(完結)灰色の騎士リィン・オズボーン (ライアン)
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獅子戦記第1部-The Erebonian Civil War-
十月戦役


作者の解釈混じり及び独自設定込でⅠ終了~Ⅱ開始までの状況説明が長々と書かれたプロローグになります。
ミュラーの所属する第七機甲師団は本来西部に位置するはずでしたが、都合により北部に駐屯しているという事にしております。
またウォレスの階級を准将ではなく中将に改変しております。


 七曜暦1204年11月、エレボニア帝国、否ゼムリア大陸は激動の最中にあった。

 10月22日、長年カルバード共和国とエレボニア帝国二国の属州として犠牲となってきたクロスベル自治州の代表ディーター・クロイス市長は圧倒的多数を以て“独立”を選択した住民投票の結果を受けて、高らかに独立を宣言。

 当然宗主国たる両国はこれに激しく反発し、クロスベル側が一体どう出るかと大陸中の注目が集まる中、なんとディーター・クロイス市長、もとい大統領は、独立の承認が得られるまでIBCの保有する帝国と共和国の資産を凍結すると宣言した。

 無論共和国と帝国がそれを認めるはずもなく、両国共に即座に機甲師団をクロスベルへと送り込んだが、その結果はディーター・クロイス大統領とその側近以外は全く予想だにしていなかった結果と終わった。

 神機と呼ばれる三機の超兵器、それがあっさりと両国の機甲師団を壊滅させたのだ。

 

 そしてエレボニア帝国にとって事態はこれだけでは終わらなかった。

 クロスベル討伐のための挙国一致体制の確立を訴える帝都での演説の最中、鉄血宰相の異名を以て周辺諸国にまでその名を響かせる帝国政府代表ギリアス・オズボーン宰相が凶弾に倒れたのだ。

 そして混乱の最中にある帝都を貴族連合が強襲。宰相の遺児《灰色の騎士》リィン・オズボーンによって投入した虎の子の新兵器、機甲兵部隊を壊滅させられかけるというアクシデントに見舞われたものの、カイエン公爵の切り札たる《蒼の騎士》クロウ・アームブラストがこれを撃破した事で程なく帝都の占領に成功するのであった。

 かくしてすんでのところで“逆賊”となる事を避けられた貴族連合であったが、その初動は順風満帆とは言い難いものであった。

 

 まず第一にオリヴァルト皇子率いる《紅き翼》を彼らを取り逃がしていた。

 そして、事はそれだけに留まらなかった。リィン・オズボーンの奮戦によって虎の子の機甲兵部隊を壊滅させられた事で、帝都近郊にあるトリスタの制圧が遅れ、その時間の間に《紅き翼》が一部の貴族生徒を除き、教職員と生徒の回収に成功していたのだ。

 特に絶大なる威信を誇る、生ける伝説とも称される“軍神”ウォルフガング・ヴァンダイク名誉元帥を取り逃がした事は貴族連合にとっては痛恨と言えるものであった。取り逃がしたのは彼らだけではない。

 《アルノールの守護神》マテウス・ヴァンダールの文字通り死を賭した足止めにより、リィン・オズボーンを。

 《氷の乙女》クレア・リーヴェルト率いる鉄道憲兵隊と帝国軍情報局の連携によって、革新派のNO2たる帝都知事カール・レーグニッツを。

 そして護衛を務めていた近衛軍大尉アデーレ・バルフェットの離反、当人に言わせれば私が剣を捧げたのは皇族の方々であるとなるのだが、によってアルフィン皇女をと。

 貴族連合は本来確保すべき予定だったはずの多くの人物の確保に失敗していた。

 

 それでも皇帝たるユーゲントⅢ世と皇太子たるセドリック皇子の“保護”、そして軍令の長たる帝国軍参謀総長マインホフ元帥、実働部隊の長たる帝国軍司令長官シュタイエルマルク元帥、参謀長カルナップ大将を筆頭にレーグニッツ知事以外の革新派の主だった重鎮たちの“拘束”に成功した事で、どうにか他の貴族にそっぽを向かれて孤立する等という事をカイエン公は避けられたのだった。

 

 かくしてエレボニア帝国の軍と政治の中枢、そして皇帝という権威を何とか抑える事に成功した貴族連合であったが、当然各地に存在する正規軍機甲師団は猛然と反発。存在する20もの機甲師団(第一機甲師団は帝都占領の際に貴族連合によって、第五機甲師団はクロスベルの神機によって壊滅させられているので実質18だが)の内、実に12もの師団が反貴族連合を掲げたのであった。

 

 この12に及ぶ機甲師団が仮に完全な連携を行えば、いくら貴族連合が機甲兵という新兵器を投入したとしてもひとたまりも無かっただろう。しかし、そうはならなかった。

 貴族派は革新派に比べて纏まりに欠いた派閥とされていた。それは決して間違いではなかった、ギリアス・オズボーンという絶大なる指導力を誇る怪物が革新派リーダーを務めている頃は。

 しかし、そんな強力なリーダーを失い、更に参謀本部という統制を取るべき中央を抑えられたことで各機甲師団は纏まりを欠いた。まず、貴族連合への対応を巡って対立が生じた。

 貴族連合の横暴を許すことは出来ない、それは彼らにとって共通する思いだった。だがどこを着地点とするかで別れたのだ。革新派のNO2にして鉄血宰相が消えた事で暫定的なリーダーとなったカール・レーグニッツ知事は“内戦”等という愚行はエレボニア帝国の国力を著しく削ぐものである、故に対話によって貴族連合との妥協点を早期に模索する事を提案した。彼のこの方針は彼が身を寄せていたオーラフ・クレイグ率いる第四機甲師団を筆頭に、主として帝国東部に展開する機甲師団の長からの支持を受けた。

 何せ彼らはガレリア要塞の“消滅”という異常事態を、クロスベルの脅威をその目で見ている。加えて言えば帝国北部に駐屯する第三機甲師団の司令官ゼクス・ヴァンダール中将や第七機甲師団の司令官クリストフ・ヴァーゼル中将等、革新派から距離を取っている者達とて正規軍内部には居た。そうした者たちからすれば、内戦の早期終結をこそ優先するレーグニッツ知事の提案は支持に値するものであったのだ。

 

 しかし、このレーグニッツ知事の方針に対して第八機甲師団の司令官であり、ドレックノール要塞司令官にして南西準州を統括するリヒャルト・ミヒャールゼン大将を筆頭に帝国西部に存在する機甲師団の長達は猛然と反発した。このような暴挙を行った貴族共相手にそのような妥協をしてどうするのかと。亡き宰相閣下の仇を討つべく、貴族共の首を宰相閣下の墓前に捧げ、閣下の遺志を継ぐのだ!と。

 

 帝国西部のラマール州は貴族連合の盟主たるカイエン公爵が治める地であった。

 だからこそだろう、鉄血宰相はこの地に駐屯する司令官に革新派の中でも特に自分に忠実で、かつ貴族嫌いで知られる者たちを充てていた。無論、カイエン公によって懐柔されるのを防ぐためである。

 

 そしてその亡き宰相へと捧げる忠誠心がこの局面に来て仇となっていた。カール・レーグニッツは卓越した政治家である、その才幹と手腕そして積み上げた実績はまさに革新派のNO2に相応しいものであった。

 政治と軍事、分野は違えど平民でありながら、さしたる後ろ盾もなしに己が実力で帝都知事という地位まで登り詰めたカール・レーグニッツのその優秀さを疑うものなど革新派に居よう筈がない、多くの軍人が宰相閣下の盟友として彼に敬意を払っていた。

 しかし、彼の軍からの信頼、それはあくまでギリアス・オズボーンという稀代の指導者の補佐役としてのもの(・・・・・・・・・)であった。軍において准将まで登り詰めたギリアス・オズボーンに対してカール・レーグニッツは元々やり手の行政官僚として名を馳せた男であった。それ故、軍部と濃密なコネクションを築いていたギリアスに対して彼は革新派内でも文官達の長という側面が強かった。

 

 軍事的合理性と政治というのは往々にして対立しやすい。一例を挙げれば先制攻撃等がそれに値するだろう。政治家にとっては後々の事を考えれば出来る限り相手が先に手を出したので、こちらはやむ得なく応戦したという体裁を取り繕いたい。しかし、前線で戦っている人間たちに取ってみればそれはつまり、犠牲が出るまで黙って手を出さずに見ていろも同然の命令となるのだ。

 軍人は政治家に従うのが正しいとされている、それは確かに正しい。政治的制約を受けずに軍事的合理性のみを追求していけば、落とし所を見つける事ができずに際限なく戦禍は拡大していく事となるのだから。

 

 だが正しさと納得というのは別問題である。正しいが気に食わない、そうする事が正しいのはわかっているが気分が乗らない、やりたくない。世の中にはそんな事例が溢れている。だからこそ軍人というのはそれが叶わぬとわかりながらも、どこかで願うものなのだ。政治的な制約を受けずに、采配を振るってみたいと。

 そしてギリアス・オズボーンは軍人から見ると凡そ最上位に位置する指導者であった。まさに強いエレボニアを体現するが如きその豪腕を思えば、レーグニッツ知事の方針はなんとも弱腰に見えたのであった。

 

 それでも、彼らとて中将にまで登り詰めた有能な将官である。この局面で味方同士で仲違いすることの愚、そして“内戦”が祖国にとっての大きな災いとなることは理解できた。中立の立場から仲介を買って出たヴァンダイク名誉元帥、オリヴァルト皇子の説得も相まり、一先ず不満を必死に呑み干して、レーグニッツ知事の方針へと従うこととしたのだ。

 

 そしてその彼らの忍耐及びレーグニッツ知事の誠意は全く以て実る事はなかった。

 帝都からの貴族連合の速やかな撤収、拘束された政治家と軍人の即時解放、即ち帝都占領前に戻る事を求めた交渉に対して、ハイアームズ公を筆頭とした貴族連合内でも穏健派に位置する者たちからの意見にも耳を貸さず、貴族連合主宰のクロワール・ド・カイエン公は「恐れ多くも皇帝陛下に背いた逆賊共を解放する事などありえぬ事。またカール・レーグニッツには此度の大逆事件の首謀者との嫌疑がかけられている、その身が潔白であるというのならば即時に出頭し、その身の潔白を証明スべし。そして正規軍の諸将らは、逆賊に与する気がないというのならば即座に従うべし。これは皇帝陛下よりの勅命である。ユーゲント三世今上陛下は寛大なお方である、格別の慈悲を以て諸君の罪を許すであろう」、と一切の妥協などあり得ないとでも言うべき態度を見せたのだ。

 

 レーグニッツ知事やオリヴァルト皇子の思い描いていた回復すべき“秩序”とは貴族連合の暴挙が行われる前、宰相が撃たれる前までの帝国であった。しかし、カイエン公、そしてそれに従う貴族連合に属する大半の貴族にとっての取り戻すべき“秩序”とはギリアス・オズボーンという怪物が登場する前の帝国。かつてルーファス・アルバレアが理事会にて語っていた「従士が騎士に従い、騎士は領主すなわち貴族に仕え、貴族が皇帝を戴く」というもの。歯に衣着せぬ言い方をすればこうなるだろう、“貴族による支配”と。それこそがカイエン公と公を支持する連合を構成する大多数の貴族が掲げる理想だったのだ。

 そしてこの理想はカイエン公と主導権を巡り対立しているアルバレア公にしても同じであった。故に和解を主張するハイアームズ候の意見は退けられ、カイエン公の強硬的な態度こそが連合内から快哉を以て受け入れられた。

 

 そして当然ながら怒りを押し殺して、差し伸べた手を振り払われた革新派側は激怒した。こちらが下手に出ていればいい気になりおって!と。そしてそうなればもはやレーグニッツ知事としても選択肢はない、これでも尚対話による和解を主張すれば基より軍部からの支持基盤が脆弱な知事は指導者としての立場を負われかねない。政治家として交渉を担える自分の手綱が外れてしまう事だけは避けねばならぬ以上、知事は事此処に至って、革新派の指導者として苦渋の決断をせざるを得なかった。

 七曜歴1204年11月3日、帝国政府暫定代表カール・レーグニッツは「奸臣たるクロワール・ド・カイエンを討ち、帝国に在るべき秩序を取り戻す」と高らかに宣言。それと共に予備役にあったヴァンダイク名誉元帥と囚われの身であるシュタイエルマルク元帥に代わって、討伐軍の総指揮官となる事を要請した。

 

 事此処に至って革新派と貴族派の争いに対して中立勢力からの和解を模索していたヴァンダイクもその困難さを悟らざるを得なかった。カイエン公が此処まで強硬な態度を取っている以上、もはや血を流さずして解決する事は至難だろうと。で、あるのならば何とか自分が宰相の仇討ちと血気にはやる若者達の手綱を握らねばならないだろうと。オリヴァルト皇子という権威を有する仲介者がいる以上、そちらは殿下にお任せすればいい、そう考えて。

 かくして討伐軍総司令官となったウォルフガング・ヴァンダイクの下、帝国正規軍による反抗作戦が開始され、エレボニア帝国は完全なる“内戦”状態へと突入するのであった。

 

 そしてその情勢下にあってオリヴァルト・ライゼ・アルノールはあくまで中立の立場を取っていた、いや、取らざるを得なかったというのが正確だろう。もしも彼が正式な皇太子であるのならば、革新派陣営へと味方するという選択肢もあった。次期皇帝という立場ならば、野心を疑われる事はなく帝国の在るべき秩序を取り戻すのだと訴えるその姿にはそれ相応の説得力を以て受け入れられただろう。

 しかし、庶出のために長男であるにも関わらず皇位継承権を有していないという複雑な立場がヴァンダイク元帥とは異なり、彼に革新派の旗印になるという選択肢を奪った。庶出故に皇位継承権を有していないというその立場で挙兵すれば、貴族側は言うだろう。オリヴァルト皇子は帝位簒奪のために、己が野心のために、逆賊と手を結んだのだと。そしてそうなれば待っているのは貴族連合に味方するのか、それとも革新派に味方するのかという完全な二択。和平の仲介を行える権威を持った第三勢力を失った、エレボニア帝国は完全に二分されてどちらかが滅びるまで(・・・・・・・・・・)やり合う事になりかねないと。

 

 それは高潔で称賛に値する決断であると同時に、彼のある種の限界を示すものだっただろう。彼が理想を現実にするための立場を、エレボニア帝国という国家の行く末を左右するだけの権限を手に入れんとするならこの内戦はある意味では好機でもあった。この“国難”を前に、討伐軍の旗印となって、囚われの父や弟を救出して、賊を討滅するという功績を挙げれば、それこそ長男という立場も相まって彼が次代の皇帝となる事も夢ではなかった。

 しかし、オリヴァルト・ライゼ・アルノールはそう取られるのこそを嫌い、あくまで中立である事を、弟たるセドリック皇太子を立てる未来を選んだのであった。

 

 そうして第三勢力として貴族勢力の切り崩しを測りながら各地の住民の保護を行う《紅き翼》を他所に帝国の各地で貴族連合と討伐軍の激突が勃発した。当初新兵器である機甲兵の機動戦術を前に翻弄された正規軍であったが、すぐさまこれへの対抗戦術を生み出し、戦線は再び均衡状態へと陥る。これは、正規軍の将達の優秀さも一因だったが、同時に機甲兵という新兵器を貴族連合側も活かしきれていなかったためでもあった。

 新しい物への対応というのは容易ではない、それは扱う兵の慣熟訓練もそうだし、運用する将の側もそうだ。巨大な人形の兵器の運用など、誰もやった事がなかったのだ。

 

 しかし、開戦から3週間余りが経過した11月24日、戦いは動き出す。

 アルノールの守護神との死闘によって戦傷を負った貴族連合の切り札たる“蒼の騎士”クロウ・アームブラストが戦線へと復帰。西部戦線へと参戦したのであった。更にこの頃になると貴族連合の双璧と謳われるラマール州軍司令官オーレリア・ルグィン大将、サザーランド州軍司令官ウォレス・バルディアス中将が機甲兵の運用に慣れたことで、西部戦線の戦況は一気に貴族連合側優位に動き出す。

 

 内戦開始より一ヶ月、貴族連合側が優位とは言え、未だ収まる気配はなくエレボニアの地は戦禍に塗れていた。

 無力な民草は嘆き哀しみながら内戦を終わらせる存在を、自分たちを救ってくれる“英雄”の存在を心より求めていた。

 

 そして、そんな祈りに応えるが如く一人の男が、今目覚めようとしていた……

 

 



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第二の覚醒

おや、リィンのようすが……?


 

 ーーー夢を見ていた。

 それは過ぎ去りし幸福な日々。

 父が居た、母が居た、幼い自分が居た。

 「リィンは、どんな大人になりたいの?」そう母が微笑みながら問いかけた。

 だから自分は胸を張りながら答えたのだ「僕は父さんみたいな立派な軍人になるんだ!」と。

 すると父はその温かくて大きな手で自分の頭を撫でてくれたのだ。

 幸せだった。優しい母が居て、立派な父が居て。こんな日常がずっと続いていくのだと、そう無邪気に信じていた。

 

 次に見たのは士官学院での日々だ。

 掛け替えの無い友人たちとの黄金色に輝いていた思い出。

 トワ・ハーシェル、優しい陽だまりのような少女。何があっても失いたくないとそう思う最愛の少女。自分に優しさという強さを本当の意味で教えてくれた。

 アンゼリカ・ログナー、ふざけた態度で不真面目な自分にとっての頭痛の種の一人。されど、敬意に値する確かな気高さを持った親友。彼女のおかげで自分は大貴族に対する偏見を無くす事が出来た。

 ジョルジュ・ノーム、温和でいて導力技術に深い造詣を持つ少年。クロウと自分が喧嘩をしている時には度々仲裁役を任せてしまう事が少々申し訳なかったが、そんなときでも彼はいつもしょうがないなぁと言いながら温和な笑みでフォローをしてくれた。

 そしてクロウ・アームブラスト、最悪の悪友であり、最高の親友。初めて出会った時の印象は本当に最悪と言ってよかった、だがぶつかり合う内に何時しか、気を許すようになって、そして掛け替えのない友になっていた。

 

 楽しかった。生涯の友と自分は出会う事が出来たのだとそう思っていた。歳を取ってそれこそ老人になっても自分たちのこの友情は続くのだと、そう無邪気に信じていた。

 

 そして、そんな幸せの日々はあっさりと壊れた。

 血まみれの母が居る、自分を庇い殺されたのだ。

 血まみれの父が居る、自分の目の前で撃たれて殺されたのだ、親友だと思っていた男に。

 そして自分は負けた。完膚なきまでに負けた。

 父を殺され、師を犠牲にして無様に逃げたのだ。そこに言い訳の余地は一切存在しない。

 

 強く、ならなければならない。心も肉体も、今より強く。強く。強く。もっと強くならねば。

 何故ならば、自分は守護の剣を振るうものなのだから。

 自分の敗北とはすなわち護るべき者、背負った者達の死を意味するのだから。

 その想いに応えるが如く、心臓がドクンと強く跳ねた。

 心の中で猛り続けていた焔が大きく、身体を飲み込んでいく。

 まるでその身そのものが焔と化していくかのように。

 まだだ、まだだ、まだ足りない。

 まだまだまだまだ、まだまだまだまだ、まだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだ まだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだ まだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだ まだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだ まだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだ まだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだ まだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだ―――ッ

 その身を恒星へと化すかのように強く強く、力を欲し続ける。決して砕ける事のない鋼の境地を目指して。

 無理だ、辞めろ、引き返すならば今の内だと悲鳴を挙げる不甲斐ない肉体を捨て去っていく。

 胸の中に抱き続けた獣性、殺意、それらが解放されていく。肉体を作り変えるために箍を外した事で胸の中で燻り続けていたそれらが溢れ出していく。

 

 地獄を見た。

 それは、歴代の起動者の記憶。

 古来より続いてきた《巨いなる騎士》の争いだ。

 悪しき者も居た、善なる者も居た、だが誰もが“勝利”をその手にしようと必死だった。

 だからだろう、戦いの結果は平等だった。勝利を掴み取るのは正邪、善悪は関係ない。

 高潔な理想を抱いていても、負けて大罪人として歴史にその名を残す者も居た。

 どこまでも己が我欲のために力を振るいながらも後の世にて“英雄”と謳われる者とて居た。

 そう、つまるところ世とはそういうものなのだろう。正しき者が勝つのではない、勝ったものこそが正しかったとされるのだ。

 負ければ、全てを失うのだ(・・・・・・・)。理想も矜持も命も名誉も、大切な者の幸福も総てーーー総て。

 

 ーーー嚇怒の炎が燃え盛る、そんな事は絶対にさせてはならないと心が強く猛る。そんな世で良い筈がないと。

 強ければ正しい?そんなわけがないのだ。

 力が無くとも、懸命に足掻き生きる、善良な無辜の民たち。明日を夢見る若者幼子、それを愛する父母、家族。

 それが、ただ無力だから(・・・・・)という理由だけで蹂躙されて良い筈がないのだ。

 

 そう、決意を固めていると最後の起動者の記憶がリィンへと流れ込んでくる。

 《獅子戦役》と呼ばれた帝国に於いて最も血に塗れたとされる内戦。

 それを収めた後に獅子心皇帝と謳われた真の“英雄”ドライケルス・ライゼ・アルノールの記憶。

 

 ーーー完璧だった。

 そこに映ったのは幼き頃より慣れ親しみ憧れた英雄譚、それが決して虚飾でなかった事を証明する雄々しき姿。

 《騎神》という力に振り回される事無く、内戦という地獄を収め、祖国に繁栄を、民に幸福を齎した偉大なる中興の祖の姿。

 “英雄”という言葉は彼のためにこそあるのではないかと錯覚させるような姿。

 ロラン・ヴァンダールという唯一無二の親友を、リアンヌ・サンドロットという最愛の女性を失いながらも決して折れる事無く戦い続けた男の姿。

 

 彼の記憶が流れ込んでくる、想いが伝わってくる。

 それは受け継いだ“力”の重みを否応無しに自分に実感させる。

 去来するのは誇りと、そして激しい羞恥だ。

 なんという醜態(・・)を晒してしまったのかと、リィンは己が振る舞いを深く恥じ入っていた。

 父を殺された、殺した相手が親友と信じた相手だったーーーそれに動揺して怒りを抱く、それ自体は良い。

 全く感情を揺れ動かさない者など人ではなく無機質な機械なのだから。

 だが、その怒りに振り舞わされて我を失った事は恥じねばならないのだ。

 何故ならば自分は軍人なのだから。

 激情を律して、公のために振るうのが軍人なれば憤怒に呑み込まれかけた事を恥じねばならないだろう。

 

 胸より湧き上がる憤怒に身を委ねるな。

 強く、意識を保て。強く強く、強く強く強く、強く強く強く強く強く、強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く―――ッ 。

 一度憤怒の熱によって溶け落ちた心を再び鋼にしていく。今度は決して溶ける事の無き様に。

 注ぎ込まれた歴代の起動者の想いと記憶、そして経験。それらを材料に加えて、己が覚悟によってそれらを固めていき鋼鉄へとしていく。

 己が心の中で燃え盛る憤怒と憎悪という焔を、そして獣の如き力からエネルギーのみを抽出出来るように巨大な炉心を作り上げていく。

 

 目指すべきは“鋼の境地”だ。

 父は、ギリアス・オズボーンは死んだ。自らが踏み潰し、呑み干してきた過去、そこに潜んでいた漆黒の意志を持つ復讐者からの報復によって。

 因果応報と言って良いのだろう、少なくともやり方はどうあれクロウ・アームブラストが父に抱いた怒りと憎悪、それ自体を否定する事は出来ない。

 憎しみに囚われずに許す事が大事だ、だがそれは他ならぬ加害者側である自分が言って良い内容ではないのだから。

 だから、自分の方がクロウ・アームブラストを許そう(・・・)。憎しみの連鎖は誰かが(・・・)断ち切らなければならないのだから。

 許そう。父の仇であるクロウの事も、黒幕たるクロワール・ド・カイエンの事も。それが、祖国にとって最善(・・・・・・・・)だというのならば。

 仇を討つのだという胸の中からの獣の咆哮をねじ伏せて、この心の中で今も燃え盛り続けている憎悪という焔を押え込んで。

 それこそがこの力を獅子心皇帝が後の世へと託した灰の騎神の起動者こそが為すべき使命だと信じて。

 

 父は、ギリアス・オズボーンという稀代の指導者はもう居ない。

 どれほど嘆き悲しんだところでもう戻っては来ないのだ。

 ならば、誰かが(・・・)その跡を継がねばならないだろう。

 クロウのような者にとっては忌むべき仇であっても、それでも父がこの国の大多数に繁栄と栄光を齎していた偉大なる指導者であった事は疑いようがないのだから。

 故に自分がそれになろう、偉大なる父に従っていればよかった子どもだった自分、《鉄血の子》であった自分へと別れを告げて、真の意味での後継となるのだ。

 祖国に身命を捧げて、勝利と栄光を齎すお伽噺のような騎士に英雄に、自分はならねばならない、いやなるのだ。

 

 誓え。覚悟を固めろ。意志を燃やせ。どんな理想も夢も、まずはそこから始まるのだ。

 現実的な精算や如何に成し遂げるかという具体的な方法論を考えるのはその後だ。

 そうだ、何かを選ぶ前にまずは何かを超えろ。お膳立てをなぞるだけの男に一体何が出来るというのか!

 道を切り開いていた父はもう居ない?ならば自分で道を切り開いていくまでの事!一体いつまで親に甘えているつもりなのか!

 そうだ、自分はもうただ父の背中を追うだけの子どもではないのだ。

 過去の報いによって斃れたのがギリアス・オズボーンの限界だったというのならば、自分はそれを超える(・・・)までのこと。

 何故ならば自分はーーーーーーーーーーー

 

「私はリィン・オズボーン。鉄血宰相ギリアス・オズボーンが後継にして、獅子心皇帝ドライケルス・ライゼ・アルノールの力を受け継ぐもの。

 偉大なる祖国エレボニア帝国にこの身命を捧げ、勝利と栄光を齎す騎士である!!!」

 

 それは絶対の覚悟を宿した鋼の誓い。誰に強制されたわけでもない、己が意志によってこの道を進むのだと決めた一人の男の咆哮だ。

 その咆哮と共に、リィンは己の胸の中で猛り続けていた鬼を完全に(・・・)抑え込む。

 いい加減うっとおしいぞ貴様、元は誰のものだったか知らないが、今の貴様の主は俺なのだと。一体誰がこの肉体の主人なのかを教えてやるぞと。

 

 更にそれまで少しずつ流れ込んでいた歴代の起動者達の記憶が、膨大な奔流となってリィンの中へと流れ出す。

 それは本来であれば数年をかけて、少しずつ咀嚼して、己が血肉へと変えていくもの。

 だが、そんな時間はないのだ。自分は一刻も早く目覚めなければならない、自分が今こうしている間にも自分が護らねばならぬ愛する民は塗炭の苦しみを味わっているのだからと。

 鋼鉄の意志によって、それらを呑み干していく。怒り、絶望、愛、友情、誓い、慟哭、挫折、歴代の起動者が味わったそれらを余さず己が糧としていく。

 人の経験というのは何が、幸いになるのかわからぬものなのだから。本来であるのならば避けたい“敗北”や“挫折”と言った経験も自分を形作る大きな土台となるという事は多々あるのだからーーー今の自分がクロウ・アームブラストに“敗北”した事で形作られようになった。

 ああ、本当に二度と経験したくないとそう心より思う。幾ら、それが成長の糧となるからと言って、こんなものを一体誰が進んで味わいたいと思うだろうか。ーーーだからこそ、それは何にも得難い貴重なものなのだ。何故ならば、敗北すれば失うのだから。背負ったものを、護るべきものを。故に、それを実際には失わずに経験だけ味わえるというのならば、それはなんという幸運な事かと。

 

 そうして、リィン・オズボーンは新生を果たした。

 漆黒だった髪はその異名を象徴するが如き灰色へと染まり、瞳の色はまるで心の中で今も燃え盛り続けている焔のように灼眼へと変貌した。

 だがそこに暴れ狂う獣の如きかつての様子はない。宿るのはそれを完全に律する鋼鉄の意志だ。

 その姿はどこまでも静かに、ある種の神秘性と高貴ささえ感じさせていた。

 

 此処に雌伏の時を経て、英雄(かいぶつ)は目覚めた。

 主役として悲劇を終わらせるべく、勝利と繁栄を齎すために。

 ただの人間に過ぎなかった、弱い自分へと別れを告げて………

 




素体:鉄血の子リィン・オズボーン(友との青春イベントをこなした上で限界まで鍛えて達人になっていること)
注ぐ材料:親友相手の完全な敗北という最大の挫折+父親の死+師匠が自分を生かすために死ぬ+歴代の起動者の記憶と経験+鬼の力
混ぜ合わせる時間:一ヶ月

結果:英雄リィン・オズボーン 爆☆誕

皆も君だけの理想の英雄を作成しよう!


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灰色の騎士と魔煌兵

貴族連合「しゃあああギリアス・オズボーン逝った!これでわいらの天下や!」
灰色の騎士(覚醒)「ほーん」
貴族連合「あああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!」

怪物倒したと思ったら、それがトリガーとなって息子が英雄になったンゴ……


 目覚めたリィン・オズボーンは、愛機を置いたまま人里を目指して雪山を降っていく。

 大まかな地理に関しては把握できている、自分が今居るのはかつて訪れた、シュバルツァー男爵家が領主として治める温泉郷ユミルの近郊だ。本来であれば一日でたどり着くのは困難な距離だが、自分ならば4時間も歩けば、ユミルが見えてくるだろう。

 ヴァリマールを置いておく事については特に問題はない、騎神と起動者は念話によって距離が離れていようと意思疎通が可能だし、騎神には意志が宿っているし、いざとなれば転移することとて、それ相応の霊力を消費するので極力温存したいところではあるが、可能だ。故に自分が不在の間に誰かに奪われる等という心配はまず不要と言って良いだろう。

 一ヶ月もの間眠りについていたのだから通常であれば身体は錆びついていて、普通に歩くことさえ困難なはずなのにも関わらず、リィンは軽やかな足取りで雪道を進んでいく。身体はすこぶる快調だ、生命力が身体中に漲っている。かなり急な勾配の山道、しかも雪が降っており余計に体力を消耗するはずだというのに、進み始めて3時間リィンは一切歩みを止める事無く進み続けているのにも関わらず、疲労は愚か呼吸一つ乱していなかった。

 そしてそろそろ人里が見えてくるのではないかというところまで進んだところで、地響きとそして雄叫びと共にそれは姿を現した。

 

「グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ」

 

《魔煌兵》オルトヘイム、暗黒時代に作り出された遺物、ゴーレムと呼ばれる自律型の兵器。騎神や機甲兵とほぼ同じくらいの大きさを持つそれは、人に対して圧倒的な畏怖を与える。しかも大きいだけでなく、ずいぶんと機敏で頑丈なようだ。崖から飛び降りたというのに関節部分に損傷めいた様子を一切見せる事はない。

 

 それを前にしてリィンは選択を迫られる。すなわち騎神を呼ぶか、それとも生身で(・・・)相手取るかである。

 退く、等という選択肢は存在しない。既に人里にかなり近い地点まで来ている上に、どうやら目前の敵は起動者である自分が目的のようだ。此処で自分が逃げる等という選択を選べば、ユミルに済む無辜の民達が犠牲になるかもしれないのだから。この場で仕留める事、それは既に確定事項だ。

 さてそうなって来ると問題はその手段をどちらにするかである。安全策を取るのならば、ヴァリマールを呼ぶべきだろう。暗黒時代の遺物だろうがなんだろうが所詮は量産品、騎神の敵ではない。問題なく一蹴できるだろう。

 だが、此処で騎神を呼ぶ真似をすれば貴族連合に自分の位置を悟れる可能性が高い、何せ貴族連合には本物の魔女がついているのだから、休眠状態にあったからこそその位置を悟られる事はなかったが、本格的に戦闘をさせたとなれば完全にその位置を特定される事になるだろう。

 故に此処で自分が取るべきはやはり……

 

 決意と共にリィンは双剣を抜き放つ。それは任官前に親友たるジョルジュが餞別代わりに用意してくれた双剣。影の領域で手に入れたゼムリアストーンを基に作られたゼムリアストーン製の双剣だ。この双剣ならば、今の自分の力にも十分に耐えられるはずだ、少なくともこれまで力を開放してきた時のように一度の戦いで使い物にならなくなるという事はないはずだ。

 身体のコンディションは万全、武装も十全、敵はたかだか(・・・・)魔煌兵一体程度(・・)。この程度の敵を相手取るのは無茶でもなんでもない、そうリィンは判断する。騎神は強力な力だ、だからこそそれに頼り切りになる事はキツく戒めなければならないだろう。

 そう、決意の炎を燃やす。人であるのならば畏怖を覚えずには居られない、7アージュもの巨体を前にして一切怯むこと無く。もしだとか、たらだとか、ればだとか、そんな惰弱な要素を一切持たずして心の中にたぎるのは鋼の意志、必ずや勝利を掴み取るのだという勝利への飢えだ。

 

「ヴァンダール流皆伝、リィン・オズボーン。推して参る」

 

 目前の敵が名乗り返すような矜持など持っていない意志無き兵器なのだと、それを承知でリィンは高らかに名乗りを挙げる。

 自分の命が今あるのは偉大なる師のおかげなのだと、そう心に刻みつけるかのように。父だけではない、偉大なる師をも自分は超えて行かねばならぬのだと今一度確かめるように。

 

 そうして、ちっぽけな人間と魔導の巨人は此処に結果のわかり切った戦いを開始した。

 

 

・・・

 

 アデーレ・バルフェット大尉は遊撃士たるトヴァル・ランドナーと共に山道を進んでいた。

 何故近衛軍大尉であった彼女が遊撃士と行動を共にしているかと言えば理由は至って簡単で、帝都占領から脱出する際に護衛対象であるアルフィン皇女の兄君たるオリヴァルト皇子から依頼されていた彼と協力する事になったからだ。彼女が上から下されていた命令はくれぐれも丁重にアルフィン皇女を保護せよというもの、故に戦いが起こった帝都は危険だと判断して、忠臣と名高きシュバルツァー男爵家を頼りユミルへと避難したというわけだ。

 何やら至急バルフレイム宮へとお連れしろだのと言った命令が無線機越しに聞こえだしていたが、不幸にも(・・・・)脱出中に破壊されてしまったため、その命令を最後まで聞く事は出来なかった。故に彼女は皇室に(・・・)忠誠を捧げた騎士としてやむなく独自の判断(・・・・・)で動き出したというわけなのだ。何せ、クーデターが起きた等という非常事態なのだ、いちいち上の指示を待っていては手遅れになってしまう可能性が高い。故にやむなく彼女は緊急措置をとったというわけだ。

 ーーー無論、これらがただの詭弁に過ぎない事は彼女も百も承知だ。カイエン公がこの国の覇権を握ってしまえば、自分に待つ運命は碌でもないだろうと覚悟している。だがそれでも、後悔などは全く無い。自分を姉と呼んで良いかと言ってくれて、心からの信頼を寄せてくれたあの姫君を裏切る位ならば、騎士としての誇りを捻じ曲げる位ならば死んだほうがよほどマシだと。つまるところアデーレ・バルフェットとはそういう人種であった。命よりも誇りこそが大事な、筋を曲げる位ならば死を選ぶ、そんな大馬鹿者であった。

 

 さて、そんな忠臣である彼女が何故こうして主君の基を離れて山道を進んでいるかと言えば、それは住民が聞いたという謎の雄叫び、それの調査を行い、危険な魔獣であればそれを退治するためである。

 現在エレボニア帝国は“内戦”状態にある、故に本来であればこうした事態に際して出動するはずの領邦軍の動きは酷く鈍くなっている、特に貴族連合への参加を表明していない領主に対しては。

 無論シュバルツァー男爵家とて領地を護るための最低限の兵位あるが、それはあくまで最低限のものだ。何の犠牲もなしに強力な魔獣を相手取って勝てるような使い手となるとそれこそ領主であるシュバルツァー男爵位となるわけだが、当然領主がそうほいほいと出かけるわけにはいかない。故に近衛軍に於いても有数の使い手たるアデーレが偵察と討伐を買って出て、それにトヴァル氏も同行したというわけだ。

 

 そうして歩を進めていると住民の話の通り、何やら大きな唸り声が聞こえたのでその場へと進んでみると、何やら剣戟のような音が聞こえてきて二人が目にしたのは

 

「シィッ!」

 

「グオオオオオオオオオオ」

 

 帝都占領の折に目にした機甲兵、それに極めて酷似した巨大な人形の兵器とそれを相手取る白髪の双剣士であった。状況は剣士の側が明らかに有利であった。何せ剣士が相手取っている人形兵器、そちらの方の姿は既にボロボロだったのだから。装甲の弱い関節部を重点的かつ的確に狙われたのだろう、既にその動きは明らかにぎこちないものとなっていたのに対して、双剣士は敵の攻撃を軽やかに躱している。完全に見きっているのだろう激しい動きを必要とせず、最低限の動きにてその巨体の振るう決して遅くはない斬撃をいとも容易く躱し、そしてすれ違いざまにお返しとばかりにその鋭い斬撃を叩き込んでいく。

 見事だった、力任せに暴れる獣では決して到達し得ぬ境地。“練達”とそう称するのが相応しい、才あるものが血の滲むような修練を十年単位で重ねてようやく辿り着く事のできるような境地へと目の前の剣士は達していた。おそらくは近衛軍きっての使い手等と持て囃されている自分よりもあの剣士は強い。もしかするならばそれこそ自分の師である武の理に至りし達人の中の達人たる《光の剣匠》にさえ匹敵するのではないかと思える位に。

 そうして二人が助太刀に入る事も忘れてその剣技に見惚れている間に決着はあっさりと、そして順当についた。博打めいた行為も大技も一切必要としないまま剣士は巨大な兵器を仕留めたのであった……

 

(何者なんでしょうか、この人は)

 

 アデーレに去来する思いはまずそれであった。目の前の人物は凄まじい使い手だ、おそらく帝国内に於いても十指には入るだろう。間違いなく“達人”とそう称される領域の実力者だ。目の前の人物が振るった剣技、それにもアデーレは見覚えがある。帝国において自分の振るうアルゼイド流と双璧を為すヴァンダール流だ。その中でもかの獅子心皇帝とその腹心たるロラン・ヴァンダールが振るったヴァンダールの双剣術。そこまではわかった、だがその先からがアデーレには皆目検討もつかない。

 ヴァンダール一門の人間は帝都占領の折、当主にして総師範たるマテウス・ヴァンダールが曰く逆賊に与したという事で貴族連合によって拘束されている。それから逃れたのはオリヴァルト皇子の守護役を務めているミュラー少佐だが、彼は確か剛剣術の使い手であるし、そもそもこんな所にいるはずもない。

 あるいは自分は知らぬ使い手なのかとも思うが、これ程の使い手が無名というのはそれはそれでおかしい。まず間違いなく皆伝に達しており、師範代の地位にあるような人物だ。あるいは何らかの問題があり破門でもされて山ごもりでもしていたのかとも考えたが、そう考えるには余りにその剣は澄んでいた。思わず見惚れてしまう位に。

 そこでふとアデーレはある事に思い至る、そう居たはずだ。ヴァンダール流皆伝の腕であり、ちょうど行方不明となって貴族連合と革新派、そしておそらくは自分の親友が血眼になって探している人物が……

 

 髪の色が違う。彼の髪は漆黒であった。

 瞳の色が違う。彼の瞳はこんな焔のような紅色をしてなかった、何よりもその瞳の中に宿る覇気が桁違いだ。これはそう、まるで凶弾へと斃れたあの宰相閣下のようだ。

 纏う雰囲気が全く違う。真面目で質朴な少年といった雰囲気など欠片もない、纏うのは威厳と高貴さが同居した風格。この国の至尊の方と邂逅した時のような、いやそれ以上の今すぐ跪かなければならないのだとそんな錯覚さえ覚える神聖さ。

 何なのだ、何なのだ。目の前の人物は一体何なのだ、先程見せた優雅ささえ感じる戦い振りと言い、こんなのまるでお伽噺の中でのみ存在が許される人物が、そのまま現実世界へと出てきたようなものではないか。

 似ていない。自分が一度会った、親友の義弟とは全く似ていない。だが、それでもどこか面影が……

 

「リィン……もしかして、貴方はリィン・オズボーン少尉じゃないですか?」

 

 気がつけばそうポツリと呟いていた。

 その言葉に目の前の人物は一瞬瞠目したかと思うと、穏やかな高貴ささえ感じる微笑を浮かべて

 

「ええ、その通りです。私はリィン・オズボーン、帝国正規軍所属リィン・オズボーン少尉です。

 お久しぶりです、アデーレ・バルフェット大尉」

 

 階級が上の者への礼を遵守する敬礼を施しながらそう挨拶してきた。

 それに対して自分はどうにも落ち着かない気分になる。

 階級的には正しい、所属は違えど自分は大尉であり、相手は少尉なのだから。

 礼節を保たなければならないのは向こうの方だ。

 だというのに何故自分はこんなにも落ち着かない気分になっているのだろうか。

 まるで、それこそ皇帝陛下(・・・・)に敬語を使われたかのような畏れ多い気持ち、それがどうにも心を覆っていて気持ち悪くてしょうがない。

 

「そして不躾ではありますが、少々質問のご許可を頂きたい」

 

「構いませんよ、なんですか」

 

 すると目の前の相手より立ち昇るのは猛烈なプレッシャー。

 先程までの威厳の中にも親しみを感じさせる態度とは違う、何もかもを呑み込まんとする鋼鉄の意志。

 

「貴方は一体、誰の(・・)命令でこの場所へと来たんですか、バルフェット大尉」

 

 警戒心を露に灰色の騎士は戦乙女へと問いかけたのであった……

 

 




獅子心皇帝の記憶と経験を余さずゲットしてそれを立ち振舞に利用→まるで獅子心皇帝と接しているかのような畏怖を帝国人を抱く
ドライケルス帝がヴァンダール流双剣術の使い手というのは当作品独自です。
オズボーンくんに対する経験値ブーストにするためです。


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妥協なき自省とは自虐のようなもの

それが一つ目の対話の代償だった。
君は知るだろう。対話も戦いも代償は付きまとう。
それが世界の変わらぬ問いかけであり、答えは僕らの命そのものなのだという事を


 柔和な笑みから一転、立ち昇るプレッシャーは先程までの比ではない、何よりもこちらを射抜く鋭い眼光は生まれてこの方臆病等という言葉から1万セルジュ程の彼方にあったアデーレをして、思わず畏れを抱かざるを得ないものだった。先程までが友好的だっただけにそのギャップは余計に激しい。別段こちらがなにか悪い事をしたわけではないというのに、思わず自分がなにかやらかしてしまったのではないかなどと思ってしまう位に。

 

「……命令というのはちょっと違いますね。シュバルツァー男爵は高圧的な態度なんて全く取らずにあくまでお願いという形で依頼されましたから。山から大きな雄叫びが聞こえてきて、なにか強力な魔獣が居るのではないかとユミルの人達が不安がっていたので、騎士としてその討伐にやって来たってだけですよ」

 

 こういう時に働かないとなんだか無駄飯食らいみたいで気が引けますし等と冗談めかしながらアデーレは柔和な笑みを、いつもに比べると若干ぎこちないが、浮かべて告げる。

 

「大尉の言うことに嘘はないぜ、俺達が此処に来たのは男爵閣下からの依頼による魔獣と思しき存在の調査と退治のためだ。ーーー貴族連合が血眼になって探している鉄血宰相の遺児を探すためとかそんなんじゃない。支える篭手の紋章に誓っても良いぜ」

 

 目の前の人物が何故警戒を突如露にしたのか、それは恐らく目の前の大尉が自分に対する追手ではないかという疑いを持ったためだと推測してトヴァルはフォローを入れるかのように告げる。こういう時に遊撃士という地位は何かと役立つのだ。

 そしてそれが功を奏したのだろう、リィンはふっと気を緩めて

 

「そうですか、それは大変失礼いたしました。何分小心者故、つい神経が過敏になってしまったようです。ご容赦の程を」

 

 真摯に謝罪の言葉を口にする。

 基より大尉に対する疑いは微々たるものだった。姉から聞いていた人柄と、学院祭の時に見た様子から察するにおそらくはアルフィン皇女を連れて、忠臣と名高いシュバルツァー男爵を頼ったのだろうとそんな辺りだとは思っていた。だが、何せまさかコイツがそんな事をするはずがないという目に一ヶ月前にあったばかりだったのもあって、念のためにと慎重にならざるを得なかったのだ。

 

「あはは、構いませんよ。貴方の立場だったらそれ位慎重になるのも当然でしょうしね。

 ーーーですが安心してください、私が忠誠を捧げたのはそれはもう可憐なる我が帝国の至宝たる姫様であって、どこかの派手派手しいヒゲモジャ親父じゃありませんので」

 

 そしてそんなリィンの態度をアデーレは笑って許す、警戒するのもわかるが自分は断じてカイエン公の手先などではないのだと告げて。

 

「誤解が解けたところで、そろそろユミルに戻らないか?何時までもこんなところで立ち話ってのもなんだろう、情報交換はユミルに戻ってからするとしようや。男爵閣下も交えてな」

 

 肩をすくめながら告げられたトヴァルの提案に二人も賛意を示して、一行はユミルの里へと帰還するのであった。

 

 

・・・

 

 

「……なるほど、やはり“内戦”になってしまっていましたか」

 

 アルフィン殿下がこちらに避難されていると聞いた時点で予想はしておりましたがと呟きながら、リィンはシュバルツァー男爵より伝えられた情報を頭の中で整理する。

 あの後二人と共に里へと帰還したリィンは、ユミルの領主シュバルツァー男爵に暖かく迎えられた。宰相の遺児、そしてアルフィン皇女という二つもの手土産を用意すればそれこそ貴族連合内でそれ相応の地位を築く事とて可能であるはずなのに、男爵はそんな事は想像さえしていないように、リィンを、娘を救った恩人を相応の礼節を以て歓待した。

 そうして男爵家の領館へと迎え入れられたリィンは、改めて自分が眠っている一ヶ月の間に帝国がどうなったのか、今どのような状況にあるのかの説明を男爵達より受けるたのであった。

 

「……アルフィン皇女殿下、先ずは陳謝をさせて頂きたい。このような事態を招きましたのは総て、この私の責任です。私リィン・オズボーンが、貴族連合所属の“蒼の騎士”クロウ・アームブラストへと敗れ去ったことが、この国を内戦などという悲劇へ導く結果を生み出しました」

 

 自分があそこでクロウに勝っていれば内戦は起こり得なかった。

 虎の子の機甲部隊と騎神を自分が殲滅できていれば、師が、アルノールの守護神が皇帝陛下を救出して見せただろう。

 こちらにいるアデーレ大尉のように、自分は皇室にこそ忠誠を誓ったという意識の忠義の者とて近衛には居るはずなのだ。

 忠臣として名高きマテウス・ヴァンダールが現れれば、近衛軍の中にはそれに同調するか、そこまでいかなくても戦意を喪失する者とて出ていたはずだ。

 そしてそうなれば師が遅れを取る理由などどこにもない、皇帝陛下は救出されて、勅命を以てカイエン公は逆賊となる。初動をしくじったカイエン公に同調する者など現れまい、内乱と呼べない規模の正規軍によるカイエン公爵家の討伐が行われて、それで終わりとなったはずなのだ。

 自分が勝っていれば(・・・・・・・・・)

 だが、そうはならなかった。自分がクロウに負けた(・・・)がために、祖国は内戦状態へと陥り、共に轡を並べて戦うはずだった忠勇なる兵士達は同胞同士で殺し合い、その生命を散らし、民は戦禍に喘いでいるのだ。

 万死に値する罪だろうとリィンは心の底より(・・・・・)思い、拳を強く握りしめながら剣を捧げるべき主君へと詫びる。

 

「本来であればこの生命を以て贖うべき大罪だと存じますが、この身は師により救われた身。

 もはや私一人の一存で容易くその処遇を決める事は出来ません。甚だ恥知らずな願いと承知の上で、どうかこの剣を以て自らの恥を濯ぐ事で殿下と皇帝陛下、そして祖国への償いとさせて頂きたく……!」

 

「え、いや……あの、ええっと……」

 

 今にも切腹でも敢行しかねない勢いで跪きながら謝罪するリィンにアルフィン皇女は、否その場に居合わせた面々は困惑する。それはそうだろう、目の前の人物が帝都占領の折に獅子奮迅の活躍をした事は聞き及んでいるし、そもそも内戦が起きる事となったのはどう考えてもカイエン公が暴挙に及んだ挙げ句、レーグニッツ知事からの紳士的な会談の申し出にも強硬な態度で応じたためだ。

 リィンのせいで、内戦へと陥った等と思っている者は当人を除いて居るはずもないのだ。これが色々と(・・・)経験豊富なオリヴァルト皇子辺りならば苦笑しながら、なにかユーモアのある返答をしたかもしれないが、天真爛漫で奔放なところはあれど未だ15の少女たるアルフィン皇女はただただ困惑するばかりであった。

 

「帝都占領という暴挙に際して君はそれを阻止すべく死力を尽くして働いたと聞いている。そこまで思いつめる事はないと思うが……」

 

「お心遣い痛み入ります、男爵閣下。ですが、奮戦したところで負けては意味がないのです。市井に生きる民ならばいざしらず、戦いを生業にする、民と国を護る使命を帯びた我ら軍人にとっては弱いこと、そして敗北した事それ自体が罪なのです」

 

 かつてクロスベルへと赴いた時の警備隊がそうだった。

 学生である自分たちに負けた彼らは、それを通商会議にて父に利用されて警備隊等は無用の長物だという口実作りの一つに利用される事となった。頑張ったからで許されるのは子どもの間だけだ、自分たちに求められるのは“勝利”という結果に他ならない。それを果たせなかったことが今の事態を生んでしまったのだからとリィンはどこまでも己を責める、まるで満点で無ければ価値が無いのだとでも言うかのように。

 

「まあ一理はあるかもしれないですけど……」

 

 そしてそんなリィンの様子にアデーレはなんと言ったものかと思案する。

 リィンの言う事は別に間違っていない、確かに結果だけを見ればリィン・オズボーンは蒼の騎士に敗北して貴族連合のクーデターを防ぐことが出来ずに、おめおめと敗走したと、そういう表現になるだろう。

 だが、だからといってこれは余りにも度が過ぎている。言い訳をしない高潔な態度なのかもしれない、しかし此処まで一切の妥協をする事無く自分を追い詰めるような様を見せつけられると流石に感心するよりも前に、近寄り難い思いを感じてしまう。

 その厳しさが向けられているのは他者にではなく、自分に対してだから批難されるようなものではないのかもしれないが……それでもこれは余りにも

 

「皆さん、お茶が入りましたよ。余り根を詰めて話しても状況が良くなるわけではありませんし、一先ず一服しては如何でしょうか?」

 

 一体なんと声をかけたものかと思案する一行を手助けするかのように、男爵の妻たるルシア・シュバルツァー夫人が紅茶を携えて休憩を提案した。その助け舟に乗る一行の様子を見てリィンもまた、席へと戻り相伴に預かる事としたのだが……

 

(………?)

 

 奇妙な事にその紅茶は全く味がしなかった(・・・・・・・・・)

 いや、お茶だけではない、お茶と共に用意された甘味それからも全く味がしなかったのだ。

 おかしい、自分の味覚はそこまで鋭いわけではなかったがそれにしてもそこまでの馬鹿舌ではなかったはずだと訝しがるリィンに対して他の面々はそれは美味しそうに茶を飲んでいる。

 

「……やっぱり母様は凄いです、どうやったらこんなにも美味しく紅茶が淹れられるんですか?」

 

「ふふふ、そうね。慣れもだけどやっぱり、この人のために美味しいお茶を淹れてあげたいと思えるような人を見つける事、それが秘訣かしら」

 

 ニコリと微笑みながら自分を見つめる夫人に男爵はどこか照れくさそうに頭をかいて、そんな夫の様子に夫人はクスリと笑った後に再び己が愛娘の方を見つめて

 

「どうかしら?エリゼにはそういう人が見つかった?」

 

「か、母様……私が通っているのは女学院ですよ。社交界にだってまだデビューしていませんし、意中の殿方なんて居るはずが……」

 

「アレ?でもエリゼちゃん、トールズの後夜祭の時にハイアームズ家の三男さんと踊っていませんでしたっけ?」

 

 もぐもぐと最低限のマナーは護りつつも淑女とは程遠い様子で男爵夫人の用意した甘味をそれはもう美味しそうに平らげながら、さらりとアデーレ・バルフェットは爆弾を投下する。投下された爆弾を前にエリゼは慌てた様子を、ルシアは微笑ましい様子を、アルフィン皇女は顔を悪戯っぽく輝かせ、男爵はギラリと眼を光らせ、話題に付いていけない残りの男二人はどこか所在なさげにする。

 

「あ、アレは……その、せっかくのお誘いを無下にするのも失礼ですし……」

 

「義務感で踊ったって事?エリゼってば罪な女ね~エリゼにOKを貰ったときのパトリックさんはそれはもう見ていてはっきりと分かる位に浮かれた様子を見せていたのに」

 

「そ、そういうわけでは……ああ、もう!からかわないでください!」

 

 顔を真赤にするエリゼ・シュバルツァーと可愛らしく舌を出しながら謝るアルフィン皇女という仲睦まじい様子に場に和やかな空気が流れ出す。男爵が笑いながらも眼がどこか据わっているように見えるのは幻覚であり、アデーレ大尉が何やらブツブツと「ふふふふ、男子と後夜祭でダンスか~結局トールズに在学中の二年間そんなイベントありませんでしたねぇ」等と言っているように聞こえるのは幻聴だろう。

 

「リィンさん、ほとんど手をつけておられないようですが、もしかしてお口に合わなかったでしょうか?」

 

「いえ、そんな事は全く。ただ何分無作法者故、失礼があってはいけないと思いまして」

 

 合う合わないの以前にそもそも全く味を感じ取れないのだが、言っても心配させるだけだろうと思いリィンはそう誤魔化しながら、それは優雅な洗練された所作にて紅茶を口に運び、記憶の中にある美味なものを口に運んだ時に浮かべる自然な笑顔を意図的に(・・・・)作る。

 再び呑み干した舌の肥えた皇女殿下も満足させる美味なはずの茶からはやはり、まるで一切の味を感じ取れなかった。もはや食事を味わう等という贅沢はお前に許されていないのだと突きつけるかのように。同じ食卓を囲み、同じ物を食べる、そんな時間を共有する事など出来ないのだと突きつけるかのように……

 




「特に味覚がね……駄目なんだよ……感情が高ぶると、ボーッと光るのさ」
「もう君の作った手料理を味わう事もできない…」


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灰色の騎士と黒兎

温泉にでも浸かってゆっくり静養?今こうしている時も民は戦禍に喘いでいるというのに走り始めた英雄が悠長にそんな事をしているはずがないでしょう?


「ところで、君は今後どうするつもりなんだね?君はエリゼの命の恩人だ。

 望むのならば、この内戦が終結するまでの間この里に滞在して貰ってもこちらは一向に構わないが……」

 

 一息入れ終えた一行は再びまた話へと戻る。これまでの情報の共有と整理は終えた、故に焦点となるのは必然これからの事となる。そして男爵は目の前の、どこか生き急いでいるように見える少年、漂う風格は未だ成人さえしていないとは思えないそれだが、へと問いかける。

 嫌なのならば無理に戦う必要はないのだと年長者としての気遣いを見せながら。

 

「お心遣い感謝致します男爵閣下。ですが、その必要はございません。

 今日の内にでも支度を整えて、明日の朝にでも此処を発たせて貰います」

 

 そしてそんな男爵の気遣いに謝意を告げながらも、リィンは一切揺らぐ事無く答える。

 そこに宿っているのは静かながらも決して揺るがぬ鋼鉄の決意だ。

 

「……何処へ行く気か、等と問うのは愚問というものなのだろうな」

 

「ええ、私は正規軍の軍人ですから。当然ながら正規軍との合流を目指します。それがこの身に課せられている義務でもありますから」

 

 緊急の措置による臨時任官とは言えリィン・オズボーンは歴としたエレボニア帝国正規軍の軍人だ。

 宰相直属という通常の指揮系統から外れた存在だったとは言え、それでもこうして身動きが取れるようになった以上討伐軍へと合流するのが筋というものだろう。

 

「正規軍と合流して逆賊クロワール・ド・カイエンを討ち、この内戦を終わらせる、それが私が果たさなければならない使命です」

 

 静かな、されど烈火の如き覇気を込めて告げられたリィンのその宣誓に一行は何も言えなくなる。そこに宿った覚悟の程が伝わって来たからだ。その鋼鉄の如き意志と覇気それは否応なく今は亡きある人物を想起させるものだった。そうしてなんとも言えない沈黙がその場を包み込もうとしたタイミングで……

 

「ご歓談中の所大変申し訳ございません。旦那様、その些か奇妙な客人が訪ねて来ておりまして……」

 

 男爵家へと仕える初老の家令が何やら困惑した様子を見せながら新たな客の来訪を告げるのであった。

 

・・・

 

「お初にお目にかかります、私は帝国軍情報局所属のアルティナ・オライオンと申します。まずは不躾な訪問となった非礼をお詫びさせて頂きます」

 

 現れた人物は確かに奇妙な客であった。歳の頃は恐らくまだ12か13といった程度の外見、更には服装もくっきりと体のラインが浮き出るような大抵の女性が着るようにと言われたら、相手が好意を抱いた人物であれば赤面しながら、そうでない人物以外からならば氷点下の視線を叩きつけて断りそうな代物だ。そしてそんな少女が宰相直属たる帝国軍情報局を名乗っているのだから、それは応対した家令は困惑する他無いだろう。

 さて、そんな奇妙な人物を何故門前払いしなかったのかと言えば、それは彼女が語った内容にあった。それは……

 

「そして早速ですが本題へと入らせて頂きます。ーーーヘルムート・アルバレア公の雇った猟兵団“北の猟兵”の部隊が此処ユミルに向かって居ます。目的はアルフィン皇女殿下の“保護”とそして貴族連合に与しない貴族達への“警告”だそうです」

 

 告げられた言葉、それに居合わせた面々は表情を強張らせる。

 “北の猟兵”、それは旧ノーザンブリア大公国において軍人として活躍した者達が中核となって作り上げた一級の猟兵団の名だ。塩害という未曾有の災害、そしてそれに伴う国を指導すべき立場にあった大公家の国外逃亡という事態に見舞われてノーザンブリア大公国は実質的に滅び、自治州へとなった。

 だが国土の多くを塩に侵された地では到底かつてのような産業を維持する事が極めて困難になった。当然軍等という生産に寄与する事がなく、それでいて極めて金を食う組織を維持するような余裕などあるはずもなく、国軍を解散される事となった。

 だが、塩害へと侵された祖国ではそうそう上手い再就職先などあるはずもなく、更には望んで誇りを以て祖国を護るという道を選んだ者たちがそんな窮状に置いてあっさりと引き下がれるはずもない。

 結果として元公国軍の者たちの大半はある決断をする事になった、それは“猟兵”となって外貨を稼ぐという手段であった。

 そうしてA級猟兵団“北の猟兵”は生まれた。元々正規軍にて活躍していたものが中核を担っていたこと、そして“故郷”のためにという明確な目的を持ち戦う彼らの戦闘力及びプロ意識は高く、その練度はまさに“精鋭”と呼ぶに足るものだろう。

 だが彼らの脅威はその戦闘力と練度もだが、何よりもそのプロ意識の高さにある。

 

 “故郷”のためという譲れぬ大義がある彼らは文字通り命を賭して依頼をあらゆる手段(・・・・・・)を使って遂行する。

 そう、あらゆる手段をだ。譲れぬ大義があるからこそ、そのために彼らは非道とも言える手段さえも使用してそれを果たそうとする。

 失敗してしまえば、待っているのは彼らが護りたいと願う故郷の人達の“死”なのだから。

 それでも数年前までは元公国軍大佐を務め、軍に居た頃から清廉潔白で高潔な騎士の鑑とも謳われたバレスタイン大佐の存在、そして自分たちは誇り高き公国の軍人であったという意識がそんな非道さにストッパーをかけていた。

 しかし、そんな大佐を筆頭にかつて公国軍の中核を担っていた多くの者たちがこの世を去っていった事、そして既に公国がその形を失って20年以上もの歳月が経過した事で、それらは次第に変性していった。

 だからこそ今の“北の猟兵”とは文字通り、故郷のためなら何でもする組織なのだ。ーーー依頼を遂行するために必要と判断したならば、このユミルを焼き払う事とて決して躊躇うまい。

 

「ーーーオライオン曹長、いくつか質問がある」

 

「はい、何でしょうかオズボーン少尉」

 

「貴官は如何にしてこの情報を入手した?」

 

「貴族連合への潜入任務。それの遂行によって。詳細は秘匿事項のため、お教え出来ません」

 

 無機質な、感情を伺わせない瞳で淡々とアルティナは応える。

 

「こちらに向かっている部隊の規模は?」

 

「およそ一個大隊程になります」

 

「一個大隊ですか……それはまたずいぶんと大判振る舞いしてきましたね」

 

 アデーレ・バルフェットはアルゼイド流皆伝の達人である。

 並の部隊なら一個大隊まで片付ける自信がある、だが精鋭と名高い北の猟兵が相手となると命を賭して一個中隊の相手がやっとといったところだろう。

 しかもこれはあくまで部隊の中に達人級の腕を持つ、二つ名持ちがあくまで居ないことを仮定してだ。

 北の猟兵ほどの高ランクの猟兵ともなれば、達人級をそれ相応に抱えているものだから、これはかなり希望が入り混じった仮定と言えるだろう。

 

 

「もう一つ、敵の進軍ルート、それに関してはわかっているか」

 

「はい、もちろん把握済みです。こちらがその情報になります」

 

 その言葉と共にアルティナはこの周辺の地図と敵部隊の情報が記されたレポートをリィンたちへと手渡す。

 そうして、情報を貪るかのように目を走らせていたリィンはしばらくするとなにかを確信(・・・・・・)したのかようにほんのわずかに口元を緩める。

 

「ーーーそれで如何致しましょうか少尉。オズボーン少尉、アランドール大尉、リーヴェルト大尉の何れかと合流を果たせた場合は以後指揮下に入るようにとの命令を私は受けています。ご指示をお願い致します」

 

 そしてそんな余裕に満ちたリィンとは裏腹にアデーレは葛藤の只中にあった。一体自分はどうすべきかと。

 彼女はアルフィン皇女という護らなければならない足手纏い(・・・・)を抱えている。

 いや、足手纏いは彼女だけではない、もしもこの地で迎え撃つというのなら此処に居るシュバルツァー一家、そしてユミルの民総てが半ば人質のようなものだ。

 それら総てを守り抜きながら北の猟兵を相手取る等というのは至難どころの話ではない、もはや不可能である。

 故に迎え撃つのではなく、相手がこちらに向かって進軍しているところを強襲して指揮官なりを討ち取る、“勝利”を目指すならばそれしか手は無いだろう。

 だが彼女にはそれが出来ない、何故ならば彼女はアルフィン皇女の護衛だからだ。

 

 ーーー現状アルティナの発言が本当に真実なのかを確かめる術が彼女には存在しない。

 その無機質な瞳からはあらゆる感情が読み取れず、虚偽をしているかどうかの判断がまるで出来ないのだ。

 アルティナの情報を信じて現地に赴いてみれば、誰も居ずに自分が不在の間に姫様を攫われて居ましたでは話にならないのだ。

 

 本来であれば、護衛として彼女が最優先すべきはアルフィン皇女の身の安全なのだから“逃げる”事を提案すべきだろう。

 だが、アルバレア公は今回の一件で皇女殿下の“保護”のついでにどうもシュバルツァー男爵家を見せしめのための“生贄”にするつもりでもあるようだ。

 此処で逃げる事、それはすなわち世話になったシュバルツァー家の方々を、そしてユミルの民を見捨てるという事になるのだ。

 まずアルフィン皇女は了承しないだろう、そしてアデーレ自身もまた騎士としての誇りと人としての情がそれを許さない。

 状況は限りなく悪かった。ほとんど八方塞がりと言って良いだろう。ーーー少なくともその場に居合わせた者たちにはそう思えたのだ。

 

 

「北の猟兵を迎え撃ち、殲滅する。ついては貴官にも一働きして貰いたい」

 

 ただ一人、鋼鉄の意志を宿した“英雄”を除いて。

 まるでアルティナの情報が事実であるという確信を抱いているかのように。既に勝利への道筋は見えているとでも言わんばかりに。

 殲滅する(・・・・)と彼は言った。それはすなわち一人足りとも生かして返す気はないという鏖殺の宣言だった。

 

「承知致しました」

 

 そして発言にもアルティナは特に動じる事もなく頷く。

 何故ならば彼女にとっては命令に従う事こそが全てであり、現在自分へと命令を下す立場となったのはリィン・オズボーンなのだから。

 その判断の是非を求められれば一応、彼女なりの意見を提示する。だがそうでないのならばその判断の是非に問いかけるのは自分の役目ではないとでも言わんばかりに。

 

「お待ち下さいリィンさん、いくらなんでも貴方とアルティナさんのお二人だけというのは余りに危険すぎます。此処はアデーレさんやトヴァルさんも一緒に……」

 

「恐れながら殿下、それは悪手です。そうしてしまったらこの里と殿下を護る者が消えてしまいます。バルフェット大尉とランドナー氏にはもしもの時(・・・・・)に備えて里の護りを勤めて貰った方がよろしいかと」

 

「……私は虚偽などしていません。それをおわかりだからこそ、少尉も討って出る事をお決めになったのではないですか?」

 

 無機質だった瞳に初めて感情の色を宿してアルティナはどこかムッとした様子で己が上官へと抗議する。

 

「ああ、信じているとも(・・・・・・)貴官の齎した情報をな。それが正しいと、私は確信を抱いている。

 ーーーだが残念ながら、それに総てを賭けてくれと言えるほどに現状の貴官は実績を積み上げていない。

 虚偽はしていなくても意図的に流した誤情報を掴まされた可能性もある。故にこその処置だ、悪いが理解してくれ」

 

 どこか拗ねた妹を宥める兄のような様子を見せてリィンはアルティナへとフォローを入れる。決してそちらの情報を信じていないわけではないのだと言いながら。

 

 一ヶ月の眠りから目覚めた事で以前以上に冴え渡っている統合的共感覚と直感の二つは眼前の少女の情報が正しいという事を示している。

 だが、だからといってそれに総てを投入するのは余りに後先を考えてなさすぎるというものだろう。

 討ち漏らし、別働隊、そういった存在がリィンの警戒のセンサーをくぐり抜けて里へとたどり着く可能性は十分にある。

 そしてそのレベルならばアデーレ・バッフェルトとトヴァル・ランドナーならば問題なく片付けられるだろうと踏んでこその判断であった。

 

「ご心配には及びません、何も正面から一個大隊を纏めて斬り伏せようというつもりではありませんから。

 きちんと策は用意してありますよーーーつきましては、この策を決行するに辺り領主たる男爵閣下にもご裁可を頂きたく」

 

 そうしてリィンは安心させるための微笑を意図的に作り、作戦の概要を説明するのであった。

 




グッバイ北の猟兵、フォーエバー北の猟兵


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地獄への道は善意によって舗装されている

感想の返信でも書きましたが前話をちょこっと修正しております。


 北の猟兵団の大隊長ヘルダー・クルムバッハは雇い主からの指示によりシュバルツァー男爵が治めるユミルへの道を行軍していた。

 

 アルバレア公爵という大口の雇い主から指示された内容、それは未だ貴族連合に対して頑なに協力しようとしない男爵への“警告”とそんな男爵の下にいると思しき皇女の保護であった。

 そうしてヘルダーは上からのいつもどおりに仕事に取り掛かりだした。

 本来ならば大した戦力もない男爵家程度、一個中隊程度もあれば十分なところではあるが、皇女の騎士を務める“戦乙女”を警戒して念には念を入れて上は自分と旗下の大隊を動かす事に決めたというわけだ。

 ーーー何せ与えられたのは皇女の保護という重要任務。自分たちの雇い主たるアルバレア公はどうも連合内部の主導権をカイエン公から取り戻そうと躍起になっているようなので、その旗印になり得る皇女の確保というのは極めて重要な仕事であった。

 成功すれば、相応の特別報酬も期待できるが、逆に失敗すれば雇い主からの信用を大きく損なう事を疑いようがなかった。故に念には念を入れて、自分が任されたというわけだ。

 無論、ヘルダーとて冷血漢というわけではないので無関係の村落を焼く事への抵抗が全く無いという事はない、しかしそれでもこれは仕方のない(・・・・・)事なのだ。

 自分たちには故郷で待つ、多くの人達が居るのだから。自分たちの持ち帰る外貨が、故国の幼子達が厳しい冬を越えられるかを決めるのだからと。そういつものように心を鬼にして情を切り離してヘルダーは任務へと赴いた。

 誓って、慢心などそこにはなかった。“戦乙女”の雷名は自分も聞き及んでいる、確実に任務を果たすべく部下達の意識も引き締めていた、そのはずだった。

 

 だが、この世には“理不尽”というものが存在する。

 どれだけ気を引き締めていようと、全力を尽くそうとどうにもならない事が。

 そう、それは例えばーーー古来より人類が常に脅威に晒されてきた自然の猛威(・・・・・)

 どれほど技術が発達してもそれを前に立ち向かう等という事は不可能だ。

 そんな、大自然の猛威が北の猟兵を襲った。

 

(馬鹿な……こんなところで雪崩など起きるはずが……)

 

 当然、そんな大自然の猛威を厳しい北の地の出身である彼らは骨身に染みて理解してい。

 故に当然、入念に確認を行ったのだ。斥候を送り、このルートで雪崩はまず起き無いこと、それを確認したはずだった。

 それにも関わらず、何故だ。どうしてだと走馬灯のように心の中を埋め尽くす疑問と共に猟兵としての矜持も培った技術を以てしても為す術無く、北の猟兵達はただただその高速で襲ってきた膨大な雪の塊へと呑み込まれていくのであった……

 

 

・・・

 

「アデーレさん……私は駄目な皇女ですね」

 

 教会にて祈りを捧げていたアルフィンはポツリとそんな言葉を漏らしていた。

 己が主君の自分を卑下するような言葉、それを聞いて訝しがるアデーレに対して皇女は続けていく

 

「猟兵を“殲滅”するとそう告げたリィンさんを、私は“怖い”とそう思ってしまいました。

 彼はこの地を、ユミルを守るためにそうするのだとわかりながら。私自身が招いた惨禍の対処を引き受けてくれたというのに……」

 

 無理もない事だとアデーレは思う。

 今のリィン・オズボーンはまるで別人だ。躊躇いだとか逡巡等が欠片も感じられず、“勝利”を掴み取るためならばどこまでも全力だ。

 その揺るぎない様は同じ軍人である自分であってもある種の畏れを感じずには居られないものであったのだから、ましてや蝶よ花よと育てられたこの愛らしい姫様ならば尚の事だろうと。

 故に、それで当然だと言って慰める事、それは出来るだろう。

 

 だが

 

「殿下……私は殿下の事を駄目な皇女だなどと欠片も思ったことはありません。

 アルフィン・ライゼ・アルノールは真実我が剣を捧げるに値するお方だと、そう思っております」

 

 あえて、そうした慰めの言葉をかけずにアデーレ・バルフェットはその場にて臣下の礼をとって跪く。

 

「その上で、あえて厳しい言葉をかけさせて頂きます。

 それは(・・・)殿下が、皇女殿下であらせられる限り決して逃れる事は出来ないものです。

 殿下ご自身が背負わねばならぬものなのです」

 

 自分のためにとその手を汚す者や命を落とす者が出てくる事、それは皇族ならば決して逃れる事の出来ない責務なのだと。

 皇族とは、生まれながらにその血に責任を宿す者なのだから。

 身にまとう豪奢な服も住まいも、他者に傅かれるのも、それらの常人には背負う事の出来ない、背負いたくない責務を背負わざるを得ないからなのだと。

 

 告げられたどこか姉のように思っていた己が騎士の厳しい言葉にアルフィン皇女は顔を俯かせる。

 平時にて教えられていた皇族としての責務、その重さを真実理解して。

 

「ですが、分かち合う事は出来なくても支える事は出来ます」

 

 そんな主へと再びアデーレは声をかける。

 どこまでも優しく、まるで妹に対する姉のような慈愛を込めて笑顔で。

 

「重荷に押しつぶされそうになった時はどうか、私にその身体を預けてください。

 不甲斐ない我が身ですが、全力を以て支えさせて頂きますから。騎士として、何より殿下の姉貴分として」

 

 皇族の背負わなければならない責務、それを騎士である自分は代わりに持つことは出来ない。

 されど、そんな重荷を背負った貴方を支える事こそが自分の公人としての役目であり、私人としてやりたいことなのだと笑顔で告げたアデーレに、アルフィン皇女はたまらず涙を流して……

 

 

「すみませんアデーレさん……皇女としてこの程度の事で心を乱すなんて……あってはならない事なのに……」

 

「良いんです。良いんですよ~殿下はとっても頑張っています。私が保証します!……ですから、たまにはこうしてその身を預けてください。その間は、こうして私が支えますから……」

 

 

・・・

 

「オライオンより、オズボーン少尉へ。敵戦力の沈黙を確認」

 

「残兵は?」

 

「上空よりの視認及びクラウ=ソラスのセンサーによって確認しましたが、いません」

 

「ご苦労だった。一先ずユミルへと帰還するように。私もすぐに戻る」

 

「了解しました」

 

 それを最後に通信を打ち切ると、ゴボリとリィンの口より血が吐き出される。

 流石に無理をしすぎたのだろう、雪崩を起こすために発生させた膨大な熱量と焔、その代償だと言わんばかりに激痛が身体を蝕む。

 一ヶ月の眠りから覚めて、更に身体機能が大きく強化されてコレなのだ。

 やはり、騎神に自分のこの異能を纏わせる等というのを相当な無理があるようだ。

 だが、必要な事だった。生身で行こうが騎神で行こうがあれだけの数となると、単に強襲するだけでは散り散りとなってゲリラ化する恐れがあった、故に残らず殲滅(・・・・・)するためにはこれこそが最善であった。

 彼らの不幸は、自分たちの位置がアルティナ・オライオンによって筒抜けだった事と発見されるのを防ぐために人里の存在しないルートを進んでいた事だろう。

 この条件とリィンの持つ騎神と鬼の力とでも称すべき超常の力、そして統合的共感覚という異能による高性能の導力演算器並の高度な計算がこの策の実現を可能にした。

 

(凡そ500人と言ったところか……)

 

 北の猟兵の名は聞き及んでいた、故郷ノーザンブリアのために外貨を稼ぐために猟兵へと身をやつす事となった元、公国の軍人達。

 故郷において彼らは“英雄”として住民からの尊敬を一身に集めている存在だと。

 そんな“英雄”達を自分はたった今、鏖にしたわけだ。

 自分の持つ不可思議な異能によって発生する炎、それを騎神へと纏わせて利用する事で人為的に雪崩を引き起こす等という非情極まる策を以て。

 今回の一件だけで自分が殺した人間は500を超える。まさしく“悪魔”の所業というべきだろう。

 忘れてはならない。彼らは確かにユミルを、自分の愛するエレボニアの民を襲撃しようとしていた“悪”であったが、同時に歴とした一人の人間であった事を。

 胸に刻み込め、同じ人間同士で殺し合う事、それこそが“戦争”なのだと。

 誰もが譲れぬそれぞれの“正義”を抱いて戦っているのだという事を。

 

「リィンヨ……余リ背負イコミスギルナ。汝ハ確カニ我ガ起動者デアルガ、同時ニ一人ノ人間ナノダ。

 汝ガ尊敬スル、ドライケルストテ決シテ完全無欠ノ存在ダッタワケデハナイ。

 時ニ悩ミ、悔ミナガラ、ソレデモ仲間達ニ支エラレテ大業ヲナシタノダカラ」

 

 気遣うようにヴァリマールは己が担い手へと声をかける。

 どこか、己が起動者に危うさ(・・・)のようなものを感じて。

 

「ああ、知っているよ(・・・・・・)ヴァリマール。

 大帝陛下の抱いた苦悩も慟哭も何もかも(・・・・) 、今はこの俺の胸の中に受け継がれているのだから」

 

 リィン・オズボーンは歴代の起動者の経験と記憶を何一つとして余す事無く(・・・・・)、その身の糧とした。

 故に知っている、いや体験しているのだ。ドライケルス・ライゼ・アルノール、獅子の心を持つ英雄、エレボニア中興の祖と称される偉大なる英雄の、人としての想いを。

 偉大なる大帝陛下も時に迷い、悩む一人の人間であったという事を。

 

「その上で、俺は俺だ(・・・・)。ドライケルス・ライゼ・アルノールでもギリアス・オズボーンでもない、リィン・オズボーンだ。

 先人の足跡へと敬意を払い、彼らの想いを継ぐ事とは決して彼らの道をただなぞるだけではないのだ。

 俺は、俺の信じる道を往く。獅子心皇帝でも鉄血宰相でもない、灰色の騎士だからこそ出来る“英雄伝説(サーガ)”を綴ってみせよう」

 

 人は一人で出来る事など限られている、だからこそ人は支え合い助け合う。それは事実だ。

 個人で出来る限界などリィンとて当然知っている、そも今回の策にしたところで北の猟兵の位置を掴んでいたアルティナの存在無くして成立しなかったのだから。

 他者と協調する事によって生じる力、それをリィンは熟知している。

 

 その上で

 

「この重荷は俺自身(・・・)が背負うものだ。誰かに預けるつもりはない」

 

 リィンはそう断じる。何故ならば“必要悪”を担うことこそが自分たち軍人の役目なのだから。

 理想を掲げる神輿とは綺麗な存在でなければならないのだから。

 それは“王”であった獅子心皇帝とも“宰相”であった父とも違う在り方、武を軍隊という国家における最大の暴力機構の担い手たる軍人としての生き方だった。

 護るために殺すという矛盾、国家という巨大な組織の運営上どうしても生じる“犠牲”、理想を叶える上で生じる汚れや歪み、それらは“必要悪”たる自分が担おう。

 だからこそ、そんな自分はこの重荷を他者に預けてはならない、それらを担うのこそが自分の役目なのだから。

 幾度も教えられた、軍人としての心構え、それをリィンは一切違える事無く忠実(・・・・・・・・・・)に護っていた。

 

「ソレハ茨ノ道ダ」

 

「承知の上だ俺はそれでもこの道を往く。この身が汚れて傷つくのを覚悟の上で」

 

 どこまでも鋼鉄の意志を滾らせてリィンはそう己が愛機へと宣誓する。

 誰もが傷つくのを、汚れるのを嫌がり、やりたがらない事を引き受けるのが自分の役目なのだと信じて。

 そこでふとリィンは張り詰めた空気を緩めて

 

「そして、切り開いた道を舗装するのは俺以外の誰かがやってくれる。選ばれた存在、限られた人間だけが通れるような獣道から誰もが安心して胸を張って勧めるような広い道へと、きっとその人達はしてくれるだろうさ」

 

 リィンの脳裏にまず過ったのは愛しい少女。自分に優しさという強さを教えてくれた少女だ。

 浮かぶのは彼女だけではない、絆で結ばれた黄金の意志を持つ頼もしき後輩達の姿。

 そして、「他国とも手と手を取り合える日々が来る事を望んでいる」などという綺麗事(・・・)を本気で実現しようとしている皇子の姿だ。

 

「ソノ者達ト手ヲ取リ合イ、共ニ歩ンデイク訳ニハイカヌノカ?」

 

「度し難い事にこの世界というのはな、どういう訳だか正しい人間や優しい人間の方が割を喰らうように出来ているんだよ。

 優しいからこそ、正しいからこそ出来ない制約や枷、そんな物が無数に存在する」

 

 トワ・ハーシェルの持つ見ず知らずの他人だろうと手を差し伸べる慈愛、そんな優しさが戦場では甘さと呼ばれる悪徳となるように。

 手段を選ばぬ冷徹さ、手を汚す覚悟、そうしたものが理想を為すにはどうしても必然求められる時が存在するのだと。

 例えば今回自分がやったように、500人もの人間を冷徹に殺す事など彼女にはどうあっても出来まい。

 

「だからこそ、俺がそれを担う。理想を唱える者の手が汚れぬようにな」

 

 だがそれで良い、それで良いのだ。そんな優しさを持つ少女だからこそ彼女は、彼女達は他者の心を照らす陽だまり足り得るのだ。

 汚れるのも地獄に堕ちるのも自分だけで結構だ、故にこそこの重荷を預ける気も分かち合う気も毛頭ない。

 これは(・・・)自分が背負う物なのだからと。どこまでも揺らぐ事無くリィンは宣誓する。

 そこに込められているのはどこまでも高潔で清廉な祈り。彼は真実我が身を礎にしてでも祖国とそこに住まう民へと繁栄を齎そうとしている、そこに嘘偽りは一切存在しない。

 

「承知シタ我ガ起動者ヨ。ソウイウコトナラバ、私モ地獄ヘト付キ合オウ」

 

 故にその覚悟を前に灰の騎神は改めて今代の起動者を己が主として認める。

 その鋼鉄の意志に先代の起動者の面影をわずかに見ながら、その上で全く別の、されど決して獅子の心を持った偉大なる皇帝に劣るものではない輝きを見て。

 

「ああ、頼りにしているぞ、相棒」

 

 万人には決して倣う事の出来ない正しさを体現しようと“英雄”はどこまでも高潔な意志を以て英雄は突き進む覚悟を改めて固める。

 祖国の繁栄のために、民の幸福のために、自分以外の誰か(・・・・・・・)の幸せのためにと。

 

 だが、果たして彼がそんな高潔な自己犠牲を行い繁栄を齎したとして、真実彼が一番に幸福を願っている大切な人達が、赤の他人(・・・・)の事さえ思う事の出来る優しい人(・・・・)大切な人(・・・・)の犠牲と引き換えに齎された繁栄をおめおめと享受出来るのか?本当に幸福になれるのだろうか?

 そう指摘する者は、その場には存在しなかった。どこまでも高潔に、清廉に“英雄”はその意志を滾らせて望んで地獄への道を突き進み始めていた。必ずや勝利を掴み取り、繁栄を齎すのだとどこまでも強く強く、その意志を滾らせて……




今作のコンセプトは痛みの在り処を無くしてしまった“英雄”です。
望んで地獄へ堕ちて、利用されるだけされた挙げ句国のために死んでくれと言われて
それが本当に国のためになるというのなら喜んで自分の首を跳ねる。
そんなどこまでも国のための都合の良い英雄です。


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騎士の忠誠、皇女の誓い

リィン・オズボーンは国のための軍人であり騎士です。
彼はどこまでも祖国とそこに住まう民のためにその剣を振るいます。
故に国を統べる皇族には当然敬意を払いますが、それはあくまで高貴なる者の義務を果たしていてこそです。
もしもその責務を果たさず、排除したほうが国のためになると判断したら彼はその剣を容赦なく振るう事でしょう。

そういう意味では為政者の器が試される事となる中々厄介な魔剣と言えるかもしれません。


「それで、殿下は今後どうされるおつもりでしょうか?」

 

 不躾な襲撃者の殲滅を終えて帰還したリィンはそう、切り出していた。

 残らず殲滅した事でしばらくは安泰だろうが、それでもしばらくすれば音沙汰が無い事に気づいた敵は再び動き出すだろう。

 今度は更に多くの戦力を投入して、それこそ“北の猟兵”は傷ついた威信を回復するためにも総力を挙げて依頼主からの要求を完遂せんとするだろう。

 一男爵家によって一個大隊を殲滅された挙げ句、おめおめと逃げ出した。そんな悪評が立ってしまえば、彼らがこれまで死にもの狂いで築き上げたものは総て水泡に帰すのだから。

 それを避けるためにはただちに此処を発つ必要があるのだが、そうして逃げ続けて一体何になるのだろうか。

 シュバルツァー家のような芯の通った皇室への忠臣等そうそう存在しない。

 テオ・シュバルツァーに比肩しうる皇道派の忠臣と言えば、ヴィクター・アルゼイドとマテウス・ヴァンダール位だが前者はオリヴァルト皇子と行動を共にしており、領地には居ないし、ユミルからレグラムは余りに距離が離れすぎている。途中の関所の何れかで貴族連合に補足されて、丁重に“保護”される事となるだろう。

 そして後者はクロウ・アームブラストにより殺害され、一門の人間も逆賊の汚名を着せられて投獄の身の上であり、とてもではないが頼れる状況ではない。

 残りの皇道派に所属している領地持ちの貴族は忠臣というよりは単なる日和見と言う表現の方が適切で、実際貴族連合が徐々に優位に立ちつつある昨今では既に貴族連合へと鞍替えする者たちが続出している。

 ーーー一概に不忠者だと、責める事は出来ないだろう。彼らは彼らで護るべき領地と領民の生活があるのだから。実際、アルバレア公が貴族連合に就こうとしないシュバルツァー男爵にどのような態度で応じようとしたかを思えば。

 命を賭けても忠義を貫く、それは高潔なる生き様だろうが同時に茨の道。長いものに巻かれる生き方を選ぶ者の方が世に於いては大半なのだから。

 このままユミルの地に留まれば男爵家へと迷惑が掛かる、されど他に行く宛もないーーーいや、仮に逃げる先が見つかったとしても待っているのは結局今回の焼き直しだろう。内戦、それ自体を終わらせない事には。

 そうして返答に窮するアルフィン皇女へとリィンは

 

「ーーー殿下、このリィン・オズボーン。殿下にお願いしたき義がございます。私と共にどうか討伐軍の方へと合流頂けませんか、この国のために逆賊クロワール・ド・カイエンを討つために殿下にはどうかご英断頂きたく」

 

 臆せずして跪きながら願い出る。ただ逃げるのではなく、内戦それを終わらせるために共に戦って欲しいと。ーーーだが、それは

 

「待ちなさい、オズボーン少尉。つまり貴方は殿下を、革新派のために利用しようと言うのですか」

 

 アデーレ・バルフェットは今にも剣を抜き放ち突きつけんばかりの勢いでリィン・オズボーンを睨みつける。

 貴方も貴族共同様に権力争いに皇族を、アルフィン皇女を利用するつもりなのかと。

 だが、その視線をリィンは臆する事無く受け止めて

 

「革新派のためではありません。この国のためです」

 

「ぬけぬけと良く言いますね、もっと正確に言葉を使ったらどうですか。

 貴方方革新派が作り上げて行くこの国のため(・・・・・・)だと」

 

 雷光の如き気迫を持ってアデーレ・バルフェットは目の前の少年を射抜く。結局は貴方方革新派も同じなのかと、私利私欲のために殿下を、皇族を利用するつもりなのかと。そんなアデーレに対してリィンは

 

「それは誤解ですアデーレ大尉、私は真実この国のためにこそ行動しています。

 ーーーそれがこの国にとって最善だというのならば、あらゆる感情を呑み干して父の仇であるカイエン公とて笑顔で握手して見せましょう」

 

 どこまでも清廉に曇りが一つとして存在しない蒼穹のような澄んだ目で真摯に語りかける。

 その瞳と落ち着いた声で気勢を削がれたアデーレへと尚もリィンは語りかける。

 

「ですが、クロワール・ド・カイエンは果たしてこの国を託すに足る器でしょうか?

 この国を騒乱へと導いたのは彼です、我が父、いえ帝国政府代表ギリアス・オズボーン宰相を暗殺して帝都を占領するという暴挙を行って」

 

 瞬間わずかにだがマグマのような憤怒がリィンの内より滲み出るがそれをすぐさま抑え込む。

 呑み込まれるな、これに自分が呑まれたのが今日の事態を招いたのだと鋼鉄の意志で持ってねじ伏せる。

 

 

「まあ、それだけならば宰相閣下の強硬な態度と強引さこそが原因だったと、だからやむなく(・・・・)暗殺という手を使ったのだとそういう論法も成り立ったかもしれません」

 

 ギリアス・オズボーンが殊更貴族派を挑発するような強硬な態度を取リ続けていたのは動かし難い事実だ。

 だからこそ、対話という手段が困難だったからこそやむなく暗殺という手段を取らざるを得なかったのだという詭弁も、業腹ながら成立したかもしれない。

 

 しかし

 

「ですが、彼らはそうして宰相閣下をやむなく排除する事に成功した後も、レーグニッツ知事の紳士的な申し出もオリヴァルト殿下の真摯な説得も拒絶したと聞いて居ます。

 今の事態を招いているのは紛れもなく貴族連合主宰たるクロワール・ド・カイエンです。

 この内乱は彼を討つか、あるいはそれこそ革新派側が完全に彼の支配を認めて屈服するかをしなければ終わることはないでしょう。

 その上で改めて問いかけさせて頂きたい、果たしてクロワール・ド・カイエンはこの国を託すに足る器ですか?」

 

 そう言われればアデーレは何も言えなくなる。

 紳士的な態度にてあくまで国を重んじて対話の姿勢を見せたレーグニッツ知事と中立の立場からそれを取り持とうとしたオリヴァルト皇子

 そんな差し伸べられた手を振り払い、手袋を投げつけたのは間違いなくカイエン公だ。

 鉄血宰相のやり方が強引だったためそうせざるを得なかった等という論法は既に通じないだろう、何故ならばその宰相はもうこの世に居ないのだから。貴族連合によって仕組まれた凶弾に撃たれたのだから。

 

「彼にこの国を託せると思うのならば、彼に力を貸すという手もあるでしょう。

 ーーー無論、私は到底そうは思えないので、もう一つの手段を、正規軍の一員として内乱の元凶として彼を討つという道を選ばせて頂きますが」

 

 憎いから、父の仇だから討つのではなくこの内乱を終わらせるためにこそ自分は戦うのだとリィンは誓約して

 

「改めて、お願い申し上げます殿下。どうか逆賊クロワール・ド・カイエンを討つために、我ら討伐軍の御旗になって頂けませんか。

 さすればこのリィン・オズボーン、非才の身なれど我が身命を賭して、御身へと我が双剣を捧げる事を亡き師、マテウス・ヴァンダールより授けられし守護の剣へと誓約致します」

 

 その言葉と共にリィンは己が双剣の柄を跪きながら差し出す。

それはエレボニア帝国に伝わる騎士の礼だった。

 そんなどこまでも私心無き忠誠はアルフィン・ライゼ・アルノールを否応なく駆り立てる。

 

 ずっと彼女は迷っていた、皇女としてはたして本当にこうして自分は隠れ続けているだけで良いのかと。

 兄であるオリヴァルト兄様は一日も早く内乱を終わらせるべく懸命に動いているのに、自分はそんな兄の助けが来るのを待つだけで良いのかと。

 大切な家族が囚われているというのに誰か(・・)がそれを救ってくれるのを待つだけで良いのかと。

 皇女として、祖国と民のために自分にも出来る事があるのではないかと。

 カイエン公に、貴族連合に協力する気は起きなかった。それはリィンのようにこの国を託すに足る器ではないから等と言った理由ではない。もっと感情的なものだ。

 自分の穏やかで幸福だった日々、家族や大切な友人と共に過ごしていた幸福な日々を奪ったのがカイエン公だからだ。

 故にどちらを支持するかと言われれば、それは正規軍の方になるのだろう。

 

 しかし、それでも正規軍に味方すると決断する事は出来なかった。

 無理もない、いくら皇女とは言え、未だ15歳の少女に自分のために戦い死んでいく兵達の命を背負う等というのは余りにも酷かつ重すぎるのだから。

 だから、諦めていた。自分はまだ若く皇女と言っても何も知らない小娘なのだから仕方がない(・・・・・)事なのだと。

 周囲に居るのは優しい人達ばかりだったから。友人であるエリゼ・シュバルツァーも、匿ってくれているシュバルツァー夫妻も、そして傍で護ってくれているアデーレ・バルフェットも口々に自分は何があっても味方だと言ってくれていたから。

 だからこそ、彼女はその周囲の優しさに甘えていた(・・・・・)。皇女としてこの内乱を終わらせるべく行動する、そんな事は自分には無理だし無茶なのだとそう言い聞かせて。

 

だが、そう思っていた少女に無情にも現実は襲いかかってきた。

 自分を“保護”するためにアルバレア公はこのユミルへと猟兵を送ってきた。

 幸い偶然にも(・・・・)居合わせたリィンによって猟兵達は殲滅されたが、一歩間違えばユミルは火の海になっていただろう。

 他ならぬ自分を匿ってしまったがために。それは少女に否応なく、自分はただの市井の少女ではなくこの国の皇女であるという事を突きつけた。

 

 故にこそ皇女は苦悩した。本当にこれで良いのか、逃げ続けて、隠れ続けて、匿ってくれた人達に迷惑をかけて、自分はただそうして助けられているだけで。 

 そんな状態で彼女は出会ってしまった、どこまでも真直ぐに祖国のために己が身を捧げようと文字通り身を粉にして国へと尽くそうとしている“英雄”と。

 背負わなくても良い荷さえも進んで背負うとしているその姿を間近で見てしまった。

 そしてよりにもよってそんな“英雄”に共に内戦を終わらせるために戦って欲しいと剣を捧げられてしまった。

 

 人は感情によって動く生き物である。

 理と利に従い、感情を排して動く等という事が出来る人間などそうは居ない。

 あいつの言っている事は正しいけど、気に入らないから従いたくない、そんな例が世の中にはいくらでも転がっているだろう。

 言っている内容、それ自体よりも誰が言っているかが大事なのだ。

 多くの人が戦うのは理念や理想と言った幻想(・・)のためではない、そういった幻想がこの世にあるのだと信じさせられる者、幻想を体現する者(・・・・・・・・)のためにこそ戦うのだ。

 

 アルフィン・ライゼ・アルノールは善良な少女であった。

 家族に愛され、家族を愛し、民に愛され、民を慈しみ、友人にも恵まれて蝶よ花よと育てられたまさに帝国の至宝の名に違わぬ可憐なる皇女だ。

 故に奔放なれど彼女には皇女として国と民に在るべしという責任感もそれ相応に抱いていたし、己を犠牲にして国家という全体幸福に尽くすという在り方が尊いと思う気持ちも当然存在していた。

 だからこそ、一切の躊躇いなく国へと尽くすリィンの高潔な在り方はどうしようもなく皇女を駆り立てる(・・・・・)

 民と国を護るためにこそ存在するのだという綺麗事(・・・)をこの上なく体現するその姿。

 軍人の理想像というお伽噺の中にしか存在しないような英雄(幻想)の姿は、自分もこのように在らなければならない(・・・・・・・・・・・・・・・・・)という強迫観念にさえ似た思いを未だ若い皇女へと植え付ける。

 何故ならばリィン・オズボーンの姿は皇女の持つ言い訳を一切剥ぎ取ってしまうのだから。

 まだ若い?リィン・オズボーンとて未だ18歳という成人を迎えていない年齢だ、この年代に於いて3歳差というのは大きな違いなれど年齢を理由には出来ないだろう。

 家族と離れ離れになった?リィン・オズボーンは目の前で父を失った。それでも彼は折れる事無く立ち上がり、後ろを振り返る事無くただひたすら前へと進み続けている。

 

 重い。捧げられた剣はどうしようもなく重い、内乱を終わらせるために発つという事はすなわちこの剣を預かるという事だ。

 この剣が奪う幾多の命を背負わなければならないという事だ。正直に言えば、逃げ出したい。そんな事は私には出来ませんとそう言いたい。

 

 ーーーああ、けれど自分はこの国の皇女(・・)なのだ。

 彼が自ら背負い込もうとしている重荷は本来であれば、実際に戦場で命を賭けて戦う彼に代わって自分が背負わなければならない代物なのだ。

 その責任から年齢を言い訳(・・・・・・)にして逃げて、本当に自分は胸を張れるだろうか?

 今も傍らで自分を支え続けてくれている誇り高き騎士の主なのだと。

 逃げ続けて、好意に甘え続けて、迷惑をかけ続けるだけの小娘で居て良いのか?

 

 良いはずがない。何故なら自分はエレボニア帝国第一皇女アルフィン・ライゼ・アルノールなのだから。

 決意と共にアルフィンはリィンより捧げられた剣を受け取り、その肩へと刃を置きながら告げる。

 

「リィン・オズボーン、汝此処に騎士の誓いを立てエレボニアの騎士として戦う事を誓うか」

 

「イエス、ユアハイネス」

 

「汝、大いなる正義のために剣となり、盾となることを望むか」

 

「イエス、ユアハイネス」

 

 覚悟を宿した皇女より告げられる言葉、それにリィンは万感の思いを以て応じる。

 血筋ではなく、アルフィン・ライゼ・アルノールという少女の宿したその決意に心よりの敬意と、この少女にそんな重荷を背負わせざるを得ない我が身を不甲斐なく思いながらも。

 

「私、アルフィン・ライゼ・アルノールは汝、リィン・オズボーンを此処に騎士として認めます。

 これより汝の身は全て偉大なる祖国と皇帝陛下の御為に。

 汝、我欲を捨て何時如何なる時もこの誓いに背いてはなりません」

 

「イエス、ユアハイネス」

 

 そうして本来の騎士の受勲であれば、そのままリィンへと再び返す剣はアルフィン皇女はその場で高く掲げて

 

「私、アルフィン・ライゼ・アルノールは此処に誓います。

 “奸臣”クロワール・ド・カイエンを討ち、囚われの身である皇帝陛下を救う事を。

 この内戦を終わらせ、この国に秩序と安寧を取り戻す事を」

 

 捧げられた剣に見合うだけの御旗に自分はなってみせるのだとそう高らかに宣言する。

 その気高き姿を前にエリゼ・シュバルツァーもテオ・シュバルツァーもルシア・シュバルツァーも、そしてアデーレ・バルフェットは何も言えなくなる。

 美しい光景なのだろう、逆賊を討ち内戦を終わらせるのだと誓う若き皇女と騎士の姿。

 それはまるでお伽噺のように清廉で気高き光景だ。実際に見ている者たちの心に響く美しさが其処にはあった。

 成長……なのだろう、若き皇女はどこまでも祖国に尽くす若き騎士の姿に感化されて、己が血に流れる責務を自覚し、それを必死に果たさんとしている。それは確かに国にとって(・・・・・)は紛れもない福音と言えるだろう。

 だが、それは同時にアルフィン・ライゼ・アルノールがただの少女(・・・・・)として過ごす日々の終わりも意味していた。

 

 それが、彼女の友人であるエリゼ・シュバルツァーと彼女の姉代わりであるアデーレ・バルフェットにはどうしようもなく悲しかった……

 

 




一体何時からリィン・オズボーンの薫陶を受けるのがセドリック皇太子だと錯覚していた……?


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それぞれの輝き

寿命は投げ捨てるもの


「姫様……本当によろしいんですね?」

 

 「ユミルの誓い」、後にそう呼ばれていくつもの歌劇で演じられる事となる光景へと居合わせたアデール・バルフェットはそう己が主君へと問いかける。目の前の気高く美しい光景に感動を味わいながらも、このまま行けばそれはアルフィン・ライゼ・アルノールという一人の少女の私人としての大切な何かが押し潰されて行ってしまうのではないか、そんな危惧を抱いて。

 

「はい、アデーレ大尉(・・)。私は決して流されたわけでも強制されたわけでもありません。

 ーーーこの身体に流れる血に宿る皇女としての責任を、私も(・・)果たします」

 

 捧げられた剣に見合うためにと呟いた言葉がどこか重さに耐えかねているように聞こえたのは自分の邪推だろうか、そんな複雑な心境にアデーレは陥る。

 目の前の主君の凛とした瞳の中に宿るのは高潔な意志だ。

 それはこれまでもずっとアデーレが感じてきたアルフィン・ライゼ・アルノールという少女が宿していたもの。

 少しずつ大切に育まれ、本来であれば(・・・・・・)もう数年、いや十年単位の時間をかけて開花する事となるはずだった大輪の花だ。

 それが“内戦”という厳しい暴風雨に晒されて、“英雄”という太陽に強烈に照らされた事で急激に開花した。

 確かに成長なのだろう、だが同時にどこか寂しさや危うさのようなものを感じてしまうのは、単なる自分には出来なかったことをたった一日でやってのけてしまった少年に対する妬心なのだろうか?

 そんなふうにアデーレは目の前の主君の成長した姿に感動を覚えながらも、拭いきれない不安が心の中にあった。

 されどそんな漠然とした不安でどうしてこの高潔な意志を止める事が出来るだろうか?

 成長である事は間違いないのだ、今自分の主君は己の責務を背負うと覚悟を定めた。ならば騎士たる自分の為すべき事は……

 

「お供致します、どこまでも」

 

 その重責に押しつぶされぬよう、傍で支える事。それこそが自分の為すべき事だろう。

 決して貴方は一人ではないのだと、この頑張り屋さんな妹分に教えてあげようではないかと、そんな決意と共にアデーレもまた騎士の礼を取り、アルフィン皇女へと跪き己が剣を差し出す。

 そしてそれを受け取り、返した皇女はそんな己が騎士の忠誠を受けて……

 

「はい、頼りにさせてもらいますね、アデーレさん」

 

 クスリと笑いながら先程までの凛と張り詰めた様子とは異なる年相応の少女らしい笑みを浮かべる。

 騎士としてだけではない、ただのアデーレとしての妹を思う姉心、それに近い慈しむような好意を受けた事で覚悟を固めた皇女から少し前までの少女としての姿に戻って。

 そしてそんな光景を見て、皇女の友人たるエリゼ・シュバルツァーもまた

 

「……姫様、それでしたらどうか私もお供させて頂けませんか?」

 

 静かに、されど確かな決意を宿して己が意志を伝えていた。

 

「エリゼ、貴方の気持ちは嬉しいけどそれは……」

 

「わかっています。私はアデーレさんやリィンさんみたいに姫様をお護りする事は出来ません。それどころかお二人にしてみれば足手纏いになるだけだという事も。

 ……貴族の嗜みとして宮廷剣術を父様より教わっておりますけど、お二方からすればそれこそ子供だましも良いところでしょうから」

 

 積み上げた歳月、密度、くぐり抜けた修羅場の数、帝国内に於いても有数の使い手であり本職の軍人たる二人とエリゼ・シュバルツァーの間には歴然とした差が横たわっている。

 

「私は無力な小娘です、お二人のように皇女殿下のお役に立つことなんて出来ないでしょう」

 

 軍事だけではない。ありとあらゆる分野でエリゼ・シュバルツァーは未だ未熟な子どもに過ぎない。むしろ15歳という年齢を考えればそれが普通だろう。アデーレ・バルフェットやリィン・オズボーンとて15歳と言えば、それぞれようやく初伝を収め中伝に至ろうとしているといった程度のものだったのだから。

 むしろそれからたかだか3年経っただけで、既に歴戦といった風格を纏うリィン・オズボーンが異常過ぎると言うべきだろう。

 

「ですけど、それでも私は姫様の友人です!身の程知らずで状況の深刻さがわかっていない夢見がちな小娘のワガママかもしれない、具体的に何が出来るわけでもありません。だけど、それでも大変な重荷を背負おうとしている友人を少しでも傍で支えてあげたいんです!」

 

 確かな覚悟を宿してエリゼ・シュバルツァーは告げる、そこにあるのはただ大切な友人の力になりたいのだという純粋な思い。

 それは“強さ”という点で言えば、己が手を真っ赤に染めてでも内乱を終わらせるというリィンの鋼の意志には遠く及ばないだろう。

 されどそこに宿る輝きは決して誰にも否定出来ぬものであった。

 

「エリゼ……ありがとう、私と出会ってくれて。私と友達になってくれて、あなたに出会えて本当に良かったわ」

 

 一切の打算のない親友からの掛け値なしの友情、それを聞いてアルフィン皇女は感極まったように涙ぐみながら友人へと抱きつく。一体この世にどれだけ、これほどまでに心より信頼できる親友を持つ事が出来た人物が居るだろうか?ましてや“皇女”というどうしても対等の友人を持つことが難しい自分の立場を思えば、目の前の親友はあらゆる金銀財宝に勝る宝だと、そんな感慨を抱いて。

 

「父様、母様、ごめんなさい。無理を言う娘で。でもそれでも私は……」

 

 どこか、申し訳なさそうな表情を浮かべる娘の様子に夫妻は顔を振って

 

「何を謝る必要がある。むしろ私は今日ほどお前という娘を誇りに思ったことはないぞ、エリゼ。ーーーしっかりと殿下をお支えするのだ、臣下としてではなく、友として。それはきっと他の誰でもない、お前にしか(・・・・・)出来ぬ事なのだから」

 

「……はい!」

 

 誇らしげに背中を押してくれた父の言葉にエリゼは確かな覚悟を宿して頷く。

 心ある人間ならば感動を禁じ得ない美しい光景である。そんな中ただ一人アルティナ・オライオンだけは無感動にその光景を眺めていた。

 彼女にはわからなかった、何故皇女がそれほどまでに彼女が自分に従うと表明した事が嬉しいのか。

 エリゼ・シュバルツァーはこの場において間違いなく最弱だ。リィン・オズボーンとアデーレ・バルフェットという達人の域にある二人は基より、トヴァル・ランドナーなる遊撃士にも、父たるシュバルツァー男爵にも、そして自分にも遠く及ばない。戦いの面では間違いなく足手纏い(・・・・)と呼ばれる人種である事は疑いようがなかった。

 無論アルティナ・オライオンとて単純な武力のみでその人物を全てを推し量る程に愚かではない。だが家柄という点で言えば彼女は一男爵家の令嬢でしかない、政治的に卓越した識見を有しているわけでもない、顔立ちは整っているといって差し支えないが同性である以上、よもや懸想をしているというわけでもあるまい。

 エリゼ・シュバルツァーはこの場において一番味方につけたとしても頼りにならないし、利益に乏しい人物、そのはずだ。当然、亡き宰相の遺児でもあり伯爵家を継ぐ事にもなる上に、精鋭たる北の猟兵1個大隊をああも見事に殲滅してのけたリィン・オズボーンには家柄、実力、実績、あらゆる面で及ぶべくもない。

 だと言うのに何故アルフィン皇女はああも喜色を露にしているのか、友達(・・)等というものを持った事のないアルティナにはとんと理解できなかった。

 

・・・

 

「さて、方針が決まったところで次は具体的にどうやって正規軍と合流するかですよね」

 

 現在革新派と貴族連合は帝国の各地で激戦を繰り広げている。

 合流を目指す相手と場所、それは既に決まっている。

 討伐軍総指揮官であるヴァンダイク元帥と帝国政府臨時代表たるカール・レーグニッツ知事が居る帝国最大の一大拠点ガリレア要塞、その跡地である。方針の対立や距離の遠さによって統制に苦労しているとはいえ、それでもこの二人が現在の討伐軍側の政治と軍事、そのトップである事は疑いようがないし、貴族連合の打倒ではなく内戦の早期終結にこそ重きを置いているこの二人の方針はアルフィンにしても好感を抱けるものだ。

 下手に他のところが“皇族”という錦の御旗を手にしてしまえば、むしろ討伐軍側の分裂を招いてしまうだろう事を思えば、最有力の候補と言えるだろう。だが、此処で一つ大きな問題が存在する。

 それは距離が大きく離れているという点である、ヘイムダルから貴族連合の監視を掻い潜りユミルの地にたどり着くまでおよそ10日を有した。帝国の東端に位置するガレリア要塞までとなれば一ヶ月は見なければならないだろう。これはかなりハイリスクな上にとてもではないが時間がかかり過ぎる。さて一体どうしたものかとアデーレは思案するが、その思索は一瞬で終わることになった。

 

「ああ、それならば問題ありませんよ大尉。騎神には“精霊の道”と呼ばれる道を使える機能が備わっています。これを使えば、このユミルの地から目的地まで一瞬でたどり着く事が出来ますから」

 

「ま、マジですか!?つくづく騎神っていうのはデタラメな存在ですね!?」

 

 涼し気に告げられたリィンの言葉にアデーレは血相を変える。

 それはそうだ、あの紅き翼を以てしても一瞬で突然あらわれる等というわけには流石にいかない。

 高速で空を飛ぶにとどまらず突如としてワープしてくる、機甲部隊1個師団に匹敵する戦術兵器そんなものが存在しては軍略も何もあったものではないのだから。しかしそこで、アデーレはなにかに思い至ったような顔で

 

「アレ?でも騎神にそんな機能が備わっているなら、何で貴族連合の蒼の騎士殿はそれを利用していないんですかね?ガレリア要塞にその精霊の道とやらがつながっているなら、それこそそれを使って奇襲なり何なりしていればいくらヴァンダイク元帥が帝国最高の名将と言えどもどうしようもない気がするんですが?」

 

「ええ、仰る通りです。当然上手い話には裏があるもの、騎神とて万能というわけではありません。この機能を使った場合霊力を使い果たして、最低でも丸1日は稼働出来なくなってしまうんですよ。なので、こうして大人数で移動するときでも無い限りはほとんど無用の長物と言えますね」

 

 実を言えば、本来ガレリア要塞に精霊の道は繋がっていないのだ。

 何故ならば精霊の道とは精霊信仰と所縁のあった場所に繋がっているものなので、本来であれば利用可能なのはユミルにレグラム、ケルディック、ノルド高原、そしてオルディスの五ヶ所のみとなる。

 だがその無理をどうにかする方法が一つだけある、それは莫大な霊力によって強引に道をつなげてしまう事だ。本来であれば蛇口から出るところを強烈な圧力によって配管に穴をこじ開けて出てくるようなものとでも良いのだろうか、兎にも角にも莫大な霊力を使えばそれが可能である事をリィンはヴァリマールへと確認している。

 だが当然裏技のようなものなので騎神の霊力、それだけでは足りない。ならばどうすれば良いか、決まっている騎神だけで足りぬのなら起動者の持つ、霊力それも注ぎ込めば良いのだ。ヴァリマール曰く、霊力とはいわば生命力のような物、それを強引に吸い上げて本来なかった出口を強引に作るとなれば、数年程度寿命が削れる上に、凄まじい激痛が身体を襲うだろう等と言われたが、その程度(・・・・)ならば許容範囲だ。今はとにもかくにも、ヴァンダイク元帥とレーグニッツ知事という討伐軍の指導者二人とアルフィン皇女殿下を引き合わせる事、それを最優先にすべきだろう。

 皇女殿下も核の中に入って頂き、強行突破する事も考えたが、核の中に皇女殿下を入れるとなれば余り無茶な機動が出来ない以上万が一も有り得るし、自分が討伐軍と合流したという情報は双龍橋攻略の直前まで極力伏せておきたいカードだ。故にこそこれが最善(・・・・・)なのだ。

 内戦の終結が一日でも早まれば、それだけ命を落とす事となる将兵も、その死に涙する者たちもそれだけ減る事となる。たかだか自分の寿命数年程度(・・・・・・・・・・・・・)と数千の命、収支はどう考えても圧倒的な+だ。ならば一体どこに躊躇う余地があるだろうか?

 

「そういうわけですので、一度討伐軍へと合流を果たしてしまえば、このユミルへと戻ってくるのはこの内戦が終わってからになるでしょう。

 改めて問いかけさせて頂きます、アルフィン・ライゼ・アルノール皇女殿下、エリゼ・シュバルツァー殿、本当によろしいんですね?」

 

 そしてそんな裏の事情などおくびも出さずに、リィンが改めて口にしたのは覚悟の問いかけだ。

 自分が駆り立てて、重責を担わざるを得なくなったまだ年若い少女達への言葉だった。

 

「「ええ、勿論です」」

 

「結構。そういう事であるのならば、どうか今夜は後悔無きよう、ごゆるりとご家族でお過ごし下さい。ーーーこれが今生の別れとなるかもしれないですから」

 

 あえて、リィンは“死”を意識させる厳しい言葉を告げる。

 何故ならばこれは「内戦」であり、この二人の少女は自らの意志でそこに関わる事を選んだのだからと。

 二人の少女の持つ決意と覚悟の程、それに敬意を抱いたからこそもはやただの庇護対象としては見ないのだ。

 

「ま、そんな事には私が絶対させませんけどね」

 

 そして皇女の騎士はそんな二人を護るのこそが自分の役目なのだと意志を燃やす。

 決してこの二人の少女の高潔な意志が若さゆえの過ち、無謀だったなどと誹られるような事がないようにするのだと……

 

 




ヴァリマール「この起動者、いっつも命削ってんな」


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英雄は鋼の理性で激情を律する存在ですが、決して血の通わぬ冷血な存在ではありません。
むしろ誰よりも世の理不尽に激するような、ある意味では非常に情深い存在と言えるでしょう。


 夜中、シュバルツァー夫人の用意してくれた夕食に舌鼓をうった後、リィンはと言えばやはり全く以て味を感じ取れなかったが、一行は翌日の出立に備えて思い思いの時間を過ごしていた。

 女性陣は鳳翼館の温泉に浸かりに行き、リィンはと言えばアルティナより渡された貴族連合内部の情報へと目を通していた。一介の少尉にすぎない自分が、見て良いのかと問いかけたところ、曰くオズボーン少尉やアランドール大尉、リーヴェルト大尉には見せても問題ないとの指示を予め受けていたとの事である。

 記されている内容はと言えば、よくもまあこれ程まで調べたと感心出来る領域だ。貴族連合の現在の配置、戦力、更には率いる将の為人までが事細かに記されている。ーーーこの情報を齎した人物は貴族連合内に於いてもかなりの高位、戦略方針を決定できるような立場の人物だろう。

 

 何にせよ、これ程の情報を持ってきた以上、アルティナ・オライオンが実は貴族連合の二重スパイという可能性は極めて低いだろう。北の猟兵たかだか1個大隊程度ならば、信用を得るための生贄にするという事も考えられたが、この情報は流石にそのためだけに行うには余りにも貴族連合への痛手が大きすぎる。故にアルティナ・オライオンは白であると、そうリィンは判断を下す。

 全幅の信頼というわけには流石にまだいかないまでも、まずこちらの味方と考えて問題ないだろう。盲目になるのは危険だが、かといって同様に疑心暗鬼にとらわれるのもそれと同様に、いやそれ以上に危険だ。人一人で出来る事などしれている以上、大業を成すにはどうしても他者を信じ、その力を借りる事が必要不可欠なのだから。

 

 そんな思索と共にリィンは猛烈な速度でレポートを書き上げていく。内容は主に騎神の持つ性能とその運用、そして対策手段である。内戦からおよそ一月、正規軍側は機甲兵への対抗戦術は編み出したものの、騎神に関しての性能は恐らく未だほとんど把握していないだろう。現状確認されている騎神の起動者は自分とクロウの二人であり、そのクロウは貴族連合側に就いているのだから。だからこそ、正規軍側に騎神の持つ性能を余さず教えるために、リィンは今夜中に資料を書き上げるつもりであった。先ずはどれほどの性能なのか、それを知らなければ運用も対策もあったものではないのだから。徹夜になることについては一切問題がない、何故ならば今のリィンはもはやほとんど睡眠を必要としない(・・・・・・・・・)のだから。如何なるメカニズムかは不明だが、更に頑強となった肉体は少々疲労したと思えば、休息を一刻ほども取れば再び十全に活動できるまでに回復するのだ。リィンにとっては大変にありがたい事だった。睡眠や休息の必要性はリィンとて当然理解しているが、それでもそれを行っている間どうしても歩みを止めざるを得ないものなのだから。その必要が消え失せ、全てを前進する時間に注ぎ込めるというのは凄まじいアドバンテージだ、活かさない理由が存在しない。

 鳳翼館での入浴も勧められたが、その必要は存在しないだろう。衛生上の問題からシャワー程度は浴びる必要はあるだろうが、長々と入浴して身体を休める必要は今の自分には存在しないのだから。

 

 そんな調子で昼間にアレだけの無理をしていながらもリィンが脇目も振らずに報告書を作り上げていると、コンコンと控え目なノックが聞こえて来て……

 

「オライオン曹長か、特に部屋の鍵はかけていないから入ってくると良い」

 

 気配にて誰かを察知したリィンがそう声を掛けると、アルティナ・オライオンが控えめな様子で部屋へと入ってくるのであった。

 

・・・

 

「夜分遅くにすみません少尉」

 

 訪ねてきたアルティナは湯上がりだからだろうか、そっちの趣味がない人間であってもその気になってしまうのではないかという妙な艶めかしさがあった。

 

「構わんよ。貴官は実に良く働いてくれた、貴官が居なければ北の猟兵の襲撃を受けて、ユミルは恐らく火の海となっていただろうからな。本当に良くやってくれた」

 

 だがその手の欲情をかけらも抱かずにリィンは少女への礼を述べる。

 自分は目の前の少女に信用してほしかったら、それに足る実績を示せと告げた。

 ならば、自分はそれに応えねばならないだろうと。

 

「それが任務です。礼には及びません」

 

「そうか、ならば私の言葉も上官としてのよく働いてくれた部下に対する労いだと思って受け取ってくれれば良いさ。ーーーそれで、わざわざ私のところを訪ねてきて一体どうしたんだ?」

 

「少々お聞きしたい事がございまして……少尉、“友達”とは一体如何なる存在なのでしょうか?」

 

 てっきり何らかの報告でもあるのかと思えば、予想だにしていなかった問いかけを行われリィンは目を丸くする。

 

「皇女殿下は少尉よりもエリゼ・シュバルツァーの自分への助力を喜んでいるように見受けられました。

 ーーー全く以て不可解です、あらゆる分野で少尉の実力は彼女を大きく上回っています。皇女殿下の目的を達成するためにはどう考えても少尉の助力の益する所、彼女のそれよりも大きいはずです。それにも関わらず、何故皇女殿下はアレほどまでに喜んでおられたのでしょうか?」

 

 どこまでも純粋に利益になるかどうかで人間関係を判断するアルティナの言葉にリィンは目の前の少女の歪な育ちを悟る。ーーー目の前の少女、アルティナ・オライオンは酷く極端な育ち方をしているのだろう。今日一日だが見せてもらったその「能力」はまさに情報局員として何ら不足のないものだった、だがその反面精神面が酷く幼い。

 冷静沈着なように見えるその態度、それは自分のように自ら覚悟を定めた人としての意志ではなく、ただ上位者からの与えられた指示の通りに動くだけの人形としてのものなのだとリィンは悟る。それは上にしてみれば都合がいいものだろう、何せ反発する事も裏切る恐れも無く唯々諾々と動く駒なのだから。

 

 故にリィンがそうした駒としてのみアルティナ・オライオンを動かすというのなら、この問いかけを適当にいなせば良いのだが……

 

「ふむ、その前に君自身はどう思う?“友”とは如何なる存在だと思う」

 

 無論の事、この男はそんな事はしない。リィン・オズボーンは“意志”の力を信じている。

 “意志”こそが人を人たらしめるものなのだと、そう思っている。

 どのような物事であると先ずはそれを為そうと思う事から始まるのだから。

 無論、中には自らに“道具”である事を課す者とているだろう、そういう生き方をリィンは否定する気は別段無い。ーーーそもそも国家のための必要悪を担う存在足らんとしている彼が、そういう生き方を否定したら自己矛盾も良いところだろう。

 だがそれでもそう生きる事を自分自身に課したのと、それ以外の生き方を知らないのとでは決定的に違う。

 故にこそ、この人形めいた少女をこのままにして良いはずがないとそう思うのだ。

 ーーー少女の立場を思えば、戦場という地獄に正気にした状態で叩き込むある意味では余程残酷な行為であり、甚だしい偽善なのかもしれないが、それでもやはり人形のままにただ道具として扱う等という事はリィンには出来なかった。

 

 加えて言えば、“オライオン”という名字とその年齢からリィンはどうしても血のつながらぬ妹の存在を想起せずには居られなかった。性格と外見は全く以て似ても似つかないが。

 故にリィンは問いかける、先ずは上の与える答えに安易に飛びつかないように。自立というのは、自分自身で考えること無くして有りえぬ事なのだから。

 

「…………互いにとって益のある存在の事ではないでしょうか?」

 

「では、私とアルフィン皇女殿下は友だと思うか?私が殿下を味方に出来たことの益は今更語るまでもなく、殿下もまた私を味方にする事で憚りながらそれ相応の益を得たと自負しているが。ーーーそもそも君の疑問は殿下の友人であるエリゼ嬢が味方に就く事の益が私よりも客観的に見て少ないように思えるのに、何故殿下が私を味方につけた時よりも喜んでいたのかという疑問から立脚したものだろうに」

 

 故にもう一度ゆっくり考えてみると良いと優しく告げられたリィンの言葉にアルティナは再び思案するが

 

「………………わかりません、私では答えが出せません」

 

 期待に答えられない事で使えない存在だと見られるのではないか、そんな恐怖をわずかに抱いてアルティナ・オライオンは答える。わからない、単に辞書に乗っているように意味合いでなら無論アルティナとて答える事は出来る。だが恐らくそれを言っても、目の前の人は「それは自分自身で考えた答えか?」とまるでカンニングした生徒に釘を刺すような態度で応じるだろうとなんとなくだがアルティナには思えたからこそであった。

 

「そうか、ならばゆっくりと自分自身で(・・・・・)考えてみると良い。別段、これはすぐに答えがわからなければ行けない、決断しなければ死ぬという類のものではないのだからな。

 というわけで悪いが、君の質問に対して答えてやる事は出来んな。自分で(・・・)考えてみろというのが私からの返答になる」

 

「……了解しました」

 

 そう言われれば、アルティナ・オライオンとしてはそう答える他にはない。

 基より今回の質問は自分でも今になって、何故このような質問を目の前の人物にしたのかと疑問に思うような内容であったのだから。

 

「それで、他に何か聞きたい事はあるか?」

 

「……いえ、特には」

 

「そうか、ならばそろそろ寝なさい。子どもには夢を見る時間が必要なのだから」

 

 上官としてではなく妹に接する兄のような優しい笑みを浮かべながら告げられたリィンの言葉にアルティナはどこか落ち着かない様子になりながらも、ペコリと一礼だけして退出するのであった……

 

 

・・・

 

(友とは如何なる存在……か)

 

 友について問われれば、リィンの脳裏に過るのは掛け替えの無い黄金の思い出。

 アンゼリカ・ログナー、ジョルジュ・ノーム、トワ・ハーシェル、そしてクロウ・アームブラストの四人だ。

 友人とは如何なる存在かという問いかけに対して、もしもリィンが答えていたらそれはこうなっただろう、例え敵になったとしても、それでも好感を抱けるような存在だと。

 仲間や同志とは歩む道が同じだからこそ、共有する同じ目的や志があるからこそ仲間であり同志なのだ。

 だが、“友”は違う。例え、道を違えようともやはりその人物が自分の友である事には変わりないのだ。

 例え立場が違っても、道が別れたとしても、それでも生涯付き合う事になる存在、時に喧嘩してそれでもやはりどこか気になって、時折どうしているのかと近況が気になり、ふと会ってみたくなるそんな存在。

 あくまでリィンの答えになるが、それがリィンの考える“友”だ。

 

 そう、だからこそクロウ・アームブラストはやはり自分にとって未だ“友”なのだ。

 自分の父がクロウの祖父を破滅に追いやった、そしてクロウは自分の父を殺した。それでもやはり、自分たちが語り合ったあの時間は決して嘘などではなかったのだと、冷静になった今ではそう思える。

 だからこそ自分はあいつを超え(ころさ)なければならない。何故ならば、クロウ・アームブラストこそがリィン・オズボーンにとっての最大にして唯一無二の“宿敵(親友)”なのだから。

 無論、激突を避ける事は出来る。それはクロウがカイエン公を見限れば良いのだ。

 帝国解放戦線はザクセン鉱山で壊滅したというのが帝国政府の公式発表だ、政府がこれを覆して実はリーダーのCを取り逃がして居ましたとわざわざ発表しても政府の威信を傷つけるだけで、益する所は少ない。

 故に、蒼の騎神を駆る蒼の騎士クロウ・アームブラストの表向きの立場はあくまでジュライ出身のカイエン公の子飼いの部下とそういう立場だ。

 無論、宰相暗殺の実行犯という罪が彼にはあるが、それでも蒼の騎神の力は内戦によって国力を大きく削がれた帝国にとっては非情に魅力的なものだ。

 故に、もしもクロウが、カイエン公を見捨てて帝国に絶対の忠誠を誓うのだとすれば、超法規的措置として彼のその罪が許される可能性は十分に在るだろう。ーーーそれこそ、自分が擁護しても良い。

 だがリィンの中にはクロウがその道を選ぶ事は無いだろうという確信があった。

 

 何故ならば内乱が終わった後に、待っているのは帝国の総力を結集したクロスベルへの併合、あるいはクロスベルを併合した共和国との戦争なのだから。これは国防上、避けては通れぬ必然だ。そも、父が撃たれたあの演説はそのために行われたものだったのだから。ガレリア要塞という盾を消失して、更には“内戦”という悲劇によって国が分断された帝国を再び一つに纏めるには圧倒的な“勝利”こそが必要なのは疑いようがなかった。

 そして、クロウ・アームブラストはそういった事に加担する事、大国が自らのエゴのために小国を蹂躙するという類を毛嫌いして憎んでいる事は疑いようがない。まず間違いなく、あの男は命惜しさに帝国に忠誠を誓う等という事はすまい。

 

 だからこそ、あいつを殺すとするならばそれは自分だ。

 私情と誹りを受けようがこればかりは誰にも譲る気はない、クロウ・アームブラストは自分の獲物なのだから。

 自分が憧れた父を超えた(殺した)“過去”よりの“復讐者”にして自分にとっての最大の“宿敵(親友)”、それを超えて(殺して)ようやく自分は父を超えるのだとそう高らかに宣言できるだろう。

 “過去”へと決着をつけて“未来”へと歩みを進める事が出来るのだと、リィンは戦意を滾らせる。

 そうしてしばらく宿敵との決戦を夢見て居たが、そんな自分を諌めるように軽く首を振る。

 余りにも気がはやりすぎだろう、物事には順序というもがあるのだからと。

 そして逸る気持ちを抑えて再び、今なすべき事、書類の作成へと没頭しだす。

 

 少女が眠りにつき夢を見ている間も、“英雄”は決して止まる事無く進み続けていた……

 

 




ちなみに今のオズボーン君は性欲もほとんど消えています。
故にどれだけ恋人のトワちゃんが過激な衣装で誘惑してもほとんど効果がないという哀しい結果に終わります。


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鉄と血の論理

基本作者の軍事やら経済やら政治やらの知識はガバガバですので
多分ツッコミどころ満載だと思いますが、これはフィクションですの生暖かい精神で見守って下さい。


 ガレリア要塞の跡地、討伐軍側の拠点たるその臨時の司令室の一角で討伐軍の指導者達は深刻な表情で顔を突き合わせていた。居合わせているのは何れも高位の軍人ばかりで、ペーペーの少尉等がそこに入ればすぐにでも緊張で身体を硬直させるような面々であった。

 

「……以上から、物資の欠乏は既に無視し得ぬ領域にまで達しつつあります。これ以上、手をこまねいていては敗北の縁へと転がっていく事は疑いようがありません。早急に双龍橋を落とす必要があるかと」

 

 眼鏡をかけた如何にもキレ者と言った風貌を有する、作戦参謀ブルーノ・ゾンバルト少佐は一刻も早い全面攻勢に打って出るべきだと主張する。彼が淡々と読み上げた討伐軍側の窮状は、余計な虚飾等が一切されていないだけにより一層事態の深刻さをその場に居合わせた者たちに実感させるものであった。

 

 

 

 ガレリア要塞。

 それはエレボニア帝国が東よりの脅威に対抗するために作り上げた帝国の有する最大の拠点であった。そこには本来であれば、年単位で数個師団が戦い抜く事が出来るだけの備蓄が存在していたはずだった。

 しかし、クロスベルの神機の襲撃によって要塞と同時にそこに備蓄していた大量の物資も消滅させられてしまったのだ。そして東部の要衝たる双龍橋を貴族連合に抑えられてしまっている事で現在、討伐軍側は徐々にではあるが、着実に追い詰められつつあった。このまま戦線の膠着が続けば、物資に欠乏をきたし始めているこちらが音を上げる事になるのは火を見るよりも明らかであった。

 故にそうなる前に、物資が欠乏して攻勢にさえ出られなくなる前に東部の要衝たる双龍橋を落とさなければならないのだ。

 

「加えて言うのならば、将兵の士気の低下も無視し得ぬ状況にありますな。ーーー大義は我らに在るとは言え、やはり皇帝陛下と皇太子殿下を敵にしてしまっているというのが大きいかと」

 

 重々しく吐かれたオーラフ・クレイグ中将の言葉に一同は嘆息する。

 千年にも渡りこの国に君臨し続けた帝室の権威は絶大だ、獅子戦役の時のように皇位継承者を持つもの、ひいてはそれを旗印にした貴族同士の抗争はこれまでもこの国には幾度となく存在したが、それでも帝室それ自体を排そうとしたものは現れた事がない。

 それはそれだけ帝室を排除した際の民衆からの反発が大きく、統治の上で不利益が大きいからだ。反乱を起こす際にも大体の場合は「君側の奸」を討つという形で、自分が起ったのは決して皇帝陛下への不忠によるものではなく、総ては陛下を誑かし国政を壟断する奸臣を討つためであるといった方向になるのが通例だ。ーーー実際討伐軍もそうした大義を掲げて戦っているのだが。

 

 そう、これは奸臣クロワール・ド・カイエンを討ち、囚われの皇帝陛下と皇太子殿下を救出して“正義”の戦いである、そう彼らは信じているし、将兵に信じさせているし、将兵もまたそれを信じている。

 されど、それでも心の底にどうしても過る不安が存在する。自分たちは皇帝陛下に剣を向けてしまっているのではないか、何かとんでもない過ちを実はしてしまっているのではないかというそんな不安が、どうしても。

 こればかりはどれほどウォルフガング・ヴァンダイクが名将であり、カール・レーグニッツが優れた誠実な指導者であっても拭いきれるものではない。将兵のこの不安を拭い去るには、“権威”が、アルノールの血を引く者の言葉こそが必要なのだ。

 ーーーあるいは、そんな不安さえも吹き飛ばすだけの強烈な指導力を持つ“カリスマ”たる鉄血宰相が存在すれば、その必要もなかったかもしれないが、彼は既にこの世に居ない。

 

「……やはり、オリヴァルト殿下には我らの旗頭となって頂きたかったですな」

 

 嘆息したようにゾンバルト少佐は告げる。多少強引(・・・・)にでも説得(・・)して皇族を討伐軍へと引き入れるべきであったと。

 そう告げたゾンバルト少佐の言葉にその場に居合わせた将官達もまたどこか苦々しい表情を浮かべる。皇族という旗印の居ない状態での部下の統率と士気の維持の困難さ、それを実感しているだけに。

 

「……殿下は決して皇族としての責務を放棄されたわけではない、“内戦”において仲介を行う事のできる第三勢力の存在の重要性は貴官にも理解できるだろう?」

 

「確かに大変ご立派で高潔なご判断かとは思います。ーーー最も殿下のその高潔な理想を成就させるにはまずはカイエン公を除かねばならず、そのためには我々(・・)が血を流す必要があるわけですが」

 

 政治家であり、オリビエの意図が理解できるレーグニッツ知事の嗜めるかのように告げられた言葉に、淡々と応じるその言葉にはどこか所詮は夢見がちな皇子様(・・・・・・・・)かと嘲弄するような色が多分に込められたものだ。

 ブルーノ・ゾンバルト少佐は参謀本部所属の英才だ。中央士官学院を主席で卒業した彼はその才幹を遺憾なく発揮して、27という若さで少佐まで昇進しており、その能力は折り紙つきである。ただ、歯に衣着せるという行為を母の胎内に置き去りにしたようなその言動は、非常に冷たく刺々しく感じるものであり、誰もが否定し得ないだけの才幹を有するが故に逆に忌避を買うと言った人物であった。

 そして代々軍人の家庭で生まれ育ち、軍という鋼鉄の暴力機構を回す歯車たる事を幼い頃より己に課してきた彼にしてみれば、「国の安寧は鉄と血によるべし」という亡き宰相の方針にこそ深い共感を覚えており、オリヴァルト・ライゼ・アルノールの掲げる国際融和等という理想は、所詮は自らの手を汚す覚悟もない世間知らずのお坊ちゃんの綺麗事にしか思えなかったのだ。

 その対話のテーブルに着かせるまでに一体、誰が血を流すと思っているのか。言葉によって“逆賊”クロワール・ド・カイエンを、大罪人ディーター・クロイスを止められるものならすぐさまやってみるが良い、そんな事が出来るというのならすぐにでも自分の非を認めて全面的に支持しようではないかと。結局の所、どちらに転んでも問題ない安全圏に身を起きながら、耳障りの良い綺麗事を吐いているだけではないかと。

 皇子という権威を有する身であり、紅き翼という力を有しながら、日和見(・・・)の第三勢力等に身を置いている放蕩皇子(・・・・)等彼にとって見れば甚だ無責任で柔弱な人物にしか映らなかったのだ。

 

「そこまでだ、ゾンバルト少佐。貴官の役割は殿下への不満を漏らすことか?今一度自身の為すべき職責についてよく考えてみると良い」

 

「……失礼いたしました」

 

 有無を言わさぬ威厳を以て告げられた上官たるヴァンダイク元帥の言葉にゾンバルトは自らの軽挙を恥じ入るかのように頬を染めて押し黙る。

 彼は鉄と血の論理こそを支持している、故にこそ軍属としての経験のない者の言葉を軽視する傾向があったが、反面それを体現する戦歴を持つ人物からの言葉にはきちんと耳を傾ける。

 当然、上官であり“軍神”と謳われる歴戦の宿将ウォルフガング・ヴァンダイクの言葉等もはや神からの啓示にさえ等しい、すぐさま私情が多分に入り混じった自らの発言を反省するのであった。

 

「まあ確かに、オリヴァルト殿下が我々の味方になってくれていればそれは有難い事でしたが、ないものねだりをしてもしょうがないでしょう。我々軍人は何時だとて政治によって決定された状況下で最善を尽くすのみです。

 ないものねだりが叶うというのなら、それこそ敵の六倍の戦力が用意されて、更には補給が完全に行われており、戦場の選定もこちらが決める事が出来る等というまず負けないという状況で自由に戦えればそれが一番ですからなぁ」

 

 血気盛んな部下を嗜めるかのように告げられた、その言葉はゾンバルト少佐とは正反対の温かさに満ち溢れたものであった。熊のような大柄な肉体から想像される印象とは裏腹に、愛嬌に満ちた笑顔を浮かべながら告げたのはゾンバルト少佐と同じく帝国軍参謀本部所属のエミール・ローレンツ中佐だ。

 ローレンツ中佐はこの年、45歳にもなる人物で優秀だが刺々しいゾンバルト少佐とは裏腹に能力的には、あくまで参謀本部に集って佐官にまでなるような英才達の中でという話になるが、凡庸な人物であったが溢れんばかりの愛嬌を有しており、居るだけで場の空気が和む事になるという如何なる組織でも重宝される貴重な資質を有する人物であった。

 

 彼らは両名とも貴族連合の帝都占領によって参謀本部の主だった面々が拘束される中、辛くも帝都からの脱出に成功した参謀達の中でただ二人だけの佐官であったために、総司令官たるヴァンダイクの補佐役として抜擢された人物だ。

 どれほど優れた司令官であっても、補佐となる幕僚なしでは十全にその能力を発揮できない。しかし、その頭脳を供給する参謀本部を抑えられて居る状況の上に、各機甲師団よりその頭脳を引き抜いては今度は引き抜かれた側が困る、それ故の処置であった。

 

「うむ、それに殿下には、いや“紅き翼”には卑劣にも貴族連合が利用しようとした民間人を救出して頂いている。これ以上望むのは些かに欲張り過ぎというものだろう」

 

 リィンの養父でも在る第四機甲師団司令官を務めるオーラフ・クレイグ中将のその言葉に、居合わせた将官達は賛意を示していく。

 帝都を占領した貴族連合は卑劣にも、帝都に存在するオーラフ・クレイグの娘であるフィオナ・クレイグを筆頭に正規軍の重鎮の家族を人質に取ろうとした。しかし、護送中に民間人保護を掲げる紅き翼によってそれは阻止され、現在はそのまま紅き翼によって保護されている。

 正直、中立を掲げる第三勢力としてはかなり危うい行動ではあったものの、流石に民間人を人質に取ろうとしていた等というのは貴族連合にとっても外聞が悪かったのだろう、現場の指揮官による独断行動として処理されて、総参謀を務めるルーファス・アルバレア卿が「こちらの不始末を片付けてくれた事、オリヴァルト殿下には誠に感謝の念が耐えません」と謝意を示した事で事なきを得ている。

 そんなわけで、家族を助けられたという恩義のある彼らにしてみると、紅き翼は恩人であり、基本的に好意的に捉えていた。ーーーゾンバルトに言わせれば、民衆受けの良い人気取りだけが達者な連中だとなるのだが、流石にヴァンダイク元帥に窘められた直後にそのような事を言う程に彼は考えなしではなかった。

 

「話を戻すとしよう、貴官の提案には確かに理がある。このまま手をこまねいていても、我らはジリ貧だ。故に一気に攻勢に出て、双龍橋を落とすべきだという方針には私としても異存はない」

 

 ゾンバルトらが練り上げた作戦案の大まかな方針はこうだ、まずは双龍橋を手薄にするために各機甲師団で一気に攻勢に出る。そしてそれに対応するために機甲部隊が出払ったところを狙い、鉄道憲兵隊を筆頭に選りすぐりの精鋭たちを載せた空挺部隊によって双龍橋を襲撃し、これを占拠する。そして双龍橋以西より分断された以東に位置する貴族連合の部隊には降伏を促す。これが大まかな方針だ。

 

「はい、閣下。既に双龍橋の内部構造については情報局のアランドール特務大尉が入手したものがあります。これを用いれば、占拠を十分に可能なはずです」

 

「ーーーええ、そのはずだったんですがどうやらちょっと風向きが変わって来てしまいましてね」

 

 意気揚々と自信を以て作戦案の説明を行うゾンバルト少佐、それの腰をおるかのようなタイミングで渦中の人物たるレクター・アランドール大尉が姿を現す。流石に礼節を保っているものの、その姿はどこか飄々とした様子でそれがどうにもゾンバルトの癪に触る。

 

「どういう事だ、アランドール大尉」

 

「どうやら貴族連合の総参謀殿は中々のキレ者のご様子で、こちらの意図をお見通しのようです。

 ーーー双龍橋の守備に機甲兵の部隊が1個大隊、更にはカイエン公が雇った《赤い星座》が加わったようです。不幸中の幸いで、団長たるシグムント・オルランドは不在のようですが」

 

「機甲兵を1個大隊だと馬鹿な、一体どこにそんな余力があった!!!」

 

 部隊を動かすというのはそう簡単なものではない、現在東部戦線は完全な膠着状態にあり、下手にどこかの戦線の部隊を動かせば一気にそこが崩れだすという危ういバランスによって成り立っている。機甲兵1個大隊もの戦力を割く余裕などあるはずがないのだ、少なくともゾンバルトらが精査した限りではそのはずであった。

 

「アルバレア公を説得されたようで、バリアハートの守備に割いていた部隊を双龍橋に回したようです」

 

 州都を護る守備隊、それを割いてまで勝負に打って出てきたのだと伝えるレクターの言葉に一同は苦虫を噛み潰したかのような表情を浮かべる。

 言うだけならば簡単だが、州都の守備隊を回すとなればバリアハートに住まう貴族達、何よりもアルバレア公からはかなりの反発があったはずだ。

 それを説き伏せる事はアルバレア公と主導権を巡って対立しているカイエン公には極めて困難であり、総参謀を務めるルーファス卿もまた貴族の嫡男として当主の意向を忖度せざるを得ないと、そう踏んでいたのだが……

 

「なるほど、此処が勝負どころだと判断したというわけですか。いやはや、否になるほどやり手ですなぁルーファス卿は」

 

 事此処に至ってルーファス・アルバレアはアルバレア家嫡男としての役目よりも貴族連合総参謀としての役目を優先したようだ。誠に以て素晴らしい人物だと称賛に値する行為だろう、味方であるならばだが。

 

「……とはいえ、こちらにはそのような援軍の当てはない。いや、むしろどの戦線も苦境にある以上、時間が経つほどに敵の方へと増援が来る可能性が高い」

 

 状況は極めて正規軍の不利へと傾きつつある。

 西部戦線は蒼の騎神とオーレリア将軍とウォレス将軍、そして蒼の騎士の活躍によって大きく貴族連合へと傾きつつあり、北部に位置する第七機甲師団と第三機甲師団もまた苦境にある。

 このまま行けば、正規軍が敗亡の縁へと転がり落ちていく事は疑いようがない。されど、状況を打開するための光明が全く以て見えなかった。

 もはや、一か八かの死力頼みの博打へと打って出るしかないかとヴァンダイクが総司令官としての決断を下そうとしたその時、血相を変えた様子で鉄道憲兵隊の隊員が入室してきて、訝しがる一行にその隊員は喜色を露にして

 

「皇女殿下です!アルフィン皇女殿下が、そしてオズボーン少尉がこちらへの合流を願い出ております!至急、ヴァンダイク元帥閣下とレーグニッツ臨時代表へとお会いしたいとの事です!!!」

 

 事態を打開する切り札の到着を告げるのであった……

 




中立って持て囃されるけど戦っている当時者からすると日和見しやがって!と思われるリスクも当然存在するんですよね。
民間人保護を第一とする遊撃士ムーヴは「人気取り」が達者な連中として良く思っていない軍人も多いって事は空の頃から描写されていますし。

ゾンバルト少佐はリィン・オズボーンのあり得た一つの可能性です。
此処まであからさまではないにしろ、中央士官学院へとオズボーン君が進んでいた場合は彼のような優秀だけど、それが余計に苛立ちを助長する鼻持ちならないタイプになっていた可能性が存在します。

だが奴は弾けた。


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かくして英雄は再び舞台へと上がる

お気づきかと思いますが、ゾンバルト少佐は今後も結構出番のあるオリキャラです。
ポジション的には灰色の騎士の忠実な腹心の一人って感じですね。


 行方不明であったアルフィン・ライゼ・アルノール皇女殿下とリィン・オズボーン少尉が合流を願い出ている、その報を聞いた瞬間に居合わせた面々に明るい色が指す。

 アルフィン皇女が味方になってくれる事の利はいまさら説明する必要もなく、更に灰の騎神の使い手である宰相の遺児の帝都での奮戦もまたこの場にいる者たちにとっては広く知られている事だ。

 将兵の士気の低下、敵の増援として現れた機甲兵部隊をどうするかという戦力的な面、それらが一挙に解消されるのだから、まさに闇の中に刺した一筋の光明と言えるだろう。

 

「リィンが!……ゴホン、オズボーン少尉が現れたというのは本当かね!?」

 

 喜色を露に告げるのはリィンの養父でもあるオーラフ・クレイグ中将だ。何せ彼にしてみれば一ヶ月もの間行方不明だった義息子が無事であったという報告なのだ、喜ぶなという方が無理だろう。

 

「はは……見計らったようなタイミングで現れやがって、それもアルフィン皇女なんてとんでもねぇ手土産まで用意してくるとはな」

 

 一瞬、余りにも出来すぎている(・・・・・・・・・・・)ように、まるでリィン・オズボーンを“英雄”へと押し上げるために誰かが仕組んでいる(・・・・・・・・・)のではないかと

 そんな予感をレクターはわずかばかり覚えたが、義弟の生存という喜びがその疑念を吹き飛ばし、彼もまた素直でない口調でその生存を喜ぶ。

 今頃、過保護な義姉など喜びの余りに泣き出して義弟を困らせているのではないかと思いながら。

 

「しかし……一ヶ月もの間一体何をしていたのでしょうな」

 

 そんな喜びに水を差す用にゾンバルト少佐は告げる。その言葉は言外にもっと早くに合流していれば、ここまで苦境に立たされていなかったはずだという苛立ちの込められたものだ。

 

「ふむ、皇女殿下とめくるめく逃避行を行っていた若き騎士等と、帝国時報辺りが嗅ぎつけたら中々に厄介な事になるかもしれませんなぁ。おっとこれは流石に不敬が過ぎる発言でしたな、どうか忘れて頂きたく」

 

 しかし、それも一瞬。頭をかいて誤魔化すローレンツ中佐の言葉に口々にその場に居合わせた面々は笑いながら「気をつけたまえ」と口にしていき、場は再び和やかな空気へとなりだす。

 

「失礼します、アルフィン皇女殿下をお連れしました」

 

 そして待ちかねた救世主の到来を告げる言葉にレクターは違和感を覚える。

 声の主、それはレクターもよく知る人物、義姉弟にしてリィン・オズボーンを溺愛して止まぬクレアのものだ。

 だが、その声がどうにも落ち着かないように聞こえるのは自分の気のせいだろうか。それは感極まって泣いているためとかではなく、もっと別次元の……

 

「おお、これはアルフィン皇女殿下!よくぞご無事で!!!」

 

 そんなレクターの思索を打ち切るように、現れた人物に居合わせた者たちは歓喜の表情を浮かべる。

 討伐軍が欲して止まなかったアルノールの血を引く、この国の至宝とまで謳われる可憐なる姫君アルフィン・ライゼ・アルノールがその姿を現したのだ。

 

「お久しぶりです、知事閣下。元帥閣下も。お二方もご無事で何よりでしたわ」

 

「誠にもったいなきお言葉。皇女殿下こそ本当にご無事で在らせられた事、改めて女神に感謝したいところです」

 

「ふふふ、それに関しては私の頼もしい騎士であるこちらのアデーレ大尉、そしてオズボーン少尉のおかげですわ」

 

 誇るように告げられた言葉と共に傍に控えたアデーレ大尉は誇るように胸を張る。

 そうしてもう一人の方にと目をやろうとした瞬間に一同の頭に疑問が過る、肝心の人物が姿を見せて居ないからだ。

 

「……リーヴェルト大尉、件のオズボーン少尉は一体どうしたのだ?」

 

「少尉は、その、現在医務室にて治療を受けて貰っています。どうやら此処に来るために随分と無茶をしたようでして、彼の纏う軍服が彼の吐き出した血で真っ赤に染まっていましたので」

 

 本人は医務室での治療など要らない、少し時間を貰えば放って置いても治る等と言い放っていたが、そんな事が常識的に考えて(・・・・・・・)あるはずがないのだ。

 ただの強がりであるとそう判断したクレアは、どこか超常的な雰囲気を纏うようになりまるで別人のようになった義弟をすぐさま医務室へと叩き込ませた。

 軍医より、問題ないとの判断を貰うまでは医務室から出てはならない、これは大尉(・・)としての少尉(・・)に対する命令(・・)であると、そう告げて。

 

 

「出席出来ない代わりにと、少尉から預かっている資料があります。貴族連合の蒼の騎士、そして少尉の操る“騎神”の性能と運用に関して少尉が纏めた資料。

 そして、情報局所属のアルティナ・オライオン軍曹が貴族連合に居る協力者より入手した情報の載った資料です」

 

 その言葉と共にリィンが徹夜して作った資料が会議の出席者へと配られる。

 討伐軍にとってはまさに値千金の情報であり、今にも読み進めたいところではあったが、それよりも先ずはアルフィン皇女への応対、それが先であった。

 

「して皇女殿下、我らへの合流を願い出ているという事でしたが……」

 

「はい、元帥。この内戦を終わらせるために、貴方方の力を私に(・・)貸して欲しいのです」

 

 凛とした様子で、覚悟の込められたその発言に思わず一同は瞠目する。

 力を貸して欲しいと、確かにそう彼女は言った。この内戦を終わらせるためにと。

 それは、すなわち……

 

「……それはつまり、我ら討伐軍の旗頭になって頂けると、そのような認識でよろしいのでしょうか」

 

「ええ、元帥の認識に一切の相違はありません。貴方方が帝国軍人としての役目を果たすのならば、私もまたアルノールの血を引く者としての役目を果たします」

 

 それは討伐軍側にとっては想定外のされど願ってもない申し出であった。

 正直に言えば、討伐軍の面々はアルフィン皇女に対してオリヴァルト皇子程の期待はしていなかった。

 皇族に対する敬意は無論の事持ち合わせている、しかしそれでも彼女は未だ若い15歳の少女だ。

 トールズ士官学院という歴とした士官学校を卒業している彼女の兄とは異なり、軍事や政治への造詣が明るいとも決して言えない。

 当然将兵の命を背負う覚悟等まだ出来ては居ないだろうというのが彼らの共通認識だった。

 

 故に彼女を引き込もうと考えていた者達は、多少強引な説得が必要になるだろうと踏んでいたし、

 あくまで皇女殿下の意志を尊重するつもりであった者達は紅き翼と連絡を取り、彼女を保護してもらうべきではないかと考えていた。

 しかし、アルフィン・ライゼ・アルノールの告げた言葉、その場に居合わせた者たちの予想を超えていた。

 

「それで、如何でしょうか?私、アルフィン・ライゼ・アルノールは貴方方が掲げる御旗に相応しい存在でしょうか?」

 

「「「「「我らが忠誠と剣を皇女殿下に!」」」」」

 

 どこか悪戯っぽく問いかけられたアルフィンの問いにその場に居た者たちは一斉に起立して最敬礼を施す。

 それは儀礼的なものではない、心よりの敬意が込められて行われたものであった。

 

「……その忠誠と献身に心よりの感謝を。奸臣クロワール・ド・カイエンを討ち、この国に秩序と安寧を取り戻すまで、その剣を皇帝陛下に代わり私、アルフィン・ライゼ・アルノールが預かります」

 

「「「「「イエス、ユアハイネス!」」」」」

 

 帝国軍人としての誇り、自分がエレボニア人である事の誇り、素晴らしき主君に剣を捧げられる喜びが列席者の心を満たす。そうして高揚した心と共に会議を再開しようとしたタイミングで、ノックをする音が響き

 

「失礼致します。リィン・オズボーン少尉が来ております、ムライ軍医の了承を得たので、至急会議へと出席させて頂きたいとのことですが?」

 

「な……!?」

 

 告げられた言葉にクレア・リーヴェルトは驚愕する。

 嘘だ、そんな事があり得るはずがない。口からだけではなく、それこそ身体中から血が吹き出たようなあの有様はどう見ても、数日間は静養が必要な重症だったはずだ。

 それにも関わらず、軍医が許可を出すなどそんなのに有り得るはずがと。

 

「なんだ、一体どれほどの重症かと思ったが、どうやら大した事はなかったようだな」

 

「いやはや、これで一安心というものですな」

 

「しかし、リーヴェルト大尉は少尉の姉代わりだとは聞いていたが、少々過保護過ぎるのではないのかね?公私混同は感心出来んぞ」

 

「まあまあ、一ヶ月も行方知らずとなっていたのです。多少過保護になるのは止む得ない事でしょう」

 

 そして、直接リィンがどんな有様だったかを見ていなかった出席者達はクレアの過保護さと捉える。

 パッと見如何にも酷いように見えたが、専門家が見てみると実は大した事がなかったという過保護な母親等がやりがちなミスだったのだと。

 アルフィン・ライゼ・アルノールもまた自身がそういった分野に疎い事は知っているために、実は大した傷ではなかったが自分にそれに気づかなかっただけだと捉える。

 ただ、アデーレ・バルフェットはクレアと同様に疑問を抱く。アレはクレアの過保護だとかそういう次元の物ではなかったはずだと。

 和やかな空気になる列席者と訝しがるクレアとアデーレ、そんな空気の中、その男は姿を現した。

 

 

 

「……宰相閣下?」

 

 衝撃により、齎された静寂、それを破るようにポツリと声を思わず漏らした後にレーグニッツ知事は否違うと頭を振る。

 確かに似ている、その瞳の中に宿した覇気は盟友たる亡き宰相を確かに彷彿とさせるものだった。

 だが同時に目の前の人物はどこか、高貴さを漂わせていた。それこそ纏う衣服が違えば、思わず皇族なのではないかと思うほどの。

 纏う風格はまさに歴戦の将軍のようでもあり、それこそこの国を統べる至尊の座にある御方ではないかとさえ錯覚するようなものであった。

 誰もが視線を釘付けにされる、一体これは誰(・・・・)なのだと。

 

「リィン・オズボーン少尉、参りました。一ヶ月もの遅参、弁明の仕様もございません。どのような罰も受ける所存です」

 

 そしてそんな一同を余所に現れた人物は少尉等という甚だ不釣り合いな階級を名乗る。

 帝国元帥を名乗ってもおかしくないようなこの風格を纏う人物が少尉?士官学校出たての若僧だと?そんな馬鹿な事があるかと、冗談のような気分にその場の者達は陥る。

 

 養父であるオーラフ・クレイグもまた呆気に取られる。

 男子三日会わざれば刮目して見よとは言う、だがこれは余りにも変わり過ぎだと。

 今年の学院祭は情勢が切迫していたのもあって、行けなかったがために最後に会ったのは一年近く前の正月の時になる。

 この一年の間にどれほど頼もしくなったかは、部下であるナイトハルトからも聞いていた。

 皇女殿下を救出してのけた事、大陸最強との異名を持つかの赤い星座の大隊長と分ける程の使い手となった事も、正直末恐ろしい(・・・・・)程の成長速度だと、そう評していた事を。

 だがこれはもはや末恐ろしいのではない、すでに十分に恐ろしいのだ。

 一体この威風堂々とした姿を前に、誰か士官学校を卒業したての新米少尉だなどと思うだろうか?

 階級章がなければ、閣下はどうやら冗談の才能の分も軍才へと注がれたのでしょうな、等とローレンツ中佐が揶揄しかねない。

 義息子の生存を喜ぶ確かな気持ちがオーラフの中にはある、だがそれを上回る疑問が今、彼の頭の中を満たしていた。

 目の前の人物は本当に自分の義息子(・・・・・・・・・)なのかと?

