に捉えてニタニタする。

 

 窓際で愉快そうな相川に、疲れきった様なうんざりした様な視線を向ける昭弘。胸焼けする程他人の惚気を見てきたからだろう。

 

 相川が誰に好意を抱いているのか、朝の様子と合わせてもう大体見当が付いた昭弘。千冬本人も、動転ぶりを見る限りその好意を存じている。

 

 千冬は、年下の同性から好かれるのに嫌気が差してる伏がある。だから一刻も早く相川の色恋話を終わらせたいのだ。

 昭弘的には相川に加勢しても良いが、奢られる立場としては気が引ける所だ。仕方無く、話題を変えてあげる事にした。

 

「因みに、オレは年上が好みです」

 

 これは水を得た魚になれるとばかりに、千冬は昭弘の色恋話に花を添えようとする。

 

「ほう、もっと詳しく」

 

「大人しいよりかは、派手で明るい女っすね。金髪で、それ程年齢差を感じない位の相手…がいいですかね」

 

 また理想が高いと言うか好みが細かいなと、聞いていた3人は思った。

 

「…だそうだ。残念だったな山田くん」

 

 同情と歓喜の合わさった目を向けながら、千冬は真耶の左肩にぬるりと右手を乗せる。

 

「うぅ…やっぱり、華やかな女性の方がモテるのでしょうか」

 

 あからさまに悄気る真耶。それで人生が終わる訳でもあるまいに。

 

「何せアルトランドよ。この後輩は大人の様に落ち着いた年下の男が好み―――」

 

「ゲッフ!ゴホァッ!!」

 

 完全に意識がバラけた為に、折角飲み干す所だったコークハイの炭酸が喉に絡み付いてしまった真耶。黒霧がもう少しずれていれば、激甘金網の出来上がりであった。

 

「えー山田先生、生徒は不味いですよー」

 

 他人事の様な相川に対し、気管が落ち着いてきた真耶が激しく弁明する。

 

「当たり前ですッ!そう言うのは生徒が卒業してからに…アッ」

 

 相川の誘導通り見事落とし穴へ飛び込んでくれた真耶。

 見逃す千冬ではない。

 

「オイ聞いたかアルトランド。お前卒業したら山田くんに告られるらしいぞ?」

 

 真耶は両手をパタパタと振りながら、赤くなった顔を冷却する勢いで激しく左右に動かす。一々可愛らしい生娘だ。

 

 昭弘も真耶の事は教師として尊敬しているが、残念ながら()()()()()では見ていない。3年後、互いに互いをどう思ってるかも分かる訳ない。

 第一、自分の様な男が好みな事自体意外だ。確かに落ち着いてはいるかもしれないが、真耶が思っている程大人ではない。

 

 何であれ、ここは当たり障りの無い返答が無難だ。

 

「山田センセイみたいな美人に気に入られたなら、男としては本望っすよ。教師生徒っつー関係じゃなきゃ、お互い脈ありだったかもっすね」

 

 昭弘も自分でそう言っておきながら、どんな異性が好みかなんて正直解らないのだ。さっき述べた好みだって、唯一異性として意識していたラフタの特徴を上げただけだ。

 

 遠回しにフラれた気がしてシュンと縮こまる真耶の左肩を、今度はバンバン叩く千冬。

 

「ダハハハ!アルトランドの卒業まで辛抱だな山田くん!」

 

「待・ち・ま・せ・ん!新たな殿方を探します!どれだけ重い女なんですか私は!?」

 

 そこで丁度、漸く千冬が連打した肉共と麦酒が届いた。5皿の内3皿が鶏モモ肉だろうか。焼くのに苦労しそうだ。

 

「けど、アタシは昭弘さんの気持ち解りますよ。やっぱ年上って良いですよねー、支えてあげたくなると言うかー」

 

「…そんなもんか?」

 

 自分もラフタに抱き締められた時、相川のそれと似た心境だったのだろうかと、鶏肉を鉄網の上で何度も引っ繰り返しながら考える昭弘。鶏肉は、半生じゃやばいと聞いた。

 

 実際、昭弘も未だ大人と子供の中間点に位置する存在だ。大人が日々溜めている苦労なんて、中々頭に浮かんで来ない。

 だが、やはり何らかの形で発散せねばならない程には大変なのだろう。ただ怒られるだけの、目標を追うだけの自分たち学生とは、ストレスの次元が違う。

 

 昭弘たちを奢る為だけに、焼肉へ誘った訳ではない。定期的に羽を休めなければ、飛び続ける事は出来ない。

 自由気ままに喋り続ける千冬も、飲んでは色んな表情を見せる真耶も、社会で受けた疲労を癒す為に必死なのだ。

 

 そう考えてみると、相川の言う通り支えたくもなるのかもしれない。社会と言う名の荒海では、心までは誰も支えてくれないのだから。

 

 

 それもまた愛なのだろうかと、自分の愛を未だ見つけられない男はゼロから想像するしかなかった。

 

 

 

―――21:21

 

 駅のホームでベンチに座る千冬は、口を抑えながら項垂れていた。上半身は波に揉まれる昆布の様に揺れ、人々の馬鹿騒ぎが頭に響き、肝臓に叱られている胃袋は主に仕返ししようと暴れる。

 鏡を見たら自分の顔は赤いか白いのだろうなと、千冬は目前まで迫っている絶望から思考を逸らそうとする。

 

「織斑センセイ、水買って来ました」

 

 500mlの天然水を2本携えて戻ってきた昭弘が、千冬には仏樣が何かに見えた。

 彼女は清水を口から食道から胃へと流し込み、胃の怒りを宥める。

 

「…すまない、アルトランド」

 

「センセイ、やっぱトイレで吐いては?」

 

「吐くのは嫌いなんだ…」

 

 ビール大ジョッキを15杯も飲めば、いくらブリュンヒルデと言えど無事では済まない。

 もしさっきそのまま学園行きの列車内で揺られていたら、教師として最悪の結末を迎えていただろう。生徒に介抱されてる時点で、最悪の二歩手前辺りまで来てるが。

 

 真耶と相川には、先発の列車で帰って貰った。下心満載の相川は当然として、真耶も確実に小言を浴びせて来るので却下となり、千冬の介抱役は消去法で昭弘となった。

 朦朧としたまま2人を刺激せずに帰す言葉を探すのは、さぞかし骨が折れたであろうに。

 

「また借りが出来たな…」

 

「貸し借り無しでいいッスよ。色々と知れましたし」

 

 昭弘のその言葉が脳内へ染みの様にこびりついた千冬は、こそぎ落とすべく揺れる意識のまま昭弘に訊ねる。

 

「それは山田くんの事か?それとも相川の事か?」

 

 それは勿論、両方だ。皆の新しい一面が知れた事は、昭弘も嬉しい。2時間が足りなく感じたのは、もっと詳しく聞きたかったからだ。

 だから昭弘は相川と聞いて、千冬に問わずにはいられなかった。

 

「…相川の事は、もう振ったんですか?」

 

 相川の片想いを知っているどころか、先の先を射抜く様な直球質問だった。

 千冬にとっては()()()()()()丁度良い。

 

「振るも何も、面と向かって告白されなきゃ振りようがないだろう」

 

 それもそうだと納得すると同時に、告白しなければ振られる事すら叶わないと言う真理に昭弘は気付く。

 

 違う。相川が振られる前提で先を見据えるのではなく、肝心なのは千冬が相川をどう思ってるかだ。

 

「…じゃあ、もし告白されたらどうするんです?」

 

「その時になってみないと分からん。人の心なんざ、時間と共に変容する」

 

 だが、昭弘の表情は変わらず、千冬を見る目は納得の色を見せない。今の回答がはぐらかしである事ぐらい、昭弘にはお見通しだ。

 千冬は観念した様に浅い息を吐くと、再度答える。

 

「……振るだろうな」

 

 昭弘ではなく正面のモノレールを見ながらそう言うと、警告音の後に扉が閉まり、静かに学園島へと鉄の巨体を這わせて行った。次の列車は16分後だ。

 

「理由なんて言わんでも解るだろう。私は教師で、相川は生徒だ。私は女で、相川も女だ」

 

 だが、またもはぐらかされた様に感じた昭弘は、理解なんて示さず額に熱を貯めて追及する様に問う。

 

「オレが訊きたいのはアンタが相川をどう―――」

 

「どうとも思ってない。…これで満足か?」

 

 疲れごと投げ捨てる様に、千冬は答えた。

 あれだけ一途で必死な相川の事を、どうとも思ってない。昭弘はそれを聞いても、不思議と怒りが込み上げてこなかった。

 感じるのは、今にも夜に溶け出してしまいそうな顔をした千冬への労わり。そして、熱くなり過ぎた己への、強い戒めだった。

 

 その後、長々と持論を展開すると思われた千冬も、そして昭弘も、同様に口を一の字に閉じた。

 

 そのまま2人は喧騒の中にある沈黙を享受し、ただ無言で次の列車を待った。

 

 

 

 もう直ぐ列車が到着する時刻になると、四方から聞こえる話声に釣られるが如く、千冬が先に沈黙を破った。

 

「どうとも思わない事が、互いの為だ」

 

 そう言う千冬の半開きな瞳は冷たい光沢を放ち、精力も疲労さえも残っていない様に見えた。

 

 対して、昭弘も長い沈黙を破る。と同時に、学園島行きのモノレールが右方から風切り音だけを立ててやって来た。

 

「本当にそれで良いんですか?」

 

 水と夜風で大部吐き気から回復した千冬は、車両に乗り込むべく先にグッタリと腰を上げながら答える。

 

「ああ。ずっと告白せず、私に振られない事が、相川にとって一番の幸せだ」

 

 そう言う千冬の揺れる背中は大きく分厚く、それでいて絶対零度の悲壮感を纏っていた。

 自分を削って全ての生徒を平等に愛さねばならず、特別な感情を一人に向けてはならない。大きくも冷たい背中は、その孤独な戦いによって作られたのだろうか。

 

 アレが大人の背中だと言うのなら、あんな事で熱くなる自分が如何にまだまだ餓鬼なのか、昭弘は改めて思い知らされた。

 そして、自分の背中は他人からどう映ってるのだろうと、思いながら昭弘は千冬に続いた。

 

 

 大人とは、教師とは本当に大変だ。

 思いやる人間の心と、先を見越す機械の頭脳、その双方を適切に使い分けねばならないのだから。




どうにか8000字以内で纏まりました。要らない文字を削ったり新しい表現を加えたりするのが楽しいです。



にしてもいいですねー焼肉。私も肉が恋しいです。
皆さんも外食行けなくて辛いとは思いますが、せめて気分だけでも焼肉屋を味わってくれたら幸いです。


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第53話 夢 その③ ~愛~

毎晩夢を見る私は現実に疲れているのでしょうか。
教えてくれオルガ…。


 上下左右前後360°白い空間は、ベンチとそれに座る自分が地上に居るのか空中に居るのかすら判らず、影も光も無い。

 昭弘がもう何度も見た、居るだけで発狂しそうな程退屈な世界だ。

 

 そんな場所でも、一人じゃなければ、話し相手さえ居れば楽しい空間に変わる。だから昭弘は、何ら苛立ちもせずただジッと待っていた。

 このベンチに座っていれば、その内オルガが現れるからだ。

 

 昭弘はそうなる前提の元、今回は何を話そうかと頭に纏め始める。すると―――

 

「やほっ!昭弘っ!」

 

 オルガではなかった。

 

 最初に耳奥へと届いたのは、女性のそれも高めで柔らかい声。

 髪は長く薄茶色がかった金色、襟足辺りから2本に別れている。大きな目は整った顔を可愛らしく仕立てているが、豊満な乳房に引き締まった腹と更には健康的で丸めの臀部と、身体は大人の女性以上に女性らしかった。

 それで服装がホットパンツにヘソ出しジャケットと来れば、大概の男なら目のやり場に苦闘する事だろう。

 

 肌の露出も本人の顔も見慣れている昭弘には、今の所は下心で動揺する要素など無いが。

 

「…てっきり、オルガの次は三日月辺りだと思ってたぜ、『ラフタ』」

 

 すると、ラフタは意地悪そうな笑みを浮かべる。

 

「けど三日月より先に現れるって事は…ハハーン、そんなにアタシが恋しかったんだー?」

 

「それは…」

 

 昭弘は必死に無愛想を貫こうとするが、それでもつい彼女から目を逸らしてしまう。

 顔に似合わず子供っぽい昭弘の反応が壷だったのか、今度は声に出して笑うラフタ。

 

「アハハハ!なーにマジになってんのよ!」

 

 そう言って爪に鮮やかなマニキュアが塗られている人差指で、昭弘の頭を小突く彼女。そんな事をされればさしもの昭弘だって頬を赤くせざるを得ない。

 

 再会の雰囲気も程々に、ラフタは生脚を組み換えながら早速雑談に入ろうとする。

 

「さぁて昭弘?アタシの前では真面目で堅苦しい話はNGだかんね?それでいて、アタシはIS学園でのアンタを知りたい。…何が言いたいのか分かるっしょ?」

 

 当然だ。抑、夢に現れるタイミングがドンピシャ過ぎる。昨晩の焼肉で、最早会話の殆どを占めていた「あの話」しかないだろう。

 

「言っとくが、意中の相手なんて居ないからな?」

 

「何それー?乙女の園でそりゃないでしょ。名瀬みたいにハーレム作っちゃいなよ」

 

 ラフタが絶対挙げると思っていた名前を聞いて、昭弘はうんざり気味に答える。

 

「勘弁してくれ、容量悪いんだオレは。名瀬の旦那みたいに、平等に抱く事なんてできん」

「それに、オレは此処の皆をどうしても“女”として見れないんだ」

 

「……ラウラくんが可愛すぎてゲイセクシャルにでも目覚めちゃったとか?」

 

「ち・が・う」

 

 真顔で即否定する昭弘に対し、ラフタは子供をあやす様に優しく提案する。

 

「じゃあお互いに理由を考えてみよっか!因みにアタシはもう自分の答えを持ってるけどね!」

 

 ラフタはそう言うが、実は昭弘も8割型理由の輪郭は見えている。ただ、進んで言葉に出したくはない、少なくとも明るくはない理由だ。

 だが、此処は夢の中。どんな事を口走ろうと、聞いているのは自分と隣に居る故人だけだ。

 

「……オレは皆の事を、心の何処かで「別の生き物」と見なしているのかもしれん。姿こそ同じだが、その姿に至った過程はまるで異なると言うか…」

 

 毎日が生き死にへ直結する極限環境で育った昭弘。

 

 彼は以前、IS学園を「天国」と表したが、ではそこに住まう生徒たちはどうだろうか。極端な話、穢れを知らない天使にでも見えたのではないだろうか。

 それは決して飛躍した発想ではない。ヒューマンデブリ、生殺与奪の最前線、それら本当の地獄を彼女たちは知らない。

 故に、別のもっと高位の生き物に思えてしまうのだろう。高嶺の花とか、そう言う次元じゃない。犬と人の間で、恋愛が成立しないのと同じだ。

 

 自分の中身をどんなに詳しく語ろうと、真に理解される日なんて永遠に訪れない。そう、同じ体験を経ない限りは。それこそが、昨晩真耶に語った疎外感の正体でもある。

 そして昭弘自身、それで良いと思っている。何であれ、友達にはなれたのだから。

 

「…過程と言う名の過去を否定しない限り、可憐な天使と交わる事は許されない…って訳ね」

 

「…」

 

 ラフタは肯定も反論もしなかった。ただ優し気な、されどほんのり寂しさを塗した目で、少しの微笑みを残して昭弘を見返した。

 らしくもない反応を長々と継続させてしまったラフタは軽く頭を左右に振り、再びいつもの笑顔に戻る。

 

「じゃあ!今度はアタシの見解ね!」

 

 そう言うと彼女は勿体振る様に昭弘の方向へと身体をスライドさせ、彼の左腕を両腕で絡め取りそのまま密着する。

 

 ラフタの突然な行動による動揺、と言うより何より彼女の大きくて張りのある乳房が左肘辺りを圧迫してきた為、昭弘は心臓の鼓動を早める。

 

「簡単よ♡アタシへの愛が忘れられないってだけ」

 

 ただでさえ腕に抱き着かれて半ば放心状態だった昭弘だが、それを聞いて数拍遅れながらも激しく反論する。

 

「なっ、何言ってやがる!確かにオレはお前を異性として見ていた。けどな…べ、別に好きだったって訳じゃ…」

 

「ウッワ!昭弘心臓バクバク顔真っ赤冷や汗ダラダラ!ハイ確定!」

 

 昭弘は悔しそうに歯を食い縛るが、それだけで何も言い返せなかった。そう、女に抱き着かれれば男なら誰だってそうなると、口に出せなかったのだ。

 それはつまり、先の反応が単なる強がりだと、昭弘自ら認める事になる。

 

「…オレは…お前の事が…好きだったのか?」

 

「“だった”じゃないの、アンタは今も好きなの、アタシの事」

 

「…」

 

 それすらも昭弘は否定出来なかった。

 いつもそうだった。いつだって恋愛話をする時は、決まってラフタが昭弘の脳内に居た。

 

 昭弘にとって「性」の対象は、男としての本能が求める愛の形は、昔も今もラフタただ一人なのだ。

 どうしても忘れられないのだ。あの顔を、声を、日向の様な輝きを、背中を預けられる強さを、惑わされずに道を選べる大人の魅力を。

 

「よっと!」

 

 一声上げると、ラフタは腕組みを解除して今度は昭弘の腰の上に跨り、彼の頬に両手を当てる。乳房と大胸筋が隙間を埋める様に密着し、状況の際どさは倍以上となった。

 

「……アタシの顔を良く見て昭弘」

 

 だが、ラフタのその真剣な面持ちを真正面に捉えてしまえば、聳え立つ興奮なんて容易に抑えてみせる昭弘であった。

 

「…アンタが今も愛しているラフタ・フランクランドは、もうこの世の何処にも居ないの」

 

 だからもう、過ぎた愛に拘るのは止めろ。そんなラフタの意図が、昭弘には手に取る様に解った。

 

 昭弘はただ、静かにそして真っ直ぐに彼女の大きな瞳を見詰め返していた。まるでラフタの瞳と言う名の鏡に映る昭弘自身を、覗き込むかの様に。

 「承知した、お前の事はもう諦める」と、本来なら直ちに返答すべきなのだろう。だが、まだその時ではない様に、昭弘には思えた。

 

 まだ、ラフタの心を見ていない。

 

「…ラフタはどうなんだ?…オレの事、好きだったのか?」

 

 その問い掛けにより、ラフタの表情は不貞腐れる様な甘える様な、そんな表情へと崩れた。

 

「………そんなの、アタシの顔見れば判るでしょ?」

 

 いじらしい声でそう言うラフタの顔は桜の花弁みたいに薄っすらと赤く、瞳はまるで波打つ様に潤んでいた。

 

 これは昭弘の無意識が創り出した夢だ。あの時、ラフタが本当に自身を愛していたのかなんて、こんな事で解る筈がない。

 それでも、仮に全てが幻覚だとしても、ラフタのその余りにも愛らし過ぎる表情を昭弘はつい素直に受け取ってしまった。

 

 昭弘も、ラフタも、互いに互いを愛していた。その前提で、昭弘は話を進めた。

 

「…オレに見つけられるだろうか。お前以上に良い女なんて、お前以上にオレを愛してくれる女なんて」

 

「当然でしょ!このアタシが惚れる程の男なんだから」

 

 再び太陽が霞む程の笑顔でそう言い切った後、ラフタはそのまま昭弘の首に両腕を回し、強く強く抱き締めた。

 

 昭弘もラフタに触発され、優和に微笑みながら彼女の小さな背中を熊の様な両腕で包み込んだ。

 

 そして最後、ラフタは昭弘の耳元で意地悪そうに囁いた。

 

「それに、アンタが本気で愛せそうな子なんてちゃんと居るし。例えば、声も大きなおっぱいもアタシに似ている「あの娘」とか♡」

 

 その言葉を頭の中で整理する間も無く、夢が終わる合図である轟音が昭弘の思考を遮断する。

 

 増大する轟音に反比例する様に、自身を抱き締めている乙女の輪郭が白くぼやけていく。まるで、周囲の景色と同化するみたいに。

 

 

 

―――7月2日(土) 130号室 早朝―――

 

 アラームのけたたましさに苛立ちながらも、白い天井を凝視する事しか出来ない昭弘。どうやら目は覚めても、意識は未だ解放されないらしい。

 

 背中に気を付けながら何度か寝返りを打ち、白い天井以外のものを視界に収める事で意識を強制的に引き戻し、ベッド脇に付いたアラームボタンを平手打ちする。

 起こした裸体の上半身には、青空を斜め上から穿つ日差しのせいか夢のせいか、大粒の汗が朝露の様に付着していた。

 

 寝惚けが完全に取れた所で、昭弘はラフタが最後に放った台詞について考えを巡らす。何度も繰り返し。

 だが、やはりどう見方を変えても昭弘は箒に恋愛感情を抱いてはいなかった。

 と言うより、想像すら出来なかった。仲の良い学友が最愛の人になるなど。

 

 大体、何故ラフタは箒を候補として上げた。

 確かに、声質も女性の鑑とも言える体型もラフタに似てはいる。だがそれだけだ。それら以外、全てが異なる。

 それとも、昭弘自身がラフタ以外の異性を好きになれるとでも、本気で彼女は思っているのだろうか。

 

 いや第一良く考えてみれば、夢の中でのオルガがそうであった様に、ラフタもラフタであって昭弘の一部でもあるのだ。

 即ち、夢の中でラフタがそう言ったのならば、それは紛れもない昭弘の心の声でもあると言う事だ。

 

(…そんな事、天地が引っくり返っても有り得ん)

 

 皆、昭弘にとっては比べようのない大切な友人だ。その中から特別な存在なんて作りたくもないし、作ってはならないだろう。

 心の片隅にどんな劣情を持っていようと、それはどこまでもほんの一部に過ぎず、心全体を飲み込む事はない。

 所詮は夢と言う訳だ。

 

 

 もう気持ちを切り替えよう。今日も朝から簪を手伝わねばならない。

 夢の中でもラフタに言った筈だ。過去に縛られている自分は、彼女たちを異性として好きになんてなれない。

 

 昭弘はそう自分自身に言い聞かせた後、顔を洗い歯を磨き、黒のタンクトップと迷彩柄のカーゴパンツで裸体を覆って部屋を出ようとした。

 

 だが、立ち止まる。最後に言えなかった言葉を、思い出して。

 

 「ラフタ、護れなくてすまなかった」。言いたかった、伝えたかった。

 あの時、無理にでも彼女を引き連れていれば、彼女に告白していれば、一夜を共にしようと一緒に居れば結末は違っていたかもしれない。

 それを防げなかった、自分の気持ちすら解らず先の事を録に考えもしなかった自分自身が、腹立たしくてしょうがなかった。

 

 何とも、自身の浅はかさは滑稽にすら思えてくる。夢の彼女に謝罪した所で、何の意味も無いと言うのに。

 

 愛の囁きも、心からの謝罪も、もうラフタに伝える術は無いのだ。

 

 

 

―――

 

「あ…」

 

「…おう」

 

 廊下に出てエントランスへと向かう途中、EVホールから姿を現した箒とぶつかる様に出会す昭弘。

 

 本来仲良しコンビである2人だが、今回は会うタイミングが悪かったのか互いにバツが悪そうだ。

 昭弘はあの夢を見た後であるし、箒も強さに固執する余りピリピリしている。

 

「…こんな朝早くから機動訓練とは、精が出るな」

 

 取り敢えずは挨拶代わりにそう言う昭弘だが、箒の表情は外の天気と対照的だ。

 

「…1分でも早く、皆に追い付かねばならないからな」

 

 その声質から明確な疲労が見て取れたので、昭弘は警笛音の如き言葉を贈る。

 

「心意気は感心するが、無理だけは厳禁だ。立ち眩みがしたら兎に角寝ろ。次に繋げたければな」

 

「…うむ」

 

 余計なお世話だと、そう言いたそうに箒は目を背ける。昭弘の錯覚だろうか、横から覗き込んだその瞳には益々の弱々しさが浮き出ていた。

 

 そのまま1分程だろうか、2人の間に沈黙が流れた後、再び箒が口を開いた。だがその声は、まるで手の中に閉じ込められて弱り果てた虫の様に、細く震えたものだった。

 

「……解らなくなってきたのだ。何の為に強くなるのか」

「初めは、弱い自分を脱却したい一心だった。だからここ最近は、我武者羅に剣を振るって来た。大好きな剣の道を極めれば…とな。だがだったら、好きでもないISに乗る必要性は無いよな?量産機だの専用機だのIS適性だのと、悩ましい不純物を気にする事は無いよな?」

 

 箒の言いたい事は解る。剣が好きなら剣道剣術だけに没頭すべきで、態々ISに乗っても仕方が無い。

 

「大体、剣の道を極めれば私は本当に「強く」なれるのか。仮に「人間的に強くなった」として、それで好きな人と結ばれるのか?」

「現に私は、今になっても一夏に告白なんて出来ていない」

 

 溜まっていた鬱屈を、惜しげも無く昭弘にぶつけてしまった箒。今迄、一体どれ程不安定な精神状態で打鉄を動かしていたのだろうか。

 

 こと恋愛に関して、昭弘は本音ほどの的確な助言が出来ない。だが、1つだけはっきりと言える事があった。

 

「本当にISが嫌いなら、とっくに投げ出してる筈だ。ちゃんとISも好きなんだよお前は」

 

「…」

 

「自分の剣を最大限活かせる専用機が欲しい…お前はその欲求を「卑怯」と勝手に思い込んでるだけだ」

 

 何もかも見透かされて、箒はただ下を向くしかなかった。

 自分だけ量産機じゃ皆には勝てない、けど専用機を欲するのも剣術家としては卑しい。その二律背反から、箒は逃げ出したかっただけなのだ。

 

「箒よ。別になぁ、一夏の為だけに強くなる必要は無いんだ。剣も好きISも好き、その上で自分はどうしたいのか、何をすべきなのかは自分で考えろ」

「そうすりゃあ、納得の行く「IS道」を貫けるさ」

 

 これ以上は言わせるなよと、昭弘は言いたかった。結局箒は、ISに乗り剣を振り続けるしかないと言う事だ。

 だが、既に箒の瞳から弱々しさは消えていた。

 

 「IS」と「剣道」を組み合わせたであろうIS道。その本質が何なのかは、箒どころか昭弘にも、誰にも解らない。

 それでも彼女は、その言葉をずっと欲していたのかもしれない。

 いつも素直になれず、何に関してもどっち付かずな彼女だからこそ、シンプルに合わせたその言葉は心に響いた。

 

「なぁに、お前は控え目に言って「イイ女」だ。何に関しても「好き」って気持ちを大切にしてれば、一夏なんてイチコロだろう」

 

 瞬間、箒の胸を何かが穿った。

 

―――イイ女。昭弘が、私を…

 

 沸騰する程熱く鋭利なそれは、泥の様な鬱をあっと言う間に蒸発させた。

 

 その内側から焼かれる熱に突き動かされる様に、箒は昭弘につい問い掛けてしまった。

 

「……ど、どう言う所が…イイ女なのだ?」

 

 肘をピンと伸ばしたまま腕を後ろで交差させ、青空を反射する水溜まりの様に潤った眼光を時々昭弘へと向ける箒。

 

「そりゃあ…」

 

 そう言いながら箒と言う存在を異性として思い起こす昭弘。

 モデルの如くスタイルは良いし、黒髪の長いポニーテールは美しく整った顔を大和撫子へと誘っている。鋭い目つきとは相反して、一途で清廉な恋心を抱いておりその相手の事を考えずにはいられない。

 イイ女じゃない訳が無い。

 

―――アンタが本気で愛せそうな子

 

 箒を見ていたら、そんなラフタの言葉が誘惑する様に昭弘の心を撫でた。

 同時に、一つの感情が心全体を飲み込もうと侵食していく。それに従い、心臓の鼓動が早くなる。

 

 これが劣情なのか、これが相手を雌として認識する生物的な本能なのか。

 ではやはり、自分は箒の事が―――

 

(………違う)

 

 だが、最終的にはラフタの存在が勝ってしまった。

 

 駄目なのだ。昭弘の心にぽっかりと空いた空間は、切り取った様にラフタの形を成していた。

 そこを隙間無くはみ出もせず埋められる人間なんて、ラフタしか居ない。

 

「……ま…まだか?昭弘」

 

 箒のその一言で漸く思考を引き戻された昭弘は、意識を切り替える様に少しだけ瞼を閉じた後、出来る限り明るい声質で答えた。

 

「兎に角、お前はイイ女なんだよ。そこに細かい理由なんて要らん」

 

 すると、顔を赤くしたまま箒は軽く憤慨する。

 

「な、何だそれは!?益々気になるだろうが!」

 

「男ってのはそう言う生き物なんだよ。そら、もう出ようぜ」

 

 ニヒルな笑みを浮かべながらそう言う昭弘に、箒は慌てて付いて行った。

 

 そんな昭弘の背中にべっとりと張り付いていた冷気の如き哀愁が何なのか、箒には解らなかった。

 

 

 昭弘が愛に目覚める日は、未だ遠いのかもしれない。




鉄血7話最後のシーンを観た時、ラフタは絶対に三日月の3人目のヒロインになると思ってました。ええ完全に騙されましたとも。


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第54話 変化か、演技か(前編)

今回は一夏と鈴ちゃんのお話です。昭弘は一切出てきませんのでご注意を。

なんかこの2人絡ませるの久しぶりな気がします。


―――――7月1日(金) 08:19 1年2組―――――

 

 

「鈴、最近元気無くない?目ぇ細い」

 

「織斑くんと喧嘩?」

 

 生徒2人が心配の言葉を掛ける相手は、彼女ら1年2組にとっての中心人物であり、普段なら真夏の陽光よりも熱く輝いている。

 本人は自覚が無いのだろうが、クラスの空気はこの人物が支配していると言っても過言ではない。

 

 だがどうした事か。大人しく席に座り、口はへの字に曲げ、腕を組みながらただ真正面を見据えるその様は。

 しかも今日一日だけならまだしも、ここ数日毎日この調子だ。

 

「…一夏についてって部分は当たってるわ」

 

 やっぱりと言いたげに、2人は苦笑いしながら互いを見合う。

 

「偶には皆に相談したらー?何なら私が話聞くよ?」

 

 が、鈴音は上瞼を少し垂らしたままゆっくりと顔を左右に振る。

 自分の事は自分で片付ける鈴音の性分を知っている学友は、そう言う部分だけ相変わらずの彼女に溜め息を吐く。

 

 一夏が変わったあの日以降、鈴音は一夏と余り接する事が出来ないでいた。何ならここの所、一夏よりセシリアや箒と会話している事の方が多いくらいだ。

 

 鈴音と一夏の付き合いは長い。小学校から中学校まで、鈴音はずっとヒロイックな一夏をその目に焼き付け、想いを寄せてきた。

 そんな彼がある日突然、別人の様に変わってしまったのだ。

 覚悟していた事とは言え、やはりどう接すればいいか鈴音には解らない。

 

 だがぼやぼやしてたら、一夏を他の女に掠め取られてしまう。それだけは何としてでも避けたい鈴音。

 

 これだけ気にしていると言う事は、やはり一夏を未だに愛しているのだろう。ならば、まるでただの友達みたいな現在の関係性は、鈴音の望む所ではない。

 

(…結局は行動あるのみ…ね)

 

 先ずはそう、今の一夏をもっと深く詳しく知る必要がある。今2人でデートしても、互いに遠慮し合って終わりな気がするし、2人っきりでのISバトルも同様だ。

 かと言って、昭弘たちまで居てはいつも通りになってしまう。

 日常以上、デート未満な状況が望ましい。

 

 そう条件を絞ると、「アレ」が一番丁度良いと思い至る鈴音であった。

 

 

 

 話はとんとん拍子に進み、一夏は普通に快諾してくれた。

 鈴音の希望は日曜日だったが、その日はアリーナの空きが夕方以降しか無く、午前正午は割と一夏もフリーであったのが幸いした。

 

 

 

 

 

―――――7月3日(日) 09:06―――――

 

 雨がポツリと降ったり直ぐ止んだりする曇り空から遥か下方の小道。

 一夏と鈴音は格納庫への道を、何気ない会話で埋め尽くしながら進んでいた。今さっき職員室で借りたSCの結着された紐を、首から下げながら。

 

「にしても、鈴って結構ゴーレムに関心があったのね。一度セシリアと見に行ったって聞いたし」

 

「まぁ、ね。ホラ、人工知能と話せる機会なんて、滅多に無いじゃない?」

 

「同感ね」

 

 余り表情は変えずに、淡々と会話を進める一夏。時々眼鏡のフレームを摘まむのは、一種の癖の様なものだろうか。

 

 やはり喋り辛い。無表情な一夏なんて、以前の彼からは懸け離れている。心なしか、胃の調子も悪い気がする。気合の余り朝食を摂り過ぎたか。

 

「と言うか一夏さぁ、やっぱ似合わないわよ眼鏡。勿体ないなら売ったら?」

 

「似合わなくてもいーの。付けたくて付けてるんだから」

 

 めげずに話題を見つけ出し、普段通りな口調を維持しながら会話を途切れさせない鈴音。眼鏡を外して欲しいのは、心の奥底から発した鈴音の本心だが。

 

 だが眼鏡以上に、せめてその話し方を何とかして欲しかった。一夏が使うと、冗談抜きで不快な気分にさせられる。

 そしてそれが、鈴音の胃の不調に更なる拍車を掛ける。

 

 格納庫に着いた時、認めたくはないが鈴音は安堵してしまっていた。やっとこの会話劇が終わってくれた、と。

 

 

 

 何十年後かの、近未来の世界。人々はそれがどんなものか知らないが、見慣れてはいる。

 此処に居る織斑少年も、アニメや映画等の映像媒体のお陰で、十分過ぎる程慣れ親しんだ。

 

 一夏と鈴音が電気錠を開けた先は、そんなSF世界をそのまま切り抜いて持ち込んだ様な空間であった。ただ一つの束縛も無く、ロボットが闊歩している。そんな彼等と、研究員だけでなく生徒もさも当然の如く会話しているのだ。

 こんな光景、見慣れていた筈なのにこの圧巻。これが現実、これが本物の近未来。

 

「凄い…」

 

 初めて見る一夏は、それしか言葉に出来なかった。

 

「…何か新しいの増えてるし」

 

 一度来た筈の鈴音も、新顔のロボットを見掛けてそんな声を漏らす。黒く細く鋭角的で紅いバイザーな、いかにも悪役チックな外見の無人ISだ。

 

 2人が続いて気を取られたのは、この格納庫とは非常にミスマッチな“音”であった。

 洋楽だ。ジャンル的にはEDMに入るのだろうか。比較的スローテンポで、洋楽特有の電子音が曲の大部分を構成していた。海岸沿いの道路を走る車内で流せば、さぞかし楽しい一時を過ごせそうな一曲だ。

 一体誰の趣味なのか。

 

 そんな中、戸惑いを隠せないのか辺りを見渡す一夏。

 

「と、兎に角!グループが出来ている所に行くわよ!無人ISを囲って研究してる筈だから」

 

 初めてで圧倒されてばかりの一夏を、鈴音はきびきびエスコートする。状況に変化を与えて、一つでも多く一夏の内面を知らねば。

 

 しかし、何かを視界に捉えた一夏はその足を止める。

 

「ねぇ鈴、『彼』なんてどうかな。あの白い子」

 

 そう言い、一夏は置物みたく壁際で立ち尽くしている白銀の無人ISを指差す。鈴音が先程口にしていた新顔と同型の無人ISだ。

 

「折角だし、話し掛けてみない?」

 

「え…う、うん(あの機体…)」

 

 先程、適当な事を言ってしまったのが仇になった鈴音。

 無人ISに興味が無い訳ではないが、見学だけならまだしも話すのは抵抗があった。以前本気で一戦交えているのだから、警戒するのもやむなしだろう。

 

 既視感の正体は気になるが、例えゴーレム以外の機体だろうと接触は極力避けたい。

 

 そうこう躊躇している内に、一夏が当該の無人ISへと歩みを進めてしまっていたので、鈴音は慌てて後に続く。

 

 

《何カ御用デショウカ》

 

 横一線の紅いバイザーを不気味に点灯させながら、一夏に対してしっかりと向き直る無人IS。表情無しに話すその様は、グシオンを纏った状態の昭弘を思わせる。

 鈴音は一夏より斜め後ろから、白銀の彼へ不信の眼差しを送る。

 

「どうも。随分暇そうね」

 

 ロボットと会話するなんて初めてだろうに、一夏は何の物怖じも見せない相変わらずの無表情だ。

 あとその口調を止めて欲しいと、しつこいながら鈴音は思った。

 

《2分35秒前、私ノ検査ガ一旦終ワリマシタノデ、次ノ検査ニ備エテ待機シテイル所デス》

 

「なら少し話そうよ。オレは織斑一夏、こっちは凰鈴音」

 

 一夏に紹介されたので、鈴音は渋々と頭だけペコリと下げる。普段のコミュ力は何処へやらだ。

 

《私ハ『XFGgQ-2:JI.RO.』ト申シマス》

 

「それじゃあ…ジロ、昭弘は来てる?よくここに来るって聞いたんだけど」

 

 その言葉を聞いて、鈴音は一夏に冷たく突き刺さる様な眼差しを送る。「こんな時でも昭弘か」と。

 それは、好きな男が目の前で他の女の話ばかりしている時の感情とよく似ていた。

 

《昭弘殿デシタラ、82.9%ノ確率デアリーナDヘト赴イテオリマス》

 

「もしかして、最近はアリーナDに?そこで何をしてるの?」

 

 少々食い気味に訊ねる一夏の表情を見た鈴音は、そのまま反目を維持する。

 何故そんなにも、人に執着するのか。何にも誰にも縛られず、前を突き進むのが一夏ではないのか。そんな感情を、瞳に込めながら。

 

 胃袋の不調は遂には身体全体の重しとなり、鈴音は段々具合が悪くなってきた。

 

《更識簪殿ノ専用機デアル、打鉄弐式ノ製作ヲ手伝ッテオリマス》

 

 すると、一夏の目つきが僅かに鋭くなる。

 

「…その更識簪って娘と、昭弘は仲良いの?」

 

《機械デアル私ガ言ッテモ説得力ハ無イカモシレマセンガ、非常ニ仲ガ宜シイ様ニ思エマシタ》

 

「…フーン」

 

 その後も、鈴音を放ったまま昭弘についての話は長々と続いた。ジロは昭弘と面識があるのか、格納庫での昭弘はどうだったか、ジロから見て昭弘はどんな人物か等々、余す事無く昭弘で埋め尽くされた。

 殆ど一夏の質問攻めだったが。

 

 ジロが鈴音に声を掛けたのは、一夏からの質問が終わった直後だった。

 

《凰殿、先程カラ顔色ガ悪イ御様子》

 

「へ?べ、別に!?アタシ元々色白だし!」

 

 鈴音にとってはそれが、無人ISとの初会話であった。

 

《デスガ念ノ為、無理ニ見学ナサラナイ方ガ宜シイカト。整備科ノ先生方ニハ、私ノ方カラ伝エテオキマス故》

 

 機械に気を使われた事が恥ずかしかった鈴音は、青白い顔の中で頬だけ薄っすらと赤くする。

 

「ジロー!そろそろ時間だってー!」

 

 整備科2年『黛薫子』の声掛けを聞き入れたジロは、一夏と鈴音に一礼した後、中央の人混みへと消えて行った。

 

「…ゴメンね、鈴。話に夢中で、具合悪いの気付かなくて」

 

 去り行くジロを見詰めた後、一夏は申し訳なさそうに言うが、鈴音の具合は勿論機嫌も直らない。

 そんな2人に、黛が早足で近付いて来る。

 

「ごめんごめん2人共!ちょっとバタバタしてて、来てるの気付かなかった!」

 

「あ…いえ」

 

「アタシたちも…勝手にうろついてすいません」

 

 ジロを呼んだ時に初めて2人を視界に捉えた黛は、「気付いてたら案内してあげれたのになー!」と悔しそうな声を上げる。

 

「にしてもジロか…。余計な詮索かもだけど、2人共もしかしてジロに謝罪してた?「あの一件」について」

 

「?」

 

「…一件?」

 

 何の事だろうと、一夏と鈴音は何度かに分けて小まめに目を合わせる。

 その反応だけで、黛は己の思い違いに気付く。

 

「あーそっか。ジロは学園襲撃時と色以外見た目が全然違うから、判らないのも無理ない…か」

 

 となると、色は同じ白銀と言う訳だ。それで漸く、2人はジロが誰なのか思い至った。

 

「言い辛い事だけど、2人がフィールドで串刺しにしたあの白いゴーレムが、ジロだよ。最近、漸く義体への接続に成功してさ…」

 

 2人は驚愕で目を見開きながら、ジロが去って行った方角を見やる。生徒や研究員が囲ってる中心には、清潔そうな白い台の上で仰向けに倒れ込むジロの姿があった。

 

「…そう…ですか」

 

「アタシたちが…」

 

 落ち込む一夏と胸糞悪そうな鈴音を見かねた黛は、慌ててフォローに入る。

 

「だ、大丈夫!彼もう記憶が無いし!コアだってちゃんと生きてたんだから、別に一度死んだって訳じゃ…」

 

 小声で黛は言うが、2人の沈痛な面持ちは変わらず。

 鈴音に至っては増々顔色が悪くなる一方だ。あの時、一夏と共に果たした撃墜が間違いだったのかと、彼女は酷い落胆と喪失感に襲われていた。

 既視感の正体は、これだったのだろうか。

 

 黛は、憂鬱を消し飛ばすもう一声を掛ける事にした。

 

「それにホラ、たかが機械だし。命ある人間を傷つけたんじゃないしさ」

 

 周囲には決して聞こえない程の声量で彼女はそう言った。無論、黛の本心ではない。2人を励ます為だ。

 現に黛の思惑通り、鈴音はその言葉に強く賛同していた。

 

(…そうよ。いくら人の言葉を喋ったって、所詮は人工物じゃない)

 

 暴走して操作不能になった機械を、強制停止させる為に壊しただけ。何の問題があろうかと、鈴音は思った。

 同じ様な状況になったら誰だって生き抜くべく、護るべく、無機物を破壊するだろう。

 

 それでも、一夏の表情は晴れない。

 さっき、ジロと会話したからこそ解った。彼は、彼等は機械なんかじゃない。会話をする為に思考し、人を心配し思いやる事が出来る。

 単純な一夏にとって、それだけで彼等が生きていると断言するには十分だった。

 

「…「悪」はオレたちです。どうせ機械だからって理由で、ジロに酷い仕打ちを…」

 

 自分が機械と判断したのなら機械であり、破壊しても構わない。

 今にしてみれば、皆を護る為とは言え何と身勝手な動機だったのだろうか。一夏は、そう思わずにはいられなかった。

 

 対して、鈴音にとって悪とはショックな一言だった。自分の好きな一夏を、延いては鈴音自身を真っ向から否定された気分だろうに。

 あの時自分たちがした事は間違ってなんかいないのに、何故そんなに下手に出るのだ、お前本当に誰だ。面と向かって、一夏にそう言ってやりたい鈴音だった。

 

 一夏を見る度、一夏を聞く度、鈴音の胃はどんどん圧迫され、口の奥には粘質の強い唾液が溜まっていった。

 

「検査が終わるまで残ります。ちゃんと話して、ジロに謝りたい」

 

 それは止めた方が良いと、黛は思った。ジロが知った所で、記憶自体が蘇る訳ではない。ただ余計な情報が増えるだけで、ジロも対応に困るだろう。知らない方が良い事だってあるのだ。

 それに、ジロは優しい。黛もジロの心を覗いた訳ではないが、もう自身を討った相手の事なんて気にも留めていない筈だ。

 ジロが折角前を向いているのに、昔の出来事を掘り返すのは野暮だ。

 

「…謝るよりもさ、仲良くしてくれた方がジロにとっても嬉しい事なんじゃないかな?」

 

 謝れば良いってもんじゃない。大事なのは過ちを忘れない事、自分の罪をしっかり認識する事。

 黛の言葉にそんな意味が込められている様な気がした一夏は、長い間の後「分かりました」と答えた。

 

「鈴もそれでいいでしょ?」

 

 一夏は黛から鈴音に振り向いて、そう同意を得ようとする。

 

「…機械となんて仲良くしないわよ。信用出来ないし、アタシは何も悪い事なんてしてないし」

 

 あくまで、自身の正当性を主張する鈴音。

 攻め入ってきたのは向こうで、自分と一夏はそれを撃退しただけ。なのに何故、自分たち人間が機械の御機嫌を取る様な真似をせねばならない。

 そう鈴音は考えていた。

 

 そんな彼女を見て、一夏は声を乗せた溜め息を吐く。

 

「ごめんなさいね黛先輩。この娘、勝ち気で素直じゃなくって…」

 

 止めてその話し方止めてその表情止めてその思考回路本当に無理気持ち悪い。

 

 自身の主張を流され、相手に媚び諂う様に折れた一夏を見て、鈴音は心も思考も漆黒の感情に飲まれる。その黒い波に押し上げられるが如く、胃液が込み上げて来る。

 もう我慢の限界だ。

 

「いいっていいって!主義主張は人それぞれってね!」

 

 黛が台詞を言い終わった所で、鈴音は思わず右手で口を押さえてしまった。

 

「鈴!」

 

「凰さん!?」

 

 それを見た一夏は、ジロの言った通り見学を切り上げて、鈴音の背中を擦り格納庫正面から退館した。

 

 

 

「どう?まだ苦しい?」

 

 夏風に当たり、どうにか吐きはしなかった鈴音。だが未だ気分は最悪なのか、吐き気か何かを我慢する様に口を閉ざしている。

 

「今日はもう部屋に戻ろっか。何か胃に優しい食べ物、作ったげる」

 

「それとも、一緒に昭弘の所行こっか?彼と話せば、胃の中も悩み事もスッキリ…なーんて」

 

 勿論、二言目は一夏なりの冗句だった。

 

 だが、今の鈴音にとってはガソリンと言う名の劇物でしかなかった。内耳の奥へと侵入したそれは、鈴音を大爆発へと導いた。

 

「アンタが昭弘に会いたいだけでしょ!!?」

 

 突然の激昂に、一夏は目を丸くする。が、一夏が動揺を見せたのもその一瞬てあった。

 

「…さっきからどうしたの?鈴。今日のアンタ、変だよ?」

 

 一夏にとっては、鈴音に怒られる事なんて日常茶飯事だ。いつまでも動じている程ではない。

 

 彼の静かな反応に引っ張られたのか、鈴音も落ち着きを取り戻す。

 しかし、冷静になってはいなかった。寧ろ逆。鈴音のその不気味な静けさは、言いたい事を全部言ってやる覚悟の表れであった。

 

「………ねぇ、一夏。もう…やめたら?“それ”」

 

 幼馴染を見る目ではなかった。鈴音のそれは、何か得体の知れないモノを怪しむ目であった。

 一夏もまた、鈴音の言う“それ”が何なのか分からない程馬鹿ではない。

 

「……オレが無理してるって言いたい訳?」

 

「ええ、訳の分からないキャラ演じてる様にしか見えないわよ」

 

 鈴音のそれは嘗てのラウラと同じか、それ以上の懐疑心であった。

 人は変わるもの。そんな事鈴音だって理解しているつもりだ。だが、鈴音には一夏のこれが変化とは思えなかった。

 

「オレは演じてなんかいない。ただ自分の心に正直になっただけよ」

 

 だからもう戻るつもりなんてないと、一夏の強い眼差しは鈴音を貫く様に訴えかける。

 

「戻って欲しいと思ってるのは鈴、アンタでしょう?今のオレじゃ親しみ辛いから、今までと違うオレが嫌だから」

 

 鈴音が以前より素っ気なくなった事なんて、一夏はとっくに気付いていた。

 そうとは知らずに思わぬ反撃を受けた鈴音は、言葉が詰まる。綺麗に的を得ていたからだ。例え偽物だろうと、鈴音にとっては「あの一夏」が一番であったと。

 

 自分の我儘は認める。それでも、鈴音は言わねばならない。一夏が、結局今も「囚われたまま」だと言う事を。

 

「…ええ、戻って欲しいわよ。昭弘に囚われてる今のアンタからね」

 

「…何ですって?」

 

 今日初めて、一夏が憤りで眉間にひび割れを作った瞬間だった。

 

「だってそうでしょ?昭弘に言われたから、アンタは変わろうとした。格納庫でもここでも、アンタの頭は昭弘の事ばかり」

「昭弘に心配掛けたくないから、嫌われたくないから、形だけでも変わろうとしてんでしょ」

 

 そこで、2人の間に焼ける様な、裂ける様な、締め付けられる様な沈黙が流れた。

 

 今、先に言葉を繰り出せばきっと心底後悔する。そんな確信に近い予感が、両者の口を固く閉ざしていた。

 しかし耐えるも虚しく、その瞬間はアッサリと訪れた。

 

「じゃあどうしろって言うの?辛く苦しい思いしてでも、前のオレに戻れって言うの?それとも同じ男として、昭弘をもっとライバル視すれば満足?」

 

 そうだその通り。それこそが鈴音の理想としている一夏の姿だ。

 そんな事、鈴音の口から言える筈もない。苦しんででも自分を楽しませろと言ってる様なものだ。

 

「仕方がないでしょ…?オレは「こんなオレ」しか、見つけられなかったんだから…」

 

「ッ!」

 

 もう耐えられなくなった鈴音は、ヤシの実を食らう勢いで強く強く歯を食い縛り、閉じた瞼から涙を滲ませて何処かへ走り去ってしまった。

 

 

 

後編に続く




ジロに関しては一見一夏が正しい気もしますが、鈴ちゃんも間違った事は言ってない様に思えます。果たしてどっちが正しいのやら…。
何より、2人は仲直り出来るのか。

次回、ご期待下さい。


因みに、XFGQの「G」はゴーレムの頭文字です。タロとジロはゴーレムから郷鐘へと種名が変わったので、区別する為に「G」→「Gg」へと機体識別名をいじりました。Gouganeの略です。


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第54話 変化か、演技か(後編)

今回、筋肉要素10%程度。しかも姿は無し。
早く昭弘の肉体をネットリとしたタイピングで描きたいです。


―――――格納庫―――――

 

 検査が終わり、数十分の拘束から解放されたジロにおずおずと声を掛けてきたのは、研究リーダーの井山だった。

 

「もしかして、疲れてるかい?」

 

《元ヨリ我々無人機ニ、疲労ハ存在シマセンガ》

 

「ナハハ!そりゃそうだ!いやねぇ、声のトーンが普段より低い気がしたからさ」

 

 井山は自身を笑うが、存外的外れでもないのでジロは何も言えなかった。

 

 それだけ、鈴音との初対面は堪えるものがあったと言う事だ。

 恐怖を含めた警戒の眼差し。異形を目の当たりにした時、人間は皆揃ってああいう目をするのだろう。

 そう考えただけで、ジロは己が人でも生き物でもないと言う事実に直面させられる。

 

(昭弘殿の気持ちが、解った気がする)

 

 存外、自分たちと昭弘は似た者同士なのかもなと、ジロは同じく格納庫内に点在している機械肢たちを見回しながら思った。

 

 集音機が黛の声を拾ったのは、そんな時だった。

 

「井山さん。ジロなんですけど、一旦リフレッシュも兼ねて外に出しません?」

 

 確かに、昨日学園側からそう言った類の許可は下りている。無論、誰か一人随伴した上でだ。

 

「格納庫周辺だけならまぁ…」

 

「外の空気吸わせるだけですって」

 

 息なんてしていないが。

 

 黛の顔は期待に満ち満ちていた。

 整備科生であり新聞部副部長でもある黛の考えている事なんて、井山には察しが付いている。

 大方、人工島を出歩くジロを学園新聞の一面記事にでも載せたいのだろう。『復活の無人IS、島の風を感じる』みたいな見出し文と共に。

 

 実際、彼女の左肩から袈裟懸けられている一眼レフカメラが、先程から自己主張も激しく黒光りしている。

 

 

 

 と言う訳で、上空から見て格納庫の左側、初めて外に並ぶ林道へと足を踏み出したジロ。

 少し距離を置いた所では、随伴名目の黛がカメラを構えている。

 

 普段から格納庫内で環境音や生徒研究員らの話声の中に晒されてたジロ。

 外ならもう少し静かかと思っていたが、そうでもなかった。波の音や虫の鳴き声、特にこの時期だとニイニイゼミの鉄を爪で引っ掻く様な音が酷く五月蠅い。

 空も黒々とした雨雲に覆われているので、特に解放感を覚える事もなかった。

 

 これ以上は大した気分転換にもならないだろうと判断したジロは、その場で格納庫の方角へと回れ右をしようとした。

 

 その時だった。

 

 

 

 林道の中に1本だけ高く鎮座しているケヤキの根本で、小さく体育座りする鈴音。制服の袖で擦り過ぎたのか、その目は酷く充血していた。

 

 鈴音はただただ自身を侮蔑していた。身勝手な理想を一夏に押し付けようとしたから、今の一夏を真っ向から否定したから。

 

 だが一番の理由は、現実に負けてしまった自身の弱さだった。

 あの時、鈴音は昭弘に言った筈だ。「どんな一夏でも愛してみせる」と。鈴音にはそれが成せる確固たる自信があったし、昭弘もそんな彼女を激励してくれた。

 それが、実際に接してみればアレだ。話し方や性格は勿論、相手の気持ちに立って折り合いを付ける様な一夏なんて、鈴音には到底受け入れられなかった。

 

 幼馴染と言う名の根は、想像以上に彼女の心の隅々にまで張り巡らされていた。

 明るくて強くて格好良くて男らしい正義漢、それでいて鈍感で単純でお馬鹿。彼女にとっての一夏なんてそれ以外なかった。

 そしてそれが偽物で、一夏ももう偽りたくないと思っているのならば、鈴音の心に張った根は黒く腐りやがて癌細胞へと変質する。

 

 ずっと偽物を愛していた。それが何を意味するのか、鈴音は真に理解したのだった。

 

 

《ドウサレマシタカ?》

 

 人間ではない不気味な声を聞いて、鈴音は尻を叩かれる様に立ち上がり、充血した目を尖らせて振り向く。

 反射的な行動だったので、聞き覚えのある声だと思い出した頃には、その者の顔が眼光の先にあった。

 

 白光りした鋼鉄の身体、人間に似せた手足、細い腰、そして戦闘機の様に尖った顔。

 名前は確か『ジロ』だったか。

 

「…何の用?」

 

 先の初対面、態度の悪さは鈴音も十分に自覚している。

 そんな自身に態々話し掛けて来るなんて、何か企んでいるのか昭弘と同様単なるお人好しなのかと、鈴音は勘繰った。

 

《失礼、泣イテイルノカト思イマシタノデ》

 

 どうやら後者の様だ。

 

「…泣いてないし(今は)」

 

 鈴音はその一言で突き返すつもりだった。

 

 しかしジロは、そのまま鈴音の側へゆっくり近付くと、先程彼女がそうしてた様にケヤキの根元へ腰掛ける。

 去ろうとも考えた鈴音だが、最早歩く気力も無いのか、そのままジロの隣に座り込んでしまった。

 

 

 3分程両者の間で沈黙が続いたが、そう言う空気が苦手な鈴音は堪らず口を開く。

 

「…放っといてくれていいのよ?こっちも信用してないしさ」

 

《ソノ点ハ私モ重々承知シテオリマス。シカシ、貴女ハ私ガ訪レテモ此処ニ残ラレタ。ソノ理由ヲオ聞カセ頂キタイ》

 

 どうとでも誤魔化せる質問であった。それでも、鈴音はそうしようとは思わなかった。

 それ程までに彼女の心の中身は、杯から零れ落ちる寸前であった。相手が機械でもいい、この胸の内に溜まったモノを流し出してしまいたい。

 さもなくば中身が溢れ返り、心は杯としての役割を失ってしまう。そんな気がしたのだ。

 

「……いいわ、話したげる。一から十まで全部ね」

 

 もうどうでも良かった。誰に何を知られようと。

 

 

 

 宣言通り、鈴音は自身と一夏の出会いから全てを話し終えた。そして勿論、先の出来事も。

 

「…未練ったらしいでしょ?アタシは今でもずっと過去の一夏に囚われているの。偽りだと解っていても」

 

 乾いた笑いを含みながら、鈴音はそう言い放った。

 だがそれ以上の失態が、彼女の口から生々しく語られる。

 

「そうとも知らずに昭弘の言葉を鵜呑みにして、楽観した結果がこれよ」

 

 鈴音も一夏の事を言えなかった。彼女も又、昭弘の言葉に囚われている部分があったのだ。それが無ければ、鈴音は一夏の更生に手を貸さなかっただろう。

 

「アタシ…もう解らないの。一体「どの一夏」が本当の姿なのか」

 

 そこで、鈴音の長き話は一度途切れる。

 それを受け継ぐ様に、ジロが機械音声に言葉を乗せる。

 

《……結局凰殿ハ、何ヲドウサレタイノデスカ?》

 

 ジロの当たり前な質問を聞いて、鈴音は悲しそうに少し声を荒げて答える。

 

「そんな事…解ってたら最初からこんな所で蹲ったりしないわよ!」

 

《デハ私ガ、凰殿の行動指針ヲ今示セバ良イノデスカ?》

 

「!」

 

 ジロの何気ない問いに、鈴音は気付かされる。言われてみればそうだ、それがジロに話した理由だ。

 

 いつもそうだ。2組では気丈に振る舞っている鈴音だが、自分で考えても解決への糸口すら見つからず、人知れず誰かに頼っている。昭弘がその好例だ。

 助言が無ければ、彼女は弱い心を前へと向ける事すら出来ないのだ。

 

 鈴音は思った、「もうそれじゃ駄目だ」と。ただ助言通りに動くだけの存在なんて、操り人形と何の違いがあろうか。

 

 だから鈴音は言う。今の時点で良いから、自身が心の奥底から思っている事を。

 

「…いえ、辛うじて解っている事があったわ。このまま一夏と絶交なんて御免って事よ」

 

 かなり大雑把ではあるが、確かな鈴音の望みであった。鈴音は、一夏を嫌いになった訳ではなかったのだ。

 

「例え偽物でも、得体が知れなくても、アタシが愛した男だもの。こんな終わり方は駄目よ」

 

 相変わらず俯き気味だが、鈴音の目に幾らか生気が宿った様に、ジロには感じられた。

 

 となると選択肢は絞られる。

 過去の一夏を奇麗さっぱり忘れ、あくまで学友として関係性を再構築する。今の演じているのか本当の姿なのか解らない一夏を、頑張って愛する。この2つしかない。

 

 後はどう謝るかだ。

 

「…ありがと、ジロ。大分楽になった。後は自分で考えるから、もう行って良いわよ」

 

 変わらずのむつけ顔でそう言いながら、手を行った行ったと振る鈴音。

 

 人間とは不思議な生き物だと、ジロは改めて思った。声に出した所で、他人に話した所で、状況が変わる訳でもない。

 なのに、ジロに話す前と今とでは、鈴音の顔色も声も違っていた。

 

 同時に、このまま去って良いものかともジロは考えた。何かもう一言二言で、鈴音の望みが叶う確率を上げられないかと。

 そこに大それた理由は無かった。人間が困っているのなら、可能な限り助力する。昭弘がそうする様に。

 それがジロたち無人ISだ。

 

《“愛”ガ何ナノカ、性ノ無イ私ニハ理解ガ及ビマセン。故ニ恋愛モ友愛モ、何ガ違ウノカ解リカネマス》

 

「…何が言いたい訳?」

 

《…私ニトッテ愛ノ解釈ナド、「人ヲ大切ニ思ウ心」デシカ無イト言ウ事デス。貴女ガ織斑殿ヲ放ッテオケナイノデアルナラ、ソレモマタ愛ナノデハナイデショウカ》

 

 機械特有の抑揚が無い、それでいて力強さを感じる物言いであった。

 

「ッッ」

 

 だがその言葉は、鈴音の頭内で大きく弾け、思考の曇りを四方へと吹き飛ばした。スッと頭が晴れ、憤慨も僻みも幻滅も呪縛も、負の感情全てが裏返っていく。

 

 漸く、鈴音は解った気がしたのだ。何故、あそこまで一夏を拒絶したのか。自身が一体何を恐れていたのか。自身にとって、織斑一夏とは何なのか。

 

《…凰殿?》

 

 立ち上がる鈴音。

 そんな彼女を見上げたジロも又、従う様に腰を上げる。もう表情が晴れているとまでは言い難いが、充血の残ったその目は梃子でも動かなそうにしっかりと前を見ていた。

 

 行かなくては。成すべき事を成す為に。

 

「…一夏に告白してくる」

 

 鈴音の顔に、恥じらいの赤は無かった。

 

《…》

 

 その「告白」が何を示しているのか解らないジロは、黙って鈴音を見送る事にした。

 何だって良かった。先の言葉が鈴音の助けになったのなら、ジロはそれで。

 

 だが立ち上がっても、鈴音は中々足を踏み出そうとしない。代わりに、彼女はジロを真正面に捉えると、深く頭を下げた。

 

「2度目になるけど、ありがとね」

「そして…ゴメンナサイ。アンタたちの事、誤解してた。只の機械だって…」

 

 機械と言う点は何も間違っていないと考えているジロにとって、それは赦すも赦さないも無い事だ。

 だが、何と返すかもう決めていたジロは鈴音に顔を上げる様促した後、右手を彼女の身長に合わせて突き出した。

 先程喧しく感じていたニイニイゼミの声が、今は曇天も退くのではと思う程に青く澄み渡って聞こえる。

 

《デハ是非、友好ノ証ヲ。貴女ガ宜シケレバ》

 

 宜しいに決まっている。鈴音はそう笑って、同じく少し高めに右手を差し出して「証」を結んだ。

 

 大きく硬く冷たく、どこか華奢な手を握って、鈴音は格納庫でジロを見かけた時の既視感が何なのか漸く解った。

 

(…そっかコイツ、どことなく白式に似てるんだ)

 

 太陽光の様に眩しい色、刀を握る為かより人に近い形の手、細い身体。そんな白式の特徴を、ジロも又持っていた。

 

 勿論、意図して似せた訳ではないのだろう。

 けれどもその外見的特徴は、鈴音を懐かしい気分にさせた。まるで以前の一夏を見ている様な。

 

 

 

「凰さん…最高のネタをありがとう。御馳になりやす」

 

 木陰から鈴音とジロを覗く新聞部副部長と言う名の出歯亀は、涎を垂らしながら握手の瞬間まで何度もシャッターを切った。

 

 

 

 時刻を同じにして、場面は再び格納庫正面側へと戻る。

 アリーナDへと続く、長く幅広い歩道。その上に最寄り駅の如く点在するベンチに、一夏は腰掛けていた。

 

《それはどう見方を変えても鈴が悪いだろう》

 

「…なのかな」

 

 液晶携帯を右頬に当て、事の顛末を昭弘に相談していた一夏は、意外な回答に少し驚く。

 

《当然だ。折角一夏が前を向いてるって時に、冷水ぶっかける様な事言いやがって》

 

 どうやら今回の一件、完全に昭弘は一夏寄りに徹するらしい。

 それでも、一夏は弱々しく自身を否定していく。

 

「けど鈴が言ってる事、結構当たってると思うの。変わろうと思った最大の切っ掛けは、やっぱ昭弘だし」

 

 それを聞いて、昭弘は声を低くした。

 

《お前はオレの傀儡だとでも?》

 

「…」

 

 一夏は口を噤んでしまった。

 

 はいと答えたら、まるで昭弘が悪者みたいになってしまう。だがいいえと迷い無く答えられる程、今の一夏は自身を信頼出来る状態でもなかった。

 

《ハァ……突然だが一夏、レゾナンスで飲み物買ってこい。製作メンバー全員分だ》

 

「…嫌よ」

 

《じゃあお前はオレの傀儡じゃねぇよ》

 

 それは簡単な、去れど間違いのない証明であった。一夏は昭弘の言いなりなんかじゃない。嫌な事は嫌だと、ちゃんと拒否出来るではないか。

 

《あのな一夏。人間ってのは様々な人や物事に影響される生き物なんだ。オレだってお前から影響を受けてる》

 

「…初耳なんだけど?」

 

 驚いた様な小姑の様な圧を込めて、一夏はそう返す。

 

《お前が居なけりゃ、鈴とも知り合えなかった。それだけじゃない。お前が料理の話を頻繁にするようになってから、オレも食生活には気を付ける様になった》

 

 あくまで今の一夏は、様々な影響を受けた結果に過ぎない。それを「もう止めろ」と言うのは、それこそ人格の否定或いは強要だ。

 その持論だけは絶対に崩さない昭弘は、最後一夏に念を押す。

 

《いいか一夏。向こうから謝ってくるまで、鈴の事は放っておけ。アイツに非があるんだから、それが筋だ。…他には?》

 

「……ううん、忙しい時にありがとうね昭弘」

 

 そう笑顔で締め括った一夏は、液晶に浮かぶ赤い終了ボタンを押すと、直ちに真顔へと表情筋を引き締める。

 

(…ゴメンナサイ昭弘。やっぱり鈴を放ってはおけない)

 

 そうして鈴音を追うべく彼女が去って行った林道の方角へ振り向くと、もう目の前には息を切らした二つ縛りの少女が居た。

 

 

 

 右手で左肘を抱きかかえ、一夏は無言のまま睨み付ける様に鈴音の息が整うのを待つ。

 鈴音はそんな一夏を見て内心怖じ気付くが、荒息を殺した後更に深呼吸をして、心を静める。

 

「…先ず始めに、さっきは酷い事言ってごめんなさい一夏。…本当に」

 

 彼女は身体の前で左手と右手を重ね、頭頂部を一夏へと向けた。

 

「そうね、赦すけど凄く傷付いた。…それで?まだ言いたい事あるんじゃないの?」

 

 一夏は軽く息を吐いて見せながら、鈴音にさっさと口を動かす様促した。

 

 対して鈴音は上がる気持ちを押し込む為に瞼を強く閉じ、手で胸を擦って肉を纏う心の脈動を抑えようとする。

 だが幾ら頑張っても変わらないので、観念して言葉にする事にした。

 

 

 

「…アタシね、ずっと一夏の事「好き」だったの。その…誤解の無い様に言うとね、異性としてアンタを「愛」してたの」

 

 

 

 それは鈴音にとっては積年の、だが一夏にとっては余りにも思いがけない愛の告白であった。流石の朴念仁でも、ここまで直球に言われれば理解せざるを得まい。

 

「………えーと…ちょっと待って貰える?」

 

「…うん」

 

 案の定一夏が混乱し出したので、鈴音は言われた通り大人しく待った。

 

 一夏が思考を正常へ戻す事で先ず気付けた部分は、それが過去形である点だった。

 そこを念頭に置いて、一夏は続きを促す。

 無論、ずっと幼馴染で友達だと思っていた相手が自身を男として好きだったなんてと、本来なら昔を思い返してみたい。が、今は我慢だ。

 

「強くて格好良くて少し馬鹿で、ヒーローみたいなアンタが好きだった。ガキっぽい感情だけど、それはアタシにとって代え難く大切なものだったの」

 

(馬鹿とは心外ね)

 

 そこで、鈴音の表情が変わる。頬の紅葉は消え、眉尻も不甲斐なく下がる。

 

「…だから今までのアンタが偽物だと昭弘から聞かされた時、その場で駆け出したくなっちゃった。じゃあこの愛は何だったんだろう…って」

「だからアタシは、どんな一夏も愛するって誓った。偽りの一夏しか愛せない事が、怖かったから」

 

「…それが出来なかったから、今のオレを拒絶してしまったの?」

 

 そこまで言われてしまえば、一夏でもそれ位の予想は可能だ。

 だが鈴音は首を横に振り、一夏の予想を否定した。更に眉尻を下降させ、眉間に色濃い線を残しながら。

 

「本当に怖かったのは、アンタとただの友達同士になる事だったの」

 

 そこに愛なんて存在しないから、一夏を諦めたくないから。

 友情など愛の劣化版に過ぎないと、そう考えていた鈴音は一夏が友達に成り下がる事を恐れたのだ。

 

「けど気付いたの、友情も愛なんだって事に。だってアタシ…さっきアンタと喧嘩した後、凄く苦しかったもん。以前のアンタと喧嘩した時と、同じ位」

 

 簡単な事だった。愛しているからこそ、大切だからこその苦しみだったのだ。

 

「だから…アタシにとっては結局一緒なのよ。昔の一夏も、今の一夏も。ただ、異性としてじゃないと言うか…上手く説明出来ないけど…」

 

 また柄にもなく小難しい事考えるんだからと、一夏はほんのり呆れる。

 

「要するに友達以上の存在、“親友”になりたいって事でしょ?」

 

 「あ」と、鈴音は深い森から抜け出した様に目を見開いた。

 

 やっと解ったのだ。

 今と昔、一夏は何が違くて何が同じなのか。彼女が一夏に抱いていた最大の違和感が何なのか。

 

 昔は異性として、今は同性として一夏を見ていたのだ。

 だからさっきは無意識の内に否定した。同じ性と性の間に、愛は芽生えないから。愛が芽生えなければ、恋じゃなくなるから。恋じゃなくなれば、ただの友達に成り下がるから。

 それら鈴音の中に巣食っていた固定観念が、彼女に拒否反応を起こさせたのだ。

 

 別に昭弘の事も、心の奥から嫉妬していた訳ではなかったのだ。ただ固定観念に突き動かされ、嫉妬したつもりになってただけなのだ。

 

 それが消えた今、一夏への拒否反応なんて微塵も無く、同性として親友として確かに一夏を愛している。同性として見てしまえば、男らしくないなんて糞みたいな価値観に縛られる事もない。

 そして一夏が持つ昭弘への想いも、素直に応援出来る様になっていた。

 

 ただ口調を変えただけで、演技だけで、こうなる筈がない。つまり今の一夏は、やはり本人が望んだ姿なのだ。

 

「けど、本当に良いの?鈴が言った通り、オレは無理に演じているだけかもしれないよ?」

 

 そう言いながらも、一夏に迷いなんて無かった。さっきの証明で解っているのだ。これが本当の自分であり、決して演じてるのではない事を。

 心が影響を取り込み、それにより生まれた願望に従っているだけだ。

 

 だからこそ訊かねばならない。それでも尚、鈴音には演技に見えるのかと。

 

 訊かれるまでもない。

 

「…いいよ」

 

 無理しているだなんて誰にも言わせない。

 

「親友で…いいよぉ…」

 

 鈴音は糸を噛み切る様に歯を剥き出し、潤う瞳を瞼で隠し、そこから涙の川を造りながらそう言った。

 

 改めて自分が腹立たしかったのだ。一夏が違う一夏を演じていると、勝手に思い込んでた自分が。

 悲しかったのだ。過去の一夏に、異性としての一夏に、初恋の一夏に別れを告げるのが。

 

 

 嬉しかったのだ。本当の一夏と、親友になれた事が。




要約:一夏くん、心は女の子でした。
一応言っておきますが、鈴ちゃんはノーマルです。因みに相川もノーマルです(好きになった千冬が偶々女だっただけ)。

愛とは定義の難しいものですな。そう思いませんか昭弘。


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第55話 男の約束は鋼より硬く

―――――7月3日(日) 128号室―――――

 

 ヤブキリの針金を引き摺る様な鳴き声が蒸し暑さを増大させる夜、ラウラは液晶携帯を片手にボリュームの下げた声を贈り届けていた。

 

《友達から秘密を聞き出す方法…ですか》

 

 厳格さの中に年長者特有の親しみ易さが籠るその声の主は、名を『クラリッサ・ハルフォーフ』と言う。黒兎部隊副隊長、即ちラウラの部下だ。

 

「もっと言うなら、一人で抱え込ませない方法だ」

 

 ラウラとクラリッサの付き合いは長い。

 だが、元は落ちこぼれであり学園に入るまでは気性も尖っていたラウラは、最初からクラリッサと親しい訳ではなかった。

 

 今では、彼女の方が歳上と言うのもあって、ラウラも彼女を人生の先輩として慕っている。

 

 だが、相談を受けたクラリッサの反応は芳しくなかった。

 

《少佐自ら相談して下さるのは嬉しいのですが、御期待に沿えるかどうか。恋愛相談なら1から100まで助言を与えられるのですが…》

 

 意外にも恋愛脳な彼女。電話越しで普段の声より低く聞こえるせいか、上司の恋煩いが聞けない事への幻滅が滲んでいる様に思えてしまう。

 

「構わん、言ってみろ」

 

 有無を言わせてくれそうにない上司の圧を受けて、クラリッサは纏まっていない単語一つ一つを絞り出す様に答える。

 

《…やはり、話して貰えるようより親密になるしかないのでは?》

 

 その言葉通り、親密度の高い低いで打ち明け易さも変わる事はままある話だ。

 

《例えばですよ?髪型を変えてみるとか、化粧を変えてみるとか、男の心を煽るような可愛らしい服を着てみると―――》

 

「大尉よ、私は男なんだが…それで本当に友情は深まるのか?」

 

 友人を持った事がない故の純粋な疑問、信用し難い見地を披露する部下への指摘。その両方が合わさった疑念の声を、ラウラは上げる。

 対し、クラリッサも又困惑の声を上げる。

 

《?…ですが、友情と愛情は表裏一体と、確かにヤーパンの少女漫画でも…》

 

「…」

 

《…》

 

 日本の漫画とやらで得た知識が果たして役に立つのか、無知ながらも首を傾げるラウラ。自分で言っておいてちょっと自信が無くなってきたクラリッサ。

 両者の同じ様で種類の違う沈黙が、気不味さを3割増しにする。

 

《と、兎も角です。一緒に居る時間は増やすべきかと。出来る限り同じ部屋で寝るとか、模擬戦もその友人とだけにするとか》

 

「…分かった。努力しよう」

 

 クラリッサは尊敬する上司に大した助言もやれず、情けない気分に襲われる。

 そんな今の気分は、先程から感じていた疑問を解消するのに丁度良かった。

 

《…少佐、何故態々私なんぞに御相談を?》

 

 確かに、相談するなら千冬や他の学友も居るだろうに。

 だが、ラウラは特に間を置かずに答える。

 

「その友人が、私やお前たちと同様、普通の人間じゃないからだ。…最初に言うべきだったな」

 

 普段から相談する事に慣れていないラウラは、己の説明不足を反省する。

 自分たちと同じ、普通じゃない。即ち、先天的或いは後天的に、何らかの“処置”を施された人間である。

 クラリッサは、上司の少ない言葉を直ちにそう理解した。

 

《…私が少佐やその御友人と似た境遇だから、気持ちを共有出来ると思ったと?》

 

「…そうだ」

 

 ラウラはクラリッサ以上に、己の不甲斐無さを嗤う様に短くそう答えた。

 戦いの為の異物を付けられ、戦いの為の教育を受け、真っ当とは程遠い人生を歩んで来た者だけの世界。

 例え千冬だろうと、他の学友だろうと、昭弘の抱える闇とそれを覗く事すら出来ないラウラの気持ちなんて、同じ境遇を経た人間にしか解らない。

 

 だがそれを聞いて、クラリッサは自身への情けなさを反転させた。

 自身の助言は、この上無く的確であったのだと。

 

《…ならば尚の事、例え煙たがれても傍に居てやるべきではないかと。御友人が内なる闇を吐けるまで、いえ吐いた後も。少なくとも、私がその御友人ならそうして欲しいです》

《その粘り強さこそ、我々が脱帽したラウラ・ボーデヴィッヒ少佐でしょう?》

 

 その一言が聞けたラウラは、やはり自身の判断は間違っていなかったと、彼女に相談して良かったと、心からそう思った。

 

「…ありがとう、大尉」

 

 故にそれしか言葉が見つからない自身を、きっと神は赦してくれよう。

 

 だがこれから駄目元で訊いてみる事を、仏は赦してくれるだろうか。

 

「…最後に一つ。『阿頼耶識システム』…大尉も知っているな?」

 

《?…ええ、勿論です》

 

「何故そんな名前になったと思う?」

 

 その辺りでクラリッサは漸く察しがついた。ラウラの言う友人とは、会見で仏頂面だったあの青年だと。

 

 関係性を深く聞き入りたい彼女だが、今は上司の話が優先だ。そんな訳で、彼女は頭が面白可笑しくなる前に思考を戻す。

 

 クラリッサは少女漫画等、日本の文化に精通していると彼女自身自負している。仏教に関しても、浅いながらも一般人以上の知識はあるつもりだ。

 そんな彼女でも―――

 

《確かに…ただ機械と神経を繋ぐだけなら、阿頼耶識と言う名前は妙です。業か、或いは因果に関係しているのでしょうか…》

 

「因果応報…。神経を繋ぐ事で、何らかの代償を支払うと?」

 

 代償。その二文字から逃れられる人間は、ラウラも含めて皆無だ。だが、その恐ろしさを身を以て知っている人間は、ラウラも含めてごく少数でしかない。

 

《それは何とも…。と言うより、たかが名前です。失礼ながら、深く考える必要性を私は感じません》

 

 彼女の意見は尤もだ。阿頼耶識だなんて、所詮はオカルトの領域と言える。誰が実物をその目で確かめた訳でもない。

 

《ヤーパンのアニメでも、設定も意味も解釈も考えず、ただ格好いいからって理由で名前を付ける馬鹿な監督や脚本家も居ますし》

 

 分かったから一々日本のサブカルチャーまで引き合いに出すなと、ラウラは突っ込みたい気分を机を指で連打する事で我慢する。

 

「まぁ…それもそうか」

 

 だが、クラリッサの意見にはラウラなりに理解を示す。意識システムも神経システムも、確かに名称としてはイマイチ語感が悪い。

 

「夜分に悪かったな大尉。貴重な意見をありがとう」

 

《いえ、またいつでもご連絡を》

 

「ああ、ではな」

 

 ラウラは頼りになる部下を労うかの様に、丁寧に別れの言葉を告げた。

 

 

 夜闇を白く染める様な息を吐くラウラ。

 結局この日も、阿頼耶識システムが何なのか解らなかった彼は、既に何度も読み返した「纏め」に虚ろな瞳を向ける。

 

・阿頼耶識

 仏教における、人間が持つ8つの心の一つ。意識の主人、或いは意識の核。財を保存する蔵の様な役割を持ち、意識においては因果応報の大本となる「行い」を保存する。

 肉体を超越する不滅の器官であり、行いによって常に変化しながら流れる性質を持つ。それは「時間」と言う概念が在る限り過去から未来永劫流れ続け、生まれ変わりとも言われる輪廻転生を幾度と無く引き起こす。

 尚、これら輪廻転生や因果応報は未だ観測されておらず、科学的証明も不可能であるとされている。

 

 何度読み返しても、昭弘とMPSの神経直結に何の関わりがあるのか、まるで見出だせないラウラであった。

 

 部屋を閉め切っていたラウラには、外のヤブキリが鳴き止んだ事なんて、いや鳴いていた事すら気付かない。

 

 

 

 その十数分後、やたらご機嫌な一夏が機動訓練から帰ってきた。

 訳を訊く気分でもなかったラウラは、もうシャワーを浴びた旨だけ一夏に伝えた。

 

 

 

 

 

―――――7月4日(月) 放課後 アリーナD―――――

 

 堅くて速い。シンプルなそれは闘争と言う場において極めて有効であると、今ラウラは思い知らされていた。

 どんなに逃げても即座に距離を詰められ、どんな猛攻でも勢いを止められない。

 

(糞ったれ!最悪な相性だ!)

 

 ラウラが今相対しているのは、ここ最近すっかり存在感が薄れてしまった「重装甲グシオン」だ。

 本来ならただ堅い事しか取り柄の無い、決して強くはない機体だ。

 だが、バウンドビーストを使われてしまえば話は別だ。反応速度と機動力の大幅な上昇は重装甲時の欠点を補い、極大極太のハンマーをより有用な武器へと変える。

 

 それが解っているからこそ、ラウラは冷や汗を隠せない。装甲の薄いシュバルツェア・シュトラールにとっては、一撃一撃が致命傷だ。

 今も迫って来るあの深緑色の力士が、我を忘れて暴れ狂うマッコウクジラに思えてくる。

 

 

 通常のISでは有り得ない、最早形態変化にも近い重装甲と軽装甲の切り替え。それを可能としているのが、グシオンの特殊な主領域だ。

 グシオンも例に漏れず、待機形態時はコアの主領域に装甲を格納している。何も2種類の装甲を詰め入れている訳では無く、主領域内ではリベイク装甲が重装甲に覆われた状態なのだ。

 

 もっと簡略化すると、リベイクが本体で重装甲はそれを覆う外殻でしかないと言う事だ。

 故に、リベイク状態で起動したい時は内側だけを、重装甲状態で起動したい時は丸ごと呼び出す。展開中も、重装甲への変更は主領域から深緑色の外殻を引き出し、リベイクに戻りたいのならパージして主領域に外殻を戻すのだ。

 リベイクの腰部シールドと背部ユニットは、この重装甲から拝借したものだ。

 

 重装甲時のデメリットは主に2つ。

 

 第一に機動力の低下だ。

 PICのお陰で重量は問題無いが、防御力を上げるべくスラスターの内半数を装甲で覆ってしまっているのだ。

 

 第二には、武装が1つしか使えない点だ。

 コアは本来、拡張領域内の物体しか実体化出来ない。しかしグシオンの場合、主領域でも戦闘中に外装の出し入れを行っている。

 もし主領域内のすべてを実体化した重装甲状態だと、コア側が拡張領域内の武装を「あと僅かしか実体化出来ない」と錯覚してしまうのだ。実体化の容量オーバーと言う奴だ。

 射撃兵装1丁では効果的な弾幕は張れないし、重装甲高機動ならその防御力を活かして接近戦に持ち込むべきだ。よって、昭弘の選んだ重装甲グシオンに最適な武装が、最も破壊力のあるグシオンハンマーと言う訳だ。

 

 

 そんなグシオンの秘密など知る由もないラウラは、めげずに攻め方を変える。

 先程はモーニングスターで一撃を与えたが、SEを削り切れず逆襲のハンマーが掠り、大ダメージを受けてしまった。

 よって隙の大きいスターは封印し、レイピアで少しずつSEを削るチクチク攻撃に打って出たのだ。

 

 空中を何度も蹴りながら最小限の動作で斬撃をお見舞いし、鉄槌をギリギリで躱していく。良い調子だと、ラウラは感じた。

 

「あっ」

 

 だが、チーターがいくら翻弄したり引っ掻いたり噛みついてみせた所で、水牛には勝てない。いずれは、体当たりの餌食となる。

 

ゴッッ!!!

 

 鉄塊はシュトラールの横っ腹に直撃し、遠く彼方へ吹っ飛ばした。当然、そんなものを食らってシュトラールのSEが持つ訳無い。

 

 試合終了のブザーが鳴り、今回は昭弘の勝利に終わった。

 

 

 壊滅的に相性の悪い相手とは言え、負けず嫌いなラウラは悔しさでグランドを殴り抜きそうになった。

 それを止めたのは、心に去来する別の感情であった。頭にあるのは、負けた自分ではなく勝った昭弘の事だった。

 

 力を振るう昭弘の事だった。

 

 

 

―――ピット内

 

 一つの広い空間では、格納庫と同じ洋楽DJが作り上げた様なエレクトロ系の楽曲が、BGMとしてゆったりと流れ渡っていた。

 寂しい波の音と、良くマッチしている。

 

 そんな中に、グループが2つ。カタパルトの方角には昭弘とラウラ、入口の方角には水色のISを囲む20人程。

 ピットの広大さも相まって、両グループの距離は少なくとも50m以上はあろうか。

 

「付き合ってくれてありがとよ」

 

 上半身を露わにし、肉の鎧に付着した汗を真っ白いタオルで拭き取る昭弘は、半透明なスポーツ飲料をグビグビと口から体内へ流し入れるラウラにそう感謝を述べる。

 昭弘は今回、バウンドビーストを発動させた重装甲グシオンの性能を試しておきたかったのだ。

 

「構わん。私もスターの威力を詳細に把握しておきたかった」

 

 因みに、スターの一撃で重装甲グシオンに与えられたダメージは、凡そ10%だそうな。グシオンでさえこれなのだから、生身に当たって絶対防御を発動させたらほぼアウトと思っていいだろう。

 だが、ラウラは悩ましそうに頭に爪を立てるばかりだ。

 

「これは課題だ。近接武器しか無い以上、もうシュトラールではグシオンに勝てん。新しい武装を探すか、スターの運用を変えるか…」

 

 唸るラウラを見て、昭弘は少し得意気な顔で言った。

 

「単一仕様能力のお陰だ」

 

 まるでその言葉を待っていたかの如く思考の切り替わったラウラは、唸りを静める。

 ラウラの突然の沈黙は、湿った空気を更に重苦しくした。

 

 やがてラウラは頭から手を離すと、紅い瞳を大しけ前の海面みたく波立たせながら、鋭い眼差しを昭弘に送る。

 

「…何故、そんなにも単一仕様を使う?」

 

 ラウラは知っている、単一仕様能力には「代償」が伴う事を。

 

 例えばシュトラールの場合、機動力を大幅に向上させるゴルトロムを使うと、Gが掛かり過ぎて操縦者保護機能でも完全には相殺しきれない。

 結果、ISから降りた後数十分か数時間、五体に尋常でない程の疲労が浮き出るのだ。激しい空中機動に晒される為か、三半規管も乱れる。

 以上の事を踏まえると、連戦を考えるなら気安く使えない能力と言える。現に今も、ラウラは歩くのがやっとな状態なので、帰りは昭弘におぶって貰うつもりだ。

 

 白式の零落白夜も、SEの減少と言う名の代償を支払わなければならない。

 

 グシオンも、アレ程の力を解放出来るのだ。何の代償も無い筈がないと、ラウラは勘繰った。

 

「そんなん…強いから使うに決まってるだろう」

 

 すると、昭弘は自身の背中を指差す。大した副作用でもないので、ラウラを安心させる為にも教えておいた方が良いと判断した。

 

「そら見ろ、阿頼耶識にグシオンが装着されたまま、暫くの間外れなくなるんだ」

 

 だが、ラウラが放つ儚い眼光は変わらない。

 

 そもそも「ビースト」とは何だ。何故白式と同じく、二次移行も無しに単一仕様が使えるのだ。どう言う原因で阿頼耶識から外れなくなる。

 そんな疑問が、一つの穴から湧き水の如く広がる。

 

「少し前までは、待機形体に戻す事すら出来なかったんだが、イメージと気合でこの状態まで漕ぎ着けた。オレ個人としては、かなりマシになったと―――」

 

 ゴツゴツとした右肩に華奢な左手が乗せられて、気を取られた昭弘は台詞を中断する。

 紅い瞳の煌めきは、弱々しく揺れながらも確実に頭蓋を貫通する様な硬質さを持っていた。

 

 それは、昭弘が久しく見ていない「漢の目」だった。

 

「突き放さないでくれ昭弘」

 

 それは唐突な言葉の筈なのに、「何が言いたい」と昭弘は言えなかった。

 

「お前が何を成そうとしているのか、問い詰めるつもりはない。だがな…心配くらいはさせてくれよ」

 

 注意を別の何かに誘導して安心させる。それが、ラウラには耐えられなかった。壁を作られているみたいで。

 

「お前の境遇を理解していて、苦しみを共有出来る…そんな奴が居たっていいだろう?私の様に」

 

 何もかも一人で抱え込むな。

 そんな言葉も、まるで重みと安心感が違った。戦いの為に作られた、昭弘と同じくこの学園で自分が異質と自覚している、ラウラが言えば。

 

 ラウラだって、軍人である以前に熱いモノを持った人間と言う事だ。

 そして、それを教えたのは他でもない昭弘だ。

 

 ラウラはとうとうそのまま左手を力ませ、打って変わって猛禽類の如く昭弘の右肩を掴む。そして、鼻先と鼻先が触れる程近くで、ラウラは脅迫にも似た胸の内を捻り出す。

 もし覚悟を決めた人間が居たとしたら、きっと今のラウラみたいな目をしているのだろうと、昭弘は思った。

 

「言ってくれよ昭弘。阿頼耶識は…ビーストは代償を伴う危険な能力だと。私が傍で、耳を塞がず聞いていてやる。…友達だろう?私とお前は」

 

 男の友情を舐めるな。そんな表現がこれ程相応しい台詞など無いと言える様な、熔ける程に熱く強い言葉だった。

 理屈なんて関係ない。同じ男である昭弘が、ここまで言われて「それでも言えない」と返せる訳がない。

 

 ラウラを侮っていた、傷つけまいと気遣っていた。仲間の事ですぐ精神が壊れてしまう、弱い人間だと。

 だがもうその必要は無い。昭弘にとってのラウラは、もう「漢」なのだから。それはどんな絶望を耳にしたって、決して朽ち果てはしない。

 

 この男になら言える。いや、言わねばならない。例え全ては無理だとしても。

 それが、友の証だ。

 

「……お前が予想している通りだ。この力は少しでも加減を誤れば、グシオンと一体化しかねない能力だ」

 

 昭弘の白状を聞いたラウラは左手を離し、最後には顔も離した。昭弘が言うまでも無く、誰にもばらしたりしないと、身体全体で示す様に。

 

「だがオレには、どうしてもこの力が必要なんだ。理由は話せないが…」

 

 今は無理に話さなくて良い。友達が必要だと言うのなら、それを信じるだけだ。

 だが、妄信する程ラウラも世間知らずなお人好しではない。

 

「なら約束しろ。決して死なないとな」

 

 そう言って、ラウラは右手を鉤爪の様に広げて肩の付近まで持って行く。それに倣い、昭弘も同様に手を掲げる。

 

「ああ、約束だこの野郎」

 

 そうして、互いに加減する事無くハンドシェイクを交わした。大きさの違い過ぎるそれらは、去れど同じ肉密度を誇っている様に見えた。

 

 

 その後、昭弘は向こう岸の手伝いに行く為、巨体を更衣室へとのしのし向かわせた。

 

 巨大な背中から生える突起物を、ラウラは感情の落ち着いた右目で追った。そうするしかなかった。

 

(…私たちには、戦う事しか出来ない…か)

 

 ラウラだって、出来る事なら昭弘には単一仕様を使って欲しくはない。

 だが皮肉にも、似た境遇だからこそ能力を使う気持ちが、ラウラには解った。

 

 ラウラも戦士だ。力を奮う事でしか、前へは進めない。その摂理から逃れられない事は、同じ戦士である昭弘も一緒だ。

 

 それだけは、嫌でも解ってしまった。戦いと言う磁場に引き寄せられるのが、戦士の宿命であり性質なのだから。

 

 

 だがもう、ラウラは阿頼耶識システムなどと言う悪しき予感に怯えはしない。

 ラウラがそうである様に、昭弘もラウラと言う男を信じてくれたのだから。




タイトルを「男の友情」にするかどうかで、結構悩みました。
やっぱ大人になっても、男の炎は熱くて良いですね。

次回、閑話休題を挟むか検討中です。
もし挟まない場合、そのままシャルロットの話へと進みます(おおよそ5話程度?)
それが終わればいよいよ第一章の最後、銀の福音遍です。レゾナンスでの水着選び辺りからスタートする予定です。


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第56話 異なる敵意

「閑話休題」にしようとも思いましたが、描いている内に「うん、違うな」ってなりましたので、上記のサブタイトルになりました。

次回からは予定通りシャルロットの話になりますのでご安心下さい。


 やりきった様に顔を上げ椅子の背板に背中を預けて項垂れるラウラへ、ガラガラと近付く影が2つ。頭髪は黒髪と茶髪で、黒髪は眼鏡の無愛想、茶髪の方はクワガタの様な髪型をしていた。

 2人が押す台車の上には、段ボール箱とパンパンに膨れたビニール袋が其々乗っかっていた。

 

「ラーウラくん」

 

「ボーッと天井眺めて楽しい?」

 

 朝っぱらからやたら仲良しで女子生徒(約1名)の顰蹙を買っていた、一夏と鈴音だ。

 確か疎遠気味ではなかったかと、ラウラは己の記憶を辿るが、直ぐ様億劫になったので止めた。

 

「…一夏と一面記事か。何の用だ?」

 

「一面記事言うな!」

 

 今朝の話だ。昇降口と職員室前の掲示板に、一部の新聞が大々的に貼られていた。

 そこに載っていた一際大きな写真が、何やら甘い雰囲気の鈴音と無人ISであった。しかもケヤキの木の下と言う、如何にもと言うか定番の場所で。

 タイトルは『無人IS、早速一人引っ掛ける!?』だ。

 

 全く新聞部副部長殿も仕事の早い事早い事。パパラッチも顔負けだろう。

 

「もぉホントに一日中質問攻めされて、誤解とくの死ぬ程大変だったわ!」

 

「うんうん、よしよし鈴ちゃん。良く頑張ったね」

 

 乏しい表情で言う一夏のその様は、慰めているのか小馬鹿にしてるのか良く判らないものだった。

 今迄より随分距離が近いと言うか、最早異性の壁の様なモノを感じさせないやり取りだった。

 

「いいからさっさと何の用か話せ」

 

 長くなりそうなので、冷たく促すラウラ。

 

「鈴と模擬戦に来たの。ついでに、皆にお菓子とスポドリの差し入れ。昭弘たち、此処でIS作ってるんでしょう?」

 

「みたいだな。昭弘なら先に更衣室へ行ったぞ」

 

 ラウラが親指で指し示すと、一夏と鈴音は「じゃあ此処で待つ」と言わんばかりに、近くのパイプ椅子に尻を預ける。

 

「ラウラは着替えないの?」

 

「もう少し休んでからにする」

 

「そう。風邪ひかないようにね」

 

「分かっとるわ」

 

 ルームメイトなだけあって、何気無い会話を流れる様に進める一夏。

 人が変わり、部屋も一緒になればこうも関係性が一転するものなんだなと、鈴音は一夏とラウラが険悪だった5・6月頃を遠い昔の出来事みたいに思い返す。

 

 そんな一夏に倣う様に、普段ラウラと余り話さない鈴音も話題を見つけてはラウラへ話し掛ける。

 

「にしても、ここマジでガラガラなのね。今日予約したのに入れちゃったわよ」

 

「3年生も就活やら何やらで少ないわ、無人ISの影響で整備科志望者も増えるわで、ISに乗る生徒自体が益々減ってるのさ」

 

 他3つのアリーナで、十分運用が回るのだろう。

 成程、ならばこの空き具合いも頷けると言うもの。態々遠いアリーナDに、息を切らせてまで向かう必要は無い。

 

「それよりお前ら、向こうに挨拶しなくていいのか?」

 

「向こうのリーダーって更識簪でしょ?アタシ(は付け回しただけで)も一夏も面識ないし」

 

 直接挨拶するのなら先ずは現場の頭からであるし、互いを良く知る昭弘に仲介して貰った方が、空気も作り易く話もスムーズだ。

 第一に、見ず知らずの自分たちがいきなり挨拶も早々にお菓子を配りに行くのは、礼節に欠けるのではと鈴音は判断したのだろう。

 

「そうね。昭弘も居た方が、オレも()()()抑えられるだろうし」

 

「「?」」

 

 一夏が何の事を言っているのか解らなかった鈴音とラウラだが、疑問を口にする前に昭弘がピットへと現れてしまった。

 ただこの時、簪を見る一夏の目が耳障りな蚊を睨むそれと重なっていた事に、2人は気付かなかった。

 

 

 打鉄弐式を取り囲む、PC群と整備士の卵たち。

 ISと同じくその中心付近に立つ簪。「~のプログラム~まで書き終えたよー」「(センサーの)距離(表示)ホロ(グラム)なんだけどさー」等と言ったメンバーの声に、たじたじしながらも懸命に次の指示や助言を出す。

 

「悪い、待たせた…うん?」

 

 間を伺って簪へ声を掛けると同時に、先程まで自身が居た空間の異変に気付く昭弘。

 人影が2人増えている。少し遠いが一夏と鈴音だな、と昭弘は当たりをつける。

 しかも、台車を引いて此方へ近付いて来るではないか。

 

 雑談と台車を進める様子からして、どうやら仲直りしたらしい。いや、鈴音に至っては普段一夏に見せている年相応の気恥ずかしさすら見当たらなかった。その様は宛ら女友達同士の会話だ。

 仲直りに一体どんな言葉を使ったのかと、考える前に簪が返事をする。

 

「あ…昭弘。奥に…誰か来てるの?」

 

 作業に夢中で人の出入りに全く気付かなかった簪は、昭弘に釣られて同じ方角を見渡す。

 

「…ッ」

 

 向かって来る相手を見て、簪は目を逸らす。それはまるで逃げる様でもあり、衝動を抑える様でもあった。

 だが上下の唇で歯軋りを覆い隠す簪の表情からも、少なくない不快感を示している事だけは昭弘にも解る。

 

(…まだ一夏への恨みは消えてない、か)

 

 前を向く事が叶おうとも、過ぎた事だろうとも、一度患った持病がそうである様に怒りや憎しみもそう簡単には和らげられない。

 過去の出来事からそれに深い理解を持つ昭弘は、なるべく挨拶が穏便に済むよう心掛ける事にした。

 

 

 眼鏡イケメンの到着により、ご婦人方は頭から花咲かす様に湧き上がった。

 また鈴音が焼き餅焼くぞと、一夏を端から眺める昭弘。だが、鈴音から負のオーラが出てこなかったので、昭弘はちょっと期待外れな気持ちになる。

 

 一夏と鈴音は彼女たちに軽く会釈をすると、早速初対面である簪に挨拶すべく、昭弘に仲介を頼んだ。

 

「日本の代表候補生、更識簪だ。…今はピリピリしてるが、余り気に留めないでくれ」

「簪。日本の男性操縦者、織斑一夏。中国代表候補生、凰鈴音だ」

 

 昭弘の紹介を受けて、鈴音はこなれた初対面スマイルを、一夏は微笑を浮かべる。

 

「凰鈴音よ!アタシも時々ここ使うつもりだから、バッタリ会ったら宜しくね」

 

 躊躇無く右手を突き出す鈴音に、ハッとなった簪は漸く嫌悪感から意識を戻す。

 簪は冷や汗を散りばめる様にあたふたした後、表情筋をプルプルと震わせながらどうにか口角を持ち上げ、恐る恐る右手を差し出す。

 鈴音とは何の因縁も無い彼女だが、やはりこうぐいぐい来るタイプは苦手な様だ。

 

「あ、あの…更識簪…です。よ…宜しく…」

 

 何ら滞る(?)事無く、2人は挨拶から握手までを終えた。

 だが、問題はここからだ。昭弘はそんな言葉を心の中で何度も詠唱しながら、固唾を飲んで簪を注視する。

 

「初めまして、織斑一夏よ。宜しくね?」

 

 日干ししたタオルで包み込む様な、温和な笑みを浮かべる一夏。

 

 基本、簪は表情から本心を隠すのが不得手だ。嫌な相手と対面すると、どうしても顔に出てしまう。

 今回もそれが駄目だと解っていながら、やはり出てしまった。簪は引力に従って口角を思いっきり下に向け、反目する瞼はピクピクと痙攣していた。

 

 すると、一夏から温和な笑みは消え失せ、普段の無表情以上の感情がまるで籠っていない人形の様な真顔になる。簪の態度を改めさせる様に、或いはそれが本性であるかの様に。

 それでも、簪の表情は変わらない。どころか、青黒い燃焼反応を更に強めてしまう。

 

 段々と、皆も異変に気付き始め、小さくざわつき出す。…前に、昭弘が仲介としての役割を果たそうとする。

 

「すまんな一夏。今日は随分と難しい部分の作業でな、簪も気が立ってるんだ」

 

 対し、一夏は簪を凝視したまま昭弘に異を唱える。

 

「そう?けど鈴にはちゃんと挨拶出来てたじゃない」

 

 穴を突かれた昭弘は動揺の汗を流すが、持ち前の気転で難を脱しようとする。

 

「簪はな、重度の人見知りなんだ。さっきは鈴が前へ前へ出て来たから、どうにか挨拶を返せてな。…なぁ鈴?」

 

 とうに一夏と簪の間に存在する邪気を察知している鈴音は、焦りながらも昭弘の相槌に合わせる。

 

「え、ええ!流石はアタシ!コミュ力の鬼ね!」

 

 皆から乾いた笑いが出た所で、昭弘は簪の腕を掴んで強引に切り上げようとする。

 

「そんじゃあ作業再開だ!そら、行くぞ簪」

 

 巨漢の力任せに引き戻されながらも、簪は一夏を睨み続ける。

 それをどうにか遮る為、昭弘は一夏と鈴音へ差し入れの礼を言うよう、メンバーの鷹月に合図を送る。

 

 鷹月は急いで一夏の前に立ち、礼儀正しく言葉を綴る。

 

「2人共差し入れありがとう。次の休憩で頂きます」

 

「い、いいのよ!それだけ皆も応援してるって事!台車は帰りに持ってくから、そこらに置いといて」

 

 鈴音の反応を見て、鷹月は安堵の表情で頷く。

 

「それと…ごめんなさい織斑くん。更識さんも普段はあんな感じじゃなくて…」

 

 簪の評判を下げない為、そして一夏の機嫌を宥めるべくその言葉を声に出した彼女だが、未だ一夏は連れて行かれる簪に冷眼を向けていた。

 それは何と言うべきか、縄張りに近付く天敵を睨む山猫の眼光を彷彿とさせた。

 

 本来なら、嫌味の一つや二つ簪に言ってやりたい一夏だが。

 

「大方、眼鏡男子にトラウマでも抱えてるんでしょ。別に気にしてないわ」

 

 取り敢えずは、矛を収める事にした。今突っ掛かっても、互いに時間の無駄であるし、何より昭弘の目がある。

 もう彼には、余計な心労を掛けたくない。

 

「行きましょう、鈴」

 

「う、うん」

 

 最後に、そう言いながら鈴音を引き連れ、更衣室へと向かう一夏。表情こそ穏やかそのものだが、今彼の中では様々な勘繰りと思惑がぶつかり合っていた。

 

(私の昭弘に近付くな…とでも言いたいのかしら)

 

 予想した通りだあの女狐、今日は挨拶と言う名の視察に来て本当に良かった。

 今後もずっとアリーナDを使おう。監視の目が近いに越した事はない。昭弘との関係性が更に深まった場合の策も、講じておく必要があるかもしれない。

 

 簪に抱く危機感は、一夏を螺旋の底へと誘う。

 昭弘は特段整備に明るい訳でもないし、決して時間を持て余してもいない。なのに昭弘をIS製作に参加させているとあっては、一夏の邪推も仕方無き事。

 それに拍車を掛けているのが、一夏に対するあからさまな簪の敵意だ。

 

 

 一夏が簪を敵と認識するには、十分過ぎる初対面であった。

 

 

 

 昭弘によって半ば強引に製作へと戻された簪。だが、やはり未だ激しい動揺の波は海原へ引いてくれない。

 もう、以前程の憎しみは無いと思っていた、過ぎた事だと思っていた。それが、実際に会うだけでこれ程込み上げてくるとは。己の矮小さを恥じるしかない。

 何より、昭弘や皆に変な気遣いをさせてしまった事が、ただ申し訳なかった。

 

 だが、織斑一夏に謝ろうなんて微塵も思わないし、嫌われたのなら寧ろ上等だ。こちらも遺憾無く嫌う事が出来る。

 

 こうして一夏は、簪にとって初めての敵となった。

 

 

 

(…この2人はなるべく会わせん方がいいな)

 

 一夏と簪が一点集中させて放つ、敵意の槍。その鋭利さを触るまでもなく肌で感じ取った昭弘は、そんな大正解過ぎる判断を下した。

 

 ただ、一夏の簪へ向ける敵意が何処から湧き上がったものなのか、昭弘には解らなかった。

 其処だけが、昭弘の中に残ったちょっとした気掛かりな点だった。

 

 

 何はともあれ、自身とセシリアの諍いは可愛いものなんだなと、この時昭弘は思い知った。

 

 

 

 

 

―――――6月12日(日) 夜 128号室―――――

 

 自然体、本来の姿。

 この歳になるまで自身を偽り続けてきた少年には、常人にとっては当たり前のそれが解らなかった。故に、本心の通り生きていく事がどう言うものなのかすら、想像出来ない。

 

 「先ずは形だけでも」と言う理由で先程正午、レゾナンスで考えも無しにフレームの太い伊達眼鏡を買ったが、正直眼鏡なんて興味ない。心を切り替えるスイッチになるかすら微妙だ。

 結局こんな飾りを着けたって、造花に違う色を塗りたくるだけではないか。

 

「本来のオレっつってもなー…」

 

 眼鏡の紛い物を耳上と鼻上に意味もなく掛けながら、一夏はそんな事を言ってみる。一人で居る時のこの口調でさえ、今では偽物に思えてしょうがない。

 

 抑が、自分の「好き」はこの口調や性格と合っているのだろうか。

 かと言って無理にそれらを変えたら、それも又偽りに過ぎない。

 

(……もう、適当に挙げてみっか)

 

 溜め息と言う名の空気を口から放出し、それにより萎びたボールの様にヨタヨタと机に向かいながら、一夏はメモ用紙に「好き」と「嫌い」を箇条書きする。

 

〈好き〉・ISバトル

    ・料理

    ・剣

    ・幼馴染

    ・学友

    ・昭弘

〈嫌い〉・昭弘を独り占めする女(箒は除く)

 

 こうして挙げてみると自分は本当に単純な男だなと、一夏は一周回って誇らしく思えて来る。嫌いなモノが少ない点だけは、360°回らずとも誇らしいが。

 

(……ん?)

