星狩りのコンティニュー (いくらう)
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星狩りのコンティニュー

初投稿です。
本来こういうのは原作が放映終了してから書くべきなんでしょうが、我慢できませんでした。
楽しんでいただければ幸いです。


 

 まず目に入ったのは、夜空に広がる満天の星だった。

 

「………………ここは……?」

 

 仰向けに寝っ転がっていた俺は、苦労して体を起こし周囲を見渡す。そこは整備された草原だった。何年前だったか、<スカイウォールの惨劇>が起こったあの会場に似ている。人の姿もなく、良くある表記看板も見当たらない。自身の居る場所を正確に把握できる要素は周りには無いようだった。しかし、それよりも重要なことが一つ。

 

「なぜ俺は生きてる……?」

 

 俺はあの時、究極のフォームと化したビルド、そして他のライダーたちによる一斉攻撃によって撃破され、暴走したブラックホールフォームの力に巻き込まれ消滅したはずだ。

 致命的すぎるあの状況から生き延びる術は、さしもの俺でも持っていない。

 

「大気組成は地球のもの……どっかに吹っ飛ばされでもしたのか?」

 

 俺は立ち上がって再び空を見上げた。満天の星空に浮かぶ星々、その位置から大まかな暦と現在位置を計算する。

 

「この星空は、地球からのそれだなァ……季節は冬も終わりに近い……現在地は…………やっぱ日本か」

 

 俺が敗北したあの時、季節はまだ残暑が残る秋初めだったはずだ。もし気絶していたにしては、少し時間が経ちすぎている。それにどっかで匿われでもしていたなら屋内に居るだろうし、俺を殺せていないと分かったらライダーたちが黙っちゃいまい。

 

 俺は自身が『敗北したが遠くに吹き飛ばされて気絶していた』という可能性を渋々握りつぶした。そこで、俺は一つに事実に気づく。

 

「空気中の物質量が割と違うな……」

 

 俺が居たニホン――スカイウォールと呼ばれる壁によって三つに分かたれ内々で争っていた国――では、しばらくの間居住地域をも巻き込んだ戦争が勃発していたはずだ。そうなれば戦争によって破壊された建物などのチリが空気中に浮かびあがる。要するに、もっとホコリっぽい空気でなければおかしいのだ。ここの空気は綺麗すぎる。

 

「まさか、何年も経っちまってるのか!?」

 

 そこまで言って俺は違和感に気づく。遠景に見える街(俺の目は夜間でも遠景を平気で見通せるんだ、凄いだろ?)には幾つものビルが無傷で立ち並んでいた。復興を終え平和を取り戻しただけなら、もうちょっと急ごしらえな部分があったり、未だ破損している所がちょくちょく残っていてもおかしくは無いはず。しかし。

 

「どうなってやがる……?」

 

 その街はあまりにも綺麗過ぎた。まるで『戦争など始めから無かったかのよう』に。

 そこで俺の脳裏に一つの可能性が浮かぶ。地球外生命体なんて言う、この星の一般常識から遥かに逸脱してる俺からしても、それは割と滑稽な話だった――――あの前例が無ければ。

 

「<エニグマ>……そうかぁ、ここは並行世界かもな……」

 

 かつて俺の世界では最上と言う科学者が並行世界を繋げ、渡ることのできる装置、<エニグマ>を使って大騒動を引き起こした事があった。その時は俺の半身も別世界に渡っちまって、随分慌てて事態の解決に奔走したもんだ。もしも、今俺があの時の奴らのように別世界に渡っちまっているならば、多くの疑問に明確な理屈付けが出来る。

 

 おそらく、ブラックホールフォームの暴走による重力異常が偶然並行世界への扉を開いてしまったのだろう。普通そんな事はありえないと言えるのだろうが、あの世界ではエニグマの起動によって別世界の地球と世界が繋がってしまった経緯がある。元々そうなりやすい土壌はあったってことだ。それなら宇宙のどこかでなく、同じ地球という星に放り出されているのにも納得できる。

 

「ハハハ……マジかよ。流石にビックリだぜ。なあ石動(いするぎ)、お前もそう思わねえか?」

 

 そう自分の体に語り掛けて、もう俺は奴の体を借りていない事を思い出す。俺はちょっとだけ、地球人で言う所のセンチメンタルな気分になった。

 

「しかし……もしここが並行世界だとして、これからどうしたもんかなァ……」

 

 今度こそこの星を滅ぼしてみるか? いやいや、この世界にもライダーがいないとは限らない。身一つで並行世界を渡っちまった俺がビルド達に匹敵するであろうライダーに勝利するビジョンは、残念ながらこれっぽっちも見えなかった。そもそも一番大事な<パンドラボックス>を持ってねえしなあ。

 

 溜息一つついてその場に座り込もうとする。その時、勢いよく何かに尻を打ちつけて想定外の激痛が走った。

 

「痛ってぇ! なんだァまたウォシュレットか!?」

 

 その驚異的な奇襲攻撃に俺は嘗てこの星で初めてトイレを使った時のことを思い出さずには居られなかった。用を足した瞬間という最も虚脱するタイミングで肛門と言う人間に数ある弱点の内特に防御力の低い急所を正確に攻撃してくる恐るべき水流装置。初対面であれを受けた俺は思わず飛びあがって壁に頭を打ち付けた挙句ウォシュレットの水を浴びせられて水浸しになっちまった。タコに並んで、この地球で俺がもっとも警戒する存在だと言えるだろう。

 

 その存在を想起した俺は最大限の警戒を以ってそこから飛び退く。見ると、俺が元居た場所には奇妙な文様が刻まれた、両手で軽く抱えられるほどの大きさの黒い立方体が転がっていた。

 

「何だよあるじゃねェか<パンドラボックス>!!」

 

 言って俺はその箱に飛びついた。こいつこそが<パンドラボックス>。俺が星を滅ぼすために使う道具だ。この箱は特殊な物質生成装置、装備保管庫も兼ねており、俺が惑星を蹂躙するために必要な装備は、ほぼここから取り出すことが出来る。と言う事はだな……。

 

 即座に俺はパンドラボックスに腕先を突っ込んで中をまさぐり始めた。周囲に人がいなくてよかったぜ。傍から見たら深夜に地球一俺に似合うイケてるスタイルを持つ男が大喜びでおもちゃの箱に手を突っ込んでいる、そんな状況だ。長年地球で暮らし一般的な常識を備えた俺はその事を考えてテンションが一瞬クールダウンする。

 しかしそれも本当に一瞬の事。手が慣れ親しんだ物を掴み取った感触に、俺は最高の笑みを浮かべて一気に腕を引き抜いた。

 

「あったァ――――――!!!」

 

 引き抜かれた俺の手には赤を基調としたベルト状の機械が一つ握られていた。<エボルドライバー>。宇宙を支配することのできる力をもたらす究極のドライバーにして<仮面ライダーエボル>への変身に必要な俺の一部。これがあればこの地球がどういう地球であっても如何様にも出来る。更に、ドライバーには俺が最も慣れ親しんだ<コブラエボルボトル>と最も重要なボトルである<ライダーシステムエボルボトル>が既に装填されていた。

 

「Good! これさえありゃあどうにでもなる! ボトルがセット済みってことは、最後の戦いの時のままって事か……んん?」

 

 喜びも束の間、俺は重大な事に気が付く。

 

「エボルトリガーが付いてねえ」

 

 <エボルトリガー>。パンドラボックス真の力にして、俺の究極フェーズ<仮面ライダーエボル ブラックホールフォーム>への到達に必要な装着アイテム。最終決戦の際には取りつけてあったはずのそれがどこにも見当たらない。

 

「嘘だろぉ!? 一番大事なもんがねェじゃあねえか!」

 

 俺は再びパンドラボックスに手を突っ込みその中をグシャグシャと探り始める。すると、意外にも早く手応えが。焦燥感に満ちていた俺は一転、その擬態した顔に見合ったダンディな笑みを浮かべると歓喜とともにそれを引き抜いた。

 

「あったァ――ってこれじゃあねェよ!」

 

 俺は思わず手に握った<トランスチームガン>を地面に叩きつけて、ちょっとやっちまったと思った。<トランスチームガン>は文字通り銃型の変身アイテムで、俺が<ブラッドスターク>に変身するために使っていたものだ。武器としての性能もかなりのもので、真の姿である仮面ライダーエボルに変身してからも<スチームブレード>と共に度々愛用していた。何よりも様々なフルボトルを装填することによりそれに準じた攻撃を行える、ビルドにも通じる拡張性がお気に入りだ。

 そんなことを考えていると、叩きつけられたトランスチームガンに装填されていた<コブラフルボトル>が外れて転がって行く。俺は慌ててそれを回収した。

 

 ――――トランスチームガンを手に入れた事で、一応の変身、戦闘手段は確保できた。だが、今必要なのはこれだけではない。<エボルトリガー>が無ければ俺の最強フォームへの道は閉ざされてしまう。

 

「タヌキ型ロボットのポケットじゃあないんだぜ……?」

 

 愚痴りながら俺はパンドラボックスを手に取ると再び手を突っ込む。沸き上がる焦燥感と不安感に苛まれながら、どれほどそうしていただろうか。右手に慣れ親しんだ感触を感じたと瞬間、俺は今度はゆっくりと腕を引き抜いた。

 

「<エボルトリガー>……!」

 

 最高のスマイルを浮かべながらそれを見つめた俺。だがその顔は一瞬で怪訝なものに変わることになった。そのエボルトリガーは俺が良く見知ったエボルトリガーと微妙に異なる姿をしていたからだ。

 

「……石になってやがる」

 

 俺の手に握られたエボルトリガーは何時だかボックスから取り出した時のように石化し、起動することが出来ない状態になっていた。そうか。最終決戦の際、ビルド達には火星の王妃、ベルナージュがその力を与えていた。嘗て火星で奴と相討ちになった時同様、その力でエボルトリガーを封印されちまったって訳か。

 

「ベルナージュ……またしてもやってくれたなあ……!」

 

 ふつふつと沸き上がる怒りに俺は顔を歪めるが、暫くして肩の力を抜いて深呼吸する。

 

 落ち着け、エボルトリガーは破壊されたわけじゃない。前の時のようにまた使えるようにすればいいだけだ。俺はそう思い至り、まずはこの地球の調査を始めることを決断する。仮面ライダーエボル――今変身可能なエボルコブラフォーム――には<EVOコブラフェイスモジュール>や<マスタープラニスフィア>と言った幾つかの情報収集能力が備わっている。

 

 俺は善は急げとエボルドライバーを腰に装着した。そのまま二つのエボルボトルを装填し――

 

「ん?」

 

 おかしい。本来エボルドライバーを装着した際俺の肉体を認証して【エボルドライバー!】と盛大に承認音声を鳴らしてくれるはずだ。しかし今、ドライバーはうんともすんとも言わない。俺は怪訝に思いながらもボトルをセットしてみるが、ドライバーは沈黙したままだ。一体どうなっている? 俺にエボルドライバーが反応しないなんてありえない。

 

 そこで俺は一つの可能性を思いつき、自分の胸に手をやる。そして余りの衝撃に声を荒げた。

 

「ハザードレベル4.5……!? レベルが足りねえじゃあねえか!」

 

 エボルドライバーは究極的な力を装着者に与える代わりにその使用には厳しいハードルがある。その最たる物が特殊な能力値指数である<ハザードレベル>が5.0を超えることだ。

 ハザードレベルが5.0に到達していない者にエボルドライバーは反応しない。それは俺以外にエボルドライバーが使用されないための安全装置であり(真っ当な地球人のハザードレベルが5.0まで成長する事はまず無いが)、仮面ライダーエボルの力を制御できる最低基準でもあるからだ。

 

 まあ、安全装置のリミッターなどをカットすることで使用者の寿命と引き換えに無理やり使用することもできなくはないのだが……。

 

 兎にも角にも、ハザードレベル4.5ではエボルドライバーの起動など当然望むべくもない。安全装置の解除は不可逆の処置ゆえに、まさか自分のドライバーに施すわけにもいかない。しかし、なぜ俺のハザードレベルが4.5にまで低下してしまっているのか。

 

「ま、あの戦いのせいだろうな……」

 

 こうして平然と振る舞っていても、あの戦いの傷が完治しているわけではない。多大なダメージを受けたことで俺自身の構成物質が欠損し、それによってハザードレベルが低下していると考えるのが妥当だろう。俺はちょっとガックリ来て、思わずその場に寝っ転がった。

 

「さぁてェ、これからどうしたもんかなあ……朝を待つしかねえか……」

 

 エボルドライバーが使えない以上、さしもの俺も出来る事は限られる。ブラッドスタークの姿でも並のライダーに負ける気はしないが、並以上の敵を相手にするには力不足だ。

 

「しばらくは傷を癒しつつ、この世界についてじっくりと調べてみるかねえ……」

 

 そう、まずはこの地球がどんな場所か知ることが先決だ。街の様子を見ても、文明そのものに特別違いがあるように思えない。もしこの星の人々が俺を前の地球程に楽しませてくれるのならば、そもそも滅ぼさずに楽しみ続ける方がいいに決まっている。

 

 まずはこの星のコーヒーの味だな……次に科学の発展具合……文化に世界情勢……軽く就職してまたカフェを開くのもアリか。美味いコーヒーを入れられるように少し練習してみるかね……恋愛ってヤツも前はやってなかったな……。

 

 そんなことを考えながらのんびりと星を見ていると、俺に向かって二人分の足音が近づいてくるのに気づく。首を巡らせてそちらに視線を向けると、二人の若い女性警官――婦警ってやつか?――がこちらを睨みつけながら迫ってきていた。

 

「そこの男!」「んん?」

 

 言われて俺は上体を起こす。迫る二人の女性は迷惑そうな表情で(まあ、こんな時間に呼びだされるのは迷惑だよな、ご愁傷様。と俺は心の中で笑った)こちらを睨むばかりだ。何事かと俺が首を傾げると、婦警は高圧的で苛立ちを隠さぬ声で訪ねてきた。

 

「近隣の住民から妙な男が騒いでいるとの通報があった。お前、こんな時間にここで何をしている?」

「ん? ああ、そう言う事か……ちょっとはしゃぎ過ぎたかな……」

 

 俺は努めて申し訳なさそうに、手を頭にやって作り笑いをする。

 

「お勤めご苦労さまですよ~いやあ、ちょっとした昼寝のつもりだったんだけど、随分とのんびりしちまって……目を覚ましたらもう真っ暗だったもんで、バカバカしくて大笑いしちゃったんですよね~」

「身分を証明出来る物はあるか?」

 

 取りつく島もなく淡々と要求のみを述べてくる婦警たちに、俺は参った、と諸手を上げると、自身の服のポケットを漁り始める。

 

「ちょーっと待ってくれよ……」

 

 と、言っても身分を証明出来るものなど持っているはずもない。俺は諦めたように両手を広げるとその場を誤魔化そうと薄く笑った。

 

「いやあ、寝てる間に誰かにパクられちまったみたいだ! 被害届って出せますかね?」

「……バカにしているの?」

「そーんな事無いですってぇ! いや~ホントにビタ一文持ち合わせてないんですよ!」

「ふざけるのも大概にしろ!」

 

 途端、婦警の一人が激昂して胸倉を掴み上げてきた。

 

「おいやめろよお! 大事な服にシワがついちゃうだろ~!!」

 

 俺は慌ててその手を振りほどくと、ジャケットの襟をチェック、皺がついて無いのを確認して安心し息を漏らす。振り向けば、婦警たちは今まで以上に苛立った顔でこちらを睨んでいた。

 

「何なんだコイツ……」

「男の癖に随分な事してくれるのね」

「ん~?」

 

 その態度に、俺は多少の違和感を覚えていた。あからさまな蔑視、敵意を感じるのだ。少なくとも俺が前いた地球ではこう言った感情を市井の人々から向けられる経験はなかったし、各首相官邸にいた治安維持部隊も一般の市民にはもっと穏やかな対応をしていたはずだ。いくら深夜の通報で苛立ちが募っていても、こんな反応はまったく想定していない。内心俺は困惑した。

 

「一体どうしたんです、婦警さん方……こんな時間に呼びだし食らってるのには正直同情するが、そんなに苛立ってちゃ折角の美人が台無しだぜ?」

「アンタのせいでしょうが!」

「まあそうなんだが」

「もういい、連行しましょ。話はしかるべき場所で聞くわ」

 

 言われて肩を竦めた俺に、婦警たちの怒りは頂点に達したようだった。もはやこれ以上の会話は無駄と判断したのか、俺の背を小突いて外へ向かうように促してくる。

 

「へいへい。そんな怖い顔しなくたって行きますよ……」

 

 やれやれ、と言ったポーズを取った俺に無視を決め込んで、婦警はまた俺の背を小突く。俺は肩を竦めて大人しくそれに従った。

 

「ちょっと! この玩具みたいなのは何!?」

 

 それに待ったをかけたのはもう一人の婦警だった。彼女はパンドラボックスを抱え、こちらを怪訝そうに睨みつけている。それを見た俺は其方に歩み寄って、置いてあったトランスチームガンを手に取った。

 

「おう済まないねえ、それは俺の大事な大事な所持品だ。ちょっと手が離せないんで、代わりに持ってきてくれねえかい?」

「ふざけるのも大概にしろって言ったわよね? これは私たちで暫く預からせてもらうわ」

「あ~……悪いが、そうは行かねえ」

 

 俺は笑いながらトランスチームガンにコブラフルボトルを装填、トリガーを引いてシステムを起動させる。

 

【コブラ!】

 

「蒸血」【ミストマッチ!】

 

【コッ・コブラ……コブラ……】

 

 掛け声と共にトランスチームガンから霧が噴き出して俺の姿を覆い隠す。婦警たちはその異常な現象に身構えたが、次の瞬間煙を吹き飛ばし、赤いスーツに緑色のバイザーを身に付けた怪人として俺は姿を現した。

 

【ファイヤー!】

 

「なっ、何よコイツ……ISなの……!?」

『残念。正解はブラッドスターク! 短い間だろうがよろしくな、お嬢ちゃんたち』

 

 火花を弾けさせながら佇む俺を見て婦警たちは訝しむが、俺は首を傾けてトランスチームガンで肩を何度か叩くと、一つの疑問に思い当たって口を開いた。

 

『なあ、一つ聞かせてくれよ。ISってのは一体何だ? 仮面ライダーの亜種か何かか?』

「うるさい! 抵抗をやめて武装を解きなさい!」

 

 婦警たちは恐怖と疑念の張り付いた顔で拳銃を抜いて抗戦の構えを見せる。呆れた俺はそれを嘲笑いながら悠々と歩み寄ってそれぞれに手を向け、両方の手首から飛び出した触手で彼女らの体を貫き、送り込んだ毒によってあっけなく消滅させた。

 

『ブラッドスターク……使うのは久々だったが、この地球の人間にも通用するようで安心したぜ』

 

 戦時下だった向こうの奴らの方がよっぽど骨があったなあ? そう思いながら変身を解除し、パンドラボックスにエボルドライバーを収納して俺は街へと向かって歩き出す。

 

 さてさて、この世界には一体どんな人間達が息づいているのか。彼、あるいは彼女達の中に、俺を楽しませてくれるような者は居るのか。そして、仮面ライダー……俺の前に立ち塞がる者達。彼らに類する存在が、この世界の愛と平和も守っているのか。

 とりあえず<IS>ってのが何か調べるのが第一か……まあ、せっかく拾わせてもらった命だ。何にせよのんびりやらせて貰うとしよう。……この世界に、俺が何者か知る者など、居るはずも無いのだから。

 

 そう独りごちて俺は――――地球外生命体<エボルト>は、これからの未来に、この地球にどんな素晴らしい娯楽が待ち受けているのかに心を馳せて、心の底から笑うのだった。

 

 





エボルトは現地の文化を楽しむ星狩りエンジョイ勢なので、
再起の機会があっても原作に輪をかけてのんびりやって行くと思います。


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やっぱISの世界は男性には心がもう息苦しいと思います。
お気に入り、感想ありがとうございました。


 俺は地球外生命体である。名前はエボルト。

 

 生まれはこの地球からは未だ確認されていない惑星。故郷がどんなとこだったかについては面倒なんで端折る。俺は随分と長い間、宇宙を渡って目についた惑星を破壊して生きてきた。

 しかし、太陽系に飛来して初めてのターゲットである火星の文明を滅ぼした際、火星の王妃だった<ベルナージュ>って奴に一矢報われ、随分と弱体化した状態で地球に降り立つ事になっちまった。

 

 それからは激動の人生さ。火星で有人探査を行っていた宇宙飛行士<石動惣一(いするぎそういち)>に憑依して成りすましながら、全盛期の力を再び手に入れて地球も火星と同じように滅ぼすためにいろいろやった。

 当時住んでいた日本を三分割したり、ファウストっつー秘密結社の創設に関わったり、カフェを開業してみたり、娘をネットアイドルにしたり、正義のヒーローを育ててみたりな。

 

 そんな十年にも渡る地球での生活は今までに過ごしたどんな星とも違う刺激的なもので、俺にとってまさに新たな発見の連続だった。

 地球人たちの営みの尊さや温もりにウルっと来てみたり、俺のせいで犠牲になった奴らには申し訳ないことしたなあなんて、ちょびっと気に病んだりしながら地球破壊の為に邁進したもんだぜ。

 

 結局、俺は地球人が面白すぎて地球破壊を土壇場でヤメにしたんだ。だがその後、地球人同士を争わせてもっと楽しもうって考えたのが悪かったか、それまでに育てて利用してきた愛と平和のヒーロー達にぶっ飛ばされて、俺の星狩り族としての人生は終わりを迎えた。

 

 

 だが、俺は滅んじゃあいなかった。

 

 

 

 

 俺が知る限り、地球と言う星の日本と言う国では、戦争などの非常時でも無い限りは平時と変わらぬ日常を過ごすことが尊ばれる。大体はな。朝になれば人々はその営みの一部として、自身の職場に向かうために民族大移動も真っ青の通勤をするんだ。だから――

 

(だからってこれは無いだろ……!!)

 

 ――俺はその恐るべき通勤に巻き込まれて、生命の危機を感じている。

 

 右を見ても左を見ても人、人、人。地球外生命体である俺の力をもってしても身動き一つ取れぬその圧力は、正に科学の発展が作り出した地獄そのものだ。戦兎(せんと)が列車をモチーフにした武器を生み出したのも頷ける! 人間好きを自認している俺でもこれは滅茶苦茶堪えた。

 いくら女尊男卑の思想が広まってるとは言え、通勤電車の混雑率を知っていながら半分近くの車両を女性専用にするなんて、ここの路線会社正気とは思えねえぜ……! こんなの、宇宙人基準でだって何らかの修練と勘違いしたりしたっておかしくないだろう。

 

 俺の居た世界――仮にビルドの世界とでもしておくか――の地球でもこんな惨劇が毎日のように繰り返されているとしたら、それはさぞかし凄まじい事のはず。体験するのはこれっきりで十分だ!

 かつて石動惣一として選んだ隠れ蓑が一般的な会社員とかじゃなくてカフェのマスターで本当に良かったなあ……俺は切にそう思った。

 

 しかし、こんな状態にまで世界を変えちまうとは、<インフィニット・ストラトス>ってのは凄まじい兵器だな。俺の手にした知識によれば、既存のあらゆる兵器と隔絶した性能を誇り、それこそ歴史を変えちまったこの世界究極の科学技術だ。

 

 実に面白い。この世界で俺が関わるべき第一候補がこのISに決まったのは当然の事だ。そして俺はまず、世界の一般常識を手っ取り早く入手するために新しく人間の体に憑依し、その知識を借りることにした。

 だがそれに思った以上に時間がかかっちまってなあ。嘗て俺が使っていた石動惣一に匹敵するような体なんか早々無い。なんで俺はとりあえず背格好だけでも石動に似た人間に憑依し、その顔と声を俺の物質変換能力で石動のそれに変化させる事で妥協した。

 

 まあ、実際使って納得できる体を見つけるまでには何人か試す必要があったし、何日か時間を取られちまったが、その分多くの人間の記憶から様々な知識を得ることが出来た。

 <IS>、<アラスカ条約>、<モンド・グロッソ>、<織斑千冬>、<IS学園>……まったく、この世界もなかなかに俺を飽きさせてくれそうには無い。

 

 そんな夢想をしながら何とか満員電車から抜けだした俺が向かったのは、都会には良くある大型の電器店だ。情報収集の為なら図書館なんかに行くのがセオリー? それもいいが、一般的な知識を既に手に入れた以上、その次の段階として過去の記録では無く、今生まれつつある新鮮な情報が必要になる。

 

『つまり、現政党の問題点はこの問題に対して、明確な問題点を打ち出せていないという事で――――』

『CMの後、監督に作品への意気込みをインタビュー!』

『ローランディフィルネィ氏の個展が日本で開かれるのは初めての事であり、多くの来場者が集まると予想されています。その為主催者側は――――』

『さあ今日の工作はいったいなにをつくるか、みんなわかるかい?』『わかりませ――――』

『今月の昼のロードショーは<極限漢女祭り>!!!! 女は前から――――』

『ヒカエオラー!』『ズガタッキェー! こちらにおわすお方を何方と心得――――』

 

 そこで俺は並べられた大型の家庭用テレビの前に立って、食い入るように放送されている番組を見つめていた。

 俺の目当てはこの国や世界の情勢を映し出すニュース番組だ。ある程度放送局の意図や女尊男卑による意見の捻じ曲がりがあるっちゃあるが、そこまでの俗な知識を得ていない俺にはこう言った情報収集も必要になる。

 

 大切なのはこの世界の『空気』を理解する事だ。火の無い所に煙は立たないし、火を付けられる物が無ければそれ以前の問題だ。俺が最も愛する人間の生きざまには争いが必要不可欠。その為にこう言った生の情報を把握する事はとてもとても大切な事なのである。それと、もう一つ求めている情報があった。

 

『それでは、先日公開されたイギリスの第三世代IS<ブルー・ティアーズ>についてですが――』

 

 おお、来た来た。今のニュースでは、最新のISに関する情報もある程度放映されている。表向きスポーツとなっている事も理由だろうが、何より国防や他国とのパワーバランスにも関わりかねないのっぴきならぬ事情がある。

 ISは日本で生まれた兵器である以上、国民の関心も非常に高いってのは俺も容易く予想出来ていた事だ。公式的な最新情報はこうして地上波の放送に乗る。この辺も、俺が図書館などの公的情報機関ではなく民間の施設を利用した理由だ。

 

『――以上が、ブルー・ティアーズの最新情報になります! IS学園への投入も予定されているという話も聞きますし、次回のモント・グロッソに向けたイギリスの動向は、常に把握しておく必要がありそうです』

 

 ……っても、テレビから得られた情報はうわべだけの大した事無い代物だ。いきなり最新機種の情報を詳しく流すなんてそこまで都合のいい話はねえか。ここは内部情報に詳しい技術畑の人間にでも憑依してその知識を奪って……いや、流石にそれは簡単すぎる。今の俺は自分自身のハザードレベルの回復を待たねばならぬ身だ。早急な手段に訴えるべき時期じゃない。やっぱ、地道にやって行くのがベストかねえ……。

 

『番組の途中ですが緊急ニュースです!』

 

 んん?

 

『先日行われていたIS学園の入学試験において、男性である織斑一夏(おりむらいちか)くんがISを起動させる事に成功したとの事です!』

「……何だって?」

 

 テレビから知らされた情報はこの世界を揺るがすに足る衝撃的なものであった。先程から俺を睨んでいた女性店員もあまりの驚きにひっくり返っていたり、他の客も慌ててどこかに電話をかけたり、テレビの元へと集まってくる。

 

『これを受け、IS学園は特例として織斑一夏くんを入学させる事を発表。同時に日本政府は各地域の男性に対するIS適正試験を順次行っていく事を決定し、全国の企業にも強い協力を求める事を通達しました』

「マジか、これ……」

「男がISに乗れるなんて……!」

「もしかして俺もISに乗れるかもしれないってことか!?」

「そんなわけないでしょ! 何かの間違いよ!」

 

「おーおー……騒がしくなってきたねぇ」

 

 俺は激しくなってきた喧騒から逃れるため慌てて電器店を出たが、外にも既にあの情報は伝わっていたらしく、方々で混乱が起き始めているのが手に取るように分かった。こいつは想定外だな……おそらく、世界中にこの混乱は波及する。

 

 ――――もしかしたら、いいチャンスかもしれないな。

 

 織斑一夏が特例としてIS学園に入学させられると言う事実、それは恐らく超国家機関としてその身柄を保護する為だろう。ならば、その前例を利用すればIS学園にこの姿のまま踏みこむことも可能かもしれない。

 

「いっちょ、やってみるとしますか!」

 

 俺の思い付いたプランは正直な所穴だらけどころか、その場のノリで思いついたもんでしかない。だがまあ、思いがけず拾った二度目の人生。ちょっとは気楽に、もっと楽しんでやったっていいはずだ。

 

「さてさて、どんな所なんだかな。待ってろよお、IS学園……!」

 

 俺は軽く伸びをしてから携帯端末でIS学園の場所を確認し、一路IS学園に向かって歩を進め――――始めようとして、流石に無理があると思ったので通りがかったタクシーを拾うのだった。

 

 

 

 

 IS学園。<アラスカ条約>――正式には<IS運用協定>と呼ぶ――に基づき設置された、IS操縦者、および技術者育成の為の特殊国立高等学校。試験を終え、資料の整理や合格者の選定など、ただでさえ忙しいはずのこの時期。

 だが、織斑一夏が試験会場に迷いこんでISを起動させた事が世界中に知られた今、そこは正に修羅場と言う他無い状況に陥っていた。

 

「各国研究機関やメディアからの問い合わせの電話が鳴りやみません!!」

「ネット上での問い合わせもワケわかんない数になってます!」

「このままじゃ回線がパンクして……それよりも人が全然足りてません!!」

「うろたえるな! 非番の者を呼び出せ! 学園長が声明を発表するまでの辛抱だ!」

 

 喧噪の中、IS学園の教師である私、織斑千冬(おりむらちふゆ)は職員室を右往左往する他の教師たち同様、苦々しい顔でその対応に追われていた。

 

 何故、男性がISを……しかもよりにもよって、あの一夏が……!

 

 今まで私は、一夏を極力ISから遠ざけて過ごさせてきた。自身がIS学園の教師を務めている事だってアイツは知らないはずだ。だが事ここに至っては、それが自身と一夏の間に大きな溝を生んでしまっている。

 

 こんな時にアイツに連絡一つ入れることも出来ないとは……!

 

 IS学園の教師として、そして元日本代表のIS操縦者としての自身の責務はあまりに多く重く、それに雁字搦めとされている私では手の打ちようが無い。彼を特例として保護すると言う判断を早急に学園に打ち出させるのが精一杯だった。そのシワ寄せが、今来ている。

 

「織斑先生」

「真耶……いえ、山田先生、何か?」

 

 処理すべき書類と連絡事項のあまりの多さに辟易としていれば、来年同じクラスを受け持つ予定である山田真耶(やまだまや)が遠慮がちに話しかけてきた。お茶でも持ってきてくれたのかと一瞬思ったが、どうにも違ったようで私は内心少しがっくりした。

 

「お客様のようです。轡木(くつわぎ)さんと応接室でお待ちみたいですよ」

「こんな時にか……分かった、すぐ行くと伝えてくれ」

 

 今のタイミングでの来客は、まさに最悪と言えるだろう。だが今の私にとって、目の前の書類の山から少しでも離れられるとなれば、いい気分転換のようにさえ感じられる。

 幾つかの書類にだけ目を通すと、私は行き交う職員たちの間を抜け、轡木さんの待つ応接室へと向かった。

 

 

 部屋で待っていたのは学園の用務員である老齢の男性、轡木さんと、一人の壮年男性。ジャケットを羽織ったその男が立ち上がると、モデルか俳優かと見まごう程のスタイルに驚かされる。そんな事を思っていれば、男は右手を差し出し、にこやかに私に話しかけてきた。

 

「初めましてミス織斑、出会えて光栄だ。資料で見るよりもずっと美人だな」

「何者だ、貴様? このIS学園に一体何をしに現れた?」

「おおっ怖いな……やめてくれよ~、まだ何にもしてないぜ俺は!」

 

 態度で明確に握手を拒絶されると、男は参ったように両手を掲げて、しかし笑いながらポケットに手を突っ込んでこちらに向き直る。そんな男に対し、私はこれでもかと言うほどに睨みを利かせて言った。

 

「我々は今とても忙しくてな、私も随分気が立っている。もし下らん話なら学園から叩き出すだけではなく海に放り捨てても構わんぞ」

 

 しかし、並の操縦者どころか世界屈指の乗り手達さえ恐れさせる私の威圧にも動じることなく、男は悠々とした態度を崩さない。それ所か、こちらを品定めするかのような視線さえ覗かせている。

 

「いや~実は、IS学園に折り入ってお願いがあってさあ~……俺はそれでここに来たんだ。ま、話を聞いてくれよ」

 

 その緊張感の無い、どこか間延びしたような態度は行方知れずのままの親友の顔を思い出させた。しかし私は、無関係な他者には冷酷とも言える態度を取るが身内にはとことん甘い親友とは違う、底無しの穴を覗いているかの様な、今まさに獲物の首筋に喰らいつかんとする毒蛇の様な、一切の油断を許さぬ緊張感をこの男から感じている。その男が満を持して口を開く。私は最大限の警戒をもってその言葉を待って――――

 

「頼む! 俺も弟さんみたくこの学園で保護してくれ!」

 

 ――――思わずひっくり返りそうになった。

 

 

 

 

 

「――――それで? つまり貴様は『自分にもIS適性があるのでこの学園に保護してもらいたい』と言う訳か」

Exactly(イグザクトリー)! その通りだ! 話が早くて助かるよ~」

「本気で言っているのか?」

「本気本気、大真面目だって! そんなに嘘つくような顔に見えるかな、俺?」

 

 見える、と口走りそうになるのを必死で抑え、腕を組んで一度轡木さんに視線をやる。彼は立場上は用務員ではあるが、実際にはこのIS学園を取り仕切る事実上の運営者だ。

 彼もまた、難しい顔をして目の前の男を見つめている。すぐさま答えが出せる問題で無いのは重々承知だ。ならば、ある程度会話をして時間を引き伸ばすとしよう。

 

「……そういえば、まだ名前を聞いていなかったな。軽く自己紹介でもしてもらおうか」

「おっ、そういえばそうだったなあ。じゃ、遠慮なく」

 

 言って男は胸に手を当て、流れるように大袈裟な礼をする。一々動きが様になる男だ。若い頃はさぞ女性たちが放っておかなかっただろう。

 

「俺は石動惣一。宇宙から来た」

「は?」

「冗談だよ冗談! 正真正銘、日本生まれの日本人さ」

 

 私が一層強く睨みつけると、男は取り繕うように諸手を突き出して振り、その冗談を訂正した。本来ならばこの地点で放り出してやりたい所だったが、もしこの男が本当にISを起動できるならそのリスクは語るべくもない。私は我慢した。

 

「歳は四十とちょっと、前職はカフェのマスターだ。まあそれ程繁盛はしなくてね。恥ずかしながら、バイトを掛け持ちして何とか回してる有り様だったぜ」

「何がダメだったんだ?」

「ん~、やっぱ時期と立地と、コーヒーとパスタの味かなあ……」

「ほとんど全部では無いですか」

 

 この男に本当にカフェのマスターなど勤まっていたのか? と思っていれば、話を聞き流す事に耐えきれなくなったと思しき轡木さんが鋭くツッコミを入れる。それに私は思わず心の中で拍手を送った。

 そして轡木さんは溜息一つつくと、答えを決めたのか、決断的な目で石動惣一を凝視して口を開く。

 

「しかし、信じ難いですね。男性のIS操縦者がこの短期間に二人も現れるなど。それも偶然発覚した織斑くんと違って、貴方は自身がISを操縦できるという確信を持ってここに来た……何らかの意図を感じずには居られない」

 

 言って用意されていたお茶に一度口をつけると、普段の柔和さからは想像もできない鋭い目を一瞬見せてから、轡木さんは私に対して一度目配せをした。

 

「結論を言えば、職員達が忙しく貴方の正体も分からない今、この学園に留め置く訳には行きません」

「ええっ!?」

 

 まるで想像だにしていなかったとばかりに驚いて見せる石動惣一。だが当然の判断だ。話が済んだら、早急に戻って書類処理の続きを始めなければ。既に今日眠れるか怪しい状態になっていたのだ。

 

「……しかし」

「んっ?」

「貴方が本当にISを起動できてしまうと言うなら、我々としても放っておく訳には行きません」

 

 轡木さんが苦悩の末にその判断を下したのは、憂い気なその眼から容易に読み取ることが出来た。しかし、思わず私は轡木さんに幾つかの疑念を問いかける。

 

「轡木さん。この男、どこかの国から送り込まれた工作員と言う可能性もあるのでは? そのような男をこの学園で保護するというのですか?」

「この学園にスパイを送り込まんとするどこかの機関ならば、もっとスマートに生徒として送り込んでくるでしょう。それに、わざわざ貴重で非常に目立つ男性操縦者をその任につけるとは思えない」

 

 確かに、今までこれほど大雑把で雑なやり方でIS学園に潜入して来ようとした者はいない。だが前例が無いからと言って安心しきるのは論外だ。自称とは言え、目の前にいる男もこれまで机上の空論にさえ登っていなかった男性操縦者の一人なのだから。

 

「いや全くその通り、織斑先生もそんなピリピリしなさんな! 大体、こんなイケてる悪者がいる訳無いだろぉ?」

 

 どうだ、と言わんばかりに満面の笑みを向ける石動惣一に、私の堪忍袋は限界近くに達していた。ただ轡木さんの手前そんなに暴れ回ろうとも思えん。

 そう思った私は、この男に対して辛辣な態度を示して、少しでもうっぷんを晴らしてやろうと考えた。こんな態度をずっとしているんだ、それくらいの報復は許されるだろう。

 

「しかし、貴様の態度は気に入らんな。自分の人生を賭けてこの場に立っているなら、それ相応の頼み方があるはずだが」

「……土下座しろって言うのか?」

 

 私の発言に、石動の雰囲気が今までに感じたことの無いような剣呑な物になる。流石の私もちょっと言いすぎたかと僅かな不安に駆られるも、それをおくびにも出さず、高圧的に胸を張り続けた。暫くそうやって睨み合っていると、その雰囲気に耐えかね、轡木さんが横から助け舟を出してきた。

 

「……いや、織斑先生もそこまでは」

「悪かった! 何でもするからどうか俺を匿ってくれ~!!」

 

 石動のその態度のスイッチの早さに、内心緊張していた私は思わず面食らう。余りにもスマートで素早く、美しい土下座だった。完全に全てをかなぐり捨てている者の動きだ。思わず私も毒気を抜かれて肩を落として、一瞬でも気を抜いた事を心の中で反省した。

 

「とりあえず、試験用のISを使って適正試験を受けてもらいましょう。もし実際にISが起動出来たなら我々は正式に貴方を保護します。ただ、その後の処遇などはこちらに任せて頂きますが。織斑先生、案内をお願いします」

「ハイハイっと。そんじゃあよろしく頼むぜ、織斑先生」

「……あまり話しかけるな。何故か無性に腹が立つ」

 

 

 

 

 

 

 結果から言えば、俺の作戦は成功した。男性にはISが起動できない理由を女性との遺伝子レベルでの違いと仮定し、この肉体の遺伝子を弄りに弄りまくったのが功を奏した。

 結局ISの起動に必要な要素が何であるか明確には把握できなかったが、ぶっつけ本番で行ったISの起動試験を俺は無事(IS適正がCランクなんてありきたりな判定の中の、更に最低レベルだったのは気に入らないが)通過し、晴れてIS学園の庇護を得る事が出来たのだ。

 

 しかし完全に信頼されたと言う訳では無い。与えられた部屋も倉庫を整理しただけの即席のもので半ば軟禁と言ってもいい。おまけに幾つかの雑用までやらされているし、更に外を出歩く際には監視を付けられた。

 

 それでも、この処遇は俺の満足行くものだった。その理由はずばり大きな収穫があったからだな。その一つは学園から渡された、鈍器と見まごう厚さを誇る(俺はこれを凶器として用いた事件が起こっていないか、真剣に気になった)ISに関するマニュアル本や参考書だ。

 どうやら学園は新年度、織斑千冬が担当するクラスの補佐か何かとしての立場を俺に与える事にしたようだ。間違いなく、それは織斑千冬を始めとした教師や一般の生徒たちに俺を監視させるための措置だろう。

 

 確かにそうなったら俺は随分動きづらくなる。石動の顔なら、女子生徒からの注目度も高いだろう。しばらくは奴らの目論見の通り大人しくしているしかない。まあ、年単位で時間をかければ警戒もある程度薄れるだろうし、物を教えたり導いたりするのは割と得意分野だ。そもそも、俺を人間だと思っている地点で奴らとの騙し合いには勝ってるしな。

 

 そんなこんなで、このマニュアルのお陰で俺は合法的にISについての知識を得る手段を手に入れる事に成功した。部屋の中に閉じこもっている間はマニュアルをめくり、脳内の知識をどんどん更新し、新たな知識を吸収していけばいい。

 

 だがそれ以上の収穫が一つある。あのやたらと厳格な女教師、織斑千冬の存在だ。

 

 試験後に握手をした一瞬での簡易な測定になったが、その力はハザードレベルに換算すれば現在の俺と同等……<ネビュラガス>の注入もせずにあれほどの肉体強度を持つのは間違いなく異常だ。奴の遺伝子を解析して俺の体に組み込めば、一気にハザードレベルを回復する事も可能だろう。

 

 しかし、俺が教師ねえ。そんな事になるとは考えもしなかったな。

 ビルド達に敗れてから随分遠くに来ちまった気がする。この先、うまくやって行けるといいんだけどなあ。相手する事になる生徒たちが、誰も彼も美空くらい扱いやすいといいんだがなあ。

 

 マニュアルをめくる手を止めて、俺は仰向けに寝っ転がって上を見上げた。そこには急ごしらえで備え付けられた電灯と、暗雲も光明も見出せぬ、ただ薄汚れているだけの天井があるだけ。まるでこの世界の行く末のように、何も見通すことはできないのだった。

 




織斑先生も万丈やカシラと同じく生身でのスマッシュ撃破は出来ると思います。
一方エボルト自身の戦闘はしばらくは無さそうです。


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遠くの星から来たティーチャー

エボルト頭いいし、コミュ力高いし、教師としての素質は十分あると思う。
評価やお気に入り、感想ありがとうございました。


 春。新年度の開幕に伴って、日本中で変革が起きる季節。それはIS学園も例外ではなく、新たにその敷居を跨いだ新入生たちによって、良くも悪くもまた変革が起こるのだろう。

 新年度初の顔合わせを終えた教師たちは期待半分、不安半分と言った顔でそれぞれの教室に向かって行く。

 

 だが俺は期待100%の顔で、前を行く織斑千冬の先導に従い、着々と自身が赴任する教室へと向かっていた。

 

 先日、ISの起動試験を突破してIS学園の教師――副担任補佐なんて言う、あからさまに即席で作った役職を手に入れた俺は、予想通り織斑千冬ら教師陣の監視下に置かれ、その責務を果たすべくスパルタで教師としての能力を研鑽させられる事になった。

 

 中々にキッツイ準備期間だったぜ。ISの知識に関しては問題ないと山田ちゃんの太鼓判ももらったが、逆に教師としての知識を身に付けるのは中々に億劫だった。

 

 人間、興味があるものと無いものには熱の入り方に差が出るのは当然の事。地球外生命体である俺も、その例には漏れなかったって事だ。

 

 更にもう一つ言えば、俺には発信機の携帯が義務付けられた。結局俺は明確な経歴をIS学園側に説明することが出来なかったんで、それに対する措置なんだろうな。鬱陶しい。

 ま、しばらくはおとなしく指示通りに教師としての仕事を全うするつもりだし、いざとなれば憑依した体を置いて本体だけで活動する事も出来るから、何て事は無いんだがな。

 

「石動先生」

「へい」

 

 そんな事や、どんな生徒たちが待っているのかと期待に心を膨らませていた俺の気の緩みを感じ取ったか、織斑千冬が顔だけを此方に向けて戒めるような視線を送ってくる。

 

「随分と楽しそうな顔をしているが、生徒たちはお前が考えているほど大人しい生物ではない。それにお前は男なんだ。ある程度のやっかみなどもあるだろう。あまり早く折れられては困るからな、肝に銘じておけよ」

「解ってますよぉそれくらい。しかしこの歳になって新しい職につくとなると、やっぱ心が躍るってもんです」

 

 そう呑気に返す俺に、織斑千冬の視線はますます冷たく、鋭いものとなる。だが俺にとってはそんなのどこ吹く風、それよりも気になる生徒達の事を頭の中で反芻していた。

 

「貴方の弟を始め、国家代表候補生、更にはあの<篠ノ之>の人間……それ以外にも、狭い門を勝ち上がってきた国を背負うエリート揃いだ。そんな皆にコーヒー作りくらいしか取り柄の無い俺が何かを教える事が出来るってのは、実に光栄なことじゃあないですか」

 

 そう言って笑うと、織斑千冬はちょっと呆れたように溜息をついて、手に持っていた出席簿で俺の肩をペチリと叩く。

 

「その気概は買うが、お前はあくまで副担任の補佐。それに教師としての経験は全くのゼロだ。これからいろいろ教えては行くが、私や山田先生の指示にはしっかりと従うように」

「そういや、山田ちゃんはもう教室に入ってるんでしたっけ? 大丈夫かな?」

 

 言いつつ、今頃山田ちゃん大分慌てふためいてたりするんじゃあねえかなあと思っていると、俺の頭部に目にも止まらぬ速さで振るわれた出席簿が振り下ろされた。

 

「ぁ痛ァ!」

 

 なんて攻撃速度だ、見てから躱せなかったぞ!?

 

 あまりに強烈な攻撃を受け頭を抱えたまま蹲る俺を見下ろしながら、戒める様な視線を織斑千冬は向けてくる。いい歳してるんだからもう少ししっかりしろ、とでも言いたげだ。

 

「山田先生、だ。少なくとも、生徒たちの前でそんな気安い呼び方をするな。いくら年が離れているとはいえ、教師としての経験は彼女の方が遥かに上なのだからな」

「善処しま~す……」

 

 本当に鬼みたいな奴だな……。そう心の中で思うと、織斑千冬は俺に向けている視線を更に鋭いものにする。この女は人の心でも読めるのか? もしそうだとしたら、俺の悠々自適なセカンドライフが滅茶苦茶だぞ……?

 

 しかしそんな俺の内心など素知らぬという風に、織斑千冬は改めて教室へと向かって歩き出す。俺もその後に続きながら、こぶでも出来ちゃいないかと頭頂部をさすりさすり。一瞬ハゲと言う単語が頭を過ぎるが、意識的にそれを心の底に押し込め、早々に自身の教室へと向かうのだった。

 

 

 

 

 ――――俺、織斑一夏の高校生活の開幕はハッキリ言って散々なものになっていた。

 

 当たり前だろ! いきなり男には起動できないはずのISを起動させちまって、半ば拉致同然でIS学園に放り込まれて、男が俺しかいない環境でこれからの三年間を過ごしていかなきゃならないなんて!

 更に自己紹介に失敗したと思ったら、何してるんだか定かじゃ無かった姉が実は教師で、しかもこのクラスの担任と来た。久々の再会を喜ぶべきなのかもしれないけど、いきなり出席簿で頭を引っぱたかれちまっちゃ、感動の涙も引っ込んじまう。

 その挙句、千冬姉が凄まじいまでの人気を誇っている事を生徒たちの嬌声で身を以って教えられた上に姉弟関係が他の生徒達にも露見した今、俺はもうここでの学園生活に、暗雲しか見出すことが出来なかった。

 

 箒の奴も助けてくれよな、この状況……。久方ぶりに再会した幼馴染に恨みの視線を送ると、箒はそれに気づいたのか、一度だけ目を合わせた後はそっぽを向いて無視を決め込んでいる。はあ、せめてもう一人、男の仲間が欲しいもんだぜ。

 

「まったく……さて、SHRは終わり、と言いたい所だが……もう一人紹介する者が残っている。石動先生、入ってきてくれ!」

 

 その声に反応してか、ガラッと小気味よい音を立ててドアが開き、長身の壮年男性が教室へと入ってきた。白い生地の柄入りシャツの上に紺色のジャケットを羽織って、洒脱な雰囲気を身に纏っている。だが、何よりも皆の目を引いたのはその抜群のスタイルだろう。

 

 脚長っ。

 

 そんな声を拾って周りを見れば、女子生徒達もそのダンディズム溢れる立ち振る舞いにぐうの音も出ていない。先程の千冬姉に見せた反応とはまた違う、見惚れる、と言う言葉がまさにしっくりくるような状況だった。

 

「こちら、今年よりIS学園に赴任してきた石動先生だ。では石動先生、自己紹介を」

「りょーかい」

 

 石動先生と呼ばれたその人は、教壇の前に立つとチョークで黒板に自身の名前を書き、それが終わるとこちらに向き直った。

 

Bonjour(ボンジュール)、生徒諸君! ご紹介に預かった石動惣一だ。これから一年間、クラス担当の補助として皆と一緒に学園生活を送らせてもらう。まだ教師としての経験は浅いんだが、何分よろしく頼むぜ」

 

 そう言って彼が皆に向かって指を向けると、それだけでクラス全体がざわついたのが解った。あれが大人の魅力ってやつか……。ただその顔はフレンドリーに微笑んでいて、この学園で初めて見た同性と言う事もあり俺は好意的な感情を彼に向けていた。

 

「いっ石動先生、ご質問いいですか!?」

「OK! 一体何だ?」

「あの、IS学園の教員は、基本的に女性のはずです! 事務や用務員さんとかならともかく、石動先生は何故クラス担当に……?」

「それには私から答えよう……と言っても、既に察しているものも何人か居るようだな」

 

 生徒の一人からの質問を遮って前に出た千冬姉が、クラスの面々の中の幾人かの顔を眺め、納得したかのような顔をした。そしてこちらに一度目を向けると、未だに良く分かっていない俺に呆れた目をして、説明の続きを始めるのだった。

 

「石動先生は織斑同様、ISの操縦者適性が確認された貴重な人材だ。こうしてIS学園に居るのも、身柄の保護を目的とした側面もある」

「ま、そう言う事だ。実際教育実習生みたいなもんだから、気軽に話しかけてくれよな。他に何か質問があれば答えるぜ?」

 

 千冬姉の言葉にまたしても俺は仰天した。俺以外にいないと思っていた男性IS操縦者。それがこうもあっさり目の前に現れ、しかも教師だって? すごいな……この女性まみれの生活に現れた一つの光明とも言うべきか。俺も何とかこの学園でやってける気がしてきたぜ。

 しかし当の石動先生は俺のそんな希望に満ちた視線に気付かず、女子たちから矢継ぎ早に投げられる質問を軽妙に捌いていた。

 

「出身は何処ですか!?」

「宇宙! ……冗談だよ。ま、海沿いって事にでもしといてくれ」

「好きな音楽とかはありますか?」

「ベートーヴェンの交響曲第9番第4楽章! 最近のならPANDORAのBe The One! 小林太郎もいいな」

「好きな女性のタイプは!?」

「そりゃ難しい質問だな~。俺は外見より、中身の方を重視するタイプでね……少なくとも織斑先生はタイプじゃグワーッ!?」

 

 うわっすげえ! 振り抜かれた出席簿を食らった石動先生が扇風機みたいに横回転したぞ!? まあ千冬姉に対してセクハラかませばああもなるよな……床に転がったままの石動先生を、山田先生が必死に揺り動かしている。そこだけ見ればちょっとうらやましい。

 

「フン……さあ、今度こそSHRは終わりだ。これからお前たちをみっちり鍛え上げて、長くとも一か月でISの基礎操縦訓練を終了してもらうからな。全員覚悟を決めておくように。以上だ」

 

 まるで『またつまらぬ物を斬ってしまった』とでも言いたげに鼻を鳴らすと、今まで石動先生が立っていた教壇に堂々と立って、千冬姉は教室内の全生徒に言い放つ。その声を聞いて、俺はまるで刀を喉元に突きつけられたかのような緊張感と、本当に千冬姉の元で勉強についていけるのかどうかを危惧して沸き起こる不安感、その二つの感情を同時に味わうのだった。

 

 

 

 

「いや~、山田先生、ホンット助かりますわ……」

「いえいえ。石動先生こそ、本当に大丈夫なんですか? 大事を取って保健室で休んでいた方がいいんじゃ……?」

 

 一時間目が終わった後の休み時間。先の授業の間教室の隅で完全にダウンしていた俺を山田ちゃんが手当てしてくれた。まったく、誰もが皆彼女のように協力的ならやりやすいんだけどな。織斑千冬にも少しは見習ってほしい……と言いたい所だが、奴も何だかんだで負い目を感じていたのか、二時間目の準備を自ら引き受け足早に職員室に戻って行った。

 あのスパルタと言うにも生ぬるい鬼教官じみた教師としての態度は、奴の持つ責任感の強さの表れかも知れん。それでも弟とは言え生徒にまでビシバシ手を上げるのはどうかと思うがなあ。

 

 そんな思いで教室を眺めれば、廊下まで続く人だかりだ。彼女達の目当ては一つ。ズバリ織斑一夏だ。だが彼女らも互いに牽制しあって攻めあぐねているのか、直接的に織斑に話しかけに行くものは一人もいない。

 

 しかし、この世界の人間は髪の毛の色がカラフルでなかなか興味深いな。

 

 ビルドの世界の人間達とは大違いだ。あの世界で見ていたのが殆ど日本人だったから余計そう感じるのかも知れないが、目の前にいる山田ちゃんだって若草色のなかなか良い色の髪の毛をしている。先日聞いてみた所によれば正真正銘の地毛との事だった。

 こうも色とりどりだと、前の世界でよく目にしたフルボトルを思い出すぜ。

 

 今俺はコブラ以外のフルボトルを所持していない。元来あれは憑依した生物の記憶からその星に関わるエレメントを抽出し、パンドラボックスを介して物体化させたものだ。一応この世界も同じ地球と言う星である以上、ビルドの世界と同様のフルボトルが用意できるだろう。

 

 ただ、あれは一本作るにも意外と時間がかかるもので、すぐに揃えられる物じゃない。ビルドの世界では火星からの帰還中にじっくりと60本のフルボトルを揃えられたが、教師をやりながらとなれば、暇を見て能力的に応用が効くボトルから作って行くしかないだろう。

 

 まずは消しゴム、フェニックス、ダイヤモンド、ロケットあたりかねえ……教師業が終わってもあんまり自由時間は無さそうだな。

 

「はい、終わりましたよ……まったく。これからは女性に対してあまりデリカシーの無い発言は控えるようにして下さいね!」

「気をつけまーす」

 

 ぷりぷりと怒る山田ちゃんに俺は気のない返事を返す。こっちだって毎回あんな攻撃を食らってちゃ回復するハザードレベルも回復しやしないし、割と真面目に気をつけねえとなあ……そんな事を思ってから俺は立ちあがって、織斑一夏の現状を覗いてやろうとした。

 

「ありゃ?」

 

 見れば、織斑一夏の席はもぬけの殻だった。女子生徒たちもまるで何か聖人が通った後かのように人が通れるスペースを開けて立ち往生している。俺が見てない間にトイレにでも行っちまったのかなあ。そんな事を思っていると、段々と女子たちの視線がこちらに集中して来た。

 

「俺の顔に何かついてるか? いや、手当ての跡はあるだろうけどさあ」

 

 そんな軽口を叩いても、生徒たちの視線は俺を捉えたままだ。何人かがひそひそと会話を続けている。こりゃあ、アレか。織斑が居なくなったせいで今度は標的が俺に移ったって訳か。

 ま、確かにこの学園で男に出会うなんてのは珍しいだろう。だが、俺くらいの歳の男なら父親が居るだろうに。それともこの女尊男卑の時代、夫婦、父娘関係も拗れ易かったりするのか?

 そう思いながら時計を見れば、もう二時間目の始まる寸前であった。

 

「おーい、そろそろ次が始まるぞー。他クラスの奴らはさっさと自分のクラスに戻れー!」

 

 そう俺が呼びかけると同時に、二時間目の開始を告げるベルが鳴った。それと同時に波が引くように他クラスの生徒達は帰ってゆく。その中で流れに逆らって戻ってくるのは、織斑一夏と、彼と古い付き合いだと言う篠ノ之箒。

 篠ノ之は自身の席をキッチリ覚えていたようでさっと自身の席に戻ったが、どこか上の空の織斑は少し気が抜けたように自身の席を探して、ドアから入ってきた織斑千冬に見事な一撃を叩きこまれる。それを見て俺は腹の内でちょっと笑って、織斑千冬に一睨みされるのだった。

 

 

 

 

 織斑姉弟による一方的などつき漫才も終わり、俺にとって初めて(二度目だが)の授業が始まった。山田ちゃんの授業は要点を丁寧に抑え、それを段階的に知識を教えていく形式のもので、その手腕は確かにIS学園で何年も教鞭を執ってきただけの事はある。

 初日の授業と言う事もあって、それはISに詳しく無い者でもある程度の知識があれば何とかついていけるレベルのものだ。

 

 しかしそのクオリティはもし彼女がISに関わらない人生を送っていたとしても講師としてうまくやって行けるはずだと俺に思わせるには十分なものだった。実際、俺の隣でそれを監督する織斑千冬もその様子には満足そうだ。

 

 だが、このクラスに一人だけ、そんな授業のありがたみをまったくと言っていいほど噛みしめてない者が居た。それを見つけた俺は、織斑千冬にアレはいいのか?と目配せをする。

 俺の視線にすぐさま織斑千冬は気付くが、小さく首を横に振った後、また授業を静聴する姿勢へと戻る。彼女自身もその生徒には気がついていたようだが、そこまで積極的に山田ちゃんの授業に割り込むつもりは無いらしい。

 

 しかし山田ちゃんもさる者。俺達が直接指摘する前にその生徒の様子に気づいて、自ら現状を聞きに行った。

 

 織斑一夏。奴はさっきから周囲をきょろきょろしてみたり、教科書のさわりだけを閉じたり開いたりを繰り返している。山田ちゃんはそんな彼にも好意100%で、分からない所があったら聞くように促した。それに織斑は吹っ切れたかのようにうなずき、そして言った。

 

「先生!」

「はい織斑くん!」

「ほとんど全部わかりません」

 

 それを聞いて俺は盛大に笑いそうになって天を仰ぐ。流石に生徒の不出来を大笑いするのはまずい。だがそうやって笑いをこらえていると、隣の織斑千冬から強烈な肘を食らって椅子から盛大に転げ落ちる事になった。

 

「石動先生!?」

 

 びっくりして椅子から転げ落ちたとでも思ったのか、山田ちゃんが俺の元に駆け寄り、小柄な体で頑張って俺を引きずり起こしてくれる。それを尻目に、俺に会心の一発を食らわせた織斑千冬は弟の元へと歩み寄り、有無を言わせぬ声色で聞いた。

 

「織斑。お前、入学前に渡された参考書は読んでないのか?」

「古い電話帳と間違えて捨てました」

 

 言い終わるが早いか、織斑千冬の持つ出席簿の一撃が一夏の頭に直撃。あまりのダメージに頭を抱える織斑を見届けた俺はその席まで歩み寄って、織斑千冬の横に並んだ。

 

「おいおい織斑、流石にそれはまずいだろ~」

 

 俺は姿勢を落として織斑に視線を合わせ、困ったように言った。

 

「あの目立つ資料を電話帳と間違えちまうなんて、もしかして、最初から読む気がなかったんじゃあないのか~? それじゃ資料集がかわいそうだぜ」

 

 俺がそう語り掛けると、織斑は困ったような、バツの悪そうな顔で何か言おうとする。しかし隣に立っていた織斑千冬が織斑の反論を許さない。

 

「貴様、自分が望んでここに居る訳ではないからと言って、気を抜いていたんじゃあるまいな?」

 

 それを言われると織斑は図星だったようで、相当マズイと言った顔で黙り込む。その様子を見た織斑千冬は一つ溜息をついて、織斑に無慈悲な宣告を下した。

 

「資料集は放課後には間に合うよう手配してやる。少なくとも一週間以内には内容を記憶するように、いいな?」

「一週間!?」

 

 あの分厚さを一週間となればその反応も頷ける。まあ、流石にそんな苦行を無理やりやらせるのは気が引ける。俺もフォローを入れてやるとするか。

 

「そう暗い顔をするなよ織斑。お前さえ良ければ、俺と山田先生が放課後に時間をとってやるさ。ねえ山田先生?」

「あっは、はい! えっと、もし分からない所があっても単語くらいは書き留めておいた方がいいと思うよ? 放課後になったら石動先生とそこを重点的に、教えてあげますから!」

 

 ね? と織斑に微笑む山田ちゃんの顔を見て、織斑の眼に生気が宿るのが見えた。あと一押しでもすれば、しっかりとやる気をもって学業にも励んでくれるだろう。

 俺は織斑に更に近づいて奴にだけ聞こえるように、小さく声を掛けた。

 

「お前は目立つんだ。織斑先生の顔に泥を塗るような真似だけはしないでくれよ?」

「!」

 

 その言葉はどうやら織斑にとって痛烈なものだったらしい。その様子を見て小さく笑った俺はその肩を一度軽く叩いて教室の端に用意された席、織斑千冬の座る席の隣の椅子に腰をかける。

 見れば何やら山田ちゃんが顔を赤らめて体をくねらせているが、織斑千冬の咳払いを受けて、慌てて授業を再開した。

 

「織斑に何を言った?」

「姉さんに恥をかかせんな、それだけですよ」

 

 それだけ聞いた織斑千冬はそうか、とだけ零して山田ちゃんの授業へと向き直る。出席簿が飛んでくるような事は無い。それに俺は少し安心して、しかし放課後の時間を織斑の授業の遅れに奪われてしまう事にちょっと沈んだ気分になる。

 

 フルボトルの制作は後回しにしなきゃかねえ。

 

 教師という職業の難しさを身に染みて俺は実感して、今後こう言った事が起きないようにこのクラスの学力を十分に向上させてやる事を心に決めるのだった。

 




消しゴムボトルの能力は単純に透明化とかかな……。
カシラがやってた撤退はトランスチームシステムで間に合いますし。


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リーダーになるべきなのは誰?

評価バーが赤くなっていてテンションの高い時の戦兎のような声を上げました。
お気に入り、感想含めとても励みになります。ありがとうございました。


 三時間目。授業の開始時に織斑千冬の鶴の一声により、クラス対抗戦に出る代表者を決めなければならない事が伝えられた。実に面白いと言いたい所だが、恐らく織斑一夏がその座に据えられるんだろうなと、俺は冷めた目でそれを見つめていた。

 

 初対面の日に自薦他薦を問わずに決めると言う条件が問題だな。そうすると、必然的に知名度がある者、あるいはクラス内でも群を抜いて目立つ者に他薦が集中するのは自明の理だ。

 

 案の定、クラスの女子達は織斑に対して票を入れ、よっぽど代表になりたくなかったと見える織斑は拒否の構えを示し助けを求めるように周囲に目をやるが、姉である織斑千冬の一喝によって黙らされた。

 

 代表戦ってのも、なんだか懐かしさを感じさせる行事だな。選ばれた織斑は割と普通にかわいそうな気もするが……他に推薦されるものが居ない以上、仕方ない結果だろう。

 

 そんなに嫌ならここで誰か適当な奴を指名、候補者をもう一人選出して何とか責務から逃れるのがベストだとは思うけどな。それをしないのは織斑自身の気質か、単にそれを思いつくだけの余裕がないだけの事か。

 

「待ってください、納得が行きませんわ!」

 

 このまま織斑で決まって話は終わるのかと思っていたら、嬉しい乱入者がそれを遮った。あいつは確かセシリア・オルコット。入試首席かつ、国家代表候補の実力者。入学試験で唯一実力で(ここ大事だ。織斑の奴も一応勝ってるし)試験官に勝利した、現状疑いようもなくクラス最強と言える生徒だ。

 

 そんな生徒がこうしてクラス代表に名乗りを上げるのは実に喜ばしいもんだ。是非織斑と競い合ってうまい事俺を楽しませて――

 

「そのような選出は認められません! 男がクラス代表なんて恥さらしもいいところですわ! このセシリア・オルコットにそのような屈辱を一年間も味わえと言うのですか!」

 

 ――ん?

 

「クラス代表は自薦他薦を問わず、最も実力ある者がなるべきですわ! つまりこのわたくし! 大体、その座を物珍しいと言う理由だけでこんな文化的にも後進国の男に任せようとするなど――!」

 

 その言葉に、今まで自分の知ったこっちゃないとばかりの態度を取っていた織斑が弾かれたように立ち上がる。

 

「言ってくれるじゃねえか! イギリスだって別段何の取り柄もねえ――」

「はーいそこ二人ストップ! ストップな!」

 

 オルコットの演説に触発された織斑が売り言葉に買い言葉で応戦しようとした所に俺が割り込む。正直争いは大歓迎だが、あんまりこの程度の小競り合いに時間を割けば授業時間が減る。それで放課後の時間をさらに取られちまうような事になるといろいろ困るのだ。

 

 俺としては一刻も早く隠密行動や飛行の出来る幾つかのボトルを生成して、スタークとしても本格的に行動できるようにしたいからな。

 

「ったくぅ、そんなに一番強い奴がクラス代表に相応しいってなら、男も女もねえ、戦って決めるのが筋ってもんだろう? こんな子供みたいな言い争いをするより、そっちの方がよっぽど『らしい』はずだぜ」

 

 言いながら視線を激突させる二人の間に割って入り、どちらにもそれでこの場は納めろと目配せをした。いち早くそれに納得してくれたか、織斑が先に口を開く。

 

「分かりました。ここは石動先生の顔を立てて、真剣勝負で決着をつけようじゃねーか」

「あら、わたくしに勝てるとでも思っているのかしら? ハンデを上げても一向に構いませんわよ! いくら先生とは言え、男の提案に乗るのは些か癪ではありますが……」

「話は決まったようだな」

 

 オルコットの言い草にちょっとばかり俺がムッとしていると、織斑千冬が話をまとめに掛かって来た。横では山田ちゃんが慌てて端末を弄り回している。恐らくアリーナの使用可能な日を確認しているのだろう。

 しばらくして、山田ちゃんが織斑千冬に耳打ちすると、奴は二人に向けて決戦の日を通告した。

 

「では勝負の予定日は一週間後の月曜、第三アリーナを借用して執り行う! 放課後になり次第すぐに準備を始めるから、間違ってもすっぽかすなよ。石動先生もそれで構わないか?」

「異議なーし!」

「うむ、それでは授業を始めるぞ。各自、ISの装備品に関する知識は記憶してきたな? それを確かめてやる。少し飛ばして、教科書の20ページを開け」

 

 

 

 

 

 

 結局その日の授業は、クラス代表決めに関するいざこざはあったものの、ほぼ予定通りに終了した。俺と織斑千冬は、山田ちゃんが織斑一夏に急遽決まった寮の部屋を伝えに行くのを見届けて、職員室への帰路につく。

 

 いやいや、まったく色々勉強になる一日だったぜ。それ以上に疲れた。年頃の女子の相手がこれほどまでにハードだとは思っても見なかった。

 

「お疲れのようだな、石動先生」

 

 いやお前のせいでもあるんだよな。下手にデリカシーの無い言動をすれば出席簿で打擲(ちょうちゃく)されちまうし。間違いなく、今日織斑一夏の次にこの女によって『わからされた』のは俺だろう。毎日こんな目にあわされちゃあたまらん。早目にこの女の中でのアウト・セーフの基準を見極めなきゃな。

 

「……大丈夫か?」

「ああ、ボ~ッとしてました。流石に堪えますねえ」

 

 考え事をして反応を返し忘れたせいで、割と本気で心配されてしまった。常にそれくらいの気遣いが出来ればもっと親しみのあるモテ方をするだろうに。

 

 今日一日を共に過ごして分かった事だが、この織斑千冬という女に実力行使で付け入るスキは無いに等しい。本気でこの女の成分を採取しようとするなら、仮面ライダーエボルに変身できるようになってからの方が間違いないだろうな。

 

 本末転倒って奴だ。この女の成分があれば俺のハザードレベルも一気に回復するんだが、今の状態でそれを入手するにはリスクが高すぎる。やり合うにしたってもっと俺の装備を充実させてからだ。トランスチームシステムだけでこの女とやり合うのは御免被りたい。

 

 今の内に戦闘用のフルボトルもピックアップしておくか……。

 

「お疲れさまです」

「ああ、お疲れ」

「どーも、ご苦労さん」

 

 そんな事を考えていれば別の教師とすれ違う。いつの間にか職員室の前まで来ていたようだ。俺が初めて来た日の喧騒は流石にもう無く、教師方も各々の作業に取り組んでいる。

 そこで待っていろ、と織斑千冬に言われ扉の横で待機していれば、奴は何センチかの厚みがある書類の束を持ってきて俺に手渡してきた。

 

「なんすか、これ?」

「いや、私も放課後は自身の職務がある。どうにもお前の監視とは並行できそうに無いのでな。お前に目を通して欲しい書類と、記入が必要な報告書をまとめてきた。お前にはこれから部屋に戻って、明日の朝までにこの書類全てに目を通してもらう」

「マジかあ、多すぎやしません?」

「最初の出勤だからな。普段はそこまででもないんだから、諦めて早々に書き上げてしまえ」

「あーい」

 

 ま、こいつに四六時中監視されるよりはマシか。しかし結構な分厚さがあるぞ。今日はフルボトルを生成する暇、無いんじゃあないか?

 

「私の監視が無いからと言ってサボるなよ? 後、発信機は常に身に付けておくように」

「わーかってますって、信用ないなあ!」

「どの口が言うのだ」

 

 笑顔の俺を鋭く一瞥して織斑千冬は溜息をつく。この女の信頼をどうやって勝ち取るかというのは、この学園での生活における高いハードルの一つだな。

 

 

 

 

 そんなこんなで部屋に戻った俺は、抱えた書類の束を見てそれを放り捨てちまいたい虚無感に襲われた。いくらのんびりやるっつっても、ここまで時間に余裕が無いとなると、俺も教師生活と言う物について真剣に考えざるを得ない。

 

 フルボトル60本揃えてさっさとこの星を破壊しちまうか~と言う考えが一瞬頭を過ぎったが、流石に初日からそんな事を考えるのは情けないだろ。織斑千冬も普段はこれほどの量じゃあないって言ってたし、スパッと終わらせてフルボトルを作るとするか!

 

 そう決めた俺は決断的に一枚目の書類をめくって目を通すと、その凄まじい文章密度に打ちのめされ、自身の教師生活に改めて不安を抱いて肩を落とすのだった。

 

 

 

 

 

 

 二日目の授業。既に基礎的なIS知識を習得している俺にとっては、割と退屈な時間が続く。あくびの一つでもしてやりたいが、織斑千冬の価値観から言えばそれは間違いなくアウトになるだろうってのは分かり切ってるので、俺は仏頂面をしたまま授業の様子を眺めていた。

 

 目をやれば、相変わらず織斑は苦悶の表情を浮かべて教科書に必死に視線を走らせている。

 キョロキョロとするばかりだった昨日よりも随分やる気が見えるが、それはそれとして授業の進行にはまったく着いて行けて無いようだ。

 

 まあ仕方ないよなあ。やる気だけで理解できるほど学問は甘くない。昨日の放課後、入寮時にもゴタゴタに襲われたようだしな。

 俺はこの二日で随分織斑には同情的になっていた。これも男二人だけと言うこの環境が成せる業か。とりあえず奴にはさっさと一人で授業に追いつけるよう成長してもらって、俺本来の目的、真の力を取り戻すのに邁進するための時間を作るのが、今の大局的プランだ。

 

 山田ちゃんとも既に折り合いを付け、放課後の補習時間をもう用意してある。この辺の手回しはビルドの世界で随分と手慣れたもんだ。補習の内容もがっちりみっちりと決まっている。

 時折高難易度の問題をぶつけて、あまりの難解さに頭を抱えて苦しむ織斑を見るのが楽しみだぜ。

 

 

 

 

「――――専用機、って?」

 

 見れば、織斑千冬が弟に対して怜悧な視線を向けていた。一方の織斑一夏は事情を飲みこめておらず、呆けた顔でそれを見上げている。

 ったく、それくらいは単語から予想できる範疇だろうが。そう心の中で毒づいて、俺は二人の元へと歩み寄った。

 

「おいおい織斑、お前自分の重要性がわかってないな? 何せお前は世界で唯一の――あ、俺を除けばな。大事な大事な男性操縦者なんだぜ? 日本政府どころか、世界中の国がお前の操縦データを欲しがってる。そんな訳で、世界に467機、日本にもそう多く無い数しかないISを一機、お前の為に用意してやろうって話だよ」

「モルモットみたいな扱いっすね……」

「思ってても言うなよ~。素直なのが悪いとは言わないが、沈黙だって立派な美徳だぜ?」

 

 OK? と両手の指を向けて笑いかけると、織斑もその説明に納得してくれたようだった。それに安心して俺は自身の椅子に戻ろうとする。しかし、それはいつのまにやら立ちあがり胸を反らせてふんぞり返るオルコットによって阻止された。

 

「あら、少し安心しましたわ! このわたくしに対して訓練機で挑んでくるような事では、戦う前から結果が見えてしまいますものね! まあ、それでも素人である貴方とエリートであるわたくしの間にあるあまりにも大きな格差が、ほーんの少し縮まっただけなのですけれど!」

「オ~ルコッ~ト~。今は授業中だぞ~? そんなに織斑先生に修正されたいか~?」

「うっ」

 

 恨みがましく俺にそう言われるとオルコットはその白い肌をさっと青ざめさせて、縮こまるように席に着いた。やれやれと溜息一つ。そこで突如突き刺さる視線を感じてそちらを振りむけば、織斑千冬が凄まじいとしか言えぬ眼光を俺に対して照射してやがる。

 

 何だ? 生徒を黙らせるダシに使われたのがそんなにご立腹かァ? って言うか、自分の日頃の行いのせいじゃねえかよ……。

 

 そんな事を思っても俺はおくびにも出さず、顔の前で両手を合わせて織斑千冬に許しを請う。それを見た織斑千冬は一度鼻を鳴らして、俺に対する視線攻撃を終了した。いつか見てろよこの野郎……!

 

 生徒達には見えぬ無言の激戦を経て、俺はようやく自身の席へと腰を落ち着けた。それを待っていた織斑千冬は一度立ち上がって、授業再開の号令をかける。

 

「馬鹿者どもめ、気を緩めるなとあれほど言ったはずだ。授業を再開するぞ。山田先生、お願いします」

 

 

 

 

 

 

「一夏ァ! その体たらくは一体どういう事なのだ!?」

「いや、どうって言われても……」

 

 二日目の放課後。紆余曲折あって、俺は箒に剣道場に呼び出されて剣を振るっていた。準備体操を終え、今のお前の実力を見定めてやる、と上から目線で言ってくる箒に対して啖呵を切って試合に臨んだのはいいものの、現実は厳しくあっという間に一本を取られて俺は敗北を喫する事になった。

 

 まあ箒の奴は、去年中学生の部の全国を制覇してんだもんな……でもまさかここまで腕を上げているとは思わなかった。

 ……しっかし、この周りのギャラリーは一体どっからやってきたんだ? 流石に負けた所をあんまりじろじろ見てほしくねえんだけど。

 

 未だ敗北の衝撃から立ち上がれず、尻餅をつきながらそんな事を考えていると、剣道場の入り口にまで広がった人垣の向こうから、IS学園じゃ珍しい男の声が聞こえて来た。

 

「おお、居た居た! 山田ちゃん、こっちこっち!」

 

 そんな声がしたと思ったら、俺や箒を取り巻いていた女子達がまるで割れるかのように道を開け、山田先生を伴った石動先生が歩いて来た。どうしてこの人はこれだけの女子を前に物怖じせずに振る舞えるんだ……大人だからかなあ、やっぱり。

 

「ほーれ、お前ら帰った帰った! 見せもんじゃあ無いんだぜ!」

 

 石動先生が大げさな身振りで周囲の女子達に立ち去るよう促すと、彼女らは渋々と言った様子で(一部大喜びで従っている子もいたが)剣道場から退出していく。

 しばらくして、ようやくここに居るのが俺と箒、石動先生と山田先生だけになった所で石動先生が俺に向かって声をかけて来た。

 

「いやー、探したぜ? 確かにISの操縦には基礎体力はすげえ大事なんだけど、知識だって同じくらい大切だ…………放課後の補習、忘れてたわけじゃあねえよなあ?」

 

 基本的ににこやかな石動先生の眼が、ちょっと鋭くなった。ヤバい、怒ってる。

 普段優しい人を怒らせたら千冬姉の次に怖いと言うのは身に染みて知っている事だし、ここは素直に本当の事を話すしかない!

 

「すっ、すみません! 箒に無理やり引きずられてきちまって、どうにも抜け出せなかったんすよ!」

「その言い草は何だ一夏! それでも男か!」

 

 いやこれ事実以外の何物でもねえだろ! つか、男も女も関係ないし。事実上の拉致だし。犯罪だぞ犯罪。

 

「ふぅん。ああそうだ、これ関係ないんだが、俺もお前の事一夏って呼んでいいか? 織斑って言うとどうにも織斑先生と紛らわしくていけねえ」

「あ、いいすよ」

「おう、ありがとな!」

 

 俺の即答に、石動先生はニコーっと人のいい笑顔をした。それから、後ろで所在なさげにしている山田先生に振り向いて、小さく手招きをする。いい事を思いついたと言わんばかりの笑顔を浮かべた石動先生は、次の瞬間とんでもない提案を仕掛けて来た。

 

「そうだ。山田ちゃんもいい機会だし、一夏の事名前で呼ばせてもらったらどうだ?」

「ええっ!? 私はそんな! 織斑くんは織斑くんですよ!」

 

 いきなり爆弾発言をぶちかましてきた石動先生に対して、山田先生はあわあわと慌てふためくばかり。それを見て笑っていた石動先生だが、突然その顔をきりっと引き締めると、あわやパニック寸前かと思われる山田先生を落ち着いた声で諭し始めた。

 

「山田ちゃん。やっぱ教師と生徒を同じようにオリムラって呼んでると、ど~しても他の生徒に示しがつかないんだって。教師としてビシッと決めるためにも、その辺の線引きは大事だと思うけどなあ」

「……本当ですか?」

「ホントホント! 一夏もそう思うよな?」

「えっ、ああ、そ、そうっすね……」

「だってよ! ほら、山田ちゃんも」

「あ、えっ……あの……」

 

 顔を近づけて聞いてくる石動先生の剣幕に、俺は思わずしどろもどろに了承の返事をしてしまう。すると山田先生は目に見えて真っ赤になり、石動先生はそんな山田先生を見て実に面白そうに笑っていた。

 

 この人、完全に山田先生で遊んでるな……。

 

 そんな事を思っていたら。覚悟を決めたような顔をした山田先生が近づいてきて、俺の前に立った。その顔は先ほどに輪をかけて真っ赤で、もう湯気でも出てんじゃないかって感じ。そんな風に思って見ていたら、山田先生が気合を入れるように手を強く握って、震えながら口を開いた。

 

「……えっと、その…………一夏、くん?」

 

 そのあまりの破壊力に、俺は手に持った面具を思わず取り落としよろめいた。天使か。

 

 石動先生も、おお~とでも言いたげな顔で感嘆していた。そりゃそうだ、こんなのを食らったら、普通に勘違いしそうになる。

 そんな事を思って、予想外の幸運に顔を緩めた俺は、そこでふと自身に浴びせられる致死量の殺気に気が付いた。振り向けば、そこには天使とは正に正反対の、恐るべき威圧感を放つ鬼が怒髪天を突いている。

 

「一夏、貴様……」

「ひっ!?」

 

 竹刀を構えた箒がこちらにじりじりと近づいてきた。まずい、完全に殺る気だ! 俺は取り落とした面具を顔の前に突き出して身代わりにしようとするが、次の瞬間面具ごと真っ二つにされる未来を幻視して、もうダメかと半ば諦観モードに入ったその時。石動先生が箒の目の前に立ち塞がり、腰を曲げて視線の高さを揃えてそれを咎めた。

 

「おい篠ノ之。お前、あんまり一夏を脅してやるな。って言うか、お前も一夏が補習あるの聞いてただろ? なーに勝手に誘拐してくれちゃってんだ~?」

「あっ……も、申し訳ありません! ……一夏の奴、どうにも知らぬ間に弛んでいた様で我慢ならず……出過ぎた真似を、すみませんでした」

 

 良くも悪くも日本男児な箒は、目上の者の言う事は割とよく聞く。剣を下ろした箒を見て助かったと安堵の溜息をついていれば、石動先生は笑いながら俺に声をかけて来た。

 

「ま、そういう逢引は、出来れば休日か寮に戻ってからやってくれよな。じゃあ一夏は着替えて来い、さっさと教室に戻ろうぜ」

「あ、はい!」

 

 そう促されて、俺は更衣室に向かう。やっと解放されたぜ……流石に、毎日授業に着いていけないのは胃に悪いし、千冬姉の名誉にも関わる。何よりこのままここに居たら箒に無茶な特訓をやらせられるに決まってるしな。だがその心配も終わりだ。

 そんな事を思って安心しきっていると、何かを考えていたらしき箒が、石動先生に向けて声を掛けた。

 

「あの、石動先生!」

「んん?」

「もし先生方さえ良ければ、先生方の代わりに私が一夏にISの知識をお教えします!」

 

「――は?」

 

 その箒の提案に、更衣室のドアに手をかけた所で俺の体は硬直した。

 

「普段から迷惑をかけているのに、先生たちの貴重な放課後を無為に使わせる訳には行きません! 寮でも同じ部屋ですし、どうか、一夏の基礎学力向上をこの篠ノ之箒に一任しては頂けないでしょうか!!」

「おい待てほう――」

 

 一見筋の通った箒の意見だが、あれは俺をこの手でビシバシしごく為の建前に過ぎない! それを瞬間的に見抜いた俺は、待ったをかけようと大声を張り上げようとする。

 

「マジか!? そりゃあ助かる!」

 

 しかし如何せん距離が遠くなっていたせいで、俺の声は石動先生が放った大喜びな言葉にかき消された。

 

「顔なじみのお前がこのクラスで良かったぜ~! じゃあそう言う事で決まりっ! 一週間後の代表者決定戦、フツーに楽しみにしてるぜ! Ciao(チャオ)!」

「ちょ、ちょっと石動先生待ってください! あ、持ってきたプリントはここに置いておくね? それじゃ、篠ノ之さんも一夏くんをお願い! ……石動先生、置いてかないでください~!」

 

 有無を言わせず、箒に仕事を丸投げしてさっさとこの場から去っていく石動先生。その後を慌てて山田先生が追いかけて行き、あっという間に剣道場には俺と箒が残されるのみとなった。

 

 嘘だろ……割とちゃらんぽらんな人だと思ってたが、まさか生徒に仕事を丸投げするなんて……しかもよりにもよって箒に……。

 俺は先ほどのそれとは違う理由でよろめいた。許せねえ……石動先生ぜってえ許せねえ!!! そう心に誓った俺は、後で千冬姉にこの事を報告する事を決心した。

 

「一夏」

「うっ!?」

 

 その声に恐る恐る振り向くと、面具をつけ直し、戦闘態勢となった箒がこちらを竹刀で指し示している。

 

「早く防具をつけろ、私が一から鍛え直してやる」

「で、でもよ……さっき貰ったプリントを使って、補習の方を進めないと……」

 

 そう俺が言うと、箒はそんな事はどうでも良いと言いたげに竹刀を床に向けて振り下ろして破裂音を鳴らさせた。

 

「うぬぼれるな! 貴様の現状は、それ以前の問題だ! みっちりと剣道の稽古を付けてやるからな!」

「ひでえ! じゃあ寮! 寮でくらいはISについて教えてくれよ!」

「……それくらいなら良い、だが今は剣道の時間だ!! 防具を身に付けろ、一夏!!!」

 

 問答無用とばかりに竹刀を振りかざす箒。こりゃもう何言っても無駄だな……俺は諦めて面具を身に付け、箒の前に立つ。

 

「安心しろ。一定の成果を出せたらすぐにでもISの知識を伝授してやる」

「……一応聞くけど、成果って?」

「――――私から一本取れたらだ!!」

 

 言うが早いか大上段に竹刀を構えた箒が一瞬で俺との距離を詰め、凄まじい速度で竹刀を振り下ろす。それを俺は受け止めようと咄嗟に横に竹刀を構えて上に掲げ、次の瞬間には見事に胴を抜かれていた。

 

「――どうやらこの調子では基礎体力のトレーニングも必要そうだな、覚悟しておけよ」

「マジかよ……」

 

 結局俺は時間ギリギリまで剣道場で箒にスパルタな稽古を付けられ、寮でもたっぷり基礎トレーニングをやらされたせいで、ISに関する知識をほとんど学ぶ事が出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 そして、俺は結局最後の日まで箒から一本たりとも勝利をもぎ取ることはできず、ロクにISに関する知識を教えてもらえぬままにセシリアとの決戦の日を迎えるのだった。

 

 




エボルトにとって今一番面白いのは山田先生、次点で一夏です。
織斑先生は現状最大の仮想敵として心中ではフルネーム呼びになります。


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白と蒼のプライド

本当は今日投稿するつもりは無かったんですが、
評価とか感想とかお気に入りとかめっちゃ貰えてたのと
ビルド最新話のお陰で投稿までこぎつけました。

幻徳のあの格好は普通の服着せるとかっこよくなりすぎるから仕方ないと思うんですよね。


 空に揺蕩う雲一つ無い、素晴らしき青空の日。

 織斑一夏とセシリア・オルコットによって行われる決戦の当日は、これ以上無いコンディションに恵まれることとなった。

 

 

 放課後のIS学園第三アリーナAピットには、忙しなく動くスタッフ、あるいは整備部の人間とこの俺石動惣一、そして一年一組担任、織斑千冬の姿があった。

 今日の俺は、嘗てビルドの世界でnascita(ナシタ)のマスターをしていた時に被っていたものに似たソフトハットを被った姿だ。何で突然そんなものを被ってるのかって? 織斑千冬にどつかれた頭のたんこぶを隠すためだよ!

 

 どうやら俺が篠ノ之箒に一夏の補習を丸投げした事が耳に入っちまったらしく、それが奴の怒りに触れ、派手にたんこぶをこさえる事になっちまったって訳だ。しかも痛い目を見たのは俺だけで、当時一緒に居た山田ちゃんはノーダメージ。これも女尊男卑の一側面か。

 

 しかし、俺と山田ちゃんが揃って正座させられ、腕組みした織斑千冬に怒鳴られている姿はさぞ愉快だったに違いない。俺たちを遠巻きに見ていた何人かの生徒の顔は…………青ざめてたな。何せ相手は世界最強のIS乗りだ。自分があんな目に遭ったらどうなるか、そんな想像をせずには居られなかったのだろう。

 

 今、山田ちゃんは今更搬入されてきたと言う一夏の専用機を受領しにこの場を離れている。こんなギリギリのタイミングまでずれ込んだのは、どうやら開発を担当していた倉持(くらもち)技研が何かやらかしてくれたらしい。

 そのせいで織斑千冬の機嫌は最悪だ。普段通りの奴なら俺の頭のたんこぶの数は一つで済んだだろう。今回は三つだ、冗談じゃねえ。

 

 恨みがましくそんな事を考えていると、ピットにセシリア・オルコットが現れる。その顔は精悍に引き絞められ、正に、イギリスと言う故郷の未来を背負う代表候補生に相応しい風格だ。

 

 本来、試合におけるISの出撃は互いに別のピットから行われる事になっている。ただ今回に限っては他のピットでの技術的なトラブルにより、織斑、オルコット両者が同じAピットから出撃する事となっていた。

 

「ごきげんよう、皆様方」

 

 オルコットは挨拶そこそこ、何人かの整備員と共に自身のISの武装データ、メンテナンスの状況、身体コンディションの確認に向かう。どうやら一夏を侮ってはいる物の、やるべき事はきっちりやるつもりのようだ。

 幾ら一夏が最強のIS乗りの弟と言えど、一度も乗った事の無い専用機で、稼働時間が300時間を越えるエリート中のエリートに勝利するのは不可能って話だ。俺は既に、結果の見えたこの勝負に時間を割く事に対して少々飽き始めていた。

 

「どちらが勝つと思う、石動」

「ん~?」

 

 織斑千冬が俺に対して訪ねて来た。この二人のどちらが勝つかなんて火を見るよりも明らかだろう。

 

「ま、順当に言って勝つのはオルコットでしょ。織斑の奴、今の今まで自分の機体に(さわ)れて無いんですもん。経験に差が有りすぎる」

「なるほど、当然の答えだな――――どうだ、賭けないか?」

 

 その言葉にはっとして顔を上げて見れば、織斑千冬がどこか性悪な笑顔を浮かべていた。

 こいつ、こんな風に笑うんだな。IS学園に来て初めて見たその笑顔に俺はちょっとばかし驚いて、それ以上に織斑千冬が俺に勝負を仕掛けてきていると言う状況に、ビルドの世界で培った遊び心が、ふつふつと沸いて来るのを感じていた。

 

Good(グ~ッド)! それじゃ、何賭けますか?」

「そうだな……こんな事で大それた賭けをしていては生徒に面目が付かん。軽い物がいいが」

「じゃ、缶コーヒー一本。それでどうです?」

「ああ、それくらいが丁度いいだろう」

 

 そう言って、俺と織斑千冬は互いに意地の悪い笑みを浮かべた。こいつは面白くなってきた! すっくと立ち上がった俺は、ピットの奥に向かって歩き出す。

 

「何処へ行く?」

「オルコットに粉かけに。一夏の方は織斑先生がするんでしょ? どうせなら公平に行きましょうぜ」

「終わったら戻ってこい。間違ってもピットから出るなよ」

「へーい」

 

 後ろ手に手を振って、俺は試合の準備を進めるオルコットの元へと歩み寄って行った。

 

 

 

 

「おーい、オルコット、調子はどうだ?」

「あら石動先生、ご機嫌麗しゅう」

 

 ヒステリックに喚いてさえいなければ、代表候補生っぽい立ち振る舞いなんだがなあ。

 オルコットの元にたどり着いた俺は、真っ先にそんな感想を抱いた。既に武装やIS本体の確認は終えた様で、念入りに柔軟体操を繰り返して自身の闘志を練り上げている。

 

「今回はどうだ、一夏には勝てそうか?」

「そんなモノ、語るまでもありませんわ」

 

 言外に負ける訳が無いと言い切るオルコットだが、その顔には隠しきれない油断と慢心がにじみ出ていた。実際油断も慢心もするだけの力量差はあると思うのだが、織斑千冬に負けるとなると腹が立つ。そこで俺は、オルコットに塩を送ってやる事にした。

 

「……一つだけアドバイスだ。一夏の奴、この一週間みっちりと剣術の修練を積んできてやがる。もしも奴が近接ブレードを使ってくるようだったら、ちょっと気をつけた方がいいぜ」

「そんな情報不要ですわ。わたくしは粛々と、当然の勝利を掴み取るまで。貴方は自身と同じ、男のIS乗りが敗れる様をピットから眺めていればよろしくてよ」

 

 しかし俺の厚意は無下にあしらわれてしまった。どうにも男と言う奴に対して、一定の侮蔑心があるらしい。俺は困ったように腕を組んだ苦笑いすると、腕や首を回しているオルコットにまた話しかけた。

 

「俺、別に織斑の味方って訳でもねえんだけどな」

「あら、そうなんですの?」

「まあな。さっきのアドバイスだって、お前の戦闘データは幾つか公開されてるが、あいつのそれは実際ゼロってのがどうも気になってよ。情報面のハンデを取り払ってやろうと思ったまでだ。癇に障ったなら謝るぜ」

「余計なお世話ですわ! これは元々わたくしの勝ちが決まった勝負。余計な口出しは無用と心得なさい!」

「はいはい、悪かったな。それじゃ、俺はここらで下がらせてもらいますかね」

 

 どうやら俺のアドバイスはお嬢様の怒りの琴線に触れてしまったらしい。今にも詰め寄らんばかりの剣幕で喚くオルコットに、俺は肩を竦めてすごすごと退散する。

 

 しくじったか? オルコットの奴、頭に血が昇ったまま試合に臨んだりしないだろうな。

 

 振り返れば、オルコットが自身のIS<ブルー・ティアーズ>を展開しアリーナへと出撃して行く所だった。その顔は先ほどの癇癪を起こした少女のそれでは無く、既にイギリスの旗を背負う代表候補生の精悍な顔に戻っている。

 

 ああ、ISの身体最適化機能ね。どうやら心配は居らなそうだな。

 

 そう納得した俺は、少し騒がしくなってきた一夏側のピットに向けて、足早に退散するのだった。

 

 

 

 

「――眼をそらすな!」

 

 こっち側の騒がしさの原因はアレか。見れば、一夏が篠ノ之に対して凄い剣幕で詰め寄っていた。目を凝らして見てみると、篠ノ之の頭には小さなこぶが一つ。

 

 ははーん、大体分かった。アイツ、一夏に対してISに関する知識をちゃんと教えてやらなかったな? 大方、暇な時間をすべて剣道の稽古に()ぎ込んで、勉強の時間をおろそかにしたって所だろう。それを織斑姉弟に……いや、姉の方の制裁はもう終わってるみたいだな。一夏に責められてるって感じか。

 

 その二人の微笑ましさにくっくっと喉を鳴らすと、後ろでその様子を眺めていた織斑千冬がこちらを鋭く睨みつけてくる。俺は未だに痛む頭の事を想起して、さっと目を逸らした。

 すると丁度視線を向けたピットの搬入口から、山田ちゃんが息を切らせて駆け込んで来る。

 

「い、一夏くーん! どうもお待たせしましたーっ!」

 

 息も絶え絶え、足もフラフラ、まるでゴール間際のマラソンランナーと言った体で駆けこんできた山田ちゃん。何だか危なかっかしいなあと思っていれば、案の定、俺の脇をすり抜けようとしたところで足がもつれて派手にすっ転んだ。

 

「おいおい山田ちゃん!? 大丈夫か?」

 

 俺が何時だか織斑千冬にやられた時のようにその体を揺すると、山田ちゃんはすぐに気を取り直して立ち上がり、眼鏡を直して興奮気味に話し出した。

 

「だっ、大丈夫ですっ! それよりも、ようやく到着しましたよ、一夏くんの専用機!」

 

 山田ちゃんの言葉に俺達だけではなく、待ちぼうけを食っていた整備員達までが声を上げた。だがその中にあっても織斑千冬は冷静さを保ったまま、一夏に次の指示を飛ばす。

 

「織斑、すぐに準備しろ。アリーナの使用時間には限りがあるし、オルコットも待たせているからな」

 

 聞き捨てならぬその言葉に、一夏はえっ、いきなり!? と言う驚きを隠せない表情で俺に救いを求める視線を向けて来た。本当に面白い奴だな。

 

「ぶっつけ本番か、運が無えなあ一夏。ま、為せば成るってやつかね。とりあえず頑張ってこいよ~」

「この程度の不運、お前なら乗り越えられるはずだ、一夏!」

 

 そんな姿にちょっと笑いながら肩を竦めた俺からの心よりのエールに、一夏が困惑したような表情を見せれば、篠ノ之が続いて奴を激励した。

 

「さっさとしろ!」

 

 しまいには織斑千冬に促され、一夏は慌てて搬入口のIS用ゲートに近づく。

 すると、分厚い防壁が斜めに口を開いて、その中で待っていた『織斑一夏の専用機』がついにその姿を現した。

 

「おー、あれが一夏の」

「はい! 一夏くんの専用IS<白式(びゃくしき)>です!」

 

 その姿は正に純白。無機質であるが、故に一点の曇りもない装甲色は主に忠誠を誓う騎士を思わせる。一方シルエットは機械然としていて、それがどこか不自然な威圧感を感じさせた。

 

 これが織斑の専用機か。俺が資料で見たどの機種よりもシンプルな姿をしているように見える。そんな風に思っていれば、一夏はまるで誘われるかのようにその装甲に手を振れ、僅かの間感慨深そうに眼を細めていた。

 

「おい、さっさとしろと言ったろう。ISに腰を掛けるイメージで入り込め。いいぞ、後はシステムに任せておけばいい」

 

 織斑千冬の声によって現実に引き戻され慌てて一夏はISに搭乗する。するとISが一夏の体を包みこむように装着され、その機能を起動させた。

 

「ハイパーセンサーはちゃんと動いてるみたいだな。俺と織斑先生を同時に見ることだってできるだろ?」

「気持ち悪くなってないですか? 大丈夫?」

 

 俺と山田ちゃんが、慣れぬであろうハイパーセンサーの視野の調子を尋ねてみれば、織斑は少し言葉に詰まった後、不器用にサムズアップして見せる。

 

「……大丈夫、これなら行けそうです」

 

 奴は最初こそ調子を図るように手を握りしめてみたり、首を回してみたりしていたようだが、今や十分にISを動かす感覚に慣れた様で、出撃ゲートの前まで危なげなく歩を進めてゆく。

 さあ、出撃の時か。そう思って俺がその瞬間を楽しみにしていると、一夏はわざわざ俺たち――いや、篠ノ之と織斑千冬か――の方に体ごと振り返って、白い歯を見せて笑いかけた。

 

「箒、千冬姉。行ってくる!」

 

 それだけ言い残して、アリーナに向き直った一夏は一度小さく屈むと、スラスターを起動させて俺達の前から戦場の空へと飛び出していくのだった。

 

 

 

 

 

 

 そう言って空へと飛び立つ一夏の顔には憂いは無く、既にその意識は戦場へと向けられて居るようだった。その姿を、私はただ見送る事しかできない。

 

「勝って来い、一夏……」

 

 祈りながら呟くも、その言葉がもう聞こえてはいない事は分かり切っている。

 

 この一週間、私は一夏と一緒に居たいが為に稽古の名目で振りまわし、挙句には石動先生から託された補習の勉強すら碌に教えてやる事をしなかった。結果、千冬さんに叱咤され、頭にこぶを一つ作る事になった。自業自得だ。

 私が自身の私欲に走らずしっかりとしていれば、一夏はもっと万全の状態でこの戦いに臨む事が出来たのでは無いだろうか。欝々とした気持ちが内から湧いてきて、私の心を沈めてゆく。そんな事を考えていたら後ろから肩を叩かれて、はっとして振り向いた。

 

「篠ノ之ぉ、ここからじゃあよく見えねえし、向こうまで移動しようぜ」

「あっ、はい!」

 

 相変わらずにこやかな石動先生に促され、既に動いていた皆と並んで宙を見上げた。先程飛び立った一夏は、既に上空で待機していたオルコットと同じ高度で静止している。

 

 既に試合開始のブザーは鳴り終えている。もう何時戦闘が始まってもおかしく無い。二人は何事か話しているようで、すぐには動こうとはしなかった。だが次の瞬間オルコットが構えたエネルギーライフルから閃光が放たれ、一夏は何かに殴られたように吹き飛ばされかける。

 

「一夏っ!」

「慌てるな、掠めただけだ」

 

 千冬さんはそう言うが、ダメージがあった事は確かだ。エネルギーも今の一撃で一割近くが持ってかれている。直撃しなかっただけマシなのか? そんな事を考えている合間に、オルコットによる連続射撃が一夏に容赦なく襲い掛かった。

 

「えっぐいな~。オルコットの奴、このまま終わらせる気満々じゃねえかよ」

「オルコットさんの<ブルー・ティアーズ>に装備された<スターライトmk-Ⅲ>はイギリスの最新エネルギーライフル。取り回しに難はありますが、威力、弾速、射程、連射力……全てにおいて水準以上の強力な武器です」

 

 暴風雨の如きエネルギー弾の嵐に翻弄される一夏を見て軽く笑った石動先生に、私はあれの何処が面白いのかと睨みつけるも、間に山田先生が入ってきて私の凝視は遮られた。

 

「そんなもん相手に織斑の奴、武器も出さずにどうしたんだ? これじゃ、ちっとも盛り上がりゃしねえぜ」

 

 そう言った石動先生は、なぜか千冬さんに対して挑発的な視線を向ける。この試合に、クラス代表を決める以外の何かが関係あるのだろうか。そんな疑問をよそに、千冬さんは変わらず落ち着いた様子で頭上で行われる激戦を眺めている。

 

「そう急くな石動先生。見ろ、織斑の奴、どうやらここからが本番らしい」

 

 一夏はエネルギーライフルの弾道をすり抜けながら、拡張領域(バススロット)から一振りの刀を呼び出(コール)して握りしめた。そのまま一夏は前傾姿勢になって突撃を敢行する。それに相対したオルコットはエネルギーライフルを向かってくる一夏に合わせ照準、迎撃に移った。もしここで引き下がるような事があれば、一夏の敗北は決定的なものになるだろう。

 

 距離を詰めようとする一夏と。そうはさせまいとするオルコットの、一進一退の攻防が始まろうとしていた。

 

 

 

 

 

 戦闘開始から既に三十分近くが経過しようとしていた。既に一夏の白式は満身創痍、一方のオルコット、ブルー・ティアーズはほぼ無傷だ。その差を生み出したのは、セシリアの周囲に侍る、四機の新型浮遊兵器。

 

 <ブルー・ティアーズ>。彼女のISと同じ名前を持つその四機のビット兵器は一夏の周囲を旋回するような機動を取りながら、オルコットのエネルギー射撃と連携してレーザーを放ち、疑似的な多対一の状況を生みだしている。

 

「一夏、このままでは……!」

 

 私は目を逸らしたくなる気持ちを何とか抑え込むも、一夏の上下に陣取ったビットからレーザーが放たれ、それを何とか回避した一夏をオルコットのエネルギーライフルが掠めるたび、どんどん一夏の敗北が近づいてくる。それを凝視して動けぬ私が手すりを強く握りしめていると、石動先生がにこやかな顔で話しかけて来た。

 

「そんな顔するなよ篠ノ之。まだ勝敗が決まった訳じゃねえ。一夏の奴が気付きさえすれば、逆転の目はまだあるぜ」

「気付きって、一体何に?」

「包囲連続攻撃の起点になってるオルコットのビット兵器、あれの弱点さ」

「なっ、そんな物が!?」

 

 驚く私に、石動先生は落ち付けよと言わんばかりにジェスチャーをして、隣に立っていた織斑先生に話を振る。

 

「織斑先生もわかってるでしょ?」

「ああ。しかし石動先生、お前こそ本当にわかっているのか?」

「自分で説明しろってことね」

 

 石動先生は諦めたように肩を竦めて、空中で競り合う二機に目を向け自分の考えを語り始めた。

 

「あのブルー……ビットでいいか、紛らわしい。あのビットは行動する際に、必ずオルコットによる指示を必要とする。イメージ・なんちゃらを搭載した兵器にとってそれは本来欠点じゃあ無いんだが、今のオルコットにとってはそうじゃない。だろ、山田先生」

「えっ、あ、はい! えっと、イメージ・インターフェイスを搭載した兵器の利点は自身の思考に反応させて動かす事が出来ると言う点です。ただそれには高度な集中力と高い適性、更には特殊な訓練が必要なんです。オルコットさんのIS稼働時間は確かに長いですが、まだブルー・ティアーズ自体にはそう長く乗っていないのかもしれません。もしオルコットさんがブルー・ティアーズの使用にもっと習熟していれば、今よりも遥かに高度な連携で攻めて来ていたと思いますよ」

Good Job(グッジョブ)! 俺もそれが言いたかったんだ! ナイスだぜ~山田ちゃ痛ァ!」

 

 山田先生が授業でもまだ行っていない、第三世代ISに搭載された装備についての説明を終えた。それに石動先生は感嘆の声を上げたが、山田先生の呼び方を間違えたせいで千冬さんに一撃を見舞われる。それを見ると私の頭のこぶもズキリと傷んだ。

 

「山田先生だと言ってるだろうが。それに説明を丸投げするな」

「すんません……」

 

 石動先生が帽子ごと頭を押さえて座り込み、その様子にわたわたと慌てる山田先生。その二人を一瞥した後、また空の一夏に視線を戻す千冬さん。そんなどこかコミカルで微笑ましい先生方の様子に、私は思わず小さく笑った。

 

「あっ、一夏くん!!」

 

 その上空から眼を離していたわずかな瞬間に、試合が大きく動こうとしていた。

 

 一夏がオルコットの包囲攻撃の弱点に気づいたか、ビットの攻撃後の隙を突いて、一気にオルコットに肉薄した。目の前に迫った一夏にライフルの銃口を跳ね上げられピンチに陥るオルコット。たまらずビットを呼び戻して一夏を撃ち抜こうとするが、一夏の真の狙いはどうやらビットだったらしく、逆に接近しすぎたビットは一機、また一機と一夏の刀によって切り捨てられる。

 

 それを見ていた先生方だけでは無く。観戦していた皆からも小さく無い歓声が上がった。その歓声に答えるかのように、一夏は自身の死角に迫っていたビットにいち早く反応して刀を突き立てて撃破、そのまま返す刀で再びオルコットに肉薄して仕留めに行く。

 

「ハイパーセンサーの使い方に慣れて来やがったな!」

 

 そんな石動先生の声がしたが、私はそれに応える所では無い。

 

 一夏とオルコットの間に割り込んだ最後のビットも渾身の回し蹴りで跳ね飛ばされ、残るは取りまわしの効かぬエネルギーライフルを持っただけのオルコットだけが残った。行け、一夏! と心の中で叫ぶ。その瞬間、オルコットがにやりと笑い、腰の装甲だと思っていたユニットが動き、一夏に向けてその砲口を開いた。

 

 瞬間、上空に赤と白の閃光が花開き、強い衝撃がシールド越しのピットにまで到達する。

 

「一夏ーッ!」

 

 爆炎の中に消えた一夏に向かって、思わず私は叫んだ。先程まで騒いでいた石動先生、山田先生も真剣な面持ちでもうもうと上がる黒煙を見つめている。

 

「あー、流石にこりゃあ決まったでしょ、織斑先生」

「――――ふん」

 

 石動先生が言うが、千冬さんは意に介さない。鼻を一つ鳴らして、仏頂面のまま空を見上げるばかりだ。そうしている内に黒煙が晴れ始めると、その中にかすかに白い装甲板が見え隠れする。それを目にして、ようやく千冬さんがどこか安堵したかのように言った。

 

「機体に救われたか、馬鹿者め」

 

 その瞬間、薄くなり始めていた煙が一気に吹き飛ばされ、そこから純白のISが姿を現した。どこか機械然として角ばっていたそのシルエットはより洗練され、流麗な騎士の如く滑らかな曲線とシャープなラインで形作られている。

 

 何よりも、手にしていた刀はより大型の太刀を思わせる形状に変化しており、内部から強力なエネルギーを発して、その輪郭を光らせていた。

 

「あれは、織斑先生の――」

 

 そう山田先生が呟いたと思えば、一夏は今までを遥かに超える速度でオルコットへと突撃した。オルコットはそれに素早く反応し、エネルギーライフルから光芒を弾けさせる。

 だが、一夏の白式はまるで稲妻にでもなった様にスラスターを輝かせ、無茶にしか見えない鋭角機動でエネルギー弾を回避、そのまま一気に接近すると、防御に回った残り二つのビットを一瞬で切り飛ばして、オルコットへの懐へ飛び込んだ。

 

 反応出来ぬままにビットをやられたオルコットは一瞬間違いなく動揺したが、握りしめていたエネルギーライフルを放り捨て待機状態にあったと思わしき近接ブレードを手元に呼び出す。

 今までどのタイミングでも使っていなかった武器を咄嗟に呼び出すとは、それだけ高い判断力を備えていたのか、あるいは、一夏が剣術の修練をしていることを事前に知っていたのか。オルコットは強く握りしめた近接ブレードを、大上段に振りかぶった一夏の剣の軌道を(さまた)げようとして頭上に翳した。

 

 防がれる――――そう思った瞬間、振り下ろされていた剣がかき消えるかの様にぶれ、一瞬でがら空きの胴を狙う軌道へと変化。そのまま一夏の剣は、オルコットの胴体めがけ吸いこまれるように滑り込む。私はそれに一夏の勝利を確信し――――

 

『試合終了! 勝者、セシリア・オルコット!』

 

 ――――その瞬間、試合終了のブザーがアリーナに鳴り響いた。

 

 

 

 

 

 

「あっぶね~……」

 

 試合の顛末を見て、俺は思わずそう呟いた。最後の攻防、あれは完全に一夏に軍配が上がっていた。それだけだったら一夏の勝ちだったんだろうが、アイツがエネルギー弾を回避する際スラスターの出力を一次移行(ファーストシフト)前までと同様に、全力で使ったのが残エネルギーに致命打を与えたに違いない。

 

 あれが無きゃオルコットは一撃を貰って、完璧に撃墜されてたはずだ。お互いに初見殺しにやられた、と言うべきか。

 そんな感じに一人溜息を吐いていると、一夏とオルコットがゆっくりとピットへと接近しつつあった。

 

「織斑先生」

「なんだ?」

「俺、オルコットを慰めて来るんで。一夏の方のアフターケアはお願いしていい?」

「……まあ、よかろう」

「どもども、んじゃ!」

 

 返事だけ聞いて、俺は足早にオルコットが降りてくるピットの方へと足を向けた。

 

 ピットの奥側へと戻ってきたオルコットは、傍から見ても意気消沈とした様子で、俺はまず何て声を掛けようかと言う所から悩む事となった。

 あー、あんまり気さくすぎんのもアレだな。傷口に塩を塗り込む事になりかねねえ。優しーく行ってみるか? それもなんか違うよなあ……戦い終えて戻ってきた奴に言う言葉は、結局あれしかねえか。

 

「オルコット、おかえり。心配したぜ、大丈夫か?」

「……………………」

 

 ……ダメか。そりゃあそうだよなあ。見下しきってた相手といい勝負してたと思ったらそいつはまだスタートラインにも立ってない状態で、相手が実力を発揮し出した瞬間に圧倒されたのに、最後は相手が勝手にダウンして勝利だもんな。そんなの、プライドの高いオルコットが納得出来るわけがねえ。もう少しこいつとの付き合いが長ければ、慰め方もわかるんだろうが……。

 

「――石動先生」

「んおっ?」

 

 気づけば少し思いつめたような顔をしたオルコットが、いつの間にか俺の元まで歩み寄ってきていた。

 

「この度は数々の無礼、申し訳ありませんでしたわ」

「……どういう風の吹き回しだ?」

 

 怪訝そうに尋ねれば、オルコットは気まずそうに視線を逸らす。

 

「わたくしはこの度、貴方から多くのアドバイスを頂いていましたわ。それなのに、貴方や織斑さんの事を男だと見下し、結果あの体たらく。全てはわたくしの油断と慢心が生みだした事――――改めて、申し訳ありませんでした」

 

 姿勢を正して頭を下げるオルコットを見る。彼女は頭を下げたままに微動だにしない。

 俺はどうしたもんかと唸って、一度溜息をついて、結局、率直な物言いをする事にした。オルコットのような根が真面目で真摯なタイプにはそういうのが一番響く。それを今までの経験からよーく俺は知っていた。

 

「オルコット、顔を上げろ。俺に謝るよりも、一夏の奴に頭を下げてやれ。今回、クラス代表決定戦なんて内々の行事に互いのプライドまで持ち込む事になったのは、結局、お前が無為な挑発をしたのが原因だってのはわかってるはずだ」

 

 俺の言葉を、顔を上げたオルコットは慎ましやかに目を閉じて聞いている。

 

「……俺としても、お前らみたいな優秀な生徒が高め合ってくれればクラスの未来に間違いなくプラスになる。だからよ、男が嫌いなのは分からんでもないが」

 

 そこで俺も一度真剣になって帽子を脱ぎ、オルコットが先程までしていたように丁寧に頭を下げた。

 

「頼む。仲良くなれとは言わない。だが、アイツが困っていたらでいい、同じクラスの仲間、何よりIS乗りの先輩として、手を貸してやってくれないか?」

「……分かりました」

 

 俺の頼みを聞いたオルコットは一度神妙な顔で頷くと、気を取り直したように、いつもの誇り高いセシリア・オルコットに戻って胸を張った。

 

「目上の者に頭を下げさせながらその言葉に応えぬなど、我ら英国貴族の名折れ。このセシリア・オルコット、織斑さんに対しても、これからは心を入れ替えて接する事を誓いますわ」

「そっか、頼むぜ」

 

 それを聞いた俺は安心して、オルコットの肩を軽く叩く。これで一夏の奴も授業に十分着いて来れるようになるだろう。それに、もう一つ大事な事がある。

 

 ――――ハザードレベル1.8か。オルコットもなかなか悪くない。

 

 一夏がまさかあれ程の強さを見せつけてくれるとは思っていなかった。これからオルコットと奴が互いに研鑽していけば、間違いなく強く強く成長する。

 自然回復のみでハザードレベルを5.0、そして俺本来の状態に戻すには、一体どれだけの時間がかかるのか不明瞭だ。正直構わないと言いたい所ではあるが、万が一の非常時の為、すぐさま回復できる手段は用意しておくべき。その点、奴らは織斑千冬ほどではないが高い戦闘能力(ハザードレベル)の持ち主だ。

 

 奴らの強さを底上げしておく事で、万一この立場をかなぐり捨ててでもエボルの力を取り戻さねばならぬ時に役に立つ。ま、俺としてはそんな事無いのが一番なんだけどな。

 

 そんな事を考えながら、俺は織斑千冬たちの所へ戻ろうとオルコットに背を向ける。だがそこで一つ、面白い悪戯を思いついた。

 

「オルコット!」

「なんですの?」

 

 不思議そうにこちらを見つめるオルコット。俺は彼女の元へと駆け寄って、周囲で撤収を続ける整備員ら他の者たちに聞こえないよう、小さく耳打ちする。

 

「最後に一つ…………アイツな、名字で呼ぶより、名前で呼んでやった方が喜ぶぞ」

 

 それを聞いた瞬間、オルコットの白い頬にさっと朱が差す。それが面白くて、俺はにっこりと歯を見せて笑った。

 

「ハッハッハ……ま、今日はキッチリ休め。Ciao(チャオ)!」

 

 そう言って俺はオルコットに手を振り、なにやらまた騒がしさを増し始めている織斑千冬たちの方が一体どうなっているのかに期待しつつ、そちらへのんびりと歩き始めた。

 

 

 

 

 

 翌日、朝のSHRで一夏がクラス代表となる事が正式に発表され、クラスは大盛り上がりとなった。

 最後まで一夏は抵抗したものの、経過はともあれ勝者であるオルコットが辞退したため一夏に拒否権が無かった事が決め手となり、奴は渋々クラス代表の座に着く事になる。

 

 その後オルコットと篠ノ之がどちらが一夏の師としてふさわしいかなんて言い争いを始めたもんだから、俺が笑って椅子から落ちたり、織斑千冬による喧嘩両成敗のあまりの手際に唸ってみたり(本当に痛そうだと思った)なんて事もあったが、その日は他に何事も無く、春らしいのんびりとした一日が過ぎて行った。

 

 




石動先生が他人にボディタッチしてる時は
まず間違いなくハザードレベルの測定が行われています。

これからもお楽しみいただければ幸いです。


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帰ってきたドラゴン

明日投稿も執筆も一切出来ない事が判明したので
怒りの六話投稿です。

一万UA、感想お気に入り評価、どれもありがとうございます。


 クラス代表が俺に決定してから数日。それまで俺に対して行われてきた箒の『稽古』は、以前よりも更に過酷な物となった。ある日は寮に戻るまではひたすら剣道、寮に戻ればひたすら筋トレ。繰り返される剣道の反復練習と基礎体力トレーニングに、俺の体は早々に悲鳴を上げ始めていた。

 

 いくら剣を三日サボったら倍くらい無駄になるとかだからって、毎日その二つを両立しようってのは無理じゃあねえのかなあ。しかし、そんなこと箒に言っても聞く耳なんか持っちゃくれない。なまじ先日のセシリアとの代表決定戦で剣道の稽古が役に立っちまったから俺だって何も言えない。

 このまま俺の未来がIS操縦者ではなく、剣道有段者へと摩り替ってしまうのではないかと危惧していた時、救世主がやって来た。しかも三人。

 

 ある日ヘトヘトになった俺の元へ、石動先生と山田先生、そしてセシリアがやって来て、箒の考えた剣道一辺倒な訓練スケジュールを、よりバランスの取れたものに組み直してくれたのだ。

 最初、俺は石動先生(と山田先生)が以前箒に補習を丸投げした前科を思い出してムッとしたけど、今回はあの時のお詫びも兼ね、代表候補生であるセシリアに頭を下げてきてくれたらしい。……まあ、辞退して俺にクラス代表をパスしたんだから、セシリアだって協力してくれるのは当たり前な気もするけどな。

 

 それに反発したのは箒だ。話を聞いた途端、俺の面倒は稽古から勉強まで私が見る! と言い張り始めた。お前は俺の嫁か何かか。その言い方にはセシリアもカチンと来たらしく箒と一瞬言い合いになりそうになったが、石動先生が箒を暫く借りて、何やら説得してくれた。

 

 あの人ああ言うの上手いんだよなあ。何と言うか、前も箒に仕事を丸投げした時もそうだけど、相手の損得や弱みを突いて丸め込むのに滅茶苦茶手慣れているのだ。

 

 結局、週の半分はセシリアと補習や予習、また半分は箒によるスパルタトレーニング、日曜には俺の裁量での自主練。その他にもアリーナを借りれる時間には、セシリア相手のIS操縦訓練を組みこんでくれた(ただアリーナでの訓練には箒も何故か着いてくるらしい。そうでも言わないとこの条件を飲ませられなかったと石動先生が言っていた)。持つべきものは頼れる指導者だなあ。

 

 しかし、訓練内容を聞かされた時に石動先生がこっそりと「一発でめっちゃ強くなれる裏技があるんだが、どうだ?」と聞いてきたが、あからさまに怪しいので断った。俺はあの人の事は割と好きだし信頼はしてるが、信用はちょっとしていない。

 

 そんな感じで、しばらくは訓練と補習漬けの毎日だった。だがお陰で授業にも何とかついていけるようになったし、白式も大分体に馴染んできた。

 これなら何とか代表戦までにはクラス代表に相応しい操縦技能を身に付けられるかな。そんな事を思い、俺は今日も授業を必死にこなして行く。

 

 

 

 一時間目が終わった最初の休み時間。俺達の話題はクラス対抗戦で持ちきりだった。

 

 優勝すれば学食デザートのフリーパスがもらえるだとかで、クラスの皆の熱気はかなりの物がある。箒やセシリアの熱意は先生に頼まれたからだけでなく、そういう理由もあったんだなと一人納得していると、一人の女子が俺に話しかけてきた。

 

「昨日三組の子に聞いたんだけどさ。今の所、専用機持ちのクラス代表者ってウチの一夏くんと四組の子だけらしいよ」

 

 へえ、四組だけは専用機って事は、二組と三組の代表は訓練機に乗ってくるって事か。だったら先生に相談して誰か相手を立ててもらえば、仮想クラス代表として実戦練習をさせてもらう事も出来るかも。我ながら良いアイデアだな、うむ。

 

「へーっ、そうなんだ! だったらさ、実際ウチと四組との試合が決勝戦みたいなもんじゃないの?」

 

 そんな声を聞いて、確かに俺以外のもう一人の専用機持ち、と言うのがどうにも気になる。……一体どんな奴で、どんな機体に乗ってるんだろう。普通に気になるぜ。今度先生方に聞いてみたり、四組にちょっと顔出してみるかなあ。

 

「その情報、古いよ!」

 

 そんな事を思っていると、教室の入り口からなんだかすげえ聞き覚えのある、いや懐かしいような声が聞こえて来た。

 

「残念だけど、二組も専用機持ち――つまり、このあたしが代表になった以上優勝は頂くわ。精々油断しない事ね」

 

 そこには、どこか見覚えのある小柄で髪型をツインテールにした勝気そうな奴が、ドアに(もた)れて佇んでいた。

 

(りん)……? お前鈴だよな!? こんなとこで何してんだ!?」

 

 そんな俺の言葉に、鈴は無い胸を張って誇らし気に答える。

 

「久しぶりね、一夏。あたしは中国の代表候補生としてこのIS学園にやって来たの。代表候補生よ? それで久しぶりの挨拶と、二組クラス代表として宣戦布告の為に顔を出したって訳」

「ふぅん。いや、格好つけてる所悪いが、お前その余裕たっぷりなポーズ全然似合ってねえぞ」

「何ですって!?」

 

 俺に痛い所を突かれて大声で喚く鈴。久しぶりの再会でも、全然変わってねえんだなあ。そう思ってちょっと安心していると、鈴の後ろに、長身の影がぬうっと現れる。

 

「なあおい、そこの入り口塞いでるお嬢ちゃん。こんなとこで何してんだ? 迷子か何かかい?」

「誰が迷子よ!」

 

 見れば入口に陣取った鈴のせいで、石動先生が足止めを食らっていた。長身の石動先生と鈴が並ぶとすげー身長差だな……そう思っていれば、鈴がそんな俺の考えを察知したのか、こちらをキッと睨んでくる。

 そんな事してないで、さっさと退いた方がいいぜ、鈴。俺のそんな忠告の視線は鈴の心には届かなかったようで、ますます顔を赤くして俺への睨みを強くしてきた。

 

「……なあ、お嬢ちゃん。俺、クラスに入りたいんだが、君押しのけるわけにもいかないし、ちょっとそこ退()いてもらえねえかな?」

「ハァ!? なによおっさんうるさいわね! 言ってないで後ろのドアに回ればいいんじゃないの!?」

「ほう、教師に対して随分剛毅(ごうき)な態度を取るのだな。それは祖国での教育の賜物か?」

 

 その声を聞いた瞬間鈴はあまりの恐怖にネコめいて毛を逆立たせ、教室の皆があーあ、という空気に包まれた。

 

「ちっ、千冬さ」

 

 パァン! と言う小気味いい音によって鈴と千冬姉の感動の再会は中断された。いろいろな意味でかわいそうに。

 

「織斑先生と呼べ。本来なら説教もしてやりたい所だが時間が無い。石動先生に頭を下げたらさっさと戻れ。いいな」

「はい……すみませんでした」

「ハハ、次は気をつけろよ」

 

 石動先生に謝って、すごすごと退散していく鈴。石動先生はにこやかに応対したが、鈴が外に出た途端さっさとドアを閉めちまった。ありゃ怒ってるわ。

 

 しっかし、アイツまでIS操縦者になってるとはなあ……俺の知り合いがここ(IS学園)に集まってくるのに、何かこう、運命的な引力を感じる。そんな事を思っていると、クラスメイト達の視線が一気にこちらを向いた。

 

「……一夏、今のは誰だ? 随分と親しかったようだが、知り合いか?」

「一夏さん! 彼女とは一体どういう関係ですの!?」

 

 箒やセシリアだけじゃない。周りのクラスメイト達が矢継ぎ早に質問攻めを繰りだしてくる。俺は答えない。ここで騒いだものの末路がどうなるか身を持って知っているからだ。

 連続した打撃音が響いて、クラスが一気に静かになった。箒やセシリア含め、特にうるさかった何人かが千冬姉の制裁を受け机に突っ伏し、その姿を見ていた石動先生がくっくっと、堪えるように笑っている。あ、出席簿食らった。今回は軽いな。

 

 不用意な事をして千冬姉に引っぱたかれる石動先生と、それに慌てふためく山田先生という構図は、既にこのクラスの名物と化している。見る人が見ればちょっとバイオレンスなこの日常もどこか緩く受け入れられているのは、各々の先生の人徳というか、そういう人を引き付ける魅力によるものなんだろう。

 絶対的なカリスマである千冬姉、それとは対照的な癒し系の山田先生。その二人とも違う、まるで父親のように気安い石動先生。その三人のバランスが、このクラスに絶妙な和を生んでいるんだと思う。

 

 そんな風に思っていれば、珍しく石動先生が教壇に立って号令をかけた。石動先生がメインの授業は初めてだ。さあてどうなるか、お手並み拝見だな。そう思いながらノートを開き、俺は今日の授業に臨んでいくのだった。

 

 

 

 

 

 

「おー、一夏やっと来たか。待ちくたびれたぜ」

「石動先生。私たちも今来たばっかりですよね?」

 

 真実を暴露する山田ちゃんを尻目に、俺は飲み終えたコーヒーの缶(織斑千冬からせしめた物だ)をゴミ箱目掛けて放り込む。

 

Bullseye(ブルズアイ)!」

 

 ゴミ箱をビシッと両手で指差してから、ピットに入ってきた一夏、オルコット、ついでに篠ノ之を手招きしてこちらに呼び寄せた。

 

「珍しいっすね、石動先生がピットに居るなんて」

「ああ、今日は俺が相手してやろうと思ってな」

 

 その言葉に、三人が揃って素っ頓狂な声を上げる。お前ら、俺が一応IS適性の持ち主だってのを忘れてたんじゃ無かろうな。

 

「しっ、しかし石動先生! IS訓練の対戦相手は私と言う事だったのでは!?」

「そりゃあオルコットお前、対戦相手が専用機だけじゃ頭が固くなっちまうだろ。それに訓練機乗りの仮想敵を一夏も欲しがってたしなあ。ま、今日は長く時間取ってあるから、お前の出番がないわけじゃねえ。そこは安心しろよ」

「ですが何故石動先生なのです? 山田先生がお相手でもよろしかったのでは……?」

 

 そんなに俺が相手するのが変に見えるのか? 怪訝そうに聞くオルコットの肩を叩くと後ろに控えていた山田先生を肩越しに一瞥して、俺はその事情を説明してやる。

 

「いやあ、織斑先生はともかく、山田先生に相手を頼もうにも如何せん強すぎるからなあ。そこで俺が相手してやるって話だよ」

「山田先生ってそんな強いんすか?」

 

 あからさまに訝しんだ眼をする一夏。お前幾ら試験の時目の前で自爆されたからって、本来の実力まで怪しむってのは褒められたもんじゃないぞ。最近は真面目に勉強してると思ってたが、日本のIS搭乗者とかはさっぱり調べてないのな。ちょっとばかり俺は呆れた。

 

「お前なあ。山田先生は昔――」

「あのう、昔の話はちょっと……」

 

 説明しようとした俺を、申し訳なさげな山田ちゃんが遮る。どうやら昔の事は知られたく無いらしい。あれだけの逸話があるのにねえ、もったいない。アレが知られればもうナメられるなんて事は無いだろうにな。

 

「へいへい。とりあえず一夏、俺は訓練機(打鉄)乗ってくるから、専用機の出し入れの練習でもしとけよ。前もそれで織斑先生に言われてたろ?」

 

 言うと一夏は痛いところを突かれた顔をしてう゛っ、と呻く。まあ織斑千冬の求めたハードルが高いってのはあるが、ああ言うのは練習しとくに越したことは無いからな。

 

 それだけ言い残して、俺はピットの隅に設置してある訓練機の元に足を向けた。今日の訓練、建前上は一夏に対訓練機の経験を積ませる事だが、本来の目的は俺自身のIS操縦経験を底上げする事だ。一応授業の制動訓練とかでは幾度か動かしたものの、実戦訓練にはまだ参加していない。

 

 そんな事を思いながら、俺は大型の肩部シールドを装着した第二世代型IS<打鉄(うちがね)>を身に付ける。こいつは傑作として評価の高い純国産の量産機だ。安定した性能と扱いやすさ、そして高い防御力を誇り、世界的なシェアを獲得している。そう教本には記されていたな。

 

 俺はIS用アサルトライフルと短めの近接用ブレードを手に取って、一夏に出撃するように通信を送った。するとピットの向こう側から慌てて出撃してくる白式の姿が見える。また余計な事でも言って言い争いでもしてたのか? 俺はまた少し呆れて、一夏が到達した高度目指して打鉄を出撃させた。

 

 

 

 

 

 

 口を滑らせてセシリアと箒に詰め寄られていた俺は、石動先生からの出撃命令にこれ幸いと二人をはぐらかして修羅場から脱出する事に成功した。セシリアは追って来れただろうが、流石に先生との模擬戦にまで首を突っ込むなんて事はして来ない。助かったぜ。

 

 下を見れば、ゆっくりと石動先生の打鉄が高度を上げてきていた。……なんか動きが怪しいな。まるで子供が手を離しちまった風船みたいにフラフラしている。

 本当に大丈夫かよ、と思っていれば少しして、石動先生は俺と同じ高度に到達して静止した。

 

「よぉ~、待たせたな一夏」

 

 言って右手のアサルトライフルで肩をトントンと叩く石動先生。その調子はいつも通りにどこか気楽な雰囲気のままで、戦闘に来たとは思えない緩さだ。それに左手には既に近接用ブレードを握っていて、俺は少し訝しんだ。

 

 何で拡張領域(バススロット)に装備を収納してないんだろう? そう思って見ていると石動先生は肩を竦めて、俺に個人間通信(プライベートチャネル)による通信を飛ばしてきた。

 

「それじゃあ一夏、ちょっとあのブレード……雪片弐型(ゆきひらにがた)出して見せてくれよ」

「あ、はい」

 

 石動先生の指示に従って俺は右腕を突き出し、その二の腕を左手で握った。

 

 ――集中。雪片弐型のシルエットと、それを握った俺の姿を脳裏に思い描く。すると掌から光が溢れ出し、それが形となって、俺の手に雪片弐型が握られた。

 

 それを見て石動先生が武器を持ったままの手で拍手をする。

 

「0.9秒、随分早くなったじゃねえか」

 

 その言葉に俺はちょっと嬉しくなった。千冬姉がこういう風に褒めてくれる事なんか滅多に無いからなあ。

 

「ま、その速度でも織斑先生には怒られちまうだろうな。0.5秒てのは中々高いハードルだぜ」

 

 うっ。千冬姉の叱咤を思い出して、俺はちょっとブルーになった。あと半分近く短縮しなけりゃなんねえのか……しかしそれは、千冬姉の求めるレベルに到達してしまえば、その技術は世界レベルの相手にも通用する事を意味している。そう考えると俺の中から少しやる気が湧いてくるのを感じた。

 

 そんな風に考えていると試合開始のブザーが鳴る。すると石動先生は肩に掛けていたアサルトライフルを下ろして、普段通りの気軽な口調でこちらに通信を送って来た。

 

「そういえば一夏ぁ、俺ってIS操縦者適性がぶっちぎりで低くてさあ。教員どころか、クラスの生徒達と比べても低レベルなんだぜ?」

「えっ」

 

 マジすか、と俺は二の句を告げようとして、出来なかった。俺が反応した瞬間目にも止まらぬ速度で構えられたアサルトライフルの銃弾が俺の全身に直撃したからだ。想定外のダメージに俺は衝撃を殺しきれず、十メートル近く後方へと吹き飛ばされるように後退する。

 

【バリア被貫通、ダメージ102】

 

 今まで黙っていた白式が俺に被害情報を伝えて来た。セシリアと戦った時にはロック警告とかがあったのに何で――! そう思って俺は一つの可能性に思い当たった。

 

 石動先生はISの補助無しで、マニュアル操作で俺を狙ってきている――――!