 

 ウォルフガング・ヴァンダイクは驚愕していた。

 彼の心を満たすもの、それは自分はかつてこれと同じ(・・・・・)ものを見たことが在る、そんな既視感だ。

 教え子であったリィン・オズボーンの変貌、それはかつて自分の部下でもあった彼の父ギリアス・オズボーンに起きたそれと極めて酷似していた。

 かつて自分の部下であった頃、正規軍准将であった頃のギリアス・オズボーンは極めて優秀で素晴らしい軍人だった。しかし、同時にそれでもあくまで卓越した素晴らしい軍人、その域を出る事はなかった。

 それが、襲撃事件によって妻を失った事で文字通り人が変わった。それこそ人という種を超越でもしたような、“怪物”と畏怖されるような存在へと。

 また自分は止められなかったのではないか、そんな想いがヴァンダイクの心へと過る。

 

 ブルーノ・ゾンバルト少佐は狂喜していた。

 

違う。目の前の人物は自分のようなただの秀才(・・・・・)とは別格だ(・・・)、そんな想いが心を満たす。彼がそう思ったのは、実にこれが二度目(・・・)であった。

 ブルーノ・ゾンバルトは優秀な男だった。彼の優れた頭は教えられたことをすぐ覚えた。身体もまた病気とは無縁の健康そのものであった。幼少期から当然のように一番を取り続けていた彼は、軍人である父から英才教育を施されていた事も相まって、帝国全土から英才が集う中央士官学院でも当然のように三年間首席を維持し続けた。

 そんな才覚を鼻にかけるようなところはあったものの、彼は決して悪逆な人物ではなかった。

 むしろ、その逆、彼は何よりもそういった世に存在する“悪徳”を憎んだ。

 彼の父は優秀な軍人だった、清廉潔白で高潔で不正に手を染める等決してあり得ず、祖国を愛し、部下から慕われる、「我ら軍人は祖国とそこに住まう民を護るためにこそ存在するのだ」そう自分に常々言い聞かせていた自慢の父だった。

 彼にとっての転機、それは13年前の《百日戦役》だった。その戦いで第十一機甲師団において副司令官を努めていた、彼の父は還らぬ人となった。それ自体はまだ良かった。哀しくはあれど、軍人の習いだ。父も母も、そして自分も覚悟していた事だった。

 だが、祖国のために散った父を、本来歓呼の声で迎えられるはずだった父に対して父が護ろうとした祖国の民は罵声を以て報いた。第十一機甲師団、それが壊滅する事になったのはどうも副司令官であった父が采配ミスをしたためだと、そんな記事が載ったからだ。

 ふざけるなと叫びたかった。何故軍事について満足に学んだこともない、貴様らがそんな事を言えるのだ!と安全圏に身を起きながら好き勝手な事を抜かす者たちに激しい怒りを覚えた。

 彼は父を擁護するために必死になって父の部下から話を聞いた、何故父が死ぬ事になったのかと。果たして父の死の原因は本当に父の采配ミスだったのか、それを確かめるために。

 そうして調べ上げる内に気づたのだ、父が死んだ原因、それは副司令官であった父ではなく司令官を努めていた男の采配ミスによるもので、父はその尻拭いをさせられたのだと。それにも関わらず父の原因とされた理由は唯一つ、父が平民であり、司令官の男はアルバレア公爵家とも縁深い伯爵家の出身だったからだ。

 激しい怒りと憎悪を以て、彼は父を擁護するレポートを書き上げて、各新聞社へと送った。しかし、そんな彼の努力は全く以て実らなかった。件の伯爵家が裏から手を回していたのだった。

 

 何もかもが憎かった。父へと罪を押し付けた貴族も、そんな貴族に屈している帝国社会も、良いように踊らされている民衆も、麒麟児等と持て囃されようと何も出来ない無力な自分も総て。

 そんな中、その人物は現れた。平民出でありながら、皇帝陛下より抜擢されて史上初の宰相となった男、鉄血宰相ギリアス・オズボーン。

 彼は瞬く間に帝国を変えていった。貴族の特権と横暴、それらを排し、貴族と平民の別なく能力のある者が取り立てられる公正な社会へと変えていったのだ。

 彼が宰相についてから程なく、ゾンバルトの父の名誉は回復された。百日戦役に置いて何故敗れる事になったのか、その検証を貴族勢力への配慮や忖度など一切なしに徹底的に行ったからだ(・・・・・・・・・・)

 ゾンバルトは歓喜した。正義はやはりこの世にあったのだと、そう涙を流しながら父の名誉を回復してくれた偉大なる宰相へと深く感謝した。

 

 彼に新たな目標が生まれた。軍人となり、この偉大なる宰相閣下の手足となり、宰相閣下が作り上げる公正な社会、それを作り上げるための一翼を担うのだと、そう決意した。

 そうして当然のように士官学院を首席で卒業したゾンバルトの目の前に彼は現れた。帝国政府代表として、士官学院の卒業生の激励へと来たのだ。

 違う。目の前の人物は自分のようなただの秀才(・・・・・)とは別格だ(・・・)、そんな想いが彼の心を満たした。何があってもこの方には自分ごときでは到底及ばないとそう自身の才幹に高い自信を抱く彼が思ったのはギリアス・オズボーンが初めてであったのだ。

 

 そして今、ゾンバルトは再び同じ思いを抱いていた。

 リィン・オズボーン、鉄血の子の筆頭にして今は亡き宰相閣下の遺児との邂逅で。

 もう二度と出会えぬとばかり思っていた、鋼の輝き、それと再び出会えた事に涙を流さんばかりに歓喜していた。

 

 そんな様々な思惑と感情が渦巻く空気の中、一度は舞台からの退場を余儀なくされた《鉄血の継嗣》は再び舞台へと上がったのであった……

 




支店長だとか取締役だとかのお偉いさんが集まっている会議に出ても一切緊張していない新入社員のリィン・オズボーン君じゅうはっさい

こいつは大物になりますよ。


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アルフィン・ライゼ・アルノールの名の下に

 

「リィン……なのだな」

 

 会議が終わった後の場でオーラフ・クレイグは困惑した様子で目の前の義息子へと問いかける。常の彼であれば我を忘れて、熱烈に抱きしめているところだろうに、このような困惑気味な態度となっているのはそれだけ豪胆を持って知られる、正規軍きっての猛将《赤毛のクレイグ》の動揺を示すものだっただろう。

 動揺しているのは彼だけではない、《氷の乙女》と称されるクレア・リーヴェルトは無論のこと、常に飄々とした態度を崩さないレクター・アランドールまでもが目の前の義弟分の変貌に困惑していた。彼の纏う風格と威圧感、それが彼らにとっては余りにも慣れ親しんだものだったからだ。

 

「そうだよ、オーラフ義父さん。俺は、そんなに変わったかな?確かに髪と瞳の色が変わってしまったから戸惑うのも無理はないと思うけど」

 

 一瞬だけ、家族を安心させるように昔のような質朴な笑顔年相応の少年らしい笑みをリィンは浮かべる。それは常に鋼鉄を身に纏っていた彼の父にはなかったものだ。だがその笑みと所作にさえ、以前にはなかったどこか高貴さが漂っていた。

 

「いや……よくぞ無事で居てくれた。帝都での一件は聞いていた。こうしてまた巡り会えた事を女神には感謝せねばな」

 

 自身の中にある戸惑い、それを飲み干すようにオーラフは笑みを浮かべる。如何に外見が変わろうと、纏う風格が別人のようになろうとも目の前にいるのは紛れもない自分の義息子なのだからと。

 確かに別人のようになった、だが決して優しさを無くしたわけでもなく、憎しみに囚われたわけでもない。

 むしろその真逆、目の前の義息子が抱いているのはどこまでも清廉で高潔な気高い意志だ。

 軍人とは国家とそれを構成する市民を護るためにこそ存在する、そんな綺麗事を本気で体現しようとする姿だ。

 ならば、それはきっと成長とそう呼ぶのだろう。だからこの胸に宿る戸惑いはきっと、余りにその成長が急激すぎた事に対する、子離れ出来ない親の寂寥感というものなのだろう。

 常々、この義息子が軍人となる事を喜び応援していたのは他ならない自分なのだ。

 ならば、まさしく軍人の理想像を体現するかの如き、この義息子の姿を自分が喜び、祝福せずにどうするのかと。

 そんな思いを抱きながら義息子との再会を寿ぐ。

 

「心配かけてごめんよ義父さん、でも安心して欲しい。もうあんな醜態(・・・・・)は二度と晒さないと約束するから」

 

 憎しみに刃を曇らせて、勝たなければならない時に敗北を喫してしまった己が失態。

 それをリィンは心より恥じ入り、もう二度とそんな無様を晒さないと鋼の決意を込めて宣誓する。

 

「……余り自分を責めるな。お前は良くやった、18という若さを考えれば破格と言って良い働きを成したと言っていいだろう」

 

 そしてそんな余りに気負いすぎな息子を嗜めるかのようにオーラフは応じる。

 直接見ていたわけではない、それでも目の前の義息子がどれほど奮戦したかは帝都より逃れてきた多くの者から伝え聞いているところであった。

 

「オーラフ閣下の言うとおりですよ、リィンさん。知事閣下を救出出来たのは貴方の奮戦無くして有り得なかったのですから」

 

 クレアの言葉も決して身内贔屓によるものというわけではない。貴族連合がレーグニッツ知事、そしてトリスタに居たヴァンダイク元帥という要人の確保に失敗したのは、虎の子の機甲兵部隊を壊滅させられたことで帝都の制圧が遅れた事に依る部分が大きい。リィンの奮戦がなければ、間違いなく戦況は今以上に正規軍側にとって不利な状況になっていた事は疑いようがない。

 

「だな。お前は十二分以上に良くやった。ーーーむしろ不甲斐なかったのは俺達のほうだろう。まんまとお前の親友にしてやられちまったわけだからな」

 

 義父、義姉、義兄からの慰めの言葉、それらをリィンは表向きには頷き受け止めながらもそれに甘えてはいけないと自分を戒める。彼らがこう言っているのは自分を家族だと、慈しむべき子どもであり弟だと思っているからだと。

 確かに普通(・・)のものさしで見れば自分はそれなり(・・・・)の働きをしたのかもしれない。だが、これからの自分はそんなそれなり程度の働きで満足するわけにはいかないのだ。

 何故ならば自分が目指す地平、それは獅子心皇帝と鉄血宰相、稀代の英雄たる彼らの跡を継ぎ、彼らを超えていく事なのだから。普通ならば無理(・・・・・・・)な事、無茶な事を押し通して道理を吹き飛ばして行かねばならないのだから。

 だってそうだろう?普通ならば(・・・・・)皇位継承の低い庶出の皇子が帝国に於いて最も血にまみれたとされる内戦を終わらせ、秩序と繁栄を齎す事など出来なかっただろう。

 普通ならば(・・・・・)平民が宰相となって名だたる大貴族を相手に一歩も引かずに、数々の改革を成し遂げる事など出来なかっただろう。

 故に、自分は此処で立ち止まるわけにはいかないのだ。自分が目指すのは普通ならば(・・・・・)到底たどり着く事の出来ない、誰もたどり着いた事のなかった地平なのだから。

 

(そうだ、立ち止まるわけには行かない)

 

 何故ならば自分はそのために、アルフィン皇女を巻き込んだのだから。

 皇女とは言え、未だ15歳の少女に年齢を言い訳にせずに途方もない重荷を背負うように求めたのは他ならない自分なのだから。

 貴方は皇女なのだ(・・・・・・・・)と突きつけて、自分と共に戦うように求めた。

 ならば、自分が年齢を言い訳にするわけには行かないだろう。

 あの気高く素晴らしき皇女に相応しき騎士で在らなければならない。

 自分には彼女に寄り添い、支える事は出来ない。自分が彼女に対して報いる事が出来るものそれは“勝利”を於いて他ならないだろう。

 この“内戦”を終わらせる事、それこそが自分が彼女に出来る唯一にして最大の報いだ。

 

「ありがとう、心に留め置くよ。出来る事には限界があるという事は俺だって理解しているつもりさ」

 

 故に、それを超えて往かねばならぬだろう。無理、無茶、無謀を踏破してどこまでも。

 柔和な笑顔で応じるその態度とは裏腹に、リィン・オズボーンは鋼鉄の覚悟で覆われた意志の焔をどこまでも強く燃やすのであった……

 

・・・

 

 ヴァンダイク総司令付の参謀達は多忙を極めている。

 何せ人員が圧倒的に足りていない。本来であれば討伐軍全体を統括する総司令部付の参謀長と副参謀長ともなれば将官が宛てがわれるべきところを、ローレンツ中佐とゾンバルト少佐が宛てがわれており、その下に居るのは皆尉官ばかりともなればどれほど悲惨な状態かは伺い知れるというものだろう。

 更には正式に双龍橋攻略作戦が決定された事で、その仕事量は膨大なものとなり、総司令部の幕僚はまさに猫の手も借りたい程に人手不足であった。参謀教育を受けた人物ならば、それこそ士官学校出たての新米少尉であってもその手を借りたいほどの。

 そして、そんな状況で寝る必要がほとんど無くなり、総司令部付の特記戦力等という極めて特殊な立ち位置のために、作戦決行の間までは手が空いており、凡そ怠惰という言葉の対極に位置する男が自分だけ休んでいる等という選択肢を取るはずもなく、作戦の間まで英気を養っておけという周囲からの言葉を押し切り、リィン・オズボーンは作戦決行までの間、ゾンバルト少佐の補佐役として働く事になるのであった。

 

「少佐、こちらの資料の纏め完了しております。ご確認頂ければと思います」

 

「ご苦労大尉。それでは続いてこちらをよろしく頼む」

 

「承知いたしました」

 

 アルフィン皇女を救出、そしてお連れした功績でリィン・オズボーンは中尉へと昇進した直後に大尉へと昇進する事となった。無論本来ならば有り得ない出世速度だが、苦境にある正規軍側としては将兵の、そして民からの人気を獲得できるような“英雄”を待ち望んでいたため、亡き宰相の遺児が皇女殿下を救出したという功績を大々的に宣伝して、リィンを“英雄”へと祀り上げるためにも異例と言える大盤振る舞いを行った。

 ヴァンダイク元帥、オーラフ中将などはこれに対して渋る様子を見せたが、最終的には他の者達に押し切られる形でゾンバルト少佐提案のそれを容れる事となったのであった。

 

(素晴らしい……全く以て素晴らしい)

 

 まとめ上げられた資料、それを確認したゾンバルト少佐は笑みを浮かべる。

 期待はしていた、リィン・オズボーン、宰相閣下の唯一の実子にして革新派の若きホープ。彼の名を初めて耳にしたのは七ヶ月程前であった。宰相閣下のご子息がクロスベルへと行き、クロスベル問題に関するレポートを提出したとして当時参謀本部内でもそれなりに話題になったのだ。ーーーなにせ、何れは自分たちの上に立つ事となるのが半ば約束されている人物と言って良いのだ、あの(・・)宰相閣下に限ってよもや息子可愛さの贔屓等しないだろうとは思っていたが、それでもかの宰相閣下の秘蔵っ子とやらが如何程のものか気にならないわけがない。

 そしてその内容はと言えば、なるほど、確かに期待通りのものだったと言って良い。先が楽しみだと周囲が大いに沸き立っていた事をゾンバルトは覚えている。だが、ゾンバルトはそんな周囲の反応とは裏腹に正直に言えば、落胆していたのだ。

 「こんな程度か(・・・・・・)」と、それがリィンの書いたレポートを読み終えたときのゾンバルトの嘘偽りのない感想であった。レポートの内容、それ自体に不備があったわけではない。確かに内容自体は良く出来ては居た、あくまで士官候補生(・・・・・)として見れば。

 だが、その程度(・・・・)で良いのならば自分如き(・・・・)でも十分に出来るのだ。ゾンバルトとしては、かの宰相閣下の唯一の実子というからには、少なくとも自分如きが士官候補生だった頃では影を踏むのがやっとといった領域に達している事を期待したのだ。

 しかし、そう考えていたゾンバルトはしばらくして己が不明を深く恥じ入る事となる。程なくしてリィン・オズボーンはメキメキとその頭角を現してきたのだ。自分が大樹の苗木を見て、その小ささを嘆く愚を犯していた事をゾンバルトは悟らざるを得なかった。よくよく考えてみれば、かの宰相閣下とて最初からああではなかったのではないかと、そう気づいたのだ。

 至らぬところがあったとしてもそれは成長途上なだけ、故に長い目で見ようではないかとそんな風に考えていた。しかし、やはり(・・・)彼は、いやこの方は(・・・・)あの(・・)宰相閣下の後継だった。一を聞いて十を知るという言葉を体現するように、ちなみにゾンバルトの基準における一を聞いて一を知るとは世間一般で言う一を聞いて十を知るである、乾いたスポンジが水を吸収するかの如くリィン・オズボーンはゾンバルトの教えを吸収していった。

 

(ああ、しかし、どうにももどかしいものだな。本来従うべき立場の私が、仰ぐべきお方を従えている等というのは)

 

 アルフィン皇女救出の功績を推し出す事で少尉から大尉となったが、まだまだあの方の有する能力に比して権限と地位が余りにも足りていないと言うべきだろう。

 それが自分如き(・・・・)があの御方に指示を出すなどという許されざる秩序の捻れを生んでしまっている。早急に是正する必要があるだろう。

 

(まあ、焦る事はない。この内戦が終わる頃には恐らくそのような許されざる捻れは解消されている事だろう)

 

 なにせ、リィン・オズボーンは自分如き凡百の秀才等とは違う紛れもない“英雄”なのだから。

 この内戦に於いて、その光輝く栄光の軌跡を魅せてくれる事は疑いようがない。

 

(願う事ならば、その輝ける英雄譚の一助となりたいものだ)

 

 そうして上官であるローレンツ中佐が見たこともない上機嫌な様子で、精力的に作戦決行の準備を推し進めるのであった………

 

 

・・・

 

 12月8日 09:00

 帝国の至宝と称される可憐なる姫君、アルフィン・ライゼ・アルノールは、数十万将兵の見守る中その姿を現した。死地へと赴く彼らを激励するためである。改めて、自らの背負う責任の重さにアルフィンは押し潰されそうになる。

 討伐軍と合流してよりの一週間、アルフィンとて決して遊んでいたわけではない。アルフィン・ライゼ・アルノールは軍事にしても政治にしても素人だ、生兵法は大怪我の元という言葉があるようにそんな彼女が無理に作戦方針に口を出したりしても逆に足を引っ張るだけだと彼女は自覚していた、故に政治に関してはレーグニッツ知事に、軍事に関してはヴァンダイク元帥へと委ね、自分は神輿として在る事こそが役目だと理解していた。

 だが、そんな神輿にも出来る事はあるはずだと彼女はこれまでの戦いで負傷した兵士たちの見舞いに訪れたのだ。中には温室で育ったアルフィンにとっては見ているだけで辛くなるような酷い傷を負った兵士たちも居た、だがアルフィンはそこから目を晒さなかった。そして彼ら、彼女らに微笑みながら精一杯の思いを伝えたのだ、「ありがとう。貴方達の献身に心より感謝致します。必ずや私は皇女としてそれに報いてみせます」と。

 

 正直に言えば、今すぐに何もかも放り投げて逃げ出したいとアルフィンは思う。この人達を死地に送るのは自分なのだ。彼らは誰でもない、アルフィン・ライゼ・アルノールのためにこそ命を賭けるのだ。一生物の怪我を負う人も出るだろう、命を落とす人も出るだろう。そして、それを生み出すのは他ならない自分なのだ。

 ああ、本当に誰が望んでこんな重責を背負いたいと思うだろうか。衣食住に苦労したことのない、世間知らずの小娘の戯言なのかもしれない。それでも、この重責に比べれば、今までしてきた贅沢等到底釣り合っている等とアルフィンには思えなかった。

 

 

(だけど、それでも……)

 

 自分はアルフィン・ライゼ・アルノール、父様と母様の娘なのだ。そこから逃げ出したくない、家族に誇れる自分でありたい。取り戻したい、幸せだった日々が存在する。

 そして自分は報いると彼らに約束したのだ。決して彼らの献身を無駄にしないと。

 

 今も、傍で支えてくれている大切な親友と姉のように思っている人がいる。彼女達は自分が逃げ出してもきっと責める事はしないだろう、彼女達二人だけは何があっても自分の味方をしてくれるとそう信じられる。

 だから、今自分は逃げ出す事無くこうして立っていられる。そっと支えてくれる確かな二つの温もりを感じているから。

 故にさあ、勇気を出すのだアルフィン・ライゼ・アルノール。あなたはこの国の皇女でしょう!

 そう自分を叱咤して、アルフィンは足の震えを抑え込み、確かな決意を宿して静かに語り始めた。

 

「まず、皆さんに謝らなければ行けない事があります。ーーー私は、ずっと逃げていました。

 皆さんが祖国のために命を賭けて、傷ついている頃、私はただ震えて隠れていました。

 きっと自分ではない誰か(・・)が、何とかしてくれるだろう。自分は皇女と言っても無力な小娘に過ぎないのだから、何が出来るわけでもない、そんな風に言い訳をして」

 

 そう、自分は甘えて逃げていた。オリヴァルト兄様のように皇族としての勤めを果たそうとそんな気概を持つこともなく、ただただ優しい親友と騎士、そして親友の両親へと甘えていた。

 

「そんな私の前に、ある人が現れました。その人はかつて私と親友を悪逆なるテロリストから助けてくれた人でした。

 その人は私等とはまるで違いました。私と3つ程度しか変わらないはずなのに、年齢などをまるで言い訳にしない。

 どこまでも真直ぐに、誰かのために何時でも全力で戦って居ました。誰かじゃない、自分がこの内戦を終わらせるのだとそう宣言しました。

 英雄”という言葉はきっと、こんな人の事を言うのだとそう思いました。ーーー正直、自分は安心しました。ああ、これで安心だと。彼に任せればきっと前までの幸せな日々が戻ってくるのだと、恥知らずにもそんな風に考えたのです。

 だけど、その人は言いました。自分と一緒に戦って欲しいと、この内戦を終わらせてこの国に秩序と安寧を取り戻して欲しいと。その時になってようやく私は気がついたんです、誰かではない。私が、アルノールの血を引く私こそが戦わねばならないのだと。ようやく、気がつく事が出来たのです」

 

 そうしてアルフィンは静かに語りかけるような言葉から一転、目の前に居る将兵にその凛とした瞳を向けて

 

「故に、私アルフィン・ライゼ・アルノールは偉大なる皇帝ユーゲントⅢ世陛下の娘として此処に宣言致します。

 帝国を混乱に陥れた元凶たる“逆賊”《クロワール・ド・カイエン》を討つと!そして、囚われの皇帝陛下を救出して、この国に在るべき秩序と安寧を、誰もが幸せに暮らせる祖国を取り戻すと!!」

 

 気高き決意を有してアルフィン・ライゼ・アルノールを宣誓する。その姿は断じてそこらにいる小娘などではない、紛れもない人の上に立つ者としての風格を有したものだった。

 

「ですが、私は余りに無力です。私一人では、それを為し遂げる事など出来はしないでしょう」

 

 一転、アルフィンは弱々しい声で告げる。そこに居るのは誇り高き皇女ではなく、弱々しいどこにでもいる15歳の少女の姿であった。

 

「ですから、どうか私に皆さんの力を貸してください!!私は無力で愚かな小娘です!!皆さんのように命を賭けて戦う事は出来ません。

 だけど、それでも(・・・・)、護りたいものがあります!!取り戻したい日々があります!!皆さんと共に、たどり着きたい未来があります!!

 そのために、どうか……どうか私、アルフィン・ライゼ・アルノールにあなた(・・・)の力を貸してください!お願いします!!!」

 

 皇女としての気高き決意と年相応の少女としての健気な思い、その双方を込めたアルフィンの演説。

 それが終わるとほんの僅かな静寂がその場を包み込む。しかし、そうなっていのたもつかの間

 

「皇女殿下万歳!帝国万歳!逆賊カイエン公を討て!!!」

 

 今回の作戦に於いても要となる、宰相の遺児たる《灰色の騎士》。皇女殿下が語った“英雄”のひときわ大きな声で響くと波をうったようにそれは広がっていき……

 

「「「「「皇女殿下万歳!帝国万歳!逆賊カイエン公を討て!!!」」」」」

 

 凄まじい歓声がその場を包み込んでいく。そこには士気の低下の面影など欠片も残っていない。今、その場に居る者たちの心は一つだった。

 そして、そんな兵士たちの様子を確認して総司令官たるヴァンダイク元帥は威厳に満ちた様子で

 

「これより、双龍橋攻略作戦を開始する!各員、我らが至宝たる皇女殿下に勝利を捧げるべく死力を尽くせ!」

 

「「「「「イエス・サー!」」」」」

 

 12月8日 09:20

 帝国正規軍は東部戦線に於いてウォルフガング・ヴァンダイク元帥指揮の下、乾坤一擲となる《双龍橋攻略作戦》を開始した。



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英雄譚が舞い降りた

覚醒を果たしたオズボーン君にとって領邦軍は憎むべき存在ではありません。
むしろその逆、不幸にも相争う事になった本来肩を並べて共和国という敵に立ち向かう“戦友”という認識です。
当然、極力犠牲を抑えるように努力します。


 アルフィン・ライゼ・アルノール号令の下、正規軍は東部戦線に於いて全面攻勢に出た。それは文字通りの大攻勢、持久戦を放り捨てて、残っていた物資をかき集めた乾坤一擲の大勝負だ。此処を凌げば、それだけで貴族連合は勝利する。正規軍のこれ以後の補給計画は総て、双龍橋を陥落させた事を前提としているからだ。

 派手に勝つ必要はない、凌ぐだけで自ずと勝利の天秤は領邦軍の方へと転がり落ちる……はずだったのだが

 

「ク、一体何がどうなっておるのだ!奴らのこの勢いは一体なんだというのだ!!!」

 

 常軌を逸した、苛烈な大攻勢に晒されて各戦線の領邦軍は完全に押されていた。

 戦いには“勢い”というものが存在する。それは時として計算を上回る策士の天敵、戦略的な劣勢を、物資の欠乏を補う末端の兵士にまで浸透した高揚した士気があって起こるものだ。指揮官自らの陣頭指揮あるいは時には国家を指導する立場にある王自らが戦場に出向く等という、冷静に考えればリスクの高すぎる愚策が世の中から潰えないのもこれが大きな由縁と言えよう。

 冷静に考えれば、それは確かに愚策だ。だが考えても見て欲しい、冷静なまま(・・・・・)正気を維持したまま(・・・・・・・・・)命を賭けた殺し合い等が出来るものが世に一体どれだけ居るだろうか?

 必要なのだ、兵士を酔わせる事が出来る資質が、他者を“狂奔”させる事の出来る素質が将には。それがわかっているからこそ、名将とされる人物たちは危険を承知の上で陣頭に立ち、自らを砲火に晒す。そして兵達はそんな己が上官の背中を見ることで、この方を死なせてはならない(・・・・・・・・・・・・・)と奮い立つ。

 オーラフ・クレイグはそれを無意識に出来る紛れもない正規軍有数の名将であった。なればこそ、彼の部隊は正規軍の中でも屈指の精鋭と謳われている。

 だが、今日この時ばかりはこの勢いを齎したのは彼の功績ではない。

 

 この勢いを齎した人物、それは

 

「進め進め!勝利の女神たる姫殿下は我らに微笑んでおられるのだ!!恐れるものなど何もない!!!」

 

「「「「「オオオオオオオオオオオオオオ!!!」」」」

 

 アルノールの血を引く帝国の至宝、アルフィン・ライゼ・アルノールに他ならなかった。

 彼らは見ている、気高き姫君、誇るべき偉大なる至尊の血を引く帝国の至宝たる姫殿下の凛とした姿を、未だ年若い少女が精一杯己に課せられた責務を震えを堪えながら背負うとしているその健気な姿を。

 そんな姿を奮い立たぬ者が居るだろうか、居るとすればその者は恐らく人の心を持たない機械に違いない。気高く可憐な姫君のために命をとして戦う、そんな男子であるのならば一度は夢見ずには居られない、“幻想”を今の彼らは本気で信じていた。

 そしてそんなともすれば暴走となりかねない“勢い”をヴァンダイク元帥指揮の下、正規軍の名将達は見事に統御してのけていた。12月9日、膠着状態にあった東部戦線において勝利の天秤は大きく正規軍へと傾き始めていた。

 

 各地より怒号のように聞こえる、悲鳴のような救援要請が双龍橋の司令室で鳴り響く。

 指揮官、リーダーの資質というのは往々にして平時よりも非常時に求められる。

 発達した組織というのは平時であれば、リーダーが不在でも大過なく回るものである、だが非常時ではそうはいかなくなる。非常時とは平時であれば通用したマニュアル、定石が通用しなくなるからこそ非常時なのだ。

 こうした時、組織というのは「俺が責任を取る!」と豪語してくれる上が居てこそ下の者は安心して働けるものなのだ。立場に見合った責務というのはそういうものなのだ。

 そしてその非常時におけるリーダーとして双龍橋司令室に務めるオットー・ハルテンベルク伯は……

 

「お、おい、本当に大丈夫なのだろうな?」

 

 動揺を露に問いかける。彼の脳裏に過るのは血に飢えた野蛮な賤民共、伝統と文化というものを凡そ解さない革新派等という蛮人共がこの要塞に大挙して押しかけて来る光景だ。

 

「ご安心下さい閣下。これ程の苛烈な攻勢等、そうそう続くものではありません。3日です。3日耐えれば、奴らの攻勢は限界に達する事でしょう。今の連中の攻勢は、いわばロウソクが消える寸前の最後の輝きです。ーーーよしんば手薄になっているこの要塞へと強襲をかけてくる部隊が居たとしても、この要塞には未だ機甲兵部隊も存在し、カイエン公より送られたかの赤い星座も居るのですから、まず遅れを取る事はございません。」

 

「う、うむ確かに卿の言うとおりだ。些か慎重になり過ぎていたな」

 

 そんな首席幕僚の極めて論理的で常識的な助言にハルテンベルク伯もまた安堵の色を見せる。

 家柄が後押しし、司令官としては些か小心なところはあったが、ハルテンベルク伯は決して劣悪な人物ではなかった。東部戦線の要衝たる双龍橋を任せられるだけあって、それなりの能力は持ち合わせていた。

 良く革新派側が貴族派を非難する際に用いられる常套句として「生まれの特権にあぐらをかいているだけの無能者が貴族というだけで不相応な地位に就いている」という指摘があるが、これは一面的には真実では在るが、総て鵜呑みにするには些か危険な論法と言えよう。

 確かに家柄によって贔屓されている側面は存在する、だが幼少期より高度な教育を受けた貴族と呼ばれる人種は客観的に見て、高い教養とそれ相応の能力を持ち合わせているものだし、何より彼らには自らを支える従士達が居る。余りにも度が過ぎた振る舞いをすれば、貴族社会からも爪弾きにされるのもあって、帝都市民が想像するような如何にも驕り高ぶった様子の馬鹿殿等というのはそうそう転がっているわけではない。

 

 では、何故そのような言説が支持されているのかと言えば、それはそういった少数例の振る舞いが目立ち、目に留まりやすいというのも無論存在はするだろうが、視点の違いだろう。

 軍人は退役すれば、軍人ではなくなる。政治家にしても官僚にしてもそうだ、彼らは引退すれば公に心臓を捧げた公人からただの人に、私人へと戻る。

 だが、貴族は違う。生まれながらに流れる血に責任を有する彼らは、心臓が止まるその時まで“貴族”という権力者なのだ。生きている限り彼らは一門の人間と自分たちに仕える従士へと応える義務が存在する。そんな支持基盤を大衆からの支持などというあやふやな所に置いていないところが、貴族の強みであると同時に弱みでも在る。

 大衆からの支持など気にしない彼らは、権力のためなら、自家の存続と繁栄のためなら卑劣、卑怯な手をいくらでも打つことが出来る。その権力のためなら、形振り構わない“強さ”が帝都占領という“暴挙”を成し遂げた。彼らにとっては民衆などというのは風見鶏のようなもの、どれだけ不平不満を唱えようが、所詮は口だけ(・・・)だと熟知している。銃口を向ければ恐怖で、そこまで直接的な手段に出なくても間接的に破滅に追いやることでいくらでもその小うるさい口を黙らせる事が出来ると彼らは知っていたからだ。

 しかし、そんな彼らの強さは弱さにも繋がる。銃口を突きつけられば、確かに大半の者は従うだろう。命よりも矜持を優先させられるなどというものはこの世に於いて圧倒的な少数派なのだから。だが、不満自体は燻るのだ。

 多くの兵士、いや兵士に限らず人間というのは、酔いたがる(・・・・・)生き物なのだ。それは戦場などという到底素面ではいられない命の奪い合いをする場所では、より一層顕著になる。彼らが求めるのは、この人のためならば命を賭けられる、そんな“幻想”を抱かせてくれる存在だ。

 そして、卑劣な真似、卑怯な真似を行う上官、盟主などというのはその酔いを覚ます冷水も良いところ。保身能力の高さと卑劣、卑怯な手でも平然とやってのける悪辣さは兵の心を失う結果へと、己の背負う家門に対する責任感は公のために己を殺すチームプレーとは真逆のスタンドプレーを生む結果にと、権力者としての強さの源泉である長所が見事なまでにひっくり返ってしまうのだ。

 

 東部戦線に存在する貴族連合の将達は、そんな能力自体はある、だが将兵を“狂奔”させる事は出来ず、加えて言えば連携と纏まりを欠いた凡将の集まりだったのだ。その様は、百日戦役の敗戦により徹底的な改革が行われた正規軍とは真逆の、“貴族”という存在の欠点が最も顕著に出ているものだったと言えよう。

 それでも彼らは凡将と呼べるだけの能力はあったのだ。名将、良将と呼べる程の“有能”ではなくても、総参謀ルーファス・アルバレアという稀代の戦略家によって築き上げられた戦略的優位を、計算を崩す程の“無能”ではなかった。

 

「高速で接近する謎の機影あり!……これは、凄まじい速度です!現存するあらゆる飛空艇を凌駕する速度で接近しています!」

 

 だが、この世にはそんな秀才の計算を、凡人の足掻きを覆す“英雄”と呼ばれる人種が存在する。それはまさしく天に選ばれたかの如く人類史に忽然と現れる存在。

 それは時代に流されるしか出来ない凡百の存在とは違う、時代を作り上げる存在だ。

 味方からは神の如く崇敬を、敵からは悪魔の如き憎悪を買う、人の身で在りながらも人の身では到達し得ぬ頂きを目指す存在。

 

『なんだよ……なんなんだよこいつ。なんでこんな人型の形をしているのに、なんでこんなに空で機敏に動けるんだよ!!!』

 

 オペレータの言葉からすぐに、司令室内部を飛空艇部隊の悲鳴が満たす。

 それは有り得ない存在と出会ってしまった不幸を嘆く恐怖に満ちた言葉。

 航空力学という物理法則に、中のパイロットにかかる負担という物理的な限界を超越したかの如き理不尽への怒り。

 自分たちごときでは抗う事の出来ない“怪物”と出会ってしまった只人の嘆きだ。

 

「飛空艇部隊、次々と不時着していきます!」

 

 されど、その理不尽を齎す存在は決して血に飢えた獣に非ず。

 彼らの幸運は、帝国人(・・・)であった事だろう。

 一時的に(・・・・)かつ不幸にも(・・・・)立場が別れ争う事となった同胞(・・)であったという事だ。

 祖国の敵には一切の容赦を持たぬ悪魔の如き冷徹さを持つ反面、味方(・・)に対してはまさしく聖者の如き慈愛を持つ。

 “英雄”とはそんな常人では背負えぬ、人倫を超えた聖邪を呑み干し、果てなき頂きをどこまでも目指す存在。

 数十万にも及ぶ敵と味方の屍を積み上げて、神の領域たる天へと挑む存在なのだ。

 

 そしてそんな天より“英雄”は降り立った。

 戦禍に塗れた祖国を救うべく、“悲劇”を終わらせ、民の涙を笑顔へと変えるために。

 その姿はまさに女神が遣わした使途の如き神聖さを醸し出し、只人の身に畏怖を植え付ける。

 自分達は“女神”を敵にまわしてしまったのではないかとそんな錯覚を。

 

「何をしている!敵はたかが一機だぞ!!!囲んで討ち取れ!!!!」

 

 しかし、そんな錯覚も一瞬。指揮官よりの号令に従い、精鋭たる機甲兵部隊は不遜なる敵手を討ち取るべく弾かれたように動き出す。

 だが、彼らの忠節は全く以て報われなかった。鎧袖一触、そんな言葉を体現するかのように蹴散らされていく。しかも、一機としてコックピットを貫く事無く。

 それは彼我に存在する絶対的な力量差を知らしめるものであった。殺さないように務める、そんな敵に配慮する“余裕”が存在する程に。

 天より舞い降りた光景、神聖ささえ感じさせられるその威容と佇まい、光り輝く双剣はまるでお伽噺の勇者が振るう武器の如き神秘さを帯びて、そしてどこまでも清廉に振るわれる太刀筋は、敵である自分たちにさえ“慈愛”を向けているものであった。

 君達は私の敵ではない、本来肩を並べて共に戦うはずだった戦友なのだと百の言葉よりも雄弁に語るその光景を見せつけられていく事で領邦軍側の戦意は瞬く間に萎えていく。自分たちが、お伽噺の悪役となってしまったのではないか?そんな錯覚を覚えてしまったがために。

 

 急速に衰えていく戦意、そんな空気の中一人の少女が恍惚とした表情で蕩けた視線をその“英雄”へと向けていた。その目はまさしく愛しい恋人に再びめぐりあう事の出来た“恋する乙女”そのものだ。

 幸せの絶頂にあり、愛しい人の存在しか目に映らない、そんな“英雄”という“幻想”へと心の底から魅了されてしまった“恋する乙女”の表情。

 

「ああ……また会えた。やっぱり貴方は不滅の勇者だったんだね、リィン♥」

 

 心の底に焼き付いた鋼の輝き、どこまでも雄々しく素敵な愛しの英雄。自分に“恋”というものを教えてくれた初めての人(・・・・・)

 愛しい人と再び巡り会えた喜びに、“血染めの戦鬼”シャーリィ・オルランドは陶酔しきった艶声を挙げるのであった……

 




英雄に剣を捧げられてしまった皇女「捧げられた剣に見合う存在にならなくちゃ……!私は、私はこの国の皇女なんだから……!」
英雄を身内に持ってしまった義姉「リィンさん……貴方は本当にかつてと同じリィンさんなんですか……?」
英雄に恋する乙女「わぁ……前のワイルドな感じも最高だったけど、今のイメチェン後の姿も素敵だよ!でも、シャーリィだけには前みたいな雄々しい姿をみせてくれると嬉しいなぁ♥」



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恋する乙女は愛する人以外眼に映らない

心の中になんでも肯定するハム太郎が住まうのが最近話題のようですが
作者の心の中ではいつもオーベルシュタイン大佐が今後の事を考える際に
「お待ち下さい、閣下。いっそ血迷ったアルバレア公にそのままケルディックを焼き討ちさせ、その様を帝国全土に広めるのです。閣下と大貴族共、一体どちらに正義があるか赤子でも理解する事でしょう」と進言して来ています。


「敵将たるハルテンベルク伯に告げる、私はオズボーン伯爵家当主リィン・オズボーンである。貴殿に我が主君、アルフィン・ライゼ・アルノール皇女殿下の名代として勧告する。

 降伏せよ。皇女殿下は慈悲深きお方である。逆賊たるカイエン公に協力せざるを得なかった(・・・・・・・・・・・)貴殿達の苦境についてもご理解を示しておられる。

 ハルテンベルク伯爵程の忠臣を一度の過ちで処断するというのは余りに惜しい。

 故に、今すぐに誇り在る帝国貴族としての忠道へと立ち返るというのならば、その罪を総て不問にするのみならず厚く遇する事を約束するとの仰せだ。

 尚、これは最終通告である。この後に及んで皇女殿下の慈悲を解さないというのならば、それはすなわち貴殿らは自らの意志で“逆賊”となったという事。その罪は自らの命を以て償う事となる事を覚悟せよ」

 

 双龍橋を預かる、ハルテンベルク伯は能力自体は決して低くはないが、豪胆とは対極に位置する小心者であり、権威に弱く長いものに巻かれる傾向が強い。

 それがアルティナ・オライオン、正確には彼女を通して貴族連合に居る何者かがこちらに齎した情報の内容であった。

 故にリィンは作戦の決行の前にお願いをしたのだ(・・・・・・・・)、アルフィン皇女の名の下に降伏に応じれば所領や立場を保障するという旨を伝えさせて頂きたいと。

 これに対して正規軍の諸将は強く反発した、五分の状況で降伏したのならばともかく、ほとんどこちらの勝利が明らかになった情勢でそこまで厚遇する必要があるのかと。

 そんな新米少尉ならぬ新米大尉であれば、蒼白になって即座に己が発言を撤回して謝罪を敢行するであろう状況にあってもリィン・オズボーンは悠然と微笑を湛えて

 

「皆様、今一度思い返してみて下さい。我らの敵は“貴族”でしょうか?否、我らの真の敵は国内の同胞(・・)ではないはずです。彼らは東よりの脅威へと立ち向かうために共に戦う仲間のはず。

 犠牲を少なくするに越したことはないーーー少なくとも、首謀者はいざ知らず彼らに付き従う領邦軍の末端の兵士達に非はない、そうは思いませんか?」

 

 それは鉄血宰相が演説の際にも訴えていた挙国一致体制の確立だ。内戦を終結させた後に待つ、宿敵たる共和国、それと雌雄を決する事を見据えての発言である。

 機甲兵という、新兵器の誕生は戦場を一変させた。この戦争が終わると同時に正規軍に於いても、その導入が進められていく事だろう。

 だが、新兵器の運用というのは一朝一夕ではいかない、特にアレほど複雑な兵器を運用できる人材となるとその育成には年単位の時間を要するだろう。

 そういう意味で、今それを扱う事の出来ている領邦軍の将兵は、国にとって(・・・・・)宝と称するに足る人材である事は疑いようがなかった。

 

「歴戦の名将たる方々に今更私如き若輩者が言うまでもありませんが、敵は分断して各個撃破するに越した事はありません。

 だからこそのこの処置です、最初に降伏(・・・・・)する事となるハルテンベルク伯をあからさまに優遇する事で、徹底抗戦するよりも降伏した方が良いという空気を貴族共の中に醸成させるのです。

 さすれば、基より我らのような大義ではなく利害によって繋がっている連中です、その結束に罅を入れる強烈な一打となり得るかと」

 

 基より門閥貴族等というのはエゴイストな存在だ。彼らが重んじるのは自家と自領の繁栄、貴族連合に参加しているのはそれが鉄血宰相という怪物によって脅かされていると感じたからこそ。

 それが保証されるというのならば、精強なる帝国正規軍と命を賭けてやり合うよりも、そうそうに降ってしまった方が得策、そう考えるようになるものは決して少なくないだろう。

 これがそれを保証したのが、ヴァンダイク元帥やレーグニッツ知事と言った“平民”であれば疑念の方が勝っただろう、だがアルノールの血を引くアルフィン皇女によるものであれば、話は別だ。

 基より、アルフィン皇女が心優しい、苛烈さとは対極に位置するような人柄である事は帝国社会でも広く知れ渡っている事である以上、相応の信憑性を以て受け止められるだろう。

 

「だが、所領まで内戦前のように保障するというのは些かに厚遇し過ぎではないか?」

 

 リィンの提案に渋い顔を革新派の重鎮は浮かべる。言っている事はわかるが、それは余りにも甘すぎると。

 この内戦はある意味では、貴族達の勢力を削り取る好機でもあるのだから、その機会を自ら手放す等というのは余りに惜しく思えたのだ。

 この戦いで正規軍は大きくその戦力を削られる事となる、それにも関わらずそれを招いた貴族たちにそこまで甘い対応はどうかと。

 “同胞”だからという理由で、そんな甘い処置を提案するリィンに宰相閣下の後継と言えど、やはり未だ若く夢見がちな少年であり、父の如き鋼鉄の意志には至っていないのかと列席者達の間で落胆する者も居れば、安堵する者も居ると多様な反応が見られた中で

 

「ええ、ハルテンベルク伯に限っては(・・・・)全力で厚遇致します、どの勢力から見てもわかるように。あからさま過ぎるほどに。

 その厚遇のされようから、今降伏すれば自分たちもハルテンベルク伯と同様に遇される、そう貴族たちに錯覚させます(・・・・・・)。」

 

 微笑を湛えながらリィンはサラリと告げる。後から続く者達が勝手に(・・・)伯と同様の待遇期待するのは勝手だが、別段こちらがそれに応じる義務はないとでも言いた気に。

 

「無論、約束を違えるような信義にもとり、アルノール家の名誉と権威に罅を入れるような事は当然誇りに賭けて致しません。ですので、アルフィン皇女殿下の名の下に降伏勧告を行うのは最初のハルテンベルク伯のみ。

 以後の貴族勢力に対する呼びかけについては、ハルテンベルク伯に行って頂くとしましょう。そうすれば、話が違うという憤りは総てハルテンベルク伯へと向かいます」

 

 あからさまに贔屓する、応対に差をつけるというのは敵勢力の切り崩しを行う際の常套手段だ。

 こうする事によって、敵の憎悪は贔屓をした側ではなく、贔屓を受けた側に向けられる。

 そしてハルテンベルク伯は小心者だが、決して無能ではないし、伯爵家という家柄と双龍橋という要衝を任されたことからもわかるように四大名門を除けば、貴族連合でも有数の権勢を誇る貴族と言って良い。

 故にこそ、彼は彼で自らの家を護るために必死に働くだろう、重ねて言うが“貴族”というのは一部の皇室に忠誠を誓った気骨のある者を除けば、本質的に自家の繁栄(・・・・・)こそが最上なのだ。

 自家を守り抜くためならば、皇室への忠道や“国難”への対処を放り捨てたように、容易く他家を蹴落とす側に回るだろう。

 

「ハルテンベルク家だけを見逃す事によって、貴族連合の結束に罅を入れる事が出来、かつ貴族同士の横の連帯にも同様に致命的な打撃を与えられるのです。代償に見合うだけの見返りはあると自分は愚考する次第です」

 

 到底18の若僧には見えない、まるで魑魅魍魎の渦巻く宮廷を渡り歩いてきた老練なる政治家のような風格を漂わせながら、告げられたリィンの提案に、今度は反論する者は誰も現れなかった。

 結果、ゾンバルト少佐の猛烈な援護なども合わさり、リィン・オズボーンはこの一件に関して皇女殿下の騎士、及び名代としてほぼ全権に近い交渉の権限等を与えられるのであった。

 大尉に過ぎない、リィン・オズボーンがこれほどの権限を与えられたのは、その能力と皇女殿下よりの信頼を買われたからであるが、門地を持たぬとはいえ、曲りなりにもオズボーン伯爵家の当主としての爵位を既に事実上継承しているから出来た処置でもあった。

 

・・・

 

「閣下……如何致しましょうか?」

 

「む、むう……卿はどう思う?降伏したところで後で反故にされるというのならば意味はないが」

 

「その可能性は低いと思われます。既に我らの喉元に刃を突きつけてチェックをかけているこの状況下で、アルフィン皇女の名を持ち出してまでそのような騙し討ちをしたところで敵を利するものはありません。

 むしろその逆、約定も護らぬ者として信義と求心力を失うだけとなります。そしてそれは偉大なるハルテンベルク伯爵家の当主であらせられる閣下ならばいざ知らず、平民からの支持等というあやふやなものを頼りにしている連中にとっては大きな痛手となるでしょう」

 

 良く戦争にはルール等無い等とうそぶく者がいるが、これは大きな誤りだ。

 戦争とは外交手段の一形態である以上、明確なルールが存在するのだ。そういった信義があればこそ敗色が濃厚な側は敵を信じて降伏するといった選択肢が取れるのだ。

 故に、この信義を破るものは如何に“勝利”を収めようが、敵味方双方から蛇蝎の如く嫌われて結局その地位を失う事となる。

 完全に秩序が失われた、ルール無用の戦争がどれだけ悲惨な事になるか多くの者が知っているだけに。

 そしてこの傾向は民衆からの支持といったものを重んじる者程顕著になる、自らの支持基盤を脅かす結果となるからだ。

 

「で、あるか……」

 

 如何にも悩んだ風な様子を見せているが、実を言うとハルテンベルク伯の腹はほとんど決まっていた。

 天より舞い降り、虎の子の機甲兵部隊を一掃される様を見せつけられた事でもはや兵の心だけでなく、将たるハルテンベルク伯の戦意もほとんど挫かれていた。

 そのタイミングで差し伸べられた降伏して、以後協力すれば所領を安土するという保証はなんとも魅力的に思えたのだ。どの道降伏したところで、命以外は何もかも失うという状況ならばいざ知らず、待遇が保証されているのに尚も命を賭けて徹底抗戦を選ぶ等という程にハルテンベルク伯は気骨のある人物ではなかったのだ。ーーー加えて、リィン・オズボーン、「生意気な鉄血の孺子」として忌み嫌っていた男が、帝国貴族としての儀礼に則った姿勢でその勧告を行ってきた所も大きい。息子の方は幾分マシ(・・・・)なのではないか、そんな想いが伯爵の中に芽生えたのだ。

 何より、アルフィン皇女にしても鉄血の孺子にしても未だ年若い子どもだ、カール・レーグニッツなる厄介な平民は健在だが、それでもあの“怪物”に比べれば比較的話の通じる存在である事は間違いない。孺子の方はなるほど、軍事的には確かに無能ではないのかもしれないが、軍事的才幹と政治的な手腕が一致するとは限らないーーーそんな法則がこの世に存在するというのならば、戦において大勝を収めながら政治的に失脚する事となる悲劇の英雄などこの世には存在しないだろう。

 そして何よりも未だ年若く未熟な事は間違いない、今の内に鞍替えしてしまえば、それこそ自分が実質的なアルフィン皇女の後見人となる事とて不可能という事はあるまい、孺子の方はせいぜい“英雄”として役立って貰えば良いのだとそんな司令官としての小心さとは打って変わった、帝国貴族としての打算と欲がハルテンベルク伯爵の中で働き出す。

 

 そしてそんな伯爵の態度に異論を挟む者は居ない、彼らにしても例え死ぬ事になろうとも徹底して抗え!等と言われたほうが余程困るからだ。基より明らかに“大義”というものを欠いている貴族連合側の兵士の士気は一部の名将によって率いられている精鋭たちを除けば決して高くない、士官の多くを構成している従士達などには仕える家への忠誠心の篤い者も多くいるが、現在この要塞に居るそういった士官は皆ハルテンベルク伯爵家に仕えている者ばかりだ。当主直々の決定であり、更にはその判断も伯爵家当主としては(・・・・・・・・・)、なんら問題のない真っ当な決断ともなれば諌める理由は存在しない。ーーー何よりも彼らの多くもまた、灰の騎神の威容に心を折られていた。その場に居る者の大多数にとっては伯爵の決断は渡りに船と言えるものであったのだ。

 

「よし、伯爵からの申し出、いやアルフィン皇女よりのお言葉に従うとしよう。それが帝国貴族としての本来あるべき……」

 

「ーーーへぇ、それはつまり貴族連合を裏切るって事で良いのかな、伯爵さん」

 

 だが、世の中には例外というものが存在する。多くの者が心をへし折られた“英雄”の勇姿、味方であるのならばともかく敵であるのならば、恐怖を抱くのが真っ当なその光景を見て、心と身体が疼いてたまらなくなってしまったどうしようもない変態(・・)という人種がこの世には存在するのだ。

 

「まだたかだか(・・・・)機甲兵部隊が壊滅しただけじゃない、そんな程度で降伏だなんてそんなの許さないよ」

 

 ああ、そうだようやく想い人と再び巡り会えたこの機会を逃してなるものかと間男(・・)に掻っ攫われかけた恋する乙女の皮をかぶった獰猛なる竜はその獣性を全開にする。

 政治的理由に配慮?知らぬ存ぜぬ知ったことか、戦場にそんなものを持ち込むのは無粋極まるぞと。あらゆる財宝に勝る英雄の輝きしか、今の彼女にはもう映っていなかった。

 

「ずっとずっと、この時を待っていたんだよ。あの日初めて出会ったあの日から、心に焼きついたあの勇姿をもう一度見たくて、ずっと会いたくて。再会するときを夢見て……」

 

 もはやハルテンベルク伯爵の事など目に映っていない。彼女が見ているのはどこまでも雄々しき“英雄”の輝きだ。陶酔しきった様子でシャーリィ・オルランドは深い情念を吐き出す。

 

「なのに!間男に掻っ攫われて一ヶ月も行方不明になって、ようやく巡り会えたのにやり合わないままに降伏する?ーーー冗談じゃないよ、私と彼の逢瀬を邪魔するっていうのなら……この場に居る人達、鏖にしちゃうよ?」

 

 溢れ出す殺意の奔流、それをぶつけられて哀れなるハルテンベルク伯を泡を噴く。

 彼の不幸、それは赤い星座を、シャーリィ・オルランドを雇ったのが彼ではなくてカイエン公であった点だろう。

 如何に“恋”によって他が目に映らない状況であり前々から趣味に興じる傾向が強かったとはいえ、シャーリィ・オルランドはそれでもプロの猟兵だ。

 猟兵として(・・・・・)の護るべき一線というのはわきまえている。故に今回、こちらに来る際にも団長たる父親には根気強く説得とお願いして、自分の旗下とお目付け役としてガレスの部隊のみという条件でカイエン公からの申し出に応じる許可を得たのだ。ーーー以前の契約の際に結局鉄血の首を取れなかった埋め合わせも含めて。

 だからそう、例えばハルテンベルク伯爵が直接の雇い主であれば、どれだけ不本意であろうと雇い主の方針には従っただろう。ーーー正直、リィン・オズボーンが絡んだ時の彼女は完全に我に忘れるので若干怪しいところはあるが。

 だが、ハルテンベルク伯爵は彼女の雇い主ではない、どころか彼女の雇い主であるカイエン公爵を裏切ろうとしているのだ。

 で、あるのならば彼女に躊躇う理由など一切ない、降伏等するというのなら不実なる裏切り者として処理するだけだと獰猛なる竜は吠え立てる。ーーーカイエン公が、わざわざ赤い星座を此処に送ったのはこういった、離反を防ぐためのお目付け役という側面もあったので、シャーリィの行動はまさしく雇い主の希望に沿ったものと言えよう。

 

 そして哀れな事になったのはハルテンベルク伯である、前門には降伏しなければ殺す(・・・・・・・・・)と宣言した“英雄”、後門には降伏したら殺す(・・・・・・・)と宣言した獰猛なる“竜”と完全に退路を塞がれる形となった。

 薔薇色の未来を夢見ていたのも束の間、弱りきった顔で彼は信頼する首席幕僚へと「何とかしてくれ」と視線をやる。そして、彼が最も信頼する忠臣はそんな主の期待に十全に応えてくれたのだった。

 

「ーーーそういう事ならばどうだ、一騎打ちを挑んでみては?」

 

「一騎打ち?」

 

 キョトンとした顔を浮かべるシャーリィに伯の忠臣は此処ぞとばかりに畳み掛ける。

 

「そうだ、貴殿はどうやら並々ならぬ執着を鉄血の孺子……《灰色の騎士》殿に抱いているようだが、このまま戦闘を選んだとしても彼はあの機体に乗ったままであろう。

 であるのならば、どの道貴殿の彼と戦いたいという願いは叶わない可能性が高い、違うか?」

 

「うーん、それはまあ確かにそうかも」

 

「そこで、提案させてもらうのが一騎打ちだ。ーーーこれは、帝国貴族に伝わる伝統的な決着の付け方であり、貴族間での揉め事を仲裁するために使われるやり方だ」

 

 最もそれははるか昔の話、近代の戦争でこのやり方を持ち出した例などまず皆無と言って良い。

 

「ハルテンベルク伯爵閣下よりオズボーン伯爵閣下へと提案してもらい、こちらの代表としては貴殿に出てもらう。彼が応じれば、貴殿の願いは叶うというわけだ」

 

 どうだと提示された案に対してシャーリィは悩む。正直に言えば、誇り有る決闘等というのはシャーリィにとっては鼻で笑うような代物だ。

 何でもありの戦場で、総てをさらけ出し、ぶつけ合うからこそ戦場は素晴らしいのだ。だが、シャーリィが目的を果たすには彼をまず騎神から引きずり下ろす必要が出てくる。

 そして現状のシャーリィではいまいちその具体的な方策までは浮かんでいないし、たまにはそういう一風変わったプレイ(・・・)もマンネリ化の防止という点では良いのかもしれない、そんな思いもある。

 故に悩んだ末に彼女が出した結論は……

 

「そういう事なら、妥協しといてあげる。ーーーただし、覚えておいてね。赤い星座(わたしたち)赤い星座(わたしたち)を舐めたり、裏切ったりするような真似をしたものは絶対に許さない。地獄の果まで追いかけてしっかり償わせるって事をね」

 

 もしも彼との逢瀬の最中に裏切りの手土産(・・・・・・・)にでもしようとしたらどうなるかわかっているなと釘をシャーリィは指す。愛しの彼との逢瀬を邪魔する者は決して許さないと。

 

「ガレス、そういうわけだから私が彼とイチャイチャしている間の伯爵達の護衛(・・)をお願いね♥」

 

「かしこまりました、シャーリィ様」

 

「そういうわけだから、安心して(・・・・)私と彼のデートの場を整えてね」

 

 笑顔で脅されたままに、ハルテンベルク伯爵及び司令室の人間たちは祈るような気持ちで決闘の申し出をリィンに対して行う。

 正直に言えば、こんな提案はリィン・オズボーンが乗ってくれないと意味がないのだ。

 これが成功するか否か、それは一騎打ち等という酔狂な事をしてまで既に軍事的には勝利が確定した双龍橋の司令官、ハルテンベルク伯爵を彼が味方に引き入れたいと思っているか、それに総てが懸かっている。

 ーーー逆説的に言えば、これに乗ってくれるようであれば、厚く遇するという言葉に嘘はないという証明でも有るのだが。

 

 程なくして返ってきた返答は一騎打ちに応じるという受諾の意志を示すものであった。

 此処にハルテンベルク伯爵家の名代としてシャーリィ・オルランドとオズボーン伯爵家当主リィンの時代錯誤の一騎打ちが始まるのであった……

 

 

 




ドライケルス帝は有力貴族が皇位継承者を乱立させた内戦を収めたわけなんで
当然武勇だけでなく、この手の貴族勢力の切り崩し的なのも十八番だったと思うんですよね。
オズボーン君がハルテンベルク伯を使ってやったのはアレです
Ⅲでの鉄血陣営があえてバラッド候という露骨に革新派に擦り寄っている俗物を厚遇していたのや鉄血宰相がクロスベルでわざとマクダエル市長に会わずに露骨にこっちに媚を売っているロリトマンとだけ会談を行ったのと似たようなアレですね。

もう子どもだった頃のリィン・オズボーンは居ないのです。
何で若僧のオズボーンくんにそんな事が出来るんだが、大体ドライケルス帝の記憶ダウンロードの恩恵さ!で行けるので非常に便利です。

ちなみにこの話を描いた時、僕の心の中のオーベルシュタイン君は
「貴族共の間に相互不信の種を撒いて見せましょう」と豪語していました。


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“英雄”は未来を見据える

 

 シャーリィ・オルランドは15歳になるまでに“恋”というものを経験した事がなかった。

 いや、正確に言えば彼女はそれまでも恋していたのかもしれない、強き戦士達に、戦場そのものに。

 それらと戯れている時に彼女は確かに幸福だったのだから、極めて特殊な形だがある種の恋や愛だったと言えたのかもしれない。

 しかし、年相応の夢見る乙女心、それが複雑に入り混じった事で彼女にとっての“恋”のハードルを凄まじく高いものにしていた。

 “恋”とは曰く、その人しか目に映らない程に素敵なもの、同年代の女友達が居らずいわゆる普通の育ち方をしていない彼女はそんな本に描かれている内容を鵜呑みにした。

 自分にとっての“運命の人”はどんな素敵な人なんだろう、そんな乙女らしい夢を抱いていたたが、待てど待てどもそんな人は現れない。

 良いなと思う人にはしばしば会える、だが数回戯れると気がつけばその人とはそれっきりだ。

 はて、これは一体どういう事だと、次第に焦り出す。ひょっとして自分はビッチ(・・・)と呼ばれる移り気な女なのだろうかと悩んだ事もあった。

 やがて焦りは消えて行き、変わって訪れたのはある種の諦めだ。どうにも自分は一般的な女の子とズレているらしいので、そういう普通の女の子めいたものがきっと出来ないのだろうとそんな風に考え出した。

 そしてそれでも良いと思った、別段十分に幸せだったから、良いさ移り気な女は移り気な女らしく、美味しそうな相手をこれからも積極的につまみ食いして行けば良いとそんな風に思った。

 

 そんな半ばあきらめていた時に彼女は“運命の出会い”を果たした。

 リィン・オズボーン、数ヶ月前に出会った“運命の人”。雄々しくどこまでも輝いていた不撓不屈の英雄。

 シャーリィはたちまち彼に夢中になった。彼に比べれば、それまで「良いな」と思えた人が総て色あせて見えた。

 将来はともかく、現時点では彼よりも強いはずの人達でさえそんな風になってしまったのはシャーリィにとっては不思議だったが、すぐにそんな事は考えるだけ無粋だと理由など考えるのは辞めた。だって“恋”というのは理屈ではないのだから。

 シャーリィ・オルランドがリィン・オズボーンに恋をしたのは、リィンがリィンだったから、それで良いではないか。

 彼との逢瀬を夢見てシャーリィは今一度自分を磨き直した。空白となっている闘神の座、それを継ぐために父へと鍛え直す事を願い出た。それでも、愛しい彼がどうしているかがついつい気になってしまうのが乙女心というもの、シャーリィは柄にもなく帝国で彼の事が載っている新聞や記事を積極的に取り寄せてそれに目を通していた。

 紙面越しでしかないが、彼のその凛々しい表情を目にするだけで彼に見合う女になるように頑張らなければと修練に一層身が入った。

 だが、そうしてお色直しを行っていた彼女の下にとんでもない訃報が齎される。

 『貴族連合の《蒼の騎士》、帝都を混乱へと陥れた暴虐なる《灰色の悪魔》を討伐!』そんな風に描かれた帝国の新聞の記事が目に飛び込んできたのだ。

 

 思えば、シャーリィ・オルランドが恐怖という感情を覚えたのはあるいはこのときが初めてだったのかもしれない。

 何よりも愛しい人が、自分以外の誰かにどこの馬の骨ともわからない奴に殺されるかもしれない、そんな危惧が現実になる可能性を提示された事でシャーリィは完全に我を忘れた。

 それは生まれた時から死が身近なものであったシャーリィにとっては初めての感情だった、誰かの死(・・・・)を恐れるなどという事は自分の死も当然のように覚悟している生まれながらの猟兵にとっては。

 初めて抱いた感情に完全にシャーリィは我を失った。「パパの言う通りに彼を信じて次を待った結果がこの惨状だった。やっぱりあの時最期までやり合うべきだったのだ」と彼女は生まれて初めて敬愛する父に八つ当たり(・・・・・)というものを行ったのだ。

 そうして帝国に行くと駄々をこね出した愛娘に嘆息しながら父親たるシグムントは信頼する部下をお守りをつけて、「やはりどうにも娘には甘くなってしまうな、俺も人の親という事か」等と自嘲しながら、ちょうど来ていたカイエン公よりの依頼を愛娘のために受諾するのであった。

 

 そうして派遣された地でシャーリィは再び恋した愛しい人へと巡り会えた。

 それは恋する乙女にとって、やはり自分と彼の間には運命の赤い糸が存在するのだと浮かれるには十分な出来事だった。ーーー実態は猟兵として鍛えられた闘争本能から、この地が東部戦線における重要地点だと見抜いたが故の行動であったが、恋している乙女にはそんな無粋な理屈よりも“運命”という言葉こそが好まれるものなのだ。

 かくしてシャーリィ・オルランドは再び想い人とめぐりあう事が出来た。再び訪れた逢瀬の機会に彼女はまさしく夢見心地で、デートの場所へと今にもスキップしそうな浮かれ気分で歩を進める。

 

 その様子はどこまでも子ども(・・・)であった。自分はこれだけ思っているのだから相手も応えてくれるに違いない、そんな無邪気で可愛らしく傲慢な(・・・)発想。

 “失恋”という痛みを経験したことがない夢見がちな少女のする都合の良い砂糖菓子のように甘ったるい妄想だ。

 シャーリィ・オルランドは戦いの天才だった、故に彼女は経験したことがなかったのだ。格下だった者、あるいは同格だったものに追い抜かれる、そんな世の只人達が成長過程で散々に舐める事になる辛酸を。

 何故ならば彼女は常に追い抜いて行く側だったから、格上の者が居たとしてもそれは彼女よりはるか年上の者だったから。

 いつのまにか置き去りにされる恐怖、どれほど自分が本気を出しても決して追いつけず、自分では及ばぬ高みへと至っている。そんな己の限界というものを突きつけられる挫折という経験を、初な天才少女は未だ経験した事がなかったのだった……

 

 

・・・

 

「アハハハ!」

 

 狂ってしまいそうな喜悦と共にシャーリィ・オルランドは目前の敵へと苛烈な攻撃を加える。

 しかし、そんな苛烈な攻撃をリィン・オズボーンは的確に防ぎ、かつカウンターを行う。

 無傷のリィンに対して、決して浅くはない裂傷がシャーリィの身体へと刻み込まれる。それはこの数ヶ月の間に出来た二人の間の実力差を如実に示すものだと言えよう。

 かつてオルキスタワーにて死闘を繰り広げた時には五分だったそれが、今では明らかに優勢な側と劣勢な側を別かつ事となった。

 

「すごい!凄いよリィン!!!此処まで強くなっているだなんて!!!やっぱり貴方は最高だよ!!!!」

 

 しかし、そんな最中にあって尚シャーリィ・オルランドは喜悦の色を崩さない。

 ああ、なんて素敵な人なんだろう、この人は何時だってそうだ。初めて出会った時から何時だって自分の想像のはるか上を往く。自分とて誓って怠けていたわけではない、闘神継承のための修行を最期まで行ったわけではないが、それでもこの逢瀬を夢見てひたむきに自分に磨きをかけていた。

 だというのに、目の前の愛しの英雄はその上を行っていた。ああ、やはりこの人は最高だ。誰にも渡したくないし譲る気など無い、彼を殺すのは自分だし、自分を殺すのもまた彼以外に有り得ない。

 

「イメージチェンジって奴?ふふふ、前の荒々しい貴方も素敵だったけど今の落ち着いた感じも素敵だね♥大人の男って感じ」

 

 以前にやりあった時の獣性と殺意をむき出しにした様子はどこか行き、今の英雄の太刀はどこまでも澄んでいた。武の至境、『理』と称される頂きに今のリィンは限りなく近づいている。後ほんの少し、そう後ほんの少しのきっかけでリィン・オズボーンはそこに至るだろう。

 ほんの数ヶ月、ほんの数ヶ月の間でシャーリィ・オルランドはかつて五分だった、いや実戦経験の差を入れれば自分の方が上回っていた“技量”という点に於いて完全にリィン・オズボーンの後塵を拝していた。技だけではない、力もまたそうだ。まるで人間を超越したが如きその身体能力はシャーリィのはるか先を往き、それを振るう精神性にも一切の揺らぎ無く殺意の奔流を鋼鉄の如き精神によって律していた。心技体、その3つ総てが数ヶ月前とは比べ物にならない高みへと至っている事は疑いようがなかった。

 そしてそんなリィンの強さにシャーリィ・オルランドは歓喜の咆哮を挙げる。想い人が更に素晴らしくカッコよくなっているのだ、恋する乙女としてこんなにも嬉しい事が有るのかと。

 こうしている今も身体に刻み込まれていく裂傷は彼女にとっては何よりも素晴らしい勲章であり、愛の証に思えたのだ。

そう今のリィン・オズボーンも確かに魅力的だ、あるいはこっちのほうが好きという人も居るかもしれない。

 

 けれどーーー

 

「だけどやっぱり、シャーリィは以前のリィンの方が好みだなぁ。もっと貴方のむき出しの殺意(アイ)をぶつけて来てよ!それで、シャーリィが貴方のものだって証を刻み込んで!!」

 

 あのむき出しのどこまでも混じり気なしの純然たる殺意、必ず殺すと必滅を誓う、魂毎射抜くような鋭い鋼の眼光にこそシャーリィ・オルランドは心を鷲掴みにされたのだからと。

 シャーリィ・オルランドは身体に刻まれる裂傷などまるで気にせずに常軌を逸した猛攻を続ける。さあとことん最期まで()し合おう。邪悪なる竜を討滅するのが英雄の使命なれば、いざむき出しの貴方を見せて欲しいと。あの時のように、さあ共に高め合おうと。

 しかし、そんな恋する乙女の愛の言葉にも英雄は動じない、どこまでも静謐にその双剣を振るい続けるのみだ。貴様相手にはこれで十分だ(・・・・・・)とでも告げるように。

 それが、シャーリィには酷く哀しい。あの時はあんなにも深く()し合って、あの逢瀬をずっと夢見て自分はわざわざ帝国にまで来たのにどうしてそんなに連れないのかと。鈍感極まりない“英雄”に初めて不満を抱く。

 

「良いよ!そういう事だったら、意地でも振り向かせて見るだけだから!!!」

 

 だがシャーリィ・オルランドの辞書に諦め等というものはない。

 振り向いてくれないというのなら、振り向かせるだけの事。つまるところ、今の彼がこんな連れない態度なのは自分が彼の本気(・・)に値していないから。

 確かにこの数ヶ月の間で、自分と彼の間の差は開いた。だがそれが何だというのか、今の自分が釣り合っていないというのならあの時のように彼に釣り合う自分になるだけだと魔竜は覚醒を果たしていく。

 愛しの英雄が本気を出して討伐するに値する存在へとなるために、愛しい彼に釣り合う女でありたい、そんな健気な乙女心によって。

 身体にかかる負荷など一切頓着せずに闘気をひたすらに高めていく、そんな彼女の想いに呼応するかのように彼女の身体に流れる闘神の血はマグマのように熱く脈動し続ける。余りにも高まりすぎた闘気は彼女の肉体という器を破壊し始めるが、そんな事は知った事かとどこまでもどこまでも雄々しき英雄へと追いつくために。

 

「行くよリィン!この私の想いをどうか余さず受け止めて!!!」

 

 熱烈な愛の告白と共に叩きつけられたその一撃は、先程までとは比較にならぬ速度と破壊力だ。

 カウンターを叩き込む余裕はなく、リィンは防戦へと回りだす。此処に戦いの天秤は再び均衡し始める。

 シャーリィ・オルランドはその心を以てリィン・オズボーンへと再びに並び立ったのだ。

 

「これが私の全力だよ、リィン!!貴方が相手だから私はこうなれた!!!他の誰でもない、貴方だからこそ!!!」

 

 沸騰していく血液、断裂していく筋繊維、ひび割れていく骨。想像を絶する苦痛が身体を襲っているにも関わらずシャーリィ・オルランドはそんな色など欠片も滲ませずに喜びを露にする。

 ああ、最高だ。この自分の限界を突破していく感覚こそが溜まらないのだと。貴方が相手だからこそ(・・・・・・・・・・)私はそれが出来るのだと。

 

「だから、貴方もそれに応えて!!!あの時のように!!!!」

 

 その結果としてこの生を終えるとしても一向に構わないと誰よりも雄々しく愛しい貴方の手にかかるのならば、いや貴方の手にかかってこそ私は死にたいのだと。

 さあ、どうか本気を出してくれと。あのどこまでも雄々しく荒々しい素敵な瞳でもう一度自分を見つめて欲しい、愛の証を自分の身体に刻み込んで欲しいのだと告白を前にして英雄はーーー

 

 どこまでも静謐にそれを受け止めて、卓越した剣技によってそれを凌ぎ続ける。

 これで十分なのだ(・・・・・)とシャーリィ・オルランドに突きつけるように。

 お前の勝手な想いに俺は応えるつもりなど無いのだと突きつけるそれにシャーリィは一瞬だけ哀しい瞳をして…… 

 

「そっか……いいよ、別にそれでも。意地でも貴方を振り向かせるだけだから!!!」

 

 諦めない。諦めない。絶対に諦めない。意地でも振り向かせて見せるぞと更に闘気を猛らせる。

 まだまだまだまだ、まだまだまだまだ、まだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだ まだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだ まだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだ まだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだ まだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだ まだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだ―――ッ と。

 身体への負荷など一切考えずにどこまでも心の力で覚醒を遂げていく。

 そんなシャーリィ・オルランドの純然たる力を前に、リィン・オズボーンは練達と称するに相応しい、その巧みな“技”によって凌ぎ続ける。それはまさしく“力”では怪物にはどうあっても及ばぬ、人としての高み。人ならば思わず見惚れてしまう“英雄”の戦いだ。

 しかし、そんな英雄に対して魔竜はひたすらに覚醒を遂げていく。何が何でも愛しい人の本気を引っ張り出して見せると猛り続ける。貴方の本領はそれだけではないはずだと、その鋼鉄の心によって律している怪物を解き放ち、むき出しの貴方を見せてくれと。

 

 徐々にだが、英雄の振るう技を怪物の力が凌駕し始める。

 もう少しだ、もう少しだと怪物は猛り続ける。

 

(もう少し……もう少し………)

 

 何故だろう、もう少しまでのところまで来たはずのところで再びその剣が鋭くなり始めるた様に戸惑っていたのも一瞬。魔竜はすぐさま歓喜の咆哮を挙げる。

 望むところだ。ようやくこちらの本気に向こうも応えてくれたのだと、歓喜と共にさらなる力をーーー

 

 

(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・アレ?)

 

 何故か、身体が動かない。手足が言うことを聞かない。

 これは一体どういう事だろう、気が付かない内に攻撃を受けたのだろうか?とシャーリィは戸惑うが何のことはない、彼女は単に限界に達しただけなのだ。

 人である以上、物理的な限界というものがこの世には存在するのだから。

 どれだけ強く想おうと常に身体がそれに応えてくれるわけではない、想いに呼応するだけの下地を作るためにこそ日々、戦士は自分の技と肉体を磨き続けるのだから。

 そしてシャーリィ・オルランドの肉体と技は、彼女の燃え盛る心に着いてこれる領域にまで鍛え上げられていなかった、要はそれだけの話しなのだ。

 それはある意味では残酷な現実だった、シャーリィ・オルランドは決して自らを研鑽する事を怠っていなかった。そしてその才能も戦いの分野に限って言えば、リィン・オズボーンと大きな差があるわけではない。本来であれば、リィン・オズボーンが只人であればこれ程の差は生まれなかったはずなのだ。

 二人の間にこれほどまでに明確な差が生じた理由、それは偏に選ばれたか選ばれなかったかその差でしか無い。

 騎神の起動者として大きな飛躍を遂げたリィン・オズボーンに対して、起動者でない彼女は飛躍するための機会と翼を得る事が出来なかった。それだけの話しなのだ。

 

(ああ……………ああ)

 

 こちらを睥睨する愛しの英雄の瞳、それはどこまでも澄んでいた。

 そこには強敵を下した事に対する達成感や喜び、そういったものは宿っていない。

 ただ、道に立ちはだかった障害を適当に(・・・)かつ順当に(・・・)除けただけと言わんばかりの視線。

 慈悲もなく、憎悪もなく、どこまでもどうでもいい邪魔者(・・・・・・・・・)を倒しただけと言った態度だ。

 勝って当然(・・・・・)の相手に順当に勝っただけの事、誇るような事でも喜ぶような事でもないとその視線は告げていた。

 

 そして“英雄”はその双剣を収める。それは、これが帝国貴族としての伝統と格式のある決闘だからこその行動であった。

 戦いの最中でどちらかが死んでしまったというのならばともかく、明確に勝負が着いたのにトドメを刺すような行為は帝国貴族としての誇りを汚す行為として固く禁じられるところである故に。

 シャーリィ・オルランドを殺したところでハルテンベルク伯は気にも止めないだろうが、それでも伯をこちらに味方に引き込むためには帝国貴族の誇りと伝統を重んじているように見せかける必要が、今はまだあった。

 加えて言えば、トドメを刺してしまうと伯の周辺に居るであろう赤い星座の連中が何をするかわからないという懸念もあった。

 そこらのごろつき崩れならばいざ知らず、名だたる超一級の猟兵がそんな事をするとは限らないが、万一ということも考えられる。

 何よりも、赤い星座は上手くすればこちらに引き込む事が出来るーーー彼らの今の雇い主であるカイエン公にはかつて列車砲で彼ら毎宰相を殺そうとしたという爆弾があるからだ。

 これを利用すれば、カイエン公と手を切らせて、こちらに引き込む事は十分可能だと、この手の交渉において百戦錬磨たるアランドール大尉は豪語していた。

 故にリィン・オズボーンはシャーリィ・オルランドにトドメを刺すような真似はしない。決して慈悲などではなく、生かしておく場合のリスクとメリット、それを天秤にかけて後者がわずかだが上回ると判断したが故に。

 

 だがそうして、剣を収めこちらに背中を見せる英雄を見てシャーリィは狂いそうになる悲しみを味わっていた。自分は、殺す価値すら無い存在だと、想い人に断じられた故に。

 ポロポロとシャーリィ・オルランドは物心がついてから初めて涙を流した。それは悲しさと悔しさの涙だ。

 余りの悲しみにシャーリィは泣き出した、それは生まれて初めて味わう失恋と挫折の経験が齎したもの。それでもなお、追いすがろうとシャーリィは立ち去る英雄へと手を伸ばす。

 

 待ってーーー待ってよ愛しの英雄。私を置いて行かないでーーーと。

 されど、英雄は一瞥をくれることすらなくその場を立ち去っていく。格付けは済んだ、もはやお前に用はないとでも言わんばかりにどこまでも雄々しく未来を見据えて、粉砕した障害物に割く時間など無いのだと言わんばかりに。

 

 七曜暦1204年12月9日。双龍橋司令官ハルテンベルク伯は正規軍及びアルフィン皇女殿下への帰順を表明。

 伯爵のその表明と共に、帝国正規軍の大攻勢に晒されていた双龍橋以東の司令官達もまた雪崩こむように次々と降伏。

 此処に東部戦線の均衡は大きく崩れる事となる。それは苦境にあった正規軍の反撃の狼煙であった。

 

 七曜暦1204年12月10日。

 双龍橋にてヴァンダイク元帥らを迎えたリィン・オズボーン大尉は、双龍橋奪還の功績によって少佐へとその階級を進める事となる。

 更にカイエン公爵へと雇われていたA級猟兵団、赤い星座は「公爵は許されざる不義理を働いていた。もはや契約相手に値せず」という宣言と共にカイエン公との契約の打ち切りを表明。

 以後、十月戦役に於いて代わって雇った帝国軍情報局の猟犬としてその猛威を振るう事となる。

 

 

 




そういうわけで(内戦の間だけですが)赤い星座が仲間になりました!


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埋伏の毒

カイエン公は終盤テスタロッサキメてとち狂った感がありますが、基本優秀な人物だったと思っています。
曲がりなりにもオズボーンパッパとやりあって、アルバレア公爵という対等に近い政敵相手を押しのけて完全に貴族連合の主導権を握っていたわけですから。


 双龍橋陥落、及びそれと共に司令官を務めていたハルテンベルク伯が正規軍へと帰順したとの報は瞬く間に帝国全土を駆け巡った。当然、貴族連合はただちに情報統制を行おうとした、帝都を占領した事で《帝国時報》を筆頭に各種メディアは貴族連合の統制下にある。「ペンは剣よりも強し」の語源とは良くジャーナリスト達が使用している言論の武力に対する優越を示したものではなく、もともとは権力の武力に対する優越を示したものである事を証明するかのように、武力と権力というこの世を統べる強大な力を前に帝国最大手のタブロイド紙である《帝国時報》を筆頭に、貴族連合の都合の良い内容を描かせた。

 しかし、100年以上前ならばいざ知らず導力革命以後のあらゆる流れが加速したこの時代において完璧な情報統制など出来るわけは無いし、そも革新派の支持者が多かった帝都とその近郊の都市の多くでは暴挙に及んだ貴族連合に反発が色濃く、人々は貴族連合の息のかかった紙面の情報よりも、まことしやかに語られて流れてくる噂の方こそをむしろ信じたのである。

 曰く、宰相閣下の遺児たる若き英雄リィン・オズボーンは邪悪なるカイエン公の魔の手より皇女殿下を救出。皇女殿下の全幅の信頼を得た灰色の騎士は正々堂々とした戦いで貴族連合の尖兵たちを一蹴し、その騎士の高潔な有り様と皇女の慈悲深さに心を打たれた一部の良心的な貴族は己が過ちを悟り、皇女殿下へと忠誠を誓ったというものである。

 帝都の民は歓呼に沸き立った。誰もが美しく慈悲深き皇女と勇ましき騎士のお伽噺のような英雄譚へと胸を弾ませて、お伽噺の如く「悪の貴族」を討ち、めでたしめでたしで物語を締めくくってくれる事を期待しているのであった……

 

・・・

 

「おのれハルテンベルクの裏切り者めが!!!」

 

 そして、そんな沸き立つ、貴族連合の兵士の目があるため余り大っぴらには出来ないが、民とは裏腹に貴族連合主宰たるクロワール・ド・カイエンは当然のように荒れていた。怒りのままに手元にあったグラスを床へと叩きつける。そして彼に仕える使用人たちは触らぬ神に祟りなしとばかりに、癇癪を起こした主の逆鱗に触れぬようにしながら、それを手早く片付ける。貴族連合の総旗艦たるパンタグリュエルは所有者の趣味嗜好が如何なく反映されており、その内装は軍艦というよりはもはや豪華客船に近い状態となっており、そこに詰め込まれた人員もカイエン公爵家に代々と仕える選りすぐりの従者達。主がこうなった時の対処というのは皆、心得ている。

 

「恥知らずにも裏切った挙げ句に、皇女殿下の慈悲深さに触れて、己が過ちを悟っただと?貴族としての正道へと立ち返り、この私を討つだと?良くもぬけぬけと言ったものだ!!!」

 

 鉄血の孺子めが生きていて正規軍へと合流したことーーーこれ自体は予想できていたことだ。

 アルフィン皇女が正規軍へと合流を果たしたことーーーこれも痛手ではあるが虎の子の皇帝と皇太子を抑えている以上、最悪ではない。

 だがよりにもよってそれが同時に起こり、更にはその直後に双龍橋が陥落した事、これが最悪であった。

 これによって忌々しき孺子は完全に“英雄”としての名声を不動のものにした。今では無知蒙昧なる愚民共は年若き英雄と皇女が悪逆なる貴族を討ち果たし、囚われの皇帝陛下を救出して最後には平和になった国で二人が結ばれる等という愚にも付かぬ全く以て不愉快な夢想をしている始末。いや、別段愚民共がそんな夢想をしていること、それ自体はどうでも良い。誰にとて夢を見る権利はあるのだから、自分の頭の中でのみ夢に浸っているという程度は許容しようーーー言葉に出したりするというのならば当然、それなりの責任(・・)をとってもらうが。

 よりにもよってそんな正規軍側が否応にも盛り上がるような流れで、ハルテンベルク伯という帝国貴族に於いても由緒正しき名家が裏切ったという点が最悪なのだ。降伏して帰順した、ハルテンベルク伯はあからさまな厚遇を受けた。アルフィン皇女は直々に伯爵を歓待して「伯爵閣下は己が過ちを悟り、忠道へと立ち返りました。私アルフィン・ライゼ・アルノールのこの高潔な決断に心よりの感謝を告げると共に、その罪を許す事を此処に宣言致します」と直々に宣言を出したのだ。この皇女の慈悲に感謝の涙を流したハルテンベルク伯は、皇女への忠誠を心より誓い、他の帝国貴族達に対してもアルフィン皇女への帰順を呼びかけだしており、双龍橋以東にいたもの達はこぞって帰順を表明、それ以外の者たちの間にも動揺が走っているというわけだ。

 

「おのれ愚か者共めが……!あからさまな離間の策にこれみよがしに乗せられおって!そんなにも処刑台に昇る順番を後にする権利を買いたいと言うのか!!」

 

 何故わからぬのか、この内戦で自分たち貴族連合が敗北すればそれは結局のところ自分たち貴族の破滅を意味するという事を。

 ーーーこのままでは我ら貴族はあの怪物によって滅ばされかねない、そんな危機感を共有したからこそ我ら貴族は此度の義挙に及んだのではないかと。

 

 結局のところ、貴族連合とは反ギリアス・オズボーンのための組織でしかなかったという事だろう。

 ギリアス・オズボーンという急進的に改革を断行する怪物に自らの権益が犯されていっている、そんな危機感があったからこそ彼ら貴族は手を結んだ。

 だが、その怪物は既にこの世に居ない。それは貴族にとっては紛れもない福音であり、今回のクーデターを成功させるためには必須のことだったが、皮肉にもそれが貴族連合の横の連帯を乱す結果を生んだ。

 元より、四大名門とは潜在的な政敵同士なのだ。帝国の争いとはすなわち、四大名門同士の争い。獅子戦役に代表されるように、彼らは帝国の覇権を争い続けた。皇族、アルノール家とは元来そんな四大名門の調停者として頂点に君臨する事になった存在。かの獅子心皇帝ドライケルス・ライゼ・アルノールでさえも、獅子戦役によってその影響力が減退したにも関わらず、そこから完全に脱する事が出来たわけではない。

 そんな潜在的な敵同士が手を取り合い結束していたのは偏に、ギリアス・オズボーンという共通の敵が居ればこそ。共通の敵を喪失した事で貴族連合の間には徐々にだが、確実にその結束が緩まりつつあったのだ。 

 実際にログナー侯爵家は皇帝を軟禁していることに対して反発めいた感情を抱いているし、ハイアームズ公なども耐えず正規軍側との和解を主張し続けており、アルバレア公等は秘密裏にアルフィン皇女の身柄を確保しようとしたのに代表されるように、盟主たるカイエン公に露骨に対抗意識を燃やしている。

 

 それでもそれはまだあくまで潜在的な不安要素という程度のもので、これまでは表面化はしてこなかった。何故ならばカイエン公には確保した皇族という権威、オルディスの海運によって支えられた帝国最大の財力、そして蒼の騎士と“黄金の羅刹”を筆頭とした武力、それらの人の上に立つものに必要な権力の源泉、それらを総て有していたから、何よりも内戦、それ自体は貴族連合側が優勢という確たる実績があったから。このまま行けば、そう遠くない内に各地の正規軍が音を挙げていき、貴族連合の勝利は自ずと明らか、そういう流れに徐々にだが傾いてきて居たのだ。

 だが、双龍橋の陥落、そしてそれに伴うハルテンベルク伯の帰順によって一気に流れを正規軍側に引き戻されてしまったのだ。それでも陥落しただけであれば、まだ問題はなかった。だが問題はハルテンベルク伯が正規軍への帰順を表明した事、そしてそれを正規軍側が厚遇したことなのだ。

 これによって連合を構成する貴族たちの間にはある疑問が植え付けられた、帰順しても厚く遇されるというのならば命を賭けてまで精強たる正規軍とやり合う必要はあるのか?と。皮肉にもギリアス・オズボーンという怪物が消えたこと、それが貴族たちの必死さをを削いでしまった、あの男が生きていれば自分たちはいずれ滅び去る事になる、故にこそ危険を犯してでも戦わなければならないと言う覚悟を。

 NO2であったカール・レーグニッツが革新派内部でも穏健派に位置する人物であったこと、宰相の後継たるリィン・オズボーンが未だ年若く軍事的にはともかく、政治的にはいくらでもつけ入る隙のある若僧であると目されている事、それらが貴族たちの間に厭戦気分を広げたのだ。

 

 手中に収めつつあった“勝利”は遠ざかり、情勢は再びどちらが勝つかわからない混沌とした状況へと陥りつつある。そう、どちらが勝つかはまだ、わからないのだ。

 

「ふん、面白いではないか。つまるところこの私、クロワール・ド・カイエンの器がカール・レーグニッツと鉄血の孺子の器に勝っているか、要はそういう勝負というわけだ」

 

 何も悲観することはないだとでも言わんばかりにカイエン公は使用人が代わりに持ってきたワインを飲み干す。

 クロワール・ド・カイエンは何も伊達でカイエン公爵家の当主、そして貴族連合主宰という地位を手に入れたわけではない。

 権力闘争という武力、財力、智力、それらを総て動員する最高にスリリングなゲームに勝ち取って彼はその地位を手に入れたのだ。無論、彼が万人に比べて恵まれたスタートラインに立っていた事は確かな事実だ、それでもその恵まれたスタートを活かし、今の地位を築き上げたのは彼自身の才覚に依るもの。決して無能でも小心でもなかった。

 そうとも、自分はギリアス・オズボーンという最大の強敵を葬り去ったのだ、ならばそのオマケと息子程度一体何を恐れる必要があるというのか。残敵掃討程度に思っていた敵が思ったよりも歯ごたえがあった、それだけの事ではないかと意気を漲らせる。

 

「総参謀殿、状況は聞いてのとおりだ。君の意見を聞こう」

 

 そうしてクロワール・ド・カイエンはこの一ヶ月の間に最も信認するようになった、己が最大の腹心へと問いかける。主よりのその問いかけに貴族連合の才子は優美な表情を浮かべ

 

「はい、公爵閣下。それでは謹んで意見を具申させて頂きます。

 蒼の騎士殿にはこのまま西部戦線で活躍して頂きます。まずは公爵閣下のお膝元である西部の安定化と勝利、これが最優先事項なのですから。西部における勝利によって閣下と貴族連合の威信を再び知らしめるのです。

 そして、敵が勢いに乗っている東部戦線ですがーーーこちらへの対処はアルバレア公に一任致します。我々の方からは一切戦力は出しません。そうする事で、此度の失態は我々貴族連合の敗北ではなく、アルバレア公の敗北であるとの印象を与えるのです。これにより、閣下の求心力の低下は最小限に抑える事が出来、なおかつ閣下に対して何かと対抗意識を燃やしているアルバレア公の影響力を落とす事が出来ます」

 

 平然とルーファス・アルバレアはアルバレア家の人間でありながら、アルバレア家に不利となるような事を提案する。その態度はまさに今の当主が統べるアルバレア等自分にとってはどうでも良いのだと、自分の真の主は他に居るのだと示す態度であった。

 

「ほう……私にとっては良いが、君はそれで良いのかね?お父上(・・・)の意向に背く事になるだろうに」

 

 そしてそんなルーファスの態度に対してカイエン公は驚くでもなく、からかうように笑いかける。

 それはまるで己が義息子に対して向けるような親愛に満ちたものであった。

 

「閣下もお人が悪い……アルバレア公が私の父ではない事、他ならぬ閣下になればこそお話させて頂いたではありませんか」

 

 そしてそんなカイエン公へとルーファスもまた困ったような笑みを浮かべながら応じる。それはどこまでも親愛と敬意に満ちたものであった。

 

「ハハハ、いやはや済まないね。しかし、アルバレア公は父で無くとも君にとっては叔父上であり、アルバレア家は君が何れ継ぐ事になる家だが本当に良いのかね?」

 

「ええ、問題ありません閣下。正直に申しまして、我が叔父にはほとほとうんざりとさせられおりましたので、良い機会ですのでこれを機に隠居して頂きたいと思っているのですよ」

 

 如何にも現当主が眼の上のたんこぶであり疎ましくてしょうがないとでも言わんばかりの辟易とした表情でルーファスはカイエン公の問いへと答える。

 

「無論、アルバレア家も少なからず打撃を受ける事となるでしょうが、それも必要な犠牲というもの。私が当主となれば直ぐにでも今の隆盛をいえ、今を越える隆盛を築き上げてみせる自信があります。ーーー今の叔父などとは比べ物にならない頼もしい叔父上も出来る事ですしね」

 

 己が才覚に溺れた傲慢なる才子としか言いようがない態度でルーファス・アルバレアは絶対の自負を抱くように告げた後に一変して媚びるような笑みをカイエン公に向ける。

 

「ふふふ、私の方も君のような頼もしき義甥を持てて大変嬉しく思うよ。それこそ本当の叔父だと思って接してくれれば嬉しいね」

 

「痛み入りますーーーでは、閣下を義叔父上と一刻も早く呼べるように、早急にこの内戦を終わらせる事としましょう」

 

 本来ならば潜在的な政敵になり得るルーファスへとカイエン公が全幅の信頼を置いているその理由、それはルーファス・アルバレアが公爵家の醜聞をカイエン公へと打ち明けたからだ。

 今の当主と自分の血は繋がっていない、当主の弟と正妻の間にできた不義の子、それが自分なのだと。故に自分は今の当主が、息子可愛さに血のつながらぬ義弟、従兄弟たるユーシス・アルバレアを公爵家当主へと推しだすのではないかとずっと恐れているのだと。

 そうならないために叔父を排除して、自分が公爵家当主の座に就く事に協力して欲しい、そうすれば自分は公爵閣下に心よりの感謝と忠誠を誓うと。

 そしてカイエン公はそれを信じた、公爵家当主足る彼にしてみれば、貴族派きっての才子と謳われる程の人物が公爵家当主の座を失う事になる恐怖は痛いほど共感できるものだった故に。

 己が才覚に自信を抱いている可愛らしい若者に、全面的な協力を約束。その証拠と言わんばかりに、古来よりの常套手段によって彼を取り込もうと図った。政略結婚である。

 彼が未だ独身である事を理由に兼ねてより水面下で進められていたアストライア女学院に居る姪ミルディーヌ・ユーゼリス・ド・カイエンとの婚約を提案したのだ。

 年は一回り以上離れているが、貴族社会に於いてはそう珍しい事ではない。ルーファスは公爵の提案と厚意に心よりの感謝を告げ、此処に貴族連合主宰クロワール・ド・カイエンと総参謀ルーファス・アルバレアの密約が成立したのであった。

 カイエン公にとって見れば先代の忘れ形見等という下手をすると火種になりかねない駒を使って、次期アルバレア公爵を身内に引き込めるのだから文句のつけようのない一石二鳥の策であった。

 

 そうして開戦より一ヶ月、未来の甥はカイエン公の期待に十二分以上に答えてくれた。

 貴族連合のために、いやカイエン公爵家のためにその才幹を遺憾なく発揮して、自分を盟主として絶えず立てる。

 そんなルーファスにカイエン公は今では全幅の信頼を抱く様になっていた。なにせ未来の身内なのだから、さもありなんである。

 故にルーファス・アルバレアの策はほぼ無批判に通過されていく、次期アルバレア公爵にして総参謀という立場に加えてカイエン公爵からの全面的とも言える信頼。

 こんな者が提示した策へと異を唱える事のできる気骨のある者などそうは居ない。

 そしてそんな少数の異論をルーファス・アルバレアはむしろ歓迎した。決して不愉快な表情を浮かべる事無く、どこまでも優美かつ穏やかに返答していくのだ。

 そうして話し終えれば、もはやルーファスの策に対する不安はその者達の中から消えている。むしろ自分如きがルーファス程に素晴らしい人物に対して異論などどうして差し挟めると思ったのだろうと言った心境へとなっているのだ。

 

 故に今回のルーファスの提案もあっさりと受け入れられて通る事となる。東部戦線と灰色の悪魔は一先ず放置しておき、帝国西部の安定化を最優先する。そんなカイエン公にとって都合が良く、なおかつ正規軍にとっても、否リィン・オズボーンにとっても好都合この上ない提案が……




ルーファスってどうも妻子がいる描写がないんですよね。
27歳という年齢と次期アルバレア公爵という立場を思うとこれはちょっと異常です。
後継者作りと政略結婚は貴族にとっては義務の一つですから。
なので恐らくその妻の座を巡って色々水面下で駆け引きがあったんだと思います。
それこそカイエン公の姪であるミュゼとの縁談が持ち上がることもなんら不思議ではないと思うんですよね。

ルーファス、ミルディーヌ公爵夫妻。
もしも成立していたらさぞかし子どもは両親に似て腹黒……もとい利発な子になった事でしょう。


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勝利の美酒

アルハラ駄目、絶対


 正規軍の双龍橋攻略作戦はこの上ない大成功で終わった。

 単に双龍橋を制圧するのに留まらず、要塞司令官たるハルテンベルク伯の調略に成功したのだ。これによって正規軍は双龍橋に存在する物資や要塞機能をほとんど破壊する事無く、そのまま手に入れる事が出来たのみならず、ハルテンベルク伯という帝国東部における大貴族の協力を得たことで一挙に補給上の問題を解消する事に成功したのだ。

 これを受けて後退した貴族連合は防衛に向かないケルディックを放棄、アルバレア公爵家の本拠地たるバリアハート方面に防衛線を敷き、帝都方面には貴族連合より援軍が派遣された事で、戦線を立て直すのであった。

 正規軍側もまた、一先ず補給を行い、部隊を再編する事と双龍橋の以東の安定化を優先するのであった……

 

 

・・・

 

「それでは、これにて契約成立という事でよろしいですね」

 

「はい、それは勿論。他ならぬアルフィン皇女殿下直々の保証まであるのでしたら、こちらに異論などあるはずもございません」

 

 にこやかな笑顔を浮かべながら握手を交わすアルフィン皇女とオットー元締めの姿、それは取引の内容が双方にとって益のあるものである事を証明するものであった。

 レーグニッツ知事とアルフィン皇女が護衛を伴いケルディックへと訪れた理由、それは一つには内戦の最中で不安な民の心を慰撫するためであったが、もう一つ重要な理由があった、将兵の食糧事情の改善である。

 帝国正規軍の将兵は長らく粗食に耐えてきた、補給上の理由から新鮮な食事を取ることなどおぼつかず、栄養価と保存性だけは保証されている凡そ食事と呼ぶことすらおこがましいレーションを開戦以来の一ヶ月余り続けてきたのだ。

 文句を言う事は出来なかった、何故ならば彼らにとっての雲の上の存在たるレーグニッツ知事も軍神ヴァンダイク元帥も、そして機甲師団の長たる中将達までもが黙々とそれを食べていたのだから。

 だが、それでも食事というのは日々の喜びなのだ、幾ら上の人間も同じ粗食に耐えていたからと言って不満が無いはずがない。「このままじゃ命を落とす前に、俺達の舌のほうが女神の下に召されちまうぜ」「このレーションを考案した連中には同情するぜ。こんなものを食べ物といえる位にそいつらのママは料理が下手くそだったってことだからな」等というジョーク及び罵倒が日常茶飯事に飛び交う程度には兵士達の間では不満が燻っていたのだ。

 

 人はパンのみに生きるに非ず、されどパンがなければ生きてはいけない。双龍橋攻略にあたっての正規軍の常軌を逸した士気の高さの由縁は、アルフィン・ライゼ・アルノールの演説に依るところが8割だが、そんな双龍橋を落とせばこんな不味い食事からはおさらばだと言った即物的な理由もまた存在したのだ。

 そして双龍橋を落として、ケルディックという帝国東部における最大の穀倉地帯たる交易都市との契約が成立したことでその願いは叶えられそうであった。正規軍側が持ちかけた契約の内容は至極真っ当なもので、適正価格で食料を買い取りたいというものだーーーただし、今すぐの支払いは難しいため内戦終了後に正式な支払いを行うというものだが。

 正直に言えばオットー元締めには不安もあった。此処で正規軍と取引をしてしまえば、領主たるアルバレア公爵家から裏切りと見なされる恐れがある。正規軍がこのまま勝利すれば良いが、敗北すれば途端にケルディックが冷遇される事を目に見えているからだ。無論心情的に言えば、彼とて旧知の中であるヴァンダイク元帥の力になりたい思いはあった、しかしそれでも彼はこのケルディックという都市のまとめ役なのだ。自分の心情だけを理由に動くわけにはいかなかった。

 そんな元締めの心情を読んだかのように現れたのがアルフィン皇女は微笑みながら告げたのだ。「アルフィン・ライゼ・アルノールと取引して下さいませんか?」と。正規軍や帝国政府と取引したならばともかく、皇族たる自分と取引をしただけであれば、アルバレア公とて責める事は出来まいと。

 具体的な契約の内容は自分が代理人(・・・)として見込んだカール・レーグニッツ氏と行ってもらうが、取引相手はあくまで自分であると示したのだ。

 元締にとっては渡りに舟という提案であった、確かに皇女殿下相手との契約であれば流石の四大名門とて無下には出来ないだろうし、加えて言うのならばアルノールの名の下に行われた取引であれば、万一にも取り逸れる心配はないーーーそれこそ、革命が起こりでもしない限りは。

 かくして此処に交渉は一件落着、正規軍の将兵はようやく真っ当な食事にありつける事となり、ケルディック側もまた正規軍という大口の顧客を手に入れた事で、内戦の最中で物流が滞り、食料を無駄に腐らせる事になる等という事態を避ける事に成功するのであった。

 ーーーケルディックを護る我らに対して糧食を提供するのは当然であると我が物顔に振る舞っていた領邦軍に対してあくまで対等の取引を求め、どこまでも紳士的に振る舞った正規軍側とケルディックの民の心に貴族連合への不信と正規軍側への信頼を植え付けながら。

 

・・・

 

「さて諸君、改めて言わせてもらうが内戦は未だ終結したわけではない。こうして双龍橋を手中に収めはしたが、それでも未だ貴族連合は健在であり、北部と西部では我々正規軍は苦境にある。この国を覆う戦禍は絶えず、皇帝陛下もまた囚われの身にある。勝って兜の緒を締めよという言葉が示す通り、勝利の美酒に酔いしれる事を戒める警句は数多く存在する」

 

 厳粛な面持ちでヴァンダイク元帥はケルディックにて調達したワインが注がれたグラスを手にしたままで、その場に居る者たちに向けて訓示を述べる。我々はあくまで緒戦に勝利したに過ぎないのだと。

 

「だが、それでも勝利は勝利である」

 

 しかし、そこでヴァンダイクは表情を緩める。固い挨拶は此処までであると、そう告げるかのように。

 

「諸君、良くぞ一ヶ月もの間戦い続けてくれた。戦いはこれからも続いていく、しかし今日この時の間は思う存分に勝利の美酒に酔いしれて欲しい。傍らにいる戦友達と共に、今生きている事の喜びを噛み締めて欲しい。そして明日より再び戦い続ける英気を養って欲しい」

 

 微笑みながら告げた後にヴァンダイクはその手に持ったグラスを高々と掲げて

 

乾杯(プロージット)

 

「「「「「「「「「「乾杯(プロージット)」」」」」」」」」」」」

 

 ヴァンダイクの宣言と共にその場に居合わせた者達もまたワインの入ったグラスを、未成年者達は果実を絞ったジュースだが、高々と掲げた後にそれを飲み干す。そして、長らく酷使していた舌を存分に労うべく、用意された料理の数々に舌鼓を打ち出す。それはタダの栄養の摂取ではなく、紛れもない食事である。顎を鍛えるための筋力トレーニングの道具ではないかと思わせるカチカチに固まった黒パンではなく、ふわふわに焼き上がった白パンがある。保存性を優先させるために食べるだけで喉が乾く、塩っ辛い干し肉などではなく、新鮮で柔らかい肉を久方ぶりに噛みしめる。それらは涙が出る程に喜びに満ちたものであった。

 

 此度の酒宴、それを提案したのは総司令官たるヴァンダイクである。この場に於いて誰よりも軍歴が長く、軍神等と称されているヴァンダイクは当然ながら戦いにおける呼吸というものを誰よりも良く理解している。“大義”だの“理想”だの、そんなもののために一心不乱に全力で歩み続ける事のできる存在が圧倒的少数派で、兵士の士気を維持するためには何よりも衣食住に不満を抱かせぬ事、それこそが肝要なのだと。そう、総司令官自ら言われてしまっては異論の出ようはずもない。かくしてケルディックより手に入れた新鮮な食材に各部隊の給仕係は久方ぶりにその腕を振るう事となったのであった。

 

「さあ少佐、ぐいっといきたまえ!ぐいっとね!おお、そうだそうだ。良い飲みっぷりではないか!!」

 

「ほほう中々強いようだな少佐、さあもっと飲みたまえ。此度の酒宴の主役は間違いなく君なのだから!!」

 

 そんな酒宴の中、少佐へと昇進したリィン・オズボーンはしたたかに酔った先達達に囲まれて次々と酒を飲み干していた。彼は未だ未成年だが、アルコールハラスメント等という言葉が未だ存在しないこの世界で、そして体育会系の権化たる軍隊社会に於いて、それを気にするような者などほぼ皆無と言って良い。流石にアルフィン皇女やエリゼ嬢、そしてアルティナと言った少女に勧めるような真似はしないし出来ないが、勝利の立役者たる若き英雄に対して彼らは善意と先達としての可愛がり、そしてこのどこか超然とした様子の若き俊英の酔った姿を見てみたいという悪戯心から次々にリィンのグラスへと酒を注いでいく。

 そしてリィンもまた未成年だから等と断るような真似をせずに礼を述べながら次々に飲み干していく、同じ釜の飯を食った仲、盃を交わした仲等という言葉が示すようにこうした酒宴に於ける付き合いというのは集団の連帯感と仲間意識を高めるために有益だと認識しているが故に。帝国軍にその名を轟かせる諸将らと知己を得るまたとない機会である故に。注がれる酒をそれこそ水のように(・・・・・)飲み干していく。既に相当量の酒を飲み干したはずなのに、そこには酔いの兆候などはまるで見られない。いや、真実今のリィンが酔う等という事はありえないのだ。身体の中に取り込まれたアルコールという毒素は強靭な内臓機能によって即座に分解されていくが故に。

 

「閣下、せっかくの機会ですので質問させて頂いてもよろしいでしょうか?」

 

「ふむ、何かね少佐」

 

「はい、知っての通り私は未だ士官学校を卒業したばかりの若輩者です。戦時下故に少佐等という地位を拝命いたしましたが、経験の不足は否めません。そこで歴戦たる閣下より訓示を頂ければと思いまして……」

 

 そしてリィンはまるで味のしない酒を飲み交わしながら、恐縮した様子で眼前の人物たちへと希う。

 若輩者である自分に対する指導をお願いしたいと。それはタダのお世辞だけではない、本音であった。

 鉄血宰相の改革によって徹底した実力主義が推し進められた正規軍に於いて将官にまで上り詰めるような人物の中に無能者など居ない、将官としては無能な者がいたとしてもそれは能力不相応の地位まで上り詰めてしまった事によるもの。将官にまで上り詰めた時点で佐官の時は有能であった事は疑いようがない事実なのだ。

 そして、眼前の人物たちも名将と称される程ではないにしても、良将として知られる優秀な先達。その経験話というのは上を目指すリィンに取ってみれば宝石よりも貴重なものとなる。食事を楽しむ等という事が出来なくなったリィンに取ってみれば、もはやそうして会話を楽しむ事位しかこの酒宴で楽しめるような事はないのだから。

 

「ふむ、そうかね。そういう事であれば、君のような大器に私如き凡人の経験談がどこまで参考になるかはわからんが話させてもらうとしよう」

 

 そしてそんなリィンの態度に諸将らもまた如才無い事だと笑いながら応じる。若い者にうっとおしがられながらも経験談、自慢話を行いたがる年長者というのは多い、逆に言えば自ら積極的にそうした話を聞きたがる若者というのは基本的に年長者から可愛がられるものなのだ、そこにある程度のリップサービスを感じたとしても、それがあからさま過ぎなければ。

 故に華々しい功績を立てながらも、謙虚な様子で指導を乞うリィンの様子は正規軍の諸将らから好意的に見られていく。

 

「「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」」」

 

 そしてそんなリィンの立ち振舞いをリィンの家族たるオーラフ・クレイグにクレア・リーヴェルト、レクター・アランドールの三名は複雑そうな様子で眺めていた。

 「目覚めてから何を食べても味を感じない」この酒宴を前にオーラフは義息子よりそんな事を打ち明けられた。オーラフだけでなくクレアにレクターもまたリィンからその内容を打ち明けられていた。それは、家族であるこの三人は自分がどれだけ上手く演技したとしても見破るだろうという確信がリィンの中にあったからこそであった。

 動揺しながらすぐに医師に見てもらうべきだと告げる三人とは裏腹にリィンは笑みを浮かべながら告げたのだ、「今すぐに命が危険にさらされるわけでない以上、今は内戦の終結こそが急務だと。この事は家族だからこそ打ち明けたので、周囲には無理に気を遣わせたくないので他言無用でお願いしたい」と。

 

 そうして迎えた酒宴の場でリィンは実に如才無く立ち回っていた、その様子はどこからどう見ても18の少年ではなく、交渉の場に赴いた政治家や外交官と言った様子だ。そう、レクター・アランドールが公的な場で行っている仮面を被り行っている事だ。幼い頃に家庭教師として散々に叩き込んだ内容、お前はどうにもこの手の腹芸が苦手みたいだなと揶揄しながら評したそれを見事なまでにリィンは行っている。ハルテンベルクに対して行った調略のときもそうだったが此処に来て政治家としての才をリィン・オズボーンは急激に開花させて来ていた。

 

 それは革新派にとって、そして帝国にとっては紛れもない福音だろう。「狡兎死して走狗烹らる」、そんな軍事的才能は有していたが政治的な立ち振舞いが欠けていたがために破滅する事となる英雄、そんな前例を灰色の騎士はなぞることはないという証明なのだから。

 だが、実直で質朴そのものと言った様子で素朴な笑みを浮かべるただのリィンを知っている彼らにとって、そんな年相応の隙を一切見せる事無く、完璧な立ち振舞いを見せるリィンの姿が、どこか遠くに感じるのであった……




未成年者に飲酒を勧める事は犯罪です。
また無理に酒を呑ませることもアルコール・ハラスメントとして歴とした犯罪です。
お酒は節度を守って楽しみましょう。


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恋する乙女は諦めない

シャーリィちゃんは手ひどくフラれた位で諦めるようなタマではありません。



 夢を、夢を見ていた。

 夢の中でシャーリィの眼に写っているのは何よりも雄々しき愛しき英雄の背中。

 常人ではその一部でも背負おうとすれば、そのまま潰れるであろうそれを背負いながらむしろ大地を強く踏みしめるための重心へと変えて、どこまでも前だけを見据えてひたすらに進む雄々しい背中だ。

 シャーリィはそれを追いかける、さながら大好きな兄の背を追う妹のように無邪気に一途に。

 そんな自分を追いかける者の事など一顧だにせずに、英雄はどこまでも突き進む。ひたすらに前に、時折後ろを振り返り、後ろに続く者が自分へと追いつくのを待つ、そんな事を英雄は一切しない。

 「自分が道を切り開く、故にさあこの足跡へと続くのだ」と言わんばかりにどこまでもただひたすらに前だけを見据えて進んでいく。

 そしてシャーリィは当然のようにその背を追いかける、全力で脇目も触らずに。何故ならば自分の目的は彼に報いてもらうことではなく、彼の進む道へと立ちふさがって本気になった彼と思う存分に(あい)し合う事なのだから。

 故にさあ、いざあの雄々しき背中に追いつこう、そしてあの魂の奥底まで震えるような鷹の如き鋭い眼光でまた見つめてもらうのだとシャーリィ・オルランドは必死に追いすがろうとする。

 しかし、追いつけない。どれほど必死になっても距離は縮まるどころか、広がる一方。

 だらしのない手足が悲鳴を挙げだす、それでもシャーリィは必死に進もうとする。そんな悲鳴に耳を貸していたら、あの背中に追いつく事など出来はしないのだから。

 

 なのにーーーああ、なのにどうして。

 何故、自分はこうして地に伏しているのだ。だらしのない肉体はまるで自分の意志に応えてくれない。

 なんで、こんなにも自分の肉体は自分の思う通りに動いてくれないのか。

 何時だとて、休む事無く鍛え続けたこの肉体は自分の意志に応えてくれたというのに。

 自分がどれほど全力を出そうと、“愛しの英雄”にはまるで追いつけない、どころか差が広がる一方だ。

 

 ーーーこれが、自分の“限界”だとでも言うのだろうか?

 自分は愛しい彼の好敵手(花嫁)に値しない間女だったという事なのだろうか?

 器じゃないから諦めろとでも言うのか?

 

 ふざけるな。

 冗談じゃない、あの愛しき英雄は絶対に誰にも渡さない。

 初恋は叶わない?新しい恋を探せばいい?冗談じゃない。

 今の自分の限界がこれだというのならば、その限界を超えるまでだ(・・・・・・・・・・・)

 愛しき英雄がそうしたように。そうとも、彼の似合いの女になるというのならそれ位出来ないでどうするというのか。

 

 何故ならば

 

「シャーリィ・オルランドはリィン・オズボーンの事を愛しているから♥」

 

 この血も肉も魂さえも総て捧げようと決して惜しくなど無い、あらゆる財宝に勝る人の至宝こそが貴方なのだから。

 女神の七至宝さえも霞む煌めく奇跡の存在こそが、貴方なのだから。

 必ず追いついてみせる、振り向かせてみせる、例え何を犠牲にしようとしても絶対に絶対に。

 そんな誓いと共にシャーリィ・オルランドは目を覚ました……

 

・・・

 

「おお、シャーリィ様。お目覚めになられましたか!」

 

 身体を起こした現在の主の愛娘にして次期当主となる人物の様子にオルランド家の忠臣たる赤い星座の大隊長ガレス・ウォルドは喜色に満ちた様子を見せる。

 

「おはようガレス。早速だけど、私が眠っている間に何があったのか教えてくれるかな?」

 

「は、シャーリィ様を破ったリィン殿はある提案を我らに持ちかけて来ました。カイエン公との契約を打ち切り、こちら側に就けと。無論、本来であればそれは受け入れる事は出来ぬ提案です。我らは《赤い星座》なのですから、如何にシャーリィ様の命が懸かっているとは言え、雇用主を裏切るような真似は出来ません」

 

 必要とあれば関係のない村を焼くと言った悪逆も平然と行うが、それでも譲れぬ猟兵としての誇り、一線というものが彼らには存在する。であればこそ、赤い星座はA級猟兵団として恐れられながらも、重宝もされて居るのだ。彼らは極めて獰猛だが、それでも主にまで平然と歯向かう狂犬ではない。ーーー無論、彼らを完全に飼い馴らす事など決して出来ず、一時的にでも従えるには莫大なミラが必要だが。

 

「うん、それは当然だよね。ヘマしたのは私だもん。自分のヘマは自分で償う、それが出来ない足手纏いは捨てて行く。それが戦場の掟だもんね」

 

 そしてそんな腹心の言葉にシャーリィは当然のように頷く。そう自分は見捨てられて当然の大失態を犯した、それは戦場であれば自分の命を以て償う事となる致命的なものだったはずだと当然の如く。だからこそ、シャーリィが聞きたいのはその先だった。何故自分は今、生きながらえる事が出来たのか、そして一体誰をやればいいのか。

 

「ですが、リィン殿はある事を我らにお教え下さいました。ーーーカイエン公はかつてオルキスタワーで我らに鉄血の襲撃を依頼しておきながら、その実帝国解放戦線なる組織によって列車砲を奪取して我々毎吹き飛ばそうとしていた、それが彼の明かした内容です」

 

 無論、ガレスとてすぐにそれをそのまま鵜呑みにする程愚かではない。離間の策の可能性を考えた。

 だが、リィン・オズボーンが用意していた、正確には彼がレクターに用意させた、資料は彼の告げた内容に嘘偽りがない事を示すものだった。

 

「ーーーへぇ、それはまた随分と舐めた事をしてくれたんだねあのヒゲおじさんは。

 そこまで教えてもらえれば大体理解できたよ。要は今の私達の雇い主は愛しの彼って事でいいんだよね?」

 

 シャーリィの言葉にガレスもまた無言で頷く。

 赤い星座は契約に対する不義理を決して行わないし、許さない。良いように使って使い捨てようとする、そんな舐めた真似をしてくれた者には必ず地獄を見せてきた。だからこそ、カイエン公が不義理を働いていた事でリィン・オズボーンからの誘いを拒否する理由はガレス達から消えた。

 負傷したシャーリィの治療を条件に、差し出された手をガレスは喜んで取り、此処に赤い星座は内戦の期間に於いて、オズボーン伯リィンの忠犬となったのであった。

 

「シャーリィ様にとっては些かご不満かもしれませんが……」

 

 シャーリィ・オルランドがオルキスタワーの一件以来リィン・オズボーンに恋い焦がれていた事は赤い星座内に於いて知らぬ者のいない有名な話だ。戦場で相まみえて雌雄を決する事を夢見て、闘神を継承するための修行に打ち込んでいたことも、そもそもカイエン公の誘いに乗ってこの帝国の内戦に介入したことも総て総て、偏にその一途な恋心が為していたものだとガレスは知っている。

 故に、その想い人に雇われるという形では彼女の望みを叶う事は出来ない。それを慮っての発言だったが……

 

「?なんで?リィンと一緒に居られるのに不満なんてあるわけないじゃん♪」

 

 不満などまるで無いようにシャーリィ・オルランドは上機嫌そのものと言った様子で応じる。

 その姿はさながら日曜学校の席替えで好きな男の子と隣同士になれた事を喜ぶ少女の如き無邪気さであった。

 そしてそんな主の姿に目を丸くするガレスを余所にシャーリィは無邪気な様子で続けていく。

 

「今の私じゃ、彼に到底釣り合っていない。その事が良くわかった」

 

 歯牙にもかけられず一蹴された記憶、シャーリィ・オルランドにとって人生で初めての挫折の経験。

 その痛みはシャーリィの心の奥底にこの上なく強く刻みつけられた。そう、今の自分では愛しの英雄には到底及んでいない。故に本来であれば、愛しの彼に一顧だにされることも無いままに自分は英雄譚に於ける端役としてその生命を散らすはずだったのだ。

 だが、自分は生きながらえる事が出来た。ーーーそれはつまり、それだけ彼になんとしても仕留めて置かねばならない難敵だと思って貰えなかったという事で乙女心的には少々、いやかなり複雑ではあるが、それでも自分はまだこうして生きている。

 ならば、まだチャンスはあるという事だ。今の自分では彼に釣り合っていない事、それをまずは認めよう。その上で……

 

「だから、似合いの女になるように私は努力する。そのために、今回の件は正直渡りに船だよ。間近でリィンの事を観察する絶好のチャンスだもん」

 

 そう、考えてみれば自分は愛しの英雄の事をまるで知らないのだ。知っているのは誰よりも素敵で雄々しくて輝く不屈の英雄である事と後は帝国時報の記事に載っているような程度の内容だ。「敵を知り己を知らば百戦危うからず」というのは古代の兵法家の格言だが、自分はこれを今まで怠っていた。

 無邪気に自分の想いを一方的に叩きつけていただけで、真実彼のことを知ろうとしていなかった。何故ならば、自分と彼の関係性は敵だったから。

 しかしである、此処に来て味方として傍に居られるという絶好のチャンスを期せずして手に入れる事が出来たのだ。愛しの英雄の事を深く知る最高の状況、活かさずして一体どうするのか。

 

「より深くリィンの事を知って、その上で私は彼に似合いの女になってみせる。今度こそ愛しの彼を振り向かせて見せる」

 

 決意の言葉と浮かべたシャーリィの笑顔にガレスは思わず見惚れる。

 なるほど、なるほどシャーリィ様はつくづく良き恋を為さったようだと微笑みを浮かべる。

  

「いやはや、安心しました。一時はどうなるかと思いましたが、流石はシャーリィ様です」

 

「ふふふ、一回フラれた位で諦める程に安い恋じゃないよ。今の私が釣り合っていないというのなら、釣り合うようになるだけ。彼の視線を釘付けに出来るようなイイ女にね」

 

 そこに宿るのは少女の無邪気さではなく、女としての強かさ。

 意中の男をなんとしても射止めてみせると決意するどこまでも一途な思いだ。

 

「さあ、そうと決まったらいつまでもこんなベッドで寝てなんていられないよ。早く新しい雇い主様のところに挨拶に行かないとね♪」

 

 決意と共にシャーリィ・オルランドは軽やかに起き上がる。そこに怪我の影響などは一切見られない。

 かくして恋する乙女は再び走り出した。総ては、愛しき英雄へと追いつくために。あの雄々しき背中に必ず追いつくのだと、総身を満たす喜びと共に一片の迷いさえ抱かずに……




なお、人はそれをストーカーと呼ぶ


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呉越同舟

(作者にとって)とっても便利なドライケルス帝の記憶ですが、彼の記憶が教えてくれないこともあります。その最たるものは女心と女性の扱いです。


「わーーー絶景だね、これは♪」

 

 上機嫌そのものと言った様子でシャーリィ・オルランドは目の前に広がる雄大な光景へと胸を弾ませる。

 ヴァリマールの転移によって到達したのはノルド高原に存在する高台、眼下に広がるのはどこまでも鮮やかな草原だった。

 

「まあ同意しておくけど、お前さん、お仲間さん達と離れ離れになった割にテンション高いねぇ」

 

「ふふふ、そりゃもう。なんたって大好きな人と一緒にこんなところまで来れたんだもん。これはもうデートと行っても過言じゃないよね!?」

 

「………シャーリィさん、我々が此処に来たのは歴とした任務です。デート等と、浮ついた態度は改めて頂きたいですね」

 

 そうため息をつきながら、クレア・リーヴェルトはシャーリィ・オルランドへと釘を刺す。

 

 内戦の最中、精霊の道を使いリィン達がわざわざノルドにまでやってきたのは当然ながら観光等ではない。

 苦境にある北部戦線、第三機甲師団及び第七機甲師団への援軍と連絡の為だ。

 双龍橋を陥落させ、一気に正規軍の優勢へと傾いた東部戦線だが、その勢いのままに一気に帝都へとなだれ込むというわけには行かなかった。正規軍側も態勢を整える時間が必要だったからである。

 そしてその東部戦線における態勢を再構築する時間を利用して、リィン・オズボーンは自らが精霊の道を利用して各戦線への連絡役兼援軍となる事を提案したのである。

 リィンは既に一角の参謀としての働きを示している、そのまま東部戦線に居てもそれなりの(・・・・・)貢献をする事ができるであろう。

 だが、それはどこまでいっても一介の優秀な参謀という程度の働きにしかならない。リィン・オズボーンが、騎神の起動者にはそれ以上の働きがいくらでも可能なのだ。

 それこそ苦境にある各戦線にとって、その援軍は現状喉から手が出るよりも欲しいものと言えるだろう。故にこその判断であった。

 唯一の懸念はリィンの留守中に“蒼の騎士”が襲撃をかけてくるのではないかという点だったが、それもアルティナを通して齎された貴族連合に潜伏する“協力者”からの蒼の騎士はしばらく西部戦線にかかりきりとなるという情報により解消された。

 かくして此処にリィン・オズボーン少佐はアルフィン皇女の騎士、そして帝国政府臨時代表カール・レーグニッツの名代として北部及び西部戦線への援軍へと赴く事となったのであった。 

 同行者には同じ鉄血の子たるレクター・アランドール特務大尉とクレア・リーヴェルト憲兵大尉、アルティナ。オライオン軍曹が、そして「赤い星座内で一番の腕利き」という事でシャーリィ・オルランドが選出されたのであった。

 

 シャーリィにとっては歓喜という他ないが、クレアにとって見れば悪夢である。

 何せ目の前の少女は愛しい義弟の顔に傷をつけた張本人で、今も義弟に強い執着を抱いているのは一目瞭然なのだから。その様はさながら小姑のように、シャーリィ・オルランドへと逐一釘を刺す。

 だが、そんなクレアの様子もシャーリィは意に介さず……

 

「ええーそんな堅苦しい事ばかり言ってると婚期のがしちゃうよークレア義姉さん(・・・・)♪」

 

「余計なお世話です。そして、貴方に義姉さんと呼ばれる筋合いはありません」

 

 いとも平然と禁句を口にする眼前の小娘へとクレアは青筋を立てながら微笑む。

 常人であればすぐにでも平謝りするであろう威圧感がクレアから立ち昇っているが、言うまでもなくシャーリィ・オルランドは常人とは程遠い人物である。彼女にとっての殺気というのはラブコールも同然、クレアからぶつけられる威圧感も楽しいじゃれ合いである。

 

「ええ、良いじゃん。だってクレアはリィンのお義姉さんなんでしょ、だったらシャーリィにとってもお義姉さんも同然じゃん♪」

 

 フラレてもシャーリィ・オルランドは全くめげない、押して押して押しまくるのみだと言わんばかりに熱烈なラブコールを愛しの英雄に送り続ける、こんな言葉程度では自分の思いは到底表しきれるものではないのだと言わんばかりに。

 

「ヒュー、モテるな色男」

 

「?意味がわかりません、少佐が大尉と幼少期の頃からの付き合いで姉弟のように親密な関係だというのは聞き及んでいますが、それと貴方が大尉の事を義姉さん等と呼ぶ事にどうして繋がるんですか?」

 

 

 無責任に囃し立てるレクターを余所にアルティナはわけがわからないと言った様子で疑問符を浮かべる。

 

「そんなの簡単だよ、愛しい旦那様のお姉さんだったら妻にとってもお義姉さんでしょ♪」

 

「…………つまり、貴方は少佐に好意を抱いていると?」

 

「そうだよ、リィンはシャーリィにとっての運命の人で愛しの英雄!シャーリィを殺して良いのはリィンだけだし、リィンを殺すのも私。絶対誰にも譲る気はないよ!!!」

 

 恍惚とした様子で殺意(アイ)を迸るシャーリィにクレアとレクターもまた警戒を顕にする。やはり、眼の前に居るのは少女の皮をかぶった猛獣なのだと。

 思わず己が獲物へと手をかけて臨戦態勢へと移る。そんな二人を、かつてだったら舌なめずりしながら味見と言わんばかりに襲いかかったであろう“達人”を前にしてもシャーリィの心は全く動かない。

 彼女の心の中に映るのは光り輝く愛しき英雄なのだから、あの輝きを前にしてしまえば眼の前の二人も悪くはないが、やはり全く以て物足りないのだ。

 

「……意味がわかりません、貴方は少佐と二度に渡って交戦していると聞きます、決して浅くはない手傷を負ったと。そして今、貴方は少佐は自分が殺すのだと宣言しました。それは、愛情や好意とは正反対の怒りや憎しみと呼ばれるものではないのですか?」

 

 何をわけのわからない事を言っているんだろうこの人はと自分を見つめるアルティナの言葉に心底何をわけのわからない事を言っているんだろうこの子はと言わんばかりのキョトンとした顔を浮かべて

 

「?何言っているのさ、自分というものを思うがままにさらけ出してぶつけ合う、それこそが真実の意味で(アイ)し合うって事じゃん。何が何でも「こいつは自分が殺す」「こいつだけは自分が殺す、他の誰にも譲りはしない」と宣言する。

 ほら、世の中で言われている“恋”と“愛”そのままでしょ。だって、“恋”っていうのはその人以外は目に映らない(・・・・・・・・・・・・)って想いなんだから♪」

 

 ほら、私のリィンへの想いは“恋”以外の何物でもないでしょうと情念に満ちた妖艶な笑みを浮かべるシャーリィにアルティナは未知の生命体を見るように困惑し、他の二人もいよいよもって戦慄する。それは己の価値観が全く通じぬ異種の生命体に出会った本能的な恐怖であった。

 

 知らずクレアは己が愛銃を握りしめ、眼の前の怪物へと突きつけていた。

 ーーーこの少女は余りに危険すぎる、人の皮をかぶっているが、その実とんでもない怪物だ。

 この怪物に比べれば、人食い虎など可愛い愛玩用の猫だ。

 そして眼前の怪物はクレアの愛しい大切な義弟を己の獲物だと涎を撒き散らしているのだ。

 そんな存在をクレア・リーヴェルトが看過出来るはずもない。

 

「ーーーへぇ、良い眼をするじゃん、クレア義姉さん。うんうんやっぱり愛しの彼の義姉さんだって言うならそれ位はしてくれないとね。シャーリィはお義姉さんって居なかったから、姉妹喧嘩ってのも悪くないかな」

 

 そしてそんな射殺さんばかりの眼光を向けられてもシャーリィ・オルランドは怯まない、どころか喜悦に満ちた笑みを浮かべる。彼女にとって殺意と愛は等価なもの故に。張り詰めた空気が両者の間に流れる、後少しのきっかけでこの両者はそれこそ殺し合いを始めかねないだろう。

 

「双方、そこまでだ」

 

 当然ながら、そんな事をこの男がみすみす看過するはずもない。

 双剣を携えることもなく、無手のままでリィン・オズボーンは二人の間に割って入った。

 

「各々思う所はあるだろう、だが現状我らは轡を並べる仲間である。言い争い程度ならばともかく、流石に武器を使っての殺し合い等というのは指揮官として看過しかねる」

 

 有無を言わせぬ威圧感でリィンは双方を見据える。そのリィンの威圧感にクレアは恐縮し、シャーリィは恍惚とした様子を見せる。

 

「ですが、リィンさん!この子は余りにも……」

 

「リーヴェルト大尉、私個人としては貴官の事をそれこそ実の姉のように思っている。

 だが今の我々は歴とした公務の最中、私事と公事を混同するような呼び方は控えて頂きたい」

 

 どこか頭に血が登った様子のクレアへとリィンは釘を刺す。

 公務の最中にその呼び方をしている事、それ自体が今の貴方が冷静さを失っている証拠だとでも言わんばかりに。

 

「……失礼いたしました、オズボーン少佐」

 

 敬礼を施しながらクレア・リーヴェルトはそう目の前の上官(・・)へと謝罪を行う。 

 上官、そう目の前の少年は今や自分の上官なのだ。いずれ、そんな日が来るだろうとは思っていた。だが、こんなにも早く訪れるなどさすがのクレアの明晰な頭脳を持ってしても想像の埒外だった。

 何よりも恐ろしいのは、目の前の人物が全く不足なくその任を果たしている点だった。士官学校の首席卒業者であっても卒業したものであっても本来であれば10年近くの経験を経てようやく得る階級、それが佐官の地位だというのに。

 

「貴官の懸念は理解しているつもりだ。確かに祖国に忠誠を捧げた誇り高き我ら帝国軍人と違い、猟兵等というのはあくまで金で動く傭兵でしかない。ともすればアルフィン皇女と我ら帝国の名誉を汚しかねないという貴官の危惧はもっともだし、全面的な信頼を抱く事など、到底出来んだろう」

 

 違う、そうではない。信用出来ないのは確かな事実だが、クレア・リーヴェルトがシャーリィ・オルランドは警戒をしているのはそんな理由ではない。目前の怪物がクレアの大切な義弟に必ず仇を為す、そんな予感を覚えているからだ。それはクレアの有する統合的共感覚ではなく直感の齎した産物、俗に言う女の勘と言われるものであった。

 

「だが、それでも猟兵の力は貴重であり、有益だ。奴らは確かに外道の類ではあるが、それでも最低限の矜持を持ち合わせている。少なくとも、この内戦中に関してはこちら側だ。そう、私は判断した。

 故にどうしても貴官が奴らの事を信用できぬというのなら、奴らは信じなくても良い。代わりに、この私を信じて欲しい。ーーーもしもの時は私が責任を持って確実に処断しよう」

 

 だが、英雄は怯まない。危険を冒さずして勝利を掴み取る事など出来ないのだから。《赤い星座》という強力な駒はリスクを抱え込む事を承知の上で、それでもなお有用だと判断したが故に。これまでの因縁と己の中にある猟兵に対する悪感情、それらを飲み干してどこまでも“勝利”を掴み取るための最短距離を往こうとする。

 

「……承知しました」

 

 上官に、そして愛する義弟にこうまで言われてしまってはクレアにしてみればもはや引き下がる以外の選択肢等残されていなかった。

 

「も~う、信用ないな~。そんな“もしも”なんてないよ。これでもうちは契約に関してはきっちり守る優良企業を自負しているんだから!」

 

 心底心外だと言わんばかりにシャーリィ・オルランドは頬を膨らませて年相応の少女らしい拗ねた表情を浮かべる。

 

「ならば当然、こちらと交わした契約の内容は覚えているな」

 

「もっちろん!味方と民間人に被害が出るような真似は厳禁。領邦軍が相手の場合も実力差が開いている場合は出来るだけ殺さないように配慮する。

 私達と同じ猟兵が相手ならば一切の加減は不要、でしょ?」

 

「そうだ、故にお前たちには基本的には敵の雇った猟兵団の相手をして貰う事になるだろう」

 

 貴族連合は今回の内戦に際して複数の猟兵団を運用して、そのゲリラ戦術に正規軍は苦しめられている。

 無論正面戦闘であれば、大規模な機甲部隊を有する正規軍の敵ではない。だが、猟兵というのはとかくそうした大軍を少数で足止めするゲリラ戦術に長けた存在。

 行儀の良い正規軍では出来ないようなことも平然とやってくる敵を前に、どうしても正規軍側を後手を踏んでいた。

 故にこその赤い星座であった、蛇の道は蛇。毒を以て毒を制す、猟兵に対しては同じ猟兵を以て対抗する。それがリィンが、そして正規軍がリスクを承知で赤い星座を引き入れた理由であった。

 

「OKー任せておいてよリィン!私達を雇った事、絶対に後悔させないから!」

 

「……意外です、正直貴方の少佐への執着具合的に気を引くためにそれこそ民間人の虐殺さえもやりかねないと思ったのですが」

 

「は~アルってば乙女心が本当にわかってないねぇ。そりゃシャーリィはリィンに振り向いて欲しいし振り向かせるつもりだよ。その殺意(アイ)を独り占めに出来たら最高に幸せだと思うよ。

 でも、私はリィンを振り向かせたいんであって、軽蔑されたいわけじゃないの。有象無象を幾ら殺したところで得られるのは本気の殺意(アイ)じゃなくて、汚らわしい害虫を駆除しようみたいなノリでしょ?そんなの御免だよ」

 

 本当にお子ちゃまなんだから~とでも言いた気なその態度にアルティナ・オライオンは少々の苛立ちを覚える。目前の人物に乙女心がわからない等と言われるのが酷い侮辱だと感じたが故に。

 

「さて、これである程度のわだかまりは解けたな?完全な信頼など抱く事は出来ないだろうし、無理に仲良くする必要もない。だが味方として最低限の協調を取るように、良いな」

 

「「「イエス・サー」」」

 

了解(ヤー)

 

 リィンからの再度の釘刺しに4人は一斉に返事をする。各々の態度に差はあれど、現在のこのチームの指揮官がリィンである事に異論のあるものは存在しなかった。

 

「では、これより我らはゼンダー門へと趣き、ゼクス中将旗下の第三機甲師団へと合流する」

 

 

 




原作のアルティナの情操を育てた面々
・適性は遊撃士。朴念仁な不埒教官リィン・シュバルツァー
・その様はさながら姉のようだ、太陽系女子ユウナ・クロフォード
・お前PVの時の生意気そうな感じどこへやったんだ、真面目青年クルト

此処のアルティナが見る面々
・軍人の理想の体現。敬意は払おうだが殺す、鋼鉄の意志を纏う英雄リィン・オズボーン!
・殺意と書いて愛と読む系女子シャーリィ・オルランド!
・過保護で真面目故に雁字搦めになって身動き取れなくなる拗らせまくりのクレア大尉!
・飄々としているようで実は結構罪悪感抱えているぞレクター・アランドール!

これは駄目かもわからんね


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想いの在処

彡(゚)(゚)「戦記物を描くためにはやっぱり資料の一つや二つは読まんとな。特に戦車の知識とかワイはさっぱりやで。戦車がある辺りあの世界は第二次世界大戦位と思っておけばいいんかな」
資料「現代の戦争は一度の会戦で戦争の趨勢を決するような決戦主義は起こらずうんたらかんたら。また兵科も細分化されてうんたらかんたら。火力の発達によって要塞というものはほとんど意味をなさずうんたらかんたら」
彡(゚)(゚)「……………」
彡(^)(^)「フィクションに必要なのはリアリティであってリアルじゃないな!」

人型の空飛ぶ兵器なんて現実には存在しないんだよ!!


 

 高原の長い道のりを歩き、ゼンダー門へと向かっていたリィン達一行だったが、途中で第三機甲師団と貴族連合の機甲兵部隊との戦闘と遭遇する事になった。

 戦い自体はほんの小競り合い程度で終わり、第三機甲師団の強かな反撃を受けた機甲兵部隊が撤退する結果で終わったが、さりとて第三機甲師団の勝利とも言い難い状況であった。貴族連合側はほとんど被害を受けず撤退したのに対して、第三機甲師団には戦車数台の損失が発生している。

 帝国本土からの増援が期待できないこの状況下では、このまま行けばどちらが先に音を上げるかは自明の理というものである。故にそんな最中に現れた《灰色の騎士》という援軍に第三機甲師団は沸き立った。

 それは戦力的な意味合いでもそうだったが、何よりも総司令部側が“切り札”をこうしてこちらに寄越してくれたという事は、自分たちを決して見捨てるつもりはないのだという何よりの証左だった故に。帝都での激戦、そして双龍橋攻略により、既に《灰の騎神》とその担い手たる《灰色の騎士》はそういう存在と見られているのだ。

 「ゼクス中将閣下にお会いしたい」と伝えたリィンの言葉に、警備の兵士はすぐに了承の意を告げて司令室へと案内するのであった。

 

「監視塔が貴族連合の手に落ちた……!?」

 

 此処最近めっきりと動揺を表に出す事のなかった、リィン・オズボーンは伝えられた信じがたい出来事を前に珍しく声を荒げる。

 案内された司令室にて、挨拶もそこそこに一行は本題へと入る。そうして情報交換を行っている最中、ゼクス中将は北部戦線に於ける苦境の由縁を伝える。曰く、内戦が勃発したあの日。カルバードの空挺部隊が大規模に領空を侵犯し、監視塔部隊がその対処している際に、西の空から機甲兵を積載した軍用艇が急襲し、完全に虚を突かれた形となった正規軍側は監視塔を放棄せざるを得なかったのだと。

 

「つまり貴族連合はカルバードの連中と話をつけていたって事か……やれやれ、クロスベルの件といい、宰相閣下を狙撃された件と言い、どうにも失態続きだな情報局(ウチ)は」

 

 タイミング的に貴族連合が敵国たるカルバード共和国と話をつけていた事は疑いようがない、であれば今回の事態の責任は、それを察知できなかった情報局の責任だろう。

 如何にゼクス中将が名将と言えど、与えられた戦力には限りがある以上、どうしても対処するにも限界があり、“宿敵”カルバードへの対処は帝国軍人にとっては最優先すべき事項なのだから。共和国の侵攻という事態に際して、そちらを優先したゼクス中将の対応に非はない。故に責任は、貴族連合と共和国が通じていたという事を掴んでいなかった自分たちにこそあるとレクター・アランドールは断じたのだ。

 

「しかし不倶戴天の共和国と通じるとはな……はてさて貴族共は一体何を対価に取引したのやら。

 身分制の存在しない共和国人がよもや、我が帝国の高貴なる方々のその尊き血脈に対する畏敬の念が突然芽生えたわけでもあるまいに」

 

 リィンの放った言葉の中には隠しきれない嘲弄と抑えきれぬ怒りが込められていた。

 よりにもよって宿敵たるカルバード共和国と通じるとは!帝都占領の折で理解していたつもりで居たが、どうやら本当に貴族連合は“恥”という概念を持たぬ人種であるらしい。内戦へと勝利するために“敵国”の力を借りる事がいかなる事態を齎すか、よもやわからぬわけではあるまいに。

 

(クロワール・ド・カイエン、やはり貴様にこの国を束ねる資格はない)

 

 鋼鉄の理性により抑え込んでいる、灼熱の如き怒りの業火が己が心の内で猛る事をリィンは自覚した。

 もしも、もしもカイエン公の掲げる理想が万一にも、父や自分のそれに勝るようであれば、祖国のために私情を捨てて膝を屈する事も視野に入れなければならなかったが、どうやらそれは杞憂であったらしい。これで憂いなく、ヤれるというものだろう。

 清濁併せ呑まずして覇業を成し遂げる事など不可能だが、それでもこの世には超えてはならない一線というものが存在するのだから。“外患”たるカルバードと通じたカイエン公は明確なる“内憂”である。此処に至り、リィン・オズボーンはカイエン公に対してほんのわずかに抱いていた期待を捨て去り、完全に排除すべき“敵”として認定する。

 

「更に不利な状況がもう一つある、監視塔が占拠されて間もなく、高原一帯の通信機器が使えなくなった。故障というわけでもなく、詳しい原因は判明していない。第七機甲師団へと援軍の要請をする事もできず、消耗戦を強いられている理由だな。ーーーもっとも第七機甲師団は第七機甲師団でノルティア領邦軍と膠着状態に陥っており、その余裕は無いだろうが」

 

 眼前の甥弟子から迸る以前あったときとは比べ物にならないプレッシャーに内心戦慄を覚えながらも、ゼクス・ヴァンダールはもう一つの苦境の要因を説明する。

 

「なるほど、それで先程の戦闘はああも精彩を欠いていたわけですか」

 

「……そう見えたかね?」

 

「はい、失礼ながら正規軍屈指の名将と名高き閣下とその旗下の部隊とは思えぬ程に対処の速度がやけに鈍いなと。個々の練度自体は高いのに、上官からの指示が伝わるのにタイムラグが在るかのようなチグハグさを感じていたのですが、ようやく合点が行きました」

 

 遭遇した戦闘で第三機甲師団は明らかに精彩を欠いていた。

 敵の指揮官が凡将であるが故に何とか撤退させる事が出来たが、これが音に聞きし貴族連合の英雄“黄金の羅刹”や“黒旋風”であればとてもではないが、持ち堪えられなかっただろう。

 とにもかくにも反応が鈍いのだ。それこそ、自分が率いていれば(・・・・・・・・・)容易く陣形をずたずたに切り裂いて壊滅に追い込む事ができるだろうと、そんな事を思う程に。

 これが本当にあの名高き、隻眼のゼクスの部隊かと。そう、困惑した。

 だが、近代戦の要たる通信を封じられているのならばそれも合点が行く。むしろ、そのような状況下であっても戦えた事こそゼクス・ヴァンダールの非凡さの証明と言えよう。

 

「ですが、そうなると兎にも角にも通信の復旧が最優先となりますね」

 

「うむ。グエン氏に話を伺いたいところだが、どうやら高原全域に貴族連合に雇われた高ランクの猟兵団が展開していてな。偵察に送り出した部隊が既にいくつかやられてしまい、どうしたものかと思っていたのだが……」

 

 そこでゼクスは不敵な笑みをリィン達に向けて

 

「どうやら女神は、いや元帥閣下は我らを見捨てなかったようだ。このような頼もしい援軍を寄越して下さるとはな。改めて頼みたい少佐、高原へと趣きグエン・ラインフォルト氏と接触し、この異常の原因を調査して貰いたい。リミットは貴官の駆る灰の騎神が再び稼働出来るようになるまでの間だ。それまでにグエン氏との接触や、原因の特定ができなかった場合はやむえん、調査の方はリーヴェルト大尉らに任せて、貴官の方はこちらへの合流を優先して欲しい」

 

 階級はゼクスの方がリィンよりはるか上だが、あえて頼むという表現をゼクスは使った。それは直属の部下ではなく、総司令部からの援軍、半ば客将に近い立場故の配慮であった。

 

「は、その要請(オーダー)しかと承りました。つきましては、高原での移動手段として馬をお借りしたいのですが……」

 

「うむ、至急手配しよう」

 

 こうしてリィン・オズボーン少佐らはノルド高原に於ける調査を開始した。

 

 

・・・

 

「おまたせ致しました!我が軍が所有している軍馬の中でも特に選りすぐりの馬を5頭用意させて頂きました!!」

 

「ほう、これは確かに素晴らしい馬だな。流石は我が第二の故郷たるノルド、我が友ロラン、そして我が兄弟らと共に草原を駆け抜けたあの頃(・・・)と何も変わっていない」

 

 喜色に満ちた様子でリィンはそうして手慣れた様子(・・・・・・)で馬をあやす。それはにわか仕込みのものではない、馬と共に生きてきた騎馬の民が行うそれである。

 

「どうした、アランドール大尉、リーヴェルト大尉。そんな狐に化かされたような顔をして。せっかく中将閣下がこんなにも素晴らしい馬を用意してくれたというのに」

 

 再会してから久しく見ていなかった少年のような笑みをリィンは浮かべる。

 それは二人にとって見れば喜ばしいものだ、だが何故だろう。まるでその笑みが別人の浮かべたもののように感じるのは。

 何よりも二人が困惑している理由……それは

 

「いえ、確かに良い馬だとは思います、少佐。ただ、どうにも腑に落ちないんです、貴方はそこまで馬が好きだったかと、そんな疑問が心に過ってしまって……」

 

「ーーーーーーーー」

 

 リィンは馬術も一通り習得したし、決して馬が嫌いというわけではない。むしろ好きな部類に入るだろう。

 だが、それは所謂嗜みとしての領域を出ないものであって、此処まで喜ぶ程に馬が好きな男ではなかった。それほどまでに馬が好きだというのなら、部活選びの際にアレほど悩まずに馬術部へと入部していた事だろう。

 

「それに、「我が第二の故郷たるノルド、我が友ロラン、そして我が兄弟らと共に草原を駆け抜けたあの頃(・・・)と何も変わっていない」という発言の意図は?私の記憶が正しければ、少佐がノルドの地を訪れたのは半年前の特別実習の時が初めてのはず。そして少佐には「ロラン」という名前のご友人は居なかったと記憶しておりますが……」

 

「ーーーーーーーーー」

 

 そうだ、目の前の義姉が告げる通りだ。自分がノルドの地を訪れたのは半年前の一度きり。

 良い思い出はあるが、それでも第二の故郷等と呼ぶ程に過ごしていたわけではない。

 それに何より、ロラン・ヴァンダールは自分の友ではない。

 そうだ、草原で過ごしたこれら遠き日の思い出は、自分の記憶ではない。これはドライケルス帝の記憶である。

 自分はドライケルス・ライゼ・アルノールではない、リィン・オズボーンだ。

 だと言うのに、何故こんな勘違いをしたというのかーーーーー

 

「……ああ、済まない、驚かせたようだな。どうやら少し、記憶が混濁してしまったらしい、だがもう大丈夫だ」

 

 目を覚ますためにリィンは軽く頭を振る。気にする必要はないのだと安心させるように笑みを浮かべて。

 

「記憶の……混濁!?」

 

 だが、その笑みは何の意味も齎さなかった。告げられた言葉にクレア・リーヴェルトは驚愕の表情を、レクター・アランドールは彼には珍しく虚を突かれたようにポカンとした表情を浮かべる。

 

「ああ、起動者には過去の起動者の記憶を継承する事が出来る。それによって、短期間で騎神を操縦する事が出来るようになるわけだ。そして私の先代の起動者はドライケルス大帝陛下だったと、要はそういう事さ」

 

 サラリとリィンはこれまで伝えてこなかった事実を告げる。別段隠していたわけではない、言ったところで俄には信じがたい事だし、アルノールの血を引いても居ない自分が、さも大帝陛下の後継者のような顔をすれば妙な火種になりかねないと判断したための処置であった。

 知られたところでそも起動者にならなければ何ら役に立たない知識だし、そも起動者になれば自動的に知る内容だ。故にシャーリィ・オルランドに聞かれたところで何ら問題ないとリィンは判断した。

 

「……なるほどな、まるで別人のようになったと思ったが、それは大帝陛下の記憶を継承したからってわけか。所作だとかそういうものも、何から何まで大帝陛下から学んだってわけか」

 

 未だ衝撃から立ち直っていないクレアとは異なり、いち早く再起動を果たしたレクターは正鵠を射抜いていた。

 

「ああ、その通りだ。とんだズルをしているようで若干気が引けるが、せっかくの機会をみすみす捨てるのも勿体無いと思ってな」

 

 平然とした様子でリィンは言うが、当然であるがそのような上手い話というのは世の中に転がっては居ない。

 短期間での別人のような急激な成長の種には当然それ相応のリスクが存在している。

 記憶を引き継ぎ自分の血肉に変えるという事は、それは下手をすれば自我が曖昧になる危険性を孕んでいる極めてリスクの高い行為なのだ。

 それ故に数年単位で起動者は重要度の高そうな記憶だけを起動者を引き継ぐのだ。

 それをリィン・オズボーンはこともあろうにわずか一ヶ月で、記憶の総てを引き継いだ。

 それは自我の崩壊の起こりうる極めて危険なもの、意識が若干混濁した程度で済んでいるのは奇跡と言っていいだろう。

 

「大帝陛下にとってノルドは思い出深い地であり、そして陛下は何よりも馬をこよなく愛されているお方だった。

 故にさっきのような事が起こってしまったが、このような事はそうそう在ることではない。故にどうか安心して欲しい。ーーーさて話は終わりだ、そろそろ出発しよう」

 

 何の心配もいらない、大した事はないのだと告げるように平然とした顔で軽やかにリィンは馬へと乗り、それに続くかのように呆然としながらもクレアが、顔をしかめながらレクターが、何かの確信を得たかのようにシャーリィもまたそれぞれ馬へと跨っていく。

 そんな中、ただ一人アルティナ・オライオンだけは所在なさげにして、恐る恐ると馬へと近づくが、途方にくれたように馬の前で再び立ち止まる。

 

「オライオン曹長、もしかして貴官は乗馬の経験がなかったのかな?」

 

 リィンの問いかけにアルティナは黙ったままにコクリと頷く。そんなアルティナの様子にリィンは苦笑して

 

「そういう事ならば、私の後ろに乗ると良い。この中で馬術の腕が一番優れているのは恐らく私だろうからな」

 

 レクターにしてもクレアにしても馬術の腕はあくまで乗れると言った程度のものでしか無い。二人乗りをしても問題ないかは正直怪しいラインだし、シャーリィ・オルランドへと任せるには若干の不安がある。

 リィンもかつては二人とどっこいどっこいだったが、今のリィンにはノルドの民と過ごし、草原を駆けたドライケルス帝の記憶がある。今の自分ならばそれこそ後輩であるガイウスにも馬術の腕は引けを取るまい。それ故の処置だった。

 そうして恐る恐ると馬へと跨ったアルティナはリィンの背中へとしっかりとしがみつく。どうやら乗馬というのがどうにも未知の体験で不安なようであった。

 

「では、改めて出発する。北部と南部の境目、半年前にノルドの民の集落があった地点をひとまずの目的地だ。各員、道中の警戒を怠るなよ」

 




戦略ゲー的に言うと

凡将←統率が60後半~70前半位で貴族連合の基本的な将帥、及び百日戦役前の正規軍の将帥はこの辺
良将←80前半位で現在の正規軍の機甲師団の司令官はこの水準
名将←90以上でオーレリア、ウォレス、ゼクス、オーラフ、ヴァンダイクなどの一部ネームドが該当

というイメージで覚醒後オズボーン君の統率は現状80後半あるイメージです。
これは今後実際に部隊を率いて経験を積んでいく事で更に伸びていくことでしょう。
まあ端的に言って化物です。

懐かしのリッテンハイム君は現状50位です。
これは彼が特別低いわけではなく、士官学校卒業しても居ない若僧なんて普通はそんなものなのです。むしろ曲がりなりにも大貴族の嫡男として英才教育を受けているので優秀な方です。

パッパ?パッパはあらゆるステが90超えているチートユニットだよ。
ドライケルス帝も同様です。


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変わらぬ想い

愛する義弟が目の前で父親を狙撃されて怒りのままに暴れ狂う姿を見る→そのまま一ヶ月間音信不通になる→ようやく再会したと思ったら自分の吐いた血で服が真っ赤に染まっていました→宰相閣下みたいな風格纏って現れる→単騎で双龍橋攻略及び調略に赴く→あからさまにやべぇ女を引っ掛けて連れて帰ってくる→ドライケルス帝の記憶を引き継いだために記憶が混濁されている事を明かされる←今ここ

うーんこの作者の趣味が遺憾なく発揮されているクレア姉さんの受難っぷり。


「ぬ……ぐぅ……」

 

「まあ、こんなところか」

 

 仲間と自身の作った血の海に沈む猟兵団《ニーズヘッグ》の名も知れぬ小隊長をリィンは冷たく睥睨していた。

 

 半年前にノルドの民の集落があった場所、そこは案の定と言うべきかも抜けの空であった。そうして小休止を入れていると、狙い通りに現れたのは貴族連合の雇った猟兵団“ニーズヘッグ”であった。通商会議の時は帝国政府に雇われていた彼らが今は敵となり、この間まで敵であった“赤い星座”が今は味方側というのは猟兵という存在がどういう立ち位置なのかを示す好例であったと言えよう。

 正規軍の制服を身に纏ったリィン達をニーズヘッグの偵察部隊は何時ものように仕留めにかかった。地の利、そして数あらゆる面でニーズヘッグ側に有利なはずだった。それは並大抵の質では埋め合わせる事が出来ないはずだし、最悪でもある程度のところで撤退する、そんなこれまで第三機甲師団の偵察部隊を女神の下へと送ってきたのと同様の作業に今回もなるはずであった。

 そんな慣れによる慢心が命取りとなった。彼らは留意すべきだっただろう、既に3回に渡って偵察部隊を壊滅させられている状態で送り出されるような部隊がこれまでと同レベルの存在なのかを、ゼクス・ヴァンダールとはそのような愚鈍な男なのかを。ーーー気づいていれば、もう少しマシな結果となっていたかもしれないが、もはや後の祭りというものだろう。

 慢心の代償を彼は部下の命によって支払う事となった。そしてそんな中、彼は一人だけ生き残った。それは運が良かったからではない、むしろその逆で……

 

「さて、予め聞いておこう。貴官が何れかの国に所属する工作員だというのならば、今の内に所属、姓名、そして階級を名乗る事だ。国際法に則った人道的な扱いを約束しよう。またそうでなくても、貴官の持っている情報を洗いざらい話すというのならそれなりの対価を支払い、命を助ける事も約束しよう」

 

 軽くリィンは揺さぶりをかける。誰しも命は惜しいものだ、別段騙すつもりはない。

 これで情報が手に入るというのなら約束通り傷の手当を行い、それ相応の待遇で以て応じるつもりだ。

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

 何も話す気はないという事なのだろう、指揮官の男は殺すならば殺せとでも言わんばかりに固く口を結んで何も言おうとしない。これだけでニーズヘッグがそこらの猟兵崩れのごろつきではなく、一流の猟兵団だという事がうかがい知れる。さて、一体どうするべきかとリィンは思考する。

 このまま揺さぶりをかけても効果は薄いだろう、だが生かして捕らえるとなれば荷物が出来る事となるしメリットも余り無い。このまま解放するという選択肢はない、いずれ知られる事だが、自分たちがこの地に来たことを知られるのは当然ながら遅ければ遅いほうが良い。

 そして目の前の男はこちらに恭順の意を見せていない猟兵である以上、丁重に扱う必要というものは帝国法及び国際法どちらの理由に於いても存在しない。

 

(となると、此処はやはり……)

 

 

 瞬間、けたたましく男の持つ通信機が鳴り出す。

 それとほぼ同時に、仲間にリィン達の情報を伝えようと口を開こうとした男の首が宙を舞う。

 痛みは感じなかっただろう、リィンの放った一閃はそんな間もない程に鋭く早かったが故に。

 

「どうした、一体何があった!?状況を報告せよ!!!」

 

 無線機越しに必死な様子の声が響くも、それに答えるはずだったものはもはやこの世にはいない。

 程なくして諦めたかのように、通信が途切れる。

 

「どうやら、敵は異常なく通信が出来ているようだな。となれば、やはりこの通信障害は貴族連合側が意図的に引き起こしたものと見て間違いないだろう」

 

 涼し気な顔でリィンは言う。民間人でも居れば配慮もしたかもしれないが、此処に居るのは歴とした軍属である。殺し殺される覚悟をしていて当然の立場であり、初陣の新兵も存在しない。故にいちいち今行ったことに対する説明だの配慮だのは行わない。戦いを生業にするものにとっては当然の光景なのだから。

 如何にアルティナ・オライオンが子どもと言って良い年齢であろうとも、此処で変に配慮する事こそむしろ彼女に対する侮辱だろう等と考えて。

 そして4人もまたそんなリィンの態度に特に異議を挟むような事はしない。その対応は軍人として至極妥当だった故に。

 

「オルランド、予定通りお前にはこの場にてニーズヘッグの増援を迎え撃って貰う」

 

「アイアイサー、任せといてよリィン!相手は同業者だし、手加減は要らないよね?」

 

「ああ、一切不要だ。派手に暴れろ、ある程度足止めをしたら、ゼンダー門の方へと向かえ」

 

 リィン・オズボーンがシャーリィ・オルランドへと足止めと囮を任せるのは何も彼女を使い捨てにしようなどと考えてのことではない、単にこの中に於いて自分の次に戦闘力が高く、この手の囮役に向いているからだ。レクターにしてもクレアにしても優秀な将校ではあるが、総合力ならばいざ知らず純粋な戦闘力ではこの少女に一歩譲る。

 

「了解。それじゃ、歓迎の準備をしておかないとね♥」

 

 そうして歓迎の宴をシャーリィへと任せたリィン達はラグリマ湖畔へと向かい出すのであった……

 

・・・

 

「ふむ、なるほどのう。それでわざわざ此処まで遠路はるばる訪ねて来てくれたというわけか……」

 

 かつてRFグループ会長を務め、現在はノルド高原にて隠居中の身であるグエン・ラインフォルト氏はそう応じて考え込むように腕を組み出す。

 ラグリマ湖畔に到着した一行は以前リィンが特別実習の際に面識が会ったこと、この地の正規軍の責任者たるゼクス中将がノルドの民との良好な関係を築く事に腐心してた事もあって、ラグリマ湖畔へと避難していたノルドの民に歓待を受けながら、 半年前とはまるで別人のような風格を纏うようになったリィンの姿に皆一様に驚いていたものの、滞りなく目的の人物たるグエン氏との会談を取り付けていた。

 

「如何でしょうか?」

 

「うむ、まあ確かに心当たりがないわけではない」

 

「本当ですか!?そういう事ならば是非ともその心当たりを……」

 

「まあ慌てるでない。心当たりはある、確かにある。だが実際に調査してみん事にはなんとも言えん。じゃが生憎わしはもう70をすぎた老いぼれじゃ、流石に一人で今の物騒な高原を出歩く勇気はなくてのう」

 

 ほら、此処まで言えばわかるじゃろう?とでも言いたげな様子で笑うグエン氏にリィンは総てを察したかのように微笑を浮かべて

 

「承知致しました。そういう事であれば我らが責任を以て、グエン殿の護衛を務めさせて頂きます」

 

「うむ、頼りにさせてもらうとしよう。そうじゃ、せっかくだから馬に乗るのはそこの青い髪をした美人さんの後ろが「貴方に万一があってはイリーナ氏とアリサに申し訳が立ちません。責任を以て、この中で一番腕の立つ私が傍で護衛をさせて頂きましょう」

 

 スケベ根性丸出しの内容を提案したグエンに太い釘を刺すかのように微笑みながらリィンは告げる。そこには有無を言わせぬ迫力があった。三つ子の魂百まで、纏う風格も何もかもが別人のようになったリィンであったが、そのシスコン魂が消えたわけでは決して無いのだ。優先順位を誤る事や公私混同をする事こそ決して有り得ないが、それでもリィンにとってクレアは依然変わりなく、敬愛する大切な義姉なのである。 

 スケベ根性丸出しの老人との相乗り等許容するはずもない。そしてこの場において乗馬にしても戦闘にしても一番卓越しているのはリィンである以上、グエン氏というVIPの護衛を務める事は理に叶った事なので軍人として至極妥当な判断であり、決して私情に駆られたわけではない。ないったらないのである。

 

「そういうわけだオライオン曹長、グエン氏が同行している間、貴官はリーヴェルト大尉の方の馬に乗ってくれ」

 

 キリッという擬音語が似合いそうな引き締まった表情でリィンは伝える。そこに私情に駆られたシスコンの様子は見受けられず、居るのは歴とした未だ成人もしていない若さでエレボニア帝国軍少佐の地位にある英才の姿である。

 

「承知致しました」

 

 そんな上官のこれまで見なかった態度に奇妙な違和感を抱きながらもアルティナはその指示へと従い

 

「はは、良かったじゃねぇかよクレア義姉さん。どうやら、お前さんの片思いになったってわけではないみたいじゃねぇか」

 

 レクター・アランドールも揶揄しながらも久しぶりに見た以前と変わらぬ義弟の様子に安堵して

 

「ええ、そうですね。安心しました、どうやら先程言っていた記憶の混濁というのは、本当に一時的な物だったようですから」

 

 義姉さん、クレア義姉さんとそう輝く宝石のような笑顔を浮かべながら自分を呼び慕ってくれたかけがえの無い以前と変わらぬ義弟にようやく巡り会えた(・・・・・)クレアはあの内戦が始まった日から初めての心よりの笑顔を浮かべるのであった。




鉄血の子ども達が久方ぶりに暖かな兄弟の交流をしている頃
(自称)三男の嫁であるシャーリィちゃんは大暴れしています。
「アハハハ、それじゃあ歓迎パーティを始めようか!」とか叫びながら
自慢のテスタロッサをぶん回して恋する乙女無双とばかりに、ニーズヘッグをちぎっては投げちぎっては投げしています。

ペロッ、これは旦那とその家族の団らんの時間を作るために健気に内職をして稼ぐ献身的な奥さんのそれ!