 

 奇妙に感じた点は2つ。

 一つは、何故昭弘だけ名前表記なのか。もう一つは、何故昭弘だけ独り占めされるのが許せないのかだ。

 

 確かに一夏にとって昭弘は代え難いヒーローであるし、一緒に居るだけで誰よりも安心出来る相手だとも思っている。

 だが、これじゃまるで自分が昭弘の事を愛しているみたいではないか。

 

「いやいや、ないから。4月のクラス代表決定戦でも、セシリアに対して顔赤らめてたじゃない」

 

 だがあの時、異性としてセシリアに欲情したかと問われると怪しい。

 性別なんて関係無く、美しい人を見れば大抵の場合見蕩れるものだ。現にその後、彼女を性の対象として意識した事など一度もない。

 

 シャルロットにも同じ事が言えた。シャワールームで裸体を目に焼き付けて仰天はしたが、興奮はしなかったしその後の関係性も何ら変わらずだ。

 

 唯一少し違うのは箒くらいだろうか。だがやはり―――

 

「…そう言えばオレって料理だけは昔から好きで、意識もせず千冬姉に振る舞ってたのよね」

 

 外聞も目標も気にせずまるで本能の望むがまま純粋に好きになったそれは、一夏にとって剣以上の存在だった事が、今になって漸く理解出来た。

 

 だが、何故今急に料理の事を思い返してみたのか、一夏には解らなかった。

 

「……アレ?」

 

 異変に気付いたのは、異性を見ても性的に興奮しない一夏と、お料理大好きな一夏を掛け合わせた丁度その時だった。

 何やら口調が変だ。

 逞しさなど一切感じられない、女の様な喋り方。その口調は不思議と、今迄の様な「在ろうとする」感など無く、ただ自然とまるで隙間なくフィットするかの様な気分だった。

 

 そして今度は、洗面所へ足早に赴く一夏。鏡には、黒いフレームの眼鏡擬きを掛けたただの一夏が、当然の事ながら映っていた。

 

(…なんか、美人かも)

 

 男らしい眉毛はフレームによって隠れ、目つきも何だか大らかで柔らかい印象を受ける。

 何故か一夏は、それがえらく気に入った。

 

 

 いつからだろう。自分が女の子たちに囲まれても言い寄られても、何も感じなくなったのは。

 いつからだろう。女性の様な献身の心を、お料理を以て表現し出したのは。

 

 全て最初からだ。異性に興味が一切無いのだから、朴念仁にもなる。料理が好きなのだから、誰彼構わず振る舞いたくもなる。

 理想のヒーロー像によって守り固められた織斑一夏の本城には、常にそんな“片鱗”があった。

 

 それは、昭弘と言う青年に出会う事で、段々と外界へ出ようと暴れ始める。

 箒や鈴音みたいな幼馴染に対する友情でもない、こんな“何か”を他人に感じたのは初めてだった。こんなにも、他人を求めたのは初めてだった。

 

 そして遂に、生涯培ってきた幾重にも及ぶ守りの城壁は、昭弘の言葉(筋力)によって剥ぎ取られた。その瞬間、一夏の中にある片鱗はその全身を以て昭弘と言う存在を浴びた。

 こうして一夏は、嘗て無い程にまで満たされたのだ。

 

 

 「理想のヒーロー像」と言う名の城壁が無い今、何が好きなのか何が嫌いなのか明白な今、一夏はもう“その本性”を隠し通す事が出来ない。

 

―――そっか、コレが…

 

 

 コレこそが、『織斑一夏』だったのだ。




一夏と簪…まぁ、こうなりますよね。簪の一件は昭弘がほぼ解決しましたし、簪も別に一夏を赦した訳ではないですし(抑悪いのは倉持技研ですが)。

次回まで、また少し空けるかと思います。
なるべく早く投稿するよう努力しますので、暫しお待ちを。


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第57話 男装少女は悩まない

活動報告でも述べましたが、これまで投稿してきた作品を手直ししました。ストーリー・登場人物・設定等は一切変わっていませんので、最新話まで読まれた方もご安心下さい。
大幅に手直ししたのはISTT編までで、それ以降は少し追加描写を加えたり読点を減らしたり段落を増やしたり、と言った程度です。



どうにかシャルロットのキャラが固まってきた様な気がします。


―――――7月5日(火) 1年1組―――――

 

 陽射しが大小の積雲によって遮られていても、この季節だと8時を少し過ぎた現時点で既に中々暑い。

 だのに外気温が30℃に達していないともなれば、冷房も付かない。

 

 そんな中、教室中を氷点下にまで冷却する勢いで昭弘は凍てついた視線を照射する。

 標的は、女子に囲まれた男姿のシャルロットだ。なんたらグラムに上げるべくツーショットをお願いされたり、このクソ暑い最中ハグを強要されたりしている。

 だが当の本人から以前の様な困惑の表情は見て取れず、寧ろ悪路を行くAWD車宜しく得意気でさえある。

 

 ルームメイトに男装を披露して以来、ほぼ毎日半強制的に自室で男装させられた彼女。その結果、どうやら男装が趣味と言う「偽装」がそのまま「真」となってしまったらしい。

 今のシャルロットは、自身に向けて女子たちが放つ瞳の煌めきと歓声の虜となってしまったのだ。

 

「次「顎クイ」やって!」

 

「えぇ?しょうがないなぁ」

 

 言葉とは裏腹に、嬉々とした声で要望に応える彼女。

 

 気合いの入れようが、スパイをしていた時よりも遥かに上なのがまた皮肉だ。

 眉は元より僅かに太く直線的で、唇の色も更に薄めに、メイクも肌のツヤを抑える様にしてある。ここまで来ると髪もバッサリ切りかねない。

 メッシュ編みの革ベルトは太く黒光りしていて、バックルは自己主張激しく金に輝いてる。

 

 そんな調子に乗りまくりなシャルロットへの呆れを隠す様に、昭弘は参考書を広げて予鈴を待つ。同時に、あんな馬鹿馬鹿しい光景見る位なら普段より遅く来れば良かったと、後悔するのも忘れない。

 ラウラは勿論、箒や一夏ですら引きつった笑みを浮かべている。彼等の視線を見てると、関係の無い昭弘まで恥ずかしくなってしまう。

 

 すると、谷本を連れたシャルロットがにこにこ面で昭弘の眼前を通過しようとする。

 

「おやぁ?そこで寂しそうに参考書を読み耽っているのは入学3ヶ月も経って未だにモテない昭弘くんじゃないかぁ!」

 

 優越感に浸っているのが丸わかりな発言を、普段の優しげな口調で吐いてくるシャルロット。

 

 だが、まるで目の前に誰も居ないかの様に昭弘はただ文字を追う。

 隣席のセシリアがまだ来てないのが、せめてもの幸いだ。居たら間違いなくシャルロットに便乗してきただろう。

 

「これから5分だけ谷本さんと擬似デートしに行くところでさぁ。いやーモテる男は大変だよぉ…あっ、僕女だった(笑)」

 

 昭弘、当然これもガン無視。

 昭弘の頭では今どんな罵声罵倒が行き交っているのか、考えない方が良さそうだ。

 

「シャル、少し言い過ぎじゃない?頭ひっぱたかれるよ?」

 

 宥める谷本だが、尚もシャルロットは調子を爆走させる。

 

「あーしまった!そう言えば谷本さんは元々昭弘くんのパートナーだった!確かにこんな横取りみたいな事したら嫉妬に狂った平手が飛んでき―――」

 

ガタッ!

 

「ちょ、アル兄落ち着いて!」

 

 立ち上がる昭弘に対し、谷本は両手の平を見せて制する。

 

「?…小便に行くだけだが?」

 

「あ…はい」

 

 心臓に悪いとはこの事だ。野生動物が突発的に走り出した様な一瞬の緊迫が解けた谷本は、そう心に思ったまま胸へと手を当てる。

 すると、異変に気付いた昭弘は教室中を見渡す。

 

「…阿呆んだらのシャルロットは何処行った?」

 

「今私の後ろで縮こまって震えてます」

 

 試しに谷本の背後を軽く覗いてみると、成程確かに、先程の威勢が嘘みたく子鼠の様に震えるシャルロットが居るではないか。デート中、危機に瀕したら真っ先に彼女を放っぽいて逃げるタイプなのだろう。

 

「フン、情けねぇ」

 

 今のシャルロットをそう一言で表現すると、昭弘は予鈴に間に合わせるべく早足で教室を出た。

 

 

 

 SHRが早々に過ぎた次の一時限目は国語であった。

 

 社会人になる為には必須とも言えるスキルである為、漢字とひらがなで複雑に構成された文字の羅列を必死に目で追い耳で追う生徒一同。

 

 昭弘にとっては退屈な授業だが、己のスキルアップに繋がる可能性が僅かでもあるとなれば、周囲に釣られて必死になるしかない。

 

 熱と湿気と張り詰めた空気のせいか、この1時限で酷く体力精神力共に消耗した1組一同であった。

 

 

 

 だが次の休み時間、そんな悪夢の蒸し風呂時間なんて意に介さんが如く、シャルロットは昭弘の座席に向かって来た。

 丁度良く、隣のセシリアも本音の席に移動している。

 

「いやー…さっきはゴメン昭弘。楽しくてつい…」

 

 半笑い気味ながらも少し申し訳なさそうに眉尻を下げ、そう言ってくる彼女。

 

「最後が滑稽で良かったから赦してやる」

 

「アハハ…面目ない」

 

 すると彼女は、再び表情に柔らかい笑顔を浮かび上がらせる。

 

「けどやっぱり、皆が喜ぶ姿は良いよね」

 

 恐らく、尚の事なのだろう。今迄、母親以外からは負の感情しか向けられて来なかった、シャルロットにとっては。

 

 そして更に「それに」と続く。表情は未だ笑顔のままだ。

 

「こう言う時くらいしか、昭弘からマウント取れないからね!」

 

 毎度毎度、ISバトルでも精神面でも自身より優位に立ってくる昭弘に対し、シャルロットはまたそんな阿呆でしょうもない事を言い出す。良い子の外面を被っていた頃が懐かしい。

 

「…もうくたばれよお前」

 

「ホラ出た!何でいっつも僕に対しては当たり強いのさ!?」

 

「自分の胸に訊いてみな」

 

 困り顔で鋭く突っ込むシャルロットに対し、昭弘は哀れな落ち葉を吹き散らす様に溜め息を吐いてそう告げる。

 

 

 すると、昭弘の脇ポケットが突如として震え出す。

 

「あ、電源切らなきゃ駄目だよ昭弘」

 

「授業中は切ってる」

 

 にしても短い休み時間に掛かって来るなんて、偶然とは言え凄まじいタイミングの良さだ。

 そんな事を思いながら液晶画面を見た途端、昭弘の目の色が変わる。そして面倒臭そうに緑色の通話ボタンを押すと、慣れた具合で応対を始める。

 

「何の様だ?」

 

《―――――》

 

「明後日?…どういうつもりだ?」

 

《―――――》

 

「何?……分かった、本人に伝えておく」

 

 昭弘は事務的な会話だけで手短に済ませ、そのまま逃げる様に通話を切った。

 すると今度は間髪入れずに、シャルロットへと向き直る。そしてどう伝えるか数秒悩んだ後、さらりと言い渡す。

 

「…お前の新しい養父が、明後日IS学園に来るらしい」

 

「………んぇ?」

 

 突然の急転直下な出来事に、彼女は確認する様に昭弘を二度見した後、間抜けな声と共に固まる。

 

 

 

 

 

―――昼休み

 

 昭弘、千冬、楯無。この3人に都合の良い様に使われている此処は生徒指導室だ。

 昭弘と楯無は今さっき買ったバーガーやら握り飯を、千冬は普通に弁当を頬張っている。

 

 でだ、何故態々周囲から隠れる様にこの密室で昼食を摂っているのかは、彼女らの会話が勝手に物語ってくれよう。

 

「それで?どうして話してくれなかったんですか織斑先生?」

 

「そうっすよ。『デリー』の奴が訪問しに来るだなんて」

 

 相手がブリュンヒルデである事を忘れる勢いで、昭弘と楯無は千冬を睨み問い詰める。

 

 IS学園への来訪なんて、一週間前やそこらで受け付けられるものではない。居酒屋の予約とは訳が違う。

 遅くとも来訪の1ヶ月前から連絡が必要で、そこから訪問人数や訪問者全員の顔写真・名前・来歴等が掲載されたデータの送付。

 そしてその人物たちの来訪が安全かどうかを学園側で審査し、許可が下りればその旨を来訪予定者に通達、そこから滞在時間や学園内での行動範囲等を詳細まで話し合う。その上で、学園の警備会社とも綿密な情報共有が必要になる。

 

 それは勿論、教職員全員が把握するものだ。

 つまり千冬は、地下施設にてこの面子で話し合った6/26時点で、既にデリーの学園来訪を知っていたのだ。

 

「…悪かった、だが仕方無いだろう。相手も客人として来訪されるんだ。客人の許可も無しに、生徒へ情報を漏らす訳にはいかない。例えお前たちであっても」

 

 T.P.F.B.も、あくまで表面上は真っ当な義手義足の製造・販売企業だ。

 それがまとも且つ明確な訪問内容を持ち正式な手続きを経て来訪するとあっては、学園側も無下に断る訳には行かない。例えどんなに良からぬ噂があろうともだ。

 

「そんじゃあ、とっ捕まえて尋問するって事も…」

 

「無理に決まってるだろう」

 

 昭弘と千冬の間に存在する、T.P.F.B.への認識の差。

 

 昭弘にとっては、危険とまでは行かないが亡国機業と手を結んでいる組織だ。少しでも情報を得る為にも、せめて探りを入れる程度の事はすべきと彼は考えていた。

 だが正式に来訪している客人にその様な根拠無き探りが気付かれれば、叩かれるのは学園側。それが、千冬もとい学園の考えだ。

 

 つまりどの道、昭弘と楯無にデリーの来訪を話していたとしても、こちらからは何も出来なかったと言う事だ。

 その点にはやむなく理解を示す楯無だが、かと言ってこのまま引き下がる訳にも行かない。

 

「…分かりました。ただし!織斑先生と昭弘くんは、アタシが探れない分しっかりと見張って下さいね?アナタたちなら、レーン氏と接する機会も多いでしょうから」

 

 何気ない会話や様子の変化だけでも、手に収まる情報は少なくない筈だ。

 

「了解です、会長」

 

「……駄目元で、やれるだけの事はやってみる」

 

 そうして、この場は一先ず解散となった。

 

 

 

 

 

―――21:05 130号室

 

 男が2人、窓を全開にして踏ん張り声を上げる。

 それでも尚、蒸し暑い季節に加え、室内は雄たちの汗と臭気により息苦しさが逃げてくれない。

 

 ダンベルとのガチンコ勝負を終えた後、昭弘はプッシュアップバーとの肉弾戦に勤しんでいた。

 昭弘は時々バーに憎々しげな視線を送りながらも足腰と背中を定規の様にピンと伸ばし、肘を90°以上曲げては戻す動作を何度も繰り返す。すると昭弘の体重によって、上腕三頭筋と胸筋は徹底的に苛め抜かれる。

 回数を重ねるにつれて筋肉が傷付き悲鳴を上げるが、昭弘は止まってはくれなかった。

 

 これを20回×15セット行い、セット毎に腕の位置や曲げ方も変えて行く。

 それが終われば直ちに別の種目へ直行で、これらを夕方以降のいずれかの時間帯に行う。

 

 昭弘が容赦しない奴ランキングベスト3の内、3位がシャルロット、2位がセシリア、そして堂々の1位が己の筋肉だ。

 

 

 直ぐ傍で同じ様に鍛えている雄はラウラ…ではなく一夏だ。

 元々昭弘の肉体に強い憧れを抱き、最近では「握力・体幹・脚力トレーニング」程度じゃ物足りなくなった彼は、2日に一度の割合で昭弘の部屋にお邪魔しているのだ。

 

 一夏は昭弘とは逆にプッシュアップを先に終えた後、歯を食い縛っては上腕二頭筋を盛り上がらせていた。

 12.5kgに及ぶ鉄の円盤2つが付いた鉄棒を握り締め、肘のみを使ってゆっくりと上げては下げてを繰り返す。それを右腕と左腕交互に、そしてプッシュアップ同様何セットかに分ける。

 重しの総計は、鉄棒も含めた左右を合わせて50kg以上だ。

 

 

 そうして計5種の、自分たちに課した拷問であり快楽でもあるエデンズタイムが終わりを迎えた。明日は更に別の数種目をこなさねばならない。

 

 重要なのはここからだ。傷付いた筋肉を回復させる為、直ぐ様タンパク質と糖分を摂取せねばならない。

 運動直後で胃がストライキ気味だが、鞭打たせて無理にでも押し込むしかない。

 

 それが解っていた一夏は筋トレ前、既にありあわせを何品か作っていた。

 スポーツ飲料を軽く飲んだ一夏は最後に、残った力を振り絞って総量1kgの肉を焼いていく。

 

 昭弘はそんな一夏に感謝の言葉を贈ると、同じくこれから自身の肉体の糧となる食材にも感謝の合掌をし、先ずは緑鮮やかな食物繊維たちに箸を伸ばす。

 

「そう言えば明後日、シャルの養父さんが来るんでしょ?」

 

「…予定ではな」

 

 昭弘から確認を取ると、一夏は一旦箸を置いて顎に人差指を当てる。

 

「…あの娘、実父から酷い仕打ち受けてたみたいだから、変な抵抗とか無ければいいんだけど」

 

 そこは昭弘も少し気になっていた部分だ。そんなシャルロットが、親となる相手に果たして会おうと思うだろうかと。

 それに追い討ちを掛けるが如く、更に大きな懸念が昭弘にはあった。

 

「昭弘、アナタその養父さんと知り合いなんでしょ?実際どんな人なの?」

 

「…」

 

 黙ってしまった昭弘。

 既にあの電話から半日近く経つが、未だに昭弘の中には動揺の細波が残っている。選りにも選ってあのデリーが、シャルロットの養父になるだなんて。

 

 デリーが善人か悪人かで言い表すなら、恐らく後者だ。

 紛争に加担する武器商人と言う部分は勿論、服装は可笑しいし言動もまともではない。昭弘や少年兵たちの事も基本的には商品(モノ)としか見ていない節があるので、情に熱いタイプの人間とも思えない。

 昭弘もデリーと深く関わった事はまだ無いので断定は出来ないが、知っている限りでは「良い父親」になれるのか甚だ疑問だ。

 

「…ドライな変人…とだけ言っておく」

 

「…んーもっと解り易い例えって無い?」

 

 一夏にはそう言うしかなかった。

 武器商人である事を明かせる訳がないし、憶測だけで語るのも例えデリーと言えど抵抗がある。

 結果として端的且つオブラートに纏めた表現が「ドライな変人」なのだ。

 

「兎も角、やっぱり皆でシャルの事フォローしましょうよ。不安と緊張でいっぱいだろうし」

 

「…ああ」

 

 デリーからの連絡直後、シャルロットは「今日は一人で考えたい」と言っていたが、一夏の言う通り友人として放っておく訳にも行かない。

 故に、今日は無理でも明日ならばと、言葉の抜け道を突いては明日へと備える昭弘と一夏であった。

 

 

 

 辛うじて残さず晩飯を平らげ、腹を擦る以外何をするでもなく椅子に腰を落とす昭弘。

 一夏も、昭弘と共に食器を洗った後、既に自身の部屋へ帰還した。

 

ピロリロリロン ピロリロリロン …

 

 そんな携帯の音が部屋の隅々を震わせたのは、一夏が帰って30分か40分後くらいか。

 今正にシャワーを浴びようとしていた昭弘は、舌打ちで着信音を一刀両断した後乱暴に携帯を拾う。

 またしても相手はデリーだ。

 

「今度は何だ」

 

《何度も申し訳ないですぅ↑昭弘殿。…今、お時間大丈夫です↑?》

 

「…さっさと話せ」

 

 どうにも内容が予想出来ない昭弘は、候補を複数個頭の中に並べた後、相変わらずムカツク口調の変態商人にそう促す。

 

《…デュノア嬢って、キツイ性格だったりします?》

 

 候補の一つが当たってしまい、デリーへの助言による長電話を覚悟した昭弘は、液晶を耳に当てたまま溜め息交じりにソファへと背中から身を投げた。

 

 同時に、デリーにも悩みや不安なんてものがあるんだなと、昭弘は失礼な事を思ってみた。

 

 

 

―――同時刻 212号室

 

 鏡と相川が未だ機動訓練から帰って来ないのが幸いしたと、シャルロットは未だ制服を纏ったままベッドへ仰向けに倒れ込みながら思っていた。

 これなら、どれだけ悩んでも邪魔をするのは静寂だけだ。

 

 こう言う事があるから、シャルロットはオカルトじみた分野を信じずにはいられない。

 まさかあのデリーが、自身の養父になるだなんて。

 

 昭弘から聞いた時はただただ驚きしかなかった彼女だが、今はどうにか自身の心境が解ってきていた。

 はっきり言ってシャルロットは今、決してデリーの事を歓迎してはいないし、直接会う事についても乗り気ではない。

 

 あの日アリーナの観客席で、偶然にもデリーと出会い言葉を交わした彼女。

 服装も含めて変人だと感じはしたが、シャルロットはそんな彼の言葉に助けられた。その点は勿論、人生の先輩として感謝している。

 だが、彼女が知っているデリーはそのごく一部だけだ。残りの大部分、どんな邪心が潜んでいるとも判らない。

 

 気の遠くなる様な永い間、父親から大人から虐げられてきた彼女にとって、とても安心してデリーに身を預ける気にはなれなかった。

 

 今回だって、本当は昭弘に相談したかった。そうしなかったのは、彼が幼少期に両親を失っているからだ。

 打ち明ける事で友人の心の傷に塩を塗るくらいなら、一人で悩み考え抜いた方がマシだ。

 それにこれ以上、昭弘に借りを作りたくはない。友人だからこそ、彼とは対等で居たいのだ。

 

 いやそれより何より、今度の再会は悩む程の事でも、皆に相談する程の事でもないのかもしれない。

 

(今更父親なんて、居ても居なくても同じか…)

 

 学園生活を送る以上、学費は当然必要だ。奨学金も出来れば避けたい。その点に関しては、親と言う存在が必要ではある。

 

 だがこの学園生活が終われば、シャルロットも成人の手前だ。その際の金銭的な援助があれば嬉しいが、親の愛を知る歳でもなくなっている。

 どうせ、形式上の親子関係なのだろうから。

 

 

 そんな冷たくも現実的な将来分析が出来上がっていた彼女は、デリーと会う時用の当たり障りの無い会話を、瞼を閉じながら考えるのだった。



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第58話 父親

シャル視点です。


―――――7月6日(水) 08:20―――――

 

 時間の通り、男子の制服を当然の摂理である様に身に纏っている僕は、今教室の前まで来ている。

 本当はもう少しギリギリの時間に登校したかったんだけど、遅刻を意識するとどうしても少し早く着いちゃうよね。

 

 で、何故こんなに遅く教室に来たのかと言うと、養父との対面を心配するクラスメイトに駆け寄られたくないからだ。

 昨日は「一人で考えたい」と言っておいたから誰からも何も言われなかったけど、今日は正直何とも言えない。

 一日経って「やっぱり心配だ」みたいになってなきゃいいけど。

 ま、次の休み時間も考慮すると、ギリギリに登校した所で焼け石に水なんだけどね。

 

 そんな不安を掻き消し、僕は1組の教室に片足を踏み入れる。

 

 

 残念な事に、悪い方の予感が当たってしまった。

 

「デュノアよ、何も不安がる事など無いのだぞ」

 

「そ、オレたちが付いてるわ」

 

「助言が欲しいのでしたら、何なりと仰って下さいな」

 

「父親との接し方なら任せな!」

 

 席に座った途端、一夏たちが僕を囲みながらそんな温かい言葉を浴びせてくれて、他の皆も同様の反応で迎えてくれた。息苦しさすら感じる朝日と湿気のコンボをものともしない勢いだ。

 案じてくれている事は勿論、僕にとっても嬉しい。だからこそ心が痛かった。これから、皆に冷たい言葉を返さねばならないからだ。

 

「…ありがとう皆。けど実を言うと僕、そんなに悩んでないんだ。少し顔を合わせるだけで、今後も殆ど会う事なんてないだろうし」

 

 僕がそう言うと、皆一様に居たたまれない様な不甲斐無さそうなそんな表情になる。本当に僕はもう気にしてないんだけどなぁ、そんな顔されても…。

 そう言う意味では、僕の事なんかどうでも良さげに何の変哲もない外の景色を見ているボーデヴィッヒくんが、凄く有難く思える。

 

 そんな皆とは別に、僕の背中を釘で打つ様な視線が後方から当てられる。

 多分昭弘だなとか予想すると、この後訪れるであろう説教じみた言葉の数々が脳裏を過り、頭が痛くなる。

 

 皆には悪いけど、僕はデリーさんとの顔合わせなんて何とも思ってないんだ。

 身勝手で束縛が酷くて恐い、子供なんて自分にとって都合の良い操り人形としか思っちゃいない。僕の認識ではそれが父親だ。

 だからあれこれ心の準備をする必要なんて無い。ただ嫌われない様、「いい子」な外面を作って振る舞うだけさ。此処に転入してきたばかりの時みたいにね。

 向こうにとっても僕にとっても、それが一番当たり障り無くて楽だ。血の繋がってない養親子なら尚の事だよ。

 

 昨日に引き続いて改めて自分にそう言い聞かせた後、僕は明日の一切を頭から切り離し、今日の授業と機動訓練だけを考えた。

 いつも通りの、充実した学園生活だけを考えた。

 

 

 

 その後も僕は、先生方がこの教室と言う空間で言い表し書き示す知識を、学友と共に貪欲に吸収していった。

 

 そしてこの状況を提供してくれるそれら全てに、僕は昨日と先週と先月と同等の感謝を抱きながら、早くも遅くもない時間を過ごしていった。

 

 

 

―――昼休み 林道

 

 これもまぁ予想した通りなんだけど、やっぱり昭弘に呼び出された。強引な感じじゃなく、仲の良い友達を時刻の通り昼飯に誘う様な感じだ。

 けど例え昭弘だろうと、今回ばかりは何を言われても相槌だけ打って聞き流すつもりだ。

 父親の事も含めて、僕の将来は僕が決める。

 

 にしてもこうしてベンチに座ってみると、林道とは確かに2人で話すには穴場だ。

 生徒なんて殆ど通らないし、まぁ研究員の人たちは格納庫が近いと言うのもあってちょくちょく通るけどね。

 何より、木漏れ日とその隙間を縫う様な蝉の鳴き声が気持ち良いや。

 

 校舎から若干距離はあるけど、友達からの誘いなら断る理由も無いし苦にもならない。異性への抵抗とかも、別に昭弘が相手なら特に感じないかな。

 それよりも、僕に照準を当ててきた一夏と箒の眼力の方が怖かった。何故に君たちが怒るんだよ。

 

「…明日の事、割とどうでも良さそうだな」

 

 焼きそばパンを噛み千切りながら、普段通りの口調で昭弘は言い当てて来る。

 サンドイッチを齧る僕は否定して取り繕おうとも考えたけど、昭弘相手ならどうせ直ぐ看破されると思ったので止めた。

 

「まぁ…ね。デリーさんの事は嫌いじゃないけど、親密になる必要も無いかなって。どうせ在学中は殆ど会わないだろうし」

 

「それもそうだ。アイツだって経営放っぽいてまで毎度毎度会いには来ないだろう」

 

 なぁんだ、デリーさんの仕事仲間(?)なだけあって、昭弘も良く解ってるじゃないか。それなら僕も変に意識しなくて済むかな。

 

 なぁんて考えた僕の思考回路はマカロンより甘いと言う事が、続く昭弘の発言によって判明する。

 

「だが昨晩話した限りじゃ、お前の事で割と真剣に悩んでたぜ。デリーはよ」

 

「えっ?」

 

 本当かな?…何か嘘くさいな、タイミング的にも。僕の心変わりを誘う為の方便なんじゃないの?昭弘。

 等と考えても、そんな事を言われてしまえば否が応にもデリーさんの事を意識してしまう。

 

「意外だったよ。利益の事しか頭に無い奴だと思ってたからな」

 

 うん、デリーさんには悪いけど、僕も第一印象的にそんな風に思ってたから意外。

 まさか僕の予想に反して、本当に子供が欲しかったりするのかなあの人。

 

 だとしてもそれは彼の心境であって、僕には関係ない。僕はもう、父親と深く関わるなんて懲り懲りなんだ。

 疲れるんだよね、父親って…大人の男ってさ。相手の立場が弱いと踏んだら、男尊女卑なんて古い価値観を翳してきてさ。仕事しか能の無い癖に。

 

 …血の繋がった実父とは言え、つくづく僕はあの男『アルベール・デュノア』が心底憎い。アイツさえ居なければ、僕はこんな荒んだ心を持たずに済んだのに。

 もう過ぎた事とはいえ、いや過ぎた事だからこそ、やり場の無い憤りが際限無く溜まっていく。

 

 ……何はともあれ、デリーさんが真剣な気持ちで会いに来るんなら、僕ももっと真面目に「良い子」を演じないとね。こりゃ男装もNGかな…。

 

「だからってお前が遠慮する必要は無いがな。普段通りで良いだろ」

 

 それじゃ駄目なんだって。面倒くさいんだよ僕にとってはそう言うの。

 僕の中身をちゃんと見て欲しいなんて、僕は毛程も思ってないしさ。父親に本心晒したってしょうがないでしょ。

 

「……けど、やっぱり明日以降は当面会わないだろうから、後腐れなく終わった方が良いんじゃないかな」

 

 僕、何も間違った事言ってないよね。

 けど、これで中々折れてくれないのが昭弘なんだよね…。

 

「寂しい事言うなよ。仮にもお前の父親になる相手なんだ、もっと本心で行ったらどうだ」

 

 出たよお節介。別に寂しくなんかないでしょ、僕もデリーさんも仲間なんて周りに沢山居るんだし。

 

 気が付けばもうサンドイッチ全部平らげちゃったよ。美味かったよ、流石はIS学園の売店。

 良し、飯も食べたし、もうそろそろ適当に理由つけてこの場から退散しようかな。昭弘が何か語り出す前に。

 

 と言うか…親の事とか、昭弘に余り語らせたくない。僕の為に、態々凄惨な過去思い出さなくてもいいよ昭弘。君から直接聞いた訳じゃないけど、紛争で両親亡くしてるんでしょ?

 本当に、僕の事は大丈夫だから。

 

 そんな事を僕が心に願っても、こうなった昭弘は止まってはくれない。こうと決めたら、突き進む人間だ…。

 

「…なぁシャルロット。当分会えないからこそ、明日の内に目一杯甘えておけ。我儘も、言えるだけ言って構わんだろう」

「ギリギリ子供の内にそうしておかないと、きっと後悔するぜ。オレの親はもう居ないが、あの時甘える事が出来て良かったと、今でも思ってる。…いや、今だって会えるもんなら会いたい」

「それは多分、もう直ぐ大人になるオレたちだからこそ、身近な大人が必要だからだ。前に進むしかない、子供には戻れないオレたちだからこそ…な」

「父親を面倒な存在だと考えてるお前だって、そうなんじゃないのか?」

 

 昭弘はそう締め括ると、焼きそばパンどころか他のおにぎりやら菓子パンやらも気が付けば食べ終えていて、空のラップをレジ袋へと押し込み始める。

 

 僕が校舎に戻る口実を考えるまでもなく、昭弘はそれだけ言うとベンチから立ち上がった。

 僕もそれに吸い寄せられる様に立ち上がり、共に本校舎へと続く小道をじっくりと踏み締めて行った。

 

 何だか、致命的に先を越されてしまった感じがした。あともう数秒早く、この場から立ち去る旨を伝えていればと。

 

 

 それだけ、昭弘が最後に放った言葉には、肉体をすり抜けて心だけに覆い被さる様な“重み”があった。とてもとても、聞き流せる様なものじゃなかった。

 それは、僕と昭弘が座していた木の下と似ていた。木がどれだけ葉を付けようと、陽光は木漏れ日となってどうしようもなく地に注がれるのだ。

 

 

 

―――5時限目

 

 この時間は、織斑先生が教鞭を執る「現代社会とIS」に関する授業、略して「現社I」だ。

 

 織斑先生、普段の授業は勿論厳しいけど、この授業については更にもう一段階厳しくなる。

 だから僕も食後の眠気を必死に追い払って、彼女に全神経を集中させる。

 

―――子供の内に甘えておかないと後悔する

 

 けど今の僕を眠気以上に妨害してくるのは、昭弘の重々しい言葉だった。

 

 悩むまでもない、馬鹿馬鹿しいよそんなの。

 卒業するまで同じ屋根の下で一緒に暮らす訳でもないし、下手すると一生別居状態まである。

 親の愛情だって、今は亡き母さんから惜しみ無く注がれてきた。

 なら顔を合わせて、少し話す程度で良いじゃないか。それが一番リスクの少ない接し方だ。

 

 けど、頭ではそう何度も自身に言い聞かせても、僕の心は暴れ馬の如く言う事を聞いてくれない。

 昭弘の低く小さい発言が、破裂音となって僕の本能を叩いたんだ。

 父親を愛したい、父親から愛されたい。僕の内にほんの僅かに残っていたその原初的且つ当たり前な感情は、昭弘の余計な一言によって嘗て無い程膨張していた。そう、父親と言う存在を煙たがる、ずっと不動だった感情を押し潰しながら。

 明日の事を考えるだけで、緊張が心臓の鼓動を早くする。下腹部の異物を押し下げる様な鈍痛が走る。さっきまでの飄々としていた僕がまるで嘘みたいだ。

 

 そりゃあそうさ。僕だって、自覚がある程度にはまだまだ子供だ。

 甘えられる、反抗出来る、見守ってくれる親が欲しい。

 優しく包み込む母の愛だけじゃなく、強く厳しく自身を導いてくれる父の愛が欲しい。

 

 …こんな風に心が苦しく変質する位なら、さっき昭弘の誘いに乗らなきゃ良かった。でなけりゃ、僕は今も変わらず授業に集中出来た。

 

 そしてそんな苦しみに晒されても、全く嫌悪感は湧いて来ないのだからタチが悪い。

 

 

 

 結局この時間、運良く当てられはしなかったけど全く授業には集中出来なかった。

 まさか今更になって、明日の事で頭がこんなにもゴチャゴチャするなんて。さっき澄まし顔で皆の心配を退けた自分自身が、酷く恥ずかしい。

 

 けどそんな恥を忍んででも、僕はやっぱり皆に相談する事を決めた。

 正直、親についてなんて訊き辛い。詳しくは分からないけど、皆家庭の事で色々あるみたいだし。

 でも、心の中が散らかった今の状態でデリーさんに会うのは、もっと嫌だった。

 

 昭弘のせいで今の僕には、父親への無関心よりも、僕の父親となるデリーさんへの純粋な興味の方が何倍も大きく膨れ上がってしまっていた。

 

 そこには何と言うか、父子がどう言う関係なのか強い理解を求める、子供としての本能があった様な気がした。

 そんな感情今まで湧いた事なんて無いから、確証は無いけれど。

 

 

 今回それを逃せば、僕は酷く後悔する。

 そうだろう?昭弘。

 

 

 

 

 

 と言う訳で、僕が今日貰った助言を纏めてみるね。

 

 

 そうねぇ…親がどうなのかは分からないけど、素直な気持ちで対面するのが一番大事なんじゃないかしら。by一夏

 

 父親なんぞ恐れる存在では御座いませんわ。何も意識せず、そのまま素直な心で挑みなさいな。byセシリア

 

 相手が厳しくとも、子供として素直に向き合えば、親も親として応えてくれるぞ。by箒

 

 何も飾る必要無し!普通に素直で良いのよ素直で!素直素直!by鈴音

 

 会って感じた通り、素直に接すれば良いんじゃない?by相川

 

 男装するシャルくんは最高、つまり素直なシャルくんこそ最高。と言う訳で素直に頭ナデナデして。by鏡

 

 

 

 うん、皆アドバイス本当にありがとう素直。

 

 

 ……けど殆ど同じ内容じゃないか素直。



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第59話 来訪、カラフルマン

今度はデリー視点です。
若干ですが、第四の壁突破注意。


―――――7月7日(木)―――――

 

 空は雲を探す事すら難しい水色!黒い太平洋は宛ら星空の如く陽光を反射!絶好の取引日和!

 

 

 そんな中なーんで僕が貴重な時間を割いてまで、IS学園に来なきゃならないんですかね?

 とか言っても、もう肉眼でIS学園人工島が捉えられる距離まで来てしまいましたから、今更戻る訳にも行きませんけど。

 

 それに一応、自分で望んで選択した訳ですからね。

 ただまぁ、今の気分を例えるとアレです、超ヤバイジェットコースターの列に並んでる時の気分です。時間が経てば確実に訪れるスリル、反面、恐怖で逃げ出したくなるあの心境です。

 

 いや、そりゃあ僕だって仕事第一である部分は変わってませんよ?

 けど相手は女子高生ですよ?しかも超可愛い金髪美少女。更にその周りも美少女だらけなんですよ?皆さんだって生で見てみたいでしょう?お話したいでしょう?そして出来れば触…

 

 それに実際の所、子供が全く欲しくないと言われれば嘘になりますかね。

 若年層の気持ちが理解出来れば視野も広がりますし、それにより新たな需要を見出す事が出来るかもしれません。

 あと、いざって時僕の事色々と助けてくれそうですしね!例えば、紛争が減って需要が激減して会社が潰れちゃった時とか。なんせ親子なんですから!

 …まぁ、これらに関して「は」利己的な理由ですね。

 

 

 とは言え、やはり不安が拭えませんねぇ。この快晴の下、何故か人工島だけ綿雲によって影で覆われてますし、あー不吉。

 

 一昨日昭弘殿に訊いた限りですと、IS学園には織斑教諭の教育が行き届いているのもあって、そこまで女尊男卑に染まってはいないそうですが…来客の身ながら、本当に大丈夫なんですかねぇ?白い目で見られたりしないでしょうか。

 今僕と共にヘリに乗ってる百戦錬磨のSP3人だって、陰口までは阻止出来ませんし。

 

 そしてシャルロット・デュノア嬢。

 かの美少年シャルル・デュノア氏の双子の妹(姉?)で、性格は基本温厚で礼儀正しく、親しい相手には少し調子に乗る傾向がある…と昭弘殿からの情報。

 詳しくは聞けませんでしたが、かのアルベール氏からは中々に酷い仕打ちを受けていたとか。そう言えばあの時シャルル氏も、父親には反抗出来なかったと仰っていましたねぇ。

 

 今にして思えば、点々とした疑問が散見されますね。

 何故シャルロット嬢だけ僕の養子に?会社が倒産寸前で気が狂っている社長の元から、せめてISを動かせる娘だけでも解放する為?

 うーん天災科学者の考える事は解りませんねぇ。

 

 何はともあれ、そんな娘が見ず知らずの大人に心開いてくれますかね?

 はぁ…こんな事なら本人の心の準備を考慮して、もっと早めに連絡すべきでしたね。だってクソ忙しかったんですもん!

 

 ま、そんな訳で結構いやかなりシャルロット嬢との初対面を意識している僕は、彼女を威圧しない様服装も滅茶抑え目にしてあります。

 上下ワインレッドのスーツにYシャツは若草色、ネクタイはショッキングピンク。流石に地味すぎですが、これも彼女の為です。

 長年の付き合いである黒服のSPたちも「駄目だコイツ」って目をしてます。僕だってもっと派手にしたかったんですよSPの諸君。

 

 どうせヘリから降りて挨拶を終えればブレザーなんて脱ぎますから、関係無いですけどね。

 

 

 

 ってホラもう着いちゃいましたよぉ。緊張でお腹痛めるなんて、初めて紛争地域に顔出しに行った時以来ですよ全く。

 

 にしても、やっぱIS学園は異次元ですよねぇ。来客に備えてヘリポートまで用意してるんですから。

 

 んで、コンクリートに手招きされ着地と。

 おっと?窓の外に見えるのはかの織斑千冬(ブリュンヒルデ)ではありませんか。美人っちゃ美人ですけど、僕女子高生しか異性の対象としていないので却下ですね。

 

 

 

―――11:00頃

 

 ヘリが生み出す強風により、髪を掻き上げられる千冬と榊原、そしてIS学園理事長。

 

 だがその風すらも射貫く勢いで、千冬はヘリから悠々と降りる七三分けの若い男に鋭い眼光を送る。

 

(こいつが『デリー・レーン』か…)

 

 かの強大な犯罪組織「亡国機業」と盛んに商取引を行っている…と言われている武器商人らしい。尤も、その確たる証拠は無いが。

 だが今、彼は“表の顔”として遠路遥々馳せ参じた来客。ここは失礼の無い様、威圧を抑えねばならない。

 

 いや正直な所、威圧を送る所ではなかった。理由はデリーが身に纏う、視界に入るだけで目が焼けてしまいそうな程のド派手な服装だ。

 上下紅の背広に黄緑のYシャツ、ピンクのネクタイなんて、学園祭のコスプレでも見た事が無い。

 ここまで突き抜けられると、失礼とかそう言う段階をも通過して感心すら覚える。

 

 そんな訳で千冬と榊原が「この男ヤバイな」とか放心気味に思ってると、既に目の前には理事長との挨拶を終えた変態が右手を謙虚に差し出していた。

 

「御初に御目に掛かります↑。私、義手義足の製造・販売業を担っております『T.P.F.B.』、代表取締役『デリー・レーン』と申します↑本日は宜しくお願い致します↑」

 

 少し独特な丁寧口調で我に帰った千冬は、動揺を隠しながら同じく右手を差し出す。

 

「IS学園の『織斑千冬』です。本日はお忙しい中御越し頂き、ありがとうございます。こちらこそ宜しくお願いします」

 

 そうして互いに握手を交わすと、回転翼が巻き起こす風圧に気を付けながら互いの名刺を交換した。

 

 その後、デリーは千冬や理事長と同じく必死に動揺を隠す榊原にも、丁寧に挨拶を済ませた。

 

 

 

 挨拶と言う必要最低限の礼節を終えた理事長と榊原は先に失敬し、ここからは千冬が一人で案内する事となる。

 早速デリーたちを先導する千冬は、ついでにSP3人の戦力を分析し終える。

 

(…成程、強いな)

 

 黒服の内側に眠る筋肉の密度、ネコ科の猛獣を彷彿とさせる安定した重心、サングラスの奥で忙しなく動く猛禽類の如き眼球、チラリと見えた手の甲の古傷。そして、世界最強の存在を前にしてもまるで臆さない胆力と自信。

 これなら、更識の部隊がデリーに触れる事すら出来なかったのも頷ける。

 

 そしてそんな猛者たちを連れてくるデリーも、澄まし顔でふざけた服装をしていながら余程警戒していると見える。

 

 

 

 デリーが最初に観るのは、1年1組の授業風景だ。

 

 デリーの訪問目的だが、正式には「昭弘及びグシオンの視察」と言う事になっており、養子への面会はあくまでそのついでだ。

 何せ超法規的機関であるIS学園。「娘に会いに行くから学園入ーれて!」なんて許される筈がない。

 どの道、表面上だろうと昭弘がT.P.F.B.所属のテストパイロットである以上、デリーはIS学園視察を以前から予定していた。

 故に授業の見学も、昭弘が受けている以上は視察の範囲内と言う事だ。それはつまり、昭弘と同じクラスであるシャルロットの様子も伺える事に他ならない。

 

 それと、無人ISの存在についてだが、当然デリーらには隠し通さねばならない。IS委員会・IS学園以外には公となっていない、機密性の高い情報だ。

 グシオンの戦闘データがT.P.F.B.に渡っている以上、デリーが無人ISの存在を知ってる可能性は高いが、どの道色々と疑わしい相手には余計な情報を与えないに限る。

 

 

 後は生徒と同じく学食で昼食を摂り、5時限目は実技演習を見学、そして放課後まで千冬と「昭弘・グシオン」について互いの見解やら近況やらを対談し、最後に昭弘から直接現場(学園生活)の実態を聞き入れて終了だ。

 

 以上のスケジュールを頭の中で復唱しながらも、口はまるで別の生き物の様にペチャクチャと蠢かすデリー。

 やれ三十路OKな生徒は居ないかだのやれ一番可愛い生徒は誰かだの、移動しながら延々と訊かれる千冬が段々可哀想になってきた。

 さっきまでの不安は何処に引っ込んだのかと、後ろのSPたちも其々呆れたり苦笑したりしている。

 

 教室への道のりがこんなに長く感じたのは久し振りだと思いながら、千冬は漸く1年1組前へと到達した事に心底安堵した。

 

 今は丁度、授業が始まって5分程度だろうか。千冬の代わりに授業を進めているのは真耶だ。

 

「では、教室の後方からどうぞ。事前にお知らせした通り、教室内まで同行可能なSPは一人まで、携帯はマナーモードに、そしてくれぐれも授業の邪魔だけはしない様に。尚、通話や便以外の途中退室は原則認められません」

 

「ハイ、承知致しました↑」

 

 SPに関しては、恐らく生徒が畏縮してしまうからだろう。

 説明されるまでもなくその位は察せるデリーは、3人の中で最も多くの修羅場を潜っていそうなナイスシルバーな男を選んで引き連れ、千冬の背中に従いながら教室へ入っていく。

 

 

 

 こっからはまた僕の一人称視点に戻りまーす!

 

 にしてもデカいですねー昭弘殿。周りが女子ばっかだからか、余計に目立ちます。まるで住宅街に建たされた高層ビルですねぇ。

 

 …うん?緑髪の巨乳先生が僕を見るなり、動きを止めてしまいました。すると直ぐに、慌てて逃げる様に授業へと戻りましたねぇ。

 他の生徒たちも、チラリとこちらを見た後何故か勢い良く二度見するんですよね。僕の入室は事前に通達されてる筈ですが…。

 はぁ…やはり女尊男卑の風潮は、例え織斑先生でも完全には拭えないと言う事でしょうか。よくこんな環境でやっていけますね昭弘殿。

 

 おや?昭弘殿まで僕を見て鈍重な溜息を吐きましたね。やっぱ流石に地味過ぎましたかね?服装。

 

 あ!セシリア殿!昭弘殿の隣なんですねぇ。

 ああ言うプライド高そうなお嬢様って、負けた相手にチョロっと惚れこんじゃいそうですよねぇ。

 おっと?確か以前彼女は昭弘殿に負けてる筈……あーハイハイ、そう言う事ですか。粋な計らいしますねぇ織斑先生!

 

 おお、あのポニーテールの娘も以前ISTTでお会いしました。確か篠ノ之箒さん…でしたっけ、多分ですけど天災の妹の。

 何となく主人公の幼馴染タイプって感じしますよね、堅物そうで黒髪ですし。好きな異性に対して素直になれなそう。あとおっぱいデカイです。

 

 あの同じく主人公の幼馴染っぽい凰鈴音(ツインテールっ娘)は何処でしょう?2組ですかね?

 

 あーアレが織斑一夏くんですかー。

 正直言って野郎とかどうでも良いですけど、いかにもラノベの主人公って感じですよねぇ。顔も髪色も髪型も普通だし、パッと見で朴念仁って判りますもん。

 

 おっ!あの銀髪の娘も性格キツそうだけど可愛いですねぇ。

 主人公からISの戦闘データを得る為学園に潜入するも、主人公の魅力に段々と心惹かれて行く。そして後に捨て駒であった事が判明し、しかし主人公に救われた事で遂には彼女の中に恋心が芽生え……失礼、妄想が過ぎましたね。

 

 

 ってそんなクラスメイトの分析してる場合じゃありません、シャルロット嬢を探さねば。

 

 ……あー居ました居ました!窓際の席に。

 忘れもしません、あのアニメキャラみたいなクリッとしたお目目に、羽毛の如く柔らかそうな黄金色の髪、スラッと着こなした制服―――

 

 アレ?男子の制服…横顔も少し凛々しい…シャルル殿ですねぇ。他にそっくりさんなんて居ませんし。

 

 ?…?…僕クラス間違えました?いやしかし、昭弘殿が授業を受けている以上1組で間違いない筈。いやいや、第一シャルル殿って何組でしたっけ?何も確認してない…。いやいやいや、と言うかここ間違いなく1組…。

 

 何やら混乱してきた様な自身の壮大な勘違いを悟った様な心持ちになった僕は、堪らず織斑先生に小声で確認を取ってしまいました。

 

「あの、織斑先生?シャルロットさんはどちらに…?」

 

「?…窓際の席で男装しているのが、シャルロット・デュノアですが?」

 

 はい出ましたー、全て勝手な思い込みだったイベントー。

 

「ええッ!!?じゃあシャルル君はシャルロットさんだったんですかァ!!!??」

 

「う・る・せ・ぇ・ッ!!」

 

 驚愕の余りつい大声を出してしまった僕の頭に、最後列の昭弘殿から怒りの平手が飛んで来ました。スパァンと淀みない音が教室中に響き、僕は頭の痛みで騒ぐどころではありませんでしたとさ。

 めでたくなしめでたくなし。

 

 ヘイSP。愉しげに微笑んでますが、今のは「大丈夫」と一瞬で判断したが故に敢えて防がなかったんですよね?ガチで反応すら出来なかった…なんてのじゃないですよね?長年の御供として信じて良いんですよね?

 取り敢えず次防がなかったらクビにしますからね?いやガチで。

 

 

 

 おーまだ痛い、頭が胴体に減り込むかと思いましたよ。

 あーあ、こりゃ女子生徒からの印象も最悪でしょうね。折角美少女だらけなのに…ポジティブな僕でも、流石に自身の失態を責めるしかないですねこれは。

 

 はーい!ネガティブタイム終了ー!

 

 にしてもIS学園の学習方法、中々独特と言うか先を行ってる感じがしますねぇ。

 ハイスペックデスクの端末に打ち込むだけじゃなく、古風ながらノートへの板書も可、終いには教本を開きながら先生の話を「聞いてるだけ」って娘も居ますねぇ。

 あっ、セシリア殿に至っては、液晶携帯で全く別の計算式を解きつつデスク端末に授業内容を入力してます。

 

 成程、学習方法ですら全て生徒に一任すると言う訳ですか。んでもって基本的に試験だけで成績を付けると。

 そうなれば課題は提出して内申点を得ると言うより、授業で収まらなかった部分を生徒に自己学習させると言った所でしょうか。

 

 頭の良い子しか入れない訳ですねぇ。逆に言えば、この子たちだからこそ可能な授業形態なんでしょうね。

 

 

 なーんて純粋にIS学園の勉学システムに感心してはいますが、正直言って僕自身、この後の御対面から意識を逸らしたいだけなのかもしれません。

 

―――

 

《兎に角だ、オレが知る限りお前は喋り過ぎる傾向があるから、基本的には聞き手に回れ。その方がアイツも本音で話せるだろう》

 

「は、はぁ…分かりました」

 

―――

 

 はぁ…昭弘殿から幾らか助言は貰ってますが、どうなる事やら。

 人間、常にアドリブで生きてますからねぇ。

 

 つまりは、これから娘になる相手へ何を伝えるべきかなんて、本来なら他ならぬ僕にしか分からない訳で。

 けどそれが自分でも分からないから、或いは分かっていても解ってはいないから、意識を向けたくないのでしょう。

 

 僕の中身の大部分を構成する、「利益追求」と言う最早欲望すら超越した一種の信仰。それとは構成からまるで異なる、ごく一部の小さな「何か」。

 普段接する事なんて先ず無いソレは、僕にとってこの上無く扱い難いものなんです。

 

 

 

続く(えーもういいじゃないですか終わりで…)




次の話は至って真面目ですのでご安心下さい。


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第60話 1%の…

ちょっと長いです。


─────昼休み

 

 10分だけの休み時間とは違い1時間近くにも及ぶその時間は、一日の大半を体力と知力に費やす生徒達にとって正に安らぎの時。

 それは、此処IS学園に留まる話ではない。

 

 今日も今日とて、普段と同じ顔触れが昨日とは違う会話で互いを楽しませ、普段通りの光景を意図せずに再現していく。

 

 しかしそんな中、学食と言う空間の1%を黒々とした異が侵食していた。

 人数は3人、位置は角奥と言うのもあって全体的な食堂の雰囲気はいつも通りだが、それが自分たちの制服と相補的な黒服の巨漢とあっては気にしない訳にもいかない。

 

 

 だが昭弘たちが気に掛けているのはそんなSPではなく、SPたちが護っている2人だ。

 

「きっと大丈夫よ、アタシの助言完璧だったし」

 

「オレも完璧な助言したから、別に要らなかったのに」

 

「後は彼女次第…ですわね」

 

 黒服衆とは少し離れた席で昼食に箸や匙を伸ばしながら、一夏たちは自信有りげに、それでいて心配そうに言葉を零し合う。どうやら、自分たちが全く同じ助言を与えていた事に気付いていない様子だ。

 そんな中、箒が昭弘の腕を肘で小突く。

 

「大会の時もそうだが、あの馬鹿スーツは本当に大丈夫なのか?」

 

 馬鹿スーツとは恐らくデリーの事だろう。「大丈夫」と言うのは、間違いなく頭の事だろう。

 さっき授業中に叫ばなければ、箒からここまで言われる事もなかったろうに。

 

「……今更心配した所でどうにもならん。黙って見届けるしかない」

 

「それは解っているが…」

 

 何せ己の損益しか頭に無さそうな男なのだ。故に昭弘も、堂々と大丈夫だと箒に言えなかった。

 そうでなくとも、その外見を目にすれば誰だってまともには思えないだろう。

 

 堅物な箒なら尚の事だ。その性格プラス、真面目な武人である父親から厳しく育てられたのだから。

 

 

 

 SP3人は保護対象者2名を背に、学食全体に絶えず警戒の眼差しを走らせている。

 当の2名は、当然ながら食事中だ。時々互いに視線を送りながら、何を話そうか考えながら、時間を気にしながら、金髪の男装少女とトマトスーツ男は手と口を懸命に動かしていた。声だけ発さずに。

 

 

 学食に来てからそんな類の沈黙が2分程続いたが、遂にと言うかやはりと言うか、大人であるデリーが雑談の口を開いた。

 

「…何か話して下さいよ」

 

(えぇ…)

 

 先に口を開いたかと思えば、あくまでシャルロットに話題を任せようとするデリー。

 彼としては、昭弘からの言いつけを守っているつもりだった。守っていなかったら、今頃言葉の絨毯爆撃を彼女へ降らせているに決まっている。

 

 だが当のシャルロットは、予想と違う展開に困惑する。知った様な口かもしれないが、普通こんな時は大人から色々と話題を振ってくれるものだと彼女は思っていた。

 

 それでも、一番最初に話すべき重要な事なんて、彼女は最初から決めている。寧ろ、デリーの促しは良いタイミングだったのかも知れない。

 

「……あの、僕のコレ…どう思いますか?」

 

 そう言いながら胸元に手を当てるシャルロットを見て、デリーは彼女が自身の男装について正直な感想を求めていると予想する。

 

 にしても、「どう」とは輪郭がぼんやり過ぎる。男装の完成度を評価すれば良いのか、それとも「男装が趣味の娘」について何か物申せば良いのか。

 だが、デリーの困惑もまた一瞬だ。フォアグラにナイフを切り込ませながら、心のままの感想を言い渡すだけだ。

 

「…んまぁ貴女が好きなら別に良いんじゃないですか?」

 

「…」

 

 両者の間に、再びいつ終わるとも解らない沈黙が訪れる。

 シャルロットは、眼下で未だ変わらず薄い湯気を立ててるアメリカンミートピザに視線を落とす。気不味さで腹なんて減らないが、会話の続かない現実と向き合うよりはマシだった。

 と思っていた矢先。

 

「じゃな↑いですよシャルロットすぁん!」

 

 数秒前の冷たい感想を帳消しにするが如く、デリーは陽気に声を張り上げる。

 

「あの時の初対面、僕の勝手な勘違いにしてもですよ?いや分かりませんて普通に。誰がどう見たって双子の弟か兄だと思うでしょう。今に至っては劇団のガチな男装レベルですし…」

 

 大袈裟だ。自身の思考と判断力に過剰な自信を持つ男は、己の目が節穴だと言う事にも気付かない。

 

「お陰で大恥ですよぉ~。昭弘殿にも平手打ちされますしぃ」

 

「アハハ…すみません…」

 

 ウダウダと駄々っ子の様に苦情を述べるデリーに対し、シャルロットは軽く謝罪する。

 だが、デリーの明るげなノリツッコミに照らされたのか、彼女の表情や声色にも清々しさが戻っていく。上げて落とすの真逆とはこんな感じなのだろうか。

 そして「好きにしたら良い」と言うのも、デリーにとっては単なる冗談などではなかった。

 

 

 その後、尚も比較的明るい声調をそのままに、シャルロットはデリーに説明していく。男装は当初から趣味だった事、学園側にも周知済みだった事、何の悪気も無くそれら嘘と真とを言葉巧みに織り交ぜながら。

 

 

 明るく、時折小さな嘘を混ぜても尚、着飾らず自然体な彼女。

 自分と居る事が、そこまで嫌ではないのだろうか。そして自分は、そんな彼女を両目に焼き付けて何を感じているのだろうか。

 考えた所で仕方が無いそれらを一旦頭から追い出し、デリーは今言うべき短い言葉を零す。

 

「充実してるみたいですねぇ」

 

 先月ISTTで会った時の、まるで捨てられた子猫の様な儚い気を纏っていた彼女。あれからよくもここまで変われたものだなと、デリーは改めて子供の持つ底知れぬパワーに驚嘆する。

 

 そんな彼の何気無い言葉が、シャルロットを「次に話すべき言葉」へと誘導する。

 彼女は温まり過ぎたエンジンを一気に冷却する勢いで、表情を真剣なものへと変える。

 

「……ありがとうございました」

 

 シャルロットが真顔から放った感謝の言葉。

 唐突と言うのもあったが、感謝される事にまるで心当たりの無いデリーは、瞼を立て続けに開閉させる。

 

「貴方の言葉が無かったら、僕はずっと思い違いをしたままだった。今もこれからも、自分は無価値な人間なんだと」

 

 そう言われてデリーは思い出す。正直助言になるかも怪しい、何気なく放ったに等しい言葉だった。

 勿論将来有望な若者がプラスの方面に変われたのは、彼だって嬉しい。生産性の向上にも繋がる。だが切っ掛けを作るよりも、それを活かす方が何倍も難しい。

 故に彼はこう答える。

 

「それらの要因をものにしたのは、他でも無い貴女の力ですよ」

 

 それは彼女を気遣っての言葉ではなく、デリーにとっては混じり気の無い客観的事実に過ぎない。

 

 大人に褒められた事が純粋に嬉しいのか、シャルロットはばつが悪そうに頬を薄っすら赤く染める。

 

 

 恥ずかしそうな彼女を気にしないまま、デリーは尚もペラペラと話を進める。

 

「僕もオカルトは信じない口ですが、縁を感じずにはいられませんよねぇ。何度も貴女と会って、良く解らない内に養子縁組ですからねぇ」

 

 窓の外、大きな積雲を押し退けた日差しによって色彩を強く放つ、別の校舎や転々と散らばる植栽のコロニーを眺めながらそう言うデリー。

 何度と言うより2~3度だが、確かにデリーとシャルロットは会った。会って、変化の素を与えて来た。

 

 シャルロットもデリーの事なんてまだ殆ど知らないが、反応をしっかり表情に出すタイプの人間だと思っていた。

 だからか、全くの無表情でそんな事を言う彼が、酷く新鮮に思えた。

 

 

 デリーのその姿から、シャルロットは今回の対面における肝の様なものを見出す。デリーの「内側」だ。

 それは今気付いたと言うより、面会を知った時から芽生えていた漠然とした不安がはっきりしただけだった。

 一昨日も昨日も、そして今この場面でも、彼女が無意識に最も気に掛けていたのは「デリーの感情」であった。

 

 だから彼女は訊ねる。例えそれでデリーが困惑しようとも構わない。一番大事なのは、娘に対する父親の気持ちと、父親に対する娘の気持ちだ。

 

「…デリーさんはどう思っているんですか?僕の父親になる事」

 

 予期せぬ質問に驚いているのか、それともいずれ訊かれると踏んでいたのか、変わらず無表情のまま振り向くデリーからは読み取れない。

 

 シャルロットの父親になる事をどう思っているかなんて、寧ろデリーが訊きたいくらいだ。何せただ天災に命令されたから、父親になっただけなのだ。

 1ヶ月以上にも渡り、仕事の合間にどれだけ考え抜いても、デリーは父親となる自身の心持が解らなかった。

 

 当然、損益に基づいた考えなら幾らでも答えられる。だがそれは、シャルロットが求めている答えではない。

 ではどう答えるべきなのか。父親になりたいと答えるべきなのか嫌だと答えるのか、シャルロットを気に入っていると答えるべきか否と言うべきか。

 

 どれだけ悩み考えた所で、自分の心情を意図的に操作出来る訳が無い。損得の亡霊に取り憑かれているこの男とて同じ事。

 ただ正直に言うしかないのだ。例えそれが、中途半端な答えだったとしても。

 

 だからデリーは、結局ずっと変わらなかった自身の本心だけを吐き出す。得体の知れない固形物から、原液だけを抽出する様に。

 己の父親像は想像出来ずとも、頭に潜む感情くらいならどうにか観測出来る。

 

「ただ大人として貴女を放ってはおけない、だから父親になる。…それだけですよ」

 

 デュノア社本社で見かけた時の、何もかもに絶望して社会を見限った顔。ISTTで話した時の、若くして己の可能性に見切りをつけた悲痛なる声。

 例え今は多少良き方へ向いているとは言え、そんな子供を野放しには出来ない。それは彼の中にある利益追求99%とは対を成す、ごく1%の父性本能に似た義務感であった。

 

「大人が子供を導き、子供が大人に導かれる。やがて子供も皆も益を得る為の、世の摂理です」

 

 それは彼にとって、好きとか嫌とかそう言った次元ではなかった。常に衣服を纏うが如く、当然の事に過ぎないのだ。

 

「……そうですか」

 

 シャルロットは彼の言葉を聞いて、そして無表情に切っ先の如く細く浮かべた微笑みを見て、真顔に再び熱の籠った血を通わす。

 

 奇妙な心地良さであった。それは、母と今生の別れを遂げて以来、久しく感じていない密かな安らぎに近いものだった。

 干渉する訳でも価値観を押し付ける訳でも、増してや娘を利用する訳でもない。ただ子供を「子供」として見てくれている言葉、乾いた様で確かな生命の息吹を帯びた言葉。

 「大人に近い子供」としての「子供らしさ」を知らない彼女だからこそ、彼の言葉は心に響いた。

 

「だから何時でもどこでもどんな内容でも、気軽に連絡して下さい。なるべく出るようにはしますよ。僕から電話してもいいですし」

「父親になると口にした、言わば言質を取られた以上、僕は父親として最低限の事はしなきゃなりませんからね」

 

 笑顔でもなく、嫌々でもなく、淡々と自身にとっての「当たり前」を口にするデリー。それは無感情故ではない。子供との会話に慣れていない彼は、演技でないが故にそうなってしまうのだ。取引相手になら、幾らでも偽の笑顔を振り撒けると言うのに。

 

 そこで漸く確信に似たものを覚えたシャルロットは、同じく正直な気持ちを返す事にした。

 まだまだ互いに知るべき部分は多いし、それにより関係が拗れる事もあるのかもしれない。しかし今後どう転ぶか分からないのなら、今の気持ちに身を任せるしかない。

 

「…貴方が父親で良かった……………“父さん”」

 

 この人となら上手くやっていける。そう思った瞬間、彼女は自然とデリーをそう呼んでいた。それはまるで、父親に甘える子供の様に。

 

 彼は正に対極であった、シャルロットの知る父親とは。

 

 命じず縛らず、しかし見放す訳でもない、ただ大人としてそこに居てくれる。時には自分の事を子供として、そして間もなく大人の階層へと足を進める高校生として、ピシリと諭してくれる。

 それこそが、大会の時にも感じた安心の正体であった。服装を見る限り変な人ではあるし、人として捻れた部分もあるのかもしれない。だが少なくともシャルロットは、デリーと話していると安心出来るのだ。

 

 少し照れくさそうに再びピザへ意識を向ける彼女に対し、デリーも答える。

 

「好きなように呼んで下さい。デリーでもパパでもダディでも」

 

 

 と、ここで彼女は「呼」と言う単語で思い出した。それは言わば、デリーの養子となる彼女自身の名前である。

 それはそうだ、いつまでも「デュノア」と名乗る訳にも行くまい。同じ苗字とは、親子としての大きな証の一つだ。

 

「あの……父さん。僕はいつから『レーン』を名乗れば?」

 

 彼女は残り半分にも満たない昼休みの時間を惜しむ様に、そうデリーに訊いてみた。

 

「あーそうですそうです!今日はそれに関しての書面も持ってきたんです↑」

 

 そう言ってデリーがビジネスバッグから取り出したのは、養子縁組の同意書だ。これにシャルロットが直筆でサインしなければ、養子縁組は成立しない。

 

 本来なら実親の同意も必要なのだが、現在シャルロットとアルベールらを結ぶ血縁関係は、書面上もデータ上も存在しない。アルベール自身も、もう血縁を主張してはいない。

 それとアメリカでの国籍関係等諸々も合わせて、束の裏工作に抜かりは無い。その詳細については、余り深く探らない方が良いかもしれない。

 

「今日僕が学園から去るまでに、これを書き上げて下さい。んで僕がこれをその他の書類と共に家庭裁判所へ提出して申し立てて…成立するまで大体1ヶ月と少し位ですかねぇ」

 

 つまりそれまでは、彼女は『シャルロット・デュノア』のままと言う事になる。

 

 シャルロットとしては丁度良かった。

 アルベールの事は大嫌いだが、彼女はこの苗字、即ちこの名前で学園生活を送ってきた。そう思い返すと、苗字だけとは言え惜しむ気持ちはある。

 何より、新しい名前を貰い受ける事への心の準備も必要だった。故に時期的にも、学園生活の区切りでもある夏休み明け2学期から名乗れた方が、気持ちの切り替えとしては良い。学園側もその方が楽だろう。

 

 

 その後も、シャルロットは頭に貯め込んでいた沢山の話をデリーへ贈った。

 

 学園での出来事、友達の事、そして自分の事。

 残り少ない時間で一つでも多くデリーに知って欲しかったシャルロットは、見てくれも気にせず早口で捲し立てた。

 

 

 

 そして、一先ずの解散を告げる予鈴のチャイムが、優しく食堂を揺らした。

 

 

 

 

 

───放課後 アリーナA

 

 時間の経過と共に人が増えていくピット内で、ISスーツのまま準備運動に肉を伸ばす昭弘。

 

 既に実技見学、千冬との面談も終えているデリーは、その隣でSPに囲まれながら疲れた首をあらゆる方向へと曲げ伸ばしていた。

 

「…シャルロットに言わないって事は、本職が薄汚いものだって自覚はあるんだな」

 

 面談と言う形式すら無視して、昭弘はデリーにシャルロットの事について触れる。

 

「そりゃ言える訳ないでしょう」

 

「…いつまでも隠し通せるのか?」

 

 振り向かず、昭弘は柔軟体操に精を出しながらデリーに問う。

 対してデリーは、同じくISスーツのまま柔軟体操をしているピット奥のエロティックな女子生徒たちから、漸く昭弘へと視線を戻す。

 

「ご安心下さい。彼女は世界の影に触れる事無く、このIS学園で大人になって行く事でしょう」

 

 娘への哀れみと慈しみ、似ている様で相反するそれらの感情が、その言葉に込められていた。

 知らぬが仏とは良く言うが、それは見方を変えれば箱庭に閉じ込めているとも取れる。

 

「彼女の為になるのなら、僕は喜んで嘘を付きますよ」

 

 そんなデリーに、昭弘はほくそ笑みながら物申す。

 

「食堂でのやり取り見た限りじゃ、お前に隠し通せる様な器用さがあるとも思えんがな」

 

「…否定はしません」

 

 デリーもまた苦笑する。

 デリー自身、彼女の前では社の長ではなく、一人の父親としての心を曝け出さねばならない。その際、隠すべきものを自然に隠す自信があるかと訊かれれば、今の彼は否と答える。

 彼は未だ、彼の中で僅かに存在する「人を想う」感情に慣れていない。

 

「バレたとしても、得意の口八丁で説き伏せます。彼女の思考をプラスへと導く為にね」

 

 そこで昭弘は柔軟体操を止め、笑みを無表情へと変えながらデリーに振り向く。デリーを映すその瞳には、小さく波打つ憤りが見えた。

 それを察知したSPたちは、サングラスの内に潜む鷲の如き眼光を昭弘へと照射する。

 

「そんな子供に優しい男が、何で子供を食い物にする?」

 

 シャルロットも武器を手に取る少年兵も、同じ子供である事に変わりはないだろうに、何故同列に見れないのか。

 昭弘はそれが腹立たしく、そして疑問であった。

 

「今のご時世以上に、これからはそれが一番利益になるからですよ。だから僕は、これっぽっちも優しくなんてありません」

 

 子供は未来の遺産などと抜かしながら、実際はその子供を戦地へと誘っている。

 酷い矛盾の様に聞こえるが、恐らくシャルロットに言っていた「益」とは“そう言う意味”も含んでいるのだろう。正しく育つべき子供が正しく育ち、世に益をもたらせば、やがてそれは巡り巡ってデリーの益へと繋がる。

 少年兵は直接的な利益、シャルロットは遠い未来の間接的な益。経済的に見れば、それだけの違いしかないのだ。

 

 唯一違う点こそ、実際にシャルロットに出会ったが為作動した、1%の感情なのだ。

 そのごく小さな感情しか持たない男に居心地の良さを感じてしまうとは、シャルロットも大概奇人なのかもしれない。或いは悪しき干渉さえ0ならば、そこには1%の優しさしか残らないと言う事だろうか。

 

 ただ、やはり情よりも金。恐らくデリーのその一点だけは、未来永劫変質する事などないのだろう。早い段階からその図式と一体化している彼にとって、情が金を上回るには時が経ち過ぎたのだ。

 例えシャルロットによって父性本能を覚えようと。

 

 

 相も変わらず、憎らしい程に商人気質なデリー。

 

 なのに普段の嫌悪感が湧いて来ないのは、先のデリーとシャルロットの会話が頭から離れないからだろう。

 ごく僅かに残っていた、人としての情。どれだけ薄く小さくともそれを垣間見てしまっては、昭弘もデリーをただの屑呼ばわりなんて出来ない。

 その姿が嘘であれ真であれ、一度脳内に溶け出してしまえばもう取り除く事なんて無理なのだ。

 

 昭弘は知りたくなかった、下衆野郎のあんな一面なんて。いずれ敵になるとも判らない、何も思う所は無い仕事仲間なのだと、割り切れなくなってしまうから。

 優し過ぎる昭弘は、相手に情を抱けば必ず躊躇する。

 

 心を覗いた、心を通わせた人間と敵として相対した時、彼は斬り掛る事が出来るのだろうか。

 

 

 

「父さーん!」

 

 ピットの入口から高く柔らかくも良く通る声が聞こえたので、2人はくるりと振り向く。

 向かって来るは金髪の美少年…を演じる事に悦を感じているシャルロットであった。

 

「シャルさぁん!どうしました↑?」

 

「LINE交換。別れの挨拶前に済ませておこうと思って」

 

「ああ!僕も失念してましたぁ↑!」

 

 そう言って、互いに液晶携帯を出し合う未来の養親子。

 

 その光景を、昭弘はしっかり目の奥へと刻む。

 これが2人にとって最後の対面となってしまった時、鮮明にこの親子2人を思い出せる様に。

 

 されど同時に、昭弘は視線に甘い願いを込める。戦争が、死が、親子を裂く事の無い様にと。

 

 

 自分みたいにならないようにと。

 

 

 

 

 

───ヘリポート

 

 まだ青空が支配権を握っている、夕暮れ時の少し手前。

 

 デリー、SP3名、そして理事長と榊原と千冬ら計7名は、別れの挨拶を漏れなく隅までと言った感じで済ませていく。

 

 白のラインが入った真っ青なヘリコプターは、斜めの陽光によって紫色に化粧直しが加えられている。

 それを目印にする様に、昭弘とシャルロットは離れた所から彼等の短い談笑を眺めていた。

 

「……色々とありがとうね、昭弘」

 

 満足気に昭弘へと感謝の言葉を述べながら、まるで太陽が海へと沈み行く様に深い感慨に浸るシャルロット。

 

 反して昭弘は、ただ気だけを地の底へと沈ませる。

 シャルロットとデリー、2人を会わせて本当に良かったのだろうかと、そう昭弘は今になって考えているのだ。

 

 昭弘だって、先の事なんて細かには予測出来ない。コンピュータでも何でもないのだ。だが近い未来、大いなる争乱は必ず起こる。そしてデリーは、間接的とは言えその企てに加担している。

 もしその争いが娘を巻き込みそうな時、デリーはどうするつもりなのだろうか、何を思うのだろうか。抑々、何も知らない娘に普段通り接する事が出来るのだろうか。

 そしてシャルロットは、実際に会って親子の言葉を交わした以上、父親の事を子供として頼る筈だ。父が裏で何をしているのかも知らずに。

 

 だから昭弘は負の方面に考えてしまう。会わない方が、合わない方が、互いの為だったのではないかと。

 

 すると途端にシャルロットが、上げた腕を大きく左右に振り始める。

 ヘリの搭乗階段をよく見てみると、理事長らに別れの挨拶を終えた余計なまでに目立つトマトカラーの男が、此方に対しても手を振っているのが判った。だが遠いせいか、表情までは見えない。

 

 デリーが先に手を下ろすと、シャルロットもまた腕を真横に下ろした。そしてデリーがどんな表情をしていたのか、まるでそれを予想する様に彼女は言った。

 

 

「…あの人と逢えて、良かった」

 

 

 昭弘の陰鬱で現実的な思考は、その言葉によって押し流された。

 

 その通りで、良かったかどうかを決めるのは昭弘ではない。他ならぬシャルロットとデリーだ。

 大事なのは今さっき、シャルロットが笑いながら手を振り、それに対してデリーも手を振り返した事だ。

 

 2人にとっては、それだけで十分なのだ。仮にシャルロットがデリーの正体に気付いていたとしても、取り乱したとは思うが根幹の部分は変わらなかっただろう。

 デリーがどんな顔で手を振っていても、例えこの先幸せじゃなくとも、今日の再会は2人が父娘として心から望んだ事なのだ。どんなに先が見えずとも、互いを引き合う「逢いたい」には逆らえない。

 そしてそれが達成されたのなら、何も悔いる事なんて無いだろう。

 

「…そうだな」

 

 昭弘は一言だけそう返した。

 子が親を、親が子を、自然と求める。互いにそれが成された事を、祝福する様に。

 

 

 

 青いプライベートヘリが、中空から上空へふわりと上昇していき、徐々に青空へとそのボディを溶け込ませていく。

 

 そうして姿が見えなくなるギリギリの所で、シャルロットは父親を乗せたヘリに対して再び小さく手を振った。




と言う訳で、日常編のラストを飾ったのはシャルロットでした。

千冬とデリーの面談は、後の小話で描写しようと予定しております。いつになるかは未定ですが。
テンポ悪くなる&面倒なので、今回は省略させて頂きました。



そして、何度目になるか分かりませんが大変お待たせしました。
次回からは第一章の最終編が始まり、漸くIS原作に戻ります。序盤は水着購入やら何やらで何話か挟ませて頂き、臨海学校はその後になります。
次回も何話か纏めて連投しようと思いますので、次の投稿までまた空けます。

お楽しみに。


※※2021年5月31日 修正完了


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第一章 の終 IS学園~臨海学校~
第61話 水着に秘める ①


水着購入回です。恐らく私が最も描きたかった回の一つかもしれません。
よって結構長い回になりますので読む際はどうか心の準備を。

一話一話によっては後書きに「おまけ話」もあったりしますので、気になる方は読んでみて下さい。
(注)本当にやりたい放題な話が多いので、ダルいという人はスルーをお勧めします。







─────7月10日(日)

 

 男が3人、夫々異彩を放つ無数のテナントに挟まれた通路にて、自分たちをより引き立たせる様な装飾品を流し見ていた。

 木机の様に程よく焼けた肌、獣に噛まれたみたいに所々破れたジーンズ。そして自信の現れから纏っているのであろうタンクトップからは、ギリシャ彫刻の様に分厚く引き絞られた肉体が周囲を威圧している。

 

「オイ見ろよアレ」

 

 内一人が、そんな言葉を漏らしながら他2人の視線を己の視線の先へと誘導する。

 何の変哲も無い水着売り場には、女子の集団が声を黄色くしながら各々商品を物色している。女遊びに慣れている男たち3人から見ても、上位に入る美人ばかりだ。

 

「ヘェ」

 

 だが、この季節なら然程珍しい光景でもない。まるでそんな事を示唆する様に3人の視線は美少女たちを通過し、その集団に紛れ込んでいる「ソレ」に集中した。それとも、引き寄せられたのだろうか。

 途端、3人の表情は一様に感服と挑戦を滲ませた不敵な笑みへと変わる。それ程までにソレの肉体は完成されていた。

 

 ソレを見ているのは男たちだけではない。

 性に飢えた女はソレの容姿に心を濡らし、子供は指を指しながらデカイデカイと興奮の声を張り上げ、この季節に備えてきた若人たちもソレの五体を己が目に焼き付ける。

 

 

 180後半の巨躯には一つ一つ形の異なる生きた鋼鉄が永住しており、青年の身体を一回りも二回りも大きく見せる。特に凄まじい筋肉の箇所…というものは最早無く、腹筋胸筋背筋上腕筋前腕筋三角筋僧帽筋等々諸々全ての筋肉が各々独創的なアプローチを仕掛けてくる故、比べようが無く「全て凄まじい」という表現しか見当たらない。それでも敢えて「どの箇所が一番か」と問い詰められれば、「胸筋」と答えざるを得ない。青年の上半身は黒のタンクトップ一枚だが、当然にして自然とばかりに胸はその頼りない布地からはみ出ており、今にも突き破りそうだ。まるで活発な火山活動によって隆起していく地盤の様に。

 では下半身はどうなのかというと、こちらも戦力的には拮抗していると言って良い。特大のカーゴパンツであるにも関わらず、大腿筋はその布地に己の姿形をハッキリと浮かばせ、大殿筋は尻の形状を隠す事も出来ない下着とズボンをこれ見よがしに嘲笑している。だが、カーゴパンツも最小限の仕事はこなす。流石にそれらの下部に佇んでいるであろう下腿三頭筋等までは拝めなかった。どの道これまで焼き付けた視覚情報を元にすれば、恐らく想像の斜め上な筋肉量である事は容易に想像出来るだろうが。

 

 

 

 そんな周囲の視線が誰に集まっているのか見当の付いている生徒たちは、ニヤついた顔を昭弘に向けては水着の物色に精を出す。

 彼女たちの気分を前へ上へと駆り立てているのは、再来週に控えた「臨海学校」に相違ない。高校生活最初の課外授業、しかも行先が海ともなれば、生徒の高揚感は測定器を突き破る。

 

(海なんて毎日飽きる程見ているだろうに…どんだけ海好きなんだ)

 

 周囲の上がるに上がった気分に付いて行けないのは、誰であろう昭弘であった。誘われて来たのは良いが、こうして皆の物色に混ざってみると改めて昭弘自身水着への無関心さが浮き彫りになる。

 水に浸かる際、水分を多量に含んだ衣服によって身体が沈まない為、或いは衣服を濡らして風邪をひかない為。水着を着る理由は昭弘も理解しているが、そんな布切れを買うのに何を皆ここまで興奮しているのかは解らなかった。

 抑々が、海水に浸かる事の何が楽しいのか。昭弘も足だけ海に入った記憶はあるが、特に大きな感動も覚えなかった。地球という異界の地で、ただ突き進む為に前を見ながら冷たい水を無感情に踏み抜いた、それだけだ。

 

 

 そんな水着売り場の入り口でずっと突っ立っている昭弘を見ながら、箒は2つの感情に苛まれていた。

 

 一つは劣情。

 今朝昭弘と会って以降、彼女の顔面は日焼けに失敗したが如く真っ赤に茹で上がったままだ。

 昭弘のタンクトップ姿。無論初めて見る訳ではないが、平静を保つには及ばなかった。陽光によって丁度良く焦げた、分厚い、意中の雄の生肌。それが視界の端に少しでも侵入するだけで、自身の中に潜む雌という芯が熱せられ膨張する。

 それを少しでも抑えるべく挙句の果てには、肉付きの良いシマウマを狙うライオンの心境が解った気がする等と、わざと見当違いな事を考えてみたりする有様だ。

 

 もう一つは遣る瀬無さ。

 昭弘は今も普段通りの仏頂面だが、常に彼を意識し見ている箒には判る。どうやら、水着の物色に乗り気でないらしい。

 そんな丁度エスコート出来る好機にも関わらず、彼女の足は昭弘の方へ一歩も出ない。かの劣情が邪魔をして。

 

「動かなきゃ始まらないよ?」

 

「ヌォ!?」

 

 前触れ無く耳元で囁く男の声によって、夢見心地から現実へと叩き戻された箒は、お手本の様に身体ごとグルリと振り返る。

 

「い、一夏」

 

「放っとけないって顔に出てる」

 

「…」

 

 乏しい表情でそう言う一夏に、箒は無言で返してしまう。間違いなく当たっているのに、いつまでも尻込みしている自分が悪いのに。

 

「ホラ、そういう訳だから進んだ進んだ」

 

「待て!私は別に…」

 

「ハイハイ」

 

 一夏という外力により、硬直してた箒の脚は漸く昭弘へと進み出す。そのまま箒の背中を手押しする一夏は止まらず、終いには昭弘の目の前にまで押し遣られる。

 

 今日箒にとって初めての、昭弘との至近距離。視界全体を昭弘の筋肉が埋め尽くす。

 ただでさえ赤かった箒の顔は、今や熟した果実よりも紅く火照っていた。

 

「?…どうした、一夏に箒」

 

「昭弘の水着、オレと箒で選んだげる。こんだけ種類が多いと、1人でなんてとても探す気にならないでしょ?」

 

「…まぁ」

 

 昭弘の返事を聞いて、ハイ決まりと手の平と平を叩く一夏。

 因みに一夏は、他の誰よりもいち早く自身の水着を選び終えている。トランクスタイプの無難なヤツだ。水着に対して特段の拘りは無いのだろう。

 それで自分だけ余裕綽々だからか、今の状況を妙に面白がっている様子。

 

 こうして昭弘の水着探しという、長く掛かりそうなあっさり終わりそうな探検が始まった。

 

 

 その後、既に候補があるのか早速店奥へと消えた一夏に対し、箒は昭弘にどんな水着が似合うか想像していた。先にイメージを固めてからその通りの水着を探す算段らしい。

 だが、これがまた悪手だった。それは詰まる所、水着姿の昭弘を想像するという事。あの煽情的な肉の城を覆い隠すものが、海パン一枚のみ。一瞬でもその姿を思い浮かべただけで、顔面に上昇した血液が更に鼻孔へと集まりそのまま噴出してしまいそうになる。

 そういう訳で一人、悶々としては気を静めまた想像して悶々するという悪循環に陥っていた。失礼だが今日の箒、結構馬鹿である。

 

「すまんな、箒。毎度毎度、レゾナンスに来るとお前らには迷惑ばかり掛けちまう」

 

 昭弘からの謝罪で、漸く箒は焦熱地獄が如き無限ループから引き揚げられた。

 

「あぁイヤ!気にするな」

 

 そこで言葉が途切れた事に、箒は心底から重い溜息を排出したくなった。もっと話したい事があるのに、それを口で言葉に出せない自分自身が酷く滑稽で愚かしい。

 

 あの日、昭弘から「イイ女」と言われて以降、これまでをも上回る勢いで箒は彼を異性として意識していた。そんな箒の性愛を数段上へと弾き上げてしまった、今も解き放たれている昭弘の雄の身体。今現在、彼女はこれ迄の様に昭弘と自然な会話が出来なくなっていた。

 異性への耐性すらない己を心中で鞭打つ箒。何でも良い、在り来たりな話題でも良いから何か言葉にしなければ。でないと自分は不甲斐無さ過ぎてこの場から逃げ出してしまうかもしれない。

 

 

「これしかない、って感じ」

 

 

 箒が劣情に焦がれて更には自責に冷やされてから、気付けば早3分が経っていた。

 軽快な言葉と共に戻って来た一夏の右手には、ハンガーに掛かった1着の水着が。

 

「───」

 

 ソレを脳が視覚情報として認識した瞬間、箒の中からは熱も冷気も同時に消失した。

 

 無いのだ、その海パンには、大腿部を覆っている筈の布が。今一夏が持っている海パンは、局部と臀部しか隠せる部分が無い「Vパンツ」だ。

 そして柄、黄色の布地に黒の斑点。見るからにド派手で獰猛そうなその色が、昭弘の陰茎と引き締まったお尻だけを隠すのだ。それ以外の全部を、生まれたての肉体を日差しと海と砂浜に晒して。

 

 想像の再生時間、凡そ20秒。その短い時間で箒の身体深くに常在していたマグマはチャージを完了し───

 

 

 

───一気に爆発した。

 

 

 

「ばっ、ばばばば馬鹿か貴様ァァ!!?こ、こここんなイカガワシイものッ!!昭弘に着せれる訳ないだろぉがぁ!!?」

 

 溶岩宜しく真っ紅になりながらそう言い、箒は一夏からハンガーごと乱暴にその水着を引っ手繰る。

 対する一夏はほんの少しの困惑を滲ませた後、抗議の声を漏らす。

 

「えぇ?絶対昭弘に似合うのに…」

 

「駄目っ!駄目だ!!裸同然ではないか!!それなら絶対こっちの方がマシだッ!」

 

 そう自信満々に言い放ったかと思えば、箒は直ぐ傍のラックに掛かってあった黒のトランクスを右手に掲げた。

 

「えーウッソー地味ぃー。ホントにそれが昭弘に似合うと思うー?」

 

 箒は思った、同じトランクスを購入した一夏に言われたくはないと。どの道、彼女にはこれしかないのだ。

 トランクス姿の昭弘ですら想像しただけで頭がショートしかけたからこそ、箒はVパンだけを意識的に排除していた。想像ですらそれなのに、Vパンを穿いた実物の昭弘を目にしたら自分はどうなってしまうのか、思い浮かべるまでもなく目に見えている。

 だがそんな動揺している箒を無情にも一夏は一旦放置し、次なる段階へと進む。

 

「じゃあ最後は昭弘に決めて貰いましょうか」

 

 まるで鶴の一声を聞いてしまった様に、箒は恐る恐る昭弘に振り返る。

 視線の先には、顎に拳を当てて悩む昭弘が。

 

「……オレは一夏が持ってきた水着の方が好みだ。動き易そうだしな」

 

 もし浅瀬を歩く場合、大腿部に布の無い方が水の抵抗も少ないのではないかと、そう昭弘は考えた様だ。

 

 対する箒、沈黙、そして静止。眼球だけが、箒の時間が止まっていない事を証明する様にカタカタと震えていた。

 

「決まったとあっては、早速試着して会計済ませちゃおう」

 

「ああ、良い水着をありがとな一夏」

 

 またしても勝手に進める一夏。今度こそは我に返って反応出来た箒は、最後の悪足掻きに打って出る。

 

「ならせめてその色合いだけは変えさせろ!派手過ぎる!」

 

 そう言ったかと思えば、先程一夏が物色していたメンズコーナーへドタバタと赴き、またしても黒無地の海パン(V)を持って来た。

 

「だ、そうだけど昭弘はどう?」

 

「柄は確かに黒のが良いかもしれん」

 

 色合いは割とどうでもいい昭弘だが、目立たないのならそれに越した事はない。

 

「だってさ。良かったね箒」

 

 ドヤ顔を決める箒に、一夏が温和にされど突き放す様に言葉を贈った。

 

 その後、男性用試着室の方から「お披露目は浜辺で」と一夏の声が聞こえてきた。

 否、聞こえてしまった。

 

(ドヤ顔している場合ではなかった…)

 

 浜辺に着いたら、どうしようも無く昭弘の裸体を拝む瞬間がやってくるのだ。

 カクンと力無く首だけを垂れる箒。せめて昭弘の水着姿を目にしても気絶してしまわない様、凡そ2週間みっちりと想像という名の妄想を繰り返し、昭弘の素肌に対し少しでも耐性を付けておくしかない。

 

 だが、自身の選んだトランクスをアレ以上昭弘に強要しなかったという事は…そういう事だ。

 

 

「一夏ぁ。どの水着が良いか意見聞かせて欲しいんだけど」

 

「男子諸君ー、僕に似合いそうな可愛くてそれでいて昭弘以上の凛々しさが滲み出ている水着探してるんだけど…」

 

 ハンガーラックの影からひょっこり顔を出してきた鈴音とシャルロットは、棒立ちのまま項垂れる箒の姿を捉える。

 

「…どしたのよ箒」

 

 すると、箒は頭を持ち上げては虚ろな瞳を2人に見せる。

 

「……ISに匹敵する武力が、この世にはまだまだあるのだなと思ってな」

 

「「?」」

 

 言葉に憂いを乗せる事で、無力感を身体全体へ表出させる箒。

 

「昭弘と一夏なら、今は試着室だ。ラウラは知らん…」

 

 試合で負けた後の様な悲哀漂う疲労感をそのままに、箒は白いカーテンを指差す。

 

 鈴音とシャルロットは軽く礼をし、細い指が示した方向へとパタパタ進んで行く。

 そして何の遠慮も躊躇も無く、男の香りが充満する試着室へ足を踏み入れる。

 

「ちょっと入って来ないでよエッチ」

 

「アンタにだけは言われとうないわ元ラッキースケベ」

 

「昭弘ー、そろそろ一夏借りてくけど良いかい?僕の野望の為に」

 

「もう少し待ってろ、それと勝手に個室を捲るな、あと出てけ」

 

 カーテン奥から四者の声が流れてきたのを確認すると、箒も地中に沈んだ意識を地上へ掘り起こそうと務める。

 

(…私も自分の水着を探すか)

 

 

 

 

 

 

 次々と場面が移り変わる、各々の水着選び。今度は箒と本音だ。

 否、その様子を時折視界に入れながら水着を選ぶ振りをするセシリアだ。

 

 彼女もまた水着が決まっていないが、上下青で統一という部分までは辿り着いており、候補もいくつか見出している。

 

 難関はその先だ。本音に、どの水着が似合うか最終的に選んで貰わねばならない。

 ただ聞けば良いだけなのだが、この素直になれない令嬢にはそれが至難なのだ。そうこうしている内に、箒に先を越されてしまった訳だ。

 

(私が悪いとはいえ早くして下さいな箒!物色する振りって中々に疲れますのよ!?特に腰が!)

 

 時折目線にそんな念を練り込むセシリア。

 

 

 

 当然、本音と箒も一定間隔で此方を覗く瞳についてはとうに把握している。

 

「なぁ本音。多分だがセシリアの奴も、水着選びを手伝って欲しいのでは…」

 

「駄目駄目~~、セッシー何着か候補持ってたもん。後はオリムーに選んで貰わないと~」

 

 本音の突き放す様な反応を聞いたがしかし、箒もまた納得する。

 これだけ多くの大小様々な布の中から選び抜いた数着。最後の1着は、意中の相手に選んで貰うべきだろう。それは正に、勝負水着を複数枚本音と共に厳選している今の箒が同じく目指す状況だ。

 

 デートスポットが同じと来たら、やはり手段も似通うものなのだろうか。

 ここで「セシリアの意中の相手が一夏ではない」事に気付けていれば、本音に満点を与えてやれるのだがと、別に嬉しくもない満点を取れた箒は何も言えず苦笑いする。

 

 何であれ、箒は本音を行かせるべきと考えていた。本音のファッションセンスが抜群なのは、箒自身先程から強く感じている。少し独特ではあるが。

 そんな本音をいつまでも独り占めは忍び無い。

 

「行ってやってくれ本音、私としてはこの3着で十分だ。感謝する」

 

「えぇ~?もうちょっと回ってみようよぉ~、もっと良い水着あるかも~」

「それにセッシーはしののんにとってライバルでしょ~?」

 

 箒もセシリアが誰に想いを馳せているのかまでは分からないが、ここは本音に合わせておく事にした。誰が誰を好きなのか好きでないのかなんて、箒自身余り積極的に言い触らしたくはない。

 それに、誤解とはいずれ解けるものだ。

 

「ライバルなら尚の事対等でないとな。それにセシリアは、ライバルである以前に大切な友人だ」

 

 箒は鋭い剣の如き仏頂面を屈託の無い笑顔へと変えながら、そう言ってのける。言葉に嘘偽りは無い。

 そんな顔でそんな事を言われてしまえば、流石の本音も断れない。

 

「しののん成長したね~~。よしよし~」

 

 余った袖で頭を撫でに掛かる本音に対し、箒は赤面しながら再び仏頂面へと戻る。別に褒められる事でもないので、高校生にもなって撫でられた事が二重の意味で恥ずかしかった。

 

 

 

「セッシー、捗ってる~?」

 

 先の箒と本音のやり取りなんて露程も知らぬセシリアは、念が届いた等と心の奥で歓喜の旗を立てる。

 が、その喜びも束の間。何と言葉を返すべきかごく短い間に熟考する。当然、ここはちゃんと本音に一声掛けなかった点を先ず詫びるべきだろう。

 セシリアが素直になれればの話だが。

 

「丁度良かったですわ!実は今凄く悩んでおりまして…」

 

 セシリア自身も泣きたくなる、情けない返答であった。

 一夏に対しては比較的素直でいれたのに何故本音相手だとこうなってしまうのか、これはもう論文を数枚認める必要があるかもしれない。

 

 今はそれ以上にもっと先決すべき事柄がある。

 セシリアとしては本音に一着を選んで貰いたい。問題は、それを彼女にどう上手く説明するかだ。まさか「貴女を一番お慕いしてるので貴女が選んで下さいまし」なんて、このセシリアが言える筈も無い。言えたらこの上無く素晴らしい事だが。

 

 そうしてどうにか「最善の妥協案」が間に合ったセシリアは、それを今口にする。

 

「一夏以外の誰かに選んで貰いたくて」

 

「オリムーじゃなくて良いの~?」

 

「その考えこそ安直かと。どんな水着なのか事前に存じ上げていては、海辺で晴れ姿を披露する際に驚きも少なくなってしまうでしょう?」

 

「あ~、確かにそうとも言えるね~」

 

 我ながら渾身の出来ではないかと、心の中で評するセシリア。

 彼女の言い分を聞いて、案の定本音は納得してしまった。

 

 

 そんなこんなで、女性用試着室近くのラック脇にて4着の水着を見比べるセシリアと本音。

 

 とここでセシリアは、この提案の重大な欠落に気付いてしまう。それは本音が、一夏の目線に立って水着を選ぶであろう事だ。それもその筈、本音からすれば一夏に見て貰う為の物色なのだから。

 つまりこのままではこの水着選び、本音のセシリアへの意識が介入せずに終わってしまう。

 

(早く上手い事言い包めなくては!)

 

 必死に瞼を閉じるセシリア。だがどれだけ頭を振り絞っても、出てくるのは冷や汗ばかり。

 

 

 対して本音。表面上は普段通りにこやかだが、その心境は複雑だった。

 この中から、一夏が好みそうな一着を選び抜く。それによりセシリアが浜辺で喜ぶ顔を見られるなら、本音としては嬉しい事だ。

 だがそれを為すには、自分の感情を定位置に沈めねばならない。「この水着を纏ったセシリアは…」という、己の情動を。

 

 この中から理想の一着を選んでも所詮、在るのはただ一夏に「似合う」と言われて喜ぶセシリアと、その水着を選んだ「友達」である自身への感謝だけ。

 

 本当は一夏の為では無く、本音自身の為にセシリアの水着を選びたい。本音の心に咲く花が似合うと感じた水着を、セシリアに着て欲しい。

 それは言ってしまえば本音の我儘であり、セシリアの想いを無視した身勝手な着せ替え人形ごっこだ。

 

 一夏目線だろうと本音目線だろうと、選んだ所で本音に待っているのは傷心。

 その結末を思い浮かべた本音は、とうとう「逃げ」に走ってしまった。セシリアの心を蔑ろにするのも、本音の選んだ水着で一夏が喜ぶのも、そんな彼を見てセシリアが喜ぶのも、本音の望む所ではない。

 

「……ゴメン、やっぱり私には選べないや~。どれもセッシーに似合いそうだし~」

 

「…そうですか。まぁ?この私に似合わない水着なんて、端からありはしませんが」

 

 まさかの厳選拒否に、セシリアの内心は。

 

(不味いですわ不味いですわ不味いですわ何か何か何か考えなさい私考えるのですのよ本音に選んで貰う方便を今一度…)

 

「力になれなくて…本当にゴメンね~」

 

 そうして本音はいつもの笑顔を貼り付けたまま、セシリアに向けていた顔をゆるりと反対側へ転換させようとする。

 

(んーーーーー……ハッ!)

 

 閃きがセシリアの脳内を照らしたと同時に、彼女は無我夢中で直近のハンガーラックに手を突っ込む。その勢いたるや頸動脈を狙う貫手の如しだ。

 

「これにしますわ。この4着から選ぶのも最早面倒ですし、そもそも私に着こなせない水着なんて御座いませんわ」

 

 その色も駄目形も駄目駄目な水着が視界端に入り、本音は動きを止める。

 だが僅かな時間の静止の後、普段からは考えられない機敏な動きでツカツカとその水着に近付く本音。

 

 そして笑顔のままそのダサい水着をセシリアからブン取ると、元あった場所へ乱暴に戻す。

 尚も笑顔のまま、本音は優しい口調を変えずに言い放った。

 

「厳選の続きしよ~セッシー」

 

 本音のファッション魂に火がついたのだ。そしてその炎により、先の暗い思考も瞬時に焼き尽くされてしまった。

 

「そ…そうですわね」

 

 狙い通り事が運んだとは言え、普段と変わらぬ筈の本音の笑顔に悪寒を覚えたセシリアであった。

 

 

 

 そうして渾身の勝負水着を選び終えた2人。

 

 後は最終試練、試着室にて水着姿を直接本音に見て貰わねばならない。当日一夏に見せるという体裁なのだから、実際に着てみてどうなのかはやはり本音とセシリアで確認する必要がある。

 セシリアはそれが偉く緊張するのだ、もう本音に晴れ姿を見せる事が。

 

 よって、本音の一言はセシリアの張り過ぎていた心を大いに緩めた。

 

「セッシーどうせ似合ってるから、見せなくても大丈夫だよ~~」

 

「えっ?あっ…左様…ですか」

 

 そう言い、本音はずっと隠す様に持っていた自身の水着を握り締める。

 

 本音もさっきまでは、自分一人で選んだ水着を試着室でセシリアに見て貰おうと思っていたのだが、セシリアの意見で考えが変わったのだ。

 好きな人に、魅せたい時魅せたい場所で、己の水着姿を見せたい。

 

 だから本音も、今は青い水着姿を纏ったセシリアを見ない。それは最初に海辺で拝んでこそ、より己の心を鮮やかに満たすものだから。

 

 

 そんな本音の天使すら凌駕する笑顔を浴びたセシリアは、疑問を吹っ飛ばした後、空になった頭の中で飛び跳ねながら号泣し拳を天へ掲げていた。

 

 事が上手く運んだだけではない、聖母の笑顔を至近距離で拝めた。彼女はそれに対する達成感と悦楽に同時襲撃されていた。

 

 今まで哀しい程に縁遠い存在であった、本来向けるべき人が向けてくれなかったその笑顔は、いつもながらセシリアを心地良さの極地へと誘う。

 

 

 




・おまけ



 シャルロットは参っていた。欲しい水着が一向に見つからない。

───男っぼいか可愛いか、どっちかに絞れば?