 

 そのアサルトライフルの銃口が吹き飛んだ俺に向けられるも、白式が一切の警告を発しない事に気づいた俺はその場から慌てて飛びのく。だが石動先生はそんな安易な逃げを見て、実に楽しそうに話しかけて来た。

 

「どうした一夏、逃げてるだけじゃ始まらないぜ。特にお前は!」

「くっそ……! いきなり不意打ちなんて卑怯でしょ!」

「試合開始後にそれを言われてもなあ」

 

 ハッハッハ、と笑いながら弾倉を交換し、高速機動中の俺に対して再びアサルトライフルで銃弾を命中させて来る石動先生。シールドエネルギーは試合開始からの僅かな間ですでに五分の一が削り取られてしまっている。

 

 クソッ、やべえ――! このままじゃジリ貧だ……! 

 

 必死に鋭角機動を繰り返して銃弾を回避するも、どうしても全てを躱し切る事が出来ない。ISの補助無しでここまで正確な射撃が出来るなんて、こんなの適正詐欺だ! 滅茶苦茶強えじゃねえかよこの人! その瞬間銃撃が一瞬途絶え、ハイパーセンサーによる全周囲視界の端に、弾倉を交換する石動先生が見えた。

 

 ここだ――! 俺は白式の向きを変え、スラスターの出力最大で石動先生に向けてかっ飛ぶ。一気に石動先生の目前にまで接近、右脇に雪片弐型を構え横薙ぎの斬撃を繰り出した。

 

【バリア被貫通、ダメージ248】

 

 右脇腹に衝撃。まるで寝そべる様な態勢になった石動先生が、そのまま迫る俺の雪片弐型を掻い潜り、置き土産と言わんばかりにブレードで俺の装甲が無い脇腹を斬りつけて行ったのだ。装甲の無い箇所への攻撃は絶対防御を誘発させ、俺の残りシールドエネルギーを半分以下まで持っていく。

 

 何も出来ないままやられてたまるか――――!!

 

 焦りが俺を支配し、後ろへとすり抜けて行った石動先生を正面に捉えようとした。しかしそこには石動先生の姿は無く。何処へ行った? ハイパーセンサーで確認。俺の顔に影が落ちる。上!

 

 咄嗟に振り上げた雪片弐型が石動先生のブレードを受け止め、エネルギー同士が火花を散らす。俺はISのパワーアシストを用いて全力で力を込める。不安定な態勢からの攻撃だった石動先生のブレードを俺の雪片弐型が弾いた。俺はそのまま返す刀で石動先生を斬りつけようとして、急接近した打鉄の肩部シールドが俺の顔面に激突し、一気に地上まで叩き落された。

 

 前の授業みたいな事にはなるまいと、俺は必死で姿勢を制御し、墜落しそうになっていた態勢をなんとか着地へと修正。その瞬間俺と地面の距離はゼロになり、全身を貫くような衝撃が走る。

 

「グッ……!」

 

 歯を食いしばりそれに耐える。ハイパーセンサーがブレードを構えて上空から肉薄してくる打鉄の姿を捉えた。どうする!? この状況から、どうすれば石動先生に勝てる!? あのブレードが直撃すれば俺のシールドは間違いなくゼロ。負けだ!

 

 ――肉を切らせて骨を断つしかねえ!

 

 眼前に迫り来るブレードを、短い刀身のそれを、俺は左手で掴み取った。シールドが一気に減衰する感覚。だが俺はそれをものともせず、右手の雪片弐型を握りしめる。その瞬間刀身にエネルギーが集中し、その刀身を輝かせた!

 

「織斑一夏ァ!」

「うおおおおっ!」

 

 突き出されるアサルトライフル。振るわれる雪片弐型。閃光が放たれ、俺の視界を奪う。

 

 ――――一瞬して静寂が訪れる。一体、俺はどうなった?

 

 うっすらと眼を開くと。俺の眼前にアサルトライフルの銃口。一方雪片弐型は、石動先生の脇腹に撃ち込まれている。絶体絶命か、ギリギリの勝利か。見れば、雪片から放たれていた光は既に消えている。あ、負けたかなこれ。

 

 そう思った瞬間、備え付けられたスピーカーから勝敗を決するアナウンスが発せられた。

 

【試合終了! 両者エネルギーゼロにより引き分け!!】

 

「はぁーっ……」

 

 それを聞いて俺は全身の力が抜けて、その場に座り込んでしまった。

 

「ハハハハ! 何だ一夏、お前なかなかやるじゃあねえか!」

「石動先生こそ、メッチャクチャ強いじゃないすか……」

「相討ちにまで持ち込まれちまったけどなあ~」

 

 いつもより大きく笑った石動先生が、座り込んだ俺に手を差し伸べてくれる。俺はその手を取って、痛みを訴える体に鞭打ちどうにかして立ち上がった。

 

「一夏さん!」

 

 白式を解除しながら声に視線を向けて見れば、ISを展開したオルコットがこちらに向かって飛んでくる。その向こうからは箒と山田先生がアリーナへと降りて駆け寄って来ていた。

 

「一夏さん、大丈夫ですの!?」

「まあ、なんとか……」

 

 オルコットが俺の手を取って、心底心配そうな顔で詰め寄ってくる。近い。すごい圧力だ。そんな事を思っているとオルコットは何かを思い出したように石動先生に詰め寄って行った。

 

「石動先生! 一夏さんに対して、ちょっと大人げないんじゃありませんの!?」

「悪い悪い、俺も途中から楽しくなっちまってな。ま、一夏の実力の証明だよ」

 

 そう言われるとオルコットは悪い気はしなかったようで、石動先生の前から一歩引いて、安心したかのように溜息をついた。その横を、駆け寄って来た箒がすり抜けて、俺に抱きついて……えっ!?

 

「一夏、無事か! 心配したぞ馬鹿者!」

「箒!? 大げさだ! ちょっ、おま、離せって! おい!」

 

 俺は抱き着いていた箒を無理やりもぎ離すと、落ち付くよう何度も諭す。すると箒は自分が何をしてたか気づいた様で、顔を真っ赤にして俯いてしまった。

 ったく、これは模擬戦だっての……確かにこっぴどくやられたから、気持ちは分かんないでもないけどさ……。そう(ひと)()ちていれば、山田先生が追いついて来て俺の体の調子を聞いてきた。

 

「一夏くん、ケガとかありませんか? 痛いところとかは?」

「いや……ちょっと体の節々が痛いすけど……まだやれます。大丈夫です」

「そうですかあ、よかった……」

 

 山田先生が安心したように一息つくと、その肩を石動先生がポンポンと軽く叩いた。落ち付いてるなあ。まあ、相討ちに終わったけど、実際石動先生が勝ったようなもんだしな……速度自体は俺の方が上だったのに、近距離戦でもあんな翻弄されちまうなんて。

 

 しかし、石動先生も戦闘経験なんか全然ないはずなのに、やたら戦い慣れてたなあ……もしかしてこっそり特訓とか積んでたのかな? それにあの接近戦のキレ、特に動きの柔軟さは多分、千冬姉にだって無い技術だ。今度時間がある時話を聞いてみるか。

 

「そんじゃ、ちょっと休憩な。さっきの戦闘のデータでも見とくといい。山田先生、これで皆に飲み物でも買ってあげてください。俺はトイレ行ってきま~す!」

 

 石動先生はそう言って山田先生に一枚紙幣を手渡すと、ひらひらと手を振ってから、小走りでトイレに引っ込んでしまった。うーん、こう言う所でビシッと締めてもらえば俺も素直に尊敬できるんだけど……。

 

 そんな事を思いながら、俺は皆と一緒にピット脇に備え付けられた自動販売機に並ぶ。本当はコーラが飲みたかったけど、これから続く訓練のことを考えて、俺はおとなしくスポーツドリンクを購入。そしてモニターを皆で囲んで先ほどの戦闘データを確認し始めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 トイレから帰ってきた俺はコーヒーを一本買って、それを飲みながら皆と先ほどの戦闘のデータを確認した。どうにも一夏の奴は戦う気概がまだまだ足りていない。だが、いざと言う時の爆発力はかつて戦った仮面ライダーの一人である万丈(ばんじょう)の事を思い出させる。

 

 ――――俺のブレードを掴んで止めたあの瞬間、奴のハザードレベルは間違いなく2.0を越えていた。

 

 このまま鍛えていけば、奴のハザードレベルはさらなる強化が望めるだろう。それを考えると楽しみで楽しみで仕方が無い。

 その後はにやにやと釣り上がりそうになる口角を意志の力で何とか抑え込んで、データを見ながらああだこうだと意見を出し合った。

 

 オルコットが何故初撃を躱せなかったかと聞けば、一夏はロックオン警告が無かったと話し、俺はマニュアルでアサルトライフルを使っていた事を明かす。

 それを聞いてやっぱりと納得する一夏。既にアタリを付けてたとは、本当に将来有望だな。一方それに驚くオルコットと篠ノ之には、山田ちゃんがマニュアル射撃の利点と欠点を分かりやすく説明していく。

 

 それは実に和気藹々とした時間で、俺達の絆を深める実にいい機会だった。オルコットや山田先生だけでなく篠ノ之までも意見を出し合い、一夏を強くするために建設的な議論をしていった。この様子なら、クラス対抗戦でも一夏はいい所まで行くだろうな。

 

 そんなこんなで少し長引いた休憩を終え、操縦訓練を再開する。まずは一夏とオルコットによる再度の模擬戦――――になると思ったが、どこか不満そうにしていた篠ノ之に俺が使っていた打鉄を譲った事で、オルコットとコンビを組んでの二対一に発展。

 俺とやり合っていた時以上の地獄を一夏は見る事になった。お前らの方がよっぽど大人げねえよ。

 

 そんなこんなをしている内に放課後も終わり、その後も連日一夏はクラス対抗戦に向け訓練を重ねて行った。

 

 楽しみだぜ。一夏だけじゃない、他のクラスの代表者達、奴らがどれだけの実力を持っているのか。どのような動機で戦いに身を投じてくるのか。強い感情――――歓びも含めて、それがハザードレベルの上昇の鍵になる。

 

 それは俺だって例外じゃあない。

 

 奴らが強くなり、俺を楽しませる事が最高の娯楽だ。それと同時に俺のハザードレベルまで回復していくのだろうという事を考えると、何よりも何よりも喜ばしい。ビルドの世界で感じたような人を愛する喜び。きっと奴らが強くなり争って行く先に、再びそれを見る事が出来るはずだ。

 

 そんな夢を想いながら、織斑千冬や山田ちゃんと共に俺は一夏を初めとしたクラスの生徒達にISの技術を教え、鍛え上げる毎日を楽しんでいった。

 

 

 

 

 

 そして、時は経ち。

 

 クラス代表対抗戦の前日。俺を含めた教師達に配られた資料の第一試合の欄には、織斑一夏と、二組クラス代表、凰鈴音(ファンリンイン)の名が記されていた。

 

 




ようやくエボルトの初戦闘が書けました(ISでだけど)
動きにスタークっぽさを出したかったけど、
うまく行ったかどうか……。

スタークやエボルとしての戦闘はまだまだ先になっちゃいそうです。


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ブラッドの逆鱗


ようやくクラス対抗戦にまでこぎつけました。
この話と次の話は事実上の前後編となります。
書いてたら後半部分が楽しくて2万字越えてしまったので二つに分けました。
感想でも長めという意見もありましたし。

感想評価お気に入り、誤字報告ありがとうございます。


 

 五月も既に半ばとなったこの日、ついにIS学園のクラス対抗戦の開幕の時が来た。

 

 先月末から織斑千冬や轡木氏に駄々をこねにこね、どうにかこの日限定での単独行動の権利を手にする事が出来た俺は、ウキウキ気分で第二アリーナの観客席を絶賛徘徊中だ。

 

 見渡す限りの大観衆。何時だかの満員電車の人口密度とは比べ物にならないが、それでもこれだけの人間が集まってこれからの戦いを楽しみにしている。

 やっぱどの世界でも人間は争いが好きなんだな。と俺が共感めいた感動を覚えてちょっと感慨に耽っていれば、俺に気づいたクラスの生徒が手を振ってきて、俺は晴れやかな笑みでそれに応えた。

 

 今頃、普段俺と行動している織斑千冬に山田ちゃん、ついでに代表候補生のオルコットなんかはピットの管制室で特等席に座って居るはずだ。ちなみに篠ノ之もそこに居る。俺は気楽に観客席で代表戦の様子を眺めたかったので、アイツに特等席を代わってやったんだ。その時の篠ノ之ったら、これ以上無いくらい泣いて喜んでたっけなあ。教え子の喜ぶ顔を見せて貰えるなんて、正しく教師冥利に尽きるね。

 

 まあ、そうしてこんな自由な単独行動を満喫させて貰う条件として、発信機は身に付けたままだし、呼び出し用の通信機まで持たされちまった。だが、この自由は何物にも代えがたい!

 

 そうしてひとしきり喜び終えた俺は、観客席の隅の、最も外縁にある隅の席へと腰掛けた。

 俺は空いている隣の席に持参したアタッシュケースを置いて、その中から初任給で購入したポータブルコーヒーメーカーを取り出す。いやあ、真っ当に仕事をして給料を貰うなんて、ビルドの世界じゃ考えられなかった事だ。

 

 あっちの世界で手に入れた金の大半は、ファウスト(悪の組織)関連やらで手に入れた真っ当とは世辞にも言えぬ金で、おまけにその殆どをカフェの運営資金や食費光熱費水道代に()ぎ込んじまってたからなあ……。あ、ウルっと来た。俺も本当に変わったもんだなあ。

 

 そんな事を考えながら、俺はこの世界での初コーヒー作りに成功した。嫋やかな香りが俺の鼻を擽る。底の見えぬどろりとした黒い湖面は、まるでパンドラタワーの頂に鎮座する暗黒領域のようで、俺の心を癒してくれる。一度息を吹きかけてそこに浮かぶ泡が作り出す模様を楽しんでから、俺は一息にそれを口にした。

 

「ウェッ! ペッペッ! ()ッッッ()!」

 

 俺はそのあまりに強い苦味とエグ味に、思わずえづいて手持ちのハンカチに唾を噴き、舌を突き出して風のひやりとした感触と清涼さを味わいそのダメージを誤魔化そうとする。

 

 普段ならば絶対に取らないような行動だが、生憎それを見咎める奴はいない。

 

 幾らアリーナが過密状態とは言え、こんな最果ての地に好んで居る人間はそう多く無い。何故かって? 折角のクラス代表戦がてんで見えないこんな所、本気で楽しみにしてた奴なら死んでも来たがらないからな。

 

 何せこっから見るISの戦闘なんか米粒同士の戦いを眺めるようなもんだ。遠すぎるし、遮蔽もあるし、風だって強いし。俺の様にやたらと目のいい人間か、環境の悪さ以上に衆人の喧騒を嫌う人間。そんな奴しか来たがらない。

 

 ほれ見ろ。あそこの奴なんか双眼鏡まで準備して、まるでバードウォッチャーだ。

 

 その姿を目にした俺は、いつだか万丈龍我(ばんじょうりゅうが)に用意してやった変装服のことを思い出して、人目を気にも留めずにけらけらと笑った。

 

【それでは両者、既定の位置まで移動してください】

 

 アナウンスが鳴り響くと共に、双方のピットからそれぞれのクラス代表機が出撃してきた。流麗な一夏の白式に対するのは、二組クラス代表にして中国国家代表候補生、凰鈴音(ファン・リンイン)。彼女が纏うのは、竜の頭を思わせる一対の大型非固定浮遊部位(アンロック・ユニット)が特徴的な第三世代IS甲龍(シェンロン)。あのやたらと目立つ肩部ユニットは、確か名前は龍咆(りゅうほう)と言ったか。この時の楽しみの為に詳細は調べちゃあいないが、随分珍しい兵器だって話を聞かせてもらった。

 

 はてさて、一体どんな兵器を披露してくれる事やら。ギュインギュインのズドドドドドドなんてワケ解んないもんじゃない事を祈るぜ。

 

【それでは両者、試合を開始してください】

 

 ビーッ、とブザー音が鳴った瞬間、先手を取ったのは(ファン)。突撃しながら呼び出(コール)した偃月刀を切り詰めたような形状の武装で一夏に斬りかかる。だが瞬時に展開された雪片弐型がそれを防ぐ。呼び出し(コール)が早い。一夏の奴、また腕を上げたな。

 

 しかし凰の攻勢は止まらない。まるで前世紀のアクションスターが得意としたヌンチャク捌きめいて、凄まじい勢いで振り回される大得物に一夏は防戦一方となる。

 何らかの功夫(カンフー)の応用か? 傍から見てもあれはかなりの凄腕だ。一つ一つの動き自体のキレもそうだが、その間にまったくと言っていいほど隙が無い。俺が辞典の編纂(へんさん)者なら、『流れるよう』と言う言葉の項目に奴の名前を加えてやってもいいくらいだぜ。

 

 その余りの攻撃密度に、たまらず一夏が距離を取ろうとスラスターに火を灯した。しかしそれは凰が龍の(あぎと)を開いた事で無駄な足掻きとなる。

 

 バガァン! と言う重い衝突音と共に吹き飛ばされる白式。後方へ離脱しようとしていた事で大ダメージは免れたが、大きく姿勢を崩して吹っ飛んでゆく。更に凰はその隙に一夏の上に陣取って再び奴に龍の咆哮を浴びせかけた。

 

 ありゃあ、衝撃砲か? 俺もエボルとしてたまに似たような技を使っていたから分かる。

 

 恐らくあの非固定浮遊部位(アンロック・ユニット)に仕込まれている機構が空間自体に強烈な圧力をかけ、そのエネルギーに指向性を持たせて打ち出しているのだろう。

 厄介だな。何せあの攻撃は肉眼では捉えられない。ハイパーセンサーの検知機能なら空間の歪みや気流から攻撃を読み取る事は出来るだろうが、それに必要な集中力を戦闘中に要求されるのは堪ったもんじゃあ無いはずだ。

 

 頭上から衝撃砲を受けた一夏が墜落し掛け、途中で何とか体勢を立て直して着地する。俺の時の焼き直しだ。一つ違うのは、次に迫り来る攻撃が止めようのあるブレード突撃じゃ無く、目に見えず実体も無い衝撃砲ってとこだ。

 

 一夏は一気に加速、地上を全速力で駆け抜ける。その後を追うように土が吹き飛び、あるいはクレーターじみた傷跡を晒した。蛇行して狙いを定めさせないような機動を繰り返してはいるものの、凰の狙いはかなり正確で、命中するのも時間の問題だろう。

 

 しかし、思案していたような一夏の表情が、覚悟を決めたそれに変わるのが見えた。何をやらかしてくれる? 俺が思わず身を乗り出すと、その瞬間一夏はスライディングするような姿勢になり凰の居る上空に向き直った。あれは俺が前に一度だけ見せた、ブラッドスタークの這いずり機動だ。体の面積を広く晒せば間違いなく被弾率は上がる。だが、何故あえてそれをした?

 

 その瞬間、織斑の頭頂部をかすめるように衝撃砲が着弾する。だが奴はそれを待っていたかのように、雪片弐型を振り被って凰目掛けて()()()()()

 

「馬鹿な!?」

 

 勝負を捨てたか!? いや、奴の目は死んじゃいない!

 

 凰は突然の奇襲に一瞬面食らうが、両方の衝撃砲を起動して、迫り来る雪片を弾き飛ばしながら一夏を撃ち抜ける軌道を狙い定める。

 

 ――――次瞬、地上ギリギリを滑っていた一夏が爆発的な加速で雪片に追いつき、そのまま凰の眼前で雪片を逆袈裟に振りかざした。

 

瞬 時 加 速(イグニッション・ブースト)か!」

 

 直線限定ではあるが、凄まじい速度で移動する事の出来るIS操縦技術。奴は俺の機動を使う事で凰を正面に捉え、かつ雪片弐型を放り投げる事で瞬時加速と言う選択肢から眼を逸らさせたのだ!

 

 しかし凰もさる者、その電撃的突撃に手に持っていた大得物で的確に反応し、金属と金属のぶつかり合う凄まじい激突音がアリーナに響き渡った。その一連の攻防に俺の血は沸き立ち、心が躍る!

 

「いいぞ……そのままもっと上へ来い、一夏ァ!」

 

 

 

 ――――そう俺が叫んだ瞬間、アリーナ上空から放たれた一撃が、その高揚の全てを滅茶苦茶にした。

 

 

 

「……あぁ?」

 

 俺は茫然として、間抜けにも程がある声を上げる。同時に砕かれた遮断シールドの上部から、一機のISが飛び込んできた。

 

 その姿は正に異形。一部のスマッシュにも似た長い長い腕に、首と呼べる部分が無く、肩と頭部が一体化したような造形。更には、一般的なISにはまず見られない全身一部の隙も無い全身装甲(フル・スキン)の体を深い灰色で染め抜いている。

 頭部も有機的で、不規則に並べられたむき出しのセンサーレンズに、全身にも過剰なまでにスラスターが備え付けられていた。

 

「なんだ、あの野郎……」

『石動、聞こえるか! 返事をしろ!』

 

 驚愕していれば、通信機からは織斑千冬の声。

 

「……織斑先生」

『無事なようだな……悪いが、観客席はどうなっている?』

「……パニックですよ、ええ。ひどいもんだ」

 

 俺は他人事のように、周囲の状況を連絡した。既に観客たちは驚き、叫び、逃げ惑って出入口に殺到している。

 

『石動。生徒達を誘導して、今すぐアリーナから離脱しろ。安全確認ができ次第学園のIS部隊が鎮圧に向かう』

「…………」

 

 その指示を聞いても俺はあまりの現状に、返事する事も忘れて悠々と静止する異形ISを見つめていた。

 

『石動、聞いているのか』

「……ああ、いえ、了解です」

 

 僅かばかりに焦りの見えた織斑千冬に了解の言葉を伝えると、俺は階段を数段飛ばしながら出入口へと向かう。駆けている間に試合中断のアナウンスが流れ、観客達へと避難命令を放つ。上空では、謎のISに対して一夏と凰が挑みかかり、新たな戦闘が始まろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

「さあお前ら! 急げ、だが慌てるな! 忘れ物だ何だは俺達が責任持って回収してやる! 今は一つだけの命を取り落とさないことだけ考えろ!」

 

 そう叫べば、先程まではパニックだった生徒たちも大人しく外へと向かう道へと行進していった。どうやら、ハッキングによってゲートがロックされ外へ出ることは叶わないらしい。

 だが、それでも戦場となっているアリーナから遠ざかるには越したことないはずだ。

 

 瞬間、再び振動が起きる。戦いはまだ続いているようで、時折轟音と振動が離れたここまで伝わって来た。剣しか持たない一夏はともかく、凰のISにもこれほどの衝撃をもたらす兵器は搭載されていなかったはずだ。それほどまでに敵のISは強大って事か。

 

榊原(さかきばら)先生。俺、観客席に取り残されてる奴が居ないか見て来ますんで、ここはお願いできますか?」

「ええ、分かったわ。気をつけてね、石動先生」

 

 共に避難誘導をしていた教師に一声かけて、俺は再びアリーナへと走る。脳裏に浮かぶのは、今日までの放課後や空き時間を費やした一夏への訓練の日々。それら全ては、このクラス対抗戦で最高の戦いを目にするためだったと言うのに!

 

 気に入らねえ。俺が今日この日を、どれだけ楽しみにしてたと思ってやがるんだ。

 

 心を滾らせた俺は歯ぎしりしながらアリーナへと駆け出した。避難者が落としたと思しき手荷物や、欠けたコンクリートの欠片を避けて進んでいく。すると、十字路で俺は思わぬ人物と遭遇した。

 

「篠ノ之!? こんなとこで何してる!」

「石動先生!?」

 

 息を切らせているのは管制室で戦いを見守っているはずの篠ノ之箒。

 

「今、一夏が謎のISと戦っているんですよね!?」

「バカ野郎! そんな事はいいから黙って帰ってろ!」

「嫌です! それにあのISは未確認機……そんな奴と一夏が戦ってるなんて……私に見過ごす事は出来ません!」

「未確認ISだと……?」

 

 それを聞いた瞬間、俺の脳裏に余りにも邪悪な計画が過ぎった。アドリブが過ぎるが、成功すれば手に入る物は大きい。何よりも――――

 

 ――――俺の楽しみを邪魔してくれた奴に、痛い目見せてやる事が出来る。

 

 腹の中でそんな事を考えながら、顔は裏腹に必死で篠ノ之を逃げるように諭す。

 

「悪いが、俺はお前を力づくで引きずってく訳にはいかない。これから逃げ遅れた奴が居ないか見て来ないとだからな」

 

 そう言って、俺は有無を言わさぬ圧力で篠ノ之の顔を睨みつけた。

 

「子供は黙って守られてろ。俺たちはその為に、ここで教師をしてるんだから」

「…………分かりました」

「よし。すぐ北側――あっちの道を真っ直ぐ行け。そうすれば第三ゲートに着くはずだ。途中で左の通路には入るなよ。『すぐにアリーナから目立つ放送室にたどり着いちまうからな』」

 

 念押しして、篠ノ之と別れて再び走り出す。

 

 ――――奴の性格から考えて、どうあっても一夏の奴の様子を見に行くことだろう。うまく行けばいい観客になるはずだ。

 俺はこの状況でも利己的に動く篠ノ之に、いつか内海(うつみ)に見た窮地での狂気に似たそれを見出して、奴への評価を大きく向上させた。

 

 

 

 観客席に戻ってみれば既に皆逃げ終えた様で、生徒を含め観客の姿は一人も無い。

 

 俺は手早く落ちていた拳大のコンクリート片を手に取るとそれで自分の額を殴り付け、手近な場所へ転がした。切れた額から怪我の程度に比べても大げさに血が流れる。

 見れば不明ISと二人のクラス代表の戦いは地上付近へと高度を下げ、しかしその激しさは勢いを増して続いていた。

 

 俺はそれを嘲笑って全身の力を抜いた。その瞬間俺の体がぶっ倒れ、それを見下ろす俺が居る。不思議な事は何もない。端に俺が憑依した体から分離して、俺単体で石動惣一の姿に擬態しているだけだ。

 

 偽装は完了。もし俺が戻るまでに体が発見されても、生徒の安否を確認しに来たが被害を受けてその場で気を失ってしまった教師――――アフターケアを間違えなければ、美談としてそんな話に仕上げる事が出来るだろう。

 

 吊り上がる口角も抑えずにそんな事を思いながら、俺は懐からトランスチームガンを取り出した。

 

【コブラ!】

 

「蒸血」

【ミストマッチ!】

 

【コッ・コブラ……コブラ……】

 

【ファイヤー!】

 

 火花が散り、俺を包んでいた黒煙が晴れた瞬間。そこに立っていたのはISとは異なる、全身を包んだ戦闘用装甲服。赤い全身に胸にはコブラを象った緑色の装甲。それと同色のバイザーからは、青い瞳が透けて見える。

 <トランスチームシステム>が一つである、<ブラッドスターク>。それがこの体の持つ名前だ。俺本来の姿である<仮面ライダーエボル>に比べれば劣る戦力であるが、これから俺が実行する作戦にはこの姿で十分だ。

 

 俺は懐から三本のボトルを取り出し、その内の一つをトランスチームガンへ装填する。

 

【消しゴム!】

 

 トリガーを引けば、トランスチームガンの銃口から煙が噴出し、それを浴びた俺の姿が透明化する。間髪入れずに俺は次のボトルを装填。

 

【ローズ!】

 

 銃口をアリーナ上部にあるアンテナに向け、トランスチームガンからツタを射出する。ジェットやロケットフルボトルと違って派手な物音を立てずに行動出来るのは代え難い利点だ。

 そのまま勢いを付けて一気にアリーナ上空へと跳ね飛ぶ。そのまま修復され始めていた遮断シールド最上部に開けられた穴へと飛び込み、不明IS目掛けて落下してゆく。

 

【マグネット!】

 

 再びトランスチームガンから吹き出した蒸気を潜り抜ければ俺の体は特殊な吸着効果を発揮して、激しく動き回る不明ISに目掛けて勢いを増し、奴の上に『着地』する事に成功した。

 

『!?』

 

 突然、検知できない物体が衝突して混乱した様を見せる不明IS。一夏達もその様子を見て何事かと訝しんでいる。スラスターを輝かせ、腕部内蔵のエネルギー砲を姿見えぬ俺に向ける不明IS。だが遅い。俺に密着された瞬間に、こいつの運命は決まっていた。

 

 ――――貰うぜ、その体!

 

 嘗て俺がビルドの世界の戦闘用メカ、<ガーディアン>の集合体と融合した際に使ったブラッドスタークの拡張機能。そして、精神生命体としての俺が持つ憑依能力。

 その二つを活用して、肉体はこのISという機械を、魂はISコアが持つ意識を奪い取る。

 

 不明ISが痙攣し、元来与えられていた命令が俺に反発する。だがそれも一瞬の事で、俺はこいつの抵抗を容易く踏み躙った挙句暴力的にその精神を刻んで全ての情報を引きずり出し、ISと言う肉体を完全に支配下に置く事に成功した。

 

 

 

 

 

 

「――何だ、今の……」

 

 俺は目の前で突然痙攣しだした不明ISの様子を見て、思わずそんな声を漏らした。

 

 現行の量産機を遥かに超える強大な武装を誇っていた敵機体。しかもあからさまに人間には不可能な動きをしたり、一切言葉を話さず、逆にこちらの会話を逐一観察している不気味さに、俺は奴が無人機ではないかとアタリを付けていた。

 

 だがそんな敵に何かがぶつかったような音がしたと思えば、突然赤い光を放ちながら激しく痙攣しだし、その濃い灰色に塗られた装甲は多くの部分が血の色に良く似た赤色に変化してしまった。

 

 暫くして痙攣の止まった不明ISは、自身の調子を確かめるように肩を回してみたり、手を握ったり開いたりしている。先程までの無機質さとはかけ離れた、人間味のある動きだ。そう思って見ていると、鈴が俺の横にやってきて話かけてくる。

 

「何? アイツ一体どうしたのよ。突然色が変わったりして……」

「さあな、さっぱり分からねえ……ロクでもない事だってのは分かるけど」

「一夏、気をつけて。もしかしたらアイツ、一次移行(ファースト・シフト)か何かを起こしたのかもしれない」

 

 マジかよ……と零して、再び目の前の敵の姿を見定めようとすると、そいつはまるで気安い友人に挨拶するかのようにこちらに手を振って来た。

 

『よぉ……初めましてだな、イチカ・オリムラ。それと中国代表候補生、ファン・リンイン』

 

 渋さを感じさせる、壮年の男の声だった。驚く俺達に、そいつは朗らかに話しかけてくる。だがその声には隠しきれない悪意が滲み出ていて、俺達は体を強張らせた。

 

『そう怖い顔をするなよ……。俺はこの木偶人形を止めてやったんだ、話くらい聞いたらどうだ?』

 

 そいつはやれやれ、と言った具合に肩を――正直首と一体化していてよく分からないが――竦めて、呆れたように溜息をつく。敵意は感じない。だが俺の体は確かな恐怖を感じている。それが、雪片を握る力を一層強くした。

 

「何者よ、アンタ」

『俺か? そうだな…………<ブラッド>、とでも名乗っておくか』

 

 鈴が聞いてみると、そのISを操作している奴はあからさまな偽名を名乗って来た。<ブラッド>。血。正に目の前のISが纏っているカラーリングそのままだ。明かされたことは何もない。だが、今のやり取りで一つだけ分かった事がある。

 

 ――――目の前の存在は、根本的に信用には値しない。

 

「お前、その声……男なのか?」

『おいおい冗談だろ? 今の時代、声を変えるのがどれだけ容易い事だと思ってる? 顔も見えない、そもそも目の前にもいないって言うのに、相手の素性がどんなもんか、考えるだけ無駄だと思うがね』

 

 俺が一つ質問して見れば、目の前の相手は再び呆れて、その疑問の愚かさを指摘してくる。だが俺が本当に知りたかったのはそこじゃない。奴の語り口から、俺の考えていた可能性が正しいかどうか、それがハッキリと確定した。

 

「やっぱり無人機なんだな、そいつは」

『ほう?』

 

 俺の発言に、やや驚いたように身じろぎする眼前のIS。少し考えるような仕草をした後、奴は異形の手の平同士を打ち鳴らし、不格好な拍手をして見せた。

 

『良く分かったな。それともカマを掛けたか? やるじゃねえの! ISは無人では動かせないってのが常識なのに』

「生身の人間とはよくやり合っててね、何となくそういうのは分かるんだよ」

 

 その俺の言葉に心底納得したように目の前の奴が頷く。そして、絶え間なく手足をブラブラと動かしていたのを止めて、改めてこちらに向き直った。

 

『ま、この機体がどういう理屈で動いてるのかは俺も知らん。それはこいつを送り込んで、このクラス対抗戦を滅茶苦茶にした首謀者にでも聞くんだな』

「アンタがこの襲撃を考えたんじゃないの!?」

『俺はただの便乗犯さ。この機体を奪い取ってやったのは、そいつへの当てつけも含まれてる。世界に類を見ない無人ISを開発できる奴なんて、そういないと思うけどな』

 

 鈴の言葉に、言外にこの騒動の首謀者の情報を示唆(しさ)した奴が、ゆっくりと、見せつけるように両手を俺達に向けて掲げてゆく。

 

『ま、これ以上語る必要はないな。始めようぜ。…………何をかって? 俺はこいつを送りつけてきた奴とは別口だが、何をしに来たかは大して変わらん……本当は、このクラス対抗戦を眺めてるだけでよかったんだが……こいつの送り主を恨めよ。それじゃ』

 

 奴の全身のスラスターに光が点る。ロック警告。俺達はそれぞれの近接武器を握りしめて身構える。

 

『死にたくなければ、死ぬ気で頑張って見せる事だな!』

 

 言って奴は、両手のビーム砲を無造作に俺達へと撃ち放った。

 

 





あのガーディアンとの融合、
割と好きなのに一回しか使われなかったんですよね。
詳しい設定が知りたい……。

ゴーレム無人機でよかった。


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悲劇のシード

オリジナルボトルが登場します。
後、箒にめっちゃ物言う展開があります。
元凶の脳内エボルトを止めようとしたんですが、
必要であろうがなかろうがこの展開ならコイツこれやるよね、
ってことで止めきれませんでした……(懺悔)

ダメな方はブラウザバックを。

感想、お気に入り、評価、誤字報告どれもありがとうございます。


 クラス対抗戦第一試合、俺と鈴の戦いは、乱入してきた謎のISによって中断される事になった。

 二人で協力して、観客達の逃げる時間を稼ごうとするも、そのあまりに圧倒的な武装の火力差に徐々に追いつめられる俺たち。

 

 だが、突如<ブラッド>と名乗る存在によって不明ISのコントロールは奪取された。

 

 一瞬、これで戦闘が終結したかに思った俺たちだったが、ブラッドは容赦なく乗っ取ったISの武装を此方へ向け、戦闘を強要してくるのだった。

 

 

 

 

「一夏、離脱!」

 

 鈴の声に反応して身を翻すのが早いか、今まで俺の居た場所を高出力のビームが貫き、着弾して爆発を起こした。まともに食らったら一発でお陀仏だ。先程までは矢鱈滅多ら連射していたのだが、ブラッドがあのISを奪い取ってからの動きはそれに輪をかけて全く読めない。

 

 初めこそ、無機質さが無くなったおかげで動きが読みやすくなったかと思ったが、逆に一つ一つの動きが俺達の予想を悉く裏切ってくる。

 

「あっぶねぇ!」

 

 今もそうだ。俺は奴の攻撃を一切読む事が出来ず、鈴の指示か土壇場での回避によってしかあのビーム攻撃に対処する事が出来ない。

 

『ハッハー! どうしたオリムラ! ブリュンヒルデの姉が泣いてるぜ!?』

「隙ありッ!」

 

 俺を嗤うブラッドに、いつの間にやら上方へと回っていた鈴が龍咆による攻撃を繰り出した。目に見えぬ連続砲撃。しかしブラッドは長大な腕を棍棒の様に振るって、衝撃砲を弾き飛ばして行く。これも奴に機体を奪われる前は無かった動きだ。あの時は独楽の様に無茶苦茶に振りまわした腕でそれをやっていたが、今は龍咆の弾の一つ一つが見えているかの様に的確に防御している。

 

 だが鈴は動じない。そのまま龍咆をこれでもかと連射して、ブラッドをその場に釘付けにしてゆく。

 

「一夏、今!」

「――! おう!」

 

 鈴の言葉に、弾かれるよう俺は飛び出す。ブラッドの奴は自身が無人機であると言っていた。遠隔操作なのか人工知能か何かなのか、詳しい原理は知らないが、とにかく大事な事は一つ。

 

 ――――奴をどう倒しても、人死にが出る事は無い!

 

 雪片弐型を振り被って一気に俺はブラッドに肉薄する。だがブラッドは龍咆の雨を捌きながら下半身のみを高速で回転させ、俺を回し蹴りで蹴り飛ばした。人間には不可能な動きは健在かよ……!

 

 先ほどから、俺と鈴は果敢にブラッドに攻めかかっているが、奴の対応速度――特に俺の攻撃に対するそれ――は並のIS操縦者のそれでは無い。鈴を初めとする国家代表候補者、いや、それ以上の反応を見せてくる。

 

 再び、戦場は膠着状態に移る。俺は近接攻撃しか持っていないが故に、距離が離れてしまえば戦いは鈴と奴の一対一。白式に飛び道具を搭載しなかった顔も知らぬ開発者を、俺は割と本気で恨んだ。

 

「くっそ、一発くらい当たりなさいよ……!」

 

 鈴の龍咆が息切れして連続攻撃に僅かな隙が出来た瞬間、俺と鈴それぞれに腕を向けてビームを撃ち込んでくるブラッド。俺と鈴は慌てて回避行動を取り、すんでの所でそれを避ける。

 

『こんなもんか……ちょっと飽きてきたな。アイツはまだか……?』

 

 一旦砲撃を止めて、何やら探し物をするように周囲を伺う仕草を見せるブラッド。あの野郎、どれだけ余裕を持って戦ってやがるんだ……!? 肩で息をしながら、泣き事を言いたくなるのを我慢して、再び奴の動きを見据えた。

 

『一夏ぁっ!!』

 

 その瞬間、アリーナに備え付けられたスピーカーからよく知った声が響く。その声は、今は管制室で戦いを見守って居るはずの箒の声だった。

 

「何で――」

 

 俺は咄嗟に疑問を浮かべるが、ブラッドはその隙を見逃さなかった。瞬時加速に匹敵する速度で奴は俺に肉薄し、大ぶりな回し蹴りで俺を弾き飛ばしたのだ。

 

「――――グアッ!」

 

 アリーナの壁に叩きつけられ、苦悶の声を漏らす俺。それよりも箒だ。まずい、あそこは――――

 

『男なら……男なら、そのくらいの敵に勝てなくてなんとする!!』

 

 スピーカーがハウリングを起こすほどの大声がアリーナに響き渡った。ハイパーセンサーがブラッドと箒の居る放送室を交互に拡大する。箒は随分と息を切らしていて、その表情も必死そのものだ。

 

 早く隠れろ、箒! 壁との衝突のダメージが消えていない俺はそんな声を出そうとするも、口からは呻きが漏れるばかりだ。

 

 その間に鈴がブラッドに近接戦闘を挑むも、何度かの激突の末に腕で肩を痛打され、俺の方へと弾き飛ばされて来るのが見えた。

 

「クッ――――何寝てんのよ、一夏!!」

「くっそ……!」

 

 俺の数メートル直前で体勢を立て直した鈴の叱咤に、俺は全身の痛みを堪えて再び空へと戻る。ブラッドは――――動かない。それ所か、放送室でこちらを心配そうに見るばかりの箒を視界に捉えて、体を震わせる。

 

『クッハッハッ……フッハッハッハッハッハ!!!』

 

 ブラッドは、先程の箒にも負けず劣らずの声で、心底おかしいと言った具合に笑った。

 

『何だあの女は! ISも纏わずにこの場に現れるとは!! 戦場を舐めてんのか? 危機意識が欠如しているにも程がある!! 最高に面白い!!!』

 

 箒を悪意を持って褒めちぎるブラッド。

 

『じゃあ俺から、あの女にここまで来た褒美をくれてやるとしようか』

「やめっ――」

 

 言うが早いか、ブラッドは無造作に掲げた腕から一発のビーム砲を放った。それは箒の居る放送室へと吸いこまれるように直撃し、次の瞬間、放送室が巨大な爆炎に包まれた。

 

「箒ィ――ッ!!」

「うそ……篠ノ之さん……?」

『フッハッハッハァ……はぁ。篠ノ之束の妹ならば、奴の報復を恐れ、誰にも傷つけられないとでも思っていたのか? 後先知らん愚か者など、世にいくらでも居ると言うのにな』

 

 鈴が唖然とする。叫ぶ俺を嗤い、それ以上に箒に呆れたように冷徹に呟くブラッド。燃え上がる放送室を一瞥してから、気遣うように俺に語り掛けて来た。

 

『嬉しいだろぉ、イチカ・オリムラ? <天災>たる姉を笠に着て、唯々喚くばかりの身の程知らずを、こうして俺が始末してやったんだからな! フッハッハッハッハ……!!』

「てめェ――ッ!!!」

 

 スラスターを全開にして飛び出した俺はブラッドに肉薄し雪片を振るう。しかし奴はその攻撃を右手に食いこませて防ぎ、がら空きの俺の腹に蹴りを撃ち込む。

 

「グッ……うおおおおおおお!!!」

『ほう!』

 

 だが俺は引き下がらない。スラスターを噴射してその場で耐え、全力を込めて雪片を一気に押し込んだ。

 

「ハアッ!」

『ぬおっ!?』

 

 奴の右前腕が断ち切られ、宙を舞う。だが俺は止まらない。奴目掛け、何度も何度も雪片を振り回す。血色のISの表面を刃が掠め、その体に走る傷が増えてゆく。だがブラッドは、その光景に何故か歓喜の声で叫んだ。

 

『ハザードレベル2.5……! いいぞぉ、もっとだ! もっと感情を高めろ、オリムラァ!』

「黙れぇぇぇぇーッ!」

 

 叫んで大上段に構えだ雪片を振り下ろす、だがブラッドはそのスラスターの大出力をもって一気に後方へ離脱。俺は瞬時加速を繰り出そうとするが、残エネルギー量の少なさがそれを許さない。

 

 ――――必要なのは一撃。奴に一撃を与えられれば、俺の雪片弐型なら間違いなく……!

 

 歯ぎしりして、ブラッドの姿を睨みつける。その時、俺は何時だか教えられた瞬時加速についての知識をふと思いだした。これなら、奴の意表を突ける。

 

「鈴! 俺の背中に龍咆を!」

仲間の背中を撃て(フレンドリーファイアしろ)って言うの!? 正気!?」

 

 俺の言葉に、鈴は狼狽したようにそれを拒否する。だが、これは気が狂った訳じゃない。理屈だってあるが、説明している暇は無い!

 

「奴を倒すにはこれしかねえ! 頼む!」

「ッ――もう! 失敗したら承知しないから!」

 

 ハイパーセンサーで鈴が龍咆を放つのを確認して、瞬時加速を発動させる。瞬時加速の原理は、一度放出したエネルギーを吸収して再度放出する事で、過剰な出力を生み超加速すると言う物だ。

 そしてそれは、吸収さえ出来れば、エネルギーは外部からの物でも何の問題も無いと言う事。何よりその加速は吸収したエネルギーの量が多ければ上昇する。

 

 スラスターが放出エネルギーの吸収を行う瞬間、背中に凄まじい衝撃と痛み。龍咆の衝撃弾が俺の背中に命中したのだ。みしりと体が上げる悲鳴を無視しながら、俺は凄まじい勢いで空を疾駆した。

 

「うおおおおーッ!」

【大規模エネルギーの供給を確認、零落白夜(れいらくびゃくや)を使用可能。エネルギー転換率九十%オーバー】

 

 吸収したエネルギーの余剰分を供給されたのか、雪片弐型が強く強く輝きを放つ。それと共に、刀身が中心に刻まれた溝から外側に開くように展開し、白く輝くエネルギー刃を形成していた。

 

 ――――零落白夜(れいらくびゃくや)。嘗て千冬姉がモンド・グロッソを制覇した際に使っていたIS、<暮桜(くれざくら)>が持っていたそれと同じ単一仕様能力(ワンオフアビリティー)。ISの歴史上に類を見ないエネルギー無効化攻撃。

 

 命中させれば一撃でISを撃破しうる圧倒的な攻撃力を持ったそれを、俺はこの土壇場で発動させる事に成功していた。

 

『発想は良いが、蛮勇が過ぎるぜ?』

 

 俺の脳内でアドレナリンが噴出し、世界が泥の様に遅延する。ブラッドが残った左腕を掲げて、そこにエネルギーを集中させる。砲口の奥に点った光が見え、奴が顔面を狙っている事を直感的に理解した。零落白夜ならばそれも防げるだろう。だが二の太刀を振るう分までエネルギーが持つとは思えない。今更回避など出来ようもない。

 

 でもそんな事は関係ない! 俺は、こいつを!

 

 その瞬間、上から飛来したエネルギー弾がブラッドの左腕を貫き、チャージしていたエネルギーを暴走させて内部から炸裂させた。

 

『何だと――!?』

 

 驚愕するブラッド。ハイパーセンサーが上空の機影を示した。遥か上に一機のIS反応がある。ブルー・ティアーズ。修復を終えようとしていた遮断シールドに僅かに残された隙間を通して、上空から奴の腕を的確に狙撃して見せたって言うのか。

 

 ――――ありがとな、セシリア。

 

 爆炎を潜り抜けブラッドの懐に飛び込む。そして俺は、がら空きの脇腹に零落白夜を発動させた雪片弐型を叩き込み、その上半身と下半身を、腰から真っ二つにぶった斬った。

 

 

 

 

 

 

『まさかこんな方法でやられるとはな……』

 

 墜落したブラッドのISから、か細い声で通信が送られて来た。もう息も絶え絶えと言った感じだ。俺と鈴は地上に降りて警戒を解かずにその姿を見守る。いくら無人のISと言えども、真っ二つにされた上エネルギーのほとんどを持って行かれれば行動できない。機能停止するのも時間の問題だろう。

 

『だが、俺の勝利には変わらない……!』

 

 言うが早いかブラッドが自分の胸に手を突っ込んだ。何かを探すように手を動かした後、引き抜いた手には球状の物体が握られている。

 

「ISコア!?」

 

 鈴が叫ぶ。確かあの機体は、完全な未確認機。じゃあ今俺たちの目の前にあるのは、存在しないはずの『468個目のコア』なのか――!?

 

『ありがとよ、お陰で随分楽しめたぜ。じゃあな!』

 

 その言葉と共に赤い光がブラッドのISから放たれ、その閃光に一瞬眼が眩む。視界が戻った時には、そこには灰色の、機能を完全に停止したISだけが残されていた。

 

 

 

「……終わった、のかな?」

「多分な……」

 

 少し静かな時間が経ってから、ぽつりと呟いた鈴に俺が答えると、ISの残骸が小爆発を起こした。ブラッドか、それともあのISを送り込んだ奴の仕業か。どちらにしても証拠隠滅とは用意周到だ。そのまま、何度も爆発するISを気が抜けたように見つめていると、俺に対して通信が入る。

 

『聞こえるか、一夏!』

「石動先生……?」

『ったく、無事か? 無茶しやがって。凰も大丈夫かよ』

「俺も、鈴も無事です。それより箒が……!」

 

 泣きそうになりながら言う俺に、石動先生は安心させるように小さく笑った。

 

『安心しろ、篠ノ之は生きてる。ちょっとケガはしてるみたいだが、命に別状はないぜ』

 

 その言葉に慌ててハイパーセンサーで放送室跡を拡大すると、その中に頭から血を流す石動先生と気絶したまま背負われている箒の姿を見る事が出来た。

 

『お前らもそこで待機だ。ハッキングされたゲートも整備課の連中が何とかしてくれたんで、すぐに医療班が向かう。ISはそれまで解除すんなよ。生体維持機能があるからな』

 

 それだけ言い残して、石動先生は放送室跡から消えた。箒を医療班の人間に引き渡しに行ったのだろう。あの人の頭のケガは、箒を助けた時のそれだろうか。

 

 こりゃ、感謝してもしきれないな。

 

 そう思って安堵すると緊張の糸が切れ、疲労が俺に一気に襲い掛かった。視界がぐらりと揺れ、重力が滅茶苦茶強く感じる。そう思った瞬間には、俺は地面に倒れ込んで空を見上げていた。

 

「一夏!? ちょっとアンタ大丈夫!?」

 

 そんな顔すんなよ鈴。って言うか元気だな。やっぱ訓練の差かな? 何でも軍隊に居たって言うし。セシリアにもあとでお礼言わなきゃなあ。箒には……一回言ってやらなきゃかな。そんな事よりも、ケガで済んでよかった。ほんとに。

 

 そんな取り止めの無い思考が浮かんでは消えてゆく。少しそうして、俺は泣きそうな顔をした鈴を見上げながら、意識を手放し闇の中へと落ちて行った。

 

 

 

 

 

 

「う……?」

 

 全身の痛みに呼び起され、私は目を覚ました。

 自分の状況が良く分からずぼんやりと周囲を見渡すと、そこは学園の医務室のようだ。

 

 カーテンで仕切られ、周りの見えぬ空間。窓から差し込んで来たと思しき橙色の光がカーテンに映っているのを見るに、今は朝方か、それとも夕方だろうか。机に置かれた小さな鏡には髪を下ろされ、包帯を巻かれた私の顔が映り、腕にも点滴用のチューブが繋がれている。

 

「私は……」

 

 私は、あの後一体どうなったのだろう。私は、一夏が心配で、応援したくて、避難の終わっていた放送室に飛び込んで――――あの真っ赤に染まったISに撃たれたのだ。

 

 それを自覚した瞬間、体の震えが止まらなくなる。

 

「私は……!」

 

 撃たれた。ISも身に付けていない、生身のままで。薄れゆく意識の中で何の力も持たずにあの場に現れた私を、あのISが哄笑していたのを何となく覚えている。

 恐怖から自分の体を抱きしめ、震えをどうにか抑え込もうとするも、全くもって上手く行かぬ。

 

 その時だった。がらがらとドアが開く音がして、誰かが部屋に入って来た。

 

「篠ノ之ぉ、起きてっか~? カーテン開けていいか~?」

 

 石動先生の声。私はそれに少し黙り込んで迷った後、か細い声で「はい」と答えた。

 その声を待っていた石動先生によってカーテンが開かれる。起きている私を見て一度安心したような溜息をついた後、先生は近くにあった折り畳みのパイプ椅子を持ってくると、そこに腰掛けて私の調子を尋ねて来た。

 

「調子どうだ~、篠ノ之ぉ」

「……はい、なんとか」

「そっか、良かった」

 

 石動先生はそう言って、心底安心したように椅子の背もたれにもたれかかった。そのまま頭の後ろで手を組んで、天井を見上げる。その様子は私の言葉を待っているように見えて、どうしても聞きたい事を、私は我慢する事が出来なかった。

 

「石動先生、あの、一夏は……?」

「一夏なら無事さ。無傷じゃあねえけどな。それより篠ノ之、まずは自分のケガの事を考えろよ」

「私の……」

「つっても軽いやけどと切り傷、打撲くらいだけどな。ぶっちゃけ奇跡だぜ? お前を身を呈して守ってくれた故・放送室くんには感謝しなきゃ」

 

 な? と言って小さく笑う石動先生。だが普段通りのその様子にも、私は胸が締め付けられるような思いだった。

 

「……石動先生」

「んん?」

「申し訳、ありませんでした……!」

 

 私が口から絞り出せたのは、謝罪の言葉。

 

「あれほど逃げるよう言われたのに、それを無視してあまつさえ……!」

「ストップ」

 

 掌を突き出して、それを途中で遮る石動先生。その眼は先程までの気遣う様なそれとは違う、子供を戒める厳しい大人の目になっていた。

 

「……正直、怪我が治ってからでもいいかと思ってたけど、自分から言い出せるようならそっから先は俺が言うよ。厳しく行くから、一分で覚悟決めな」

 

 言って被っているハットを目深(まぶか)にして視線を隠し、腕を組む石動先生。『見られていない』と相手を安堵させるその気遣いに甘えて、眼を擦り、無様に深呼吸を繰り返す私。無限遠(むげんえん)の長さに感じられた一分間を経て、私が呼吸を落ち着けかけた頃に石動先生はハットを脱いで、改めて私の眼を見据えて来た。

 

「一分経ったな…………うし、篠ノ之。ハッキリ聞くぜ? お前、何であんな危険な所に出て行った? 俺は逃げろって言ったよな?」

「……っ」

 

 その事実に、私は針の(むしろ)に立たされたような感覚を覚える。あの時、石動先生の言う通りにしていれば。あの時、放送室に行く判断をしていなければ。あの時の私はそんな合理的な思考は持たずに、ただ一つの事に眼が眩んでいた。

 

「私は、一夏が心配で……」

「あんな事をすれば、一夏、あまつさえ凰にも逆に負担をかけるとは全く思わなかったのか?」

 

 それもまた事実だ。私に気を取られた一夏があのISに隙を突かれた姿を、私は今し方の事の様に思い出せる。

 

「それに見ているだけならばともかく、何故自分の存在をアピールするような事をした?」

 

 言葉に出来ず俯くばかりの私に顔を近づけ睨みつけてくる石動先生。私はそれに、何の言葉も返す事が出来ない。心の奥底で腐臭を放つそれを、直視して言葉の形にしてやることも出来ない。

 

「まだわかって無いようだな。いいか? お前は戦場を舐めてたんだよ。表面上は嫌っていながら、その実、篠ノ之束の力に守られている事を心の底で自覚し、慢心していたんだ」

 

 その言葉に私は心の奥底の醜い想いを見せつけられる。私は、ISなんてものを作り出し、自分勝手に世界を塗り替えて一家を離散させた姉を恨み、憎み、しかしそう思いながらも、いざという時はその名前に頼って来た。姉の持つ力を、<天災>と呼ばれる彼女に特別扱いされている事を、いつの間にか心の拠り所にしていたのだ。

 

「銃を向けられ撃たれる事なんて、戦場に出れば誰もが遅かれ早かれ味わう事だ。まさか、本当に自分は誰にも傷つけられないとでも思っていたのか? だとしたら、能天気にも程がある」

 

 そうだ。私は(つい)ぞその瞬間まで、自分が撃たれるなんて事は夢にも思わなかった。自分は特別だから。あの人に守られているから。篠ノ之束を怒らせる(私を傷つける)事は、この地球上の誰にとってもタブーだったのだから。

 

「一夏の助けになりたい、守ってやりたい、そんな気持ちは皆一緒さ。だが、それをするにもまず、自分の身を守れるだけの強さが必要だ。それが今のお前には全く無い。たとえ剣道で日本一強いと言っても、ここはISの戦場だ。そこではお前はどうしようもなく弱いんだよ」

 

 突きつけられた事実に、鼻の奥がツンとなる。塩の味がする。涙が零れる。だがそれを石動先生は許さない。怒りの形相で私の患者服の襟に掴みかかって、激しい感情のうねりを声に乗せて、叫ぶ。

 

「――その顔は何だ? その目は何だ!? その涙は何だ!? お前の涙で、一夏が守れるか!? あいつの助けになる事が出来るのか!?」

 

 悔しい。私の涙じゃ、一夏を守れない。一夏を助けられない。私は彼の、足枷にしかなれない。私は、弱い女だ。かつて剣道の世界では暴力に縋り、今ISの世界であれほど嫌った姉の力に縋った、弱い女。(うつむ)いて、ベッドのシーツを強く握りしめる。歯を砕けんばかりに噛みしめる。だがそれ以外にどうすればいいか、一体何が出来るのか。今の私には何も、何もわからない。

 

「……だが、俺ならお前を強く出来る」

 

 その言葉にはっと顔を上げる。正にそれは、地獄に落ちた大罪人の目の前に降ろされた蜘蛛の糸だった。しかし、私の見たあの光景(一夏の傷つく姿)が、それを掴む手を躊躇(ためら)わせる。

 

「でも、私なんかに……そんな、事が……」

「何を躊躇ってる?」

 

 目の前の石動先生が、私の心の底を見通すような目で語り掛けてくる。

 

「お前は一夏の力になりたいんじゃないのか? それとも全部嘘だったのか!? お前はこれから一生、『篠ノ之束の妹』以外に価値の無い人間として生きてゆくのか!?」

 

 その未来が脳裏に浮かぶ。私では無い誰かが一夏の手を取り、幸福そうに歩いてゆく未来。置いて行かれて、肩書きだけの存在として、籠の中で生かされるだけの未来。そんなのは嫌だ。戦い抜いた結果そうなら、まだ受け入れられるかもしれない。だが、このまま何もせずに、ただそうなるべく生きて行くなんて嫌だ。私は変えたい。そんな未来を変えられる人に、変わりたい――――!!

 

「それが嫌なら、お前は強くなるしかない……やるしかないんだよ。お前にだって、それはわかってるはずだ」

 

 道は無いのだ。彼の隣に立って歩いて行くためには。この人が用意してくれる、ただ一本の道を除いて。

 

「――――お願いします、先生」

 

 私の胸倉を掴んでいた石動先生が、それを聞いて手を離す。一度ベッドに身を投げだされた私は改めてその上体を起こして、自分自身の覚悟をあらん限りの声で叫んだ。

 

「私を、アイツを守れる、強い女にして下さい! 『天災の妹』ではなく、『篠ノ之箒』として…………アイツの隣を歩んでいけるような、強い女に!!」

「……Good(グッド)。よく言った、篠ノ之」

 

 今までの憤怒に満ちた形相がまるで幻か何かだったかの様に、安堵した、優しい表情になった石動先生。柔らかな手つきで私の頭に軽く手を乗せて、髪を梳く様に撫でてくれる。それは、抱いた覚悟の裏に居る不安な私を、優しく慈しむような。

 

 ――――まるで、私がその温もりを忘れて久しい、父親のようで。

 

 自然と溢れて来た涙をそのまま流しながら、しばらく、その優しさにぼぉっと浸っていると、石動先生はもう大丈夫だ、と言うような顔で手を引っ込め、笑顔を見せてから立ち上がった。

 

「先に言っておくが、俺が教えてやれるのは強くなる方法だけだ。手に入れた力に伴う責任は、常にお前が背負っていく事になる」

 

 いつも通りの顔に戻った石動先生は、だが先ほどと同様の、重みのある声で私に言った。

 

「忘れんなよ。お前は、目の前の敵を叩き潰すための力を欲したんじゃない。愛する男を守る為の力を求めたって事をな」

「あっ、愛する!? えっと、私は、そんな……」

「ハッハッハ、大人を舐めんなよこのやろー」

 

 石動先生は全てわかってるとでも言いたげに笑って、私の頭をぽんぽんと軽く叩いて来る。私はそれにロクな応対も出来ず、顔を赤らめるばかりだ。

 

「とりあえず、まずは体を癒せ。栄養剤とか買って来たから、机に置いとくぞ? ……ああは言ったが、普段からあまり気負い過ぎるな。厳しさや、力だけが人間の強さじゃない」

 

 そう言うと石動先生はいつものように私を両手で指差して、朗らかな笑顔で教えてくれる。

 

Instruction One(インストラクション・ワン)――『教え、その一』って意味な――必要な時以外は肩の力を抜け。メリハリをつけろ。寛容さを持て。今までのお前は少し張りすぎだ。隣にいて心休まらない女に、男が心を預ける事は無い」

「……はい!」

 

 私の心からの返事に歯を見せて笑うと、石動先生はハットを被り直して背を向け、最後に肩越しに私を振り返ってから、外へ出るドアを開いた。

 

「じゃあまた、教室で会おうぜ。元気な顔見せてくれよな。Ciao(チャオ)!」

 

 私はその後姿を黙って見送る。これからの人生を変える指針をくれた人を。愛する一夏とは違う、自身の全てをさらけ出し、委ねる事の出来る人。

 

 

 まずは、一夏に謝らなきゃ。

 

 

 そう思った私は、机の上にあった栄養ドリンクを一本手に取り、その蓋に指をかけて引き開けて一息に飲み干す。きつい炭酸が口の中で弾け、ずっと感じていた塩辛い涙の味を忘れさせてくれた。

 

 そうして、泣き疲れた私はベッドに背を預けて瞼を閉じる。あんな事があった直後だというのに、私はどこか安らいだ気持ちで眠りに落ちて行った。

 

 

 

 

 

 

 ああ、楽しかった。

 

 俺がこの十年で人間として学んできた全てを使い切った問答だった。

 

 これで篠ノ之は、余程の事が無ければ俺の言うがままに動いてくれるだろう。

 

 当然、強くしてやるという言葉に嘘は無い。駒は強ければ強いほど良く()つからな。奴も一夏やオルコット同様、俺の為に出来るだけの強さを与え、教え、育ててやる。

 

 それよりも問題はあの襲撃の首謀者だ。あんな事されたら流石に黙っちゃいまい。

 

 さあてどう出る篠ノ之束? お前の計画をぶち壊し、その上大切な妹を撃った相手が、今もこの星でのうのうと笑って生きているぞ?

 

 その考え通りに笑いながら、俺は懐からあのISから奪い取ったコアを取り出して、この俺の元来持つ力を一気に注ぎ込んでやった。元々金属質だったその表面は赤黒い炎じみた色に一瞬で浸食され、汚染される。

 それを俺は一息に握り潰す。そして手を開けば、そこには一本の小さなボトルが乗せられていた。

 

【インフィニット・ストラトス!】

 

 これで俺もこの世界で戦える。このボトルには空間移動、惑星間航行能力を持つ<ブラックホールフォーム>を取り戻すまでは、随分と世話になるだろう。俺はそれを再び懐にしまうと一夏の居る、別棟の医務室へと向かって歩き始めた。

 

 

 ――――この世界(おもちゃ)で遊ぶ資格があるのは篠ノ之束、お前なんかじゃあない。この俺(エボルト)だ。そんな俺の楽しみをぶち壊しにした以上、お前には死ぬよりつらい目に遭ってもらうとしよう。

 

 

 俺は心の中でこの世界の天才科学者(篠ノ之束)に宣戦布告して、これから起きるであろう世界の波乱に少し思いを馳せると、この世界に来て一番の笑みで哄笑を上げた。

 

Are You Ready(覚悟はいいか)?』

 

 きっと明日の世界は、今日よりもっと面白い。

 

 

 

 

 

 

 襲撃翌日の放課後。龍咆の直撃を初めとしたクラス対抗戦のダメージから随分早く回復した俺は、足早に箒の居る医務室を目指していた。

 

 何でも、俺のISである白式は生命維持に加えて生体再生能力まで備えていて、そのために本来動けるまでに一週間近くかかるダメージを早々に回復してしまったらしい。

 実際の所そんな機能を持っているISは無いとされるが、千冬姉には何やら心当たりがあるらしく、聞いてみたところ言葉尻を濁していた。

 

 しかし、ケガした体で鈴やオルコットの相手をするのは中々に堪えたぜ。結局二人とも俺の部屋で口喧嘩始めちまうし、どうにかなんねえもんかな……。

 

 でも、いつも通りの皆の様子が、俺に元気をくれた事も事実だ。

 

 そんな事を考えていれば、俺は箒の居る医務室の前へと辿り着く。いくら男と女だからって、もっと近くの部屋にしてくれりゃ見舞いにも来やすかったんだけどな。

 

 俺は扉を三回ノックして、中に居るはずの箒に入室してもいいか呼びかけた。

 

「箒、居るか? 俺だ。入ってもいいか?」

「…………一夏か?」

 

 俺の知る箒の声とは違う、か細い声。どうやらアイツも今回の事で随分参ってるらしい。そりゃそうだ。いくら俺が心配だったからって、実際に生身でISに狙われたんだ。俺がその立場ならトラウマになっても仕方ない。説教もそこそこにして励ましてやるか。

 

「少し待ってくれ、上着を着る」

「あっ、ああ。悪い。ゆっくりで良いぜ?」

 

 箒の返答に、俺は歯切れの悪い返事を返す。ちゃんとノックしてよかった。入寮した日みたいな騒ぎは、今の俺には願い下げだ。もう歩けるとはいえ、ケガが完治したわけじゃない。まあ、俺よりも軽症だって言っても。箒にだってそこまでの元気はないだろうけどな。

 

「……待たせた。入っていいぞ」

「邪魔するぜ」

 

 扉を開けて、箒のベッドの方へと歩み寄る。部屋が暗い。電気を点けていないようで、部屋は少し薄暗い。今の今まで寝てたのかな。そんなどうでもいいような事を考えながら部屋に足を踏み入れた俺は、こちらに背を向けてベッドに腰掛ける箒を見つけて、唖然とした。

 

「――――箒?」

 

 箒は、首だけを巡らせてこちらを見る。薄暗い部屋で、カーテンの隙間から入り込んた陽光に照らされるその横顔は、今まで見たどの箒とも違う、弱弱しい姿だった。

 その薄い笑顔は一息で吹き飛んでしまいそうに儚くて、ポニーテールから覗く首は、容易く折れてしまいそうに細く見える。箒はそんな事を考えてぽかんとしている俺を見て、おかしそうにくすくす笑った。

 

「どうした、一夏。私の顔に何か付いているか?」

「いや傷とか絆創膏とかメッチャ付いてるけど……」

「ああ、そう言えばそうだったな」

 

 言って、ふふっとまた小さく笑いを零す箒。それにどうしようもなく違和感を感じて、俺は気にかけるような口調で、その実問い正す様に箒に対して話しかけた。

 

「箒、お前どうした? なんか変なもんでも食ったのか? いつもならそこは『女子の顔に対して何たる言い草だー』とか、そんな風に怒る所だろ、そこ」

「あんな事があってそんな風に言える訳が無いだろう。お前こそ、ケガはもう大丈夫なのか?」

「あ、ああ。お陰様でな」

「……私は何もしていない。むしろ、お前に迷惑をかけてばかりだ」

 

 そう言うと、箒は一度立ち上がってこちらに向き直り、深々と頭を下げて来た。

 

「あの時は済まなかった。私が無知で不用意だったせいで、お前に心配をかけてしまった。幾ら謝っても謝り切れない」

 

 本当は、それについて一言二言言ってやろうと思っていたのに、今何か強い言葉をかければ箒が本当に壊れてしまいそうで、俺もそれ以上何も言う事が出来なかった。

 

「…………いや。お前が無事なら、それでいいよ。鈴だってそう言うはずさ」

 

 俺は、少し何を言えばいいかわからなくなって、箒の無事を喜ぶ無難な言葉を選んだ。言ってやりたかった言葉とはまた違ったけど、それも実際、間違いなく俺の本心だった。

 

「……………………」

「……………………」

 

 医務室を、気まずい沈黙が包む。俺は黙して語らない箒に、言うべき言葉が全然見つからなくて、視線を右往左往させる俺。一方の箒は暗い顔で俯いて、眼前のベッドを見つめたまま動かない。

 

「…………そうだ、一夏」

「……なんだよ」

「あんな事があった直後にこんな話をするのはどうかと思うが……来月の、学年別個人トーナメントは知っているか?」

「ああ、一応な。それがどうした?」

 

 IS学園学年別個人トーナメント。文字通り、一週間かけて行われる学年総出のIS戦トーナメントだ。1年生は全ての生徒が強制的に参加させられる超大規模トーナメント。一週間もの大型日程ではあるが、期間中は常にアリーナで戦闘が行われているほどの過密スケジュールだ。2年生以上は整備課と操縦課に分かれ、操縦課の人間は純粋に操縦技術を対外的にアピール、整備課の人間は操縦課の人間に何人かで付いて、その整備を担当する。

 

 何でもこのトーナメントの為に、IS関連企業のお偉いさんや各国の政治家など、文字通りの雲の上にいるような大物たちもIS学園に足を運ぶらしい。

 

「もし……もしそこで、私が優勝したら……付き合ってくれないか?」

「へっ……?」

 

 俺は箒の言った言葉の意味が一瞬分からず、オウム返しに聞き返す。

 

「つ、つきあうって? えーっと、その」

「そ、そのままの意味だ。何度も言わせるな……」

「お、おう。悪い」

 

 いつもなら語気を強めるだろうところも、どこか遠慮がちに返してくる箒。でもなんだか、言ってる事自体は何時もの箒っぽいな。俺はそれを聞いて、ちょっとだけ安心した。

 

「……………………」

「……………………」

 

 再びの沈黙。俺はまた、医務室にある物に対して視線を巡らせる。箒もまた俯いているが、その顔は先ほどと違って、ほんのりと紅潮していた。

 

 ――――結局、俺は沈黙に耐えきれなくてドアの取っ手に手を掛けた。

 

「…………じゃあ箒。俺、向こうの医務室に戻るわ。あんまり抜け出してると千冬姉にまた怒られちまうし……しっかり休んで、早く戻ってこいよ。Ciao(チャオ)! ……なんてな」

「ふふっ……Ciao(ちゃお)、一夏。またな」

 

 俺も箒も、石動先生の真似をするお互いがおかしくて、揃ってちょっとだけ一緒に笑う。一瞬名残惜しくなったけど、俺は己を強いて扉を閉じて、足早に箒の病室を後にした。

 

 

 少し痛む体で、自分の居た医務室を目指す。その間脳裏に浮かぶのは、先程の申し訳なさそうで、何かを背負い込んだような箒の儚い横顔。

 

 ――――綺麗な顔だと思った。でも俺は、箒にそんな顔はして欲しく無かった。そんな、笑っているように見えて、今にも涙を流して消えてしまいそうな顔は。

 

 俺にブラッドをどうにか出来るだけの力があれば、箒にあんな顔をさせずに済んだのかな。

 

 思い返すと、どうしようもない悔しさが滲む。俺は皆を守りたかった。箒も、千冬姉も、鈴も、セシリアも。山田先生や石動先生、クラスの皆、名前も知らない、学園の皆だってそうだ。

 俺は自分を守るので精一杯だった。鈴が居なければ、俺はあの時に死んでいたかもしれない。

 

 悔しい。誰も守れない自分が。箒をむざむざ傷つけられてしまった自分が。

 

 

 ここに入学して一月半、まだ俺達のIS学園での生活は始まったばかり。

 だが、これから先あんな顔を見せた箒の姿を思い出す度、俺は運命と自分の無力の両方を、心底から呪う事になるだろう。

 その呪いから逃れるには、皆を守れるだけの力を手に入れるしかない。誰も傷つけられない様に、もっともっと強くなるしかないんだ。

 

 そう考えて俺は、決意を新たにするのだった。

 




エボルトの十八番(独自設定)マッチポンプ回でした。
箒には本当に申し訳ない事をしたと思っています。

以後の投稿について活動報告に書かせていただきます。


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再起のファースト

エボルト視点も無い日常回なのに一万字を越えてる……。
本当に申し訳ない(天才科学者)
感想評価、お気に入りいっぱいいただけて嬉しいです。
ほんとありがとうございます。


 クラス対抗戦の次の週明け。

 

 この日の授業も、何とか乗り切った。相変わらずの授業のレベルに何とかついて行っている俺は、今日も机に額を付けて、受けた授業の事を反芻(はんすう)していた。

 最初の頃よりは大分マシになったと思うのだが、どちらにせよキツいものはキツいし。今日なんかひどいもんで終始上の空だった。

 

 なんだか落ち着かない。目を閉じて、その理由を考えてみる。

 

『私が優勝したら……付き合ってくれないか?』

 

 瞼の裏に浮かんだ、俺の幼馴染。あいつが言ったその言葉に、妙に心を乱される俺が居るのだ。

 

 ――付き合って……付き合ってって、なんだよ。何に付き合うんだよ。稽古か? 買い物か? 俺の知らん何かか?

 

 あの時よく分かんないけど妙に恥ずかしくなって箒に何も聞けなかったのを、今だいぶ後悔している。あいつのケガが治って寮に戻ってきた後も、教室ですれ違ってもそうだ。挨拶とか、日常的な軽い会話は出来ても、なんとなく、その事については聞けないで居る。

 

 そういや、今日……箒が帰ってきてからの初めての訓練があるな。

 

 本来なら、今日はセシリアとの戦闘訓練のはずだった。ただ俺の白式は先日の戦闘で盛大に破損して今は手元に無い。常に身に付けていた待機状態の白式、アレがない事もこの落ち着かなさの原因だろうなあ。

 

 セシリアは口惜しそうに、今日の訓練を箒とのそれにする事を提案して来ていた。私から声をかけておくとは言ってくれていたが、俺からも改めて箒に今日の訓練の事をお願いしなきゃだな。

 ……と、思っていたのだが、結局休み時間も昼もそれを言いだせぬままに放課後を迎えてしまっていた。

 

 その事を考えると、何故か腹が重くなる。今は、なんだかアイツの顔を直視出来る気がしない。負い目を感じている、と言う奴なんだろうか。こんな状態で剣道なんかしたら、何言われるか分かんねえ……。

 

「寝てるのか、一夏?」

 

 悶々と自分の世界でのたうっていた時、突然横からかけられた声に俺はバネ仕掛けじみて飛び起きる。そこには当の幼馴染が心配そうに俺を見下ろしていた。

 

「ほっ箒!? 寝てない寝てない! ばっちし目が覚めてるぜ!?」

 

 慌てて弁明する俺。箒との稽古を前にして辛そうにしていたら、それこそぶっ叩かれ――――

 

「あ、ああ。起きてたのか。……大丈夫か? そんなに眠いなら寮に戻った方がいい」

「えっ」

 

 箒の柔らかな対応に、俺は豆鉄砲を食らった鳩のような、唖然とした表情を返す事しか出来なかった。マジか? いや箒、そこはお前『私との稽古を前にして何を弛んでいるのだ!』ってなる所じゃあねえの?

 

 先日医務室で話して以降の箒は、声を荒げる事がめっきり少なくなったと思う。やっぱり、あのアリーナでの出来事が原因なのかな。やっぱその辺も含めて、今日の稽古で聞いてみるしかないか……。

 

「い、いや、ってもこれからお前との訓練だし……今日何やるんだ? 剣道? 筋トレか?」

「ああ、それなんだが実は伝えたい事があってな……。しばらく、お前の訓練に付き合えなくなった」

「へーマジかー……へっ!?」

 

 一瞬上の空で答えた俺は、その意味を噛みしめて再び驚愕した。

 

 あれだけ俺の訓練を見る事に躍起になっていた箒が、参加しない? それだけの事情が出来たって事か? 一体何があったんだよ。申し訳なさそうに言って頭を下げる箒に、俺は今度は困惑した。

 

「どうしたんだよ箒、何かあったのか?」

「ああ、今の私がお前の訓練に付き合うという事に、ちょっと思う所があってな……代わりの者を探して貰えるよう山田先生には頼んでおいたし、今日の訓練はセシリアに代わってもらえないかとさっき頼んでおいたから、そのうちお前の所に来てくれると思うぞ」

「でもいいのかよ、あんだけ稽古にこだわって――」

「おおい、篠ノ之ぉ。そろそろ行こうぜ~」

「あ、はい石動先生!」

 

 意を決して箒に聞いてみようとした瞬間、ぬるりと現れた石動先生の一声が俺の決意を遮る。それに箒は弾かれたように反応して、そちらに向き直ってしまった。

 

「よっ一夏ぁ、悪いが篠ノ之は借りてくぜ」

「あっ、はい……」

 

 体を傾けて俺の前に顔を出してくる石動先生はいつも通りの陽気な笑顔。そりゃそうだ。石動先生にとっては、俺達はあくまで生徒だ。例えそれぞれの関係を知識として知ってはいても、それを実感するほどに長い付き合いじゃあない。立ち上がった箒は俺に小さく頭を下げると、すまなそうに声をかけて来た。

 

「一夏。済まないが用事があるなら後で剣道場に来てくれ。石動先生とそこに居る」

「あ、ああ……じゃあな」

「自分の特訓も頑張れよな一夏ぁ~。Ciao(チャオ)!」

 

 並んで歩いてゆく二人はまるで、女尊男卑の世になってめっきり見なくなった父娘のようだ。俺はその後姿にかける言葉が見つからず、ただ二人の背中を見送る事しかできなかった。

 

 

 

 

 

 

「一夏さん! 今日のこの結果はどういう事ですの!?」

 

 正面でセシリアが叫ぶ声は人のまばらな図書室に響き、ついでにキンキンと俺の耳に長く残った。

 

 放課後になって、箒に代わってセシリアが俺に訓練を付けてくれた(と言っても、急な事だったので今日の授業の簡単なおさらい程度だ)のだが、日中半ば上の空だった俺はセシリアの出す問題に殆ど答える事が出来ず、余りにも不甲斐ない結果を叩き出してしまったのだ。

 

 我ながらなっさけねえ。そんな風に思いながら、セシリアの説教に真摯に耳を傾ける。このくらいの精神状態の方が普段より人の言うことを受け止められるような気がする。気がするだけなのかもしれないが、そう考えでもしないと、自分が情けなくてやっていけそうにもないのも事実だった。

 

「まーまー。アンタも一夏が前の戦いのダメージ引きずってんのは分かってるでしょー? そんなカッカするもんじゃないわよ」

 

 ねえ一夏? と言うのは、俺の左隣に座った鈴だ。鈴の奴ったら、先日の襲撃事件で俺や箒が医務室送りになったのとは裏腹にあっさりと復帰して、その後もいつも通りに振る舞っている。一度何でそんな頑丈なんだよと聞いてみたら、『鍛えてますから!』と無い胸張って偉そうに言っていたが、同時にそれが真理なんだろうとも思った。

 

 何せ、この間まで一般中学生だった俺と違って、鈴は軍隊で鍛え上げられた国家代表候補生だ。文字通り鍛え方が違う。そのフィジカル面とメンタル面の強さは今の俺には間違いなく足りないものだ。

 

 それを俺はガッツリ思い知らされて、その後鈴にフィジカルトレーニングについて指南してくれないかと打診してみた。鈴の奴は二つ返事でOKしてくれて、『じゃあビシバシ行くからね! 覚悟しなさいよ!』と随分張り切っていたのを覚えている。それにセシリアはちょっと嫌そうな顔をしたが、箒はあっさり了承してくれた。おかげでそれからは、こうして訓練にもちょくちょく顔を出してくれている。

 

 しかし、俺には心や体の強さよりも、どうしようもなくIS乗りとしての技量が伴っていないように思えてならない。心技体、どれも欠けているのは分かってるが、その中でも技が飛びぬけて足りない気がする。

 

 俺の前にいるセシリアや鈴も、稼働時間三百時間を超えるエリート中のエリート。そんな奴らに追いつくというのは正直傲慢だとわかってはいるのだけど、あの日、爆炎に包まれて見えなくなった箒の姿がどうしても頭から離れないのだ。

 

 早く白式戻ってこねえかなあ。戦闘訓練は正直な所滅茶苦茶キツイのだが、今はそうも言ってられない。代表候補生である鈴と二人がかりでも歯が立たない、そんな相手と実際に戦う事になって、箒や石動先生にケガまでさせてしまった。

 

 強くなりたい。その思いが日に日に強くなってゆく。

 

 そんな風に思い詰めていると、セシリアが呆れたように俺の顔を見つめていた。やべえ、途中から全然話聞いて無かった。完璧に上の空って奴じゃあねえかよ俺。謝ろうと顔を取り繕うが、当のセシリアはそれより先に溜息をついて、一つの提案を俺にしてきた。

 

「……仕方ありませんわね。今日はこれくらいにして、箒さんの様子でも見に行きましょうか」

「へっ、箒の?」

「箒ちゃん? なんで?」

 

 俺と鈴が拍子抜けしたような顔で聞く。セシリアはその様子に、頭が痛くなったように手を額にやった。

 

「何でも、剣道場で石動先生を相手に修練に打ち込んでいると聞きまして。折角ですし、その様子を見て貴方にも少し気合を入れて頂こうと思ったのですわ」

 

 

 

 

 

 

「剣道場かあ。私は行くの初めてね~」

「剣道部の方々が使ってる場所と、何かあった時のために空けてある場所がありまして、箒さんは石動先生を相手にそこを借りて訓練していると聞きましたわ」

「あいつ、自分の稽古に力を入れたかったんだな」

 

 それも当然か、と俺は思った。専用機を持っているわけでもない、代表候補生でも無い。そんな箒が強くなるには、まず自分自身が強くなって、どうにか専用機を手に入れる所から始めるのがベターなんだろう。

 

 俺と同じように、箒も苦しんでたんだな。

 

 その事実を思い知ると、うじうじと悩んでいた俺が途端にアホらしく思えてくる。俺も一緒に稽古させてもらえねえかな。そんな事を思っていると、剣道場の扉が目の前に見えてくる。中からは踏み込みが床を鳴らす音と、振るわれる竹刀の音が断続的に聞こえて来た。

 

「随分派手にやってるみたいだな」

「剣道部に見学の話は通してありますので、早く行きますわよ」

「どんな事してるのかな? ちょーっと気になるわね~」

 

 そう和気藹々と話しながら、揃って扉をくぐる。見ると、剣道部の生徒達はどこか神妙な顔をして、激しい音が聞こえる道場の一角を見つめていた。箒と石動先生はそっちか。そう思った俺たちも、そちらに目を向けた。

 

 

 ――そこで行われていたのは、剣道とはとても言い難い戦いだった。

 

 

 箒が駆けこみ、大上段に構えた竹刀を勢いよく振り下ろす。それを石動先生は躊躇なく左手で掴み取り、空いた胸に鋭い突きを打ち入れた。その威力に箒はよろめくが、石動先生が手放した竹刀を鋭く振るって追撃をけん制し、間髪入れず再度の突撃を敢行した。

 

 対して石動先生は半身になって右手に持った竹刀で攻撃を防ぎ、時折前後にステップを踏みながら箒の攻撃を逸らして行く。本来片手のみの握力であんな激しい攻撃を防げば、すぐさま竹刀を弾き飛ばされるのがオチだ。しかし石動先生は箒の攻撃をその速度からは想像できない程に柔らかく防いで、力をうまく殺しているように見えた。

 

「ダメだダメだ! 自分の強みを生かせてねえ! そんなんじゃ、あのISは愚か、一夏とだって渡り合えねえぞ! もっと貪欲に来い!」

「くっ……!」

 

 箒が駆けるように踏みこんで剣を振るえば、速度が乗る前に石動先生がその軌道に自身の竹刀を刺し入れて防ぎ、返す刀で箒の肩を打つ。面や胴を狙う様子もない。あんなのは剣道の技じゃあない。だが二人が止まる様子は無く、再び激しい斬り合いを始めてゆく。

 

 あれは剣道の形を取っているだけの実戦稽古だ。その鬼気迫る勢いは、面越しの箒の表情からも容易に見て取れた。しかし、対する石動先生はその技を丁寧に捌いて生まれた隙を突き、一転して攻勢に移れば剣道のセオリーにはない様々な角度からの攻撃で箒を打ち負かして行った。

 

 よく見れば石動先生は巧みに箒との間合いを調節して時にその攻撃の勢いを削ぎ、回避し、また時には攻撃に緩急をつけて箒の防御を潜り抜けて着実にダメージを与えている。凄まじい技量だ。全国で優勝した箒の剣に喰らいつく所か圧倒しているようにすら見える。しかし箒もさる者、僅かに距離が出来た瞬間に短く呼吸を整えた。

 

「ハアッ!」

 

 箒が飛び込み面を仕掛けた。相変わらずそのキレと伸びは半端なものじゃない。しかしそれを防ごうと石動先生の腕が動いた瞬間、一瞬で剣の軌道は胴を狙ったものに変化、掲げられた竹刀をすり抜けて右脇腹を打ち抜こうとする。だが石動先生はそれを読み切っていたかのように後ろに飛び退き、振り切られた箒の腕を痛烈に打って見せた。

 

「うっそ。今の決まらないの?」

「……今のは、一夏さんが私と戦った時最後に見せた技では?」

「俺のはパクリだよ。箒の技にはちっとも届かねえ」

 

 腕を打たれた痛みに竹刀を取り落とす箒。それを拾おうとしゃがみこめば、その姿に向けて石動先生の強烈な叱咤が浴びせられた。

 

「どんだけその技が好きなんだよ! 空を飛ぶISでの戦いでは、地上だけで戦う剣道よりも多彩な状況が発生する! それに一撃で勝負が決まるわけじゃあない! 必殺の技もいいかもしれんが、それよりも多様なやり方を身に付けることを考えろ!」

「ッ…………はい!」

 

 竹刀を拾い、再び構える箒。それを見て満足そうに構えた石動先生。だが、そこで一度時計をチラと見て、先ほどの様な厳しいそれでは無く普段の気安さが混じった声で箒に声を掛けた。

 

「そろそろ休憩はどうだぁ、篠ノ之。それともまだやるかー?」

「……まだ、いけます…………続けてください、先生!」

「やっぱり全国優勝者ってのは想像以上にいけるな……! 気合入れていけよ……篠ノ之ォ!」

「はいッ!」

 

 再び剣を交わし始める二人は、周囲の事などまるで目に入っていないようだった。その姿を見ていると、爪が食いこむほどに握った手に力が籠っている事に気が付く。

 

 ――俺は、一体何をしているんだ。こんな所で油を売ってる場合か? そんな、やり場のないもどかしさとどうしようもない怒りが体の中で渦巻いた。

 

「二人とも、行こうぜ」

「へっ?」

「一夏さん?」

「トレーニングだよ。こんな所で油を売ってる場合じゃねえ」

 

 今は、兎に角体を動かしたかった。こんな所で突っ立っている時間が只管に無駄に感じられた。溜りに溜まったフラストレーションに火がついたのが自分でもわかる。

 

 ありがとよ、箒。それとセシリア、お陰でケツに火がついたぜ。

 

 そう思いながら俺は剣道場を立ち去った。後ろから二人がそんな俺を慌てて追いかけてくる。

 

「ちょっと一夏さん! どうしたんですの!?」

「一夏! ほんっと、どうしたのよ突然!」

「鈴」

「んえ?」

 

 俺は肩で息をする鈴に向き直って、その眼を真っ直ぐに見据えて言った。

 

「これからランニングでもしたいんだけどさ、悪いけど付き合ってくんねえか?」

「付きっ……!?」

 

 鈴が突然真っ赤になってわたわたと慌て始める。お前、そんなにランニング好きだったのか? いや、もしかしてそう言う訓練に対してポジティブな所が国家代表候補者に上り詰めた要因かも……。そんな風に神妙に考えていると、俺は一つの問題に突き当たった。

 

「あっやべ、この時間からグラウンド空いてっかな……」

「り、陸上部の子はいるだろうけど、そんなに狭っ苦しいグラウンドじゃないから大丈夫よ! 早く行こ一夏!」

「おわっ、おい何だよ鈴、押すなって!」

「二人とも何をやっていますの!」

 

 赤くなった顔のまま俺の背中を押す鈴に抵抗できずに、どんどんと追いやられて行く俺。その間にセシリアが割って入って、俺たちを引き離した。

 

「私も行きますわ! 実際、基礎体力に関しては他の代表候補生よりもほんの少し劣っているのでは常々思っていた所! 私もこの機会に是非訓練させていただきますわ!」

「ちょっと! あなたの担当は勉強とIS戦の部分でしょ! フィジカルトレーニングは私の担当じゃない!?」

 

 そんな風に声を荒げながら、二人が廊下の真ん中で取っ組み合う。代表候補生のプライドをのぞかせてバチバチと言い合う二人の姿が、どこか今の俺には微笑ましいものに見える。さっきまであんなに追いつめられてたのが、何かバカらしくなってきた。

 

「よし、じゃあ二人ともグラウンドまで競争しようぜ! 一番遅い奴はジュースおごりな!」

 

 そう言って真っ先に走り出す俺に二人は一瞬ぽかんとして、それから慌てて俺の後を追って走り出した。その慌てっぷりが俺は楽しくて楽しくて、思わず歯を覗かせて大声で笑う。

 

 いい友達を持ったな。そう思うと、俺の中で煮えたぎっていたものが、どこか清々しく澄んでいくのが感じられた。

 

 そして俺達はグラウンドに向けて走り、一つ目の角を曲がった直後千冬姉に遭遇して仲良く出席簿を食らって、頭をさすりながら歩いてグラウンドに向かうのだった。

 

 

 

 

 

 

 IS学園、整備課の人間すら滅多に立ち寄らぬ、IS保管庫の奥の奥。織斑一夏の専用機である白式が倉持(くらもち)技研に送られる前に一旦保管されている部屋。そこに織斑千冬は無造作に身を滑り込ませた。部屋には明かりも点けられておらず、中心の安置された白式の装甲がうっすらと浮かび上がるように見えるだけだ。しかし織斑千冬はその横で椅子をくるくると回して時間を潰す、自身をここに呼びだした張本人の影を見咎めて、それをキッと睨みつけた。

 

「こんな所に呼び出して一体何の用だ」

「やっほーちーちゃんおひさ~。元気だった?」

「何の用かと聞いている」

 

 場違いに明るい声で聞いてくる彼女に、織斑千冬はより語気を冷たくした。その様子に彼女は一瞬ムッとした表情を浮かべる。だが、すぐに気を取り直したようにざっくばらんな敬礼をして、満面の笑顔を浮かべて織斑千冬に向き直った。

 

「篠ノ之束博士、はるばる白式を受け取りに参りました!」

 

 篠ノ之束(しのののたばね)。ISの開発者にして、今の女尊男卑の世界を生み出してしまった元凶中の元凶、人呼んで<天災>科学者。その身柄は世界中の権力者が血眼になって追い、それでも一切その尻尾を掴めずにいる。そんな女が、人知れずIS学園の敷地で織斑千冬(元世界最強)と面会を果たしていた。

 

「いや~、倉持通すとさあ、修理だけじゃなくて、また前みたいに解析だの余計な事して無駄に時間かかったりしそうでしょ? あいつらに私のプロテクト抜けるわけないのにね。んまぁでも時間かかるのはやだから~束さんが直接取りに来ようと思ってさ~」

「……本当にそれだけか?」

 

 まるでおとぎ話にでも出てくるようなメルヘンチックな服装をして、頭のカチューシャに取りつけられた兎の耳を揺らしながらも答える篠ノ之束に、織斑千冬は懐疑的な視線を向ける。彼女らの付き合いは長い。その中で、織斑千冬は目の前の天災が見た目より遥かに一筋縄で行く存在でないことを重々以上に承知していた。

 

「そ。修理だよ。あとついでに、雪片弐型をちょっと改良しようと思って」

「改良だと? あの武器にあれ以上の攻撃力は必要ないだろう」

「それは強化って言うんだよちーちゃん。相変わらず頭かったいなあいだだだだ! ごめんやめて痛い痛い痛い!!」

 

 軽口を叩く束にいつの間にか距離を詰めてその頭部を鷲掴みにして握りつぶさんばかりの力を込める千冬。それに悲鳴を上げる束だったが、その顔には久方ぶりに親友と顔を合わせた歓喜がどこかにじみ出ているようだった。それを見た千冬は頭にやっていた手を離すと、鼻を鳴らして話の続きを促した。

 

「フン……それで、改良とはどうするのだ?」

「う~……やっぱり飛び道具が何にも無いのはまずいかなー、なんてちょっと思ってさ。今作ってる新型ISの武器の機能を付け足してみよっかな、って」

「もう拡張領域(バススロット)に空きは無いはずだろう?」

「新しいものを入れるほどの隙間はね。でも改良ならできる。束さんが何とかして見せる」

 

 先程までのおちゃらけた顔とは一転して真剣な表情を見せる親友にどこか面食らったような顔を一瞬した千冬は、すぐさまその顔を厳格なそれに戻して、怪訝な目でその真意を問いかけた。

 

「……なぜそこまでして白式の強化にこだわる?」

 

 千冬に聞かれると、束は肩を竦める。

 

「今はなんだか世界中が物騒だもん。束さんのISで箒ちゃんに銃を向けてくれたクソ野郎だって、まだ見つかって無いし。それにこれからも――」

「――待て、束。クラス対抗戦にISを送り込んで来たのは、やはりお前なんだな?」

 

 世界中のIS操縦者を怖気づかせた織斑千冬(ブリュンヒルデ)の威圧。それを受けても、篠ノ之束(天災)は気づいていないかのように振る舞い、先程まで腰掛けていた椅子に再び座り込んだ。

 

「そだよー。いっくんのかっこいいとこ、皆にアッピールしようと思ったんだけどね? 余計な邪魔が入ってさあ」

 

 頭の後ろで腕を組んでつまらなそうな顔をして束は言う。まるで自身の正しさを疑わないその物言いに、思わず千冬は彼女の胸倉に掴みかかった。

 

「ふざけるな! 貴様のせいでどれだけの被害が出たと思っている? 第二アリーナは大破で今も修理中、何より生徒や教員にも怪我人が出た! 何を考えてるんだ貴様は!?」

「束さんだって箒ちゃんにケガさせるつもりなんてなかったよ!」

 

 その手を振り払いながら、心外とでも言うように声を上げる束。それに千冬は逆に呆気に取られて、僅かな間言葉を失ってしまう。束はそんな千冬を横目に、溜息をつきながらその心情を漏らし始めた。

 

「あのさあ、束さんが箒ちゃんを傷つけるわけないじゃん。それに、今回は束さんだってちょっとは反省してるんだ。まさか束さんのかわいいゴーレムを乗っ取って、あまつさえ完璧に操作してくる奴が居るなんて」

「……何?」

 

 当時強烈なジャミングを受けていたせいで、管制室に居た千冬もその眼で襲撃の全貌を見ていたわけでは無かった。しかし聴取である程度の話は聞いている。その地点で襲撃の犯人を束だとある程度考えていた千冬だったが、束が今し方発した『ISを乗っ取られた』と言う発言には耳を疑った。しかしそれにも気づいていないように束は続ける。

 

「あの最中だって、何度もカウンターしようとしたんだよ? でもダメだった。ISとは通信途絶。コアだって束さんの言う事完全無視だし、逆探知しようとしてもあの機体がどこから操作されてるかも追えなかった。ここまでコケにされたのは初めてだよ」

「つまり、お前はまだその下手人(げしゅにん)を見つけられていないのか? お前相手にそんな事が出来る奴が、世界のどこかで野放しになっていると?」

「本当にムカつくけど、認めざるを得ないね」

 

 思っていたよりも事態は深刻だと、千冬はその認識を大きく改めた。確かにそんな話を一夏や鈴から聞いてはいたが、『束相手にそんな事が出来る者が居るとは思えない』と、その話を信じ切ってはいなかったのだ。当事者である束本人から事実を聞かされて事の重大さを認識するに至った千冬は、内心渋々ではあるが、白式を束に一旦託す事に決めるのだった。

 

「……分かった。強化でも改良でもいいが、手早く済ませてくれ。授業にも支障が出るからな」

「だいじょーぶ! 一週間以内には送り返すよ! それとちーちゃん頭が固いって言ったのまだ気にして……わっ、アイアンクローは勘弁! 束さんもうこりごりだよ~!」

「…………もう言う事は無いな? 終わったなら、白式を持ってさっさと出て行け。お前がここに居るという事自体が知られていい事ではない……じゃ、私は帰るぞ」

「ちょーっとまった!」

 

 話を終え、踵を返そうとした千冬を束は呼び留めた。それに対して、千冬はあからさまに嫌そうな顔をして言う。

 

「何だ? まだ何かあるのか?」

「そう言えば、もう一つ聞いてみようと思ってた事があってさあ~」

「早くしろ。私はお前ほど暇じゃあない」

 

 呆れたように話を促す千冬に、束は核心を突くような口調で言った。

 

「……石動惣一。アイツ、おかしいよね」

「……何?」

「だってさ、アイツの個人情報、幾ら調べたってなーんにも出てこないんだもん! この束さんが調べたのにだよ? だからおかしい。少なくともこの日本で生まれた人間じゃないはずだよ、アイツは」

 

 そう解り切った事であるように話す束に、千冬は睨みつけるように言う。

 

「一人の人間が無から湧いてきたとでも言うのか?」

「それもありえるってのはちーちゃんだって知ってるよね?」

 

 言われて千冬の脳裏に、嘗てドイツで相手にしていた銀髪の少女たちの姿が思い起こされた。半ば生体兵器として世に生み出される試験管ベビー。戦うために生まれた人造人間達。それを考えた千冬は一瞬胃の腑が煮えくり返るような感情に襲われるものの、すぐさま怜悧な理性でそれを抑え込んで、束の顔を見定めた。

 

「どこかの国の遺伝子実験体か何か、とでも言いたいのか?」

「束さんも最初はそう思ったんだけどさあ。あいつの遺伝子、どっこも変わった所が無いんだよね~。血を調べても普通の日本人、どこにでもいるオッサン! あ、データは健康診断のを貸してもらったよ。この学園のセキュリティも強化した方が……それはいっか」

 

 千冬の問いに、曖昧な答えを返す束。その後、途中で話を脱線させかけた彼女はよっ、と椅子から飛び降りてから距離を詰め、千冬の目の前に立つ。

 

「そんでさ、ちーちゃんから見てアイツ、おかしい所は無い?」

 

 言って、束は小首を傾げる。その姿に、千冬は石動惣一に感じていた違和感を、自身の記憶から一つ一つ掘り起こしていった。

 

「……変だとは思っていた。いや、今も思っている」

 

 今までの奴の行動に怪しい所があったかと言えば、ほとんど無いと言うのが実際の所だろう。だが実際の所それはゼロではなく、未だに千冬の中にある大きな違和感が幾つかあった。それを千冬は、思考を整理するようにゆっくり口にし始める。

 

「奴はここに来た時……自分にはISの適性がある、と主張していた。だがそれはどこで知った? 一夏の様にISに触れる機会は奴には無かったはずだ」

「ふんふん」

「それに一夏との模擬戦の映像も見たが……公表されている稼働時間に比べて、戦闘と言うものに手慣れすぎている。あれだけの技術は、一朝一夕で習得できるものじゃあない」

「ふぅん。やっぱちーちゃんから見てもおかしいんだ」

 

 どこか納得したような束は千冬から距離を取って、顎に手をやり何事かを思案し始める。しばらくその姿勢で固まっていたが、千冬の存在を思い出したように顔を上げると、束は急ぎ足で再び千冬に詰め寄った。

 

「兎に角さ、石動惣一からは目を離さないようにしてよ。アイツ、絶対なにか企んでると思うから」

「……………………」

 

 難しい顔をした千冬に、だが自身の言葉が伝わったのを確信した束は、白式に駆け寄るとその装甲に触れる。すると展開されたままだった白式は待機形態に移行、ガントレットとして束の腕の中に収まった。束はそれを大事そうに抱え持つ。

 

「今日のところはそれくらいかなー。じゃ、束さんは一旦帰るよ! 白式はすぐに送るからね! あ、あといっくんによろしく!」

 

 それだけ言うと、まるでかき消えるようにその場を後にする束。その姿に千冬は『まるで魔法みたいだな』なんて場違いな感想を抱いてから部屋を去る。そして廊下を歩み始めて、束が最後に言っていた事に思考を巡らせた。

 

 

 石動惣一。

 

 

 突如現れ、無理矢理に自身をIS学園に置かせる事に成功した、あまりにも胡散臭い男。しかしながら、教師としての姿勢は悪いものでは無く、時折気を抜くものの生徒に親身に接し、畏れられがちな自分や、侮られがちな真耶と生徒の関係をより良好にする潤滑剤のような役割を果たしている。

 教員たちとの関係も悪く無く、自分や真耶の監視下ではあるが快活にコミュニケーションをこなし、彼を中心とした会話の輪が出来る事も多々あった。そんな彼には千冬も内心、同僚としてだがそれなりに好感をもっている。

 

 だが、そんな人柄とは裏腹に彼自身はとにかく怪しいのだ。どこで生まれ、どこから来た? カフェを経営していたというがそれは事実なのか? 家族は? 自身のIS適性をどこで知った? あの国家代表クラスに迫るほどの戦闘技術をどこで身に付けた? 束のISを乗っ取った者と何らかの関係があったりするのか?

 

 考えれば考えるほど、多くの疑念が湧いてくる。だが、彼はあの事件の間も生徒の避難に尽力し、あまつさえ、箒を窮地から救い出しても居る。しかし、箒を溺愛するはずの束が妹の命の恩人だと言うのに警戒を露わにするのだ。

 

 私も、気を抜かんようにせねばならんか。

 

 考えを新たにすると、千冬は廊下を行く足を速めた。生徒達や一夏に、以降危害が及ぶようなことはあってはならない。束の言う通り、今の世界は一見穏やかに見えて、所々で危険の影が見え隠れしている。

 

 世界中の国々による権力闘争、女尊男卑によるIS操縦者たちの増長。世界の裏側で暗躍し、かつて一夏にまでその魔手を伸ばした亡国機業(ファントム・タスク)

 

 ――――そして束のISを奪い取った謎の下手人。

 

 それらに対する警戒を一層強いものとして、千冬はIS学園に身を置く自身が一体どこまでそれに対応できるかを考えながら、自室へと向かう足を更に速めるのだった。

 

 




のんびりしてる間にエボルトが人間の感情を手に入れました。
彼あの調子で今まで感情無かったとか嘘でしょ……
ウルっと来たとか申し訳ないと思ってたとか、アレも全部嘘だったのか!?
でもそう言う所がすき……!


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二人のニューフェイス

ようやく登場させられた転校生だけど、そこだけで一話使ってしまうハメに。
でも友人に「好きなように書いて、好きなように投稿する。それが、二次創作のやり方だったな……」とか言われたので吹っ切れて10話投稿です。
お気に入り感想、評価に誤字報告、どれもありがとうございます。


 先月のクラス対抗戦が中止されてから二週間近くが経った。

 

 IS学園の生徒達は、既に迫りつつある学年別個人トーナメントへと目標を移し、それに向けた訓練や戦術学習で学園全体が慌ただしくなり始めていた。

 

 この学園中を震撼させたあの事件を忘れさせるにはあまりに短い期間だと言わざるを得ないが、不自然に皆あの事件の事は話さなくなり、自然とその印象は薄れ始めている。

 どうやら誰かが火消しを行っているのは間違いなさそうだ。噂に聞く生徒会か?

 

 あの事件では、当時アリーナに居た者全員――――特に実際に戦闘に参加した一夏、(ファン)、オルコットには誓約書まで使った箝口令(かんこうれい)が敷かれたとの話も教員として俺は耳にしている。って言うか、俺にも敷かれた。アリーナに居た教師陣は皆書いてるんじゃないかね、あの嫌~な誓約書。

 

 ま、そりゃそうだろうなあ。現行技術ではありえない無人のISが襲撃してきて、しかも存在しないはずの468個目のコア、それを何者かに奪われてんだから。

 

 この俺(張本人)がそんな事言うのは正直自分でも変だと思うが、まあ事実だから仕方ない。お陰様で俺も自分のISを手に入れたがしかし、あのボトルはトランスチームシステムに合わせるために現在調整中だ。学年別トーナメントには間に合わせたいと思っているが下手に使うとIS反応が出て所在がばれちまうので、使うときはまたぶっつけ本番になりそうだ。ちょっと不安になるぜ。

 

 それとは別に10本目のフルボトルを制作した俺は、並行してこのIS学園での教師生活を満喫させてもらっている。地道な積み重ねの結果、生徒達の人となりも何となく理解できてきたし、最近は織斑千冬にも殆ど叩かれなくなってきた。

 

 あのクラス対抗戦も俺としては大成功に終わったしな。俺は我がクラスの有望な生徒達に強くなる動機を与える事に成功、特に篠ノ之箒には強い影響力を持つ事が出来たし、篠ノ之束の情報を不明ISから手に入れ、更にISコアそのものまで手中に収めた。アドリブがうまく行き過ぎてちょっと怪訝な顔になったりもしたが、更に嬉しい誤算が一つあった。

 

 逃げ遅れた篠ノ之箒を身を挺して助けた事が他の教師陣の琴線に触れたらしく、発信機こそ携帯させられて居るものの、遂に単独での自由行動が解禁される事になったのだ。織斑千冬の奴はそれにどうも納得が行かないようだったが、実際に生徒を命がけで救われた(真実は俺以外知らんのでそう言う事でいい)とあっちゃ強くも出れない。

 

 もちろん全面的と言う訳ではなく、ある程度の条件付きではあるし、立ち入り禁止の区域も設定されている。だが、それでも自由はいい。そうして手に入れた自由で俺は、今日も朝来る生徒達に挨拶して回っていた。

 

「石動先生、おはようございます」

Bonjour(ボンジュール)鷹月(たかつき)! お前髪切ったか?」

「石動先生毎朝それ聞いてきますよね、嫌われますよ?」

「そう邪険にするなよ~。今度新作のドイツ語ジョークを聞かせてやるからさあ」

「忘れないでくださいねー」

 

「よう(かがみ)! ま~た走ってきたのかぁ? 今日も精が出るな!」

「おっはー石動せんせー! 今タイム計ってるからまたね!」

「ほー、タイムをねえ……っておい! 校舎内でまで走るんじゃねえ! 織斑先生に修正されっぞ!? ったく……」

 

「ボンジュ……あっテメェ(まゆずみ)! 誰のコーヒーが学園一不味いってぇ!? 泣くぞホントに! そこに直れってあっ逃げんな待ちやがれ!」

 

 学園やクラスの生徒とのコミュニケーションをひとしきり楽しんでいると、改めて人間の持つ多様性という奴には感嘆させられる。これほどの人数が一所(ひとところ)に集まる集団生活と言うのはビルドの世界では到底経験しえなかった事だ。大規模なコミュニティとなれば、それだけ面白い奴も増えてくるしな。

 感情豊かな人間達、大人の人間も面白いが未だに精神の不安定な少年少女というのは見ていて飽きが来ない。俺の言う事に一喜一憂する所なんか、パンドラボックスの光を浴びて思考の歪んだ人間達に通じる所がある。

 

 ――――そう言えば、今日から転校生が来るんだったな。……いったいどんな奴なんだか。SHR前に顔合わせさせてもらう話になってたし、そろそろ行くとするかね……面白い奴だといいな、楽しみだぜ。

 

 やたらと逃げ足の早いパパラッチ娘()を取り逃がした俺はその場で座り込んで息を整える。流石に朝っぱらから全力疾走はこの体自体にはちときついか……。訓練の時とかは俺の力で身体能力を最大限引き出してはいるが、あんまり酷使しすぎてガタが来られても困るからな……。

 ぜえぜえと肩で息をしながら黛を心中でいつか痛い目見せてやると決意を新たにすると、しばらくして俺は織斑千冬に指定された応接室へと向かって歩き出した。

 

 

 

 

 

 

「そんじゃあまず、名前と国、ついでに年齢から教えてくれっかな」

 

 軽い自己紹介を終えた俺は椅子に腰掛け、向かい側に並んで座る二人に話しかけた。この二人が、聞かされていた件の転校生だ。自由行動を取れる様になったのはあり難いが、逆にこういった雑事を押し付けられるようになってしまったと言うのが中々につらい。

 何で俺が……とも思うのだが、織斑千冬は今日の授業の調整に忙しく、山田ちゃんもその授業でISを操縦するという事で最終確認をしていたらしい。

 

 ま、俺あくまで副担任補佐って下っ端だしなあ。ただコミュニケーション能力は織斑千冬にさえ評価はされている気がする。今回は押しつけられたと見るべきか、適材適所と言うべきか……。物は考えようだな。

 

 そんな風に上の空で居ると、二人のうちの一人がスッと立ち上がり、実に洗練された礼をして自己紹介をし始めた。

 

「シャルル・デュノア、15歳です。フランスから来ました。日本に来るのは初めてで、知らない事も多いのですが……何卒よろしくお願いします、石動先生」

「ああ、デュノア。有意義な学園生活を送れるよう、俺達もサポートさせてもらう。特にお前は『三人目』だからな。俺に出来る事は多いと思うぜ。なんでも相談してくれよな~……15歳ってことは誕生日はまだだな?」

「ええ、まだですね」

「ちょっと待て……誕生日何月か当てて見せるぜ……10月だ! どうだ?」

「近いです、僕は9月生まれですよ」

Pas loin(惜しい)! 9月かぁ。9月のフランスってのはどうなんだ? 季節とか」

「丁度夏が終わったあたりですね。でもフランスの夏は短くて、残暑も殆どありません。まだ体験はしてないから知識だけの話になっちゃうんですけど、9月のトーキョーより過ごしやすいと思いますよ」

「マジか。俺も夏休みはフランスで涼ませてもらうとするかね……本当に行く事になった時はまた、フランス名物について教えてくれよ。特にワインについて下校時刻まで語り明かそうか」

「ふふっ、確かにフランスでは16からお酒買えますけど、まだまだワインはダメなんですよ、先生」

「はっはっは、フランスじゃワインみたいな強い酒は18からだったよな。ド忘れしてたぜ、許してくれ」

 

 ひとしきりからからと笑ってから再び椅子にかけるよう促して、改めて目前の人物を見る。中性的な顔立ちに美しい金髪を後ろでまとめ、貴公子然とした眩しい微笑み。正に王子様とかプリンスとか、そういう形容がしっくりくる。

 

 ――――だが、こいつ女だよな?

 

 俺は訝しんだ。確かに一見男に見えるのだが、所作の節々に女性らしさが垣間見える。しかし書類上は男性だ。どうなってやがる?

 エボルトとしての感覚と地球人としての経験が疑問を呈し、それを解消しようと本人に聞いてみるかと思ったが、脳裏に『これ滅茶苦茶デリケートな事情があったりするんじゃねえか?』と言う実に教師的な思いが過ぎり、止める事にした。ま、いきなり突っ込んだ事情に触れて警戒される事もない。触らぬ神に何とやらだ。

 

 とりあえず、男性としてデュノアは扱おう。そう心に決めた俺は、再びその貴公子然とした美貌に目をやる。こいつぁ、今日のSHRは騒がしくなるぜ……。

 

「あの、僕の顔に何か?」

「いや。SHRの時、耳栓とかあったら付けとくといいぞ。先達からのアドバイスだ」

「……? えっと、あ、はい」

 

 愛想笑いをするデュノアに釣られて少し引き釣った笑みを浮かべた俺は、未だ黙りこくったままのもう一人を視界の中心に捉えた。

 

「…………」

 

 不愛想と言うか、俺に対して何の関心も持っていない仏頂面。流れるような銀髪を長く伸ばしているが、その雑然さはファッションと言うより、ただ伸びるに任せていると言う印象を受ける。鋭く細められた赤い右目は俺など映しておらず、何が考え事に耽っているようだ。何よりも目を引くのがその左目の眼帯。医療用ではなく、軍隊のそれだろう。体格自体は小柄ではあるが、その威圧感が見る物にそう思わせない。正に頑なな軍人と言った雰囲気だ。

 

「おーい。お前の番だぞ~聞いてっか~?」

「…………」

 

 問いかける俺にも反応を見せない。しかし、その眼は俺を一瞥してまた机へと向けられた。あ、こいつ気づいてないんじゃ無くて意図的に無視してやがるな? なんて奴だ! お前ここに何しに来たんだよ!

 

「お~い」

「…………」

「反応しろ~」

「…………」

「言う事を聞きなさ~い」

「…………」

「聞こえねぇのか~?」

 

 これだけ話しかけても、奴は一切の反応を示さない。隣のデュノアが居心地悪そうにちらちらと隣を見ている。だがそんな視線にも動じず、奴は沈黙を貫くばかりだ。

 

 あ、やべ。ウルッと来そう。だがそれ以上にカチンと来たぜ。俺は怒りとほんのちょっとの悪戯心を発揮して、そいつの事を揶揄するように言った。

 

「…………左目だけじゃ無く、耳も塞がっちまってるのか?」

「極東の猿に名乗る名前など無い」

「うげっ」

 

 俺がちょっと煽ってみれば、そいつは怜悧な表情そのままに鋭い言葉の刃を突き刺してきた。そう言うタイプか。猿呼ばわりは久々だ。ちょっとウルっと来る。

 こう言うコミュニケーションそのものを拒否してくるタイプはどうすればいいかと言うのは中々に難しい。俺と会話することのメリットとデメリットをハッキリさせる事が出来ればいいんだが、俺はこいつの素性も知らんし、しかも俺の事なんかその辺に転がってる石ころ程度にしか見ていないと来ていやがる。

 

 どうしたもんかなあ……そんな風に途方に暮れていると、ノックも無くドアが開いて織斑千冬が入室してきた。すると目の前の軍人殿は今までの無関心さが嘘のようにバッと立ち上がってビシッと瑕疵(かし)一つ無い敬礼をして見せた。……お知り合い?