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揺るがぬ理想

クレアさんの魅力は結局どこまで言っても情と理で揺れる普通な人のところだと思います。
能力自体は優秀ですけど、人格面ではどこまでも“普通の人”なんですよね。
多分それがあの苦労人オーラの由縁だと思います。


 

 通信異常の調査は滞りなく完了した。

 途中通常の魔獣とは比較にならぬ“幻獣”と呼ばれる存在と交戦状態に陥ったものの、理に手をかけているリィンに加えて達人級の腕前を持つクレアとレクターがそこに加わり、戦術リンク機能の恩恵も加わった抜群のコンビネーションを行うこの三人は帝国最強たる《獅子心十七勇士》にも匹敵しうる、万一を避けるためにグエン氏の守護をアルティナには任せた三人は呆気なく、幻獣を蹴散らしたのであった。

 そうして護衛されながら監視塔の屋上を観察した「やはりか」等と呟いたかと思うと、確証を得たとだけ告げて一行は調査を終えて湖畔へと帰還したのであった。

 

「さて、結論から言おう。“導力波妨害装置”それがこの高原で通信異常を引き起こしている物の正体じゃ」

 

 どこか渋い顔をした様子でグエン氏はあっさりと正規軍を悩ませていた懸案の原因を述べる。

 これはこれまで突き止められずにいた正規軍の技術将校達が無能だったというわけでは決して無く、グエン氏が並外れて優秀なためであろう。

 グエン・ラインフォルトはRFグループ前会長であり、導力革命という激動の最中でRFグループを此処まで拡大させた敏腕経営者であると同時に、かの《エプスタインの三高弟》の一人にして帝国最高の頭脳とも称されるG・シュミット博士と比肩し得る程の帝国有数の技術者でも在ったのだから。経営から解放された事で悠々自適の趣味人生活を送っていたようだが、どうやらその趣味の中には知的好奇心を満たすための最新技術というのも含まれていたようである。

 

「監視塔の屋上に設置されていたアレですか……情報局や鉄道憲兵隊でも作戦行動にあたって使用する事はありますが……」

 

 テロリスト等のアジトを制圧する際に、通信を遮断して相互の連絡を取れなくした状態で混乱の只中にある容疑者たちの制圧を行うというのは鉄道憲兵隊の十八番にして定石である。しかし、それはせいぜい建物一つを覆う程度の物だ。とてもではないがこの高原全域をカバーするような高性能な物など開発段階であるとすらクレアは聞いた事がなかった。

 

「ま、機甲兵だなんてとんでも兵器を投入してきた連中だからな。その辺は今更だろうさ」

 

 こんな技術など有り得ないというのならば、それこそ機甲兵の方が余程あり得ないだろう。

 戦車をも凌駕する二足歩行する人型の巨大兵器、そんなものが投入される日が来ることを一体誰が予見していただろうか?これに比べれば、今回の妨害装置はまだ理解しやすいものだ。何せ既存の装置の性能が極めて向上した、要はそれだけの事なのだから。

 

「しかし……不味いなこれは。予想はしていたが、本当にこの高原全域の通信を妨害できるような装置を貴族連合が開発に成功したのだと言うのならばとんでもない事になる」

 

 正規軍屈指の名将とされる隻眼のゼクスがこれ程の苦戦を強いられているのだ。それこそただでさえ正規軍側が追い込まれている西部戦線にでも投入されれば、これは致命打になりかねない。下手をすると機甲兵以上に現代戦に於いては圧倒的な優位を齎しうる代物であった。

 

「ですが、それほどまでに使い勝手の良い装置ならばそれこそ他の戦線でも使用しているのでは?

 にも関わらず東部戦線に於いて貴族連合側に使用した形跡は無く、西部戦線でも使用しているとの情報は聞いて居ません。何か特殊な使用条件でもあるのではないでしょうか?」

 

 アルティナはそう己が上官の抱いた懸念を和らげるようにやんわりと進言する。

 

「グエン殿、その辺りの可能性については如何でしょうか?」

 

「ふむ、そうじゃな。わざわざ監視塔の屋上等という目立つ場所にまで設置している辺り、設置場所はある程度の高所を確保する必要がある可能性はあるじゃろうな。加えて言うならアレほど大型の装置となれば、要求するエネルギーも多大な物となる。そう簡単にほいほいと使えるような物ではないじゃろう」

 

「なるほど、狙った戦域に使うとなればそれ相応の条件を整える必要があるというわけですか」

 

 逆に言えば、条件さえ整えれば現状貴族連合側はその戦域での戦いで通信を一方的に使えるという理不尽とすら言える圧倒的優位を確立出来るわけだ。そしてその条件が整った戦域に誘導する事は難しくないだろう、この内戦を終結するにあたって何れ帝都での決戦へともつれ込む事はほぼ確実と言っていいのだから。自分が貴族連合司令の立場ならば、帝都近郊にこれを張り巡らせているだろう。これは軍に限った話ではないが組織というのは人が増えれば増えるだけ統制を取るのが困難になる、大軍を擁しながらその運用に失敗した結果敗北するという例は少数だが、戦史にはいくつも転がっている。

 そして通信というのは軍の運用の要だ。これを封殺されれば幾らヴァンダイク元帥が名将と言えど、これを相手取るのは極めて至難となるだろう。最悪、連携を欠いた正規軍側は各個撃破される等という事になりかねない。何らかの対策を講じておく必要があるだろう。

 

「……装置を基にそれへの対抗措置を作る事は可能でしょうか?」

 

「……ま、出来んとは言わんよ。結局のところ規模が拡大しただけであって、従来の装置の延長に過ぎんわけだからな。サンプルさえ手元にあるのならば、それを基に対策を講じるのは然程難しくはないじゃろう」

 

 なお、この難しくないというのはあくまでシュミット博士にも比肩しうる帝国有数の導力技術者たるグエン・ラインフォルトの基準である。

 

「で、あるのならばお願いがありますグエン殿。どうか我々正規軍へとそのお力をお貸し頂けないでしょうか?」

 

 真摯に頭を下げながらそう願い出たリィンに対してグエンは若干眼を細める。

 

「……それはアレかな、所謂交換条件という奴かな。我々はこの地に平穏を取り戻す、代わりにお前たちも我が軍に協力しろという」

 

 現在ノルド高原は戦禍に塗れており、そのためにノルドの民は湖畔への避難を余儀なくされている。

 このまま戦いが激化していけば、高原そのものから完全に避難しないとならないだろう。通信が出来ていないために事前の避難勧告も覚束ないこの状況では、あまりに危険が過ぎるからだ。

 故にグエンは問うているのだ、お前たちのために自分たちは労を折るのだから代わりにお前たちも協力しろという要請という建前を借りた命令なのかと。

 

「まさか、監視塔を攻略してこの地に平穏を取り戻すのは基より我らが果たさねばならぬ、いや果たして当然の役目です。果たして当然の役割を盾にとって、民間人である貴殿に協力を強制するような事は私には出来ません」

 

 その言葉を聞いてクレアは嬉しそうに眼を細める、鋼鉄の覚悟を身に纏っても義弟の抱く優しさが昔のままだとわかったから。

 

(やはり、大切なところは変わっていないのですね、貴方は)

 

 軍人とは国家の繁栄と其処に住まう民の幸福を守るためにこそ存在する、そんな綺麗事を心から信じていた少年の姿をクレアは思い出す。

 残酷な現実を目の当たりにして、そんな理想はあくまで理想に過ぎないのだと知った上でそれでも根底のところで変わっていない事を悟り、クレア・リーヴェルトは安堵し、同時に眩しく思う。

 “だとしても”と決して諦めずに戦い続けるその“強さ”は惑い続けている自分では到底持ち合わせる事が出来ないもの故に。

 

(結局、私はどこまでいっても“凡人”なのでしょうね……)

 

 不遜な言い方になるかもしれないが、確かに“優秀”か否かで言えば自分は間違いなく優秀な部類に属するのだろう。人はそんな自分を指して色々と称賛してくれたものだが……何のことはない、自分は結局のところ人より少しだけ優秀なだけなのだ。根っこの自分はどこまでも卑小な“凡人”に過ぎない。

 恩人たる宰相閣下のような総てを飲み干す鋼鉄の覚悟もーーー

 親友たるアデーレ・バルフェットのような清廉さもーーー

 そして今、目の前にいる義弟のような理想もーーー

 自分は持ち合わせていない。情と理、理想と現実、その狭間で迷い揺れ続けるだけの只人なのだ。

 だからこそ、クレアには目の前の義弟がとてつもなく眩しい。

 信じた“親友”が愛する父親を殺した犯人だった、こんな残酷な現実を味わってなお彼は自分の力で立ち上がったのだから。

 それは今も尚、亡き弟の姿を目の前の義弟に重ねてしまっている自分には到底出来ない事だったから……

 

 

 アルティナ・オライオンは若干困惑する、勝利のためならば手段を選ばない冷徹なリアリスト、それがアルティナのリィン・オズボーンという上官に対して抱いていた印象だったがために。

 アルフィン・ライゼ・アルノールに関して本人の自由意志を尊重するように動いた事は理解できた。曲がりなりにもこの国の至尊の血を引く方であり、その行動を強制する事ができるとすればそれは皇帝陛下のみであり、アデーレ・バルフェットという忠臣も居た以上、協力を強制するような事をしたところで反感を買うだけの事。故にお願いするという態度を取らざるを得なかった事、これは理解しやすかった。

 だが、グエン・ラインフォルトは違う。かつてはRFグループの会長を務めたこともあるのかもしれないが、今は隠居した老人だ。多少強引な手段に出たところで問題はないだろう。

 それにも関わらず上官たる少佐はあくまでグエン氏の自由意志を尊重するような態度をとっていた、それがアルティナには些か解せなかった。

 

(良く、わからない人です……)

 

 ユミルの時もそうだった。この人は自分自身で決断する事、意志というものを妙に重んじているように思える。

 戦いの時には冷酷さすら感じさせる徹底したリアリストだというのに、こういう時には潔癖なまでのロマンチストにもなる。

 上官と部下、それだけの関係のはずだというのに軍務でない時には妙に自分を子ども扱いしてくる。どうにもアルティナ・オライオンにとっては未だ測り切れない不可解な人物であった。

 

 レクター・アランドールもまた苦笑し喜ぶ、だが同時にこうも思った。“甘い”と。

 本来であれば、此処は多少強引にでもグエン氏の協力を取り付けなければならないところなのだ。

 リィン自身が語った通りに、通信を一方的に使用できるという状況が貴族連合に齎す優位は圧倒的なものだ。

 その対策が出来るというのならば、多少強引にでも(・・・・・・・)グエン・ラインフォルトに協力を強制すべき(・・・・・・・・)なのだ。

 ーーー少なくとも、彼の父である鉄血宰相ギリアス・オズボーンならばやっただろう。それによって生じる反感や反発等意に介さず、グエン・ラインフォルトを協力せざるを得ない状況に追い込んだはずだ。

 だが、リィン・オズボーンにはそれが出来なかった(・・・・・・)。彼にとってグエン・ラインフォルトは彼が守るべきエレボニアの民であるが故に、その意志を無視して協力を強制するという事が出来なかったのだろう。

 そして本人自身もそんな自分の甘さを自覚している事だろう、かつてならばともかく今のリィンがそれを理解できないはずもないのだから。

 それは甘さであり弱さだろう、未だ彼は父である鉄血宰相ギリアス・オズボーンの鋼鉄の強さに及んでいない。

 彼の根底にはやはり、決して捨てられない青臭い理想が心の中に息づいているのだ。

 

(けどまあ、その甘さと青臭さ嫌いじゃないぜ)

 

 上官の足りない部分は部下が補えば良い、いざという時の憎まれ役は自分が引き受ければいいだけの事なのだからとレクター・アランドールは義弟の支えとなる事を人知れず誓うのであった。

 

「故に、これは純粋なお願いです。どうか我々に力を貸して下さい、グエン・ラインフォルト殿。無論、協力に応じて頂ければ可能な限りそれに見合った報酬は用意させて頂きます。」

 

 その場から立ち上がり、リィンは真摯に頭を下げる。報酬を用意すると言ったが、これは別段買収するためのものではない。そもそもそんな事でグエンは心を動かされないだろう。何せグエン・ラインフォルトは帝国最大の企業RFグループの元会長なのだから金銭で不自由等あるはずもない、これは単に誠意の証、働きに対する正当な対価を用意するためという意味合いのものだ。

 故に、リィン・オズボーンに出来る事はただただ誠意を以て頼む事しか出来ない。

 武力によって脅す事等愚の骨頂だ。そうして無理やりに協力させた人物がどうしてその力をこちらのために発揮してくれるだろうか。そもそもグエン・ラインフォルトはあくまで民間人に過ぎない以上、こちらに協力する義務はない事、それを忘れてはいけない。あくまでこちらが協力を無理に頼む側なのだ。……これで断られたら、その時はまた改めて別の策を講じるとしよう。

 

 上官の後に続くようにレクターもクレアも、そしてアルティナも立ち上がりグエン氏へと深く頭を下げる。そんな四人の様子にグエンは苦笑を浮かべて

 

「やれやれ、これで断るような真似をしたら儂はとんだクソジジイではないか」

 

「それでは……!?」

 

「儂はへそ曲がりじゃからのう、“命令”でもされれば誰が聞いてやるかと思ったかもしれぬが、国のために懸命に働いている若者たちにこうまで真摯に頼まれて断るような“老害”になった覚えはないよ。どうも儂の可愛くない娘も貴族連合に囚われているようじゃしのう、親として間接的に貴族連合の連中に一泡吹かせてやるというのも悪くない」

 

 照れ隠しのようにニヤリとグエンは意地悪く笑う。

 思えばラインフォルト家は爵位を持たないのに、帝国でも有数の資産家という立場なのだ。

 貴族にしてみれば面白いはずもなく、当然この年になるまでの間にグエン氏もまた貴族とは色々と(・・・)あったのだろう。

 

「ありがとうございます、万が一の際には私に脅されて強引に協力させられて居たことにでもして下さい」

 

「は、どうせ老い先短い身じゃ。その時はそんなみっともない事はせずに貴族連合の連中に唾でも吐きかけてやるわい」

 

 かくしてグエン・ラインフォルトの協力を取り付けたリィン達は改めて監視塔攻略のための作戦を練るために、ゼンダー門へと帰還するのであった。

 

 

 




軍人は国と自国の民を護るものという綺麗事を体現しようとするのが
リィン・オズボーンの最大の美点でもあり、同時に最大の弱点でもあります。

ゾンバルト少佐はそんな彼の欠点を補うために登場させた人物ですね。


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監視塔攻略作戦

この辺りを原作でやっていた時の作者「これ最初からヴァリマールで強襲かけて装置破壊すれば、特に潜入する必要なかったのでは?」


「あ、リィンだ!おかえりー!」

 

 ゼンダー門に到着すると予定通り一足先に戻っていたシャーリィ・オルランドは満面の笑顔を浮かべながらリィンに抱きつこうとするが、リィンはそれをヒラリと軽やかに躱す。流石の朴念仁とは言え、これ程までに露骨にアピールされれば、どういうわけだか目の前の少女が自分に好意を抱いている事はわかる。

 なればこそ余計に、勘違いされるような事は避けるべきだろう。何せ目の前の人物は猛獣のようなもの、一時的に契約の関係で共闘しているに過ぎずそのうち雌雄を決する事となるのだから。……此処で適当にあしらって籠絡するという発想が浮かばない辺りがリィン・オズボーンの美点であると同時に欠点でもあっただろう。不世出の英傑たるドライケルス大帝もこと女性の扱いという点については、リィンと似たり寄ったりであったから当てにはならなかった。

 そしてそんな連れない態度の愛しい相手にシャーリィは不満気にぷくリと頬を膨らませる。その様はさながら飼い主に褒めてもらいたくてしょうがないペットのようである、問題はこのペットは油断すれば飼い主も食い殺しかねない人食い竜であるという点だが。

 プクリと頬をふくらませるシャーリィだが、それに味方する者は居ない。目の前の存在を外見通りの少女だと思えば手痛い目に合うだろうという事をその場に居た者達は重々承知している故に。

 

「いかんなぁ。実にいかんぞ。健気に待っていた少女にそのような扱いは男の風上にも置けぬ行いだと自分で思わんかね少佐」

 

 いや、一人だけ居た。老紳士を自認及び自称しているグエン・ラインフォルト氏だ。

 他の面々はこの少女が少女の皮を被った竜だと知っている、ゼンダー門の兵士にしてもそれは同じだ赤い星座の雷名は彼らもまた聞き及んでいる。今はこちら側に雇われているから過度の警戒は不要だが、それでもある程度の緊張は保っておくようにと、そう敬愛する司令官から訓示を貰っている。

 しかし、グエン・ラインフォルトはそんな事は知らない上に、荒事の経験も殆ど無い。故に気づけ無い、戦いに携わるものであれば思わず鼻を塞ぎたくなるような濃厚な死臭が目の前の少女から発せられている事に。それ故にグエンの目から見れば、健気な美少女のアプローチを朴念仁が邪険に扱っているようにしか見えないのである。

 

「いえ、グエンさん。これには少々事情がございまして……」

 

「そうなんだよー聞いてよお爺さん。リィンったら酷いんだよーシャーリィはリィンのために頑張って働いたっていうのにさ。別にリィンのためだったらその位なんて事無いんだけど、少し位頭を撫でてくれるとか抱きしめる程度を期待したって罰は当たらないと思うんだよねー」

 

 そしてその思わぬ援軍をシャーリィ・オルランドは見逃さない。グエン氏に事情を伝えようとするクレアを遮り、間髪入れずにグエン・ラインフォルトを味方に引き込むべく動く。

 

「少佐……それでも帝国男子かね。余り他人の恋路に首を突っ込む気はないが、それでもあまりにあんまりというものだろう」

 

「ううう……良いんだよ優しいお爺ちゃん。所詮はシャーリィが一方的に好きだって言っているだけだもん。リィンにとっては迷惑なだけだったんだよね……」

 

 「その通りだ、迷惑だ」、そうばっさりと切り捨てようとしたリィンだったが、グエン氏の批難するような視線を受けて喉から出かかったその言葉を寸前で飲み込む。甚だ不本意な流れだが、このまま行くと自分はグエン氏から女を弄んで一方的に利用しているとんだ女たらしに思われかねないだろう。

 そしてシャーリィ・オルランドが称賛に値するだけの働きをしたのもまた事実だ。ならば、そう多少の労いをしてやるのは良かろうと、そう考えて一度大きなため息をついて……

 

「足止めご苦労だったなオルランド、良くやってくれた」

 

「……うん!リィンのためだったらこの位幾らでもやるから今後もばんばん私を頼ってね!!」

 

 妥協するように軽く頭を撫でるとシャーリィは飼い主にブラッシングをされた猫のように嬉しそうに目を細め、喜色に満ちた様子で応じる。その様はパッと見仲のいい兄妹のように見える光景である。しかし忘れてはらない、シャーリィ・オルランドは決して愛玩用の猫等ではなく人を喰い殺す猛獣なのだ。そこを忘れて見た目の愛らしさに騙されれば、手痛い傷を負う事となるだろう。

 故にリィン・オズボーンは絆されなどはしない、いずれ戦う時が来ればその刃に一切の刃こぼれを生じさせる事無く容赦なく、今こうして轡を並べている少女を斬り捨てるだろう。そしてシャーリィもそんなリィンの奥底にある剣呑な様子に歓喜する、そんな貴方だからこそ私は好きになったのとばかりに。

 兄妹のように戯れていたのも束の間の間だけ、すぐさま二人は濃縮された殺気を互いに交わし合う。それは二人から離れたところに居る者達でさえも、体感温度が数度下がるような心地となるような強烈なものであった。

 

「若いってのは良いのう。可愛い方の孫娘もそろそろ好きな男の一人位連れてきてくれると良いんじゃが」

 

 事情を知らず戦いに関しては門外漢のグエン・ラインフォルトだけはそんな二人を微笑ましいものでも見るように満足げに眺めるのであった……

 

・・・

 

「……なるほど、つまり少佐はあくまで貴族連合の開発したその装置を無傷なまま手に入れる事を主張するのだな?」

 

「はい閣下、装置を破壊する事ならば簡単です。それこそ私がヴァリマールで上空から奇襲をかけるだけで事足りるでしょう」

 

 監視塔は元々監視塔という言葉が示す通り、そこまで堅牢な要塞というわけではない。

 当然そこに居る戦力も双龍橋に駐屯していたものとは比較にならぬ規模で哨戒に出ている飛空艇も10に満たぬ数。まず以て騎神の敵ではない、それこそ上空より強襲して装置を破壊する事も容易いだろう。

 

 しかし

 

「ですが、それでは今後の戦い(・・・・・)でもアレに悩まされ続ける事となるでしょう。

 装置を無傷で確保して、グエン氏にその対策を講じて貰う、それが一番かと」

 

「ふむ……そして、そのための作戦案がこれというわけか」

 

 リィンより提出された作戦案、それはレクターとクレアにも手伝って貰いながら作成したものだ。

 まずリィンが灰の騎神単騎により、強襲を駆ける。これによって監視塔の機甲部隊を引きずり出し、相手取る。

 そして更にそこから昼間の陽動ですっかり顔が知れたであろうシャーリィ・オルランドが高原南部の高台、監視塔より死角になっているそこから、崖伝いに降りて監視塔の敷地裏へと出る。無論、相手もそこが監視塔に対して強襲を敢行するのに適している場所というのは把握しているであろう。まず間違いなく網を張っているはずだ。

 だがそれで良い、此処までの作戦はあくまで陽動に過ぎない。リィンが敵の機甲部隊、シャーリィが敵の猟兵団をそうして釘付けにしている間に、アルティナとクレアとレクターの三人はクラウ・ソラスの飛行能力とステルス機能を利用して監視塔の屋上へと到達、導力波妨害装置を停止させて手元にある通信機にてゼンダー門の部隊へと連絡。

 通信妨害という枷が消えた第三機甲師団はリィンが相手取っている機甲部隊の側方より一挙に強襲を掛けるというわけだ。

 

「いくつか確認したい事がある、まず貴官の操縦する騎神、これは本当に単騎で敵の機甲部隊を相手どれる代物かね?」

 

「はい閣下、それにつきましては帝都での戦い、そして双龍橋攻略作戦の結果が示すとおりです」

 

 誇るでもなく淡々とした口調でリィンは告げる。敵の戦力を過小に見積もっているわけでも自分の力を過大に見積もっているわけでもない、ただ純然たる事実がそこにはあった。つまり騎神というのはそれだけの代物なのだという事なのだ。

 その事実にゼクスは若干目眩をするような心地を覚えた、単騎で一個師団に匹敵する戦力等全く以ていい加減にして貰いたいものだ。一騎当千の英雄等と、そんな存在が戦場の主役だった時代はとうの昔に終わった筈だと言うのに。そんな存在を大真面目に考慮に入れていたら、戦術も何もあったものではないだろうに。

 これが味方であるというのならば、頼もしいだけで済むが、蒼の騎神にクロスベルの神機と敵にも存在しているのだから全く以てたまったものではない。神機に壊滅させられた第五機甲師団と現在蒼の騎神を西部戦線にて相手取っている面々にゼクスとしては同情を禁じえなかった。

 しかし、とりあえず今はそんな理不尽な存在はこちらの味方である以上、それは貴族連合側にとっては悪夢でもこちらにとっては福音と呼ぶべきものであった。

 

「陽動をシャーリィ・オルランドなる猟兵に任せるようだが、こちらの離反の危険性は?」

 

 当然と言えば当然だが、やはり案の定シャーリィ・オルランドに対するゼクスの評価は余り高くなかった。

 リィン自身もそうであるように正規軍に所属する軍人にとっては猟兵等というのは金で所属をコロコロ変える信用ならない存在として嫌っている人物が元々多い。裏切りを警戒するのはある種の必然であった。

 

「それに関してはまず無いでしょう。赤い星座は超一流の猟兵です、こちらが不義理を働くような事をしない限りは契約を違えるような事はまず杞憂と言って良いかと思います。実際既に彼女は単騎にて陽動の任を果たしてくれています。信用して良いかと」

 

 シャーリィ・オルランドは油断のならない猛獣である。

 だが、それでも最低限の信義と誇りを持ち合わせたプロフェッショナルである。

 故にカイエン公のような不義理がこちら側が働かない限りは、この内戦が終わるまで(・・・・・・・・・・)は契約通りに正規軍にとっての忠実な猟犬で在り続けるだろう。

 せっかく高額なミラを費やして手に入れたカードなのだ、使わなければ損というものだろう。

 

「では最期に、装置の停止措置についてだが、本当にこの三人で大丈夫なのかね?破壊というのならばともかく無傷で鹵獲するのが目的というのなら、技術将校を同行させた方が良いと思うが……」

 

 ゼクスが問うている内容、それはリィンにとっても悩みどころであった。

 今回の作戦の目的はあくまで装置の破壊ではなく奪取にある。故に装置を破壊する事無く停止させる必要が出てくる。

 だが、破壊させずに停止するとなれば、まさかアレほど大掛かりな装置がボタン一つで停止するような代物であるはずもなく、装置の構造等を把握してセキリュティを突破できるような専門の技術者の手が必要となってくる。

 クレアにしてもレクターにしてもある程度の知識はあるものの流石に、専門の技術者ではない。かといってクラウ・ソラスによって一度に運べる人数はアルティナ本人も含めて3人が精々と言ったところ。

 装置の護衛役も十中八九居ることから、達人級の腕たるクレアとレクターはできれば二人共外したくないし、敵の拠点への潜入という危険度の高い任務であることを思えば、腕に自身の無い技術屋を連れて行くのは避けたいところであった。さて、どうしたものかとリィンも思案したのだが……

 

「それに関してはオライオン曹長の方に自信があるようです。自分に任せてもらえれば問題なく装置を停止させて見せるとの事です」

 

 リィンが告げた言葉に目を丸くするゼクスに対してアルティナはペコリと頭を下げる。

 

 「OZシリーズ最終にして最高傑作である自分ならば、装置の構造を解析して把握すること等造作もない事」悩むリィンにそうアルティナは告げていた。曰く、騎神やクロスベルの神機等と言った代物ならばともかく、それ以外であれば自分はあらゆる機械に対して同調し、解析し、そして支配する事が出来るのだとどこか得意気な様子で彼女は告げていた。そしてその証明としてセキュリティのかかったクレアの端末をあっさりと掌握する等という業をやってのけたのだ。OZシリーズとは何なのかという質問に対しては相も変わらず「秘匿事項です」の一点張りであったが、とにもかくにもこと機械やシステムに関して並外れた能力を抱いている事は確かであった。

 

「穴はない……というわけか。うむ、良かろう。貴官の作戦案を採用する。こちらも部隊の出撃準備を整える故、それまで貴官らは休息を取るように」

 

「「「「イエス・サー」」」」

 

 七曜暦1204年12月12日、苦境に立たされている帝国正規軍第三機甲師団を救うべく、リィン・オズボーン少佐は直卒の部下と共に監視塔攻略作戦を開始した。

 




設定改変により、アルティナちゃんはOZシリーズ最高傑作として機械にハッキングして乗っ取るみたいな事が出来るようになっています。
後はそれに伴って演算能力とかが並外れているみたいな想定になっています。

妹より優れた姉など存在しねぇ!


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燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや

前から書いていますけどトールズ士官学院に在学している生徒は
(そうは見えないけど)全員エリート中のエリートなんですよね。
エレボニア帝国という国家における上澄みも良いところの存在なわけです。
ですが、当然世を構成するのはそんなエリートばかりではないわけです。
トールズ卒業生は将校である准尉からスタートしますが、一般兵から見れば将校とは普通は手の届かない存在なわけです。


「ああ、畜生。どこで選択間違えたんだろうな俺は……」

 

 迫りくる死を前にして、鋼鉄の棺桶の中でラマール領邦軍の兵士アルフレット・リンザー准尉はそう呟いた。

 

 アルフレット・リンザーはラマール州の辺境に位置するカッセル村の農家の次男坊として七曜暦1179年にこの世に生を受けた。両親は特別善良というわけでもなく、特別悪徳というわけでもなく、次男坊であるアルフレットにそれ相応の愛情を注いでくれたし、兄との関係も同様だ。特別仲がいい訳もないが、さりとて「こんな奴いなくなっちまえば良い」等と思うほどに悪いわけでもない。所謂地方に存在する「普通の家庭」であった。

 神童……等と呼ばれる事もなく、彼は特別優等というわけでもなく、さりとて大人に呆れられるほどの落ちこぼれというわけでもなく極々普通の少年として田畑を耕すのを手伝い、日曜学校で読み書きを教わるという標準的な育ち方をして彼は成長していった。

 

 そして15歳になってくると彼に転機が訪れた、都市部の富裕層やあるいは貧しくとも抜きん出た才覚であれば奨学金を貰って進学するという選択肢もあったのかもしれないが、生憎と彼の家は特別貧しくもなく、かと言って特別裕福でもない極普通の農家である。当然次男坊をそんなところに送る余裕などないし、彼自身にしてもエリート様方が集うところに飛び込んでやっていける自信等欠片もなかった。そんな普通の家で育った、普通の次男坊である彼のとれる選択肢と言えるものは2つしかなかった。

 

 すなわちそのまま家に残って一生自分の物ではない兄の物となる田畑を耕すか、それとも軍人になるかである。

 前者の方を選べば、これまで通りの代わり映えのない生活が待っている。命の危機に陥る等という事はそうそうない。しかし、同時に次男坊である彼はあくまで兄のものである田畑を生涯耕し続ける事となるので、一生兄に頭の上がらない生活が待っているだろう。妻子を持つこともまず絶望的と言っていい。

 後者を選べば、死ぬ覚悟をしなければならない。だが同時にアルフレットのような先の見えない立場の人間でも家庭を持って人並みの幸福を得る、軍服を纏って皆から尊敬される、そんな贅沢(・・・・・)を望めるような立場になる。自分で自分の食い扶持を稼ぐわけだから、兄の顔色を伺う必要もなく堂々ともしていられるのだ、それは折しも血気盛んな年頃だったアルフレットにとってはこの上なく魅力的に思えた。

 加えて言えば、彼とて年頃の男子なのだ。日曜学校で聞いた獅子心大帝陛下に槍の聖女、そんな“英雄”達に一度も憧れなかったと言えば嘘になる。もしかして、自分には何か特別な才能があるのでは……と後々思い返せば思春期にかかった麻疹としか言いようのない思いもあった。

 

 かくしてアルフレット・リンザーは軍人の道へ進む事を決めたわけだったが、エレボニア帝国には軍というものは2つが存在する。一つは正規軍、そしてもう一つは領邦軍だ。折しも百日戦役の敗戦、そして鉄血宰相ギリアス・オズボーンの台頭によってこの2つは対立を徐々にだが深めていた事もあってアルフレットは大いに悩んだ。

 

 己が才幹に自信のある平民が立身出世を狙うのならば正規軍こそを選ぶべきであった。折しも正規軍は百日戦役の敗戦を受けて徹底した実力主義を標榜するようになっており、精鋭たる20の機甲師団を率いる将の多くを平民出身の者が占めるようになっていた。「身分は問わない、我らが求めるのはただこの国を愛する者である」、それが正規軍が若者を軍に勧誘する決まり文句であった。

 

 一方の領邦軍は四大名門がそれぞれ統帥権を有しているのもあって貴族のための軍という気風が強く、軍を牛耳る士官の多くは貴族によって構成されている。平民でも出世する者はいないわけでもなかったが、才幹と何よりも貴族に対する処世術が重要となってくる組織であった。これだけ聞くと平民にとっては正規軍一択のように思えてくるが、ことはそう単純ではない。

 

 帝国正規軍は“外敵”からの国土防衛を主な任務としている、それこそ百日戦役の時のような戦争が起これば真っ先に前線へと赴く立場なのだ。一方の領邦軍は領土の治安維持こそが主な任務となっており、全く無いというわけではないが、それでも戦死の危険は正規軍に比べれば格段に低いと言って良い。

 大まかにわければ、安定志向ならば領邦軍、逆に立身出世の夢を追うのならば正規軍という事になるだろう。迷った結果、結局アルフレットは領邦軍へと進む事を選んだ。夢に焦がれる気持ちは確かにあったものの、それでも世の中そんな上手い話がそうそう転がっているわけがないという現実的な考えがそれを上回ったのだ。

 

 幸いな事にアルフレットは“天才”だとか言われるほど“特別な存在”ではなかったが、それなりに優秀であった。5年間兵卒を務めた彼は、下士官選抜試験を突破して伍長となる。そうして伍長を勤め上げて3年が経ち、軍曹へと一兵卒からの任官としては順調と言って良い速度で昇進していった。まず満足と言って良い人生だった、“英雄”になどはなれなかった、だが凡そ辺境の次男坊としては大満足と呼べる成功。後はそろそろ適当に美人と言わないまでも醜女ではない、気立ての良くて家事の出来る女を嫁さんにでも貰って……とそんな事を思っていた時だった。貴族連合と正規軍の内戦が勃発したのは。

 そこから先はあっという間であった。曰く、正規軍の“灰色の悪魔”によって忠勇なるラマールの騎士が多く女神の下へと旅立った、故に栄光ある機甲兵部隊に貴族平民の別なく適性の高いものを選抜する、そんな知らせが出たかと思うと、何の因果か自分はそこで「極めて高い」適性とやらを示してしまい、ほんの一ヶ月程度の促成栽培の状態で機甲兵のパイロットとして前線へと放り込まれる事となった。……有り難い事に准尉に昇進というおまけ付きで。

 

 士官になる事など一兵卒出身に関して言えば、まず無いと言って良い。故にアルフレットはこの抜擢に涙を流しながら喜んだ……等という事があるはずもない。15歳の頃の若僧であれば無邪気に喜べたかもしれない、それこそ自分は選ばれた存在なのだと思い上がれたかもしれない。

 だがしかし、軍隊に入って9年も経てば流石に身の程というものは理解しているし、上手い話には往々にして裏というものがあるのだという事も朧気ながらに理解してくるものだ。案の定というべきか、待っていたのは地獄であった。《ゴライアス》、何の因果か自分はそんな機甲兵の中でも“最新”に位置する機体へと乗って監視塔を防衛することを命じられたのだ。

 

 新兵ならば喜び勇んだ事だろうが、生憎と軍隊生活を10年近くも続ければ“新型”とやらが如何に安全性に欠けるものかというのが嫌でもわかる。そもそも本当にそんな貴重な機体ならば、貴族様へと割り当てられる事は明白。自分のような兵卒上がりの平民へと割り当てられた時点で、何らかの“欠陥”があることは確実というものだろう。

  そしてその懸念は見事に当たっていた、「このゴライアスは巨体を支えるために導力機関に激しい負荷がかかっている。故に敗北した場合は機体が弾け飛ぶ事となる故死に物狂いで戦うように」、そんな風に有り難いことを上官様は俺に仰ってくださった。なるほどなるほど、そんな欠陥機にそりゃ高貴なる血が流れている貴族様は乗せられねぇわな、つまり准尉に昇進したのは二階級特進の前渡しってわけだ。有難すぎて涙が出てくるぜクソッタレめ等とアルフレットは自分を栄光あるラマールの騎士へと抜擢してくださった方々と上官に心の中でありったけの罵倒を零した。その後は、ただひたすらに祈る毎日である。

 幸いな事に北部戦線は貴族連合が優勢であった。詳しい原理は不明だが、導力波通信妨害装置の影響で正規軍側は精彩を欠いており、その装置をなんとかしようと派遣された部隊も猟兵団が阻止する。良いぞ、このまま自分の出番が無いままに内戦が終わってくれればとそんな風にアルフレットはかつてない熱心さで女神へと祈った。

 しかし、そんな彼の祈りは残念ながら叶えられる事はなかった。12月12日、アルフレットが、いや貴族連合が恐れていた恐怖の象徴たる灰の悪魔がその姿を現したのだ。

 

 そこから先はあっという間であった。その光り輝く双剣を振るうたびにこちら側の機甲兵が一機また一機と次々にやられていく。指揮官の怒号が響くが、それも意味がない。悪魔にしては随分と慈悲深い事に格の違いを見せつけるかのように、わざとこちらのコックピットを避ける等という余裕さである。

 その光景にアルフレットはただただ魅せられていた。美しかった、ただただその光景は。振るう剣には“練達”と称する他ない、研鑽の後が込められていた。それは目の前の人物が、自分などでは及びもつかない程の努力を重ねている事を示すものであった。

 

(ははは……そりゃ、ちっぽけな俺の祈りなんぞ聞いてくれるわけはねぇわな)

 

 だってそうだろう?自分なんて端役も良いところだが、それに対して目の前の存在は違う。

 輝く双剣を携えた宰相閣下の遺児である若き英雄。皇女殿下を救った騎士、名門士官学校の首席!オマケに帝国時報で面を拝んだこともあるがかなりの二枚目と来たものだ!

そりゃ女神様だって女である以上冴えない三枚目の平民とどっちを贔屓するかなんてわかりきったものだろう。劇の主役に選ぶならどう考えても向こうだ、こんな冴えない男を選んだ日には大顰蹙も良いところだろう。

 

「リンザー准尉!何をしている貴官の出番だぞ!!!平民に過ぎん身で在りながら、栄えある機甲兵部隊へと配属した栄誉へ応えるのだ!!!」

 

 別に俺が頼んだわけじゃねぇよ、そう舌打ちしながら言いたい衝動をリンザーは必死に抑える。

 生き残る可能性が低いとは言え、万が一にも命を拾う可能性は決して0ではない。そしてそうなっても此処で口答えでもしようものなら台無しだ。

 

「イエス・サー」

 

 故に口に出してはただ一言、了解の意を告げてアルフレット・リンザーは凡そパイロットの事など考えられていない鋼鉄の棺桶へと乗って戦場へと躍り出たのであった。端役には端役の意地があるのだと、見せつけるために。

 

「そもそもアンタが帝都で大暴れしなければ、俺はこんなもんに乗らずに済んだんだよ!!」

 

 八つ当たりじみた、いや文字通りの八つ当たりを口にしながらアルフレットは灰色の悪魔へと必死の猛攻を加える。

 

「アンタが!帝都で本来乗る予定だった連中を壊滅なんてさせなければ!」

 

 ゴライアスに充填されているミサイル、それを一斉に放つ

 

「アンタが!此処にやってこなければ!!!」

 

 あっさりと躱した敵に今度は躱しようのない全方位に対する銃弾の雨を放つ

 

「そうすりゃ俺は!アンタみたいな“英雄(怪物)”相手に戦わずに済んだんだよ!

 国の為だの、民の為だの、勝手にやっていてくれよ!俺の知らないどこかでさぁ!!

 アンタにしてみりゃとるに足らない雑魚かもしれないけど、それでも俺だって必死に生きてんだ!!」

 

 恐慌に駆られたアルフレットはみっともない八つ当たりをし続ける。

 そうだ、目の前の立派な英雄様には自分の気持は絶対にわからないのだと理不尽な怒りを燃やして。

 ああ、確かに物語で言えばこっちが悪役なのだろう。宰相を暗殺して、皇帝を軟禁して国を自分の物にした邪悪な貴族。それがこっちの親玉で、自分はその尖兵だ。正しいのは、向こうなのだろう。

 だけど、それでも自分は英雄譚の端役等ではなく、アルフレット・リンザーという一人の生きた人間なのだ。聖人君子でこそなかっただろうが、それでも死んで当然などと言われるほどの悪行をしたことなど無い。税金だってきちんと収めていた。望む未来が確かにあったのだ。

 

 だというのにーーー

 

「なんでアンタみたいな“英雄(怪物)”とやり合わなくちゃならねぇんだよぉ!!!」

 

 瞬間、それまで守勢に回っていた騎神が攻勢へと移る。

 もはや、見切ったとばかりに。その機体がどういう機体かはあらかた把握したぞと言わんばかりに。

 その神速の如き剣撃はちっぽけな端役の感知速度をあっさりと振り切り、ゴライアスの装甲を切り裂き、甚大な損傷を与え、その機能をわずか一撃で停止させたのであった。

 

 鳴り響く出す警告音、それを聞きながらアルフレットは全てを諦めながらポツリと呟く

 

「ああ、畜生。どこで選択間違えたんだろうな俺は……」

 

 領邦軍に入った事が間違っていたのだろうか?だが入ってなかったら待っているのはひたすらに田畑を耕す日々だ。少なくとも、こうなる前に抱いていた細やかな“夢”を持つことも出来なかっただろう。豪農でもない、農家の次男坊なんてのはそんなものだ。

 だから領邦軍に入った事それ自体を間違えていたとは思えない。となるとはて一体ーーー

 

「そこのパイロット。何故脱出しない。貴官の機体は明らかに異常を起こしている。そのままそこに居たら死ぬぞ」

 

 思索にふけっていると、とても年下とは思えない威厳に満ちた声で英雄様がそんな事を語りかけてきていた。

 本当に空の女神は贔屓をし過ぎだろう。天は人に二物を与えないとかいう諺は一体何だったのやら。

 

「……出来ないんですよ。この機体、どうにも欠陥機のようで。俺は平民ですからね、文字通り死に物狂いで戦えって事ですわ」

 

 忌々しい上官の顔をアルフレットは思い出す。全くこんな事になるんだったら一発、いや死なない程度に思いっきりぶん殴っておくべきだったと後悔しながら。奇妙な事にアルフレットの中に、自分を殺す事となる目の前の人物への怒りはもう消えていた。それは恐らく身を以て、思い知らされたからだろう。格の違いというものを。

 ああ、こんな奴に敵うわけがないのだとーーーそんな奇妙な納得を得てしまったのだ。

 

「そうか、では衝撃に備えて頭を保護しておけ。それと舌をかまないように口を閉じておけ」

 

「は……?アンタ一体何言って……?」

 

 一応言われたとおりに頭部を保護するように腕で覆う。

 直後激しい振動がその身体を襲う。そして、わけのわからぬままにアルフレットはその意識を失うのであった。



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至高の美

結社身喰らう蛇とかいう芸人集団(デュバリィちゃんとブルブランを見つつ)
おかしいなぁ、SCの時はもっと底知れない怪物感があった気がするんだが。


 

 監視塔の屋上、導力波妨害装置を停止させるためにたどり着いたクレア達は敵と相対していた。敵の名は結社“身喰らう蛇”に執行者《怪盗紳士ブルブラン》と《鉄機隊》が筆頭隊士《神速》のデュバリィ。片方はふざけた格好をしており、もう片方は真面目そのものだがそれゆえにどこかポンコツな空気を漂わせていたが、有する力量は紛れもない本物。どちらも紛れもない壁越えを果たしている《達人》である。

 数に於いては3人居るクレア達の方が勝っている、コンビネーションについても同様だ。故に戦況、それ自体はクレア達の方が優位で進んでいる。しかし、それでも中々押し切れない。目前の二人は紛れもない強敵であった。

 徐々に焦りがクレアの胸中を満たし始める。装置の停止が遅れれば遅れる程それだけ、ニーズヘッグの足止めを行っている赤い星座の少女はともかくとして、義弟は第三機甲師団の援護無しに単騎で貴族連合を相手取る時間が増えるという事である。

 

「落ち着けよ、クレア。心配しなくてもあいつなら大丈夫さ。今のアイツが、いや我らが上官殿(・・・)がそうそう遅れを取るようなタマかよ」

 

「アランドール大尉の仰る通りです。灰の騎神ヴァリマールを駆る少佐の戦力は機甲兵部隊一個連隊に匹敵します。此処に駐屯している規模の部隊ならばまず遅れを取ることはないはずです。むしろ少佐が敵の部隊に遅れを取る可能性よりも、我々が目の前の敵に遅れを取る心配をすべきかと」

 

 二人の指摘を受けてクレアは冷静さを取り戻す。そうだ、今の自分が為すべきは目前の敵手の相手だと、ようやくその異名に相応しく怜悧な頭脳をフルスペックで発揮しだす。そうだ、焦る必要はない。ゆっくりと着実に追い詰めていけば良いのだと、すぐに仕留める事などは狙わずに着実にダメージを蓄積させる手段を選ぶ。わずかだが、されど少しずつだがクレアの放つ弾丸が前衛を務めるデュバリィへと当たりだす。それは致命打には至らない、だが確実にダメージとなって蓄積し、ついにデュバリィはその膝をつく。

 

「ぐぬ……おのれ、猪口才な。一緒に戦っているのが、こんな男ではなくアイネスやエンネアでさえあれば……というかそこの貴方!なんでそこの変態ではなく私ばかり狙うんですか!!狙うのならそこの変態から狙うべきでしょうに!!!」

 

 怒り心頭と言った様子でデュバリィが口にするが、完全に戦闘態勢に移ったクレアは意に介さずにそのまま攻撃を続行する。

 

「って問答無用ですかこんちくしょう!」

 

 しかし、その攻撃をデュバリィは調子に乗るなとばかりに剣撃で弾き落とす。妙な愛嬌を宿した少女ではあるが、それでも結社最強の戦闘部隊《鉄機隊》の筆頭隊士という肩書は決して伊達ではない。その実力は紛れもない本物であった。

 

「ってな事言われているけど、その辺どうよ変態さんとしては」

 

「ふふふ、我ら美の探求者はとかく世間から白眼視されるもの。我が宿敵たるオリヴァルト皇子がこの国で《放蕩皇子》等と揶揄されているようにな」

 

 軽口を叩きながらレクターとブルブランは五分の戦いを繰り広げる。両者に共通しているのは目の前の男のようなタイプは相方とは確実に相性が悪いという認識。故に千日手のような攻防を繰り広げる、ブルブランはその奇術によって翻弄しようとするが、レクター・アランドールは並外れた勘の鋭さと持ち前の洞察力を以てしてその尽くを見破る。

 

 徐々に状況は2VS2の膠着状態に陥り始めていた。クレアとレクターが抜群のコンビネーションを見せるのに対して、ブルブランとデュバリィの間にはそんなものは存在しない。しかし、クレアとレクターは装置の方にも気を配りながら戦わなければならない、故の均衡。そう、2対2での(・・・・・)均衡なのだ。

 

「ーーーーー同調(アクセス)

 

 デュバリィが膝をついてアルティナへの警戒を払う余裕が消えたその隙を狙って、アルティナ・オライオンは本作戦の目的を達成しようとしていた。

 

「あーーーーーーーあのちびっ子、いつの間に!」

 

 気づいた時には時既に遅し、機械への同調を行ったアルティナは瞬く間にセキリュティを突破していき、そして……

 

任務完了(ミッション・コンプリート)。オライオンより、第三機甲師団司令部へ。《鉄血の子どもたち(アイアンブリード)》は任務を達成せり。繰り返す、通信封鎖の解除を完了」

 

「こちら第三機甲師団司令部。良くやってくれた、これより我らは当初の計画に従い監視塔奪還作戦を発令する」

 

 そしてそのやり取りの直後、巨大な爆発音が響く。

 貴族連合の投入した新型《ゴライアス》が自らの負荷に耐えきれずに導力機関が暴走し、爆発したのだ。

 爆炎が晴れた後に見えたのは依然健在な灰色の騎士人形とそれに抱えられたゴライアスの胴体部であった。

 

「ま、まさかわざわざ敵兵を助けたと言うんですか……?」

 

 思わぬ光景にデュバリィは目を丸くする。それは虚を突かれこそしたものの、決して馬鹿にしたものではない。むしろ畏敬の念が込められていた。何故ならば、それはデュバリィが尊敬する騎士の在り方そのものだったから。

 

「ったく、本当に無茶苦茶しやがるなアイツは……」

 

 レクターはため息混じりにしょうがないやつだとでも苦笑して

 

「リィンさん………やはり、貴方は……」

 

 クレアは義弟の優しさに感動とその危うさへの憂いを覚え

 

「……やはり、不思議な人です」

 

 アルティナは疑問を深める。

 四者四様の様子を見せている中、ブルブランは……

 

「ふふふふふ………ハハハハハハハハハハハ!!!!」

 

 哄笑を挙げだす。愉快で愉快で溜まらないと。

 

「素晴らしい!全く以て素晴らしいぞ、リィン・オズボーン!!

 敵兵であろうと同じ帝国の民である以上、自分の護るべき対象という事か!?

 一片の容赦も無く敵を撃滅せんとする冷徹な現実主義者(リアリスト)かと思えば、己が身の危険を省みずにその命を救わんとする慈悲深さを持った理想主義者(ロマンチスト)でもある。

 何という矛盾!何という強欲さ!何という傲慢さ!!!素晴らしい(・・・・・)それでこそ英雄だ(・・・・・・・・)

 そう、英雄とは誰よりも強欲で傲慢な存在なのだから!誰もが一度は願い、そして諦める理想へと手を伸ばし続ける不屈の意志力こそが英雄を英雄足らしめるのだから!

 護るべき者を殺すという矛盾を呑み干して、進み続けるその強さにこそ人々は憧憬を抱くのだから!!!

 鉄血宰相のオマケ等ととんでもない!その傲慢さ!君はまさしく“英雄”だリィン・オズボーン!!!

 その在り方は美しい!美の探求者として心からの敬意を君に払わせてもらおう」

 

 恍惚とした様子でブルブランは深い情念の灯った息を吐き出す。

 それは言うなれば、マニアが至高の宝へと巡り会ったような喜びに満ちたものであった。

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

「ま、またこの男は何時も通りにわけのわからない事を……ううう、助けてくださいマスター。どうして執行者の連中というのはこんなのばかりなんですか」

 

「ふふふ、これは失礼をした。真の美というものはこの世には数える程しか無い、それに巡り会えた喜びで思わず我を忘れてしまったようだ」

 

 ドン引きした周囲に気がついたのだろう、軽く釈明するようにブルブランは口にするが、その様は未だ興奮状態から冷めていなかった。

 

「ふふふ、楽しみだ……実に楽しみだ。彼という“英雄”が綴る“英雄伝説(サーガ)”その軌跡は、恐らく至高の美と称するに相応しい芸術品となるだろう。

 我が好敵手と言い、この国も中々どうして捨てたものではないな。さて、そうなればこれ以上端役が舞台を荒らすとのは無粋というもの。

 主演が魅せたのだ、これにて一旦閉幕とするのが筋というものだろう。それでは鉄の絆で結ばれた英雄の義姉弟諸君、また会おう。彼に伝えておいてくれたまえ。鉄鋼山での借りは、何れ必ず返させてもらうとね」

 

 その言葉と共にブルブランはその姿を消す。勝手に盛り上がって一方的にまくしたてかと思えば、突然消えるその身勝手にたまらないのは相方の方だ。何時の時代でも酔っぱらいの割を喰らうのは素面の真面目な人間である。

 

「ちょ……何一人で盛り上がって勝手に消えてやがるんですの!!!」

 

 怒り心頭の様子でデュバリィが叫ぶも応えるものは誰も居ない、協調性も何もあったものではない同僚への怒りに燃えるも、こうなってしまえば彼女にしても選択肢はない。流石に一人で全員相手取れると思うほどに彼女はうぬぼれては居ない。

 

「くぅうううう、良いですこと!今回遅れを取ったのは、組んでいたのがあの変態だったせいです!

 我ら鉄機隊の本当の恐ろしさはこんなもんではないんですからね!首を洗って待っていやがれですわ!!!」

 

 そんな捨て台詞を吐いてデュバリィも姿を消すが、そんな彼女を見るクレアとアルティナの目は同情に満ちており、レクターの目は良いおもちゃを見つけたとばかりに愉快気に光っていた。そして、騒がしい二人が消えた事で監視塔の屋上に静寂が戻る。

 

「……どうしてシャーリィさんと言い、あの子はああいう手合い(・・・・・・・)にばかりに好かれるんでしょうか」

 

 静寂を破るようにため息と共に吐き出されたクレアの言葉に答えられる者は誰も居らず。微妙な空気がただただその場を包むのであった……

 

・・・

 

「ふむ、もう行くのかね少佐」

 

 慌ただしく出立の準備を整えた監視塔奪還の立役者へとゼクス・ヴァンダールは問いかける。

 

 あの後、通信封鎖というアドバンテージを喪失し、更にヴァリマールの相手で手一杯だったところに、更に現れた第三機甲師団の姿に心を折られた事であっさりと降伏した。

 指揮官とその側近だけ一足先に軍用艇で逃げた後も、尚抗戦を選ぶ理由は彼らにはなかった。欠陥機に部下を乗せて使い捨ての駒にした貴族の上官と、そんな使い捨てにされた平民を敵でありながらも命がけで救出した灰色の騎士、等という光景を見せられれば尚更である。

 頑迷に抵抗し続けようとした貴族の士官も居たが、背後から飛んでくる銃弾を恐れながらも尚もそれを主張し続けることの出来るような者は圧倒的少数であった。

 

「はい、閣下。この地での我らの任は果たしました。故に我らは次へと向かいます」

 

 そう、東部戦線に引き続き、これで北部戦線でも正規軍は息を吹き返した。

 で、あるのならば次に向かうべきは……

 

「西部戦線か。あそこは特に苦境にあると聞いている。ルグィン将軍とバルディアス将軍、貴族連合の双璧とも謳われる両将軍と、そして《蒼の騎士》の存在によってな。恐らく、これまでとは桁の違う相手となって来るだろう」

 

 オーレリア・ルグィンとウォレス・バルディアス、貴族連合の双璧とも謳われる両者の勇名はリィンもいやという程耳にしている。どちらも《理》に至りし、名高き“英雄”だ。爵位持ちの貴族だからという理由があれど、30にも満たぬ若さでどちらも領邦軍の将官と司令の座へと至った傑物。これまでの敵と同じだと侮ってかかれば痛い目に合うだろう。それこそ今は亡き師と同等レベルの怪物と認識しておくべきであった。だが、それでもリィンは臆する気など欠片もない。それは窮地にある友軍を助けなければならないという義侠心の為せるものであったが、理由はそれだけではなかった。

 

「で、あればこそ私は向かわねばなりません。一人で戦況を覆す等と言うことは流石に出来ませんが、それでも私が《蒼の騎士》を釘付けにするだけでも、十分効果はあるでしょう」

 

 《蒼の騎士》、親友(宿敵)たるクロウ・アームブラストが西部戦線には居るのだから

 東部戦線と北部戦線の再編が終わるまでの間、奴を自分は最低限釘付けにしておかなければならない。

 そして何よりも、何時までも負けっぱなしのままで居る等というのはごめん被る。

 あの日味合わされた辛酸の雪辱をしておかなければならなかった。

 単なる義務感を超えた燃え盛る意志を目前の若者から感じたのだろう、ゼクスはわずかに目を細める。

 

「うむ、正規軍が各地で分断されたこの状況下で貴官の果たす役割は極めて大きい。武運を祈る」

 

 その言葉を最後に第三機甲師団の面々は一斉にリィンたちへと敬礼を施す。

 そしてそれに対する返礼を施すと、リィン達はゼンダー門に背を向け歩き出す。

 次に向かう場所は西部戦線、この内戦に於いて最大の激戦地とされるところであった。

 




シャーリィ「リィン!貴方は私にとっての至高の光だよぉ!!!」(サスケェ!顔)
ブルブラン「リィン・オズボーン……フルフルニィ」
クレア「碌な奴らがいねぇ……」(号泣顔)
ミハイル(正直、君の拗らせ具合も大概な気がするのだが……いや、辞めておこう。藪をつっついて蛇を出したくない)

さて、西部戦線どうしよう(原作でも大して描写がない中どうするかまるで白紙状態並感)


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英雄の在り方、凡人の思い

「此処は……」

 

 目覚めるとそこは知らない天井だった。いや、知っている天井かどうかの見分けがつく程に日頃天井の観察なんかしちゃいないが。

 

「なんで、俺は生きてるんだ……?」

 

 目覚めて、最初に去来した疑問はそれだった。俺、アルフレット・リンザー25歳は不幸にもクソッタレな上官に鋼鉄の棺桶に乗る事を命じられて、《灰色の騎士》とかいう英雄様に呆気なく蹴散らされる英雄譚の端役としてその短い生涯を終えた……はずであった。だというのに、何故自分は生きているのだろうか?あの状況下で自分が助かる要素など……と思ったところで脳裏に過るのは、敵であった英雄様の良くわからない発言。まさか、あの英雄様が助けてくれたのかという考えが頭を過るが……

 

(いやいや、あり得ねぇだろ。だって俺なんてただの平民だぞ)

 

 例えば自分がどこかの貴族のお坊ちゃんなりと言ったVIPであれば助ける価値もあっただろう。だが、生憎リンザー家は普通も良いところの代々田畑を耕してきた筋金入りの平民の家庭。恐らく250年以上前の頃にはそもそも家名なんてものさえ持ち合わせていなかったであろう、ド平民である。そんなたかだか平民の命をわざわざ危険を冒して救う価値などどう考えても無いはずだ……しかし、だというのならば何故自分は生きているのか……と思考を巡らせていると腹の虫が盛大に鳴り響く。やはり実は此処があの世だった等というオチではなく、歴とした現実のようだ。その証拠に盛大に、自分は盛大に腹が空いている。

 

「おや、どうやら気がついたようだね」

 

 腹の音が聞こえたのだろう、医師らしき壮年の男が声をかけてくる。

 

「あんたは……」

 

「あんたはないだろう、所属は違えどこれでも軍医として正規軍では大尉の階級を得ている。まあ寝起き故に大目に見るがね」

 

 階級章を見てみるとたしかにそこには大尉の証だ。話の分かるタイプでよかったと言うべきだろう、たかだが准尉が大尉に向けてこんな態度を取ろうものならぶん殴られても当然のところであった。……うん、ちょっと待て正規軍?

 

「なんだって正規軍が領邦軍の俺を……」

 

「おいおい、何を当然の事を言っているんだ。我らがゼクス中将閣下は捕虜を虐待するような方では……と、そうか君はその辺の事情を知らないままに気絶した状態で此処に運び込まれていたんだったな。大まかにだが事情を説明してもらうと、監視塔は我ら第三機甲師団が奪還して、そこに駐屯していた部隊の多くはこちらに降伏した。故に今の君たちは捕虜として扱われている。幸いな事に、高原に平穏が戻ったのあって糧食には余裕があるから、口減らしのために捕虜にせずにそのまま殺すだなんて事はないから安心してくれて構わないよ」

 

 壮年のその大尉殿は落ち着いた様子のままでサラリと物騒な事を告げる。

 捕虜の虐待、暴行、そして殺害は国際法によって固く戒められている。しかし、戦争中において捕虜というのは大きな足手まといだ。抱え込むだけで食わせるための糧食を用意しなければならないし、当然全く自由にさせて置くわけにも行かずある程度の監視体制が必要だ。故に、相手が降伏してきたという事実そのものを無かった事にして秘密裏に始末してしまう、なんて事は戦争では良く有ることだ。故に、そういう心配はないのだと告げているのだろう。

 

「はは……そりゃ、そうじゃなければこうしてわざわざ治療しないでしょうね……しかし、そもそもの俺の疑問はなんで俺は生きているって事かって部分なんですがね」

 

 そう、自分はあのクソッタレな上官に乗せられたクソッタレな機体の爆発に巻き込まれて哀れ二階級特進となるはずだった。なのに何故だか生きている、これは一体どういうわけなんだ。

 

「ふむ、それに関しては私も詳しくは知らないんだが、聞いた話によればオズボーン少佐が君を助けたという事だ。爆発寸前の機体から危険を省みずにコックピットを機体からえぐり取ったとね」

 

 医師は淡々とした様子で答える。本気の本気であの英雄様は敵である俺を助けたって言うのか……

 

「……何だってわざわざ危険を犯してまで敵である俺を助けたというんですかね。下手しなくても自分も爆発に巻き込まれる危険の方が高かったっていうのに」

 

 少なくとも俺だったら、いや俺じゃなくても大半の兵士はあの状況下でわざわざ敵兵を助けようとなんとしないだろう。あんなみっともなく情けない八つ当たりまでしていたんだから、尚更である。……これがとびっきりの健気なかわいこちゃんであればわからんでもないが。

 

「敵でないから、だそうだよ」

 

「は?」

 

「だから、君は敵ではないから助けたということだよ。「現在不幸な行き違いがあって相分たれているが、それは奸臣クロワール・ド・カイエンのせいであって領邦軍の兵士達は自分たちの敵ではない。むしろ共に肩を並べる戦友であり、戦友を助けるのは当然の事だ」とそんな事を言っていたみたいだ」

 

 告げられた言葉に呆気に取られる。その英雄の気高さの前にアルフレット・リンザーをかつてない程打ちのめす。そして自分も彼のようにならなければという決意がその身に宿る……等という事はなく、凡人たるアルフレットに去来した思い、それは……

 

「頭おかしいんじゃないですか?」

 

 曲がりなりにも命の恩人に対してなんとも失礼だと自分でも思うがそれが素直な感想だった。

 感謝する気持ちは確かにある。しかしそれ以上にアルフレットの心を満たすのはそんな思いだった。

 だってそうだろう?自分があの英雄様に対してやったことと言えば、みっともない八つ当たりをわめき散らした事位だ。どう考えたって好感を抱かれる余地なんて無い。助ける義理も義務もないはずだ。だというのに、同じ帝国人だからという理由で助ける?わけがわからない。

 そんなにも同胞愛が強いというのならば、どうして内戦でその愛する同胞をその手にかける事が出来るのか?対峙していた時に目前の相手から発せられる威圧感は断じて戦場に出ていながら「殺したくない」等とほざく甘ちゃんやお坊っちゃんのそれじゃなかった、今すぐにも逃げ出したくてしょうがなかったのだ。

 つまり、リィン・オズボーンなる英雄は同胞、戦友だと思う存在を必要であれば殺せる(・・・)人種なのだ。危険を犯してまで救った存在、戦友の首をそのまま刎ね飛ばす事のできる存在。それは軍人としての理想像なのだろう、だがだからこそ人としてはどうしようもなくおかしい。

 何故ならば人は理想通りになど生きられない(・・・・・・・・・・・・・)存在なのだから。様々な現実の苦難や困難を前に決意という意志はやがてへし折られて、程々に妥協して生きていくのが凡そ普通の人の在り方というものだろう。

 だというのに、その英雄様はそのおかしな事を平然とやってのけている。そんな存在を気狂い以外にどう評せというのか。

 

「そうだね、私も同意見だ。少し言葉を交わしただけでわかった、アレは別格だ(・・・・・・)。私達のような凡人とは桁が違う。“英雄”とは彼のような存在な事を言うのだろう。古来より“正気にて大業はならず”と言うからね

 ただ、発言には注意した方が良い。今回の活躍で、彼を崇敬する者は多いし、そこまで行かなくても窮地を救ってもらった恩人である彼に感謝している者はこの基地には多い。助けられた君(・・・・・・)がそんな事を言ったら、恩知らずな奴だと要らぬ軋轢を生みかねないからね」

 

 大尉殿の真摯な忠告に俺は黙って頷く。言われてみれば、俺の言っている事はかなり危ういラインだった。

 准尉である俺の無礼を笑って受け流してくれた件と言い、この大尉様は中々に人間が出来ているというべきであった。

 

「しかし君は中々に珍しいな。言った通り、彼を崇敬している者は多い。ましてや君の場合は直接命を助けてもらったわけだから、それこそ熱烈な信望者にでもなるのではないかと思っていたが……」

 

「いや、そりゃ感謝する気持ちもあるにはあるんですけど、なんというか困惑する気持ちの方がデカいというか……」

 

 あるいはあくまで言葉を交わしたのがコックピット越しだったからだろうか。直接会って言葉を交わしていれば、それこそ英雄様のカリスマとやらに俺も魅了されていたかもしれない。

 

「そういう大尉殿は大尉殿で少数派側みたいじゃないですか」

 

「ああ、私はこれでも医者だからね。だからどうしても冷めた目になってしまうんだよ。多くの若者を死地へと誘い殺すであろう“英雄”という人種に対してはね。彼自身が悪いわけではないとわかっては居るんだがね……」

 

 深々とため息と共に吐き出された言葉に俺はなんとも言えない心境になる。医者とは人の命を救う仕事だ。当然労力をかけて救った患者には長生きしてもらいたいと思うのが、人の情であり職業意識というものだろう。だが、軍医というのはその助けた患者をまた死地へと送り込まなければならない仕事なわけだ。思う所は当然あるのだろう。

 

「おっと、長々と話し込んでしまってすまなかったね。長い間眠っていたために空腹だろう。連絡して食事を用意するから少し待っていてくれたまえ。幸い、そこまで大きな怪我もなかったから、少し静養すればすぐに此処から出られるだろう」

 

 それだけ言うと大尉殿は去っていく。兎にも角にも俺の戦いはもう終わったのだ。

 内戦がどちらの勝利で終わるかはわからないが、どっちが勝ってもそう悪い事にはならないだろう。

 正規軍はどうやら俺たち捕虜を丁重に扱ってくれているようだし、領邦軍にしても俺は奮戦虚しく敵に囚われの身になったという立場だ。犯罪を犯したわけでもないし、どちら勝っても処刑されるとか実刑判決を受けるとかそういう事にはならないはずだ。そう、俺は晴れてクソッタレなあの鉄の棺桶からおさらばして、見事に准尉に昇進したという飴だけ手に入れる事に成功したのだ。

 そう思うとやはりあの英雄様には感謝しなければならないだろう。ありがとう英雄様、貴方が頭のおかしな人種だったおかけで俺は生き残る事が出来ました。今後もどうか国のため、民のため精一杯頑張ってください。俺はそれを関わり合いにならないで済む遠くから応援しています。

 

 そんな清々しい気分でアルフレット・リンザーは存分にその飢えを満たして、生きている事の喜びを噛みしめるのであった……

 

 

 

 




知らなかったのか、激動の時代からは逃れられない。


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負けないための戦い

鉄血パッパって正規軍の7割を掌握しているって話なのに
なんか将官クラスでパッパの腹心ってネームドが特に出てないんですよね。
原作だとヴァンダイク元帥とオーラフは宰相になって以後疎遠、ゼクスとはむしろ冷戦状態にあるみたいな感じですし。
まあその辺含めてオリキャラ祭りになってきていますが、この辺りはもうトールズの副会長ではなく
帝国軍人としての道を歩み始めた事による必然みたいなものなのでご了承頂ければと思います。


「良くぞ来てくれたな、オズボーン少佐。貴官の話は以前より聞いていた。

 卒業したら是非とも我が部隊で鍛え上げたいと思っていたが、いやはや少々見ない内にまさか少佐にまでなっているとはな。貴官はまさに男子3日会わざれば刮目して見よという言葉の生きた見本というべきであろうな」

 

 歴戦と称するに相応しい面構えに朗らかな笑みを浮かべながら、帝国正規軍第八機甲師団司令官にして西部戦線を纏め上げるリヒャルト・ミヒャールゼン大将はそう告げながら、訪れた旧友の遺児たるリィン・オズボーンを歓迎していた。

 

「恐縮です。勇名高き大将閣下の下で戦える事を光栄に思います」

 

「ハッハッハ、何無駄に歳を重ねた結果に過ぎんよ。何せ私が貴官位の歳の時は何せまだ士官学校を卒業したての若僧に過ぎんかったのだからな。貴官が私位の歳の頃にはそれこそ、帝国軍司令長官なり参謀総長なりにでもなっているだろうさ。いや、それこそあいつの跡を継ぎ帝国宰相にでもなって居るかもしれんな」

 

 その言葉と笑みに世辞の色はない、亡き友の遺児の将来を楽しむ様子だけがそこにはあった。

 リヒャルト・ミヒャールゼン大将はこの年53歳となる正規軍の重鎮中の重鎮である。

 中央士官学院を首席で卒業した彼は、同じ年にトールズ士官学院を首席で卒業したギリアス・オズボーンなる同期に、先達達に倣うかのように対抗意識を燃やして競い合うようにして出世を果たして行った。対抗意識を燃やすと言っても、二人の仲は険悪なものでは決して無く、健全なライバル関係と言うべきもので、ギリアスが結婚する際にはその厳つい顔に満面の笑みを浮かべて祝福したし、リィン自身は記憶に無いが、親友の家を訪ねて赤ん坊であった頃のリィンを抱き上げた事もあったのだ。ギリアス・オズボーンの政治家としての盟友がカール・レーグニッツ帝都知事であるのならば、軍に於ける最大の盟友がリヒャルト・ミヒャールゼンとさえ言えるだろう。

 

 彼の率いる第八機甲師団はオーラフ・クレイグ率いる第四機甲師団のような圧倒的な破壊力こそ無いものの、苦境にあっても決して部下が持ち場を離れる事無く戦い続ける鉄壁と称するべき粘り強さを誇る。かつての百日戦役の折、当時准将であったミヒャールゼンは副司令官として戦死した司令官に代わり最後まで頑強に部隊を統率して、王国軍を辟易とさせたと言われている。

 そうして百日戦役の英雄という名声、自身の才幹、更には盟友たる宰相の引き立てによって大将まで登りつめたミヒャールゼンだったが、その昇進をコネによるものだと思う者は帝国軍に於いて皆無と言っていい。職業軍人に必要とされる愛国心、闘志、頭脳、忍耐力、責任感、協調性全てを兼ね備えた軍人の鑑にして帝国軍屈指の名将、それがリヒャルト・ミヒャールゼンの評判だ。しかし彼の真髄はそんな華麗なる経歴とそれを支えた自身の才幹に決して奢る事無く、部下の自主性を重んじて仕事を任せられる統率力の高さにこそある。

 

 優秀な人物というのはどうしても無意識の内に他者に対して求める水準が高くなる傾向がある。かつてリィン自身もグエン老にノルドの地で指摘されたように、自分自身と周囲の英才が基準となってしまうのだ。仕事が出来すぎる上司を持つと、部下は萎縮して何もかもをその上司に頼りきりになって行く。そしてどれだけ優秀とはいえ、人間である以上一度に処理しきれる量というのは必ず限界というものがある。故に上に上がっていくに連れて無理が生じて、どこかでパンクしてしまうのだ。佐官としては優秀だった人物が将官に上がった途端愚将と化してしまうケースの内のいくつかは、そんな本人の優秀さが裏目に出たものである。

 

 だが、リヒャルト・ミヒャールゼンはそんな陥穽に陥る事がなかった。部下の自主性を重んじて、まずは部下に仕事を任せて、自分はチェックに専念する。穴が見つかったらフォローして、フォローしきれなかった場合は当然部下に責任を押し付ける事はなく、自分が責任を負う。実務を知り尽くしたミヒャールゼン大将がチェックとフォローをしてくれるという安心感によって部下は安心して経験を積めるというわけだ。

 更にミヒャールゼン大将は会議を好んだ。「全員で一緒に考えよう」、それがミヒャールゼン大将の方針で彼はどんなつまらない質問を部下がしても決して馬鹿にしない。むしろ、質問者を馬鹿にするような態度を取ったものをこそ厳しく叱責した。「わからない事は罪ではない。わからない事をわからないままにしておく事こそが大罪なのだ」、それが彼の方針であった。これによって第八機甲師団では、どんなつまらない事を言っても馬鹿にされないという安心感があるため進んで相談が出来、なおかつ他人の意見や疑問を聞くことによって列席者も見識を深める事ができる。ミヒャールゼン大将という纏め役が居るため、会議が踊れど肝心の本題が進まないという事もない。まさに統率の天才の名に相応しい有り様であり、リィンとしても学ぶところの多い人物であった。

 

「何にせよ、貴官が合流してくれたのは幸いだった。これより他の師団の司令官も招いての作戦会議を行う。本来であれば将官級のみの出席のところではあるが、騎神なる兵器の運用に関して一番熟知しているのは貴官故、特例ではあるが貴官にも出席してもらう。臆する事無く、積極的な発言を期待しているぞ」

 

「は、承知致しました」

 

 そうして席を立ったミヒャールゼン大将の跡へとリィンは続くのであった……

 

・・・

 

「ふむ、それではやはり“蒼の騎士”とやらの対処は少佐に任せるのが良いかな」

 

「少佐、どうかね?帝都の折では手痛い敗北を喫したという事だが、どうだね勝てるかね?」

 

「うむ、勝算の程を聞いてみたいところだな」

 

 その言葉と共に錚々たる列席者からの推し量るような視線がリィンへと集中する。

 会議への出席を許されたリィンであったが、当然ながら西部戦線にいる将官達が皆ミヒャールゼン大将のように好意的なわけではない。彼らは鉄血宰相の信望者であるが、いや実力主義を標榜して“貴族による支配”を終わらせようとした鉄血宰相の信望者であるからこそ、彼らはリィン・オズボーンを宰相の息子であるという理由だけで好意的に見るような真似はしない。纏う風格は確かになるほど、亡き宰相閣下を彷彿とさせるものであり、これまでの活躍は風の噂ながらに聞こえている。

 だが、あまりに絵に描いたように出来すぎた英雄譚は逆に話から信憑性というものを奪う。リィン・オズボーン少佐は士気高揚のために、祀り上げて作られた英雄なのではないか?そんな疑念が彼らの心の中には存在する。果たして、本当にこの若者は鋼鉄の意志を継し、鉄血の継嗣なのかと若き少佐へと視線を集中させる。

 

「正直に申しまして、五分五分と言ったところでしょうか」

 

「必ず勝ってみせる、とは言わないのかね?」

 

「無論、そのつもりで戦いはします。されど確実に勝てるほど容易い相手かと言われれば、実力は伯仲しており勝利の天秤がどちらに転ぶかはわからないと、そう言う以外にありません」

 

 動じる事無く客観的な事実を淡々と告げた跡にリィンは苦笑して

 

「そもそも、今回私は必ずしも蒼の騎士を破る必要は無いでしょうに。皆様もお人が悪い」

 

 そう、今回の戦いで別段リィンは蒼の騎士を破る必要は、無論倒せるに越したことはないが、必ずしもないのである。

 何故ならば、西部戦線に於いて正規軍が貴族連合相手に取る戦術は勝つためではなく負けない(・・・・)ための戦い、貴族連合の主力部隊を西部に釘付けにしておく事なのだから。

 内戦当初、西部戦線の面々は東部戦線の戦略方針に疑義を抱いていた。それは貴族連合への怒りもそうだが、領邦軍の司令官を務めるオーレリア・ルグィンとウォレス・バルディア両将軍への侮りがあったことが大きい。

 西部戦線に居るのは皆平民の立場から己が才幹を以てこの地位までたどり着いたという自負を有するもの、そんな彼らにしてみれば貴族である(・・・・・)がために、家柄によって将軍の地位に至った二人の若僧等恐れるに足らないと認識していたのだ。

 だが、一ヶ月も戦えば流石に理解する。二人の将軍は決して家柄のみでその地位を手に入れたわけではないことを。名将と呼ばれるに足る、難敵である事を。

 そうして苦境にあった彼らに齎されたヴァンダイク元帥率いる東部戦線が正規軍の優勢であるという状況は、彼らにある一つの決断を下させるのに十分であった。

 すなわち、自分たちの役目は西部に於いて敵の主力を釘付けにしておく事であると。そうして於けばヴァンダイク元帥らが帝都を解放してくれるのだから。

 そうして慌てて両将軍らが帝都へと赴こうとしたのならば、その時はこちらはその後背を狙い打てばいいだけの事。東部が優勢となり、北部が均衡状態となった今、無理に敵の撃滅を狙う必要はなし。むしろ徹底的に敵を釘付けにする事に務める、それが今回の会議について決定された戦略方針であった。

 そう、故に灰色の騎士に求められる役目は同様に蒼の騎士の足止めであって撃滅ではないのである。それにも関わらず、わざわざ勝てるか(・・・・)等と問うて、殊更煽るような問いかけをしたのはまず間違いなくリィンを試すためだろう。

 リィンは若き英雄等と煽てられ、東部と北部に於いて正規軍の劣勢をひっくり返した。その功績と勝利に驕り、自分の力(・・・・)で西部も勝利に導いて見せよう等と思い、功に逸るような真似をしないかどうか、それを試したのだ。

 

 そしてそんなリィンの予想を裏付けるかのように、殊更煽るような事を言っていた諸将らは合格だ(・・・)と言わんばかりの笑みを浮かべて

 

「ふむ、どうやら会議の間寝てはおらんかったようだな。結構結構」

 

「まあ悪く思わんでくれよ少佐、この歳になるとこうやって若者を試すのが楽しみの一つみたいなものでな」

 

「ふむ、しかし些か出来すぎていてちぃっとばかし可愛気がないですなぁ。こういう時は血気盛んな事を言う若者を嗜めるのが我々年寄りの役割でしょうに」

 

 和やかにその場に集った面々は好き勝手な事を言い出し始める。こうなれば年齢も階級も一番下のリィンとしてはただひたすらにやり過ごす他ない。

 

「貴官達、一体何を年寄りぶっている。つい一ヶ月前に血気に逸ってヴァンダイク元帥閣下を困らせたのは一体どこのどいつだ」

 

 纏め役であるミヒャールゼン大将は苦笑されながら、痛いところを突かれた将軍たちは誤魔化すように頭をかく。

 ここに西部戦線の戦略方針は定まった。勝つためではなく、持ち堪えるための戦い。

 それが、激戦区である西部における戦い方であった。

 

 




原作:北部は均衡。東部はほとんど壊滅状態。西部がやらなきゃ誰が貴族連合を止める
今作:北部は均衡。東部優勢。西部は敵の主力を釘付けにしているだけで、東部が帝都を解放する。東部を指揮しているのはヴァンダイク元帥だから当然文句もない。

まあそりゃ戦略方針変わるよなって。


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灰色の騎士VS蒼の騎士(上)

電撃の表紙でロイドが主人公でリィンがライバルキャラっぽいと評判ですが、拙作だとマジでそんな感じですよね!

かつては真面目な軍人志望ながらも年相応の様子を見せる少年であったが、一年後に再会した彼はまるで別人の如き風格と鋼鉄の意志をその身に纏っていた。
クロスベル総督ルーファス・アルバレアとはまるで兄弟のような親密な間柄(帝国大本営発表)であり、クロスベル併合を主導した鉄血宰相ギリアス・オズボーンの実の息子にして後継者と目されているアイアンブリードの筆頭。
若くしてヴァンダール流皆伝にして理に至りし達人であり、灰色の騎士の異名を持つ帝国の若き英雄。
ロイド達特務支援課に対しては「私人」としては好意と敬意を抱いているが、帝国へと捧げたその鋼の刃は決して情によって曇る事はない。

「偉大なる我が祖国に永久の繁栄を。この身は全てそのためにある」(キャラ紹介のページにはられている台詞)

これは間違いなくクロスベル独立の前に立ちはだかる強敵ポジ!
(発表されるアリオスと死闘を繰り広げているシーンのスクリーンショット)


 ドレックノール要塞はハイアームズ侯が治める帝国南部サザーランド州の州都セントアークより北東へと600セルジュほど北東に位置するガレリア要塞に次ぐ正規軍の一大拠点である。ガレリア要塞が東の脅威たる共和国に備えた帝国の盾ならば、ドレックノール要塞は皇室の盾、要塞司令官たるミヒャールゼン大将と鉄血宰相の関係から貴族からは皇室ではなく鉄血のであろう等と言われているが、と称すべきもので、万が一帝都ヘイムダルに於いて首都防衛師団たる第一機甲師団がクーデターを起こした場合には、ただちに要塞司令官にして帝国南西準州を統括するミヒャールゼン大将率いる第八機甲師団が鎮圧に動く事となっている。

 内戦が勃発した日も当然ミヒャールゼン大将はただちにこれを鎮圧するべく動いた。しかし、そんな彼の前に立ちはだかったのがラマール州軍司令官オーレリア・ルグィン大将とサザーランド州軍司令官ウォレス・バルディアス中将の両名であった。オーレリア大将は旗下の部隊の内精鋭を率いて、帝都への道を阻むように布陣。もしも強引にオーレリア大将の部隊を突破しようにも、今度はウォレス中将の部隊にその側背を狙い打たれかねない状況にあっては、ミヒャールゼン大将としては苦虫を噛み潰しながらも周辺に存在する各師団の戦力が集結するのを待つしか無かった。

 

 そうして11月20日、第九、第十、第十一、第十二師団も合流して旗下の第八機甲師団も含めて合計5個師団兵員10万1208名内戦車部隊は8個大隊、航空部隊5個大隊という大軍をミヒャールゼンは率いて帝都の奪還に向けて動き出した。

 当然、貴族連合にしてもそれを黙って見ているはずがない。迎え撃つのは黄金の羅刹率いるラマール領邦軍兵員5万8200名、戦車部隊1個大隊、機甲兵部隊3個大隊、航空部隊3個大隊と黒旋風率いるサザーランド領邦軍兵員約4万1080名、戦車部隊1個大隊、機甲兵部隊2個大隊、航空部隊2個大隊と将兵の数の上でも質の上でもほぼ互角の状態で両軍は激突した。激しい戦闘は2週間にも及んだが、12月6日防空網を突破した蒼の騎士クロウ・アームブラストによって第十機甲師団司令官アウグスト・ゲッペル中将が討ち取られ、更にそれによって生じた混乱を逃さないとばかりに仕掛けられたオーレリア、ウォレス両将軍の苛烈な攻勢によって第十機甲師団は壊滅。これによって、ミヒャールゼン大将は作戦の続行を断念。撤退戦で多くの犠牲を出しながらも、ドレックノール要塞へと退却し、《アウクスブルクの会戦》は貴族連合の双璧と蒼の騎士の勇名を馳せる結果によって幕を下ろす。

 

 だが一個師団もの戦力を喪失しながらも正規軍はの戦意は未だ衰えず。それから一週間以上が経った12月13日現在も、未だドレックノール要塞で正規軍と貴族連合軍の激戦は続いていた……

 

・・・

 

「流石は鉄壁のミヒャールゼン、実に手強い。そうは思わんか中将」

 

 手強いと評しながらもそこに臆する様子は一片たりともない。その身に纏うのは圧倒的な覇気。

 戦いとはこうで無くてはならないという燃え盛る戦意。アルゼイドとヴァンダール、帝国に存在する二大流派双方を(・・・)修めた女傑は弱兵を蹴散らす事など好まない。

 彼女が目指すのは遥かな高み。強者を打破して手に入れる勝利をこそ、《黄金の羅刹》は欲しているのだから。

 

「確かに。一個師団を失う敗北を喫していながら尚も頑強に抵抗し続けているのは見事と言わざるを得ませんな。

 攻勢に出ている側、有利な側が士気を維持するのは凡将でも出来ますが、守勢で士気を維持し続けるのは至難。

 この状況下にあって、ああも見事に統率しているだけで名将と呼ぶに相応しい。ーーー正直、私も出来るかどうかは怪しいところです」

 

「ああ、統率の天才、鉄壁、どちらの異名も決して伊達ではなかったという事だ。喜ぶとしよう中将、今我らが相対しているのは紛れもない難敵であり、敬意を払うに値する名将だ」

 

「「ーーーだからこそ、その首級には価値がある」」

 

 最後の言葉は示し合わせたかのように二人同時に。そうして二人は不敵に笑い合う。

 

 オーレリア・ルグィンとウォレス・バルディアス、貴族連合の双璧とも謳われるこの両名の出会いはもう十年以上も前の話になる。フェンシング部長として全部活の制覇を掲げて他の部活を瞬く間に制圧していったオーレリアは唯一頑強に抵抗を続ける馬術部部長のウォレス・バルディアスと幾度も矛を交えた。激突し合う内に互いの力量を認め合うようになった二人は性別の違いなど意に介さずに意気投合、卒業後もその関係は変わらず、両者は抜群のコンビネーションを見せつけ、若くして将軍の地位を手に入れたのであった。

 そして両者の気質は極めて近い。彼らの精神性について端的に述べるならば、こうなるだろう。“軍人”ではなく“武人”なのだと。戦場に於いて強敵を打倒する事によって得られる武勲にこそ至上の価値を置いているのだ。

 

「蒼の騎士殿に頼りきりでは流石に気が引けるというもの。鉄壁のミヒャールゼンの首は私とそなたのどちらかで挙げたいものだな中将」

 

「いい加減、敬語を使わないとならない立場からまた学生時代のように対等になりたいと思っていましてね。譲りませんよ、大将閣下」

 

「ふふふ、なんだそんな事を気にしていたのか。別段遠慮をする必要はないぞ、私はそのようなことでいちいち咎め立てするほど器の小さい女ではないつもりだからな」

 

「いやいや、公私混同と思われるような行為を上の人間がするのは不味いでしょう。きっちりと同じ階級に並ばせて貰った上で心おきなくタメ口を聞かせて貰いますとも」

 

・・・

 

「などと昨日は豪語したが、ふむ流石にそう簡単にどうこうなる相手ではなさそうだ」

 

 翌日12月14日、貴族連合軍は西部戦線に於いてドレッドノール要塞を攻略すべく大規模な攻勢をかけた。

 しかし、正規軍もそれに臆する事無く応戦する。昨日の会議では互いに豪快な事を言ったものの、未だ士気と戦意を保つ四個師団7万5000もの大軍を率いる名将を相手取って、これを攻略する事は当然オーレリアにしてもウォレスにしても容易ではない。

 故に、貴族連合は再び状況を打開するべく“切り札”を投入する事となる。そう、“蒼の騎士”である。

 

「我らが蒼の騎士殿に伝令を。「すまないが、また卿の力を借りたい。責任は全て総司令官が取る故、貴殿の最善と思われる行動を取られたし」とな」

 

 笑みを浮かべながらもオーレリアは些か歯がゆい思いをする。

 ラマール州軍とサザーランド州軍の混成軍、その総司令官を務める彼女は師団規模で言えば凡そ機甲師団五個分もの戦力を率いる立場になる。

 一個師団までならともかく数個師団もの統率を務める立場になると、流石にほいほい自分が最前線へと立って戦うという戦法を取るわけには行かない。これは副司令官を務めているウォレス中将にしても同様であった。

 

 戦場での司令官の最大の仕事は待つことだ。部下が上げてくる報告を聞き、めまぐるしく移り変わる状況を正しく把握する。そして、大きく変化する時を待つ。あるいは変化させるための手を打った後に、経過をじっくり観察しながら結果を待つ。変化が起きた瞬間に動き出して、状況が落ち着くまで逐一指示を飛ばす。

 貴族連合の大勝によって終わった、《アウクスブルクの会戦》もそうして機を伺いながら、“蒼の騎士”の獅子奮迅の活躍によって訪れたゲッペル中将の戦死によって生じた綻びを逃さなかった事により得たもの。

 

 そしてドレッックノール要塞を巡る攻防に於いて未だその機が訪れていない。故に敵の戦線の綻びを探り、予備を動かすという地味で堅実な作業へと従事する時である、無論これは言う程に容易い事ではない。数万を超える規模の組織を統率し、数百セルジュにも及ぶ広範な戦場を俯瞰して敵の綻びを探り、こちらの綻びを逐一繕う事それ自体が凡人には決して為せぬ難業なのだから。

 

 立っている者は親だろうと主君であろうと使うのが軍の司令官の精神だ。当然騎神等という機甲兵部隊2個大隊にも匹敵する強力なカードに無聊をかこわせるような真似をするはずもない。かくして黄金の羅刹は鉄壁の守りへと綻びを生じさせるために再び、蒼の騎士という虎の子のカードを投入するのであった。

 

・・・

 

「やれやれ、黄金の羅刹様も人使いの荒いこって」

 

 総司令部からの伝令に気だる気な様子で貴族連合の“英雄”クロウ・アームブラストは口にする。

 凡そ覇気というものが感じられないその態度は両将軍の威令が行き届きやる気と使命感に満ち溢れた兵士から顰蹙を買うものだったが、彼の打ち立てた実績と立場がその不満を黙らせる。

 貴族連合盟主クロワール・ド・カイエン公の子飼いにしてかの鉄血宰相の暗殺を遂行した、公の信認厚き切り札にして少佐待遇の武官、それが今の彼の立場だ。

 多少その態度が気に障るものであったとしても、使いっ走りである伝令の一兵士程度にどうこう言える存在ではないのだ。

 

「了解したと総司令官閣下には伝えてくれ」

 

「は。武運をお祈りしています、アームブラスト卿」

 

 そうして儀礼的な敬礼に送り出されて、オルディーネへと乗り込んだクロウは苦笑する。

 自分は別段騎士でも貴族でもないのだが、どうにもカイエン公の子飼いという立場から自分の立場については色々と噂されているらしい。

 代々カイエン公爵家に陰ながら仕えてきた従士だとか、お家再興に燃える没落貴族の嫡男だとか、公の隠し子だとか、あるいは鉄血宰相によって滅ぼされたどこぞの国の王子だとかそれこそ色々である。

 最後の噂がある意味では良い線に行っているが、生憎とアームブラスト家は身内から市長を輩出した事もある裕福なあくまで平民に過ぎない。故に自分に対する呼称で“卿”を付ける必要などないのだが、いちいち訂正するのも面倒なので好きなように呼ばせているのであった。

 

「というわけで、また出番みたいだ。今日も今日とて恩返しのために一働きするとしようや、オルディーネ」

 

 そこにはどこまでも覇気というものが欠けていた。

 何故ならば、彼にとってはこの戦いは自分の大望を果たすために支援をしてもらったスポンサーへの義理立てのために行っているものだ。そう、クロウ・アームブラストは既に長年の目的足る仇を討つ事に成功して端的に言って、燃え尽き症候群にあるのだ。

 今の彼はどうしようもなく目的という物を欠いていた。更に言えば彼はその目的を果たすために、黄金色の青春時代に背を向けた。“友情”を裏切った上に、自分のやったことが大罪だという自覚も当然ある。下手をすれば生きようという生への執着すらも薄れているような状態なのだ。

 

「了解シタ、我ガ起動者ヨ。シカシ、汝ガ剣ヲ振ルウ理由ハ本当ニソレダケノタメカ?」

 

「はぁ?何いってんだよオルディーネ。なんたって俺は自分の復讐のために親友さえも裏切り、大勢の人間を犠牲にして、内戦の引き金を引いた極悪人だぜ?

 まさか今更巨いなる力に伴う巨いなる責任とやらを果たす事を期待しているわけでもねぇだろ。まあそんな悪党にも悪党なりのプライドって物はある。今の俺が戦う理由なんざ、それだけさ」

 

 そう自分は多くの者を巻き込み犠牲にした。それも崇高なる大義や理想だとかそういうもののためではなく、ただただ自分の中にある憎悪を晴らすためという完全なる私情によってだ。

 そのためだけに友を裏切り、無関係の者を巻き込むテロを行い、鉄血宰相という強大な指導者を失ったこの国と、その庇護を受けているかつての祖国がどうなるかと知りながら引き金を引いたのだ。

 そんな極悪人が今更大義だの巨いなる力に伴う責任だのと語りだすなどちゃんちゃらおかしいだろ、そういうのを言って良いのはそう、あのどこまでも真っ直ぐな親友のような奴こそが言える事だ。

 悪党だって恥というもの位は知っている。故にそう、自分の目的を果たすにあたって協力してくれたカイエン公と導き手たるヴィータ・クロチルダへの義理立てのため、それだけの事と、そんな風に本人は思い込んでいた(・・・・・・・)

 

「……ソウカ」

 

 己が起動者の心にそれだけはない執着を感じながらもオルディーネは口に出してはそれだけ言った。

 

「ああ、悪いな。こんな起動者でよ。もっと「俺は祖国のためにこの生命を捧げる!」だとか「力なき民を護るためにこそこの力は存在する!」なんて風に理想に燃えるような奴の方がお前としても良かったんだろうけどよ」

 

 どこかの誰かの事を思い出しながら、クロウ・アームブラストは軽口を叩く。

 

「ナニ、歴代ニハ貴殿ヨリモット酷イ者モイタ。ソレラニ比ベレバ貴殿ハ幾分マシ(・・)ナ方トイウモノダ」

 

「……ガクッ。そこはお前、「そんな英雄ではない貴殿だからこそ私は気にいっている」だとか言うところじゃねぇのかよ、普通は」

 

「ソノヨウナ心ニモ無イ事ハ言エヌ」

 

「ったくつくづく手厳しい相棒だぜ」

 

 軽口を叩き合うその二人の姿には確かな絆が存在していた。

 そうしてクロウ・アームブラストはその意識を集中させ出す。

 自分自身も理解していない、まだ討たれるわけには行かないのだという心の内より溢れる想いに従って。

 

「クロウ・アームブラスト、オルディーネ。出るぜ!」

 

 蒼の騎士、クロウ・アームブラストは此処に出撃した。単なる義理立てを超えた心の中に眠る何かに導かれるように……

 

 

 

「少佐殿、総司令部より入電。蒼の騎士が動き出したとの事です」

 

「承知した、直ちに迎撃に当たる」

 

「ハ!ご武運をお祈りしています!」

 

 そうして心からの敬意に満ちた敬礼へと見送られながらリィン・オズボーンは愛機へと乗り込む。

 そんな頭の天辺からつま先まで覇気に満ち溢れたリィンの後ろ姿を未だ成人も迎えていない、年若い伝令の兵士はまるでお伽噺の英雄を見るかのような様子で見送る。

 頬を紅潮させ、敬礼を施しながら何時までも何時までもその後姿を見つめるのであった。

 

「さて、というわけで出番だヴァリマール。敵は“蒼の騎神”、これまでの相手とは桁が違う。恐らく厳しい戦いになるだろう」

 

 もう一ヶ月以上も前になるリィン・オズボーンにとって生涯最大の屈辱にして敗北の記憶。それを思い出す。

 憎悪に囚われて剣を鈍らせ、偉大なる師の献身によってその命を拾う事となったリィンにとっては決して忘れられない、いや忘れてはならない記憶だ。

 

「だが、もうあんな醜態(・・)を演じる事は決してしない」

 

 醜態と彼はかつての自分の行いを指す。

 親友だと思っていた人物が父を殺したという人であるのならば取り乱して当然の出来事で我を失った事を。

 自分はそれらを超越しなければならぬのだと言わんばかりに。

 

 そしてそんな己が起動者を灰の騎神は静止する事はしない。

 何故ならば彼は己が起動者の決意と誓いを聞いているから。

 そしてその決意をかつて獅子の心を持つ皇帝と共に闘った騎神は正しい(・・・)ものだと感じたから。

 どこまでも他者のために己が身を削ろうとする高潔さ、どこまでも進み続けようとする鋼の意志はかつて自分を奮った最高の英傑に勝るとも劣らない者だと感じたが故に。

 何より騎神とは基より、起動者の想いに呼応するべく力を与える存在であるが故に。止まらない、止めない。

 騎神とは高みを目指さんとする“英雄”がより高く飛翔するための翼であって、断じて英雄を地上に縫い止めるためのものではないから。

 

「行くとしようかヴァリマール。帝都での雪辱を果たす絶好の機会だ」

 

 親友との激突、それを前にリィンは確かに昂揚していた。

 それは単なる使命感や憎しみによるものではない、一言では表す事の出来ない想いによるものであった。

 

「ウム。存分ニ奮ウガ良イ。我ガ起動者ヨ」

 

 そうして胸の中で濁流のように溢れる憎悪、友情、親愛、それらの感情を全て鋼鉄の意志によって統制して、その意識を集中させて……

 

「リィン・オズボーン、ヴァリマール。出撃する!」

 

 12月14日。十月戦役に於いての最大の激戦と称される《ドレックノール要塞攻防戦》に於いて正規軍の英雄灰色の騎士と貴族連合の英雄蒼の騎士はまるで巨いなる運命に導かれるかの如く、再び激突しようとしていた……

 

 

 




え?ミヒャールゼン大将は要塞司令官ではなくジュライの総督だったはず?
ウォレスは中将じゃなくて少将だったはず?
はてさて何の事やら(一話を改竄しつつ)

基本作者の設定はその場のノリで割とちらほら代わります。
そして数字は一応一個師団辺りの兵数とか戦車の数が凡そどの位なのかみたいなのを調べていますが基本素人の付け焼き刃なのでツッコミどころ満載だと思います。


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灰色の騎士VS蒼の騎士(中)

最近復讐を否定する事に対して厳しい言葉が目立ちますが、やっぱり僕は「許す」事って大事なことだと思うんですよ。


(妙だな……)

 

 オーレリア将軍よりの要請に従い、動き出したクロウ・アームブラストは妙な違和感を抱いていた。敵がまるで自分を止めに来ないのだ。騎神は強力な兵器だが、それでも決して無敵なわけではない。多少の攻撃程度にはびくともしないが、飛空艇に装備されている主砲の直撃を受ければ流石に無事とは行かないし、何よりも霊力の残存量というものがある。そして、絶えず霊力を放出している飛行状態では特にこれの消費は著しいし、当然高速機動による空中戦を行うともなればその消費は倍増する。

 帰りの分も考えればそうそう簡単に敵の防空網を突破して、空からの強襲によって敵の司令官を葬り去る等という事は出来ない。《アウクスブルクの会戦》によってそれを為し得たのは総司令官たるオーレリア将軍が2週間に渡る攻防で巧妙に第十機甲師団を釣り出す事に成功したからであって、単独でそんな事をやろうとした日には敵中で霊力が底を尽きて身動きが取れなくなる等という目も当てられない事になりかねない。

 だが、それらはあくまで敵がこちらを警戒して入念な防空体制を整えて入ればこそだ。まるで蒼の騎士の事など眼中にないかのように、まるで攻撃を仕掛けてこないこの状況では霊力の消費等しれている。それこそ、このまま敵陣へと潜り込んで大将首を挙げる事とて不可能ではないだろう。

 

(誘い込まれているのか……いや、それにしたってリスクがデカすぎる)

 

 敵陣へと誘い込んでうっとおしい蒼の騎士を嵌め殺す、あり得ないわけではないだろうが騎神の機動力と突破力をを思えばそれは容易ではないし、そもそもそれは残存する四つの機甲師団の将軍の誰かを囮にするという事だ。全体の戦局が正規軍有利に傾きつつある今、そこまでリスキーな戦法を取るとは思えない。そう、これは誘い込んでいるというよりは信頼の出来る“強者”が守りについているから、他の者に相手をさせるのは無駄な犠牲を出す事になるだけと判断したような……

 

 その瞬間、クロウの脳裏にある一人の男の姿が過る。それは優勢であった貴族連合がいつの間にか劣勢へと追い込まれる事になった元凶。双龍橋に監視塔と行く先々で正規軍に勝利を齎している、正規軍の英雄。そして一ヶ月以上も前に道を別った唯一無二の友でもある存在だ。

 

「クロウヨ、コチラニ高速デ接近シテキテイル機体ガアル」

 

「ははは、なるほどな。そういう事かよ。考えてみたらそりゃそうだ。東の劣勢を覆した後には北に向かった。

 なら、北の劣勢を覆したら?決まっている、この西部戦線だ。そうだろう、親友(リィン)!」

 

 叫んだのとほぼ同時に叩き込まれた激烈な剣撃、凡百の機甲兵であればあっさりと機体を両断したであろうそれを、クロウは軽くダブルブレードで弾き一旦距離を取る。

 文字通り挨拶代わり(・・・・・)だったのだろう、灰の騎神もまた追撃を叩き込む事無くその場へと佇み、口を開く。

 

「ああ、久しぶりだな親友(クロウ)。いや、蒼の騎士殿(・・・・・)とお呼びしたほうが良いかな」

 

「は、んなもん周囲が勝手に呼んでいるだけで俺は一度たりとも自称した覚えはねぇよ、灰色の騎士殿(・・・・・・)

 

 我、知らず操縦桿を握る手に力がこもる。久方ぶりにクロウ・アームブラストは昂揚していた。

 目前の親友の挑戦を自分は受けて立たねばならない。

 何せ自分は裏切り者であり仇なのだから。目の前の親友には自分を討つべき理由が山程ある。

 ならば、罪滅ぼしのために黙って討たれる気なのかと言えば自分でも不思議な事にそんな殊勝な気持ちが欠片も沸いて来ないのだ。

 こいつにだけは(・・・・・・・)負けたくない、そんな意地が燃えカスになっていた自分の心の中でそんなちっぽけな男の意地がメラメラと燃え上がるのをクロウは感じていた。

 

(こういうのは、俺のキャラじゃねぇはずなんだけどな)

 

 思えば初めて出会った時からそうだった。

 気さくな不良生徒、そんな仮面をこいつには外された。

 そう、こいつと接している時の自分は冷徹な復讐者《C》ではなく、ただのクロウに戻ってしまうのだ。

 まだ祖父が生きていた頃のダチと一緒に日が暮れるまで遊んでいた頃の無邪気なガキだった頃に。

 

「良いぜ、父親の仇討ちであり、リベンジマッチってわけかよ。受けて立つぜ、改めて年季の違いって奴を教えてやる」

 

 燃え尽きて灰と化して己が心に確かな火が灯るのを感じながら、クロウは不敵に笑う。

 そうだ、来いよ親友(宿敵)。お前の討つべき仇は此処に居るぞと。

「その前に、お前に聞いておかなければならない事がある」

 

 しかし、そんな自分からの誘いに友人は打って変わった穏やかさで応じる。

 それに不可解な思いを抱きながらもクロウはそのまま聞き役に徹する。

 

「クロウ、貴族連合を抜けて正規軍へと、いいや帝国に(・・・)忠誠を誓う気はないか?」

 

「ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーは?」

 

 何を、コイツはナニを言っているのだ?

 

「我が父、いいや宰相閣下を撃ったことでお前の目的は達成されたはずだ。

 よもや、心の底からカイエン公を主君と思い忠誠を誓った等という事はあるまい。

 お前が貴族連合に力を貸しているのは計画に協力してくれたカイエン公への義理立て、そんなところのはずだ。

 で、あるのならば我々の間には妥協の余地があるはずだ。

 確かにお前は帝国宰相の暗殺という大罪を犯した。

 だが、お前は貴重な騎神の起動者だ。

 前非を悔いて(・・・・・・)、今後その力を帝国のために奮うというのならば超法規的措置によって免罪となる可能性は十分にあるはずだ。

 ーーーカイエン公を見捨てて帝国へ忠誠を誓え、クロウ。

 俺も、力の及ぶ限り擁護(・・)しよう」

 

 伝えてくる言葉、目前の相手が大真面目に語っているその内容がクロウにはまるで理解が出来ない。

 なんだそれは、何故そんな事を言える。自分はお前の父親の仇なんだぞと目前の親友が理解不可能な英雄(怪物)なのではないかと、そんな想いが満たし始める。

 

「ちなみにこれは俺の独断というわけではない。

 もしもお前が奸臣クロワール・ド・カイエンを見限り、以後帝国へと忠誠を誓うというのならその罪を不問にする。

 その確約をアルフィン皇女殿下とレーグニッツ知事閣下より頂いている。

 わかるか?お前にさえその気があるのならば、お前は帰ってこられるんだよ、こちらに。

 取り戻せるんだ、あの日々(・・・・)を。

 一緒に卒業して、卒業後も時たま会って、近況を語り合いながら昔話に花を咲かせる。

 そんな、こうなる前に俺たち5人の内、お前以外は疑っていなかった日々がな」

 

 告げた言葉には使命感だとかだけではない確かな友誼が込められていた。

 だからこそ余計に(・・・)理解が出来ない。

 なんでだ。何故だ。何故だ。何故だ。何故だ。何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だーーー何故だ。

 なんで、そんな事を目の前の男は言えるのだ。

 疑問がクロウの頭を埋め尽くす。そして気がつけば、心の中に抱いたその思いをそのまま口に出していた。

 

「俺は、お前の父親の仇だぞ!?ずっとお前らを騙していたんだぞ!憎くねぇのかよ!!!」

 

「憎くないかだと?憎いに決まっている。何故ならばお前は我が父の仇なんだからな」

 

 奥底にマグマの如き憎悪を滲ませながら、聞いている者の魂さえも凍てつくような冷たさでリィンはクロウの問いかけへと応じる。

 

「俺には夢があった。父の力となり、祖国を変える一助となる。そして父と共に母の墓前へと報告に行く。

 それをお前は俺から永久に奪い去った。憎くないはずがないだろう」

 

 クロウ・アームブラストは自分の親友だ。だが、同時に父の仇だ。

 黄金色に輝く思い出がある。だが、目の前の男はそんな中で漆黒の弾丸を研ぎ澄ませていた。

 確かな友情がある。だが、決して消えぬ憎しみがある。

 唯一無二の友にして宿敵、それがリィンにとってのクロウだ。

 抱く思いも形容する関係も、もはや一言では言い表す事ができない。

 

「だが、それでもお前は俺の友だ。そして俺は帝国に身命を捧げた軍人(・・)だ。

 それが祖国にとっての最善(・・)だと言うのならば、俺はお前を許す(・・・・・・・)

 よく言うだろう、『憎しみは何も生まない。許す事が大事だ』とな。 

 陳腐な言葉だが、陳腐というのはそれだけ良く使われる言葉、すなわち世の普遍的な真理を突いた言葉でもあるという事だ」

 

「ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」

 

 ナニを言っているんだ、目の前の男は。

 憎しみがあると言った、そしてそれは確かな事実だ。

 一瞬だけ自分に向けられた心の中でくすぶり続け煮えたぎるヘドロのような感情。

 それをクロウ・アームブラストはこの上なく良く知っている。

 何故ならば、それこそが自分が黄金色の青春時代に別れを告げさせたものだったのだから。

 当然、それがどれだけ御すのが厄介なのか知っている。

 なのに、何故そんな事が言える。

 『憎しみは何も生まない。許す事が大事だ』等という真に大切な者を失った事がない頭に花畑が咲いているような戯言を。大真面目に。

 わからない、わからない。理解を超えている。

 実は父親の事などなんとも思っていなかった?いや、違う。こいつが父親をどれだけ尊敬していたかはいやというほどに知っている。何故ならば、自分たちが初めて喧嘩をする事になったのはまさしくこいつの父親を自分が侮辱したことがきっかけだったのだから。

 では、自分が友人だからこそこいつは手心を加えているのか?いいや、それも違う。これはそんな生易しい(・・・・・・・・・・)ものではない。情に絆されたとか、そんなものでは断じて無いのだ。

 何故ならば、そこに込められているのは余りにも覚えのある鋼鉄の意志(・・・・・)だから。

 崇拝も憎悪も、常人には到底背負う事のできないありとあらゆる感情を呑み干してどこまでも突き進み続ける鋼鉄の意志力。

 自分が葬り去ったはずの怪物(・・)と同じものなのだ。

 

「だから、クロウ。お前も、もう過去に囚われるのは辞めろ。

 この内戦を終わらせるために、カイエン公と手をきり、こちらへと付け。

 それが、お前の祖国のためにもなるはずだ。

 経済特区であるジュライが、この内戦でどれだけの被害を被っているか知らないとは言わせないぞ」

 

 旧ジュライ市国、現帝国政府経済特区ジュライ自治区は経済特区という名が示す通り、交易と経済活動によって成立しているところなのだ。そして経済というのは当然ながら「平和」という安全が確保されていてこそ、初めて活発に行えるものである以上、この内戦でその経済活動は大きな停滞を余儀なくされている。当然「経済特区」足るジュライ自治区が無関係でいられるはずもない、間違いなく一刻も早い内戦の終結をこそ望んでいるはずだ。

 そして既に戦局は正規軍の優勢へと大きく傾き始めている、この状態で蒼の騎士が正規軍側へと寝返るような事が起これば、それはまず間違いなく苦境にあるカイエン公へのトドメ(・・・)となり得るだろう。

 鉄血宰相の暗殺さえも実行してのけたカイエン公の腹心にして貴族連合の英雄でさえ、カイエン公を見放したというその事実はこの上なく貴族たちにカイエン公が既に落ち目(・・・)だという印象を与える。

 そうなれば、貴族連合の内部でも完全に戦力を喪失する前に交渉に応じるべきだという声が出て来ることだろう。後は政治の次元の話になるが、兎にも角にもこの内戦は、同胞同士での殺し合い等という悲劇にはとりあえず幕を下ろす事が出来るのだ。

 正しい。正しい。大局的(・・・)に見て、どこまでもリィンの告げる言葉は正しい。

 

「ジュライだけじゃない、お前がこちら側へと帰ってこれば取り戻せるんだよ、あの日々を。

 トワにジョルジュにアンゼリカ、あの三人が俺たちが殺し合う様を望んでいると思うか?

 お前がこちら側に付くというのならば、俺がお前に剣を向ける理由は無くなる。

 もうジュライに愛着など無い、知った事ではないというのならば俺達への友情を理由にしろ」

 

 ああ、確かに自分には負い目がある。

 あの黄金色に輝いていた青春時代をぶち壊してしまったという負い目が。

 きっとトワの奴は泣いていて、ジョルジュの奴も悲痛な顔を浮かべていて、ゼリカの奴を滅茶苦茶怒って居るだろうなと。

 そんな事も思った。

 響く。大局ではなく友情に訴えかけたそのその言葉は確かにクロウ・アームブラストの心へと響く。

 

「カイエン公への義理があると、お前は言う。

 だが、それならば俺達への義理は無いとでも言うつもりか?

 ジュライにしても、もはや捨てた祖国だからどうなろうと知ったことではないとでも?

 違うはずだクロウ、お前はそこまでの人でなしじゃない」

 

 確信を以てリィンは断言する。

 露悪的な言葉でごまかそうとしても、そんなものにはもはや騙されないと。

 

「だから改めて言おう、親友(クロウ)

 戻って来い、カイエン公ではなく俺の手を取れ。

 そうすれば、全てが取り戻せるんだ」

 

 そうして、リィンは手を差し伸べる。この手を取れと。

 感動的な光景なのだろう、父を討った仇さえも許して(・・・)手を差し伸べるその度量。

 それはまさしく“英雄”と称すべき寛大さだ。

 語った内容もどこまでも正しい、情と理双方に訴えかけた言葉は確かにクロウの心を揺さぶった。

 そう正しい、正しい。どこまでもひたすらに正しい。まさしくそれは人はこう在らなければならない(・・・・・・・・・・)と示す英雄の背中だ。

 どこまでもどこまでも鮮烈に輝く人を導く眩い光だ。

 

 だからこそ認められない(・・・・・・・・・・・)、認めるわけにはいかないこいつだけは(・・・・・・)

 

「あいにくだが、その手をとる事は出来ねぇよ、親友(リィン)

 

「……一応聞いておこう、何故だ」

 

 半ば予想していたのだろう、言葉の中にはさしたる驚きも無くただ未練を吹っ切ろうとするかのような色が込められていた。

 

「理由か、そうだな。

 理由ならまあ色々とあったにはあったんだよ。

 なんのかんのでカイエンのおっさんには恩があるからだとか、解放戦線のリーダーだった俺がそんな事をしたら死んだアイツラへの筋が通らねぇとか色々な。

 だけどな、てめぇと会話していたらその辺の細かい理屈は全部吹っ飛んだ。俺がお前の手を取れない理由、それは……」

 

 そこでクロウは一度大きく深呼吸をする。あらゆる感情を飲み干すように。

 

今のてめぇが!気に食わねぇからだ!リィン!!!

 

 叩きつけたのは裂帛の戦意。絶対に認める事は出来ないという互いにある断絶を改めて突きつけるものであった。

 

「ああ、わかっているさ。本来俺にこんな事を言う資格はない。

 裏切り者である俺は、寛大なる英雄様の慈悲に感激して、泣きながらその差し伸べられた手を取るべきだってな!

 だけど、だからこそ(・・・・・)俺は今のてめぇを認める事が出来ない」

 

 だって認めてしまえば、それは自分で自分の復讐が間違いだったと認めてしまう事になるから。

 『復讐は何も生まない。許すことが大事』そんな反吐の出るような甘ったれた言葉に従って心の中にヘドロのようにこびりついた思いを押し殺し続ける事が正しい事になってしまうから。

 

「てめぇは正しいよ、どこまでも。ああ、支離滅裂な事を言っているのは俺で正しいのはお前の方だとこれを見ている奴が十人居れば、十人がそう答えるだろうさ」

 

 英雄は正しい。暗闇の中に迷える衆生を照らして導くが如く、どこまでも眩く光り輝いている。

 

「だからこそ俺はお前を認められねぇ!

 なぜなら、お前はその光で、正しさ(・・・)で総てを飲み込んでいくからだ!

 お前の親父のようにな!!!」

 

 多くの人は正しいものに逆らう事が出来ない。

 だからこそ、多くの権力者は大義名分というものを確保する事に執心する。

 正しいのはこちらで、敵は悪なのだと。

 そしてその正しさの前には人のちっぽけな想いは飲み込まれていく。

 かつてジュライが、祖父が解放戦線の多くのメンバーが鉄血宰相という巨大な焔に飲み込まれたように。

 そして目の前の男はそんな父親とまさしく瓜二つだ。

 この男は決して止まらないだろう、祖国のためという正しさのために。

 決して砕けぬ鋼鉄の意志で総てを呑み干し進み続ける。

 

 だからこそ、クロウ・アームブラストは何があっても認める事は出来ないのだ。

 焦りと恐怖さえも込めながらもクロウは必死に叫ぶ。

 

「……そうか、それがお前の答えか」

 

 そしてそんな逆ギレ(・・・)をどこまでも英雄は静謐に受け止める。

 揺らがない、いまさらその程度では英雄は。

 たかだか(・・・・)親友に罵声を浴びせられた程度では。

 心の中にあった黄金色の思い出、あるいは取り戻せるかもしれなかったそれを今度こそ心の奥底にしまい込む。

 さあ、今こそ決別の時だと。何故ならば、今の自分はトールズ士官学院副会長ではなく帝国正規軍特務少佐なのだから。

 祖国に身命を捧げた一振りの剣なのだから。刃を曇らせる情はしまい込め。そして研ぎ澄ませろ、目の前に居る者は敵なのだから(・・・・・・)

 

ならば死ね(・・・・・)

 奸臣クロワール・ド・カイエンに与した愚かなるジュライの遺児よ。

 帝国に騒乱を巻き起こした罪、その生命を以て償うが良い!」

 

「やってみろ!この英雄(バケモノ)が!!!」

 

 その叫びと共に、貴族連合の英雄《蒼の騎士》と正規軍の英雄《灰色の騎士》は此処に二度目の激突を果たした。

 

 

 

 

 

 

 




裏切った親友に対して戻って来いと必死に声をかける……ペロッこれは紛れもない主人公の行い!


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灰色の騎士VS蒼の騎士(下)

また例によって騎神の設定については色々と独自設定となっています。
多分今までで一番改変度合いが強いと想いますので、ご了承いただければと思います。
ちなみに今回の推奨BGMはキラVSアスランの戦いの時に流れていた「再起戦」というBGMになります。


 蒼と灰、二色の閃光が空を駆ける。

 そして激突し合う度に激しい火花を散らして、大気を震わせる。

 それは古来より、歴史の節目に於いて幾度も現れたお伽噺の如き光景。

 灰の騎神ヴァリマールと蒼の騎神オルディーネ、2機の騎神は己が起動者の意志に呼応するかの如くどこまでもぶつかり合う。

 灰の騎神は己の掲げる譲れぬ正義のために。蒼の騎神は決して譲れぬ己の意地のために。

 鋼の意志を纏う英雄と漆黒の殺意を抱く復讐者はどこまでも対照的な思いで、されど決して譲る気は無いと相対する敵を討ち滅ぼさんとする。

 戦闘は完全なる均衡状態へと陥っていた。かつて憎悪によってその刃を曇らせた“只人”の姿はそこにはない。

 刃を曇らせる憎悪も、友情も、総て心の奥底へと押し込め、研ぎ澄ませた鋼鉄の刃を、双剣を“英雄”は振るう。

 “護るために殺す”そんな矛盾した行いを体現して、師より伝授された守護の剣を振るう。

 それはまさしく“練達”の境地。幼少期より休む事無く、優れた師の下で休まず歩み続けた研鑽に、歴代の起動者の記憶を引き継いだことによって、唯一欠けていた“経験”という欠点さえも補われた今の“英雄”は限りなく武の至境たる“理”に近づいている。

 だが、それでも“理”に至るには後一歩が足りない。何故ならばどれだけ、鋼鉄の意志によって律していようとも“英雄”の心の中には目前の“仇”に対する、決して消えぬ憤怒と憎悪がマグマの如く煮えたぎっているから。

 そしてそれが時として、噴出するから。限りなく近づいては居るが、されどそれでも到達には未だ至っていない。

 何故ならば、目前の相手は親友にして宿敵、そんな唯一無二の存在だから。

 

「だからこそ、俺はお前を殺す(超える)!!!」

 

 父の仇たるお前を、過去からの刺客にして決して偽りではない語り合った時間と友誼のあった親友を殺すことで自分は父を超えるのだと、そう宣言する事が出来るのだと。

 今も割り切れぬ思いを抱えているからこそ、お前を超えた(殺した)時にこそ、自分は理に至るだろうとそんな予感を覚えて。

 決して譲りはしない、勝つのは俺だと“英雄”は鋼の戦意によって研ぎ澄まされた剣を叩き込む。

 

 それはかつての刃こぼれを生じたナマクラとはもはや別物と言って良い鋭さで蒼の騎神を襲う。

 凡百の兵であれば、為す術無くあっさりと両断されるしかないだろう。

 

「舐めんなぁ!」

 

 しかし、クロウ・アームブラストは断じて凡百の使い手などではない。

 彼もまた騎神に選ばれた歴とした起動者にして“達人”である。

 唯一残された祖父を失い、帝国宰相という強大なる怨敵を倒すために血反吐を味わいながらも研鑽を続け、前任者からの記憶を3年かけて咀嚼してきた。

 心の中より溢れ出る憎悪を律し続けてきた。怨敵を打ち破ったことで一時的に消えたその業火は宿敵を前にして再び激しく燃え盛りだした。

 “英雄”が鋼の意志によって“理”に至ろうとしているなら、“復讐者(アヴェンジャー)”もまた漆黒の殺意によって“修羅の境地”へと至らんとしている。

 

 光り輝く双剣とダブルブレードがぶつかり合う。刃越しに叩きつけ合うのは鋼の戦意と漆黒の殺意。

 決して譲りはしない、勝つのは俺だと両者は互いに咆哮する。

 訪れた均衡、それを前にクロウ・アームブラストは激しく奥歯を噛みしめる。

 

(この、バケモノがぁ……!)

 

 互角?いや、違う。既に自分は目の前の宿敵に実力に於いて上回られている。

 何故ならば、自分が今振るう武器、それは希少金属足るゼムリアストーンによって作られたものなのに対して向こうが振るうのは機甲兵ように量産した剣でしか無い。

 強度にしても今武器へと纏わせている霊力の伝導効率にしても集束率にしても桁違いにこちらのほうが上なのだ。

 にも関わらず均衡しているという事、それはすなわち単純な実力に於いては自分が目前の敵を下回っているという事だ。ーーー最もリィン自身はそういった条件を整えるのも実力の内なのだから、そんな仮定は無意味だと言うだろうが。

 

(あっさりと霊力を武器に纏わせやがって。俺がそれを出来るようになるには半年懸かったんだぞ)

 

 騎神の持つ機能の一つに霊力を己が武具に纏わせるというものがある。

 これをする事によって刃毀れする心配も、欠ける心配も無く、その性能を維持、いや向上させる事が出来るというわけだ。

 霊力を集束させたその切れ味は鋼鉄さえもまるでバターのように両断する事ができる。

 そして、その霊力を纏わせるのに最も適している金属こそがゼムリアストーンなのだ。

 そんな武具の性能差がありながらも、形成された霊力刀は完全な均衡。

 一ヶ月、たった一ヶ月足らずでかつては自分が圧倒した敵手はあっさりと追いついたのだ。

 その事実にクロウは底知れぬ恐怖を抱く。こいつは此処で討たねばならないと。

 さもなくば、どこまでも高く飛翔していき、父と同等の、あるいはそれさえも超える怪物になりかねないという焦燥を抱いて。

 

「てめぇはこのまま行けば、てめぇの親父のように総てを飲み込んで進み続ける!

 だから、そうなる前に俺が葬ってやる!まだ人間である内にな!!それが、親友(ダチ)としての俺のせめてものの友情って奴だ!!!」

 

 高める。高める。ひたすらに霊力を高め、それを殺意によって研ぎ澄ませる。

 騎神が繋がっている莫大なる力の奔流から力を引き寄せるように。

 目の前の怪物へと勝つために。

 親友を止めるために。

 殺意と友誼、2つの相反する思いは反発しあいながらも互いを高めてその出力を急激に上昇させる。

 徐々に、クロウの振るうダブルブレードが交差させたヴァリマールの双剣を押し込み始める。

 

「戯言を抜かすなぁ!!!」

 

 瞬間、烈火の如き怒りと共にヴァリマールはその出力を跳ね上げ、再び両者は均衡へと陥る。

 

「さっきから黙って聞いていれば、勝手な事をペラペラと!

 俺を怪物だと貴様は罵る、総てを呑み干して進んでいくのだと。

 ああ、その指摘は正しいのだろう。確かに俺はこれから多くの悲劇を作るだろう。

 誰かが笑えば、代わりに誰かが泣くのがこの世界の有り様であり、わが祖国に繁栄を齎すという事はすなわち敵国にその負債を押し付けるという事なのだから」

 

 物語であれば内戦の終結でめでたしめでたしとなるかもしれない。だがそうはならない。

 何故ならば、内戦が終われば必然的に待っているのは次の戦い(・・・・)なのだから。

 此度の騒乱で既にクロスベルは緩衝地帯としての役割を果たさなくなった。

 帝国は内乱に陥り、共和国もまた経済恐慌に陥った。既に二大国のクロスベルに対する国民感情は最悪の域に達している。

 混乱が終われば、両国どちらも国民の感情面からも、そして傷つけられた威信と経済的な痛手を回復するためにクロスベルを巡り争い出すのは半ば必然の流れだ。

 そして、クロスベルを手に入れるのはこちら(・・・)でなければならない。何故ならば、ガレリア要塞、帝国を護るはずだったその盾は既に無く、祖国を護る精鋭たる機甲師団もこの内戦で大きな痛手を負っているのだから。クロスベルを共和国に奪われれば、それは帝国にとっては喉元に刃を突きつけられたも同然。

 何よりも、同胞同志で殺し合いを演じたという事実は帝国に致命的な分断を生みかねない、少しでも手を誤ればエレボニア帝国は分裂しかねないだろう、そしてそうなってしまえば帝国は宿敵カルバードに抗す事など不可能となる。

 だからこそ、必要なのだ。祖国を一つに求めるために“敵”が。

 我らは等しくエレボニアの民(・・・・・・・・・・・・・)なのだと信じさせる“勝利”が。

 無論これがどこまでも自国の都合に塗れたものである事などリィンは百も承知だ。

 自分は多くの敵兵を、ただ国が違うというだけの悪ではない他国の兵士を、国を、家族を、友を護るために武器を取った者を多く殺す事になるだろう。

 敵を殺すために、味方も犠牲にするだろう。数千の味方と数万の敵の屍を作り上げる事となる。

 そんな存在は断じて善良な優しい人などではない、怪物や悪魔とそう形容されるべき存在だろう。

 

「それがわかっていて!」

 

「だが、それが軍人だ(・・・・・・)

 

 静謐にリィンは宣誓する。それこそが自分の選んだ軍人という者が負う役割なのだと。

 国のために必要悪を担う事、それこそが自分の役目なのだと。

 

「基より神ならざる身で救える者などたかが知れている。

 ならば、自分の祖国とそこに住まう民だけでも幸福であれと贔屓を行う事の一体何が悪いというのか!」

 

 咆哮と共に叩きつけられた一撃についに均衡を破られ、蒼の騎神は弾き飛ばされる。

 この機を逃さんとばかりに叩きつけられた一撃、それをすんでのところで躱し、態勢を立て直す。

 

「そういう自国至上主義が、今回のクロスベルの暴走を生んだんだろうが!

 てめぇら帝国と共和国にエゴを押し付けられて、それに耐えきれないという想いが独立への意志を!

 力で押さえつけられていたのだから、こちらも力によって押し通るまでだと!」

 

 引かない、怯まない。出会った時の頃のような事を、出会った時の頃よりもはるかに性質が悪くなって言う親友を食い止めるべくクロウは言葉と共に再びその剣を叩きつける。

 

「その通りだ。我らには我らの理があるように、クロスベルにはクロスベルの理があるのだろう。

 だからこそ戦いは起きる。互いに譲れぬ物がある以上、それを決するには“力”を以てするしかないのだからな!今、俺達がこうしてぶつかり合っているように!!!」

 

 ぶつかり合う。ぶつかり合う、2つの閃光は己が決して譲れぬ想いを叩きつけ合いながらも。

 

「そして、既に血は流れた!クロスベルを緩衝地帯としていた事による均衡と平和は崩れ去った。

 “悪”である事は百も承知!だが、それでも“悪”であろうと為さねばならぬ事がある!

 で、あるのならば俺は祖国にこそ繁栄を齎す!

 この力によって最速で最短で以て戦争を終らせる、それが結果的に一番流血を少なく済ませる方法なのだから。 

 祖国の民が血を流さずに済むように必要最小限の犠牲で以て敵を殺す事。それこそが必要悪を担う軍人たる俺の役目だ!」

 

「~~~~~~~~この、大馬鹿野郎が!」

 

 揺らがない、リィン・オズボーンは揺るがない。

 傲慢なる大国のエゴを実現するために、無慈悲なる歯車となると宣誓している。

 それはかつての真の意味で敵を殺す事の意味を理解していない子供故の発言ではない。

 いくつもの哀しみを生み、憎悪を向けられるとわかりながらも決して止まらずそれを呑み干して進み続けるのだと、総てを覚悟して宣言しているのだ。

 だからこそ(・・・・・)性質が悪い。総てを覚悟していると言う事はすなわち、決して譲らず止まらないという事なのだから。

 

「こんな事は俺が言えた義理じゃないがな!

 てめぇがそんな風に勝手に荷物を背負い込んでてめぇの周りの奴が喜ぶとでも思ってんのか!

 賭けたって良い!あいつは、トワの奴は絶対に泣くぞ!」

 

「ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」

 

 一瞬、これまで決して揺らぐ事のなかった鋼の英雄はわずかに、ほんのわずかな間だけ揺らぎを見せる。

 脳裏に過るのは優しく暖かな陽だまりの記憶、ああ、そうだ。自分はきっとそんな優しい人たちをこそ守りたいと想い出発した。

 

「……そうだな、確かに優しい彼女は決してそんな事を望みはしないだろう」

 

 そう彼女は、彼女たちは泣くだろう。

 だって自分が大切に思う人達は優しい人達だから。

 他国の人間だからどうなっても良い、そんな事をまかり間違っても思うような人たちではないのだから。

 

「だったらーーーー」

 

「だが、逆に聞こう。そういうお前が復讐する事を一体俺達の中の誰が望んだ?

 お前が宰相暗殺犯等という大罪人になる事を俺達の中の一人でも望んだとでも思うのか?」

 

「ーーーーーーーーそれ、は………」

 

 容赦のないリィンの切り返しにクロウは押し黙る。

 言い返す事は出来なかった、エゴを押し通したというのならばそれは自分の方が先だったのだから。

 

「今更、その是非をとやかくは言うまい。お前は総てを覚悟して(・・・・・・・)それを行ったのだからな。

 自分の為す事が正義ではなく、悪行である事など認識した上でそれでも尚、お前は結局復讐を選んだのだろう。

 ああ、だからつまりはそういう事だよ(・・・・・・・)

 身近な大切な人たちを泣かせてでも、例えその結果憎まれる事になっても成し遂げたい理想がこの身にはあるのだから!

 故に、決して譲りはしない!止めるというのならば、この覚悟毎砕いて見せろ!!!!」

 

 数十にも及ぶ激突の後、まるでその意志にでも呼応するかの如く跳ね上がった出力、そして叩きつけられた一撃にがついにオルディーネの装甲を刳り、吹き飛ばす。

 叩きつけられた衝撃で一瞬クロウのその意識に空白が生じる、そして当然その好機をリィンは逃さない。間髪入れずに追撃をーーーー

 

「!?」

 

 入れる事が出来なかった。

 目前の敵手より感じた悪寒。虫の知らせとでも言うべき第六感が踏みとどまらせたのだ。

 

「ヴァリマール、これは恐らく……」

 

「ウム、心セヨ。リィン、来ルゾ、第2形態ダ」

 

 

「ああ、クソッタレこんちくしょう。これだけは(・・・・・)絶対に使いたくなかったってのによぉ」

 

 心底忌々しそうに吐き捨てるかのようにクロウは口にする。

 そう自分にはとっておきの切り札がある。だがそれを使っていなかったのは別段勿体ぶっていたとか手加減していたとかそういうわけではなく……

 

「ナラバ、コノママ逃ゲルカ?撤退スルトイウノモ一ツノ手デハアル」

 

「魅力的な事この上ないが、止めておくぜ。何せ目の前の大馬鹿野郎と来たらたった一ヶ月で此処まで来たんだ。

 ーーー此処で退けば、取り返しのつかない事になる。だから、柄にもなく無茶をやる!」

 

 そこでクロウは全ての感情を飲み干すように一度大きく息を吸い込んで

 

「ーーー展開(エヴォルブ)

 

 まるで罪を告解するかのようにその文言を呟いた瞬間クロウ・アームブラストの身体の各所から血が吹き出す。

 これこそがお前の罪の証だと言わんばかりに、クロウ・アームブラストの欺瞞を容赦なく暴き立てる。

 仮面を被り友人を欺いた罪。多くの無関係の者を犠牲にした罪。それらを容赦なく突きつけ、抉る。

 さあ狂ってしまえと、堕ちてさえしまえば楽園なのだと。

 そしてそれと共にオルディーネを漆黒の闇が包み込み、その姿を変えていく。

 神聖さを宿した守護神の如き姿から、まるで悪魔の如き禍々しさを宿したものへと。

 

 これこそが、騎神の第ニ形態。

 輝かしき決意を宿して“力”を手にした多くの起動者を奈落へと突き落としてきた魔の形態である。

 内部で相克を繰り返している《鋼の至宝》の力をより純度の高い状態で引き出す事により至る事の出来る形態である。

 そして、それはすなわち至宝の持つ呪いをその身に強く浴びるという事でもある。

 その呪いは起動者の心を蝕む。己が心の闇、力を振るうという事が如何なる結果を生むのかをどこまでも容赦なく突きつけ、堕としにかかる。

 

 故にこそ、これは極力使いたくない切り札なのだ。

 その力を制御するのが極めて困難な上に、使うだけで心の痛い部分を思いっきり刺されてえぐられ続けるような痛みが起動者を襲う。

 だが、代わりにその力は絶大だ。スピードもパワーも何もかもが第一段階の頃とは比べ物にならない。

 第一段階の騎神が機甲兵一個連隊に匹敵するというのならば、第二段階の騎神は、起動者の精神が保てばという前提だが、一個師団に匹敵するのだから。

 

「悪いが、この形態はマジでしんどいでな。とっとと終わらせてもらうぜ」

 

 忌々しそうな吐き捨てるような口調で、されど勝利の確信を抱きながらクロウは告げる。

 第二形態と第一形態の戦闘力は隔絶している。存在そのもの自体の格が違うような差がそこには存在するのだ。

 そう、これに対抗するにはそれこそ相手も第二形態にならなければーーー

 

「ーーー展開(エヴォルブ)

 

 瞬間、リィンの身体からもまた血が噴き出し始める。

 つきつけられるのは護るために殺すという行為の欺瞞。

 お前がやるのはどこまでも、どこまでも人殺しに過ぎないのだと容赦なくリィン・オズボーンの有する矛盾をそれは責め立てる。

 

 地獄を見た。リィンの殺した兵士の遺族が泣きながらその遺骸に縋っている。涙を零しながら、「人殺し!」とその遺族はリィンを責め立てる。殺された兵士は友人であるフリーデルの家族であった。

 地獄を見た。リィンの行った帝都での戦いの時に発生した瓦礫に押しつぶされた罪なき民の死体がそこに転がっている。瓦礫に押しつぶされたのはトワの家族であった。トワが涙を流しながら詰め寄ってくる、「どうしてあんなところで戦ったのか」と。ちゃんと誰が犠牲になるのかを本当に考えたのかと。

 地獄を見た。人質に取られたフィオナをリィンは見殺しにした。身内を人質に取られたからと言って屈する等軍人に在るまじき行為だからだ。涙で顔を歪めたエリオットが問いかける。「どうして姉さんを見捨てたの?」と。

 

 地獄を見た。地獄を見た。地獄を見た。地獄を見た。地獄を地獄を地獄を地獄を地獄を地獄を地獄を地獄を地獄を地獄を地獄を地獄を地獄を地獄を地獄を地獄を地獄を地獄を地獄を地獄を地獄を地獄を地獄を地獄を地獄を地獄を地獄を地獄を地獄を地獄を地獄を地獄を地獄を地獄を地獄を地獄を地獄を地獄を地獄を地獄を地獄を地獄を地獄を地獄を地獄を地獄を地獄を地獄を地獄を地獄を地獄を地獄を地獄を地獄を地獄を地獄を地獄を地獄を地獄を地獄を地獄を地獄を地獄を地獄を地獄を地獄を地獄を地獄を地獄を地獄を地獄を地獄を地獄を地獄を地獄を地獄を地獄を地獄を地獄を地獄をーーー作った。数千の味方を犠牲にして、数万の敵を殺した。屍をうず高く積み上げ続けるーーー護るためにと自分は嘯いて。歩き続ける、敵と味方の屍を踏みしめて。どこまでも自分は進み続ける。

 

 この光景(・・・・)こそが自分の作り上げるものなのだと容赦なく突きつける。

 こうまでして一体お前は何を護るのか?と。お前等結局はただの人殺しに過ぎないのだとどこまでも容赦なく突きつける。

 それをリィン・オズボーンは飲み干す。痛みを感じないわけでは決して無い、されどその歩みは決して止めずリィンは走り続ける。自分に出来る事はこれを背負い続ける事なのだからと。

 

 そして、そんな起動者の思いに呼応するかのように灰の騎神はその姿を変えていく。

 灰色だったその機体はマグマの如き赤黒いオーラを纏い。まるで地獄に住まう鬼のように、禍々しき悪魔の如き姿へと。

 此処にリィン・オズボーンと灰の騎神は第ニ形態へと至った。

 総ては目の前の敵手を超える(殺す)ために。奪った犠牲に報いるためにと。

 

「ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」

 

 その光景に今度こそクロウは絶句する。

 3年だ、自分がこの第二形態へと至るのには三年かかったのだ。

 それもヴィータという相棒の補佐を受けて、何度も何度も制御に失敗して実戦で使えるようになったのはようやくだ。

 自分でも、これを使えるようになったのはついこの間マテウス・ヴァンダールとの戦いを経てようやくだったのだ。

 だというのに、目の前の男はわずか一ヶ月でその境地へと、当然のように至ったというのか。

 

「ーーーその覚悟に敬意を払おう、我が宿敵よ。故にこそ、決して譲りはしない。勝つのは俺だ」

 

 自らの心の闇にでも向き合って尚も勝利を掴み取ろうとする宿敵の有り様にリィンは心からの敬意を評してされど、揺るがぬ鋼鉄の戦意を以て告げる。

 

「クソッタレがぁ!!!」

 

 そして再び二人の英雄は激突する。戦いの規模を激化させて。

 どこまでも激しく、激しく激突し合う。どちらも決して譲れぬ思いを掲げて。前任者たちの行いをなぞるかのように。

 あるいは永劫に続くかと思われたその戦いは、貯蔵霊力という限界により幕を下ろす。

 流石にどちらも孤立して、自軍に帰還できない等という愚を犯す事は出来なかった。

 

 《ドレックノール要塞攻防戦》は完全な膠着状態へと陥った。

 蒼の騎士と灰色の騎士は上空で死闘を繰り広げる。誰にも邪魔させないとばかりに。それは歴史としてではなく、神話として語り継がれるが如き光景であった。

 地上での戦いもまた均衡状態になっていた。オーレリア将軍とウォレス将軍はありとあらゆる戦術を以て突破を図るが、鉄壁のミヒャールゼンはその尽くをはねのける。時に突破されかかる危うい局面へと陥っても、最後まで踏ん張り続けて最後にはその攻勢を凌ぐ。

 

 そうして死闘が繰り広げられて8日が経過した12月22日、両軍の下へと衝撃的な報告が飛び込む。

 ログナー侯爵、貴族連合よりの離脱を表明。それはいよいよ以て貴族連合に後がなくなった事を示すものであった……

 




なんか気がついたら第二形態になるってのも味気なくね?セカンドフォームになるって言ったらもっとこう格が違う感出したいよな。
→そういえば、騎神って悪魔だったり守護神だったりと割と対照的な伝承が残っているよな。第一形態は神々しい感じだし、第二形態は悪魔っぽい禍々しいっぽい感じにすればそれっぽいんじゃね?
→でもほいほいセカンドフォームになれるなら、なんでわざわざ第一形態の状態で戦うのってなるよな?
→よし、ゼロインの影装からパクろう。

今回の騎神の第二形態の設定はZero Infinity -Devil of Maxwell-という作品の設定を参考にしています。
第ニ形態になった騎神だったらクロスベルの神機ともかなりいい勝負をする想定です。


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幕間~紅き翼の軌跡(上)~

今回の話を書いていて思ったのはセリーヌとミリアムの動かしやすさです。
この二人、割と空気読めない&読まないところがあるので他の人間が言い辛い事をすごく言わせやすいです。
そしてⅦ組のメンバーはいちいち全員に喋らせると話のテンポが悪くなるのであえて端折っていますのでご了承ください。


 時は誰もに等しく流れる。

 そして、この内戦という悲劇を終わらせようと動いているのは何も英雄だけではない。

 英雄が宿敵と帝国西部にて死闘が繰り広げられている頃、紅き翼を携えた有角の若獅子たちもまた、この戦いを終わらせるべく動いていた……

 

「さて、それでは状況を整理としよう」

 

 皇族専用艦足る高速巡洋艦カレイジャス、紅き翼の名を以て帝国全土でその名を親しまれている艦内の会議室の一角でこの艦を父たるエレボニア帝国皇帝ユーゲントⅢ世より貸与されている第一皇子オリヴァルト・ライゼ・アルノールは、改めて今後の方針を伝えるべく艦の主要なメンバーを集めていた。

 艦長を務めるヴィクター・アルゼイド子爵、オリビエにとって最大の腹心にして親友たるミュラー・ヴァンダール少佐、そして艦内に居るトールズ士官学院のメンバーの纏め役を務め、現在艦長補佐の任に就いているトワ・ハーシェルとアンゼリカ・ログナー、技術屋代表であるジョルジュ・ノーム、オリビエの親衛隊として働いている遊撃戦力足るサラ・バレスタイン教官と特化クラスⅦ組の面々である。

 

「現在、内戦は正規軍へと大きく傾きつつある。此処に居る面々もよく知る人物、亡き宰相閣下の遺児にして、現在帝国正規軍特務少佐となった《灰色の騎士》リィン・オズボーン君の活躍によってね」

 

「双龍橋の攻略、監視塔の奪還。そして現在は西部戦線で蒼の騎神と交戦状態にあるとか」

 

「それと我が妹であるアルフィンの救出もだね。救出というよりは、シュバルツァー男爵に身を寄せていたところからヴァンダイク元帥の下に連れて行ったというのが正確なところのようだが、どうも市井の噂ではそういう事になっているらしい」

 

 苦笑しつつオリビエは呟く。噂というのは尾ひれがつくもの、いつの間にやら灰色の騎士は悪の貴族カイエン公爵によって囚われたアルフィン皇女を皇女の騎士であった戦乙女の協力も得て、救い出した事になっていた。何しろ、民衆というのはとかくお姫様と騎士の恋物語等というのが大好きなもの。元々リィンの名が市民の間に広まったのは、帝国解放戦線に囚われたアルフィン皇女を救出した事だったのもあって、多くの人間が想像の翼を羽ばたかせているようであった。

 

「・・・・・・・・・・・・・」

 

 そして、英雄の恋人たるトワ・ハーシェルにしてみればそんな噂を聞いて心穏やかで居られるはずもない。

 生死不明の状態で行方不明となって心配して居たのだから。

 

「トワ、あまり気にしないほうがいい。リィンがそんな器用な事を出来ると思うかい?」

 

「そうそう、噂は所詮噂。話半分、いや話1割程度に聞いておいた方が良いよ」

 

 何せ噂によって流されている灰色の騎士像と言えば、盛りに盛られた内容となっている。

 あらゆる美辞麗句を以て称賛される英雄かと思えば、まるで悪魔の如き男だとでも言った形で貴族連合の息がかかった帝国時報等では散々に罵倒されている。どちらにせよ実情を知るトワ達にすれば苦笑するような内容だ。

 何故ならばトワ達は英雄ではない、ただのリィン・オズボーンを知っているから。真面目だけどどこか天然なところがある、優秀だがそれでも自分たちと同じ人間なのだという事を。リィン・オズボーンは決して非の打ち所のない完璧超人の英雄様でも、血も涙もない極悪人でもない、真面目な青年に過ぎないのだから。

 少なくとも噂される、情熱的な愛の言葉を皇女殿下に捧げる灰色の騎士様像など三人にしてみれば全く以て想像がつかないものである。灰色の騎士という英雄の虚像が膨れ上がっている今だからこそ、せめて自分たちだけはそれに惑わされないようにしてあげようと告げる二人の言葉にトワもまた笑顔で頷く。

 

「……ちなみに蒼の騎神と灰の騎神の戦いはどんな感じになっているわけ」

 

 使い魔であるセリーヌにとって正直、リィン・オズボーンが誰とくっつこうとどうでもいい事である。それよりも彼女にとっての懸念は自分と一応主であるエマが導くべき存在が騎神をどう使っているかである。担い手によって守護神にも悪魔にもなり得る騎神という力を正しい方向へと導く事、それこそが自分たちの果たすべき使命なのだから。

 

「死闘、だそうだ。どちらも譲らず、まるで神話の如き戦いを繰り広げていると」

 

「「「「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」」」」」

 

 蒼の騎神と灰の騎神が死闘を繰り広げている、それを聞いたことで重苦しい沈黙がその場に流れる。

 彼らの脳裏に過るのは一ヶ月半前の光景。昨日まで肩を抱き合い談笑していた親友同士が本気の殺意をぶつけ合いながら死闘を繰り広げていた悪夢の如き光景だ。

 

「やはり、リィン先輩はクロウの事を……」

 

 殺す気なのだろうかと言おうとしてマキアスは慌てて途中でその口を閉じる。

 二人が争っていることで自分たちよりもはるかに心を痛めているであろう人物がこの場に居る事に気づいたのだ。

 

「うーん、リィンはおじさんの事大好きだったからねぇ。早く軍人になっておじさんの力になりたいーってしょっちゅう言ってたし。

 それに、僕がクロウを疑っているって言った時も「あいつがそんな事をするはずがない」って庇っていたし。

 その信頼を裏切られて、あんな事されたらそりゃ怒って仇を討とうとするよね。

 ま、僕はいまいちそういう誰かを憎むってのがどういう気持ちなのかわからないんだけどさ」

 

 しかし、そんな気遣いは意味をなさなかった。

 空気を読めなかったのか、あえて読まなかったのかミリアム・オライオンがあっさりとクロウ・アームブラストの所業を口に出したからだ。

 仇、そうクロウ・アームブラストはリィン・オズボーンにとって紛れもない仇なのだ。

 何故ならば凶弾に倒れたギリアス・オズボーンはリィン・オズボーンにとって紛れもない肉親だったのだから。

 父への尊敬の念を顕にしていたその姿は此処に居る面々のその目に焼きついている。

 だとすれば、そんな尊敬する父を親友だと思っていた男に殺された者に一体何を言えば良いというのか?

 改めてあの二人の間に生じてしまった断絶を前に、その場に居た者達は皆一様に顔を暗くする。

 もう、決してあの日々は戻ってこないのだと否応なく突きつけられたが故に。

 

「でも、もしもあいつが憎悪に駆られて戦っているとするなら、危ういわよ」

 

「ふむ、危ういというのは一体どういう事か聞いても良いかな、セリーヌ君」

 

「言葉通りの意味よ。説明した通りに騎神は起動者によって守護神にも悪魔にもなり得る存在よ。

 そしてそれは騎神が常に暴走の危険性を孕んだ危ういものだからこそ、そう呼ばれるようになったの。

 歴史に汚名を刻んでしまった起動者だって、別に全部が全部最初から救いようのない悪党だったわけじゃないわ。

 そんな奴だったならそもそも歴代の魔女の眷属(ヘクセンブリード)だって最初から導こうとはしないしね。

 彼らの多くはね、騎神を使っている内にその力に溺れてしまった、あるいは取り憑かれてしまった者が大半なのよ。

 だから、もしも今のあいつが仇討ちのためにその力を振るっているんだとしたら、かなり危険だわ。

 そもそも、あそこまで一方的にやられる位に力量差が開いていた状態からたった一ヶ月でやり合えるようになった時点でとんでもない無茶をしている事はほとんど確定みたいなもんだしね」

 

 深いため息をセリーヌはつく。

 起動者を導くという使命を思えば、現在は最悪の状況にあると言って良い。

 導き手足るエマとその使い魔たる自分は起動者と遠く離れた状態で、肝心の起動者は恐らく激しい怒りに囚われたと思しき状態。

 正直言って碌な事になる未来が見えなかった。

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

 そしてそんな相棒の言葉にエマ・ミルスティンは俯きながら強く手を握りしめる。

 脳裏に過るのは、姉からの「貴方は導き手の使命を果たす事等出来ない」という指摘だ。

 悔しいが、全く以てその通りだった。

 自分は彼の歩みに全く付いていけていない。

 

「悪魔か……そういえば、その点で気になる噂話を一つ聞いたな。

 曰く灰色の騎士と蒼の騎士、これらは断じてそのように高潔な存在ではないと。

 それが証拠に戦いの際には本性を現した禍々しい姿になり、共食いをしている。

 奴らは騎士等ではなく、本当は“悪魔”なのだと。

 最初は互いに敵を貶めるために流した宣伝なのだと思ったが、その割には両方共貶めている内容なのが気になってな。何か心当たりは?」

 

 ミュラー・ヴァンダールが何気なく口にした疑問、それを聞いた瞬間にセリーヌとエマ、それが如何なる現象なのか察した二人は血相を変える。

 

「そんな……まさか、第二形態!?」

 

「嘘でしょ……目覚めてまだ二ヶ月も経っていないっていうのに、いくらなんでも早すぎるわ。あいつ、一体どれだけ無茶苦茶な事しているのよ!?」

 

「ちょ、ちょっとエマにセリーヌも二人だけで盛り上がらないでわかるように説明してよ」

 

 二人だけ盛り上がる事に対して憤りと共にぶつけられたアリサのから問いかけに対してセリーヌは重々しく口を開く。

 

「さっきも言ったでしょ、騎神っていうのは守護神にも悪魔にもなり得るものだって。

 さてそこで聞きたいんだけど、貴方達は騎神を見た時にどう思った?」

 

「ど、どうって……」

 

「パッと見の印象でいいわ。アレが悪魔だなんて呼ばれる位に禍々しいものだと思ったかしら?