 それが一夏のアドバイスだった。要するに「多分そんな両極端を揃えた水着なんて無いから諦めなさい」と一夏は遠回しに言ったのだ。

 解っている。本来ならシャルロットだってとうに諦め、一番の妥協案である「可愛い水着」を探している頃合だ。

 ここがこんなにも広くそして病的なまでに品揃えが豊富でなければ、早い内に諦めもついていた。
 男性用ですら普通の店の倍近く種類があり、デザインも最先端どころか下手したら近未来的ですらある。猿の尻尾が付いた海パン、男性用のパレオ等。
 女性用のビキニもそれに比例するが如く膨大だ。それこそ極小の布膜からフルボディスーツまで、エロスからプリティまで、果ては最早ドレスじゃないかってのまで事細かに揃っている。

 こんなの諦め切れる筈がない。
 きっとどこかにあると、手前から奥まで端から端まで探してしまう。

(せめてイメージさえ固まってればなぁ)

 見つからない最大の要因はそれだった。
 男の様に格好良く、女の様に可愛らしい。それが具体的にどんな形状なのか、まるで想像が頭の中に浮かんで来ない。
 ならば感覚だけを頼りに片っ端から品々を見回るしかない。

 そして現在の有様だが、もうここまで来たら戻れない。どんなに辛くともここで諦めたら、今までの40分間が水の泡だ。

 必ず探し出す。
 建築物無き一帯を照らす太陽、青空に鎮座する巨神の如き入道雲、その青空よりも更に蒼い太平洋、そしてそれら全てにより一面が白き宝石と化す砂浜。
 そんな中、美少女たちの眼差しを浴びない選択肢が何処にあろうか。注目の的とならない理由が逆にあるだろうか。いや、無い。

 この臨海学校、主役は自分だ。ゲジ眉マッチョやオカマイケメンの出る幕など皆無。

(いょぉし!こうなったら例え皆に置いてかれようと2時間でも3時間でもこの店に居座ってやるぅ!)

 改めて気合いを入れ直し、飛び出さん程の炎を瞳に宿した瞬間───

 彼女の視界端を、銀の長髪が横切る。
 ラウラ・ボーデヴィッヒ。シャルロットにとっては「美少年」という立ち位置を脅かす危険な、然れど自然と人を惹き付けてしまう点に奇妙な羨望を抱いてしまう存在だ。

 だがそれ以上に、ラウラがハンガーごと持っている水着だ。
 そう、凡庸な感性を持った人間なら決して選ばないであろうソレが、シャルロットの網膜に斜め脇から突撃する。



 彼女の脳内を、橙色の図太い霹靂が一束穿いた。



(コレだ)

 見えたのだ、形を成したのだ、一致したのだ、彼女の欲していた水着が。

 なれば善は急げと、シャルロットはラウラが向かって来た方角へと小走りする。
 あんな水着が置いてあったのだ、近くのハンガーラックに「同系統」の水着がある筈。残りは彼女の第六感だ。

(クフフヒヒ。昭弘め、今の内に素知らぬ顔で注目を集めるがいいさ。来週の砂浜、女子の視線の中心に立つのはこの僕だ!)

 解放された様な破顔から、謀を推し進めるが如く不敵な笑みへと表情をシフトするシャルロット。

 だが抑々が、これだけ男装にドハマりした大元の要因が他ならぬ昭弘の助言なのだから、シャルロットの対抗心が何やら虚しく思えてしまう。

 そして───

「あった」

 神の思し召しか、彼女の想像と寸分違わぬ水着がそこにはあった。




───数分前

 ラウラの不機嫌という名の火山弾は、今や積雲を突き抜けた。つまり既に噴火済みである。
 それでも女子たちの興奮には何の影響ももたらさない。

 一々言葉にするまでも無く、ラウラは髪が脹脛まで届く程の長さでしかも童顔、更には子供の様に低身長。アイパッチを除けば、男女どちらから見てもとても可愛らしい見た目をしている。

 そんな彼が、クラスの女子と共に衣料品系の店に出向けばどうなるか。必然として女子による「着せ替え祭り」が始まる。

「ラウラ次こっち!…あーでもこっちのフリルも捨てがたい!」

「イヤイヤ、ラウラきゅんはスク水でしょどう考えたって」

 もう何度目になるだろう、相川と谷本の小競り合い。

 当然の事、ラウラは彼女たちの薦める水着なんて一つも試着していない。
 元より、生み出されたその瞬間から兵法しか学んでいない彼だ。衣服であれ水着であれ、ファッションの何たるかなんて1ミクロンも知らないし興味も無い。
 故に服飾関係に対する羞恥心も無いのだが、だからと言って試着する気も毛頭起こらない。適当な水着をとっとと試着してさっさと会計を済ませたいラウラからすれば、只管に面倒なだけだ。

 だが、相川らの反応を観察して段々と状況が見えて来たラウラ。

(…こいつら私で遊んでいるな)

 そうと解ればラウラもプライドの鬼だ。
 これまで提示されてきた10着以上もの水着。それらを着て女子共を無駄に喜ばせる位なら、少なくともその10数着だけは絶対に着ない買わないと彼は心に定める。

(いやどうせなら、やられた分キッチリとやり返すべきだろう。馬鹿共の悦が瞬時に青褪める様なとんでもない水着を買ってやる)


 そんな最中「この男」がこの場に居合わせたのは、偶然の一言で片づけるには生温いタイミングであった。

「コレなんてどうだ?」

 昭弘がハンガーごとソレを掲げた瞬間、女子一同先程の喧騒が一瞬で萎み、ついでに登っていた血も下へと引き返す。
 有り得ない、信じられない、先を行き過ぎ、次元を間違え過ぎ。それら全てが合わさって最終的に「凄い」としか言い様のない、しかして言葉に出来ない、どう反応すれば良いのか判らない、作り笑いすら出せない、そんな水着だった。
 もし昭弘が狙った訳でなく素でこの水着を提案したのなら、服を買う際は必ず誰かと一緒に行った方が良いとその場の女子全員が満場一致で思った。

 そんな女子たちの反応を見て、ラウラは口角を上げて昭弘からハンガーを貰い受ける。

「これにする。でかしたぞ昭弘、流石は心の友よ」

「本当にこれで良いのか?」

 半ば悪ノリでその水着を挙げた昭弘だが、彼には「似合う」等といった感性自体が解らない。ただ色がラウラの髪と同じだったから、何となく選んだだけだ。

 そんな念を押す昭弘に乗っかる形で、相川もラウラを制する。

「そ、そうだよラウラ。もう少し…考え直してみたら?」

 確かに機能性に優れているかは何とも言えないが、そもそもラウラには軍隊仕込みの遊泳能力がある。水着の機能性なんてごく微量の差でしかない。
 よって、最早水着なんて何でも良いラウラは相川の制止を振り切る。

「では早速試着だ。全く楽しみでしょうがない」

「ちょっ、待って。さっきはアタシたちもやり過ぎた、マジでゴメン。だから早まらないで、待って待って待って待ってああああああああああ!!!」

 ズンズンと試着室へ進むラウラ、狼狽える女子一同。
 
 何故皆がこの様な状況に陥っているのか、当然ながら昭弘には解らない。


 無知は罪などとよく言うが、この様に時と場合によっては最強の武器と成り得るのかもしれない。


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第61話 水着に秘める ②

前回の前書きで書き忘れていた事を、こちらの前書きに書かせていただきます。

皆さん1年近くも待たせてしまい、申し訳ありませんでした。
久しぶりの連投開始で、指が震えます。







 10着。

 

 短い時間で、一夏が鈴音に見繕った水着の枚数である。

 

 女に性的興味なんて一切無い一夏だが、それでもやはり可愛いものは可愛い。見慣れた幼馴染というハンデを含めても、鈴音は一夏にとって誰よりも可愛らしい女の子だ。

 故にアレも似合いそうコレも似合いそうと、自身の想像と実際の水着とを照らし合わせたくもなろう。

 

 衣服であれ何であれ、悩み選び抜く事こそ買い物の醍醐味。そう考えている鈴音にとっても、今この状況は少しワタワタして大変だが楽しいものだった。

 

(……メッチャ見られてるし)

 

 今この瞬間までは。

 ラックの物陰から、物色する一夏と鈴音を恨めしそうな視線で射抜こうとしているのは、鈴音と同じ一夏の幼馴染である箒だ。もしこの場に本音が居れば「しののんデジャブデジャブ~」等と言いそうだが、もう先程のセシリアなんて箒の頭には無い。

 「また他の女とイチャつきやがって朴念仁」「さっさと選び終えろこのセカンド幼馴染」的な事を思っているんだろうなと、鈴音は箒の陽炎の様に揺れる瞳を見てそう結論付ける。

 

 だとしたら嫉妬に関しては完全に箒の勘違いである。

 

(まぁでも、箒とは一夏の事でバチバチやってきたし、今更何言っても信じて貰えないわよね…)

 

 それと並行して鈴音は自身が知り得る各々の相関図を整理し、どう動くべきか決めようとする。

 

(えぇと?箒は一夏と昭弘の事が好きで、一夏は昭弘の事が好きだけど箒の事は…どうなんだろ。当の昭弘は誰が好きなのか不明…なァーもう紛らわしい!)

(……よし、昭弘が来るまでこのまま待ちましょう。箒には悪いけど、もう少し一夏に水着選び手伝って欲しいし、それに箒の事だからどうせなら一夏と昭弘2人に選んで貰いたいだろうし。一夏にとっても昭弘居た方が良いっしょ、何であれ。昭弘も何やかんや箒と一夏の元に戻ってくる筈)

 

 そう答えを密かに出した鈴音は、自身の完璧な気遣いに我ながら感服したのか得意気に水着の選定を続けた。

 

 

 

───5分後

 

「こっちよりかはこっちの方が良いかも…ってどうしたの鈴?冷や汗凄いけど」

 

「え!?い、いや普通の汗だし!さっきから暑いわよねこのモール!」

 

「オレはそんな事ないけれど…」

 

 完全に失策であった。

 まるでわざとらしく見せびらかす様に一夏との物色を続行した鈴音(箒視点)は、今正に箒から凄まじく高密度の凝視光線を受けていた。まるで喉元に何かの切っ先を突き付けられる程の視線に、流石の鈴音も恐怖の透液を身体中から噴出させてしまう。

 

(てゆーか直接言いにくれば良いじゃない!何でその場から動かずずっと睨んだままなのよ!?)

 

 一夏の前で事を荒立てたくないからである。その辺りは多少成長した箒だが、逆に言えば角を立てずに交渉等が出来ない口下手とも。

 

 それはさておき、このまま蛇睨みが続けば彼女の精神が持たない。

 

(もう昭弘居なくてもいいから、適当に理由付けてこの場から去ろっか。いや、でも…)

 

 やはりそれは何か違うと鈴音は思った。

 理に欠けるものと彼女も解っているが、昭弘と一夏、箒の意識をどちらか片方に傾けてはいけない。学園生活とISバトルを通して芽生えたその意思に、鈴音は逆らえなかった。

 

 一刻も早く箒の殺気から逃れたい、しかして昭弘も居なくてはならない。それら2つに支配された鈴音の次なる行動は早かった。

 

「………ちょっと待ってなさい一夏」

 

 そう告げた鈴音は、ショップ全体をグルリと見渡す。それで短髪の巨漢を視認すると、目標目掛けて猛ダッシュ。

 この後、店員に優しく注意された鈴音であった。

 

 

 

「結局昭弘にも選んで貰うのね」

 

「だって10着よ?」

 

 ほぼ半強制的に連れて来られ当惑し切った昭弘を他所に、何事も無かった様に水着選びへと戻る一夏と鈴音。

 

「いや待て。何故誰よりも疎いオレにしたんだ?」

 

「女の水着は男に選んで貰った方が確実なのよ………オグッ!!?」

 

 突如、鈴音は蹲る様に腰を激しく曲げる。震える右手で下っ腹を抱え、強く食い縛られた上下の前歯が何かを訴える様に唇からその姿を現す。

 

「ちょ…何か急にもよおして来た…ゴメン!一旦抜けるわ!」

 

 そう言って昭弘を呼んだ張本人である鈴音は、近くの店員に水着10着分を預けてショップ外へと飛び出す。

 

「あの子さっきから汗凄かったんだけど、やっぱり我慢してたんだね」

 

「ならせめてオレを呼ぶ前に行っとけっつの」

 

 取り敢えずその場で待つ事にした男子2人であった。

 

 

 

 迫真の演技を見せつけ館内を一周してきた鈴音は、姿勢を低くしながらショップへ再度侵入。更には水着を預けた店員をコッソリ呼び止め、無事回収した。

 そうして店奥のラック等が乱立し酷く入り組んだ所で一人、立ち尽くしながら呟いた。

 

「アタシってホントイイ女ね」

 

 額に汗を滲ませながら、台詞と共に徒労感を表現する鈴音。

 それでも、彼女は今確かに心安らいでいた。あの3人が揃った事、箒にとっての「一番」が2つ揃った事実に対して。

 

 鈴音が惹かれるのは、そんな篠ノ之箒なのだから。

 

 

 

 鈴音が便意をもよおした事で、どうにかこうにか昭弘と一夏に水着選びを頼み込めた箒。

 

「にしても、女の子ってそんなに男の子に選んで貰いたいものなの?オレが女だったら同性と一緒に選ぶけど」

 

「さぁな…」

 

 聞いての通り、誘い文句はそのまま鈴音の言葉を使わせて貰った箒。

 

 さっきこそ鈴音を酷く疎ましく感じていた箒だが、結果的には彼女のお陰で昭弘と一夏が丁度良く揃ってくれた。誘い文句についても、鈴音に感謝すべきだろう。

 

 何やかんやで、箒は時々こうして鈴音に助けられる。昭弘と更識簪の事で一人勝手に思い込み沈んでいた時も、彼女はさり気無くフォローしてくれた。

 今回の件と言い彼女は助けたつもりなんて無かったのだろうが、実際箒は助けられたと毎回感じている。

 

(一夏を狙うライバルとは言え、何かお礼をしたい所だな)

 

 想い人たちと水着を選びながらライバルの事をも想ってしまう彼女は、成長したというより単に甘いだけなのだろうか。それとも…。

 

 

 

 箒と一夏が、何度も持ち替えては睨む様に見比べる3着の水着。昭弘はその光景を眺める事しか出来ない。

 夫々形や色が違うのは解るが、違うから何だというのか、似合うとは何なのか、抑々何が正解なのか、昭弘には全てが解らなかった。

 

「ホラ、昭弘も仏像みたいに突っ立ってないで選びなさいな」

 

「ん?……ああ」

 

 冷たい手で優しく撫でる様な一夏の一声で、昭弘は思考から引き戻される。

 視界の中央、赤ん坊を抱き抱える様な一夏の両腕の中には3着の異なる水着が。その隣には、箒が強ばった表情のまま昭弘を注視していた。

 

「……この3着から選べばいいんだな?」

 

「う、うむ。手数を掛けてすまぬが…」

 

「…」

 

「…」

 

 箒には昭弘の困惑が手に取る様に解った。

 当然だろう、育った環境が流血硝煙入り混じる冷たき渾沌である昭弘には、水着なんて哀しい程縁遠い存在だ。店に入った直後を思い返すまでもない。

 それでも昭弘に選んで欲しいなら尚の事何かしら助言をせねばならない箒だが、痺れる様な胸の高鳴りを抑えるのでただただ精一杯であった。

 

 

 腫れ上がる様な赤い顔で緊張の眼差しを向けて来る彼女。

 そんな期待の輝きを見せられても、お洒落に無頓着どころでない昭弘にはやはり決め難い。どれを選んでもハズレな気がするし、逆に正解な気もする。こんなにも難しい事を平然と為している皆には感服すら覚える。

 もう山勘で選んだ方が、何に悩んでいるのかも解らない現状より幾分マシかもしれない。だがそんな彼女の相談をあしらうが如き所業、この男に出来る筈も無い。

 

 

 さっきから見てればてんで煮え切らない2人に、一夏は聞こえない程度の小さな溜息を吐く。

 人の気持ちなんて一夏には未だ解らない事ばかりだが、昭弘が箒に箒が昭弘に向けている感情の正体には誰よりも近付いている。

 

「チョット」

 

 故に昭弘と箒が何故硬直しているのか想像出来てしまっている一夏は、先ず片方の硬直を解すべく耳打ちする。

 

「昭弘?こういうのは本能のままチョイスすれば良いの」

 

「……野蛮だな」

 

「海では女もそれを求めてるよ。どうせ女の水着なんて裸に近い格好なんだから、男のアンタが理性で選んだってしょうがない」

 

 なんてのは一夏の実体験でも何でもない、単なるイメージだ。男の身体である一夏に女の水着は着れないし、女の生肌を見ても何とも思わない。それでも、昭弘の為に一夏は演じ続ける。

 そこからギアをもう一段回上げる様に、一夏は更に甘く粘質の強い声で昭弘に囁く。

 

「想像して?水着姿の箒を。一つに束ねられた瑞々しく滑らかな黒髪、長いそれによってもっと際立つ彼女の白い裸体…豊満な乳房に、凝縮されたウエスト、そして丸く弾力のありそうな臀部。そんな彼女が身に纏っているビキニは?」

 

 艶めかしい吐息に乗せる喘ぎに近い声、そしてそれらによって繋げられる性の芯を揺さぶる言葉。

 

 気が付けば昭弘の両手には3着の水着が乗せられていた。

 赤、白、黒。どの水着も女性の下着であるパンティとブラジャーそのままな、胸から下の腹を広く曝け出したモノだ。

 

(………これを着けた…箒)

 

 シンプルで飾り気の無い、しかしだからこそ彼女の細くとも肉質なボディを際立てようソレら。

 頭の中を良く凝らして、想像上の箒の裸体にソレらを着せる昭弘。

 

 先ずは黒い水着を身に着けた箒だ。普段から打鉄を乗り回してる彼女には似合うと踏んでた昭弘だが、実際に想像してみると意外な程何も感じなかった。

 

 次に白い水着だ。此方は黒とは逆にそこまで似合わないだろうと高を括っていたが、それは大きな間違いだった。汚れを知らなそうな純白が、恥ずかしそうに顔を赤らめる箒を、より可愛らしくより美しくそしてより生々しく仕上げていた。

 そんな箒を想像し、昭弘は少しだけ情の中枢が熱くなった様な気がした。これが、一夏の言う本能なのだろうか。

 

 

 最後に赤の水着。

 

 想像した瞬間、昭弘の五体が謎の痺れにより動きを止める。

 炎の様に夕焼けの様に、或いは血の様に紅いその水着に裸体を委ねる箒。もっと激しい何かに例えるなら情熱の紅。一見クールな箒の中に潜む熱き心を知っている昭弘にとって、その紅に身を重ねた箒はおかしい程に自然であった。

 

 そうして昭弘の中枢にある「何か」も、その水着の紅に煽られる様に熱を帯びていく。

 紅い三角から広がる箒の生肌は、貫く様に官能的であったのだ。白い水着をも超える程に。

 

 あの時と同じ感覚だった。「あの夢」から覚めた後、寮の廊下で箒に出くわした時の、彼女を異性として強く意識する感覚。男の昭弘が女の箒を見た感覚。

 

 

 それは即ち崩壊の予兆であった。

 

 

 昭弘の中の箒が、どんどん塗り替えられていく。

 黒い一纏めの長髪が淡いクリーム色の二つ縛りに、武人の鋭い目がやんちゃそうな大きい目に、不愛想から小さくはにかんだ笑顔が満面の笑顔に。

 遂に箒は、永遠に癒える事など無い甘く深い傷を負った昭弘の心によって変えられる。その傷を負わせた張本人の姿へと。

 

───嗚呼、良く似合う。世界中の誰よりも

 

 昭弘の今にも涙してしまいそうな低い震え声を聞いて、ラフタは当然と言いたそうにニカッと笑った。

 

 本当に似合う、美しい、可愛らしい。口に出せばお世辞以下なその言葉たちが、本当の事なんだから仕方ないと昭弘の脳内を埋め尽くす。

 

 いやきっと赤に限らずどんな水着でも、ラフタに着せた瞬間「一番」であり「唯一」となってしまうのだろう。

 サファイアの太平洋を背にした水着姿の彼女は、世界中の財宝を掻き集めてもまるで足りない輝きを間違いなく放つのだ。

 

 

 いつか見たかった、ラフタの水着姿を。そして願わくば自分も海パン一丁の裸体となって、そんな彼女を抱き締めたかった、彼女に抱き締めて欲しかった、今生の別れとなってしまったあの日みたいに。

 

 これだけハッキリと目の奥で映っているのに、何故それが叶わない、何故声が聞けない、何故これ以上近付けない。

 

 何故、ラフタはもう居ない。

 

 

 

「昭弘!」

 

「!」

 

 突然ラフタの声が聞こえて現実に引き返してみれば、目の前には昭弘の右上腕を掴んだ箒が、一夏と共に心配の水面を瞳へ浮かべながら見上げていた。

 

「…大丈夫か?」

 

「……ああ大丈夫だ。少しボーッとしててな」

 

「…」

 

 だが、箒はバツが悪そうに視線を落としてしまう。やはり水着選びなんて、昭弘はやりたくないのだとそう思っているのだろう。

 

 それを察した昭弘は、自身のぶっきらぼうな部分に上書きするが如く、ぎこちない笑顔を浮かべる。

 

「安心しろ、もう決まっている」

 

「何っ!?本当か?」

 

「ああ、ちょっと待ってろ」

 

 一気に視線を上げて目を輝かせる箒に昭弘はそう言った後、白い水着と赤い水着を見比べる。

 何度も何度も大袈裟に見せつける様に見比べるその様は、自身を驚かせる為にわざとやっているのだろうと箒に思わせる。

 

 その実、本気で昭弘は悩んでいた。

 恐らく昭弘が好む箒の水着姿は「赤」だ。だがそれはラフタも同じ、いや箒以上と言っても良い。それではまるで、箒がラフタの劣化版みたいではないか。

 では「白」の水着にするのか。

 

(…たかが布切れじゃねぇか)

 

 そうと解っていても昭弘は躊躇ってしまう。箒の水着は本当に「赤」で良いのかと、後悔しないだろうかと。

 

───……ラフタは関係無い、オレはただ箒の為に選ぶだけだ

 

 そう、心を沈めるが如く呪文の様に重ね重ね自身へと言い聞かせ、遂に昭弘は決心する。

 

 彼は「赤色の水着」を選んだ。

 

「そ、そうか!昭弘は「赤」が私に似合うと言うのだな……ブツブツ」

 

 途中からフェードアウトする様に小声で何か言っている箒。だが口調や表情からして、別段赤い水着を嫌がってる訳ではない様だ。

 

 

 後は一夏がどの水着を選ぶかだが───

 

 一夏は顔全体隅々まで表情筋を連動させ、ポーカーフェイスを眩い笑顔に変えて言い放つ。

 

「奇遇ね、オレも箒なら赤って決めてたの」

 

「おおっ!何と!」

 

「…確定だな」

 

 最後の昭弘の一言で、箒と一夏は「おー」と歓喜の声を普通の声量で放ちながら小さく拍手する。

 

 

 再来週、赤いコレを身に着けた“己の全て”を披露する。その時その場に居る一夏と昭弘の反応を想像するだけで、先の羞恥に塗れた箒の心は見る見る内に回復していった。

 

 

 

 

 

「そうだ昭弘。箒と一緒に余った水着返してくるから、アンタ赤いの持って待ってて」

 

「?…分かった」

 

 確かに男2人で女性用の区画を彷徨くのは嫌な注目を集めるし、水着を持ってきたのは箒なのだから元あった場所は彼女が知っている。

 それより店員に任せれば良い気もするが、深くは考えない事にした昭弘であった。

 

 

 

「にしても、なんか勿体無い。この2着も絶対箒に似合うのに」

 

「なっ!?(また貴様は無意識に…)」

 

「何ならオレが買ってあげよっか?」

 

「いやそれは流石に悪い…。兎に角だ!私は一夏と昭弘が選んだあの水着だけで良いのだ」

 

「そ」

 

 他愛ない会話を事も無げに途切れもせず続けていく一夏と箒。言葉のキャッチボールは噛み合ったりそうでなかったりだが、それでもこの2人は一度会話が始まると中々止まらない。

 幼馴染故に為せる技だ。

 

 そうして会話の波に乗っていると、所定の水着コーナーに着いてしまっていた。

 箒は小さな目的を果たして息をつく半面、一夏との会話が途切れてしまい口惜しむ。

 

 

「……ねぇ箒」

 

 だが一夏は未だ会話を終わらせる気が無いのか、そう言ってハンガーを戻そうとする箒の動きを止める。

 

「やっぱり箒も、前のオレが良い?」

 

 それを聞いて彼女は既に動きが止まっている身体を、更にまるで時間そのものが停止したかの様にピタリと静止させる。

 

 数秒程そうして固まった後、辛うじて口だけは動かす事が出来た。

 

「…急にどうしたのだ?私は別に───」

 

「答えて」

 

 命じる様でも頼む様でもない調子で、ただそう短く一言だけ発する一夏。意味の無い問答の様に箒には思えた。もし箒が「以前の一夏が良い」と答えれば、一夏はそれに従うのか。そんな訳が無いからだ。

 だがその抑揚無く有無も言わせない調子で言われてしまえば、質問の意図を訊ねる前に答えてしまう箒であった。

 

「……今の方が話し易くはある」

 

 嘘ではなかった。実際、箒と一夏の間にある距離感はここ最近狭まっている。

 一夏から話し掛ける場面が増えただけでなく、彼が今迄以上に料理に精を出しているので、日々料理の腕を磨いている箒としては会話が弾むのだ。会話のバリエーションが増えたと言うべきか。

 

 だがその更に内側、心の距離は大きく変わってしまった気がした。長いとか短いとかではなく、距離の種類そのものとでも言えば良いか。

 

「………そっか」

 

 そう言って一夏は薄く笑った。それは嬉しさと哀しさを同時に表出させた、美しい笑顔だった。

 

 それ以上箒は何も言えなかった。

 

 今迄共に過ごしてきた事実は変わらないと、きっと一夏は一夏であると思っていた。一夏である以上、どんなに性格が変わっても彼を愛するこの想いは変わる事なんてないのだと。

 

 想いは、変わってしまった。

 

 直向きに剣を振り、少し子供で、古臭くも女に守られる事を嫌う「男」。女の箒が惹かれたのはそんな一夏だ。

 それらは全て裏返ってしまった。他ならぬ昭弘と、そして自分たちが起因となって。今箒の眼前に立つこの「女の様な男」は、一夏であって一夏でないのだ。女だとか男だとか、人間である以上無限に高く聳え立つ性の壁すら頼り無く感じてしまう様な。

 そしてその壁は、箒にとって無くてはならないものだった。少なくとも恋愛には。

 

 それだけならまだ「友達」として諦め切れるが、変わらない部分も残ってしまった。箒がずっと追い求めて来た淀みの無い剣も、乏しい表情から時折見せる眩しく屈託の無い笑顔も。

 そんな一夏は最早ただの友達でも、男らしい幼馴染でもなかった。

 

 想いは変わってしまった、愛も変わってしまった。それでも───

 

「私にとって、お前はお前だ。そこだけは変わらんから、そんなに気にするな」

 

 この気持ちが何なのかは解らない。それでも今の一夏を、箒は確かに愛している。愛の中身は違えど、今迄と同じ位に愛している。

 

「…ありがとね箒」

 

 一夏は変わらず嬉しそうで哀しそうな清く整った笑顔で、彼女に感謝の言葉を贈った。

 

 

 

 一夏は将来、箒と結ばれねばならない。箒が知らなくとも、それは彼の中で決まった未来だ。

 それを抜きにしても、一夏は純粋に嬉しかった。こんなに変わってしまった、男か女かも判らない自分を、それでも箒が「織斑一夏」として大切に想ってくれている事が。

 

 一夏も箒の事はずっと変わらず大好きだ。そう、ずっと何一つ変わらず。

 

 故にこそ思ってしまった、自分では箒の「性」を男として埋める事が出来ないのだと。

 どんなに時が経ってもどんなに意識しても、一夏にとって箒はただの「幼馴染」でしかなかった。それだけでは、決して互いに満たされる事はない。

 何より箒自身の性が、本当の更に奥底では誰を欲しているのか、一夏だからこそ解っていた。

 

 結局、どんなに愛そうとしても愛されようとしても、互いの気持ちはどうしようもなく存在してしまう。

 自然の介入しない「せめて」では、例えそれが幼馴染だろうと異性を好きになる事は出来ないのだ。

 

 だからわざと「赤の水着」を昭弘と同じく一夏は選んだ。それがきっと箒と昭弘、互いの為になるのだと信じたから。あの2人なら互いを異性として愛し合えるから。

 一夏自身が箒に着て欲しかった「白の水着」では、きっと彼女は輝かないから。

 

 一夏がやってる事は、束の意に反している事なのだろう。

 だが昭弘と箒は、一夏にとって己の命より大切な存在だ。その2人が互いを欲するのならば、一夏はこれっぽっちも助力を惜しまない。先程の様に演技だってしてみせる。

 それにもう十分一夏は箒に好かれている。これ以上はどう頑張っても、一夏の“好き”も箒の“好き”も変わらない。

 

 どうせ最終的に箒と結婚せねばならないのなら、今はただ自分の望む様に動くだけ。それが一夏の下した結論であった。

 

 

 

───それでも箒、昭弘をアンタだけのモノにはさせない

 

 

 

 それとは別の欲求が、一夏の尊い望みを蹴落とさんと今も暗躍している。一つの完成形へと到達しつつあるそれは、箒に対しては決して抱けないものだった。

 

 昭弘を愛しているのは、何も彼女だけではないのだ。

 いや自分こそが昭弘を誰よりも愛しているのだと、時折一夏は思ってしまう。それは幼馴染である箒すら、敵視しかねない位に。箒との婚約を恐れてしまう位に。

 女尊男卑もIS中心の社会も、一夏にはどうでもいい事。それよりもっと大昔から在る「性の壁」という概念そのものが、一夏にとっては邪魔で仕方がなかった。

 

 

 友情と信頼に溢れていた、昭弘と箒と一夏の関係。

 

 その美しかった正三角形は今、大きく形を変えつつあった。

 

 他ならぬ愛情によって。



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第61話 水着に秘める ③

 水着はその性質上、露出だ何だと堅苦しい服則が余り意味を成さない。加えて空からも砂浜からも灼熱が襲ってくる夏の海が舞台とあっては、周囲に釣られて我も我もと素肌を露にしたくもなろう。

 だが哀しいかな、子供にはやはり限度を設けねばならない。それが、子供を正しい方向へ導く教育者の務めなのだ。

 

 レゾナンスモール通路上のベンチに腰掛けてるこの織斑千冬教諭も、そういった名目で生徒らに付き添っている。その名目が無くともこれだけの大勢でお出かけとなれば、トラブルが起きないとも限らない。

 彼女はまるで生徒らに見せつけんばかりに眼光を薄く研ぎ澄まし、マイクロビキニ等いかがわしいモノを手に取ってないか見張る。

 

(ラウラOK、相川OK、デュノア…まぁOK、アルトランドOK)

 

 店内から隣のテナントからそして今座っているベンチから、あらゆる角度へ移動しては一人一人事細かにチェックしていく彼女。

 

 如何なる国家予算よりも優先すべき生徒たち、及びその見張り。但し「名目」の通り、これは他ならぬ千冬がすべき仕事ではなかった。他の教員に任せれば済む話だ。

 

 早い話が、合間の息抜きみたいなものだった。

 ただでさえ書類整理とカリキュラム作成で忙しい上、それと並行して束や中央アフリカ近辺で活動している亡国機業の動向も調べねばならない。再来週には臨海学校ときた。

 少しでも気晴らしに逃げねば身も心も持たないだろう、例えブリュンヒルデだろうと。

 

 目の保養とまでは行かないが、生徒たちが和気藹々と水着を選ぶ様子は懐かしい気分になる。千冬も嘗て体験した喜楽の一つだ。

 

 

 思えば彼女たち一人一人も、今日の様な時間を目一杯息抜きに使いたいのだろう。千冬も教師となって短いが、そのくらい解る。

 

 非限定空間におけるIS機動演習。本臨海学校の主旨でもあるそれは、生徒たちを焚き付けるに十分以上の火力を有している。平素から小さな空間でしか飛ぶ事が許されない彼女たちだ。境無き自由な空での戦闘訓練、入学したその時から心待ちにしていた筈だ。

 だが、ただ楽しく飛んでいれば良いとは行かない。与えられた重要な役割を果たすべく、強い意気込みを持たねばならない。専用機持ちなら尚の事。

 

 数百メートルなんて次元ではない、数キロ~数十キロ或いは更に長い射程下での戦闘訓練だ。専用機の開発社からすれば試したい新武装などごまんとあろう。それの試運用を任される搭乗者たちが受ける重圧は、子供が背負える許容範囲を超えている。

 それは専用機だけでなく、量産機に於いても同じく然り。つまりは一般生徒たちにとっても、決して他人事ではないという事だ。

 

 何も彼女たちは海水浴に浮かれてサボっている訳では無い。

 顔には出していないが、一般生徒も代表候補生も皆不安を和らげる為、己が精神的に追い詰められない為に必死なのだ。

 安息の時間は今日この時間と海水浴だけ。後は只管に鍛練と試行錯誤、そして本番だ。

 

 だがISに関わる者なら、誰しもがそういった踏み潰されん程の重圧を必ずどこかで受ける。鋼かダイヤモンドに並ぶ程硬く屈強な精神を以てして、それら重圧を跳ね返すしかない。

 

 だからこそ、千冬はその当事者たる彼女たちを愛おしく思ってしまう。

 

 

 その感慨に時折現れる懸念は、彼女たちとは立場や心境がまるで異なる生徒の存在を知ってしまっているからだろう。

 

(……無理だけはするなよアルトランド)

 

 昭弘が思い詰めてる事、己に罰を与えるが如く今迄以上に過酷な訓練を敷いている事、どちらも千冬にはお見通しだ。

 

 千冬も大人だ。束に都合良く誘導されたとは言え昭弘が責任を感じるのは解るし、彼がそれに対して何をしようとどう償おうとしても千冬は咎めたりしない。

 昭弘は大人ではないが、周囲程子供でもない。意味が有る無いの基準はある程度解ってるだろうし、精神も強靭だ。

 

 ただ、余り自分だけを責め過ぎないで欲しいのだ。どんなに硬く割れにくい精神を持っていようと、積み重なった自責の念はいずれ心を折る。

 

 

 

「隣、いいスか」

 

 噂話をしていた訳ではないが、千冬は「噂をすれば」と思いながら顔を上げる。すると、先程生意気にもVパンツを会計に持って行った生徒が居た。

 それでも、こいつなら履いても問題あるまいと千冬に思わせる程には筋肉質な青年だ。筋肉を余さず見せるにはVパンツが良いし、Vパンツを履くのならガリよりもデブよりもマッチョマンだ。

 

「おう、いいぞ」

 

 千冬は特に嫌がる素振りも見せず、昭弘を隣端に座らせる。

 すると彼は千冬と同じく、生徒が至る所に散っているショップ内へその目を移す。

 

「こっからだとよく見えますね」

 

「ん?何がだ」

 

「織斑センセイを何度もチラ見する相川ッスよ。店に入った時から様子がおかしいとは思ってたんですが…」

 

 『相川』と聞いて、千冬は薄い笑顔を濃い真顔へと変貌させる。それは昭弘を隣に招き入れた事を後悔する様に、今すぐ移動すべく算段を立てる様に。

 勿論、千冬が此処に座っていたのは偶然で、相川を見たかったからではない。寧ろ、相川が千冬の視界に合わせて移動したと見るべきだろう。

 

「……まさかとは思うが、そんな事を言いに来た訳じゃないだろうな?」

 

「いえ、ただ単に疲れたから座りたかっただけっス」

 

「…ならいい」

 

 余計な気を回すな、相川を話題に出すな。うんざりとした一言に千冬はそんな思いを含める。

 何を言われた所で千冬の心情が揺らぐ事なんてないが、余計なお節介も過ぎるとただ疲れるのだ。

 

 だが昭弘に千冬の心境は届かず、或いは存じた上でなのか彼は構わず口を動かす。

 

「水着、センセイも今(相川と)買ってきては?」

 

「生憎だが事前に買ってる。例え買っていなくとも、女子高生とキャッキャウフフしながら水着を物色なんてしないが」

 

「誰もそこまで訊いてないッスよ」

 

 ここ最近接する機会が増えて来たからか、それとも千冬のポンコツな部分が少しずつ露呈してきたからか、少々生意気になってきた昭弘はまるで煽る様に揚げ足を取る。

 

 対してそれを咎める気配など千冬には無く、寧ろ疲れた様に肩を落とす。もうこれ以上疲れさせるな、少し丸めた背中からそんな気配が漏れ出る。

 

「…何故お前はそうまでして私と相川をくっ付けたがる?」

 

 昭弘も、先日千冬が放った言葉を忘れた訳ではない。教師と生徒である以上、告白も振られもせず片想いで終わる事が一番だろう。

 だがもし、それが片想いでなければ───

 

 少しの間にそんな考えを纏めた昭弘は、さっきとまるで変わらぬ低いトーンで答える。

 

「……織斑センセイ自身も、相川に気があるからッスよ」

 

「…あ?」

 

 疑問と憤慨の声を千冬が漏らした後、昭弘はその後に続くであろう反論を先制する様に続ける。

 

「焼肉の帰り、アンタは「どうとも思わない事が()()()()()」と言った。本当に相川の片想いなら、「相川の為だ」と普通なら言う筈です」

「相川との距離の取り方も不自然だ、生徒平等を謳ってるアンタが。裏を返せばそれだけ意識しているって事になる」

 

「…」

 

 千冬の睨みは獲物に狙いを定めている様であり、何か機会を伺っている様でもある。

 

 だがそれも数秒程で、千冬はまるで睨み合いなんて端から無かったかの様に先の倍近く首と肩を落とした。

 他者の関係性に対して頗る鋭敏な昭弘、生徒に対して教師として上手く立ち回れていない自分自身、それらが同時に彼女の後頭部へと容赦無く伸し掛かる。

 

「……学園で教鞭を執る前から、熱い想いを伝えて来る女なんざいくらでも居た。私の見た目、肩書、強さ、そんな告白するには到底及ばない、「私」を見ようとしない連中がな」

「そんな数えるのも馬鹿馬鹿しい有象無象の中で、私だけを見据えて努力し、その努力が報われなくとも尚諦めず私を求める。どころか私の事を内面まで隅々知ろうとする。……私だって情を切り離せない人間だ、そんな少女に出会ってしまえば嫌でも気にしてしまうさ」

 

 物心ついた時から最美、最優、最高、そして最強という“頂”に居た千冬には、その隣に立ち心通わせてくれる人間が居なかった。皆ただ千冬を見上げ、拝めるだけだった。今日厳格な様でどこか明るく軽い彼女だが、今も昔も心は孤独なのだ。

 そんな千冬にとって、ただ純粋に千冬の傍に居たいというISの様に硬く曲がらない想いを持つ相川は、少なくとも周囲の人間と同等に扱える存在ではないのだ。

 

 千冬が教師である以上、一人の生徒を特別扱いなんて出来ない。

 だが千冬も昭弘同様、決して器用な人間ではない。他の生徒と同じに見れない以上、平等に接するのも難しい。だから突き放す様な感じになってしまう。

 

「……で、お前は私の想いを汲んで、私と相川を結ぶ恋のキューピッドになってくれる訳だ」

 

 冗談が大半を占めているであろう軽い口調で、皮肉ここに極まれりな言葉を吐き出す千冬。

 対して冗談にも本心にも惑わされない昭弘は、変わらず冷静に言葉を返す。

 

「アンタの立場は理解しているつもりです。オレはただ、もう少し肩の力抜いても良いんじゃないかって言いたいだけだ。現状お互い辛いだけでしょう」

「この際ハッキリ言いますが、水着くらい選んでやったらどうです?相川の為にも織斑センセイの為にも」

 

 「織斑センセイの為」という部分が、千冬の反論する余地を狭める。

 気晴らしの為に付き添った今回の買い物。そんなただ中まで堅苦しい思考に囚われては本末転倒、とても気晴らしになんてならない。その堅苦しさこそ、相川を極力考えない様にする正に今この状態であった。

 

 逆に言えば千冬は、買い物であれ何であれ相川と接すれば気が晴れると、心の隅っこで感じているのだ。

 

 その至りたくない結論に至った千冬は、見えない力によって押さえ付けられている後頭部を気怠そうに押し上げる。

 視線の先では相川が、笑顔に幾分かの侘しさを漂わせながら水着を見比べていた。

 

(……何て事は無い。ただの気晴らしだ)

 

 自分の内側にそう言い聞かせると、千冬は両手で両ひざを押しながらゆっくりと立ち上がる。その様は産まれたての子鹿か或いは老鹿か。

 

「今日の所はアルトランド、お前の口車に乗ってやる。ただ勘違いの無いよう一応言っておくが、私の相川への気持ちに「ほ」の字は無いからな?」

 

 最後にそう付け足した千冬は肩やら首やらを鳴らし、そして表情をガラリと変える。

 

 傍から見れば細微な変化、よくよく見れば大き過ぎる変化。授業時の厳格な顔でも合間に冗句を挟める際の小洒落た笑顔でもない、ただ気の抜け落ちた様な間延びした顔がそこにはあった。それは無感情というより、座り慣れたソファに身体全体を投げ出している時の様な、穏やかな無表情であった。

 その顔のまま、千冬は後頭部を掻きながら姿勢良くしかしノロノロとした足取りで、店奥に居る相川の方へと向かって行った。

 

 

 

 憧れの君が来た事で大きく燥ぐ相川、適当に受け流しながら満更でもなさそうな千冬。

 

 昭弘はベンチに座ったままそんな彼女らを観察する。千冬の代わりに生徒たちの見張りを担ってやろうとも思ったが、本人も周囲への気を疎かにはしていないので止めた。

 やはり千冬の今の顔は中々新鮮さを感じるものだ。怒っているでも笑っているでもないのに、不思議と楽しそうに見える。最も的を得た例えとしては、表情を変えずに只管玩具を追い掛ける猫とでも言えばいいか。千冬の場合猫というよりシベリアンタイガーだが。

 

 「気になる」にも色々ある。心配や警戒の意である「気掛かり」、人としての興味を示す「気」もあれば惚れているに近しい「気がある」というのもあり、単に周囲の人間と違うから意識しているだけである場合も。

 それらの内のどれが、今の千冬に当て嵌まるのだろうか。若しくはそれら全てが大小の差はあれど含まれているのだろうか。

 

 彼女は今、相川に対してどんな感情を抱いているのか。

 

 

 考えた末、昭弘は一つだけ別に気付いた事があった。

 

(……そうか、オレは)

 

 同じだったのだ、先の昭弘自身を今の千冬に重ねてしまっていたのだ。

 昭弘もまた、箒に抱いている自身の感情が解らない。皆と同じ学友なのか一線を画した異性なのか、それとも本気で彼女に恋愛感情なんて抱いているのか。或いはごく少ない共通点を頼りに、ただラフタの面影を重ねてしまっているだけなのかもしれない。

 昭弘にとっての『篠ノ之箒』とは一体どんな存在なのか。

 

 だが昭弘と千冬とでは「ある一点」において埋め難い差がある。それは自身に向けられた相手の感情だ。

 確かに千冬は相川へ抱く「気」の正体が解っていないのかもしれない。だが相川が千冬自身へ向けている想いに関しては、千冬は学園の誰よりも詳細に知っている。

 

 昭弘にはそれが解らないのだ、箒が昭弘にどんな感情を向けているのか。

 だがそれでも、箒が他の誰を好いているのかは判ってしまっている。だからそればかりに思考を向けてしまう、一夏と箒の事ばかりを考えてしまう。

 箒は一夏の事が好き。

 昭弘にとってそれは、最早変更の効かない確定事項となってしまっているのだ。故に昭弘の中では、箒が昭弘にチラつかせる気持ちなんて「友情」としか変換されない。

 昭弘はそれで満足なのだ、友情だけでも十分過ぎるのだ。ただほんの少し箒と一夏の、皆の助けになれればそれで良いのだ。

 

 正に「己の軽視」の極致。そんな昭弘が他人の向けてくる好意になんて、どの道気付く筈がないのだ。

 そんな思考の“大木”を担っているものこそ、夢でラフタにも話した学園の皆を「高位な別の生き物」と見なしてしまう疎外感だ。

 だから箒が昭弘を昭弘が箒を愛する事なんて決して有り得ないし、あってはならない。そんなリミッターが、昭弘の心の何処かにあるのだ。

 

 

 それら全てを、今一度見直す時が来たのかもしれない。さもなくば昭弘自身と箒の感情は永遠に解らないままだ。

 

(……オレは何をどうすれば、今のアンタみたいになれる?)

 

 視線だけでそんな心情を伝達出来る筈も無く、千冬は変わらず和やかな無表情で相川を見ていた。

 

 自分自身に対する相手の気持ちが理解出来れば、延いては自分自身がどんな人間なのかも知れる。相川の愛を理解した上でどうにかこうにか受け止める千冬を見て、昭弘はそう感じた。

 

 

 もしそうなれば、昭弘は「愛」が何なのか解るのだろうか。

 

 

 もしそうなれば、昭弘はラフタへの“愛”から解放されるのだろうか。



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第62話 送る姉妹

─────7月15日(金) 18:02 職員室

 日もあと少しで沈み行く、然れど禍々しい雨雲によって覆われた、黒に近い灰色の空の袂。

ピリリリリリ…

 窓から染み入る隠微な雨音に支配されたその空間を、一つの着信音が両断進攻する。
 教職員全員が手を止めて注視する先にはブリュンヒルデ、織斑千冬が。事実、音の正体は彼女の携帯であった。
 
 だが今この空間で最大の驚愕に襲われているのは、携帯の液晶画面と相対している千冬であった。

───篠ノ之束───

 そんな誰もが知ってる有名人の名が己の携帯画面に表示されていれば、大抵の人間は現実を受け止められずに右往左往するだろう。
 
 だが我らが織斑千冬は別だ。驚きと乱れはあくまで2秒程度、直ちに通話ボタンへと親指を這わせる。その前にスピーカーモードに切り替えておく事も忘れていない。

 どんな有名人だろうと、千冬にとっては一人の親友でしかない。
 そして今は、限り無く敵に近い疑惑の人物でもあった。

《もすもすひねもすぅ~?ちーちゃんが世界で最も愛するシノノ───》

「束貴様ッ!今何処に居る!?仲間は何人だ!?今度は何をしでかすつもりだ!?」

 千冬は敢えて周囲にも聞こえる様に声を張り上げる。世界的指名手配犯の名を聞いた教員たちは、各々の席を立つなり一気に警戒態勢となる。
 千冬の怒声は単なる演技ではない。正真正銘、唯一無二の親友へ向けた心配そして憤りを声に乗せていた。

《ちょ、落ち着いてちーちゃん!最近音信不通だったのは謝るからさぁ!ハイゴメンチャイ☆ユルシテチョ☆》

 久しぶりの会話で早速怒りが込み上げてくる千冬。本当にこの親友は相手をイライラさせるのが上手い。
 当然怒りだけではない。この通話が同僚たちにも聞かれている事実を思うと、千冬は恥ずかしくて通話を切ってしまいたくなる。
 子供なら身を任せてしまうであろうそれら激情をどうにか抑え、千冬は声を落ち着かせて親友の話を促す。

「…用件は?」

《流石はちーちゃん切り替え早いっ!実はちーちゃんに、超重要な指令がありまーす☆》

 千冬は眉間の堀を深くした。
 以前なら下らない雑談で電話を掛けてくる事もざらだった束から、久々の通達事項。千冬にはまるで予想が付かなかった。親友である千冬ですらそうなのだから、他の教員たちは猶更だろう。
 そんな訳で、職員室に漂う警戒の色はより濃くなる。最早雨音なんて誰にも聞こえていなかった。

《来週の臨海学校なんだけどさぁ、必ず無人IS5体も連れてってね☆》

「……は?」

 予想なんて初めから諦めてた千冬だが、それでも声を漏らさずには居られない程の想定外。
 証拠がないだけで、かの機人らを学園に差し向けてきたのが束である事は千冬も解っている。学園の情報が束には筒抜けであろう事も。
 それでも「何故今」という疑問が頭を埋め尽くす。彼等は束にとって使い捨ての駒でしかなかったのでは、と。第一臨海学校と何の因果関係があるのか。

 何にせよ、束の要求は無理難題だ。

「…連中は待機移行出来ないISだ。学園人工島から出せば日本のレーダー網に捕まる」

 今回の臨界学校、現地でのIS起動しか国は許可していない。そんな中ゴーレムを現地まで運んでしまえば、現地以外の道中日本国内で無断にISを起動させている事になる。
 国がゴーレムの存在を知らない点も加味すれば、大事どころの騒ぎではない。

《ああそこん所はダイジョブ♪明日「秘密兵器」を送るからさ☆》

 一応策はある様だ。

 かと言って受け入れるかは別問題だ。
 先ず連れて行かねばならない理由だが、これについてはどうせ束も教えてはくれない。こういう突拍子も無い事を話す時、大抵彼女は「何故」を語らない。
 では次に優先して訊くべき事、「さもなくばどうなるか」だ。

「…もし連れて行かなかったら?」

《人が大勢死にまーす☆》

「…何処の人間が?何によって?」

《知りませーん☆》

 死。冗談にしか聞こえない明るくいつもの砕けた調子で、悍ましい未来を言い放つ束。
 だが千冬には解る。陽気な語調に含んでいる僅かな冷気、あの頃と変わらない、本気で言っている時の声だ。
 嘘か真か、他の教員たちには解らない。だが強靭な心を常日頃から維持している彼女たちも、その単語を耳にすれば多少の動揺を隠せない。学園の生徒にも被害が出るのではないか、と。

 ただ、千冬以外の全員が皆同じく感じている事、それは人の生死を何とも思っていない束の狂気であった。

《という訳で宜しくねーちーちゃん☆ちゃぁんと連れて来てね?でないと束さんもちょっと強引な方法取らなきゃだしー》

 此方の反応も気にせず、束は勝手に話を纏めようとする。

「待て!束───」


 既に遅かった。千冬の耳元では、通話が切られた旨を知らせる電子音が寂しく響いていた。

 さもなくば人が死ぬ等と訳の解らない急な申し出、何も話してくれない親友。それらへの混乱と苛立ちが募った千冬は、液晶携帯を握り締め頭上高く掲げる。
 が、彼女はどうにかデスクに叩きつける衝動を寸での所で抑えると、ガダンと少々乱暴に携帯を置いた。そうして今度は腰を椅子へ勢い良く落とし、そのまま片手で掻き毟る様に髪を掻き上げた。

 皆、静まり返っていた。この状況で、誰に何を話せば良いのか誰にも解らなかった。

 ただ雨音だけが、思い出した様に職員室を満たしていた。






 翌日明け方。

 警備員がIS学園校庭にて無人の大型トラックを発見。重厚そうな見た目だがその下地は薄桃色で、大小様々なウサギと兎耳を付けた可愛らしい女の子が夫々ペインティングされてたと言う。
 タイヤ跡も無ければ侵入警報も無し、対空レーダーすら何の影も捉えず終い。遂にはどの監視カメラにも通過の瞬間は映っておらず、モニターが校庭エリアに切り替わった瞬間には既に「あった」らしい。発見10分前の外周巡回においても、校庭には特段異常も異音も無かったそうな。

 積荷は無く、車内には一枚の粗雑なメモ紙が置いてあった。「束さん特製『縁切りうさぎ』だよん♪これに乗せれば大丈V♪」と。

 取り敢えず「車輌」である以上、人工島と列島とを繋ぐモノレールに同じく隣接しているハイウェイ上を走らせる。
 犯人のそんな意図くらいは、警備員たちも何となく理解した。







─────7月22日(金) 放課後

 

 2週間は瞬く間に過ぎ去って行った。

 

 明日はとうとう臨海学校、そして明後日が演習本番だ。

 

 生徒一人一人、過ごしてきた時間は同じなれど、時間の質と密度は各々まるで異なる。長かったのか短かったのか、充実していたのか苦痛に苛まれてたのか、真っ直ぐだったのか曲がりくねっていたのか。中には、己の存在を見つめ直す者もそれなりに居た。

 ただ一つ共通して言える事は、誰しも鍛練漬けの毎日であったという事だ。

 

 それら全ては、辿り着くべき所に辿り着くが為。

 

 

「布仏から聞いたぞ簪。明日の臨海学校、学園に残るらしいな」

 

「うん…理事長に直談判してきた。しぬほど緊張したけど…何とかなった」

 

 アリーナDのピット入り口付近から聞こえてくる、そんな低く鋭い声と高くか細い声。そこには何気無く訊ねる昭弘と、軽くサムズアップしながら得意気に答える簪が居た。

 打鉄弐式のすぐ近くでだらりと座している様子から、合間の小休止中と見られる。

 

「打鉄弐式が未完成である以上、新武装を試す意味も必要性も無い…か」

 

「学園側も…その辺りは理解してくれたみたい。「ISを作り上げる経験も同等以上に有意義で価値のあるものだ」…って」

 

 つまりは簪を手伝っている整備科志望の面々も、学園に残る許可が下りたという事だ。寧ろ彼女たちこそ、後学の為に簪の元へ残すべきと考えたのだろう。

 

「すまんな、オレだけ抜ける形になっちまって」

 

「仕方がないよ。より実戦に近い環境での…機動演習だから、整備科を強く志望している人以外は原則…強制だし」

 

 どちらを志望しているのか微妙な立ち位置である本音も、今回は手伝いを泣く泣く断念した。簪が臨海学校参加を強く勧めたのも大きかった。

 

「それに昭弘1人が抜けても…作業に差し障りは…無いし」

 

「ごもっとも過ぎて何も言い返せんな」

 

 元々ただでさえ訓練詰めな昭弘、それがここ最近では更なる拍車が掛かっている。故に常時簪を手伝える筈も無く、良くて1日30分程度だ。

 内容も軽い入力を手伝ったり、物を運ぶなど雑用程度のもの。整備に明るくない昭弘に出来る事なんてそんな程度だ。

 最初こそ昭弘が全体に指示を飛ばす事が多かったが、今では簪一人でも十分に現場を回せる。そういう意味では、ゴーレムが抜けてしまう方が痛手だ。

 

 無力な自身に苦笑いを漏らす昭弘。

 しかもそれら訓練は目指すべき夢の為ではなく、もっと虚しく後ろ向きなモノの為だ。そんなモノのせいで簪との時間が潰れると思うと、馬鹿らし過ぎて遂には苦笑いすら消失する。

 時々思ってしまう事を今、昭弘は最も強く思っていた。自分は何をしているのだろうか、と。

 

 対して、簪が零したのは大らかな微笑みであった。

 

「…その…明日は安心して行ってきたら…いいんじゃないかな。私はもう…割と大丈夫だし、そうしてくれた昭弘の言葉も…無意味じゃなかったから…」

 

 申し訳ないなんて思わないで欲しい、無力だなんて思わないで欲しい、そしてもう心配なんてしないで欲しいと、そう彼女は言いたいのだ。

 

「…」

 

 少し格好付け過ぎたかと簪は頬を赤くするが、昭弘も自身が恥ずかしくなった。まさか簪から慰められる瞬間が来ようとは、と。

 

 だがお陰で、昭弘の気落ちも半分くらいは消え去った。良くも悪くも正直に物を言い、言った相手のケアまで出来る今の彼女ならもう大丈夫であると。

 その確認が取れたという意味では、昭弘の気落ちも無駄ではなかったかもしれない。

 

「…ああ。だが、帰ったらまた打鉄弐式作りに参加させて貰うからな」

 

「うん。また一緒に…作ろう」

 

 そう、2人は互いに約束した。

 

 これで、昭弘の中にある大きな気掛かりの一つが消えた。

 

 

 

 

 青空が水溜まりの様に点々と姿を覗かせる薄い曇り空の下、ピットの外、入り口の近く。

 外の空気を吸いに行った昭弘の視界に、眼鏡を掛けた黒髪の少女が入り込む。誰かを待っている様だ。

 背丈は丁度某生徒会長と同じ位…というより───

 

「……何してんです会長?」

 

「何故バレたし!?眼鏡だけじゃ不安だったから態々カラコンまで入れたのにぃ!」

 

 変装した本人であった。

 

「顔の形とかクソ面倒臭そうな雰囲気とかで分かるんスよ」

 

「…え?マジ?アタシってそんな雰囲気出てんの?」

 

「少なくともオレには出てる様に見えますが」

 

 よってか、昭弘は己の第一声を後悔した。碌でもない理由で変装している予感しかしないからだ。

 そんな訳でやっぱり答えなくて良いという昭弘の心の声も虚しく、楯無は自分語り宜しくペラペラと口を蠢かす。

 

「いやホラ、昭弘くんの代わりにアタシが簪ちゃんの事手伝おうかなーって。でも今姉として手伝ったら簪ちゃんもモチベ下がるじゃん?」

「だから他人に成り済ます!……工作員の長がそんな粗雑な変装で良いのかって突っ込みは無しよ?」

 

 妹を見届けると決めた以上、機会が来るまで姉としてベタベタ接する訳にも行かない楯無。だが妹の匂いを嗅ぐ事すら許されない状況は、彼女にとってこの上無く酷なものであった。

 楯無のシスターコンプレックスは相も変わらず絶好調な様である。

 

「駄目」

 

「何でよ!?折角簪ちゃんが学園に残ってくれるのにィーーッ!やだやだやだ!このままじゃ妹成分足りなくて死んじゃう!」

 

 終いには本心もダダ漏れ、子供の様に地団駄を踏んでしまうIS学園生徒会長殿。こんなのが生徒の見本となる生徒会のトップで大丈夫なのだろうかと、昭弘はIS学園の行く末を心配する。ついでに、もしかして暇なのだろうかと失礼な予想も立ててしまう。

 

「…と、そうだ。昭弘くんにも用があるんだったわ。もう織斑先生にも話したんだけど……ちょっと耳貸しなさい」

 

 そう急にピタリと静まり返った彼女に、未だ呆気から抜け出せない昭弘は「今度は何だ」と厄介者を見るような視線を向ける。

 それでも真面目な彼は、言われた通り彼女に耳を向けてやる。

 

 それに合わせて、楯無も麗しい唇を彼の耳元へと近づけると───

 

 

「フーッ」

 

 

ブチッ

 

 昭弘がこめかみに小さな青筋を立てたかと思えば、次の瞬間には楯無の頭蓋を片手で掴み上げた。

 

「イダダダダイダイダイ!!ゴメンゴメンゴメンゴメンって!頭割れるか縮むぅ!それ以前に首取れるぅ!」

 

 楯無は己の悪戯を心底後悔しながら、自身の頭をドッジボールみたくガッチリホールドしている昭弘の右手にタップアウトする。

 

 

 

「『銀の福音』の試験飛行が明後日に変更された?」

 

 人通りが一切無い崖の方角へと、一先ず移動した昭弘と楯無。

 そこで復唱する昭弘に対し、楯無は鈍痛の残る自身の頭を押さえながら答える。

 

「部隊からの確かな情報よ。本来なら7月初めに行われる予定だったんだけど、現場チーフやお偉いさんの体調不良とか設備不良とか、諸々の要因が重なって24日に延期されたって訳」

「丁度アナタたちが飛行演習する日よ」

 

 そんな事は言われなくても分かっている。良くある偶然だと、昭弘のそんな考えを見越した様に楯無は続ける。

 

「そして篠ノ之博士が織斑先生に命じたっていう、無人ISたちの不可解な同行。…何の関係があると思う?」

 

 憶測の域を出ない故直接言葉には出せないのだろうが、楯無は福音の試験飛行延期も束の仕業なのではと疑っているのだ。

 

「…関係も何も無いでしょう」

 

 何となく楯無が言いたい事を予想した昭弘は、顔を顰めざるを得なかった。

 大胆かつ荒唐無稽だ、銀の福音とゴーレムたちを戦わせるなど。

 

 だが、楯無の考えはどうやら違う様だ。

 

「アタシも、福音はIS側の新戦力と考えてるわ。それを篠ノ之博士が破壊するとは思えないし…。福音の実戦能力をテストするにしても、態々IS学園の無人ISを使う理由が解らない。逆に無人ISを始末する為でも、試験段階の福音に任せるなんて不確実すぎる」

「その辺りについて、アナタの考えを聞きたいのよ」

 

 ゴーレムの同行、それに重なる福音の試験飛行日。そこから見え隠れする束の思惑なんて、昭弘に解る筈が無い。

 

 だが昭弘も伊達に束と3ヶ月間一緒に居た訳ではない。それも千冬の様にずっと前でなく、今年の話だ。束が何を考えてるのかまでは解らないが、「どんな人間」なのかは凡そ知っている。

 だからこそ、楯無も態々昭弘に訊ねて来たのだろう。

 

「考えって程じゃありませんが、束は「感情的」な人間です。好きなモノは心底からこよなく愛し、どうでもいいモノは視界にすら入らない、そして嫌いなモノは害虫の様に淡々と排除する」

 

「…今回の件も何らかの目論見ではなく、感情で彼女は動いているってこと?」

 

「アイツはアメリカを忌み嫌ってますから。案外、嫌がらせ目的で福音に“何か”を仕掛ける可能性はあります。福音が居なくとも、ISコアを作れる束が居る限りISがMPSに負けるなんて先ず有り得ない」

「対して、自身の作った無人ISの事は、他の誰にも作れない「最高傑作」とまで言ってました。それを自ら破壊するならまだしも、嫌いなアメリカが作った福音に破壊させるってのは…」

 

 束の感情面から見ても楯無の言っていた不確実性から見ても、その線は薄いと見て良いだろう。

 

 無論、感情抜きに何らかの意図があるのかもしれない。

 だが昭弘の話を聞く限りだと、束は楯無が思っていたよりずっと子供っぽい性格をしている。

 そう考えると10年前に引き起こした白騎士事件も、もしかしたら激情に身を任せてしまっただけなのかもしれない。それ程に、楯無から見てもあの事件は正気の沙汰とは思えなかった。

 

 

 “天災”と呼ばれる人智を超えた科学者、篠ノ之束。彼女に対する認識を少し改める必要があるかもしれないと、楯無は思った。

 

 

 

「そういう訳だから、アナタも明後日は要警戒でお願いね?くれぐれも他言無用で。何が起こるか断定出来ない以上、バラしても憶測が憶測を呼んで混乱するだけだし」

 

 そんな高い機密性も含めて、昭弘は強く頷く。束の心境や思惑はどうあれ、生徒たちに被害が及ぶ事態だけは避けねばならない。

 海水浴を楽しむどころではないと、己を痛めつける様に昭弘は強く拳を握る。

 

 最悪の場合、生きて学園に帰れない可能性すらある。何を起こすにせよ、かの天災にとって人の命は枯葉の如く軽い。

 さっき簪とあんな約束をした矢先にこれだ。上手く行かない世の中、そして根暗な想定しか出来ない己自身が、昭弘は心底嫌になる。

 

 

 そんな昭弘を諌める様に、楯無はあくまで穏やかな口調で言葉を零す。

 

「あんまりガチガチし過ぎても、皆から怪しまれるだけよ?」

 

 今や楯無に緊張の色は無く、表情はいつもの余裕ある笑顔に戻っていた。

 

「あんな事言っといて何だけど、せめて明日の海水浴だけは目一杯楽しみなさい。毎年恒例、1年生の特権なんだから」

 

 そう言いながら楯無は昭弘の肩を叩く。軽い言葉と肩への衝撃により、昭弘も思わず握り拳を解いてしまう。

 だが昭弘にとっては、慣れない事を楽しむ方がずっと難しい。先日の水着購入然り。

 

「………怪しまれない様、楽しむ振りでも練習しときます」

 

 違うそうじゃないと、楯無は何か根本から勘違いしている昭弘に対して、溜息混じりに首を何度か横振りする。

 

「つまらないならつまらなそうにしてれば良いし、気になるモノがあればそっちに行けば良い。母なる海は、どんな人間だって受け入れてくれるわよ」

「だからもう少し心のまま生きなさいよ昭弘くん。先の事考えんのも結構だけど、今眼前に広がってる景色しか人間には知覚出来ないのよ?」

 

 昭弘が元居た世界だろうとこの世界だろうと、どんなに時代が移り変わっても変わらぬ生物の“掟”だ。

 簡単どころか誰にでも等しく備わっているそれが、昭弘にはままならない事だった。

 

「という訳で!アタシも今を生きるべく妹の存在を全身に感じてきまーす!」

 

「だから駄目だっつってんだろ」

 

 だが、楯無のそれにだけは素速く反応出来た昭弘であった。

 

「やーだーやーだー!!昭弘くんばっかずぅるぅいぃ!!」

 

 ピット出入口方面へ突っ切ろうとする楯無を、巨体を壁にして必死に止める昭弘。手が掛かるのか頼りになるのかよく分からない御人だ。

 

(…「今この瞬間」か)

 

 いずれ来たる先の先。そこに待っているのは目的と呼べるモノですらないが、その一日の為だけに昭弘は今日まで練度を積み上げて来た。ならば、日々絶えずその未来を思うのは当然の事だ。

 先の一日を定めているのは昭弘だけではない。生徒一人一人、未来の為に今を生きている、未来があるからこそ今を生きて行ける。箒も一夏もセシリアも鈴音もラウラもシャルロットも、間も無く訪れる未来の為に今この瞬間も死に物狂いだ。

 

 それでも尚、楯無の言葉は昭弘の中で確かに脈動していた。

 

 過去も未来も一度頭から消し去り、感じたまま今を生きてみろ。「今」に身を任せてみろ。

 

 明日は明日、明後日は明後日、そして昨日は昨日、人間はその時の「今」しか生きれないのだ。先の事なんて、その実想う事しか出来ないのだ。

 希望ではなく絶望しか未来に待っていない昭弘は、それすら頭から抜け落ちていた。

 

 その事に気付いた昭弘は思った。そもそもが望みの絶たれてる未来、それは果たして「未来」と呼べるのだろうか。そんな未来を考えて、そんな未来に辿り着いて、一体どうなるというのか。

 ならば楯無の言う通り、今だけをありのまま感じていた方が遥かに有意義だ。名ばかりの未来など、一度と言わず永遠に頭から消し去って。

 

 

 楯無が昭弘に口頭で贈った助言は、プラスにもマイナスにも作用していた。

 

 

 

 

 




何故昭弘がこんなにもネガティブなのかは、後々の話で分かります。時々表に出るくらい、結構精神的にキてます。


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第63話 清新の紺碧、混濁の青藍、無常の雄黄 ①

おまけが長すぎる







─────7月23日(土) 午前

 

 高低差の判らない緑生い茂る山々に、長々と巻き付いては離れてを繰り返す道路の上を、5台の大型バスと3台のトレーラーそして1台の大型トラックが列をなして往く。

 

 

 

 そんな観光と軍事演習を後先考えず連結させた様な集団の1台、丁度列の真ん中に位置しているバス内部は、喧騒に包まれていた。少女の差程大きくない囀りも、30人近くも集まれば絶え間無き鶏の合唱と化す。

 

 

「晴れなかったらどうするつもりだったんだろうなコイツら」

 

「晴れたんだから良いじゃねぇか」

 

 朝である事とやかましさの二段構えに苛立っているのか、そんな嫌味を口にするラウラ。隣の昭弘は騒ぎと小愚痴を聞きながら、終わりの見えない青空を窓から宥める。

 こういった騒がしさを予期していたからこそ、ラウラは昭弘と共に最後列角側を陣取ったのだ。箒と一夏には悪いが、座席が早い者勝ちだった事はラウラにとって僥倖であった。

 角隅を陣取った所で耳に入る音量は左程変わらないが、心理的には大部楽になる。

 

「クラス毎に別車両なのが唯一の救いだな、凰まで居たら騒音で死ぬ自信がある。教官も怒号の一つや二つくれてやれば良いものを」

 

「今日一日くらい、生徒の心を解放してやりたいんだろう」

 

 昭弘はそう言うと、変わらぬ様で違う森や茂みの流れを再び眺め始める。窓に映ったその仏頂面は、然れど春の陽射しを受けた様にどこかぼんやりとしていた。

 

「…今日はらしくないな昭弘。悪いとは言わんが」

 

「ああ。色々と疲れちまってな」

 

 今見ている景色に己の存在を溶け込ませる様に、小さく答える昭弘。

 

 何故そんなに疲れているのか。今この場でそんな事を訊く程、ラウラも無神経ではない。

 「ビースト」。MPSと一体化する危険性すらある、リスクの大き過ぎる能力。それを使ってでも強くならざるを得ない程の理由が、昭弘にはある。

 それ程まで大それた先の事に、日々思考の大部分を費やしているのだ。ラウラには想像も出来ないが、疲れない筈が無い事だけは予想可能だ。

 

「ラウラは嫌か?今日の海水浴は」

 

 ずっと不機嫌な美少年に気を配る昭弘。

 確かにこの騒音で満たされてる空間には嫌気が刺しているラウラだが、海は別段好きでも嫌いでもない。どころか、今回に限っては少し楽しみですらある。

 

「初めてだが、別にそんな事は無い。昭弘と居れば何処だって楽しいさ」

 

「プレッシャー掛かる事言ってくれるな」

 

 笑いながらまるで女の子を口説き落とす様にそう言うラウラに対し、満更でもない彼の様子を確認した昭弘もまた安心する。

 

 昭弘は今、良い具合にリラックス出来ていた。止まない黄色い騒音も、不思議と心地良い。

 

 だがそれも、ラウラの次なる一言で心に暗雲が差し込む。

 

「何故連中まで付いて来るのかは気になるがな」

 

 少年の親指が指し示すは、昭弘たち1組が乗るバスの直ぐ後方を走る桃色大型ウサトラックだ。

 

「もしもの時の護衛…か。無人ISを全機連れてくるにしては弱い理由だな」

 

 彼等の管理責任は千冬にあるが、いくら彼女とはいえこんな方針があるかとラウラは勘繰っている様だ。

 そしてそう思っているのは、間違いなくラウラだけではない。はしゃぐ生徒たちも、頭の端では疑問に思ってるだろう。

 

「大体あのトラックは何だ?車内のIS反応を完全に遮断すると聞いたが…そんな代物いつ学園は手にした?何よりあのカラーリングはどうにかならなかったのか?近くを走るこっちが恥ずかしい…」

 

「…学園側にだって、生徒に言えない事の1つや2つくらいあるだろう」

 

 ラウラの疑問をそうサラリと躱す昭弘。ラウラには悪いが、今は昭弘もその一件について余り考えたくないのだ。

 

 そう返されてしまえば、ラウラも思考を中断するしかない。

 いや、それ以上にラウラの意識を逸らすモノが窓の外に映ったと言うべきか。

 

「おっ、見えたぞ昭弘」

 

「ん…」

 

 広葉の日陰に覆われた斑模様のアスファルトが、突如として白い日向一色へと変わる。

 同時に深き森が晴れ、高めのガードレール先には青黒く輝く無限の平面が広がっていた。

 

「キタキタキター!!」

 

「織斑せんせーい!窓開けても良いですかぁ!?」

 

「あのずっと奥にある砂浜かな」

 

 大海原が見えた事で生徒たちの喧しさが更にもう三段階上がり、車内のボルテージは今や最高潮を迎えていた。

 奇声に耳をやられ顔を顰めるラウラに対し、昭弘は動じる事無く己が瞳を満たす光景に集中していた。そうして各々の感想に釣られる様に、昭弘もまた小さな感想を漏らす。

 

「……丸いんだな海って」

 

 海に囲まれたIS学園に居て尚、昭弘はまるで今知ったみたいにそんな言葉を零す。

 

 事実、今知ったのだ。昭弘には、海を眺める余裕なんて無かったのだから。

 

 

 

 そうして目的地に到着し、総勢150近くの生徒たちが5台のバスから続々と降り始めた。

 

 

 

 

 

 『花月荘』、それがこの旅館の名前らしい。

 

 実際に間近で眺めてみると本当にデカい。

 デカい建物なんて何度も見て来たが、今回はまた話が別だ。オレは旅館なんて行った事もなければ、こういう本格的に和風な木造建築物とも縁が薄い。

 この大きさで周囲には民家が点々としかないともなれば、いよいよ以て静かだが厳かな存在感が凄まじい。基本的に屋根瓦は黒、壁は白で統一されていて、縦よりも横にデカい感じだ。似た様な建物が奥の方にも散らばってて、屋根付きの廊下で夫々繋がれている様に見えた。玄関の直ぐ傍には、ダンベル代わりに丁度良さそうなサイズの石で囲われた池がポツリとあって、その傍には竹藪(だったか?)が。

 建物の位置であれ飾りの配置であれ、全体的に統一感はあるが非対称的な感じだ。散らばってると言うか。

 

「和の文化を知らなさすぎなアルトランド、旅館で皆さんのご迷惑とならないよう気を付けなさいな?無知の世話をする程、暇ではないでしょうから」

 

 馬鹿が通りすがりにそんな()()()()助言をくれたが、ムカついたので何も返さなかった。

 

「しゃぶしゃぶでワタワタしてたセシリアが言っても、説得力ゼロよ?」

 

「あ、あの時は単に知識不足だっただけですわ!今回は念入りに作法等も調査済みですので!」

 

 全く以て一夏の言う通りだ、オレもオルコットにだけは言われたくない。

 

 

 

 着物を着た美人な女の人(ここの責任者だろうか?)との話が済んだのか、織斑センセイ以下教師陣が生徒の引率を再開した。

 オレたちは責任者らしきその人にはつらつと挨拶をした後、仄かな木の香りを鼻孔から全身へと染み渡らせて奥へと進んだ。

 

 

 

 ロビー付近では長かった行列も、廊下を進めば進む程各部屋に吸い込まれて短くなっていく。

 終いには館の一番奥側、行列は最早列ではなくなっていた。

 

「着きました!ここが男子の部屋「桔梗の間」ですよ」

 

「どうも」

 

 クタクタになりながらも最後まで引率してくれた山田センセイには、感謝の言葉も見つからない。それだけオレたち3人の男子部屋は入口から遠かった。

 理由は解る。1組はまだしも、他クラスは酷く男に飢えていると予想される。大群で男子部屋に押しかけられたら旅館に迷惑だし、最悪一夏とラウラの貞操が危うい。出来る限り部屋は離した方が良い。

 おまけに「オレ」も居れば、少なくともオレに慣れてない他クラスの連中は無理に近寄っては来ない。態々織斑センセイが同室になる必要も無いって訳だ。近くで見張ってはいるんだろうけどな。

 

 

 

「すぅんごい景色。車内から見た比じゃないわ、飛び込んで来る感じ」

 

「あんな砂と水しかない所で、半日間も何をすると言うのだ?」

 

「行ってからのお楽しみ。昭弘は何かリクエストある?」

 

 「高価な部屋」っつーのはIS学園の寮部屋みたいなのを指すもんだと、旅行に縁の無いオレは勝手に認識していた。この部屋に入るまでは。

 床は絨毯ではなく畳、室内を細かく分けているのは格式高いドアじゃなく襖、部屋の中央には黒く素朴なテーブルがポツンと、それを囲むのは脚の無い不思議な形の椅子。一夏とラウラが立っている所はテラス…か?壁には場違い感を隠す様に埋め込まれている巨大な液晶テレビ。他、冷蔵庫とか諸々。

 それでも汚れや傷なんてのは無く、ただ居るだけで心が安らぐ不思議な力がこの部屋にはあった。そして理解した、これもまたある種の「高価」なんだと。

 

(マクマードのおっさんの趣味って、やっぱカネの掛かったものだったんだな)

 

 圧倒されてばかりでボーッとそんな事を考えていたからか、オレは一夏への返答に大きく間を置いちまった。

 

「阿頼耶識があるから海水には深く浸かれない…とだけ言っておく」

 

「海に入れなくても、楽しい事はいっぱいあるから」

 

「何なら私と旅館に残るか?女共の奇声も聞かずにゆっくり出来るぞ」

 

 それもアリだ。1日目はあくまで自由行動に過ぎんのだから、無理して海行く必要も無い。

 が、一夏は呆れの表情をこれ見よがしに見せつける。確かに買った水着を着ないのはカネの無駄ではあるが…。

 

 どっちにしろ、オレの答えは最初から決まっていた。

 

「悪くはないが、今は「海」を知りたい」

 

 さっき車窓から眺めた海、その時点でオレの好奇心は揺るがなくなっていた。頭じゃない、求める身体と心に、人を引き寄せる海の意思がピッタリと合わさった様な、そんな感覚だ。

 

 その好奇心は、オレの中にある別の欲求を前へ前へと引っ張る。あの大海原を背にした、赤い水着姿の「彼女」はどんなものか。

 それで知れるのなら知りたい、オレが彼女に抱く感情の正体を。

 

「チッ…なら私も行くか」

 

「ほんと昭弘好きだよね」

 

「るさいッ」

 

 そう吐き捨てると、早速ラウラは静かに着替え始めた。無理せず休んでいろとも思ったが、友が一緒ならそれに越した事は無いんで何も言わないどいた。

 ここはお言葉に甘えるとしよう。

 

「日焼け止め塗り忘れないようにね。特に色白のラウラ」

 

「ここまでする必要あるのか?」

 

「あるの」

 

 着替えながらそんなやり取りを進める一夏とラウラ。

 生徒会長が言うには、旅館で水着に着替えたらそのまま浜辺へと直行して良いらしい。随分寛大な気がするが、旅館ってのはどこもこうなのか?

 取り敢えず2人に続いて、オレも肉体を圧迫している衣服を脱ぎ始める。一言据えてからな。

 

「2人は先に行っててくれ。オレは駐車場でコイツを組み立ててから行く」

 

 浜辺で組み立てると、砂が入り込んで面倒臭そうだからな。

 

 

 

───30分後

 

 本来なら簡易的に組み立てられるソレも、慣れていないせいか大部時間が掛かっちまった。

 

 オレはソレを右肩に乗せ、左手にはパラソル、今そんな状態で浜辺へと下っている所だった。折角の海だ。焦るとまではいかないが、浜辺での時間を無意味に削りたくもないので、オレは早歩きで向かった。

 最初は海パン一丁で移動して大丈夫かと身構えたが、まぁこれだけ浜辺が旅館から近ければOKなんだろう。

 

 実際、歩いて5分と掛からず白い砂浜が見えてきた。そこも旅館同様IS学園で貸し切り状態、案の定生徒でごった返していた。

 これじゃあ誰が何処に居るのか判らんが…まぁいい、先ずは適当な場所にコイツらを設置しないとな。

 

 

 

 

 

 ザザァーン、ザザァーン。IS学園で絶えず鳴り響いている在り来たりな波の音が、クリーム色に輝く砂浜を色も無しに彩る。そしてその砂浜により、天上の青空は更に濃く深く蒼々と染まる。

 暑さが痛さに変換される程熱い砂の絨毯を駆けるは、色とりどり千差万別な水着を纏う女子高生たち。熱砂も日射も気にせず笑顔で今を動く彼女たちは、美しい生肌と煽情的な肢体も相まって正に地上に降り立った妖精。

 その空間に10秒でもいいから身を置きたいと感じるのは、男である以上致し方無い性だろう。

 

 その中で一際グラマラスな生娘が一人。

 しなやかな黒髪は白い肌をより白く、白い生肌は黒髪をより黒く美しく仕立てており、極めつけの紅いブラとパンティは肉質な裸体をより官能的に見せていた。

 

「…」

 

 彼女は頭のポニーテールをゆらゆらと揺らしながら、それなりの高身長を活かす様に誰か人を探している。

 

「!」

 

 どうやら見つけた様だ。彼女は不安気だった表情を喜色溢れる笑顔へと変える。

 も一瞬で、彼女はお目当ての青年を視界に収めた途端、表情をピタリと固まらせる。

 その様な事態に陥ったのは彼女だけではない。小鳥の様に愛らしく活気の籠った声を上げていた少女たちも、まるで見えない器官が機能した様にクルリと振り向く。

 

 視覚が青年を捉えた途端、サファイアの海もダイヤモンドの砂浜も青空も水着も、全てが視界から二の次として排除された。

 

 

 筋肉とは一々言うまでもなく“肉”だ。タンパク質、アミノ酸、それらが集合して出来た有機物の域を出る事はない。

 青年を見ていて、少女たちはその絶対不変の原則を思わず疑いたくなってしまった。輝いているのだ、青年の全身を余す事無く覆っている肉が。太陽光を海よりも砂浜よりも強く反射するそれは、最早肉というより宝石か金属、有機物というより無機物。だが今も確かに生物的に脈動しているその様を見れば、やはり一周回って肉体と断定するしかない。或いは、有機物と無機物を芸術的に掛け合わせた“何か”。

 無論、ただ皮膚の光沢が凄まじいだけではない。今にも浅黒い皮膚を突き破りそうな胸はビーチの誰よりも巨大で厚く、その下で10か12くらいに割れている腹筋たちはそんな胸筋を恨めしそうに見上げている。腕は鉄骨そのもので力瘤は艦上CIWS、二の腕は105mm砲弾、僧帽筋ランチャーからは既に三角筋ミサイルが射出されていて、前腕は幾重にも重ねた日本刀だ。

 脚に至ってはそれら金属諸々全てを潰して潰して何百個も重ねた様に、太く歪に皮膚へと浮き上がっていた。それは色も相まって、何百年と生きた立派な巨木に等しい。実際、長い年月を跨いでその大きさへと鍛えられた事は見ただけで判る。

 まるで形状の異なる、しかして等しく硬質的に光を反射する上の筋肉と下の筋肉。それは正に、脂肪という不純物を徹底的に排している事の表れであった。

 

 そんなガタイの男がVパンツ一丁の姿、()()()()()()少女たちなら圧倒もされよう。

 終いにはサングラスまで掛けているともなれば、何かのサプライズで訪れたビルダーか映画スターかと見紛うだろう。

 

 

 呆気、驚愕、羨望、そんな未だ硬直しているIS学園1年坊たちの冷め止まぬ注目の中、短髪の筋肉青年は肩に乗せていたサマーベッドをビーチの適当な場所にズシンと置く。

 

 そして丁度近くに居た箒たちに対し、一言だけ詫びた。

 

「悪い、待たせた」

 

 

 

 

 女の身である私から見ても、ビーチで身体を弾ませている同級生らは可愛らしくてセクシーだ。危機感を抱く程に。

 

 だがそんなもの、今や私の頭からは綺麗さっぱり吹き飛んでしまった。

 私がずっと妄想、待望していたあの昭弘の裸体。その肉体美をこの現実世界で見てしまえば、彼女たちの水着姿なんて些細な問題だ。

 何を食べてどんなトレーニングをすればこんな肉体が出来上がるのか疑問だ。と、昭弘を見て幾度も思った事を今最も強く思ってみる。

 

 ………私よ、いい加減何か喋ったらどうだ?いつまで硬直している?もっと色々と訊くべき事があるだろう?サングラスとかサマーベッドとかパラソルとか。茹でダコになってる場合ではないぞ。

 

 もっと言うなら、それらをも凌ぐ最も優先して訊くべき事が、私にはある。

 

「色々と言いたい事はあるんだけどさ昭弘、先ずその真っ白なサマーベッドと可愛らしいパラソルは何?」

 

 鈴音に先を越されてしまった。

 

「え?何何サングラス?もしかしてカッコつけてるの?僕に対抗意識燃やしてるの?」

 

 ふざけるなよデュノア、昭弘はそんなカッコつけとは無縁の存在だ。貴様と一緒にするな。

 

 だが実際、サングラス姿の昭弘が格好良いのは確かだ。私からすれば、鼻血どころか全身の血が噴出するくらいに。

 

「ベッドとパラソルは織斑センセイから…な。新しいの買ったから要らないんだと。オレとしても海水には浸かれんし、暇な時用にあったら便利かと思ったんだが」

 

 鈴たちと一緒によーくベッドを見てみると…成程確かに、上背面の当たる部分に阿頼耶識用の穴が2つ空いてある。恐らく自分で開けたのだろう。

 これは正しく昭弘専用のサマーベッドだ。

 

「サングラスもセンセイの助言で買ったんだ、日射しは目に悪いってな」

 

 いや、それに関しては絶対似合うから勧めただけだろうあの人。何をやってるのだ教職者。

 

「今皆様が思っている事をそのまま代弁しますが……アルトランド、貴方は本当に高校生なんですの?サバ読んでたりしません?」

 

「オレはどう見ても高校生だろうが」

 

「どこからどう見ても高校生ではないので私は今の疑問を投げ掛けたのですが…」

 

 駄目だ…皆わらわらと昭弘の周りに集まってきた。当然か。個々の感想はどうあれ、目立つものには自然と人が集まる。

 こうなってはもう私も昭弘に近寄れない。皆の背中が、昭弘を護る冷たい要塞に思えてくる。

 こういう時だけ全面に出てくる自分の内気が嫌になる。

 

「しょげないしょげない。チャンスはまた来るよ」

 

 落ちる私の左肩に、優しい形をした一夏の手がふわりと乗る。それはまるで、弱った雛鳥を慎重に包み込む様な。

 

 ……まさかな。朴念仁の一夏に限って、私の昭弘への劣情を知ってるなんて有り得ん。どうせまた何か勘違いでもしてるんだろう。

 

「……あ、そうだ一夏。私の水着…どうだ?」

 

 だがよし、一夏には訊く事が出来たぞ、さり気無く。なんだ、やろうと思えばやれるではないか。

 さぁどんな反応を示すのだ一夏。またいつもの鈍感ぶりを炸裂させるのか?それとも───

 

 …………それとも、何だ…?

 

「それを訊く相手はオレじゃないでしょ?」

 

 まるで諭す様に物腰柔らかにそう言い放つ一夏の顔は、寂しそうな笑顔で満たされていた。

 

 普段なら「はっきりしろ!」とどつく私だが、そんな儚げな顔をされては何も言えないし出来ない。

 いいや、それもまた少し違う様な気がする。私はどういう訳か、一夏の言葉を否定しようという気持ちが湧いて来なかった。

 

 

 一体何を何処まで知ってるのだ一夏。

 

 

 




・おまけ



 箒に言いそびれちまった。
 会って直ぐ伝えようと思ったんだが…切り出し方がどうにも解らず、そのままオルコットたちに囲まれた。タイミングを逸したオレのミスだ。

 だが時間はたっぷりあるし、次の機を待つか。


「おおそうだ昭弘。貴様が選んだこの「包帯水着」、悪くないぞ?動き易いし暑くもない」

「そりゃ水着だからな」

 オレが選んだとはいえ、実際に着るとなると大分印象が変わるもんだなと、ラウラを見て思った。上タンクトップ下ハーフのスパッツ、女性用の競泳水着に近いそれには満遍なく巻かれた包帯が精巧に描かれていて、一瞬大怪我でもしたのかと錯覚する。
 似合うのかはやはりオレには分からないが、少なくとも周囲の女子は引いている様に見えた。見た目が大火傷してる様で痛々しいからだろうか。事実オレもそうで、選んだ事を少し後悔してしまった。
 店頭に並んでるのと身に纏うのとでこんなに違うんだから、この包帯柄は凄い。そこまで計算して描かれてるんだ。

 何にせよ、本人がウキウキならそれで良いだろう。


 ……んでもう一人、さっきから偉く暑そうに息を荒らげている、馬鹿みたく上下スウェットを着込んだシャルロットにオレは仕方なく目を向けてやった。放っておくと熱中症でぶっ倒れそうだしな。

「おぉーーっと!?気になるかい昭弘!僕がどんな水着を着ているのか!待っていたよ…皆の視線が君の一点に集中するこの時をね…!」

 何もそこまで聞いていないが、僅かに気になるのも不本意ながら事実だ。

「僕の超絶目立つカッコカワイイ水着を間近で見て、己の無力感を味わうがいいさ!」

 お前の水着を見て一体何に無力感を味わえばいいんだ。
 とかオレが思っている間に、シャルロットは目にも止まらぬ速さでスウェットを一気に脱ぎ放った。状況が状況だから、格好付けてるのか暑すぎて一刻も早く脱ぎたかったのか判別が難しい。

「「「「「…」」」」」

 ビーチ全員の視線がオレからシャルロットに移る。オレンジ色のド派手な水着を着たシャルロットに。
 その水着は……「帯」だ。両腕を除く全身に太めの帯を何度か巻き付けただけの、言葉にすれば至ってシンプルな代物だ。胸とか下とかはしっかり隠されているが、腹と脚全体は素肌と帯との同幅な縞々模様だ。露出度が高いと言うべきか低いと言うべきか、議論の余地がありそうではある。直ぐ顎下の胸部には、金色のリボンが不釣り合いにピシッと付いていた。
 デザインした奴の顔が見てみたいもんだ。ラウラの包帯水着と何となく方向性が似ているし、同一人物が作ったのかもな。

 ドヤ顔で左手を腰に当て、クールなポーズを決めるシャルロット。この後女子たちから詰め寄られるのを確信しているんだろうか。
 実際、オレも衝撃を受けている。眼球が飛び出る程に目を見開いている他の女子共も、きっとそうだろう。

 少ない布でどれだけ着飾れるか…か。ビーチでのオシャレがどういうものなのか、オレは今新たな知識を付ける事が出来た。

「………アレ?」

 だが砂浜を満たしたのは黄色い歓声ではなく青黒いどよめきだ。そんな自身の予想と違う状況に戸惑ったのか、シャルロットは声を漏らす。
 どうやらオレが得た知識は誤りだったらしい。代わりに得た教訓は、水着は単に着飾れば良いものではないって事だ。それはシャルロットより水着の方に意識が行っちまってる皆の様子を見れば、一目瞭然だ。
 早めに勘違いを是正出来て良かった。はっきり言って、あんな水着オレは絶対に着たくない。

 だがもう一つ、他にどよめきの重大な要因があった事を、布仏の一言でオレとシャルロットは思い知る。

「格好いいけど、アキヒーの後じゃぁね~~」

 だ、そうだ。皆もそれに対し納得の仕草を見せる。

「………オォゥフ…オォゥフ…」

 布仏のまるで悪気が無いからこその無慈悲な一言を受け、シャルロットは槍か何かで腹を貫かれた様に腰を折り、両手両膝を地へと付ける。
 別にコイツと競ってるつもりは一切合切無いんだが、オレの水着の方がインパクトがあって格好良かったらしい、自分で言うのも阿呆みたいに恥ずかしいが。となると、オシャレってのもいよいよ解らん。こんなん、どこにでもある黒い海パンだと思うが。

 何にせよ、大人しく普通の水着にしときゃ良かったなシャルロット。

「「「あっ」」」

 と、シャルロットの水着姿を見てからずっと考え込んでいた一夏たちが、漸く何か思い出したのか洞窟から抜け出した様な声を漏らす。

「○.M.○evolution」

「西○○教」

「Hot ○○mit!」

 一夏、箒、鈴の順番にそんな単語が並べられる。
 だが顔を上げたシャルロットは、絶望感漂う表情のまま何の事やらと首を傾げる。他女子の何人かは「ああ」と理解を示すも、オルコットやラウラは聞き覚えが無いのか疑問の表情だ。

 当然、オレにもさっぱり解らん。





「おー凄い!5機揃ってる」

「あの黒いのと白いの初めて見たかも」

 浜辺に踏み入り注目を集めていたオレだったが、新たなどよめきによって掻き消される。颯爽と防波堤に現れた織斑センセイに対してでは無く、彼女がポールを持たせたまま連れてきた彼等に対してだ。

 当然「良い視線」だけじゃない、種類は十人十色だ。何せ人間に限り無く近い、人間じゃない無機物なんだ。元は襲撃者ってのも相まって、慣れてないなら警戒すんのが普通だ。オレだって相手が彼等じゃなけりゃ警戒する。

 そもそも何故砂浜に連れてきた?って話になるんだが…ちゃんと理由はあるんだろうなセンセイ。

「諸君!」

 上から呼ばれたんで、オレは理由を求めて彼女を見上げる。

「遊びついでで構わん、やって貰いたい事がある」



 どうやらタロたちを連れて行く条件として、彼等の「陸上身体運動、及び非限定空間での飛行能力」に関するデータを蓄積させて欲しいと、研究員からお願いされたらしい。
 詰まる所、コイツらと砂浜で目一杯遊べって訳だ。「面白そうだから」っつー理由じゃないだけでも、オレは心底安堵している。出力も最低まで抑えられているし、生徒がミンチになる事も無いだろう。
 当の織斑センセイはというと、ポールやら網やら一人楽しげに準備している。遊ぶだけで良いとは言え、見事な押しつけっぷりだ。

《オオッ、コレガ砂場ノ踏ミ心地カ》

《歩キ辛イナー》

 ボヤボヤしてる間に、早速興奮気味で歩き出すタロとサブロ。性格的にやんちゃなのはこの2人だ。口の悪さだけは雲泥の差だがな。

 先ずは皆の警戒を解く必要があるな。普通科志望の連中は、彼等と接した事すら無いのが殆どだ。

 て訳で、オレはタロたちに促した。

 今は無人機側の自己紹介だけで良いだろう、警戒してるのはあくまで生徒たちだ。後はそれぞれが追々…な。

《『タロ』デ~ス。嫌イナモノハ『ジロ』デ~ス》

《『ジロ』ト申シマス》

《『サブロ』デス!楽シイ事ガ好キデス!》

《『シロ』ダ。身体ハ紅イガナ》

《『ゴロ』デス。知的ナ方トノ語ライガ好キデス》

 5人の言葉が順々に浜辺へと響いて早々、オレは誰よりも早く「その事」を訊ねた。周囲の質疑を優先すべきと分かっていて尚。
 タロたちの身体から、絶え間無く流れ続けているそれについて。

「早速の質問で悪いんだが…その音楽は何だ?」

 今月に入ってからだ。格納庫とアリーナDでも、似たような音楽(相川曰くEDMというらしい)をコイツらは流していた。もっと早くに訊いておくべきだったな。

《エー曲ノ名称ハ───》

「違う。誰が言い出しっぺでどうやって入手したのか、どんな仕組みで流れているのか、何故流すのか、それが訊きたいんだよタロ」

 本当、一変に訊ねて申し訳ないとは思ってるんだが……良いとか悪いとかじゃなく、ただ気になる。

《私ノ名案デス。オ疲レナ研究員ノ皆様ヲ少シデモ癒シタク適当ニ流シタラ、存外ニ好評デシテ》

 タロか。それが行き過ぎて色んな場所で流す様になった訳か…よく苦情が来ないもんだ。
 だが確かに、今流してる様なスローテンポな曲は悪くないかもしれん。音量に気を付けさえすれば、割とリラックス出来そうだ。研究員の中にEDM好きが多いってのもあるんだろうけどな。

《御安心下サイ昭弘殿。我々ノ体内ニテ共有サレテイル楽曲ハ、全テ合法的ナ手段デ入手サレテオリマス。方法ノ詳細ハ───》

 それから長々と、恐らく本件の参謀だろうジロが懇切丁寧に入手経路を教えてくれた。専門用語が多すぎて全く解らなかったが。
 唯一再認識出来たのは、コイツらも天災が作っただけはあるって事だ。これ以上、隠された機能が無い事を祈る。

 お陰様で無人機たちに好感を持った奴と、尚更警戒心を強めた奴とに二分されちまった。こんな馬鹿馬鹿しい事で派閥結成なんざ御免だぞオレは。
 本当、余計な事訊かなけりゃ良かった。


 紹介も終わった所で、漸くタロたちの短い運動大会が幕を開けようとしていた。
 ただ郷鐘は兎も角として、ゴーレムは陸上運動に適した身体つきじゃない。脚より上半身のが太くデカいし、腕の長さも今回に至っては邪魔だ。
 ゴーレムたちがなるべく上手に身体を動かせるようオレも努力はするが、正直言って良いデータは期待出来ん。

 なんて色々考えたい所だが、初めにやる事がある。

「一応確認だが、走った事は?」

《ナイデスネェ》

 デヘヘと笑いながらそう答えるタロ。
 それはそうだ。毎日格納庫内で研究されてばっか、激しく動く機会なんて先ず無い。聞くまでもない事だったが一応な。

 だからこそ、データ云々を差し引いても、今日の運動は良い機会だとオレも思っていた。空を飛べるとはいえ、いざという時に地上で素速く動けるのならそれが良い。
 空中であれ地上であれ、状況ってのはどう変化するか解らないもんだ。

 よって、先ずはコイツらの身体を慣らす事からだ。一応汎用AIなんだから、その辺の学習能力も高ければ良いんだが…。


 オレが担当すんのはサブロだ。
 先ずは両脚による前後左右の運動、即ち走行と反復横跳びだ。それが終われば上下運動、ジャンプだ。その後に回転運動も加えたい。
 これら基礎運動をこなせば、後は勝手に応用へと当て嵌めていく…筈だ。

「取り敢えずは、オレと同じ様に動いてみてくれ」

《ハイ》

 オレはそう言って地面を勢い良く蹴り、そうして両腕及び両脚を曲げては交互に前後させ、走った。
 オレの動きと輪郭をはっきりと記憶したサブロは、早速それを真似るが───

「あー……」

 両腕が重すぎるもんで、腕を振る毎に身体が左右に大きくブレる。
 結果凄まじいフォームで、おまけに超重量だから速度も殆ど出なかった。砂浜で交互に並んだオレの足跡の隣には、より広く深く抉られた同様の跡があった。
 バック走は腕を振らない分、幾らかマシだったが。

 続いて反復横跳び。膝を曲げる以上、腕を下げたら手が地に着いちまうし、横に広げたらまたバランスを崩すかもしれん。
 なのでボクシングのガードみたく腕を畳ませたが、これは中々上手く行った。スピードこそイマイチだが、この巨体なら次第点だろう。

 次、上下運動(ジャンプ)。これは特別語る事も無い、ごく普通だった。腕を下げない限りは。

 最後に前転と後転、及びうつ伏せ状態からの横回転だ。
 前後転はスムーズだったが、横回転はどうにかこうにかって感じだ。これについても、クソデカい腕が邪魔をしていた。

 総評としては予想以上に動けてたが、オレとしてはもう少し速く走らせたい。
 走行は運動の基本の中でも基本だからな、活発なサブロだってより動けた方が楽しいだろう。

《ウーム、運動難シイデス…》

「そう落ち込むな。苦戦してんのはお前だけじゃないみたいだぞ」

 そう返しながら、オレは相川たちと共に戻ってきたシロとゴロを見遣る。カメラアイが虚しく潤っている様に見えたのは気のせいだろうか。

「いやぁ駄目駄目ですねーゴーレムちゃんたち。無駄にデカい腕が邪魔で邪魔で」

 ズバズバと正直に言い放つ相川たちの様子を見る限りだと、どうやらオレ以上に苦戦してるらしい。
 体格差の問題もあるんだろう。体つきがゴーレムに比較的近いオレはまだしも、細身の彼女たちとゴーレムとじゃ身体の動かし方に差異があり過ぎる。オレが3人共纏めて教えるべきだったかもな。

「元々そう作られていないんだ、仕方が無い」

「けど“あの差”ですよ?」

 そう相川が指し示す方角を、オレは渋々見向く。コイツが何を言いたいかなんて、一々予想するまでもない。

 何度も何度も、プロペラの如く連続でバック宙を繰り返す黒い物体。その正体は、タロ以外に居る筈もない。

「……未だ前転後転しか教えていませんのに…金メダリストも真っ青ですわ…」

《オルコット殿!次ハ何ヲスレバ!?》

「え!?えーと…」

 もう一つは、まるで何百回と経験してきたかの様な身体捌きで、一夏と箒が交互に滅茶苦茶な方角へと投げるビーチボールを全て拾う白い影。それも無論の事ジロだった。

「…AIとは凄いな」

《凄イノ定義ハ解リマセンガ、半分ハコノボディヲ作リ上ゲタ井山氏他皆様ノオ陰ニ御座イマス》

「そこは「それ程でも~」くらい言って良いのよ?」

 タロとジロはもう終わりそうだな、というかほぼ終わってるか。それは堤防の側で所在無さそうに突っ立っているラウラを見れば解る。


「はぁ…洋楽が映えますなぁあの2機」

《フン、アイツラハコウイウ時シカ調子ニ乗レンカラナ》

《少ナクトモタロカラハソンナ空気ガ滲ミ出テマスネ》

 だが見とれてる場合じゃない、せめて走り方だけでもどうにかせんとな。足を取られる砂浜で素早く動ければ、大抵の陸上で通用する筈だ。

 腕を下げたら地面に当たっちまうし、左右に広げると邪魔になる。万歳の状態でも重心が上に行って倒れ易くなる…となるとやはり両肘を曲げて固定させるか。マシになる程度だが、これが一番無難だ。

 他に何か無いもんかと、オレは僅かな雲だけが残る空を何となく見上げた。サングラスのお陰で日光は弾かれたが、青空を拝めないのがどうにも萎えた。
 それで外すかって時、直ぐ真上を海猫が一羽、向かい風に煽られながらスーッと通過した。

(あ…)

 翼を広げていた海猫を見て閃いたオレは、早速サブロたちに提案してみる事にした。


《オオッ!速イ速イ!》

《マァ…幾分カマシダナ》

 駄目元が思いの外上手く行った。
 上体をお辞儀の如く前屈みに曲げ、そのまま両腕をピンと後方に伸ばす。この一見ふざけた格好で走らせると、どういう理屈なのか存外速くて驚いた。多分だが、重心が低い位置で前後に分散されるから…だと思う。
 生身のオレたちよりかは遅いが、それでも十分速い。

 ただ…。

「……EDM流れながらだとシュールですよねあの走り方。3体並んでると特に」

「それは言ってやるな谷本」

 オレだけじゃない、皆必死に口を押さえている。どうして笑う事が出来ようか、アイツらが漸く掴んだ走法を…。
 そうだ笑うな、これは笑っては駄目なんだ、お前が教えたんだぞ昭弘。


《ダァーーーーッ!ハッハッハッハ!!見ロヨジロ!アイツラノ走リ方!ダッッッセェーーーーーッ!!》

《全クダナ、マルデ蠅ガ地面ヲコソコソト這ッテイルカノ様ダ》
 
 何でそうお前等は同じISに対して辛辣なんだと、オレは吹き出すのを我慢しながら堤防の上に居る馬鹿2人を睨み上げる。
 懸命に口をへの字に曲げては耐えている箒たちも、タロとジロを引っぱたいては咎めようとする。
 だが、タロたちの嘲笑は止まらない。それは開けっ放しの蛇口から、重力に従って水が流れ落ちる様な自然現象。本当に何て奴等なんだ…。

 すると日常的な化学反応の如くピタリと止まったサブロたちは、真っ赤なカメラアイでタロとジロを一瞥すると、近くに転がってたビーチボールを徐に掴んでは投球フォームに入った。

 
 おっと、何か織斑センセイがらしくもなくはしゃいでいるな。気になるから行ってみるとしよう。




 小さな噴水の様に、砂浜が次々と破裂していく。

「オラオラどうしたぁ!?2人がかりでその程度かぁ!?」

 無人機にポールらしき物を担がせ、連れの山田センセイにネットを持たせてビーチへ訪れた織斑センセイは、嬉々として手際良くセットを始めた。んで、もっかい見てみればこの通りだ。
 以上、短い事の顛末だ。

「ハイ!この程度です!抜けても良いですか!?」

「DA・MA・RE!!ゲームセットまで男を見せろデュノア!」

「僕女なんで!愛らしくてか弱い女の子なんで!」

「良いからボールに集中しなさいデュノアッ!だーからアタシは昭弘とが良かったのよ!」

「そんだけは言わんでくだせェよ鈴音どん!」

 ビーチバレー。そのデモンストレーション兼織斑センセイのストレス発散に選ばれたのが鈴とシャルロットだ。どうも、一番近くに居たかららしい。

 鈴の闘争心はまだ健在だが、シャルロットは既にヘロヘロだ。開始からそんなに経っていない筈だが。
 こういう時だけ己の性別を主張してくる所が、奴らしく情けない。

 ルールを知らないオレは見学、皆は思い思いの相手を懸命に応援している。どちらも心持ちが違うだけで、観戦してるってとこは一緒だが。

「織斑先生イッカスゥーーーッ!!!」

「抱いてーーー!!」

 どうやらあの薄いビニールボールを、ネットの上から相手陣地に落とせば良いらしい。鈴とシャルロットの動きを見る限り、自陣は3回までボールに触れて良い様で、連続して同じ人間がボールに触れちゃ駄目みたいだ。そして最後の1回を相手陣地に叩き落とす訳か。

 にしてもだ、流石ブリュンヒルデというかよくあんな動きができるな。
 先攻(サーブだったか)は全て鈴シャルロット側、おまけに1ターン目は全て優しくボールを返している織斑センセイ、しかも2対1。だが今の所センセイ側は無失点。決して狭くはないコート内の何処にボールが飛んで来ようと、いとも容易く防ぎ返す。鈴もシャルロットも運動神経・身体能力はかなり良い筈なんだが。
 更にはボールをネット際まで高く弾き、そのまま自身も天高く跳躍してはボールに「力」を送り込む。

 バレーをやった事のないオレでも解る、あの動きは到底真似出来ん。

 結果、ビーチに出来上がるのは多数のクレーター。そんなレールガンから放たれた様なボールを受ける勇気は、シャルロットは勿論、鈴にも無かった。
 未だボールが破裂しないのが謎だ、どんな強度なんだ。SEでも張ってんのかってくらいだ。


 終わってみれば織斑センセイの圧勝。鈴とシャルロットはバテて呼吸を大きくしているが、それで済んだだけでも勲章もんだ。

「中々楽しかったぞお前ら。日陰でスポドリでも飲んでろ」
「そぉーらどんどん来いお前ら!何なら5対1でも良いぞー?安心しろ死にはせん!」

 いやセンセイ、確かに皆「観戦」は楽しんでいたが、きっとやろうとは思わんぞ?見てみろそのアンタが砂浜に作った無数のお椀。


 そのルールを覚えた今、オレは別だがな。

「おっ」

 新しい玩具を見つけた様な声を漏らすセンセイ。気がつけばオレは、授業時より真っ直ぐ勢い良く手を挙げていた。
 あんなもん見せられて大人しく引き下がれる程、オレは大人じゃない。戦いであれ何であれ、オレはこういう時の為に肉体を鍛えてんだ。
 アンタの人外パワーとオレの筋力、どっちが上か勝負と行こうじゃねぇか。

 後はオレに続く無謀上等な戦士が居るかどうか。最悪1対1も考えてはいるんだが。
 さぁ誰が来る、ラウラかそれとも……。

「ハイッ!!」

 お前か相川。

「うっ」

 嫌な予感が的中してしまったと、そう単語にもなってない声に乗せるセンセイ。相川が何を企んでいるのか、察しが付いているんだろう。
 鈴とシャルロットを相手に選んだ時みたいな適当ぶりが仇になったな。

「負けたらデートですからね~織斑せーんせ!」

 相川の大胆な要求に盛り上がるギャラリー、予想が一字一句的中して肩を落とすセンセイ。デートくらいしてやれよとも思ったが、教育者としては確かに難しいとこか。
 オレも何か条件を提示しようか一瞬悩んだが、特に何も思いつかなかったので止めた。

 所詮は口約束だが、この人は恐らく律儀にそれを守る、そういう人間だ。生徒からの信頼云々抜きにしてもな。

「相川は基本的にサーブと援護を頼む。防御と攻撃はオレに任せろ」

「はいよ!ハンドボール部の軽やかさ、見せてやりますよ!」

 てな訳で、オレもセンセイもそろそろ気持ちを切り替える。遊びだからこその真剣勝負だ。




 試合開始直後、ギャラリーの反応は一つに統一されていた。「人間は生身で砲弾を弾く事が出来るのだな」と。
 今やコート内は激しい砲撃戦と化していたのだ。

 相川がサーブを放つ、千冬がそれを優しく返す。その辺りから狂気の撃ち合いが開始される。

 未だ嘗めて掛かっている千冬が山なりに弾いたボールを、相川は同じく山なりに弾いてネット際へと装填。
 それを、自慢の筋肉が生み出す脚力を駆使して垂直に跳躍した昭弘が、脱力により極太の鞭と化した上半身の筋肉を撓らせボールを叩き落とす。

「ヌ゛ン゛ッ!!」

 先ずは試し撃ちなのか、視認不可のライフル弾は真っ直ぐ千冬へと牙を剥く。それは、ただ千冬のプレイを見様見真似で放った初心者の一撃とは思えないものだった。

「ツッ!!」

 千冬の両腕にて、余りの衝撃に形状を変えるビーチボール。痛みに顔を歪めながらも、平らに変形したボールを千冬は天高く上げる。自陣のネット際まで形を戻しながら降りてきたソレを、千冬はお返しとばかりに昭弘目掛けて撃ち下ろす。

 昭弘という名の電磁砲が放った砲弾と同等かそれ以上の速度で飛来するソレは、正確無比に彼の腕へと吸い込まれる。

ミシッ

「ンゥッ!」

 空気を入れただけのビニール袋に過ぎないそのボールは、水の様な質量を以てして昭弘の両前腕に襲い掛かる。皮膚が裂ける様な、長年掛けて鍛え上げてきた肉が弾け飛ぶ様な、骨が砕け散る様な感覚に耐えつつ、砂浜に踵をめり込ませながらも昭弘はどうにか凶器を弾く。

 下から上へ放物線を描きながら、ボールはコート外へと大きく弾き出されてしまう。

「とうっ!!」

 だが地につく瞬間、俊足で駆けつけた相川にどうにか拾われ、再度ネット側へ跳ね上げられる。
 そしてそれを、再び昭弘が巌の様な平手で弾き落とす。今度は千冬目掛けてではなく、コート内ギリギリのエリアへ。

 だがそれすらも、千冬は熱した鉄板の様な砂上へ身体ごとダイブし、あろう事か片腕だけで防いでみせる。獣じみた動体視力と身体能力だ。

 その非現実的な攻防がずっと続く。青空すら薄める光線の様な日照りの元、いつまでもいつまでも。
 歓声は上がらない。コートから発せられる強大なエネルギーが、それを許さなかった。


 試合が始まり、既に3分にはなろうか。未だ両陣営に点は入っておらず、さっきから撃っては弾いてが続いている。

「…一夏、どちらが勝つと思う?」

「やっぱ…姉さんじゃない?相川さん、そろそろ体力的に限界だろうし。…というか終わるの?この超人バトル」

 一夏の冷静な予想よりも、彼が最後に付け足したそんな不安に箒は同意を示す。
 今の千冬と昭弘は、少しの疲れを感じながらもノリノリだ。先に相川がバテたとしても、恐らく代わりの人員を千冬が半強制的に昭弘陣営へ入れて即続行されてしまうだろう。乗りに乗った人間とは、ブレーキが効かないものである。
 そうなると最悪、行く行くはギャラリー全員が相川と同じ状態に…なるかもしれない。

 そんな2人と周囲の不安を余所に、試合は漸く動く兆しを見せる。

 千冬が決めるつもりで放った、ネットのほぼ直下への一閃。
 それを斑猫の様な0秒加速で頭からダイブし、左腕をピンと伸ばしては弾く昭弘。すかさず相川は疲労を滲ませながらもそのボールを高く上げるが、ボールは陣を隔てるネットのど真ん中へ。

「「貰った」」

 天から降ってくる“勝利”を掴み取る様に、同時に飛び上がる昭弘と千冬。
 反らす背中、振り上げる片腕、そしてボールを叩くべく射出する手の平、何もかもが同じタイミングだった。

ヴァッチ”ィィィィィィンッ!!!