 

 しかし織斑千冬はそんな俺の視線をスルーして(この女に限って気付いていないと言う事は無い)、その完璧な敬礼を呆れたように見詰めるだけだ。

 

「そろそろ時間だ。教室へ行くぞ」

 

 言って踵を返す織斑千冬の後ろに、護衛か何かの様に軍人殿がさっと並ぶ。確かに上官と部下って感じはするが、それだけじゃあ無いんだろうなあ。

 

 俺は一つ溜息をつくとデュノアにも彼らについていくよう促し、その後ろでこっそりと耳栓を装着した。

 

 

 

 

 

 

「「「きゃああああァ――――ッ!!」」」

 

 耳栓をして、挙句手で耳を塞ぎ聞かざるのポーズを取っても、その爆音衝撃波は到底防ぎきれるものでは無かった。有象無象の人間も数を合わせて一致団結すれば凄まじい現象を引き起こすのは知ってはいたが、こんなことでここまでの威力を生みだしちまうとはな……!

 

 実に面白い、だがうるさい。心の中で俺の人間に対する評価は乱高下した。

 

「男子、二人目の男子よ!」

「しかもうちのクラスに! これって(彼と私は結ばれる)運命……!?」

「イェイイェーイ! オォォールァ!!」

「地球に生まれてよかった……!」

 

 窓がビリビリと揺れ、机に置いてあった出席簿が机の共振で移動して落下した。織斑千冬がそれを地面に着く前に素早く拾い上げる。その手際に拍手の一つも送ってやりたいが、あいにく両手は仕事中だ。少しは落ち付けよ、お前ら。特に最後の奴はこの星に生まれたことを後悔させてやろうか。

 

 はぁ。さっさとホームルーム終わらねえかな……。そう沈んだ気持ちで思っていれば、織斑千冬がうっとおしそうに咳払いをひとつして、途端教室中の歓声が消える。俺はそう言うキャラじゃないから仕方ないんだが、ああやって一発でその場を統率できんのも一種の人望か。ちょっとうらやましいぜ。

 

 軍人殿も、あのカリスマに()てられた一人……ってとこかァ?

 

 見ると、軍人殿は後ろで手を組んだまま一心に織斑千冬を視線で追っていた。その眼はクラスの喧騒になど興味もない、それ所か他の生徒達を嫌悪しているようですらあった。

 

「……挨拶をしろ、ラウラ」

「はい、教官」

 

 織斑千冬に言われて、今までの無関心っぷりはどこへやら。佇まいを直し、織斑千冬に敬礼を向ける。またしてもどっかの国の敬礼を向けられた織斑千冬はこれ以上なく面倒くさそうな顔をした。

 

「ラウラ・ボーデヴィッヒだ」

 

 そう言えば、織斑千冬はドイツ軍での教官経験がある……なんて事が資料に書かれてた気がしたな。じゃああの女はドイツ人か。まあ、それは俺にとっては関係の無い事だ。顔を上げれば、挨拶を終えたボーデヴィッヒにクラス中の視線が集中している。だが奴はそれにも動じず、それ以上語ることもない。

 

「そんだけかい?」

「以上だ」

 

 ドギマギしっぱなしの山田ちゃんに代わって俺が聞いても、一瞥さえせずバッサリと切り捨てる有様だ。なんて奴だ。流石に、俺もこいつとは仲良くしたくねえかなあ。

 なんて事を考えていると、不意にボーデヴィッヒが歩き出した。その眼はただ一人、一夏の奴の顔を睨みつけている。俺は何か嫌な予感がして少し身構え――――

 

 パァン!

 

 ――身構えてたにもかかわらず、その事態に俺は呆気にとられた。一夏が、殴られた。いや叩かれた? 正直どっちでもいいが……よくねえ! いきなり何やってくれてるんだこの問題児は!

 

「おいボーデヴィッヒ! 何してるんだお前!」

 

 呆然とするクラスの者達に先んじて俺は飛び出す。そのまま振り抜かれた右手首を咄嗟に掴むと声を荒げた。

 

「お前、IS学園(ここ)でまずやる事が暴行って何考え――」

Hände weg(触るな)!」

 

 ボーデヴィッヒは掴まれた手で俺の手首を逆に掴み返すと、その関節をひねり上げようとしつつ左足で俺の軸足を払おうと試みて来た。なんて奴だ。軍隊仕込みの技は良いが、それをこんな場で教師相手に躊躇なく振るおうとするか、普通?

 

 俺は迫り来る足先を見て、その足の甲を踏み止める事で技を防ごうと考えた。だが泥のように遅く感じる時間の中で再び俺は思案する。

 

 ここでボーデヴィッヒの軍隊格闘技を悠々と返してしまうのは、フレンドリーな人間として形成(ビルド)してきた<教師・石動惣一>のキャラクターにはそぐわない。今まで織斑千冬にぶっ叩かれながら培ってきた俺の『親しみやすさ』に関わる。ここはひとつ、いい感じに放り投げられてやるしかねえか。

 

 そう考えた俺は溜息一つで諦めて、僅かな殺意すらにじませるボーデヴィッヒの技に身を任せた。

 

「……ぎゃーッ!?」

 

 軸足を払われ世界の上下が入れ替わった。だが、俺の体は相変わらず重力には忠実でそのまま床に叩きつけられる。背中が痛い。受け身は取れたが、そもそも受け身はダメージをゼロにできるような技術じゃない。地球外生命体の俺でも痛いものは痛いんだ。

 

「テメェ、何してやがる!」

「貴様! 一夏と石動先生に何という事を――」

「全員静まれ!」

 

 一夏と篠ノ之がボーデヴィッヒの蛮行を見かねて席を立つが、織斑千冬の一喝にざわつき始めた教室と共に一瞬で沈静化する。山田ちゃんが駆けよって俺の頭を抱え上げ、今にも泣き出しそうな顔でこちらを覗きこんで来た。

 

「石動先生、大丈夫ですか!?」

「……ここが天国……? 天使って山田ちゃんみたいな顔してるな……」

「え、ええっ!? 織斑先生、石動先生はご無事じゃないです! 天国とか言ってます!」

 

 真っ赤になった山田ちゃんは抱えていた俺の頭を放ると、織斑千冬に俺の惨状を伝える。

 いや、痛いは痛いけど実は割とダメージ小さかったんだよなあ。今の奴の方が効いたぜ。俺は今鈍い音を立てて床と激突した後頭部の痛みを堪えながら、呑気にそんな事を考えていた。

 

 織斑千冬はそんな俺達の有り様を実に複雑そうな顔で一瞥したが、すぐに視線を外しボーデヴィッヒを見据える。一瞬、ボーデヴィッヒに怯えのような、畏れのような感情が走ったが、奴はそれでも憮然とした顔を崩してはいない。

 

「……山田先生は石動先生を医務室に。ラウラ、お前には少し話がある。ついて来い。他の者はすぐに着替えて第二グラウンドへ。二組と合同のIS演習だ。悪いが一夏、デュノアを案内してやれ。以上だ、解散! 二組を待たせないようにな」

 

 言って、織斑千冬はボーデヴィッヒを連れて教室を後にした。説教だなありゃあ。上体を起こして、痛めた頭をさすりながら考える。一夏との間にどういう因縁や怨恨があるかなんて知らんが、ありゃあ随分面白そうな女だ。

 

「石動先生!」

「ん? おう篠ノ之、一夏。どうかしたか?」

 

 解散と同時に慌てて走り寄ってきた二人に、俺はにこやかに応対した。

 

「『どうかしたか?』ではありません! 体や頭はご無事ですか!?」

「いや箒、その言い方はまずいだろ。体はともかく、頭はバカにしてるみたいだぜ」

「俺もそう思う」

「ええっ!? も、申し訳ありません! 私はなんて事を……」

 

 一夏に言われてテンションを急降下させた篠ノ之を見て思わず俺はぷっと吹き出した。いややっぱこいつらに目を掛けた俺は間違ってなかったな! 人間はこう、こんな風に感情豊かじゃあなきゃあ!

 

「いや、ちょっとおもしろかったぜ。なあ一夏ァ?」

「えっ。あー、ウス」

「ほらな? だからそんな気負うなって!」

 

 肩を叩いて慰めれば、篠ノ之は自分の不覚を恥じるように溜息をつく。俺はそれこそまた笑ってしまいそうになるが、一夏がここぞとばかりに話題を変えようと口を開いた。

 

「しっかし先生、女だけどひでえ野郎っすね。ボーデー……ラウラって奴」

「全くだ。出会い頭に一夏に張り手した挙句先生を投げ飛ばすなど……女の風上にも置けん!」

 

 ぷんすか怒っている篠ノ之だが、お前それ言っちゃっていいのか? と俺は思う。

 確かに今のお前が以前みたいに無闇矢鱈と竹刀を振りまわさなくなったのは知ってるんだが……盛大に昔の自分に突き刺さってるのは確かだろう。

 

「あのさ箒、それってブーメラン――」

「それよりも一夏! さっさと外行った方がいいんじゃねえか!? デュノアの奴、絶対他の生徒に引っ張りだこになるし、皆着替えたそうにしてるからな!」

「やっべ! じゃあすんません先生、俺行きますわ!」

「おう、気をつけろよ!」

 

 口を滑らせかけた一夏をうまい事下がらせると、俺は困ったような顔で篠ノ之に向き直った。当の篠ノ之は怪訝な顔で首を傾げているばかりで、一夏が何を言おうとしたかピンと来てはいないようだった。

 

 まったく、アイツには素直なのはいい事ばっかじゃないっていつだったか言ってやったはずなのにな。って言うか、あそこまで行くと悪癖では? 俺は訝しみ、そこで教室中の女子から突き刺さる視線に気が付いた。

 

「おーこわっ……じゃあ俺も退散しますかね~」

「あっ、引き留めてしまってすみませんでした!」

「おう。篠ノ之、一夏の事頼むぜ」

「はっ! この不肖篠ノ之箒、その任承りました! どうか安心してお休みください」

「オイオイ、肩の力抜けって言ったろ~? ま、とりあえず頼むわ。Ciao(チャオ)!」

 

 言って俺はささっと教室を後にする。もしこのせいであいつらが遅れでもしたら織斑千冬に何されるかわかったもんじゃあないしな……。

 

「……あの、石動先生、本当に大丈夫なんですか? 送って行きますよ?」

「へーきへーき! 流石に医務室に行くくらい何とかなるさ。そっちの事を考えなって」

 

 俺を追ってきた山田ちゃんが医務室まで送ってくれようとするが、それを俺は丁寧に断る。山田ちゃん自身次の授業で出番があるらしいし、別段体に異常はないしな。彼女を追い返して自分の足で医務室に向かいながら、俺はウキウキ気分で今後の展望に大きな期待を寄せる。

 

 ラウラ・ボーデヴィッヒか。

 

 奴に触れた時、一般の人間とは遺伝子に差異を感じた。成年男性を軽々放り投げる身体能力にあの左眼(・・)といい、真っ当な人間では無いようだ。織斑千冬の弟子であろうその経歴も実に俺の心を擽らせる。最初は関わり合いになりたくないと思ってたが前言撤回、機会を見て上手い事探りを入れてみるとしよう。うまくすれば一夏やオルコット、そして篠ノ之に立ちはだかる『越えるべき壁』として――――あるいは奴自身を楽しんでいけるかもしれない。

 

 ん~、一夏と篠ノ之、両方とも万丈ポジだな。戦兎みたいに頭が良い訳じゃあねえし……オルコットはグリスか? いや、色的にはデュノア……? 戦い方自体は凰が近いかね。ボーデヴィッヒはあれローグだろ。幻徳(げんとく)と違って捻じ曲げられたワケじゃあないんだろうが、あのスレっぷりはファウストにいた頃の奴を思い出させる。

 

 しかし、本当に個性豊かな奴らだ。青臭いが強くなる意欲を見せる一夏に、それに追いつかんと茨の道を選んだ篠ノ之。先達たるオルコットと凰の二人の代表候補生と彼女らよりも強者であろう軍隊上がりのボーデヴィッヒ。そして、もう一人の男性搭乗者として現れたデュノア。正に役者が揃ってきたって感じがあるぜ。

 

 おもしろ過ぎるだろこの世界は……ったく、実は篠ノ之束に構ってる暇なんか無いんじゃあねえか? そうだ、奴の事も調べねえと。フルボトルも作らにゃいかんし、こうもやる事が多いと俺も嬉しい悲鳴を上げちまうよ。

 

 ……とりあえず今日は頭打ったのを口実に休ませてもらって、ボトル作りに精を出すとすっかね。山田ちゃんの勇姿が見れないのは些か残念ではあるし、デュノアやボーデヴィッヒの人となりも早く知りたいんだが、これからトーナメントまでは随分と忙しくなっちまいそうだしな。

 

 そう教師の風上にも置けぬようなことを考えながら、俺は医務室へとのんびりと向かう。その途中、俺は何となく懐から取り出したISフルボトルとコブラフルボトルを片手に持ってシャカシャカ振ってみた。すると軽快で小気味いい音を立てるそれに、俺は今後起こる事がより楽しみになってくるように感じる。

 

 お前らの次の出番もそう遠くは無さそうだぜ。

 

 そう感傷的にボトルを一瞥して、さっさと懐にしまって医務室に向かう。さあて、そこでどう言い訳して早抜けさせてもらうかな。俺はその事を考えるのに脳をトップギアでフル回転させ、いくつか浮かんだアイデアの荒唐無稽(こうとうむけい)さに人知れず笑うのだった。

 

 




最新話のエボルトもビックリするくらい生き生きしてましたね(それを何とかするのが先生の仕事~とか言いながら葛城パパの肩揉むの滅茶苦茶すき)。あれくらいの物を表現できるだけの実力がほしい……!
しかし真っ当な服着た幻さんホントかっこいいな……中に変なTシャツとか着てないですよね?(期待)


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ブラックに気をつけろ

書きたい事を書いたら今度は二万字を越えてきたので分割しました。事実上の前編です。
他の投稿者の方々が書く軽妙なあらすじとかギャグを自分も書いてみたかったんだけど……ダメみたいですね(諦観)

合計1000お気に入りして頂いて飛びあがりました。本当にありがとうございます!
同様に感想評価誤字報告等して下さる皆さんには感謝してもしきれません。これからも応援よろしくお願いします。


『これまでの星狩りのコンティニュー!』

 

『仮面ライダーエボルであり、数多の星を滅ぼしてきた地球外生命体であるこの俺エボルトは、桐生戦兎らに敗北した際に飛ばされた並行世界で、教師石動惣一として新たな人生のスタートを切る!』

 

『フン、何が地球外生命体だ。それにしてはこの地球に馴染みすぎていると思うがな』

『げっ! 織斑千冬!? いきなり物言いが率直すぎるだろ!』

 

『大体なんだ貴様は、その年で貫禄が無さすぎる。教室では机の角に体をぶつけて痛がるし、よく椅子からは転げ落ちる。更にはタコが大の苦手、食堂の定食にパスタが付いてくれば一度も口にしないまま残す! その全てが演技なのか?』

『演技じゃあねえとこばっか指摘するのはやめろ! ウルっときちまうじゃあねえか!』

『それに何よりもだ……何よりも煎れるコーヒーが不味すぎる! 本当にカフェのマスターだったのか貴様!?』

『俺だってそこは気にしてるんだよ! って言うか、この世界に来て更に評判悪くなった気がするんだよな……この世界の人間に俺のコーヒーは合わんのかもしれねえ……』

『フン、元々不味かったと貴様も言っていた、それが全てだろうに。さあ、こんなうだつの上がらん地球外生命体は放っておいて第11話を始め――――』

 

 

 

 ブチッ。そんな音を立てて真っ暗になったテレビの画面を見て、俺は大きなため息をついた。

 

 

 

 ……何だ今のは。何で俺と織斑千冬が漫才やってんだ? ったく、本当にフリーダムなボトルだなこれ。嫌になっちまうぜ。俺はテレビの角に()め込まれていた<テレビフルボトル>を引っこ抜いて、開かれていたキャップを回して閉じた。

 

 俺の持つフルボトル――――石動の記憶から生み出したボトルは、基本的に『娘の好きな生物、職業』と『それを殺傷、破壊出来る無機物』の組み合わせ(ベストマッチ)をイメージさせたものだ。

 ところが心優しい父親だった石動惣一は娘の愛するものを壊されるのをよしとせず、途中から関係どころか脈拍もない無機物を挙げる事で俺の提示した生物と無生物の法則(ルール)をぶち壊したのだ。

 

 まあそれでも俺は別段構わなかった。石動のイメージから生まれた突拍子の無い無機物フルボトルが実は滅茶苦茶便利だったり、俺の予想も出来ない性能を発揮して窮地を救ったりしてくれる事もままあったからな。その点を初めとして俺は石動には感謝してもしきれないんだが、時に俺でさえ想像もつかないような性能を持ってしまったフルボトルも何本か出来ちまったのは正直誤算だったと言える。

 

 その最たる物はライダーシステムの開発者である葛城巧(かつらぎたくみ)でさえ最終的には匙を投げた<UFOフルボトル>だろう。

 実際ベストマッチ<トラユーフォー>の実験の際は超常的な怪現象(第一種接近遭遇)が頻発し、実験そのものに支障をきたしたらしい。俺はその場にいなかったが、もし遭遇していたら俺の正体が――地球外生命体と言う事が明るみに出ていたかもしれない、そんな予測不可能な危険を孕んだボトルだ。なのであのボトルはまだ作っていない。出来るだけ後に回すか、その枠をISボトルに代わってもらうかするつもりだ。

 

 他にも俺の思う通りに能力を発揮してくれないボトルはある。今テレビを介して使用していた<テレビフルボトル>もその一つだ。

 

 このボトル、様々な情報を使用者に提供してくれる能力を持つんだが、如何せんランダムに番組が始まったり変わったりして落ち着きがない。そもそも知りたい情報が知れるかどうかもよく分からんし、ドキュメンタリー形式だったりニュース形式だったりクイズ形式だったり再現ドラマだったりやりたい放題だ。アニメーションだった事さえもある。

 

 情報の精度自体は信頼が置けるのだが、いい所でいちいちCMが挟まったりしてイラッと来ることもあったな。先日<第一回モンド・グロッソ>の解説番組が流れた時の引き延ばしはありゃあひどかった。

 

 このボトルの持つ不安定さは、エレメントを選んだ石動が自身の見たいチャンネルを独占するような性質(たち)では無く、娘が気まぐれに番組を変える事、それ自体を楽しんでいた思い出を元にしたからなんだろう。

 

 

 

 ふと気づけば、既に出勤するべき時間が迫っている。職場まで徒歩五分と言うのは理想的に過ぎる立地だ。だがnascita(ナシタ)に居た頃は職場まで徒歩0秒だったし、ブラックホールフォームを手に入れた後なんざ空間移動で好き勝手やってたからな……贅沢な悩みって奴か、うむ。

 

 俺は<パンドラボックス>にテレビフルボトルを放り込むと、それを金庫にしまい込んで、さらに<ロックフルボトル>で施錠する。このボトルも非常に便利だ。普段からパンドラボックスを持ち歩くわけにもいかない以上、防犯意識は高いに越したことは無い。もしも他人の手にパンドラボックスが渡れば――――いや、見つかるだけでも大問題だ。何せアレは『この世界には存在しないはずのもの』なのだから。

 

 万一パンドラボックスの存在が露見すれば……俺の正体を解き明かされるだけならまだいい。その情報は篠ノ之束にだって伝わるだろう。奴の知性は戦兎に匹敵する可能性もある。もしこの危惧が現実のものであれば、戦兎の様にパンドラボックスから俺に対抗するための兵器を生み出すかもしれない。<ジーニアスボトル>だって、元はと言えばパンドラボックスの一部、<パンドラパネル>の一枚だったからな。

 

 同様に、<ネビュラガス>の使用にだって俺は慎重を期している。ガスを他人に注入すれば手っ取り早く強くさせられるんだが、これだってこの世界では未知の存在だ。俺は<ビルドの世界>と言う絶対的アドバンテージを手放すつもりは毛頭ない。

 

 部屋を出て、扉を再びロックフルボトルで施錠する。そう、先日何者かが俺の部屋に侵入しようとした形跡があったからな。ロックフルボトルが出来るまでの数日を除いては常にこの手段で施錠してきたので、ちょっとヒヤッとしただけで済んだのは僥倖(ぎょうこう)だった。

 かなり綺麗に痕跡を消されていたが、広大な宇宙を旅しながら命ある星とそうでない星を見分けてきた俺の眼は誤魔化せない。ま、『何故か開かない扉』ってだけでも十分に与えたくない情報なんだが……中に踏みこまれるよりはマシだろう。

 

 一体何処のどいつが探りを入れてきたのか、早急に調べ上げねえとな。

 

 そう思っている間にガチャリ、と音を立てて施錠が完了した。ロックフルボトルによる施錠は現行技術のどれにも当てはまらない、概念的な力だ。物理的な手段でこの鍵を開ける手段は皆無と言ってもいい。さあて、ここまでしてようやく一安心だ。仕事に行くとしよう。俺は閉ざされた扉を後にして、今日もウキウキ気分で石動惣一を演じに向かうのだった。

 

 

 

 

 

 

 ―――私、山田真耶は今、窮地に追い込まれていました。

 

 今日もいつも通りの、何ら変わり映えのない朝だったはずです。目を覚ましてシャワーを浴びて、テレビの占いを見ながら朝食を取って。そして忘れ物が無いかをしっかりと確認して、職員として勤めているIS学園へと出勤してきました。

 

 職員室に入った所で、ふわりとコーヒーの香りが鼻を擽ります。先日、石動先生が私物のコーヒーメーカーを職員室に設置してから、IS学園の職員の間ではコーヒーを煎れる事が小さなブームとなっていたのです。

 

 先生がそれぞれ豆を持ち寄ってお互いにコーヒーを味見してみたり、何かの頼みごとのお礼としてコーヒーを煎れてくれたりと、皆の関係や職員室の空気がとても良くなったと私は思っています。

 

 轡木さんが煎れて下さったコーヒー、すっごくおいしかったなあ……。

 

 あの人はお茶を煎れるのが専門だと思っていたけれど、コーヒーまであんなにおいしく作ることが出来るなんて。一緒に居た先生方と一緒にびっくりしたのを覚えています。

 

 ――――ただ、そんな轡木さんとは真逆に、とてもおいしくないコーヒーを煎れる人もこのIS学園には存在したわけで。

 

 

 

「そんなに緊張するなよ山田ちゃ~ん。ただコーヒーを飲んで、その感想を聞かせてくれればいいだけだからさあ~」

 

 そう言って『IS学園のまずいコーヒーを煎れる教師第一位(黛薫子(まゆずみかおるこ)調べ)』である石動先生が椅子に座った私の肩を揉み解して来て、小声で「うわっすげえ凝ってる……」と呟くのが聞こえます。

 以前、石動先生が皆にコーヒーを振る舞われた時には、あまりの不味さに皆が昔見た探偵モノのドラマのように口からコーヒーを吹き出し、榊原(さかきばら)先生なんか卒倒してしまったと聞いていました。

 

 そう言えば今日のハザードカラー(私の見ている占いにおける要注意カラーの事です)は黒だったような……もしかしてこのコーヒーの黒の事なんじゃ……。

 

 それを思い出した私は、机に並ぶ二つのコーヒーを見据えます。そう、二つです。石動先生の煎れたブラックホールめいた暗黒のコーヒーが一つ。もう一つ、漆のように艶めいた姿を見せるもう一つのコーヒーを煎れたのは……。

 

「真耶、無理をするな。石動のコーヒーの危険性は私もよく知っている。私のコーヒーだけ飲んで席を立ってくれればいい。不戦勝という奴だ」

 

 腕を組み机の横に立つ織斑先生。普段であればその毅然とした態度が何とも頼もしいのですが、『IS学園のまずいコーヒーを煎れる教師同率一位』の称号を持ち、フランシィ先生を一杯で撃沈させた、と言う織斑先生がコーヒーを煎れてくれているというこの状況は何の慰めにもなりません……!

 

 私はこんな状況に追い込まれたのは、そもそも織斑先生が石動先生のコーヒーを「まずい」と言ったのが原因らしいです。元々それを随分前から気にしていらした石動先生が「じゃあお前のコーヒーはどうなんだ!」と突っかかっていった結果、二人はコーヒーの美味しさで対決する事になり、不運にもそこに出勤してきた私がその犠牲になった、と言う事になります。

 

 ああ、何と言う事でしょうか! 誰か助けてください……!

 

 そう思って周囲の先生方に救助を求める視線を送れば、皆気まずそうに視線を逸らしてしまいました。そそくさと立ち去らないでください、フランシィ先生! 涙を流さないでください、榊原先生!

 

「麻耶、怖がらなくていい。クイッとやってくれればいいんだ」

「そうだぜ山田ちゃん。俺の奴をこうクイッとやって、まあ不味いんだがちょっと我慢してくれればいいんだって!」

「石動のコーヒ―など飲まずとも良い。気にせず私のコーヒーを飲むんだ、真耶」

「何をぅ! とりあえず騙されたと思って俺のコーヒーを飲んでくれ! 頼むよ山田ちゃん!」

 

 うう……不味いのを自覚している石動先生と、その事実から目を逸らしている(気がする)織斑先生、前者の方がましな気もしたけど、まずいのはどちらも同じです……! 私は一体どうやってこの場を切り抜ければいいのでしょうか……!

 

「山田ちゃん!」

「真耶!」

 

 二人が、まさしく鬼気迫る勢いで迫ってきます。右が石動先生のコーヒー、左が石動先生のコーヒー。 もうどちらがどちらで、なんて感想を言えばお二人に悲しい想いをさせずに済むのか、二人との関係を悪くせずに済むのか! もう、もう私にはわかりません!!

 

「山田ちゃん!?」

「真耶!?」

 

 瞬間、混乱した私は二つのコーヒーカップを手に取り、両方を一度に口にしました。

 

 その時、不思議な事が起こりました。私の体内で出会った二つのコーヒーはそこで謎の化学変化(ベストマッチ)を起こしたのです。全身を駆け巡る衝撃に私の意識はふっと遠のき、その脳裏に今朝見た占いの内容がハッキリと思いだされます。

 

『本日のハザードカラーは……(Are You Ready(アーユーレディ)!?)……ブラックハザード、ヤベーイ! おのれブラック、奴のせいで今日のお前の健康運が破壊されてしまった! これは不可避の運命だ! 例え時間を戻した所で、奴は4倍になって振りかかってくる! 止まらないハザードに気をつけろ! それでは、今日の占いは終わり! ベストな運勢は掴み取れたか? じゃあ良き一日を、See You(シーユー)!」

 

 ――ああ、そう言う事だったんですね……。諦めと共に全てを受け入れた私の前で石動先生と織斑先生、二人の顔がぐにゃりと歪むと同時に、世界が90度右に傾いて、そこで私の意識は途絶えてしまいました。

 

 

 

 結局、私が目を覚ましたのは授業が終わった放課後になってから。争いを避けた代償に、私は医務室のベッドの中で強い倦怠感とお腹の痛みに苛まれる事になったのでした。

 

 

 

 

 

 

「……石動先生?」

 

 はあ。戦兎に言わせれば『最悪(さいっあく)だ』ってとこか。あの後、失神した山田ちゃんを織斑千冬と二人がかりで医務室へと運んで、今日は彼女抜きで授業をこなす事になった。

 

 それは正直構わないっちゃ構わないんだが……俺のコーヒー、幾らなんでもあそこまでマズかったか? この世界に来て評価の低さに拍車がかかってやがる。劇物にでもなっちまってるんじゃあねえだろうかってくらいの反応だ。まさか世界の差異がこんな所で俺に試練をもたらしちまうとはな。と言うか、それだったら逆においしく感じてくれたっていいだろうに。まったく腹立たしい!

 

「石動先生!」

「んおっ!?」

 

 声を掛けられて意識を向ければ、座禅を組んだ篠ノ之が畳一枚を挟んだ距離で俺の事を心配そうに見つめていた。そう、座禅だ。放課後となった今、俺と篠ノ之は精神的訓練の一環としてひたすらに座禅を組んでいたのだった。

 

「どうにも体調が優れぬようですが……山田先生が体調不良になったのと何か関係が?」

「うっ」

 

 鋭い奴だ。そう、俺は自分のコーヒーがおいしく無い事は自覚していた。だがそれに甘んじたことなど無い。出来ればうまいコーヒーを入れたいと願う俺は研鑽を欠かした事は無いし、その事に日々悩んでいる。地球の食い物というものは結局俺には理解のできん文化の積み重ねの象徴って事なのだろうか……。しかし、俺のコーヒーより自分のそれがまずいと最後まで認めやがらない織斑千冬の負けず嫌いには困ったもんだぜ……。

 

「うーん。いや体はともかく、精神的なダメージがなあ……」

「もしお辛いようでしたら、今日の訓練は切り上げますか? 座禅は自室でも出来ますし……」

「そうしとくか~……篠ノ之も訓練ばっかじゃあ気が滅入っちまうだろ。今日は休みって事にしとこうぜ」

「いえ、私は別に……」

 

 そう言ってバツの悪そうな顔をする篠ノ之。強くなりたいって思いがちょっと先走りすぎてるか? 座禅中も落ち付きが無かったしな。

 

「うし、じゃあこうしようぜ。今日と明日は訓練禁止だ! 強くなりたいと逸るのは悪い事じゃあねえが、時には休息も必要だ。お前、俺との訓練が終わった後も自室で遅くまでトレーニングしたりしてるんじゃあねえのか?」

「なっ、何故それを!?」

「はっはっは。お前最近の午前の授業中目茶目茶眠そうだからな。ここだけの話、織斑先生にもマークされてるぞ」

 

 そう小声で言うと、篠ノ之の顔がさっと青くなった。織斑千冬、本当に生徒達に畏れられてんだな。しかし同情はしねえぞ。今日の事を含め、意外と恨み辛みが溜まって来てるからな。頭が痛え……。この頭痛もアイツに頭を叩かれ過ぎたせいかもしれねえな。

 

 しかし剣道や格闘、ISで何度かやり合って分かったのだが、篠ノ之は攻めは強いが、守りに関しちゃまだ甘い。これからどんどん上に上がって行く中で、必ず自分以上の強者とやり合う機会があるはずだ。そこで躓いていれば篠ノ之束の名を覆すほどの強さは手に入らないだろう。ここは一つ、強者に勝つためのコツを教えてやるとするか。

 

「うし、篠ノ之。ここでお前に二つ目の教えを授ける」

「よ、よろしくお願いします!」

Instruction Two(インストラクション・ツー)……そうだな、『忍耐』だ。どんなに苦労しても、うまく行かない時ってのは必ずある。だがそれに文句を言うだけじゃあいけねえ。成功するために、虎視眈々と耐え忍べ。逆転のチャンスを掴み取るために、考えを巡らせろ。戦いの場では絶対に必要な能力さ」

「成程…………」

 

 篠ノ之は納得したようで、顎に手をやったまま物思いに耽り始めた。自分なりに俺の言葉を噛み砕いているのだろう。まったく、いい弟子を持ったもんだぜ。ISの訓練はそれほどの回数を熟せてはいないが、現地点でも篠ノ之はクラス対抗戦地点の一夏とならば十分以上に渡り合えるだけの実力を備えている。近づいてきた学年別個人戦に向けて、後どれだけ詰められるか。

 

 そこん所は、俺の腕の見せ所でもあるな。

 

 座禅したまま頭の後ろで手を組んだ俺は、篠ノ之に一つ言うのを忘れていた事を思い出した。今の篠ノ之は強くなるという長期的な目標を持ってはいるが、個人戦に対する目標は持っていないはずだ。ここらで一つ、俺からも発破をかけてやるか。

 

「なあ、篠ノ之ぉ」

「……あっ、はい! どうしました?」

「あの噂聞いたかよ?」

「噂って?」

「今度の学年別個人戦で優勝した奴が、一夏とデートできるって噂さ」

「なっ!?」

 

 俺の言葉に驚愕した篠ノ之は慌てて立ち上がろうとしたが、座禅を組んでいたのでそのまますっ転んで畳の上を転がった。その様子に俺はついくっくっと喉を鳴らして笑ってしまう。

 そのままちょっと笑っていると、真っ赤な顔でドタドタと走り込んで来た篠ノ之が俺の胸倉を掴み上げ凄まじい剣幕で押し迫ってきた。

 

「一体どういう事ですか先生!? その話は私と一夏の秘密のはず!!」

「あーっ! 皺になる皺になる! おいやめろってホント篠ノ之ォ!」

 

 俺は慌てて篠ノ之をもぎ離すと、服の襟をぱんぱんと払って皺が無い事を確認した。セーフ。皺になってねえ。ったく。忍耐って言ったばっかじゃあねえか。

 

「ハァ~ッ……篠ノ之、秘密ってお前、一夏とそういう約束してたのか?」

「は、はい……申し訳ありません。実はあのクラス対抗戦の後に、二人きりでその話を……」

 

 さっきとはまた違う原因で顔を赤くする篠ノ之。そうかあ、そんな約束をねえ……。それじゃあ今回のは余計なお世話だったか。ここ数日の放課後、不特定多数の生徒に擬態して噂を流してたのが骨折り損だったな。

 

 肩を落とす俺。だが、先程まで顔を赤くしていた篠ノ之が今度は頭を抱えて苦悩しているのを見て、俺の心は随分と晴れやかになった。人間という種族の中でも女の恋心と言うのはもっとも難解だとは聞いていたが、まさにその通りだな……。

 難しいもんだ。俺は改めて、人間という生き物が如何に面白く未知に満ち満ちているのかを実感して、随分としんみりとした気持ちになった。しかし、あんまりこいつに悶々とされていても困るし励ましておいてやらねえと。

 

「まあまあ篠ノ之、そう頭を抱えるなって!」

「……先生?」

「他の奴らのは噂にすぎないが、お前は一夏と直にその話をしたんだろ? だったら心配する事はねえさ。それに、結局お前が優勝しちまえばいい話だからな。何にも心配する事はねえよ。勝って存分に一夏とデートしな、篠ノ之!」

「は、はい……! ありがとうございます、石動先生!」

 

 ぱあっと満面の笑顔を浮かべた篠ノ之を見て、俺は女心と言うものが難しいのか御し易いのかよく分からなくなった。ともかく、今俺の立場からこれ以上かけられる言葉は無いだろう。

 

「うし。まあそう言うわけで、今日の訓練はお開きにしようぜ。また明後日の放課後にガッツリしごいてやるから、今日と明日はじっくり休んどけよ。じゃあな、Ciao(チャオ)!」

「はい! 本日もありがとうございました!」

 

 頭を下げる篠ノ之に背を向け、俺は道場の外へと歩き出した……のだが座禅で痺れた足がもつれて、三歩目で盛大にすっころんだ。

 

 いってえ。やっぱ聞きかじっただけの内容を訓練に導入するべきじゃあねえなあ。篠ノ之も笑いを堪えて口元を押さえている。そんな奴に俺は苦笑いを返して、早々にその場を後にするのだった。

 

 

 




ビルド本編と違ってあらすじの記憶は本編には引き継がれないです。
それだけは真実を伝えたかった。

連投しようと思ったけど心配になってきたんで誤字のチェックや見直しをして後編もさっさと投げますんで少々お待ちを……。


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シュヴァルツェアの脅威

事実上11話後編です。
読んでない方は前話から読んでください。

書きたいの好きに書いてると文章量が膨れ上がっちゃうんでいい感じに削ることも覚えなきゃ……。


「オォーゥラァ!」

「うわっちょお!?」

 

 廊下の角から飛び出した俺は、突然の奇襲に腰を抜かしてひっくり返る一夏と、その横で立ち尽くすデュノアを見て腹を押さえて盛大に笑った。

 

「ハッハッハ……うわっちょって何だよ……くっく……よう、二人とも! お前らもアリーナに行くのか?」

「あっ……どうも、石動先生」

 

 背中でも打ったか痛みに悶えながら転がり続ける一夏とは対照的に、デュノアは呆然としながらも何とか反応を返してくる。しかし、驚いた時の咄嗟の立ち振る舞いはやっぱ女のそれだな。一夏とルームメイトになったと聞いたが、もう正体がばれたりしてねえだろうな?

 

 俺はその偽装の拙さに、同様の偽装の先達として少し心配になった。

 

「石動先生! いきなり何するんすか!」

「悪い! 何か聞き慣れた声がしてな。ちょっと驚かせてやろうと思って」

「子供じゃねえんだからやめてくださいよ……」

 

 呆れたように一夏が言って、デュノアがそれに苦笑いで応じる。まあ確かに、ちょっと調子に乗りすぎたか。俺もその心中の想いを隠すように、話題をすり替えるべく大袈裟に声を上げた。

 

「ところでデュノア! ここ(IS学園)での生活はもう慣れたか? 一夏が迷惑かけるようならすぐに俺に言えよ。お説教してわからせてやるからな~?」

「そんなことありませんよ。一緒の部屋になったのが一夏で、僕すっごく助かってますから」

 

 悪戯っぽくデュノアに言うが、デュノアはにこやかな顔でそれを否定した。どうやら、うまくやれているみたいだな。一夏の奴、また何かやらかしてねえかと思ったが実際の所はそう心配するほどでもねえらしい。教師としては一安心だぜ。

 

「お前にそんな甲斐性があったとはな~正直驚きだぜ、一夏」

「ちょっ、撫でないでくださいよ! やめてください! やめてって!」

 

 頭をわしわしとかき回す俺に恥ずかしかったのか慌てて距離を取る一夏。まったく、何でこいつらはこんなに面白いんだ。その様子に俺は再び喉を鳴らして笑う。

 

 さあて、デュノアの戦いは見れてねえし、さっさとその実力を把握しておかなきゃな。アリーナに行くなら同行させてもらうとするかね。そう思って、俺は普段と変わらぬにこやかさで彼らに話しかけようとした。だが、それよりも先に気を取り直したデュノアが声をかけて来る。

 

「石動先生もアリーナに? 僕らもこれから第三アリーナに向かう所なんですよ」

「つか、石動先生。箒との特訓はどうしたんすか? まさかサボリとか?」

「あー、一度に質問を畳みかけるな、一つずつな。あと一夏、思ったこと良く考えずに口に出さん方がいいぜ。織斑先生相手だったら今のは出席簿ものだぞ~?」

 

 当の本人が居ないにも関わらず俺の指摘にサッと頭を防御した一夏を見て、ちょっと呆れた苦笑いをしながらデュノアを両手の指でビシッと指し示した。

 

Bingo(ビンゴ)! その通りだぜデュノア。俺も今からアリーナに行こうと思ってな。もし模擬戦でもやるなら観戦させてくれ。フランス代表候補生のかっこいい所、是非俺にも見せてくれよ~」

「えっ、あ……ぼ、僕は構いませんよ?」

「だってよ一夏」

「いや、俺も構わねえですけど……」

 

 何で俺に聞くんだと言った考えが滲み出る一夏の顔を楽しんで、俺は先ほどの一夏の質問に答えを示す。

 

「それと篠ノ之との特訓だが、今日明日は休みにした。あいつ、根を詰めすぎるきらいがあるからな。たまには無理にでも休ませてやらんと……そうだ! 一夏、お前もアイツの所に顔出してやってくれよ! 栄養剤でも持って行ってやればすげえ喜ぶと思うぜ」

「へぇ~……そうっすね、そりゃいいや。シャルル、後で買い物手伝ってくれないか?」

「うん、いいよ」

 

 スムーズにデュノアに同行を求める一夏に俺はちょっとげんなりする。いやお前そこは一人で会いに行ってやれよ。ったく、そう言う所だぞ……いや、買い物って言ったし会いに行くのは一人か――――ねえな。一夏なら間違いなく買い物を済ませた足で篠ノ之の所に行くし、そのままデュノアも連れていくはずだ。

 

 俺は一夏の相変わらずの唐変木(とうへんぼく)っぷりに呆れかえって溜息をついた。こいつの反応がこの年の男子に似合わぬものというのは地球外生命体の俺でも何となくわかる。幾ら現状片思いとは言え、こうも反応が薄いとなんか拍子抜けしちまうなあ。大丈夫かよ?

 

 とんでもねえ奴に恋したもんだぜ、篠ノ之。

 

 今頃自室で真剣に休むべく四苦八苦して唸っているであろう篠ノ之に、俺は心の中で合掌してから二人の後に続いた。

 

 

 

「そういえば先生。ラウラの奴、謹慎食らってたってマジですか」

「ん? ああ、そうだぜ。つってもあの直後と次の一日だけだけどな」

 

 訪ねてきた一夏に、俺は朗らかに答える。ボーデヴィッヒの奴がいきなり一夏と俺に暴力を振るったのはドイツとの関係を鑑みても看過出来ないと言う事で、奴はちょっとの間応接室に缶詰めにされていた。正直それでも軽いくらい――と言いたい所だが、その期間の短さには裏があった。

 

「一日ってちょっと短くないですか? 俺はともかく先生まで投げ飛ばしやがってんのに」

「当然の疑問だな。だけどよ、この話を聞いたら納得もすると思うぜ」

「この話?」

「いやな、どうにも織斑先生は懲罰は量より質とお考えらしい。よって奴には世にも恐ろしい課題が与えられた」

「……課題って?」

 

 不思議そうな顔をする一夏。それを見て俺は、織斑千冬がボーデヴィッヒに与えた恐るべき課題について、満面の笑みで語ってやる。

 

「反省文、400字詰原稿用紙で50枚。つまり二万字。それを謹慎明けまで、つまり一日半で完成させる事。しかもチェックするのは織斑千冬と来てやがる。くっく、俺だったら発狂しかねんぜ」

 

 その話を聞いた一夏はうげ、と小さな苦悶を漏らし、良く分かっていない風であったデュノアでさえも織斑千冬の余りの苛烈さにその白い肌をさっと青ざめさせた。

 

「一瞬軽いかと思ったんすけど、それ、半端ないっすね。夏休みの読書感想文何枚かだって書くのくっそ大変なのに……」

「二万字……聞いただけで嫌になりますね……」

 

 期待通りのその姿に、俺は心中で小さくガッツポーズをする。いやー、やっぱ人間は絶望顔も最高だな。まあ、そんな細かい作業を延々とやらされたら俺だって頭がおかしくなりかねん。ボーデヴィッヒがそれで正しく反省してることを願うぜ。

 まあだが、余り生徒達が敵対しているのも忍びない。ボーデヴィッヒにちょっとフォロー入れといてやるとするか。そう思った俺は、俺とデュノアに挟まれるように歩いていた一夏の肩に手を回して話しかけた。

 

「ま、アイツにも何かのっぴきならねえ事情があるのかもしれねえからな。そう目くじら立てずに、程々仲良くしてやってくれや」

「ちょっと懐がデカすぎっすよ…………俺より痛い目見た先生が全然気にしてないんじゃ、俺が怒ってるのがバカみたいじゃないすか」

 

 そう言ってため息をついた一夏に、俺は小さく苦笑を返す。そしてその流れのまま今度はデュノアに笑って話しかけた。

 

「デュノアは奴の事どう思ってんだ? 同じ転校生としてよ」

「僕ですか?」

 

 言われてデュノアはうーん、と考えるように頬に手をやる。やっぱ女だな。お前そう言う所の仕草とか、ふとしたところが甘いと思うぜ。男なら無造作に腕を組んで見せたりとか、そう言う所をキッチリしていくべきだと思うんだが。

 

「僕は……出来れば仲良くしたいと思ってます。一緒に転校してきたのも何かの縁だと思いますし。一夏、ニホンではこういうのを『イチゴイチエ』、って言うんだよね?」

「おう、シャルルはそういうのにも詳しいよな」

「結構頑張って勉強してきたからね」

 

 聡明さを見せるデュノアに一夏が感心し、当のデュノアは少し顔を赤くしてそれに応じる……ん? 何かデュノアの反応がおかしくないか? おい一夏お前、もしかしてこの数日でデュノアと『仲良くなりすぎて』なんかしねえだろうな?

 

 俺はその想像に背筋を凍らせた。いや、俺だって人に取り入るのは相当上手いつもりではあるが、もし既にそう言う関係に発展してるとしたらこいつはとんでもない奴だぞ!?

 しかしデュノアが故意に女である事を隠しているとすれば……いやいや、それにしたって早すぎるだろ! 一夏がヤバイのかデュノアがチョロいのかよく分からんぜ!?

 

 とりあえず、俺は笑う一夏とそれに熱っぽい視線を向けるデュノアの間に割って入って、ひきつった笑みでそれぞれの顔を見る。二人とも突然の俺の行動に面食らったようだ。

 俺としてもこう言う強引な行動は避けたかったが背に腹は代えられん。もしこのままこの二人がそういう関係に発展したりでもすれば篠ノ之のコントロールが大層困難になるのは間違いない。篠ノ之には盲目な恋する女でいてほしいのだ。欲望のはっきりした人間は操りやすいからな。

 

「ま、まぁアイツともそれほど付き合い長いわけじゃあねえしな! これからを楽しみにして行こうぜ」

 

 誤魔化すように言って、この話題を終結させる。こりゃあ、ちょっと一夏の行動にはもっと気をつけなきゃあいけねえか。まさかこれほどの女たらし力を発揮しやがるとは……。このまま、専用機持ち全員が一夏に惚れるなんて事態になっちまったりして。いや、少なくともボーデヴィッヒはねえか……ああ、そういや専用機持ちと言えば俺にもまだよく分からん奴が居たな。ちと聞いてみるか。

 

「なあ一夏、四組の専用機持ちってどんな奴か知ってるか? 忙しくて俺もまだ会った事無くてよお、ずっと気になってたんだわ」

「いや、俺も知らねっす。クラス対抗戦で戦えるかとも思ってたけど、結局中止になっちゃいましたし」

「僕が聞いたところによるとニホンの人らしいですよ。どんな機体に乗ってるんでしょうか」

「ふーん、そっか。今度ちょっと覗きに行ってみるかな~……ん?」

 

 話しながら第三アリーナの入口に向かっていた俺達だが、何やら周囲の様子がおかしい。先程から走りながらすれ違ってゆく生徒がやたらと多い。まるで皆、なにかから逃げてゆくようだ。アリーナからは絶え間ない銃撃音や砲撃音が聞こえてくる。だが、それは訓練と言うには余りに間断なさすぎる。まるで、本物の『戦闘』が行われているような――――

 

「……なんか騒がしくねえか? 今日の第三アリーナってそこまで人はいないはずなんだが」

「そうですね。僕らもそう聞いて第三アリーナに来たんですけど……観客席の方に回ってみます?」

「いや、ちょっと距離はあるがピットへ行こうぜ。万一何か起きてるんじゃ観客席からはどうしようもねえからな。急ぐぞ!」

 

 言って、俺達三人はピットに向かって駆け出す。その間にもアリーナから聞こえる音は激しくなるばかりだ。先程からすれ違う整備の人間達も慌てふためいており、何かが起きている事はもはや疑いようもない。

 

 一分か、それとも二分、いやもっとか。息を切らしながら必死で走った俺たちはやっとの思いでピットに辿り付く。そこでは、先日のクラス対抗戦襲撃の惨状に負けず劣らずの凄惨な戦闘が繰り広げられていた。

 

「鈴!? それにセシリア!?」

 

 アリーナを飛翔するISを見て、一夏が叫ぶ。確かにその姿は俺も見覚えのある<甲龍(シェンロン)>と<ブルー・ティアーズ>のそれだ。だが各所に備えられた装甲を損傷させ、シールドエネルギーも相当量削られていると見えるその姿は、一夏達には直視するのも耐え難いと思えるほどの物。そして、アリーナの中心で仁王立ちする、二機とは対照的に損傷の軽微な、黒いIS。

 

 そのISから覗くのは流れるような銀髪。ラウラ・ボーデヴィッヒ。確かISの登録名は――<シュヴァルツェア・レーゲン(黒い雨)>だったか。

 

 どうやら(ファン)とオルコットの二人とボーデヴィッヒ、この三人がアリーナで起きている騒動の当事者で間違いないだろう。そしておそらく原因はボーデヴィッヒだ。プライドが高く、代表候補生、そして一夏を巡る二重のライバル関係である凰とオルコットが何の理由も無しに二対一の戦いを挑むとは思えん。

 

 クソッ。あの野郎、全く反省してねえじゃねえか! 慌てて俺は懐の通信機で織斑千冬へと通信を送る。するとすぐさま通信が繋がった旨が表示され、俺は勢い良く通信機を耳に当てて叫んだ。

 

「織斑先生! 今第三アリーナで――」

『向かっている! 私が着くまで何とか()たせろ!』

 

 一方的にそれだけ告げると、織斑千冬は通信をさっさと切断してしまった。何処に居るのかまでは聞けなかったが、奴は急いでこちらに向かっているらしい。ならば、俺がするべき事は――

 

 俺はピットに設置してあるはずのアナウンス用マイクを探して視線を巡らせる。さあて、どうやってボーデヴィッヒの奴を足止めすっかね。俺としてはあいつらの戦いも見ておきたいし、うまい事やれればいいんだが……いや、戦闘のログなら間違いなく残されてるか。なら観戦は後でいい。今は織斑千冬が来る前にボーデヴィッヒを止めるくらいの勢いで行くべきだ。

 

 管制室の壁にかけられた無線マイクを()手繰(たく)るように掴むと、俺は一夏とデュノアがいるカタパルト前に走る。一夏が何か叫んでいるが、遮断シールドによってこちらの声は向こうに届いていないはずだ。だが、ボーデヴィッヒがこちらに気づいたのか、ピットの俺達にわざわざ顔を向ける。

 

 奴は慌てふためく俺達を見て口元を歪めた。侮蔑、そして喜悦の籠った笑みだ。

 

「なによそ見してんのよッ!」

 

 その声が聞こえたのが早いか、瞬時加速(イグニッション・ブースト)で飛び出した凰が双天牙月(そうてんがげつ)を構えボーデヴィッヒに肉薄する。何釣られてんだ。奴がハイパーセンサーが有るにも関わらずわざわざ顔をこっちに向けたのは、俺達を(わら)うためだけじゃ無く、お前らへの挑発でもあったんだぞ。

 

 奴は防戦一方だった凰達を攻撃に転じさせ、そこをカウンターで叩き潰す腹積もりに違いない。俺の考えを証明するようにボーデヴィッヒが腕を打ち振ると、手首に装着された袖状の装甲から赤熱したプラズマブレードが展開する。

 

 凰とボーデヴィッヒが交錯する。大きく体を逸らしたボーデヴィッヒが振り抜いていた手刀は、(あやま)たず甲龍のスラスターの一つを抉り斬っていた。全力で突撃していた凰は突如スラスターを一つ失ったことで大きく体勢を崩し、そのまま凄まじい勢いで転倒、壁際まで転がって動かなくなった。

 

「鈴!!」

 

 叫ぶ一夏を俺は手で制す。管制室からマイクと一緒に持ってきた情報端末を見るに、凰は気絶しただけだ。今にもカタパルトから飛び出しかねない一夏の怒りっぷりを俺は一瞬だけ堪能すると、再びアリーナに目を向ける。そこでは一人残され息も絶え絶えなオルコットが、起死回生のチャンスを掴むべくブルー・ティアーズに指示を下した。

 

「――――<衛星(サテライト)>!」

 

 手を前に突き出したオルコットの指揮に従い、ブルー・ティアーズのビット三機がそれぞれボーデヴィッヒの上方、そして左右に陣取り、彼女を中心として高速で旋回し始めた。既にビットの一つが落とされちまってるのか。しかしその苦境の中でも、オルコットは気丈に歯を食いしばる。

 

「……とんだ大道芸だな」

 

 だが、その敵意を受けたボーデヴィッヒは包囲の中心で侮蔑の表情を崩さずに、オルコットの繰り出した技を嘲笑っていた。

 

「最大稼働のブルー・ティアーズならばともかく、この程度の仕上がりでこの私を仕留めようなどと――」

 

 周囲を旋回していたビットが一斉にレーザーを放つ。同時にオルコットのエネルギーライフルが煌めき、ビットの攻撃に包囲されたボーデヴィッヒを撃ち抜かんとした。だがボーデヴィッヒは動じた様子もなく、その連続攻撃に獰猛な笑みを返した。

 

「――片腹痛い!」

 

 上体を逸らす、体をひねり、小さく跳ねる。その着地点を狙ったオルコットの狙撃をPICで空中に留まることで回避、上方からの攻撃をスラスターを吹かしそのままの位置で宙返りしてプラズマ刃で弾き防ぐ。直後放たれた左後方からのレーザーをワイヤーブレードを伸ばす事で回転の重心をズラして凌ぎ、瞬間的にそれを収納すると回転の勢いを殺さずにリボルバーカノンを稼働。そして奴は四発の轟音を以って、自身に牙を剥く三機の青い流星と、その指揮者を見事に撃ち落としたのだった。

 

 その一連の動きは暴力的な奴の強さとは対照的、まるで流麗なダンスを踊るかのようだった。何が<黒い雨(シュヴァルツェア・レーゲン)>だ。<黒い嵐(シュヴァルツェア・シュトゥルム)>に改名した方がいいんじゃあねえのか?

 

「嘘だろ……!?」

 

 一夏も、先程までの怒りを忘れてしまったかのように零す。今のは実際、この俺から見ても凄まじい動きでまったく驚嘆した。あの歳であれほどの戦闘技術を身に付けるなど生半可な事では無い。その傲慢も、俺たちを見下す視点も、何より奴の持つ実力に裏打ちされたものなのだろう。

 

「ここまでしても、届かないのですか――――!」

 

 吹き飛ばされて地に伏し、悔しそうに地面を叩くオルコットのその姿に、ますます歪んだ笑みを強くするボーデヴィッヒ。その愉悦に冷や水をかける様に、俺はマイクを握りしめて叫んだ。

 

『ボーデヴィッヒ! こりゃあ一体どういうつもりだよ、ええ!? お前何考えてんだ!』

「……フン、石動惣一か。丁度いい」

 

 二人の代表候補生を圧倒したボーデヴィッヒは、その事すら意に介さず、あまつさえピットの俺達に向けて挑発するように手招きをしてきた。

 

「織斑一夏同様、貴様の存在は目障りだった。揃ってISを着て降りて来るがいい。貴様らの敗北をもってこの学園のレベルの低さを――こんな場所に教官が(かかずら)う必要など無い事を証明してやる」

「上等だこの野郎!」

「一夏!?」

 

 白式、そして雪片弐型を展開した一夏がカタパルトから飛び立って、スラスター全開でボーデヴィッヒへと突っ込んでゆく。その手に握られた雪片弐型は既に巨大なエネルギー刃を生成していた。

 

Damn(ダァム)! お前まで挑発に乗ってどうすんだよ! 今は他にやるべき事があるだろうが! デュノア、医療班を呼んで来てくれ。あと整備班を。あいつらのISをさっさと修理に出してやらんと」

「わ、分かりましたっ!」

 

 言われて走り出すデュノアを尻目に、俺は再び二人のバイタルデータに目を走らせた。ボーデヴィッヒにこっぴどくやられダウンしている二人だが、その数値は辛うじて機体維持警告域(レッドゾーン)で踏み留まっている。

 

「うおおおおお―――ッ!!」

 

 その叫びと共に一夏がボーデヴィッヒへと零落白夜(れいらくびゃくや)を振りかざす。だが一撃必殺の刃を向けられても彼女は一歩たりともその場から動かずに、ただ右手を気だるげに一夏に向けただけだった。

 

「おあっ!?」

 

 次の瞬間、一夏が空中で不可解に動きを止める。まるで、突如としてその場に縫い付けられてしまったように。ボーデヴィッヒはその様子を見て小さく、しかしあからさまに鼻で笑った。

 

 ありゃあ……キネシスの類、いやPICの応用か? あの勢いの相手を容易く封じる拘束力、瞬時加速にさえも反応出来れば容易く対処できるだろう。更には実弾攻撃への対応力も……実にいい装備だ。こちらの世界の人間にも、中々の『兵器』を作る奴はいるらしいな!

 

「この程度か。あまりにも単純、他愛ない…………次は貴様の番だ石動惣一。さっさとISを着て降りてくるがいい。早くせねば、その間にこの男を殺しかねんぞ」

 

 ボーデヴィッヒは言ってリボルバーカノンを一夏に向ける。先程から抵抗を続ける一夏だが、奴を空中に固定している効力はかなり強力らしくどうにかなる気配は一向にない。その内、エネルギーが切れたか零落白夜の刃も減退し、消え失せてしまった。

 

 流石に、訓練機であれに勝つのは難しいな。機体の性能、操縦者の腕前ともに今まで俺がやり合ったISより間違いなく強い。それも相当な。俺が今使える力ではこの状況を打開できないと判断した俺は、手をひらひらと振ってボーデヴィッヒの要求を撥ね退けた。

 

「ああ? やーだよ。一々お前の相手なんかしてられるか。こちとら一応教師だぞ? 生徒の挑発に乗って私闘なんざ、許されてる訳もねえって事くらいお前にもわかるだろうが」

「フン、事ここに至って規則を盾にするか。Feigling.(臆病者め)

 

 何だと? その言葉に、俺は懐のトランスチームガンの存在を否が応にも意識してしまう。クソッ、ダメだダメだ。感情を得てからと言う物の、時折こうして強い感情に流されてしまいそうになる。今はその時じゃあない。俺は己を強いて意識をボーデヴィッヒに向けると、武力ではなく、言葉での戦いを開始した。

 

「ハッ! Kommt nicht infrage!(話にならねえな!)

「……何だと?」

Ich hab schon die Nase voll(もううんざりだよ). Bist du blind, was?(目開いて無えんじゃあねえのか?)

 

 親指を立てて、ボーデヴィッヒの眼帯によって塞がれた左眼を指し示す。それを見たボーデヴィッヒの顔は一瞬無表情になったかと思えば、次の瞬間怒りを滾らせ悪鬼の如きそれへと変貌した。

 

Halt die Klappe!(黙れ!)

 

 叫びと共にボーデヴィッヒは肩に装備されたリボルバーカノンの砲口を俺へと向ける。遮断シールド越しとはいえ、その威容と奴の放つ殺気が俺を射抜いた。やべ、ちょっと言いすぎたか? アイツ完全に撃つつもりだ! いくら内側からの衝撃を防ぐために展開されているシールドとは言え、貫通とかしかねやしねえだろうな!?

 

 俺は咄嗟にエボルトとしての<力>を右手に集める。万一シールドが破れても、俺の力であの攻撃くらいなら防ぐ事は出来るはずだ。だが今はこれを晒すべき時じゃあねえ。しかし何もせず頭を吹き飛ばされるわけにも――――

 

 その時、凄まじい速度で飛び出した影が(ほう)った一本のIS用ブレードが、今正に放たれんとしていたリボルバーカノンの砲身を弾き逸らした。

 

「なっ!?」

「そこまでだ!」

 

 そのままの勢いで一夏とボーデヴィッヒの間に着地する影。織斑千冬。普段通りの黒いスーツの上下に身を包み、しかし二メートル近いIS用の近接ブレードを生身で扱うその姿は人間技とは思えん。つーか、奴めパワーアシストも無しにIS用の装備を投げたのかよ。やっぱ<ブラッドスターク>で相手するのはマズいかもしれんなあ……。

 

 認識を新たにした俺はちょっとだけゾッとして、ボーデヴィッヒに剣の切っ先を向ける織斑千冬に大声で呼びかけた。

 

「遅えんですよ織斑先生! マジで撃ち殺されるかと思った!」

「お前の愚痴を聞くのは後だ石動! ――――さて、随分な事を言うようになったな、ラウラ」

 

 眼前にいながら、ISに乗ったままのボーデヴィッヒを見下す織斑千冬。遠目からでも感じ取れるその圧力は、既にこの戦場の君臨者の座がボーデヴィッヒではなく織斑千冬に奪い取られた事を示していた。

 

「貴様の処遇は追って沙汰する。すぐにここを立ち去って、自室ではなく応接室で待機しろ。どうやら随分とあそこが恋しいようだからな」

 

 ボーデヴィッヒは何か反論しようと口を開きかけるが、織斑千冬に凝視され一歩後ずさった。だが奴の持つ軍人の矜持か、織斑千冬に苦々しく敬礼をして、背を向けて歩き出す。

 

「ラウラァ! 何を歩いているか貴様ぁ!」

 

 だがそこにビリビリと腹の底まで震わせる程の怒号を浴びせられ、慌てて走り出したボーデヴィッヒの姿を、座り込んだ俺は大笑いで見送るのだった。

 

 

 

 

 

 

「織斑、大丈夫か?」

「悪い、千冬姉……」

「織斑先生だ、莫迦者。しかし、良くラウラを止めてくれた。感謝するぞ」

 

 長らくの拘束から解放され、汗を流して疲弊した一夏に織斑千冬が寄り添う。その姿は正しく良き姉弟愛って所か。だが、二人を助けようとして飛び出した挙句一蹴されたんだ。一夏は落ち付いちゃあいられまい。

 

「いや、俺は…………くそっ! また、また俺は何も出来なかった!」

 

 案の定再び味わう無力感に、悔しそうに歯噛みする一夏。そりゃあそうだよな。以前のクラス対抗戦と状況は違えど、目の前で傷付く仲間にどうしようも出来なかったのは同じだ。ま、今回は俺が止めたせいでもあるんだけど……すぐさま一夏が戦いに割って入った所で、ボーデヴィッヒ相手には大した戦力にはならなかっただろうな。

 

「一夏。悔しいのは分かるが、ほれ、医療班が来たぜ。事後処理で動けない俺達の代わりに、凰とオルコットに付いていてやってくれ。お前にも一応の検査は必要だろうしな」

「大丈夫、一夏? ケガとかないかな?」

 

 そんな一夏を、俺とデュノアが元気付けようと声をかける。だが結局その悔しさと怒りが収まる事は無かったようで、一夏はデュノアに肩を貸されながら、医療班と共にアリーナを去って行った。

 

 ……さて。とりあえずこれで一件落着、こっからは後処理かあ。まぁた忙しくなりそうだぜ。ボーデヴィッヒへの挑発の内容、アレ他の教師やらに絶対言われちまうんだろうな。ったく、誰も大事に至っちゃいねえんだから勘弁してほしいもんだぜ。

 

「石動先生」

 

 これからの身の振り方を自身の髪の毛をくしゃっと掴んで思案していれば、織斑千冬が俺の隣まで歩いて来た。

 

「良くあのラウラを抑えてくれた。お陰で取り返しの付かない事になる前に間に合ったよ」

「いやいやぁ、代わりにめっちゃひどい事言いましたけどねラウラに。ありゃあ俺、嫌われちまったかもしれねえなあ」

 

 俺が笑って肩を竦めると、織斑千冬は(ねぎら)う様に、珍しく柔らかい笑みを見せる。

 

「そうか……すまん、私の元部下が迷惑をかけた」

「いやあ、織斑先生が気にする事は無いですよ。あくまで元は元。今の奴は俺にとってもアンタにとっても生徒なんですから」

「……そう言ってくれると助かる。此度の働き、改めて感謝するぞ、石動先生」

「へいへい」

 

 目の前で律儀に頭を下げる織斑千冬に俺は抱いているイメージとの乖離(かいり)を感じてちょっと気色悪く思う。まあ正直な所頭を下げられて悪い気はしないんだけどな。人にはその人のキャラクターってもんがある。どうにも俺の中で織斑千冬はそうそう頭を下げたりはしない人物というイメージが定着しているらしい。

 

 そのまましばらく目の前で織斑千冬が頭を下げていると言う状況に、俺は僅かばかりの優越感と大きな違和感を覚えて、顔を上げてほしいと言った旨の視線を送った。すると織斑千冬はそれを敏感に察知したようで勢い良く顔を上げる。その顔には、一瞬垣間見えたと思った女性らしい柔らかい表情などもう微塵も見えない。

 

 流石は俺が現状最も警戒する人間、織斑千冬だ。そうで無くちゃあなあ。俺は心の内でこの人間への評価と警戒度を更に引き上げる。今まで戦って来た、戦いの中で成長し続ける仮面ライダー達とも違う、心体ともに既に完成された強者。

 いつかこの女と雌雄を決する時が来るかもしれないと思うと、感情を得た俺の心は熱く滾り、今にも獰猛に笑ってしまいそうになる。

 

 だが、俺は口元がつり上がり歯をむき出しそうになるのを意志の力でどうにか抑え込んだ。今はこうして、教師として皆と接するのが楽しいからな。こいつらはまだ飽きるには早すぎる。

 

「なあ、石動先生。一つ、お前に聞きたい事があるんだが……」

「何です?」

「ボーデヴィッヒへの懲罰の内容だ。……奴め、あれ程言ったにも拘らずまたこんな騒ぎを起こすとは……反省文ではダメらしい。それとは別に、何かいいアイデアは無いか?」

 

 真剣に悩んでいるらしき織斑千冬に、俺は冗談半分、本気半分で最高のアイデアを提供する。

 

「ドイツに送り返しちまえばいいんじゃないですかね?」

「それはダメだ。奴がドイツの代表候補生と言う(てい)でこのIS学園を訪れている以上、そこまでの決定を我々だけで下すことは出来ん」

 

 IS学園は超国家機関だからなあ。故に各国に配慮する必要があるって事か。俺もまるで真剣に悩むように首を傾げ、腕を組む。……懲罰か。

 

「ああ、Good Idea(グッドアイデア)思いつきました。ボーデヴィッヒにはまた反省文書かせつつ、俺のコーヒーをおまけに付けてやりましょう。アイツ、俺のコーヒーが好きになりそうな顔してないですか?」

「それは体罰にあたると思うんだが……」

 

 その言葉に俺は思わずムッとして、感情の赴くままにその言葉に応じた。

 

「じゃあ織斑先生がコーヒー煎れてやってくださいよ。だったらいいでしょ?」

「貴様、それは暗に私のコーヒーが不味いと言っているのか?」

「そんな事無いですって~! ったく、山田ちゃんに飲ませた時はあんだけ自信満々だった癖に都合いいんだかあ痛だだだだだ! 頭割れる! 食われる! 砕け散る!」

「食われる……? まあ、納得いかんが、そこまで言うならば一度試してみるとしよう。だが一度だ。お前も事後処理が終わったらコーヒーを煎れに来い」

 

 言って織斑千冬は俺の頭を鷲掴んでいた手を離した。痛え。俺はしゃがみこんで頭を抱え込む。やっぱこいつ本当は人間じゃあ無いんじゃねえのか? 余りにも身体能力が高すぎるだろ……。

 

「それともう一つ伝えておくか」

「はいぃ、何すか……?」

「例の学年別個人戦。どうやらタッグマッチに変更になりそうだ」

「……へえ、これまた何で?」

「ああ。まず一つとして、以前の襲撃のような事態が起きた場合アリーナで戦える生徒が多い方が対処しやすい、と言うのが一つ」

「もう一つは?」

 

 織斑千冬に、俺は(いぶか)しげな視線を向ける。他に理由があったのか? データ取り? お偉いさんからの要望? 一体どういう理由だ?

 

「……個人戦ではラウラが些か強すぎるからな。バランスの調整という奴だ」

「バランス調整ねえ」

 

 不服そうなその答えに、俺はちょっとだけ織斑千冬に同情した。確かにISでの戦闘がスポーツ扱いされている以上、外部からの観客が大勢来る今回の行事は楽しむ事が出来るようこの学園が苦心してるのは想像に難くない。

 奴の強さは特筆すべきモノだ。例え同世代の選手をいくら探しても奴ほどの強さを持っている者はまずいないだろう――ああ、あんまり奴がいい結果出し過ぎるとドイツと周りの国の関係がおかしくなるかもしれんからな、それゆえのバランス調整か。だが。

 

「でもそれ、俺に言わせれば余計なお世話だと思いますけどね」

「何故だ? 奴の強さはお前も見ただろう?」

「ええ。今は(・・)ボーデヴィッヒに勝てる奴は一年生にはいないでしょうね」

 

 あくまで事実を語る織斑千冬に、だが俺の笑みは崩れない。そして俺は何時だか缶コーヒーを賭けて勝負した時のように、織斑千冬に歯を見せて挑戦的な顔をして笑いかけた。

 

「当日を楽しみにしてて下さいよ。何だかんだ一夏の奴は相当腕を上げてますし、代表候補ならデュノアも居る。それに篠ノ之、アイツは俺が相当鍛えてますからね。織斑先生もきっと度肝抜きますよ」

「ほう……お前がそこまで言うなら、そうさせてもらおう。私はラウラに反省文を指示してくる。石動先生、アリーナの事後処理は任せても?」

「了解! じゃあ織斑先生は、ボーデヴィッヒの奴の顔をいい感じに青褪めさせて来て下せえ」

「うむ。また後で職員室で会おう、ではな」

「はいはいっと、Ciao(チャオ)!」

 

 背を向けて、歩み去る織斑千冬の後姿が見えなくなるまで俺は小さく手を振り続けた。

 いやー、楽しくなってきた! つまり今度のタッグマッチは織斑千冬の弟子とこの俺の弟子が対決することもありうるって訳だ! こいつは燃えないはずが無え!

 

 待ってろよ篠ノ之。それとなくボーデヴィッヒ対策の技術をちょっとずつ仕込んでいってやる――――あ、今日明日は訓練休みだったっけ。

 しょうがねえ、今日はボーデヴィッヒにしこたまコーヒー飲ませてやりつつ戦闘データの確認でもしてるか……。

 

 俺は今度のタッグマッチこそ、生徒達の素晴らしいバトルが見れる事を確信して、当面の目標をその日に定めた。前回の様にもしタッグマッチの日何か起きれば俺はそこに頭を突っ込むつもりだ。石動惣一としてでは無くコイツを使ってな。

 

 俺は懐の<コブラフルボトル>を取り出して、小さく振る。ようやくお前として戦えるかもだぜ、ブラッドスターク。それなりのブランクがあるが、巧く奴らの強さに合わせて行かねえとな!

 

 <ISフルボトル>との調整もまだ終わり切ってはいないが、当日までには十二分に間に合うだろう。折角の皆の晴れ舞台なんだ、きっと面白いものが見れると信じてるぜ。頑張って俺を満足させてくれよ?

 

 思わず笑い出しそうになるのを堪えながら、俺は整備員やグラウンドの保全係、駆け付けてくれた他の先生方に指示を飛ばして現場を収拾していく。

 そして、この後ボーデヴィッヒの奴が俺と織斑千冬のコーヒーにそれぞれどんな感想を漏らすかを楽しみにしながら、実にいい気分で事後処理を進めていくのだった。

 

 

 

 

 

 後日。学年別個人戦改め、学年別タッグマッチを目前にしたある日。

 

 篠ノ之が結局誰とも組まなかった結果、抽選の結果よりにもよってボーデヴィッヒとコンビを組む事になった(と言っても他の生徒は全員無事に相手を見つけ、二人は正真正銘余りだったようだが)事を知らされた俺は、今後の展開への期待が見事に外れたショックに職員室のど真ん中でめまいを起こした。

 

 そして織斑千冬に対してあれだけの啖呵を切った事を、今までの恨みと言わんばかりにさんざ山田ちゃんに弄られたせいでその日の授業に身が入らず、更に織斑千冬によって手痛い制裁を受けてひどい目に遭う。

 

 勘弁してくれよ、クソッ! 篠ノ之の奴、ここでボーデヴィッヒと組むなんてどう言う運命してんだ!? それは流石に俺も予想してねえぞ……!? こりゃまたえらい事になりそうだし、警戒は怠るわけにはいかねえな……。

 

 はぁーぁ……。俺は急激に暗雲立ち込め始めた学年別タッグマッチの行く先を憂い、IS学園に来てから一番大きなため息をつくのだった。

 

 




ラウラ回……と見せかけた千冬先生とのコミュ回です。
それはさておきようやくスタークの戦うシーンが書けそう……ここまで長かった。

あっそうだ、先日ライブドアニュース様の浴衣男子特集のグラビア&インタビューの記事で
岩永徹也(エグゼイド:檀黎斗役)、磯村勇斗(ゴースト:アラン様役)、甲斐翔真(エグゼイド:パラド役) (敬称略)
ともう凄い何かすごいラインナップ出てたんで興味ある方は是非(ダイレクトマーケティング)
自分は心がマジでときめきクライシスしました。


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1+1のリザルト

初見切り発車です。まだ後半部分書き切れてないんですがどう考えても2万字超えるのと明日は忙しくなりそうなので今の内投稿です。

ずっと思ってたんですけど「しののの」って打ってると「の」の数が安定しなくて「篠ノ之の」になったり「篠の」になったりしません?

感想評価お気に入り誤字報告、いつもありがとうございます。


 六月、最後の週始まりの月曜日の学年別タッグマッチトーナメント初日。その日は、長らく空を覆っていた(とばり)から久々に太陽が顔を覗かせ、先日からの湿気も相まって汗ばむような陽気となった。

 

 学園の生徒達はそれぞれ昨日(さくじつ)発表された組み合わせ表を胸に、慌ただしく構内を行き交う。この大規模トーナメントの注目度は正に世界規模。何せ各国における最先端IS及び次代のIS操縦者、そのお披露目の場であるからだ。

 そこには各国のIS関連企業や研究者だけではなく、政府の関係者までもがやってくる。そういった『お偉方』に対応しながらこの規模の行事を運営するなど、教員達だけで出来る事ではない。故に、当日試合の無い生徒のほぼ全員が先生達、あるいは生徒会の指示の下、雑務処理や会場準備、来賓の誘導にと追われる事になるのだ。

 

 そして私は、今頃振り分けられた仕事に追われて居るであろう他の生徒達とは違い、第一アリーナの更衣室で自身の気迫を練り上げていた。

 

 ――――まさかよりにもよって開幕初日の第一試合、第一アリーナで一夏と当たる事になるとはな。

 

 一が並んだこの現状に何か運命的なものを感じて、私はふふ、と小さく笑う。しかしタッグマッチか。思えばこの形式に代わったのも随分と急な事だったな。

 

 私は目を閉じ、当日の事を記憶から思い起こす。石動先生が気だるそうに告げたタッグマッチへの変更。そしてそれに伴うペア作成の手順を聞いて、クラス中の視線と殺気が一夏とデュノアさんに向いた瞬間の事は今でも鮮明に覚えている。そして当然ながら、皆の狙いはあの二人に集中した。

 

 正直言えば私も皆を押しのけ一夏と組みたい気持ちはあったのだが、件の約束の存在もあって、そこに首を突っ込む気にはなれなかった。その間にあれよあれよと一夏はデュノアさんと組む旨を叫び、織斑先生の一声で事態は収束してしまう。その放課後、鈴やセシリアにも聞いてみたが、二人ともボーデヴィッヒとの一悶着で負ったISのダメージのせいでトーナメントには参加できないと至極残念そうにしていた。

 

 その時はまたしてもボーデヴィッヒか、と腹を立てたものだ。今の私があそこにいたらすぐにルームメイトの鷹月(たかつき)さんにでも頼め! と歯ぎしりしていただろう。

 

 何せ、結局ペアとなる相手を見つける事の出来なかった私は、抽選で同様に相手を決めていなかった(誰でも良かったのだろうが)唯一の一年生であるボーデヴィッヒと組む事になってしまったのだから。

 

 その時、先程から緊張気味に話し込んでいた他の生徒達がしん、と一斉に押し黙った。所謂「天使が通る(Un ange passe.)」と言う奴かと一瞬思ったが、過密気味のはずの皆がさっと脇に退けると、件のボーデヴィッヒが歩いて来たのを見て得心(とくしん)が行った。

 

 ラウラ・ボーデヴィッヒか。石動先生に例の鈴やセシリアとの『一悶着』の映像を見せていただいたが、凄まじき業前(わざまえ)だった。間違いなく1年生の中でも抜きんでた実力の持ち主だろう。しかし、タッグマッチともなれば話は別だ。どう考えても彼女が協調を是とする性質(たち)には思えない。だが、優勝という至上目標のためならば私は過去の恨み辛みは捨て、プライドだってかなぐり捨てる腹積もりだった。

 

 故に彼女ともコミュニケーションを取ろうと何度か接触を試みたのだが……彼女はアリーナでの『一悶着』が祟って再び謹慎と言う事になってしまい、結局一度も言葉を交わす事も出来なかった。

 

 ――――謹慎自体は先週中ごろには解けていたらしいが、その後は体調不良で授業そのものを欠席している。もしも病み上がりなんかであればこの先それが大きな瑕疵(かし)となるやも知れん。

 

 私がそんな事を考えていると、ボーデヴィッヒは生徒達をかき分けこちらへと向かって来た。当然か。今日の更衣室のロッカーはトーナメントのペアで隣同士になる様に指定されている。だがこの女の隣で着替えると言うのは些か複雑な気分だ――ん?

 

 物思いに耽っていた私か再び顔を向けた時、ボーデヴィッヒの銀髪が既に目の前に迫っていた。慌てて私は飛び退く。すると何故かボーデヴィッヒは私の前を通り過ぎ、そのまま自分が使うはずのロッカーと正面衝突して尻餅を搗いてしまった。

 

 その様子を更衣室の皆が唖然として見ている。当然私もだ。開いた口が塞がらないと言うのはこう言う事を言うのだろう。しかし、最もショックを受けていたのは他でもない、尻餅を搗いたままのボーデヴィッヒ本人だった。

 

「――――気絶していたのか、私は?」

 

 愕然とした顔で呟くボーデヴィッヒ。そのまま、自身が今何処に居るのかを確かめるように周囲を見回す。遠巻きに眺めていた生徒達も、その視線が自分の方に向けられると慌てて背を向け、各々の準備へと戻ってゆく。

 

「……大丈夫か、ボーデヴィッヒ。立てるか?」

 

 見かねた私は彼女に手を貸そうとするが、それはすげなく振り払われ、彼女はなんとか自力で立ち上がった。そこでようやく、眼前に立つ私の顔をはっきり認識したように彼女は私の名前を口にする。

 

「篠ノ之……。篠ノ之箒か」

「ああ、今日はよろしく頼む。……体調が優れないようだがどうした? 何か悪い物でも口にしたのか?」

「悪い物……うッ!!」

 

 何か思い当たるモノでもあったか、顔を青褪めさせ口元を押さえつけるボーデヴィッヒ。私がそれとなく洗面所の位置を指差すと彼女はそちらへ脱兎の如く駆け出し、しばらくして、フラフラとあからさまに調子が悪そうな足取りで戻ってきた。

 

「本当に大丈夫なのか、ボーデヴィッヒ。もし体調が悪いようなら棄権も……」

「それには及ばん……ISの生体調節機能で何とかなる……。それに、織斑一夏を前にして、尻尾を撒いて逃げ出す事など、あって良い訳が無い……! 貴様は私の……うっ。…………邪魔を、しない事だけ考えていろ……」

 

 そう言って気丈に私を睨み上げるボーデヴィッヒだが、実際息も絶え絶え、と言った感じだ。そうして何秒間か睨まれていたか。奴は諦めたように視線を逸らすとロッカーに手をかけ、恨み骨髄と言った様子で小さく呟く。

 

「石動惣一め……絶対に許さんぞ……!」

 

 その言葉に、私は眉を(ひそ)めた。

 

「何があったと言うんだ? 石動先生が貴様に何かしたとでも?」

「ああそうだ! 奴は応接室で反省文を書いている時、私にコーヒーを差し出してきた……それも何度もだ! 今でも鮮明に思い出せる。私の口の中で炸裂した、あの(おぞ)ましき黒き恐怖! 奴によってコーヒー豆が消費されるなど世界の、いや宇宙全体の損失だ! 許される事では無い!」

 

 まるで地獄を見て来たような剣幕で叫ぶボーデヴィッヒに、更衣室中の視線が再び集中する。中にはその話を聞いて戦慄するものも居た。今悲しそうな、あるいは思い出すのを拒むような表情で目を伏せた彼女らは『経験者』だな。同時に、私は彼女が戦う前からなぜこれほど消耗しているのか、その答えを得て何とも言えないやるせない気持ちになるのだった。

 

「…………大体分かった。だがそれは、お前が懲罰を受けるような真似に出たのが原因なんだろう? 逆恨みもいい所じゃないか」

「黙れ……!」

 

 自分でも不覚を取ったと言う意識があるのか、青ざめながら頭に血を登らせると言う器用な事をやってのけるボーデヴィッヒ。彼女はそのまま早々に着替えを終えると、ピットへ向かう出口へ足早に去って行った。

 

 ――――此度の戦、勝てるだろうか。ここしばらく自身の訓練に注力していたせいで、一夏がどれほど腕を上げているかは定かでは無い。それに一夏と組むデュノアさんも専用機の持ち主、つまりはかなりの実力者であるはずだ。そして何よりボーデヴィッヒの不安要素。例えISの生体維持、調整機能をもってしても十全の状態になるとは思えない。大丈夫なのだろうか……。

 

 一瞬、私はどうしようもない不安感に襲われる。だが、石動先生の言葉を思い出し、弱気な自分を振り払うかのように頭を振った。

 

 ……何を馬鹿な。他人の事は二の次、まずは自身の実力を発揮しきる事を考えろ。私が石動先生に付けてもらった稽古を無駄にする訳にはいかない。余裕を持て。そして耐え忍ぶ心を忘れるな。

 

「よし!」

 

 自分の両頬を張って鏡を見る。そこには笑顔の自分が映っていた。そうだ、まずは目の前に戦いに全力で挑む事。あくまで勝利はその結果に過ぎない。そんな風に思うと悪い気分が綺麗さっぱり消え、高揚感が沸き上がってくる。心の中に火が点ったような感覚だ。悪くない。

 

 待っていろ一夏。今の私の力で、お前の度肝を抜いてやる。心の中で驚く一夏の顔を想像してさらに気合を入れた私も、更衣室を後にしてボーデヴィッヒの後を追うのだった。

 

 

 

 

 

 

「……いきなりラウラが相手、それに箒も居るなんて、開幕でラスボスと戦わされる気分だぜ」

「篠ノ之さんがボーデヴィッヒさんと組む事になったのは知ってたけど、まさか初戦だなんて僕もビックリだよ」

 

 着替えを終えた俺達は、備え付けの椅子に座り、向かいあってこの後訪れるであろう戦いに思いを馳せていた。現地点での紛れもない一年生最強であるラウラに、俺を上回る剣の使い手である箒。どちらも生半可な相手じゃない。鈴とセシリアを一蹴したラウラの強さは、夢に見るほど瞼に焼きついている。

 

 けど、どちらかと言えば怖いのは箒の方かもな。一度だけ見たアイツの訓練風景。その凄まじい熱量は、俺の心に火を付けたままだ。アイツの剣にかける情熱を考えると、この期間にどれだけ腕を上げているのやら。

 

「とりあえず『プランA』、先に篠ノ之さんを落とすつもりで行くんだよね?」

「ああ。……悔しいけど、タイマンでラウラに勝てるとは思えねえからな」

 

 だがそれでも勝つために、俺達は箒の撃破を優先する。今も言ったが理由は単純、一対一でラウラに勝てるとは思えない。奴の持つAIC――<アクティブ・イナーシャル・キャンセラー>――が余りにも致命的過ぎるからだ。アレに捕まれば一人では敗北は必至。しかも実弾兵器を防ぐ盾にもなると言う。エネルギー兵器ならすり抜ける事も出来るらしいが、あいにくシャルルはその類の装備は所持していない。

 

 ……俺達の『プランA』は単純だ。基本的にコンビネーションを軸に戦い、シャルルが箒を相手にして、その間俺がラウラを足止めする。そして箒をシャルルに倒してもらって、二対一でラウラを追い詰めるというものだ。

 

「箒が俺の知ってる箒のままなら、シャルルは割と相手しやすいはずだ。ラウラは俺が何とか足止めするんで、その間にアイツをどうにかしてくれよ」

「うん、分かってる。でも気をつけてね一夏。ボーデヴィッヒさんは二人でかかってもそう簡単に倒せる相手じゃない。僕も篠ノ之さんを倒すのに無傷とは行かないだろうし、一夏が零落白夜(れいらくびゃくや)を使えるだけの余力を残すのが最低限の条件なんだからね」

「そこなんだよな……」

 

 俺はその最低条件の厳しさに頭を抱えた。ラウラのISの強みはAICだけじゃない。遠距離ではセシリアを落とした大口径のリボルバーカノン、中近距離では変幻自在のワイヤーブレード、それを掻い潜った所で至近距離戦用のプラズマ手刀が待ち構えている。それを攻めに使えばどれほどの力を発揮するかは、先の『一悶着』で証明済みだ。

 

 確かに、俺も今日まで訓練を積んできた。半端な事はしてないつもりだ。けど、ラウラとやり合えるくらいになったかと言うと不安が残る。

 

 俺のそんな不安そうな様子を見かねたか、シャルルが立ち上がり、俺の顔を覗き込んで笑って見せた。

 

「大丈夫だよ! 僕らだってその為の訓練を積んできたんだ。それに一夏の『切り札』もあるし、クヨクヨしてても始まらないよ!」

「…………ああ、そうだな。ありがとよシャルル、気合入ったぜ」

「どういたしまして」

 

 ――――ったく、何をやってんだ俺は。微笑みかけてくれるシャルルを見て、俺は改めて奮起した。信頼してくれる仲間がいる。俺はこの信頼に応えたい。それに、箒との約束。詳しい事は結局わからなかったが、アイツは気の抜けた俺に勝ったって喜びはしないだろう。

むしろ怒鳴られるまである。負けるつもりなんて毛頭ないが、不甲斐ない戦いを見せる訳には行かねえな!

 

「……そろそろ時間だね。行こ、一夏」

「ああ。今の俺たちは、負ける気がしねえ!」

 

 笑いながら言って、二人並んで更衣室を出る。隣には信頼出来る友。努力に悔いは無い、心の馬力も十分だ。そんな最高のコンディションで、俺達二人は強敵との戦いに望むのだった。

 

 

 

 

 

 

 燦々(さんさん)と照り付ける日差し、そして生徒や観客からの歓声の元で、僕たちとボーデヴィッヒさん、篠ノ之さんのコンビは対峙した。

 

 地上に降りて、目の前に並び立つシュヴァルツェア・レーゲンと打鉄。両者共に凄まじい威圧感を放っているのは共通だが、操縦者の表情は対照的だ。

 どこか晴れやかな顔で私たちを見据える篠ノ之さん。一方のボーデヴィッヒさんは何かに苛まれるような表情で一夏を睨みつけている。どうやら彼女は本調子と言う訳じゃあないらしい。一夏には悪いけど、これなら多少楽になるだろう。

 

「一戦目で私と当たるとは、実力だけではなく、運も伴ってないらしい……やはり貴様に教官が教えを与える価値は無い。早々にここで消えてもらおう」

「へっ、言ってろ。……お前とこんな早くと当たるなんて、思ってなかったぜ、箒」

「私もだ。本来ならお前との闘いは最後に取って置きたかった。……だが、互いに手の内を知らぬまま戦えるんだ。むしろお前を驚かせるには好都合だな」

「言うじゃねえか。そっちこそ、今までの俺と同じと思うなよ?」

 

 正面に立つボーデヴィッヒさんとの会話を早々に切り上げ、一夏と篠ノ之さんが獰猛な視線を交わし合う。無視される形になったボーデヴィッヒさんの顔が更なる敵意に歪んだ。一応これも作戦の内だ。彼女みたいな自身の強さに絶対の自信を持つタイプは、過小評価されるのを何より嫌う。一夏もなかなかどうして、良い演技をしてくれる。

 

「おっと。僕もいるんだから、一夏だけが相手だと思わないでね?」

「当然だ。胸を借りるつもりで行かせてもらう、よろしく頼むぞ」

 

 会話に割り込んだ僕に対しての篠ノ之さんの物言いは、中々どうして気持ちのいいものだ。この人とは良い戦いが出来そうだ。僕は自分の中の国家代表候補生のプライドが首をもたげるのを感じた。やっぱり負けたく無いな。こうして僕のためにペアを組んでくれた、一夏のためにも。

 

 『10』。アリーナに設置された大型モニターに、試合開始までのカウントダウンが表示される。さて、上手く行ってくれるかな……。

 

『5、4、3、2、1、試合開始!』

 

 その放送直後。ボーデヴィッヒさんが右手を掲げAICを起動するのと僕が対IS用グレネードを放り投げるのはほぼ同時だった。放られたグレネードが丁度僕らの中間でピタリと動きを止め、その瞬間起爆。爆炎と黒煙が僕たちを隔てる事になった。一夏が動く。白式の持つ機動力を生かして煙の横から躍り出た一夏が、僕の渡した五五口径アサルトライフル<ヴェント>を予定通り彼女たちの間に撃ち込んだ。

 

 まずは分断。流石にこの奇襲は予想していなかったか、狙い通りに篠ノ之さんがこちら側に飛び出す。ボーデヴィッヒさんはまだ黒煙の向こう側だ。下がって避けたか、AICで止めたか。恐らく後者だろう。なら問題ない、まずは目の前の相手を――――

 

『シャルル、避けろ!』

 

 一夏からの通信に僕は慌てて地を蹴る。次の瞬間黒煙を突き破った砲弾が、先程まで僕の居た所を貫くのが見えた。シュヴァルツェア・レーゲンの大口径リボルバーカノン! もしあのままあそこに留まっていたら……そう思った僕の頬に一筋汗が垂れる。

 

『サンキュ、一夏。助かったよ!』

『ああ! 箒は頼むぜ!』

 

 それだけ言い残して、ボーデヴィッヒさんの足止めに向かう一夏。それを見送って、僕は改めて目の前の相手と対峙する。箒さんの打鉄は、既に近接ブレード<(あおい)>を構え、こちらの出方を伺っていた。

 

「……相手が一夏じゃなくて、ごめんね、篠ノ之さん」

「構わないさ、倒す順番はさほど重要じゃない」

 

 一夏の前情報と違って、篠ノ之さんは僕の挑発に全く動じる事は無い。それ所か、さらに挑発で返してくるような有り様だ。もしかしたら、一夏のくれた情報はあんまり役に立たないかも。

 

「――――行くぞ!」

 

 その一声と共に、打鉄が飛び出す。特別な工夫の無い直線的な動き。僕はその速度と同じ速度で後退して距離を保ちながら、先程一夏に渡したのと同じ<ヴェント>を呼び出(コール)し迎撃。対する篠ノ之さんは実体シールドを呼び出し、それを構えて無理やり距離を詰めようとする。だがいい的だよ。

 

 咄嗟に呼び出した対ISグレネードを上に放り投げ、その着弾点に篠ノ之さんが踏み入った瞬間六二口径ショットガン<レイン・オブ・サタディ>二丁を手にし速射。こちらに押し出されていた実体シールドの表面を強かに撃ち付けその衝撃で足を止めさせる。

 

 僕の持つ技能<高速切替(ラピッド・スイッチ)>は<ラファール・リヴァイヴ・カスタムII>に備えられた大容量拡張領域(バススロット)を生かした、装備の高速呼び出し・交換技能だ。近接、射撃を問わず常にもっとも状況に即した装備を入れ替えながら戦う。それと前進後退による距離調整を合わせた戦術である<砂漠の逃げ水(ミラージュ・デ・デザート)>は特定の距離に特化した相手に対して非常に相性がいい。

 

 篠ノ之さんに向けて落下していた対ISグレネードが大爆発を起こし、打鉄を頭上からの爆炎が包み込んだ。

 

 ――――これで、大分削れたと思うんだけど。

 

 その時、黒煙の中から何かが飛び出す。爆炎で黒く汚れひしゃげた実体シールド。もはや盾としては役立たずのそれを投げ飛ばしたのか! 瞬時に近接ブレード<ブレッド・スライサー>を呼び出した僕は眼前に迫った盾を力任せに思いっきり弾き飛ばした。

 

 瞬間、僕の顔に影が落ちる。僕はハイパーセンサーで確認する手間も惜しんでその場から飛び退き、落下してきたほぼ無傷の(・・・・・)打鉄が振るったブレードの餌食になる事を何とか免れた。着地した打鉄はすぐさま姿勢を立て直すと飛び出し追撃に移る。その姿を狙って六一口径アサルトカノン<ガルム>を撃ち放つが、彼女はそれを読み切っていたかのように跳躍、そのままスラスターを全開にして再び僕の上方を取った。

 

 マズい。前後の動きを主とする<砂漠の逃げ水>にとって上を取られるのは致命的だ。地面と言う()が後退での距離調整を許さない。だがそれならとガルムで空中の篠ノ之さんを撃墜しようと連射するが、彼女はまた実体シールドを呼び出し、弾道に対して角度をつけたそれで的確にガルムの弾丸を逸らし、完全直撃を防いでくる。

 

「――――はあっ!」

「あっぶねえ!」

 

 目前まで迫った篠ノ之さんが近接ブレードを一閃しようとした瞬間、どこからともなく飛びだして来た一夏がそこに割って入った。剣と剣がぶつかりあう音が間近に聞こえる。

 

「一夏!?」

「シャルル俺を掴んで右ィ!」

 

 一夏の言葉に僕は咄嗟に白式のスラスターを掴んで飛び離れる。そこを切り裂く六本のワイヤーブレード。その場に残っていた篠ノ之さんも、あわや直撃と言う所で実体シールドを犠牲にして斬撃の嵐から逃れる事に成功していた。

 

「ごめん一夏、また――」

(わり)ぃ後でぇーッ!!」

 

 叫んだ一夏は再び瞬時加速ばりの速度で突撃、ボーデヴィッヒさんの元へと突っ込んでいく。

 

「よそ見をするなッ!」

 

 その姿に一瞬気を取られた僕にまた別のシールドを前面に押し出した篠ノ之さんが急接近、しかし僕はレイン・オブ・サタディを速射してシールドを破壊、再びガルムの砲口を彼女に向けその胴体を狙う。

 

「私は、お前のように両手の指に余るほどの装備をとっかえひっかえする事は出来ないが――」

 

 だが、瞬時に新たなシールドを呼び出した篠ノ之さんはその直撃を防ぎ、再び盾を前に突撃してくる。

 

「――両手二本程度の数なら、何とかなる……!」

「くっ……!」

 

 幾ら一枚一枚の容量が小さいとはいえ、一体、何枚のシールドを拡張領域に入れて来てるんだ!? まさかここまで割り切って戦いに望んでくるなんて! さっきのグレネードを防いだ時も前面の防御に使っていたのとは別にもう一枚シールドを呼び出して防いでいたって訳か。聞いていた彼女とはあまりにも実力に隔たりが有りすぎる……!

 

 そんな思考の一瞬の間隙。そこを突いた篠ノ之さんが眼前に迫り、ブレードを振り抜く。レイン・オブ・サタディの迎撃は間に合わず、その銃身が中ほどで断ち切られた。

 

 返す刀の追撃。装甲に守られていない首を狙う一閃を咄嗟に飛び退いて何とか躱した僕はもう一丁のレイン・オブ・サタディとガルムを構え、右手にブレード、左手にシールドを構えて残心する篠ノ之さんの姿を視界に捉える。

 

 その姿は戦功を求めて突き進む武者と言うより、目の前の相手を如何に斬るかのみに注力する剣豪のそれだ。相手が使っているのは訓練機、戦術的にも有利なはずなのにも関わらず、実際に追いつめられているのは僕の方だ。胸中で悔しさがこみ上げる。

 

「……どうしたの、攻めてこないのかな?」

「…………倒す順番は重要ではないと言ったな。あれは嘘じゃない」

 

 僕の苦し紛れの挑発に、ギリギリと引き絞られた弓のような緊張を見せるその剣とは裏腹、どこか諦めたように篠ノ之さんが笑う。

 

「不本意ではあるが、私はこのまま一夏が倒れるまでつき合っていてもいいんだが」

「……それはこっちから御免被(ごめんこうむ)りたいね……!」

 

 なんて事だ。足止めしてるつもりが、真実足止めされてたのは私って訳か……!

 

『……ごめん一夏! 篠ノ之さんはプランAを見抜いてる!』

『マジかよ!? じゃあプランBか!』

『いや、プランC()で行こう。この人達の強さは予想以上だ。出来る事全部やるしかない』

『初戦から使いたくなかったけど、出し惜しみ出来る相手じゃあねえよなやっぱァ!』

 

 その通信を合図に、遠方で戦っていた一夏がボーデヴィッヒさんと剣と手刀を交えながらこちらへ突き進む。僕は篠ノ之さんがそちらに視線を向けた一瞬にレイン・オブ・サタディを撃ち込むとガルムを迫るボーデヴィッヒさんに向けて連射し、防御の姿勢を取っていた篠ノ之さんを尻目に一夏とボーデヴィッヒさんとの剣戟に飛び込んでいった。

 

 

 

 

 

 

「いきなり、凄い戦いになってきましたね」

 

 そう言う真耶の瞳は、眼下の彼女らの戦いに釘付けになっていた。無理もない。これまで専用機持ち三機が一堂に会する試合など殆ど無かったし、残る一機の訓練機も相当な腕前を見せ専用機持ちに有利に立ち回っているのだ、今頃観客も大盛り上がりだろう。

 

「流石にどんな形であれ、実戦を経験した奴らは違うって事っすなあ」

 

 石動はそう朗らかに笑って、自前のコーヒーメーカーを準備し始めた。私は飲まんぞ、と鋭く一瞥を飛ばすと、奴は分かっているとでも言いたげに頷いて見せる。

 思えば、普段に比べてラウラが僅かながら動きに精彩を欠いているのも、この男のコーヒーをアレだけ飲まされたのが原因なのでは? 私は訝しんだが、下手に奴を刺激してラウラの様な目に遭うのも御免だ。

 

 考えを心の中に仕舞い込み、私も今行われている戦いに目を向ける。先程まで別々に戦っていた一夏とデュノアが合流し、箒とラウラに対して乱戦を仕掛け始めた。あのまま一対一を続けてしまってはジリ貧と判断したのだろう。

 

 だが、その状況に陥っていたのは一夏ではなく、むしろデュノアだ。一夏と同様に近接以外の装備をそもそも持ち込まず、代わりに大量の実体シールドを拡張領域に詰め込んできた箒に銃器メインのデュノアは上手く時間を稼がれてしまう事になってしまった。

 

「まさか篠ノ之がああ言った判断をした上であの場に立つとはな。一体何を教えた、石動先生」

「俺はちょっといろんなやり方を教示しただけですよ。例えば、『仲間に任せる』とか」

 

 そう言って石動は手引きのコーヒーミルに豆を入れ、楽しそうにそのレバーを回し始めた。石動のコーヒー作りはどちらかと言えばかなり凝ったものだが、奴自身の技術の殆どは稚拙なものだ。

 ただこの豆を挽く作業に関しては傍目にも滑らかで力強く、カフェのマスターと言う自称にも納得行くほど(さま)になっている。ここまで綺麗に豆を挽いているのにあの味になるのは全く不思議な事だと私は思っていた。

 

「うーんいい香りだ…………ほら、ボーデヴィッヒの奴が強いのは周知の事実じゃないですか。だからアイツなりに、それを最大限『利用』しようと頭使ったんでしょう。俺としては手放しで褒めてやりたい所ですね」

「何か悪意ある言い方だな。個人的に言えば、あの様な消極的なやり方は好みじゃあない」

「でも攻めてたって勝てそうな勢いでしたけどね、アイツ」

「デュノア君が得意とする<砂漠の逃げ水>を地面を利用して封じた所、あそこ凄かったですよね! 私だったらつい真正面から撃ち合いに行っちゃいそうですよ!」

 

 興奮気味に(まく)し立てる真耶を鋭い一瞥で黙らせて、私はアリーナに視線を戻した。交錯した一夏とデュノアが空中で手を取り合い、そのままラウラの砲撃を回避しつつ戦闘相手を綺麗にスイッチする。

 

「一夏の奴も相当腕を上げたようだな。ラウラが本調子では無いとは言え、ここまで喰らいついて行くとは」

零落白夜(れいらくびゃくや)をボーデヴィッヒさんが警戒しているのもあるんでしょうが、ワイヤーブレードも的確に回避しています。相当訓練を積んだんでしょうね……」

「俺に隠れて稽古でもつけてあげてたんじゃないすか~織斑先生」

「貴様と一緒にするな」

 

 咎めるように言って睨みつける私に石動は怖気づくように目を逸らした。だが、その口元は笑ったままだ。

 

「ずっと言おうと思っていたが、余り一人の生徒に注力しすぎるのは教師として正しい行いとは思えん。何故そこまで篠ノ之に協力する?」

「俺に『強くしてくれ』って言ってきたのがアイツだけだからですよ」

 

 肩を竦めて言いながら石動はカップにフィルターを乗せて挽いた豆を乗せ、そこに円を描くように湯を注ぐ。

 

「でもまあ、他の生徒に同じ事言われて同じだけ熱を入れてやるか、ってなると違うと思うんすよね」

「どういう事だ?」

「それだけアイツの熱意が凄かったって事ですよ……うし出来た!」

 

 作り終えたコーヒーを満面の笑みで見つめる石動。会心の出来と言った表情だが、カップに揺れるコーヒーは光を反射しない暗黒の湖面を晒している。それを見た真耶がそっと三歩後ずさった。しかし当の石動はそれにも気づかずにカップを持ち上げ、その香りを一度楽しむと躊躇なくそれに口をつけた。

 

「まっず! 何で? 何がいけないんだ……あ痛ァ!」

「石動先生、少しは真面目に話を聞け」

「聞いてますって! ったく、すぐ実力行使に移るのは織斑先生のいや今のやっぱ無……う゛っ」

 

 何やら言いかけた所、再び書類のファイルに手を掛けた私を見て慌てて距離を取った石動は急に苦しそうな表情を浮かべる。先程まで健康的だった顔が急に土気色になり、冷や汗をだらだら流し始めた。

 

「どうしました、石動先生?」

「いや、なんか腹の調子が……」

「ええっ!? 大丈夫ですか!?」

 

 苦悶の顔で呻く石動と大げさに慌て始める真耶に、私は思わず呆れて溜息をついた。こんなやり取りももう何度目か。

 

「……ちょっとお手洗い行ってきます。いやあ、アリーナは男子用トイレがちゃんとあって助かる。いやホント」

「早く戻ってこい。間違えても外に出るなよ」

 

 一応釘を刺すと、石動は観念したように諸手を挙げ、手首に付けられたブレスレット状の発信機を指で指し示した。

 

「了解。正直そろそろ発信機外してほしいんすけど」

「さっさと行け!」

「あーい」

 

 先程までの苦悶の表情はどこへやら。笑って気だるげに言うと、石動は足早に管制室を後にする。その足取りは確かなもので、どうにも腹痛を起こしているとは思えん。だが、引き留めるわけにもいかん。

 

「まったく……」

 

 奴と話していると疲れる。どうにも緊張が抜けないのだ。普段は気楽そうな教師として振る舞っている奴だが、時折、初めて会った時の底知れ無さを未だに感じる事がある。先日のラウラの一件と言い、奴が教師として尽力している姿を何度も目にしたにも関わらず、私の本能が奴への警戒を解かぬよう叫んでいるのだ。束も奴への警戒を怠らぬように言っていたのも一因だろう。

 

 そんな事を深刻ぶって考えていると、後ろで様子を眺めていた真耶が私を見てくすくすと楽し気に笑っていた。

 

「どうした、山田先生? 私の顔に何かついているか?」

「いえ、だって織斑先生と石動先生のやり取りって、『ダメな父親を嗜める娘さん』みたいで面白くて……」

「……………………」

 

 私は普段の咎める様なそれとは違う、白い目で真耶を見た。それに真耶は不思議そうな顔で小首を傾げる。さて、余り触れて欲しく無い所に触れられた礼はどうするか。

 

「…………真耶、後日道場に来い。久々に組手でもしようじゃないか」

「えっ」

「私が家族に関する事で弄られるのが大嫌いなのは昔言った筈だが」

「あっ」

 

 言われて思い出したのか、真耶の顔からさっと血の気が引く。そこからの真耶は早かった。腰を90度の角度に曲げ謝罪の言葉を叫ぶ。

 

「すみません許してください私が悪かったです!」

「フン、それについては後だ。今は試合に集中するぞ」

「はい…………あっ! 織斑先生!」

 

 とぼとぼとモニターに視線を戻した真耶だったが、その事態に慌ててこちらを振り向いた。乱戦の中、一夏が今まで温存していた零落白夜をついに起動したのだ。

 

「遂に仕掛けるか……!」

 

 誰ともなく呟いた私は無意識に身を乗り出し、その顛末を記憶に刻むべく戦いの趨勢を見据える事に注力し始めるのだった。

 

 




ちょっと中途半端な切り方な感じがするけど戦闘シーン難しいし許してください! 何でもしますから!
明日はエボルトとのケッチャコ……(本当かな?)
もあるのに生で見れないし……俺の不運に自分が泣きそうです……!


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悪意とのエンカウント

ドキドキワクワクスタークによる戦闘シーンがようやく書けました。
合計二万字超えるから分割するって言ったけど、
後半だけで二万字超えてちゃ世話ないね。

感想お気に入り評価誤字報告、どれもありがとうございます。


 不愉快だ。何もかも。

 

 この戦いの全てが私を不機嫌にさせていた。ラファールからの絶え間ない銃撃が私に襲い掛かる。無駄だ。掌を向ければ銃弾の嵐は空中で動きを止め、主に逆らい私への攻撃を中断した。そこに織斑一夏が打鉄に追われながらも横合いから飛びかかってくる。

 

 私はもう一方の手をそちらに向けた。織斑一夏は咄嗟に跳ね飛んで軌道を逸らす。だが、私は手を向けただけでAICは起動していない。本命のリボルバーカノンが織斑一夏に向けて咆哮する。しかし、ラファールの放ったアサルトカノンが強かに砲身を撃ち付け、織斑一夏を狙った軌道から砲弾が逸れた。

 

 一瞬安心したような顔を見せる織斑一夏。だがその動きが空中でピタリと止まる。

 

 捕らえた。だが、奴の後ろに打鉄が迫り、ラファールも打鉄が放棄したと思しき実体シールドを此方に投げつけてきた。私は織斑一夏へのAICを解除して後退し、シールドの直撃と獲物を奪われる事を防ぐ。

 

 幾ら織斑一夏の動きを止めた所ですぐさまラファールが横槍を入れてくるこの状況に私は焦れていた。それに篠ノ之箒の打鉄。建前上は味方だが、私には跳び回る障害物としか思えん。そこそこ状況を見て立ち回っているようだが、隙あらば織斑一夏を斬ろうとする動きを見せてくる。奴は私の獲物だと言うのに!

 

 入れ代わり立ち代わり戦闘位置を変える織斑一夏とラファール。その立ち回りが想定以上に巧みな事が、私を更に苛立たせる。打鉄が飛び込み、迎撃のショットガンを回避。だが織斑一夏の剣に阻まれ、一旦こちらに離脱してくる。

 

 ――――うっとおしい障害物だ。ならば、障害物なりに役に立ってもらうとするか。

 

 そう思っていれば、ラファールを前に出して織斑一夏が突っ込んでくる。ラファールは新たに呼び出した実体盾を此方に向けた格好だ。そして、その後ろを走る織斑一夏の剣から光が迸った。

 

 零落白夜。嘗て教官が振るい、世界の頂点に立つ要因となった最強の剣。

 

 それを見て、私の怒りは頂点に達する。

 

 私はワイヤーブレードで近くで迎撃姿勢を取っていた打鉄の足を取り、ラファールに向けて放り投げた。

 

 打鉄とラファール、両者が同時に驚愕する。そのまま実体盾同士で激突した二機は、勢いのままくるりと位置を入れ替えた。それぞれがそれぞれの相手を狙おうとしたのが噛み合ってしまったか。好都合だ。打鉄は織斑一夏の前に立ちはだかる形に。そしてラファールは私と相対する形。この場に居る全員が一直線に並ぶ事となった。

 

 これで、織斑一夏とラファールの連携は分断した。まずは邪魔なラファールを落とし、返す刃で織斑一夏も(たお)す。AICによる隙を突かずにあの打鉄が織斑一夏に勝ってしまう事は無いだろう。

 

 その状況に追い込まれた事を察したか、ラファールが私に向け飛び出す。起死回生でも狙うか? 聡いな。だが、そんな直線的な動きでは私には勝てん! リボルバーカノンが動き、ラファールの顔面に狙いを定める。その瞬間、私はラファールがニッ、と歯を見せて笑うのを見た。

 

 ラファールが今までとは比べ物にならない速度で弾け飛ぶ。――瞬時加速(イグニッション・ブースト)だと!? 奴があれを使えるなどと言う情報は無かったはず! だが、真正面ならば!

 

 左手を掲げAICを起動し、奴の動きを縛りつけようとする。だがそれよりも先に、奴の構えた実体盾がバシュッと火薬の音を立てて破棄(パージ)され、回転しながらこちらへと迫ってきた。私は反射的に左手に力を込め、実体盾をAICで受け止める。

 

 次瞬、ラファールが空中で固定されたシールドを踏み台にして跳び、私の上方を取った。その手には、リボルバー式パイルバンカー<灰色の鱗殻(グレー・スケール)>。奴は既に目前。ワイヤーブレード? AIC? 間に合わぬ。私は咄嗟にリボルバーカノンをラファールとの間に滑り込ませた。

 

 ズガン! と言う炸裂音と共にリボルバーカノンがへし折れる。流石は第二世代最強の攻撃力を持ち<盾殺し(シールド・ピアース)>の二つ名を頂く武装。衝撃に全身が震え、回復しかけていた気分を僅かに悪化させる。だが。

 

「惜しかったな――」

 

 私の突き出した右手の先で、驚愕の表情を浮かべたままラファールは凍り付いていた。その連装機構により二発目を撃ち放とうとしていたパイルバンカーも沈黙。この状況を打開しうる織斑一夏は打鉄を挟んだ向こう側。

 

「――貴様は終わりだ!」

 

 叫ぶが早いかワイヤーブレードが空中のラファールを取り巻き、その全身を引き裂こうとする。私はずたずたのボロクズじみた姿で倒れ伏すラファールの姿を幻視し、その無残な有り様を思ってにたりと嗜虐的に口元を歪めた。

 

『避けろボーデヴィッヒ!』

 

 突然の打鉄からの通信。その瞬間、固定されたままだった実体盾が真っ二つに分かたれ、そこから三日月(Crescent)状の光刃が飛び出した。反応した時にはもう遅い。軌道上のワイヤーブレードを切断し、AICの力場さえも引き裂きながら飛翔したそれは、吸いこまれるようにシュヴァルツェア・レーゲンに直撃、一瞬でそのシールドエネルギーを奪い去った。

 

 

 

 

 ――――負けるのか、私は? この様な極東の程度の低い戦場で、それも真っ先に。

 

 そんな事があってたまるか。動け、動いてくれ!

 

 だがその思いと裏腹に、機体は強制解除の兆候を見せる。誰もがまだ戦っているのに。倒れ行くISの中、私は嘗ての自分を思い出していた。

 

 世界の兵器の最前線がISに移りゆく過渡期。ドイツ軍の遺伝子強化試験体(アドヴァンスド)だった私は、その時代の流れに対応するため疑似ハイパーセンサーとも言える新技術<ヴォーダン・オージェ>と呼ばれるナノマシン移植処理を受けた。理論上何ら人体に悪影響を及ぼすはずの無かったそれは、だがしかし私の左目を変質させ、それによって元々持っていた部隊トップの座を私から奪い去った。

 

 落ちこぼれと揶揄され凋落し、金色に染まった左目で見ていたあの頃の景色。訓練中、周囲の皆に着いていく事が出来ず、真っ先に地面に伏して戦い続ける皆を眺める事しか出来ない、無力な己。あれほどの屈辱を感じる事は後にも先にも無い。今日この瞬間まで、私はそう思っていた。

 

 だが、今のこの状況はどうだ?

 

 闇のどん底にいた私に手を差し伸ばしてくれた恩師。再び部隊のトップに立たせてくれた、あれほど憧れた織斑教官をドイツに連れ戻すために訪れた挙句、彼女に恥を晒すのか?

 

 それも、強く、凛々しく、堂々とした教官に、優しげな笑みを浮かべさせた、忌々しき織斑一夏に敗れ去って?

 

 強い教官を変えてしまう弟。奴を必ずや完膚なきまでに叩き潰し、その不要性を教官にお分かりいただくために訪れたこのIS学園で、また誰よりも早く倒れるのか?

 

 ――――ふざけるな。

 

 私の中で、今までとは比較にならぬ怒りが牙を剥く。力が欲しい。全ての敵を凌駕し、戦場に最後に立つ者を私だけにする。最強の力が。その呪いじみた思いに反応して、何かが蠢く。そいつが、私に語り掛けてくる。

 

『願うか……? 汝、自らの変革を望むか……? より強い力を、欲するか?』

 

 ああ。欲しいとも。眼前の全ての敵を倒せるだけの力が。私の憧れた教官のような、最強の力。絶対の力を、私に寄越せ――――!!

 

 その思いに呼応するように、眼前にいくつかの文字列が流れる。だが、その意味を私が理解する事は、終ぞなかった。

 

『Valkyrie Trace System────boot』

 

 

 

 

 

 

 ――――当たった。

 

 前回の改修から帰ってきた白式に同梱されていた、どこかで見たポップな文字で記された手書きの説明書。そこには雪片弐型の新機能として『零落白夜の斬撃を剣の軌道に合わせ飛ばす機能』が記されていた。

 

 当然その代償は大きい。本来徐々に――と言っても実際には凄まじい勢いだが――消費するはずのシールドエネルギーを、ごっそり持っていく諸刃の剣だ。エネルギーが満タンの状況でもギリギリ二回使えるかと言った凄まじいその消費量に、もう少しどうにかならなかったのかとちょっと複雑な顔になったのを覚えている。

 

 だが、手動でしか狙いが付けられないとは言え、あれほど欲しがった飛び道具、しかも一撃必殺だ。なんだかんだで俺はその機能を何とかやりくりしてくれた製作者に感謝した。そして、その機能は今正に大きな切り札となって戦場の趨勢を決めようとしている。

 

 名付けて、<零落月夜(れいらくげつや)>ってとこだな。

 

 俺は誇らしげに、光が消え実体剣に戻った雪片弐型に目を向ける。千冬姉から受け継いだ、世界最強の一振り。やっぱ最高の姉さんだよ。俺はそう思って眼を細める。

 

「余所見をするな、一夏ぁ!」

 

 一瞬気の抜けた俺に箒が斬りかかってくる。危ねえ! 俺は雪片でその一撃を寸での所でガードした。俺の知っている箒を遥かに上回る剣圧に、徐々に押し込まれそうになる。だが、AICから解放されたシャルルのアサルトカノンの援護射撃に、箒は堪らず距離を取った。

 

 ラウラが倒れ、これで二対一。しかも残ったのは先ほどから近接武器しか使っていない箒だ。幾らあいつが強くなっていても、俺達が絶対的に有利な事に変わりは無い。

 

 ――――行ける。そう、俺が心の中で確信した瞬間だった。

 

「あああああああっ!!!」

 

 倒れようとしていた突然ラウラが絶叫し、ISから激しい紫電が放たれる。空中にいたシャルルがその余波で吹き飛ばされ、俺の後ろに何とか着地した。

 

「一体何だよ!?」

「僕にも……一夏、あれ!」

 

 頭を振ったシャルルが立ち上がったラウラを指差す。そのISが――シュヴァルツェア・レーゲンがまるで粘土細工か何かのように変形を始めた。『形態移行(フォーム・シフト)』のような生半可なものじゃない。基礎の部分から、まったくの別物へと変化してゆく。

 

 そして、それが収まった瞬間そこに立っていたのはシュヴァルツェア・レーゲンでは無く、全身装甲(フルスキン)のISに似た何か。だが、先日の<ブラッド>が使ったような異形のそれでは無い。そのボディラインにはラウラの面影を残し、フルフェイスの頭部アーマーに走るラインアイから赤い光が漏れる。

 

 そして、その手に握られた、一振りの刀。

 

「<雪片(ゆきひら)>……」

 

 呆然と俺は呟く。嘗て千冬姉が振るい、世界最強の座まで共に駆け抜けた一振り。それが今、奴の手の内にある。どういう事なんだよ……!?

 

 その瞬間、今まで立っていただけだった奴は一瞬で俺の前に降り立ち、中腰に構えた雪片を箒さえ比較にならない速度で振るう。

 俺がそれを防げたのは偶然であり、必然だった。偶然は奴に警戒して雪片弐型を中段に構えていた事。必然はその太刀筋が()()()()()()()()()()だった事。

 

 だが、あの剣を受けて無事では済まない。アリーナの壁に向け、俺は呆気なく吹っ飛ばされた。そのまま壁に頭から激突しそうになった俺を、横から飛んできた影が何とか受け止める。

 

「大丈夫か、一夏!?」

「箒……?」

 

 俺を助けた箒が心配そうにこちらを覗きこんでくる。だが、今はそんな事はどうでもいい。

 

「離してくれ……」

 

 しかし、箒は俺の言葉に何も答えず、さらに俺を抱き止める力を強くした。俺がこれから何をしようとしているか、理解したように。

 

「離せ、箒! あの剣は、()()()のもんだ! 俺はアイツを許せねえ! 許すわけにはいかねえ! 邪魔するなら、お前だって……!」

 

 何時か、千冬姉が語ってくれた『真剣』の重み。アイツは、それを冒涜している。俺にはそれが許せない。千冬姉の願いを、あの剣の重みを。何でアイツはあんなに軽々しく振るってやがるんだ!

 ふざけるな。アイツは一発ぶん殴ってやらないと気が済まねえ。<雪片>は、あの剣術は、千冬姉だけの物だ!

 

「馬鹿者が!」

 

 言うが早いか、箒は巧みな足さばきで俺の重心を崩し、背中から地面に叩きつけてきた。肺から空気が押し出され、強い苦しみが俺を苛む。

 

「……ッ、箒、何すんだ!」

「馬鹿者と言ったのだ! 自分の怒りに任せて剣を振るうな! それはアレと同じ、ただの暴力に過ぎん!」

 

 凄まじい剣幕で叫ぶ箒に、激昂していた筈の俺は容易く気圧される。それは、その言葉に何よりも箒自身の実感と、苦い経験が込められているのを感じたからだ。

 

「確かに奴は、力に振り回され、千冬さんの剣を汚している! 妹弟子として、それは私だって耐え難い事だ! だが……」

 

 箒は俺に背を向け、奴に向け剣を構える。その言葉に、俺は尻餅を搗いたまま箒の背中を見上げた。

 

「……それを耐えるんだ、一夏。奴を否定したいのなら、同じ所まで堕ちるな。怒りを(こら)え、自分が今本当にやるべき事が何なのか、それを良く考えるんだ! 怒りに任せ切って振るう力で、得られる物など何もない…………嘗ての私の様に」

 

 剣を握る箒の手はギリギリと必要以上の力が籠り、その顔は耐え難い怒りを抑え込むが如く無理矢理に深い呼吸を繰り返している。

 

 箒だって、怒りを抱いているのは間違いなかった。だが、箒はそれを確固たる意志でコントロールしようとしている。俺にはその背中が、ひどく遠く見えた。ずっと、一緒に並んでいるものとばかり思っていた箒の背中は、技だけじゃない。いつの間にか、その心で俺より遥か高みに立っていた。俺にはそれが、箒に置いて行かれてしまったように思えてならなかった。

 

「――――悪い、箒。ひどい事言った」

「気にするな。私も通った道だ」

 

 俺は雪片弐型を杖代わりに、何とか一人で立ち上がる。冷静さを保っているように返事をした箒は奴に剣を向けたまま、俺を一瞥する事も無い。目の前の敵に集中しているのか。あるいは、俺なんかを信じてくれているのか。

 

「話は決まったみたいだね」

「ああ、かっこ悪い所見せちまった」

 

 シャルルも奴を刺激しないようにか、静かに俺達に合流する。既に試合どころじゃあない。観客は混乱に陥り、パニックが起こりかけているようだ。

 その姿に、俺はクラス対抗戦の時の騒動を嫌が応にも思い出した。きっと今、苦虫を噛み潰したような顔をしてるんだろうな、俺は。

 

「とりあえず、アレもISである事は間違いない。どうやら、嘗て世界を制した頃の織斑先生と同じ動きをする様だ」

世界最強(ブリュンヒルデ)の動きだって……!?」

 

 シャルルが驚く。無理もない。千冬姉は現役の操縦者時代、結局一度も泥を付けられる事無く頂点に立ち続けたのだから。そんな相手の現身(うつしみ)が、目の前に立っている。驚き、戦慄するのは当然の事だ。

 

 奴はアリーナの中心に立って、剣を構えたまま此方を見据えている。動く様子は無い。迎撃に特化されたプログラムにでもなっているのだろうか、こちらから攻撃しない限り動く事は無いようだった。

 

「ともかく。今アイツを助けられるのは俺達だけだ。待ってりゃ、先生方が来てくれるのかも知れないけど……待てねえ。俺にだって意地がある」

「フ、頼もしいな。だが確かに、一刻も早くボーデヴィッヒを開放してやるのが最優先だ。アレ程の力が、彼女に何の負担も強いていないとは思えん」

「ああ……シャルル、何かいい手無いか?」

「僕かい? うーん……」

 

 俺はシャルルに意見を求める。何せ、俺と箒は近接特化だ。相手が千冬姉のコピーだとすれば、近接戦で挑んでどうこう出来る相手じゃあない。どうしても遠距離攻撃が出来る彼女が鍵になる。

 

「そうだね……篠ノ之さん、僕にも実体シールドを貸してもらえる? あれとやり合うなら、盾がちょっと欲しいかな」

「すまん。その盾なんだが――――もうこの一枚しか無い」

「えっ?」

 

 深刻ぶって言う箒に、シャルルは拍子抜けしたような声を上げる。その顔を見て、箒はますます恥ずかしそうに顔を赤くして言った。

 

「『時間をかけて付き合ってもいい』と言ったが、アレは嘘だったんだ。デュノアさんには随分押されてたからな。あの時にはもう手持ちのシールドは殆ど使ってしまっていたし、その後の乱戦で残りもこの一枚以外壊れてしまった」

「……じゃあアレ、ハッタリだったって事?」

「…………恥ずかしながら、そうなる」

「――――ぷっ。ふふ、あはははは! そっか、もうあの時には盾無かったんだ! やられたなぁもう! あはははは!」

 

 俯くように言った箒を見て、何故かシャルルが笑い出した。聞く限りではどうやら、箒のハッタリにしてやられていたらしい。まさか箒が心理戦なんかやってるとは、ちっとも気づかなかった。笑いすぎたか少しこぼれた涙をぬぐうと、シャルルはいつもの笑顔に戻る。俺はそれを見て、二人を奮起させようと発破をかける事にした。

 

「へっ。でも、盾があろうがなかろうが、やる事に変わりは無えよな」

「そうだね。取り返しの付かない事になる前にボーデヴィッヒさんを助けてあげよう。一夏、零落白夜は?」

「飛ばすのは無理だけど、斬るならまだ何とかなるぜ」

「そっか。ならやっぱり一夏が――――」

 

 

『随分面白そうな事になってんじゃあねえか』

 

 

 その声を、俺は忘れた日は一度も無かった。瞬間、アリーナの俺達と観客を遮るように煙が沸き出し、周囲と俺達の視界、更には音までが遮られる。そして俺達と黒いISの丁度中間に同じ煙が沸き出し、そこから1機のISに似ても似つかぬパワードスーツが姿を現した。

 

 

 宇宙服のようなシルエットに、所々にパイプの意匠を施された、血色の装甲。胸とバイザーはエメラルドカラーのクリアパーツで構成されており、バイザーの奥には青いアイセンサーが覗く。一見煙突の様にも見える一本の角が頭からは生え、全体的に凶悪な雰囲気を纏った全身装甲(フルスキン)

 

 ――――そして何より、あの日聞いた物と同じ、壮年男性の加工音声!