 どちらかと言えば、むしろ神々しさ、みたいなものを感じたんじゃない?」」

 

 セリーヌからの問いかけに、その場に居た者達は顔を見合わせる。

 二人が争う光景に胸を痛めていたが、それでも確かにアレが悪魔のように禍々しいものかと言われればそれは疑問符を付けざるを得ない。

 そもそもそのような禍々しいものであれば、演説の時にクロスベルの悪を糺すために女神が遣わした使徒だ等とは言えないだろう。アレは確かにそう称されるのも納得のどこか神聖な雰囲気を宿していた・

 

「そ、つまりはそういう事よ。

 騎神が総てを滅ぼす“悪魔”とも称されるようになった所以、それが第二形態ってわけ」

 

「うーん、なんだかヤバそうな感じだね」

 

「ヤバそうなんじゃなくて実際ヤバイのよ。

 私達も全部が全部知っているわけじゃないけど、第2形態の時の危険度は第1形態の時とは比べ物にならない。

 起動者の心は常に蝕まれて、少しでも手綱を緩めてしまえば奈落の底へと引きずり堕としにかかる。

 歴代でも多くの起動者がこの形態の闇に呑まれていったと、そう聞いているわ」

 

「本来であれば、私達魔女の眷属(ヘクセンブリード)のサポートを受けながらゆっくりと練習しながら、年単位の時間をかけてようやく到達出来るはずのものなんです。……私はまだ半人前なので教わっていませんけど、そのための暴走を防ぐための秘術もあります。多分クロウさんの方は姉さんからその秘術で負担を緩和して貰っているんだと思います」

 

「そうね、わかりやすい例え話で言うとヴィータのサポートを受けているクロウ、だったけ?蒼の騎神の起動者の方はしっかり定期的に休みを取って、食事も取っている状態だと思って頂戴。

 それに対してサポートもなんにも受けていないアイツは不眠不休の呑まず食わずで居るみたいなもん。身体と心にかかる負担は、相手の比じゃないわ」

 

 告げられた言葉に一同は絶句する。

 リィン・オズボーンが卓越した人物である事を疑う者は居ない。

 だが、それにしたって限界(・・)というものは人間である以上(・・・・・・・)存在するはずなのだ。

 一体、彼が今どれほど危うい状態にあるのかを改めて実感させられたのだ。

 

「……あるいは、アイツもう既に暴走しているんじゃないでしょうね」

 

「セリーヌ、なんて事言うの!?」

 

 ポツリとつぶやかれた己が使い魔の言葉にエマ・ミルスティンは血相を変える。

 だがそれは、性質の悪い冗談に対して怒ったというよりも、極めて現実的だが、それでもそれを直視するのが恐ろしい可能性を必死に否定するためのものであった。

 

「しょ、しょうがないじゃない!そうだとするなら、二ヶ月も経たない内に第二形態に至ったとしても不思議じゃないし。

 私だって、別に言いたくて言っているわけじゃないのよ。ただ、可能性は可能性として考慮に入れておかないといざという時に対処できなくなるから言っているのであって……」

 

「二人とも、そこまでだ」

 

 口論になりかけた二人を静止するように纏め役たるオリビエは穏やかな、されど耳を傾けずにはいられないどこか高貴さを漂わせて口を開く。

 

「君たちの話から、今灰の騎神の起動者たるリィン君が極めて危険な状態にある事が良くわかった。

 だが、現状エマ君は彼の負担を緩和する事の出来る術を扱えるわけではない、そうだね?」

 

「……はい、申し訳ありません」

 

「謝る必要はないさ、別に責めているわけではないんだからね。

 私が言いたいのは、人間には誰しも出来ることと出来ない事がある以上、自分ではどうにもならない事で悩んで居ても仕方がないという事さ。

 そして残念ながら、現状の我々にはリィン君の負担を和らげたりする手立てがあるわけではない。

 で、あるのならば我々に出来るのはただ、彼を信じる事だけだ。

 我らと同じ、有角の若獅子の紋章を掲げる者をね。

 そして、その上で彼がもしもその誇りを失い、修羅に堕ちてしまったというのなら、その時は我々が止めてやればいい。

 「何を一人で何もかも背負い込んでいる、君には君を信じて待っている人が居るんだぞ」とね」

 

 オリビエの語った言葉はその場に居た者達の心に確かに染み込んでいく。

 それは皇子という立場だけではない、彼には人の上に立つ者としての資格がた確かな証左であった。

 

「そうだな。その時は俺も兄弟子として弟弟子の目を覚まさせてやるとしよう」

 

「私もまたその時は、今は亡き我が剣友に倣うとしましょう。若者が道を誤りそうな時には正してやるのが大人の務めですから」

 

「もちろん、私も参加しますよ。教え子が馬鹿な事をしたら叱ってやるのが教師の役目ですから」

 

「ふふふ、私も可愛いトワを泣かせた罰として、友人として思いっきりぶん殴ってやりますよ」

 

「私も!その時はリィン君を叱ります!」

 

「それじゃあせめて僕だけはリィンの弁護に回ってあげようかな。男友達のよしみとして」

 

 そんなオリビエの言葉に応じるようにしてその場に居合わせた者達は思いの丈を伝えていく。

 そして、そんな光景を見てオリビエは顔を綻ばせる。

 そうきっと大丈夫だ、彼にはこれだけ多くの師が、兄弟子が、恋人が、友が、後輩が居るのだから。

 きっと、今は亡き鋼鉄の男と同じにはならないだろうと。

 

「さて、それではリィン君への対応をどうするかについて決まったところで本題に入らせて貰うとしよう。

 ずばり、この内戦を終わらせるために、我々が打つべき手について、だ」

 

 そう、内戦を終わらせるために妹が決意と共に皇女の役割を果たしているというのならば自分もまた同じ。

 正規軍の旗印とならずに居てこそ、打てる手というものがあるのだ。

 




なお英雄は憎悪に囚われるどころか、仇を許して手を差し伸べた模様。


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幕間~紅き翼の軌跡(下)~

忘れてはならない。鉄血宰相は真っ黒だが、四大名門も似たり寄ったりの真っ黒ぶりという事を。
家族に見せる私人としての顔と公人としての顔なんてのは違っていて当然なのです。


「さて、それでは改めて我々がこれから行う乾坤一擲の作戦についてもう一度振り返るとするとしよう」

 

 緊張に包まれた一同の顔を見渡しながら、これより紅き翼の行うこの内戦を終わらせるための大博打。それの最終確認をオリビエは行い始める。

 

「まず、第一段階。我々紅き翼はこれよりルーレ市へと趣き、現在療養中(・・・)であるイリーナ会長に代わってラインフォルトグループを取り纏めているハイデル・ログナー氏と会談を行う。

 そこで一応、まずは建前上の皇族としての勧告を行う。我がアルノール家が所有する《ザクセン鉄鋼山》の不法占拠とその鉱石の不当使用をただちに停止せよ、とね」

 

 ザクセン鉄鋼山はその重要性から皇族たるアルノール家が所有する帝国の屋台骨である。

 そこでの鉱石の採掘量や使用に関しては当然ながら国の管理下にあり、ラインフォルトグループはあくまで皇帝の承認の上鉱山を使用させて貰っているのである。

 鉱石の使用用途にしても正規軍と領邦軍への配分も決められている、当然毎年これを巡り貴族派と革新派は激しい攻防を繰り広げていたわけだが。しかし、現在RFグループの会長代理を務めているハイデル・ログナー氏はその名字が示す通り現ログナー侯爵家当主ゲルハルト・ログナーの弟であり、そのような取り決め等どこ吹く風とばかりに採掘された鉱石を総て領邦軍の兵器の生産へと回している。

 

「さて、此処でハイデル氏が突然遵法意識と我々皇族への忠誠にでも目覚めて、あっさりと応じでもしてくれたらある意味では困った事になるんだが、まあ十中八九そうはならないだろう。

 権力あっての権威、放蕩皇子足る私からの勧告等のらりくらりと躱してやり過ごそうとするだろう。理由としてはそうだね、内戦による非常措置として自分はあくまで代理としてイリーナ会長からの指示の下(・・・・)行っているとそんなところかな」

 

 そうしてイリーナ氏に罪をなすりつけてしまえば、この内戦が終わった後にはそれを理由にイリーナ・ラインフォルトを会長から正式に追い落とす事もできる。まさしくハイデル・ログナーにとってはメリットしかない一石二鳥の策と言えよう。

 逆説的にではあるが、そうしてイリーナ氏に今回の不法占拠の罪を押し付けるためにはまだイリーナ氏には生きていてもらわないと困る以上、イリーナ氏の生命は現状保証されているとも言えるのだが

 

「そして、その狡っ辛い打算にこそ、こちらのつけ込む隙がある。

 彼の主張はイリーナ氏の身柄を拘束して居るからこそ、彼女が一切反論できない状態だからこそ通用する代物だ。

 逆に言えば、イリーナ氏の身柄をこちらが抑えればその時点で彼の主張は瓦解する」

 

「そこで、私達の出番というわけですね、殿下」

 

「ああ、その通りだ。私達が会談をして彼の注意を引き受けている間、君たちにはイリーナ氏の救出をお願いしたい。

 現在イリーナ氏の側近であるシャロン君からの連絡によって、彼女がザクセン鉄鋼山にあるアイゼングラーフ号に軟禁されている事がわかっている。

 そしてこの際申し訳ないんだが、こちらの最大戦力足る子爵閣下と我が親友を君たちと行動をさせる訳にはいかない」

 

「《光の剣匠》と《ヴァンダールの若獅子》が殿下と一緒に行動している事は有名ですもんね。

 それが殿下の護衛もせずに、顔も見せもしなかったら要らぬ勘ぐりを受けて、こちらの作戦に気づかれるかもしれない以上、妥当な判断かと思います」

 

 紫電の異名を持つサラ・バレスタインにしてもその道では有名だが、それでもこの両名ほどではないし、そも爵位を持たず元々帝国人でもない以上、その名は精々知る人ぞ知ると言った程度のもの。これだけで勘付くのは困難と言わざるを得ないだろう。

 

「そして、私達Ⅶ組はサラ教官指揮の下でアイゼングラーフ号に居る母様を救出。そのままRFビルに殴り込みをかける、というわけですね」

 

「あの腹黒メイドからの情報によれば警備についているのは最近名を挙げている猟兵団《ニーズヘッグ》。手強い相手では在るけど、今の君たちなら決して遅れを取る相手じゃないわ。もちろん油断は禁物だけどね」

 

 教官であるサラ・バレスタインからの言葉にⅦ組一同は頷く。

 彼らとて内戦が始まってからこの一ヶ月遊んでいたわけではない。

 理に手をかけかけているどこかの英雄の成長速度には当然及ぶべくもないが、それでもミュラー・ヴァンダールとサラ・バレスタインという達人、そしてヴィクター・アルゼイドという帝国最強の名を冠す存在からの指導を受け、率いられながら乗り越えてきた数々の依頼は彼らを大きく成長させた。今のこの教え子達ならば、そうそう遅れを取ることはない。そう、サラは自信を持って言える。

 

「……本来であるのならば未だ学生に過ぎない君たちを利用する等理事長としてあるまじき行為なのだろう。だが、私は君たちに頼るしかないんだ。不甲斐ない皇子で本当にすまない」

 

 オリヴァルト・ライゼ・アルノールの最大の弱点、それは自由に動かせる戦力がほとんどない事だ。

 彼を支持するのは主として貴族連合にも革新派にも付かなかった日和見の貴族達。

 そして貴族というのは第一に自領を護る事こそを最優先にする、内戦によって正規軍と領邦軍が相争っているこの状況下、それに乗じようとする悪党というのは必ず居るもの。自領の兵士たちはそれに対抗するために必要なのだと言われてしまえば、流石にオリビエとしても無理に戦力の提供を求めるわけにはいかなかった。

 それ故に、彼は既に解放戦線相手の戦いで実戦も経験している、特科クラスⅦ組の生徒達を自分の半ば親衛隊として扱わざるを得なかった。それが教育者としては許されざる行為だと理解しながらも。

 

 何せオリビエの虎の子にして紅き翼の最大戦力たる二人は余りに有名過ぎる上に目立ちすぎる。

 この二人を自分が連れていないというそれだけで、何か密命を下して水面下で動いているのではないかと勘ぐられかねないのだ。実際に動いている以上それは正解ではあるのだが。

 その点特科クラスⅦ組の面々というのは、とある一人が余りに有名になりすぎたためにクラスとしての知名度というのは現状ほとんどないも同然。

 それでいて戦術リンクシステムの恩恵を受けた彼らは精鋭部隊と違わぬ働きをしてくれるので、オリビエとしてはこの手の別働隊、潜入任務となるとどうしても頼らざるを得ないのだ。

 

 甚だしい偽善であり欺瞞であるとわかりながらも、それでもオリビエは謝罪をせずには居られなかった。

 結局何も出来ずにこのような事態を招いてしまった事を、そして未だ学生に過ぎない彼らを頼らざるを得ない事を。

 

(全く、こんな私がどの口で宰相殿の事を非難できるのだろうか)

 

 未来を担う若者を、未だ巣立ちを迎えていない雛鳥である彼らに自分は死地に赴いてくれと頼んでいるのだ。

 無論、それは彼らならばやってくれると信じているからだし、誓ってオリビエは彼らを犠牲にする前提の作戦など立てていない。全員揃って帰還できると踏んでいるからこそ、こうして頼んでいるのだ。

 だが、それが一体何の気休めになるだろうか。どれだけ言い繕っても自分が彼らを殺し殺される場所である戦場に送ろうとしている事には変わらない。それが、この内戦を終わらせるために必要であり、最も有効だと判断したが故に。

 

 全く以て政治や軍事等というのは凡そ真っ当な人間が関わるべきものでない事は明らかだった。

 それでも(・・・・)、この理想と青さを自分は決して捨てはしない。例え偽善だと、欺瞞だと謗られたとしても。

 

「そしてその上で私は傲慢にも命じよう。必ず生きて帰れと。これからの帝国を担っていくのは君達のような若者なのだから。こんなところで命を落としてはならない。これは、皇子としての命令だ」

 

 告げられたオリヴァルト皇子からの言葉にⅦ組の面々は重々しく頷く。

 そう、これは特別実習ではない、紛れもない命がけの戦いなのだと心して。

 

「さて、そうしてハイデル氏をザクセン鉄鋼山不法占拠の罪で拘束したら、いよいよ以て計画は最終段階だ」

 

「ええ、私がその叔父上の監督不行き届きを理由に親父殿を説得します。

 アレで親父殿は皇室への忠誠心は決して低いほうではありませんでしたから、ザクセン鉄鋼山を不法占拠する等という皇帝陛下への不忠を行い続けるのかと問えば無下には出来ないでしょう。

 もちろん、あの頑固な親父殿がそれだけであっさりと頷くとも思えません。そこで私が親父殿に殿下お立ち会いの下、ログナー家次期当主(・・・・・・・・・)として決闘を申し込みます。

 私が勝てば次期当主たる私の意見に従って貰う、負けたら私は今後万事当主たるゲルハルト・ログナー候の指示に従う事を互いに誓約してね」

 

 そう、今回の作戦はログナー候の愛娘たるアンゼリカ・ログナーの存在なくして成立しない。

 こうして次期当主と当主の方針を巡った対立、ログナー侯爵家の親子喧嘩(・・・・)という形を取ることで総勢4万にも及ぶノルティア領邦軍の介入を防ぐ事ができる。

 これはオリビエ達が正規軍側に付いていない第三勢力であるからこそ可能な一手だ。もしもオリビエが正規軍への支持を表明していれば、ログナー候とて頷く事は出来なかっただろう。

 だが、放蕩娘からの挑戦状、そして現状第三勢力として民間人の保護以外には主として両勢力の仲裁役としているオリビエからの申し出となれば彼は無下には出来ない。

 皇室の所有物たるザクセン鉄鋼山を不法占拠していたという負い目、クーデターへと参加して皇族に弓を引いたという後ろめたさ、親としての情、培ってきた武断貴族としての誇り。

 そして侯爵家当主としての貴族連合からの離脱を表明するならば、正規軍に情勢が傾きつつあるが未だ貴族連合の勢力も健在である今が最も効果的だという計算。

 それらが、放蕩娘からの不遜なる挑戦状を彼に受け取らせる。

 

 だが、それは

 

「改めて聞くが、本当に良いんだねアンゼリカ君。

 今回の作戦は君の存在なくして成り立たない。

 しかし、代わりに君は……」

 

「モラトリアムは正式に終了して、この身に流れる血の責務を果たさなくなるというわけですね。

 叔父上を失脚させて、頑固な親父殿を説得するというのならばそれ相応の覚悟を私とて持たなければならない以上、止む得ない事です」

 

 かの高名なる槍の聖女リアンヌ・サンドロット、そしてルグィン伯爵家現当主たるオーレリア・ルグィンに代表されるように、エレボニア帝国では男子の居ない貴族の家の女子が当主となる事も決してあり得ない事ではない。

 だが、アンゼリカ・ログナーは何せ放蕩娘として散々父親の手を焼かせて居たのもあって、当主ゲルハルトは半ば諦めて、弟たるハイデルの長男を次期当主にする事を視野に入れつつあった。

 だが、今回の一件でそのハイデル・ログナーが失脚してしまえば、当然その話は流れる事になる。

 当然、そうして状況を引っ掻き回すだけ引っ掻き回しておきながら、自分は侯爵家の人間としての責任を取る気はない等と言う態度が許されるはずもないし、そんな態度ではゲルハルトは聞く価値を覚えないだろう。

 故にこそ自分は覚悟を示す必要があるのだ。ログナー侯爵家の人間として、これからのログナー家を自分は背負っていく意志が在るのだと。

 無論、それだけであっさりと意見を翻す程にゲルハルトは甘い男ではないが、それでも娘たるアンゼリカに、放蕩娘であった自分にそんな事を言われれば、頑固な親父殿(・・・)がなんと言ってくるかは大方予想がつく。

 「口だけならばなんとでも言える!意志というのはそれを貫くために力が伴っていてこそだ!!!お前が本気でログナー家を背負う覚悟があるというのならば、次期当主に相応しい力を俺に示して見せろ!」だとかその辺りだろう。

 

 そしてそうなれば後は自分次第だ。

 父たるゲルハルトは一角の武人であるゆえに、中々に分の悪い勝負であり、賭けであると言わざるを得ないがそれでも成功した時のリターンは莫大だ。

 四大名門の一角たるログナー侯爵家がこの情勢で抜けたとなれば、貴族連合は完全なる劣勢に陥る。

 そうなれば元々和睦を訴えていたハイアームズ侯爵を始めとした一派もいよいよ必死に主宰たるカイエン公を説得にかかる。この内戦の終結、それが見えてくるのだ。賭けに出るには十分過ぎると言えよう。

 

 だが、それはアンゼリカにとっては今の生活の終わりを意味する。

 勝利すればログナー侯爵家の次期当主として、敗北すればどこぞの貴族の家の人間あるいはそれこそ従兄殿の下へとしとやかな令嬢の仮面を被って嫁ぐ事になる。どちらにせよ、放蕩娘(・・・)としての生活は終わりだ。

 

「アンちゃん……」

 

「アン……」

 

「すまないね二人共、あの馬鹿二人に続いてどうやら私も卒業旅行の約束は果たせそうにない。

 だが、それでも。例え私がログナー侯爵になろうとも君達二人が……いいや、私達5人(・・・・)が友人であること、それだけは変わらない。

 どれだけ互いの立場が変わってしまっても、何があってもだ。少なくとも、私はそう信じている」

 

 微笑みながらも示されたアンゼリカの覚悟を前にオリビエも、黙って頷く。

 これ以上重ねて問いかける事はむしろ侮辱だろうと判断しての事である。

 

 12月21日、《紅い翼》は内戦を終結させるべく、乾坤一擲の手に打ってでる。

 そして同日15:00、エレボニア帝国第一皇子オリヴァルト・ライゼ・アルノール立会いの下行われた、ゲルハルト・ログナーとアンゼリカ・ログナーの決闘は見事アンゼリカの勝利によって終わる。

 ログナー侯爵家当主ゲルハルトは己が娘にして次期当主アンゼリカの説得に応じ、貴族連合よりの離脱とオリヴァルト皇子への恭順を示すのであった……

 

 

 

おまけ

 

ハイデル「ハハハ、会談のためにと武器を持ってこなかったのが仇となったな!如何に光の剣匠といえど剣がなければどうしようもあるまい!」

 

ヴィクター「やれやれ、ハイデル殿。貴殿は何やら勘違いされているご様子ですが、我がアルゼイド流は何も大剣だけの流派ではありません。剣術だけでなく槍術も、無論の事無手の際での戦い方とてあるのです。そして、私はそのアルゼイド流の総師範を務める身。この意味がおわかりですかな?」

 

ハイデル「へ?」

 

ヴィクター「絶技 洸凰拳!!」

 

ヴィクター「無論の事、実力が伯仲した相手となれば流石に獲物なしでは厳しいですが……心も持たぬ木偶人形如きに遅れを取る等と思われては侮辱も良いところ……む、如何されたかな?」

 

オリビエ「ハハハ、どうやら余りの衝撃に気絶してしまったようだね」

 

ミュラー「流石は子爵閣下。お見事です」

 




Ⅱの内戦ではオリビエがドライケルス帝の再来ポジに。
リィン達Ⅶ組はその親衛隊として槍の聖女と鉄騎隊の再来ポジになる……そんな風に思っていた時期が私にもありました


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天王山

原作のキャラって基本味方陣営は中立的な立場の人が多いですよね。
ヴァンダイクとゼクスは革新派ではなくオリビエ派という感じですし
オーラフにしても革新派という感じの人間ではありません。
クレアさんにしても宰相に尽くしているのは恩人だからという感じです。

そんな中西部戦線の将軍たちはバリバリの革新派です。
当然貴族派に対してはかなり辛辣なスタンスですが、これはあくまで
彼らの視点から見た場合の話であって彼らが全面的に正しいというわけではありません。


 ドレックノール要塞の攻防戦でリィン・オズボーンは誰よりも働いていた。

 昼にあってはヴァリマールを駆り、蒼の騎士との死闘を演ずる。

 そうして霊力が切れて帰還すると、第ニ形態をを使用した反動にて訪れる猛烈な飢餓感と疲労感を払底すべく、栄養価だけは保証されたレーションを5人前程黙々と平らげた後3時間程度の睡眠を取る。本来であれば、半日は眠りこけるところをわずか3時間の睡眠で済ませる事が出来るのはリィンの持つ特異体質の為せるものであったであろう。

 

 そうして再出撃をするだけの霊力が蓄えられるまでの時間はクレアとレクター、そしてアルティナらと共に総司令部の参謀業務の手伝いを行う。何せ戦闘中の参謀と指揮官というのは激務極まりないもの、参謀教育を受けている3名と計算能力と事務処理能力に於いて卓越した力を誇るオライオンの手は、紛れもない救いの手であった。

 当初は出撃までの間は休むのが貴官の仕事だと渋ったミヒャールゼンもリィンの余りの熱意と特異体質の説明を受けた事、そして現実問題人手として魅力的だった事もあって、最終的には了承したのである。

 

 参謀と指揮官に要求される能力は異なる。指揮官にに必要とされるのは果断な決断力や勇敢さであり、参謀からの助言に基づいた上で最終的な意思決定をするのが指揮官の役目だ。「拙速は巧緻に勝る」など指揮官には何よりも果断さこそが求められる。何せ戦場では数秒の遅れが致命打となるのだ。とにもかくにも判断の素早さこそが指揮官には求められる、それ故にともすると指揮官は在る種の頑固さを持つ人物が向いているとされる。

 

 一方、そんな指揮官を支えるのが頭脳たる参謀の役目である。情報分析、他部門との意見調整、指揮官へのアドバイス、実施部隊に対する指導、命令の伝達と言った業務をチーム組んで分担しながら行うことで指揮官を補佐するのが役目だ。それ故に参謀には尖った天才よりも協調性に富んだ秀才こそが向いているとされる。

 協調性に難があると称されながらも若くして少佐にまでなった、ブルーノ・ゾンバルトはそれだけ彼の才幹を上層部が高く評価しているという事でもあり、極めて稀な異才と言えよう。

 

 そんな西部方面軍総司令部の参謀チームに臨時として加わったリィン達だったが、彼らは自分たちが外様であるという事を弁えていた。余計な波風を立てぬよう、忙しくて正規のスタッフでは手が回らない地道な作業を積極的に引き受けたのだ。何せ今は戦時下であり、この内戦が既に一ヶ月以上も経過している。当然、手が回らない仕事等というのは幾らでも存在する以上、それらを外様である自分たちが積極的に引き受けるべきだというのがリィンの考えであり、クレアはその配慮に微笑みながら、レクターは真面目さに苦笑しながら、アルティナはそれが上官の判断ならば是非もなく、というそれぞれの態度で賛同の意を示したのであった。

 当然傭兵等という立場で参謀教育を受けていないシャーリィ・オルランドには参加できるはずもない、彼女は彼女で元気に貴族連合の雇った《西風の旅団》と戦っている。

 

「やれやれ、もしも武勲にばかり固執するようであれば雷の一つでも落としてやろうと思ったのだがな、出来るのは喜ばしい事だが余りに出来すぎているのは出来すぎているので、上としては少々指導のしがいがないというものだぞ少佐」

 

 リィンの勤勉さを指してミヒャールゼンはそんな風に苦笑していた。

 何せ今のリィン・オズボーンは若くして少佐にまでなった“英雄”なのだ。

 彼としてはその才幹については疑っていなかった、何せ百日戦役以前ならばいざしらず今の軍は親の七光りだけで出世できるような組織ではないのだから。

 その地位にふさわしい才覚は備えているだろうと踏んでいた。しかし、才幹と人格というのは必ずしも一致するものではない。

 若くして此処まで持て囃されれば、多少なりともその才能を鼻に掛け、傲慢になるのがある意味では自然とも言えるだろう。

 とかく若くして派手に前線で功績を立てた者程、後方支援や細かな調整作業と言った地道な作業を厭う傾向にある。

 故にミヒャールゼンとしてはもしも自分から参謀業務に志願していながら、作戦立案と言った功績の立てやすい派手な仕事ばかりを引き受けようとしたら、所謂雑務を疎かにするような態度をこの亡き盟友の遺児が見せた場合は叱りつけてやるつもりだったのだ。

 「何も前線で戦うだけが軍人の仕事ではない。事務手続きが一日遅れるだけで、弾薬が届くのが一日遅れるかもしれない。そして、弾薬が一日遅れたせいで死ぬ兵士もいる。軍人には疎かにして良い仕事等何一つとしてないのだぞ」と。

 しかし、彼のそんな考えはまさしく杞憂であった。武勲に奢ること無く、丁寧に堅実に地道な作業をこなすリィン達は司令部にとってはありがたい事この上ない手伝いであった。

 

 一方のリィンにしてみれば武勲を盾に奢るなどそもそも想像の埒外であった。

 何せ自分は未だ士官学院を卒業、しかもかなり特殊な形で、してから一ヶ月やそこらしか経っていない新米も良いところなのだ。

 諸々の事情が重なった事で少佐にまでなったが、それでも自分は所詮ペーペーの新米なのだ。

 学ぶ事などいくらでもある。“統率の天才”とそんな彼を支える帝国軍最高峰の頭脳集団からの薫陶を受けるまたとない機会を逃す道理などあるはずはなかった。

 そうして参謀業務に取り組み。蒼の騎士の襲撃の報が入ると再びヴァリマールを駆って再び前線へと出て戦う。

 そんな特異体質がなければとうに過労で死んでいるような殺人的な仕事をリィン・オズボーンは不平など一切こぼすこと無くこなしていた。

 

 黙々とクソ不味いレーションを大量にかき込むその姿も相まって、今ではリィン・オズボーンとはエレボニア帝国が開発した最新鋭の人形の兵器なのではないか?等と冗談交じりに言われる程にリィンは働いていた。

 

 そんなドレックノール要塞を巡る激戦に転機が訪れたのは12月22日の事であった。

 

 

「諸君の耳にも既に入っていることと思うが、どうやら侯爵閣下に於かれては俄に皇室への忠誠心に目覚められたようで、貴族連合を離脱してオリヴァルト殿下の下へと就く事を表明したとの事だ。貴族連合が不利になりはじめたこの局面での決断、いやはや真に侯爵閣下は貴族の鑑だと称するべきであろうな」

 

 ログナー侯爵、貴族連合より離脱する。その報を受けて、急遽招集した会議の場で公明正大で実直さを旨とするこの男にしては珍しく、揶揄するように侯爵の英断(・・)をミヒャールゼンは称賛する。

 そしてそんなミヒャールゼンの言葉に応じるかのように列席者達は次々に肩を竦めて、侯爵の決断に関する論評を始める。

 

「それはそれは……大変結構な事ですな。出来る事ならば帝都占領等という暴挙に参加される前に是非とも目覚めて頂きたかったものですが」

 

「皇室所有のザクセン鉄鋼山からの鉄鉱石を横流し、機甲兵なるものを量産して於いて今更忠臣を気取るというわけですか。いやはや前々から思っていましたが、栄えある貴族の方々はどうも我々平民には及びもつかぬ思考回路を有しているご様子で」

 

「我らは如何なる時も、それこそ苦境の時にこそ支えるのが真の忠節だと教わったものですが、名高き四大名門の当主ともなると我ら平民なんぞとは受ける教育も違うという事なのでしょうなぁ」

 

 笑いながら告げる言葉はどこまでもログナー候の皮肉に満ちたものである。

 真に忠臣だというのならば、そもそもこのような暴挙に手を貸すはずもないし、それこそアルゼイド子爵やシュバルツァー男爵のように真っ先にオリヴァルト皇子の支持を表明すべきであろう。

 それもせず、あまつさえ皇室より貸与されていたザクセン鉄鋼山の鉱石を横流しして、機甲兵等という兵器を量産して今回のクーデターに大きく貢献していた者が一体何を今更忠臣面しているというのか。

 単に、自分の陣営の不利を悟って足抜けしただけだろう、それがその場に居る者達の半ば今回の一件のログナー候の行動に対する認識であった。

 

 基より大陸西部に居る機甲師団の司令官達はオズボーンの信認が特に厚き者、逆を言えば貴族派への反感が強い者達が集まっている。ログナー候の今回の一件に対して好意的である理由等存在しなかった。

 

「ですが、それでも侯爵の決断がこの内戦を導く一助となる事は確かです。で、あるのならばそれなりに評価をしても良いのでは?」

 

 そうリィンはそれでも評価するべきところは評価してはどうかと控えめな口調で提案する。

 

「少佐、そういうのをな。人は50歩100歩と言うのだよ」

 

「ですが、その50歩の違いで犠牲となる将兵の数を思えば、やはり英断ではあるでしょう。

 それが本来当然の事であったとしても、他の連中はその当然の事が出来ていないのですから」

 

 平然とした口調でリィンは辛辣な事を口にする。

 その様子は百の言葉よりも雄弁に彼が侯爵の肩を持っているわけではない事を列席者達に示す。

 むしろその逆、ほとほと愛想を尽かしていた連中が思いの外真っ当な判断をしたのだから儲けものと思うべきだろうとでも言わんばかりの態度であった。

 

「ふむ、そうだな。少佐の言うとおりであろう、それがどれだけ当たり前の事であってもそれまで出来ていなかった人物が出来るようになったというのは、それだけで称賛に値するものだ。

 赤子が初めて立ち上がって歩き出した時に、そんな事は当然なのだ。という態度ではその子どもが健やかに育つはずもない」

 

 暗に四大名門の連中を赤子程度の精神なのだと揶揄するそのミヒャールゼンの言葉に列席者達は失笑を漏らす。

 そうしてひとしきり場が温まるのを確認すると、西部方面軍総司令官足るミヒャールゼン大将は打って変わった真剣そのものな表情を浮かべる。そしてそんな総司令官の気迫を察して、列席者たちもまたその表情を引き締める。

 

「さて諸君、正念場だ。

 ログナー候のご英断により、情勢は一気に我らの有利へと傾き、貴族連合には跡がなくなった。

 このまま行けば、遠からずノルティア領邦軍が中立となり、阻む存在がなくなった北部に居る第三機甲師団と第七機甲師団が帝都を解放して、皇帝陛下をお救いする事だろう。

 ならばこそ(・・・・・)、敵将であるルグィン大将とバルディアス中将が近日中に大規模な攻勢を仕掛けて来る事は確実。

 故にこそ、明日こそがこの戦いの天王山となる」

 

 ログナー侯爵の離脱によって貴族連合は北部戦線に大きな風穴が空いた。

 その穴を埋めようにも東部は正規軍の主力たるヴァンダイク率いる5個師団もの大軍と向き合っている以上

 とでもではないが、余力はない。であるのならば、貴族連合としては主力であるオーレリアとウォレスの両将軍に何とかしてもらうしか無いのだ。

 そして、当然ながらこの状況下でただ撤退しては、ミヒャールゼン率いる正規軍4個師団にその後背を突かれる事は確実だし、何よりもハルテンベルク伯に続いて四大名門の一角ログナー侯爵家が貴族連合より離脱した事の意味は余りにも大きい。

 ここらで何か力を示さなければ、他の貴族達も寝返りだす雪崩現象が起きる事は明白。

 で、あればこそ消極的とは真逆に位置するあの若き貴族連合の英才二人は必ずや勝負に出てくる。

 それがミヒャールゼン達正規軍首脳部の認識であった。

 

「改めて言うまでもない事だが、敵は手強い。

 《アウクスブルクの会戦》にて味あわされた辛酸を忘れた者はいまい。

 オーレリア・ルグィン大将とウォレス・バルディアス中将は決して家柄のみによってその地位を手に入れたのではない。

 紛れもない難敵であり、その旗下もまた精鋭たる我ら正規軍に決して引けを取らぬ猛者揃いであること、それをまずは認めよう」

 

 ミヒャールゼンの言葉に列席者達は重々しく頷く。

 そこには先程まで貴族に対する反感を顕にして、嘲弄していた姿は無い。

 この一ヶ月の戦いで目前の敵手がどれほど手強い敵かというのは彼らにしても身に沁みて理解しているからだ。

 

「だが、その上で勝つのは我々だ。

 《アウクスブルクの会戦》の時、敵の蒼の騎士を抑えるすべが我らには無かった。

 しかし、今の我らには灰色の騎士が居る。

 で、あるのならば我らが敵将二人に遅れを取らなければこの戦いに負けはないという事だ。

 恐れる事は何も無い、若僧共に我らが伊達に歳を食っていない事を教えてやろうではないか」

 

 不敵な笑みを浮かべた総司令官へと他の司令官たちもまた笑みを以て応じる。

 それは断じて油断ではない、積み上げた確かな実力と経験に裏打ちされた自負である。

 何せ、追い詰められているのは敵の方なのだから。

 明日の貴族連合の大攻勢、それを凌いだ時点でこの内戦の勝利はほとんど確定するのだから。

 

「我らに勝利を」

 

「「「「「「我らに勝利を」」」」」

 

 その言葉を締めくくりに一同は解散する。

 そう恐れる事はなにもない。我らが総司令官閣下は決して負けはしないのだからと帝国屈指の名将への確かな信頼を伺わせて……




エレボニア帝国の生んだ人形決戦兵器リィン・オズボーン。
帝国の敵は例え親兄弟親友恋人だろうと殺すマン。


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巨星の煌めき、新星の輝き

 大軍というのはただ動かすだけでも困難である。戦場には“摩擦”というものがあり、それは規模が膨れ上がる程に大きくなるものだからだ。「大軍を手足のように動かす」等ということが出来る名将というのはそう多くいるものではない。

 

 そしてその上でドレックノール要塞攻防戦を指揮する両軍の大将は紛れもない名将であった。未だ30を迎えたばかりの煌めく新星オーレリア・ルグィンと帝国にその名を轟かせるリヒャルト・ミヒャールゼン、両軍の総司令官の力量はほとんど拮抗していた。

 オーレリアは機甲兵の機動力を活かした強襲戦術によって度々戦線を突破しようとしたが、ミヒャールゼンはこの尽くに対処する。そして《アウクスブルクの会戦》に於いて、そんな均衡状態を崩した蒼の騎士は灰色の騎士によって完全に封殺された形となっており、戦況はまさに完全なる五分の状態となっていた。

 

「全く以て、恐るべき麒麟児と称すべきであろうな」

 

 敵将オーレリアの力量をその身で一番に感じているミヒャールゼンは決戦を前にそう静かに零す。30、そう今自分が対峙している敵将は未だ30となったばかりの若僧に過ぎないのだ。自分が30の頃と言えば未だ少佐で、とてもではないが数個師団は愚か一個師団を指揮することとて覚束なかった頃だ。それにも関わらず目の前の敵は50を過ぎた自分と五分の戦いを繰り広げている、真に以て恐るべき才幹であった。

 

 機甲兵という新兵器が敵にはあるがこちらにはない?そんな事は言い訳にさえならない。そもそも新兵器の運用が如何に困難であるかというのをミヒャールゼンは35年にも及ぶ軍務経験で嫌という程に知っている。新兵器をああも見事に運用している事、それ自体が敵将の非凡さの証明と言って良いのだ。

 

「故にこそ惜しい、カイエン公等に与した事が」

 

 ミヒャールゼンはそう嘆息する。

 そう目の前の難敵が相手だったために、一体どれほどの将兵を死なせてしまったことか。

 目前の敵手が凡将であれば、そも《アウクスブルクの会戦》はこちらの勝利で終わっていたのだ。

 そうなれば、内戦の終結は2週間は早まり、犠牲となる兵士の数もはるかに少なく済んだであろう。

 そうミヒャールゼンはため息混じりに考えるが、それは無茶な注文というものだろう。

 

 オーレリアはラマール領邦軍総司令官であり、各州の領邦軍の最高司令官はあくまでその州を治める四大名門の当主となっている。帝国正規軍の最高司令官があくまでユーゲントⅢ世陛下であり、帝国正規軍司令長官は最高司令官代理としてあくまで指揮権を皇帝より預かっているに過ぎないのと同じだ。故にラマール州軍司令官たるオーレリアはカイエン公爵の指示に従う義務があるし、サザーランド州軍司令官ウォレスはハイアームズ侯爵の決定に従う義務がある。軍人にとって“命令”というものが絶対的な物であるか、他ならぬ彼が知らぬはずがないのだから……

 

「だが、それも今日でおしまいだ」

 

 ログナー候の離反によって勢力の均衡は完全に崩れ去り、更にログナー侯爵を取り込んだオリヴァルト皇子一派の勢力も両陣営にとって決して無視し得ぬものとなった。今、オリヴァルト皇子から和睦の仲介を申し出られれば両軍はそれを無下にする事は出来ない。何せ今のオリヴァルト皇子には皇族という権威だけでなく、ノルティア領邦軍4万という正規軍と貴族連合双方にとって決して無視し得ぬ勢力を持っているのだから。

 恐らくこちら側が有利の、されど貴族連合にとってもなんとか許容できるどちらも納得できる落としどころへとオリヴァルト皇子は着地させるだろう。

 

 そう、此処で自分達が目前の敵手の攻勢を凌ぎ切れば、そのような形でこの内戦は終結するのだ。

 逆に自分たちが此処でもしも万が一にでも負ければ、貴族連合は「まだ負けてはいない」と息を吹き返すだろう。

 故に此処がこの内戦のヤマ場であり天王山、この戦いで終わりにしてみせるとミヒャールゼンは気合を入れて、全軍に対する回線を開かせる。

 

「全軍に告げる。私は正規軍西部方面軍総司令官のリヒャルト・ミヒャールゼン大将である。

 諸君も既に聞き及んでいることだと思うが、オリヴァルト殿下の働きにより、ログナー候は貴族連合からの離脱を表明した。

 これにより、この内戦は一気に我らの有利へと傾いた」

 

 ログナー候の行いではなく、オリビエの働きをこそ称賛するような言葉を用いたのは当人の貴族に対するわだかまりを示すものであっただろう。

 

「故にこそ、今日の戦いにて全てが決する。

 そして勝つのは我々である。なぜか?それは私にはこの一ヶ月もの間共に戦った頼もしき精鋭達が居るからだ。

 この8日間、賊軍共は幾度となく攻勢に出たが、ついぞ突破する事は叶わなかった。

 今日、敵は最後の足掻きとして苛烈な大攻勢に出てくる事だろう。だが、それは蝋燭の最後の輝きというものだ。臆する事はなにもない。

 この8日間の戦いで敵将オーレリア・ルグィンの手の内は知り尽くした。機甲兵等という代物も所詮はハリボテに過ぎぬ事も諸君がその身を以て証明した」

 

 ハリボテ、というのは士気を上げるための露悪的な表現では在るが完全な的外れというわけではない。

 機甲兵は確かに強力な兵器であり、巨大な人形の兵器というそのフォルムは人に有無を言わせない畏怖を与える。その突撃を前にして、士気を維持したまま抗すのは困難であり、実際開戦当初は恐慌を来してしまった将兵の数は決して少ないものではない。

 しかし、そんな敵を相手に西部方面軍は今日まで戦い続けて来た。決して機甲兵という兵器が無敵でもなんでもない事をその身を以て証明してきたのだ。

 

 

「我が兵士、我が英雄諸君!今日この戦いでこの貴族どもの身勝手によって起きた馬鹿げた内戦は幕を下ろす。歴史のページに諸君がその名を刻むのだ。

 そして生きて帰って家族にこう伝えると良い、「俺達がこの戦争を終わらせたんだ。ミヒャールゼンの奴と一緒に賊軍共を叩きのめしてな」と。そのためにも、最後の一踏ん張りを諸君に願うものである」

 

 

 ミヒャールゼンが演説にて将兵を鼓舞している中、貴族連合の総司令たるオーレリアもまた同様に将兵を鼓舞していた。

 

「さて諸君、正念場である。

 諸君も知っての通り、四大名門の一角たるログナー侯爵が貴族連合からの離反を表明した。

 これによって我らは北部に大きな風穴を開ける事となった。故に、早急に目前の敵を撃滅する必要がある」

 

 明らかな苦境、明らかな劣勢。そんな情勢にも関わらずオーレリアはどこまでも優美に、そして不敵に笑っていた。それは理性ではなく本能によって将兵の心を奮わせる、この方に付いていく事こそが至上の幸福なのだと。彼らの己が将に向ける感情はもはや、信仰と言って良い。

 基より貴族への反発が大きい中央と違い、地方の素朴な平民にとっては貴族に従うというのは当たり前(・・・・)の事なのだ。政治に参画する権利など彼らは欲しがった事はない、彼らが求めるのは何時だとて今日と変わらぬ明日。

 鉄血宰相の推し進めた改革の恩恵を受けたのは主に帝都を中心とした中央の平民であり、地方の平民にとっては関わり合いの薄い事ばかりだったからだ。

 革新派が絶大な支持を誇るのは中央の平民であり、地方の多くの平民にとっては在るべき秩序と伝統を歪めようとしている存在に過ぎないのだ。

 

「奮うが良い。目前にあるのは紛れもない難敵、故にこそそれを相手に勝ち取った勝利は格別な物となろう。全軍!我に続け!」

 

 その号令と共に先陣を駆け抜けるのは黄金の羅刹専用機たる黄金色の機体。

 もはや言葉で多く語る必要はない、その後姿によって彼女は旗下の将兵を奮い立たせる。

 基より自分がやろうとしていのは無理難題、ならば無茶を通して道理を引っ込める以外の道は無いと。

 此処に来て総司令官として全軍の統制に努めていたオーレリア・ルグィンは右翼をサザーランド州軍司令官ウォレス・バルディアス中将、左翼をラマール州軍副司令官ウィルバルト・オイラー少将へと任せて旗下の精鋭を率いての突撃による中央突破を図る大博打に打って出た。

 

「慌てるな!全軍、プラン7にて対応せよ!!!」

 

 総司令官たるミヒャールゼン大将の号令が響く。

 敵の総司令官オーレリア・ルグィンの陣頭指揮による中央突破、これは総司令部の参謀達が敵は短期決戦にて多大な戦果を挙げる必要があるという事、そして黄金の羅刹の常軌を逸した戦闘力と突破力から考えて最も可能性が高いものと踏んでいたものだ。当然、極限までにその対策を練りに練っている。即座に封殺すべく、正規軍はそのシフトを完成させる。

 

 しかし、止まらない。黄金の羅刹の猛攻が中央を支える第10機甲師団のシフトを次々と粉砕して尚も進み続ける。

 それはまさに“天才”と称する他ない神がかった戦術能力の為せる業であったが、何よりもそれを齎しているのは敵軍の“勢い”である。

 戦いにはしばしば策士の計算を将兵の常軌を逸した士気の高まりが凌駕する。

 オーレリア・ルグィン、黄金の羅刹の異名を誇る黄金色に輝ける英傑、総司令官自らが陣頭突撃をするという常識外れな行為がその正気な者や計算では決して出すことの出来ない、“狂奔”と称すべき勢いを齎したのだ。

 

「第八機甲師団はこれより第十二機甲師団の援護に向かう!黄金の羅刹だ!黄金の羅刹ただ一人を討てば、敵の勢いは止まる!」

 

 想像を上回る敵の勢いを前にミヒャールゼンは決断を下す。

 この勢いを止めるには、こちらもまた狂気に身を委ねば抗し得ないと。

 基よりこの戦い、兵力に於いて劣るのはこちらである以上右翼にて交戦している第九機甲師団も、左翼に位置する第十一機甲師団にしても手一杯である以上、もはや動かせるのは総司令官の直轄部隊である第八機甲師団のみである。

 灰色の騎士は蒼の騎士と交戦している以上、それしか手は残されていないと。

 

 第八機甲師団の参戦によって敗亡の縁へと転がり始めていた第十一機甲師団は息を吹き返した。

 しかし、黄金の羅刹の勢いは尚も止まらなかった。

 

「そうだ!それでこそだ鉄壁のミヒャールゼンよ!!!」

 

 最前線へと自ら躍り出た総司令官の姿に奮い立ったのは正規軍だけではなかった。

 ずっと自分の心を昂ぶらせてくれた好敵手を前にオーレリアもまた奮い立つ。

 かつて此処まで自分を相手に持ち堪えた相手は居なかった。故にこそ、必ずやその首をこの手に挙げて見せるぞと。

 

「やすやすとこの首をくれてやると思うなよ小娘!!!」

 

 しかし、ミヒャールゼンも決して譲らず退かない。老練なる手際にて陣形を再編し、その苛烈な攻勢をいなし続ける。此処に来て、正規軍の巨星と領邦軍の新星の戦いは五分の様相を見せ始める。そしてそのまま推移し続ければ、この戦いはミヒャールゼンの勝利に終わる事となる。

 基より機甲兵という兵器は機動力にこそ、その真価を発揮するものであって足が止まってしまえばそれはデカいだけの的でしか無い。シールドを張る事もできるが、それもエネルギーの消耗を思えばそう多用できるわけではない。機動力を活かした短期決戦型こそが機甲兵の本領なのだ。

 故に足が止まってしまえば、その時点で勝利の天秤はミヒャールゼンの方へと傾く、そして徐々にだがオーレリアの部隊はその足が止まり始めていた。

 オーレリアの心に焦燥が、ミヒャールゼンの心に余裕が生まれ始めた、その時であった。

 

「どうやら間に合ったようですな、先輩(・・)

 

 右翼の指揮を副将へと任せたウォレス・ヴァルディアス中将の部隊が側背より第八機甲師団へと襲いかかったのだ。

 本来であれば間に合わないはずであった、機甲兵の機動力を以てしても。しかし、彼が率いて来たのは全て新型《高速機甲兵ケストレル 》によって構成された高速機動部隊。その名の通り、その機動性能は量産型であるドラッケンを遥かに上回るものであり、乗るパイロットもまたサザーランド州軍きっての精鋭達。それが、ミヒャールゼンの計算を上回ったのだ。

 

 側背より攻撃を受けた第八機甲師団は瞬く間に混乱状態に陥った。

 ミヒャールゼンはその卓越した指揮により、なんとかその混乱を立て直すも頼りになる後輩が作ってくれたその好機を黄金の羅刹は決して逃さなかった。

 

 そして……

 

「敵将リヒャルト・ミヒャールゼン討ち取ったり!」

 

 正規軍の心をへし折り、領邦軍を沸き立たせるその咆哮が戦線に響き渡る。

 要である総司令官を失った事で正規軍は完全に統制を失った。

 瞬く間に数に勝る領邦軍へと飲み込まれていき、第九機甲師団、第十一機甲師団、第十ニ機甲師団を率いる他の三人の中将の戦死が次々と報告される。

 これにより完全に戦意をへし折られた正規軍は完全な壊走状態へと陥り、此処に帝国正規軍西部方面軍は壊滅した。

 

 翌日12月24日、ミヒャールゼン大将、そして三人の中将を失った事で暫定的に正規軍西部方面軍司令官代理となったヘルベルト・クロップ少将は将兵の士気の低下からこれ以上の抗戦を断念。貴族連合へと降伏する。

 しかし、その降伏した人員の中に蒼の騎士と死闘を繰り広げていた灰色の騎士、そして彼に従う鉄血の子どもたちの姿は存在しなかった……




主役の父親、師匠、兄貴分は死ぬ法則


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ケルディック焼き討ち

「やっぱ火はいいのう 伊勢長島を思い出すわい ふはははははは」


「お疲れ様クロウ、なかなか大変だったわね」

 

「……ヴィータか。ああ全くこちとらとんでもない大馬鹿に付き合わされたせいでヘトヘトだぜ。悪いが何時ものやつ頼むわ」

 

 貴族連合の総旗艦パンタグリュエルへと帰還した“蒼の騎士”クロウ・アームブラストはそう言って精も根も尽き果てたと言った様子でベッドに身体を投げ出す。

 

「はいはい、畏まりました“蒼の騎士”様。この“蒼の歌姫”ヴィータ・クロチルダ、貴族連合の英雄であるアームブラスト卿のために誠心誠意歌わせて頂きます」

 

「辞めてくれよ、気色悪い。ただでさえこちとらカイエンのおっさんの隠し子だのと妙な噂立てられていて居心地悪いってのによ。この上“蒼の歌姫”との熱愛だなんて疑われたらたまったもんじゃないぜ」

 

「あら、私は一行に構わないんだけれど」

 

「ったく、すぐそうやってこっちをからかおうとしやがる。良いから早いところ頼むわ」

 

「はいはい、それじゃあ楽にして頂戴」

 

 そうして響き渡るのは子守唄のように優しい歌声。

 蒼の歌姫ヴィータ・クロチルダのただ一人のために捧げられた歌である。

 彼女のファンがこの事を知れば恐らく血涙を流しながら、クロウへと殴りかかる事だろう。

 その歌声と共にクロウは安らいだ穏やかな表情を浮かべ、心地良い眠りに落ちていくのであった……

 

 

・・・

 

 その光景を誰かが見ていたら間違いなく腰を抜かしていた事だろう。

 クロイツェン州の交易都市ケルディックに存在するルナリア自然公園、その最奥に突如として灰色の巨大な騎士人形が転移して来たのだから。

 そしてその灰色の騎士人形ヴァリマールと共に現れた灰色の髪の少年がその場に片膝を付く。その表情には疲労が色濃く出ている。

 

「少佐!」

 

 そんな上官、否義弟へとクレア・リーヴェルトは慌てて駆け寄る。

 だが、そんな部下からの気遣いを手で制して、リィンは立ち上がる。

 

「問題ない。少々疲れが出ただけだ」

 

 西部戦線での戦いは正規軍の完敗によって幕を下ろした。

 総司令官にして支柱であったミヒャールゼン大将を筆頭に多くの優秀な将帥を失い、完全に心を折られた状態にあっては暫定的なトップとなったクロップ少将にしてもそれ以上の抵抗は断念せざるを得なかった。

 少なくともオーレリア・ルグィン大将にしてもウォレス・バルディアス中将にしても捕虜の虐殺、虐待を行うような卑劣漢ではない。で、あるのならば降伏へと傾くのは必然的な流れであった。

 

 それ自体は必然的な流れであった。しかし、西部に援軍として来ていたリィン達の場合はそういう訳にはいかない。西部方面が敗北した事で内戦の終結はまた遠のいたわけだが、それでも東部と北部は未だ健在であり、着々と帝都解放に向けての準備が整えられているのだ。そして宿敵たる蒼の騎士が健在である以上、此処で敵の捕虜になどなるわけには断じていかないのだ。

 本来であれば潜伏なりして貴族連合の追撃を振り切らねばならないところだったが、騎神には精霊の道を使った転移という反則技がある。これを利用してリィン達は東部戦線へと戻ってきたのであった。

 しかし、早急に出立する必要があったためにその身体には第2形態を使ったことによる疲労が色濃く残っている。本来であれば、直ぐにでもそのままベッドに倒れ込みたいところであったが、どうにか気力によってリィンはその身体を支える。

 頭に過るのはミヒャールゼン大将と最後に言葉を交わした思い出。短い間だったが、多くの事を教わった。出来る事ならばもっと多くの事を教わりたかった。しかし、それはもう叶う事はないのだ。リヒャルト・ミヒャールゼン大将は戦死したのだから。

 

「一先ずケルディックへと向かう。そこで休息の後、双龍橋の部隊へと合流する」

 

 自らの心を叱咤しながらリィンはそう宣言する。

 そう戦いはまだ終わっていない。ならばその死を悼むのはこの内戦が終わってからだ。

 まずはこの内戦を終わらせる事。それこそが散っていた者達に対して自分が出来るせめてもの供養なのだと、そう信じて。

 

・・・

 

「まさか……こんな…」

 

「おいおいおい、こいつら正気か」

 

 信じられないと言いたげに二人が目の前の光景を見つめながら呟く。

 焼けている。ケルディックの街が。クロイツェン州でも屈指の交易都市として栄えていた地が。

 

「ママ!どこ!?どこに居るの!?」

 

「誰か手を!手を貸してください!!!あの子が!うちの子がまだあの中に!!!」

 

 辺り一面から悲鳴が聞こえてくる。

 だが、そんな悲鳴などまるで聞こえていないかのようにこれを行った実行犯達は尚も破壊を続ける。

 家屋を破壊し続けるその巨大な人形の兵器は否応なく、ケルディックの民に強烈な恐怖を与える。

 レクターとクレアが忘我に陥るのも当然だろう、何せケルディックを破壊している実行犯、それは寄りにもよって本来この地を護る責を負った領邦軍だったのだから。

 

 燃え盛り灰となっていく家屋。

 悲鳴を挙げる幼子の声。我が子を案じる親の叫び

 それは否応なく、リィンの心の中にあるあの日の光景(・・・・・・)を想起させる。

 忘れるはずもない、自分の無力さを痛感した日。

 母を失った時の光景だ。

 

「少佐」

 

 憤怒によって心に飲まれかけた時、こちらへと呼びかけるその声にリィンは意識を取り戻す。

 

「指示を、指示をお願いします」

 

 自分は貴方の指示にこそ従うと告げるその常と変わらぬ冷静な瞳、それがリィンを冷静にさせる。

 そう、帝国正規軍少佐。かつての無力さにただ泣くしかなかった子どもではないのだと。

 この蛮行を防ぐだけの力が今の自分にはあるのだからと。

 

「オライオン曹長、アランドール大尉、リーヴェルト大尉。貴官らは住民の救助と避難に当たれ。罪なき民を護る事こそ我ら軍人の責務である。帝国軍人としての職責を果たすべき時は今だ!」

 

「「「イエス・サー」」」

 

「ねぇねぇリィン、シャーリィはどうすればいいかな?シャーリィの雇い主はリィンなんだからリィンに従うよ♥」

 

「オルランド、貴殿に求めるのは今も破壊をし続けている猟兵共の始末だ。生け捕りなど考える必要はない、殲滅しろ。ただし、民間人を巻き込まぬようにくれぐれも留意してな」

 

 住民の救助も無論大切だが、被害拡大を防ぐためには元凶を叩く必要がある。

 そしてシャーリィ・オルランドというのは生粋の猟兵だ。破壊や殺人と言った荒事に関しては卓越しているが、救助活動等といった行為に関してはほとんどずぶの素人。ならば、彼女を猟兵の迎撃に当てるのが一番だ。

 プロフェッショナルの猟兵が思わぬところでに出くわしたとなれば、生命を賭すことよりもほどほどのところで切り上げる可能性が高かった。

 

「了解。ところでリィン自身はどうするつもり?」

 

「決っている。三機のデカブツを粉砕する」

 

 

・・・

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

 クロイツェン領邦軍所属のグレム・ゴドウィン少尉は黙々と己が身を機械と化したかのように破壊を続ける。

 機甲兵に搭載された聞こえてくる叫び声に対して必死に聞こえないフリをして。

 そう、これは仕方がない事なのだ。何せアルバレア公爵の“命令”なのだから。

 もしも自分が断ったところで別の誰かが自分の代わりにやるだけだ。

 そうして拒否した自分はと言えば、服従義務違反の罪で営巣入だ。

 公爵の不興を買った自分はその後二度と日の目を見ることはないだろう。

 

(そうだ。俺は悪くない俺は悪くない)

 

 悪いのはそもそも領主様に歯向かったこの街の住人なのだから。

 つまるところ自分がやっているのは反動分子、テロリスト共への懲罰であり、当然の報いなのだ。

 そう後ろめたさを誤魔化し続け、尚も家屋を破壊し続けようとしていると不可解な事が起こる。

 突然、仲間の内の一機のシグナルがロストしたのだ。

 

「は……?」

 

 計器の故障かと訝しがる。

 機甲兵は無敵の兵器ではない、だがそれでも極めて強力な兵器なのだ。

 この辺りに展開している正規軍が駆けつけるのにはしばらく時間がかかるし、そもそも正規軍の部隊が接近していたという報告もない。それにも関わらず機甲兵のシグナルが消える等、故障か何かにしか思えなかったのだ。

 

「隊長殿。計器の故障だと思われますが、なぜか隊長殿のシグナルがロストしました。応答を願います」

 

 応答を求めるも返事は来ずに静寂がその場を包み込む。

 まさか、やられたという事なのか。断末魔を挙げる暇さえ無く。

 

「アウフマン!聞こえるか!!!信じられないがルドルフ隊長殿がやられたみたいだ!!!離れていたら俺らもやられるかもしれん、此処は一先ず合流した方が」

 

「こちらアウフマン了解した。合流地点へと今から向かう。そちらもすぐに……ん、なんだこいつは。生身で一体どうしようって……嘘だろ!?正気かこいつ!!!」

 

 驚愕に満ちた声が包んだかと思うと隊長に続き同僚のシグナルもまたそれっきりプツリと途絶える。

 こうなると状況を悟らざるを得なくなる、今回投入された自分を含めて三機の機甲兵の内、2機は既にやられたのだと。

 

「なんなんだよ……一体何が起こっているんだ」

 

 得体の知れぬ不安と焦燥感が残されたグレムの身を包みだす。

 そうして震えながらも警戒態勢へと移って居ると、一人の男が現れた。

 双剣を携えた、灰色の髪の男の姿。

 その男の憤怒に満ちた灼眼に見据えられた瞬間、グレムの本能が悲鳴を挙げだす。

 逃げろ逃げろ逃げろニゲロニゲロニゲローーーーニゲロと。

 これは(・・・)人の身で敵う相手ではないと。魂が全霊を挙げて警告を発する。

 

「私は帝国正規軍特務少佐リィン・オズボーンである。

 そこのドラッケンのパイロットへと警告する。降伏せよ。

 貴官に自らの蛮行を恥じるだけの理性と良心が残っているというのならば、ただちに降伏して住民の救助へと当たれ。

 さすれば、その命を助けてやろう」

 

(こいつが、あの……)

 

 灰色の悪魔。その名を聞いた瞬間にグレムの心に戦慄が走る。

 そして同時にその異名に納得する、目の前の人物から迸る鬼気迫るオーラ、それはまさしく悪魔のようだと。

 本能が叫ぶ今すぐ悪魔の見せた慈悲に縋れと。それ以外に生き残る道はないと。

 だが、そこでグレムの心に欲望がちらつく。

 これはチャンス(・・・・・・・)なのではないかと。

 今、目の前の人物は生身だ。それに対して自分はドラッケンに乗っている。

 聞いたところによれば、灰色の悪魔はヴァリマールなる機甲兵に乗るらしいが、その姿は見当たらない。

 つまり、こちらは機甲兵であり敵は生身という圧倒的に有利な状況なのだ。

 

 そして灰色の悪魔の首を挙げた者には莫大な恩賞が用意されている。

 もしも自分が此処で灰色の悪魔を討ち取れば出世を約束されたも同然なのだ。

 そうだ、臆病風にふかされるな。ピンチなのは生身で機甲兵の前に姿を現しているのは相手なのだ。

 

「答えは……こうだ!」

 

 約束されたバラ色の未来、それを思い描きグレムは剣を振り下ろした。

 それは罪悪感から逃れるある種の逃避だったのかもしれない、この正しき英雄の言葉に従って降伏するという事はすなわち自分のやった事と否応無しに向き合わねばならぬ事だったのだから。

 だが、そんな彼の弱さからの逃避を英雄は許さない。慈悲は示した。されど、目の前の兵士はそれを振り払った。で、あるのならばもはや慈悲は不要。与えるべきは報いである。

 

「は……?」

 

 そうしてグレムが見たのはミンチとなった英雄の姿……などではなかった。

 自分の操縦するドラッケンの腕、それが叩き落とされていたのだ。

 忘我に陥っていられたのは一瞬、目の前の敵の双剣に凄まじい高熱の炎が集束され、それがこちらに向けられているのを理解してグレムの心を恐怖が満たす。

 

「た、助け……」

 

「一足先に地獄に行くが良い。俺もまたいずれそこへ行く」

 

 告げようとした命乞いは最後まで口にする事は出来ずに。

 閃光がドラッケンのコックピットを貫き、グレム・ゴドウィンのその短き生に終わりを齎した。

 

 戦いは終わった。

 投入された三機の機甲兵はリィンの手によって粉砕されて、《北の猟兵》もまた《血染めのシャーリィ》等という怪物を相手にしたくはない等と言わんばかりに、あっさりと撤退した。

 されど、敵を倒したからと行って失われたものが返ってくるわけではない。今回の一件でケルディックは焼け野原となり、人命もまた失われた。リィンの愛するエレボニアの民の命が失われたのだ。

 

 その事実を前にリィン・オズボーンは手から血が滲み出る程に強く握りしめる。

 まさか領主自らが自分の所有する領地を焼く等というのは予想出来なかった等というのは言い訳にしかならない、現在ケルディックの地は正規軍の勢力下にあったのだから。この地と民を護る義務が自分たちには存在したのだ。

 疲労と限界点を超えた異能の使用が反動となってその身へと押し寄せるが、それをも上回る憤怒がリィンの意識を覚醒させ続ける。自分はまだまだ甘く弱い。故にもっと強くならなければならない、そしてこの内戦を終わらせねばならないと。

 

 そんな己が上官の後ろ姿は三人は眺めていた。

 浮かべる瞳の色に違いはあれど、その目は一様にこう言っていた。

 「どうしてそこまで……」と。

 ただ一人シャーリィ・オルランドだけがどこまでも高みへと至らんとする英雄の姿を恍惚とした様子で見つめていたのであった……

 

 




ちなみにリンザー准尉の場合だと俺は悪くない俺は悪くないと言い訳しながらやるまでは同じでしたが
オズボーン君と対峙した時点で本能の雄叫びに従って降伏していました。
そのへんの生存センサーがグレム君との決定的な違いでした。


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人の感情、戦士の理、英雄の覚悟

ちなみに初期プロットだとケルディック焼き討ちのところで
幼き日のトラウマが想起されて憎悪により鬼の力が暴走
クレアさんが身を呈して止めると書かれていました。

なお


 ーーーケルディックが領邦軍によって焼き討ちされた。

 西部戦線に於ける貴族連合の大勝によって、内戦終結が再び遠のいてしまい、今後の方針をカレイジャスにて練っていた紅き翼の一行にそんな信じ難い、ユーシス・アルバレアにとっては信じたくない、報告が齎された。

 リーダーであるオリビエはすぐさまケルディックへと急行し、艦内に居るスタッフに向けて救助及び支援活動の準備を整えるように通達した。

 

 そうして到着した彼らが見たものといえば……

 

「これは……」

 

「……酷い」

 

 無残。そう評す以外にない光景が広がっていた。

 隆盛を誇った大市は破壊し尽くされていた。

 かつて訪れた時に見せていた活気は人々から消え失せ、焼け落ちた自らの家屋を前に鎮痛を通り越して呆然自失と言える面持ちを浮かべていた。

 それを見つめるユーシスの顔色もまた蒼白と言っていい有様になっていく。

 

 家と財産を焼かれても、命があるのだから大丈夫だ等と言えるのは余程楽観的な人物や自分自身の能力への自負を抱く者位だろう。家と財産を焼かれるという事は即ち生活の基盤を喪失するという事なのだ。

 そこから立ち直り、また元通りの生活が出来るようになるには多くの時間を費やす事になるし、それこそそのまま露頭に迷う者とて出てくるだろう。

 ましてや今回の一件を行ったのが領主であるアルバレア公によるものである事を考えれば、本来こういった事態に際して行われる復興支援も絶望的と言っていい。

 

 それでもまだ、タフな者はこう言うだろう。「また頑張ろう」と。「生きてさえいればいくらだってやり直す事が出来る」と。だが、どれだけ楽観的で精神的に強い者であっても、命を落として(・・・・・・)しまえばどうしようもない。

 やり直す事ができるのは生きていてこそなのだから。

 

 

「母さん……起きてよ。ねぇ、起きてよ」

 

 怪我人が収容されている教会の一室でまだ幼い少年は必死に母親と思しき女性の遺体(・・)へと縋っていた。

 周囲にはその少年の父親と思しき男性と見知った後ろ姿の青い髪をした女性、そしてどこかで見た覚えのあるような白髪の青年が立っている。

 

「良い子になるからさ……俺、もう母さんの事困らせるような事は絶対にしないよ!

 母さんに言われなくてもちゃんと早起きするし、料理や洗濯や掃除だってちゃんと手伝う!

 だからさ、何時までも寝たフリなんかしてないで起きてよ……」

 

 少年自身が気がついているのだろう、自分の行いが現実逃避に過ぎない事を。

 もう母は二度と目を覚まさないという事を。少年の言葉は次第に嗚咽混じりになっていく。

 そしてひとしきり泣いた後少年は、背後に居た白髪の青年を睨みつけ食って掛かる。

 

「どうして……どうしてもっと早く来てくれなかったんだよ!

 アンタ、すごく強かったじゃないか!あの機械人形だってあっさりと壊しちゃう位!

 無敵の英雄なんだろう?皇女様を救った凄い騎士様なんだろう?だったら、なんで……なんで俺の母さんは護ってくれなかったんだよ!」

 

 現実逃避の後の八つ当たり、客観的にその少年の行動を評すならばそんな身も蓋もない表現となるのだろう。

 だが、目の前で母を失った少年が哀しみの余りに起こした癇癪に対して、辛辣な対応など心ある大人であれば(・・・・・・)出来ようはずもない。

 それが証拠に静謐にその白い髪をした青年は、少年の癇癪を受け止めていた。

 

「その言葉は理不尽です」

 

 なればこそ、子どもの癇癪に対して反応してしまうのは大人ではなく同じ子ども(・・・・・)であった。

 どこかムッとした様子で銀色の髪をした少女が少年を睨みつけながら続ける。

 

「オズボーン少佐は最善を尽くされました。

 西部戦線での蒼の騎士との激闘の後で本来であれば、今すぐにも休息を必要としていたにも関わらず犠牲を最小限に抑えるべく、単身かつ生身で満足に休息を取らぬままに機甲兵3機を撃破するという大戦果を挙げました。

 そしてその後も少しでも多くの方を助けるために不休で働き続けました。称賛こそされ、責められる所以等ありません]

 

 なぜ、自分はこんなにも必死になって少佐を擁護しているのだろう。

 淀み無く言葉を紡ぎながらもアルティナ・オライオンはふとそんな疑問が過る。

 別に言わせておけば良いはずだ。感情をコントロールする事のできる理想的な存在等そうはいない。

 とかく人間というのは感情的な生き物で、特に身近な存在の生死が関わると冷静さを失う。そう教えられていたのだから。

 言わせるだけ言わせておけば良いのだ、相手は特にそういった感情のコントロールが苦手な子ども(・・・)なのだから。

 そう、自分の理性は告げている。なのに奇妙な事に自分の口が止まらない。

 

「貴方が責めるべきは今回の蛮行を行ったクロイツェン領邦軍、そして彼らに指示を下したアルバレア公爵でしょう。

 もう一度だけいいます、リィン・オズボーン少佐は最善を、いえ限界を超えて尽力なされました。貴方の少佐への言葉は全て理不尽な八つ当たりです」

 

 部下として上官を擁護した極めて論理的な発言、と本人は信じているが傍から見れば両者の髪の色も相まって兄をかばう妹のような態度でアルティナが告げる。

 

「だね。「どうして護ってくれなかったんだ?」って何それ。

 逆に聞きたいんだけど、そんなに大切な人だったらどうして自分で護ろうとしなかったの?

 まだ自分は小さい子どもだから?リィンのように強くないから仕方がない?

 断言してあげる、そんな風に言い訳している内は貴方はずっとそのままだよ。大人になろうが、永遠にね」

 

 追撃をかけるように告げたその言葉は叱咤というには余りに嘲笑する色が濃すぎるものであった。

 幼い頃から戦場で生まれ育ったシャーリィ・オルランドにとってみれば生殺与奪の権を他人に委ね、護ってくれる事を期待するなど許されざる弱さであり悪徳に他ならないからだ。

 

「双方そこまでだ。

 民が弱い事は断じて罪ではない。

 そんな民を護るためにこそ我ら軍人は存在するのだから。

 最善を尽くす事など当然の事に過ぎない。

 その上で私はこの地を、この少年の母を護る事が出来なかった。

 それが事実だ。責められて当然だろう」

 

 静かに、だが有無を言わせぬ圧力を以て両名へとリィンは釘を刺す。

 

「……申し訳ございませんでした」

 

 どこかシュンとした様子でアルティナが

 

「うーん、あんまり甘やかしすぎると逆にその子のためにならないと私は思うんだけど……はいはい、ごめんなさーい言い過ぎましたー」

 

 投げやりな様子でシャーリィがそれぞれ謝罪の言葉を口にする。

 そうしてリィンは膝をつき、すっかり黙り込んでしまった少年と目線を合わせしっかりと見据える。

 

「君の名前は?」

 

「ア、アルク……」

 

 その瞳を前にしてその少年はたじろいだ後にどうにかやっとの思いで己が名を紡ぐ。

 

「すまないアルク、私は間に合わなかった。祖国と民を護る使命を宿した軍人でありながら、その責を果たす事が出来ず、君の母君を死なせてしまった。本当にすまない」

 

 真摯に詫びるその姿を前にアルクは急に恥ずかしい思いに襲われる。

 本当は彼自身わかっていたからだ、目の前の人に告げた自分の言葉が八つ当たりに過ぎないという事を。

 だけど、そんな八つ当たりに対しても、真摯に謝罪して来るその姿に改めて自分が子どもでしか無いと突きつけられたからだ。

 

「そして誓おう。この犠牲は決して無駄にはしない。アルバレア公にその罪を必ず償わせてみせると」

 

 内面に凝縮されたマグマの如き憤怒を抱えながらリィン・オズボーンは少年に対して宣誓する。決して無駄にせず、この涙を明日の光へと変えてみせると。

 そうして立ち上がり、その場を立ち去る。

 告げるべきことは告げたと。

 自分が背負わねばならぬものも確認出来たと。

 ならば、何時までも立ち止まる事は出来ない、犠牲を無駄にしないためにも自分は進まねばならぬのだとどこまでも雄々しく。

 

 そんな遠ざかっていく雄々しき背中をその場に居合わせた者達はまるで自分が御伽噺の端役といて紛れ込んでしまったような心地で見送るのであった……

 

 

・・・

 

「その……申し訳ございませんでした、少佐」

 

 恐る恐ると言った様子でアルティナは改めて先程の発言を詫びる。

 

「誰しも、家族を失った後は動揺するものだ。まして年端もいかない子どもであるのならば尚更のこと。

 貴官の発言はそういう点で、帝国軍人として民間人に対する配慮に欠ける発言だったと言わざるをえんな。以後、気をつけるように」

 

「はい……」

 

 その返答を聞きアルティナはションボリとした様子を見せた後、改めて不可解な思いを抱く。

 自分はなぜ、わざわざあのような事を言ってしまったのかと。

 救助対象が時として理不尽な文句を言ってくる事など決して珍しい事ではないという事は事前に学習していたし、そういった経験も何も今回が初めてというわけでもない。

 なのになぜ今回だけああも自分はムキになって反発したのだろうか。

 考えれば考える程に自分の行動は余りに不可解だった。

 

「と、此処までが貴官の上官としての発言、帝国軍特務少佐としての発言だ。

 これ以後は私人としての言葉、ただのリィンとしての発言になる。そのつもりで聞くように」

 

「?はい」

 

「私とて人間だからな、護るべき民にああいう事を言われると流石に多少なりとも堪えるものがある。

 故に貴官がああして擁護してくれた事は正直嬉しく思ったよ。

 上官としては叱責せざるを得んが、私人としては有難がった。

 ありがとな、アルティナ」

 

 瞬間、アルティナは自身の頭を優しく撫でられる感覚を覚える。

 傍らを見るとそこには優しげに微笑を浮かべる己が上官の姿があった。

 奇妙な心地をアルティナは覚える。それは今まで味わったことのない不思議な感覚だった。

 だが、決して不快ではなくむしろ春の陽だまりのような温かで心地良いものであった。

 

「あー良いな良いなー。リィン!私は?」

 

 しかし、そんな感覚はあっさりと無粋な乱入者によって中断させられる。

 まるで飼い主に自分以外が撫でられるのを見て嫉妬する猫のようにシャーリィ・オルランドがすり寄って来たからだ。

 

「そうだな、改めて理解したよ。やはり貴様は俺とは決して相容れぬとな。

 何故ならば、貴様は弱さが罪(・・・・)だと思っているからだ」

 

「?そうだけど。それのどこがおかしいの(・・・・・・・・・・・)

 前々から疑問だったよ、どうしてリィンはそんな必死に雑魚(・・)を守ろうとしているのかって」

 

 一転して張り詰めた様子で告げるリィンの言葉にシャーリィはキョトンとした様子で返答する。

 その様子は心底何故目の前の愛しい人がそんな事を言っているのかわからぬといった様子だ。

 そしてそんな様子にリィンは舌打ちする。やはり、目の前の存在は人の皮を被った竜なのだと。

 

「ま、良いけどね。どうしてそうするかはわからないけど、要はそれがリィンの趣味(・・)って事でしょ。

 イイ女は恋人の趣味に理解を示すものだって言うからね!いちいちその趣味に口出しするなんて事を私はしないよ!」

 

 その言葉の内容と様子は紛れもない、背伸びをしている恋する少女そのものだ。

 だからこそ、より一層性質が悪いと言うべきだろう。

 言葉自体は通じるが故に、言葉を交わすほどにこの少女との間に横たわる溝の深さを実感せずにはいられなくなるからだ。

 そしていざ刃を交わす段階になれば、シャーリィ・オルランドはどれだけ言葉を交わした相手だろうと一切容赦しない。彼女にとっては命がけの殺し合いこそが最上級の愛情表現であるが故に。

 

「趣味ではない。俺の存在理由だ」

 

 そしてそんな少女の皮を被った魔竜を相手にしても英雄は揺らがない。

 どれほど見目麗しかろうと、コレは決してわかり合える事の出来ぬ猛獣なのだと心する。

 あくまで今は、一時的に共闘関係が成立しているだけで何れは自分が討たねばならぬ存在なのだと。

 そしてそのときがくれば英雄は一切の刃こぼれを起こす事無く斬り捨てるだろう。外見が如何に見目麗しかろうと関係ない、祖国と民に仇なすものは誰であろうと容赦しない。

 それが彼の存在理由(・・・・)であるがゆえに。

 

 人形だった少女が徐々に人へと近づく傍ら、英雄と魔竜、二体の化物は立ち止まる事無く進み続けていた……

 

 




黒兎ちゃんの英雄に向ける感情は部下としての上官に対する尊敬や忠誠であったり
妹の兄に向ける感情であったり、娘の父親に向ける感情であったりといろいろなものがごちゃまぜになっているイメージ


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冷徹なる一手

「ある人間を自分の思い通りにしようとするには、相手をある状況に追い込み、行動の自由を奪い、選択肢を少なくすればよい」

とある作品の謀略家のセリフですが自分はこのセリフがかなり印象に残っています。
原作での鉄血パパがリィンにやっていたのはこれでしたね。

短いですが、区切りが良かったんで投稿させて貰います。


 

 アルバレア公によるケルディック焼き討ちは暴挙であり、蛮行であり愚挙であった。

 それは道義的な側面は無論の事、実利の面でもである。そもそもケルディックはクロイツェン州を代表する一大交易都市だ。それを焼き払う等というのは、金の卵を産む鶏を生意気だからという理由で絞め殺すようなものと言える。加えて、この一件で民心は大きく貴族連合から離れて、正規軍側へと傾いた。その事から考えても、まさしく肥大化した大貴族の自尊心が為した愚劣極まりない暴挙であった……と同時代そして後世に於いて非難の的となるのだが、当然命じた当人にしてみれば愚行だとわかっていながらやるはずもない。彼には彼なりの考えというものがあったのだ。

 

 アルバレア公とて四大名門の当主として他の四大名門、そしてかの鉄血宰相と凌ぎを削ってきた男。人格の論評はこの際置いておくにしても、能力的に見れば全くの無能というわけではない。貴族に従うという当然の義務を怠った平民共、無論これは公爵の主観に基づいた表現である、に対する怒りが強硬な方向へ思考を導いたにしても、ただカッとなってやったという事はない。あくまで彼なりの計算というものがそこには存在したのだ。

 

 まず第一に東部方面に存在する正規軍は総勢5個師団にも及ぶ大軍だ。ハルテンベルク伯を筆頭とした双龍橋以東の貴族の多くが寝返るか、もしくは友好的中立に転じたにしても、これだけの大軍を養うには当然膨大な糧食を必要とする。そしてケルディックはクロイツェン州でも屈指の交易都市であり、双龍橋を確保した後の東部方面軍はかなりの量の糧食を此処からの購入によって賄ってきた。これを焼き払われた事で、正規軍は補給に於いて不安を抱える事となった。もちろん今すぐに窮乏を来すと言ったレベルではないが、それにしても長期戦は難しくなったと言わざるを得ない。ーーー平民の味方を自称している彼らの場合、ケルディックの民が急場を凌ぐためにむしろ自軍が抱えている糧食などを提供しなければならないから尚更である。 無論、端からヴァンダイクらには長期戦に持ち込む気などサラサラなかったが、それでもその気になれば長期戦に持ち込んでも構わないというのと、長期戦になれば確実に敗北する事となると言った状況では交渉の際の姿勢も大きく変わってくる。

 

 第二に正規軍側の支配地となった都市を焼くことで、「平民の味方」を自称しておきながらむざむざと焼かれる事を許した正規軍側の頼りなさを露呈させると同時に平民共を威圧する事で、むざむざと正規軍に従っているけしからぬ賤民共、当然これもアルバレア公の主観に基づく表現である、の離反を誘発する事が出来るとアルバレア公は信じたのだ。

 今回平民どもが正規軍に協力する等という恩知らず(・・・・)な行為が出来たのは、偏に自分に対する畏怖が足りていなかったから。つまり、自分はこれまで余りに寛大に振る舞いすぎたのだ。だからこそ平民共はつけ上がり、あっさりと新たな飼い主へと尻尾を振った。

 故にこそ、必要なのは鞭。誰が支配者であるかという事と貴族に逆らった平民がどうなるかという一罰百戎こそが肝要だと考えたのだ。

 

 そんな彼なりの計算に基づいた暴挙を止める者は彼の周囲には存在しなかった。

 なぜかと言えばアルバレア家に於いて平民に対しても寛容でなおかつ実力のある者の大半が既にルーファス・アルバレアによって彼の側近として引き抜かれていたからだ。

 故にこそ、公爵の周囲に存在する者は必然的に彼と考えが近しい太鼓持ちばかりとなる。

 基より実の息子のユーシスに対する冷淡な仕打ちからわかるように、ヘルムート・アルバレアは全くの無能というわけではないがさりとて決して臣下の忠誠心を刺激するような魅力を有する者ではないし、忠言に対して真摯に傾ける耳を持っているとも言い辛い。

 公爵が幼少の頃より仕えていた家令のアルノー・ジルベルトが謹慎を命じられると、もはや彼の決定に異を唱えられる者等残ってはないなかったのだ。

 

 そんなヘルムートの暴走をルーファス・アルバレアは冷ややかに笑った。これであの人は終わりだと、そう確信を抱いて。焚きつけるような自分の言葉にあっさりと乗って自身の逮捕状へとまんまとサインをした伯父(・・)の事を心から嘲弄して。

 既にアルバレア公爵家の持つ上澄み(・・・)はほとんど自分のものとなっている。後は今回の一件でその実に名が伴う。アルバレア公爵家という自分を縛っていた枷は消え去り、民衆の心は一気に貴族から離れるだろう。自分と自分の真の父(・・・)の狙い通りに。

 

(さて、それでは仕上げと行こうか)

 

 そうしてルーファスは如何にも父の蛮行に静かに怒っている良心的な貴族という仮面を被り、厳かな表情を作って紅き翼へと通信を入れる。

 「今回の一件は父の独断であり、貴族連合は一切関与しない。故に好きにすれば良い(・・・・・・・・)」と。

 そして義兄として親愛なる義弟へと告げる「アルバレアの者としての気骨を見せてみるが良い」と。

 これだけ告げれば十分だ。義弟の性格というものをルーファス・アルバレアは知り尽くしている。

 間違いなく中立という立場を捨てて、正規軍と協力関係を築き父の逮捕へと動くだろう。

 そうなれば、当主であるヘルムートが排除された事でルーファスは完全にアルバレア家の実権をその手に収める事が出来るというわけだ。

 ヘルムートの自尊心だけは立派なあの性格上、息子である自分に唆された等という恥の上塗りとなるような事を言う可能性は極めて低いし、仮に言ったとしても問題はない。何せ自分は貴族として、領主としての一般論と捉えられるような内容しか発言していない。

 「まさか(・・・)あのような蛮行に父が及ぶとは夢にも思わなかった。息子として、アルバレアを継ぐものとして慚愧の念に耐えない」と言えばそれでおしまいだ。

 慈悲深い次期当主として積み上げた自分の実績と振る舞いは、そのような些細な疑念を打ち消すのには十分過ぎるほどのものなのだから。

 

 そして曲になりも現当主であるヘルムートが拘束される事で均衡状態へと陥ったこの内戦のパワーバランスは再び正規軍側へと傾く。

 そうなれば、内戦終結を目指す紅き翼ならば、オリヴァルト皇子ならばこう考えるだろう「こと此処に至っては正規軍側と協力するのが内戦を終わらせる最善の道だ」と。

 そしてアルバレア公爵の逮捕のために既に一度は協力し合った関係となれば、その意見は正規軍と紅い翼双方に抵抗無く受け入れられるはずだ。

 そうして紅い翼という機動力に灰の騎神という武力が加われば、カレル離宮にて囚われの皇帝陛下を救出する事が可能となる。

 敵には《かかし男》がついている、彼ならばその値千金の情報を探り当てる位の事をやってのけるだろう。

 後は主演たる《灰色の騎士》が仲間と共に悪の貴族カイエン公とその手先である邪悪な魔女と蒼の騎士を打倒して、囚われの皇太子を救出する。

 まさしく文句のつけようのない大団円であり、英雄譚であろう。

 これこそが現状の盤面から導き出せる最善(・・)であると脚本家たるルーファスは信じている。

 

(さあ、劇の筋は粗方定まった。後は主演たる君が見事演じきってくれる事を期待させてもらおう、我が親愛なる義弟よ)

 

 君が真にあの方の後継ならば見事やってのけてくれるはずだと翡翠の城将は灰色の騎士に大いなる期待をかけるのであった……

 




ルーファス「憧れは理解からもっとも遠い感情だよ」

自分の中のルーファス兄さんのイメージはこんな感じでえげつない事を涼しい顔してサラッとやる人です。
ユーシスにはミリアムに癒やされながら強く生きて欲しいものです。


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再会

「オレはオレの夢を裏切らない。それだけだ」


 双龍橋の司令室、長距離導力通信用のモニターとシステムがあるそこでアルノールの兄妹は久方振りの再会を遂げていた。互いの無事を祝い合う言葉もそこそこに、やがて会話は本題へと移りだす。すなわち、ケルディック焼き討ちを行ったヘルムート・アルバレアの逮捕、そのための共同戦線の誘いである。

 

「それではお兄様……紅き翼はアルバレア公逮捕のために我々との共同戦線を望む、という事でよろしいのですね」

 

 久方振りの兄との再会、それに喜んでいたアルフィン皇女だったがすぐさま皇女としての顔へと移る。

 そんな妹の成長した様子にオリビエは喜びと一抹の寂しさを覚えながら、自身も兄としてではなくこの国の皇子として言葉を発する。

 

「ああ、今回のアルバレア公の蛮行は我々としても見過ごす事は出来ない。民あっての貴族である事、それを忘れた者に領主足る資格はない。そうだね、ユーシス君」

 

 今一度覚悟を問いかける意味を込めてオリビエは今回の件で一番厳しい立場に置かれている人物へと問いかける。

 ログナー候説得のためにログナー候の息女たるアンゼリカが大きな役割を果たしたのと同様に、今回の作戦に当たってユーシスの果たす役割は大きい。

 次男とはいえ歴としたアルバレアの人間たる彼が居ることで、ヘルムートを排した後の混乱を最小限に抑える事が出来るのだ。

 無論の事、これはユーシスにとっては酷な事となる。あくまで身体を張った説得に赴いたアンゼリカとは違い、彼の場合は如何に関係性が冷え切っていたとはいえ、実の父を自らの手で蹴落とす事になるのだから。

 

 問いを向けられたユーシスの中に様々な想いが去来する。

 「余り気を落とすなユーシス、何時か父上も必ずやお前の事を認めてくれるはずだ」と父に冷淡な態度を取られて落ち込む自分に優しい兄はそう慰めてくれた。

 それを支えにユーシスは必死に努力してきた。馬術、剣術、貴族の作法、そして学問ありとあらゆる分野で尊敬する兄のようになれるように、アルバレアの人間に相応しく有ろうと。

 ーーーそうすれば、いずれ父も自分を見てくれると信じて。自分の息子だと認めてくれるのだとそう願っていた。

 

 だが

 

「はい、今の父……いえ、アルバレア公の行いはもはやアルバレアの名を自ら貶めているも同然。

 私はアルバレアの人間として自らの血に流れる責務を果たします」

 

 ユーシスの脳裏に過るのは悲嘆にくれたケルディックの民達の姿。

 目を背けてはならないあの光景から。あれこそが自分の父が作り上げた光景なのだ。

 かつて自分は貴族とは何か?という問いかけに「誇り」とそう答えた。

 ならば、その言葉を嘘にしてはならない。

 あるいは父のあの蛮行も父なりの貴族としての「誇り」に基づく行いなのかもしれない。

 だが、自分はあんなものを断じて誇りだ等とは思えない、いや思いたくない。

 当主という地位の持つ重み、それをまだ背負っていない子どもの戯言なのかも知れない。

 だが、それでも自分の信ずる貴族の誇りとは断じてあのようなものではないのだ。

 父の、ヘルムート・アルバレアの貴族の誇りがあの行いを招いたというのならば、自分はそれを否定しよう。

 誰のものでもない、ユーシス・アルバレアが抱く誇りに基づいて。

 

 瞳と言葉の中に宿った確かなユーシスの覚悟、それを受けてオリビエもまた腹をくくる。

 これが今までとは異なる一線を超える行為だと承知の上で。

 

「というわけだ。どうかなアルフィン。アルバレア公爵家の人間たるユーシス君がやるならば、少なくとも君達が公爵を直接拘束するよりは反発も少なく済むのと思うのだが」

 

「……どう思いますか、知事閣下、元帥閣下」

 

 兄からの呼びかけ、それに今すぐにでも許諾の意を伝えたい衝動を必死に押さえ込みながらアルフィンは武と文、双方に於ける最大の腹心二人へと問いかける。

 

「軍を預かる身として述べさせてもらえば、此処でバリアハートを抑える事に成功すれば帝都攻略に注力する事が出来ます。加えて紅き翼の機動力は非常に魅力的です。こちらとしても願ってもない提案です。私の方と致しましては特に反対する理由はございません」

 

「同じく帝国政府臨時代表として意見を言わせてもらえれば、あのような蛮行を止める事が出来ずに、更にその後もその首謀者を捨て置いたとなれば我らは民からの信頼を失いかねません。されとて我々がバリアハートを制圧した場合、周辺の貴族からの反発は必至です。そういう意味ではオリヴァルト殿下とユーシス殿の提案は正直断る理由を探す方が難しい位です。お受けした方がよろしいかと」

 

あえて、両名も実利の観点から見た場合の話のみをする。

アルバレア公の行いに憤りを覚えているのはこの場に居る者にとって皆同じ、故にこそ今更道義的な観点からの事を言う必要はないと考えての事だ。

 両名の言葉を受けて、アルフィンは改めてこの内戦前には浮かべる事のなかった上に立つものとしての風格を宿した凛々しい表情を浮かべて、言葉を紡ぐ。

 

「アルフィン・ライゼ・アルノールは我が兄オリヴァルト・ライゼ・アルノール共々アルバレア公爵家次男足るユーシス卿の行動を支持致します」

 

「感謝いたします。皇女殿下」

 

 モニター越しだが、ユーシスはその場にて跪く。

 皇族二人の支持、これを得られた事によってユーシス・アルバレアは父ヘルムートを蹴落とす行為が私欲に基づくものではない事を証明する事が出来る。

 オリヴァルト皇子は母が庶出故、一部以外の貴族から軽んじられていたが、アルフィン皇女も加わったとなれば貴族、そして領邦軍の将兵達への説得の材料としては十分だ。

 その威光を前にただちにひれ伏す等という事は不可能にしても、ヘルムートの拘束にさえ成功すれば内心は不満を抱えながらもとりあえずはユーシスに従わざるを得なくなる。

 何せ皇族の威光に対抗するには皇族を引っ張り出すしか無いが、残り二名の皇族であるユーゲント皇帝とセドリック皇太子の身柄を抑えている貴族連合の総参謀が直々に、ことアルバレア公爵の逮捕に関しては貴族連合は一切関与しないとの旨を通達したのだから。

 

「ヴァンダイク元帥。皇女として命じます、ユーシス卿を支援し、ケルディック焼き討ちの罪によりアルバレア公を拘束しなさい」

 

「イエス、ユア・ハイネス!」

 

 大義名分の確保は出来た。故に後は実際にどう行動するかという実務の話となってくる。

 そうして協議の結果、次のような作戦案が承認された。

 

 まず第一段階としてオーラフ率いる第四機甲師団がバリアハート方面の防衛線を突破すべく攻勢に出る。

 ケルディックとは異なり、バリアハートはクロイツェン州の州都。此処を落とされるような事になればアルバレア公は公爵にとって肝心要たるクロイツェン州の貴族からの支持を失う。故にこれを阻止すべく援軍を送らざるを得なくなる。

 そこでさらに第二段階として回り込んだクレア率いる鉄道憲兵隊が南よりバリアハートを少数精鋭にて奇襲する。これによって正規軍は完全にバリアハートを落としにかかっているとアルバレア公に誤認させ、手薄となったオーロックス砦ならば、かつて双龍橋を攻略したときのようにリィン・オズボーンならば十二分に片付けられる。

 そうして機甲部隊をリィンが引きつけている間にユーシス率いる紅き翼の精鋭部隊は要塞を攻略して、アルバレア公を拘束。アルバレア家当主代行としてクロイツェン領邦軍にただちに停戦の命令を出す。

 

 無論、これらはあくまで概要であり、詳細を煮詰めるにあたってプロの参謀達による緻密な分析が行われた事、実務の段階で指揮官の腕が問われる事は言うまでもない。

 かくして此処にリィン・オズボーンは紅き翼の面々と二ヶ月振りの再会を果たす事となったのであった……

 

 

・・・

 

「お久しぶりです、オリヴァルト殿下」

 

 再会したその青年はかつての年相応の素朴な面影などなく、どこまでも優美にオリビエへと微笑みかけた。

 そこにはかつては感じなかった確かな気品が存在した。そうまるでどこかの王侯貴族のような、人の上に立つ事を生まれ持って定められた人物のような気品が。

 

 

「帝国軍特務少佐リィン・オズボーン、ヴァンダイク元帥閣下、そしてアルフィン皇女殿下の命に従いこれよりアルバレア公逮捕のために、部下であるアルティナ・オライオン曹長及び猟兵シャーリィ・オルランド共々殿下の指揮下へと入らせていただきます。何なりとご命令ください」

 

 跪きながら捧げられるのは絶対の忠誠。

 如何なる敵(・・・・・)も討滅してみせようという鋼鉄の意志。

 それはさながら極限にまで研ぎ澄まされた名刀の如き輝き。

 芸術品の如き優美なる美しさと武骨なまでに磨かれた鋼鉄の輝き、ともすると矛盾しかねないそれらが今の目の前の青年には宿っていた。

 

「ああ、名高き灰色の騎士がその力を貸してくれるというのなら百人力というものだ。よろしく頼むよ」

 

「御意。我が全霊を以て殿下へと勝利を捧げましょう」

 

「はは、そう固くならずとも自然体で居てくれれば良いさ。

 公の場でならともかくそうでない場で余り皇子としての権威だのを持ち出すような気は私にはないからね。

 何よりも、君にとってはアレ以来離れ離れになっていた友人達との久方振りの再会なんだからね」

 

「ーーーリィン君っ!」

 

 瞬間、扉を開く音と共にリィンの心の奥底に眠る優しい記憶を揺さぶる声が聞こえてきた。

 視線をやればそこには、懐かしい顔がいくつも並んでいて、そして自分にとって大切な愛しい少女の姿がそこにはあってーーー

 

「ーーーっ!」

 

 堪えきれぬとばかりに感極まった様子でトワはリィンへと抱きつく。

 そして瞳に涙を湛えながらリィンを見つめて言葉を紡ぎ出す。

 

「良かった……リィン君が無事で!

 帝都があんな事になっちゃって……一ヶ月もの間行方不明で……ようやく見つかったと思ったらリィン君が居るって聞いた西部の方はあんな風になっちゃって……ずっと、ずっと心配していたんだよ!?」

 

 その滅多にない剣幕にリィンは困ったように苦笑して

 

「すまないトワ。随分と心配をかけたみたいで、自分の不甲斐なさがいやになるよ。

 だが、俺は死なないさ。別れるときに約束しただろう?君とこの国は俺が護ると」

 

 微笑を浮かべながら告げるその愛しい少年の姿にトワは安堵する。

 何故ならば、そこに居たのはかつてと同じ自分の大好きな優しい少年の姿だったから。

 憎悪に囚われて、復讐に取り憑かれた悪鬼等では断じて無かったから。

 

「うん……うん!そうだよね、リィン君が約束を破るはずがないもんね!」

 

「ああ、当然だろう?オレはマテウス師範に助けられてこの命を拾った。

 ならば、途中で斃れることなど許されるはずもない。師に代わり、この内戦を終わらせること。

 そして、この国に繁栄を齎す事が俺の使命なのだから」

 

「リィン君……?」

 

 微笑を湛えたままに告げられたその言葉にトワはかすかな違和感を抱く。

 変わっていない……そのはずだ。今も優しい笑みを浮かべている少年は、自分が誰よりも好きな人だ。

 言っている内容だって別におかしな事ではない、この少年がどれだけ祖国を愛し、軍人としての使命感と誇りに燃えているのかトワはいやという程に知っている。

 だからそう、内戦を終わらせる事を目指しているのは別段驚く事でも何でも無い。そのはずだ。

 だというのに、何なのだろうか目の前の少年から伝わる覇気と迫力は。

 告げる言葉、それ自体はかつてと変わらなくてもそこに込められた熱量がまるで桁違いのようで。

 そして、そんな感覚をかつて自分はある人物と会った時に一度だけ覚えた事があってーーーー

 

「どうかしたかな?」

 

 その微笑はかつての素朴な年相応の少年と言った感じではない。

 まるでどこかの貴人のような優美さを宿したものだ。

 それがまたトワの中の戸惑いを加速する。

 愛しい少年の中にまるで、別人が宿ったようなどこかちぐはぐさを覚えてトワの様子はどこか落ち着かないものとなる。

 恋人の念願の再会だというのに、どこか二人の間に微妙な空気が漂い出すが……

 

「わーーー本当にリィンだ!久しぶりーーー!!!」

 

 そんな空気を知らずか、あるいは察知したがゆえにか、リィンの義妹たるミリアムはまさに無邪気そのものと言った様子で義兄へと飛びつく。

 そしてリィンもまたじゃれついてきた義妹をしっかりと抱きしめて、血の繋がらぬ兄妹は微笑み合う。

 

「えへへ、久しぶりだねリィン!クロウにやられたって聞いたときは大丈夫かなって思ったけど無事だったみたいでよかったよ!」

 

「ああ、危ういところだったが師に命を救われてな。こうしておめおめと生き恥を晒したというわけだ」

 

「リィンの師匠っていうと確かラウラのお父さんと肩を並べている化物みたいに強い人だったよね?そっか噂には聞いていたけど本当にやられちゃったんだ」

 

「ああ、無様にも憎しみに囚われて剣を鈍らせた不甲斐ない弟子を救うためにな」

 

 かつての自分の無様さを思い、自然リィンは強く拳を握りしめる。

 二度と、決して二度とあのような無様は晒さないとそう誓って。

 

「うーん、まあリィンが落ち込んでも別にそのおじさんが生き返るわけじゃないんだし、反省するのは良いけどあんまり気にしたってしょうがないよ。もうどうにもならない事なんだしさ。大事なのはこれからでしょ」

 

 ミリアムの語る言葉は正論だろう。

 だが、それ故に聞いている者はどこか戸惑いを覚えるだろう。

 人の死について語っているというのに余りにも前向きすぎるが故に。

 

「ああ、お前の言うとおりだなミリアム。

 大事なのはこれからだ。我が師マテウス、そして我が父ギリアスの死を無駄にしないためにも俺は進み続けなければならない」

 

 そしてそれに応じる英雄の言葉もまたどこまでもひたすらに未来を見据えた言葉だ。

 決してこの死を無駄にはしないとその死を背負い、自分は進むのだという宣誓。

 常人ならば、その重さを前に逡巡したり、立ち止まるのが自然なところを一切の躊躇なく覚悟と意志を以て英雄を進み続ける。

 

「うんうん、そうだよ!何時も明るく前向きに!いやーでも安心したよ。

 リィンが前向きでさ。てっきりおじさんの件でクロウの事を「絶対許さない」だとか「あいつは俺が殺す」みたいな感じになっているんじゃないかって皆心配していたからさ。えへへ、杞憂って奴だったんだね!」

 

 あっけらかんとした様子で告げるその義妹の言葉にリィンは苦笑する。

 未熟だった頃の自分を思い出して、気恥ずかしさを覚えた。

 

「それはまた、随分と心配をかけたな。だが、それについては安心しろ。

 憎悪によって刃を曇らせればどうなるか、それを俺はいやという程に思い知った。

 故にもう同じ過ちは決して繰り返さんさ、そんな事をすればそれこそ我が師に顔向けが出来んからな」

 

 微笑を湛えたままに穏やかな口調でリィンは告げる。そして、そのまま告げる。

 

「故に俺がアイツを殺す(・・・・・・・・)のは仇を討つためじゃない。

 あくまで俺は祖国と皇帝陛下に剣を捧げた帝国軍人として、帝国に仇なす大罪人を討ち果たそう」

 

「ーーーーーーえ」

 

 穏やかな口調のまま告げられたその言葉にその場に居合わせた者たちは絶句する。

 ただ三人だけ、ミリアム・オライオンにシャーリィ・オルランド、そしてアルティナ・オライオンの三名だけはまるで動揺の色を見せていなかった。

 だが、当然ながら彼女たちの反応はその場において圧倒的少数派に位置するものである。

 

 

「リィン君……殺すって……一体誰を?」

 

 その場の多数を代表するように、トワ・ハーシェルは蒼白な顔で震えながら言葉を紡ぐ。聞き間違いであって欲しいそんな縋るような瞳で見つめながら。

 

「無論、貴族連合の蒼の騎士にして帝国宰相暗殺の大罪人、この内戦を引き起こした張本人クロウ・アームブラストをだ」

 

 そしてそんな問いに対してリィンは一切揺らがずに答える。そこに気まずさ等は欠片もない。

 あるのはどこまでも揺るがぬ鋼鉄の決意である。

 

「どうして……だって、だってリィン君は憎悪で刃を振るうような事はしないって……!」

 

「ああ、その通りさ。俺がアイツを討つのは憎いからじゃない。

 アイツがこの内戦の首謀者たるカイエン公に与し、この内戦を招く引き金を引いた張本人だからだ」

 

 故に私人としてではなく軍人としてそれが必要(・・)だからこそ、俺はそれを担うのだと。

 

「だ、だけどそれは……きっとカイエン公に唆されたからで……」

 

「ああ、俺もそう言ったよ。カイエン公と手を切り、こちらに付けとね。

 そうすればカイエン公に唆されたという事で減刑してもらう確約も皇女殿下や知事閣下から取り付けていた。

 ーーーだが、アイツは拒絶した。ならばもう、敵として討つ以外の選択肢等ない」

 

 こちらは手を差し伸べた。だが振り払ったのは相手の方だとリィンは告げる。

 そこには自己弁護をしようという色などない、ただ淡々と事実だけを述べるが如き態度であった。

 

「でも……でも……クロウ君はリィン君の一番の親友だったじゃない!本当に……本当に仲が良くて!なのに……なのにどうしてそんな……!」

 

 ぐちゃぐちゃとなった心の赴くままにトワは叫ぶ。

 理屈の上では(・・・・・・)リィンが正しいのだとわかっていながらも。

 それでも、それでも理屈じゃ割り切れない思いがあるのだと示すかのように。

 

 そんな少女の様子にリィンは一瞬、ほんの一瞬だけあらゆる感情を飲み干すように目を閉じる。

 脳裏に過るのは黄金色に輝く思い出。親友、そうクロウ・アームブラストは確かに自分にとって一番の親友だった。

 楽しかった本当に、共に過ごす時間が。5人で過ごした日々が。

 だからこそ(・・・・・)自分こそが(・・・・・)あいつを殺さなければならないのだ。

 

「この内戦、オレは既に多くの人間は殺めた」

 

 罪を告解する罪人のようにリィン・オズボーンは静かに言葉を紡ぎ出した。

 その瞳の中にあるのは先程あった鋼鉄の戦意ではない、どこまでも静謐に澄んだ空のような色だ。

 未来永劫自分はこの罪を背負い続けねばならないのだと、そう覚悟した。

 

「彼らにも彼らの家族が居ただろう。恋人も、友人も。

 彼らの多くは決して“悪”等ではなかった。そんな人達をオレはこの手で殺した。ただ仰ぐ旗が違うという理由でな。

 ーーー後悔はしない、殺しておきながらそんな事をするなどそれこそ笑止だろう。俺は俺自身の譲れぬ理想のために彼らを殺した。そしてこれからも殺し続けるだろう」

 

 何故ならば、それこそが軍人という職業の、“必要悪”を担うという行為の本質なのだから。

 

「だからこそ、他ならぬオレがアイツを殺さなければならない。 

 何故ならばオレの行うのはすなわちそういう事なのだから。

 誰かの友を、家族を、恋人をこの手で奪い続けるのだとこの身に刻みつけるためにも。

 親友だからという理由で、その剣を鈍らせてはならないんだ」

 

「ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」

 

 叩きつけられるどこまでも英雄として正しく(・・・・・・・・)、それ故に人としておかしい(・・・・・・・・)鋼鉄の覚悟。

 それを前にしてトワは目の前の愛する人に初めての感情を抱く。それは、“畏怖”と呼ばれる感情だ。

 目の前の少年は自分が愛した少年、そのはずだ。なのに今の自分は目の前の少年がどうしようもなく恐ろしい。

 親友だからこそ自分が殺さなければならないと言えてしまう事が、国のために大切な人を斬り捨てる事のできるその覚悟が。何よりも。

 

「君のその想いは正しい」

 

 そんな愛しい少女から向けられた感情に少年は微笑む。寂しげに。覚悟していた事だとそう自分に言い聞かせるように。

 もはや自分に戻るべき陽だまりはないのだとそう戒めるように。

 自分が進むのはどこまでも血塗られた修羅の道なのだと、そう刻みつけるように。

 

「ああ、きっとオレはおかしいのだろう。

 だが、止まらない。止まるわけには行かない。

 オレは進み続ける。そして祖国と民に繁栄を齎してみせる」

 

 告げるべき事は告げたと言わんばかりに、その場にへたりこんだ恋人へと駆け寄る事もなく、リィンはオリビエへと向き合う

 

「それでは殿下。小官らはヴァリマールの下で待機して居ます故、出撃になりましたらお声がけ頂ければと思います」

 

 そうしてリィンは背を向け歩き始める。もはや道は別たれたのだとその場に居合わせた者たちに突きつけるかのように。

 ただ二人だけ、この方に付いていく事こそが自分の使命なのだと言わんばかりにアルティナ・オライオンが。

 この背中を追い続ける事こそが自分の夢なのだと言わんばかりにシャーリィ・オルランドが。

 ただ、その二人だけがその背中を追うように歩き始めるのであった……




「言ったはずだオレはこの国に繁栄をもたらすと。何も変わりはしない」


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世界の違い

立場の違いというのは重いのです。
何故ならば立場というのは文字通りその人物の依って立つところでもあるからです。
立場を超えた友人がいるのならば、同じ立場のところには基本的に違う立場の友人に倍する数の友人がいるわけです。


 重苦しい沈黙がその場を包み込む。

 伝えたい言葉や思いがたくさんあった、もしも憎悪に囚われていると言うのならば必死に説得しようと思っていた。

 復讐や敵討ちが下らないだ等と言うつもりはなかった。法治国家に於いては決して推奨する事が出来ぬ行為ではあるが、過去への禊としてそれらの儀式を必要とする場合とてあるだろう。だけどそれでも過去に囚われてしまい、今と未来を疎かにしてはいけないのだ。故人への思いの余り、今を生きている人々を蔑ろにするというのならば、やはりそれは間違っているのだと。そう思い、止めるための手立てを彼女たちは必死に考えていた。

 

 だが、憎しみを超克してあくまで“軍人”として国の敵を討つのだと宣誓した彼を一体どう止めろというのか。クロウ・アームブラストが大罪を犯したことは事実なのだから。そしてその上で、一度は手を差し伸べたが向こうがそれを振り払ったのだと告げた英雄に。

 何故ならばリィンの語る言葉は「軍人」としてはどこまでも正しいのだから。正しい、そう正しいが故に恐ろしい。まるで”英雄”という人の形をとった現象へと彼が成り果てて行っているようで。もはやあの質朴な笑みを浮かべる事は無く、憎悪さえも飲み干し、過去を振り返ることなく未来へ進むための燃料と変えてどこまでも突き進んでいくのだと突きつけられた故に。

 

 その場に居合わせた者はただ一人を除いて、余りの衝撃に言葉を発する事が出来ずに居た。

 

「いや~やっぱり親子って似るもんなんだね。今のリィンってばおじさんとそっくりだよ」

 

 場違いなまでに明るい声が響く。

 リィン・オズボーンの変貌を前に一番ショックを受けたのがトワ・ハーシェルだというのならば、特に意に介していないのは間違いなく彼の義妹たるミリアム・オライオンに他ならなかった。

 元々彼女はどこか一般的な感性とずれているところがある、それは一見すると年相応の無邪気さ故の爛漫さに思えるが、彼女のそれはあまりにも度を越しているのだ。

 何せ彼女は哀しさで涙を流した事がないのだから。情がないわけでは決してない、好意を抱いて積極的になつく人物もいれば、余り近づきたくないと思う存在も居る。交流のあった人物が死ぬような事があれば残念に思いもする。

 だが彼女はそれを何時までも引きずらない。「残念だったね。でも僕が嘆いていてもあの人が生き返るわけじゃないし切り替えて行かないと」と言って、あっさりと切り替える事が出来るのだ。

 どれほど幼くとも、そうは見えなくても彼女は歴とした情報局の人間であり、"白兔”の異名を持つ“鉄血の子どもたち”の一員。その根底にはシビアでドライな情報局員としての死生観が息づいているのだ。

 

 故に彼女は己が義兄の変貌も発言も気に病んだりなどはしない。

 ともすれば冷酷と思われかねない態度だが、本人の容姿とそして何よりも天真爛漫という生きた見本のような愛嬌がそういう印象を与えないのだ。この信頼に足る誠実さとある種の冷徹さ、相反するようなこの二つの要素こそが情報局の人間には求められるのだ。

 そしてミリアム・オライオンはどこまでも自然体でそれをこなしてみせるのだった。

 

「オズボーン宰相閣下か……確かに先ほどのリィン君はまさしく彼の後継と称する他ない風格だった」

 

 深刻な表情を作りオリビエは考え込む。

 思い出すのはかつて、宣戦布告を叩きつけてまずは敵を知らねばならないとばかりに恩師であるヴァンダイク元帥に、ギリアス・オズボーンとはいったい如何なる人物かと問いかけた時の師の回答だ。

 「かつての彼はあのように強引な人物ではありませんでした。能力、人格いずれも非の打ちどころがなく多くの部下や同僚から慕われていました。それでいて才幹を鼻にかけたような事もなく、人格は誠実そのもの。いずれ私の跡を継いでくれる事を当時の私は疑っておりませんでした。しかし、ある不幸によって妻を失ってからというもの人が変わってしまいました。行方をくらませたかと思えば、次に会った時には他者からの反発等まるで意に介さないように強引な手段を取るようになっておりました。今の彼が何を考えているのかは私にもわかりません。彼を教え導いた上官としては不甲斐ない限りですが」

 そんな風に師は懐かしむように、そして悔しさを滲ませながら答えてくれた。

 

 ギリアス・オズボーンが変貌を遂げる前、彼は愛する妻を失い、数週間もの間行方知らずとなっていた。

 そして彼の息子もまた目の前で父を失い、一ヶ月もの間行方知らずとなっていたかと思えば別人の如く変貌を遂げていた。オリビエは基本的に楽観的なロマンチストで一般的に言えばおめでたい男になるのだろうが、それでも断じて現実の見えぬ男ではない。鉄血宰相ギリアス・オズボーンは斃れたが、彼の遺志はその息子に引き継がれたとそういう事なのだろう。

 世間一般的に言えば、美談であり実際多くの帝国人は彼に快哉を浴びせるだろう。しかし、オリビエにはどうにもそれを手放しに賞賛する気にはなれない。皇子としては叱責されるべき甘さなのかもしれないが、それでも大切な思い出を、そして自分自身さえも燃料へと変えてひた走るその姿に拭いがたい不安を覚えたのだ。

 

 

「ええ、正直末恐ろしい。いえ、既に十分に恐ろしいと言った方が正確な表現となるでしょうか。

 3ヶ月前に会った際にあの年で既に皆伝に至っていた事に驚かされたものですが、今回はそれ以上の衝撃です。

 彼は今や、”理”に到達するまで後一歩の境地まで来ている」

 

 帝国最強の一角に数えられる”光の剣匠”ヴィクター・S・アルゼイドもまたリィン・オズボーンに戦慄していた。

 彼が戦慄したのはその強さではない、単純な強さで言えば騎神を抜きにすればまだ自分の方が上だ。

 ヴィクターが戦慄したのはその成長速度だ。急激にリィン・オズボーンは力をつけている。

 半年前の彼であれば、自分とは勝負にならなかっただろう。---皆伝にさえ至っていない未熟者と光の剣匠とでは勝負にならない。行われるのは稽古である。

 3か月前の彼であれば、自分の勝利は疑いようがなかっただろう。---皆伝に至った状態ならば、最低限勝負にはなるだろうが、それでもヴィクターとの間には厳然たる実力差がある。

 そして今の彼が相手であっても、ヴィクターは依然有利だ。されどその刃は十二分にヴィクターへと届き得る領域へと到達しつつある。

 半年、たかだか半年だ。これではもはや成長ではなく進化だ。皆伝にしても理にしても本来そんなにも短期間に至れるものではないのだ。

 彼よりも10以上も年上でそれこそ物心ついた時から剣を振るっていたミュラー・ヴァンダールでさえも皆伝に到達したのはつい5年前、今の彼よりも5年余分に経験を積んでようやくだ。

 10も年齢が離れた兄弟子と今や彼の実力は並び、そして追い越そうとしている。もはやこれでは成長ではなく、”進化”。別種の生物へとなろうとしているかのような変貌具合だ。

 

「……ある意味ではヴァンダールの理想像と言えるのだろうな。

 アイツの述べた事は「軍人」として考えればどこまでも正しい。

 正直に言おう、その変貌具合には確かに面を喰らった。だが同時に俺はアイツの在り方にどこか羨望を覚えた。

 何故ならば、主君と国のための一振りの剣と化すこと、それこそがヴァンダールであるが故に」

 

 私人としては弟弟子のその変貌に驚いた。しかし軍人としてみればその在り方には敬意を抱かざるを得ないとどこか複雑そうな様子でミュラーは告げる。

 

「ミュラー、それは……」

 

「わかっているさ。お前がそういう在り方を俺には求めていない事位な。

 主君によって求める剣の形状が異なる以上、俺はお前という主君に合った剣となろう。

 そして、それはアイツの在り方とはまた違った形状だという事も重々承知しているとも」

 

 英雄を間近で見たことで衝撃は受けた、しかしその程度で揺らぐ程ミュラー・ヴァンダールの積み重ねてきたものは軽いものではないのだ。

 

「君って奴は……それはつまり僕色にどうとでも染まるという愛の告白と受け取って良いんだね親友!?」

 

「お前という奴は……どうしていつもいつもここぞという時にそうやってふざける!ここのところようやくその立場に相応しい落ち着きを見せるようになったと思っていたというのに……!」

 

「いや~ほら、空気が重いからさ。これはおちゃめなジョークで場の空気をなんとかして和ませようと……おっと誤解しないでくれよ親友!決して僕の君への思いが冗談だというわけではないんだ。なんならその証拠を今この場で見せても……」

 

「黙れ」

 

「すいません、調子に乗りました」

 

 主従の繰り広げた漫才によって、重苦しかった空気はどこか弛緩していく。

 鉄血の親子が存在するだけでその鋼鉄の意志によって場の空気を引き締めるのならば、オリビエは持ち前の人徳でどこまでも場の空気を和やかにする。どこまでも対照的な在り方であった。

 

「とにもかくにも、ミリアム君が意味じくも言った通り、我々が何時までも暗くなっていても仕方がない。

 リィン君のイメージチェンジにすっかり気を取られてしまったが、今我々が優先すべき事はヘルムート殿を拘束してユーシス君をアルバレア公爵家の当主代行へと押し上げる事だ。ひとまず気持ちを皆切り替えて欲しい」

 

「「「イエス、ユア・ハイネス!」」」

 

 リーダーであるオリビエより告げられた言葉に一同は再起動を果たす。その眼には確かなオリビエに対する敬意が宿っており、彼が親しまれてはいても軽んじられてはいないことを示していた。

 

「あ、それじゃあ僕はリィンに付いて行ったアルティナって子に会いに行こうと!何だか苗字的に僕の妹みたいだし、いっちょ姉の威厳って奴を教えてあげないとね~~~」

 

「……私もリィンさんに確認したい事があります。行きましょうセリーヌ」

 

「はいはい、ついて行ってあげるわよ。どうにもアンタひとりでアイツと会ったらアイツの覇気に呑みこまれちゃって何も言えなくなりそうだし」

 

「……私も懐かしい顔を見かけたし一応挨拶してくるかな。別に仲良しだったわけでもないんだけど、ま、礼儀として」

 

 そんな言葉を告げてミリアムとフィー、そしてエマはリィンのいる格納庫へと進み始める。

 そして去り際にミリアムはどうにか立ち上がり、ふらふらとした様子で仕事に没頭して哀しみを誤魔化そうとしているトワに向けて

 

「会長、どれだけ泣いてもリィンはもう止まらない(・・・・・)し、ましてや自分から戻ってなんて来ないよ。

 なぜなら今のリィンはおじさんと同じだから。きっとどこまでも進んで行っちゃう。たとえ会長が泣いていても、それさえも燃料にしちゃってね。

 会長の涙をぬぐうためだけに進む速度を落としたり、ましてや来た道を戻って来るなんて事はしない。だって今のリィンの眼にはもっと多くの人たちが映っちゃっているから」

 

 淡々とした口調で告げられたその言葉にトワはビクリと肩を震わせ、唇を慄かせる。

 なぜそんな追い打ちをかけるような事を告げるのかと困惑と怒りの混じった視線がミリアムへと集中するが、彼女はそれらを意に介さずに続ける。

 

「だからさ、もうリィンの事なんて忘れちゃいなよ。そんな風に会長を泣かせて、見も知らない誰かなんかを優先するような唐変木よりもはるかにいい男を会長ならきっと掴まえられるよ。そうした方がきっと会長は幸せになれるよ」

 

 まるで義兄の心情を代弁するかのように慈愛さえ感じるような優しさに満ちた口調でミリアムは告げる。

 最初から住む世界が違ったのだと、そう告げるように。自分たちはただ一時的にそちらの世界にお邪魔していただけに過ぎないのだとでも告げるように、どこか寂寥感を覚えさせるような言葉と共に。

 

「真面目な話はこれでお~しまい。さーてそれじゃあ、妹にきっちり厳しい上下関係ってものを叩きこんでやるぞ~~~」

 

 それだけ告げるとミリアムの背中もまた遠ざかっていく。

 それはミリアムもまた鉄血の子どもである事を選ぶのだと突きつけるかのような、別れを告げているかのような光景であった……

 

 




ミリアムはⅡで鉄血パッパが現れた時迷う素振りは見せましたが結局鉄血パッパの方に行きましたよね。
だからこの時の彼女はまだ鉄血の子どもとしての立場が最上位にあったのだと思います。
その考えが変わったのはやはり、卒業するタイミングで初めて泣いたあそこでしょう。
あそこで離ればなれになる事を突きつけられて、ミリアムは自分にとってⅦ組の皆の存在が知らない間に自分の中でとても大きな者になっていたことに気づいたのだと思います。


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鋼鉄の覚悟、獅子の魂

鉄血は所詮妻を護る事もできなかった敗北者じゃけぇ……


「……と言うわけでトワの方には僕から良く言っておいたよ」

 

 訪れた格納庫にてミリアム・オライオンは先程の出来事を義兄であるリィンへと事のあらましを報告していた。

 

「そうか。わざわざ済まないなミリアム、本来であれば俺の方から言うべきところだっただろうに。憎まれ役を押し付けてしまったようで」

 

 義妹のそんな気遣いにリィンは心よりの礼を言う。

 これから自分が歩むことになるのは修羅の道。多くの人間から憎悪を買う事になる。

 そんな自分に恋人というウィークポイントが存在すれば、自分を恨む者達は当然それを狙うだろう。

 クレイグ家の姉弟もそういう意味では危険だが、この二人に関して言えば元々父親であるオーラフが正規軍で中将を務める高官だ。故にある程度はそういった事も織り込み済みの立場と言っていい。

 だが、彼女はトワ・ハーシェルは違う。彼女は優秀だが実家も帝都で雑貨屋を営む極々標準的な平民の一家で、そういった権力闘争とは無縁の一家だ。

 

 それに対して自分は鉄血宰相の遺児であり、灰の騎神の起動者である。

 客観的及び純然たる事実として自分の能力水準は同世代の中では抜きん出ているという自負があるし、この内戦で自分は鉄血宰相の後継なのだと名乗って納得が得られるだけの功績を打ち立てている。

 そして自分はその程度で満足するつもりはない、亡き父に代わり、この国に永久の繁栄を齎す事こそが自分の果たすべき使命である以上、どこまでも高みを目指す。理想を果たすためには、権力という力がどうしても必要な以上、そこにもはや躊躇いはない。

 そしてそうなってくれば当然、綺麗事だけでは済まぬ事が出てくるだろう。理想に共感する同志を得られれば最上だろう、だが世の中はそんな清廉な人物ばかりではない。

 欲に塗れて打算に基づき自分へと接触してくる人物も出てくるだろう、そして自分はそれらも呑み干し、御して行く必要がある。

 「水清ければ魚住まず」という言葉が意味する通りに、清濁併せ呑む器を持たなければならないのだ。

 

 そうなってくればただの平民出身の恋人という最大の弱点を自分を快く思わない敵が狙わないはずがない。

 かつて父が母を守り切れなかったあの悲劇が、あるいはマキアスの義姉に降り掛かったような不幸があの優しい少女とその家族へと襲う事となるだろう。

 そして自分はその時傍に居て必ず護ってみせるとそう宣言する事はもはや出来ない。

 何故ならば、自分は彼女の幸福を第一に、最上位に置く事がもはや出来ないから。仮に彼女が人質に取られるような事になっても、自分はただのリィン・オズボーンとしての情ではなく、軍人としての理を優先させるだろう。いや、優先させなければならないのだ。

 

 だからこそトワ・ハーシェルはもう自分のようなロクデナシのことなど忘れるべきなのだ。

 修羅が近寄ってしまえば、優しい陽だまりは血まみれの戦場へと変わってしまうのだから。

 故にこそリィンはミリアムがトワへと告げた内容にして真実感謝していた。自分が告げるべきだった事を告げてくれたのだと。 

 

「良いって良いって。なんと言っても僕はお姉ちゃん(・・・・・)だからね!その辺の気遣いだって出来るのさ!!」

 

 えっへんとでも言わんばかりにミリアムは一向に育つことのない胸を誇らしげに張りながら、()の方へと視線をやる。

 

「と言うわけでアーちゃん、今後僕の事を呼ぶ時は妹としてそれ相応の敬意を払うように!!」

 

「……すみません、そのアーちゃんというのは?」

 

「え、アルティナだからアーちゃん?えへへへ、今まで兄妹の中だといっつも僕が末っ子扱いだったからさぁ。ずっと妹か弟がほしかったんだよねぇ。というわけで仲良くしようねアーちゃん。困った事があればお姉ちゃんが何時でも相談に乗ってあげるから!」

 

 満面の笑みを浮かべるミリアムとは対照的にアルティナは怪訝な表情を浮かべる。

 

「……そうですか、では早速相談したい事があります」

 

「よーしどんと来い!このミリアムお姉ちゃんが妹の悩みはババッと解決して進ぜよう!」

 

「初対面の他人にいきなり「アーちゃん」等と馴れ馴れしく呼ばれた上に、姉面をされているんですが率直に言って迷惑なので直ちに辞めて頂きたいのですが」

 

「なにーーー僕のアーちゃんに対してそんな事をしている奴が居るのかーーー!よーし直ちにそいつを僕が成敗してやるぞーーーそいつはなんて名前なんだいアーちゃん!?」

 

「……ミリアム・オライオンという名前の方になります」

 

「僕の名前を騙りまでしているなんて……もう許さないぞ!」

 

 わかっていてわざとやっているのか、それとも本当に気づいていないのか自身の当てこすりにも一切動じないミリアムに対してアルティナは観念したように深い溜め息をついて

 

「……貴方です、ミリアム曹長。私を今困らせている張本人は」

 

「ええ、またまた冗談を。僕がアーちゃんとやった事とと言えば、こうして麗しい姉妹の交流を図っている事位じゃん」

 

「ですからその貴方の言う姉妹の交流というものが私からすると……少佐からも彼女になんとか言って頂けないでしょうか?」

 

 困った彼女はたまらずこの場に於いて彼女が最も頼りにしている上位者へと助けを求める事とした。

 所謂姉妹喧嘩に於ける必殺技。「お兄ちゃんを呼ぶ」である。

 

「そうだな、では一言言わせてもらうとしよう。アルティナ、ミリアムと仲良くするように」

 

 しかしそんな妹の助けに義兄も定番の言葉を告げる。「仲良くしなさい」である。

 援護射撃どころか予想だにしていなかった背後からの攻撃にアルティナは愕然とした表情を浮かべ、ミリアムは喜色に満ちた笑みを浮かべる。

 

「……何故でしょうか?」

 

「理由ならいくつかあるぞ。なにせお前たちは階級も同じ曹長で同じ情報局の人間だ。

 今後様々な任務で轡を並べる事もあるだろう、それに当たって交流を深めておく事は任務遂行に際して極めて重要だと判断したためだ」

 

 告げられた合理的な回答にアルティナは納得する。

 なるほど、今後の任務を見据えての発言だったのかと。

 

「と言うのはまあ建前で、少々俺の方でミリアムの面倒を見る余裕が無いからな。

 アルティナにお目付け役をやってもらえれば俺としても色々と助かるというのが本音なのさ」

 

 苦笑しながら告げられた思わぬ答えにアルティナは目を丸くし、ミリアムが不満げに口をすぼめる。

 

「えーなんだよそれー僕の方がアーちゃんよりもお姉ちゃんなのに、アーちゃんの方が僕の面倒を見るって。逆でしょ逆!」

 

「お前のほうが姉かもしれんが、しっかりしているのは妹の方だからな。

 年長者としては安心できるのはアルティナの方というわけだ。

 というわけだ、その自由奔放な姉のお目付け役を引き受けてくれるかな?」

 

 抗議を続けるミリアムを軽くいなしてリィンはしっかり者の妹の方へと優しく微笑みながら告げる。

 

「……仕方がありませんね」

 

 苦笑……だったのだろうか。わずかばかりに口を釣り上げてどこか得意気な様子でアルティナは上官よりの命令ではなく、要望を聞き届ける。

 

「むぅ……なんだよそれ。僕の方がお姉ちゃんだって言うのに!ふん、良いもんね。此処から姉の威厳ってものをばっちりと教えてやるから!

 というわけで、ついてきてアーちゃん。僕がバッチリ艦内を案内してあげるからさ!」

 

「手を引っ張っていただかなくとも一人で歩けます」

 

「まあまあ遠慮しない遠慮しない。妹は姉の言う事に素直に従うべきだって」

 

 そうして去っていった二人をリィンは優しげな笑みで見送る、これで良いと。

 ああして自分以外の同年代の人間、単なる上官と部下と言った関係だけではくくれない対等な存在と接する事が

彼女の成長には必要なのだという確信を抱いて。

 

 

「……安心しました。そういう優しい微笑みを浮かべる事もちゃんと出来るんですね」

 

「私が力に取り憑かれて居ないかと心配したかな?だとしたらそれは無用な心配というものだよ。

 大帝陛下より受け継いだ力の重み、忘れる事など有り得ないさ」

 

 続いて現れた人物を前にリィンの表情は義兄として義妹達に向けるものから、再び常と同じ“英雄”としての、獅子心皇帝より力を受け継いだ起動者としてのものへと戻る。

 その所作は気品に満ち溢れており、かつてのリィンとはまるで別人のようだ。それこそどこぞの貴族の貴公子やあるいはそれこそ皇族を名乗っても、違和感のない高貴さがそこにはある。

 そう、まるで別人(・・)のようなのだ。そこに騎神の持つ機能を知っているエマにとっては気にせずにはいられない理由が存在する。

 

「リィンさん……単刀直入に聞きます。貴方は一体過去の起動者の持つ記憶、それをどれだけ引き継いだのですか?」

 

 別人の如く変貌したその姿にエマ・ミルスティンの中で真っ先に浮かんだ懸念はそれであった。

 騎神の持つ能力の一つ、過去の起動者の記憶の引き継ぎ、目の前の人物がそれをかなり無茶な速度でやったのはほとんど確定と言っていい。

 でなければいくらリィン・オズボーンが俗に“天才”と称されるような才に満ち溢れて、努力を惜しまない勤勉な人物であったとしてもこの短期間に第二形態の習得まで行くとは有り得ない。

 かなりの無茶をしている事は容易に想像がつく。

 

総て(・・)だよ」

 

「………は?」

 

「だから、総て(・・)だと言ったんだ。

 先代の起動者である大帝陛下を筆頭に歴代の起動者の記憶総てを俺は余す事無く吸収した。

 よく言うだろう、賢者は歴史から学び愚者は経験から学ぶとな。

 そんな愚者でも学ぶ事が出来る貴重な経験を選り好みして一部だけしか引き継がない等勿体無いだろう」

 

 平然とした様子でとんでもない事を告げるリィンにエマとセリーヌはしばし忘我へと陥る。

 しかし、告げた内容を理解した事でみるみるうちにその表情が愕然としたものへと移り変わり……

 

「総てって……リィンさん、貴方は自分のした事の意味がわかっているんですか!?

 他者の記憶を引き継ぐというのは便利なパワーアップのアイテムなんかじゃ断じてないんですよ!

 記憶というのはその人をその人たらしめるものです!騎神の操縦のための部分を引き継ぐのだって、本来であれば半年程度の時間をかけてゆっくりとするものなのに……!」

 

「だが、そうしなければアイツ(・・・)に勝つことは出来ない。

 後発の者が先人へと追いつくには無茶や無理の一つ二つしなければならないだろう。

 己の身を可愛がっているような男がどうして勝利を得られるというのか」

 

 揺らがない。血相を変えた様子のエマの言葉にもリィンは揺らぐ事はない。

 勝利のためにはそれが最善だった、だからやった。と平然と言い放つ。

 どれだけ危険な事だったのか百も承知の上で。

 

「……だとしてもアンタのやった事は無理無茶無謀を超えて自殺行為よ。

 アンタ、わかっているの?まるごと他者の記憶を引き継ぐなんてそんな事をすれば……」

 

「自我が崩壊して、自分が誰かもわからない状態に陥っていたかも知れない、あるいは歴代の起動者の誰かに記憶を乗っ取られていたかもしれない?か。

 無論、そのリスクについても考えたとも。だが大帝陛下が先任者である以上、そのリスクは無視し得るものだと判断出来た」

 

「はぁ?どういう事よ、まさか自分には獅子心皇帝の加護があるから平気だとかトチ狂った事を言うつもりじゃないでしょうね?」

 

「まさか。重要なのはあの大帝陛下が私の先任者であったという点さ。

 知っての通り起動者は歴代の起動者の記憶を引き継ぐ事が出来る。

 だが、その上でやはり一番鮮明に残っているのは先任者の物だ。

 わかるかな、もしも私が自分が誰かを忘れて自意識を乗っ取られるような事態が起こるとすれば、それはあの獅子心皇帝(・・・・・・・)なのだよ」

 

 笑みを浮かべながらリィンは平然と告げる。まともな神経をしていれば到底言えないような事を。

 

「そら、この時点で失敗した場合の問題は消えた。

 もしも私という存在の自我が崩壊してその意識を乗っ取られるような事があったとしても、私の身体を借りて降臨されるのはあの大帝陛下なのだから。

 大帝陛下ならば必ずやこの国と民に繁栄を齎して下さる以上、どちらにせよ我が祖国にとってはメリットしか存在しない」

 

「ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」

 

 どこまでも平然とした様子で告げる目の前の英雄(かいぶつ)へと魔女の眷属とその使い魔は完全に気圧される。

 そして理解する。目の前の存在は既にかつて自分達が知っていたあの少年とはもはや別人なのだと。

 如何にリィンが強固な意志を抱いていようと、他者の記憶を総て継承する等という事をすればその人格がかつてと同じなままのはずがないのだ。

 膨大な情報の奔流は少年の中にあった細やかな取るに足らない思いを尽く吹き飛ばしたのだ。

 そうして生まれたのは、“祖国の繁栄”という少年とそしてドライケルス帝の双方に存在していた最も強固な意志、これを核として誕生したリィン・オズボーンとドライケルス・ライゼ・アルノール、そしてその他幾多の起動者の記憶と思いを抱いた“英雄”という現象だ。

 相乗的に跳ね上がった、祖国を思う気持ちはその他の思いを、私人として抱く情を飲み込む程の大きさと強さとなった。

 故にこそ、止まる事はない。何故ならばトワ・ハーシェルを始めとするリィンの家族や友人へ抱く思いをリィン・オズボーン個人のものだが、エレボニア帝国を愛する気持ちはリィンとドライケルス二人分(・・・)のものなのだから。

 

「さて、これで納得して貰えたかな?

 私は誓ってこの力に溺れてなど居ないし、私欲のためにも振るわない。

 この身は総て我が祖国のためにあるのだから」

 

 故にこそ彼はあらゆる起動者の中でも抜きん出て騎神という力を振るい、多くの人間を殺す。

 何故ならば、彼は正しいから。正しいが故に止まらないし、止められない。

 

「ありがとうエマ・ミルスティン。今の私があるのは君のおかげだ。

 君は魔女の眷属としての使命、導き手としての役割を見事に果たしてくれた。

 心より感謝しているよ」

 

 女であれば蕩けざるを得ないようなその優美な微笑みもエマにはもはや怪物のそれにしか見えず。

 理屈ではない、ただただ自分は取り返しのつかない事をしてしまったのではないかという後悔がエマ・ミルスティンの心を包み込むのであった……

 

 

 




ドライケルスとリィンの二人分の愛国心は単純な二倍には非ず!
どちらも影響し合う事でその出力が爆発的な高まりを見せるツインドライヴシステムなのだ!!!


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魔人

 

 オーロックス砦の制圧は極めて順調に推移していた。

 正規軍がバリアハートを攻略するべく動き出すとヘルムートは正規軍の狙い通りにオーロックス砦に駐屯していた戦力をバリアハートへと送り込み、手薄となった砦を紅き翼は強襲した。

 残っていた機甲兵部隊をリィンの灰の騎神が一掃すると、一行は一挙に砦を占拠するべく動き出した。

 当初の予定通りサラ・バレスタインとシャーリィ・オルランドの両名はアルバレア公爵によって雇われた“北の猟兵”を。ミュラー・ヴァンダールとヴィクター・アルゼイドが要塞の守備兵たちを相手どって居る間に、リィンとアルティナの両名を加えたⅦ組メンバーは焼き討ちの首謀者足るへルムート・アルバレアを拘束するべく動いていた。

 

「ユーシス……!」

 

 敵意に満ちた視線をアルバレア公は向ける。

 その視線には親としての我が子に対する愛情等一片も含まれていないものであった。

 武器も持たず、その佇まいは素人同然。脅威となる戦力ではないとリィンは判断する。

 

「ふふ、また会いましたね。トールズ士官学院特科クラスⅦ組……それと鉄血の子ども(アイアンブリード)が3人というわけですか」

 

 続いて応じるのは結社《身喰らう蛇》の戦闘部隊《鉄騎隊》の筆頭隊士《神速のデュバリィ》。

 どこか妙な愛嬌を有して居るがその実力は紛れもない《達人》の域にある存在。

 遅れを取る気はないが、それでも油断は禁物と言うべきだろう。

 Ⅶ組の面々が総掛かりでかかれば十分に勝機は存在すると思って良い。

 

 そして

 

「ククク、初めましてだな、リィン・オズボーン……。てめぇと会うのをそれなりに楽しみにしていたわけだが……良いな。悪くない。《光の剣匠》程じゃないにしても、中々に楽しめそうだ」

 

 その男を見た瞬間にリィンの本能が警鐘を発する。今すぐ逃げろと、そう叫ぶ。

 それは己の上位種へと巡り会った際に発する悲鳴だ。人の身で目の前の存在に勝つことなど不可能なのだと。

 ただその場に存在するだけで他者を威圧するプレッシャーがその男、結社最強の火焔魔人《劫炎》のマクバーンからは発せられていた。

 

「内戦の陰に紛れて我が祖国を蝕まんとする薄汚い蛇が。何を大上段から見下ろしている?

 楽しむだと?ふざけたことを抜かすな。貴様にくれてやるのは“死”という終わり、それ以外に有りはしない。

 貴様らが何を企んでいるかは知らないが、《リベールの異変》のように貴様らの計画とやらが我が帝国の民を蝕むというのならば、俺は全力で以てそれを阻むまでだ」

 

 しかし、そんな本能の警告をリィン・オズボーンは意志によってねじ伏せ、裂帛の闘気を敵へと叩きつける。

 誰が敵であろうと関係ない、祖国に仇なす者を尽く討ち滅ぼすことこそが自分の使命だと。

 

「随分と威勢が良いですけどそこの男の結社最強という異名は伊達でも誇張でもない事くらい、貴方ほどの実力者ならばおわかりでしょう。

 その年で大したものだとは思いますが、それでもそこの“魔人”を相手取るには桁が一つ程足りていませんわ」

 

 デュバリィの言うことは正しい。

 現状のリィン・オズボーンでは未だマクバーンには及んでいない。

 それは純然たる事実だ。

 

それがどうした(・・・・・・・)

 侮るなよ。我が身命は既に祖国へと捧げた。

 この身が例え朽ち果てようと、祖国とそこに住まう民を護る事こそが我が使命。

 この背に護るべき民の幸福と未来を背負うが故に。決して譲りはしない。

 “勝つ”のは俺だ」

 

 その上で、相手が現在の自分よりも格上だと理解した上でリィンは吠える。

 我が身惜しさに退く気など毛頭ない、それが打倒すべき敵だというのならば自分はそれを乗り越えるだけだと。

 微塵の躊躇も疑念もない、どこまでも堂々と英雄は裂帛の闘志を魔人へと叩きつける。

 

「ククク……ハハハハハハハハハハハハハーーーーーーーハーハッハハハハハハハハハハハ!!!

 良いな久しぶりだぜ、この俺を相手にそこまで吠える事の出来る奴ってのはな」

 

 叩きつけられた戦意を前にマクバーンは笑う。

 久方振りに楽しめそうな相手だと。

 

「ええい、何を笑っているか!ユーシス!貴様は自分が何をしているのかわかっているのか!!

 よりにもよって鉄血の孺子等と組んで私に逆らう等!!貴様はそれでも誇り高きアルバレア公爵家の一員か!!!」

 

 ある意味では大物とそう称すべきなのだろうか、魔人と英雄の激突を前にしてもヘルムート・アルバレアは常と変わらぬ尊大な態度を崩さない。

 

 

「父上……いえ、公爵閣下。

 何故あのような蛮行を行ったのですか!?

 アルバレア家の誇りと言うのならば、貴方のあの行いこそが積み重ねた誇りを地に落とす行為ではありませんか!?」

 

 敵意に満ちた実の父からの言葉にもユーシス・アルバレアは動じずに問いかける。

 出来る事ならば、自ら過ちを悟って投降して欲しいと叶わぬ願いを抱きながら。

 

「何かと思えば……それが貴様の造反の理由かユーシス。

 大方そこの孺子共とあの放蕩皇子に誑されたのだろうが、良いか平民等というのはそもそも我ら貴族によって生存を許されている存在に過ぎんのだ。

 奴らはすぐに怠惰へと流され、目先の利益へと飛びつく。だからこそ我ら選ばれし貴族が愚民を導かねばならぬ。だがケルディックの者共は事あるごとに減税を乞い、あまつさえクロイツェン領邦軍の撤退を喜ぶ有様だ。

 本来であれば街を焦土と化してでも、“敵”へと立ち向かうのが奴らの義務であろう!

 “義務”を果たさず“権利”ばかりを主張する愚民を放置しておけば、やがて腐りは他の領地へと広がり続けていくだろう!

 故に、私はアルバレア公爵家当主として腐り果てた者共の“処分”を断行したのだ!」

 

 傲岸不遜にヘルムートは言い切る。

 そこに後ろめたさから逃れるための自己正当化の色は見えない。

 彼はどこまでも自らの行いが“正義”なのだと信じているのだ。

 

「……なるほど、良くわかりました公爵閣下。

 そしてアルバレア家の誇りを護るために私が何をしなければならないのかも、総て。

 ーーーヘルムート・アルバレア公爵閣下。ケルディックの破壊、放火、騒乱及び領民虐待の容疑で貴方を拘束させて頂きます。

 貴方にこの地を統べる資格はもはや存在しない」

 

 実の父に剣を向ける事の躊躇い、それを沈め込みユーシスは毅然とした表情で己が父を、否己が蹴落とす事となる公爵家の現当主の姿を見つめる。

 

「ユーシス……貴様!もうよい、貴様など私の息子でも何でもないわ!お前なんぞをアルバレア家で引き取ってやったのは間違いだった。ハモンドあたりにでも押し付けて、平民の世界で一生を終えさせれば良かったのだ」

 

 語るべきはもはや語り尽くした。

 ユーシス・アルバレアとヘルムート・アルバレア、血のつながった二人の親子は結局どこまでも平行線であった。

 言葉による決着がつかなかった以上、決着をつけるには“力”に他ならない。

 

「それで、貴様らはあくまでそこのゴミ(・・)を守ろうとするつもりか。

 忠誠心を刺激するタイプだとは到底思えんが……」

 

 侮蔑しきった表情で吐き捨てるかのようにリィンは口にする。

 選民意識に凝り固まった絵に描いたような大貴族そのものの姿を見せられて逆に清々しさを覚えるという事もなく、リィン・オズボーンはただただ不快であった。

 叶う事ならば、今すぐ八つ裂きにしてやりたいところであったが、鋼鉄の理性によってそれを自制する。

 ヘルムート・アルバレアは殺してはならない。あくまで生きた状態で、実子であるユーシスが拘束しなければならない。

 それでこそ、バリアハートで抵抗を続けている領邦軍や貴族共に抵抗を断念させる事が出来る。

 下手に殺してしまえば“仇討ち”という名目を敵に与えしまう事となり、極めて厄介な事になるだろう。

 自分の私情によってそのような事態を招くわけには断じていかないのだ。

 

「そうだな正直そこのおっさんがどうなろうが俺としてはどうでも良いっちゃどうでも良いんだが……せっかく楽しめそうな相手が目の前に居るんだ。味見の一つや二つしてみたくなるのが自然ってもんだろう?」

 

 喜悦をにじませながらマクバーンはリィンを見つめる。

 アレだけの大言壮語を吐いたんだ、それなりに楽しませてくれよと。

 

「……アルティナ、そしてⅦ組の諸君。悪いがそちらを援護する余裕は無くなる。

 そちらはそちらで対処してくれ」

 

 双剣を構えて目前の敵手をリィンは見つめる。

 目の前の敵はこれまで相手をしてきた存在とは格が違うのだと、そう心する。

 睨み合う二人、互いの闘気がぶつかり合い、火花を散らす。

 

「ヴァンダール流皆伝リィン・オズボーン」

 

 リィンがその双剣を構え、白焔をその身へと纏う。

 

「《執行者》No.Ⅰ。《劫炎》のマクバーン」

 マクバーンが黒焔によって作られた火球を作り出す。

 

「「勝負!」」

 

 此処に英雄と魔人は一度目の激突を果たした。

 

「そら、行くぜ。まずは挨拶代わりだ!」

 

 先制したのはマクバーン。

 無造作に作った火球をリィンへと放つ。

 それは全力とは程遠い文字通りの小手調べ、されど人一人を殺すには余りにも十分過ぎる威力を持つ地獄の炎だ。

 嵐のように押し寄せるそれをリィンは見切りによって躱し、双剣を使い弾く。

 躱して弾いて、掻い潜りながらその距離を詰めていく。

 黒き焔はリィンの纏う白い焔を突破してその皮膚を焦がすが、問題はない。

 気合で耐えられる(・・・・・・・・)程度だ。

 皮膚は焦がすがそれだけだ。英雄の進撃を止める程の物ではない。

 

「じゃあこれならどうする」

 

 しかし、マクバーンはそこで出力と速度を上げる。

 黒き焔は呪詛のように皮膚を焦がすに留まらずその肉を焼く。

 激痛がその身を蝕むが、それでも英雄は止まらない。

 皮膚を焦がし、肉は焼く。されど骨を溶かすまでには至らない。

 ならば、問題はないと劫炎の中を突き進む。 

 生きながら肉体を焼かれる苦痛程度で何故自分が止まらなければならないのかと。

 火に対して抱く生物の本能的な恐怖、それをねじ伏せ一切速度を緩める事無く突き進む。

 

「おいおいマジかよ……イカれてやがんなてめぇ」

 

 そしてそんな様にマクバーンは笑みを零す。

 良いぞ、どうやらこいつは口だけの敵ではなさそうだと。

 

「肉が焼けようが骨があるならば動けるってわけか……なら、骨ごと溶かすまでだ」

 

 その言葉と共に右手から放たれるのは、更にこれまでを上回る焔。

 そこに宿る熱量はまるで太陽のようで、もはや根性によって痛みを堪えれば良いなどという次元ではない。

 生身で直撃を喰らえば、骨すら残らず蒸発させられる事は明白であった。

 

「さあ、どうするよ英雄!」

 

 迫りくる死を前にリィンは静かにその闘気を研ぎ澄ませてーーー

 

「鬼気解放」

 

 己の中に巣食う鬼を全力で開放した。

 その身から発する焔は先程までの比はではなく。

 迸る闘気の奔流に耐えきれずリィン自身の肉体が崩壊していくがーーー問題はない。

 その程度のリスクも呑み込まずして勝てる相手ではないのだから。

 

 そうしてリィンは全速力でその焔へと飛び込んだ。

 全身が焔に焼かれて猛烈な激痛が走るが、骨が溶けていないのならば問題はない。

 代償を省みずに鬼の力を全力で解放した事によって今のリィンの肉体と纏う闘気は飛躍的な上昇を遂げた。

 先程までは骨まで溶かされる威力だった焔も、今のリィンにとっては肉を焼く程度で留まる。

 故に速度を緩めない、リィン・オズボーンは一筋の閃光と化す。

 

 目前の敵に全力を出されてしまえば、自分の勝ち目は消える。

 故に今、この瞬間こそが最大の好機。

 敵が慢心し、この攻撃を前にすれば防いだとしてもタダではすまない(・・・・・・・・・・・・・・・)と思っているこの瞬間こそが最初で最期の好機なのだ。

 そう、この攻撃を無傷で防ぐ事はどう足掻いても不可能。

 ならばこそ、例えこの身を焼かれようとも自ら全力で炎の中に飛び込む事によって、一気に距離を詰めて全霊の一撃をそのまま叩き込む。

 それこそが最適解だ。

 

「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ」

 

 駆ける駆ける。全霊で以て駆け抜ける。

 一秒が永遠にすら思える中一切速度を緩める事無く焔の中を全霊で突っ切る。

 

 

 そして、閃光と化した英雄の一撃が無防備となった魔人の胸へと突き刺さった。

 




勝った!第二部完!


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屈辱

 “英雄”の乾坤一擲の一撃は魔人の心臓を穿ち、吹き飛ばされた魔人の肉体はそのまま壁へと叩きつけられる。

 そして英雄もまたその場へと倒れ込む。ヒューヒューと焼かれた喉を通して、必死に息を取り込もうと試みる。

 そうしていると吐き気を催し、たまらずゴボリと口より血反吐が撒かれる。

 

 紛れもない、重傷であった。

 限界を超えて解放した鬼の力は内側からその身を焼き、魔人の焔は外側からその身を焼いた。

 その肉体は炭化する一歩手前という有様で、常人であれば動けるようになるまでに数ヶ月単位の治療とリハビリを要する事は明白であった。

 

「ヒュー……ゼェ……ハァ……ハァ」

 

 しかし、徐々にだがその呼吸は回復しだす。

 人の身であれば数ヶ月単位を要するだろうが、既にこの英雄の肉体は人から外れつつある。

 常人では有りえぬ速度で受けた傷が回復していく。

 見栄えなど一番後回しにすれば良いためにその端正な顔も今は焼けただれた状態のままだが、数日もすれば問題なく元通りとなるだろう。

 立ち上がる、悲鳴を挙げるだらしのない肉体に叱咤を入れて。

 

 戦闘の続行は困難。

 されど、身体が動かぬわけではない。

 ならば、戦う心得のない男を一人拘束する程度は十分できると、叶うことならば今すぐに八つ裂きにしたい男をギロリと睨みつける。

 

「ば、化物めが……ええい、何をしておるか小娘!あっさりとやられた役立たずの分もとっとと私を護らんか!?」

 

「こ、小娘……!?」

 

 アルバレア公のその助けられる側とは思えない傲慢な態度に憤懣やるかたない様子でデュバリィはフルフルと身体を震わせる。

 

「ふん、何やら勘違いして居るようですが私達が命じられたのはこの砦の陥落を見届ける事。

 そしてその上で可能な限り、灰の起動者の実力がどの程度かを推し量る事であって、端から貴方の警護など含まれておりませんわ」

 

「な……!?」

 

「そして、それはもう十分に果たされました。であるのならば、これ以上我々(・・)がこの場に留まる道理はありません。そうですわよね?」

 

「ーーーああ、期待以上だ」

 

 瞬間死体となったはずのマクバーンが起き上がる。

 平然とした様子で、その瞳を灼眼色に染め上げて。

 

「ククク、いやはやまさかこうも見事にやられるとは思っていなかったぜ。

 大したもんだぜ、灰の孺子。いいや、リィン・オズボーン」

 

 何故だと疑念がリィンの頭を埋め尽くす。

 確かに、自分の一撃はあの男の心臓を貫いたはずなのだ。

 だというのに何故ああも平然と立っているのかと。

 

(いや、何故等と考えるのは後回しだ)

 

 重要なのは心臓を貫く程度では目の前の男は仕留めきれなかったという事のみだ。

 ならば、戦いは終わっていない。心しろ、此処からは第二ラウンドだ。

 慢心が消えた目の前の敵手を今の自分単騎で打倒するのは至難と言わざるを得ない。

 故に自分が行うべきは時間稼ぎだ、そうすればあの光の剣匠が程なく駆けつけるのだから。

 

 指一本動かすだけで激痛が走るというのに、そんな事をお構いなしにボロボロの肉体をリィンは気合いによって動かし、再び双剣を構える。

 そして両眼に不屈の戦意を滾らせる。

 気圧されてなるものかと。本能の挙げる悲鳴をねじ伏せる。

 

「おいおい……辞めてくれよ。こちとら仕事のために必死に自制しているんだぜ。

 だってのに……そんな唆る目で見られたら、俺も自分を抑えきれなくなっちまうだろうが」

 

 瞬間、迸る闘気は先程までの比に非ず。

 文字通りの遊びだったのだと否応なく理解させられる。

 

「ちょ……わかっているでしょうね!今回我々に命じられたのはあくまで灰の起動者の実力を図る事であって……」

 

「蒼の騎神との激突のために捕縛も殺害も厳禁、だろ?

 わかってるっての。だからさっきからこちとら必死に自制しているんだぜ?

 ったく、レーヴェの阿呆が逝っちまって以来久しぶりに熱くなれそうな相手に巡り会えたって言うのによ。

 これじゃあ生殺しも良いところだぜ」

 

 そこでマクバーンはボロボロだというのに決して衰える事なき戦意をその両眼に滾らせている男を見つめ、更なる飛躍を願い激励(・・)を行う

 

「というわけだ。こちとら此処でお前さんに死なれると計画が狂っちまうんでな、今回は見逃してやる(・・・・・・)

 ククク、どうやら今のお前さんの剣じゃ、この国から薄汚い蛇(オレタチ)を追い出す事は出来ないみたいだな」

 

「……!?」

 

 あからさまなその挑発の言葉にリィンは憤怒でその表情を歪める。

 見逃してやるというその言葉に反論する事が今の自分では出来ない。

 未だ自分は目前の敵へと及んでいない、それが確かな事実だ。

 この状況では、何をどういったところで負け犬の遠吠えにしかならないだろう。

 敵の慈悲によって永らえる事となる屈辱を甘受する以外にないのだ。

 

「じゃあな英雄。今回は此処までだ。次に会う時を楽しみにしているぜ。

 頼むから、オレを失望させるなよ」

 

 そうして期待をかける言葉を投げかけて、二人はその場より姿を消す。

 残されたのは自分が見捨てられた事を悟り、もはや自身を護るありとあらゆる虚飾を剥ぎ取られて、打ちひしがれたただの男だけだ。

 

「父上……いえ、ヘルムート・アルバレア公爵閣下。

 ケルディックの破壊、放火、騒乱及び領民虐待の容疑で貴方を拘束させて頂きます。

 どうか、この上は無駄な抵抗をなさらぬよう……」

 

 自身を哀れむ実の息子からのその通告に逆らうだけの気骨がヘルムートに残されているはずもなく、此処にオーロックス砦は陥落したのであった。

 

・・・

 

 ヘルムート・アルバレア公爵、ケルディック放火の容疑によって紅き翼によって逮捕される。

 その報はログナー候の中立宣言に匹敵する衝撃を以て帝国中に広まった。

 カイエン公に連合の主導権を握られていたとはいえ、アルバレア家は四大名門の中でも公爵の地位にあり、間違いなく貴族連合内でもカイエン公に次ぐ実力者。それが逮捕された事、何よりもそんな事態に際しても次期当主たる貴族連合総参謀ルーファス・アルバレアが一切動きを見せなかったのは、ヘルムートが貴族連合より切り捨てられたのだと否応なく理解させた。

 更にトドメとばかりにオリヴァルト・ライゼ・アルノール皇子とアルフィン・ライゼ・アルノール皇女が連名でヘルムートへの非難声明及びヘルムートを拘束したユーシス・アルバレアへの支持声明を発表すると、拘束されたヘルムートに代わってアルバレア家当主代行となったルーファスもまた「アレも歴としたアルバレアの男子。私の代わり程度は十分に務まるだろう」領主代行としてユーシスを指名した事で、右往左往していたクロイツェンの貴族、そして残っていた領邦軍も消極的なれどユーシスに従うのであった。

 

「すまない、叶うならばお前たちと最後まで共に居たかったが、父の誇りを否定した以上、俺は俺自身の誇りを示すべく義務を果たさねばならない」

 

 そう宣言して仲間たちの激励を背に受けながらクロイツェン州領主代行となったユーシス・アルバレアは真っ先に父によって謹慎を命じられていた家令のアルノーへと職務復帰を命じる、未だ若輩者の彼がアルバレア家をどうにか回すためにはアルバレア家に長く仕え、家の事を取り仕切ってきたこの老執事の助力は必要不可欠だったからだ。

 未だ18歳という若さにも関わらずユーシス・アルバレアの能力は卓越していたと言っていい、平民の母を持つ次男という貴族から侮りを受ける立場にも関わらず彼はその若さを考えれば十分すぎる程に役目を果たし、クロイツェン州に一先ずの秩序を回復させたのであった。

 

 リィン・オズボーンは中佐に昇進した。

 正規軍の若手の双璧と謳われ、彼より10も歳が上のミュラー・ヴァンダールとナイトハルト・アウラーでさえ未だ少佐という事を思えば極めて異例、いや異常と言える出世速度であった。

 これは単純な能力と功績を評価してというよりも政治宣伝の意味合いが極めて大きかった。

 つまり、ヘルムート・アルバレア公爵逮捕の功績によってリィン・オズボーンを昇進させる事で正規軍側はヘルムートを逮捕した一連の行為が、正規軍側と紅き翼の共闘によって為されたものだと改めて知らしめたのだ。

 平民を虐げた悪の貴族(・・・・)へ裁きを加えるべく、オリヴァルト殿下とアルフィン殿下のご兄妹は手を取り合い、そして皇女殿下の騎士たる正規軍の英雄“灰色の騎士”もまた殿下の剣として紅き翼へと協力したのだというわけである。

 

 そんな異例の出世を遂げた“英雄”であったが、当然その程度で慢心するはずもなし。

 敵に「見逃された」という屈辱はこの上ない起爆剤として元々燃え盛っていた闘志と向上心を更に燃え上がらせた。

 「上には上がいる」そんな言葉を痛感させられたが故に。英雄はさらなる高みを目指して飛翔を続ける……

 

 というわけにはいかなかった。

 ドクターストップがかかったのだ。

 マクバーンにより付けられた火傷、それはまるで呪詛の如く身体を蝕み、リィンの超人的な回復力を以てしても直ぐに完治とはいかなかったのだ。

 更にヴァンダイク元帥とレーグニッツ知事の両名も揃って「決戦に備えての静養」を命じて、クレアにレクターも口を揃えてしばしの休息を勧める始末。

 かくして不本意ながらも3日間の休息を取る事になったリィンであったが、正直に言って暇を持て余していた。

 何せゆっくり休息を取るようにと言われても、その特異体質によって普段であれば一刻、疲労困憊の時であっても三時間程度睡眠を取ればすっかり快調そのものと言った状態になるのだから。

 仕方がないので人類が暇を持て余した時の古くからの友に頼る事にした。読書である。

 幸いと言うべきか双龍橋は伯爵家当主が司令官を努めていたのもあって、かなり豊富と言って良い本が取り揃えてあった。内容は当然貴族派寄りのものだが、読書とは基より自分とは異なる他者の視点と知識を知る事で自らの知見を広めるために行うもの、これはこれでいい勉強と言うべきであった。

 

 休息を命じられては居たものの、流石に寝たきりではむしろ身体がなまってしまうから要塞内を動き回る事は別段禁じられていない。

 かくしてリィンはせっせと医務室と司令室を本を抱えながら往復するという行為に明け暮れた。

 そうして休養を言い渡されてから最終日となる3日目、この段階となるといい加減めぼしいものを読み尽くしてしまいどうしたものかと本棚へと手を突っ込み、ページを捲り戻してはといった作業を繰り返すようになって居たが、ある本の著者の名前を目にした瞬間にリィンの手が自然とその本へと吸い寄せられる。

 

 その本の題名と著者はこう記されていた。

 

『ディストピアへの道 著者ミヒャエル・ギデオン』と。

 




GさんとかいうⅢで株を上げた稀有な解放戦線幹部


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託された想い

「軍が、軍がヤバい」

ⅣのPVは色々感想があったんですが一番に浮かんだのは「あ、クレアさんは本当にブレブレすぎてある意味ブレてない平常運転だな」でした。

9/6
今後の展開を考えて終盤部分を修正しております。


ミヒャエル・ギデオン、その名前を目にした瞬間にリィンの手は自然とその本へと吸い寄せられていた。

 何故ならばその男は数ヶ月前に死亡した帝国解放戦線幹部《G》の名であったからだ。

 元々は学術院の准教授を努めていたが、激しい宰相批判を繰り広げてその過激さと事実無根の誹謗中傷を行ったが故に秩序を乱したという事でその職を失い、その事による恨みが彼を帝国解放戦線に投じさせたとそう情報局のファイルには記されていた。

 

 その説明を読んだ時、リィンは違和感を抱いた。

 たかだか一准教授に批判されただけで、圧力をかけて解任する等、余りにも賤しいやり口で、威風堂々たる父らしくない行いだったからだ。

 そもそも革新派の有力者が激しい批判に晒される等日常茶飯事だ。長年に渡り帝国に君臨してきた大貴族達は、その金脈と人脈を帝国のあちこちに張り巡らせている。当然お抱えの学者も多く抱えており、それこそ息子であるリィンとしては聞いているだけ、読んでいるだけで眉を顰めるどころか、目の前に居たらすぐさま八つ裂きにしてやりたいと思うような父に対する誹謗中傷を行う学者、有識者、ジャーナリストを自称する貴族の犬共がとても数え切れぬ位に存在する。

 そしてそんな罵詈雑言等意に介さずに鋼の意志によってどこまでも突き進み、有無を言わさぬ実績を以て黙らせてきたのがギリアス・オズボーンという男だったはずだ。だというのに、何故ミヒャエル・ギデオンに対してだけはそのような行動に出たのかとリィンとしては疑義を抱かざるを得なかった。

 

 加えてリィンが疑問を抱いたのは、恨みからギデオンが解放戦線に投じたという一文であった。

 確かにあの男は間違いなく父を恨んでいたし、許されざる行為に及んだテロリストであった。そういう意味でたどった末路についてリィンは全く以て同情するつもりはない。Gも含めて解放戦線の連中がたどった末路に関してはまごうこと無き自業自得なのだから。

 だが、それでもあの男には恨みだけではない、ある種の使命感(・・・)のようなものも同時に相対して感じたのだ。

 許されざる悪事を行ったテロリストだったとはいえ、その動機や思い総てを否定する事は出来ない。父の後継足る事を志す身としては、何が彼をそのような凶行に至らしめたのかはきちんと知るべきであった。

 テロリストなのだから、敵なのだからその発言に一切耳を貸さない等というのはそれこそ許されざる怠惰であろう。

 

 かくして激しい宰相批判を繰り広げられているのを覚悟の上でページを捲って見るとそこには至って理知的な文が綴られていた。

 まず第一に著者であるギデオンは自分が貴族派を擁護する立場ではないという事を序文に於いて銘記する。

 それは如何にも第三者で客観的な視点を装っているというわけではなく、真実貴族派に肩入れしているわけではない事をアピールするために、オズボーン宰相の行った改革への一定の評価を下す。

 卓越した指導者であり、その施策の多くは確かにエレボニアと平民の大多数に対して益を齎したと強力なリーダーシップを持った当代の偉人である事は間違いないと序章に於いてはむしろオズボーン宰相に対して好意的とさえ言える内容が綴られている。

 此処だけ読めば、この作品が帝国政府から発禁を食らった本だと言う触れ込みを聞いたもの達はまず間違いなく、首を傾げるだろう。

 

 本題に入りだすのは2章に入ってからだ、此処で著者は現時点での宰相が卓越した偉大な指導者である事は間違いないとした上で、その施策の陰について触れ出す。

 著者が指摘するのは宰相の語る「激動の時代」という言葉だ。

 導力革命の発展に伴い、あらゆる物事が加速した、故にこそ帝国はそんな時代に対応するために(・・・・・・・)帝国は旧き貴族の時代から新しい体制へと生まれ変わらねばならない、これが宰相と革新派の主張であり、それは内外で激増する争いから一見正鵠を射ているように思えると前置きし、その上でその実激増した争いの多くが帝国政府の強硬かつ巧妙な介入と、帝国軍情報局の工作が陰にあるとギデオンは指摘する。

 「政治と軍事とは凡そそうした悪徳に一切手を染めないという事は不可能である事は百も承知である」と前置きしつつ、ギデオンは単なる難癖で終わらせないために、その綿密な調査と統計によってたどり着いた膨大な調査の結果を具体的な数字と共にそこに記していく。

 

 「それでも、結果として(・・・・・)帝国に、大多数の民に宰相閣下は繁栄を齎しているのだから指導者として何ら問題ないと主張する者も居るかも知れない。だが果たして宰相閣下の目的は祖国の繁栄にあるのだろうか?」そう前置きして最後の章に於いてギデオンは、ギリアス・オズボーンという男が導く未来に待っているもの、行き着く先が如何なるものとなるのかを示唆する。

 宰相閣下が導く先にあるものそれはすなわち国家が国民を護るためにあるのではなく、総ての国民が国家のために奉仕する『総力戦体制』であるのだと警鐘を鳴らす。

 エレボニア帝国は覇権国家となるべく、勝利を目指しどこまでも際限なく闘争と拡大を続けていくーーーそして帝国という巨大な焔は周辺諸国を煽りつつ呑み込んで行き、時には憎悪という薪をくべられる事で際限なく大きくなっていく。

 そして当然だが周辺諸国とてそれをただ黙って見ているはずもないーーー帝国という巨大な焔に対抗するために自らもまた大きな焔と化す。負ければ(・・・・)、総てを失うのだから。

 かくして当然の帰結として、戦争は起こる。それもこれまでのような軍と軍の激突によって勝敗を決していた、大半の国民にとってはある意味他人事であった局地戦とは全く異なる、別次元の国力の総てを投じて行われる『総力戦』という史上類を見ないほどに激しく、悲惨な形となって。

 そして一度始まってしまったその戦いは早々には終わらない。何故ならばどちらも国の存亡がかかっているのだから、負ければ(・・・・)、総てを失うのだから。個人の幸福を追い求める行為は身勝手(・・・)と非難され、国家に総てを捧げる行いこそが在るべき人の姿(・・・・・・・)として称揚される。

 そんな善悪と倫理が溶け落ちて、誰もが“勝利”に焦がれて戦い続ける“闘争原理”に支配されたディストピアが待っているのだと、ギデオンは恐怖と共に警鐘を鳴らす。

 

 愚にもつかぬ妄想と取られても構わない、個人への誹謗中傷、貴族派の回し者だという非難を覚悟の上で。

 「願わくば一人でも多くの心ある人たちの目に止まらんことをーーー」そんな痛切な願いを込めた一文によって本は締めくくられていた。

 

「ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」

 

 読み終えたリィンはしばし、その場で固まる。

 愚にもつかぬ妄想ーーー等と笑い飛ばす事は出来なかった。

 何故ならば彼には見えてしまった(・・・・・・・)から。

 蓄えた知識が、養ってきた見識が、そしてあの日以来に目覚めた統合的共感覚が、ギデオンの語った内容が正鵠を射ていることを。

 何よりもギデオンの語った内容が正しいと考えれば、リィンの抱いたギデオンへの「父らしくない」対応の理由が説明できてしまうのだ。

 ギデオンが学術院の准教授の座を負われたのは“根も葉もない誹謗中傷”を行い、秩序を乱したからでは断じて無い。

 むしろその逆、彼の推論は正鵠を射ていた。そう射すぎていたのだ。自分に対する罵詈雑言など意にも介さない父が脅威(・・)だと思うほどに。

 そうミヒャエル・ギデオンは学術院の人間として在るまじき無根拠のデマを流したからその地位を負われたのではない。

 真相にたどり着いてしまったが故に、圧力をかけられて潰されたのだ。

 

 天地がひっくり返ったような衝撃がリィンを襲う。

 ずっと自分は父の背中を追い続けてきた、父の目指す地平が自分の目指すところだとそう無邪気に信じていた。

 故に亡き父の遺志を継ぐ事こそが自分の為すべき事だとそう信じていた。

 

 だが違ったのだ。自分と父の目指すところは同じ等ではなかった。

 何故ならば鉄血宰相の、亡き父の導く先が総ての人間を闘争へと誘う総力戦体制にあった事だとわかってしまったから。

 それはリィンにとっては決して認められぬ事だ。

 何故ならば彼の願いは徹頭徹尾、祖国の民に戦いという地獄を味合わせないために、代わりに自分がそれを担う事にあるのだから。

 地獄には自分一人が堕ちる、故に愛する民には平穏をーーーそれこそが彼が軍人となった理由である。

 愛する民総てを地獄へ誘う総力戦体制など、断じて認められるはずがない。

 

「父上……貴方は何故そのような地獄を作ろうと……」

 

 わからない。ずっとわかったつもりでいた(・・・・・・)亡き父が一体何を考えて居たのかリィンにはまるでわからなくなってしまった。

 帝国を侵し蝕む呪いをなんとかするためだとしても、そのために帝国の民を犠牲にしては意味が無いではないか。

 共和国の全面戦争へと突入すれば犠牲者の数は数万どころでは到底足りない、数十万数百万へとのぼるはずだ。

 それも犠牲となるのはもはや命を賭すことを覚悟した軍人ばかりではない、温かな世界で幸せに暮らすべきだった人達も死んでいくのだ。

 あるいはそれさえも必要な犠牲(・・・・・)なのだという事なのだろうか?