 両側から凄まじい圧力を加えられたビーチボールは円盤の様に変形し、そこから生まれた衝撃波が生徒たちを撫でる。玉に加わる力は五分、狙う先も全く一緒であった。
 だが昭弘の身長は180後半、腕もそれに応じて長い。その為かボールに触れている昭弘の手と千冬の手、微妙にだが前者の方が上の位置にあった。

 そうなると加わる力は昭弘の超筋肉+位置エネルギー。ネット直上にて変形するボールの行く先は……千冬の陣地であった。

ポス…

ワァァッ!!

 ボールが地に着いた途端、威圧感から解放された様に歓声を上げるギャラリー。まるでその一点が試合終了の合図であるかの様だ。

「ヤッタァァァアルトランドさん!!」

「おう、でかした相川」

 この試合にて酷使された筋肉に抱き付く相川。熱せられた胸筋もついでにペチペチと叩く。

「HAHAHAHAHA!!やるなアルトランドに相川!」

「さぁ続きだ続き!」

 千冬の二言目に「え?」と凍り付くギャラリーと相川。どうやら彼女は、この調子でゲームセットまで続けるつもりだったらしい。
 正直、皆もう満腹であった。流石にそろそろコートから離れて別の遊戯に身を置きたいのだが、この砲撃戦がこの場で続くとなると、気になって遊びに集中も出来ない。流れ弾が飛んでくる可能性もある。
 だがかのブリュンヒルデに、「もうバレー見たくないんで止めて下さい」と言える筈も無し。
 満身創痍の相川は尚の事、ここで勝ち逃げしたい所だろう。だが彼女が抜け出せば、代わりの生徒が駆り出される。

 誰も何も言えなかった。ただ一人、千冬を良く知る大人を除いては。

「織斑先生?そろそろコートを生徒に譲って下さいな?」

 笑顔で制する真耶に対し、キョトンとしながら千冬は反論する。

「何を言うか山田先生。まだゲームセットではないぞ」

 だが尚も笑顔を絶やさぬまま、真耶は意に介さず捲し立てる。世界最強なんて「言論」の前では無力、真耶はそれを解っているのだ。

「というかいつまでも教師がコートを独占しないで下さい、ボールが凶器と化していると自覚して下さい、他のコート立てるのも手伝って下さい、そしていい加減飽きました」

 有無を言わさぬ調子で正論を振り翳す真耶に、千冬は焦りを見せ始める。

「いや…だがな?今1対0でな?このまま止めたら私は…。だからせめて逆転するま───」

「お・り・む・ら・せ・ん・せ・い?」

「…」

 千冬が、あの世界最強が、試合にも勝負にも真耶にも完全敗北した瞬間だった。

「イエェェェェェ!!デートデートォ!!」

(山田センセイって時々強いな…)

 一人で勝手に大はしゃぎする相川。
 昭弘はもう少し続けたい気持ちもあったが、真耶の正論で目を覚ましつつ千冬を制した彼女に畏敬の念を示す。女は強しという言葉を聞いた事があるが、それはどうやらISや腕っ節の事ではなかったらしい。

 ギャラリーも千冬に勝ったコンビと真耶を称えつつ、そして心底安堵した。


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第63話 清新の紺碧、混濁の青藍、無常の雄黄 ②

 浜辺の何処に逃げようと、衰える事のないビーチの賑わい。

 

 サマーベッドで寝転がっているオレは、今この瞬間だけはそれを少し忌々しく思う。

 それだけ、この寝ると座るのいいとこ取りって体勢はかなり居心地が良い。おまけに日光はパラソルが防いでくれるし、サングラスのお陰で砂浜の反射光にも攻撃されず、暑さも差程気にならない。どころか時々カラっと乾いた風が吹くくらいだ。

 これでもう少し静かなら、言うこと無しなんだが…なんてのは贅沢か。

 

 

 だがリラックスしてばかりもいられん、どっかのタイミングで箒に…。

 

 伝えようと思えばいつでも伝えられる。紅い水着にそれなりの高身長、数少ない男である一夏と一緒ともなれば、探すまでもなく箒を見つけられる。何なら今も見えている。

 だが今更伝えて何になる、とも思っていた。本来なら会って直ぐ言うべきだってのは、オレにも何となく解っている。

 仮に言えそうなタイミングがこれからもあるとして、何と伝えるべきなんだ。未だ箒に抱くこの感情を理解出来ていないオレが。「似合う」と言って終わりか、それともどこがどう似合うか詳細に言えばいいのか。

 或いは逆に、それら感想を彼女に面と向かって伝えれば、この感情の正体も解るのだろうか。

 

 ……いや、そもそも考えるだけ無駄なのかもしれん。

 箒はオレじゃなく、一夏と一緒に居るんだからな。それが彼女の答えなら、オレの感情が解っても、何を伝えても意味なんて無い。

 ただ箒と一夏を困らせるだけだ。

 

 それでは駄目だと分かっていても、どうしてかそんな風に考えちまう。

 

 

 

 

 

「あーもうホント疲れた」

 

 オカマに群がる可哀想な女の子たちをどうにかやり過ごして、オレはこれでもかって程に伸びをした。

 姉さんに群がってる方がまだ有意義だよって、別れ際に言っときゃ良かった。

 

 んで未だ何も動けてない此方も哀れな女の子に、オレは仕方なく声を掛けてあげる。

 

「箒、今昭弘一人」

 

「…それがどうした?」

 

 え、この期に及んでまだそーゆー事言う?箒の良い所でも悪い所でもあるけど、流石に今回ばかりは後者。強情すぎ。

 

「「私の水着姿どう?」くらい言ってきたらって。今日まだ会話すらしてないでしょ?」

 

「いや……しかし昭弘も、先のバレーで疲れてる様だし……」

 

 はぁ…我が幼馴染ながら何て情けない…。剣の神様が泣くよ?恋愛の神様に笑われるよ?

 

 ってあーあ、ボヤボヤしてるから今度はラウラに昭弘取られたじゃない。

 そんな絶望感漂う顔する位なら、もっと行動しなさいよ箒。

 

 昭弘も昭弘だよ、このヘタレ筋肉。箒がオレと一緒に居て、嫉妬心の一つも湧かない訳?

 さっさと箒に話し掛けるなりすれば良いのに、何小難しく考えてんだか。

 

 

 ……アンタたちがそのつもりなら、オレにも考えがあるんだけどね。

 精々今の内にウジウジしとくが良いよ。もう何時間か経てば互いのビキニの感想どころか、本心を晒せ出さざるを得ないシチュエーションに追い込んでやるんだからさ。

 

 

 

 

 

 ビーチの賑わいはその種類を変えていた。少女らの纏まり無く延々と続く会話音から、特定の間隔で歓声が上がる観衆的な音へと。

 今、砂浜の至る所でビーチバレーが行われていた。

 

 幾度と無く往来する球体と、それを追う半裸の少女たち。それらを傍から眺めていようと、何かしらの感想に浸る事は今の私には難儀だ。

 我々無人ISの、本臨海学校への同行。理由は既に織斑教諭から聞き及びはしたが、我々が態々同行する必要性は見出せなかった。即ち、何か別の故があるのではと、余計で意味の無い憶測に思考を割いてしまうのだ。

 

 だがその一件への思考が何よりも優先されてしまう為、私は「海」という景色を目の当たりにしてもただ立ち尽くす事しか出来ない。

 この様な時こそ何かしらの指示があれば、余計な思考を閉ざせるものを。

 

「タロー!行ったよー!」

 

《ハーイ!》

 

《今度ハ余計ナ穴ヲ作ラナイデ下サイネー》

 

 だからか、皆様と楽しげにボールを追い掛ける能天気な馬鹿4匹が、今は酷く羨ましく思う。

 私にも奴等の様に思考を切り替える術が備わっていればと、思わずには居られない。

 

 

「アンタ…石像じゃないんだからさー」

 

 そう言いながらも声を掛けてくれる鈴音殿。貴女にも限られし「時間」があろうに、お人好しな事だ。

 

《御心遣イ、感謝シマス》

 

「別に。少し休もうと思ってたら、近くにアンタが居たってだけ」

 

 成程、ならば私も先ずは地べたに座すべきであろう。直立する私を見上げては、休憩する彼女の首も疲れようもの。

 そう小考した私は、背を丸める様に体育座りした。

 

 

 

 しっかり今日という一日を満喫している事に、アタシ自身ビックリしている。アイツの「助言」のお陰もあるのかな。

 けどだからこそ、何だか今日は皆と接し辛い。

 

 皆一見楽しそうだけど、やっぱどこかピリピリしてる。それだけ明日の演習を強く意識してるって事よね。

 そうでない連中だって、箒と一夏はデート中、昭弘やセシリアも何となく話しかけ辛い感じだし。

 

 そんでこうしてジロの所に来た。何か消去法みたいになっちゃったけど。

 

「今日もやる事ない?」

 

《ハイ。先程モ今モ、明日ノ事ニツイテ思考ヲ巡ラセテイル所ニ御座イマス》

 

 ジロの頭部から漏れる音声には、表情無しでも隠しきれない深刻さが現れてた。

 

「なら一緒ね。アタシも明日の事ばかり考えてる」

 

《シカシ、今ノ鈴音殿ニ緊張感ハ見受ケラレマセンガ》

 

 やっぱりそう見えてたか。

 まぁ、そう。アタシは皆と比べても決定的に欠けたものがあるし。それでも…いえ、だからこそ落ち着いていられるんだろうけど。

 

「だってアタシ、将来の事とか何も決めてないし。だから明日の演習をいくら考えても緊張しないのよ」

 

 そうは言っても正直な所分かんない、先を見据えてる人の心境なんて。ただ、将来のビジョンが無いアタシは緊張しない、だったら逆の人は緊張する。簡単にそう考えただけ。

 

 明日の事、もしかしたらジロは別の思惑について悩んでいるのかもね。それでもどっちにしろ、やっぱりもう少し楽に考えて欲しい。

 

 アタシと同じで、ジロにも目的が無い。そんな事、いつも格納庫前で言葉を交わしていれば嫌でも解る。それを知った時は、「自分だけじゃない」って卑しい安心を覚えたっけ。

 だからこそ、ジロだけ沈んでアタシだけ浮かれてるのは、何か嫌だった。折角の臨海学校…てのはアタシの価値観の押し付けだろうけどさ。

 それに、偶にはアタシが励まさないとね。

 

「先の事が決まってないアタシとアンタは、何だって目的に出来るって言ってんの。そう考えてみれば、不安も結構薄まるもんでしょ」

 

 よし、アタシにしては言いたい事をかなり上手く纏めた様に思える。周りの事ばかり難しく考えてるから、ネガティブになんのよ。

 

 だから自分の事をもっと考えれば、ジロも少しは気が楽になるだろうと、そう考えていたこの時のアタシは本当に思慮が浅かった。

 

《…アリガトウゴザイマス。シカシオ言葉ナガラ、鈴音殿ハ根本カラ勘違イヲシテオイデダ》

 

 ジロは音声に何の震えも起こさないで、そのまんま文字通り機械的にそう返してきた。

 

《“目的”トハ、複雑ナ思考回路ヲ持チ、ソシテ“限ラレタ時間”シカ生キレナイ人間ニダケ持ツ事ガ許サレルモノ。コアモ身体モ半永久デアル我々無人ISニハ、決シテ生マレヌ意識デス。故ニ、今ハ目的ガ無イダケノ鈴音殿トハ、根底ノ在リ方カラ異ナリマス》

 

 …「そんな事無い」と、言えないのが悔しかった。寿命が存在しないんなら、「生きている内に何か成そう」なんて意識も生まれない。

 けれどそれとは別に、アタシの口はこの状況を打開しようと必死に足掻いた。ジロたちが「機械」である事を、認めたくなかったんだ。

 

「けどみんな、アンタたちの事は…」

 

《ハイ、昭弘殿モ我々ハ人間ト同様生キテイルト、ソウ仰ッテ下サイマシタ。私モ嬉シク思ッテオリマス》

《デスガ、ヤハリ我々ハ人間ニナドナレマセン。ISトシテ生ミ出サレタ無機的人工物デアル以上、先ニ広ガルハ途方モ無ク膨大ナ時間ト、ソコニ残サレル自我ダケデス》

 

 …アタシは自分の思い上がりを恥じた。ジロたちの事を、理解したつもりになってたんだ。

 言葉を話せる、自我を持ってる、アタシたちと同じ様に思考する。ただそれだけで人間と同じなんだと、勝手に決めつけて。何かを成す為に必要な肉体すら、彼等には無いのに。

 知った風になって、強引に励まそうとするからこうなるんだ。アタシと同じ様に、気楽に構えれば良いだなんて。

 

 けどだって───

 

「…そんなの…虚しいわ」

 

 生きる目的が生まれないなんて、ただ日々が無情に過ぎていくだけじゃない。友人ならさ…そんなの認めたくないじゃない、励ましたくもなるじゃない。

 それでも…アタシが悪いの?ロボットに中途半端な同情を抱いて、余計な事言ったアタシが…。

 

《虚シクナド。我々ノ側ニハ、イツモ人間ガ居ルノダカラ。無限ノ可能性ヲ見セテクレル、アナタ方人間ガ》

《故ニ私タチハ人間ヲ何ヨリモ尊ク感ジ、ソシテ尽クソウト思エルノデス》

 

 ……皮肉な話ね。「無限」の名を持つISが、自分たちじゃなくアタシたち人間に無限の可能性を見出すなんて。

 結局アタシたちは、有限だからこそ何かを成そうと必死になれる。必死になれるから、何かを生み出せる。

 そんなアタシたちを尊いと言ってくれるジロは、本当に人間が好きなんだろう。同時に、決して人間にはなれない事も、他の誰彼以上に理解してるんだろう。

 

 そう考えると、今もああして楽しんでる無人機たちが、無性に物悲しく見えてしまう。彼等がどんなに人間らしくても、アタシたちとの間には絶対に崩せない隔たりがあるんだから。

 …それか、きっとアレは───

 

「…なら尚更、明日の事なんて気にせず皆の輪に入ったら?人間が尊いと思うんならさ」

 

 アナタたちの事なんて未だ僅かしか解ってないアタシが言っても、説得力なんて無いかもしんない。けどジロと同じく目的を持てない彼等だって、だからこそ人との時間を謳歌しているのではないか。

 

《…》

 

 アタシのそんな言葉を聞いて、ジロは黙り込んだ。紅く光る横一線のバイザーを、瞼を閉じる様に消灯させながら。

 

 けどそんな沈黙もアタシの予想より長くはなく、直ぐにまた紅い光を一の字に灯した。

 その表情すら無い鋼鉄の仮面は、アタシを真正面に捉えていた。

 

《……鈴音殿、今ノ私ハ───》

 

 ジロの言葉はそこで途絶えた。迫る人影を捉えたからだ。

 その余りに見慣れた人影は、当然アタシも把握した。話し込み過ぎたせいか、背後に立たれるまで気付かなかった。

 

「アンタたち、暇ならちょっと手伝って貰える?」

 

「…は?」

 

 今では珍しくニカッと笑いながら、一夏はアタシとジロの肩に手を置いた。

 けどその視線は次なる獲物に狙いを定めるかの様に、波打際で玉を追いかけるタロたちに向いていた。

 

「ゴメンね、鈴とアンタたちが適任なの」

 

 

 

 

 

 

 勝手に考え込んで勝手に沈んでいたオレの元へ、女子の集団から逃げてきたラウラが息を荒げてやって来た。

 他クラスの連中は皆どうやら、水着がダサい程度じゃ男への飢えは収まらんらしい。

 

「しまった!」

 

「厄介な所に…!」

 

 ラウラがオレの影に隠れた事で、女子の猛追も止む。オレはラウラにとってセーフティゾーンか何かなのか?

 

「ゼェ…ゼェ…勝手にどっか行くな昭弘!逃げ回りながら貴様を探すのがどれだけ大変だったか!」

 

 デカいんだから簡単に見つかるだろうと思ったオレだが、ああそうだった、横になってたから見つかりにくかったのか。それに加えて、遮蔽物の無い砂浜で逃げ続けるのは酷だったろうに。

 これはどうも悪い事しちまった。

 

「スマン。サマーベッドの心地良さを試したくてな」

 

 何であれラウラも来たし、オレもそろそろその辺ブラついてみるか。もう十分休んだ…いや、今は誰かと一緒に居たい気分になっていた。

 一人で黙っていると、また無駄に考え込んじまう。

 

 

 そんな訳で、砂浜を歩き回るオレとラウラ。

 

 ただ、このままオレと居たら、ラウラは海の楽しさを何も知る事無く一日が終わってしまう。折角オレに合わせてビーチまで来てくれたんなら、何でも良いからラウラにも楽しんで欲しいもんだ。

 オレとしても、遊べる時に遊んでおかないと損だしな。

 

 

 とか考えながら周囲を見回していると、ビーチバレーとは異なる一つの集団を目にする。棒を持った1人を、複数人が囲っている様だった。

 

「行ってみるか。見た限り面子は1組だけだし、ラウラがしつこく迫られる事もないだろう」

 

「……まぁなら」

 

 そういう訳でオレたちが足を運ぼうとするよりも早く、オレの巨体に気づいた相川らが手を振る。

 

「昭弘さんも、レッツスイカ割りですよー!」

 

 また聞き覚えの無い単語が出てきたと、オレは少しの興味を携えて近づき、ラウラは面倒そうに顔を顰めながらオレに続く。

 

 

 

 

───数分後

 

 相川たちの説明も終わり、早速競技に挑んでみた後の事だった。

 昭弘は目隠しを外して一人立ち尽くしていた。冷や汗を混ぜたその表情は「やっちまった」と、己の失態を後悔するものだった。

 手に持つヒノキの棒は、まるでスナイパーに撃ち抜かれたかの様にボキリと折れていた。

 

「凄い衝撃だったねアキヒー!アキヒーが打った砂場、アリーナみたいになってるよ~」

 

 砂を被り尻餅をついていながら、何ともなさそうにそんな感想を零す本音。

 

 すると今度は、砂の中から生まれた様にムクリと起き上がった相川が、スタスタと昭弘の元へとその身体を進める。活気を吸われた様な無表情で。

 

「あ…すまない相川。折っちまった」

 

「…いえ……棒は予備が腐る程あるのでご安心を。…それより昭弘さん」

 

 そう言い、砂まみれのまま昭弘の右肩にポンと平手を乗せる相川。

 

「すみません!やっぱアナタはゆっくり観戦していて下さい!」

 

 相川必死の懇願を聞き、昭弘は誰に言われるでもなく周りに倒れ伏す有象無象を見渡す。そこには衝撃によって巻き上がった砂を浴び、未だ砂浜と同化しかけているラウラたち。そして昭弘から少し離れた所には、砂を被りながらも傷一つ付いてないスイカが。

 怪我人が出なかっただけ良かった。

 

「……そうさせて貰う」

 

 そう相川の言葉を素直に聞き入れ、昭弘はその場で皆に何度か頭を下げた。

 何はともあれ、スイカ割りが予想より遙かに難しい競技だという事だけは深く理解出来た昭弘であった。

 

 

 

 

 オレが起こした暴発からすぐ、まるで何事も無かった様にスイカ割りが再開された。彼女たちの遊びに対する執念と切り替えの早さには、畏敬の念すら抱く。

 

「オオッ!悪くないよラウラ!」

 

 端から見るとフラフラで、とても悪くない様には見えないが…オレはアレより酷かったのか。

 

 だがラウラも割と楽しそうだし、その辺りは良しとするか。

 この様子なら、皆にラウラを任せても大丈夫だろう。スイカ割り以外にも、彼女たちなら海の面白さを色々とラウラに教えてくれる筈だ。少なくともオレよりかは遥かに詳しいんだからな。

 

「さっきは残念だったねアキヒー。凄さなら間違いなくアキヒーが優勝なのに~」

 

「それで優勝なら別のスポーツになっちまうな」

 

 布仏は本当、いつでもどこでもこのテンションを維持出来るのは誇張無しに見習いたい部分がある。状況がどう変わろうと、それを楽しんじまうのはある種の才能だ。正にオレとは対極の存在だろう。

 さっきの爆発でも一人だけケタケタ笑ってやがったからな。

 

 それなのに、今日の布仏には奇妙な違和感があるような。

 いつもの笑顔に間延びした声。水着姿は少し独特だが見かけ上、特に気になる点も無い。

 

 その違和感が何なのか、時間を要する事無くオレは気付いた。

 

「今日はオルコットが一緒じゃないんだな」

 

 オルコットが海好きなのかは分からんが、布仏と楽しそうに水着を買い漁っていた様子から、今日という日を心待ちにしてたのは確かだろう。

 そのオルコットが折角のビーチで、布仏の近くにすら居ないのは不可解だった。いくらアイツが素直じゃないとは言え、行動くらいは布仏と共にすると思ってたんだが。

 

「だって折角のビーチなんだよ~?オリムーにアタックするチャンスなのに、私とばかりくっついてたら勿体ないよセッシー」

 

「……そういう助言をオルコットにくれてやった訳か」

 

「そ~」

 

 そりゃ布仏と一緒に居辛くもなるわな。大方、「それもそうですわね!」とか勢いで言っちまったんだろうな。

 

「ラウラそこでストップ!向きはそのまま!」

 

「む、ここかッ!」

 

ボゴォッ!!

 

 硬い外殻がヒノキ棒の重い一撃によって弾け、赤い中身が血肉の様に晒される。

 直後に来るのは、ラウラたちが高らかに上げる歓喜の声だった。

 

 だがオレの意識は、もうスイカとそれを囲う皆から離れていた。

 

「…布仏はどう思ってるんだ?」

 

「勿論、時間が許す限りセッシーと居たいけどさ~~」

 

 奇麗な即答だった。笑顔も声の調子も一切変えずに放たれたその言葉は、何だか聞いていて無性に悲しくなった。

 今も我慢してるんだろうな、オルコットが居ない寂しさを。それも、オルコットの為を思って。

 

 それが見るに堪えないオレは、言わずには居られなかった。

 

「…オルコットの奴、一夏と一緒には居なかったぜ」

 

 言った後、オレは見た事の無い布仏の表情を目の当たりにして驚く。いつもの笑顔から真顔へと崩したんだ。そのままオレを見ながら斜めに傾く顔は、明らかな疑問の仕草だ。

 アレから時間も経った、今はもしかしたら一夏と一緒に居るのかもしれん。だがきっとそうはならない理由を、オレは無表情で見つめてくる布仏に話す。

 

「一夏は最初っから箒と一緒だ。いくらオルコットが必死でも、そんな2人のデートブチ壊す真似はしないだろう」

 

「……じゃあセッシーは今、誰と何処で何してるの~?」

 

「それを確かめたいなら、尚の事オルコットを探しに行ったらどうだ?それくらい良いだろう」

 

 本当の事を言うより、多分こっちの方が良い。どっちにしろオレが教えんのは野暮だ。

 

 布仏はほんの少し俯いた。角度こそ小さいが、オレの目の位置からじゃ彼女の表情を窺い知る事は叶わなかった。

 オルコットに伝えた助言を余計であったと悔いているのか、尚行かないと意地になってるのか。

 

 だがその俯きも短く、顔を上げた布仏はまたいつもの可憐な笑顔に戻っていた。

 

「アキヒーごめ~ん。ちょっと外すね~」

 

 そう言って布仏は、自由気ままな野良猫の様に去って行った。コソコソって訳でも慌ただしい訳でもなく、まるでいつもの事であるみたいに。その様子だけで、誰に会いに行くのかは言われるより鮮明に解る。

 相川たちはオレが上手く誤魔化しといてやるか。

 

 

 これが正しいのかどうかは、正直オレ自身怪しい所だ。会えるとも限らんし、布仏に問い詰められたオルコットがまた余計な事言うかもしれん。

 だがまぁ、互いに会いたがってんなら別に会わせたって良いだろう。後は馬鹿なオルコット次第だ。

 

 

 

 傍からは鮮明な、オルコットの愛。だが当の布仏は気付かない、か。人を好きになるってのは、やはりそういうものなんだろうか。

 誰であろうとも、自分への好意を知るにはやはり直接確認するしかないのか。いや、確認した所で相手が本心をそのまま言葉にしてくれるんだろうか。

 

 何故人間ってのは、己への好意にこうも気付かないんだろうか。己がその相手の事を好きでも尚。

 何故どっちも、好意を言葉に出来ないのか。

 

 そんな思考を纏めず箇条書きで羅列しているオレは、オルコットを探すべく人混みへと消え行く布仏を最後、一瞬だけ視界に収める。

 

 自身の事をどう思っているかなんて解らない、それでも尚オルコットへ会いに行く布仏を。

 それが出来るのは、自身の心が解っているからだ。

 

 当然それだけじゃなく、気になる相手へ対面しに行ける強さを持ってるからだ。

 

 

 




・おまけ



「右右!あーもうちょっと右!…そう!そのままゆっくり前進!」

 ブルーシートの上で甘い中身を護りながら静止するスイカに近づくは、目隠しをした布仏だ。さっきから野次の如く指示を飛ばしているのは、相川含めギャラリー全員だ。

「地面が揺れるぅ~~」

 だが事前に身体を軸に回転し平衡感覚を狂わせている布仏は、指示通り真っ直ぐには進めない。

「えいっ!」
 
 ドス…っと、彼女が振り下ろす硬く重いヒノキの棒も、空を切っては砂場を抉るだけだった。

 そんな具合で何度か棒を振り下ろす布仏だったが、谷本の持っていたタイマーが鳴り響いて強制的に終了となる。90秒、思ったよりも短い制限時間だ。

「また駄目だったよ~~」

「てな感じです!2人とも解った?」

 確認する相川に、オレとラウラは取り敢えず無言で頷いて見せる。
 ルールは解ったが…楽しいのか?コレ。スイカなんざ、さっさと切って食っちまえば良いじゃねぇか。それに、食べ物で遊ぶのもどうかとオレは思うんだが。
 ラウラも表情を見る限り、きっとオレと似たような事考えてるんだろう。

「……兎も角やってみよう」

「その意気です!」

 見てくれこそアレな競技だが、楽しいかどうかは実際にやってみなけりゃ解らん。


 鉢巻きで目隠しをし、既に目も回したオレは打つべき的に備え棒を強く握る。
 今自分が何処を向いているかは判らないが…何、指示通り進んで棒を振り下ろせば良いんだろう?身体のフラつきだって、体幹と脚に意識を集中させれば訳ない。
 前の世界に今の世界、どんだけグシオン激しく動かしてきたと思ってる。

 そうしてタイマーが数字を刻み出す。

「ハイ!じゃあそのまま左向いて!」

 左を向く。

「いや向きすぎ。ちょっとだけ右向いて!」

 右を向く。

「いや、あー…まぁいいや!そのままゆっくり直進で!」

 歩を進める。

「いやいやいや!!思いっきりカーブしてますって!回れ右です回れ右!」

 駄目だ、どうやら思った方向に進めていないらしい。想像以上に難しいな。

「アキヒー!そのまま左にカニさん歩きすればスイカの近くまで着くよ~~!」

 承知した。左足を真横に突き出して、右足も同じくそれに追従させる。オレはそれを繰り返しながら横歩きに務める。

「いやストップ!ストーップ!!」

 チッ、だぁもうじれってぇな。「ストップ」って事はここなんだろ?もう振り下ろすぜ。

「あっ、ちょ───」

バォッ!!



ズッパァァァァァァァァン!!!



 小さな集団の中心で突如、地雷でも暴発した様に砂煙が舞い上がる。その図太い柱の高さは5m近くにはなろうか。

 爆発によってそれだけの砂柱が立ったのだ、無論そのエネルギーも凄まじく、砂を纏った衝撃は水着の小集団を飲み込んだ。

 まるで鰯の群れがダイバーを取り囲む様に。


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第63話 清新の紺碧、混濁の青藍、無常の雄黄 ③

 どんよりと座り込む私ことセシリア・オルコットを、青々とした空は真上から日射しという熱で煽り、深々とした海は潮風を吐きながら嘲笑する。

 

 当然ながら、好きで一人で居る訳ではない。一緒に居たい人ぐらい、私にだってある。

 それが出来ない理由は至極単純で、「好きだ」「一緒が良い」等々、人間が自然的に抱く感情を私自身言葉に出せないから。

 

 そうして気持ちを隠す為に、相手に気づかれない為についてきた嘘は、今正しく自分の首を絞めていた。

 今、私は一夏に見て貰うべく水着を選び、そしてその水着を以てして浜辺にて猛アピールをする…という筋書きになっている。彼女の中では。

 

 一夏と箒が本気でデートしてる中、そんな私が邪魔出来る道理なんてどこにあろうか。

 大体が、いずれ本音に気付いて貰わねばならないのに、その彼女から気付かれない為に他の人間とデートするなんて馬鹿げている。

 

 故に私は友人たちと共に居るでもなく、皆から大部離れた堤防の上で体育座りをしながら一人黙々と考えるのだ。この美しいビーチにて本音と2人の時間を過ごすにはどうしたら良いか、と。

 

「ハァ…」

 

 この後に及んで「素直に全て白状する」という選択肢を考えない愚かな自分に、つい溜息が出てしまう。

 けれども、例え意気地無しと解っていても私は未だ本音に告白なんて出来ない。

 

「折角のビーチですのに…」

 

 この一言に尽きる。どれだけ頭を回しても名案なんて浮かばず、代わりに湧き上がるのは一人で何をしているのだという己への落胆のみ。

 

 

 

「セッシー、堤防で一人座ってると目立つよ~?」

 

 雛鳥の羽毛みたいに柔らかい声。それを聞いた私は目を丸くしながら声の主を見据えると、まるで開かれた瞼から鬱屈が排される様な感覚に襲われる。

 もう下らない思考なんて、頭のどこにも残っていなかった。

 

「オリムーと一緒に居なくて良いの~?」

 

 だが幸福も束の間、いきなり本音はその件について問い質してきた。

 当然、私の中では考えなんて纏まっていない。しかし…今彼女に対して抱いている感情だけは、今までのどんな感情よりも鮮明に把握出来ていた。

 その感情は今この瞬間、どんな思考よりも過去よりも未来よりも優先すべき、決して言い逃してはならないもの。

 

 こんなにも蒼く美しい場所で、こんな風にいつもみたく本音に会えて話せる事がただただ───

 

「嬉しいですわ」

 

「何が~?」

 

 天使に聞き返されて、私は己の失態に冷汗をかく。

 馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿私の馬鹿、本当に言う愚者がどこに居ますか。しかも何の飾りも無くそのまんま。

 

 焦るなんて次元ではない。脳の溶けるふんわりとした状態から一気に硬質な流氷へ。心の急変に思考はまるで追いつかず、返せたのは反射に等しい言葉であった。

 

「い、一夏が箒とデート中でしたのでぇ!どうすれば良いか丁度本音から助言を…と…」

 

 考え無しに放った、心にも思ってない言葉。途中で私は「あ…」と後悔の声を出す事が出来たが、ここまで言ってしまえばもう遅かった。

 

「もぉ~セッシーは~。取り敢えず様子見たいから、オリムーとシノノン一緒に探そ~~」

 

「!」

 

 そう言って背を向ける彼女。

 同時に私の中で煮え滾ったのは、反射など介入する余地の無い先程の強き感情。

 

 私は再びその感情に突き動かされ、しかして反射では有り得ない確かな落ち着きを宿して本音の手を掴んだ。

 

「…セッシー?」

 

 そのまま私は彼女の手を引き、身体を引き寄せては真正面に向き直す。

 

 今の私の表情は、本音にしか解らない。何となく笑っているのは自分でも解るが、私の表情筋は不慣れに震えている様な感じがした。そう、これはきっと初めての表情だ。

 

 すると今度は彼女の両手を私の両手で以て包み込み、更に身体ごと顔を近付ける。

 そうして捻くれた私なりに、素直に言い放った。

 

「波打ち際を2人で、ゆっくりと歩いて探しましょう?時間はたっぷり御座いますわ」

 

 私をその瞳に捉えたまま、彼女は時間が止まったみたいに固まる。

 その停止から目覚めた後の表情は、普段通りの、普段以上の花満開な笑顔だった。

 

「うん!」

 

 私たちは砂浜に続く近くの階段へと、私の言葉通りゆっくりと歩き出した。

 

 

 

 塩という物質をふんだんに含んだ、純粋ではない然れど美しい水。人の力無しに長大な帯となって砂浜に繰り返し乗り上げるそれは、無機物なれどまるで生きた宝石の群れだ。

 その上を、或いはその中を無邪気に駆け回る天使をずっと見つめながら、私は塩水の帯と砂浜との境界線をゆっくり歩いている。

 

「セッシーもホラ~~!ひんやりしてキモチーよ~!」

 

「ハイハイ」

 

 天使もとい布仏本音の手招きに、抱き締めたい衝動を抑えながら私は静かに従う。

 一歩、また一歩と進み、砂の大量に混じった生温かい浅瀬から、漸く水らしさを感じる膝から上程の深さまで到達する。

 今日初めて、そして久しぶりに浸かる海水。

 

 

「…ところで本音?」

 

 

 その冷たい塩水のお陰か漸く普段の冷静さを取り戻してきた私は、ずっと本音に言っておきたかった事柄をやっとの事で口に出来た。

 

「何ですのその水着は!!?」

 

「えへへ~、可愛いでしょ~?」

 

 いや、えへへ~ではなくて…。本音が愛らしいのは事実だが、着る水着にも限度があろうに。アルトランドやその他諸々より余程衝撃的な外見に、何故誰も突っ込まず普段通り接していられるのか。

 端的に述べると、ソレは露出部位などほぼ無い「着ぐるみ」である。全体を覆う色は黄色、胴体の前面は獣の腹部を模しているのか白く、頭部に付随しているのは角の如く尖った獣の耳。

 

「ほ、本当にソレ、水着ですの?」

 

「素材的にもちゃんと水着だよ~~!凄いよね~最近の水着~!全然暑くないし~」

 

 凄いで片付けてなるものですか!一体何百年後の話です!?水着とは本来水の中を泳ぐ為にあるものではないのですか!?

 と、今までの私なら取り乱すだろうが、ここで彼女のペースに乗せられてはならない。本音を本気に想うのなら、お世辞ではなく正直な感想を伝えなくては。

 いや実際、余りの衝撃に心は未だ乱れまくってはいるが、そこは奥に押し留める。

 

「確かに、本音らしいユニークな水着ですわね。ですがやはり私たちは乙女。水着くらい、自分を可愛く美しく見せるべきでは?」

 

 私の意見を聞いて、本音は笑顔の種類を変える。まるでこちらの心境を当ててみせようと、そんな冗談めいた笑顔に。

 

「セッシーはそんな私が良かった~?」

 

 その言い方は少し卑怯ではないだろうか。冗句の類いで言っているのか本当に私の心を見透かしているのか、判別が出来ない。

 なら私としても、冗句と本心を織り交ぜるとしよう。

 

「まぁ、見ているだけで暑苦しいその水着よりかは…」

 

「分かった~!じゃあ脱ぐね~!」

 

 は?え?脱ぐ?

 

 知能指数が大きく低下した私の脳にそれらの単語しか浮かんでこない中、本音は既に砂浜へと戻って着ぐるみ擬きを脱ぎ払っている。

 

 中から現れたのは…天使。それは先程からしつこく使っている比喩などではなく正真正銘、生美しい素肌を存分に晒した本物の天使だ。

 

「2つ買っちゃった~!」

 

 色こそ同じ、黄色い水着。だが生脚全てを晒し、腹部を晒し、両腕も背中をも曝け出したその姿は、本音の雰囲気を大人の女性へガラリと変える。

 大人っぽ過ぎるのを抑えるべくブラとパンティに宛がわれたフリルが、本音が普段から醸し出しているセクシーとキュートを更に高次の層へと引き上げる。

 

「えへ…どう?」

 

 可愛い以外に何と答えれば良いのか。そう直で思いながらも、私は的確な感想を探っては本音の佇む砂浜へ進む。

 そして驚く程早く到着したが、何、この私に「可愛い」以外の詳細な感想が見当たらないなんてそんな事―――

 

「可愛いですわ。とても、とても…」

 

「それだけ~?」

 

 全くである、長年英才教育を受けてきた人間の発言ではない。我ながら本音関係で動転するとすぐこうなる脳味噌が恥ずかしい。

 だが今の言葉は間違いなく、今まで彼女に接してきた中で最も誤魔化しの無い素直な言葉だった。

 

 そんな訳で我を忘れた馬鹿丸出しのまま本音を見つめる私に、彼女は潤う瞳を少し脇へと反らしながら言葉を贈る。

 

「セッシーも可愛くて奇麗だよ」

 

「!」

 

 嗚呼、そうであった。私は本音に見て貰う為に、この水着を選んだのであった。大海原の色に、ブルー・ティアーズの色に似せた、深い蒼に染まったパレオの水着を。

 

 では何故?どうして本音に見て貰いたいと感じた?セシリア・オルコット、お前は何の為に今この場に居る?

 

「……ねぇ、セッシー」

 

 ずっと本音を視界の中心に収めては固まる私に、本音は答えを言い渡すかの様に訊ねる。

 

 

「セッシーって…誰が好きなの?」

 

 

 だろうと思った。2人で浜辺を歩こうと私が提案した時から、或いは防波堤で会った時から、若しくはそれよりも前から、彼女は薄々感づいていたのだ。私が一夏を愛しているのではない事に。

 それどころか、私が本音を愛している事すら、もう彼女自身お見通しなのかもしれない。先程からあれだけ露骨な言動を繰り返しては、そう思われても仕方ない。

 それでも、私がちゃんとした言葉で答えない限り、本音の中で確信は芽生えない。

 

 私はそんな彼女の質問と私自身の自問に対する答えを、もう既に知っている。

 

 忘れもしない、入学式の日、高慢ちきな私がクラスメイトから顰蹙を買っていた1年1組の教室。

 そこで私はこの子と出会った。私の唯一尊敬する「あの人」とはまるで異なる、持ち前の愛らしさと優しさと自由奔放さで振り回してくるこの子と。

 休み時間が来る度に何の打算も無く話し掛けににてくれた彼女だったが、あの頃の私はそんな彼女を適当にあしらう事しか出来なかった。一夏という存在に、アルトランドを排除する事に夢中だったが為に。そして「あの人」から愛を教わらなかったが為に。

 

 愚かだった。自分自身で作った孤立の壁なんて気にもせず接してくれた事が、私に向けてくれた心からの笑顔がただ嬉しかったのに、馬鹿みたいに気付かないで。

 思えば私はあの頃から、素直ではなかったのだ。最初からそんな本音の事を誰よりも気に掛けていたのに、最愛の殿方を見つけた等と勝手に思い込んで舞い上がって。やっとその事に気づけたのは、ISTT中にベンチで彼女と話してからだったか。

 何が「大きな太陽に隠れた小さな太陽」だ。最初から私にとっての太陽は、この子だけだったと言うのに。

 

 成程、これは確かに捻くれているにも程がある。

 

「……私は」

 

 今の私なら、本音に「好きだ」と伝えられる。小さい声量なら盗み訊かれる事もありませんし、私の精神も自分でも意外な程落ち着いている。

 けれど───

 

「………ごめんなさい。今はまだ、言えませんわ」

 

 今その想いを伝えて、本音からどんな答えが返って来ようと、私はきっと駄目になってしまう。

 これで良いのだ。今は自分自身の為に、感情を抑えるのだセシリア・オルコット。行く行くはそれが本音の為にもなる。

 

「…そっか」

 

 彼女は答えない私を糾弾する事無く、いつもの優しい声でそう一言返した。

 

 歯痒い、歯痒すぎる。これだけで、今日という一日はもう何事も無く過ぎ去っていくのか。こんな、何の進展も無いまま。

 

 と油断していた私に対し、本音は唐突に再度口を開いた。私をしっかり見据えた彼女の顔は、恋する乙女の赤を宿していた。

 

「…あのね?因みにね~?私の好きな人は───」

 

ザッ

 

 私は既に動いていた。

 言わせてはならない、決して。

 大丈夫、未だ名前は聞こえて来ない。少し乱暴で本音には本当に申し訳無いが右手で塞ぐ、その小さい口を。大声で本音の言葉を遮る手もあったが、動き出してはもう遅い。

 

 だが余りの焦りから身体は思った通りに動かず、駆け出した私の両脚は2~3歩の時点で絡まってしまう。

 

「あっ」

 

 そのまま私の乳房が彼女の更に大きい乳房に接触し、本来なら私だけ顔面から倒れ伏す筈の地点に、本音も重なって共に転倒。

 私が上から覆い被さる形になってしまったが、彼女への被害は最小限に抑えられた筈。倒れ伏す瞬間、有能な私は咄嗟に左手を彼女の後頭部へと回し、更には右肘、右膝、左膝を地に着ける事で体重を極力掛けない様にしていた。

 

(…………?)

 

 だが私の想定にない、妙な感触がある一点に生じている。

 それがどうしても気になった私は漸く瞼を開けるが、眼前には限界まで拡大された本音の瞳が。故に、感触の正体を視認する事が出来なかった。

 

 想定外が生んだ動揺から帰還した私は、妙な感触が“唇”から生じているものだと知る。

 余りに慣れない感触だからか、自分の唇が何に触れているのか把握するのに時間が掛かってしまった。

 

 把握したのは対面する互いの顔の位置関係からだ。私の右目の直ぐ側には本音の左目、即ち鼻の側には鼻、では私の唇に触れているモノは───

 

 

 

 

 

 本音の“唇”だ。

 

 

 

 

 

 言葉を話す、食物を口にするしか生まれてこの方使ってこなかった己の唇。

 そんな“ファーストキス”の触れ心地。食パン、衣服、そして羽毛布団、それら柔らかい物たちとはまた違ったヤワらかさ。フルーツの様に瑞々しく、然れど生温かく、まるであるべき所に収まるかの様なフィット感。

 だがそれら完璧な心地良さを生み出せるのは本音以外に有り得ないと、私自身に強く思わせるナニカ。それをもっと知りたいと、もっともっと深く唇を唇にねじ込ませ───って

 

「ウ゛ォ゛ワ゛ォゥッッッッッ!!!!!」

 

 私は淑女らしさなど海にぶん投げる勢いで奇声を発し、即座に本音から退いてみせる。

 

 だがもう色々と遅かった。

 余程派手な転倒だったのだろう、既に周囲は生徒たち野次馬に囲まれていた。

 

 

 

 

 

 スイカ割り組が解散した後、やはり気になったオレは布仏とオルコットを探していた。箒にも会わずに何をしてるんだと己を小馬鹿にしながら、な。

 

 んでもってまさか歩いた先に、オルコットが布仏を押し倒している光景に出くわすとはな。予想の斜め上過ぎて、ドン引きはしないが反応に困った。

 本人は不可抗力を主張しているが、それでも事実は変えようがない。…あ、オルコットの奴泳いで逃げやがった。

 

 だがオルコットも布仏も、赤くなってた原因は恥ずかしさだけでもあるまい。どちらも嫌な、或いは後悔している様な顔とは程遠かった(皆に見られた事だけは後悔してそうだが)。

 お互いの想いをどこまで確かめ合えたかはオレの知る所ではないが、何も100%でなくても良い。互いの心を、時間掛けて少しずつ確かめ合えればそれで。

 完璧に解り合うなんざ、人間には過ぎた領分だ。

 

 そして同じ景色を目にしなければ、同じ音を聞き入れなければ、同じ空気を吸わなければ、互いの少しすら確かめる事は出来ん。

 だから人は、大切な人と一緒に居ようとするんだ。

 

(…確かめるべく動け、か)

 

 オレはさっき布仏に言った言葉を自身に言い聞かせた後、大切な事を行動で教えてくれた彼女に、一方的な感謝の念を送った。

 

 

 

 

 鈴音は腕を組み、長い砂浜を歩きながら考えていた。

 一夏の作戦に喜んで参入したはいいものの、いざ取り組んでみると中々に難しいものがあった。

 本当は無人機たちと相談したかったが、彼等も彼等でやるべき事があるので仕方なく一人こうしていた。

 

(後から連れて来る箒についてはもう考えてあるとして……問題は昭弘よね。どういう理由付けで「小島」に待機させるか…)

 

 言わずと知れたであるが、昭弘は鋭い。相当理に叶った誘い文句でなければ、間違い無く怪しまれる。かと言って正直に企てを話せば、最悪断られて終わりだ。

 

 等と考えていた矢先だった。

 

「鈴、ちょっといいか?」

 

「……ふぇ?」

 

 日射にやられながら浅瀬と砂浜を行ったり来たりする鈴音に、問題の巨漢が話しかけてきた。

 

 

 




・おまけ



 ビーチバレーのコートを幾つかセットし終えた私は、生気が抜ける様な溜息をついていました。
 疲れからではなく、憂鬱から来るものでした。

 私は「海」が少し苦手です。はつらつとはしゃいでいる生徒たちを見ていると、更なる陰鬱が心を満たします。
 学生時代、青春らしい青春をまるで送れなかった私にとって、この「青春そのもの」と言える空間はどうにも馴染めません。
 寧ろ苦痛とも言えます。今の私は教師、生徒たちがトラブルを起こしたり逆に巻き込まれたりしない様、神経を尖らせねばなりません。教師の風上にも置けない言葉ですが…本来楽しい空間で生徒たちと楽しめないのは、正直中々に辛いです。

 そういう意味では、職務と娯楽をきっちり両立出来てる織斑先輩が羨ましくあります。

 或いは、学生の頃から今現在まで変わらず青春を渇望する私の稚拙さが恥ずかしいです。

(…駄目ですよ真耶!これは仕事なんですから…切り替え切り替え!)

 そう一人黙々と葛藤しながら砂浜を歩いている私の視界に、ある集団が飛び込んで来ました。更にまるでその集団から逃げる様に、オルコットさんが凄まじい速度で泳いでいました。
 当然私は駆け寄ります。「何かトラブルでもあったのでは」という至極教師らしい理由と、ある人物がその集団に紛れていたからという非常に個人的な理由を携えて。
 
 アルトランドくんです。アルトランドが、集まりの中に紛れていたのです。

 恋愛経験どころか異性と接した事すら殆ど無い私には、男性への耐性がほぼありません。「教師」という心の切り替えが無ければ、話しかけられただけで言葉が継ぎ接ぎになってしまう程に。

 それでも彼に近付く理由は、お恥ずかしながらアルトランドくんが私の好みど真ん中だからです。

 当然、向こうに私と付き合う意思はありませんし、私も生徒と淫らな関係を築こうだなんて思いません。
 ただ、彼が卒業するまで待つ…なんて覚悟も無い訳で…。けれどッ───

「アルトランドくん!何かあったんですか!?」

 ほんの少しくらい、青春を味わいたい。そんな我欲と教師としての務めに挟まれていた私は、そうアルトランドくんに訊ねました。

「山田センセイ。いや……これは…(女同士でキスしてたなんて言えねぇよな…)」

 彼の困惑は手に取るように分かりました。
 嗚呼、やっぱり焼肉屋で私の好みの男性像を聞いてしまったから、嫌に意識してしまっているのでしょうか…。織斑先輩が憎い!

「オルコットと布仏が、激しく転倒しちまったんです。余りに派手だったもんだから、皆何事かと集まっちまったんです。それが恥ずかしくて逃げたんじゃないすかね、オルコットは」
「ああけど、誰も怪我とかしてないんで大丈夫っス」

 それを聞いて、私は一先ず安心しました。まぁオルコットさんに関しては、あれだけ元気に泳いでいますし大丈夫だとは思ってましたが。
 
「…」

「…」

 あぁぁぁぁぁ~~~~~!!青春らしい事って言っても一体何をすればぁ~~~!?アルトランドくんも私に苦手意識持ってるみたいですしぃ~~~!何か話す?それじゃいつもと同じじゃないですかぁ~~~~!!

 そ、そうだ!腕を組むくらいなら、例え教師生徒の関係でも許されるのではないでしょうか。い、いやけどそれはあくまで私個人の尺度であって、アルトランドくんが「セクハラだ」と感じればそれは立派なセクハラになる訳で…一応密着みたいなものですし…。
 第一男性耐性皆無の私が「男の中の男」である彼に触れて、正気を保てるかどうか…。

───!

 閃きの後、私は震える声を懸命に抑えながら、彼に再度の声を掛けました。

「あの…ア、アルトランドくん?じ、実は一つお願いが…」

「何すか?」

 触れただけで無耐性の余り私の心が焼け落ちてしまいそうな超肉体を前にして、私は手を震わせては耐水ポーチから液晶携帯を取り出す。

「思い出作りに、ツーショットなんてどうでしょうか!さっきから何人かと撮ってまして!」

 うん、嘘ではない。さっき2~3人の生徒と撮りましたし、嘘ではない。

「あーはい、構わないっスよ」

「ほ、本当ですか!?」

 私は拳を上げたい衝動を抑え、急いで準備をする。
 お、落ち着いて真耶、さっきやったのと同じですよ?ええと、先ずは自撮り棒を伸ばして…とその前に携帯カメラを自撮りモードに設定しないと…で、携帯を棒の先端にセット。あとは大海原をバックにすれば…。
 良し!我ながらスムーズな準備です!

 ただ、問題はここから…。

「山田センセイ、もう少し近付いた方がいいんでは?一応ツーショットなんすから」

 緊張の余り近づけない。もしそれで肌と肌が触れ合ったら…私、気絶する自信があります。私の純情っぷりを嘗めないで下さいアルトランドくん。
 で、でも、えへへ…。私は今どんなニヤケ面を晒しているんでしょう。年下でしかも長身で大人びたアルトランドくんと、ツーショットだなんて…。私今、人生で初めて明確に女としての喜びを感じているのが解ります。

 これ、もしかしてすごく青春してるんじゃないですか!?

 と、と、兎に角、気を落ち着かせて…足を3センチ…いや2センチだけ近付けましょう。これなら、画面にギリギリ2人が収まる筈。

 そう鼓舞する様に己に言い聞かせながら再び液晶を見てみると、林檎の如く赤く染まった私の顔と彼の精悍な顔が画面の殆どを埋めていました。
 
 
 そして画面端には、未だにバシャバシャと水飛沫を上げるオルコットさ───


「ごめんなさいアルトランドくんッ!やっぱりツーショットは無しで!」

「センセイ!」

 私はその場から走り去りながら、携帯やら自撮り棒やらをポーチへ仕舞い込むという、器用な事をしてのけました。
 そして波打際を爆走しながら叫びました。

「オルコットさぁぁぁぁぁんッ!!!何処まで行くんですかぁぁぁぁぁ!!?」

 無我夢中で両腕両脚を前後に振り、声を張り上げながら、私は辞世の句宜しく最後心にこの言葉を言い刻みました。


───さらば、私の青春


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第63話 清新の紺碧、混濁の青藍、無常の雄黄 ④

 正午から少しずつ傾き始めていた日が、気付けば夕焼け前の山吹色に砂浜を染めていた。それは即ち、海という特別な時間との別れが近い事を示している。

 

 悪くない半日ではあった。普段では味わえない体験であったし、何より一夏とずっと一緒に居られた。今の季節における心のリフレッシュには、これ以上無いイベントと言えた。

 だがそれでも尚、私の心は「まだ終われない」と叫んでいた。大部分を満たせても肝心の一欠片が足りないと、癇癪を起こしているみたいに。

 

 いや、今はそれより何より。

 

「一夏め。先程から鈴や無人機たちと何をコソコソと…」

 

 

 

 

 

「皆リサーチご苦労様。で、どうだった?」

 

《アンタノ予想通リ、アノ小島マデハ満潮時デモ海ヲ徒歩デ渡レル》

 

《アト砂浜モアリマシタシ!岩場モ沢山アリマシタ!》

 

 ビーチの端にて、一夏はシロとサブロからの報告に満足げに頷く。

 こういう調査は、ISの機動力とハイパーセンサーが物を言う。そして今、教師の許可無しにそうした事が出来るのは、最初から起動している無人ISだけだ。機動には限度があったが、小さな陸地一つを調べるのならそれで十分だった。

 

 ガイドブックにも乗ってない、生徒たちも教員もそうそう立ち寄らないであろう小島。其処こそ、一夏が2人の為に用意する舞台。

 誰からも何の許可も取っていないが、逆に「入るな」とも言われてないし立入禁止とも書かれていない。

 

 すると、一夏の隣で待機していたゴロに通信が入る。

 

《…一夏殿。タロヨリ、昭弘殿ノ配置ガ完了シタト》

 

「OK。じゃあ後は予定通り、サブロは島に入ろうとする人が居ないか見張って。シロとゴロはさっきと同じく、島内へ続く浅瀬で危険生物が出ないか監視。タロ、ジロは島内で監視。以上、各員くれぐれも見つからない様に」

 

 そんな指示を無人ISたちに送るよう、一夏はゴロに頼む。

 生物でない彼等なら、気配なんて消すまでもなく最初から無い。茂みにさえ隠れれば、監視には打って付けだ。

 

 事は順調に進んでいる。

 それとは別に、一夏は改めて「良い誤算」を心の中で噛み締める。

 

(まさか昭弘自ら鈴に頼み込むとはね…)

 

 

 

 

「鈴!本当に箒はこんな所まで来てくれるのか?」

 

 浜へと引き返す鈴音に、昭弘は小島内からしつこく確認していく。

 

「大丈夫だって!アタシの口車に任せなさい!」

 

 自信満々な笑顔で、浅瀬から浮き出る砂場を歩きながら昭弘に叫び返す鈴音。果たしてあの頑なな堅物少女を、異性の待つ小島へ誘う文句があるのだろうか。

 

 だがそれ故に、昭弘は鈴音に「良い場所の選定」及び箒の呼び出しを頼んだのだ。

 こういう時に頼りなのが鈴音であると、一夏だけでなく昭弘も良く理解しているのだ。おまけに彼女なら、「誰かさんたち」みたいに余計な勘繰りも勘違いも起こさない。

 

 

 

 

 

 海辺は退屈を大きく緩和してくれる。風の強さ、太陽の位置、潮の満ち引き、それらに応じて海は百面相の様に容姿を変えていく。

 海辺が綺麗に化粧を変えていく程、私の虚しさは助長されるがな。

 

(折角こんな所まで来て…)

 

 気分が沈み出した私の元へ、2つの影が駆けてくる。何やら唯ならぬ雰囲気を醸し出すその2人は、一夏と鈴だ。

 

「箒!昭弘見なかった!?」

 

「え?」

 

「ビーチの何処にも見当たらないのよ!」

 

 それを聞いて一瞬、私の中から憂鬱は退場し、代わりに虚無が頭を支配した。

 その夜闇の如き虚無が晴れて漸く、私の思考は奈落へと転がり出す。

 

(居ないって…どういう事だ。さっきまで…近くに居たではないか)

 

 削り取られる様な、内側から焼け爛れる様な痛みが、私の心を黒く染める。私の中で雁字搦めに根を張る、いつからか生まれた圧倒的不安。

 昭弘は何処に……何処に………

 

 

 

 まさかもう何処にも───

 

 

 

「何ボサっとしてんの!アンタも探すの!」

 

 私の悍ましい予想を遮る様に、鈴が私の手を強く引いては連れて行く。

 

「まだ砂浜しか探してないから、皆には伝えてない。もし見つからなかったら…大事にせざるを得ないけど」

 

 一夏のそんな言葉を聞いて、私の中に潜む絶望は心を突き破らんと膨らむ。

 

 

 

 一先ず浜の端まで出向いた我々は、かの巨体が見えないか周囲を見回すが…やはり視界にそれらしき人間は映らなかった。

 

「オレと鈴はこの辺りを。箒はあの小島を探して」

 

「あの小島にも居なかったら……先生たちに連絡しましょ」

 

「あ、ああ!分かった!」

 

 私はただ一夏と鈴の指示に従った。

 小島に続く砂場は最早潮に飲まれているが、そんな事に構ってなど居られない。いや寧ろ僥倖、あの程度の深さなら走って行ける。

 

 

 太陽に照らされし塩水を被った砂場は宛ら光の橋の様に、渡る私を小島へと送り届ける。

 普段なら心が洗われるであろうその光景も、今の私には単なる砂と水と光でしかない。どころか私の足を絡め取る砂と塩水は、肉体的疲労を与えてくる。

 疲れても疲れても、焦りは却って増すばかり。私は今日、まだ昭弘と何も話してはいない、何も伝えてはいない。何も…始まっても終わってもいない。

 

 だから必ず見つけ出す。

 

 そう意気込み、私は5分程海を渡って遂に小島へと足を踏み入れる。

 

「昭弘ぉーーーーーーーッ!!!」

 

 先のビーチよりもずっと狭い砂浜で、私は今一番会いたい男の名を呼ぶ。大きくも不安に押し潰されそうな震える声で。

 狼狽を隠す事無く、私は周囲を見渡す。まるで親とはぐれた子供の如く。だが「もしかしたら」なんて望むべくも無く、見慣れた巨躯、未だ見慣れない裸体は現れない。

 

 私は直ちに、奥の岩場や松林の探索へと頭を切り替えようとした。

 

 だが俯く事しか出来なかった。私の呼び掛けに対し、返って来るのは波の音だけ。そのショックから、私の心は立ち直れなかった。

 

 

「そこまで落ち込む程か?」

 

 

 寂しい自然の音を唐突に貫くテナーボイスが、私の背中を叩いた。

 

 

 

 

「ぃよしッ!昭弘と箒が接触したわ!」

 

 小島の手前、浜辺の端にある見通しの良い堤防にて、双眼鏡を覗きながら進捗を報告する鈴音。

 同様に双眼鏡を目に当てる一夏は、呆れの溜息を小さく吐き出した。

 

「それは良いんだけど…もっと違う誘い方は無かったの?」

 

「ああでも言わないと、ウブな箒は動かないわよ」

 

「まぁそうだけれども…」

 

 実際一夏も他に誘い文句が浮かばなかった故、鈴音の言葉にはそう返すしかなかった。

 

 

 

 

 振り向いた箒の視界、その中心に立つ昭弘。

 だが普段と何ら様子が変わらない彼の姿は、今の箒にとっては何やら現実味を帯びていなかった。

 

「?」

 

 箒は何の断りも入れず、昭弘の腕へと右手を伸ばした。少しの困惑を見せる昭弘に構わず、彼女は彼の左腕を慎重に撫でた。まるで感触を確かめる様に、夢現をはっきりと区別する様に。

 指の腹が感じる、昭弘の素肌。手の平全体が感じる、昭弘の筋肉。それらをしっかりと確認した箒は、漸く視界を埋める男の姿が現実であると理解する。

 

 そして歯を食い縛り、普段の落ち着いた表情が嘘の様な赤子の如き泣き顔へと変わり、大粒の涙をビー玉の様に瞼から垂れ流した。

 

「よがっだぁ…!アギイ゛ロが何処がへ消えでじまっだのがとぉ……!!」

 

「?…消えるってお前…」

 

 安心しきって尚も顔も赤く泣き続ける箒に対し、昭弘はますますの困惑を見せる。

 

(鈴の奴…どんな誘い方しやがった?)

 

 ともあれ、箒はちゃんと此処へ来てくれた。ならば鈴音が用意してくれたまたとない機会をものにすべく、ここは話を合わせておくべきであろう。

 

「心配掛けてすまなかった。暇だったんで、この辺を散策してたんだ」

 

 それを聞いて箒の号泣は少しずつ落ち着き始めるが、彼女の右手は未だ昭弘の左腕を掴んでいた。

 

 そんな彼女の背中に、昭弘も右腕を伸ばす。泣き震える彼女を抱き締めようと、それが無理でもせめて背中を摩ってあげようと。

 

「……ああっとそうだ、昭弘が見つかったと連絡せねば」

 

 だがそんな事を思い出した箒により、昭弘の行動は遮られる。

 もう少し早く右手を伸ばすべきだったと、昭弘はごく小さく溜息を吐きながら右腕をそっと引っ込める。

 

 

 

 そうして諸々の伝達が済み漸く泣き止んだ箒は、尚も昭弘の左腕を掴んだまま踵を返す。

 

「……で、では、私たちも戻るとしよう」

 

 何処か不本意そうに、そのまま昭弘の腕を引く箒。

 

 だがそれだけで、肝心の昭弘は微動だに動かない。どうしたのかと再び箒が振り向くも、昭弘は止まったままだ。

 腕だけを引かれたまま数秒の間を置いた後、彼は短く深呼吸して漸く口を動かす。

 

「箒も一緒に散策しないか?」

 

 確かに、まだ時間的には問題ない。

 

「え?…あ、ああ」

 

 故に突然というのもあり、箒は気の抜けた声で何となくそう答えてしまった。

 

(……ん?)

 

 直後、此処が人の立ち寄らなそうな小島、そして半裸の昭弘と2人きりであるという事実を遅れて把握し、箒は暑さではなく熱さからくる汗を額からだらりと流した。

 

 

 

 小島の4分の1を埋め尽くしている大小の岩、それらで出来た崖の上へと進む2人。直接よじ登る訳にもいかないので、松林の登り坂から回り込む様に、だ。

 崖の高さは、精々10m程度だろうか。

 

「林ん中は道っぽくなってて良かった。ごく偶に人が来るのか、獣道か」

 

 そう言いながら、サンダルで道を踏み固める様に進む昭弘。その後ろから、同じくサンダルで慎重に進む箒。

 「そうだな」とでも返すべきなのだろうが、その前に言うべき事を箒は言わねばならなかった。

 

「あのだな昭弘。今日は一度も話せなくて…すまなかった」

 

「折角の海なんだ、少しでも長く一夏と一緒に居たいのは当然だろう」

 

 振り返らずそう返す昭弘の口調に、さして変化は無い。嫉妬を帯びてる感じもしなければ、寂しさを訴える風でもない、ごく普段通りの声だ。

 

「…それも、そうだな」

 

 箒は昭弘が怒っていなくて胸を撫で下ろした反面、少しの立腹をも覚えた。自分が居なくたって、昭弘はどうとも思わないのか、と。

 

「…なぁ箒」

 

 そんな彼女に、昭弘は尚も進む方を向きながらまたも話し出す。

 

「オレもお前に何も話さず、放っておいてすまなかった。…と言ったら、お前はどう思う?」

 

 最後の一文を言い終えた昭弘は漸く立ち止まり、後ろの箒へと振り向く。

 心に言葉はもう出来上がっている、「寂しかった、お前とも一緒に居たかった、どうして話もしてくれなかったんだ」と。

 

「……私は………」

 

 だが中々声には出せなかった。昭弘のまるでどんな言葉も受け止めると、どんな感情も見透かすとでも言いたそうな、その顔を見ながらでは。

 

「…いや、言いたくなかったら良いんだ。忘れてくれ」

 

 時間切れであった。既に箒の眼前には、歩を進める昭弘の後頭部が映っていた。

 その優しさが、今だけは箒の心を抉った。

 

 

 それから数分、2人が無言のまま木の根はみ出る道の上を登り進んで行くと、深緑なトンネルの先に白い物体が映り込む。先ほど見上げていた岩場が、太陽光を反射しているのだ。

 そこに脚を踏み入れてみると───

 

「…」

 

「おお」

 

 右手に見えたのは、金粉を纏った海だった。西へと傾いた太陽が、砂浜から海へと黄色い光を注いでいる。それが無数の波と混ざり、不規則に点滅していた。

 

「…もっと先まで行ってみるか」

 

「…うむ」

 

 2人は手前の、階段と表するには程遠い岩の小集団に、慎重に手足を乗せ始めた。一番高い岩場に立つつもりの様だ。

 今の2人に危ないなんて意識は薄く、ただ奇麗なものをもっと良く見たいという欲求に支配されていた。

 

 

 意外にあっさりと踏み入れた、平たく巨大な一枚岩。そこからは全てが見えた。海も、空も、水平線も、そして地上も。

 今日何度も見ている景色の筈なのに、どうして同時に映るそれらはこうも新鮮で濁りが無いのだろうか。どうしてこんなにも、切なさまで内に湧いてくるのだろうか。

 

「太陽っつーのは面白いもんだよな。少し傾いただけでガラっと目に映るモンを変えちまう」

 

「…そうだな」

 

 互いに同じ事を思っている2人は、そう言いながら巨岩に座す。

 

 それ以外にも、想いを同じくしているものが昭弘と箒にはあった。

 それは今この瞬間、昭弘と共に見る景色が、箒と共に見る景色が、今日見てきた景色の中で最も奇麗であるという事だ。

 

 そう感じた2人は、つい互いを見合ってしまった。昭弘の瞳が、箒の姿を捉える。箒の瞳が、昭弘の姿を捉える。

 

「……なんだよ」

 

 困った様な笑みを零す昭弘。

 

「昭弘だって…」

 

 同じ様に笑い、顔を赤くする箒。

 

 互いに話したい事はいくらでもあるが、それ故に第一声を選びきれない。若しくは単に、今の状況をゆっくり堪能しているだけか。

 

 

 そんな2人を、ほんのり涼しい潮風は変わらず平等に撫でる。釣られてまた2人は、海辺全体を正面に見据える。

 眼前には、海面で砂浜でそして中空で、至る所で小さく脈動し変化しながらもまるで変わらない景色が未だ広がっていた。

 

「…気持ちいいもんだ」

 

「ああ…ずっとこうして此処に居たいものだな」

 

 裸体に近しい格好だろうと、凍えも羞恥も感じさせはしない太陽と潮風と海に、2人は感謝しながら身体全体で甘える。

 

 だが遠く広がる母なる「海と大地」を見渡していると、やはりどうしても再度の感慨に襲われる。

 視界を埋め尽くすそれらを、こうも輝き漲らせているのは誰かと。誰が隣に居るから、ここまで景色が美しく見えるのだろうと。

 

 それでも尚、隣を見れない。眼前の景色が余りに美しいから、それは原因の片方だ。

 今この時、恐らくこの広大な景色よりも美しさを凝縮しているのであろう、隣に座している彼と彼女。それを眼に焼き付ける勇気が、昭弘にも箒にもあと一歩足りないのだ。

 

 しかし、そろそろ証明せねばならない。

 前よりは成長したのだと、少しは強くなったのだと、今こそその証を行動で示すべき時だと。

 そう自身を鼓舞した結果、先に右隣へと振り向いたのは箒であった。

 

 

 西へと傾きつつある、夕日の一歩手前の様相を見せる太陽が、昭弘を右前側から照らす。それにより黒く陰る左半身には、まるで肉体の輪郭だけをなぞる様に外側から光が当てられている。輝く肉体と陰る肉体、それらを包み込むのはごく小さな黒い布切れのみ。

 箒の想像と寸分違わぬ、日に照らされた昭弘の裸体。まるでこの場所が昭弘の為にある様な、昭弘がこの場所の為に居る様な、それ程この光景はどんな自然画よりも自然であった。

 

 そんな昭弘を網膜に刻んだ箒は漸く、柔らかく微笑んだ。

 

 「言う」のなら、溢れんばかりの正の感情に満たされた今しかなかった。

 

「遅くなったが昭弘…水着姿、本当に良く似合うぞ」

 

 先に言われてしまい、思わず左へと振り向いてしまう昭弘。

 そうして彼が振り向いた所で、箒が2撃目を加え入れる。

 

「それとさっきの続きだが…お前が一緒に居なくて死ぬ程寂しかったぞ?私は」

 

 何の恥じらいも見せず、箒は笑顔のまま昭弘を正面に捉えながらそう言い切った。

 嘘でも世辞でも誇張表現でもない事は、昭弘にも判った。箒には、作り笑いなんて器用な事は出来ないのだから。

 つまり彼女は、本当に昭弘と一緒に居たかったのだ。そこから先の答えなんて、言葉に出すまでもない。

 

 そんな微笑みを続ける箒を、視界の中心に捉える昭弘。今度は彼が、彼女に向けている想いを知る番だ。

 黄金色の光を一身に浴びるその五体には少しの影しか無く、艶めかしさだけでなく神々しさをも見る者に感じさせる。それでも尚純白だと判る素肌はきめ細やかで、日光を反射する少量の汗がよりリアルを助長する。前へと投げ出された長い脚、丸く奇麗に纏まった臀部にそれを引き立たせる括れた腰、大きく形の整った乳房、そして潮風に長い黒髪を引かれながら笑う箒。

 今、彼女の裸体を包んでいるのはパンティとブラ、紅の水着だ。

 

「……ありがとう、箒。お前の水着姿も───」

 

 そう、「紅」の水着だ。太陽によって一際燃え盛り、箒の白い素肌をもっと白く染める、正に彼女がこの場所で着るべくして着ている水着だ。

 

 昭弘は、誰がその水着に一番相応しいのか知ってしまっている。

 

 

 

───

 

 瞬きの後、既に黒髪を棚引かせる少女は眼前には居らず、箒が元居た場所には「彼女」が同じ体勢で居座っていた。常に昭弘の心に巣くう彼女が。

 

「……夢か?」

 

 人気は自身と彼女だけ、同じ景色なれど暑さも涼しさも疲労すらも感じない世界で、そう問う昭弘。

 

「夢でも現実でもないよ、昭弘」

 

 紅い水着を着たラフタは、いつもの笑顔で淡々とそう返してきた。

 ではやはり昭弘の妄想なのか、それとも阿頼耶識が見せる幻影なのか。そんな事すら考えず、昭弘は時間が止まっているのかも判らないこの状況で、ただ見えた答えだけを言葉にする。

 

「……最初から解りきっていた事だ。結局オレは、ラフタしか愛せない。そのラフタの面影を、箒に重ねてただけなんだ」

 

 そこに理由も説明も要らなかった。今ラフタを見ているこの状況だけで、それこそ十分であった。初めて箒の声を聞いたあの時から、昭弘の記憶に焼き付いたラフタは覚醒したのだ。

 だがラフタは変わらず笑顔のまま、然れど首を横に振った。

 

「…本当に、ただそれだけだと思う?昭弘」

 

 そう静かに問うと、ラフタは昭弘の後ろに回り、彼の首筋を両腕で包み込んだ。

 

「だって昭弘、折角答えが解ったのに…凄く辛そう」

 

「…」

 

 昭弘にとって箒は、一線を画した異性でも恋愛対象でもない。ラフタに似た部分が幾ばくかある、皆と同じ学友でしかない。

 もうそんな答えが出たと、勝手に終わらせようとする昭弘の心をラフタは鋭敏に捉える。

 

「答えなんか気にしないで、言ってみ昭弘。アンタにとって箒ちゃんは、どんな女の子?」

 

「……クールに見えて、内に熱いモノを宿している。いつも迷いながらも、最終的には強引に剣の如く真っ直ぐと己を正しちまう」

「そして…弱い。一見気の強そうに見えるが、心はガラス細工の様に脆弱だ。すぐ泣くし、すぐ悩む。だがそれでも強くなろうと進んで行く。そんな危うい存在だから、見てるこっちもほっとけなくなる」

 

 上手く聞き出せたと、ラフタは笑顔をにやけ顔へと変換する。

 

「なぁんだ、ちゃんと好きじゃん!箒ちゃんの事」

 

 だが尚も、昭弘は歯を食い縛る。自分には愛せないと、ラフタには遠く及ばないと、まるでそう言いたそうに。

 

「…ねぇ昭弘。「好き」に、大きさなんて関係無い。大事なのはね…箒ちゃんはこの世に居て、アタシはこの世に居ないって事」

 

 そう、嘗ての想いがどれだけ大きく高濃度でも、結局は見る事すら出来ない過去でしかないのだ。

 

「それでも…オレの心に空いた傷は…」

 

「…ウン、きっと完全に塞がりはしないと思う。けど大丈夫。アンタが箒ちゃんに抱く愛を信じていれば、いつかきっと“ラフタ”という幻影から解放される」

 

 低く無骨な声を震わせる昭弘に、ラフタは芯から温める様な声でそう説き伏せる。

 心の傷は完治出来なくとも、新たな愛によって痛みを和らげる事くらいは出来る。そうやってラフタの形をした傷が多少なりとも変われば、脳が幻影を見せてくる事も無くなろう。

 

 そんなラフタの言葉に、昭弘は思考を傾け始める。箒に抱く想いを信じれば、本当にラフタから解放されるのかと。今という現実に、それだけの力があるのかと。

 昭弘とて本当なら、いつまでもラフタとこうして居たい。それが無理だから、解放されねばならない。何も感じないこの世界は、生きている人間が居てはならないのだから。

 

 昭弘以上にその事を良く知るラフタは、惜しむ様に昭弘の背中から離れていく。

 最後の激励を与えねばならないのだ。昭弘が箒を愛せるようになる、ラフタにとって最初で最後の魔法を。

 

「解ったらもう一度左を向いて、しっかり箒ちゃんに伝える事!」

 

「ッ!」

 

 昭弘は岩場に来てもう何度目になろうか、勢いよく左を向いた。箒の姿を見るべく、或いは最後にラフタの顔を見るべく。

 

───

 

 

 

「…私の水着姿も?」

 

 振り向いた先には、変わらぬ体勢で箒が座していた。

 そして昭弘の背後に、人の気配はもう無かった。それはまるで、最初からこの世界に居なかったかの様であった。

 

(伝える……か。心の傷を負っていても尚)

 

 それしかない。楯無も言っていた様に、人間の知覚はどこまでも現在進行形だ。

 

 目の前の紅い水着を着こなした彼女は、強く鋭く、それでいて弱く脆い。特段明るい性格な訳でもなく、素直でもない。大人びているがそれは本当に見てくれで、中身は年相応か少し幼いくらいだ。

 ほんの少し似ている部分があるとは言え、ラフタとはまるでベクトルの異なる少女。放っておけない庇護欲かは解らないが、そんな少女に昭弘は惹かれた。

 

 箒とラフタ、もし双方が並んでいれば、昭弘は迷わずラフタを選ぶだろう。だが、そんな事は絶対に有り得ない。思い出を、己が立つ世界に持ち込む事なんて不可能なのだから。

 

 今、この美しくも儚い世界で紅い布を小さく纏っているのは、昭弘が小さな愛を抱いているのは、目の前の『篠ノ之箒』なのだ。

 それは想像でも思い出でもない、確かにそこに居る、昭弘と共に世界を感じている、そして触れる。

 

 そして今現実の箒に対して抱いているこの気持ちは、『ラフタ』という切っ掛けだけでは無い。他ならぬ箒でなければ生まれなかったのだ。

 昭弘があの時、ラフタを愛した様に、現実世界で抱き締め合った様に。

 

 

 昭弘は今になって漸く、真に理解した。それは、彼自ら抱く「箒への愛」を信じたが為に他ならない。

 

 

 ラフタはもう居ない、それが現実なのだと。

 

 

「…フッ」

 

 昭弘はワラった。少しでも愛に触れられた喜びからか、この瞬間まで気付かなかった自身の愚かさにか。

 

 或いは、これから箒に触れるのがただ純粋に楽しみだからか。

 

「…ぅん?」

 

 そんな抜けた声を出す箒に構わず、昭弘は座ったまま箒を抱き寄せる。

 鋼鉄の如き左腕を限界まで弛緩させ、まるで親鳥が卵を羽毛で温める様に、彼女の背中を包む。その先の左手もまた、同様に彼女の左肩を包んでは逃がさない。

 そうして彼女の頭は、丁度昭弘の左頬へ。

 

「お前の水着姿も、怖いくらい良く似合う」

 

 密着する素肌と素肌。箒の耳元で地響きの如く低く震える、昭弘の声。予想の遥か外である前触れ無きそれらは、言うまでもなく彼女の思考回路を焼き溶かした。

 

「………箒?」

 

 箒の柔らかな肌と香り良き艶やかな髪を直に感じていた昭弘は、彼女の異変に少し遅れて気付く。

 

「アハ……アハァアハエハ……アハァ…アハァハァ…」

 

 段々と空も夕焼けに近付いてきた。橙色のそれらに照らされてるからなどと誤魔化し切れないくらい、箒の顔面は全体が赤々と熟成していた。

 張りの無いトロンとした笑いは、これが現実である事への混乱の表れだろうか。

 

「…しっかり聞いてくれたんだろうな」

 

「アハァアハァハァ…」

 

「……オレは言ったからな?」

 

 未だ混乱から戻らない箒に、昭弘はやれやれと小さく笑う。

 ずっと感想を伝えられなかった分をハグで返したつもりだったが、やはり不味かったかと昭弘は己を戒めてみる。

 

 ともあれ、丁度良く太陽も山へと傾いてきた。

 小島が夜闇に包まれる前に、昭弘は未だ意識があやふやな箒の腕を引っ掴んで、岩山というステージを下り始めた。

 

 

 

 今はこれで良かった。昭弘も箒も、互いの気持ちを何の脚色も無しに言葉へ変換出来たのだから。そしてそれは何の間違いも無く、相手に正確に伝わった。

 もう互いに知れたのだ、自分の心も相手の心も。自分は箒の事が好き、自分は昭弘の事が好き。そして、箒は自分の事が好き、昭弘は自分の事が好き、と。

 

 

 だがそれは、告白ではないのだ。否、告白し、共に道を歩んではならないのだ。

 

 2人共、どの器官にも属さない第六感的な何かで理解しているからだ。昭弘は勿論、恐らくは箒も。

 

 そう長くは一緒に居られない、と。

 

 

 

 

 

 今回も、きっと2度と出会えないであろう素晴らしい光景を見させて貰った。

 やはり、人間とはどうしようもなく尊い。肉体、有限、そして性が存在するだけで、これ程までに先への道は広がるのだ。

 昭弘殿と箒殿、2人の監視の任を与えて下さった一夏殿には感謝してもし切れない。

 

 それこそが、先程鈴音殿に半ば言おうとしたものだった。

 私は何も、人間の放つ源を直に感じたい訳ではないのだと。ただ個々が持つ膨大な可能性を、時間の許す限り見届けたいのだと。

 尊いからこそ、干渉したくはないのだと。

 

 そう、考えていた。触れ合う昭弘殿と箒殿を見るまでは。

 

 如何に人間が侵し難い聖なる領域だろうと、私の中にも限りなく人間に似せた「情」が存在する以上、近付かずにはいられない。

 時には拒む事すら出来ない。砂浜にて隣り合い、共に語り合っていた先の様に。

 

 私が人間を眺める際の客観性は、鈴音殿に相対する時どうしようもなく主観性へと変質してしまうのだ。

 

 

 

 

 

 作戦も成功し、アタシは一先ず胸を撫で下ろす。隣の一夏も、一応は喜んでいた。

 ただ「一応」って付け加えた通り、純粋に喜んでいる訳でないのは表情を見れば解る。

 

 一夏は昭弘が好きで、箒の事も好きだ。

 その2人を自分から遠ざけてより親密にさせる心境なんて、アタシに解る筈ないけど少なくとも喜びだけでないのは確か。

 けどそんな事、一夏に訊ける筈ない。もし訊いたら…一夏が壊れちゃう様な気がする。穏やかな笑顔に、冷たい目、そんな顔の一夏を見ていて、そう思わずには居られなかった。

 だからアタシは、黙って一人無意味に考える。

 

 好きな人に好きな人を取られるって、どんな気持ちなんだろ。そうなったら、三角形はどう変わってしまうんだろう。

 

 そして同時に思った。好きな人と好きな人、その内の片方を選んだ箒の心境は…って。

 清々しいのか、苦しいのか、アタシとしては後者であって欲しかった。あの子に、どちらかを捨てて欲しくはなかったから。

 

 だったら最初から一夏に協力しなければ良かったんだけど、そうも行かない。「これが箒の望みだ」って、箒を一番良く知る一夏に言われちゃね。

 それが間違いじゃなかった事は、今の箒と昭弘を見れば良く解る。本当は止めたかったけど、箒の想いも一夏の想いも無下に出来ないもん。

 

 アタシの考える三角関係とは、あくまで3人だけの関係。そこにアタシみたいな無関係な人間が横槍を入れたら、それはもう三角関係じゃなくなる。

 

 まぁけど、今回みたいにサポートするくらいは良いわよね。

 

 

 




・おまけ



───18:00

 浜辺でのあれやこれやが終わっても、彼等彼女等の一日はまだ終わらない。
 次なる舞台はこれから3日間の本拠地でもある旅館「花月荘」、その醍醐味でもある大浴場だ。

 天然物であろう巨大な岩からは湯水が下っており、湯気によってぼやける光景はここが現実である事をも忘れさせる。

「…」

「…」

「ラウラ、髪結び上げてるとエロい」

「さっきから喧しい奴だな」

 しかし、男湯は僅か3人。対してこれ程の大浴場ともなれば、空いた場所によって侘しさも増長するというもの。故にか、一言一言が余計に纏わり付く様に響き渡る。

「だって昭弘の筋肉はさっき嫌って程見たし」

 そんな中またしても、一夏の方からペラペラと話題を振る。

「で、2人ともどう?日本の風呂は」

「ああ、落ち着けて良い。湯は熱いが、不思議とずっと入っていられる」

「気持ちいいが、髪結んだりと色々面倒だ。私的にはシャワーの方が好きだ」

 尚も瞼を閉じながら、力の抜けた声でそう返す昭弘とラウラ。
 そこでもう会話が途切れてしまった為、一夏は直ぐ別の話題を繰り出す。まだまだ話のストックがある様だ。

「女湯覗きに行っちゃ駄目だよ。あ、けどラウラはツインテにすればギリバレないかも」

「分かったからいい加減口を閉じろ一夏。私は疲れてるんだ、肉体的にも精神的にも」

「…悪いが、オレもラウラに同意だ。この気持ち良さは、静かに味わいたい」

「えー…」

 IS学園にも大浴場はあるが、それは女湯のみ。男子は人数が人数であるが故、致し方ないと言えばそれまでだが。
 そんな訳で一夏にとっては、折角の大浴場。黙って過ごすのは勿体無いと感じているのだろう。
 対して昭弘とラウラは、閉口したまま侘しさに身を預けるつもりの様で、一夏の心境と真逆だ。ただ静かに癒されのが、2人の切実な願いだ。

「ハァ…せめて女湯が直ぐ隣なら寂しさも紛れるのに…」

 それこそ覗き覗かれ放題だろうと、思っても面倒だからか言葉には出さない昭弘とラウラ。どれだけ一夏は大浴場で喋りたいのだろうか。

「…もう女湯行かない?」

「「黙れ」」

 流石にそれだけは言葉に出せた昭弘とラウラであった。




 此方の女湯は一変。大人数に任せて華やかな黄色い声が、そこかしこから響き渡る。

「♪」

「騒がしいのにご機嫌ね」

 鼻歌を刻みながら湯を肩にかける箒に、鈴音は愉悦を顔に浮かべながら切り込む。端から見れば鈴音こそご機嫌に見える。

「え!?…いや~…普通…だぞ?」

 相変わらず分かり易い箒だが、全部知った上で訊く鈴音も鈴音だ。
 
 だが箒は、瞼を閉じ頭を振っては浮かれを追いやる。何やら気掛かりなものが浴場内にある様だ。
 互いに意を同じくする箒と鈴音の視線の先には、令嬢さなんて排水溝へ流してしまった様にぐったりと岩の縁に肘を掛けるセシリアが。タオルすら巻いていない、露わな姿だ。
 表情は恍惚というより、やつれている感じだ。

「何かあったのだろうか」

「なんか布仏と色々あって、その後全力遊泳して山田先生に介抱されてたらしいわよ」

「…情報が増えたのにますます分からん」

 続けて心配と疑問の視線をセシリアへ向ける2人。お淑やかを絵に描いた彼女がここまでだらしなくなる等、一体本音と何があったのだろうか。
 すると噂の彼女も、セシリアを心配してか行儀悪く湯の中を泳いでやって来た。どうやら喧嘩をしていた訳でもない様子。

「セッシー大丈夫~?」

「わったらぶきゃしぃッ!!!」

 至近距離まで近づく本音の顔を前にして、意味不明な奇声を上げたセシリアはそのまま逃げる様に箒たちに飛びつく。

「だだだだだ大丈夫です事よぉ!?ホラこの通りピンピンしてますわ!」

「「えぇ…」」

 出汁に使われた箒と鈴音は困惑の声を上げるが、セシリアが元気である事は把握出来たので取り敢えず安心してみる。
 正しくは「元気な振りをしているセシリアに合わせて安心してあげている」だが。

「セッシー、まださっきの事で照れてるの~?」

「てっ、てっ、照れてなど!!」

 変わらずにこやかな本音、湯に浸かっていて良かったと赤くなるセシリア。

 「照れる」と聞いた2人は、セシリアと本音の間に何があったのか軽く推察してみる。単に訊けばいい話なのだが、訊いたらセシリアに全力で阻止される未来が彼女たちには見えるのだ。
 女子同士のアレコレで、肝の座ったセシリアがこれ程に取り乱すとなると───

「いやぁ、温泉って気持ち良さと憂鬱さが入り交じった、複雑な心境になるよね」

 推察の最中、空気の一切を読まずにそんな話題を唐突に振ってきたのはシャルロットだ。不本意そうに、タオルを胴体全体に巻いている。
 始めたばかりの思考を渋々中断し、今度は何の前振りかと面倒臭そうに振り向く箒と鈴音。
 対して、セシリアは話が逸れて嬉しそうだ。

「何で~?」

 そう聞き返してあげる本音は本当に純粋で優しい子だなと、箒と鈴音は思わずには居られなかった。

「だってさ…」

 シャルロット、一呼吸置く。

「男装出来ないんだもん!」

「あ~!ホントだね~!」

 納得する本音。「は?」と威圧を込める箒たち3人。
 そんな都合の悪い3人の反応はまるで視界にも耳にも入らず、尚もシャルロットは強く瞼を閉じながら熱弁を続ける。

「さっきの水着は塩塗れだし、こんな事ならもう一着買っとくべきだったよね。いやッ、けど大浴場でああいう水着はないよね」
「どんなに美男子でも、女湯に居たら変質者ってる事さ。だからこそ歯痒いよね、こんなにも視線が集まる状況で何も出来ないだなんて。こんな絶好の機会で、ただ歯噛みしながら普通の女の子してる自身が腹立たしいよ。全くジレンマさ…男装が完璧であればある程、こういう状況ではますます変態扱いされてしまう。けどっ…やっぱり僕には耐えられない、男姿を変態と呼ばれるその苦痛にだけは」
「それ以前に僕は女の子なんだから男装して女湯入っても変態じゃないって意見はあるんだろうけど、それもそれで納得出来ないよ。だってそれって要するにさ、「所詮紛い物」って思われてる訳じゃん?男装を極めようとしている僕的には、看過出来ないんだよねそういうの。いや、だからって性転換したい訳でもないんだよ。ただ僕は「僕が女である」という皆の認識を、この大浴場で薄れさせたいだけなんだ」
「要は裸体に近くてしかも変質者にならない様な男装が、浴場における僕の最も理想とする所かな。ねぇ皆はどう思───」

 意見を求め瞼を開けるシャルロットの眼前に、4人の姿は無かった。
 近くではチロチロと、湯船に流れ着く小滝の水音だけが響いていた。

「……最近、みんな僕の扱い雑じゃない?」




───19:00 大宴会場

 生徒全員を一遍に収容するとなると、並の会場では中々に手狭だ。
 その点、花月荘の宴会場は流石だ。端から端まで、駆けても尚時間が掛かりそうな程。こうまで広大だと、寧ろ友との語らいが大変そうだ。

 存分に語らう生徒たち。
 壁に描かれた猿は黄色い団欒を聞き、角に飾られてる木彫りの鶴は破顔を目に焼き付け、会場全体を覆う和洋の極上は礼儀も何も無い奇声ですら優しく包み込む。


 その中に身を置く昭弘は今、等しく整った生魚の切身を見つめていた。だが所詮は切身、魚が丸々乗ってる様なグロテスクさは無いので、気にする程でもない。
 正確には、それの脇に置いてある黄緑色の小山を昭弘は見ていた。食べ物なのは何となく解るが、それしか解らない。

「…」

 考えが済んだ昭弘は、斜め向かいに同じく座するセシリアへ声を掛ける。

「オルコット。その黄緑色のヤツ、丸ごと食べると美容に良いらしいぞ」

「アラそうですの?美しい色合いなので先程から気にはなっておりましたが…では早速」

 セシリアは、未だ慣れない箸をその黄緑色の塊へ伸ばした。

「あ、セッシーそれ───」

 本音が何かを言おうとした時には遅く、セシリアは塊を丸ごと掬い上げるとそのまま口内へ運んだ。
 そして、舌が塊に触れた瞬間───

「ん゛ッッッ!?」

 辛味が舌を震わせ、刺激が口内から鼻孔へと到達し、瞼からは恐怖からでも喜怒哀楽からでもない滴がその姿を覗かせる。

「何ですの!?この貫く様な辛さはッ!!?」

 尚も悶絶するセシリア、しかも丁度グラスに水が残ってない。
 見たねた隣席の本音が、ケタケタ笑いながらもセシリアに水とペーパータオルを分けた。

「成程、辛いのか。気をつけんとな」

「おのれアルトランド!知らないのなら近くの日本人にでも訊けばよかろうに…!覚えてなさいな!!」

「いや、すまん。どこまで詳しく日本の事調べてきたのか、試そうと思ってな(旅館に着いた時のお返しだ、ざまぁないぜ)」

 だが、まさかこれ程とは思わなかったのだろう。少しの戦慄に支配された昭弘は、恐る恐る自分のわさびを見下ろす。一見宝石の様に美しく甘そうにも見えるのだが、見掛けによらないとはこの事か。
 そうして新たな知識を得、セシリアへの仕返しも済んだ昭弘は、まるでわさびから逃げる様に鰤の味噌汁を啜る。
 
「昭弘が悪いとは言え、調査の詰めが甘かったねセシリア」

「すまないなセシリア、私たちも止めるのが遅れた」

 昭弘の両隣にいる一夏と箒は、憐憫なる視線をセシリアに送る。まだ鼻を押さえているセシリアの様子からして、回復までにはもう少し時間が掛かりそうだ。


「しかし、セシリアの気持ちも解らなくはない。日本食は確かに美味だが、どうにも食い辛い」

 話を戻すかの様に、ラウラも伊勢海老を箸でつつきながらそう言葉にする。

「作法だけじゃない。箸は面倒だし、ソレで巻貝だの焼魚だの海老だのいちいち分解するのも億劫だ」

「それは確かにな。食であれ何であれ、「和」というのは色々と礼式がややこしい気がする」

 従業員には聞こえない程度の声量で、そうボソリと同意する昭弘。学食の定食程度しか日本の文化に触れていない彼等にとって、浴衣も本格和食も取っ付き辛い様だ。

「食わせて貰いながら何様のつもりなのアンタたちは。グダグダ言わずにさっさと慣れる、以上」

「そうだぞ」

 昭弘たちを叱責する一夏に、箒も便乗する。人様が丹精込めて作った料理だ、その反応も当然だろう。

「ああ…すまない。ただオレが一番言いたいのは、そんなガチガチの礼式を当然の嗜みとして身に付けているあの人たちが、凄いし格好良いって事だ」

 長きに渡り精錬された礼儀作法は、その動きそのものが一つの美に到達する。
 今も尚この広い宴会場を乱れぬ歩行で行き来し、追加の品を次々と座席に配ろうと笑顔も動作も崩れず、注文や要望に対して瞬時に最適解を見い出す彼女たちは、紛れもない接客者の頂きだ。
 それ即ち対人コミュニケーションの極みだとするなら、昭弘でも誰でも敬服は生まれよう。


「何か「格好良い」って単語が聞こえてきたけど僕の事?」

「ちげぇよ」

 他クラスとの擬似ハーレムから一旦抜け出し、昭弘と箒の間からひょこっと顔を出してきたシャルロット。それなりに席が離れていたというのに、そこだけ聞き取れるのは流石である。地獄耳の真逆みたいな小娘だ。

「じゃあ誰が格好良いのさ?」

「デュノア以外の誰かだ」

「チッ、じゃあ一夏か」

 勝手に混ざっては話をどんどん有らぬ方向へ曲げていくシャルロットに、昭弘と箒は疲れからか押し黙る。

「ま、男装ナルシのデュノアには余り関係ない話よね」

「そうですわね。デュノアさんが他国の文化をどうのこうの言う光景は、私も想像出来ませんわ」

 鈴音とセシリアがそう言い終えると、シャルロットは真顔で2人を見詰める。昭弘と箒の間からはみ出る目をギョロリと丸くしたその顔は、控え目に言って不気味だ。

 そうして今度は目を細めた後、探る様に口を開く。

「………すんごい今更なんだけど、何故にみんな僕だけ苗字呼び?」

 対し、「あ」とまるで今気付かされた様に心中で呟いた彼等彼女等は、二呼吸程沈黙する。

「オレは名前呼びだ」

「オレもちゃんとシャルって呼んでるじゃない」

「そげな事は分かっとらい!僕は女性陣とラウラくんに聞いてんの!」

 段々と興奮してきたシャルロット。何やら嫌な予感に精神を削られている様だ。

 困惑、後ろめたさ、無関心、各々が違う表情を浮かべながら互いに向き合う女性陣そしてラウラ。

「おーい、何集まってんだよ君たち」

 シャルロットの言葉が示す通り、4人は何かを打ち合わせる様に、輪になって固まり始めた。

「どう致しましょうか…「貴女とはそこまで親密でない」等と申し辛いですし…」

「だが事実だ。私なんて未だ苗字どころか、まともに話した事すら無いぞ」

「アタシは呼び易いからそう呼んでるだけなんだけど…」

「ここは当たり障りのない理由を考えよう。セシリアの通り伝えたら、絶対泣くぞ彼女」

「アタシまで巻き込まないでよ!」

「じゃかしい。貴様も苗字呼びである事に変わりは無かろう鈴音」

「鈴の通り、呼び易いからで良いのではなくって?親密とまでは行きませんが、友人でない訳でもありませんし」

「いや、それもどうなのだろうか。デュノアももうすぐ苗字が変わる訳だし、それでは却って地雷になる様な…」

 ヒソヒソと、風が吹く様な声で懸命に話し合う箒たち。
 だが時間が経てば経つ程、シャルロットの引き攣った笑顔に青筋が枝を伸ばしていく。彼女たちが何を話しているのか、大体は想像出来ているのだろう。

 だが少し経って結論が出たのか、4人は小さな円を解く。
 釈明の声を上げたのは箒だった。

「いやー…実はだな、我々もそろそろ下の名で呼ぼうと思ってたんだが、最近ではお前の男装が余りに完成され過ぎててな。それでつい苗字呼びを…」

 ぎこちなく理由を述べる箒を見ては、固唾を飲む鈴音とセシリア。ラウラも、上手くいくのか半信半疑の視線を向ける。
 だが彼女たちの緊張も杞憂だったかの様に、シャルロットは納得した様に笑う。

「なぁんだそうだったのかぁ!ハハハハハ!!…で、本心は?」

 いや、言いくるめは無理だった様だ。
 笑顔を解き、目を大きく見開くシャルロットを前にして、箒たち4人は冷や汗で顔面をテカらせながら目を背ける。

 そんな無声の答えを食らい、シャルロットは口をあんぐり開けて泣き叫ぶ。

「ダァ゛ァ゛ァ゛ァァァァァ!!!どぉうぅせ僕は友達以下だよぉぉぉ!!そう思ってるなら最初から言ってくれもっと惨めになるじゃんかぁぁぁぁぁ!!」

 宴会場に響き行く絶叫を聞いて、箒と鈴音はどうにか彼女を宥めようと立ち上がる。「友達じゃないでもない」と、セシリアの言葉を脳内で復唱しながら。
 が、昭弘と一夏が先に言葉を割り込ませる。

「まぁ落ち着け。少なくともオレと一夏は…多分お前の友達だ」

「そうよ。それに、呼び名が全てじゃないでしょ。苗字で呼び合う友達だって…居るよ、きっと、恐らく」

「曖昧すぎて慰めになってないよねソレ!?」

 興奮が留まる事を知らず、突っ込みが冴え渡るシャルロット。

「ああそうか…最近扱いが雑だなとか思ってたけど、そもそも友達じゃないんだから雑もクソもないかー。ワーハハハ何を勘違いしてたんだー僕はー」

「違うぞ!アレは折角湯船に浸かっている時、自己陶酔の入った小難しい戯言を聞きたくなかっただけだ!友だ他人だ関係無く、誰だって心と身体を休めている時にそんな話をされたら嫌だろう?」

(あ、止め刺したわね箒)

 鈴音の予想をそのままに、シャルロットはまるで心臓を抉られた様に白目を剥いては仰向けにドテーンと倒れ込む。
 知人に過ぎないから雑に扱ったのではない、シャルロット自身の言動が招いた結果に過ぎなかった。そんな箒の、励ますつもりで言い放ったしかして余りに正論過ぎる本心を聞いて、シャルロットはショックと自身の至らなさとに挟まれ潰された。
 同情を誘うのには成功したが、結果として自らの首を絞める羽目になってしまったシャルロットであった。

(…こういう所なんだろうな)

 そう結論付ける昭弘。
 相川たちの様に男装やそれに付随したナルシズムを強く好んでいるのならまだしも、箒たち的には「またか」とうんざりするだけなのだ。少なくとも箒たちは、格好付けるシャルロットを格好良いとは思っていない。
 何なら距離を置かれないだけ大いにマシだ。

 それを含めた大元の要因を、昭弘はゆるりと口にする。

「そんなに女子から名前で呼ばれたいなら、格好良いと思われる様な事をせんとな」

 それを聞いて白目から一旦は覚めたシャルロットだが、眉は頭の上に疑問符が乗ってる様な形となる。

「僕、十分格好良いよ?」

「だからそういう所なんだっつの」

 これは存外、と言っても昭弘にとっては予想の範疇だが、時間が掛かるかもしれない。


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第64話 心は深海

今作の千冬に読心術はありません。







───20:09

 

 辺りの暗さが示す通り、砂浜で真夏を謳歌していた生徒たちは今や旅館の中だ。

 

 汗と塩を洗い流し、腹も十分に満たしたIS学園生徒たち。

 後は各部屋で色恋話に花咲かせるか肝の凍る話で更に涼むか、卓球で汗をかいた後再び浴場にて身体を清めるか、過ごし方は様々であろう。

 

 

 此処「桔梗の間」においても、各々が各々の時間を過ごしていた。

 

 数枚重ねた座布団の上に踵を置き、聳え立つ両足目掛けて頭を何度も持っていく昭弘。繰り返す度、腹の肉が波打つ。

 重しを握り締め肘を伸ばしたまま、手の甲を目線までゆっくり上げる一夏。遅い振り子と化した腕は、三角筋に重い痛みを与える。

 2人の吐息と汗により、部屋内に湿気が充満していく。

 

(己が肉体への執念とは恐ろしいものだな)

 

 布団に身を投げ欠伸をしながら、呆れと敬服の混じった視線を2人に向けるラウラであった。

 

 

 

───21:01 再度、桔梗の間

 

 ノルマを消化し、入浴で汗を流してきたオレたちは今、意外な人物を部屋に迎え入れていた。

 

「さぁて、恋が思考を支配する時間になってきたな諸君」

 

 織斑センセイは缶ビールを片手に、そんな第一声を放ちながら当然の様に仕切り始める。恋愛に疎いオレには言ってる意味が解らない。

 

 それだけならまだしも、突然の来訪で困惑しているオレとラウラは、非常事態かと身構えていた分余計に反応に困った。朝が苦手なラウラに至っては、明日に備えてすぐにも寝たいのかあからさまに嫌そうだ。

 対して流石は弟といったとこか。姉の奇行を完全に予想していた一夏は、準備万端って感じだ。

 

「…織斑センセイ、一応今は課外授───」

 

「よし、では先ず一夏からだ」

 

 オレの余計な忠告を無視し、早速センセイは意中の相手が居ないか情報収集に出てきた。

 

「昭弘が一番好きでーす。ハイおしまい」

 

「あぁ…そういう話なら、私も昭弘が好きですが」

 

 そいつは嬉しい限りだ。

 

 だが即行で色恋話を終わらせた一夏とラウラに対し、センセイは溜息を吐く。「違うそうじゃない」と、心の中で言ってるのだろうか。

 オレに気になる相手が居ないと前回の焼き肉で把握している彼女は、開始1分でもう話が終わってしまうと危惧している様だ。

 

「…お前ら男としてそれで良いのか?花の園に身を置きながら」

 

「はい」

 

「全然問題なくない?」

 

「…」

 

 絶句に陥るセンセイ。それはまるで一夏とラウラの性別自体すら疑っているかの様相だ。

 女のアンタに男の何が解るんだと、オレとしては小さな反論を送りたい所だ。

 

 その後、今度はオレにまるで憐れむような視線を送る。

 

「…気にするなアルトランド。男にモテる事は恥なんかじゃない」

 

 「だから気にしてねぇ」と言おうとした所で、一夏の言葉に遮られる。

 

「女にモテる事も恥じゃないよ姉さん」

 

 弟から思わぬ意趣返しを食らう織斑センセイ。いや彼女の場合、笑い事でもないので冗談では済まん。そろそろ危機感を覚えないと、一生独身まで有り得る。それがどうヤバイのか、オレの知識からは何とも言えんが。

 それを解った上で、一夏は嫌味ったらしく続ける。どうやら、一夏的にはさっさと姉にご退場願いたい様だ。

 

 やはりアレ以降も相変わらず、姉の事は余り快く思ってないのだろうか。

 

「姉さんこそ誰か気になる子は?オレたちにばかり言わせるの?」

 

 途端、センセイはオレを短く睨む。「今だけは口を縫っておけよ」と。

 そんな事せずとも、態々こんな所で口に出すオレじゃない。寧ろ一々そんな視線送ってたら、余計に怪しまれるぞセンセイ。

 一夏の奴、最近どうにも鋭いというか、唐変木っぷりが薄れてる感じがするからな。

 

 気の利く返答が思い浮かばないのか、押し黙る織斑センセイ。不味いな、段々と雰囲気がどんよりしてきた。

 オレも何か言った方が良いか…いや、もういっその事…。

 

「実はオレ、気になる異性なら一人できました」

 

 言葉はオレを中心に輪を作り、曇り空を蹴散らす様に部屋中へと広がった。

 

 そうして声が部屋の隅々へと吸い込まれた所で、漸くセンセイとラウラが反応を大声に変えた。

 

「何だ!隅に置けん奴だなアルトランド!この7月で何があった!?」

 

「信じられんッ!どんな女にも動じなかった貴様がか!?」

 

 2人共取り乱しすぎだ、少しは一夏の落ち着きぶりを見習ってくれ。

 そんなに意外か?オレに気になる異性が居て。

 

 それより、こっからどう話を繋ぐか。

 今のところ正直、オレと箒の事は誰にも言いたくはない。一夏も居るしな。だからこの後の質問攻めにも、答えずにどうやり過ごすか…。全く、考え無しに話題をぶち込むもんでもないな、自ら追い詰められに行くとは。

 そう今さら頭を巡らせていると、織斑センセイが手を翳す。

 

「待て!私が当ててやろう」

 

 それは困る。仮に「箒」と言われたら、オレは「違う」と返す事が出来ん。「箒はただの友達だ」…嘘であっても、そんな言葉は言えないし言いたくもない。

 つまり、素直に白状するしか選択肢は無い訳だ。オレはそういう方法しか持たん。

 

 そうオレが覚悟を固めていると───

 

「『オルコット』だろう?」

 

 あ?