 

『よぉ、織斑一夏! それと篠ノ之箒にシャルル・デュノア。初めましてだな』

「テメェ、その声……<ブラッド>か!?」

「ブラッドだと!?」

「ブラッド……?」

 

 叫ぶ俺に箒が驚き、逆にシャルルが訝しんだ顔を見せる。あのクラス対抗戦襲撃は箝口令が敷かれ、外部に情報は漏れていないはず。なら、シャルルが奴を知らなくても仕方ないか。だが説明している余裕なんかない。

 

『オイオイ、あんな腰抜けと一緒にするなよォ! 俺は<スターク>って言うんだ。以後、お見知りおきを。ハッハッハ』

 

 俺達の言葉に奴……スタークは否定するように手を振ってから名乗って、慇懃(いんぎん)に一礼をして見せた。どこかフレンドリーささえ感じさせるような言動だが、スタークから放たれる気配は凄まじく剣呑。その悪意はブラッドと同じ類のものだ。故に、信用には値しない。

 

「声で判断するなってブラッドには言われてね。アンタが何と言おうと信用できる要素は無いぜ」

『なるほど、一理ある。確かにそうだな』

 

 睨みつけながら言った俺に納得したようにスタークは答えて、奴は喉元の襟状になってるパイプを掴んで何かを調整するかのような動きをする。

 

「ブラッドの言ってた通りだ。なかなか物覚えがいいじゃあねえか、一夏ぁ」

「その声は石動先生の声!?」

 

 隣の箒が驚くが、スタークの言葉はそれだけに留まらなかった。

 

『敵の事を簡単に信じちゃあダメ、そこを分かっているのは素晴らしいですよ、一夏くん!』

「今度は山田先生……!?」

『フン、お前の素直さにはほとほと呆れさせられて来たからな。多少は成長しているようで安心したよ』

「千冬姉の声で喋るんじゃねえよこの野郎!」

 

 怒りと共に、雪片弐型の切っ先を向けて怒鳴りつけると、スタークはそんな俺が心底面白いとでも言う様に手を叩いて笑ってから、また喉元のパイプに手を伸ばした。

 

『フハハハ、悪い悪い。ちょっと最新の変声機の性能を披露したくてな。俺の悪い癖だ。ハハハ!』

「何をしに現れた? ここは貴様のような者が来るべき場所では無い! 今すぐここから消え失せろ!」

 

 箒もまた、怒りを露わにして奴を威嚇する。だがスタークはそんな箒の威圧もまるでそよ風を浴びるが如く何のその。平然と俺達に背を向け、黒いISへと向き直った。

 

『そう邪険にするなよ。俺はお前たちの味方さ』

「何だと……?」

『あの<ヴァルキリー・トレース・システム>の女を開放したいんだろ? 俺もアレと戦いたくてね。目的はともかく、手段は一致してるはずだぜ?』

「信用できるかよ!」

『ま、だよなあ? 別に構わねえよ、とりあえずお前らはそこで見てな』

 

 解り切ったように肩を竦めると俺達に後ろ手に手を振り、そのままスタークは黒いISに向け、赤い残像を残しながら駆け出した。スラスターを使っている様にも見えないのに何つー速度だ!? そして奴はどこからともなく拳銃状の武器と何故かバルブの付いた実体ブレードを取り出して、黒いIS目掛け勢いよく振り下ろした。

 

『そおらァ!』

『――――!』

 

 金属と金属がぶつかり合う音と共に、奴のブレードと雪片の刃が噛み合い、弾かれ、幾度となくぶつかり合う。凄まじいレベルの剣戟に俺達は立ちすくんだ。だが、真に驚くべきは奴が片手で雪片と競り合っている事だ。あの黒いISが千冬姉のコピーならば、その膂力(りょりょく)も半端なものでは無いはず。つまり、スタークの力はそれ以上の馬鹿力っていう事かよ。さっきのダッシュ速度と言い、どう言うパワーアシスト積んでやがるんだ!?

 

 俺が驚いたのも(つか)の間、二人の持つ刃が押し合う、鍔迫り合いへの体制へと移行した。と思った瞬間、奴がもう片手に持っていた拳銃型の武器をがら空きになった脇腹へ向ける。

 

 だが千冬姉のコピーをその程度では捉えられない。黒いISは咄嗟に上体を逸らして銃撃を回避。しかしスタークの攻撃はそれに留まらず、回避に注力した隙を突いてコンパクトな蹴りを放つ。上体を逸らした事で重心を後ろに置いていたISは蹴りを回避できず何歩かたたらを踏んで、スタークとの間に数メートルの距離が出来た。

 

 そこにスタークの拳銃が容赦なく火を噴く。だが黒いISもさる者、被弾のリスクなど知ったことかと言わんばかりに前に踏み込んで、まさにその通りに雪片で全ての銃弾を弾き防いで見せた。

 

『良い反応だ! 偽者とは言え、流石にブリュンヒルデかァ!』

『――――!』

 

 スタークの挙げた快哉の声に応じるように、黒いISが腰だめの姿勢からまるで居合の様に雪片を奔らせる。

 

【ライフルモード!】

 

 だがスタークの持つブレードが二つに分かれ拳銃と合体、工業製品めいたライフルに変化。そのままスライディングの様な体勢で剣閃の下を滑り抜けつつ、がら空きの脇腹に三点バーストの弾丸を叩きこんだ。

 

『――――!!!』

 

 一方的な被弾を受けた黒いISは激昂したかの如く叫びを上げ、居合抜きの動きから振り返りつつの回転斬りを繰り出す。正に一閃、ほとんど目にも止まらぬ速さ。だが、それに輪をかけてスタークの反転速度は早かった。

 

【コブラ! スチームショット! コブラ!】

 

 奴は体勢を立て直しつつ()()をライフルに装填、そのまま黒いISに先んじて銃口を至近距離で突きつけると、耳を(つんざ)くような電子音声と共にこれまでと比較にならぬ巨大な銃撃を黒いISに直撃させた。

 

 爆炎の中から吹き飛ぶ黒いIS、僅かにその表層が剥がれ、ラウラの白い肌が露出する。

 

 だが、スタークの攻勢は止む事が無かった。奴の手の甲辺りから蛇じみた触手が飛び出し、黒いISを捕らえて引き寄せる。そこに奴はタイミングを合わせて体重を十二分に乗せたサイドキックを叩きこんだ。

 

「ボーデヴィッヒ!」

 

 箒が悲痛な表情で叫ぶが、今のアイツにその声が届いて居るはずも無い。だが大きく弾き飛ばされた黒いISは空中で器用に体勢を立て直し、スタークから離れた位置に着地して再び剣を構え、尋常ではない敵意と殺気を放って見せる。

 

『ほう。やっぱブリュンヒルデの称号は伊達じゃあねえな…………だが、中身の無い上っ面だけのコピーとあっちゃ、所詮この程度か……』

 

 スタークはその姿に、少しばかり失望したかのように肩を落とした。俺はその姿に驚愕と、あまりにも大きな力の差を感じた。

 

 ――――何なんだ、アイツは。幾らコピーとは言え、嘗ての世界最強の機体を相手にあれほどの戦いをするなんて。国家代表候補生なんていうレベルじゃあない。間違いなくその上、国家代表操縦者達の領域に奴は居る。

 

 俺は、その余裕綽々と言ったスタークの姿に思わず歯ぎしりした。全力を尽くしてどうにかこうにかラウラを倒したってのに、奴は千冬姉の剣に呑み込まれ、挙句突然現れたスタークにそれすら凌駕する実力を見せつけられる。

 

 箒は耐えろと言ったが、その何と難しい事か。俺は今にも怒りで飛び出しそうな自分を何とか抑え込んで、スタークと黒いISの動きを注視する。そんな俺の横合いにシャルルが寄って、怪しむような瞳をスタークに向けた。

 

「一夏、アイツおかしいよ」

「えっ?」

 

 シャルルがおかしな事を言う。いや、おかしいのは最初からだろ。突然アリーナに現れ俺達と周囲を遮断して、その果てには味方だなんて(のたま)いやがる。何考えてんだかサッパリわからねえ。

 

「……ボーデヴィッヒさん、いや、あの黒いISに奴がトドメをさせるタイミングは幾つかあった。今だって引き寄せながら同じ銃撃をすればそのまま倒せたはず。でも、何でそのまま勝ち切らなかったんだろ? まるで、自分の腕を試してるみたい」

 

 そっちか。俺は変なことを考えていた自分が恥ずかしくなって、誤魔化すように聞く。

 

「でもアイツは『ラウラと戦いたくて来た』って言ったよな」

「いや待て、一夏。確か奴はラウラのISを指して<ヴァルキリー・トレース・システム>と言っていた。それと何か関係があるんじゃないか?」

 

 ヴァルキリー・トレース……。つまり、千冬姉のコピーと戦いに? でも何でわざわざ危険を冒してまでこんな場所に来た? 千冬姉のデータは、ある程度世界に出回ってる。<モンド・グロッソ>だって世界中に放送されていたし、わざわざ本当に戦わなくたって、別に構わないはず……。

 

 俺が悩んでいると、シャルルが何かに気づいたようにはっと顔を上げた。

 

「そうか。アイツ、本当にヴァルキリーと戦いに来たんだ! 狙いは織斑先生、その実戦データだよ!」

「はっ?」

 

 その答えに、一周回って俺は驚いた。何で既に世界中にあるデータを、しかも今の千冬姉のデータじゃなく、昔の千冬姉のデータを欲しがるなんて、何故?

 

「きっとスタークはデータを見るだけじゃあわからない、千冬先生の細かな動きの癖、そう言ったものを身を持って知るためにここに居るんだ。一夏だって、<ヴェント>を撃つのに僕に教えられただけの時と実際に撃った後、全然考え方が違ったでしょ? アレと同じなんだよ」

「あっ、そっか……」

 

 言われて俺は訓練の事を思い出す。確かにあの時も教本に乗ってた撃ち方とシャルルの教えは大事な要素だったが、それ以上に実際に撃ってみることが大切だった。アイツもそうして、千冬姉のコピーと戦う事で今まさに訓練をしてるって訳か!

 

 ……だが、そこで一つの疑問が浮かび上がる。そんな事をしてどうする? データだけでは満足せず、こうしてIS学園に侵入してまで千冬姉のコピーと戦い、自分を鍛える理由。それは――――

 

「――――まさかアイツ、その内千冬姉と戦うつもりなのか……!?」

「一夏、だとしたら不味い! 奴にこの戦いを続けさせてやる理由など無いぞ!」

 

 箒が叫び、俺を受け止めるため拡張領域(バススロット)に収納していた実体ブレードを呼び出した。ああ、マズい。もし今奴がここに居るのが本当に『千冬姉対策』の為だとしたら、俺達は絶対にそれを止めなきゃあいけない!

 

「それに、スタークはこのままだといつまでもあのISと戦い続ける! それじゃあ、中のラウラさんが持たない!」

「一刻の猶予もなかったのかよ、クソッ! 箒行くぜ!」

「ああ!」

 

 焦るシャルルの言葉に、俺と箒はスラスターを吹かせて飛び出した。狙いはラウラのシュヴァルツェア・レーゲンが変化した黒いIS。スタークの妨害、ラウラの救出。それを最短で、同時にこなすにはあのISの撃破が最善策!

 

 だが、先程まで気だるげにしていたスタークは待っていましたと言わんばかりにこちらに向き直って、再び何かを装填するとそのライフルの狙いを俺達に定めた。

 

『オイオイ……今日はお前らに興味ないんだが、なァ!』

 

【フルボトル! スチームアタック!】

 

 再びノイズ混じりの電子音と共に奴のライフルが火を噴いた。その銃口から飛び出したのは巨大な網。ISを十二分に捕らえられるだけのサイズを持ったそれが空中で広がり始め、まるで壁のように迫ってくる。

 

「侮るな!」

 

 箒が握りしめていた実体ブレードを片手に持ちかえ、同じ物を逆の手にも呼び出し、振り被って鞘ごと網へ向かって放り投げる。回転しながら飛翔したそれが広がった網を上手い事絡め取ったお陰で、俺たち自身が捕縛される事は無かった。

 

『良い機転だ。なら、こいつはどうだァ!?』

 

 奴は再び何かをライフルに装填する。アイツがあの動作を行う度全く別の攻撃が放たれるのは今までの動きから承知済み。一体次は何を撃って来る!?

 

【フルボトル! スチームアタック!】

 

 電子音声と共に、青く輝く弾が煙の尾を引きながら凄まじい速度で放たれた。

 

「箒!」

「ああ!」

 

 迫り来る致命の弾丸、それをギリギリまで引きつけてから俺達は互いを突き飛ばした。大きく開いた俺達の間を、弾丸が流星が如く駆け抜ける。俺と箒は体勢を立て直しながら、アイコンタクトで互いを称え合った。

 

『いい連携だな、だが無意味だ。狙いは最初からお前達じゃない!』

 

 しかしスタークの嘲る声に視線を向ければ、弾丸はそのまま飛翔して、シャルルの元へと迫っていた。咄嗟に回避行動を試みるシャルル。しかし彼女の横をすり抜けたはずの弾丸が急角度で反転、シャルルの周囲を渦を巻くように旋回し、最後には追いつめられたシャルルに容赦なく直撃、大きな爆発で彼女を吹き飛ばした。

 

「シャルル! てめえ!」

『厄介な奴を先に仕留めるのは定石だろ?』

 

 笑うスタークに俺たち二人は躍りかかった。箒の剣が縦の軌跡を描いて奴の肩口を狙う。俺の雪片が横の軌跡を描いてその脇腹を断たんとした。だがスタークはその狙いを予め予知していたように、掴み取る事で箒の剣を、手甲で弾く事で俺の剣を防いで見せる。奴はそのままの動きで箒の腹に掌底を入れ、流れるように俺の胸に肘打ちを放って吹き飛ばした。

 

「痛って……!」

「くっ……馬鹿な、白刃取りだと!?」

『その程度で驚かれちゃあ拍子抜けだぜ!』

 

 言うが早いかスタークが俺達に襲い掛かる。俺と箒の剣による迎撃を弾き、また柔らかく捌いて懐に潜り込んだ奴はまるで駒のように回転し、俺達を回し蹴りでまとめて吹き飛ばした。

 

 なんて奴だ。剣を持った相手に素手で押し勝つなんて、奴は俺達の三倍以上強いとでも言うのかよ――! 俺は悔しさに歯を剥きだし、喚きたくなる衝動に襲われる。

 

『やっぱ人形なんぞより人間を相手にする方がずっといいな!』

 

 そんな俺の内心など知らぬと言わんばかりにスタークがその攻勢を加速させる。先程までと違い武器も使わない徒手空拳だが、その威力と腕前は半端じゃ無い。俺の剣を弾いて強烈な拳を叩き込んだかと思えば、箒の斬撃を刀の腹を撃って逸らして手首を掴んで地面に叩きつける。

 

「くっそ……!」

『銃も持ってねえのか? どんだけ剣が好きなんだお前ら。じゃ、俺も剣を使ってやるとするか』

 

 一旦距離を取った俺達に啖呵を切りながらスタークはライフルを分解、再び剣と拳銃に戻すとその剣を構えて襲い掛かってくる。だがその時、高速で滑り込んで来た黄金の風がその剣を剣で受け止めた。

 

「シャルル!」

 

 先ほどの一撃で相当な痛手を負っていたのか、既にボロボロのラファールを纏ったシャルルは瞬時にショットガンを呼び出すとスタークへ向けて速射、だがスタークは跳躍して俺達の上を飛び越えて回避。着地して埃を掃う様に自身の体を軽く叩く。

 

「スタークは僕が! 二人はボーデヴィッヒさんを!」

「任された!」

 

 スタークに立ちふさがるシャルルを尻目に、俺達は黒いISへと飛び出した。既にその装甲は回復してしまっている。だが、ここで止まるわけにもいかない!

 

 剣を構える黒いIS(千冬姉)。しかしその威圧にも俺達は臆することなく剣を振り下ろした。だが奴はそれを一本の剣で巧みに受け止め弾き飛ばす。その剣圧に俺達は一旦距離を取り剣を構えた。その後ろで絶え間のない銃声が鳴り響く。シャルルがスタークを必死で足止めしている今こそ最大のチャンスだ。俺と箒が一瞬視線を交わして、まったくの同時に飛び出す。救出が始まった。

 

 

 

 

 

『俺とタイマンか。その意気は買うぜ。でもよお、お前なんかが俺を足止めできると思ったのか? もしマジでそうだとしたら、大笑いしてやるが』

 

 スタークは呆れるように肩を竦めた。その姿と軽々しい声とは裏腹に、そこには戦闘を邪魔立てされた怒りが僅かに滲んでいる。だが、僕はその姿に気圧される事は無い。

 

「……僕、意外と負けず嫌いなんだよね」

『んん?』

 

 その言葉にスタークは訝しげに首を傾げた。

 

「さっきの戦いで活躍できなかった挙句、君にもナメられたままなんて、僕のプライドが許さないって事!」

『八つ当たりかよ!』

 

 拳銃を向けたスタークの銃撃と僕の<レイン・オブ・サタディ>の弾幕が空中でぶつかり合い、弾け飛ぶ。即座にスタークが二発目を撃つために引き金を引き絞った。だが、攻撃速度なら僕は負けない――――!

 

 瞬間的に左手で掲げた<ヴェント>で弾幕を形成して出鼻をくじく。同時に連射したレイン・オブ・サタディで面制圧を行い、弾切れ直後に<ガルム>で奴の足元を吹き飛ばす。すぐさまヴェントを格納し、重機関銃<デザート・フォックス>による銃弾の嵐を撃ち放ち、スタークを防戦一方に追い込んでゆく。撃っては武器を持ち変えるその繰り返し。それはまるで西部劇に出てくるガンマンが撃ち終えた銃のリロードの時間を惜しんで、次の銃に手をかけそれを抜く様に。

 

高速切替(ラピッド・スイッチ)による早撃ち(クイックドロウ)……! ハッ! 何だ何だ。お前も中々できるじゃあねえか!』

「そう? だったら僕に延々付き合っててもらえるかな……!?」

『くっく、いいぜ。お前が、俺を楽しませてくれる限りはな!』

 

 楽し気な言葉と共にスタークの防御がその精度を増して行った。剣で銃弾を次々に防ぎつつ、拳銃は僕を的確に狙い回避を強要してくる。今ダメージを食らえばそれでISが解除されかねない。そうなればアイツは一夏と篠ノ之さんの方に向かうだろう。それだけは絶対にさせちゃいけない!

 

「上等だ!!」

 

 裂帛(れっぱく)の気合を叫んで、更にギアを上げてゆく。スタークをこの場に釘付けにする。いや、いっそこのまま倒してやる!

 

『いいぞ……いいぞォ! お前の実力もこの俺に見せてみろ、デュノアァ!』

 

 

 

 

 

 

 

 黒いISの振るう剣、その切っ先が俺のこめかみ近くを通過する。稲妻の如き突きを放ちながらも奴には大きな隙は無い。それに対する俺は必死だ。幾ら知っていて過去の物とは言え、千冬姉の剣と俺の剣の間にはあまりにも大きな差がある。だったらどうやってその差を埋めるのか。

 

 ――――そんな物、気合しかない!

 

「はああああッ!!」

 

 荒々しく振るった剣はだが奴の剣に容易く防がれ、俺の鼻先を奴の剣が薙ぎ払う。更には返す刀が俺の頭を輪切りにせんと襲い掛かった。

 

「一夏!」

 

 そこに割って入る箒。アイツの剣は敵の剣を何とか弾き、そのまま二回、三回と打ち合ってゆく。二人が剣道で戦った時には、箒は千冬姉には容易く圧し負けてた筈なのに。俺と何が違う? 何で箒はアイツと渡り合える?

 

 そんな嫉妬に近い様な思考を繰り返すうちに、何度かの剣戟を経て箒と奴は互いに距離を取った。

 

「勢い任せで剣を振るうな! それでは怒りにとらわれているのと何ら変わらんぞ!」

「つっても……気合以外にどこで勝てばいいか分からねえよ!」

 

 俺に叫ぶ箒に、ヤケクソ気味に叫んで返す。すると、箒は少し驚いたような顔で俺の方に視線を向ける。

 

「ああ、気づいていたか。確かに奴と私たちの差が心にあると言うのは間違っていない」

「だったら……」

「一夏、もっと落ち着いて、敵をよく見ろ。そして、やるべき事に全霊で集中するんだ」

「……どういう事だよ?」

 

 意味深に、神妙に言う箒に俺は訝し気に眉を顰めた。

 

「今、自分が何の為に戦っているのか。そこだ、そこだけでいい」

 

 箒の言葉に、俺は自身の心を見つめ直す。俺がやるべき事。ラウラをぶん殴る? 違う、そんなのは後でいい。スタークをぶっ飛ばす? 違う、それは手段に過ぎない。今俺が全身全霊でやるべき事。それは――――

 

 ――――ラウラの奴を助けてやる事。

 

 そうだ。そしてそのために必要なのは何だ? ただ勢いだけじゃあダメだと箒は教えてくれた。もっと必要なもの――箒は言ってたじゃないか。耐え忍ぶこと。だが、耐える事は押さえつける事じゃあないんだ。集中。集中! 俺の荒ぶる思いを、『ラウラを助ける』と言うただ一点の目的へと集中する。

 

 その思いを剣に乗せろ。もっと鋭く、もっと速く、もっと正確に。その思いが俺の心を徐々に、徐々に落ち付かせてゆく。それは零落白夜にも変化をもたらした。溢れ出るようだった光刃の勢いは少しずつ収まり、ゆっくりと形状を刀剣のそれに近づけてゆく。荒れ狂っていた力が、俺の手に収まる形に変化してゆく。

 

「――箒、時間をくれ。ホントにちょっとでいい」

「フッ。そのまま倒してしまいかねんが、構わんな?」

 

 そう言って笑った箒に小さく頷くと、箒は瞬時加速(イグニッション・ブースト)の勢いで奴に突っ込み剣を交えほぼ互角に渡り合い、むしろ徐々にではあるが追い込んでいった。その間に俺は零落白夜を更に、更に洗練させていく。

 

 箒の剣が奴の剣とぶつかり合うと、勢いは向こうの方が上のはずなのに箒の剣が圧し勝った。あれが想いの差。剣に乗った責任の差。先達である箒の姿が俺の剣に明確な方向性を与え、更に鋭く、強く押し固めて行く。

 

 ――――そして、普段の『剣から溢れ出る光刃』とは違う、『剣の形そのままの』零落白夜が俺の手の中に収まった。

 

「待たせたな!」

 

 俺は全力の瞬時加速で吹っ飛びながら、剣を腰に添え構える。千冬姉から教わった居合の技。箒から学んだ剣の重さ。勢いのまま奴の懐へと向かい、そこに居た箒が位置を交代するように飛び退く。交差した瞬間、通信すら必要とせずに、俺達の心が通じ合った。

 

 行くぜ。合わせてくれ、箒。

 ああ。行くぞ、一夏。

 

「うおおおお――――ッ!!」

 

 着地した俺はそのまま横一閃、雪片弐型を振り抜いた。奴はそれを雪片の縦斬りで弾こうと試みる。だが、俺の零落白夜が一際強く輝き、噛み合ったその刃を真っ二つに斬り飛ばした。

 

「馬鹿め。何も背負っていない剣で、私たちに勝てるものか」

 

 奴の横を通り過ぎながら、箒の斬撃が奴自身を直撃する。その衝撃に奴はたたらを踏みよろめく。そしてその眼前で、俺は雪片弐型を大上段から振り下ろした。

 

「てめえの剣は、軽いんだよ!!」

 

 縦一閃。その一撃を受けた奴の動きが止まる。そして、まるで蛹が羽化するかのように奴が纏っていたISが断ち割れ、中からラウラが(まろ)び出る。その一瞬、奴の左の美しい金色の眼と、俺の視線が交錯した。弱弱しい、縋るような目を向けた彼女は零れる涙そのまま、気を失って目を閉じる。俺は慌てて倒れ込むその体を抱き止めた。

 

「……ったく。世話かけやがって」

 

 俺はそのまま尻餅を搗いた。そして華奢な体の軽さと命の重さを実感して、また大きな溜息を吐く。

 

『あーあ、終わっちまったか』

 

 それを見たスタークが遠くで呆れるように溜息をついた。

 

『まあいい。奴のデータも十分に取れたし、デュノアのデータも有用だったからな。こんな所だろ』

 

 言って、満身創痍で膝を突いていたシャルルをその触手で捕らえると、勢い良く箒に向けて投げ飛ばす。残心していた箒は剣を放ると、素早くその落下点に移動しシャルルをなんとか受け止めた。

 

「無事か、デュノアさん!」

「ごめん……流石に倒し切るのは無理だったかな……」

 

 弱弱しく語るシャルルの無事に安心したように、箒はシャルルを抱く力を強くした。スタークは肩に掛けていたライフルを分解、再接合させたブレードをどこへともなく仕舞い込み、一仕事終えたように伸びをした。

 

『さあて。そんじゃあまあ、俺もここらで退散と行くかね』

「逃がすわけねえだろ、コラ」

 

 ラウラを優しく地面に寝かせて立ち上がると、俺はスタークに零落白夜の切っ先を向ける。箒もシャルルを置いて、回り込むようにスタークの周りを歩き、その様子を伺った。そして二人分の殺気を浴びせられたスタークは、だが分からず屋の子供を見るように肩を竦めた。

 

『ったく、勘違いするなって言ったろうが。お前達が逃がすんじゃない、俺がお前達を見逃してやるんだ』

 

 俺達を指で何度も指し示して、憤慨するように言うスターク。だが、言い終えて奴は俺達と周囲の状況を確認するように改めて視線を巡らせる。そして、懐から取り出した何かを拳銃へと装填した。

 

『ま、しかしこの状況、歩いて帰るわけにもいかねえし……』

【インフィニット・ストラトス!】

 

『理論を借りるぜ内海(うつみ)ィ。蒸血……いや違うな……ああ、そうだ、これがいい……<凝血>!』

 

 その言葉と共に引き金を引かれた奴の銃から、赤色の煙が吹き出し、それが奴の体を覆う様に集結していく。そして煙に包まれた奴の体が僅かに、だが確実に変化して行った。

 

【ファイヤー!】

 

 そして、煙を吹き飛ばした奴が新たな姿を現した。シルエットや装甲はそのままだが、全身に幾つもの排気口めいたスラスターが増設されている。恐らく、先程の姿よりも更に機動力を強化した姿。俺達はその姿に一瞬気圧され、しかし自分を奮い立たせて剣を向け続けた。だがその姿を楽しむようにスタークは俺達をひとしきり眺めると、スラスターを起動させ宙にホバリングする。

 

『それじゃあな。俺を追うより先にやるべき事があるだろう? 命は大事にしなきゃな。だが、何よりも大事なのはお前達の成長だ。今日は楽しい宴をありがとよ。そして未来のお前たちに期待してる。強くなれよ小僧ども、じゃあな!』

 

 そう言って、スタークは一気に上昇。遮断シールドの天頂を容易く突き破り、そこで煙を纏って姿を消した。それをしばらく見上げていた俺達は、ふと気が抜けたように揃ってその場に崩れ落ちる。戦いは終わった。俺と箒も相当なダメージでシャルルは満身創痍。ラウラに至っては無事かどうかもわからない。確かめる術もない。

 

「皆ご無事ですか!?」

 

 ピットからラファールを纏った山田先生が降り立つと、素早く周囲の俺達の容体を見て回った。そうしている内に、あれよあれよと言う間に医療班の人達も到着し、皆担架に乗せられて医療室へと直行させられる。

 

 第一学年、Aブロック一日目第一アリーナ第一試合。俺達の学年別タッグトーナメントは、そのまま開幕直後に幕を閉じることになった。

 

 

 

 

 

 

「ハァ~つっかれた~」

 

 俺は後ろ手にトイレの扉を閉め、肩を回して伸びをした。ひっじょ~に疲れた。だが、それだけの成果はあったと言える。

 

 織斑千冬本人では無いとは言え、ヴァルキリーの戦闘データを採取。篠ノ之は特訓の成果を見事に出して見せ、一夏はどうやってか更なる力を手に入れた。それに行きがけの駄賃ではあったが、想定外にデュノアの奴も面白い。剣一辺倒の一夏や箒、射撃特化のオルコットには無い柔軟性。ボーデヴィッヒは要観察だな。

 

 それに、トランスチームシステムとISボトルとの親和性も確立できたしな。嘗てビルドの世界で最上魁星(もがみかいせい)が生み出し内海が昇華させた<カイザーシステム>の合体を参考にやらせてもらったが、最初からそれに合わせて(しつら)えた様に丁度いい。これでスタークでも十分ISと渡り合える。俺は懐にISボトルを仕舞い込んで、早々にトイレを後にした。

 

 

 

「たっだいまー。試合、どうなりました?」

 

 俺は素知らぬ風に管制室に滑り込み、ニコニコ顔で皆に声を掛けた。だが皆予想通り、慌ただしい中に現れた俺に驚きと呆れの視線を向けている。

 

「あれ~? どうしたんすか? 何か俺変な事……」

 

 そこまで言いかけて、俺は自身に突き刺さった視線に込められた余りの威力に凍り付いた。その視線を感じる方向へと振り向けばそこには怒りのあまり阿修羅と化した織斑千冬。マジか。何でアイツ、あんなに怒り心頭なんだ? 奴の周囲の空気が揺らめいているのはどうか錯覚と思いたい。

 

「お、織斑千冬?」

 

 俺はそのあまりの殺気に、思わず後ずさる。オイオイオイオイ、何でこの女はこんなに怒り狂ってやがるんだよ。離席中に事件が勃発するなんて、普通は免責案件だろうがよ!

 

「石動、貴様……!!」

 

 食いしばられた歯の間をこじ開け(こぼ)れた声は、俺に取って殆ど死刑宣告に等しい物だった。俺は余りの圧倒的な威圧にもう二歩後ずさる。やべえ。やっぱ、あのデータ役に立たねえかも。この威圧は、本人以外にはありえない!

 

 俺と織斑千冬はごく僅かな、しかし、永遠にも思える時間その視線を交錯させる。奪い取って意識も無いはずの俺の肉体が、本能的に恐怖に震え頬を一筋汗が流れ、顎を伝う。そしてその汗は重力に逆らう事無く、床へぽたりと垂れ落ちて音を立てた。その瞬間、俺と織斑千冬は同時に動く。

 

「あっ俺急用を思い出しましたんで! Ciao(チャオ)!」

「この非常時に何を言ってるんだこの(たわ)けが――――!!」

 

 咄嗟に部屋から逃げ出そうと駆け出した俺の後頭部に、殺人的な分厚さを誇る『IS基礎知識参考書』が突き刺さる。あ、ダメだこりゃ。俺の体が今の一撃で完全にグロッキーした。だが、それとは独立して意識を保つ俺の眼にはIS界のもう一つの殺人書籍『IS基本操縦マニュアル』で二の太刀を繰りださんとする織斑千冬の姿が映る。

 

 あらら、こいつは本当に容赦がねえなあ。ま、流石に殺されはしねえだろ……俺自身の意識はどうしたもんかね。織斑千冬怖いし、ここは気絶しておくとするかな。

 

 諦めきった俺は奴の攻撃を受け入れた。これが今時噂の壁ドンならぬ顔ドンか。石動の顔が壊れたらただじゃあおかねえからなこの野郎。その怒りをしかし腹の奥にしまい込んで、俺はそのまま重力に身を任せ、床に崩れ落ちる。目を覚ました時には後処理まで全部完了してりゃあいいなあ。

 

 そんなだらしなく怠惰な事を考えながら、俺は気楽に目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 次の日。驚異的な回復力を見せ、一夜で職務に復帰できる程になった俺はどうにか今日の教務をサボタージュするために昨日のダメージで動く事が出来ないと織斑千冬に直談判したが、その願いは黙殺されホームルーム前から教室でたむろする事となった。

 

 今日の教室には印象深い顔が幾つか見えない。デュノアの奴は初めての実戦だったろうし、ボーデヴィッヒは今頃事情聴取で缶詰だろう。何せ、先日のクラス対抗戦は内々で隠し通せたが、全世界から来賓を招いた今回はそうは行かない。代表候補生に<アラスカ条約>の禁止兵器を持たせあまつさえそれを白日の元に晒してしまったドイツは今頃全世界から糾弾(きゅうだん)されているだろうな。

 

 だが、昨日同じ命がけの戦いに臨んだはずの一夏や篠ノ之は、いつも通りと言った顔でクラスメイト達と談笑に興じている。実戦経験者ってのはやっぱ胆力が違う――――いや、クラスの皆に気を(つか)い、己を強いてそうして居るのか。

 

 ったく、俺の期待にここまで応えてくれるとは何て可愛い生徒達だ。奴らは間違いなく成長している。一夏はこの戦いで剣の何たるかを掴んだようで、零落白夜の新たな形態を披露して見せ、篠ノ之の剣は木偶人形とは言え、過去の織斑千冬と渡り合える領域に足を踏み入れている。

 

 他の専用機持ちである(ファン)やオルコットの奴が今回の行事を棄権したのは残念な限りだが、これからも学年別タッグマッチは継続される事が決定している。しばらくは他の生徒を眺めて楽しむとさせてもらおうかね。

 

 IS学園としては生徒達の安全を鑑みてタッグマッチそのものを中断・延期しようと動いたようだが、各国上層部からの圧力がそれを許さなかった。当たり前だ。幾らIS学園があらゆる国から独立した超国家機関と言えど、立っているのは余りに脆い薄氷(世界)の上だ。そこまでの『横暴』が許されるはずも無い。

 

 何せあの行事は世界中の国々が形作るパワーバランス、その未来を占う一大イベントなのだ。それを先延ばしにされたとあっては、世界中がパニックさ。IS学園(自分達)の世界的重要性をもっと自覚してほしいもんだぜ。

 

 だが、その圧力を堪え『必要なデータを取るために、残りの全生徒の一回戦は行う』と言う落とし所で、世界の権力者たちを納得させつつ開催期間を大幅に短縮したのは褒めてやるべき所だろう。多分轡木(くつわぎ)の爺さんだな。ああ言った強さだけで無い人間がいるのは実に好ましい事だ。

 

 お陰で他クラス、他学年の専用機持ちの生徒達を見る事が出来るだろうが……流石に全試合を見るのには体がいくつあっても足りねえし、教師としてのスケジュールの問題もある。誰の試合を見に行くかきっちりと考えねえといけねえな。

 

 まずは一年四組に居るって言う専用機持ちだ。不思議と、幾ら調べてもその専用機の戦闘に関するデータが全く出てこない。<倉持(くらもち)技研>が一夏の白式(びゃくしき)の前に開発していたと言うが……白式の様に何らかの欠陥があって試合に出せないのか。それとも余程の秘密主義なのか。

 

 ま、どっちでもいいさ。そういうのを調べる手間もなかなかに乙なもんだ。そんな風に今後の展望を考えて俺が机に頬杖をついていると、教室の戸が開きまず織斑千冬が、その後ろをフラフラと、山田ちゃんが気を抜けたように歩み出てきた。

 

 何かあったのかな? まず織斑千冬を見て少し不機嫌になっていた俺は、その山田ちゃんの有り様を見て満面の笑みを浮かべる。良い顔してるぜ、山田ちゃん! だが、死んだ眼をした山田ちゃんが普段の穏やかで優しい表情からは想像できぬ、まさに過去の逸話に相応しい目で俺を睨みつけて来ると、驚きに俺の笑みはさっと引いた。

 

「石動先生、何で私を見ていつにも増して笑顔になるんですかね? 良く分かりませんが、何か悪いこと考えてたのは分かります。流石に私も怒りますよ? はぁ……」

「……そう堅い事言うなよ~。そういうのは織斑先生の仕事だって~」

 

 そう言って傍に歩み寄り肩を叩くが、彼女は結局恨みがましい目で俺を睨み続けるばかりだ。いやー、成長性はともかく、日常的に弄ってて一番楽しいのは山田ちゃんだな。まるで美空(みそら)を思い出すよ。

 

「では……今日は皆さんに転校生……在校生……? なんて言えばいいのかな……そう、不思議な事が起こってですね……」

 

 目線を伏せ困惑しきって語る山田ちゃんの顔に俺は思わず吹き出しそうになったが、織斑千冬の目線を感じてそれを必死に抑え込んだ。その俺が装う仏頂面とは対照的に、転校生と聞いた教室が何時かのデュノアの時の様にざわつき始めた。

 

「まあ、言うより見てもらった方が早いですよね……ではどうぞ入ってください」

「失礼します」

 

 ――――ん?

 

 俺と教室の面々が、頭の上に疑問符を浮かべるのはほぼ同時だった。廊下から聞こえて来た声がここしばらく良く耳にしていた物だったからだ。

 

「シャルロット・デュノアです。皆さん、改めてよろしくお願いします」

 

 IS学園の女子制服を――いや、男子の制服着てたのは元々二人だけだったけどさ――纏ったデュノアが丁寧な一礼をクラスの皆に向けた。

 

「何……だと……?」

「デュノア君が女……私は女の子に恋していたの……?」

「美少年じゃなくて美少女…………それはそれでアリね!」

「一夏くん、同室だったのにこの事知らなかったの!?」

「ちょっと待って!? 昨日覗きに行ったんだけど、デュノア君と織斑君一緒にお風呂入ってなかっギャーッ!?」

 

 織斑千冬が覗きを自白した生徒を制裁したが、ザワザワと言った教室中の皆の動揺が収まる事が無い。その混乱が嫌が応にも伝わってくる。その心境は俺も同じだった。

 

 おいおい、どういう心変わりだよ。お前、何の為に男装してたんだ? それとも一夏との間に何か――――ああ、多分それだな。全く何があったってんだ……いや待て、良い事思いついたぞ!

 

 俺はここしばらくで最高の笑みを浮かべて立ち上がり、真っ青になっている一夏の顔を鋭く指差した!

 

「まさか一夏ぁ! お前がデュノアを女にしたのか!?」

「なっ!?」

「何だと!?」

「何ですって!?」

「何言ってくれちゃってんですか石動先生――――ッ!!」

「「「一夏あああァァァ――――ッ!!!」」」

 

 一夏が叫び終えるのと、突然ドアを勢い良く叩き開けた凰がISを展開して踏みこみ、実体ブレードを手にしたオルコット、更には竹刀を握りしめた篠ノ之が飛び出したのは全く同時だった。

 

 あっやべ、ちょっと煽りすぎたか。事態の収拾に織斑千冬が動こうとしたのと同時に、俺は一番安全そうなISを展開していない篠ノ之に向けて動く。しかし、凰とオルコットの動きが止まるのはそれよりも早かった。

 

 いつの間に出て来やがったのか、凰と一夏の間にボーデヴィッヒが立ち、ISを部分展開したその両手を凰とオルコットに向けていた。AICで特に危険度が高い二人を止めたのか? いや、オルコットと一夏の間には篠ノ之が滑り込んでおり、実体ブレードの軌道に竹刀を差し込んでいる。アイツも一夏を守る算段だったのか。その割に殺気凄かったぞ。

 

 いや、待て待て。って事はボーデヴィッヒの奴、あの瞬間、あの混乱の中で危険度の高い相手を選定して的確な行動を起こしたって訳か。タッグマッチの時は随分荒れてたが、ここに来てプロの軍人らしい動きをするじゃあねえか。俺が感心していれば、一夏が心底安心したように溜息をつく。

 

「助かった……ラウラ、サンキュー。つか、IS全損しちまったんじゃあねえのかよ?」

「コアが無事だったからな。予備パーツで何とか動かせるようにして来た」

「そうだったのか、良かった――むぐっ」

 

 その瞬間、このクラスは完全に凍り付いた。いきなり、ボーデヴィッヒが一夏の胸倉を掴んで引き寄せ、その開きかけの唇に自身のそれをそっと重ねたのだ。

 

 …………何が起こったんだ? 俺は混乱した。人間の恋愛と言うものは知識としては知っているが、少なくとも石動の知識にはこんな公衆の面前であんな大胆な事する恋愛は無かったぞ?

 

 二人の唇が離れる。一夏は呆然として、口が開きっぱなしになっている。それに対してラウラの顔は一つの事をやり遂げたように晴れやかだ。いち早くその場の混乱から脱した篠ノ之がラウラに挑みかかった。

 

「おいちょっと待てボーデヴィッヒ貴様なに一夏とキキキキ、キスを――むぐっ!?」

 

 教室が再び凍り付いた。迫り来る篠ノ之の重心を巧みに崩したボーデヴィッヒが再びその唇を自身の唇で塞いだからだ。

 

 ちょっと待て、意味が分からんぞ。一夏へのアプローチは想定外だが、それは奴が俺の予想を越える女たらしだったと言う事でまだ何とか理解できる。だが、何故篠ノ之にまで?

 

 完全に混乱しきった俺は山田ちゃんに視線を送った。顔が赤くなったり青くなったりしている。ダメだ。織斑千冬を見る。まさかまさか、奴さえも完全にフリーズしている。こっちもダメか。俺は自分を鑑みた。ビルドの世界で手にした知識では――――いや、この世界の人間の知識にもそんなケースありゃしねえぞ! だが、自身の知識と現状の相違に苦しむ俺を尻目にボーデヴィッヒは叫んだ。

 

「お前達を……お前達を私の嫁にする!」

 

 ――――は?

 

「日本では気に入った相手を『嫁にする』と言う習慣があると聞く。更に、私の部下の調べによれば一人の婿が大勢の嫁を持つ『はーれむ』なる物も存在するそうではないか!」

「いやお前何言ってんだよ」

 

 俺は思わずつぶやいたが、その言葉はボーデヴィッヒには届かなかったらしい。一方、ボーデヴィッヒによる奇襲攻撃にあった二人はそれぞれがそれぞれの反応を見せていた。

 

 一夏は魂が抜けたかのように真っ白になっていた。恐らく『あんな事をされれば周囲の女子達に何をされるかわからない』という恐怖が意識を現実逃避させたのだろう。その経験、つい昨日俺にもあるからわかるぜ。

 

「私の、私の唇が……事故以外のファーストキスも一夏と決めてたのに……」

 

 一方の篠ノ之は、崩れ落ちて何事か呟き続けている。一体何がそんなにショックだったのか、その瞳からは涙がこぼれそうだ。あとで一夏共々なんとか精神ケアしてやらねえと……ん? これもしかして、俺のプランにとってもイレギュラーそのものなんじゃあねえの? ダメだ、手に入れたはずなのに、人間の心がさっぱり分からねぇ!

 

 そんな事を思っていれば、教室の生徒達が口々に好き勝手な事を話し始めた。

 

「おかしいでしょ……私の前で一体何が起こってるの……!?」

「一シャルが崩れ去ったと思ったらラウ一だった……? いやラウ篠……? わけがわからないよ……!」

「恋のバミューダトライアングル(三角関係)……その時不思議な事が起こった!(摩訶不思議現象発生!)

「一夏ァーッ! 何そんなちんちくりんとキスして呆けてんのよ!? なんなのよも――!!」

「一夏さん……貴方が衆人環視の中でそんな事をするなんて……ちょっと絶望しましたわ……」

「一夏……僕の前でそんな……!」

「一夏ぁ……一夏ぁ……私は一体、どうすればいいのだ……?」

「嘆く事は無いぞ、私がお前達二人を(めと)ってやるのだか――」

 

「貴様ら」

 

 三度、世界が静止した。だが、それは今までと違いたった一人の女によって引き起こされた事態だ。ゆらりと、凍結(フリーズ)していた織斑千冬が再起動(リブート)する。代わりにその余波でクラス全員が凍り付く。俺は既に諦めていた。

 

 二日連続とはなあ。もうどうにでもなれよ。俺が目を閉じて笑って、椅子に大きく寄りかかった瞬間。

 

「いい加減にしろ――――ッ!!!!」

 

 織斑千冬の怒号によって、騒動は見事に一件落着したのだった。

 




すぐ完成するかと思ったけど44話と余りの高気温で色んなものが大爆発してめっちゃてこずりました。
見切り発車してはいけない(戒め)
クッソ長くなりそうなので後書きは活動報告の方で垂れ流すですねはい。


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ときめきが呼ぶクライシス


臨海学校に向けてのイベントをこなして行くので久々の日常回です。

感想お気に入り評価誤字報告、どれもありがとうございます。
とても励みになっております。


 

 ――――第二アリーナが、炎上している。

 

 

 いや。大袈裟に言ったが、別に火事とか災害とか、先日みたいな襲撃とかじゃあ無い。だが確かにピットから見下ろすアリーナはそこら中で炎が燃え盛り、文字通り絶賛炎上中だ。

 

「随分派手にやりやがるねえ。アイツ、いつもああなのか?」

「いやいや、そんな事無いっスよ石動センセ。先輩、今日は随分機嫌悪いみたいっスからねー」

 

 手すりに寄りかかって笑う俺に熱風で三つ編みとぼさぼさの髪の毛を揺らしながら、IS学園2年生でありギリシャ代表候補生の<フォルテ・サファイア>は答えた。一方眼下を飛び交う影二つ。その片割れが、この惨状を引き起こした実行犯だ。

 

 IS学園3年生にして大国アメリカの代表候補生、<ダリル・ケイシー>。彼女の乗機<ヘル・ハウンド>は炎を操る能力を持つISだ。面制圧力と火力に優れ、特にこの様に閉鎖された戦場での支配力は圧倒的と言える。彼女はこの試合が始まって即最大火力で戦場を焼きまくり、敵を即座に一機落とし余波で味方も落として、残りの敵を今まさに焼き尽くさんと追い立てているのだった。

 

 しっかし味方までダウンさせちまうなんて凄まじいな、こっちまで熱気が伝わってくる。肩部の犬の頭を模した装甲からは炎が漏れ出し、搭乗者の精神状態を否応なく俺達にアピールしていた。いい火力だな。あの姿、万丈のクローズマグマを思い出すぜ。

 

「なあ。ヘル・ハウンドは随分と細かい更新が多いって聞いたんだが、あれ今バージョン幾つなんだ?」

「2.1っス。でも先輩、どぉ~にも今回お国がしてきたチューニングが大層気に入らなかったみたいで」

「そんであんな荒れてんのか。怖いねえ」

「まったく同感っス。この試合でスッキリしてくれるといいんスけど」

 

 そうフォルテ・サファイアが呟くと同時に、今までとは比べ物にならぬ爆炎がアリーナから吹き上がった。それと同時に試合終了のアナウンスが流れる。これで今年のIS学園学年別タッグマッチは無事終了って訳か。随分短かった気がする……いや、実際予定の半分ちょっとの期間で済んじまったしな。それに先日の『ドイツ製IS条約禁止兵器暴走事件』があった初日以降は来賓の客も大幅に減り、当日試合の無い生徒は手持ち無沙汰になる者も多かった。丁度そこのサファイアみたいにな。

 

 お陰で俺のスケジュールにも大分空きが出来てくれて、専用機持ちや代表候補生の試合の殆どを見て回る事が出来た。今回のタッグマッチは俺的には大成功だな!

 

 織斑千冬の過去の実戦データ、一夏や篠ノ之の現在の戦闘力の確認、デュノアを初めとしたまだ見ぬ生徒や専用機持ち達の実力調査も十分な成果を挙げたと言える。ただ、例の『1年4組の専用機持ち』は結局このタッグマッチも棄権してその姿を見る事は出来なかった。

 

 こうなりゃ機を見て直接会いに行くしかねえか。ここまで露出を避けているとは思わなかったぜ。一体どういう理由だ? 専用機の欠陥? あるいは日本の国としての意向か? 俄然気になってきたな。

 

「そんじゃ、自分先輩ンとこ行くんでここらで失礼しまーっス。おたっしゃで~」

「あいよ。次はコーヒー用意しとくから楽しみにしといてくれ。Ciao(チャオ)!」

「はっはっは……お断りっス」

 

 気だるげだった顔を最後だけ真顔にして答えたサファイアに、俺は自分のコーヒーに対してどれだけの風評被害が広がっているのかという懸念を新たにした。だがそんな表情はおくびにも出さず、俺はにこやかに奴の背中へと軽く手を振る。

 

 ……やっぱ(まゆずみ)のヤツは一度締めないとだめか。あの野郎、先日も『ドイツ代表候補生を襲った悲劇! 石動惣一による恐怖の<コーヒー謹慎>!』なんて記事を出しやがった。何が恐怖だよあのパパラッチ女め。難波チルドレン(滝川紗羽)だってもっとマシな記事を書くぞ。

 

 と言うか、そんな情報何処から漏れた? 織斑千冬がいちいちそんなこと言いふらすとは思えないし、ボーデヴィッヒの性格上、自分からそんな醜態を喧伝(けんでん)するとはもっと考えにくい。もし黛の奴が独自の情報網を持っているならそっちについても吐かせてやるとするか……。

 

 時計を見た俺は、物騒なことを考えながらにアリーナを後にする。昼の11時前か。今度の臨海学校について織斑千冬から話があるらしく、11時に応接室に来るように言われている。どうせ俺の行動範囲に関する規定だの、発信機の扱いだの、旅館の寝室振り分けについてだの、そんな下らない話なんだろう。そう思うと、心底行きたくない気持ちが首をもたげてくるが、行かなかった場合の方が奴は恐ろしい。

 

 俺は諦めて、奴が待っているであろう応接室へと急ぐのだった。

 

 

 

 

 

 

「――――以上で注意事項は終わりだが、何か質問はあるか?」

「俺行く必要ないですよね?」

 

 パァン! 織斑千冬の伝家の宝刀(出席簿)が炸裂し、俺はそのダメージに(こうべ)を垂れる事になった。

 

 頭をさすりさすり、痛みに呻く俺を見て織斑千冬は不愉快そうに鼻を鳴らす。しかし、臨海学校か。まぁ周囲に被害の出にくい海で武装確認の演習をするのは理に適ってるとは思うが、一日目の自由時間、これは別に必要ないだろ。前々から思ってはいたがこのIS学園、軍事兵器の教練施設としてより高等学校としての性格が強すぎるな。

 

「まったくお前は興味の無い時があからさま過ぎる……少しは生徒達に向ける情熱を事務仕事にも持ち込んで見せろ。……それと石動、お前水着は持っているのか?」

「水着ぃ?」

 

 織斑千冬の怪訝そうな声に、俺は鸚鵡(おうむ)返しで言った。

 

「オイオイ、まさか俺にも泳げって言うんじゃあないでしょうね? 嫌ですよ俺はタコ嫌いだし。それに身一つでこの学園に飛び込んだ俺が水着何か持ってるわけも無えでしょう」

「あそこにそれほど大きなタコがいるとは聞いたことも……どうでもいいな。水着は自分で用意しろ。そのくらいの店ならこの周辺にもある」

 

 相変わらずの仏頂面で言う織斑千冬。その物言いに俺は不機嫌になったが、直後一つの事実に気づいて満面の笑みになった。そうかそうか。どうやら教師として頑張って来た成果が出て来たって訳だ!

 

「自分で用意しろってそれ、つまり学園の外への外出許可が下りたって事っすよね? やった! ハッハッハ!」

「…………………………」

 

 おいどうした。何とか言えよ。

 

 奴は俺の言葉に苦々しく口元を歪めるばかりだ。まあ、この女にとってそれは本意じゃあ無いんだろうな。アレだけ職員会議でも俺を自由にするのに慎重だったんだ。当然ながら今回も自由に動くことはできやしないだろう。

 

「……監視はつくが、その通りだ。お前には特例としての外出許可が与えられる」

「監視要らなく無いですか? 発信機もいい加減外させてもらえないですかね」

「だったら自分の素性ぐらい話せるようになる事だな。今のままではどこまで行っても怪人物のままだぞ」

「ひっどいな~」

 

 ハハハ、と笑いながら俺は椅子に大きく寄りかかった。

 

「ま、そこはいいや。しっかし監視って誰が付くんですかね? また山田ちゃんですか?」

「山田先生と呼べと言っているだろう。だが彼女は臨海学校に関する折衝(せっしょう)でしばらく忙しいからな。一応、榊原(さかきばら)先生が立候補してくれてはいるが……」

「そんなに俺がフリーになるのが心配なら、織斑先生が来てくれりゃあいいんじゃないですか?」

 

 俺の言葉に織斑千冬は驚いたように目を見開いた。そんなにビックリする事……ま、そうだな。驚くのも無理はねえか。今まで行動で誠実さを示してきたにも関わらず、織斑千冬は俺の怪しさを一切許そうとしてこなかった。それは未だに俺の事を計りかねている証拠だろう。そんな相手が自分から懐をがら空きにして来たんだ。向こうとしては俺に探りを入れるまたと無いチャンスのはず。

 

 だが如何せん突飛な提案すぎたかね。奴自身もこう隙を見せられるとは想像だにしていなかったとは思う。しかし、何の裏も無い者がするならばこの提案は理に適っているはずだ。それにこの女もこの女で独自の情報網を持っているようだしな。俺をここまで警戒する理由は何か? 篠ノ之束との繋がりも早急に解明しておきたい。そんな事を思いながら、俺は邪悪でない笑みを織斑千冬に向けた。

 

「ホラ、俺って世界でただ二人の男性操縦者でしょ? その割に適正ギリギリすぎて専用機持たせてもらっても無いし、いざ外を出歩くとなると一人じゃ怖くてしょうがねえのですよ。クラス代表戦の<ブラッド>にタッグマッチの<スターク>、それに女尊男卑を掲げる過激派も世の中にはいますからねえ。世界は不安ばっかです。その点織斑先生の強さは俺も世界中もよく知ってるんで、一緒に来て頂けるとご安心なわけです、ハイ」

「……私を体の良い護衛にするつもりか? 食えん奴だ」

「監視も出来てwin-win(ウィンウィン)でしょ? 俺も監視されて困るような悪い所は無いですしね」

 

 言って俺を見て、織斑千冬は大きく溜息を付いた。あからさまに呆れてやがる。この荒れた世界情勢にか、それとも俺の物言いにか……間違いなく後者だろうな。

 

「…………仕方あるまい。こちらも今まで外出許可を一切出していなかったのは事実だし、それにお前には土地勘も無いだろうからな。日曜日の朝8時に学園正門前に来い。すっぽかしたり遅刻したりすれば私は許さんぞ」

Good(グッド)! それじゃあ決まりですね」

 

 手を叩いて織斑千冬を指差した俺は勢いのまますっくと立ち上がり、勢いのままドアへと向かう。正直この女と休日を共にするなんて考えたくもないが、そろそろ多少は油断してもらいたいしな。職場外での織斑千冬にも興味がある。うまいこと隙が見つかれば儲けものか。それに近くの店についての知識が無いのは事実だし、その辺はある程度調べておくとするか……。

 

「どうした? 随分と急ぐようだが。何か大事な用事でも?」

「いやいや。今日は早く行かないと定食Aが売り切れちまいそうですし……おっと」

 

 ドアを開けば、そこには一人の女生徒が居る。篠ノ之箒か。織斑千冬に用事でもあったのか?

 

「よお篠ノ之! こんなとこで何してるんだ?」

「どうも、石動先生。織斑先生に用事がありまして……」

「そっかそっか、じゃあ邪魔しちゃ悪いな、俺はさっさと退散させてもらうとするかね~」

 

 言いながら、俺は入口越しに中の織斑千冬を振り返る。奴は憮然とした表情のままだ。その姿を見て俺は気を良くし、彼女に向けて手をひらひらと振った。

 

「そんじゃ織斑先生! 当日はちゃんとおめかしして来てくださいよ!」

「まったく口の減らん男だな。貴様こそ、買い物をする店くらいは調べておいてくれ」

「了解了解、日曜が楽しみだ! Ciao(チャオ)!」

 

 そのまま二人を残して部屋を後にする。さあて、水着か。そんな物必要になった事もないし、織斑千冬のセンスに期待しておくか……奴のチョイス次第ではいいネタになるかもな。それに奴からの好感度を稼ぐためにも、飯屋位見繕っておくかね。

 そう言えばこの姿で海を泳ぐという経験は無かった。ビルドの世界でも割と忙しかったし、海でのレジャーなんかとは無縁だったからな。何事も経験という奴だ。臨海学校では生徒達のデータ収集に終始するかと思っていたが、これはなかなか羽を伸ばせるかもしれん。

 

 今後の展望を夢想して、俺は楽しげに笑みを浮かべた。まずは日曜日の買い物だな。うまく織斑千冬の警戒を解ければいいが、ま、そう一筋縄で行く相手でもない。気楽に行くとするか……石動惣一の善良さをうまいことアピールしてやるぜ。

 

 そう考えて気合を入れ、楽しげな笑顔をますます深めた俺は、今日のA定食に大勢の生徒が並んでいないことを祈りつつ、小走りに食堂へと向かうのだった。

 

 

 

 

 

 

「「「「いっただっきまーす!」」」」

 

 昼休み。IS学園の屋上に、俺達の明るい声が響いた。普通の学校なんかじゃ屋上は立ち入り禁止のイメージがあるけど、ここはそのイメージとは違い、多くの生徒にも開放された共有スペースとなっている。そこで昼休みになると俺達は各々の食事を持ち寄って、昼食を一緒に食べるのが前からの通例になっていた。なんて言うか、やっぱみんなで一緒にメシ食うのはいいよな!

 

 今日の参加メンバーは俺以外は鈴、セシリア、シャル、それとラウラの四人。……ラウラの奴がこの集まりに参加するのは、最初セシリアと鈴は強く反対していた。だがラウラの奴が誠心誠意謝ってくれたおかげで何とかラウラを受け入れてくれ、今では自然と話をするまでになってくれている。皆の間をシャルが取りなしてくれたのもデカかったな。やっぱギスギスした中で食う飯はおいしく無いし、本当に皆が仲良くなってくれてよかったと思う。

 

 感慨深くそんな事を思っていると、皆が皆それぞれの弁当箱を開いて、その中身を見せあっている。そういえば箒はここしばらく不在だ。何でも、最近は代表候補生に認定してもらうための申請やら手続きやらで随分忙しいらしい。

 

 専用機が無いってのは俺が思っている以上に不便な事なんだろうな。でも代表候補生になれば専用機をあてがって貰える確率もかなり高いらしいし、しばらくは仕方ないだろう。それに箒の奴、メッチャクチャ強くなってたしな。タッグマッチでその強さは周知のものになったはずだし、間違いなくアイツは専用機を手にするはずだ。それも割とすぐに。そうなったら箒の奴、更にどんだけ強くなるんだか……俺も負けてられねえぜ。そんな事を思いながら、俺は自身の弁当箱を開く。

 

「おおっ!」

 

 俺はその中身に感嘆した。色鮮やかな卵焼き、ジューシーそうな鶏のから揚げに艶めいたきんぴらごぼう。それと冷凍ものなんだろうが、小さなグラタンが入っているのが滅茶苦茶評点高い。胃の細胞がトップギアになってぐうの音を鳴らし、よだれが口の奥から溢れ出る。さあて、どれから喰うか悩んじまうな!

 

「一夏、今日の分!」

「おっと! 鈴、メシ投げんなって! 零れたらもったいねえだろ!」

「そんなやわな閉め方してないわよ!」

 

 鈴の投げたタッパーを何とか受け取って、俺は弁当の横に置く。今日も酢豚か。少し米は多めに持ってきてあるけど、鈴の中華料理と普通の弁当じゃちょっと食い合わせがなあ……。でもうまいから喰っちまうんだよな。我ながら自分の舌の意識の低さを痛感するぜ。

 

「一夏の卵焼き、今日のはいつにも増しておいしそうだね。ちょっと貰えないかな?」

「おういいぜ。感想聴かせてくれよ」

「おいしいってのは知ってるけどね」

「あたしからあげ貰うわ!」

(わたくし)はそのごぼうとやらを頂いても?」

「ああ。でも、俺の分もちゃんと残しといてくれよ」

 

 どのおかずから口を付けるか考えている間に、シャルに始まり、鈴やセシリアが次々と俺のおかずを持ち去ってゆく。一気に寂しくなる俺の弁当箱。だがしかし、皆このおかずたちの美味さを直感的に感じ取ったと思うと、何故だか無性にうれしくなる。皆はそれぞれ待ちきれぬという風に入手したおかずたちを口に運んで行った。

 

「すごいね、この卵焼き……良く出来てる。ちょっと甘みが強めだけど、他のおかずとのしょっぱさとバランスが考えてあるのかな?」

「少し冷めてるのにこんなにジューシーなの、一体どうやってんのよ」

「この食感が気持ちいいですわね。火の通し方が絶妙ですわ」

 

 皆が皆、口々におかずを食べた感想を口にする。結果は一様に高評価だ。わかる。だってこのおかずとか本当に良く出来てるからな。俺も似たような評価を下すだろうぜ。俺はそう思って、一人うんうんと唸って言った。

 

「そっかそっか。みんなからそんな高評価なら、箒も喜ぶぜ」

「箒?」

「彼女が何か関係ありまして?」

「ああ、いやさ、今日の弁当は箒が作ってくれたんだ」

 

 瞬間、七月も目の前と言うのに周囲の空気が凍り付いた。

 

「は?」

「えっ?」

「何だと?」

「一夏さん、それは本当ですの?」

 

 俺の言葉に、その場の全員が鋭い視線を向ける。何だよ、すげえ食い付きだな。俺は身を乗り出して来た皆にちょっと引きつつ、説明を続行する。

 

「いやさ、何でもアイツ料理の練習中で、俺に味見係になって欲しいんだってよ。正直最初はうーんって感じだったけど、最近は週の半分くらいは任せちまってるかな。早起きしなくて済むからホント助かってるぜ」

「ちょっと待って!? それいつから!?」

「あー、クラス代表戦のちょっと後からだったかな……」

 

 質問に対する俺の答えを聞くと、皆一様に難しい顔になった。シャルとセシリアが深刻そうに悩み出し、鈴は納得いかないとばかりに転げ回っている。一方ラウラは何故か腕を組んで俺の弁当を凝視し始めた。

 

「なんと狡猾な作戦でしょう……! 毎朝合法的に会えるしかつその後の会話の種になるとは……箒さん、恐ろしい人ですわ……!」

「一夏何よそれ! まるで愛妻弁当じゃない!」

「おい鈴なんか恥ずかしいからその言い方やめろ! あくまで善意だぞ善意!」

「でも素直にうらやましいかな、そういうの」

 

 まあ確かに俺も恵まれてるよな。箒の料理の腕はここ最近めきめきと頭角を現し、弁当作りに関しちゃ俺に匹敵する領域に達していると思ってる。最初の頃は結構疲れてるようだったが今では慣れたもんだ。俺も手伝おうと早起きしてみたけど『ゆっくり寝ててくれ』って諭されるように言われちまって、その気遣いをあり難く受け取っている。

 

 今度は俺も箒の弁当作ってやるか。そんな事を考えていると、いつの間にかラウラが俺の前で仁王立ちして俺のおかずたちを凝視していた。

 

 何だ? 俺は思わず少し後ずさる。学年別タッグマッチ以後、コイツの突拍子の無い行動にはビックリさせられてばかりだ。つか、いきなりキスとか、人の布団に潜り込むとか、一体こいつはドイツでどう言う一般常識を身に付けてきたんだよ。

 

 しかし今回ラウラはそれほど過激な意図を持ってはいなかったらしく、小さなタッパーに入った豚肉料理を差し出しながらちょっと物欲しそうな目で俺のおかずを見下ろして言った。

 

「嫁のおかず……実に興味深い。私も嫁の料理が食べたくなって来たので、一夏、私にも一つくれ! タダとは言わん。このEisbein(アイスバイン)(豚すね肉の塩漬けの煮込み)と交換しようではないか!」

「えっいいのか? かなり手が込んでそうに見えるんだが……」

「構わん。嫁に対して度量を見せるのも婿の役目だ」

「……何か納得いかねえけど、そんじゃ、お言葉に甘えて――――」

 

「皆大変だ!!!」

 

 声と共に屋上への階段の戸が勢い良く開けられたかと思えば、そこから血相を変えた箒が飛びだして来た。ここまで相当な勢いで走って来たのか、随分と息が上がっている。

 

「どうした嫁! 何かあったのか!?」

「ハァッ、私はお前の……嫁では……ない! それよりも皆……特に一夏! MAX大緊急事態(?)だ! 石動先生と織斑先生がデートするらしいぞ!!」

「「「「…………は?」」」」

 

 瞬間、屋上に居たすべての生徒が静まり返った。俺達も一斉に鳩が豆鉄砲食らったような顔をして、疑問符を頭の上に浮かべる。石動先生と千冬姉がデート? いやねえだろ。つか、石動先生って前に千冬姉はタイプじゃないとか言ってなかったか? 当の箒も何やら混乱しているようで、発言が要領を得ない。つか、デート? いやねえだろ……千冬姉がデート……。

 

 そんな風に混乱している俺を尻目に、セシリアが自分に言い聞かせるように箒に事の真偽を問いただした。

 

「そっ、それは本当ですの? 幾らなんでも突拍子が無さすぎますわ……石動先生はともかく、織斑先生がデートなど……。あのブリュンヒルデがですわよ?」

「だいたいわかったわ。それ幻覚か何かよ」

「事実だ! 織斑先生が石動先生に買い物をする店を調べてくるように言っていたし、石動先生なんか織斑先生におしゃれしてくるよう要求していたぞ!!!」

 

 何か悟ったような面で横槍を入れた鈴を無視して、箒は自身の見た驚愕の真実を公開した。その情報にさらに俺は混乱を極める。

 

 えっなに? あの二人付き合ってたの? 恋愛に関しちゃ永久凍土を生きてきた千冬姉についについに春が来た? それは喜ばしい…………いやいやいやいや! 相手石動先生だぞ。倍近く歳が違うはずだろ! いやでも歳の離れた夫妻なんて歴史上珍しくもなんとも……それに石動先生めっちゃ強いし……いやねえよ! つか何? 二人が結婚したら千冬姉が石動千冬で石動先生が俺の義理の兄になるの? うわなんかやだ。どうすんだよ俺。俺は認めねえぞ!

 

 そんな風に俺が頭を抱えていると、ラウラも同様に頭を抱えて蹲っている。

 

「今まで気づいていなかったが、教官が私の嫁の姉なら事実上の義姉妹関係……だが教官と石動惣一が結婚してしまえば奴が私の義理の兄に……!? それだけはならん……! 絶対に阻止しなければ……教官の目を覚まして差し上げなければならない……部下としての義務を果たさねば!」

 

 凄まじい目つきで何やらぶつぶつと呟いて、一人で勝手に決意するラウラ。ちょっと待て、これ以上場をややこしくしないでくれ。俺だってもう何が何だかわかんないのに。

 

「篠ノ之さん、それは間違いないんだね? 何時からデートするとか、日にちは言ってた?」

「た、確か日曜と言っていたが詳しくは……」

 

 シャルに問われしどろもどろになる箒。やっぱりあいつ自身も滅茶苦茶に混乱しているに違いない。その姿は最近の落ち着きが出てきたアイツらしく無い、まるで昔の良く知る箒っぽくて俺は少し微笑ましく思う。……そんな風に懐かしんでたらちょっと落ち着いてきた。さて、どうしたもんか。とりあえず俺の知りうる千冬姉の情報を皆に伝えるくらいしかねえな。

 

「千冬姉の行動パターンからして、買い物系は午前中に済ませたがるはずだぜ。昔っからめんどくさい用事はさっさと済ませてだらけるのが好きだからな。俺は詳しいんだ」

「教官はだらけなどせん!」

「いやだらけくらいするでしょ人間だし」

 

 憤慨したラウラに、呆れたように鈴がつぶやく。ラウラの奴、千冬姉にどういう幻想を抱いてるんだよ。もしプライベート見たら卒倒しちまうんじゃあねえか? 休日の千冬姉はすごいぞ、ホントに。

 

「だが、本当に石動先生が織斑先生とデート……? さっきは慌てすぎてああ言ったが、今更ながら自分の勘違いか何かではないかと心配になってきたぞ……」

「でしたら、答えは一つ……!」

 

 余りのイレギュラーな事態に自信を失った箒に対して、決断的にセシリアが提案する。俺達は彼女を中心に小さく集まってその力強い提案を聞き届けた。

 

(わたくし)達で二人を監視して、真実を明らかにするしかありませんわ!!」

 

 立ち上がって言ったセシリアに俺達は即座に同意する。これは千冬姉の家族として絶対に看過できない案件だ。全力でその全貌を暴き立てるしか俺に選択肢は無え! しかし、まさかあの千冬姉がデートなんて……『乙女はいつもときめき』……そんなフレーズのCMを最近聞いた気もするが、完全に他人事だと思ってたぜ……『灯台下暗し』って奴か。

 

 そんな事を考えながら俺は弁当を一気にかき込んだ。飯食ってる場合じゃあねえ、早急に二人のデート(仮)を監視するための作戦とデートの情報を収集しなけりゃあな!

 

 

 

 

 

 

 その日の放課後から、俺達の活動は早速本格化した。普段全力で取り組んでいた訓練も中止し、その分の全精力をデートプランの解明と監視作戦の立案、更には新聞部を初めとする外部情報機関との折衝に当たる。つい先日までいがみ合ってたとは思えない皆のコンビネーションぶりに、俺も正直驚いた。『呉越同舟』、やっぱ大目的の為なら皆仲良くなれるんだな。まあ鈴なんかは半分にぎやかし、シャルも皆で何かをする事自体を楽しんでいるようだったけど…………他の皆、特に俺(あと、俺を嫁にする気満々だったラウラ)は必死だ。

 

 何せ下手したらこの先の人生にも大きな影響が起きかねない話だ。千冬姉の結婚とか、今までこれっぽっちも考えてこなかったツケが回ってきたかな……。もう20代も半ばだし、確かにそう言う話があってもおかしくねえ気もするけど。

 しかし相手が石動先生……それ、どうなんだよ。確かに頼れるいい人なんだけど、家族になるにはちょっとなあ。毎日からかわれて落ち付かなそうだ。教師とか、知り合いとしてはすげえいい人なんだけど、うん。

 

 考えれば考えるほど、二人の仲が恋愛に発展した時の俺の気苦労が凄まじいものにしか思えない。どうしよう……。どうすりゃいいんだ……。そんな風に、朝も昼も夜も身の入らない生活が続いて数日。

 

 運命の日、日曜日の朝はあっという間にやって来る。前日から全然眠れなかった俺は、朝7時には寮から出て、同じ班になった箒と合流し、共に所定の監視位置へと向かうのだった。

 





最新話のカシラもカズミンも凄かったですね。
次回も冷たい心火を燃やして……と思ったら高校野球の惑星に強制転移させられてしまいました。最新話でのやりたかっただけであろう展開と言い、やはりエボルトはめっちゃ邪悪……!

後謀略戦やるのにあの分裂と擬態がチートもいい所過ぎるけど、あれブラックホールまで行かないとダメみたいだし(使うときはフェーズ1に戻ってたし)しばらくは使わずに済みそうかな……。
ほとんどドラゴンボールとかウルトラマンのレベルだった怪人態にも言えるけど一人であんまりインフレしないで(懇願)
自分の筆力をオーバーフローしちゃう……!

それと、今回試験的に非ログインユーザーの方も感想をコメントできるようにして見ました。もしよろしければお試しください。


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駆け引きのタクティクス

ルパパト&ビルド劇場版があまりにも良すぎたので日常回の続き部分なのに約25000字の投稿です。こんなに長くするつもりは無かった、だが私は謝らない。(本当に申し訳ない)

感想お気に入り評価誤字報告、いつもありがとうございます。とてもありがたいです。


『……こちらチームアルファ()ですわ。ブラボー()、状況はどうですの?』

「こちらチームブラボー()、異常無い。今んとこ、普通の生徒しか見えねえぜ。……つか、何で俺のとこがブラボー()なんだ?」

姉弟(Bros)の頭文字ですわ。まあ、英語ではそこまで詳しく姉だとか弟だとかは言わないので、日本語的に合っているかはちょっと解りかねるのですが』

「ノリで決めたのかよ。他になかったのか?」

『こちらチームチャーリー()。やはりドイツ語圏コードによる識別の方が優れてないか? 今からでも変えるべきだと思うが』

『ああもう、うるさいですわね! そんな事どうでもいいですわ! まずは形から、こういう時には雰囲気が大事ですのよ!』

『どーでもいいならもう名前で良くない? 別に盗み聞きする奴がいるわけでもないし』

『僕もそう思うよ。下手に形式に拘って失敗したら元も子もないからね』

『うっ……わかりましたわ。では、ブラボー改め一夏さん、箒さん。正門に人影はありますかしら?』

「いや、まだ見えないぜ。流石にちょっと早いんじゃねえか――」

「一夏、来たぞ」

 

 現在時刻朝7時53分。人もまばらなIS学園の正門前。日曜日にも関わらず早起きして三方向からそこを見張っていた俺達の前に、今回のターゲットがついに姿を現した。いつもの黒いスーツに身を包んで、憮然とした表情を浮かべる千冬姉。その姿を見て俺達の間に緊張が走る。既にこの地点で箒の情報と俺の千冬姉行動予測が的中した形だ。もしこれでホントに石動先生がやってきでもしたら……それは間違いなく大事件だぜ。

 

「流石にここからでは見張るくらいしか出来ないな……鈴、ラウラ。もし二人が会話を始めたとして、その内容を読み取る読唇術とかに覚えは無いか?」

『こちらアルファ……あ、それはもういいんだった。……悪いけど、アタシはそう言うのはさっぱりね。ラウラはどう?』

『出来ない事も無いが……それよりも、こんな事もあろうかと通販で最新の指向性ガンマイクを購入しておいた。<S.Brain社>の最新モデルだ。遠くからでもかなり明瞭に音声をキャッチできるだろう』

『S.Brainって<日本三大何やってるかよく分かんない企業>の? あそこの最新モデルじゃあ結構高かったんじゃない?』

『経費で落とした。一応軍属の身だからな』

「アリなのかよそれ……」

 

 意外と図太いラウラの感性に俺がぎょっとしていると、隣の箒に肩をちょいちょいと引っ張られて、慌てて正門の方を向く。IS学園には他に居るはずもない、長身の男性が千冬姉の元へと向かって歩いて来た。ホントにホントにデートなのかよ……石動先生、千冬姉に変なちょっかい出すようだったらマジで許さねえからな……!

 

「来たぜ。……ラウラ、マイクの音声の共有は?」

『ちょっと待っていろ……よし、準備できた。流すぞ』

 

 その声に、俺達の緊張がさらに高まった。誰もが口をつぐんで、マイクからの音声に耳を澄ませる。しばらくして調整が終わったようで、随分と聞き慣れた石動先生の声が僅かなノイズと共に聞こえて来た。

 

『……どー…………先生、早いっすねえ。結構待ちました?』

 

 

 

 

 

 

 日曜日。そこそこの晴天にも恵まれたこの日、私は不本意にも仕事の時と同じ服を着て、IS学園の正門前に立っていた。そもそも何故こんな事になったかと言えば、すべては石動惣一のせいだと言えるだろう。全く、なぜ私が奴の買い物に付き合わねばならんのだ…………だが、これは奴の正体を暴きだすチャンスでもある。

 

 初めて出会った時から奴は得体の知れない男だった。確かに教師としての勤務態度は事務仕事を除いて非の打ち所がないが、奴個人の信頼性はお世辞にも高いとは言えない。普通、何か月も顔を合わせていれば多少なりとも相手の心底が見えてくるものなのだが、最初に顔を合わせた時から奴の眼の奥には底無しの闇しか感じ取ることが出来ないのだ。

 

 例え束に忠告されず、奴が誠実に自身の全てを明かしていたとしても、あの眼がある限り私は奴を警戒していただろう。それほどまでに私は、奴の隠しているであろう『裏側』を本能的に感じ取っていた。

 

 私にこれほどの警戒をさせた人間など、今まで一人として存在しない。出会った頃の全てを見下していた束、嘗て世界最強の座を賭けて剣を交えたアリーシャ。そんな世界に名だたる者達でさえ霞むような、異常な男。そんな男が、一切の瑕疵も見せず『親しみやすく、生徒達や教師陣からも評価される頼れる教師』と言う人物像を貫き続けているのも私の警戒の一因だった。

 

 私も小さい賭け事をしたり、幾つかの教務について助言し合ったりとはそれなりにコミュニケーションを取ってはいるのだがな。奴が私に見せるのも、親しみやすく時折詰めの甘い、懐の大きい大人の男性と言う姿だ。その姿に絆されてしまいそうな自分を、近頃は少なからず感じている。何せ、奴の行動だけを見ていれば一切怪しい所が無いのだ。

 

 クラス代表戦では箒を命がけで助け出し、その後も彼女に対して真摯に稽古をつけている姿をたびたび目撃するし、他の生徒達にも気軽に自分から話しかけ、朝に生徒達に挨拶して回る奴の姿は既に学園でも見慣れた風景になりつつある。

 

 そこに私は一抹の羨ましさを感じていた。私は生徒達に畏れられている。経歴もあるし、自分からそのようにしているのもあるが、時折、気兼ね無く生徒達と笑い合う石動が微笑ましく思えてしまう時があるのだ。しかし奴から滲み出る嫌な気配も同時に感じてしまう。いちいちそこを勘繰ってしまう私の方がおかしいのだろうか?

 

 ……だがもし、奴が私の危惧しているような人間性を隠し持っているのだとしたら……それは看過できない。今の物騒な世の中、どんな奴が私の生徒達を狙っているとも限らん。一夏を攫われた時のような思いはもうごめんだ。故に私は奴への警戒を解かない。出来れば今日、奴の正体を見極められればと思っている。

 

「どーもー、織斑先生。随分早いっすねえ。結構待ちました?」

 

 そんな休日に似合わぬ深刻さで物思いに耽っていれば、背中に向けて奴の声がかけられる。丁度8時か。流石にこの時間で遅刻だと詰め寄る事は出来んな。出来れば会話の主導権を握りたかったが、そう簡単には行かせてくれそうもない。私は肩越しに、のんびりと歩いてくる奴の姿を認めた。

 

 白いソフトハットを被って丸いレンズのサングラスをかけ、柄付きのシャツの上にジャケットを羽織りスマートなパンツを履いた奴の姿はなるほど、もう少し若ければ世の女性たちが放って置かなかっただろう。むしろ今でも相当もてるのでは……いや、そんな事は今はいいな。眉間を抑えて私はそんな余計な考えを頭から追い出すと、いつもと変わらぬ自分を意識して普段通りの口調で奴に答えた。

 

「それほどでも無い。だが石動、お前も社会人なら五分前行動くらいはしたらどうだ? 時間ギリギリだぞ」

「五分前だ何だと拘ってるのは日本人くらいですよ。グローバルの最先端なこのIS学園でそんな事言ってたら時代に取り残されちゃいますよ?」

「お前も日本生まれだろう。そんな事だからカフェのマスターとしても大成しなかったんじゃないのか?」

「残念、俺゛の゛生゛ま゛れ゛は゛宇゛宙゛で゛す゛(ダミ声)…………冗談ですよ、冗談! 自営業をしてると自分にしか時間を合わせないっすからねえ。バイトも忙しかったし……マイペースで動けるってのはすっごい大事なんですよ」

 

 言って、石動は私の事を(たしな)めるように笑った。この会話だけ聞けば奴は軽薄ながら人当たりのいい男でしかないが、私はどうしてもそれに自然と笑い返す事が出来ない。一体、この男から感じるひどい違和感の正体は何なのだろう。

 

 ……しかしこの男、『自身の生まれが宇宙』と言うネタに随分こだわるな。確か初めて出会った日にも言っていたような気がするが……バカバカしい。そんなだから信用しきれんのだぞ、お前は。

 

「そのネタはもう聞き飽きた。面白いと思っているなら改めた方がいいだろう。……ところで、ちゃんと店は調べてきたんだろうな?」

「もちろん! って言いたい所だけど、水着売ってる所が開くの10時からなんですよね。だからそれまでは適当にブラブラする事になると思うんですけど」

「まあ、その程度なら構わん。私もあそこには然程(さほど)行った事が無いし、少し見て回るのもいいかもしれんな」

「じゃ、とりあえず駅行きますか。あのショッピングモール……何でしたっけ」

「<レゾナンス>だ。本当に調べてきたのか?」

 

 私が随分と曖昧な石動の記憶力に苦言を呈すと奴はごまかすように帽子を直して、そのまま足早に歩き出した。まったく。油断ならぬ男だが、こうしているとやはり詰めの甘いお調子者だな。これも演技だとしたら相当だぞ。その本性を計りかねながら、私は奴の横に付いて共に駅へと向かう。

 

 さて、レゾナンスに行くのも久々だが、いかに時間を潰すか……まあ、あそこにはいろいろ店があるからな。10時まではあっという間だろう。しかし、先程から何やら私たちをこそこそと尾行している生徒達がいるようだ。すぐにでも捕まえてやりたいが、石動に注意を払いながらそれをするのは流石に不可能だろう。とりあえず初志貫徹、今日の相手は石動だ。生徒達は今は泳がせて、後で問いただしてやるとする。……楽しみにしておくんだな、一夏。

 

 

 

 

 

 

 電車を降りて改札を出た俺達の前には、市の誇る大型複合ショッピングモール<レゾナンス>の駅直通入口が待ち構えていた。周辺地域の交通網の中心であり、食品、衣類、家具を初めとしたあらゆるものが販売されているこのショッピングモールは、正しく俺達にとっての物流の中心と言ってもいい。IS学園からのアクセスも容易であり、まだ9時前だと言うのに既にちらほらIS学園の生徒と思しき女子達がたむろしているのが目につく。

 

 彼女達は思い思いの私服でおしゃれを楽しんでいるようだが、今日の俺達は違う。俺達は今日、大切な目的の為にこの場に居るのだ。そんなおしゃれをしている余裕など無く、全員が各々必要と思われる服装を身に纏っている――――つまり、変装だ。

 

 ただ、世間一般でいう所の高校生にすぎない俺達の変装などたかが知れているもので、ちょっと失敗したかな、なんて事を今朝皆で顔を合わせた時からずっと思っている。何せ全員が口裏を合わせたかのようにサングラスを身に付けているせいで、何らかの目的が共有された集団と言うのが傍目にも明らかとなってしまっているからだ。

 

「さて、石動先生と織斑先生はどこへいったのやら……」

 

 そう呟く箒は普段のポニーテールを解いて、その美しい黒髪を重力に任せて降ろしている。……それだけならばいいのだが、今の箒はサングラスをつけた上にマスクまで装着して怪しさ500%増しの状態だ。更には七月初頭のじんわり汗ばむ気温の中、長袖のコートまで装着して頬に汗を伝わらせている。不審者だ。

 

「嫁、ここは私に任せろ。こんなこともあろうかと、石動惣一のソフトハットに発信機を仕込んでおいた。まずは私とデュノアが彼らを追跡、発見後その位置を連絡する。皆はそれまでここで待機するように」

 

 腕を組みながら言うラウラは千冬姉をリスペクトした黒いスーツに身を包んでいる。髪の毛の色が違うんでアレだけど、サングラスを掛けたその立ち姿はミニ千冬姉と言っていいくらいに威圧感抜群だ――――その低身長が無ければ。オマケに普段から身に付けている軍用眼帯はそのままで、サングラスと相まって明らかにカタギではない。不審者だ。

 

「まだ遠くには行ってないはずだからね。そうかからずに見つけられるはずさ」

 

 笑顔で言うシャルは女の子らしい白いワンピースを身に付け、普段とはだいぶ違うイメージだ。最近まで中性的な姿ばかり見ていたせいか、こう女の子らしさが強調される服を着るとちょっとドキッとする……だが、身に付けられたいかついサングラスのせいで全部台無しだ。海とかに行くならまだ分かるけどショッピングモールに居る装備じゃないな……ちょっと不審者だ。

 

「ま、その辺は任せるわ。いい連絡待ってるわよ」

 

 肩を竦めた鈴は『ドラゴン』って文字がデカデカと描かれたTシャツにチェック柄の上着を腰に巻いてダメージジーンズを履いている。そこだけ見ればちょっと男性的なファッションくらいに思うが、ただ普段のツインテールを……アレはシニヨンだったっけか? とにかく、頭の上でまとめているせいで隠しきれない『中華感』が出てしまっている。服装がカジュアルなだけにどうしてもそこに目が行ってしまうのは変装としてはよく無いだろう。ちょっと不審者だ。

 

「……よし、じゃあ任せたぜ、二人とも。いい知らせを待ってる」

 

 かく言う俺の変装はサングラスと、派手な柄のアロハシャツに短パンだ。別に怪しくとも何ともない。普通だ。まあ、俺は変装に使えそうな服なんて全然持ち込んでなかったからこんな格好になっちまったんだけど。とりあえず、早く二人を見つけねえとな。

 

 その俺の言葉にラウラとシャルが頷くと、まばらな人の波に紛れるように俺達の前からあっという間に消えてしまった。ラウラは流石は特殊部隊員ってとこか。それにうまいこと合わせるシャルの器用さもすさまじい。あの二人、いいコンビになれるんじゃあねえかな。

 

 しかし、石動先生と千冬姉はどこだ? 流石の俺達も二人がここに来た目的まで探る事は出来ず、単純に彼らの後を追う以外の追跡プランを構築する事が出来なかった。

 

 駅でも最初は二人と同じ車両に乗ろうとしていたのだが、俺とシャルが流石にそれを止めさせた。ちょっと目立つ集団になっちまってたし、相手はあの千冬姉と石動先生だ。一体どんな些細なミスが原因で感付かれるかわかったもんじゃあない。その為に俺達は別の車両に乗り込んで、こっちで二人を再発見する安全策を取った。手間はかかるけどこっちの方が間違いない。

 

「と言っても、このレゾナンスでは半分近いお店が10時開店ですし、焦る必要はありませんわ。じっくりと油断せず行きますわよ」

 

 そう言って優雅に汗をハンカチで拭くセシリアはどうやってか、その縦ロールの髪型を普段の箒の様なポニーテールにチェンジして来ていた。頭にはどこかの野球チームのキャップにサングラス、タンクトップの上に短めのデニムジャケットを纏い、下半身はハーフパンツとごつめのブーツで固めている。完璧だ。この姿を見て彼女をセシリア・オルコットだと判断できる奴は100人中1人もいやしないだろう。俺達だって朝この姿からセシリアのお嬢様ボイスが飛び出した時は腰を抜かしたもんだ。

 

 ううむ、流石は世界的に有名なスパイ物フィクションのおひざ元って訳か。でも確かあのエージェント(007)、大の紅茶嫌いだったような……。唸りながら、俺はそんな余計な事を考えていた。

 

『聞こえるか、皆』

 

 するとラウラからの通信。もう見つかったのかよ? 五分も経ってねえんだが、流石に早すぎねえか?

 

『ゆっくりしている暇は無さそうだぞ。地下一階の食品店通りで二人を発見した。至急合流されたし』

「ホントか、早いな!」

『すぐ近くだ。急ぎ過ぎて見つからないようにな』

 

 通信が切れると同時に俺達は直近の階段を駆け下りてラウラ達の指定した地点に向かう。地下一階の食品店通り。出来合いの惣菜からあらゆる世界中の食材までがひしめき、然るべき時に来ればプロの料理人から主夫(女尊男卑の風潮からか、主婦は数を減らしている)、あるいは自炊に手を出している学園の生徒までが己の食事の為にしのぎを削り合う激戦地。そこに二人は居ると言う。

 

 急いで通りに到着した俺達の前には、人もまばらな、華やかだが閑散とした通りが広がっていた。当然か、今はまだ10時前。ここが賑わうのは昼を過ぎ、夕食の為の買い物をこなす人々が流れ込んできてからだ。きょろきょろ周りを見渡してもラウラ達の姿が無いが、俺達とは別の場所に隠れているんだろう。

 

「ねえ一夏、あそこ。あの二人じゃない?」

 

 鈴が指差す先に皆で視線を向ければ、一軒の店の前で立ち止まる一組の男女が見つけ出せた。相変わらずの黒スーツに身を包んだ怜悧で精悍な立ち姿の千冬姉。それとは対照的に落ち付きなく、だが千冬姉よりも頭一つ抜けた身長とスタイルの良さがその緩さを感じさせない石動先生。一体何をしてるのか……あの店も何の店かここからじゃよくわからない。

 

「俺だぜ。二人を見つけたけど、ラウラとシャルはどこに居るんだ? 近くに居るんだろうけど」

『先生達を挟んで丁度逆に居るよ。迂回して合流した方がいいかな?』

「いえ、余り大人数で固まっては発見される恐れがありますわ。お二方にはそこから様子を伺っていただくのが得策かと」

『私も同意見だ。問題無ければ音声を撮り始めるが大丈夫か?』

「ああ、俺もそれでいいと思うぜ。ラウラ、頼む。会話の内容によっちゃ石動先生を取り押さえなきゃだからな」

「一夏は少し気合を入れすぎではないか……? 確かに空前絶後の緊急事態ではあると思うが」

 

 オイオイ箒。緊急事態も緊急事態、千冬姉のデートだぞ!? もし何かあったらと思うと、ここ何日かはロクに寝れなかったんだ。俺はもしも石動先生が何か不埒な事をやらかしたらすぐさま飛び出してはっ倒すくらいの覚悟で居る。明日の千冬姉の幸せを諦める訳にはいかねえんだ!

 ……しっかし、二人はずっと店の前で何してんだよ。ラウラ、早くしてくれ。俺の堪忍袋が爆発しそうだ!

 

『音声、行くぞ。準備はいいな?』

「いいから早くしてくれ! もう待ちきれねえよ!」

「一夏、心配なのはわかるが落ち付け……! 見つかったら元も子もない……!」

「……悪い。スゥーッ、ハァーッ……」

 

 俺は箒に窘められて、少しでも自分を落ち着けようと深呼吸してからイヤホンを装着した。

 

 ――――何やってんだ俺は。確かに千冬姉は心配だ。だけど、ここで俺が暴走してどうする! そんなんじゃいざって時に千冬姉も、皆の事だって守れねえぞ!

 

 そんな風に、深刻ぶった事を頭の中で考えて無理矢理にクールダウンを試みる。ふう。いい感じだ。さっきよりは随分落ち着いた。……とりあえず、今は見極める事だ。よくよく考えてみると、まだホントにデートなのかはっきりしねえ部分もある。駅までの道程だって仕事の話ばっかりだったし、手の一つも繋ぎやしない。

 

 実はあの二人、ただ買い物に来ただけじゃあねえんだろうか。つか、石動先生が的外れな事言って遊ぶのは今に始まった事じゃあ無いし、本気でおしゃれして欲しかった訳でもないんじゃあないか? もしかして、俺達は何か重大な勘違いを――――

 

『準備出来た。行くぞ……!』

『……………………おお! 見てくださいよ織斑先生これ! まさかこんな所にも売ってるなんて!』

 

 イヤホンから聞こえて来た声に、俺は咄嗟に思考を中断。全身全霊で耳を澄ませ会話内容を吟味し始める。石動先生が何やらはしゃいでいるようだ。一体あの店に何があるって言うんだ?

 

『<コピ・ルアック>ですよ! 世界でも特別貴重なコーヒー豆です! 買うしかねえ! 帰ったら織斑先生も飲みましょうよ!』

『丁重にお断りする。だがまあ、お前以外の者が煎れてくれるというなら考えてもいいな』

『なんですかその言い方は~! 流石に酷すぎじゃありませんか~?』

『実際酷いかどうか、自分の胸に聞いてみる事だ。私は極めて適切な対応をしたと思っている』

『ハッハッハ! こりゃあ手厳しい…………ちょっとウルっと来ます』

 

 その言葉の直後、石動先生が大げさに泣き真似をしているのが見えた。流石に下手だ、と言っても別にうまくやるつもりなんてないんだろう。一方千冬姉はその様子にほとほと呆れ果てたような顔をしながら、視線は興味深そうに店のショーウィンドウへと向けられて居た。

 

『しかし、コーヒー豆がこの量でこの値段とは…………一体どう言うカラクリだ? それほどまでに貴重とでも言うのか?』

That's right(ザッツライト)! 流石は織斑先生、鋭いですね! このコーヒーはインドネシア原産でして……』

 

 千冬姉の疑問に、石動先生は満面の笑みでペラペラとそのコピ何とかなる豆の説明をし始める。……本当に楽しそうだな。まあ石動先生、コーヒーの事かなり好きみたいだからな。煎れるのは下手らしいけど。聞いた話じゃ飲んだ奴がみんなぶっ倒れるなんて言われてるけど、ギャグじゃあるまいし流石に無いだろ。多分俺は千冬姉のコーヒーの方が不味いんじゃねえかなと思うんだよな……飲んだことないけど、何となくその恐ろしさは想像できる。

 

『実は収穫の方法からして特別でして……なんとネコちゃんにとってもらうんですよ』

『……ほう? つまりどういう事だ?』

『ええ。ネコちゃんが食べたコーヒーの果実はお腹の中で消化され、種子――コーヒー豆だけの状態になって排出されます。そしたら後はその糞の中から――――』

 

 スッパーン! 凄まじい炸裂音とともに石動先生の後頭部に千冬姉の平手が直撃した。憐れにも床に叩きつけられた石動先生はピクピクと痙攣している。そのあまりの威力に俺達は背筋が凍るのを感じ、また石動先生の無事を案じた。大丈夫かな。今まで見た千冬姉の制裁の中でもぶっちぎりの高威力だったと思う。通信機の向こうから小さくラウラの悲鳴が聞こえたので、きっとドイツでも見たことないような本気に限りなく近い一撃だったはずだ。生きてるかな、石動先生。

 

『貴様…………購入は却下だ。そんな所から産出(・・)されたコーヒーなど、例えIS学園に持ち込んだとて私は絶対飲まんぞ……!』

 

 そこへ、更なる追撃のように千冬姉の宣告が放たれる。先程まで怜悧な眼光を湛えていた顔は遠目からもわかる程に真っ赤だ。珍しいな、千冬姉があんな取り乱すなんて。貴重なシーンだぜ。

 そう俺が現実逃避していると、どうにかこうにかと言った感じでよろよろと石動先生が立ち上がった。帽子越しだが、そんなので防御できる一撃じゃあないだろう。案の定随分と痛そうだ。

 

『痛だだだ…………ちょっと、流石に横暴でしょそれは! 俺のプライベートな買い物なんだから、頼むから買わせてくださいよ神様織斑様千冬様~!』

『ええい五月蠅い、誰が神様だ! そもそも猫とは言え、その……う、うん……』

『うん○ですかい?』

『石動貴様ァ! 女性に対してなんという言い草だ! TPOを弁えろ!』

 

 石動先生の歯に衣着せぬ物言いに過剰反応した千冬姉が、一気に石動先生の襟元を掴んで吊り上げた。何つー腕力だよ。身長20センチ近く違う成人男性を軽々持ち上げるなんて生半可な事じゃあねえぞ……多分、俺が最後に稽古で投げられたときより強くなってる。流石千冬姉ってとこか……!

 

『あーっ! ちょっと俺の一張羅に皺が付くからやめてくださいよ!! つか半分以上自分で言ってたじゃないすか!!』

 

 だが石動先生もさる者、どうやってか千冬姉からの掌握からあっという間に抜け出して、慌てたように衣服をチェックしながら憤慨したように反論した。だが、千冬姉はその言葉にますます語気を強めて返す。

 

『ええい黙れ! 私は衛生面の問題を言っているんだ! それに貴重なコーヒー豆なら、なおさらお前よりも煎れるのに相応しい人間の手に渡るべきだろう!』

『…………あの、ちょっと……先生の言葉に俺が泣くんでホント勘弁してください……そこまで言われるのは普通にショックで…………』

『…………すまん、言いすぎた』

 

 頭ごなしに怒鳴った千冬姉に石動先生はすっかり心折られてしまったようで、しょんぼりと肩を落として縮こまってしまった。コーヒーの出自を語っただけでこの仕打ち……これも女尊男卑の世の中になってしまった一側面か……いや、千冬姉はそう言うのとは無縁だ。単にうん○言わされかけたのが恥ずかしかっただけだろう。そんな千冬姉も、らしくなく一時の感情に流されて声を荒げたのを反省したのか、石動先生に頭を下げて謝罪した。

 

 最近気づいた事だけど、石動先生と居る時の千冬姉は普段のような泰然自若としたスタンスを維持できていない。やっぱ恋か? 恋なのか……!? いや、恋だったらあんな派手に相手叩かないか。俺はそう納得して、先ほどの千冬姉と石動先生の口論を思い返す。しっかし、千冬姉が女らしい恥じらいを見せるなんて…………。

 

「ラウラ」

『ああ』

「録音してるんだよな、これ」

『ああ』

「後で俺にもデータくれないか」

『ああ、構わん』

「サンキュ」

『他でもない嫁の頼みだ、任せておけ』

 

 ラウラが奥の通路から顔を出し、小さくサムズアップをして見せる。嫁扱いは正直納得いかないが、俺もそれにこっそりとサムズアップを返した。まったく、持つべきものは友達だな!

 

『……まあ、良いっす。俺、自分のコーヒーがおいしくないのは十分自覚してるんで……そろそろ十時だし、行きますか』

 

 一方、意気消沈していた石動先生はそう言ってとぼとぼ歩き出す。どうやら目的地に向かう様だが、その足取りは重い。

 

「なんだか、石動先生が可哀想に思えて来ますわね……コーヒー党の方とは言え、ちょっとばかり憐憫(れんびん)を感じてしまいますわ」

『何を言うオルコット! 奴の入れたコーヒーを飲めばそんな事は二度と言えなくなるぞ! 口の中で一度、胃の中でもう一度炸裂するあのコーヒーの(おぞ)ましさ、思い出しただけでも…………う゛っ』

『ちょっとラウラ大丈夫!? 流石にここで吐くのはまずいよ!』

 

 向こうのラウラがどうやらトラウマを再発させたようで、吐気に耐える呻きとそれを介抱するシャルの慌てたような声が通信越しに聞こえてくる。……大丈夫かよ? その様子を聞いていると、普段石動先生がコーヒーを振る舞おうとして皆にドン引きされているのも頷ける。ちょっと興味あったんだけど、飲ませてもらうのは止めとこう。さっきの千冬姉だって断固拒否! って感じだったしな。

 

「とりあえず俺たちも追いかけようぜ。どうやら目的地に向かうみたいだし。ラウラとシャルは…………」

『ごめん、僕らはラウラが落ち付いたら行くから、先に行ってて。すぐに追いつくよ』

「了解。じゃあ俺らはマイクだけ貰ってくか」

「アタシ行くわ。ちょっとやってみたかったのよねー、そう言うの」

「ちょっと鈴さん、抜け駆けとは感心できませんわよ! (わたくし)にも触らせて下さいませ!」

「言い争ってる場合ではないだろう……」

 

 マイクを取り合う鈴とセシリアをよそに、箒が呆れたように呟いた。まったくだぜ。確かにあのマイク触ってみたいのは分かるけど、今はそれどころじゃあ無いはずだ!

 

「あーもう、どっちでもいい! さっさと行こうぜ!」

 

 

 

 

 

 

 迷いない足取りで二人が入って行ったのは、この夏にはさぞ繁盛しているであろうレジャー用品店だ。入り口をくぐった石動先生と千冬姉はある品物の売られている一角へと足を踏み入れる……水着コーナー。それも男ものだ! オイオイオイオイ!? まさかと思うが、これもしかして、『今後のデートの為のショッピングデート』じゃあねえか!? 石動先生と千冬姉が二人きりで海……!? そんなの絶対間違いが起こる!!! これは間違いない! 弟の俺が言うのもあれだけど千冬姉すっげぇ美人だからな!? 許せねえ……石動先生ぜってえ許せねえ! 今すぐとっ捕まえてその真意を――――

 

「一夏、出すぎだ……!」

「痛って!」

 

 箒が慌てて俺のシャツの襟を掴んで商品棚の陰に引きずり込む。その勢いにバランスを崩した俺は強かに尻を床に打ち付けた。鈴がいち早く俺に手を伸ばそうとするが、持った指向性マイクが邪魔でわたわたと困惑した動きをする。

 

「鈴、俺はいいから、とりあえず早く二人の声をキャッチしてくれ……」

「ご、ごめん! ちょーっと待ちなさいよ……」

 

 あーだこーだとマイクをいじくり回す鈴を尻目にセシリアが俺に手を差し伸べてくれた。それに小さく「サンキュ」と返して俺は何とか立ち上がる。箒の奴め、思いっきり引っ張りやがったな……? しかし、当の箒は俺の事など気にせず、二人の様子を注意深く伺っていた。その様子に俺は本来の目的を思い出して気を取り直す。……どうやらまだ動いてねえみたいだな。すると思考錯誤していた鈴がぱあっと明るい顔になり、ガッツポーズをしてからマイクを二人の居る方に向けた。準備出来たみたいだな……さて、どういう話をしてやがんだ……!? 皆の意識がイヤホンに集中する。

 

『ん~~~~』

 

 思案する石動先生の唸り声。その視線はビーチのレジャーに男性が着て行く物が集められた棚に向けられていた。……女尊男卑の世の中だ。その商品スペースは女性用水着の四分の一も無い。だが、それが逆に狭いエリアに全ての商品が集中するコンパクトな売り場を実現していた。その為、視線を巡らせるだけで殆どのアイテムを見つける事が出来る。商品の絶対数の少なさは如何ともし難いが、今日どの店に行っても似たようなもんだ。

 

『じゃー、俺はこれかな~。あとこれと、履くモンはこいつでいいか。……はーい終わりっ、目標達成! さーてレジ行きますかぁ、織斑先生!』

 

 そんな狭いスペースだからか、石動先生が欲しい物を決めるのはビックリするほど早かった。羽織るための白いパーカー、膝くらいまでの水着、そしてビーチサンダルをさっさとカゴに放り込んで満足げにレジに足を向ける。しかし、千冬姉が驚いたような顔で石動先生を引き留めた。

 

『…………なあ石動。もっとこう……無いのか? 本当に』

『えっ? 無いです。正直、自由時間で海行って遊ぶって言っても、生徒達と違ってずっと海ではしゃげるほど体力無いんですよ~。俺もう40代ですし? 次の日のスケジュールに響くし、基本ビーチから眺めて終わりのつもりなんですけど』

『真耶に生徒の相手を丸投げする気か?』

『ああ、そりゃあいい! 疲れる事は若いもんに任せて、俺は悠々自適にのんびりあ痛だだだだ!! ギブ! ギブです! 潰れて流れて溢れ出る! やめて!』

『それほど貴様はやわでは無かろうが!』

 

 ……石動先生、ちょっと学習した方がいいんじゃないか……? 再び不用意な事を言って今度はアイアンクローを食らい悲鳴を上げるその姿に、俺達は満場一致で溜息を吐いた。

 

「ふふっ。まあ、あれでこそ石動先生……と言う所はあるのだがな」

 

 皆の考えを代弁して、箒が目を細めて小さく笑う。それはどこか困ったような、でも暖かいものを見るような、そんな顔だ。箒のこんな顔を見るのは、何時以来だっけか。確か、家族ぐるみの付き合いが続いてた頃――――本当に昔の事だ。あの頃は、まさか世界がこんな風になるなんて想像もしてなかったな……。

 

 そんな事を思っていると、必死な顔をした石動先生がまたどうやってか千冬姉のアイアンクローから抜けだしてほっと一息つく。対する千冬姉は自身の技からまた抜けられたのが不満なのか、自分の掌を握ったり開いたり。完全に次はやる気満々の顔をしている。石動先生もガッツがあるよなあ。千冬姉にあんだけ手ひどくやられて痛がっていても、いつの間にやらけろりとしている。俺が見て来た人達の中でもタフネスなら一番じゃあなかろうか。俺は心の中でそう石動先生を称賛した。

 

『ふ~~死ぬかと思ったぜ~……そう言えば、織斑先生。織斑先生はどんな水着着てくかもう決めてるんですか?』

 

 その言葉に、俺は咄嗟に鋭い眼光を石動先生へと向ける。なんだって!? その質問はマジで言ってるのか!?

 

『いや……私もついでに今年の水着を見ていくつもりだった。まあ……男もお前と一夏くらいしか居ないし、そうこだわるつもりも無いんだがな』

『ふぅん。とりあえず見てきますか? 荷物持ちくらいは出来ますよ』

『そのくらいは当然だな。ちゃんとエスコートしてくれよ』

『へいへいお任せ。えーっと? 女物はどっちかな~と』

 

 今年の水着をまだ決めていないと言う千冬姉に、一緒に水着を探す事を提案して少しキョロキョロとしてから、女物の水着とは真逆の方向に歩き出す石動先生の手首を千冬姉が掴んで引き留めた。

 

『そっちは逆だぞ石動。まったく、子供の頃の一夏より目が離せんな貴様は』

『えっ。ちょっ引っ張んないでくださいよ織斑先せ……あれ? 抜けねえ! あ痛っ! えっちょっと待って離してあららららら~!』

 

 そのまま千冬姉は石動先生を力づくで引きずって行ってしまった。今度はコツを掴んだか、石動先生もその拘束から逃れられぬようで、足をもつれさせながら何とか着いていくという感じだ。だが、俺はそれ所では無い。

 

 ――――手を繋いでいるッ! しかもその行動に至ったのは石動先生ではなく、千冬姉の方からだった! 一瞬あの二人に恋愛なんか無いと安心したけど、実はありなのか……!? 俺の脳内では、【脈あり】【脈なし】【両想い】の三つに意見が分かれ、混乱を極めていた……! さっき生徒と言っていた事で、既に今後の海デートの為では無く臨海学校を前に水着を用意しに来たってのは分かったが、それと二人の恋愛には何の関係も無い!

 

 ……そういや、俺も水着が無い。後でどうにかしねえと……つか、尾行が終わったらここに買いに来るか……。

 

「一夏さん、何してますの? ほら、(わたくし)たちも動かないと置いてかれますわよ」

「あ、すまねえ。ここからは今日一番の山場な予感がするぜ……」

 

 セシリアに促され、俺も先行している皆の後を追う。広大な女性向け水着売り場は隠れる場所も多いが、逆に向こうを見失う事にも繋がりやすい。万が一にも遭遇したりとしたら元も子もない。俺達は細心の注意を払って商品の陰から陰へと渡り歩いてゆく。

 

 すると、新たな来店者が二人。ラウラとシャルが復帰して合流して来た。一瞬ラウラと目が合い、アイコンタクトとジェスチャーで行き先を指示すると、辛うじて通じた様で首を縦に振りシャルを伴って移動を開始する。

 

 これで全員が揃ったか……ラウラも調子が戻ったみたいでよかったぜ。俺は安心して、先行している箒たちに追いつく。

 

「どうだ、箒? 何か動きは?」

「ああ。今は見える以上の事は何も」

 

 そう言って箒が指差す先には、しゃがみこんで水着を品定めする千冬姉とその後ろで興味深そうにそれを眺める石動先生が居る。鈴がマイクを向けているが、別にしゃべっていないらしく千冬姉が水着を漁る音だけが聞こえて来た。

 

『そうだな……石動、この水着、貴様はどう思う?』

 

 そう言って千冬姉が石動先生に見せたのは、露出度の高い黒のビキニだった。いや、露出度の高いビキニ……マジかよ!? 

 

「うわすごっ。何か紐がクロスしちゃってるわよ」

「あの水着は自分に自信がなければとても着れない類の水着ですわ……!」

「流石は千冬さんと言ったところだな……」

「うむ、同感だ。私も後で同じものを購入しよう」

「いや、流石にラウラにはサイズ合わないと思うよ……」

 

 皆がその水着とそれを購入しようとする千冬姉に思い思いの感想を述べていく中で、俺は石動先生の次の言葉を聞き逃すまいと零落白夜(れいらくびゃくや)を使う時並みの集中力を耳のイヤホンに傾けた。

 

『ん~……ちょっと真面目に考えさせてもらっていいっすか? ってか、何言われてもセクハラとか言わないでくださいよ?』

『お前は私がそれほど女尊男卑に染まっているように見えるか?』

『いえ、失言っした。織斑先生は相手が男でも女でも容赦ない……いやいや何でもないっす!』

 

 言いかけて慌てて距離を取る石動先生をジト目で睨みつける千冬姉。その顔は『懲りない奴だ』とでも言いたげだ。しかし石動先生は顎に手をやって水着をどう評価するかを考え始めてしまって、その視線に気付く様子は無い。

 

『…………う~ん。黒は収縮色――――物を引き締めて見せる色ですからね。織斑先生のクールな雰囲気にはぴったりだと思いますよ。ただその水着はちょっと布面積が小さすぎやしませんか? そっちも小さく見えるんですよ?』

『そうか……ならこれに決めるとしよう。デザインはこれと決めていたが、色についての意見が聞きたくてな。参考になった』

『何だ、最初からそうと言ってくれりゃあこんな考え込む必要なかったのに!』

『こうして身内以外の人間に意見を求める機会は貴重だし、一応と思ってな。まあそれ程役に立つ意見では無かったが』

『はっはっは、ひーでぇ! くっく、そんじゃあまあ、さっさと金払って、飯でも食いに行きますか! 気を取り直させてください! はっはっは!』

 

 千冬姉の手厳しい言葉を受けてまた心折れちまうかと思ったが、今回の石動先生には暖簾(のれん)に腕押しだったようで、普段通りの顔で陽気に笑うばかりだ。やっぱりこの人、何か掴み所が無いよな。厳しい事言われた場合でも時には悲しんだり、また時には怒ったり。何だか反応が一貫していない気がする。実際、今ではああして楽しそうに笑い声を上げていて、その判断基準が俺にはよく分からない。

 

 人生経験の差って奴かなあ……石動先生、千冬姉と何だかんだ対等の立場で物を言ってるし、やっぱ只者じゃあねえよな。前職はカフェのマスターなんて言ってたけど、俺はそれだけじゃあねえと思う。そんな事を考えて上の空になっていると、横から鈴が神妙な顔をして話しかけてきた。

 

「そういえばさ、一夏は水着もってるワケ? まっさか学校の水着で臨海学校行く気じゃあないでしょうね?」

「いや、まだ買ってねえ。後でここに戻って買いに来ようかな」

「あっ……へえ~……」

「何だよその悪い顔は」

「いや? 別に? ……そ、それじゃあさ、これ終わったら一緒に水着探さない? 私も水着の為だけに中国まで帰るのめんどくさいし」

「ん~。よし、そうすっか」

「やった! 言ってみるもんね……」

 

 背を向けて、何やらガッツポーズをする鈴を俺は(いぶか)しんだ。何だよ、俺が一緒なのがそんなに嬉しいのか……そうか! 鈴の奴、あの二人を見て俺を荷物持ちにする事を思いついたな!? そう言えば、観光に日本にきた中国の人達はよく目当ての商品を<爆買い>して行くと聞いたことがある…………つまり、俺に凄ぇ量の荷物を任せていろんなもんを買いまくる気か!

 

「なあ鈴。悪いけど、今の話――――」

「ちょっと鈴さん!? 抜け駆けとは何とおこがましい! そのような事はこのセシリア・オルコットが許しませんわ!」

「おい待て、許さないのは私だ。人の嫁を勝手に借り受けるなど言語道断! まず婿である私の許可を取ってもらおうか」

「もう……だったら皆で行こうよ。その方がきっと楽しいよ? あ、一夏。その……僕も水着が無いから、良かったら一夏に選んでほしいんだけど」

「ええい、皆静かにしろ! 千冬さんたちが行ってしまうぞ! 一夏!」

「悪い箒、今行く! 皆その話は後だ!」

 

 ああもう、なんでこんな時に言い争い始めちまうかな!? 今はそれ所じゃないだろ……。俺はちょっとばかり呆れて、店の出口で急かす箒の元へと走る。すると先程まであーだこーだと言い合っていた皆も慌てて追いかけて来た。ったく、世話が焼けるぜ!

 

 気づけば時刻はいつの間にやら11時半前。道行く人々も大幅に増え、何処からともなく食べ物の香りが漂ってくる。あっ、やべえ。朝早かったからすげえ腹が減った。千冬姉、出来れば俺達も入れる店を選んでくれよ……!

 

 

 

 

 

 

「……やはり、タコは嫌いか? 石動」

「生でも煮ても焼いてもダメですね。当然、生きてるやつが一番NGです」

 

 回転寿司のテーブル席に通された私達は、回ってくる寿司を眺めながらとりとめの無い話を続けていた。水着も手早く揃えられ、後は石動からその真意を聞きだすべく、どこでアプローチをかけようかと思っていたが……こう言うのんびり出来る店に入ってくれたのは都合が良い。

 

「あっそうだ、寿司食った数で勝負しません? 負けた方が奢りって事でどうすか?」

「海に行くのを前にして大食い対決など女に振るな。デリカシーのない奴だな」

「……? えーっと……? いっぱい食って何か問題でもあるんで?」

 

 その、本当に何もわかっていないと言う顔で聞いてくる石動に、私はこれ見よがしに溜息を吐いた。お前、女性が体型維持にどれだけ気を使っていると思ってる? 元からトレーニングをしている私だから良かったものの、真耶辺りが言われていたら泣きかねんぞ?

 

「まったく無粋な男だな……」

「いいじゃないですか細かい事は! 俺も寿司は久しぶりでテンション上がって……あっ、寿司食べるのカフェの売上使いこまれて出前取られた時以来じゃん。嫌な事思いだしたな……」

 

 先程まで寿司に夢中だった石動は、何やら嫌なことを思い出したらしく、どんよりとした雰囲気を醸し出して目を伏せる。そんなエピソードがぽろっと出てくるあたり、この男がカフェでマスターをやっていたというのは嘘ではないのだろう。だが、今回私の知りたい事は別にある。

 

「――――所で石動。一つ、質問をいいか? お前には、ずっと聞きたい事があったんだ」

「いいっすよ。ただ、その質問に答えられるかどうかは別の話ですけど」

 

 石動はいくらの軍艦寿司を頬張りながらに言った。随分と空腹気味だったのか勢い良く食べるせいで、口の中が渋滞を起こし始めているようだ。だがそれを見ぬふりして、私は率直にずっと聞こうとしていた事を言葉にした。

 

「お前は、何故教師になったんだ? IS学園の保護下と言っても、教師ではなく用務員や事務職と言った別の仕事もあったはず。その中で何故教師の道に甘んじたのだ?」

「はっはっは、副担任補佐のポジションに据え置いたのはそっちじゃあないですか」

「それでもお前は拒否も何もなく、二つ返事でそれを受け入れただろう? 何を思ってその考えに至ったのか。私はそれを知りたい」

 

 私は真剣な目を石動に向ける。最初はからかうように笑っていた石動だったが、一度目が合うと、落ち着いた様子で湯呑みに口を付けて寿司を腹の中に流し込み、気を引き締めたような顔になってから観念したかのように口を開いた。

 

「はぁ。そっか、そろそろ言ってもいいか……この話、恥ずかしいんで誰にも言わないでくださいよ?」

「ああ。承知した」

 

 私の言葉に石動は安心したようで、目の前に広がる皿を一つ一つ重ねながら自身の話を少しずつ語り始める。

 

「…………実は、俺には壮大な計画があるんです」

「計画、だと?」

 

 その言葉に、私に一瞬緊張が走った。だが石動はそれに気づいた様子もなく、憂うような眼差しを私に向けるばかりだ。

 

「この世界は今、争いに満ちてます。篠ノ之博士が生み出し手綱を放棄したISと言う力によって。……人の手に余る科学が行き着く先は例外無く破滅です。(ふる)い知り合いだって言う織斑先生には悪いけど、俺は篠ノ之束が嫌いなんですよ。奴は世界にISをアピールするやり方を間違えた。なぜ彼女がISの『兵器としての強力さ』をアピールする<白騎士事件>なんてのを引き起こしたのか全く理解できません。アレが無きゃ、世界はもう少しマシだったのは想像に難くないじゃないですか」

 

 その言葉に、私は胸が強く締めつけられるのを感じた。華やかな<スポーツ>としてのISの裏側にある、各国の利権と思惑渦巻く中の<兵器>としてのIS。――石動の言う通り、ISが登場してから、世界中の戦闘活動は明らかに活発化した。

 ISによって既存の兵器が蹂躙された初期に始まり、その余りに強大な力は現在まで続く女尊男卑の風潮を生み出して、一般人の生活にまで大きな影響を生んでしまっている。それは、<白騎士事件>の片棒を担いだ私にだって責任がある事だ。

 

「ま、もしかしたら、彼女なりに何か深い考えがあったのかもしれませんけどね」

「石動、それは…………」

 

 そんな思慮遠謀など束に無かった事を知っている私は、思わず口を滑らせそうになって慌ててそれを閉ざす。しかし石動はそんな私の様子になど気づいた様子も無く、普段の軽薄さとは真逆の重苦しさを醸し出しながら、話を続けた。

 

「世界最高の頭脳。その頭の中には百年先の科学が詰まっていると言われる<天災>篠ノ之束。ですけど、彼女が(もたら)したものにはいいものなんて何もない。世界をひっくり返して、つまらん争いを生んだだけだ。行き過ぎた科学は人から考える力を奪う。この、目の前の力に眼が眩み、持つ者が持たぬ者を見下す女尊男卑の世界がそれです」

 

 その言葉に、私は思わず石動から視線を逸らす。普段、そんな深刻な事を考えているなどこれっぽっちも見せなかった男が、真剣に今の世界に横たわる大きな問題の事を憂慮(ゆうりょ)している。その問題の元凶の当事者として、私だって自分のやるべき事はやってきたつもりだ。だが、今の私はその責務を果たすことに精いっぱいで、世界をより良くしようとなど出来ていない。

 

 それは、余りに大きなスケールの話だ。奴が<壮大な計画>と(うそぶ)くのも分かる。しかし、そんな世界を石動は一体どうしようと言うのか。私は想像して、何も思い浮かばずにますます気分を重くする。

 

 

「――――でも。俺は奴とは違う本当の<天才(ジーニアス)>』を見たんですよ」

 

 その言葉に、私はハッとなって顔を上げる。本物の……天才だと?