 多数のために少数を犠牲にするという点では何ら変わらない、ただ犠牲とする数が数千数万の単位から数十万数百万となっただけだと。

 

「俺は感謝すべきなのだろうか……アイツに……」

 

 愛する父にして帝国の偉大なる宰相を討った仇だとそう自分は思っていた。

 だが、父への疑念が生じた今、間違っていたのはこちらだったのではないかとそんな疑念がリィンの脳裏に過る。

 

「いや、違う。これはあくまで状況証拠に過ぎない」

 

 ミヒャエル・ギデオンの記した内容は決して無根拠な誹謗中傷ではなかったし、状況証拠もその推論の正確性を裏付けるものではある。

 だが、それでもこれはあくまで予測に過ぎず、確たる証拠が存在するわけではない。

 ならば、ギデオンの記した内容が単なる杞憂であったという可能性とて十分にあるのだ。

 何せ、ギリアス・オズボーンはもはや死んだのだから。その真意がどうだったかを確かめる術はない。

 そう、父が何を考えていたのか、それはもはや残された自分達が考えるしかないのだ。

 ならば、例え故人に対する美化だと言われようと、自分は自分なりの理想を実現させよう。

 それこそが鉄血の後継たる自分の役目なのだから。

 

 

「残念だよ、ギデオン殿。出来ることなら、貴方が解放戦線などというテロ組織に身を投じる前に出会いたかった」

 

 祖国に災いを齎すテロリストと断じ、死んだ敵の中にあった祖国を愛し、憂う心。それをリィンは余さず受け止めた。

 それは確かに推論であり、杞憂であったかも知れない。

 解放戦線の行ったテロリズムを肯定するわけでも断じてない。

 されど、その行動の中には確かな愛国心があった事、それをリィンは認めたのだ。

 かくしてリィン・オズボーンの気高く高潔なる意志と鋼鉄の理性によって押さえつけられていた父の仇に対する“憎悪”は昇華される。

 何故ならば、この時彼は改めて知ったから。父を否定し、殺した者たちの中にあった思いを。彼らにとっての正当性(・・・)を認めたのだ。

 

 

「《G》、いやミヒャエル・ギデオン殿。貴方の犠牲と想いは決して無駄にはしない。

 故にこそ私は往こう。この国に繁栄を齎すためにも」

 

 ずっと自分は父と同じ夢を抱いていたと信じていたーーーしかし、もはや無邪気にそう言い切れる子どもではない。

 そして父を討った貴族達の作ろうとする貴族による支配も否定するーーー既に時計の針は進み始めているのだから。この国は生まれ変わらねばならない時が来ているのだ。

 ならば、自分の思い描く理想の国とはどんな国なのか?

 そう心の中で自分自身へと問いかけたリィンの脳裏に過るのは数日前に見た平民も貴族も関係なく笑い合う絆で結ばれた頼もしく、眩しい後輩達。

 そう彼らのような在り方こそが在るべき人の姿だという事にリィンは信じている。

 同時にそんな彼らが続く事が出来るように、道を切り開く存在が必要なのだという信念もますます強固となる。

 

「平民も貴族も関係なく、誰もが笑顔で生きられるーーーそんな国へとするために。未来をこの手で切り開こう」

 

 道を誤りテロリストとして去った真の愛国者へと心よりの敬意と哀悼を捧げながらリィンは宣誓する。

 されど、その心の中には確かな父に対する“疑念”という楔が打ち込まれた。

 鉄血宰相亡き今、それは大した意味を持たないのかも知れない。

 もはや彼の父は居ないのだから。その真意をする術はない以上、思い出は美化されていき、いずれはこの抱いた疑念もあくまで状況証拠によって導かれた推論に過ぎないと結論づけられ、彼の中の父は“美しい思い出”と化すだろう。

 全面的な肯定をする事は出来ないし、その覇道によって傷ついた者も確かに居たが、それでも祖国を繁栄に導こうとした偉大なる宰相にして偉大なる父として。

 

 だが、もしも宰相が蘇るような事でも起きれば。

 その時こそ、灰色の騎士は選択を迫られる事になるだろう。

 彼の“手駒”で終わるのか、それとも父の思惑をも超えて己自身の物語を紡ぐ、真の英雄となるのか。

 リィン・オズボーンという英雄の真価はその時にこそ測られる事となるのだ……

 

 

 

 




Ⅳではなんか割とあっさり共和国負けそうムードが漂っていますが
この作品では帝国と共和国がガチの全面戦争に至った場合泥沼の戦いとなり、現実で言う第一次大戦クラスの悲惨な事になるとしています。
理由?そうしないとヨルムンガンド作戦でまず間違いなく先陣きって共和国軍を帝国無双とばかりにちぎってはちぎっては投げして、特にオズボーンパッパに反旗を翻す理由がなくなるからだよこの英雄。
まあ現実でも戦争を起こす時というのは往々にして短期決戦を目標にしてやってみたら想定外の連続で泥沼化ってのが世の常なので、原作のアレもそのパターンかもしれませんが。

なおこれは現時点での話なので、進める内及びⅣをやってみて変わる可能性が大ですので「俺の占いは三割当たる!」位の信憑性で聞いていただければと思います。
Ⅳをやってみた結果やっぱりパッパの忠実な腹心としてヨルムンガンド作戦で先陣きって共和国をちぎっては投げちぎっては投げしている可能性も多いにあります。


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碧き夢(上)

キーア様万歳!いざ讃えよ零の巫女キーア様を!
礼賛せよ、その力によって齎される理想郷を!!!


 クロスベルに巨大な大樹が出現して周辺の住民が不安がっている。

 故にこれを調査して欲しい。そんな依頼を受けて紅き翼は現場へと急行していた。

 

「アレは……」

 

「なんという大きさだ……」

 

 そうして一行の目に写ったのは全長100アージュにも及ぶであろうこの世のものとは思えない巨大な碧く輝く大樹であった。

 

「なんという莫大な霊力……」

 

「だが決して嫌な風は感じない。むしろその真逆、総ての人を慈しむまるで女神のような慈愛さえあの大樹からは感じる」

 

 外へと出た一行はその摩訶不思議な光景に目を奪われる。

 ただ巨大なだけではない、その大樹からは凄まじいまでの神聖さを有していた。

 かつて見た騎神の第一形態が女神の遣わした天使のようであるのならば、大樹からはまるで女神そのもののような神々しさがあったのだ。

 

「アレ……なんだろう?何か光ったような気が……」

 

 そうして次の瞬間、一行は眩く輝いた碧の大樹の光へと呑まれて行き、その意識を手放した、

 

・・・

 

 

「んっ……」

 

 まどろみの中、トワは目覚めた。

 寝ぼけ眼をこするとそこには旧知の黒髪の青年と蒼髪の青年が眠りこけていた自分を他所に黙々と仕事をこなしていて、その瞬間ぼんやりとしていた頭は急速に覚醒を遂げる。

 

「わあ、リィン君にエミル君!私ったらいつの間に!?二人共起こしてくれれば良かったのに!!!」

 

 慌てたトワの様子に対しても黒髪の青年と蒼髪の青年は苦笑を浮かべて

 

「いや、余りに気持ち良さそうに眠っていたからさ」

 

「うん、トワはちょっと働きすぎだしね。少し位休んだって罰は当たらないよ」

 

「うう……でも、そもそも卒業式の前日だっていうのにこうして働く事になったのは私のせいだって言うのに、その張本人の私が居眠りするだなんて余りにも申し訳ないというか……」

 

 そう、本来であればとっくに引き継ぎは終わって全生徒会たる自分たちはゆったりと明日の卒業式を迎えるはずだったのだ。だというのに自分のせいで副会長である二人までこうして働かせる事になったというのに、その元凶たる自分が居眠りするなど本当に穴があったら入りたい気分だ。

 

「いやいや、別段君のせいじゃないだろ」

 

「リィンの言う通り。それに最期にこうして三人で一緒に居るってのも中々楽しかったしね」

 

「最期……そうだよね。本当にコレが三人揃ってやる最期の生徒会活動なんだよね……」

 

 色々な事があった。

 一年の時に一緒に生徒会に入ってからこの三人で時に悩みながらそれでも協力して、壁を乗り越えてきたのだ。

 だけどそれも正真正銘明日卒業したらおしまいなのだ。

 ……駄目だ。そう思うとなんだか涙が滲んできた。前日でコレだったら明日の当日はどうなってしまうのだろうか。

 

「そんな顔しないでくれよ、卒業はするけどすぐに離れ離れになるわけじゃないだろ?

 なんたって俺達は6人揃って(・・・・・)一緒に卒業旅行に行くんだからさ」

 

 リィンより告げられた言葉にトワはその表情を明るくする。

 そうだ、卒業したからと行って自分たちの縁が切れてしまうわけではないのだと。

 

「リィン君……えへへ、そうだったよね」

 

「ジョルジュが作ってくれた6人揃ってのバイク旅行かぁ……まあ導力車じゃないなら大丈夫かな」

 

「?前から思っていたがエミル、どうしてお前はそんなに導力車を毛嫌いするんだ。

 爽快感はともかくとして、安全面という点で考えれば生身でむき出しになる導力バイクよりもフレームで囲まれている導力車の方が安全だと思うんだが……」

 

「うーん僕もよくわからないんだけど、とにかく導力車って聞くといやーな気持ちになるんだよね。ひょっとすると前世はアレに轢き殺されたのかもしれない」

 

 肩を竦めて笑いながら告げるエミルの冗談に二人もつられて笑う。

 

「とりあえずもう仕事は終わったから、後片付けして下に降りようか」

 

「そうだねリィン。三人も下で席を取って待っているって言ってたからあんまり遅れると悪いし」

 

「うう……二人とも本当にゴメンね。お詫びにコーヒーでも奢るから……」

 

 

・・・

 

「しかし、考えてみると凄いメンツだよね。僕とトワは平民だけど、アンはログナー侯爵家の息女。リィンはオズボーン宰相の一粒種。エミルはリーヴェルト社の御曹司。クロウだってジュライ市長のお孫さんだもんね」

 

 学生会館の食堂、一行はトワの奢りの食後のコーヒを飲みながら雑談に興じる。

 余り固辞すると何時までもこの少女は気にするだろうから、コーヒーを奢ってもらう事でこの件をチャラにしてしまおうという判断だ。詫びや謝礼というのは素直に受け取っておいたほうが、円滑に進むものなのだ。

 

「御曹司って言ったって、ラインフォルトと比べたら僕の家なんてそう大した事ないけどね」

 

「は、そんな事言ったら俺だってそうさ。国って言ったって人口数十万程度の小さな都市国家だしな。

 5000万もの人口を抱えるエレボニア帝国の宰相様に比べたら、そこの市長なんてそれこそ巨象に対する蟻みてぇなもんさ。皇帝陛下と皇太子殿下から絶大な信頼を受けながら、改革を推し進めている名宰相殿となんて比較するだけおこがましいってなもんだろ」

 

「素直じゃないね、クロウは。そんな事言ってお爺さんと故郷の事を馬鹿にされたら怒る癖に」

 

「全くだ。「ちんけな小国」だとか罵倒を受けてブチ切れていたのは一体どこのどいつだったやら?」

 

「うん、僕は昨日の事のように覚えているよ。それまで適当に受け流していたのにお爺さんの事をバカにされた途端に怒りと共に殴りかかった留学生の事も、生徒会役員として止めるべき立場だったのに止めるどころかそれに加勢して、仲良く先生達に叱られて罰として一緒に便所掃除をする事になった小さい頃からの親友の事もね」

 

 ニッコリと微笑みながら告げるエミルの様子に話題の張本人たる二人は誤魔化すように頬をかく。

 

「いや、何も知らない他人にバカにされたらそりゃムカつくだろ。

 宰相閣下のご子息であらせられる真面目な次席殿が加勢したのはなんというかすげぇ予想外だったけどよ」

 

「多勢に無勢だったからな。タイマンだったら手出しをしなかったさ。

 それにアームブラスト市長はリベールのアリシア女王陛下、クロスベルのマクダエル大統領共々父さんが尊敬している政治家として挙げていた方だったからな。

 それを帝国人としての“誇り”を履き違えたような形で侮辱したんだというのなら見過ごすことは出来ないさ。

 ……まあいきなり力で押し通したのは我が身の不徳の致すところだったが」

 

 武力というのはあくまで最終手段に過ぎない。それを用いるのは最大限言葉を尽くしてからの事だ。

 言葉だけではわからない相手というのは確かに存在するが、それは言葉を最大限に尽くした者だけが言って良い言葉なのだ。

 ヴァンダールの道場に通いたいと言った自分に対して父は常に無く真剣な様子でそう言っていた。

 実際今のゼムリア大陸の平和と繁栄はそうして各国の指導者が“武力”という安易な解決手段(・・・・・・・)に頼る事をしてこなかった事が大きい。

 宰相たる父もその言葉を実際体現して来た。だというのに、自分はいきなり喧嘩という手段を取ってしまった。全く以て赤面の至りである。

 

「リィンはクロウと一緒に居るとなんというか喧嘩っ早くなるよね。

 姉さんが心配していたよ、悪い友人に誑されないかって」

 

 エミルは笑いながらそうもう一人の弟を心配していた自慢の姉の様子を思い出す。

 どうも姉の中でクロウは真面目なリィンの事を誑す不良という印象になっているようであった。

 「色んな友達を作るのは良いですけど、余り影響されすぎないようにしてくださいね」等と自分も釘を刺されたものであった。

 

「誑すとは人聞きが悪いな。俺は真面目なお前らの視野を広げるために色々と教えてやったんだぜ?な、そうだろ親友!お前だって楽しかったよな」

 

 親しげに肩を抱きながらクロウは笑顔で告げる。

 クロウがこういう態度をとった時は大体の場合に於いてリィンが辛辣なツッコミを入れてクロウが玉砕するというのがお約束(・・・)であったのだが……

 

「ああ、そうだな。本当に楽しかったよ、この二年間は。

 それはきっと間違いなくお前たちのおかげだ。

 だから、ありがとな。クロウ、トワ、ジョルジュ、アンゼリカ、エミル。

 俺はお前たちに会えて、こうして一緒に過ごせて本当に良かった。

 そしてこれからもよろしくな」

 

「……はは、何を改まって言ってやがる。そんなのこっちだって同じさ。

 正直帝国なんて大国にジュライなんて小国からやってきて身構えていた部分もあったからな。

 こうして馬鹿やれる友人が一緒に出来て最高に楽しかったぜ」

 

「それは私も同じさ。

 宰相閣下の改革で徐々に変わってきたとは言え、それでも我が国には未だ歴として身分制がある。

 そして私はあのログナー侯爵家の人間だ。君達のような最高の友人と巡り会えた事は本当に得難い幸福だと思っている」

 

「僕だって同じさ。みんなと会えて本当に良かったと思っている」

 

「僕も」

 

「えへへ、当然私だってそうだよ」

 

 爽やかな微笑みを浮かべながら、恥ずかしい事を大真面目に言い出した男に一行はわずかばかりに赤面したが

 釣られたように普段はいえなかった感謝の言葉を告げていく。卒業の前日という空気が為したものであろう。

 

「ったく、相も変わらず恥ずかしい事を大真面目に素面で言いやがって。

 付き合うこっちの身にもなれってんだ。つい釣られてこっちも恥ずかしい事を言っちまったじゃねぇか」

 

「そんなに恥ずかしい事を言ったか?俺はただ単に思っている事を口に出して言っただけだったんだが」

 

「あのな、普通は思っていてもそう簡単にそういう事は言えねぇもんなんだよ」

 

「そうなのか?うちの両親は俺が子どもの頃から年柄年中「愛している」と囁きあっていたし

 俺も小さい頃から大事な人に言葉を惜しむな。言わずとも察してくれなんて傲慢だから想いはきちんと伝えなさいと教わって来たんだが……」

 

 心底ピンと来ていない様子でリィンは何を恥ずかしがる事があるのかと言った様子で堂々と口にする。

 そしてそんな出会った頃から変わらぬリィンの様子に5人は笑い、トールズ士官学院の学院生で居られる残りわずかな時間は穏やかに過ぎていくのであった……

 




キーア様の作った理想世界(夢で見ているお試し期間)の大まかな設定
・どこの国もみんな仲良しでこの数十年大規模な戦争は起きておらず平和そのもの
・色んな悲劇がなかった事になっている
・当然百日戦役も起こっていない
・クロウは友好国ジュライ市国からの留学生ポジ
・このため軍は対外戦争のためというよりはもっぱら治安維持、魔獣退治、住民の悩み相談など遊撃士に近い仕事が多い
・リーヴェルト家はミハイルさんの父親が道を踏み外す事無く、家族仲は良好そのもの
・そのためエミル君は死なず、クレアさんも軍人になっていない。
・貴族勢力も原作に比べて大分良心的
・オズボーンは宰相になっているが原作程強権的な事をせずに、皇太子であるオリビエや色んな人物と協力しながらゆっくりと改革を推し進めている
・母親が死んでいないためリィンはそこまで力を求めておらず、伸び伸びと育って割と原作のシュバルツァー寄りの性格
・父親同士の交流からシュバルツァー家、リーヴェルト家、クレイグ家とは幼少寄りの付き合い

そんなあり得たかも知れない、けれど実現する事はなかった優しい世界


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碧き夢(下)

夢の世界のリィン・オズボーンのスペック
・帝国宰相の一粒種にして伯爵家の跡取り
・オズボーンは原作ほど強硬のやり方をとっていないため貴族勢力ともやりあってはいるもの原作ほどの憎悪は受けていない
・皇帝から伯爵位を送られた気遣いに応えるべく貴族社会での立ち振舞いを一家でそれなりに勉強
・当然そんなオズボーンの跡取りであるリィンは結構な優良物件
・ヴァンダール及び父との縁から皇族とも縁がある
・基本的に真面目だが柔和で優しい性格
・整っていると言ってもなんら支障のない顔立ち
・トールズ士官学院を次席で卒業のエリート
・年下の女性に対する接し方はエリゼ、年上の女性への接し方はクレアとフィオナから鍛えられており、本来の世界線よりもスケコマシスキルが大分原作に近づいている

これは早々転がってない優良物件ですよ奥様
アルノールさん家のアルフィンさんとかカイエンさん家のミルディーヌさんとかとも見合いの話が持ち上がっているとか持ち上がっていないとか。

なお実際にこの理想世界を実現しようとした場合恐らく帝国の呪いが邪魔をする模様
(鋼の至宝は焔と大地の至宝のツインドライヴシステムなので多分単純な出力だと他の至宝を凌駕する)

やっぱり帝国の呪いって糞だわ。


 

 卒業。それは別れであると同時に新たなる始まり。

 門出の季節である。離れ離れになったとしても一度結ばれた絆は容易く切れるものではなく、己を支えるかけがえの無い財産となるものである。

 ーーーそう終わりではなく始まりであるとそうわかっていても、それでもやはり心に訪れるのは寂寥感。毎日のように顔を合わせていた友人と、そう簡単には会えなくなる。その物寂しさから一人が泣き出し始めると、皆泣き出し始めるというのはある種卒業式の名物風景と言って良い。

 

 

「うう……ぐすっ……」

 

 此処大帝縁のトールズ士官学院の卒業式でも当然の如くそんな光景が……

 

「おおおお……リィンよ……お前の晴れ姿のなんと眩しい事か……!」

 

 ……訂正。常にはない光景が繰り広げられていた。

 何故ならば号泣しているのは友や恩師との別れに泣く卒業生でも、尊敬する先輩との別れに泣く後輩でも無く、190リジュ程の堂々たる体躯を有する厳つい成人男性であったからだ。ちなみにその男は稀代の名宰相として国内に於いてあらゆる美辞麗句で形容されている、この学校のOBでもある人物、すなわちリィン・オズボーンの実の父親たる帝国政府代表ギリアス・オズボーン宰相である。

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

 壇上にて学院長より《獅子心英雄章》を受け取った男はそんな父の様子に大変に居た堪れない思いを味わいながらも、席へと帰還する。

 先程帝国宰相として堂々とした祝辞を述べていたその人物の打って変わった様子になんとも言えぬ空気が漂っている。何せギリアスの顔はとてつもなく厳つい。190リジュもあるその堂々たる体躯とみなぎる覇気と胸に輝く多くの勲章は彼が当代の偉人である事を示すものであり、実際にこれまで彼が成し遂げてきた実績もその外見から受ける印象を何ら裏切らないものである。

 そんな男が先程からひと目もはばからずに号泣しているのである、なんとも言えぬ空気が漂うのは無理からぬ事であった。

 私人としてのギリアスの息子に対する溺愛ぶりを知っていた元上官であるヴァンダイク学院長や歳の離れた盟友であるオリヴァルト殿下等は苦笑いを浮かべているが、他の者達はそのあまりの変わり様に困惑しっぱなしである。

 

「……さっきからお前の親父さん、えらい泣いているな」

 

「頼むクロウ、お前が俺の親友だというのなら今だけはその事に触れないでくれ」

 

「お、おう」

 

 常に無い親友のその剣幕にクロウは気圧されながらうなずく。

 結局その後もギリアスのすすり泣く声は止むことは無く、記念すべき卒業式はかつて無い空気のまま終わるのであった。

 

・・・

 

 感動的な卒業式は終わった。

 そうして卒業生は最期のHRを終えると、再び講堂に集まりだす。

 講堂にはそのわずかな間に在学生が職員とも協力し合って用意した食事が所狭しと並んでいる。

 卒業生、在校生、教職員、そして来賓も含めての立食パーティである。

 卒業生にとっては2年間世話になったラムゼイ氏の食事を味わう最期の機会である。

 

「リィン兄様、ご卒業おめでとうございます」

 

 その席でリィンはわざわざ訪ねてきてくれた妹分と会っていた。

 清楚可憐、そんな言葉がまさしく相応しいその貴族の令嬢の名はエリゼ・シュバルツァー。

 皇室とも縁の深いユミルの領主シュバルツァー男爵家の一人娘である。

 彼女の父テオ・シュバルツァーとリィンの父たるギリアスが兄弟同然に育った仲という事もあって、この二人もまた幼少期からの付き合いである。

 

「ああ、ありがとうエリゼ。わざわざ来てくれたんだな」

 

「当然です。他ならぬ義兄様の晴れの日ですもの。それに……これを逃したらしばらく会えなくなってしまいますし」

 

 チラリとそこでエリゼは談笑している強敵(・・)の姿を伺う。

 二人きりというわけではないとは聞いている、あくまで六人揃っての仲良しの友人グループとしての卒業旅行だと。

 だが、それでも自分は遠く離れ離れになって、相手が旅をして所在がはっきりしないのを考えれば手紙は出して貰えどこちらから出すのは覚束ない状態になるのだ。

 それに対して向こうはほとんど四六時中一緒……かなりの劣勢と言わざるを得ないだろう。

 

「そんな顔するなって。ちゃんと手紙は出すようにするし、一年程度大陸のあちこちを勉強と遊び半分で回ってくるだけで別に今生の別れってわけじゃないんだからさ」

 

「それは……わかっていますが」

 

 基よりリィンは帝都に、エリゼはユミルに住んでいたのもあってそう頻繁に会えていたわけではない。

 一年に2,3度程度の頻度だったし、それでも十分過ぎる程だというのはエリゼとてわかっている。

 わかっているが、それでもやはり寂しいものは寂しいし焦るものは焦るのだ。

 

「アストライアは確か三年制だったからエリゼが卒業するのは2年後だろ?

 その頃には軍務についているだろうから確約は出来ないけど、最大限俺も出られるように努力するからさ」

 

「本当ですか!?」

 

「ああ、当然だろう。他ならぬ可愛い義妹の晴れの日なんだからな」

 

 笑顔のままに告げられた義妹という言葉がエリゼの心に大きな喜びと同時に僅かな痛みを齎す。

 兄のような存在、妹のような存在、そんな関係で満足できなくなったのは一体何時からだっただろうか?

 それはきっとトールズに入学した眼の前の人から送られてきた手紙、そこで自分の知らない女性と笑顔を見せながら写っているこの人を見た時からだ。

 ただ妹の兄に対する感情であるのならば、ただ安心するだろう。兄が楽しそうに学院生活を謳歌している事を。

 だけど自分の心には確かな痛みが走った。それで気がついたのだ、自分は目の前の人の事に恋しているのだと。

 

「ああ、しかしアストライアは良家の子女しか通えない名門の女学院。

 父兄でさえ事前の連絡なしには入れないと言うし、いくら家族同然の仲とは言えあくまで部外者に過ぎない俺じゃ入れないか」

 

 そんな妹分の秘めた思いに全く気づいていない朴念仁は見当違いのところで悩みだす。

 そんなリィンの様子にエリゼは動揺しながらも必死にアピールしようとする。

 「そういえば、オズボーン宰相のご子息と見合い話が持ち上がっているみたいなんですが、先輩はその方と幼馴染というお話でしたよね。どんな人か聞かせてもらってもいいですか?」悪戯っぽ笑みを浮かべながらそんな事を言い出していた小悪魔染みた後輩の事を思い出して。

 

「そういう事でしたら、その……ある解決方法があります」

 

「なんだ、そうなのか。それは良かった、それでその解決法というのは?」

 

「それは……要は家族ならば入れるわけですから、その……」

 

 家族同然ではなく本当の家族(夫婦)になれば問題ない。

 そんな言葉を紡ごうとしたが、いざというところで最後のその言葉が紡げずエリゼは硬直する。

 そして

 

「と、父様の振りをして入ればよろしいんではないでしょうか?」

 

「おいおい、それじゃあテオおじさんが入れなくなっちゃうじゃないか。それじゃあんまりだろ」

 

「で、ですよね。私ったら一体何を言っているんでしょうか」

 

 肝心なところで後一歩勇気を出せなかったエリゼは結局そのまま告白する事は出来ず、義兄妹としての談笑を行うのであった……

 

・・・

 

「おおおおおおおおおおおおお、リィンよぉ!お前のその凛々しい姿をこの父に良く見せてくれ!」

 

 そして可愛い妹分との談笑を終えたところで、リィンは式典の時からずっと号泣しっぱなしの父に捕まった。

 常の威厳はどこへ行ったのやら、190リジュにも及ぶ堂々たる体躯を有していて厳つい顔のこの男が客観的に見て中々にアレな光景であった。

 

「と、父さん……流石にこの年にもなって公衆の面前で抱きつかれるのは流石に気恥ずかしいものがあるというか……」

 

 たまらないのは本人よりもその家族である。

 頼みの綱の母は本当にしょうがない人だとでも言いた気に微笑ましいものを見るかのような笑みを浮かべ、一向に助け舟を出してくれない。

 かくしてリィンは友人知人、のみならずオリヴァルト殿下を始めとした帝国の貴人が居合わせる場で18にもなって厳つい父に抱きつかれる等というこの世の地獄を味わっているのであった。

 

「何を言うか!!!父と子の久方振りの再会なのだぞ!!!!はばかる必要が一体どこにあるというのか!!!今、私は帝国政府代表としてではなくお前の父として此処に居るのだから!!!

 おお、リィン。私とカーシャの宝よ!副会長を勤め上げただけではなく、次席で卒業した上に獅子心英雄章まで受賞するなどお前は本当に私達の自慢の息子だぞ!!!」

 

 そんな言葉と共にギリアスはますますその抱擁を強める。

 

「ははははは、本当に宰相閣下はリィン君の事になると人が変わるというか……」

 

「まあ彼にとってはようやく出来た一粒種。子どもは女神からの贈り物ともされる宝ですから」

 

 そしてそんな親子の心温まる交流風景を周囲は生暖かい眼で見守る。

 たまらないのはリィンである、父の事は確かに尊敬しているし愛しても居る。

 いずれは自分もこの強く優しい父のようになる事はリィンの幼い頃からの目標であった。

 だが、それでも衆人環視の中でこのような目に遭うなど流石に溜まったものではなかった。

 

(ああ、クロウの奴が昨日言っていたのはこういうことか……)

 

 確かにこれは恥ずかしいと遠い目をしながらリィンはしばらく父のされるがままになるのであった……

 

・・・

 

「ふむ、それでは手紙で聞いては居たが一年程度学友たちと共に諸外国を周ってくるというのだな」

 

 ひとしきりされるがままになってようやく落ち着いたのだろう。

 真面目な様子でリィンとギリアスの二人は親子の語らいを行っていた。

 

「うん、一年前のクロスベルへの留学で凄い勉強になったからさ。

 正式に軍人になったらそうそうそんな時間取れなくなるだろうし、だったら就職する前の一年の間で皆であちこち回るのはどうかって話になってさ。

 その前に見聞を広めるためにっていうのが半分の理由で、もう半分の理由はもう少しだけ6人で過ごしたいからって理由」

 

 モラトリアム全開って感じで恥ずかしいけどね等と照れくさげに頭をかく息子のその姿にギリアスは嬉しそうに眼を細める。

 

「はははは、恥ずかしがる必要など無い。

 それだけお前にとって大切な友人達が出来たという事なのだからな。

 その言葉でお前がどれほど素晴らしい学院生活をおくる事が出来たのかわかるというものだ。

 大切にするのだぞ。それは今、お前の胸に輝いている勲章等と比較するのもおこがましい程に価値のあるものなのだからな」

 

「うん、わかっているよ」

 

「そして、見聞を広めるための卒業旅行という件も良くわかったとも。

 気をつけて行ってきなさい、身体を壊さぬよう、時折近況を教えてくれる手紙でも出してくれれば嬉しい。

 一回り成長したお前と再会出来る事を楽しみにしているぞ」

 

「父さん……うん、ありがとう」

 

 そうして父と子は優しい笑みを浮かべ合う。

 心温まる親子の絆が確かにそこには存在した。

 

「むぅ……しかし、可愛い子には旅をさせろとは言うもののやはり不安だ。此処はオーラフかマテウス殿にでも頼んで精鋭1個中隊でも護衛に付けたほうが……」

 

「父さん……過保護もいい加減にしてよ……」

 

・・・

 

 そんな光景をトワはただただ幸せな気持ちで眺めていた。

 自分の両親が生きている事、あの父子がああしている事、そして自分たち6人が揃って卒業旅行に行ける事、それらがまるで奇跡のような幸福なのだとそんな感慨を何故か抱きながら。

 きっと自分たちはこうして大人になっていくのだ。卒業旅行が終わった後も、たまに時間を見つけて会って、仕事の苦労を語り合って、親になってからは親としての苦労を分かち合って、そしてお婆さんになった後は昔を懐かしみながら思い出話に華を咲かせる。そんな一生の付き合い(・・・・・・・)をこれからも続けていくのだと。

 

「トワさん、だったわよね?」

 

 そんな感慨にふけっているとトワ・ハーシェルは黒髪の優しげな女性に声をかけられていた。

 

「あ、はい。そうです。えっとリィン君のお母さんでしたよね」

 

「ええ、リィンの母でギリアスの妻のカーシャ・オズボーンよ。よろしくねトワさん、ちょっとお話したいんだけど良いかしら?」

 

「は、はい勿論です!」

 

 失礼のないようにしなければいけない!自然とそんな気合の入った状態となってトワは若干緊張した面持ちとなる。

 

「そんなに固くならなくてもいいのよ、ちょっと軽い雑談程度の内容だから。

 あのねトワちゃんに聞きたいんだけど、トワちゃんはあの子のどういうところが好きになったの?」

 

 軽い内容と言っておきながらもその言葉はトワにとっては戦車砲の砲撃の如き衝撃を齎した。

 見る見るうちにトワの顔はトマトのように真赤に染まっていって……

 

「ど、どうして……」

 

「どうして気づいたのかって?だってトワちゃんさっきからずっとあの子の事を目で追っていたもの。

 気づいていないのはあの子本人とあの人位じゃないかしら?全くもう、そんなところまで似なくても良いのに」

 

 女心に疎いところにあるこの世で最も愛している二人の男の事を思い浮かべてカーシャはため息をつく。

 それは先達としてのきっと苦労する事になる(・・・・・・・・・・・)という忠告でもあった。

 

「ねぇ、それでそんな朴念仁の息子の一体どんなところを好きになったの?おばさんにこっそりと教えてくれない?」

 

「え、えっと……それはその……凛々しくて自分にも他人にもとっても厳しくて……」

 

 アレ?とトワは言葉を紡ぎ出してから疑問に思う。

 自分の頭の中に浮かんだ凛々しい表情を浮かべる青年と今、目の前で年相応の無邪気な笑みを浮かべる優しい青年の姿が重ならなかったからだ。どういう事だろう?

 

「でもでも本当はとっても優しくて……何時も誰かのために一生懸命で……なんでもかんでも一人で抱え込んじゃう困ったところがあるけど、でもだからこそそんなリィン君を傍で支えてあげたいと思って……」

 

 優しくて一生懸命な事、これはそのとおりだ。

 でも一人でなんでもかんでも背負うような事を彼はしていただろうか。

 どちらかと言えば何時も「トワは一人でなんでもかんでも背負い過ぎる」とエミル君と共に苦笑しながら、支えられてばかり居たような気が……

 

 瞬間トワの脳裏に過るのは鋼の意志を纏った青年の姿。

 絆を羽ばたくための燃料へと変えて、理想という天に眩く輝く太陽に自らの身を焼かれながらもそれでも尚高く飛び続けて、“英雄”になろうとしているどうしようもなくバカで、どうしようもなく大切で愛しい人の姿だ。

 

 その瞬間トワは総てを理解する。

 これはとても優しい女神様が見せてくれた夢の世界なのだと。

 ならば起きなければならない、だってこれは夢なのだから。

 自分が夢に微睡んでいる間も、きっと自分の好きなあの人は羽ばたく事を止めないから。

 例えどれだけ自分の身体がボロボロになっても、そんな事を全く気にも留めずにどこまでも走り続けてしまうだろうから。

 

「ありがとう、あなたはとっても優しい子なんだね」

 

 この優しい夢を見せてくれた存在へと心からの感謝をトワは告げる。

 幸せな夢だった、とてもとても幸せで。こんな世界になったら良いと心から思う。

 どこまでも慈しむような優しさをこの夢からは感じた。

 

「だけど、私の好きな人は今も戦い続けている。だから起きなくちゃ」

 

 ただの別人というわけではないのだろう。

 この世界はきっとありえるかもしれなかった世界。

 こんな風に悲しいことも辛いこともなくて、幸せな世界もあり得たかも知れない。

 でもそれでもトワ・ハーシェルが好きになった男の子はこの世界のリィンではないから。

 

 夢とは見るものではなく、叶えるためのものだから。

 少しでもこの夢のような世界を現実にするべく自分は頑張らねばならないのだ。

 だって自分はもう夢を見ているだけの子どもではないのだから。

 好きな人に似合いの女になるためには、何時までも夢見ているだけの少女ではいけないのだ。

 彼に叶えたい夢があるのと同様、自分にも叶えたい夢があるのだとそう気づいたから。

 

 ーーー本当に目を覚まして良いの?

 そんな風に弱気な自分が囁く。夢とは見るものではなく、叶えるためのもの。

 そんな綺麗事を語っても、本当に叶えられるとは限らない。

 むしろ叶えられるものの方が少数だろう。それが無情な現実というものだ。

 だって現実では既に多くの悲劇が起こっているから。

 自分の両親もリィンの母も既にこの世には居ないのだから。

 後悔することになるかも知れない、こんなはずじゃなかったと。

 こんな事ならずっと夢見たままでいるべきだったと。

 

「だけど、それでも……」

 

 この世界に居るのは自分の愛した少年ではないから。

 だから自分も進むのだ。今も尚、一人で何もかもを背負い込んでそんなままならない現実と戦い続けている好きな人と並び立つために。

 現実と戦うのは自分がやるから、君は夢を見ていてくれれば良いと言われようが知った事ではない(・・・・・・・)

 向こうはこっちの意見を聞いてくれずに一人で突っ走ているというのに、何故自分だけが彼の言うことに従わなければならないのか。

 今は女性も社会へと進出している時代、亭主関白等認める気は一切ない。

 

 そうしてトワは走り出す。幸せな夢に背を向けて、辛く厳しい現実へと立ち向かうために。

 そうして夢の世界から抜け出す直前背後から

 

「あの子の事をお願いね」

 

 そんな母としての万感の願いが篭った言葉を聞き、トワ・ハーシェルは夢から覚めるのであった……

 




トワちゃん、姑公認の仲となるの巻


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想い抱いて

この作品では達人(八葉以外の流派で言う皆伝の領域。遊撃士でいうA級、結社で言う執行者)と理の部分でデカイ壁が一つずつあると考えたガバガバとした強さ設定に基づいています。
理に至った存在は文字通り人の形をした一種の戦術兵器という扱いになっています。


 決戦の準備は整いつつあった。

 ログナー候の中立化宣言に続き、拘束されているヘルムートに代わり現在バリアハートを治めるユーシス・アルバレアもまた中立化を宣言。これにより帝国正規軍は後顧の憂い無く、帝都攻略へと注力する事が出来る。

 そして貴族連合もまた帝国西部での大勝利の立役者たるオーレリア、ウォレスの両将軍を帝都へと呼び寄せて迎撃準備を整えている。この一戦で、帝国の命運は決定するだろう。既に内戦が始まって2ヶ月が経過している、これ以上戦いが長引けば共和国の侵攻を招きかねない、そしてガレリア要塞という盾を喪失し、内戦によって大きくその戦力を減らした今の帝国では一歩誤れば亡国の危機すら有り得る状況である。

 兎にも角にも一刻も早い内戦の終結をーーーただし、こちら側の勝利という形で(・・・・・・・・・・・・)。それが貴族連合と正規軍双方の嘘偽りのない願いであっただろう。

 かくして内戦終結のための乾坤一擲の手を打つべく、正規軍側はある打診(・・・・)を紅き翼へと行っていた。

 

「つまり、父上達……いや、皇帝陛下と皇后陛下そして皇太子殿下の救出を我々に依頼したいという事で良いのかな、アルフィン」

 

 通信機越しに数ヶ月前とはまるで別人のように凛々しく成長した己が妹を見つめながら、オリビエは改めて確認を行う。

 

「はい、お兄様。アランドール大尉の調査によって陛下は《カレル離宮》にて拘束されている事がわかっております。

 そして知っての通り、カレル離宮は天然の要害によって囲まれた地。飛空艇を除けば、そこへの移動手段は専用の特別列車のみ。更に当然ながらその警護(・・)には精鋭たる近衛部隊がついており、生半可な戦力では手出し出来ません」

 ですが、お兄様なら……いえ、紅き翼ならばそれらを総て解決する事が出来ます。何せ紅き翼の艦長を務めておられるのはあの(・・)光の剣匠なのですから」

 

「……恐縮です」

 

 全幅の信頼を寄せる皇女の花の咲き誇るような笑みに対してヴィクター・S・アルゼイドは応える。

 カレイジャスの艦長を務めるこの人物こそが、紅き翼の、オリヴァルト・ライゼ・アルノールの抱える最強の鬼札と言っていい。

 カレル離宮は天然の要害に囲まれた地形、つまりは機甲部隊を展開するのが極めて難しい場所なのだ。

 すなわちそこで行われるのは純然たる白兵戦であり、そしてその土俵に於いてこの人物を止められるとすれば帝国でも数人しか居ない。

 そしてその数人の内に数えられるオーレリア、ウォレス両将軍は当然ながら帝都決戦に際して軍を率いなければならない立場の以上、離宮の方まで手が回る道理はないというわけである。

 

「だが、我々とそちらが協力関係にある事は先のバリアハートの一件で貴族連合も知る事だろう。当然、我々が皇帝陛下救出へと動くことも重々承知しているはずだ。

 そしてそうなれば当然、空に関しては十分すぎるほどの備えをしているはずだが、そちらの対処は一体どうするんだね?カレイジャスは確かに現在帝国……いや、この大陸に於いて最高峰と言える機体だが、それでも単騎で空挺部隊をまるごと相手取るというのは難しい」

 

 いくらヴィクターが人類最高峰の実力者とはいえ、流石に空を飛ぶことは出来ない。

 故に行われるのは武技など関係のない純然たる性能と戦力勝負だ。 

 単騎ならばカレイジャスが負ける道理はない、しかし盤石の護りをしているであろう空挺部隊を単艦で突破するなど流石に博打にすら成らぬ、自殺行為である。

 

「ふふふ、勿論それへの対処も考えていますわ。考えたのは私ではなく、元帥閣下を始めとする皆様ですけど」

 

 一瞬アルフィンの表情に陰りが指す。

 弟と兄が政治談義をしていた際には、自分たちの年で政治談義など余りに早すぎる等と揶揄したものだったが、今思うと逆だったのだ。

 自分たち皇族は否が応でも政治に関わる立場である以上、もっと早く(・・・・・)から学んでおくべきだったのだ。

 政治など自分には縁遠い事だとそんな風に思っていられたのは偏に、皇帝たる父が庇護してくれていたからこそだったのだとアルフィンはこの一ヶ月で痛感していた。

 騎手が馬より早く走れる必要はない、そんな風に元帥閣下と知事閣下は慰めてくれたが、それでもどの馬が早く走れるかを見極めるには最低限の知識がなければ出来ないのだから。

 ……蝶よ花よと育てられていた自分を省みるのはまた後だ。今は兎にも角にもこの内戦を終わらせなければ。そう気を取り直してアルフィンは再び表情を引き締めて続きを述べる。

 

「こちらの切り札(・・・)をお兄様にお貸しします」

 

 虚を突かれた様子で目を丸くするモニター越しの兄の様子にアルフィンはしてやったりとばかりに悪戯っぽい笑みを浮かべる。

 そしてそれと共に静養を終えたその男は一歩前に出てモニター越しに敬礼を行う。

 

「紅き翼への同行を拝命いたしましたリィン・オズボーン中佐です。

 殿下の道を阻む障害は自分とヴァリマールが尽く排除致しますのでどうかご安心を」

 

「……中佐の力量は良く知っている。確かに彼が一緒に居るならば、どれほど空の警備が厚かろうと突破できるだろう。

 だが良いのかい元帥?彼と騎神の力は比喩抜きに一騎当千。それをこちらに回すという事はそれだけそちらが不利になるという事だが……」

 

「ご心配には及びません。

 確かに戦術的に多少の劣勢は否めません。ですが、皇帝陛下の救出にさえ成功すれば、総て終わります。

 後の事は軍ではなく政治の領分となるでしょう」

 

 つまりヴァンダイクは自分たちが囮となると言っているのだ。

 北と東合わせて7個師団にも及ぶ大軍を貴族連合の注意を引き付けるための陽動に使うと。

 

「そして、そのためには皇帝陛下の救出を為さるのは我々ではなくオリヴァルト殿下であるべきなのです。

 理由は当然おわかりかとは思いますが……」

 

「そちらが救出してしまえば、貴族連合は皇帝陛下が正規軍に囚われの身になったと主張するとそういう事かな

 ちょうどアルフィンがそちらに付いた時のように」

 

 アルフィン皇女殿下は逆賊の囚われの身となり、その意に沿わぬ事を強引に言わされている。忠臣たる諸卿らは決して惑わされぬようにするべし。

 それが貴族連合側の皇女の声明を受けた際のお決まりの反論であった。

 

「はい、ですが紅き翼として活動してきた殿下が救出なさればそういうわけにも行きません。

 何せその艦の勇姿は何よりも雄弁にその存在を知らしめますから」

 

「そして、そのためにこちら側も協力は惜しみません。

 カレル離宮解放のためにオズボーン中佐だけではなく、クレア・リーヴェルト大尉、レクター・アランドール大尉、アルティナ・オライオン曹長、そしてアデーレ・バルフェット少佐及び外部協力者たるシャーリィ・オルランド殿を派遣いたします」

 

 そこでオリビエはなるほどと理解する。

 つまりメインはこちらだが、革新派側もまた人員を送る事で離宮の解放に協力したという実績を作る事で、今後を優位に進めるつもりなのだと。

 自分たちが全面的に前に出ては交渉は纏まらない、されど囚われの皇帝一家の救出というこの上ない実績をみすみす逃したくはないという今後を見据えての打算、それらのちょうど妥協できるラインがコレなのだと。

 

「以上がこちらの提案になります。お兄様、如何でしょうか?」

 

「……その申し出、喜んで受けさせてもらうとするよ。

 合流のために一度我々がそちらに赴けば良いかな?」

 

 そしてそれらを承知の上でオリビエは了承の意を告げる。

 ある意味では体良く使われる形となるが、それでも構わない。

 現状提案された内容が内戦を終わる最善の策である事は間違いないし、それには正規軍側と自分たちが協力するのが必要不可欠なのだから。

 何より、こちらを不安げに見つめる妹の期待を裏切るのは兄としていささかキツイものがあるのだから。

 

「いえ、それには及びません。

 こちらの掴んだ情報によりますと、貴族連合はトリスタから撤退したとの事です。

 そして現在トールズ士官学院の運営は一部の貴族生徒に委ねられた状態にあるとも。

 残存している周辺の機甲部隊はこちらの方で片付けますので、殿下の方には学院と街の解放をお願いしたく。

 おそらく一番それが血を流さずに済むやり方でしょうから」

 

 淡々とした様子でリィンは語る。

 そこには学院に対する特別な思い入れなどもはやなく、あくまで軍人としての攻略すべき拠点の一つについて語るが如き様子であった。

 もはや、自分はトールズ士官学院の副会長ではなく、正規軍の中佐なのだと語るかのように。

 それこそ紅き翼の存在がなく、それが最善であるのならば、かつての学友達を斬り捨てるのも辞さないと言わんばかりに。

 

「・・・・・・・・・・・・・・・」

 

 そんな変わってしまったリィンを、自分たちの副会長の姿を見てトールズの面々は一様に表情を暗くする。

 ただ一人、トワ・ハーシェルだけは胸に宿した決意を改めて固めていた。

 

「……ああ、了解した。それではリィン君たちとはトリスタで合流するという方向で行くとしよう。

 それでは最後に、アルフィン」

 

「?なんでしょうか、お兄様?」

 

 打って変わって優しい笑みを浮かべた兄の様子にアルフィンはきょとんとする。

 

「次に会うのは帝都で。

 勿論父上や義母上、そしてセドリックも一緒に。

 一家五人揃って(・・・・・・・)だ。それまで体調を壊さないように気をつけるんだよ。

 数ヶ月ぶりの一家団欒だからね」

 

「あ……」

 

 紅き翼の、第三勢力の指導者の皇子としてではなく、兄として妹を気遣うその言葉にアルフィンは一瞬泣きたくなるような心境に駆られて

 

「はい!お兄様も、どうかお気をつけて!!!」

 

 一瞬滲んだ涙をすぐさま拭ってアルフィンは年相応の笑みを兄に対して送るのであった……

 

・・・

 

 トリスタ解放は拍子抜けする程にあっさりと終わった。

 申し訳程度に配置されていた機甲兵部隊程度では、灰色の騎士を止めるには能わず。

 不良部分が改良されたゴライアスとケストレルの2機にそれぞれ乗っていた指揮官と思しき二人が蹴散らされると、あっさりと戦意を失い敗走した。

 そして学院の解放に関しても、“騎士団”を編成して残っていた貴族生徒たちも理事長であるオリヴァルト殿下立会の下、決闘を行うとハーシェル会長の下へと帰順した。

 かくして残すは明日の決行を待つのみという状況下で、紅き翼に蓄えられている備蓄を放出し、更にはトリスタの雑貨屋から大量の食材を購入してオリヴァルト殿下は盛大な宴を催す事を決定した。

 無論、明日の決行に備えてメンバーの士気を高める狙いであろう。取り戻した学院の中で生徒たちは思い思いの夜を過ごしていた……

 

 喜びに湧く学院生の中に混ざる事無くその男は一人佇んでいた。

 思い浮かべるのは明日交戦する事となる幾多の強敵たち。

 結社身喰らう蛇の執行者、西風の猟兵団の大隊長、そして宿敵たるクロウ・アームブラスト。

 黄金の羅刹と黒旋風の両名は正規軍が相手をする事になるが、これらの敵は司令官として軍を率いねばならない両名に比べて非常に身軽な立場だ。

 で、あるのならば配置されているのは恐らく自分たちが向かうカレル離宮だろう。

 それが“助っ人”たちを一番有効活用できる配置だ。

 

 だが、問題はない。

 何せこちらも戦力は十分すぎる程に揃っているのだから。

 そう順調だ、余りにもこちらにとって都合の良いように進み過ぎている(・・・・・・・)

 これが現状内戦を終わらせるための最適解(・・・)である事は間違いない。

 帝国軍の頭脳たるゾンバルト少佐を筆頭とした英才たちが検討に検討を重ねた作戦だ。

 攻撃作戦の基本というのは奇襲にある。警戒して臨戦状態にある敵と真正面からやりあってもそう簡単に決定打は与えられないからだ。

 西部での死闘に於いて決め手となったウォレス中将の側背攻撃も最新型の機甲兵を用いた高速機動による奇襲であった。常軌を逸した速度の機動戦術が、名将ミヒャールゼンが防御陣を再構築する速度を上回ったのだ。

 当然護る側も奇襲を警戒して兵を配置する。だが、兵というのは無限に湧き出る者ではない、当然使える兵力には限りがあり、どうしても警戒の薄い部分というのが出てくる。その警戒の薄い部分を事前に検討するのが参謀の役目である。

 正規軍側にとっては文字通り乾坤一擲たる今回の作戦は当然、総司令部の英才たちがその頭脳をフル回転させ検討に検討を重ね、帝国最高の名将たるヴァンダイク元帥がこれならば(・・・・・)と採用したもの。

 穴らしい穴など無い、リィン自身も見せてもらったが素晴らしいと言わざるを得ないものだった。

 

 だというのに妙な予感がリィンの頭から離れない。

 まるで誰かの掌の上で踊らされているような(・・・・・・・・・・・・・・・・・)、そんな嫌な感覚が消えてくれないのだ。

 だが、そんな感覚等一体何の役に立つというのか。作戦とは論理の世界だ。

 そこに直感等という曖昧なものが介在する余地はない、「自分でもよくわからないけどこの作戦は敵に見抜かれている気がします」等という発言等ただの難癖にしかならないのだから。

 そして論理で考えれば、今回の作戦の出来栄えは素晴らしいの一言だ。で、ある以上自分が口を挟む余地など無い。自分は自分の与えられた役目を全力でこなすのみだ。

 この手の“勘”が有効に働くのは現場でとっさの対応を行う時である。その時は素直に自分の感覚を信じるとしよう。自分を信じられぬものが戦えるはずもないのだから……

 

 

「こんなところに居たのかよ」

 

 思索にふけっていると背後から声が聞こえ振り向くと、そこには彼の信頼する血の繋がらぬ兄と姉が居た。

 

「俺らは部外者だけど、お前さんにとっては久しぶりの同級生たちとの再会だろ?

 積もる話も色々あるだろうに一人でポツンと居るなんて寂しすぎやしねぇか?

 クレアみたいにまさか学生時代ぼっちだったってわけでもないだろうに」

 

「レクターさん、余り人聞きの悪い事は言わないでください。

 私だって学友位は居ました。……片手の指で足りる程度の数ではありましたけど」

 

 常と変わらぬレクターの軽口にクレアはまさかのマジ凹みである。

 義姉を落ち込ませた義兄へと非難がましい視線を送ると、さすがのレクターもどこか罰の悪そうな表情を浮かべ、誤魔化すように咳払いを行って

 

「ま、まあ兎にも角にもだ、青春時代ってのはそう何度も味わえるもんじゃないんだ。

 せっかくだし顔を出しておいた方が良いんじゃねぇのか?ただでさえ色々と別行動だったんだしよ」

 

「レクターさんの言うとおりですよリィンさん、以前の時も落ち着いて会話をする暇も無かったと聞いていますし、せっかくの機会ですから。我々の事はどうか気にしないでください」

 

 そう二人は内戦に巻き込まれた結果、鉄血の後継として、年齢に不釣合いの重責を背負わなければならなくなってしまった義弟を気遣う。せめて今位、その重荷を下ろしても良いのだと。

 

「それは違うよ、二人共。俺の青春時代はもう終わった(・・・・・・)んだ。二ヶ月前、ガレリア要塞がクロスベルの神機に消滅させられたあの日からね。

 あの日に、この身を総て祖国と皇帝陛下へと捧げた。帝国軍人としてこの国を護るためにね」

 

 しかし、そんな二人の気遣いを振り払い、リィンはどこまでも悠然とした様子で告げる。

 背負わされた荷は既に自分の血肉と化しているのだと言わんばかりに。

 

「そして、それから俺は数多の命を奪ってきた。それが祖国のためだと信じて。

 だからそう簡単に下ろすわけにはいかないさ」

 

 自分は決して無理しているわけでも嫌々やっているわけでもない、そう証明するかのようにリィンはどこまでも自然体の様子で英雄的な言葉は告げる。

 完成は近い。もはや彼の飾らぬ自然な行いと言葉が、そのまま英雄的な言葉と行動となりつつある。それは即ちリィン・オズボーンという男の存在そのものが“英雄”となりつつあるという事だ。

 

「「・・・・・・・・・・」」

 

 そんな義弟の余りにも覚えのある様子に二人は何も言わず固まる。 

 何かを言わなければならない、そうしなければきっと目の前の義弟は“英雄”という現象へと成り果てる。

 そして、今も彼の心の中に存在する私人としての優しさはいつしか消え失せてしまうだろう。

 なんとかして止めたい、だが何を言えば良いというのだろうか。

 今も尚、負い目(・・・)を抱えつつもそれを打ち明ける事もできない自分などが。

 そうして今の彼に不安を感じる二人は負い目と情の間で身動きを取れなくなる。

 アルティナ・オライオンはそもそも気に留めていない、彼女にとってリィン・オズボーンのその筋の通った行動に挟む異論など持ち合わせていないが故に。

 シャーリィ・オルランドはどこまでも歓喜する。どこまでも一心不乱に英雄へとなっていく想い人の姿へとますます傾倒するのみだ。

 故にもはやその完成を阻むものは存在しない。明日彼は英雄へと至るだろう。

 唯一無二の親友を生贄に捧げ、天に向かって飛び立つ翼を授かるのだ。そしてもはや止まる事は無くなる。

 だって彼は理想のために唯一無二の親友さえも殺すのだから。今後、どのような人物がその行く手を阻もうと決して止まる事はない。

 

 そうして自らの手で殺した親友という最大の起爆剤を得て、灰色の騎士は完全なる鉄血の後継へと至るのだ。

 この盤上を整えた翡翠の城将の望んだ通りに。

 

「あ~リィン君ってば、こんなところに居たんだ」

 

 そう鉄血の子ども達では彼らの長兄の思惑を超える事は出来ない。

 

「もう、探していたんだよ。せっかく久しぶりに会えたから色々と話したい事があるのに、どこにも居ないから」

 

 どこまでも柔和な笑顔をその少女は浮かべる。

 そこに宿るのはどこまでも暖かな眼差し。

 かつてリィンを前にして抱いた恐怖の色はそこに存在しなかった。

 

「リィン君、ちょっと付いてきてくれないかな?話したい事があるんだ」

 

 今、理屈では決して測りきる事の出来ない、譲れない思いを抱いて。

 翡翠の城将の思惑を超えた一手が打ち込まれようとしていた……




ルーファス兄さんが眼鏡かけて「オズボーン閣下ならできたぞ?オズボーン閣下なら出来たぞ?オズボーン閣下なら出来たぞ?」とかいい出しそうな感じになってきた……


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星の在り処

「君は、俺にとって最悪の敵だったよ。…君の勝ちだ」


「ごめんねリィン君、わざわざこんなところまで来てもらって。でもやっぱりリィン君と私の思い出の場所って行ったら此処かなって思って」

 

 たどり着いた場所はリィンにとっても思い出深い場所、学生会館に存在する生徒会室であった。

 

「いや、別に構わないさ。それで話というのは一体何かな」

 

 そう問いかけつつもリィンは半ば問いかけの内容を予想していた。

 優しいこの少女が自分がクロウと殺し合う事に心を痛めていないはずがない、まず間違いなくクロウの助命を頼むのだろうとそう予想していた。

 

「うん、あのねリィン君。リィン君はこの内戦が終わった後どうするつもりなの?」

 

 しかし、問いかけられた言葉はリィンの予想から外れたものだった。

 トワの顔は晴れやかで喜びにさえ満ちている。本当に軽い世間話でも行うかのような態度だ。

 

「決まっているさ。軍人として祖国のために戦い続けるのみだ」

 

 そしてその問いかけに対するリィンの回答など決っている。

 何も変わりなどはしない、その命が尽きるまで祖国と民のために戦って死ぬ。

 それこそがリィン・オズボーンという男の進む道なのだから。

 

「アレ?私達と一緒に卒業旅行に行くんじゃないの?約束したよね」

 

「……いや、確かにそうだが、あの頃と今とでは情勢が違うだろう?

 この内戦で帝国は大きな痛手を受けた。碧の大樹とやらも消滅したとの情報も入っている。

 内戦が終結したら今度はクロスベルを巡って共和国と争いになるのは明白だ」

 

 心底不思議そうにキョトンとした様子で告げてくるトワの言葉にリィンは面を喰らいつつも回答する。

 これだけ言えば聡明な彼女ならばわかってくれるはずだと想いながら。

 

「うん、そうだね。でも、それが一体どうしてリィン君が私達と一緒に旅行に行けないって話に繋がるの?

 流石にクロスベルや共和国に行くのは難しいだろうけど、行き先は他にはリベールとかレミフェリアだってあるよね?」

 

「……その約束を交わした時、俺はまだただの学生だった。

 だが今の俺は違う。今の俺は帝国正規軍中佐であり、灰の騎神の起動者だ。

 国家のために汗と血を流す義務を背負っている」

 

 日頃の理知的で聡明な様子はどこに行ったか、まるで駄々を捏ねる子どものような事を言いだしたトワの様子に困惑しながらもリィンは自分の背負う義務を説明する。

 最もこの男ならば、例え義務を背負っていなかったところでそれこそ自らの意志で志願して戦列に加わっただろうが。

 

「リィン君が戦うのは義務のため?」

 

「いいや違う、俺が戦うのは祖国とそこに住まう民のため……いや、この言い方はある意味では卑怯か。

 俺が戦うのは俺自身のためだよ。誰に強制されたわけでもない、俺がそうしたいと思ったからそうするだけの事だ。

 だから、君達と卒業旅行に行く事は出来ない」

 

 鋼鉄の意志を纏ってリィンは改めて宣誓する。

 黄金色に輝いていた青春時代と正式に別れを告げるべく。

 

「つまり、リィン君は私達の約束を反故にするって事だよね?」

 

 しかし、そんな鋼鉄の覚悟を前にしてもトワは怯まない。

 私が今、問題にしているのはそういう話ではないんだと言わんばかりに。

 

「……ああ、その通りだ」

 

 そしてそんなトワの問いかけにリィンは怯まず首肯する。

 弁解するつもりはない、確かにどう言い繕おうと自分が約束を破る事は確かなのだからと、若干の申し訳無さを滲ませつつも、あくまで堂々とした態度を取る。

 

「じゃあ、その埋め合わせを要求しても良い?」

 

「……俺に出来る事のならば」

 

「うん、それじゃあお願いを伝えるね。あのね、クロウ君を殺さないで」

 

 サラリとした様子でトワは伝える。

 まるでデートに遅刻した恋人にお詫びとしてコーヒーを奢る事を要求でもするかのように、軽い様子で。

 

「それは出来ない」

 

 ほとんど反射的と言って良い速度でリィンは答える。

 それは一考する余地さえないと言わんばかりの、半ば拒絶と言っていい態度であった。

 

「それはどうして?やっぱり、クロウ君がお父さんの仇だから?」

 

 しかし、そんな拒絶に対してもトワはめげない。

 その程度でくじけるつもりはないのだと言わんばかりに。

 

「いいや、そうじゃないさ。前に言っただろう、こちらは一度手を差し伸べたと。

 だが、アイツは拒絶した。帝国のために戦う気はないと言い切ったんだ。

 故に俺もまたアイツを敵として討滅するのみだ」

 

「敵だからクロウ君を殺すの?でもリィン君は、今までも敵だったはずの(・・・・・・・)貴族連合の兵士さんを必ず殺していたわけじゃないよね?」

 

「それはそうできるだけの余裕が、厳然たる戦力差が彼我の間に存在していたからだ。

 だがアイツを相手にその余裕はない、生かして捕らえよう等と欲張れば、その隙を突かれかねない。

 だから俺はアイツを殺すつもりで戦う。故に、君の頼みに対して確約する事は出来ないな」

 

 取り付く島もないとはこの事だろう、恋人からの懇願に対してもどこまでもリィンは揺るがずに答える。

 内に燃え盛る炎を氷の如き冷徹さで完全に統御して。

 

「本当に、それが理由?」

 

 しかし、気圧されない。かつては恐怖を抱いてしまったその鋼鉄の仮面にもう怯まない。

 彼女の目に写っているのは鋼鉄の意志を宿した英雄ではない、その奥にある愛しい少年の素顔だ。

 

「……どういう意味だい?」

 

「うーんとね、怒らずに聞いてほしいだけど、色々と説明して貰ったんだけど私にはね、結局リィン君が「自分がクロウ君を殺さないといけない」って思い込んでいる(・・・・・・・)ようにしか見えないんだ」

 

 告げられた言葉にリィンはわずかに息を呑むが、直ぐに冷静さを取り戻して答える。

 

「……それは、俺が父を殺された憎しみに囚われているとそう言いたいのかい。

 確かに、父を殺したアイツが憎くないと言えば嘘にはなる。だがそれ以上に俺は……」

 

「ああ、違うの。そういう意味じゃないの。リィン君が私情に駆られているって言いたいわけじゃなく、むしろその逆。

 私が言いたいのは、自分は絶対に私情に流されてはいけない、公正無私の無謬の存在でなければならないって思い込んでいるじゃない?って事」

 

 どう、当たっているかな?と控えめに投げかけられた問いに対してリィンは……

 

「ああ、その通りだよ。何故ならば俺は祖国のために存在する一振りの剣なのだから。

 その剣を私情で曇らせる等、あってはならない事だ。“必要悪”の担い手たる軍人として。

 親友だからと特別扱等するわけには行かないんだ」

 

 かつて、トワが畏怖を抱いた姿のままにリィンは鋼鉄の意志を纏って宣誓する。

 迷いなど無い、例えこの眼の前の愛しい少女にバケモノを見るかのような恐怖に満ちた眼差しを向けられようと構わないと。

 ーーーむしろ、そうしてとっととこんな自分などに愛想を尽かすべきだとさえ勝手に(・・・)思って。

 

「これでもうわかっただろう、君の知っているリィン・オズボーンは2ヶ月前のあの日に死んだんだ。

 今の俺にとってはこの祖国こそが総てだ。祖国のためならば、誰が相手だろうと討つ」

 

 冷たく決別の言葉を口にする。もう青春ごっこ(・・・・・)は終わりなのだと。

 夢を見られていた時間を終わったのだと。

 

 しかし、そんなリィンをトワはどこまでも愛おしそうに見つめる。

 ああ、やっぱり彼は変わってなどいなかった(・・・・・・・・・・・)のだと確信を抱いて。

 

「やっぱり、リィン君は優しい(・・・)ね」

 

 告げられた、全く予想だにしていなかった言葉にリィンは呆気を取られる。

 

「優しいだって……何を言っているんだ君は。

 俺が優しいはずがないだろう。良いかい、優しい人間はそもそも人を殺したりしない(・・・・・・・・・)

 国のため、民のためだと嘯いていながら、俺がやっているのはつまるところ破壊と殺人だ。

 この内戦で俺が殺した人間の数は1000を超えている。そんな人間を邪悪以外のどう評せと言うんだ。

 君が見ているのは過去の俺だ。トールズ士官学院副会長を務めていた頃のね」

 

 その言葉を聞いてトワ・ハーシェルは確信する。

 この世界でリィン・オズボーンという少年を最も憎悪している存在、それは彼自身(・・・)なのだと。

 叶う事ならば全ての人を救いたいと願っているけど、そんな事は不可能だから少しでも多くの人を救いたいと願っている。

 だけど、その過程で犠牲を出さなければならない事を、多数のために少数を切り捨ててしまえる(・・・・・・・・・)自分を誰よりも嫌悪している。

 一点の汚れも染みもなく、神でなければ不可能な、聖性を実現できない自分がなんとも無様に思えてしょうがないのだ。

 そんなどうしようもなく潔癖で、どうしようもなく不器用で、どうしようもなく愛しい(・・・)、自分の大好きな人なのだ。

 

「ううん違うよ、今の私が見ているのはちゃんと今のリィン君だよ」

 

 故に確信を以て断言できる、彼は変わってなどいなかったのだと。

 自分たちが勝手に変わったと、そう思い込んでいただけなのだ。

 

「あのね、リィン君は変わってなんかいないよ。

 出会った時からの優しいあの頃の、私の大好きなリィン君のままだよ。

 リィン君が自分で言っている通りの存在なら、自分で自分を邪悪だなんて言ったりしないよ

 優しいからこそ、そんなにも自分を責めているんだよ。だから、特別扱い(・・・・)なんてしちゃいけないとそう思っている」

 

 一人になんてさせないと、そう言わんばかりに少女は少年を抱きしめる。

 自分の温もりを伝えるために。絶対に一人になんてさせてあげないのだと。

 

「違う。何度も言うが優しい人間はそもそも人を殺したりなんかしないんだ。

 優しい人間と言うのは君みたいなーーー」

 

 そう、だからこそ君のような人達が幸福に暮らすために自分はと少年は少女に告げようとする。

 少女を振りほどき、たった一人修羅の道を歩もうとする。

 

私は優しくなんかないよ(・・・・・・・・・・・)

 

 しかし、少女はそんな少年の幻想を否定する。

 彼の中にある膨れ上がった自分の虚像を打ち砕きにかかる。

 

「だって、私は凄いワガママだし、リィン君と違ってえこ贔屓まみれだもん。

 リィン君がたくさんの人を殺したって聞いても、それでも私はリィン君に生きていて欲しいし、幸せになってほしい。

 遺族の人がリィン君に死んで詫びろと言って、リィン君自身がそれを受け入れたとしても私は嫌だ(・・・・)って言うよ。

 だってリィン君は私の大好きな人だから、リィン君が傍に居てくれないと私は幸せになれないもん。

 リィン君が世界中の人から責められたとしたって、私だけは絶対に弁護側に立って堂々と言うよ。

 「リィン君は皆のために戦い続けた、とってもとっても優しい人なんです!」って」

 

 そうして少女はあなたの居ない世界に私の幸せは存在しないのだと、一人で勝手に背負い込んで勝手に逝ってしまいそうな英雄へと釘を指す。

 あばたもえくぼというやつで、大抵の少年の欠点も美点に見える彼女であったが、こればかりは早急に改善して欲しいところであった。

 

「だからね、最初に言ったお願いも、そんなえこ贔屓まみれのズルい女のワガママ。

 お願いリィン君、クロウ君を殺さないで。あんなに仲の良かった二人が殺し合うところなんて私、見たくないよ」

 

 呆気に取られた様子のリィンにトワは間髪入れずに追撃を行う。

 畳み掛けるべきは今をおいて他にないのだと。

 

「だが、アイツは帝国宰相を殺したテロリストだ。

 どれだけ君にとって……そして、俺にとってアイツが大切な存在だったとしてもそれは動かしがたい事実だ。

 そしてアイツが帝国のために戦う気はないと言っている以上、司法取引の可能性は凡そ絶望的だ」

 

 愛しい少女のワガママに少年は伝える。

 現実の無情さを。どれだけ嫌だと子どもが泣き叫んでも、世界は冷徹に選択を突きつけるのだと。

 

「うん、だから一緒に考えようよ(・・・・・・・・)

 クロウ君もリィン君も一人で決めて、一人で納得して進んじゃわないで。

 一人でどうにも出来ないなら、相談しようよ。だって、それが友達(・・・・・)でしょう」

 

 どこまでも青臭くて真っ直ぐな綺麗事をトワは告げる。 

 トワを振りほどく事、それは力の面で言えばリィンには容易い。

 だが、それが出来ない。青臭い理想論、それを笑い飛ばす事がリィンには出来なかった。

 何故ならば、それはーーー

 

(ーーーああ、そうか)

 

 リィン自身の心の中にある確かな願いだったから。

 5人揃って大人になり、老人になるまで自分たちのこの友情が続く事を他ならぬリィン自身もかつて望んでいたから。

 そして何よりもーーー

 

(これが、惚れた弱みという奴か)

 

 そんな青臭い綺麗事を真っ直ぐに語れる優しさこそが、リィン・オズボーンのトワ・ハーシェルに惚れた最大の理由だったのだから。

 

 鋼鉄を纏っていたその心に愛という不純物が混入する。

 故に英雄は完成に至らない、一滴であろうと水が混ざってしまえば、それは純粋なワインではない。

 それがどれほど綺麗な天然の水であろうとだ。

 それは鉄血の後継としては紛れもない失格である。

 愛する妻の忘れ形見たる息子であろうと、駒に出来る強さこそがギリアス・オズボーンであったが故に。

 

「ああ、わかったよ。君には本当に敵わないな」

 

「それじゃあ!」

 

「ああ、一緒に考えよう。あのバカを連れ戻すための方法を」

 

 公正さ、という点で考えれば失格だろう。

 結局自分は友誼と愛情を優先させた。

 それは祖国にただ繁栄を齎すための英雄としては間違いなく、不合格だ。

 結局のところ、自分は己に課した役目に徹し切る事が出来なかったのだ。

 だけど、後悔はなかった。この世界で一番愛しい人が目の前で笑ってくれているこの光景こそが、何よりもの報酬だとそうリィンには思えた。

 結局、彼には大切な者を捨てきる事など出来なかったのだ。

 

 何故ならば彼の根底の願いはどこまでも、大切な者を護る事。それこそが抱き続けた誠の想いだったが故に。

 今、リィン・オズボーンは確かに己自身の道を歩みだした。

 鉄血の子として父の背中を追うのでも、獅子心皇帝の継承者という重責に囚われるのでもなく、それを誇りとして自らの道を歩み始めたのだった……




「分かっていて俺は契約した。これがヤバイ力だということくらい。なのに!」


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星空の誓い

リィン・オズボーンは即断即決の男。
威風堂々とした帝国男児の鏡です。


「いやはや、愛の力は偉大って事かねぇ……」

 

 しみじみとした様子でレクターは呟く。

 その視線の先には先程までの張り詰めた空気をどこかへやったような優しげな様子で学院生の和に混ざり、久闊を叙す義弟の姿があった。

 そしてそんな優しげな顔を浮かべるようになった義弟の傍には輝く笑顔を浮かべる少女の姿があった。

 

「ええ、あの子の女性を見る目は確かだったとそういう事でしょうね」

 

 微笑ましさと安堵とそしてわずかばかりの寂寥感を覚えながらクレアもその光景を見つめる。

 

「それに比べていやはや、俺らのだらしない事。だらしない事。

 散々兄貴風を吹かせていたっていうのに結局何にもできなかったな」

 

「それを言うなら私も同じですよ、レクターさん。

 あの子が変わってしまったと嘆くばかりで、彼女ほどに誠実に向き合う事が出来ませんでした」

 

 纏うようになった風格に惑わされて、その奥底にある変わらぬ素顔に結局自分は気づく事ができなかったと自嘲混じりにクレアは口にする。完敗と、そう言う他ないだろう。

 

「あ、クレアってばこんなところに居たんですね」

 

 二人が落ち込んでいるとまるで悩みなどというものを生まれてこの方持った事がないとでも言わんばかりの明るい声が響きだす。そしてその声に振り返ってみるとそこにはクレアの数少ない心許せる友人が居て……

 

「アデーレさん、どうかしたんですか?」

 

「どうかしたか?じゃないですよ!あのですね、考えても見てください。

 今この場に居る人員の多くはトールズ士官学院の在学生なわけですよ。

 しかも!ですよ、学院を解放した直後とかいう最高に盛り上がっているわけなんですよ!

 見て下さいよ、あちらこちらで学生としての本分を忘却したかの如く、愛をささやきあっている肉食獣共の群れを!!!」

 

 吐き出される息、そこからは見事なまでに酒気の色が漂い、良く良く見てみればその頬は赤く染まっている。

 戦乙女と称される女傑アデーレ・バルフェットは現在、紛うことなき酔っ払いと言うべき有様であった。

 

 「もう、寂しい女やもめの身としてはキラキラとし過ぎていて一人で居るとちょっと居た堪れない感じが半端じゃないんですよ!!!

 というわけで、一緒に飲みましょうよクレア!私達親友同士じゃないですか!!!一緒にトールズの赤い雨と呼ばれた仲……」

 

 その瞬間アデーレの視線がクレアの横に居る赤毛の男の方に行き、そして止まる。

 レクター・アランドールという男はパッと見で整った外見をしている。

 外交官の役割を果たす以上当然身だしなみや作法と行った社交技術も極めて高い。

 さて、そんな人物と二人きりで憂い顔を浮かべて、会話をしていたクレアが親友の目から見てどう見えるかと言えば……

 

「こ、この裏切り者!いつの間にそんな若干チャラそうだけど、割と優良物件っぽい男を掴まえていたんですか!!陰で男のいない私の事を嘲笑っていたんですね!」

 

 アデーレ・バルフェットは先程までにこやかに親友と呼んでいた相手を憎むべき怨敵を見るかのような様子でそう罵倒する。

 

「あの、アデーレさん。私とレクターさんは別段そういう仲では……」

 

「じゃあどういう仲なんですか!?」

 

 一方のクレアはただただ困惑するばかりである。

 レクター・アランドールとは確かに職務上それなりに交流はあるものの、そういう男女間のアレコレの甘酸っぱいものはない関係である。

 かといってビジネスライクな仕事上だけの付き合いというわけでもないので、自分たちの仲を形容するのならそれはやはり……

 

「それは、そうですね姉弟のような……」

 

「ふ、いやぁついにバレちまったみてぇだなクレア。こうなったら隠しきれるもんじゃないだろ」

 

 そう言いながらレクターは馴れ馴れしい様子でクレアを抱き寄せる。

 無論そのような事実は一切存在しない。何時ものからかい癖が出てきたのだろう。

 そしてその光景は酔っ払いに対してはクレアの百の弁解の言葉よりも強く訴えかけて……

 

「やっぱりそういう仲なんじゃないですかーーー!!!この裏切り者!!!!」

 

 調子を取り戻した様子で油を注ぐ相方の存在もあり、酔っ払った親友をなだめるのにクレアは多大な時間と労力を要するのであった……

 

・・・

 

「……と言うわけで、あの馬鹿を連れ戻すために君達の協力もお願いしたくてな。

 意見があれば是非とも聞きたい」

 

 あの後、トワの説得を受け容れたリィンは談笑するオリビエとⅦ組の面々の前へと姿を現した。

 その様子は打って変わった優しさに満ちたものである、例えるならそれは強度に靭やかさも加わった新たなる境地であった。

 

「前はアイツは俺が殺すって言ったのに。言っている事が随分と変わったね。どういう心境の変化さリィン」

 

 その場に居合わせた者の意見を代弁するかのように口火を切ったのはミリアムである。

 それは咎めるというよりは、純粋な疑問の発露と言った様子であった。

 

「ああ、何良く良く考えてみれば、確かにアイツは現在貴族連合の英雄であり、敵という立場だが何も直々に抹殺を命じられたわけではない。

 だったら最大限“現場の努力”として生かして捕らえるか引き込むかをする事自体は問題がない事に気づいた……いや、気付かされたというべきかな。

 一つ親友だった好で、アイツが生きられるように努力してみようとまあそういう気になったのさ」

 

 それがリィンとトワ、二人の想いをぶつけ合った結果の妥協点であった。

 リィン・オズボーンは徹頭徹尾筋金入りの軍人である、故に軍人としての節を曲げる事は出来ない。

 命令があれば全力で以てクロウ・アームブラストを撃滅にかかるしか無い。

 しかし、現在クロウ・アームブラストを必ず殺せと言った命令は受けていない。

 ならば生かして捕らえるようにするだとか、投降を促すだとかは“現場の努力”で十分に可能なのだ。

 無論生かして捕らえたとしても、クロウが帝国宰相暗殺の実行犯であること、帝国解放戦線は公式にはザクセン鉄鋼山で壊滅した事となっており帝国政府としても実は取り逃がしていた等と公表する意味合いは薄いので道義上はともかく法律上は解放戦線リーダーとしての罪で裁かれる可能性は薄いと考えられる、がネックとなってくるがその辺はそれこそ生かして捕らえた後の話である。

 最大限本人自身の説得も弁護も試みる、その上で最後にクロウ・アームブラストの罪を裁くことになるのは司法の役目となってくる。秩序の守護者たる軍人である以上リィン・オズボーンはそこを違える事は一切ない、だが法の範囲内で“親友”の助命のために最大限の努力は試みて見ようと思ったと、要はそういう事なのだ。

 強度という面で言えば以前の方が上だったろう、殺す事を前提にした上で剣を振るうのと相手を生かそうと努力した上で振るう剣では当然鋭さという点では前者の方が上になる。だが、柔軟なのがどちらかと言えば、それは間違いなく今のリィンであった。

 

「それに」

 

 そこでリィンはとても穏やかな微笑を湛えて

 

「男としては可愛い恋人からのお願いとなれば出来るだけ叶えてやりたいというのが人情だろう?」

 

 どこまでも爽やかな様子で堂々と告げられた惚気に一同は呆気に取られる。

 そしてそれを為したであろう少女を感嘆の眼差しで見つめる。

 

「アハハハハハ、会長ってば凄いね!あの状態のリィンを説得するだなんて。

 これが愛の力ってやつかーうーん、これはちょっと僕も予想外だったなー。

 でもさ、本当に大丈夫?今のリィンはおじさんの後継者なんだよ。

 僕が会長の事を見くびっていた事は認めるけど、僕があの時語った事は脅しでも何でも無いんだよ。

 今のリィンはあのおじさんの後継者で、跡継ぎなんだからさ」

 

 ミリアムの指摘は正しい。

 ギリアス・オズボーンという強力な指導者を筆頭に革新派は今回の内戦で多くの人材を失った。

 カール・レーグニッツが優秀な政治家である事は確かだが、基より武官と文官というのは対立しがちなもの。

 行政官僚出身で軍人経験のない彼では軍を纏めきる事は出来ないだろう。

 そうなれば、当然今回の内戦で頭角を現してきた、宰相の一粒種へと注目するのは当然の成り行きなのだから。

 

「そうだな、お前の指摘は最もだよミリアム。

 戦いが終わったらそれで大団円等となるのは物語の世界でだけだ。

 現実にはむしろその後始末で揉める事が多い。

 古来より“英雄”を殺すのは眼前の敵ではなく、背後の味方と言うしな」

 

 そんなミリアムの指摘にリィンは百も承知だと頷く。

 そしてその上で傍らにいる少女へと優しい微笑みを向けて

 

「だからトワ、結婚しよう」

 

「うん!……………えっと今なんて言ったのリィン君?」

 

 思わず反射的に答えたトワであったが、その投下された爆弾を前に忘我に陥りながら聞き間違いかなと問いかける。

 

「結婚しようと言ったんだよ。この内戦が終わって少し落ち着いて、君がトールズを卒業したら」

 

「————え、えぇえええ〜〜〜〜〜ッ!!??」

 

 響き渡った絶叫を前にしてもリィンは揺るがず堂々とした様子で言葉を紡いでいく。

 即断即決。この少女がどれだけ自分にとって大切かわかったからこそ決して手放さないとばかりに。

 

「ミリアムが言っていた通り、これから俺には色々とあると思う。

 俺を憎む者も居れば、媚を売ってくるものも居るだろう。

 それこそ好を通じようと、政略結婚を持ちかけてくる人間も居るかも知れない」

 

 亡き宰相の唯一の実子にして後継者という立場、そこから逃げる気などリィンには毛頭無い。

 自分の理想を成し遂げるためにはどうしたって権力というものを手に入れるのは必要不可欠だ。

 何故ならばリィン・オズボーンの抱く理想とは大切な人も、そして多くの民が笑える祖国にするという事にあるのだから。

 理想を成し遂げるには“想い”だけでなく、力も必要である以上、権力という力を手中に収めるべく上を目指し続ける。

 

 そうなれば当然様々な勢力が彼と好を通じようとするだろう。

 権力者を目指すというのはそういう事だ、互いに利用しようと画策し合う、片手で握手を交わし合いながらもう片方の手に短剣を忍ばせる、心洗われる関係。

 様々な勢力が彼と縁を結ぼうと画策してくるだろう、政略結婚という古来からの常套手段を用いて。

 

 

 

「そしてそれらから君を護るには“恋人”だとか“婚約者”だと言った曖昧な関係だと危険なんだ。

 それこそ俺と君を引き離すべく様々な手段が講じられる可能性がある」

 

 そしてその際に平民の恋人等という存在が、どう映るかというのは想像に難くない。

 マキアス・レーグニッツにとってのトラウマが再現される事は十分に有りえた。

 好きだけで何とかなるのは学生時代まで、大人になればそこには様々なしがらみが発生する事になるのだ。

 

「だから以前の俺は君と別れるべきだと思っていた。

 もう、俺なんかの傍に居ないほうがきっと君は幸せになれるとそう勝手に思い込んでいたんだ。

 ……同時に上を目指すならば、そういう手も有効だと囁く自分が居た」

 

 そしてリィン・オズボーンが上を目指すならば、それは確かに追い風となりうるものだ。

 陳腐な手ではあるが、陳腐というのはそれだけで有効だからこそ使い古されているという事でもあるのだから。

 リィンが単に上を目指すならばただの平民でしか無いハーシェル家よりも、政財界の中枢に居るような家と好を通じたほうが良いのは確かだっただろう。

 

 しかし、その上で

 

「だけど、今回の件で君が俺にとってどれだけ大切な人かが良くわかった。

 君が笑顔で居てくれる事こそが俺にとっての最大の幸せだとも。

 でも、俺は欲張りな男だ。君だけじゃなく多くの人を、この国を俺は護りたい」

 

 リィンの心の中で燃え盛る愛国心、そして民を護りたいという気持ちは変わらない。

 自分は彼女を愛している。同時にこの国も愛している。

 だからこそどちらも捨てない、どちらを捨てても自分はきっと後悔するから。

 

「そのためには俺だけの力じゃ足りない。

 だから、これからさっきずっと俺と一緒に居て欲しい。

 どちらかが一方的にどちらを支えるのでも護るのでもなく、支え合ってこれからの人生を歩んでいけたらと思う。

 きっと君には色々と苦労させると思う。俺はこういう男だから、君だけのために生きるなんて生き方はきっと出来ない。

 だけどそれでも君を愛おしいと思うこの気持に嘘だけは決して無い。

 だからトワ、俺と一緒になって欲しい。きっと君が傍に居てくれれば俺は無敵の英雄になれる」

 

 その言葉を告げられた瞬間にトワは一瞬忘我に陥る。

 ひょっとしてこれはまたあの優しい幸せな夢の続きなのではないかと。

 だが伝わってくる彼の温もりが、高鳴る鼓動がそうではない事を教えてくれた。

 ーーー迷いはなかった。だってそれは彼女にとってもずっと欲しかった言葉だから。

 

「……はい!」

 

 返事と共に二人はそっと口づけを交わし合う。

 交わした言葉を誓いとして永遠にするべく。

 しばらくの間そうして見つめ合っていたが、そこでクルリと忘我の境地へと陥った面々の方へとリィンは顔を向けて

 

「というわけだ。式には呼ぶから是非とも出席してくれ」

 

「というわけだ……じゃないわよ!!!」

 

 あっさりとした様子で告げる男へと、その場の者たちの意見を代弁するかのように独り身の女(サラ・バレスタイン)の怒りが炸裂した。

 

「あのねぇ……こちとら散々心配していたのよ。

 どうしたら止められるか、なんて声をかけたら良いのかとヤキモキしていたわけ! 

 だっていうのに、いきなり現れてえらい方針が変わったと思ったら……いや、それ自体は別に良いことなんだけど。

 何よりも……そういうこと(プロポーズ)は二人っきりでやりなさいよ!!!」

 

 怒りと共に担任教官が口火を切るとその場に居合わせた面々もそれに乗っかるかのように

 

「リィンと会長ってばラブラブー」

 

「ヒューヒュー」

 

 ミリアムとフィーのちびっこ二人はそんな風に囃し立てて

 

「うむ、大変にめでたい事だ。おめでとうございます、お二人とも」

 

 ラウラはどこかズレているようで一周回って正しい凛とした様子で祝福の言葉を述べて

 

「リィン先輩の纏う風が随分と変わった。嵐のような風から、穏やかに吹き抜けるような優しいものに」

 

 ガイウスは相も変わらぬ落ち着きようを見せて

 

「姉さんと父さんはきっと大騒ぎするんだろうなぁ……でも良かった。おめでとうリィン。会長、リィンの事よろしくおねがいします」

 

 エリオットはそんな身内として寿ぎの言葉を述べて

 

「リィン先輩のような強さが彼にあれば義姉さんも……いや、それはそれで義姉さんは苦労させられていたんだろうな」

 

 マキアスはどこか過去の事を吹っ切るような様子を見せて

 

「セリーヌ……私って本当に……」

 

「ああもういちいち落ち込むんじゃないわよ」

 

 エマは自分の魔女としての在り方について落ち込み己の使い魔に励まされたり

 

「ふふふ、お嬢様にも早く良きお方が見つかると良いですわね」

 

「わ、私よりもシャロンの方が先でしょうが!!!」

 

 ラインフォルトの主従は相も変わらぬ仲の良さを見せてと思い思いの反応を取っていく。

 そんな中二人の親友であるジョルジュ・ノームはそっと二人へと近づいていき

 

「おめでとう、二人とも。きっとアンとクロウが知ったら大騒ぎするだろうね」

 

 この場には居ない二人の親友、その様子を思い浮かべて万感の想いが篭った様子で宣言する。

 

「特にアンはずっと、リィンの事を一発ぶん殴ってやるとか言っていたから覚悟していたほうが良いよ」

 

 あの一人で突っ走っている大馬鹿野郎を私は必ずぶん殴って目を覚まさせてやる、そんな事を言って自らに流れる血の責務を果たすために今、この場には居ない親友へとジョルジュは思いを馳せる。

 

「……甘んじて受け入れるさ。だけど、俺だけ殴られるのは不公平だとそうは思わないか?

 俺も一人で突っ走った自覚はあるが、それでもアイツ程じゃない。そうだろう?」

 

 勝手に繋がりを断ち切ったつもりでいる大馬鹿は決して自分だけではないはずだと告げたリィンの言葉にジョルジュは苦笑して

 

「確かに、そうだね。リィンだけがアンに殴られるのは不公平だ」

 

「ああ、だから連れ戻してやるさ。一発盛大にぶん殴って、襟元引っ張ってでも連れて帰る。

 そして俺達の結婚式に出席してもらうのさ」

 

 そうしてリィン・オズボーンは2ヶ月振りにトールズ士官学院へと帰還した。

 トワとの結婚について友人達には囃し立てられ、教官たちには驚かれながらも祝福されるのであった。

 そうして皆の輪に混ざりながら食べた食事でリィンは久方振りに感動を味わう。

 目覚めてから全く感じていなかった味を感じたのだ。

 それは彼が英雄以前に誰かと共に笑い合い、喜び合う一人の人間であることへと立ち返った確かな証であった。

 トリスタの空にはかつて5人が誓い合ったの同じ、満面の星空が広がっていた……

 




「俺、この戦争終わったら結婚するんだ……」



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神話の再現

 

 決戦の日となる早朝、大帝縁であるトールズ士官学院の校庭に有角の若獅子たちは勢揃いした。

 その表情は皆決戦に赴く覇気に満ちあふれており、彼らこそがこれからの国を背負っていく逸材と称すべき宝である事を示すものであった。

 

「トールズ士官学院全学院生、集合しました」

 

 そしてそんな若き獅子たちの代表者たる生徒会長を務めるトワ・ハーシェルは凛とした様子で自分たちの剣を捧げるべく主君へと報告を行う。

 そしてそんな集いし頼もしき若者達を見てオリヴァルト・ライゼ・アルノールはその表情を一瞬綻ばせた後に常とは変わった凛とした様子で

 

「まずは一つ、君達に礼を言いたい。

 君達は学生の立場だ、にも関わらず誰に命令されたわけでもない。

 君達は己の意志で此処に集ってくれた。

 諸君らの中には貴族も居れば、平民も居る。

 中央出身の者も居れば地方出身の者も居るだろう。

 皆、それぞれ抱く思いと夢があるだろう。

 そんな中諸君はそうした立場の違いを乗り越えて、こうして此処に集ってくれた。

 私には、そんな諸君の有り様が何よりも誇らしい。

 この学院の理事長として、この国の皇子として何よりも。

 今、この場にはおられない学院長も今の諸君を見ればきっと同じ感慨を抱く事だろう」

 

 万感の思いを込めてオリビエは学院生たちへと向けて告げる。

 

「私は、これよりこの国の皇子として諸君に命令をする。「死ぬな」」

 

 真剣そのものな様子でオリビエは命令する。

 だが、それは命令という形をとった彼の願いであった。

 

「『若者よーーー世の礎たれ』知っての通りこの学園を創立したかの獅子心皇帝の言葉だ。

 だが、この言葉は決して自己犠牲を求めた言葉ではないと私は思う。

 誇れる仲間と共に道を切り開き、跡から続く者たちへと希望を残す事。

 愛する者と子を育む、その子が健やかに育てる、そんなささやかな想いと行い。

 それこそが真に世の礎足るという事だと私は思う」

 

 獅子心皇帝ドライケルス・ライゼ・アルノール、獅子戦役を治めたエレボニア帝国中興の祖。

 多くの人の思いを束ねて彼は偉業を成し遂げた。そして自らの思いを託せる若者を育成するべく、この学院を作り上げた。

 そんな人物が、安易な自己犠牲を推奨する等オリビエは思わない。故にこの言葉はもっと重い責務を課した物なのだと。

 

「これからのこの国を築いていくのは君達なのだ。

 だからこそ、君達は決して死んではならない。

 無様でも良い、情けなくても良い、潔く死ぬ位ならどれほど恥を晒す事になろうと生き足掻いて欲しい。

 私は理事長として諸君の弔辞を読み上げるつもりなど断じて無い。

 読み上げると決めているのは学院を巣立つ君達への祝辞だ」

 

 眼の前の若者たちは死地へと誘う立場でありながら、オリビエは傲慢にもそう宣言する。

 だが、それで良いのだ。皇族とはーーー人の上に立つものとは死ねと命じた人物が生還する事を心の底から望む、そんな傲慢(ワガママ)さがなければそも務まらぬものなのだから。

 

「巡洋艦カレイジャス、これより囚われの皇帝陛下を救出するべく作戦を開始する。

 諸君に女神と獅子心皇帝の加護を!!!」

 

 12月31日09:00。

 オリヴァルト・ライゼ・アルノール率いる紅き翼の勢力は内戦を終わらせるための乾坤一擲の策、カレル離宮解放作戦を開始した。

 

・・・

 

「皇帝陛下に弓引く逆賊が接近中……皇帝陛下に弓引く逆賊が接近中……」

「討伐が終わるまで外出を控えるように……討伐が終わるまで外出を控えるように……」

 

 貴族連合軍と正規軍が激突を開始した最中けたたましいサイレンが帝都の街中に響き渡る。

 

「ふん、何が討伐だ……」

 

「糞貴族共め……逆賊はてめぇらの方だろうが!」

 

 そして伝え聞くサイレンの内容に対して帝都市民たちは一様に嫌悪の表情を顕にする。

 基より帝都は革新派のお膝元であり、そこに住まう市民たちは一番改革の恩恵に浴していたのもあり、凶弾に倒れたギリアス・オズボーン宰相を一番熱烈に支持していた層でもある。

 何よりも彼らの目には国難にあって貴族と平民の垣根を超えた一致団結を訴えた宰相の姿と、それを体現するが如き若き英雄の姿、そしてそれらを踏みにじるが如き暴挙に及んだ貴族達の姿が焼き付いている。

 そして、暴挙に及んだ後の帝都で市民たちの生活は圧迫された。帝都に住む80万もの人口、これを養う食糧などは全て鉄血宰相が帝国全土に張り巡らした、鉄道網を使った流通によって賄われていた。

 だが内戦が勃発した事によって民需系の流通を圧迫され、必然帝都市民の生活もそれに比例されるかの如く圧迫されていった。

 心情的にも実利の面でも、帝都市民の大多数にとっては“国難”に際して暴挙に及び内戦を引き起こした貴族連合に悪感情を抱けど、好感を抱く理由などありはしないのだ。

 

「貴様ら、何を集まっている!」

 

 しかし、そんな不満を爆発させる事は出来ない。

 大多数の人間は不満を抱けど、有無を言わさぬ“力”を前にすれば屈服せざるを得ないのだ・

 

「く……」

 

「ちくしょう……」

 

 故に不満をぶちまけていた帝都市民たちも沈黙せざるを得ない。

 誰だとて生命は惜しいのだから。それは決して責められるべき事ではない。

 むしろこの状況で後先を考えずに暴れる方こそ、蛮勇と称されるべきものだろう。

 

 故に……

 

「貴族連合の兵士たちに告げる。私はエレボニア帝国皇帝ユーゲント・ライゼ・アルノールが長子オリヴァルト・ライゼ・アルノールである!」

 

 そんな無力な民草の嘆きを払うべく、英雄とは現れるものなのだ。

 

「これより巡洋艦カレイジャスは囚われの皇帝陛下を救出するべく行動する。

 改めて告げる、道を開けよ!諸君らに帝国の民としての誇りがあるのなら早急にその道をあけるべし!」

 

 高速で接近するカレイジャス、しかし帝都上空を護るラマール領邦軍の航空部隊は沈黙したまま迎撃の構えを取る。

 返事をしないのは「聞こえていなかった」という体裁を取り繕うつもりだろう。

 

「やれやれ……ダメ元でやってみたがやはり駄目だったね。

 やはり放蕩皇子の私では威厳というものが足りていないという事かな」

 

 軽い自嘲の言葉を述べた後にオリビエはその表情を引き締めて

 

「止む得ない。払い除け給え、オズボーン中佐」

 

「御意」

 

 そして皇子の進む道を切り開くのは古来より騎士の役目と相場が決まっているのだ……

 

 

「おい、アレ……」

 

「灰色の騎士様!」

 

 その光景を目にした瞬間に帝都市民達の目は一様に輝き出す。

 それは2ヶ月前に見た灰色の機体。帝国の正義を体現する機体で、それを操るのは帝国の若き英雄。

 貴族連合の支配する中でもずっと市民達が待ち焦がれていた光景だ。

 

「すげぇ……」

 

 為す術無く貴族連合の飛空艇部隊が不時着していく。

 それはもはや戦いではない、圧倒的な上位者による慈悲深ささえ感じる“裁き”の執行であった。

 またたく間の間に灰の騎士が紅き翼の道を切り開いて往く。

 その光景を見上げながら帝都の民はあらん限りの歓声を浴びせるのであった……

 

・・・

 

 灰の騎神を駆りながらリィンは奇妙な心地を味わっていた。

 見える(・・・)、まるで上空より盤面を俯瞰するように。敵の位置と動きが正確に。

 わかる(・・・)、次に敵が何をしてくるのかが。まるで未来を予知するかのように。

 故に自分が何をすれば良いのか、この場に於ける最適解が何のかを導くのも至極容易い。

 それは後の先を極めたが故の先の先となるヴァンダールの極意とも言える境地。

 リィンの師であるマテウス・ヴァンダールが見ていた風景だ。

 

(そうか、これが師が見ていた風景)

 

 此処にリィン・オズボーンは武の至境と言われる境地、“理”へと至った。

 鋼の理性によって胸の激情をを統御する事こそが守護の剣の本質。

 されど、それだけではその先へは至れない。

 何故ならば剣を振るうのはどこまで行っても、ただの人間(・・・・・)なのだから。

 どれほどの達人であろうと、武の至境に至り“剣聖”等と称されようと、“英雄”であろうともちっぽけなただの人間にすぎないのだから。

 理だけでは図り切れない正誤を超えた想いを自覚して、自分自身の弱さと向き合い、その弱さを含めて自分であると自覚する事、在るがままの自分を受け入れた真正見解、それこそが武の至境“理”と呼ばれる境地なのだ。

 トワ・ハーシェルによって自覚した想いが、最後のピースとなってリィン・オズボーンをついにその境地へと導いた。

 故に今の彼はちょっとやそっとでは止められない。帝国最高峰の実力者が騎神に乗っているのだから当然である。

 第2形態になる必要もなく、あっさりと飛空艇部隊を撃破していく。無論不時着できるように、損傷を抑えて。

 それは見るものに心からの畏怖を与える光景であった……

 

・・・

 

 カレル離宮の攻略を順調に進んでいた。

 カレル離宮を護る近衛は確かに精鋭だ。そこらの相手では歯牙にかけぬ練度がある。

 だが、襲撃してきた面々は断じて凡百の使い手ではない。

 武の至境たる理に至りし者が2名、そして達人が7名。

 それが現在紅い翼が今回の作戦で投入した戦力だ。

 白兵戦で相手取るには余りに分が悪い勝負と言えよう。

 

 加えて……

 

「我らの目的は皇帝陛下の救出にある!貴官らは一体何のためにその剣を振るうか!!」

 

 帝国において武の世界ではその名を知らぬ名高き光の剣匠が

 

「貴方達!それでも誇り高き近衛の一員ですか!!!カイエン公などに従い、恐れ多くも皇族たるオリヴァルト殿下に剣を向けるなど騎士の風上にも於けぬ行い。恥を知りなさい恥を!!!」

 

 2ヶ月前まで同僚として轡を並べていた麗しき戦乙女が

 

「諸君の役目は皇帝陛下の敵を討つことであるはず。

 ならば、諸君の敵は此処にはいない。道を開け給え

 一体如何なる理由に基づき、諸君はこの私、ユーゲント皇帝陛下が長子オリヴァルト・ライゼ・アルノールの進む道を阻んでいるのか!!」

 

 本来彼らが剣を捧げるべき対象である皇族の言葉が彼らの士気を激しく削いでいく。

 これでは戦いになどなるはずもなかった。

 順調である、そう余りに順調過ぎる(・・・・・)のだ。

 当然だが皇帝ユーゲントⅢ世の身柄などというのは貴族連合にとっても最重要の存在である。

 皇帝の身柄を確保されてしまえば、その瞬間彼らは正式な逆賊となる。

 帝国法に於いて大逆犯は財産、地位、爵位のありとあらゆるものを没収されて問答無用で死刑となる事が定められている。

 帝国人にとって大逆の徒になるというのは文字通り、総てを失うという事であり、とてつもない恐怖なのだ。

 無論、それだけではどうせ助からないのならばと破れかぶれとなっての抵抗を招くために通常そうした場合は

 その上で今すぐに投降すれば首謀者以外の者の罪は問わないなどという恩赦という飴を与えるのが常套手段だ。

 皇帝という権威の下行われるその揺さぶりは、かつてハルテンベルク伯相手に用いた皇女という権威とは比べ物にならない効果を齎すはずであり、皇帝ユーゲントⅢ世を確保されてしまえば、その時点で貴族連合の命運は潰えたも同然になるのだ。

 

 だというのに……

 

「殿下」

 

「ああ、わかっている。余りにも抵抗が無さすぎると言いたいのだろう?」

 

 西風の猟兵の二人の大隊長も。結社の執行者も。

 皇帝の警護へと就いていると事前に推測された面々が誰一人としてそこには存在しないのだ。

 一体これはどういう事かと疑念を感じながらも、一行は近衛達は蹴散らしながら進撃を続けていくのであった……

 

・・・

 

「全帝国臣民に告げる!私はエレボニア帝国第89代皇帝ユーゲント・ライゼ・アルノールである!

 我が子オリヴァルト、そして忠臣達の忠節によって虜囚の身より解放された事を此処に告げる。

 そして我が名に於いて貴族連合、正規軍の別なく命じる。ただちに戦闘を停止せよ!

 貴族も平民も関係ない、この国に住まう者は皆等しく皇帝たる余の子である!

 我が子が殺し合い、喜ぶ親は居ない。ただちに戦闘を停止せよ。

 余は対話による決着を両軍の指導者に求めるものである。これは勅命である。

 この命に従わず、尚も戦闘を続行する者は尽く“逆賊”として裁かれる事を此処に銘記せよ!」

 

 響き渡る皇帝より下された勅命。

 それは乾坤一擲の作戦の成功をこの上なく知らしめる号令であった。

 

「閣下!」

 

 喜色を顕にする副官に対して総司令官たるヴァンダイクは微笑を湛えながら頷き

 

「全軍に告げる!ただちに戦闘行動を停止せよ!!!ただし、相手の臨戦態勢が解除されるまで気は抜くなよ!!!」

 

 あちらこちらで兵士たちの歓声が響き渡る。熱烈な抱擁を戦友と交わす者も居た。

 

(終わってみれば随分と呆気ないものであったが……まあ戦争などというのは往々にしてこのようなものか)

 

 どこか拍子抜けする思いを味わいながらも、ヴァンダイクは息をつく。

 そう兎にも角にも自分の役目は一先ず終わったのだ。無論この後に待っているのは膨大な数の戦後処理なわけだが、その辺りは政治の領分であり、軍の再編だの何だのは貴族連合によって囚えられていた参謀本部の高官達が名誉挽回のためにも躍起になって行うだろう。

 自分がでしゃばってはむしろそれこそ彼らの立つ瀬が無くなるというもの。故に老骨に鞭を打った奉公もこれにて一先ずは終わりだと、肩の荷を下ろすのであった……

 

 

 

「馬鹿な!総参謀殿は一体何をやっていたのか!!!」

 

 喜びに沸き立つ者達も居れば憤激する者も居る。

 貴族連合の総司令官たるオーレリア・ルグィン将軍は己が愛機の中で烈火の如き怒りを吐き出していた。

 敵がこの内戦を終わらせるために皇帝の救出を試みること、そんな事は少々頭の回る者であれば容易にたどり着くものだ。

 当然オーレリアとウォレスにしてもその警告は行っていた。そんな両将軍に対して総参謀たるルーファス・アルバレアは優美な微笑みを湛えながら答えたのだ。

 「無論、それは百も承知。対策は万全ですのでお二方はどうぞ、正規軍の相手に専念して下さい」と。自信を以て。

 だというのにこれは一体どういう事なのか。あの才子の想定を敵が上回ったという事か。

 だが、それにしても余りにも身柄を確保されるのが早すぎる。この早さならば恐らく碌な抵抗も出来ずにカレル離宮は陥落したのだろう。

 これではまるで、最初からカレル離宮を死守するつもりなどなかったかのような……

 

「閣下」

 

 そこまで考えたところで、信頼する副官からの呼びかけにオーレリアは意識を取り戻す。

 

「如何致しましょうか?」

 

 我らは地獄の果てであろうと着いていくと言外に伝えるその忠誠にオーレリアは口元を綻ばせて

 

「どうするも何も、勅が下ったのだ。帝国貴族として取れる選択肢など一つしかあるまい。全軍!戦闘行動を停止せよ!!!」

 

 そう、自分たちの戦いは終わったのだ。

 今通信した副官のような自分に最期まで心中するような忠厚き者達も居るだろうが、末端の兵士はそうではない。

 彼らは逆賊となる事に耐えられないだろうし、何よりもこれで戦争は終わったのだという空気が広まってしまった。

 この状態ではもはや戦闘の続行など不可能というものだ、であるのならば潔く幕を引くのが将たる自分の役目であろう。

 勝てると踏んでいた、自らの野望、槍の聖女を超える勲をこの手に収めるこの上ない機会だとそう思っていた。

 だが自分はどこかで何かを読み違えたのだろう。自分の手の及ばぬところでこの戦いは終わったのだ。

 

(全く、道化も良いところだな。だが例え私が道化であろうと、それでも道化なりの矜持というものが存在する)

 

 即ち敗軍の将としての責を取ること。

 担ぐ相手と組む相手を間違ったという思いはある、だがそれも含めて自分は野望を叶えるためにこの企てに乗ったのだ。ならば、それも含めて自分の器量というものだろう。

 自らの野望のために多くの将兵を死なせた身としての責任をこれから自分は取らねばならない。それが武人としての矜持であり、将として投げ出すわけには行かない責務であった。

 黄金の羅刹オーレリア・ルグィン、自らの野望のために戦った彼女は決して善人だとも忠臣だとも言えないだろう。

 しかし、彼女が紛れもない“傑物”であることは彼女と敵対した者達であっても決して否定出来ぬ事実であった……

 

 

 此処に帝国を二つに別った内戦を幕を下ろす。

 そう、歴史として紡がれる戦いは終わった。

 故に、此処からは神話の領域である。

 

「ふん、偽帝めが囀っておるわ。だが“愚帝”によって紡がれてきた貴様らの時代は終わる。

 これより始まるのは正統なる皇帝による御代だ。我が祖先の大望、今こそこの私が叶えよう!さあ魔女殿、君の出番だ!!!」

 

 恍惚とした様子でカイエン公は告げる。その瞳の先に映るのは拘束された皇太子の姿……ではない。

 彼の心を奪って止まないのは、皇太子が接続された先にあるかつてヘクトル帝と共に暗黒竜を打ち破り、呪いをその身に浴びた大いなる騎士《緋のテスタロッサ》。

 獅子心皇帝などという“愚帝”によって歪められてしまった帝国の秩序を取り戻し、貴族の支配という彼の夢を叶えるための“力”であった。

 

 

「其は緋色の皇、千の武具を持ちて天冥の狭間を統べし者なりーーー」

 

 響き渡るのは蒼の歌姫によって紡がれるこの上ない美声、しかし紡がれるのは禁じられし呪言。

 大地が激しく脈動し、麗しき皇城の姿を変えていく。

 禍々しい、まるで御伽噺に謳われる魔王の居城のように。

 

「焔の護り手が末裔、今より御身に言祝ぎの唄を送らんーーー!」

 

 その唄の名は《魔王の凱歌(ルシフェンリート)》、250年前帝国を闇へと包もうとした呪われし魔王の居城《降魔城》を降誕させる禁じられた唄である。

 

「うううっ……あああっ……ぁぁぁぁぁ……!」

 

 痛ましい姿で拘束されたこの国の至宝は苦悶の声を挙げる。 

 そしてそんな痛ましい姿に対してもカイエン公に後ろめたい様子は一切ない。

 何故ならば彼にとって今の皇族など、偽帝の血脈に過ぎないのだから。

 

 そんな様子をクロウ・アームブラストはぼんやりと眺めていた。

 胸に去来するのは自分は一体何をやっているのかと、そんな思いだ。

 囚われの皇子に250年前の妄執へと取り憑かれた悪の貴族。

 物語であるのならば、悪役はどう考えてもこちらだろう。

 そして、今の自分には例え悪だろうと貫きたい、成し遂げたい想い、そんなものは存在しない。

 それに対してアイツは、決して揺らぐことのない鋼鉄の意志を抱いて此処へたどり着くだろう。

 国のため、忠誠を誓った主君のため、悪の貴族を討ち果たすべく“英雄”は現れるのだ。

 さて、そんな相手に果たして自分は勝てるのだろうか?こんな惰性で付き従っているような男が、決して譲れぬ理想を抱いて戦うアイツへと。

 ……まず、無理だろう。とてもではないが勝てるビジョンというものが浮かばない、何よりもなんとしても勝とうという気概が今の自分には決定的に抜け落ちている。

 かつて“怪物”を討ち果たした漆黒の意志を自分は完全に喪失しているのだ。

 

(だが、それでも俺には責任がある)

 

 親友をそんな怪物へとしてしまったのは他ならぬ自分の行いなのだから。

 ならば、そこから逃げるわけには行かないとクロウ・アームブラストは似合わない義務感(・・・)を拠り所にする。

 

 かくして物語は最終局面へと突入する。

 250年前、獅子心皇帝は最愛の女性の生命と引き換えに、緋の終焉の魔王を討ち果たした。

 その歴史を再現する事となるかどうか、それは神ならぬ身である今を生きる者達にはわからぬ事であった……

 

 

 

 




「カイエン公!一体何をやっているのか!!!」

人が真面目に戦争している中、トップがテスタロッサキメてトチ狂った事やりだしていたらそりゃオーレリア将軍もこう言いたくなるわ。


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世の礎たるために

この作品の主人公はリィン・オズボーンですが
この内戦の主役はリィン・オズボーンであると同時に、オリヴァルト・ライゼ・アルノールでもある。そんなイメージです。


 出現した煌魔城。

 紅き翼はただちに囚われたセドリック皇太子を解放するべく突入する……というわけにはいかなかった。

 何せ今、紅き翼にはこの国に於いて至尊の座に在りし存在、ユーゲント・ライゼ・アルノールとその妻たるプリシラ后妃も乗り合わせている状態なのだから。

 必然、一先ずお二方を安全な場所に送り届けてからという話になる。

 

 

 アルフィン・ライゼ・アルノールは不安に駆られていた。

 皇帝たる父の勅命が下り、これでようやく戦いは終わるのだと喜んだのも束の間、自分の住まいたる皇城が突如として禍々しい変貌を遂げたのだ。

 一度途切れた緊張の糸を取り戻すというのは難しい、まして其れがずっと無理をしてきた少女であるのならば尚更である。

 其処にいるのは皇女ではない、ただの少女の姿であった。

 ーーー父様や母様や兄様、そしてセドリックはどうなったのだろう?

 そんな不安が心を押し潰そうとする、不安で不安で仕方がない。

 皇女として気丈に振る舞わなければならないとわかっているのに、それが出来ない。

 

 そんな風にどうしようもない不安と焦燥感に駆られているとそっとその手をにぎる温かな温もりを感じて

 

「大丈夫です。姫様、きっと大丈夫です」

 

 微笑みながらそんな風に告げてくる親友の姿があった。

 

「エリゼ……」

 

 根拠など全く無い発言だ。

 でもそんな親友の励ましの言葉がアルフィンの心へと何よりも染み渡る。

 自分は決して一人ではないのだと、そう思えたからだ。

 そうきっと大丈夫だ、何故なら兄は自分に約束してくれたのだから。

 家族5人揃って帝都で会おうと。

 親友の手を強く握り返しながら、アルフィンは心から女神へと祈りを捧げる。

 どうか、私の大切な人達が無事で在りますようにと。

 

「殿下、閣下。オリヴァルト殿下より通信です。

 皇帝陛下を救出したゆえ、今から此処に連れてくると」

 

 そして、やはり兄はそんな自分の願いを叶えてくれたのだとアルフィンは安堵するのであった……

 

・・・

 

「お父様!お母様!!!」

 

 最愛の両親の姿を見た瞬間、アルフィンはたまらず走り出し、その胸に飛び込む。

 そこに居るのは気高き皇女ではない、ただ家族との再会を喜ぶ少女の姿があった。

 

「すまぬ……そなたには苦労をかけたな」

 

「貴方の活躍は陰ながら聞いていました。よく頑張りましたねアルフィン、母として貴方の事を誇りに思いますよ」

 

 優しく抱きしめられながら告げられたその言葉にアルフィンは総てが報われる思いを感じていた。

 城があんな風になってしまったのは気にかかるが、それでもこれで内戦前の日々が戻ってくるのだと、そう思ったところで肝心の後一人が居ない事に気づく。

 

「お父様、お母様……そのセドリックの姿が見えないようですけど、あの子は一体どちらに?

 私、あの子にずっと謝らなければいけないと思っていた事があるんです」

 

 娘からのその問いかけに皇帝と后妃は罰が悪そうに顔を伏せて……

 

「セドリックはカイエン公に連れて行かれた。恐らく今、あの城の中に居るはずだ」

 

「そんな……」

 

 父から告げられた言葉がアルフィンの心を打ちのめす。

 内戦が始まったあの日、アルフィンは弟であるセドリック皇子と喧嘩をしたのだ。

 その内容自体は些細なものであった、売り言葉に買い言葉のちょっとした姉弟喧嘩。

 アストライアで親友から「姫様の方から謝るべきだと思います、いくらご姉弟とはいえ、本人が気にしている事をからかうのは余り品の良い冗談ではありませんよ?」と宥められたのもあって、帰ったら謝ろうと、そう彼女は考えていたのだ。

 「ごめんなさい」と姉の方が謝って「僕の方も言い過ぎたよ」と弟が返す、そうして長兄であるオリビエは弟と妹の仲直りを祝して一曲披露する、そんな当たり前の光景が広がるはずだったのだ。

 だけど、内戦が起こってしまい、家族は離れ離れとなってしまった。

 ーーーもしも、このまま一生会えないなんて事になったらどうしよう、そんな不安に駆られて、それでも必死に大丈夫だと言い聞かせて居たというのに。

 

「父様!大丈夫ですよねセドリックは!だってあの子は皇太子ですもの!

 カイエン公だって、そんな荒っぽい真似は……」

 

「・・・・・・・・・」

 

 懇願するように縋りつく娘に対してユーゲント皇帝は沈痛な表情を浮かべ、黙り込む。

 自分は勅命を下した、にも関わらずカイエン公はそれに応じず煌魔城を顕現させた。

 そうなれば、恐らくカイエン公の目的は……となまじ裏の事情を知るが故に、安易に娘の問いに対して応える事が出来ない。

 押し黙ってしまった父を見てアルフィンは絶望的な心境になる。

 あんな会話が弟と交わした最期の言葉になるだなんて絶対に嫌だと。

 

「ーーーご安心下さい殿下、セドリック殿下は必ず自分が救出致します」

 

 そしてそんな姫君の不安を拭うべく、彼女に剣を捧げた騎士はそう誓いの言葉を口にしていた。

 

「リィンさん……?」

 

 湛えた微笑みは優美さを感じさせるもので、思わず見惚れるようなものだ。

 だが、纏う雰囲気が以前と変わっていた。

 以前までのリィンにはどこか緊張を強いる緊迫感があった。

 それは例えるならば良く斬れるが鞘に収まっていない抜き身の刃。

 取扱を誤れば自らの身さえも斬り裂くような魔剣の如き危うさがそこにはあった。

 だが、今のリィンは違う。

 良く斬れる刀である事に代わりは無い、だが以前にはなかった暖かさがそこには宿っている。

 それは鞘に納められた磨き上げられた名刀だ。

 

 そんなかつては覚える事のなかった安心感をアルフィンは目の前の騎士に対して覚えていた。

 

「殿下は私の願いに答え、今日まで皇女として必死に尽力して来て下さいました。

 故に殿下のそのご献身に私もまた応えましょう。

 祖国と皇帝陛下にこの身を捧げた帝国軍人として。

 殿下に剣を捧げし騎士として。

 何よりも、一人の人間として。

 必ずや弟御を無事連れて帰ると此処に約束させていただきます。

 セドリック殿下に比べればついでも良いところですが、もう一人連れ戻さないとならない馬鹿(・・)も居ますので」

 

 その言葉には必ず約束を護るというより強固な意志、そしてアルフィンを気遣う確かな優しさが込められていた。

 

「あ……」

 

 故にアルフィン・ライゼ・アルノールは安堵の涙を零す。

 これで安心なのだとそう魂が告げていたから。

 自分は目の前の騎士に相応しい皇女で在れたのだと、そう報われる想いを抱いたから。

 

「おっと、リィン君ばかりにいい格好をさせる気はないよ。

 他ならぬ私の弟の身に関する事なんだからね。

 当然私もセドリックを助けに行くつもりだ」

 

 そしてそんなリィンへと続くかのようにオリヴァルト・ライゼ・アルノールは優しい笑みを湛えながら告げる。

 

「しかし殿下、危険です」

 

「危険なのは百も承知。決して足手まといにならないことは先程離宮で証明しただろう?」

 

「あの時と今は状況が違います。

 離宮の警護を務めているのは近衛兵でした。故に殿下が相手ともなれば士気が低下することは明白。だからこそ危険を伴ってでも殿下が前に出る意義がございました。

 しかし、これより突入する煌魔城に居るは皇族に対する敬意を持ち合わせぬ狼藉者ばかりです。

 殿下がご無理を為さる理由は……」

 

「理由なら、あるさ」

 

 説得を試みるリィンに対してオリビエは真剣そのものの表情を浮かべて

 

「カイエン公によって囚えられているのは私の愛する弟だ。命を賭けるには十分すぎる理由だろう」

 

「ーーーーーーーーーーーー」

 

「私に戦う力が無いのならば、足手まといにしかならないと言うのならば委ねよう。

 だが私には君やアルゼイド子爵には及ぶべくもないが、それでも戦うだけの力が備わっている。

 ならば、指を咥えて任せるだけなんてことは出来ない」

 

 そこに込められた覚悟のほどにリィンは押し黙る。

 理屈で言えば、いくらでも反論は想い浮かぶ。

 しかし、そのような理屈を捏ねる事、それ自体がこの想いの前には無粋な様に思えてしまったが故に。

 

「……お気持ちはお察し致します。ですが殿下、やはり臣下の身として言わせて頂くならばーーー」

 

 しかし、それでもリィンは理に依る説得を試みる。

 正誤を超えた想いがあることは理解した、しかしそれでもやはり理を全面無視するのは危険だと思うが故に。

 誰かが情に流されず諌める役目を引き受けねばならぬと考えるが故に。

 

 しかし

 

「なんと言われようと、こればかりは私は譲る気はない。諦めたまえ、リィン君♥」

 

 にこやかに笑いながらそう言われてしまえば、もはやリィンにはどうする事もできずに諦めたかのように嘆息して

 

「承知いたしました。守護の剣を振るう者として、必ずや御身をお守り致します」

 

「ふふ、頼りにしているよ。だがまあそこまで気にする必要はないさ。

 自分の身位自分で護るし、何よりも私には頼もしい親友が居るからね」

 

「ああ、いつの間にやら追い抜かれしまったが、兄弟子として弟弟子にそうそう負けるわけにはいかないからな」

 

 信頼の篭った主君からの視線を受け止めてミュラー・ヴァンダールは前へと歩み出る。

 その表情には何があっても主君を守り抜くという絶対の覚悟が込められていた。

 

「無論、私も同行させていただきます。私はなんと言ってもカレイジャスの艦長であり、主君の道を切り開くアルゼイドの使い手なのですからな」

 

 アルゼイドの剣の真価を発揮する時は今だとヴィクター・S・アルゼイドが

 

「当然、私も行きますよ。可愛い姫様にこんな顔をさせているあの髭面には言ってやりたい事が山程あるんですから。姫様の騎士としてきっちり落とし前をつけさせてやりますとも!」

 

 うちの可愛い姫様を泣かせた奴はどこのどいつじゃーと言わんばかりの怒り心頭な様子でアデーレ・バルフェットが

 

「我ら鉄血の子、今こそ我らが父の忘れ形見のために。なーんつってな。

 義弟が身体張るって言ってんだ。当然、俺達も付いていくぜ」

 

 冗談めかした口で告げたレクターの言葉に頷くようにクレアも前に出て

 

「中佐をサポートする事が私の役目です」

 

 自分の居場所は貴方の隣にこそあると言わんばかりにアルティナも前に出て

 

「アハハハ、契約は最期まできっちり果たすのがうちの流儀だからね。

 西風の二人ともやりあってみたいし、何よりもリィンと一緒に戦える最後の機会だもん。

 当然、私だって同行させてもらうよ♥」

 

 まるで戦場ではなく遊戯場へと赴くかのようにキラキラとシャーリィ・オルランドは目を輝かせて

 

「どうやらうちの子達も皆同じ気持ちのようです。

 Ⅶ組一同、オリヴァルト殿下にどこまでも付いていく所存です」

 

 頼もしい教え子たちの意志を代表するかのようにサラ・バレスタインもまた参戦の意志を申し出て

 

「皆さん……」

 

「なるほど」

 

 感動するアルフィン皇女とプリシラ后妃、そして感慨深そうにユーゲント皇帝はつぶやいた後に己が息子を見つめて

 

「これが、お前が束ね上げたものなのだな。オリヴァルトよ。

 アルフィンと言い、知らぬ間に子どもというのは大きくなるものだな」

 

「いえ、私はそう大した事はしていません。

 貴方が築いてくださった礎にただ、私は続いた。

 それだけのことですよ、父上」

 

 凛とした微笑みを見せる己が息子、それを眩しそうにユーゲント皇帝は見つめる。

 諦めてしまった(・・・・・・・)自分と違い、この息子のなんと眩しい事かと。

 この息子ならば、あるいはあの男(・・・)とは違う形で運命に抗う事が出来るのではないかとそんな親の欲目も込みの期待を抱いて。

 そして親としての息子を見つめる視線から、この国の皇帝としての威厳を身に纏って……

 

「我が子オリヴァルト、そしてそれに付き従う忠臣達へとエレボニア帝国第89代皇帝ユーゲント・ライゼ・アルノールが命じる。

 我が子セドリックを救出し、逆賊カイエン公を討伐せよ!」

 

「「「「「「「イエス、ユア・マジェスティ」」」」」」」」

 

 下された勅命に対して恭しく一行はその場にて跪く。

 此処に為すべきことは定まった、後はやり遂げるのみだと決意を抱いて。

 

「兄様、皆様。どうかセドリックの事をよろしくお願いいたします」

 

 決戦の地に赴こうとする勇士たちに可憐なる皇女はそっと声をかける。

 一人の姉として、弟の身を案じる言葉を述べて。

 

「ああ、任せておきなさいアルフィン。次に会う時は帝都で一家5人揃って。

 順番は少しズレてしまったが、私は誓ってあの言葉を嘘にする気はないのだからね。

 だからどうか笑って待っていて欲しい。兄としては妹にはやはり、憂い顔ではなく笑顔で居て欲しいものだからね」

 

 優しい兄のその言葉にアルフィンは安堵の涙をこぼしそうになるが、すぐさまそれを拭い去り

 

「はい!信じて待っています!」

 

 そうして紅き翼を携えた若き獅子たちは、帝国の至宝の花の咲き誇ったような可憐な笑みに見送られながら決戦の地へと赴くのであった……

 

 




え?宰相閣下本当にこの空気で出てくるんですか?
なんか凄く「世の礎たるために」が流れ出して貴方が出てこなければ何もかも丸く収まりそうな空気漂っていますけど?
もうたくましく成長した息子に跡のことは任せて隠居なさったらどうです?

まあ本当に隠居されたら、帝国を纏め上げる強力な指導者が居なくなるので
多分クロスベルを共和国に分捕られて、内戦の痛手もあるので、色々と劣勢になって国がヤバイ事になるんですが。


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集中の原則

なんというか兄上とデュバリィちゃんの二人は凄い書きやすいです。
方向性は腹黒策士にポンコツワンコと全くの逆ですけど。


「これは殿下、陛下よりのご勅命は既に伝え聞くところ。

 これより貴族連合は“逆賊”クロワール・ド・カイエンを討ち果たすためにオリヴァルト殿下の指揮下に入らせて頂きます。どうぞ、何なりとご下命ください」

 

 貴族連合の総旗艦《パンタグリュエル》に居る貴族連合総参謀より、そのような通信が入ったのは紅き翼が帝都上空に突入した頃であった。余りの白々さに一瞬呆気に取られたのも束の間、すぐにオリビエは皇子としての威厳を身に纏い

 

「ふむ、忠道誠に大儀である……と言いたいところではあるが、どういうつもりかな?

 私の聞いたところによれば、貴族連合の総主宰クロワール・ド・カイエンと総参謀ルーファス・アルバレアは盤石の信頼関係で結ばれた仲であると、聞いていたのだが。つまり、ルーファス卿は彼を裏切るという事かな?」

 

「裏切るなど、人聞き悪い。

 私が、いえ我ら貴族連合がカイエン公を主宰として立てていたのは帝国に在るべき秩序を取り戻すため義挙と信じていたが故です。

 帝国の在るべき秩序とは何か?それは身分制です。

 従士と騎士は領主たる貴族に仕え、そして貴族は皇族に忠誠を誓う。

 偉大なるアルノールの血脈は我ら貴族を導き、そして我ら貴族はその導きに従い平民を庇護する。

 これこそが帝国の秩序です。そしてこの秩序が歪められていると感じたからこそ我らは立ったのです。

 しかし、それはあくまで陛下を誑かす佞臣を排除するための止む得ない措置というもの。

 誓って、我らは皇室への忠義を忘れた事などございません。

 それにも関わらず“逆賊”クロワール・ド・カイエンは皇帝陛下を幽閉し、その勅命を捻じ曲げていた、のみならず皇太子殿下を攫う等、誇りある帝国貴族として決して許されぬ行いです。

 すなわち、我らがカイエン公を裏切るのではありません。カイエン公こそが我らを欺いていたのです!!!」

 

 激しい怒りを以てルーファスはカイエン公を、頼もしい叔父上が出来て嬉しいですと微笑を讃えながら告げていたその口で、心底侮蔑するかのように罵倒を行う。

 そして一転して、落ち着きを取り戻したように沈痛な表情を浮かべて

 

「……知らなかったで許される事ではないと百も承知です。しかし、我らは誓って!皇帝陛下へ不忠を働くつもりなどなかったのです!

 無論、知らずとはいえ(・・・・・・・)大逆の徒に与してしまった罪は言葉だけで償い切れるものでないことは重々承知しております。

 それでもどうか!……どうか我らに名誉挽回の機会を与えて頂きたく。このルーファス・アルバレア、貴族連合の総参謀としてオリヴァルト殿下に心よりお願い申し上げます」

 

 丁重に洗練されたその礼は見ていて心よりの誠意が篭っていると錯覚するものであった。

 無論、そんなわけはない。ルーファスにしても他の貴族にしてもカイエン公が皇族を幽閉していた事を知らぬはずがない。

 要は、これはそういう事にして欲しいというお願いなのだ。

 貴族連合は勝ち目が消えた事を悟った、少なくとも、もはや強硬に抗うつもりはないのだろう。

 だからこそ首謀者であるカイエン公にこれ幸いと総ての罪をなすりつけだした。

 自分たちは誓って皇族に背く気はなかった、皇帝陛下が幽閉されているなど知らなかった、あくまで体調を崩されたので静養されているのだとカイエン公に聞かされていたのだ。その証拠に陛下の勅命にこうして従っていますとそういうわけなのだ。

 なんとも面の皮が厚いことだが、現実問題として貴族連合へと加わった貴族の数が多すぎる以上、その総てに大逆罪を適用等していては国が回らなくなるし、そんな事をすれば貴族達は最後まで抵抗するだろう。ーーーそれこそ、敵国たる共和国へと寝返る者たちも出るかも知れない。

 なればこそ、カイエン公が総て悪かった(・・・・・・・・・・・・・)、他の貴族達は罪が全く無いとは言えないが、あくまで騙されていたのだというルーファスの提示した落とし所は絶妙だろう。

 一体どの口で言うのかと不快さを感じるものはあれど、それを払いのけることは出来ずに……

 

「……卿の想いは理解した。

 ならばただちに我がアルノールの忠臣たるヴァンダール家を始めとした者たちを解放せよ。

 そして、帝都の民の保護に協力する事を求める」

 

「御意。直ちに取り計らいましょう」

 

 下された命に対してルーファス・アルバレアは恭しく礼を行い、それで通信は途切れる。

 貴族連合に於いて蒼の騎士と並び、カイエン公随一の腹心だと見られていた総参謀の離反、それはもはやカイエン公が如何に足掻こうが此処から挽回をすることは不可能だという事を如実に示していた……

 

 

・・・

 

「さあ、行くわよ貴方達!トールズ士官学院Ⅶ組!全力で魔煌兵を撃破するわ!!!」

 

「「「「「「「「「「「「応!」」」」」」」」」」」」」

 

 帝都に出現しだした魔煌兵、その対処をサラ・バレスタイン率いるⅦ組、そして解放されたヴァンダールの一門へと任せた一行は煌魔城へと突入する。

 これは事前の話し合いで決めていた事である、煌魔城は紛れもない死地。どれほど意志が有ろうとそれに伴う力を持たぬ者を同行させるわけには行かない。今更になるかもしれないが、未だ学生の立場たるトールズ士官学院のメンバーは教官達指揮の下、帝都市民の保護へと当たると。

 

 かくして有角の若獅子、そして守護の一門へと民の保護を委ね、煌魔城へと突入し進んでいく。

 やがて開けた場所に出ると、そこで待ち受けていたのは……

 

「ふふふ、良く来たね。ようこそ、我が居城煌魔城へ!」

 

 ヴィータ・クロチルダの用いた秘術によって城の頂上へと写しクロワール・ド・カイエン、そして痛ましい姿で拘束されたセドリック殿下の姿が映し出される。

 

「セドリック!」

 

「カイエン公……貴様、余りに無礼が過ぎるだろう」

 

 殺気の篭った視線が自身へと集中するが、カイエン公はそれに対しても全く動じず

 

「ふふふ、殿下には少々ご協力頂いているだけだよ。この帝国に在るべき秩序を取り戻すためにね!」

 

「……カイエン公。もう貴方に勝ち目はない、ルーファス卿は……貴族連合は貴方を見放した。

 この上は無駄な抵抗を止めて、弟を解放したまえ。そうすれば、無罪放免というわけには行かないが最低限、その命だけは助かるように取り計らう事を約束しよう」

 

 内心の怒りを押し殺しつつもオリビエはそう提案する。それはまさしく王者の度量とでも言うべきものであったが……

 

「揺さぶりのつもりですかな殿下。

 生憎ですがそのようなあからさまな嘘を信じる程に私は蒙昧ではありませんよ。

 貴族連合の抑えはルーファス君に一任している。

 そしてルーファス君が私を裏切るなど、有り得ぬ(・・・・)事なのですから。

 そして少々の劣勢など容易に覆す切り札(・・・)が、こちらには有るのですよ」

 

 しかし、そんな言葉も夢想に取り憑かれた愚者には届かない。

 あるのは絶対的とも言えるルーファス卿への信頼と、切り札とやらへの自信。

 ……後者はともかく前者に裏切られた事を知っている一行にはもはや、その有り様は道化にしか見えなかった。

 

「そして、不躾なら来訪者では会ったものの、客人に対して饗しの一つも用意しなくては我が公爵家の名が廃るというもの。

 君達には一つ、歓迎の宴を用意させてもらった!」

 

「歓迎の宴?」

 

「然様。これより先の階にてそれぞれ3つの階層ごとに合計5人の番人を用意させてもらった。

 そして君達にはそれぞれの階に於いて、その番人と同じ数の人間を対戦相手として選出して貰いたい。

 勝敗自体を問うつもりはない。あくまで君達が此処にたどり着くまでの間の軽い余興というものだ。

 ああそうそう、陳腐な脅しになるが、この余興がお気に召さないとなれば私としては、代わりに少々皇太子殿下に暇つぶしのお相手を願う事となるかもしれませんなぁ」

 

「・・・・・・・・・・・・!」

 

 あからさま過ぎる脅し文句に一行は不快感を隠せない。

 

「では我が怨敵の遺児にして灰の起動者よ。頂上にて君を待たせてもらうよ!ハハハハハハ」

 

 それっきりプツリと映像は途切れる。

 幾ばくかの静寂がその場に訪れて……

 

「あ・の・変態ヒゲ親父~~~~~~~!!!!!!」

 

 怒り心頭と言った様子でアデーレ・バルフェットがその怒りを真っ先に顕にする。

 飾らず感情をむき出しにする事が彼女の美点であり、欠点でもあった。

 軍隊生活で培った淑女にあるまじき、スラングによる罵倒の嵐がその口から飛び出しているが彼女の師も含めて聞こえないフリをする。

 

「殿下、如何致しましょうか?」

 

「……セドリックの身の安全がかかっているんだ。従うしかないだろう」

 

 無論、この煌魔城を顕現させるのにアルノールの血が必要な以上、カイエン公にセドリック殿下を殺すことは出来ないだろう。

 だが、殺すことは出来なくても命に別状はない程度に痛めつける手段などというのはいくらでもある。

 どうにも今のカイエン公は理性というものが吹き飛んだ状態にある以上、カイエン公の理性頼りの博打に出ることは流石に出来なかった。

 

「畏まりました。それでは番人とやらの相手をどうするか、ですね。

 5人の番人と言っていましたが、これまでのカイエン公の協力者として確認されているのは

 結社の人間が3名、《劫炎》のマグバーン、《怪盗紳士》ブルブラン、《神速》のデュバリィ。

 そして西風の旅団の大隊長であるレオニダス・クラウゼルとゼノ・クラウゼルの2名とみてほぼ間違いないでしょう」

 

 確認のために挙げたリィンの言葉に一同は頷く。

 

「そしてこちらの戦力は9人。

 私とリィン君はそれぞれ頂上に用があり、アルティナ君は流石に件のメンバーを相手取るには少々荷が勝つし、ミュラーは私の守護役だ。

 そうなると必然シャーリィ君、クレア君、レクター君、アデーレ君、そして子爵閣下にそれぞれの相手をお願いする事になる」

 

「交戦した身として意見を述べさせてもらうなら、他はともかく《劫炎》は一つ、下手をすれば二つ程桁が違います。

 我々の中で奴を相手取れるのは子爵閣下位かと」

 

「承知した。結社最強と謳われる火焔魔人、私がなんとかしよう。

 心臓を貫かれても死ななかったということだが……何、戦いようはいくらでもある。

 倒すことは出来ずとも最低限の足止め程度は果たしてみよう」

 

 帝国最強の一角と謳われる人物は頼もしい笑みを浮かべながら応じる。

 

「俺は、怪盗紳士とやらの相手をするかね。

 あの手のトリッキーなタイプの相手が務まるのはこの面子の中だと俺と殿下位ですが、殿下はセドリック殿下のご救出に向かわれるわけですし」

 

「ああ、我が美のライバルと決着をつけたいのはやまやまだが、流石にセドリックの身が最優先だからね。

 今回ばかりは私も自重する事にするよ」

 

 頼むから、今回だけでなくいつもそうしてくれ。そんな言葉を告げようとして寸前でミュラーは飲み込む。

 これでも数年前に比べれば大分良くなってきたから、この調子で行けばきっと……等とそんな叶わぬ願いを抱いて。 

 

「……そうなりますと、私が彼女の相手を務める事になるでしょうか。ノルドで交戦経験もありますし、何よりもコンビネーションという点で考えればレクターさんと一番協調出来るのはリィンさんを除けば私でしょうから」

 

「あ、すいませんクレア。その神速さんの相手なんですけど私に任せて貰えませんか?」

 

「……私では役者不足でしょうか?」

 

「あ、いえいえそういうわけじゃありませんよ。

 クレアの言っていることは最もだと思います。

 ただほら彼女何でも《鉄機隊》の筆頭隊士を名乗っているらしいじゃないですか?

 ちょっと、見過ごせないんですよね。レグラム出身のアルゼイドの使い手としては」

 

 研ぎ澄まされた闘志を内に秘めながらアデーレ・バルフェットはそう宣言する。

 槍の聖女と鉄騎隊の名は、帝国人にとっては特別だが、中でもレグラム出身の者にとっては一際特別な意味を持つ。

 何せレグラムの領主たるアルゼイド子爵家はそも槍の聖女が率いた鉄騎隊の副長を務めた人物を祖に持つのだから。

 レグラムの者にとって、ましてアルゼイド流を師事したような者にとって鉄騎隊とは幼少よりずっと憧れたヒーロー達なのだ。

 そんなヒーローの名を、よりにもよって結社等という犯罪組織の構成員が騙っているのだ。

 当然、面白いはずもない。

 

「……わかりました。彼女の相手はアデーレさんにお任せします」

 

 そしてそんな親友の想いを知るからこそ、クレア・リーヴェルトも相手を譲る事に抵抗はない。

 この親友が如何に誇り高い騎士かを知っているが故に。

 

「ありがとうございますクレア!お礼に無事帰った暁にはご飯奢りますね!」

 

 満面の笑みを浮かべる親友を見て自分の判断を間違っていないとクレアは確信する。

 これで敵5人の内3人の相手が決まった。さてそうなれば残るは……

 

「じゃあ、シャーリィと一緒に西風の二人とやり合うことになるのはクレアだね。

 よろしくね、クレアね・え・さ・ん♥」

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

 自分は判断を決定的に間違えたかも知れない。

 満面の笑みを浮かべる獰猛なる肉食獣を見てクレア・リーヴェルトはそんな後悔に駆られるのであった……

 




おまけ~もしもカイエン公が特に何も言わないまま各階で敵がそれぞれ待ち受けていたら~

デュバリィ「ふ、よく来ましたわね。しかし、此処を通すわけには行きませんわ」
怪盗紳士「此処を通りたくば、我らを倒してからにしてもらおうか」

リィン「そうか、では遠慮なく俺達全員で貴様らを叩きのめして先に進ませてもらうとしよう」

デュバリィ「へ?ちょっと待ちなさい!普通こういう時は「此処は俺に任せて先に行け!」と何人かだけ足止めに残るものではありませんこと!?」

リィン「?お前は何を言っているんだ。敵より多くの戦力を用意するのは兵法の基本中の基本だぞ。敵がみすみす戦力分散の愚を犯してくれたというのなら、こちらは最大戦力で以て各個撃破させてもらうだけだ」

デュバリィ「ほ、ほら……少しでも先を進まないと行けない理由があるとか?」

リィン「こちらは9人、そちらは二人。しかもこちらにはヴィクター卿と俺が居る。大した時間を要さず片付けられる」

デュバリィ「・・・・・・・・・・・・・・」
怪盗紳士(無言の転移による逃走)

リィン「では、さらばだ。我がヴァンダールの秘奥にて散るが良い」
ミュラー「見せてやろう、我が守護の剣の真髄」
ヴィクター「アルゼイドの秘剣、とくと味わうが良い」
アデーレ「アルゼイドの真髄、その身に刻みなさい」
シャーリィ「あははは、ちょっとは楽しませてよねぇ!」
クレア「目標を制圧します」
レクター「さてとお遊びはこれまでだ」
オリビエ「少し本気を出させてもらうよ」
アルティナ「ターミネイトモード、起動します」

デュバリィ「ギャーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!」

こんな感じでマクバーン以外はSクラフト9連発を立て続けに喰らいボロ雑巾になる模様。
敵の3倍の戦力を用意して補給を万全にするのが必勝の策。そう不敗の魔術師も言ってたからしょうがないね。


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フィナーレに向けて

活動報告でも書きましたが43話託された思いの終盤部分の改訂を行いました。
今後の展開に関わってくる部分になりますので、ご一読いただければと思います。


「よく来ましたわね。待っていましたわ」

 

「ふふふ、久しいな我が宿敵よ」

 

 たどり着いた場所、そこで最初に待ち構えていた番人は神速のデュバリィと怪盗紳士ブルブラン。

 

さて久方振りの再会、思う存分に我らの美を競い合うとしようではないか!」

 

 恍惚とした様子でブルブランは己が好敵手たるオリビエを誘うが

 

「あいにくだが、殿下は兄としてやらなきゃ行けない事があるようなんでな。

 あんたの相手は俺が務めさせてもらうぜ。一つ、義弟のため(・・・・・)にな」

 

 代わりに前へと出たのはレイピアを携えた《かかし男》レクター・アランドールであった。

 

「なるほど、良いだろう。いささかに残念だが、君は君で悪くない。

 監視塔ではつけられなかった決着、つけさせてもらう」

 

「さて、私の相手を務めるのは一体誰でしょうか?

 この変態の相手を務めるのが《かかし男》だとするのならば

 察するに監視塔でやりあった《氷の乙女》辺りかと……」

 

「貴方の相手は私です」

 

 デュバリィの問いかけに対して清廉な闘気を纏い、騎士剣を携えたアデーレ・バルフェットが一歩前へと歩み出る。

 それと同時に二人の目配せを受けた一行は予定通り、この場を任せて先へと進む。

 そうしてその場には神速、怪盗紳士、戦乙女、かかし男の四人が残る事となる。

 

「ふふん良いでしょう。アルゼイドの使い手とあらばこちらとしても望むところですわ!」

 

「やり合う前に、貴方に問いかけたい事があります。貴方は自分のやっている事に思うところがないのですか?」

 

「……どういう意味ですの?」

 

 自分に対して単なる戦意を超えた敵意、それを察したのだろう。

 応答するデュバリィの言葉に常にない険が宿り、剣呑な空気が二人の間に漂い出す。

 

「言葉通りの意味ですよ。貴方は鉄機隊とやらの筆頭隊士なのでしょう。

 正直、それ自体もアルゼイドを修めた身としては許し難いところですが、私が何よりも許せないのは貴方がその名を名乗りながらカイエン公などに与している事です。

 《鉄騎隊》とはかの《槍の聖女》と共に偉大なる獅子心皇帝陛下の剣となり、獅子戦役を収めた“勇士”達が名乗った神聖なる名です。

 私欲のために内戦を引き起こし、今も卑劣にも皇太子殿下を人質に取っているカイエン公の走狗が名乗って良い名ではないんですよ」

 

 手厳しく怒りを込めて目前の敵を激しくアデーレは糾弾する。

 バルフェット家はアルゼイド家に代々仕える騎士の家である。

 当然、そんな彼女にとって《槍の聖女》とそれに仕えた鉄騎隊の勇士達は子どもの頃に憧れたヒーローであったのだ。

 そのヒーローの名を語る事、それ自体はまだ良い。それだけなら彼女もまたそんな彼らに憧れたある意味同志なのだと好感さえ抱いた可能性とてあった。

 だが、その名を名乗りながら、カイエン公等という男に与するなど、彼らの名を汚すのも良いところだ。

 この内戦を獅子戦役になぞらえるならどう考えても獅子心皇帝陛下の立場を担うのはオリヴァルト殿下であり、カイエン公など偽帝オルトロスの立場だろう。

 そしてそんな人物の手先となっている人物がその名を騙る等、アデーレには決して許せる事ではなかった。

 

「私がこの剣を振るうのはこの国のため、そして剣を捧げし主君の弟御を助けるためです。

 貴方は一体何のためにその剣を振るうのですか!卑しくも鉄機隊の隊士を名乗るというのなら答えて見せなさい!!」

 

 突きつけられた剣を前にデュバリィは一瞬何かを飲み干すように目を閉じて

 

「……ふん、確かにあの男の行いには個人的にはうんざりですわ。

 ですが、鉄機隊の筆頭隊士という座は偉大なる我が(マスター)より賜りしもの。

 それを貴方にどうこう言われる筋合いはありませんわ。

 そして私がこの剣を振るうのは、徹頭徹尾偉大なる我が(マスター)のため!そこに一片の迷いもありませんわ!」

 

 負けじとアデーレより叩きつけられた戦意に対して戦意で返す。

 そこに宿る清澄さと瞳の色には確かな誇りと崇敬が存在した。

 彼女にとっては真実、その主は絶対的な存在なのだと、何よりも雄弁にその瞳が物語っていた。

 

「……その主、というのは?」

 

 目前の敵がその主とやらに捧げる忠誠心。

 それになんら偽りのない事を対峙していて感じたためか、戦意はそのままだが抱いていた敵意は霧散した状態でアデーレは問いかける。

 それはこれほどの使い手がこうまで崇敬する主とやらが一体如何程の人物かという武人としての純粋な疑問の発露だったが……

 

「ふふん、気になりますか?気になりますわよね!ーーーでも、教えてあげません!」

 

「なぁ……!?」

 

 先程までの張り詰めた闘気はどこかへとやった様子で有頂天となったデュバリィの言葉にアデーレはあからさまに反応をする。

 そしてそんなアデーレの様子に満足したのだろう、デュバリィは満面の勝ち誇った笑みを浮かべて

 

「アハハ、せいぜい悔しがると良いですわ!

 そして気になって気になって夜も眠れなくなれば良いのです!

 ふんっ、ざまーみろですわ!!!」

 

「ぐ、ぐぬぬぬぬぬぬぬ」

 

 あからさまな挑発の言葉にアデーレは本当にこのまま行けば夜も気になって眠れなくなりそうな、あからさまに気にした様子を見せる。

 先程までの張り詰めた空気は一体どこへ行ったのだろうか、傍にいるレクターなど、大型犬が2頭じゃれ合っているようにしか見えない光景であった。

 

「そういう事であれば腕ずくで聞き出すまでの事!アルゼイドの剣、とくとその身で味わいなさい!」

 

「ふん、“傍流”に過ぎぬアルゼイドの剣など、あの方より授かりしこの“神速”の剣でへし折ってやりますわ!」

 

「さてと、向こうは向こうで盛り上がっているみたいだが、こっちはこっちで今日ばかりはちょっとマジで行かせてもらうぜ。義兄貴としては、義弟に不甲斐ない姿を晒すわけには行かないからな」

 

「ふふ、良いだろう。主君のため、義弟のためにと戦う君達の姿は美しい。

 ーーーそして、その意志がへし折れた時の絶望もまた甘美な味わいを持つだろう。

 美の探求者として、存分に味あわせてもらう!!!」

 

・・・

 

「アハハハ、久しぶり……って程でもないか。西部で会って以来だし」

 

 爛々と目を輝かせながらシャーリィ・オルランドは目の前の好敵手達を見据える。

 西風の旅団、それは自分たち赤い星座と双璧を為す宿敵の名であり、目の前の二人はその団に於いて大隊長を務めていた達人だ。

 

「“血染め”に“氷の乙女”……相手にとって不足はない」

 

「しかし、なんというか若干意外な組み合わせやな。明らかに急造やろ?

 タイマン勝負ならまだしも、そんな急造コンビで俺らを相手取れると思っているんか」

 

「ふふふ、別に意外でもなんでもないよ。だってクレアは愛しのリィンの義姉さんだからね!いわば義姉妹タッグってわけ!!!」

 

「なんや、灰色の騎士とお前さんはそんな仲だったんかいな?そりゃまた意外というか、アイツも趣味が悪いというか……」

 

「ち・が・い・ま・す」

 

 義弟に対する看過し得ぬ侮辱、それを聞きクレアは氷の異名はどこへ行ったのやら微笑を湛えたまま声を荒げながら否定する。そしてデマを撒き散らそうとする一応味方に位置するはずの赤毛の少女を睨みつけて……

 

「いい加減に諦めたらどうですか?あの子が選んだのは貴方ではありませんよ」

 

 死ねとまでは言わない。だが、頼むから義弟の関わり合いにならないところに行ってくれと言わんばかりの様子でクレアは告げる

 

知っているよ(・・・・・・)そんな事。だけど、それがどうして私が諦める理由になるの?

 今の私で振り向かせられないなら、振り向かせるように努力すれば良いだけじゃん♪」

 

 しかし、シャーリィ・オルランドは揺るがない。どこまでも一途にこの思いを貫くのみだと宣誓する。

 リィン・オズボーンは自分を選ばなかった、なるほどそれは確かに事実だ。

 だが、それであっさりと諦める等という選択肢はシャーリィ・オルランドの中には存在しない。

 欲しいものは力ずくで手に入れるのこそが彼女の流儀なのだから。

 

「貴方はまさか……トワさんの事を……」

 

 そしてそんな言葉にクレア・リーヴェルトの心にとんでもない疑念が芽生える。

 この少女には一般的な倫理観だとかといったものが完全に欠落している事は明らかだ。

 もしも、もしも何者かに愛しい少女を殺されるような事になれば、リィン・オズボーンはその存在を決して許さないだろう。

 憎悪と殺意を以てありとあらゆる手段を用いてそのものを滅殺せんとするはずだ。

 そして、そうなる事をこそ目前の人食い虎は望んでいるのではないかとそんな恐ろしい想像が浮かんで……知らず、銃を握る手に力が入る。

 もしもそうだとするのならば、何が何でも義弟のためにこの人食い虎を撃たねばならないと。

 

 しかし、そんなクレアの問いかけにシャーリィはきょとんとした顔を浮かべた後にようやくその意味を了解したかのようにからかうような笑みを浮かべて

 

「え~クレア義姉さんってばひょっとしてアレ?好きな人が浮気したらその女を殺そうとしちゃうタイプ?

 うっわー重たすぎ(・・・・)。そんなふうに重たいからその年になってもまだ処女なんじゃない?」

 

「なぁ……!?」

 

 平然とした様子でよりにもよって一番言われたくない人物にとんでもない事を言われた屈辱にクレアはその身を震わせるが、シャーリィはそんなクレアの様子を意に介さずに肩を竦めて

 

「万が一、これはもしも万が一の話だけどリィンが例えば間女に誑されて腑抜けになっちゃったら、そりゃリィンを正気に戻す(・・・・・)ために私はその女を血祭りにするよ?

 でも、リィンは腑抜けるどころかちょっとイメージは変わったけど更に素敵になった。だったら、それに釣り合うように私が努力するのが先じゃん♪」

 

 シャーリィ・オルランドの尺度は“強さ”だ。

 戦場に善悪等関係ない、弱ければ死ぬし強ければ生きる。

 そんなどこまでも美しくシンプルな理こそが彼女の生きる世界なのだ。

 だからこそ、シャーリィ・オルランドはトワ・ハーシェルに妬心を抱くことはない。

 何故ならば、彼女の影響により想い人たるリィン・オズボーンはまた一つ高みへと至ったから。

 これでもしも、腑抜けてしまうようであれば、それこそ従兄に対してやろうとしたような強めの気つけも必要であっただろうが

 やはり、自分の愛した人は従兄等とは格が違った。さらなる高みへ、ついに父や伯父の居た領域へと至ったのだ。

 ならばそう、自分のやるべき事は明白過ぎる。

 

「だからさあ、そのための踏み台になってよ。西風の旅団

 彼に追いつくためにも、シャーリィはこんなところで足踏みしていられないんだからさ!」

 

 恍惚と陶酔した恋する乙女の顔から戦士の顔へと切り替わり、シャーリィ・オルランドはその獰猛なる本性を顕にする。

 

「……舐められたものだな」

 

「別に舐めちゃ居ないよ。散々やりあった仲だからね、貴方達二人を同時に相手した場合の厄介さってのも身に沁みてよく理解しているよ」

 

 ゼノ・クラウゼルとレオニダス・クラウゼル、この二人は単騎でも優れた使い手だが、その本領はまさに以心伝心という生きた見本とも言うべき、そのコンビネーションになる。

 ARCUSの戦術リンクによってⅦ組たちが行っているのと同等、いやそれ以上のコンビネーションをこの二人は素でやってのけるのだ。

 それは共に多くの戦場を駆け抜けた血よりも濃い鉄の絆こそが為せる技であった。

 一対一ならばシャーリィの方に分がある。されど二対ニとなれば、信頼関係など欠片もなく、むしろ後ろから撃たれることさえも警戒しなければならないシャーリィ達が明確に不利であった。

 

「でも、だからこそ喰らいがいがある。

 私の大好きな人ははるか先を行っているんだから、それに追いつくためには不可能の一つや二つやってのけないとねぇ!!!」

 

 確実に勝てる雑魚を食らう事に意味はない。

 勝機薄い難敵に挑み勝ち取った勝利にこそ価値があるのだとシャーリィ・オルランドは闘気を高める。

 彼女の脳裏に過るのは遠ざかっていく“英雄”の背中。

 自分には殺す価値さえないのだと突きつけられた、もう二度と味わいたくない失恋の記憶。

 あの背中に追いつくためならば無理無茶等平然とこなしてみせようと、迷いなど欠片も抱かずにシャーリィ・オルランドはひたむきだった。

 

「……やれやれ、基より厄介な相手だったがこれはまたとんでもない“怪物”になったものだ」

 

「おたくの義弟さんも大変やなぁ。よりにもよってこんなんに目をつけられるなんて」

 

 猟兵だのなんだのをおいて、一人の男としてこの超ド級のストーカーに目をつけられる事になった男への同情を禁じ得ないと、二人はクレアへと慰めの言葉をかける。

 

「アハハハ、その辺はリィンの自業自得だよ!だって私をこうしたのはリィンなんだもん!

 この胸のときめきも!高鳴りも!全部全部リィンがくれたもの!

 恋がこんなに素敵だなんて、リィンに出会うまで私は知らなかったんだもの!

 あんな素敵な姿を見せられたら、女の子だったら夢中になって当然なんだからさ♥」

 

(リィンさん!貴方は……貴方は本当にどうしてよりにもよってこんな人を引っ掛けってしまったんですか!)

 

 引っ掛けた覚えはない、向こうが勝手に食らいついて来たんだと当人がその場にいれば強弁するであろう思いにクレアは囚われる。クレア・リーヴェルトも一般的に言えば、大概重い女(・・・)ではあるがそれでもシャーリィ・オルランドの前では霞むだろう。

 

「さあ、それじゃあおしゃべりは此処までにしてそろそろ始めようか!」

 

 そのシャーリィの宣言と共に、西風の旅団と赤い星座、そしてそれに何故か巻き込まれる形となった氷の乙女を含めて、四人は激突を開始した。

 

・・・

 

 駆け上がる。駆け上がる。

 思いを託され四人は駆け上がる。

 第三層の番人、火焔魔人の相手を光の剣匠へと任せて

 四人は最終層を進み続ける。

 目指す地点は煌魔城の頂上。

 そこに取り戻さなければならない弟が居る。

 報いを与えねばならぬ元凶が居る。

 真相を聞き出さねばならぬ魔女が居る。

 連れ戻さなければならない親友がいる。

 

 そして、主役達はたどり着いた。

 この物語のフィナーレを締めくくるべく。

 

「来たぞ、親友(クロウ)

 

「ああ、待っていたぜ。親友(リィン)

 

 灰色の騎士と蒼の騎士。

 正規軍の英雄と貴族連合の英雄は此処に決着をつけるべく、再びの邂逅を果たしたのだった。




ラウラがデュバリィちゃんに会った時は(あ、この人姉弟子にどこか似ている)と思ったとか思わなかったとか。
ちなみにシャーリィさんは描きやすいですが、描いていてなんか頭がおかしくなりそうになるというか、愛とは一体……うごごごごごという気分になってきます。


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「数多の困難や現実を前にただ立ち竦むのではなく、ある1つの想いを抱いて明日へ続く道を歩んでいく。それを『夢』というのよ」


 たどり着いた場所は《緋の玉座》と呼ばれる、《煌魔城》の最奥。

 かつて250年前、獅子心皇帝と槍の聖女が偽帝オルトロスと死闘を演じた決戦の地でもある場所だ。

 

「随分とひどい面をするようになったな、クロウ。なんだ、その腑抜けた面は?」

 

 目前の親友からは明らかに覇気というものが抜け落ちていた。

 そして、そんな様がリィンにはなんとも腹立たしい。

 なんだその様は、それでもお前は俺の親友かと。

 

「そういうお前は少し変わった……いや、戻ったのか?」

 

 対峙する親友の纏う空気、それの変化をクロウは感じ取っていた。

 みなぎる覇気になんら変わりはない、圧倒的な存在感とでも言うべき重圧を目前の親友から感じる。

 だが、そこに以前とは異なる何かが宿っているように感じられたのだ。

 それはそう、以前までの相手が宿り、あの内戦が始まった日、自分が目の前の友人から奪った“優しさ”と呼ばれる、暖かいものであった。

 

「かも知れないな。大切な事を思い出した、いや思い出させてもらったからな彼女には。

 彼女だけじゃない、多くの人から思いを託されて俺は此処に居る」

 

「……そうかよ」

 

 晴れやかなどこか吹っ切ったような表情を浮かべる親友を前にクロウは悟る。

 ああ、やはり自分達(・・・)は敵役なのだと。

 多くの人の思いを託されて、悪の大貴族に囚われた皇子様を救出するべくたどり着いた若き騎士。

 それが向こうで自分はさしずめその悪の手先と言ったところだろうか。

 

「それで、帝国軍人として俺を討ちに来たってわけか。

 ーーー良いぜ、来いよリィン。受けて立ってやる」

 

 その言葉と共にクロウ・アームブラストは獲物であるダブルブレードを構える。

 友を裏切り、復讐を果たし、悪の貴族に与した自分に残る執着などもはや目の前の宿敵と決着をつける事、それ位なのだと。

 そして、リィン・オズボーンもまたその双剣を鞘より抜き放ち……そのまま、地面へと突き刺した。

 

「……は?」

 

 呆けたようにクロウは言葉を発する。目の前の友人の行動の意図が理解できなかったからだ。

 

「帝国軍人として、お前を討ちに来たのかとお前は問うたな?それに対する答えは……yesでもあり、noでもある。

 言っただろう、多くの思いを託されて俺は此処に来たと。

 軍人としてカイエン公を討つため、セドリック皇太子殿下を救出するため、それも此処に来た大きな目的の一つだ。

 だが、もう一つ此処に来た大きな理由がある」

 

 そこでリィンは微笑を浮かべて

 

「トールズ士官学院副会長としてクロウ・アームブラストとかいう名前の不良生徒を連れ戻す、そして俺達と一緒に卒業させる。それが此処に来た大きな理由の一つだ」

 

「ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」

 

 その言葉にクロウは完全に呆気に取られる。

 しかし、再起動を果たして……

 

「……おいおい、何言ってやがる。

 今更、そんな事無理だってのは良くわかっているだろうが。

 俺をぶっ殺すって言っていたのはどこのどいつだよ」

 

 帝国軍人として蒼の騎士を討つと鋼鉄の意志で以て宣誓したのは他ならぬお前だっただろうにと指摘するその言葉にリィンは……

 

「ああ、そんな事も言ったな。じゃあ撤回する事にしよう」

 

 あっさりとした様子で前言の撤回を宣言する。

 

「な……!?」

 

「別に問題ないだろ。あんな発言は何ら法的拘束力を持つものではない。

 なら撤回することだって自由のはずだ。まあ売り言葉に買い言葉って奴だ、多めに見てくれ。

 俺だって人間なんだ。思わずカッとなる事だってあるさ」

 

 泰然自若、そんな言葉が相応しい様子でリィン・オズボーンはあっさりと自分の言葉を翻す。

 違う。全く以て違う。今まで相対していた宿敵と今の親友の姿は全く違う。

 自分は完璧でなければならぬのだという潔癖さ、張り詰めた空気が目前の相手からは消えていた。

 でかい、とてつもなくクロウの目には今の親友の姿が大きく映っていた。

 

「というわけで前言を撤回した上で、改めて言うぞ。戻って来い、クロウ。俺達と一緒に卒業しようぜ」

 

 差し伸べられた手、それは英雄としてではなく、一人の人間としての友情による行動だ。

 思わず、その手をすぐにでも取りたい衝動がクロウを襲うが……

 

「……出来るわけねぇだろ!俺は帝国解放戦線のリーダーで、帝国宰相暗殺の、てめぇの親父を殺した張本人なんだぞ!てめぇの親父だけじゃない、てめぇの師匠だって殺した!!!今更のうのうとお前らのところに戻って青春ごっこなんて出来るわけがねぇだろうが!!」

 

 絞り出すように、吐き出すように、己が罪を告解する罪人として差し伸べられた手を取ろうとした自身の手を握りしめて、クロウは告げる。もはや、自分にそんな資格はないのだとそう断じて。

 

「クロウ……」

 

 そんな親友の言葉を真っ向からリィンは受け止めて、一瞬目を閉じる。

 脳裏に過るのは偉大なる父と師の姿。

 心からリィンが尊敬していた二人の偉大な人物、それを殺したのは紛れもなく目の前の親友だ。

 目の前の親友に抱く憎悪、それをリィンはしかと自覚する。だが、その上で伝えなければならぬ思いがあるのだと口を開こうとした瞬間

 

「いやはや、中々に美しい光景だ」

 

 パチパチと上段から見下ろしながら一人の男が拍手をしながらも大仰な様子で告げる。

 その男の名はクロワール・ド・カイエン、今回の内戦を引き起こした大罪人である。

 

「友と一緒に見果てぬ夢を追いかける若人、されどその間にはもはや言葉では決して埋めることのできぬ“断絶”が存在する。

 何故ならば片や鉄血により滅ぼされた亡国の遺児、そして片やその鉄血の継嗣。最初から彼らは別々の道を歩む者だったのだから!