 

「解るぞアルトランド、素直に認めたくない気持ちは解る。私から見てもお前とオルコットは、常に啀み合い競い合ってきた仲だ」

「だが「嫌よ嫌よも好きのうち」という言葉があってだな、そういうのは段々と気持ちが裏返るものなのさ。強く意識している事に変わりは無いのだからな」

 

 キリっと締まった顔でそう言い切る織斑センセイ。

 オレの両隣ではそれぞれ、一夏が懸命に口をへの字に曲げて笑いを堪え、ラウラが尊敬する相手に何と言葉を返そうかとタジタジしていた。

 

 オレか?オレは余りに大きいショックと絶望によって、怒りの感情すら飲み込まれちまった。

 

 な ん で よ り に よ っ て オ ル コ ッ ト な ん す か 織 斑 セ ン セ イ 。

 

「……もう出てってくれ」

 

「何だ照れ隠しか?安心しろ誰にも言わん」

 

「分かったからさっさと行きなさいよアンタ」

 

 そうオレを援護してくれた一夏は、半ば強制的に織斑センセイを退室させようとする。

 センセイはもう十分とばかりに、ニヤ付きながら大人しく出て行った。

 

 

 桔梗の間では体育座りで項垂れるオレを中心に、青く重々しい空気が充満していた。闇夜で静かに轟く波の音が、それを助長する。

 

「一夏、ラウラ。オレってオルコットが好きなんだとさ…」

 

「まぁ…気を落とすな昭弘、そう見えているのは間違いなく教官だけだ。色々と強引でブレーキの効かない人だから…。それにあの人も、常日頃から我々と共に居る訳ではない」

 

 ラウラの正論に同意だ。担任とはいえ所詮教師、生徒と接する機会の9割以上が授業。クラスの人間関係なんて把握し切れないし、そんな織斑センセイを悪く言う気もない。

 けどな、落ち込みたくもなるんだよ。このオレが、あのオルコットを、異性として、気にしている…勘違いも程々にして欲しい。まるでオレが啀まれるの大好きな変態みたいじゃねぇか。

 

 箒への想いだけは知られたくなかったオレだが、これはこれで精神へのダメージがえげつない。

 

「ま、面白いから勘違いさせておきましょう。誰にも言わないみたいだし、ほっといても昭弘にデメリットは無いでしょ」

 

「そりゃあ…まぁ」

 

 「面白いから」っつー部分が癪だが、その通りではある。それに、オレは「はいそうです」なんて一言も言ってない。勝手に思い込むあの人が悪い。

 

 そんなこんなで段々と気分が軽くなってきたオレに、一夏がさっきの続きを持ち掛ける。

 

「それで?結局誰なの?昭弘が気になる子って」

 

 そう訊ねる一夏の顔は、いつものポーカーフェイスから離れた不自然な程の笑顔だった。まるでオレの恋心を丸々全て見透かしてくるみたいな。

 

 もしそうだとしたら、オレが箒に抱く想いを一夏が知っているのだとしたら…オレはどうすればいい。今後どう、一夏と接すればいいんだ。

 そう考えると、オレもまた随分と我儘なのが解る。あんな想いを持ちながら、3人の仲が変わらない事も願ってるんだからな。

 

 そんな悩みに妨害されて「言えない」すら言えないオレに、一夏から再度の言葉が贈られる。

 

「大丈夫だよ昭弘。仮にアンタが箒を好きだったとしても、オレの一番はずっと昭弘だから」

 

「…」

 

 あの日以降、いや会った頃からずっと、一夏はオレを慕ってくれている。箒と同じ位、下手したらそれ以上にだ。

 それがどういう感情から来るものなのか、一夏にとっての「一番好き」が何なのか、結局の所オレにもよく解らない。男としてオレが好きなのか、女としてオレが好きなのか。

 変わってからの一夏は、どうにも表情が乏しいからな。誰にどんな感情を抱いているのか、判別が難しい。

 

 それでも一つだけ、胸を張って言える事があるんだが、ラウラに先に言われちまった。

 

「私も一夏も、さっき教官に答えた言葉に嘘偽りは無い。…恥ずかしいから何度も言わせるな」

 

「…ありがとうな2人とも。オレも一夏とラウラが好きだ」

 

 ただの友達でないのは、箒だけじゃない。一夏もラウラもそして鈴たちも、「単なる友達」なんて一人も居やしない。

 そういうのは誰が一番だとか、そんな風に決められるもんじゃない。

 

 そうオレとラウラでしんみりしていると、何か思い出した様にラウラの方から「あ」と空気を震わす。

 

「結局、教官は何しにここへ来たのだ?」

 

 今になって思ったが、それだ。アポ無しで押し掛けたと思ったら、少し喋った後あっさり出てってくれた。その真意が良く解らん。

 

「……気を紛らわせに来てくれたのかもしれん。明日は大事な演習だしな」

 

 話が脱線している事を気にも留めず、オレはラウラと共に下らん事柄へと思考を費やす。

 

 

 そんな空気の中でも、一夏は変わらずオレをただ見詰めていた。無理に笑っている訳でもない、それでも何だか不自然な笑顔のまま。

 自分の事にとことん愚鈍なオレは、それを友へと向ける視線としか見なせなかった。少しの違和感を抱きながらも結局、友であるオレに見せる笑顔…としか。

 

 

 

 

 

 

「すまないが少し「待った」を」

 

 ババ抜きの最中、遠慮気味にそう発したのは箒だった。

 3人にとってババ抜きは、あくまでこの後に待っている「大富豪」の前座に過ぎない単純なゲームだ。

 

「直ぐ終わる。鈴、悪いがテラスへ…」

 

「?」

 

 「そんなゲームで何故待ったを」とセシリアとシャルロットが思っている間に、箒が鈴音を連れてってしまった。テーブルには、裏返された手札がぽつんと残った。

 これでは手札を覗き放題だが、2人とも律儀に待つ事にした。

 

 

 コソコソと襖を閉める箒。

 とは言えその薄さは彼女も承知の上で、何を話しても恐らく居間に漏れるだろう。あくまでこれら一連の行為は、箒の気恥ずかしさから来る心情的なものに過ぎない。

 

(もう…じれったくない?)

 

 故にか、同じ空間に居る鈴音まで恥ずかしくなってくる。

 

 だが箒が既に宣言した通り、ソレはそこまで時間の掛かるものではなかった。

 

「ん…」

 

 そう目を逸らしながら箒が手渡して来たものは、お土産屋で包装されたであろう小袋であった。その直ぐ傍には、こちらも土産屋で書いたであろう箒直筆のメッセージが。

 触った感触からしてネックレスであろう小袋の内。上から少しだけ中身を覗いてみると、紫に近い桃色に輝く石がチラリと見えた。

 

「この辺で取れた石らしい…」

 

 そんな聞こえるかどうかの声で呟く箒。その様子からは、この時間まで渡すタイミングを掴めなかった事実が見て取れる。

 だが箒のそれも、未だ当惑が解けない鈴音には見破れない。彼女は訳も分からないまま、小袋に貼ってあるメッセージを読む。

 

 その短い一文を読んで、鈴音の中から当惑は一瞬にして吹き飛び、代わりに小さくも高密度に凝縮された喜びが中身を満たす。

 

『いつもありがとう』

 

 箒の思惑なんて鈴音には解らない。お礼を言われる心当たりも無くは無いが。

 だがその単純なる八文字は、解る必要性すら薄れさせた。ただ純粋な嬉しさだけが、気球の様に浮かび上がっていった。

 

「そ、それだけだ。さぁもう戻ろう」

 

 何と不器用で、強がりな少女なのだろう。まるで慣れてないだろうに、こうと決めたら誰であろうとこういう事をしてくる。それもこれも、親しい者たちに対して優先順位を付けられないが為。

 

 常に2つの最愛に苦悶し、揺れ動いたままそれでも前に進む。それは弱さと強さと、そして優しさがあるからこそ成せるものだ。

 羨望故か愛故か、鈴音はそんな箒が大好きだ。それこそ一夏に負けない位に。

 

「……大切にするわ」

 

「いや、だ、だからだな?別にそこまで大切にせんでも…」

 

「するの」

 

「…」

 

 その大好きな箒からこんなサプライズをされて、嬉しくない筈も無く。

 

 

 




・おまけ



 私がわざわざ男子の間に赴いた理由は他でもない、「知る為」だ。何をと問われるとそれは無論、「異性間」における関係性についてだ。
 教師たるもの、どの生徒がどの生徒をどう思っているのか、可能な限り把握しておかねばならない。それが異性同士ともなれば尚の事だ、最悪どんなトラブルに発展するとも分からんからな。

 というのは建前で、単に私個人のゴシップとして楽しむ為だ。女にとって、他人の恋愛話ほど面白いものは無い。
 そしてそれを聞き出すのに、こういった合宿的状況は何かと都合が良い。学園寮とは違い、教師も生徒たちの部屋へ自由に行き来可能だからな。

(一番知りたかったのは一夏のお相手だが、アルトランドのは予想外な収穫だったな。オルコットと断定するのはまだ早い…か)

 だが当たらずしも遠からずな感じはする。初対面での激突から互いを認め合い、今では何の因果か座席が隣同士と来た。
 ここまで数奇と来れば、どちらかが何かしら意識しても可笑しくはあるまい。
 
 その辺りを探る意味合いも含めて、次なる標的は男子共とよく一緒に居る4人だ。
 連中の事、どうせ4人集まって、一夏をどうにかする作戦会議でも立ててるんじゃあないか。そうだとしたら助言でもくれてやるか、一夏を渡さん事に変わりはないがな。


「あ、織斑先生」

 考えながら手当たり次第部屋を回っていたら、お目当ての4人が居座る部屋に辿り着いていた。
 最初に声を掛けてくれたのはデュノア…ってお前デュノアだったのか、一瞬どこぞの男子校生かと思ったぞ。何だその砕けた浴衣の着こなしと肩幅は、肩パッドでも入れてるのか?

 まぁそれはいい、ババ抜き中って事は暇なんだろう。篠ノ之と凰がコソコソとテラスから戻って来たのが気になるが、乱入しても問題あるまい。

「よ、調子はどうだ?」

 先ずは挨拶がてらそう訊ね、彼女たちの反応に対して切り込んでいくつもりだった。
 
「調子と言えば織斑先生。箒ったらさっきから妙にご機嫌でして…何か御存知でありませんこと?」

 のだが、オルコットが勝手に話題を持ち掛けては進めていく。

「だからそれは…今日ずっと一夏と一緒に居れたからで…」

 じゃあそれが答えだと思うが…随分と堂々だな篠ノ之。

「ど・う・だ・か。今日はどうにも言い訳がましいといいますか…」

 そうかぁ?篠ノ之の場合機嫌が変わる要因なんて、一夏以外無いと思うが。
 それより、一夏絡みの割に反応が薄くないかオルコット。篠ノ之が更に一夏との距離を縮めてしまったのやもしれんのだぞ、もう少し危機感というものをだな。
 凰もデュノアも、いまいちピリピリしていない。それとなく探りを入れたり会話の中に威嚇を混ぜたり、そういう女特有の息苦しい攻防は無いのか?面白くないぞ。

「僕が見た限りじゃ、箒は基本一夏と一緒に居たよ?考えすぎじゃない?」

「そーそ。てかそういうセシリアだって、アタシたちに何か隠し───」

「あー聞こえませんわー」

 あからさまに怪しい反応。よし、ここだ。

「何だオルコット、もしかしてアルトランドと進展でもあったか?」

ガダンッ!!

 全く予期せぬ方角からテーブルを叩く音が響き渡ったので、私は驚きの余り鳥の様にギュルンと首だけを篠ノ之へ向けた。
 彼女の手元には、ジョーカーの混じった手札が転がっていた。隣の凰も、凄まじい眼力でオルコットを凝視していた。

 そんなに…驚きか?オルコットが一夏以外と進展があって。

「…詳しく聞かせて貰えるか?セシリア」

 突然の剣幕でオルコットも当惑していたが、その後特に渋る様子も無く話してくれた。

「そう言えば、ここ最近私を見る目が鋭い気が致しますわね。かと言って関係性は委細変わっていませんが」

 やはりそうか、ここまで解れば半ば確定に近いだろう。アルトランドはオルコットに対し、一方的な想いを寄せている。
 だが鋭い奴の事、オルコットが一夏を好いているととうに知っているから、何も気持ちを伝えられずに関係性が変わらない…といった所か。
 成程、そんなアルトランドの心境も解らずにあんな軽率な発言をすれば、「出て行け」と言われても仕方が無いか。…すまん、アルトランド。

 篠ノ之と凰は、何やら安心した様にホッと小さく息を吐いた。
 いやお前ら、そこは寧ろ現状を嘆く所だろう。アルトランドとオルコットがくっつけば、その分一夏を狙うライバルが減るんだぞ。

「で、結局セシリアは僕たちに何を隠し───」

「だぁー誰とも何も御座いませんでしたわー」

 オルコットのそれも気にはなるが、今はもっと優先すべき事がある。
 
 それを話す事こそ、私がここに赴いた最大の目的でもあるのだ。

「…それで?篠ノ之以外の3人はいつまでカードと戯れている気だ?」

「「「?」」」

 一夏の事、表面に出ないよう努めているのか本当に気が抜けてるのか知らんが、今日という日をまるで活かせていない様に思える。
 見ていたぞ私は、凰、オルコット、デュノア、お前たち3人がビーチでどう過ごしていたかをな。見ていない時間帯も少しはあったが。
 
 別にどう動くかは彼女たちの自由だし、恋愛が全てでない事は当然だ。私が横槍を入れるものでもないだろう。
 だが、軽く背中くらいは押してやりたい。何もせず置いて行かれるのは、想像を絶する苦痛を伴うものだ。
 
 だから私ははっきりと言う。

「このままじゃ、一夏を取られるぞ」



 千冬の一言で、三者が三者とも異なる表情を露わにしていた。
 鈴音は引き攣った苦笑いを浮かべ、シャルロットは呆気に取られたのか目を見開き、セシリアは眉尻を下げたまま面倒くさそうに千冬を見る。
 唯一3人が共通して理解している点は、我らが1組担任の情報は随分と遅れているという事だった。

 本来なら「違う」と答えて終わりだが、問題は千冬がそれを信じてくれるかだ。
 だが一夏のモテ具合を熟知している彼女の事、何を言っても強がりと見なされる危険性が高い。

(どうしよ…)

(僕は兎も角、他の2人は一夏の事好きなのかな?だとしたら超可愛い僕の事もライバル視してるの?嫌だよそんなの…皆仲良くしようよ。男装した僕を取り合うのは全然大歓迎なのに)

 短い間にキィィンと脳内をフル回転させる鈴音とシャルロット。普段酷使しているPCの気持ちを、この時2人は理解した。

 そんな中、第一声を発したのはセシリアであった。

「お、織斑センセイには関係御座いませんわ…」

(ん?)

 恥ずかしそうにそっぽを向くセシリア。そんな彼女の言動を見聞きした箒は、ある予想に身を委ねる。鈴音とシャルロットも、何やら妙に演技掛かったセシリアを注視する。
 当然、千冬にとっては格好の突破口だ。

「関係大ありだ。一夏は私の弟で、お前たちは私の生徒なんだぞ?」

「わ、私にも考えがあるのですわ!御自身の生徒だからとは言え、子供扱いしないで下さいまし!」

「ハハハッ、子供じゃないか。恥ずかしくて、意中の相手に近付く事も出来ないなんてな」

 軽く笑いながら余裕をかます千冬、視線を外して口篭もるセシリア。
 だが、事の真相を知る箒には、攻防とも言えない一方的な勢力図が浮かんでいた。どうやら予想が確信に変わった様だ。

(千冬さんを弄んでいる…。セシリア、恐ろしい奴…)

 一番恐ろしい点は、セシリアが嘘を言ってはいない所である。千冬の脳内では勝手に「一夏」と置き換えられるので、このやり取りが成立しているのだ。
 だが、セシリアの思惑は何となく箒も想像出来ていた。
 本当にからかっている部分もあるのだろうが、恐らく千冬の矛先を自身に向ける為だ。そしてタイムリミットまで小言を聞き続けるか、あわよくばなぁなぁで終わらせるつもりなのだろう。その辺りは、申し訳なさそうな表情をしている鈴音シャルロットも多分察している。
 
 だが、セシリアも全てが演技なのではない。意中の相手になかなか近付けないという点は当たっている。

 そんなセシリアの内心なんて露知らず、箒は次なる考えを巡らす。
 セシリアだけに三文芝居を任せるのは、箒は勿論、鈴音もシャルロットも望む所ではない。騙されたままの千冬も哀れだ、彼女もただセシリアの事を思って言っているというのに。
 このまま終われば、どちらの為にもならない。

(…よし)

 伝えるべき言葉が、どうやら纏まった様だ。


「……あの…止めにしませんか?織斑先生。誰が好きだーとか、好きならばーとか」
「そもそも「誰を好きなのか」というのは、当人ですらよく解らない問題かと思います」

 そう切り出す箒に、千冬は意識を向ける。何となくだが、彼女が3人を擁護しているのは千冬も感じ取っていた。

「私もIS学園に来て、色んな人に会って色んな出来事に遭遇して、心の中が毎日の様に変化していきました。今日だって…」
「そんな、当人ですら把握が難しいのに「誰が誰を好きだ」なんて、他人が解る筈無いと私は考えます。私が一夏をどう好きなのか、未だ解らないのと同じ様に」

 そう言う箒に、「言う様になったじゃないか」と感心する千冬。
 状況や環境に応じて、心もまた変遷していくものだ。水源と重力が在る限り流れ続ける川の様に。

 不変の心なんて所詮は理想でしかない、教師もまた然り。そんな真理は、他ならぬ千冬だからこそ肯定するしかなかった。

(言われてみれば、私こそ正にそうじゃないか)

 千冬の心も、日々要因によって変遷してきた。有象無象の中にあった眩い一等星を、偶然にも見つけてしまったあの時然り。
 そんな千冬の本心は、一部を除いて未だ誰も知らない。皆、今まで見聞きして来た千冬の表面と先入観だけで、勝手に憶測を立てているに過ぎない。千冬が箒たちにそうした様に。

 まさかそれを箒に気付かされるとは、これは教師として猛省するしかない千冬であった。

「ハァ…分かったよ。もうこれ以上、妙な詮索やお節介はせん。悪かったなお前たち」

 どうにか引き下がってくれた千冬を見て、箒、鈴音、シャルロットはそれぞれ安心し切った様に小さく息を吐いた。セシリアは、小馬鹿にした様な視線をこれ見よがしに千冬に向ける。
 どの道、3人が箒の機転に感謝しているのは間違いないだろう。

 が、心の安寧はその一瞬であった。

「では何の話にするか……うん、よし。トランプに負けた奴が、自分だけの秘密を暴露するってのにしよう」

「「「「は?」」」」


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第65話 未来への道筋 ①

今回から少し時間が遡ります。時系列的には「水着購入回」の後くらいと思って貰えれば。
あと、こちらは水着購入より前の時系列になりますが、千冬とデリーの面談?も宣言通り描きます。

臨海学校に行くまでの、各々の心模様についてがメインになります。







─────7月10日(日)

 

 レゾナンスの帰り、既に日が真横に位置する空は、流水から溶岩へとその様相を変えていた。

 

「ハァ…」

 

 先に昭弘たちと別れた鈴音は、そんな空の下を溜息混じりに歩いていた。ただ行く宛も無く彷徨う様に歩くそれは、厳しくそして虚しい現実からの逃避を思わせる。

 事実、それに近かった。彼女は気分転換ですらない「何となく」で、一人ただブラブラと学園内を歩いていたのだ。

 

《鈴音殿》

 

 格納庫の近くで自身の名を呼ぶ機械音声を拾った鈴音は、その方向へと視線を動かす。

 

「ジロ」

 

 格納庫近くを通る度、会っては他愛もない話をするツインテール少女と白い無人IS。最近では見慣れた光景である。

 そんないつもなら快活な鈴音の声が、今回は低く濁っている。

 

《酷ク疲レテイル御様子》

 

「…まぁちょっとね。アンタは何してんの?」

 

《本日ノ検査ガ一段落シタノデ、格納庫周辺ノパトロールデモト》

 

 途端、鈴音の纏う雰囲気が変わる。一つの期待の先に、歓喜と落胆を同時に内包している様な、そんなものに。

 

「…アンタも、何もやりたい事とか無い感じ?」

 

《ハイ。我々ニ“欲”ハ存在シマセンノデ》

 

 返答を聞いた鈴音の心境は、何かの同類に巡り会えた時のそれに似ていた。

 

「…ありかと、ジロ」

 

《感謝ヲ述ベラレル所以ガ見当タリマセンガ》

 

「アタシにも良くわかんない」

 

 だがそんな言葉をジロに伝えても、鈴音全体を覆う重い気は余り変わらなかった。

 ならばと、今度はジロが音声の波を揺らす。

 

《私モ、貴女ニハ日々感謝ノ思イヲ抱イテオリマス。誰ヨリモ人間ラシイ貴女ト言葉ヲ交ワスノハ、私ニトッテ掛ケ替エノナイ有意義デス》

 

 ジロの言葉に、誇張はなかった。

 が、鈴音の雰囲気は軽くなる所か、まるで地中に引かれるが如く更に重々しくなってしまう。

 

「……人間らしくなんてないわ」

 

 鈴音が人間である事は一目瞭然だ。

 それでもジロは「人間らしくない」と言い切る彼女に、何の反論も出来なかった。それはそうだろう、人間でない彼が「人間らしい」と言った所で、何の説得力があろうか。

 

「……ゴメン、アタシそろそろ行くわ」

 

《ハ。道中オ気ヲ付ケヲ》

 

 感謝の言葉を述べ返しただけのジロだが、鈴音の様子は寧ろ悪化してしまった。

 故に、人間の心情とはやはり複雑怪奇なものだと、ジロは反省と共にまた一つ人間への興味関心を深める。

 

 そしてそう思わせる鈴音はやはりより人間らしいと、機械音声の届かない程鈴音が離れてからになってジロは思い至った。

 

 

 

 

 

 

 

─────7月11日(月) 16:16 アリーナC

 

 「生身の様に」では最早足りなかった。

 

 生身であり生身以上。

 それが何を意味しているのか、どんな肉体の状況を示しているのかは、今グシオンリベイクと“準一体化”している昭弘にしか真には理解出来ない。

 

 シャルロットの操るラファールが、高速旋回しながら放つ無数且つ多種多様な実弾。

 鈴音の乗る甲龍が、大小のバレルロールを駆使しながら広範囲に連続的に放つ不可視の衝撃。

 

 全身の筋肉を余す事無く連動させながら身体をあらゆる方向へと捻り、コアはそれを100%グシオンの動きに反映させる。生身には無い筈の各部スラスター・バーニアも、今やコアとなっている昭弘の意思通りに角度を変えてはエネルギーを噴射する。

 そうやってまるで大海を泳ぐ鯱の如く実弾不可視入り乱れる弾幕を躱し、何処かのタイミングで弾幕が薄まれば破裂した様に目標へと突っ込む。

 

 弾幕へと突き進み然れど全弾躱そうとするそれは、まるで自ら不利な状況に足を踏み入れて行く様であった。

 

 いや或いは、殺意蔓延る憎悪燻る絶望地獄混在する本当の戦場を、求めているのだろうか。

 

 

 

 

 フルマラソンを完走したかの様な過呼吸を繰り返しながら、ピットの床に無造作にへたり込む昭弘たち3人。

 すると頭からタオルを被った鈴音が、疲労を振り払う様に第一声を発す。

 

「ハァ…なんか…ハァ…勝った気しないわ…ハァ」

 

 鈴音とシャルロットのタッグは、昭弘の無謀な戦法もあって勝ちを拾えた。が、2対1で更には昭弘のどう見てもわざとな戦術ミスともなれば、鈴音の不満もあからさまに浮き出よう。

 

「だが骨のある特訓になったろう?」

 

「まぁ…ハァ…そこは…ハァ…同意だけど…」

 

 バトルを昭弘に上手い事誘導された感が気に食わない鈴音だが、特訓の面では大いに満足している様だ。

 

 対してグロッキーなシャルロットは、俯せのまま先程感じた恐怖を口からタラタラ垂れ流す。

 

「もうヤダ昭弘怖い二度と戦いたくない本気で死ぬかと思った顔面潰されるかと思った…」

 

 ブレないシャルロットに呆れ返る昭弘だが、鈴音は僅かに同情の余地があるのかシャルロット側に気持ちを傾ける。

 丁度、昭弘に訊きたい事もあった。

 

「…今更だけどさぁ、何でアンタそんなに強くなりたいの?ただセシリアに負けたくないから…ってだけじゃないんでしょ?」

 

 鈴音の疑問を聞いて、絨毯に出来たシミの様に伏せているシャルロットも顔を僅かに上げる。単純に気になるからか、若しくはハンサムの更なる秘訣を抽出する為か。

 

 2人分の視線を浴びた昭弘は、顔は俯けたまま射返す様に視線だけを彼女たちに向ける。

 

「…いざって時、強いに越した事は無い。ただそれだけだ」

 

 はぐらかされた様な核心を突いた様な昭弘の回答に対し、鈴音は更に問い詰める事も出来ずに渋い顔をする。

 だが少なくとも、昭弘のソレは鈴音が求めていた答えではなかった。

 

「鈴には強くなる“目的”があんのか?」

 

 逆に繰り出された昭弘の質問によって、鈴音はまるで自身の中にある蟠りを晒し出された様な気分になった。

 

 彼女にも目的はあった。

 強くなって代表候補生になって最終的には国家代表になって、病弱な父を医療面でも金銭面でも助けてあげたい。

 目的はそれだけに留まらなかった。世界の誰よりも強い女になって、幼馴染の隣をいつまでも独占出来る様になりたいなんて馬鹿みたいな野望まで生まれた。

 

 だが父の中華屋は鈴音が手を差し伸べるまでもなく盛り返し、当の父もISTTで会った限りでは健康そのもの。

 一夏も今や嘗ての異性として見ていない以上、女として彼を独占する彼に意識して貰うだなんて劣情は一滴分も湧かない。

 

 つまりは───

 

「………無いわ、だからアンタの“強さへの意欲”が気になったの。どんな「最終目的」があるんだろうって」

「アタシもアンタと同じ。弱いよりは強い方がマシに決まっている、それだけの理由で日々訓練を重ねてる。ISが好きだから、持続出来ているだけ」

 

 そんな、日々を無意味に消費している自分の何処に人間らしさなどあろうか。そう、昨日感じていた事を心の中に再現する鈴音。

 

「昭弘には悪いけど、アタシもアンタもそんなんじゃ駄目よね。…イヤ、駄目なのは割り切れずに中途半端なアタシか」

 

 ISが好きなだけでは、何処にも辿り着けない。

 ISが好きで、それを何に活かしたいのか、どうなりたいのか。或いはセシリアの様に、純粋にIS操縦者としての頂点を目指すのか。鈴音にはそのどれもが無かった。

 

 焦っているのは昭弘よりも寧ろ、鈴音の方であったのだ。

 

 

「僕はそれで良いと思うけどなぁ」

 

 いつの間にか仰向けへと体勢を変えているシャルロットは、あくまで気楽そうに言い放つ。

 

「その為の学校でしょ?日々知識と経験を地道に蓄えて、そこから目標・目的を定めていくというかさぁ」

 

「…そんな普通な感じで良い訳?卒業までに目的が見つからなかったらどうすんのよ」

 

「普通に頑張ってれば、IS学園は新鮮で面白い“何か”を与えてくれるさ。それに卒業まであと2年半以上あるし、絶対見つかるって」

 

 楽観的でどこか受け身思考の強いシャルロットに、鈴音は呆れの混じった顰め面をする。

 加えて鈴音は「普通」という言葉に抵抗感を持っていた。彼女にとっては凡庸、曖昧、何も無い、同じ事の繰り返しと、それら負のイメージが強い言葉だ。

 つまり鈴音にとって「普通」とは、「目的」の対義語に等しい言葉なのだ。

 

 だが昭弘は、シャルロットの言う通りである様に感じた。

 目的も無しに成長する。それは断じて悪い事ではなく、目的を見つけた時の為に備えているだけなのだ。

 確かにいずれは見つけねばならないのだろうが、今は未だ見つからないなら、無理に探すよりも将来の選択肢を増やす為に力を蓄えるべきだろう。

 

 昭弘がそんな事を思っていると、らしくない己に気付いたのか鈴音が溜息を吐く。

 

「ハァ…アタシってこんなネガティブだったっけ」

 

「偶にはいいじゃねぇか。ずっと元気ハツラツでも、見ているこっちが却って不安になる」

 

「あーそれ僕も分かるかも」

 

「そういうこった。誰にも言わずにずっと悩みを閉じ込めとくのが、一番不味いもんさ」

 

 昭弘にまで励まされてしまった鈴音は、口から吐き出す北風に湿気を纏わせ更に重たい溜息へと変える。

 

 彼女は色々な助言をくれる昭弘を良き友人として頼りにしているが、それと同じくらい気に食わなかったりもする。

 ただでさえ子供扱いされるのが嫌な鈴音としては、年上みたいに諭してくる昭弘が時々癇に障るのだ。まるで年齢差を見せ付けられてる様で、子供である以前に一人の女なのにそう見なされていない様で。

 

 鈴音の為を思って言ってくれている昭弘に、そんな身勝手な不平不満吐き捨てられる筈も無く。

 その不満も長い付き合いを経れば、「友の一部」として緩い日常での一場面へと勝手に浸透していく。

 

 そんなやり取りの賜物かは知らないが、鈴音は感情の制御が上手くなっていた。以前なら癇癪を起こしていた出来事も、後のデメリットを冷静に予想する事で抑えられる様になったのだ。

 

 

 この学園に来てから、鈴音は変わった。

 

 最初はどんなに環境が変わっても、自身は何一つ不変であると思っていた。自分は此処でもきっと変わらず一夏を愛し、そして同じく一夏を狙う無数の女と火花を散らすのだろうと。

 

 だがそうはならず、箒ともセシリアとも良好な交友関係を築けた。

 鈴音とは違い、彼女たちは意識の殆どを一夏に向けていた訳ではなかった。箒にはもう一人想いを馳せる異性が居て、セシリアは恋愛とは別に超えねばならない相手が居た。

 ごく当たり前の事だが、誰しも一夏が全てと、恋愛が全てと、決してそうなる訳では無い。

 そんな彼女たちと学園生活を共にすれば、鈴音の恋愛観も変わるし性格も丸くなる。

 

 だがそれでも見つからなかった。一夏以外のもう一つ、新しい「目的」と呼べるモノが。

 

 そうして“その時”が訪れてしまった。一夏が本来の自分自身を、見つけてしまったその時が。

 それこそが真実であると気付いた鈴音は、遂には何故強くなるのかその目的を見失ってしまった。

 

 

 思考が変わり、愛しい人も幻想に消え、目指すべき自分すらも崩れて散る。

 それら全てにおける大元の因子である昭弘は、未だげんなりとしている鈴音を見兼ねてか追加の言葉を贈る。

 

「気を楽に構えるのもナーバスになるのも、どっちも捨ててはならない心構えだ。急ぐ必要なんて無いが、一日でも早く目的を見つけたいのならそれらの配分を上手くコントロールしないとな。考え過ぎるとオレみたいになるし、気楽過ぎるとシャルロットみたいになっちまう」

 

「サラッと馬鹿にされたね僕」

 

「来週は丁度臨海学校だが、そんな中気楽に、一歩引いた所から全体的に物事を捉えてみたらどうだ?何か気になる事が見つかるかもしれんぞ?」

 

 『織斑一夏』という何にも比較し難く大きな目的の一つ。それを奪って行った青年の言葉を、それでも鈴音は縋る様に聞き入っていた。

 

 目的も無しに生きていくのも、目的を持たない相手を見てホッとするのも真っ平だから。一夏と同等とも呼べる新しい目的が、どんなものなのか知りたいから。

 そして、新しい目的を見つけた新しい自分に早く出会いたいから。

 

「大前提に訓練があるんだがな。てな訳でもう一戦だ、そろそろ機体のエネルギーも溜まったろう」

 

「…うん」

 

「えぇ……………ハイ」

 

 

 

 

 

 

───同日 夜 中国

 

 閉店後間もないとある中華料理屋、シャレた照明によって淡い黄色に染まっている店主の部屋。

 窓を開けども蒸し暑い室内で、紫色の携帯を片手に口を動かしているのは、当然ながら当店の店主だ。

 

「成程ねぇ、そんな事が」

 

 愛娘から一通りの話を聞き終えた楽音は、いつも通り明るくも真摯な声調で言葉を返す。

 

「全く人生、解らんものよなぁ。一夏くんがどう変わったのかは知らんが、あんだけベタ惚れだった鈴ちゃんがなぁ…」

 

《もーそれ言わないでよ。アタシが一番ショック大きいんだから…》

 

 意中の相手がいなくなってしまった心の空白は、やはりそう直ぐには埋まらない。今彼女には、女としての刺激が無かった。こういう機会を使って、愚痴を零したくもなるのだろう。

 それはまた、昭弘たちに励まされるのとは別だ。

 

「……これ言ったら鈴ちゃんは怒るかもしれんが、正直オレは少し嬉しいぜ」

 

《はぁ?何よそれ?》

 

 いきなりとんでもない事を言い出す父親に対し、案の定鈴音は声に威圧を込める。

 

「まぁ聞けって、確かに一夏くんの事はオレも残念さ。けどなぁ、「誰かの為に」ってのはどうなんだってオレは思う訳よ」

「勿論、人を助けたい人の役に立ちたい、どれも美しく素晴らしいもんだ。だがそれらを成したとして、自分じゃない全く別の人間が称賛されたり、見返りを貰ったら…鈴ちゃんどう思う?」

 

《っ…》

 

 そんなの嫌に決まっている。鈴音はそう思ってしまったが、意地になってるのか言葉には出せなかった。

 楽音はそんな娘の思いなんてとうに見越している。人間である以上、避けられない欲求だからだ。

 

「鈴ちゃんがいくら一夏くんの為に国家代表になろうと料理の腕を上げようと、一夏くんが別の女を選べば…それは目的を達成したとは言えんだろう。その後……鈴ちゃんどうすんのよ」

「目的ってのは、詰まる所「自分の為」にしか存在しないのさ。人の役に立ったのは自分だ、他の誰でも無い自分が世界を変えていきたい。そういうのが目的って奴さ」

「昭弘くん…だっけ?彼の言っていた目的も、要はそういうヤツなんじゃないかなぁ」

 

 恋愛そのものを最終目的にしてはならない。鈴音には、父の言葉からそんな真意がありありと見て取れた。

 

《……恋愛なんてそのついでで良い、とでも父さんは言いたいの?》

 

「もっと言うなら「誰か一人の為だけに生きる」…ってのは、間違っていると父さんは思う。その人を助けたとしても自己満足にしかならないし、感謝されても依存度が増すだけ、捨てられたら…その人を憎む様になる」

 

 それが楽音の考えであった。大切な一人の為に生きるというのは、要するに自身の存在意義を相手に押し付けているに近い。それは相手からすれば、「自分のせいで縛られてる」という重荷にすらなる。

 

《…じゃあアタシは、女として満たされないまま歳を取れっての?》

 

「一夏くんを意中の男として見れないんなら、少なくとも在学中はそうなるな。けど「やりたい事」さえ見つかれば、ポッカリ空いた心もそれなりに満たされるもんよ」

 

 女尊男卑という世の風潮に逆らって“女”として生涯尽くす男を探し続けるのか、それとも新たな目的を見つけてそれに続く道を歩んでいくのか。

 だがIS学園に来た時点で、鈴音の道は半ば決定付けられた。一夏だけを追い求め、他の異性を眼中の外へと追い出してしまった。まさかあんな結末になるとも知らずに。

 もう、何が何でも「自分の道」を見つけるしかないのだ。

 

 それでも、鈴音に後悔は無かった。真実を知れたのだから、新たな世界に入れたのだから、そこで皆に出会えたのだから。

 目的を欲する様になれたのだから。

 

《…分かった、もう覚悟決める》

 

「悪ぃな、こんな助言しか出来なくて」

 

《ううん、ありがとう父さん。完全に頭も心も切り替わったわ。それと…》

 

 少しの間を置く鈴音。その「間」の中では、言うまでも無いお節介と一応言った方が良いという心配とが鬩ぎ合っていた。

 結果、打ち勝ったのは「心配」であった。

 

《…もう大丈夫みたいだけど、身体にはくれぐれも気を付けてね?》

 

 らしくも無く弱々しい娘の声を聞いて、楽音は陰鬱さを吹き飛ばす様に笑って見せた。

 

「ガッハッハッハ!!鈴ちゃんはホント優しいんだからもう!…ほんじゃ、お互い明日もある事だし、そろそろ切りますかい」

 

《あ、うん…じゃあまたね父さん》

 

「あいよ!バイバイ鈴ちゃん!!」

 

 そうして楽音の方から、プツリと通話を切った。

 

 

 そうして漸く、男の部屋に静寂が訪れた。誰も見ていない、誰も聞いていない静寂が。

 

 

 

ゲフォッ!!!ゲホッ!!ゲホッ!エ゛フォ!

 

 

 

 楽音は近くのスタンドに掛けられてたタオルを急いで引っ掴むと、それを口に当てながら激しく咳き込む。

 それはよく耳にする普通の咳ではなく、嗚咽に似たものだった。

 

 やっと咳が止まり白い手拭き様のタオルを見てみると、赤い飛沫によって軽い水玉模様が出来上がっていた。

 

「ハァ゛…ハァ゛…あっぶねぇあぶねぇ。バレるとこだった」

 

 何もかも空元気であった。

 楽音は癌だったのだ。それももう、治療でどうにかなる段階をとうに越えた。

 

「あ゛ーもう、あと一年持たんなこりゃ…」

 

 彼はもう、とうに死を受け入れていた。

 

 彼だけではない、別居中の妻ももう夫の死を覚悟していた。

 手遅れと知り、何度も泣き、夫の耳に胼胝ができる程延命の話を持ち掛けた妻。それでも、夫の決意が変わる事はなかった。

 

 何も知らされていないのは、鈴音だけであった。

 

「…フッ」

 

 だが楽音は笑った、これで良いのだと。

 

 鈴音は優しい、危うい程に。優し過ぎて、自分の全てを大切な相手に捧げてしまう。

 そんな愛娘が父親の病を知ってしまったら、それを治す為だけに人生の全てを費やすだろう。それを目的にしてしまうだろう。

 

 どうしてそんな事が出来ようか。娘には、鈴音には、無限の未来が広がっているのに。

 

「もうこれで…悔いは無い…」

 

 楽音ももう、これ以上無理に生きようとは思わなかった。

 彼はもう十分人生を謳歌した。愛する人と出会い、優しく元気な娘を授かり、そして念願の中華料理屋も建てれた。家族離れ離れになってしまったのは、とても残念だろうが。

 そして今も、こうして大好きな中華屋を営む事が出来ている。別居中の妻も、自分の道を順調に突き進めている。

 

 

 だから猶更、鈴音にも人生を謳歌して欲しいのだ。

 誰かの為ではなく、自分の為だけに生きて欲しいのだ。

 

 父と母が、そうである様に。



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第65話 未来への道筋 ②

今回も過去回想です。







─────7月21日(木) 放課後

 

 本校舎を出て直ぐ、様々な建物へと枝分かれしている小道を異なる歩幅で進む昭弘とシャルロット。

 各々の行先はアリーナだが、同じアリーナなのかは現時点では判らない。

 

「前から疑問だったんだが、お前ラファール持ってて大丈夫なのか?フランスのモンだろう?」

 

 今や代表候補生でもないシャルロットが、一国にとって貴重な国力でもあるISコアを持ってる事は、確かに由々しき事態だ。

 

「大丈夫。『ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡ』は単なる試験機、つまりフランスに実戦配備されてないISコアな訳だから、所有はあくまでデュノア社なんだよ」

 

 全世界に国の戦力として配備されているISコアは322機。

 だがデュノア社や倉持技研等の保有する試験用ISコアは、この戦力には含まれない。もしデュノア社の保有する試験用ISコアまでそのままフランスの戦力となれば、世界の均衡が崩れ去る。

 故に残りは試験用ISコアとして各企業が保有し、IS委員会監視の元で各国と平等に商取引を行わねばならないのだ。

 

「だがお前はもうデュノア社の人間じゃないだろう」

 

「それもご安心。カスタムⅡのコアは学園の一時保有って事で、デュノア社と盟約されてるからね。だから僕がいくら使おうと、IS学園から借りてるって事になるのさ。後は勝手に戦闘データが溜まっていく」

 

 これに関しては当時、男性IS操縦者としてのシャルロットを未だ世界に知られたくなかった、デュノア社の思惑が絡んでいたのだろう。学園側で所有・保管をすれば、情報が漏れるリスクも大幅に減らせる。

 

「問題は期間なんだよね…。最短でも半年以上で、後はカスタムⅡの戦闘データ収集量による…らしいけど」

「確か来年には倉持技研だかアメリカの大企業だかがデュノア社を吸収するって話だけど、そうなったらラファールは…」

 

 普段から明るくナルシズムに入り浸っている楽天家。そんなおちゃらけたイケメン女子の面影は、沈んだ声と表情からは見て取れない。

 

「……愛着か?」

 

「そりゃあこの子とも長い付き合いになるからね」

 

 半ば無理矢理ISの英才教育を受けさせられたとは言え、それでも苦労して手に入れた力なのだ。そしてその力と共に、彼女は此処IS学園にて今日まで成長してきた。手放したくないに決まってる。

 それにラファールは、今は亡き実母には及ばなくとも、シャルロットにとっては母親に近い存在なのだ。彼女の思い込みもあるのだろうが、ラファールを展開する時に優しく包まれる感覚がするのだとか。

 

 だが、遅かれ早かれラファールは返さねばならない。コア関係の契約は吸収元にも引き継がれるだろうし、向こうも戦闘経験値の詰まった試験機は回収したいだろう。

 そうなれば、シャルロットは名実共にただの一生徒となる。

 

 それらを踏まえた上で、昭弘は彼女に言葉を贈る。

 

「どれだけ離れようと記憶は残る。お前がラファールと共に培った技能、知識、栄光、そして飛んだ感覚。頭と心に残ったそいつらは、お前を支え続ける」

 

 暖かい、そして的確な激励の言葉だ。意識せずそういう小粋な事が言える昭弘を、彼女はいつもの如く小憎たらしく思ってしまう。

 

 だが昭弘が放ったその言葉は、シャルロットの深淵に危難にも似た何かを芽生えさせる。

 

 昭弘の言葉は解釈を変えれば、シャルロットにカスタムⅡはもう必要無いとも取れる。

 即ち、彼女の未来を暗示する言葉。

 自分のISを失ったお前は、それによって得て来た「これまで」をどう使うのか。頭と身体へ染み込んだ「ISとの時間」に支えられて、お前は何処に行くのか。

 それがお前の「価値」になるのか。

 

(……僕の価値って…何処に通じるんだ?)

 

 さっきまで能天気だったシャルロットは、その事に気付く。

 ラファールに乗っては、戦って闘ってタタカって来たシャルロット。そんな彼女の中に在るは「戦士」としての価値だけ。

 何がしたいかより己の人としての価値を重要視する彼女にとって、将来へ続く選択肢は今その一本道なのだ。

 

 結局シャルロットは、亡き母親の面影に縋るが如く、己だけの力である専用機の存在に甘えていたのだ。それが己の選択肢を狭めるとも知らずに。

 愛機と共に飛び続けていれば、IS学園という日常に身を任せていれば、自然と答えは見えてくる。その考えが甘すぎたのだ。

 いや、自分自身についての考えが足りなかったのだ。それが如何に大切なのか解っていながら、デュノア社から解放された緩み故か楽な方へと思考を傾けてしまっていた。

 

「…シャルロット?」

 

 昭弘に言われて、初めて彼女は己が立ち尽くしている事に気付いた。丁度、今来た道が2本道へと変わる分岐点であった。

 

(あっ……そうか、僕アリーナBに行くんだった…)

 

 そうして彼女は、今昭弘が立っている道ではないもう1本の道へと弱々しく方向転換する。

 

(…行って…どうするの?)

 

 このまま進んで、ISを動かして、それで何になると言うのか。それはただ単に現状の己の価値に満足して、この道1本に諦めるだけではないのか。

 

 そう考えると、彼女はそれ以上先へ進めなかった。

 

 

 

「シャルロット、先ずはISに乗れ」

 

「!」

 

 

 

 葛藤故にたじろぐ彼女を見透かしていた昭弘は、そうスッパリと一言切り込ませてから続ける。彼女が何に悩んでいるのか昭弘には分からないが、今はそれしかない事だけは解っていた。

 

「今あれこれ考えたってどうにもならん。無心でIS動かして、一旦頭を空にしろ。臨海学校はもうすぐなんだぞ」

 

「…」

 

 平常心を取り戻せ。昭弘の言葉からそんな念じを読み取ったのか、シャルロットは耐える様に瞼を閉じながら一歩を踏み出し始める。

 その閉瞼は、またしても昭弘の声に動かされてる事への悔しさをも内包している様であった。

 

(…気楽で居るのって…難しいんだね、鈴ちゃん)

 

 今になって鈴音の気持ちが真に理解出来た彼女は、先日の己に酷い羞恥を覚えた。

 

 

 そんな足取りの彼女を見送りながら、昭弘は思った。彼女は彼女自身を超えられるだろうか、と。

 

 自分の価値を自分にとって納得の行くものへと変えていく事は、ただ強くなるより困難を極める。自分を外側から見つめ、優れている部分をどんどん見つけては強化し、それらがどれだけ向上したか正しく評価する必要がある。そして最終的に、彼女の本心がその中から道を決める。

 それはシャルロットにとっては、ある意味「究極のナルシズム」と言えるかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

───アリーナD

 

 陽の光当たり動く度に煌めくサファイアの人型は、ドーム中を流星の様に飛び回る。周囲にはコバルトブルーの彗星が10本、小判鮫の様に追従しては流れ星の如く尾を引いていた。

 大きさも形も違う曲線軌道を何度も描きながら、更にはその10の物体を脳波だけで操っていると聞いたら、殆どの人間が耳を疑うだろう。

 

 そんな少女の「並列思考」は、靴紐を結ぶのと同じく出来て当たり前のスキルであった。

 本を読みながら友人と話す、液晶携帯を弄る際は必ず何かの片手間か授業中に、朝歯を磨きながら髪を整える。これらは少女の日常における並列思考のごく一部。

 

 日常の枠を越えた本当の訓練レベルでは更に凄まじい。ISを纏い飛びつつビットをも操りながら、両手のマニピュレーターだけ解除し生身の手でボタンを付ける等軽い裁縫をこなす。という、これもごく一部。

 

 それらを毎日繰り返してきた。毎日、毎日、前に進めた実感があっても無くても、同時思考高速思考のし過ぎで一日が異様に長く感じようと、頭がパンクしては何度もISを区画シールドに激突させても。

 

 

───見える

 

 セシリアは更にビットの配置を変える。ミサイルビット2機を己の両脇に浮遊固定させ、他8機のビームビットを乱雲の中に張り巡らされてる雷の如く激しく動かす。

 セシリア自身も動きながら…ブルー・ティアーズ本体も動かしながら。

 

 何度も宙返りする彼女を他所に、8機のビットはツチグモの様にちょこまか動きながらダミーへと迫る。

 

───解る

 

 セシリアはより過激に動き始める。実戦の様にライフルを構えながら。

 サーキットでシケインを攻めるが如く小刻みに飛び、同時進行でビット8機が一斉に黄緑の熱を放つ。

 

 8本の熱線は全弾、ダミーの的を貫いた。

 

───これなら勝て

 

 「る」と言い終える前に、ある青年の姿がセシリアの脳裏を遮る。

 

 動きを止めてしまったセシリアに倣う様に、ビットたちも静止画の様に固まる。先程の超常機動なんて全て嘘であった様に。

 

 セシリアが拳を握り締めると、ティアーズもマニピュレーターを握り締める。

 

 

 

 溜息混じりにピットへ戻って来たセシリアは、そのまま近くのベンチへ軟体生物の如くストンと腰を落とした。

 

 一昨日、どうにかビット8機を高速で操る事が出来る様になったセシリアは、更に2機のビームビットの追加を決断した。作業は前回と同じく本音に手伝って貰った。

 そして現在に至る。

 

 ただ考え無しに増やしているのではなく、数に合わせて運用も変えている。

 先の様にそれ程動かす必要性の無いミサイルビットをティアーズの傍で浮遊固定させれば、10機全機を高速操作するよりも負担が軽くなる。

 

 実際にそれを納得の行く形に出来たかは別だが。

 

(まだ完成には程遠いですわね。動く敵を狙えなければ意味などありませんし、それに可能ならもっと俊敏にビットを操りたい所)

 

 セシリアの克己的な思考は、後の武装『マキシマム・ティアーズ』を想定しての事だろう。その巨大さたるや、現在のビットが道端に転がる枝に見える程だ。

 

 

 それはあくまで客観的に見たセシリア自身の現状だ。今セシリアを蝕んでいるのはそんな一つの事実だけでなく、彼女自身の心持である。

 どんなに自身を追い込んでも、いつも同じ不安に行き着く。

 

 

───それで昭弘に敵うのか

 

 

 これまでセシリアは2度、昭弘の操るグシオンと相対し戦ってきた。持てる全てを出し尽くして慢心をかなぐり捨てて、彼女ともあろう者が見てくれも気にせずに。

 だが結果は敗北、続く2度目も実力的には恐らく負けていた。

 

 IS学園に入学するまで、勝利などあって当然の称号だった絶対強者『セシリア・オルコット』。その彼女が味わった2度にも渡る苦渋、その毒々しい黒緑色の液体を飲ませて来た『昭弘・アルトランド』という存在は、彼女の心に深いトラウマの根を下ろしていた。

 

 そして逆に、そのトラウマに救われたりもしていた。

 以前のセシリアならすぐ傲りに支配され、中途半端な現状に満足していただろう。実際それで勝てたのだから。

 だが今「敗北」への恐怖に支配されているセシリアには、油断も妥協も存在しない。昭弘に勝てる方法が僅かにでも残ってるならそれを時間の限り突き詰め、蟻の巣穴並に小さな敗北の可能性があるならそれを念入りに埋める。

 その恐怖から生まれる天井知らずの向上心と勝利を求める精神性は、嘗てとは別の階層へとセシリアを成長させていた。

 

 そんな成長、今のセシリアに自覚出来る筈も無く。「昭弘を超える」という最初の目標を明確に定めてしまっている彼女には、それを為す事でしか己の強さを確認する術がないのだ。

 

 

 俯くセシリア。こんな風に沈んだ時、彼女は本音の姿を想像する。陰鬱も癇癪も、全てを優しく包み込んでくれそうな彼女を。

 例えば今みたいな時だ。憂いを滲ませるセシリアに何と声を掛けて良いのか解らず、それでも健気に手に手を重ねていてくれる本音。そのまるで頭を撫でる様に力みの抜けた手は全てを受け入れてくれそうで、その垂れた目に収まった澄んだ瞳は全てを赦してくれる。

 それはセシリアを、どんな夢よりも夢見心地な気分にしてくれる。最強への近道もライバルへの畏怖も葛藤も苦痛も、全て放り出して縋り付きたくなる。

 

 彼女には、そう言った衝動への耐性が無かった。

 

 更にその衝動は、セシリアの奥深くに潜む本心を引きずり出しに掛かる。

 本音に会いたい、会って話したい、そうして真正面から「好き」と伝えたい。

 

「………何を馬鹿な」

 

 衝動から辛くも逃れたセシリアは、そう己を律する。

 

 世界最強。一人の人間が成し遂げるには高すぎる壁であるそれは、目的をも超越した「生きる意味」とすら言える。

 成すには技術も精神も向上させるしかない。時間の許す限り己を鍛え、戦い抜くしかない。

 

 本音に告白して振られれば、セシリアは必ず自身の精神に暗雲を作るだろう。逆にもし仮に受け入れられたとすれば、セシリアはきっと満たされ過ぎてしまう。

 絶望も充足も、セシリアは望まない。

 セシリアの望みは「世界最強のIS乗り」、それによる御家の保護と再興。そして頂を支配しより美の極まったセシリア自身を、本音に余す所無く披露する事。

 それら彼女だけの玉座に登り着くには、先ず始めに昭弘を凌がねばならない。

 

 今、セシリアにとっての愛の化身である本音に縋りついてはならないのだ。目的を果たすべく、甘えは時々、ほんの合間でいい。

 もうじき訪れる臨海学校こそ、その合間にすれば良いだろう。

 

 本音に心の内を伝える勇気が無い、その言い訳に聞こえるかもしれない。事実その通りでもある。

 だがどの道何でも良かった。セシリア自身普段から嘆いている“捻くれ気質”、もしそれで先の様な衝動から脱する事が出来るのなら。

 もしそれで、頂点へと手が届くのなら。

 もしそれで、昭弘を超えられるのなら。

 

 セシリアは喜んで、聖母が与えし優しさとも愛とも柔らかさとも無縁の豪火へと飛び込む。

 

 

 しかしこの時、彼女は気付いていなかった。その縛りが、IS戦にてどれだけ硬く太い枷となるのか。

 

 

 

 

 

 

 

 100時間。

 この3ヶ月間、一夏がISを稼動させてきた累計時間だ。代表候補生の稼動時間と比較してみれば判るが、これはそこまで大した数値でもない。

 そしてこの稼動時間こそが、IS操縦者に最も不可欠な要素の一つとも言える。

 短いスパン、フィールドの予約が埋まっている、それら止むを得ない状況を加味しようとこの100時間という事実は大きい。

 

 当然、余った時間はISの勉学や剣術の稽古に余す事無く当ててきた一夏。教材は無数に書き殴ったメモや手垢が重なり皺だらけとなり、手の平に出来た豆からはこれまでに何度出血したのか想像に難くない。

 それでも、入学前からISの稼動時間が長く、今も尚時間を重ね続けている強者たちとの差は埋め難い。加えて白式の武装は、刀一つだけ。

 

 だが2対2以上の集団戦ならばその限りでない。寧ろ、白く目立って素早い白式だからこそ生きる、機動力を生かした「攪乱」がある。

 

 その新戦術を確立させるのに必要な能力こそ「空間認識能力」である。

 戦闘中、常に目まぐるしく変化する味方との距離、そして敵との距離。それらを一瞬で正確に把握し、自分がどう動いて誰を攪乱するのかコンマ秒で判断するには、これらの能力を鍛えるしかない。

 

 

 今この時間、一夏が自室にて黙々と取り組んでいるのがそのトレーニングだ。

 ソファチェアに座す一夏の指で弄り回されるタブレット、その液晶の中で動くのは簡易的な立体パズルだ。

 画面右上には制限時間が威圧的に赤く表示されており、時間内に解けなければ次へと進めない事が解る。それは数分などと悠長なものでなく、数秒単位の次元だ。

 進めば進む程、少しずつパズルの難易度が上がっていく。

 

(………頭痛い)

 

 そのゲームを今日だけで何時間プレイしているのか、一夏の虚ろな瞳は何も語ってくれない。

 最初の内は簡単で楽しく解けるそのパズルも、どんどん進めば脳を酷使させる。更には室内でジッとしているのも頭を使うのも苦手な一夏にとって、このゲームは竹刀素振り千本をも凌ぐ拷問であった。

 

 昨日の自分は超えよう。そんな強さへの執念だけが、どうにか一夏の精神を保っていた。

 

「あっ」

 

 が、精神力だけでパズルはどうにもならない。

 情けない声と共に見開く一夏の視線の先には「残り時間00:00」と、赤い文字が冷徹な現実を表示していた。

 

(…)

 

 これでもう本日6度目のコンティニューだ。

 ここ数日になって、確実に目標値達成への道のりが長くなっている一夏。そろそろ限界が近いのだろうか。

 

 

「まだやっとるのか……」

 

 一周回って称える様な声がした方向へ、一夏は少し驚いた様に振り向く。

 

「お帰りラウラ。ゴメンね気付かなくって」

「誰かと模擬戦?」

 

 随分と疲れた様子のラウラを見て、そう予想を立てた一夏。

 対して、ラウラはレッグバンドの形に待機しているシュトラールを外しながら答える。

 

「ああ、昭弘とな。私にとっては模擬戦が一番の鍛錬になる」

 

 そうだろう。ラウラとシュトラールの様な近接武闘派は、戦闘という場数に応じて動きが洗練されていく。

 

「……そっか」

 

 一夏はごく短い間だけラウラを見ると、再度液晶画面へと顔を戻す。パズルに取り憑かれているかの様な真顔だ。

 ラウラにとっては、それだけで十分一夏の焦りを感じ取れる。鍛錬と闘いによって日々確実に強くなっていくラウラが傍らに居ては、焦りを隠そうにも難しい。

 

 ラウラが解らないのは一つだけだ。

 

「……一夏、何の為にお前は強くなる?剣ではブリュンヒルデを超えられないと解っているのにだ。ただISが好きだから…というのは無しで頼む」

 

 本当のお前は何処に居る。あの日この部屋で同じ様にラウラが放ったその言葉が、一夏の脳内にて残響する。

 あの日もこの日も、結局一夏は同じ難題に行き着いてしまった。“今”何をしたいかではない、“将来”どうなりたいか。

 

 一夏にだって望みはある。一夏と昭弘と箒、3人でいつまでも楽しく学園生活を送る事だ。もし可能なら、鈴音たちも一緒に。要するに今この瞬間、IS学園での日常だ。

 だがそれは、現状を維持する停滞に過ぎない。

 

 ずっと千冬しか目指していなかった一夏には、今後自分がどうなりたいか何をしたいかなんて、触れる事すら難しいのだ。

 

 それに、一夏は世界にとって希少な男性IS操縦者。

 一夏個人が何を目指した所で、何処かのお偉いさんがその上から勝手にレールを敷くだろう。そこからは姉の庇護と国と世界による折衝か鬩ぎ合いだ。

 

(先は暗い……か)

 

 それでも思った、どうせ暗い未来しか待っていないならばと。そんな将来なんて捨てて逃げて、ただ己の心に従って道を歩いても良いのではないかと。

 それにより誰が迷惑を被ろうと関係無い。誰かに従い続ける人生こそ、一夏にとってはずっと“逃げ”だ。

 

 故に、一夏は将来というレールを蹴り崩す様に言い放つ。

 

「もし“何か”あった時、昭弘と箒の助けになりたいの」

 

 眼鏡を外し、ほんの僅かな唇の湾曲を見せて小さく笑う一夏。一見温厚に見えるその笑顔には、誰にも否定なんてさせない攻撃的な意志が見え隠れしている様に、ラウラには思えた。

 だがラウラは問う、友人である一夏の為に。

 

「起こるとも分からない事の為に強くなるのか?」

 

「…いえ、きっと起こる。オレには分かるの」

「特に昭弘にはね」

 

「…」

 

 何の根拠も無いその言葉で、ラウラは押し黙ってしまった。

 否定出来ないからではない、どう言葉を返せばいいのか解らないからだ。昭弘が何か大いなるものを抱えているのだと、何となく感じ取っている一夏に対して。

 

 その感慨を振り払うと、ラウラは更に問い質す。

 

「もし昭弘と箒が、貴様の助けを望んでなかったらどうする?それでも助けようとするならそれは一夏、貴様のエゴでしかないぞ」

 

 箒も昭弘も、自分の戦いに友人を巻き込む様な愚は何が何でも避けるだろう。他者を優先する彼等には、基本的に「助けて」が出てこない。

 

 そして誰よりそれを理解している一夏は、もうそんな言葉を言われた所で揺るがなくなってしまっていた。

 

「エゴでもオレには…それしかない」

 

 未だ一夏は寂しそうに笑ったまま、声だけを虚しく震わす。まるで将来なんて諦めている様に、それで構わないと腹を括る様に。

 昭弘と箒こそが全てある一夏自身を、臆さず堂々と大衆へ曝け出す様に。

 

 なりたいモノもやりたいコトも無い、目標も無ければ勝ちたい相手も居ない、ただ昭弘への愛と箒へのアイだけが一夏の目指す未来を埋めていた。

 昭弘と箒の助けになりたいというのはそう、一夏の自己満足でもあるのだ。その自己満足も、昭弘と箒が一夏を疎ましく思っては満たされない。

 だから一夏は必死になる。いざという時ISで2人の役に立てるよう、己の力が必要とされるよう。愛する2人から、いつまでも愛されるよう。

 

 ISで為すべき事なんて、それだけで十分なのだ。それでほんの少しでも、空虚な心が満たされれば。

 そしてそれこそが、一夏にとっては別の意味でも生命線なのだ。昭弘を独占しようとする卑しい我欲から、逃れる為にも。

 

 

 ラウラは今度こそ何も言えなかった。言いたい事があり過ぎて纏まり切らないのか、本当に何も浮かばないのかすら解らなかった。

 ただ一つ言える事は、一夏のそれは決して「目的」などではないという事だ。成し遂げるというゴールが存在しないのだから。

 

 そんなラウラを見て、一夏は寂しげな微笑を解いては彼の肩を叩く。

 

「なーにこの世の終わりみたいな顔してんのラウラ。別にISが好きって気持ちに変わりはないし、嫌々特訓してる訳でもないよ?やりたい事だって今後見つかるかもしれないし」

 

 一夏はそう言ってソファチェアに戻ると、再びタブレットを手に持つ。

 

「さてと、そんじゃ気合い入れ直してコンティニューと行きますか」

 

 まるでラウラへ聞かせる様に独り言を放つ一夏の瞳は、嘘偽り無くやる気に満ち溢れていた。夜闇の水面に映る満月の様に。

 

 

 例え先が何も無い暗黒だろうと、ただ黙々と日々力を付ける。それも敵を倒す為でも、大切な人を護る為でもない、ただ定めた2人の一助になりたいという献身からだ。

 そこに達成なんてものは無い。昭弘と箒が生を全うするまで終わらないし、だがもしそうなれば今度こそ一夏に残るのは虚無だ。

 とても耐えられたものじゃない。千冬を超えた頂と、そこへの道のりがあるラウラには。

 

 だがラウラが一夏に抱いているのは哀れみではなく、同族的感情であった。

 その頂に到達した後は一体どうするのか、そこから何を成すのか、何が待っているのか、ラウラは何も思い付いていない。

 つまりラウラと一夏はただ立つ地点が違うだけで、そこから先が見えない一点においては何も変わらないのだ。

 

(……私も結局は───)

 

 それでも尚、ラウラはそこから先を決して頭に浮かべなかった。

 どんなに先が見えなくとも道が閉ざされていようとも、自分だけの強さを得るべく今も真剣に地道な鍛錬をこなす一夏。何も無くとも前に進むという、何を以てしても壊せない哀れで虚しくも硬い意志。

 

 一夏のそんな横顔から、ラウラは新たなる勇気を貰った。

 

(そうだ、それでも私は最強を目指す。そして頂に登り詰めたとしても、尚最強であり続ける)

 

 そうラウラは決意を新たにする。今まで以上に硬く、そして鋭いものへと。

 

 ラウラは揺るがない。これだけは、揺らいではならない。

 

 

 

 

 

 

───21:45 アリーナC

 

 フィールドの端から絶え間無くエネルギーの塊を放ってくる、四本腕の異形。

 打鉄を纏う箒は、息を荒げながらも最小限の動きでそれら閃光を躱していく。刀一本しか持たぬが故に。

 

 相手の武装、特徴、長所に短所。そして自分の実力と今纏っている“力”の種類。今正にエネルギーの雨を降らせてくる男から教わったそれら「状況に応じた力の使い分け」を、箒は実践に移していた。

 どんな相手にも対応出来る様に、どんなISも使いこなせる様に。

 

(…ミニガンは横ブースターで大きく避けた後…小スラスターで小刻みに躱していく)

 

 これを何度か繰り返す。来たるその“瞬間”を待ちながら。

 

(距離を潰すタイミングは───)

 

ダダォゥン!!

 

───ここ

 

 箒の読み通り、2本の滑腔砲から一発ずつ炸裂弾を放つグシオンリベイク。直後、数秒のリロードにより滑腔砲が止む。

 そこを突いてのブースター噴射、瞬時加速…と見せかけ曲線を描いて不意から相手との距離を詰める。ミニガンによる弾幕も完全に無視だ。打鉄の異名は「堅牢」、それに更なる装甲を増設しているこその無謀なる突貫。

 

 そして柄を握り締め、曲線軌道をそのままにグシオンの横っ腹へ刃を振るわんと構える…が、これもフェイント。

 グシオンにある程度近づいた瞬間、曲線軌道からの───

 

バォンッ!!

 

 瞬時加速。

 僅かな一瞬の内、加速が生むエネルギーを機械刀に籠めて打鉄ごとグシオンに突っ込む。

 

 

 

───30分前 ピット

 

 木刀による素振り。

 幼少の頃から毎日欠かさず箒が行っている、剣術の基礎鍛錬だ。

 厳格且つ剣の達人である父親により、型から全筋肉の力加減まで徹底的に教え込まれたそれは、美麗さすら感じる程に洗練されていた。まるで振り下ろされる一刀一刀に生命が宿っている様な。

 

 この鍛錬の良き所は、周囲に人が居なければ場所を選ばない所である。このピットの様に。

 

 もう一つ、それは一人でも出来る点だ。その際型が崩れぬ様に気を付けつつ、眼前に敵の存在を想像するも良し、敵が居ないのを有効活用し何か考え事をするも無心になるも良し。

 

 そして、ただ心のままに木刀を振りたいから振り続けるも良し。

 

(……やはり剣は良い)

 

 空を斬っている感触を身体全体で感じながら喜悦に浸る箒。

 彼女にとって日常の一部となってる素振りだが、それは振り上げる時も振り下ろす時も終わって息を荒げている時も、セラピーの様に彼女の心を落ち着かせる。

 

「良い音じゃねぇか」

 

 入口から響いた低く鋭い声に、夢中であるにも関わらず箒は直ちに素振りを中断して振り向く。

 

「昭弘…」

 

 心のままにというのは、彼と会うこの瞬間に対する心の準備も含まれていた。奥手な少女が意中の異性と会うのだ、誰しも緊張を和らげたくもなろう。

 

「悪い、待たせた」

 

「いや、いい。お陰で素振りの時間が取れた」

 

 その言葉を聞き、昭弘は仏頂面をはにかませる。

 

「…本当にお前は、剣が好きなんだな」

 

 箒の言葉だけではない、木刀による風音を聞けば、そうしてる時の箒の表情を見ればそんな事は解る。

 

 決まっている、箒は大好きだ、剣も昭弘も一夏も。そして───

 

「…ISもな」

 

 遂に箒は、そう白状した。

 遥か昔の幼い時から、ずっと心の何処かでは気付いていた。生身同士なら即生死に直結する真剣での立会も、互いにISを纏っていればそうはならない。

 どんな物理的衝撃からも己が身を護ってくれるISは、箒にとって何にも代え難く優しい存在だったのだ。IS学園に入るまでの辛い日々に擦り切れて、そんな大切な気持ちすら忘れてしまっていた。

 

 そこまで解れば、もう昭弘も勝手に結論づけるしかない。

 

「そのISを創った姉ちゃんの事も…結局は大好きって事だろう」

 

「………そうだ」

 

 短くそう答えると、箒は何かを思い出す様に木刀を眺めながら静かに笑う。まるでこれまでの自分を、宥めあしらうかの様に。そんな自分と、単純で真っ直ぐな木刀を比較する様に。

 

「どうしてこんな簡単な事に…今迄気付けなかったのだろうな。ただ好きなだけだったのに」

 

 心の余裕が無かったから、何に関しても素直になれなかったから、即ち自身が弱かったから。そんな事は既に箒も理解している。

 それよりもっと大切な気付きを、箒は吐露する。

 

「好きなら好きと、胸を張って言えばいい。本当に好きなのか解らないから、言う勇気が出てこない」

「強い弱い以前に、私は自分の事を何も解っていなかったのだ」

 

 強さとは、得ようとして得られるものではない。やるべき事を見つける為、自分という人間を知る。見つけたやるべき事をやり遂げる為、一つ一つ障害を乗り越える。

 そうやって自然と、強さとは身に付いてくるのだ。

 

 だからこそ、昭弘は箒に問わねばならなかった。

 

「…なら何故、オレとの模擬戦を求める?何の為にお前は鍛錬を重ねる?もう自分の事を解り始めているのに何故、それでもお前は強くなろうとする」

 

 もう既に昭弘から見ても、箒は十分自分の事を理解している。

 弱い自分から脱却できたかはさておき、今の箒なら一夏に正直な想いを伝える事が出来るだろう。

 

 それでも足りないというのなら、箒もまた何か壮大な“目的”を見つけたのだろうか。自分の為になる、自分だけの到達点を。

 そう思う昭弘の心境は、嬉しさと寂しさの二色に満たされていた。

 

「……さっきはああ言ったが、まだまだ自分の事なんて解らない事だらけだ。どうして尚も強くなろうとしているのか解らないし、昭弘と立ち合おうと思った理由も解らない」

 

 どうやら彼女も、目的に辿り着くにはまだ途上の様だ。

 

 だがもう、感覚的には解ってきていた。箒自身が何を望んでいるのか。

 

「それでも…どうか頼む。剣だけではない、私はISも姉さんも好きだ。好きならば妥協は…中途半端は御免被る」

 

 そう言って箒は、頭を深く下げた。

 

 目指すべきものは解らなくても、彼女は何が自分の為になるのかもう薄々気付いているのだ。だから力と、それを自在に制御する為の強さを追い求める。

 ISとは力そのものであり、それを操る者こそ強さそのものなのだ。その2つをどこまでも深く突き詰めれば、ISの創造主である姉をいつか理解出来るかもしれない。要はそれだけなのだ。

 

 それが、箒なりの「IS道」なのだ。

 

「……いいだろう、全力で行かせて貰う」

  

 彼女の心意気と覚悟を受け止めた昭弘もまた、腹を括った。

 

───

 

 

 

 グシオンに激突するまでの刹那、箒の脳髄を電気信号が遮る。極限状態にでも陥ったかの様に。

 こんな事をしても劇的に強くなれる筈が無いし、何も変わらないかもしれない。だが変わるかもしれない、何かが解るかもしれない。

 そんな曖昧な事しか、戦闘中の箒には考えられない。

 

 だからこそこの刹那だけは、自分の本能に従っていた。

 昭弘と2人きりで、剣を用いた、ISバトルがしたい。そんな情欲と闘争心に支配された箒の形相はしかし、悍ましさ等無くただただ川のせせらぎの様な純粋さだけを秘めていた。

 

 それ程までに、昭弘との「この時間」は膨大な快然に満ち溢れていた。

 

 

───そうか

 

 

 快然の渦中、箒はまた一つ気付きを得る。この喜楽は、昭弘だけで成り立っている訳ではないのだと。

 大好きなISとそれを創りしISの体現である束、大好きな剣とそれを共に学んできた剣の化身である一夏、この学園で出会い共に高め合ってきた仲間たち。そして昭弘。

 それらが等しく揃っているからこそなのだと。

 

 

───本音、すまない

 

 

 どれか一つでも疎かにすれば、あっと言う間に翳ってしまうのだと。そこまで解ればもう、答えなんて待つまでも無かった。

 

 

───やはり私には、誰か一人なんて選べない

 

 

 昭弘を諦めはしない、一夏を決して一人にはしない、漸く得た新しい繋がりたちを疎かにはしない、束を例え世界が敵になろうと見捨てはしない。

 

 

───私は“全て”を選ぶ

 

 

 心中でそう叫んだ箒は、小さいながらも確かな己の強さを実感した。

 

 

 

 刹那。

 

 箒の指の動きを寸分違わずマニピュレーターが模倣し、彼女の想像通りに機械刀が振り下ろされる。

 

 防がれてもいい、打鉄自体の速度にそのまま斬撃速度を乗せ、後先考えずグシオンに鉄剣を叩き込む。

 

 

ガギイィィン!!

 

 

 それは果たして、当たった音なのか防がれた音なのか。

 

 

 確かな事は一つだけ。

 

 

 その一撃が「終わり」であり「始まり」であるという事。

 

 

 

 

 




次回から少しずつ臨海学校(現在)に戻り始めます。


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第66話 道は見えず

今回も基本過去回で、途中少し現在に戻ります。







─────7月7日(木) 日中帯 面談室

 

 広大なるIS学園校内、そこに幾列も何重にも並ぶ廊下の1つに、その部屋はあった。

 

 入口にはSPが2人、金髪が目を引く砕けた雰囲気の男と、毛髪の無い生真面目そうな黒人が夫々サングラス越しに目を光らせていた。

 更に室内には、図太いガタイの初老のSPが。

 

 彼等3人がお護りするは、室内で今面談を始めたばかりの男女2人、正確には七三分けの男の方だ。

 

「昭弘くんはどうでしょう。学園の皆様に御迷惑をかけてませんか?」

 

「真面目で信頼の厚い青年ですよ彼は」

 

「それは何よりです」

 

 前置きを手短に終わらせたデリーに対し、千冬は早速昭弘とグシオンについて切り出した。

 

「ただ失礼ながら、擬似MPSに関しては大きな欠陥が見られます。搭乗者と繋がったまま、何時間も意識が戻らない等と…」

 

 千冬はあくまで、デリーを睨まない。代わりに、ただ真っ直ぐ見透かす様に彼を見据える。白状するならそのまま根掘り葉掘り聞き出し、しらを切るなら証拠のデータを見せて追い詰めるまでなのだろう。

 だが、デリーは変わらず飄々と進める。

 

「成程、その様な事が…。ですが既に説明している通り、アレは言わば人機一体を旨としています。彼の意思で深く繋がれば、その分元の意識への浮上には時間が掛かる。逆に言えば、深く繋がらなければいいだけの話です」

「昭弘くんを悪く言うつもりはありませんが、要は彼の意思次第という事です」

 

「ではせめて深く繋がれない様、制限を設けるべきだったのでは?」

 

「それは現状、我々の技術力では不可能です」

 

 そこに、千冬は更なる粗探しの杭を打ち込む。

 

「そんな不確定要素のあるMPSに、アレ程の重武装を施したのですか?義手義足の製造販売会社でしかないアナタ方が」

 

 グシオンのコアが純正のISコアである事も、デリーが束と内通している事も、ましてや兵器を戦場に売り捌いてる事も、千冬が直接問い質した所で「証拠が無い」の一言で終わりだ。

 故に彼女は、新たな情報或いは矛盾点を炙り出すやり方に専念している。

 

「それはISだって同じでしょう」

 

 その一言で一気に流れを変えられた為か、千冬は口を閉じてしまう。

 未来科学の結晶たるISも、決して暴走しない保証など無い。VTシステムによるレーゲン暴走が、その好例だろう。そのISをアレだけ重武装化し放題なのに、MPSだけ重武装禁止というのはおかしい。

 それ以外にも、デリーは持論を展開する。

 

「そんなISだらけの環境に劣化版であるMPSを放り込むのなら、自己防衛の為にも重武装化させるのが常道と僕は思いますが」

 

「…」

 

 詭弁の様に聞こえるが、それは間違いなくある種の正論だ。どれだけ厳重に管理しようと、可能性を0にする事なんて出来やしない。

 なればこそ、いざという時その脅威から身を守る術が必要だ。それができぬのなら、何の為の専用機だろうか。

 

 「武装の製造元」に関しては、千冬は訊かなかった。まさか「自分たちで製造している」等とデリーが言う筈もないし、別の回答を用意している事も想像に難くない。

 

 

 そんな若人2人の様子を、黒服に身を包んだ老戦士はただにこやかに見守っていた。

 

 

 

 

 その後も2人の対談は続いたが、結局T.P.F.B.の裏側を暴くには至らなかった。

 そうしてとうとう、時間がやってきてしまった。デリーにとってはごく普通の2時間、千冬にとっては余りに短すぎる2時間であった。

 

「…最後に1つ、よろしいか?」

 

 だが、まだ最後の一弾を千冬は隠し持っていた。デリーという人間の本質を見抜けるかもしれない、最後の質問をだ。

 

「デリー・レーンさん、アナタにとって「紛争」とは何ですか?」

 

 ピタリと、今までずっと笑顔だったデリーの表情が固まる。そこに商人としての面影は無く、普段人間が一人で居る時の真顔だけがあった。

 デリーはそのまま数秒静寂を堪能した後、静かに語り出す。

 

「……「永久機関」とでも言いましょうか」

 

 永久機関。ISですら未だ成せていない、エネルギーを必要としない魔法の様な動力変換装置だ。

 何故紛争をそう呼ぶのか、千冬が訊くまでもなくデリーは語り出す。

 

「「人を傷付けてはならない」…人々がそう教えられ防ごうとしても、必ず世界の何処かで紛争は起こります。信仰、思想、人種、国境、資源、それらが存在する限り、即ち人類が在る以上紛争が絶える事はありません。そしてその紛争により、必ず利益を得る者が存在します」

「人類さえ在れば、エネルギーを送らずとも争いは起き、それにより誰かが得をする。惑星規模で見れば、それは立派な準永久機関と呼べるのではないでしょうか」

 

 世界の、人類の根本は何百万年経っても変わらない。デリーの長い例えには、そんな重みが乗っていた。

 それでも尚、紛争を正当化なんて出来ない千冬は続けて問う。

 

「それで何人死のうと、アナタは「世の常」と割り切って肯定するのか?」

 

「肯定も否定もしません。僕はただ、傷ついた人々を有償で癒やすだけです。僕と対を成す武器商人も同じです。銃を欲している人間に、有償で兵器を提供する」

 

 当然の摂理である様に、揺るがない持論である様に、デリーは自身と武器商人を同列の存在であると述べた。それは己を卑下する様でもなければ、誇る様でもなかった。

 

 まるで、デリーを武器商人と疑う事自体、何の意味も無いかの様な。

 

「……現状兵器でしかないISも、所詮その永久機関の一部である…と?」

 

「その一部に組み込まれるのを避けるべく、篠ノ之博士はISコアの生産を止めたのでしょう?」

 

 最後に、そんな若々しく濁りの無い男の声が、無情に室内を満たした。

 

 

 

 

 

 

 

─────7月23日(土) 22:29

 

 再びの湯泉から上がり浴衣を纏った千冬は、険しい表情のまま共用廊下を歩いていた。話しかけたら凍てついてしまう程、鋭く静かに。

 

 既に意識を切り替えた彼女は、初めから予定していたかの様にデリーとの会話を脳内再生していた。

 千冬は考える。明日の事、銀の福音、アフリカでの紛争、亡国機業、ISとMPS、無人IS、昭弘の事、そして束の事。

 既に答えは出た筈だった。束の目的はISによってMPSを打倒し、ISの有用性を確固たるものにする、と。

 だがデリーとの対談を思い返すと、その答えに待ったが掛かる。ISの有用性を示し、一体それで何になると言うのか。ただ今までと変わらず、人殺しの道具として先進各国に独占されるだけではないのか。それでは、紛争地域に投入されるのと本質的には同じではないのか。

 

(MPSの衰退、そしてISという抑止力強化による戦乱の鎮火?…いや違う、アイツにそんな思慮は備わっていない)

 

 抑も、束は今のISに何を望んでいるのだろうか。ISが兵器として抑止力として君臨する今、束は何を思い何がしたいのだろうか。

 

(ISは既に兵器となった、束の「夢」はそこで終わった筈だ。では今度は何を……?)

 

 今の千冬には、束の考えが何一つ解らなかった。歳を取り大人になり、社会という歯車の中で余りに多過ぎる知識と経験を吸収した千冬には、もう束と過ごしたあの頃の様な思考が出来なくなっていた。

 

 

 

 束を中心に据え、一つ一つ形も中身も違う事柄たちを闇雲に熟考していた千冬は、己がどこまで歩いていたかも忘れていた。今彼女が立つ場所は、自身の部屋をとうに通り過ぎていた。

 

 そこで意識を現実に引き戻した千冬の視界に、少年の姿が入り込む。廊下の一番奥、大窓の手前に備えられたソファチェアに一人腰掛ける、黒髪の少年が。

 

 

「座るぞ」

 

「……好きにすれば?」

 

 一夏のそんな了承を得るまでも無く、千冬はテーブルを挟んで向き合うもう片方のソファチェアに腰を落とす。

 深い思惑は無かった。彼女にとっては久しぶりな、実弟との2人きりの時間だ。この貴重な機会を逃すまいと、思考とは別に心が判断した。

 

「眠れそうにないか?」

 

「ただ一人になりたかっただけ…と言ってもアナタはどかないんだろうけど」

 

「すまんな」

 

 少し儚げな苦笑を漏らす一夏に、千冬は姉らしく無遠慮に、然れどどこか控えた口調で訊ねていく。

 

「桔梗の間でも思ったが、少し冷たくなったな一夏。私に対して」

 

 すると一夏は、無言で眼鏡のフレームを弄る。だが闇夜へと視線を反らすという事は、やはり心当たりがあるのだろう。

 漆黒の中に居する、灯籠で山吹色へとぼんやりライトアップされた池には、模様だけ判る錦鯉が小さき世界を徘徊していた。

 

「そりゃ面白い存在じゃないさアナタは。剣一本にあの手この手を加えて強くなろうとする、オレにとっては」

 

 ネチネチとこびり付く様な口調で、淡々と吐き捨てていく一夏。

 だが千冬は悲観していなかった。黒い憎悪を内側に溜め込まれるよりかは、100倍マシだからだ。

 

「僻みか」

 

「そこまではいかない。オレにも剣術家の血が流れているってだけ」

 

 昭弘に諭されたからこそ、ISと剣を心底愛しているからこそ、剣一本でIS乗りの頂に立った姉が妬ましいのだろう。

 だが、千冬に少し冷たく接してしまうのはそれだけが理由ではなかった。

 

「ただ、オレは以前みたいに、アナタを崇拝もしてなければ憎んでもいない。…つまりは弟として、どう接すれば良いか解らないの」

 

 恥ずかしそうにしながらも、一夏は池から千冬へと真っ直ぐに眼差しを戻していた。

 

 千冬はそんならしくもない弟を見て、安心にも似た小さな笑いを零す。

 

「何だ一夏。つまりはさっきの接し方で果たして良かったのかと、そうお前も思っていた訳か」

 

「…」

 

 うんとも言わなければ頷きもせず、一夏は再び池の鯉に目をやった。視線が合った気もしたが、鯉が何か答えてくれる筈も無く。

 

「いいんじゃないか?お前の自由に接すれば」

 

 別段千冬も、どんな風に接して欲しい等要求はしない。家族で裏だの表だの、もううんざりなのだ。

 

 一夏には、その自由が解らなかった。

 中身が女だから、他人に対してもその通りに接している。その度に思う、誰に対してもそんな接し方で本当に良いのかと。

 前の自分が偽りであり、今の自分は偽りでない、それは彼も解っている。

 だが姉である千冬に対して、もし一夏の自由に接して良いと言うなら、はっきり言って男口調の方が楽ではある。弟である以上、やはりそれが自然だ。そうなると、結局姉に対しては己を幾許か隠す事になってしまうのだろうか。

 或いはどれだけ口調を変えようと、千冬が一夏の本心を知ってる以上、己を隠している事にはならないのだろうか。

 

 女として接するかも男として接するかも、本人の自由。だとすれば自由と本心は必ずしもイコールではないのだなと、この時少年は思った。

 想像が足りないのだ。本心で家族と接する日常が、どの様なものなのか。その上で己が行使する自由とは何なのか。

 

「…姉さんは今のオレを…本当のオレをどう思ってる?」

 

 よって、逆にそう情けなく問い返すしか無かった。レゾナンスの一区画で箒に訊いた様に。

 偽りとは言え嘗ての自分を最も身近に感じていた千冬ならと、そう思ったのだ。

 

 彼女は少しの間固まった後、外は見ず、腕を組んで瞼を閉じる。

 今目の前に座る少年は、紛れもなく彼女の弟だ。だがその内に詰まった人格は、これまで共に過ごしてきた者のソレではない。

 千冬が今の一夏について解っている事は、剣とISが好きだという事だけ。後はどんな同性が異性が好きなのか、目標や将来の夢は何なのか、抑もどこからが“男”でどこまでが“女”なのか、何も解らない。

 

「……解らん」

 

 だからそう答えるしかなかった。

 だが千冬にとってそのはっきりとしない回答は、何も知らないまま弟を溺愛する事よりも遙かに勇気が必要だった。

 

「…そう。いずれは解るといいね」

 

 一夏の一言に、落胆は別段籠もってなかった。

 それはまるで、一夏自身にも言い聞かせている様だった。

 

(いずれは…か)

 

 その「いずれ」という言葉に、千冬は一部の暗礁を覚える。

 千冬には、今直ぐにでも理解せねばならない相手がいる。束の思考・思想、何を欲していて何を不要としているのか、何が一番大切なのか、それらを理解しなければ最悪世界中の人間に影響が及ぶ。

 千冬にはその自信が無かった。自身の弟の事ですら、彼女は理解出来ていなかったのだ。ブリュンヒルデとはいえ、自信を無くすのも仕方が無い。

 

 そんな何も返さない千冬に、一夏が言葉を贈る。

 

「姉さんも案外、オレと同じ唐変木なのかもね」

 

「…かもな」

 

 同じ血が流れてる故、否定出来ないのが千冬には少し腹立たしかった。

 

 だが、一つだけ解った事が生まれたので、千冬は構わずそれを一夏にぶつける。

 

「取り敢えず一夏、私を「姉さん」と呼ぶのは止めろ。今まで通り「千冬姉」にしてくれ」

 

「嫌だよそんなこっ恥ずかしい。さっき自由に接して良いって言ったじゃん」

 

「そこだけは別だ、お前には千冬姉と呼ばれたいんだよ私は。そこに理由は無い」

 

 中々に頑なな千冬。だが一夏自身、そこまで呼びたくないという訳でもない。ただ少し恥ずかしいだけだ。

 どの道埒が明かなそうなので、ここは一夏が先に折れてやる事にした。

 

「はぁ…千冬姉」

 

「うむ」

 

 漸く姉弟らしい事が出来たからか、千冬は結構気分を良くした。心なしか、少しだけ一夏の事が理解出来た様な気がした。

 そして一夏も、いざ姉をそう呼んでみると存外に楽だった。

 

 偶には、強引に接してみるものなのかもしれない。

 

(…そうか)

 

 もう一つ、千冬には解った事があった。

 

(一緒に居なければ…解る筈もないか)

 

 その簡単な答えに漸く辿り着いた千冬は、何処に居るかも分からない束の事を軽く思い返した後、一夏と少し話して部屋へと戻って行った。

 

 

 

 

 

───桔梗の間

 

 もう夜も10時を過ぎた。窓を開けた部屋では、ラウラのか細い寝息が潮騒に紛れている。

 一夏は今さっき池の鯉を見に行くとか言って、部屋を出て行っちまった。

 

 かく言うオレも、中々に寝付けなかった。テラスの椅子に座っては、月なんかを眺めている。今日一日は大概誰かと一緒に居たもんだから、こういう時間は妙に新鮮だ。

 

 満月を反射しては蠢く海を見ながら、波が砂浜を削る音を聞きながら、オレは今日という一日を噛み締めていた。過ごした楽しい時間の、どんな細かい事をも忘れない為に。

 それと交互に考えているのは、明日の事だ。あの賑やかだった砂浜も、精神を潰す程に張り詰めるであろう、明日の事だ。

 

 こんな事に思考を回しても無意味なのは理解している。明日に備えて体力を温存する為にも、ラウラみたいにさっさと寝るべきなんだろう。

 

 だがきっとオレだけじゃない。それぞれが違う思惑を持っていたとしても、皆心持ちは同じ筈だ。緊張感に不安感、高揚感に充実感、そして将来への希望と絶望。

 「楽園の今日」と「試練の明日」とを隔てるこの時間、心を平たく保つなんざ無理な話だ。

 

 明日の演習、出来る事なら台無しにしたくはない。明日何かが起こるのではと人一倍用心出来ているのは、此処に居る面子ではオレと織斑センセイだけだ。警戒する事しか出来なくても、責任は重大だ。

 

(ISには皆の将来が掛かってるんだ。誰にも邪魔はさせん)

 

 海辺全体を怪しく照らす、不気味な程にはっきりと輝く月を睨みながら、オレは静かに意気込む。

 

 

 将来…か。オレには縁遠い話だ。

 

 

 

 

 

 

─────7月11日(水) 16:35 アリーナC ピット内

 

 昭弘は強くあらねばならない、そして今よりもっと強くならねばならない。間接的とは言え自分が招いた失態を少しでも埋める為に、もう何を尽くしても止まらない「争い」に備える為に。

 そして、強くなる以外何も出来ないが為に。

 

 目的と呼ぶには余りに矮小過ぎるそれは、最早目的ですらない単なる枷と同義だ。殺し合いの為に強くなる事程、虚しい成長があろうか。

 

 パイロットとしての意地が、戦士としての本能が、愛機への想いが、昭弘のモチベーションをどうにか保っていた。

 

 昭弘のそれは、一見「ISが好きだから何となくでも頑張れる」今現在の鈴音と似ている。

 

───断じて違う

 

 昭弘はそう強く心中へと吐き捨てた。

 鈴音は、しょうもない罪滅ぼしが如くモクテキ(呪い)に縛られてなど居ない、白く真っ新な状態だ。いくらでも道を引ける、どんな道だって選べる。彼女の眼前には果て無き未来が広がっている。

 それしか道が無い、引く事も止める事すら出来ない昭弘とは違うのだ。

 

 では昭弘も鈴音と同様、何にも縛られてない状態なら果たして目的を掴めるのか。残念ながら、それは無理に近いだろう。

 “目的”とは本来“自分”の為に達成するもの。自分の望みを知り、それを叶える為のもの。その場その場の御節介でしか動けない昭弘にとって、それは余りに縁遠い存在であった。

 

 だが鉄華団無き今、誰も昭弘に新たな目的なんて与えてやれない。この世界における自分の望みは、結局の所自分で見つけるしかないのだ。

 

 つまりは「言い訳」なのだ。自分はこの道に縛られてる、だから真っ当な目的が見つからない。その言葉を隠れ蓑に使っているに過ぎない。

 或いは、いずれ「道」を見つけるであろう鈴音への僻み。

 

「フッ…鈴に言った通り、何でオレはこう悪い方に考え過ぎちまうかな…」

 

 あの頃は道があったから、考えなくても前に進めた。そんな事解り切ってる筈の昭弘はそれでも、そう言葉にせずにはいられなかった。

 

 

 そんな事をずっと考えながら動いていたからか、気付けば昭弘は再びグシオンを纏い、ハッチから覗く憎らしい程青い空を見上げていた。

 大空の下には、既に甲龍とラファールが鉄獣を狩るべく待機していた。

 

 鋼鉄の鎧を纏い、右手には鉄をも砕くハルバート、左手には肉ごと骨を切り裂くマチェット。

 そして眼前には、フィールドへと続く“一本道”がただ無機質に無感動に続いていた。

 

 昭弘は戦う、強くなる為に。強くなって更に戦う為に、命尽き果てるまで戦う為に。

 

 昭弘にはそれしか無かった。ただ強くなるしか無かった。

 

 

 夢でオルガが放った言葉とは裏腹にどれだけ気負い続けても、そこしか道が無い昭弘は只管に進み続ける。罪悪感と義務感に背中を押される様に、戦場という終着点に引き寄せられる様に。

 

 

 

 

 




お待たせしました。次回から完全に現在へ戻ります。


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第67話 天災に非ず

─────7月24日(日)

 

 昨日とはまるで違う様相を呈しているビーチ。

 

 波打ち際には複数の揚陸艇が乗り上げており、砂浜には同じ数だけのコンテナが等間隔に並べられていた。

 その周囲にはPCやら液晶パッドやらを忙しなく弄る、積荷の関係者と思しき作業員たちが。スーツを着た責任者と見られる者も、何名かが教員と話している。

 

 整列しながらそれら準備を待つ生徒たちの表情は、こちらも昨日とは打って変わって緊張一色に染まっていた。

 

(このまま何事も無く終われば良いが)

 

 そんな事ばかりを思う昭弘は一人、周りとは種類の異なる緊張を表出させていた。今の彼は、幾つか予期している中でも最悪の事態が訪れぬよう、ただ祈るしかない。

 

 

「さて諸君、各種武装の準備が整った。一般生徒は各教員の指示に従い、交代で兵装を試せ。専用機持ちはその間に、追加パッケージのインストールを済ませておくように」

 

 千冬の号令によって加速していく時の流れは、心ここに在らずな昭弘を置いていく。

 

 

 

 意識だけを別方向へ回し、時間に従い淡々と入力作業を進めていく昭弘。

 T.P.F.B.から送られてきた追加武装は、どうやら新たなシールドパッケージの様だ。

 これまでの腰部シールドとは違い、外見は円形から倍の大きさの縦長へ。先端と思しき部分は鋭く、盾というより極太の大剣と言った形状だ。その見た目は、嘗て昭弘が使っていた「シザーシールド」に近いものがあった。

 

「『サルコクス』ねぇ…」

 

 面倒臭そうに呟く昭弘。従来の腰部シールドを取り外さねばならない為、ハッキリ言って二度手間なのだ。

 だが防御面積は倍増、更には近接攻撃に使える代物でもある為、装備しない訳にもいかない。

 

「進んでる?」

 

 暇そうに声を掛けてきたのは一夏であった。無人機たちは例のトラック内にて待機しているので、話相手も居ないのだろう。

 代表候補生でもない彼だけは、倉持技研から何の追加パッケージも送られて来ないのだ。

 

 グシオンの新武装も、追加パッケージとは言えない程に単純な代物だが。

 

「いや、微妙だな」

 

「何か手伝う?」

 

「…すまんが特には」

 

「…」

 

 暇を潰せない事が分かり、思わず溜息を漏らす一夏。

 

 その落胆に更なる別の落胆を重ねながら、一夏は近くに座り込む。

 専用機の中で何の追加装備も無いのは、一夏の白式だけだ。唯でさえ武装が機械刀一本しか無いスペックで、この上更に武装面で差がついてしまっては、一夏が焦るのも納得だ。

 

 それだけではない。

 

 

───カッ!