 

 

「……自意識過剰でナルシストだったけど、アイツは愛と平和を胸に刻んだ本物のヒーローでした。どんな争いも試練も乗り越え、仲間と共にひたすら愛と平和の為に歩んでゆく、そんな奴です。もう会えなくなっちまいましたけど……今のこの世界にアイツが居れば、ISだって正しく宇宙開発のために使われて、人類はもっといい道を歩いていたかもしれません。篠ノ之束の研究(IS)の価値に、アイツなら最初から気づけた筈。そうすれば、篠ノ之束だって世界のお尋ね者に何てならずに済んだだろうに」

 

 その言葉を、私は半ば呆然と聞いていた。愛と平和を胸に進む、本当の<天才>。そんな奴が居れば――――束の研究を理解できる同等の天才が居れば、束がああまで世界を変えてしまう事も無かったのだろうか。どうしても私はそんな事を考えてしまう。

 

「もう会えないとは……その<天才>は、もう居ないのか?」

「つらい思い出です。そこ、聞かないでもらっていいっすか?」

 

 寂しそうに笑う石動に私は何も言えなくなった。一体、この男の過去に何があったのだろうか。謎は大いに深まるばかり。だが、こんな顔をしている男の過去に踏み込めるほどの豪胆さを、私は持ち合わせていなかった。

 

「……無粋な事を聞いたな。許してくれ」

「いえ、お気になさらず。……ともかく、俺がこうしてISの適性を持って教師としての道に立つ事になったのは、正しく運命だと思っています。俺は、(いたずら)に力を振りかざすような奴らが――軽々しく他人を傷つけるような奴らが許せない。俺やあんたの教え子には、そういう風になってほしくないんですよ」

 

 そう言って、寿司の皿を重ね終えた石動は穏やかに笑う。それは正に、父親が自分の子供の未来を心配するような、そんな笑い方。そして石動のその薄い笑顔は、歯を見せて笑うどこか誇らし気な笑顔に取って代わった。

 

「ま、俺は信じてますけどね。篠ノ之や一夏を初めとした皆がこの先の、明日の地球をもっと笑顔に溢れるものにしてくれる、アイツのような奴になってくれるって! ……聞きましたか? 篠ノ之なんて<織斑千冬(ブリュンヒルデ)の再来>なんてIS専門誌に大々的に取り上げられてるんですよ! …………近い未来、俺達の教え子達が世界を変える日がきっと来ます。<すばらしい新世界(Brave New World)>――――なんてね!」

 

 楽しげに、誇らし気な笑顔のままでそこまで言った石動はしかし、その笑顔を引っ込めてまた深刻そうな顔に戻ってしまう。

 

「でも、あいつらの行く道は決して平坦な物じゃありません。<亡国機業(ファントム・タスク)>、<ブラッド>、そして<スターク>。世界中の危険な奴らが、一夏や篠ノ之達の行く道に交わってきている。これから先も、あいつらには良くない出来事が――――悪い運命が付きまとうでしょう」

「……だろうな。だが、そんな危険からあいつらを守ってやるのが――――」

「ええ、それですよ。俺は、あいつらに無為に降りかかる火の粉を払ってやりたいだけです。あいつらがその運命を乗り越えられるのに必要な力と(こころざし)を手に入れ、見出す事が出来るように…………あいつらの背を押してやりたい。ここ(IS学園)から巣立って行くまでの僅かな間に、あいつらを強くしてやりたい。……それが、俺が教師を志した理由の全てです」

 

 そこまで言うと、石動は空になっていた湯呑みに茶の粉末とお湯を入れて、穏やかにそれに口を付ける。

 

「熱っつ! あちっ、あちちち! やへど(火傷)した!」

「……フッ。貴様、私が思っていたよりも随分熱い男だったようだな。舌は猫舌のようだが」

ひやひや(いやいや)……あついもんはあついにきまってるじゃないですか……」

「ハハハ、お冷を持ってきてやろう。幾つ欲しい?」

「よっつ、四つくらさい……」

「二つで充分だ。少し待っていろ」

 

 目尻に涙を浮かべながら言う石動の気の抜けた姿に、私は笑って席を立った。まさか、この男がそんな事を考えているとはな。ほんの少しだけ、奴の人となりをつかめたような気がする。

 

 ――――あの時。奴が束の生み出したものを『つまらない争いだけ』と切り捨てた時。その眼の奥には、黒々とした(うろ)が映っていた。それは、争いを憂いたり、悲しんだりと言う物では無い。本当に『つまらない』と、心底思っているような瞳。私を前々から警戒させてきた、あの瞳だ。

 

 奴が語った事は、全てが嘘ではないと思う。奴は多分本当に束が嫌いだし、本物の<天才>を見たと言うのだって嘘には思えない。一夏や箒たち、生徒の事を守ってやりたいというのも本当だろう。

 

 しかし、ならば今感じているこの薄ら寒さは何だ。先程の告白を聞いて、奴の事を信じてやりたい気持ちが湧いて来ても、体が全力でそれに警鐘を鳴らしている。まるで生存本能……そうだ、私の本能が『この男を信じ切ってはいけない』と恐れ、警報を発しているのだ。結局、奴のことが少し分かっても、この感覚の正体は掴めずじまいか。

 

 私は一つ溜息を吐き、コップに注いだ水を持って自らの席へと踵を返す。やはり、奴は危険な人物なのかもしれん。あんな眼の出来る男が、善良な凡人であるものか。ただ、今すぐに何かをしようと言う気は無いようだ。ならば、これからも監視を続け、尻尾を出すのを待つしかない。

 

 そう独りごちて席に戻ると、急ぐように寿司を口の中に放り込む石動と目が合った。……何をしているんだ、こいつは。

 

「あっ、水どうも~。……ぷはー! いや~、もう少しマイルドな温度でお湯出して欲しいもんですね、あの蛇口……蛇口? まあ……おっ大トロだ! いただきまーす!」

 

 石動はコップをひとつ私の手からもぎ取るようにしてあっという間に飲み干すと、注ぎ口から火傷するほどの温度のお湯が出た事に苦言を呈する。……かと思えば、目の前を通過した大トロを目ざとく掴み取り、小皿の醤油に付けて一口でそれを頬張った。

 

「随分と元気になったようだな。余り急いで食って喉に詰まらせたりするなよ?」

「しませんって! 所で最初にした話覚えてます?」

「話? 壮大な計画とやらか?」

 

 私の答えに石動は笑顔になって、また一つ寿司の皿を取った。……何が可笑しい?

 

「いやあ、もっと前です。ほら、『寿司を食べた量が少ない方が奢り』って奴。俺ちゃんと質問に答えたんだからあの勝負受けてくださいよ。それくらいいいでしょ? それに一回食べ過ぎたくらいで急に太るほど人間やわじゃあないですって」

「それなら、なぜ貴様は今必死になって寿司を食べている? 勝負と言う物は公平な条件の下で……」

「スタートダッシュです。そのくらいのハンデあってもいいでしょ? 俺は既に食欲絶賛減退中の中年男性なんだから……」

 

 そう言ってまたいくらの軍艦巻きを手に取って、私ににっこりと笑いかける石動。……すごい男だ。ここまで白々しい奴は初めて見る。あまりに舐め切った態度に、私の怒りは閾値(いきち)を容易く超え、一周して私に満面の笑みを受かべさせた。

 

 それを見て、石動がぎょっとしたように寿司を食べる手を止める。だが、もう遅い。

 

「よかろう、ならば後10分だ。その時点で多くの寿司を食っていた者が勝者……それでいいな?」

「あっ……はい、確かに時間は決めとかないとっすねえ……」

「……お前は私を怒らせた。喜べ。その財布の中身、貴様の浅はかさほどに軽くしてやろう」

「えっなにそれは……つか、今までで一番怖い顔してるんですけどこの人……」

 

 震えながら石動がつぶやく。だが、その瞬間既に私は動いていた。流れてきた寿司を片手で二皿掴み取ると、空中で手前の一皿、中トロを空いた口に放り込み、もう一皿を素早く確認……ハンバーグ。回転寿司特有の子供向けメニューか! これは『重い』が、皿を戻すのは基本的な常識に反する。回転寿司で取ったメニューはすべからく完食するべし! 仮にも教師をしている私がそこを妥協してなる物か。

 

 石動も慌てて口の中の寿司をもう一杯のお冷で流し込む。どうやらこのまま先行逃げ切りを決めるつもりのようだが、そうはいかん。私は全力で中トロを飲みこんで、間髪入れずハンバーグ寿司を食らい始めた。そう言えば、賭けで石動に勝った事は今まで無い。だが、今回はいつもの運だめしではなく、実力勝負。ならば、勝つのは私だ。今までの負けの分、ここでキッチリ取り立ててやろう……!

 

 

 

 ――――その後、勝負は宣言通りキッチリ10分で決着がつき、残念ながら石動は貴重な一万円札を無為に失うこととなる。高い授業料だが、いい教訓になっただろう。そう考えれば安いものだ。

 

 店を出た石動は、意気消沈という言葉を体現したかのような姿になり果てていた。アレだけ食ったのに、むしろゲッソリしたんじゃあ無いか?

 

「元気を出せ石動。『金は天下の回り物』だ。すると、回転寿司で財布が軽くなるのは正しいことでは無いか?」

「何上手い事言った気になってるんですかね……? 確かに寿司はおいしいですけど、それと俺の財布が出血大サービスする事は何の因果関係も無いんだよなあ……」

「ああ、あのハンバーグ寿司など、正直邪道だと思っていたが……食べてみると中々悪くない。次に来た時も食べたい物だ」

「人の話聞いてねえなこの人」

 

 そう吐き捨てるように言って大きく肩を落とす石動を見て、私は大笑いしたい衝動を必死に抑え込んだ。しかし、どれほど演技が巧ければ本性をひた隠しつつこれだけ生き生きとした感情を表現できるのやら。やはり油断ならん奴だ。そう笑いを堪えながら内心で思っていると、ふとやり残した事を思い出す。 

 

「石動。そう言えば一つ、頼みたい事があるんだが――――」

 

 

 

 

 

 

 千冬姉と石動先生から身を隠しつつ回転寿司屋に潜伏していた俺達は、重々しい足取りで店の暖簾をくぐって、昼時の混雑しつつある通りへと戻った。

 

 俺達――主に俺と箒は、ひどく打ちのめされていた。

 

「なんか俺……すげえ悪くて無駄な事をしてた気がする……ごめん石動先生……」

「私は訓練もせずにこんな所で何をしているんだ……? 今からでも走って学園まで戻るべきでは……?」

 

 石動先生が俺達に託す明日の地球。笑顔に満ちた未来。俺達自身、石動先生が何故あれ程親身に俺達を強くしようとしてくれているのか解っていなかった。だけど、その裏にあんな熱い思いがあったなんて。

 

「なんだか、身につまされるような話だったね」

「石動惣一……少し、奴に対する考え方を改めねばならんか」

 

 そう神妙にシャルとラウラが呟く横で、嘗て女尊男卑の急先鋒だったセシリアは恥ずかしそうに顔を俯かせている。一方鈴は、石動先生の<計画>に思う所があったのか、ふと、つらつらと語り出した。

 

「……ねえ。アタシさ、女尊男卑の世の中も、そんなに悪く無いんじゃないかなーって思ってたんだ。昔から、偉さに胡坐をかいてふんぞり返ってる奴って嫌いだったし、上っ面の力で暴力を振るうような男も嫌いだった。そう言う奴が居なくなって、やっと女だって実力で評価される世の中になったと思ってた」

 

 でも、と鈴はそこで一度言葉を切る。その次の言葉を、皆が緊張の面持ちで見守った。

 

「――――結局、ISって力に胡坐をかいてるだけの女が<偉い奴>の場所に交代しただけだったのかな。アタシだって代表候補生として、国ではみんなへこへこ頭下げてくれて、それを『えらい奴が自分に頭を下げるなんて気分がいい』なんて思ってたけどさ。それってアタシじゃ無くて、<アタシのIS(甲龍)>に頭を下げてただけだったのかな。アタシも、力に眼が眩んでたつまんない奴だったのかな……?」

「そんな風に自分を(かえり)みる事が出来るなら、お前はそいつらとは違うさ」

 

 泣きそうな顔で言う鈴に、先程までの沈んだ様子が嘘の様に箒が声を掛けた。その言葉に、鈴はハッとしたように顔を上げる。

 

「箒の言う通りだ。少なくとも、お前はその力を仲間のために使える奴だよ。<ブラッド>に襲われた時だって、さんっざん俺のこと助けてくれたじゃあねえか」

 

 な? と俺が笑いかけると鈴は恥ずかしそうに笑って、零れそうだった涙をぬぐった。その様子に、俺達はなんだか、心がくしゃっと暖かくなったように感じる。

 

「……ありがと、箒ちゃん、一夏……」

「あっ、ホントに居た! おーい!」

 

 鈴が何か言いかけた所で、遠くから誰かが走ってくる。その声に顔を上げれば、石動先生が満面の笑みで俺達に向けて手を振りながらこちらへ向かってきていた。

 

「石動先生!? もう帰ったと思っていましたけれど、一体どうしたんですの?」

「いや、ちょっと用事が出来てな。お前らこそこんな所で何してるんだ? デートにしちゃあ、男女比率が間違ってるように見えるけど」

「僕達は~……あはは、偶然ですよ、偶然! 実はみんなでここに遊びに来てて……」

 

 シャルが何とか笑ってごまかそうとするが、箒が一歩前に出てそれを制し、頭を下げる。

 

「石動先生、申し訳ありません。先ほどの寿司屋での織斑先生とのお話……大事なところを、盗み聞きしてしまいました」

「オイオイ、何の話だ? 俺達はただ談笑してただけだぜ~?」

 

 石動先生はそんな事を言って、知らぬ存ぜぬと言わんばかりに笑うが、箒は微動だにしない。アイツは筋を通す女だ。それに倣って俺も頭を下げれば、周りの皆も真摯に頭を下げる。

 

「……マジで聞いちまったみたいだな」

 

 その姿を目の当たりにして、石動先生は一瞬寂しそうな顔を見せるが、それも束の間。いい事を思いついたかのようににやりと笑って、俺と箒の間に割り込んで同じ方を向き、それぞれの肩に腕を回して肩を組んできた。

 

「ハッハッハ、まさか聞かれちまうとは……恥ずかしいな! だがまあ、そんなに気にするなよ! あんなのは俺の個人的な考え方だ。お前らがそれでどうこうする事じゃあない! もしあれのせいで気負って楽しい学園生活が送れなくなったらもったいねえぞ? なんたって、青春は一度きりだからな!」

「「石動先生……」」

「ははは、今回の事はお互い気にしねえでおこうぜ。別に、ショッピングモールに難しいこと考えに来たわけじゃあねえだろ?」

 

 そう言って石動先生が笑ってくれたおかげで、俺達の心は随分軽くなった。本当にいい先生を持ったもんだな。回されたがっしりとした腕の力強い感覚が、俺を安心――――いや、何か力強くないか?

 

「……あの、石動先生? こうしてコミュニケーションを取ってくれるのは悪い気しないんですが、そろそろ離してくれてもよいのでは……?」

 

 箒が何やらもぞもぞと体を動かして石動先生から逃れようと身をよじる。俺もちょっともがいてみたが、石動先生の腕は俺達の上着をしっかりと掴んでおり、どうあがいても脱出出来そうにない。

 

 そういやさっき『ホントに居た』とか言ってなかったか? もし誰かに教えられたとしたら、それってもしかして――――

 

「一夏、それに貴様ら。こんな所で何をしている?」

 

 後ろから聞こえて来た声に、石動先生以外の全員がまるで凍り付いたように動きを止める。振り返ればそこには腕を組んで仁王立ちする千冬姉が、怒気を孕んだ瞳で俺達の事を睨みつけていた。もうダメだ、おしまいだ……。

 

「……休日はお前達の物であり、何をしようと自由だ。……だが、その自由には責任が伴う事を分かっていない歳でもないだろう?」

 

 言いつつ一歩一歩、俺達の方へと歩んでくる千冬姉。その姿に千冬姉のテーマソングでもある『例の暗黒卿のテーマ』が脳内で流れだし、俺達の恐怖を一層助長する。

 

「ラウラ。貴様の持っているそのマイク……渡してもらおうか。当然記録媒体ごと。昔から意外と几帳面でマジメだったお前のことだ。私たちの会話を録音していたのだろう? そのデータは絶版にする。寄越せ」

「えっ、いえ、そのようなここっ、事はありません! 気のせいであります!」

「ラウラァ!」

「申し訳ありませんでしたーッ!!」

 

 千冬姉の怒号に敬礼したまま硬直するラウラ。その姿に一度フンと鼻を鳴らして、残りの鈴、シャル、セシリアに千冬姉は獲物を定めた。

 

「石動。そのまま二人は捕らえておけ。ラウラ。逃げてもいいが、その時は石動に頼んで特別な豆でコーヒーを作ってもらうとしよう。後の者は…………私がやる」

「かしこまり! お任せくださいよ織斑先生~! あ、ボーデヴィッヒ逃げろ! 俺コピ・ルアック買いたいからさ!」

「……………………」

 

 らうらからのへんじがない。あまりのきょうふにきぜつしているようだ。それもそうだよな……俺だってあんなふうに千冬姉に睨まれたら気絶もするわ。そんな事を考えた瞬間。

 

「じゃあ一夏、箒ちゃん! 二人の事は忘れないよ!!」

「ごめんあそばせ! 日本では『命あっての物種』と言うそうですわ!」

「そう言う訳だからゴメン二人とも! アタシだって死にたくないしー!」

 

 残された三人が一斉に駆け出す。それも示し合わせたかのように三人別々の方向に。完全に逃げ延びる気満々なムーブ。あっという間に人ごみの中に姿を消した彼女達の後姿を見て、千冬姉は慌てるでも悔しがるでも無く、むしろ品定めするかのように笑った。

 

「追いかけっこか……面白い。私から逃げ延びようなどと、二万年早いという事を教えてやる……!」

 

 言って駆け出す千冬姉。その速度は正に韋駄天の如くで、本当に文字通りの一瞬でその姿を俺達は見失った。やっぱ、千冬姉やべえな。俺、石動先生にさっさと捕まってよかったかも。そんな風に思って心中で胸をなでおろす。

 

「うお~すっげえな……。一夏、篠ノ之、お前ら俺に捕まったのは幸運だったぜ。間違いねえよ」

「はい……」

「そっすね……」

 

 引きつった笑みの石動先生に、俺達は冷や汗を垂らしながら答える。皆、頼む。できるだけ長生きしてくれ……! 既に虜囚となり、運命を握られてしまった俺にはただ、そうやって皆の無事を祈る事しか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 ……そんな俺のささやかな願いもむなしく、カップラーメンが出来上がるほどの時間も逃げ延びられなかった三人を引きずりながら千冬姉が戻ってくる。

 

 そして余り人の居ないフードコートまで連行された後、俺達はたっぷりと千冬姉のあり難い説教を頂く事になったのでした。とほほ。もう勘違いはこりごりだぜ……!




高校野球の惑星に強制転移されビルドの無い日曜日に苦悶していた自分でしたがルパパトの映画もビルドの映画も本当に最高だったおかげで一命を取り止めました。エボルトも本当にエボルトでよかった(語彙力を失った感想)
ただ、上映開始日に見に行ったのに恐くてパンフ付属のメイキングDVDもまだ見れてない……平ジェネファイナルのパンフ付属DVD見た時みたいに何も手につかなくなる可能性があったから……これから見るので次はもっと遅れるかも。
いや、ほんと凄かったのでまだ見てない人はお盆休みを活用して映画館に急ぎましょう! 自分が見たかったのはああ言う祭りなんだよォ!(カシラ)って感じでしたもん。

次回は臨海学校編に入れると思います。(エボルトの)笑顔に満ち溢れた世界の為に展開考えなきゃ……。




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オーシャンがやって来た

ようやく臨海学校、初日は生徒とのコミュ回です。
75300UA行く前に投稿したかったけど……最新話見てそんなテンション保てるはずがなかった。

感想お気に入り評価誤字報告、いつもありがとうございます。


「見えた! ついに来たわね!」

「海だ――――!!」

「きれーい!」

 

 バスがトンネルを抜けた瞬間、多くの生徒達が快哉(かいさい)の声を上げる。

 

 IS学園1年生にとって夏最大のイベントである臨海学校の初日は、幸運にもこれ以上ない晴天に恵まれていた。穏やかに輝く海の波間はまさしくこの来訪者達を歓迎しているようだ。その姿に生徒達は既に半分リゾート気分か、1日目の自由時間をどう過ごすかに会話の花を咲かせている。

 

 呑気なもんだぜ。一応授業で来てるっての忘れてないか? ……っても、どうせ本来の目的であるIS装備の稼働試験は2日目以降にたっぷり時間がとってあるし、初日に羽目を外しておくのも分からんでもない。だが、ちと緊張感がない気がするぜ。

 

「あたしはパース。さゆかの番だよー」

 

 一方俺はきゃいきゃいと騒ぐ前方の皆とは無関係と言わんばかりに、バスの最後部座席で周囲の生徒と剣呑な視線を交わし合い、輝く海には不釣り合いな殺伐とした雰囲気を醸し出していた。

 

「ちょっと待って!? ハートの6が出てないじゃん! パス! ……理子(りこ)また止めてない?」

「違うし! 石動先生だし! 観念して早く出して下さいよ……! 手の内に(ハートの6が)見える見える」

「そのような事実は……ございません」

「石動先生って勝負事になると途端に性格悪くなるよね~」

「そう言う(かがみ)はクローバーの8止めてるって俺は知ってるんだよなあ……」

「そのような事実はございませーん」

「パクんな!」

「えーでも今日のラッキーアイテムはクローバーだし石動先生は次パスしたらゲームオーバーだし」

「なんだよ~、お前、俺に何か恨みでもあるのか~?」

「え? 無いです。でも勝負の世界は厳しいって事で一つ!」

「くっそ、もってけドロボー! お望みのハートの6だ!」

「いぇーい、やったね」

「やっぱ石動先生じゃん! 信用ならねぇ~!」

 

 俺は夜竹(やたけ)岸原(きしはら)(かがみ)を相手に、先ほどからジュースやら持ち込んだ駄菓子やらを賭けて激戦(7並べ)を繰り広げていた。正直菓子などにはそれほど興味はないが、このトランプと言う人間の娯楽は中々に興味深い。ギャンブル性と競技性の両立された中々に面白いゲームだ。だが、如何に比較的広めのバス最後部座席とは言え、こうもカードを並べるゲームにする必要は無かったんじゃあねえか? カーブに伴って何度か場がぐっちゃぐちゃになったのが俺の懸念の正しさを証明している。

 

 ……しかしまずいな。今の俺の手札はクローバーの大きい数字にひどく偏っている。鏡の奴がクローバーの8をせき止めている以上遅かれ早かれ俺は出せる札が無くなっちまう。そうなればパスを使い切った俺に残されたのは敗北の二文字しかねえ! 幾ら運に左右されるゲームとは言え、この俺がこんな小娘共に辛酸を舐めさせられると言うのか……!?

 

「石動先生。そろそろ目的地に到着なので戻ってきてくださ~い」

「はいはい山田ちゃん! 今行くぜ!」

「あっ石動先生が逃げる! 卑怯者~!」

「ひきょうもの~!」

「逃げじゃねーよ! 夜にまた相手してやるから覚悟しとけ!」

 

 山田ちゃんの呼び声にこれ幸いと、俺は決断的に席を立った。そこに恨み言を浴びせる三人に指を向けて宣戦布告してから、揺れるバスの中足元に気をつけつつ自分の本来の席である最前列まで戻ってゆく。

 途中で何人かの女子にあちこち引っ張られる一夏と目が合ったが、無視。悪いな一夏、本当は助けてやりたい所だがチンタラしてお前の姉上に頭かち割られたくはねえのだよ。そんな後ろ髪を引かれるような思いを感じつつ席へと戻った俺に、織斑千冬が咎めるように声をかけて来た。

 

「戻ったか石動。生徒と仲良くするのはいいが、余り羽目を外し過ぎるなよ?」

「解ってますよぉ~。今回の臨海学校ではビシッと! ビシッとやらせていただく所存でございます」

「フン、口では何とでも言えるな…………さて、そろそろいいか。お前達! もうじき目的地に着く! 皆席に戻って降りる準備をしておけ。バスにゴミなど残していったら承知せんぞ!」

 

 織斑千冬の一喝に、生徒が皆静まり返って自分の席の周りをチェックしだす。正に鶴の一声ってとこか、やはりこの1年1組の頂点に立つのはこの女だな。しかし臨海学校か……今回の大目的であるIS装備稼働試験はきっちりとスケジュールが決まっちまってるし、とりあえずは初日、一夏に好意を向ける奴らを上手い事煽って楽しむとするか。どいつもこいつも一夏の奴に晴れ姿を見てもらおうと気合入れてるみたいだしな。俺はコーヒーでも飲みながらビーチから高みの見物と洒落込もう。

 

「さあて、今回はどんな面白い事が起きてくれるのやら……」

「石動先生。何かにつけてトラブルを期待するのは教師としてどうかと思いますよ」

 

 薄笑いを浮かべた俺のつぶやきを捉えていたか、山田ちゃんが呆れたような顔をして注意してくる。まあ教師としては、万事うまく行くことを願うのが当たり前なんだろうが……俺が必死こいた所で一夏達が何かやらかしそうだしなあ。どうせトラブルが起きるなら、楽しむ側に回りたいのが人間心理という奴じゃあないか? 

 

 ――何もなければスタークとして襲撃かけるのもアリかと思ったが、流石にこの数のISを一人で相手取るのは御免被りたい。一夏、オルコット、(ファン)、デュノア、ボーデヴィッヒ。少なくとも専用機が5機に、訓練機の打鉄(うちがね)やラファールも何機か搬入されてる。生徒達だけなら負ける気はしないが、織斑千冬や山田ちゃんまで参戦してくりゃあ流石に勝ちの目が怪しくなってくる。ま、そんな無理をする必要がこれっぽっちもない以上、今回ものんびり楽しむのがベストだろ。

 そう心の中で今回の行動方針を再確認して、俺は山田ちゃんに誤魔化すような笑みを向けた。

 

「こりゃ失礼。でもまあ、今までのイベントはどれもこれも乱入食らって潰れちまったからなあ……今回はそう言うのじゃなくて、もっと穏便なトラブルで済めばいいなあと思って」

「いや、トラブルが起きないのがベストなんですけどね……でも今年は……うーん……」

 

 深刻な顔で黙りこくってしまう山田ちゃん。分かるぜ。このクラスには既に信頼できるほどの『実績』があるからな。俺がやった襲撃みたいなアクシデントを除いたって、日常的に何かしらのトラブルが起きてるし。

 

「ま、そんなことより折角海に来たんだ。程々に肩の力抜いて、俺達も楽しんでいきましょうや。あ、山田先生相変わらず肩凝ってます? また肩揉んであげましょっか」

「…………後でお願いしてもいいですか?」

「腕によりをかけてやりますんで期待して……あ、あの建物がそうですかね?」

 

 言って外を眺めれば、これから3日間世話になる<花月(かげつ)荘>が見えて来て、ゆっくりとバスがスピードを落とし始める。さてと、下車する準備をしておくかね。俺は初日、海で如何なるアクシデントが発生するか……それに思いを馳せながら荷物の確認を始めて行った。

 

 

 

 

 

 

「ああ、山田先生。荷物持ちますよ」

「あっ、どうも石動先生、助かります」

 

 バスから降りた俺達は各自荷物を持ち、花月荘の女将である清州景子(きよすけいこ)とやらへの挨拶を終えた後生徒達は皆で旅館へと歩いていった。この旅館、どうやらかなりの規模らしく、駐車場から建物まではそこそこの距離がある。俺は生徒達の忘れ物がないかバスを確認した後、はしゃぐ生徒たちの背中を眺めながら山田ちゃんの荷物を紳士的に引き受けていた。

 

 実際、信頼を得るにはこう言う日常の小さな積み重ねが大事なのさ。これであんまり俺を当てにされるようになっちゃあ迷惑なんだが、山田ちゃんは控えめで謙虚な女だ。そう言う事はこっちから言い出さない限り無いだろう。しかしそこそこの重さだな、一体何入れてるんだか……女という奴はよく分からん。

 

 手に取ったスポーツバッグの想定外の重さにちょっと顔を(しか)めながら旅館の方を向けば、俺に向かって大きなバッグを突き出している織斑千冬の姿が目に入った。

 

「…………なんすか?」

「私の荷物は持ってくれないのか?」

「俺、釈迦に説法する趣味が無いのと同じで、力持ちの人の荷物を持ってあげるほど物好きじゃグワーッ!」

 

 最後まで言い切る前に、俺の口は投げつけられたバッグによって顔面ごと塞がれてしまった。IS用装備を投げるようなパワーを生身の人間に向けるんじゃないよ……まったく勘弁してほしいもんだぜ。俺はどうにか山田ちゃんの荷物を取り落とさぬように顔から零れ落ちるバッグをキャッチすると、織斑千冬に怨嗟(えんさ)を込めて視線を向ける。

 

「暴力反対っす~織斑先生。つか荷物投げてよかったんすか? 俺のせいで何か壊れたとか言われても困るんですけど」

「そういう貴重品は別のバッグだ。安心してくれていい」

「そもそも人の顔面に向けてバッグ投げるのがどうかと思いますがね……」

 

 そんな俺の恨み言は奴にはこれっぽっちも響かなかったようで、奴は普段の様に腕を組んで憮然そうな表情をするばかりだ。相変わらず人の話を聞かないんだか、そも聞くつもりが無いんだか。結局先日のショッピングモールで俺が内心を明かした後も、織斑千冬が俺に対する警戒を解く事はなかった。この女の俺に対する警戒は理屈や心情的なものでは無いのかもしれん。出来れば、この臨海学校の間は別行動させてもらえるといいんだが。

 

「そういやあ、結局俺の部屋ってどうなるんですかね? 結局今になっても教えて貰えなかって無いんすけど」

「それは……丁度いい。織斑! 来い。少し話がある」

「えっ、おっとのほほんさん、そんじゃ俺行くから!」

「はーい。おりむーじゃ~ね~」

 

 見れば、また女生徒と話し込んでいた一夏が駆け足でこちらに向かってくる。本当に人気だな、うらやましくは無えけど。しかし、このタイミングで一夏を呼ぶって事は……まぁ、俺と一夏で相部屋だな。当たり前か、男は俺達二人だけなんだし。

 

「これからお前達を部屋に案内する。石動、山田先生に荷物を返しておけ」

「りょーかい。山田先生、悪いけど……」

「ええ、これくらい大丈夫です。いいお部屋だといいですね」

「くぅ~っ、織斑先生にイジメられた後の山田ちゃんのやさしさ、滲みるわぁ~痛ぁ!」

 

 突然の衝撃を後頭部に感じて蹲れば、眉間に皺を寄せた織斑千冬がチョップの形にした片手を振り抜いていた。その後ろで一夏が口元を押さえて笑いを堪えている。この野郎、部屋では覚えてやがれ。

 

「石動、ふざけていられる程我々は暇じゃあない。我々には生徒達を監督する義務がある。海と言う、皆が慣れない環境なら猶更(なおさら)だ」

「はぁ~、結局そうなんのね……」

「何を言う。アレだけ体力が落ちていることを嘆いていたお前に座っているだけでもいい仕事を用意してやったんだ。私のやさしさが滲みるだろう?」

「それ自分で言っちゃあダメだと思うんすけど……」

「いいから付いて来い。行くぞ」

 

 俺の忠言(ちゅうげん)虚しく、織斑千冬はさっさと旅館に向かって歩き出す。ったく。まあだが、暫くこの女を気にせず羽を伸ばせると思えば安いもんか。そう思って肩を竦め、俺と一夏も後を追って旅館へと足を踏み入れた。

 

 

 

 旅館の中は、その年季の入った外観に比べて随分と綺麗に整えられた内装で、正直俺は驚きを隠せなかった。最近改修でもしたのだろうか、元々の時代を感じる建物部分と真新しい床や調度品、エアコンなどの最新設備が一種の調和を生んでおり、正に歴史ある旅館と言って相違無い佇まいと言えるだろう。

 

「あっ、千冬様! あと一夏くんに石動先生、おはようございます!」

「ああ、おはよう」

「織斑先生。砂浜に先行した榊原(さかきばら)先生によると、今年も何の問題もなさそうとの事でした」

「分かった。そろそろ生徒の第一波が向かうと伝えて置いてくれ」

 

 目的の部屋に向かう途中、織斑千冬が多くの生徒達や随伴の教員とすれ違いざまに挨拶や情報交換をするのを眺めながら、俺達は廊下を通り過ぎて行った。しかし、外から見るよりも随分と広く感じるな。貸し切りとは言え、流石は100人を軽く超える4クラス分の生徒達を収容できる施設ってとこか。

 

 そんな事を考えていれば、生徒達の部屋がある一角から少し離れた場所で織斑千冬が立ち止まった。そして懐から鍵を取り出してドアを開け、中へ入るように顎で示す。促されるまま俺達が部屋に入ると、目の前にはまさしく高級旅館の一室が広がっていた。広々とした畳張りの和室に、奥側の壁は一面窓張りになっていて、さぞ良い景色なのだろうと思えば、実際眼下に広がる海を一望できる。

 

「いい部屋っすねぇ~! 俺達だけで泊まるのがもったいねえくらいだ!」

「すっげー! 石動先生海見えますよ海!」

「ヒャッホホヒャッホイ!! 海だ――――! おっ、砂浜で遊んでんのあれウチの生徒じゃあねえか!? 随分と動きの早い奴も居るもんだ!」

「マジっすか!? 俺らも早く行きましょうよ! 久々に泳ぎたくなって来るぜ!」

「よぉーし一夏! どっちが海に早く行けるか勝負すっか!」

「負けねえっすよ先生!」

「おい」

 

 はしゃいでいた俺と一夏が、織斑千冬のドスの効いた声に動きを止める。そんな俺達を見て織斑千冬はこれ見よがしに溜息をつき、呆れたような顔で自分も部屋に足を踏み入れた。 

 

「貴様ら、ここに来るまでに随分と気苦労が絶えなかったようだが、実際到着して見ればその騒ぎ様、まったく元気な奴ら……いや、現金な奴らか」

「おお、織斑先生今のは上手いっすねえ……って、あれ?」

 

 そんなことを言いつつ自身の荷物を部屋の隅へ放る織斑千冬を見て、俺は()頓狂(とんきょう)な声を上げた。

 

「何で織斑先生が荷物置いてんすか? ここ、俺と一夏の部屋でしょ?」

「ああ。ここは確かにお前達の部屋だ。だが同時にこの私の部屋でもある」

「えっ」

「えっ!? 千冬姉と一緒の痛だーッ!」

「一応今も授業中だ、織斑先生と呼ぶように」

「すんません……」

「し、しかし何でまた? 織斑と二人ならともかく、俺と一緒って言うのはマズくないんですかね……いろいろと」

 

 口を滑らせてチョップを受けて痛がる一夏を尻目に、俺は嫌な汗を浮かべながら織斑千冬に問いかける。冗談じゃない。こんな所でまでこの女と一緒に生活せにゃあならんとは正直拷問と言ってもいい。せめてのんびりさせてはくれんかなあ。難波(なんば)に世話になってた頃はホテル住まいだったが、高級旅館ってのは初めてで意外と期待してたんだぞ。

 

「本来ならばお前達二人の部屋になる予定だったのだが、それだと事あるごとに女子が押しかけてしまうだろうからな。結果として私が同室になるのが最善と判断され、こうして私もお前達と寝食を共にせねばばならなくなったと言う訳だ」

「えっ流石に飯は別だ……ですよね?」

「……言葉の綾という奴だ、織斑。石動がもっと信頼置ける人間ならこんな事も無かったんだがな」

「そんなぁ~。俺が一夏をきっちり守ってやるのでご安心してくださいよ~! だから織斑先生は、今からでも山田先生と同室に移ってもらって構いませんよ!」

 

 俺が手を広げて満面の笑みで心配ない事をアピールする。だが、織斑千冬は白々しいと言わんばかりの眼で俺を見て、一つ溜息を吐いてから言った。

 

「お前、夜に自分から生徒の部屋に行こうと話していただろう。そう言う所だぞ」

「アッハイ。申し開きもございません」

「……と言う訳で、私は事実上の護衛だ。そうと知れれば、女子達も無暗にこの部屋には近づかんだろう」

「そいつは確かに。無暗にこの部屋に来ても『(織斑千冬)が出るか(石動惣一)が出るか』…………そりゃあ怖くて近づきゃしませんわな!」

「誰が鬼だ……」

 

 呆れたように首を振る織斑千冬に、俺は思わず防御姿勢を取る。が、危惧した一撃が飛んでくることは無く、代わりに飛んできたのは織斑千冬のお小言だった。

 

「ハァ……それよりもさっさと荷物を置け石動。到着したらすぐに会議があるのを忘れたか? 織斑、お前はもう自由時間だ。荷物を置いたら海にでも行くといい。更衣室は別館だからな、ここで着替えるなよ」

「織斑先生は泳がないんですか?」

「会議が終わったら私も少しは海に行くさ……折角水着も新調したしな。さあ、山田先生が来る前に行くぞ石動」

「へいへい」

「返事は一度だ」

「はい!」

 

 織斑千冬に景気よく返事を返して一夏に小さく手を振ってから、俺は織斑千冬の後を追って部屋を出る。会議ねえ。ま、円滑な行事進行の為に必要不可欠なんだが……実際目の前にすると、あれだけ行くのが億劫(おっくう)だった海が恋しく感じる。

 

「まあ、さっさと終わらせて俺たちも海行きましょうか。織斑先生の水着を生徒達が待ってますぜ」

 

 そう笑いかけると、らしく無く織斑千冬も口角を上げ、どこか楽し気に俺の顔を振り返って笑った。

 

「フッ、だがしかし、私や一夏ではなく、お前目当ての生徒もいるかもしれんぞ?」

「俺のォ? またまた~!」

「一応、お前も男だからな……年上趣味の生徒もゼロではないだろう」

「そんなもんすかねぇ? 俺に惚れる奴の気が知れませんが」

「全くもって同感だ。お前のような奴のどこがいいのやら」

「…………泣きますよ?」

「ハハハ、冗談だ。さ、言ってないで急ぐぞ」

「まったく酷いお人だぜ……」

 

 頭の後ろで手を組んだ俺は、苦笑いしながら織斑千冬の後を追う。この女は警戒対象だが、最近はこう言ったコミュニケーションが出来るようになって来たのはいい傾向だ。

 

 ……人間、頭で分かっていても、どうしても心がそれに従わない場合がある。俺の裏切りを知った時の戦兎(せんと)が中々実力を出し切れ無かったようにな。一夏や篠ノ之の様に情が深い人間は特にそうだ。その時が来ても、きっと奴らは情で剣を鈍らせてくれる。ま、織斑千冬がその例に入るかは良く分からないが……感情豊かなのは人間の特権だ。無反応と言う事はあるまい。

 

 そんな事になるのは何時の事か、まだまだ見えては来ねえが……一夏や篠ノ之がどんな顔をするのか想像するくらいには楽しみではある。しかし、この世界での人生は俺個人としては実に楽しいものなんだが、それにしたってハザードレベルの回復が遅々としすぎているな……。

 今の俺のハザードレベルは4.8ってとこだ。感情が昂ればハザードレベル5.0を超える所までは来ている。だが、そこでエボルドライバーを使用したとして、感情が収まり、ハザードレベルが落ち付いた瞬間にどうなるかと言うのは試したことがない。

 

 本来の俺にハザードレベルの揺らぎなんて無かったからなあ……ったく。戦兎め、別世界に飛ばされてなお、お前が一番厄介な奴だよ。

 

 そう、また戦兎への評価を更に引き上げた所で、ぱたぱたとサンダルを鳴らして走ってくる山田ちゃんの姿を俺達は捉えた。相変わらず必死で実に良い。織斑千冬は山田ちゃんの爪の垢を煎じて飲んでみたら面白いんじゃあねえか?

 

「織斑先生! 石動先生! ふう……もう来てらしたんですね! ちょうど今呼びに行こうと思った所で……」

「少し遅れたか? すまない、山田先生」

「いえいえ! 先生方の部屋だけちょっと遠かったですから!」

「もう皆集まっちゃってんのかい?」

「えっと、そうですね……」

 

 バツが悪そうな山田ちゃんの顔を見て、俺は自分達が会議に遅れている事を悟った。……ま、のんびりしてたし仕方無え事だな。俺にとっちゃ会議なんてこれっぽっちも重要じゃあねえし、どうせスケジュールの再確認とかで終わっちまうんだろ? ……そう考えるとますます行きたくなくなって来た。だがまあ、会議くらいきっちり仕事させてもらって、後腐れ無く海行くのがいいかもなあ……。

 

「じゃ、こんな所で話してないで急ぎますか。フランシィ先生辺りにまた睨まれちまう」

「そうだな。急ぐぞ、二人とも」

「あっ、はい!」

 

 織斑千冬に急かされ、俺達は歩く速度を上げる。しかし、考え事しながら歩いていた内に随分と会議の部屋に近づいてはいた様で、直にその部屋の扉が目前に見えてきた。あーあ。『まぁた石動か……』みたいな目で見られんのかな。そろそろ普段の事務仕事の態度の改善も考えるか。何せ今でも本当に嫌々やってるからなあ……人間ってのはどうしてああ言う規範やルールやらに拘るのか。俺にはそう言う決まり事が人間自身のエゴを表に出す邪魔になっているようにしか思えない。折角豊かな感情を生まれ持ったんだから、そのままの自分に素直に生きりゃあいいのに……ん?

 

「なんだ? この音」

「どうした?」

「いや、何か聞こえ無えですか? 何かが飛んでくるような、きぃぃぃんって……」

 

 次の瞬間、ずどーん、と。何かが落ちて来たような轟音と地震じみた振動。その威力に、俺と山田ちゃんは思わず跳ねあがった。

 

「何だァ!? 隕石か何かかぁーっ!?」

「――――石動、来い! 真耶! お前は皆と会議の場で待機、私からの連絡を待て!」

「えっ!? あ、はいぃ!?」

「えっちょっ俺も!?」

「いいから来い!」

「アイアイキャップ!」

 

 突如全力疾走を始めた織斑千冬に、俺は必死こいて追いすがる。一体何だ!? また篠ノ之束の無人ISか!? あるいは、まさかまさかの<亡国機業(ファントム・タスク)>!? だとしたら生身で向かうのは流石にマズいんじゃ……ああそうだ織斑千冬は生身でも充分に強かったな!

 

「畜生め! 空気って奴を読みやがれよ! ってか待って下せえ!」

 

 俺もこの体の全力を使って駆けているが、織斑千冬の速度は今まで見た人間の中でも群を抜いていた。どう言う脚力だ! 生身の人間が出していい速度じゃあねえぞ! くっそ、いつかその遺伝子、隅から隅まで調べ上げてやるからな……! 俺はその背中を半ば見失いそうになりつつ玄関の広間を抜け、別館へ向かう道へと滑り込む。奴は右に入ったか、もう先程轟音がした場所は目の前の筈……!

 

「うわっとぉ!? とっとっとっとぉ!?」

 

 角を曲がっていきなり眼前に現れた織斑千冬の背中に追突し掛けた俺は、咄嗟に横の茂みに飛び込んで転がる羽目になった。

 

「痛ってぇ~……急に止まんないでくださいよ……!」

 

 全身に引っかかった草葉を払いながら、俺は織斑千冬に向かって愚痴る。あーあ。お気に入りの一張羅が……ビルドの世界で着てたのと同じデザインの奴、探すのに苦労したんだぞ……! しかし、織斑千冬は何の反応も見せない。一体何があったってんだ? 俺は不思議がって奴の後ろから身を乗り出すと、そこにあったのはまったく予想だにしない物だった。

 

「…………ニンジン?」

 

 それは、ニンジンと言うにはあまりにも大きすぎた。大きく、色鮮やかで、そして大雑把過ぎた。だがそれは確かにニンジンだった。まるで童話に出てくるような、人一人収まるほどのサイズの巨大なニンジンを模した存在が、俺と織斑千冬の前に確かに突き刺さっていたのだ。

 

「……なんだこいつは。本物……じゃあねえよなぁ。ったく、何処のどいつだァ? こんな、訳わからんモン作りやがったのは……」

 

 俺はそのニンジンをペタペタと触りながら余りに唖然として、心中の声をそのまま呟いて慌てて口をつぐんだ。危ねえ危ねえ、今(エボルト)本来の声出てなかったか? 口調だけで済んでたか? くそっ、人間の感情ってのはこう言うときに厄介だな。もっと気を付けねえと……いや我慢にも限度があるだろう! 戦兎の発明品よりも突拍子無えセンスしてやがるモン見て落ち付いてられるか!

 

 そんな事を考えたのは一瞬。俺は織斑千冬の存在を思い出す。尻尾を掴まれちゃあいないかと慌てて振り向いてみれば、奴もまた、口元に手をやって何やらぶつぶつと考え込んでいるようだった。

 

「……まさか、アイツが来たのか? しかしこんな派手なやり方で……いや、奴ならやりかねん。また真正面から規則を破って、一体何をしに来たと言うんだ……」

「織斑せんせーい? もしもーし?」

 

 俺が声をかけると織斑千冬は弾かれたように顔を上げ、何か見られたくないモノでも見られてしまったかのように眼を泳がせる。何だよその反応……って、あ、そうか、そう言う事ね。俺は奴のその態度にこのニンジンをここに突き刺した――――否、ニンジンに()()()()()()()()であろう存在が誰なのか何となく理解した。畢竟(ひっきょう)、天才の頭のネジが外れてんのはどこの世界でも同じって事かよ。はぁ。こりゃあ、この臨海学校、中々に骨が折れる行事になりそうだ。

 

「……どうします?」

「ああ……そうだな…………この件は私に任せてくれ。お前も何となく察しがついているかもしれんが、確定するまでは他言無用だ」

 

 織斑千冬はそう言って、うんざりするかの様に自身の額を手で押さえた。分かるぜ~その気持ち。俺も興奮した戦兎に発明品の実験台にされそうになった事は数知れねえからな……天才のお守りってのは本当に疲れるもんだ、心から同情するぜ。

 

「とりあえず戻るぞ。……皆にどう説明したものか」

「あーあ、やだやだ。本格的に海が恋しくなって来たぁ~!」

「……珍しく意見が合ったな。私も海で年甲斐も無くはしゃぎたいよ」

「はっはっは……」

「ふっ……」

 

 俺と織斑千冬は向かい合ってぞんざいに笑った後、二人並んで溜息を付いて、山田ちゃん以下教員たちが待機している部屋へと重々しい足取りで歩き始めた。困ったもんだ。俺が望んでたのはこう言うトラブルじゃあねえんだよなあ……。そう思って俺はがっくりと項垂(うなだ)れる。こうなりゃあ、海で起こるであろう一夏がらみのアクシデントが俺の心を癒してくれる事を期待するか……。

 

 そう諦めきった俺は織斑千冬と揃ってどんよりしながら、皆の待つ会議場所へと戻って行った。

 

 

 

 

 

 

「よっこらせっ、と……」

 

 肉体の実年齢に見合った掛け声でパラソルの陰になったレジャーシートの上に座り込んだ俺の前には、見渡す限りの大海原が広がっていた。きらきらと波間に太陽の光が反射し、紺碧(こんぺき)の空には白い雲がゆっくりと流れてゆく。俺は持ち込んだペットボトルのサイダーのキャップを回して一口(あお)ると、口の中に炭酸の刺激が滲みて、清涼感溢れる香りが鼻の中を通っていった。

 

「はぁーっ……!」

 

 やっぱ地球の飲み物ではコーヒーが一番だと思うが、こう言う場にはさわやかな奴も悪く無いもんだ。この炭酸という奴を初めて飲んだ時は随分と面食らったもんだが、今ではそれを楽しめる程に俺は地球に慣れ切っている。そう言えば戦兎の奴が作った<スパークリング>も炭酸をイメージした装備だったが、アレもなかなかに強烈だったな……。

 

 あの時の戦兎の必死っぷりを思い出してちょっと笑った俺が砂浜を見渡すと、一夏の奴がデュノアと組んで3対2のビーチバレー対決を行っていた。……3人の方、一人きぐるみ着てないか――――って、だから一夏達の方が一人少ないのか。あいつは確か生徒会の布仏(のほとけ)……そういえば旅館の前でも一夏に絡んでた気がするな。

 

「あーっ! いっち~ノーコン~!」

「うおっ、やっべやっべ! ちょっと取ってくる!」

 

 見れば一夏の奴がサーブをミスって、ボールは海の中へ真っ逆さま。布仏に煽られて焦った一夏は慌てて海に飛び込んだ。オイオイ、大丈夫か? クラゲとかは居ないって聞いてるが、足を()って溺れるなんて冗談じゃあないぜ? そう考えていると、後ろに人の気配。遂に織斑千冬のお出ましか、と……。

 

「石動先生、泳がないので?」

「あら、篠ノ之かぁ~。俺はパス! この年になると筋肉痛が明日、明後日に来るんでなあ。二、三日目の方が忙しくなるの分かってるのに暴れられねえよ」

「……大変ですね」

 

 けたけた笑う俺に篠ノ之は苦笑いを返すと、誰かを探すように――――いや、訂正。一夏を探して視線をきょろきょろとさせ始めた。その様子があんまりわかりやすいもんで、俺はまたくっくっと喉を鳴らす。

 

「一夏なら海の中だぜ。ビーチバレーしてたらしいが、ボールが明後日の方に行っちまってよ」

「ああ……成程」

 

 納得したような顔の篠ノ之は、今の内と思ったか自身の水着をチェックし始めた。普段の訓練の甲斐あってか、程々に筋肉の付いた健康的な肢体に白いビキニが良く似合っているとは思う。だが、俺に人間の美的感覚など望むべくもない。あくまでこの宿主の体の脳から引き出した記憶に基づいての考え方だ。そうとはおくびにも出さず、俺はその姿を見て朗らかに笑った。

 

「俺は似合ってると思うぜ? ほれ、早く一夏に見せに行ってやれよ。アイツだって幼馴染の水着は楽しみだろうしな」

「本当ですか!?」

「お、おう」

 

 うおっ、食い付きがすげえな……。恋する乙女ってのはこんなもんなのかね……? 俺はちょっと苦笑いを零して、目を輝かせた篠ノ之を肯定してやる。その時、一夏がボールを掲げて波間から現れるのが見えた。

 

「あった! あったぜ! 無くなったかと思ってヒヤッとしたぜ……!」

 

 そう脇にボールを抱えてざばざばと陸に上がってくる一夏を見て、篠ノ之の体が緊張に固まる。そんな奴を見かねて、俺はその背をちょっとだけ押してやった。

 

「石動先生……?」

「ほれ、頑張ってこいよ。そのために準備してきたんじゃあねえのか?」

「はっ……はい!」

 

 俺の励ましに心を決めたか、踏み出そうとする篠ノ之。だがその足は何人もの女子が横を通り過ぎた事で咄嗟に止められてしまった。

 

「居た! 一夏くーん! 私の水着どう!?」

「わっ、一夏くんの体……腹筋割れてない? 触らなきゃ……!」

「ちょっと抜け駆けしないでよ! 一夏くん私の水着を見て! 今年の最新モデルなんだけど!」

「一夏くん一夏くん! さっきセッシーにやってたみたいに私にもオイル塗ってよ!」

「待ちなさい! ここはこの『7月のサマーデビル』こと……」

「お邪魔ァ! ああ、もう我慢できぬ……! 間違いを起こすっきゃない!」

 

 海に膝上まで浸かった一夏の前に立ちふさがる女子、女子、女子。さっきまで静かだったのにどっから現れたんだか。お陰で、遠慮でもしているのか篠ノ之は申し訳なさそうに俯いてしまっている。あーあ、折角勇気を出したってのに……しょうがねえ、ここは師匠として一肌脱いでやるとするか!

 

「篠ノ之ぉ~」

「あっ……えっと、何です、石動先生」

「動くなよォ……!?」

「えっ……きゃあっ!?」

 

 俺は困惑する篠ノ之をダンベルめいて担ぎ上げると、コメディアンじみた大股で一夏の元へと走り出した。

 

「たっ、高い! 降ろして下さい先生! 一体何をするつもりですか!?」

「安心しろ篠ノ之! お前は一夏の胸に飛び込むことだけを考えてな!」

「一夏の胸に……!? って、まさか!?」

 

 そのまさかだ! 恋愛と言う奴への理解は正直浅い自覚はあるが、俺なりに考えてみても一夏は相当な朴念仁(ぼくねんじん)だ! だったら直球勝負するしか、ねぇんじゃねーか?

 俺はブラッドスタークとして培ったバランス感覚を以って万一にも篠ノ之を落とさぬよう注意しつつ、波打ち際で一夏を待ち構える女子達をかき分け、ついにその眼前に迫る。

 

「げっ!? 石動先生だ!」

「そういん退避~!」

「わあっ!? 何その勢い!?」

「いや何だ何だって……石動先生! それに箒!?」

「俺からのプレゼントだ、しっかり受け止めてやれよ一夏ァ!」

「えっ、ちょっ、まっ」

「オールルァ!」

 

 <スクラッシュドライバー>のそれに似た掛け声を上げながら、俺は一夏目掛けて篠ノ之を程々の威力になるように放り投げた。

 

「きゃーっ!?」

「うぉあーっ!?!?」

 

 どっぽーん。そんなどこか間の抜けた音と共に海中に消える二人。やっぱ思うに、物理的距離が大事なんじゃあないか、こういうのは? 婉曲(えんきょく)な言い方したって気づかない以上、パワープレイに打って出るしかねえ。これで一夏が篠ノ之を引き上げてもその逆でもおいしいもんだ。生徒の恋愛まで手助けしちまうなんて、この世界に来て俺の人間への理解も更に深まった気がするな……。

 

「ちょっと石動先生! 何してるんですか~!」

「一夏くんが海に沈んじゃった!」

「平気平気! じきに出てくるさ。それに、そもそも大分浅いし、あいつらはこの程度で溺れるような奴らでもないだろ」

 

 自画自賛していた俺に何人かの生徒達が抗議してくるが、俺は笑って二人が沈んだ場所を指し示した。すると、白い泡の中に何やら違う物が浮かんでいるのを見つけて俺はそれを掬い上げる。

 

「なんだこりゃあ……」

 

 二つの白い生地とひも状の……いや、普通に布と紐で出来たそれを俺はまじまじと見つめる。その瞬間生徒達から驚愕の声が上がり、遅れてその正体に気づいた俺は大慌てでそれを放り投げた。

 

「ぶはあっ! ゲッホゲッホ! 石動先生……! なんて事してくれんだ……」

 

 先に飛び出したのは一夏。だが、その肩には俺が先ほど放り投げた水着が引っかかっている。

 

「ん? こいつは……」

「ぷはっ!」

 

 肩に引っかかった篠ノ之の水着に気づいた一夏が、先ほどの俺の様にそれをつまみあげてまじまじと見つめている所に篠ノ之が姿を現した。この後の展開を予想して、俺は自衛のため顔を逸らす。だが篠ノ之は流石に堪忍袋の緒が切れた様で、真っ赤な顔で俺の方へと詰め寄って来た。

 

「石動先生! 幾らなんでも強引すぎます! 流石の私も今回は――――」

「篠ノ之! ダメだ! こっち来るな! 前隠せ前!」

「前……?」

 

 俺の慌てた声に、篠ノ之は赤い顔のまま不思議そうに一夏を振り返った。その瞬間一夏の顔が真っ赤になり、次いで一夏が持っている物が何かを理解して自分の上半身を確かめた篠ノ之が、今まで見た中でもぶっちぎりで真っ赤になった。

 

「うっ、うわぁぁぁぁあ――――っ!!!」

「あっ!? ちょっと待て箒!? 俺は何もしてねえ! ちょっと待ってくれ!」

 

 パニックを起こし凄まじい速度で遠くへと泳ぎ去ってゆく篠ノ之を、一夏が必死のクロールで追う。あー、こりゃあやべえ。俺はここらでお暇しとくか……!

 この惨状に身の危険を感じ取った俺は、皆の視線が向こうへ向いている間にその場から離れるべく慌てて踵を返す。だが。

 

「教師たるものが」

 

 時すでに遅く。

 

「生徒を危険に晒すなァ――――ッ!!!」

 

 織斑千冬渾身のドロップキックにより、俺の意識と体は海の藻屑と消える事になった。

 

 

 

 

 

 

 その後、織斑千冬の制裁によって重大なダメージを受けた俺は初日の残りをボロッボロのまま負傷者用の部屋で一人寂しく過ごす事となった。マジで骨が折れたかと思ったが、意外にも体への後遺症は少ない――――いや、俺は無意識の内に自身の成分を使ってダメージを受けちまった肉体部分を保持していたようだ。お陰様で明日には動けるようになるだろうが、ハザードレベルが4.7に下がっている。

 

 あー、やっちまったな。人間の恋愛なんてよく分かってないもんに思い付きだけで対応しようとしたのは失策だった。これも人間の感情を得たからか、余りに楽しい事があると少々軽率になっちまってやがる。もっと気を使わなきゃあいかんな……後で一夏と篠ノ之には頭下げとかねえと。

 

 気絶していた間に、もう夕食の時間も過ぎ去ってしまっている。これじゃあ噂に聞く露天風呂にも入れやしないし、鏡らと約束していた夜のリベンジマッチだって無理だろう。負け逃げとは何と言う屈辱だ。

 

「はぁ~~……」

 

 俺は布団の上で、天井を眺めて溜息をつく。篠ノ之に忍耐を説いたのがずっと過去の事に思えるぜ。奴に教えた事は自分でも見直して行かなきゃならんな。人間の感情について勉強中なのは俺も同じ事なんだからよ。

 

 そんな事を深刻ぶって考えていた時、こんこん、部屋の扉がノックされた。今この部屋には俺以外は誰もいない。「どうぞ~」と俺が言えば、戸を開いて三人の生徒が部屋に入ってきた。

 

夜竹(やたけ)岸原(きしはら)、それに(かがみ)、どうしたお前ら……もしかしてお見舞いに来てくれたのか!? くうッ、泣かせるねぇ……!」

「んーん、生死確認ですよー」

「生死確認!?」

「石動先生、織斑先生に蹴り飛ばされて木っ端みじんになったって聞いたんで」

 

 そう言ってくすくす笑う鏡と岸原を見て、俺はげんなりといった顔になった。

 

「お前らなぁ……仁義はどうしたんだよ……仁義はどうしたんだよ!」

「えー? そんなものは……なぁーい!」

 

 腕を上げ、頭の上で×マークを作った鏡に、何時だか似たような事を万丈(ばんじょう)に向けてやった事を思い出して俺はぷっと吹き出した。成程……万丈の奴、あの時は相当怒ってたがこいつは仕方ねえな。一瞬俺もイラっと来たもの。いや待てよ……つまり感情の芽生える前の俺の感情の摸倣は割と間違ってなかったって事か……少し初心に帰って、いろいろ見なおしてみるかね……。

 

「意外とお元気そうで安心しました。差し入れです」

「おおっ、この栄養ドリンクは! ビタミンC、ビタミンB、着色保存料ゼロ! 俺これ好きなんだよ~! コーヒーの次くらいにな!」

「私も走った後には飲んでるよー。何も恐れない気持ち! 立ち向かう勇気! あとは元気をフルチャージしてくれるからいいよね」

「鏡ィ~、お前なかなか分かってるじゃあねえか~!」

「ま、陸上部のたしなみって奴ですかねー」

「「はっはっはっは!」」

 

 夜竹からシュワッと弾ける炭酸ドリンクの瓶を受け取った俺は思わず喜びの声を上げた。ついでにそのノリに乗ってきた鏡と軽くドリンク談義をして、楽しげに笑い合う。俺の体調を考慮してこのドリンクを選んでくれたならありがたい。そういや、このドリンクのCMに出てる三人、何処となく戦兎たちに似てるんだよな……。

 

「じゃ、始めますか」

「んん? 何するつもりだ?」

「何って、石動先生が言ってたじゃあないですか。『夜は覚悟しとけよ』って泣きながら逃げてったの覚えてますよ」

「逃げてねぇし。つか、泣いてねえし」

「いっつもすぐ『ウルっと来る』とか言ってるじゃあないですか~」

 

 そう笑いながら言って、鏡は差し入れの袋の中からトランプのケースを取り出した。成程、負け逃げだろうが逃がしちゃくれねえって事か……!

 

「面白い……! 後で吠え面かくなよ……!」

「その言葉、そっくり返させていただきます」

「また7並べでいいよね? 今度は崩れたりしないし」

「おっけーおっけー。そんじゃ早速ぅ……GAME START(ゲームスタート)!」

 

 

 

 …………そんなこんなで、織斑千冬に食らった一撃を除けば、臨海学校の初日は割と楽しいまま終わりを告げた。明日もこれくらい楽しいといいんだが。ま、専用機持ち達の新装備もあるし、きっと実に参考になるだろう。奴らの実力を正確に理解し続ける事は俺のこの世界での生活において大きな意味がある。全く……明日が楽しみだぜ。

 

 だが、俺はすっかり忘れていた。不穏な<天災>の影の事を。実際意識的に目を逸らしていただけで、織斑千冬さえ辟易(へきえき)させる実際の奴を知り、これ以上無く草臥(くたび)れる明日が待っているとは……その時は(つい)ぞ知ることもないのだった。

 

 




初ラッキースケベです。一度やってみたかった。
一方作者は最新話視聴後涙の海に沈んでいました。カシラ、ありがとうございました……!
あと最後のエボルトのアレ、泣きながらエボルトポイントを大量加点していました。人の心が良く分かってて完璧すぎる……!
自分も本編のようにエボルトをもっとド外道に書けるよう精進してゆきたいです。


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ディザスターと呼ばれた女

臨海学校二日目前半戦の束回(?)、約二万字です。

第一話と第八話の総合UAが一万を越えてました。
一話はともかく八話は……やっぱりみんな長台詞すきですね?

感想評価お気に入り、誤字報告などしていただけて嬉しいです。
いつもありがとうございます。


 臨海学校二日目。時は既に集合時間の五分前。今日は昨日の大騒ぎが嘘のように、朝から陽が沈む直前までみっちりとIS装備の稼働試験を行うことになっている。その為、昨晩の内に搬入された訓練用ISやその装備、専用機持ちのため各国から集められた新型の専用パーツがずらりと砂浜に並べられていた。その姿は正に壮観と言ってもいい。実際、ここにある戦力だけでヘタすりゃ国を滅ぼしかねない程だ。その兵器たちの性能には俺も実に興味がある。出来れば一刻も早く調べたい所だ。だが――――

 

「すまねえ二人とも! 昨日は俺が悪かった!!」

 

 ――――今日の俺の行動は、まず一夏と篠ノ之を探し出して土下座する所から始まった。我ながら情けないとも思う。しかし、こんな事で今まで培ってきた信用を失うわけにもいかず、実際の所かなり必死だ。そんな俺を見て一夏と篠ノ之は困ったように顔を見合わせてから問いただすような顔で俺の事を見下ろして来た。

 

「……石動先生。ホントに反省しておられますか?」

「ああ! 今回は本気で反省してる。これ貸し(いち)にしといてくれ! 今後、何かあれば俺に出来る事は何でもするぜ!」

「えっ、石動先生今何でもって」

「俺に出来る範囲でな! ……いや、本気ですまなかった」

 

 言って再び額を砂浜に埋める俺に二人はどうにもいたたまれなくなった様で、俺の事を(おもんばか)ってか、しゃがみ込んで困惑を残しながらも、優し気に声をかけてくる。

 

「……あー、石動先生も、俺らと海を楽しみたかったんですよね? 箒のアレも一応事故だとは思うし……鈴やセシリアとかに訳わからず攻撃される事は良くあるしな……」

「石動先生、顔を上げてください。確かに……いや、かなり許せない事ではありますが、石動先生の事です。何か深い考えがあっての事でしょう……」

 

 悪いなあ、俺、何にも考えてなかったよ。篠ノ之束(他人)の事言えねえな。

 

「うう……一夏、篠ノ之! お前らは何ていい奴らなんだ~~!!」

 

 胸中の想いなどおくびに出さず、俺はまるで宗教画を目にした敬虔な信者の如く二人の前にひざまづいた。その様子を見た篠ノ之は目茶目茶にやりづらそうだ。傍目にもどう対応していいか考えあぐねているのが分かる。

 

「あーっ! 焼き土下座だ! いっちー達がそーいっちー先生を灼熱の砂浜の上で焼き土下座させてる~!」

「なっ!?」

「えっ!?」

 

 声の聞こえて来た方向に目を向ければ、布仏(のほとけ)が一夏と篠ノ之に向けて指を向けて叫んでいた。まあ、確かに見る人が見たらそう思える構図だ。だがしかし、お前は昨日あの場に居ただろう。そんな事言ったら、現場に居なかった生徒達にまで事情が歪んで伝わるだろうに。何も考えてねえのか、そう言う所を楽しんでいるのか……人の事は言えねえか。

 

 ちなみに、まだ朝早くで砂はそれほど熱を持ってはいない。寧ろひんやりとして心地いい位だ。まあ、だからと言って好き好んで土下座するほど俺は物好きではないが。

 

「ちっ、違うぜのほほんさん! こりゃ昨日の償いと言うか、石動先生が自主的にと言うか……!」

「一夏さん達……まさか石動先生を自主的に土下座させるほど追いつめておられたなんて……(わたくし)、ちょっと恐怖しましたわ……」

「セシリア!? 断じて違うぞ! 我々は石動先生を追いつめてなどいない!」

 

 一夏が慌てて俺を土下座させたという誤解を解こうとするが、何処から現れたのか、事情を知らぬらしきオルコットの援()射撃によって篠ノ之まで慌てふためいて否定する羽目になっている。ったく、ここは当然フォローするのが大人ってもんだろう。

 

「布仏、オルコットぉ。今回は俺のマジなミスだ。あんまり茶化すんじゃないやい」

「うー、先生ごめんなさい~」

「えっ私もですの!? 茶化してなど無いのですが!」

 

 緩い雰囲気のままに頭を下げ謝る布仏と対照的に慌てふためくオルコットを見て、俺はまた人間の個性と言う物に大いに面白みと言う物を感じていた。嘗て俺が見たライダー達……戦兎(せんと)万丈(ばんじょう)猿渡(さわたり)幻徳(げんとく)、そして内海(うつみ)。奴らも色とりどりの宝石のように個性豊かで、遊び甲斐のある奴らだったな。この世界で見た人間達も、誰も彼もが個性豊かだ。やはり、これだから人間は面白い。

 

 だが、強さと言う点で見れば奴らはまだまだ成長途中の子供だ。流石に織斑千冬だけでは楽しみきれるとは思えんし、飽きでも来た日にはうっかり地球を滅ぼしかねない。早く一夏や篠ノ之、専用機持ちの生徒達を俺の遊び相手が出来る程度には育て上げないとな……。

 

 ま、<仮面ライダーエボル>への変身条件もまだまだ満たせていないのが現状だ。結局はのんびりやって行くしかない。焦る必要も一切無いしな。俺の正体を知ろうとしているのは現状織斑千冬だけだし、<ブラッド>を追っているのは篠ノ之束くらいだ。<スターク>……いや、<ブラッドスターク>についての情報も一夏や篠ノ之、デュノアと交戦した時の証言だけ。そのあたりは、俺も奴らに直接確認したから間違いない。

 

 今の所、完全に万全で安泰だ。極端な話、このまま一教師としての仕事を全うしているだけでも構わない。だがやはり、何か保険が欲しい所だ。織斑千冬の遺伝子情報でも握って置ければいいんだが、奴にそんな隙は無いしな……なら、篠ノ之束を狙うか? 恐らくではあるが、この臨海学校は奴にとっての関心事であるらしい。今もどこかから()親友(織斑千冬)その弟(一夏)の事を見張っているはず。

 

 ……いや、織斑千冬(地上最強)と並んで<人類最高(レユニリオン)>などと称されるような女だ。頭脳だけでなく、それなりの戦闘能力を備えているはず。当然自身の為のISか、それに準じた物は持っているだろうな。いずれひどい目に遭わせるにしても、この臨海学校でこちらから牙を向くのは早計すぎるか。

 

 ならば、<亡国機業(ファントム・タスク)>あたりと接触して見るか? いやだめだ、手段が無い。宇宙飛行士と言う、最先端技術に触れる事の出来る立場であったビルドの世界の俺と違い、今の俺はただの一教師だ。ファウストのような情報網も無ければ要人とのコネクションだって無い。現に情報収集も半ば<テレビフルボトル>に頼ってるような状態だからな……。その点、コネも社会的地位もあって身体能力や知性も高く、顔もスタイルも完璧だった石動は最高の憑依先だった……。

 

「全員集合!」

 

 目前の生徒達を眺めながらそんな事を思っていれば、時間になったようで織斑千冬の声が砂浜に響き渡る。皆が遅れちゃまずいと慌てて駆ける中で、俺はそれを楽しみながら山田ちゃんの横まで歩み寄っていった。さて、今後の訓練の指標にもなる事だし、しっかりと皆の新装備を目に焼きつけるとしますかね。

 

 

 

 

 

 

「……流石に優秀だな。遅刻したのは大目に見てやろう」

 

 そう織斑千冬に告げられ、遅刻者であるボーデヴィッヒは安堵するような溜息を吐いた。

 

 いや織斑千冬もやるねえ。並の生徒にはISの<コア・ネットワーク>についての正確な説明なんか出来ない芸当だぜ? 遅刻したのがボーデヴィッヒだったからいい物の……いや、奴さんはボーデヴィッヒの元上官だったな。アイツなら答えられると踏んでのことか。惜しいな、答えられなかったらさぞ面白い事になってただろうに……。

 

 ま、ボーデヴィッヒの奴、昨日砂浜で篠ノ之と一夏が二人仲良く遠泳に行っちまった(俺のせいだ)って聞いて随分残念そうにしてたからな。お陰様で寝つきがそれほど良くなかったんだろう。可哀想な話だぜ。

 

「さて、それでは各班振り分けられた訓練機の装備確認、及び試験を行え! 専用機持ちは各自専用パーツのテストだ。キビキビ動けよ、もし明日までに終わらんようであれば置いて行くからな。以上、解散!」

 

 そんな事を思いながら笑いを堪えていると、早速、織斑千冬が皆に向けて指示を飛ばした。流石の威圧感だぜ。実際、皆先程までの浮ついた雰囲気が鳴りを潜め、相当真剣にそれぞれのISを弄っている。それじゃあ、俺も早速専用機持ちの様子を覗かせてもらいますか……。

 

「ああ。篠ノ之、それと石動。二人はちょっとこっちへ来い」

「はい」

「へ? 俺ですか?」

 

 唐突に織斑千冬に呼ばれ、俺は篠ノ之と共に奴の前に立つ。一体何だってんだ? まさか訓練機持ちの班を見ろってんじゃあ無かろうな……勘弁してくれよ。俺は専用機持ちの新パーツを見るためにここに居るんだぞ……。

 

「先日の話は覚えているな、篠ノ之」

「はい」

「例の機体、随分と時間がかかったが、ようやく完成したそうだ」

「……本当ですか!?」

「ああ、少し遅れているようだが、じき到着する。石動、お前は篠ノ之の準備を手伝ってやれ。アレだけ入れ込んでいたんだ、お前も鼻が高いだろう」

「…………すんません、何の話ですかね?」

 

 俺は勝手に話を進める二人を訝しむような眼で見つめるばかりだ。今回の臨海学校で何かあるなんてちっとも聞いて無いぞ。俺は憮然とした顔はそのままに篠ノ之の耳元に口を寄せ、織斑千冬に聞こえぬように小声で問いかけた。

 

「なあ篠ノ之ぉ。俺の鼻が高くなるってなんだ? なんかの童話かよ?」

「あの、それは嘘をつくと鼻が長くなる奴では……?」

「何だ篠ノ之。お前、石動に伝えてなかったのか?」

 

 俺達三人は顔を見合わせ揃って首を傾げた。伝えてない? 篠ノ之が? 何をだよ。訓練中に起こった出来事、篠ノ之の戦闘能力、動きの癖や弱点は全て記憶してるつもりだ。それに俺は篠ノ之のプライベートにまで踏みこんだ事は一度もねえし……。しかしそう考えていれば、何か思い当たる節があったのか篠ノ之がバツの悪そうな顔になって、申し訳なさそうに口を開いた。

 

「……申し訳ありません、少し舞い上がって、伝えるのを忘れていたのかと」

「そうか。ならば私から伝えてやる」

「ちょっと待った! それ良いニュースですよね? なんか嫌な予感がするんですけど」

「安心しろ、最高のニュースさ。お前の愛弟子でもある篠ノ之に、今日からついに専用機が――――」

 

「ちーちゃ~~~~~ん!!!!」

 

 織斑千冬が決定的な部分を言いかけたその時。突如砂煙が巻き上がったかと思えば、何者かがかなりの速度で俺達の方へと向かってくる。生身の人間に出せる速度じゃあない。俺はその乱入者から篠ノ之を遮るような場所に立ち位置を調整すると、その仔細(しさい)な姿を捉えようと努めた。

 

 あの速度を出すのに邪魔にしか思えぬ、おとぎ話にでも出て来そうな青と白のワンピースにトランプのスートが描かれた白の二ーソックス。砂浜ではまず見掛けぬであろうハイヒールに、何より目を引く金属質の兎の耳。今まで見た人間の中でも、完全にセンスがイカれていやがる。何だありゃ――――いや、ここはそも部外者立ち入り禁止の軍事教練場だ。そんな所に躊躇なく侵入し、生身に見える姿であの速度を叩き出す。おいおい、待てよ。じゃあもしや、あの女が――――

 

「――――束」

 

 勘弁してくれよ! 俺は思わず額を押さえて唸った。まさかこのタイミングで出て来やがるとは! 織斑千冬に篠ノ之束、更には今回用意された全IS。こりゃあ流石に、今日は下手に動けねえか? いかに俺が強くともブラッドスタークでは間違いなく無理だ。戦力差が大きすぎる。俺がそう苦悶していれば、篠ノ之束はさらに速度を上げて織斑千冬に迫った。

 

「やあやあ会いたかったよちーちゃんさあ愛を確かめ合うためにハグと行こうそうしよう何せ私とちーちゃんは運めこパぁっ!?」

 

 瞬間、織斑千冬が放った裏拳によって、篠ノ之束はまるで舞踏会に参加したお姫様のようにその場でくるくるとダンスを踊らされ、そのままあっけなく砂浜に倒れ伏した。

 

 なんて一撃だ。今の攻撃は人間の急所である顎を的確に打ち抜いていた。ありゃあたまらん。今のを受ければどんな人間でもノックアウトだろう。ったく、織斑千冬が老若男女に差別なく容赦がないのはよく知ってたが、噂に聞く親友に対してもそうとは恐れ入るぜ。

 

「束。やはり来ていたか。一体何をしに現れた?」

「相変わらず情け容赦がないね……今のはいつものアイアンクローより効いたよ……」

 

 言いながら、フラフラと立ち上がる篠ノ之束。いや、立ち上がれるだけ大したもんだ。普通あんなの食らったら平衡感覚がやられてしばらく起き上がるのも無理なはず。やはり肉体的にも一般の人間とは一線を画していると見ていいな。

 

 俺がそう奴の身体能力を計っていると、当の本人は軽快な動きで立ち上がり、俺の脇を小走りにすり抜けて篠ノ之の前に立って満面の笑みを浮かべた。

 

「やっほ! へへ、久しぶり~! 相変わらず世界一かわいいね~箒ちゃん。こうして会うの何年ぶり? おっきくなったね、特に……や、何か全体的に逞しくなった?」

「………………どうも」

 

 一方、対する篠ノ之の顔には不快感と嫌悪がこれでもかとにじみ出ていた。そりゃそうだ。奴は元々姉に対してコンプレックスを持っていたし、俺との問答でそれが妙な方向にねじ曲がっちまった所があるからなあ。しかし、篠ノ之束が身内に対して酷く強烈な親愛を向けていて、それ以外には塵芥ほどの興味も無いと言うのはあながち嘘じゃあなさそうだ。今も俺の事なんか一瞥さえしなかったからな。

 

「あ、あのう、すみません……ここ、関係者以外立ち入り禁止になってるんですけど……」

「ん~? 関係者って言うなら私はちーちゃんの親友で箒ちゃんの姉でここにあるIS全ての生みの親なんだけど? それくらいちょっと考えればわかるでしょ。おっぱいでかいだけかよ。って訳で後で揉ませてね」

「えっ。……えっとあの、揉むのはちょっと……」

 

 一方、事態を打開しようと割って入った山田ちゃんはあえなく返り討ちとなった。元々初対面の相手に強く出れない山田ちゃんじゃこう言うタイプの相手は無理だ。しょうがねえ、俺も少しは仕事するとするか。

 

「いやいや。そうじゃあ無くて、家族でもここは立ち入り禁止なんですよ。各国の機密もあるんで、せめて正式な許可を取ってきてくれないすかね?」

「は? お前だれ? どっから出てきたの? ちーちゃん、不審者が居るよ。さっさと叩き出さなぎゃわッ!?」

「分かった。今すぐお前を海に放り投げてやろう」

「あっちーちゃんタンマタンマ! アイアンクロー痛い痛い痛い……っと!」

 

 遠慮がちに話しかけた俺に尊大な言葉を返そうとした篠ノ之束の頭を、握り潰さんばかりに鷲掴んで持ち上げる織斑千冬。篠ノ之束はその威力に悲鳴を上げたがしかし、その実久々のそれを堪能でもしていた様で、ある程度ダメージを負った後はひょいと織斑千冬の掌握から抜けだしてしまった。

 

「もー! ちーちゃんったらひどいっ! 束さんは不審者なんかじゃあないよ! ってか、そこの変なオッサンのほうがよっぽど怪しいよね。誰ソイツ!?」

「……IS学園一年一組副担任補佐、石動惣一。以後お見知りおきを」

「あっ、お前が……」

 

 言って気取った礼をして見せた俺に、そこで初めて興味を示したかのように思案しだす篠ノ之束。何だ、俺に何かあるのかよ? 石動惣一としてこの女に対してコンタクトを取った覚えは無かったんだが……。

 

「おい不審者。ここに居座るつもりなら、せめて自己紹介くらいしたらどうだ? 私の教え子たちを困らせるな」

「え、めんどくさ……でも不審者呼ばわりは嫌だし、しょうがないなあ。はろー、私が天才科学者の束さんだよ。以上」

 

 織斑千冬に睨まれ渋々と言った具合の自己紹介に、遠巻きにこちらを見つめていた生徒達が大いにざわつきだした。突然臨海学校に珍妙な女が乱入してきたかと思えば、それがISの生みの親と分かれば当然の反応か。

 しかし、今の自己紹介は雑にも程があるだろ。何よりも<天才科学者>と言うのが気に入らん。戦兎のような奴が二人もいられちゃ俺ものんびりしてられなくなる。それに、この世界の天才科学者はこの女一人だが――――俺からすれば、天才科学者とは桐生戦兎の事だ。その称号を他者が名乗るのに、言いようのない不快感を感じる。

 

「さあ、言いたい事も多少あるだろうが、お前らはこいつの事など気にせずさっさと作業に戻れ。歩いて学園まで帰りたくは無いだろう!」

 

 パン、と手を叩いて言う織斑千冬の一声に、今まで篠ノ之束に向いていた視線が一斉に作業へと戻って行った。その様を一瞥して、疲れたように小さな溜息を吐いた織斑千冬は、すぐさま顔を引き締めこちらへと向き直る。

 

「さて……山田先生。しばらくの間生徒達のサポートを頼みます。篠ノ之、石動。話の続きだ。後は……そうだ束、お前はそこで立っていろ。一歩も動くな、喋るな、余計な事は何もするな」

「はいはいりょーか……ちょっと待ってちーちゃん!? 流石に酷くない!? 兎は寂しいと死んじゃうんだよ!?」

「お前は人間だろう。さて篠ノ之、お前には……」

「ちょっと待った! その前に石動惣一に一つ!!」

 

 何だ、とでも言いたげに眉間に皺を寄せる織斑千冬を尻目に、俺の元へと歩み寄る篠ノ之束。背後の篠ノ之が緊張するのを感じて身構えた俺を前にして、奴は本当に嫌そうな顔で言った。

 

「……お前みたいなどこの馬の骨とも知れない奴にこんなこと言うのは(しゃく)だけど、クラス対抗戦の時、箒ちゃんを助けてくれてありがとね。そんだけ」

 

 それを聞いた瞬間、俺は大笑いしそうになるのを堪えるのにこれまでになく腹筋を酷使する事になった。オイオイ、俺に妹を救ってくれた感謝とは! 誰が撃ったかも知らずに……滑稽極まりねえ! いや、だがこれではっきりした。この女でさえも<ブラッド>と俺の関係性に気づいていない。これは、間違いなく使えるカードだ。大切に扱うとしよう。

 

「いや、教師として当然の行動ですよ……そんじゃ、織斑先生。篠ノ之との話の続きを」

「ああ」

 

 短く返した織斑千冬が、篠ノ之の前に立つ。そのいつも通りの憮然とした顔とは対照的に、篠ノ之は正に手に汗握り、その言葉を待っている。俺には伝わっていなかった話だが、ここまで来れば流石にその内容にも察しが付いた。

 

「篠ノ之。今日からお前にも専用機が与えられる事になった。<倉持(くらもち)>の開発した新型らしい。しかし、幾ら手続きに時間がかかるとは言え、代表候補生への正式な認定を前に専用機を与えられるなど異例中の異例だろう。先日のタッグマッチ戦で見せた、お前の実力がそれを認めさせたんだ。……おめでとう、篠ノ之。これからも頑張れよ」

「…………ありがとうございます!」

 

 感極まったように頭を下げる篠ノ之を見て、俺はついに来たかと独りごちた。長かったと言うべきか。専用機を持っているのといないのではIS学園で行える訓練にはは文字通り天地の差がある。

 わざわざ訓練機の順番待ちなどせずとも、アリーナの空きがあれば稼働訓練を行えるし、何よりISは装着者に合わせて自己進化する、<ライダーシステム>とは別の成長システムを備えた存在だ。それに量産型とは違う、世界にただ一つの機体と言うのは、篠ノ之にとって大きな拠り所となるはず。何せ今の奴は一夏と並び立つための力を欲すると同時に<篠ノ之束の妹>という不名誉からの脱却を願っているからな。唯一無二の専用機はその第一歩ってとこか。

 

「良かったな、篠ノ之。だけどようやくスタートラインだ、気ィ抜くんじゃあねえぜ? これからもビシバシ行くから覚悟しとけよ~」

「はい!」

 

 笑って肩を叩いた俺に、篠ノ之は一際明るい返事を返した。いい顔だ、希望に満ち満ちてやがる。そのままどんどん強くなって、俺の事も笑顔にしてくれよ。そんな心中の想いなど微塵もおくびに出さず、俺は表向き純粋に篠ノ之を祝福する。だが、その姿に凄まじい嫉妬の視線を向ける者が居た。

 

「ちーちゃんやいっくんならともかく、素性も良く分かんないオッサンが箒ちゃんにボディタッチしてるの、超じぇらしぃ感じるんですけどォ……」

 

 何やらギリギリと歯ぎしりしながら、篠ノ之束が俺の事を睨みつけて居るのに気づいて、俺は白い目をそちらに向ける。いや、教師と生徒の師弟関係に目くじら立てるのか? 飼い犬(滝川紗羽)に裏切られた時の難波(なんば)会長かよ……。などと俺が思っていれば、奴は不貞腐れたように足元の砂を蹴り始め、何やらぶつくさ言い始めた。

 

「ま、いーもんね~。これから束さん渾身のプレゼントで、箒ちゃんのハートをげっちゅしちゃうし!」

「おい束、お前にはさっき『余計な事はするな』と言った筈だが?」

 

 篠ノ之束の不穏なつぶやきに織斑千冬がいち早く反応して釘を刺す。しかし当の篠ノ之束はそれをスルーし大仰な仕草で右腕を天に高くつき上げて、狭い砂浜に響き渡るよう高らかに叫んだ。

 

「さあさあ皆さんご注目! 束さんの世界一かわいい妹、箒ちゃんの専用機のお披露目だよっ!!」

 

 奴が叫び終わるのとどちらが早かったか、空の彼方から一つの影が飛来し、すさまじい勢いで砂浜へと突っ込んできた。その衝撃と舞う砂塵に、多くの生徒達が目を覆い注目どころでは無い。そして、晴れた砂煙の中から現れたのは金属製のコンテナ。朝日を浴びて銀色に輝くそれに皆が訝し気な目を向けたと思えば、呆気無くそれは開かれて、中に格納されていた一機のISが皆の前に姿を現した。

 

「じゃんじゃじゃーん!! これが箒ちゃんの為に用意した専用機<紅椿(あかつばき)>!!! スピード、パワー、装備、あらゆる性能が他全てのISを凌駕する人類史上最高のISだよ!!」

 

 格納コンテナに設えられたアームによって砂浜へと出でた紅椿は、その名に相応しい真紅の装甲を燦然と輝かせた。全身に備え付けられた花弁じみたパーツには何らかのエネルギー放出機関が見て取れる。ありゃあスラスターか? 武装は装甲と同色の鞘に包まれた日本刀が一対、或いは二本。流石に専用機、篠ノ之の戦闘スタイルが良く反映されているようだが……一夏の<雪片弐型>と同様、ただの刀じゃあねえんだろう。

 

 いやはや。篠ノ之の奴は不服かもしれんが、こりゃあ想定外のSurprise(サプライズ)だ。外見だけで言っても、篠ノ之が纏うのにこれ以上相応しいISも無いだろう。悔しいが、紛れもなくあの女は天才って訳か。

 

 ……しかし、篠ノ之の機体は倉持技研の新型になるんじゃなかったのか? そう思った俺が照り返しに眼を細めて紅椿を眺めていれば、織斑千冬が篠ノ之束に凄まじい剣幕で詰め寄って行った。

 

「おい待て束、どう言う事だ? 何故お前の呼びかけでこの機体が出てくる? と言うか、名称からして機密事項のはずだ。なのになぜ部外者のお前がそれを知っている?」

「ああ、ごめんねちーちゃん。実は、ちーちゃんがメールでやり取りしてた倉持の担当者の中の人は何を隠そう束さんだったのです」

「何だと……!?」

「やっぱさ、箒ちゃんをあんな無能共が作ったISに乗せるなんて嫌でしょ? だから束さんがさいっきょーでさいっこうのISを用意してあげようと思って、腕によりをかけてコアから新造したんだ! ついでに名前を決めたのも私ね! いや~、ちーちゃんに怪しまれないようにするのは大変だったよ~」

 

 あははと、深刻さなど微塵も感じさせない素振りを見せる篠ノ之束に、織斑千冬は愕然とするばかり。俺はそんな奴の様子が面白くて、意地悪く笑って問いかけた。

 

「織斑先生、メールとかの中身に不自然さとかなかったんですかい?」

「いや……やけに馴れ馴れしい担当者だとは思っていたが、ISの話に関しては至極真面目だったからな…………不覚だ」

 

 悔しそうに歯噛みする織斑千冬を見て、俺は実に楽しい気分になった。流石のこの女の観察眼も画面越しの文面だけじゃあどうしようもないって事か。良い事知れたぜ。

 

「ま、箒ちゃんが奴らに認められなくても私は箒ちゃんのすごさをよーく解ってるから、どっちみちISは作ってあげるつもりだったけどね! 優しいでしょ~? 感動のあまりぎゅってしてくれていいよ!」

「…………それは、今までの私の努力は一切関係無いと言う事ですか?」

 

 両手を広げた姉を篠ノ之が今まで見た事の無い死んだ眼で睨んだ瞬間、俺は即座に動いて、その間に割って入った。悪いな、篠ノ之。お前の怒りはもっともだが、俺からすればこんな容易くお前を強くしてやれるチャンスを逃すのはあまりに勿体無えんだ。

 

「退いて下さい石動先生。私はこの人に言わねばならない事があります」

「抑えろ篠ノ之。それは今この場で口にするべき事じゃあねえ」

 

 俺と篠ノ之が睨み合い中空に火花を散らす。その様を見ていた生徒達が固唾を飲み、山田ちゃんが慌てふためいてすっ転んだ。だが、ただ一人、篠ノ之束だけが場の空気を一切読まず、俺達の間に割り込もうとする。

 

「ちょっとお前! 何箒ちゃんと熱い視線交わし合っちゃってくれてる訳!? そういうのが許されるのは束さんやちーちゃん、何よりいっくグエッ!」

 

 最後まで言い終わる前に織斑千冬が素早く奴の首根っこを掴み上げたかと思えば、そのまま篠ノ之束を思いっきり海へと放り投げた。流石の奴もあまりの突然の攻撃に対応できなかったか、ドポーンと派手な音を鳴らして海の中に沈んでゆく。……俺は今、過去最高にお前を尊敬してるぜ織斑千冬。背中に回した手で小さくサムズアップすると、織斑千冬は『奴が戻ってくる前にどうにかしろ』と言いたげに鼻を鳴らした。

 

「……気持ちは分からんでも無いぜ、篠ノ之。奴はお前の努力を否定した。舐め切ってやがる。過去のお前はともかく、本気になってからのお前は、常に努力しその結果専用機を手にするまでになったのに、アイツは『そんな努力なんかしなくても』なんて宣いやがった。それは許される事じゃあない」

「でしたら、でしたら何故止めたのですか! 私の努力を無視して、まるで私がそれを望んでいたかのような顔で勝手に力を作って、押しつけて! そんなのを目の前にして、この怒りを『耐えろ』と言うのですか!?」

 

 もはや殆ど叫びながら詰め寄る篠ノ之に同調の構えを見せていた俺は、それまでとは一転して、しかしあくまで冷静に、織斑千冬めいた仏頂面で有無を言わせぬ口調で言う。

 

「ああそうだ。その怒りは奴にぶつけるべきモンじゃあねえ。それにだ。お前の専用機がこうして用意されたのは事実だ」

「ですが!」

「ですが何だ? 篠ノ之束が用意した力を使う事など自分が許せないとでも言うのか? 甘えるなよ。お前が目指した未来の為に、強さが必要な事は重々承知のはずだ。それによ、俺はお前に言った筈だぜ? 『手に入れた力に伴う責任は、常にお前が背負っていく事になる』って」

 

 怒りに満ち満ちた篠ノ之をクールダウンさせるために、俺は事実を突きつけつつ、過去の教訓を提示して考える時間を与えた。根が真面目な奴は、すぐに俺の言葉の意味を吟味し、素早く最適解を探し出そうとする。実にいい。お前のそう言う所は嫌いじゃあない。だが、今回は俺の意見に同調してもらうための会話だ。お前の返答は待たんぜ、篠ノ之。

 

「…………それは単純に戒めだけじゃあねえ。手に入れた力は、お前次第で如何様にも使って行けるって事さ。今のあの紅椿はガワだけで、中身は空っぽだ。――――昔のお前みたいにな」

 

 最後の部分だけを篠ノ之だけに聞こえるよう言うと、奴は過去の自分の暗部を思い起こしたか、強く拳を握りしめ顔を俯かせる。荒療治だが、落ち付かせてやるのはこんなもんか。ならば次は……。俺は普段の様に口角を上げて、軽く手を叩いて顔を上げさせてから、篠ノ之に笑いかけた。

 

「……よし、篠ノ之! お前に新たな教えを授ける! Instruction Three(インストラクション・スリー)、こいつは単純だ……『上手くやれ』。戦いの中では何が起ころうと、それを自分にとってプラスの方向へと転がす事が必要になってくる。それは人生の中でも同じ事だ。トラブルの無い一生なんざありゃしねえ。気に入らない事だっていくらでもあるさ。だからこそ、それを上手く、自分にプラスになるように立ち回るんだ――――紅椿が間違った形で生み出された力だと言うなら、お前がそれを正しい形で使ってやれ。それは間違いなく『篠ノ之束を超える』事に繋がる筈だぜ」

「姉さんを、超える…………」

 

 嘗て、俺に言った理想への近道を指し示された篠ノ之は、まるで気づかされたような顔で俺を見上げる。……こいつへの説得は、こんな所で大丈夫か。全く、これも人間を身を以って学んだ成果だな。

 

「…………申し訳ありませんでした、石動先生。確かに、例え姉さんを忌避していても、紅椿を嫌う理由にはなりません。『坊主憎けりゃ袈裟まで憎い』という奴でしょうか……例えどんな理由でも、私の為に生み出された力であれば、私が使ってやるのが道理。……まだまだ、私は未熟なようです」

「『環境に文句を言う奴に晴れ舞台は一生来ない』とも言うしな……ま、そう落ち込むなよ。今は素直に、専用機が手に入ったことを喜ぼうぜ。それにこれからは、一夏との練習試合だってガンガン組んでやれるだろうしさ」

「……そう言えばそうですね……! 私とした事がそれを失念するとは……!」

 

 よおし。先程までの憤怒はどこへやら、思い出したようにテンションを上げる篠ノ之に、俺は内心冷や汗をかきつつその場でガッツポーズをしたくなるのを抑えた。やはりここぞという時一夏への恋慕を説得材料に出来るのは助かるな……。恋心様様だよ。

 

「――――ち~~~ちゃ~~~ん。どうしてあんな事しだの~~~~~?」

 

 一件落着、と俺が肩を竦めたところに、漂着物と海藻にまみれてもはやなんかよく分からない存在となった篠ノ之束がのろのろと()()してきた。ひでえな。一昔前の低予算ホラー映画かよ。

 

「ひどいザマだな束。せっかくだし、旅館でシャワーを浴びてくるといい。戻ってこなくていいぞ」

「今日のちーちゃん辛辣すぎィ! 束さんはこれから紅椿の初期化(フィッティング)最適化(パーソナライズ)があるんだからちょっと無理だよ!」

「30分もこれからかけるのか? 今日の分の稼働試験が終わらんぞ」

「あ、それは大丈夫。元々箒ちゃんのデータはある程度入力してあるから、遅くても五分あれば終わるよ。殆ど最終調整だね」

 

 先ほどの満身創痍の様相はどこへやら、その場に身に纏った海草やらを放り捨てるとけろりとした顔で篠ノ之束は言う。そして俺の横に立つ篠ノ之を目ざとく見つけるとちょいちょいと手招きした。

 

「んじゃ、そーゆー訳だから箒ちゃん、よろしくね! 私が補佐するからすぐ終わるよん。心配しなくても平気だって!」

「…………はい、よろしくお願いします」

 

 そう言って、姉の元へと歩き出そうとする篠ノ之。相変わらず篠ノ之束に対する嫌悪感は隠せていないが、紅椿を使ってくれる気にはなったみたいで、俺は一安心する。これで篠ノ之の大幅なレベルアップは確実。むしろ、一夏を初めとした他の奴らが置いてかれないように気を使ってやらねえとだな……。

 

「ちょっと待った篠ノ之、一ついいか?」

「なんです?」

 

 一つ、言い忘れた事を俺は思いだして、歩いてゆく篠ノ之を呼び止める。そして先ほど奴の過去を暗喩したように奴の近くに顔を寄せ、しかし対照的に、快活に笑って俺は言った。

 

「さっきは篠ノ之束に怒るななんて言ったがな……許してやれって言った訳じゃあねえ。いつか俺とお前で、あの分からず屋に一泡吹かせてやろうぜ」

「…………はい!」

 

 そう明るく篠ノ之は頷いて、意を決したように紅椿の前に立つ。さてさて、初期化やら最適化してるうちに、俺は他の奴らの様子でも見て……いや、五分で終わるなら、おとなしく待つか。ISの生みの親自らが手掛け世界最強と断言したIS。そんなの、気になるに決まっている。

 

 俺は訓練機の装備が並べられたシートの隅に腰を下ろして、紅椿の初期化を行う篠ノ之と束博士を眺め始めた。流石に天才と言うべきか、数枚の空間投影ディスプレイの情報をあっという間に処理していくその手際は素直に称賛に値するな。早起きした事から来るあくびを噛み殺しながら、俺はその様子を見守るのだった。

 

 

 

 

 

 

 凄まじいもんだ。空中を縦横無尽に飛び回る紅椿を見上げて俺は思う。結論から言って、あの機体の性能は他のISとは一線を画していた。

 

 衝撃波を伴うほどの急加速及び急減速を可能とする機動力、刺突に合わせ無数のレーザーを掃射する一対一対応装備の<雨月(あめづき)>、斬撃に合わせて光の波を撃ち放つ(恐らく、一夏の雪片弐型に搭載された能力の改良型だろう)一対多対応装備の<空裂(からわれ)>。更にはそれまでのISには未知数の技術である、<展開装甲>なるギミックも搭載されているらしい。今の稼働テストでは篠ノ之束によるミサイル掃射を空裂による斬撃光波で容易く全弾撃墜して見せた。破片でも飛んでこないかとヒヤッとしたが、そこは篠ノ之が気を利かせてくれたようだ。

 

「すっげぇな……! 流石に<天災>謹製のISってとこか……! どう思うよ山田ちゃん」

「ええ。本当に素晴らしい動きです。特に加速と減速のキレは学生の動きとは思えません……ただ、機体によるアシストが強すぎるのか、篠ノ之さんの想定以上の動きをしているように見える事がたまにありますね」

 

 俺に問われた山田ちゃんが、相変わらず的確な観察力で紅椿の長所と短所を即座に見て取る。流石はあれだけの武勇伝を持つだけはある! 俺はそれにうんうんと首肯して、後頭部で腕を組んで砂浜へと降りてくるその姿を眺めながら答えた。

 

「そうだなあ。そこはアレだ、束博士の想像を篠ノ之が越えてたって事で。実際奴の成長は半端じゃあない。日本代表の座だって、在学中に射止めかねんぜ」

「私の再来、などと言われているようだからな」

 

 言いながら俺の横に立って腕を組む織斑千冬に、俺と山田ちゃんはちょっとだけぎょっとした。ったく、気配を消して近づいてくるなよ。そう思っていると、織斑千冬は山田ちゃんに向けて咎めるような視線を向けた。

 

「ところで山田先生。訓練機を見ている生徒達の補佐をお願いしたはずですが」

「あっ……すぐ戻ります!!!」

 

 横目に睨みつけられた山田ちゃんは慌てて駆け出して、十歩ほどで砂に足を取られ派手にすっ転んだ。全く、期待を裏切らない女だねえ。その様を見て俺と織斑千冬は仲良く溜息を吐いた。

 

「真耶め……もう少ししゃんとはしてくれんものか」

「いやいや。ああ言う所が山田先生のいい所ですよ。それを捨てるなんてとんでもない!」

 

 言って俺が笑うと、織斑千冬も同感とばかりに小さく笑う。だがすぐにそれを引っ込め、何時もの憮然そうな顔で俺に対して問いかけて来た。

 

「……石動。束本人とこうして顔を合わせて、どうだ?」

「どうだ、ってのは?」

「束を見て、どう思ったかだ。やはり嫌悪が強いか?」

 

 どこか困ったかの様に、らしからぬ顔で問う織斑千冬に俺は正直困惑する。しかしすぐさま普段通りの表情を取り繕うと、呆れたように笑って言う。

 

「あー。妹思いなのは評価できますけど、自分本位過ぎて勘弁してほしいですね。どうすれば喜ぶか解って無いって言うより、自分がやる事はなんでも喜んでくれると妄信してる様だ」

「確かにそうだな。どれほど頭が良くても、あいつに他人の考えを理解してやろうという殊勝な心掛けなど無い。だからこそ、私が所々で修正してやらねばならんのだが……近頃は、手に負えなくなってきているというのが本音だな」

 

 肩を竦めた織斑千冬に俺は心からの同情の視線を向ける。そんな考え方の上、力だけは誰よりも持ってるんだから厄介なもんだよ。この女ももっと友達は選ぶべきだと思うんだがね。

 

 織斑千冬は俺のそんな視線など気にも留めなかったようで、降りてきた篠ノ之の周りを小動物めいて跳ね回る篠ノ之束に目を向けている。どうやら先ほどのテストに関して矢鱈とべた褒めしているらしいが、篠ノ之が必死に怒りを我慢しているのが俺には見て取れた。褒める事であそこまで人の機嫌を損ねられる奴は流石に初めて見たぜ。しかも本人に自覚が全くないってのがタチ悪い。

 

 そんな事を思われているなど露知らず、満面の笑みで篠ノ之束は見ている俺達や生徒達に向けて振り返った。その手には、何処から取り出したか、いつの間にかマイクが一つ握られている。何するつもりだ? 俺と織斑千冬が揃って訝しんでいると、奴は近場に居た一人の生徒の元へと走り寄って、芝居がかった仕草でマイクを構えた。

 

「さーて、先ほどの紅椿稼働テスト、一般の方々の眼にはどう映ったのでしょーか!? 道行く人々にちょっとインタビューしてみたいと思います! 紅椿、どうでしたか? 超凄かったよね?」

「えっ!? あ、はい、凄かったです……」

「そうだよね~~わかる~~~~!!! 私の撃ったミサイルをつまんなそうに睨んだ箒ちゃんの顔とか特に最高だったよね~~~~!!!! はい次。紅椿、どうでした!?」

「あ、えっと……キラキラしてて、キレイでした……」

「だよね~~~~!! 紅椿はデザインからして箒ちゃん専用! その美しさをサイッコーに高めちゃうパーフェクトなモデリングだからね~~~~!!! はい次。紅椿、どう思いましたか!?」

 

 …………何だありゃ。

 

「何をやってるんだ奴は……」

 

 どうやらこの瞬間、俺と織斑千冬の思考は完全に一致していたらしい。ちょっとだけ、俺が人間を理解しきれていないせいで奴の行動が意味不明に見えるのかとも思ったが、どうやらそうでは無いようで実際安心した。

 

 そう俺が胸を撫で下ろしている間にも、篠ノ之束のインタビューは続く。多くの生徒達が当たり触りの無い事を答え、それを都合よく受け取って悦に浸る奴の姿は、正直な所何が面白いのか俺には全く理解出来ない。もし否定的な事でも言われたらどうするつもりなんだろうな。そんな思いが俺の脳裏に過ぎった直後、それはあっさりと現実のものになった。 

 

「どう思ったか……うーん、えっと、正直篠ノ之さんならあんな強い機体に頼らなくてもアレ位出来ちゃうんじゃないかって思うんですけど……」

「…………それはちょっと聞き捨てならないね。今の箒ちゃんの強さはこの束さんの開発した紅椿あってこそ、いわば姉妹の愛の結晶! やっぱり私ってば本当に天才♪ ここまで箒ちゃんの強さを引き出せるのは束さん以外には存在しえないよ!」

 

 どこか現実味のある意見に、一人でムッとして主張して納得して断言して、自慢げに胸を反らす篠ノ之束。しかし、その姿を遠巻きに見つめる皆を一瞥して、馬鹿にするような顔になった奴は何やら一人でぶつぶつと思案し始めた。

 

「でもでも、まだデモンストレーション足りないみたいだね。頭悪い一般人の皆の為にも、頭じゃ無く心で理解できちゃうようないいアイデアないかな~? うーん…………あっ、そうだ!」

 

 何かまた良からぬ事を思いついたと思しき動きを見せる篠ノ之束に、織斑千冬が身構えた。

 

「誰か勝負しようよ、紅椿と! そうすれば、束さんと箒ちゃんの凄さが頭悪い皆にもよぉ~く理解できると思うよ! それとも皆怖くて、誰も出て来られないのかな??」

 

 その言葉を聞いて、皆の間に緊張が走った。すぐさま、オルコットや(ファン)を初めとした何人かの負けん気の強い生徒が物申そうと篠ノ之束の元に向かおうとするが、織斑千冬がにらみを利かせた途端、争いの火種は一気に鎮火する。

 

「おい束。今は授業中だ。お前の道楽に付き合う暇など生徒達には無い。解ったらそこで座っていろ。篠ノ之。お前は紅椿の装備確認を行え。石動、お前はその手伝いを――――」

「じゃ、折角だし俺が相手しますわ」

「石動!?」

 

 織斑千冬の声を無視して、俺はのらりくらりと皆の前に歩み出た。いいじゃあねえか。こっちとしては願ったり叶ったりの機会だ。この際だから、紅椿の性能をこの身を以って確かめてやるよ。そう思いながらも顔に人あたりのいい笑みを貼りつけ、俺は篠ノ之束の前に立つ。すると奴は俺の事を上から下まで値踏みするかのように見て、どうやらお眼鏡にかなったのか、人を食ったような笑みを浮かべた。

 

「えーっと? 石動惣一かあ。そうだね~教師を倒したとなればポイント高いねぇ~いいよいいよ~! じゃ、お前に決まり! そう言う訳だからさっさと用意して来てよ。箒ちゃんと私を待たせないでね」

「へいへいっと」

「おい待て石動」

 

 俺が手ごろな<打鉄(うちがね)>を探して首を巡らせていれば、明らかに苛立った織斑千冬が有無を言わせぬ口調で話しかけてくる。怖い怖い。だが、こんなチャンスはもう無えし、幾らお前に言われても止めるつもりは無いぞ、俺は。

 

「貴様、私の話を聞いていなかったのか? 今は授業中だぞ」

「いやいや。だからこそですよ。流石の篠ノ之もあんだけストレスにさらされてたら体調崩しちまう。そう言う所のケアも教師の仕事ですから」

「……詭弁だな」

「詭弁で結構。大事なのは必要なのか否ですよ。」

「……五分で済ませろ。どちらが勝とうが私は構わんが、あまり時間を取らせてくれるなよ」

「アイアイ、マム!」

 

 

 

 

 

 

 空に上がった俺は、紅椿を纏った篠ノ之と向かい合う。いやしかし、こうして対峙すると威圧感が半端じゃあ無いな。打鉄を着ていた時も十分にヒリついたような雰囲気を醸し出していた奴だが、紅椿を纏った今、生半可な意識で挑めば一気に気圧されてしまいそうで、俺は思わずその場で奴を称賛してやりたい気分になる。

 

「石動先生。姉のわがままに付き合わせてしまい、申し訳ありません」

「気にするな。寧ろこれは俺のわがままさ。愛弟子の晴れ姿を最初に相手するなんて、師匠冥利に尽きるってもん――」

『箒ちゃん、聞こえる!? ルールは<ハーフ>ね! シールドエネルギーが50%を切った方の負け! 事故に見せかけてそのオッサンを海に落としちゃって……あ痛だ!』

『おい束、余計な茶々を入れるな。……万一海上でISが解除されでもしたら一大事だからな。私の判断でこのルールを採用させてもらった。好きなタイミングで始めてくれ。では、両者ともに健闘を祈る』

 

 会話に一方的に割り込んできた通信は、これまた一方的に打ち切られた。今頃砂浜では織斑千冬が篠ノ之束に説教でもしてんのかな。そう思うと、腹の底から笑いがこみ上げてくる。

 

「まったく、あの人は本当に何を考えているのやら……!」

「ははは、まったくだな」

 

 一方の篠ノ之は、姉の傍若無人な振る舞いにご立腹だ。その姿に俺は笑いながら、打鉄の標準装備であるアサルトライフルを無造作に篠ノ之に向け引き金を引いた。

 

「なっ――――!」

 

 驚愕する篠ノ之をよそに、紅椿に備えられた装甲が素早く自立稼働し、展開したエネルギーシールドによって嵐の如き銃弾を凌ぐ。なるほど。操縦者に完全には依存しない、一種の自動防御システムか。それなりにエネルギーの消費はあるんだろうが、直撃を貰うよりはずっとマシだな。正に<展開装甲>の面目躍如って訳だ。紅椿の戦力評価を一段階引き上げながら、俺は篠ノ之束の技術力に改めて舌を巻いた。

 

「石動先生! 流石に今のは――――」

「『好きなタイミングで始めてくれ』って織斑先生も言ってたろ? それにだ篠ノ之ォ。嫌いなのは分かるが、戦闘中に姉の声程度で心乱されてる場合じゃあねえ筈だぜ?」

「申し訳ありません……! しかし……」

「ったく。あんな雑音に気が散ってるようじゃ、<モンド・グロッソ>じゃあ勝てねえぞ」

 

 その言葉に、篠ノ之は驚いたように身を引いた。

 

「モ、<モンド・グロッソ>ですか? しかし私には……」

「何言ってる。お前は『あの女(篠ノ之束)の妹』なんて不名誉な称号を塗り替えちまうほどのモンが欲しいんだろ? だったらそれは<世界最強(ブリュンヒルデ)>の座しかありえねえ。そしてそれは、お前になら十分手の届く場所だと俺は考えてる」

 

 狼狽する奴に、言い聞かせるような口調で俺は続ける。これは間違いなく本心からの言葉だ。俺が今まで見てきた人間達の中でも、篠ノ之の成長速度は三本の指に入る。ちなみに一番は当然……万丈だ。アイツより強くなるのが早い奴など居るはずも無え。何たって俺の半身なんだからな! そんな余計な事を考えつつ、俺は言葉を続けた。

 

「それほどの乗り手になればうっとおしい声援の一つや二つ聞こえてくるもんだ。だが、そんなので揺らぐ様な心じゃあダメだぜ。……目の前の相手に集中しろ。それが武道に置ける『礼儀』ってもんじゃあねえのか、篠ノ之?」

 

 そう、奴のバックグラウンドから導きだした言葉で諭せば、奴はまた気づきを得た様に顔を上げ、晴れ晴れとした表情で俺を見据えて来た。

 

「……申し訳ありませんでした、先生。眼を啓かされたかのような気分です」

「気にする事は無えさ。むしろもっと気楽に、今学べてラッキーくらいに思っとけ。お前の真剣さは美徳だが――」

「――シリアスになりすぎるのは良くない、ですよね?」

「ククッ、わかってんじゃあねえか! ……さて、それじゃあこっからどんどん行くぜ。世界最強になるなら、これくらい凌いで見せろよ!」

「はい!」

 

 本当にいい返事をする奴だな! 獰猛に笑いながら、俺は一気に打鉄を加速させ、奴に向けてアサルトライフルを撃ち放つ。だが篠ノ之も今度は(しか)と俺の動きを見ていた様で、小刻みな鋭角機動でその全てを見事回避して見せた。

 

 やるねえ! 今のは一夏なら三割はもらってる所、先日までのお前でも二割は(かわ)せてなかっただろ! そのままの勢いで飛びながら笑い、肩部に増設されたミサイルポッドからのミサイル掃射。だが奴は先ほど、篠ノ之束によるミサイル掃射を容易く凌いでいる。ならばどうするか予測は容易い!

 

 予想通り、奴は空裂を抜き放ち一閃。迸る光波がミサイルを断ち切って炸裂させるのみならず、俺にまで迫り、そのまま機体を断ち切ろうとする。だが俺は臆せずすれ違う様に光波を回避して、そのまま爆炎の中に飛び込んだ。

 

 狙いは一つ。展開装甲の反応速度の検証だ。俺は近接用ブレードを構え、篠ノ之に奇襲を仕掛けんと爆炎を抜けた。だが、剣を構えた俺の前に広がるのはどこまでも広がる紺碧の海。篠ノ之の姿は無い。

 

「隙ありです、先生!」

 

 上方からの声に弾かれたように顔を上げれば、そこには太陽を背負った篠ノ之。俺は地球外生命体だから関係ないが、普通の人間ならこの時点で太陽光で目が眩んでいただろう。そして間髪入れず雨月が突き出され、いくつもの光弾が撃ち放たれる。俺はそれをギリギリまで引きつけ、回避。海へと着弾した光弾が炸裂し、幾つもの水柱を立ち昇らせた。

 

「……俺にブラフをかますとは。やってくれるじゃあねえの、篠ノ之」

「私なりに『環境』を使って『上手くやる』方法を考えてみました。しかし、完全に決まったと思ったのですが……流石ですね、先生」

 

 笑って言う篠ノ之に、俺も朗らかに笑みを返す。だが、それに反して俺達の間の緊張感は更なる高まりを見せていた。やはり楽しいな……満足いく闘いってのには、どうにも心が躍る! 俺は瞬時加速(イグニッション・ブースト)を試みるべく、スラスターへと過剰なエネルギーを供給した。それを察知したか、篠ノ之は雨月と空裂の二本を構え迎撃の態勢を取る。面白い!

 

 獰猛に笑った俺は近接ブレードを構えて瞬時加速を発動。真正面から篠ノ之に迫る。この際小細工無しだ! さあ、どうする!?

 

『――――石動、篠ノ之、試合は中止だ! 理由は後で話すから、今すぐに降りて来い!!』

「は? 今いい所だったのにっとっとっとォ!」

 

 突如聞こえてきた織斑千冬の声に驚いて動きを止めた俺は、既に放たれていた雨月による光弾掃射を慌ててその場で回転するように回避し、空裂の光波をミサイルポッドとは逆側に備えられた肩部装甲、更に近接ブレードまで用いて必死に受け流し、何とかその連続攻撃を防ぎきった。

 

「申し訳ありません、止めきれませんでした!」

「構わねえよ! 今のは動きを止めた俺が悪い!」

 

 俺の元へと慌てて飛んでくる篠ノ之に、一声かけてから体勢を戻してホバリングする。織斑千冬め、こんなタイミングでお前に邪魔されるとは流石に思ってなかったぜ。一体何があったってんだ?

 

「しかし、織斑先生があれ程声を荒げるとは……何かあったのでしょうか?」

「らしいな。急ぐぜ篠ノ之」

「はい!」

 

 篠ノ之の元気のいい返事と共に、俺達二人は元の砂浜に向け全速力で飛び出した。が、篠ノ之の後姿にぐんぐんと引き離されてゆく。流石に最高速の差はどうしようもねえか。奴がハイパーセンサーでこちらを案じていると見て、手のひらを振って先に行けと合図をすれば、奴はさらに加速してあっと言う間に小さくなった。

 

 さあて、織斑千冬め。俺達の戦いを中断させるような出来事の癖して、理由を言えないとは――――篠ノ之には聞かせられないって事か? 内部の問題じゃあねえな、これは。束博士が何か悪巧みでもしてなきゃあいいんだが……。そう思案しながら、俺は砂浜目指して限界ギリギリまで打鉄を加速させる。

 

 

 

 そして辿り付いた砂浜で俺が知らされたのは、ハワイ沖で暴走した軍用の新型IS<銀の福音(シルバリオ・ゴスペル)>が、凄まじい速度でこちらに向かっているという情報だった。――――それも、暴走の瞬間、装甲を血のように赤く染めたと言う、耳を疑うような話まで添えて。

 

 それを聞いて、俺は篠ノ之束がこの臨海学校に現れた理由が、篠ノ之へのIS提供だけでは無い事を理解した。なるほど……そう言う事か。良かったな。どうやら、今回もお前の出番はありそうだぜ……!