 ああ、なんという悲劇か!もはや、共に夢を語り合ったあの青春時代は決して戻らぬのか!?

 等と、それこそ帝都の劇場でも上演できるような一級の見世物(・・・)だーーーそうは思いませんかな、オリヴァルト殿下?」

 

「あいにくと、私は一流の悲劇よりも三流のハッピーエンドのほうが好き、という立ち位置でね。

 例え、専門家からは“ご都合主義だ”等と酷評される事になっても頑張った登場人物たちが幸せになれて、観終わった後にああ、いい話だったなと思えるような優しい話が好きなんだ。

 ーーーまして、我々が生きているのは現実なんだ。第三者からの好き勝手な論評などよりも、自分達に取っての最高の結末を掴み取りたいと思うこと、それは当然ではないかな?」

 

「なるほど、なるほど、確かにごもっともな話です。

 誰とて、たどり着きたい未来が、叶えたい“夢”の一つや二つ持っているものなのですからな」

 

「ああ、そして私がその思い描く最高の結末とは誰一人として欠けること無く、家族全員でまた会う事だ。

 ーーー返してもらおうか、私の大切な弟を」

 

 静かな、されど決して譲る気はない風格と弟をさらった誘拐犯(・・・)への怒りを込めながらオリヴァルト・ライゼ・アルノールは愛銃を構える。

 そこには何時も洒脱でおちゃらけていて道化を演じていた男の面影はない、オリヴァルト・ライゼ・アルノールは静かに目の前の光景に怒っていた。

 

「意外ですな、殿下がそうまで必死になってセドリック皇子殿下を救出しようとするというのは。

 貴方にとってセドリック殿下は“邪魔”でしかない存在のはずでしょう。

 何せ長兄でありながらも貴方は庶出のために、それほどの才幹を有しながらも皇位継承権を有していない。

 セドリック殿下がおられる限り、貴方は皇帝の座に就く事が出来ないのですぞ。

 これほど、目障りな存在などいないでしょう。ーーーかつての私にとっての兄のようにね」

 

 挑発ではないのだろう、心底オリビエが何故必死になるのかわからぬ様子でカイエン公は疑問を投げかける。

 それは彼がかつて居た兄という存在を心通わす家族ではなく、後継者争いのライバルとしか思っていなかった事を如実に示していた。

 何せ、皇帝というのはこの国に於ける至尊の地位なのだ。その価値を思えば、兄弟などという存在は血がつながっているだけの邪魔者でしかないだろう。

 

「この内戦で殿下は随分とご活躍された。

 アンゼリカ君にユーシス君と四大名門の若者達とも随分と親密になったご様子。

 かつてならばともかく今の殿下ならば、この国に於ける至尊の地位へと十二分に手が届く。 

 だが、それには皇太子である弟君こそが最大の障害のはず。

 故にこそ、腹心のミュラー君と灰色の騎士殿しか居ない今、事故(・・)にでも合ってもらうつもりなのだと思っていたのですが」

 

 カイエン公にとって皇帝の座とは夢であり、悲願である。

 だからこそオリビエの皇位継承権にとらわれない自由人としての振る舞いは演技であり、ポーズだと認識していた。

 望めば至尊の地位に手が届く立場にありながら、そうしない人間など彼にとっては想像の埒外なのだ。

 故にこそ、今、この瞬間はオリヴァルト・ライゼ・アルノールにとっては最大の好機のはずだ。

 何せ、此処でセドリック殿下が不幸な事故に合われたとしてもその責任を総て自分へと押し付ける事が出来るのだから。

 目撃者であるミュラー・ヴァンダールは彼の腹心中の腹心であり、自分の怨敵の遺児にはそれこそアルフィン殿下の婿にでも迎えて重用する事を約束すればいい。

 少なくとも、自分がオリヴァルトの立場であれば確実にそうするだろう。

 そう、皇帝という玉座に魅了された男は己が立場から予想していたのだ。

 

 そしてそんなカイエン公からの邪推(・・)を受けてオリビエの心を満たしたのは怒りではなく、憐憫であった。

 権力という座に囚われ、血の繋がった家族にさえも心を許す事が出来ずに、ライバルとしか見ることの出来ない目の前の人物を哀れだと思ったのだ。

 

「あいにくと私は皇子オリヴァルト・ライゼ・アルノールである前に、セドリック・ライゼ・アルノールの兄オリビエでね。

 弟を押しのけてまで、血塗られた玉座に就く気はないよ。そもそも、もしも私がそんな血迷った真似をしようものなら横にいる親友が決して許しはしないだろうしね」

 

「当然だ。万が一お前がそんな風になったその時は命を賭けて、全霊を以て止めてやるさ。俺はお前の親友なのだからな」

 

 忠誠には様々な形がある。

 主君が過ちを犯しても地獄の底まで伴をするのが忠誠だと言うものも居る。

 主君が過ちを犯したならば、命をとして諌めるのが忠誠だと言うものも居る。

 恐らく、それは文字通りの形の違いであり、そこに優劣はないのだろう。

 肝心なのはそれを貫けるかどうかだ。

 命を賭けて諌める立場にありながら、不興を買うのを恐れ諫言をしない。

 最期まで供をすると決めていながら、最期の最期で裏切る。

 これらは紛れもない不忠で有り、怠慢であろう。

 そして、ミュラー・ヴァンダールに限ってそんな不忠も怠慢は有り得ない。

 もしもオリヴァルト・ライゼ・アルノールが万が一にも道を誤るような事があれば、彼は先の言葉を体現するだろう。

 そんな親友の忠誠(友情)にオリビエは心から感謝するように笑みを向け、再びカイエン公の方へと決意を宿したその瞳を向けて

 

「そういうわけで、私の“夢”を叶えるためにはセドリックの存在は必要不可欠なんだ。

 改めて言おう、私の大切な弟を返してもらうぞカイエン公!」

 

「ふふふ、残念ながらそれを叶える事は出来ませんな殿下。私の“夢”を叶えるには殿下にご協力頂かねばならぬのですから。そう、かつての祖先が追い求め、今まさに叶わんとする“夢”がね」

 

「かつての祖先……まさか」

 

「そうーーー皇帝オルトロス・ライゼ・アルノール!公爵家出身の二妃より生まれ、後の世にて“偽帝”と称されし人物。獅子戦役にてドライケルス帝に敗れた彼の汚名と屈辱を晴らす事こそが、我が公爵家が受け継いできた悲願であり、使命なのだよ!!!

 大いなる帝都ヘイムダル、その支配者の証となる煌魔城と緋の騎神をこの手に収め、“愚帝”によって歪められた“貴族による支配”というこの国の秩序を取り戻す事、これこそが我が公爵の大望であり、私の“夢”なのだよ!!!」

 

 陶酔しきった様子でカイエン公は告げる。

 その瞳には凡そ理性というものが感じ取れない、妄執に満ちていた。

 

 そしてそんな様を見てリィンはため息を深くついて

 

「それで、そんな公爵閣下の“夢”とやらに手を貸すためにお前はこの場に立っているというのか、クロウ」

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

 問いかけられた親友からの問いかけにクロウは答える事が出来ない。

 代わって答えたのは別の人物であった。

 

「ふふふ、蒼の騎士殿には伯爵の地位と私の親衛隊隊長の地位を約束しているのだよ。

 というわけだ、さあ憎き怨敵の遺児を父と同じところへ送ってやりたまえ!」

 

 本人としては叱咤激励のつもりなのだろう、だがその言葉は完全に逆効果であった。

 見当違いの援護射撃を受けて、クロウは大きくため息をついて……

 

「地位だの名誉だのには興味はねぇ。カイエンのおっさんの大望とやらにもな。

 この国がどうあるべきかなんて事はそもそも俺に論じる資格も無いしな。

 だが、だからといって自分が間違っていました。ごめんなさいとそっちにあっさりと戻る事なんて今更出来るかよ!」

 

 その言葉と共にクロウ・アームブラストの姿が愛機たる蒼の騎神の核へと取り込まれていく。

 

「罪も名誉も帝国の命運も関係ねぇ!ただ、お前と決着をつけるために俺は此処に居る!」

 

 今も心の中に渦巻くごちゃごちゃとした思い、それらをクロウ・アームブラストは自分の血肉へと変えていく。

 刀匠が己の持てる総てを刀に込めるように、一振りの剣へと己を変えていく。

 

「良いだろう!お前の首根っこ引きずってでも卒業させてやる!これまでと同じようにな!」

 

 いつものこと、そういつものことだ。

 授業をサボって抜け出した目前の悪友を強引に引っ張って、先生方に頭を下げさせて補習を受けさせる。そんな事をずっと自分はしてきた。

 今回は何時もに比べてワガママぶりがひどいが、自分のやるべき事はあの頃と変わっていない。

 帝国の命運も目前の相手が負った罪についても今は関係ない、やる事は悪友との“喧嘩”だ。

 そう、己が愛機へと乗り込んだリィン・オズボーンもまた自らの思いを血肉と化し、一振りの剣へと己を変えて行く。

 

「さあーーー始めるとしようぜ!誰にも邪魔させねぇ!俺とお前、最期の勝負を!!」

 

「望むところだ!真っ白になるまでーーー今も互いの心の中にこびり着いたものを完全に吐き出して、互いの魂が燃え尽きるまで!!」

 

 リィン・オズボーンとクロウ・アームブラスト。

 鉄血の継嗣にしてジュライの遺児、そして正規軍の英雄灰色の騎士と貴族連合の英雄蒼の騎士たる二人は三度目の激突をーーー否、もはや数える事も出来ぬ位に重ねた“喧嘩”を開始した。

 




アルティナちゃんが気配遮断をしているのは別に作者が忘れているわけではなく、とある理由によるものです。
和解する前に一回決闘を挟む事が重要。僕は遊戯王でそう学んだんだ!


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You're my friend

友よ、覚えているか。あの青春の日々を。


「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」

 

「はあああああああああああああああああああ」

 

 灰と蒼、2機の騎神がぶつかり合う。

 灰の騎神が振るうのはヴァンダールの双剣。

 かつて獅子心皇帝ドライケルス・ライゼ・アルノールも振るった守護の剣だ。

 何もかもがかつて激突したときとは別人。

 愛を知り理へと至ったリィンの力量は今や帝国、いや大陸に於いても最高峰と称される領域に到達している。

 故に、クロウ・アームブラストでは当然の如くリィン・オズボーンには敵わない。

 現実は物語ではないのだから。実力伯仲の好敵手同士の激突などそうそう起こりえない。

 意気揚々とぶつかりあった二人は、物語として見れば拍子抜けも良い、あっさりとした決着をーーー

 

「そう簡単に行かせるかよ!」

 

 否、クロウ・アームブラストはそうはさせじと渡り合う。

 それは一体如何なる理由によるものだろうか、リィン・オズボーンは理へと至った。

 その言葉の意味はとてつもなく重い。大陸でも最高峰、比喩抜きでの一騎当千、人の形をした戦術兵器、そんな領域へと足を踏み入れたという事なのだから。

 今のリィン・オズボーンの振るう剣戟は何もかもがかつてと桁違いである。

 ならば、かつてのリィンと五分の戦いを演じたクロウ・アームブラストでは及ばない、それが当然の道理であるはずなのだ。

 リィンが手を抜いているのだろうか?ーーー否、そんなはずがない。親友との決着をつける大一番でリィンが手を抜く事など有り得ない。

 クロウがこれまで三味線を引いていたのだろうか?ーーー否、それもまた有り得ない。一度目はまだ心の中に躊躇いが合ったかも知れない、だが二度目の激突の時クロウ・アームブラストは真実本気だった。何故ならば、目前の相手はあの憎い怨敵の紛れもない継嗣であったのだから。だからこそ、第2形態等という本来ならば極力使いたくない切り札にまで頼って討とうとしたのだ。

 

 ならば、一体如何なる条理がこの均衡を成立させているのだろうか?

 

「ったく、本当にとんでもねぇ野郎だな。一ヶ月足らずで第二形態に至っただけじゃなく、今度は剣の至境にまで至っているんだからよ!このバケモンが」

 

 バケモノといいながらもその言葉にかつて宿っていた険と恐怖は無い。どこまでも友人への軽口のような軽妙さがその言葉には宿っていた。

 

「なら、そのバケモノとこうして対等に渡り合っているお前は一体なんだというんだ?

 さっきまでの腑抜けた顔が嘘のような剣閃じゃないか」

 

 それに応じるリィンもまた笑っていた。

 かつて鋼鉄の戦意を身にまとっていた時が嘘のように、無邪気な少年のような笑みがその顔には浮かんでいた。

 

「は、自分でも驚きだが……なんだろうな、妙に澄んだ気持ちなんだよ。

 色々と頭の中にごちゃごちゃ渦巻いていたものが全部血肉になっていって、最後に残ったのはちっぽけな男の意地って奴だ。

 お前には負けたくない(・・・・・・・・・・)、そんなガキみたいなな!」

 

 内戦の最中、クロウ・アームブラストはずっとらしくもなく(・・・・・・)迷い続けていた。

 友を裏切ったという罪悪感、復讐を果たした後の虚無感。それらが押し寄せてカイエン公や深淵への義理立てだの、友を怪物へと変えてしまった責任感だのとそんならしくもない(・・・・・・)理由で剣を振るい続けてきた。だが、そんな事は本来のこの男の在り様から大きくズレたものなのだ。

 彼が剣を振るう理由は義務だとか責任だとか義理だとか、そんなものではない。どこまでも己のために力を振るう、そんな自分勝手(・・・・)で気ままな遊び人、それこそがクロウ・アームブラストという男なのだから。

 今、この瞬間クロウは自由であった。知らず自分を縛り付けていた多くの思いから解き放たれ、振るう理由はただ一つ。ただ、負けたくないとそんな子ども染みた思いのみだ。

 それは無念無想彼我一体と呼ばれる剣の至境の境地。そこに今のクロウ・アームブラストは到達していた。

 だが、それは決して彼が理に至った事を意味はしない。何故ならば、彼がこの境地へと至っているのはリィン・オズボーンが、数奇な運命で強く結びついた親友が相手だからこそなのだ。

 親友だからこそ“対等”でありたい、宿敵だからこそ負けたくない、そんなちっぽけな子どものような意地が雑念を振り切り、クロウ・アームブラストをかつて無い境地に導いているのだ。

 

「そうか……なら、俺はその上を行くだけの事!勝つのは俺だ!」

 

 だが、それでもリィン・オズボーンはその上を行く。

 リィンに対抗するために無念無想、彼我一体の境地にクロウが至ったと言っても

 リィンは素でそこに到達しているのだ。そして親友だからこそ負けられないと心が猛るのはリィンとて同じ事。

 故に、単純なる技量の競い合いでは、クロウ・アームブラストはリィン・オズボーンに勝てない。

 

「抜かせ!」

 

 故に均衡を成り立たせているのは武装の差であった。

 量産した機甲兵用のブレードを振るっているヴァリマールに対して、オルディーネが振るうのはゼムリアストーン製のダブルブレード。

 その武装の差が、二人の間の技量の差を埋めているのだ。

 

「こっちだけ、ズルしているみたいで気が引けるけど……ま、事前に武器の準備をしておくのも含めて戦いだ!まさか、卑怯だとは言わねぇよな!」

 

 打ち込まれるダブルブレードの一撃、それをリィンは双剣によって横から弾く。

 

「まさか。卑怯というのはさっきからそこで“人質”を取っているような“恥知らず”を指すためにある言葉であって、武器の差による劣位なんてのは言い訳にすらなりゃしない。単に俺が事前準備を怠った、それだけの事だ。

 ーーーそれに子爵閣下が言ってたよ。「“力”と“剣”は己の続きにあるものに過ぎない。振るうのはあくまで“己”の魂と意志ーーー最後にはそれが総てを決する」ってな!」

 

 魔剣アングルバーンとそれを振るう火焔魔人。

 自身を凌駕する尋常ならざる“力”に対してもそう宣言した気高き光の剣匠の姿、それをリィンを思い出す。

 そして負けられないと思う。何故ならば彼は師の剣友であり、好敵手なのだから。

 ヴァンダールの使い手として、アルゼイドに遅れを取るわけには行かないだろうと。

 

「は、だったら尚更負けるわけには行かねぇな!

 魂と意志が勝敗を決するっていうなら、俺がお前に負けたらそれはつまり俺の魂と意志がお前に負けているって事になるじゃねぇかよ!!!」

 

 勝ちたい。勝ちたい。目の前の相手に勝ちたい。

 

「ああ、そうだとも。“勝つ”のは俺だ!お前には、いやお前が相手だからこそ俺は負けられない!」

 

 クロウ・アームブラスト。多くの時間と思いを共有した親友にして、偉大なる父と師を殺した宿敵でもある男よ。

 俺はお前が憎い。父と師を殺したお前に対して、今も割り切りきれない怒りがこの胸に渦巻いている。

 だけど、それでもお前と共にこれからの時間を歩んでいきたいとも思っている。

 何故ならば、お前は俺の親友だから。お前が居なくなってしまえば、きっとせいせいしたと思いながらも、胸の中から何かが欠けてしまった空虚さをきっとこの先も抱え続けるだろうから。

 

 そんな今も渦巻く二律背反の思いをリィンは双剣に込めて振るう。

 

「舐めんなよお坊ちゃん(・・・・・)!年季の違いってもんを教えてやらぁ!」

 

 リィン・オズボーン。俺から仮面を剥ぎ取った怨敵の息子であり親友でもある男よ。

 俺は何時もお前に怒りを感じていた。自分から祖父を奪い取った仇の息子でありながら、どこまでも真っ直ぐな瞳をしているお前が腹立たしかった。

 自分の父の行いにより、どれだけの人間が轢き潰されているのか真実の意味で、まるで理解していないお前が腹立たしくてしょうがなかった。

 だけど、何時からだろうか。そんな真っ直ぐな様に自分のかぶっていた仮面は剥ぎ取られてしまった。

 復讐者として利用するために近づいたつもりだった、だけど気がつけば自分は祖父を失ってから初めて心の底から笑えるようになっていた。

 それが、何よりも怖かった。このまま何もかもを忘れて、心の中にある憎悪を風化させて生きていく事を良しとしていそうな自分が。

 そうして俺はお前たちの友情を裏切った。だからこそ、もうお前らのところに戻っては行けないと思う。

 だけど同時にもしも、戻れるとしたらとそんな女々しい想いが今も心の中に渦巻いている事を自覚している。

 

 そんな自分自身でも判別のつかないような複雑な想いを吐き出すようにクロウはそのダブルブレードを振るう。

 

 

 そうして二人は幾度も互いの思いをぶつけ合うように剣戟を交わし合う。

 言葉はどちらも発していない、だけどその剣を通して相手の想いが伝わってくるのだ。

 言葉では表現できない、言葉に出せば陳腐なものになってしまいそうな思いが両者の剣には込められていた。

 

 それは見ていて感嘆を禁じ得ない、まるで一流の芸術のような美しい光景だった。

 形態はどちらも第一形態のままだが、それは両者が本気でない事を決して意味はしない。

 第2形態は諸刃の剣、起動者は耐えず帝国の呪いにその身を侵され、強力な反面極端に取り回しが難しく、その戦い振りは荒々しいものとなる。そして、今両者は心技体はこの上ない絶妙なバランスにある。

 此処で下手に第2形態という“力”に頼れば、その崩れた心のバランスを磨き抜いた技によって突くだろう。

 故にこそ今の状態こそが目の前の相手に“勝つため”の最善の姿であり、掛け値なしの全力なのだ。

 

 どれだけ剣を交わしただろう、やがて二人はまるで示し合わせてかのように距離を取り、霊力をその刀身へと集束させて行く。

 これが最後の激突になるだろう。両者は自分の中にある総てをその刃に注ぎ込む。

 

 激突を前に、両者は奇妙な感慨を味わっていた。ああ、これで終わってしまうのかと。そんな寂寥感が心を満たす。

 それは、子どもの頃に泥だらけになるまで遊んだ友達との別れを前にした心境のようなもの。

 まだまだ、もっとこの相手と一緒に遊んでいたい。だけど、帰らなくちゃならない。だからこそ、これが最期の勝負(・・・・・・・・)だと。

 なんとしても自分の勝ち(・・・・・)で終わらせてやるぞという昂揚感と寂寥感の入り乱れた境地だ。

 

 静寂がその場を包み込む。

 そして弾かれたように両者は疾走を開始した。

 

「デッドリー・クロス!」

「ヴァンダール流奥義破邪顕正!」

 

 ぶつかり合う。互いの総てを込めた一撃が。

 ぶつかり合う。互いの意地が。

 さらけ出す。今も心の中に渦巻き続けていた想いを。

 

 ぶつかり合う霊力が大きな光となり、その場を包み込む。

 

 そして……

 

 蒼の騎神の持つダブルブレード、それが弾き飛ばされる。

 灰の騎神が振るっていた双剣が、柄の部分を残して粉々に砕け散る。

 

 全霊の力を込めた激突の影響だろう。

 灰の騎神と蒼の騎神は一時的なオーバーヒートを起こし、その機能を停止させる。

 此処に灰色の騎士と蒼の騎士の激突は、相打ちという形で以て幕を下ろす。

 

 だが

 

「リィン!!!!」

 

「クロウ!!!!」

 

 クロウ・アームブラストとリィン・オズボーン、二人の(バカ)の“喧嘩”の決着はまだ付いていない。

 騎神同士の決着がついた?だからどうした。こんな事で収まりがつくかと騎神を乗り捨てて、二人は両の拳を握り互いに駆け出す。

 武器等不要、親友(ダチ)同士の喧嘩にそんなものは無粋な邪魔物でしかないのだと。

 

「この大馬鹿野郎が!何だってあんな事をしやがった!!!」

 

 全力の右ストレート、それを思いっ切り親友の頬へとリィンは叩き込む。

 多少はすっきりしたが、こんな程度で収まりはつかない。

 目の前の大馬鹿には言ってやりたい事が山程あるのだ。

 

「どうして俺達に一言も相談せずにあんな事をした!

 おちゃらけた顔して、悩みなんてなにもないですみたいな面して一人で抱え込んで取り返しのつかない事しやがって!!」

 

 叩き込む叩き込む。全力の拳をひたすらに叩き込む。

 ああ、許せない。目の前の親友が父と師を殺したことが。

 そう心の中に渦巻く激情を吐き出すように、その拳をクロウへと叩き込んでいく。

 

「言えるわけが!ねぇだろうが!!!」

 

 しかし、クロウとて一方的に殴られるサンドバックではない。

 殴られたから殴り返す。やった事を思えば自分が贖罪のために黙って殴られ続けるべきなのかもしれないが、そんな事は知った事か(・・・・・)と。

 何故、ダチ同士の喧嘩でそんな事を考えなければならないのかと。

 

「実は俺はカイエン公と裏で繋がっていて鉄血の暗殺を企んでいるだなんて言ってみろ!

 解放戦線の連中(アイツラ)はとっ捕まって、仲間を怨敵に売った俺だけがのうのうと生きていくんだぞ!

 そんな事!出来るわけねぇだろうが!!!!」

 

 言えば、きっと目の前のダチは受け入れてくれただろう。

 だが同時にまず、自首を勧めてきたはずだ。

 そしてそうなれば、確かに自分は無罪放免となったかもしれない。

 仲間の情報とカイエン公爵とのつながりを洗いざらい証言する事を条件に。

 そうして憎らしい仇は笑いながら言うのだろう、「君は正しい選択をした」と。

 同志を売って友達(過去ではなく未来)を選んだことを、心の底から寿ぐのだろう。

 そんな事、耐えられるわけがない。

 

「確かにそうかもしれない、だけど、言えば何かが変わったかもしれないだろうが!!!」

 

「人の話を聞いてなかったのかてめぇは!言ったらその時点でおしまいの立場だったって言ってんだよ俺は!そんな事位てめぇだってわかってんだろうが!!!」

 

「ああ、そうだな!きっと俺は西部での時のようにお前が打ち明けたら司法取引を持ちかけて、もしも乗らなかったらきっと父や義兄や義姉に報告しただろうさ!お前だけは見逃すように頼んでな!!!」

 

「ほれみやがれ!」

 

「だけど!俺達二人だけではそうでも、アイツラに言っていたら別の未来があったかもしれない!そうだろうが!?」

 

「!?」

 

「結局お前は!俺達の事を根本の部分で信じきれていなかった、そういう事だろうが!!!」

 

 ああ、許せない。目の前の親友の抱えていた闇に気づかずに、勝手にわかりあった気でいた自分の間抜けさが。

 ーーー気づけば、何かが変わったかも知れないのに。此処まで拗れる事もなく、説得して思い留まらせる事も出来たかもしれないのに。

 そんな人間らしい後悔がリィンの胸の中に渦巻く。それはかつてであれば有り得ぬ事であった。

 何故ならば“英雄”は改善のために反省はすれど、“もし”あの時こうしていればだとか言った、過去に対して未練がましい想いなど抱かずにひたすらに前を見据え続けるから。

 気づけなかった自分の過ちを反省する。しかし、決して悔みはしない。何故ならばやり直す事など出来ないのだから。

 時計の針が戻らぬ以上、どれほどの友誼を交わした親友であれど、敵として処理し、飛翔するための薪へと変えるのだ。

 だが、今のリィンにはそんな後悔が胸を刺す。未来を見据えるばかりで、身近な友の心中に気づく事が出来なかった、いやしようとしていなかった自分を何よりも悔やむのだ。

 

 叩き込む。そんな人間らしい後悔を込めて。

 

「人の事を!言えた義理かよ!!!俺達の事なんてほっぽって、前へ前へひたすら前へと突き進み続けていたのはどこのどいつだ!!!てめぇだって!俺達の事よりも鉄血の息子である事を選んだだろうが!!!

 

 そして、案の定と言うべきか目前の親友はそんなこちら側の過失を見落としていなかった。

 最もな指摘である。自分が鉄血の子どもとしての道を、ギリアス・オズボーンの息子である事よりも、クロウ・アームブラストの友である事を優先させていれば、此処まで拗れる事もなかったのではないかと。

 後悔など決してしないと豪語してひたすらに道を突き進んで来た男は、初めて自分の進んできた道を振り返る。

 未来を見据えるあまりに、見落としては居ない今や過去を自分は取りこぼしてしまったのではないかと。

 悔み、反省し、そしてその上でこう思うのだ。そんな事は知った事か(・・・・・)と。

 トワやアンゼリカやジョルジュならばともかく、何故よりにもよってコイツにそんな事を言われなければならんのだと。

 どう考えたって自分と向こうの過失の割合を考えれば向こうの方が大きいはずだと。

 

「だから!今!こうしてその償いに目の前の馬鹿の首根っこをひっ捕まえってアイツラのところに連れ戻そうとしているんだろうが!

 お前が居なきゃ俺だけがアンゼリカのやつに殴られることになるんだぞ!こんな不公平な事があってたまるか!!!」

 

 自分が殴られる事は許容しよう。だが自分が殴られるのに、目の前の馬鹿が殴られずに済まされるなんてこんな理不尽な事はないだろうとリィンは確信を以て断言する。

 

「自業自得だろうが!というか誰が馬鹿だ!他の誰に言われても、てめぇにだけは言われたくねぇぞこの大馬鹿!?」

 

「は~~~、馬鹿すぎて過去のことさえ覚えていないんですか?こちとら日曜学校に通って以来ずっとお手本のような優等生と言われ続けてきたんです~。

 トールズ士官学院では首席でした~どこかの授業サボってばかりで単位が危うくなって、後輩達と同じクラスに所属する事になった馬鹿とは違うんです~」

 

 それはどこからどう見ても、お手本のような優等生と呼ばれ、トールズを首席の俊英とは思えない、知性を感じない子どものような煽りであった。

 

「これだからお坊ちゃんは困るよなぁ。学校の成績が総てだと思っているんだから。無知の知って言葉を優等生の癖に知らないのかよ?どっちが本当の馬鹿か決まったなこりゃあ」

 

 そうして二人は顔を見合わせてアッハッハと笑い合う。そして青筋を立てて

 

「この馬鹿が!身の程を教えてやる!!!どれだけ俺がお前の補習のために頭を下げたと思ってやがる!!!」

 

「うるせぇこの大馬鹿!突っ走るてめぇのフォローにどれだけ俺が回ったと思ってやがる!!!」

 

 そうして二人はひたすらに殴り合い続ける。心の中にあるものを吐き出すように。

 双方が精魂尽き果てて、同時に倒れるまで、子どものような“喧嘩”を続けるのであった……

 

 



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明日への鼓動

ちなみに現在のオズボーン君は
183cm 90kg 体脂肪率8%で頬に傷があって、眼は覇気に満ちあふれている
ヤクザもビビって道を譲るような外見をしています。
クロウは良くこんなやつと殴り合って相打ちに持ち込んだものです。


「……ったく好き勝手に殴りやがって。俺のハンサムな顔に青痣が出来ちまったじゃねぇか」

 

 あちこち痣だらけになった状態でクロウ・アームブラストは寝転がりながら、そんな恨みがましい言葉を同じく大の字で寝転んでいる傍らの“親友”へと告げる。だが、その心の中は言葉とは裏腹にこの上なく澄み渡っていた。こんな気分になったのは何時以来だろうと、そんな感慨にふける。

 

「なんだ、腹を重点的に殴ってもらってしばらく飲み食い出来ない状態になる方が好みだったのか?」

 

 そう告げながら、リィンは起き上がる。

 

「おいおい……いくらなんでも回復が早すぎるだろ」

 

 なんとか負けじとクロウも身体を起こすが上体を起こすのがやっとだった。

 どうにもダメージが足に来ているようで、立ち上がる事が出来ない。

 

「お前とは鍛え方が違うんだよ。何にせよ、俺の方が先に起き上がったんだから喧嘩は俺の勝ちだな」

 

「おま……そういう後出しは卑怯だろうが!俺とおまえの喧嘩自体は両方共ぶっ倒れた時点で相打ち判定で終了と考えるのが普通だろうが!?」

 

「ほう、そういう事ならば此処は公正に第三者にも意見を聞いてみるとしようか。

 この喧嘩が俺の勝ちだと思う方は挙手をお願いします」

 

 そうリィンが告げると苦笑しながらオリビエとミュラーが、そして更にはクロウのパートナーであるヴィータもまた手を挙げて……

 

「ほらな、外野の意見もこの通りだ。というわけで敗者は黙って勝者に従え。

 改めて言うぞ。クロウ、戻ってこい。アンゼリカもジョルジュもトワも、そして俺もお前が帰ってくるのを待っているんだよ」

 

 クロウが何か反論を口にするの遮りながら、リィンはそう告げる。

 

「……わかってんだろうが、俺は帝国解放戦線のリーダー《C》だ。

 復讐のために大勢巻き込んで殺してきた。そのケジメ(・・・)はつけないとならねぇ」

 

「……そうだな、それは確かな事実だ。俺もその辺りを友人だからと見逃すつもりはない。

 改めて聞くが、司法取引を受けるつもりはないのか?」

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

 リィンからの問いかけにクロウは黙り込む。

 クロウ・アームブラストには裁かれる罪がある事、それは確かな事実だ。

 だが、クロウには蒼の騎神の起動者という極めて特異な事情がある。

 そして帝国はこの内戦で大きな痛手を受けた。

 精鋭たる20の機甲師団の内6もの機甲師団が壊滅して、その戦力は内戦前の7割程度にまで落ち込んだ。

 更には帝国を護る最大の盾たるガレリア要塞も無い。

 この状況下にあって貴族連合の英雄“蒼の騎士”の力は帝国にとって、多少の無理を押してでもほしいものなのは疑いようがない。だからこそ、帝国に忠誠を誓うのと引き換えの免罪という司法取引が持ちかけられる可能性は十二分に有り得る。

 そしてそれを受ければ、倫理的な問題はともかくとして、帝国法上はクロウは晴れて無罪放免になるわけだ。

 

 だが、それは

 

「それで、お前ら帝国が俺の故郷のジュライに対してやった事に加担しろって言うのか?」

 

「・・・・・・・・・・・・・」

 

 そう、どれだけ護るためだなどと言った綺麗事を掲げようと国家における“軍隊”、“力”というのは自らの意を押し通すためにある。

 直接振るわずともその気になれば自分達はお前たちを滅ぼす事が出来るのだと威圧する事で。

 そして、それはクロウにとってみればかつての自分と同じ境遇を作る事に加担しろと言われているのに等しい行為だ。

 それがわかって居たからこそ、かつてのリィンはそんな屈辱を味合わせる位なら、自分の手で殺してやる方が良いと思っていた。それが友情だとも。

 

 しかし

 

「そうだな、お前にとってはこれが受け入れ難い提案である事はわかっている。

 だから、強制はしない。これはあくまで友人としてのお前への頼みだ。

 お前がそんな取引に応じる事は出来ない、あくまで裁きを受けるのだというのならば俺にそれを掣肘する権利はないんだからな」

 

 友人だろうと恋人だろうと家族だろうと結局のところ出来るのは忠告とお願いまでだ。

 どう生きるかを決めるのは最終的には本人なのだから。

 自分は君に、貴方にこうしてほしいと願っていると告げる事は出来る。

 だが、こうしろと生き方を決める権利など有りはしないのだから。

 

「だけど、それでも俺はお前に取引に応じて欲しいと思っている」

 

「それは、その方がこの国にとって都合が良いからか?」

 

 虚偽は許さないとばかりにクロウはリィンを真摯な瞳で見つめる。

 かつてのリィンであれば、迷うこと無くその言葉を肯定しただろう。

 当然だ、お前には利用価値があるから殺さないのだと。

 だが、今のリィンは……

 

「そういった計算も無いと言えば嘘になる。

 だけど一番の理由はお前に生きて欲しいからだ。

 これからもこうやって喧嘩したりしながら一緒に歳を食っていきたいと思っているからだよ。

 ああ、だからこれはどこまで行っても俺のワガママ(・・・・)なんだよ。

 ただ“親友”に生きていて欲しいというな」

 

 軍人としての計算、それもある。

 だがそれ以上にこれはリィン・オズボーンという男の、個人としての願いなのだと。

 リィンは迷うこと無く言い切る。

 父と恩師を殺した仇だと承知の上で。

 ガレリア要塞の駐屯兵を始めとした多くの罪なき者を殺めたと知った上で。

 これが公正さを欠いたエゴまみれのワガママだと承知の上で、それでもリィン・オズボーンはクロウ・アームブラストに生きて欲しいと願うのだ。

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

 だからこそクロウ・アームブラストは葛藤するのだ。

 高圧的に帝国に従えと帝国の英雄に言われれば反発しただろう。誰が従うか!と。

 だが、リィン・オズボーン個人としての、他ならぬクロウが心を繋いだ親友からの頼みだからこそクロウは迷うのだ。

 何故ならば、もう戻れぬと覚悟して背を向けたけど、帰れるものなら帰りたいという未練がましい想い、それは確かにクロウ自身の心の中にも存在するものだったから。

 揺れ動くクロウの心が。解放戦線リーダー《C》の仮面とトールズ士官学院2年Ⅳ組所属の生徒としての顔で。

 揺れ動くクロウの想いが。罪悪感と交わした約束の間で。

 

「それに、俺は父の事を今でも尊敬している。だがかつての父と同じ道を完全になぞらえるつもりはない。

 あくまで俺はリィン・オズボーンであって、ギリアス・オズボーンではないんだからな。

 俺は祖国のために生涯この剣を振るい続ける、その過程できっと犠牲となる人も出るだろう。

 だが、だからこそお前が居てくれればと思う。俺一人じゃ手がとどかないところでも、お前が居てくれればきっと手が届く。

 だから、帝国のために戦えないというのなら俺のためにその剣を振るえ。

 そして、もしも俺が暴走しようとしたその時はその剣を俺に突き立てろ」

 

 自分の中にある危うさ、理想のため夢のためにと急ぎがちな性急さ、それをリィン・オズボーンは自覚している。

 だからこそいざという時に自分を止める役目を目前の親友へと頼むのだ。

 もしも自分が暴走するような事があれば、その時はきっとこの親友は力ずくでも止めてくれると確信しているが故に。

 

「俺、は……」

 

 しかし、それでもクロウ・アームブラストは即答する事は出来ない。

 これは散っていた同志達に対する甚だしい裏切りなのではないかとそんな想いがある故に。

 

「……やっぱりそう簡単には決められないよな、当然の話しだ。

 立場が逆の状態でお前に同じ事を言われたら俺だって迷うだろうからな」

 

 今回は勝ったのがこちら側だったからこうしてこちら側の方が提案しているが、勝敗が逆転していれば当然立場とて逆転するのだ。

 もしもクロウから「カイエンのおっさんに忠誠を誓えば生き残れるからそうしてくれ」等と頼まれたら自分とて反発しただろう。

 そんな生は死よりも耐え難い。そんな屈辱にまみれて誇りを捨ててまで生きるならば、死んだほうがマシだと。

 だからこそ目の前の親友があっさりと頷く事は出来なくても当然だ。その事は重々承知している。

 

 その上で

 

「だけど、それでも俺はお前にも俺とトワの結婚式に出てもらいたいと、そう思っているんだ」

 

 自分達の結婚式にコイツだけが欠けた状態というのはひどく寂しいとそう思うのだとリィンが告げると、クロウは鳩が豆鉄砲を食ったような面をして

 

「……おい、聞き間違いかなにかか?今、結婚式って聞こえた気がするんだが」

 

「別に何も聞き間違っていないが?」

 

「……誰と誰の結婚式だって?」

 

「俺とトワの結婚式だ」

 

 何を言っているんだコイツはという顔でクロウはリィンの顔を見るが、その表情は至って真剣そのものと言った様子で冗談の様子など欠片も見られない。

 沈黙がその場に少しの間降りるが……

 

「ってなんじゃそりゃーーーーーーーーーーーー」

 

 次の瞬間クロウの叫びが木霊する。

 

「結婚っておまえ……マジかよ!?」

 

「大マジだ」

 

「いやだって、お前らまだ成人もしていないだろうが」

 

「俺も彼女も18を超えている。帝国法上結婚する事は何ら問題ない」

 

「互いに好きあっているからってだけで上手く行くほど結婚生活はあまいもんじゃねぇって言うぞ。所帯を持つならそれなりの先立つものって奴がだな……」

 

「現在の俺は帝国軍中佐の地位にある。彼女に不自由な暮らしをさせない程度の収入はあるさ」

 

 全く動じず答えるその親友の姿にクロウは語った内容が冗談でも何でも無い事を自ずと悟る。

 

「おいおいおい、マジかよ……何がどうなってそうなったんだ」

 

「別段大した事じゃない。ただ単に俺にとってトワ・ハーシェル以上の女は居ないと理解した。それだけの事だ」

 

「……お前な、真顔でそういう事言うんじゃねぇよ。聞いているこっちが恥ずかしくなるだろうが」

 

「一方的に聞いているのが嫌なら、お前も早くそういう相手を見つけることだな。それで家族ぐるみの付き合いを一家揃って年寄りになるまで続けるのさ」

 

 そうしてリィンは膝をついてそっと目前の親友へと手を差し出して……

 

「どうだ、素敵な未来だと思わないか?」

 

 今こそ、過去に囚われる事を止めて俺達と共に未来へ進んでいこうと告げたその言葉にクロウはそっと目を閉じて……

 

「……爺さんが、昔言ってた事がある。もしも自分の葬式と友人の結婚式が被ったら結婚式を優先しろってな。

 曰く葬式なんてのは結局のところ故人のためというよりは遺された側が心に区切りをつけるためのものでしかない。

 だけど結婚式は違う、これから未来へ歩んでいく友人達の門出に対する祝福だ。だから結婚式を優先させろ。終わっちまった人間よりも今を生きている大切な奴の方を優先させろってな……」

 

 なのに自分は気がつけば過去にとらわれてばかり居て、前に進む事を辞めていた。

 心の中にこびり着いた憎しみを晴らすためが総てとなり、それを晴らした後どう生きていくかを考えていなかった。

 もう戻れないと覚悟した。自分はダチと歩む未来に背を向けて、過去に戻りだしたのだから。

 だけど、そんな自分の首根っこを掴んででも目の前の親友は未来に引きずっていこうとしている……だったら自分のするべき事は……いいや、違う。自分が今真実やりたいことは……

 

「祝儀は期待するなよ」

 

「心配するな。お前が年中金欠な事は俺もトワも重々承知している。出てくれるならそれで良いさ」

 

 そうしてクロウ・アームブラストはそっと差し出された手を取って立ち上がる。

 国のためなんぞに自分は剣を振るう事は出来ない。だが、自分のために此処まで必死になったダチのために剣を振るうというのなら、それは悪くないとそう思えたのだ。

 裏切り者に恥知らずと呼ばれる事も総て覚悟の上だ。どれほどの罵倒を浴びようが返す言葉もない。

 だが、その上で自分は目の前の親友たち共に未来へ歩んでいく事を選んだのだと、クロウ・アームブラストは憑き物が落ちたかのように爽やかに笑うのであった。

 

 

 

 




クロウを連れ戻すって言うけど、クロウを連れ戻したとしてCとしての罪やら何やらどないするんや?問題への自分なりの回答がこれです。
クロウは蒼の騎神の起動者という極めて特異な立場であるが故に、本人さえその気(帝国の狗になる覚悟)になればこうして司法取引が成立する余地はあったと思います。
その本人をその気にさせるというのが極めて難しかったわけですが。


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紅き終焉の魔王

 内戦中戦いあった親友同士の和解。

 それはこの上なく感動的な光景だろう、だが引き返す事のできる若者も居れば、もはや退路等ない大人もいる。

 

「ふ、ふざけるな!!!」

 

 故にこの人物が目の前の光景に怒りを顕にする事は必然と言えただろう。

 クロワール・ド・カイエン、帝国最大の貴族カイエン公爵家の当主にして貴族連合主宰を務め、此度の内戦を引き起こした元凶とも言える存在。

 そんな彼は目の前の茶番(・・)をしばらく呆けていた様子で眺めていたが、再起動を果たしたかのように怒り心頭の様子で言葉を発していた。

 

「貴様どういうつもりだ!散々に目をかけて来てやったこの私を裏切るというのか!?」

 

 クロワール・ド・カイエンはクロウ・アームブラストを厚遇してきた。

 それは必ずしも彼の主観に依るものではなく、客観的に見ても蒼の騎士がカイエン公の寵臣であるのだという確信を周囲に抱かせるに足るものであった。ーーーそれこそ公爵の隠し子なのではないか?などという憶測がされる程に。

 そしてそんなスポンサーからの罵倒にクロウは肩を竦めて

 

義理(・・)は果たしただろう?

 鉄血の野郎を討って、西部でも散々戦ったわけだしな」

 

 堂々とした様子でクロウは告げる。

 確かにこのスポンサーには何かと世話になったが、そのスポンサーの義理立てのために解放戦線はザクセン鉄鋼山での立てこもり等とそれなりに貢献を果たした。

 そしてこの目的を果たした後のこの内戦中も何かと力を貸したのだから、もはや恩に着せられるようなものはないはずだと。

 

「そして俺は別段アンタの部下や臣下になった覚えはない。

 ただ、利害が一致していたから手を組んでいただけ、その程度の関係だった。

 故に本来であれば、鉄血を撃った時点でもう俺がアンタに従う義務はなかった。

 だけど、こうして最期まで付き合ってやったんだ。

 恩があるどころか、どちらかと言えば貸しのほうが超過していると個人的には思っているんだがな」

 

「~~~~~~~~~~~~!もうよい、貴様等を当てにした事が間違っていたわ、亡国の浮浪児めが!!

 魔女殿!早急にその力を以て、孺子共めを排除するのだ!さすれば、望むままの恩賞を貴方に与えよう!!!」

 

 もはや当てにはならぬとクロウに見切りをつけたカイエン公はそうして今度は魔女へと助けを求めるが……

 

「無茶を言わないで下さい、カイエン公。

 先程から私は《アルノールの若獅子》にずっと睨まれて居るんですよ。

 とてもではありませんが、身動き等出来ませんよ。所詮私はか弱い歌姫に過ぎないのですから」

 

 良くもいけしゃあしゃあと言うものだとミュラー・ヴァンダールは目前の敵手を睨みつける。

 クロウとリィンがやりあっている最中もミュラーは目前の女が隙を見せれば何時でも斬りかかるつもりだった。

 だがついぞ隙らしい隙は見当たらず、それは今もだ。結社の使徒第二柱にして《深淵》の異名は伊達ではないという事なのだろう。

 

 最もクロチルダにしてもそれほど余裕があったわけではない。

 何せ先程から魅了の魔術を用いているのに、目前の男ときたら毛ほどの緩みも見せないのだ。

 骨抜きにするまでは期待していなかったが、それでも多少の緩みが出ても良いというのに、全く以て可愛げがない事だと嘆息してしまう。

 

「それに我ら結社の目的は煌魔城を顕現させて、灰と蒼の激突を導く事。

 内戦そのものの行方について興味はないと最初から申し上げていたはずですが?」

 

「ぐぅ……!」

 

 もはやクロワール・ド・カイエンを護る者はなにもない。

 クロウ・アームブラストは灰色の騎士との戦いで戦意を喪失し、蒼の深淵ヴィータ・クロチルダもミュラー・ヴァンダールの相手で身動き取れない状態にある。

 そしてオリヴァルト・ライゼ・アルノールは放蕩皇子等と揶揄されているが達人の腕を持つ者。

 武芸の心得のない、カイエン公ではまず勝ち目がない。

 故に彼に取れる手段はもはや、一つしか無い。

 

「ええい、もうよい!ならば此処より先は私一人でやるだけの事!」

 さあ、殿下。覇道のお時間「目標確認」へ?ぷぎゃあ……!」

 

 カイエン公がテスタロッサを目覚めさせようと、皇太子へと向けていた剣の切っ先を皇太子より外した、その瞬間であった。

 この時を待っていたとばかりに、機を伺い続けていたアルティナ・オライオンが強襲をかけてカイエン公を殴り飛ばしたのだ。

 そうして倒れたカイエン公に一瞥もくれる事無く、アルティナは拘束されたセドリック殿下の拘束を外していき……

 

「皇太子セドリック・ライゼ・アルノール殿下を救出致しました」

 

「セドリック!」

 

 丁重に連れてこられた大切な弟をオリビエは感極まったかのように優しく抱きしめる。

 

「兄上……すいません、僕は……」

 

「セドリック……良いんだ。君がこうして無事で居てくれる事こそが私達にとっては何よりの報酬だ。

 さあ帰ろう、父上も、義母上も、アルフィンも皆君の帰りを待っている」

 

「はい……」

 

 オリビエの弟に向けるその愛情には一点の曇もない。

 それはカイエン公の言葉が彼の邪推に過ぎない事を証明するものだっただろう。

 ならば、それはおそらく気の所為なのだろう。

 兄に抱きしめられているセドリック皇太子のその手が、どこか己の不甲斐なさを責めるかのように弱々しくも握りしめられているのは。

 

「アルティナ、良くやってくれた」

 

「与えられた任務を果たしたまでです」

 

 淡々とした常と変わらぬ様子、と本人は思っているが心なしか得意気な様子でアルティナは応える。

 

「ふふ……これにてめでたしめでたしというわけかしら」

 

「ああ、そうだな。残っているのは此度の教唆犯と思われる妖しき魔女より、この一連の事件の真相について聞き出すだけだ」

 

 鋭い眼光でこちらを睨みつけながら剣を突きつけてくるミュラーにクロチルダは肩を竦めて

 

「皇太子殿下も無事に戻ってきたことですし、これにて手打ち……というわけにはいかないかしら?」

 

「いかんな。貴様には聞きたいことが山程ある。話してもらうぞ、貴様ら蛇共が一体この地で何を企んでいるのかを」

 

 かつて起きたリベールの異変。

 この事態を引き起こすために、結社身喰らう蛇は空の至宝たる《輝く環》を顕現させるための計画の前段階として情報局局長たるアラン・リシャール大佐を唆してクーデターを引き起こさせた。

 であるのならば、おそらく此度の事件も結社にとっては下準備。おそらく本命は此処からのはずなのだ。

 煌魔城とやらを顕現させて、蒼と灰の騎神を激突させる事がカイエン公に協力した理由だとこの魔女は告げた。

 ならば、その先は?まさか灰と蒼の激突を見物する事が目的でもあるまいし、激突させなければならない理由が、その上で果たそうとしている目的があるはずなのだ。

 そうしてミュラー・ヴァンダールに続くかのようにリィン・オズボーンもまた「逃すつもりはない」と突き刺していた双剣を構える。

 そんなヴァンダールの剣士二人を前にして、クロチルダはチラリと長年つるんできた相方に助けを求めるかのように視線をよこすが、自分でなんとかしろと言わんばかりに肩を竦めるのみだ。

 さて、どうしたものか。ミュラー・ヴァンダール単騎でも厄介だったというのに、そこに今は亡き《剣帝》クラスの使い手が加わったとあっては流石に勝機等皆無だ。しかし、離脱しようにもこちらを見据えるその視線には油断の欠片もなく転移の術を使う隙も見当たらない。一体どうしたものかとクロチルダが思案していたその時であった。

 

「おのれ……おのれおのれおのれ、この私をコケにしおって!もうよい、端から“愚帝”の血統等に頼ろうとしていた事が間違っていたのだ。

 そうだとも、私が真に先祖の大望を果たそうとするならば、それはやはり私自身の手で為すべきであったのだ!」

 

 誰もが、セドリック皇太子を救出した今、もはや脅威でもなんでもない取るに足らない存在と認識していた男が動き出す。

 殴り飛ばされた痛みと屈辱、それらを怒りと変えてカイエン公は立ち上がり……テスタロッサの核へと潜り込む。

 

「ぐおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」

 

 しかし、そんなカイエン公をテスタロッサは拒絶する。

 それは彼がどれほどドライケルス帝を愚帝と罵ろうとも、テスタロッサは彼の直系をこそアルノールの正統だと認めている証左であった。

 だからこそリィン達もセドリック皇太子を救出した後はクロチルダを拘束した後で捕まえれば良いだけの事と、歯牙にもかけず放置したのだ。

 そしてその読みは間違っては居なかった。クロワール・ド・カイエンの脅威はヴィータ・クロチルダに及ばず、頼みの綱のテスタロッサも彼には起動できない。往生際が悪くあがいているが、それでもすぐにでも音をあげて終わるだろうと、そう思っていた。

 

「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」

 

 しかし、カイエン公は離れない。

 一行の予測を超えて粘り続ける。何故ならば、彼にはもはや後がないから。

 どうあがいたところで自分の生き残る未来が見えぬ以上、みっともなくとも足掻きもがき続けるのだ。

 

「……テスタ=ロッサよ。偉大なる我が祖先オルトロス帝が操りし、緋の騎神よ。

 我が総てを捧げよう。この血肉も魂の一片さえも総てだ!故に今こそ顕現せよ!《紅き終焉の魔王》!」

 

 その様を前に一行は悟る。

 自分達はクロワール・ド・カイエンという男を見誤っていたのだと。

 自らの命を賭ける気概もない俗物であり、小物に過ぎないと思っていた。

 それは事実でもあった。器という面に於いてカイエン公は彼の宿敵たるギリアス・オズボーンは愚か、未だ途上であるオリヴァルト・ライゼ・アルノールにも及ばない。

 だが、それでも彼の自分の“夢”にかける妄執(おもい)、それだけは確かな本物だったのだ。

 リィン達が獅子心皇帝より想いを託されたというのならば、カイエン公もまた彼の先祖オルトロス帝より受け継いだものが有る。

 “正しい”のはリィン達であり、“悪”はカイエン公の側であろう。

 家族のため、大切な人のため、民のため、祖国のために剣を取ったリィンやオリビエ達に対してカイエン公にあるのは妄執と称される我欲である。

 

 だが、騎神とは、いや《鋼の至宝》とはそもそも起動者の想いの貴賤、そんなものを問うたりする代物ではない。

 “道具”はいつだとて使い手の求めるがままに動くのみ。そして《鋼の至宝》が求めるのはより強く、自分を必要とする“力”に焦がれている存在なのだから。

 こじ開ける、本来であれば傍流で過ぎないがために不適格であるという資格を強引に。その“純粋”な“想いの強さ”によって。

 

「偉大なる先祖オルトロス帝よ!今こそ貴方の無念を私が晴らそう!故に力を!!!私に力を!!!!!」

 

 叫びに呼応するかの如く、テスタロッサの瞳が紅く輝き……そして魔王は250年の眠りより目覚めた。

 かつて獅子心皇帝ドライケルス・ライゼ・アルノールが最愛の存在たる槍の聖女リアンヌ・サンドロットの命と引き換えに封印した存在。

 紅き終焉の魔王(エンド・オブ・ヴァーミリオン)が此処に顕現したのだ。

 

・・・

 

 魔王の復活。それと共に凄まじい重圧がその場に居るものを、否帝都全域へと襲いかかる。

 霊脈を通して、その生命力を吸い上げていく。一方的にかつ無慈悲に。

 それはまさしく“魔王”と称される姿、“力”によって君臨せし、自らは与える事無く一方的に収奪する存在だ。

 そんな存在から護るべくオリビエは必死に弟を抱きしめる。

 ミュラー・ヴァンダールもまた主君を護るべく闘気の壁を形成する。

 そして、ヴィータ・クロチルダもまたその場に居る者たちを護るかのように防御結界を形成する。もはや敵味方を言っている場合ではないのだと、示すかのように。

 

「愚かな……我が身を魔王に捧げるなど……そんな事をすれば、もはや永劫その魂に安息が訪れる事はないというのに……!」

 

 無論、想いだけで道理を飛び越えられる程にこの世界は甘くない。

 カイエン公はその道理を飛び越えるために、その魂を“魔王”へと売り飛ばしたのだ。

 どのような人間であろうと訪れる、死後の安息、それが彼に訪れる事はない。

 死んだ後もその魂は魔王の供物として弄ばれ続けるのだ。

 ヴィータ・クロチルダが忠誠を誓った総ての魂を導く存在、偉大なる結社の盟主ですらも、そうなってしまえばどうしようもない。

 クロワール・ド・カイエンのその魂が救われる事は、もはや絶対に有り得ぬのだ。

 

「構わぬ!我が夢が叶うというのならば!!それこそが私の総てなのだから!!!」

 

 そしてそんな憐憫の篭った言葉に訪れるのは力に酔いしれた、狂気に満ちた言葉。

 誰もが子供の頃に抱く“夢”、それを叶えるためならばあらゆるものを踏みにじっても構わぬと拗らせ、他ならぬ自分自身によって“夢”を“呪い”へと変えてしまった、妄執に取り憑かれた(こじらせきった)大人の姿だ。

 

「夢が叶うのらばこの身がどうなろうと」

 

「そして他人がどうなろうと構わない……か」

 

「身につまされる部分があるんじゃないか、親友(クロウ)

 

 自分自身の未来も友人達との友情にも背を向けて“復讐”へと取り憑かれた男が居たなとリィン・オズボーンは傍らの親友へと揶揄するような言葉をかけ

 

「そういうてめぇはどうなんだよ、親友(リィン)

 

 何もかもを飲み干して、自分自身さえをも薪へと変えて“理想”へと飛翔する事を選ぼうとしていた男が居たよなとクロウ・アームブラストもまた応じる。

 魔王の放つプレッシャーを前にしても何ら臆する事無く、まるで取るに足らないとでも言わんばかりに。

 

「……そうだな。正直身につまされる思いだよ。“夢”というのは大切な人達と共有してこそ、それが叶った時に共に喜んでくれる“誰か”が居るからこそ価値が有るもの。そんな事を忘れていた身としてはな」

 

「……俺もだ。譲れない、譲れないと叫んで大切なダチがどうなるかわかっていながら、やらかした身としてはな」

 

 そうして二人は妄執へと取り憑かれた哀れな男へと憐憫の目を向ける。

 大切な事に気づかせてくれる人がおらずに、自らの中にある想いだけのために、自分自身のためだけに走り続けた哀れな独りぼっちな存在へと。

 

「それじゃあ、一つ教えてやるとするか、親友(クロウ)!」

 

「応よ!」

 

 相対する魔王それを前にして二人の騎士は不敵に笑う。

 コイツと一緒ならば、どんな敵だろうと負ける気がしないと。

 

 故にさあ、最期の戦いだ。

 そして教えてやるとしよう。

 “魔王”等という存在は“英雄”によって討伐されるのが世の定めなのだと。

 




みなさん!いよいよお別れです!
帝国を守る騎神連合は大ピンチ!
しかも、エンド・オブ・ヴァーミリオン最終形態へ姿を変えたカイエン公が、リィンに襲い掛かるではありませんか!
果たして、帝国の運命やいかに!?
次回灰色の騎士リィン・オズボーン!『ヴァリマール大勝利!希望の未来へレディ・ゴーッ!!』

※次回が別に最終回ではありません。


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カーテンコール

「「到達(アライブ)」」

 

 その言葉と共に、ヴァリマールとオルディーネ2つの騎神がその姿を変えて行く。

 迸る第2形態を上回る、されど纏う神気は禍々しさとは対照的な神々しさを宿したもの。

 立ち上るその神々しき霊力が機体を覆っていき、光の翼を形成してゆく。

 

 これこそが騎神の最終形態。

 己が心の闇へと打ち克ち、その上で明日へと向かおうとする意志を持つ境地へと至った起動者が到達せしもの。

 リィンもクロウも己が罪深さを承知していた。そしてだからこそ、二人は自分自身に輝く明日へとたどり着く資格はないと断じていた。

 それは己が罪と向き合おうとさえしない者に比べれば潔いものと言えただろう。

 だが同時にそれはある種の“逃げ”と“諦め”でもあった。

 自分は罪深き存在が故に幸福になる資格がないと断じて、真にたどり着きたい未来がありながら、そこにたどり着く資格はないと自分自身を見放していたのだ。

 だが、今の二人は違う。たどり着きたい地平がある。そしてその地平への旅路を共にしたい友が居る。

 

「だからこそ」

 

「てめぇは邪魔だ!」

 

 吐き出されるは裂帛の闘志の篭った宣戦布告。

 “紅き魔王”を討伐するべく、“灰”と“蒼”二人の騎士が出撃した。

 

「ふん、現れたな。良かろう、図らずも250年前の再現というわけだ!!

 忌々しき灰の騎神よ!今度こそ貴様らを叩き潰して、この私オルトロス・ライゼ・アルノールがこの国を支配するのだ!!!」

 

 狂気に満ちた250年に及ぶ妄執の篭った咆哮が発せられる。

 

「……どうやら、カイエンのおっさんはすっかり呑まれちまったようだな」

 

 起動者は歴代の起動者の記憶を引き出す事が出来る、それ故に驚くほどの早さで騎神の操縦に習熟する事が出来る。

 だが、記憶とはその人物を形成する極めて重要なもの。

 その記憶の継承は慎重に慎重を期さなければならないものだ。

 歴代起動者の記憶をまるごと継承するという無茶苦茶な行為をしたリィン・オズボーンでさえもそれをするのには一ヶ月もの時間をかけた。

 だが、カイエン公はそれをこの一瞬でやってのけたのだ。

 当然、耐えられるはずもない。もはや今のカイエン公には自分がクロワール・ド・カイエンなのか、それともオルトロス・ライゼ・アルノールなのかもわかっていないだろう。

 

「しかし、どうするんだよリィン。今のお前さん、獲物がない状態だろうが」

 

 自らは獲物であるダブルブレードを構えながら、クロウ・アームブラストは傍らを駆ける親友へと問いかける。

 そう、今のヴァリマールには振るう武器がない。

 機甲兵用のブレードは先程のオルディーネとの戦いで砕け散ってしまったが故に。

 素手でも戦えないということはないが、それでもどうしても戦闘力の低下は否めない。

 故の問いかけであったが

 

「問題ない。無いなら奪えば良いだけの事だ」

 

「いや、奪うってお前……ああ、そういう事かよ」

 

 不敵に応える親友のその言葉に疑問を抱いたクロウであったが、目前の光景を目にした瞬間総てを理解する。

 伝承によれば、テスタロッサは千の武具を振るう魔人と謳われた存在。

 そしてそんな伝承を裏付けるかのように、その周囲に無数の武具が浮かび上がる。

 剣、槍、槌、斧、鎌。そこに宿った霊力は総て莫大なもので、どれもが一級品の武具である事は疑いようがなかった。

 

「死ねぇ!ドライケルス(・・・・・・)!!!賤しい妾腹より産まれた尊きアルノールの血を汚す、汚らわしき屑めが!

 俺は貴様を兄弟等と断じて認めぬ!ましてや、貴様などが皇帝になる事もな!!!」

 

 忌まわしい灰の騎神、それを見た紅の魔王は狂乱と共に、そんな呪詛を口にしながら攻撃を開始する。

 飛来するのは数十に及ぶ武具。それらが四方八方より灰の騎神へと襲いかかる。

 その攻撃は一発一発が必殺の一撃。それを前に灰の騎神は臆する事無く前へと進み……

 

「プレゼントありがとう。遠慮なく使わせて貰うとしよう」

 

 飛来したその嵐を掻い潜り終わった灰の騎神のその両の手にはいつの間にか、双剣が握られていた。

 

「~~~~~~~貴様ドライケルスゥ!その汚れた手で我がアルノールの宝物に触れるなど許されると思うてか!」

 

 その光景を目にした瞬間にカイエン公、否オルトロス・ライゼ・アルノールの思考が怒りによって埋め尽くされる。

 許されぬ許されぬ。汚らわしき平民の腹から生まれ出た、卑賤の男が尊きアルノールの宝物に触れるなどあってはならぬ事だ。

 何故ならば、アルノールに属するもの、否このエレボニアにある物は総てこの皇帝オルトロス・ライゼ・アルノールのものなのだからと。

 

「許さぬ!許さぬぞドライケルス!!!その罪万死に値する!!!」

 

 そうして展開されるのは先程の比ではない武具。それが嵐のようにリィンへと襲いかかる。

 重ねて言おう、その一撃に込められた霊力は総て必殺と呼ぶに相応しいもの。

 第三形態へと至った騎神であっても直撃を喰らえば、致命傷は避けられぬものだ。

 

 しかし

 

「やれやれ……どうやら相手には今の俺がかの獅子心皇帝陛下に見えているようだな。畏れ多いことだ」

 

 押し寄せる嵐の如き波濤、それをリィン・オズボーンは難なく捌き続ける。

 必要最小限の動きで躱し、躱しきれぬものは双剣によって弾き落とす。

 その全てが神業と称される武の至境、それを平然とした様子でリィンは行い続ける。

 紅の魔王の放つ攻撃、それは確かに強力だ。しかし、その力任せの攻撃は至極読みやすい。

 狂気に駆られた力任せに暴れる怪物では“英雄”の命には到底届かない。

 

 そう、今のEOVは250年前に比べれば遥かに弱い。

 当然だ、何故ならばそれを振るうクロワール・ド・カイエンには武芸の心得などないのだから。

 如何に歴代の起動者の記憶によってブーストされようと、元がそれではたかがしれているというものだ。

 

 嵐の如き攻撃を物ともせずに進み続ける灰の騎神。

 そんな様にカイエン公は恐怖する。何か、何か手は無いかと考えて考えて……脳裏にある記憶が過り、口元を歪めた。

 そして次の瞬間、エンド・オブ・ヴァーミリオンはその巨大な尾を地面へと突き立てる。

 これこそが250年前にかの槍の聖女に致命傷を与えた一撃。

 

 上空から飛来する攻撃への対処になれた状態から繰り出されたその死角からの一撃はまさしく初見殺しという他ない悪辣な一撃であり

 

同じ手(・・・)を食らうか!!」

 

 故にこそ、リィン・オズボーンには通じなかった。

 何故ならば、彼はその攻撃を知っていたから。

 ドライケルス帝にとって決して忘れる事の出来ぬ、最愛の人を葬った一撃だったから。

 故にこそ、リィンにとってその一撃は初見であって初見ではない一撃。

 どれほど厄介な奇襲でも、種が割れてしまってさえいればその対処は容易いのだ。

 

 そして、魔王に立ち向かう騎士は灰だけではないのだ。

 

「隙だらけだぜ!」

 

 灰の騎神、そちらの相手に手一杯になっていたこの好機を蒼の騎士は見逃さない。

 猛攻を受ける相方を庇うような真似も気にかける真似も一切しない。

 何故ならばアイツが、リィンがこんな程度の敵に遅れを取る事など有り得ぬのだから。

 ならば、自分は相手を信じて駆け抜けるのみ。

 

 接近した蒼の騎神、それに対抗するべく緋の魔王は剣を取り出すがーーー遅い。鈍い。

 先程やり合った親友の絶技を思えば、なんとも容易い相手だとクロウはダブルブレードによって切り刻んでいく。

 

「何故だ!何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ!

 有り得ぬ!余はかのヘクトル帝が駆ったテスタロッサに選ばれし、正統なるアルノールの後継者だぞ!

 それが何故、このような下賤な者に遅れを取るというのだ!!!」

 

「ああ、わからないのか。だから貴方は獅子心皇帝に負けたんだよ。オルトロス・ライゼ・アルノール」

 

 狂乱する緋の魔王を前にリィン・オズボーンは手向けの一撃をくれてやるべく、双剣へとその闘気を収束させていく。

 

「彼は何時だとて誰かのために戦っていた。祖国のため、民のため、愛する人のため。

 そんな人物だったからこそ、彼の旗の下に多くの人間が集い力を貸した」

 

 ロラン・ヴァンダールはドライケルス帝を護るためにその命を落とした。

 リアンヌ・サンドロットはドライケルスのその想いに胸を打たれ、忠誠を捧げた。

 弟たるルキウスも兄のその姿にこそ真の王の器を見た。

 だからこそドライケルス・ライゼ・アルノールは庶出の皇子という身でありながら

 多くの思いを託され、獅子戦役を平定する事が出来たのだ。 

 

「だが、貴方の中にはどこまでも“己しか”存在しない。

 そんな人物が、最初から皇帝になど成れるはずがなかったんだよ」

 

 故にさあ手向けだ。今こそ此処に250年前より続く因縁に終止符を打とう。

 灰の騎神その闘気に呼応するか如く、蒼の騎神も闘気を高めて……

 

「「蒼覇十文字斬り!」」

 

 叩き込まれるは真のパートナー同士のみが使えるコンビクラフト。

 激突を経て真の意味で互いを理解し合った二人の放つそれはこれまでの比ではない相乗効果をうみ、数倍いや十倍にまでも高められたその一撃は緋の魔王を引き裂く。

 蒼と灰によって刻まれたその十字架を手向けとして、紅の魔王は再び“英雄”によって葬り去られるのであった……

 

・・・

 

 灰色の騎士と蒼の騎士、騎神より降りた二人の英雄はやったなと拳をぶつけ合う。

 

「へ、緋の終焉の魔王だとか言うからどんなもんかと思ったが、ま、俺達の敵じゃなかったな親友!」

 

「ああ、そうだな」

 

 そうして二人は爽やかに笑い合う。

 

「やれやれ本当に大したものね……まさか、ああもアッサリとあの緋の魔王を退けてしまうだなんて」

 

 ああ、本当に大したものだとヴィータ・クロチルダはその光景を眩しいものを見るかのように仰ぎ見る。

 若き“英雄”の活躍により、悪しき貴族によって召喚された魔王は討伐され、囚われの皇子様も救出された文句なしのハッピーエンドというべきであろう。

 

「ーーーああ、全く以て素晴らしいものを見させてもらった」

 

 だが忘れるな若人達よ。

 悪しき魔王を倒してめでたしめでたし。そんなふうに締めくくられるのは物語の世界だけだという事を。

 現実にはそんな若人の働きを、かすめ取らんとする単純な武力では倒せない真の悪党がはびこっているのだと。

 

「期待通り……いや、期待以上の働きだったよ。

 貴殿の皇室と祖国への献身に心よりの敬意を払わせて頂こう、リィン・オズボーン中佐殿。

 我らが鉄血の子の筆頭にして、我が愛しき義弟よ」

 

 かくして策謀を巡らせていたその打ち手は表舞台へと姿を現した。

 自分の予想を超える名演を見せてくれた主演を讃える脚本家のように。

 どこまでも優美に微笑みながら。

 

  

 

 




お喜び下さい皆さん!見事グランドルート突入です!!!


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狂い哭け お前の末路は“英雄”だ

Q 例えば貴方が権力者だったとして軍隊でも勝てない“最強無敵”の存在とやらを放置しますか?
A まず無理です。金や地位に女と言った、あらゆるしがらみを総動員して懐柔にかかります。


「……なるほど、つまりは貴方がアルティナをこちら側に送り込んだ貴族連合の内通者だったというわけですか、ルーファス卿」

 

 現れた人物を前にしてリィン・オズボーンに去来した思い、それは動揺ではなくある種の“納得”であった。

 

「ふふふ、あまり動揺していないところを見るとどうやらそれなりに予想していたという事かな?」

 

 そんな言葉を告げながら、かつてとは比較にならない風格を纏うようになったリィンの姿をルーファスは推し量るように見つめる。

 

「別段、そう難しい話ではありませんよ。

 アルティナの齎した情報は貴族連合の中枢に位置するものでなければ知りえないような内容だった。

 そしてこの内戦中、自分の進む道は余りにも開けすぎていた。

 決定的だったのはカレル離宮の攻略を行った時です。

 この戦いの趨勢を決定づけたのはあそこだった。皇帝陛下の御身こそ、この内戦の行方を決定づけるものであり、こちら側がその救出を狙う事など少々頭の働くものであれば、誰とて予想するものでしょう。

 にも関わらず、その警備は余りにも手温過ぎた。それこそ、とても本気で護ろうとは思えない位に。内応者が貴族連合の中枢、それも単なるお飾りではなく、実際の戦略方針や戦力配置に関与できるような立場にいる事は明らかです。

 そしてオーレリア将軍とウォレス将軍といった実戦部隊を束ねる将校がこちら側に通じている等というのは有り得ない。ーーーそもそもあの彼らがこちらに通じていたというのならそれこそ西部の時点でこちらに寝返っていれば、この内戦はその時点で終わっていましたしね」

 

 故に実働部隊を掌握しているような将軍はこの時点で対象から外れる。

 

「そうなってくれば残る対象は戦略に関与できる大貴族、それでいて自分自身が自由に動かせるような実働部隊を掌握していないような人物となってきます。

 この時点で現在当主の地位にあるような人物たちもまた対象から外れます。」

 

 当初は穏健派として知られるフェルナン・ハイアームズ辺りがそうした形で強硬派を追い落として、貴族連合内の主導権を握ろうとしているのかとも思ったが、すぐさまそれはないという結論に至った。

 もしもフェルナン・ハイアームズがそうした密約を正規軍側と交わしていたのならば、それこそ西部戦線は絶好の機会だったからだ。ログナー候に引き続き、ハイアームズ候が貴族連合よりの離脱を表明すれば、その時点で貴族連合は瓦解していた。

 ウォレス将軍は将兵からの信頼の厚い名将だが、それでも彼はあくまでサザーランド領邦軍最高司令官代理という立場で、ハイアームズ候より軍権を預かっている身に過ぎない。ハイアームズ候直々に命じられてしまえば、彼には選択肢は無くなるのだ。

 

「後は単純な消去法です。貴族連合の戦略に関与できるような立場にあり、自分自身には自由に動かせる実働部隊を持っておらず、さらにはまず内応する事はないだろうと貴族連合内からも思われているような高位の貴族。

 それに一番該当するのが貴方だったというだけのことですよ、貴族連合総参謀ルーファス・アルバレア殿」

 

「ふふふ、いやはや全く以て素晴らしい。確かに与えられた情報を先入観を排して精査すれば、君の言うとおりだ。

 だが人間誰しもこの先入観というものに縛られるものでね。貴族連合内で盤石な立場を有しており、なおかつ次期アルバレア公である私にそのような事をする動機など無いと考えて、真実に至れないものなのさ。

 流石は“理”に至っただけの事はある。数ヶ月前にはまだ巣立つ前のひな鳥だったいうのに、この短期間でこれほどの人物になるとは。全く以て大したものだ」

 

 心の底より送られるルーファスの賛辞に対してもリィンはなんら感銘を受けない。

 本来であれば感謝して称賛して然るべきなのかもしれないが、それでも心の底にある不信感が目の前の男に対して拭えないのだ。

 人を操る事など余りにも容易いとでも言わんばかりの、その態度が。まるで人をゲームの駒か何かとして扱うようなその様が。

 

「別段そう大した事じゃありませんよ。わかっている事、読めている事それ自体に大した価値などない。重要なのは、わかった上でそれにどう対処出来るかどうかです。ーーーその点、貴方の筋書きは完璧と言っていいものでした。この上ない位に」

 

 だが、個人的感情とは別にその働きは正当に評価しなければならない。

 そしてルーファス・アルバレアは貴族連合にとっては憎むべき裏切り者であろうが、正規軍にとってはこの内戦最大の功労者と呼んでも過言ではない働きを為した。

 故に、リィン・オズボーンがルーファス・アルバレアに食ってかかる理由などは、論理的に考えれば有りはしないのだ。

 

「私とてそう大したものではないさ。当初の私の描いた筋書きでは、帝国の“英雄”《灰色の騎士》が悪の大貴族カイエン公の走狗《蒼の騎士》を討ち果たし、見事皇太子殿下を救出するとそういう結末になっていたのだからね。

 《蒼の騎士》を生かしたまま味方に引き入れる事も、カイエン公が紅き終焉の魔王を復活させる事も想定外だったとも。

 ーーーだが、これはコレで悪くない。内戦で死闘を繰り広げた灰色の騎士と蒼の騎士が、学友同士であった君たちがそうして和解したというのは内戦は終わったのだと知らしめるにはこの上ないだろう。

 それに、最大の腹心である蒼の騎士にさえも見放されたカイエン公の愚かさを喧伝する、いい材料にもなるしね」

 

 微笑を浮かべたまま、そう脚本家はアドリブによって自分の結末を塗り替えた主演を称賛する。

 自分が想定していた結末とは違ったが、これはこれで悪くはないと。

 

「……それでわざわざ、こうしてその内容を告げに来たのは一体如何なる理由によるものですか?

 父が死んだ今、代わりに私に忠誠を誓ってくれるとでも?」

 

 ルーファス・アルバレアは間違いなく優秀だ。

 味方に引き入れる事が出来れば、間違いなく“理想”に向けて一気に近づく事が出来るだろう。

 なればこそ、もしもそちらにその気があれば、こちらは受け入れてやるぞと。

 不敵な笑みと共に告げられたその不遜なる言葉にルーファスは一瞬虚を突かれたような顔を浮かべ……

 

「フフフ……ハハハ……アーハハハハハハハハハハハハ」

 

 次の瞬間、この男にしては珍しい事に愉快そうに笑う。

 それは常に浮かべている優美な微笑とは異なる、心からのものであった。

 

「いや、失敬。別段君の発言、それ自体を嘲弄したつもりはないので誤解しないで欲しい。

 そして提案の件だが、中々に魅力的なものだが生憎断らせて貰おう。

 何故ならば、私が忠誠を誓った我らが偉大なる父。鉄血宰相ギリアス・オズボーン閣下は生きているのだから」

 

「何……?それはどういう……」

 

 ルーファスの言葉の真意、それを問いただそうとしたその瞬間であった。

 

こういう事だよ(・・・・・・・)、中佐」

 

 聞き覚えのある、余りにも聞き覚えのある覇気に満ち溢れた言葉。

 その堂々たる姿には、溢れんばかりの覇気がみなぎり、脆弱さなど欠片も見受けられない。

 クロウ・アームブラストによって撃たれ、殺されたはずの男、鉄血宰相ギリアス・オズボーンがその姿を現したのだ。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 どういう事だ、そんな疑問がリィンの心を埋め尽くす。

 父は、確かに自分の目前でその心臓を撃ち貫かれていたはずだ。

 そして一切の鼓動が止まっていた事も、他ならぬ自分自身が確認したのだ。

 だからこそ、その姿を目にした瞬間にリィンの心を満たすのは喜びよりも疑念であった。

 何故生きているのか(・・・・・・・・・)と。

 

 誰もがあまりの衝撃に動き出す事が出来ない。

 宰相の両脇を固めている彼の腹心たる《氷の乙女》と《かかし男》の様子にもどこか動揺が見られるその様子は、彼らもまたその生存を知らされていなかった事を示す光景であった。

 そんな中、その男はどこまでも悠然とした様子で呆然とした表情を浮かべる、オリビエの下へと歩み寄っていき

 

「この度は私の不明によって皇太子殿下の御身を危険に晒した事、そしてオリヴァルト殿下の御手を煩わせる事となった事を心よりお詫び申し上げます。そして、どうかご安心(・・・)を。

 これより先は臣めが全霊を以て、この内戦を終わらせ、早急にこの国に秩序を取り戻すため粉骨砕身働かせて頂く事を約束させて頂きます。どうか、両殿下に於かれましてはご家族と共に安らかな時間を送っていただければと思います」

 

 言外に貴方の役割はこれで終わりだと告げる宰相のその言葉にオリビエはその表情を強張らせ

 

「無事で何よりだった……と言いたいところだが、一つ聞きたい。貴方はこの内戦中何をしていた?

 貴方は父上より信認を受けた、この国の宰相だ。無事だったというのならば、直ぐにでもその姿を現してこの内戦を終わらせるべく尽力する義務があったはずだ」

 

「殿下のお怒りはご尤も。この非常時に眠りこけていたなど、皇帝陛下より信認を受け宰相を務める身としては申し開きようもない許されざる失態です。職を辞す事も考えましたが、しかし我が愛する帝国のこの惨状を思えば、たとえ恥知らずとの誹りを受けようとも、その働きによって挽回する事こそが私の為すべきであると考えた次第です」

 

「殿下……宰相閣下が目を覚まさられたのはつい先程なのです。

 あの凶弾により、宰相閣下は重傷を負われました。何とか一命は取りとめたものの、意識は取り戻されず昏睡状態にあったのです。本来であれば安静になさればならぬところを、それでもその身に宿る愛国心と皇室への忠誠心を支えに此処に来られたのです。その思い、どうか汲んで頂くわけにはいかぬでしょうか?」

 

 オリビエの問いに対してギリアスとルーファスが答えるのはそんな白々しい内容。

 凶弾に倒れた日からオズボーンは昏睡状態にあって身動きできなかったのだと、そんなほとんどの人間からは動けなかったのも仕方がないと思われるような完璧な理由だ。

 そう言われてしまえば、オリビエとしてはそれ以上追求する術はない。何かを隠しているとはわかりながらも、押し黙る他なかった。

 

 そしてそんな言葉を聞いてリィンの脳裏に過るのは「嘘だ」という疑念だ。

 動揺していた事は認めよう、しかし、父の負った傷は完全な致命傷だった。

 何故ならば心臓の鼓動が完全に止まっていたのだから。生きているはずがないのだ、人間であれば(・・・・・・)

 瞬間、リィンの頭に浮かんだのは心臓を貫かれたにも関わらず平然と起き上がった“魔人”の姿。

 ーーーまさか、今の父は。そう思考を巡らせたところでふと、父を殺したはずだった親友の姿が気になり、視線をやれば。突き刺さったダブルブレード、それを抜き放ち手に携えていて……

 

「ギリアス・オズボーン!!!」

 

 殺したはずの怨敵、それを目にした瞬間クロウ・アームブラストは憎悪を再び身に纏い、それに突貫する。

 理性は告げる。お前は必死に親友が用意してくれたせっかくのお膳立てを台無しにするのかと。

 そう、頭では理解している。しかし、理性で止まるというのならば、そもそも復讐など人は行わないのだ。

 過去に別れを告げて親友達と共に生きていくと誓った。

 だが、それは過去を清算できたと思っていたからこそ。

 激情が心を満たして、身体を突き動かす。

 そうして心臓を打ち貫かれて死ななかったというのならば、今度は首をはねおとしてやるぞと振るったその全霊の一撃は……

 

 甲高い金属音が鳴り響く。

 ダブルブレードの一撃は怨敵へと届く事無く守護の剣によって防がれる。

 そこに居るのは、それ以上は許さないと告げる双剣を構えた親友の姿で……

 

「退けよ……リィン」

 

「そうはいかない。この方はこの国の宰相であり、俺はエレボニアの軍人だ。

 みすみす、その身を害するところを座して眺める事など出来ん」

 

 告げられた軍人としてのその鋼鉄の宣誓を前にクロウは自分の心が急激に冷めていくのを感じた。

 ああ、結局はこうなるのだと。

 自分は鉄血を許す事が出来ないし、そしてこいつはそんな鉄血の息子なのだと。

 所詮自分達は相容れぬ者同士で、先程まで見ていたのは所詮叶わぬ泡沫の夢だったのだと。

 再び、その心を憎悪と諦観が覆っていき……

 

「そうかよ、なら「何よりも!」」

 

 てめぇを倒すまでだと告げようとした言葉を大きな言葉が遮り、剣の先を見ればそこには顔を悲痛で歪める親友の姿があって……

 

「何よりも……この人は俺の父で、お前は俺の親友だろう。

 また俺に親友が父を殺す光景を見ろというのか!俺はもう、あんな光景二度と見たくないんだよ!

 頼むクロウ……俺はお前を討ちたくない……討たせないでくれ」

 

 震えながら告げられたのは命令ではない、心からの懇願。

 プライドも何もかも投げ捨ててのその親友の懇願を聞いた瞬間、憎しみに支配されていたクロウの頭は急速に冷えていき……

 

「………クソッタレがぁ!!!」

 

 怨敵の思惑通りだとわかっていながらも、その親友からの頼みを断る事は情の鎖によって絡め取られたクロウにはもはや出来なかった。

 そして、そんな若人二人の友情を見た怪物は笑みを浮かべて

 

「良いのかね、クロウ・アームブラスト。君の祖父の仇は今、目の前に居るぞ。

 その剣でこの私の首を刎ね飛ばしたかろう」

 

 自分を憎みたければ憎むが良い、自分はそれらを総て飲み干そうと告げる鋼の意志を前にしてクロウは……

 

「……黙ってろよ。こちとらそうしたいけど、そう出来ない事情があるんだよ」

 

「ふふふ、ずいぶんと嫌われたものだ。まあ清廉潔白とは到底言えぬ身故覚悟の上だがね。

 だが、私に憎しみを向ける君のその手は果たして綺麗なままかね?」

 

「……極刑だろうと何だろうと好きにしろよ。こちとらそんな事は覚悟の上だ」

 

 親友との約束を破る事、それに思うところはあるがそれでも、これは譲れない。

 親友のために戦うならば良いと思った。恥知らずとの誹りをかつての同志から受ける事になろうとも。

 だが、流石に怨敵の走狗になるなどクロウ・アームブラストはごめん被る。

 文字通り、そんな事をする位ならば死んだほうがマシだと。

 

「ふふ、潔い事だが本当にそれで良いのかね。

 自らの罪を、解放戦線リーダーとしての罪を償うという本当の意味を君は理解しているのかな?」

 

 自分が死ぬこと程度で済むと本当に思っているのかと無知な若者を嘲るギリアスのその発言にクロウが訝しがると

 

「アルフォンス・バルツァー、サザーランド州ヘルネ村出身」

 

 ルーファス・アルバレアが次々と読み上げていくのは人名と出身地、そして現在の所在。

 それを聞いていく内にクロウの表情が見る見る内に変わっていき

 

「以上58名が帝国解放戦線のかつての構成員だ。

 主だった幹部が公的にはザクセン鉄鋼山にて壊滅していた事になっていたため、取るに足らぬと放置していたが帝国解放戦線のリーダーがもしも逃げ延びていたとするのならば、当然その残党も摘発せねばなるまいな。

 君次第だ、クロウ・アームブラスト。解放戦線リーダーとしての意地を貫くために君に付き従ったかつての同志を纏めて道連れにするか、それとも《蒼の騎士》として帝国に尽力することで己が罪を雪ぐか。

 重ねて言うが、挙げた58名の処遇などこちらにとっては些事だ。貴族連合の英雄《蒼の騎士》を引き込めるメリットに比べればな」

 

 憎悪と視線によって人が殺せるなら、間違いなくギリアス・オズボーンはこの場で絶命しただろう、そう思えるような視線がクロウ・アームブラストから放たれる。

 

「クロウ……心中を察するなどと言う事は出来ん。だが……頼む」

 

 

 固く握りしめた掌からは血が流れ落ち……凄まじいまでの葛藤の末に親友とした約束が最後の後押しとなり……

 

「それで良い。胸を張るが良い、クロウ・アームブラスト。

 君は正しい(・・・)選択をしたのだ」

 

「黙ってろ。俺はてめぇの飼い犬になるわけじゃねぇ。あくまでダチとの約束を護るためだ」

 

「ふふ、別段一向に構わんよ。端から私は君に忠誠だのと言ったものを期待するつもりはない。

 結果さえ出してくれるのならば、文句はないのだから」

 

 此処に勝敗は決した。

 “友情”という鎖によって縛られたクロウ・アームブラストではかつてのように総てをかなぐり捨てた漆黒の弾丸になることは出来ず。

 鋼鉄の進撃を阻む事は出来ない。

 

 そうして“蒼の騎士”という望外の駒を手に入れる事に成功したギリアス・オズボーンは此度の内戦に於ける最大の功労者へと視線を向けて

 

「ふふふ、改めて久しいなリィン。我が愛しき息子よ」

 

 愛しいと告げながらもそこに愛情を感じないのは、リィンの邪推なのだろうか。

 

「此度の件でのお前の活躍は聞いている。本当に良くやってくれた。

 全く以て見事だった。これはついに私もお前に満点(・・)を与えざるを得ないだろうな」

 

 どこまでも上機嫌にギリアス・オズボーンはリィン・オズボーンの活躍を寿ぐ。

 

「今後ともこの至らぬ父を支えて欲しい。我が子ども達の筆頭よ

 さしあたって、お前にはルーファス卿と協力してのクロスベルの併合と共和国の撃退を一任する。

 祖国を護るため、その守護の剣を存分に振るってくれたまえ」

 

 ずっと夢見ていたはずだった。

 父にお前は自慢の息子だとかつてのように褒められる事を。

 力を貸して欲しいとそう助けを求められるような一人前の存在になれる日を。

 

「……それが我が祖国のためであり、帝国政府の決定ならば。

 我ら軍人は政府よりの要請に応えるべく、全霊を尽くすのみです」

 

 だというのに、何故今の自分の心はこんなにも凍てついているのだろうか。

 夢が叶った瞬間というのは幸福に満ちているもののはずだというのに。

 

 かくして灰色の騎士は帝国の“英雄”となる。

 夢見る子どもで居られた時代に別れを告げて……




本編と関係があるようで関係のない小ネタ

ギリアス「君が戦わないのは勝手だ。しかし、そうなった場合、誰が代わりに戦うと思う?」
クロウ「…」
ギリアス「リィンだ。リィンは私が原因で、君に負い目を感じているはずだ。
   だから君がやらなければ、自分から手を挙げるだろう。
   しかし、今のリィンでは共和国には勝てな」
クロウ「いや、勝てるだろ」
ギリアス「…」
クロウ「勝てるだろ。
    理に至った上に第三形態になった騎神乗り回す今のアイツに誰が勝てんだよ」
マクバーン:逃した魚が期待通りに大きくなってくれてワックワクしている顔
アリアンロード:愛しのドライケルスの後継がどれほどのものか試してやろうといきり立つ小姑の顔
シャーリィ:目をキラキラ輝かせて恍惚としながら、お腹の傷を愛おしそうになぞっている顔

ヴィータ姐さんが気配遮断していますが、クロウがパッパに斬りかかった時に生じた隙に離脱しております。
ある種長い付き合いだった相棒への最期の義理通しでもあったわけですね。


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獅子戦記第2部-The Superstate Erebonia-
終焉を告げる者


個人的に軌跡で一番不憫だと思っているのはマクダエル爺ちゃんだと思います。
あんな奇跡による救済を前提としてごり押ししたために詰んだ盤面押し付けられて、どないせいっちゅうもんです。

ちなみにオズボーン君は現在父親への不信感が募ってきていますが、別段これはクロスベルの味方である事を意味はしません。彼はエレボニアの軍人であって、優先するのは祖国ですから。


 

 七曜暦1204年12月31日、2ヶ月にも渡って帝国を二分する事となった内戦は終結した。

 皇太子誘拐という暴挙に及んだ貴族連合総主宰クロワール・ド・カイエンが討伐され、暫定的に貴族連合の纏め役となった総参謀ルーファス・アルバレアと帝国政府代表として職務に復帰したギリアス・オズボーン宰相はエレボニア帝国89代皇帝ユーゲント・ライゼ・アルノールの下、停戦へと合意。

 さらにユーゲント皇帝は「忠臣達の働きにより逆賊が討伐されたとは言え、未だ我が国は未曾有の危機にある。今こそ、我らはあらゆる対立を乗り越え帝国の総力を結集してその危機に立ち向かうべきである。罪に対してはそれに見合う裁きが与えられるが、同時に功有りし者にはそれに見合った恩賞を与える」との声明を発表。そして同時に自身の代理人たるオズボーン宰相へと全権を委ねるとの詔勅を発令した。

 

 そして翌年七曜暦1205年、エレボニア帝国はその総力を結集してクロスベルへと侵攻した。それはまさしく正規軍と領邦軍の垣根を超えたエレボニア帝国の総力を結集した一大作戦だ。

 貴族連合に与した貴族たちは必死だった。何せ彼らは内戦中逆賊へと与してしまったのだ。此処で何らかの功績を挙げねば、お家取り潰しとなることはほぼ間違いない。なんとしてもその献身を持って、皇帝よりの寛恕を期待する以外、もはや彼らには道は無いのだ。

 

 正規軍側も必死だった。彼らを駆り立てるのは危機感だ。

 ガレリア要塞は消滅し、内戦によりミヒャールゼン大将を筆頭に多くの人材を正規軍は失った。壊れた兵器などは資金さえあればすぐにでも補充できる。しかし、人はそうはいかない。兵士ならば3年、下士官ならば5年、士官ならば10年。それが一人前にまで育て上げるのに要する時間と言われている。

 18歳の若さで大佐にまで上り詰めたリィン・オズボーンという特級の例外とて一朝一夕でそうなれたわけではない。幼少期より受けた英才教育という下地があってこそ、その才を開花させる事が出来たのだ。機甲部隊計6個師団の壊滅は、帝国正規軍に深刻な打撃を与えた。この上、クロスベルまで共和国に奪われてしまえば、それは帝国にとっては亡国の危機を意味するのだ。軍事的に見て、クロスベルを併合し、共和国への盾となる衛星にするのは国防上必要不可欠であった。

 

 経済界もまたクロスベル併合を全力で後押しした。

 クロスベルの独立騒動は図らずも、オズボーン宰相が西ゼムリア通商会議に於いて指摘したクロスベルの安全保障能力に重大な疑義を与えた。ディーター・クロイス市長の暴走に端を発したクロスベルの独立騒ぎにより、各国の株式市場は深刻な打撃を受けた。もはやクロスベルを自治州のままにしておいては、安心して経済活動を行う事など出来ないと帝国の資本家及び投資家達に思わせるには十分過ぎたのだ。

 

 国民感情に関してだがーーーこれは、もはや言うまでもないだろう。

 2ヶ月にも及ぶ内戦は帝国に深刻な打撃を与えた。それは経済や、人的資源と言った側面もそうだが、何よりも同胞同志で殺し合ったという結果、それ自体である。領邦軍の人間は正規軍の人間やその家族から見れば仇であるし、それは領邦軍から見た場合も同様である。人を結束させるのに最も有効なのは共通の“敵”を作り上げる事だ。共通の敵は味方同士で争っている場合ではないという危機感を与え、共に罵倒し合うことで連帯感を養う。内戦によって、分断された帝国を再び一つにするには“敵”が必要だったのだ。

 そしてそれに最も相応しき存在がガレリア要塞を消滅させたクロスベルであり、仇敵たるカルバード共和国に他ならなかった。

 

 そしてエレボニア帝国の総力を結集した侵攻を前にしても自治州議会議長にして市長代理となったヘンリー・マクダエルは懸命に足掻いていた。絶望的な状況なのは百も承知、もはやクロスベルの命運は風前の灯火であり、此処から何とか挽回するのは至難を通り越して、“奇跡”と言っていいだろう。しかし、だからといって諦めるわけにはいかないのだ。他ならぬその“奇跡”を否定して、あくまで人として、“政治家”として“現実”に立ち向かっていくと決めた身として。若者たちによりよき未来を残すためにも。

 

 そう、決意を胸にその日もヘンリー・マクダエルは新庁舎であるオルキスタワーにて会合を行っていた。議題はエレボニア帝国よりの“クロスベル自治州の自治権を取り上げ、帝国政府の直轄地とする”という最終通告、それに対してどう対応するべきかというものである。当然議論は紛糾した、前議長たるミハエル・ハルトマン失脚以後消沈していた帝国派の議員は此処ぞとばかりに、こと此処に至れば帝国政府の要求に従うのがクロスベルにとって最善の道だと主張。

 一方共和国派の議員たちは当然ながら猛然と反発。共和国と結ぶことで活路を見出すべきだと主張した。

 さらには帝国と共和国を食い合わせる二虎競食の計を提案するものも居たが、これはそれを行えばまず間違いなく戦場となるのはクロスベルの方だという両派からの熾烈な糾弾を受けて消沈した。

 

 何とかしなければならない、しかしヘンリー・マクダエルは議長及び市長代理であって皇帝でも大統領でもない。必然、どうしても出来る事は限られている。加熱する両派を宥めながらも、それでも何とかクロスベルにとっての“最善”を模索していた、その時であった。

 

 クロスベルにとっての“最善”を導く答えなど待つ義務はない。自分が齎すのは帝国にとっての最善の着地点であると言わんばかりに巨大な灰色の騎士人形が上空より現れた……

 

・・・

 

「私はエレボニア帝国正規軍大佐リィン・オズボーンである。

 クロスベル自治州へと通告を行う。自治州政府はただちにその自治権を返上し、帝国政府へと全面的に服従せよ。

 帝国は諸君らクロスベルを信じていればこそ、諸君らに自治権を与えていた。だが、諸君らは首長として選んだディーター・クロイスの独立などという愚にもつかぬ甘言に惑わされ、挙げ句の果にガレリア要塞を消滅させるという暴挙に及んだ。

 これは、許されざる大逆行為であり、本来であれば諸君らの生命を以て贖わければならぬ大罪である。

 しかし、皇帝陛下は慈悲深きお方である。大罪人ディーター・クロイスを諸君らが自らの手で捕まえたことで、諸君らの自らの罪を悔い、贖おうとした事を評価しておられる。独立騒動は彼と一部側近の暴走によるものであり、巻き込まれた者たちの罪は問わぬと仰せだ。

 故に諸君らが帝国に真に叛意を抱いてないのであれば、こちらに従うことで自らの忠道を証明せよ。

 第一の要求として、私は自治州政府にベルガード門を始めとしたクロスベル全土に陛下の兵たる我ら帝国軍の駐留を求めるものである。諸君らに従う意志があれば、ただちにベルガード門を開放せよ。

 それ以後の指示はクロスベル暫定統括官たるルーファス卿より下される。なお、この要求が呑めぬのであれば、私は諸君ら自治州政府が自らの意志でディーター・クロイスへと与した賊徒とみなす。

 諸君らは自らの愚行をその命によって贖う事となるだろう。諸君らが我らと同じ皇帝陛下の忠臣である事を切に祈るものである」

 

 灰色の騎士人形より伝えられたのは、そんな最終通告。

 そして同時に齎されるのは帝国軍の大軍がベルガード門の前へと集結しているという報告。

 それを前にヘンリーは崩れ落ちるように項垂れる。もはや、クロスベルに他の道はないのだと突きつけられたが故に。

 何よりも愛し、護ろうとした自治州の歴史を自分の手で終わらせねばならぬと悟ってしまったがゆえに。

 

 

 七曜暦1205年1月10日。クロスベル自治州は70年に及ぶその歴史に幕を下ろし、帝国領クロスベル州となる。

 だが、当然もう一つの宗主国が座して、それを見逃すはずもない。

 民主国家というその政治体制の性質上、君主制である帝国程の速攻は出来なかったものの、クロスベルという獲物は「経済恐慌」と「民族問題」という問題で揺れている共和国にとっても喉から手が出るほど欲しいものなのだ。

 

 加えて、共和国にも大きな危機感がある。

 帝国の内戦は終わった。貴族連合の敗北という形によって。

 今後生きていた怪物がその強力なリーダーシップによって改革を推し進めていく事を比を見るよりも明らかである。

 それにクロスベルという金の卵を産む鶏まで加わってしまえば、均衡していた勢力は完全に帝国側へと傾く。

 今しかないのだ。帝国が内戦という痛手から回復しきっていない今しか。

 これを逃せば、帝国が共和国の手に負えぬ超大国へとなることは火を見るより明らかなのだから。

 

 かくして共和国はクロスベルを“奪還”するべく、アルタイル要塞へとその戦力を集中させる。

 当然帝国もその動きを察知してクロスベル東武へと特記戦力たる灰色の騎士と蒼の騎士という二人の英雄を始めとした戦力を集結させ、防衛網を構築する。

 エレボニア帝国とカルバード共和国、西ゼムリア大陸に君臨する2つの大国。

 この2国の決戦はもはや、誰の目から見ても避けられぬものであった……

 

 




灰色の髪の元猟兵「なんだよあの灰色の巨大な騎士人形……というか灰色の騎士って確かあの血染めと引き分けた奴だよな……18歳で大佐とか出世しすぎだろ。やべぇよ。やべぇよ。絶対に逆らったら殺されるって。絶対に機嫌を損ねないようにしないと!」
リベール出身の遊撃士「むむむ、大佐だかなんだか知らないですが。あんな高いところから一方的に命令するなんて、礼儀がなっていませんね!もしも会う事があったら、お説教してあげませんと!」
悲痛な顔を浮かべる相方「や め ろ」

自国の英雄は他国にとっての悪魔なのです。


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船頭多くして船山に上る

作者のイメージする軍事的天才「派閥力学?上の人間の面子を潰さないような配慮?そんなもん気にしていて勝てるか」


 七曜暦1204年1月7日、クロスベル自治州は70年の歴史に幕を降ろして帝国領クロスベル州となる。調印の後、クロスベルの良心として讃えられている、ヘンリー・マクダエル暫定市長は憔悴しきった様子で「私の人生はクロスベルと共にあった。その自治州の歴史に自ら幕を下ろすこととなってしまったこと、そして自治州議会議長、市長代理という重責を担う身でありながら、市民の皆様の期待に応える事が出来ずこのような事態を招いてしまった事は誠に慚愧の念に耐えない」との声明を発表。

 誰がどう見ても貧乏くじを押し付けられたとしか言いようがない状態でありながら、決して他者に責任を押し付けようとすること無く、ただただ自らの力不足を述べるその高潔な姿は、クロスベル市民の心を打たずにはいられなかった。

 このような事態というのが具体的に何を指しているのかは幾らでも言い逃れの余地があること、自身の責任について言及するのみで帝国に対する非難と取られるような発言をしなかった事は流石は老練の政治家と言うべきであっただろう。

 自治権は失ってしまったが、それでもこうした併合の際には現地の行政機構というのはそのまま温存して使用するのが定石である。故に下手に感情任せな事を言って、帝国に自分を更迭させる口実を与えてしまうのは、マクダエル議長としては避けねばならなかったのだ。

 

 

 そして“西の脅威”たる宿敵のクロスベル併合を受けてカルバード共和国は「クロスベルは我がカルバード共和国の領土であり、エレボニア帝国の行為は不当なる侵略行為である。帝国軍はただちにクロスベルより撤兵すべし」との非難声明を発表。

 一方の帝国も「クロスベルは我が帝国の領土であり、此度の併合はIBCの金融資産の凍結行為、ガレリア要塞の破壊というディーター・クロイスの暴走を許したクロスベルにはもはや、自治をする能力を無いと判断した宗主国としての当然の権利であり、義務でさえある。カルバード共和国は妄りに大陸の秩序を損なうような行いを慎むことを我が国は望む」と応じる。

 

 これまでであれば、それはある種のプロレスで終わるものであった。

 大国同士の全面衝突などというものを望む指導者は普通(・・)は居ない。何故ならば、戦争などというのは余程上手くいかなければ割に合わないものからだ。今回のクロスベル併合のように国力が圧倒的に開いており、抵抗らしい抵抗を受けないのであれば、踏み切る価値はあるだろう。

 だが、拮抗した敵国との全面戦争などというのはおよそ割に合わない。何故か、それは短期決戦によって速やかに終わらせるなどというのがほとんど机上の空論で終わるからだ。そして、多くの兵士はその命を散らす事となり、政府は遺族への補填金が重くのしかかる事となる。故に戦争というのは外交における一手段であると同時に、もはやそれ以外にない場合にのみ用いる最終手段なのだ。

 だからこそ、指導者というのは強硬的と称される人物であっても、表で強硬論を煽りつつも、裏では自国に有利でなおかつ相手も妥協できる程度の着地点というのを模索しているのが一般的だ。平時においては(・・・・・・・)

 無論、そんな一般論が常に通るというのなら、この世に“戦争”という悲劇は起こりえない。“現実”というのはそうした“計算”を叩き壊す、信じがたい出来事が往々にして起こるものだ。どれほど優れた策士であっても、英雄と称される人物であってもそれは例外ではない。

 この世に起こりうる総ての事象を見通して、統御出来るとすれば、それは“人”ではなくもはや“神”と称すべき存在であろう。

 そしてディーター・クロイスの行った“暴挙”は帝国と共和国の“計算”を完全に叩き潰した。

 

 カルバード共和国では経済恐慌が起こり、さらにそんな国内状況が元々潜在的に抱えていた民族問題へと火をつける事となった。“内戦”にまでにはならなかったものの、それでも国内に抱えた軋轢は深刻であり、ロックスミス大統領もそれの対処に追われていた。

 そんな最中に起こった帝国によるクロスベル併合。これを座して見逃す事は出来なかった。

 基よりクロスベル独立騒動から端を発した諸問題から、政権の支持率は大きく落ち込んでいる。

 そこに帝国をクロスベルに併合されたという問題が加わればロックスミスは辞職をせざるを得ないだろう。

 そうして自分が失脚してしまえば、待っているのは当然自分への反動として過激な民族主義者の極右が政権を握る未来だ。

 当然、クロスベルを奪還するべく動き出すだろう。つまるところ、クロスベル奪還作戦はロックスミスがやらなくても結局のところ、次の人間がやることなのだ。

 ならば、自分の統御の下で行い、エレボニア帝国という“敵”を前に我らは同じ共和国の民なのだという同胞意識を国民に改めて植え付けること、それが共和国にとっての最善である事は疑いようがなかった。

 加えて、クロスベルを手に入れる事が出来れば、共和国経済は息を吹き返す。

 そして敵は“内戦”という痛手から回復しきっていない。あらゆる点において、攻めるべきは今しかなかったのだ。

 

・・・

 

 そしてそんな共和国の“侵攻”を前にして内戦でその名を馳せた作戦の鬼才ブルーノ・ゾンバルト中佐はクロスベルの地を徹底的に焼き払い、その上で疲弊した共和国軍を迎え撃つ焦土作戦を提案した。基より共和国は帝国の仮想敵であり、そして帝国軍が身動きが出来ない状況下、例えば内乱の最中に、共和国がクロスベルへと侵攻して来る事は帝国にとっては考えうる限り最悪のシナリオとして想定されていた。ガレリア要塞に列車砲などという戦略兵器が取り付けられたのも、いざという時はクロスベルの地を焼き払い、クロスベルという獲物を敵国に渡さないためであった。

 そして現状の情勢は、ガレリア要塞を喪失したという点では想定よりも悪いが、すでに内戦が終わり帝国が一致団結しているという点では想定よりも良いと言える。

 ならば帝国正規軍の主力たる戦車部隊の展開が間に合っていない現状では、クロスベルを焦土とし、疲弊した共和国軍を帝国本土の一歩手前で、万全の状態で迎え撃つ、これこそがゾンバルト中佐の提示した最善ではないにしても、ベターな作戦計画であった。

 

 しかし、これに対して真っ向から異を唱えたのがリィン・オズボーン大佐であった。

 クロスベルの地はすでに帝国領であり、クロスベルの民もまた歴とした帝国の民である。そして我ら軍人の存在意義とはそんな罪なき、自国の民を護る事に他ならない。

 ゾンバルト中佐の作戦案はあくまで最終手段(・・・・)であり、現状における最善は別にあるのだと主張したのだ。

 

「なるほど、してその最善の策とは一体如何なるものなのでしょうかオズボーン大佐」

 

 自身の作戦案を否定されたにも関わらずゾンバルト中佐の表情に怒りの色はない。

 むしろ、自身の想像を超えるものをぜひとも見せて欲しいという期待の色が滲んでいる。

 

「無論、侵攻してきた共和国をより早い地点、タングラム丘陵にて迎え撃ち破る事だ」

 

 堂々とした様子で告げる若き俊英の発言に一部を除き、列席者は一様に呆れた表情を浮かべる。

 それが出来るならばそもそも苦労はしないのだと。“英雄”と称されていようが、やはり未だ若く夢見がちな少年なのだと。

 軍人とは時として、勝利のために“悪魔”と罵られる所業に手を染めねばならぬ事があるのだと理解していないのだと。

 

「大佐……君はこれまでの話を聞いていたのかね。未だ我が軍の主力たる戦車部隊の展開は間に合っていないのが現状だ。

 これでは下手に迎え撃とうとすれば、各個撃破の憂き目に合う事は明白だ。ならば、此処は中佐の言う通り戦力の集結を優先させるべきだと思うがな」

 

 子供をあやすような口調で軍の高官が告げる。

 そして、そんな光景をクロスベル暫定統括官ルーファス・アルバレア卿はただひたすらに興味深そうな目で眺めていた。

 さあ、ぜひとも見せてくれ。君が真に我らの筆頭たるならばと期待するその視線にも一切に怯まずリィンは……

 

「無論理解しております。確かに戦車部隊の展開は間に合わないでしょう。

 ですが、機動性と走破性において戦車をも凌駕する機甲兵部隊の展開ならば十分に間に合うはずです。

 違いますか、オーレリア将軍、ウォレス将軍」

 

 リィン・オズボーンは知っている。

 名将リヒャルト・ミヒャールゼンの想定の上を行った、ウォレス・バルディアスとオーレリア・ルグィン率いる機甲兵部隊の常識はずれの機動性を。

 この二人(・・・・)ならば、十分に可能であると確信している。

 

「まあ、可能か否かという問いに対しては可能ではあると答えよう。

 任せて貰えるのならば(・・・・・・・・・・)な」

 

 そしてそんなリィンからの問いに対してオーレリア将軍は意味ありげに笑みを浮かべながら肯定する。

 そう、リィンの発言は軍事的には問題ない。ならば何故、帝国軍参謀本部の誇る英才達がそれを提案しなかったのか。

 それは、軍人といえど結局のところ組織に属する官僚に過ぎないからであった。

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

 咎めるような視線がリィンへと集中する。

 そうリィンの発言は軍事的には正しい、しかし帝国軍という組織に属する組織人としては落第も良いところであった。

 何故ならば、今回の戦いに失地回復がかかっているのは貴族だけではない、内戦において良いところのなかった帝国正規軍司令長官シュタイエルマルク元帥、参謀長カルナップ大将といった軍の頂点に位置する両雄にとっても同様なのだ。

 内戦という非常事態において貴族連合に拘束されて、その解決に一切寄与しなかった彼らにとっては、共和国という外敵相手の“勝利”という失態を帳消しにする“武勲”を是が非でも欲しているのだ。

 そのためにこそ、戦車部隊を自身が率いての勝利をこそ元帥は求めていたのだ。

 

 軍の頂点に位置する人物から睨まれる重圧、並の若者であれば泡を吹いて直ぐに平謝りするところであろう。

 だが、リィン・オズボーンは並の若者ではない。知ったことか(・・・・・・)と、その視線を受け止める。

 むしろ譲るべきは自分ではなく、貴方の方だ(・・・・・)と言わんばかりに。

 何故ならば、これこそが帝国にとっての最善である事は間違いないのだから。

 クロスベルを焦土と化しては占領をした意味が消えてしまう。帝国にしても共和国にしても欲したのは金の卵を産む状態のクロスベルであって、焼け野原となったクロスベルではない。

 そして帝国領となった以上、この地の民も帝国の民であるという想いにも嘘偽りはない。

 例え、この件で軍の上層部から浮いて出世に響くことになったとしても、一切構わない。

 自分が地位を欲しているのはより多くを護るためばこそ、祖国に光を齎すためにこそなのだから。

 ヴァンダイク元帥、義父たるオーラフ・クレイグ中将、ゼクス・ヴァンダール中将とてこの場に居れば(・・・・・・・)同じことを言ったに違いないのだから。

 

「……陸の方はそれで良いでしょう、問題は空の方です。こちらの迎撃は如何致しますかな?

 遺憾ながら航空戦力においては、敵の側に一日の長がある事は認めざるを得ないでしょう」

 

 作戦参謀の一人が告げるのはそんな純然たる事実。

 百日戦役以後、飛空艇という航空戦力は現代の戦争に於いて必要不可欠となった。

 そして共和国は帝国に比べればリベールとの関係が良好だった事もあり、空挺部隊へと一際力を注いできた。

 戦車であるのならば帝国側に、飛空艇であれば共和国の側にそれぞれ一日の長があるのは両国の軍人が遺憾ながらも認めなければならぬ事であった。

 

「そちらについては私とアームブラスト大尉でなんとかします」

 

「な!?」

 

 そんな問いかけにリィンは平然とした様子で答える。

 

「……大佐。君の功績については当然我々も重々承知している。

 だが、それはいくらなんでも大言壮語が過ぎるというものではないかね?

 たった二人で共和国の空挺部隊を相手取って見せるなど」

 

 功績と才幹、そして父の威光を笠に着た鼻持ちならない青二才。

 おそらくそれが、この場にいるお歴々から見た自分なのだろうなとリィンは苦笑する。

 しかし、現実問題としてこれこそが最善だと信じるが故にリィン・オズボーンは躊躇わない。

 

「ご懸念はご尤もですが、自分は虚言を弄しているつもりはありません。これは純然たる事実です」

 

 沈黙がその場を包む。

 なるほど、話はわかった。その論の中に確かな正しさがある事も認めよう。

 だが、それをすぐさま受け容れられるかと言えば、それは別である。

 共和国の撃退を敵対していた領邦軍の者たちと、未だ成人も迎えていない青二才に任せるなどというのは積み上げてきた彼らの軍歴がそう簡単には許しはしなかった。

 

「……こう考えては如何でしょうか?我ら領邦軍は敵主力を足止めする先陣です。

 我らが敵軍を食い止めている間に、主力たる(・・・・)元帥閣下らは戦力の集結を図るのです。

 そして集結が完了次第、我らの救援(・・)に来ていただければ」

 

 故に筆頭たる灰色の騎士を補佐すべく翡翠の城将は最期の一押しを行う。

 相手のプライドを刺激するような言葉を選びながら。

 

「知っての通り、我らには許されざる罪があります。

 逆賊クロワール・ド・カイエンに与したという許されざる罪が」

 

 その端正な顔を歪めて沈痛な表情をルーファスは浮かべる。

 それはどこからどう見ても己が罪を心から悔いる罪人の姿であった。

 

「ですが、皇帝陛下と宰相閣下はそんな我らに名誉挽回の機会を与えてくださりました。

 この上は全霊を賭して、皇帝陛下の忠誠を示したいと私も部下も望んでいます。

 それは、両将軍にしても同様でしょう。どうか元帥閣下にはそんな我らの意を組んでいただきたく」

 

 そうして、自分達は罪滅ぼしに先陣を切る。だから正規軍の側はそんな膠着状態を打破して勝利したという勲を手に入れれば良いと告げたルーファスの言葉に元帥らも頷く。

 此処に帝国側の布陣も整い、両軍はタングラム丘陵の地にてまみえようとしていた……




総力を結集(この間まで殺し合っていて、その前からいがみ合っていた連中が直ぐに仲良く出来るわけがない)


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灰色の悪魔

「見せてやろう、共和国。純粋な力のみが成立させる真実の世界を」


 

 七曜暦1204年1月15日。

 カルバード共和国は18存在する空挺機甲師団の内8個師団を投入する大軍を以てクロスベルを奪還するべく動き出した。この遠征軍を率いるのは、共和国軍司令長官ダグラス・ローザス元帥。

 百日戦役のリベールの勝利にいち早く注目して共和国に飛空艇部隊を導入した共和国空軍の父にして軍神ウォルフガング・ヴァンダイクと並び称される当代の名将である。「カルバード共和国は分断されたパッチワーク等ではない。我らは民主主義を奉じる同胞である。出自など問題ではない、祖国に貢献しようと言う意志があるものは皆総て私の大切な戦友である」と語り、民族問題に揺れ、公然とではないが東方出身の者が冷遇されている共和国軍において出自に囚われず公正に評価するその態度から、多くの将兵から尊敬を集めており、当然融和派であるロックスミス大統領からの信認も厚き人物である。共和国軍に人材は数多く居れど、8個師団もの大軍を投入する本作戦の統率を出来るのは彼をおいて居なかった。

 

 大軍を統御するというのはそれだけで難事である。

 実際に政治的事情も相まって共和国の動きは遅れに遅れ、エレボニア帝国という西の脅威がクロスベルを占領してその刃を鼻先に突きつけたという状態になってようやく整った有様だ。

 それを思えば、帝国のクロスベル占領はなるほど、確かに驚異的な速度であったと言って良い。

 だが、どれほど優秀な将帥が率いていてもこの世には物理的な限界というものが存在する。機械の出せる速度は気合と根性によって速くなるなどという事を有り得ぬのだ。

 そして帝国の主力たる戦車部隊については、当然共和国は研究に研究を重ねている。どう足掻いても戦車部隊の集結と展開は、間に合わない。

 それでも迎撃しようと出てきてくれるのならしめたもの理想的な各個撃破が可能となるだろう。

 そして、もしも敵が戦力の集結を優先させて焦土作戦に出てくるというのならば、それはそれで構わない。

 こちらはそのままアルタイルへと引き上げるだけの事だ。自分の手で焼き払ったクロスベルという地の統治に帝国は悩まされる事となり、当分手が一杯となるだろう。そして共和国は帝国の非道を国際社会にアピールする事で、リベールやレミフェリアを味方につけて外交上優位に立つことが出来る。後は頃合いを見て、残虐非道なる帝国からの解放者として再びクロスベル奪還へと動けばいい。

 無論大軍を動かすというのはそれだけで莫大な費用がかかるものだ。大軍を動かしながら、何の成果も挙げないどころか、一戦さえ交える事のなかったダグラスは当然更迭される事となるだろう。しかし、それでもダグラスは一向に構わなかった。基より自分など退役間近の老兵である。それが愛する祖国のためだというのならば、ダグラスは自分の名が汚名に塗れる事など幾らでも許せる。

 

 ただ、懸念材料があるとすれば帝国が開発したとされる機甲兵と呼ばれる新兵器であったが、これは内戦時貴族連合側が運用したとの事で、帝国正規軍には未だ配備されていないと聞く。ならば、果たしてつい昨日まで殺し合っていた関係であり、敵の総司令官シュタイエルマルクにとっては自分達を拘束していた怨敵でもある相手の力を素直に借りられるかと言えば、それは難しいところだろう。

 帝国軍総司令官を務めるシュタイエルマルクと参謀長を務めるカルナップ大将が、百日戦役の時の遺恨から強烈な貴族嫌いである事は、共和国人である自分でさえも知っている程だ。その両名が、果たして遺恨を乗り越え、素直にその力を借りられるかというのは極めて怪しいところだ。貴族連合に対する不信は、その両名だけではない、帝国軍の頭脳たる参謀本部の面々は内乱の折、一部を除きその殆どが貴族連合によって拘束されたと聞いている。結果として正規軍優位によって、内戦は終結したわけだが、内戦中良いところがなかった面々としてはなんとしても失地挽回を果たしたいところだろう。内戦時に活躍したオーラフ・クレイグ、ゼクス・ヴァンダール、ウォルフガング・ヴァンダイクが不在なのが良い証拠である。故にこそ敵は正規軍の戦車部隊をこそ主力として運用してくる、それが共和国軍側の認識であった。

 

 ただ、一抹の不安があるとすれば、そんな自軍の弱点を稀代の怪物たる敵のトップの鉄血宰相がわかっていないとは思えないという点だ。何故、ギリアス・オズボーンはヴァンダイクを総司令官に据えて、隻眼のゼクスや赤毛のクレイグを投入しなかったのか?シュタイエルマルクらの面子を潰す形となってしまうから配慮した?否、それは有り得ない。そういった反感を意に介さず、鋼鉄の意志で“勝利”のための道を最短距離で往くからこそ、あの男は怪物と恐れられているのだ。それが必要と判断すれば、どれほどの万難を排してでも勝つための最善の布陣をあの男を整えるだろう。

 となれば、あるいは敵にとってはこれこそが最善の布陣だという事なのだろうか。しかし、到底そうとは思えない。

 

(これ以上は考えたところで無駄か……)

 

 基より敵軍の事情や策を完全に把握する事など不可能なのだから。

 事前に想定出来るだけの事はこちらもした。そしてほぼ万全と呼べるだけの布陣と体制をこちらは整えた。

 後は自分は最善を尽くすのみだと、ダグラスは思考を打ち切り、進軍を続けさせる。

 

 そして、進軍を続けて国境線の境界に当たるタングラム門へともうじき差し掛かろうかというところであった。

 突如として先陣を切っていた、飛空艇の部隊からの通信が途絶し始めたのは。

 通信の故障かとオペレーターが訝しんでいたのも束の間、すぐさま悲鳴が通信を埋め尽くす。

 

「なんだコイツの速度は……有り得ない!こんなの有り得ない!」

「畜生!なんでだ!なんで当たらねぇんだ!!!」

「悪魔だ!あのクロスベルの紫の悪魔と同じ悪魔だコイツは!灰色の悪魔が現れた!!!」

 

 尋常ならざる事態が起こった事をその通信でダグラスは悟る。

 そして、把握したからこそ彼の判断は早かった。

 

「取り乱すな!諸君は共和国の誇る最高の精鋭達である!

 悪魔が現れたというのならば、女神の加護の下やつを地獄へと叩き送ってやれば良いのだ!

 案ずる事はない!我らはクロスベルの悪魔を相手取る事を考えて来た。

 一つ、悪魔退治と洒落込もうではないか!!!」

 

 共和国の英雄と称される名将の叱咤、それにより狂乱状態に陥っていた共和国軍は秩序を取り戻す。

 その様を見てダグラスは満足気に頷く。

 

(これが貴様の自信の正体か鉄血宰相よ。だが、生憎だったな。初めてならばいざ知らず二度目ともなれば対処法の一つや二つは講じておるわ)

 

 何故ならば、カルバード共和国は一度クロスベルの紫の悪魔によって空挺師団を壊滅させられた憂き目にあっているから。

 単騎で一個師団を壊滅させる怪物、それへの対抗戦術というのも当然講じてある。

 《灰色の騎士》の異名を持つリィン・オズボーン大佐。帝国の内戦を終結させた若き英雄。

 ダグラス・ローザスは伝え聞く、この若き英雄を決して侮っては居なかった。

何故ならば、ギリアス・オズボーンという男は我が子可愛さに実力無き者を出世させるような可愛気のある男では断じてないのだから。ーーーもしもそうだとすれば、もはや鉄血宰相は共和国の脅威たり得ない。年寄り故の心配性と自分が笑い者になれば良いだけの事なのだから。

 そうして所詮は父の七光だろうと侮る部下たちを戒め、クロスベルの神機と同等クラスの脅威として認識するように伝えたのだ。

 

 故にこそ共和国軍は怯まない。

 一時の恐慌状態から立ち直り、灰色の悪魔を討ち取るべく圧倒的な物量と機動戦術を以て動く。

 アメーバのように広がっていく、その曲芸染みた芸術的な機動は乗員一人一人の高い練度がなし得るものだ。

 悪魔を討ち取るべく、勇士たちは磨き上げた技術と結束を武器に果敢に挑んでいく。

 

 しかし

 

「嘘だろう……なんで、止まらないんだよ……」

 

 されど、灰色の悪魔は止まらない。

 何故ならば、その悪魔はただ力任せに暴れる怪物に非ず。

 人が積み上げて来た戦術の粋を十全に身に付けた“英雄”であるが故に。

 

 共和国がこの日のために用意したその戦術は確かに、クロスベルの神機が相手でも通用するものであった。

 しかし、灰の騎神ヴァリマールを止める事は出来ない。その由縁は機体の性能差ではない、操る操縦者の技量の差である。

 かつて神機を操ったキーア・バニングスは確かに超常的な力を有していたし、高い頭脳も持ち合わせている天才であった。

 しかし、彼女は幼く戦闘を生業としていたわけではない。故に“力”はあれど、それを有効に活用する技術、“戦術”を持ち合わせていたわけではない。

 何よりも少女は戦うには余りにも優しすぎたのだ。戦う相手の事すら気遣ってしまい、何とか被害を抑えられるようにと考え行動する、挙げ句の果てにはクロスベルを攻めようとした敵兵でさえ、その因果を操作する能力によって助けてしまう程だ。

 それは少女の有する紛れもない美点であったが、戦闘者として見れば致命的な欠点であった。

 

 戦いというのは結局のところ、どれだけ相手が嫌がる事を躊躇なく的確にやれるかこそが大事なのだ。

 それが神機を操ったキーア・バニングスには決定的に欠けていた。

 しかし、今灰色の騎神を操るリィン・オズボーンは違う。

 幼き頃よりクレア・リーヴェルト、レクター・アランドール、そして義父オーラフ・クレイグより軍人としての表と裏の手ほどきを叩き込まれ、その力を伸ばし続けてきた。

 そして死の淵からの覚醒をきっかけとした統合的共感覚の目覚め、直感力の大幅な強化、獅子戦役を駆け抜けたドライケルス帝の記憶、その総てがリィン・オズボーンを高みへと導き、彼を武の至境たる“理”へと導いた。

 故にこそ、今の彼には見えるのだ。“勝利”を得るための最善の方策が、名将と謳われる人間に備わっているとされる、どこをつくのが最も敵に効率よく損害を与えられるのかを見抜く“戦術眼”と呼ばれる眼が。

 そして祖国を護るために振るう双剣に、当然迷いなど有りはしない。

 

 故にこそ灰色の悪魔は止まらない。止められないのだ。

 

「総司令官閣下!旗艦を後退させましょう。この位置は危険です」

 

 総旗艦ティアマトの艦長を務める、ギルバート・スミス大佐は真剣そのものの様子でダグラスへと詰め寄る。

 幾度となく共に激戦をくぐり抜けた信頼できる部下からの進言、それに理がある事を認めた。

 指揮官は生きなければならない。撃沈されてしまえば、指揮系統に支障を来すからだ。

 そうして生じた隙を迫りくる脅威は逃さないだろう。徹底的につけ入って来るはずだ。

 そう認めた上でダグラスは……

 

「いや、駄目だ。

 此処で我々が後退すれば、その弱気は味方へと伝播する。

 そうして生じた隙を目前の敵は決して見逃さないだろう。そうなれば結局のところ危険などというのはこの場に踏みとどまり続けるのとそう変わらんよ」

 

 静かに部下へと語りかける。その様はどこまでも落ち着いたもので、見るものに安心を与える名将たるにふさわしい風格を備えたものであった。

 

「それに、何よりも誰よりも先頭に立ち、誰よりも危険を引き受ける事こそが指揮官の役目だ。

 かつてない脅威が相手だからこそ、司令官である私は率先して“勇気”を味方に示さねばならんのだ。

 若い諸君を巻き込んでしまってすまんが、まあこんな司令官を上官に持ってしまったのが運の尽きだと諦めてくれたまえ」

 

「……閣下はそういうお方でしたな。承知いたしました。人事を尽くした上で、女神の慈愛に期待するとしましょう」

 

 そうしてブリッジに居たものは一斉に己が誇る偉大なる上官へと敬礼を施す。

 誰に命じられたわけでもない、ダグラス・ローザスの持つ人徳がそれを為したのだ。

 そうしてダグラスは旗艦のマイクを握りしめ、今も命を賭けて戦っている戦友たちを鼓舞すべく語りかける。

 

「戦友諸君。目前の敵は悪魔のように確かに強く恐ろしい。だが、思い出して欲しい。

 諸君らが子どもの頃慣れ親しんだお伽噺を。“悪魔”などというのは人の手によって葬り去られるのが世の定めである事を。そして敵はたった一人なのだ。敵には共に戦う戦友が居ない。

 翻って我らはどうか?隣を見て欲しい。見えるはずだ、祖国のために命を賭ける掛け替えの無い戦友の姿が。

 大切な誰かのために戦っている時、人は最も勇敢で、最も献身的で、最も協力的で、最も合理的になれる。そしてそんな勇士を空の女神は決して見捨てはしない!

 戦友諸君!共に戦おう!そして眼前の悪魔に教えてやるのだ!人の持つ輝きというものを!!!」

 

 そしてそのダグラスの言葉と共に総旗艦ティアマトは威風堂々と前進を行う。

 それは、先の演説と合わさり将兵の心を奮い立たせるのに十分過ぎる光景であった。

 爆発的な歓声が、広がり、そして一糸乱れぬ統率の下、共和国の精鋭は灰色の悪魔を誅殺すべく奮戦する。

 

 そんな光景を、灰色の悪魔は己が愛機の中から眺め……

 

「見事だ。ダグラス・ローザス」

 

 心よりの称賛を敵であるダグラスへと送る。

 それは彼が情を持たぬ悪魔などではない事をこの上なく示していた。

 

「共和国の盾と謳われし当代の名将よ。心よりの敬意を貴方に捧げよう。

 そして、だからこそ(・・・・・)貴方には此処で死んでもらわなければ困るのだよ!」

 

 何故ならば、内戦で帝国は余りに多くの血を流した。

 名将リヒャルト・ミヒャールゼンを筆頭に多くの人材を帝国軍を失った。

 だからこそ、共和国を徹底的に叩かなければならない。

 強きエレボニアが健在である事を示さなければならないのだ。

 共和国きっての名将が為す術無く敗れ去ったという事実を以て。

 

「神気合一」

 

 故にリィン・オズボーンは全霊を賭す。

 この偉大なる敵手を確実に屠るために。

 

 瞬間、光り輝いていた灰の騎神を赤黒い闘気が覆い出す。

 そして、灰の悪魔は突撃を開始した。

 共和国の誇る“英雄”を殺し、絶望へと叩き落とすために。

 

「なんだ!?コイツ、さっきよりもさらに速く!?」

 

「そんな馬鹿な!今まで手を抜いていたってことかよ!?」

 

 再び絶叫が共和国軍を埋め尽くしだす。

 それは人であれば抱かざるを得ない、根源的な恐怖。

 常識外の怪物と遭遇した魂の絶叫だ。

 

「狼狽えるな!戦友のために戦う勇士を空の女神は決して見捨てはしない!

 生きる事を決して諦めず戦うのだ!」

 

 そんな中でもダグラス・ローザスは旗艦を後退させる事無く、踏みとどまり続ける。

 そうして味方を叱咤し、矢継ぎ早に指示を出し続ける。

 それは紛れもない英雄の姿。苦境にあって一際輝く勇士の魂だ。

 

「!?」

 

「さらばだ、ダグラス・ローザス。そしてその旗下の勇士たちよ」

 

 故にこそそんな英雄の魂を喰らうべく、“悪魔”はその両手に備えた爪でその輝ける肉体を引き裂いた。

 

「閣下!!!」

「そんなティアマトが……」

 

 両断され、爆散していく旗艦ティアマト。それは、共和国軍へと“絶望”を齎すには十分過ぎる光景であった。共和国の将兵の絶叫が空へと響き渡る。

 

 しかし

 

「おい……なんか妙じゃないか」

「ああ、悪魔の様子が……」

 

 それと同時に灰の悪魔の姿が変わっていく。

 赤黒い闘気は消え去り、光り輝く翼も喪失していた。

 未だその機体には確かな威圧感を宿すが、それでも先程までとは雲泥の差であった。

 しかも身を翻し、逃げていくではないか。先ほどとは比べ物にならぬ遅さで。

 「もしかして力を使い果たしたのではないか?」そんな想いが頭をかすめる。

 

「いまだ!灰色の悪魔は力を使い果たした!今こそやつを討つ好機だ!!!」

「元帥閣下の仇を討つのだ!!!」

 

 そんな叫びと共に絶望から一転、偉大なる英雄の仇を討つべく、怒りに燃えた部隊が追撃を開始しだす。

 なんとしても司令官閣下を討つのだと!弱っている今こそが、あの悪魔を討ち果たす最大の好機なのだと。

 

「参謀長?どう思う。引き戻させるべきか」

 

 そんな部下の勇み足を見て、総司令官ダグラスが戦死した事で、指揮を引き継いだ副司令官は己が幕僚へと意見を問う。今すぐにでも自分も敬愛する上官の仇を討つべく動きたい激情を堪えて。

 

「……難しいところです。しかし、今があの灰の悪魔を討つ最期のチャンスかもしれません。わざわざ一機で迎撃に来たという事は、他の部隊の展開は間に合っていないという事でしょう。幸いな事に陸上戦力はいまだ無傷と言っていい状態です。

 ならば、此処であの悪魔を討ち果たしてさえしまえば当初の作戦を続行する事は決して不可能ではないはずです」

 

「……よし、全軍追撃せよ!灰色の悪魔を決して逃がすな!」

 

 信頼する参謀長の意見、それを聞いた上で副司令官を決断を下す。此処であの悪魔を取り逃がせば、取り返しが付かないと判断したが故に。何よりも敬愛する上官を殺されて、誰よりも怒っているのは間違いなく彼であったが故に。総司令官の仇をこの手で討ちたいという思い、それが副司令官を積極策へと踏み切らせた。

 

 しかし、それは悪魔の狡猾なる罠であった。

 タングラム丘陵と称される丘陵地帯。そこに差し掛かった時点でもう一体、今度は蒼い悪魔が現れたのだ。

 そして、それと同時に戦車部隊に、戦車では決して布陣し得ない方向よりオーレリア将軍とウォレス将軍、そしてルーファス卿率いる機甲兵部隊が襲いかかったのだ。

 さらに共和国にとっては事態はそれだけで終わらなかった。逃げ帰っていたはずの灰の悪魔、それが再び光り輝く翼を纏いながら反転して襲いかかり、副司令官ニールセン大将の乗艦パトロクロスを両断したのだ。

 その光景に共和国軍は総てを悟る。力尽きたように見せたのは、自分達をこの場におびき出すための罠だったのだと。

 自分達は狡猾なる悪魔の策謀を嵌って、まんまと死地へと引きずり込まれたのだと。

 

 理解したが時既に遅かった。まんまとリィンに釣り出されて、ルーファス・アルバレアが緻密に作り上げた縦深陣の奥へ引きずり込まれた戦車部隊はオーレリアとウォレス両将軍の苛烈な攻勢を側面より受け、完全に敗走を開始しだした。ルーファスの巧妙だった点、それは敵の逃走ルートの側面へと両将軍を配置した事であった。正面に立ちふさがれば、生き残るためにも目前の敵を必死に打倒せんとする。しかし、前方が開けていれば、兵の意識はどうしても戦いではなく逃げることへと集中する。無論、これは言う程に容易い事ではない。ルーファス・アルバレアの巧緻さと、機甲兵の機動性、そしてオーレリアとウォレス両将軍の卓越した統率力があって初めて成立し得たものだ。

 

 さらに共和国にとっては事態はそれだけにとどまらない。

 陸の方ではなく、空もまた壊滅状態にあった。灰と蒼、二体の悪魔のその苛烈な攻撃を前に、次々と共和国の宝と称すべき精鋭たちは異郷の空でその命を散らしていく。

 

 こうして、タングラム丘陵の会戦は幕を下ろす。

 帝国軍にとっては完勝、共和国軍にとっては完敗という誰の目から見ても明らかな結果を以て……




灰色の騎士は帝国の守護神です。
迫りくる共和国の兵士共をちぎっては投げちぎっては投げし、まさに帝国無双と行った有様で迫りくる飛空艇部隊を灰の騎神で片っ端から真っ二ツにして、最終的には単騎で敵陣を突破して、敵の総旗艦を一刀両断しました。

本当です。すごく本当です。


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獅子心十七勇士

今回の更新を最後にⅣをプレイするためにしばらく休止させていただきます。
再開して更新を行う際の初っ端にはⅣのネタバレを入れる予定はありませんし、もしも入れる場合はまえがきでお知らせしますので気軽にお読み下さい。


 七曜暦1205年1月16日、8個師団もの大軍を投入した共和国のクロスベル奪還作戦は、見るも無残な結果に終わった。歴史上稀に見る惨敗であり、完敗。

 共和国は総司令官と副司令官を筆頭に多くの士官を失ったのに対して、帝国の戦死者数は共和国側の10分の1程度という惨憺たる有様だった。

 

 この大敗は綱渡りの状態で政権を運営していたロックスミス政権へとトドメを刺した。

 共和国市民はクロスベルを奪還せよ!と声高に主張していた自分達の言葉を忘れたかのように、この作戦に踏み切ったロックスミスを非難した。

 当然、そのような状態でもはや政権を運営することなど不可能だ。

 共和国大統領サミュエル・ロックスミスは責任を取る形で辞任を表明。

 軍部のダグラス・ローザス、政界のサミュエル・ロックスミスという二大巨頭を失った事で融和派はその勢力を大きく後退させた。

 ロックスミスの後釜に誰が座る事になるかは定かではないが、それでも当分はこの敗北の痛手から回復する事に手一杯となる事は間違いがなかった。

 

 かくして内戦により弱体化したと思われていたエレボニア帝国は以前と変わらぬ、いや以前をも上回る精強さを大陸中に知らしめたのだ。

 そして共和国軍が撤退し、タングラム門の防備を固め、当分の侵攻はまず無いと判断出来るようになった事で帝国は“国難”への対処のため、棚上げとなっていた論功行賞が始まった。

 

 まず内戦の首謀者たる逆賊クロワール・ド・カイエンには正式に大逆罪及び国家転覆罪の罪が帰せられる事となった。これにより四大名門の中でも最大の隆盛を誇ったカイエン公爵家はその爵位と財産の総てを剥奪される事が決定し、此処に帝国を支配し続けていた四大名門体制は崩壊した。一昔前であれば、大逆罪と国家転覆罪に対しては容疑者の三親等以内までにも刑罰が適用されるものであった。しかし、オズボーン宰相の司法改革によって、「血縁というだけで当人以外の者にまで罪を帰せる等時代錯誤も甚だしい前近代的なものである」として容疑者のみへの適用となったため、カイエン公爵家縁の者たちはその命を拾う事となった。アレほど憎悪した怨敵の司法改革によってその命を救われるというなんとも皮肉な形で。

 

 更にハイアームズ侯爵家当主フェルナン・ハイアームズ、ログナー侯爵家当主ゲルハルト・ログナーは責任を取るために当主の座から退く事を表明。ハイアームズはフェルナンの長子シーゲルが、ログナーはゲルハルトの長女アンゼリカがそれぞれ当主の座へと就く事となった。

 さらにヘルムート・アルバレアの正式な実刑が下った事によってアルバレア公爵家当主の座に長子ルーファスが就く事となった。しかし、此処で当主の座に就いたルーファスは「此度の内戦の責任を取る」と表明して、アルバレア公爵家の有する資産の多くを皇室と国庫へと献上した。クロスベル併合と内戦終結にあたっての功多き才子の、その功を以て罪をすすいだと捉えない高潔な姿勢は「貴族の鑑」「真の貴族」と称賛を以て讃えられた。しかし、こうされると溜まったものではないのは他の貴族たちである。

 ルーファス・アルバレアの国家に果たした貢献は貴族勢力の中ではピカイチである。カイエン公亡き後の、貴族連合を総参謀として纏め上げ、鉄血宰相との間で和平を成立させた。クロスベル併合にあたっては暫定統括官に任命され、その手腕を存分に発揮した。そしてカルバード共和国相手に収めた歴史的な大勝の立役者の一人でもある。その働きを以て、見事内戦時の罪を雪いだと言えるだけの働きをしていた。

 しかし、そんな彼が改めて罪を償うために、私財を皇室へと献上する等と言い出せば、当然他の貴族達もそれに習わざるを得ない。あの(・・)ルーファス卿よりも国家のために貴殿は貢献したと言うのか?と言われてしまえば、彼らには選択肢など無いのだ。結果として貴族連合に参加した多くの貴族がその私財を自主的に国庫へと献上しなければならぬ事になったのであった。

 

 そして、この件でルーファス・アルバレアが被った痛手というのは実のところほとんど無い。何故ならばアルバレア家当主となったルーファスであったが、クロスベル総督への就任が正式に決定した事により、領主の代行を正式に弟であるユーシスへと任せたからだ。そしてルーファスが国庫へと献上したのは、アルバレア家の私財とクロイツェン州の運営予算である。

 そう、本来であればクロイツェン州の統治に領主として使用するための財をルーファスは使用したのだ。故に、これによって頭を悩ます事となるのはルーファスではなく、領主代行を行っているユーシスなのだ。しかも主だった有力な従士や家臣たちをルーファスがクロスベルへと連れて行ってしまったというおまけ付である。

 

 加えてユーシス・アルバレアはもともと妾腹の子だ。長子であり基より当主に就くことが内定していたシーゲル・ハイアームズ、放蕩娘だったとは言えそれでも当主ゲルハルト唯一の実子であるアンゼリカに比べ、周囲からアルバレア家を継ぐなどとは微塵も期待されていなかった立場なのだ。そしてクロイツェン州の貴族たちは前当主の気質が反映され、ラマール州に次いで、悪い意味での特権意識の強い貴族が多い州でもある。彼に課せられた重責は想像を絶して余りあるものであった。

 当然そんな状況にあって悠長にもう一年学院に通う等という暇があるはずもない、教官会議と理事会の結果領地を継ぐ事となった貴族生徒への特例措置として設けられた特別短縮カリキュラムの使用が認められ、ユーシス・アルバレアの今年度でのトールズ士官学院卒業が決まったのであった。

 

 そして領邦軍の方はといえば一時は解体論が叫ばれていたが、タングラム丘陵の戦いでの活躍によってその存続を認められる事となった。ただし、流石に貴族連合の総司令官を務めていたオーレリア・ルグィン大将をそのままにというわけにはいかず、責任を取る形で彼女の予備役への編入が決まり、代わって黒旋風の異名を持つウォレス・バルディアス中将が統合地方軍総司令の地位へと就くこととなった。

 

 一方皇族の身を護る役目を担いながら、カイエン公へと通じた近衛兵総監アーダルベルト・エーレンベルク大将はカイエン公と同様に大逆罪及び国家転覆罪が適用されて極刑が言い渡され、近衛軍もまた解体が決定した。

 

 かくして内戦の結果貴族勢力は大きく後退した。

 貴族連合に与した貴族の多くは国庫へとその私財を罪滅ぼしのために自主的(・・・)に献上する事となり、帝国最大の貴族カイエン公爵家は断絶し、その他の三家にしても当主が責任を取る形で退く形となり、混乱は避けられない。

 唯一クロスベル総督へと就任して一人勝ちと言っていい状態のルーファス卿は帝国政府、すなわち鉄血宰相への全面的な協力を表明しており、苦境に喘ぐ貴族たちに手を差し伸べるどころか破滅させる側へと加担していく有様だ。

 もはや貴族制度が解体されていく事は誰の眼からも明らかとなった。後はそれを緩やかに段階的にやっていくか、それとも貴族の断末魔を厭わず強硬的に行っていくかの差異となるであろう。

 

 そして敗者が居れば当然勝者も居る。

 内戦終結のために尽力し、皇室への忠節を貫いた者たちは無数の栄光で以て報われる事となった。

 予備役として退いた身でありながら、討伐軍総司令官として現役へと復帰して采配を振るった軍神ウォルフガング・ヴァンダイクは、皇族以外では常勝将軍ヴェルツ以来のエレボニア帝国の歴史上二人目となる大元帥への就任が決定した。このまま現役復帰するかとも思われたが、当人は「非常時故の最後の奉公」と語っており、予備役に再度編入後トールズ士官学院の学院長職を続行する意向を示している。

 

 機甲師団の司令官の中で特に功績が著しいゼクス・ヴァンダールとオーラフ・クレイグの両名は大将への昇進と鳳翼武功章の授与が決定した。オーラフは再建されるガレリア要塞の司令官、ゼクスはミヒャールゼンの後任としてドレックノール要塞司令官への就任が内定している。その他内戦で功有りと判断された多くの軍人が昇進を遂げた。

 

 討伐軍を文官の代表として支えたカール・レーグニッツ帝都知事は声望を大きく高め、帝都知事職の続投を確実視されている。皇族の一員として討伐軍を率いたアルフィン皇女もその声望をこそ大きく高めたものの、まだ学生という立場から明確な役職に就くことはなく、学友と共に学業への復帰を希望している。その親衛隊長には当人の希望も相まって、近衛軍が一斉に裏切るという事態に際しても皇女への忠誠を貫いた忠義の士たる《戦乙女》アデーレ・バルフェット中佐が就任する事が決定している。

 

 そして紅き翼を率いて第三勢力として内戦終結へと貢献し、自らの手で皇帝陛下を救出した長子たるオリヴァルト皇子は帝国副宰相へと任命された。平民の母を持った庶出というその立場故反対していた貴族勢力が大きく後退したことで、皇位継承権の復帰も噂されていたが、次期皇帝の座を巡り兄弟間での争いとなる事を懸念したのだろう、ユーゲント皇帝は彼に皇位継承権を与える事はしなかった。その埋め合わせのためとも、鉄血宰相一強体制となる事を懸念したためとも噂されているが、真偽は定かではない。

 放蕩皇子と揶揄されていた彼が政府のNO2へと抜擢された事に対して驚きの声こそ挙がったものの反対の声はほとんど上がらず、むしろ快哉を以て迎えられた。内戦時のオリヴァルトの献身を知らぬ帝国人などおらず、結果を出せばそれまでの奇行も好意的に見られるのが世の中というものだ。案の定、内戦の英雄の一人たるオリヴァルトの奔放さは身分に拘らぬ大人物としての大らかさとして捉えられるようになったのだ。

 任命に際しての「長子として今後も私と次期皇帝たるセドリックを支えて欲しい」というユーゲントⅢ世の言葉は次期皇帝はあくまでセドリック皇太子から揺るがぬ事を明言すると共に、兄であるオリヴァルト皇子の才を高く買っている事を示すものであった。

 親衛隊隊長は当然ながら、オリヴァルト皇子を長年に渡って公私を支え続け、全幅の信頼を置かれているミュラー・ヴァンダール中佐が務める事となる。

 

 そして内戦終結に多大な功績を果たし、共和国の大軍を単騎で突破して、共和国の盾を粉砕するという信じがたい戦果を挙げた灰色の騎士リィン・オズボーンは国民的英雄となった。リィン・オズボーンの特集が組まれた新聞と雑誌は飛ぶように売れた。教師や大人達はリィン・オズボーンの話を好んだ。「灰色の騎士様は小さな頃から先生の言う事を良く聞いていたんだぞ」と言えば、手のつけられない悪童達が嘘のようにおとなしくなったからだ。

 男の子達は英雄灰色の騎士に憧れ、自分も将来は軍人となり彼のような“英雄”となる事を夢見た。

 女性たちはその精悍な顔立ちに恋をし、一部淑女は敵同士へと分かたれた親友の蒼の騎士との熱い友情に熱中した。リィン・オズボーン。リィン・オズボーン。リィン・オズボーン。帝国内でリィン・オズボーンの名前が話題に登らぬ日はなかった。ビジネスマンの商談の導入、主婦の井戸端会議といった場面においても、リィンの偉業は誰もが共有できる話題として好まれた。そして、そんな息子の人気にあやかるように父たる鉄血宰相の人気も上昇していった。

 

 内戦時にこそ良いところがなかったギリアスであったが、それは凶弾に撃たれ瀕死の状態にあったため止む得ない事と大半の者が捉えたのだ。そうして宰相閣下が職務に復帰してみればどうだろうか?悪の貴族は滅びて、内戦は終結し、クロスベルを併合し、共和国を破りと彼は驚くべき早さで帝国に栄光を齎したのだ。そのような宰相を、些事で更迭するなど全く以てバカバカし過ぎる行為であると、その声望はまたたく間に回復したのであった。

 

 そんな自慢の息子に対してギリアスは当然ながら無数の栄光で以て報いた。その昇進と権限の拡大、勲章の授与を全力で後押したのだ。その様は何よりも雄弁に鉄血の子ども筆頭にして後継であるとの認識を多くの者に植え付けたのだ。

 

 かくして国民的英雄となったリィン・オズボーンは無数の栄光を手にする事となった。

 まずセドリック皇太子救出の功績によってロラン・ヴァンダール勲章が授与された。これは皇室に特に忠実と判断された者にのみ与えられる勲章であり、皇帝からの最上級の信認を受けたことを意味する。

 続いて共和国軍撃退の功績によりリアンヌ・サンドロット勲章が授与された。これは“国難”に際して帝国を救うのに多大なる功績を果たした者に与えられる勲章であり、これの保持者は宮廷内に於いて槍の聖女と同じ伯爵位として扱われる。生きたままこの勲章を受けたのはウォルフガング・ヴァンダイクただ独りという伝説のような勲章である。リィン・オズボーンは生きた二人目の伝説となったのだ。

 

 与えられた栄誉は勲章だけには留まらない。皇帝ユーゲント三世はリィン・オズボーンを獅子心十七勇士、その“筆頭”へと任命した。獅子心十七勇士は皇帝ドライケルス・ライゼ・アルノールの挙兵に際して付き従った十七人の勇士のその忠誠と栄誉を讃えるために設けられた権限を持たぬ名誉職である。しかし、その筆頭たる第一席だけは少々扱いが異なる。

 

 獅子心十七勇士筆頭は皇帝直属の騎士なのだ。

 例え大元帥であろうと、帝国宰相であろうと、皇太子であろうとこの者に“命令”を下すことは出来ない。 

 かの者に命を下す事が出来るのはエレボニア帝国皇帝ただ独りである。

 与えられている権限も絶大で、皇帝と国家に不利益を齎す輩なら独自に裁く一種の処刑執行許可、それが皇帝より与えられているのだ。

 ーーー最もその権限は実質有名無実と化していると言って良い。当然だろう、何時の世も建前というものは所詮建前に過ぎない、その建前を前面に押し出して振る舞う者がどのような末路を迎えるかと言えば、容易に想像できるだろう。何よりもエレボニアにおける皇帝は決して諸外国が想像しているような唯一絶対の指導者等ではない、実際は貴族勢力の調停に追われ、その意を押し通す事が出来るような事は殆ど無い。

 

 しかし、今のリィン・オズボーンにはその建前を押し通す事のできる総てを持っている。

 リィン・オズボーンがその建前を使い、その処刑の刃を振るえば国民は快哉を挙げて讃えるだろう。何故ならば、彼は平民の味方であり、帝国と皇室に絶対の忠誠を誓う“英雄”なのだから。

 帝国政府はそんなリィン・オズボーンを全面的に支援するだろう。何故ならば帝国政府代表たるギリアスとリィンは血を分けた実の親子であり、その蜜月振りは周知の通りなのだから。

 そしてそれらを阻んでいた貴族勢力はこの内戦で大きく後退した。

 

 権威がある、権限がある、名声がある、実力がある。

 故にリィン・オズボーンの振るう刃を阻む者は存在しないのだ。

 

 そして、そんなリィン・オズボーンへと帝国政府はある“要請”を行った。

 クロスベル総督ルーファス卿と協力して、クロスベルの闇を一掃せよと。

 そのために鉄道憲兵隊所属クレア・リーヴェルト少佐、帝国軍情報局レクター・アランドール少佐らの部隊への指揮権を与えるというおまけ付きで。

 それは英雄の強大なる外敵とは異なる、“腐敗”という内の敵との戦いの始まりを意味していた……




ルーファス「罪滅ぼしに公爵家の私財を皇室へと献上します」
民衆「ルーファス卿は高潔な貴族の鑑!他の貴族共は見習え!!!」
帝国政府「感動した!ルーファス卿のような人物こそクロスベル総督にふさわしい!」
貴族連合に参加した貴族たち「ぐぬぬぬぬ」

ルーファス「それじゃあ領地の方は任せたぞ我が親愛なる弟よ」(財産や利権を皇室と帝国政府へと献上したために運営に使える予算が減り、主だった優秀な家臣をクロスベルへと連れて行き、ミソッカスとなった領地を押し付け)
ユーシス「」

ちなみに閃の軌跡はリィンの刃が帝国の闇を一閃という意味が込められているそうですね。
ついでにクロスベルの闇も英雄に一閃してもらうことにしましょう。


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背負う故の強さ、背負う故の枷

身体が求める……執筆という快楽を!
まだ閃の軌跡Ⅳは途中ですが、執筆欲が高まったため更新です。
Ⅳのネタバレはありません。

なのでもしも感想でⅣのネタバレを行った場合は
IF世界線でデュバリィちゃんが喰らったSクラフト9連発を喰らって貰います。


ルーファスとオズボーンくんの二人は
銀英伝でいうと仲の悪いロイエンタールとミッターマイヤー
アルスラーン戦記で言うと仲の悪いナルサスとダリューン
と言った感じのイメージです。
なお、表向きの二人はそれこそまるで兄弟のように親しい間柄と評判で
乙女の嗜みの組み合わせとしては第二位に位置する模様。

ちなみにパパボーンのイメージはキルヒアイスを失ってオーベルシュタインを吸収して
数十年間宮廷闘争を門閥貴族と繰り広げた場合のラインハルト


「准将、統治に必要なものとは何だと思うかね?」

 

 ゼムリア大陸最大の高さを誇るクロスベルの新庁舎オルキスタワー、今やクロスベル総督府となったその中の一室にてこの地の最高権力者たるクロスベル総督と灰色の騎士リィン・オズボーンは会談を行っていた。部屋の調度は大貴族の出身らしい豪奢さに溢れているが、その中にも確かな品性と称すべき優美さがあり、部屋の主の気質が存分に反映されているものであった。

 

「畏怖と信頼。この2つかと思います。

 自分で自分を律する事が出来る自律心と向上心を持った高潔な人間等というのは世に於いて圧倒的少数派です。それは我らのように伝統ある皇族という“権威”を戴く事がなかったこの地の腐敗を見ても明らかでしょう。

 故にこそ上に立つ者は下の者にある種の畏れを抱かせる事が必要不可欠です。

 秩序に反するような事を行えば罰せられるという畏怖こそが軽挙を慎ませるのです」

 

 極論総ての人間が清く正しく生きられるというのならば、この世の中に治安組織が対人間の揉め事に駆り出される事は無くなり、専ら魔獣の相手のみが役目となるだろう。

 しかし、現実として人は国という枠組みと軍隊という“力”を必要としている。それは何故かと言えば、世の中には秩序を乱す悪党というのが出てくるからに他ならない。

 

「ですが当然、畏れを抱かせるだけでは人心は萎縮して離れていきます。

 それこそ、ケルディックの焼き討ちを行った先代アルバレア公が良い例でしょう。

 当然の話ですね、人が組織や国といったものに義務を果たし貢献するのは、然るべき権利を国が保障していてこそです。

 無私の忠誠、奉仕というのは美しい行いではありますが、これを上に立つ者が押し付けるというのならばそれはこの世で最も醜悪な行為となるのですから。

 国に従い、国家のために貢献すれば相応に報いてくれるという“信頼”があってこそ人は国家に帰属意識を持つのです」

 

 そのリィンの年齢に似つかわしくない論にルーファスは興味深く見つめる。

 胸に去来するのは随分と“老成”しているとそんな思いだ。

 リィン・オズボーンは無私の忠誠等という絵空事(・・・)を体現する熱烈な愛国者であると同時に勤皇家と見られているし、実際の様子を見てもそれは的はずれなものではないだろう。

 そしてこの手の人物というのは得てして他者にも無意識の内に自分と同等の水準を求める傾向があるものだ。

 かくいうルーファス自身もほんの10年前にはそういった傾向があったことを自覚している。それらは“経験”を積むことによって、徐々に修正されていったわけだが……はてリィン・オズボーンは一体如何にしてこの境地へと至ったのだろうかと。

 准将という地位にあるが、実のところリィン・オズボーンが現状上に立つ者として人を率いた経験というのはほとんど無いはずなのだ。

 内戦中はクレア・リーヴェルトやレクター・アランドール、そしてアルティナ・オライオンと行った義兄弟達を“筆頭”として率いていたというが、言うまでもなく彼らもまた世においては紛うことなき少数例に位置する才人達だ。

 凡俗共に対するある種の“達観”とでも言うべき理解をはてさて、一体目の前の少年はどこで学んだのだろうかと。

 そんなふうに思考を巡らせるルーファスを他所にリィンは続けていく。

 

「端的に述べるならばこう言えるでしょう。逆らえば(・・・・)タダでは済まないという“畏怖”と従えば(・・・)幸福になれるという“安心”。この2つの両立こそが統治に必要なものだと」

 

「なるほどなるほど。中々に卓見だが、そうなると君は“親しみ”を与えるような人物はトップに不向きだと考えているという事かな?」

 

 ルーファスの脳裏に過るのは皇位継承権を持たぬ身でありながら、副宰相という地位に就き、自分の敬愛する真の父とついに渡り合うだけの地盤を手に入れたとある皇子の姿だ。

 ギリアス・オズボーンが畏怖を与えるトップの典型例ならば、件の皇子こそ親しみを覚えさせるトップの典型例と言って良い。

 

「いえ、むしろ自分はそういう人物こそが本当の意味で頂点に立つべきだと考えています。

 人々を先導するその背中は輝かしい者であるべきです。そしてそのトップの提示したビジョンへとたどり着くために必然発生する血に汚れながら、道を切り開く“必要悪”は傍で支えるものが為せばいい。

 自分が述べたのはあくまで“統治”に必要な要素であって、統治者に必要な要素ではありません。

 極論必要不可欠な2つさえ有していれば、後は周囲の人物が支えれば良いのですから」

 

「その不可欠な2つというのは」

 

「“情熱”と“鑑識眼”です。人を引きつけ揺り動かす事が出来るのは結局のところ最後は“熱量”です。

 理だけで人は動かないーーー動かす事が出来るとしてもそれは上辺だけ、窮地において支えになってくれる程のものではありません。“この人”ならば信じる事が出来る、“この人”のためにならば命を賭ける事が出来る、“この人”のためにこそ自分は死にたいのだとそう思わせてくれる人物のためにこそ人は戦う事が出来ます。

 夢を見させてくれる人物、その夢を本気で現実に変えんとしている人のためにこそ戦うのです」

 

 理屈の上では確かに指導者が前線に出るのは愚の骨頂だろう。

 その人物が傑出していれば居るほど、喪失によって生じる空白は必然巨大なものになる。

 だからこそ、上に立つものは危険を侵さず安全な後方にいるべきだというのは理屈の上では筋が通っている。

 実際リィン自身も煌魔城に突入する際にはオリヴァルト皇子へとそう進言した。

 それでも頑なに応じぬその姿に確かにリィンは頭を痛めた。それは確かな事実だ。

 だが、その高潔な姿に心動かされぬものがなかったといえば、それは嘘になる。

 あの時自分は確かにオリヴァルト・ライゼ・アルノールという人物に敬服していた。

 それは何故かと言えば、彼には確かな“情熱”があったからに他ならない。

 あの時だけではない、かつてアストライアで初めて会って、彼の抱く理想を聞いた時自分は確かにオリヴァルト・ライゼ・アルノールという人物に魅せられたのだ。

 そしてオリヴァルト皇子はそれが口先だけのものではない事を、内戦によって証明したのだ。

 オリヴァルト・ライゼ・アルノールの持つ“情熱”は上辺だけのものではない、真実のものだ。

 だからこそ政争から距離を置いていた《光の剣匠》もその情熱にこそ夢を見て、力を貸す気になったのだろう。

 そしてそれは次世代にも繋がっている。内戦時オリヴァルト皇子と行動を共にした特科Ⅶ組の面々を筆頭に、トールズ士官学院の人間の多くが彼の“理想”に惹かれている事は疑いようがないだろう。

 

「逆に言えば、この“情熱”を持たぬ人間は上に立つべきではないでしょう。

 何もかもが自分の掌の上だと言わんばかりに、護るべきものを背負うでもなく、汗のにおいを知らず、涙の苦さを知らず、危険を味合わず、恐怖に打ち克たず、苦しみを乗り越えず、理論と計算のみを知っている。

 そんな人間は軽薄才子と言うべきです。少なくとも私は、どれほど冠絶する才幹を有していようとも、そんな人間に付いていきたいとは思えませんね」

 

 そうしてリィンは護るべき領地と領民も、そのために流す労苦も総て弟へと押し付けた、優美な微笑を崩さぬ眼前の男を見据える。

 理屈の上で言えば、リィンに目の前の男を嫌う理由など存在しない。

 彼の行いは確かに国益という観点で見ればまさに国士というべき高潔な行いで、貴族勢力の力を穏便かつ確実に削いだその手腕の鮮やかさはまさに見事の一言だろう。

 だがしかし、まるで古い衣を脱ぎ捨てるかのように当主として背負うべきものを放り捨てて、まんまとクロスベル総督という新しい衣へと脱ぎかえる事に成功した目前の男にリィンとしてはどうしても好感を抱く気にはなれないかった。ーーーこれは美味しい部分だけ取られて絞りカスとなった領地を押し付けられた苦労人(ユーシス・アルバレア)と面識があることと決して無関係ではないだろう。

 無論、これが甚だしい偽善なのはリィンとて自覚している。自分もまた多くの貴族を破滅させ、嘆きを生む側なのだから……所詮自分も同じ穴の狢と言うべきだろう。

 だが、それでもこれは理屈ではない(・・・・・・)私人としての感情的な問題である故、それを完全に消す等という事は出来ようはずもない。

 

「ふふふ、肝に銘じておくとしよう。もしも私が国家と皇帝陛下に不利益を働くと判断したのならば、その時は容赦なくこの首を刎ねると良い」

 

 そしてそんな敵意を受けてもルーファス・アルバレアは揺るがない。

 何故ならばルーファス・アルバレアは知っているからだ。

 リィン・オズボーンは私人としての感情を排して、公人としての義務を果たせる男であるという事を。

 どれほど自分に嫌悪を抱いたとしても、自分がクロスベル総督として国家にその有益性を証明し続ける限り目前の男は自分を討てないという事を。

 そしてルーファスにはそれを証明し続ける確かな自信があるのだった。

 

「さて、その上で聞こうか。今の私は君のその剣によって両断されるべき“祖国の敵”かな?」

 

「……いえ、総督閣下のご手腕は小官としても感服するのみです。

 統治において必要な“畏怖”と“信頼”それをクロスベル市民と構築するにあたってどれも的確な手かと」

 

「身分だの出自だのに囚われる等というのは全く以て愚かしいことさ。

 国家への貢献は然るべくして報われる、そう上が示してこそ下のものは“安心”して働けるのだからね」

 

 総督へと就任したルーファス・アルバレアがまず第一に行ったこと、それはディーター・クロイスとその側近たちを処断したのに対して

 それへと対抗してクロスベルを解放した特務支援課とそれに協力した面々、それらをクロスベル総督の名の下に叙勲の推薦を行う事であった。

 帝国に歯向かった大逆者ディーター・クロイスを捕縛した、クロスベルの英雄ではなく苦境にあっても忠節を全うした帝国の忠臣(・・・・・)として。

 それこそ、属州民としては考えもつかないような、最初から帝国と通じていたのではないかと周囲の人間が邪推する位に帝国人として(・・・・・・)考えうる限りのありとあらゆる栄誉を以て。

 帝国政府もまたルーファスの行いを追認した。その結果ダース単位に及ぶ勲章が授与され、特務支援課の面々は例外なく帝国の騎士階級を得た。

 リーダーとして特に目覚ましい貢献を果たしたロイド・バニングス捜査官等は男爵位を送られて、貴族に列席されるという併合された属州の人間としては異常といえる厚遇であった。

 

「位打ち、というわけですか」

 

 位打ち、それ宮廷闘争で用いられるポピュラーな手段の一つであった。

 異常とも言えるレベルで厚遇して、分不相応な位を与えて自滅を誘うのだ。

 器の小さい者なら与えられた栄誉に自らを見失い驕り高ぶって自滅する。

 仮に当人が身を慎んでも、邪推した他人は嫉妬してその足を引っ張る。

 嫉妬をかわしても、今度は分不相応な位を手に入れたものとしてのプレッシャーがおそいかかるというわけだ。

 

「ふふふ、本当に君は興味深いな。軍事に突出した才は有す事はすでに疑いようなどないが、それでも宮廷闘争の経験等ほとんどないはずだというのに。

 だがまあ君の推察の通りだよ准将。君の言う通り、人を動かすのは“情熱”だ。

 そしてクロスベルの英雄たるロイド・バニングス男爵(・・)殿はまさしくそうした情熱によって他者の思いを束ねる人物だ。

 君のように武の理に至るような突出した才幹を有しているわけでは決して無い、故に単騎での脅威は然程ではない。

 だが、多くの者たちの意志を束ねる事によって“奇跡”を起こす、そんな人物だ。

 だからこそ(・・・・・)分断させてもらった」

 

 優雅な微笑を浮かべながらルーファスは告げる。

 そこにはロイド・バニングスと特務支援課を決して過小評価も過大評価もせずに、打つべき手は既に打ったという策士としての自信が滲んでいた。

 

「ロイド・バニングス、エリィ・マクダエル、ティオ・プラトー、ランドルフ・オルランド、ノエル・シーカー。

 特務支援課に所属する面々は栄転(・・)という形でそれぞれ別の場所へ転出して貰った」

 

 意志を結集させるのこそが武器だというのならば、そもそもその意志を結集させないように分断すれば良いだけの事だと。

 

「ロイド・バニングスや特務支援課の面々を我らが直接始末するのは得策ではない。

 偶像として見るならば、殉死した“英雄”程厄介な存在はないのだからね。

 無論、一番は彼らがこちらの手をとってくれる事こそが理想だがね」

 

「ですが、彼はそうはしないでしょう。

 そのような人物だというのならばクロスベルの“英雄”等と呼ばれるはずもないのですから」

 

 少なくともリィン・オズボーンが会った時のロイド・バニングスというのはそんな男だった。

 困難な壁が立ちはだかったとしても決して諦めず、抗い続け最後には乗り越えるとそう、周囲のものに信じさせるだけの溢れんばかりの“情熱”を有していた。

 そして帝国の内戦下で行われていたクロスベルでの戦いを聞くに、それは今もおそらくは変わっていまいと。

 

「どうかな?私としてはそう有り得ぬ未来というわけでもないと思っているが」

 

 しかし、そんなリィンの言葉に対してもルーファスは自信を湛えた笑みを崩す事はない。

 

「それはどういう……」

 

「キーア・バニングス。

 神機を操り、精鋭たる第五機甲師団とガレリア要塞を壊滅させた零の御子と呼ばれし少女。

 今は力を失っているとのことだが、もしも彼らが帝国への忠誠を誓うというのならば、この少女に対して帝国は一切の手出しをしないという確約、それを行った」

 

 そこでルーファスは意味深に笑う。

 その眼は目の前のリィンではなく、今この場に居ない英雄たちを推し量るようなものであった。

 

(帝国)は強大。軍事力、経済力、人口ありとあらゆる点で比較するのもおこがましい程の差が存在する。

 一方の味方はどうか?妬心に駆られて、自分達の足をひこうとする愚か者に私欲ばかりの愚物共。

 そして従えば、自分達のみならず自分達が心の底から幸福を望む愛しい少女の身もまた保証される。

 さて、このような状況下でなおも命を賭けて抗おうという気概を抱き続ける事は果たして可能かな?」

 

 そして遠くに思いを馳せていたルーファスは今度は確かにリィンの方を見据えて

 

「准将、君は言ったね。背負っていたものを簡単に放り捨てるような者に命を預ける事は出来ないと。

 その言葉はしかと胸に刻ませてもらった。決して忘れぬ事を誓おう。

 そして私もまた君に言わせてもらおう、背負うものがあるというのはそれだけそれに縛られ身動きが取りづらくなるという事も意味するのだと。

 少なくとも、我々(・・)はその弱点(・・)を見逃すような事は一切しない。外道、悪辣と罵られようと遠慮なく利用させてもらうとね」

 

 それこそが権力者と呼ばれる存在なのだと、新たに戦いのステージへと加わった新人に対して義弟を教え導く義兄のようにルーファス・アルバレアは告げるのであった……

 




人間は誰でも不安や恐怖を克服して安心を得るために生きる
名声を手に入れたり人を支配したり
金もうけをするのも安心するためだ

結婚したり友人を
つくったりするのも安心するためだ

人のため役立つだとか愛と平和のためにだとか
すべて自分を安心させるためだ
安心を求める事こそ人間の目的だ。

そこでだ……帝国の支配を受け入れる事に一体何の不安がある?
帝国の支配を受け入れるだけで総ての安心が簡単に手に入るのだぞ。
今の君たちのようにクロスベルの“誇り”のために命を賭して戦おうとする方が不安ではないかね?
君たちは素晴らしく優れた人物だ……殺すのは惜しい。
クロスベルの“独立”等に拘るのを辞めて、帝国へと忠誠を誓わないか?
永遠の安心感を与えてやるぞ。




もれなく今なら帝国の呪いがセットでついてくる!!!