 

 

 海岸から数キロ離れた大海原上空で巨大な光が現れ、昭弘と一夏は振り向く。その後、数秒程遅れてドォンと鈍い音が浜辺に届く。

 どうやら相川の駆る打鉄が放った、IS用の新たな銃型兵装らしい。サイズはGAU-0より多少大きい程度だろうか。

 

「…射程は少なくとも4キロ弱、爆発範囲はザッと半径1キロってとこか。どんな仕組みであの小さい砲弾があんな爆発生むんだか」

 

 敵にどんな損害を与えるのかは不明だが、範囲攻撃は対IS戦を想定すれば理に叶っている。アレならどんなに相手が素速かろうと、それなりの距離さえあれば関係ない。

 

 他にもSEに反応する対IS半誘導型長距離狙撃用徹甲弾や、従来より更に薄くより強度の増した新型装甲等々、谷本たちが装備しては大空へ飛び立とうとしている。

 

 

 唇からはみ出ない程度に歯噛みしながら、それらを映す瞳に恐怖の火を灯す一夏。

 量産機ですらこれだけのスペックを有する時代が、もう直ぐそこまで来ているのだ。

 

(オレと白式の存在意義って…)

 

 一夏がそんな陰鬱に支配されるまで、そう時間が掛かる筈も無く。それはまるで「昭弘と箒の助けになりたい」と息巻いていた自身を、心底から嘲笑うかの様であった。

 

「…」

 

 昭弘も、沈む一夏を無言のまま見詰める事しか出来ない。こんな時に言葉の一つでも掛けれたら良いのだが、火力差が揺るがぬ事実である以上、何を言っても付け焼き刃の慰めだ。

 故に、黙ってただ作業を進めるしかなかった。

 

 一夏を無視する訳ではないが、昭弘も全体の事と自分の事に集中せねばならない。

 いつ何処でどんな事が起こるのか、そして昭弘が実力的に最も警戒している「彼女」はどんなパッケージを装備するのか、それらがどうしても昭弘の中で先行する。

 

 焦っているのは昭弘とて同じだ。

 

 だから彼は作業の合間、つい視線を向けてしまった。

 

 たった今インストールが済んだ、新たな力を顕現させるセシリアへと。

 

 

「来なさい、『Maximum Tears』」

 

 静まった湖の如くそう一言放つセシリア。

 するといつもの通り、ブルー・ティアーズが彼女の五体を覆う。その装甲装飾及びスラスターに変化は無い。

 それ以外は全てが違っていた。背部には合計にして8つの鱗の様な羽が、上下横二列に並んで2枚のウイングを形成しており、元々あった6枚のウイングはその存在感を薄めていた。腰の両脇には、従来の比ではない巨大なミサイルビットが無骨に付随していた。

 その威圧感たるや。ビットと思しき鱗は兎に角大きく、一機あたり全長2m近くあるそれは容易に極大火力を連想出来るものだった。

 

 口を大きく開ける、目を見開く、余りの存在感にどうしようも無く困惑する、一周して苦笑を漏らす等々、それぞれが異なるながらも盛大な反応を示す生徒及び関係者たち。

 まるで雀の群れに一羽だけ鷲が居るかの様な途方の無さだ。

 

 昭弘も例外無く反応を示す。

 未だ佇んでるだけのそれを見て、彼は改めて深い戦慄を覚えた。

 あれ程大型且つ多量の兵装、いち高校生に操れる筈がない。等と言った常識から来る希望的観測は、今の昭弘には一切無かった。あのセシリアなのだから。

 

 そんな昭弘を鋭く一瞥だけしたセシリアは、そのまま砂煙を四方に巻き上げては青いボディを大空へ溶け込ませていた。

 いつも通りに空を切り、総計10機のビットを展開しては追従させるセシリア。

 

「ッ」

 

 だがそれら膨大な質量だけは如何ともし難く、ただ追従させるだけでも頭かキリキリと痛む。それは引き連れるというよりも、10匹の人食い鮫に追われる様な感覚であった。

 セシリアは痛みを消し払う様に頭を激しく振り、燕の如く飛翔しながら2機のミサイルビットを両脇へ、8機のビームビットを狙った空間へと走らせる。

 大粒の雫たちは、セシリアが思い描いた道を想像通りの速度で飛び抜けて行った。複雑に張り巡らされた水路を、水が流れる様に。

 

「ツッ!!」

 

 だが肝心のビームは出さず、それだけ機動を試すと即座に地上へ戻って来た。

 

 

 見世物ではないのだと皆理解している。にも関わらず、浜辺は拍手喝采に包まれた。

 射撃まで拝めずともアレだけの技能を見せつけられては、別段不自然な事でもない。

 

 当のセシリアは、素肌の見える至る所から多量の汗を流していた。

 彼女にとっても予想の範疇なのだろうが、やはり脳への負担は相当なものらしい。

 

 だが、流れ出る汗の大半は恐怖から来る冷や汗であった。彼女はMT(マキシマム・ティアーズ)を操っていて、本能的に察知したのだ。

 これは今までの様な、代償も無しに底力を引き出せる代物ではないのだと。

 

(感覚は今ので凡そ解りましたわ。後は二次移行さえ成せば…)

 

 進化に値する操縦者だとISが認めれば、二次移行は自然と成される筈。そうセシリアは考えていた、そうでなければ困るのだ。定められた確かな方法なんて、世界の誰にも解らないのだから。

 

 その二次移行を成したとして、その後果たして自分の脳は生きているのだろうかと、本当に昭弘を超えられるのだろうかと、情けなくもこの時セシリアは思った。

 

 

 まだ完全には操り切れていないセシリアを見て、昭弘は無意識に胸を撫で下ろしてしまった。

 

 そして、彼は新武装のインストールを急いだ。

 

 

 

 

 

 専用機持ち全員のインストールが完了して直ぐの事だった。

 

 生徒及び関係者全員の恐る恐るな視線は今、突如として上空から飛来し波打際に突き刺さっている「巨大な人参」に集中していた。

 

 それら個々人の異なる反応なんて知った事かとばかりに、人参の主はハッチが開くと勢い良く飛び出してきた。

 

「おーーーまーーーたーーーせーーーちぃぃぃぃぃちゃぁぁぁぁぁぁんッ!!!」

 

「待ってないッ!!!」

 

「ギャァァァァス!!」

 

 束が真っ先に向かって行ったのは彼女の大親友でもある千冬だったが、千冬は挨拶代わりに束の顔面へアイアンクローをお見舞いする。その挨拶には久方ぶりに親友に会えた嬉しさと、今まで姿をくらましていた事への憤り、そして疑念が混在していた。

 とても痛そうに悶える束だが、どこか小慣れた感じが伝わって来る。昔から、彼女たちにとってはじゃれ合いの範疇なのだろう。

 

 だが他の教員たちは当然警戒一色だ。天災が来る、それ即ち事の起こりの前兆だからだ。

 

 

 他は皆、混乱から更に一段階上がって阿鼻叫喚の様相だ。良くも悪くも世界一の有名人なのだ、興奮しない訳にも行かない。

 

「一夏、貴方確か篠ノ之博士とはお知り合いでしたわよね?」

 

「ええ、相変わらずって感じ」

 

「へ、へぇー普段からあんななのね…」

 

「親しくなろうとは思えんな…私の苦手なタイプだ」

 

「何というか有名人だからかな…近付き難い雰囲気があるよね」

 

 何も知らない一夏たちは呑気な感想を言い合う。

 だが束がこれ迄にしてきた事、今も尚画策している事。それらにフィルターを取り払われている昭弘にとって、束は本当の意味で人の形をした天災にしか見えなかった。

 

「イタタ…ちーちゃん束さんの事大好きだからっていきなり激しすぎだよぅ…」

 

「ああ、お前の事は今も昔も大好きだよ。訊きたい事は山の如しだが、今日はまた何しに───」

 

 

 千冬が言い終わるより先に、束は視線を変えていた。千冬から、一般生徒たちが居る奥の砂浜へと。正確には、その集団から束へゆっくり歩いてくる一人の生徒へと。

 

 束を普段から覆っている笑顔は消え失せ、その下に潜んでいる真顔がそこにはあった。

 

 対して昭弘は暖かい表情で、束へ向かって来るその少女を見守っていた。天災とはいえ束にもまた妹が居り、妹にとって天災はどこまでも姉でしかないのだ、と先程までの自分へ言い聞かせる様に。

 

「姉さん」

 

 箒は震えながらも真っ直ぐな瞳のまま、真顔の束に相対した。どんな感情をどれだけ秘めているのかまるで読めない、そんな顔をした実の姉へと。

 

 少しの間見つめ合うと、束は再び満面の笑顔を装着して箒に挨拶しようとする。

 

「やぁやぁ!お久しぶり箒ちゃ───」

 

 だがそれよりも、箒の方が早かった。彼女は笑顔の束も挨拶も気に留めず、流れる様な動作でその身体を束の身体へと埋める。

 

「?」

 

 妹からの意外で突然な抱擁に、束は喜ぶ以前に笑顔のまま固まる。

 

「先ず最初に…この前は冷たい態度を取ってしまい、ごめんなさい。それと…」

 

「会いたかった…。今までずっと…本当に会いたかったんだ…姉さん」

 

 閉じられた瞼からは、小さい雫の一粒がタラリと流れては光の帯を作っていた。

 

 涙ながらに再会を喜ぶ妹に対し、束は尚も笑顔で止まったままだ。

 

 

 そうして十秒程経つと、離れる気配の無い箒を束は引き剥がし、漸く口を開いた。

 

「うん!束さんも会いたかったよ☆」

「そ・れ・よ・り!今日束さんがこんな羽虫共の前に現れた理由を説明するね!」

 

 束は台本を読み上げる様にそう言い放ち、指をパチンと高く響かせる。

 

 その音が合図だったのか単に刻限だったのか、空に再び“何か”が見えた。

 

 菱形のソレは人参と同じく一直線に降ってくると、今度は砂浜にザクッと突き刺さった。

 

「じゃじゃ~~ん!!箒ちゃんへの誕生日プレゼントだよぉぅん!!」

 

 束の言葉を皮切りに、紅い菱形は大小の金属音をギチギチとたて、腕・脚へと変形し最終的に紅い人型となった。

 

 それはISであった。

 

「束さん特製!第4世代型IS『紅椿』!ホラ見て見てー?外見も色合いも名前も、箒ちゃんにピッタリで超かっこいいでしょ!!」

 

 すると今度は、箒と一夏を何度も交互に見始める束。

 

「ウンウン!いっくんの白式ともお似合いだよこりゃあ☆やっぱ紅白は映えるッ!」

 

 それはまるで、花嫁となる娘とその花婿とを見比べているかの様であった。

 

 そんな言動を聞いていた一夏は、真夏の砂浜ですら一直線に凍てつく程の冷たい視線を束へ飛ばした。

 

 

 

 

 第4世代という単語を聞いてから、本日一番の喧騒がビーチ全体を満たしていた。

 第3世代機ですら未だ量産化に至っていない今の人類にとっては、正に新種のエネルギーを発見したが如き驚きであろう。

 おまけに天災直々の試作機と来れば、間違いなく現存するISの中では最強クラスのスペックと言えよう。

 

 

「本当に良いのか箒、あのISを受け取って」

 

 そんな喧騒から少し離れて打鉄を見つめている箒に、昭弘がそう訊ねた。

 

「…確かに姉さんの思惑は解らないし、私如きが乗るには過ぎた代物かもしれん」

 

 沈んだ面持ちでそう返した後、箒はまるで水底から浮上した様に笑って更に付け加えた。

 

「それでも私は紅椿に乗ろうと思う。少しでも成長出来る可能性があるのなら、意固地になっても仕方が無い。それに折角の姉さんからのプレゼントなのだ、ちゃんと乗りこなして姉さんを喜ばせてやりたい」

「「その時その時の力を最適に使え」だろう?昭弘」

 

 箒の言葉を聞いて、己のお節介が余計であったと気付いた昭弘は「そうか」と小さく笑った。子の成長を喜ぶ親はこんな気持ちなのだろうかと、18か19の青年は生意気にもそんな感慨に浸っていた。

 

 そうして箒は打鉄に手を添えると、別れの言葉を贈った。

 

「今まで本当に世話になったな打鉄。君たちから教わった事を、私は生涯忘れない」

 

 そう言って軽く会釈をする箒に、束が先居た所から急かしの声を掛けてくる。

 

「箒ちゃんまだー?早く最適化させてよー」

 

「ハイ!今戻ります!」

 

 走り戻る箒に続き、昭弘ものしのしと歩み続いた。

 

 

 

 束の裏技によりフィッティングは一度飛ぶまでもなく終了し、一次移行が済んだ紅椿は早速大空へと羽ばたいた。

 

 束の説明によると、紅椿最大の特徴は全身を覆っている「展開装甲」にあるらしく、状況に応じて変化した装甲が近接攻撃・防御・スラスター全ての機能を果たすそうだ。

 射撃戦にも特化しており、突きをレーザー攻撃として放つ刀剣「雨月」、斬撃の形そのものをビームとして周囲に放つ刀剣「空裂」が一刀ずつ存在する。極めつけは背部にある2機のビット兵器と、最早撃ち合いだろうと死角無しだ。

 機動力他基本性能においても現行の専用機ほぼ全てを凌駕しており、極めて高度な操縦者支援システムも備えている。

 

(…確かにとんでもなく速い。攻撃手段も多過ぎない程度に充実している)

 

 それが昭弘の抱いた感想だ。一夏たちも恐らく同意見だろう。

 あくまで「最初に抱いた感想」だが。

 

(それでも「一番」とは言い難い。機動力はシュトラールの方が上、全体的な攻撃力もブルー・ティアーズには及ばない)

 

 それが後から抱いた正直な感想で、一夏も似たような事を感じていたらしい。

 

「何ていうかさ…箒の実力にそのまま紅椿の性能を上乗せしたって感じよね。勿論、箒が打鉄に乗るよりかは断然強いんだろうけど」

 

「オレも同感だ」

 

 それでも、同様の感想を抱いているのは専用機他実力者だけで、一般生徒や研究員ら関係者はその性能に大いに興奮していた。

 

 超高性能である事に間違いは無い。だが束が作ったにしては、少々大人しめというか「とんでもなさ」に欠けると、そう昭弘は感じた。

 

(…紅椿の事、まだ何か隠してやがるな?)

 

 笑いながら紅椿を見上げる束を見て、昭弘はそう判断した。理由や根拠なんて無い、短い間だが束と過ごした昭弘の直感だ。

 

 

 

 テスト飛行が終わり、地上に舞い戻ってきた箒と紅椿。その表情は晴れやかとは言えず、消化不良を訴える様なモヤっとしたものだった。

 

(…姉さんが作り上げた通り、凄い機体だった。だが本当に、私はコイツの全開を引き出せたのか?)

 

 納得の行かない箒とは対照的に、束は拍手喝采で妹を褒め称える。

 

「さっすが束さんの箒ちゃん☆良い飛びっぷり良い斬りっぷりだったよん☆」

 

 お褒めの言葉が、逆に箒の良心を傷つける。曇った箒の表情は、束への申し訳なさによって更に色濃く曇る。

 初回とはいえ、あの程度の空中機動を束は本当に喜んでくれたのだろうかと。

 

「…」

 

「どしたの箒ちゃん?折角の紅椿お披露目だったのに元気無いぞ~?君と紅椿の相性ならほんのちょっと練習すれば、そこのデカいのも貴族っぽいのもあっとゆー間に超えられるのに~☆」

 

 空気なんて知った事かと、ふざけた調子でそう言い放つ束。

 

 その言葉に、昭弘とセシリアはピクリと瞼を震わす。彼等だけでなく、一夏たちですら睨む先は当然束だ。

 これまで長い時間を掛けて積み上げてきた訓練と試行錯誤と葛藤、彼等彼女等はその全てを否定された気がしたのだ。

 

 そろそろ箒も限界になって来た。耐えられないのだ、妹の事を大きく優れていると見せるその為に、周囲の人間があたかも劣っている様に言われるのが。

 

「……ごめんなさい」

 

 姉に大した空中機動も見せられず、学友たちにも嫌な思いをさせてしまった。その両方に対して、箒はそんな弱々しい謝罪しか出来なかった。

 

 無論、束にそんな妹の謝罪の真意なんて理解出来る筈も無く。

 

「も〜いっくんもボサっとしてないでさぁ、幼馴染なら少しくらい励───」

 

 だが束が言い終わるよりも早く、一夏は動いていた。正確には、一夏を含めた皆が。

 

「オレたちはちゃんと解ってるから、気にしなくていいよ」

 

「全くですわ。めげても構いませんから、私たちにその申し訳無さそうな顔をするのはお止めなさいな」

 

「時間はたっぷりあるし、納得いくまで飛べば良いのよ。アタシらも付き合うし」

 

「皆…」

 

 励まし以上の言葉を貰った箒は、再び瞳に黄金色の生気を宿し始めた。それはもう単純な構造をした回路の如く、あっさりと。

 

 

「は?何お前ら?」

 

 

 そして束にとって、これ程面白くない事は無かった。

 唯でさえ自分の思惑を邪魔されるのが大嫌いな上、束にとっての有象無象が束以上に妹の事を理解してる風なのが、吐きそうな程気に食わないからだ。

 馬鹿みたいに理不尽で我儘な理由だが、それが彼女だ。

 

「姉である束さんが、箒ちゃんは良く飛べてるっつってんだよ?いっくんは兎も角としてお前ら羽虫如きガァァァボァッッ!!!??」

 

 突如、束の顔面を真横から肌色の丸太が襲う。先端に拳を付けた、硬く太い肉の丸太だ。

 

 一触即発の状況下、束にラリアットを決めてその場を制したのは昭弘だった。

 

「篠ノ之博士、近くに絶景の拝める隠れスポットがありますんで、オレがご案内します」

 

「ゴルァこのバカデカブツゥ!!離せやァ変態ィ!!痴漢ッ!!」

 

 その細身からは考えられない程のパワーで抵抗する束だが、昭弘も負けじと筋肉の内に秘めしパワーを全開にする。

 

 昭弘に強制連行される束を見て、機を逃すまいと千冬はこの場を収める。

 

「あー…最初に言っておくべきだったが諸君、博士は重度の人見知りなんだ。だから彼女の態度に関しても、余り気にしないで欲しい」

「てな訳で切り替えだ切り替え!残る時間を有効に使え!」

 

 離れていく天災に雑言の一つや二つ放ってやろうと思っていた生徒たち(主に鈴音だけ)だが、千冬にそう締められては大人しく従うしかなかった。

 

 

 

 

 

「「ハァ…ハァ…ハァ…」」

 

 演習場となっている砂浜から小さな松林を挟んで隣接する、ごく小さな砂場の様な入り江。全力で暴れた束と全力で押さえ込んだ昭弘は、そこで息を切らしては座り込んでいた。

 

 すると、先に昭弘が束に向けて顔を上げる。

 

「てな訳で、久しぶりだな束」

 

 対して束もまた顔を上げる。

 「久しぶり」、色々と言いたい事も訊きたい事もあろう昭弘が放った最初の言葉。

 それを聞いた束は、何故だか可笑しくてニヤリと口角を上げる。再会の喜びか単に昭弘が面白いのか、腕っ節で良い具合に仲裁した事を感心しているのか。

 

「…ま、久しぶりと言っといてあげるよアキくん」

「何か意外だったよ、会って早々掴みかかってくると思ってたから」

 

「…学園襲撃の一件なら別にもう憎んじゃいない、許しもしないがな」

「他に再会を喜びたい気持ちも訊きたい事も山とあるが、それは後回しだ」

 

 すると昭弘は太陽を背に立ち上がり、巨人の如く束を見下ろす。

 

「“妹”は姉の人形じゃない。履き違えるな」

 

 昭弘が何の事を言ってるのか解っていて尚、束は反省の色を見せるどころか鼻で笑ってみせる。

 

「ハッ、何?アキくん箒ちゃんの事好きなの?」

 

 それだけは誰にも言いたくない昭弘、相手が束なら尚更だ。

 知られて気を遣われるのも茶化されるのも、昭弘は御免だ。それだけは自分だけの問題にしたいと、昭弘は強く感じているのだ。

 

「アイツは今、アイツなりに“道”を選んで進もうとしてんだ。実の姉がその邪魔をするってんなら、見過ごせん」

 

 学園を常に監視している束だ、箒の変化もある程度把握しているのだろう。

 それでも昭弘の言葉を聞いた束の顔から嘲笑は消え、代わりに先程箒を見つけた時の真顔が再度表に浮かんだ。それは、事実を突き付けられて動じている風でもなかった。

 

「邪魔してんのはアキくんの方だよ。君さえ居なければ、箒ちゃんもいっくんもああならずに済んだのに」

 

 だがそんな事態、束は最初から予測していた。昭弘が箒と一夏に少なからぬ影響を及ぼす事、それにより2人の関係性が変わってしまう事。

 それでも昭弘をIS学園に入れたのは、箒に一夏とは別に友人を与えたかったからだ。IS学園でまで寂しい思いをさせたくなかったからだ。他の理由なんて、差程大きい割合を占めていない。

 

 全ては妹への情を捨てきれない、選択というものを知らない束の甘さが招いた結果なのだ。

 

「……束よ。オレが居なくたって、箒も一夏もきっと変わっていた。人間てのはそういう生き物だ」

「そして家族は、その変化を受け止める義務がある。箒に対するお前の心境は知らんが、変わらず愛してるんならそれを妹に示せ」

 

「…何が言いたいん?」

 

「それくらい自分で考えな天災科学者」

 

 そう一蹴する昭弘に対し、束はそれ以上問い詰める事が出来なかった。天災というプライド故からではない、妹に対する自分の何が不味いのかなんてとうに解っているからだ。

 解らないのは、それをどう帳消しにするかだ。

 

 解らないなら後回しとばかりに、入れ替わる様に浮かんできた言葉を束は昭弘にぶつける。

 

「…そうだよアキくん、束さんは箒ちゃんを愛してる。世界で1番ね」

「だから箒ちゃんの為にも、そして束さんの為にも言うよアキくん。箒ちゃんといっくん、もう金輪際2人の間に割って入らないと誓って欲しい」

 

 箒と一夏の事で、束が何を画策しているかは昭弘にもさっぱりだ。もしかしたら紅椿と白式も何か関係しているのかもしれないし、一夏のIS起動も偶然ではなく束が用意していた必然なのかもしれない。

 が、束の要求は昭弘も二つ返事で飲むつもりだ。百歩譲って仮に箒が昭弘と結ばれたとして、その先に待っているのは明るい未来ではない。

 箒には一夏が相応しい。そんな事、束に言われるまでもない。

 

 だからと言って昭弘が箒と一夏への接し方を変えるつもりは毛頭無いが。

 

「オレがあの2人に対して、友好を変える事はない。それだけだ」

 

「…で?誓うの?」

 

「ああ、誓おう」

 

 昭弘の低く曇りない声による即答が、小さい砂浜を満たした。

 束は昭弘を睨みながらもその返答を聞き入れた。

 

 だが口だけとは言え一方的な約束はフェアじゃないと感じた昭弘は、前金として束に訊ねる事にした。

 駄目で元々であるが、誓わせるのなら束にも誠意を見せて欲しい所であると昭弘は思っていた。

 

「代わりに教えろ束。お前は何の目的で此処に来た?お前の計画とどんな関係がある?」

 

 すると束の顔は待ってましたと言わんばかりに普段の憎らしい笑顔へ変わり、重みの欠片も無い高々とした声で答える。

 

「タハッ☆そんなの箒ちゃんにIS届ける為に決まってんじゃん!!」

 

 僅かでも期待した昭弘が馬鹿だった様だ。束はやはり、何も話す気は無いらしい。

 話す気が無いのならそうさせるまでだと、昭弘は更に追及する。

 

「お前がタロたちを連れてくるよう織斑センセイに命じたのは知ってんだ、そんな理由でオレが納得すると───」

 

 

ピロリロリロン ピロリロリロン……

 

 

 ウエストバッグに入れていた液晶携帯がそんな音と共に震え、昭弘は慌てるでもなく然れど機敏にソレを手に取る。

 

 

 通話ボタンを押してみれば、千冬の怒号が昭弘の耳から脳内へ飛び込んで来る。

 

《緊急事態だアルトランドッ!!至急旅館へ戻ってくれ!!》

 

「ッ!……了解しました」

 

 それだけ判れば十分とばかりに昭弘は通話を切り、追及を即行で中断すると旅館の方角へ猛ダッシュする。

 

「おっ、何か起きたんだね?束さんも行くぜ☆」

 

 呑気にそう言いながら勝手に付いてくる束だが、今千冬の許可を貰う余裕なんて昭弘には無い。

 

(こいつ何をどこまで…)

 

 故に疑念の眼光を向けながらも、束と並走するしか無かった。

 

 

 だが一見動じていない束の表面とは裏腹に、彼女の脳内では策謀と激情が紙一重のせめぎ合いをしていた。

 

 それはもう、このビーチに来た時から、箒の姿を目の当たりにしてからずっと。

 

(解んないよ私には……今の箒ちゃんに何て言えば良いかなんて)



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第68話 弱き者たち

─────ハワイ沖

 海に浮かぶ石油プラントが如き実験施設にて、ナターシャは瞼を閉じていた。超技術の詰まった銀色の鎧を身に纏いながら。
 彼女に付き従う様に並んでいる同色の人型たちは、血肉も骨も持たない金属の塊。その中身が複雑怪奇である点は、人間と似通っているかもしれない。

 彼女とその「ISですらない彼等」を囲みながら忙しなく言葉を交わし合っているのは、ヘルメットを被った白衣の人間たち。

 ナターシャも研究員らには敬意を払っているし、今回の実験も必ず成功させたいと強く意気込んでいる。だが方針を固めた「更に上の連中」に対しては、私的な反感を持っていた。
 彼女はISを、何より今この身を包んでいる『銀の福音』を愛している。お国の為とは言えそれを戦争の道具として改造されたのが、感情的には嫌でしょうがないのだ。
 それだけではない。ただ人を殺める為だけに作られた、使い捨てに等しい銀色の人型8機。それを操るのが自分と福音であるという事実が、既に気に入らない。福音の姿形を模したこれらは単なる機械だが、まるで同じ福音を死地へと向かわせるみたいで。

 故に今、彼女は目を閉じていた。余計な感情を押し殺すべく、或いは現実から目を背けるべく。



「………?」



 最初にナターシャが覚えた違和感は、直ちに「あってはならない異常である」と頭の中で変換された。

 それは彼女でなくても、忙しいを超えて半ば狂乱状態に近しい程慌てふためく研究員たちを見れば判る。彼等もまた事態の打開を試みているのか、必死にホログラムやらキーボードやらを操作している。

 彼女のISが、銀の福音が彼女の意思とは関係なく動くのだ。
 スラスターは勝手に方向調整へと入り、ハイパーセンサーは勝手に目標を選定し、それに合わせて兵器も武器も起動し出す。

「これは……待ってお願いゴスペル!!言う事を聞いて!!」

 だが彼女の声も研究員たちの努力も虚しく、遂に福音はナターシャの意識をも飲み込む。
 それが最後の引き金となり、8機の無人機も従う様に起動する。
 
 そうして1機は8機を引き連れ、混乱から散り散りとなる人間たちを無視しては強力なエネルギーによって天高く旅立つ。
 プラントも人間も、海以外が瞬く間に小さく萎んでしまった。


 視界に入るISの撃滅。今、福音たちの中にはそれしかなかった。







─────花月荘 大広間

 

 千冬たち教員が予てから警戒していた為か、そこが臨時の作戦会議室となるまで時間は掛からなかった。

 今この空間には千冬、昭弘たち専用機持ちと無人機、そして束しか居ない。他の生徒とIS兵装関係者たちは、旅館の地下にて待機している。

 無論、SE切れや負傷等による昭弘たち戦闘員の帰投も想定される為、何名かは千冬からの連絡後にいつでも出れるよう待機している。陸上自衛隊衛生科が到着するまで、応急的な処置は彼等の仕事だ。本来ならそれはIS学園教員らの範疇だが、どうやらそうも行かない理由があるらしい。

 

 

(…束を見ても変化は無し、か)

 

 束に対して特段の反応も示さないタロたちを、チラと見る昭弘。やはり、実物を見て思い出せるものでもないらしい。

 

 もし思い出せたとしても、昭弘に両者の再会を喜ぶ余裕はない。こうしている間も、脅威は着実に迫っているのだから。

 

「時間が無いのでさっさと状況説明に入らせて貰う。アメリカ・イスラエル合同開発下の第3世代型IS『銀の福音(シルバリオ・ゴスペル)』が2時間前、ハワイ沖にて試験中に暴走した。怪我人の報告は今の所無い」

「数は福音本機とその無人随伴機、合計9機だ。衛星が算出した結果としては、2時間後には当空域を通過する事が判明した」

「君たちにそれらの迎撃を命じる」

 

 楯無も言っていた、昭弘にとって最も来て欲しくない未来が現実となってしまった。

 

 だが自棄に浸る暇すらなく、どこから突っ込むべきかと昭弘は考えていた。千冬の言葉には疑問が幾つも生じてしまうが、時間が無いと言われてしまえば1つか2つに絞り込むしかない。

 昭弘とラウラ以外の専用機持ちらは、余りの急展開に未だ混乱から戻れていない様相だ。

 

「何故オレたちなんですか?そう言うのは航空自衛隊の範疇だと思うんですが…」

 

「それが…」

 

 千冬は沈痛な面持ちになると、プロジェクターが映している作戦マップを切り替える。日本列島の周囲には、多数の赤点が不気味に点滅していた。

 

「福音暴走と同時に、日本の防空圏にも多数の未確認ISが出現。今現在、そいつらに戦力を割いているのだ。それでも尚足りないとの事で、先程山田先生以下他の教員らも応援の為飛び立った所だ」

 

 千冬が残っているのは作戦司令の為、そして昭弘たちが突破された時の最終防衛線という事だろう。

 

「未だ睨み合いに留まっているが、いつ攻撃を受けてもおかしくない危険な状況だそうだ」

 

「…成程」

 

 となると、やはり衛生科の到着もそれなりに遅れるだろう。

 そしてもし未確認ISとの睨み合いが撃ち合いに発展すれば、その分怪我人も出る。最悪、花月荘に救護人員を割けなくなる場合も覚悟せねばなるまい。

 

 

 昭弘は、本件の元凶であろう相も変わらずニコニコ顔な兎耳女をチラと睨む。昭弘の予想が正しければ、恐らくその所属不明機は束が保有する無人IS『メテオ』だ。()()たちのスペックなら、10機と少しで日本の保有航空戦力と拮抗する。

 仮に隣接する各国が増援を出したとしても、束が新たな妨害戦力を投入して終わりだろう。

 

 すると今度は、いち早く混乱から回復したセシリアが質問の挙手をする。

 

「織斑先生、暴走したのは最新鋭の第3世代ISなのですわよね?でしたら…ハワイから日本まで4時間というのは、少々時間が掛かりすぎと思うのですが…」

 

 本来この距離なら、3時間でもエネルギー節約の為かなり速度を落としている方だ。

 そこを突かれた千冬は、顔を顰めて頭を掻く。

 

「……先ず無人随伴機の説明をさせてくれ」

 

 どうやら、短く纏めるには難しい事情がある様だ。

 

「情報によると、ISでないこれら無人随伴機は、アメリカが予てから計画していた「戦術特化型無人戦闘機『音檄』」だ。詳しい技術は秘匿されたが、スペックは平均的な第3世代機を遥かに超えるそうだ」

「多目的用途やエネルギー効率、状況判断能力等々ではISの足下にも及ばん単純なAIだ。だが福音の強力なデータリンクの元、超短時間における戦闘では無類の強さを発揮する。故に戦闘空域まで移動する際だけは、司令塔である福音が特殊なワイヤーで運搬しなければならない。…何故福音が遅いのかあとは解るだろう?」

 

 確かに今の人類に作れるのはISコアの劣化品だけだが、用途さえ限定すれば如何様にも化ける。その最たる例こそエネルギー効率を完全に無視した、音檄という超短期決戦型モデルだ。

 目標の識別や戦局の変化、敵情報の更新も、福音のデータリンクあってこそなのだろう。

 そういう意味では、広域超高速データリンクこそ福音最大の武器とも言える。

 

「音檄の最も注意すべき点は「自爆」だ。敵を仕留め切れないとAIが判断した場合、エネルギーが切れる前に目標へ突っ込み、大爆発を起こす。勝って生き残ったとしても、機密保持の為に自爆する。…早い話が、ミサイルみたいなものだ」

 

「…」

 

 どうにも胸糞の悪い話に、静かに聞き入るパイロットたちは更に気分を沈める。

 たかが機械と言えども、同じ機械である無人ISとそれなりに接して来た昭弘たちからすれば、そう易々と割り切れるものではない。

 

 その中でも人一倍沈み込む鈴音は、特にそうなのだろう。アレだけジロと交友を深めてきたのだから。

 人型のAIという時点で、ジロたちとの区別なんて彼女にはつけられない。

 

 

 千冬もメンタル上鈴音は厳しいと、今になって考えてしまう。

 だが、今や代表候補生でもないシャルロットにも、無茶な説得を以て参加して貰ったのだ。代表候補生である鈴音に拒否権は無い。

 それだけ敵の戦力は強大だ、それこそ大国を相手取る程に。一人が欠けるだけでも、作戦の成功確率は大幅に下がる。

 そうなれば束が言った通り、大勢の人間が犠牲となるだろう。

 

 とここで、沈んだ空気を変えるかの様にゴロが質問をする。

 

《織斑教諭、我々ハ他ノISトコア・ネットワークガ繋ガッテオリマセン。戦闘下デノ連携ハ困難カト思イマスガ》

 

 閉鎖空間でのタッグマッチなら兎も角、非限定空間における多対多の戦闘下では標的の共有や位置関係の把握、その他複雑な連携が必要になる。距離が遠すぎると、ハイパーセンサーで視認するにも限界がある。例え無人ISだろうと。

 

「それに関しては、そこのメルヘンチックな輩から聞いてくれ」

 

 千冬に呼ばれ、ピョンと可愛らしく敬礼する束。どうやら秘策はある様だ。

 

「やっと束さんのターンだね☆」

 

 下がった千冬に代わり、夢見る少女の如く軽い足取りで進み「ハイ注目」と視線の中心に立つ束。

 

「束さんが君たち5体のネットワークを復活させてあげるよん☆」

 

 そうして彼女は、昭弘たちにも解るよう簡易的に説明しだした。

 

 彼女によると、戦闘一回分に限り無人ISのネットワークを此処にあるISに繋げられるとの事だ。制限時間は20分と短いが、規格が違うISコアとゴーレムコアのネットワークを繋げるとなるとそれが限界らしい。

 つまりは、20分以内にかの福音飛行隊を倒さねばならない。

 

 そして、グシオンともネットワークを繋げられる。

 

 無論、グシオンに純正ISコアが使われていると知られる訳にもいかないので、その辺りは束も口八丁で押し通してくれた。「擬似ISコアだろうと自分なら繋げられる」等、天災だからこそ信じて貰えるのだ。

 ただ、昭弘がこれまで行ってきたIS同士の「通信」に関しては当初束も失念していたらしく、「詳しい技術はオレにも解らないで押し切って」と無茶苦茶な事を言われたそうな。それでずっと持ち堪えてるのだから凄い。

 

 

 そうして束の説明が終わり、千冬が最後の締めに入る。

 

「尚、言うまでもないが本作戦、ISのリミッターは解除させて貰う。そして配置も踏まえた作戦内容、及び敵機の詳細な性能・兵装だが───」

 

 

 

 

 

 

 作戦内容を伝えられた後、シャルロットは漸く混乱から解放されていた。

 

 だが混乱から覚めて待っていたものは、激しい腹痛と内から込み上げてくる寒気であった。

 こんな場所で、しかも何の前触れも無く実戦に駆り出されるなどと、夢にも思わなかったのだ。

 

 嫌な思いなら、今までに数多く味わってきた彼女。だがその悪寒は、それらすら生易しく感じてしまう程冷たく鋭く彼女の内側を傷つける。

 何年かぶりだった、亡き母の面影がこんなにも頭に浮かぶのは。そうでもしなければ、とても耐えられたものではなかった。

 

 大泣きしながら駄々を捏ねれば、部隊から外して貰えるだろうか。遂にはそう考えていた時だった。

 

 

「あ…」

 

 シャルロットの視線の先に、鈴音とジロが居た。そこが大広間を出て直ぐの所であると知り、シャルロットは自身が旅館内を一周してきたのだと気付いた。

 何か話さねば。そんな思いに駆られても、先程の鈴音を見た後では何を話せば良いのか。

 

 だからか、鈴音とジロに気付かれない内にシャルロットはその場を離れようとする。

 

 

「……アンタは怖くないの?」

 

 

 鈴音がジロに放ったその言葉を聞いて、シャルロットは立ち止まる。

 

「自分の仲間を…殺す事になるかもしれないのよ?」

 

 ジロたち無人ISに、恐怖という概念は存在しない。だがジロは、彼女に対してそうは答えなかった。

 

《ソレデ人間ガ助カルノナラ構イマセン。モシ音檄ニ感情ガアッタトシテモ》

 

 そう淡々と答えるジロに、鈴音は侮蔑する様な哀れむ様な顔をする。

 

「…何で人間の為に、自分の仲間をそう簡単に殺せるの?」

 

 言い方が悪かったと、言った後になって鈴音は後悔した。これではまるで、ジロが冷血漢みたいだ。

 だがそれでもジロは未だ淡々と、そしてどこか力の籠もった口調で答える。

 

《殺セマス、人間ノ為ナラバ幾度デモ》

 

 大切な存在の為なら容赦無く切り捨てる。ジロはあくまで気高く、罪悪感の欠片も無さそうにそう言い切った。

 そんなジロを見ていて、鈴音は自身が酷く矮小に思えてしまった。

 

「…アンタの迷いの無さが羨ましい。恐怖に身を任せて震えているだけの、自分の事しか考えていないアタシとは違う」

 

 

 

「僕も怖いよ鈴ちゃん!」

 

 

 

 予期しない方角からの予期しない大声に、不意を突かれた鈴音は振り向く。

 シャルロットのそんな声は、まるで長い我慢から解き放たれたかの様であった。

 

「僕なんてもっと矮小だ……僕はただ、死ぬのが怖いだけなんだから……」

 

 母の姿を思い出してしまう程の悪寒の正体、シャルロットは恥を忍んで鈴音に告げる。真に自分の事しか考えられないのは自分だ、と。

 現にシャルロットは今さっき逃げようとしていたし、いざ作戦が始まれば逃げないとも言い切れない。

 

「僕だけじゃない。きっと皆種類は違えど、何かしらの恐怖は持っている筈だ。それでも戦えるのは…!」

 

「もっと怖いものが何なのか、知っているからだよ」

 

 相も変わらず、気弱で情けなさを感じる震えた声だった。今にでも逃げ出しそうな程の。

 だが今恐怖に負けて戦いから逃げれば、もっと酷い恐怖が大顎を開けて待っているのだ。だからシャルロットは、逃げる訳に行かない。

 シャルロットは、鈴音に知って欲しかったのだ。後のもっと恐ろしいモノを考慮すれば、自分の様な小心者でも辛うじて踏み留まれると。そんな自分より遥かに強い心を持っている鈴音なら、きっと戦い抜けると。

 

「デュノア…」

 

 シャルロットの言葉を聞いて漸く、鈴音の瞳に少しだけ光が戻った。その光は、少なくとも出撃するには十分な輝きであった。

 

 勇気と、恐怖の更に奥に潜む恐怖が、鈴音の背中を叩いたのだ。

 

 

(…私からすれば、アナタ方こそ寧ろ羨ましい。恐怖に立ち向かう事が出来るのは、アナタ方人間だけなのだから)

 

 ジロはそう思うと、今この瞬間も戦っている鈴音とシャルロットを見詰めた。

 

 

 

 

 

 

 

 箒と一夏は口数も少なく、外で爽やかな海風に当たっていた。

 穏やかな海を優しく見下ろす青空、あと1時間半もすればあそこが戦場になるなんてとても思えなかった。

 

 2人がここに居るのは、それに対する心の準備が必要だからだ。

 

「ねぇ箒」

 

 先に声を上げたのは一夏であった。

 

「もしも……束さんがオレと昭弘と箒、3人の仲を裂こうとしてきて、オレがそれを防ぐ為に束さんを消そうとしたら───」

「箒は()()()()?」

 

 冗談で言ってる顔ではなかった。

 海を見る眼光は嘗て箒が見た中でも群を抜いて鋭く、瞳は黒く濁った血の様に光沢がなかった。声は地響きの如く低く、必ず言った通りに成すという覚悟が伝わってくる。

 

「ッ!何故そうなるのだ!?」

 

 当然、箒は感情に任せて声を荒らげ、一夏の肩を強く掴む。突然で脈絡の無い問い掛けに対してではない。

 何故、そんな誰かを切り捨てる様な事を言うのか。そんな状況には決してさせないし、なったとしても束と一夏、どちらかを斬り捨てたりする筈無い。

 

 互いの瞳は、輝きも色も対極であった。

 選ばない、見捨てない、全てを拾おうとする箒の目。どんな親しき者だろうと邪魔する者は排除する、一夏の目。

 

 すると、一夏は力無く笑った。いつから自分はこんな容赦の無い手段を選ばない男になったのだろうか、と。

 

「…箒、専用機持ちの中でオレは一番弱い。これくらい非情にならないと…オレはきっとまともに戦う事すら出来ないの」

 

 あの時ジロを串刺しにした感触は、今も生々しく一夏の手に残っている。その度に苛まれる、自分は斬ってはならないものを斬ったのだと。

 だからこそ優先順位をつけて余計なものを切り捨てる位でなければ、一夏には音檄を斬る事なんて出来ない。彼もまた、鈴音と同様の痛みを患っているのだ。

 

 さもなくば、一夏は昭弘と箒の為になる様な戦いが出来ない。

 

「一夏…」

 

 とうに冷たく研ぎ澄まされている一夏の心を垣間見て、箒は恐怖以外に焦りをも覚えた。この戦い、何の覚悟も出来ていないのは自分だけではないかと。

 

 

「2人で何話してんのー☆」

 

 そんな言葉と共にどこからともなく現れ、箒と一夏2人分の肩を抱きかかえたのは束であった。

 

「姉さん…」

 

「もー沈んじゃってさー☆箒ちゃんといっくんに掛かれば、福音なんてどーって事ないって☆」

 

 励ましの言葉の後、束は箒と一夏の手を取り、自身の手前で嫋やかに重ねる。決してふざけている様でないそれはしかし、無理強いする風でもなかった。

 

「いいかい?ISってのは難しく考えちゃ駄目なんだよ。より単純で強い真っ直ぐな感情を、無限の力へと変換してくれるんだ。つまりは箒ちゃんがいっくんの事を想えば想う程に、紅椿の力は天井知らずに膨れ上がる。OK?」

 

 箒もそれは授業で聞いた事がある。ISコアが自分たち人間の頭脳に近しいのなら、それと搭乗者が互いに影響し合っているのなら、ISは「感情の兵器」とも言えると。

 

 一夏を想う。箒にとってそれは勿論、今も昔も大切な感情だ。

 それだけでは駄目だから、束に対する微笑みもどこか弱々しくなってしまう。

 

「…オレの想いはどうなるんですか?」

 

 そんな箒と同じ心境の一夏は、微笑みどころか完全なる無表情で束に問い返す。

 

「勿論☆いっくんが箒ちゃんを想う心も大事だよ☆」

 

「誰を想うかくらいオレの自由でしょ?」

 

 そう束の言葉を一蹴すると、一夏は束によって箒と繋がれた手を解いた。

 だが、束の子供じみた笑顔が変わる事はなかった。

 

 全てを見透かしている様な若しくは、どんな感情を秘めているかまるで解らない束の笑顔。一夏はそんな彼女の表情が昔から苦手であった。

 一夏にとって今の束の笑顔は、そんな過去のどれよりも悍ましい気がした。内にて暴れる本心に、より強い蓋をしている様で。

 

「…もう行きましょう箒。オレたちもそろそろ準備しないと」

 

 今度は一夏の方から箒の手首を掴み、その場から去ろうとする。ずっと見てると吸い込まれそうになる、束の笑顔から離れる様に。

 

 だが箒は惜しむように、手を引かれながらも束を見詰めていた。

 その視線は見方を変えれば、束の笑顔に訴えかける様でもあった。何故アナタは何も話してくれない、どうして上っ面だけで自分と接しようとする。そんなにあの時アナタを拒絶した自分の事が許せないのか。

 

 そうして、箒が諦めた様に進む方へと振り戻った時だった。

 

 

「箒ちゃん」

 

 

 突如として余りに聞き覚えの無い低いトーンで呼ばれ、箒は再び振り向く。

 

 束は海の方へと顔を向けていた為、表情までは伺い知れなかった。

 

「……………ゴメン、なんでもないや」

 

「「…」」

 

 とてもそうは見えないが、先にそう言われてしまえば2人も前へ進むしかなかった。

 一瞬だけ期待の色に染まっていた箒の顔は、また暗雲へと戻ってしまった。

 

 

 

 そうしてやって来た、束一人の時間。周りに誰の一人も居ない、独り言すら聞かれない時間。

 

「何が「なんでもない」だよ」

 

 束が小さく呟いたのは、ただそれだけであった。

 その後、自身の甘さと昭弘の強大さを改めて思い知った彼女は、遂に思ってしまった。

 

 

───あの2人に、私の世界の「アダム」と「イヴ」は無理なのかな

 

 

 一夏がアダムで箒がイヴ、比喩だとしても大袈裟過ぎる例えに感じられる。

 

 もしそれが比喩なんかじゃないとするなら、束の理想とする世界はどんな世界なのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 作戦の詳細を全て把握した昭弘は、その後も薄暗い大広間に座していた。昭弘なりに頭を整理している様だ。

 

 先ず第一に、やはり銀の福音はアメリカとイスラエルが「対MPS」を想定して作った、という事実が昭弘の中でほぼ確定した。

 

(音檄の性能も含めた、福音の異常とも言える火力と広域殲滅能力。アレは間違いなく、大多数の敵機を単機で討ち取る為のものだ)

 

 音檄の自爆機能も、その信憑性を裏付けている。話を聞く限りだと爆発範囲はMOAB(大規模爆風爆弾)と同等以上、熱量では優に凌ぐらしい。

 

 音檄一機が保有する敵駆逐能力、最終的な自爆による広範囲殲滅。正しく福音は、単体で大軍を相手取るべく作られた機体だ。そして駆逐対象も戦闘ヘリですらオーバーキルであり、紛れもなく準ISを想定している。

 それも自爆という無差別的な戦術を考慮すると、自衛というより敵地への先制攻撃といった印象が強い。

 

 昭弘からすれば、中央アフリカの何処かに配備されているMPSを狙っているとしか思えないのだ。

 

(だが新型MPSの確定的な情報は、まだ誰も入手出来て居ない筈…)

 

 確固たる情報が無くとも、これまでの出来事と現情勢から未来を予知する事は可能だ。アメリカの諜報機関だって、その程度造作もない。

 

 

 そしてそれらから来る事実が、改めて昭弘の頭を痛めつける。いくら束が感情的とはいえ、いくらでもISコアを作り出せるとはいえ、そんなISの大勢力ともなる軍用機を始末するだろうか。

 それとも福音の抹殺とは関係無く、何か別の目的があるのだろうか。

 

(抑々福音を倒す事は、オレにとって果たして正義なのか?)

 

 言わずもがな、暴走状態の福音を放置すればどれだけ犠牲者が出てもおかしくはない。旅館にも未だ多くの生徒が取り残されている。

 どの道福音は、最悪操縦者ごと仕留めねばならない。

 

 ただ、やはり煮え切らないのだ。

 事を起こしたのが束であれ誰であれ、このまま首謀者の思惑通り戦っても根本的な解決にはならない。そう昭弘は感じているのだ。

 

「……福音を倒した所で、手の平の上で踊るオレらを黒幕が笑うだけじゃないのか?」

 

 色々と考えが巡り過ぎ、まるで穴からはみ出た様に、ついそんな独り言を放ってしまった昭弘。

 

 

「今更何を言い出すかと思えば…怖気付いたんですの?」

 

「あ?」

 

 偶然にも昭弘の言葉を拾ってしまったセシリアは、聞き捨てならなかったのかつい口を挟む。

 

「黒幕が居たとしても、上等では御座いませんか。如何なる大空でどれだけ強く、美しく、気高く舞えるか。私たちIS乗りには、それだけ揃えば十分ですわ」

「それで大切な者を守れるのなら、私はいくらでも踊って見せましょう」

 

 何ら迷う素振りも見せず、猛々しくそう述べては去って行くセシリア。誰のどんな思惑があろうと彼女にとって戦いは戦いであり、為すべき事も変わらない。

 大望を抱いているセシリアは、それを遂げるべくどんな戦いだろうと通過し征するだけだ。

 だからこそ、迷いや恐れをどうにか押し殺せている。例えマキシマム・ティアーズという暴れ馬に四苦八苦している、今でも。

 そして…誰かを想う正の感情も、押し殺せてしまっている。

 

「…」

 

 ずっと先を見据えているセシリアに、昭弘は尊敬の混ざった遠い目を向ける。

 

 昭弘には、セシリアと同じ強い心持ちにはなれない。“未来の自分”が無い空洞には代わりに「他者の思惑・策謀」ばかり住み着き、それら負の思考に皆を守りたい気持ちもISを通じての闘争心も食い破られる。

 昭弘に残されたモノは、言われた通り機械的に敵を倒す義務感のみであった。セシリアも皆も、人の為に己の為に戦えるというのに。

 

 今自身のこの状態が嫌なのかどうかすら、昭弘には解らなかった。

 

「───はぁ…」

 

 やがて昭弘は背中の阿頼耶識に気を付けながら椅子にもたれ掛かり、眠る様に瞼を閉じた。

 

(昨日は良い一日だった)

 

 今という現実から逃げる様に、昭弘はもう戻れない昨日という過去へ想いを寄せた。

 この世の良き部分を二十四時間に凝縮した様な、心の洗われる一日。それでも過ぎ去りし日々と、昭弘は割り切ろうとしていた。

 

 だがあの小島での短い時間だけは、昭弘にとって単なる過去ではなくなっていた。あの時間は正しく到達点であり終着点であり、そして逃げ場でもあった。

 かの赤き水着を纏った少女との時間は、“生”そのものであったのだ。

 

 それが過ぎ去ったのなら、もう生すらも無い。

 

 

 

 そうして昭弘は初めて気付いた。

 自分も、いや自分こそ「真の弱者」なのだと。



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第69話 福音 ①

 下の深き蒼と上の透き通る様な青。限りの見えない広大なそれらに挟まれながら飛ぶのは、機械翼を左右に伸ばす銀色の人型たちだ。ただし飛んでるのは1機だけで、残りの8機は現時点ではおんぶにだっこだ。

 1機が伸ばす2本の長いワイヤーに、等間隔に並べられる4機と4機。それは下から見れば、V字の編隊飛行に見えるだろう

 

 先頭を飛び続ける隊長機、銀の福音。彼女は今、全てのISを駆逐する為だけにこの直線飛行を続けている。その為ならば人間の安否など、二の次三の次だ。

 唯一守らねばならない存在は、今彼女が意識を奪っているこのナターシャだけだ。己と志を同じくする、この最愛の母だけだ。

 

───WARNING

 

 そうしてとうとう、ISと思しき反応を複数遠方に捉える。そしてそれは、向こうも福音を捉えた事を意味していた。

 殺意の波動がナターシャの頭部を覆うフルフェイスメット、その目の部分にあたるV字のバイザーにて怪しく光る。

 だがまだ、まだ僅かに遠い。彼女の手足である8機を解き放つには。

 

 

 攻撃に移行するタイミング、敵との微妙な距離感、福音がそれらを見極めている正にその時だった。

 

───CAUTION

 

 福音の中で響く無機質な声と同時に、それらは高速で飛来する。内訳はレーザーが1本、ビームが2×3本、電磁砲弾が2本。

 直撃を避けるべく身体を逸らした福音は、ワイヤーをグニャンと地割れの様に曲げては音檄たちの位置をもズラす。

 

ヒュォォォォゥゥゥゥンッッ!!!

 

 当たりこそしなかったものの、それらが放つエネルギーは絶大だ。真隣を通過したそれらにより、彼女たちのSEが僅かに減少する。

 

 

 それら九本槍により完全に戦闘体勢へと移行した福音は、遂に己が分身である手足たちを解き放った。

 

 

 

 

 

 

 

「外しましたわ、全く開幕から幸先の悪い……」

 

 スターライトMkⅢを下ろしながらそう舌打ちするセシリア。

 対してラウラは、2門のレールカノン「パンツァー・カノニーア」を変形させながら宥めの言葉を贈る。

 

「仕方が無い、SEを少しでも減らせただけ良しとしよう」

 

 だが当然の帰結として福音も音檄をパージ、今まで直線機動だった9機全機が散開してしまった。これでもう、狙撃はほぼ不可能となる。

 故に後は全速前進。1秒でも早く先行している昭弘たちに追い付き、音檄の討伐に専念する。

 

《昭弘殿ー!全弾見事ニ外レチャイマシタ!アト僕タチハ帰リマスンデゴ武運ヲ!》

 

 ビームカノンを中近距離戦用に切り替えては後方から冗談を飛ばすサブロに、昭弘は危機迫った声で返す。

 

《の様だな!福音をヤッたら全機一緒に帰ろう!》

 

 もう混戦も間近な時、サブロだけでなく全員にそんな激を飛ばす昭弘。

 

 その激を後押しする様に、皆が帰るべき場所から千冬も声だけを送り届ける。

 

《出撃前にも放った言葉、今一度言わせて貰うぞ諸君。この戦い、一人であって一人ではない。仲間を信じろ》

 

 タッグマッチとは違い、隔てるものが何一つ無い広大な空。味方同士の距離は遠く、ハイパーセンサーでも姿を視認し辛い。そこでの戦闘は酷い孤独感に襲われるだろう。

 だが本来、総力戦とはそういうものだ。眼前の敵を相手取る事が、遠く見えぬ仲間の助けとなる。

 

《了解ッ!!》

 

 空と海の狭間で、昭弘たち全員の声が気持ちいい程良く揃う。

 

 だがその実質は、千冬の言葉を理解した者と、理解した“つもり”になっている者とに分かれていた。

 

 

 

 

 

 昭弘の狙いは、基本的に福音一機のみだ。だが議論の余地無く、グシオンリベイク単機で軍用IS中最高クラスの性能を有する福音撃退は流石に厳しい。

 故に福音を自身だけに引き付けている間、先に音檄を皆が倒す作戦だ。

 音檄の居なくなった福音を全機で袋叩きにするのがベストだが、それはあくまで理想でしかない。全員が空に残れるかは分からないのだ、例え昭弘であっても。

 

 本体である福音さえ倒せば、音檄も機能停止後自爆する。それか福音の後頭部から生えている小さき翼を模した二本角、このデータリンク管制装置を破壊すれば音檄を無力化出来る。

 だが例え12機掛かりでも、福音一機に狙いを絞らせて貰える程、音檄は甘くない。彼等に背中を向ける事は、即ち死を意味する。少なくとも片手間で攻撃を躱せる様な相手ではなく、全神経を集中させる必要がある。

 よって、先に音檄を墜とす必要があるのだ。奴等が居ては、本体を狙う事すら叶わない。

 

 結果、相手に合わせて戦力を分散させるしかなかった。昭弘が福音の相手をしている間、セシリアが音檄2機をラウラが音檄1機を潰し、残り5機を箒たち9機で相手取る。戦力では昭弘たちが劣る中、各々の実力的にその采配が最善手であった。

 

(この作戦、皆が如何に立ち回れるかに懸かってる。その間…持てよなグシオン)

 

 昭弘は念じながら、ハルバートとマチェットを握る拳に想いを込めながら、絶望的戦力を誇る銀色の大翼へと恐れる事無く突っ込む。背部にて蠢くサブアームに収まったビームミニガンと滑腔砲からは、既に黄緑色の熱と鉛色の実弾が放たれていた。

 この程度の戦力差、生前に幾度も経験している。その時と同じで、差なんて引っ繰り返し叩き伏せるのみだ。

 

 

 だが今、昭弘には決定的に欠けているものがあった。

 

 それは「生きていく」事への希望だ。

 

 対して生前も今も変わらず残っているのは、誰かに用意された戦場(舞台)だけ。

 

 

 

 

 

 

 ブルー・ティアーズも早速、迫り来る音檄に接敵しようとする。

 音檄は、福音のデータリンクにより敵機・味方機の詳細な位置から個々の戦闘能力・秀で・劣り等々戦況の微細な変化すら随時更新され、そして曲がりなりにもAIである故状況に適した行動を瞬時に選択出来る。即ち「連携力」が段違いなのだ。

 よってセシリアが最初に成すべき事、それは敵の分断だ。8対11だろうと、性能も連携も音檄の方が優れているならば絶対に勝ち目は無い。

 

 先ずは予定通り2機、MT(マキシマム・ティアーズ)を駆使して集団から自身の元へと引き剥がす。出来るだけ遠くへ。

 

「…」

 

 刹那、息を飲むセシリア。ビットでのシミュレーションはこれまで悪夢を見る程やって来たし、MTの動きも先のテストで把握済みだ。

 だが未だ、それらが放つビットでは到底有り得ない膨大な光の束を見た事は無い。未知なる力への興奮と畏怖が、セシリアの鼓動を細かく刻む。

 

 そんな中でも、セシリアの身体に刷り込まれている「戦士の動き」は変わらない。既にアサルトモードへ切り替えているスターライト、その銃口から千切りにされたレーザーの雨を放ちながら、8機のMTを素速く展開する。

 

 そして遂に、蒼い鱗の先端から極太のビームが、音檄8機に向けて放たれた。

 

ミ゛ィ゛ィ゛イ゛イ゛イ゛ゥゥゥゥゥンッッッ!!!!

 

 ゴーレムのビーム砲に決して劣らないエネルギーを秘めた黄緑色の大槍たちが、尾を引きながら音檄を分断する。

 

 それらを大きく躱して集団から少しはぐれた2機に、セシリアは容赦無き撃滅の眼光をバイザー越しに飛ばしながら交戦する。

 だがセシリアは知っていた、戦況の見極めに秀でた音檄がこうも容易く分断される筈がないと。連中は、ブルー・ティアーズ程度なら2機で事足りると判断したに過ぎないのだ。

 

(面白いですわね)

 

 AIの判断を真っ向から否定してみたくなったセシリアは、好戦的に笑った。

 

 

 

 

 

 ラウラも音檄1機に狙いを定めては、セシリア同様集団から引き剥がそうとする。

 

 既にパンツァー・カノニーアは原形を留めない程変形しており、その大部分は拡張領域へ。残った部分は刃の様に刻まれてはモーニングスターをより凶悪にし、か細いレイピアをより重く高密度に。更に細かく分断された砲の一部は鋼鉄の塊となり、それらは肘と膝を更に厚く尖らせ、拳と足の衝撃面にまで重厚に纏わり付いていた。

 可動域こそ従来通りであるが、その様は正しく全身凶器と呼ぶに相応しいものだった。

 

 そんな重武装に身を包みながらも、ラウラは考えを巡らす。現状、どの手が最善手か。

 敵集団の内、セシリアの追撃に向かった2機とは逆方向の1機を自身に引きつける。そこまではラウラも答えが出ている。

 問題はその方法だ。情報によると音檄は高火力の射撃タイプ、そしてシュトラールと同じく超高機動特化の機体だ。ティアーズと違って、射撃による分断が出来ないシュトラールにとっては最初の難所だ。真っ向から突っ込めば当たる所か、最悪相手にすらされない。

 

 だが、ラウラは短い思考でその答えに行き着く。今肝心なのは「攻撃」ではなく「騙す」事なのだと。

 

 

(…投擲するか)

 

 

 正に大胆の極み。

 ラウラはAICを使って空間を踏み締め、スターメイスを振りかぶっては叩き下ろし、そして放る。

 

 ブーメランの如く回転しながら突き進む大質量の凶器を、音檄は訳無くヒラリと躱す。

 

 が、続いてシュトラールが音檄の避けた先に投擲したはレイピア2本。

 これも音檄は意に介す事無く躱すと、シュトラールに構わず部隊に戻ろうとする。もうシュトラールには、武装なんて残っていない。

 

 

 そう判断した時だった。

 

シュババババババ

 

―――!

 

 ハイパーセンサーで気付いた、全く有り得ない、シュトラールとは真逆の方角から急接近してくる攻撃。

 

ギィン!

 

 音檄は咄嗟に回避行動を取るも、3発の内1発は脚部に当たってしまった。

 

「中々便利なモン作るじゃないかあのクソ所長」

 

 現在ラウラの元にはそれぞれ、放った筈のレイピア2本が右手に、同じく放った筈のスターが左手にあった。

 先程の投擲は、表現そのまま「ブーメラン」だったのだ。砲撃直後、分裂してはシュトラールとその武器たちに纏わり付いた電磁砲。その磁気を応用する事で自身と武器との間にある種の磁場が出来、メイスとレイピアが直線上を戻ってきたのだ。

 

 

 またしても、今度は明確に減った自身のSEを確認した音檄は、カメラアイを光らせては遂にシュトラールへと目標を絞った。彼は今、黒く小さいISを「直近の脅威」と見なしたのだ。

 

「怒ったか?そうだ、来い。一騎打ちと行こう」

 

 ラウラのそんな挑発に関係無く、音檄は戦闘翼を青白く光らせてはシュトラールに迫る。

 

 第3世代機など1機で十分過ぎる程事足りる音檄は、そう最終判断を下した。

 

 

 

 

 福音本体はグシオンへ、音檄2機はティアーズへ、音檄1機はシュトラールへと分散した今、箒たちが相手すべき中ボスは5機。数的には5対9で、箒たちが有利だ。

 

 だが現状、実質的に音檄と戦えているのはタロたち無人ISだけだった。

 

「こんの…ッ!!」

 

 思わず悪態を声に出してしまう鈴音。

 

 速いのだ、敵が。己の視覚を疑ってしまいたくなる程、これまで戦ってきたどのISよりも疾いのだ。生身で風を追う様な程に、逆に自分が遅くなったのかと錯覚する程に。

 だが言わずもがな甲龍もリミッターを解除しており、実際は閉鎖空間で闘ってきたどの場面よりも速く飛べている。それでも尚、とても音檄とは渡り合えない。

 

 それだけに留まらず、火力も弾幕も馬鹿みたいに凄まじい。

 

♪~~♪~~

 

♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪

 

 機械翼に生える24の推進砲門「マルチスラスター」。そこからは光の塊の様なエネルギー弾が暇も与えず放たれ、その翼角と思しき部分からもフルオートの如く小エネルギー弾が絶え間なく掃射される。その度に、耳障りな様な何処か心地良い様な女性の音色が響いては中空で消える。

 甲龍も追加パッケージ「崩山」により、攻撃力は大幅に上がった。砲は2門から4門へ増え、弾種も空気弾から火炎弾へとグレードアップ。だのに一発一発の威力も、弾速も、全て音檄に劣っていた。

 

 リミッターを外した専用機で、おまけに数で囲って尚届かない戦闘力を音檄は秘めていた。

 間違いなく連中は、鈴音がこれまで闘ってきた中でも断トツに最強の機体だ。

 

 それら諸々に加え、「実戦」という余りに目まぐるしく情報が錯綜する状況に、搭乗者である鈴音自身まるで付いて行けてない。

 そんな訳で未だ戦闘開始から1分と経っていないが、もう既に甲龍のSEは10%も減ってしまっていた。

 

 付いていくだけでやっとな甲龍。

 

 対して無人ISたちは、性能差に怯む事なくただ最適に砲を放つ。

 

《ジロ!モット弾幕寄越セ!》

 

《ヤッテル。貴様コソ連中ニ連携ヲ取ラセルナ》

 

 MBー46Sを容赦無く音檄小隊にブチ込むサブロとシロ、焔備を適切な距離で的確に撃ち放つジロ。それで当たらずとも、味方の数を武器に尚も最適解を選び抜く。

 鈴音たちに出来る事と言えば精々、「存在する事」だけだ。必死に飛び、必死に撃ち、少しでも音檄の意識を反らすしかやれる事は無い。

 

《もう殆どAI同士の闘いだね!鈴ちゃん!》

 

「全くよ!」

 

 通信越しにそんな感想を言い合うシャルロットと鈴音。

 だがその一見快活に聞こえる両者の声は、冬山に取り残された様に震えていた。

 

 戦場。実戦未経験である彼女たちは、それがどういうものか身を以て知り、今も尚恐怖に打ち震えながら飛んでいた。いつかは試したかったリミッターの解除に、浮かれる事も無く。

 SEに護られている点を加味しても、怖いものは怖い。相手は、殺すつもりで引金を引くのだから。

 

 そう、鈴音たちに最も足りないもの、それは「殺意」であった。普段の通り「当てる」事は意識出来ても、その先の「トドメ」を想像出来ないのだ。アリーナバトルでは、SEさえ削りきれば勝ちなのだから。

 

(解ってる…)

 

 鈴音が一番解っているのだ。自分には、音檄たちを殺す気が足りないと。こんなにも撃ち合ってる状況だろうと。

 慣れていない、ただそれだけではない。やはり彼女には、ジロたちと同類かもしれない相手を斃す覚悟が無かった。

 

 

《鈴ッ!!》

 

 

 眼前の悪戦苦闘に恐怖との鬩ぎ合い、それらに苛まれていた鈴音は箒の怒声が来るまで失念していた。彼等音檄のもう一つの脅威を。

 

♪♪♪♪~~~

 

「!?」

 

ビィィゥンッ!!

 

 今の今まで紅椿とタロに狙いを定めていた別の音檄が、2機への狙いをそのままに甲龍へと光弾を放ったのだ。その強力な四発は突っ切る様に直進し、内一発が甲龍の背面へと直撃。

 混戦の最中、福音のデータリンクにより僚機敵機の位置を常時把握していた音檄は、甲龍への射線を一瞬で認知。無論同様である他の音檄も一瞬だけ射線を空け、後は甲龍が来る位置にタイミングを合わせて放ったのだ。

 

「嘘……でしょ…?」

 

 鈴音は絶望しかけていた。もう既に、音檄は甲龍程度の単調な機動を読みつつあったのだ。検索エンジンが文字を予測変換する様に。

 このままでは、鈴音は音檄を仕留める所か攻撃を躱す事すら出来なくなる。

 

《鈴音殿!》

 

《鈴ちゃんッ!》

 

《鈴!気を強く持って!まぐれ当たりよ!!》

 

 ジロ、シャルロット、一夏、三者の懸命な声も鈴音には届かなかった。

 音檄を殺す音檄に殺されるという恐怖の大軸に、不慣れ、焦り、そして自身と相手との圧倒的戦力差を見せつける現実が貼り付き、鈴音の戦意は最早風前の灯であった。

 

 

 

 

 

 音檄は第3世代機を超える高いスペックを持っている。

 千冬から事前に説明されていた箒は、彼女なりに心構えはしていた。

 

 そんな少し前の自分をぶった斬ってやりたいと思う程、音檄は途方も無かった。

 どれだけ撃っても当たらない、どれだけ動いても避けきれない、どれだけ迫っても突き放される。ISではないという事実を忘れてしまう程、音檄は純粋に強かった。

 眩い翼に鋭い体色、そして無限に吐き出される光弾。青白く輝くそれらは正に、力の全てを押し固めた様な宝石であった。

 

 今彼女は一夏の陽動と、タロそしてゴロによる力の差を正しく弁えた立ち回りにより、辛うじて戦えていた。

 その4機掛りですら、音檄2機の戦力に及んで居ない。

 

(こんな…こんな化物相手に、セシリアとラウラは一機で挑んでいるのか)

(そして福音本体は……コイツらよりもっと凄まじいと言うのか…!)

 

 今もその足止めを買っている昭弘にどれだけの負担が掛かっているか、音檄と鎬を削り合っている箒だからこそ解るのだ。

 否、今もこうして箒が戦えているのは、昭弘、セシリア、ラウラの3人が戦力を引き受けてくれている部分が最も大きい。敵が9機共揃っていたら、今頃何名かは脱落していただろう。

 そう考えると、箒はいつも以上に自分が情けなく思えてしまう。第4世代機に乗っても、この程度の自分が。

 

 その悔しさはやがて「心配」という、別の感情へと増幅されていく。早くこの状況をどうにかしないと、昭弘たちの身が危うい。音檄の光弾をモロに食らった、鈴音の精神的動揺も気掛かりだ。

 その恐怖に似た心配を抱いているのは、一夏も同じなのだろう。

 

 更にそれらは、「切迫」という帰結すべき心情へと辿り着く。他ならぬ自分が、第4世代機に乗ってる自分が頑張らないと。

 でないと勝てない、守れない。皆揃って一緒に帰れない。

 

 

 

 一夏が予てより構想していた撹乱戦術。それがこんなにも早い段階で実戦投入されようとは、彼自身夢にも思わなかっただろう。

 

 そして存外にも、白式によるこの戦術は驚く程音檄と相性が良かった。

 四肢を赤く派手に点滅させ、ヒラヒラと蝶の様に舞い踊る白式。ISを墜とす事に躍起な音檄は、一番近くを飛び回るそれを執拗に狙う。

 

《馬鹿メ!》

 

《所詮、我々汎用AIニハ及ビマセンネ》

 

 意識が白式へと分散している音檄に、タロとゴロがチマチマと弾幕をお見舞いする。そうして音檄が振り返れば、2機は再びそっぽを向いてもう片方の音檄を相手取る。

 そんな、戦力差を埋める良い流れが出来ていた。

 

 だが一夏には一つ、皆の安否以外にも危惧している事があった。

 

(箒……妙な気は起こさないでね)

(アンタはただいつも通り、昭弘と皆を信じていれば良いの)

 

 出撃前のあのやり取りを酷く後悔している一夏は、箒に対し強く思っていた。

 

 お願いだから、弱くても良いから、心を揺れ動かさないで欲しいと。何事をも深く考えず、今だけに集中して欲しいと。

 

 自分を見失わないで欲しいと。

 

 

 

 

 




もう気付いてる方もいると思いますが、音檄はアニメ版の無人機福音を模してます。ISでない点以外の違いと言えば、マルチスラスターの数、翼角ガンの追加程度でしょうか。
スペックはアニメ本編(通常時)の8割ってとこです。なので代表候補生だろうと専用機だろうと、操縦者が余程の腕前でない限り単機で挑めば即負けです。それが8機+福音1機となると絶望的な戦力です(少しやり過ぎたかもです)。

福音本体はまんま原作通りです。音檄同様に翼角ガンを追加してありますが、基本的に原作と性能は変わりません。


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第69話 福音 ②

 撃つ、楯を構え絶えず動き只管に撃つ。銀の福音を相手に、昭弘はただそれしか出来ない。

 

♪~~~

 

 機械的だが優しさの籠もったミューズの様に美しい音色を奏で、暴虐的な光の塊を放ち続ける銀の福音。それらは昭弘とグシオンですら全てまで躱し切れず、既に無視出来ない量のSEが消失してしまった。

 その絶大的火力と柔らかい音色とは裏腹に、白銀の身体は隼の様に疾い。M134Bから連続して飛び出す光線は悉く躱され、砲から放たれては突き進み爆発する俸禄玉も福音に擦る程度だ。

 

 既にバウンドビーストを発動しているグシオンであっても、そんな弾幕すら超えた何かを纏いながら超速移動する相手に、近付ける筈がなかった。

 

 それでも昭弘は、相手の詳細な戦闘力を冷静に分析する。

 

(翼の砲門は36、威力は高出力時のビームカノン並、飛来頻度はAA-12と同程度。翼角の光弾ガンは毎分1000発かそれ以上)

(マルチスラスターが生む機体速度は現時点でのグシオンと同等、つまり瞬時加速並。防御力は通常のISと遜色無し)

 

 彼の目的は、あくまで福音を引きつける事。その間に皆が音檄を墜としていき、合流して数で押し切る。

 だからこそ引きつけながらも、福音を丸裸にしておかねばならない。情報が多ければ多い程、合流した時有利になる。

 

 そういう意味では、福音に近接戦を仕掛けられない現状が歯痒かった。

 福音に近接武器は無いとの事だったが、やはり実際に試してみない事には納得も安心も出来ない。強敵とは、誰しも奥の手を持っているもの。

 

(どの道、単調に躱して撃ってばっかじゃ戦いにならん。福音がオレを脅威と見なさなくなれば、オレを放置して音檄の加勢に出るかもしれん。そろそろ積極的に攻めるか?)

 

 だがこの距離ですら、昭弘にとっては躱せるかどうかの瀬戸際であった。

 奥歯を噛み締め、身体中のスラスター出力・角度をミリ単位で調整し、視覚情報に合わせて噴射する。その目が捉える脅威の数は、ビット4機によるオールレンジ攻撃ですら生温い。グシオンがどれだけ無茶な機動を仕掛けようと、このまま前に出れば忽ち蜂の巣だ。

 近付くにはリミッターの完全解除、即ち「マッドビースト」を発動するしかない。相手の動きが遅く映るこの単一仕様なら、光弾をどうにか躱して鉄槌を届ける事が出来る。

 

 なのに昭弘が発動を躊躇しているのは、福音に抱く不穏が原因だった。

 これまで、昭弘はMWであれMSであれISであれ様々な相手と戦ってきた。果てに芽生えた直感、相手が本気なのか全力なのか。昭弘は少し闘うだけでそれが解る様になっていた。

 奥の手どころでは無いと、昭弘の直感が騒いでいた。福音は本気ではあれど、まだまだ全力ではないのだと。

 もしその直感が正しければ、先に手の内を晒す事で後から不利になってしまう。

 

 単一仕様能力を解放するなら、福音が全力を出す前に一気に倒し切らねばなるまい。この青白く光り輝く、軍団そのものの様なISをだ。

 

(…やるしか無い)

 

 マッドビーストはあと2回。

 それは、あくまで昭弘の大まかな感覚的目安に過ぎない。またあの状態になって、今まで通りの昭弘で居られる保証は無い。

 だが元より選択するまでもない。自分を取るか、仲間を取るかだ。

 

 意を決した昭弘は、千冬へ通信を開いた。

 

「AG(昭弘&グシオン)よりウィンター(千冬)へ。敵主力(銀の福音)の戦闘能力、予想の遥か上。マッドビースト発動の許可を求む」

 

 制約の全てから完全解放されたグシオンの真なる姿。既に二度程試してはいるが、それでも暴走しない保証は当の昭弘ですら示せない。

 だが四の五の言っていられない状況であると理解しているのか、千冬の返答は即だった。

 

《発動を許可する。遠慮は要らん、好きなだけ暴れろ》

 

「…了解」

 

 

 

「フゥー……」

 

 光弾の集中砲火に晒されているグシオンの中で、昭弘は思った。ここが自分の墓場になるかもしれない、と。

 

 もし生きて帰れたら。そんな事を考える前に、昭弘は既に「発動段階」へと入ってしまった。

 

 

 今の自分は機械だ。グシオンと同じ、戦い破壊するだけの。生きる意味を見出せなければ、死ぬ事すら何とも思えない。

 意識がISと同化してゆく、心と心が混ざり合う、肉体の必要性が薄れて行く。

 

 

───シンクロ率100%、単一仕様能力「マッドビースト」を発動します。

 

 

 またしても昭弘は、「生きたい」と思う事が出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 一方、交戦状態が徐々に変化しつつある箒たちのグループ。対立構図は5対9という大きな混戦形態から、3対5・2対4の2つに別れつつあった。

 

 

 3機の音檄を甲龍、ラファール、ジロ、サブロ、シロの5機で相手取る、3対5のグループ。

 その中で疾風の如く飛ぶ橙色の機体、ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡ。第2世代機でありながら第3世代機に劣らない性能を有するこの機体は、正しく量産機の集大成とも言える素晴らしいISだ。

 

 だがシャルロット・デュノアは今、その乗り手とは思えない程無様に震えていた。

 

(もう……駄目だ…無理だ…)

 

 削れてしまいそうな程、小刻みにぶつかり合う上下の歯。見開いた目は乾ききり、目元には薄い精気が青々と浮き出ていた。

 

(撃ったら…撃ち返される…!)

 

 尚もデザート・フォックスを構えながら飛べているだけでも、シャルロットにとっては奇跡的だった。

 

 既に鈴音は戦意喪失気味で逃げ惑う事しか出来ず、白式も機動が怪しくなっており、紅椿も変わらず劣勢。まともに戦えている無人ISたちも、音檄との性能差故か徐々に追い込まれている。

 セシリア、ラウラ共に、未だ敵機撃墜の情報は入って来ない。

 

 まだ戦局が決まった訳ではない。だがつい今しがた恐怖に打ち負けたシャルロットにとっては、もう決まったも同然だった。

 強大な絶望を溜め込んだ超武力が8機、その更に上を往く武帝が1機。うち、シャルロットたちが相手取る超武力3機も、絶えず変わらず絶大なエネルギーを放ってくるのだ。

 心なんてとうに折れている、後の更に大きな恐怖をも考慮出来ない程に。

 

(元々…軍用IS相手なんて無茶だったんだ…ッ)

 

 眼前の現実から目を反らし、過去のいざこざに恨み辛みをぶつけるシャルロット。こんな事なら千冬からの申し出を即辞退しておけば良かったと、彼女は自身の選択を人生で一番後悔していた。

 過去はどんどん遡り、遂には「彼女自身」へと行き着く。

 

(何でだ…。何で僕は、私は…こんな所に…)

 

 彼女はこんな、命のやり取りをする為にISに関わったのではない。

 ISに乗るとはどういう事なのか、当然ながら理解はしていた。だが、覚悟はまるで足りなかった。将来だの価値だのそんな自分の事ばかり考えていたシャルロットにとって、IS乗りは小さな選択肢の一つでしかなかったのだから。

 ましてやその自分の命が危険に晒されるなんて、微塵も想定していなかった。

 

 彼女の心境なんて知った事かと、光弾の雨は容赦なくラファールにも降り注ぐ。

 メンタルを恐怖の型に食い破られたシャルロットは、既に銃なんて仕舞い代わりに盾に隠れていた。追加の防御パッケージである「ガーデン・カーテン」に。

 

 そんな一発一発が致命傷レベルな暴風雨の中、シャルロットは正しく生死の境に居た。

 

───死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくないシニタクナイシニタクナイ

 

 死ねば全てが無に帰す。これまで積み重ねてきたものも、出会いも、道も、己の価値すらも。

 

 シャルロットはもう何でも良かった、その結末を避けられるのなら。

 

 

 

───シャル

 

 それは、シャルロットが生まれて初めて聞いた人間の声。精神を隅から隅まで溶き解してくれる程優しく、強く抱けば崩れてしまいそうな程儚い、あの人の声。

 

(母さん)

 

 まるで実体の様にはっきりとした走馬灯の中、シャルロットは亡き母を見上げていた。あの日の温もりと匂いまで残る母の膝上に、後頭部を乗せながら。

 

───もう休んでいいのよ?

 

 何も変わらない、その子守唄の様な声を聴いて、シャルロットの芯はどんどん暖まっていく。

 

───死んだら元も子も無い。アナタの未来はそこで途絶える

 

───アナタは何も間違ってないわ。私がアナタの全てを肯定する

 

 言いながら、娘のフワリと弾む様な髪を撫でる母。

 

 シャルロットは歓喜に打ち震えた。

 そうだ、自分は間違っていない、未来そのものである自分の命を一番に考える事は正しいのだと。自分の命が一番大事なら、逃げて何が悪いのだと。こればかりは流石に逃げても良いし、逃げるべきだろうと。

 

(他の皆?罪悪感?大丈夫だ、きっと皆も同じ筈だ。僕が逃げれば皆も釣られて戦意を失って逃げる、どうせこのまま戦い続けても負けるんだ。後は織斑先生が何とかしてくれる)

 

(僕はもう十分頑張った!後は生きるだけ、それが正しい事なんだ!だって……)

 

(母さんも許してくれるんだから!!)

 

 シャルロットは、既に防御体勢すら解除していた。代わりに行う瞬時加速の準備、身体を向けるは作戦本部の置かれた旅館。

 

 その時の顔は、母親の腕の中に居る安らかな笑顔だった。

 

 

 

《無様ナ》

 

 

 

「!!!」

 

 冷たい機械音声によって温もりが消え去ったシャルロットは、再び蒼白となって盾を構える。

 声の主は、今も左右の焔備と重機関銃を己が生命の様に光らせては、甲龍の援護及びゴーレム2機のサポートを行うジロであった。その姿は抑え目に言っても万全ではなく、鋼鉄の身体を繋ぐ至る所からひびの様な電流が蠢いていた。

 

 凍てつく混乱から現実へと引き戻された彼女は、その愛らしい顔を歪めた。目は恐怖で垂れ下がり、上下の歯を全面見せる程の食い縛りは憤りを表していた。

 無人機風情に何が解る。こちとら命があるんだ、死にたくないんだ、怖いんだ、その情動に従って何が悪い。そんな訴えがよく見て取れた。

 だが何より、「無様」が己の事だと捉える時点で、彼女は己が無様である事を他の誰よりも認めていた。

 

《現状ヲ御説明致シマス。昭弘殿ハ今、タッタ一人デ、銀の福音ト戦ッテオリマス》

 

 そんな事は解っていると、シャルロットは声を大にして言いたかった。

 「だからお前も戦え」「臆病者」「気合いを入れ直せ」、彼女はもう、そう言った精神論がうんざりだった。

 大事なのは何としてでも生き延びる事であり、昭弘も含めて皆逃げてしまえばいいのだ。亡き母だけではない、きっとデリーだって生き延びた自身を肯定してくれる筈だと、シャルロットは絶対の自信を込めていた。

 

 

 

《オ言葉ナガラ今ノ貴女、死ヌ程格好悪イデスヨ》

 

 

 

 変わらず抑揚の無い機械音声から放たれた一矢が、シャルロットの心のド真ん中を撃ち抜いた。

 格好良い、格好悪い。それは端から見れば、彼女が先程から酷く惜しんでいた命と比べたら、余りに優先度の低い外殻であった。

 

 その精神論にも満たない下らない言葉で、シャルロットの心はゼロへとリセットされる。

 

 刹那の無心、最初に生まれたのは自身の事ではなく、昭弘の事。その時の心情は、無理に彼と張り合おうとする時のソレと似ていた。

 彼女は想像する、絶対的な力を持つ怪物に臆する事無くぶつかり往く、グシオンを纏った昭弘を。大切な誰かの為に全ての力を解放し、大敵へと鉄塊を叩き込むその姿を。

 命という己の未来を鑑みれば、そんな行動は酷く馬鹿馬鹿しいものだ。だがシャルロットは、そんな昭弘に神々しさすら感じていた。

 

 比べて今の「正しい」シャルロットは、果たして格好良いと言えるだろうか。いや、ジロの言う通り、そんな事などある筈がないのだ。

 

 格好悪いのだ。あるのはごく浅い合理性だけで、無様なのだ。自分の為に敵前逃亡しようとしている、この瞬間の彼女は。

 そしてその「格好悪さ」だけは、決して味わってはならないものなのだ。シャルロットには、通さねばならない彼女なりの道理があるのだから。

 

 後はごく簡単だ。沸き起こるのは昭弘への劣等感、焦燥感、そして命すら天秤に掛けたくなる程の悔しさ。

 

 命か、道理か。

 将来の為に恥を晒して生きるか、下らないプライドの為に死ぬか。

 賢く最小限の被害で負けるか、僅かな可能性の為に馬鹿を貫き通すか。

 

 答えなんて、出撃前から決まっていた。

 

 

───もっと怖いものが何なのか知ってるから

 

 

 シャルロットは、鈴音に対してそう格好付けてしまった。その言葉により、鈴音も出撃の覚悟を固めてしまった。

 ならシャルロットには、最後までその格好付けを貫き通す責任がある。弱り果てた鈴音の前で、それを実践する使命がある。

 

───……短い休息を、与えてくれてありがとう母さん。そして……本当にゴメン。貴女から貰ったこの命、「格好付け」の為だけに使わせて貰うよ

 

───デリー(父さん)。今だけは、これが僕の価値なんだ。格好良い僕を、必要としている人が居るんだ

 

 凜々しい自分を、自分ではなく他者の為に。そんな己の価値を、己自身で決める。

 

 何も変わらず、死への恐怖はまるで薄れる事を知らない。どころか逃げないともなれば、涙すら瞼から溢れそうになる。

 それよりも怖いモノの正体を今、シャルロットはしっかり掴み離さないでいた。

 

 自分の格好良さを最大限生かせるこの時に、格好悪いのだけは。昭弘が格好良くて自分が格好悪いのだけは。

 死んでも御免被るのだ。

 

───そっか…今になって気付いたよ昭弘。僕は……

 

 昭弘に初めて心を開いた「あの時」から、シャルロットの目指すべき価値は半ば決まっていたのかもしれない。

 鳥籠の中で惨めな日々を過ごしてきた彼女は、あの時初めて負の連鎖から解放されたのだ、恐れず自分の心に従う事で。彼女をそう導いた昭弘に対し、抱いたのは感謝と友情だけではない。

 男装にハマる以前に、そんな強い感情が彼女の中にはあったのだ。

 

───ずっと君の様になりたかったんだ

 

 ラウラに抱いていたものが羨望だとするなら、昭弘に抱いていたものは間違いようもなく憧れだったのだ。

 

 

 

 

 

 

「ジロォォォォォォッ!!!」

 

 逃走の決意から僅か数秒後とは思えないシャルロットの怒号に対し、ジロはまるで待っていたかの様に返事をする。

 

《何デショウ》

 

「鈴ちゃんを助けるッ!力を貸してくれ!!」

 

 ジロは了解の代わりも兼ねて、直ちにサブロとシロに指示を飛ばす。彼女の要求は、現状極めて妥当なものであるからだ。

 

《シロ、サブロ。2分デ構ワン、他ノ音檄2機ヲ抑エテオケ》

 

《ハァ!?フザケンナ!!今オ前ニ抜ケラレテ持ツ訳ナイダロッ!》

 

《セメテ1分ニシテヨ!》

 

《ナラ1分20秒デイイ、頼ム》

 

 引く気のまるで無いジロに、サブロとシロは渋々了承する。

 

《……チャント叩キ起コシテコイヨ、ツインテノ嬢チャンヲ》

 

 シロに言われるまでも無く、シャルロットの鼓舞から何まで目論見が全て上手く行ったジロは、酷使してきたスラスターに更なる負荷をかける。

 鈴音の戦意を取り戻すには、シャルロットの力が必要なのだから。

 

 

 

 

 

 戦意を失った鈴音は今、奇妙にもこの戦いで最も疾く飛べていた。何ら戦況に左右される事無く、判断が遅れる事すら無く。

 ただただ逃げ続ける事だけに集中しているのだから。

 

 だが音檄はジロの妨害すら眼中に入れず、追撃の手をまるで緩めない。甲龍からの反撃が来ない今、ISを1機墜とす好機と踏んでいるのだ。

 

「もう…止めて…」

 

 怖さ故悲しさ故、戦いから逃れられない鈴音は別人の様にか細い声で訴える。心すら死にかけているのか、乾いた目からは涙すら出てこない。

 鈴音の正常な思考は、それら負の感情に塗り潰されていた。

 

「どうして……どうしてアナタたちと戦わなきゃなんないの…?」

 

 そんな言葉を投げ掛けた所で、迫り来る音檄が返答してくれる筈なんてない。彼等にあるのは与えられた敵と、それを効率的に破壊する術だけだ。

 消耗品である彼等には、最低限の知能さえ備わっていれば良いのだから。

 

♪♪♪~~

 

ビィゥン!!ビビィィゥン!!

 

 機械的且つ最適、そして機動力すら大いに勝る音檄からそういつまでも逃げられる筈もなく、マルチスラスターから放たれた光弾は正確に甲龍へ直撃。露出部への命中により絶対防御も発動、遂に甲龍のSEは20%を切った。

 音檄との間合いはもう50mもなかった。彼等からすれば、外す方が難しい距離だ。

 

 刹那、鈴音も既に悟っていた。あと一発、当たり所が悪ければそれで甲龍のSEは尽きる。この弾幕吹き荒れる状況下で、予備エネルギーによるシールドが持つとも思えない。

 もう「死」は目前なのだ。

 

 音檄の大翼が、それを届ける為に間髪入れず光る。

 瞬間、死を受け入れている鈴音が抱いていたのは、不思議と「安心感」であった。

 

───………これでもう、殺さずに済むんだ

 

 死ぬ為だけに作られた音檄。それを思うと、尚の事鈴音には彼等を殺める事が出来なかった。

 ここで彼等を殺したら、彼等をその様に作った連中と同じだ。所詮は機械だ、AIだ、そう言って本質から目を背けるのと同じだ。

 ジロたちとのこれまでの日々を、否定するのと同じだ。

 

 それを避けられると知った鈴音は今、恐怖から解放されていた。

 逃げて生き延びれば、罪悪感に食い潰される。だが死ねば…もう恐れる事は無くなる。嬉しい事も嫌な事も、全て味わわずに済む。

 

 そして………「己の未来」も。

 

「……まぁ、丁度いいのかもね。やりたい事すら見つかっていない今なら」

 

 小さくそう言い残した鈴音は、少し残念そうに笑った。

 だが彼女は、嘘偽り無く選択したつもりだった。これが情けない自分に出来る、最善の決定なのだと。

 

 

───本当、ゴメンね。父さん、ジロ、みんな

 

 

 鈴音には、誰かを殺してまで生き延びる事なんて、とても出来ないのだから。

 

 

 最後に鈴音は、眩く温かい光を増大させて行く音檄の大翼を、恍惚とした表情で見詰めていた。

 

 

 

 

 

 

《駄目だァァァァァァァァァァッッ!!!!!》

 

 

 

 

 

 

 絶叫。高く少し間の抜けた様な、怯えに僅かな勇ましさを含んだ様なその声を聞いて、鈴音の朧気な視界は再び輪郭を取り戻す。

 

「ッ…」

 

 眼前に来る筈の衝撃は、重厚な盾と透明な盾に阻まれ儚く四散する。盾の持ち主である少女は直ちに高速切替を行い、音檄へ散弾と徹甲弾を撃ち放っては一旦追い払う。

 その隙を突き、再びジロが音檄を追撃する。酷使と敵の攻撃で悲鳴を上げているスラスターに、躊躇無く青白い火を灯しながら。

 

 世界が反転した様な突然に見舞われた鈴音は、思考が追いつかないのか感謝の言葉すら浮かばなかった。

 ただ瞬間的に抱いた感想としては、普段は栗鼠みたいに小さいシャルロットの背中が妙に大きく見えた。

 

「デュノア…?」

 

 余りに短い出来事を漸く理解した鈴音は、引き起こした張本人の名前を呼んだ。まるでこれが現実なのか、確認する様に、

 シャルロットは音檄への注視を続けながら、鈴音へと声を震わせた。

 

《もう大丈夫だよ鈴ちゃん。僕も一緒に戦う、僕が側に付いている。だから───》

 

 そうしてシャルロットは鈴音に顔を向ける。

 

《怖いものから逃げちゃ駄目だよ》

 

 その顔は笑いながらも、泣いていた。

 決して作り笑顔ではない。何の後悔も思い残しも無い自然に生まれた笑顔、そして「死」という大鎌に首筋を押さえられてるが故の涙だった。

 鈴音を一人怖がらせはしない、自分も共に恐怖へと突っ込もう。シャルロットの表情を変換するなら、そんな言葉が最も近かった。

 

 そうして信じられない事に、彼女はラファールのスラスターを点火させるとジロの援護をすべく再び音檄へ向かって行った。あのひ弱な、この戦場でも終始ビビリ通しだったシャルロットがだ。

 

《ウォオォオォォォォォオォオォォォ!!僕も狙えェ!この鬼畜イルミネーション野郎!!》

 

 連装ショットガンを中心に、ジロと共に弾幕を張るラファール。

 

 鈴音には解らなかった。何故恐怖に立ち向かってまで、自分を助けるのか。

 鈴音は何も出来ないというのに。

 

「……もういいのよ。音檄たちを殺しても、この戦線から離れても、死んでも……アタシにとっては全部「逃げ」でしかないんだから…」

 

 一人、誰かに聞こえるかどうかの声量で呟く鈴音。

 もう彼女には、何をどうすれば良いかまるで解らなかった。

 

《ソレデモ、戦ッテ下サイ鈴音殿》

 

 彼女の独り言は、しっかりとジロに届いていた。

 意識を音檄に向けたまま、彼は焔備とブローニングXM2020を振動させながら尚も言葉を続けた。

 

《アナタノ考エハ、間違ッテナドイマセン。アナタガ音檄ヲ一ツノ命ト見ナスナラ、撃墜ハ決シテ軽々シイモノデハナイ。例エソレガ蜻蛉ヨリ短イ命ダロウト》

《ソウ、アナタガ手ヲ下サズトモ、彼等ハジキニ死ニマス》

 

 冷たい現実を鈴音に言い聞かせるジロ。

 鈴音も、そんな事は最初から解っていた。ならば殺られる前に殺る、という事も。

 だがジロの前置きは、そんな事を語る為ではなかった。

 

《ダカラコソアナタハ、生キネバナラナイ》

 

 その激しい動き、そして満身創痍の電流迸る身体からは想像も出来ない程、静かに優しくジロは言い放った。

 「だからこそ」の意味が解らない鈴音は、尚も聞き入る様に固まる。

 

《コレカラ死ヌ音檄タチノ分マデ生キル。ソレガアナタニトッテ恐怖ニ打チ勝ツ事デアリ、彼等ニ情ヲ抱イタアナタノ使命デス》

 

「…あの子たちの…分まで」

 

 それだけが、逃げずに済む唯一の方法だった。

 彼等を殺す事は、逃げ等ではない。彼等の命を糧に、生き続ければいいのだから。散った彼等の命を、その胸に刻み続ければいいのだから。

 

 

《ジロォッ!!マダカァ!?》

 

 シロの危機迫った音声が届いても尚、ジロはラファールを援護したまま鈴音に言葉を送る。

 

 ついこの前ジロたちも言われた、世界で最も厳しくも優しい言葉を。

 

《デスカラドウカ鈴音殿……死ヌマデ生キテ下サイ》

 

 皆、いずれは死ぬ。それはずっと先かもしれないし、今かもしれない。

 だがその真意は、殺されるのを待つ事ではない。生きている者は、命ある限り生き続けねばならないのだ。自分、他者、そして死者、全ての為に生を全うせねばならないのだ。

 そして生き続けるには、戦って勝たねばならない。迫り来る危難からその身を守るべく、敵を討たねばならない。

 

───本当に…いいの…?アタシは。何の目的も無いのに……生きて。その為なら…誰かを犠牲にしても…?

 

 良いに決まっている。身体を張ったシャルロットが、ジロの言葉が、それを教えてくれた。

 

 そして───

 

 

 これまで出会い別れてきた他者により形作られた鈴音自身が、気付かせてくれた。

 

 それを暗示する様に、鈴音の首から垂れていた濃い桃色の宝石が紫外線を妖しく反射する。彼女が生きてきた、形作られた証の一つであるソレが。

 そしてそのネックレスの揺らめきは、鈴音と甲龍が前へと凄まじい速度で動いた証拠でもあった。

 

 

 

 

 音速を周回遅れに出来そうな程の速さで、弾幕吹き荒れる空間に突撃してくる情熱そのものを纏った様な紫色のIS。

 

《任セマシタ》

 

《任されたわ》

 

 それを確認したジロは、漸くその機体にバトンタッチする事が出来た。



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第69話 福音 ③

 光る無数の球体が作り出す隕石群。

 その渦中を、甲龍とラファールは迷路を突き進むように飛ぶ。龍が身体を畝らせるが如く、風が隙間に入り込むが如く。

 余りに激しい3機の攻防は最早どのグループからも外れていき、視界の中心に居る標的を消す為だけの空中機動が、そこでは展開されている。

 

 

 頭が沸騰する様に熱い鈴音。その膨大な熱は己をぶつける先へ誘う様に、甲龍を動かす。穿山甲が如き光の弾幕で身を護る相手に突っ込むそれは、怒り狂い我を忘れている様にしか見えない。

 だが鈴音の我も思考も、それこそ彼女自身驚く程、静かに研ぎ澄まされていた。

 

(凄い…何この感覚。アタシって…甲龍って…こんなに疾く飛べたの?)

 

 絶えず沸き起こる相手を仕留める事への恐怖、それと対を成す強大なまでの生への執着。真正面からぶつかり合いスパークを起こしたそれら感情は、戦闘という状況下における甲龍をより進化させていた。

 思考をなぞる様にスラスターは動き、そのスラスターを噴射する甲龍に己が意識を預ける。最早その2つに、どちらが先か後かなんて存在しなかった。

 光弾の嵐を複雑に縫い進むその紫檀色の流星から、お返しとばかりに連続して放たれるは火炎の玉。極めて直線的ながら明確な殺意を秘めたそれらは、少しずつ確実に音檄へと迫りつつあった。

 

 今鈴音は、リミッターを外した甲龍の性能を最大以上に引き出せていた。

 

 

 

 対する音檄も、ラファールを無視して甲龍への集中砲火に徹する。甲龍のSEは残り17%、一刻も早く先に潰して2対1から脱したい所だろう。

 だが先程とは打って変わって、その動きは大きく後退気味だ。どれだけ弾幕を展開しても、さっきと同機体とは思えない機動で迫り来る甲龍。近接武装が皆無な音檄にとって、敵機の接近は致命的だ。

 おまけに当たらない。マルチスラスターの光弾幕で射線上に誘導し、翼角の光弾ガンにてトドメを刺そうとする音檄だが、凄まじい弾幕を張るのは甲龍とて同じだ。後退しながら連続して上下左右に躱すとなると、その分飛翔に割くマルチスラスターの数も増える。その必然として、弾幕が薄くなってしまっていた。

 これまでの戦いでそれを知っている鈴音は、薄い弾幕を最小限の動きで避けつつ本命の光弾ガンに最大の警戒を払っているのだ。

 

 無論、それだけならまだ薄くとも弾幕量で押し切れた音檄。そうさせてくれないのが、もう一機の存在だった。

 

《ウララララァァァァァッ!!逃げてばかりとはとんだチキンだねェェェ!?》

 

 ネチネチとしつこく追い回してくるシャルロットは、然れど音檄を見ている訳ではなかった。

 見ているのは甲龍の動きであり、その進行方向へ大きく回り込む様に動く事で、音檄により近付く事が出来ていた。進入コースが良ければ、上手い具合に挟み込む事も。

 そしてそれにより生じる「タチの悪い弾幕」だ。ブレードを食らう距離ではないにしろ、近付けばここぞとばかりに散弾を連射してくるラファール。射程こそ短いが攻撃範囲は広く、撃たれれば大きく避ける必要がある。そうして距離を取れば、今度は高速切替で呼び出したホッチキスとヴェントが火を噴く。音檄からの反撃が来ない以上、やりたい放題だ。

 

 それら2機の弾幕を避ける事で、音檄の攻撃力は大幅に低下していた。一発だろうと、食らえばSEの大減少は免れない。

 

 そう、鈴音もシャルロットも気付いたのだ、音檄の弱点が「防御の低さ」にある事を。

 護るべきパイロットを乗せておらず、ISより少ないエネルギーを無駄なく使わねばならない彼等は、SEの出力を大幅に下げているのだ。故に散弾だろうと12.7ミリだろうと、当たればかなりのSEを減らせる。

 それさえ解っていれば後は単純だ。光弾を臆する事なく、前へ先へと攻め続ける。ただこれだけだ。

 

 そして更には、他の音檄からの援護射撃すらまるで2人は警戒していない。

 それは慢心故ではなく、単純な分析の結果だ。こうも激しく複雑且つ不規則に動き回れば、流石の音檄でも遠くから命中させる事は容易ではない。かと言って一斉に弾幕を張れば、甲龍たちとドッグファイトを繰り広げる味方をも巻き込んでしまう。

 ならば尚更、鈴音とシャルロットは己の空中機動に集中するだけだ。

 いや、今の彼女たちは最早どんな援護射撃が来ようと止まらないだろう。

 

 

《ウォォォォォ!!僕ウルトラスーパー格好良いィィィィィィ……って、あ》

 

 良い流れが出来たかに思えたが、そこはやはり戦闘マシーン。

 即座に現状の不利を打開すべく、今度はラファールに狙いを絞る。SE残量こそ甲龍より多いが、機動力等全体的な性能は甲龍に劣る。故にすぐ堕とせると判断したのだ。

 

《ヒィィィィッッ!!く、来るなぁ!この潜む気ないギラギラストーカーァァァァァァッ!!》

 

 一転、全速後退しながらデザート・フォックスを連射するシャルロット。乗りに乗った調子は何処へ行ってしまったのだろうか。

 当然、来るなと言われて本当に来ない筈ない音檄は全開の弾幕を展開する。光の大玉と小玉をシャワーの様に放ち、4枚のシールドごとラファールを捻じ伏せようとする。

 

《鈴ちゃんヘェェェェェェェェェルプ!!!》

 

《ったくこのへっぴり腰!!》

 

 逃げるラファール、追う音檄、それを更に追う甲龍。偶然なのか、出来上がった構図。

 否、これは必然。逃げるシャルロットが、音檄が挟まれる様仕向けたのだ。悲鳴は素だが。

 

《とうッ!》

 

───!

 

 そうして3機が完全に一直線となった瞬間、突如として急停止するラファール。重機関銃だけでなく、手元には既に連装ショットガンが。

 

ダンダゥンッ!!ドドドドドドドドドゥン!!!

 

ババゥン!!ババゥン!!ババババババババババゥン!!

 

 シールドを前面に一点集中させ、隙間から散弾と徹甲弾を放つラファール。同時に、後方から火炎弾をぶっ放す甲龍。

 その勢いたるや、直線上の味方に当たる事すら何の躊躇も見えない。

 

♪~♪~♪~♪~

 

 音檄も即座に右方へ急旋回し、去れども光弾を放ち続けた。散弾が音檄の脚部に命中したが、ラファールも物理シールド2枚がやられてしまった。

 今度こそラファールにとどめの光弾を放とうとするが、一瞬、その行き過ぎたラファールへの意識が仇となった。

 

《そぉこぉぉぉおおおおッッ!!!》

 

ガギャァゥンッ!!!

 

───!?

 

 斬撃音と同時に、己がSEの多大な減少を確認する音檄。視線の先には既に側を通過し終えた、双天牙月を構えし甲龍が。

 瞬時加速。ラファールの急停止と同時に、火炎弾を放ちながらもその準備へと入っていた甲龍は、ほぼ一瞬でそのチャージを完了。音檄の軌道先を読み、真っ直ぐ電光石火を繰り出したのだ。

 

 未だ甲龍は至近距離。距離を置いて尚もラファールを攻撃するか、それともここでフルショットをお見舞いして一気に甲龍を潰すか。

 音檄は後者を選んだ。

 

 

タタタタタタタ……

 

 が、その逡巡が音檄の命運を分けた。

 

ヒュンッ!ヒュヒュヒュヒュンッ!!

 

 甲龍でもラファールでもない、全く別方向からの銃撃。その正体は、スラスターから薄い黒煙を放出しながらもゴーレムの援護に徹している、然れどずっと「その時」を伺っていたジロだった。

 重機関銃の長射程を生かした威嚇射撃は、再び音檄の行動を阻んだ。

 

ザギンッ!!

 

 その隙を逃さなかった鈴音は再度、通り抜け様その紺色の胴体に青竜刀を滑り込ませる。音檄のSE残量は、もう半分以下だ。

 だが今度こそ音檄は長く考えなかった。巨刃を食らった瞬間、直ちに音檄は甲龍へ翼角を光らせ、ラファールに主翼の全砲門を開け放つ。

 

♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪

 

《チィッ!!》

 

 流石の甲龍もこの至近距離では避けれず、無数の小光弾によって遂にSEはゼロへ。残りは僅かな予備エネルギーだけだ。

 ラファールは───

 

ガギィッ!!

 

 24の光弾をものともせず、残りのガーデン・カーテンを展開しながら瞬時加速で突っ込み、ブレッド・スライサーを音檄の背面に叩き込んだ。

 接触からインパクトまで時間差のあるパイルバンカーは、敢えて使わなかった。チャンスだろうと焦らず、一撃一撃を確実に当てていく。

 

《もう一丁ォ!!!》

 

 次いで時間を待たずアサルトカノンをほぼゼロ距離で撃ち込み、ドグンと重々しい音が鳴り響く。

 

───!!!!!