 

 俺は懐の<トランスチームガン>と<コブラロストフルボトル>に意識を向け、獲物を見定めた蛇の如く、邪悪に口元を歪ませるのだった。

 




IS二次創作特有の主人公VS紅椿です。
でも、あんまり教師とやり合ってる奴は見たことないですね……(そもそも主人公が生徒じゃなくて教師のIS二次創作ってあんまりない気がするけど)


ビルドもついに残り1話。幻さんショックだけでズッタンズタンのボロンボロンだったのに万丈まで……早く愛と平和の世界来て……!! 当然覚悟は出来てないです。
あと最終話でのエボルト戦、生身バトルあるみたいで超楽しみですね!(満身創痍)


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兎と蛇のネゴシエーション

会議パート(舌戦パート)です。
エボルトの会話パート書くのめっちゃ楽しいんですよ……福音戦はガッツリバトル出来ると思うんでちょっと待ってください……(土下座)

評価感想お気に入りありがとうございます。ビックリするくらい励みになります。
それと誤字報告をしてくれる皆さま、本当にごくろうさまです。スゲーイ助かっております。


「――――何故ここに居る、石動。お前には、生徒達の面倒を見るように言ったはずだが」

「いやいや~そんな堅い事言わずに~……何も知らないままじゃ、俺だって心配で生徒達の事なんて見てられません。話くらい聞く権利はあるはずです」

「…………良いだろう。だが、この作戦に関する情報は関係国の最重要軍事機密に当たるものだ。もし情報が漏洩でもすれば、後ろ盾のないお前は実験材料として研究所送りになりかねん案件だぞ」

「怖いなぁ……。けど、仮にも俺だって教師ですから……」

「分かった、それ以上言うな。私も教師だ、それ程察しは悪くない」

 

 花月荘の最も奥に設けられた大座敷に急遽設置された作戦会議室に、今回の臨海学校に参加していた専用機持ち達と教師陣の殆どが集められていた。臨海学校と言う一大行事の中で、それを中断してまでこの様な会合が行われたのは、ひとえにそうせざるを得ないほどの緊急事態が発生したからだ。

 

「……では、ミッションの概要を説明する。依頼主はIS学園上層部……だが、某国からの要請を受けてのことだろう。目的は暴走した最新の軍事用第三世代IS、<銀の福音(シルバリオ・ゴスペル)>の鎮圧だ」

 

 織斑千冬の言葉と共に、薄暗い室内に幾枚もの空間投影ディスプレイが浮かび上がる。そこには銀色の装甲に包まれた荘厳と言った趣のISと、暴走直後と思わしき、真っ赤に染まった機体が飛行する姿が映し出されていた。

 

「約二時間前、ハワイ沖で試験稼働を行っていた<銀の福音>が突如として暴走を初め、試験空域から離脱。搭乗者のナターシャ・ファイルスとも通信が途絶え、強制停止命令も受け付けないそうだ。その後、衛星からの追跡の結果、<銀の福音>は不規則なルートで移動を続けたが、約三時間前に突如日本近海を通過するルートをとり始め、約一時間後にここから約二キロの地点の海上を通過すると試算された。そして、最速で事の収拾にあたるため、我々が<銀の福音>の相手をする事になった、と言う訳だ」

 

 言う織斑千冬の顔は真剣そのもので、これが訓練やスポーツなどではない、実戦と言う事を否応なく理解させる説得力がある。だが、その声色にはこのような事態そのものに対する怒りがうっすらとにじみ出ているのが感じ取れた。当たり前か。本来こんなのは、文字通りの軍の仕事だ。幾ら戦力があるとは言え、少年少女達をこんな事に巻き込むのは本意じゃあ無いだろう。

 

「山田先生を中心とした教員達が訓練機を用い空域を封鎖、地上に残る者は万一の避難誘導等を。<銀の福音>に対しては専用機搭乗者各自で事に当たってもらう事になる。それでは、これより作戦会議を執り行うが、何か質問がある者は居るか?」

 

 そこで一度言葉を切って、生徒達の顔に視線を巡らせる織斑千冬。ボーデヴィッヒは軍属故かこの事態の重大さを痛感しているようで、鋭い眼差しでディスプレイを見つめており、デュノアも顔を強張らせ、冷や汗を垂らしている。だが、それよりも深刻な顔をしているのが一夏、篠ノ之、オルコット、(ファン)。奴らは真っ赤に染まった<福音>の姿を睨みつけるように凝視している。その異様な雰囲気の中で、デュノアがおずおずと手を挙げた。

 

「……すみません、僕からいいですか? <銀の福音>についての、現状解っている限りのスペックデータを頂きたいのですが……」

「その前に一ついいっすか?」

 

 至極当然の要求をしたデュノアの言葉を、壁に寄り掛かった俺が遮る。先ほどの説明には、<銀の福音>の現状について最も重大な事が抜け落ちていた。だが、それは織斑千冬も重々承知していた様で、俺を一瞥してから、諦めたかのように口を開いた。

 

「石動…………大体言いたい事は分かる。『銀の』福音が『赤い』理由だろう?」

「はい。この件に関しては、デュノアやボーデヴィッヒにもついて説明せざるを得ないと思うんですよ。この場限りって事で、<例の事件>の箝口令(かんこうれい)、解除する事って出来ないんですかね?」

 

 織斑千冬はその言葉にほんの一瞬だけ、思案するように目を閉じたが、すぐさま決断的に眼を開き俺の要求に即断した。

 

「そうだな、良かろう。いや、誰も言い出さなければ私から言っていたが……安心しろ、それに関しては私が全面的に責任を取る。だが、その前に当人たちの意見を聞かせてくれ。織斑、(ファン)、オルコット、そして篠ノ之。例の件について、皆に話しておくべきだと思うか?」

「そうですね、アタシは話しておくべき……じゃなくて、話しとかなきゃマズイと思います」

 

 その問いに最も早く凰が反応する。あの時の俺と一番間近でやり合ったのは奴だからな、そして何より決断力はこのメンツの中でも一番だ。こう言う奴は戦闘能力以上にその姿勢が全体の趨勢を決める原動力となるから面白い。ここぞという時の本能的な勘と戦術眼を併せ持ち、肉体面、精神面共に鍛え上げられたタフさを持つこの女は……ライダー達で言えば猿渡(さわたり)のようなタイプだな。奴には追いつめられた時の万丈(ばんじょう)ばりの爆発力と冷静さまでもがあったが、こいつはどうか……機会が巡ってくれば試してみるとするか。

 

「俺も鈴と同意見。悔しいけど、アイツの事知らないで挑んだら、多分、いや絶対失敗する」

(わたくし)もです。デュノアさんやボーデヴィッヒさんの命に関わりますわ」

 

 いち早く賛同を示した凰に、一夏とオルコットが追従する。そんな中で、篠ノ之だけは僅かに震える体を抑えながら、振り絞るように声を出した。

 

「…………私も、機密の開示に賛成です。奴は……<ブラッド>は恐ろしい相手です。無知につけ込んでくる可能性だって、ありえます」

 

 苦々しく呟くその様をじっと見て、織斑千冬は難しい顔で頷く。

 

「分かった。山田先生、頼んでおいた報告書を皆に」

「は、はい!」

 

 既にこの展開を予期していたか、山田ちゃんが予め用意していた<ブラッド>の資料を配って回った。俺もにこやかにそれを受け取ってさっと目を通す。そこには<クラス代表対抗戦>に突如現れた無人ISに関するデータと、一夏達からの証言に基づいた<ブラッド>のデータが事細かに記されていた。

 

「無人ISの襲撃……第三者によるISのコントロール奪取!? 馬鹿な、このような事件が……!?」

「<ブラッド>って、一夏が前<スターク>を見た時に言ってた奴の事だよね? この赤く染まった装甲って、これ……!」

「デュノアの考えた通りだ。恐らく、この<銀の福音>の暴走には<ブラッド>が関わっていると見るのが自然だろう」

 

 驚愕する二人に織斑千冬が首肯する。その考えは理路整然としていて、平時の俺なら思わず拍手でもして褒めちぎりたくなる素晴らしい議論の形だ。意外と真っ当な『議論』ができる人間ってのは少ないからなあ、立派なもんだよ…………でも残念、今回俺は関わってねえんだよなあ。

 

「一夏、このブラッドって奴、操縦技術はどれくらいなの? 僕達でもやり合える?」

「正直、怪しい。……いや、俺らもあの頃より全然強くなってんだけど、アイツ初めて使った筈のISで、しかも遠隔操作で俺達ボコボコにしてたからな……鈴かセシリアのどっちかでもいなかったら、俺はあそこで死んでたと思う。……多分、弱く見積もっても箒やラウラと同格、むしろそれ以上のはずだぜ」

「あの<スターク>よりはマシだと思うが、な……」

 

 一夏と篠ノ之が何処か悔しそうな顔でデュノアの問いに答えた。当然か。一夏にとってブラッドは自分のみならず、二人の幼馴染を享楽的に傷つけた強者。篠ノ之にとっては一度殺されかけ、自身の心底を直視させられた事件の元凶だからな。本来思い出すのも業腹(ごうはら)だろう。その様を見て俺は心の中でにんまりと笑う。一夏の奴はともかく、篠ノ之が奴と戦うときに冷静さを保てるかどうか……これはますます目撃したくなったぜ。

 

 そんな心中などおくびにも出さず、俺は軽く手を叩いて皆の顔を上げさせる。そろそろ話を進めねえと、時間が来ちまうからな。

 

「さて、時間も無え事だし、ブラッドについてはこれくらいで良いだろ! 織斑先生、デュノアの質問に戻りましょう。<福音(ゴスペル)>の詳細スペック、お願いできますか?」

「ああ。榊原(さかきばら)先生、書類の回収と破棄をお願いします。では出すぞ」

 

 榊原先生が皆に渡った<ブラッド>の書類を回収するのを横目にしつつ、織斑千冬は<福音>のデータをディスプレイに映し出した。

 

「広域殲滅を目的とした特殊射撃型ですか……ビットは無いようですが、わたくしの<ブルー・ティアーズ>と同様オールレンジ攻撃を行えるようですわね」

「攻撃力と機動力が飛びぬけてる……厄介だわ。幾らコンセプトが違うとは言え、あたしの<甲龍(シェンロン)>じゃ一対一は厳しそうね」

「この特殊兵装、強力極まりないね。丁度リヴァイヴ用の防御パッケージが来てるけど、それでも長時間は持たなそうだ」

「まだ試験前だったのか、格闘能力についての記載が無いのが気になるな。それにどのような攻撃能力なのか、具体的な部分がはっきりしていない」

「試験の映像データとかあればいいんだけどな。流石にそこまでは貰えねえか……」

 

 そのデータを見て皆が自分なりにそれを解釈し、一つ一つ重要と思った点を上げてゆく。俺もそれに倣って、そのデータに目を通した。

 

「オイオイオイオイ、こいつはとんでもねえぞ。正に次世代の戦略兵器だな」

「どう言う事です、石動先生?」

 

 思わずつぶやいた俺に、篠ノ之が怪訝そうに問いかけて来た。ふむ。このスペックを見て自身のISとの比較くらいは出来るようだが、まだ皆その裏にある設計思想やらを理解しようって視点には立ってねえか。ちょっくらInstruction(教え)をくれてやるかね。

 

「いいか篠ノ之。端的に言ってこいつは、メチャクチャ頭のいい『ミサイル』なんだよ」

「ミサイル?」

「ああ。普通のミサイルならISでも落とせる……むしろそのせいでミサイルの価値はちょっと落ちたのは一般常識として知ってるな? ま、ISの数自体が少ないからミサイル自体はまだまだ現役だけど」

「はい。<白騎士事件>はそもそも日本へ飛来したミサイルを白騎士が迎撃した事件でしたから」

 

 篠ノ之の言葉に一瞬顔を歪める織斑千冬の顔を横目に見て記憶してから、俺はその意見を肯定する。まあ、実際その頃俺はこっちの世界に居なかったから、実感としては全然ないんだけどな。

 

「そうだな。ただコイツは人間が直接操縦する機体だ、普通のミサイルとは訳が違う。超音速で自由に空を飛び回り、あらゆる妨害を自己判断で退けて目的地まで到達し、かつ目標のみを徹底的に殲滅しそれ以外に不要な被害を出さない。それが完璧なレベルで可能な性能を持った、ミサイルの後継兵器って言ってもいい存在だと思うぜ」

「待ってくださいよ、じゃあもし、そんなミサイルの進化形みたいな奴が日本に上陸でもしたら……」

「碌な事にならないのは間違いないだろうな」

 

 危惧するように声を上げた一夏の言葉を、織斑千冬が肯定した。確かにそいつはご勘弁願いたいね。折角平和な世界なのに、俺より先にぶち壊しにされでもしたら本気で地球を滅亡させかねんぞ。それに、俺はまだまだ『人間の強さ』に興味がある。折角それをじっくり学べる機会を得たんだ。人間関係くらいはともかく、世界情勢が変わっちまうようなトラブルは勘弁してほしいぜ。

 

 俺は難しい顔で溜息をつく。それをよそに、ボーデヴィッヒがビシリと手を挙げ立ち上がった。

 

「教官。偵察などを行ってさらに詳細なデータを入手することは?」

「無理だな。<福音>は現在も超音速航行中、更に何時軌道を変えるかも分からん暴走状態だ。コンタクトを取れるのは一度きりが限度だろうな。それと織斑先生と呼べ」

「…………一度きりのチャンス、って事は…………」

 

 凰がそういう言い終わるのが早いか、俺を含め、その場に居る全員の視線が一夏へと向いた。

 

「えっ俺?」

 

 当の一夏がそんな事など露程も思っていなかった、とでも言いたげに自分を指差す。その様を見て、その場の女性陣があからさまに溜息を吐いた。

 

「アンタねえ。たまにそうやって自分の持ってる力に無自覚になるのやめなさいよ。アンタの<零落白夜(れいらくびゃくや)>は対ISに置ける最強の剣なのよ?」

「そうですわ。もう少し自覚してくださいまし。この作戦では、間違いなく一夏さんが要になるのですから」

「一夏はそう言う所感覚が鈍いって言うか、無頓着って言うか……」

「シャルル、言っても無駄だ。一夏は出会った時からこう言う奴だ。今更矯正など、土台無理な話だろう」

「だがそういう所、嫌いじゃないぞ。……嫌いじゃないぞ?」

「何で俺こんな言われてんの……?」

 

 そう言う所だよ。俺はそれを声に出さずに、奴らの様を眺めた。一夏を睨む面々の顔も面白いが、何より渾身のアプローチをスルーされたボーデヴィッヒががっくり肩を落として、それをデュノアが慰めているのには笑うしかない。こいつらも仲良くなったもんだなあ、などと場違いな感想を抱かざるを得ないな。

 

 そこで、俺と同じようにその様子を眺めていた織斑千冬が、一夏を見据えて重苦しく口を開く。

 

「織斑。解っているかもしれんが、一応聞いておく。これは訓練などではない。命のかかった実戦だ。もしもここで席を立っても――――」

「いや、やります。俺の力が、誰かを守る役に立つのなら」

 

 織斑千冬の問いを途中で遮って、一夏は確固たる意志を込めた顔で笑った。その顔を見て、織斑千冬も、篠ノ之達も満足そうに口角を上げる。

 

「よし、ならば作戦の詳細を詰めるとしよう。現在ここに居る専用機持ちの中で最高の速度が出せるのは誰だ?」

「であれば、恐らく(わたくし)かと。丁度本国から強襲用高機動換装装備(パッケージ)<ストライク・ガンナー>が送られてきていますわ。超高感度ハイパーセンサーも使用可能です」

「オルコット。超音速下での総戦闘訓練時間は?」

「二十時間です」

「ふむ。他に居なければ決まりだな。他に超音速下での戦闘行動が可能な者は?」

「はぁーい☆」

 

 トントン拍子で進んでいた会議を、突如底抜けに明るい声が遮った。

 

 突如として頭上から響いた声に皆が視線を上げれば、天井板の一枚がずれ、そこから「とうっ!」などと言う掛け声と共に先刻砂浜で見た型破りその物の女が飛び降りてきた。

 

 篠ノ之束。何しに来たんだこの女は。

 

 俺が顔面を大層歪めて見せても、あの女はまるでそれに気づかず、無邪気に織斑千冬の元へと歩み寄った。

 

「ちーちゃんちーちゃん。私のトップギアに回転した脳細胞がもっといい作戦を思いついたんだ! だから聞いて聞いて!」

「出て行け。いや、山田先生、放り出してください」

「あ、はい!」

 

 うんざりとばかりに苦々しく言った織斑千冬の言葉も意に介さず、背後から拘束しようと掴みかかった山田ちゃんの胸を思いっきり揉みしだいて無力化した奴は、その場でくるりと回って部屋中の皆に向け、まるで名探偵がするが如く人差し指を向けた。

 

「ここはね、断然断然紅椿(あかつばき)の出番なんだよっ!!!」

「何だと?」

「紅椿のスペックを見ればわかるよ! なんたって換装やらインストールやらも不要で超高速機動が出来るんだよ!! ほら、みんな見てみて!」

 

 束博士が言うと、織斑千冬の周りに数枚、そしてその場に居る全員の前に一枚ずつの空間投影ディスプレイが出現する。

 

「紅椿をちょろっと調整して~ほほいのほい! なんと言う事でしょう……全身の展開装甲が稼働して、その<なんちゃら福音(ゴスペル)>を超えるスピードが手に入りました! あ、無知な有象無象たちにも特別に説明してあげましょ~。展開装甲ってのはね、この天才科学者束さんが作った第四世代型の装備なんだよん♪」

 

 その言葉に、部屋の多くの者達がざわつく。

 

 ――――第四世代。『ISの完成を目的とした』第一世代、『後付け装備による多様化』を目指した第二世代。『操縦者のイメージ・インターフェイスを利用した特殊兵器の実装』を旨とした第三世代。その先にある『そもそも換装を必要としない万能機』と言う机上の空論に昇り始めたばかりの物だ。

 

「あ、流石に第四世代くらい知ってたかな? いっくんや箒ちゃんは優秀だね~」

「えっ、いや、俺達が使ってるのって第三世代型の試験段階機ですよね? そこで第四なんて……」

「ちっちっ、束さんを舐めすぎだぞーいっくん。このくらい、束さんによっては余裕のよっちゃんよろぴくねーって感じで楽ショーなのさ! あ、テストもちゃんとしてるから問題なし! いっくんの<雪片弐型>には展開装甲の技術が突っ込んであるからね♪」

 

 成程な。零落白夜の発動時に解放される機構の事は気になっていたが、あれは展開装甲の試験用装備だったと言う訳だ。それじゃあ、展開装甲が部分的に使用された<白式(びゃくしき)>は実質的な3.5世代機ってとこか。科学者ってのはどいつもこいつも突拍子の無い事を考えるもんだよ。

 

「それでうまく行ったんで紅椿は全身のアーマーを展開装甲プット☆オン! システム最大稼働時には更なるオーバースペックを発動しちゃうのだ!」

「ちょ、ちょっと待ってください……全身……全身が第四世代のテクノロジーを使われているって、そんなのって……」

「うん。ぶっちぎりに強いよ。ハッキリ言って最強だね」

 

 ようやく我を取り戻した山田ちゃんが震えながら言うと、それを事も無げに篠ノ之束は肯定して見せた。その言葉には皆が驚愕している。例外は織斑千冬と俺くらいだ。

 

「ちなみに紅椿の展開装甲は更に発展させたタイプだから、攻撃防御機動と用途に応じて切替できるスーパーなシステムだよ♪ まさに第四世代が目指す『即時万能対応機(リアルタイム・マルチロール・アクトレス)』って奴だね。にひひ、皆すっとろいから、私もう作っちゃった。いぇいいぇーい」

 

 興味深く聞いていた俺と憮然としたままの織斑千冬を除き、それ以外の皆はしんと静まり返って言葉も無い。

 

「はにゃ? ありゃりゃりゃ? どしたの皆、お通夜みたいな顔して。誰か死んだ? 変なの」

 

 まぁ、その反応もむべなるかなって奴だ。世界中の国が血相変えて競っている第三世代型ISを『時代遅れ』と言わんばかりにこの女は見下していたのだから。蒸気船でも作って喜んでる奴に飛行機乗って遅いって言うようなもんか。そりゃあさぞ楽しいんだろうなあ……。

 

「束。やりすぎるなとあれ程言っておいたろうが」

「ごめんごめ~ん。でもでも、かわいい妹が使うISにくらい本気出したっていいでしょ? ちーちゃんだって姉なんだから解るよね~。それにほら、紅椿はまだ完全体じゃないし、いっくんもそんな落ち込まなくたっていいんだよ~」

 

 言って一夏の顔を覗きこんで笑う篠ノ之束。だが一夏を初め、皆のテンションはガタ落ちだ。確かに興味深い話だったが、長ったらしい講釈も聞き飽きた。そろそろ続きを始めるとするか。

 

「まーあれだね、今のは紅椿のスペックをフルに引き出した時の話だから! それでもあんな真っ赤野郎をぶちのめすのは余裕――――」

「そんで? どうするんです織斑先生? 紅椿も出すんですか?」

 

 俺はまた自慢話を垂れ流そうとする篠ノ之束の言葉を遮って、織斑千冬に問いかける。すると案の定というか、篠ノ之束が俺に食って掛かって来た。

 

「ちょっと、なにお前私の話遮ってる訳? 身の程を弁えて――――」

「束、紅椿の調整にはどれくらいかかる?」

「えっ? あ、うん。七分くらいあれば完璧に仕上げられるよ」

 

 織斑千冬に言われ、慌てて言い繕う束博士。それを聞いて、織斑千冬は次にオルコットに質問の矛先を向けた。

 

「ではオルコット。高機動パッケージの量子変換(インストール)にはどのくらいかかる?」

「あ、えっと……三十分程かと」

「……ならば、選択の余地はないな」

 

 オルコットの提示した時間に、決まりとばかりに頷く織斑千冬。その姿に、しめたと言わんばかりに篠ノ之束が飛びつく。本当に現金な上解りやすい奴だな、もう少し腹芸とか覚えた方がいいぜ。

 

「じゃあじゃあ、箒ちゃんの紅椿といっくんの白式の二機でこの作戦はやる事になるね!」

「異議あーり!」

「は?」

 

 だが、その喜びは再び会話を遮った俺の手でぶち壊される事になった。

 

「なにお前また私の話をあぎゃっ!」

「構わん。言ってみろ石動」

 

 織斑千冬によって篠ノ之束が黙らされる。普段自分がやられてる制裁を他人がやられてるのを見るってのは中々に乙なもんだぜ。ひとしきり笑った俺は、寄りかかっていた壁から背を離し、身振り手振りを交えて織斑千冬の説得を開始した。

 

「や、流石にこんだけの戦力が居るのに二人しか使わんのは文字通りの宝の持ち腐れでしょう。俺は全員参加の作戦を支持します」

「ふむ。だがオルコットのパッケージは量子変換だけで三十分かかる。そこはどう考えているんだ?」

「ならギリギリまで待てばいい。二人を矢面(やおもて)に出して危険に晒すよりも間違いねえと思いますよ」

 

 言って、俺は手を広げて周囲の奴らを見渡した。皆、固唾を飲みこんで俺の話の続きを待ちわびている。やはりこういうのは気分がいいな、場を掌握してる感じがして。俺はその視線を満喫すると、束博士が立ち上がる前に矢継ぎ早に自身の作戦内容の説明を始めた。

 

「俺は、一夏と篠ノ之の二人が先行し<福音>を足止め、その間に高速機動戦の経験のあるオルコットを中核に据えた第二陣が合流して、最終的にはボーデヴィッヒのAICによる拘束からの零落白夜の直撃を狙う……これがベストな作戦なんじゃないかって思います。逐次にはなっちまいますが、全戦力投入です。……なあオルコットぉ、<福音>の接近は大体あと五十分くらいになるが、それまでに量子変換から戦闘準備まで、全部間に合わせる事は出来そうかい?」

「ええと……一時間……いえ、五十分あれば、キッチリ間に合わせて見せますわ」

Good(グッド)。つーわけで、俺の意見もご一考ください織斑先生、いかがです?」

 

 俺の言葉に、織斑千冬は顎に手をやり、考えるような仕草を示す。だが少しして、試すように俺を見据えた。

 

「なるほどな。だが、全戦力を投入して、それでもなお失敗したら、お前はどうする、石動」

「そう言うときは『たった一つの賢いやり方』です」

「それは?」

 

「――――諦める!!!」

 

 その俺の言葉に、その場に居た全員が派手にすっ転んで、織斑千冬がものすごい剣幕で俺の胸倉を掴み上げた。

 

「石動ィ! 貴様なんだその言い草は!?」

「いやだって、全戦力で叩き潰すってのが通じないんじゃ、俺たちには最初(ハナ)っから無理だったって事でしょうよ~! 時間的に用意できる策にだって限りがあるこの現状じゃ猶更ですし……ってか服が皺になるんですけど」

「…………フン。確かにそれは事実なんだがな。お前はもう少し言い方という奴を考えてみたらどうだ……?」

 

 苦笑いしながらの俺の弁明を聞いて早々にクールダウンしたか、織斑千冬はその場に俺を放り出した。俺は勢い良く床に尻餅を搗く。もっと優しくしてくれ。中身はともかく体は中年真っ盛りのオッサンなんだからよ。

 

「いたたた……ともかく、全員でやるのがベターですよ。二人に任せて他のは待機なんて、戦力的にも心情的にもやるべき事じゃあない」

「ちょっと!? そんなの絶対おかしいよ! ちんたらしててブラッドの奴に逃げられでもしたらどうすんの!? そしたらお前、どうやって責任とってくれるって言うのさ!?」

 

 口をとがらせて喚く篠ノ之束に、俺は半ば呆れたような視線を向けた。ったく、本当に何考えてやがるのか……幾らなんでも今日手に入れたばかりのISで妹を死地に送り出すなんざ正気の沙汰じゃない。俺は視線の高さを合わせて窘めるように言う。

 

「っていうかよぉ、天才科学者様? アンタがセシリアのパッケージのインストール手伝ってくれりゃ、ふっつーに最初からみんな一緒に出撃できるんじゃないですかね?」

「は? 何で束さんが無能共の作った時代遅れのISなんて弄んなきゃいけないのさ。それよりちーちゃん、これくらいいっくんと箒ちゃんだけで十分だって! ね? ね?」

 

 そう篠ノ之束は織斑千冬にまとわりつくが、奴は取りつく島もない様子で思案を続けている。あと一押しってとこか。なら、やっぱり本人の意見を聞いてみるのがベストかね。

 

「じゃあ、一夏に一ついいか?」

「えっと……なんです?」

 

 俺が意地の悪い笑みを浮かべると、一夏は引きつった顔で、困ったように言った。これからされる質問の不穏さを本能的に感じ取ったか。流石に織斑千冬の弟って所だな。

 

「よし、ぶっちゃけて聞くぜ? 一夏お前、クラス代表戦の時より数段性能が上のISを使うブラッドに、一度のチャンスで零落白夜当てられる自信、あるか?」

「…………無いっす。て言うか、アイツならどこまでやっても躱しかねない。俺、アイツには零落白夜ガッツリ見せちゃってますし」

 

 言いながら、悔しそうに拳を握りしめる一夏の姿に、皆更に気を引き締めるのが伝わって来た。そう言ってくれると俺は信じてたぜ一夏ァ。

 

 そして案の定その意見が決め手になったようで、織斑千冬は思案するのをやめて力強く頷いた。

 

「……そうか。ならば、決まりだな」

「決まりっすね」

「えっ、えっ? ちょっと待ってちーちゃん、もしかして、こんなオッサンの意見を――――」

 

「よし。それでは本作戦は織斑、篠ノ之両名、およびオルコット、凰、デュノア、ボーデヴィッヒ四名による二部隊によって執り行う! 目標は暴走IS<銀の福音(シルバリオ・ゴスペル)>の追跡及び撃墜、操縦者の保護! 織斑班は四十分後に砂浜より出撃、オルコット班は準備が出来次第織斑達と合流、総力をもって作戦を遂行しろ! 教員達は封鎖班は山田先生の指示に従い訓練機の用意、その他はオルコット機の量子変換を初めとしたサポートを。石動、榊原先生はそれぞれ生徒達の監督をお願いします」

「「「「はい!」」」」

「では、各自行動に移れ。解散!」

 

 その一声で、皆が一気に動き出す。ただ、思案を続ける織斑千冬とそれに食って掛かる篠ノ之束だけは違ったようだ。

 

「ねーねー! やっぱこんな戦力必要無いって! 白式と紅椿があれば十分だって! ね? ね?」

「いいからお前も紅椿の調整に取りかかれ。七分で終わるんだろう? 無駄な時間を取らせるなよ」

「う~~……はーい、わかったよも~……」

 

 一蹴され、渋々妹の元に向かう篠ノ之束。その姿に俺は、愉快さと、呆れと、僅かな苛立ちの混じった感情を抱いて、溜息をつきながら生徒達が待機する宿泊エリアへと戻って行った。

 

 

 

 

 

 

「うし、集まったな。今回はお前らに頼みがあってな。悪いが少し仕事してもらうぜ」

 

 そう重苦しい雰囲気で言う俺の前には、一年一組(我がクラス)の中でも特に俺と親交の深い生徒――――鷹月(たかつき)(かがみ)岸原(きしはら)が呼び出されていた。

 

「しつもーん。一体何があったんですか? 何であたし達集められたんですか~?」

 

 手を挙げて(かがみ)が俺に問う。だがしかし、今回の案件を部外者に説明する事は出来ない。よって俺は、後者の質問にのみ答える事にした。

 

「前者には答えられん。機密事項だ。呼び出した理由なんだが、俺はこれから少し忙しくなりそうでな。代わりに幾つかの仕事を頼もうと思ってよ」

「え~~~?」

 

 俺の言葉に本気で嫌そうな顔をする鏡。しかし、こっちにも余裕がない。俺がやるべき事は今本当に多いのだ。

 

「まずお前達には部屋の外を出歩く許可を貰ってきた。ちと怒られはしたが、俺と榊原先生だけで四組分の生徒の面倒は見切れねぇからな……まず鷹月」

「はい」

「これから一組、二組の生徒達の名簿を渡すから、皆が部屋に居るかと、健康状態の確認を。もし体調が悪い奴がいるようなら医務室に移動させてやってくれ。やれるか?」

「大丈夫です、任せてください」

 

 言って力強く頷く鷹月に俺は目を細める。流石はクラス一のしっかり者と言われるだけはある。こいつには安心して任せられるだろう。問題は後の二人だが……。

 

「次に鏡。お前は鷹月に先んじて生徒達の部屋を回って、貴重品を何時でも持ち出せるように纏めさせろ」

「えっつまり旅館の中走って良いんですか!? やったー!!」

「お前なあ……」

 

 そう呆れて見せるが、内心は意外な好感触にこれはしたりとほくそ笑む。しかし、幾ら走るのが咎められているからって、いざ走れそうとなってそこまで喜ぶのか……? 陸上部にはこんな奴ばかりじゃあないと願いたいね。

 

「わーった。全部屋回りきるまでは走っていいぞ。あと岸原」

「はいはい」

「お前は榊原先生に着いて、三組四組の監督業務を手伝ってやってくれ」

「何でそれ私なのさぁ……」

「三組四組にもバッチリ顔が知れてるのはお前くらいのもんだ。ウザキャラの面目躍如だな~リコリンよ」

「石動先生にその名前で呼ばれるのめっっっっちゃ違和感ありまくりなんでやめてほしいんですけど」

 

 口をとがらせて俺を睨みつける岸原の頭に手をやってくしゃくしゃと撫で回すと、奴は不本意そうに身を引いた。良く分からんが、一応やってはくれそうだな。

 

「そんじゃま、頼むわ。俺はこれからめっちゃ忙しくなる。作業が終わり次第自室待機な。もし何かあったら榊原先生に聞いてくれよ。あ、俺がこれから何するかは聞くなよ? 俺、お前らに朝挨拶できなくなるとウルっと来ちまうから」

「はいはい、わっかりましたよ」

「頑張れよ、頼むぜ」

 

 部屋を出て行く三人。これで俺はフリーだな。<福音(ゴスペル)>もここが危険になる

程に接近はしてこねえだろうし、俺がそうはさせねえ。

 

 ――――ま、代わりにここに居ない奴らはちょっと痛い目見るかもしれないけどな。

 

「さて、と。俺も準備と行きますか……」

 

【ロック!】

 

 部屋の鍵を<ロックフルボトル>で施錠すると、俺は早速憑依した体と分離し、その抜け殻を敷いてあった布団に横たえる。そして懐から<トランスチームガン>を抜いて、<コブラロストフルボトル>をフルボトルスロットへと迷わず装填した。

 

【コブラ……!】

「<蒸血>……」

 

 電子音声を聞き届けてから引き金を引けば、トランスチームガンから変身用特殊蒸気<トランジェルスチーム>が噴射され、俺の体を包みこんだ。本来<ブラッドスターク>への変身プロセスはこれでほぼ完了だが、この世界に来てからのそれには新たな段階が追加されている。

 

【インフィニット・ストラトス!】

「――――<凝血>!」

【ミストマッチ……!】

 

 間髪入れず装填された<ISフルボトル>の成分を更に噴出させ、それが形成され始めていたブラッドスタークのスーツの表面を覆い、より強固な装甲を形成してゆく。と、同時にこのスーツの中枢である<スチームジェネレーター>から各部に蒸気を送るスチーム供給管の形状を変化させ、いくつものスラスターを形作った。

 

【コッ・コブラ……コブラ……ファイヤー!】

 

 火花を散らし、黒煙の中から俺は歩み出る。これがこの世界に対応した<ブラッドスターク>。<トランスチームシステム>自体は<ライダーシステム>に比べれば拡張性も低く成長能力も無いが、その堅牢さと基本スペックは十二分に高い。更にインフィニット・ストラトスのテクノロジーを融合させることによって、そのスペックは今や<スクラッシュシステム>に迫るほどだ。

 

 ――――そして何より、この俺(エボルト)のエネルギーを使って強化すれば、その性能は後継である<カイザーシステム>の改良品、<ヘルブロス>さえも上回る。

 

『さあて……楽しいショーの始まりだァ……!』

 

 俺は呟き、トランスチームガンの煙に巻かれてその場から姿を消した。

 

 

 

 

 

 

 雲が成長の兆しを見せ始めた、紺碧の空の元。束は、出撃してゆく妹とその好意を寄せる相手のISの軌跡を、波打ち際から見上げていた。しかしその顔は澄み切った空とは違い、稚気じみた苛立ちに満ち満ちていた。

 

「ちきしょ~あの怪人あしながおじさんめ~! せっっっかく束さんが組んだプランに余計な口出ししやがって~~~~!!」

 

 言いながら地団太を踏んで、砂を思いっきり蹴り上げる。その様は<天才科学者>の有りように相応しいとは言えない――――だが、<天災>篠ノ之束らしい様であった。

 

「まったくもー……! 暴走する謎の軍用IS、強敵を前に、二人の距離は急接近……ラブ・パワーで敵を倒して、好感度だってウナギ・ライジング(鰻登り)! そしてお互いの大切さに気づいた二人は、夜の波打ち際で愛を誓い合って…………キャ――――ッ!」

「……やはりお前か」

 

 先程までの苛立ち一転、妄想に耽って喚き立てる束の元に、私は歩み寄って行った。思わず、己の拳を強く握りしめながら。

 

「あ、ちーちゃん早かったね~。もう気づいちゃったかぁ~」

「お前が積極的に首を突っ込んできたから怪しいとは思っていたが、また皆を危険に晒すとは何を考えてる……! 返答次第では海に沈めるぞ……!」

「あー、ごめんごめん。やっぱちーちゃんには話しとくべきだったね、今回の事」

 

 私の威圧に、束は珍しく、素直に両手を合わせ苦笑いしながら頭を下げた。その様に少なからず面食らう。普段の束ならばこういうときは喚くか、私の言い分を聞こえないふりをするかのどちらかだ。しかし、今日の束は何やら普段とは違う、どこか思い詰めたような雰囲気を纏っているのが気になった。

 

「質問に答えろ。何故こんな事をした? 真っ当な理由でもあると言うのか?」

「……今回はあるよ、合理的な奴」

 

 滅多に見せぬ、重苦しい顔をして束が私の問いに答える。だが私は、何度もそんな奴の演技を見せられた身だ、その程度で絆される事は無い。私は鼻を鳴らして、有無を言わせぬ声色で奴を問い詰めた。

 

「また一夏や篠ノ之に活躍の機会を、などと言い出せば本気で海の藻屑にするぞ?」

「それもあったけどねー。この銀の福音の暴走は、全部<ブラッド>の奴をおびき出すための挑発だよ」

「おい待て、ブラッドへの挑発だと!? 奴はお前のISを一方的に乗っ取って、一夏達を攻撃した相手だぞ!?」

 

 束に詰め寄りながら私は叫んだ。あの<ブラッド>は束の無人IS<ゴーレム>のプロテクトさえも破った恐るべき相手だ。それに、操縦技術も一般のIS操縦者を遥かに超える物を持っている。遠隔操作である以上、行動に多少のラグは出るはずだが……一夏と篠ノ之だけでは危険だ!

 

「幾ら最新型とは言え、暴走したISなど奴にとってはいいカモだ! もし本当に奴が<福音(ゴスペル)>を乗っ取りでもしたら、底知れない被害が出る可能性もある! そうなったらお前はどう責任をとるつもりだ!?」

「だいじょぶだって! もし奴にコントロールを奪われた場合、強制的に<福音>はシャットダウンされて、束さんが夜なべして作った最新の追跡プログラムが奴の居場所を逆探知! そんで居場所が分かったら私直々にぎったんぎったんのズタボロにしてやるつもり! それに、奴が現れなくたって<福音>はいっくん達には勝てないようにしてあるし、安全については保証しちゃうよ!」

 

 満面の笑みを浮かべて笑う束に、私はどうしようも無く疲れて額を押さえた。

 

「…………つまりお前はブラッドをおびき出すためにこの狂言を仕組んだと言う訳か? 確かに奴を野放しにしておく危険性は私も承知しているつもりだが、もっと他にやり方があるだろう…………」

「いやいや~。アイツ、私の事散々コケにしてくれたからね。こっちもコケにし返してやんなきゃ気が済まないよ。それに、ブラッドは今仕留めといた方がいいのは分かるでしょ?  アイツの持ってるような技術が知れ渡ったらそれこそ大変な事になる。世界中でISが乗っ取られ放題かも。束さん的にはそんなの絶対許せないんだよね。……さあて、ブラッドの奴、来たらもう明日の朝日は拝ましてやんないんだから――――」

『<ブラッド>なら来ないぜ?』

 

 後ろから聞こえてきた声に、私は弾かれたように振り向いた。

 

 そこに居たのはどこか気だるげに岩場に座って、足をブラブラと揺らす赤い全身装甲のパワードスーツ。どことなく宇宙飛行士の様なシルエットに、所々にパイプをあしらったデザインと、首をもたげるコブラを象った、エメラルドカラーの胸部装甲とバイザーが目を引く。その容姿は一夏達の証言にあった、もう一人の乱入者。学年別タッグマッチに現れた<怪人>――――

 

「<スターク>……!」

『よっ、織斑千冬(ブリュンヒルデ)! 前の学年別タッグマッチではお前の生徒に世話になったな! こうして顔を合わせるのは初めてか?』

「貴様、何をしに現れた!?」

 

 まるで良く見知った相手にする様に馴れ馴れしく手を振る<スターク>に私は身構えて叫ぶ。しかしスタークはリラックスした様子で、何故そこまで警戒されるのかが良く分からないとでも言った様子で首を傾げるだけだ。

 

『んん……? 随分物騒な顔してやがるなあ。そんな怖い顔しなくてもいいじゃねえか、眉間に皺が出来ちまうぞ』

「黙れ、質問に答えろ。そもそもここに貴様が居る事自体が十分拘束の理由になる」

 

 そう言って睨みつける私に、スタークは思いっきり溜息を吐いて肩を落とした。その余りに人間味溢れる仕草は、ますます私の苛立ちを助長してゆく。

 

『お前はそう言うがね、それだったら俺よりも先に拘束するべき人間が一人いると思うが。アンタもそう思わんか篠ノ之束』

「は? 何いきなり話しかけて来てるわけ? お前みたいな何処の馬の骨とも知れない奴と話してる暇なんてないんだよね。束さん忙しいから。あっち行けシッシッ」

『…………お前、それでいいのか? おい織斑千冬。この女、何時もこうなのか? こいつと友人を続けるなんて、正直心から同情するぜ』

 

 うんざりとしたようにスタークは首を傾け、束を指差した。普段であれば同調しない事も無い内容であったが、今の私に対しては火に油を注ぐことになる。

 

「貴様、私の友人を侮辱するというなら、その代償を命でもって支払う事になるぞ」

『おおー怖ぇ怖ぇ。悪かったよ。謝るからそう殺気立つなって。俺はここに、お前らと殺し合いしに来た訳じゃあねぇ。取引をしに来たんだよ』

 

 諸手を広げて肩を竦めるスタークは、まるで聞かん坊の子供でも相手にするような態度で、更に私の機嫌を逆撫でしてくる。だが今はそれよりも、奴の言った言葉の方が気になった。

 

「取引、だと……? 何を望んでいる、貴様」

『お前じゃあないぜ織斑千冬。そこの、人の話も聞かずにずっとディスプレイを弄ってる女とだよ』

 

 言って、スタークは顎で束を指し示す。束とこのような怪人の取引……そこに、良い事など何一つあろう筈も無い。私は奴の話を聞かぬよう束に声をかけようとしたが、それよりも早く束はうんざりとした顔で口を開いた。

 

「……あのさあ。お前如きと話してる暇無いってさっき言ったよね。大体誰を相手にしてるか分かってる? 人類最高の天才科学者篠ノ之束さんだよ? お前みたいなへんちくりんな奴が軽々しく話しかけていい相手じゃ無いわけ。せめて敬語使うとか土下座するとか、それなりの態度があるんじゃないの?」

『俺は<ブラッド>の居場所を知ってるぜ』

 

 その言葉に、指を下に向け土下座を要求していた束の表情が傍目にもわかる程に強張る。自身が大芝居を打ってまで用意したこの事件が、徒労に終わりそうなのが(かん)に障ったか、あるいは自身も知ることの出来なかった情報を目の前の怪人が知っている事に苛立ったか。その両方か。

 

『さて、それじゃあ本題に入ろう。俺の要求は一つ。<銀の福音>のあらゆる詳細なデータだ。……あんたが入手できる最大限のな』

 

 それはつまり、<福音>の全てのデータを要求していると言う事に他ならない。確かに、束ならば軍のデータベースにクラッキングをかけてそのデータを入手するのも可能だろう。だが、それを奴はどうするつもりなのか。そんな物、碌な事で無いに決まっている!

 

『俺から提示するものは二つ。一つは、この事件の真実を俺からは絶対に口にしないと約束する事』

「……信用すると思ってるの?」

『好きにしろ。別に信用しなくても構わねえぜ? その時は妹に嫌われかねんが、それでもいいと言うならそうするといい』

「んー? 君、頭悪いのかなぁ? 箒ちゃんが束さんの事嫌いになるワケ無いじゃん」

『なるさ。愛する一夏の身を危険に晒したのが姉だと知れれば。寧ろ嫌いにならない方がおかしいと俺は思うがどうかね、Ms. Disaster(天災殿)? ハッハッハッハ……!』

「……殺すよ? その方がお前を消せて、口も塞げるし一石二鳥だと思うけど」

 

 束が異常なまでの殺意を滾らせ、その殺気を無遠慮にスタークにぶつける。だがスタークはまるでそれを気にも留めずに、癇癪を起こした子供に呆れるかのように束の顔を何度か指差した。

 

『話は最後まで聞けよ。……もう一つの条件だが、お前の知りたい事を――――ブラッドの居場所を教えてやろう。こんなマッチポンプを起こしたのは妹と織斑一夏を活躍させたかったのもあるんだろうが、本当の目的はそれだけじゃあるまい?』

「…………お前、どこまで知ってんのさ」

『さあてな。少なくとも、お前が知りたい事は知ってるぜ…………?』

 

 言って笑うスタークに、束がこれ以上ない怒りの形相を見せる。だが奴はそれを咄嗟に抑え込んで、ぶっきらぼうながら、先程よりも殺気を鎮めて口を開いた。

 

「じゃあさ、今ブラッドがどこにいるか早く教えてよ。それさえ解ればこんなとこに居る理由なんてないんだから」

『おっと! 教えられるのは何処の国、何処の組織に居るか位さ。奴は臆病者で、故に用心深い。だからアンタだって見つけられなかった。そうだろ? ……だが、何処の国に居るか分かればアンタの力なら見つけるのはそう難しい事じゃあ無えと思うぜ? 天災(てぇんさい)科学者、篠ノ之束殿?』

「……人を舐めた態度もほどほどにした方がいいよ。じゃないと、私もお前とお話する気なくなっちゃうかも」

 

 鋭い目つきで束がスタークを睨みつけると、奴は申し訳なさそうに顔の前で手を合わせた。その仕草があまりにも芝居がかっていて、剣があれば私は迷わず奴に斬りかかっていただろう。

 

『悪い悪い……それじゃまず、データを貰おうか。喋った途端逃げられちゃあたまらんからな』

「はいはい」

 

 肩を竦めるスタークに束はあっさりと小さなUSBメモリを投げ渡した。私がそれを止める暇もないほどに気軽な仕草。それはあれほどのISも、束にとっては些末な物でしかないという証明だった。

 

Good Job(グッジョブ)! 流石は篠ノ之束、データは回収済みとは手際がいい!』

「別に、あんなポンコツのデータなんてどうでもいいもん。それより、褒めてないでさっさとしてよ。ブラッドはどこに居るのさ」

『いいだろう……まず奴の現在位置だが、奴はこの日本に居る』

「あ、やっぱ?」

 

 気軽に交わされる会話。しかしそこに含まれた情報は重大極まりない物だった。あれほどの危険人物がこの国に潜伏しているだと? それは私にとっても聞き捨てならない事だ。だが次に明かされた事実はその情報を吹き飛ばすほどのものであった。

 

『ついでに言えば、奴の正体は男だ』

「――何だと?!」

『奴は本来、男性がISを操縦するにはどうするか、と言った研究をしていた技術者だ。つまりは遠隔操作の技術だな。その技術が実用化されたらたまらんって事で、奴は女によって真っ当な研究の道を断たれちまった』

 

 可哀想だよなあ? とバイザーを右手で擦って泣いた真似をするスターク。だがその姿からは憐憫の情など一切伝わっては来ず、唯々、ひたすらに不愉快なだけであった。

 

『そして奴は今、<亡国機業(ファントム・タスク)>に籍を置いている。至極当然だな、ISを遠隔で乗っ取れる技術を、奴らが欲しがらない訳が無い』

 

 それが、ブラッドによるISの『乗っ取り』の正体か。だが、代表候補生たちを圧倒する奴の戦闘力、それには他にも秘密があるはずだ。しかしスタークはそれについては触れずに話を続ける。

 

『正確な場所までは分からんが、今の奴は亡国機業の拠点に身をやつしていると見ていいだろう。案外、すぐ近くに居るかもしれないぜ?』

「なるほどね。情報提供感謝~。じゃ、束さんは早速この辺にある奴らの拠点を全部叩き潰してくるから」

『<福音>については俺がフォローしてやろう。実際の戦闘データも欲しいからな』

「好きにすれば? どーせアイツはいっくん達には勝てないようにしてあるし。じゃ~ね~」

 

 興味を失ったように束が言ってひらひらと手を振った瞬間、突如突風が吹き、砂を撒き上げ私たちの視界を奪う。そしてそれが晴れた時には、既に束の姿は消え失せていた。

 

『『風と共に去りぬ(Gone With the Wind)』ってか。嵐のように気まぐれな女だが、風情という奴は案外わかってるのかもな……。さて、俺も行くとするかね』

「何処へ行くつもりだ?」

 

 束を見送って、踵を返そうとしたスタークの前に私は立ち塞がる。こいつを野放しにする理由は私には無い。この場で拘束し、後顧(こうこ)(うれ)いを断つが上策……! だがスタークはそんな鬼気迫る私の顔を眺めて、心の底から面白そうな仕草をした。

 

『ハハハハ……俺を止めるのか? 止めとけよ。ISを纏うなり、武器を持ってるならともかく、今のお前は丸腰だろう? 俺だって意味なく人を傷つけたくはないんだ』

「……丸腰の私に何が出来るか、試してみるか?」

『ハァ…………好きにしろ』

 

 呆れたように奴が言い終えるが早いが、私は疾駆し奴の懐へ一瞬で潜り込み低い姿勢から奴の胸目掛け拳を振り上げた。奴はそれを上体を逸らして回避し、そのままバック転して距離を取る。しかし私はその隙を逃さず再び距離を詰め、着地した瞬間の奴の胸へと強烈な蹴りを放った。

 

 それを見て、奴は握り込んでいた片手を鋭くスナップさせる。そこから私の顔目掛け砂がぶちまけられた。今のバック転の際に握り込んでいたか……! 咄嗟に目を片腕で遮ってそれを凌ぐが、代償として視界がゼロになる。

 

 咄嗟に私は蹴りを中断して後ろに跳ね飛んだ。と同時に腹に重い衝撃。予想通り、奴は視界を奪われた私に意趣返しとばかりに槍を突きだすが如きサイドキックを叩き込んで来ていた。だが、後ろへと逃げを打ったことで直撃は回避できた。しかしそれでも勢いまでは殺せない。

 

「くっ……!」

『流石に織斑千冬だ! 生身でもこれほどやるとは!』

 

 砂浜に跡を残して衝撃を殺す私を見て、奴は純粋に称賛するように手を鳴らした。何という奴だ。例え生身とISの差があるとは言え、私の動きに着いてくるとは……!

 

『ま、暴れるのはこのへんにしとけ。幾らアンタでも丸腰なら今の俺でもやり合える。そして、俺を無理に止めようとするならお前が不利益を被る事になるぜ?』

「……何だと?」

『そうだな、例えば…………弟や生徒達に知られたくない事があるだろう? アンタが<世界最初のIS操縦者(白騎士)>だとかな』

「貴様、どこまで知っている……!?」

 

 思わず問いただす私に、奴は腹を抱えて笑って見せる。だがそれだけで、奴は何の答えも返さない。その姿に私は怒りに震え、割れんばかりに歯を食いしばった。

 

『ま、俺にはその事を話すつもりだってないさ。アンタが邪魔をしなければな……さて、俺はここらでお暇させてもらおう。篠ノ之束の言が真実なら、<福音>との戦いはイージーモードになっちまいそうだからな。俺が行く前に終わられちゃ興ざめさ』

「貴様、待……!?」

 

 言い終えるよりも早く、私の体に痺れが走り、思わず膝を突いてしまう。

 

『まったく、随分と効きが悪いな。流石と言うべきか、最早その頑丈さに呆れるべきか……』

 

 先ほどの蹴りに何か仕込みがあったのか……!? 痺れる四肢に鞭打ち立ち上がるが、力が入り切らない。このままではまずい……! 私はその痺れを振り払う様に、手足にさらに力を込めて構えを取る。だが奴はその様をひとしきり眺めた後、興味を失ったように空を見上げて、全身のスラスターを起動させ宙に舞い上がった。

 

『今日はここまでだ。お前との戦いは然るべき時にしよう。……じゃあな。また会う事もあるだろうぜ』

 

 言って、奴は凄まじい速度で空の彼方へと消えて行った。<福音>と一夏達の戦いに割り込もうというのか。そのような事を許す私ではない……が、体の痺れが抜けぬ今、私に出来るのはそれを見送る事だけだ。

 

「…………おのれ……」

 

 一夏達や真耶、石動に連絡を取ろうにも、指先が痺れ通信を行うことも出来ず再びその場で膝を突く。視界までもが歪んできた。

 

「おのれ……!」

 

 この私が、完全に後れを取った。確かに、奴はISで私は生身。ハンデと言うには十分すぎる。だが結局、戦いでは勝った者こそが勝者なのだ。スポーツでも無いのにフェアプレーを求めるなど、虫がいいにも程がある。

 

 そして何よりも、奴の強さは本物だった。あれほどの格闘技能、間違いなく<モンド・グロッソ>の出場者と比べても遜色無いレベルの実力だ。それも、未だに余力を残していたように見える。そんな奴が一夏達の元に向かうのを、私はみすみす見逃すというのか……!?

 

 早く、皆に知らせねば。その思いとは裏腹に、麻痺はゆっくりと進行していった。自由にならぬ四肢、成すべき事を成せぬ苛立ちが、私に怒りの声を上げさせる。

 

「スタァァァァァァァ――――ク!!!!」

 

 しかし、私の声を聞き届けるものはおらず。その叫びも、無人の砂浜に打ち寄せる波の音の中に吸いこまれて、虚しく消えて行った。

 

 




仮面ライダービルド最終回、素晴らしいものを見せてもらいました。
見る前は喪失感に襲われるのかと震えていましたが、見終えて見れば素晴らしい満足感で、とても良かったです。

特に剣崎やアンク、紘太さんなど、ライダーの最終話ではもう会えなくなってしまう人も多いなか、万丈とまた出会った時の戦兎の顔と言ったら……!
あのラストも『仮面ライダービルド』と言うフィクションにとってあれ以上綺麗な閉め方は無かったと思います。

喋り始めると止まらなくなるのでこの程度に。

それと、そろそろ原作とはだいぶ性格とかムーブが変わってるキャラ(箒)が出始めてるので、『キャラ改変』のタグが必要かどうか、ちょっと活動報告の方でお聞かせいただければと思います。
よろしければご協力お願いします。


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誰がためにゴスペルは鳴る

ほぼ全編バトルパート、約二万七千字です。
切り所さんが見つからなくて結局フルで投稿する事になりました。
長いの苦手な人は申し訳ないです。
ぬあぁぁあああっ……!(幻徳土下座)

10万UA、1400お気に入り、200感想、100評価どれもありがとうございます。
お陰様でこのパートを何とか完走までこぎ着けられました。
誤字を幾つも見つけて頂ける誤字報告の皆様にも毎度お世話になっております。
良ければ、これからも応援よろしくお願いします。


 青空を、雲と雲の間を、白と紅の流星が駆ける。僅かに先行する紅を追う中で、白を走らせる俺は、肌に涼しい向かい風を感じながら頬に汗を伝わせている。

 

 俺と箒の駆る<白式(びゃくしき)>と<紅椿(あかつばき)>が<銀の福音(シルバリオ・ゴスペル)>と対峙するべく砂浜を発って既に十分余り。俺達は言葉を交わす事も無く、済み切った空とは真逆の重苦しい空気を振り払えずにいた。

 

 ――――当たり前だ。今回の相手である<銀の福音>は、多分今までの中でも一番の強敵。そして、前に<ブラッド>を相手にした時とは違って、正規の操縦者が今だに囚われている。あの時のような力任せの<零落白夜(れいらくびゃくや)>は今度は使えないし、そもそもアイツは鈴の<龍咆(りゅうほう)>を容易く見切った様な相手だ。だからこそ石動先生は、ラウラのAICでの拘束が必要だと考えたんだろうけど……。

 

「上手く行くかな……」

 

 嫌な予感がして、思わず口が動く。すると、小声でつぶやいたそれに気づいたのか、箒の紅椿が俺の真横に並走するように僅かに速度を落とした。

 

「やはり心配か、一夏」

「……相手は<ブラッド>だからな。不安に思うなって方が無理だろ」

「……私も同感だ」

 

 難しい顔をして同調する箒に、俺は少し驚いた。最近の箒は以前のように癇癪を起こす事も殆ど無く(昨日みたいな手ひどいハプニングに遭った時くらいか)、いつも自信に溢れた立ち振る舞いで訓練機搭乗者達の先頭に立ってきた。専用機持ちの俺だって、そんな箒に置いて行かれないよう、追いつけるように頑張ってきたんだ。

 

 そんな、俺にとっての目標の一つである箒にそんな顔されると、俺はもっと不安でたまらなくなる。

 

「……止めてくれよ箒、らしくない。お前はいつもみたいに、自信満々で胸張っててくれよ」

 

 俺が苦笑いしながら言うと、箒は一瞬目を見開きすぐに伏し目がちな沈んだ顔になって、細々とした、それこそらしく無い声を上げた。

 

「…………ブラッドは恐ろしい奴だ。強く、残酷で、他人を傷つける事を心底楽しんでいる。あの日、砲口を向けられた瞬間の事が未だに瞼の裏に焼きついて消えないんだ。自信なんて、これっぽっちも無いさ」

 

 箒の言葉に、俺の脳裏にあの日の光景が浮かび上がる。燃え上がる放送室、ブラッドの哄笑、そして何より、怒りに我を失った自分。結果的に成功したとはいえ、鈴やセシリアが居なければ俺は真正面から奴のビーム砲で消し飛ばされて、ここに居る所か次の朝を迎えることも出来なかっただろう。

 

「だが、奴が居なければ今の私は無い」

 

 俺はハッとなって箒を見た。箒は眉をしかめ、射殺すような鋭い視線を今はまだ見えぬブラッドへと向けていた。

 

「奴が居たからこそ、私は以前の弱い自分と決別し、正しく強くなるための道を歩み始める事が出来たのかもしれん。教えを授けてくれたのは石動先生だが、きっかけは奴だ。だからこそ今日ここで奴を越えて、私は改めて前に進み始める。例え<紅椿>の性能自体が奴の<福音>を上回っていようが、挑戦するのはこちら側だ。全力で戦い、勝利を掴む。助けねばならん人も居るからな」

 

 そう言う箒の眼には油断や慢心など微塵もない。あるのはただ、覚悟と決意。しかし、それによって歪んだ箒の顔に、俺は一抹の不安を覚えた。こんな張り詰めた箒は見たことがない。どうにもその顔への不安感が拭えなくて、俺は薄く笑い箒に声を掛けた。

 

「……あんま気負い過ぎるなよ、箒。あくまでこの戦いは俺たち全員での戦いだ。前のめりになりすぎて落とされちゃ元も子もないぜ」

「……そうだな、すまない」

「ここだけの話、こう言うときの深呼吸ってのは思った以上に効果あるらしいぜ? 騙されたと思って試してみろって」

「うむ……スゥーッ、ハァーッ……スゥーツ、ハァーッ……ふふふっ」

「何だよ、急に笑って」

「いや何、先程までの切羽詰まっていた自分が可笑しくなってな…………ありがとう、一夏。お陰で肩の荷が降りた。ああ、そうだ、石動先生が言っていた。『シリアスになりすぎるのはよく無い』と」

「正にさっきまでの箒じゃねえか」

「その通りだ。全く、まだまだお前から学ぶべき事もたくさんありそうだ」

 

 笑う箒に釣られて、俺もまた笑う。先程までの重苦しい雰囲気が嘘のように、俺達の心は晴れ渡っていた。その時、俺達の元へと通信が届く。

 

『――――聞こえるか、二人とも』

「はい、織斑先生」

『<ブラッド>――いや、<福音>に動きがあった。お前達に向けて軌道を変更、あと百八十秒ほどで接敵する。真正面からの接触になるが、何を仕掛けてくるか分からん。慎重に行け。増援が到着するまで落とされないだけでいい。特に一夏、お前の<零落白夜>は最後の決め手だ。基本的に篠ノ之に任せて、お前は損耗を最低限に留めるように』

「了解だぜ、千冬姉」

『いつも織斑先生と呼べと言ってるだろうが。緊張感の欠如か?』

「緊張しすぎも良く無いって石動先生も言ってたっすよ。それに今織斑先生だって俺の事一夏って呼んだじゃないっすか」

『それだけの余裕があるなら大丈夫そうだな。……織斑、帰ってきたら覚悟しておけよ。以上』

 

 最後に不穏な事を言い残して、一方的に通信を切断する千冬姉。俺はそれに恐怖を覚え、少し震えながら箒の方を振り向いた。

 

「……俺、もしかして余計な事言った?」

「『リラックスしすぎも良くない』と言う事だな。私にもその緊張感の無さを半分分けてくれ」

「無いものは渡せねーよ! つか、箒の緊張感をくれよ! 究極的に言って柄じゃないんだってこういうの!」

 

 言ってにやりと笑う箒に、俺は思わず喚きながら笑った。これなら大丈夫だ。今の俺と箒、それにみんなの力を合わせれば、ブラッドにだって負けやしないさ。

 

 そう心を新たに前に向けば、雲と雲の間に赤い点が見えた。ハイパーセンサーでそれを拡大すると、そこには血のように赤い天使が映し出され、見る見る内に迫ってくる。

 

「来たか。油断するなよ、一夏」

「ああ、真正面から来る以上、何かやらかしてくるに違いねえ」

「まずは様子を見る。先手は渡すが、一撃で落とされんようにな」

「そっちこそ!」

 

 言いながら、俺は<雪片弐型(ゆきひらにがた)>を構えた。同時に箒が<空裂(からわれ)>と<雨月(あまづき)>を構え、何時でも斬撃を放てる姿勢へ移行する。迫る<福音>はその様を気にも留めず、頭部から生えた一対の翼を羽ばたかせさらに速度を加速させた。

 

 通常なら<福音>と同様の銀色に輝いていたであろうそれは、今や無惨にも真っ赤に染まっている。出撃前にもらえた情報によれば、あれこそが福音の要、大型スラスターと広域射撃兵装を融合させた軍の最新システムらしい。

 

 あの翼の可動域と大きさからすればその速度と機動力の高さは想像に難くない。だが、セシリアの言っていた全方位対応(オールレンジ)射撃攻撃が実際どういった攻撃なのか……その具体的なイメージを俺達は掴めていなかった。

 

「来るぞ!」

 

 箒の声と同時に、福音が翼を折りたたむ。再度の羽ばたきで更なる加速を得てくるかと思った瞬間、勢い良く広げられた翼から、光輝くエネルギーの羽根が撒き散らされた。

 

「箒!」

「一夏!」

 

 俺達は言うが早いか、いつか<スターク>の誘導弾を回避した時の焼き直しが如く、互いを突き飛ばし、その加速をもって福音の軌道から避難した。次の瞬間には先程まで俺達の居た地点を瞬時加速(イグニッション・ブースト)張りの速度で福音が通過し、その通った場所には、翼から放たれた大量の羽根が宙を舞っている。

 

 

 直後、その一つ一つが凄まじい音と衝撃を以って炸裂した。

 

 

「マジかよ――――!!」

 

 その破壊力に俺は驚愕する。あの羽根の一つ一つが対IS手榴弾以上の爆発を起こすってことは、一発でも喰らえば碌に身動きも取れなくなる。そしてそれは、同時に放たれている羽根の爆発にさらに巻き込まれることを意味し――――

 

「攻勢エネルギーによる連鎖爆発砲撃……広域を自在に爆撃可能で、かつ回避力に優れたISを面制圧で仕留められる。最重要軍事機密は伊達ではないという事か……!」

「何冷静に分析してんだ箒! こいつは固まってちゃヤバイ! 分かれてやるぞ!」

「羽根は私が空裂でまとめて落とす! 一夏は攻撃の合間を狙ってくれ!」

「了解!」

 

 箒の握りしめる空裂が振るわれ、斬撃の波が福音へと迫る。しかし福音は翼を折りたたみ、弾丸のように回転しつつ光波をかいくぐって箒に迫った。そのまま奴は箒の目前数メートルの距離で翼を開く。いや、翼だけではなく、その装甲の一部が開いて内部の砲撃機構を露わにした。

 

「うおおおおおおッ!」

 

 だが、それを許す箒では無い。瞬時加速でその懐に飛び込むと、胸部装甲を斬りつけながら宙返りするように奴の頭上を飛び越え上を取った。そのまま雨月を突き出して、光弾をその武器名通り雨あられと降り注がせる。

 

 福音はその光雨をまるで踊るかのように、小刻みな加速機動と羽根による相殺で回避し、防御してゆく。その動きは精密無比。箒の動きを予め見切り切っているような回避精度だ。だが、俺の知るブラッドの動きとはどこか違う。確かに福音の回避は正確なのだが、奴の動きにはもっと余裕があった。目前の福音は常に最速で箒の攻撃を見切り捌いてゆく。

 

 俺の中で奴の存在が大きくなっているだけなのかもしれないが、ブラッドならもっと、こちらを嘲笑うかのように甘い回避を見せる気がする。そしてをそれをエサにして、勇んで飛び込んだ俺を仕留めにかかるような悪辣さを奴は漂わせていた。だが今の福音にそう言った雰囲気は見られない。ただ無機質に、どちらかと言えば、ブラッドに乗っ取られる前のあの無人ISを思い出させる。

 

「なあ、箒! こいつ――――」

「ああ、動きに一切の()()が無い。本当にブラッドが操っているのか!?」

 

 どうやらその疑念は箒も同じだったようで、困惑を滲ませつつ攻防を継続させていた。俺は下手に手も出せず、それを眺めて機を伺うばかり。くそっ、やっぱ普段使いできる遠距離兵装が無いってのは目茶目茶もどかしいな! 束さんもその辺考えてくれよ……!

 

 でも、出来る事はあるはずだ。俺はゆっくりと奴の死角――ハイパーセンサーのあるISに文字通りの死角はないのだが、とにかく迎撃がしづらそうな位置取りだ――へと回り込み、突撃態勢を整える。

 

「箒、俺が奴の気を引く。そこを叩き切るなり突き飛ばすなりしてくれ」

「本気か? らしからぬとは言え、この無機質な動きもブラッドの演技である可能性もある!」

「むしろそこを確かめてえ。俺は福音から(ブラッド)らしさをこれっぽっちも感じねえんだ。箒だって、何かおかしいって思ってるだろ」

「確かにそうだが……!」

「一回だけだ、危険になったらすぐ退避できるようにする。試させてくれ!」

「……くそっ! 責任は取らんぞ!?」

「サンキュ!」

 

 箒の声にサムズアップで答え、俺はタイミングを計る。――――そうだ、そもここでタイミングを計るほどの余裕があるのがおかしい。ブラッドの奴なら、箒に注力しつつ俺へも牽制を飛ばすくらいはしてきたっていいはずだ。しかし福音は箒への攻撃を継続、俺には一切見向きもしない。

 

 確かに箒が強いのは分かる。使ってるISだって最強の機体だ。ただ、一撃必殺の能力(零落白夜)を持つ俺をここまで放置するなんて、俺達を嘲笑うかのような動きを逐一見せたブラッドらしく無い。

 

 ――――って事は、こうして俺が痺れを切らすのを待ち構えてるって訳だな。なら、望みどおりにしてやるさ!

 

 福音が翼を広げ、再度箒に対して羽根をばらまき始めた瞬間。俺はスラスターを吹かし突撃し、その背を狙うべく接近を開始する。だが直後、牽制とばかりにこちらに放たれた羽根の壁を見て、一気に軌道を反転。再び距離を取った俺と福音の間で、羽根が一気に炸裂した。

 

 俺は一瞬驚愕に我を忘れ、しかし次の瞬間には爆炎を目くらましにした攻撃を予測してさらに距離を取った。だが、覚悟した攻撃がいつまでもやってこない。黒煙が晴れれば、そこには先ほどの様に、箒との一進一退の攻防を続ける福音の姿があった。

 

「――――やっぱおかしいぜ!? 今のをもっと引きつけてからやれば俺を落とす事だって出来たはず! けどこいつは単純に俺の攻撃を中断させただけだ!」

「どうなっている?! こいつはブラッドではないとでも言うのか!?」

「少なくとも目の前のこいつは違う! アイツはこんな甘い奴じゃあないぜ!?」

「何なのだ一体……!」

「もう一度突っ込んで、そのまま俺の零落白夜で落とせちまわねえか!?」

「ダメだ、今独断に移れば作戦に乱れが生じる! それにこの動きならば、セシリア達が来れば更に盤石だ!」

「くっそ……わーった! だったら、皆もう少しかかるみたいだし、ちょっとずつそっちの方に誘導するってのはどうだ!?」

「名案だな!」

 

 箒の返答を聞き終える間もなく、数発飛んで来た羽根を高度を上げて回避。その炸裂を見下ろしながら、箒と福音の戦いに目を向ける。確かに福音の攻撃能力はすさまじいが、それでもその機械的な動きを予測するのは容易だ。箒は雨月によって、放たれた羽根が広がり切る前に撃ち落として対処を容易にしつつ、爆炎越しに空裂の斬撃光波を正確に命中させてゆく。

 

 福音はゆっくりと、だが確実に追いつめられつつあった。

 

 

 

 

 

 

「――――見えましたわ! 織斑先生の情報通りですわね!」

 

 先行するオルコットが叫ぶ。強襲用高機動用の換装装備(パッケージ)に身を包んだ彼女は他の専用機乗り達に先んじて偵察を行い、最短距離で一夏()達に合流するのに一役買っていた。

 

「二人とも、大丈夫かな……? 相手は軍の最新鋭機だし、リミッターもかかって無いし」

「だったらアタシ達の参戦で試合をひっくり返してやるだけ。専用機六機がかりならやれない事じゃ無いはずよ」

 

 心配そうにつぶやくデュノアを(ファン)が叱咤する。この作戦は、我々より前に<銀の福音(シルバリオ・ゴスペル)>と交戦に入っている二人――――そのうち、一夏の持つ零落白夜と、いま彼らに合流せんとする我々の内、私の持つ慣性停止結界(AIC)が重要な役割を果たす事になる。石動惣一の提案したこの作戦はシンプルであるがリスクの低さ、そして状況が想定通りに進行した場合の成功確率の高さにおいて、あの場で提案された作戦の中では最も良好な物だと言えるだろう。

 

 少なくとも、二人の嫁(一夏と箒)だけを戦場に立たせ、帰りを待つなど婿たる私のやるべきことでは無い。それこそ嫁の仕事だ。故に、あのまま篠ノ之束が提案した通りの作戦が採用されるのであれば教官への諫言(かんげん)も辞さぬつもりだったが……その点は石動惣一に感謝してもいいだろう。しかし……。

 

「……お前達は、安心して私に作戦の要を任せられるのか? もしそうで無いなら、それなりに謹んで行動させてもらうが」

 

 気まずい顔で、私は三人に問う。そもそも私は、極めて個人的な理由でこの学園に足を踏み入れた人間だ。教官をドイツへと連れ戻し、織斑一夏を倒すと言う、今思えば余りに視野の狭まった考え方でだ。その最中で、少なからず私は彼女達に不利益を与えていた。特にオルコットと凰に対しては、学年別タッグマッチの出場を辞退せざるを得ないほどの痛手を負わせている。

 

 彼女達二人が誇り高い人間であるという事は、一夏や箒達と行動を共にするようになってから十分に理解している。故に、そのプライドを見下し、あまつさえあれだけの暴言を浴びせた私を許せているのか。私にはそう言う考え方は出来ない。逆の立場であれば、今も嫌々ながらに行動を共にしていただろう。寧ろその方が自然だ。

 

 学年別タッグマッチでのISの暴走。しかし、真に暴走していたのは私自身だ。故に、頭を下げる事だって、それなりの罰を受けることもやぶさかでは無いし、彼女らが望むのであれば、この学園から去る事だって覚悟していた。しかし、彼女らと接する機会が増えてきても、そのような事を口にする者は居ない。

 

 初めは一夏の居る前だからかと思っていたが、別段そう言った様子も無く、皆ごく自然に私を受け入れてくれているように思えた。そこが、どうしても私には納得できなかった。

 

「少なくともアタシは許してるわ」

 

 あっさりと告げられたその言葉に驚いて、私は凰の方を振り向いた。

 

「むしろ、あの時負けたのは単純にアタシ達が弱かったから。同じ代表候補生でありながら二対一で手も足も出ないなんて何の悪い冗談よ、ってハナシ。だからアタシは気にしてない。アンタもそうなんじゃない、セシリア?」

「……まあ、もっと高貴な言い方があるとは思いますが、かねがね同意ですわ。あの時の戦いは自分の実力不足を痛感するいい機会になりました。それに、貴方はもうあの頃の怒りと憎悪に満ち満ちた盲目のラウラ・ボーデヴィッヒではありませんので」

 

 落ち着き払って言う二人の言葉を、私は純粋に驚きを持って迎えた。私であれば、こうも軽くあの様な敗北を認める事など出来ないだろう。事実、『出来損ない』と呼ばれた時代に私をそう呼んだ者達への昏い感情は、未だに私の奥底に燻っている。当時の私ならこの彼女達の潔さを『卑しい誇りしか持たぬから』とでも軽蔑していたかもしれないが…………今の私にとっては、それが眩しく感じられた。

 

「アンタがどう思ってるか知らないけど、こちとら一度や二度の負けで折れるほど軟じゃないのよ。だから許すわ。でもま、それでアンタが納得できないって言うなら……リベンジマッチは断らないでよ。アタシ、対アンタ用の特訓もしてるからね、ボーデヴィッヒ」

「むしろ帰ったら、一回皆で戦ってみるのはどう? 互いのいい所と悪い所を相談してみたら、今まで見えなかったものも見えるかもしれないし。どうかな?」

 

 好戦的な笑みを浮かべる凰、それに無言で口角を上げるオルコット、皆の間を取り持つように笑顔で提案するデュノアに、私はただただ救われたような気持ちになる。一夏や箒だけじゃない。彼女らに恥じない戦士になるべく、ますますこの学園での研鑽に力を入れなければなるまい。

 

「…………なあ、どうだ? 三人とも私の嫁にならないか?」

「ハァ? 悪いけどアタシ婿にする男は決まってるから。お断りよ」

「残念ですが私もですわ。他の方に声をかけてくださいまし」

「うーん。僕も遠慮しとくよ……」

「いや、冗談だ。…………ありがとう、皆。お陰で目の前の戦いに集中できそうだ」

 

 私がそう言うと、オルコットとデュノアが唖然としたように口を開け、凰に至っては照れたように頬をかき、一瞬して、赤くなった顔を隠すように前を向いた。

 

「だったらいいわ。……飛ばすわよ、皆! 置いてかれたって知らないからね!」

 

 言って最大出力で飛び出す甲龍(シェンロン)に、負けじと<ブルー・ティアーズ>のスラスターが火を噴いた。

 

(わたくし)達も行きますわよ! 一番槍をみすみす渡してはオルコット家の名折れ!」

「いや、もう一夏達が戦ってるけどね……」

 

 呆れたように、しかし微笑んで言うデュノアと共に、私は彼女達の後を追う。ハイパーセンサーに敵影が映ったのはすぐの事だった。

 

 

 激しくぶつかり合う二機の紅いIS。その隙を伺い常に斬りかかるための態勢を取り続ける白いIS。戦闘開始後十分ほどが経って、ようやくここにIS学園の一年生が持つすべての専用機が集結した。

 

「待たせたわね、一夏、箒ちゃん!」

「鈴! 皆! やっと来てくれたか!」

「アレが<ブラッド>ですわね!? すぐにでも(わたくし)が――――」

「ちょっと待って皆! <銀の福音(シルバリオ・ゴスペル)>を良く見て!」

 

 デュノアが示した言葉に従ってその威容を見つめれば、その体は既に満身創痍と言ってもいい状態だった。全身の装甲には数え切れぬ刀傷が付き、片方の翼の先端は斬り落とされたか失われている。一方、奴と真っ向から戦闘していたはずの箒の<紅椿(あかつばき)>は殆ど万全の状態であった。

 

「……まさか、二人だけで圧倒してしまったのか?」

「いや、違う。なんだかアイツ、らしくねえんだ。本当にブラッドが乗ってるなら、俺達二人も防戦一方になると思ってたんだが……時間稼ぎのつもりが、箒ひとりに倒されちまいそうだぜ」

 

 困惑するかのような一夏が視線を向ける先で、紅椿と福音が激しく交錯する。状況説明を一夏に任せた箒はともかく、福音もこちらを気にも留めていないようだ。真っ当であろうがあるまいが、勝利することを念頭に置いて戦う者であれば、敵の数が三倍にもなれば多少は何らかの反応を示すものだが。

 

「暴走しているから……にしては攻撃の矛先が全くこっちに向かないのが不気味だね」

「ああそういや、アイツの攻撃はあのスラスターから羽みたいな弾が出てそいつが爆発するんだ。あんまり固まってると危険だぜ」

「なら、ひとまず散開しよう」

 

 皆が互いに適度な距離を取り、福音を包囲した。それを見て一夏は声を上げ、準備完了を箒に伝える。

 

「箒! 準備オーケーだ! 上手くラウラの方に頼む!」

「ああ……行くぞ!」

 

 その言葉と共に紅椿が突撃を開始した。福音はそれを阻もうと翼を広げ空に羽をぶちまける。だがそれは凰、デュノア、オルコットの制圧射撃によって大多数が発射直後に爆散。むしろ福音に少なからず衝撃を与え、その行動を縛る枷となる。そして爆炎の中から飛び出す紅椿。反応する間もなく福音に肉薄し、柄頭(つかがしら)で強かに福音の腹を打ち付けた。

 

 余りに勢い良く腹を打たれた福音は、手足を投げだした状態で綺麗に吹き飛ばされる。見事な一撃だ。福音は両方の翼を最大限に広げ、空中で何とか持ちこたえる。その姿を――正確には翼を狙い、私は両手を掲げた。

 

「――――拘束、完了」

 

 福音の広げられた翼は空に縫い止められ、その本体は翼から吊り下げられたかのように重力に引かれぶら下がった。一つの装備に機能を集中しすぎた弊害か。それを封じられた途端、奴の戦闘能力は大きく低下する。試験中で、最低限の装備しか積んでいなかったのが幸いした。もしこれで近接用装備など持っていたらと思うとぞっとする。

 

「今ですわ! 一夏さん!」

「やっちまえー! 一夏ーっ!」

「言われなくても……! うおおおおお――――ッ!!!」

 

 皆の声援を受けて、一夏が福音に突撃する。雪片弐型が展開して、その刀身どころか、刀全体が剣を象った光に包まれた。

 

 あれが零落白夜。嘗て教官が操り、今では一夏が使う、世界最強の対IS能力。

 

 その光を見てかつて震えるほどの怒りを抱いた私が今抱いたのは、単純な達成感だった。任務完了。それを皆で無事に迎える事が出来る喜びは、軍に居た頃も、学生としてここに居る今もそう変わらない。後は一夏が動けぬ福音のエネルギーをゼロまで追い込んで、ISの解除された操縦者を保護すればこの任務は終わりだ。武器であり、翼である特殊兵装を封じられた福音に抵抗の手段は無い。私は――――否、そこに居る皆が作戦の成功を確信していた。

 

 

 

 それは、完全に油断だった。

 

 

 

 突如、福音と一夏の間に飛び込んだ()()()が、手に持った工業製品めいた実体ブレードで零落白夜を逸らし、勢いそのままに思いっきり一夏を蹴り飛ばした。

 

「ぐわあっ!?」

「一夏!?」

 

 想定外の攻撃に吹き飛ばされる一夏を、偶然その方向に居たデュノアが受け止める。それ以外の皆は一夏の無事を横目に確認した後、突然の乱入者に視線と殺気を向けた。

 

『なんとか間に合ったかァ……!』

「貴様は……!?」

 

 血の如く紅い全身装甲(フル・スキン)。宇宙飛行士めいたシルエットに、エメラルドカラーのバイザーと胸部プロテクターに目がいく配色、全身に生やしたダクトめいたパイプのいくつかが、スラスターとなって奴を空中に維持する原動力となっている。

 

「貴様は……<スターク>!?」

『よぉ~! 久しぶり! ……でもねえか。随分なメンツが集まっていやがるじゃあねえの。俺も仲間に入れてくれよ』

「貴様、どの口が言うのだ!」

 

 箒が怒り心頭と言った具合で雨月の切っ先をスタークに向ける。奴が、学年別タッグマッチに乱入し、ヴァルキリー・トレース・システム(VTS)に呑まれた私やデュノア、そして一夏や箒と激戦を繰り広げ、まんまと逃げおおせたという謎のIS乗り。

 

 そんな相手が今、私の目の前にいる。その余りの衝撃が、福音を拘束するAICの効力に一瞬ほころびを生じさせ、しかし咄嗟に力を入れ直した事によって、福音に羽ばたかれる事は免れた。

 

「どうやって先生方の包囲網を突破したのですか!?」

『素通りしたんだよ。安心しな、誰も傷ついて無えし、寧ろ気づいていないと思うがね』

「嘘でしょ……!? 山田先生を初め、先生たちは皆並みの乗り手じゃないわ! いくら訓練機に乗っていたからって、それを素通りなんて……!」

 

 停止結界の維持に苦心する私を他所に、スタークは気軽な様子でオルコットの問いに答える。その返答に驚愕する凰を無視して、奴は今だ宙にぶら下がり身動きの取れないブラッドを見据えて、蔑むように首を傾けて言った。

 

『よぉ~、ブラッド! 無様なモンだな。幾らお前でも、軍用最高機密の機体は荷が重かったかァ? お前のような男風情が、ISを操ろうってだけでも傲慢極まりないってのによ。何とか言ってみたらどうだ? ええ?』

 

 だがその言葉に、ブラッドは一言たりとも言葉を返さない。それを見て、スタークはつまらなそうに、或いは納得したかのようにぶつぶつと小さな声で独りごちた。

 

『…………ナターシャ・ファイルスね、見上げた精神力だ。完全に暴走しているはずの福音をギリギリで抑え込んでいる。称賛に値するぜ』

「アタシ達を前にしてよそ者と会話なんて、随分と舐めてくれるじゃない」

 

 両肩の龍咆を稼働状態にした凰がスタークとブラッドがもろともに射線に入る位置に移動して言う。

 

『確かに、ここで六対一……。流石に無事でやれるか怪しいな』

 

 まるで、包囲されている事に今更気づいたようにスタークは言った。その姿に私は一抹の恐怖を感じる。ここに居る皆は全員国家代表候補生、一夏もそれに準じる実力者だ。それを前にしてこれだけの余裕…………それがハッタリだとは、私には思えない。その余裕には『自信』と『経験』が滲み出ている。『この程度の相手にならば』と言う、実体験を元にした確固たる自信。

 

 まるでそれは、着任したばかりの数日間で、新任の教官に反抗する兵士たちをおしなべて黙らせた、教官(織斑千冬)の風格にどこか似ていた。

 

『だったらせめて、もう一人『敵』を用意するとしよう』

【デビルスチーム!】

 

 スタークが手にした実体型ブレードに備わったバルブを操作すると、聞いたことの無い電子音声が響き渡った。同時に、その先端から青黒いネオン状の光を放つ気体が溢れ出す。

 

『お前らもよーく見ておけ。記念すべきスマッシュ第一号の誕生を……さあ、実験を始めようかァ!』

 

 スタークはそのブレードの切っ先を、迷うことなく福音に突き立てた。ブレードと福音が接触している部分から、謎の気体がその内部へ――――操縦者の体内に注ぎ込まれて行く。

 

『キァァァァァアアアア!!!』

 

 金属同士が擦れ合うような、或いは女性の悲鳴のような異音を放ち、煙に包まれる福音。その姿を見て、福音から距離を取ったスタークは実に楽しそうに大笑いした。

 

『フハハハハハ! ハッピーバースデイ!! 最高だ! ずっとこうしてやりたかったぜ……ガスを注いでおいてなんだが『我慢は体に毒』って奴だな……ハッハッハ……!』

 

 皆が固唾をのんで見守る中で、煙に包まれていた福音のシルエットが徐々に(おぞ)ましく変化し、元々の洗練された兵器としての姿から遠ざかってゆく。

 

 そして、煙が晴れた中から現れたのは、今までの福音とも、今まで見たあらゆるISとも似ても似つかない、異形の天使だった。

 

 全身が元の<銀の福音(シルバリオ・ゴスペル)>を思わせるような白銀色に染まり、頭部の翼はより有機的に変化、切り落とされていた先端部分も再生している。その頭部や体は元々福音の持っていた女性らしさを確かに残しながら、より禍々しい甲冑となり、その輪郭から神々しい輝きを放ち続けていた。

 

 皆がその異様さに身構える。しかし、怪物はそれに気づいていないのか、自身の体の具合を確かめるように手を一度握るとその美しい白銀の翼を羽ばたかせた。

 

 ――――AICの効果から抜け出している!?

 

 変化に気づいた私が再び両手を構え、天使の姿に焦点を絞った。あっさりと、捕縛が完了するその瞬間。そこには、奴の翼から抜け落ちたと思しき羽根が舞っていた。炸裂音。

 

「きゃあっ!?」

「!?」

 

 皆が全速で振り返れば、爆発の煙の中から吹き飛ばされる甲龍。そこに佇む天使。

 

「鈴!!」

「大丈夫! 甲龍(シェンロン)の装甲ナメんじゃないわよ!」

 

 一夏の声に凰が答え、即座に空中で姿勢を立て直し、天使と対峙する。その装甲には焼け焦げたような跡。そこからぶすぶすと黒煙が糸を引く。

 

『ほう……? フッフッフッフ……そうだな……名付けて、<エンジェルスマッシュ>ってとこか。我ながらそのまんまだが……まぁいい。…………ブラッドの奴は逃げやがったな。相変わらずこう言う時は鼻が利く奴だ』

 

 その姿にスタークが悪意ある笑い声をあげた。<エンジェルスマッシュ>? 一体何だ、それは。ブラッドが逃げた? では、この戦いはどうなる? 何故、ブラッドから解放されたはずの福音が私たちに牙を向く? 先ほどの悍ましい煙は何だ?

 

 堰を切った様に溢れ出した疑問が私の脳内を埋め尽くした。その中で何よりも私を恐れさせたのは、先ほど奴が福音に注ぎ込んだ謎の気体。状況を見る限り、あれは他者を怪物化させる効力を持つ。馬鹿な、そんなお伽めいた物が存在するはずが無い。

 

 そう目の前の事実から眼を背けようとする自分を、私は強いて抑え込んだ。現実を見ろ。福音は天使じみた化物と化し、現実にこちらに牙を向いて来ている。それにもし、あのガスを他の者が浴びればどうなる? 誰かが怪物になってしまうのか? それだけは許すわけにはいかん。

 

 だが、情報が足りない。そして、あのように他者をISごと怪物化する能力を目の前のISが持っているというのなら――――それは、<スターク>が<ブラッド>など比にならない危険性の持ち主であることを意味する。

 

「テメェ、何をした!?」

『何をしたか? その機体の搭乗者には死んでもらった。比喩的な意味でな。今のそいつは理性の無い怪物だ、生け捕りなんて考えればお前達の方が逆に危ないぜ?』

 

 一夏の問いに、喜んで答えるスターク。あまつさえ忠告まで交えるその姿は、この状況を骨の髄から楽しんでいるようで、どこか恍惚じみた陶酔感さえ感じさせた。

 

「何故ですの……? 何でそんな事平然と……!?」

『何故って? ハッハッハ、俺はゲームメーカーだ。あらゆる状況を鑑みて最上の戦術を考える。何、安心しろ。万一お前らが敗れたなら、俺が責任持ってこいつは始末してやるよ。ま、その場合搭乗者は本当に死ぬ事になるだろうけどな。そう言う訳で頑張れよ。巻き込まれちゃ堪らんし、俺は文字通り高みの見物と行かせてもらうぜ』

 

 言ってスタークは高度を上げようとする。しかし、奴は確かにスラスターを稼働させながらもそこから動く気配はない。――――否、動けないのだ。私の停止結界が、既に奴を捕らえてしまっているのだから。

 

「それを、私達が許すと思うか?」

『んん? お前は……』

 

 掌を向けられたスタークは思い出すように首を傾げ、次の瞬間AICの効力など知ったことでは無いとばかりに手を叩き、私に向けて人差し指を向けた。

 

『……ああ! 織斑千冬擬き(VTS)の中身か! 意識がある状態じゃあ初めましてだな、壮健そうで何より! しかし、俺なんぞに構ってる場合かねえ? あれはもうISなんてチンケな枠を越えた怪物だぞ?』

「少なくとも、君をフリーにすることの危険性は良ーく知ってるつもりだけどね……!」

 

 背後からデュノアが二丁のショットガンをスタークに向け、その動きをけん制する。あの様に軽々しく動かれはしたものの、スタークはAICからの効果から完全に抜け出せてはいない。スラスターの出力を上げたままであるにもかかわらず、一点に留まっているのがその証拠だ。だが奴は絶体絶命の状況にも関わらず、首だけでデュノアを見据えて、懐かしむように笑った。

 

『ああ、シャルル・デュノア……いや、シャルロット・デュノアか。 ……仕方ない。俺に啖呵切るって事は多少は腕を上げてきたんだろうな? 前みたいに暇つぶしで終わらんことを願うぜ?』

「だったら……このまま終わってよね!」

 

 デュノアがショットガンの引き金を引く。だがそれより一瞬早くスタークの全身が赤黒く発光し、AICの影響を撥ね退けて銃弾の嵐を回避した。

 

「シャル! ラウラ! そいつはヤバイ! 俺も――――」

「ダメだ一夏! こいつは僕が足止めするから皆で福音を! スタークは『俺が倒せばナターシャさんは死ぬ』って言った! って事は、僕たちがやれば助けられる余地はあるはず!」

「同感だ!」

 

 私はデュノアの射撃を回避するスタークに向け、大口径リボルバーカノンによる砲撃を何発か打ち込んだ。しかし奴はハイパーセンサーでこちらを油断なく警戒していたか、空中できりもみ回転しその砲弾の間隙を掻い潜る。

 

「奴は私とデュノアで何とかする! 一夏以下四名は全戦力を福音に集中、早急に奴を討ち果たせ! スタークが何をしたか分からんが、おそらく、かなりの性能強化がされているはず……殺す気で挑まねば、勝てる相手では無いぞ!」

『かねがね正解だぜ! 褒めてやるよ!』

 

 よそ見をしている隙に、眼前にはブレードを振りかざすスタークの姿。私は両手のプラズマ手刀を起動し、奴の振るう実体ブレードと打ち合った。

 

 奴の一撃一撃は、途轍もなく重い。全力の一夏をも上回るパワー。それを短刀程度の長さの獲物を片手で振るう事で実現しているのだ。現行最新の第三世代機さえ上回るこの性能、このISを作ったものは、間違いなく途方もない頭脳の持ち主だろう。――――それはまるで、<天災>篠ノ之束のような。

 

「くそっ……!」

 

 急所を狙って振り抜く両手を、スタークはただ一本のブレードで巧みに防ぎ、逸らし、一瞬の間隙に攻勢に転じてくる。パワーだけではなく速度も、そして何より搭乗者の腕前が異常なほどに高い。我が<黒ウサギ隊(シュヴァルツェ・ハーゼ)>でもこんな奴とやり合えるのは私かクラリッサ位のものだろう。

 

『そぉらァ!』

 

 スタークが横に大きく振るったブレードの一撃によって私は空中を滑るように大きく弾き飛ばされ、各部のスラスターを使って何とか勢いを殺す。その様を見て更なる攻勢に転じようと拳銃を構えるスタークだが、デュノアによる銃弾の雨あられを受け、その間を縫うように回避していく。デュノアが生んでくれた僅かな時間に、私は汗をぬぐい僅かに息を整えた。

 

 

「ボーデヴィッヒ、避けて!」

 

 

 凰の声に反応して後ろを振り向けば、そこには天使が光の大剣を大上段に振り上げそれを今まさに私へと振り下ろさんとしている。回避など間に合わない。何故気づかなかった――――いや、スタークが私を吹き飛ばしたのも計算のうちか!? いつの間にか奴に誘導され、福音と一夏達の戦闘領域にみすみす追い立てられてしまっていたのか!

 

 私は悔しさに歯噛みする。後ろからの攻撃に、手を向ける必要があるAICは間に合わない。ワイヤーブレードによる防御などもっての(ほか)

 奴の光の剣は、恐らくあの羽根と同様の攻勢エネルギー。触れればその瞬間に炸裂して、相手を打ち倒す恐るべき力だ。そんな物を防御してしまえば、どうなるかは想像に難くない。しかしそれでもとワイヤーブレードを使って奴の腕を斬りつけようとした瞬間、横合いから来た白い流星が私と福音の間に滑り込んだ。

 

「オラァッ!」

 

 飛び込んで来た一夏が、一瞬だけ零落白夜を発動させ光の大剣を真っ二つに斬り裂き消滅させる。思わず私は安堵した。しかしそれも束の間、視線だけで礼を言ってすぐさまスタークの元へと再接近する。天使はその様を見て少し不思議そうに己の掌を見つめた後、翼から抜け落ちた羽根を手に取ってそれを長剣じみた形状へと変形させ握りしめた。

 

『フゥム。攻勢エネルギーの形状変化能力か。強力だが零落白夜とは相性が悪い。少し手助けが必要かね?』

「余所見をするな!」

 

 そう叫んで、頭上からの攻撃でその頭を真っ二つにせんと襲い掛かった私のプラズマ手刀を、奴はブレードで片手を弾き、そしてもう片手を受け止める事で容易く防いで見せる。

 

『オイオイ……俺はお前の様な野蛮な女は趣味じゃないんだ。振り向かせたいのは分かるが、せめてもう少し淑やかなアプローチをお願いしたいね』

 

 呆れたような物言いに一瞬気を取られた瞬間、もう片方の手に握られた拳銃がこちらに狙いを定めた事に気づき緊急離脱。スタークはやはり追って来ない。デュノアのアサルトカノンが火を噴くが、まるでダンスでも踊るかの様な悠然とした動きで、奴はそれを回避して見せた。

 

『ま、確かにお前達はそこそこ強い。だが俺とは差がありすぎるな』

【フルボトル!】

 

 つまらなそうに呟いて、スタークは拳銃に黄色い何かを装填しこちらを狙う。その姿を見たデュノアが咄嗟に叫んだ。

 

「ラウラ! 特殊な攻撃が来る! 気を付けて!」

【スチームアタック! フルボトル!】

 

 咄嗟に身構えた私たちの予想に反して、次の瞬間放たれたのは目も眩むような閃光だった。その閃光を、奴の動きを注視しようとしていた私たちは真正面から直視してしまう。

 

「うあっ!?」

「デュノア!?」

 

 真っ白になった視界の中でデュノアの悲鳴が響いた。目の眩んだ私には何の対応も出来ない。そのまま動きあぐねていると、突如首を鷲掴みにされ、握りつぶさんばかりの圧力で私の首を締め挙げて来た。

 

『この程度か? …………悪い事は言わねえから、『出来損ない』は『出来損ない』らしく、戦場じゃ無く廃棄場にでも行く事だな』

 

 知ってか知らずかのその言葉が、私の中に燻っている憎悪に火を着ける。

 

「私は……『出来損ない』では……ない……!」

『まるで人間のような物言いだな……『兵器』の分際で。可哀想に、その遺伝子が泣いてるぜ?』

「黙れェーッ!」

 

 確信的に言うスタークに対する怒りに任せ、私は左目の眼帯を引き千切った。疑似ハイパーセンサー、<越界の瞳(ヴォーダン・オージェ)>が見開かれ、真っ白だった世界が像を取り戻す。そしてスタークを睨みつけた私は、その行動に驚いたように硬直する奴の顔に向けてプラズマ手刀を思いっきり振り抜いた。

 

『ガハッ――!?』

 

 プラズマ手刀と奴の頭部装甲が火花を散らし、スタークは吹き飛んだ。だが、仕留めた手応えは無い。全身装甲ゆえの高い防御力……それも並の強度の装甲ではない。頭の片隅で冷静に戦力を分析しながら、私は怒りのままに奴へと突撃する。

 

「貴様は、殺す!」

『フゥ……いい殺意だ……! 来いよ。俺を楽しませてみせろ、ボーデヴィッヒ!』

 

 

 

 

 

 

 天使が通る。その機動に、炸裂する羽根を伴いながら。

 

「セシリア!」

「くっ……!」

 

 残留する羽根が邪魔をして援護することも出来ない私たちを尻目に、福音が変化した天使はブルー・ティアーズに肉薄。周囲に舞う羽根の数枚を掴み取り両手に双剣を作り出してセシリアに躍りかかった。

 

「侮られたものですわ!」

 

 そう叫んだセシリアは六機のビットを換装したスラスターを最大出力で稼働させ、瞬時加速もかくやと言う勢いで一気に後退、強襲用高機動パッケージ<ストライク・ガンナー>専用の超長銃身レーザーライフル<スターダスト・シューター>の射線を福音に向け光芒を連射する。だが福音は手にした剣を放ると再び羽根を掴み取って盾のような形状に変化させ、前方に幾枚も放り投げる事で爆破させてそのレーザーの嵐を凌ぎきった。

 

「爆発の衝撃で防御と目くらましを同時に……!?」

「余所見してんじゃないわよ!」

 

 驚愕する私を余所に再びセシリアに迫った天使。しかし羽根の機雷群を抜けた甲龍が両肩の龍咆を同時に放った。後方からの不可視の衝撃砲が周囲の羽根を炸裂させながら迫る。だが天使はその場で高速反転しつつ掴み取った羽根を瞬時にナイフ状に変形、それを投擲し衝撃波に直撃させることで相殺した。

 

「なんつー腕だ……! 羽根が邪魔でこっちからは近づけやしねえし、どうすんだよ……!?」

「セシリア無事?!」

「なんとか……! 距離を取って狙撃、羽根の除去に徹しますわ!」

「任せる!」

 

 一旦状況を確認して私たちは再び散開した。視界の端にスタークと激突するラウラにそれを援護するシャルルの姿が見える。二人がスタークを引き受けている内にこの怪物を何とかしなければ…………しかし、先程まで戦っていた福音どころか、この紅椿さえも超える様な性能を見せるあの天使を相手にどうやって攻めに転じるか、その糸口を私たちは見つける事が出来ずにいた。

 

「やっぱ俺の零落白夜でやるしか……!」

「ダメだ一夏! シールドエネルギーが持たない!」

「じゃあ他にどうすんだよ?! 何かいい作戦無えか!?」

「それは……」

 

 二の句を告げぬ私に、一夏の焦りが伝わってくる。どうする? あの常軌を逸した性能を、ISと言う枠さえも逸脱しかけたあの怪物をどう攻略する? 考えろ。これも『忍耐』の一つのはずだ。焦るな。奴の動きをよく見ろ。まず敵の戦力を分析し、それを皆に伝えるんだ。我々は一人ではないのだから!

 

「一夏! アンタは箒ちゃんを守りなさい! 私とセシリアで時間を稼ぐわ!」

「分かった! 油断すんなよ!」

「アンタこそね!」

 

 私と一夏の前に鈴が立ちはだかり、迫り来る羽根や投擲された槍や剣を龍咆で撃ち落として行く。同時に遠距離からの狙撃が天使が一所に留まる事を許さない。だが天使は最低限の動きでそれを回避しながら、苛烈な攻勢を続けている。

 

「奴の能力はエネルギーの羽根を武器に変化させる能力……だが、遠距離装備には変化させておらず、福音の時と同様の羽根による射撃か、変化させた装備を投擲する事で対応している……」

 

 打ち出される羽根を遠方からブルー・ティアーズが、中距離から甲龍がそれぞれレーザーと衝撃砲で破壊してゆく。羽ばたきにより羽根をばら撒いた瞬間に、天使の眼前のそれをレーザーが撃ち抜いて誘爆させたが、天使の体には全くダメージは入っていなかった。

 

「奴自身にはあの爆発でのダメージはほとんど通らない……何らかの爆破耐性か……しかしレーザーを盾状エネルギーで防御した以上、防げるのは自身の攻撃だけのはずだ……」

 

 甲龍が龍咆により出来た羽根の間隙を通して、呼び出(コール)した<双天牙月(そうてんがげつ)>を思いっきり放り投げる。妨害も無く双天牙月は天使へと迫るが、天使は握っていた長剣を手放して新たに羽根から大斧を生み出し、力任せに振り下ろしたそれを双天牙月に直撃させ大爆発を起こす事によって退けた。

 

「先ほどのセシリアの引き撃ちを防いだ時もそうだ……アイツは一度変化させた武器をもう一度変化させる事は出来ない……装備変更には再度の羽根の掌握が必須……羽根は羽ばたく事で作られるが、一度に生み出される数は無尽蔵と言うほどではない……ならば……!」

 

 その事実に、一つのアイデアが浮かび上がった。だがそれには攻撃面積の小さい雨月と空裂では不適格だ。だからこそ、私は戦う仲間達に向けて叫んだ。

 

「誰か、超広範囲に向けての制圧攻撃が出来る者は居ないか!?」

(わたくし)の<スターダスト・シューター>では……」

「アタシはやれるわ!」

 

 武装面からこの役目に向かないセシリアが、悔しそうに言うのを遮って鈴が叫び返す。

 

「二つの龍咆を干渉させ合っての反発力を利用した超広範囲拡散衝撃砲<龍哮(りゅうこう)>! 最低限の拡散力が高すぎてISにダメージを与えられるような技じゃないけど、あのうざったい羽根をまとめて吹っ飛ばすにはぴったりのはずよ!」

「リスクは無えのかよそれ!?」

(しばら)く龍咆自体への負荷がオーバーして使えなくなるけど、アンタが零落白夜で突っ込むよりはマシよ! それを使えばいいのね!?」

「ああ! 放たれたそれを盾代わりに私と一夏が突っ込んで、零落白夜を当てる! 私は一夏の護衛だ!」

「そいつがベストか箒!?」

「ああ!」

「なら決まりね! セシリア! 十秒稼いで!」

「任されましたわ!」

 

 会話が終わった瞬間、セシリアからの狙撃の数が倍近くまで膨れ上がった。今まで龍咆が落としていた分の羽根もあっという間に蹴散らして行く。恐らく、<スターダスト・シューター>への負荷を無視した連続射撃。遅かれ早かれこの援護も途切れるだろう。一度きりのチャンス。だが、皆の力を合わせれば行けるはず……!

 

 私と一夏が、龍咆をチャージする甲龍の背後に付いてスラスターにエネルギーを限界まで回す。その眼の前で龍咆の竜を模した砲口部分に空気の歪みが集中していく。

 

 

「準備完了。さあて――――吹っ飛びなさい!!!!」

 

 

 耳を(つんざ)く轟音、それと共に、目に見えるほどの大気の歪みが龍咆から解放された。その衝撃は周囲の雲を吹き飛ばし、舞っていた羽根を次々と爆破させ除去してゆく。その余りの轟音は予め衝撃に備えていた私たちの内臓にまで響き、あの天使にまで、手に持っていた長剣を取りこぼさせるほどの衝撃を与えた。

 

「今だッ!」

 

 叫ぶが早いか、私と一夏は同時に瞬時加速を開放し、一気に天使の元へと肉薄する。天使も咄嗟に翼を開いて羽根を撒こうとするが、私の雨月と空裂による連続攻撃がそれを許さない。一夏の雪片弐型が輝きを放つ。今度こそ、私たちが勝つ! 天使は防御の為か、翼を小さく折り畳み身構えた。だが無駄だ、零落白夜が当たれば、防御など意に介さない!!

 

 

 ――――次の瞬間、今までに無いほどの大きさに福音が翼を広げ、周囲一帯が羽根で満たされた。

 

 

 世界が泥のように鈍化する。これは何だ。まさか、奴は暴走しながらも、これほどの力を隠しつつ戦っていたのか? 天使の翼に目を向ければ、ところどころが損傷し内部から元の福音の機構が露出した状態になっている。ああ、奴にとってもこれは捨て身の防御と言う訳か。相手もこちらと同様、リスクを受け入れれば限界以上のスペックを出せる。それに気づかないとは、お笑いだ。諦観が私を苛む。もう脱出の手段も防御する方法すらも無い。如何に早く雨月と空裂を振るおうが、視界いっぱいに舞う羽根を一つ斬ればその地点で炸裂、そのまま連鎖爆発に巻き込まれて私たちは終わりだ。

 

 だが、視界の端の一夏は諦めていなかった。止まった様な時間の中で零落白夜を振るい、次々と私の周りの羽根を打ち消して行く。確かに零落白夜ならばこの状況を突破しうるかもしれない。だが、如何せん時間が無く、羽根も多すぎた。羽根が輝き、視界が真っ白に染め上げられる。

 

 炸裂。空に作り上げられた羽根の檻は、自らの敵を巻き込みながらこれまでにない破壊力で爆発四散した。

 

「がっ……」

 

 喉から空気が漏れ出る音を聞きながら、私と一夏は吹き飛んでいく。木っ端みじんになる事も覚悟したが、思いのほか損傷は少ない。何とか体勢を立て直そうとしながらも、自身の損傷の少なさに納得できる考察をしようと試みる。それは一夏の零落白夜によって羽根が消され、威力が単純に弱まったのと、全身の装甲が私を覆うように展開し、ダメージを最小限に抑えたからだ。だが、そのために自身のシールドを削って零落白夜を濫用し、展開装甲も持たない一夏にそんな都合のいい展開は望めない。

 

「一夏……!」

 

 海へと落ちる一夏に向け、私は手を伸ばす。だがその隙を天使は逃さなかった。掴み取った羽根から光輝く槍を生み出して、それを私目掛け容赦なく投擲する。

 

 凄まじい勢いで飛翔した槍の穂先が私の背に触れた瞬間、閃光と共に槍は炸裂し、絶対防御を発動させた紅椿のエネルギーを決定的に削り取る。あまりの衝撃と轟音に意識が飛びかけ、朦朧となった頭で自分が墜落し始めている事に気づく。

 

 ――――私はまた、無様を晒すのか。望まぬ形とは言え、ようやく一夏と並び立てる力を手に入れたのに。先ほどの諦観とは違う、口惜しさ、不甲斐なさ、そして怒りが私を責め立てる。本当は少なからず慢心や油断があったのではないか? 石動先生にも言われ、紅椿を受け入れた気持ちになっていた。だがそれは上っ面の物で、真にこの紅椿の事を私は認めていなかったのではないか?

 

 ぐるぐると回り出す視界。それが単なるめまいによるものか、本当に回転しながら落下しているのかの判断が付かない。

 

 その中で思いだすのは、これまでの訓練の日々――――ではなく、あの日、石動先生に向けて誓った自身の言葉。

 

『私を、アイツを守れる、強い女にして下さい! 『天災の妹』ではなく、『篠ノ之箒』として…………アイツの隣を歩んでいけるような、強い女に!!』

 

 …………それが、このザマか。悔しさに涙が零れる。不甲斐なさに歯を食いしばる。自身への怒りに、拳を握りしめる。目を見開けば、定まった視界には太陽を背にする白銀の天使。何かを思うわけでもなく、ただ堕ち行く私たちを見下ろしている。

 

 ここで負けてしまえば、あの天使はスタークに殺される。その事実が脳裏に去来する。一夏の守りたかったものが、次の瞬間にも踏み躙られてしまうかもしれない。そんなのは……そんなのは、ダメだ。

 

 だがこの瞬間、私は無力で、誰の力も借りる事は出来ない。……いや、すぐそばに、力あるモノが一機(一人)だけいる。しかし、今まで内心それを蔑んできた私を、認めてくれるのだろうか。私はそれを信頼できるのだろうか。そんな疑念を振り払い、私は声にならぬ声を上げる。恥も外聞も捨て、悔しさのあまりに涙を流しながら。

 

 頼む、紅椿。力を貸して。一夏を、福音を…………皆を助けるための力を。お願い――――!!!

 

 その時、紅椿の全身が福音の後光さえ比較にならぬ程の黄金色の光を放ち輝いた。残り僅かだったエネルギーが急速に回復し、全身のシールドとスラスターが復旧する。

 

「これは……?」

 

 困惑し、体勢を何とか持ち直す中で、私の眼はハイパーセンサーに表示された新たな文字列を捉えた。

 

『<絢爛舞踏(けんらんぶとう)>、発動。展開装甲とのエネルギーパイパス、構築完了』

 

 それは単一仕様能力(ワンオフ・アビリティー)の発動を示す文字列。私は直感的に、堕ち行く一夏へと手を伸ばした。

 

「一夏ァァァ――――――ッ!!!」

 

 全力で伸ばした手は、意識を失い、重力に任せ落ちてゆく一夏の手を取った。繋がった手と手を介して、私の<絢爛舞踏>が一夏にも効果を及ぼし、白式のエネルギーを急速に回復させてゆく。

 

 だが一夏は目を覚まさない。海面もすぐそこだ。私は咄嗟に一夏を抱きしめて、一夏への衝撃が最低限になる様海側へと回り込み、全力でスラスターを吹かせた。しかし、それは間に合わず、全身が海へと叩きつけられ白い水しぶきが上がる。

 

 そのまま、私と一夏は海の中へ沈んでゆく。徐々に、差し込んでくる光が薄れてゆく。ここまでか。そんな諦めの気持ちが私の中に沸き上がった。だが、それでもまだ…………。私は己を強いて、何とか一夏ごと自身を引き上げようと海面を睨みつけた。その時、握っていた一夏の腕が、白式が光を放ち始める。眩い発光に包まれ、昏い海が一気に照らされてゆく。

 

 そして私は光に満ちた海の中で、確かに()()()を見た。

 

 

 

 

 

 

「一夏!?」

『お前たちこそ余所見するんじゃあねえよ!!』

 

 海に墜落した一夏達に気を取られた私の眼前にスタークが迫り、腹部に拳銃を押しつけた。

 

「しまっ――!!」

 

 言い切る前に、スタークは拳銃の引き金を引く。衝撃と共に私は吹き飛ばされる。

 

「ラウラ!」

『お前もだぜデュノア!』

 

 一瞬でブレードと拳銃を合体させライフルへと変形させたスタークは瞬時にデュノアへと振り向いて頭部に狙いを定める。その射撃をデュノアは咄嗟に呼び出した実体シールドで防ぐも、瞬時加速で背後に回り込んだスタークの蹴りを受け私の前まで勢い良く吹き飛ばされた。

 

「デュノア!」

『そんじゃそろそろ、敗者に相応しいエンディングを見せてやるか!』

【コブラ! スチームショット! コブラ!】

 

 私たちの上を取ったスタークがライフルに何かを装填するとともに再び電子音声。そしてそこから放たれたコブラじみた形をした巨大な銃撃を私とデュノアは何とか回避、海に着弾したそれは盛大に水柱を生んで、私たちはその中に巻き込まれる。

 

「くそっ……!」

『こいつはオマケだァ!』

【アイススチーム!】

 

 何らかの操作をしたと思しきスタークが、ライフルから私たちを巻き込む水柱に向け連続射撃を命中させると、見る見る内に水柱は凍り付き、私たちは腕や足を氷に巻き込まれそのまま拘束されてしまった。

 

「嘘……こんな能力まで……!」

「一機のISがここまで多彩な能力を持っているとは……!? どこの国があんなものを……!」

 

 氷に巻き込まれた手足を何とか解放しようと私達は巨大な氷の塊へと近接武装を使って攻撃を加える。こんな事をしている余裕はないというのに! だが、その姿をスタークは眺め、楽しそうに見下ろすばかりだ。

 

『頑張るねえ。しかし、一夏達もやられちまったみたいだし、そろそろ飽きてきたな。福音を仕留めて帰るとするかね…………』

「待て!」

 

 背を向けたスタークに向け、私は氷への攻撃を中断し自由な片手を伸ばした。AICが効力を発揮し、スタークの動きを拘束する。しかし奴は停止結界の効力に抗う様に首を巡らせ、つまらなそうに首を傾けた。

 

『なあ、もう止めようぜ? 俺はお前らのような子供と違って忙しい。いや、存外面白い奴らだとは思ったが、単純に実力不足だな。もっと強くなってからなら、もう少し付き合ってやってもいいんだが』

「黙れ……! 戦いはまだ終わってない……!」

「セシリアも、凰さんもまだ戦ってる! 僕達がお前を自由にさせる訳には……!」

『ったく、随分と見苦しいなァ?』

 

 鬼気迫る私たちの気迫を浴びたスタークは、心底から蔑むような声を出した。完全に見下し、侮り切っている声。その言葉にさらなる怒りが私の内から燃え上がる。だが、何も出来ない。腕を包んだ氷をワイヤーブレードで何度も刻むが、まだ脱出には少しかかる。

 そしてスタークはそんな私たちの様を見て、気だるげにライフルを構えた。

 

『一夏と篠ノ之が落ちたのを見たろ? じゃ、そう言う訳で……お前らを殺して、こっちの戦いもお終いにしようぜ――――』

 

 

 ――――その瞬間、一夏と箒の墜落した海面が急に輝いたと思うと、激しい水しぶきと共に、二つの輝く影が上空へと舞い上がった。

 

 

 一機は紅椿。その全身は黄金色に輝き異様な、しかし穏やかな威圧感を纏っている。そしてもう一機は白式。だがその姿は、私たちの良く知る白式とは(いささ)か異なっていた。

 

 その左腕には巨大なクロー状のガントレットが装着されていた。更に、背部のスラスターも数を増加させ、さらに大型化している。あれは、間違いない。多くの稼働時間と戦闘訓練。そして、コアとの深い同調に至った者だけが発現する、ISの第二形態――――!!

 

『ありゃあ……単一仕様能力に……第二形態移行(セカンド・シフト)だと……!? マジかよ……!?』

 

 驚愕するスタークを他所に、再び敵を認めた天使が一夏と箒に向け羽根をばら撒く。しかしそれは、一夏の左腕から放たれた荷電粒子砲の光に飲みこまれ容易く消え去った。

 

「行くぜ、箒」

「ああ」

 

 短く言葉を交わすと、二人は天使に向け突撃を敢行した。紅椿の体を包む光が粒子となってその軌跡を彩る。その姿に危機感を覚えたか、天使は周囲の羽根を手当たり次第に武具に変え、二人に向け投擲する。だがそれは箒の空裂と雨月による弾幕の前に斬り飛ばされた。それを見て福音は新たに生み出した数多の羽根を一つに凝縮し、途方もなく巨大な槍を作り出して今までと比べるべくも無いほどの勢いで投擲した。しかしその瞬間、納刀し片手を開けた箒が一夏の右手を取る。黄金色の光が一夏に伝わる。

 

「――――<雪羅(せつら)>!!」

 

 一夏の声と共に白式が左手を掲げ、広げた指からシールドと思わしき光が広がる。それと接触した槍は、その威容とは裏腹にあっけなく霧散消滅してしまった。

 

『零落白夜を防御に転用したのか……!』

 

 嬉しそうに驚くスタークの声とは裏腹に、天使は動揺したような素振りを見せる。そして一夏と箒は雪片弐型を繋いだ手で握りしめ、大上段に振りかぶった。そして雪片弐型から零落白夜の光刃が展開される。それは、普段とは違う、全長数十メートルにも及ぶかという、巨大な光刃だった。

 

 その威容を、私たちはただ呆然と見上げるしかない。だが、ただ一人スタークだけはその輝きを前に、興奮したような素振りで叫んだ。

 

『クッ、クククッ……そうだ、行けェ! 一夏ァ! 篠ノ之ォ! 思いっきり斬った所でそいつは死なん! お前達の力を、俺に見せてみろォーッ!』

 

 スタークの叫びに一夏達が応じるはずも無い。ただ、天使に向けてその光刃を振り下ろす。天使も抵抗せんとばかりに剣を、槍を、斧を生み出し投げつけるが、零落白夜によってその全てが容易く消し飛ばされてゆく。そしてその刃が眼前に迫ってやっと天使は逃れようと翼に力を込めるが、その瞬間動きを止めて痙攣して、何故か受け入れるように両手を広げた。

 

「「――――零落白夜ァッ!!!」」

 

 振り下ろされた眩い光の中に天使が消えてゆく。一瞬して、緑の炎に包まれた天使が墜落していった。それを待ち構えていた凰が受け止める。その姿は異形の天使のままだったが、スタークが何かを天使に向けるとその体から何らかの粒子が吸収され、美しい女性の姿があらわになった。凰が呼吸を確かめ、その生存を確認して皆にサムズアップする。

 

 対<銀の福音(シルバリオ・ゴスペル)>作戦は、見事に成功した。

 

 

 

 

 

「ハアッ……ハァッ……!」

「ハッ、クっハ…………やったな、一夏……!」

 

 息も絶え絶えの俺に、箒が声を掛けてくれる。その体を覆っていた黄金色の光も今は失せ、普段の紅椿に戻っている。だが、俺の左腕はそのままだ。意識を失っていた中で見たものは、一体何だったのだろう。だが、記憶が薄ぼんやりとして上手く思いだせない。

 

「何よ一夏! 箒ちゃん! とんでもないの見せてくれるわね!」

「まあな……!」

 

 意識を失ったナターシャさんを抱えたままの鈴が俺にサムズアップを送り、俺は何とかそれを返した。とんでもないか…………確かに、いくらエネルギーが際限なく回復するからって無茶しすぎたな……。俺は肩で息をしながら、先程の『無茶』に心を向ける。

 

『皆さん、安心するにはまだ早いですわ! スタークはまだ残っていましてよ!!』

 

 だが、遠距離で様子を見ていたセシリアからの通信に、俺達はハッとなって空を見上げた。そこには、巨大な氷塊を背にしたスタークが実体ブレードを腰に仕舞い、拳銃を持った手で万雷の拍手を送ってきていた。

 

『クックック……フッハハハハハ!! 一夏……お前は本当に面白い! こんな所で俺に第二形態移行(セカンド・シフト)を拝ませてくれるとは……! だが、エネルギー増幅能力……!! それがお前の、そのISの力か篠ノ之箒!!! 最高だな! 束博士には感謝しかねえ! まさか、こうも俺の為にお膳立てをしてくれるなんてよォ!』

 

 最高に機嫌よく笑うスタークに俺達は怪訝な目を向ける事しか出来ない。何だよその反応は。お前がおかしくした福音は俺達に撃墜されたんだぞ。どうしてそんなに嬉しそうなんだ!? 俺はその様に理解が追いつかずに、思わず一歩分距離を取った。

 

『ハハハ……はーぁ。まあ、随分面白いものを見せてもらったからな。今日はいい夢が見られそうだぜ。そんじゃ、俺はここらで』

「逃がすわけがないだろう!」

 

 一方的に言い残しその場を去ろうとするスタークに、氷から抜け出たラウラが躍りかかった。ワイヤーブレードの包囲網がスタークを包み、片手はAICでその動きを封じもう片手は突きの形に整えられて引き絞られている。

 

『お前の相手は飽きたよボーデヴィッヒ』

 

 だが、瞬間スタークの全身が赤黒く発光し、余りに滑らかな動きでワイヤーブレードをすり抜けてラウラの頭を鷲掴みにし釣り上げた。その動きに俺は驚愕する。AICに捕まった状態からワイヤーブレードを潜り抜け、迎撃も許さずラウラの頭を掴み上げるなんて……!?

 

「貴様ァ! 離せッ!」

『んん……、どうするかな……』

 

 ラウラの蹴りや手刀がスタークに直撃するが、奴はそれを意に介さず首を傾け思案する。なんだよ、あの防御力は。ISのパワーアシストを用いた打撃は、搭乗者の力量によってはそれだけでもIS戦で使える武器になる。それを気にしてないなんて、シールド? あるいはあの装甲か?

 

『顔を奪うか記憶を奪うか……いや、お前もスマッシュにしてやるか……悩ましいな……』

「ぐああああああっ!!」

 

 より握力を強めるスタークによってラウラが悲鳴を上げる。

 

「てめぇ!」

『動くなァ!!!』

 

 拳銃からブレードに持ち変えたスタークがその切っ先をラウラに向けた。その様に俺をはじめ、ラウラを助けに動こうとした皆の動きが硬直する。その様を見てスタークは実に満足そうに笑った。

 

『ハハハハ……『出来損ない』が一人いると苦労するなァ……? ま、安心しろ。今日の俺はこれ以上なく機嫌がいい! こいつは無事に返してやるよ』

【アイススチーム!】

 

 器用にブレードのバルブを回したスタークは冷気を発したままのブレードでラウラを斬りつけた。その一撃でラウラの全身が凍り付き、身動きが取れなくなる。それをスタークは無遠慮に放り出した。

 

「ラウラぁ!」

 

 俺達は皆全力で墜落するラウラを受け止めようと空を駆ける。しかし、いつの間にか氷から抜け出したシャルが滑り込むようにラウラをキャッチし、その姿に俺達はほっとした。

 

Nice Catch(ナイスキャッチ)! クック、今日は楽しかったぜお前ら。次会える時もまた俺を楽しませてくれよ。じゃあな~』

 

 その言葉と共にスタークは煙に包まれ姿を消す。そこには、あれだけの戦いの傷跡など全く残っていない空と、何とか作戦を成功させながらも、それに関わらず強い敗北感を感じている俺達だけが残されたのだった。

 

 

 

 

 

 

 花月荘の一室。俺や一夏、織斑千冬の眠る部屋に戻った俺は、煙に包まれて変身を解除した。

 

「痛てててて……くそっ、ボーデヴィッヒめ……思いっきり殴る蹴るしやがって……我慢にだって限界があるんだぜ……!?」

 

 俺は全身の痛みに呻きつつ、体を流体状に変化させて布団で眠り続ける入れ物に再憑依、その体で意識を取り戻す。

 

 ――――此度の戦いは、余りに収穫の大きい戦いだった。一夏の第二形態移行(セカンド・シフト)、この世界におけるスマッシュの初実験、その成分の回収に奴らの戦闘技能の向上……特に今回はボーデヴィッヒの奴に随分コナかけさせてもらったからな。帰った後、奴は訓練に大きく力を入れるだろう。それ以外の皆もまた、以前戦った時より数段腕を上げている。奴らを育てる俺の計画は順調そのものだ。

 

 織斑千冬の声まで使ったのに<銀の福音(シルバリオ・ゴスペル)>の実戦データが間に合わなかったのが残念だが、それもまた良し。俺の手元には<福音>の全データがあるんだ。こいつはまた、何かに用立てさせてもらうとしよう。

 

 だが何よりも最大の収穫は篠ノ之! アイツの単一仕様能力(ワンオフ・アビリティー)だろう! エネルギー増幅能力……俺が完全体と成るために、最も有用な能力であることに間違いない!

 

 アイツの事はもっと鍛えてやらねえとな……それこそ、自在にあの力を使える程度には!

 

 そう考えて笑いを堪えていると、机の上の通信端末が振動して荘厳なベートヴェンの『交響曲第9番第4楽章』を流し始めた。俺は端末を手に取りその画面を確認する。『織斑千冬』。俺はさっと青ざめて、慌てて通信を繋げて端末を耳に当てた。

 

「はーい石動惣一です! どうかしたんすか!?」

『…………ゼェッ、ハァッ……石動……か……』

 

 端末からは織斑千冬の声、しかし息も絶え絶えだ。俺はちょっぴり驚愕しながら、心配そうに返事を返す。

 

「どうしたんすか? なんか変なもんでも食べました?」

『貴様は……ッ、今はいい……それよりも、砂浜に来てくれ……! 全速力でだ……!』

「えっちょっと待ってくださいよ。俺は生徒達の面倒を見るよう織斑先生に言われて……」

『いいから来い!!!』

 

 ブチッ。ツー、ツー。鼓膜をぶち破らんとする大声を残して織斑千冬からの通信は途絶えた。何つー声量だ。スタングレネードとどっちがマシだよ。俺は苦々しい顔をして端末をポケットにしまうと、<ロックフルボトル>と間違えて一度<エンジェルスマッシュ>から採取した成分の入った<スマッシュボトル>を扉に向けて(かざ)してから、改めてロックフルボトルを使って部屋の鍵を開けて外へと出て今度は通常の鍵で部屋を施錠した。

 

 織斑千冬め、まさかこんなに早く動けるようになるとは思わなかったぜ。いくら使ったのが腕の<スティングヴァイパー>からの直接注入より威力の劣る麻痺ガスを纏った蹴りだったとは言え、一般の成人男性なら丸一日動けなくなるような代物だ。ま、こっちから迎えに行ってやるつもりだったから構わないっちゃ構わないんだがな。

 

 俺はそう独りごちて、今日の戦いにまた思いを馳せる。しかし、かねがね……いや、それ以上に俺のセカンドライフはうまく行っているな。俺が黙っていても騒動が起きるってのがいい。更にはその騒動のどれもこれもが俺にとって利用しやすく、実際素晴らしい成果を叩きだしてくれると来ている。

 まるで運命が俺を祝福しているようじゃあねえか。お前がきっちり俺を仕留め切れてりゃこの世界の誰にも迷惑がかかる事も無かったのにな、戦兎ォ?

 

 あの世界で俺を倒した後どうなったか、そんな事は知る由もない。だが、別世界で俺が生きているなんて奴の勝利の法則からは大外れの出来事だろう。そう思って『俺のヒーロー』桐生戦兎に向けた笑みを作ってから、俺は自身の胸に手をやった。

 

 ――――ハザードレベル4.9。

 

 もうすぐだ。もうすぐ本当の力が、<エボル>が俺の元に戻ってくる。そしてそのきっかけとなるのは、一体どんなアクシデントになるのか……。あるいは、俺の計画が進み、フルボトルがすべて完成するのが早いか……本当にこの世界は俺を飽きさせない、最高のおもちゃだぜ全く!

 

 俺は目の前に迫った、エボルとしての能力を取り戻す日に期待を寄せ、誰もいない玄関で心の底から大笑いするのだった。




初<銀の福音(シルバリオ・ゴスペル)>入刀です。無限エネルギー回復を知った時からずっとこうしてやりたかったぜ!(エボルト感)

いやきつかった……元々バトルパートって難しいし……福音との総力戦にスタークまで乱入させたもんだから偉いこっちゃでした。
しかし素晴らしいビルド最終回とルパパト、新たなる『仮面ライダー』の力、そして読者の皆様のお陰で完成させられたことをうれしく思います。

よろしければ次話も楽しみにしていただければ幸いです。


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星にウィッシュを

臨海学校エピローグです。
一万字くらいで終わるかと思ったら二万字超えてしまって……難産でした。

感想評価お気に入り毎度励みになっております。
それと前回は特に短い時間で量を書いたので誤字がめっちゃ多かったみたいです。
誤字報告してくれた皆様、ありがとうございました。



「まずは皆さん、よく無事に帰ってきてくれました。ナターシャ・ファイルスさんも意識は戻っていないものの、大事に至るような怪我も無く無事です。本当に、本当によくやってくれました」

 

 対<福音(ゴスペル)>作戦の終了後、ISと自身の検査を終えた俺達は花月荘の作戦会議に用いられた大座敷に集められていた。窓から差し込む夕焼けの輝きに照らされながら安堵の笑みを浮かべる山田先生の言葉を、しかし素直に受け止められる者は誰も居ない。

 

 俺は上の空で皆の様子を眺める。単一仕様能力(ワンオフ・アビリティー)の発動にまで成功したものの、自分の作戦で俺諸共やられかけた箒は申し訳なさ全開で俺に頭を下げてきたし、<スターク>を止めきれなかったシャルは終始悔しそうに俯いていた。セシリアも福音が変化した天使の羽根による防御を突破しきれなかった事に歯がゆさを感じていたようだし……俺なんか<零落白夜(れいらくびゃくや)>を限界を遥かに超えた出力で酷使したせいで<雪片弐型(ゆきひらにがた)>を壊す羽目になった。束さんに直してもらわなきゃいけないから、万全の状態に戻るのはいったい何時になるやら……。

 

 皆の中で唯一ポジティブだったのは鈴くらいか。スタークのあの異常な強さを見ても、『良い目標が出来たんじゃない?』なんてあっけらかんと振る舞うその様に俺は驚きを通り越して尊敬の気持ちすら湧いて来てる。まあ、確かにアイツと戦えるくらいに強くならなきゃってのは分かるけど、ちょっと決断的過ぎるだろ。……それに、唯一この場に居ないラウラの打ちのめされっぷりを見た後じゃ、俺はそんなキッチリと気持ちを切り替えることは出来なかった。

 

 ラウラは戻ってきてすぐに体調を崩して、今は医療室(便宜的にそう呼ばれてるだけで、体調不良者を見るために借りられた客室だ)で寝ているらしい。そりゃそうだよ。スタークとの戦いで、一番矢面に立っていたのはラウラだ。

 

 アイツは、俺達と仲良くなる前も、今だって自分の強さを誇りに思っていた。それを『出来損ない』だ何だと言われた上、まるで赤子でも相手にする様に弄ばれたんだ。

 

 悔しいなんてもんじゃないだろう。やっぱ、スタークの奴は絶対に許すわけにはいかねえ。次見つけたらぶっ飛ばしてやる。……それが出来るようになる為にも、帰ったらもっといい訓練のやり方考えねえとなあ。

 

 俺がそんな事を考えていると、皆も一様に険しい顔になっている事に気づく。心中穏やかじゃないのは俺と一緒か。まるで他人事のように俺が視線を巡らせると、なぜかちょっと涙目になった山田先生が目に映った。

 

「あ、あの……皆さんお顔が何だか怖い感じに……やっぱり何処かケガとか!? 我慢しないで言ってください! そのために私達教師が居るんですから!」

「……いえ、本当に大丈夫ですわ。お気遣い痛み入ります。なので落ち付いて下さい、先生がそう動揺していては示しがつきませんわ……」

 

 苦笑いしながらセシリアがなだめるも、当の山田先生は空回りするばかり。しょーがねえ、話題変えるっきゃねえな。

 

「あ、山田先生、一つ聞いていいっすか?」

「はいはい一夏くん! どうしました!?」

 

 手を挙げて先生に話しかけると、待ってましたと言わんばかりに――いや、待ってたんだな。びしっと人差し指を此方に向けてくる。

 

「ちふ……織斑先生はどうしたんですか? 作戦の責任者なのに、この場に居ないなんてらしく無いっす。何かあったんですか?」

「えっ。そ、それはその~、えーっと…………」

 

 さっきまでの勢いはどうした。そう思わずには居られない程山田先生があからさまにわたわたしはじめる。普段ならかわいいなぁ、くらいで済んでたかもしれないけど今は非常時、その反応が俺は厭に気になった。

 

「千冬姉に何かあったんですか?」

「え~と、あーっと、その、織斑先生は疲労で倒れられて療養中と……」

「千冬姉が?!」

 

 あの千冬姉が倒れた!? 一体どんな天変地異だよ!? 俺はそう驚きを隠しきれずに叫ぶ。けど山田先生は純粋な心配からの声と受け取ったのか、ますます委縮してぼそぼそと小さい声でその詳細を話しだした。

 

「いえ……実は皆さんが出撃した直後、織斑先生の前に<スターク>が現れたらしくて……」

「何だって!?」

 

 その言葉に今度こそ俺は心から驚愕した。そう言えば、確かにスタークの奴は「間に合った」みたいな事を言ってた。それに奴は千冬姉を想定した戦闘訓練の為にIS学園のアリーナに乱入してきたこともある。そんなスタークが千冬姉と接触して、千冬姉が倒れたって事は……!