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清廉なる独裁

完結までの大まかな流れと着地点は浮かびました。
とりあえず原作よりも帝国へのダメージが少ない形で終わるかとは思います。
リィン・オズボーンは帝国の闇を切り裂き、光を齎す“英雄”ですから。
まあその過程でズタボロになったりするけど、英雄譚に苦難と慟哭はつきものだからしょうがないよね!


 

 特務支援課。それは数々の難事件を前にしても諦める事無く戦い続ける、クロスベルの住人にとっての英雄の名であった。つい、先月までは。

 風向きが変わり出したのは、10日程前。クロスベル総督へと就任したルーファス・アルバレア卿の推薦によってリーダーたるロイド・バニングスを筆頭に支援課メンバーが帝国の貴族へと列席される事が発表されてからだ。

 これによってクロスベルの世論は二分された。片方はあくまで支援課をクロスベルの英雄として信じ続ける者、そしてもう片方は帝国に尻尾を振ったと認識する者たちだ。

 無論彼らに帝国の犬に成り下がるつもりなどなかった。ディーター・クロイス大統領を逮捕したのは、あくまで彼の性急過ぎるやり方と至宝という奇跡を頼りにした、政治など必ず何処かで破綻を来すと考えたからこそだ。それもキーアというロイド達にとって大切な宝物である少女の人格を潰すという最悪の形によって。

 そこに自己の栄達を目指す私欲等は存在しない。彼らは誓ってクロスベルと何よりも大切な愛しい少女の宝石のような笑顔を守るためにこそ、行動したのだ。しかし、世の人間総てが彼らのように高潔な者ばかりではなく、何よりも“若き英雄”等というのは崇敬と同時に必ず妬みと呼ばれるものも買っているものだ。

 かくしてルーファス・アルバレアの策はこの上ない効果を発揮してクロスベルの“若き英雄”達を追い詰めていくのであった……

 

 

「よう久しぶりだな、元気にしていたか」

 

「セルゲイ課長」

 

 呼び出しを受けて総督府を訪れたロイド・バニングス軍警少佐は最近は久しく顔を合わせていなかった人物とエレベーターの中で偶然にも再会していた。

 

「はは、もう課長じゃないっての。それどころか、階級的にはおまえさんの方が俺より上なんだぜ?」

 

 セルゲイ・ロウ軍警大尉は笑いながら告げる。

 そうなのだ、かつての上司であり、ロイドを遥かに上回る経験を持つセルゲイでさえも、いまや階級的に言えばロイド・バニングスは上なのだ。

 エレボニアへの併合に伴い、クロスベル警察はクロスベル軍警察と改められ、階級もまた軍隊に準じたものへと変えられた。そして、それにあたってロイドに与えられた階級はなんと、軍警少佐。

 クロスベル警察きっての腕利きで、1課のエースと謳われるアレックス・ダドリーでさえ、与えられたのは軍警中尉であり、目前の上司のような各課のトップでさえ、軍警大尉なのを考えれば、どれほど異例な抜擢かはわかるだろう。

 今や、ロイド・バニングスは局長であるダリル軍警大佐、副局長であるピエール軍警中佐に次ぐクロスベル警察のNO.3という立場なのだ。当然、ロイドのような若造がいきなり、自分よりも上になって古参の人間にとっては面白いはずもない。

 頑張っている後輩に対しては好意的になれても、自分の上に立つことになった若造相手には多少なりとも妬心が出てくるのはある種必然というものであるーーーましてや、それに帝国に媚びて(・・・・・・)その地位を手に入れた等という疑惑がついてくれば尚更である。

 

「辞めて下さいよ課長、単純な自分の実力だけで今の地位を手に入れたわけじゃない事位俺にだってわかっています。

 ……正直、侮っていました。冷や飯食らいになることも、あるいはキーアの件で手配される程度の事は覚悟していました。でもまさか、こんな手で来るなんて……」

 

 改めてロイド・バニングスは自分がまだ未熟な若造でしかない事を実感させられる。

 捜査官として様々な事件を解決した事で、しがらみの中で解決の糸口を探る手段に関してロイドは既に一流と言っていい。

 だが、権力闘争等というステージの戦いにおいて彼はまだ余りに若く未熟だった。

 

「……悪いな、本来ならそういう事からお前さん達を守るのが俺の役目だった。

 上からの圧力、様々なしがらみ、そういう面倒なアレコレを俺が引き受けて、若いお前たちが“壁”を乗り越えるための足場を作ってやること、それが特務支援課というチームを作った目的だったんだが……」

 

 しかし、敵は余りに強大だった。

 何せ相手は今やクロスベルの権力をその一手に握る、クロスベル総督様なのだから。

 警察の一課長等では到底抗し続ける事のできる存在ではなかったのだ。

 何せ、セルゲイ等よりもはるかに力があり、かつ老練と呼べる技量を持つマクダエル議長でさえも圧倒的な劣勢を強いられているのだから。

 

「謝らないで下さい。課長がどれだけ俺たちのために、陰で動いて下さって居たかは俺たち四人全員が知っています。確かに、帝国は余りにも強大です。それでも、俺は、いいや俺たちはまだ誰一人として諦めてなんかいません。

 同僚や先輩方から、冷たい目で見られるのは確かにキツいものがあります。だけど、そもそも支援課が始まった時もそんな感じだったんですから。自分自身の行動によって、また信頼を手に入れてみせますよ」

 

 それまで称賛していた者たちが途端に掌を返したように罵倒しだす、そんな人間不信に陥って当然の状況下に置かれながらも、与えられた地位に奢るでもなく、わかってくれない周囲の無理解に怒りをこぼすでも無く、ただひたむきに自分に出来る事をやり続けるだけだと宣言するその清廉でされど、そこに宿った熱き心を確かに感じる、その元部下(・・・)の言葉を受けて、セルゲイは眩しそうに目を細めて

 

「……ったく、本当に大きくなりやがって。確か、来年には成人だったよな?

 成人したら一つ、飲みに付き合えよ。俺が酒の飲み方ってやつをお前に教えてやるからな」

 

「はは、ランディとも約束していますし、そのときは3人で是非」

 

 何もかもが変化していく激動の最中、それでも変わらぬ確かな絆、それをロイド・バニングスは感じるのであった……

 

 

・・・

 

「良く来てくれた、ロイド・バニングス軍警少佐、セルゲイ・ロウ軍警大尉、アレックス・ダドリー軍警中尉。

 三人共忙しい中、足労をかけて済まないな」

 

 湛える微笑には力強い父性と優しい母性に満ちている。覇気に満ち溢れたその眼差しの中には、相手に向ける心からの敬意が満ちて、春の日差しのように暖かかった。

 

「……准将閣下からのお呼び出しともなれば、従うのは警察官として当然の義務です」

 

 ぶっきらぼうな様子でアレックス・ダドリー刑事は告げる。

 その言葉は私情は別として、公人としての義務は果たすという義務感に満ちていた。

 

「ええ、なんと言っても貴方に全面的に従うようにと警察局長直々に全警察官に命じられていますのでね。給料を払ってもらっている身としては、従わざるをえんでしょう」

 

「それで、自分達が呼び出されたのは一体如何なる理由によるものでしょうか?オズボーン准将閣下(・・・・・・・・・)

 

 そう告げて、ロイド・バニングスは目前の人物を見つめる。

 185リジュの堂々たる体躯。その身には溢れんばかりの活力が満ちている。

 纏う軍服の胸には輝く豪奢な勲章がいくつも存在し、目の前の人物が今日の地位を自らの功績によって手に入れた事を証明している。

 皇帝直属の筆頭騎士にして灰色の騎士の異名を持つ、帝国正規軍准将にして帝国の若き英雄。

 それがほんの一年前はまだ学生であった目の前の人物の今の立場であった。

 

「君たちを呼んだ理由は他でもない、帝国政府と総督府より下されたある要請(オーダー)の遂行のためにその力を借りたいと思ったからだ」

 

 告げられた言葉にロイド・バニングスは身構える、占領地の統治において発生する現地住民の取締り、それの遂行を現地の治安組織に行わせるというのは常套手段である。

 そうすることによって、現地の人間の意志と立場を分断させるのだ。だからこそ、自分達をこうして厚遇した後に待ち受けているのはおそらくそうした踏み絵だと

 そう別れ際に掛け替えの無い仲間(当人にそういうと何故かどこか物足りない表情をするが、ロイドとしては全く以て理由が不明で困惑している)がした忠告を思い出して。

 

「………その要請とは?」

 

「クロスベルの腐敗と闇を一掃せよ、それが私に下されたオーダーだ」

 

 瞬間、吐き出されたのは燃え盛るような覇気。

 そこには確かな“怒り”が宿っていた。

 そうして打って変わった穏やかな口調で

 

「ロイド・バニングス軍警少佐、セルゲイ・ロウ軍警大尉、アレックス・ダドリー軍警中尉、私は君たちの事を高く評価している。

 腐敗に塗れたこの地にて一点の曇り無く、祖国のために戦い続けた君たちの在り方は尊敬に値するものだ。君たちのような人材こそ、真に国の宝と称すべきだろう」

 

 告げられる言葉は上段から見下したものではなく、むしろその逆。

 リィン・オズボーンは心よりの敬意を目の前の人物達に抱いている。

 それはおだてでもなんでもない、本心から吐き出されたものだ。

 

「そんな君達だからこそ、抱いたはずだ“怒り”を。

 納めた税が民のために正しく使われる事無く、醜い豚共を肥やすために使われる事に。

 善良な民草達の生き血をすすり続ける悪党共の存在に」

 

 続いて吐き出されたのは激しく焔のように燃え盛る怒り。

 ロイドたちに向けるのとは真逆の、そんな奴らを今すぐにでも燃やし尽くしてやりたいのだと告げる嚇怒の炎だ。

 そうして帝国の英雄は微笑を湛えて

 

「今こそ、我らの間に存在する遺恨という“壁”を乗り越えよう。

 そして、手を取り合って共に進もう。

 笑顔に満ちた幸福な明日を目指して。

 そのために、君たちの力を私に貸して欲しい」

 

 告げられるのはどこまでも誠実さに満ちた言葉。

 本気なのだろう、語る言葉に虚飾はない。

 リィン・オズボーンは心より民の幸福を願っているのだと、そう思えるものであった。

 

「……ま、さっきも言ったように閣下の指示に従うのが俺たちの仕事ですからね。

 警官としての職務を逸脱しない範囲でなら、当然協力させて貰いますよ」

 

 年の功というべきだろうか、その高潔な意志にダドリーとロイドが呑まれかけた中、口を開いたのはセルゲイであった。

 これは別段二人がセルゲイに意志という点において後塵を喫しているというわけではない。

 むしろその逆、高潔で情熱に燃える若い二人だからこそ、年齢を重ねたセルゲイよりもリィンの言葉に感化されかけたのだ。

 何故ならば、リィンの語った不正を糺すためにこそ両名は警官となったのだから。

 

「ならば、問題ないな。君たちにお願いするのはまさしく職務に全霊を以て取り組んでもらいたいというそれだけの事なのだから」

 

 そしてそんなセルゲイの様子に動じるでも無くリィンは微笑を湛えたままに告げる。

 それは先の言葉が二人を取り込むために打算で吐かれたものではなく、本心より告げられた事を意味するものであった。

 

「全責任は私が持つ。有形無形の圧力に晒されて、これまで君たちが逮捕する事が出来なかった悪党共を拘束せよ。

 そして、そのために帝国軍情報局と鉄道憲兵隊、それぞれ一個小隊への指揮権を君たちに委ねよう」

 

「「「ーーーーーーーーーーーーーーーー」」」

 

 告げられた言葉に三人は絶句する。

 つまり灰色の騎士はこう言っているのだ、責任は自分が取るから好きにやれと。

 そのための手足もこちらで用意するのだと。

 

「……質問があります。議会に存在する俗に帝国派と言われる議員の方々に何らかの配慮をする必要は」

 

「一切ない。腐敗を一掃するために必要なのは公正さだ。

 どれほどその血が高貴であろうと、あるいは多くの財産を抱えていようとも法を破ったものには断固とした措置を以て臨む。

 上がそうした徹底した姿勢で望んで、初めて人は襟首を正して生きられるものだ」

 

 暗に帝国に反対するものを粛清せよという事かを問うダドリーの言葉に対する返答は、そんな回答。

 それは自治州時代、ダドリーがずっと望んでいて、されど出来なかった紛れもない“正義”の実現で……

 

「他に何か必要なものはないかな?君たちが望むのならば、私の権限が及ぶ範囲ではあるが叶えよう

 流石に機甲部隊を一個師団貸して欲しい等という願いには叶えられんがね」

 

「それでしたら准将閣下、一つお願いがあります。

 俺の仲間を。ランドルフ・オルランドにエリィ・マクダエル、そしてティオ・プラトーにノエル・シーカー。

 彼らを俺の指揮下に加えさせて頂けませんか?彼らと一緒に俺は多くの壁を乗り越えてきました。

 彼らが一緒でこそ、俺は力を本当の意味で発揮できるんです」

 

 さあどう出る、リィン・オズボーン。

 告げた瞬間にロイドの心を過ったのは若干の期待とそんな目前の人物の意図を必死に推し量ろうとする思いであった。

 自分達が離れ離れになった事に帝国政府と総督府の思惑が絡んでいる事は明白だ。

 ならば、自分のこのお願いは間違いなくそんな政府の意向に反するものだ。

 はぐらかそうとするのか、それとも却下するのか。どちらにせよ、此処まで言っておきながら断るにはそれ相応の理由付けが必要なはずだ。

 その理由付けの仕方からわずかでもいい、突破口を見つけられればとそんな思惑から発せられたロイドの言葉にリィンは微笑を浮かべて

 

「ああ、わかった。そうするように取り図ろう」

 

 ロイドの言葉に快諾の旨を伝えていた。

 思わず唖然とするロイドを他所にセルゲイは何かに気が付いたように苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。

 

「さて、他に何か要望は無いかな。何でも言ってくれたまえ。

 叶えられるかはともかくとして、言うだけならばタダなのだからな」

 

「そういうことでしたら私の方も同じ一課のエマ少尉を補佐役につけていただきたい」

 

 そしてロイドの要望が容れられたのを見てダドリーもまた続く。

 与えられた職務に裏がないというのならば、それに全霊を以て精励することこそ自分の役割なのだと信じて。

 

「ああ、承知したとも」

 

 その後もリィンは次々と必要なものとして挙げられていったものに快諾の意を伝えていき

 

「さて、必要なものはこんなところかな。

 それでは共にこの地から腐敗を一掃するために尽力するとしよう。

 私達ならば、必ずや成し遂げる事が出来るはずだ。

 何らかの妨害にあった際は報告してくれたまえ。何とかしよう(・・・・・・)

 

 最後にそんな青空のように晴れやかな笑みに見送られながら、三人は部屋を跡にするのであった……

 

 

・・・

 

「……やられたな」

 

 帰りのエレベーターの中でポツリとセルゲイは呟く。

 

「セルゲイさん、やられたとは一体どういう?」

 

「ダドリー、お前さん今回の件一体どう思った?」

 

「……正直に言って望外の申し出でした。予算も人員も好きに使って構わないし、政治的な圧力は上が総てはねのけてくれるなど今までは到底望めない事でしたから」

 

 アレックス・ダドリーはこれまで多くの壁にぶつかってきた。

 捕らえたはずの犯人が政治的な圧力によって起訴まで持っていけないという事例などもはや数える事も馬鹿らしくなるほどに経験してきた。

 それを取っ払ってくれるというのだ、警官として燃えないはずがない。

 

「ええ、彼は本気でクロスベルの腐敗に怒っていた。

 それを何とかしたいという思い、それに嘘はなかったんでしょう」

 

 それに続くロイド・バニングスの言葉もまた喜びに満ちていた。

 離れ離れになった仲間とまた会える事もそうだが、一年前に語り合った少年と確かに同じ思いを抱いているのだと確かめる事が出来た事で。

 

「ああ、そうだな。奴さんは本気も本気。大マジだ。語った言葉に嘘なんてものは欠片たりとも含まれちゃ居ないだろうさ。だからこそ、性質が悪いんだがな」

 

「……課長?」

 

「セルゲイさん、それはどういう?」

 

「簡単な話さ、奴さんの言った事は自治州時代にはどれも出来なかった事だ。

 そのせいで俺たち警官は市民から散々な言われようだったよな。

 そんな問題が、帝国に併合された途端にまたたく間に解決されていくんだ。

 果たして、市民の皆様方はどう思うだろうな?」

 

 告げられたセルゲイの言葉に二人は息を呑む。

 

「奴さんは本気だ。実現出来るだけの力がある。

 マフィアの連中だって敵じゃないだろうし、クロスベルの議員連中からの圧力なんてそれこそ歯牙にもかけんだろうさ。

 かくしてクロスベルの腐敗と闇は一掃されていくわけだ。帝国の英雄、灰色の騎士様によってな」

 

 清廉なるその刃がクロスベルに掬っていた闇を一掃していくその姿にクロスベル市民は畏怖と同時に、どこか痛快な感情を抱くだろう。

 「“悪党”にしかるべき裁きを」それは人の持つ普遍的な願いなのだから。それを叶えてくれる者へと喝采をあげるのは自然な流れだ。

 そして何時しかこう思うようになるだろう。自治州時代よりも今の方が幸せなのではないか?と。

 

「でだ、この辺の事情がわかっても……お前さん方、仕事から手を抜けるような性格していないだろう?」

 

 そのセルゲイの言葉に二人は頷く。

 そう、何故ならばロイド・バニングスとアレックス・ダドリーは高潔で理想に燃える気高き本物の警官だから。

 それが結果として帝国の利になるからと言って、職務から手を抜くことなど出来ようはずもない。

 だって命じられたのは二人がずっと、行いたくて、それでも“壁”にぶつかって出来なかった事なのだから。

 

「その辺の性格を読み切っての事なんだろうが……あるいは手を抜いたら抜いたで構わないのかもしれねぇな。

 そうしたら職務怠慢を理由に更迭すりゃ良いだけの話なんだからよ。

 そうしてクロスベルの警察などは宛てにならなかったとなった後で、あの英雄様が直々に解決していけばどの道市民の支持は得られるわけだ」

 

 何故ならばリィン・オズボーンには溢れんばかりの情熱とそれを実現するだけの実力、そして更に後押しをするだけの権威が後ろについているのだから。

 常人が地道に時間をかけて解決していく事を、まさしく快刀乱麻の如く解決していくのだろう。

 何故ならば、彼は真実“英雄”だから。属州だろうと見下す感情等一切無く、心の底より民の幸福とそれを阻む寄生虫と悪党共に怒りを燃やしているから。

 有能なトップによって行われる高潔で清廉なる独裁は、迂遠なる民主主義よりも遥かに劇的にかつ颯爽と事態を解決していくものだから。

 あるいはそれこそ、彼に心酔する人間も出てくるかもしれない。何故ならば、彼は紛れもない英雄だから。

 話す前には義務感しか存在していなかったダドリーが、このわずかな時間で好意を抱いてしまうほどに。

 

 ディーター・クロイスの奇跡による救済を否定したクロスベルの英雄に待ち受けていたのは、そんなディーターよりもはるかに非の打ち所のない高潔で清廉なる他国の英雄(・・・・・)によるデウス・エクス・マキナであった……

 

 




「責任は俺が取る。こんだけの人員を用意したけど他に何か必要なものはあるか?
なんでも言ってくれ、お前たちならきっとできると信じているぞ」

これは理想の上司ですね!


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“聖戦”は此処に有り

特務支援課から見たリィン・オズボーン

成長期:初めてクロスベルを訪れた時。優秀だが未熟な少年。トールズ士官学院副会長。親の威光のおかげで知る人ぞ知る位の知名度。
成熟期:通商会議で宰相の護衛として訪問。父親を彷彿とさせる覇気を宿した俊英。帝国正規軍准尉待遇。鉄血の子筆頭。アルフィン皇女救出の功績で専ら帝都市民の間では評判になり始める。
完全体:今回。帝国正規軍准将。成人していないとか嘘やろ?な覇気と風格を身に纏う。皇帝直属筆頭騎士にして《灰色の騎士》の異名を持つ帝国でその名を知らぬ者は居ない国民的英雄。

さて、究極体はどうなるかな。

今回は短いです。
まあタイトルで察したと思いますが、英雄無双な回です。


 七曜暦1205年2月。

 クロスベル総督ルーファス・アルバレア卿より、クロスベルの治安維持の最高責任者として全権委任を受けた灰色の騎士リィン・オズボーン准将はクロスベルの闇を一掃すると宣言。

 同じ鉄血の子どもたる鉄道憲兵隊所属クレア・リーヴェルト少佐、情報局所属レクター・アランドール少佐、そしてクロスベル軍警所属ロイド・バニングス少佐らを従えてクロスベルに長年巣食っていたマフィア勢力と汚職議員との戦いを開始した。

 

 灰色の騎士はまず第一に自治州時代に証拠不十分にて不起訴となった自治州議員50名の再捜査を命じた。

 旧い権力体制下における聖域となっていた腐敗の弾劾は新体制の正当性を主張する絶好の機会である。

 故に「露骨な人気取り」と当初は冷ややかな目を送っていたクロスベル市民であったが、その中の23名もの人間が議会に於いて、親帝国を以て知られる俗に言う帝国派である事は市民を大いに驚かせた。

 困惑したのは他ならぬ帝国派の議員達である、何せ自分達と帝国はずっと蜜月関係を築いてきたのだ。

 故に、帝国の占領によってリーダーたるハルトマン議長が失脚して以来冷や飯ぐらいとなっていた自分達はようやく再び甘い汁を吸えるはずであったというのに、これは一体どういう事かと!怒りを抱いた後に彼らは最悪の結論にたどり着く。

 すなわち、自分への礼儀がなっていない事に灰色の騎士は怒っているのだと。

 帝国よりの慈悲に縋る者として、然るべき態度があるだろうとそういう事なのだと誤解した5名程が、よりにもよって賄賂をリィンに送るという暴挙へと及び、その場にて贈賄の現行犯によって拘束されたのであった。

 

 摘発されていく自治州議員には為す術などなかった。

 何せ灰色の騎士の行動は帝国宰相ギリアス・オズボーンとクロスベル総督ルーファス・アルバレアが全面的な支持を表明しているのだ。

 それに比べればクロスベルの自治州議員等何百人束になろうと歯牙にもかからぬ存在だ。

 懐柔しようにも手立ては無く、焦った議員の何人かが手土産と引き換えに共和国への亡命を画策したが、それらは総て帝国軍情報局の掌の上であった。

 結果、逆に共和国側を釣り出す餌とされ、敵国への共謀という贈収賄等よりも遥かに重い罪を課せられ、共和国派の議員12名が拘禁された事で、もはや汚職議員達には震えながら裁きの時を待つ以外の選択肢は残されていなかった。

 

 公権力に巣食った膿の洗い出しを粗方行うと灰色の騎士は次なる標的として裏社会に巣食うマフィア勢力との戦いを開始した。

 此処で議員達の摘発にあたってはあくまで裏で現場の人間の後ろ盾となる司令官の役に徹していた灰色の騎士は自ら双剣を携えて部隊を率いて、マフィアの拠点への一斉攻撃を開始する。

 腐敗議員達が得意とするのは搦め手故にそうした圧力を跳ね除ける盾となる事が重要であったが、マフィアとの闘争となるとこれは実際の武力行使を伴うものとなってくる。

 故に、捜査官達を奮い立たせてマフィアなど恐れるに足らぬと証明するには自らが最も危険な役どころを引き受けるのが有効と判断しての事だ。

 何より民衆というのはわかりやすさを好む、陣頭に立って危険を引き受ける“英雄”リィン・オズボーン、そしてその“英雄”の下に再び集結したクロスベルの英雄特務支援課という構図は、マスコミにとって余りにも美味しすぎるネタであった。

 総督府からの圧力、帝国軍情報局の巧みな情報操作と合わさり、マフィアとの戦いは帝国とクロスベルの垣根を越えて行う“絶対悪”との“聖戦”となった。

 そして余程ひねくれた者でなければ、期待されればそれに応えたくなるのが人間というものだ。

 長年クロスベル警察は遊撃士に比べれば役立たずの税金泥棒と誹られ続けていた。

 それが今やどうだろう、市民の期待を一身に背負う立場となり、上官たる“英雄”は偽りなき期待を自分達にかけてくれ、功績を挙げれば帝国人とクロスベル人の別なく報いてくれる。

 総督府に掛け合い潤沢な予算を獲得してくれて、待遇が向上した。これまで煩わされて来た政治的な圧力、その尽くを跳ね除けてくれる。

 無論、当然引き締めるべきところは引き締める。規律の向上にも力を入れた。風紀の取締りを強化し、摘発実績が優秀な者に高い評価を与え、違反行為を隠蔽した者に罰を与える。私的制裁、パワハラ、セクハラ、麻薬犯罪については、情報局所属である義兄の助言を基にして匿名での密告を受け付けて、相互監視の網を張り巡らせた。

 この際注意を払ったのはノルマを設定しない事だ。「ノルマを設定すると摘発実績欲しさに暴走する者が必ず出てきます」という義姉の助言を参考にして、過度の実績主義に陥らないように心がけた。

 

 組織や人を纏めるのに必要なのは畏怖と信頼。そんな自身の言葉を体現するかのようにリィン・オズボーンは腐敗の度合いが余りに酷い警官たちを罰する一方で、向上心と意欲に溢れた者を相応に報いた。

 帝国軍とクロスベル軍警の間でいざこざが発生した際には双方の言い分を聞いた上で、事実に基づき公正に裁く。そこには帝国人だからクロスベル人よりも贔屓にする等という贔屓は当然ながら欠片も存在しない。

 かくしてクロスベル軍警の人間の多くが、当初抱いていた帝国の英雄への反感はどこかへやり、何時しかリィンの事を頼もしい理想の上司として崇め始めるようになったのだった。

 

 

 そしてかつて無い公権力からの熾烈な攻撃に晒され、追い詰められて更には後ろ盾となっていた議員達の末路を見て懐柔が一切通じないと悟ったマフィア勢力は強硬手段に打って出た、すなわち猟兵を使ってのリィン・オズボーンの暗殺である。

 無論このような強硬手段は本来であれば最終手段だ。本来マフィアはこうした手合いを相手にした時は本人よりも先にその身内を人質に取りにかかるのが常套手段だ。

 しかし、人質に取ろうにもリィン・オズボーンの身内は帝国本土、それも帝都ヘイムダルに居る以上出来るはずもない。

 かくして護衛もつけずに堂々と一人で、または副官たる銀髪の少女と二人で行動する余りにも不用心すぎる英雄への襲撃はその尽くが、ひねり無く順当に返り討ちにあって終わった。

 そもヴァンダール流とは皇族守護の剣。当然そうした暗殺から主君を守るための訓練や気配察知については嫌という程叩き込まれている。

 ましてやリィン・オズボーンは今や理へと至った大陸屈指の使い手であり、更にはそこに未来予知じみた直感と帝国軍情報局の諜報網が加わっているのだ。

 襲撃をかけるならばせめて大陸最強と謳われる猟兵団赤い星座を雇う位の事をせねば勝負にすらならない。

 護衛をつけなかったのは不用心だったのではなく、その逆に万が一にも巻き込まれて殉職する事になるような者を出さないためであり、己の実力に対する自負に裏打ちされたものであったのだ。

 クロスベルに存在した主要なマフィアが5つ程壊滅させられ、襲撃をかけた8もの猟兵団の尽くが壊滅させられた。

 この際灰色の騎士は成人を超えた者に対しては一切の容赦をせずその場で尽くをその双剣で誅戮するという苛烈な対応で臨んだが、未だ成人に満たぬ子どもに対しては「当人の責ではなく周囲の大人の責である」として極力傷を与えないように捕らえて、捕らえた後は教会と国の運営する更生施設に入れるという慈悲に満ちた対応で以て臨んだ。此処でも灰色の騎士は“畏怖”と“信頼”の双方を敵と味方に与えたのであった。

 そうしてそんな“英雄”を相手にしては、流石に旗色が悪いと感じた、ルパーチェ商会が失脚して以後クロスベルに於いて最大勢力となりつつあった《黒月》がクロスベルよりの撤退を行った事で、一ヶ月に及んだ“絶対悪”との“聖戦”の終結をリィン・オズボーンは宣言。

 

 此処にクロスベルの闇は帝国の英雄によってほぼ一掃されたのであった……

 




汚職議員「つまり、賄賂をよこせってことやな!」(節穴)
マフィア「糞が!灰色の騎士がなんぼのもんじゃい!タマとったらぁ!!!」(ヤケクソ)

レクター「おいおいおい」
ルーファス「死ぬわアイツラ」

ツァオ「ちなみに銀殿、貴方だったらやれますか?」
銀「私に死ねと言っているのか?」
ツァオ「ですよねー」(そそくさと帰り支度を始める)

嘘みたいだろ、こいつ一年前にクロスベルに来た時はヴァルドさんに喧嘩売ってアリオスさんに諌められて恥ずかしそうにしていた学生だったんだぜ……


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一時の休息

特務支援課を尊敬するとある桃色髪「クロスベルの人間にとっては特務支援課の人たちはどっかの帝国の英雄よりもはるかに英雄だって事!」
盲信の一歩手前のレベルで尊敬する義兄よりも上と言われて張り合おうとする黒兎「(汚職議員を摘発する事もマフィア勢力を1ヶ月で一掃する事も)リィンさんなら出来ましたよ?リィンさんなら出来ましたよ?リィンさんなら出来ましたよ?」



流石にネタです。軽い冗談です。
こんな事には流石にならないと思います。多分


 東通りの一角に存在する東方風料理屋《龍老飯店》にて5人の男女が集っていた。

彼らこそ、クロスベルの英雄として呼び声も高き《特務支援課》の面々である。

 

「久しぶりに集まる事が出来たと思ったら、まさか一ヶ月でまた解散になるとはな」

 

 ため息をつきながら一行の中でも最年長たるランドルフ・オルランドは告げる。

 マフィア打倒の“聖戦”のために再集結を果たした特務支援課だったが、一緒にいられる期間はたったの一ヶ月で終わる事となった。

 理由としては至って簡単で、マフィア勢力の掃討作戦が終結し、後ろ盾となっていた灰色の騎士の本国への帰還が決まったからである。

 

「たった一ヶ月。たった一ヶ月で、彼はやってのけたのよね。お祖父様やお父様にお母様がやりたくても、ずっと出来なかった事を……」

 

「良いことではあるんですよね。汚職議員が摘発されたことも、マフィアが一掃された事にしても」

 

 続くエリィとノエルの言葉はどこか憂いを帯びたものだった。

 そう、リィン・オズボーンが為した事は紛れもなくクロスベルに益を齎すことである事は疑いようがない。

 何せ汚職議員にしても、裏社会に君臨するマフィアにしても心ある者たちなら眉を潜めて、いずれ然るべき罰を下さんと思っていた相手なのだから。

 ただ、それでも手放しに称賛する事が出来ないのは、所謂嫉妬によるものなのだろうかと二人はその端正な顔を憂いによって少しだけ歪ませる。

 

「ああ、それは間違いないよ。彼のやった事は多少強引なところはあったが、総て法律に則ったものだったし、判断にしても的確で公正そのものだった。正直、味方にしていて凄く頼もしかった」

 

 高性能の導力演算器もかくやというレベルの処理能力と未来でも予知しているのではないかというレベルで的確かつ果断な指示。戦士としてだけではない、指揮官としてもリィン・オズボーンは傑出していた。

 しかもその脇をアランドール少佐とリーヴェルト少佐という二人の敏腕将校が支え、更には卓越した情報処理能力を誇るオライオン少尉という副官までもが居るのだから、もはやマフィア如きの手に負えるはずもなかった。

ただ、それにしても余りにも上手く行き過ぎ(・・・・・・・)ではないかという言葉にできない奇妙な違和感があるのだが。

 

「半年前にシャーリィのやつとやり合えていた事にも驚いたが、今回は極めつきだったな。

 今の奴さんだったら叔父貴やアリオスの旦那とだってタイマン張れるぜ」

 

 ランディが思い浮かべるのは今この場に居る面子に、星杯騎士であったワジ、それに銀という凄腕の暗殺者だったリーシャという助っ人二人も加わって7人がかりでようやく倒せた人の形をした怪物たちだ。

 正直その勝利にしても10回に1回を土壇場で手繰り寄せたと言った感じで、もう一回やれと言われたらやれるかどうかはかなり怪しいところだ。

 

「正直、変わりすぎです。私達も成長している自信はあったというのに、何なんですかあの人は。

 会う度に別人のように凄まじくなっているんですが。半年で准尉から准将っていくらなんでも出世し過ぎでしょう」

 

 准将というのは当然だが、それほど安い地位ではない。

 士官学校出身のエリートであっても大半は大佐でもって現役を退くというのが一般的だ。

 軍人の階級を民間企業に例えると、兵卒はアルバイト、下士官は一般職正社員、尉官は総合職正社員、佐官は部課長、将官は役員といったところで、エレボニア帝国正規軍は総員80万人の超巨大組織で、これは大陸最大の企業グループであるラインフォルトとヴェルヌの従業員を足した数よりも遥かに多い。

 そんな80万を超える超巨大企業の役員についこの間まで幹部候補生に過ぎなかった10代の若者が役員にまで登り詰めたのだ、どれほど異常なことかがわかるだろう。

 彼の父たるギリアスにしても養父たるオーラフにしても将官となったのは30代、貴族という事で出世が早く正規軍よりも規模が小さい領邦軍の双璧でさえも、准将の地位に就いたのは26になってからの事である。

 皇族でもない人間が18の若さで准将の地位に就くなど、エレボニアの長き歴史に於いても史上初である。

 

「それについては、興味深い噂があるのよね~」

 

 突如として旧知の声が響き、声のした方を向いてみると、そこには案の定特務支援課の一行にとっても馴染み深い顔の女性が居て……

 

「グレイスさん」

 

「おいおい、聞き耳でも立ててたのかよ」

 

「その、興味深い噂というのは?」

 

「皆も聞いた事くらいはあるでしょう。

 当時帝国軍准将だったギリアス・オズボーンが突如として帝国宰相に抜擢された謎について。

 交流のなかった平民を宰相に抜擢するのみならず、ほとんど全権委任と言っていいレベルでユーゲント皇帝は何故オズボーンを信頼したのか?

 そこから派生した噂よ。曰く、ギリアス・オズボーンは実は先代皇帝の所謂ご落胤だった。

 ユーゲント皇帝はその事を知っているからこそ、罪滅ぼしも兼ねて義兄を宰相にして、その息子であり自身にとっては甥である灰色の騎士を筆頭騎士にしたって噂よ」

 

 ま、民衆なんてのはとかく皇子様だとかお姫様だとかが大好きな生き物だから話し10分の1程度に捉えた方が良いと思うけどね~等と冗談めかして告げたグレイスの言葉に苦笑いを浮かべる一行を他所にロイドだけは、どこか真剣な様子で考え込み始める。

 思い浮かぶのは、どこか高貴さを感じた件の青年の所作。半年前まではそういった印象は受けなかった。まさしく軍人然とした硬骨漢、それがリィンから受けた印象であった。

しかし、再会した彼から漂っていたのはある種の高貴さ。そう、それは全くタイプは異なるが、かつて帝国の皇子に会った時にも覚えたもので……

 

「ロイド君ってばなんだか真剣に考え込んじゃったみたいだけど、ひょっとして何か心当たりあるの?」

 

「あ、いえ。別に根拠や証拠があるわけじゃないんですが、なんというか確かに皇族だと言われても納得な気品を感じるようになったなと思って」

 

 ロイドのその言葉に一行は目を丸くして

 

「言われてみれば……」

 

「頬に傷が出来たのも相まって武骨な印象が強いですけど、確かになんというか妙なオーラというかある種の高貴さを感じる様になりましたね。通商会議の頃まではそんな事もなかったんですけど」

 

 しみじみとした様子で語っていく直接リィンと面識がある支援課のその評にグレイスは興味深そうに目を細めて

 

「ふーん、直接会った事のある貴方達がそんなふうに言うって事はあながち根も葉もない噂ってわけでもないのかもしれないわね……」

 

 オズボーン父子皇族説。あるいは追っかけてみる価値のあるネタかも知れない等とグレイスが考え込み出したところで、カランとドアが開く音がして……

 

「すいません、13時に4人で予約していたオズボーンですが」 

 

 この一ヶ月でクロスベルでも知らぬ者は居なくなった、渦中の英雄がとても皇族とは思えない気さくさで、何処にでも居る青年のような気さくな笑みを浮かべながら現れたのだった……

 

 

・・・

 

「しかし、奇遇ですね。まさかこんなところで特務支援課の方々にお会いする事になるとは」

 

 テーブルの上に所狭しと並べられた満漢全席、それをマナーは完全に遵守した上で貪るような速度でリィンは平らげていく。

 以前よりリィンの食欲は旺盛な方ではあったが、髪が白くなってからというものリィンの肉体は以前にも増して貪欲に栄養を欲するようになり、今やリィンの食事量はトールズの後輩たるマルガリータ嬢にも匹敵する領域である。最も運動量が激しいためか、そのエネルギーは総て脳と肉体へと行き渡り、肥満の兆候さえリィンの肉体には全く見えていないのだが。

 一時期味覚を喪失していたのも相まって、味覚が戻って以後のリィンは金銭面で全く不自由しないのも相まって中々の食道楽となりつつある。

 

「いや~すみません、支援課の皆はともかく私までご馳走になっちゃって」

 

 支援課の存在に気づき、せっかくだから一緒にどうかと言われ、迷う支援課一同を他所にちゃっかりとした様子で加わったグレイスは笑顔を浮かべながら、同様に舌鼓を打つ。もはや知らぬ者は居ない、英雄を相手に中々に肝っ玉が据わった態度であった。

 

「何、構わないさ。君たちクロスベル・タイムズにも此度の掃討戦では色々と協力して貰ったからね」

 

「そう言ってもらえると有り難いです。リーヴェルト少佐にアランドール少佐にオライオン少尉と一緒で、さしずめ今回は閣下の腹心達をねぎらうための慰労会というところでしょうか?」

 

 貪欲に少しでも情報を集めんと食いついてくるグレイスにリィンは苦笑を浮かべて

 

「そんな大層なものではないさ。単に働きすぎだと叱責を受けてね、せっかくだから姉弟水入らずでたまには食事をと思ったとそんな程度の事に過ぎないよ」

 

 その言葉を証明するように今のリィンは極めて珍しい事に軍服ではない私服姿で、それはクレアにしてもレクターにしてもアルティナにしても同様であった。

 というか専ら午前はそのへんの飾り気があまり無いアルティナをクレアが着せ替え人形にして、リィンとレクターはほとんどそれに付き合う形となっていた。

 

「ほうほう、姉弟水入らずという発言を聞くに閣下とお三方の付き合いは公的なものだけではなく、プライベートでも親密な仲だと捉えても?」

 

「ああ、構わないよ。三人とも私にとっては血こそ繋がっていないが、紛れもない私の家族だからね。特にリーヴェルト少佐とアランドール少佐は私にとっては軍人のいろはを教えてくれた師でもある」

 

 すっかりと手馴れた様子でリィンは食事を取りながらもグレイスの猛攻をいなし続ける。

 そこには世慣れぬ若者の姿ではなく、すっかりと円熟した大人の姿があった。

 

「改めまして、鉄道憲兵隊所属のクレア・リーヴェルトと申します。

 支援課の皆様のお噂はかねがね。お会いできて光栄です。

 ほら、アルティナちゃんも」

 

 クレアから挨拶を促されてアルティナは小動物のようにもぐもぐと動かしていた口を一旦止めて、口の中に入っていたものを飲み込み

 

「帝国軍情報局所属アルティナ・オライオン少尉です。

 現在はオズボーン准将閣下の副官を務めて居ます。

 もうすぐ帝国本土に戻るまでの短い間ですが、よろしくお願い致します」

 

 アルティナの告げたもうすぐ帝国本土に戻るという言葉にロイドたちは反応して

 

「……やはり、閣下はもうすぐ帝国本土に帰還されるんですね」

 

「リィンで構わないよ、ロイド。俺と君達の仲じゃないか。

 オフィシャルの場ならともかく、今はプライベートの場なんだ。

 今此処に居るのは帝国正規軍准将とクロスベル軍警少佐ではなく、ただのリィンとただのロイドだ」

 

 屈託のない、かつて一年前も見た少年のような笑みをリィンは浮かべる。

 

「……ああ、わかったよリィン。それで」

 

「先ほどの質問に関する答えならその通りだよロイド。

 元々俺がこの地に派遣された目的は共和国の侵攻からこの地を守る事、そしてこの地の腐敗と闇を一掃する事だったからね。

 総督閣下は優秀で打つ手も的確だし、何よりこの地にはクロスベルの英雄である君たち特務支援課も居る。

 俺はめでたくお払い箱、ようやく晴れて婚約者の居る本土に帰還できるというわけさ。

 本来なら3ヶ月はかかると思っていたが、まさかわずか1ヶ月で終わるとは思っていなかったよ。

 これも偏に君たち特務支援課の活躍があっての事だ」

 

 そう、本来であればクロスベルの腐敗と闇を一掃するのにリィンは三ヶ月はかかると見込んでいたのだ。

 だというのに蓋を開ければどうだろうか、わずか1ヶ月でそれが達成されたのだ。

 まるで何者かに仕組まれている(・・・・・・・・・・・)かのようにあっさりと。とんとん拍子で。

 それは無論リィンの卓越した指導力やクレア率いる鉄道憲兵隊、レクター率いる帝国軍情報局の助力や

 そしてクロスベル総督と帝国宰相という後ろ盾の存在、そしてなおかつクロスベルの英雄たる特務支援課の協力を得た事で

 帝国とクロスベルの垣根を超えた協力体制を築けた事が無論大きい。

 しかし、それにしても1ヶ月というのは余りに順調過ぎる速度であった。

 物事が思惑通りに運ぶという事は殆ど無い。なぜかと言えば、トップから下にその命令が届くまでに現実には様々な“摩擦”が発生するからだ。

 故にそうした計算外の“摩擦”を相手に適宜修正を加えていく対応力こそが、所謂名将と呼ばれる人物には求められる物なのだが

 今回リィンはその対応力をほとんど発揮する事無く終わったのだ。1ヶ月での終結というのは理論上最大効率で進めば(・・・・・・・・・・・)其れ位で終わるというもので

 当然ながら現実に於いてそのような最大効率などというものが発揮できる事などまず無い。故に様々な“摩擦”も考慮して三ヶ月程度と見積もっていたのだが

 どういうわけか、今回はその最大効率を発揮し続けたのだ。リィン・オズボーンの想定を上回るような出来事が最初から最後まで起こること無く。

 そしてその事に対して、はて、これは一体どういう事かとまるで気づかない内に自分がチートを使っているような奇妙な居心地の悪さをリィンとしては覚えているのだった。

 

 ……などとリィンとしては大真面目に思考を張り巡らしていたのだったが、特務支援課の面々はとある爆弾発言に完全に意識を取られて唖然とした表情を浮かべていた。

 

「そのリィン、聞き間違いだったかもしれないけど今婚約者って言わなかったか?」

 

「?別に聞き間違いじゃないぞロイド。トワと内戦が終わったら結婚しようと、そう約束してね。

 午後からはそのトワへのプレゼントを見繕うのに、義姉さん達にも付き合って貰うつもりなんだ」

 

「そ、そうなのか……」

 

 屈託のない笑みを浮かべるリィンのその姿にロイドは唖然としながら相槌を打ち

 

「……なんつーか、アレだな。准将だとかそんなお偉いさんになった事よりも遥かに男として差をつけられた気分だな」

 

 自分よりも年下が結婚するという事実、それにどこか打ちのめされたような様子でランドルフ・オルランドはしみじみとした様子で呟くのであった……




クレアの統合共感覚、レクターの直感が帝国の呪い所縁の因果律操作能力の発現の仕方の一つだとするなら
当然真なる黄昏の贄にして鉄血の子の筆頭のリィンもその辺持っていますよね!


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灰色の騎士VS風の剣聖(上)

拙者煌魔城でのヴィクターVSマクバーンみたいな味方の最強格VS敵の最強格の激突大好き侍



「空の女神も照覧あれ!クロスベルの地と帝国に永久の繁栄を!!!」

 

 響き渡る鋼鉄の宣誓。

 それはクロスベル自治州がその70年の歴史に幕を下ろし、正式な帝国領となった事を改めて宣言するものであった。

 もう一つの宗主国たる共和国は2ヶ月前の大敗の痛手から回復しておらず、クロスベルの“英雄”達には首輪が嵌められ、帝国の英雄《灰色の騎士》によって帝国への畏怖を植え付けられたクロスベルの民にもはやそれに抗う術など無かった。

 

 しかし、そんな中地下にて蠢く者が居た。

 それはかつてクロスベルの守護神と謳われ、今や帝国軍によって追われる身となった一人の男。

 妻を失った悲劇によって心へし折られ、一度は奇跡に縋ったが、それでも若き意志を目の当たりにして再び希望を胸に立ち上がった一人の男。

 元クロスベル独立国国防長官にして《風の剣聖》アリオス・マクレイン、その人であった……

 

 進む。まさしくその異名が示すような疾風の如き、速度でアリオス・マクレインは魔獣を蹴散らしながら、ジオフロントの地下を進み続ける。

 目標はジオフロントの中枢、クロスベルの総ての情報が集約されている集中端末室だ。

 本土より帝国宰相が来ている今日この日、警備の大部分は当然ながら演説が執り行われるオルキスタワーへと集中している。

 故にこそが、今この時こそがデータの初期化を行う最大の好機と見て潜伏中のアリオスは動いたのだ。

 表での立場が有り、身動き出来ない特務支援課(アイツラ)に代わって、裏で動く事こそが今の自分の役目なのだと信じて。

 一部では特務支援課は帝国の走狗に成り下がったーーー等と罵倒されているが、アリオスの心に疑いなど欠片も存在はしない。

 

(アイツらが、ガイの遺志を継ぐ者たちが、この程度で諦めるはずがないのだから)

 

 何故ならば彼はその目で見ているから。自分が屈した“壁”を前にしても、奇跡に縋る事無く、抗い続ける事を決めた眩しき若人達のその意志を。

 自分が殺した親友(ガイ・バニングス)の遺志を継ぐ者たちが、その程度で諦めるはずが無いことを知っているのだ。

 

(ルーファス・アルバレア……貴様の打った手は確かに見事だ。

 だが、それでも俺はあえて言おう。貴様は、いや帝国(お前たち)はアイツらを侮っていると)

 

 帝国側はその策謀の為に特務支援課の面々を厚遇した。

 地位という鎖によって彼らを封じ込める方策を選んだ。

 それは確かにこの上なく強烈な一手で、なるほど。クロスベルの民の意志を分断させただろう。

 だがしかし、同時に地位という鎖は、ある種の抗うための足場になったという事でもある。

 自由に動けることこそ出来なくなったかもしれないが、代わりにある種の力をロイド達は手に入れたという事でもあるのだから。

 妬みが、疑心が彼らの足を引こうとするだろう。だが、それでもアリオスは信じている。

 彼らの持つ輝きは決してその程度の策謀に屈する程度の物ではないと。

 

 故に今は、身動きの取ることの出来ない彼らに代わって自分こそが動こう。

 アリオスにとって最後に残った宝石たる愛娘であるシズクは、レミフェリアの地の信頼できるとある人物に既に託している。

 故に自分はこの命を惜しみなくクロスベルのために使い捨てる(・・・・・)事が出来る。

 そう決意してアリオスはジオフロントの中枢を目指して駆け抜けるのであった……

 

 

・・・

 

「此処が中枢か……」

 

 その言葉と共にアリオス・マクレインは預かっていた初期化ユニットを取り出す。

 これを用いる事で情報のバックアップを取りながら、クロスベルの機密情報が帝国に渡る事を防ぐ、それが今回アリオスがこちらに赴いた理由だ。

 そうしてアリオスが作業に取り掛かろうとした、その時であった。

 

「ーーーああ、待っていたよ。《風の剣聖》アリオス・マクレイン殿」

 

「目標を補足。指名手配中の元クロスベル独立国国防長官アリオス・マクレインと断定。この地のシステムとの同調を完了。これよりプランに従い、この区画を封鎖します。」

 

 響き渡るのは鋼鉄の宣誓とどこか淡々とした無機質な言葉。それと共に区画に存在するシャッターがまたたく間に封鎖されていき、逃げ道を塞いでいく。

 そして現れたのは、アリオスがこの場には居ないと踏んでいた双剣を携え、エレボニア帝国においてアルノール家の象徴たる緋色の外套を纏った一人の青年とそんな青年に寄り添う黒衣の少女であった。

 

「……なるほど、まんまと俺はおびき出されたというわけか。今日この日ならば、貴殿も動く事は出来ないとそう踏んでいたのだが」

 

「ああ、そうだろうな。本来であれば、帝国宰相が本土より来ている記念式典ともなれば私が直々に警備を行うのが筋というものだ。

 だからこそ(・・・・・)、こうして網を張らせてもらったわけだ」

 

 何故ならば帝国の威信がかかった式典の警備のために総督府の戦力をそちらに集中させる、今日この日こそが反帝国勢力にとってはそれ以外の場所で蠢動する絶好の機会なのだから。

 帝国軍が血眼になって行方を追い続けていた目前の男も、必ず動くとそう踏んでいた。

 

「……名高き《灰色の騎士》が直々にとはな。随分と俺もまた買いかぶられたものだ」

 

 嘆息しながら双剣を携えた目前の敵をアリオスは見つめる。

 その構えに隙も油断も当然ながら微塵も存在せず、こちら側に叩きつけられる剣気は否応なくアリオスの持つ剣士としての本能を刺激する。

 そこに1年前にみた未熟な少年の面影は全く無い。アリオスでさえも死を覚悟しなければならない“強敵”の姿が、そこには存在した。

 

「買い被り等ではないさ。ーーー風の剣聖殿。帝国は貴方の存在はそれだけ重く見ているという事だよ、A級遊撃士の立場に有りながら、陰でクロスベル独立のために蠢動していた元クロスベル独立国国防長官殿。

 貴方には帝国への“反逆”の容疑と出頭命令が出ている。大人しく同行していただこうか」

 

 今、この地で帝国に最も警戒されている人間が誰かと言えば、それは眼前にいる男ーーーアリオス・マクレインその人に他ならない。

 何故ならば彼にはクロスベル独立のために暗躍し、クロスベル独立国の国防長官に就いていたという前科とクロスベルの守護神と謳われた名声と八葉一刀流皆伝という実力、その総てを兼ね備えた人物だからだ。

 放置しておけば、反帝国勢力の旗頭と成りかねない特級の危険人物ーーーそれが帝国政府に総督府、そして情報局が出した結論だ。

 それこそ、帝国最高峰の戦力たる灰色の騎士が、帝国宰相とクロスベル総督の警護を捨ててまでも投入される程に。

 

「悪いが、それは出来ない」

 

「何故だ?かつてクロスベル警察に所属し、遊撃士としてはA級にまで登り詰めた秩序の守護者たる貴方が、自らの罪を償う事は出来ないとでも?」

 

「……俺が裁かれるべき罪人である事に異論はない。

 ままならぬ現実を前に心を折られ、“奇跡”に縋り、たった一人の少女に総ての責任を押し付けようとした挙げ句、この事態を招いたどうしようもないロクデナシ。

 クロスベルの守護神等と持ち上げられていた男のそれが実態だ。いずれ、然るべき罰を受けねばならないだろう」

 

 自身が大罪人である事、それを否定する気等アリオスには毛頭ない。

 親友を殺し、その罪を裁かれる事もなくクロスベルの守護神等と持ち上げられて、陰で暗躍していた恥知らず。それが自分、アリオス・マクレインという男だ。

 そんな男が裁かれもせずのうのうと生きていて良いはずがない、いずれ罰を受けねばならないだろう。

 そう、その事に対してアリオスには異論など一切ない。むしろ、誰よりもその時を待ち望んでいるのが他ならぬアリオス自身なのだから。

 

「だがーーー」

 

 そこでアリオスは愛刀を抜き放って

 

「俺を裁くのは“クロスベルの法”であって、お前たち“帝国の法”ではない。

 ーーー俺たちが“奇跡”による救済に縋った挙げ句、現実へと立ち向かう気概を失った事が此度の事態を招いた。

 ならばこそ、安易な道(自裁)に逃避する事など俺には許されない。

 俺が屈してしまった途方もなく大きな“壁”を前にしても今もなお諦めていない、アイツらの道を切り開くためにも。

 帝国の英雄よ、全霊を以て抗わせて貰うぞ!」

 

 叩きつけられるのは裂帛の闘志。

 そこには逃避も陶酔もない、どこまでも清廉で研ぎ澄まされた一人の男の決意が漲っていた。

 故にこそ、リィンもまたあらゆる説得は無意味だと悟って

 

「ーーー良いだろう。ならばその“意志”毎こちらは叩き潰そう。

 そしてクロスベルの守護神と謳われた英雄の敗北というその事実を以て、この地の民に刻みこもう。

 帝国には決して敵わないのだという“畏怖”を。魂の底にまで。

 ーーーオライオン少尉、区画の封鎖を念入りに行え。この男だけはこの場にて確実に仕留めなければならない」

 

「承知致しました」 

 

 両者の闘志に呼応して爆発的に高まり続ける闘気。

 肉眼で視認できる程の膨大な闘気の奔流が二人から発せられ、それは隙があれば援護をしようと考えていたアルティナに自分の割って入れる戦いではない事をこの上なく叩き込んだ。

 

「八葉一刀流弐之型皆伝アリオス・マクレイン」

 

「ヴァンダール流皆伝リィン・オズボーン」

 

「「参る!」」

 

 足掻き続ける事を誓ったクロスベルの守護神と帝国の守護神はどちらも決して譲る事の出来ない思いを抱いて、此処に激突を開始した。

 

 




クロスベル最強戦力《風の剣聖》を相手にして、帝国に逆らう気が起きないように意志毎叩き潰してやんよぉ!と宣言する
傍らにツルーンペターンロリーンななんか作られた存在っぽい美少女副官を侍らせる帝国の英雄(皇帝直属の筆頭騎士にして宰相の実子)

うーん、これはボスキャラ。
なお、アリオス・マクレインはまごうことなきクロスベルの最強戦力だが
帝国におけるリィン・オズボーンは最高峰の戦力だが、コイツに匹敵する実力者がまだ他にもいる模様。

……これは駄目かもわからんね。


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灰色の騎士VS風の剣聖(下)

思ったことはただ一つ……技名はカタカナよりも漢字の方がまだなんとか浮かびやすい!

みなさん、どっちが勝つんだろうとワクワクして下さっているようでなんというか最強格VS最強格の雰囲気を出せたみたいで作者冥利に尽きますです。はい。


「弐之型疾風」

 

 先制したのはアリオス・マクレイン。

 基よりアリオスが収めた弐之型は八葉一刀流において最速の型。

 先の先を取る速攻こそが本領である。

 

「守護之型・金剛」

 

 対するリィン・オズボーンが振るうは後の先を取るヴァンダール流。

 故に臆する事無く、それを迎え撃つ。

 

 凡百の使い手であれば終わっていたであろう、初撃。

 それを難なく捌く。しかし、アリオスも負けては居ない。

 先の先を取る事こそが弐之型の極意。

 そして、それは初撃に総てを込めるというものではない。

 むしろその逆、一人で多数を相手取るを想定した、相手に反撃の暇を与えない高速機動からの連撃こそがこの型の本領。

 その名の通り、アリオス・マクレインは高速で駆け抜ける疾風と化す。

 

 閃光の如くどこまでも流麗に繰り出される嵐の如き猛攻、それをリィン・オズボーンは雄大なる大地の如き堅牢さでいなし、返しの刃を叩き込む。

 互いの剣戟がぶつかり合う度に大気を激しく揺らす。凡百の使い手であれば一刀の下斬り伏せられる事となる必殺の一撃を両者は叩き込み続ける。

 交わした剣戟はあっという間に数十を突破し、百、二百、三百と加速度的に跳ね上がり続け、息もつかせぬ連剣をアリオスは叩き込み続け、リィンはそれを防ぎ、返し続ける。

 繰り出される攻撃はどちらも等しく磨き上げられた武の結晶だ。武に携わる者なら、否、武に疎い者でも見惚れるような流麗な動きを両者は続ける。まるで定められた演舞のように、どこまでも美しく。

 

 体表面の数リジュ先を旋回する高速の斬撃、それを正確に見切りながらリィンは最適な行動を逐一選びながら対処していた。戦闘開始して既に互いに交わした剣戟の数が千を超えてなお、互いの刃の切っ先は両者の身体をかすめてすらおらず、ただ研ぎ澄まされた剣気を両者はぶつけ合い続けていた。

 その戦いは完全なる互角。風の剣聖と灰色の騎士の戦い、武に携わる者であればよだれを垂らしながら是が非でも見たがるであろう両者の戦いは史上稀に見る名勝負となっていた。

 ジオフロントの内部、そこを戦いの余波で瓦礫へと変えながら、二人の英雄は尚も加速度的に激しさを増していく。

 

「……本当に恐ろしいな」

 

 打ち合いの最中アリオス・マクレインから漏れたのはそんな本音(・・)の言葉。

 互角、そう互角なのだ。自分と目の前の未だ成人を迎えていない青年の実力は。

 アリオスとて八葉の皆伝を授けられた身として自身の剣にそれ相応の自負というものは抱いている。

 厳しい修練の果て自分がようやく皆伝へと至ったのは20の半ばを過ぎてからの事。

 そんな境地へと目の前の青年は20にもならぬ身で至っているのだ、驚嘆せずには居られない。

 

「半年前に達人の領域へと足を踏み入れていたことにも驚かされた。

 しかし、今回は極め付きだな。よもや成人もして居ない身で“理”へ至るなど」

 

 天才?そんな生易しい言葉では済まされない。

 何故ならば天才と褒めそやされたような才気溢れる者が、それで奢らず研鑽を重ねた果に踏み入れるのが“達人”と称される領域であり、“理”とはそんな達人の中でも極一部のみが通じる事の出来る至境にして通過点(・・・)なのだから。

 

「成長?そんな生ぬるい言葉ではその“変貌”ぶりを表す事は出来んだろう。これはもはや“進化”だ。

 一体その若さでどれほどの修練を積み、死線をくぐったのか想像するだけでも戦慄を禁じえんよ」

 

 眼前の敵手の振るう双剣から練達と称するに相応しい研鑽の跡を見てとり、アリオスは恐れさえ滲ませながら告げる。

 そしてそんなアリオスの言葉にリィンとしては苦笑するしか無い。

 何せ自分が今の境地へと至れたのは、獅子心皇帝ドライケルス・ライゼ・アルノールの記憶の継承というある種のズル(・・)有りきなのだから。

 自分の若さに似合わぬ研鑽が見て取れるのも当然の話しだ。何せ、自分が振るう剣は自分だけの研鑽によって至ったものではないのだから。

 そこにある種の引け目を感じないでもなかったが……

 

「だが、そうでもしなければ貴方とこうしてやり合えるようにはならなかった!」

 

 叫びながらリィンは頭部を横切る一閃、喰らえば即死するであろう死線の領域へと躊躇いなく突っ込む。

 そうして皮膚一枚を裂く寸前、既のところで間に合った刃にて防御を果たし、そのまま一気に返しの刃を叩き込む。

 たまらずアリオスがわずかに後退し、弐之型の連撃にほんの僅かな空隙が生じる。

 

「猛攻之型・烈火」

 

 そしてそこからリィンはお返しとばかりに烈火の如き怒涛の攻勢へと打って出る。

 先程までの堅実かつ堅牢な護りをかなぐり捨てて、“勝利”を掴み取るべく。

 

「オオオオオオオオオオオオオオオ」

 

 勝利を。勝利を。勝利を。この手に勝利を。偉大なる我が祖国に勝利を。

 その一念を以て祖国を護るために敵を殺すべく、敵対者を焼き尽くす焔となってアリオスを襲う。

 

「ふッーーー!」

 

 しかし、アリオス・マクレインとて負けてはいない。

 堅牢なる大地を風によって穿つ事は出来なくとも、猛火をかき消す事は出来る。

 攻勢に出るという事はすなわち、それは先程までは存在し得なかった隙が生じるという事でもあるのだから。

 敵が攻勢に打って出た今こそ、こちらにとっても均衡を打ち破り勝利を掴み取る好機なのだと死力を振り絞る。

 

「ーーーーッ、クラウ・ソラス!」

 

 激しさを増し続ける戦闘。

 その余波はジオフロントの内部を嵐のように破壊し尽くす。

 たまらずアルティナ・オライオンは自らの身を護るために己がパートナーを呼び出し、盾とする。

 

「「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ」」

 

 そうして少女を巻き込む危険が消えた二人は一切の遠慮なく、剣戟の回転数を上げ続ける。

 迅速に、精密に、的確に。合理と狂気の入り乱れたそれはもはや思考する閃光であった。

 乱れ舞う剣戟の乱舞は容赦の無いほど苛烈にされど、どうしようもなく美しく。

 猛火は激しい嵐を受けても尚消える事無く、そして嵐もまた決して止むこと無く。

 ただその火勢をより激しくして周囲を破壊し尽くしていく。

 機密情報の確保の件等もはや二人の頭には存在しない。そのような余計な事を斟酌している暇など全く以て無いのだから。

 ほんのわずかでもそちらを考慮に入れでもすれば、その瞬間容赦なく眼前の敵手はそれをついて来るのは疑いようがない。

 

「ハアアアアアアアアアアアアア」

 

 均衡の中、響き渡るのはアリオス・マクレインの決意の咆哮。

 無論、気合で勝てるのならば苦労はしない。戦いとは心技体、そして運という不確定要素が加わった総てを図られる場なのだから。

 故にどれだけアリオスが意気込もうと、気合だけでは勝敗の天秤を動かす事は出来ない。そう、気合だけでは(・・・・・・)

 

「ーーーッ」

 

「クロスベルの未来を切り開くために。今こそ俺は我が全霊を賭してこの刀を振るおう!」

 

 ならば、これは一体如何なる道理によるものなのか。

 均衡状態にあった勝敗の天秤、それがアリオスの側へと傾いていく。

 刻み込まれたのはほんのわずかな裂傷に過ぎない。

 しかし、ほんのわずかであってもそれは確かにアリオスの側がリィンを上回った証左に他ならなかった。

 想いだけで上回る事は出来ないーーーならば、何故均衡が崩れ出したのかと言えば、何の事はない。

 これが本来のアリオス・マクレインの実力なのだ。

 

 アリオスはずっと苦悩を抱え続けていた。

 親友を殺しながら、裁かれる事もなく、奇跡に縋る自分という男を見放していた。

 それが僅かだが、されど確実に研ぎ澄まされた八葉の刀に刃こぼれを生じさせていたのだ。

 しかし、今のアリオスはそんな迷いを振り払った。

 真実全身全霊を以て己が全力を振り絞って戦っているのだ。

 

 それは燃え盛る英雄の意志にも決して劣らぬものでーーなればこそ、必然現れるのは技量の差。

 未だ通過点たる理に至ったばかりの新人(ルーキー)とそこから更に先に進んだ熟練者(ベテラン)の経験の差がこの結果を生んでいた。

 徐々にされど確実に均衡が敵手へと傾き始めたその事実を前にリィンは静かに決意を固めてーーー

 

「ーーー敬意を払おう、アリオス・マクレイン」

 

 認めよう。自分は目前の敵手を十全に評価したつもりで、それでもどこか侮っていた。

 剣聖等と謳われていようと結局の所、現実を前に心をへし折られて屈した敗北者なのだと、如何に剣技が優れていようと心技体の内心を欠いた相手など敵ではないとーーーそう、どこかで見下していた。

 でなければ、奥の手を使わぬまま相手どろうとしなかっただろう。

 魔人を相手にした時のように最初から全霊を以て挑んでいたはずだ。

 そうして次に抱いたのは激しい羞恥。たかだか理へ至った程度(・・・・・・・・・・・)で知らず驕っていた己が傲慢さに気づき、リィン・オズボーンは深く恥じ入る。

 

 何たる傲慢、何たる増上慢であった事か。その曇った眼にて今一度目前の敵をしかと見据えろ。

 そして焼き付けるのだ。己が過ちを悟り、しかと己が傷と向き合い、それでも尚明日に向かって踏み出す事を決めた目の前の気高き男を。

 そして敬意を払うのだ。その在り方に。立場と掲げる旗は違えど、断じて無価値等ではない誇りを抱いて戦う一人の男へと。

 ーーー払ったが故に、もはや出し惜しみは無しだ。真実己が全身全霊を以て、目前の難敵を打ち砕こう。

 

「ーーー総ては、偉大なる我が祖国のために」

 

 そう、己が身を可愛がっている男に真の勝利を掴み取る事など到底出来はしないのだから。

 

「鬼気解放」

 

 発せられるのは膨大なる鬼気。

 それは先程までのどこか神々しい神気とは別物のどこまでも荒々しい濃密なる殺気。

 野生動物が感知すれば、すぐさま逃げ出すであろう人外の力だ。

 

「シャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア」

 

「ーーーーッ」

 

 敵手の変貌、それを感じ取りながらもアリオス・マクレインは逃げる訳にはいかない。

 いや、離脱が叶うのならばとうにそうしている。しかし、目前の敵手は決して自分を逃さぬとその鬼気をこちらへと叩きつけているのだ。

 ならば、アリオスとしては眼前の鬼を打ち破る以外に手はなくーーー

 

「洸破斬」

 

 叩き込んだのは渾身の一撃。

 それを眼前の敵手は左腕のみで難なく弾く。

 そして間髪入れずに右腕の側の剣をこちらへと叩き込む。

 

「ーーーづぅぅッ」

 

 叩き込まれた剣戟は先程とは比較にならぬ程激烈に。

 そして事態はそれだけでは終わらない。嵐の如き猛攻がアリオスを襲い出す。

 速度、威力。そのどちらもが先程とは比較にならぬ程に強烈に。

 それでいて振るう剣技には一切の曇り無く。

 判断は的確で迅速に確かな合理がそこには存在する。

 疾風怒涛の猛攻を前に、アリオス・マクレインは当然のように追い込まれていく。

 アリオス・マクレインが最適な行動を最高の速度で最大限選択しようとも、人類種の限界を超えて(・・・・・・・・・)灰色の騎士は駆動し続けるが故に。

 決して浅くはない裂傷が徐々にその身に刻まれていく。

 

 此処に戦いの趨勢は決まった。

 全力を出していたアリオスに対して切り札を隠し持っていたリィンが一枚上手を行ってーーー否、これはそのような単純な話ではない。

 解放した鬼気はリィンの戦闘力を飛躍的に向上させた。だが、これは断じて単純でお手軽なパワーアップ等ではないのだ。

 今のリィンは既に常時この鬼気を限界まで混じらせた状態である。

 鬼気解放とはそんな限界を超えた力を深淵より引き出す禁じ手なのだ。

 それは文字通りの諸刃の剣。

 断裂していく筋繊維、負荷に耐えきれずひび割れていく骨。融解していく内臓。そして沸騰していく血液。

 人類種の限界点寸前まで強化されたとは言え、それでもあくまで人でしかないリィンの肉体はその出力に耐えきれずに、崩壊していく。

 

 人の肉体に限界があるのは、怠け根性によるものではない。

 それは人体の発する警告なのだ。これ以上無理をすれば、致命的な損傷が起きるという。

 故に比喩表現ではなく、真実己が限界を意志の力等によって強引に突破したものがどうなるかと言えばーーー当然、待っているのは破滅だ。

 なればこそ、目指すべきは短期決戦。そう長くは保たない以上己が最大最強の奥義をお見舞いするのみと、距離を取りリィンはその闘気と焔を収束させていく。

 

「炎よ我が剣に集え……其は闇を焼き尽くす破邪の剣!奥義!破邪顕正焔之型・朱雀」

 

 放たれるはヴァンダールの奥義たる闇を払う破邪の剣。

 その先へと踏み入れた、皆伝の先(・・・・)である理に至りし者のみが到達出来るとされる四門の境地。

 闇を焼き尽くす焔の一撃だ。

 

「風巻く光よ、我が剣に集え……!奥義!風神烈破!!」 

 

 そしてアリオスもまたそれを前にして己が全力を刀身へと込める。

 防御も回避もこの一撃を前にしては通じぬ。此処が勝負の分かれ道と悟ったがゆえに。

 最大最強の一撃を叩き込む。

 

「ーーーッ、ノワールシェイド!」

 

 ぶつかり合うは炎神と風神。

 焔を纏った朱雀の飛翔と風神の咆哮がぶつかり合う。

 激しい轟音と共に閃光がアルティナの視界を奪いーーーそして

 

 その光景が目に写った瞬間アルティナ・オライオンは安堵する(・・・・)

 自分でも何故かはわからぬ程に心が落ち着くのを感じて、これまで任務中故に張り詰め続けていた気を知らず、緩めたのだ。

 

 目に映ったのは満身創痍ながらも双剣を構えるリィンと、苦悶の表情を浮かべながら刀を支えに片膝を突くアリオスの姿。

 自覚をせぬままにただの上官に過ぎないはずのリィンの無事に、なぜだかどうしようも無くアルティナ・オライオンは安堵するのであった……




この黒兎、気が付いたらあざと可愛いムーヴをしているんじゃが……


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生まれた感情の名前はまだ知らない

理到達者は素で常時心眼発動状態、物理防御、物理反射貫通能力を備えているイメージです。


 勝敗は決した。

 リィンの負った傷も決して浅くはないが、それでもアリオスの負った傷の深さはそれを上回る。

 致命傷にまでは至っていないものの、先程までの動きはもはや到底覚束ない。

 しかし、それでもアリオス・マクレインは諦めない。

 不屈の闘志で必死に身体を動かさんとする。

 

「……見事だ、アリオス・マクレイン」

 

 そんな敵手の様を見てリィンの心の中に湧き上がるのは尊敬の念。

 それと同時にこれほどの相手をこともあろうに心折れた負け犬だと思っていた己が節穴ぶりへの羞恥だ。

 そして敬意を払ったが故に、なんとしても此処で仕留めなければならないと心する。

 何故ならばこれほどの男がこと此処に至って屈服する可能性等まず無いのだから。

 尊敬に値する男だとしても、否尊敬に値する男だからこそ、此処で殺しておかなければならないのだ。

 何せ、尊敬に値する敵というのはそれだけ、祖国への脅威となり得るという事なのだから。

 心より尊敬しているが故に何としても此処で殺さねばならないという矛盾染みた想い、それを破綻させること無くそのまま満身創痍の肉体を動かす魂の熱へと変えて、リィンは双剣を構える。

 

「おおおおお……オオオオオオオオオオオオオオ!!!!!」

 

 そしてそんなリィンに負けじと気合(・・)の喝破と共にアリオスは立ち上がる。

 まだだ、まだだ此処で自分は終わるわけには行かないのだと。

 意志の力で、限界を超えて肉体を突き動かす。

 立ち上がったところで死の瞬間がほんの僅かに伸びるだけだとわかっていながら、震える膝を叱咤して再びその刀を構える。

 

 その瞬間であった。

 

「リィン准将!」

 

 アルティナが声を張り上げる。その声は緊迫感に満ちていた。

 

「セキリュティを突破されました!来ます!」

 

 瞬間。放たれたのは暗器と呼ばれる、東方に於いて暗殺に用いられる武具。

 アルティナの方へと高速で飛来したそれをリィンは双剣で弾き飛ばすと、その隙にそれを投げた張本人は庇うようにアリオスの前へと躍り出る。そして懐より筒状の玉を取り出し、炸裂させ、辺りを煙が包み込む。

 

「舐めるなぁ!」

 

 だが、たかだか視界を奪われた程度で英雄は止まらない。

 研ぎ澄まされた感覚は視界に頼らずとも正確に気配を察知して、その剣を叩き込む。

 

 しかし、そんな事は当然織り込み済みだ。

 理に至った化物からこの程度で逃げられる等とは彼女(・・)とて当然思っていない。

 叩き込んだはずの剣戟、それが障壁によって防がれる。

 アダマス・シールド、それが此処に来る前に事前にかけて貰っていた(・・・・・・・・)導力魔法の名だ。

 無論、リィンが万全の状態で放った一撃であれば、障壁を貫通してその刃を届かせただろうが

 アリオスとの激闘で満身創痍となったその身で放たれた剣戟には万全のそれに比べてキレがない。

 故にこそ、防御へと力を注ぐ事無く、《銀》はアリオスを抱えたままに、全身全霊での逃走(・・)を開始する。

 

「クロノ・ドライブ」

 

 そして抱えられたアリオスもまた、来援を察知した瞬間より駆動させていた時を加速させる導力魔法を使う。

 気力によって立ち上がったとはいえ、今のアリオスは文字通り立っているのがやっとの状態であった。

 ならばこそ、この場に於ける最適解は自分の身体を動かさずとも使う事のできる、逃走を補助するための導力魔法を発動させる事だと判断して。

 

 そして二人の逃走を補助するかのようにまたたく間に封鎖されていたはずの障壁が開いていき、二人が通り過ぎると同時にそれらの障壁が再び封鎖されていく。

 1つ目の障壁をリィンが叩き斬ったときには時既に遅し。アリオス達は行方を晦ませ、リィンは大魚を逃してしまった事に歯噛みするのであった。

 

 

・・・

 

「してやられたか……」

 

 ポツリとリィンは呟く。

 結局アリオス・マクレインを討つ事は出来ずに、クロスベルの機密情報はどちらも入手する事が出来ずという痛み分けに終わった。

 来援が来るまではこちらが優勢だったというのは言い訳にしかならない。

 アリオス・マクレインを仕留めるなり、捕縛して、クロスベルの守護神が為す術無く敗れ去ったという事実を白日の下に晒してこそ、帝国への畏怖を絶対のものとする事が出来たのだ。

 逃げられてしまった以上それは証拠のない、ただの主張にしかならない。反抗勢力の心をへし折る事は到底出来ないだろう。

 

「すみませんでした……」

 

「?何故謝罪する」

 

 見るからに沈痛な表情を浮かべて謝罪をするアルティナの様子をリィンは訝しがる。

 

「区画の封鎖を任されていながら、突破されてしまいました。

 アリオス・マクレインを取り逃がしたのは私の責任です。

 せっかく准将閣下が死闘の末にあと一歩のところまで追い詰めたというのに……」

 

 目の前で繰り広げられた頂上決戦。それをアルティナは思い出しながら、忸怩たる思いで告げる。

 アリオス・マクレインは紛れもない大陸最高峰の実力者であった。

 彼とああまで渡り合える実力者は、大陸最強国家たるエレボニア帝国にとて目の前の上官も含めて片手の指で足りる数しか居ないだろう。

 それはすなわち生半可な精鋭程度(・・・・)の実力では相手にならないということであり、それを取り逃がしてしまったという事は帝国にとって大いなる禍根となり得る可能性がーーーいや、違う。

 アルティナ・オライオンの心を苛んでいるのはそんな理屈等ではない。

 アルティナの心を苛んでいるもの、それは目の前の敬愛する上官に対する申し訳無さだ。

 リィン・オズボーンが己が身を省みず危険を犯して、ようやく手中に収めんとしていた勝利を、自分が台無しにしてしまったという事実。

 それがアルティナにとってはただただ申し訳なかったのだ。

 

 すっかりと落ち込んでしまったアルティナの様子を見てリィンは嘆息した後にそっと手を伸ばして……

 

「落ち込む必要はない。

 貴官の実力はこの数ヶ月共にしてよく知っている。

 ことこの手の情報システム操作の面に於いて、間違いなく貴官は帝国の最高峰の実力者だ。

 その貴官で駄目だったというのならば、それは相手が上手を行っていたというだけの事。

 相手を褒める以外にあるまい」

 

 生真面目な妹を慰める兄のようにそっとその頭を撫でてやる。

 

(同じオライオンの名字を冠して居ながら本当にえらい性格が違うものだな)

 

 リィンの胸に去来するのはそんな想い。

 これがリィンにとってのもう一人の義妹であれば「いやーやられちゃったねー」とカラカラと笑っていた事だろう。

 どうにもアルティナの方は少々真面目過ぎるというか、ミリアムの図太さを少しだけ見習っても良いかもしれない等とリィンとしては思わざるを得なかった。

 

「責任を取るとしたらむしろ私の方だろう。

 私がもっと早くに風の剣聖を討てていれば問題なかったのだからな」

 

「いえ、リィン准将は最善を尽くされたかと……」

 

「なら、話はこれで終わりだな。

 貴官も私も最善を尽くした。だが相手はその上を行ったと、要はそういう事だろう。

 中々どうしてやってくれるものだ」

 

 帝国最高峰の情報統括者たるアルティナのセキリュティをかいくぐった存在については凡その目星はついている。

 ティオ・プラトー、エプスタイン財団からの出向者にして特務支援課の一員たる彼女の仕業だろう。

 レミフェリア出身であり、なおかつ財団からの出向者たる彼女に対しては帝国としても他の支援課のメンバーに比べればあまり強く出る事は出来ず、監視もあまり露骨にすることは出来ないで居る。

 故に財団支部から何らかの端末を使ってアクセスされてしまえば、こちらとしてもそうそう手出しをする事が出来ないのだ。

 動けぬ他の仲間の代わりに彼女が動いたと要はそういう事なのだろう。

 

「反省して更に上を目指す向上心を持つのは素晴らしい事だ。大いにやってくれ。

 だが、責任を感じて落ち込む必要は全くない。それを背負うのは貴官の上官たる私の役目なのだからな。

 まあ兎にも角にも、仕事が済んだ以上こんな辛気臭いところからはいい加減おさらばするとしよう。

 帰ってシャワーでも浴びて着替えたら、遅めの昼食を取るとしようじゃないか」

 

 向けられるのは確かなる信頼。

 それを感じてアルティナはどこか自分の心が暖かくなるのを感じていた。

 そして同時に胸に去来するのはある気持ち。

 

 コレを失いたくない(・・・・・・・・・)

 

 それは何も持っていなかった人形だった少女が初めて抱いた執着であった……

 

・・・

 

 ナハト・ヴァイスは頭を抱えていた。

 

「ちょっとスープを零しちゃった位でそんなに怒る事ないじゃないですか!ちゃんと謝っているんですから!!」

 

「知った風な口を聞くな小娘!軍服というのは我ら帝国軍人にとって誇りとなるもの。

 それにシミを作るというのはすなわち我が帝国軍を侮辱したも同然という事だ!

 遊撃士等という国家に貢献せん、狼藉者などにはわからぬかもしれぬがな」

 

 原因は明白である。今日も今日とてナハト最大の頭痛の種である相方によるものだ。

 事件が起きた時のは昼食の時だ。中央広場にあるヴァンセットにて食事を取っていたら、そこの店員が運んでいたスープを帝国軍の軍人(階級章から見てどうやら士官であるようだ)に零してしまったのだ。

 当然、店員はすぐに平謝りをしたのだが、運が悪い事にどうやらその士官は大変にねちっこくなおかつ短気な所謂クレーマータイプだったようで、やれ貴様は帝国軍を侮辱する気か等と難癖をつけ始めたのだ。

 

 どこにでもあの手の輩は居るものだ、あの店員も気の毒に。だけど帝国軍と揉め事を起こすのはゴメンだと傍観を決め込んだナハトだったが、生憎彼の相方は彼のように慎重ではなく、思い立ったらすぐに行動という火の玉のような少女である。ナハトが止める暇も無く、首を突っ込んでいき今の状態に至るというわけであった。

 

「狼藉者!?遊撃士のどこが狼藉者っていうんですか。狼藉者ってのは貴方みたいにネチネチと難癖つけてくるような人の事を言うんでしょ」

 

「ふん、暗躍していた犯罪者をA級だのクロスベルの守護神だのと持て囃していたのは一体どこの連中だ。

 民間人保護等という建前を掲げて、国家の秩序を乱す不穏分子。それが貴様ら遊撃士だろうが」

 

「秩序を乱す不穏分子?乱しているのは貴方じゃないですか。

 スープを零した程度の事でネチネチネチネチ。器小さすぎですよ!」

 

 ヒートアップした両者はすっかりと当初の話しがどこか行ったかのように口論を続ける。

 一体どうしたものかとナハトが頭を抱えていると

 

「何やら騒がしいが一体どうした?」

 

 瞬間感じたのは圧倒的な強者の気。

 シグムント・オルランドにアリオス・マクレインといった怪物たちと同格の絶対的強者の風格だ。

 猟兵として培った本能が悲鳴を挙げだして、ナハトは今すぐに逃げ出したい衝動へと駆られる。

 

「あーん、一体誰だ偉そうに。また遊撃士とやら……か…………………」

 

 声のした方向を振り向き、その顔を確認した瞬間にその士官を硬直する。

 それもそのはず、目の前の人物はその名を知らぬ等といえば間違いなく非国民扱いされる帝国の英雄なのだから。

 

「こ、これは准将閣下!!!」

 

 先程までの居丈高な態度が嘘のように、直立不動の体勢にて敬礼を施す。

 灰色の騎士リィン・オズボーン、ナハトとしては現状このクロスベルに於いて最も顔を会わせたくなかった本物の怪物がそこには立っていた。

 

「単に副官と共に昼食を取りに来ただけだ、そう固くなる必要はない。

 それで、この騒ぎは一体何事かな中尉」

 

「は、ご説明いたします。そこの店員と小娘が我が軍の誇りを著しく侮辱したため、帝国軍人として看過しえず、叱責していたところであります!」

 

「だ・か・ら、スープを零しただけの事じゃないですか。そんなに目くじら立てるような事じゃないでしょう!」

 

「ええい、黙れ小娘!」

 

「中尉、あまり公共の場で声を張り上げるのは感心せんな。民が萎縮してしまうだろう」

 

「はは……失礼いたしました」

 

 先程までの態度が嘘のように完全に萎縮しきった中尉のその小物ぶりにナハトは親近感を覚える。

 無理も無い。何せ伝え聞くところによれば灰色の騎士は帝国の敵にも容赦ないが、同様に立場や特権を振りかざすような輩に対しても一切の容赦なく裁く公正故に無慈悲な執行人なのだから。身に覚えのあるあの中尉としては、さぞかし生きた心地がしない事だろう。

 

「ふむ、中尉はああ言っているが、どうかな?君の行いに我が帝国と軍を侮辱する意図はあったのかな?」

 

「め、滅相もございません。手元を誤ってしまっただけで、誓ってそのような事は……!」

 

「との事だ。彼女に軍を侮辱する意図はなく、ただ手元を誤っていただけのようだよ中尉。

 どうだろうか中尉?ミスは誰にだってある事だ。此処は一つ、寛大な心持ちで許してあげては。

 それこそが、真に(・・)軍の誇りを護る事だと私などは思うのだが?」

 

 微笑のまま告げられたその言葉は実質提案という名の命令であった。

 雲の上の存在たる准将にして英雄にそう言われてしまえば一士官に選択肢などあるはずもない。

 

「……今後は気をつけるように」

 

「は、はい。もう二度とこのような事は致しません」

 

 儀礼的なそんなやり取りを行い、ようやくその場が一段落して収まりを見る。

 そんな光景を見届けた後に、灰色の騎士は問題を起こした中尉の方を見つめて

 

「中尉、軍の誇りを守らんとした貴官の意志は称賛に値するものだ。

 だが、いま一度我ら軍人が何のために存在するのかをよく考えてもらいたい」

 

「は、肝に銘じておきます!」

 

 敬礼と共にそう告げる中尉の姿に灰色の騎士は満足気に頷いて……

 

「さて、それではこれにて一件落着というところで、二名なのだが空いている席はあるかな?」

 

 当初此処を訪れた目的を灰色の騎士を果たそうとするのであった……

 

 

おまけ

 

クロエ「思っていたよりも紳士的な人でしたね~灰色の騎士さんって。ナハト?どうしたんですか?そんな疲れ切った顔して」

ナハト(色々と言いたいことはあるが、灰色の騎士と間近で接した事で精神力を使い果たして何も言えない)

 




あり得るかもしれない未来の風景

アッシュ「あのスかしたカッコつけ野郎を出し抜けるチャンスだろうが!」
アルティナ「リィンさんはカッコつけているのではありません。素でやることがカッコいいんです」(自慢の義兄を誇る義妹の顔)
アッシュ「お、おう……」
小悪魔を装っているが実は恋愛雑魚なミント「うふふふ、アルティナさんは本当にリィン教官の事が大好きなんですね♥」

次回はパッパ、長男、実子の三男の三人で仲良く演劇鑑賞です。
心温まる家族の交流が待っていますよ!


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鉄血の父子

本日のアルカンシェルの貴賓席の利用客を紹介するぜ!

鉄血宰相ギリアス・オズボーン
クロスベル総督ルーファス・アルバレア
灰色の騎士リィン・オズボーン
クロスベル議会議長ヘンリー・マクダエル
議長秘書エリィ・マクダエル

以上だ!
帝国のやべぇやつらが揃い踏みだが頑張れマクダエル議長!負けるなマクダエル議長!
灰色の騎士はついさっきクロスベルの英雄をボコしていたぞマクダエル議長!
ルーファス総督はクロスベルの新しい英雄達を封殺しているぞマクダエル議長!
鉄血宰相はジュライを併合する時に貴方のような立場だったアームブラスト市長をジュライ市民に生贄として差し出させたぞマクダエル議長!
孫娘の男を見る目が確かな事が唯一の救いだなマクダエル議長。


 アルカンシェル、それはクロスベル最高の劇団であり、半年前の西ゼムリア通商会議でも観覧していった事で知られるクロスベルの“誇り”である。その公演のチケットはあっという間に売れてしまい、立ち見席でさえも入手するのが困難で、ましてや貴賓席ともなれば使用できるのはそこらの成金ではない社会的地位の伴った本物の要人のみとなってくる。

 

 そして今宵そんな貴賓席を利用するのはそんな、本物の要人たちであった。

 帝国宰相ギリアス・オズボーン、クロスベル総督ルーファス・アルバレア、獅子心十七勇士筆頭《灰色の騎士》リィン・オズボーン准将、そしてクロスベル議会議長たるヘンリー・マクダエルとその秘書を務めるエリィ・マクダエル。以上5名が貴賓席の利用客であった。

 自治州時代に当時市長であったヘンリー・マクダエル氏が当時アーネスト秘書によって暗殺されかかるという憂き目にあったこともあって警備の体勢は万全。

 宰相の信認厚き鉄血の子どもの一人たる、《氷の乙女》クレア・リーヴェルト少佐が精鋭たる鉄道憲兵隊を動員して鉄壁の警備体制を敷いている。……最も本来であれば、そんな警備も必要ないのかもしれない。

 何せ今宵貴賓席には比喩抜きで一騎当千の実力を持つ、帝国最高峰の実力者にして鉄血宰相の腹心中の腹心が居るのだから。共和国が暗殺者として差し向けたとしても、その双剣の錆となって終わるだけだろう。

 

「こうして共に舞台を見るのは半年振りになりますかな、議長殿」

 

「然様ですな宰相閣下。……あの時准尉として護衛を務めていた少年が、今や准将とは。

 いやはや若者の成長とは早いものですな。宰相閣下もさぞや鼻が高い事でしょう」

 

「フフ、確かに准将には至らぬ我が身を何かと支えてもらっており、感謝が絶えぬと思っておりますよ。

 ルーファス総督と言い、若い力が着実に育っている事を考えるとそろそろ後進(・・)に跡を託す時期が来ているのかもしれませんな」

 

 目をかけていた秘書に殺されかけ、クロスベル市民の期待を背負い、結果見事暴走した市長ととことん後進に恵まれず

 老齢の身でありながら未だヘンリーが第一線で踏ん張り続けざるを得ないクロスベルの情勢を当てこするようにギリアスは告げる。

 

「いえいえ、未だ私など閣下には到底及ばぬ若輩の身。クロスベル総督という大任をこなすだけで精一杯の身に過ぎませんよ。

 クロスベルの闇をこの短期間で一掃出来た事は、准将の尽力無くしてあり得なかったのですから。

 議長殿も、そうは想われませんかな?長年(・・)クロスベルを見守っておられた身としては」

 

 そしてルーファス・アルバレアもまた続く。

 ヘンリー・マクダエルがクロスベルの腐敗と闇を是正したいと願いつつ、ついぞ出来なかった原因に自分達帝国の圧力があった事を百も承知の上で。

 

「いえ、それらは自分一人で為したわけではありません。

 鉄道憲兵隊のリーヴェルト少佐、情報局のアランドール少佐、我が副官たるオライオン少尉、そしてそこにおられるエリィ秘書を含む特務支援課の方々を始めとしたクロスベル軍警察の協力。

 これらがあってこそ為し得たものです。決して私一人の功ではございません」

 

 そこでリィンは老若男女を問わず見惚れるような微笑を浮かべて

 

「今後も我ら帝国(・・・・)一丸(・・)となって協力しあえば、私如きが一人欠けたところで問題はないでしょう

 宰相閣下の演説の通り、帝国とクロスベルに永久の繁栄を訪れる事を私も願って止みません」

 

 告げるのはもはやクロスベルは帝国の一部なのだという言葉。

 思うところはある、宰相たる父ともう一人の義兄であったクロスベル総督に対して。

 だが、それと公人としての立場はまた別問題である。

 此度のクロスベル併合についてリィン・オズボーンには後ろめたいところなど一切ない。

 総ては祖国たる帝国のためと信じて行ったこと。侵略者、殺人者という罵倒は幾らでも感受しよう。

 だが、これは必要な事だったのだ。例えそれが、目前の気骨ある老翁の政治家にとっては胸を裂かれるような痛みだったとしても。

 万人に取っての正義など存在せず、正義と正義が対立した時自国にとっての正義(・・・・・・・・・)を力によって強引にでも押し通させるのが軍人の役目なのだから。

 その上で、クロスベルの繁栄を願うリィン・オズボーンの気持ちに嘘偽りは断じて存在しない。

 この地はもはや愛する帝国の一部なのだから、心の底より帝国領クロスベル州(・・・・・・・・・)の繁栄をリィンは願っている。

 

「いやはや素晴らしい。いささか自身を過小に評価しすぎているきらいはあるが、確かに君の言うとおりだ准将。

 一人で出来る事などたかがしれている。ならばこそ、人は国という共同体を作り上げたのだから。

 マクダエル議長、改めて今後ともよろしくお願いいたします。

 クロスベルの良心と謳われ、ディーター・クロイスの暴走の際も一貫して帝国のため(・・・・・)に尽力し続けた議長の力を借りられるのならば、このルーファス・アルバレア百人力というもの。

 今後とも、どうか至らぬこの若輩者を支えて下さると助かります」

 

「……それがクロスベルのため(・・・・・・・・)になるというのならば、この老骨がどれほどお役に立てるかはわかりませぬが。

 全霊を以て私に課せられた義務を果たしましょう」

 

 微笑を浮かべながら告げるルーファス総督とそれに応じるマクダエル議長の姿。

 それを満足気に眺めるとギリアスは

 

「いやはや、頼もしい限りだ。ルーファス卿の才智とマクダエル議長の経験が合わさればもはやこの地の繁栄は約束されたも同然。

 残る懸念事項は今もって逃走中のアリオス・マクレインなる手配犯位かな?」

 

 告げたのはクロスベルの守護神と謳われた人物が帝国からどう見られているかを示す言葉。

 それを前にしてアリオスの為人を知っているヘンリーとエリィは表情を強張らせる。

 

「……申し訳ございません。それに関しては交戦しておきながら取り逃がした私の責です」

 

「謝罪は不要だよ准将。君で不可能だったというのならば、今の帝国に居る他の誰でも不可能という事だ

 重要なのはあと一歩のところまで追い詰めながら、彼の逃亡を手助けをする協力者が居たという事実。

 それも、我が帝国の警備網を突破する程の凄腕のだ」

 

 笑みはそのままに、されどその瞳の奥に剣呑な色を宿してルーファスは告げる。

 

「こうなってくるとこの地の軍警部隊では少々荷が勝つかもしれません。

 宰相閣下、灰色の騎士殿にもう今しばらくこの地に留まって頂くわけにはいけませんかな?」

 

 総督としての計算、そしてそれ以上のまるでお気に入りの遊戯相手と別れたくなくて駄々を捏ねる子どものような色を滲ませながら、親にわがままを告げる子供のような笑みを浮かべながらルーファスは告げる。

 

「ルーファス卿、准将は皇帝陛下の筆頭騎士であり、命令を下せるのはこの世において今上陛下ただお一人だ。

 願うのならば、私ではなく皇帝陛下へとする事だな」

 

 そしてそんなルーファスの言葉にギリアスは我が子を嗜める親のように苦笑を浮かべながら告げる。

 願いを言う相手を間違えていると。ーーー灰色の騎士は皇帝直属という建前だが、実質的には宰相直属の筆頭武官である。そんな風に噂をされているのを承知の上で。

 

「そして、その上で陛下の代理人として私見を述べさせて貰うならば、それは些かに難しいだろう。

 既にクロスベルの地にはある程度の秩序が齎された。准将の力を必要とする地は他にもあるのだからね。

 ーーー代わりと言っては何だが、反逆の罪により、解散となった近衛部隊。それらを総督直属の部隊として君に回そう」

 

「ーーーそれはそれは。閣下のご厚情には誠に感謝の念が絶えません」

 

 父より与えられた新たな課題、それにルーファスは微笑を浮かべながら応じる。

 すなわちギリアスは体よく押し付けたのだ、近衛部隊の処遇という爆弾をルーファスに。

 カイエン公の反乱に与した近衛をそのままにしておく事など出来ず、近衛軍は解散の憂き目にあった。

 しかし、精鋭たる人材をそのままにしておくのはあまりに惜しいし、何よりもこうした居場所がなかった軍人達が金銭を目当てに猟兵となるというのは良くある事だ。

 故に、叶うことならば再利用をしたい。しかし、そのまま正規軍に編入をするのは難しい。故にこその処置である。

 見事、それらを有効活用してみせろとギリアスはルーファスへと宿題を押し付けたのだ。

 

 それはすなわちルーファスの手駒に直々に引き抜いたクロイツェン州の精鋭に加えて新たな手札が加わるということであり、よりクロスベルが苦境に立たされるという事を意味するものであった……

 

 

・・・

 

 リィン・オズボーンは芸術分野への興味が薄い男であった。

 その才智の多くは軍事や政治という分野に主として向けられており、トールズにおける芸術担当教官であるメアリー・アルトハイム等はその他教科の貪欲さに比しての己の担当教科への意欲の薄さを残念がった程である。

 しかし、そんな男の視線が今や舞台へと釘付けとなっていた。それは、確かな研鑽がその舞から見て取れるから。

 

(この世に於いて最も美しく尊いのは己が職務に誇りを以て取り組む人の姿であるーーーというのは誰の言葉だったかな)

 

 なるほど、これは確かにクロスベルの“誇り”とまで言われるはずだと目の前の光景に感心させられる。

 それは分野は違えど確かな一流と呼ぶに値する仕事であった。

 故にこそリィン・オズボーンは舞を行う銀の姫を見て浮かんだ、どこかで会った事があるような奇妙な既視感を他所へとやる。

 何時までもそのような事に気を取られて、目の前の演技に集中しないのは一流の仕事を行い続ける演者達に失礼だと判断したがために。

 半年前にも父の護衛でアルカンシェルへと同行したからこその、奇妙な既視感なのだろうと誤解をしたままに……

 

・・・

 

「いやはや、素晴らしいものを見せてもらった。これでも審美眼は肥えている方だと自負しているのだが、これは称賛する他ない。そうは思わんかね、准将?」

 

 舞台が終わった後に興奮も冷めやらぬ様子でルーファス・アルバレアは告げる。

 その言葉は演技ではないのだろう、アルバレア家の嫡男たるルーファスは幼少より一流の芸術に触れて育っており、武骨なリィンとは違い、一流の趣味人として社交界に於いては広く知れ渡っている。芸術というのは貴族社会における共通の話題だからだ。

 

「……そうですね、確かに素晴らしいものでした。武骨者故芸術とは縁なき生活を送っていた身ですが、今後はこうした分野へと目を向けてみるのもいいかもしれませんね」

 

「そうすると良い。芸術は心を豊かにしてくれる。せっかくの特権なのだ存分に利用すると良いだろう、君はその特権に見合うだけの確かな功を打ちたてたのだから」

 

 獅子心十七勇士は筆頭以外は権限の無い事実上ただの名誉職ではあるが、実利がまったくないというわけではない。

 帝国最強にして最高の騎士たる彼らには様々な特権が与えられる。

 一定額の恩給の授与。鉄道及び飛空便の優先利用。そして、帝国歌劇場の貴賓席の使用権もその一つだ。

 つまり、今のリィンは多くの趣味人が願っても止まない特等席をボックス席に収容できる四人までなら年中何時でも無料で利用可能という立場なのだ。

 正直、さして興味のない特権であったが今後は利用して見るのも良いかもしれない。そんな気分にリィンはなっていた。それほどまでにアルカンシェルの舞台は素晴らしかったのだ。

 最愛の恋人であるトワはもちろんクロウやアンゼリカにジョルジュと行った親友たち、クレア義姉さんにレクター、ミリアム、アルティナ、エリオット、フィオナ義姉さんと行った家族。

 

 そして……

 

 チラリとそこでリィンはどこか何時もに比べて上機嫌な父の様子を伺い見る。

 ……問いたださなければならない。この人が一体何を考えているのかを。

 愛する祖国を一体どこへ(・・・)導こうとしているのかを。

 

 その結果あの本の記述がただの杞憂であったのならば良い。

 だがそうでなかったのならば、その時は……

 

「楽しい一時だった。いずれまたこのような機会を持ちたいものだな、そうは思わぬかリィン(・・・)

 

 瞬間、告げられたのはどこまでも優しい言葉。

 帝国宰相として灰色の騎士に告げる言葉ではなく、父の息子に対する言葉だ。

 

「……うん、そうだねギリアス父さん。今度来る時は俺達だけじゃなくて家族全員で」

 

 故にこそリィンもまた告げる。

 灰色の騎士としてではなく、ギリアス・オズボーンの息子リィン・オズボーンとして。

 叶わぬ願い(・・・・・)を。

 

 それで父と子の語らいを終わり、鉄血の親子は再び共に鋼鉄をまとう。

 父の方は鉄血宰相として。息子の方は灰色の騎士として。

 どちらも例え親子であろうと譲れぬ願いを抱いて……

 

 かくして灰色の騎士リィン・オズボーンはクロスベルの地を跡にして、帝国政府専用列車アイゼングラーフにて父たる宰相と共に帝国へと凱旋を果たすのであった。

 

 

 




ルーファス「ねぇねぇ今どんな気持ち?」
ギリアス「長年どうにも出来なかったクロスベルの腐敗をうちの息子が1ヶ月であっさり解決しちゃってねぇ今どんな気持ち?」←圧力かけていた張本人
マクダエル議長「…………」

主人公イジメだと思ったか?
今回は主人公もパッパと腹黒兄と一緒にマクダエル議長をいじめる立場だよ!

マクダエル議長には強く生きて欲しいものです。


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鉄血の子どもたち

3rdオリビエ「宰相、貴方のやり方はある種の幻想を作り上げて国民を熱狂の渦へと巻き込んでいくだろう」

おや、こんなところに内戦を収めて宿敵共和国を破った若き英雄という国民を熱狂の渦に巻き込むのに格好の“幻想”が。
これは鉄血の子ども筆頭にして真の黄昏の贄ですわ。


 七耀暦 1205年3月10日。灰色の騎士リィン・オズボーンはクロスベルでの任を終え、帝国宰相にして実父たるギリアス・オズボーンと共に帰還の途につく。道中の護衛はクレア・リーヴェルト少佐率いる鉄道憲兵隊が行い、リィンは父と同じ車両を使い帰還する事となった。

 

「なるほど、それでは准将が軍人を志したのはやはりお父君である宰相閣下の影響と」

 

「ええ、父は私の憧れであり、目標でした。何時かあの大きな背中に追いつき、肩を並べて軍人となるのだと子ども心に誓ったものです」

 

「いやはや、改めてこう言われると些か面映いものだな。しかし、お前が18の若さで就いた准将という地位に私がついたのなど30も半ばを過ぎてようやくのこと。どちらの方がより軍人として優れた資質を持っているのは火を見るより明らかというものだろう。父としては誇らしくもあり、同時に器の違いというものを突きつけられているようでもあり、些か複雑でもあるな」

 

 そしてその帰路、リィン・オズボーンとギリアス・オズボーンは和やかな会話を行っていた。帝国最大の発行部数を誇る大衆紙帝国時報と革新派寄りで知られるプロレタリア・フロイントの記者の取材を受けながら。取材を行っている記者は所謂政府のお抱え記者という奴であり、その内容は「ユーゲントⅢ世の誇る忠臣の鑑オズボーン父子!その素顔に迫る」等という題で発表される事を予定している。

 要は息子である灰色の騎士を利用した鉄血宰相のイメージアップ戦略のための公務、それが今リィンが応じている取材内容だ。そこに映っているのは公権力に抗ってでも真実を追求しようという気概のある真のジャーナリストの姿ではなく、ただただ長いものに巻かれる事で甘い蜜を吸おうという俗物の姿。

 私的な感情を言えば、塩をまきながら追い払いたいところではあるが、帝国正規軍准将という公人としての職責を思えばそういうわけにも行かない。皇帝直属筆頭騎士の灰色の騎士の使命が皇帝陛下と祖国に仇なす存在を打つことならば、帝国正規軍准将リィン・オズボーンの職責は軍と政府の名誉を護る事なのだから。故にこそ、内面にある不快感は内面へと押し隠し、努めて柔和な笑顔を浮かべ、和やかな空気を醸し出しながら取材へと応じる。

 俗物だろうと扱い方次第では有用な駒足り得る以上、そうした存在の扱い方も自らの大望を思えば心得なければならないのだと己を律して。

 

「それについては、父さんが現役だった頃と今の帝国軍の体制の違いもあるだろ?

 父さんが現役だった頃はまだまだ貴族派が幅を効かせていて、平民だというだけで昇進速度が不利だったわけだし」

 

「それを加味しても、お前と私の差は明らかだと思うのだが……いや、まあ良い。そういうことにしておくとしよう。私にも父親としてのプライドというものがあるのだからな」

 

 素顔に迫るという題材故、今のリィンとギリアスは帝国正規軍准将と帝国宰相という公人としてではない、私人としての素顔を覗かせているという建前(・・・・・)の下で会話をしているため、その会話の内容は和やかで親しげだ。

 しかし、何故だろうか。本当に二人の素顔を知っているクレアにとっては今の二人の方が余程、仮面を被って演じているようにしか見えなかった。帝国臣民に親しみを持たせるための、仲の良い親子という仮面を被っているようにしか。

 

「ところで、宰相閣下は准将閣下へとアランドール少佐にリーヴェルト少佐という、俗に“鉄血の子ども”と称される閣下の腹心二人を送り、英才教育を施したと聞いているのですが、これはやはり准将の事を自身の後継と幼少期より見込んでいたと捉えてもよろしいのでしょうか?」

 

「全く期待していなかったと言えばそれは嘘になるだろうな。子が自らの跡を継ぎ、超えてくれる事は親にとっては至上の喜びと言うべきものなのだから。だが、それでも私は子が望んでいないのに自らの都合で道を強制する程に狭量ではないつもりだ。何よりも己の道というのは己自身で定めてこそ、そこに覚悟(・・)が生まれる。

 そしてどのような物事でも、覚悟無き意志で大望を果たす事は出来はしないのだから。故に、その二人を教師役として派遣した事、そしてヴァンダールの道場への推薦状を書いたこと、それらは総て親として子どもの夢を応援する。そんな当然の事に過ぎんよ。そうだったな、リィンよ?」

 

 お前は誰に強制されたわけでもない、自らの意志でその道を選んだはずだという父からの問いかけに対して

 

「ああ、そのとおりだよ父さん。誰に強制されたわけでもない、俺は俺自身の意志でこの道を歩む事を選んだ。

 だから父さんには感謝しているよ。俺が、俺自身の夢を叶えるために手助けをしてくれて。

 何よりも俺にとって掛け替えの無い二人の人に、クレア義姉さんとレクター義兄さんに会わせてくれた事に」

 

 心からの笑みを浮かべながらリィンはそんな本音を告げる。

 そう、自分は望んでこの道を歩んだのだ。誰に強制されたわけでもなく自分自身の意志で。

 そしてその過程で目の前の父は、自分にとっても大切な義姉と義兄に出会わせてくれた。

 そこに父なりの何らかの思惑があったとしても、二人が自分を気にかけてくれた事に何らかの代償行為が働いていたとしてもそんな事は関係ないのだ。

 何故ならばクレア・リーヴェルトとレクター・アランドールは紛れもない、自分の家族なのだから。

 

「そうか……それは何よりだ」

 

 そしてそんな息子の言葉に父もまた感慨深げに頷く。

 

「いやはや、これぞ蛙の子は蛙というものですな。

 おそらく幼少期より見せていた宰相閣下の背中があったからこそ、准将閣下もそれに続くために成長なされたんでしょうな!」

 

 そしてそんな二人の親子のどこかしんみりとした空気を記者のギリアスに対するおべっか全開の追従が壊す。

 

「ええ、その通りです。何時か追いつき、追い越したいと願い、目指した偉大なる背中があったからこそ自分は此処まで来れました。かつては余りに遠過ぎて、見失いかけていましたが、ようやく此処まで(・・・・)来れました」

 

 そう、ようやく自分は此処まで来た。

 帝国正規軍准将にして皇帝直属の筆頭騎士という最低限(・・・)、戦いの土俵に乗る事が出来るだけの地盤を獲得したのだ。

 

「フフ、この短期間で此処まで上り詰める事は流石の私としても予想外であった。故に一先ずは、見事だと労いの言葉をかけておこう。

 だが、忘れるな。お前はようやくスタートラインに立ったに過ぎん。此処からが本番だ(・・・・・・・・)

 

 そしてそんな息子に期待を込めてオズボーンは告げる。

 ようやくお前はただの駒から脱して、打ち手になっただけなのだと。

 本当の戦いはこれから始まるのだと。

 

「ハハハハハハ……」

 

「フフフフフ……」

 

「……いやはや、やはり、親子ですな。

 そうして笑われている様子など本当に瓜二つです。

 そ、それでは続けての質問に移らせて貰いますが……」

 

 どこか漂いだした二人の親子の剣呑な空気。

 それを察した記者はどこか居心地悪く感じながらも、仕事を続けるのであった……

 

 

・・・

 

「よ、お疲れさん」

 

「レクターさん……」

 

 アイゼングラーフ号での警護の最中、親しげな様子で声をかけてきたレクターへとクレアは応じる。

 無論談笑をしながらも、万一に備えて警戒は当然ながら怠っていない。

 

「掛け替えの無い義兄と義姉だとよ……ハハ、ったく言っていて恥ずかしくならねぇのかねアイツは。

 聞いているだけでこちとら落ち着かない気分になるってのによ」

 

 肩を竦めながらそんな事を告げるレクターに対してクレアは苦笑を浮かべる。

 掛け替えの無い人だと呼んでくれた事、家族だと言ってくれた事。それを聞いてクレアの胸に過ったのは喜びと後ろめたさ(・・・・・)だ。

 自分はそんな風に言って貰う資格などないのだという負い目。

 

「……大きく、なりましたね」

 

 自分達の愛する義弟は本当に大きくなった。

 それはただの体格的なものではなく、人間的な器という意味で。

 

「ああ、本当にな。ちょっと前まではからかい甲斐のあるガキだったのによ。

 いつの間にやら准将様で帝国の英雄灰色の騎士様だ。すっかり追い抜かれちまって義兄貴分としては立つ瀬がないってもんだぜ」

 

「それは私の方だってそうですよ。教師役だったというのに、今ではもう私が教える事なんてほとんど無いんですから」

 

「お前さんの方はまだいいだろ。こっちには曲がりなりにも義兄貴分としての沽券ってものがあってだなぁ

 俺らの知らなかった長男様は長男様でクロスベル総督で、野郎の中じゃいつの間にか俺が一番下っ端なんだぜ?」

 

 クロスベル総督、帝国正規軍准将にして皇帝直属筆頭騎士に比べて情報局少佐等木っ端も良いところだとしかめっ面でレクターは告げる。

 そうしておどけていたレクターは一転して真剣そのものな、されどどこか遠くを見つめるように流れ行く車外の景色を見つめながら

 

「……覚悟しておいた方が良いのかもしれねぇな、お互いに」

 

「……………………」

 

 告げられたレクターの言葉、それを受けてクレアは黙って俯く。

 それは彼女にとっては夢の終わりを意味する言葉だったからだ。

 

「アイツは本当にでかくなった。もう無邪気に父親の事を信じていたガキじゃねぇ。

 軍人として、英雄として、独り立ちしようとしている息子としてギリアス・オズボーンに相対しようとしている。

 俺たちが家族ごっこ(・・・・・)に浸っていられるのも、もうじき終わりなのかもしれねぇな」

 

 レクター・アランドールとクレア・リーヴェルトにはリィン・オズボーンに対する負い目がある。

 そしてそんな負い目と家族の居ない寂しさをどちらも、リィンと接する事で紛らわせていた。

 それは家族を失った少年と少女の行ったある種の代償行為だったのだろう。

 どこまでも真っ直ぐな少年と過ごす日々にクレアとレクターは確かなぬくもりを感じていたのだ。

 

 されど子どもだった少年は、大きく成長して今、父の手元を離れて歩き出そうとしている。

 リィン・オズボーンとギリアス・オズボーン、二人の決裂の時は近い、そんな予感が二人の中にはある。

 それは長年に渡り鉄血宰相に仕え続けて、朧気ながらもギリアス・オズボーンの目指す地平が見えてきた二人だからこその予感。

 ギリアス・オズボーンの子どもであり、同時にリィン・オズボーンの兄弟という身内である二人だからこそのものだ。

 そしてそれはレクターとクレアにとってもある選択を突きつけられるという事でもある。

 

 すなわち、ギリアス・オズボーンとリィン・オズボーン、義父と義弟どちらに就くかという。二人にとっては究極の。どちらを選んでも身を裂くような痛みを伴う事になる決断の時が訪れるという事なのだ。

 

 リィン・オズボーンとギリアス・オズボーン、共にこの時代に於いて冠絶する二人の“英雄”の決裂と激突の時は刻一刻と近づいていた……

 

 




またクレア少佐が曇っておられるぞ。
こういう時は天真爛漫な義妹にアイスでも奢って気分転換しましょう!


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栄光と影

ユーゲント三世は若気の至りはあったものの、人格も能力も名君と称えられるだけのものはある。
だけどどうしようもなく運命だとかに抗おうとする気概が抜け落ちてしまった人というのが個人的な印象になります。


「「「「「灰色の騎士様万歳!リィン准将万歳!!!」」」」」

 

 帝都ヘイムダルへと2ヶ月振りに降り立ったリィンを迎えたのはそんな自身を讃える大合唱であった。周囲を見渡せば巨大な構内を埋め尽くすような群衆だった。「リィン准将お帰りなさい」と書かれた横断幕やプラカードも溢れんばかりに並ぶ。

 

 そうしてリィンとギリアスが車両を降りると、軍楽隊が国歌を演奏し始めた。儀仗兵が両側に整列して、歩くために通路を作る。職務に精励する駅員達も警備の兵も一人も残らず敬礼を捧げている。凄まじいまでの熱烈な歓迎ぶりであった。

 

 実のところリィンは自身の今の帝国での人気というものを少々過小評価している部分があった。内戦が終結すると共に、即座にクロスベル戦線へと趣き、そこでは年配の軍人たちからの父親の威光と皇帝陛下からの寵愛を良いことに奢る「生意気な若造」を見る目に晒され、クロスベルでは当初は“侵略者”として、その後は自身の活躍によって好意と非好意の反応が半々位にまで持ち直したが、それでもそれは“畏怖”の対象としてであり、声援や喝采を受けるようなことからはなかった。

 そしてそれらはどれも無理からぬ正しい態度だとリィンは考えていた。自身が年齢に釣り合わぬ栄達を遂げる事を出来たことに父の威光が働いたのは確かな事実だし、クロスベルに於いてはむしろ進んで畏れられるように努めていた。平たくいえば、リィンはすっかりと嫌われ者になる事に慣れていたのだ。

 

 だが、帝都ヘイムダルにとってはリィンにとっての故郷とも言える地である。5歳の頃にオーラフに預けられて以来この地で生まれ育った、絵に描いたような優等生のリィン・オズボーンを知る者たちも居る上に、ヘイムダルは革新派支持の篤い地だ。故にそこに内戦を終結に導き、宿敵共和国を打ち破った若き英雄が帰還したともなれば、それはもう熱狂的な歓迎となるわけである。

 

「准将、応えてあげたまえ。彼らは君を出迎えるためにこうして此処に集ったのだから」

 

 そうして手馴れた様子で民衆の歓呼へと応えるギリアスの姿に続くように、リィンもまた颯爽とした様子で声援へと応えるように、爽やかな笑みを浮かべながら手を振る。先刻までのぎこちなさが嘘のように手馴れた様子で(・・・・・・・・)。それは見る者達に目に映る若き英雄が生来から人の上に立つことが女神によって定められている人物のような錯覚を与えた。

 

「「「「「リィン将軍万歳!!!オズボーン宰相万歳!!!帝国万歳!!!!!」

 

 割れんばかりの大歓声をどこまでも自然体で受け、二人は威風堂々とした様子で去って行くのであった……

 

・・・

 

 皇族の居城たるバルフレイム宮。内戦の終局にてカイエン公がセドリック皇太子を人質に取り、立て籠もったそこはすっかり落ち着きを取り戻していた。そしてその一室、「黒真珠の間」にて帝国政府と正規軍、皇帝の忠実なる臣下たる無数の高官が集結していた。非常時故後回しとなっていた、帝国正規軍准将リィン・オズボーンの獅子心十七勇士筆頭への叙勲式が執り行われるのだ。

 《獅子心十七勇士》、それは帝国中興の祖たる獅子心皇帝ドライケルス・ライゼ・アルノールが泡沫の候補に過ぎぬ自分の挙兵に付き従った忠臣、否戦友達を讃えて設けた名誉職だ。これに列席されるのは帝国の武人にとっては至上の栄誉であり、その身その言葉には帝国最高峰の武人という確かな重み、“権威”が加わる事となる。

 現在の列席者は《軍神》ウォルフガング・ヴァンダイク大元帥、《光の剣匠》ヴィクター・S・アルゼイド、《黄金の羅刹》オーレリア・ルグィン、内戦に於いてカイエン公爵に与した事から除名すべきだという意見も挙がったが共和国相手の大勝の立役者の一人という事で据え置きとなった、という錚々たる者達が名を連ねており、隻眼のゼクス、赤毛のクレイグ、黒旋風と言った帝国きっての名将達でさえも列席には至ってない事から、その名が如何に重いかを察する事が出来るだろう。

 

 そしてそんな《獅子心十七勇士》の中でも筆頭の地位はひときわ重い。

 なぜならそれは獅子心皇帝が最も信頼した最大の腹心たるロラン・ヴァンダールの就いていた地位だからだ。

 その地位に就くという事、それはすなわち皇帝より最上位の信認を受けたという事だ。

 帝政国家であるエレボニア帝国に於いてその意味が持つものは非常に大きい、何故ならばそれは“権威”という点では皇帝直々に任命する帝国宰相にさえ匹敵するという事なのだから。

 武官の頂点たる大元帥でも、文官の頂点たる宰相でも、後継者たる皇太子であっても命令は下す事が出来ず、命を下す事が出来るのはこの地上に於いて神聖なるエレボニア帝国皇帝ただ一人、それこそが獅子心十七勇士筆頭という地位なのだ。

 内戦に際して《雷神》マテウス・ヴァンダール元帥の死によって生じた大きな空席、そんな地位を《灰色の騎士》リィン・オズボーンは埋める事となったのだ……

 

 

「リィン・オズボーン、汝此処に騎士の誓いを立てエレボニアの騎士として戦う事を誓うか」

 

「イエス・ユアマジェスティ」

 

 玉座の前にて居並ぶ帝国の重鎮達に見守られながらリィンは恭しく跪き、応える。

 玉座の最も近い位置には帝国宰相ギリアス・オズボーン、帝国軍大元帥ウォルフガング・ヴァンダイクが佇みそれに続くように帝国の文と武その双方の重鎮たちが、幅6アージュ程度の赤い絨毯ーーー当然、皇室恩顧の職人たちが編み上げた最高級の品であるーーーを挟んで列を作る。

 

「汝、大いなる正義のために剣となり、盾となることを望むか」

 

 

 今上の皇帝たるユーゲントⅢ世は、若かりし頃にとある若気の至りがあったものの概ね開明的な名君として内外に知られている。

 当時帝国軍准将の地位にあったギリアス・オズボーンを抜擢した事は、当初は暴挙として、貴族勢力にとっては今もだが、見られていたがその抜擢に応えるだけの実績をギリアスが打ち立てて以降は、身分に囚われる事無くギリアスの才幹を見抜いた慧眼としてその声望を高める事となった。

 そしてそんなギリアスに続き、その息子たるリィンを未だ18歳の若さにも関わらず故マテウス元帥の後釜に据えるこの行為はオズボーン親子が皇帝の寵臣たる事をこの上なく明確な形で示す事となる。

 革新派勢力の隆盛と貴族勢力の凋落は、もはや不可避な流れと言えた。

 

 

「イエス・ユアマジェスティ」

 

 そう、ユーゲントⅢ世は敬意と忠誠に値する確かな風格と見識を備えた名君である。

 臣下の功はその臣下の才覚を見抜き取り立てた君主にも帰する以上ギリアス・オズボーンを取り立てて、貴族勢力と革新派の対立という内憂を解消し、その上で共和国という外敵を打ち破り、クロスベルの併合へと成功した彼の業績は歴代の皇帝の中でも暗黒竜を打ち破り帝国に安寧をその命と引き換えに齎したヘクトル大帝、獅子戦役を終結させ世の礎を築いたドライケルス大帝にも比肩しうるもので、後世においてはそれこそユーゲント大帝と称される事となるかもしれない。

 そしてそんな稀代の名君より寵臣と呼ばれるような厚遇を父共々リィンは受けている。全霊の忠誠を誓って当然だ。

 

「エレボニア帝国第89代皇帝の名に於いて、汝リィン・オズボーンを我が騎士として此処に認める。

 これより汝の身は総て帝国の為に。汝、我欲を捨て何時如何なる時もこの誓いに背いてはならぬ」

 

 だというのに何故だろうか?

 眼の前の人物の総身をどこか“諦観”めいた感情が支配しているように感じてしまうのは。

 「この方は諦めてしまった(・・・・・・・)」のだとそんな不遜にも過ぎる失望めいた感情がこの胸の内に広がるのは。

 ドライケルス大帝やヘクトル大帝と言った大帝と呼ばれた者たちが纏っていたであろう決して諦める事無く運命に抗おうとする“覇気”と称される気概、それが決定的なまでに目前の主君から欠けているように思えるのは。

 これならば、アルフィン殿下とオリヴァルト殿下の方が余程………

 

「イエス・ユアマジェスティ」

 

 そんな胸の中より溢れ出す余りにも不敬が過ぎる想い、それを振り払い表にはおくびも出すこと無くリィンは恭しく応じる。

 その様はどこからどう見ても帝室の忠臣そのものである。

 そして授けられた剣を鞘へと収めて、リィンはその場にて屹立する。

 ユーゲント皇帝が居合わせた者たちへ手で合図を送ると万雷の拍手が送られる。

 異例ながらも異論はない、それがその場に居合わせた帝国の重鎮たちの想いであった。

 

 此処にリィン・オズボーンは正式に故マテウス元帥の跡を継ぎ、皇帝第一の騎士へと就任したのであった。

 

 

・・・

 

 式典終了後、改めて内戦の終結とクロスベルの併合、そして共和国相手の戦勝を祝う晩餐会がバルフレイム宮の一角たる翡翠庭園に執り行われ出した。列席者は式典へと出席していた帝国の重鎮たちがほぼそのままに。用意された料理は当然ながら総てが最高の品だ。皇室恩顧の職人が用意した総てオーダーメイドに作成した豪奢な皿に、皇室御用達の原材料を、皇宮に召し上げられる帝国最高峰の料理人たちが振るって用意されたその料理の数々は、そこらの平民であればまず一生以て味わう事の出来ぬ最高の品々だ。

 

「いやはや、宰相閣下がお倒れになられた時はどうなるかと想いましたが、これで一安心といったところですな」

 

「全く以て。カイエンの奴めに囚えられ、虜囚の身となった時は正直死を覚悟したものでしたが……ふふふ、互いに灰色の騎士殿には頭が上がらなくなってしまいましたな」

 

「獅子の子は親と同様にやはり獅子であったとそういう事でしょうな。式典の最中の堂々たるあの風格、将軍の地位に相応しいものでした。年齢には不釣り合いなものでしたがな」

 

 列席者達はそんな品々に舌鼓をうちながら、談笑にふける。

 話題の種となるのは当然、先程の式典の主役でもあった人物だが、その内容は概ね好意的なものとなる。

 何せ帝都に居た彼らは一時貴族連合によって囚えられ、死を覚悟する程の窮地にあったのだ。

 そこから解放してくれた立役者の一人ともなれば、それは必然好意的なものとなる。

 彼らの場合は文官であり、武官としての栄達を遂げたリィンとは得意とする分野が異なるというのも一因であったであろう。

 いずれ彼が父の跡を継ぎ、政界へと転出するにしてもその際行政の経験者にして担い手たる自分たちの力を求めるのは目に見えているからだ。そういう意味でリィン・オズボーンという鉄血宰相の後継の台頭は彼らにとっては手放しに歓迎できる事であったのだ。

 何せ強力過ぎるリーダーを失った場合の喪失が、どれほど重いかというのは彼らはこの内戦でその身で以て味わったのだから。その空白を埋める事となる後継の誕生は彼らにとっては福音と言わざるを得ない。

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

 一方の武官達の方はそう手放しに歓迎出来るものではなかった。

 リィン・オズボーンには紛れもない実績がある、それを認めぬ程に彼らは蒙昧でも視野狭窄でもない。

 だがそれでも理解と納得というのは別物だ。自分たちの半分も生きていない若造が、准将という地位を得たことが面白いはずもない。

 ましてやリィン・オズボーンにはクロスベルでの戦いに於いて、先達である正規軍の重鎮達に対して欠片も斟酌する様子を見せなかった前科(・・)がある。

 故にその反応は才幹がある事は認めるが、どこか納得し難い思いを感じるというものになるのであった。

 無論、中には素直にその才幹讃えるもの、式典での風格を見て軍と国を担う逸材だと期待するものも居たが、それはおよそ全体の3割程度と言ったところであった。

 基よりトールズ士官学院の出身者というのは分野を問わずに帝国の礎を築く人材を多方面に輩出するという目的から軍へと進む者は卒業生の4割程度に留まる。

 そして彼らは学院時代の経験から、良く言えば軍事のみに囚われない広い視野と柔軟な思考、中央士官学院出身者にしてみれば妥協的で柔弱な態度、を持つ傾向が多い。

 そのため文官たちからは好意的に見られる反面、軍の主流派たる中央士官学院の面々からは反感を買う事が多い。

 

 革新派と一概に評されていても、その内部には様々な派閥が存在しており、武官と文官の対立等というのは古今東西何処にでも起こりうる事であった。

 そして貴族派という最大の敵が凋落した以上、今後その対立は徐々にだが確実に激化していくだろう。

 派閥の長となるという事はそんな内憂を束ねる調停力と豪腕を持たねばならぬという事であり、リィン・オズボーンが父の後継となるのであれば避けては通れぬ試練であった。

 

「方々お揃いのようですな」

 

 そんなリィンに対する好意と反感、それらが渦巻く中で渦中の人物たる灰色の騎士は姿を現した。

 父たる帝国宰相と共に主君たる皇帝の傍へと付き従いながら……




トールズ士官学院って卒業後正規軍の軍人になるのは卒業生の3割程度なんですよね。
そうなると当然軍の主流派は別の士官学院出身者になるわけで、多分正規軍内部でもそういう争いは当然あると思うんですよね。
そして武官と文官が対立した時に大体胃壁削って、その狭間で調停役やる羽目になるのって大体トールズ出身の軍人になると思うんですよね。

幅広い分野に人材送っていて文官の方にも在学時代の旧友が居て~みたいなケースがあるでしょうし。
そしてそうなれば軍の同僚からは言われる事でしょう。「お前はこっちとあっちどっちの味方なんだ!」と。
そうして胃壁をすり減らしながら、在学時代の経験で幅広い視野を持ってしまったがためにどっちにも理があることがわかってしまって必死に調停役に奔走する事になる。
それがトールズ出身の標準的な軍人なのかなぁと思います。

なお、黄金の羅刹と灰色の騎士はそんな事(どっちにも理がある事)は知った上で私の無理で押し通す!をする模様。


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宣戦布告

「まずは改めて、此度は誠に大義であった。

 逆賊たるディーター・クロイス、そしてクロワール・ド・カイエンにより引き起こされた乱を、これほど早期に終結させる事が出来たのは偏に卿らの忠節あってのこと。心より礼を言わせて欲しい」

 

 宴の最中プリシラ皇妃、副宰相にして長子たるオリヴァルト皇子、そしてアルフィン皇女を伴い姿を現した皇帝ユーゲントⅢ世は開口一番忠臣達をそう労い出す。かつてであれば出席していたはずの四大名門の人間が此度の宴では、誰一人として出席しておらず、革新派及び皇道派しか出席していない今の状況は貴族勢力の凋落をこの上ない形で示す光景であった。

 

「だが、余にはある後悔がある。それは此度の内戦により命を落としたマテウス卿の事だ。

 皆も知っての通り、マテウス卿はクロワールの暴挙に際して単身それを食い止めんとして力及ばず命を落とした。もしも、彼が一人ではなく十分な戦力を有していればこのような悲劇は起こる事無く、あの時点でクロワールめが討伐されて終わっていたかもしれぬのだ。

 余はそこに悔恨の念を抱かずにはおれん。何故、余は余の最も忠実であった騎士に剣を授けておかなかったのか?と。

 故に、余はその過ちを繰り返さぬためにもある決断を下す事とした。すなわち、それは我らアルノールの身辺警護を行う《衛士隊》とは異なる帝国とアルノールの敵を討つ、剣を作る事を。

 新たに作る剣の名は《光翼獅子機兵団》。正規軍、領邦軍の別なくこの帝国に於いて最も忠勇なる騎士達を集めて作りし宝剣である。

 そしてその初代司令官に余は第一の騎士たるリィン卿、副司令官にヴィクター卿を任じ、その旗艦として《紅き翼》巡洋艦カレイジャスを授けるものである」

 

 どよめきがその場を満たす。

 エレボニア帝国において獅子の名が如何なる意味を持つか、それを知らぬ者はこの場に居ない。

 更には内戦でその名を馳せた紅き翼まで下賜し、率いるための部隊を新設するなど、前代未聞の厚遇振りだ。

 その場に居合わせた者たちの中に、よもや市井に流れるあの噂は事実なのでは?とそんな疑念が過る程に。

 

 してやられた、その発表を聞きオリビエの胸に去来したのはそんな思いだ。

 紅き翼カレイジャスは自分が各方面の協力を得ながら作り上げたものであったが、その所有権は自身ではなくあくまで皇帝たる父に帰属しており、ヴィクター卿もあくまで父からの勅命によってカレイジャスの艦長へと就任していた身だ。故に、こうして父の名の下に命じられてしまえば、オリビエとしては打つ手等無い。

 苦労して作り上げた紅き翼と口説き落とした光の剣匠という剣、それらを手放さざるを得ない。そうしてかの鉄血宰相は自身の息子によって率いられたエレボニア帝国最精鋭部隊という極めて強力なカードを新たに手札に加えるというわけである。

 

(全くこちらが副宰相へと就任して、必死に足場を固めている間にそんな手を打っていたとはね)

 

 内戦が終結してからのこの二ヶ月オリビエとて遊んでいたわけではない。

 それこそリベールの地に居るであろう友人たちが見れば、「コイツは誰だ」と疑うようなレベルで精力的かつ真面目に働いていたのだ。

 落ち目となった貴族勢力、革新派の隆盛によって冷や飯ぐらいとなる事となる法衣貴族達、そして内戦終結の立役者の一人たるゼクス・ヴァンダール、帝都知事たるカール・レーグニッツ知事と言った様々な高官達に。

 その甲斐あって、なんとか副宰相派とも言うべき自身の勢力を政界と軍部に最低限構築する事は出来たのだが……その隙を突かれたという事なのだろう。

 

 新部隊の設立というのは当然そう簡単に出来るものではない。

 人員の配置、予算の獲得、それらのためにかの宰相殿が動いた事は明白である。

 その初代司令官に若き英雄たる灰色の騎士、副司令官の座に光の剣匠、ヴァンダールとアルゼイド、帝国に於いて武の双璧と名高き使い手二人が並び立ち最強の部隊を率いるのだ。国民は溢れんばかりの期待をかけるだろう。

 そして、そんな立派な宝剣を手に入れたのなら、使ってみたくなるのがある種の人の性というものだ。

 若き英雄によって率いられる帝国最強の部隊は次々と皇帝直属の名の下にある時は内憂を切除し、またある時は外敵を粉砕するだろう。そして若き英雄の振るう双剣が腐敗した“悪党”を粛清し、帝国の敵を打ち破っていくその光景は国民を熱狂の渦へと巻き込んで行くだろう。かの宰相の思惑通り灰色の騎士とその父たる鉄血宰相の声望を高めていく形で。

 改めて恐ろしい男だと、そう戦慄を禁じ得ない。

 自分の足掻きさえもかの宰相の思惑を脱しておらず、掌の上なのではないかとそんな無力感を覚える。

 

(だが、それでも私は諦めない)

 

 人の意志と絆は、時として大いなる運命にさえも打ち克つのだと、そんな輝きをこの目で見ているのだから。

 そう人はただ“運命”に翻弄されるだけの無力な存在などでは断じて無いのだから。

 そしてそんな誰かと想いを交わし合う事の喜びを、あの少年は知っているはずなのだから。

 だからこそ、自分は諦める事無くこの手を伸ばし続けよう。何時か手を取り合える日が来る事を信じて……

 そう確かな決意は瞳に宿してオリビエは自分の父の方へと視線をやる。

 

(いい加減、しっかりと話し合わなければならないのだろうな私も)

 

 父が一体何に絶望して、どうして諦めてしまったのかを。

 当初オリビエは自身の母を守れなかった事が原因だと思っていた。

 最愛の人を守れなかった絶望とそんな暴挙を行った事がわかっていながら裏で手を引いていた大貴族達を罰する事の出来ぬ無力感、それらが父に諦めを抱かせ、同時にギリアス・オズボーンという劇薬の使用に踏み切らせたのだと。

 しかし、だとするならば貴族勢力がこうして凋落を遂げた今の状況は父にとってはまさしく本懐のはず。

 それこそ祝杯を挙げたとしてもおかしくないはずだというのに、何故父の中にある虚無感が全く以て減じていないというのは一体どういう事なのか?

 貴族勢力という政治的なものが父を絶望させたものの正体ではなかった。

 ならば、そうではない、それこそ人の身では決して抗う事の出来ぬ超常の現象が父の諦観の理由かもしれず……

 

(リベール王家には空の女神より授けられた七至宝の一つ、《輝く環》が存在し、リベールの異変に於いて結社の狙いはその空の至宝の封印を解く事であった。

 そして我が帝国には《巨イナル騎士》と呼ばれる古より幾度も現れた伝説が実在した。

 更にかの結社はそれの激突を誘導していた……此処から導き出される推論はおそらく我が帝国にもリベール同様に女神の七至宝の何れかが存在し、《騎神》はそれに連なるものだという事……そして皇帝たる父の抱く諦観……)

 

 リベールの王家たるアウスレーゼの一族は代々空の至宝を受け継いできた。

 そしてアルノール家もその成り立ちは女神の七至宝が失われた事により起こった《大崩壊》直後に起因する。

 かの獅子戦役ではどの皇子も《騎神》を擁していたという事実。

 そして此度の内乱の際にも示し合わせたように250年の眠りから覚め、それが目覚めた。まるでそれが運命であるかのように。

 もしもアルノール家にも、アウスレーゼ家同様に受け継いできた何らかの至宝が存在し、皇位に就くもののみがそれを教えられているのだとすれば……父のあの諦観にも説明が就くのではないか?

 

(やはり、真相を知っているとすれば父とあの宰相殿位か)

 

 視線をやれば、一通り挨拶回りを終えた件の宰相とその息子たる騎士はその場を離れて行く。

 リィンのその瞳の中には確かな決意が宿っており、ただの談笑目的ではない事は明白であった。

 彼もまた自分の思い描く確かな理想が存在し、それを実現するために足掻くと決めたのだろう。

 ただ、父の言いなりの駒となるのではなく、自分自身の持つ理想のために。

 

 ならば、自分もまた……

 

「父上、この後少々お時間を頂きたいのですがよろしいでしょうか?少々折り入って話したいことが」

 

 そうしてオリビエは意を決して語りかける。

 自分の父にしてこのエレボニアの至尊の座に在りながら、どうしようもなく諦めてしまった人へと。

 

「ーーーああ、構わぬよ。久方ぶりに親子の語らいを行うとしようか」

 

 そしてそんな息子の強き意志の宿った瞳を見て、眩しいものでも見るかのように目を細めてユーゲント皇帝もまた応じる。

 果たして自身の血を引く眼の前の息子は、“真実”を知って尚この輝きを失わずに済むのかと不安と期待の入れ乱れた心境で。

 知らないほうがはるかに幸せでいられる、どうしようもなく碌でもないこの国を蝕む“呪い”について己が息子に伝える事を決意するのであった……

 

・・・

 

「お忙しい中、こうして会談の場を設けて頂いた事、感謝致します。宰相閣下」

 

 父に引き連れられながら、革新派の有力者たちへの挨拶回り。

 それを終えたリィンは用意された最高級の料理に舌鼓をうつことも無く、そのままバルフレイム宮の一角に存在する宰相執務室にて父と向き合っていた。

 その表情は張り詰めた空気に満ちており、瞳の中には確かな決意が宿っていた。

 

「何、気にすることはない。私と君の仲ではないか准将」

 

 そしてそんなリィンに対してギリアスの方はどこまでも上機嫌かつ愉快気であった。

 言葉こそ帝国宰相が帝国軍准将へと語りかけるものだが、その表情はどこまでも父が成長した息子の姿を寿ぐような温かみに満ちていた。

 

「それで、折り入って私に尋ねたい事があるのだろう?」

 

 しかし、そんな空気も一変。常と変わらぬ、いやそれ以上の鋼鉄の意志を纏い、鉄血宰相は己が息子を推し量るように見つめながら告げる。

 

「ーーー宰相閣下、貴方はこの帝国を一体どこへ導こうとしているのですか?」

 

「これはまた随分と抽象的な質問だな。だがまあ良い答えよう。

 私が目指すものは公的な場で既に語っている通り、パクス・エレボニアとでも言うべき我が帝国を中心とした国際秩序の確立だ。

 クロスベルの併合によって我が帝国は経済及び地政学的に宿敵共和国を相手に完全なる優位を確立した。

 そして内戦によって改革に頑強に抵抗していた貴族勢力は後退した。

 今後は内憂と外患に悩まされる事無く、心置きなく国内の改革へと専念出来るわけだ。

 無論、国際秩序の盟主として周辺地域の安定のために必要とあらば帝国軍に一働きして貰う機会もあろうがね。

 そういう意味でも、君には期待しているのだよ准将。

 我が帝国の誇る英雄《灰色の騎士》よ。クロスベルでの君の手腕は実に見事であった。

 君はアレで《騎神》頼りの英雄などではない事を見事示したわけだ」

 

 リィン・オズボーンが示したのは騎神だよりの匹夫の勇。将としての器を示したわけではない。

 共和国を打ち破ったリィンを讃える声の陰で、そのようにささやく声が専門家の中では存在した。

 それは一概に妬心によるものと断ずる事は出来ないものであった。

 何せ内戦と共和国の戦いでリィンが示したのは華々しい英雄譚であったが、彼は将として部隊を運用する経験というものをほとんど積んでいなかったのだから。

 そして将官というのは万単位の人間を統括する、軍における大幹部の地位なのだから。

 経験のない若造がその地位に就く事を懸念するのはある種当然であった。

 

 しかし、そんな懸念をリィンは実績を以て黙らせた。

 わずか1ヶ月でクロスベルの腐敗を一掃するという余りにも鮮やか過ぎる手腕と結果を以て。

 常人には不可能であっても自分には可能なのだと見せつけるように。

 もはやリィン・オズボーンが紛れもない将器を有している事を疑う者はほぼ皆無と言っていい。

 

「今後共、我が帝国のため、皇室のため、そしてこの父のため(・・・・・)にその手腕を存分に発揮してもらいたいものだ。我が子ども達の筆頭(・・)よ」

 

 かけられるのは期待と信頼に満ちた言葉。

 ずっと自分はこんな日が来る事を望んでいた。

 尊敬する父に期待され、信頼され、父の理想の実現のため、帝国のために剣を振るう。

 ああ、それはなんと幸福で満ち足りる日々だろうか。

 パクス・エレボニアという帝国の覇権を確立した上での国際秩序の実現。

 それはリィンにとっても心の底より賛同できる理想だ。

 そのためにならばこの剣を全霊を以て振るおう。

 故に、父よりかけられた言葉に対してリィン・オズボーンに頷く以外の回答などあるはずもなくーーー

 

「ーーー本当に(・・・)、それが貴方の目的ですか宰相閣下?」

 

「ーーーほう?」

 

 否、此処にいるのはもはや父を盲信していた子どもでも、指し手の思うがままに動くただの駒でもない。

 譲れぬ理想と誇りを抱きながら、自分自身の道を歩まんとする一人の英雄である。

 

「『ディストピアへの道』帝国政府より、いえ貴方によって(・・・・・・)発禁処分を受けたこの本を私はある事情によって読みました。

 そして、其処には書かれていましたよ。貴方が導く先がパクス・エレボニアと呼ばれる繁栄と平和の時代ではなく、自ら激動の時代を生み出し、熱狂の果にこの世界を焔へとするだろうと」

 

「准将、君は帝国宰相たる私と一学者の妄言一体、どちらを信じるのかね?」

 

「そこに述べられているのが本当に妄言だというのならば、貴方はそれを発禁処分になどしていない。

 自身へのあらゆる罵詈雑言を意にも介さず飲み干して突き進むのがギリアス・オズボーンという男なのだから。

 わざわざ発禁処分にしたこと、そしてそれの著者たるミヒャエル・ギデオンを表舞台から追放するために圧力をかけたこと。

 それこそが貴方がその本に書かれた事を脅威(・・)に思った証拠だ、宰相閣下」

 

「根拠のない憶測に過ぎないな、君はそのようなものを拠り所にして皇帝陛下より信認を受けた私を告発するというのかね?だとすれば、些か買い被りすぎていたと君の評価を修正せざるを得無いが」

 

「ええ、その通りです。これは根拠や証拠のないただの疑念に過ぎません。

 だからこそ応えて頂きたい、宰相閣下。いいや、ギリアス父さん(・・・)

 貴方が一体何を目的としてどこを目指しているのかを、このエレボニアをどこへ導こうとしているのかを」

 

 最後の方の言葉は帝国の英雄灰色の騎士ではなく、ギリアス・オズボーンの息子であるリィン・オズボーンとしての叫びであった。

 その息子よりの懇願、それをゆっくりと飲み干すかのようにギリアスはほんのわずかな間だけ目を閉じて

 

「私の目的がエレボニアの覇権を確立した上での国際秩序の形成ではなく、その過程で数百万の人間が犠牲となる世界大戦の勃発する事を承知の上でこの大陸を総て呑み干す事。

 仮に(・・)、それが事実(・・)だったとしてお前はどうするというのだ、リィンよ」

 

 叩きつけられたのは鋼鉄の戦意。

 例え愛する息子や亡き妻に懇願されようと自分は決して止まる気はないのだという圧倒的な覇気だ。

 

「ーーー軍人の存在意義とは国家とそれを構成する罪なき市民を護る事。かつて俺にそう教えてくれたのは他ならぬ貴方だった。

 法と国とはあくまで其処に住まう人達の幸福のためにこそ存在する事、それを教えてくれたのも。

 だから、もしも貴方がそれを忘れてしまい、世界大戦等という馬鹿げた事を引き起こそうとしているというのならば、俺がそれを止めてみせる。

 そのために、例え貴方を討つ(・・・・・)事になったとしても!」

 

 故に怯まずにリィンも叩き返す。

 そんな地獄を作り上げる事は断じて認めるわけがないという譲る事の出来ぬ誇りと想いを抱いて。

 

「ーーー良いだろう、ならばたどり着いて見せるが良い。

 どこまでも残酷で無情なる真実へと」

 

 もう従うだけの子どもではないというのならば、親から真実を教えてもらう事など期待せず地力でたどり着いて見せろと。

 堂々とした様子でギリアスは告げる。

 

「そしてその真実を前にしてもなお、折れず立ち向かうのだと吼える事が出来たのならばーーーその時こそ私は全霊を以てお前を打ち砕こう(・・・・・)リィン。

 親にとって子どもに超えられる事は本望なれど、そう安々とそれを許すとは思わぬ事だ」

 

 此処に鉄血の父と息子の道は分かたれた。

 故にこれより始まるのは本当の戦い。

 リィン・オズボーンが放っておけば悲劇によって終わる事となる碌でもないお伽噺の結末を、脚本家の思惑を超越して大団円へと書き換えることの出来る真に英雄たるかどうかを示すための戦いが始まるのであった……

 




ギリアスパッパが10歳の時にくれた5年分の誕生日プレゼント:ヴァンダール流入門の手配及びクレア&レクターという専属の家庭教師の用意
18歳の時にくれた8年分の誕生日プレゼント:帝国最強部隊の初代司令官の座

さすが帝国宰相ともなるとプレゼントのスケールも凄いっすね~~~


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皇族守護

ドライケルスとロランの関係は銀英伝のラインハルトとキルヒアイスにオリビエとミュラーの関係を足して2で割った感じのイメージ


 

 式典後、働き詰めであったリィンに4月までの休暇が与えられる事となった。

 光翼獅子機兵団の設立こそ宣言したものの、本格的に動き出すのはまだ当分先となる、それ故に今の内に鋭気を養っておけという皇帝よりの配慮であった。

 式典の翌日、リィンは義姉であるフィオナへと今日は自宅に泊まっていく旨を連絡(フィオナは当然大喜びしながらご馳走をたっぷり用意して待っていると電話越しに言っていた)すると、ヴァンダール家への表敬訪問を行った。

 目的は無論、内戦が勃発したあの日自分を庇い命を落とす事となった恩師マテウスの最期について伝えるためだ。

 自分が憎しみと情の狭間で揺れてその刃を曇らせていたこと、そんな自分を逃がすために師は命を賭したのだという事を包み隠さずリィンは総てを伝えた。

 

 マテウス師の妻であり、リィンにとっては師でもあるオリエ夫人はそんなリィンの言葉を静かに聞き届けて……

 

「……あの人の最期を伝えてくれてありがとうリィン。

 そしてこれからもどうか証明し続けてください。

 あの人が命と引き換えに貴方を守った事は無駄ではなかった事を。

 あの人の分まで、この国と皇族の方々をどうかその双剣を以て守護(まも)り抜いて下さい」

 

 恨み言を言うつもり等オリエには毛頭ない。

 他ならぬ自分の愛した夫が目前の青年は、自分が命を賭けるに値する弟子だと想い実行した、その結果なのだから。

 そして夫は決して節穴ではなかった。彼が命と引き換えに守った愛弟子は、大きく成長し、見事この内戦を終わらせたのだから。

 きっと愛する夫の心には迷いも後悔も一辺たりともなかったのだろうから。

 

「それと、たまには道場へと顔を出してこの子を含めた門下生達に稽古をつけてあげて下さい。

 今や貴方は、このヴァンダールを代表する剣士なのですから」

 

 微笑みながら告げられたその言葉に、リィンは深く一礼するのであった……

 

・・・

 

 あの後故人を偲ぶのを終えると、早速リィンはヴァンダール流師範代としてその場に居合わせた門下生達、そして弟弟子たるクルトへの稽古を行った。

 そうして稽古をしている内にある約束の時間が近づいてきて

 

「そういえばクルト、実はこの後セドリック殿下の見舞いを行う予定でな。

 お前も当然一緒に来るだろう?」

 

 療養中のセドリック殿下への見舞い。それが午後からのリィンの予定であった。

 何でも体調を崩してしまい、トールズへの入学が遅れてしまう事にすっかり気落ちしており、畏れ多い事に何でも自分に憧れているようで、自分が訪ねればきっと喜ぶだろうからとの事である。

 命じれば済むところをわざわざ真摯な願いを込めた皇妃、皇女、皇子、皇帝よりの願い。それを聞いて断る程にリィンは酷薄な不忠者になった覚えはない。当然快諾したわけなのだが、どうせなら自分だけでなくセドリック殿下の友人であるクルトも一緒の方が良かろうと思っての提案であった。

 

「……いえ、僕は遠慮させていただきます。」

 

 当然快諾の意を伝えると思って居た弟弟子は予想を裏切ってそんな事を決意を宿した瞳で告げていた。

 

「僕は殿下の守護役を務めながら、肝心な時に殿下をお守りする事が出来ませんでした。

 父は名誉の戦死は遂げ、兄はオリヴァルト殿下を守護役としてお支えしていたというのに。

 僕だけが守護の剣の本分を真っ当する事も出来なかったんです。そしてそのせいで殿下は体調を崩され、僕は殿下の守護役から解任されています」

 

 内戦後、ヴァンダール家は少々危うい立場に立たされた。

 皇族守護の一門でありながら、皇帝陛下と皇妃殿下、そして皇太子殿下を護り切る事が出来ず、逆賊の手に委ねるなど一体何のための守護役かという事で、そもそも皇族守護という名誉ある職務を一貴族が独占している事に問題があったのだとそんな声が挙がりだしたのだ。

 最も挙がったのは非難の声だけでは無い、当主であったマテウス・ヴァンダールが名誉の戦死を遂げた事、ゼクス・ヴァンダールとミュラー・ヴァンダールというヴァンダール家に連なる者の内戦時の活躍からヴァンダールは特権にあぐらをかいた一門ではなく、その職責を懸命に果たしたのだと擁護に回る者とて無数に居た。

 そしてオリヴァルト皇子と灰色の騎士という内戦終結へと貢献した筆頭二人が特に強烈な擁護を展開したがために、そのような案は立ち消えとなった。

 

 しかし、セドリック皇太子が逆賊へと人質にされ、それが原因で療養生活に入ったという状況にあって、守護役をそのまま据え置きにしたのではけじめが付かないという声も無視出来ぬ程度に存在し、結果として折衷案が採用される事になった。

 すなわち一旦皇太子殿下の守護役を白紙として、トールズ士官学院を卒業後に改めてセドリック殿下ご自身に自らの守護役を決めて頂くというものだ。そうして殿下が自分の意志でクルト・ヴァンダールを守護役へと選ぶのならばそれはクルトが自身の力で勝ち取ったものだし、そうでなければやはり時代にそぐわぬ特権であるというわけだ。

 

「だから、今の僕に殿下にお目通りする資格はありません。

 再びこの双剣に磨きをかけ、殿下をお守りする事が出来るだけの力を身に付けたその時にこそ、胸を張って殿下の下へと参上致します」

 

 クルト・ヴァンダールの言葉には確かな決意が宿っている。

 決してへこたれずに精進を重ねると誓ったその言葉には迷いはない。

 実力で持って再びその資格を手にしてみせると宣誓するその様は臣下としては満点だろう。

 

「クルト、お前は殿下の友か?臣下か?一体どっちだ」

 

 されど、友としてはどうしようもなく0点も良いところだった。

 

「え……?」

 

「お前の告げた言葉、それは確かに臣下としては正しいだろう。

 今の自分の力量では守護役という役目(・・)を果たすことが出来ない。

 だから、それに相応しい力量を身に着けるまで殿下にはお会いしない。

 ああ、臣下としては正しいだろうさ」

 

 そうクルト・ヴァンダールの言葉は臣下としてはどこまでも正しい。

 故に、おそらくかつてのリィンだったらその決意を称賛して終わっただろう。

 

「だがなクルト、ヴァンダールの人間が皇族より、求められているのは果たしてただその身を護るただ強いだけの護衛役か?俺は違うと思う」

 

 しかし、今のリィンにはかの獅子心皇帝の記憶がある。

 彼が如何なる思いを抱いていたか、それを知っているのだ。

 

「強いだけの護衛を求めているというのなら、そも最初からヴァンダール家に守護役を任ずるような事をせずに軍から選りすぐりの人物を付ければ良いだけの話だ。

 それにも関わらず、何故かの獅子心皇帝はヴァンダール家を守護役へと任じたのか。

 かの獅子心皇帝の御心を俺が代弁するなど余りにも畏れ多い事だが、思うに大帝陛下はただの護衛ではない対等の友を自身の子孫に残してやりたかったんじゃないのか?