 

 ゼロ距離故それが最適と判断したのかそれとも連続攻撃にブチ切れたのか、振り向いた音檄はラファールのガルムを殴り壊し、2枚のエネルギーシールドの隙間に前蹴りをお見舞いしてはラファールをぶっ飛ばす。

 

《ぎゃん!!》

 

 阿呆みたいな情けない声を上げて離れるラファールを見るまでもなく、音檄は即座に甲龍へと振り向き「死の一撃」を送り届けようとする。

 

 

 

 

 

 振り向いた時には、甲龍のパイロットである凰鈴音の顔が目の前にあった。

 だが当の彼女がまるで動かない為、音檄は抜き手を作りその身体を貫こうとする。予備エネルギーすら限界なのか既に甲龍は粒子化が始まっており、仕留めるなら今が好機。

 がしかし、音檄も動く事叶わなかった。

 

 音檄の胴体、丁度腹部と胸部の間には、甲龍の巨大な青竜刀が柄の近くまで深く刺さっていた。縦に長く裂けた傷口からは、オイルか何かも解らない黒い液体が複数の道を作っていた。

 

 

 

 鈴音の震える両手をマニピュレーターは読み取らず、ただ模倣的に牙月の柄を握っていた。

 だが音檄を突き刺している感触は、鈴音の手から腕へ、腕から肩へ、肩から脳へとこびり付いて離れない。ジロを刺した時は何とも思わなかったそれが、今の感触と二重になって鈴音の心を締め付ける。

 

 薄暗く光る音檄のV字のバイザーには、幾筋も涙を流す鈴音自身の顔が映っていた。

 

《……ねぇ》

 

《アナタは…生きたかった?》

 

 そんな問いを繰り出しても、言葉なんて返ってこない。彼はただ、バイザーに覆われた無機質な仮面を鈴音に向けているだけだ。

 それでも、鈴音は言葉を投げ続けた。意味があろうと無かろうと。

 

《…ゴメンね、アナタの命を奪っておいて…酷いよね、アタシ。けど───》

 

 そうして遂には左手のマニピュレーターすら粒子化した鈴音は、まるで吸い寄せられる様に首下から垂れ下がっている宝石を握った。

 「生」そのものを表している様な、濃く鮮やかな宝石を。

 

《アタシは…生きたい、生きて皆と一緒に居たい。もっと色んな人と出会って、色んな事を知りたい》

 

 箒から貰ったその宝石も、己を奮い立たせたジロの言葉もシャルロットの行動も、鈴音の生が無ければ存在しなかった。

 だから鈴音はこれからも生きたい。鈴音自身の為に、生きて吸収していきたい。己が生きてきた証の一つ一つを、無駄にしない為に。

 吸収して糧にして、何かを得る為に。

 

 そして今また一つの出来事が、鈴音の生の一部になろうとしていた。

 

《アナタたちの生も、アタシが引き継ぐ。アナタたちはアタシの中で、ずっと生き続ける。だから…》

 

 

 それ以上の言葉を、鈴音は左手を覆う硬質な感触により遮られる。

 鈴音の手を優しく包み込む音檄の右手も、そしてバイザーの視線の先も、鈴音の手の中にあるモノを示していた。

 

 それを察した鈴音は左手を開け、ペンダントを彼の右手に乗せる。

 

───…

 

 人の形をした、硬く体温の無い手。表情が無ければ言葉すら発せない、意味の無い顔。

 それらは今、紫にも紅にも桃色にも見える、少し光を反射するただの透明な石を手に取っていた。そして、確かに見ていた。

 

 戦闘に何ら意味も必要性も無いその行為を、ごく短い間ながら音檄は続けていた。

 

 

 音檄はペンダントを離すと、石と化した様に未だ力強く柄を握っている鈴音の…甲龍の右マニピュレーターを解いた。

 

 そうして彼女の肩を、軽く押して自身から離した。

 

《待っ───》

 

 途端、音檄を覆う白銀のボディが淡く輝き出す。

 蛍の様に儚く美しいソレを、鈴音は固まったまま見つめていた。もし甲龍にスラスターを吹かせるだけのエネルギーが残っていたとしても、きっとその行動は変わらなかっただろう。

 音檄最後の、輝きなのだから。

 

 

 

《間に合わせろラファァァルゥゥゥゥゥゥゥ!!!》

 

 

 

 長い絶叫を放ち続けながらシャルロットは、今や生身に近い鈴音を潰さない様慎重にそして素速く抱き締め、2枚のシールドを背面に展開しては一気にスラスターを爆発させる。

 

 シャルロットたちを覆う透明なエネルギーシールドの奥、鈴音にはどんどん遠く小さくなる音撃が見えていた。

 

カッ!

 

 無論、その最期も。

 

 青白い球体は一秒もかからず広がり、半径1キロ以上を忽ち浸食した。その膨大な熱からは、流石のラファールでも完全には逃げ切れなかった。

 

 2枚の透明な盾からは電流が迸り、激しく軋む。

 だがシャルロットは、同じ事しか出来ない。ただ真っ直ぐスラスターを吹かせ、2枚のシールドを信じ展開し、ツインテールの少女を抱き締め守るだけだ。

 

 

 

 

 

 堅牢なる盾を全て失い、そのままの姿となった橙色の機体が宙に浮いていた。

 その機体を纏うシャルロットは、疲れ果てた様などこか呆然とした表情で、爆発の止んだ空間を見ていた。抱き抱える彼女の左手には鈴音の肩が、同じく右手には鈴音の脚があった。

 

《シャル…ロット…》

 

 仰向けで見つめてくる鈴音から初めて名前で呼ばれたシャルロットは、表情をそのままに彼女を見下ろす。

 

《アンタ中々……格好良かったわよ…》

 

 違う、そんな事はない。本当に格好良いのは昭弘やジロの様な、格好付けるまでもない奴等の事だ。見てくれを気にせず、人を鼓舞出来る人たちの事だ。

 そう思いながらも、シャルロットは敢えて無理に格好付ける様に微笑んだ。

 

《でしょ?》

 

 どこか寂しそうに、微笑み合う鈴音とシャルロット。

 

 だが戦闘はまだまだ終わっていない。それを告げるかの様に、一本の通信がシャルロットに届く。

 

《ウィンターよりSR(シャルロット&ラファール)へ》

 

《…はい、こちらSR》

 

《急ぎ、サブロとシロの援護に付いてくれ。凰はジロに運ばせる》

 

 千冬の意図は一々考えるまでもない。

 元々郷鐘のスペックは、専用機に大きく劣る。ジロが残るより、ラファールが戦線に残る方こそ理に叶っている。ダメージもラファールの方が軽微だ。

 

《…了解です》

 

《死闘の後ですまないが、引き続き頼む》

 

 

 

 

 

 

 シャルロットの代わりに、鈴音を抱き抱えながら旅館へと向かうジロ。SEが尽きてしまわぬ様、そして身体中の電流が彼女を傷つけない様、出力を極力抑えながら。

 それでも急がねばならない。鈴音の外傷は軽度の火傷程度だが、本人は疲れからか衰弱している。早めに休ませるべきだろう。

 先の戦闘空域が、海岸から最も近い事だけ幸いした。

 

《……ジロ》

 

 左腕で両目を押さえながら、鈴音は微力を振り絞る様に声を発する。

 彼女の体力の為にも「喋るな」と言った方が良いのだろうが、ついジロは聞き返してしまった。

 

《ドウサレマシタカ?》

 

 押さえる少女の腕下からは、太陽光を反射する透明な雫が流れていた。

 

《アタシ…殺しちゃった…アナタたちの仲間を…》

 

 対する答えを、ジロはとうに決めていた。音檄を斃した鈴音に、何と伝えるべきか。

 

《ソシテ貴女ハ生キ残ッタ。貴女ニトッテモ皆ニトッテモ音檄ニトッテモ、ソレコソガ最重要事項デス》

 

 それでも、鈴音の涙は留まる事を知らない。もし音檄に、こんなジロの様な心があったかと思うと。音檄も生きたかったのかと思うと。

 あの時、ジロをあんな軽い気持ちで殺めてしまったのかと思うと。

 

 

《…眠ッタカ》

 

 精神的肉体的疲労に加え、泣き疲れてしまったのだろう。鈴音は涙の痕を残しながら、ジロの腕の中で寝息を立てていた。

 

《オ疲レ様デシタ、鈴音殿》

 

 最後にジロはそう最小音量で呟き、鈴音を起こさぬ様細心の注意を払って海猫たちを通り過ぎて行った。

 

 その時、スラスターから漏れ出ていた黒煙が嫌だったのか、海猫たちは大袈裟にジロを避けた。



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第69話 福音 ④

 得体も解らない液体の中で、少年は目覚めた。眠りから覚めたというより、瞼を開けた事自体その時が初めてだった。

 知識は無くは無いが乏しく、知能はそれなりにあった。

 自身を閉じ込める、だが外の景色が確認出来る透明な球体。自身の口や身体のあちこちから伸びている、肉ではないチューブの様な物。
 それら視覚情報により、今自身が人の身体の中に居るのでは無いと少年は理解した。
 そこで初めて、少年の頭に疑問というモノが生じる。では人の腹の中に居ない自分は、一体何者なのかと。


 次なる初めては、他人の顔だ。
 その顔は、球体の直ぐ外にあった。外見的特徴からして性別は雄。白衣をその細い身体に纏い、頭は黒くボサついており、目と思しき部分には夫々銀色の枠の様な何かが掛けられていた。
 他の細かい特徴は液体でぼやけて判らないが、男の眼光だけは何となく把握出来た。それは視覚的には“何となく”だが、それでも一目瞭然だった。少年を見る男の視線は、身体を貫通して脳に届く程冷たかった。

 それで少年が抱いた初めての疑問は解消された。自分は「人間ではない」のだと。




 日にちは流れていき、球体から出る頃には少年は人の言語を理解出来る程になっていた。その発声に関しても、一言二言話せば慣れる。そう作られたのだ。
 彼は、一日でも早く即戦力とならねばならない、人類史上初の男性IS操縦者として。もし男性の身でISを動かせれば、少年を作った組織と国が得る益は計り知れない。そんな、己が何の目的で作られたのかも少年は理解し始めていた。
 だが誰がどんな得をするかなんて、少年にはどうでも良いし理解する必要性も無い。そう作られたのだ。


 産声を上げる事すら無く、カプセルから出され付着した液体を丁寧に拭かれる銀髪の少年。液体から解放されたその視界には、人間たちの顔がより鮮明に映っていた。
 
 薄緑色の衣服を着せられ、台の上に寝かされては細かく検査される少年。
 そんな中、初めて話しかけてきたのはやはり銀縁眼鏡のボサ髪男だ。近くで見ると、顎を中心に顔面の至る所で短い毛が点在している。

「おはよう、そして初めまして。僕『所長』」

「ショ…チョー…」

 機械の様に抑揚の無い声で、そう名乗る所長。
 対して少年は紅い瞳を真っ直ぐ天井へ向けたまま、相手の名を復唱するに留まった。少年には、未だ名前が無いのだから。

「君は、あー……名前は後でいいや。他に訊きたい事あるし」

 そう言われて、仰向けの少年は所長の顔を覗き込む。レンズの中に潜む彼の目は、相も変わらず雪すら降らない程冷たかった。
 だが何故だろうか。所長のそんな冷え切った目には、ごく小さな「真摯」が鯰の様に蠢いていた。

「君さぁ───」







 ゴルトロム。

 

 己の中で充満・循環しているエネルギーを、より少なく消費しより強大な「力」へと変換する。ISの内にて漲るソレを黄金と例えるなら、充満・循環そしてエネルギーからパワーへの最良な変換は正しく「黄金の流れ」。

 「黄金」と「流れ」。シュバルツェア・シュトラールの単一仕様能力は、それらの単語を安直に付け足す事で名付けられた。

 

 会敵直後、短期決着を目論んでいたラウラは早速その単一仕様脳力で音檄を攻め立てる。

 瞬時加速すら超えるこの状態なら、機動力で音檄に勝れる。遠く離れたこの空域なら、敵に連携を取られる事もない。

 時には空間そのものを蹴る事で、戦闘機は勿論ISですらとても到達出来そうにない尖った軌道を描いては、空間を満たさんばかりの光弾の隙間を掻い潜るラウラ。一刻も早く敵の数を減らし、皆と合流せねばならない。

 

 だがラウラのそんなプランは今、高い壁に塞がれていた。

 

(ッ…楽しませてくれる)

 

 長所と短所、相手と自身のソレを音檄はきちんと理解していた。

 シュトラールは確かに疾いが、見かけ通りの薄い装甲で防御力に難がある。SEと操縦者保護機能のみで主を護っているに等しい。強力な光弾が一発でも当たれば、シュトラールのSEは一気に無くなってしまう。

 ともなれば音檄の戦法は一つ。翼角光弾ガン及びマルチスラスター全てを射撃に当て、最大弾幕で押し切れば良い。機動力は大幅に損なわれてしまうが、これなら投擲しか飛び道具の無いシュトラールは近付く事も叶わない。大玉が2発でも当たれば、それでシュトラールは詰みだ。

 

(向こうのエネルギーが先に尽きる…というのは希望的観測に過ぎるか。その前にこちらの集中力が切れる)

 

 いくらシュトラールが疾かろうと、それを操るラウラも所詮生身の人間だ。超機動、そして視界に入る高密度な光の弾幕は、彼をジワジワと疲弊させていく。

 

 そうなればいずれ当たる。音檄は、その瞬間をただ待っていればいいのだ。

 

「ならッ」

 

 ますます決着を急がねばならなくなったラウラは、躱してばかりいても始まらないので行動に出る。彼は可能な限り音檄へと接近し、光弾の当たらないギリギリの所でモーニングスターを投擲した。

 音檄は小スラスターを吹かして真横へ避けるが、回転し向かって来るスターは大した速度でもない。ISと比べればスローボールみたいなものだ。

 故に、音檄がスターを躱した時には、シュトラールも既に移動を完了していた。スターとシュトラールで、丁度音檄を挟み込む位置に。

 

 シュトラールへと向かう様に、カクンと直角に曲がるモーニングスター。その先には当然、躱したばかりで体勢も整っていない音檄が。

 

 「当たる」と、そうラウラが確信した時だった。

 

♪~~~

 

 ラウラの戦術を読んでいた音檄は即座にマルチスラスターを光らせ、放たれた多数の光弾はスターを忽ち飲み込んだ。

 

 一瞬で蒸発してしまったモーニングスター。だがラウラは嘆く事も、相手の強さに感服する事もなく、この瞬間の行動に努める。

 今スターに放った光弾は12発。リロードを考えると、今この瞬間音檄が使える武装は光弾ガン、そして残りの光弾12発。

 

 ラウラはシュトラールを突っ込ませた。この距離、瞬間的に薄くなった弾幕なら、躱しつつレイピアによる斬撃をお見舞い出来ると判断したのだ。

 無論ただ直進する様な愚は犯さない。全方向へ動いて光弾を全て躱し、それでいて突き進み最短時間で攻撃する。

 

 そう数瞬先の未来を組み立てながら、光弾ガンの掃射を躱すシュトラールだったが───

 

 

───ッッ!!!???

 

 

 嘗て一度たりとも味わった事のない、底なし沼に足を取られる様な悪寒を感じ取ったラウラは、音檄への突撃を中断して直ちに距離を置いた。

 

 攻撃を中断したシュトラールに対して、音檄は再び弾幕を張り巡らせる。

 

(…何だ…この感覚は?音檄の様子に変化は無い、間違いなく私の変調だ)

 

 だがその変調は、音檄と戦い始めた時からラウラの中に居座っていた。夕日によって伸びる影の如く得体の知れないソレは、モーニングスターが破壊された事でより鮮明となった。

 

 余りに有り得ない事だからか、少し遅れてその正体にラウラは気付いた。

 

(「死」を恐れているのか…?この私が…)

 

 過剰なまでの光弾への警戒、無謀な突撃の中断。すぐ隣から覗き込んで来る「死」に、ラウラは恐れおののいていたのだ。

 あってはならないバグだった。ラウラは兵士として生み出され、その教育を受けてきたのだから。

 

 その原因に、ラウラは至極すんなりと行き着いてしまった。遅れて気付いた死への恐怖とは違い、考えるまでも無く。

 

 もし死ねば、充実した日常を送れなくなる。もし死ねば、ブリュンヒルデを超えられなくなる。そして……もし死ねば、昭弘に二度と会えなくなる。

 嘗ては生まれなかった「喪失」への恐れが、ラウラにとっての枷となっていたのだ。

 

 失うものなど何一つ無かったあの頃のラウラなら、先の攻防も躊躇無く突撃出来ただろう。

 

(私は……弱くなったと言うのか?)

 

 尚も光の豪雨に晒される中、ラウラは考える。人と出会い、人に学び、人に影響されてきたこれまでの自分は、全て無意味だったのかと。

 最強を目指す今よりも、何も無かった過去の方が強かったのかと。

 

 

 

 

 

───

 

「君さぁ、これからどうなりたい?」

 

「……な…りたいも……のなど……ない。わ…たしは……命…令を全うす……るだけ…の兵士だ」

 

───

 

 

 

 

 

 今や忘れかけていたそんな昔のやり取りを、ラウラはふと思い出していた。

 何故唐突にそんな事を所長は訊ねてきたのか、今となってもラウラには解らない。気まぐれか、或いは兵士としての生を定められていたラウラへの嫌味か。

 ただあの返答は、今のラウラからすれば鼻で笑ってしまいたくなる程、退屈で短絡的なものだった。事実、所長もつまらなそうに冷たい溜息を吐いていた。

 

 そしてその方が強いともなれば、成程確かに皮肉な話ではある。生まれたばかりのラウラが今の自身を見れば、それこそ鼻で笑うだろう。

 

 ではあの時のラウラなら、この強敵に勝てたのだろうか。

 

 

 

───違うだろう?

 

 

 

 間違いなく負けていた筈だ。必死にもならずただ命令通り戦い、死んでいた筈だ。そしてそうなる事を何とも思わなかった筈だ。

 

 確かに今のラウラは死を、そして敵を恐れている。

 何故なら決して、負ける訳にはいかないのだから。今自分が負ければ、残された仲間たちもそのまま将棋倒しの様に負けていく。

 そしてもし自分が死ねば、昭弘の苦しみを理解してる人間が居なくなる。誰とも苦しみを共有出来ない、真の孤独となってしまう。

 

 こんなにも、こんなにも勝たねばならない理由が溢れてるから、ラウラは勝ちたいのだ。

 いや、証明せねばならないのだ。何が何でも勝ちたい自分は、最強を目指す自分は、あの時の空っぽでつまらない自分より遙かに強いのだと。

 

 自分が歩んできた人生は、無意味なんかじゃなかったのだと。

 

 

(そうか…やはり私は───)

 

───どうしようもなく“人間”なのだな

 

 ラウラは過去に戻って、試験管の中で勝手に結論付けている自分へ告げたい気分だった。

 お前は人間なのだ。人間なのだから、なりたいものになればいいのだ。なりたいものがあるなら、若しくはまだ見つかっていないのなら、死を恐れていいのだ。

 例えなりたいものが見つからずとも、死ねない理由となる程の人間が必ず見つかる。

 

 

 人間の戦い。それはまさしく、失う事との戦いなのだ。

 

 

 

ヒィィィゥゥンッ!!

 

 

 

 再び音檄への接近を試みるラウラは、シュトラールを弾幕の中心部へと向かわせる。その帰結として当然、進めば進む程に光弾同士の間隔は狭くなっていく。

 だがもう、音檄に先の様な投擲は通用しない為、弾幕の分散は不可能。

 

 それで構わなかった。恐れと向き合いながら突撃するコレこそ、ラウラとシュトラールの戦い方であり、強さを証明する唯一の道筋なのだ。

 

 その機動は、今まで以上に紙一重なものとなっていた。もう鋭角的な軌道ですらなく、光の大玉は身体を左右に捻る最小限の動きで躱し、僅かに光が擦る。その螺旋軌道は、前へ前へと曲線を伸ばしていく。

 結果、少しずつシュトラールのSEは減少していくが、動きに無駄がない為音檄への接近も先程より遙かに早い。

 

 だが迫り来るのは大玉だけではない、より間隔の短い小玉による掃射も待ち受けている。

 そして案の定、大光弾の隙間を埋める様に小光弾も連射される。隙間無きそれらの前では、流石のシュトラールも回避不能だ。

 

ピシャン!ピシャァン!!

 

 故に、殴りまくって小光弾を相殺する。

 打撃格闘に特化したシュトラールの手足は、通常ISの装甲より遙かに硬い。加えて今は、細かく分裂したパンツァー・カノニーアが手足を更に硬く強化している。大光弾ならともかく小光弾程度では、その拳足を突破出来ない。

 ただこれは、最小動作の螺旋機動を維持しながら、大光弾と大光弾の間にある小光弾だけを正確に殴り抜き、できた小さな隙間に潜り込むという事。想像すらしたくない神技的難易度と言える。

 

 顎を締め上げ、強く閉じられた上下の歯を口から覗かせ、大粒の冷や汗を至る所から垂れ流すラウラ。

 喪失への恐れと勝利への渇望、それらの急激な温度差によりその顔は作られていた。

 

 音檄としては、ある程度なら近付かれても構わない。光弾の束で押し切るまでだ。

 だがそれは「ある程度」であって、格闘戦の間合いである至近距離となるとそうも行かない。大光弾を放つ巨大な主翼には、近接戦に対応出来る程の機動性がない。つまりそうなれば、頼みとなる飛び道具は光弾ガンのみという事になる。

 おまけに音檄の防御力は紙ペラ同然で、シュトラールクラスの打撃を喰らえば2発程度でSEは尽きる。

 

 近接戦の間合いまで来られたら、場合によっては音檄も「最終手段」に出ざるを得なくなる。

 

 

 そうして遂に、ラウラは再び到達する。人生最大の恐怖を抱いた、あの間合いへ。

 

「まだまだぁぁぁああああッッ!!!」

 

 そこから、更に前へ奥へと接近する。絶えず、致命の流星を降らせてくる音檄へと。このまま一気にレイピアを突き刺すつもりの様だ。

 と見せかけて───

 

シュババッ!

 

 ラウラは構えたレイピアを二刀とも投擲した。一つは音檄目掛けて真正面へ、もう一つは音檄の頭上遙か天高くへ。

 

 先ずはモーニングスター同様、弾幕をそのままに小スラスターで真横へ軽く避ける音檄。

 

 後はシュトラールがどちらに動くかだ。音檄と同様真横に移動するなら、後方から戻ってくるレイピアを破壊する。シュトラールが下方に動くなら、投げ上げられた方のレイピアを破壊する。

 どの道シュトラールとは、あと2歩程度で拳が届く至近距離。ここまで近付かれては、主翼から放たれる大玉も当てられない。距離を取ろうにもマルチスラスターを空中機動に使えば、弾幕が薄くなり敵の高速機動に捕まる。

 かと言って光弾ガンだけでは、両拳のラッシュに弾かれる。

 

 音檄に残された選択肢は“掴み攻撃”だ。殴りだろうと蹴りだろうと当たった瞬間に掴み、シュトラールの最も装甲の薄い部分に一撃を叩き込む。最小機動による無謀な回避行動でシュトラールのSEが大部削れている今、格闘戦で仕留められる好機だ。

 もしそれで削り切れなくとも、最終手段で道連れにするまで。

 

 本来なら少しでも長く生き、福音()の為により多くの敵を仕留めるべきだが、それが無理なら玉砕してでも眼前のISを滅するのみ。「ISを撃墜する」、彼等はそんな福音の望みを叶える手足でしかないのだから。

 即ちシュトラールを捕まえさえすれば、音檄の目的は達成される。

 

 僅かコンマ秒の内にそう判断した音檄は、主翼の大玉を全弾、上方後方から来るであろう両レイピアの予測進路上に放ち、光弾ガンをシュトラールに吐き出しながら攻撃を待つ。

 

 空間を蹴ったシュトラールの移動先は、音檄の直下であった。

 そのまま更に空間を蹴り、右拳によるアッパーが来る。そう音檄は予想していた。

 

───!?

 

 が、空間を踏んだシュトラールはそのまま音檄の後方へと素通りする。既に、光の大玉24発はレイピア2刀へと放たれていた。そう、音檄の「予測進路上」に。

 

「来いッ!」

 

 音檄の後方斜め下側という想定外の位置から、ラウラはレイピア2本を呼び寄せたのだ。結果としてレイピアの軌道は大玉の進路上から外れ、シュトラールの手元へと奇麗に戻った。

 音檄はそのままグルンと頭を前半転させ、上下逆さになりながらもシュトラールへ光り続ける翼角を向ける。

 

 が、シュトラールの方が一手速かった。二刀のレイピアは両腕の動き通りに突き進み、音檄両翼の光弾ガンを串刺しにする。

 あんなにも光り続けていた翼角はスパークを起こし、歌声は遂に止んだ。

 

 そしてシュトラール、目にも止まらぬ速さでレイピアたちを引き戻して更に追撃。

 大気しか存在しない中空にて両足をしっかり踏み締め、足から脚へ、脚から腰へ、腰から背中へ、背中から胸部へと力を伝達させる。そして力の流れは、最終的に右腕へと集約される。

 この間、僅か0.3秒。

 

ガギンッッ!!

 

 シュトラールがフルパワーで放った次なる攻撃は、右レイピアによる刺突。

 

 だが想定通り持ち堪えた音檄は間髪入れず、下から上体を起こす様にシュトラールの右手を掴もうとする。

 

「甘い!」

 

 だがシュトラールはレイピアから右手を離し、即座に手を引く。

 音檄の鷲掴みは、僅かにリーチが足りず虚しく大気だけを捉えた。分裂した電磁砲によって硬く長く強化されたレイピアの間合いは、掴みより遥かに遠い。

 最終的に勢い余って一回転する事となった音檄は、再びシュトラールに背中を向けてしまう。主翼の大玉も、この至近距離では無意味。

 

 勝敗が決した瞬間だった。

 

 

 

ザギッ…

 

 

 

 残った左レイピアによる刺突は、音檄のごく少ないSEを削り切り、そのまま護られていた鋼鉄の身体を背面から穿った。

 

 

───勝った

 

 

 ラウラがほんの僅か一瞬、そんな勝利の余韻に浸かった時だった。

 

ガギギギ…ガゴンッ!!

 

「!!??」

 

 音檄の主翼が後方へと折り畳まれる様に動き、そのままシュトラール諸共ラウラを包み込んでしまったのだ。その様はまるでベアハッグ。

 

「貴様ッッ!!!!!」

 

 当然、これから音檄がやろうとしている事なんて考えるまでもない。

 ラウラが思い描いた未来を油性ペンでなぞる様に、音檄の身体全体が青白く輝き出す。

 

「クッソォォォォォォォォ!!!」

 

 藻掻くラウラだが振り解けない。背後から来る翼の圧力によって、握ったレイピアはジワジワと深く音檄に突き刺さっていく。

 

「ッ!」

 

 それが幸いした。レイピアが根本まで刺さり切っていない、つまりは剣身に未だ余裕を残している事が。

 

 引いて駄目なら押してみろ。そんな閃きに従ったラウラは、凄まじい勢いでレイピアを更に深く押し込んだ。柄まで届く程に。

 

 刹那、ラウラの背中と包み込む翼の間に、拳二個分程の空間が出来た。

 

 

 

ピャャャアァァァァァァァ!!!!!

 

 

 

 四方八方へと広がる、形あるもの悉くを消し飛ばす破壊の球体。

 ISに護られし人間であれ、そんなモノをモロに浴びたら無事では居られない。SEは尽き、鋼鉄は蒸発し、放り出された五体は骨すら残さないだろう。

 

 

 爆発を見下ろしながら、そんな「有り得たかもしれない己の姿」を想像し、戦慄するラウラ。

 

「フゥ…スゥー…フゥ…スゥー……」

 

 圧迫の緩んだ一瞬を逃さなかったラウラ。レイピアから即座に手を離し、瞬時加速すら欠伸で流してしまう程の速度を以て、遥か雲上への回避がギリギリ間に合った。

 

「……何て執念だ」

 

 散った敵に畏怖と敬意を評する様に、そう呟くラウラ。

 音檄が単なる兵器と聞かされていたラウラだが、アレはまるで「心がある」かの様な執拗さであった。或いは明確な意志でもあるかの様な。

 

「……止そう」

 

 そう言いながら、彼は首を左右に一度ずつ振る。考えた所で、AIの専門家でもないラウラには過ぎた領域だ。

 

 ラウラは戦いに勝ち、そして生き残った。音檄は戦いに負け、道連れを狙うも失敗した。ただそれだけだ。

 

「…」

 

 光の球体が晴れ、そんな冷たい事実だけを残した星屑の様な残骸が、白銀色に太陽光を反射している。

 然れどそれは、死力を尽くした結晶であった。絶対に失わない為に戦い抜いたラウラの、必ず失わせる為に戦い抜いた音檄の。

 

 

「………良い戦いだったぞ、孤高の闘争者よ」

 

 

 ラウラは音檄を、嘗ての愚かな自分とは決して重ねなかった。

 

 ごく短い時間の中で、文字通りその生命が尽きるまで戦闘の限りを実行する音檄。何も持たず、何も得られず、誰とも繋がれず、それでも尚ただ純粋に戦い抜く。その生き様に哀れみを抱く事が、どうしてもラウラには出来なかった。

 たかが機械であれ、その様は戦士として余りに淀みが無く、瞬間的な美しさでは線香花火の様な完成度を持っていた。

 それが少し羨ましかった。どこまでも人間でありそんな自分を良しとしているラウラには、どう逆立ちしても成れない領域だ。例え戦士としての頂に立ったとしても。

 

 

 そのラウラが羨むのであれば、音檄の事を「孤独」ではなく「孤高」と呼んでも良いだろう。

 

 

 

 

 




福音と音檄の設定で言い忘れてましたが、マルチスラスターは推進剤として使われている時、エネルギー弾(光弾)が撃てません。逆も然りで、射撃中は推進剤の役目を果たせません。
故に飛びながら撃つ際は、撃つスラスターと推進するスラスターとに一門一門調整する必要があります。

今回みたいに24門のマルチスラスター全てを射撃に使っていた場合、補助スラスター・小スラスターでしか移動できません。


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第69話 福音 ⑤

─────花月荘 作戦司令室

 

 僚機を示す丸い黄緑色のSEゲージと、敵機を示す四角い赤色のSEゲージとが、各所で入り乱れる。そんなマップが、コア・ネットワークを通じてハイパーセンサー上に表示されている。

 

 打鉄を纏いながらそうやって戦況を把握している千冬は今、正に瞬間的な判断に迫られていた。

 

 音檄を見事討ち取った甲龍はSE切れから粒子化、ジロも鈴音を運び此方に向かっている。

 簡易的な充填装置ならあるにはあるが、IS学園の設備に比べて充填時間が掛かり過ぎる。戻ったジロたちを再び向かわせる事は出来ない。

 この2機が抜けた穴は大きい。

 

 そんな状況下での、ラウラによる2機目の音檄撃墜だ。既にシュトラールも現場判断で移動を開始しており、行き先は方角的に福音本体ではなく他の音檄。

 本体を数機掛かりで確実に倒したい今、それは正しい判断だ。すぐにでも昭弘を助けたいという情動を、よく抑えている。

 問題は、残り少ないSEのシュトラールをどのグループに増援として送るか。言い方は悪いが折角の生きた駒だ、効果的に使わねばなるまい。

 

(…最も反撃を受ける割合が低いグループは、4対2の一夏たちだ。次が3対2のデュノアたち。最も戦況が厳しいのは…2機相手に踏ん張っているオルコットか)

 

 もしセシリアが墜ちれば、形勢は完全に逆転されてしまう。

 だが今シュトラールをその猛攻只中に送れば、何も出来ずSEが尽きるだろう。2対2へ持ち込めても、僅かなSEでは光弾が掠っただけでも墜とされる。

 

 いや抑もが、射撃武装のほぼ無いシュトラールに出来る事自体が限られている。近接攻撃か陽動か、機動力を生かした攪乱か。

 となるとやはり───

 

「ウィンターよりLS(ラウラ&シュトラール)へ。そのままSRと合流せよ」

 

《こちらLS了解。SRたちの援護に向かう》

 

 既に白式が陽動攪乱役として機能している今、その役をもう一機追加する必要もあるまい。

 

 

「ハァ……」

 

 

 合理的判断を下せた千冬は通信後、深い溜息に身を任せていた。

 感情を殺して最善の采配に努める司令塔、どれだけ慣れようと気持ちの良いものではない。

 

 冷徹に司令を下す最中、常に傍らに灯るのは昭弘とセシリアの事だった。2人に負担を押しつけてしまっている事への申し訳なさ、そして底知れずの心配が、千冬の心を横に縦に締め上げる。

 それと同質の感情は当然、戦い抜いた鈴音とジロ、そして今も戦い続けている皆へも向けられる。

 

 司令塔なのだから戦線に出れないのは仕方が無い、旅館内にいる非戦闘員を予期せぬ敵から護らねばならない、最終防衛線に最大戦力が構えるのは当然。理由も言い訳も湯水の如く出てくる。

 だが生徒たちは、陸も限りも無い戦場でその身を張っており、千冬は比較的安全な屋内からただ指示を飛ばしている。この現実は決して変わらない。

 本来なら生徒たちを護らねばならない立場の教員が、生徒たちを戦場に送り出している。それしかないとは言え、こんなに酷い話があるだろうか。

 

 それに耐えねばならない事、今すぐにでも旅館を突き破って駆けつけたい衝動を抑える事が、今の千冬にとって一番堪えるものだった。

 

(…もう少しだけ耐えてくれアルトランド、オルコット。皆も、どうかこの馬鹿げた任務を完遂して欲しい)

 

(そして……こんな「申し訳ない」と思い続ける事しか出来ない自分を、どうか許して欲しい…)

 

 千冬は再び、今度は凍った湖の底よりも冷たい溜息を吐いた後、また戦況が変化するまでの静かな苦痛に耐える事とした。

 

 

 

─────同所 地下

 

 生徒たち、兵装関係者たち、そして本旅館の従業員一同。温かみの無い蛍光灯が照らす大空間に詰められている、彼等非戦闘員の様子は様々だ。

 自己或いは他者への心配、不安から来る苛立ち、ただ隠れている事への無力感。中には担架やら携帯式医療器具やらを手元に置いている者たちも居る。

 だが誰しも例外無く抱いているモノは、死にたくないという切望だ。

 

 何やらコソコソと話し合っている相川たち3人も、当然その本能からは逃れられていない。

 会話の内容を聞けば、とてもそうは思えないだろうが。

 

「どの通気口も出られそうにないかぁ…」

 

「敢えて更に下に行ってみるとか~」

 

「ここが最下層だよー本音。てか「敢えて」の意味が分かんないよ…」

 

 彼女たちは、旅館からの脱走を画策していた。それも、演習が中断されそのまま地下に追い遣られてからずっとだ。

 無論、上へ続く正式なる出入り口だの裏口だのは外側から鍵が掛けられており、近くには監視カメラまで設置されてる徹底ぶりだ。カメラの映像は1階作戦本部の多分割モニターへ送られ、鬼がリアルタイムで閲覧出来る。

 トイレが常備されてるとは言え、ほぼ監禁状態である。

 

「そうだ本音!さっき誰かと電話してたよね!?」

 

「え~?…まぁうん」

 

 となると、此処は地下だが少なくとも地上と連絡が取れる事に。

 

「いよし!今から織斑先生に電話して説得してみる!」

 

「いや流石にそれは…」

 

PLLLLL…

 

 谷本の言った通り、作戦中の千冬が電話に出る筈もなく。

 

「だぁー!!出たい出たい出たい!!」

 

 危険も無謀も承知であるし、悪い事だと自覚もしている3人。だが、何もせずただ待っているのはもっと嫌であった。彼女たちも、千冬と同じ心境なのだ。

 千冬の役に立ちたい相川、出撃したい谷本。

 本音もまた、外の様子が見たい。今“彼女”がどんな戦いをしているのか、遠目でも良いからその目で確認したいのだ。

 

 彼女たちだって死ぬのは怖い。だがそれらは、正しく命を張るに相応しい事であった。

 

 

「やめておいた方がいいと思いますよ、お嬢さん方」

 

 すぐ側で男の小さい声が響き、3人はグルリとその主へ振り向く。

 どうやら、ずっと盗み聞かれていた様だ。

 

「あ!あのすんごいミニ砲弾の人!」

 

「お、IS学園のお嬢さんに覚えて貰えて光栄です」

 

 先程派手に撃った兵装が偉くお気に入りだった相川は、開発者と再び会えて別の方面へ興奮する。

 そんな彼女を他所に、谷本が白衣の中年男性に物申す。

 

「そりゃ、いけない事だってのは解ってますけど……」

 

 誰もが抱いている自制心、というよりかはある種の常識、「非常時こそ指示通りに」。3人にはどうにも馴染めない言葉らしい。

 だが男は、何もそんな当たり前を言いたい訳ではなかった。

 

「皆さんまで危険を冒したら、織斑教諭も戦線の皆さんも悲しみ苦しみます」

 

「うっ…」

 

 そう言われてしまうと、相川はぐうの音も出ない。

 千冬も昭弘たちも、他ならぬ自分たちを守る為に戦っている。だのに自分たちが自らそれを放棄すれば、彼女らの奮闘は徒労に終わる。

 

 だがそれこそ、谷本にとっては尚の事納得が行かなかった。

 

「……そんなにも、私たちって弱いんでしょうか。一緒に戦ったら足手まといになるくらい…信用出来ないくらい」

 

「強い弱いではありませんよ。子供が戦わずに済むのなら、それに越した事は無い。ただそれだけなんです。本来なら専用機乗りのあの子たちだって、戦うべきではないんです」

「子供が楽しく安全に競い合う事こそ、IS本来の在り方なのだから…なんてあんな弾を作った私が言っても、説得力ゼロですが」

 

 綺麗事だ。今の世界が聞けば、呆れ返って笑い転げるだろう。

 

 だが、谷本だってその競い合いは好きだし、ISで人が傷付くのも嫌だ。もし銃や剣がISの競い合いだけに使われるのなら、どれだけ素晴らしい事だろうか。

 自分たちを本当に戦わせたくないという大人の思慮を知った谷本は、漸く目が覚めた。それは規則だの指示だのという事ではない、千冬も含めた大人たちの本気の心配をこれ以上ないがしろにする程、谷本も子供ではない。

 

「ハァ…負けました」

 

「同じく…」

 

「おじさんいい事言うね~!」

 

 若者の暴走をどうにか止める事ができ、男は冷や汗を額にてからせながら微笑んだ。

 

 とは言え、この地下空間ではやれる事も限られてくる。いや、先ずやれる事など無いだろう。

 やはりただ祈るしかないのだろうか。

 

「戦線の皆へは無理としても、せめて織斑先生に声援の一つでも送れないかなー…」

 

 相川が何気なく放った一言を聞いて、本音の頭内を閃きが照らす。

 

「皆~、耳貸して~」

 

 

「…」

 

 

「それイカス!」

 

「けど紙とペンは?」

 

「私の白衣を使って下さい。ペンは他の研究員にでも聞いてみます」

 

「イヤイヤ!悪いですよそんな!」

 

「いえいえ、何せ非常時ですから」

 

 

 

 

 

 心配、自責、無力感。

 薄青いホログラムに囲まれた空間で、耐え続ける千冬の内側をそれら負の感情が支配していく。

 ただ変化をジッと待つ時間がこんなに辛い状況も、そうはないだろう。

 

「……ぅん?」

 

 すると変化は、唐突に現れた。それは遥か遠くの戦況ではなく、千冬のすぐ側にある監視カメラ用のモニターでだ。

 

 最初の最初、分割画面の一つに現れたのは相川、谷本、本音であった。

 すると彼女たちはカメラに向かって軽く手を振った後、白い布を掲げた。

 

 

『織斑先生大好き♡だから負けないで!!』

 

『私たちもついてますよー!』

 

『セッシーや皆にも宜しく伝えといて下さ~い』

 

 

 千冬の視界に、丸みのある可愛らしい、然れど急ごしらえだったのであろう少し雑な文字が入り込んでくる。

 

「これは…」

 

 彼女が当惑している間に、他の画面にも変化が現れる。

 生徒に旅館の従業員、関係者ら皆が、相川たちと同じく嬉々とした様子でそれら監視カメラの前に現れる。研究員たちから拝借したであろう白衣に書かれた、言葉を掲げて。

 そのどれもが、千冬と戦線の戦士たちに対する激励の言葉だった。

 

 変わらぬ薄暗い室内に届く無音の声援は、だが確かに千冬の瞳を通じて脳内へと届き、そして鮮明なる変化を彼女にもたらす。

 凍らされて形を保っていた負の感情は、中心から広がっていく熱によりあっという間に溶けていった。

 

「…馬鹿が」

 

 漸く千冬は、緊急事態となってから初めて笑った。

 監視カメラをとんでもない事に利用している皆への感服、そしてこれ迄の自分自身。千冬の短い言葉は、その双方を指していた。

 

 地下へと避難させられた皆は、千冬以上に不安な筈なのだ。外の状況を何も把握出来ないのだから。その彼等彼女等でさえ、誰かの為に何か出来ないかと懸命に前を向いている。

 そんな曇り一つ無い陽気に当てられて、これ以上何故下を向いていられようか。

 

 もう今の千冬に、自己嫌悪の類いは一切無くなっていた。

 

「…よし」

 

 背中に絶えず熱を与えられている千冬もまた、誰かの背中に熱を与えねばならないのだから。

 

「シャンとしろよ?“世界最強”」

 

 必ず、この作戦を成功させる。

 

 支える、そして支えられる全員の為に。



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第69話 福音 ⑥

 控えめに言って、私の母は酷く厳しい人だった様に思う。怒鳴るなんて事は無かったが、何に関しても決して妥協を許さない人だった。

 私はそんな彼女が好きだった。

 男女分け隔て無く平等に厳格で、良い意味でプライドが高く、前と上だけを見ながら王道を闊歩していく。頂では飽き足らず、その更に先を見据えては新たな道を作る人。
 女尊男卑という馬鹿げた風潮が蔓延するまでもなく、あの人は世の女性が目指すべき女帝として完成されていた。
 
 私は母を尊敬していたし、亡き今もその思いは変わらない。現に私自身も、一つの頂を目指しているのだから。
 だがそれは母を模倣している訳ではなく、淀み無き私の意志だ。血は争えない、とでも言えば良いのだろうか。


 母に抱く、今も昔も変わらない“好き”。彼女を思い浮かべる度、憧れ、誇り、そんな明るい言葉ばかりが脳内に羅列される。
 
 なのに私は、母を「愛して」はいなかった様に思う。目指すべき偶像ではあったが、それとは別に私が求めているものを母は与えてくれなかった。子供が母親に対して抱く、当たり前なソレを。


 寧ろ私は、母よりも父を愛していた様に思う。
 誰の前でも腰が低く、何に対しても臆病で、母とは対照的な酷く情けない人だった。私も決して好きではなかったし、いつもそんな父を反面教師としていた。

 それでも父は、父親として私に接してくれた。親が子に与えるべき愛を、弱腰な父なりに懸命に注いでくれた。
 だから私も、嫌いなりに父を愛せた。本来なら母が与えるべきものを、代わりに担ってくれたから。

 
 だが、終ぞ私の心が満たされる日は来なかった。
 父がどんなに優しく抱き締めてくれようと、子守歌を歌ってくれようと、手を握ってくれようと、頭を撫でてくれようと、どうしても何かが欠けたままだった。
 そして私は悟った。父がどれだけ私に愛情の光を当てようと、父は父であり、母にはなれないのだと。


 母の愛が欲しかった。私を優しく包んでは、誰にも代わりなんて務まらない温かみを与え続けてくれる、母の愛が。

  
 そうして2人が亡くなり、私は日に日に大人へと近付いていった。母の愛を知らないまま。

 愛を知らず大人になる、というのは少し語弊があるかと思う。
 愛に飢えている自覚が無いまま、心と身体だけ大人になる、というのが真に正しい表現だ。


 IS学園入学初日、私はそんな自分ですら気付かない飢えと渇きを抱えたまま、1年1組の教室へと足を踏み入れた。







─────銀の福音討伐チーム 出撃直前

 

ヴーーーッ ヴーーーッ

 

 地下施設にて待機している本音の液晶携帯が、彼女の手元で震える。

 その液晶に表示された名前を見て、彼女は迷い無く通話ボタンを押す。何かあったのだろうかと、心配で震えそうになる声を気丈にも抑えながら。

 

「ハ~イ!どしたのセッシー?」

 

《本音!……今宜しかったでしょうか?》

 

 セシリアは気色溢れる声で本音の名を呼んだ後、申し訳無さそうに声のトーンを下げる。

 

「全然問題無いよ~」

 

《そ、そうですか。貴女も含めて、皆さん大事無いでしょうか?体調を崩されてる方は…》

 

「今の所「ウゲェェ」ってなってる人は居ないかな~」

 

《それは…何よりですわ》

 

 セシリアらしくもない、どうにも長い前置きだ。心配してくれてるのは本音も嬉しいが、そんな事を訊く為に態々連絡を寄越した訳でもなかろう。

 余程言い辛い用件なのか、それとも何を話すべきか纏まってないのか。

 

「…セッシー大丈夫~?」

 

 考えても仕方が無いので、本音はそう問い掛けた。

 

《…》

 

 返ってきたのは沈黙だった。大丈夫じゃないのか、答える気が無いのか、本音はそんな結論を出さずにセシリアの返答をただ待った。

 セシリアから声が返ってきたのは、数秒の間を置いてからだった。

 

《大丈夫、怖くはありませんわ。ただ…出撃前に貴女の声が聞きたくて》

 

 話し相手なら周りに仲間が居るだろうに、何故態々自身の声を。

 等と、そんな細かき理由を本音は訊かない。これから命のやり取りをする場へ赴く人間に、態々問うべき話でもない。

 

「そっか~」

 

 だからそうとだけ返した。

 他ならぬセシリアが、自身の声を頼っている。本音にとってはそれだけで良かった。

 

 そして、声を聞きたいのなら時間が許す限り話すべきだろう事も、本音は分かっていた。

 恐らくだが、怖くないというのは嘘だ、声の調子と間の空き方で分かる。実戦経験が無いのは勿論、セシリアは本音と同様子供なのだから。

 だのにそう言わないのは、本音に無用な心配を与えたくないからだ。

 

 故に本音は、続けて掛ける声を決めた。

 

「セッシー、あんまり無理しなくていいからね?人間、やれることしかやれないものだから……」

 

 自分と話す時くらい気を抜いて欲しいと、戦闘中に逃げたければ逃げても良いと、それらを込めて放った言葉だった。

 

《…》

 

 返ってきたのは、またしても沈黙。

 通話越しに揺れる無言の息遣いは先程よりも長く、地上と地下に別れた2人の間を支配した。

 

《…………ありがとうございます。…では、失礼致しますわ。お時間を取らせてしまいましたわね》

 

「……ううん」

 

 そこで、2人の通話は途切れた。

 

 

 

 放心気味に青空を仰ぎ見ながらセシリアは、そのまま用済みとばかりに己の液晶携帯を今立っている砂浜へ投げ捨てる。

 

 セシリアは失敗したのだ。

 恐怖を少しでも排するべく本音の声を耳へ入れたのに、寧ろ恐怖は益々の増大を見せてしまった。

 セシリアは、怖くてどうしようも無かった。あの布仏本音と、二度と会えなくなってしまう事が。あの───

 

 

「大丈夫か?」

 

 だが、そんな低く憎らしい声のお陰で、セシリアは辛うじて気持ちを切り替えれた。まるで意地が恐怖を塗り潰していく様に。

 どうやら、余程彼女の様子は普段と掛け離れていたらしい。

 

「大丈夫でなければ、今此処にこうして立ってはいませんわ」

 

 瞼を閉じながら、昭弘にそう返答するセシリア。

 

 すると言葉の後、瞼を開けては隣の昭弘を睨む。今度こそ大丈夫だと、目指すべきモノの為に頭も心も不動となったと、そう示す様に。

 

「負けませんわよ」

 

「競走じゃねぇんだぞ」

 

「その位の心持ちで結構でしょう?やる事に変わりは無くってよ」

 

 確かにと、昭弘は小さく笑った。

 

 しかし昭弘は、元の真顔へと直ちに戻る。

 セシリアは大丈夫と言ったが、あんなにもらしくない呆然としたセシリアを見た後だ。気にならない、という訳にも行かない。

 何故通話の後、あんな表情をしていたのか。

 

 昭弘の思い過ごしかもしれない。それでも、彼の妙に考え過ぎる性がそれを許さなかった。

 

 セシリアは、本当は“何”に負けないつもりなのか。どうしても、そう思わずには居られなかった。

 

 

 

 

 

─────現在

 

 成層圏から見下ろした紺青を、水面から見上げた天色を、二色の膨大な弾幕が雲の代わりとなって彩る。一つは黄緑色の光線、もう一つは水色を帯びた白き球体。

 鋼鉄ですらないそれらエネルギーは、実弾では有り得ない音を奏でては、大空に異様なる色を残していく。まるで青の色紙に絵具でも零したみたく幻惑的なその様は、ここが戦場である事をも忘れさせる。

 

 空間そのものを満たさんばかりに全方位から発射される、黄緑色の光線。それら8機のMT(マキシマム・ティアーズ)全てを操るは、ブルー・ティアーズ纏いしセシリア・オルコット。

 蒼き流星と化しているブルー・ティアーズただ一点に、弾幕の全てを流し込むは2機の音檄。

 

 中・遠距離重視の高火力高機動タイプ。端的な言葉で表せば似たもの同士だ。

 だが両陣営の戦局は、片方に大きく傾いていた。

 

(これ程とは……ッ!)

 

 もう出尽くしたと錯覚する程、冷えた汗を流すセシリア。

 

 第三世代機をも凌駕する音檄、それを2機同時に相手取るという無謀と解っていながらも、セシリアはこの采配を快諾した。

 他ならぬセシリアにしか出来ない事だと、そう千冬から皆から言われてしまえば当然彼女も引き受ける。自惚れ故ではない、仲間と彼女自身の為だ。

 

 そんな千冬への返答を今、セシリアは後悔しそうになっていた。

 

 開幕から音檄Aに狙いを絞ったセシリアは、MT8機とセシリア自身の計9方向から敵の片割れを囲んでいた。もう片方(音檄B)に追い回されようと、構う事無く。

 その一見正しい判断が、今回に限っては誤りであった。

 ずば抜けた回避力を持つセシリアとブルー・ティアーズだが、驚異的推進力を主軸とした音檄の空中機動からは逃げ切れない。その上、別の目標に意識を集中させながらとなると、どれだけ躱そうとしてもどこかで光弾がボディを掠る。

 

 その問題に拍車を掛けたのが、集中砲火の的としていたもう一機の音檄Aであった。奴は自身を囲うMTに反撃するどころか、絶えずブルー・ティアーズへ光弾を吐き続けているのだ。間の無き光線を、全て避けてみせながら。

 セシリアは、二方向からの弾幕に挟まれてしまったのだ。流石にこうまでなっては、ブルー・ティアーズの機動力で全弾躱し切るのは不可能。

 極めつけには、阿吽の呼吸とも言える二方向弾幕の凄まじさ。追い撃つ音檄B、逃げるブルー・ティアーズの横方向から並び撃つ音檄A。後ろと横、互いの射線上から外れている音檄AとB、それらが放つ弾幕はブルー・ティアーズの位置で奇麗に重なっていた。

 

 セシリアがそれとは別に危惧していたのは、ブルー・ティアーズのエネルギー消費量であった。

 MTが放つ強烈なビームは、必然としてその分膨大な源を食らう。故に短期決着を望んでいたセシリアであったが、光の塊は音檄にまるで届かず。9機で1機を囲んでいるのに、だ。スターライトMkⅢのレーザーすら当たらない。

 ただでさえ高度な操縦技術が必要となるISに乗っての戦闘、それと同時にこれまでとは次元の違う巨大な物体を8機も操作しているのだ。その状態で「素速く動く物体」を「狙い」「撃つ」ともなれば、もうそれ以上の事は出来ない。「相手の軌道先を読んで撃つ」といった偏差射撃にまで、容量が回らないのだ。

 よって、当たらない。どれだけ弾幕を張っても、狙えば狙う程に光線は音檄の残像を貫くばかりだ。

 

 そんな当然の事、言われるまでもなく想定して訓練を積んできたセシリア。だのにこの技量不足。

 

 

 だが果たして、本当に技量の問題なのだろうか。

 

 

(頭が痛い…重い…!)

 

 苦痛と苛立ちで、バイザーから下の顔を歪めるセシリア。

 それでも全ての歯を見せては顎を噛み締め、黙々と耐える。仲間を想っての事だが、それ以上の意地が彼女にはある。

 頂きに立つ。それを成すスタートラインである昭弘を超える為にも、彼女はここで負ける訳にはいかない。何よりここで無様を晒せば、彼女の大切な人も悲しむ。

 

 どれだけ苦しい状況だろうと、それら全てを彼女は決して頭から離さない。

 

 

 兎も角、このままではブルー・ティアーズのエネルギーが無駄に減少するのみ。一度戦法を変えるしかない。

 

 時間を掛けるまでもなくその結論に至ったセシリアは、重く痛む頭脳を懸命に回す。

 

(ならばMTで「狙う」のではなく、「撃つ」事で敵の軌道を絞る)

 

 アレだけ練習したセシリアとしては不本意の極みだが、MTの攻撃が当たらない以上その戦法に務めるしかない。現状命中する可能性があるのは、スターライトmkⅢだけだ。

 MTを全機戻して固定砲台として使う手もあるが、そうなれば間違いなく纏めてMTも墜とされる。敵はブルー・ティアーズ一機にご執心なのだから。

 

 そしてMTの配分だ。現状8機+ブルー・ティアーズで音檄Aを囲んでいるが、当てる必要が無いのならこれだけのMTは過剰だ。

 

 

 戦闘開始から1分半。脳が判断したセシリアの次なる行動は、コレだ。

 

ビキン ビキキン

 

 脳の指令により、変化を見せる8機のMT。そのまま射撃を続ける5機に対し、離れていく他3機の行き先は音檄Bだ。

 セシリアと5機が音檄Aを追い詰める間、3機のMTが迫る音檄Bの足止めを行う。弾幕を止められずとも、距離が広がれば被弾率も大幅に下がる。

 これがごく短い時間で、セシリアが下せた最良の判断だった。

 

 それぞれ異なる光の模様を描く、5機と3機のMT群。

 5機はまるで音檄Aの為に道を用意するが如く、後方から追い立ててはビームのガードレールを放つ。その間、3機は音檄Bの軌道先を塞ぐ様にビームを放ち、光の壁を作る。

 セシリアの狙い通り、音檄たちはそれらを律儀に避けていく。一発でも当たれば大ダメージ必至である以上、そうしざるを得ない。

 これら全てへの指令を、セシリアは2機分の光弾ラッシュを避けながら行っていた。突撃ではなく後退を主軸として立ち回る事で、どうにかそれが可能となっていた。アサルトモードでも、有効射程ならマルチスラスターや光弾ガンよりスターライトに分がある。

 

「そこッ」

 

デュデュデュデュデュデュゥン!!

 

 そうして放った、本命のフルオートレーザー射撃。それらは吸い込まれる様に、音檄Aの進路先へ到達する。

 何発かは腕部と翼を掠めるが、多くは外れてしまった。どんなに軌道を限定しようと、常にマルチスラスターと小スラスターで小刻みに震える様な機動を見せる音檄は、やはりそう易々とは当てられない。

 

 尚も掃射を継続するセシリア。

 この時、彼女は更なる判断を迫られていた。それはミサイルをどのタイミングで使うかだ。

 本来なら開幕から使い、MTとミサイルによる飽和攻撃で一気に決める手もあった。だが、音檄には高い掃射能力を持つ翼角光弾ガンがある。ミサイルを全弾放てば撃ち墜とされて終わり、かと言ってミサイルを小出しにすれば早い段階から敵に対応されるだろう。

 結局そういった危惧や、情報を与えたくないという心理が重なり、ここまでミサイルを温存してしまった訳だ。

 

(何とも相性の悪い…)

 

 焦りに、冷静な思考を侵食されそうになるセシリア。こうして避けながら撃ち続けている間も、エネルギー残量はどんどん底へと近付いていく。

 この戦法を継続すれば音檄Aは墜とせるかもしれないが、残った音檄Bを相手取るとなるとSEが足りない。

 

(…かくなる上は)

 

 先に待っているその状況が、セシリアの迷いを払った。

 彼女らしくない戦法となってしまうが、残った音檄Bはミサイルとレーザーライフルの連携攻撃で仕留めるしかない。もうその頃には、MTの高出力ビームを撃てる様なエネルギーは残っていない。

 

 そうプランを纏めた、その時だった。

 

「ハッ!?」

 

 ハイパーセンサーの拾った情報が脳を刺し貫き、セシリアは思わず声を上げてしまう。

 後退しながら、敵機、MT、そしてブルー・ティアーズの3つに主な意識を向けていたセシリア。もしハイパーセンサーが無ければ、海面が迫っている事にずっと気付かず墜落していただろう。

 これで後退は出来なくなった。後は横に避けるか、一か八かで前進し音檄と擦れ違うしかない。だがそれでは、音檄2機分の弾幕を避けきる事が出来ない。

 

 軌道を操られていたのは、音檄だけではない。ブルー・ティアーズもまた、敵に誘導されていたのだ。

 

 もうここまで来ては、戦法もへったくれも無い。少しの未来を見据えたプランは崩れ、退路は断たれた。

 

 後はもう、己とブルー・ティアーズの全力全開を出し切るしかない。

 

―――……やってやりますわ

 

ボシュッ!! シュバババババババババッ!!

 

 墜落する様に直下へと飛んでいたセシリアは、ほぼ水平に近い斜め下方向へと軌道を変えては全速後退した。2機分の光弾幕を最小限の被害で回避する唯一の手だ。

 同時に、ミサイル全弾を解き放った。2機のミサイルビットから射出されたその総数は20発。狙うは片方ではなく、2機同時だ。

 

「ハァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ッッ!!!」

 

 セシリアは絶叫すると同時に、再びMTを攻撃色溢れる動きへと変える。彼女の殺意が込められたそれらは、我先にと光の槍を音檄へ向け放つ。

 セシリアも気力の限り動き、トリガーを引き続ける。音檄はミサイルのお陰で真っ直ぐ迫れないが、それで猛攻を止めてくれる訳ではない。

 

 燃料がある限り、音檄の高速機動をどこまでも追尾していく誘導弾。

 その群れを直ちに墜としたい音檄ABだが、光弾ガンで撃ち落とすその時だけは直線的な機動となってしまう。例え命中精度の低いMTだろうと、当たる確率は高まる。

 

 そんな行動を取った音檄2機に、セシリアは感情と思考の全てを集中させたMTで迎え撃つ。超越、到達、栄光、守護、それらに対する多大な想いが殺意の先にはあった。

 それに応じて、脳髄が内側から膨らむ様な痛みに彼女は襲われる。

 

 残り少ないエネルギーで狙うは、音檄の進行先。2機のMTで音檄の進行方向を限定し、もう2機のMTによる横列同時射撃。これを音檄ABに対し、同時進行で行う。

 だが2本の光線はそれぞれ、あと寸での所で音檄のボディを捉えず。更には音檄の高過ぎる基本速度故か、どれだけMTで妨害しようとミサイルが届かない。

 

───あと……

 

 それでもセシリアは止めない。特訓で得た技能技術を生身IS全てで体現するが如く、更に深き思考の核へと沈んで行く。昭弘を中心とした未来への様々な激情を原動力として、ISに流し込んで行く。比例して、痛みが眼球にまで及ぶ。

 その間にも、ブルー・ティアーズを構成する黄緑色の源は上から底へと削れて行き、光弾の土石流はそんな蒼き機体に構わず雪崩込む。

 

───あと少しが……!

 

 まだMTの攻撃は当たらない。変わらず猛追しているミサイルの燃料も、あと僅か。

 尚も、どんなに状態が悪くなろうと、セシリアはずっと先に待つ彼女自身の為に頭と心を振り絞る。濡れた雑巾から、水分の一滴をも絞り出すが如く。彼女の鼻腔からは、その証拠とも言える赤い雫がタラりと流れ出て来た。

 だが───

 

───あと少しが足りない!!

 

 何が足りないのか、何故これだけやっても駄目なのか。

 こんなにも脳を酷使しているのに、こんなにも心の隅々を出し切っているのに、こんなにも鍛練の成果を出し切っているのに───

 

 

 どうしてMTの攻撃が当たらないのか。

 

 

 MTと音檄、主の指示にのみ従う点では大きな違いなんて無い筈。だのにこの性能差だ。

 なら主が優秀か無能か、そんな次元の話でもない。音檄は操られる以前に一つの知能であり、MTは主の脳波だけで動く砲塔に過ぎない。

 構図こそ同じだがその中身はまるで別物であり、音檄からすればビット兵器こそ古の産物だ。己では何一つ判断出来ない、主に負担を強いる劣化兵器なのだ。

 無論、音檄にそんな感性は備わっていない。劣った兵器を見下す、優越感に浸る等と。

 

 MT、やはり自分には過ぎた代物だったのか。AIにはとても敵わないのだろうか。

 そんな己への落胆に浸る事すら無く、セシリアは解答を探すべく思考の渦に飲まれて行く。目から鼻から血が滴る。

 段々と、視界が白く薄くなっていく、痛みすら感じなくなっていく。それでも彼女は、決して意識を疎かにはしなかった。己の動き、MTの動き、敵の動き、そして毎秒急変する360°の景色、委細変わらずそれらに意識を割いていた。

 

 

 遂に、全ての危難は限界点に達した。

 ミサイル全弾は燃料切れで墜ちていき、SE残量は最早1%も残っておらず、海面は少し大きめの波が起これば爪先に擦る程まで迫っていた。

 

 

 そんな一瞬の中セシリアは、嘗て体験した事の無い状態に至っていた。

 まるで白い球体の中に閉じ込められたみたく、360°何も見えない視界。だが何故か全て把握していた。敵とMTの位置、セシリアを囲む無数の光弾、互いのSE残量から読み取った戦局。

 

 

 そしてセシリアは辿り着いた。頭と心が融合して出来た、己の中に潜む“真”に。

 

 

 

△▼△▼△▼△▼△▼△▼

 

 

 

 白い世界は、本当に刹那で終わった。

 

 

 代わりとしてセシリアの前に現れたのは、1年1組の教室であった。

 

 そこで彼女は、自身の座席に腰掛けていた。最前列の一番窓際、セシリアが入学当初に座していた席だ。

 

 

「ようこそ」

 

 

 だがそれらへの困惑は二の次で、セシリアが第一に即刻反応すべき人物が眼前には居た。

 

「本音……?」

 

 疑問を言いたそうに名前を上げるセシリアに対し、彼女は笑みを零しながらも首を横に振る。事実、声まで本音そのものであるが、その笑顔はセシリアの知ってる本音のものではなかった。

 

「私は布仏本音ではありません。コアである私に、姿形なんてものは存在しませんから」

 

 その返答だけで、セシリアは彼女が誰なのか此処が何なのか、朧気ながら理解していった。

 

「私のこの姿もこの領域も、セシリア様、貴女の欲するままに私が具現化したものです」

 

「…」

 

 段々とぼんやりした解は輪郭を帯びていき、困惑から覚めてきたセシリアは眉を顰める。

 

 そんな彼女の変化に合わせ、ブルー・ティアーズのコアはわざとらしく窓の外へと視線を移す。

 コアの思惑通り、セシリアも釣られて窓の外へと振り向く。

 

 窓の外には、まるで氷漬けにでもなったかの様な静止した世界があった。

 波すら止まった海面の2m程真上には、目から鼻から鮮血を滴らせてはスターライトMkⅢを構える、ブルー・ティアーズを纏ったセシリアが居た。

 それは正しく先程までの、いいや“今”のセシリア自身であった。

 

 では今、自身が意識を置いているこの空間は何なのか。

 いや、肝心なのはそこでなく、何故この教室で何故本音なのかという事だった。

 

「そう…貴女は解ってしまったのです。あんな状態になるまで己の中へ潜り続けて、漸く」

 

「…」

 

「……」

 

「………違いますわ」

 

 長い間を置いた後、セシリアはまるで強がる様に否定する。

 

「私が目指しているのは、IS乗りとしての頂。そこまでの道のりに、「愛」は少しあれば十分」

 

 嘘だ。確かにそれはセシリアの目的ではあるが、純粋に今欲しているものではない。

 脳の中で固まる事無く絶えず変わっていく、思考と感情。それらをブルー・ティアーズとMT計9機分に血が噴き出すまで注ぎ込んだセシリアは、今本当に必要なモノへ手が届いてしまった。全てを掻き出した押入れの中から、探していた宝物が見つかる様に。

 現にこの空間も、セシリアの座席位置もコアの立ち位置も、全て本音と初めて接した時のものを再現しているのだ。

 

 その真を、セシリアは認めねばならない。

 

「少しではありません。貴女はいつも、そして今も、愛を他の何よりも欲しています。母の愛、或いはそれ以上のものを」

 

 誰よりも目的意識が強いセシリアは、頑なにそれを否定し続けるしかなかった。

 

「私はIS乗りとして、アルトランドを超える。それこそが「私」という存在の完成への近道となる。それらを頭から切り離せば……私はISに乗る意味を…」

 

 その為だけに、彼女はISに乗り続けてきた。今、愛を欲するままに戦えば、目的へと続くそれらの存在意義は消失する。

 

 それを聞いたコアは、困り果てた様に笑う。どこまで生真面目なんだ、と。

 

「目的意識を原動力としたこれまでの研鑽も、それにより得た技量も、もう消失する事なんてありません。後は貴女の愛を、感情を乗せるだけ」

 

 それでも、セシリアは自分自身が信じられなかった。ただ一つの愛のままに戦って、本当に己を見失わないかと。

 

 コアはそんな弱々しいセシリアの手を、両手で優しく包んだ。

 

「貴女が目指すべきモノたちなら、もう貴女が消えないくらい深く染み込ませてくれました。貴女自身と、私の中に」

 

 言われてセシリアは、再び窓の外の自分自身とブルー・ティアーズを見やる。

 そう、決死の形相でライフルを構えているセシリアが、頭と心の深淵から浅瀬まで余す事なく、セシリア自身とブルー・ティアーズに行き渡らせたのだ。

 つまりは戦闘中、態々目的たちを意識する必要性すら無い。最早それらはセシリア・オルコットそのものであり、ブルー・ティアーズそのものでもあるのだから。

 

「貴女が今想っている相手は、アルトランド様(最大のライバル)ではない筈です」

「だからどうか、今最も強い生の感情を…貴女が思い描いた「私とこの空間」を、受け入れて下さい」

 

 受け入れる以外の選択肢など、もうセシリアには無かった。

 それしかないから、進化する為に必要だから、そのどちらの義務感でもなかった。

 

 ただ好きだから、彼女を愛しているから、生まれた時から乾いているから。

 この戦いにも、到達点へと居たる道にも、これらの感情は何ら関係無いのかもしれない。だが、それでも良かった。

 

 

 ISとは、感情の兵器なのだから。

 

 

「……新しい名前が必要ですわね」

 

 その言葉を「了」と捉えたコアは、本音の様にニパリと笑いながら新名を待った。

 

 だが何となく、どんな名なのか想像は出来ていた。

 

 元の自分は「蒼い涙」。もうその涙は上がり美しき霧となって、降り注ぐ陽光を「愛の彩り」へと変換するのだから。

 

 

 

▼△▼△▼△▼△▼△▼△

 

 

 

 遂にブルー・ティアーズを海面へと追い詰めた音檄たち。SE残量も最早小光弾を当てるまでもなく僅かであり、MTからの射撃すら警戒するまでもなく来ない。

 想定以上に手こずったものの、やはり2機で掛かれば勝てない相手でもなかった。

 

 そうして音檄Aがトドメを刺そうとした時だった。

 

ピキィンッ!!

 

 人間からすれば瞬きする程度の僅かな時間、ブルー・ティアーズが光ったのだ。不自然な程に白く。

 

 一瞬の光が晴れても尚変わらぬ色合いの蒼きISは、まるで海面を疾走する様に飛んでいく。光弾の着弾予測地点だけを、海面ごと切り取る様に避けながら。

 その純粋な速度は音檄と同等レベルにまで上昇しており、とてもではないが後方から距離を詰めれなかった。

 

 せめて上方へは逃がさないとばかりに、弾幕で覆い尽くそうとする音檄ABだが、蒼きISはそれらに構う事無くとうとう海面付近から急上昇。遙か天上へと逃れる。

 

 

 数秒前までブルー・ティアーズだったその機体は、色だけをそのままに他全てが変わっていた。

 太かった脚部は、搭乗者に合わせるが如く細くしなやかになっており、しかし膝から上の大腿部は素肌すら見えない。というのも、腰から膝下にかけては蒼きスカートアーマーで覆われており、その内側には先程剥き出しだった残弾0のミサイルポッドが形状に合わせて仕込まれていた。スカートの裾と思しき先端部にはスラスターが環状に幾つも並んでおり、それだけ見ても大幅な推進力上昇が想像出来た。

 上半身においても肌の露出部分は少なくなっており、甲冑が胴体部を覆っていた。だがその蒼き甲冑も何枚かに分かれており、戦闘に必要な可動域は確保されていた。ウイングは変わらず6枚であるものの配置が変わっており、内2枚はスカートの装飾品が如く腰から尾のように伸びていた。

 様々な体勢でライフルを構える以上、上腕部だけは変わらず生肌が露出していた。が、前腕部は左右どちらも盛り上がっており、背面側手首の手前辺りではそれぞれ2門の銃口が覗いていた。

 そして顔。前頭部の翡翠らしき球体は鋭い山の如く伸びており、まるで女王の冠を思わせる。青藍色に紅のラインが入っていたバイザーは直線的でシンプルな白色に変わっていて、右目尻の下辺りには七色の水玉が小さくペイントされていた。

 

 以前のブルー・ティアーズが少しお転婆な生娘だとするなら、このISは正しく煌びやかなドレスを纏った淑女だ。

 

 

(既に予備エネルギーが戦闘時用タンクに回してありますが…長くは持たないでしょう)

 

(今の私にはそれで十分以上ですが)

 

 そのISの名は。

 

「参りましょう、感情の赴くままに。『ラヴィリス』」

 

 

 




「love」と「イリス(ギリシャ神話における虹の女神:Wiki参照)」を合わせたらこんな名前になりました。愛は言わずもがな、イリスは「涙は上がって虹が架かる」という意味合いで付けました。
英語読みでは「アイリス」ですが、そうなると「ラヴァイリス」という何とも微妙な響きになってしまうので、日本語読みの「イリス」と合わせる事にしました。
発音する場合、そのままくっつけると「loveiris」、Loveの「e」を抜けば「loviris」ともなります。そう考えると、やはりローマ字で表すなら後者かもしれません。いや、「vir」となるとラヴァーリスでしょうか。いや、Irisを日本語読みで「イリス」にすれば「ラヴィリス」と読めなくもないかもしれません。

この辺は英単語の発音にまるで明るくないので良く解らないです。


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第69話 福音 ⑦

───敵情報更新。IS名『ラヴィリス』

 

 敵がどんな進化を遂げようと、音檄の行動は変わらない。まだ生きているのなら、死ぬまで攻め続けるのみ。

 主以外のISは、必ずや根絶やしにする。

 

 状況も未だ2対1。音檄は被弾によるダメージこそほぼ無い、対して相手のSEは僅かに回復したが変わらず残り少ない。

 ならば戦法も同じ、2機掛かりで一気に攻め切るまで。

 

キュババオゥンッ!!!

 

 マルチスラスター最大出力でラヴィリスへと向かう音檄たち。海上を飛んでいた先の速度は音檄と同等であったラヴィリスだが、全スラスターを飛翔に使えば追いつける。

 MTもこれまでと同じく付きまとってくるが、こちらはどうという事も無い。これまで通り振り切るだけだ。

 

 

 

ビィゥンッ!!

 

 

 

───!

 

 初めてMTの一撃が弾けた瞬間であった。黄緑色の太線は、音檄Bの右肩に命中した。

 その動きはガードレール役と本命役に分かれたものではなく、MT全機が音檄を撃ち墜とそうとする本命役であり妨害役であり陽動役であった。

 故に動きが予測し辛く、しかも本命が放つ光線は外れようとも音檄のボディを命中域に捉えていた。

 確実に、MTの何かが変わった。

 

 そしてその威力は見てくれ通り強烈で、音檄のSEを3割以上奪っていった。

 

 MTへの警戒が急激に高まる音檄たちだが、こんなものでラヴィリスが済ませてくれる筈もなく、音檄の向かう先からビームの群れが容赦無く行進してくる

 

 

 

 セシリアはこの戦いにおいて、勝たねばならない理由が数多くある。

 敵の数を減らし、自分という戦力が生き残る事で仲間を助ける。それを後々の勝利へと繋げ、より多くの人々を守り抜く。または先に待つ目的の為、達成困難なる実戦を通じて己を高める。或いはただ単純に負けたくないという、幼稚なる意地。

 だがいくらそれらを強く頭に刻み込もうと、この戦闘中セシリアが笑顔になる事は無かった。理由たちは、彼女の真なる原動力とはなり得なかったのだ。

 

 そして今セシリアは、純白の歯を口が裂けん程に見せつけながら笑っていた。傍から見れば正しく狂笑だが、彼女にとっては底からの笑みだった。

 今、彼女の頭からは目的も使命も失せ、迷い無き純粋な感情だけが残っていた。

 布仏本音。彼女の顔、身体、声、仕草、本能ごと虜にしてしまう程の母性。頭の中に閉じ込めたそれらを、ただ一心に思い想う。それは独占欲からも外れ、単なる想像に近いものであった。

 誰の為でもなかった。仲間の為でも人々の為でも、布仏本音の為でも、そしてセシリア・オルコット自身の為ですらない。愛する者に抱く嘘偽り無き感情だけが、今のセシリアを動かしていた。

 

 普通に考えれば、それは本能のまま動く獣に過ぎない。だが決してそうではないのだと、セシリアは知っている。

 彼女はISが好きなのだから。ISに乗って闘う事が、闘って強敵に勝つ事が、獣には抱けない至上の生き甲斐なのだから。

 

 故に可能であった、戦闘に必要なだけの思考が。ラヴィリスとMTを操る並列思考が。

 

デュデュデュデュデュデュデュデュン!!

 

ピィィン! ピィィン!!

 

 残量など知った事かと、セシリアはスターライトMkⅢから閃光を放つ。MTに追い回される、哀れな音檄2機に向けて。同時に腰から放つは、スカートアーマーの両脇が変形して現れた2丁の固定式ビームランチャー『スタービー』だ。

 ライフル、ランチャー、MT、それらが放つ膨大な光と熱。エネルギー変換性能も大幅に上昇したラヴィリスだが、これだけ撃っては残量もそう長く持たない。

 だが、出し惜しみ出来る程容易な相手でない事も、当事者であるセシリアが誰より熟知している。

 

 細かく刻まれた閃光、太い2本の閃光、異なる黄緑色のそれらは躊躇無く音檄たちへと降り注ぐ。同じく入り乱れているMTだけを、隙間に入るが如く避けながら。

 全視界を総動員しては全スラスターをコンマ秒ごとに切り換え、それらを懸命に避ける音檄AB。回避にマルチスラスターの大部分を使っている現状では、大した弾幕は張れない。ラヴィリスとの距離もそれなりにある今、接近し一気に光弾で仕留めたい所だが、こうも弾幕に囲まれてはそれも難しい。

 そうこうしている間も、音檄たちのSEは端から徐々に切り落とされていく。一発が重いMTとランチャーの光線は、擦っただけでもSEが削られる。

 

 主が進化するまで単なる傀儡でしかなかったMTは、今や知能以上の何かを乗せていた。それはまるでMT一つ一つに、主であるラヴィリスの操縦者そのものが乗り移っているかの様な。

 決して音檄には辿り着けない境地であった。個々が独立した知能を持ち、手足となって主の目的を遂行するだけである彼等には、それ以上の何かを与えられる事も変質する事も許されない。

 そしてそんなMTに羨望を抱く心すら、彼等には与えられない。それは、目標の撃滅に何ら必要無いものだ。

 

 ならば全て墜としてしまえばいい。MTさえ消えてしまえば、彼等は彼等のまま終われる。心を欲する心が生まれる事無く。

 

 そんな事すら思えない音檄だが、不要なモノを削ぎ落とされし彼等が下した次なる判断は、偶然にも一致した。彼等が次に為すべきは、MTの数を減らす事だと。

 既にこのMTは形状こそ先程と同じであるものの、それ以外全てが別物だ。

 全力で躱さねば当たる。そうなれば自爆への道のりが短くなり、その不本意な自爆で敵ISを仕留め損ねれば主の意に反する。

 

 

「でしょうね」

 

 そんな音檄の判断を、セシリアは読んでいた。

 

ドヒュゥゥンッッ!!!

 

 スラスターを爆裂させ、狂笑のまま機体を一直線に飛翔させるセシリア。向かう先は気でも狂ったのか、音檄ABだ。

 否、彼女は最初から狂っている。態々敵に接近するのは、もう「慣らし運転」が済んだからに過ぎない。

 

 当然それを目の当たりにした音檄たちは、好機とばかりに再びラヴィリスへ狙いを定めそして撃つ。

 

 薄まってるとは言え、接近すればする程に濃くなる音檄の光弾幕。しかもそれが2機分だ。

 だのにラヴィリスはそれら青白き弾幕を躱すだけでは飽き足らず、スターライトを掃射しながら突っ込んでくる。とても傍らでMTを操っているとは思えない動きだ。

 

 重しを投げ捨てた様に、軽やかな機動を見せるラヴィリス。それがどれだけ接近して来ても、光弾は虚しく残像だけを捉えるばかり。まるで音檄への意趣返しだ。

 そうしてあっさりと、ラヴィリスは音檄たちの小さき空域ド真ん中へと到達してしまった。

 これだけ近ければ光弾ガンだけで事足りる。例えMTに囲まれている現状でも、残りの全スラスターで回避に専念すれば良い。

 

───…

 

 だが彼等は、ラヴィリスに向けて一切の射撃が出来ないでいた。

 ラヴィリスが中空に佇むは、丁度音檄Aと音檄Bの中間点。この状況で光弾を放てば、ラヴィリスの後方に居る味方をも巻き込んでしまう。

 

 正に射撃兵装しか無いが故の弊害。無論、2機はMTのオールレンジラッシュを躱しながら懸命に位置をずらそうとする。

 

「無駄です事よ」

 

 しかしどれだけ動き回ろうと、ラヴィリスは見透かしている様に音檄同士の中間点から外れない。点と点が作り出す線の上には、常に蒼き機体が居た。

 三次元空間において、無限に長さも位置も変わっていくIS同士が織り成す線。その上に居座り続けるという神技を、信じられない事にセシリアは並列思考のまま成していた。

 

 それはまた、余計な思考も余分な感情も介在していない証拠であった。

 嘗て無い程、頭が軽くなる感覚に浸るセシリア。存在する感情は個人への強き愛だけ、それを源に動くIS、そしてそのISの為だけにフル稼働する思考。

 

 だが実際、脳への負担は増す一方だ。それもその筈で、機体もMTもこれだけ速く複雑に、そして先を計算しながら動かしているのだ。軽い筈がない。

 血が止まらない。目とバイザーの隙間から、鼻から、耳から、出口を探す様に赤い液体が滲み出る。

 

 それ以上に、狂笑も止まらない。今や痛みすら、愛によって喜楽へと転化しているのだろうか。

 

 

 そうしてとうとうラヴィリスによる、一方的な蹂躙が始まった。

 大の字の様に両腕を広げ、左手と右手を両脇で飛び回る音檄へと向けるセシリア。左手にはライフルが、右手には手持用に外されたランチャーが構えられ、それらを保持する前腕もまた2門ずつの銃口を同じく向ける。

 それらが一斉に放たれる。前腕の2門から交互に撃ち出されるフルオート小光線は、トリガーが引かれている左右の銃砲と合わさってより高密度な弾幕装置へと変わる。

 

 巻き込まれるだけでも敗北濃厚な弾幕。その猛攻に意識を一瞬傾けてしまったが為、音檄AにもMTの一閃が直撃してしまった。

 

 つい先程まで圧倒的優位だった、2対1の攻防。今ではその状況を逆に利用され、戦況は完全に引っ繰り返ってしまった。

 だが音檄にプライドなど存在せず、彼等2機がラヴィリス1機に戦力で劣ると認識するのは即だった。彼等がMTを再度狙わず回避にスラスターを割いているのは、相手のエネルギー切れを狙っているが為だった。

 

 或いはもう「味方に当たる」等と、そんなリスクを鑑みている場合ではないのかもしれない。

 もしラヴィリスが更なる動きを見せたら、そろそろ音檄も自爆による道連れ路線が濃厚となる。自爆とは、彼等にとって唯一にして最強の近接武器だ。それがフルパワーマルチスラスターによって突っ込んでくれば、頑強な高機動ミサイルに等しい。

 

 元より道連れ上等なのだ。銀の福音、主である彼女の為に散る事こそ、彼等音檄の存在意義。

 

 

 

 一見不利な音檄だが、まだまだ手段は持っている。それはセシリアも重々承知だ。

 

(…もう連中のSE残量は50%を切っている。これなら“アレ”で確実に削り殺せる)

 

 全ては整った。どうやらラヴィリスの単一仕様能力は、仕掛けて来るであろう手段諸共、音檄を封殺可能らしい。音檄同士の間に割り込むこの位置取りも、発動までに反撃を受けない事が第一の目的だった。

 どんな能力なのか、セシリアにとっては一々確認するまでもなかった。自分がどんなパイロットなのか、このISがどんな機体なのか、そんな自分たちだからこそ生かせる能力とは何か。

 どの道、今しかない。これ以上エネルギーを消耗すれば、セシリアの言うアレも発動出来なくなる。

 

 気なんて一滴も抜けない戦局、それでも尚衰えぬ喜悦により口角を上げ続けるセシリア。

 思えばあの時もそうであった。後の好敵手にもなる昭弘と、初めて銃口を向け合ったあの時間。彼女は生まれて初めて真に笑っていた、今この瞬間の様に。

 それを味わったあの時から、セシリアは心の何処かでぼんやりと理解していた。力の体現であるISにて為される、大切な何かを賭けた闘争こそが、己の本質なのだと。その中でこそ、己という存在を解放出来るのだと。

 

 そしてこの闘いにて、彼女は完全なる理解に至った。

 闘争と愛、真っ向から相反するその2つ。だが一切の制約から解かれる闘争の中でこそ、彼女は愛を混じり気無しに感じる事が出来る。その愛は全ての雑念を払い、全ての思考は闘争だけに費やされる。

 

 闘争こそが、愛を身体中に行き渡らせる。愛こそが、闘争心をより研ぎ澄ませる。

 

 

 セシリアは意を決した。

 音檄を追い回すMTはそれに応えるかの様に、動き撃ち続けながらも少しずつ敵から距離を取っていく。

 

 

単一仕様能力(One off ability)───」

 

 瞬間、全方位からのビームが静まり、MTの動きも止まる。それは8機全てが同時に、音檄ABへ砲口を向けたが為だった。

 一瞬のそんな隙を音檄が利用しない筈もなく、ありったけのエネルギー弾を解き放とうと翼全体を光らせる。自ら編んだ作戦を無視してしまう程、音檄はMTを脅威と見なしているのだ。

 

 セシリアはと言うと、瞬時加速の準備に入っていた。音檄の爆発に巻き込まれぬ様、直ちにこの空間から離脱する為。

 

 そう、既に音檄は、仕留められたも同然だった。

 

 

 

「『STAR DUST Type:(cage)』」

 

 

 

シュピィィィィィィィィィィィィィィィィイイイイイイイッッ!!!!!

 

 

 

 MT全機の砲口から、限界まで圧縮された光線が放出される。その熱量は凄まじく、これまでMTが放ってきたビームですらてんでなってないと豪語出来る程、細く濃密に収束されていた。

 槍をも超えた、目標が何であろうと貫通させるという信念すら感じるそれは、まるで杭だ。

 

 そんなものを1発でも食らってSEが持つ筈も無く、音檄Bは身体を奇麗に貫かれる。そのザマはとても鋼鉄の兵器に見えず、爪楊枝に刺される果物の様ですらあった。

 

 対して音檄Aは身体を捻る事で、辛うじて初撃の4発を躱す。だが、それがより事態を悪化させた。

 撃ち出されたそれら光の杭は何も貫く事が目的なのではなく、寧ろ本領発揮はその後なのだ。杭の後からMTの砲口まで続く光の尾は委細変わらぬ熱量を持っており、それ自体が高熱のサーベルと化す。

 それら4本の光剣はMTの向くままに動き、すぐ隣の音檄Aの身体をピッと通過する。直後、音檄Aの身体は頭、胸部及び両腕、腹部、大腿部、膝下へと切断され、それら断面は橙色の熱を帯びていた。

 

 

 

 結局予定通りの特攻には至れず、不本意な自爆を遂げる事となってしまう音檄。結果論かもしれないが、最後の瞬間MTは狙わず、一刻も早く自爆すべきだった。

 それでも墜としたかった、あの自分たちと似て非なるMTを。

 その斃すべき相手が与えし終焉。存外、悪い心地はしなかった。自ら終焉を迎えるよりも、誰かに終焉を与えられた方が。彼等は、何かを与えられた事なんてなかったから。

 何より必然だったのかもしれない。何一つ与えられなかった音檄が、主そのものを分け与えられたMTに斃されるのは。

 

 ……等と終わりの間際に思っているのかどうかは、彼等音檄とその主である福音にしか解らない。

 

 

 

 ラヴィリスは既に瞬時加速を発動済みで、危険空域からの離脱を完了していた。音檄を仕留めたMTたちもまた、直ちに光線を解除しては急いで主の元へ続こうとする。

 だが音檄たちの身体は既に白い輝きを放っており、今正に爆発しようとしていた。

 それでもMTの行動は変わらない。ただ真っ直ぐ、主の元へと戻るだけだ。間に合おうと間に合うまいと。

 

 敵を倒した彼等には、中身を主に返し空となった彼等には、それしか出来ない。

 

 

 

 そうして青き空、蒼き海を、真白い2つの球体が浸食した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 愛する者の待つ海岸へと続く、全戦闘空域から少し外れた空。

 

 弱り果てた鳥みたくその広大な大気の中をユラユラと飛ぶは、深い青のIS。

 背中には4枚の鱗の如き羽が、大翼を模した様に付随していた。だがその蒼き鳥の翼はどうにも物寂しげで、えも言われぬ喪失感が漂っていた。本来ならより翼を彩っていたであろう羽の多くが、毟り取られてしまったかの様に。

 

 エネルギーが尽きない様、ラヴィリスを静かにゆっくり飛ばしているセシリアもまた、息も絶え絶えに近しい状態であった。

 かの戦闘空域からここまでの距離が直線であった事を、幸運に思うべきだろう。迂回するだけのエネルギーも敵から逃げ切るだけのエネルギーすらも、この機体には残っていない。

 

───もう…少し……

 

 そんな幸運に感謝する事すら、今のセシリアには出来ない。ラヴィリスとMTの性能を最大限引き出した脳髄は、日常的な思考すらままならない状態だった。

 

 それでもセシリアは、あの浜辺へと帰る。理由は彼女にも解らない。

 ただ、彼女自身求めている気がした。先の戦闘で、欲する事もせず只管に感じていた「アレ」を。そして、遙か先へと続く道を。

 だからこそますますセシリアは解らない。ずっとずっと、一人で愛を感じていたい筈なのに、闘争に身を投じていたい筈なのに。

 

 

 彼女は、()()ねばならない。夢から現実へと、感じる者から求める者へと、セシリア・オルコットからセシリア・オルコットへと。

 闘争という本質、そこでだけ完全になれる己の愛。それらはセシリアの唯一純粋なる部分ではあるが、彼女もまた「形」ある人間だ。己という存在が成すべき事を、欲するモノを、セシリア・オルコットとして遂げねばならない。目的こそが、彼女そのものを構成しているのだから。

 本質と本能に身を委ねなければ、真の力を発揮出来ない。然れどもそれだけで己は成り立たず、そうなれば本質も本能も消失する。人間とは、ままならない様に作られているのかもしれない。

 

 

 セシリアは帰る。己の為に、愛する者の為に、その他全ての為に。死にかけの脳を、ただそれらに費やしながら。

 

 

ズザァア……

 

 

 遂にあの浜辺へと辿り着いたセシリアは、ISを纏ったまま砂浜にゆるりと墜落する。SEが完全に尽きたラヴィリスは粒子化し、ISスーツ姿の艶めかしい英国淑女がそこには横たわっている。

 それを察知していた様に、何名かが駆け寄ってくる。皆何かを叫び合いながら、一先ずセシリアを建物へ搬送しようとする。

 

 だがセシリアが、その大人たちに目を向ける事はなかった。

 

 意識と虚構との狭間で、今セシリアは見ていた。照り注がれた陽光を光り石へと変えては透明に蠢く波打際、そこを跳ね回る黄色い水着を纏った少女。

 確かな質量を感じさせる水飛沫、それでいて足取りはまるで天使の羽でも付いているかの様に軽やかだ。それは昨日というごく近い過去、セシリアが見ていた光景と寸分も違わなかった。

 

 セシリアはその少女を良く知っている。名前も知ってる筈なのに、それが文字として頭に浮かんでこない。

 だからセシリアは、横たわったままただ彼女を見つめる事しか出来なかった。

 

 桃色の髪をした笑顔眩しきその少女は、今気付いたのか最初から気付いていたのかセシリアへと振り向く。

 

 眩し過ぎるのにほのかな優しさを秘めたそんな少女を見て、セシリアもまた笑った。今確かに彼女は、意識に映りしその少女を強く欲していた、求めていた。

 

 

 セシリアの笑顔を待っていたかの様に、意識の上から下から黒い門が寄せて来る。それらが完全に閉じ切り暗黒が満ちると、その少女だけは輪郭からゆっくりと薄れる様に消えていった。

 突然パッと消えてはセシリアも不安になるだろうと、そう気遣っているかの様に。



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第69話 福音 ⑧

 電球でも埋め込んでいるかの様に、赤く紅く発光するグシオンの目。

 だがその光は、ルビーの様な“輝き”は無かった。ただただ紅く光る両目は、迫る青白い機雷群の谷間に複雑な赤線を残していく。

 

 その赤線はまるで怒り狂っている様で、悶え苦しんでいる様で、そして何も感じていない様でもあった。

 

 対して、豹変したグシオンを前に何ら動じる事なく、銀の福音はマッハで飛び回りながら大量の光弾を垂れ流す。

 

♪~♪♪♪♪♪♪♪~~~

 

───……うるせぇ

 

 弾幕も、それを散蒔きながら疾走する福音も、今の昭弘にとっては何もかもが“遅い”。その鋭い感覚は人間レベルでなく、まるでISコアの超常的な力に引かれてるかの様であった。

 

♪♪♪♪♪♪~~

 

───うるせぇ

 

 福音はただ、迫り来るグシオンへ光弾を送り込みながら冷静に距離を取る。グシオンの軌道を絞る障害玉、逆に無駄な機動をさせる二連並列玉、そして本命玉とに弾幕を構成しながら。

 それでも尚迫るグシオンは2丁のミニガン、2丁の滑腔砲を同時に光らせながら突き進む。それら光線と花火は、少しずつ音速のボディを捉え始めていた。

 

 だがそんな程度では済ませない。至近距離まで近付き、その白銀のボディに様々な鉄塊を何度も何度も叩き込み、操縦者諸共グチャグチャの肉塊とするまでこの狂獣は止まらない。

 

♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪~~~~~

 

───うるせぇうるせぇうるせぇうるせぇうるせぇうるせぇうるせぇ

 

 感覚全てが加速されている昭弘に、絶えず雪崩込む雑音。今までと違うスロー再生されたその元歌声は、長時間に渡って彼の脳を揺らす。

 延々と響く福音のそれは、まるで嘲笑だった。我と忘我との境で暴れ狂う、野蛮な獣に対する。その時その時しか生きれない、哀れな獣に対する。

 暴れ狂いし獣、今しか生きれない獣、その2つに果たしてどんな境界線があると言うのか。

 

「皆を守る為にテメェをヤる!それだけだァァァァァ!!」

 

 戦って暴れて壊して、誰かを守る。「己の先」を見つけられない青年には、いつだってそれしか力の使い道がなかった。

 どう戦おうとどんなに豹変しようと、結果だけ見れば何も変わらない。やりたい事なんて無く、やるべき事しか無いのだから。

 

 昭弘はそんな怒りを福音にぶつけていた。狂っている福音にすらゲラゲラと嗤われるのが、堪らなく腹立たしいから。

 いっそこのまま怒りに任せて我なんて忘れれば良いのだと、そんな考えすら浮かぶ。そうなればもう何も考えずに済む、楽になる、気付けば戦いは終わっている。後は自身が生きているか死んでいるかだ。

 

 それら昭弘の破壊衝動が増長されればされる程、呼応する様にグシオンの動きも鋭さを増していく。

 

 マルチスラスターが生み出す超絶的推進力で、終わり無き空間を縦横無尽に飛翔する福音。一瞬の内に描かれる複雑怪奇な洞窟の如き軌道からは、福音の置き土産たる無数の青白い玉がグシオンに向かって行く。

 それでもグシオンは福音との距離を詰める。迫り来る光弾を躱し往なし、見切り、時に盾剣で防ぎ切り、壁の様な弾幕に構う事無く最短距離を突き進んでいく。

 

 風を切り標的だけを見据えて飛翔する鬼蜻蜓と、煌めく粉を撒散らしながら飛び回る揚羽蝶。

 追い追われる両者の舞踏は、雲を突き抜け成層圏手前まで伸びていく。大空全体が、両者の殺意を乗せた軌跡で満たされていく。

 

 そうしてとうとう、蝶は蜻蜓の捕食の間合いに捕まる。

 

「死ね」

 

 既に右拳甲へとセットされた盾剣の切っ先を、敵機に向けながら突進するグシオン。突き出された前腕から後ろの身体全体を堅牢なる盾で護るそれは、まさに回避を想定しない徹甲弾そのもの。

 

ガァゴッ!!

 

 福音の軌道先を読み切り、寸分違わぬ位置で激突するグシオン。鉄塊の切っ先はナターシャの腹部に直撃し、絶対防御が発動した事で福音のSEも大きく減少する。

 しかしグシオンは、福音を巻き込んだまま直進飛行を続ける。

 

ダヒュゥゥォォォン!!!

 

 そして非情にも、接触したまま瞬時加速を行った。ナターシャの腹部を護るSEに、更なる圧力が加わる。

 福音のSEを削り切れば、後頭部の管制装置を護る膜は無くなる。それさえ破壊すれば他の音檄たちも食い止められる。

 だが今の昭弘とグシオンの中から、そんな選択肢は消失していた。福音のSEが尽きようと関係無く、相手が死ぬまでこの狂獣は猛攻を解く事など無い。

 既に誰にも止められないのだ。

 

 

 足掻く様に大盾を殴り続ける福音は光弾ガンをグシオンへ向けるが、翼角ガンの射線である福音の側頭部からでは、グシオンの身体は大盾に隠れてしまっている。

 同時に、ガンを向けているのはグシオンも然りだ。

 

ドゥルリリリリリリリリリリリ!!!

 

 左腕に持っていたM134Bの銃口を黄緑色に光らせ、連続して放たれた矢の何発かが福音に直撃する。

 

 何発かで済んだのは、福音がどうにか盾剣を引き剥がせたからだ。

 36門のマルチスラスター全てを推進用に切り替え、全門同時に噴射。発せられたパワーはグシオンの瞬時加速を速度で上回り、盾剣からの離脱に成功したのだ。

 

 光そのものと呼ぶに相応しい翼をフルに使い、翼角の小光弾を放ちながら福音は距離を取ろうとする。最早そうでもしなければ、この狂獣への射程を確保するのは難しい。

 

 それら一瞬の内、離れ、当てる事に意識の全てを集中させていた福音。

 その一瞬すら数秒にも感じる昭弘は、決して見逃さなかった。

 

ドガガァゥン!!

 

 両サブアームに呼び出されていた滑腔砲。そこから放たれた炸裂弾は二列に並びながら福音の進路上へ向かい、内一発は直撃、もう一発は直近で破片が飛散する。

 

「ウ゛ォ゛ォ゛ォ゛ォ゛ォ゛ォ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ァァァッッ!!!!!」

 

 福音が体勢を立て直すより早く、昭弘はグシオンを突撃させる。

 後退しようとする福音だが間に合わず、グシオンの振るったハルバートが脚部に直撃し、硬質な物体が弾け飛ぶ様な音が響く。炸裂榴弾の直撃に加え、制約から解放されたグシオンは一撃一撃が従来の比でなく重い。

 あとミニガンの小光線が3発でも当たれば、それで福音は終わる。

 

 今福音は、王手を掛けられた状態にあった。

 

♪♪♪♪♪♪♪♪ッ!!!

 

 激高する様に光弾ガンを放つ福音。もうグシオンからは逃げられないと悟った様だ。

 マルチスラスター全開で距離を取ったとしても、その後スラスターを弾幕に回せば再びグシオンに接近されてしまう。射程なら福音の方が遥かに上だが、グシオンの射程まで近付かれればその優位も消える。

 そして格闘戦の間合いまで接近を許せば、近接攻撃手段の無い福音に勝ち目は無い。

 

 今や昭弘とグシオンは、銀の福音を凌駕した。福音お得意の弾幕すら突破されるとはそういう事だ。

 

 まるでその事実を突き付ける様に、グシオンは光弾ガンが放った光を全弾盾剣で防ぎ切る。

 

 

 

 このままでは、福音はISを破壊し尽くす悲願どころか、主を護る事すら叶わない。彼女にとってナターシャは主であり母であり、願いを共有する同志であるのだ。

 それをこんな野蛮で下賎な獣の如き人間と同化しているISに、殺められてなるものか。母の願いとは対極に居る様な、こんな連中に。

 

 母が願った優しい世界を、他ならぬ母に見せる。それを成すべく福音はこの暴力の化身共を屠り去り、母の命を守り抜かねばならない。

 

 それを突破するには連中より強くなくてはならず、進化する必要性がある。

 では福音が目指すべき進化の先とは何なのか、どんな「力」なら今この瞬間も向かって来るコイツらを消せるのか。

 

ギギャォゥンッッ!!!

 

 思考の最中、グシオンの巨大マチェットが福音の右肩へと減り込み、遂にSE残量が底を突く。

 

 途端、漸く福音は自身が進化した姿を形としてイメージ出来た。

 

 この姿なら、この力なら、母を脅威から護れる。母を脅かす怖いモノを、残らず消し去れる。

 

 

───ニ次移行、開始

 

 

 

 

 昭弘は、確かに福音のSE残量を底まで奪い切った。

 そこから先の行動は多数あった。ハンマーによる脳天陥没、ハルバートによる胴体切断、マチェットによる頭頂部からの一刀両断、胸部への盾剣突き刺し等。またはミニガンで蜂の巣か、炸裂弾で炭へと変えるか。

 

 だのに実際、昭弘はそれらを実行に移せなかった。

 阻んだのは、福音がその身体全体から放った刹那の光。閃光手榴弾の様なそれを間近で浴びた昭弘は、一瞬動きを止めてしまったのだ。

 

 そうして選択肢の一つとしてハンマーを振り下ろした時、既に福音はその空間に居なかった。

 

「ぁあ?」

 

 だがそこは昭弘、次の瞬間には再度福音らしき姿を捉える。一瞬前まで眼前に居たとは思えない、少し離れた空間であった。

 

 強い意識を向けるべきは、そこではなかった。

 ハイパーセンサーで見ている以上、多少離れた程度で相手の姿形が朧気になる事は無い。「らしき姿」とは、福音の姿形が変わっていたからだ。

 

 福音の背中から神々しく生えていた大翼。それと同形の翼が脚から、腕から、腰から、福音の至る所から生えていた。

 まるで内側から突き破った様に生えている翼たち。一瞬前の美しき姿は見る影も無く、進化と言うより変異と表するのが相応しいくらいだった。

 

 

 脳内が半狂乱に陥っている昭弘だが、戦闘に必要な思考は生きている。

 だからこそ理解していた、一対だけでも十分以上に脅威であった福音のマルチスラスター、それがアレだけ生えているという悍ましい事実を。

 それは正しく福音の長所をそのまま増やした極めてシンプルなニ次移行であり、この上無く突破が困難となる形態であった。

 

「……で?」

 

 だが「何故今進化したか」までは考えられず、そして考える必要も無かった。

 

「テメェをぶっ殺す事に…」

 

 斃す為に必要な、敵の能力さえ押さえていればそれで良い。

 

「変わりはねぇだろうが」

 

 それが、今の昭弘とグシオンなのだから。獲物を仕留める事のみに特化した、野蛮な獣なのだから。

 

 これ以上生きよう等と思っていない、捨て身上等の核弾頭なのだから。

 

 

 眼前の敵へと、真っ直ぐ混じり気無しに向ける互いの殺意。

 片や主を護る為、片や仲間と人々を護る為、それだけならどれ程優しい事か。

 福音にとってグシオンというMPSを模したISは、ISの中でも突出して邪魔な存在なのだ。ISと繋がっては闘争という汚水を注ぎ込んで穢す、「正しきIS」から最も遠い存在であり、最もナターシャを悲しませる存在だから。

 対して昭弘、特に大それたものでもない。自身を嗤いながら撃ってくるのが、そして中々死なないのがムカつくから殺す。

 

 それら互いの憎しみが、互いの憎しみを事更に増大させていた。

 

 

 それでも戦力差は歴然であり、昭弘がどんな機動で福音に突っ込もうと忽ちグシオンごと蒸発させられるだろう。

 

 それを理解していて尚、昭弘はグシオンはその目を赤々と光らせる。夕焼けに照らされた血飛沫の如く、朝日の当たる血溜まりが如く。

 2つで1つである彼等が下した最適解なんて、最初から最後まで1つしか無い。

 

 己が命をぶつけ、奴等の命諸共奈落へ引き摺り込む。漸く、その瞬間が来たに過ぎない。

 

 

 憎悪ばかりが殺意を掻き立てる、制御の効かない情動が頭の全てを支配していく、早く殺せとそれらが身体を急かす。

 

 

 そんな中、変わらず機械的ながらも狂戦士が如き鉄仮面の内側で、昭弘は諦めた様な満たされた様な小さき微笑を浮かべていた。

 自ら命を断ち、相手を殺す。これからそれらを為すとはとても思えない様な、優しい漢の微笑であった。

 

 

 

 昭弘・アルトランド。

 ここから先の話は、彼が「生きたい」と思えるようになるまでの、短い時間に起きた物語である。

 

 

 

 

 

 

 

 音檄2機に、相対していたゴーレム2機と郷鐘1機。サブロとシロがそれぞれ音檄を相手取り、ジロが戦況に応じて援護する事でどうにか抑えていた。

 

《さっさとエネルギー尽きておくれよぉ!こんの銀ギラ弾幕マン!!》

 

 そのジロが抜けた穴を、今はシャルロットが埋めていた。

 彼女は今や機体の性能を本来以上に引き出せており、音檄の弱点も把握済みだ。故に多彩な武装のお陰もあってか、ジロ以上の立ち回りを見せていた。

 

 だが戦局は相変わらずの平行線。

 どちらも決定打を与えられず、弾薬とエネルギーばかりが少しずつ底へと近付いていく。

 

 互いの戦力はほぼ拮抗。どちらかの陣営に何かが加われば、戦局は大きく動く。

 

 だからシャルロットは、卑しいニヤケ面が止まらなかった。恐らくサブロとシロも、顔が有ったなら笑っていた事だろう。

 

 間も無く到着する機影の存在が、彼女たちをそうさせていた。

 

♪♪♪♪♪♪♪♪♪ッ

 

 ニヤつきながら撃ちまくるラファールたちに、音檄は何ら構う事無く弾幕を張り返す。

 

 

フォゥンッッ

 

 

 いつもの如く凶悪な光弾の砂嵐、その隙間を何かが通過した。黒に所々黄色の入った、疾すぎて線にしか見えない何かが。

 それを音檄は、確かに視認してしまった。新たなる敵情報として。

 

 

《待たせた》

 

 

 最早手負いの獅子、僅かしかSEの残っていない黒きIS。

 然れどその闘気未だ十分なラウラとシュトラールに、シャルロットはサムズアップしながら答える。

 

《言う程待ってないよ》

 

 この戦いもまた、終わりが近い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 雲も制約も無き空間を自由に飛翔する、2機の音檄。

 その2機を、4機のISが囲む。各々の役割に縛られながら。

 

(また……来る)

 

 尽きない光弾の群れが、常に一夏の視界半分を埋め尽くす。敵の攻撃を一身に引き受けねばならないが為、それにより仲間が攻撃する瞬間を多く作る為、それが作戦という縛りに組み込まれてるが為。

 目立つ機械翼を大きく広げながら、時には音檄の眼前を遮り、そして時には光弾を零落白夜で派手に吸収してみせる。そうする事で音檄の意識は白式へと分散されていた。

 

(いつになったら……止むの…?)