 

「山田先生! 無事なんですか千冬姉は!?」

「えっ!? あっ無事です無事です、多分! 実はこの話も石動先生に聞いたくらいで私もまだお会いしてなくて!」

「くっそ……! 悪い、俺抜けるわ!」

 

 煮え切らない山田先生が歯がゆくて、俺は全速力で部屋を飛び出――――そうとして、山田先生の方を慌てて振り返る。

 

「千冬姉は何処っすか!?」

「自室ですー!!」

 

 その言葉が終わらぬ内に俺は再び走り出す。皆の俺を呼び留める声が聞こえるが、意に介さず唯々走った。廊下には沈みかけの日差しが差し込み外には煌めく海が広がっていたが、それを気に留める余裕もない。幸いにも大座敷から俺達三人の部屋は近く、廊下を何度か曲がって階段を一階昇れば目の前だ。

 

 角を安全確認もせず走り抜けて、一段飛ばしで階段を駆け上がり部屋前の廊下にたどり着く。そこには石動先生が俺達の部屋の横に寄りかかっていて、すぐに俺に気づいたか廊下の真ん中に立って笑顔で手を振って来た。

 

「おっ、一夏ぁ! あんな事があった直後なのに随分元気そうだな――――」

「悪い石動先生邪魔!!」

「のわーっ!!!」

 

 俺は全力疾走を緩めず石動先生を押しのけてその場を走り抜けた。石動先生が悲鳴と共に壁に叩きつけられた音がする。それに申し訳なさを感じて後ろ髪を引かれつつも、俺は勢い良く自室のドアを開け放った。

 

「千冬姉!!!!」

 

 俺は必死こいて叫んで部屋に踏みこむ。そこには、千冬姉が布団の上に佇んでいた。下着姿で。

 

「あっ…………」

 

 俺は呆気に取られて、その姿をまじまじと凝視してしまう。着替えの途中だったか、その太もも辺りまでズボンが引き上げられている。珍しく呆気にとられたような顔をした千冬姉の美しい黒髪が日本人にしては白い肌に映え、飾りっ気の無いスポーティーな下着がその鍛え上げられた肢体を引き締めていた。だけど、その体の所々に小さな生傷が見え隠れしている。あとその胸は山田先生ほどじゃないけど豊満であった。

 

 一通りその光景を処理し終えた俺の脳が、生存本能に従い最大級の危険信号を鳴らす。やべえ。ダメだ、やっちまった。そっか着替え中だから石動先生外に居たのね。気づかなかったなーハハハ。……ナムアミダブツ。皆、このIS学園での生活、何だかんだ楽しかったぜ……。

 

 千冬姉は走馬灯を見る俺の絶望を知ってか知らずか、ズボンを履き終えると上半身下着姿のままで腕を組み、鋭い視線を俺に向けて来た。大きな胸が窮屈そうに強調されるも、そちらに目を向ける余裕もない俺は、その立ち姿に罪人の首を斬り落とさんとする処刑人を幻視して震えあがる。だが、千冬姉はどこか怪訝そうな顔をしながらも、別段普段と変わらぬ調子で淡々と声をかけて来た。

 

「一夏」

「はい」

「幾ら実の姉弟とは言え、着替えを覗くのは感心しないな」

「はい」

「とりあえず出て行け。話は着替えの後にしろ」

「……はい」

 

 とぼとぼと、だが想定外に何のダメージも受けず自室を後にした俺。そこにさっき置いて来た箒達が息を切らせて走り込んで来る。

 

「ふぅ、はぁ……一夏、置いてく……はぁ、なんてひどいよ……」

「一夏さん……! ゼェ……ハァ……心配なのは分かりますが、廊下を走るのはマナー違反ですわよ……」

「つか、何つー脚力してんのよアンタ……千冬さんはどうだった?」

「ハァ……まったくお前という奴は……ふう……って、石動先生!? 壁に貼り付いてどうされたのですか!?」

 

 俺を次々に咎める皆の内、箒だけが壁に潰れたカエルめいて貼り付く石動先生に気づく。当の石動先生は顔を押さえながらどうにかといった様子で壁から身をもぎ離した。

 

「いやあ、暴走特急に跳ね飛ばされてね……」

「暴走特急……一夏、お前まさか」

 

 示し合わせた様に振り返った石動先生と箒に睨まれた俺は、その尋常ならぬ圧力に思わず後ずさった。いやいや、箒はともかく、石動先生までそんな圧力醸し出すのはやめてくださいよ! ……しかし今の俺はそんな事言える立場じゃないのは重々承知、心の中の申し訳なさに従って、俺は素直に頭を下げた。

 

「いや、千冬姉が心配で……すみませんでした」

「言いたい事はいろいろあるけどよ……まあいいや。心配してたが、随分と元気そうだからな」

「ははは……」

 

 寛大な石動先生の言葉に、俺は思わず苦笑いする。その姿に皆が呆れたような目で俺を見ていると、部屋の中から千冬姉の声が聞こえて来た。

 

「入っていいぞ、織斑。それと、外にいる皆もだ」

 

 その言葉を聞いて俺と石動先生はすぐに、一瞬呆気に取られた皆はそれに続いて俺達の部屋に上がって行った。

 

 

 

 

 

 

 部屋に入ると、織斑千冬は運動用の野暮ったいジャージに身を包み布団の上に胡坐(あぐら)をかいていた。しかしその威圧感は健在で、俺達はすごすごとその周りに正座する。

 

 ……いや待てよ、一夏達はともかく何で俺まで正座するんだ。つい雰囲気に飲まれちまったぜ。俺は空気を読んでしまった自分が可笑しくてちょっと笑うと、胡坐をかいて部屋の壁に寄り掛かった。

 

「まずは皆無事なようで何より。だが織斑。流石に教師を跳ね飛ばすのはどうかと思うぞ」

「反省してます……」

「もっと言ってやってください」

 

 織斑千冬に睨まれた一夏が小さくなるのを見て俺が笑いながら言うと、すさまじい勢いで睨まれたので諸手を上げて降参する。その様をひとしきり白い目で見つめた後、織斑千冬はこれ見よがしに溜息を吐いた。

 

「はぁ…………さて、織斑、それにお前達。突然どうした? 何かあったのか?」

「何かあったのかじゃあねえよ千冬姉! スタークに会って倒れたって聞いたけど大丈夫なのかよ!?」

 

 落ち着き払った織斑千冬とは対照的に、一夏は声を荒げて身を乗り出す。その言葉に織斑千冬はしまったと言いたげな顔で額を押さえた。

 

「その大事なところを端折(はしょ)る伝え方は真耶だな……? 全く……石動、山田先生には何と伝えたんだ?」

「『織斑先生がスタークと会った後倒れたけどちょっとした疲労でふらついただけだから大丈夫』って」

「……知っての通り山田先生は心配性だ。もう少しオブラートに包んで伝えてやってくれ」

「結構気を使ったつもりなんですけどねえ。次は気を付けます」

 

 自分の言葉をカニめいた仕草で引用して言う俺に白い目を向けた後、織斑千冬は皆を一度見回して、観念したように語り始めた。

 

「確かに、私と束の前にスタークが現れたのは事実だ。だが本格的な交戦があった訳でもない。私は奴を捕らえようとしたが、向こうは乗り気では無かったみたいでな。上手い事あしらわれて逃がしてしまったよ」

 

 織斑千冬は肩を竦めながら言うが、その口調には所々悔しさが滲んでいる。そりゃまあ、結果だけ見りゃ俺の圧勝だったからな…………。だが今思えばあそこで奴に付き合ったのは判断ミスだった。<福音>戦に合流するために手っ取り早く麻痺毒を使ったが、逆に俺の手札を見せちまった気がしてならん。

 

 織斑千冬と言う女の戦闘能力の高さは正直イレギュラーもいい所だ。今回の俺の勝利もあくまで情報アドバンテージによるものが大きい。後は奴が素手だった点か。あそこまで容易く奴を殺害できるチャンスは今後回ってくることは無いだろう。

 

 しかし、あそこで織斑千冬を消しちまうなんてのは論外だ。もったいない。奴はこれからも俺をもっと楽しませてくれる確信がある。いや、切実に楽しみだぜ。本気の織斑千冬とやり合うなんてのは……ゾクゾクするねえ。そんな事を考える俺を他所に、織斑千冬の言葉をいち早く飲みこんだ一夏がまたまた声を荒げた。

 

「あしらわれたって、アイツちふ……織斑先生から逃げきったって事かよ!? どうやって!?」

「どうやって……と言われてもな。私はIS無しで空を飛べるほど人間辞めてはいない。それともお前の中では私は空まで飛べるのか?」

「あっそっか……」

 

 一夏がまた姉との距離を詰めるも、白い目で皮肉られて気が抜けた様に納得する。織斑千冬もなかなかに上手い言い方をするな。普段ガチガチな分、こういう風に他人を揶揄(やゆ)する奴を見るのは中々に新鮮だ。老若男女の区別なく容赦がないとは思っていたが、割と一夏は例外みたいだな。

 

「……と言うか、織斑先生はあのスタークと生身でやり合ったと言う事でしょうか?」

「ああ」

「嘘でしょ……アタシ達は6人がかりでも取り逃がしたのに」

「私だって取り逃がしたさ」

「僕とラウラ二人がかりでも抑えるのが精いっぱいだったのにね……」

 

 篠ノ之の言葉に答える織斑千冬。その返答を聞いて凰とデュノアが驚愕の表情を浮かべる。……いやいや! お前らはなぁーんにもおかしく無いぜ! 織斑千冬(この女)が異常なだけだ。

 

 場数に関しちゃ負ける気しねえが、生身でIS用装備を扱いブラッドスタークとも渡り合う身体能力にその格闘センス、それだけでも十二分に脅威なのは昼の戦いで再確認できた。ただ、あの時は自分の能力をちょっとは過信していたみたいだがな……。まあそれも当然だろう。生身でもブラッドスタークに変身した俺とやり合えるんだから、並大抵のIS操縦者など敵じゃ無かったに違いねえ。

 

 ――――逆説的に、俺も並のIS操縦者なら軽く捻れるって事ではある。

 

 その事実を再確認して俺は小さく笑う。だがそれを気に留める余裕のある者はここには居ない。ほれ、織斑千冬もスタークとの戦闘に関しての話に興味深々みたいだしな。

 

「お前たちもスタークとやり合ったのは聞いた。……実際、奴と戦ってどう思った?」

「……俺は福音の相手で精いっぱいだったからなあ……シャル、どうだったんだ?」

「僕もラウラの援護をしてただけだから一概には言えないけど……一夏やセシリアみたいな特化型とは真逆で、びっくりするほど多芸極まりない、って感じかな」

「ほう?」

 

 デュノアの言葉に興味深そうに反応する織斑千冬。その様を見て、篠ノ之が自身の相対したスタークについての情報を語り始めた。

 

「以前アリーナで戦った時は拳銃に実体ブレード、それらを組み合わせたライフル型の武器から通常射撃だけではなく誘導弾に捕縛ネット、それに高火力の砲撃を放ってきました。本人も鞭の様な触手攻撃に加え驚くべきレベルの体術を操ります。他にも今回は今まで見たことの無い能力を披露していました」

「ふむ……それについては学園に戻ってから詳しく聞かせてもらおう。奴の戦闘能力や危険性はここに居ない者達ともしっかり共有する必要があるからな……」

 

 深刻そうに言う織斑千冬に、周囲の皆が更に気を引き締めるのを感じる。確かに情報って奴は大事だ。ビルドの世界ではあの手この手で戦兎達を動かしてたのが本当に楽しかったからな……。かく言う俺もあの良く分からん<テレビフルボトル>に頼り切りな現状を早く抜け出して、もっと情報管理をうまくやれるようにしたい。やはり<亡国機業(ファントム・タスク)>の様な組織力のある奴らとの接触は急務かね。

 

 ――――奴ら、篠ノ之束に全滅させられちゃあいないだろうな。もしもそうなってたら拍子抜けだ。今までも上手い事隠れおおせてたみたいだし、今回もうまくやってくれりゃあいいんだが……焚きつけたの俺だけど。……ま、その程度の奴らなら要らねえって事だなあ。

 

 そんな事を思いながらふと窓に目を向けると、既に陽は落ちて青黒い夜の帳が降り始めていた。もういい時間だな。そろそろメシも近いし、ここらでいったん解散させてもらうとしよう。

 

「……とりあえずよお。お前ら、もう帰って休んどけって。正式な実戦は初めての奴だって居るんだ。ってか、病み上がりの織斑先生の前であんま深刻な話するんじゃないやい。また倒れられちゃ堪らねえからなあ」

「おい石動。私を病人扱いするな」

「似たようなもんでしょうが。そら、お前らも飯の前に風呂でも行ってこいよ……自覚無えかもしれないけど、こう言うときの疲れは後で、それも来てほしくない時に来るもんだ。分かったら大人しくしてろって。な?」

 

 ウインクして言う俺に、一夏とデュノアが苦笑いし、(ファン)とオルコットが後ずさった。失礼な奴らだな……茶目っ気って奴を理解してくれよ。泣くぞこの。

 

「……石動先生のおっしゃる通りだ。織斑先生が過労で倒れられたと言うのに、ここで私達が時間を潰していても余計な負担になるだけ。体を休めて頂くためにも、ひとまず私達はここから去るのが最善だろう」

 

 そう言って、篠ノ之だけはあっさりと立ち上がる。お前、初めて会った時に比べて随分空気が読めるようになってくれたな……本当に助かるよ。

 

「そのとーり。物分かりが良くて先生ずいぶん助かるぜ~。さ、お前らも帰った帰った!」

「ほら、行くわよ一夏。さっさと立つ!」

「えっちょっと鈴待ってくれよ俺の部屋ここなんだけどうわっオイちょっと引っ張んなって痛え痛え痛え!!」

 

 俺が腕を振って退出を促すと、凰とそれに引きずられる形で一夏が外へと姿を消す。オルコットとデュノアもそれに続き、最後に篠ノ之が会釈を一つして彼らの後を追った。

 

「確かに一夏さんの部屋なのは分かりますが、織斑先生に負担をかける訳には行きませんわ。……い、一夏さんが良ければ私の泊まっている部屋で休んでも……」

「あっちょっとセッシーずるいわよ! だったら私の部屋の方がいいわよ一夏! アイスあるし!」

「セセセ、セッシー!? ちょっと凰さん、略さないでくださいまし!」

 

「お風呂かぁ……ロテンブロ(露天風呂)、って奴だよね? 折角だし、ラウラも誘ってみよっか。多分、一番疲れてるの彼女だと思うし」

「そうだな……皆で風呂でも入ってゆっくりしよう…………一夏、覗くなよ?」

「覗かねーよ!」

 

 騒がしい喧騒が去って行くのを感じて、俺はくっくっと笑い声を漏らした。対照的に、織斑千冬は疲れ切ったように溜息をつく。

 

「まったく、こちらの気も知らずに元気な物だ……」

「子供は元気が一番って言いますからねえ。ま、何にせよ皆無事なようで何よりですよ」

 

 ニコニコと笑って言う俺に訝しむような眼をして、何か言いたそうにする織斑千冬。その顔がたまらなく面白くて、俺は一つ、ちょっかいをかけて見る事にした。

 

「所で織斑先生。本当の事、伝えなくて良かったんすか?」

「……何の話だ?」

「またまた~。過労が祟ってぶっ倒れた人間が、あんな勢いで電話かけてくるわきゃ無いでしょ~! …………負けちゃったんじゃないですか? スタークに」

 

 いつもの軽薄な顔を引っ込め不敵に笑う俺に、織斑千冬はますます眉間の皺を深くした。あー、怖い怖い。並の人間なら震え上がるどころか気絶するくらいは普通にありそうだな……俺はしないけど。

 

 そうして、どれほど睨み合いが続いたか。その内織斑千冬は観念したように目を閉じて首を横に振った。

 

「お前はそうであって欲しく無い時に限って鋭いな……こういう時くらい普段の軽薄な男で居ろ」

「酷い言い方だなあ……んで、何で黙ってたんすか? 織斑先生に勝てる様な相手をほっとくのは流石にヤバイと思いますけど」

「本意ではない。だが、ただ伝えれば皆を不安にするだけだ。せめて有効な施策を何か考えてからにせねば」

「ま、確かにそうっすねえ」

 

 織斑千冬の意見に表向き同調して、俺は畳に体を横たえた。まあ、俺もそこまで性急に事を進めるつもりも無えし、別に構わねえか。俺に急ぐ必要なんて無い。この臨海学校では多くの収穫があったし<エボル>も目の前だ。……ビルドの世界じゃ<エボルドライバー>を前に焦って幻徳(げんとく)にやられかけたが、二度も同じ轍を踏むほど俺は甘くない。こう言うときはどっしり構えて、余裕を持って行った方がいいに決まってる。

 

 ――――ま、向こうの世界と違って、俺の暗躍を知る奴が居ないってのが大きいけどな。

 

 俺はそう独りごちて、一つ気になった事を思い出す。織斑千冬から見て、スタークの実力はどう映ったのか。奴の危機意識を判断するためにもぜひ聞きたい情報だ。俺は内心を悟らせぬよう、これまで通りの軽薄な態度で織斑千冬に声を掛けた。

 

「……ぶっちゃけ聞きますけど、スタークってそんな強かったんですか?」

「少なく見積もっても、徒手空拳の強さは私に匹敵するだろうな」

「でもそれ『生身の織斑先生』に匹敵する、ですよね?」

「奴は『武器があるならともかく素手の織斑千冬ならどうにかなる』とは宣っていたが、実際どうだかな。間違いなく奴は私の知らない力を隠し持っている…………少なくとも、スタークは国家代表クラスの人間で無ければ相手をするべき敵じゃあないと言うのが分かった。私も、せめて剣の一つぐらいは持ち歩いているべきだったよ」

「ふーん……」

 

 評価が高いのは嬉しいが、そう鋭いのは勘弁してほしいぜ。それに確かにまだ手札を隠しはしているが、アンタに武器を持たれると相当に厄介だ。少なくとも今回の様に接触毒で倒すのは相当難しくなる。消滅毒の使える毒針<スティングヴァイパー>も、奴が刀でも持てばあっさり捌かれて終わっちまうだろう。

 

 …………だが、実に面白い。やっぱそれなりの相手が居なきゃあゲームと言うのはつまらんからな。お前が居てくれてよかったぜ織斑千冬。お陰様でこの世界での生活も、教師と言う仕事にもまだまだ飽きそうに無い。むしろ、これからもっと楽しくなりそうだ。学園に戻ったら今後の行事についてもキッチリ確認して置かねえとな。

 

 そんな事を考えてにやつく俺に、織斑千冬は訝しげな視線を向けてきていた。おっと、ちょっと顔に出ちまってたか。やはり、まだまだ人間の感情がもたらす一種の衝動を制御しきれてはいないな。他人の心理を理解するよりも、自分の感情を理解する方が先かもしれん。その辺もしっかりやって行かねえと……。

 

 畳に自堕落(じだらく)極まりなく寝っ転がりながら俺自身の改善点を思案していると、誰かがどたばたと走ってくる振動を感じ取って眼を開き起き上がる。織斑千冬もその気配に気づいた様で首を巡らせ扉を凝視した。

 

「織斑先生! 石動先生! いらっしゃいますか!?」

 

 扉の外から慌てふためいた山田ちゃんの声が聞こえてくる。随分と取り乱してるみたいだが一体どうしたんだ? 俺は立ち上がろうとする織斑千冬を制して扉を開けると、予想通り息も絶え絶えな山田ちゃんを見下ろして問いかけた。

 

「どうしたんだよ山田先生。病み上がりも居るんだぜ~?」

「そっ、それが! 一夏くん達が医務室に行ったらボーデヴィッヒさんが居なくなっていたらしくて!」

「そりゃ大変だ! 一夏達は?」

「皆手分けしてボーデヴィッヒさんを探しに行きました!」

「ったく、しょーがねえな……。織斑先生! 俺も探し行ってきますが構いませんね!?」

 

 振り向いて織斑千冬に呼びかけると、奴は鋭い目で小さく首を縦に振る。ある意味こいつが一番物分かりがいいってのは困った話だな。しかし、その決断的姿勢のお陰で俺が自由に動けてる部分もあるし、そこそこ感謝しなきゃいかんだろう。

 

 しかしボーデヴィッヒ、俺にあしらわれたのは随分とショックだったか? 今度はスタークとしてじゃなく、石動として声を掛けに行ってやるかね。人間の感情を学ぶには、それを剥き出しにした人間と触れ合うのが一番良い。それに、もしこれで奴の心の隙間に滑り込めれば最高だ。手駒は多ければ多いほどいいからな。

 

「ああ、どうしましょう……ボーデヴィッヒさんを探してる内に一夏くんたちもケガをしたりしたら……」

「そうならんようにするのが俺達の仕事でしょうよ……そういや砂浜を見下ろせる高台があったぜ。アイツは髪の色からして目立つし、そっから探してみるってのは?」

「解りました! そうと決まれば早く行きましょう!」

 

 オロオロしていた山田ちゃんは、俺の提案に賛成するとあっという間に(きびす)を返して走り去ってしまった。高台の場所知って……ああ、この旅館との打ち合わせとか山田ちゃんがやってたんだっけ。知ってて当然か……こりゃ置いてかれかねんな。

 

「そんじゃ、俺もボーデヴィッヒを探してきますわ。Ciao(チャオ)!」

 

 それだけ織斑千冬に告げて俺も部屋から飛び出し、山田ちゃんの後を追う。既に陽は沈み切り、外には月も雲も無い夜空が広がっていた。さあて、まずはボーデヴィッヒを誰よりも早く見つけ出さねえと……ついでに山田ちゃんもどっかで撒かねえとな。人間を(そそのか)す時は一対一って相場は決まってる。後は上手い事奴の弱みを突けるかどうか……ま、最低限アイツを連れ帰ればいいんだ。そこまで気を張る必要も無えか。

 

「おーい、山田ちゃん! 俺を置いてかないでくれよ~!」

 

 声を張るも山田ちゃんの背中は既に見えない。普段は良く転ぶのにこう言うときは機敏だな……流石にIS学園の教師の看板背負ってるだけはあるか。そんな風に山田真耶という女を再評価しながら、俺もその後を追い旅館を飛び出していった。

 

 

 

 

 

 

 月の無い夜。やがて降ってくるのではないかと思わせるほどの満天の星の元、私はただ波打ち際で膝を抱えて蹲っていた。寄せては返す波を見つめて、誰ともなく溜息を漏らす。

 

 ――――『出来損ない』。スタークは私の事をそう呼んだ。それは、私へ向けられていたかつての蔑称だ。

 

 私は、最初から『出来損ない』だったわけでは無い。暗く冷たい、鉄の子宮から兵器として()()された私は、初めは同輩達の中でも最高レベルの性能を持つ個体として認識されていた。だがISの登場で全てが変わった。

 

 ISへの適合性を高めるための疑似生体ハイパーセンサー<ヴォーダン・オージェ>の不適合とその後の凋落(ちょうらく)。それは自身の性能を拠り所にしていた私にとって耐え難い苦痛であり、屈辱だった。だが一度はそこから教官(織斑千冬)によって救い上げられ、彼女が去り再び闇の中に戻った私は、ここ(IS学園)で織斑一夏と篠ノ之箒という二つの光に出会った。

 

 そんな二人と、初めて戦場を共にした<銀の福音(シルバリオ・ゴスペル)>との戦い。そこで私はスタークの前にただ弄ばれる事しか出来なかった。これを敗北と言わずして何と言う。

 

『悪い事は言わねえから、『出来損ない』は『出来損ない』らしく、戦場じゃなく廃棄場にでも行く事だな』

 

 私を遥か上から見下ろすスタークの眼。あれは、嘗て訓練場に横たわる私を嗤っていた同輩達と同じ、敗者を見下し、置いてゆく者の眼だった。怒りが湧く。悔しさが湧く。それ以上に、不甲斐なさが湧く。仮にも嫁と呼ぶ二人の為に戦場に足を踏み出した私を、ただ(あざけ)り踏み(にじ)って行った怪人。

 

 奴の強さよりも、それに手も足も出なかった自分自身に、私は強く打ちのめされていた。

 

 ――――今頃、ドイツでは昼の訓練が始まっている頃か。この砂浜に座り込んで、一度クラリッサに通信を入れて見たものの、彼女も常に反応してくれると言うわけでは無い。だが、彼女と話をしてどうするというのか。自分の浅ましさを鼻で笑って、クラリッサがこのまま通信を返してこないことを私は願った。

 

 ざあ、ざあ。波はいつまでも寄せては返す。その繰り返しは私の鬱屈とした思いに出口など無い事を暗示しているようで。吹き抜ける潮風と滲んだ涙の味が混じり合う。心の中の(もや)はますます重苦しくなってゆくばかりで、私はますます膝を強く抱え込んだ。

 

 じゃり、じゃり。しかしそこに、波の音とも、風の音とも違う音が混じる。近い。いくら私が平常心を保てていないとはいえ、これほど接近されるまで気づかなかったのはその相手の能力の高さに起因するのだろう。伏せていた目だけをちらと向けた先に居たのは、逆光で顔も定かでは無い一人分の人影だった。

 

「ラウラ、こんな所で何をしてる。皆心配しているぞ」

「篠ノ之……。篠ノ之箒か」

 

 気遣うかのような彼女の声音を聞いて、私は今すぐ消え去ってしまいたい衝動に襲われる。部屋から姿を消した私を誰かが捜しに来ることは予測していた。だが、よりにもよって彼女とは。他の者なら先に気配を感じ取って隠れることも出来ただろうに。

 

「隣、いいか?」

 

 そう口では言いながらも、私の答えなど待たずに彼女は砂浜に腰を下ろした。しかしその行動に反論する気概も私には残っていない。精々、横目に彼女の顔を覗き見るくらいだ。

 

「――――思えば、お前とこうして二人きりで話すのは初めてだな、ラウラ」

 

 彼女は眼前の海に目を向けたまま私に語り掛けて来た。私はその言葉を聞いて彼女から眼を逸らし、同じように海へと視線を向ける。

 

「初めて会った時……私はお前の事が嫌いになった。突然一夏と石動先生に手を上げて……『何だこいつは』と心の底から思った。だが今はどうだ、共に学園生活を過ごし、共に一つの作戦をこなし、そしてこうして、二人きりで語りあっている。以前の私が知れば……そうだな、驚きにひっくり返るくらいはしていただろうな。ふふっ」

 

 そう言って一人で微笑む箒に、私は過去の醜態を思い出して何一つ言葉を返す事が出来ない。ますます気を重くして、更に顔を俯かせるだけだ。しかし彼女はそんな私を一度横目に見て、気にも留めぬように言葉を紡ぎ続ける。

 

「その後は……学年別タッグマッチか。アレが始まる前に石動先生に見せてもらった、お前と皆の戦い。あれを見て私はひどく衝撃を受けたよ。どうやってあそこまでの強さを身に付けたのか。あれほどの強さを持つ相手に、追いすがる事が出来るのか……石動先生も、さりげなくお前対策の訓練を私に課していたよ。まあ、結局組むことになったのは随分と想定外だったが」

「……そうか、石動惣一はそこまで考えて私にあのコーヒーを飲ませていたのか……」

 

 今まで自身にだけ向けられていた感情の矛先が、過去のトラウマによって恨みとなり今この場に居ない石動惣一に向けられる。まさか盤外戦術で弟子の敵を潰そうとしていたとは……。捨て鉢な笑みを浮かべながら、私は如何に石動惣一に目に物見せてやるかを脳裏に描きだす。その笑みを見て、慌てたような顔で箒が身を乗り出してきた。

 

「待て! 勘違いするなっ!? 普段の石動先生はあの風体からは想像も出来ない程の深い見識と熟慮を以って動いているが、たまに、そうたまになんだが、後先一切考えずやりたい事をやりたいようにやる事があって……」

「……フォローしているつもりなのかもしれないが、フォローしきれてないぞ……」

 

 ボソリと呟いた私の返答に、箒は目を丸くした。そして羞恥に頬を染めて俯くと、私と同様に膝を抱え込んで黙り込んでしまう。その姿はまるで自分を見ているようで、どうにも居た堪れなくなった私は彼女を励ますように声を掛けた。

 

「気にするな、箒。私も、そうやって空回りした経験があるから分かる。お前が石動惣一を信頼しているのは良く伝わったよ」

「……本当か?」

 

 ああ、と答えると、箒の顔は差した朱そのまま、幾分明るくなった。……これでは、どっちが慰めに来たのかわからないな。それは彼女も同じだったようで、どこかバツの悪そうな笑みを浮かべる。暫くそうして見つめ合って居ると、彼女はようやく本題に入り始めた。

 

「……なあ、ラウラ。空でスタークに一体何を言われた? 奴の何がお前をそこまで傷つけた? ……お前さえ良ければ、私にも聞かせてくれないか? お前の、ラウラ・ボーデヴィッヒの話を」

 

 そう言って、彼女は心配と慈しみがないこぜになったような目を、真剣な顔を私に向けて来た。やめてくれ。そんな目を向けられているという事実だけで目頭が熱くなって、私は目を逸らす。箒は私のその姿を見ると、柔らかな笑みを浮かべてまた海の方を向いた。

 

「……もし、お前が辛いのなら、別に構わない。いつかまた、話したくなったら……その時、私に声を掛けてくれ」

 

 そう言って立ち上がろうとする箒。私はその腕を、気づいた時には掴んでいた。

 

「……ラウラ?」

 

 困ったような彼女の声に、私ははっとなってその手を振りほどく。何をしているんだ。私は真っ赤になって縮こまる。だがその様を見た箒はただ慈しむように笑って、先程よりも少し私に近づいて改めて腰を下ろした。

 

「……………………」

 

 そのまま彼女は何も語らない。いや違う、語るべきは私で、彼女はただ待っているだけだ。潮が満ちてきたか、爪先を砕けた波が掠め濡らして行く。それでも、私はこの静寂に重苦しい物を感じて動けずにいた。

 

「……私は、ドイツの、名もなき研究施設で生まれた」

 

 だがその感情に苛まれながらも、私はぽつぽつと、己の事を語り始める。自分が人の腹から生まれたのではない、人造人間である事。ドイツの兵器として育てられ、それを受け入れ生きてきた事。今も眼帯の下にあるこの左目によって『出来損ない』と呼ばれ、蔑まれてきた事。教官に――――織斑先生にそこから救われ<黒ウサギ隊(シュヴァルツェ・ハーゼ)>のトップに立つことが出来た事。そして、織斑先生をドイツに連れ戻すためにIS学園を訪れ、身勝手な感情で一夏達に牙を向いた事。その全てを洗いざらい語った。その全てを、彼女はただ、目を閉じて聞いていた。

 

 寄せては返す波が靴を満遍なく濡らし切った頃になって、私の独白は終わりを告げる。それと同時に、彼女が閉じていた眼を開く。そこには確かな優しさ、ただそれだけがあった。

 

 

「――――ラウラ、ありがとう。話してくれて」

 

 話を終えた私に、彼女はそう声をかけて来た。その笑顔に、私は顔を真っ赤にして俯く。

 

「そうか、スタークは、だからお前を『出来損ない』なんて言ったのか。許せないな」

 

 そう言う彼女の瞳には、義憤と怒り、スタークへの強い感情が渦巻いていた。だがそれは一瞬で鳴りを(ひそ)めて、どこか遠い目になり星空に目を向ける。

 

「……以前の、石動先生と出会う前の私を見ているようだ。私も、以前は随分と酷い奴だった。出来損ないどころじゃない。私のせいで、大切な皆が傷ついた」

 

 それを聞いて私は驚きを隠せない。私の知る篠ノ之箒は誰よりも努力を欠かさず、明朗で素直で闊達(かったつ)な女だ。だから私は彼女に惚れた。一夏と共に、力に呑まれた私を救いだしてくれた彼女に。

 

 驚いている私に、今度は彼女がつらつらと語り出した。

 

 <天災科学者>であり、ISの生みの親である篠ノ之束を嫌っている事。姉のお陰で四六時中監視される幼少期を送った事。そのコンプレックスから無自覚に暴力を求め、結果として剣道の道を歩み続けた事。IS学園に入って一夏と再会した事。そして、それまでに得てしまっていた在り方のせいで<ブラッド>との戦いの際に戦場に無防備に飛び込み、結果として自らの命だけでなく、一夏や凰までも危険に晒してしまった事。

 

 一夏達をむざむざ傷つけさせてしまった事を語る時の彼女は、これ以上無く苦しそうな顔をしていた。当然だ。今彼女は、自らの古傷を盛大に抉り出し、見せつけているのだから。その悔恨に満ちた顔を見ていると、未だに過去の屈辱に足を取られている自分が、何とも情けなくなってくる。

 

 その先も彼女は語り続けた。石動惣一によってそんな自身を変えるために立ち上がった事。努力を続け、日本代表候補生との認定を受ける一歩手前まで来た事。予定外の形ではあったが専用機(紅椿)を手に入れて、今はIS操縦者の頂点……<ブリュンヒルデ>の称号を目指すと心に決めている事。そこまで語り終えて、彼女は恥ずかしそうに口を閉ざす。私は、彼女の目標の大きさと遠さに、半ば呆然としながら口を開いた。 

 

「…………篠ノ之束(人類最高)を超える…………その為に<ブリュンヒルデ(世界最強)>を目指す、か。世界最強などと、私は考えたこともなかった。随分と大きな目標だな」

「だって、『あの人(篠ノ之束)を越えたい』、『あの人(篠ノ之束)の妹としてではなく、篠ノ之箒として世界に見てもらいたい』。そう思ったら、世界最強にでもなるしかないじゃないか」

 

 頬をかきながら恥ずかしそうに言う彼女の眼はどこか悟り切ったような、逆に諦観さえ見えるような落ち着き様だった。その答えに至るまで多くの思案を経て、なおその目標を定めたのだと感じさせる。私がそう理解して口を紡ぐと、彼女はどこか思考を整理するようにしながら言った。

 

「まあ、つまり、だ、何を言いたいかと言うとだな…………『人は変われる』。嘗ての自分が、どんなに消し去りたくなるようなひどい奴でも、それをきちんと自覚していれば、私達は強くなれるんだ」

 

 自信に、いや、実感に満ち溢れた彼女の言葉に、なぜ彼女が皆に慕われているのかが何となく分かった気がした。『自分は変われる』。『自分はもっと高い所に行ける』。そう堅く信じ、それを体現していく彼女に、皆憧れているのだ。

 

「ラウラ・ボーデヴィッヒは『出来損ない』なんかじゃない。私の、私達の大切な友人だ。それとも何だ? 嫁と呼ぶ私の言葉よりも、得体の知れないスタークの戯言を優先するのか? それは、ちょっと妬けちゃうが」

「そんな事は無い!!」

 

 彼女の懸念を否定するように私は必死な声で叫んだ。だがその様を見て唖然となった彼女を見て、自分が冗談に本気になってしまったのに気づく。

 

「……すまない、意地悪な事を言ったな」

「いや、その、私こそ、声を荒げてすまない」

 

 二人で気まずくなって謝り合って、その姿にどちらともなく笑い合う。先程までここに居た陰鬱な私はもう何処にも居なかった。私は『出来損ない』ではないと、彼女がそう言ってくれたから。それだけで新しい私が形成(ビルド)されたような……彼女の言葉に恥じない私になりたい、彼女がそう言ってくれたなら、きっと私はそうなれる。そんな、根拠など何もない確信が私の中に芽生えていた。

 

「帰ろう。みんながラウラを待っている」

 

 そう言って立ち上がり、彼女は私に手を差し出してくる。そう言えば、以前にもこうして手を差し出してくれた事があった。その時の私は、彼女の気遣いを振り払い無理して一人で立ち上がったのだったか。今は無理なんてしなくても一人で立ち上がれる。それでも、この手を振り払う事なんて、今の私には考えられなかった。彼女の手を握りしめて立ち上がりたかった。

 

 差しだされた手を握りしめると彼女の温もりが直に伝わってくる。そのまま優しく引き上げられて立ち上がると、私達はそのまま、言葉も交わさず花月荘への帰路に就くのだった。

 

 

 

 

 

 

「先、越されちまいましたねえ」

 

 砂浜を見下ろす高台。その手すりに身を預けながら石動は笑った。口角を上げ、ただ二人の生徒を遠目に眺めている。その後ろで真耶はその光景を微笑ましく思って、同時にうらやましそうに目を向けた。

 

「ああ、若いっていいなあ……挫折とそこからの再起、わかります。正に青春って奴ですね……」

 

 そう遠い瞳で呟く真耶の肩を、横に回った石動がポンポンと叩く。

 

「何言ってんだ山田ちゃん! アンタ、俺と違ってまだまだ若いでしょう! ピッチピチの二十代なんだからもっと胸張って行かなきゃ!」

「そう言う石動先生は言葉選びにお歳が出てますよね……」

 

 呆れるような目を向けられた石動は一瞬ぎょっとして後ずさった後、丸レンズのサングラスを外しておいおいと泣き真似を始めた。その様を無視して、真耶は再び砂浜に居る二人に目を向ける。

 

「……でも、本当に良かったです。ボーデヴィッヒさんが居なくなったと聞いて、私ビックリしましたから。<福音(ゴスペル)>との戦いで何かショックな事があったとだけは聞いたんですけど……」

「思春期だからねえ。それにボーデヴィッヒの奴はIS学園に来てからだけでも随分いろいろやってくれちゃってるし、元々いろいろ問題は抱えてたと思うんだが……篠ノ之の奴がうまくやってくれたみたいで、俺もちょっぴり安心したよ」

「ちょっぴりですか?」

 

 石動の物言いに真耶は不思議そうに首を傾げる。当の石動は逆に、その問いに「何言ってんだ」とでも言いたげな顔で肩を竦めた。

 

「当たり前でしょ~が~。これから<福音>の事件の後始末に、予定総崩れの臨海学校の帳尻合わせ、そんでもって、俺の生徒を随分かわいがってくれた<怪人(スターク)>の件もある。明日からひどく忙しくなりますぜ」

「ああ~…………」

 

 がっくりと肩を落とす真耶。その背中を軽く叩いてしゃんとさせると、石動は満面の笑みでその顔を覗きこんだ。

 

「そう落ち込むなって山田ちゃん。ほら上向いて!」

「上ですか……?」

「顔上げろって意味じゃないぜ。本当に真上を見てみろって」

 

 その言葉に、素直に顔を上げた真耶の前に広がっていたのは雲一つない満天の星空だった。煌めく光景に、真耶は感嘆の溜息を漏らす。

 

「わぁ……」

「星空でも見て元気出してくださいよ。IS学園からじゃ到底ここまではっきりとは拝めないですぜ」

 

 笑う石動を他所に、真耶はまるで子供に戻った様に喜び、その人差し指を夜空にひときわ輝く三つの星に向けた。

 

「見てください石動先生! あれはデネブ、ベガ、あと、えーっと……」

「アルタイルっすね」

「ああそうでした忘れてました! わし座のアルタイルです!」

「何だ何だ、山田ちゃん詳しいな! 星見るの好きなのか?」

「はい! ……と言っても、ここからこんな綺麗な星空が見えるなんて、全然気づいてなかったんですけどね……何度も来てるのに」

 

 言って、また少し顔を伏せる真耶。その様を見て、石動はまるで娘を励ます父親の様に、にっこりと歯を見せて満面の笑みを浮かべた。

 

「そこは気にする所じゃないっしょ~。それよりも、キラッキラしてて綺麗だし、目に焼きつけとかなきゃ損ですよ。今年の臨海学校の夜は今日が最後なんですから」

「ほんとに……そうですね…………」

 

 その言葉を最後に、穏やかに二人は黙りこくる。ただ宙を見上げ星々を数えるだけの落ち着いた時間には、砂浜に打ち寄せる波の音がざぁ、ざぁ、と(しず)かに響くのみ。

 

 そんな一時がどれほど続いたか。ふと、石動が視線を下ろし、真耶の顔を見て口を開いた。

 

「……なあ山田ちゃん。もしも……もしもの話なんだけどさ」

「はい?」

 

 どこか神妙さを帯びた石動の声に、不思議そうに顔を向ける真耶。そんな彼女の顔を見据えながら、石動は生徒達に言い聞かす時の様に両手を広げた。

 

 

「きらきら光る星空もいいけど……この空一杯の星が全部無くなって、黒一色の夜空が広がっていたら……そいつはそいつで、途轍もなく素晴らしい眺めだとは思わねえか?」

 

 

 石動は普段と変わらぬ様子で、いつも通りの笑顔で宣う。だがそこに真耶は底知れぬ何かを見て、一瞬目の前が真っ暗になったような感覚に襲われ途轍もなく不安な気持ちになった。

 

「……えっと…………ごめんなさい、良く分かりません」

 

 困ったように、あるいは誤魔化すようにはにかむ真耶。それを見て、石動は両手をポケットに突っ込むと口角を上げながら肩を竦める。その笑顔は先ほどと同じだったが、底知れぬ何かを感じさせるようなものでは無く、いつも通りの軽薄さを感じさせるものに戻っていた。

 

「こりゃ失礼! 野暮な事聞いちまいましたね。気にしないでください」

「あっ……はい。別に、かまいませんよ。好き嫌いは人それぞれですから……」

 

 取り繕って言う真耶に、石動はまたサングラスを外して泣き真似を始める。そんな彼の感情表現に些か慣れ切った真耶は一度愛想笑いを浮かべると、また夜空の星々を楽しむ事に熱中し始めた。石動も自身の演技が流されている事に気づくと、あっさりサングラスを掛け直して星を見上げる。

 

 ………………どれほどそうしていただろうか。ふと石動は、砂浜の人影が帰路に入ろうと立ち上がるのに気づく。そのまま彼は星々に夢中になっている真耶に、そっと声を掛けた。

 

「……さて、俺は二人の事出迎えて来ますわ。山田ちゃんは……ま、ちょっと星でも見ててくださいよ。あっちこっちに頭下げんの疲れたっしょ」

「いいんですか?」

「お任せ! 神様仏様石動様って拝んでもらってもいいですよ!」

 

 茶目っ気たっぷりに言う石動にまた真耶は白い目を向けると、石動は今度は泣き真似をせずに笑って誤魔化した。その様を見ると真耶は一度小さく溜息をついてから、小さく頭を下げた。

 

「拝みませんよ…………でも、お言葉に甘えさせていただきます」

「了解。ま、休憩がてらのんびりしててください。コーヒー煎れて来ましょうか?」

「ダメです!!!!」

 

 突然必死になる真耶の剣幕に小さく諸手を上げて後ずさる石動。だがすぐに彼は気を取り直し、むくれっ面で反撃を始める。

 

「そこまで言わなくたっていいじゃねえですか~! 山田ちゃん、俺のコーヒー一回しか飲んでくれた事無い癖に~!」

「その一回で人を医務室送りにしといてよく反論できますね……」

「…………あー…………その話、もう止めません? めっちゃ謝ったじゃないですか……」

 

 普段の温和な表情が鳴りを潜めた真耶の視線にたじろいで、石動はバツが悪そうにそっぽを向き、勢いそのままに背を向ける。

 

「……ま、ともかく俺は行きますんで。Ciao(チャオ)!」

 

 言って素早く身を翻して去って――逃げて行く石動の姿が見えなくなるまで見届けてから、真耶は再び夜空に目を向ける。

 

 ……もし、石動先生の言ったようにそこに浮かんでいるのが真っ暗な夜の空だけだったら。

 

 一瞬そんな事を考えそうになった真耶はハッとなって、ぶんぶんと頭を振ってその思考を脳から追い出した後、手すりに寄りかかって再び星座を探し始めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 三日目の朝。我々は支度を終え、早くに花月荘を発つためバスを待っていた。何でも<福音>の暴走事件の調査と後始末の為に開発国が動いたらしく、我々は早急な退去を求められたのだ。昨日(さくじつ)<福音>をとっ捕まえたのは我々だというのに随分手ひどい仕打ちだと憤慨したが、怒りでどうにかなる問題でも無い。

 

 昨日はラウラの脱走もあったしな……心情などを鑑みてお咎めは無かったが、お陰で皆仕事が夜遅くまで立て込んでいたのは間違いない。病み上がりと言う事で私はそちらには参加させられなかったが、今朝は真耶が思いっきり寝坊した所を見るに相当深夜までやっていたらしいな。結局、私と石動で朝の仕事をこなす事になった。まあ、石動も時間になっても起きなかったので私が叩き起こしたのだが。睡眠の邪魔をした一夏には悪い事をしたと思っている。

 

 玄関前でベンチなどに座ってバスを待つ生徒達も幾人かはうつらうつらと船をこぎ、中にはバッグを枕に横たわるものまでいる始末だ。ここまで予定が繰り上がるとバスが来るのもすぐでは無いし、仕方ないと言えば仕方ないのだが……。

 

「織斑先生。お客さんっす」

 

 生徒達の様子を見回していれば、眠たげな石動が一人の女性を連れて私の前まで歩いて来た。そのまま奴はあくび一つ。随分な態度だな。眠いのには同情するが、客の前でその態度はな……しかし如何せん客の前なので、私は何も言わずに、その客とやらの相手を石動から引き継いだ。

 

「ハァイ。お久しぶりです、織斑さん」

 

 そう明るい声ではにかむのは<銀の福音(シルバリオ・ゴスペル)>操縦者であり此度の作戦の後、意識が戻らず今朝まで眠っていた<ナターシャ・ファイルス>だ。美しい金髪は一つに纏められ、全身包帯やら絆創膏まみれだ。片手には杖を突いていて、用意された部屋からここまで来るのも一苦労だったろう。

 

「まだ寝てなくて大丈夫なのか? お前はそっち側の人間、退去命令が出されたわけでもなかろうに」

「ええ、まあ、ホントは寝てなきゃって言われてるんですけど……私と『あの子(銀の福音)』を助けてくれた皆が早々に帰らされるって聞いたら、居てもたっても居られなくて」

 

 困ったように笑う彼女は、その見た目よりも随分元気そうだ。その姿を見て多少安心した私は、しかし顔を引き締めて彼女に言った。

 

「私は何もしていない。礼なら実際に君を助けに行った生徒達にしてくれ」

「ああ、それはもう。こんな状態じゃハグも出来ないからお礼を言うだけでしたけど。あと作戦を考えてくれたって言うソウイチ・イスルギ、でしたっけ? あの人にもありがとうと伝えておいてくれますか? 随分眠そうで流石に今伝えるのはちょっと、ね……」

 

 それを聞いて、私は後で石動の眠気を飛ばしてやる事に決めた。最悪奴自身が吹っ飛ぶことになりかねんが切っても焼いても死にそうにない男だ。心配は不要だろう。

 

「しかし……思ったよりも元気そうで安心したよ。織斑の奴、お前に対して随分な大技を放ったらしいからな」

「まあ、私はあの子に守られてましたから……良く覚えてないですけど」

 

 そう言ってまた困ったように首を押さえるナターシャ。私は眉を顰め、その事について問いただしてみる。

 

「当時の記憶が無いというのは本当なのか?」

「そうですね……暴走が始まってから必死にあの子を落ち着かせようとはしてたんですけどね……日本近海に来た辺りからさっぱり!」

 

 肩を竦めて、体のどこかが痛んだかびくっと跳ねる彼女を見て私は思案した。一夏達によれば、彼女はスタークによって怪物にされ、皆と激しい戦いを繰り広げたという。そんな鮮烈な(いくさ)の記憶がすっぽり抜け落ちているなど、些か都合が良すぎる。だが、彼女が嘘をついているようにも見えない。束が<福音>に何か仕込んだのか。あるいは<スターク>の使ったというガスによる副作用か。それを判断する材料は今の私にはなかった。

 

「……<福音>はどうなった? 相当なダメージを受けたとは聞いたが」

「まあ、当分あの子には乗れなさそうです。けど、お偉方が暴走中とは言え篠ノ之束謹製の第四世代ISと渡り合ったのを高く評価したみたいで……凍結は見送られました。イスラエルは手を引いたみたいですけど。そこだけは、私を怪物にしてくれたっていう<スターク>とやらに感謝しなきゃですかね」

「それは言っていいのか?」

「いーんですよこれくらい。あの子の事、みーんな兵器としてしか見てないんですから」

 

 そう不満そうに言うナターシャに私は小さく笑う。そんな私を見て彼女も小さく微笑んで、しかしすぐに憂い気な表情になって肩を落とした。

 

「まあ、正直複雑な所ですけどね。またあの子と空を飛べるかもっていう嬉しさと、上の人達が力に目が眩んでるのがありありと解った嫌な感じと。でもまあ、あの子が手元に残っただけ贅沢は言っていられないかな。犯人についても、織斑さんに特別に教えてもらいましたしね」

 

 そう言って、彼女はその表情をまた切り替えた。ここに居ない誰かに向けた、敵意に満ちた目。その鋭い気配に眠っていた何人かの生徒が目を覚まし、ラウラや篠ノ之を初めとした幾人かの手練れは何事かと此方を凝視している。そんな彼女らの元に、石動が陽気に話しかけに行った。その際小さくこちらに手を振るのが見える。まったく気が利くんだか利かないんだか。

 

「――――やはり、この事件の下手人を許せないか」

「決まってるじゃないですか。あの子の判断力を奪った挙句あんな色に染め上げて、無理くり戦いの場に引きずりだした<ブラッド>も、あの子を捻じ曲げて化物に仕立て上げた<スターク>も。必ずとっ捕まえて報いを受けさせます。例え、どんなにそれが難しい事でも」

 

 彼女の切羽詰まった様子に、自身の胸の内を吐き出してしまいたい衝動に襲われる。この戦いが、本当は誰によって仕組まれたのか。だがそれを伝えてしまえば、世界のバランスにまた良くない変化が起こる。個人的な目的の為に、他者のISを操る人間。そんな奴が()()も存在すると知れれば、世界中で混乱が起きるのは免れないだろう。

 

 私も今朝から束に何度もコンタクトを取ろうと試みているが一向に返信は無い。朝のニュースでは、昨日からこの付近の地域で突発的なガス爆発事故が散発していると言うが、十中八九<亡国機業(ファントム・タスク)>を狙った束の攻撃を隠すための政府レベルからのフェイクニュースだろう。そしてそれが止まっていないという事は未だに束も<ブラッド>には辿りついていないという事だ。

 

 その事実に私は頭を抱えたくなった。とりあえず、早急に束の奴に一回ガツンと言ってやる事と、ブラッドについての調査、そしてIS学園でスタークに対抗できる戦力を用意する必要がある。

 

 戦力については一人当てがある。()()ならその役目も十分にこなせるだろう。その分自由にやってもらう事になるが、背に腹は代えられん。また何らかの騒動が起きるのは目に見えて明らかなその選択に、私は早くも胃が重くなるのを感じた。

 

「まあ、私もこの後査問委員会に療養、あの子もまだまだ未完成で専用の整備が必要ですし……しばらくは大人しくしてます」

「ああ、今回はいろいろと済まなかった。一刻も早い復帰を願ってるよ」

「もー、織斑さんが謝る事じゃあないでしょ。……じゃ、とりあえず私は部屋に戻りますね。Good-bye(グッバイ)!」

 

 そう言って、自身の惨状も気にせずはにかんでから去ってゆく彼女を見て、私の中の罪悪感はますます降り積もってゆく。嫌な予感がある。何時かこう言う事の繰り返しが、きっと良くない結果を生むのだと。

 

 ……一刻も早く、束の奴をどうにかしないといけないな。

 

 そう心に決めるが、不穏な存在はもう一人。<スターク>。奴についての情報をまとめ、早急に対策を練らなければ。奴は既に一度IS学園のアリーナのど真ん中に悠々と侵入して来ている。ある意味、束よりも直接的に危険な存在。それにあの戦闘能力……生徒達の早急なレベルアップも必要だ。

 

 課題は山積みだな。その事実を直視した私は大きな大きな溜息をつく。そして顔を上げると、道の向こうから数台の大型バスが向かってくるのが目に入った。とりあえず、まずは学園に無事に戻ることか。袋に入れたIS用実体ブレードを担ぐと私は眠っている生徒達に声を掛けそれぞれ整列させてゆく。彼女達を並ばせた私は、後のことを山田先生に任せ憎々しいほどに澄み切った空を見上げて、溜息をついた。

 

 ――――今後この世界は一体どうなるのか。先は見えない。少なくとも、今後今より平和になるという予感はこれっぽっちもしなかった。




ラウラの嫁レースは箒が一歩リードです(本人になる気があるとは言ってない)。一夏も頑張ッテ!(無責任)
これでようやく三巻分……次の四巻、総じて一夏とヒロインたちのコミュ回だけどどうしよう。

プロテインの貴公子が活躍するVシネクローズ、凄い画像が公開されてひっくり返りました。君たち並ぶとカッコイイな……。

ジオウはレジェンドたちの登場にも飛んで跳ねて喜んでますが、とにかくゲイツくん激推しです。三話にしてちょっとカワイイが過ぎるだろ……あんなの卑怯だぞ!


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インベーダーの夏休み

コミュ回です。エボルトの恋愛ってなんだよ(哲学)。
そんな哲学的思考に陥っていたせいで2万文字位です。

感想お気に入り誤字報告いつもありがとうございます。
お陰様で評価が9.13を越えてました。度重なる高評価誠に恐縮です。
たっくんと草加のジオウ登場を目の前にしたこのタイミングでこれだけの評価に到達した事をとても嬉しく思います。
よろしければこれからもこの小説をよろしくお願いします。

あそれと投稿する段になって総合評価4000いってるの気付きました皆様のお陰です本当に応援ありがとうございます。



「――――教官、お願いがあります」

「織斑先生だ。何度も言わせるな……で、何だ? お願いとは」

「もう一度、私を鍛え直しては頂けないでしょうか。先の<福音>……いえ、<スターク>との戦いで私は自身の未熟さを痛感しました。このままでは一夏も箒も守れない……彼らの為にも、今一度私に道を示して頂きたいのです」

 

「ふむ……その気概は認めよう。だが私も常にお前を鍛えてやれるほど暇ではない。特に今は不穏な時期だ。私自身にもやるべき課題は山積しているからな」

「では……」

「だが安心しろ。丁度、他人を鍛える事にかけてはそこそこの奴がこの学園には居る。この夏休み、随分と暇を持て余していたようだしな……話を付けてやるから昼食後に私の部屋に来い」

「……織斑先生。心遣い感謝します」

「何、私も確かめたい事があったからな…………ではまた昼過ぎに。約束はすっぽかすなよ?」

「はい!」

 

 

 

 

 

 

 朝六時過ぎ。既に昇った太陽の光がこの俺の部屋にも射し込んでくる。今は8月中旬。IS学園が少々遅い夏休みに入って二週間ほどが過ぎた。この夏休みというのが、俺にとっては退屈極まりない期間である。何せ生徒達が居ない。実質全寮制であるこのIS学園の生徒達は、全世界から集められたエリートたちだ。約一か月の間授業が無いという事で、半数以上の生徒が国や実家へと帰省してしまいどうにもやる事が無い。

 

 いや、教師としてやる事は有るけどな。だが俺がしたいのは生徒達とのコミュニケーションだ。断じて教員室で時間を潰したり、草刈りしたり、書類を整理したりという事ではない。一応半分近い生徒は残っているからアリーナでの模擬戦を監督したりとかそう言う業務もあるんだが……そういうのは専ら織斑千冬と山田ちゃんの仕事になっていた。まあそりゃ、何処の馬の骨とも知れぬオッサンよりも十二分な実績を持つ人間に見てほしいのは分かるけどな。

 

 そんな中で、俺の数少ない楽しみの一つがフルボトルの生成だ。抱え込むようにした<パンドラボックス>に両手を突っ込んで、生成する星のエレメントを強くイメージする。ビルドの世界では石動の記憶を使っていたのでここまで集中する必要は無かったのだが、この世界に来てからは俺一人のイメージで作り出しているからな。前と違って一本作るのに一週間近くかかるし、集中力も使う。だが今更ベストマッチの組み合わせを変えようなんて考えは全く無い。石動の生み出したボトルは俺にとって大事な思い出だからな。

 

 ビルドの世界で過ごした十年間は、俺にとってかけがえの無い時間だ。地球に降り立ち、スカイウォールを生み出して国を三分し、<ファウスト>の創立にも関わって、桐生戦兎(きりゅうせんと)万丈龍我(ばんじょうりゅうが)を育て上げた。そうだな、一番楽しかったのはあいつらと家族ごっこをしていた時か。今でも、冷蔵庫の扉をくぐった先にある地下秘密基地が恋しくなることがある。これが郷愁(きょうしゅう)の念って奴か。何とも風情ある心地だ。

 

 そんな事を考えていれば、手の内にボトルの感触。さて、<ダイヤモンドフルボトル>の完成だな。防御、攻撃反射に拡散物理攻撃の行える優秀な戦闘向けボトルだ。その性能は嘗ての戦兎(せんと)幻徳(げんとく)が証明済み。これで更に俺の戦闘力は盤石になるな……ん?

 

 ひんやりとした感触に訝しんで目を向ければ、手にした白いボトルに描かれているのはダイヤモンドでは無く冷蔵庫のアイコンだった。

 

 やっちまった。途中で余計な事を考え過ぎたか。ボトル一本作るのに数日かかるってのに! しかも<アイススチーム>がある以上、今の俺にとってあまり有用なボトルではない。いくら俺自身に睡眠は必要なく、夜は体と分離してボトル作りに集中できるとは言え……まあ、出来ちまった物はしょうがない。俺は<冷蔵庫フルボトル>を一度宙に放ってキャッチすると、壁に立てかけてある<パンドラパネル>の一枚にボトルをセットする。

 

 これで全体の三分の一って所か。そこそこ揃ってきたな……60本のボトルが揃えば<エボルトリガー>の生成が可能になるのだが、当のエボルトリガーは既に俺の手の内にあるのでそこまで急く必要はない。石化を解く方法も一応考えてはいるし……今夜からはまた<ダイヤモンドフルボトル>の生成に取り組むかね。

 

 俺は顔を上げ、ちらと時計を見る。六時半か……そろそろ本格的に起きて飯でも食いに行くか。俺はともかく、人間の体には栄養補給は必須だからな。俺は石動惣一に擬態していた体を液化させ、布団で眠る肉体に憑依。起き上がって顔を洗い、髭を剃り、扉の横に備え付けられたポストから新聞をもぎ取る。

 

 新聞の購読は俺がIS学園に『就職』する際に俺からの要望として提案した条件の一つだ。世界情勢を知るための諜報能力が欠けている俺にとって、どのような形であれ情報が手に入るのはあり難い。さて、今日は何か面白い記事はあるかね……。

 

 なになに? 『女子ソフトボール日本代表、世界一に王手』、話の種にはなるか。『カナダのアイドルユニット<コメット・シスターズ>世界ツアー開始』……興味無えな。『篠ノ之束博士からの新技術供与』……ほう。『篠ノ之博士は今回、新たな技術として【ISスーツへの防毒機能の付与理論】を各開発メーカーに対し無償で供与する事を』…………。

 

 ――――(スターク)対策じゃねえか。

 

 心の中で突っ込みながら俺は新聞をくしゃっと握りしめた。……いかん。思わず感情のままに行動しちまった。感情ってのは素晴らしいもんなんだが、こういう時抑えが効かないのはちと困る。俺は深呼吸一つでクールダウンして、改めてその記事を確認した。

 

 ……ふむ。どうやら現行のISスーツの機能はそのままに防毒機能を備えた新型スーツが今後世界中で使用される事になるようだ。やってくれたな篠ノ之束……! 恐らく織斑千冬の経験が奴にフィードバックされた結果だろう。奴らに繋がりがあるなんてのは百も承知だったが……やっぱあの時麻痺毒を使ったのは失敗だったかねえ。

 

 まあしかし、毒でさっと殺しちまうなんてのはどうでもいい奴に対するやり方だ。そもそも織斑千冬を初めとした面白そうな奴らに対してはそんな事するつもりは無かったが……それに、必要な時には直接注入してやればいい話だしな。幾らなんでも、ISスーツで防げるほど俺の攻撃は安くない。これも気に留めておく程度の話題だな。

 

 よし、対して面白いもんも無かったしそろそろ行くか。俺は服を着替え、パンドラボックスやパンドラパネルを金庫に放り込んで<ロックフルボトル>で施錠し、必要最低限の道具と<トランスチームガン>、幾つかのボトルを持って部屋を後にした。

 

 

 

 

 

 

 IS学園の誇る食堂。平時であれば朝7時と言う時間には多くの生徒が顔を出し始めるこの場所も、夏休み真っただ中ともなれば人も(まば)らだ。当然だな。人も居なければ、授業も無い。皆朝に飯を食べにくる必要性も少ないのだ。つまりこの時間に来る奴って言うのはこの夏休みの中でも朝食を食べる生活習慣を維持しているものか、或いは――――

 

「よお岸原、鏡ィ! お前ら朝からラーメンかよ! 腹壊すぜ~?」

「いやもう二人でランニングしてたらビックリするくらいお腹減っちゃって! 飯! 食わずにはいられない! って感じ!」

「ナギちゃん酷いんですよー、速度差考えずガンガン先行っちゃうんですから」

「はっはっは、どっちも程々にな」

 

 ――――学生最大の自由時間である夏休みにも自己研鑽を怠らない、意欲ある生徒達くらいのもんだ。

 

 もちろん、ここに居る者全員がそうでは無いだろうし、逆にまだ練習に精を出している者や、たまたま寝坊している奴だって居るだろう。それでも、俺は今この場に居る面々に対して純粋に好感を抱く事を禁じえなかった。

 

 俺は鏡と岸原を見送ってから、朝食を手にするためごく短い列に並ぶ。普段この食堂ではそりゃ豪勢な食事が出るもんだが、夏休みともなれば縮小経営中、メニューにも普段程の華は無い。俺はコーヒー(インスタントだ)とパンとスクランブルエッグにウインナー、サラダとヨーグルトを持って所々に居る生徒達の顔を見回した。

 

 ふむ、どこかに面白い奴は居ないものか……。どうせなら、俺は可能な限り楽しい時間を過ごしたいと思っている。それは食事の時間も同じだ。戦兎や万丈、美空(みそら)との食事のような和気藹々とした時間。その素晴らしさは筆舌に尽くしがたい。人間の生み出した文化の中でもなかなか上位に入る愉快さだと俺は思っている。

 

 だからこそ、俺は共に食事をするに相応しい人間を探す。楽しげに食事をする者。普段と違う様子を見せる者。どこか表情に影のある者。そんな奴がいないか、俺は目敏くその視線を走らせる。

 

「んん?」

 

 そんな中で、俺は一人の女子生徒に視線を定めた。普段、必ず特定の生徒と食事を共にしている人間。そんな奴が憮然とした顔でパンをかじっているのを見て、俺は直感的にその生徒を標的に定めた。

 

「よっ! 前いいか?」

「ん、アンタは……」

 

 満面の笑みで俺が話しかけると、そいつは訝しげな眼で顔を上げた。跳ねるような金髪に抜群のプロポーションを窮屈そうに制服の中に収めているそいつは、不機嫌そうにエメラルドのような瞳を俺に向けて、どこか心非ずと言った様子で口を開いた。

 

「イスルギ先生か……何か用か?」

「おう、何か浮かない顔をしてたからな。ほっとけなくて。それに、前から一度こうして直接話がしたいと思ってたんだ。アメリカ代表候補生<ダリル・ケイシー>さんよ」

 

 椅子に座った俺に両手の人差し指を向けられたケイシーは、一瞬難しい顔をしたがすぐに気を取り直して、取り繕ったような笑顔を見せる。

 

「いや、心配ないぜ……っす。別にそこまで何か嫌な事があったっつー訳でも……」

「嫌なことあったのか? 話だけでも聞かせてくれよ」

 

 にやりと笑って言う俺に奴はしまったという顔で赤くなった。意外と解りやすい奴だな。そしてその反応からも、原因には大体の予想がついた。

 

「そういやケイシー、サファイアの奴はどうしたんだ? お前ら、何時も一緒に居るだろ。さてはケンカか? お前らがねぇ……」

 

 そうにやにやと笑って言う俺に、ケイシーは諦めたように肩を落とし溜息をつく。

 

「ダリルで良いよ。ったく、石動先生には敵わねえ……っすね」

「そっちこそサファイアみたいな口調だな……別にいいぜ普段通り喋っても。ぶっちゃけその方がお前、ラクだろ?」

「まあ、そうだけどさあ……まあいいや、お言葉に甘えるぜ」

 

 安心したように言って頬杖を突くダリルを見て一息ついた俺は、皿に乗せたパンとスクランブルエッグを口いっぱいに頬張った。濃い卵の味と柔らかいパンの食感が人間の脳を通して俺を楽しませる。俺はそれをコーヒーの苦味で押し流して、またダリルに視線を向けた。

 

「で、どうしたんだよ。ホントにケンカか?」

「それがさあ、聞いて下さいよ。アイツ、今日も一緒に飯食おうって約束したのに全ッ然起きてこねえんだよ! なぁにが『低血圧ッス~』だ! 早寝しろ!」

「そいつぁ……もうちょっと生活習慣どうにかしろってとこだな。あとレバー食えレバー。血が出来るぜ」

「低血圧ってレバー食ってどうにかなるもんなのか……?」

「元カフェ経営者なめるなよ。一応調理師ばりの知識は持ってるんだぜ」

「なるほど。とりあえずアンタが調理師の資格持ってないのは分かった」

「真実を指摘されると俺泣いちゃうぜ」

 

 変な所で妙に冷静なダリルの物言いに俺はサングラスを外して泣き真似をする。しかし、奴はそんな俺にとても微妙な眼差しを向けるばかりだ。それを横目にちらと確認すると、俺は同情を得られぬと諦めて溜息を吐いた。

 

「まあ、なんだ? あんまり二人一緒に居ても、って事もあるだろうからな。たまには朝飯くらい別々にとってもいいんじゃねえか~?」

「ああ……何するにも一緒だったからな……メシも、訓練も、寝るのだって……学年違うから授業中はどうしても離れ離れになっちまうんだけど、昼休みとかはいつもオレの事迎えに来てくれるし……ちょっと一緒に居なかっただけなのに一刻も早くオレに会いたいって感じでよ……そこがまた可愛いんだけど……」

「あー今日のコーヒーは甘ぇなぁ!」

 

 言って俺は残りのコーヒーを一気に飲み干した。ったく、ラブラブなのか倦怠期なのかハッキリしてくれよ。これだから人間って奴は困ったもんだぜ。ここまで感情に振り回されるとは。俺も人の事は言えんのかもしれんが……。面白い。篠ノ之を含め、恋愛感情と言うものは人間を動かす大きな原動力となる場合がある。こいつもその一例って事かね。

 

「あっそうだ、いい事思いついた!」

「んん?」

 

 頭の上に電球でも浮かべるように閃きを得たダリルが机を立ち、俺の横に回って肩を組んできた。なんだ? 首でも絞める気かよ。と言うかあまり密着するな鬱陶しい。

 

「笑ってくれよ? イェーイ!」

「イエーイ?」

 

 訝しんだ俺の返答を待たずに、奴は手にした携帯のカメラのシャッターを切った。咄嗟に笑顔になる俺。カメラのフラッシュが瞬き、携帯の画面には満面の笑みを浮かべるダリルと中途半端な笑みを浮かべる俺が映し出されていた。

 

「よし! 悪くねえ写り……でもねえな。石動先生、笑顔が堅いぜ?」

 

 その写真を見て至極真っ当に微妙な評価を付けるダリルに、俺は首を傾げながら疑問を呈した。

 

「写真なんて撮ってどうすんだ? しかも俺みたいなオッサンのよ」

「フォルテの奴に送ってやるのさ……アイツが起きた時にびっくりするように。メールを見た時の驚きようが目に浮かぶぜ……!」

「面白いこと考えるねえ。後で結果、聞かせてくれよ」

「オッケー!」

 

 笑って言う俺にダリルもまた笑い、そして元気よくサムズアップしてそれを承諾した。

 

「じゃ、オレはここらで退散するぜ。サンキューな、石動先生。大分気が楽になった」

「気にすんなって。そんじゃ、Ciao(チャオ)~。さっさと仲直りしろよ~」

 

 既に空になっていた朝食の皿を持って席を立つダリルに手を振ると、奴も笑顔で小さく手を振り返してきた。ダリル・ケイシーか……中々に面白い女だ。三年生の中では希少――いや、唯一の専用機持ち。競争率の高いであろうアメリカの代表候補生に数えられることからもその実力が惜し計れる。奴の事もそれとなく視野に入れておくかね……俺は酷薄な笑みを浮かべた。それにありゃあ、ただの生徒じゃあねえ。俺にはわかる。何せ、奴は他の生徒と違ってどこか()()()()のだ。

 

 大国アメリカの代表候補生……流石にそいつは一筋縄じゃ行かねえって事か? あるいは何か別の理由があるのか……ともかく、何かあるのは間違いないだろう。俺はまた一つの発見を得て、パンを頬張りながら心からの笑みを浮かべた。その時だ。

 

「石動先生!」

「んん?」

 

 俺を呼ぶ声に振り向いた瞬間、俺の眼をカメラのフラッシュと思しき閃光が潰す。……まあ、俺自身は眩しさに眼が眩むなんて事は無いから下手人の顔も見えてはいた。しかしフラッシュを眩しがらないなんてのは不自然な行動、何処からボロが出るか分からない以上、完璧に人間を演じる必要がある。そう思って、咄嗟に眩しがるふりをした。

 

「うおっまぶしっ! ったくこんな事をしやがるのは……(まゆずみ)ィ! お前だな!?」

「おおっ、流石石動先生! 今の一撃で私の正体を見破るとは……」

 

 その言葉とは裏腹にまったく驚きを見せぬ黛。本当にお前俺に何の恨みがあるんだ……!?

 

「テメェまたまたやってくれたなぁ……? 今度こそ敗者に相応しいエンディングを見せてやろうか……」

「えっ? まだ何もしてませんよ。まあこれから帰って『教師石動惣一、アメリカ代表候補生のプロポーションに夢中か!?』って記事書くつもりですけど」

「そうかよし。その記事は絶版だ」

「どっこいそうは……あっ織斑先生おはようございます!」

「何!?」

 

 俺の背後に向けて頭を下げる黛を見て、また気配を消して近づいてきたのかと咄嗟に背後を振り返る。しかしそこには誰も居ない。気づいた時には既に黛は食堂の出口に向けて全力疾走していた。

 

「引っかかりましたね! それじゃ記事をお楽しみに! Ciao(チャオ)~!」

「あっ待てこのやろ――」

「石動惣一ィ!」

 

 黛を追おうとした俺を叫び声が引き留める。今度は誰だよ! うんざりとした俺が振り返れば先程ダリルが去ったのとは別の出入り口から一直線に迫るフォルテ・サファイア。その表情は正に鬼気迫ると言った具合だが、俺には理由が分からん。

 

「よおフォルテ。悪いが今忙しくてな、それにダリルならもう……」

 

 俺がダリルの去った出入口を指差すよりも早く、フォルテは俺の胸倉を掴み持ち上げようとする。いや、織斑千冬じゃあるまいし持ち上がりはしないんだが。証拠に奴の腕はプルプルと震えている。可愛いもんだ……いや待て朝っぱらから俺の服を皺にするんじゃあねえ!

 

「何故アンタがセンパイと一緒に食事をしているのか、何故密着して写真を取っているのか、何故センパイがそれをわざわざ私に送ってきたのかァ!」

「やめろ! それ以上襟引っ張るなー!」

「その答えはただ一つ……!」

「やめろっつってんだろ!」

 

 俺は勢い良く奴の手を振りほどく。フォルテは何歩かたたらを踏み、しかし泣きそうな目で顔を上げてこちらを睨みつけた。いやだから俺には理由が分からねえ。人間の感情……激情という奴か。ったく、溜息をつきたくなるぜ。しかしそんな俺の内心など露知らず、フォルテは俺をキッと睨んで指差して叫んだ。

 

「石動惣一ィ! アンタが私のダリルセンパイを奪い取ろうとしてるからッス!!!」

 

 言って懐から取り出した携帯を操作したフォルテは俺にその画面を見せつける。そこには本文無しのメール画面と先ほど撮影した俺とダリルの写真が映し出されていた。ただし、跳ねるような文字で『結婚します』と付け足されている。オイ待て……本当にやってくれたなあ……! 俺は去り際のダリルの笑みを思い浮かべちょっとげんなりとした。

 

「それは嘘だ。お前を騙そうとしてる」

「ダリルセンパイが私に嘘をついたとでも言うんスか!?」

 

 真っ赤になって地団駄を踏むフォルテ。その姿に周囲の生徒達がこちらに訝し気な目を向け、ひそひそと何やら話し始めている。だが、そんな視線に晒されながらも俺は先ほどとは打って変わって内心大笑いしていた。これこそ人間の感情の発露だ! 認める事を拒否する反応がこのような行動を引き起こす…………実に興味深い! 普段どちらかと言えばダウナーな人間であるフォルテがこれほど取り乱すとは……。

 

 こりゃ、俺も篠ノ之を初め一夏に対する生徒達への対応をもう一度考えるべきだな……上手い事煽ってやれば、奴らの戦力アップに繋がりそうだぜ……。そんな事を考えながら、俺はダリルのIS、<ヘル・ハウンド>のお株を奪うような燃え上がりっぷりを見せるフォルテを鎮火するべく語り掛けた。

 

「なあ、まずそのメールはダリルの端末から送られてきたんだろ? その時点でなんかおかしくねえか」

「アンタがダリルセンパイの携帯を借りてやったんじゃあないスか!?」

「説明してやるからちょっと落ち着いてくれよ……」

 

 苦笑いしながら、俺は諸手を上げて反抗の意思が無い事をアピールする。するとフォルテは肩で息をしながらも黙って俺を睨みつけるだけ。早く説明しろとその眼が俺に急かしている。ふむ……こういう時は下手(したて)に出るのが上策か。成程な。一つ学べた気がするぜ……。俺はうんうん頷いて、黙ってフォルテが落ち付くのを待つ。しばらくしてテンションの落ちてきたフォルテに対して、俺は事のあらましをかいつまんで説明した。

 

 

 

「…………そんじゃあなんスか、ダリルセンパイ、起きてこない私に怒って一人でご飯しにきて……」

「そんで俺と話しただけだよ。さっきの画像はお前への悪戯のつもりだろうなぁ。見事にしてやられた気分はどうだ?」

「死ぬほど恥ずかしいっス…………」

 

 耳まで真っ赤にして机に突っ伏すフォルテ。その様はより俺を愉しませる。今日の朝食は夏休みに入って最高の朝食だ。俺はにやにやとフォルテの頭を眺めて上から声をかける。

 

「何か俺に言う事無いか?」

「早とちりして申し訳ありませんでしたっス……」

 

 机に突っ伏したままのフォルテの頭に一度軽く手を乗せると俺はさっさと席を立つ。もう黛の奴は捕まえられねえだろうし、時間は既に七時半を回っちまってる。そろそろ教員室に出勤しに行かねえとだな……。

 

「フォルテ。お前はそこでちっと頭冷やしとけ……メシ食って、さっさとダリルに謝って来い。俺からはそんだけだぜ、さらばだ。Ciao(チャオ)~」

「すんませんした~……」

 

 いや、構わんさ。お陰でまた一つ俺は人間の感情を学んだ。確か嘗て<グリス>の変身者である猿渡(さわたり)も『激情!』だ何だと叫んでいたな。奴の強さの源はそこにあったのか……? 空いた時間にかつての戦いを一度整理してみるのもいいかもしれん。感情を知らなかった俺が見落としている『人間の強さ』。それが今の俺なら何か掴めるかも知れないからな。

 

 そのためにも、今日の事務は頑張って終わらせるとしますかね……。俺はそんな事を考えながら、教員室に向かって歩き出した。

 

 

 

 

 

「あ、石動先生。おはようございます!」

「おっはよーございます……あら、榊原(さかきばら)先生だけっすか?」

「あ、はい……皆さん今日はまだのようで」

「ふぅん……」

 

 教員室に着いた俺は先に居た榊原先生に挨拶すると部屋の中を見回した。夏休みなど当直の教師を除いて他の教師もまた帰省していたり、事務以外の作業をやっている事もしばしばだ。とりあえずコーヒー飲むか。俺は全自動コーヒーメーカーの前に立ち豆を投入。後は待つだけ、簡単だ。

 

 しかし、全自動と言うのがどうにも納得いかん。やはりコーヒーは回してこそだろう! 山田ちゃんが大枚はたいてこの全自動コーヒーメーカーを購入してくれたとは聞いたが、なぜ手動のコーヒーメーカーの使用が禁止にされてしまったのか。しかも俺と織斑千冬だけ。これが差別って奴か……俺のコーヒーを飲んでくれる奴も教員室にはいないし……。理由は嫌と言うほどわかってるんだがなあ。

 

 俺はちょっぴり沈んだ気持ちで出来立てのコーヒーの立てる湯気を眺める。美味そうだ……だが黒さが足りない。やはりあの暗黒領域めいた黒さ、あれがあってこそのコーヒーだと思うがね。しんみりとしながら俺は自身の席に腰を落ち着けて、コーヒーを一口。

 

 美味い。だが物足りないな……明日は自前のコーヒーメーカーを持ってくるとしよう。確かに備え付けのを使用してはいけないとはされているが、新しいのを用意してはいけないとも言われてないし、コーヒー作り自体を禁止されても無い。それに、俺個人が飲む分には文句も言われねえだろうしな……。

 

 よし、やるか! コーヒーを一気に飲み切って、俺は今日処理すべき書類を眺める。この量なら午後からは篠ノ之に訓練を付けてやれるかね。伸びを一つして気合を入れた俺はまず飲み終えたコーヒーを片付けようと席を立った。すると、榊原先生がどこか意を決したような顔で俺の元へと歩み寄って来る。

 

「あの、石動先生……」

「はいはい、何ですか~?」

「これなんですけど……」

「んん?」

 

 そう言って彼女が差し出したのは手の平に乗るほどの大きさの可愛らしい包みだ。それをつまみ上げるとかさりと中の物が音を立てる。そう重くはない……金属じゃあ無いみたいだな。

 

「こいつは何です? どっかのお土産? 旅行でも行ったんですかい?」

「あ、いえ。クッキーです。昨日ちょっと焼いたんですが食べきれなくて……コーヒーと合うので、良ければ是非……」

「おおっ、そりゃどうも!」

 

 俺は大喜びでその包みのリボンを解く。中には素朴なクッキーが5枚ほど。甘い香りが立ち上り俺の鼻を擽る。成程……コーヒーと別の食べ物を組み合わせるという発想は俺にはなかった。よくよく考えれば、戦兎も二つの成分を組み合わせたベストマッチによって一つの成分では実現できない強さを生み出して見せていた。こりゃ一本取られたな……人間からまた一つ学ばされたぜ……。

 

「こいつは美味そうだ! っと、コーヒー飲み切っちまったな……もう一杯煎れて来るんで少々お待ちを」

「あ、私が煎れて来ますよ。ちょっと待っててくださいね」

 

 一旦席を離れる榊原先生。俺はそれを見送るとクッキーに視線を移す。いやまさか俺が人間からの施しを受けるとはな……だが悪い気はしない。むしろ、俺が今までこの学園で培ってきた信頼の表れと言うべきか。実際、俺の事を警戒してる教員なんて織斑千冬と轡木(くつわぎ)の爺さん位だ。

 

 あの爺さんは何やら偉い立場に居るからなんだろうが……織斑千冬の警戒っぷりはちぐはぐでよく分からん。俺をひどく警戒している時もあれば俺の提案をすんなりと飲むこともある。だが、発信機を装着し続ける指示を継続していることからも俺の事を完全に信頼していないのは明らかだろう。お陰様で俺はこの夏休みに気軽に外出することもできん。全く、出来ればこの周辺の地理も頭に叩き込んでおきたいんだがな……。

 

「お待たせしました石動先生。どうぞ」

「どーもどーも! それじゃ、いただきます……!」

 

 コーヒーを受け取り、俺はクッキーを前に手を合わせた。そのままクッキーをつまみ上げ、一口。さくさくとした食感に、強い甘みが口の中に広がった。これだけでも十分に美味い。さて、コーヒーとの組み合わせは……? 俺はカップを持ってそれを煽り、次の瞬間目を見開いた。

 

「……どうですか、石動先生?」

「…………コーヒー、クッキー、ベストマーッチ……!」

 

 榊原先生の心配そうな声を他所に俺は驚愕しながら顔を上げた。クッキーの甘みとコーヒーの苦味が互いに作用し合い、凄まじい満足感を生んでいやがる! まさか特定の食べ物との組み合わせでコーヒーの美味さがここまで跳ね上がるとは……! これは早急に自分のコーヒーでも試してみる必要がある!

 

「いや、いや、本当に美味い……!」

 

 思わずつぶやいたその言葉に榊原先生はぱぁっと明るい顔を見せる。うむ、そりゃ人間褒められて悪い気がする状況はそう多くはない。予想通りの反応だ。このまま褒め殺して行くとするか。

 

「まさか榊原先生がこれほどのクッキー作りの名人とは……御見それしました! どうです? もし揃って学園をクビになったら一緒にカフェを開くってのは……」

「い、一緒にですか!? そんな……!」

「あ、こりゃ失礼! セクハラ認定は勘弁してください。そうだ、榊原先生もクッキーどうぞ!」

 

 俺は榊原先生の眼前につまんだクッキーを差し出した。すると彼女はこれ以上無く真っ赤になり口をパクパクとさせるばかり。ふむ、この反応は素直に予想外だな。そこは大人しくクッキーを受け取って食うべき所だろう。何かがこの女の感情に強い影響を与えたのか? 良く分からん。

 

 だが、それはそれで悪く無い。分からないという事が『解る』と言うのは、つまり課題の発見だ。この行動を生み出した感情を理解すれば俺は更に人間を理解できるかもしれん! 俺はそのまま今は理解できぬ行動をとる彼女を見据え続ける。そうして長そうで短い時間が経った後、彼女は覚悟を決めた様に俺の差し出すクッキーに顔を寄せた。

 

「あ、あーん……」

「あん?」

 

 榊原先生は何を思ったか目を閉じ、そのまま口を開けて俺の持つクッキーの前で動きを止めた。隙だらけだ。いや、あえて隙を見せる事で親愛を表す人間のコミュニケーション手段か……しかし少なくとも石動や今使っている肉体の記憶にこの行動についての情報は無かったはず……。俺のリサーチ不足か? ビルド世界では俺以外にも<ブラッド>の三人が細かい情報収集や情勢操作をしていてくれたので、意外と俺は広いコミュニティを知らない。しかしそれでも人間のコミュニケーション手段の大半をマスターしたとは思っていた。

 

 だが、ここに来て新たなコミュニケーション手段と対面するとは……やはり人間は面白い! 俺はにやりと笑って、この眼前の人間にどう対応するかを思案した。まず考えられるのはこの口の中にクッキーを突っ込む事だ。かつて石動が幼少期の美空とそんなワニを象ったおもちゃで遊んでいる記憶を見た覚えがある。恐らくはクッキーだけを残して口から手を引き抜き、自身の指は齧られぬようにする……そんな所だろう。ゲーム感覚でなかなか面白い!

 

 ……だがしかしそれにしては緊張感が無い。この案は却下だな。さて、次の案だ。一体どうするか……。

 

 そう俺が思案していると誰かが音もたてずに戸を開き、そっと教員室に入ってくる。織斑千冬だ。奴め、普段から気配を消す訓練でもしてるのか……? クッキーを差し出した姿勢のまま俺が訝しんだ目を向けると、持っていた書類に目を向けていた奴が顔を上げる。瞬間、織斑千冬は突如硬直した。どうした? 挨拶も無しか? 俺が白い目を向けても普段のようにそれに対抗する事もなく、奴は俺と榊原先生を何度か見比べ、しまったという顔で後ずさって細心の注意を払いながら廊下へと出て行ってしまった。

 

 何だったんだ……? 俺はまたその行動を理解できずにいると指先からさくり、と言う振動。見れば榊原先生がどこか憮然とした顔で俺の持っていたクッキーの半分を咀嚼していた。しまった、制限時間があったとは……! 俺は己の不覚を自覚して一瞬顔を歪ませるが、気を取り直して彼女に話しかける。

 

「ど、どうっすか? ってまあ自分の作ったもんですし、味は知ってますよね?」

「……いえ、別に。ありがとうございました。それでは」

 

 急につっけんどんになる榊原先生。……これはアレだな? 人間の女心と言う最も理解が難しいと言われる領域に踏み込んでいるな? 全く、人間でも未だ解明できていない領域らしいからな、今の俺では力不足か……。俺は半分だけ残ったクッキーを口の中に放り込んでざくざくと咀嚼する。すると、こちらの様子を伺っていた榊原先生が先ほどの織斑千冬のように硬直し、赤くなった顔を伏せて外へと走り去ってしまった。

 

 ――――本当にわからん! 人間という奴は愛すべき生命体ではあるが、ここまで難解とは思っても見なかった! 戦兎よぉ、お前ならこういう時どうする……? 奴の天才的頭脳であっても女心は理解できないものなのかという興味が俺の中に湧いた。しかしそれを問う手段も無いし、聞いた所で答えてくれるとも思えん。

 

 結局自分で理解するしかないという事か……俺は目の前に立ちはだかる長い道のりに溜息をつく。幾らお前に貰った『人間の感情』があるとしてもそれだけでどうにかなるか分からんな……まったく、本当に人間は俺を飽きさせない玩具だよ。

 

 ひとまず眼前の書類を消化するとしよう。早めに事務を終わらせて午後一で鍛錬を開始する。篠ノ之でもいろいろ試してみたいからな。そう思って俺は書類をめくってペンを取るのだった。

 

 

 

 

 

 

「では石動先生、今日もよろしくお願いします!」

「おう、よろしく頼むぜ~」

 

 修練場で俺と篠ノ之は向かい合った。今日は互いに道着を着ている。何せ今回は生身での戦闘訓練だからな……何故そんな事をしているかと聞かれれば、単純に今日はアリーナが満員御礼だからだ。そう言う日はたまにある。幾ら専用機を持っているからって滑り込む隙間が無ければ問題外だ。それに今は一夏も家に戻ってるし、ここは体を動かして上手い事ストレス発散してもらう為にこの訓練を組んでいる。

 

 それに篠ノ之もまだまだ成長期だしな。時折生身の体を動かしておかないと何があるか分からん。その為、俺はちょくちょくトレーニングに生身での戦闘訓練を導入していた。

 

 元来、俺達<仮面ライダー>の戦闘におけるメインは肉弾戦だ。故に俺にも多少の体術の心得はあった。ライダー達の戦い方なんてそれぞれの我流に等しい以上技術的な事を教えてやる事は出来ないが、少なくとも実戦練習にはなる。

 

 ま、本気を出すような大人げない事は俺はしない。それはそれでボロが出るかもしれんからな。織斑千冬ほどでは無いとは言え、篠ノ之もそれなりの手練れとなってきている。スタークとの戦闘経験も一夏やデュノアと同じく一番多いし、女の勘という奴は馬鹿にならんらしいからな。

 

 そんな事を考えていれば、正面に立つ篠ノ之が構える。確か<篠ノ之流>、だったか? 何度か拳を交えてみてわかったが中々に実戦的な流派と言える。それにこの世界の人間はビルドの世界の一般的な人間より訓練次第で高い身体能力を発揮するようだしな。篠ノ之もその例に漏れず、<ガーディアン>程度となら余裕で渡り合えるであろう強さには到達していた。

 

 <ネビュラガス>の注入無しでそれ程の強さを身に付けるというのは中々に興味深い物だ。どんなに似ていてもここは別世界、そもそもの人間の能力基準が違うのかもしれんな……。と、言っても万丈並のふざけた身体能力を持っているのは織斑千冬や篠ノ之束くらいの物だろう。<ドラゴンフルボトル>の助けがあったとは言え、アイツはネビュラガス注入からそう経たないうちに<ビルド>用の装備である<ドリルクラッシャー>をスマッシュに突き刺さるほどの勢いで投げつけていたからな。流石は俺の半身だぜ。

 

「失礼する」

 

 その言葉と共に修練場の扉が開いた。織斑千冬。その後ろにはボーデヴィッヒ。揃って何をしに来た? 二人は靴を脱いで畳の上に上がると俺の前に立つ。だが、織斑千冬の動きが何やら怪しい。俺と視線が合うとそれとなく憮然とした顔を強めるのだ。

 

 どうした? いつものこの女なら俺が何かを言う前に苛立つなんてことはないと思うんだが。そんな様子がらしく無くてむず痒さを感じる。そんな事を考えていると、織斑千冬は複雑な顔をして口を開いた。

 

「石動……ごほん! 実は朝に言おうと思っていたのだが、お前と榊原先生の邪魔をしては悪いと思っていたらこの時間まで話が出来なかった。すまない」

「いや何の話か見えてこねえんですけど。順序立てて話してくださいよ」

「うむ……実は、ラウラの奴に少し鍛錬を付けてもらいたくてな。本来は私がやるべきとは思うのだが最近はひどく忙しい。ゆえに、お前に頼もうと思い立ってここに来た訳だ」

「何で朝言ってくれなかったんすか? そうすりゃ準備しといたんすけど」

「あの状況で言えるか!」

 

 声を荒げて言い放つ織斑千冬に、俺はひどい違和感を感じた。そのまま訝しんでいると篠ノ之がそっと近寄って俺に耳打ちしてくる。

 

「石動先生、『あの状況』とは?」

「別に何も無いぜ~ただ一緒にコーヒー飲んでただけさ」

「はぁ……良く分からないですね」

「だろ?」

 

 俺達二人でひそひそと話をしていると腕を組んだ織斑千冬が段々と苛立ってくるのが分かって、それに気づいた俺はあっさりとその提案を了承した。

 

「大体分かった。ボーデヴィッヒ。お前が俺の訓練を受けたいってのなら構わない。ビシバシ行くから覚悟しとけよ」

「……ありがとうございます」

 

 俺の言葉にボーデヴィッヒは大人しく頭を下げた。どう言う心境の変化だ? 臨海学校での篠ノ之との会話で何かあったのか? 流石に俺もそれを聞くほど篠ノ之の個人的な事情に踏みこんではいないし……まあ、俺にとって損はない提案だからな。大人しく請けさせてもらうとしよう。

 

「とりあえず篠ノ之。道着の予備があったな? 今日だけボーデヴィッヒに貸してやってくれねえか? 頼む」

「はい、分かりました。少し袖が長いかもしれませんが……」

「その辺は仕方ないさ、次までにどうにかすればいい。よし、ボーデヴィッヒ、お前道着に着替えて来い! 案内頼むぜ、篠ノ之」

「はい!」

「私も同行しよう」

 

 織斑千冬がそう言ってボーデヴィッヒの横に立つ。いやお前、忙しくて俺に任せるつもりなんじゃなかったのか? ……別に織斑千冬の細かい予定まで把握出来てない以上、言っても野暮だとは思うがね。

 

「へいへい、とりあえず時間は待ってくれないんだ。さっさと着替えて来な」

「はい。行くぞボーデヴィッヒ」

「い、いいのか? その、我々は夫婦関係にあるのに服を共用するなど……」

「夫婦関係ではないので問題ない」

 

 言い合いながら修練場を後にする彼女らに視線を向けながら、俺は腹の中で笑った。Good job(グッジョブ)だぜ織斑千冬! これで自然にボーデヴィッヒの戦闘データを収集できる! しかし、二人分見なきゃって事は更に余暇の時間は短くなりそうだが……ま、背に腹は代えられんからな。ボトル制作が多少遅れようとボーデヴィッヒの戦闘能力の調査、そして奴自身のレベルアップは重要だ。たまには一夏やオルコット、(ファン)やデュノアの様子も見に行きたいんだが……それはそれか。後々うまく調整していけばいい。

 

 俺は水筒の水を口に含んで、畳に腰を下ろし胡坐をかいた。とりあえず、早く戻ってきてくれ。さっきも言ったが今日の時間も限られてるんだからな……。

 

 

 

 

 

 

 十分ほどして戻ってきた篠ノ之とボーデヴィッヒを並ばせ、俺は今日の鍛錬の説明を始める。

 

「よし。篠ノ之には説明したが、今日は体術の鍛錬をするぜ。篠ノ之の腕は大体分かってるが……ボーデヴィッヒ、お前格闘技の経験は?」

「……ドイツの軍隊式格闘技を修めています」

「おう。俺を投げ飛ばした時の動きはまだ覚えてるぜ~。ありゃあ、正直痛かった……」

「あの時は申し訳ありませんでした」

 

 そう頭を下げるボーデヴィッヒ。しかし何となくだが、その行動は本心からではない気がする。いや、訓練にかける熱意はしっかり感じるのだが、俺が教官であるという事に不満があるように見えるのだ。まあ分からんでもない。ボーデヴィッヒは一度俺を軽々放り投げてるんだ。あの時無抵抗だったおかげで、俺の能力に疑念を持っている……そんな所だろう。当然の事ながら、自分より弱い人間に教えを乞うなんてのは下の下だ。しかし、今回俺を選んだのは織斑千冬だろう。そりゃアイツは逆らえない。嫌々ながら自分より弱い相手に教えを乞う……不本意だろうな。

 

「着替えてもらって何だが、今日はほとんど見学だ。とりあえず篠ノ之と俺がどういう訓練してるか、ちょっとばかし見ててもらうとするぜ」

「了解です。楽しみにしています」

 

 ……ほう。言って笑うボーデヴィッヒに、俺は少し心が躍った。俺が自分の能力をアピールするつもりだったのと同様、向こうも俺を試す気満々らしい。面白い! ならお前の師に俺が相応しいかどうか、その眼で確と見てもらおうじゃねえか。

 

「で、問題は――――」

 

 しかし俺は、そこで彼女らの横に立つ()()()に目を向けた。そいつは自前の道着を着て、何時でもいいぞと言いたげに臨戦態勢に入っている。

 

「何で織斑先生まで道着に着替えちゃってるんですかね?」

 

 白けたように言う俺に対して、織斑千冬は鼻を一度鳴らして言った。

 

「その答えはただ一つ……私もお前の訓練とやらを体験してみたいからだ」

「ちょっとぉ!? なんすかそれ!?」

「何だと言われてもな……嘗ての部下を任せるんだ。ちゃんとした訓練が行われているのか私にはチェックする義務がある。それに最近体が鈍っていたからな……丁度いい機会だし、ついでに私も少し鍛え直そうと思って」

「いやいやいやいや! 織斑先生今更鍛え直す必要無いくらい強いじゃないですか! これ以上鍛えて世界征服でもするつもりですか!?」

 

 勘弁してくれ! お前は今俺が一番警戒している相手だぞ! 確かにお前の情報を手に出来るチャンスではあるが、生身、更に<エボルト>としての力を使う訳にもいかぬとあればこの女の実力を引き出すのは無理だろう。しかもヘタすれば動きの癖からスタークとしての俺の素性を見抜かれる可能性もある。正直荒唐無稽(こうとうむけい)な話だが、この女ならやりかねん。そう思うほどには、俺は織斑千冬を警戒していた。

 

「何だ石動。お前、私に鍛え直されると何か困る事でもあるのか?」

「あー…………これ以上強くなられると出席簿で殺されかねないかなー、なんて」

「今張り倒してやってもいいんだぞ」

 

 先ほどとは違って調子を取り戻したか、にやりと笑う織斑千冬に俺は観念したように肩を落とした。余りに拒絶し続ければ不自然だ。ここは大人しくこの女も訓練に参加させるより無いだろう…………おそらく、奴がこういう行動を取った原因は俺がスタークとして勝利してしまった事だ。しかし、まさか織斑千冬自身が鍛錬を始めるとは思ってなかった。大方剣を携帯するようになったり俺と戦う時はISに乗ってくるとかだとタカを括ってたぜ……。

 

 クソッ、まあしかしやるしかない。時間も無いし、ボーデヴィッヒにも認めてもらわなきゃならんし。それに幾ら強くなったとは言え、篠ノ之はまだまだ俺には遥かに及ばん。とりあえず二人には見ているように促して、修練場の中心に立って俺達は向かい合った。

 

「うし、とりあえず構えろ篠ノ之。観客が居るが……そろそろ見られる練習もしといた方がいいと思ってたからな。丁度いい」

「はい……よろしくお願いします」

 

 礼をしていた頭を上げ、篠ノ之が構える。それに対する俺は首を傾けあくまで自然体だ。織斑千冬の眉がぴくりと動く。

 

「いつも通り、負けたと思ったら感想戦でよろしいですか?」

「そうだな……今日は観客もいるしなあ……それに加えて、とりあえず3分でやろう。それでいいか?」

「了解です」

 

 俺達は時計に目を向ける。丁度時計は13:29を指していた。俺と篠ノ之は目線を交わし合い、どちらともなく13:30から戦いを始める事を理解する。さて、どれだけ腕を上げたか……そして、ボーデヴィッヒと織斑千冬という我がクラスの実力者を前にどれだけの力を発揮できるのか……見せてもらおうか、篠ノ之!

 

「行きます!」

 

 言うが早いが篠ノ之が畳を蹴る。速い! 畳の長辺二枚分の距離を一瞬にして詰め、俺の胸に向け鋭い突きを繰り出してきた。俺は一歩身を引きその拳を空振らせる。しかしそれによって更に勢いを付けた篠ノ之が二発、三発と突き出し、徐々に肉薄してくる。一瞬口元を緩める篠ノ之。それを見て俺は小さく溜息を吐いた。四発目の突きを俺の右手が正面から受け止めそのまま()()。驚愕する篠ノ之に対応さえ許さずそのままに握った拳を引っ張り、前進していた勢いを利用され体勢を崩した篠ノ之のがら空きの脇腹を軽く手で叩いた。

 

「一回だな」

「くっ……!」

 

 俺とすれ違う様に畳を転がった篠ノ之はすぐさま立ち上がり構えを取り直す。俺は相変わらず首を傾けた自然体。丁度その距離は畳二枚の長辺分。場所は変わったが、間合いは修練の始まる前……文字通りの振出しに戻っていた。

 

「篠ノ之ォ、今のはどうだ?」

「はい、完璧に釣られました。一瞬突きで行けると思ったのですが」

「思わせたんだぜ~。ああいう時は拳に拘らず素直に蹴りを使うといい。一つの技に拘るのはお前の悪癖だぜ」

「はい……! もう一度お願いします!」

「よし、次はこっちから行こうか」

 

 そこで、俺が初めて構えた。一度右手を左手に打ち付け、右拳を引き左手を前に出す。その構えは万丈と同じもの。この世界の人間には知る(よし)も無いが、俺が奴を吸収した際にその戦闘経験もほぼコピーしている。そうで無きゃ奴から生み出した<エボルドラゴン>を扱いきれなかったからな。それに万丈の動きなら織斑千冬にスタークとの共通点を見出される事もない。ゆえに、今扱うには最善の動きと言えた。

 

「ま、悪いが……『今の俺は、負ける気がしない』ぜ?」

「生身では、未だに片手で数える程度しか勝てた事はありませんがね……!」

 

 俺の挑発に篠ノ之は挑戦的な笑みを浮かべる。いい向上心だ、素晴らしいぜ本当に! 俺は笑って篠ノ之の懐で構えた。そのまま奴の反応を待たず鳩尾(みぞおち)、あるいは水月に触れようとして、顎へ向け迫る右膝を前に咄嗟に飛び退き再び構え直した。そこに篠ノ之が反撃とばかりに左右の突きのコンビネーションを打つ。

 

「コンパクトかつクリティカル! 今の膝は良い反撃だったぜ!」

「ハアッ!」

 

 その連続攻撃を捌きつつ褒める俺の言葉を無視して篠ノ之は槍じみたサイドキックを繰り出す、だが俺は体を逸らしてそれを脇腹で抱え込み、関節の極まる方向へと回転し奴を滑稽に跳ね回らせて転倒させ、転がる篠ノ之に飛びかかりその顔に拳を突きつけた。

 

「……これで二度目だな。今のは何かあるか?」

「勝負を急ぎました……大技はもっと相手の態勢を崩してから打つべきだったかと」

Good(グッド)。その通りだ。膝は?」

「大丈夫です、続きをお願いします」

「いや、ダメだ」

 

 その言葉に、肩で息をしていた篠ノ之が目を丸くする。俺は笑って時計を指差した。そこでようやく篠ノ之も既に三分間が経過している事に気づき、姿勢を正して礼をする。俺はそれに小さく応え、自身の頬を伝う汗を拭った。

 

 流石に、織斑千冬に見られているという緊張感は半端じゃあ無いな……! 俺も少々力んでいたかもしれん。そこで一度深呼吸をして壁際まで行き、俺は水筒の水を一口飲みこんだ。ふと見学者の方を見れば、ボーデヴィッヒはその眼を見開き、今すぐにでも俺と戦いたいと訴える獰猛な視線をぶつけてきている。どうやら多少は認めてもらえたようで何よりだ。

 

 さて、織斑千冬は、と……しかし俺がそちらに視線を向けても、正座していたはずの奴はどこにもいない。お手洗いか? と思ったその時。

 

「お、織斑先生?」

 

 篠ノ之の声に反応して修練場の方を向けば、その中心で織斑千冬が仁王立ちしていた。

 

 その闘気……殺気? は俺の皮膚に鋭く突き刺さり、人間の体が生存本能に打ち震える。いや待て、お前見学者だろう。何やる気満々でそこに立ってやがるんだ!

 

「……あの? 織斑先生? 今日は見学のはずじゃ?」

 

 言いにくそうに俺は奴に声をかける。しかし奴はそれに首を鳴らして朗らかに答えた。

 

「最初はそのつもりだったのだがな……あのような物を見せられて滾らぬ武人は居ない。石動惣一。私とも手合わせ願おうか」

 

 言って奴は右手を伸ばしくいくいと手招きをしてくる。やばいな。ありゃ完全に本気だ。どうするか……流石にこの体の性能だけで奴に勝つのは不可能だ。と言うか、ブラッドスタークとほぼ互角な相手に生身で挑むなんて自殺行為そのもの。それに俺にメリットが一切ない! ……仕方あるまい。正直無様にも程があるが……ここは何とか誤魔化すしかねえだろう! 言い訳など、後で幾らでも出来るのだ。生きてさえいればな!

 

「グワーッ膵臓(すいぞう)!」

 

 俺は叫び、丸太めいて修練場の床を転がった。篠ノ之、それにボーデヴィッヒがきょとんとしてその俺の様子を見ている。

 

「急に膵臓が! 痛たたた……! こ、これは今日の訓練は中止するしかない……! すみません織斑先生、その話は後日と言う事で――――」

「ハアッ!!」

 

 瞬間、瓦を割るが如く真上から叩きつけられた拳を俺は跳ね飛び躱していた。そのまま踊りでも踊るように回転し、織斑千冬と相対する。

 

「……石動。私はおふざけが嫌いだ。それに戦いの場から背を向けて逃げ出すような者も嫌いだ。分かるな、石動?」

 

 残心したまま顔を上げる織斑千冬。その眼から放たれる殺気に俺の全身に鳥肌が立った。逃がしちゃくれそうに無えな……。俺は溜息をつき、諦めて奴の前に立った。

 

「やる前に一ついいすか?」

「何だ? 言ってみろ」

 

 尊大に言う織斑千冬。しかし、奴の纏う雰囲気がそれへの異論を許さない。これが世界最強(ブリュンヒルデ)か。いつの間にか篠ノ之とボーデヴィッヒは並んで正座し、だらだらと冷や汗を流している。だがそれにも無頓着な俺は織斑千冬の目を見てうんざりとしたように言った。

 

「戦うのはいいんですけど……俺にメリットが少なすぎるんすよね。織斑先生のわがままに付き合うんだから、俺にもなんか利が無いと……そうは思いませんか?」

「ふむ」

 

 俺の言葉に奴は思案するように顎に手をやり、肌を刺すようだった殺気が目に見えて薄まる。篠ノ之とボーデヴィッヒの二人は相当辛そうだが本当に大丈夫か?

 

「そうだな。今度飯にでも連れてってやる。当然、私の奢りでな。それでどうだ?」

「安いっすね」

 

 その瞬間織斑千冬の殺気が一気に高まりボーデヴィッヒが失神した。あーあ、可哀想に……ドイツ時代も相当しごかれてきたんだろうなァ……。そんな場違いな感想を抱いた俺に、最早容赦のひとかけらも見えぬ顔で織斑千冬は拳を鳴らした。

 

「いいだろう。そんな口の利けぬ程の店を紹介してやる。それと……この後もしばらく口が利けなくなるくらいは覚悟しておけ」

Oh my(マジかよ)……。分かりました。始めましょう……あんま、期待し過ぎないで下さいよ?」

 

 俺は半ばやけっぱちになって拳を構えた。織斑千冬も先ほどの篠ノ之と良く似た――――いや、同じ流派と思しき構えを取る。そのまま俺達は睨み合った。動けぬ俺に、動かぬ織斑千冬。そして、正座したまま硬直する篠ノ之。その顎から汗が一粒道着の上に、ぽとり。

 

 その音を合図に、俺と織斑千冬は激突した。

 

 

 

 

 

 

「ひーっ、痛え……」

 

 放課後。俺はふらふらと自室に向かって歩みを進めていた。今日はえらい目に遭ったぜ……織斑千冬め。もっと加減しろってんだ。ハザードレベルは……4.9。下がってなくて安心した。不幸中の幸いか。

 

 しかし今日はもうダメだな。こういう日はさっさと飯食って風呂入って寝るに限る。ボトル作りも休止だ。俺自身に睡眠は必要ないが、出来ないわけでもない。人間の体の中で自身を休める事で単純に体力を回復できる。今まではそれが必要になるほど追いつめられることが殆ど無かったと言うだけだ。まあ、必要になったのはどれも織斑千冬による渾身の一撃によってなのだが……。

 

 一歩進むたびに全身が悲鳴を上げた。まあしかし、これで奴も俺に安心してボーデヴィッヒを任せてくれるだろう。篠ノ之という育成実績もあるし、俺自身の実力も奴ら認めてくれたようだしな…………。と言うか、そうでもなけりゃあ割に合わん。あんなヤバイ女は火星に居た<ベルナージュ>以来だぜ……。

 

 ――――そう言えば、この世界での火星はどうなっているのか。文明があるという風には言われていないが、万が一と言う事もある。<完全体>の力を取り戻したら真っ先に様子を見に行かねえとだな……。

 

 思案しながら、俺は這う這うの体で自室へと辿り付いた。<ロックフルボトル>を使い扉を開け、疲れ切った俺は後ろ手にドアを閉める。

 

「あ痛っ!」

「……んん?」

 

 その声に振り返れば、ドアと壁の隙間に爪先が差しこまれ、完全にドアが閉じるのを防いでいた。

 

「誰だ? 勘弁してくれ……今日俺はもう過労死一歩手前なんだよ……」

「石動先生、少しお話がありまして。ちょーっとだけ、お時間よろしいかしら?」

「悪いけど今日の俺はもう閉店さあ……またのお越しをお待ちしております……」

 

 俺は半ば怒りに任せ無理矢理ドアを閉めようとする。しかし思った以上に織斑千冬に受けたダメージが大きかったか、あるいはこの生徒の力が俺の想像を上回っていたか。一気に開いたドアによって俺は室内に転がされ敷いてあった布団の上に大の字になって沈黙した。

 

「あらあら、ごめんあそばせ……って、本当に大丈夫ですか?」

「お嬢様、やはり今日は出なおすべきでは……」

「やーよ! 『石動惣一の部屋』と言えば誰も中を知らないという<IS学園七不思議>の一つ! 秘密は甘いもの、暴きたくなるのは自明の理だからね」

 

 先ほど俺と話していた声の持ち主とは別に、もう一人の女子が一旦引くことを提案する。だが当の『お嬢様』はそれをあっさりと拒否して、不可侵領域を今まで維持してきた俺の城への初の侵入者となった。

 

 俺は上体だけを起き上がらせその女を睨みつける。水色の髪に自信に満ち溢れた笑顔。タイの色は二年生か。ベスト風に改造された上着の制服に、これでもかと丈を詰められたスカートと赤紫がかったストッキング。一目見ればすぐには忘れないほどの容姿の持ち主だ。しかし、俺の記憶にこのような生徒の姿は無い。転入生……にしては<学園七不思議>だの随分とこの学園に詳しそうだ。休学者とかか? 俺は一瞬思案して、しかし疲れからか考えるのも億劫になって、悲痛な面持ちで頭を抱えた。

 

「なあ……もう今日は仕事は終わりっつったろ……何の用だよ勘弁してくれよ~……」

「そのお話の前に、まずは自己紹介を」

 

 俺の前に歩み出た生徒は底の見えない微笑みを見せて優雅にスカートの端を摘み(それやるならもっと丈長くした方がいいと思うぞ)、一礼すると手に持っていた扇子を鋭い動作で開く。そこには筆による物と思しき『相見(しょうけん)』の文字が描かれていた。

 

「私は、このIS学園の生徒会会長……<更識 楯無(さらしきたてなし)>。以後お見知りおきを、石動先生♪」

 

 




『仮面ライダービルド 最終回・後夜祭 第二弾~マックスハザードオン!~』行ってきました。
オフレコ案件が多すぎてすごかったし、映画Be The Oneで三回も涙汁を出した。
とりあえずカミホリ監督はネコ派、それだけは真実を伝えるしかない。

恋愛……エボルトに恋愛は必要なのか……?

最近ゾンズとウルトラマンネクサスまた見てたので連続ドラマ的な切りがやってみたかった。
会長もかなり書くのに労力要るキャラですねこれ……扇子が天敵過ぎる……。
後コメット姉妹は名前だけの出演で本編に出る予定はないです(アーキタイプブレイカー触ってないし)


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ロシア代表より愛をこめて


駆け引き回です。頭使うの好きなんだけど整合性とるのむずかしい……難しくない?
戦兎ばりの知能とエボルト並みの機転、話術がほしい(グリードばりの強欲)

お気に入り1800件、15万UA、そして感想評価誤字報告いつもありがとうございます。
とっても励みになってますし、助かっております。


 

「結論から言うとだな…………『今は』嫌だ」

 

 目の前で腰を下ろし、朗らかに微笑む更識(さらしき)とやらに向けて俺は嫌悪感を隠さずに答えた。

 

「実はな、俺は織斑千冬に酷く痛めつけられて見ての通りボロボロなんだ。正直、飯も風呂もいいから今すぐ寝ちまいたいくらいなんだよ。ちゅー訳で今日は帰ってくれ。暇な時なら俺も誠心誠意相手するからさ……」

「まあまあそう言わずに。しかし、思ってたよりも随分殺風景なお部屋ですね石動先生。もっと人には見せられないようなあれやこれやが一杯なのかと期待してたんですが」

「見せられないような物があるかもしれない部屋に押し入ってきたのかよ。いい趣味してるぜ」

「お褒めいただき嬉しいですわ♪ ああ、そうだ。これ、ロシアのお土産なんですけど良ければどうぞ。マトリョーシカ人形です。いい趣味してますでしょ?」

「そうね……」

 

 俺は早くもこの女との対話にうんざりしていた。普段の俺なら彼女との会話を喜々として楽しんでいたのだろうが、今日はすこぶる虫の居所が悪い。ボロが出かねんので、一刻も早く帰ってほしいと思う。俺の経験上、苛立ちや怒りと言った感情はもっとも制御が難しい物だ。

 

 何せ戦兎(せんと)達のハザードレベルを上げるのに最も役に立った感情だからな……そこでふと俺は、万丈(ばんじょう)の恋人の殺害を提案した郷原(ごうばら)の事を思い出した。

 

 奴ら三人、俺の居なくなった世界で何やってんだろうなァ。戦兎達が居る以上俺抜きでの地球滅亡は不可能だし、もしかしたら揃って消滅してたりしてな。三都知事になれるように段取りは進めていたが俺はこうして別世界に飛んじまったし……なんにせよ一騒動起こしちゃあいるだろうな。俺も是非立ち会いたかったぜ。

 

 受け取った拳大ほどの大きさのマトリョーシカ人形を握って、俺は何となく上下に振る。中の人形がカチャカチャとぶつかる音がした。

 

「あら、ダメですよあんまり振っちゃ。マトリョーシカさん達が可哀想です」

 

 言ってよよよと泣き真似をする楯無。そのクオリティの高さに俺は唸った。本当に残念だ。普段話しかけてくれりゃあもう少しいい対応が出来るだろうによ。

 

「悪い悪い……出来れば、ズタボロの俺の事も可哀想だと思ってくれると助かるんだけど」

「それはそれ、これはこれですね。頑張って!」

 

 

 殺すか。

 

 

 そんな考えが過ぎった瞬間更識はほんの僅かに眉を(ひそ)め、ぱちんと小気味いい音を立てて扇子を閉じた。その笑みは穏やかではあるが、口は先程の様に言葉を連ねる事も無くこちらの様子を伺っている。ほんの少しではあるが、俺を警戒するように緊張が走っているのが見て取れた。

 

 その態度に俺の中の好奇心が頭をもたげた。この女、織斑千冬ほどじゃあないが……中々に出来る。一筋縄じゃあ行かないかもしれんな。そういやフォルテ以外に2年生にはもう一人専用機を持つ生徒がいると聞いていたが、一学期にはそいつの姿は影も形も無かった。そしてこの女の持つそこらの生徒とは格の違う雰囲気…………なるほど、今まで不在なら見つからんわけだ。

 

 俺は大きく溜息を吐いて、幾つかの思惑を頭の中で巡らせた。ともかくまずはこの女を追い出す事だ。部屋を見られただけなら殺すほどのリスクじゃない。それに専用機を持っているであろうこの女の実力は未知数。だがおそらく、生半可なもんじゃないだろう。しかし後ろに控える淑やかそうな女ならどうにかなりそうだ。人質にして殺すもよし、殺して動揺した隙に殺すもよし。二人そろって記憶を消す……のは流石に後始末が面倒だな。こいつら二人も建物内の監視カメラとかに映ってるだろうし。

 

 長身で眼鏡をかけ、髪を三つ編みにしたその生徒はタイの色を見るに三年生。三年の専用機持ちはダリルだけのはずだし、少なくとも無力化は容易い。そう俺が殺伐とした視線を向けると、その女は眼鏡越しの瞳をさっと逸らした。

 

「そういや、そっちの三年。名前は?」

「生徒会会計をしています、布仏 虚(のほとけうつほ)です。この度はこのようなタイミングでの訪問となって申し訳ありません」

 

 言って頭を下げる布仏(のほとけ)。そうだよな。まず礼儀をキッチリやってそれから話だろ。なのにこの生徒会長は俺をドアごと突き飛ばしやがって……。

 

「…………お前の頼みなら聞いてやってもいいな……いや待て、布仏(のほとけ)? うちのクラスの布仏とは知り合いか?」

本音(ほんね)は私の妹です。いつも石動先生の話は聞いてますよ」

「へぇ……何て?」

「『たまに怖いけど基本緩くていい先生なんだ』と言ってましたね」

 

 いやホントはもっと緩い事言ってるだろ。俺はその思いを隠さずに苦笑いすると、つられて布仏も苦笑いした。どうにも俺の意図を鋭く察知したらしい。これが所謂以心伝心と言う奴か。その初体験に俺は多少機嫌を取り直す。

 

「もー、虚ったら、私を蚊帳の外にして! ……もしかして意外と石動先生ってタイプ?」

「あ、申し訳ありませんお嬢様。お話の続きをどうぞ」

「これ以上無くスルーしたわね……」

 

 複雑な顔で布仏に視線を向けて楯無が呟く。そういや、何で三年生が二年生に敬語使ってるんだ? 何か事情がありそうだが……後で少し調べてみるとするか。

 

「ったく。それで何だ話ってのは? とりあえず聞かせてくれ」

 

 俺は敷いてあった布団の上に胡坐をかいて壁に寄り掛かり、退屈そうに腕を組んだ。

 

「……先言っとくけど、話聞いたからってその中身に対して俺がいい顔するとは限らないからな」

「解ってますよ。きっと気に入ってもらえると思いますから乞うご期待! えっとですね……」

 

 胸元で手を合わせた更識は言う。いい営業スマイルだなと、俺はこの女に対する警戒度を更に引き上げた。ビルドの世界も含めて、こう言うタイプの相手をするのは初めてだ。さてさて、俺の機嫌が直るような話にしてくれよ。でなきゃ何するか分からんぜ?

 

「篠ノ之さんを私に下さい!」

「あァ?」

 

 その瞬間俺は一瞬石動の演技をすることを忘れた。何言ってんだこの女。本当に殺すべきじゃあないのか? しかし俺はそこで目元を押さえ、煮えくり返りそうな思いを何とか抑え込んだ。そして今すぐにでも部屋から放り出さんばかりの剣幕で更識に食って掛かる。

 

「何言ってんだお前。そう言う事は本人に言えよ。第一あいつは誰のものでもないでしょうが。Do you understand(それくらいわかってるよな)?」

「お嬢様、今のは言い方が悪いと思うのですが……」

 

 余りに不躾な俺の言い方に、更識よりも先に布仏が訂正を提案した。今のを篠ノ之本人が聞いてたら何口走るか……いや竹刀が出るぞ竹刀が。そう言う勘違いさせる言い回しは止めといた方がいいぜ。まあ、果たして俺が人の事言えるのか怪しいとこなんだが。そんな事を考えていれば、更識は白々しく『しまった!』なんて言いたげな顔をした後、申し訳なさそうに微笑んだ。

 

「ごめんなさいね、私ちょっと先走っちゃいました」

「いいから俺にも分かる様に言ってくれ。本気で部屋から叩き出すぞ」

「あらあら、先生が生徒にそんな事言っちゃダメですよ? ……じゃ、改めまして」

 

 更識はひとしきりくすくす笑った後、ようやくその顔を引き締めた。ようやくまともな話か? 今度ふざけたらマジで部屋から叩き出す…………普段ならともかく、今の機嫌の悪い俺とは本当に相性の悪い女だな。そう思わずには居られない。

 

 しかし、篠ノ之をくださいって言うのはどう言う事だ? 生徒会にでも入れようって言うのかよ。だったら俺になんか聞かずに、織斑千冬か山田ちゃんに聞いてみるべきだ。というか、まず本人に聞いてみるのが筋だろうに。そう思いながらそのすました顔を睨みつけていると、更識はもったいぶって口を開いた。

 

「石動先生。貴方が篠ノ之さんの育成に力を入れてるのは知ってます。彼女を半年足らずで専用機所持者にまで育て上げたその手腕もね」

「お世辞はいいから手早く頼むぜ。それともアレか。褒めてからじゃないと言いにくい事か? ん?」

 

 疲れを前面に押し出して言う俺に、ようやく更識は驚いたような顔になって、すぐに笑顔でそれを誤魔化した。図星か。俺はこの後言われる事がどんな事かの想像がつかず、溜息を一つ()いた。

 

「鋭いですね……実は二学期以降、彼女達の育成は私に任せてほしいんです」

「……理由は?」

「だって今、世の中随分物騒ですから。代表候補生たち相手に大暴れしたって言う<スターク>に『ISを乗っ取る』なんて前代未聞の事をやらかしてくれた<ブラッド>、それにブラッドが奪った無人機の<本当の送り主>だってまだハッキリしてないわけでしょ? だからこそ……幾ら指導者として優秀とは言え、専用機も持たない石動先生だけでは力不足です。いざ『敵』が皆の前に現れた時、それから皆を守るだけの力は貴方には無い。教師としての責務もありますしね。その点、私には彼女達を守るだけの(専用機)があります。彼女達の安全の為にも、私に彼女達を任せて頂きたいんですよ」

「………………なるほどな。確かに、汎用機ならともかく、専用機に乗った相手でも来たら俺が出来るのは足止めくらいだ」

 

 巧いな。確かに奴の言う事には一理ある。自分と自分を比べるのも変な話だが、石動惣一としての力じゃスタークにもブラッドにも勝てない。今までのトラブルだって石動惣一は戦力外もいい所だ――――ま、実際は敵に回ってたからそれ以前の問題なんだが、そこまではこの女も(あずか)り知らぬ事だろう。それに奴らの安全を理由にされちゃ教師として動く俺は弱い。だが、そう簡単に手塩にかけた篠ノ之をはいそうですかと渡せるかってんだ。

 

「しかしよお、その事実があった所でお前さんに任せてやる理由にはならんと思うぜ? お前なら奴らから篠ノ之たちを守れるって言う根拠は何処にある?」

「それは単純。IS学園の生徒会長と言うのは『学園最強』の称号だからですよ」

 

 言って挑戦的な笑みを見せながら奴は扇子を開く。『頂点』…………ハッ、言うねえ。説得する相手を前にこの物言い、そして何よりこの自信! なんだよ案外面白みのある女じゃあないか。俺は自身の機嫌が多少上向いたのを実感する。悪く無いかもしれん。正直、ISに関する訓練では俺自身の経験不足に多少の不安感を感じていたからな。

 

 俺だって基本的な知識はほぼ習得している。だがその知識を教えるなんてのは授業の範疇を出はしないし、そうなると俺がしてやれるのは模擬戦の相手くらいだ。真っ当な実感を持って奴らを指導するには、些か俺には経験が足りん。だがこの女は自身を学園最強だと言い切った。もしそうだとすれば、こいつは俺とは違い真っ当なISの操縦経験を持ち合わせている……中々得難い存在だ。そんな相手が自分から奴らの師を買って出ているんだ。利用しない手は無かろうさ! だが……。

 

「けどよ……お前の物言いからして、篠ノ之だけじゃないんだろ面倒見てやるのは。多分だが、一夏を初めとした1年の専用機持ち。そいつらの事もまとめて面倒見ようってんじゃないのか? 一人でそれだけの人数受け持てるのかよ?」

「そこで提案その2です」

 

 更識は扇子を閉じ俺に向けると、満面の笑みを見せた。まるでその提案が受け入れられるのを分かり切っているかのように。

 

「私一人で彼女達の面倒を見きれるか。如何に私が最強でもそれは少々心許ない……。そ・こ・で! 石動先生には私のアシスタントをお願いしたいんですよ!」

「ほう? つまりあれか、俺もお前のやる訓練に付き合ってくれって事か」

「ま、そゆことですね」

 

 …………ふむ。これは中々に面白い提案だ。と言うか、俺にとってのメリットがあまりに多い。今までは篠ノ之に注力してきたがラウラも加わってこれからどうするかと頭を捻っていた所だ。その辺をこの女に任せる事が出来るし、何より二人以外……一夏やオルコット、(ファン)やデュノアも巻き込む腹積もりなんだろう。奴らの成長にまで関われる機会をどう構築するかという課題も一挙解決だ!