 自分にとってのロラン・ヴァンダールを子ども達にも持って欲しかった。

 ただの護衛や臣下ではない、友を子ども達に残してやりたかった。それがヴァンダール家が守護役へと任じられた理由じゃないのか?」

 

 無論リィンの中にあるのは獅子戦役を終結させてヴァリマールを封印するところまでの記憶だ。

 そしてヴァンダール家を皇族守護職へと任じたのは、親友ロランの忘れ形見が成人して、彼が壮年となってからの事、それ故自分のこの推論が本当に正しいかはわからない。

 しかし、ただの腕利きの護衛が欲しいのならばヴァンダールの家に限定する必要はない。

 それこそ帝国に於ける武の双璧たるアルゼイドとヴァンダールの双方から選りすぐりのものを選べば良いのだ。

 実際アルフィン皇女の場合はヴァンダールの人間に年の近い子女がいなかったのもあってそうしているし、セドリック殿下の方もそうすべきだという意見も出ていた。

 それにも関わらず、何故ヴァンダールの一門は生まれながらにその大役を任され、少年の頃より引き合わされる事となるのか。

 そこにリィンとしては獅子心皇帝の込めた願いを感じずにはいられないのだ。

 

「皇族という生まれ落ちた瞬間に避けられぬ重責を背負う事となる子どもたち、ただその身命を護るだけではなく、その心に寄り添ってくれる友となってくれる事こそが、獅子心皇帝陛下……いいや、アルノールの方々の願い。

 それこそが皇族守護職という立場であり、その上でそんなただの立場を超えた関係を君の兄君はオリヴァルト殿下と築き上げたんじゃないのか?」

 

「ーーーーーーーーー」

 

 瞬間、クルトの脳裏に過るのは初めて自分の剣を捧げる事となる主君に出会った日の事

『そんな、僕の事はセドリックと呼び捨ててください。

 兄上とミュラーさんの事が羨ましくて仕方なかったんです。

 代わりにクルトって呼ばせて欲しいんですけど……良いですか?』

 そう、気さくに告げたセドリック皇子に自分は確かにこう答えたのだ。

『わかりました。殿下ーーーいえ、セドリック。

 あなたの友としてーーードライケルス皇子と共にあったロラン・ヴァンダールのように』

 そうだ、自分はただの臣下ではなく友となるとそう約束したのだ。

 だけど何時しか自分は壁を作ってしまっていた。相手はこの国の至尊の立場に就く方で、自分はあくまで臣下に過ぎないのだからと。

 何時しかセドリックと名前で呼ぶのではなく、ただ殿下とお呼びするようになっていた。

 

「クルト、改めて聞くぞ。お前はセドリック殿下のいいや、クルト・ヴァンダールにとってセドリック・ライゼ・アルノールとは如何なる人物だ。

 ただそれが自分に課せられた役目(・・)だから仕えていた存在か?

 だとするのならば、お前の判断は間違っては居ない。今のお前は守護役の任を解かれた状態である以上、皇太子殿下に目通りするのはでしゃばりだと受け取られるだろう」

 

 単なる君臣の関係ならばそうだ。

 呼ばれても居ないのに勝手に会いに行く等、臣下の分を超えた行為だろう。

 リィンにしてもセドリック殿下に会いに行くのは家族である皇族の方々に頼まれたからこそなのだから。

 

「だが、もしもそうでないというのならばーーークルト・ヴァンダールとセドリック・ライゼ・アルノールとの間にただの君臣を超えた何かがあるというのならば、絶対に会いに行くべきだ。

 傷ついたセドリック殿下の心に家族としでも、臣下としてでもなく寄り添う事、それはきっとお前にしか出来ない事なのだから」

 

 あの時、兄たるオリヴァルト皇子に優しく抱きしめられながらも自分自身を責めるかのように弱々しく握られていた手。

 そしてかつて会った時に自分に向けられていた憧れの眼差しと何処か自分自身に対して劣等感を抱いているかのような様子。

 なんとなくだがリィンには今、セドリック殿下がどのような思いで居るかが察する事が出来るのだ。

 そしてそんな殿下に必要なのは標となる背中ではなく、心を分かち合い共に歩んでいく友なのだということも。

 そして、それが出来るのはきっと目の前の弟弟子を於いて他ならないとリィンは考えたのだ。

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

 告げられた言葉を前にクルトの心の中に過るもの、それは激しい羞恥だ。

 自分は自分の事しか考えていなかった。立派に役目を果たした()や目の前の兄弟子(・・・)に比べて自分はなんと不甲斐ない事かと。

 ただ自分を高める事しか考えていなかった。自分はただの臣下ではなく、友として支えるとそう約束したというのに。

 守護役を解任された自分は、会う資格がないとそんな風に考えていたのだ。

 だけど、それは間違いだ。だって自分のーーーいいや、自分達(・・・)が憧れたあの二人(・・・・)だったら役目など関係なしにどちらかの危機には必ず駆けつける。

 だってそれこそが、友達(・・)なのだから。臣下としては分を弁えない行動なのかもしれない、だけどそれでも自分が今為すべき事はいいや、やりたいことは……

 

「リィンさん、ありがとう御座います。おかげで目が覚めた思いです。

 そしてその上でどうか僕のワガママを聞き入れて下さい。

 殿下にーーーセドリックに会うというのなら、どうか僕も一緒に連れて行って下さい。

 彼に伝えたい想いと言葉があるんです」

 

 弟弟子より告げられた言葉。

 それにリィンは心からの笑みを浮かべて快諾の意を告げるのであった。

 

 

 

 

 




灰色の騎士によるセドリック殿下育成計画始まるよ~~~

ところでヴァンダール流の開祖は双剣使いだったロランなのに、ヴァンダール流の主流が双剣ではなくて剛剣術になったのは、武術師範の地位に就いたロランの忘れ形見である息子が剛剣術の使い手だったからなんでしょうかね?
それか双剣術の方が体格を要しない代わりに実は技術的な習得難易度が剛剣術よりも難しいため、あまり使い手が居ないとかなのか。


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臣友

セドリック殿下は兄と姉へのコンプを抱えていた。
そしてこの作品ではオリビエとアルフィン殿下は原作にも増して活躍した。
この意味がわかりますね?


 バルフレイム宮の一角、豪奢な寝台に華奢な身体を横たえながら一人の少年が臥せっていた。

 彼の名はセドリック・ライゼ・アルノール。現皇帝ユーゲントⅢ世の次男(・・)にして皇太子(・・・)である人物である。

 しかし、その表情はひどく浮かないものであり、元々のものもあったのだろうが、それ以上に今の彼は酷く衰弱しており、それこそ今にも砕け散りそうな繊細な硝子細工を彷彿とさせるような脆さを見るものに与える状態であった。

 

(何も出来なかった……僕だけが……何も……)

 

 床に臥せりながら出来る事もなく、ただ考える時間だけが存在する今のセドリックの心を埋め尽くすのは、そんな自分自身への無力感であった。

 

(兄上もアルフィンも、皇子として皇女としての使命を果たしたというのに……皇太子である僕だけが……)

 

 内戦を終わらせるべく。紅き翼を駆り第三勢力を率いた兄、皇女として正規軍の旗頭となった姉。

 そんな中皇太子である自分が、本来であれば最も活躍しなければならなかった自分はカイエン公の人質にされる始末。

 これでは一体姉と自分どちらの方がお姫様なのかわかったものではないとそんな自嘲の笑みが浮かんでしまう。

 セドリック殿下よりもオリヴァルト殿下やアルフィン殿下の方が余程次の皇帝に相応しいのではないかという口さがない言葉に対してもまるで反論する事が出来ない。

 だってそれはセドリック自身がずっと思っていた事だから。

 自分などよりも兄上の方こそが余程、皇帝に相応しいのではないか?と。

 瞬間、セドリックの脳裏に過るのは幼い頃の記憶。

 

 自分たちアルノール家にとって偉大なる先祖であるドライケルス大帝の伝記を兄に読み聞かせてもらった頃の記憶だ。

 『もうお兄様もセドリックも難しい話ばかりなんだから』

 英雄譚に焦がれ、目を輝かせながら聞いていた自分とは違い姉はどこかつまらなさげにそんな風に口にしていた。

 『でもすごいよ……!兄上は何でも知っているんですね!』

 優しくて聡明な兄は、自分がわからないところがあって質問をすると嫌な顔ひとつせずにわかりやすく説明してくれた。そんな兄は自分にとって身近な憧れだった。

 『はは、ミュラーやゼクス先生のスパルタの賜物と言ったところかな?

  君たちが大きくなったら僕以上に知り、考えるようになるだろう』

 自慢するでもなく優しい笑みを浮かべながら兄はそう答えた。

 

 今、自分はあの時の兄と同じ年になった。

 なのにどうだろう、兄との差は広がる一方だ。兄は今や副宰相となった。放蕩皇子だなんて揶揄の言葉を今や親しみと尊敬の込もった言葉に自分の力で変えてみせたのだ。

 いや、兄だけではない。『政治なんて私達の年では早すぎるわ』そんな風に語っていたアルフィンは兄と一緒に囚われていた父と母を救い出した。ヴァンダイク元帥もレーグニッツ知事もそんな姉の事を口々に讃えている。

 自分だけが……自分だけが何も出来なかった。皇太子だというのに。

 

 

(どうして……僕はこんなに弱いんだ……)

 

 自分が皇太子である理由は兄の母が平民で、姉は女だったから。

 そんな消去法によって定められた理由に過ぎない。自分自身の力で勝ち取ったものではないのだ。

 強くなりたい。強くなりたい。心を満たすのはそんな強さへの渇望。

 脳裏に浮かぶのはどこまでも雄々しかった“英雄”の姿。

 

(強くなりたい……あの人のように)

 

 セドリックの心に焼き付いているのは、あの何もかもがおぞましく変わってしまった城の中で輝いていたある一人の青年の双剣を携えた威風堂々たる姿。

 意識を失う直前に目にした魔王を相手に心通わせた友と肩を並べ、ひるむこと無く立ち向かったまるで物語の英雄のような姿だ。

 

 いや、ようなではない。彼は真実英雄なのだ。

 帝国宰相を父に持ち、名門トールズ士官学院の主席にして、灰の騎神を駆り内戦を収め、宿敵共和国を打ち破った英雄《灰色の騎士》。

 満足に身体を動かす事が出来ないセドリックの数少ない楽しみが、そんな帝国の“英雄”の活躍を聞く事であった。

 何故ならば、彼は皇族ではなかったから。

 その活躍を聞いても、兄や姉と違い自分と比較して落ち込む事無く、純粋にその活躍に心を躍らせる事が出来たのだ。

 

 自分もトールズに入学すればきっと掛け替えの無い友人が出来るとそう彼は言ってくれていた。

 だけど実際はどうだろうか?こんな有様のために今年度の入学は見送りとなって、もうあの時出会ったⅦ組の人達の後輩になる事は叶わない。

 ドライケルス皇子と共にあったロラン・ヴァンダールのようにーーー出会った頃にそう約束してくれた少年は自分の見舞いにすら来てくれない。

 家族はーーー父も母も兄も姉も、皆自分の事を気にかけてくれている。

 だけど、それが余計に心の焦燥を駆り立てる。家族をそんな風に心配させてしまっている自分の弱さが何よりも嫌でたまらない。

 本来であるならば、兄こそが皇太子になるべきなのだ。

 平民の母を持つ兄が皇太子になる事、それに反対していた貴族の多くがこの内戦で凋落して一方の兄は紅き翼を駆ってこの内戦を灰色の騎士と共に終結させた。まるで獅子戦役の時のドライケルス大帝のように。

 だから、副宰相への就任と同時にその気になれば皇太子になることだって出来たはずだ。

 なのに、兄の皇位継承権は回復されなかった。理由は明らかだ、そうなってしまえば功績の差で兄こそが次代皇帝の座に相応しいという声がどんどん高まって行く事となるからだ。

 だからこそ、兄も父も自分に遠慮(・・・・・)して兄の皇位継承権を復帰させなかったのだ。

 今回だけじゃない、兄はいつだって自分に配慮してくれた。その気になれば、自分を蹴落として皇帝になる事だって容易いはずだというのに、あえて道化の面を被って“放蕩皇子”などと笑い者に自分からなるような真似をしてきたのだ。

 それが、どれだけ有り難く、一体どれほど惨め(・・)だったか。

 

「受ケ入レヨ……我ヲ受ケ入レヨ……」

 

 そしてそんなどす黒い気持ちを抱く度にどこからともなく声が聞こえてくる。

 まるで深淵の奥底に潜むような、この世のありとあらゆる悪意の結晶のような大きな黒い影が自分を呑み込もうとしてくるのだ。

 違う、自分はそんな事思ってなど居ない。だって兄は自分にとっての掛け替えの無い家族なのだから。

 尊敬している。嘘じゃない。兄のように自分も成れたらとずっと憧れて(・・・)居たのだから……

 

「ダガ、ダカラコソ疎マシイ……ソンナ兄ダカラコソ……」

 

「違う。違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違うーーー違う!」

 

 大切な家族の事を疎ましいなどと思うはずがない!

 あの人さえいなければ(・・・・・)などと自分は思ってなどいない!!!

 

「受ケ入レヨ……受ケ入レヨ……ソレコソガ紛レモナイ汝ノ真実ノ想イ……」

 

「違う……僕は……僕は……」

 

 狂え。狂ってしまえ。そうその声は囁き続ける。

 堕ちてしまえば楽園なのだと。年若い皇太子を闇に引きずり堕とすべく。

 

「よもやと思って見に来れば、やはりと言うべきか……つくづく何処にでも現れるなコレ(・・)は」

 

 瞬間、響いたのは鋼鉄の意志の宿った言葉。

 脆弱さも狂気も一辺たりとも有していない、どこまでも勇壮でどこまでも気高い、そんな強さに満ち溢れた宣誓だ。

 

「オズボーン宰相……」

 

「失礼しております殿下。何やら尋常でない様子故、お許しも得ずに参上した無礼。どうか平にご容赦を。

 そして殿下を今まさに蝕んでいるものについて……凡その原因は把握する事が出来ました」

 

 その発言はどこまでも覇気と自信に満ち溢れている。。

 きっと目前の人ならば、他者に対する妬心等抱かないだろう。

 ああ、そうだ。眼の前の人のような強さ(・・)が自分にあれば。

 きっと自分は大切な兄にこんな醜い思いを抱かずに済む。

 皇太子として、次代の皇帝として副宰相を務める兄に対して素直な気持ちで協力を求める事が出来るだろう。

 皇太子として、姉に守られるような醜態を晒す事無く、自分が姉を護る事が出来るだろう。

 父も母も、流石は自分の子どもだと安心する事が出来るだろう。

 そうだ、強くなればーーー強くなれば、自分が次代の皇帝として相応しい強さを手に入れれば総てが丸く収まるのだ。

 

「些か躊躇われるが……殿下に、一つ提案がございます。

 お忘れになる可能性もあります故、どうか良く考えてご返答をーーー」

 

・・・

 

「リィンさん!お忙しいだろうに、わざわざ見舞いに来ていただけるとは思っていませんでした」

 

 見舞いに訪れたリィンとクルト。そんな二人を出迎えたのは、とても静養中とは思えない活力に満ち溢れた様子のセドリック皇太子であった。

 

「クルトも、良く来てくれたね。正直見捨てられたんじゃないかと思っていたよ、カイエン公の人質に取られるような情けない皇太子の守護役なんて役目に愛想が尽きてさ」

 

「そんな事は!……いや、確かに君がそう思うのも当然だなセドリック」

 

 まるで様子が変わったセドリック皇太子の様子に面食らったものの、クルト・ヴァンダールはすぐさま平静を取り戻し、冗談めかしながらも告げられた本音(・・)が込められた言葉の内容を噛みしめる。

 言われてみれば、守護役を解任された途端に会いに来なくなりもすれば、それは所詮役目だから仕えていただけに過ぎないのだと取られても無理からぬ事だと気が付いたのだ。

 

「クルト……?」

 

 そしてそんなクルトの様子にセドリックもまた面食らう。

 確かに今、目の前の友人は自分の事をセドリックとそう呼び捨てにした。

 いつの間にかあの日の約束等忘却したかのように、殿下とそう敬称で呼ぶようになっていたというのに。

 

「まずは謝らせて欲しい。守護役として……いや、君の友として(・・・・・・)僕は君が最も辛い時に傍に居る事が出来なかった。

 遅まきながらその事にようやく気がつけたんだ。何をいまさらと思うかもしれない。

 だけど、それでも改めて僕は君に誓おう。定められた役目だからじゃないーーー僕は君の友として君の傍にあり続けよう。

 ドライケルス皇子と共にあった、我がヴァンダールの祖ロランのように。

 君がこの国の皇太子だからじゃない、君が、セドリック・ライゼ・アルノールこそが僕にとっては双剣を捧げるべき主君にして最高の友だと思うからこそ」

 

 告げられたのはもう忘れてしまったのだと思っていた遠き日の約束。

 そう眼の前の友人はちゃんとそれを覚えていてくれていたのだ。

 そして、その上で自分が皇太子だからではなく、友だからこそ共に居続けると、そう眼の前の幼馴染は誓ってくれたのだ。

 それはーーー何よりも、兄や姉と比較され続け、皇太子という立場を何よりも重く感じていたセドリックにとって何よりも欲していた言葉で

 

「ーーーそうか、それじゃあ僕もまた誓おう。

 君が剣に捧げるに相応しい主君になってみせると。

 ロラン・ヴァンダールに剣を捧げられたドライケルス・ライゼ・アルノールのように」

 

 誓いと共に二人は固い握手を交わし合う。

 それは二人の交わした約束。共に(・・)未来を目指すという。

 そうして目前の友との友情を深めあうとセドリック皇太子は真剣な眼差しでリィンを見つめて……

 

「そして、そのためにもリィンさん。貴方にお願いがあります。どうか、僕を鍛えてくれませんか?」

 

「殿下には既に専任の、どの分野に於いても最高峰の教師が就いているはず。

 自分などが出る幕では無いかと思いますが……」

 

 皇太子であるセドリックは当然ながら幼少期より政治、経済、軍事といったありとあらゆる分野においてこの国でも人格、能力何れに於いても最高峰の教師役がつけられている。未だ学ぶ途上にある未熟者の自分などが出る幕ではないと、リィンには思えた。

 

「ええ、確かに座学に関してはそうかも知れません。

 ですが武術などの実技ではどうしても皆、皇太子である僕に対して遠慮してしまうんですよ。

 それではいけない、僕が望んでいるのは真実自分自身を鍛え直す事なんですから。

 貴方なら(・・・・)きっと皇太子だからと遠慮する事無く、僕と向き合ってくれる。そう、思ったんです。

 お忙しいのは重々承知です。ですが、どうかお願いします」

 

 そうしてセドリックは深々と頭を下げる。

 その様子にそこに込められた本気の度合いをリィンもまた感じて

 

「……顔を上げて下さい。

 殿下がそこまでおっしゃるなら、このリィン・オズボーン全霊を尽くして(・・・・・・・)殿下への指南役を務めさせていただきます。

 ただし、これまでの教師達を解任する事は避けて下さい。多忙の身故、取れる時間はそう多くないでしょうし、何よりも私はあくまで軍人に過ぎません。

 経済や政治等もトールズで学びはしましたが、それでも専門にそれを修めた者たちに比べれば遠く及びませんから。

 何よりも、殿下の立場を思えば私一人が指南役となるのは殿下のためにならないでしょう。

 殿下は何れこの国の至尊の座に就くお方。より多くのものと接するべきです。

 あくまで殿下のご指南役の一人として、殿下の成長の一助にならせていただければと思います」

 

「ありがとうございます、リィンさん!」

 

 伝えられた了承の意。

 それを確認すると同時にセドリック皇子はそれは嬉しそうに頷く。

 そしてそんな友の様子を見てクルトもある決意を固めて……

 

「リィンさん、その厚かましいお願いで恐縮ですが……」

 

「それと、クルト。お前には殿下の稽古相手を努めてもらう。

 この手の修練というのは共に切磋琢磨し合える友が居るだけで身の入り具合が全然変わってくるからな。殿下との関係性も含めてお前が一番適任だと私は判断した。引き受けて貰えるな?」

 

「!?はい!全霊を以て務めさせていただきます!」

 

 可能ならばセドリック殿下と稽古を共にさせて貰えないか、そう告げようとした自分の心を見透かしたかのように告げられた兄弟子の言葉にクルトは喜色を顕にして頷く。

 

「ふふ、負けないよクルト。すぐに君に追いついてみせる」

 

「こちらこそ。そう安々と追いつかせはしないさ、セドリック」

 

 笑みを浮かべながら二人はそう視線をぶつけ合う。

 そこにはもはや遠慮はない、どちらも対等の友人として相手と接する姿が存在した。

 そしてそんな二人の教え子(・・・)をリィンは笑いながら見つめて

 

「まあ、兎にも角にも今は身体を治す事に専念する事です。

 今、話していた事は総て身体が治ってからの事なのですから」

 

「ええ、わかりました。すぐに治してみせますよ、リィン先生(・・)

 

 そうして爽やかな笑みを浮かべるセドリック皇子に見送られて、リィン達は清々しい気持ちでその場を跡にするのであった。

 なお、セドリック・ライゼ・アルノールとクルト・ヴァンダールがこの時「遠慮なく」鍛えて欲しいと言った事を後悔する事になるのは、そう遠くない日の事であった……




リィン・オズボーンの立場:帝国宰相の嫡男にして皇帝直属筆頭騎士にして帝国最強部隊の指揮官にして皇太子の教師役。(内戦中には皇女の騎士となったり、副宰相を務める皇子とも共闘)
これはどう考えてもアルノールの剣とか称される寵臣中の寵臣ですね。

ちなみにパッパが皇太子のところを訪ねた事は皆知らないため
パッと見セドリック皇太子はリィンとクルトが見舞いに行った途端に見る見る回復したように見える模様。


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神聖なる誓い

「やぁリィン君、弟の様子はどうだったかな?」

 

 バルフレイム宮の一角、そこの副宰相用に用意された執務室にてリィンは会談を約束していたその部屋の主たるある人物と出会っていた。

 部屋の前にはオリビエの守護役を務めるミュラー・ヴァンダール少佐が弟と談笑しつつ、陣取り、部屋の中での会話を誰にも聞かれないよう警戒を行っていた。

 

「とても療養中とは思えない活力に満ち溢れていて、正直安心致しました。

 あの分なら完全に回復されるのもそう遠くはない事でしょう」

 

 用意された最高級の茶葉を用いた紅茶で舌を潤しながら、リィンは応える。

 その所作はかつてアルフィン殿下に淹れて貰った時とは雲泥の差で、どこまでも洗練されたものであった。

 

「本当かい?それは良かった……あの一件以来すっかり気落ちしてしまっていてね。

 私達も皆心配していたのだが、どうも難しい年頃みたいでね。私達が行くと「一人にして欲しい」と言われてしまったんだが……どうやら君に随分と憧れているようでね、君の話を聞く時は何時も嬉しそうにしていたんだ。

 色々と忙しい身だろうが、君さえ良ければ今後もセドリックの事を気にかけてくれると嬉しい」

 

「ええ、それは無論。恐れ多くも皇太子殿下の指南役を務める事になった以上、我が全霊を以て(・・・・・)セドリック殿下の成長を手助けさせて頂きます」

 

 兄として、家族としての弟に対する確かな愛情の込もったその言葉にリィンは万感の思いを込めて頷く。

 相手はいずれこの国の至尊の座に就くお方、だからこそそこに遠慮(・・)加減(・・)もあってはならないと心する。

 敬意は持てど、そこに遠慮と諂いがあってはならない。自身に対して諂うような者をどうして師として仰ぐ事が出来るだろうか?

 当人が遠慮なくと言っている中、そんな配慮をすることこそがひどい侮辱であり甚だしい不忠ではないかとリィン・オズボーンはにわかに背負う事となった重責に、心を熱く滾らせていた。

 

「……お手柔らかに頼むよ。意欲はあるが、これまで武術の方面はからっきしだった子だからね」

 

「無論、その辺りはきちんと考慮(・・)した上で指導致しますのでどうかご安心を」

 

(強く生きるんだぞ、セドリック)

 

 微笑みながらも静かな迫力を前に、オリビエはかつてゼクス・ヴァンダールより受けたスパルタ訓練を思い出してどこか遠い目で弟の幸運を祈るのであった…

 

・・・

 

「さて、それではもう一つの本題に移らせて貰おう」

 

 セドリック殿下の近況という重要話を終えて、軽い談笑と社交話を終えるとオリビエは真剣そのものな様子でそう切り出していた。

 

「単刀直入に言おうリィン君、僕の同志になって欲しい」

 

「……改めて言われずとも、殿下は皇帝陛下より信認を受けた副宰相であり、私もまた皇帝陛下より信認を受けた陛下の騎士です。我らは既に皇帝陛下の御為、帝国の為に働く同志ではありませんか」

 

 どこかはぐらかすかのようにリィンはまずはそう答える。

 その瞳の中には目前の人物の器を推し量るような色が宿っていた。

 

「確かにその通りだが、私の求めているものは更に踏み込んだ関係でね。

 宰相閣下に対する共同戦線、それに君にも加わって貰いたいんだ」

 

「……これは異な事を、宰相閣下は皇帝陛下第一の忠臣であり、同時に私の父です。

 その宰相閣下に私が背く理由等一体どこにあるでしょうか?」

 

 リィンにとっては渡りに舟というべき提案、それに対してリィンは鉄血宰相随一の腹心にして忠実なる後継者という仮面を被りながら応対する。

 理由としては至って簡単で今のはそう振る舞わざるを得ないからだ。

 リィンは18歳で准将という地位を手に入れた。それは彼の才幹と実績あっての事だが、同時にそこに父の威光が働かなかったと言えば、それは嘘になる。

 今の彼の立場を支えるのは国民からの人気、皇帝よりの信認、そして鉄血宰相の実子でありその後継者として見られている3つがあってこそなのだ。

 ならばこそ、自分を煙たがっている軍部の重鎮達も自分に対して配慮(・・)を行わざるを得ない。

 未だリィンは参謀本部総長でも、司令長官でもない准将程度(・・・・)に過ぎないのだから。

 父たる宰相との関係に隙が生じたと見なされれば、必然実権を与えない飾りの名誉職へと軍のお歴々は自分を追いやろうとするだろう。

 それでは父へと刃を届かせる事は到底覚束ない。ようやく自分はスタートラインに立ったに過ぎないのだから、此処から自分は軍部内に確固たる自分の地盤(・・・・・)を築かなければならないのだ。

 故にこそ、今しばらく自分は公的には鉄血宰相随一の腹心にして後継者だと振る舞い続けなければならない。

 理想としては父の持つ地盤を自分が奪い取る形で、父にこの刃を届かせること。

 これこそが国にとっても革新派にとっても、最も被害を最小限に留めることの出来る最善の方策だ。

 当然、あの父は自分の思惑など当然お見通しだろう。

 だが、それでも自分がそうして利用価値(・・・・)を示し続けている限り、そう簡単に父としても自分を切り捨てる事は出来ない。

 権力闘争というのはそういうものだ。一方的に利用する者もされる者も居ない。

 自分は鉄血宰相という威光を利用して自分の地盤を築き上げて、内側からその刃を届かせんと足掻く。

 そして父は父で自分の、灰色の騎士の力と人気を利用して自分の計画を推し進める。

 そんな心洗われる素敵な関係(・・・・・)が今の自分達親子だ。

 

 あるいはこうするならば、父に対する宣戦布告をする事無く、父に従う従順な息子として振る舞っておいた方が効果的だったかもしれない。

 しかし、それをすぐに却下した。

 理由としては明白でこと騙し合い、ばかしあいという分野に於いてギリアス・オズボーンやルーファス・アルバレアに自分が勝てるなどとは思えなかったのだ。

 何よりも、そうして自分の意志を言葉にして叩きつけねば呑み込まれる(・・・・・・)と思ったからだ。

 仮面を被って行う、鉄血宰相の最も忠実なる剣にして後継者という立場の心地良さに。

 なぜならそれは自分にとって紛れもないずっと夢に見ていた事だから。

 欺くための演技と思っている間に、自分の心の中の刃は鈍っていき、気がつけば演じていた立場に身も心も呑まれていく、そんな予感があった。

 だからこそ、戦略的には下策だった宣戦布告を行ったのだ。言葉にして決意を宣誓する事で、自らの退路(・・)を断つためにも。 

 

 無論、信頼に足る一部の者たちにはその心中を明かしておく必要もあるだろうが、それでもそう簡単に鉄血宰相の忠実なる剣という仮面を見透かされるようでは話にならない。

 これはそのための訓練であると同時に目前の皇子への試金石(・・・)でもあった。

 

「確かに宰相閣下は優秀だ。

 彼が職務に復帰した途端、またたくまに国内は纏まり、クロスベルを併合した事で我がエレボニアは大陸に於ける覇権を確固たるものにした。

 この調子で行けば、宰相閣下の提唱する“パクス・エレボニア”の実現も決して不可能ではないだろう。そこで彼が満足して止まれば(・・・・)ね。

 私が危惧しているのはまさしくこれから先の事だよ、リィン君。

 今や君達親子の人気は凄まじいものがある、当然だね。何時の世も鮮やかな軍事的勝利と年若い英雄の誕生ほど国民を熱狂させるものはない。ましてや、その勝利の相手が数十年来の“宿敵”相手ともなれば尚更だ。

 加えて、結局内戦だけではなくクロスベルでの戦いでも良いところがなかった帝国軍の三長官は今や宰相閣下に頭が上がらなくなった。これまでは対等に近い力関係だった両者の間に明確な上下が生まれたわけだ」

 

 クロスベルでの戦いは内戦中貴族連合に拘束されて良いところがなかった参謀総長マインホフ元帥、司令長官シュタイエルマルク元帥、参謀長カルナップ大将という帝国軍三長官にとっては名誉挽回を賭けた重要な戦いであった。

 しかし終わってみれば結局灰色の騎士と黄金の羅刹、黒旋風らの活躍によって帝国正規軍の出る幕はなく、戦いは帝国の歴史上に残る大勝利で終わった。

 こうなってくると三長官としても自らの進退を考える必要が出てくる、そんな時にこの三名の寛恕を皇帝へと願い出たのが宰相であった。「国家への貢献篤き功臣達を一度の失敗で更迭するはあまりに惜しい」と。

 これによって三長官はオズボーン宰相の擁護によって失職を免れる事となった。それはすなわち宰相に借りが出来て、内戦前までは対等の“盟友”と言えた両者の間に明確な上下関係が生じたという事でも有る。端的に言えば、彼らはギリアス・オズボーンに頭が上がらなくなったのである。

 

 だからこそ、そのギリアスの実子であり後継者と目されているリィンを如何に内心で快く思っていなかろうとも現状彼を排除する事が出来ないのだ。もちろん彼らとて貴族嫌いではあるものの、決して愚昧でも蒙昧でも無能でもない。そうした事情抜きに、内心穏やかならずともリィンの持つ才幹が帝国に有益と認めているからこそでもあったが。

 

 兎にも角にも此処で重要なのは、ギリアス・オズボーンがついに正規軍の大半を掌握するに至ったという事である。かつてのギリアス・オズボーンは正規軍を7割を掌握しているとはいえ、それでも三長官との関係はある種対等の盟友とでも言うべき関係だった。しかし、此処に来て両者の関係には明確な上下が形成されるに至った。今後、彼らはギリアスの忠実な部下(・・・・・)として動くようになるわけである。そこにオリビエとしては不吉な予感を覚えずには居られないのだ。

 

「これまでの周辺諸国の併合、内戦による貴族勢力の凋落、そして今回のクロスベルの併合による共和国相手の優位の確立。これらは総て、宰相閣下の“ある目的”のために行われてきたと私は結論づけた」

 

「……その目的とは?これまでの口ぶりから察するに宰相閣下が日頃口にしておられる“パクス・エレボニア”ではないという事は察しがつきますが」

 

「ああ、その通りだ。パクス・エレボニアと呼ばれる国際秩序の形成等というのは耳障りの良い表向きの目的に過ぎない。

 共和国との全面戦争、それの勝利を以てこの大陸の総てを呑み干す事。それこそが宰相閣下の真の目的だと私は睨んでいる、その過程で数十万数百万単位の犠牲者が出る事を承知の上でだ」

 

 告げられたオリビエの結論。

 それはリィンもまたミヒャエル・ギデオンの論文を読む事によって辿り着いた答え。

 目前の皇子がそれに辿り着いていた事に内心で感嘆しつつも、リィンは依然仮面を被りながら応じる。

 

「それは些か、いえかなり論が飛躍し過ぎでは?

 そのような事をして宰相閣下に何の利があるというのですか。

 大国同士の全面戦争等というものが如何に愚かしく、国家へ甚大な被害を齎すか政に携わる人間であれば容易に想像が出来る事でしょうに」

 

 それは宣戦布告を叩きつけたリィンの中に今もって存在する疑問であった。

 数百年前と異なり、技術の発達に伴い今や国同士の経済的、物質的な結びつきというものはかつてとは比較にならないほどに密接なものになった。

 それは“不倶戴天の仇敵”同士である帝国と共和国もである。

 妙な話になるが係争地を巡っての衝突等というのは所詮は“局地戦”に過ぎない。

 ある意味で、それは両国にとっても経済的に“許容しうる”損害であり、出費なのだ。

 しかし、互いの国の存亡を賭けた戦いともなれば、そうは行かない。

 文字通り国家の“総力”を費やした戦いが行われる事となるだろう。

 そしてそうなれば、その過程で生じる損害は勝利によって得られる利を遥かに上回る事となるだろう。

 そんな勝利に一体何の意味があるというのか?

 そこがリィンにとっては不可解極まりない疑問であり、おそらくは父の言っていた“残酷で無情なる真実”とやらに関係する事だと推測しているのだが……

 

「ああ、その通りだ。まとも(・・・)に考えれば世界大戦など正気の沙汰じゃない。

 だからこそ、宰相閣下の目的とはそんな表だけを見ていたらたどり着くことの出来ない真っ当じゃない(・・・・・・・)目的だという事になる。

 そして、それについて他ならぬ君ならば推測出来るんじゃないかな?」

 

「……騎神」

 

 リィンの告げた言葉にオリビエは正解だと言わんばかりに頷く。

 そう、よくよく考えてみれば、これは間違いなくまともな代物ではない。

 現行技術を遥かに上回る、時に災厄を退けて人々を守り、時に全てを破壊して支配する支配者として君臨した伝説の力など。

 

「250年前の獅子戦役。そして今回の内戦、それらは歴史の節目に目覚め、激突する。

 まるでそれが定められた運命であるかのようにね。

 突然だがリィン君、君は運命というものを信じているかね?」

 

「いいえ、全く。女神は慈しみ我らを見守って下さるのみです。

 未来を切り開くのは何時だとて人の意志、そう私は信じています」

 

 運命という言葉は実に便利だ。

 それを使えば、あらゆる不条理の説明がついてしまうし、極論起こした罪もそのものの責任ではなくなるのだから。

 自分とは関わりのないどこか大きな意志が定めた“運命”だったのだとそう思ってしまえば。

 

 全く以て冗談ではない。

 自分がこの道を進んだのは紛れもない自分自身の意志によるものだ。

 そこで生じた罪も総て自分が背負うものだ。

 そんな大いなる存在とやらに総て委ねるなど御免被るとリィン・オズボーンは怒りさえ伴いながら、烈火の如き覇気を言葉に乗せながら返答する。

 

「私も同じだ。人はただ大きな流れに翻弄されるだけの存在ではない。その価値を心の底から信じている。

 そして空の女神はそんな人の可能性を信じたからこそ、揺り籠の中で世話をし続けるのではなく、少しずつでも歩み始めた僕らの事を慈しみ見守ってくれているのだとね。

 ーーーだが、どうやら我がエレボニアにはそんな女神とは異なる神が居るらしい。

 それも空の女神とは比べるのも馬鹿らしい程に意地の悪い……ね」

 

「それはどういう……?」

 

「黒の史書。

 皇帝陛下よりお聞きしたことだが、我がアルノール家にはそう呼ばれるアーティファクトが存在するらしい。

 そして、それの中にはこれまでの出来事、これから起きる出来事それら総てが記されているそうだよ。まるで予め定められた“運命”のようにね」

 

「ーーーーーーーー」

 

 告げられた言葉にリィンは絶句すると共にある種の“納得”が心の中に生まれていた。

 それはユーゲントⅢ世より感じた“諦観”その理由に説明がついたからだ。

 もしも本当にそんなどうしようもない“運命”とやらが存在するのならば、まずはそれを変えんと足掻くだろう。

 しかし、そうした足掻きが尽く失敗に終わって、愛する者の喪失という悲劇に繋がればどうだろう?

 何をどう足掻こうとも決して変えられぬという無力感、それが心を満たすようになるのではないだろうか。

 

「残念ながら、皇位を継承した者という条件があるためにその中身までは教えて貰えなかったが、確かなのは一つ。 

 宰相閣下はその何れ起こるであろう何か(・・)を実現するために動いており、父上はそれは知りつつ彼を止める事無く任せているという事だ。

 そして、それは恐らく碌でもない事だろう。獅子戦役に百日戦役、こんな“悲劇”を運命として位置づけた神等神は神でも邪神の類に決っているのだからね。

 恐らく多くの血が流れるだろう、何百万単位の多くの血が。そしてその中には当然、君が心の底より守りたいと願うエレボニアの民の血も当然含まれる事となる。

 改めて問おう、リィン・オズボーン。他ならぬ君が、それを良しとするのかどうかを!

 あくまで父たる宰相の覇道へと付き従うのかを!」

 

 虚偽は決して許さないという静かながらも確かな迫力を宿した瞳でリィンは見据えながらオリビエは問いかける。果たして、リィン・オズボーンという人間はそれを良しとするのかどうかを。

 

 

「私は決してそれを認める事は出来ない。この国の皇子として副宰相として、何よりも一人の人間として。

 止む得ない事なのかもしれない、現実を知らぬ者の綺麗事なのかもしれない。

 だが、それでも私はそんな地獄を作り出す事を“必要悪”だ等と許容する事は出来ない。

 父が諦め、宰相が鋼の意志によって覇道を突き進むというのならば私はそれを止めて、その上で異なる道を示してみせよう。

 ご都合主義でも何でも起こして、定められた“一流の悲劇”を筋書きの無かった“三流の喜劇”へと変えてみせよう。

 そして、そのためにも君の力を借りたいリィン君。

 かつて君の語ってくれた真実の願いの籠もった“綺麗事”を信じているからこそ。

 どうか、僕の同志となって欲しい」

 

 瞳の中に宿るのは確かな決意と覚悟。

 綺麗事を現実に変えてみせると誓った高潔な、夢想家ではない真の意味での理想家の姿だ。

 そうして差し伸べられた手を前にリィンは……

 

「これより、我が剣は貴方と共に。

 かつてドライケルス皇子の道を切り開いた鉄機隊のように。

 貴方の道を私が切り開きましょう、オリヴァルト殿下」

 

 被っていた仮面を取り外してその手を取る。

 眼前の皇子は期待通り、いや期待を遥かに上回る本物だった。

 燃え盛るのは確かな理想と決意。

 この方とならば必ずや、成し遂げられるはずだというそんな想いだ。

 

「ああ、共に頑張ろうリィン君。僕たちの愛するこの国を、世の礎を守るために」

 

 それは、神聖なる誓い。

 リィン・オズボーンとオリヴァルト・ライゼ・アルノール、二人の英雄の道は此処に交わりだす。

 古き神によって定められたお伽噺の結末を塗り替えるべく共に足掻き出すのであった……

 

 




オリヴァルト・ライゼ・アルノール副宰相
皇帝直属光翼獅子機兵団司令官灰色の騎士リィン・オズボーン准将

どうでしょうか、このタッグなら鉄血ともやり合えそう感があるのではないでしょうか?


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故郷への帰還

リィン・オズボーンがやらなければ行けないこと一覧
・新設された光翼獅子機兵団の統率及び管理
・パッパ打倒のためにパッパの七光に頼らない軍部内での立場の確立
・レーグニッツ知事、イリーナ会長と言った政財界の要人とのコネづくり
・セドリック皇太子の教育
・ヴァンダール流師範代としての門下生への稽古
・アルティナの教育
・トワちゃんとの新婚生活
・剣術、指揮統率、といったあらゆる分野に於ける自分自身の成長

リィン「やることが……やることが多い……!」←特異体質により1日の睡眠時間1時間の男


「それでは殿下、今後私は内部より宰相閣下の切り崩しを図り、然るべき時が来ましたら殿下へと合流させて頂きます。今すぐに殿下の派閥へと参入するよりも、それが一番効果的でしょうから」

 

 現在のリィンは鉄血宰相の懐刀にして後継者と見られている。

 この立場を利用しない手はない。人間、敵からの言葉は聞き入れ辛くとも身内からの言葉には耳を傾けるからだ。

 一例を挙げるならば鉄血の子どもたるクレアとレクターなどがそうだろう。

 仮にオリビエが先程リィンに対して行ったような説得を二人に対して行ったとしても、恐らく引き入れられる可能性は低いだろう。

 彼らにとってギリアス・オズボーンとは恩人であり父でもある、ある種絶対的な存在だから。

 例え、オリヴァルト・ライゼ・アルノールの道こそが正道なのだと理解していても、その正道を歩む者たちを眩しそうに見つめながら、あくまで父へと殉じようとするだろう。

 しかし、最も父に対して忠実とされたリィンが反旗を翻し、説得を行えばどうだろうか?

 その言葉は恐らく、誰よりも彼らの心に届く。最も父を敬愛し、最も父に忠実であったリィン・オズボーンだからこそ。

 彼らだけではない、次代の革新派を担う人物であり、鉄血宰相の後継者と目されていてこそ、その言葉はオリビエの届かぬ革新派の面々へと届きうるのだ。

 

 故にこそ今すぐに革新派から離脱して副宰相派である事をアピールする事は得策ではない。

 それでは単に親子であっても、政治思想とスタンスの違い故ととられて終わるだろう。

 副宰相派の勢力は増強されるが、ギリアス・オズボーンの足元を切り崩すまでには至らない。

 

 故にこそ、リィンはまだまだ高みを目指さなければならない。

 リィン・オズボーンの声望は民衆に対してこそ絶大だが、軍部、政界、財界に於いてはまだまだ新米も良いところだ。

 実績を積み上げていき影響力、発言力を確固たるものにする。

 そして、周囲から自分は鉄血宰相の腹心であり、後継者だと目されるように振る舞う。

 そうしてギリアスが暴走を始めたその時、初めて反旗を翻す。

 それでようやく、彼を熱狂的に支持する者たちに疑念を与える事が出来るだろう。

 腹心である灰色の騎士が離反するなど、ひょっとして不味いのではないかと、そんな疑念を。

 その際、レーグニッツ知事のような声望篤き政治家もその時引き込めればそのうねりはより大きくなる。

 

 無論、そんなリィン達の思惑はギリアスにしてもルーファス卿にしてもお見通しだろう。

 ことそうした戦いに於いて、リィンにしてもオリビエにしてもあの二人の上を往けると思うほどには自惚れていない。

 だが、それでも現状二人が取れる手段と言えばこれしかないのだ。

 テロリズムという方法に二人は頼る気はないし、何よりもそれの効果がなかったのは先刻の内戦が証明済みだ。

 逆にこちらが声望を失うだけの結果にしかならないだろう。

 

 少なくとも、共和国を本気で併呑しようと思うのならば、挙国一致の“総力戦”体制の確立は必要不可欠だ。

 そしてその際に抑止力と成り得るだけの抵抗勢力を作り上げる事が出来れば、少なくともその暴走に歯止めをかける事が出来るはずだと。

 

「すまない、君には苦労をかける事になる」

 

 当然だが、派閥の長に対して派閥に属する者が反旗を翻すというのはそう簡単な話ではない。

 上手く行けば、それは鉄血宰相に刃を届かせ得る致命打になり得るだろう。

 だが、失敗すれば待っているのは破滅だ。

 反旗を翻したその時、ギリアス・オズボーンは対等の敵手(・・・・・)としてリィン・オズボーンを潰しにかかるだろう。

 それに対してオリビエとリィンのタッグが勝つか、勝てないまでも均衡状態に持ち込む事が出来ればいい。

 だが、出来なければリィン・オズボーンはそれまで積み上げてきたものを総て失う事となるだろう。

 そのようなリスクを踏まずとも本来ならば、何れ鉄血宰相の後継者として確固たる権力を手に入れる事が出来る立場であったのに。

 何よりも、敬愛する父に背くというその行為自体が目の前の少年には多大なる辛苦を伴う行いだろうに。

 そんな重荷を目前の少年に背負わせざるを得ないこと、頼りにしなければならないことがオリビエには申し訳なく、同時にそれでも自分の手を取ることを選んでくれた事に対する感謝の念で一杯であった。

 

「お気になさらず、自分で選んだ道ですから」

 

 そうして最後にリィンとオリビエは拳をぶつけ合う。

 此処に誓約は交わされた。後はただ来るべき日に備え、どちらも互いの道を進むのみである。

 いずれ道が交わるその日まで、全力を尽くすのみだと。

 二人の英雄は会談は失敗に終わり、決裂したのだという体を装い別れるのであった……

 

・・・

 

 オリビエとの会談を終え、クルトをヴァンダールの道場へと送り届けると時刻は既に夕刻へと差し掛かっていた。そうしてリィンは実家(・・)への帰路を歩みだした。

 数ヶ月前まで内戦が繰り広げられていたとは思えないほどに帝都は活気づいており、周囲を見渡せば自分と同様に仕事を終えて家路への道を歩む者たちで溢れていた。

 その顔は安堵と未来への希望に満ちあふれており、数ヶ月前にまで抱いていた不安が消え、誰もが祖国の繁栄を疑っていない事を意味していた。

 “超大国エレボニア””黄金時代の到来”紙面にはそんな威勢の良い言葉が並び、その言葉を裏付けるかのようにエレボニアの経済は内戦の損失を補って余りある速度で回復していた。

 誰もがそんな繁栄が続く事を疑っていない、偉大なるアルノールの血脈が見守り、豪腕を誇る宰相が導き、最強の英雄が守護する祖国に死角など無いのだと誰もが信じているのだ。

 こんな当たり前の幸せを守らねばならない、いや守りたいのだとそうリィンは静かに決意を固めるのであった。

 

 黄昏の中、辿り着いた実家の玄関の前には二つの影が佇んでいた。

 

「お帰りなさい、リィン。貴方が本当に無事で良かったわ」

 

 リィンの姿を確認すると感極まった様子でフィオナ・クレイグはすっかりたくましくなった義弟に対して熱烈な抱擁を行う。

 

「ただいま、義姉さん。色々と心配をかけてごめん」

 

 久しく浮かべていなかった少年のような笑みを浮かべながらリィンは告げる。

 今、この時ばかりは彼は帝国正規軍准将でもエレボニアの若き英雄灰色の騎士でもなかった。

 ただ5歳の時にクレイグ家に引き取られて以来、共に時間を過ごしてきたオーラフ・クレイグの義息子であり、フィオナ・クレイグの義弟であり、エリオット・クレイグの義兄弟たるただのリィンであった。

 

「本当よ全く。お姉ちゃんがどれだけ心配した事か……でも、許してあげるわ。

 こうしてまたちゃんと元気な顔を見せてくれたから」

 

 どんな人間だろうと頭が上がらない存在というものが存在する。

 リィンにとってフィオナはまさしくそんな存在の一人であった。

 幼い頃母を失い、クレイグ家に引き取られて以来6つ年上のフィオナは実の弟であるエリオットと代わらぬ惜しみない愛情を自分へと注いでくれた。

 その事を言葉にして感謝を告げれば、“家族”なんだから当たり前だとそう微笑みながら告げてくれた事が、幼いリィンにとってはどれほどの救いとなった事か。

 

「良く帰ってきたな、リィン!」

 

 そうしてフィオナとの姉弟としての交流を終えると今度は父子の交流だとオーラフ・クレイグはその厳つい顔に満面の笑みを浮かべながらフィオナ以上の熱烈な抱擁を行う。

 行っているのは久方ぶりに再会した麗しい父子の交流なのだが、オーラフとリィンの双方が185リジュの堂々たる体躯を擁している偉丈夫なために、その絵面は中々に凄まじい事になっていた。

 

「あんなにも小さかった子どもがこんなにも大きくなって、父は……父は嬉しいぞ~~~~!!!」

 

 気恥ずかしさを覚えながらも、リィンはしばしの間そんな父のされるがままになる。

 そうして変わってしまったものもあれば、変わらないものもあるというその喜びを噛みしめるかのように苦笑を浮かべるのであった。

 

 食卓の上には所狭しと山盛りの料理がところ狭しと並べられていた。

 こんがり焼けたローストチキン、大皿いっぱいの魚貝のジャンバラヤ、彩豊で新鮮な野菜をたっぷりと使ったサラダ、そしてクレイグ家秘伝の特製シチュー。どれもリィンの大好物であった。ただ特製シチューと並ぶ、大好物が一つ欠けているのが少しリィンとしては残念だったが。

 

「フライドポテトは今から揚げるから少しだけ待っていてね、お腹が空いたんだったら先に食べてても構わないから」

 

 そんなリィンの思惑を見透かしたかのようにフィオナは笑いながら告げる。

 当然フィオナ・クレイグが愛する義弟の大好物を作り忘れる等という事があるはずもない。

 揚げたてを用意したいという姉心故の事であった。

 

「子どもじゃないんだから、ちゃんと待つよ」

 

「そうね、今や貴方はこの国の“英雄”だもの。昔みたいにお腹を空かせた余り、つまみ食いをするだなんて事しないわよね」

 

 調理の腕を止めぬままに、クスリと笑いながら告げられた言葉にリィンはごまかすように頭をかく。

 自分の幼少期を知っている家族というのはこういう事だ。小さい頃の未熟な頃、本人は忘れた様な思い出、この場合はリィン自身も覚えているが、何時までも記憶している。

 小さかった頃に、ヴァンダールの道場での修練を終えて腹ペコで帰宅して、父が帰宅する前に用意された料理をつまみ食いした等といった。そんな笑い話を。

 やがて、出来上がった山盛りのフライドポテトが最後に加わり、揃って食事前の女神への祈りを捧げるとリィンはその旺盛な食欲を満たすべく、豪快な食べっぷりを見せ始める。

 用意された料理はどれも懐かしく、自分好みの味付けがされていた。

 そこに心許せる家族との和やかな会話という最高のスパイスが加わり、料理の味わいを何倍にも高めていた。

 

「しかしよもや、その年で獅子心十七勇士に列席される事になるとはなぁ。

 お前ならばいずれ必ずやとは思っていたが、それでもまさか成人もしない内にというのは流石に予想していなかったぞ」

 

 オーラフは感慨深そうにそう成長した息子の顔を眺めながら呟く。

 そこにはかつてあった憂いは無く、ただただ我が子の成長を喜ぶ親としての顔が存在した。

 幼い頃のように、幸せそうに娘の手料理を貪るその姿から、内戦の最中に感じた危うさが息子から消えた事を確認したがためだった。

 

 

「本当に良く頑張ったなリィンよ、ギリアス閣下もさぞお前の事を誇りに思っている事だろう」

 

「ハハ、まだようやくスタートラインに立っただけなんだから気を抜くな。此処からが本番だって釘を刺されたけどね」

 

「相も変わらず手厳しい御方だなぁ。まあ兎にも角にも帝国の未来は実に明るい!

 一時はどうなるかと思ったが、これならばエリオットも憂いなく音楽の道へと進めるというものだろう!」

 

 オーラフの告げた言葉にリィンは一瞬目を丸くする。

 

「父さん、エリオットが音楽の道に進むのを認めてあげたんだ」

 

 そして次の瞬間には穏やかな笑みが広がる。

 

「うむ、自分は音楽の持つ力を信じていると私に対して臆する事無く言って来てな。

 ああして、確かな決意と覚悟を抱いて息子に言われてしまえば、流石に親としては応援するしかあるまい」

 

「本当にエリオットもリィンもすっかり立派になっちゃって。

 男の子の成長っていうのはあっという間ね」

 

 そこから先は取り留めのない歓談が続く。

 昔を懐かしみながら、父と姉と弟の三人は、家族の中で一人だけ欠席者が居る事を残念に思いながら思い出話しへと華を咲かせるのであった。

 それはリィン・オズボーンにとって英雄ではない、ただの少年に戻れる穏やかで幸福な一時であった……

 




ちなみに当初フィオナ姉さんは英雄の背負うべき犠牲となる予定の人でした。
第2形態を使った時のエリオットが「どうして姉さんを見捨てたの?」と泣きながら詰め寄る幻覚はその名残です。
改めて修羅ルートに進ませなくてよかったなぁと思っています。


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財産

「今回みたいに厄介で面倒な現実を少しずつ知りながら、それでも今しか得られない何かを掴む事が出来るはず。掛け替えのない仲間と一緒ならね」
「それは、社会に出たら何の意味もない儚いものかもしれないけど……どこかで君たちの血肉となり、大切な財産になってくれると思う」


 七曜暦1205年3月19日卒業式を翌日に控えたこの日、灰色の騎士リィン・オズボーンは帝都での一週間に及ぶある根回し(・・・・・)を終えて、およそ半年振りに自らの母校トールズ士官学院へと帰還した。

 いや、帰還したという表現はこの場合は正確ではないのかもしれない。彼は公的にはガレリア要塞が消滅したあの日、1204年10月24日に特例措置によって卒業して正規軍に任官した身となっている以上、もはや彼が学院に顔を出す必要はないのだから。

 だが、本来卒業という門出にあたって行うべき恩師に級友、そして後輩との別れという儀式を終えていない身としてはやはりきちんと区切りというものをつけておくべきだと思っての事であった。

 何よりも、トールズには改めて話し合って置かなければならぬ人物が居るのだから……

 

「やあ、久しぶりだねリィン。色々と積もる話はあるが、とりあえず歯を食いしばりたまえ」

 

 笑顔とは本来攻撃的なものである。

 そんな格言を残したのは一体誰だっただろうか。

 久方ぶりに再会した友人アンゼリカ・ログナーはそんな格言を思い起こすとても晴れやかな笑顔を浮かべていた。

 そして次の瞬間リィンの頬に強烈な一撃加えられる。

 無論、避ける事も防ぐ事もリィンにとっては容易かった。

 しかし、物理的にではなく精神的な理由が彼に回避または防御の行動を躊躇わせた。

 頬を痛打されたリィンはその衝撃で倒れ込む。

 周りを見ればトワは心配そうな表情を浮かべ、クロウとジョルジュは苦笑を浮かべている。

 

「よし、これで諸々はチャラだ。改めてお帰りリィン。こうしてまた君と会えた事を嬉しく思うよ」

 

 堂々とした様子で差し伸べられた手を取りリィンは立ち上がり

 

「ああ、俺もだアンゼリカ。色々とあったが、こうしてまた会えた事を嬉しく思うよ」

 

 硬い握手を交わしながら、友人との再会を寿ぐのであった……

 

・・・

 

 技術棟の一室。

 彼らにとっては馴染み深いその場所で5人はジョルジュが淹れたコーヒーを飲みながら、思い出話に花を咲かせていた。

 彼らにとって黄金色に輝いていた青春時代、それに別れを告げるべく。

 惜しむように。愛おしむように。

 

「しかし、いよいよ明日でお別れなんだね」

 

「ああ、そうだね。

 私もいよいよモラトリアムを終えて侯爵家を継ぐ事になる。

 ……後悔はしていないが、それでもやはりどこか寂しい思いがあるね。

 こうして5人揃って集まるという事も難しくなるだろうから」

 

 ポツリとジョルジュが呟き、アンゼリカがそれに応じる。

 その顔には何時も颯爽としていた彼女には珍しく、憂いを帯びたものであった。

 

「まあだけど、二人の結婚式には是が非でも参加させてもらうよ。

 こればかりは誰がなんと言おうと私も譲る気はない。

 親父殿が反対したとしても殴り倒してでも出席させてもらうさ」

 

 静かな決意を秘めて微笑湛えながらアンゼリカは告げる。

 それはどこからどう見ても友情に篤き好人物の姿であった。

 

「アンちゃん……」

 

「アンゼリカ……」

 

「なんと言ってもウエディングドレスを着たトワというこの地上に舞い降りた天使を拝見できる機会なんだからね!

 これを逃すことなんて出来るはずがない!どんな相手が立ちはだかろうと阿修羅さえも凌駕して蹴散らすさ!!!ウェッッヘッッヘッヘ」

 

 鼻息を荒くしてアンゼリカは告げる。

 それはどこからどう見ても色欲に目を眩ませた変質者の姿であった。

 

「アン……君って奴は」

 

「ったく本当にぶれねぇ奴だな。侯爵家の権力を使って手篭めになんて事するんじゃねぇぞ?」

 

「失敬な事を言うな!誰が実家の権力などに頼るものか!私は何時だって子猫ちゃんは口説く時は徒手空拳の全身全霊だ。合意無き睦言に一体何の価値があるというのか!」

 

 凛々しき表情でアンゼリカは告げる。

 それはどこからどう見ても颯爽とした麗人の姿であった。

 

「アンは本当に変わらないね、出会った頃から」

 

「全くだ、こいつのおかげで俺たちの代の男子がどれだけ寂しい思いをしたことか」

 

「フッ、そんな事は知ったことじゃないね。かっさらわれるのが嫌ならば自分を磨いて積極的にアプローチをすればいいだけの事じゃないか。現に私にだってフラレてしまった本命(・・)が居るんだからね」

 

 そこでアンゼリカは綻ばせながらその顔をリィンとトワの方へと向けて

 

「改めてになるが、二人共おめでとう。君たち二人の親友として心から祝福させてもらうよ。

 トワ、もしもまたそこの大馬鹿に泣かされることがあったら相談してくれ。すぐにでも君を攫いに行くから。

 リィン、君も色々とある事とは思うが、これだけは覚えておいてくれ。君は一人じゃないという事を。

 私達はこれから色々と難しい立場になってくる、大人としての様々なしがらみに囚われてこれまでのように接する事はできなくなるだろう。

 だけど、それでも私達が友達であることには変わりない。もしも、私の大事なトワをまた泣かせるような事があれば、その時は今日のような強烈な一撃をお見舞いしてやるから覚悟しておくように」

 

「ああ、肝に銘じておくよ」

 

・・・

 

 談笑を終えて明日に備えて解散となった技術棟の一角、そこにリィンとクロウの二人だけが残っていた。

 リィンがクロウに対して折り入って話があると伝えたためだ

 

「で、わざわざ話って何だよ」

 

「クロウ・アームブラスト少佐、貴官の配属先が決まった。

 配属先は新設される皇帝陛下直属部隊光翼獅子機兵団。

 貴官にはそこで司令官である、私の直轄部隊の副隊長を務めて貰う事になる」

 

 内戦中貴族連合の蒼の騎士として活躍したクロウ・アームブラストは司法取引の結果、現在宰相直属の少佐待遇という立場にある。

 公的には帝国解放戦線はザクセン鉄鋼山の一件で壊滅しておりあくまでクロウの罪状として挙げられたのは宰相暗殺未遂の実行犯であった事のみというのと、最後の最後で親友たる灰色の騎士の説得に応じて逆賊カイエン公の捕縛と皇太子殿下の救出に貢献したという功績、貴族連合の英雄であった彼を引き込む事による政治的なメリット、なおかつ蒼の騎神の起動者であるという戦力的な側面、その総てが加味された結果であった。

 

 そしてこの一週間リィンはそのクロウを自分の部下として引き込むための根回しのため、あちこち飛び回って行っていたのであった。

 ある時は「内戦中に敵と味方に別れて戦いあった自分たちが同じ部隊で肩を並べる事は内戦の終結をこの上ない形で示す」と政治的な効果をアピールし、またある時は皇帝陛下が「最も忠勇なる騎士」達を集めると勅に従うためには蒼の騎士を外す事は出来ないと皇帝の威光を借り、またある時は蒼の騎士が万が一反旗を翻した時に犠牲者を出すこと無く鎮圧できるのは自分だけだという抑止力の観点から話をして、最後にクロスベル戦線での灰と蒼がコンビを組んだ時の実績を叩きつけ、ついにクロウ・アームブラストを引き抜く事に成功したのであった。

 

「……それで、あの野郎の、鉄血の狗として働けってのか?」

 

 そしてそんな親友の影での尽力等知らぬクロウはある種の諦めを漂わせながら、肩を竦めながら告げる。

 自分に目前の親友という鎖を宛てがい、縛るための鉄血の策略なのだとそう誤解して。

 

「そうだな、皇帝陛下直属という立場だが陛下は専ら国事行為以外の政務を宰相閣下に一任している。

 基本的に我らは帝国政府からの要請に従い、動く事となるだろう。そういう意味ではそう見られるだろう

 いや、そう見られるように仕向ける(・・・・)

 

「……?仕向けるも何も、実際そうだろうがよ。

 司令官のお前さんは鉄血の一人息子で、その後継者何だからよ」

 

「ああ、そうだろうな。俺は宰相閣下の腹心であり、後継者だ。

 ーーーなぁクロウ、これは例えばの話なんだが、外から銃弾を撃ち込むやり方で駄目だったなら、懐に潜り込んで刃を届かせる方が効果的だと思わないか?」

 

「!?お前、まさか……」

 

「そのまさかだ。宰相閣下に、いいや、父に宣戦布告を叩きつけてきた」

 

「ーーーーーーーーーーーーー」

 

 告げられた言葉に宿るのは圧倒的な覇気。

 父親を盲信し、父親に褒められたがっていただけの子どもの姿はそこにはない。

 そこにあるのは高潔なる決意。

 迷いも躊躇いも飲み干して、決して譲れぬ思いを抱いて巨悪に挑む事を決意した一人の漢が其処には居た。

 

「どういう風の吹き回しだよ。まさかクロスベルの連中が可哀想になったとかそういうわけじゃねぇだろ?」

 

「まさか。クロスベルの併合は必然だ。あの状況では我が帝国としてはアレ以外の手段はない。

 あるいはあるのかもしれんが、俺では想像すら出来ん。

 宰相閣下のクロスベル併合の判断は至極妥当であり、それをアレほどの速度で成し遂げられたのは彼の豪腕があってこそだ。

 もしもあの方が居なければ、おそらく70年前のようにクロスベルを巡って共和国と泥沼の戦いを繰り広げる事となっていただろう。

 そういう意味で、宰相閣下は確かに傑出した指導者だ。故に、現時点では(・・・・・)公人としても私人としても俺があの人に背く理由などは存在しない」

 

「なら、何でそんな偉大な宰相閣下にして大好きな親父さんでもある相手に宣戦布告を叩きつけた?」

 

「『ディストピアへの道』、お前の仲間だったミヒャエル・ギデオンの著書を俺は読んだよ。

 そしてその上で俺は宰相閣下の、父さんの真意を確かめた。

 ーーー否定しなかったよ、その本に書かれていた疑惑について。

 あの人は、本気で共和国を相手にして世界大戦を起こす気だった。

 そして、俺はそんな地獄を作る事は看過出来なかった。だから袂を分かった。要は、そういう話さ」

 

 自分の中にある躊躇い、説得すれば思いとどまってくれるのではないかという未練を呑み干すかのように静かな、されど確かな決意をそこに宿してリィンは告げる。

 

「だが、それでも敵はあまりに強大だ。

 オリヴァルト殿下という頼もしい味方が出来たが、それでもまだまだ俺には力が足りていない。

 だから、改めて言おう。頼む、俺にお前の力を貸してくれクロウ。

 俺とお前、二人で組めば出来ない事なんてないはずだ!」

 

 熱い友誼を込めてリィンは目前の親友へと手を差し出しながら頼み込む。

 それは軍人としての命令ではない、親友としての頼みだ。

 だからこそ、それは雁字搦めになっていたクロウ・アームブラストの心に届いて……

 

「……ギデオンの奴も、まさか自分の書いた本が鉄血の野郎の息子の造反に繋がるだなんて思わなかっただろうな」

 

 ああ、見ているかよ戦友。

 お前の残した遺志は確かに心ある者(・・・・)に届いたぞと口元を綻ばせて

 

「しゃあねぇな、付き合ってやるよ親友」

 

 差し伸べられた手を固く握りしめる。

 亡き祖父の仇討ち。そのリベンジマッチになる上に親友と肩を並べて戦うのだ。

 断る理由など有りはしないと。

 

「ああ、頼りにしているぞ親友」

 

 此処に蒼の騎士は鎖から解き放たれ、灰の手を取る。

 それは如何なる謀略をもってしてももはや崩す事は出来ない真の絆。

 多くの試練を経て、彼ら二人が手に入れた掛け替えの無い財産であった……

  

 




同志D「ク、クロウさんを自分の「もの」にするために必死に駆けずり回ったって……リィンさん!貴方は私を一体どこまで滾らせれば気が済むんですか!!!」


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好きな男の人のタイプは優しい人

「わたしね……誰よりも優れた“英雄”なんて居ないと思うんだ」

Ⅱでの絆イベントでのこの台詞がトワ会長が当作でメインヒロインになった最大の理由だったりします。


 5人で最も多くの時間を過ごした場所にて最高の親友との語らいを終えたリィンは、その後最も愛する人と最も共に過ごした場所、生徒会室に赴いた。明日は卒業式であり、式典の後には祝賀会があることを思えば、ゆっくり思い出の場所を巡るには今日が最後の機会だったからだ。

 

「済まなかったな、副会長だというのに全然顔を出せなくて」

 

「しょうがないよ、リィン君は色々と忙しかったんだもん。その辺は私も生徒会の皆もちゃんとわかっているよ」

 

 真面目な顔をしてそんな風に謝罪をしてきたリィンにトワは苦笑を浮かべながら答える。

 この数ヶ月、リィン・オズボーンがどれだけ祖国のためにその身を粉にして働いていたかを知らぬ者は居ない。

 確かに内戦というどたばたによって授業を短縮する必要が出たり、生徒会の引き継ぎが難航はしたが、それでも目前の少年がやってきた難行に比べればはるかに楽なのは疑いようがないのだから。

 なのに、そんな功績を鼻にかける事もなく副会長として(・・・・・・)律儀に謝罪してくる目前の少年の様子がトワにはどうにもおかしく、同時に嬉しかった。

 

「改めてありがとうね、リィン君。ちゃんとクロウくんを連れて帰ってきてくれて。私のワガママを聞いてくれて」

 

「礼を言うのはこちらの方だよ。あの時の俺はどこか意固地になっていた。

 君がああして説得してくれたからこそ、俺達が5人揃って卒業できるという最良の結末を迎える事に出来たんだ。

 ーーー思えば、君は何時もそうだったよ。アイツと初めて出会って大喧嘩した時、未熟だった俺に自身の過ちに気づかせてくれたのも君だった。

 だから、どうか胸を張って欲しい。クロウ・アームブラストとリィン・オズボーンが再び肩を並べるようになれたのは紛れもないトワ・ハーシェルの功績なんだから」

 

「わ、私はそんな大した事はしてないよ。

 リィン君に私が言った事と来たら、ただのワガママだったわけだし。

 クロウ君と仲直り出来た事は皆リィン君が頑張ったからだよ!」

 

「いや、ワガママだなんて卑下しているけど君のワガママはいつだって君の優しさから出ているものじゃないか。

 そんな君の優しさが何時だって俺を導いてくれたんだ。だから、やはりスゴイのは君の方さ」

 

「だから、それはリィン君がそんな私のワガママを聞いてくれる器の大きな人だからだよ~。

 どう考えてもスゴイのは私なんかよりもリィン君の方だよ~」

 

「いやいや、トワの方が……」

 

「ううん、リィン君の方が……」

 

 どれくらいの間相手が如何に素晴らしい人物なのかというある種の惚気とも言える称え合いを行っていただろうか、やがてどちらの方も同時にクスリと笑みを零して

 

「懐かしいな。思えば出会った時も俺たちはこんな風だったよな」

 

「ふふふ、そうだね。入学式の時もこんな風になって、そんな私達の様子が面白かったのかアンちゃんが声をかけてきて、それで3人揃って友達になって、何時しかそこにクロウ君やジョルジュ君も加わって5人で一緒に居るようになったんだよね」

 

「ああ、そうだったな。ーーー改めて思うよ、俺はトールズに入学して本当に良かった。

 トールズに入学したおかげで俺は成長することが出来た。

 ジョルジュ・ノーム、アンゼリカ・ログナー、クロウ・アームブラストという生涯の友と出会うことが出来た。

 何よりも、トワ・ハーシェルという最愛の少女に出会うことが出来たんだから。

 そこまで信心深い方ではないけど、空の女神の導きに感謝したい気分だよ。

 ーーーいや、この場合は獅子心皇帝陛下のお導きかな?」

 

「リィン君……」

 

 そこでリィンは何かを決意するかのように僅かに目を閉じて

 次の瞬間、決意をその瞳に宿して意を決して告げていた。

 

「そして、そんな君だからこそ打ち明けておきたいんだ。

 これから俺が何をしようとしていてるのかを。

 宰相閣下ーーーいいや、俺の父ギリアス・オズボーンが一体この国を何処に導こうとしているのかを」

 

 そうしてリィンは打ち明けた。

 自分の父が何をしようとしているのかを。

 それを止めるためにも自分は父に忠実な手駒だと振る舞いながらも、何れその首に刃を届かせるための獅子身中の虫となる事を。

 そしてオリヴァルト殿下とクロウの二人には既にその事を打ち明けている事を。

 それはクロウを引き入れた時のような、その力を頼りにしての事ではない。

 ただ、目前の愛する人には自分の真意を知っておいて欲しいと思った、そんな私情(・・)によるものであった。

 

「……そういうわけで俺とオリヴァルト殿下は今や肩を並べる同志になったんだ。

 だから、表向き激しくやりあっているように見えてもそれはあくまでそういうフリ(・・)だから、どうか安心して欲しい」

 

 そう告げるトワ・ハーシェルが最も愛おしい少年の微笑むその表情には雄々しき父性と慈しむ母性に満ちている。

 そこにトワは愛する相手の自分に対する気遣い(・・・)を感じて嬉しさと同時に寂しさを覚えた。

 彼は自分を気遣ってくれている、オリヴァルト殿下の秘書へと就任することが決定している自分を。

 愛する夫である彼と敬愛する主君であるオリヴァルト殿下が政敵(・・)として激しくやり合う事になるが、それはあくまで表面上の事だと教えてくれたのだ。

 総てはーーー鉄血宰相ギリアス・オズボーンに刃を届かせるためだと、雄々しくて頼もしい表情を浮かべ、言葉の中に覇気を漲らせて。

 それは多くの者を魅了する“英雄”の笑みだ。この人に任せておけば総て安心なのだと、そんな風に思わせる。

 頼もしさと共に安堵を覚えるべきそんな笑みを前にしてトワは……

 

「リィン君、少しだけかがんでくれるかな?」

 

「?ああ、こうかな」

 

 そっと包み込むように屈んだ少年の顔を自分の胸元で抱きしめていた。

 

「ーーーーーーーーーーーーーーー」

 

「リィン君……リィン君は凄い人だと思うよ。

 初めて会った時から堂々としていて自信に溢れていて。

 もの凄く優秀で、でもそんな優秀さを鼻にかけるような事もしなくて何時だって前へ前へと進み続ける頑張り屋さんで。

 何よりも、リィン君がそんな風に頑張るのは何時だって“誰か”を助けるためだった。

 出会った頃からとっても優しくてとっても強くて、自分が辛い時でも色んな人の事を思いやって手を差し伸べて、そうして何時のまにか、《灰色の騎士》だなんて呼ばれる帝国の“英雄”にまでなった」

 

 

 “英雄”という言葉の体現者、それこそが世間が思い描くリィン・オズボーンという少年の人物像だろう。

 帝国宰相の一人息子で、小さい頃に母を失って、そんな悲劇を繰り返させないために、他の誰かに味合わせないために強くなる事を誓った。

 そしてその誓いを実現するために怠惰という言葉を遠い日に捨て去ったかのように努力を重ねて、ついには内戦を終わらせるまでの存在となった。

 そんなお伽噺の主人公のような完全無欠の超人だと、そう多くの人は思い込んでいる(・・・・・・・)

 

「でも、覚えていて欲しいんだ。

 リィン君は、あくまで一人の人間だってことを」

 

 だがトワ・ハーシェルは知っている。

 眼の前の少年が、どれだけお父さんの事を尊敬していたのかを。

 お父さんに褒めてもらいたくて、お母さんの時のような事を繰り返したくなくて、誰かのために何時だって一生懸命だった何処にでも居る普通の優しい少年なのだという事を。

 

 確かにリィンは、自分の愛する人は客観的に見て優れた才智を有しているだろう。

 いや才智だけではない、心もそうだ。どんな絶望的な状況でも決して諦めずに、辛くて泣き出して当然の状況でも頼もしく笑いながら、周囲を安心させる。そんな強い人だろう。

 だけど、どれほど強かったとしてもそれでも彼は自分と同じ人間なのだ。

 時に悩み、悔み、笑い、そして泣く、何処にでも居る普通の優しくて愛しい少年なのだ。

 

「私ね、誰よりも優れた“英雄”なんて居ないと思うんだ」

 

 それは決しての事や世に謳われた“英雄”達の事を過小評価しているわけではない。

 むしろその逆だ、彼女は“英雄”だ等という偶像で彼らの事を見ていない。

 故に彼らの成し遂げた偉業を“英雄”だから、“女神に選ばれた特別な存在”だから出来て当然なのだとそんな風に決して捉えない。

 彼らも自分たちと同じく、時に悩み、悔み、笑い、そして泣く同じ人間で、そんな彼らが“英雄”と呼ばれるようにまでなったその軌跡へ心からの敬意を抱いている。

 だけど、同時にこうも思うのだ。“英雄”だからあの人は特別だからと周囲はその人に甘え続けて良いのかと。

 

 それは多分、違うはずだ。だって世に謳われる“英雄”とは決して“孤高”の存在だったわけではないのだから。

 ドライケルス大帝にリアンヌ・サンドロットやロラン・ヴァンダールを始めとする多くの仲間が居たように。

 “英雄”にはそれを支える数多くの人が居たはずなのだ。それは歴史書に載るような人物だけではない、細やかなどこにでも居るような普通の人が、何気ない想いや、繋がりがその助けになった事だってきっとあるはずなのだ。

 

「だから……リィン君も、何もかも一人で抱え込まないで。

 私は、リィン君の奥さんなんだから。旦那様が辛い時はしっかり支えるよ」

 

「俺は……別に辛くなんて……」

 

「嘘ばっかり。

 ……辛くないはずないよね、だってオズボーン宰相はリィン君のお父さんなんだもん。

 どれだけリィン君がお父さんに褒めてほしくて、お父さんのために頑張ってきたのか私はよく知っているよ。

 そんな大好きなお父さん(・・・・・・・・)と戦う事になって、ひょっとしたらクレアさんやレクターさんーーーお義姉さんやお義兄さんともそうなるかもしれなくて辛くないわけが無いんだよ。

 だってリィン君はとっても優しい人(・・・・)だから」

 

 法の守護者、軍人の理想、鋼の化身、断頭台、閃剣、エレボニアの剣、閃刃、炎神。

 そんな多くの異名で誰もが彼を“英雄”だと讃えている。

 だけど、トワ・ハーシェルは知っているのだ。

 彼がとても優しい一人の少年に過ぎない事を。

 何故ならば、彼女が愛したのはそんな“英雄”ではない優しい頑張り屋さんの少年なのだから。

 

「どんな時でもひたむきに前へ前へと進み続ける頑張り屋さんなところはリィン君の良いところだと思うよ。

 でもねーーー何時もずっと立ち続ける必要はないんだよ。

 疲れた時には休んだって良いと思うんだーーーそれこそ、“英雄”だなんて呼ばれる凄い人でも、ね。

 だって私はリィン君の奥さんなんだから。私の前で位、強がらず(・・・・)にね」

 

「ぁ………」

 

 伝わってくる温もりと慈愛に満ち溢れた優しい言葉。

 それはリィンの心にどこまでも染み渡って

 

「……参ったな。母さんが死んだあの日に、もう泣いてばかり嘆いてばかりの弱い自分を変えて、誰かの涙を拭える強い男になるんだって誓って、そうなれて来たと思っていたのに。

 こんな……一番好きな人の前で一番みっともない姿を晒すだなんて……情けない姿を晒すだなんて……」

 

 気がつけばリィンの頬を涙が伝いだし、発する言葉は嗚咽混じりのものとなっていく。

 そこに先程までの雄々しき英雄の姿は存在しなかった。

 

「良いよ……良いんだよ。そんな優しいリィン君を、私は好きになったんだから」

 

 どこまでもどこまでも優しいまるで聖母のような微笑みと温かさ。

 それを受てリィンは

 

「なんで、なんでなんだよ父さん!俺はただ、貴方の力になりたかったのに!

 弱い足手まといじゃなくて、肩を並べて戦えるような立派な軍人になれば、昔のようにまた一緒に居られるとそう思っていたのに!自慢の息子だって、そう褒めて貰えると思っていたのに!

 なのになんで、貴方は世界大戦なんて馬鹿げた事をやろうとしているんだ!

 そんな事をしようとしていたら、止めるしか無いじゃないか!だって俺は、エレボニアの軍人なんだから!

 この国とそこに住まう人達を守るのが俺の使命なんだから!

 どれだけ()だとしても、戦うしか無いじゃないか!!!」

 

 堰を切ったように、他の誰に対しても決して明かす事は出来なかった己が心中の中の本音を、弱さを曝け出す。

 英雄としてではなく、どこにでも居るただの父親の事が大好きだった少年として。

 そしてそんな愛する少年をトワ・ハーシェルは優しく抱きしめ、寄り添い続けるのであった……




クロウ・アームブラストは互いに高め合い、肩を並べ戦う親友。
トワ・ハーシェルはリィン・オズボーンが帝国の英雄という強がりを捨てて、己が弱さを曝け出す事のできる唯一の女性。
そんな立ち位置です。


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卒業

トールズの一学年の人数は一クラス30名程度×6の180名程度と想定。
第2分校の生徒数の少なさはまあ作劇上の都合だと判断しています。

そしてちょくちょく述べていましたが、トールズ入学できる奴卒業できる奴は
帝国に於ける文武両道のやべぇ級の上澄みを想定していますし、カリキュラムもそれに相応しいかなり高度かつ厳しい内容だと想定しています。
なので本編での緩く見える部分はアレです、良く有る宣伝用のキラキラした部分だけを切り取っているryもといネームドキャラ達はそんな厳しい訓練を受けながらも和やかに過ごせる怪物共の集まりという事なのでしょう。

担任教官の名前のようにサラッと流されていましたが、Ⅶ組のやった圧縮カリキュラムとか密度が尋常じゃなかったというか、もはや某どこぞの光の奴隷たちがやっているような狂気の沙汰と言える領域のアレだったのでは?と思っています。


 七曜暦1205年3月20日、トリスタの街には早朝より多くの人間が集まり、されど騒々しさとは無縁の厳粛な空気に包まれていた。終わりであると同時に始まりともなる儀式、トールズ士官学院第220期生及び特別カリキュラムを受け、見事全員が合格認定を受けた特科クラスⅦ組の面々の卒業式が執り行われているのだ。

 

「まずは本日この記念すべき日を誰一人として欠ける事無く迎えられたことを空の女神に感謝したい」

 

 礼装に身を包んだ学生達は一糸の乱れも無く、教練通りに整然と整列しながら理事長たるオリヴァルト・ライゼ・アルノール皇子の訓示に耳を傾ける。正面の壇上に整列する教官達もまた礼装に身を包み、生徒達以上に綺麗に正した姿勢で佇む。

 普段より実直なナイトハルト教官やハインリッヒ教頭は無論の事、普段はどこかだらしのない印象を与えるマカロフ教官にサラ教官も今日この時ばかりは、そのようなだらしのなさとは無縁な謹厳な表情を浮かべている。

 ヴァンダイク学院長とベアトリクス教官は孫を見る祖父母のような慈愛に満ちた優しい表情を浮かべ、新米であるメアリー教官は2度目となる教え子達との別れに際して既にその瞳に涙をうるませ始めている。

 

「『若者よ、世の礎たれ』、かつて入学式の時にも送られた大帝陛下の残したこの言葉。

 かつて私は君たちにその意味を一人一人考えて貰いたいと告げたが、どうだろうか?

 旅立つ今日この日、それぞれ答えは見つかっただろうか?」

 

 告げられた言葉、それを前にして卒業生たちは一様に目を閉じ己が胸に手を当てて、己自身へと問いかける。

 

「見つかったという者はーーーどうか、その答えを胸に誇りを抱き進んで行って欲しい。

 未だ見つかっていないという者も別段焦る必要はない。手探りでも良い、その答えを探しながら少しずつでも前へと進んで行って欲しい。

 そしてその上で私見を述べさせてもらうならば、諸君は既に十二分にこの言葉を体現していると思う」

 

 そこでオリビエは心の底から嬉しそうな笑みを浮かべる。

 その笑みの中には目前の若者たちに対する誇らしさが宿っていた。

 

「内戦というこの国を二つに別つ事になった悲劇。

 それに際しても君たちは手を取り合うことを決して辞めなかった。

 そして、一人一人が思いの違いはあれど、悲劇を終わらせるべく尽力し、結果こうして誰一人として欠ける事無く、こうして今日この日を迎えることが出来た。

 私はそれが何よりも嬉しく同時に誇らしい。私だけではない、諸君の成長を見守っていた教官方もきっと同じ、いや私などよりもはるかに誇らしく思っている事だろう」

 

 オリビエの言葉を裏付けるように壇上に整列する教官陣の卒業生を見る視線には誇らしさと慈しみ、そして同時に別れる事への寂寥感が宿っていた。中には涙の雫が滲み出している者も居る。

 

「諸君も知っての通り、今この帝国は大きな変革の時を迎えつつある。

 そんな時代に於いて巣立つ君たちは、これから多くの“壁”へとぶつかる事になるだろう。

 思い描いていた理想を実現できないもどかしさ、悔しさ、様々なしがらみ、そうしたものを味わい、もう駄目だと総てを投げ出したくなる時も訪れるかもしれない」

 

 語る言葉、そこには彼の実感が伴っていた。

 おそらくは彼自身もそうした苦渋や辛酸を何度も味わったのだと思わせるだけの重みがその言葉には宿っていた。

 

「だが、それでもそんな時はどうか思い出して欲しい、君たちには頼れる者がすぐ傍に居るのだということを。

 君達の隣の者達を見て欲しい。共に同じ学舎で語らい、勉学に励み、競争し、同じ釜の飯を食べた仲間だ。君達の世話になった先輩達を思い浮かべて欲しい。君達が指導した後輩達を思い浮かべて欲しい。彼らは同じ場所で同じ時を過ごした仲間だ。そして君たちの場合はそれだけではない、手を取り合い共に内戦を乗り越えた戦友達でもある」

 

 その言葉に生徒たちは互いの顔をちらりと見る。あるいは家族よりも濃い時間を過ごしたかもしれない血は繋がっていない、されど確かな絆で結ばれた友の姿をその目に焼きつける。

 

「多くの者が、卒業して離れ離れになるだろう。

 四六時中顔を見合わせていた今までとは違い、そう簡単に会う事はできなくなるだろう。

 だが、それでも一度紡いだ絆というのは、その程度で壊れたりするようなものではない。

 そのかけがえのない絆は、きっと君たちのこれからを照らし続けてくれる。

 辛い時も悲しい時も諦めかけたその時も、その“財産”は君たちの心をきっと支えてくれる」

 

 自分自身にもそんな財産があるのだと証明するかのような誇らしさを宿しながらオリビエは続けていく。

 そして打って変わってどこか悪戯っぽい笑みを浮かべて

 

「そうだな、それでも駄目なら君たちの頼れる恩師達に相談しに来ればいい。

 かくいう私もそこに居る学院長には卒業後も何度もお世話になったのだからね。

 ただし、余り高いものを奢ってもらえることを期待してはいけないよ?

 何せ君たち皆が一斉におしかけたら、先生方が破産してしまうからね。

 むしろ、君たちの方が学生時代の恩返しに先生方に奢る位の気概を持つように♪」

 

 くすくす、と幾人かの学生達の間で堪えた笑いが漏れ、教官達もまた苦笑を浮かべる。

 

「さて長話につきあわされてうんざりしてきた者たちも居るだろうから、この辺りで切り上げさせてもらうとしよう。

 最後に改めてーーー卒業おめでとう。君たちのこれから先の人生に空の女神の祝福と獅子心皇帝の導きがあらんことを」

 

 そうして最後にオリビエは人好きのする微笑みを浮かべて締めくくる。

 教官も生徒たちもその場にで起立して最敬礼を行うのであった。

 

 そしてそのまま皇族代表として理事長に続き、政府からの代表としてカール・レーグニッツ帝都知事が、財界からの代表としてRFグループのイリーナ・ラインフォルト会長が、そして最後に軍の代表として学院長でもあるウォルフガング・ヴァンダイク大元帥の訓辞が続いて行く。

 

 来賓たちの挨拶が終わると生徒会長へと就任したパトリック・ハイアームズが在校生の代表として送辞を述べる。そこには入学時の傲慢さに満ちた貴族のお坊ちゃんの姿はなく、これからのトールズを託すに足る若獅子としての凛々しさが満ちていた。

 そうして世話になった先輩方、そして好敵手(・・・)であるⅦ組の面々との別れに対する寂寥感を滲ませながらも完璧な送辞を行うのであった。

 

 そして式典の締めくくりとして卒業生代表たる生徒会会長を務めたトワ・ハーシェルが壇上へと登る。首席であるリィンの方が相応しいのではないかという意見も出たが、他ならぬ当人が「自分たち220期生の代表として最も相応しいのは自分ではなく、内戦の最中でも生徒会長として在校生を纏めていた彼女だ」と主張したために結局トワへとなった。

 

「春の訪れを迎える中で、我々トールズ士官学院第220期生総勢190名は無事卒業する事が出来ました」

 

入学時に入学生代表として挨拶を行った少女はそう緊張しながらも堂々とした様子で挨拶を行う。体躯については入学時とほとんど変わらなかった彼女だが、中身はそうではない。多くの経験を経て立派に成長を遂げた彼女は、卒業後帝国副宰相の秘書官への就任が決定している、紛れもないこの世代を代表する才女だ。

 あるいはそれこそ数十年先には帝国の歴史上でも初となる平民出身の女性の宰相の誕生とてあり得るかもしれない程の。

 

「思えば、この士官学校に入学した日がつい最近の事のように思えます。

 『世の礎たるために』そんな理想に燃え、この学校の門を叩いた私達を待ち構えていたのは厳しく、激しい教練の日々でした」

 

 トールズ士官学院は士官学校として見れば驚きの自由さ、中央士官学院出身者に言わせれば緩さ、を持つ学校だがそれでも軍へと士官を輩出する歴とした軍学校である。当然基礎的な体力面については入学時から徹底的に鍛え上げられる。

 そうして腕に覚えのない者は終わればしばらくは泥のように眠る事になり、覚えのある者でもヘトヘトになり、一部の変態は平然とした様子で終わった後も自習を行う、基礎訓練を専門的な講義の傍らで一年間徹底的に行う。そうして2年になると、ようやく準備は整ったとばかりに待っているのが大半の生徒が二度とやりたくないと口にする事になる行軍訓練だ。

 

 3000セルジュの道のりになる峻嶮な大自然の中をクラスの別無く全員で行軍する事となるそれは、まさしく地獄でも生ぬるい痛苦を味わう一大イベントにしてこの国を担っていく俊英たちに課せられる洗礼だ。30キロの重さの背嚢を背負いながら、山を登り、川を横断し、森を抜け、湿地を進んだ。そして、ナイトハルト教官が言うところ「これはピクニックではない」以上、当然その程度では終わらない。

 

 行軍の途上に於いて正規軍のレンジャー部隊や山岳戦部隊、狙撃部隊が襲撃を掛けてくるので警備をし、これの迎撃をしなければならないのだ。しかもこの襲撃部隊は一部の腕利き頼りとなることを防ぐために、きっちりそうした一部の突出した腕利き達には専用の精鋭をあてがうように編成されているーーーリィンたちの代ではリィンにナイトハルト教官が、クロウにサラ教官が、フリーデルとアンゼリカにベアトリクス教官が差し向けられる事となった。この際特にベアトリクス教官の相手をする事となった両名は狙撃手に遠距離から一方的に蹂躙されるという恐怖を味わい、怖いものなどないかのような女傑二人が「ベアトリクス教官だけは怒らせてはいけない」と口を揃えて言う様になる決して消える事のない畏怖を植え付けられる事となった。

 当然、そんな中で貴族だの平民だのといがみ合っていられるはずもない、死力を尽くして一致団結をする必要へと差し迫られる。そんなこんなで2年の始まりでこの心温まるイベントを経験した後には、大半の生徒は貴族だの平民だのと言った事への拘りは大分薄れ、共に地獄をくぐり抜けた戦友という意識が強くなりだす。

 

 そうして二年になると軍の幹部候補生としての育成という側面が徐々に強くなりだす。士官に最も重要な戦略と戦術、そして指導力も徹底的に鍛えられた。教本の丸暗記は基本であり、そうした基礎という土台の上でどう思考するか対応するかの応用力を問われた。一年生が入学して後輩が出来ると、今度はその後輩たちを育成する手腕を図られる事となる。言われた事をきちんとこなせるようになる基礎を一年時に徹底的に叩き込み、二年時からは士官として自発的に行動できる積極性や自律能力、応用力を問う、それがトールズ士官学院の基本的な育成方針だ。

 

「しかし、そのような中にあっても私達には教官方の厳しくも、博識に富んだ温かな指導、導いてくれる先輩方、そして何よりも共に戦うかけがえの無い級友達がいました。私達は共に支え合い、競い合い、高め合い、無事今日という日を迎えることが出来たのです」

 

 当然そんなスパルタに誰もが平然と付いていけるわけではない。

 故郷の誇りとして意気揚々と送り出された新入生が、周囲と講義の余りのレベルの高さに挫折して、そのまま退学するというケースも毎年数名程度は出るのが実情だ。

 しかし、今世代ではついに一人の脱落者を出すこともなく全員が無事に卒業するという快挙を成し遂げることが出来た。

 そしてその原動力となったのは間違いなく、今壇上にて挨拶している220期生の代表である生徒会長も務めた少女に相違なかった。

 優秀な人間にありがちな傲慢さなど欠片も有していない彼女は親身にそんな生徒に寄り添い、手を差し伸べ続けた。だからこそ、第220期生は今、誰一人として欠ける事無く門出の日を迎えることが出来たのだ。

 それはトールズ士官学院の長き歴史の中でも屈指の女傑たるかの黄金の羅刹でも為し得なかった快挙である。

 

「教官の皆様、本当にありがとうございました。貴方方の指導のおかげで今日と言う日を迎える事が出来ました。本校には経験に富み、多くの知識を有し、厳しさと思いやりを持った教官方が数多くおります。帝国においても指折りの教官である皆さまの指導を受けられたのは我々の誇りです」

 

 お世辞ではない心からの誠意の籠もった礼の言葉。

 それを受けて雛鳥達を見守り続けた教官達の瞳に涙が浮かび始める。

 教官から見て、220期生は本当に手のかかる世代だった。

 かの鉄血宰相の実子ということで貴族生徒と喧嘩を繰り広げたリィン。

 規則破りの常習犯たるアンゼリカにクロウと彼らの記憶の中でも一際手のかかる問題児の多い世代だったのだ。

 だが、そんな手のかかるような生徒程可愛くなるのが教師心というもの。

 そんな未熟だった彼らがーーー帝都において憎悪をぶつけ合い本気の死闘を演じた二人が、こうしてまた肩を並べて巣立ちの日を迎えられたことが、彼らにとっては何よりも嬉しかった。

 内戦という悲劇の最中、国中が平民と貴族の二つに別れる中、有角の獅子の紋章を掲げる者として手を携えたこの教え子たちのなんと眩しく誇らしかった事かと。

 そしてそれは特科クラスⅦ組の面々も同じだ。理事長の肝いりで平民と貴族の別なく集められた少数精鋭の試験クラス。

 発足した当初は諍いが絶えず、また放蕩皇子の戯れだと揶揄するような声も存在した。

 しかし、結果を見ればそれは大成功だったのだろう、皇子の思い描いた理想を体現するかのように彼らは立場の違いを超えてかけがえの無い絆で結ばれ、大きく成長したのだから。

 それこそあの地獄すら生温いような、圧縮カリキュラムを全員が見事こなし合格して、一年で巣立ちの時を迎える程に。

 

「今日まで私達は守られる存在でありました。ですが今日この日、この瞬間より私達は世の礎を築く一員となります。きっと若輩者の私達には多くの苦難が待ち受けているでしょう。守られ、導かれる側から、守り、導く側へと変わるその重さに身動きが取れなくなる時も出てくるかもしれません。

 ですが、そんな中でもこの学校で得た多くの財産を支えに、有角の獅子の紋章を掲げる者として誇りと共に進んでいく事を改めて誓います。…最後に改めて我々を今日この日まで守り支えて頂いた全ての人に感謝を捧げます。本当にありがとうございました」

 

 深々とした御辞宜に全ての人々が拍手で答える。

 

 「国歌斉唱!」

 

 式典の最後の最後、ハインリッヒ教頭が叫ぶように通達する。その目には大粒の涙が溢れていた。

 メアリー教官指揮の下吹奏楽部の伴奏が流れ出し、それに合わせて誰もが誇らしさと共に歌い出す。

 

 そんな最中であった。

 

「うわああああああああああん!!」

 

 ダムが決壊したかのように大きな泣き声が挙がり出す。

 「今まで自分は泣いたことなど無い」そう言っていたミリアム・オライオンが生まれてから初めての涙を流し始めたのだ。

 かけがえの無い仲間との黄金色に輝いていた時間、それが終わる寂寥感を前にして。

 

 それがきっかけであった。

 涙を堪えていたⅦ組の面々、そして卒業生たちの瞳から涙が溢れ出し、軍学校の卒業式に相応しい力強さに満ちていた歌声に嗚咽が混じり出す。

 理解している、これが今生の別れなどではない事は。

 信じている、紡いだ絆はそう容易く壊れるものではない事を。

 

 されど、それでも胸の内より溢れてくるこの寂寥感はどうしようもない。

 時に喧嘩をして二度と顔も見たくないと思った時もあったーーーされどいざ別れの時を迎えてみればどうしようもなく寂しい。

 そんな最中リィンは雄々しく歌い続ける。これは次にまた大きく成長して、再会するための旅立ちなのだと示すかのように。

 「泣くな友よ。輝く未来を掴むために、今こそ羽ばたく時なのだと」そう示すかのように。

 生きていれば、きっとまた会えるのだからと。

 

 やがて数百人の学生、教官、来賓たる保護者や関係者による合唱が静かに終わる。一瞬の沈黙が訪れて

 

 次の瞬間、泣きじゃくるトワに代わってリィンが大きな声を張り上げた。

 

「総員解散!」

 

「「「解散!!!」」」

 

 その号令と共に卒業生たちは打ち合わせていたかの如く学生用の軍帽を一斉に空へと投げ捨てた。

 軍帽が投げつけられた空の色は、女神が旅立ちを祝福しているかのようにどこまでも青く澄んでいた……

  



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頂きを目指して

原作ではロラン・ヴァンダールはリアンヌさんに出会う前に命を落としていますが、この作品ではリアンヌさんとしばらく肩を並べて戦った戦友という事となっています。
そしてアルゼイドの開祖はリアンヌさんが率いた鉄機隊の副長だった。この意味がわかりますね?

つまり、リアンヌさんはヴァンダールの剣もアルゼイドの剣も知り尽くしているということです。
共に戦場を駆け抜けた片や戦友の片や腹心の部下が使っていた剣であり、興した流派なわけですから。
しかもそこに愛する人を呪いから解き放つというモチベにより行われた200年の修練が加わって、盟友であったロゼにさえ頼らずに単騎で黒を打倒する覚悟を持つ。
やべぇよこの聖女、マジでどうやったら倒せるんだよ。


 

 士官学校卒業式典御約束の帽子投げの後、最後のHRが各クラスの教室で行われると非公式の学校内打上パーティーが夕方から始まった。講堂の中には2年間育ち盛りの学生たちのために腕を振るい続けてくれたラムゼイ氏が第1学生寮の使用人たちとも協力して作った大量の料理が並ぶ。そして其処では卒業生の大半と在校生に保護者、教官達が集まって無礼講のどんちゃん騒ぎに興じる。

 

 そしてその席でリィンもまた多くの友人達との語らいを行っていた。

 リィンだけではない、クロウもジョルジュもアンゼリカもトワも、5人での語らいは昨日行ったため、今日この時はそれぞれ別れて顔を出していた。

 

「なんだかんだで、こうして顔を合わせてちゃんと話をするのってかなり久しぶりじゃないかしら?」

 

 220期生のマドンナ的存在にしてトワ、アンゼリカに続く3人目の友人であるフリーデル・フェルデンツは多くの男を虜にした微笑を浮かべながら親しげに語りかける。

 

「ああ、そういえばそうだな。

 カレル離宮奪還作戦の前に話したあの時以来か?」

 

「そうそう、あの時は私達も教官方も皆驚いたわよ。

 ようやく帰ってきたと思ったらいきなり皆が見ている目の前で堂々とプロポーズするんだもの。

 在学中に婚約して、卒業式の一週間後すぐに結婚式をやる学生だなんてそうそう居ないんじゃないかしら?

 卒業して離れ離れになるカップルが卒業式の後に婚約まで取り付けるってのは結構あるみたいだけど」

 

「まあ確かに。結婚に関しては士官に任官してある程度やっていけるような自信がついてから、というのが普通(・・)だろうな。

 だが別に普通(・・)であることが正しいというわけでもないしな」

 

「ま、確かにそれはそうよね。

 成人もしないうちに十七勇士に列席されて准将になるような人に普通は(・・・)なんて言葉は意味ないか。

 あーあ、入学した時は互角とまでは言えないにしてもそれなりに渡り合えていた自信あったのになぁ。

 クロウはクロウでふざけた事に三味線引いていたみたいだし、220期生四傑なんて言われていたのに随分と差を付けられちゃったなぁ」

 

 フリーデルはそう肩を竦めながら告げるが、そこにライバルに対する嫉妬や焦りといった昏い感情は全く以て含まれていない。

 どこまでも快活に笑いながら、事実を事実として見据える凛とした強さがそこには宿っていた。

 

「でも、何時までもそうは行かないわよ。

 必ず追いついてみせるわ、貴方のライバルとしてね」

 

 不敵な笑みを浮かべながら叩きつけられるのはどこまでも清澄なる闘気。

 それを受けてリィンもまた笑みを浮かべて

 

「ああ、楽しみにしているよ。だが、そう安々とは行かせん。

 俺とてまだまだ途上の身。再会する時には更に強くなって居るさ」

 

「既にヴァンダールの皆伝で理に至ったのにまだ強くなるって……もしかしてルグィン伯みたいにアルゼイドとヴァンダ-ル双方の流派を収めて、新たな流派の開祖にでもなる気?」

 

「ああ、それも良いかもしれんな。ちょうどかの光の剣匠が我が部隊の副司令官に就任する事だし、教えを乞うにはまたとない機会だ」

 

 冗談のつもりで告げたフリーデルの言葉、それを聞いてリィンは素晴らしい名案を聞いたかのように眼を輝かせる。

 クロスベルに於いてリィン・オズボーンは自分が理に至ったことで無意識のうちに驕っていた事を痛感させられた。

 理などというのはあくまで通過点に過ぎないのだという事をその身を以て味わったのだ。

 目指すべきはさらなる高み、獅子心十七勇士の筆頭である自分は帝国に於いて最強の使い手である事を求められる。

 ならばこそ、ヴァンダールと双璧を為す、アルゼイドの剣を学ぶというのはこの上ない妙案に思えた。

 

 何よりもリィンの中には奇妙な予感があるのだ。

 今の自分では到底勝つことの出来ぬ、巨大な壁がいずれ立ちはだかってくるのではないかという奇妙な予感。

 受け継ぐだけではなく、そこから発展させねば勝ち目の存在し得ない、理に至った今も尚自分よりもはるか高みに居るであろう至高の存在との激突。それが何れ来るであろうという予感が。

 そしてその時にアルゼイドとヴァンダール、この帝国に存在する二大流派、それを受け継いだだけ(・・・・・・・)の剣では太刀打ち出来ないであろうと。

 故にこそリィンはクロスベルの激突以降、ずっとヴァンダールの開祖たるロラン・ヴァンダールを超える(・・・)自分自身の、リィン・オズボーンの剣を編み出すべく模索を続けていた。

 ヴァンダールの剛剣術、それを双剣術に合わせんと試みた。風の剣聖との戦いでその身で味わい、目に焼き付けた八葉の剣、それを取り込めないかと試みた。

 どちらも少しずつだが成果は挙げつつある。しかし、それでもおそらくまだ届かない(・・・・)

 故にこそかの光の剣匠よりアルゼイドの剣を授かる事、それはまさしくリィンにとっては天啓にも等しい光明であったのだ。

 

「え、いや、ちょっと嘘本気?

 ただでさえスピード出世して死ぬほど忙しいはずなのに、この上アルゼイドの剣まで学ぼうだなんて。

 新婚の人間がやろうとする事じゃないわよそれ」

 

 リィン・オズボーンはわずか半年の間に少尉から准将まで駆け上がった。

 それは彼の才幹と実績が為し得たものではあるが、それにしても急激過ぎる出世を果たしたリィンには本来ゆっくりと駆け上がりながら積むはずだった尉官、佐官時代の経験というものがごっそりと抜け落ちている状態になる。

 それを補うためにも彼は司令官の任をこなしながらも、様々な事を部下達から(・・・・・)学ばなければ行けないのだ。

 そこに更にアルゼイドの剣を学ぶ時間が加わるともなれば、もはやそれは人間ではこなすことが不可能な過密スケジュールとなるだろう。

 

「本気さ。かの黄金の羅刹殿に出来たのだ、俺に不可能という道理もあるまい」

 

 しかし、リィン・オズボーンはひるまない。

 ヴァンダールとアルゼイド、双方を修めた先駆者は既に居るのだから臆する事はあるまいと必要であるならばやるだけだと覇気に満ち溢れた様子で正気の沙汰とは思えない難行に平然と挑まんとしている。

 

「やれやれ、これは私も気合を入れないと差を詰めるどころか広がる一方になっちゃうわね」

 

 剣友の飽くなき覇気、それを目の当たりにしてフリーデルは改めて自分の追いつかんとする背中の遠さに思いを馳せ苦笑を浮かべる。しかし、すぐさま不敵な笑みを浮かべて

 

「でも、それでこそ(・・・・・)よ。必ず私もそこに至ってみせるわ」

 

 置いてゆかれたままで居るつもりはないとその清廉な闘志を叩きつけ、笑顔で手を差し出す。

 

「改めて、ありがとうリィン君。貴方と会えて良かったわ」

 

「こちらこそ。君と剣を交える時間は心地よい時間であり、今の俺を構成する大切な血肉の一つだ。

 成長した君と再び互いの剣技をぶつけ合う、その時を楽しみにしているよ」

 

 交わされたのは固い握手。

 リィン・オズボーンとフリーデル・フェルデンツ、共に美男美女であり、在学時にはその手の噂が流れた事もある二人は結局色っぽい雰囲気など欠片も見せず、ただ剣友としての再戦を誓って別れの挨拶を済ませるのであった。

 

・・・

 

「グスッ……ヒック……」

 

 会場の一角。そこでその少女は常の快活な様子をどこかへやり、普段ならば一目散に目を輝かせながら飛び込むであろうご馳走の山にもありつかずに、すすり泣き続けていた。

 彼女の名はミリアム・オライオン、生まれてから泣いた事などなかった少女である。ーーー大切な仲間たちと初めて経験した学生生活との別れを告げる今日この日までは。

 

「……いい加減、泣き止んだらどうだ。らしくもない」

 

 ぶっきらぼうながらも確かな温かみをその言葉の奥に宿し、ユーシス・アルバレアは告げる。

 

「別にこれでずっとお別れってわけじゃないんだから、ね?」

 

「ほ、ほらミリアムちゃん。ラムゼイさん秘伝のアップルパイですよ。とっても美味しそうですよ」

 

 そしてそんなミリアムをアリサとエマはまるで妹を宥める姉のような様子で元気づけんと必死に気遣う。

 しかし、餌付けという何時もなら彼女に対する特効として働くものを前にしてもフルフルと首を振りながら泣き止まないその様は彼女の重症さを証明していた。

 どうしたものかと困ったような空気がⅦ組のメンバーの中で流れ出す。

 ーーーなにより別れを前にして哀しみを覚えているのは何もミリアムだけではないのだ。

 こうして、明朗快活を絵に描いたような少女が泣いている姿を見ていると彼らもまた釣られて泣き出してしまいそうで……

 

「初めてだな、お前がそんな風に泣いたりするのは」

 

 優しげな声が響く。

 その声はどこまでも、妹を愛する兄としての深い慈しみに満ちていて

 

「泣きたいのなら思う存分に泣くと良い。

 それだけお前にとって彼らと過ごす日々が掛け替えの無いものだったという事なんだろう?

 兄として俺が胸を貸してやるさ」

 

 そうしてリィンは可愛らしい義妹を優しく抱きしめてやる。

 するとミリアムは再び堰を切ったように大泣きしだして……

 

「僕やだよ!皆と別れたくなんか無いよ!ずっと皆と一緒に居たいよ!卒業なんかしたくないよ!!!」

 

 涙でリィンの纏った制服、それをぐしょぐしょに汚しながらも泣き続ける。

 そこに天真爛漫な中にもシビアな冷徹さを宿した情報局員としての姿はない。

 どこまでも、大好きな友達と別れるのを嫌がる年相応の子供の姿がそこにあった。

 そうしてミリアム・オライオンはしばらく義兄であるリィンに優しく抱きしめられながら、泣き続けるのであった……

 

・・・

 

「グスッ……えへへ、泣くってこういう事なんだね。

 すっごく悲しくて、胸が張り裂けそうになる位痛くて。

 でも、泣き終わるとなんだかどこかスッキリした気持ちになる。

 こんな気持ち、僕、初めてだよ」

 

 目を赤くはらした状態でミリアムは何時ものように朗らかに笑う。

 

「良かったな。それは紛れもない成長の証だ。お前は以前に比べて、その涙の分だけ大人になれたという事だ」

 

 優しく、愛を込めてリィンはミリアムの頭を撫でてやる。

 その優しい感触にミリアムは嬉しそうに目を細めて

 

「ニシシ、この調子で行けば僕もその内クレアみたいな大人の女(・・・・)になれるかな」

 

「義姉さんのようにかは知らんが、なれるだろうさ。

 お前は俺達の義妹であり、アルティナの義姉なんだからな。

 義姉として義妹にはカッコいいところを見せないとならないだろう?」

 

「そうだよね!僕はもうお姉ちゃんなんだもんね!

 よーし、そうなればバインバインな色気たっぷりの大人の女になるために栄養を一杯取るぞーー!!!」

 

 その言葉を残し、ミリアムは常のような溌剌さは取り戻し、山盛りのご馳走が並んだテーブルへと駆け出して行く。

 そんな義妹の姿をどこまでも優しさに満ちた視線で見送った後にリィンは頼もしい後輩たちの方を向き

 

「改めて、お前たちにはミリアムが随分と世話になったみたいだな。

 まさかあいつが別れが哀しくて泣き出すなんてな。よっぽどⅦ組での日々が楽しかったみたいだ。

 色々と立場の違いも出てきて難しいかもしれんが、今後も義妹と仲良くしてやってくれると有り難い」

 

「ふん、改めて言われるまでもない」

 

「貴族だとか平民だとか、魔女だとか猟兵だとか鉄血の子供だのと言った出自や立場の違いなんて僕らの前では些細な(・・・)事ですよ」

 

「ああ、俺達はⅦ組(・・)なのだから」

 

「そうか……」

 

 何を当然の事を改めて言っているんだと言わんばかりの後輩たちの応答。

 それを前にしてリィンは感慨深い思いを抱き頷いた後にどこか悪戯っぽい笑みを浮かべて

 

「いやはや、随分と成長したものだ。

 相手が貴族だからという理由で噛み付いていた男がそんな風に言うようになるとはな。

 俺もトワも色々と苦労した甲斐があったというものだ」

 

 その言葉が放たれた瞬間、その場に居合わせた者たちは皆マキアスの方へと視線を向けて……

 

「あははは、そうだったそうだった。マキアスと来たら入学したばかりの時は本当にユーシスと喧嘩してばっかりだったもんね」

 

「むぐっ……た、確かに入学したばかりの時はクラスで一番未熟だったという自覚はあるが……」

 

「まあ気にするな。若さゆえの過ちというのは誰とてあるものだ」

 

「ああ、そう言ってもらえると……ってだからなんで君はそう何時もそんなに偉そうなんだ!

 僕に非があった事は認めるが、君のその態度にだって原因がなかったわけじゃないだろう!!!」

 

「うんうん、二人共本当に成長した。私も実に感慨深い」

 

「フィーちゃん、私としてはその言葉。授業中に寝てばかり居たフィーちゃんの方にこそ言いたいんですけど?

 本当にこの3ヶ月、フィーちゃんを卒業させるために私達がどれだけ苦労した事か……」

 

 うふふふと笑いながらも静かなプレッシャーを放つエマのその様子にフィーは冷や汗を垂らして

 

「……委員長様におかれましてはご苦労をお掛けして大変申し訳無いと思うと共にそのご助力に心からの感謝を捧げる所存でございます」

 

 深々と頭を下げる。先程までのしんみりした空気はどこへ行ったのやら、すっかり元気さを取り戻してご馳走を抱えたミリアムも戻り、Ⅶ組の面々は賑やかな時間を過ごして行く。

 

「ラウラ、確か君は卒業後ヴィクター卿の下でアルゼイドの奥義の伝授を受ける予定だったな?」

 

 そんな最中、リィンは先程聞いた名案を実行に移すべくラウラへと話しかけていた。

 

「その通りですが、それが何か?」

 

「実は君に頼みたいことがあってなーーーその奥義の伝授、俺も受けさせて欲しいんだ」

 

 告げられたリィンの言葉にラウラは目を丸くした後に続いて困惑した表情を浮かべる。

 

「し、しかしリィン先輩は既にヴァンダ-ルの皆伝にして理へと至った身。

 父上にもひけをとらない腕をお持ちでしょう、この上アルゼイドの剣まで学ぶ理由などーーー」

 

 “理”それは武の至境とされる武芸者の到達点。

 未だ中伝の身たるラウラにとっては文字通りの遥か彼方にある頂きである。

 そんな頂へと自分と同じ年で有りながら、目前の人物は至っている。

 この上、アルゼイドの剣まで学ばんとする意図がラウラには見えず困惑する。

 

「理など通過点に過ぎんよ。その事を俺はクロスベルで痛感させられた。

 そして更に上を目指すには、ヴァンダールと双璧を為すアルゼイドの剣。

 それを学ぶのが最良だと判断した」

 

 返されたのは飽くなき覇気。

 どこまでも上を目指さんとする挑戦者(・・・)の気概だ。

 

「それで、どうかな?

 無論ヴィクター卿には直接俺からも頼むが、改めて君の方からも頼んでもらえればより効果的だと思ってな」

 

「……一つだけ、お聞かせ頂きたい。

 貴方はそうして手に入れた力を何のために振るうおつもりか」

 

 これだけは問うておかねばならぬとラウラは告げる。

 鉄血宰相の後継者にして鉄血の子ども筆頭、それが目前の人物だ。

 恩義はある、尊敬もしている。

 されど、今一度何のために目前の人物が戦わんとしているか、それを見極めなければならないと意を決して。

 

「愚問だな。私は皇帝陛下直属の騎士。当然私がその剣を振るうのは何時だとて偉大なる皇帝陛下の為さ。

 そしてその上で、愛する祖国とそこに住まう民、そして大切な人を必ずや守り抜くため。

 ーーー私が力を求めているのはそんなささやかな理由だよ。

 まあ剣の道を極めたいという武人としての性が全く無いとは言えんがね」

 

 返されたのはどこまでも清澄で高潔な意志。

 そこには陶酔も狂気も一辺たりとも混じっていなかった。

 

「……承知いたしました。

 そういう事であれば、私の方からも父に頼んでみます。

 こちらとしてもリィン先輩ほどの方と剣を合わせる機会が得られるのは願ってもない事ですから」

 

 故にラウラ・S・アルゼイドも笑顔を浮かべながら、その先輩よりの頼み事を快く受け入れるのであった。

 きっと自分たちが足掻きながら辿り着こうとしている場所は、描く軌跡は異なれど同じところなのだと信じて……

 




黄金の羅刹「つまり灰色の騎士殿はヴァンダールとアルゼイド、双方に於いて私の弟弟子となるという事。これはもはや我が義弟と言っても過言ではあるまい?」
氷の乙女「」


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宿命のライバル

ヴィンセント様のイメージは暗い過去がなかった場合のオリビエ


「ぜぇぜぇ……久しいな、我が宿命のライバルよ」

 

 息も絶え絶えと言った様子で自称リィンの宿命のライバルたるヴィンセント・フロラルドはそれでも必死に体裁を整えて優雅、と本人は信じ切っている様子で大仰にリィンへと挨拶する。

 

「あ、ああ……随分とボロボロの状態だが大丈夫なのか?」

 

「問題ない……華麗なる薔薇の周りにその輝きに惹かれる者たちが集まってくるのは宿業というもの。そうだ、今日で彼女とは離れ離れになるのだから問題ない問題ない、何も問題はない」

 

 血走った目で言い放つそこには華麗さは微塵も存在しておらず、ただ恐怖に満ちていた。

 

「と、兎にも角にもだ。我が宿命のライバルよ。

 改めて私は君に宣戦布告して置こうと思ってね」

 

「宣戦布告?」

 

「ああ、結局私は学生時代君に勝つことが出来なかった。

 座学でも実技でも入学当時から常に君は私の上を行き、今や君は帝国の若き英雄だ。

 随分と差は付けられてしまったとそう認めざるを得ない」

 

真剣そのものの様子でヴィンセント・フロラルドは告げる。

 ヴィンセントとリィンの因縁は入学時の成績と武術の授業に起因する。

 リィンが次席であったのに対してヴィンセントは三位に位置していた。

 そして首席であるトワはあの通りの容姿と性格なのも相まって、実技の時間で真っ向勝負にてリィンに敗北したヴィンセントは彼を宿命のライバルと見定めて、競い続けていた。

 しかし、ヴィンセントがリィンに勝つ事はついぞなかった。

 そうして今やリィン・オズボーンは若き英雄にしてアルノールの守護神とも謳われる皇帝直属の筆頭騎士。

 自信家のヴィンセントと言えど、流石にこれで自分と目前のライバルが対等等と言える程に自惚れては居ない。

 

「しかし、必ずや私は君に追いついてみせよう。

 そう、何故ならば私達の本当の戦いはこれからなのだから。

 オリヴァルト殿下の仰っていた通り、今帝国は大きな変革の時は迎えつつ有る。

 多くの貴族が苦境に喘ぎ、貴族の何たるかを忘れてしまっている。

 だが、そんな中だからこそ私は気高き薔薇として在り続けよう。

 崩れ行く《ノブレス・オブリージェ》、そんな最中で我がフロラルド家に忠節を尽くす臣下、そして領民たちが激動の時代の最中、自らの道を見失う事無く、諸君の寄って立つ場所は此処にあるのだと証明するためにも。

 煌めく宝石の輝きは、決して磨き抜かれた鋼鉄の輝きに劣るものではないと証明するためにもな」

 

 そこでヴィンセントは常の仰々しく芝居がかった様子とは異なる真剣そのものの様子を見せて

 

「故に君も心しておく事だ。

 もしも君が、いや君たち親子が祖国の道を誤らせんとしたその時は、必ずやこの私が止めてみせよう。

 誇り高きフロラルド伯爵家の長子としてな。

 ーーーそのような未来が訪れる事無く、君とは生涯の好敵手として競い合い続ける事が出来る事を心から祈っているよ、リィン(・・・)

 

「ああ、心しておこうヴィンセント(・・・・・・)。」

 

 そしてそんな目前の好敵手(・・・)の姿にリィンも表情を綻ばせながら頷く。

 その言葉の中に確かな誇りを感じ取り、敬意と共に。

 そうして二人は固い握手を交わし合う。緊張感と敬意が同居した好敵手としての関係も存在するのだと証明するかのように。

 友とは何も肩を並べて共に歩んでいく事を指すのではないのだという事を示すかのように……

 

 

 

 

 

「ところでリィン、その女性に一方的な好意を抱かれて熱烈なアプローチをかけられている際に上手い具合に断る方法はないだろうか?」

 

 先程までの気高き真の貴族から一転、藁にもすがるような思いでヴィンセントは弱り果てた様子で告げる。

 

「……誠意を以て断るしか無いんじゃないか」

 

 リィンが告げるのはそんな一般論。

 トワとの結婚が決まっているリィンだが、彼の場合はトワ以外の女性との交際経験など無く男女間の機微など不得手中の不得手である。

 一般論を告げる事くらいしか出来る事など無いのである。

 

「断っているつもりなのだ。だが、相手はまるで聞き耳を持たず何故だか照れ隠しだと受け取ってしまうのだ」

 

「ああ……」

 

 瞬間リィンの頭に過るのは毎度邂逅する度に麻薬でも使っているのではないかと疑うようなテンションで勝手に盛り上がって、わけのわからない妄言ばかりを告げてくる血のように真赤な髪を持った少女の皮を被った戦鬼の姿。

 

「まあ、そのなんだ、強く生きろよ。曰く薔薇の華麗さに惹かれて人が集まるのは当然、なんだろ?

 向こうがわかってくれるまで丁重に断り続けるしか無いだろう。本当の本気で嫌だというのなら、公的な機関に頼るのも一つの手では有ると思うぞ?」

 

 なお、リィンに関して言えば彼に執心な少女はそこらの兵士如き歯牙にもかけず蹴散らすためにリィン自身が対処する以外に手は無い。

 熱烈な崇拝者や追っかけが発生するのは英雄の持つ宿命と言えるのものなので致し方ない事である。

 

「む、むぅしかし……彼女に悪意は無いし、私を本気で慕ってくれている事も伝わるからな……流石にそこまでするのは少々気が咎めるのだよ……」

 

 醜聞に対してはとにかく敏感なのが貴族社会というものだ。

 伯爵家の嫡男に一方的に言い寄り続けた挙げ句、罰を受ける事になった男爵家の令嬢の先行きがどうなるか等推して知るべしである。

 マルガリータ・ドレスデンは確かに色々(・・)強烈(・・)な女性で交際するというのは遠慮したいところであるが、何もそこまで追い詰める事などヴィンセントは望んでいない。

 

「ククク、お困りみたいだな。しゃあねぇ、役立たずのそこの童貞に代わって経験豊富な俺が相談に乗ってやろうじゃねぇか」

 

 颯爽とした様子で現れたのは百戦錬磨を自称するクロウ・アームブラスト。

 悪友のその発言にもうじき童貞を卒業する事となる男は多少はイラッとしたものの受け流す。こと女性関係に関しては自分は不得手であるという自覚があるが故に。

 

 実際三枚目の印象が強いクロウであるが、百戦錬磨を自称するだけあって220期生の中ではアンゼリカが圧倒的過ぎて霞んでいるところがあるが、女性人気はかなりのものである。

 顔立ちは整っているし、不良ではあったものの決して頭が悪いわけではないし、気さくで世慣れた遊び人なその様子は結婚相手としてはともかく、遊び相手としては色々な意味で最適だからである。ある女子生徒曰く「ときおり見せるどこか影のあるその様子もギャップ萌えでたまらない」との事である。

 

 ちなみにヴィンセントはヴィンセントでとかく三枚目な印象が強いが、名門伯爵家の嫡男であり、文武両道であり、性格にしても自信家ではあるものの決して傲慢ではないため貴族社会に於いては屈指の良物件と言って良く、華麗なる薔薇に惹き寄せられた人物は結構な数で存在したのである。

 

 そんなわけで、今この場に集った男の中で女性関係が一番慎ましいのはリィンであろう。

 二人の義姉と義妹が一人で、更に数ヶ月前にもう一人義妹が加わった事で女性との接し方が決してわからずしどろもどろになるということはないのだが、元より服を来て歩く規則だの鋼鉄の戦車だのと言われるストイックな男で、煩悩に惑わされそうになった時は道場で地獄の修練を受けるという筋金入りの男である。

 加えて、入学時からずっと行動を共にして通常時は厳しさの中に優しさを見せる男が、その少女に対しては優しさの中に時折厳しさを見せるというあからさまなまでに普段に比べて優しい表情を浮かべていれば、大抵の女性はそういう対象としては見ないだろう。

 

 戦いに於いては既に百戦錬磨と言っていい英雄であったが、この手の分野に関して言えばクロウ・アームブラストに後塵を喫している事は明らかであった。最も当人に言わせれば「一番大事な戦いを落としていないのだから、なんら問題ない」という事になるのだが。

 

「良いか、ヴィンセント。女なんてのは成熟した大人ならいざしらず結局のところ大半は、相手を見ているわけじゃなくて自分の中で膨らませた勝手な理想像に恋しているもんなんだよ。

 そうしてちょっと自分の中の膨らませたその理想像から外れた途端「そんな人だと思わなかった」だとか勝手に失望して、あまつさえ「嫌い」だとまで言ってくれるそんな生き物なんだよ」

 

「いや、トワはそんな人間じゃないぞ」

 

 憮然とした様子でリィンは私怨と偏見混じりで女性という存在について語るクロウに抗議する。

 何せそうして幻滅させ、遠ざけるるために色々と行ったというのに結局彼女は自分の事などお見通しだったのだから。

 

「だーてめぇらみたいなのは例外なんだよ!例外!希少例を持ち出して抗議するんじゃねぇよ!」

 

 シッシッと言わんばかりにクロウはやっかみ混じりの態度で乱入した側でありながら、リィンを追い払おうとする。

 そしてそんなクロウの様子を受けてリィンは釈然としない思いを抱えながらも食欲を満たす方針へと転換し始めた。

 トワ・ハーシェルのような少女は希少例なのだと言われてしまえば、それは確かだし、勝手に盛り上がって執拗に迫るストーカーの存在を思えばクロウの言葉にもまあ一理あると思ったからでもあるが、最大の理由はこの手の男女関係に関して自分は門外漢だという自覚があったからでもある。

 

「つーわけでだ、押して駄目なら引いてみろ!此処は一つイメージチェンジで幻滅させる手に出ちゃどうだ」

 

 やはりラムゼイ氏の作る料理は美味い。今日でこれともお別れだと思うと寂しいものがある。

 後でまた正式に礼を言っておこう。特製アップルパイに舌鼓をうちながらリィンはそんな事を思う。

 

「……なるほど、綺麗な薔薇には棘があること。それを彼女へと教えるのだな。ふふふ、感謝するぞクロウ。道が開かれた思いだ」

 

「なーに良いって事よ!」

 

 溺れる中で縋る藁を手に入れたヴィンセントは目を輝かせる。

 かくしてどこか締まらない空気で自身の生涯のライバルとの別れを行ったリィンはその後改めてラムゼイ氏に二年間のお礼を述べ、最後には何時もの面子にⅦ組、そしてサラ教官も加えた状態でフィデリオに記念写真を撮ってもらい、打ち上げを締めくくるのであった。

 

 なお、余談となるがフロラルド伯爵家長子たるヴィンセントとドレスデン男爵家の長女マルガリータの婚約報告を220期生達が聞く事になるのはちょうどこの1年後、221期生の卒業の直後の事であった。

 




トワは人生のパートナー
クロウは相棒
ジョルジュとアンゼリカは生涯の友
フリーデルは剣友
ヴィンセントは生涯のライバル

灰色の騎士が特に仲が良かったのはこの辺り。
友人と呼べる交流があったのは他にも当然居るが、全員やっていたら終わらないのでその辺は割愛。
リッテンハイム?奴はほら一年の頃はともかく2年の途中からはもう格が違いすぎて歯牙にもかけていないので……(原作で言うパトリック枠になれなかった男。むしろヴィンセント様が初期から更生後のパトリック枠)



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男の約束

カイ・ハーシェル「姉さんは僕より9つも年上で、料理も上手で綺麗で優しくて、僕にとっては最高の女性だった……」

帝国時報やら書物やらの値段から1ミラは一応1円程度という認識で居ます。
武器の値段の安さは多分公的な支給かなにかがあるのでしょう。


 帝都に存在するハーシェル雑貨店。

 普段であれば営業をしている平日、そこはある事情によって臨時休業中であった。

 事情を知らぬ者がその中の光景を見れば、驚いたかもしれない。

 何せ今や帝国人であれば知らぬ者は居ない国民的英雄がそれこそ今から戦場に赴くのではないかと錯覚する程に真剣な表情を浮かべながらそこに居たのだから。

 

「そういうわけで、どうかトワさんとの結婚を認めて頂けないでしょうか?」

 

 真剣そのものの表情でリィンは告げる。

 そこには例えどれだけ強硬に反対されたとしても何としても認めさせて見せるという不退転の決意に満ちていた。

 一般的に娘を嫁に出す時親は強硬に反対するものだと言われている。

 そしてリィンの中で娘を嫁に出す事となる親として真っ先に頭に浮かぶのは養父たるオーラフ・クレイグである。

 フィオナを嫁にするというのならばそれ相応の覚悟を示してもらわねばならん!と言って一戦する事も辞さない養父のその姿にリィンもまた全力で頷き、「その時は自分もオーラフ義父さんと一緒に戦います!」と宣誓したものである。

 そんな自分たちにフィオナ義姉さんとエリオットは苦笑していたものだったが、兎にも角にも親にとって可愛い娘を嫁にやるというのはそれほど重要な事なのだ。

 

 当然目前のトワの親同然の存在たる家族もまた同様だろう。

 さぞかし特級の試練が自分へと襲いかかるだろう。

 だが臆するところはなにもない、あらゆる万難を排して自分の彼女に対する思いをいざ彼女の家族にも認めて貰おうではないかと情熱の炎を燃やして。

 

「はいよわかった、認めようじゃないか」

 

「トワの事をよろしく頼むよ、リィン君」

 

 しかし、帰ってきたのはにこやかな笑みとそんな拍子抜けする位にあっさりとした返答。予想だにしていなかった事態にリィンは目を丸くする。

 

「って父ちゃんも母ちゃんもなんでそんなにあっさりOK出しているんだよ!」

 

 ただ一人夫妻の息子たるカイ・ハーシェルだけは憤然と抗議を行う。

 

「何でも何も、相手は帝国の英雄様だよ。反対する理由なんてないじゃないかい」

 

「両思いだったのは前々からわかっていたことだからねぇ。

 むしろこんなにも有名人になってしまって、色々と面倒な事が起きるんじゃないかと心配していたからホッとした位だよ」

 

 しみじみとこれで一安心だと言わんばかりにハーシェル夫妻は言う。

 二人は権力闘争等といったものとは無縁の所謂一般庶民ではあるが、それでも大人である以上“英雄”と謳われるようになった人物に様々なしがらみが発生する事はある程度わかっている。

 故に正直に言えば心配していたのだ。そうしたしがらみが二人の仲を裂くのではないかと。

 「好きだから」とそれだけの理由でなんとかなるのは子供の間までで、様々な壁が立ちはだかってくるのが「大人」になるという事だから。

 だが、そんな壁をものともせずに自分たちの姪御は無事好き合った相手と結ばれるというのだ、家族として反対する理由など一体どこにあるのだろうか?

 

 人格も甲斐性もそして肝心の愛情も、全く以て問題ない事は明白なのだから。

 むしろマーサとしては良くぞこんな速攻で売れる良物件を捕まえたものだと奥手の姪を全力で褒めたいところであった。

 

「ふ、普通色々と確認する事あるだろう!ちゃんとこいつがトワ姉ちゃんを幸せにできるのか、かいしょうがあるのか確認するとかさ!」

 

 ……等と大人である二人は納得できるが、子どもの方はそう簡単には行かない。

 大好きなお姉ちゃんを取られる事を思えば無理からぬ事だろう、同じシスコンの身としてリィンはカイ少年のその思いに苛立つどころか、大いに共感している状態であった。

 

「確認するまでもないと思うんだけどねぇ……ま、アンタの気がそれで済むっていうなら一応しておくか。

 ちょっと下世話な話しになっちゃうけど、聞いて良いかい?実際のところ、どれ位の収入があるんだい?」

 

「大雑把なものとなりますが、現在の自分の月の基本給は約120万ミラになります。

 これに各種手当とロラン勲章とリアンヌ勲章による恩給が加わって約180万ミラ。

 後は年2回の賞与がありますので、年収にすると約3000万ミラ程度になりますね。

 このうちの1000万程は彼女とも話し合った結果、戦災孤児の育英を営む慈善団体に寄付でもしようかと思っていますが……」

 

 リィンにしてもトワにしてもその生活スタイルは庶民的なもので余り散財する方ではない。

 そしてリィンだけではなく副宰相秘書官となるトワにしてもその気になれば、彼女一人で一家を養えるだけの収入があるため、まずこの新婚夫婦が金欠になるという事はないだろう。

 そして「持てる者の義務」を忠実に体現するのがこの夫妻な以上、余裕があるのだから余裕の無い子ども達への支援を少しでも行おうという考えはある種必然として浮上した。

 

 

「さ、3000万……」

 

 告げられた額を前に思わずゴクリとマーサは生唾を呑み込む。

 別段彼女は強欲というわけでも守銭奴というわけでもないが、それでも人間である以上それなりに高収入に対するある種の憧れめいたものは存在する。

 成人もしていない眼の前の青年があっさりと自分たち夫妻の数倍の額を稼ぐというその事実に、改めて目前の人物が“英雄”とされるような、本来であれば自分たちのような一般庶民と関わる事のないこの国のトップエリートであるという事を実感したのであった。

 最もリィンが飛び抜けていて霞むがトワにしても名門トールズを次席で卒業して、副宰相の秘書官へと抜擢されるというエリート中のエリートなのだが、夫妻にはどうにも姪の性格と容姿からその辺りの実感が湧いていないようであった。

 

 ちなみにカイ少年の月のお小遣いは1000ミラ。

 ヤ○チャとフ○ーザよりも激しい銭闘力の差がそこには存在した。

 

「か、かいしょうがあったって女たらしのうわきしょうな奴にトワ姉ちゃんは任せられないぞ!」

 

「その点ならば心配は要らない。俺が生涯妻として愛するのは彼女だけだ。

 もしも俺がこの誓いを背いた時には遠慮なく俺を殴り飛ばしに来ると良い、君にはその権利がある」

 

 苦し紛れに告げたカイ少年の言葉に対してリィンは微笑を湛えながら臆面もなく恥ずかしい事を真顔で告げる。

 その様にマーサ氏は姪の方をにやけ顔で小突き、トワは照れながらも嬉しそうにしている。

 

「く、口だけならなんとでも言えるさ!俺が子供だから何も知らないと思ったら大間違いだぞ!

 俺は知っているんだからな、アンタが皇女殿下としんみつ(・・・・)な仲だって!

 優しいトワ姉ちゃんを騙しているんだろう!!!」

 

 民衆はとかくお姫様と英雄の恋だのと言った話が大好きである。

 夏至祭の折テロリストから囚われの姫君を救出し、内戦中にはそんな姫の騎士として活躍した英雄とのラブロマンスを想像するのはある種必然とさえ言えたかもしれない。

 

 現在、リィン・オズボーンはアルフィン皇女の婿として最有力候補と見られている。

 筆頭騎士への任命、皇太子の教育係への就任。灰色の騎士が現皇帝と次代皇帝の寵臣である事はもはや明白である。

 この上リィンにはかの鉄血宰相の息子にして後継者という地位が加わり、更には皇女殿下との年齢も2歳差とかなり近しく、国民人気も極めて高い。

 皇女の婿としてはそうそう転がっていない、最上級の相手である事は間違いがなかった。

 

「実際どうなんだい、リィン君。皇女殿下との関係についての噂というのはどこまで本当の事なのかな?」

 

「自分が殿下の騎士として内戦中戦ったことは事実です。

 また臣下として殿下への敬意も当然持ち合わせています。

 ですが、殿下と君臣を超えた関係になるなどというのは余りに畏れ多い事ですよ。

 そちらの方は根も葉もない噂ですね。どうやら、根と葉があって欲しい人が結構な数で居るのが困り者ですが」

 

 苦笑しながらリィンは応じる。

 実を言えば、それこそがリィンが婚約で留めずにすぐにでもトワと結婚する事を決めた最大の理由でもある。

 リィンとアルフィン皇女が恋仲にあるという噂、これは民衆の願望が加速させた側面もあるが、その裏にはこの二人をくっつける事でより立場を盤石なものにしたいと願う、革新派の重鎮の思惑もまた存在した。

 そうした人間が意図的にばら撒き、加速させているのだ。そして民衆は、いや民衆に限らず人間というのは基本的に自分が信じたいと思うものを信じるものだ。

 リィンとアルフィン、当人たちの思いを置き去りにしてこの噂は爆発的かつ加速度的に広まっていっている。

 このまま後手を踏み続ければ、勝手に外堀が埋められる事となるだろう。

 

 かつてのリィンならば、あるいはそれでも構わないと思ったかもしれない。

 私人としての思いを捨て去り、皇女と結ばれた帝国の若き英雄という“偶像”を演じきる事を選んだかもしれない。

 総ては偉大なる祖国に繁栄をもたらすためだと割り切って、政略結婚というのは公人にとってはある種の義務なのだからと。

 

「ですが、自分が愛しているのは彼女だけです。彼女以外との結婚する事などもはや考えられません。

 彼女以上の女性など自分には存在しないのですから」

 

 だが、今のリィンはそれでは()なのだ。

 別段アルフィン皇女を嫌っているというわけではない、むしろ奔放ながらもあの若さでありながらしかと己の責務と向かい合った尊敬と忠誠に値する素晴らしい方だと思っている。

 しかし、リィン・オズボーンにとっての伴侶はもはやトワ・ハーシェル以外にはあり得ないのだ。

 彼女と共にこれからの人生を歩んでいきたい、彼女と共に幸せになりたい。それこそがリィンの嘘偽らざる思いだ。

 

 だからこそ、今なのだ。

 外堀が埋められる前に、政界や財界に潜む魑魅魍魎達が蠢き、甘い蜜を用意して自分を婚姻という鎖で封じ込めようと動く前に速やかに自分のパートナーは彼女なのだと高らかに宣言する。

 婚約レベルならともかく、皇族まで居合わせる場で正式に挙式まで挙げてしまえばこちらのものだ。水面下で動いている連中も後手になった事を悟り、どうにもできない事だろう。

 何よりも正式に妻とすれば、誰にはばかる事無くリィンは彼女の事を護る事が出来る。もしも自分たちの仲を踏みにじらんとした者が現れれば全力でそれを叩き潰すまでだと。

 

 最もそんな水面下での闘争を目の前の優しい家族達が知る必要はない故、口に出してはただの噂だと告げるに留めるが、それでもリィンの言葉の中に秘めた並々ならぬ決意と真摯な思いを感じたのだろう。

 ハーシェル夫妻は臆面もなく愛の告白を行うその様子に逆に落ち着かない気分となり、カイ少年はそれでもと大好きなお姉ちゃんを渡したくない思いから口を開こうとするが

 

「カイ、いい加減諦めな。このお兄ちゃんは本物(・・)だよ、これ以上にいい相手だなんてまず居ないわ」

 

「大好きなお姉ちゃんを取られて寂しい気持ちはわかるけど、本当にトワの事を大切に思っているなら笑顔で見送ってあげなさい」

 

 基よりリィンの事を娘の相手として高く評価していた夫妻は完全にリィンの味方となり、己が息子を説得しにかかる。

 

「大好きなお姉ちゃんだもんな、それをどこの馬の骨とも分からん奴が持っていこうとしているんだ、そりゃ納得出来ないよな」

 

 反対し続ける目前の少年に対してリィンは心からの共感(・・・・・・)を抱きながら、優しい笑みを浮かべてしっかりとカイ少年へと目線を合わせて告げる。

 

「だから約束しよう。俺は必ずや彼女と二人で幸せになる。

 もしも俺がこの約束を破った時は、遠慮なく殴りに来い」

 

 自分を子供だからとバカにせずに対等の男として告げられた真摯な思いの籠もった言葉。

 それを受けてカイ・ハーシェルは考え込むような素振りを見せて

 

「……トワ姉ちゃんはそれで良いの?」

 

 問いかけた言葉に、大好きな姉は見たこともない、綺麗で、それでいて優しい表情ではにかみながら頷いたものだからーーーカイ・ハーシェルは此処に初恋の終わりを静かに感じて

 

「姉ちゃんを、泣かせたら承知しねぇからな」

 

「ああ、約束だ。男同士のな」

 

 そうして二人は拳をガツンとぶつけ合う。

 年齢も立場も関係なく、対等の男として……




ナイトハルト教官が相手にしないといけないもの:オーラフ&灰色の騎士のタッグ
ユーシスが相手にしないといけないもの:灰色の騎士&クレア&レクター&アルティナの長男を除いた鉄血の子どもたち

ちなみにシスコンモードの灰色の騎士はかつてない気合の高ぶりによって鬼気解放が永続発動状態(暴走なし)で開幕で閃光陣黄龍発動からのSクラブッパをしてくるゾ!
アルティナちゃんとクレア姉さんはそもそも相手が出来るのだろうか?

多分アレですね、灰色の騎士は生きていれば、カイ少年が大きくなって準遊撃士になった最初の仕事で魔獣に囲まれてピンチなところを颯爽と助ける空でのチート親父、零でのアリオスさんポジですね。


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君と未来へ

今話にて灰色の騎士リィン・オズボーンは完結です。
続編にして完結編となる「獅子心将軍リィン・オズボーン」の投稿は近日中を予定しています。


 七曜暦1205年3月27日、その日は多くの者にとっては何の変哲もないただの休日でしかなかったが、一部の者たちにとっては記念すべき日であった。リィン・オズボーンとトワ・ハーシェル、二人の挙式である。ーーーあるいは、式の主役たる二人の歴史に於ける重要性を考えれば、それは彼らと個人的な関係のある者たちに留まらない、歴史的な出来事と評すべきであったかもしれない。

 

 金銭に不自由することはない二人なので、その式は盛大に執り行われる事となった。

 二人の親友たるアンゼリカ・ログナー、ジョルジュ・ノーム、クロウ・アームブラストを筆頭に220期生の大半とⅦ組を含む221期生、そして教官が参列したその式は卒業式から一週間足らずだというのに、ちょっとした同窓会の会場のような状態となっていた。

 無論参列者は早い再会だったな、あの涙は何だったんだろうかと苦笑を浮かべる有角の若獅子だけではない。

 新郎との縁からヴァンダールの一門が、帝都知事たるカール・レーグニッツが、RFグループ会長たるイリーナ・ラインフォルトが……と錚々たるVIPが並び恐縮するハーシェル一家だったが、彼らを何よりも驚かせた参列者は新郎と縁のある者ではなく、他ならぬ彼らの愛する姪との縁から出席しているものであった。

 「内戦中に世話になって、数日後には秘書になってくれるトワ君の結婚式ともなれば出ないわけには行かないだろう?」と皇族にして副宰相たるオリヴァルト皇子が参列しているのだから。

 緊張するでもなく皇族と親しげに会話をするその姿は、改めてハーシェル夫妻に自分たちの姪も歴としたトップエリートだという事をこの上なく知らしめるのであった。

 

「天使だ……」

 

 また挙式が正式に始まる前の時間、花嫁の控室にてウエディングドレスに身を包むトワ・ハーシェルを見た瞬間アンゼリカ・ログナーはただ一言そうつぶやいた。

 

「アン、流石にわかっているとは思うけど……」

 

「今日くらいは自重しておけよ。頼むから」

 

「その位わかっているさ!ええい、静まれい!静まれい私の腕!!!」

 

 そうしてアンゼリカはブルブル震える己が腕を必死に押さえつける。

 そんなログナー侯爵の様子に在学時代に見慣れているトールズの面々は「何だいつものことか」とスルーするが、余り耐性の出来ていないハーシェル家の面々はその深窓の令嬢とも侯爵家当主としても不適格な変質者丸出しの様子に困惑した表情を浮かべるのであった。

 

・・・

 

「……本当に立派になられましたね」

 

 花婿の側の控室にて、成長した義弟の姿をクレア・リーヴェルトはどこか切なさを秘めた眼差しで見つめながら寿ぎの言葉を贈る。

 その胸の中にあるのは確かな喜びと寂しさ。

 目前の義弟の成長を寿ぐ気持ちと、置いて行かれる寂寥感の混じった複雑な心境であった。

 

「本当にな。あのチビスケが今や准将閣下だ。全くあっという間に俺らを追い抜いて行きやがって。

 トドメとばかりに卒業と同時に結婚するときたものだ。

 義兄貴としては嬉しいやら、寂しいやら複雑な心境だぜ」

 

 レクターもまたどこかそんな喜びと寂寥感の混ざった気持ちを滲ませ、肩を竦める。

 

「これも偏に多くの人の縁に恵まれたおかげさ。

 10歳の時に出会って以来、多くの事を教えてくれた義兄と義姉を筆頭にね」

 

 そしてそんな二人とは対照的にリィンはどこまでも純粋な感謝を込めて義兄と義姉への感謝の言葉を捧げる。

 照れ臭そうにした後一転、レクターは何時もと同じようなどこかからかうような口調で

 

「なんつーか、こうして絵面だけ見ると本当に犯罪的な光景だな。

 外から見ただけでお前らが1歳差、あまつさえ花嫁の方が年上だなんて誰も思わねぇだろ」

 

 片や十七勇士の正装に身を包み、185リジュの堂々たる体躯を有する偉丈夫。

 片や150リジュにも満たない未だ日曜学校に通う年齢だと言っても通じそうな少女。

 それこそ下手をしなくても父娘に間違われてしまいそうだと花婿の方の控室にてレクターは苦笑しながら告げる。

 

「アハハハ、リィンってば卒業式の時にも久しぶりに制服着ていたけど、なんというか一人だけコスプレしていたみたいだったもんねー」

 

 悪意など欠片も存在しない、無邪気な様子でミリアムは告げる。

 

「……ほっとけ」

 

 少しだけすねたような口調でリィンは口にする。

 そしてそんな様にクレアはクスクスと小さく笑う。

 

「良いじゃありませんか。ある意味ではこの上ない成長の証という事なんですから」

 

「はい、それだけ准将が上に立つものとしての風格と威厳に満ちているという事なので余り気にされる事は無いかと。……それよりも、本当によろしかったのでしょうか?」

 

 おずおずとどこか落ち着かない様子でアルティナは告げる。

 

「?アーちゃんってば何を遠慮しているのさ。

 アーちゃんは僕たちの妹なんだから、リィンの結婚式に出るのだって当然の事じゃん」

 

「いえ、そちらもそうですが、それ以上にリィンさんが私の後見人になったという件についてです」

 

 本来であればアルティナ・オライオンはまだ日曜学校に通うような年齢だ。

 それが各種特例と権力によってミリアムと同様に情報局に在籍している身なわけなのだが、それでも当然ながら独り立ちするにはあまりにも早すぎる年齢だし、何よりも彼女の精神はある意味ではミリアムよりも更に幼い状態にあるとリィンは彼女と行動を共にしている内に悟らざるを得なかった。

 そしてそんな新しい義妹をほうっておく等という選択肢はリィンには存在しなかった。

 トワへと無理を承知で頼み込み、彼女は当然のように笑顔で了承してくれた、義兄レクターの力も借りて彼女の後見人という立場を公的に勝ち取ったのであった。

 ミリアムがクレアの下で暮らしているように、彼女には共に過ごす家族が必要だとリィンは考えたのだ。

 

「そちらの方面の知識が乏しい事は自覚している私ですが、それでも新婚の夫婦にとって二人きりの時間という事が大事なものだという程度の事は知っています。

 だと言うのに、私のような者が一緒では……その迷惑ではないでしょうか?」

 

 まるでリィンに邪魔だと思われる事が何よりも耐え難い事なのだと言わんばかりに怯えた様子の少女に対してリィンは苦笑して

 

「迷惑だったらそもそもそんな役目を引き受けたりはせんよ。

 この件については、ちゃんと彼女とも話し合って決めた事さ。

 むしろ、アルティナの方こそどうだ?俺達と暮らすのは嫌じゃないか?」

 

「いえ、そのような事は決して……」

 

「じゃあ決まりだな。

 子どもが遠慮なんかする物じゃないさ」

 

 そうしてリィンはそっとその頭を撫でてやる。

 髪の色も相まってその様は仲の良い兄妹、あるいは父子にさえも見えるような光景であった。

 

「ねぇねぇエリオット、お姉ちゃんってば凄く大事な事に気づいちゃったわ」

 

「どうしたの姉さん、そんなに嬉しそうにして?」

 

「あのね、アルティナちゃんとミリアムちゃんがリィンの義妹って事は私の義妹って事でもあるんじゃないかしら?どうしましょう、トワちゃんも入れたら一気に義妹が三人も出来る事になるわ」

 

「……えっと」

 

 真顔で隠しきれない喜びを広げて筋の通っているようで微妙に通っていない気がする事を言う姉の様子にエリオットは困惑する。

 

「言われてみればそうじゃん!わーい、フィオナお義姉ちゃーん!」

 

 そんな中ミリアムはその言葉を聞いた瞬間にフィオナの胸へと飛び込む。

 

「なーに?ミリアムちゃん」

 

 フィオナもまた驚くでもなく、微笑みながらミリアムを抱きしめる。

 

「えへへー頭撫でてー」

 

「もちろん良いわよー。はーいよしよし。ミリアムちゃんは何時も明るくて本当にいい子よねー」

 

「でしょでしょー」

 

 そしてそんな甘え上手な方の義妹の様子に苦笑を浮かべた後、義姉とは対照的に甘えベタな真面目な義妹の方へと再度視線を向けて

 

「な、子どもというのはあんな位でちょうど良いのさ。君もお姉ちゃんを見習ってもう少しだけワガママになると良い」

 

「えっと、それでは……わーい、りぃんおにいちゃーん」

 

 明らかに無理をした様子の棒読みの言葉が響く。

 そんな様にリィンは微笑ましさを覚えながら、苦笑して

 

「いや、無理に真似しろという意味ではないからな。ま、時間はあるんだ。ゆっくりとその辺は学んでいけばいい」

 

 そっと再度可愛らしい義妹の頭を撫でてやるのであった。

 

「うう……あんなにも小さかった子どもがこんなにも立派になって……父は、父は嬉しいぞ~~~!!!」

 

 そんな式典前の和やかな空気の中、オーラフ・クレイグの野太い叫びが木霊する。

 その瞳からは既に大滝のような涙が溢れていた。

 

「もーう、父さんってば、いくらなんでも泣くのは早すぎるよ」

 

「でも、お父さんの気持ちもわかるわ。お姉ちゃんも同じ気持ちだもの……」

 

 そんな父の様子が伝播したかのようにフィオナもまたグスリと涙を零し始める。

 そんな家族の様子にエリオットは苦笑しながら

 

「うーん、二人が泣き出しちゃったから代わりと言ってはなんだけど僕から一言言わせてもらうね。

 おめでとうリィン、まさかリィンがこんなに早く結婚するだなんて正直思っていなかったけど、きっとトワ会長と一緒だったら大丈夫だね。お幸せに。

 本当ならリィンの結婚式の時には僕がお祝いの曲を演奏でもしてあげたかったんだけど……まだアマチュアだからね。流石にこんな凄い人達が一杯のところでやるには流石にまだまだ役者不足だよ」

 

「何、気にする事はないさ。プロデビューの暁には皆で押しかけるから、その時に聞かせてくれればいい」

 

「うん、その時には今日の埋め合わせも含めて精一杯演奏させてもらうよ。

 僕の信じた音楽の力を改めて証明するためにもね」

 

 そうしてリィンとエリオットは互いに笑みを交わし合う。

 穏やかで優しい時間が流れていた。

 それぞれ忙しい身の上にも関わらず、リィンの家族達は、皆当然のように参加していた。

 大将たるオーラフも、激務を抱えるクレアにしてもレクターにしても、皆リィンの晴れ姿を目に焼き付けるために出席していたのだ。ただ一人、リィンの血の繋がった実の父を除いて。

 

「ったく息子の晴れ舞台だっていうのに、あのおっさんは何やってんだか」

 

 レクターがぼやくようにそう口にする。

 

「仕方がないですよ、忙しい方ですから」

 

 そう口にしつつもリィンのその言葉はどこか誤魔化すようなものであった。

 忙しい身というのならば、オーラフにしてもオリビエにしてもそれは同じなのだ。

 だというのに彼らは時間を作ってこうして来てくれた。

 つまるところ、自分の結婚式は父にとってはわざわざ時間を作ってまで出席するのに能わないものだという事なのだろうと。何せ、既に自分達親子の道は別たれたのだからと、内心でどこか諦めの色を漂わせながら。

 

「すまない、道が混み合っていてね。少々遅れてしまったようだ」

 

 そんな思いを裏切るようにその男は姿を現した。

 

「父さん……来てくれたんだ」

 

 今、自分はどういう表情を浮かべているのだろうか。

 困惑しているのか、それとも笑っているのかリィンには自分の気持の判別がいまいちつかなかった。

 

「当然だろう、愛する息子の晴れ舞台なのだからな。

 これを欠席しては、女神の下に召された時にカーシャになんと言われるかわかったものではない。

 余りアレに怒られる原因を増やしたくはないのでな」

 

 そう告げるギリアスの姿に皆驚く。

 何故ならばその瞬間、確かに彼は微笑んだから。

 常のような不敵な笑みではなく、それは真実息子を思う何処にでも居る父親としての表情で……

 

「リィンよ、余り多くを語る気はない。

 私からお前に告げておくべき事はただ一言だけだ。

 大切ならば、必ずその手で護り通せ。

 ーーー惚れた女に先立たれるというのは、この上なく堪える事なのだからな」

 

 お前は自分のような負け犬(・・・・・・・・・)に決してなるんじゃないと告げられた父の言葉にリィンはそっと微笑んで

 

「ちょっと違うよ、父さん。

 俺達はこれから互いに支え合って生きていくんだ。

 俺が一方的に彼女を護るわけじゃない」

 

 告げられた愛息子の言葉、それにギリアスはこの男にしては珍しく本当に呆気に取られたような表情を浮かべた後に、心の底から安心したようなクレア達が見たこともない優しい笑みを浮かべて

 

「そうか……そう言えるのならば安心というものだ。

 本当に良い相手と巡り会えたのだな」

 

「うん、俺には勿体無い位の最高の女性だよ」

 

 そうして道を違えた父子は笑い合う。

 それは胸を張って自分の選んだ女性を自慢する息子と成長した息子の姿を寿ぐ父親というどこにでも居る、普通の仲睦まじき父子の姿であった。

 

 

・・・

 

 多くの参列者が見守る中雄々しき花婿と可憐な花嫁は壇上へと登る。

 壇上には女神に代わり、婚姻という誓いの見届け役たる老神父が若人の門出を祝福する慈愛に満ちた表情を湛えながら待ち構えていた。

 

 

「新郎リィン・オズボーンさん、あなたは新婦トワ・ハーシェルさんを妻とし、女神の導きによって夫婦になろうとしています。汝健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、敬い、慰め合い、共に助け合い、その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか?」

 

「はい、誓います」

 

 胸を張ってリィンは宣誓する。

 彼女と一緒ならば例えどれほどの苦難や絶望が待っていようとも自分は、いや自分たちは乗り越えられると信じて。

 隣に居るこの何よりも誰よりも愛しき人が支えてくれる限り、自分は誰にも負けない無敵の英雄になれるのだと誇りと共に。

 

「新婦トワ・ハーシェルさん、あなたは新郎リィン・オズボーンさんを夫とし、女神の導きによって夫婦になろうとしています。汝健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、敬い、慰め合い、共に助け合い、その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか?」

 

「はい、誓います」

 

 トワもまた同じ気持ちだ。

 彼女が好きになったのは英雄でも、将軍閣下でもない。

 何処にでも居るがんばりやさんで真っ直ぐで、だけど不器用でそれでも優しい青年の事を好きになったのだから。

 例え彼が英雄じゃなくなったとしても、世界中の人が彼を責めたとしても自分だけは彼を支え続けるのだと誓って。

 

「それではお二人とも、誓いの口づけを」

 

 二人の身長差は30セルジュ以上。

 そのままでは口づけを交わす事は当然できない。

 故に花婿の方は膝を折って花嫁と目線を合わせる。

 遠くだけを見つめながら、彼方に歩き去りなどしない。

 大切で愛しい君と共に歩んでいくのだとそう伝えるように。

 

 そうして二人は口づけを交わし合う。

 誓いの言葉を封じ込めて永遠とするために。

 これから先の未来を二人で共に築いてくのだと信じて……それは大きな時代の流れの中に翻弄されて消えていく泡沫の夢なのかもしれない。

 これより待ち受けるのは激動の時代であり、男はそんな時代の“贄”として運命へと射止められた“英雄(イケニエ)”なのだから。

 

 されど、それでも何時だとて未来を築いていくのはそんなささやかな願いと思いなのだ。

 故に門出の季節を迎えた若人に送る相応しき言葉というのは決まっている。

 

「どうか……幸せにな」

 

 そして、自分を超えて行け愛しき息子よ。

 子は親を超えて行くものなのだから……

 



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