 

 その陽動が崩壊しようとしていた。

 

 当たれば装甲だろうと大ダメージ必至、生身なら絶対防御発動によりSEが尽きるかもしれない。

 それだけ威力のある光弾で構成されている、死そのものと言える暴風雨。それは当たるまでもなく掠っただけでもSEが減少する。

 それを延々と寸でで回避し続けていれば、精神なんて直ぐ限界を迎える。

 

 音檄が墜ちなければ、この雨が止む事はない。一夏は今、そんな事ばかりを思っていた。

 

───……これを…叩き込めば

 

 そうして収束された意識はやがて、青白く光る雪片へと移る。

 零落白夜さえ決まれば、音檄程度の薄い防御なら一撃で沈められよう。コア・ネットワークで共有された情報に、そんな期待を込めてしまう一夏。

 

 浅はかで無謀だ、凄まじい弾幕で近付く事も出来ぬと言うに。仮に光弾を全弾斬り消したとて、白式の機動力では到底音檄に追い付けない。

 だから今迄互いの役割を果たしていたのだ。一夏が囮となり、タロとゴロが攻撃中の音檄を片方ずつ攻撃し、紅椿がその援護+音檄の軌道を限定していく。

 その最善の策を以てしても、まるで音檄たちを倒し切れない。それ程のスピード差、それ程の弾幕差が両陣営にはあった。

 

 今一夏が陽動役を放棄すれば、十数秒かそこらで全機墜とされる。陽動と攪乱だけが、一夏と白式にやれる事なのだ。

 だが精神の擦り切れにより、一夏はこうも感じる様になっていた。もっと弾幕の張れる機体なら、自分と白式でなければ、ずっと敵のSEを減らせたのではないか。自分と白式のせいで、箒もタロもゴロも苦戦を強いられているのではないか。

 

 それらが後ろからクラクションを鳴らす様に急かした。陽動役なんてその気になれば誰でも出来る、早く零落白夜を叩き込め、それさえしないのならお前と白式に存在意義など無い。

 

───このままじゃ皆やられる。……オレのせいで

 

───役に立たないとオレは……昭弘と箒に嫌われる…オレの「生き甲斐」が閉ざされる

 

 正に心が折れる、その一歩手前であった。

 

「………箒?」

 

 自身より先に変調が表面化した、箒と紅椿を目の当たりにするのは。

 

 

 

 

《箒殿、攻メ過ギデス。下ガッテ下サイ》

 

 ゴロから指摘の通信が届くが、それでも箒は己の行動を改めようとしなかった。

 

《どの道このままではジリ貧だ!攻めれる内に攻めないと!》

 

《無茶デス。例エ展開装甲ガアロウト、貴女ノ実力デハ音檄ニ接近スル前ニ墜トサレマス》

 

《黙れッ!私と紅椿を舐めるな!》

 

《舐メテハイマセン。デスガ貴女一人踏ン張ッタ所デ、形勢ハ変ワリマセン。増援ガ来ルマデ戦線ヲ維持スベキデス》

 

 箒の内心を見透かす様に、事実と最適解をズバズバ叩き返すゴロ。

 押される戦況に焦りを覚えるのは解るし、ゴロもタロも残弾数を気にしながら懸命に音檄を狙い撃っている。それでも及ばないのなら、無理にリスクを冒しても仕方が無い。

 ラウラが音檄を斃した今、大局は学園側が有利であり、既にシャルロットたちの援護にも向かっている。そうしてシャルロットたちが勝てば、そのまま箒たちの増援となる。

 

 だが尚も箒は歯噛みを隠せない、沸騰した頭の血を冷やせない。

 増援が来る確証は無いし、例え他の戦線が音檄を捩じ伏せても、此方にやって来るまで自分たちが持ち堪えられるかどうか。

 

 本来なら可能性の一つとして割り切れるそれらも、戦闘に激しい私情を挟んでいる今ではそうもいかない。

 姉の発明品はこんなものじゃない、このままでは昭弘が先に潰れてしまう、一夏と白式もSEが限界だ。ならば自分がもっと頑張らねば、この時の力を振り絞らねば、誰も自分すらも救えない。

 

 今、一刻も早く勝つしかない、誰かを待ってなど居られない。大切な何かを失うなんて許せない。

 全てを選ぶと決めたのだから。

 

 もう自分は、ただの弱者ではない。

 

 

 そうして、更に攻撃色を高める箒と紅椿。

 

《私が音檄Cを仕留める!タロとゴロはもう一方を頼む!》

 

 周りを見るだけの僅かな冷静さだけは残っていた箒。闇雲に攻めても邪魔になる事くらいは理解している様だ。

 

 だがそれは、タロとゴロにとって最良の策とは言えなかった。

 音檄2機を同時に攻撃するという事は、それへの反撃も2機同時による一斉射撃。即ち、音檄2機分の弾幕を食らう羽目になる。

 先ず音檄Cを狙い、反撃してきたら離れつつもう片方の音檄Dを狙い、その間白式が音檄Cの攻撃を引き付けるというのを繰り返す。そんなローテーションによって、この戦線は辛うじて維持されていた。

 

 その崩壊は止めねばならない。

 だが説明するだけの時間は無いし、何より今の箒が首を縦に振るとも思えない。

 

《ゴロ、今ノ箒殿ニ何ヲ言ッテモ無駄ダ。モウ戦術ヲ変エタ方ガ良インジャナイカ?》

 

《……分カリマシタ。紅椿ダケヲサポートスル様、一夏殿ニ伝エマス》

 

 専用回線で諦めにも似たやり取りをするタロとゴロ。

 箒の判断は感情的なものではあるが、間違っている訳でもない。増援が必ず来ると言い切れないのは事実であるし、互いを知り尽くしている箒と一夏なら連携も数段上だ。

 問題はやはり箒と紅椿だ。強いは強いが、戦闘力はシュトラールに大きく劣る。そのシュトラールですら音檄とギリギリの攻防を繰り広げ、僅かなSEを残してどうにか勝てたのだ。白式の援護があろうと、紅椿に音檄を墜とせるとは到底考えられない。

 何より箒のメンタルは今、酷く不安定だ。戦況把握能力、エイミング、判断力、それらが著しく低下しているのは明白。

 極め付けに紅椿のエネルギー消費量だ。第3世代機すら超える高機動に、ビットや空裂など高出力ビーム兵器の連続使用、展開装甲に割かれる膨大なリソース。時が経つ度に紅椿の体力は抜けていく。

 

 

 そしてゴーレムと郷鐘のスペックだ。

 ゴロの武装は、連射モードに切り替えたビームカノンのみ。機動性・防御力共に平均的な専用機の枠を出ないが、絶対防御機能は無い。

 タロの武装は50口径XMが2丁、IS用アサルトライフル焔備、そして近接ブレード葵だ。機動性と防御力は打鉄とほぼ同じで、此方も絶対防御が備わっていない。

 

 1対2、弾幕量なら五分五分だろうが、一発の威力も射程も弾速も音檄が上だ。直撃が何発か続けば仕留められるのだろうが、あの鬼機動相手に撃ち合っては先に2機のSEが尽きる。正攻法で戦うべき相手ではない。

 そう解っていても、タロとゴロが今定めた任務に変わりはなかった。

 

《サッサト墜トスゾ、アノ蚊トンボヲ》

 

《エエ、一刻モ早ク》

 

 彼等は眼前の強敵を早急に討ち、生き残らねばならない。一秒でも早く箒と一夏を援護する為に。

 もし2人を死なせてしまっては、昭弘に何の顔向けも出来ない。

 

 何より彼等に、人間の命以外を優先する事なんて出来ない。

 

 

 

 

「…了解」

 

 ゴロからの通信にそう返した一夏だが、そんな指示が来るまでも無く既に彼は動いていた。紅椿を援護すべく。

 

 その行動すら単なる誤魔化しなのかもしれない。

 

 あのままでは一夏が、先に無謀なる突撃を敢行していただろう。一夏の未来を模したかの様な箒を外側から見た事で、少しだけ冷静になれたのだ。

 だがそれは、一時だけ待ったが掛かったに過ぎない。焦りという冷たい炎も、心配という熱湯の濁流も、一夏の中で未だ踊り回っている。本当は一夏も箒と同じく、弱い心に突き動かされたまま戦いたいのだ。

 それが出来ないから、今こうして陽動役を続けている。箒に先を越され、それしか役割が残ってなかったから。

 弱い一夏と弱い白式が攻め出るよりも、箒と紅椿が攻撃に専念した方がずっと戦果を上げられるから。

 

 一夏は段々と解らなくなっていった。何が正しいのか、何故戦っているのか、自分が一体何をやっているのか。

 これからは攪乱戦術で行くと謳っておきながら、実際にやってみれば「役立たず」と負の方面に思い込む。挙げ句、先んじた箒を恨めしく思う始末。それはまるで、「本来の自分」についていつまでもウジウジと揺れ動いている、普段の一夏そのものであった。

 果たして昭弘は、こんな己の力を頼ってくれるのだろうか。そう思うしかない一夏であった。

 

 弱り果てた小鳥の様に飛びながら、一夏は時折その視界に捉えた。己と同じ心境でありながら、確かな力を持つ箒と紅椿を。

 

 

 

 音檄が巣だとするなら、それが放つ膨大な光弾は正に雀蜂の群れ。箒は構わず、そこに紅椿を突っ込ませる。

 光弾の一発一発を丁寧に避けていき、回避の動きに合わせて空裂を放っていく。一文字に、横薙ぎに、或いは袈裟懸けに。三日月形の線を斬撃波として放つ空裂の方が、ビームを点として撃つ雨月より攻撃範囲が広い。

 加えて背部のビットも、斬撃前から既に先行させていた。ビットもまた光弾を避けながらずいずい進んでいき、斬撃波に合わせてビームの点を放つ。操縦者支援システムの賜物か、紅椿のビットはブルー・ティアーズと違いほぼ自動だ。故に箒は機動と斬撃だけに集中出来る。

 兎に角攻め続ける、前へ前へと。これだけでは弾幕が薄い事など百も承知。よって限界まで接近し、必殺の一斬りを直接与えるしかない。

 

「おのれェ…!」

 

 だが音檄のその疾さたるや、白式が注意を引き付けても余り有る程。

 紅椿も第3世代機以上の機動性を持つが、それでも音檄に刃が届かない。音檄が白式を狙っている間は追い付けるのだが、刃の掠る範囲まで接近すると即座に離されるか見切られる。

 

 その繰り返しにより苛立ちは募るばかりで、積もったそれらはますます箒の視野と思考を狭める。箒の風穴だらけの脆い心に、付け入るが如く。

 

「クソッ、クソッ、クソッッ!!」

 

 荒れた気が、言葉として口から放出される。こんなにも懸命なのに、感情を注ぎ込んでいるのに、紅椿の動きはどんどん鋭さを失っていく。

 昭弘、一夏、束、それらへの想いは今や箒にとって重圧と化していた。それに気付かない箒がどんなに音檄を追い回しても、回り込んでも、相手との間合いは開くばかり。結果、また苛立ちが積み重なる。

 

 

 箒と紅椿、一夏と白式の実力を既に見極めた音檄Cは、遂に大きく動いた。

 

「こいつ…ッ」

 

 音檄Cは白式と紅椿を無視し、音檄Dの加勢に向かった。

 これ以上は無意味と判断したのだ。殆ど反撃してこない白式に、音檄の機動に着いて来れない紅椿。かと言って紅椿を攻撃しようとしても、白式がその身を呈して邪魔をする。時間だけが無為に過ぎていく。

 ならば無視して、味方の加勢に徹する。音檄2機で掛かれば、2機の無人IS如き苦も無く破壊出来る。

 

 紅椿と白式は、音檄から脅威とすら見なされなくなった。

 

 全てを選ぶ、全てを見捨てない。それらが手から零れ落ちていく感覚に、箒は襲われる。

 このままではタロとゴロは勿論、学友たちも墜ちていく。終いには、昭弘と一夏も。そして、折角の特注ISを纏ったにも関わらずこの体たらくな箒を、束はどんな冷めた目で見るだろうか。

 

「貴様らァァァァァァァァッ!!!」

 

 よってそれは必然の結果。スラスターが激しく光り、紅い機体は導火線を走るが如く白銀の大翼を追う。

 着実に迫る最悪の結末によって、箒の視界が更に狭まっていく。360°見えている筈の景色はぼやけ、聞こえている筈の仲間からの通信は耳を通過し、音檄だけが視覚情報として箒の頭に入ってくる。

 

 

 ハイパーセンサー上、音檄の近くでアラームと同時に激しく点滅しているその物体にすら、まだ気付いていない。

 

 

 

 一夏が「ソレ」を捉えたのは偶然であった。音檄を追う紅椿を睨みながら追っていて尚、ハイパーセンサーがソレを見つけてしまっては意識も強制的に切り替えさせられる。

 海域が封鎖されている筈の今、決してこの場にあってはならないモノだった。

 

「箒ィィィッ!!!前ッ!!」

 

 久しぶりの怒声を張りながら、一夏は音檄と紅椿を追い越さんばかりの瞬時加速を白式に強いる。

 

 

 

 嘗て無い程の幼馴染みの怒声が脳を貫き、箒は漸く視界奥の点を表示している黄枠に気付く。

 その枠内を拡大してみると、一隻の船舶がハイパーセンサー上に形となって表示された。甲板上には人影が見受けられ、戦闘に巻き込まれてしまったという認識からか酷く慌てふためいている。

 

 何故ここに民間船が、と、そんな事を考える前に箒は選択を迫られる。

 

 音檄Cが、船の直ぐ側にて佇んでいるのだ。

 見ただけで解る、箒たちは人質を取られてしまったのだ。

 

「そんな…」

 

 頭の中で猛烈な鬩ぎ合いが起こる。そんな中でも紅椿の動きは止まらず、あと5秒も飛べば音檄Cの元へ到達する。

 攻撃するべく突き進むか、止まるか、その2択しかない。

 そしてもし止まれば、音檄の集中砲火に墜とされるだろう。

 

「私は…ッ」

 

 悩む間も、紅椿は音檄に迫る。

 そして、音檄も動く気配が無い。その佇まいは、このまま突っ込めば音檄に強烈なる一撃を叩き込めると、箒に思わせるには十分だった。

 

 躱される等と、そんな考えはとうに失せていた。

 チャンスは今しかない。これで敵を墜とせば、此方側が圧倒的有利となる。そうなれば皆を助けられる、これ以上姉に醜態を晒す事も無くなる。全てが丸く収まるのだ。

 

───なら…知った事か

 

 遂に箒の瞳を、漆黒の炎が覆う。

 今、目の前には無防備に浮いている音檄しか居ない。船舶、そんなものは最初から無かった。

 

 それが箒の下した決断であり、既に間合いは空裂の届く範囲であった。

 

 ならば後は振り下ろすのみ。昭弘の為、一夏の為、束の為、皆の為、箒は一刀を銀翼の敵だけに集中させる。

 

 

 

ガイィィィィンッ!!!

 

 

 

 全力で振り下ろした空裂を、案の定音檄は身体を逸らし紙一重で躱した。大気を斬った刃は、そのまま船舶を斬り裂く筈だった。

 なのに、まるで弾かれた様な音が一帯に響き渡った。

 

 

《アンタがソレやっちゃ駄目でしょ箒》

 

 

 後方の船を護る様に紅椿と鍔迫り合いながら、一夏は箒を睨んだ。



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第69話 福音 ⑨

 紅のISと、白のIS。

 味方同士である筈の2機は今、民間船の直ぐ前、海上で刃を交えていた。互いの刃先が十字に密着し、ギリリと金属音を放ちながら押し合っている。

 その押し合いもごく短いものだった。

 

《頭冷やしなさいよ》

 

 呆けたままな箒にそう言うと、一夏は後ろの乗組員らに気をつけながらスラスターを噴射し、鍔迫り合いのまま船から離れる。

 

 視界の中でどんどん小さくなっていく船と乗組員を見て、箒は漸く思考というものを取り戻していく。

 

《一夏…!お前───》

 

♪♪♪♪♪♪

 

 だが何かを言う前に、音檄から光弾が飛来してくる。睨み合っていた一夏と箒は、言いたい事を抱えたまま散開する。

 

 音檄は船の側を動かない。ここに居れば、敵からの攻撃を受けずに済むからだ。

 

 静止したまま今迄以上の弾幕を展開する音檄。

 互いの頭をリセットする為か、それともただ言いたいだけなのか、一夏は光弾を必死に避けながら口を動かす。

 

《人間護る為の戦いなのに、人間巻き込んでどうすんのよアンタ》

 

 その当たり前な事すら、先の箒からは抜けていた。

 それでも、箒は言い返す。一夏の正しい指摘は所詮は綺麗事でしかないと、直ちに気付いてしまったから。

 

《だったらどうせよと言うのだ!このまま何もせずやられろと!?》

 

 変わらず音檄撃墜に固執している箒は、更に自身を正当化しようと言葉を足す。

 

《それにあの船員たち。風体を見れば解る、密漁者だ。それなら封鎖されたこの海域に居るのも説明がつく》

《危険を承知で入り込んで来た犯罪者、戦火に巻き込まれても仕方が無いだろう!?》

 

 弾幕を躱しながら、一夏に持論をぶつける箒。それも、また正しい言葉なのかもしれない。今の状態で手をこまねいていては、いずれは箒たちが死ぬ。

 

《そう……かもね》

 

 力無く、一夏は箒の言葉に頷く。そしてそのまま、箒とは対照的な静かなる声で言った。

 

《けどね…やっぱり違うよ箒。アンタに誰かを切り捨てる事なんて出来ないし、しちゃいけない》

 

《ッ!》

 

 全てを選ぶ、誰をも見捨てないと心に決めた箒。その実、密漁者諸共敵を斬り墜とそうとした。

 箒の方こそ、綺麗事に浸っていたのだ。

 

 だが一夏は、箒の決意を綺麗事のまま終わらせたくはなかった。

 彼女には、綺麗なままで居て欲しいからだ。汚れの一切を知らず、昭弘から向けられる想いも何ら変わらない、一夏にとっての箒はそう在らねばならない。

 だからこそ一夏は密漁者を庇った。人を殺めてはならないからではない。箒の手を、心を、血で穢したくはなかったからだ。

 

───汚れるのは

 

 音檄と密漁船を睨み、雪片を強く握る一夏。その視線はまるで陽光の届かない深海が如く、冷え切ったものだった。

 

 一夏と箒、互いの抱いた決意は、変わってはならないのだ。

 

《…箒、悪いけど今度はアンタが陽動お願い》

 

《…一夏?》

 

 漸く一夏は、己にしか出来ない役割が解った様な気がした。

 己の魂より大切な愛の為に、心を絶対零度まで沈める事の出来る一夏にしか、それは成せない事であった。

 

───オレだけで十分

 

 乗組員を人質に取られている今、一夏たちが音檄の意に沿わない行動を取っただけでも、密漁船は蒸発させられるだろう。いや、こうして弾幕を躱している以上、次の瞬間には人質を殺すかもしれない。

 つまり戦う以前に、一夏たちが勝負の土台に乗るには、どうしようもなく密漁船を見殺しにするしかないのだ。

 

 卑怯な無人機を殺すべく、呼吸を整える一夏。

 紅椿の陽動、加えて零落白夜による光弾消滅効果があっても、白式の機動力では音檄の弾幕を突破出来ない。

 だが、ある程度接近すれば音檄も人質を消すだろう。さすれば一瞬、弾幕も薄まる筈。余りに無謀だが、もうそれに賭けるしかなかった。

 

《一夏!何をしようとしている!?》

 

 知れた事、汚い事をしようとしているのだ。人の命を見捨てる、最低最悪な事を。

 

 だが極限まで感情を殺しきった筈の一夏の中では、未だ僅かな感情が抵抗を続けていた。

 本当は見殺しにしたくない、己が手を汚したくない。それにより変わってしまうのが怖い、己に向ける昭弘の視線が。あの日々を送れなくなってしまうのが怖い。

 

 

 そうして一瞬だけ躊躇った、その時。

 

《来るぞ一夏!》

 

《ッッ!?》

 

 箒の怒声により、ハイパーセンサーが捉えた機影に漸く気付いた一夏。

 それはもう「向かって来る」でなく、既に来ていた。良い盾を見つけて調子付いている音檄Cの元へ、自分も混ぜろと言いたげに。

 

《………最悪》

 

 加わった音檄Dは、あの船の直近に居れば安全であると、味方の位置情報と細かな戦況の変化から読み取ったのだ。

 福音の繋ぐデータリンクは、最早コア・ネットワークと遜色無い次元にあった。

 

 音檄2機分、計48門+4門から放たれる光弾のビッグウェーブが、白式と紅椿に襲い掛かる。もう接近する事は絶対不可能だ。

 

 

《マタ合流シヤガッタ》

 

《全ク、データリンクトハ厄介ナモノデスネ》

 

 光弾の波をどうにか掻い潜りつつ、白式と紅椿に合流するタロとゴロだが、とても最悪な状況に直面しているとは思えない呑気さだ。

 

《一先ズオ2人共、コノ場カラ離レマショウ。コノ距離デ躱シ続ケルノハ無理デス》

 

《…結局、人質を見捨てる事に変わりは無い訳ね》

 

《イエ、彼等ナラ殺サレル事ハ御座イマセン》

 

 そうさらりと否定される一夏。

 殺されないとは、一体どういう事なのだろうか。

 

 何れにせよ、このままでは一夏たちが殺されるだけだ。

 1メートルすら前進出来ない以上、後方へ下がるしかない。

 

 

 

 そして結局離れてみると、案の定光弾と光弾の間隔は広がり、ある程度余裕を持って躱せる位には弾幕も薄くなった。

 人質である筈の船員たちも、殺されていない。

 

《ソラ見テノ通リデス!》

 

 タロの言葉に、2人は驚きと疑問を隠せない。

 説明する気がまるで無さそうなタロを見て、ゴロは仕方無く音声を届ける。

 

《彼等音檄ニハ、「人質」ト言ッタ発想自体ガ無イノデショウ。故ニアノ船ヲ盾ニシカ使エズ、我々ヲコントロール下ニ置ケナイ》

 

《……その根拠は何だ?》

 

《音檄ハ提示サレタ敵ヲ殲滅スルダケノ、言ワバ「弱いAI」デス。ヨッテ、福音ニ示サレタ眼前ノ敵デアル我々ヲ主ニ攻撃シマス》

 

 ゴロが言う以上に、奴等のISへの攻撃性は常軌を逸する。

 白式の陽動にあっさり引っ掛かる、シュトラールを道連れにしようとする、ビットに追われ続けても本体を狙い続ける、戦意の無い甲龍を執拗に追い回す、上げればキリが無い。

 

《逆ニ言エバ、示サレタ標的以外ヘノ積極的危害ガ行エナイノデス》

《織斑教諭モ、怪我人ノ報告ハ無イト仰ッテイマシタ。ツマリハ暴走時、近クニ居タデアロウ生身ノ人間ニハ手ヲ出サナカッタ。例外ハISトソノ身ヲ共ニシテイル皆様方カ、IS殲滅ヲ優先シタ末ノ巻キ添エデショウ》

 

 無論、主である福音とそれを纏ったナターシャだけは例外だ。暴走しようと、そんな都合の良いヘマは福音も犯してくれないらしい。

 何れにせよ、人間を攻撃出来ないのなら、人質という行為そのものも成立しない。

 

《ソシテ音檄ガ音檄ヲ攻撃出来ナイノト同ジク、我々モ僚機ヲ攻撃出来ナイ、ソレハ敵モデータリンクデ把握済ミ。ナラバ関係無キ人間ハ攻撃出来ルノカト、先程ハ試シタカッタ。モシ人間ニ武器ヲ向ケラレナイノナラ、コレ以上無イ盾トナリマス。結果ガ今ノアレデス》

 

 一夏たちが非武装の第三者を攻撃出来ない。そう見なされたのはやはり、一夏が箒の斬撃を止めたからに他ならない。

 流石にそれくらいは、一夏にも理解出来た。

 

《……ごめんなさい。オレがもっと、早めに船ごと沈めていれば》

 

《ソウデモナイデスヨ。見テ下サイ》

 

 飛来する光弾をやり過ごしながら、慰める様でもなくタロは一夏にそう返す。

 タロの指差した先には、相変わらず光弾を絶え間無く吐き続ける音檄2機が居る。当たりもしない、大量のエネルギー弾を。

 

《ハハハ!アノ馬鹿共。アノママ撃チ続ケタラエネルギー切レデ自滅シマスヨ》

 

 タロの何気ない一言で、箒と一夏は思い出した。音檄が超短期決戦向けの機体である事を。目の前で展開される絶望的戦力に気を取られ過ぎて、忘れていたのだ。

 加えてもう一つ、思い出した箒が口を挟む。

 

《だが連中、戦闘不能となったら自爆するのだろう?そうなったら船も…》

 

《イエ。タロハアア言ッテマシタガ、ソンナ無意味ナ自爆ハ音檄モ避ケルデショウ。ソロソロ無駄撃チダト気付キ───》

 

 そんなゴロの言葉通りに、敵の弾幕が一旦止む。

 4機のISは音檄を攻撃出来ない、だが音檄たちの弾幕も今の4機に届かない。なら音檄の次なる行動は───

 

《結局、船ヲ置イテ向カッテ来ル》

 

 刹那、またしてもゴロの予見通り、音檄たちはマルチスラスターを後方へと向け直す。

 もう次なるゴロの言葉を予想出来た一夏と箒は、ゴロたちに倣い反転して敵に背を向ける。

 

《ソシテ私タチハ逃ゲル》

 

 だがこれこそ僥倖。

 全速前進で逃げる4機を、弾幕圏内に捉えるべく追う音檄たち。速度は当然ながら音檄が上回り、離れていた両陣営の間合いは少しずつ縮む。

 そして彼等が折角見つけた盾からは、もう流れ弾すら当たらない程の距離が出来つつあった。

 

 人死にという最悪の結末は、一先ず回避された。

 がしかし、一夏たちの不利は変わらない。タロとゴロの踏ん張りにより音檄DのSEは相当削れたが、まだまだ敵の方が健在だ。

 

 

 それでも己の手を汚さずに、己自身が穢れずに済んだ一夏の心は、まるで戦いが終わった様に安らかであった。

 

 情けない事だ。人を殺めるのが、己が手を下すのが怖いのではない。

 一夏は己を捨て切れなかった、汚せなかった。昭弘と箒の為に、その身を捧げると心に誓っていながらそれでも、一夏は恐れてしまった。万に一つの確率で昭弘に嫌われてしまう事を。

 自暴自棄になる中、漸く見つけた自分にしか出来ない役割。いざという時それすら実行に移せない一夏は、己の心の弱さを呪った。

 

 そして、人を殺めずに済む方法がこんなにも簡単に見つかった。一夏の葛藤とは何の関係も無い、タロとゴロによって。

 恥ずかし過ぎて、情けなさ過ぎて、一夏はもうこの戦場から消えてしまいたかった。

 

 

 敵を討つ為とは言え、箒は人を見殺しにしようとした。少し頭を回せば、解決策があるにも関わらず。その事実だけが、箒の心を凍らせ砕こうとする。冷静になったというより、戦意そのものが冷え切ってしまったかの様な。

 彼女はもうこの紅椿という力を、いっその事タロかゴロにくれてやりたかった。敵の本質も見抜けなければ、感情に振り回され愚を重ね、終いには取り返しの付かない愚を犯そうとした彼女が操るよりも、遙かに有効的だ。

 もう箒は、己を責める事すらしなくなっていた。冷たい心は、寧ろ丁度良いのかもしれない。誰かを想えば想う程、結末を考えれば考える程、戦いに必要な能力は欠けていくのだから。

 

 

 そんな時コア・ネットワークに、雷の様な過激と轟きに満ちた信号が走る。

 今で良かった。焦燥と苛立ちで心が破裂しそうだったあの数十秒前であれば、間違いなく一夏と箒は錯乱していた。

 それ程までにその情報は、この世全ての悪性物質を含んだ劇物。本作戦遂行に関わる程の重大なモノだった。

 

《福音メ。二次移行スルトハ…》

 

 事前に頭へ情報が流れていて尚、タロの言葉に思わず耳を疑った一夏と箒。自分たちよりずっと強い音檄、そいつらよりも更に格上である本体、銀の福音。そのただでさえ化物な銀翼のISが、進化したと言うのだ。

 では一体、誰が、どうなってしまうのか。2人は聞きたくも、考えたくもなかった。

 

《コノママデハ昭弘殿ガ危険デス。ソレ所カ作戦自体ガ…》

 

 現時点で福音の基本性能は不明だが、グシオンと激闘を繰り広げていた先より遙か上なのは解る。これで現状、不利どころか学園側の敗北が濃厚となった。

 

 が、戦局の変化はそれだけに留まらない。

 

───………~~……

 

 ブルー・ティアーズによる音檄撃墜の報が流れ込んで来た。これで残る音檄は4機だが、当のティアーズも被害甚大の為に帰投中。

 そしてもう一つのグループであるシャルロットたちだが、増援として到着したシュトラールのお陰かかなりの優勢で、恐らく勝てる。重視すべきは、どれだけ早く最小限の被害で勝てるかだ。

 

 秒単位で二転三転する戦況に、昭弘の事で頭がグルグルと膨張していた一夏は、新たな情報として処理する事すら出来なかった。

 対照的に、箒は木に留まる梟の如く淡々と情報を受け止めた。そしてそれを生かそうともせず、機械の様に次の指示を待った。

 

 そんな2人を他所に、後方から着々と迫る音檄に注意しながら、ゴロは現状から想定される未来を考える。

 セシリアの戦果は、誰もが待っていた正しく絶望の中に咲く希望の星。だが、残った音檄を全機墜として何機生き残れるか。そして何機か生き残ったとして、そこからグシオンの救援が間に合うのか。

 先に広がるは、余りに不確定要素の多い未来であった。

 

 最悪『ブリュンヒルデ』を投入するしかない。音檄を半分に減らせた点を加味しても、残った福音の力が未知数過ぎる。

 しかし、それを実行に移すと最終防衛線が崩壊する。

 

 と、ゴロが考えていた時にその最終防衛線から通信が入る。

 

《ウィンターより作戦遂行中の各機へ。HA(箒&紅椿)、IB(一夏&白式)は至急、AGの援護に向かえ。SRらは速やかに敵機撃墜の後、タロ及びゴロと合流せよ。タロ、ゴロはSRらが到着するまで持ち堪えてくれ》

 

 千冬が下した指令は、この状況での戦闘継続という冷酷なものだった。

 

 しかしゴロは、彼女の思惑を即座に理解した。

 現時点で最もSEが残っているのは紅椿と白式であり、グシオンへの距離も一番近い。白式にはビーム系の射撃を相殺する零落白夜もあり、紅椿のスペックは言わずもがな。福音との相性は決して悪くない。

 それでも福音には敵わないだろうが、それで構わない。一夏と箒の仕事は、あくまで福音包囲が完了するまでの昭弘の援護。セシリアが帰投してる今、昭弘まで戦闘不能になられてはどうしようもない。例え今この場の戦力が削がれようと、一秒でも早く救援を向かわせねばならない。

 その間、音檄を即行で一網打尽にする。一夏と箒が昭弘を援護し、福音の猛攻を凌ぐ僅かな間に音檄共を片付けねば、福音の包囲も間に合わない。

 千冬が本丸から離れずにこの絶望的戦局を打破するには、これしかなかった。この十秒かそこらで戦況がコロコロ変化していく中、戦う生徒たちへの心配をどうにか押さえ込み、即座に指令を下してくれた千冬へゴロは心中で脱帽した。

 

 先程まで不確定要素がどうのこうの考えていたゴロだが、思い返してみれば今更だ。この作戦、常に敗北必至な戦闘下でここまで勝ってきたのだ。

 ゴロは、不確定を確定へと導いて来たこの生徒たちなら、この最後の戦いも勝ってくれると信じる事にした。それはきっと、タロも全く同じだろう。彼等人間がISを通じて生み出す爆発力に、上限なんて見えはしない。

 そしてただ信じるだけでは勝てないから、タロとゴロは踏ん張らねばならない。今も向かっている2体の怪物を、自分たちたった2機で相手取る。千冬の指令は正に苦難の極みだが、それでもやるしかない。真正面からは戦わず、回避に比重を置きながらも弾幕で行き先を妨害すれば、音檄の足止め程度は可能かもしれない。シャルロットたちが来るまで、この音檄たちはどこにも行かせてはならない。

 

 

 問題はここからだ。

 千冬のそんな新しい指令が来て直ぐ、示された方角へと動く一夏と箒。一夏は何について迷っているのかも解らぬまま、箒は己に諦観し切った無表情で。

 

 何でも良いから何か言わねばと、ゴロは思っていた。アレでは、救援するどころか救援される側となってしまう。

 だが「何でも」伝えられる程、言葉は万能に作られていない。時間は限られている。

 

 そうやって単語を選び構成している間も、白式と紅椿は時間と共に離れていく。

 そして、後方の音檄たちもその2機を追うべく機体を傾けている。主の元へ行かせるつもりは毛頭無い様だ。

 

《オイ、サッサト何カ言エ。コノ際、思ッタ事デモイイダロ》

 

 普段なら単に苛立つだけなタロの急かしだが、今回ばかりは感謝する事にしたゴロ。どうやら迷いが晴れた様だ。

 だがそれは、正真正銘ゴロの私的な感想に過ぎず、何も言わないよりはマシ程度なものだった。

 

《一夏殿、箒殿》

 

 音檄たちの前に立ち塞がるべく移動しながら、ゴロは音声をコア・ネットワークに乗せる。顔の見えない通信越しからは、ただ無言だけが返ってきた。

 見えない相手の反応を待たず、ゴロは心の言葉をそのまま伝える。

 

《アノ時、アナタ方ガ人ヲ殺メナクテ良カッタ》

 

 言いながら、しつこく追い迫る機械肢たちをタロと共に待ち構えるゴロ。

 

♪♪♪♪♪♪♪♪

 

 射程内に捕まり光弾幕が行進して来ても、ゴロは続けた。

 

《正シイトカ、間違ッテイルトカデハアリマセン。アナタタチガ直面シタ人トシテノ躊躇イハ、人間ニシカ存在シナイ。何カヲ誰カヲ失ウ事ニ恐怖スルカラコソ、人ハ強イ》

 

《即チアナタタチハ強イ。ダカラ存分ニ恐レ、存分ニ迷イ、存分ニ想ッテ下サイ》

 

 ネットワークは繋がっている、聞こえているのは間違い無い。

 それでも、一夏からも箒からも言葉は返って来なかった。返す言葉が見つからないのか返す気力すら無いのか、最悪耳から耳へと通り過ぎてしまったのかもしれない。

 何であれ、ゴロとしては別に良かった。何かしらの反応を期待していたでもないし、導きたかった訳でもない。

 

 ゴロの言葉をどう解釈するかは2人次第で、人間共通の正しさなんて何処にも無い。

 

 ただゴロは、2人に対して言いたい事を言っただけなのだ。



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第69話 福音 ⑩

 両者はずっと睨み合っていた。戦いもせず、或いはそれがもう戦いなのか。

 

 少なくとも、福音の場合は戦いではなかった。

 福音の行動一つで、これから死ぬ事が確定している哀れな眼前のIS。先に動けばその瞬間消されてしまう為、福音の行動を待つしかい哀れなグシオン。憎いとはいえ己が手による最初の犠牲者、その姿を生きている内に記憶へ刻み込んでおきたい。絶対的力を持つが故の気紛れ、慢心、優越感であった。

 それでも油断は存在しなかった。人が虫を踏み潰す時、油断による失態が無いのと同じ様に。福音の余裕は自然であり、必然なのだ。

 

 そんな絶対者の気紛れは、30秒と少しで終わった。

 

 身体中から生えている大翼が、青い外枠を膨らませる様に白く輝く。

 これまで福音が放ってきた光弾の嵐。少なく見積もってもその10倍はあろう光弾の濁流が、今放出されようとしている。

 

 

 福音は今や爆裂を放つ寸前だ。回避など望めない弾幕が展開されるまで、もうあと0.5秒から1秒程か。

 仮にそれを回避出来ても、SEまで完全回復してしまっている福音だ。グシオンの膂力を以てして尚、一撃で仕留める事は不可能。

 

 濁流が発射される直前、昭弘は道連れを成功させる為だけに思考を働かせていた。

 

 盾剣の強度は予想以上だが、光弾の集中砲火には耐えられない。

 ならば回避となるが、それも無理だ。いくら弾幕が遅く映ろうと、光弾同士の隙間すら無い「面」そのものが相手では躱しようが無い。

 となると距離を取るしかないが、それも一瞬で追いつかれてしまう。あれだけのマルチスラスターがあっては。

 

 だが福音は、360°全方位に光弾を放つ訳では無い。そうなっては結局光弾同士の間隔も広がり、グシオンに回避するだけの隙間を与えてしまう。

 よって放つ空間はグシオンの周囲、それもどう動こうと弾幕の外へ逃れられないだけの範囲となる。言わば福音から三角錐状に広がる弾幕だ。

 

 

 

───ここだ

 

 

 

バアァゥン!!!

 

 昭弘が待っていたのはこの瞬間だ。

 光弾を撃たれた後では間に合わず、撃つ前に動いても軌道先を狙われる。

 最適解はその中間、福音が撃つと同時に動く事だ。福音が放った第一波はグシオンの元居た空間のみを捉え、その時既にグシオンは斜め前方向へと回避済み。

 撃つ瞬間のタイミングが解らない以上、本来人間の反射神経上不可能な芸当だが、マッドビーストなら話は別だ。

 

 問題は、その第一波の範囲。

 

「ツッ!!」

 

 仮面の中で奥歯を噛み締める昭弘。

 これ以上無い速度とタイミングで左前方向へと回避したが、それでも間に合うか怪しい弾速と弾幕範囲。進む度に、外側の光弾たちがグシオンの横っ腹目掛けて向かって来る。

 

(殺す…!)

 

 弾幕の外側へと抜けるだけで良い。もうその時点でグシオンは福音に十分接近出来ており、第二波が来る頃にはもうグシオンの間合いだ。

 後は福音を両腕と両サブアームによるベアハッグで締め上げたまま、海面へと垂直落下する。圧力を与え続ける事によるSE減少に加え、音速以上のスピードで海面に激突すれば、SE満タンだろうと今度こそ福音も終わりだ。密着している状態ならば砲口も向けられず、SEも保護機能も含めた全てのエネルギーをスラスターに回した瞬時加速なら、幾ら福音だろうと垂直落下時での急激な方向転換は至難だ。

 そんな状態で海面に激突すれば、当然昭弘も終わる。

 

 それら道連れの企てを再確認しながら、昭弘は遂に端の光弾と擦れ違った。

 

 直後、福音の側面へと回り込む様に曲線軌道。

 昭弘が組み立てた未来まであと3秒か、或いはもっと短いか。皆の未来を生かす勝利と、昭弘のこれからを閉ざす敗北が、口を大きく開けながら待っていた。

 昭弘には、そんな確信が見えていた。

 

 

 かに思えた。

 

 

「ッ!!!」

 

 全てのマルチスラスターから放たれた光弾により、形成された弾幕。最初からその思い込みが間違いであった。

 ただ一つ放っていなかった右腕の翼だけは、グシオンが辿り着いたその空間にしっかりと砲口を向けていた。

 

 何もかも読まれていた。昭弘が道連れを狙っているのも、それを成せる最適のルートも。

 右腕の翼は、もう弾を放つ瞬間の光で覆われていた。

 

───駄目か……

 

 目前まで来た確実な死を意識し、殺意と憎悪が薄れていく昭弘。避けられない終幕が眼前に居ては、それら濃い感情も意味を成さない。

 代わりに濃くなるのは、ただ静かなる思考であった。

 

 不本意な死だ。福音を野放しにすれば、学友たちも同じく犠牲となるかもしれない。例え千冬だろうと、この怪物に勝てるかどうか。

 だが受け入れられない程でもなかった。自身の力及ばず、皆には申し訳ないと昭弘も思っているが、それでもコア・ネットワーク上に残す事は出来た。銀の福音第二形態が、如何に途方も無い存在か。その点では、相手の機動力を丸裸に出来なかったのが手痛い所だ。

 友たちの為にも、生きねばならない事は昭弘だって解っている。だが、迫り来る死を避けられないのならどうしようも無い。

 最善は尽くした、存分に戦った、そして十分に生きた、なら後は死ぬだけだ。生きる理由が見つからない昭弘にとっては、寧ろ清々しい最期だ。

 

 そう思った昭弘はまた、鉄仮面の中で微笑を浮かべていた。

 

 そうして長かった一瞬は漸く過ぎ、18の砲口から一斉に光弾が放たれた。

 

 

 

 

ヒュッ

 

 

 

 

 その時、奇跡的なミスが起きた。福音の放った弾幕がグシオンを飲み込まず、下方へと逸れた。

 まさか本当に間違えた訳でもあるまい。再度の気紛れで、弄んでいるのだろうか。

 

 だが昭弘は、光弾が逸れた原因を知っていた。

 福音が光弾を放つ直前、白い何かが上方から下方へ、グシオンと福音の間を通過したのだ。赤い航空灯の様な物を点滅させていたソレに気が散らされたのか、狙いが下方へとズレた。

 

 白式は、純白をそのままに姿形を大きく変えていた。

 

《まだ死なないで昭弘》

 

 研ぎ澄まされている筈の感覚に、少年の爽やかながらも落ち着いた声と言葉が、普段と変わらず脳内へと届いた。

 一夏のその声に怒気は無いが、譲れない強い意志をふんだんに乗せていた。

 

 

 

 

 

 

─────少し前

 

 

 

 一夏は白式を真っ直ぐグシオンの元へ向かわせながらも、脳内を思考の波で揺らしていた。

 

 一夏には、ゴロの言葉の真意が解らなかった。

 人が持つ躊躇や恐れは弱さではない。恐怖に打ち勝たねばならない筈なのに、それでは現状のまま何も変わらない。

 

 いや、思えば一夏はずっと怯え通しの毎日だった。

 先を見据える事に怯え、才無き己に怯え、昭弘の消失に怯え、いつか日常が終わってしまう事に怯えていた。そして、それらに怯える事で大切な今すらまともに送れなくなるのが怖かった。

 それらが嫌だったから、一夏は努力し、創意工夫した。己だけの力を、弱いなりに最大限引き出せる様に。

 そうなれば、たった一つしかない己の道に僅かな光が灯る。昭弘と箒の力になれる。いつか終わってしまう日常を、少しは怯えずに過ごせる。

 怯えから逃れる為、一夏は日々惜しまず費やした。大切な人の役に立とうと。

 

───………役に立つ?

 

 一夏はある疑問に到達した。一体いつから自分は、怯えから逃れる事を目的にしたのかと。

 全ての恐怖から逃れたいが為、役立てる様になる。それは昭弘の為でも箒の為でもなく、一夏自身の為でしかない。

 それで恐怖を和らげる事が出来ても、恐怖から逃れる事までは出来ない。遅いか早いかでしかない。別れはいつか確実に訪れ、日常は終わるのだから。

 恐怖とは、ありのまま受け入れるしかないのだ。それでいてどうしたいか、自分の力と強さを弁えて行動するしかない。役割とはどこまでも手段でしかなく、目的にはなり得ない。

 

 恐怖を打ち消すだなんて絵空事だ。どれだけ意識しようと、人間が元来から持つ本能はどうにも出来ない。

 肝心なのは恐怖を受け入れる事、即ち、己が内に潜む恐怖に服従する事。だがそれは、恐怖に支配されるのとはまるで違う。

 

 単純な話、「そうなるのが嫌だから、そうならないようただ行動する」のだ。それは「役に立った」と思い込み、自己満足に浸るのとは正反対だ。

 では今この時、一夏が取るべき行動。本当に怯えるべきは何で、何が嫌なのか、どんな未来が真の絶望なのか。

 

───昭弘

 

 昭弘の命さえ助かるのなら、それこそが今の己の全てと解したなら、ただ恐怖という絶大な感情に突き動かされながら成し遂げるだけだ。

 

 一夏は、もう自身が何の役に立てなくても良かった。自分がどうなっても、他の何かがどう変わっても良かった。

 戦果だの貢献だの、それで昭弘にどう思われても良かった。

 

 そうと解った一夏は、恐怖に耐える事すらしなくなっていた。

 

───ああ…手が震える…鼓動が早まる…昭弘の色んな顔が立て続けに浮かんでは消えていく。これが……恐怖……

 

 やはり紅椿を止めたあの時の躊躇いは、間違いではなかったのだ、人を殺めなくて良かったのだ。もしそれで人死に少しでも慣れては、今感じているこの素晴らしき絶対的恐怖が薄れてしまう。

 

───ありがとう…ゴロ。オレにとって最も大切な感情を呼び起こしてくれて

 

 それはただ一つ。どんなに己の中身が変わっても、日々その事で迷い揺れ動こうと、ずっと変わらない昭弘を一番に想う感情。

 

 一夏は初めて、白式に願った。強くなくていい、せめてこの時だけでいい、昭弘を救えるだけの力を。

 おこがましいのは一夏も解っている。白式が二次移行するには、乗り手である一夏との稼動時間がまるで足りない。

 だが、白式は全て知っていた、一夏がこれまでに重ね得てきたものを。闘争から程遠いそれらが今、たった一人の青年の為だけに真価を発揮しようとしている。一つの純粋な恐怖に煽られし一夏は、それらを明瞭に理解していた。

 そして偶然か必然か、白式の番である紅椿。彼女の能力が一夏の望むそれらと、元々一つであった欠片同士であるが如く合致する点も、白式は知っていた。

 

 もし紅椿が覚醒しなければ、例え進化したとしても白式諸共一夏は散る。

 

 だがもう、白式にも止められなかった。一夏を突き動かしている、たった一つの感情を前にしては。

 そうでなくとも、白式の主はこの少年だけなのだ。どんな形であれ、それが闘いから遠いものであれ、一夏の求める力でなければ白式は輝かないのだ。

 

 

 

 人間である限り消せない、常に心の何処かに在る恐れ。

 今日、あらゆる場面で嫌という程感じていた。鈴音もシャルロットも、ラウラも、セシリアも。金属とは懸け離れた弱き肉体が、崩壊の悲鳴を上げているかの様に。

 

 箒はこの戦いで思った。そんな恐れとは無縁である無人ISの事が、嫌いなのだと。

 動揺も焦燥も不安も感じない彼等は、常に最適な答えを導き出す。それがどうにも気に食わなかった。恐れと懸命に鬩ぎ合いながら機体を動かす、そんな自分が無様に思えてくるからだ。

 タロたちの正しさは、箒もその身に染みている。それでも彼女は、彼等の行動にも、言葉にも、何の共感も得られないのだ。恐れと共に戦わねばならない箒たちの苦しみが、彼等には解らないのだから。

 

 解る筈なんて無いのに、懸命に解ろうとしてくる。精神の擦り切れた自分たちを、心から本気で案じてくる。命令ではなく、自らの知性で人を護る。

 彼等の海溝よりも深い優しさが、箒の心を却って痣だらけにする。自分が誰かが死ぬかもしれない最中、どうしてそんなに前を向けるのか、どうしてそれ程人に優しくなれるのか。箒は感情を殺して命令を待たなければ、何も出来ないと言うのに。

 

 いっその事箒は、タロとゴロにこてんぱんに否定して欲しかったのだ。足を引っ張ってばかりで無能な箒自身を。

 だのにそんな自身が「強い」と肯定されては、もう何をどうすれば良いのか解らなくなる。どこにも逃げられなくなる。

 

 だがきっと昭弘も、あの時側に居たのならゴロと同じ言葉を贈っただろう。その上でどうするか、箒に答えを委ねただろう。

 

 そう、これは決まった答えの無い「問い」なのだ。

 何故、恐怖に震える事が強い証拠なのか。何故、恐怖を持たない彼等無人ISは強いと言えないのか。もし本当にそうだとしたら、何故箒は抵抗を覚えるのか。

 

 もう、福音との接敵まで10秒あるか無いかだ。

 深く考える猶予は無い。ゴロが放った言葉を、もう一度脳内で再生する程度の事しか出来ない。

 

───………

 

───違う。「何故」という問題そのものが間違っている

 

 ゴロの言葉を疑問に思いながらも受け入れ、混乱する事自体が落とし穴だったのだ。

 彼女は先ず、はっきりと否定せねばならなかった。

 

 箒は、他の誰よりも弱い。

 他人との繋がりを人一倍求める癖に、自分からは素直になれない。そうして得た全ての繋がりを尊び、「全て選ぶ」と心の中で豪語する。その決意すらも破り、無関係な無法者は切り捨てようとする。卓越しているのは剣技だけで、本来命を張った戦場に居られる心の持ち主ではないのだ。

 そんな彼女がAIからどう映っているのかは、彼女にも解らない。だが「人間の持つ弱さこそ強さである」と、箒はその考えに同意出来なかった。弱者がどこまでも弱者でしかない事は、この戦いで思い知った。

 そして恐れを持たず、それでいて他者を想える彼等無人ISは、やはりどうしようもなく強い。

 

 だが思えば、弱者であるから何だと言うのか。

 そもそもISとは、弱者の為にあるパワードスーツ。絶大な怪力は、非力な人間が操作してこそ意味がある。シールドと保護機能は、人間の肉体と精神を護る為に。弱き人間は空すら飛べないが、ISはそれすら可能にしてくれる。

 

 紅椿こそ、その究極形であった。姉が最愛の妹に向けて作ったIS。剣も人もISも愛さずには居られない、故に己を磨き続ける、そんな弱き者の為のISなのだ。

 必要なのはただ一つ。己の弱さを誰よりも認め、一切のプライドを捨てる事。

 そこに辿り着けた起因は、皮肉にもあの民間船と無法者たちだ。彼等諸共殺そうとした時、箒は「真の弱者」となった。もう今の箒に、鍛練の成果だの矜恃だの、そんな綺麗事で出来た外殻は残っていない。

 

───……いつも…気付くのが遅い

 

 日々自分は強くなっている、だからもっと上手く戦える。加えてこのマシンならどんな難敵だろうと関係無い。そんな強がり、最初から要らなかった。箒は昭弘にも、セシリアにも、ラウラの様にもなれない。

 大事なのはその更に奥、(なま)の感情だ。弱い証拠であるソレから、目を反らしてはならないのだ。あとは箒が今持つ実力を、感情と合わせるだけ。

 

 箒にしかない我儘なその感情が今、大切な者たちを失いたくないと叫んでいる。

 今、その大切な者たちの中で、命の危機に陥っているヤツが居る。

 

 それは一体誰なのだ、篠ノ之箒よ。

 

───それは

 

 感情を爆発させるべく、弱い箒は思考を速める。現時点で存在する力をどう使うか。

 絶対的な力を振るい回す、銀の福音。対して、白式と一夏はどう相性が良いか。その間、自身と紅椿は何をすべきで、何がしたいか。

 

 もう手段なんて一切選ばない箒は、もっと貪欲に想像を掻き立てる。

 あの姉がこんな普通の機体で終わらせる筈無い、それを示す紅椿に隠された力。その力をどんな形として顕現させるか、他ならぬ箒ならどう使うか。

 

 そして最後に、昭弘とグシオンなら福音に勝てるかどうか。

 

 それを愚問と感じた瞬間、紅椿は「紅」でなくなっていた。

 

 箒を覆う紅い装甲部が、紅以外の色へと変色し出したのだ。

 

 

 

─────

 

 

 

 

 昭弘の危機に駆けつけた、純白の騎士。青黒い海面の上で赤々と四肢を点滅させているその様は、自分だけを見ろと観衆に言い聞かせている様であった。

 事実、もし観衆が居たら視線が集まるのも納得だ。ただでさえ目立っていた一対の機械翼は二対に増えており、何より雪片弍型も含めた光量の凄まじさだ。

 

 だがその姿に見とれる間も無く、昭弘は一夏に向けて叫んだ。

 

《離れろ一夏!!》

 

 今、福音の意識は白式へと向いている。いくら機動力に長けた白式だろうと、福音の弾幕を躱すのは不可能だ。

 

 

ミュゥン!ミュゥゥン!

 

 

 そんな昭弘の心配を打ち消す様に、今度は紅…ではなく金色のビットが2機飛んで来た。

 それらから放たれた光の矢を福音は容易く避けるが、弾幕の展開は阻止された。

 

《一夏の言う通りだ昭弘》

 

 またしてもスロー再生される事無く、普段から聞き慣れている少女の毅然とした声と言葉が届いた。まるでその瞬間だけ、マッドビーストが解かれているかの如く。

 その震え声は、恐怖からか怒りからか、或いは武者震いか。

 ただその瞳に漆黒の炎は無く、代わりに燃え盛っているは黄金色の炎であった。今箒が纏っている紅椿の真なる姿と同じく。

 

 

 少し見ぬ間に少なからぬ変化を遂げた、白式と紅椿。白銀と黄金に輝くその2機は、目を逸らしてしまう程に眩い。

 

 だが昭弘は、危機に駆け付けてくれた事への感謝と同じ位、憤りも感じていた。何故来たのだ、と。

 千冬の命令であろうと、やはり昭弘的には、こんなにも危険な敵に一夏と箒を会わせたくはなかったのだ。

 何より、愚かな道連れ劇に2人を巻き込みたくなかった。

 

 が、今は一夏と箒に物申している場合ではない。早速、福音が3機纏めて墜とすべく身体中の翼を輝かせる。

 先程死にかけた際の冷静さがまだ生きているのか、猛烈なる破壊衝動をどうにか抑えながら昭弘は指示を下す。

 

《一夏、一先ずは陽動を頼む。オレと箒で福音を撃ちまくる》

 

《オッケー》

 

《承知した》

 

 まるで弾幕そのものが本体を中心に膨らむ球体であるが如く、四方八方へ光弾を飛ばす福音。

 

 そんな中立ち回る3機の内、一足先に回線を震わせたのは箒であった。

 

《………死ぬ気だったのか?昭弘》

 

 どうやら、何となく察していた様だ。箒がそうであるなら、一夏もだろう。

 元々、昭弘の任務は福音の足止めだった。だのに福音がこれ程まで強化され、一人では確実に死ぬ状況で尚も戦っていては、そう思われても仕方ない。昭弘を良く知る、箒と一夏なら特にだ。

 

《…そうだ》

 

 昭弘はそれしか言えなかった。福音を斃す為だの皆を護る為だの、御大層な理由は全て言い訳でしかない。昭弘は死んで良いと思っていた、生きる必要性を見出せなかった。

 だからそのまま、箒の言葉を短く肯定するしかなかった。

 

《…今も?》

 

《…ああ》

 

 一夏にも、そう短く肯定で返した。

 そうして間髪入れず、2人に心の内を吐露した。

 

《お前たちとの日々は楽しかったが…オレには、生きたいと思えるようなモノがどうしても見つからなくてな》

 

 では誰かの為に生きろとなるが、この男にはそれも出来ない。生きる理由を、他人に押し付ける様な事は。

 

 吹き荒れる弾幕、歌声はそれに比例して今や怒号に等しくなっている。

 それは三者の間に流れる沈黙すら飲み込もうとするが、それは叶わなかった。逆に沈黙が、喧しい轟音を飲み込もうとしていた。

 

 

 その沈黙なる時間も、短くして終わった。福音に掻き消されたからではない、あくまで彼等自身が破ったものだ。

 

 沈黙を破ったのは、今度は一夏であった。

 

《……昭弘。みんなで…帰ろうよ》

《無理に生きろ…とは言わない。大切な人が死ぬのは怖いし嫌だけど……学校生活と同じで、いつかは終わってしまうものだから》

《それでも…今じゃないと思う。そこに理由なんて要らない。オレはただ、恐怖に駆られてそれを成し遂げるだけだから》

 

《だからさ…死なないで、昭弘。せめて学園に帰るまでは…》

 

 一夏が放った言葉を頭で整理する間も無く、箒が続く。

 

《私も成し遂げるぞ、昭弘。お前を此処で死なせるつもりは毛頭無い》

《これまでもこれからも、どう頑張ろうと私は弱い。そんな私はお前の喪失に耐えられない。…要はただそれだけの、私の稚拙な感情なんだ》

 

《どうか…生きてくれ昭弘、こんな私たちの為に》

 

 昭弘は悩んだ。

 

 もし本当に、皆助かる方法がこれしか無いのなら、昭弘は福音の道連れを変えないだろう。一夏と箒の言葉に従う事無く。

 ベアハッグだけでは、福音のSE100%を削り切るのに時間が掛かり過ぎる。その間に至近距離で何度も殴られれば、逆にグシオンのSEが無くなる。

 だがもし昭弘も生きれる方法が他にあるのなら、進化した白式と目覚めた紅椿にそれが為せるのなら、昭弘の道連れ戦術は単なる自殺と一緒だ。

 

 事実、強大な圧力を加え続ければ、福音は撃墜出来るのだ。どれだけ進化しようと、ISである以上外的な力を受ければSEは減少する。要はその減少速度だ。圧力でSEを効率良く減らすには、腕力で締め上げるよりもペンチの様に鋭利な物で挟むのが有効だ。

 その条件を満たす武器を、昭弘は知っていた。今こそ手元に無いがもし…もし、グシオンが進化出来れば。長い時間グシオンと共に稼動してきた昭弘なら可能かもしれないが、今進化出来る確証は勿論、保証も無い。

 

 もうそこから先は二者択一であった。

 生きるか、死ぬか。

 

(………オレは)

  

 昭弘には生きる目的が無い。それに目を瞑って何となく生きたとしても、最終的に訪れるのは殺す殺されるしかない愚かで無意味な居場所だ。

 ただ、生きれるのなら、生きねばならない。自ら命を捨てる行為は、友を自ら捨てるが如き愚行である。そして箒と一夏、だけでなく皆だろう、昭弘の生を望んでいる。

 

 しかし「仕方なく生きる」程度では、ISは応えてくれない。

 もしそんな状態で生きる選択を取れば、間違いなく3人共ここで死ぬ。

 

 

 ジレンマに追い詰められた昭弘は、一夏と箒に何の言葉も返せないでいた。

 

 そんな何も答えない昭弘に、2人は再び言葉を付け足す。こんな時の為に取っておいた、“その言葉”を。

 

 

 

生きてれば、良い事あるものだ

 

 

 

 2人の声で構成されたその言葉に、昭弘は頭の中で己の声をも重ねる。まるで嘗て、昭弘自身も口に出した事があるかの様に。

 

 言葉にしてみれば何て事は無い、清々しい程シンプルな答え。

 だがその言葉には、昭弘にとっての真理が凝縮されていた。嘗ての昭弘も、そうだったのだから。

 

 前の世界、与えられた「未来へと続く大通り」を歩いて昭弘は過ごしてきた。

 だがそれ以前に未来なんて常に在り、日々どころか毎秒通過していた。思い通りになった、或いは何の予期もせず迎えた日常における未来。時には戦場で牙を剥き、時には家族の和の中で楽しませてきた未来。

 その常理は、一度死んでこの世界に生きてもそのままであった。小さな未来を常に通過し続け、良き悪き思い出となり、昭弘をまた新しい昭弘へと構成していく。

 

 道が無くとも、或いは道の先に決して避けられない絶望が待っていようと、生きている限り未来は直ぐ手前に在る。通過すべき現実として。

 それは時に、余りに唐突な衝撃を起こしては道を作り出すものだ。そこに絶対は無く、作り出されるかどうかは誰にも分からない。全ては不確実な、可能性に過ぎない。

 

 目的なんて、見つかるかもしれないし見つからないかもしれない。

 「生きてれば良い事ある」とは、どうなるか分からないという事。故に、昭弘が目的についてどうこう悩む事に意味は無い。

 

───だったらオレは…ただボーッと、道が出来上がるのを待ってるだけか?

 

 だが分からない以上、生を捨て去る事は出来ない。

 

 運否天賦に身を任せていると、そう言い換えられても仕方が無いかもしれない。事実、人生の半分はそうだ。

 ただ、日常という昭弘の世界は、目的の為にある訳では無い。自分自身を作り上げるのが日常だ。

 その日常を空虚に感じる様な仲間が、果たして昭弘の周りに居ただろうか。

 

 己の道を作れないまま、昭弘は一日一日を生きてきた。箒との、一夏との、皆との日々を。だがその中に、無味で虚ろな時間なんて一つも無かった。

 過ごしたその時間は、予知なんて出来ない絶えず変動する可能性が具現化したものだった。

 

 先が何も見えないのは、暗くて恐ろしいものだ。しかし、だからこそ分からない未来を待つ“今”は面白い。昭弘が、IS学園で学んだ事だ。

 無理に目的を見つける必要は無い。昭弘が昭弘である限り、今と未来は続いていく。生きる理由なんて、それだけで十分だ。

 

 

 ずっと思っていた、道の無い己に生きる理由は無いと、己の命は軽いモノだと。己の凄惨な結末は変わらないと。

 重要なのはそこではなかった。「生」がどう構成されているのか、それすら昭弘は解っていなかった。

 

 人生とは可能性そのものだ。昭弘が彼女たちと出会い、訳の分からない変化を遂げた様に。

 

 安易な予想も綿密に纏めた予想も裏切り、時にはその通りになったり、誰かが何かが変わったり変わらなかったりする場所。全てを巻き込んで混沌とする場所。

 昭弘は、そんなIS学園がただ好きだったのだ。底も天井も見えないパワーで新たな道を見せてくれる、IS学園と其処に居る人々が。だから今まで生きてこれた。

 

 “道”なんて、昭弘がIS学園に足を踏み入れた瞬間からあったのだ。細かく張り巡らされすぎて、道であると判らぬ程に。

 結末が変わらなくとも、今と最期の間にある未来は常に昭弘を待っている。

 

 

 ならば───

 

───…グシオン、オレは辿り着きたい。何がどうなるか分からない、明日へと

 

───殺し合いの地獄を迎えるまでの間、オレはただ全力で生きたい。(未知)(満ち)たIS学園で

 

 箒と共に味わった、小島での至高の一時。それすら超える“何か”を生み出すかもしれない、そんな「分からない」だらけの未来を求めて。

 

 

 

 

 

─────グシオンリベイク、二次移行開始。



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第69話 福音 ⑪

 昭弘が求める、グシオンの進化は成された。

 

 盾剣(サルコクス)は更にその鋼鉄の厚みを増しており、先端から後端に架けて直線的な亀裂が走っていた。まるでその部分が開き、何かを巻き込んで閉じる、その為だけにあるかの様な亀裂だ。

 右手の甲には黒く光るナックルシールド。両腕はそれに見劣りしない様にと、鉄骨の如く更にその無骨さを増していた。そのメカメカしい角張は背部のサブアームユニットにまで及んでおり、より冷徹さと凶暴さを増した様相だ。

 スラスター及びバーニアは更に小さく分断され、より多くそして満遍なく各部に配置されていた。

 

 それ以外見た目に大きな変化は無いが、ある一部分だけは一目瞭然な変貌を遂げていた。

 己の命すら省みない獣に過ぎなかった、無機質でただ赤い発光体。その目は今や血を混ぜた宝石の如く、紅々と輝いていた。

 

 生にしがみつくその新たな機体の名は、『グシオンリベイクフルシティ』。

 

 

 最終局面、反撃の狼煙が上がった。

 

 

 

 福音が上下左右前後に飛ばす弾幕の形は、正確には完全なる球体ではなかった。相手3機が激しく動き回るのも理由の一つだが、何より白式へと攻撃が集中してしまうからだ。

 敵を3機共等しく視認はしているものの、理屈に合わない機械翼を羽ばたかせる様な機動、太陽より眩いのに何故かはっきり見えるボディとその四肢で何度も灯る赤い光、そして零落白夜への過剰な警戒が、無意識の内に光弾をより多く白式へ放ってしまう。

 

 機械翼の増設によって速度は従来の1.5倍、二段階瞬時加速という荒技も可能となった白式。

 そして、雪片弐型に付与された新たな機能が「雪羅」。零落白夜を発動させたまま空を斬ると、斬撃そのものが形となって暫く残るのだ、ビーム無効化機能をそのままに。つまり、急拵えの盾となるのだ。

 

(凄いよ箒。アンタの感情がどんどん入り込んで来る)

 

 そして白式は未だ飛べていた、SE残量にそれなりの余裕を残したまま。既に何発も光弾が直撃しているのに。

 

 それこそが、黄金に光る紅椿の真なる能力「絢爛舞踏」。

 スラスター増設による出力上昇、ほぼ使いっぱなしな零落白夜、白式のエネルギー消費量は従来のそれを大きく上回る。そのエネルギーを絶えず与え続けるのが、紅椿の役割だ。

 何らかの手段で何処かから源を拝借しているのか、自然のエネルギーを変換しているのか、それとも元々の膨大なエネルギーを蓄える為の蔵が紅椿にあったのか、原理は定かではない。

 だが紅椿の覚醒は大凡、箒の意思が大元となっていた。攻撃を一手に引き受ける白式の存在は福音戦に必須、だがそうなれば瞬く間に白式はSE切れで粒子化する。ならば紅椿から白式へエネルギーを、しかも無駄な動きもタイムラグも無く送れないかと、そう箒は考えたのだ。というより願いをぶつけたのだ、紅椿に対して。

 箒の抱えきれない感情に、紅椿が応えたとでも言うのだろうか。

 

 確かな事は一つ、白式が消費し紅椿が与える。束の思惑通り正しく2機は「番」同士なのだ。

 

(本当に…昭弘の事が好きなんだね。オレの想いに負けないくらい)

 

 束の思惑に反している点は二つ。

 白式に力を分け与えるのは、何も一夏に対して強く願っているからではない。ただ昭弘を助ける為に、自分に出来る事をやっているだけなのだ。

 それは一夏とて同じ事。彼は箒の想いに応えるべく、剣を振るっているのではない。昭弘が王手に着けるよう、道を斬り開いているだけに過ぎない。

 

 実際、必死に動き躱して、剣を振り続けて護って、そうでもしなければ一夏と白式はやられてしまう。

 絢爛舞踏は万能ではない。SEを瞬時に回復出来る訳でもなければ、0になったエネルギーを復活させる事も出来ない。SEの減少速度が上回ってはならないのだ。

 これまで一夏が重ねてきた鍛錬と地道な努力。今、それら全てを出し切る事で辛うじて均衡が保たれていた。

 

 

 だがそれでも本来なら押し負ける。福音が全ての光弾を白式一機に集中させれば、それで済む話だ。

 

 それが出来ないのは、紅椿とグシオンの存在があった。

 福音が下に逃げても上に逃げても、水面スレスレを飛ぼうと遙か成層圏へ向けて急加速しようと、まるでミサイルの如く猛追を緩めない。それも今までなら簡単に墜とせたが、白式が居る以上グシオンと紅椿に弾幕を集中させる事は出来ない。飛び道具を躱しながら白式だけ狙う手もあるが、そうなるとグシオンと紅椿は回避行動を取らなくなり、最短距離で突っ込んで来る。紅椿は振り切れるかもしれないが、二次移行したグシオンは無理だ。

 故に、ただ対等の条件下でこの2機と撃ち合うしかない。

 

 

 

 ただでさえ激しいエネルギー消費に、与えられたダメージ。本来いつ墜ちても不思議はなかった紅椿を、箒は黄金色に染めたまま飛び続ける。どうやら絢爛舞踏は、自ら発動している紅椿すら回復させる様だ。

 それでも、回復速度は白式より遙かに遅い。その点をとうに把握済みな箒は、激しく小刻みな「避けては斬り」を繰り返す。

 

 いとも容易く避けられる斬撃波を、それでもただしっかりと狙って放つ。どんな光の大玉をも躱しつつ、一振り一振りに魂を込めて。これ以上のエネルギーを白式に送れずとも気にしない、一夏を信じるだけだ。

 それはまるで素振りの様であった。何かを斬るでもないのに、有意義で心の安寧に満ちている時間。箒はそれを今この実戦で感じていた。

 

(怖いだろう?延々と襲ってくるカマイタチは)

 

 そう思いながら、今度は雨月による突き攻撃をも織り交ぜる箒。弾速こそ空裂より上だが、やはり攻撃範囲が狭い為か難無く躱される。それで構わなかった、福音に新たな攻撃手段を見せれれば。

 己の飛ばした斬撃や刺突を躱し続け、2機のビットから逃げ惑い、来るな来るなと喚く様に弾幕を張ってくる福音。この戦いの本質を理解している箒にとって、これ程面白い事はなかった。奴が紅椿の追撃を意識すればする程、致命の一撃は届き易くなる。その一撃を担うのは、箒でも一夏でもない。

 姉の庇護によって作られたこの機体。箒はその力を振るう事に、今や一滴の後ろめたさも、ましてや責任感も義務感もなかった。恐怖と喜悦が等しく混在している今、それ所ではないのだ。ましてや相手は世界最強クラスの軍用IS、どんな戦法を取ろうと文句を言われる筋合いは無い。

 

 自分の剣技と姉の作ったISで昭弘を救えるのなら、これ程良い事はない。

 

 そう感じているのは無論、一夏もだ。

 

 先程と同じく役割に縛られながら飛んでる筈の2人は、これまでの何よりも大空を自由に翔んでいた。

 

 

 

 元は盾剣であったサルコクスを左手に持ち、右手の滑腔砲と両サブアームのミニガンを乱射しながら福音へと接近する、昭弘とグシオン。

 対する福音も大軍の様な光弾幕で応戦してくるが、白式と紅椿に弾幕の多くを回している為、二次移行前の福音とそこまで弾幕量に差は無い。

 

 そんな状況下でも、昭弘は箒と一夏に絶えず感謝の念を抱いていた。

 

 ありがとう、自身の窮地に駆け付けてくれて。

 ありがとう、生きたいと思わせてくれて。

 そしてありがとう、共に戦ってくれて。

 

 言った所で、あの2人ならきっと「礼には及ばない」の一言で片付けるだろう。それでも、感謝せずにはいられない昭弘。あの2人はもう、護られる対象ではないのだ。

 勝つのだ。命たちの為に、自分を構成してきた全ての世界の為に。昭弘自身の未来の為に。

 

 対して、勝たねばならないのは福音もだ。白式を嫌程意識し、恐れの表れか紅椿への反撃を増大させても尚、残った意識と光弾たちでグシオンを迎撃しようとする。横一直線と縦一直線に並べた光弾、グシオンの進路を囲う様に放った光弾、左右上下に薙ぎ払う小光弾、それら全てを含んだ弾幕を展開する。

 だがグシオンは、その光弾たちを無駄無き動きで処理する。ターゲットに向けて全速前進のまま、右肩左肩を傾けながら最小限の動作で光弾と擦れ違い、大きく避ける必要のある玉はシザーシールドで弾く。その度、生きたルビーと化した目があらゆる方向に輝く。

 

 その姿は狂獣というよりも、誇り高き狼。仲間と共に生き抜く為に、その命を張る孤高になれない獣。

 

(…そういや、「あの時」もシザーシールド(コイツ)で終わったな)

 

 あの時の昭弘は、残された家族の為にその力を振り絞った。だが状況的にどうしようもなかったとは言え、自らの命すらも消費してしまった。

 そして悲しい事に、昭弘自身が家族の為にそれを一番望んでいた。

 

 今は違う。この武器で敵にトドメを刺し、必ず自身も生き残る。明日を失うなんて二度も要らない。

 

「生きてりゃ、良い事あるもんだしな」

 

 そう小さく呟きながら、蛇の様に福音との距離をジワジワと詰めていく昭弘。

 マルチスラスターという強力な翼を持っているが故の、速過ぎるが故の弊害。どんな攻撃も大きく避けてしまう福音は、最小限の空中機動で迫るグシオンを振り切る事が出来ないのだ。

 心なしか、逃げる福音に狼狽の色が伺える。

 

 この時までの戦いで昭弘は気付いたが、福音には明確な恐怖が存在する。音檄や無人ISとは違って。

 自分が有利な時は棒立ちして見せて余裕綽々な態度を取るが、不利になると機械とは思えない程動きが荒くなる。でなければ紅椿の猛攻に対して、アレ程まで過剰に反応しない。

 だがそれだけで、昭弘たちがここまで互角に戦える筈が無い。福音は時間が経つにつれて、攻撃頻度が高くなっていく割に、空中機動と射撃精度が大雑把でいい加減になっている。そこには、これまで戦ってきた、そして今も音檄たちと戦っている仲間の存在があった。下僕である音檄が今も尚どんどん墜とされている現状、完全に囲まれる前にこのグシオンら3機を始末せねばならない、故に焦る。

 

 これはつまり、操縦者ごと乗っ取っている分、人間の本能も取り込んでしまった所か。若しくはVTシステムと類似した状況か。

 

(何だっていい、要はどっちが強いかだ)

 

 生きていく事、失う事、そして死。福音と同じく、昭弘の心にもそれらへ向けた恐怖はある。終わりが近い所で拮抗している今、後は互いの心の問題だ。

 どちらの心が勝るか、より恐怖が大きいのはどちらか、その恐怖を力に変えられるのはどちらか。

 

───見えた

 

 仕掛けたのは昭弘だった。

 余計な程縦横無尽に避け続ける福音へ、紅椿の放った特大のカマイタチが2本、大気を裂きながら突き進んで来る。それを察知した福音はグシオンへの弾幕を数瞬だけ紅椿に回し、二回り程大きく避けようとする。

 福音の軌道をこれまでの戦闘から読み抜いた昭弘は、相手の初動と同時に瞬時加速を行う。チャージの時間は僅かコンマ2秒、正に超短距離特化の突進だ。目指す位置はU字を描く軌道の最終地点、福音の横っ腹。

 

 白式に向けざるを得ない意識、加えて紅椿への狼狽を抑え込めない福音は、それでもどうにか振り向いて光弾を放つ。此方も此方で、グシオンの動きは読んでいた。

 放てたのは2~3発程度だが、グシオンのSEは変わらず僅か。十分削り切れる。

 

 が、この瞬間においてその数発は無意味であった。

 進化したサルコクス、シザーシールドのブ厚さは盾というより最早壁そのもの。それを全面に構えたまま突撃されては、超エネルギーの塊である光弾だろうと3発では足りない。

 

ガシャゴォン!!

 

 激突の直前、素早くシールドの構えを変えたグシオンにより、鋭き鉄塊の先端から中心点までジャギンと開いた。

 そして衝撃。

 X字の半分である持ち手を両手で握るグシオン。その反対側には、凶器と化している二枚の鉄塊に挟まれる福音。

 

 

 勝敗は呆気なく決した。

 後はグシオンがどのISをも凌ぐ怪力で以て、持ち手を閉じようとすれば終わりだ。

 例え福音がこれ以上進化しようと、シザーシールドに挟まれている現状、そのまま圧力を加えられて再びSEはゼロとなる。

 この大き過ぎるペンチに捕まれば最期、どんなISだろうと絶対に逃げられない。

 

♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪ッッ!!!!!

 

 当然、福音は足掻き暴れる。数多のスラスターをあらゆる方向へ噴射し、光弾を打ち上げ花火の暴発が如く放ちまくり、自身を挟む二枚の刃を殴り続け、届く筈の無い手をグシオンへ向けて振り回す。

 今や白式への意識も紅椿への警戒も、そしてグシオンへの憎しみすら福音には無く、有るのは恐怖に飲み込まれた心のみだった。

 

 何が怖いのだろうか。回収され欠陥品として凍結される事か、目的を達成出来ない事か、主と離れ離れになる事か。

 

「……これが」

 

 ただ一つ確かな事を、昭弘は震える福音に言い放つ。それは、生きたいと思い死を恐れる事が出来た昭弘だからこそ、言えた言葉だった。

 

「皆が味わったモノだ」

 

 喪失という絶望を、短い間に振り撒いてきた福音。その絶望が最後の幕、己に纏めて返ってきた瞬間であった。

 

 そうして漸く、福音は気付いた。

 ISの滅殺こそ世界と主の為で、それを成せるならどんな犠牲も致し方無い。福音にとって主以外の人間など有象無象にも及ばず、どうなろうと知った事ではない。

 そう思っていた。だが圧倒的絶望に自ら直面した今、福音は思い知った。「死」がどういうものなのかを。そして、その過程で生じる恐怖がどれだけのものかを。

 

 

 彼女は、銀の福音はもう、暴れるのを止めていた。

 

 

 

「…じゃあな」

 

 

 

ギギギ…

 

 

 

 鉄が鉄を圧する音だけが最後に響き、ほぼ満タンだった福音のSEは一瞬で消え、憎々しい銀色のボディは忽ち粒子となって中空へと消えた。

 

 だが福音は最後の最後、操縦者保護機能により最愛の人だけは守り抜いた。どれだけ冷酷になろうと、思考が恐怖に支配されようと、その愛だけは消えなかった。

 

 そして昭弘は解放された福音のパイロットを───

 

 

 

 助けた。

 

 

 

 

 




白式は二次移行というより1.5次移行って感じになりました。機械腕も取り払っております。原作みたくただ単に強くしすぎると、「じゃあ今までの特訓は何だったんだ」となりますので。
事実、こっちの方がサポート役としてかなり動かし易かったです。

紅椿は自身と白式にしかエネルギーを送れない分、接触せずとも供給出来るようにしました。だって白式の傍に居たら諸共蜂の巣にされますし…。
他の機体へもエネルギー供給出来るようになるかは、まだ何とも言えないです。

あとグシオンのシザーシールドですが、こちらの世界でも基本的に一撃必殺で、腕だろうが脚だろうが挟まれたらもうそれで終わりです。


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第70話 神か人か

─────花月荘周辺 自衛隊衛生科病院天幕

 

 作戦終了から既に1時間が経とうとしていた。

 

 屍みたく固まりながら両膝をついているグシオンの近くで、千冬ともう一人は座っていた。それはもう、やるせなさに包まれた表情のまま。

 今や深緑色の天幕内は、重苦しい空気という不可視のバリアに包まれていた。

 

「……彼はもう、ずっとこのままなのですか?」

 

 俯いたまま、ナターシャが千冬に悲観的な問いを繰り出す。

 が、千冬が彼女の悲観に飲まれる事は無かった。

 

「何とも言えん。数時間でグシオンから解放され、半日と掛からずに意識が戻った…“前回は”そうだった」

 

 優しい嘘を言えない千冬により、ナターシャの思考は下降し続ける。

 

「……この戦いで生じた被害は?」

 

 既に一度説明されている事を、ナターシャは再度千冬に訊ねる。

 だが千冬は少し間を置きながらも、仮の報告書を要約し読み上げてくれた。

 

「昭弘・アルトランド :意識不明、MPSの待機形態移行不能。損傷等詳細は検査中」

 

「セシリア・オルコット :意識不明、前頭葉への損傷を確認。現在治療中及び詳細検査中」

 

「ラウラ・ボーデヴィッヒ :超過機動による骨格全体への損傷を確認。治療の後、可能な範囲で要身体検査」

 

「凰鈴音 :軽度の火傷。極度の疲労から回復次第、要身体検査」

 

「織斑一夏、篠ノ之箒、シャルロット・デュノア :極度の疲労から回復次第、要身体検査」

 

 千冬がそれら情報を淡々と読み上げると、ナターシャは蹲る要に更に視線を落とす。

 

 すると今度は、一転して強い眼差しを千冬に向ける。それはまるで己の全てを差し出すかの様な、覚悟の籠もった、それでいて諦めに満たされた視線だった。

 

「…今、貴女に殺されるのなら…私は本望です」

 

 暴走したのはあくまで銀の福音だが、それを助長したのはナターシャの「願い」だ。

 国家代表に比肩しうるIS乗りでありながら、ナターシャはずっと抱いていた。いつか兵器としてのISが無くなるようにと。もしそうなったら、どれだけ素晴らしい事だろうかと。

 それを、暴走した福音は歪んだ形で実現させようとしたのだ。主を母親の様に慕っているから、自身もその願いに強く賛同していたから、それしか手段が無かったから。

 

 そう考えると、千冬の生徒たちを傷つけた者として、ナターシャが無関係とは言い切れないのもまた事実。

 彼女のそんな負い目は、千冬も理解している。今回の一件を抜いても、2人の付き合いは決して浅くはないのだから。

 

「…良識ある人間は皆そうだ。ISが戦争の道具から解放される事を、心のどこかで願っている。そう…福音が暴走した時点で、誰が乗っていようと結果は同じだった」

 

 千冬にとっては、許すも許さないも無い事だ。ナターシャも福音も、誰も悪くなんてないのだから。

 若しくは、そう思い込みたいだけかもしれない。

 

「…それでも私は許せない。ゴスペルの暴走を止められなかった私自身を。そして───」

 

 千冬の「逸らし」も虚しく、ナターシャの自己批判は止まらず、遂には憎しみの限りを露わにする。

 

「暴走させた諸悪の根源を」

 

 アレが外部からのハッキングである事は、乗っていたナターシャだからこそ把握出来た。

 だがその痕跡が残っていない現状、「技術面でのミス」か「福音が勝手に暴走した」という事になる。どの道、安全性の観点から福音のコアは凍結処理される。

 

 そうなった「諸悪の根源」に対する千冬の憤りは、ナターシャへ向けた罪悪感に飲まれていった。最新鋭第3世代軍用機へのハッキング、加えてその痕跡を一切残さない人間なんて、誰なのか考えるまでもない。

 ただただ、申し訳無い気持ちでいっぱいだった。諸悪の根源が、千冬の親友である事が。それでも尚、色々と考えが巡ってしまうが故に、束の名を出せない事が。

 謝るのはナターシャではなく寧ろ自分の方なのだと、千冬は心の中で謝るしかなかった。

 

「ソイツだけじゃない。そもそも“上の連中”さえ居なければ、ゴスペルがあんな軍用ISになる事なんて…。どいつもコイツも私自身も、いつか必ず───」

 

「ナターシャ」

 

 遂に千冬は、いたたまれなくなったのか口を開いた。

 

「君のそれこそ、争いの火種じゃないのか?」

 

「…」

 

 誰よりもISを愛し、平和を求めるナターシャ。そんな彼女が争いの根源となろうものなら、千冬も黙っている訳にはいかない。それとも、ナターシャに抱く罪悪感故だろうか。

 或いは千冬自身、逃れたかったのかもしれない。誰が悪いだの、どうしてこんな事になっただの、そういった負の方面から。

 

「君の恨みは理解しているつもりだ。だが真にISの事を想っているのなら、憎しみを抑えろ。その憎しみはいつか必ず、ISを人殺しの道具に変える」

 

 それはISの力を知ってしまった、味を覚えてしまったIS乗りなら尚更だ。例えどんな信念を抱いていようと、人間本来が持つ残虐性には逆らえない。

 

「ナターシャ。福音はあの時、その「殺人」という禁忌を犯す一歩手前だった。…それを止めてくれたのは誰だ?」

 

 言いながら、千冬は物言わぬ石像と化したグシオンの元へ、ゆっくりと歩を進める。そして肩を覆うショルダーアーマーに、力の抜け切った手をストンと乗せる。

 

「最悪の結末は回避された。憎しみを捨てろとは言わんが、今はどうか喜びに気持ちを傾けて欲しい。そして…それを成し遂げた生徒たちに、感謝しては貰えないか」

 

 福音を失ったナターシャと同様に、千冬も大切な生徒たちを傷つけられている。

 それでも前を向けるのは、生徒たちが無理難題なる作戦を完遂してくれたからだ。確かなる成長を、未来に繋がる可能性を見せてくれたからだ。

 この状況下で、嘆くのは簡単だ。だがそれは戦い抜いた生徒たちに対し、余りに失礼だ。

 

「千冬さん…」

 

 ナターシャは己の弱さを恥じた。心に傷を負っているのは、千冬も同じだというのに。

 本当に前を向いているのか、単に心を切り替える為なのかは分からないが、どちらにしろ千冬の姿勢は見習わねばならないだろう。

 

 何かの、誰かの為に、恐怖の最中その命を賭けた昭弘たち。結果として作戦は成功し、無事とは行かずとも全員が生きて帰れたという奇跡。

 こんなにも素晴らしい事がそうそうあろうか。

 

 その結論に至ったナターシャは、千冬に倣いグシオンへと歩み寄る。その目は子供を微笑ましく見るものではなく、一人の男に敬意を払うものだった。

 そして、俯くグシオンのフルフェイスマスクに、己の額を当てる。

 悲しみの灯火も憎しみの大火も、未来永劫消えない事はナターシャも承知している。だがこういう時くらいは、それらを一旦忘れ、そして休むべきなのだ。

 

「ありがとう、昭弘・アルトランドくん。ゴスペルの暴走を止めてくれて、そして…私の命を助けてくれて」

 

 昭弘に聞こえる筈のない感謝の言葉を、ナターシャはそれでも声に出した。

 意味が無くとも、言うのなら今しかなかった。昭弘が長い時間の後目覚めたとして、会えるかどうかなんて分からない。

 

「オルコットにも。そして、治療が済んだら他の連中にも、言ってくれると助かる」

 

「分かっています」

 

 ただ感謝して欲しいというだけではない。

 千冬は、ナターシャに見せてやりたいとも思っていた。強大な壁を乗り越えた、自身の生徒たちの勇姿を。

 

 最早彼等、彼女等は、この昭弘・アルトランドという青年と並べるだけの強靱な心を持っている。

 

───そうだろう?アルトランド

 

 声には出さず、最後に千冬はそう心の中で言う。

 他ならぬ昭弘が、強くなった仲間に助けられた当事者なのだから。葛藤し這い上がってきた仲間たちを、ずっと外側から見てきたのだから。

 

 

 もしこの心の言葉を唱えたら、昭弘はどんな反応を示すだろうかと、千冬は石の様に動かないグシオンを見つめる。

 

 

 当然、何の言葉も返って来なければ、視線すら感じる事は無かった。

 

 

 血の通っていないマスクは、ただ虚ろを見ているだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 相変わらずの快晴である、花月荘周辺地域。

 波打際の潮騒も、今日はどこか透き通って聞こえる。まるで遙か太平洋から流れ着く塩水が、天から注がれる光の恩恵を享受している様に。

 

 そんな海岸線の一区画で一人、束は腰に手を当てながら立っていた。視線の先は、何処までも広がる藍色のカーペットへ。だが海が一つであると考えると、それはまるで全世界を見渡しているかの様でもあった。

 今日はどんな笑顔なのかと覗いてみた表情は、まるで別人の様相であった。それは正しく、彼女の妹が刀を持つ時とまるで同じ、精悍な顔つきであった。

 

(邪魔者は消えた)

 

 束の思惑通り成された、銀の福音及び音檄の破壊。アメリカへの嫌がらせも理由の一つだが、そんな私怨が全てではない。

 

 銀の福音、そしてそれが引き連れる無人随伴機。余りに強大な力である彼等の存在は、束にとって今後大き過ぎる障害となる。これ以上、IS側に戦力を偏らせてはならない。

 彼等が試験中に暴走すれば、福音のコアも当然ながら凍結処分される。そうなれば開発資金もパーとなる訳で、当面の間は新たなIS開発も行われない。

 

 無論、福音を消す方法なら幾らでもあった束だが、そう簡単に済ませる訳にも行かなかった。

 

(それは良いけど、まさか全員生還するとは思わなかったかな)

 

 束としては、今後の脅威となるかもしれない「2人」にも、ついでに死んで貰いたかった。暴走した福音たちが人を殺めたともなれば、アメリカ主導のIS開発も当面どころか半永久的に頓挫する。アメリカが揉み消さなければだが。

 その内の一人は『昭弘・アルトランド』、もう一人は『セシリア・オルコット』だ。可能なら『ラウラ・ボーデヴィッヒ』にも消えて欲しかった。

 だが、お陰で昭弘たちがどの程度の力を秘めているのか、今後どれだけ強くなるのかも束には見えた。亡国機業による「革命」が始まる頃には、グシオンだのラヴィリスだのがどの陣営に付こうと、大局は揺るがなくなっている。もう銀の福音も音檄も、量産化される心配は無い。

 束の計画に支障は無い、その確認が出来ただけでも収穫だろう。

 

 脅威となる人間でただ一人、千冬には革命が起こるまで生きていて貰わねばならない。腐った世界への見せしめの為に、そして新たな世界の礎となる為に。

 

(まいっか。目的は果たせたし)

 

 人間たちとコア・ネットワークで繋がった束の無人ISが、同じく高度な連携を取る機械を凌駕出来るかどうか。そうして人間と共に危難を乗り越えられるかどうか、人間を正しく導けるかどうか。

 それらを試す事こそ、今回の目的であった。

 

 束にとってこの戦いは「実験」に過ぎなかったのだ。

 存在そのものが災いとも言える頭脳を持つ彼女は、ISであれ何であれ基本的に一発で完成させてしまう。故に毎回、実験や試験を行う必要性が無い。

 そんな彼女でも全知全能な訳ではない。100%の予測が困難な心理面や精神面に関しては、今回の様に試してみるしかないのだ。

 

 結果は成功であった。

 保身から仲間を見捨てようとする者、絶望から生を諦める者、混乱から無益な殺生を敢行しようとする者、そして自暴自棄に陥る者たちを、無人ISは見事正した。それにより、自分たち以上の戦力である強敵を斃してみせた。

 

(あの子たちなら、私のISならなれる。私が目指す世界の「天使」に)

 

 文字通り「神の使い」。

 束の思い描く新たな世界に人間だけを放り込めば、また愚かな過ちを繰り返す。戦争、環境破壊、差別、搾取、まさしくこの世界の様に。

 束にとって他人なんてどうでも良いが、「夢の持続」である自身の世界だけは正しく運用せねばならない。それには、人間の心を持ちながらも欲を持たないAIによる、間違いの是正と安寧への先導が必要だ。

 大袈裟かもしれないが、その存在は“天使”と呼んでも差し支えない。

 

 少なくとも、ただ単に人類全てを地球の外敵として駆除する“心を持たない機械”が、天使などと呼ばれるよりはマシだ。

 彼等無人ISがその様な「モビルアーマー」となるのは、観測すら出来ない程遠い世界の話である。若しくは、気が遠くなる程未来の話か。はたまた、歴史ですら捉えられない程過去の話か。

 

 どんな天使であれ、共通する部分は一つ。「神」という絶対者の存在だ。

 束も別段、神になりたい等とは微塵も思っていない。だが頂点として天使を纏め上げるのなら、そうなるのが自然だ。そうでなければ、彼女の理想とする世界は成り立たない。

 自覚は無い様だが、束は誰よりも「神」らしい。自分の目指す世界こそが第一で、人間はその次点以下でしかない。彼等がどうなろうと知った事でないそれは、正しく自分の都合で人間を一掃する神の如しだ。

 

 

 そんな彼女を神にさせてくれないのは、彼女の中にある人の心だ。

 私情とも言えるそれは、彼女自身の世界に余計な歯車を組み込もうとする。彼女にとってのそれこそ、「イヴ」と「アダム」であった。

 

 束にとっての一番である箒とそのパートナーとなる一夏、2人が安寧を築ける理想郷。そんな2人が絶対的な力を持つ世界。

 それも実験で証明しようとした、その為の紅椿と白式だったのだから。互いが互いを想い、ISとISが一つになり、大いなる力を以て難敵を討ち果たす。そうしてより一層、箒と一夏を結ぶ赤い糸は強度を増す筈だった。それはいずれ、真にISが中心となる新たな世界での“男女”の象徴となる筈だった。

 だが無常にも、赤い糸なんてものはとうに無くなっていた。番は紅椿と白式だけに過ぎず、2人の矢印は別の一人に向いていた。

 

 もし2人が思惑通り結ばれたとしても、そんな私情を中心に回る世界が長続きする筈無い。それは歴史が証明している。

 

 

(上手くいかないのは、やっぱ束さんの幼稚な我儘だからかな)

 

 妹の幸せを思っての事だろうと、箒と一夏が望まなければそれで終わりだ。

 

 解り切っていた、束自身、己の愛情表現が歪んでいる事は。

 確かに、束が見ない間に箒は変わってしまった。それでも束の愛は変わらず、今も昔も箒には気付いて貰えない。

 つまりは昭弘の言葉通り、束が姉として愛を示せていないのだ。

 

 こんな事でしか、妹への愛を表す事が出来なかった。己が夢を実現する為に、ひたすら奔走するしかない束には。他者の気持ちを理解出来ない、自己中心の権化である束には。口八丁で心を覆うのに慣れてしまっているが故、己の本心すら満足に伝えられない束には。

 妹に抱きつかれて「会いたかった」と泣かれた時も、束はどうすれば良いのか解らなかった。ただ何か言葉を返さねばと焦りだけが先行し、気が付けば形式的な挨拶を発していた。

 

 何をしても、何を言っても、箒は喜んでくれなかった。束の愛は結局、妹に伝わらなかった。

 

 

───……………私は?

 

 そうして哀れな天災科学者様は、馬鹿みたく自分で考えに考え抜いた末、その簡単過ぎる答えに今になって辿り着いた。

 

 妹に何をすれば良いのかではなく、自分はどうしたいのかと。何も言えない自分は、言葉の代わりに何が出来るかと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 日も沈んで暫く経った夜。

 

 初の実戦で受けた疲労もある程度回復し、身体検査も終えた箒と一夏。既に仲間の現状も把握した2人は少しの自由時間を貰い、自分たちが寝かされていた場所とは別の病院天幕に来ていた。

 遠目からチラと見えた限りでは、天幕内の奥にてグシオンが安置されており、衛生科隊員が2名配置されていた。天幕入口にも、当然ながら見張りの隊員が。

 控えめに言って、とても入って良い雰囲気ではない。

 

「…」

 

「……まぁ、駄目で元々だったけれど」

 

 2人共、特別な用事がある訳でもなかった。ただ昭弘の様子を、昭弘を閉じ込めたグシオンの様子を、近くで確認したいだけだった。

 だが遠目だろうと近くだろうと同じで、そこには両膝をついた動かぬ鉄人が居るだけだ。そうと解っていても、2人は昭弘の側に居たかった。

 

「…」

 

「大丈夫。あの時だって、1日と掛からずに目覚めたでしょ?」

 

 沈んだ顔のまま終始無言を貫く箒に、一夏は言わないよりはマシ程度の励ましを贈る。

 

 箒だって信じてはいる、昭弘なら直ぐに目覚めてくれると。

 

 だが、昏睡状態に陥ったセシリアの姿を見た後では、元気を出せというのも無理な話だ。

 ニ次移行を果たし、脳に尋常ならざる負担を掛けた彼女は、今や意識不明の重体にある。顔の下半分が人工呼吸器で覆われたその顔は、箒たちにとってショッキングなものだった。悲痛の表情で床へと崩れ落ちた本音の姿も、記憶に新しい。

 花月荘で見た時と何ら変わらないその美しい寝顔が、箒たちをより混乱させた。何かの冗談なのではないかと。

 神が居るとするなら、余りに酷い話である。今回の作戦、セシリアが最も困難な状況にあったというのに。それをたった一人で遂げたというのに。

 そんな、大切な仲間が2人も意識を失ったままでは、気を強く持つのもより困難になる。

 そして例えどちらかが目覚めたとしても、手放しで喜べる筈がない。真の喜びは、2人が目覚め全員揃うまで訪れる事はない。

 

 心が不安定なのは、一夏も同じだ。

 誰一人欠ける事なく、成功した作戦。結果として意識を失ってしまった、昭弘とセシリア。それら喜びと哀しみに挟まれた一夏の心境は、鍾乳洞の如く複雑に入り組んでいた。

 

「どうする?箒。もう少し居る?」

 

 一夏の問いに対し、箒は無言のまま小さく頷いた。

 

「そう。…事前に持ってくべきだったけど、何か飲み物でも買ってくるね」

 

 そう言って、一夏は一旦その場を後にした。

 遠くから、いつ解かれるかも分からないMPSという甲冑をただ眺める。決して有意義な時間ではないが、だからと言ってしてはならない訳でもない。ならば一夏は、箒の気が済むまで付き合うだけだ。

 

 

 

 そんな、箒が一人きりになってすぐの出来事だった。

 

 

ヒュゥゥゥ~~~~~…   ドォォン!

 

 

「!?」

 

 真夏の生き物たちが静寂を彩る間も無く、突如としてそれは起こった。

 夜空を、熱と光で出来た一輪の花が照らしたのだ。

 

(……何かのサプライズでもあるまい、戦闘の後だぞ?)

 

 その考えは辺りの自衛隊員たちも同じだった様で、天幕内の隊員も含め皆警戒態勢となる。

 しかも花火は一発に留まらず、色や形状の異なる光が連続的に上がる。遅れてやって来る破裂の音と、花月荘周辺で飛び交う無線の音とが、夜空の下で入り乱れる。

 

 ただその花火は余りに優美であり、見事な青緑はまるでオーロラが姿を変えたかの様であった。

 

 戦闘から1日と経ってないが故の激しい警戒、余りに美しいが故の見惚れ。その2つに支配された各隊員たちは、もう花火に釘付けだった。

 

 

 箒もまた、ただ呆然と見上げていた。戦いが生み出す光とは正反対な、優しく包み込む様な色をしたその光たちを。

 

 

 

ギュ

 

 

 

 完全に無防備であった箒は、その背後からの接触に為すがままだった。

 

 危害を加える接触ではなかった。

 その両腕は箒の肩ごと大きく包み込んでおり、肘をしっかりと掴み固定していた。離す気配はまるで無いが、それ以外特に何もしてこない。

 

 唐突過ぎて、顔を向ける余裕は無かった。

 だが箒には分かった、見るまでも無く。体温、衣服の感触、素肌の弾力、か細い腕。そして忘れもしない、あの頃から変わらない匂いと雰囲気。

 

「姉さん…」

 

 そう呼んでも、束は変わらず抱き締めたままだった。涙で溢れた顔を、箒の後頭部に埋めながら。

 それこそが、ずっと束がしたい事だったから。妹と離れ離れになってから今まで、ずっと。

 

 それ程までに、自身は完璧に紅椿を使いこなしたのだろうか。そんな思い当たり、とうに花火が夜空の彼方へと飛ばしている。

 余計な思考は止まり、ただ姉の温もりを感じているだけだった。

 花火の音に掻き消される事無く、束の吐息と涙を啜る音が、箒の後ろ髪から静かに耳の奥へと染み渡る。必死に声を殺しているその様が、箒の心を擽る。平常心とは懸け離れた小刻みな鼓動が、背中から伝い箒の心臓をも細かく震わせる。

 

 

 箒は、未だ振り向けないでいた。姉の涙で濡れた顔を、見たくはないから。同じくそんな顔を見られたくないであろう姉が、パッと消えてしまう様な気がしたから。

 

 

 そしてその瞬間は、またしても唐突に訪れた。

 箒を強く優しく抱き締める両腕が、スゥと尾を引く様に力無く解かれる。

 

「姉さ───」

 

 込み上げてくる寂しさに一瞬でも耐えられなかった箒は、遂に振り向いた。

 

 姉の姿は無かった。照明と暗闇とその他諸々で構成された世界には、姉の残り香だけが微かに浮遊していた。

 同時に、かの怪しく美しい花火も止んでいた。

 

 

 家族がバラバラになったあの時と同じ、もう味わいたくもない孤独感。箒の今浮かべている顔もあの時と同じ、口角も眉尻も下がった「悲愴」の一言が相応しいものだった。

 

「…」

 

 だがそんな表情は早くも鳴りを潜め、代わりに浮かんだのは寂しげながらも微笑であった。

 

 次はいつ会えるのか、妹である箒ですらまるで分からないし想像も出来ない。なのに最後の最後で顔を合わせる事も叶わなければ、積もる話もまるで消化出来なかった。姉の心からの言葉を、ただの一つも聞けなかった。

 それでも十分だった、寂しさを片手間で吹き飛ばすくらいには。先の背後からの抱擁は、無言ながらも雄弁に伝わった。どんなに脚色をつけた、綺麗に着飾った言葉よりも。

 

 

 束は姉として、妹である箒の事を愛しているのだと。

 

 

 

 そんな姉妹のごく短い触れ合いを、天幕の奥からグシオン(昭弘)は見ていた。

 

 意識は無くとも、本当は見える筈なんて無くとも、それでも確かに無機質なツインアイをダイヤの様に輝かせていた。

 

 

 だがそれは、グシオンが放つ輝きではなかった。

 ただ単に、隊員がバタバタと動き出した時にぶつかり、位置がずれた天幕内の照明を反射しているだけであった。

 

 

 

 

 

第一章 終

 

 

 

 

 




という訳で、第一章はこれにて終幕となります。取り敢えず、描くべき話は大体描けたんではないかと思います。

まさか終わらせるまでに3年も掛かるとは思いませんでした。自分の鈍足執筆と一話一話の長さが原因です、皆さん本当にお時間お掛けしました。
第2章からは、もっと短くサクサクと進めていきたいです。

さてその第2章ですが、暫し休ませて頂いたのち投稿しようと思います。
休ませて頂いている間、色んな人の小説を読んだりして、またチョイチョイ勉強していきたいと思っております。


一先ず、一旦はここで区切りという事で、皆さん今までご愛読ありがとうございました。
それとお気に入り登録してくれた方、評価してくれた方、コメントしてくれた方、誤字報告してくれた方、「ここすき」してくれた方、本当にありがとうございました。皆さんが居なかったら、モチベーション的にここまで続けられなかったと思います。

色々と大変で、難産する話もたくさんありましたが、なんやかんや自分で話を作っていくのはとても楽しかったです。


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