 

 ただ一つだけ気になる事があると言えば、逆に俺もこの女に『見られる』事になるって事か。恐らく、この女は俺の事を警戒している。流石に<ブラッド>や<スターク>の正体と俺を結びつけるのは難しいだろうが……あるいは、俺の監視まで含めての提案なのかもしれんな……面白い。

 

 こう頭を使ってのゲームが出来る相手はこの世界に来て初めてだ。織斑千冬も強いは強いが、こういう策を巡らせる性質じゃない。何より、この女が俺のおもちゃとして相応しいか……それを確かめるためにも、この提案に乗る価値は十分にある。

 

「……いいぜ。その話ノッてやる。俺も今後あいつらをどう育てていくかいろいろ悩んでたし、ISの操縦経験に限っちゃ生徒以下だ。そこへお前みたいに腕の立つ奴が来てくれるってのは素直に助かるぜ。世の中助け合いだからな」

「良いお返事ありがとうございます♪」

 

 満面の笑みで更識は言い、何事か布仏に二つ三つ耳打ちすると優雅な動作で立ち上がった。

 

「じゃあ、私達はここらでお暇させていただきますわ。くれぐれもこの件は篠ノ之さん達にはご内密に」

「何でだ?」

「だって、サプライズは突然だから面白いものでしょう?」

「わかるぜ、同感だ。びっくりしてる奴の顔ってのは、これ以上無く面白い」

 

 肩を竦めて言う俺に奴は口元を扇子で隠し、ふふとこれまた穏やかに微笑む。開かれた扇子には『さらば!』の文字。……専用機の待機形態は操縦者によって様々なアクセサリに形を変えている場合が多い。描かれている文字を自在に変化させるその機能からして、更識のそれはこの扇子と見て間違いないだろう……手品の類かもしれんが。そう言えば幻徳の奴もファウストの会合にこんな文字の書かれたTシャツで現れた事があったような……奴も今頃どうしてるんだかなあ。

 

「ああ、その前に。最後に一つ確認させてくれ」

「何です?」

 

 物思いに耽っていた俺は一つ、聞くべきことに思い当たり奴らを呼びとめる。

 

「お前は自分の事を学園最強だと言っただろ? 『生徒会長の称号は最強の証』、って」

「ええ。それが何か?」

「だけどよ、何かおかしいよな? 俺はこの学園の腕のいい生徒は大体チェックしてる。代表候補生とかの専用機持ちならなおさらさ。でもお前はその――――IS学園でも特別な存在であるはずの代表候補生たちを『守る』なんて言ってる。日本の代表候補生の名前にもお前のそれは無い…………なあ更識、お前の『IS乗りとしての本当の肩書き』を教えてくれよ。そしたら、俺も心底安心して篠ノ之たちをお前に任せられるんだけどな」

 

 にたりと笑った俺を前にして立ち止まった二人。薄い笑みを浮かべた更識が口を開こうとするのを、布仏が止めるように声を掛けた。

 

「……お嬢様」

「いいのよ虚。……流石に他の先生方にも一目置かれるだけはあります。いいでしょう。共に皆に教えを授ける仲になりますし、そのくらい、私も教えておくべきですね」

 

 やんわりと布仏を退けた更識は改めて俺の前に立った。その顔には仮面のような笑みを貼りつけたままだ。悪くない。ようやく、腹芸でも俺と張り合える奴が出てきたな。そうで無きゃつまらん! どいつもこいつも根が素直すぎて不安になってた所さ。

 

 何せ戦兎達に敗れ、本来消滅しているはずの俺が送る二度目の人生だ。折角なんだから楽しまねえと。実際の所、ただ目的を遂げるだけなんて簡単なのかもしれねえが……それじゃ俺の気が済まん。人間如きを相手に簡単な道を選び続けるなど、負けを認めたように思えて気に入らんからな。少しは骨のある奴がいなけりゃ、やりがいを見失っちまうってもんさ。

 

 そんな内心の考えなどおくびにも出さず、俺は更識の瞳を直視した。そこには動揺も困惑も一切無い。精神的にもなかなか出来上がってやがる。篠ノ之のように滑り込む隙間はほとんど無さそうだな……。だが、そう言う相手こそ崩した時は面白い。その時が楽しみだ。本当にこの女が俺の眼鏡にかなうかどうか、それもこの問いの答えではっきりする。俺は笑顔を崩さぬままに、ただ奴の答えを待った。

 

「私は――――」

 

 

 

 

 

 

 既に日も沈み、明かりに照らされた廊下を二人の生徒が歩く。一人が前を歩き、その斜め後ろをもう一人が付いてゆくその姿は、友人と言った関係よりも正に主従のそれを感じさせた。

 

「ふー、疲れたわあ」

 

 更識楯無はそう言ってパタパタと扇子を仰いだ。

 

「よろしかったのですか? 自身の立場を明かしてしまって」

「いいのよ。可愛いお弟子ちゃんを頂くんだからそれなりの礼は尽くさないと。どーせすぐに分かる事だしね。むしろ、あんなに簡単にOKしてくれるなんて思ってなかったわ」

 

 うーん、と一つ伸びをすると、更識は茶目っ気たっぷりに布仏に向けウインクをした。それを見て苦笑いを返す布仏。そして分かれ道で二人は立ち止まると、今後の展望について会話を広げてゆく。

 

「とりあえず、コーヒー豆を石動先生に送る準備を。ファースト・コンタクトは我ながら強引に過ぎたしね。二学期までにちょっとは好感度取り戻しとかないと」

「織斑先生へのリサーチによれば彼は『コピ・ルアック』なるコーヒー豆を求めていたとの情報が。そちらでよろしいですか?」

「うん、それでいいわ。あと、虚が煎れるコーヒーも飲んでみたいし、余計に一つ用意しておいてもらえる?」

「畏まりました」

 

 丁寧に頭を下げる布仏に更識は一度笑いかけた。そして背を向け、自身の部屋とは別の方向へと足を向けた。しかしそれに布仏は何ら反応を示す事が無いし、疑問を持つ事も無い。それは彼女達の間に、揺るがぬ信頼がある証であった。

 

「じゃあ今日はここで。おやすみ、虚」

「明日は朝一番でロシアへと戻るのでしたよね? くれぐれも寝坊にはご注意を」

「忙しくて嫌になっちゃうわぁ。(かんざし)ちゃんにも会う時間無いなんて」

「心中お察しします」

「ありがと。じゃあ、私の居ない間よろしくね」

「心得ております。では、良い夢を」

 

 直立不動のまま自身を見送る布仏に背を向けて、誰も居ない廊下を淡々と進んでゆく更識。幾ら陽が落ちた時間とは言えまだ起きている生徒も少なからずいるはずだが、彼女の向かう一角に人の気配はほとんど無い。そうしてしばらく歩いていると、彼女は一つの部屋の前で足を止めた。そして、彼女としては珍しく息を一度整え、軽く扉をノックした。

 

「失礼します。更識です。いらっしゃいますか?」

「ああ。入ってくれ」

 

 内側からの了承の声に滑らかに扉を開き、音も立てずに更識は滑り込んだ。そこには座布団に座り机に向かう一人の教師。織斑千冬。彼女こそロシアに居た更識を一度IS学園へと呼び戻した張本人であった。

 

「お久しぶりです。織斑先生」

「更識。こうして会うのは数か月ぶりだな」

 

 頭を下げた更識に千冬も席を立って歩み寄り、固く握手を交わす。

 

「はい。お陰様でロシアでの仕事も順調ですし、二学期からは正式に会長としての責務を負って行きます。当然、<スターク>への対応にも」

「助かるよ。とりあえず、大したものは用意できないが座ってくれ」

「それではお言葉に甘えて」

 

 千冬の言葉に従い座布団に腰を落ち着ける更識。その前の机に茶の入ったコップと、いくつかの菓子が乗せられた盆が置かれる。そして千冬は自身の分のコップを用意して机の向かい側に座り、両腕の肘を机について顔の前で指を組んで更識に問いかけた。

 

「で、早速だが……単刀直入に言って、お前は石動をどう思った?」

「そうですね……正直、聞いていたような男には思えませんでした。どこにでもいるおじさま……って所ですかね」

「……そうか。お前も、奴に怪しさは見出せんか」

 

 言って一口茶を啜り溜息を吐く千冬。しかし更識はそんな彼女に向けて微笑みかけ、その顔とは裏腹に重苦しい口調で口を開いた。

 

「でも、だからこそ危険だと思います」

 

 その言葉に千冬がはっと更識の方を向く。

 

「織斑先生がそこまで警戒するほどの相手を前にして、私でさえもその危険性をほとんど感じ取れない。あんな相手も居るんだな、と。驚きばかりです」

「なぜ危険を感じないと言いながら奴を危険視する? 明確な理由があるのか?」

 

 更識の答えを予想していなかったか、少し驚いたように問い質す千冬。一方更識はどこか呆れたように肩を竦めた。

 

「だって、あんな組手を見せられた後で――――ほんの数発とは言え、織斑先生に打撃を入れられるような人に『俺はただの一教師ですよ』なんて顔されましてもねえ。信用しろって方が無理ですよ」

 

 更識の意見に千冬は、ようやく安堵したかのように組んでいた指を解いて残りの茶を一気に飲み干す。そして腕を組んで、僅かに緊張の抜けた声で話し出した。

 

「ラウラを出汁にしたようで余りいい気分はしなかったが……お前の助言通り、一芝居打った甲斐はあったな」

「彼女が言い出さなくても一人で乗り込んでたんじゃないですか? 『たのもー!』って」

「私は道場破りではない。だが、今思えば奴はその方が動揺してくれたかもしれん」

「あはは……まぁ、ラウラさんも私が指導していきますし後の事はお任せください」

「石動の奴が二学期が始まるまでに変なことを教えなければいいがな……」

 

 千冬の懸念を前にして苦笑いを返した更識は、話題を切り替えるためか「いただきます」と煎餅を一口齧って、更に自分の持つ石動についての情報を開示し始めた。

 

「それに、石動惣一の周囲には不可解な事もありました」

「……不可解、とは?」

「あの人の部屋のドア、何度か試したんですけどどうやってもピッキングできないんですよね…………IS学園で使われている鍵がそれなりに強固なのはよく知ってますが、あの部屋のは絶対に別物です。幾らなんでも、私が手も足も出ないなんてありえません」

 

 目を光らせ言う更識に、千冬はその行為を咎めるべきか、あるいはその情報に耳を傾けるべきか悩んで難しい顔で唸った。彼女自身石動の部屋を見た事は無かったし、流石に同僚とは言え、男性の部屋を覗きに行くという行為には抵抗感があった。故に彼の部屋を調べる事は忌避していたのだが……。

 

「それを聞くと、奴の部屋は一度洗ってみる必要があるのかもしれんな」

 

 言ってまた千冬は思案しだす。

 

 ――――正規の部屋を与える、という建前なら奴もそう抵抗も出来ないか。むしろ抵抗すればそれを口実に奴への締め付けを一層強く出来るな。持ち物も一度検査してみる必要があるかもしれん。

 

 顎に手を当て黙り込む千冬。だが目の前の更識が不思議そうな顔をしている事に気づいて、らしく無く慌てて姿勢を正した。

 

「すまない。物思いに耽ってしまった」

「大丈夫ですよ。……結論から言って、石動惣一は『ヤバそう』ですね。まだ一度の対面なので暫定の評価ですけど、眼を離しちゃいけないのは間違いないかと」

 

 更識は石動に対して厳しい評価を突きつけた。それは漠然としたものであったが、『石動惣一を警戒する』と言う点において、現状彼女が出来る最大限の警戒に違いなかった。

 

「だが、奴は半年近く学園で教鞭(きょうべん)を執り、その間何一つ怪しい行動を起こしていない――――やらかしは多々あるがな。緊急時の行動も殆ど受け身で、何かするチャンスにも生徒の安全を最優先に行動している。その点、お前としてはどう思う?」

 

 試すような千冬の問いに更識は動きを止め、腕を組んで唸る。しばらくして、困ったような顔でその答えを話し出した。

 

「…………んー、『私達の考える敵味方とは違う判断基準で動いている』か、そもそも別に『敵意自体は無い』のか。あるいは、以前織斑先生に言っていたように本当に『生徒達を強くする為にこの学園に居る』のか。それならあれだけ人となりについては周到に演技を重ねているのに自身の実力を包み隠さないことも説明できます。後、発信機で常に位置を監視されているのを承知している以上、『しばらくは行動を起こす気が無い』と考えるのが妥当かと……逆に織斑先生的にはどう思います?」

「そうだな……おおむね同感だ」

「彼の強さについては?」

 

 そこが聞きたかったと言わんばかりに身を乗り出す更識。千冬は一瞬それに気圧されそうになって、しかし憮然と腕を組んだまま、落ち着いて問いに答える。

 

「難しい所だな。正直に言えば、アリーシャを筆頭として私に迫る力を持つ者が居ないわけでは無い…………お前もその一人だからな」

「やだも~! 織斑先生はお世辞がうまいんですから…………」

 

 困ったように笑う更識に千冬もまた口角を上げて笑みを返す。そこで一度千冬は席を立ってペットボトルからコップへと茶のおかわりを注ぎ、改めて更識の向かいに腰を落ち着けた。

 

「――――故に、奴が強いという理由だけで危険だと断じる事は出来ん。その理由で他人を怪しんでいたら、それこそキリが無い」

「石動惣一もそう言うただの強い人間の一人、って可能性も見ておかなきゃですね、確かに。盲点でした。でも、織斑先生(世界最強)ならどうなってもひっくり返せるんじゃあないですか? 私にわざわざ頭を下げる理由なんて……」

 

 そこまで言いかけて更識は口をつぐむ。目の前の千冬が、悔しさとも不甲斐なさとも取れぬ複雑な感情を表に出し、それ以上に強い怒りを感じさせる顔をしていたからだ。今まで泰然とした笑みを浮かべていた更識の頬に一筋の汗が垂れる。だがそこで千冬は纏っていた雰囲気を緩めると、達観したように落ち着いた声で話を続けた。

 

「あくまで私は『元』世界最強(ブリュンヒルデ)だよ。無敵でも無ければ……先日、無敗でも無くなった」

「<スターク>ですね?」

「ああ」

 

 そこで、二人の会話はしばらく途切れる。ISを相手にして初めて見下されたあの瞬間を想起し、悔しさにコップを握りしめる千冬。その姿にどう声をかけていいか分からず、ただ愛想笑いを続けるしかない更識。

 

 ……どれほどの時間が経ったか。ようやく気を取り直した千冬が、次の話題を更識に切り出した。

 

「それで次の話だが……石動は説得できたか? 二学期からはお前が織斑達の面倒を見るつもりなんだろう?」

「ええ。何とか、って所です。その代わり私も自分の立場とかばらしちゃいましたけど、必要経費ですね」

「良かったのか?」

「お陰で彼もアシスタントを快諾してくれましたから。ちょっと向こうも承知の上っぽいですけど、これで彼の監視もまとめてできて一石二鳥……織斑先生の負担も減らせるし一石三鳥かな?」

「実際、大いに助かる。お前が織斑達の面倒を見てくれるのなら、<ブラッド>や<スターク>も迂闊(うかつ)に手は出せんだろう」

「その言葉に恥じぬよう、頑張って行きます」

 

 佇まいを正し頭を下げた更識に千冬は安堵したように首肯した。そしてちらと時計を見て、またゆっくりと立ち上がった。

 

「もういい時間だな…………無理を言って呼び戻して済まなかった。まだロシアでの仕事が残っているんだろう?」

「大丈夫ですよ。二学期までには片付けて帰ってきますから。それでは後日、今後の事について生徒会室で語りあいましょうか」

「場所を限定する必要があるのか?」

「ウチの虚ちゃんが煎れた紅茶、とっても美味しいんですよ♪ ……あっそうだ、もし織斑先生が望むならコーヒーだって用意しますよ? <コピ・ルアック>って言う豆なんですけど…………」

「スマンが別の豆にしてくれ。アレは好みじゃない」

 

 何か嫌な事を思い出したように提案を断る千冬に、更識は手に持った扇子を開いて見せる。『残念無念』。それを見て千冬はどうしようもなく難しい顔になり、自身の選択ミスを察した更識はすぐに扇子を閉じ席を立った。

 

「では織斑先生、私はこの辺で。何かあったら虚にお願いします。私にもすぐ話は伝わりますから」

「ああ。お前も何かあったら遠慮無く言ってくれ。学園の生徒でスタークとやり合えるのは恐らくお前か、<イージス>のケイシーとサファイアのコンビくらいの物だからな。私に出来る事は協力しよう」

「ありがとうございます。大船に乗った気分で頼らせてもらいますね」

「うむ。では気をつけてな。()()()()()()()()()()。お前が頼りだ、頼むぞ」

 

 千冬の真剣な視線に更識は扇子を開く。『承知』。それを見た千冬に向けて、彼女は悪戯っぽい笑みを向ける。

 

「『更識楯無』の名にかけて。それでは、また」

 

 

 

 

 

 

 暗くなった学園。月が昇り、外を出歩いている生徒など殆ど居ない時間。そんな時間にもなって、私は職員宿舎、石動先生の部屋に向けて歩いていた。

 

 昼間の訓練、そこに新たに加わるというラウラを連れた織斑先生が顔を出し、些か本来の予定とは違う訓練になってしまった。真っ当に私が体を動かしていたのは最初の数分だけ。後は織斑先生に出番を奪われ石動先生と織斑先生の戦いを唯々見るだけとなっていたのだ。

 

 だが、収穫は凄まじい物だった。

 

 世界最強と謳われた織斑先生の体技、それを間近で目にする事が出来たのだ。同じ流派の技を修めているにも拘らずもはや何をしているのかよく分からない所もあったが、それでもあの二人の戦いの中で垣間見たものはあまりに多い。それは織斑先生に必死に食らいついて行った石動先生のお陰だろう。

 

 しかし私は今日の石動先生に一つ、大きな違和感を抱いていた。故にこうして、先生と直接話すためにその部屋――――他の先生たちの部屋とは離れた、倉庫を改修して用意された一室までやってきたのだ。

 

 部屋の前に立った私は遠慮しつつも戸をノックする。石動先生は織斑先生に絞られて疲労困憊の有り様だったし、もう寝ているかもしれない。だが、どうしてもこの疑念を晴らさずにはいられなくて、私は反応を待たずに扉越しに声を掛けた。

 

「夜分失礼します、篠ノ之です。石動先生はいらっしゃいますか?」

 

 緊張を抑え、何とか声を絞り出す。しばらくの沈黙の後帰ってきたのは、何処か楽しげな石動先生の声だった。

 

「おう、篠ノ之か。今調べもの中でな。ちょーっと待って……Bingo(ビンゴォ)! よしよし今終わった! ちょっと待っててくれ!」

 

 その声に私は一歩引いて、石動先生を待つ。と思えば、それほど思案を巡らせる暇も無く扉が開かれ、中からいつもの丸レンズのグラスをかけた、草臥れたような石動先生が姿を現した。

 

「よお篠ノ之。どうしたーこんな時間に……まさか訓練の埋め合わせ希望か? 今日はもうダメなんでそう言うのは明日にしてくれっと嬉しいんだが」

 

 ぎょっとした様に身を引く石動先生。確かにそんな気持ちもあるにはあるが、今は心の内にわだかまる疑問を解決したい、ただそれだけだ。

 

「いえ、石動先生。少しお聞きしたい事がありまして」

「聞きたい事? ラウラにも稽古を付けてやる理由か?」

「他の話です。あの……すみません。場所を変えたいのですが」

「ふぅん。いいぜーどこへなりとも着いていきますよ」

「では屋上で。よろしいですか?」

「ああ……おっと、ちょっと先行っててくれ。鍵忘れて来た」

「待ってましょうか?」

「いいよ先行ってろって。中今見せたくねえんだ、汚くて」

「はあ…………了解です」

 

 ひそひそと芝居がかった仕草で私に言って部屋に引っ込む石動先生。疲れ切っているように見えて、実際にはそこそこに機嫌が良いようだ。その普段と変わらぬ姿に、私は張りつめていた緊張の糸が程よく緩むのを感じる。しかし強いてそれを引き締めると、私は言われた通り先生を待たずに屋上へと歩を進めた。

 

 

 

 

 職員宿舎の屋上。校舎の屋上と違って普段人の立ち入らないここは電灯も少なくて薄暗く、どこか物悲しく殺風景だ。内鍵を空けこの屋上に足を踏み入れる事も、本来なら生徒には許されていないはず。

 

 私がそれを分かっていながら石動先生をここに呼び出したのは、この話を誰にも聞かれたくなかったから。もしもこの懸念が真実だった時……いや、止そう。まだそうと決まった訳ではないのだから。

 

 

「おおー篠ノ之、悪いな。待ったか?」

「いえ、別にそれほどは。私こそお疲れの所申し訳ありません」

「いやいやー、可愛い弟子の頼みだからな。出来れば聞いてやりたいってのが師としての考えだと思うぜ。で、なんだ? 聞きたい事って。出来れば手短に頼むぜ~篠ノ之~」

 

 笑いながら屋上に現れた石動先生に釣られて私も笑みをこぼしそうになるが、ぐっと堪える。長引けばそれだけ話しづらくなるだけだ。そう判断して、私は直球に、真正面から彼に疑問をぶつけていった。

 

「石動先生、今日の織斑先生との闘いなのですが――――」

「おう、困っちゃうよなー織斑先生も。人類最強なのは間違いないんだから、もう少し手加減してくれてもいいのになあ。俺はもうボロボロだよボロボロ! 参るぜ、まったく」

「――――今日の戦いでは、石動先生は一貫して、普段と違う戦い方を見せていましたよね」

 

 歯を見せて笑う石動先生を無視して私は話を続けた。それに驚いたのか、石動先生の顔が怪訝そうな表情を見せる。だが私はそれも無視した。今ここで流れを止めてしまえば、きっと私はその先を問いただす事が出来ない。きっと二の足を踏んで、話をうやむやにしてしまう。そんな確信があった。

 

「攻めに偏重(へんちょう)したあの動きでは無く、いつもの戦い方――――立ち回りとカウンターを重視した動きであれば、もっと織斑先生に食らいつけたのではないでしょうか?」

「んん……そうかなあ? 俺としては織斑先生には流石に手も足も出ねえと思ってたから、正直ある程度喰らいつけただけでもビックリなんだが……あ、手加減されてたからか。悔しさが滲みるなぁ~」

 

 いつもの泣き真似をし始める石動先生。だが、私はそこで話の腰を折る事も無く決断的に畳みかける。石動先生が目元を隠しているのも幸いだった。もし真剣な顔で直視でもされていたら、私は後ろめたさに委縮してしまっていただろう。そんな後ろ髪を引かれるような思いをどうにか振り切って、私は言葉を絞り出した。

 

「単刀直入に行かせてください。あの動きは、私の知る『ある相手』に似ています……石動先生、貴方は……織斑先生達に『そいつ』との関係を疑われたくないから、それを見せたくは無かったんじゃないですか?」

「……何が言いたい、篠ノ之」

 

 石動先生が、先程まで泣き真似をしていた人とは同一人物と思えぬ程に鋭い眼光を私に向ける。思わず一歩後ずさってしまいそうになるが、それでも私は、それを聞かずにはいられなかった。

 

「…………石動先生。貴方の普段の体技は、<スターク>に良く似ています。もしかして、何か奴について、知っている事があるんじゃあないですか? 例えば……奴の正体だとか」

 

 言った瞬間、石動先生の顔から一切の感情が消え失せた。まるでそれと同期するように、電灯がジジジ、と音を立て点滅する。

 

「俺が、スタークの事を…………」

 

 呟いて、石動先生は沈黙する。風もない静かな夜の帳の下で話し声さえも途切れてしまうと、まるで時間でも止まってしまったかのように感じられた。その中で、唯一点滅する電灯だけが世界がまだ動いている事を証明してくれる。だが、それは時間の指標にはなりえず、どれほどの間その沈黙が続いたのか、私に推し量る手段は皆無であった。

 

「ふっ」

 

 そして石動先生が沈黙を抜けまず発したのは、笑い声だった。

 

「……ふふふ……フッハッハッハッハッハッ!!!」

「……石動先生?」

「ハハハ、ハハッ、フハハハハハハ!」

 

 私の声にも耳を貸さず、ただ俯いて笑い続ける石動先生。その姿に、私は何となく不愉快さを感じた。何が可笑しいというのか。私は、決意を持ってここに居る。その覚悟を笑うのは、私の知っている石動先生の印象とどこかちぐはぐな気がして、私は更に苛立った。

 

「くっく、ふはははは! はーっ! 腹痛え! 篠ノ之お前、ちょっと疑心暗鬼が過ぎるぜ! まさかそんな事を言われるとは……! ふっふっふっ、はっはっは……!」

「お答えください石動先生! 私は真剣です!」

 

 怒り心頭となって詰め寄る私。だがしかし石動先生は満面の笑みで諸手を上げ私を制止すると、少し下にズラしてかけているグラスを自身のダンディさをアピールするかの様に右手で持ち上げた。

 

「くっくっく……篠ノ之ォ! こぉ~んなイケてる俺があんな趣味悪いIS着た悪者と関係ある訳無えだろ~? ぷっ! はっはっはっは……!」

「石動先生は、スタークとは関係ないんですね?」

「あったりまえだろ~? くっく、冗談は休み休み言えって。ははははは……」

「…………何となく、織斑先生から石動先生への当たりが強い理由が分かった気がします」

 

 内心で安堵しながらも、私は未だに笑い続ける石動先生に向けてボソリと呟いた。それが効いたのか石動先生はようやく笑うのをやめ、真剣さ半分、いつもの気軽さ半分と言う様な顔で手すりに寄りかかる。

 

「悪い悪い……まあ、勘違いした理由も何となく分かるぜ。俺の技は『赤心少林拳(せきしんしょうりんけん)』と『星心大輪拳(せいしんだいりんけん)』って言う二つの武術を我流にアレンジしたもんでな。スタークの技と似てるってのは、奴もそのどちらか、あるいは両方を学んでたのかもしれん」

「初めて聞く武術ですね。少林……中国の方の技ですか?」

「まあな。どマイナーで、日本じゃ知ってる奴もいないだろうけど。俺だって昔教わるまでどっちも知りゃあしなかったからな」

「待ってください……その技のルーツを辿れば、スタークの正体に近づけるのでは!?」

 

 閃きを見せた私に、石動先生は諭すように首を横に振った。

 

「無理無理。俺も十年以上前にちょっと教わっただけで、師匠の名前も出身も、あまつさえこの武術の正確な発祥の場所も知らねえんだ」

「そうですか……」

「はっは、しかし篠ノ之ぉ。俺がもしそれでスタークの関係者だったらどうするつもりだったんだ? 絶対ロクな事になって無かったと思うぜ?」

「幾ら石動先生でも、紅椿を纏えば拘束できない事は無いですから。杞憂だったようですけど」

 

 安心したように言う私に、石動先生も満足したように笑いかけて手すりから離れる。その様はいつも通りの、私の知る石動先生そのものだ。心の奥のわだかまりがほどけて、私は目を閉じて溜息を吐いた。

 

「よし、折角だしな……Instruction Four(インストラクション・フォー)だ篠ノ之」

「えっ?」

 

 呆気に取られて間抜けな声を上げる私に、石動先生は笑顔で首を傾げながら話し始めた。

 

「『信じる事と、疑う事は両立できる』。いいか? 信じるにはまず、相手を見極める事が不可欠だ。戦いの上でも同じ。『相手が何を出来て、何が出来ないのか』『相手が何が好きで、何が嫌いなのか』『相手がどう言う考え方をしていて、何を狙っているのか』。まずはそこを見抜き、理解する事。もちろん上っ面だけじゃだめだぜ? <スターク>なんかもそうだが、<世界最強(ブリュンヒルデ)>を目指すのなら、絶対にそういう駆け引きが得意な奴も相手にしなきゃいけなくなる。それに、敵だけじゃ無く仲間だって同じさ。『アイツならあれが出来る。アイツならあれがやれる』とかな。そういう風に、多くの事を正確に理解していく事が大切なんだ。……ま、何時だかのデュノアとの戦いを見る限り、お前は割とそういう所は聡いみたいだからな。これを体得するのは簡単だろう。あの時奴を盾で封じ続けたのは見事だったぜ」

「あ、ありがとうございます!」

 

 慌てて頭を下げる私に、石動先生はただ笑いかけるだけだ。やはり、この人の言葉には不思議な説得力がある。そこにはどうしようもなく本人の実感が込められているのだ。これが人生経験の重みという奴だろうか。それを余すことなく伝えてくれるというのは、弟子である私にとってはあり難いの一言に尽きる。今までも、その言葉に何度も助けられてきたのだから。

 

「だが、一度確信したものを信じ続けるだけの奴はただの無能だ。世界は常に変化するもんだからな。きっと一年前のお前が今のお前を見た所で、未来の自分がこうなってるだなんて信用できないだろう。だからこそ、『信じながら疑う』事が大切なんだ」

「……ご高説、傷み入ります。石動先生に教えを頂くたび、私は自身の未熟さを痛感させられてばかりです」

 

 言って、私は(うつむ)く。まったく何をしているのか。石動先生は疑う事の大切さを説いてくれてはいるが、私の今日のそれはただの疑心暗鬼に過ぎない。それに踊らされてあのスタークと石動先生の関係を疑うなどと笑止千万。だが石動先生はそんな内心の悔しさを見通したかのように、軽く私の肩を叩いて笑いかけた。

 

「まあ、だから今日の事は気に病むな。お前の疑念は正しい。なにぶん、一夏を初めとして皆素直すぎるからな……お前はそうやって、皆と一歩引いたところでものを見れるように気を付けるといい。全員一緒に間違えちまったら取り返しつかねえが、誰かが気づけば止められるし、正すチャンスだって来る」

「……はい! 今日はありがとうございました!」

「いいって事さ。じゃ俺は戻るから、鍵の戸締りだけキッチリ頼むぜ? 開けっ放しだと織斑先生に何言われっか分かんねえからな……」

「了解です」

「おう。じゃ、気を付けて戻れよ。また明日な~、Ciao(チャオ)~」

 

 石動先生はいつも通りの気軽さで手を振りながら、出入り口へと消えて行った。

 

 ……まだまだ敵わないな。最近はある程度体技でもISでも石動先生と渡り合えるようになって、どこか慢心していたのかもしれない。あの人は、私と同じものを見ても全く別の世界が見えている、そんな気さえする。

 

 そんな素晴らしい師に恵まれているんだ。その教えに恥じぬよう、これからも頑張っていかねば。そう思って、手首に巻かれた鈴の付いた紐――――紅椿の待機形態を、私は強く握りしめた。

 

 

 

 

 

 

 俺は篠ノ之を置いて部屋へと戻り、くたびれて布団の上に寝っ転がった。そして、腹の底からの笑みを浮かべる。

 

 ――――危なかった。篠ノ之の奴、あそこまで頭が回るようになってるとはな。一瞬記憶を消すべきか悩んだ物の、普段積み上げていた信頼のお陰でどうにか切り抜ける事が出来た。あれでしばらくは疑われる事も無いだろうが、また新しい言い訳も考えとく必要があるかもしれないな。

 

 だが、俺の予想を超える成長を見せる奴に、どうしようもなく心が躍る。これだから人間との触れ合いはやめられん。この世界での最大の敵は織斑千冬か篠ノ之束だと思っていたが、奴にも十分な素質はありそうだ。これからは、もっと慎重にやって行く必要があるかもしれないな。

 

 ――――そして、俺の前についに現れた『国家代表操縦者』。

 

 更識楯無、ね……。ラウラの様なエリートだけでも驚きだったって言うのに、学生でありながら既に最強の一角に名を連ねる奴がいるとはな。しかもそんな奴と共に二学期は皆を教えていく事になるんだ、面白く無いはずがねえ!

 

 奴自身がどれほどの実力を持つのか、まだ未知数なのが正直不安要素ではあるが……調べる機会はいくらでもあるはずだ。俺には時間はたっぷりとある。ゆっくりと外堀を埋めていけばいいさ。

 

 そう思った俺は、先ほどの『調べ物』の結果を手に取った。そこに映し出されているのは水色の髪を伸ばして眼鏡をかけた、内気そうな生徒の姿。

 

 一年四組の専用機所持者。<更識 簪(さらしきかんざし)>……まさか生徒会長の妹とは。今まで気づかなかったのが不思議なくらいだ。こいつにもようやく接触すべき時が来たって所だろう。夏休みも残り半分を切った事だし、早いとこ行動を始めなきゃな。更識……姉の方の為にも、一夏達の現状のデータもまとめておきたいし。あくまで好感度稼ぎの為だが、俺も皆の現状は確認しておきたいからな。

 

 俺はひとしきり笑った後、机の上に置かれたマトリョーシカ人形に目を向けた。……間違いなく盗聴器付きのプレゼントなんだよな、これ。どうしたもんか。 

 

 破壊するか? いやダメだ。破壊するって事は聞かれたくない事があるって事だからな。奴からの警戒は更に強くなるだろう。だが放置するわけにもいかん。<テレビフルボトル>による情報収集は未だに俺にとって重要な情報源だ。幸い今日はもう何かするつもりもないし、教員の権限で出来る調べ物は<スマホフルボトル>を繋いだ携帯端末で出来るし、しばらくはどうにかなる。だがずっと出来ないとなると痛い。

 

 困ったもんだぜ。そう思って天井を見つめていると、肉体が疲労からの眠気を訴え始める。しょうがねえ、とりあえず今日は寝て、明日何かいいアイデアを考えるとしよう。夏休みはまだ二週間近くある。長いようで短いが、俺にとっては十分すぎる時間だ。

 

 その間にどれだけの企みの布石を置く事が出来るか……それを思案しながら、その日の俺は電気を消して、傷ついた体を癒すべくおとなしく床に就くのであった。

 

 





たたたたたたっくん! アナザーライダーが!
ジオウ、フォーゼ+555回。フォーゼはレジェンドを呼べなくても過去のライブラリ映像とかガンガン使ってく辺りにジオウ制作側の気合が見えてすき。
あとたっくんと草加で喜び過ぎてすっ転んだりしましたが私は元気です。


Vシネクローズの情報も出て来ましたね。あんまりここで言っちゃうのもあれなので気になる方は各自……クローズエボルのデザインはめちゃすきです。あと新キャラクター! これだから完全完結してない作品の二次創作はやめられませんね……!(どうしよう)


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それぞれのブループリント

夏休み終盤戦です。ちょっと詰め込んだので約25000字です。
他にもいろいろしてたのはあるけどとにかく難産でびっくりした……。

感想評価お気に入り誤字報告、毎回とてもありがとうございます。
書くパワーが湧いてきます。


 更識楯無(さらしきたてなし)との遭遇の翌日。随分と疲労困憊した俺は、出勤して早速自身の机で朝のコーヒーを楽しんでいた。

 

 ふむ。やはり味自体は全自動でやった方がいいんだよな……俺がやるのと同じ豆を使ってるのに何が違うのやら……。道具か? おいおい、買ったばかりのコーヒーミルだぞ……。そうだ、今度轡木(くつわぎ)の爺さんにちょっと使ってみてもらうか。そうすりゃ何が悪いかハッキリするだろう。

 

 その時、教員室のドアが音を立てて開く。織斑千冬じゃあねえな。奴はもっと静かに、それこそ気づかないくらいに気配を消して入ってくる。俺が出入り口の方に視線を向けると、そこに居たのは一人の生徒だった。

 

「おっはよーございます石動先生! 今日は随分くたびれてますね!」

 

 満面の笑みで言うそいつは、俺の睨みつけるような視線を受けながらもそれを気にする素振りを一切見せずにずかずかと近づいてくる。ああ、俺の朝の平穏はもう終わりかよ。ウルっと来るぜ。

 

(まゆずみ)……帰れよ。一日の始まりから俺を不幸にしないでくれ」

「おっ良いですねその顔。写真撮りたいんでもう一度やってくれます?」

「やらねえよ! 帰れ!」

 

 朝っぱらから何でこのパパラッチ娘の相手をしなきゃならねぇんだ。俺は通勤直後に振りかかった不運にうんざりして、より深く自分の椅子へと寄りかかった。しかしそんな俺の内心など知らぬ存ぜぬとばかりに、黛は笑いながら距離を詰めてくる。

 

「ん~、まぁ今日はご安心ください! ふっつーに取材で来ましたので! 我が新聞部のネット版の人気コンテンツ、『突撃隣の教師のデスク』です!」

「パクリかよ! しかも古いし! つかネット版なんてやってんのか新聞部は」

「ディープでコアなファン向けで購読制ですね。まぁ今の時代手広くやらないと利益出ませんから。一月500円なんですけど石動先生もどうです?」

「遠慮しとく。しかし、部活なのに随分シビアなんだな……分かるぜ。予算は何時だって火の車。それに苦心するのが経営者の辛い所さ……」

「石動先生の経営してたカフェっていくら調べても出て来ないんですけどそれってやっぱ経営失敗して皆の記憶に残る前に閉店したからですか?」

「してねーよ! 本ッ当に失礼な奴だなお前は!」

 

 いやまぁ調べても出てこねえだろうな別の世界での話なんだから! その言葉を苦労して飲みこんで、新聞部の腕章を楽しげにアピールする黛を俺は白けた目で睨みつけた。

 

「で、お前は俺のデスクを見に来たのか? 悪いが、面白いものなんて置いて無えぞ」

「うわー本当に殺風景ですね! 石動先生の人となりがまるで見えません! これは何かを隠していますねぇ間違いない……」

 

 眼鏡のレンズを光らせて俺の机を検め始める黛。もう好きにしろ。この机にあるのは仕事上の書類ばかりで、見つかったらまずいボトルやら何やらなんか一つも置いちゃいねぇんだからよ。

 

「石動先生、机の中は見ても?」

「ダメに決まってんだろ。生徒に見せちゃいかん物もある」

「じゃあ私の想像で補っときますね」

「おい」

 

 あくどい笑顔でしれっと言い切った黛に抗議の視線を向けるも、奴は大して気にせず机の上を丁寧に荒らして行く。俺はコーヒーを一口飲みながら、どうかさっさと去ってくれと黛に向けて念じた。するとその願いが通じたのか通じてないのか、奴は机の一角に置かれたマトリョーシカ(更識楯無の贈り物)に気づいて、それをひょいと持ち上げる。

 

「あれ、これは……ロシアにでも旅行に行ったんですか?」

「あっこら、俺の幸運の女神に触るんじゃねぇやい。……知り合いから貰ったんだよ。俺は旅行行ってないぜ」

 

 怪訝そうに言う黛に俺がぞんざいに答えれば、奴は閃いたかのようにぽん、と掌に握りこぶしを乗せた。

 

「なるほど、ずばり彼女さんからのプレゼントですね!」

 

 その発言に突如として書類を整理していた榊原先生が勢い良く立ち上がり、次の瞬間には何事も無かったかのように席に着いて仕事を再開した。俺と黛は驚いて何事かとそちらを凝視するが、榊原先生は机に置いてあった湯呑みの中身を一息に飲み干し、おかわりでもするのか給湯室へ引っ込んでしまう。

 

 ったく、驚かせるんじゃあねえよ……こっちは黛だけで手いっぱいなんだ。しかし彼女か……石動の外見年齢的には奥さんについて聞くのが筋だと思うが、何故『彼女』なのか。これは所謂『ジャーナリストの勘』って奴か? 興味深いな。

 

「なあ黛、何で彼女からのプレゼントだと思うんだよ。奥さんとかじゃないのか?」

「えっ、そりゃだって石動先生指輪してないじゃないですか。それ以前に、もしいたらご家族もこっちに呼ぶのが普通では?」

「……なるほど。まぁそりゃそうだがな。こいつはあれだ、生徒会長……(やっこ)さんからのお土産だよ」

「なーんだ、たっちゃんからかあ」

「たっちゃん? 知り合いか?」

「ええ」

 

 俺の問いに答えて、黛はどこか懐かしむように、あるいは楽しむようにはにかんだ。

 

「たっちゃんとは一年の時ちょっとルームメイトでして。彼女が忙しかったり私が早々に整備科行きを決めたりしたんで言うほど顔合わせてないんですけど、今でもいい関係を続けさせてもらってますよ」

「へぇ……じゃあお前、アイツの話とか聞かせてくれよ。『教師』として、『生徒会長』の事は興味あるぜ?」

「おおっ露骨に予防線張りましたね~! ……確かに知ってますけど、詳しくはうちのネット版を購読していただければお話しますよ!」

「はぁ……本当に逞しいな……。黛お前、IS学園になんか居ないで本格的にジャーナリストの道を志した方がいいんじゃあねえの?」

「いえー、今はISいじくるのが楽しいので。3年になったら考えます」

 

 溜息一つ吐いて言う俺に、肩を竦めて黛は返す。確かに、聞いた話じゃこいつは整備科の人間としてもかなりの凄腕に属するらしいしな。しかし俺としてはあっちこっちでパパラッチしてるイメージしかない。どうやって二足の草鞋を両立させているのか……まぁ、それについては別段興味を持たんでもいいだろうな。今の俺の興味は、別の所にあるのだから。

 

「ところで黛。一年四組に居る生徒会長の妹がずっと整備室に籠ってるって聞いたんだが、本当なのか?」

(かんざし)ちゃんの事ですか? 確かにずっと七号室を使ってますねえ……きっとたっちゃんと同じように……おっと、口を滑らせかけました。これ以上は有料です」

 

 こいつ、あからさまに情報をちらつかせやがった……。しかし十分だ。俺は今まさに教員室に姿を現した織斑千冬に目を向け、半笑いになりながら言った。

 

「じゃあいいわ。そろそろ帰ってくれ、さもなきゃ業務妨害で訴えるぜ……織斑先生に」

「おっと~? 脅迫ですか~? これはジャーナリズムに対して権力を振りかざすムーブですねぇ~! しかし! 日本では報道の自由が保障されてあ痛っ!」

「朝っぱらから教員室で騒ぐな黛。仕事の邪魔だ」

 

 黛を軽いチョップで沈黙させた織斑千冬が腕を組み、痛がって蹲る黛を見下ろした。Good(グッド)だぜ織斑千冬! 黛が痛い目見る姿を見れた上これで俺も仕事に戻れる! 最高だ痛だぁ!?

 

「……お前もそうこれ見よがしに笑うな、石動」

 

 椅子から転げ落ちた俺の前で振り抜かれた右手をスナップさせて、織斑千冬が俺を睨みつける。明らかに黛への攻撃に比べて力込めすぎだろうが! ダメージに床をごろごろと転がる俺はそんな批判も口に出来ない。しかもそんなこんなしている内に、黛は俺の机の写真を撮ってさっさと出て行ってしまった。まぁた逃げやがったな黛……覚えてやがれ……!

 怨嗟に満ちた瞳で出入口に消えてゆく奴の背中を睨んでいれば、開けっ放しになったドアから今度は山田ちゃんが教員室に入ってきて、床に転がった俺を見て口元を隠して笑った。

 

「石動先生……また何かやらかしたんですか? ふふ、そんなに叩かれてると頭悪くなっちゃいますよ?」

「ああ、俺の事を心配してくれた純粋無垢な山田ちゃんはもう居ないのね……滲みるわぁ~」

「フン、自業自得だろうが」

 

 笑う山田ちゃんと泣き真似をする俺を見て、不機嫌そうに鼻を鳴らす織斑千冬。しかし奴はそこで気を取り直すように小さく首を振り、何事かを俺に尋ねて来た。

 

「……そうだ石動、昨日話していた事なんだが」

「昨日? ああ、俺の訓練ですか……まさか、また俺をボコボコにするつもりじゃ!? あっチョップはやめて! 冗談ですすみません!」

「貴様、私を何だと……まあいい。そら、言っただろう。食事に連れてってやると。それで土曜の夜に予約を取ったんだが……」

 

 そこまで奴が言い終えるのと山田ちゃんが「まあ!」と驚いた顔をするの、そして、何かを落として盛大に割る音が給湯室から聞こえて来るのはほぼ同時だった。俺達は揃ってびくりと振り返り、給湯室の方に視線を向ける。

 

「すげぇ音したな…………榊原先生、何か最近おかしいぜ? 大丈夫かよ……」

 

 俺がまるで心配しているかのような顔で声を上げれば、らしくなく織斑千冬は慌てたように目を見開く。

 

「おい待て榊原先生が居たのか?」

「そりゃいるでしょここ教員室なんだから。居ちゃまずいんで?」

「いやそう言う訳じゃないんだがそのな……うむ……」

「私見て来ますね!」

 

 唸る俺と織斑千冬を尻目に、山田ちゃんがいち早く駆け出して給湯室へと消えて行った。こういう所で機転が利くのは山田ちゃんの人のよさか。ああいう人間は良い意味で慕われるんだろうな……俺も信頼を稼いでいかんと。そんな事を思いつつ、俺は改めて織斑千冬の方に向き直る。

 

「……で、土曜ですか? まぁ空いてる……って言うか、俺許可と監視抜きじゃ外出もできませんしね。空いてるに決まってるじゃないですか」

「……知っているし決定事項だ。お前が断る事など許さん。昨日の今日で予約を取るのは中々に苦労したしな……それより石動。山田先生と……あと榊原先生も誘って構わないか?」

「別に。と言うかふと思ったんですけど、基本的に俺に拒否権有りませんよね?」

「そうだな。何と言おうが此方の意見を通す気満々だった」

「ひーでぇ……じゃ、ちょっと給湯室見て来ますわ……ああ心配だ心配だ」

 

 それだけ言い残して、俺は織斑千冬の前を後にする。土曜日か。織斑千冬は相変わらず俺の事を警戒しているようだ。またうまいこと躱させてもらうとしよう。それに織斑千冬や山田ちゃん以外の教師とのコミュニケーションは意外となかったし、いい機会だ。しかし、織斑千冬は何故榊原先生まで? まさか、裏で通じでもしてるんじゃあねえだろうな。気を付けねえと。

 

 殺伐とした心中の警戒など微塵も見せず、のらりくらりと給湯室に入った俺の眼に飛び込んで来たのはバラバラになって床に散らばる湯呑みと大層ショックを受けたらしき榊原先生。そしてその背を撫でて慰める山田ちゃんの姿。

 

「ありゃりゃ。こりゃまた……榊原先生大丈夫です? お怪我とか」

「い、いえ……ご迷惑おかけします……」

 

 真っ赤になって顔を覆う榊原先生をよしよしと山田ちゃんが一層優しく慰めた。人間の感情を得ているというのに、俺にはその姿が興味深く、かつ滑稽なものとして映る。うっかりと言えば聞こえがいいがね、人間がこうミスをするのは大体精神的な油断や動揺があってのことだろう。それを引き起こす原因が掴めれば、俺のこの世界での生活は更にやりやすくなるはずだ。

 

 まだまだ知るべきことはたくさんあるな。それにやるべき事も多い。ボトルの生成に情報収集、更に生徒達の強化――――ハザードレベルを上げ、ひとまず戦兎達同様にネビュラガスを注入されてもスマッシュにならん程度にはしてやるのが望ましい。

 

 まずは……(ファン)か一夏だな。あの二人のハザードレべルは最後に計った時で既にハザードレベル2.0以上……ネビュラガスの投与を受けてもスマッシュ化しない強靭さまで来ていたはずだ。特に凰のそれは特筆に値する。あの肉体の強度は訓練の賜物だろう。病気によって極端にハザードレベルが低下していた万丈の恋人の様に後天的にハザードレベルが上下する例など幾らでもあるしな。

 

 後は更識簪。奴についての情報を収集、その戦力の程を見極め、そしてあわよくばこちらに引き込む事だ。上手く行けば更識楯無に対する切り札(ジョーカー)となりえる。篠ノ之とボーデヴィッヒには悪いが、訓練もそこそこに切り上げさせてもらうとするか。今日は大事なファーストコンタクト予定日だからな。

 

「とりあえず、箒と塵取り持ってきます。破片、踏まないようお気を付けて」

 

 二人に声をかけて、俺は掃除用具入れへと向かう。しっかし、今日は朝からいろいろと忙しい日だな……長い一日になりそうだぜ。

 

 俺はそんな事を思いながら、箒と塵取りを手に給湯室から二人を外に出させて、黙々と掃除に取り組むのだった。

 

 

 

 

 

 

 14時を回って、燦々(さんさん)と陽が射し込むIS学園第二アリーナ。そこで私とボーデヴィッヒは、石動先生と共にセシリア、鈴、シャルロットの三つ巴の戦いを眺めていた。

 

 別にただ見学しているわけでもない。これも訓練の一環だ。石動先生曰く、「本当は今日ボーデヴィッヒの腕前を拝見させてもらおうと思ったんだけどなぁ……今日は俺途中で抜けるんで、俺が監督してなくてもいい修行にした。たまにはこういうのもいいだろ」との事だ。しかしいち早く石動先生と手合わせしたかったと見えるボーデヴィッヒは些か不満そうである。

 

 そんな事を考えている間にも戦いは続く。鈴の駆る<甲龍(シェンロン)>の<双天牙月(そうてんがげつ)>を寸での所で回避したセシリア。しかしそこをシャルルの<ラファール・リヴァイヴ>が構えたアサルトライフルに狙い撃たれ、必死の機動でそれを何とか回避する。今や二人がセシリアに狙いを定めた二対一の構図だ。

 

「んー……こいつは、オルコットにとっちゃ辛い展開だな」

「互いに手の内が知れてますからね。狙撃型のオルコットは二人にとって放って置けない相手です」

 

 手に持ったマトリョーシカ人形を弄びながら楽しげに言う石動先生に私は淡々と返した。何故三つ巴のバトルロイヤルでありながらセシリアが狙われるのかと言えば、彼女の狙撃能力に対して残りの二人が決定的な決め手を持っていないからと言う事に尽きる。

 

 自身に優位な間合いを保つシャルルはひたすら引くセシリアに対して、鈴を相手にしながらでは距離を維持できない。逆に<龍咆(りゅうほう)>によってビットの処理が容易な鈴はしかし、そこをシャルルやセシリア自身に狙い撃たれる危険があり積極的な行動が取れない。

 

 そこで二人は示し合わせたかのような即席コンビネーションでセシリアに襲い掛かったのだ。当然あわよくばもう一人も落としてしまおうという気概が見え隠れしているが、見ているこちらとしては二対一を見せられているようで余り気分は良くない。

 

「『敵の敵は味方』と言った所か、石動先生」

「そうだなあ。オルコットの奴は文字通りの『漁夫の利』を持っていける装備構成だからな。二人でやり合ってたら一人がやられて、一人がやられたらタイマンじゃ相当厳しい。そりゃまぁ狙わるのもわかるってもんさ」

 

 ラウラの問いにあくまでのんびりと答える石動先生はしかし、戦いの趨勢はキッチリ見越しているのかしっかりと目を空に向けたままだ。

 

「本来狙撃型ってのは単独で戦うもんじゃあないからなあ……試合形式のミスだよ。一夏でも混じってりゃずっと面白みのある試合なんだろうが。篠ノ之ォ、一夏はいつ帰ってくるんだ?」

「えっと……月曜までには帰ってくる予定らしいです」

「そっかぁ。じゃ、良ければ合同で練習できないか聞いてみるとするかねえ」

「それは本当か!?」

 

 石動先生の呟いた案に、敬語も忘れてラウラが食いついた。その勢いにびくりと跳ねて距離を取りながら石動先生が苦笑いを浮かべる。

 

「いやボーデヴィッヒお前、別に遊びじゃねえんだ。訓練だぞ訓練。そりゃあ一夏に会いたいのは分かるけどよ……」

 

 そこでちら、と私に意味深な視線を向ける石動先生。だが私は動じず、冷静に一夏達との合同練習によるメリットとデメリットを計算して口を開いた。

 

「そ、そうですね! えっと、一夏と……じゃなくて、皆で訓練すれば互いの能力を良く見極め……あー、チームワーク……結果的に戦闘時の連携が取りやすくなると思います!」

「わかったわかった! だからそんな詰め寄るなよ! とりあえず帰ってみたら声かけといてやるから、一夏が帰ってきたら教えてくれ! それと、その辺の調整もあるから明日の訓練も軽いもんにしとくからな!」

「ありがとうございます……!!」

 

 私の意見に心動かされたか、石動先生は強い決意を覗かせる表情で一夏達との合同訓練の為に動いてくれると約束してくれた。最近は訓練も別であまり話せていなかったからか、今からウズウズしてくる。そうして一人燃えていると、隣のラウラがこっそり私に声をかけて来た。

 

「嫁。もう一人の嫁との逢瀬(おうせ)の為の援護射撃感謝する」

「嫁ではないと言ってるだろう」

「そう照れるな。二人まとめて愛してやるから安心しておけ!」

 

 自信満々で言い切るラウラに私が小さく溜息を吐いた瞬間、上空から衝撃音。その出所に向かって顔を上げれば、セシリアの<ブルー・ティアーズ>が大きく吹き飛ばされ遮断シールドに激突。そのまま墜落して、アリーナの地上でISが解除されてしまった。

 

「決まりか……」

「オルコット的には悔しいだろうが、事実上の二対一だしな……さて、俺はそろそろ行くぜ。後でどっちが勝ったか教えてくれよ」

 

 そう言うと、石動先生は興味なさげにさっさと席を立ってその場を去ってしまった。やはり、昨日の織斑先生との組手以降、どうにも石動先生は『らしくない』。急に慌ただしくなったような、あるいは余裕が少し削れたように感じる。

 

 ……とはいっても、それは微々たるもので、彼自身の態度に大きな違いがあると言う訳ではないのだが。それに石動先生も教師だ。私達だけに(かかずら)っては居られないはずだ。きっと二学期に向けて、何かやるべき事があるのだろう。私は自分をそう納得させて、再び空の戦いを眺め始めた。

 

 鈴がシャルロットを追いつつ龍咆を連射し、一方シャルロットはそれを細かい軌道変更で回避しつつひたすらに射撃武器で迎撃し続ける。堂々巡りか。だがそれも永久には続かない。一発の衝撃砲がリヴァイヴをかすめ、その動きが明らかに鈍った。そこに鈴が双天牙月を両手に構え一気に加速、一挙に距離を詰める。それを見てラウラが真剣な声色で呟いた。

 

「デュノアの勝ちだな」

「ああ」

 

 瞬間、一瞬で体勢を立て直したリヴァイヴは瞬時加速(イグニッション・ブースト)で甲龍に肉薄――――いや、()()した。両手に携えたショットガンの銃口もだ。

 

 鈴が双刃を振り下ろすよりも早く、破裂音に似た銃声と共に甲龍が吹き飛ばされ、そのまま地上へと落下してゆき墜落。地面に打ち付けられて転がってからISの装着が強制解除された。その様を見て、私はいつの間にか肩が触れるくらいにまで近づいて来ているラウラに問いかける。

 

「ラウラ。今のはどう思う?」

「完全にデュノアの『釣り』だな。恐らく体勢を崩したところから演技だ」

「お前もそう思うか。凰のミスはやはり近接戦を選んだことだと思うが」

「同感だ。接近するとしても衝撃砲を撃ちながらにするべきだったな。エネルギー残量の問題かもしれんが、高い稼働効率を誇る甲龍にそれは考えにくい」

 

 人を嫁だ何だと言っている時とは裏腹に、特殊部隊員らしい合理的で冷静な意見を口にするラウラ。その姿は婿を自称するのも何となく分かる程度には頼もしい。私は嫁にされるつもりなど毛頭ないが。

 

 そのまま二人して、しばらく黙り込む。言う事が無くなった訳ではない。私には少し、ラウラと一緒に考えてみたい事があった。仮定の話に過ぎないが……しかしその話をするのは少し躊躇われた。

 

「嫁……いや、篠ノ之」

「……なんだ?」

「――――もし<スターク>がこの戦いに混じっていたら、どうなったと思う」

「……………………」

 

 ()しくも、ラウラからかけられた問いは私の考えていたそれを全く同じものだった。その答えに窮して私は口を閉ざす。何と言うべきか。ラウラとて、先日弄ばれた際の傷が癒え切った訳ではあるまい。私とて、未だにブラッドに砲を向けられた時の事を夢に見るのだ。そんな思いに苛まれ拳を握りしめている横で、ラウラはそう言った事を気にするそぶりも見せず、淡々と持論を語り始める。

 

「これは私の個人的見解――いや、お前も同じ意見になると思うが――間違いなく奴が一人勝ちするだろう。彼女達の中に、全力のスタークとやり合える者は存在しない。いや、彼女達とは言ったが、私やお前、一夏もそうだ」

「私やお前でもか? それに一夏には一撃必殺の<零落白夜(れいらくびゃくや)>がある。あれを受ければいかに奴でも――――」

 

 そこまで言った私の言葉を、ラウラは首を横に振る事で途切れさせる。そして、今までに無い殺気を伴った瞳で私の事を見据えて来た。

 

「奴のISの性能、装備はともかく……操縦者の技術が我々とは隔絶しすぎている。今の私達は奴ほど自由自在にISを扱う事は出来ていない。一夏も同じだ。幾ら<二次移行(セカンド・シフト)>した機体とは言え、乗り手の腕が違いすぎる以上宝の持ち腐れになりかねん。それに――――奴がお前や一夏のような<単一仕様能力(ワンオフ・アビリティー)>を持っていないとも限らないのだからな」

 

 その指摘に私は愕然とした。<単一仕様能力(ワンオフ・アビリティー)>。ISと操縦者が最高の相性状態となった時に発現する固有の特殊能力。世界的にもまだ珍しい物で研究も殆ど進んでいない。分かっているのは、基本的に第二形態以降のISが発現するもの……しかし、必ずしも発現するわけでは無いと言うくらいだ。

 

 その能力は多岐に渡るが、いずれも戦況を容易にひっくり返すほどの力であるのは間違いない。一夏や織斑先生の零落白夜などその最たる物だ。そんな力をまだ奴が隠し持っているならばそれは余りに大きな危険だ。いやしかし、まだ奴が能力に目覚めていると決まった訳でも――――。

 

「――――実を言うとだな、奴の『能力』らしきものを私は先の戦いで目にしている」

「何だと?」

 

 ラウラの言葉に、私は背筋が凍るような思いを味わった。もし本当にそうだとしたら、奴の強さは私の考えるそれよりも遥かに上にあるという事になる。

 

「私は先の<福音(ゴスペル)停止作戦で>奴を二度AICで拘束した。そのいずれも、全身を赤く発光させ無理矢理振りほどいている。恐らくだが、あれが奴の単一仕様能力」

「あのAICを自力で振りほどけるだと…………それが奴の単一仕様能力と見て間違いないのか?」

「……確証は無い。だが、自身の強化か、あるいはAICの阻害か……そういう能力を奴が持っているのは確かだろう」

 

 先ほどと変わらぬ真剣な瞳で言うラウラを前に、私は深刻な顔で悩むばかりだ。単純に奴より強くなりさえすれば勝ちの目が見えてくるかと踏んでいたのに、その実私が知っているのは奴の強さの片鱗に過ぎない。それをハッキリと思い知らされて、私は自身の無力さを改めて痛感する事になった。

 

「……その情報、織斑先生には?」

「共有済みだ。だからと言って、何かいい策が出てくるわけでもあるまい。確かに奴の強さはまた未知数の物に戻ってしまったが、それで我々に出来る事が減るわけでも増えるわけでもないしな」

「結局、凰が言っていたように強くなる以外に道は無いという事か……」

 

 私の言葉を聞き届けて、ラウラは観客席から立ち上がる。その顔は、先程の真剣そのものの表情ではなく、何処か困惑しているような、何かを決めかねているような顔だ。それに私が訝しげな視線を向けると、覚悟を決めたのかラウラはすさまじい勢いで捲し立てて来た。

 

「その通りだ。だからその……これからトレーニングルームでもどうだ!? うむ、とりあえず体を動かせば嫌なことを忘れられると(ファン)も言っていたしな。それがいい! さあ行くぞ嫁! 三歩の間隔を保ち私の後方を追従するがいい!!」

 

 顔を真っ赤にして一息で言い切ったラウラ。余程緊張したのか紅潮した頬に汗を僅かに滲ませ、ぜえぜえと肩で息をしている。その姿を、まるで一夏を誘う時の自分のようだなと思って私は笑った。運動には丁度いいか。今日の訓練は座ってばかりで、自室でのトレーニングの中身を濃くしようと思っていた所だし。

 

「その笑顔……肯定と受け取るが、どうだ?」

「ああ、構わない。丁度欲求不満でな、体を動かしたかった所だ」

「待て待て待て欲求不満だと!? まだ昼間だというのにふ、ふしだらだぞ!」

 

 紅かった顔を更に真っ赤にしてこちらを指差すラウラに、私はこれ見よがしに肩を落として言った。

 

「……何か勘違いしているようだが、トレーニングをしたいと言うだけだ。別にお前とそういうことをしたいなんてこれっぽっちも思ってないぞ」

「……そうなのか? それは、うむ……残念なような、安心したような」

「言ってないでほら行くぞ…………ん、これは」

 

 ラウラに先んじて立ちあがろうとした私は、丁度石動先生の居た辺りに置きっぱなしになったマトリョーシカ人形を発見する。

 

「それは……確か石動先生が弄りまわしていた奴だな」

「忘れ物か……まったく、世話の焼ける人だ」

 

 私はそれを拾い上げ、持ってきていたカバンの中に放り込む。一方ラウラは、なぜか嫉妬するかのような視線で私の事を凝視していた。

 

「…………婿である私より親しそうにされるのは、ちょっと妬けるな」

「何を言ってるんだ。お前より石動先生の方が付き合い長いんだから当然だろう。ほら行くぞ、私の三歩前を歩いてくれるんだろう?」

「あ、ああ! ってちょっと待て速…………いや待て……そういえばクラリッサが言っていた……日本では嫁は婿に自分を追いかけさせ『捕まえてごらんなさ~い』と試練を与えると! そうと分かればこちらの物だ!」

 

 早々に観客出入口へと向かう私の後ろで取り残されかけたラウラが何事かぶつぶつ呟いている。また間違った日本知識でも披露するつもりか? そう思って白々しい目を向けると、瞬間奴は全力疾走で私の横を走り抜け、勝ち誇った笑みで振り返り叫んだ。

 

「残念だったな嫁! 捕まえるどころか先に行っているぞ!! これでお前も私を婿と認めざるをえんな! ゆっくり歩いて来るがいい!! 楽しみにしているぞ!」

 

 そのままの勢いでラウラの姿はあっという間に見えなくなる。ふざけている……訳では無さそうだな。大方間違った日本知識でも身に付けてしまっているのだろう。丁度いい。嫁と呼ばれるのも癪だったし、ここで一度矯正してみるとしよう。しかし先行された以上、向こうで変に絡まれるのは間違いないか、面倒だな……。

 

 ――――まあだが、そういう友人も悪くないか。そんな事を思ってくすくす笑いながら、私はアリーナを後にしてのんびりとトレーニングルームへと向かう。……その道中、織斑先生に廊下を走ったのを見咎められ説教されるラウラに遭遇するとは思わなかったが。

 

 

 

 

 

 

 ――――IS学園には、操縦者としての腕を磨く生徒達の為のアリーナやトレーニング施設の他に、技術者や整備士を育成する為の多くの施設も併設されている。

 

 生徒達は二年生、三年生への進級の際にISの操縦者としての訓練を続けるか、あるいはIS関連のメカニック、エンジニアとしての道を選ぶかを選択させられるのだ。だが、そこにはどうしても国家や集団としての意思が介在し、個人の思惑を通す事の出来る者は少ない。それは、ISと言う兵器の希少性と強大さがそうさせている。……仕方のない事ではあるが、多くの者がISの操縦者としての夢を諦め、別の道を選んでゆくのだ。

 

 だが、連日整備課の整備室の一つに引きこもり、作業を続ける私は整備課の人間でも無ければ上級生でも無い。今年IS学園に入学したばかりの一年生だ。

 

 カタカタと物理キーボードをタイピングし、時折眉間を押さえ、また空間投影ディスプレイを睨んで、キーボードを打ち始める。その繰り返しを、一人でもう何日続けているのか。

 

 ――――やはりダメだ。私は長い溜息を吐いた。そして、一度データを保存して持ち込んでいた栄養剤を口にする。そのままイスに深く寄りかかって、眼鏡を外し両手で目元を覆った。そうして休んでいると、とりとめのない思考が脳裏に浮かんで来て、それが悪い方向に成長して私を強く苛んでいった。

 

 何故、どうして。私は未だにこんな日の当たらない場所に居るのか。折角皆が喉から手が出るほどに欲しがっている『チャンス』を手にしているのに、それをただ無為に使いつぶしている。情けない、申し訳ない、不甲斐ない。

 

 そう思考の迷路に嵌って唸っていると、不意に出入り口の扉がノックされる。

 

「……………………」

 

 誰だろう。本音(ほんね)? いや、彼女は今日は生徒会の仕事が有った筈。整備課の人達は、私がここに居るのは承知のはずだ。一年四組の生徒(クラスメイト)達は、私の事を煙たがり、距離を置いている。……まさか、姉さんだろうか。そんな想像をして私が体を強張らせた、その時。

 

「おーい、更識(さらしき)。不在かー? おっかしいなぁ。ここに居るって聞いたんだが……」

 

 何処か気の抜けたような大人の男性の声。幾ら多くの人が在籍すると言っても、男性は数えるほどしかいないこの学園でその声の主を判別するのは容易だった。私は手元のコンソールを使って、部屋のドアをオートで開かせる。そこには、突然ドアが開いた事に驚いたのか警戒してのけぞる壮年の男性が一人。

 

「よ、よお。初めまして。その、中、入れてもらってもいいか? 外で突っ立ってるのも、なんだかなぁ、って」

「…………どうぞ」

 

 私の許可を得た男――――石動先生は、ようやく安心したかのように、安堵の表情で整備室の戸口をくぐった。

 

「えっと……どーも、初めまして更識さん。石動惣一です」

「……更識 簪(さらしきかんざし)、です……」

 

 畏まってお辞儀をする石動先生に釣られて、私も立ち上がってお辞儀をした。一瞬遅れてその滑稽さに気づいて、咳払い一つして私は椅子に腰掛ける。一方石動先生はきょろきょろと物珍しそうに部屋の中を見回してから、気安く私の近くまで歩み寄って来た。

 

「いやあ、突然お邪魔して悪いな。何でも一年四組のクラス代表が夏休みに入った直後からこの部屋に入り浸ってるって聞いてなあ。特に最近はずっとここに居るって言うんで、心配になって見に来たんだ」

「余計なお世話……です」

「そう言うなって~、俺は仕事熱心なんだ。ちょっとくらい大目に見てくれよ~。な?」

 

 言ってにっこりと白い歯を見せて笑う石動先生に、私は少しうんざりとした気持ちになった。この、相手の事情を承知(しょうち)して、なおそのパーソナルスペースに容易く滑り込んでくる立ち振る舞い。それが姉さんのそれにとても良く似ていたからだ。そう思われているなんて夢にも思っていないんだろう。石動先生は目を光らせ、興味深そうにディスプレイを覗きこんだ。

 

「ほほ~、こりゃ、ISの設計図に……そっちにあるのはISの部品だな? ああ、あれか。聞いたことあるぜ! 一流の乗り手は自分の機体は自分で整備しないと気が済まないって。流石に代表候補生。丁度夏休みだし、こうして派手にオーバーホール(点検分解修理)してるわけだ! 何だよ、安心したぜ~!」

 

 はっはっは。そんな風に白々しく笑う石動先生は知らず知らずに私の地雷を踏み抜いていた。何が一流だ。姉の七光りでISコアを手に入れただけの私が。何が代表候補だ。今まで何一つとして結果も残せてない。……何がオーバーホールだ。私のISは、()()()()()()()()()()()()()と言うのに――――!!!

 

「……違います」

「んん?」

「――――私のISは、まだ完成してないんですよ」

「……………………は?」

 

 ぶっきらぼうに、吐き捨てるように言った私の言葉に、石動先生はこれ見よがしに硬直した。顎が開き、目をぱちくりさせている。その顔があんまりにも面白くて、私はちょっとスカッとした。私がそう思って少しいい気分になっていれば、硬直していた石動先生はまるで再起動した機械の如く周囲をきょろきょろとまた見回して、困惑に満ちた顔で私に詰め寄って来た。

 

「いや、ちょっと待てちょっと待て。お前、一年四組のクラス代表で、専用機を持ってるって話じゃなかったのかよ?」

「……コアはあります……でも、機体は出来てません……。あるのは基本のフレームと装甲と、作りかけのスラスターに幾つかの武装だけ……内部のプログラムもまだだし、ISなんて、とても言える状態じゃない……。……むしろ、知らないで私の所、来たんですか? 四組の子たちは、何か言ってませんでした……?」

「いや、俺は整備課経由で来たんで、四組の生徒達とは何も……あー、まさか未完成のISとは……流石に予想してなかった……」

 

 眼鏡のレンズの奥で目を細めズバズバと指摘する私に、石動先生は途方に暮れた様に片手で顔を覆って天を仰いだ。私はその様を一瞥して、再びディスプレイに視線を戻す。

 

 ――――何しに来たんだか。それが、私の石動先生に対する率直な感想だった。確かにずっと整備室に籠りっきりで自室に帰っていなかった私にも問題はあったかもしれないけど。

 

 そこではっと、石動先生を笑っていたつもりがいつの間にか自分の良くない所に目が向いている自分を自覚して、私はまた嫌な気分になった。するといつの間にか、石動先生が椅子を持ってきて私の横に腰掛け、怪訝そうな顔でこちらを覗き込んで来た。

 

「うーん……所で更識。未完成とは言うけどさ、そもそも何で未完成なんだ? 本来そういうのは研究所とかの開発機関の仕事だろ? なのにコアまで渡されてお前が機体を弄ってんのは、なーんかおかしくねえか?」

 

 首を傾げて言う石動先生に、私は自身の怒りのボルテージが溜まって行くのを自覚する。だがしかし、教師に手を上げる訳にも行かない。ここはもう、さっさと説明してお帰り頂こう。

 

「…………織斑一夏のせいですよ。私の機体は元々<倉持技研(くらもちぎけん)>で開発されてた第三世代機だったんです……。でも彼が現れたおかげで、研究所のリソースは全部<白式(びゃくしき)>に持ってかれました……。その上、男性操縦者のデータがどうとかで……一月(ひとつき)待っても開発が再開される様子がない。だから、痺れを切らしてデータやコアも貰ってきたんです……。――――この<打鉄弐式(うちがねにしき)>を、自分で完成させるために」

 

 そう言って私は機器の中心に鎮座する機体を見据える。日本製の第二世代機、<打鉄(うちがね)>の後継機となるはずだったその機体の、作りかけのその姿を。

 

 この機体を、一人で完成させるというのは本当は遠回りの道なのだろう。だがこれは半ば私の意地だ。姉さんはかつてロシアの設計したISのデータを元に自身の専用機を一人で組み上げたのだ。なら、私もそのくらいは出来なければ、遥か先を行くあの人の後姿を捉えることなんて一生できやしない。

 

 さあ、説明したから帰って下さい。充分失望したでしょう? そんなやさぐれた視線を向ければ、石動先生は私の予想とは違い、神妙な顔でまじまじと打鉄弐式を眺めていた。

 

「ふぅん……しかし、未完成って割には中々形に成ってきてるじゃねえか。お前、ここまで一人で作ったのか? だとしたら凄い奴がいたもんだ……Amazing(驚き)だぜ」

 

 その言葉に今度は私が驚かされる番だった。確かに、打鉄弐式の完成度は預かった時に比べれば大分進歩しては居る。でも、これから必要な要素……機体コンセプトの明確化や、火器管制システムのプログラミングなど、まだまだやるべき事はたくさんある。そう考えると、また気分が重くなった。

 

 …………もう、一度出てってもらおう。話ばっかで、全然作業も進まないし。

 

「…………お世辞なんて、止めて下さい。……もう話は終わりましたので。そろそろ、いいですか……?」

「ふぅん……そっか。分かった分かった。こっちこそ邪魔して悪かったな。今回はここらでお暇させてもらうよ。お前の機体の完成、楽しみにしてるぜ……じゃあまたな。次来るときは何か差し入れでも持ってくるさ。そんじゃ、Ciao(チャオ)!」

 

 言い残して、石動先生は部屋を後にした。……凄い奴、か。本音以外に褒められるのなんて、何時ぶりの事だろうか。実にむずがゆい。そんな風に少し浮かれている自分を自覚して私はハッ、と小さく笑って自嘲する。我ながらちょろい奴だ。ちょっと褒められたくらいでいい気分になるなんて。

 

 ……とりあえず、これ以上寮に戻らずにいるとまた何か言われそうだし、久々に部屋に戻って撮り溜めてあるアニメでも見ようかな。最近はちょっと根を詰め過ぎだったかもしれないし。

 

 いい機会だと部屋を後にする事を決意した私は、手際よく整備室を撤収していく。コンピュータのデータをしっかりと保存しバックアップも取って、その次に一見無造作に、しかし自分に使いやすく置かれた道具をひとまとめにする。整備課から借用した道具も、ちゃんと返却しなければ。ここを出禁にでもされてしまえば、それこそ私と打鉄弐式の未来は断たれてしまうから……私はとても慎重に、一つ一つの道具に不具合が無いかどうかを確認していった。

 

 

 

 

 

 

 ――――全ての片づけを終えた私は、今頃になってふと時計に目を向ける。17時か。今から帰れば、食堂が賑わう前に夕食を終えることも出来るだろう。私は余り、人混みが好きじゃない。皆、私の事なんて気にしてないって事は解ってはいるのに、どうしても、周囲の視線を気にして落ち着かなくなる。

 

 皆がどれほど苦労しても手に入るとは限らない専用機を与えられていながら、結果どころかその姿を白日の元に晒す事さえ出来ていない。それが申し訳なくてどうしようもなくなるのだ。そんな思いに囚われて手を止めていると、不意に出入り口のドアが開かれる。

 

「たっだいま~。教師石動惣一、宣言通りまたやってまいりました。はっはっは」

 

 先ほどの悩んでいた私とは真逆の、陽気な笑顔を顔に張りつけた石動先生。その手には幾つかの購買の袋がぶら下がっている。だがそれよりも、この場に石動先生がまた現れたという事実の方が私にとって重要な事だった。

 

「…………あの、今日はもう、帰ったんですよね……? ……何しに、来たんですか……?」

「んん? いやまた来るって言ったろ? だからまた来たんだよ。悪いか?」

「えぇ……?」

 

 あっけらかんと答えた石動先生に私は困惑を隠しきれない。しかしそんな私の様子も気にする事無く、石動先生は手に持った購買の袋を掲げて見せた。

 

「それよりほら、差し入れ持ってきたぜ。糖分補給しねぇと頭働かねえし、もういい時間だし昼食ってから結構経ってるんじゃねえの? ……ほれ、好きなの食っていいぞ」

 

 言って石動先生は袋の中の物を先程私が整理した作業台の上に並べ始めた。スナック菓子の袋に始まり、チョコレート、菓子パン、おにぎりなど。購買にある目ぼしいものはあらかた購入してきたのだろうか、これだけでも、数千円は行ってるんじゃないのか? その考えに至ると、私は途端に不安になって、思わず声を上げた。

 

「あの、今私、払えるようなお金、持ってないんですけど……」

「おいおい、俺ぁそんながめつくねぇぞ~? 奢りだから安心して食いな! それともダイエット中か? それだったら悪い事をしたが……」

「そう言う問題じゃ――――」

 

 笑う石動先生に反論しようとしたとき、私のお腹がくぅ、と空気を読まずに小さく鳴いた。一瞬、私と石動先生の間に気まずい沈黙が流れる。その沈黙に耐えきれなくなった石動先生が顔を背け肩を震わせるのと、私が顔を真っ赤にして明後日の方を向くのはほぼ同時の事だった。

 

「くっ、クックック……ああ、悪いな更識。今のは俺のデリカシーが無かった。これが織斑先生相手なら、きっとまたボコボコにされてる所だろうよ……くくく……」

 

 まるで悪人のような笑いを漏らす石動先生を前に、私はますます顔を羞恥に染める。だがそれでも時と場合と場所(TPO)を弁えぬ胃袋の発する飢餓感には抗えず、私は手近な所にあったメロンパンを引っ手繰るように手にした。

 

「ほう、そいつを選ぶとはお目が高い! じゃ、俺はこいつをっと……」

 

 そう言って石動先生はソースのたっぷりかかったコロッケパンを手に取る。購買の売るパンの中でも一、二を争う人気商品だ。その袋を伝え聞いていた人物像とは裏腹に丁寧に開いて、石動先生は幸せそうにパンを頬張る。

 

 なんて顔でご飯を食べるんだ、この人は。その様に私の食欲は更に刺激され、諦めて私も一息にメロンパンを頬張った。

 

 ……そのまま、私達は黙々とパンにかじりつく。しばらくの間、部屋には包装の擦れる音ばかりが聞こえていたが、そこでふいに石動先生が口を開いた。

 

「――――なあ更識、お前の作ってるISの事なんだけどよ」

「……何ですか?」

「いやぁ、一体どんな機体が完成するのか気になって。ちょっとだけでいいから、俺に教えちゃくれないか?」

「……まあ、別に、いいですけど……」

 

 一瞬、何を聞かれるのかと身構えたが、どうせこの機体も遅かれ早かれ皆の前に晒される事になる物だ。なら、それくらい別に話しても構わない。

 

「……この<打鉄弐式>は、防御力に優れていた<打鉄>と違って、機動力を特別底上げした機体です……。それにより、射撃戦および格闘戦を行う時、自分に一番有利な位置を取れるようになってます……」

「ほほー、一夏の<白式>みたいな格闘用の瞬発力を高めた奴じゃあ無くてあくまで立ち回り重視って事か。それで各距離で戦うとなれば、どっちかと言えば<打鉄>と言うよりフランスの<ラファール・リヴァイヴ>に性格的には近いんだな」

「……良く分かりましたね……。この機体は<ラファール>の高い汎用性をモデルに設計されたんです……。お陰様で全距離用の武装も用意しないとだし、それに対応する分だけの火器管制システムのプログラミングをしないとなので、見た目以上にすごい苦労なんですけど……」

「あ、そっか。大容量の拡張領域(バススロット)に手持ち武器をこれでもかと詰め込めるラファールと違って、こっちは武器も付けてやんないとだからな……俺だったら頭が痛くなってどうしようもなくなるぜ……それを一人でどうこうしようなんて、やっぱ大したもんだよお前は」

 

 言って溜息を吐く石動先生とは裏腹に、私はちょっと恥ずかしくなってスッと眼鏡を直す。あんまりそうさらりと褒めないで欲しい。慣れてないんだから。

 

 ……そう言えば、この人とは今日出会ったばかりで、その人となりも伝え聞いた話でしか分かっていない。そこで私は彼がどんな人なのか見極めようと、何か適当な事を聞いてみる事にした。

 

「……あの。石動先生は、テレビとか、見るんですか……?」

「おう。テレビは見るぜ。っても殆どはニュース番組だが……後はIS関連番組は大体チェックしてるぜ」

「…………アニメとか、見ます……?」

 

 そこまで言って、私は自身の選択ミスに頭を抱えたくなった。なんだよアニメって。今どき女尊男卑の煽りを受けてアニメや特撮業界も女性向けの物ばかりになってきている。そもそも石動先生のような壮年の男性がアニメを見ているなんて、そんな都合のいい話は無いだろう。せめてドラマかバラエティにするべきだった、私アニメ以外殆ど見てないけど。そっちの方がもっと話題を広げられたかもしれないのに……!

 

「アニメかぁ……あんまり見はしねえなぁ」

 

 その予想通りの答えに、私は肩を落とす。しかしふと石動先生は思いだしたかのように「あ、でも」と呟いた。

 

「最近はたまに『魔法少女☆ビースト』の再放送は見てるぜ。子供向けかと思えば意外と面白いんだ、あれ」

「魔法少女ビーストのどの辺が面白いと思います?」

「ん? 一番はキャラクターの造形……ああいや、魔法少女ビーストこと【ニトー】が契約した【きまいらちゃん】に魔力を与えるために自分から戦いに行かなきゃいけないってのが俺は好きだな。あの積極性……むしろ自分から敵に襲い掛かってくようなスタンスは良くある変身ヒーローにはない。自ら積極的に敵と戦いに行くってのは、実に利己的でなんだか共感できる所があるな」

 

「わかります。ニトーは悪い奴じゃないしどこかお気楽で憎めないんだけどその行動の根幹にあるのは自分が生きるためって言う生存欲なんですよね。そういう点じゃライバルの【ハルト】の方がよっぽどヒーローらしい。それでも間違いなくニトーはヒーローなんですよ。生きたいって言う正当な欲望と人助けを両立していながら結果的に悪の野望をくじいていくニトーの姿はなんだかヒーローとして身を削って削ってギリギリの所で戦うハルトよりも私は共感できちゃいますね。それにニトーのいい所は生きるために人助けはしても決して非道には走らない所なんですよ。普通命の危機とあったら少しは悪い事だって考えそうなものなのに第24話で自身の祖母が【ふぁんとむ】に狙われた時の必死っぷりとかもう本当に根っこの部分がいい人なんだなぁって感じますよね」

 

「えっ何待ってもう一回ゆっくり喋ってくれる?」

 

 驚いたように言う石動先生の言葉に自身の暴走を自覚させられて、私はもうすごい勢いで死にたくなった。幾らそう言う話が出来そうな人が見つかったからって、今のは無いでしょ……ここ二週間ほど本音以外の人とほとんど話してなかった弊害が出てるのかもしれない。重症だ。

 

「…………えーとだな、すまん、俺24話の再放送見逃しちまってて。そんな話だったんだな」

 

 そんな私に気を遣ってか、気まずそうにフォローを入れてくる石動先生。ええい、ままよ。こうなったらもう、どこまでもこの話題でゴリ押してやる!

 

「…………私『魔法少女☆ビースト』の特装版Blu-ray BOX持ってるんですけど……興味あります……?」

「えっ。あの限定受注生産で今じゃもうオークションとかでしか手に入らないって言うあの?」

「はい。良ければお貸ししますが……いかがですか……?」

「…………いいのか?」

「代わりに、ここでの会話は誰にも言わないで下さい……」

「いや、別に言うつもりもねぇけど……」

 

 ちょっと引き気味ながらも首を縦に振った石動先生の姿に、私はほんのわずかに安堵した。もとより陽気で口も軽いと噂の人だし、もしここでの会話を広められ、姉さんにでも知られた日にはホントに消え去ってしまうかもしれない。……でも、ひとまずはそういう心配も無さそうだ。そんな風に力を抜いた私に、石動先生は楽し気に声をかけて来た。

 

「……更識よお、お前、どう言うアニメが好きなんだ?」

「……えっ?」

「いや、お前随分と熱意もって語ってたからよお……ちょっと興味が湧いたんだ。何かオススメがあったら教えてくれよ」

「えっ、え、えと、あの……その、『超星監察医レーザーX』とか……」

 

 こんなに食い付いてくるとは思わず、私はしどろもどろになってまず思いついた名作ヒーローものを口から絞り出す。星を股にかける宇宙監察医が全宇宙を支配し神となるべく野望を燃やす宇宙ゲーム企業の社長と激突する設定だけ見れば荒唐無稽な作品だが、そのストーリーの熱さや自らの信念を持って戦うキャラクター達のかっこよさが受けて男女問わず大ヒットした名作中の名作だ。この女尊男卑の世界で男性主人公の作品がヒットする事は珍しく、今でも業界では語り草になるほど。主題歌は紅白でも歌われたし、社長の迷台詞は社会現象になりかけたのをよく覚えている。

 

 主人公のハイキックを真似してはしたないって怒られたこともあったなぁ……。そんな風に思い出に浸っていると、興味深そうに石動先生が笑う。

 

「ほほー、宇宙か。興味あるぜ。そのレーザーXとやらのブルーレイとかも持ってんのか?」

「……あります、けど」

「良ければ貸してくれないか? 俺、この年にもなって『ヒーロー』って奴が大好きなんだよ」

 

 どこか恥ずかしそうに笑う石動先生を見て、私は少し呆気にとられる。目の前の人が、急に近い所にいるような気がした。この学園に来てから……いや、今まで生きてきて、面と向かって『ヒーローが好き』なんて言える人は、初めて見た。……だからこそ、聞いてみたい事が一つある。

 

「……石動先生は、どんな『ヒーロー』がお好きなんですか?」

「ナルシストで自意識過剰な正義のヒーロー」

 

 即答だった。そんなヒーローものは聞いた事も無かったけれど、石動先生のその自信に満ち溢れた顔は有無を言わせぬ熱意を感じさせる。私はしばらく、その姿に圧倒されていた。すると石動先生はにっと笑って、意趣返しとばかりに一つ質問を繰りだして来た。

 

「なあ更識、そういうお前は、どういうヒーローが好きなんだ? 『俺のヒーロー』を聞いたんだ、『お前のヒーロー』も聞かせてくれよ」

「私の、私の『ヒーロー』は――――」

 

 

 

 

 

 ――――結局、石動先生とのヒーロー談義はその後も続き、私が自室に戻ったのは22時前。同居人も帰省中で、しばらく無人だった部屋にはほんの少し埃っぽさが漂う。しかし部屋に入った私は荷物を放り投げた後、適当な寝間着に着替えて眼鏡も外さずにベッドに飛び込んだ。そのまま目を閉じると、話の中で石動先生が言っていた『正義のヒーロー』についての言葉が思い浮かぶ。

 

『正義のヒーローってのはな……ナルシストで、自意識過剰で……平和を享受する誰かの笑顔を見ると、心の底から嬉しくなって顔がくしゃっとするんだ。……俺は、そんな奴の事をヒーローって言うんだと思うぜ』

 

 その言葉をどこか遠い目で、懐かしむように言う石動先生。あの人の言う『ヒーロー』はいったい誰の事なんだろう。私の知らない、古い特撮とかなのだろうか。もし今度機会があったら、聞いてみたいと思った。それに、男の人とあんなに長く話をしたのは、人生でも初めての経験だった。いや、ヒーロー好きに男も女も関係ない、って事なんだろうか。

 

 ……結局、石動先生には『魔法少女☆ビースト』と『超星監察医レーザーX』のBlu-rayを明日貸し出す事になった。夏休みを使ってじっくり鑑賞したいとのことだったし、同好の士を欲していた私はその頼みに二つ返事でOKしたのだ。

 

 あれ程ヒーローに一家言(いっかげん)持っている人だ。感想も聞かせてくれると言っていたし、今からその時が楽しみで年甲斐も無くうずうずしている。そうだ、明日からは私ももう一度頭から見返してみようか。ネットでの配信サービスを使えば手元にBlu-rayが無くても大丈夫だし、IS制作のいい息抜きにもなる。

 

 ……早く石動先生の感想が聞きたいなあ。あのシーン、どういう反応をするだろう。あそこのギャグで、石動先生は笑うのだろうか? あそこの伏線、気づいてくれるかな。

 

 

 そんな風に、まるで自分の作品を見せるかの様にうきうきした私は、久々に明るい気分で眠りにつくのだった。

 

 

 

 

 

 

 更識簪とのファーストコンタクトから数日後、土曜日の夕方。夏のこの時間はまだまだ夕暮れと言うには明るく、人々も多く行き交っている。そんな街中を俺と織斑千冬はのんびりと並んで歩いていた。

 

 今日は、織斑千冬が予約したという飯屋に行く予定日だ。流石にこの女からの誘いを断るわけにもいかん。それに、自分から対価を要求した身でもある。まあ拒否権は元々無かったがなァ。久々に外出できるとあっちゃ断る理由も無いと言うのが本音か。

 

 そんな事を考えて上の空で歩いていると、いつも通りのスーツに身を包んだ織斑千冬がこれまたいつも通りの仏頂面でこちらを覗き込んで来た。

 

「……石動。お前、最近寝不足のようだが大丈夫か? 何かあったか?」

「いえ、実は生徒にアニメのブルーレイを借りたら意外とこれが面白くて……最近は部屋でずっと見てるんですよね……」

「おい。アニメなどに現を抜かして仕事を疎かにするなど言語道断だぞ」

「『など』って何すか『など』って。織斑先生、アニメを軽い気持ちで馬鹿にしちゃあいけねぇ。……今度、織斑先生にもブルーレイ貸してくれねぇか頼んでみるんで見てください。いや見ろ」

「あ、ああ……」

 

 俺の剣幕に織斑千冬が珍しく狼狽して、その様が面白くて俺はくっくと笑った。それを見て奴はぷいと前を向き、今までとは比べ物にならない速度で歩き始める。なんだ、気に障ったかよ? 俺はその様子がたまらなくおかしくて、笑いながら奴の隣に追いつき、そのまま同じ速度を維持して歩く。

 

 暫くそうして不機嫌な織斑千冬を楽しんでいれば途中で奴は向きを変えて、ビルの地下へと降りて行く。なるほど、穴場という奴か。この世界でこうして外食するというのはいつかの回転寿司以来か。あの時は奢らされちまったが今日は奴の奢りだ。心行くまで楽しむとしよう。そう思いながら、俺は奴の後をついて行った。

 

 

 

 

 階段を降りきって扉を開けば、からからと来客を知らせるベルが鳴った。中は統一されていると思しき調度品が並べられたシックな店内で、他に客はおらず初老の店主らしき男性がカウンターに一人立ち、グラスを黙々と磨いている。

 

「失礼します。今日予約を取っていた織斑ですが」

「ああ、千冬さん。お待ちしておりました。……四名様と聞いていましたが、後のお二方は?」

「揃って電車に乗り損ねたらしく、一本遅れてくると」

「ははは、分かりました。ではこちらの席にどうぞ」

 

 オールバックの白髪と同じ色の口髭を揺らし笑う店主の示す席に俺達が座ると、店主がゆったりとした仕草で俺の前に立つ。

 

「お客様は初めてのご来店かと思いますが、何を頼まれますかな?」

「んー、実は俺はあんまり酒は嗜まんもんでして……とりあえず適当な物を一つ。あ、高い奴にして下さい。今日は奢られる側なんで」

「グラスビールを二つ」

「畏まりました」

「ちょっと待ってくれ織斑先生、俺は……いえすいませんでした」

 

 勝手に注文を決めた織斑千冬に反論しようとするも、その殺気に危険を感じ俺は意見を取り下げる。その様を見て奴は一度フンと鼻を鳴らし、店主はにこやかな顔でグラスを用意し始めていた。

 

「……しかし、いい店ですねえ。独特のアトモスフィア(雰囲気)を感じます。流石、織斑先生レベルになると選ぶ店も違うってトコですか?」

「お世辞はやめろ。実は良く分かっていない癖に」

「おお、流石! 俺の事良く分かってらっしゃる。ま、俺はこう言う店は初めてなんで大目に見て下せえ」

「お前という奴は……」

 

 はっはっはと愛想笑いをして織斑千冬にムッとした顔をさせていると、空気を読んだのか店主が俺達の前に一つずつ、よく冷えているビールをそっと置いた。それを見て俺達はそれぞれグラスを持ち上げ、軽くぶつけて小気味いい音を鳴らした。

 

「「乾杯」」

 

 それから俺達は一口ずつビールを飲みこみ、他愛もない話を始めた。店主はサービスのチーズを俺達に出してからは、少し離れた位置でまたグラスを磨いている。流石にプロだな、良く分かってらっしゃる。俺も人間だったら贔屓(ひいき)にしてやっても良かったかもな。

 

「石動、篠ノ之とラウラの訓練の様子はどうだ? ケガなどさせていないだろうな」

「させてませんよォ。ま、でも二人ともやる気があっていいですよ。特にボーデヴィッヒの奴、俺をまた放り投げる気満々で笑っちゃいますぜ」

「投げられてやったのか?」

「あんまりにもあからさまなんで逆にジャイアントスイングしてやりました」

「真面目にやれ」

 

 ぺちっと、織斑千冬が俺の肩を小突く。流石に外じゃそれほど引っぱたいたりはしてこねえか。まぁ、一応この女も一般常識は弁えてるらしい。……出来れば、普段からその辺容赦してほしいもんだぜ。

 

「でもボーデヴィッヒの奴のお陰で、篠ノ之も負けじと随分頑張ってますよ。ただお陰であいつらオーバーワーク気味なんで、昼の訓練はちょっと減らしてますがね」

「熱中症にはくれぐれも気をつけろよ。お前はともかく、あいつらはまだ若いんだからな」

「そこは俺を心配する所じゃあないんですかね……?」

「熱中症どころか煮ても焼いてもピンピンしてそうな奴が良く言う」

「ハハッ、褒め言葉にしちゃ辛辣っすね!」

 

 そう言って笑っているとからからとベルの音。視線を入口の方に向ければそこには何故か緊張気味の榊原先生と、その背を押す山田ちゃんの姿が見えた。

 

 何してんだか。俺がそう思ってビールを口にする間に、二人もカウンターにやってくる。そして織斑千冬を挟んだ席に座ろうとした榊原先生を山田ちゃんが引っ掴んで俺の隣に座らせて、当の本人はその向こうに腰を落ち着けた。

 

 ――――今日の山田ちゃん、随分気合入ってんな。

 

 服装は普段より地味目で口紅もさしていないが、常にニコニコ、今日この日が待ち遠しくてたまらなかったという具合だ。もしかして酒が好きなのか? そりゃ流石に知らなかった。今後にその情報は生かして行くとしよう。

 

 ……一方の榊原先生は普段のきちっとした格好とは裏腹に随分と背伸びした格好だ。肩も出てるし、胸元だって開いてる。折角だから頑張っておしゃれしてきたって所か。人間の基準で言えば良く似合っているんだろう……まあだからなんだと言う話なんだがな。俺にとってそれはどうでもいい事だ。

 

「とりあえずお二方、ご注文を」

 

 言って、二人に笑いかける。だが織斑千冬がさっさとビールを全員分注文し直したせいで俺の気遣いは無為な物に終わってしまった。まったくこいつめ、俺の好感度稼ぎの邪魔をしやがって。これで女性ファンがビックリするくらい多いというのだからこの世界は良く分からん。

 

 そうこう思っている内に俺達の前には二杯目のビールが並べられ、皆がそれを掲げるのに合わせて俺もグラスを持ち上げる。

 

「「「「乾杯(かんぱーい)!」」」」

 

 

 

 

 

 

 丁度日付が変わった頃。俺達は店を後にして、それぞれの帰路に就いた。店内で早々に酔い潰れて泥酔した山田ちゃんを担いだ織斑千冬がうんざりとしながら俺達の視界から消えてゆく。

 

 やっぱ今日の山田ちゃんやばかったな。俺と榊原先生を見ながら緊張気味にひたすらグラスを空けて行くもんだから、誰よりも早く酔い潰れてうわごとの様に支離滅裂な発言を繰り返していた。何が彼女をそこまでさせたのか、これも一つの酒の魔力という奴なのだろうか。俺は不思議でたまらない。

 

 最後、織斑千冬に引きずられながら俺達に向けサムズアップしていたが、ありゃあ何の意味があるんだか。なんにせよ、さっさと自室に戻りたい。俺自身には影響はないものの人間の体に多量のアルコールは毒だ。早く休みたいことこの上ないぜ。

 

「じゃあ、私達は学園に戻りましょうか、石動先生」

「了解。しっかし山田ちゃんには困ったもんだぜ。酒は飲んでも呑まれるなって名言を知らねぇのかよ」

「ふふっ、そういう石動先生は酔われてないんですか?」

「体質かなんかですかねえ。ま、山田ちゃんが酔い潰れて織斑先生に絡んでたの見てて面白かったんで今日は満足でしたけどね。はっはっは」

 

 笑う俺に釣られてか、榊原先生も口元を隠して上品に笑った。ほんのりと頬は赤く染まり、少し体を揺らしてはいるが、別段歩くのに問題があるようには見えない。それよりもバーに入ってきた時の様な固さが抜けて、今の方がずっと自然体だ。俺もその方があまり気を遣わずに済むんであり難い。

 

 ――――さて、ひとまず織斑千冬と共に食事という当面の問題は切り抜けた。これからは夏休みが終わるまでひたすら教師としての雑務と、篠ノ之とボーデヴィッヒの訓練にアニメを見ながらのボトル作りだ。ああ、織斑千冬から一夏の帰ってくるタイミングも聞きだせたしな。明日、早速一夏達にも合同訓練の事を打診してみよう。

 

 どうせ、二学期に入れば更識楯無(さらしきたてなし)にあいつ等は任せることが多くなるんだ。その間に俺は奴への切り札として、更識簪のISを完成に近づけつつ懐柔を試みるとしよう。どうやら、アイツは姉に対して相当コンプレックスがあるみたいだからな。

 

 だが、アイツは篠ノ之とは根本の性格からして違う。また別のやり方が必要になってくるはずだ。とりあえずフレンドリーにやって行くとするか……純粋な好意という奴にいつまでも抗えるほど頑なな人間とは思えんし。

 

「石動先生?」

「んん?」

 

 俺にかけられた声に振り向けば、榊原先生がどこか寂しげな笑顔で立ち尽くしている。ただ、俺はその姿に人間特有の覚悟を見たような気がして、少しばかり体を緊張させた。

 

「あの……今日はいろんな話を聞けて、とても楽しかったです」

「……こっちこそ。榊原先生もお見合いとかあーだこーだ、結構大変そうっすねぇ。俺でよければ相談に乗りますから、気軽に言ってくださいよ」

「……本当ですか? それではもし、良ければなんですが……今度は二人だけで、食事とか………………」

「食事、ですか?」

「はい。あ、もし良ければと言うだけで、良くなければ別に、断っていただいても構いませんよ!」

 

 取り繕うように言う榊原先生を見て、俺は訝しむ。だがまあ、別に食事くらい良いだろう。結局織斑千冬や山田ちゃん以外の教師との接点は割と薄いしな。ここでもう一人くらい親しい関係を築いておいても損は無いだろう。

 

「いいですよ」

「えっ」

「行きましょうよ、食事。でもまぁ、俺外出許可出てないんで外で食えるのは何時になるか分からないんですけど。とりあえず、明日の昼食からでどうです? 食堂なら俺も問題なく行けますし」

「あ、はい、喜んで! それでは、明日はよろしくお願いします!」

「こちらこそ」

 

 約束を交わして、俺達は二人で笑い合った。そしてそのまま駅に向かって言葉も交わさず、だが並んで歩みを進めてゆく。

 

 ――――さて、とりあえずしばらくは現状維持。様子見だな。こうして人間達とのたのしい触れ合いを続けちゃいるが、人間の感情と言う物について知ってまだ一年も経っちゃいない。これからもこうして多くの人間と語らい、楽しみ、それを有効活用できるよう学んでいかねえと。そうすれば、篠ノ之たちを操るのもより容易になるだろうしなァ。

 

 いやはや、やるべき事も多いが、やりたい事も多すぎる。こりゃ俺ものんびりしてられない。これから迎える二学期、またどこかで何かしら動きがあるだろうしな……。そんな悪い事ばかり考えて、俺は笑う。この世界にはまだまだ未知の面白さが数多にある! それも、しっかりと探していかねえと。

 

 そんな事を思っている内に俺達は駅へと辿り付いて、丁度来た電車に乗って適当な席に座り学園へと戻る流れに身を任せた。さあ、ひとまず帰ったらシャワーを浴びて肉体を休ませるとしよう。そして次は何のボトルを作るか……戦闘用のボトルは幾つか作ってあるし、また何か別の形で役に立つ物がいい……そう言えば、アレがあったな。あのボトルが完成すれば、更に周囲からの信頼を得る事が出来る可能性がある。

 

 ……決まりだな。<ダイヤモンドフルボトル>の次に作るボトルを決めた俺は外の夜景に目を向ける。暫くそうしていると、酔いが回ったのか榊原先生が目を閉じて俺の方に寄りかかってくる。無防備なもんだ、隣にいるのがどんな相手かも知らないで。

 

 そうして彼女の寝顔をひとしきり嗤って、その重みを感じながら窓に映った自分の顔を透かして夜景を眺める。その景色はまるで宝石か、あるいは星々のように輝いていた。

 

 




恋愛回フェーズ2です。
とにかく簪ちゃん(と簪ちゃんが見てるアニメの内容を考えるの)に苦しみました。ネタ募集すればよかった。
キャラがつかめている自信が今も無いのでここおかしいと思ったら教えてくれるとたすかります。

ビルドファイナルステージ、見に行けなかったけど友人からショーの話を聞いてからEvolution聞いてガチ泣きしていたのはこちらの筆者です。

ジオウ、ファイズ編どうなるかと思ったけど普通に好きです。ゲイツくんの「救うさ」からはじまるあれ名セリフすぎるでしょ……。
我が王はバンバン押田くんの近接画像をツイッターに上げてくれるしとても楽しいです。流石は既に風呂を共にしている仲……。
あとたっくんと草加の次は仁藤か~とか思ってたら『王』とか言うすさまじい爆弾投下してきやがりましたね。
絶対やばい(確信)


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フェスティバルの足音

原作五巻に突入、約19000字です。
最近戦闘シーン書いて無かったり今後の展開との兼ね合いで切り所さんが見つからなかったりで随分かかりました。けど不定期更新、不定期更新だから安心……(言い訳)

感想評価お気に入り、誤字報告いつもありがとうございます。



 9月。夏休みも終わり、帰省していた生徒達も戻ってきたIS学園に2学期がやって来た。まだまだ残暑も厳しく、厳しい授業をするのに向いているとは言い難い気候ではあるが、綿密に組み立てられたカリキュラムにそれは全く関係の無い事である。

 

 まったく、涙が出るじゃねぇか。うだるような暑さの中で俺はむせ返るかのように溜息を漏らした。アリーナの天頂に張られた遮断シールドはあくまで戦闘区域とそれ以外を区分するための物でこの日差しまでは防いではくれない。レーザー射撃とかは防ぐのにな。

 

 そんな事を考えながら眺めているのは、2学期最初の1、2組の合同演習。夏休みという空白期間を経てどれ程のブランクがあるのか――――あるいは、どれだけの腕を身に付けたか――――それを確認するための実戦練習だ。

 

 今戦ってるのは(ファン)と一夏。それぞれの機体が縦横無尽にアリーナを駆け巡り激突を繰り返す。二人とも近接戦メインの機体だが、凰の甲龍(シェンロン)には衝撃砲である<龍咆(りゅうほう)>が、そして一夏の白式(びゃくしき)二次移行(セカンドシフト)に際して手に入れた新装備<雪羅(せつら)>には荷電粒子砲と言う高火力の遠距離武装がそれぞれ搭載されている。距離を離しても油断は出来ねぇ。

 

 だがしかし、搭載する武装の性能が似ていても使い方は実際両極端だ。距離を離した途端雨霰(あめあられ)と衝撃砲をぶちかます凰に比べ、一夏は荷電粒子砲の使用を極力控えて可能な限り接近戦に持ち込もうとしている。

 

 ひとえにそれは二次移行を経て更に燃費の悪化した白式のエネルギー消費を配慮してのことだろう。嘗てエネルギー切れでオルコットに負けた事を考えると大した成長だ。(わきま)えてるって言うのかね? ともかく、奴は自身の長所が『一撃必殺』という特性である事を理解し始めている。故に基本は回避に徹し、いざと言う時は雪羅を使った零落白夜(れいらくびゃくや)の盾を使って被弾を抑えて機を伺い続けてやがる。

 

 随分と我慢強くなったもんだよ。ああまで粘られると、相手してる方も本当にやりづらくなってくるはずだ。そういやァあのやり方、学年別タッグマッチの時に篠ノ之がデュノアに仕掛けたのとやってる事は似てるな。その辺、一夏も周りを研究してるって事かね。 

 

「あいつら、夏休みに随分頑張ってたが早速成果が出てやがるな。入学当初を考えたら随分強くなったもんだ」

「相変わらず楽しそうでいいな、お前は」

 

 戦場を見上げて呟く俺に、同様に観戦を続けていた織斑千冬が反応する。なぁに言ってんだ、教え子の成長が楽しくない教師なんか居るはずもねえだろうが。そんな思いも口にせず、俺は満面の笑みだけを答えにして再び上空に目を向ける。

 

 いつの間にか二人は距離を詰め、近接距離での格闘戦に移っていた。縦横無尽に振るわれる凰の双天牙月(そうてんがげつ)を一夏は雪片弐型(ゆきひらにがた)で必死にいなして行く。流石に手数の差は如何ともし難いか。凰の得意を押しつけられているこの状況、どういう手を打つんだ一夏ァ? そう期待した傍から一夏の体勢が崩れ、そこに凰が大上段から双刃を一挙に振り下ろした。

 

「おっと」

 

 その必殺の一撃に対する一夏の対応は、俺をちょっぴり驚かせた。

 

 一夏は崩れた態勢をスラスターを一瞬吹かす事で瞬時に復帰させ、双天牙月の片方を雪片弐型で、もう片方を雪羅によって掴み取る事で防ぎきったのだ。

 

「すごい! 一夏くん、あの状況から咄嗟にあの攻撃を防ぐなんて!」

 

 その曲芸じみた防御に山田ちゃんが快哉の声を上げる。一夏も上空で『どうだ』と言わんばかりに歯を見せて笑った。……しかし、俺と織斑千冬はその姿に勝負ありだなと溜息を吐く。

 

 次の瞬間双天牙月を手放した凰の掌底が一夏の腹に入った。次に密着からの肘撃(ちゅうげき)、そのまま背を見せたかと思えば瞬時加速(イグニッション・ブースト)まで用いた鉄山靠(てつざんこう)。決まりだ。凄まじい勢いでアリーナの外壁に叩きつけられた一夏の白式が動きを止め、試合終了のアナウンスが鳴る。剣の距離なら一夏に分があるのかもしれんが、()の距離じゃ凰の方が遥かに上手だな。派手な双天牙月の振り下ろしも完全に囮だったって訳だ。

 

 俺がそんな分析結果を導いていれば、織斑千冬が面白く無さそうに鼻を鳴らした。

 

「織斑め、調子に乗ったな。如何に曲芸じみた妙技(みょうぎ)を見せようが、負けてしまえば意味は無い」

「同感っすねぇ。防いだなら防いだで自分が攻撃に回れるような防ぎ方をしねえとこうなっちまうんだよなぁ」

「ほう、中々に言うじゃないか石動。お前ならあの状況でどう防いだ?」

「横から雪片でまとめて弾くのがベストじゃないですかね? 多分返す刀で胴を抜けますよ」

「珍しく意見が合ったな。私も恐らくそうする」

 

 互いにうんうん頷きながら俺達は眼前の戦いの感想を述べ合う。その内にアリーナに居た二人が引っ込んで空きが出来た事を山田ちゃんが確認すると、織斑千冬が最後に残った専用機持ちの二人に視線を向けた。

 

「さて、次で最後だな。篠ノ之、ラウラ。準備しろ」

「はい」

「了解」

 

 織斑千冬の指示に短く返すと、二人はその場を後にしアリーナへと向かう。……紅椿(あかつばき)対シュヴァルツェア・レーゲン。そして篠ノ之対ボーデヴィッヒか。現時点での事実上の一年最強決定戦だな。心が滾るぜ……! 待機している生徒達もこの大一番を前にあちこちで勝敗の予想で盛り上がり、場がざわつき始める。

 

 その光景を目を細めて眺めていれば、織斑千冬が俺の隣に歩み寄ってどこか伺う様に小さく声をかけて来た。

 

「石動」

「あーい?」

「次の試合、どう見る?」

 

 これまでの付き合いの中で幾度と無く繰り返された問いに、俺はこれ見よがしに肩を竦めて呆れたように笑う。

 

「えー? またっすかぁ? いい加減、この手の賭けで先手を譲ってる限り俺には勝てないって学習しましょうよ」

「黙れ。二人に稽古をつけているお前の意見が聞きたいだけだ。あまり人をおちょくってるとぶっ飛ばすぞ」

「はっはっは、怖いなぁ……」

 

 俺はその警告に体を振るわせて見せる。確かに、これ以上茶化してたら本当にどこまでぶっ飛ばされるか見当もつかねぇな……。俺は腕を組み、悩まし気に首を傾けた。

 

「……ま、冗談はともかくとして。この試合、ボーデヴィッヒの勝ちが堅いんじゃあねえですかねえ」

「……意外だな。てっきり篠ノ之に肩入れすると思ったが」

「それはそれ、これはこれって奴ですよ。……どうせ聞かれるんで先に言っちまうと、ずばり燃費の問題っすね。紅椿は白式に並ぶくらいの大飯喰らいでして、あんまり暴れ回るとすぐエネルギー切れになって動けなくなるんですよ。で、ボーデヴィッヒはAICのお陰で物理攻撃にはめっぽう強い。それを抜けるのはエネルギー攻撃で、紅椿にはそれがあるっちゃあるんですが、当然エネルギーはばっちり食います。なら接近戦、ってなりますけどそこでも――」

「AICが致命的に邪魔となるわけだな。それにラウラも接近戦の心得は相当な物だ。……だが、燃費だと? それこそ、<絢爛舞踏(けんらんぶとう)>のある篠ノ之が絶対的に有利なはずだが」

「使えればの話ですけどね」

「……何?」

 

 眉を(ひそ)め訝しむ織斑千冬に同調するように俺は肩を落とす。

 

「実は絢爛舞踏、まだ自由に発動できないんですよね。その発動のトリガーを篠ノ之自身が理解できてねぇって言うか……いや、そもそも訓練なんかじゃ使えないようにリミッターでもかけてあんのか……非常時だけじゃなく普段使い出来なきゃ訓練も出来ねえのに、その辺教えてくれなかった束博士には困ったもんですよ」

「なるほど。あれだけの能力だ、普段からおいそれと使える物では無いのかもしれんな…………」

 

 一人納得したように呟く織斑千冬。おいおい、普段から使えないようじゃ俺が困るぜ? 最終的には無造作に使えるレベルになって貰いたいってのが本音なんだが、まだ未知の部分が多い能力だし、長い目で見ていかなきゃいかんか……。ふぅ、と溜息一つ吐いてアリーナに視線を戻せば、今正に紅椿とシュヴァルツェア・レーゲンがピットから飛び立ち、空中で向かいあった所だった。

 

「さてと、とりあえず奴らのお手並み拝見と行きましょうぜ。俺はボーデヴィッヒの勝ちに缶コーヒー1本。織斑先生は?」

「……今日は賭けをするつもりは無い。だが、お前がラウラを応援するなら私は篠ノ之を応援させてもらおう」

「つれないなぁ……」

 

 珍しく挑発に乗らない織斑千冬には目もくれず、俺は二人の出方を伺った。普段、こうして模擬戦で向かいあった時は大抵一言か二言程度言葉を交わしてから戦い始めるのがよく見る光景なのだが、この日の二人は無言のまま試合開始のブザーと同時に空中で交錯した。

 

 瞬時加速の速度を乗せて振り抜かれた空割(からわれ)雨月(あまづき)とワイヤーブレードがぶつかり合い、その火花を置き去りにした二人は振り向きもせずにアサルトカノンと空割の光波を放ち合う。双方にとっての致命の一撃、だが後方からのそれを二人は慌てる事も無く揃って急降下する事で回避。直後、そのまま着地して反転し、再度の瞬時加速によって距離を詰めアリーナ中央で再度激突。左のプラズマ手刀と雨月の刃が激しくせめぎ合った。

 

「……速度や身のこなし、ハイパーセンサーの扱いはほとんど互角か。で、次は力比べかよ」

「それだけで済むとは思えんが――そら見ろ、仕掛けるぞ」

 

 織斑千冬が言うが早いか、ボーデヴィッヒがAICを発動しようと突き出した右腕を空割が弾く。篠ノ之がそのまま返す刃で胴を薙ごうとすれば即座に切り返された右のプラズマブレードがそれを下に逸らし、直後瞬時にプラズマ刃を収納して再度AICによる拘束を狙うボーデヴィッヒの腕を柄頭で篠ノ之がかち上げる。そのまま足を止めた二人の間で、左のプラズマ手刀と雨月の均衡を保たせながらの逆側の腕による格闘戦が幕を開けた。

 

 プラズマ手刀と刀がぶつかり合う音だけがアリーナに響く。本来その高い機動力を特徴とするISの戦闘としてはこれほど一所に留まっての格闘戦は滅多に見られぬもので、観戦していた生徒達も多くがその戦いに身惚れている。だが、何人かの生徒はその様を貪欲な瞳で見つめていた。

 

「やっぱすげぇな……箒の奴、あんなに腕上げてたなんて。道理で前やった模擬戦で敵わないわけだぜ」

「ラウラもやっぱかなりやるわね。あそこまでプラズマ手刀を巧みに扱うなら、密着距離でも一捻り加えないと負けかねないか」

「それ以上に僕やセシリアみたいな射撃タイプには最初の交錯の後の回避が一番見せられたく無かったけどね。あそこまで死角が無いんじゃ連携とっても厳しいかも」

「…………少なくとも、今の私では勝てる気がしませんわ。何かブレイクスルー(突破口)を見出さなければ…………やはり石動先生に指導をお願いするべきでしょうか…………」

 

 その中でも一夏、凰、デュノア、オルコットの四人が並んで、特に真剣な眼差しをアリーナと別視点から戦いの様子を映し出すモニターに注いでいる。当然か、奴らは今まで俺に師事してきた篠ノ之とは違ってあくまで仲間内で技を磨き合ってきた。その結果ここまで差が開いてるとあっちゃ、心中穏やかでは居られないのだろう。

 

 まぁ、そりゃあこの俺(エボルト)が鍛えた人間だ。恋愛だのと言った邪魔な感情の挟まった奴ら同士のぬるいお遊びで追いつけるほどやわな鍛え方はしちゃあいねェ。だがそれももうちょいの辛抱さ。近い内にお前らの前にも頼りになる師匠殿(更識楯無)が現れてくれる事になってるし、そうしたら必死こいて追いついてくればいい。

 

 ……その時が来たら、俺も惜しまずに力になってやるからよ。

 

 くっくっと先の展望が楽しみでしょうがない俺が喉を鳴らして笑った時、アリーナでの格闘戦に動きがあった。

 

 どちらが焦れて、どちらが均衡を崩したかなどここからでは見えはしないが、格闘戦を続ける横でずっと鍔迫り合っていたプラズマ手刀と雨月が突如反発するように弾かれ、それに引かれて両者の間に僅かに距離が出来る。

 

 ふらつく両者。しかしラウラのアサルトカノンはその中でも正確に稼働し篠ノ之に向かって火を噴く。それを篠ノ之は辛うじてと言った具合に稼働した装甲で弾き、致命的なダメージを寸での所で軽減した。

 

「展開装甲、マジで厄介だな。折角攻撃が通ってもダメージを最小限に抑えちまうとは……流石に第四世代機ってとこか」

「……お前、時折生徒達に対する評価が自分が戦う前提になるのはどう言う意図だ? 余り褒められたものではないぞ」

「いやぁ、だって俺せめて奴らの在学中ぐらいはデカい顔しておきたいですもん。前の山田ちゃ……山田先生みたいに生徒に実力見せつけられるくらいじゃなきゃ舐められちゃいそうだし。奴らをどう指導していくかにも繋がるんで、その辺手は抜きませんよ」

 

 俺のつぶやきに訝しげな視線を向けた織斑千冬にそれっぽい事を言ってあしらいつつ、俺の目はアリーナに向いたままだ。そちらでは、回避余地の少ない地上でAICとアサルトカノンを凌ぎ続ける余裕を失った篠ノ之が上空へ飛びあがり、それをボーデヴィッヒが追うようにして再び空中戦が開始されている。

 

 だが、篠ノ之の動きから徐々に精彩が失われてきた。気を遣ってはいた様だが、ついにエネルギー残量が誤魔化し切れなくなってきたと言った所か。一方のボーデヴィッヒはプラズマブレードやAICをあれだけ連発しているにも拘らず動きが悪くなる気配は無い。紅椿とは実際対照的――――いや、むしろそれだけ紅椿の燃費が悪いという証明だな。さっさと絢爛舞踏を扱えるように成らねぇと、幾らお前の腕が良くてもどうにもならんぜ?

 

 俺がそんな風な事を考えて笑っていれば、アサルトカノンの砲弾を回避した紅椿のスラスターの光が一瞬不自然に途切れ体勢を崩す。演技じゃあねえな、ついにエネルギー切れが目前か! それを見逃さなかったのはボーデヴィッヒも同じで、更にアサルトカノンを二連射して畳みかける。だが篠ノ之は雨月と空割を外側に振り抜き連続で砲弾を弾き、その曲芸じみた防御に生徒達から歓声が沸き上がった。

 

 ――――しかし、その光景を見て両手を突き出したボーデヴィッヒは笑う。その視線の先で、刀を振り抜いた態勢のまま紅椿が停止していた。……決まりか。もがく篠ノ之。しかし両腕の先、恐らく手首辺りをAICに囚われた紅椿に向けてシュヴァルツェア・レーゲンがアサルトカノンの狙いを定める。その様を見届けて、俺は織斑千冬の様子を見に首を巡らせた。

 

「やっぱ一対一(タイマン)でのAICは強ぇなぁ……ほら織斑先生、やっぱボーデヴィッヒの勝ちですよ」

「石動、眼を離すな」

「へっ?」

 

 織斑千冬の言葉に俺が怪訝な声を上げた瞬間、アサルトカノンの砲撃音。その直後、何かが弾かれたような音が響き、()()()()()()()()砲弾の直撃を受けて吹き飛ばされた。

 

「は?」

 

 その光景に呆然と間抜けな顔になった俺の眼前をボーデヴィッヒが墜落してゆく。奴はそのまま地上へと叩きつけられ、そこで試合終了のアナウンスが流れた。篠ノ之の勝利。だがその決定的瞬間を見逃した俺は、ただただ驚くばかりであった。

 

「えっ何? ちょっと、ちょーっと待て。篠ノ之の奴何を……何をしやがった!?」

「……他に手段が無い以上、最後まであがくのも戦士のあり方だが…………まさか成功させるとは」

「えっ見たんですか織斑先生!? よそ見してた俺に教えてください!」

 

 慌てて懇願する俺に織斑千冬はほんの僅かだが口角を上げ鼻を鳴らす。……こいつめ、丁度眼を離してたからって得意げにしやがって。だがこの女の視点からの講釈を聞けるのは有用か。俺はそのまま泣きつくように織斑千冬に縋りつこうとして、繰り出された裏拳を寸での所で回避した。

 

「ちっ」

「うわ舌打ちしたぞこの人」

 

 愕然とした顔をした俺にうんざりとした顔を見せた織斑千冬は、直後諦めたかのように溜息を吐く。そして少しの間目を瞑って何か思案した後、首を傾け俺に視線を合わせた。

 

「……お前、どのあたりから余所見をしていた?」

「えー、ボーデヴィッヒが篠ノ之に照準を合わせた辺りっすかねえ」

「そうか」

 

 それだけ聞いて、奴はあっさりとあの瞬間の出来事を語った。

 

「――――単純な話だ。篠ノ之がアサルトカノンの砲弾を蹴り返したんだよ」

「…………は?」

 

 その言葉に俺は何も言葉を返せなかった。蹴り返しただと? 砲弾を? 万丈か何かかよ? 困惑する俺を他所に、織斑千冬は自身の所見を語り始める。

 

「流石の私も驚いたぞ。空中に固定された腕を支点に、更には展開装甲を稼働させて脚部の防御力を強化し砲弾を蹴り弾く。そこまでなら防御としてまだ分かるが、まさか反撃として用いそれを成功させてしまうとはな。正道とは言い難いやり方だが……あの場面では紛れもない最適解だろう。お前が教えたのか?」

「いや教えてねえっす。何だそれ。ちょっと後でヒアリングしてみますわ」

 

 そんな風に俺と織斑千冬が話していれば、ピットへの通用口からどこか気まずそうな篠ノ之とむくれたボーデヴィッヒが姿を現した。あまり良くは無い雰囲気で、何事かを話し合っている。俺は織斑千冬の話にも耳を傾けつつ、そっと奴らに向けて聞き耳を立てた。

 

「…………いや、ラウラ。あれは偶然であってだな……確かに狙いはしたが、まさか上手く行くなんてこれっぽっちも考えてなかったんだ」

「いや、慰めはいらん。運も実力の内と言うが、あれは狙わなければ起きないこと。油断した私の落ち度だ。……嫁よ、私はしばし武者修行という奴に出ようかと思う。日本には『男子、三日会わざれば括目(かつもく)して見よ』ということわざもある。期待して――――」

「ちょっとそれウチ(中国)(ことわざ)よ!? パクんないでくれる!?」

 

 何やら先ほどの試合について話をしている二人に凰が突っかかって行った。その姿に俺は思わず笑いを零す。ボーデヴィッヒの奴の偏った日本知識はますます尖ってやがるなあ。俺も何かおかしなことを教えてみるか…………それはともかく、武者修行で欠席なんて織斑千冬が許さないと思うがね。

 

 そんな事を思って織斑千冬の顔を見ようと視線を向けるが、奴は既に三人の前に立って出席簿をそれぞれ一発ずつ振り下ろしていた。小気味いい音と共に大ダメージを受けた三人はすごすごと自らの位置へと戻ってゆき、その姿を見て奴は不機嫌そうに生徒達の顔を見渡す。するとざわついていた生徒達もあっという間に静かになって、その光景に奴はまた短く鼻を鳴らした。

 

「ふん……まったく、授業中だと言うのにお前らは…………よし、それでは今回の模擬戦は以上をもって終了とする! 以降はチャイムが鳴るまで専用機持ち各員は自身の機体の整備、それ以外の者、出席番号奇数のものはアリーナの清掃。偶数の者は訓練機の整備に移れ。何か質問のある者は居るか? ………………無いな? 以上だ、解散!」

 

 

 

 

 

 

「……そう言う訳で、俺は篠ノ之にびっくりさせられたまま午前中の授業を終えてきたって訳です。榊原先生の方は午前中なんか面白いことありました?」

 

 熱い醤油ラーメンをすすりながら、俺は真正面に座る榊原先生に尋ねた。

 

 時間は既に12時を過ぎ、食堂は夏休み中には見られなかった活気を完全に取り戻している。久々に食事を共にする生徒達のグループも多いようであちらこちらから聞こえてくる笑い声や話し声は正直騒がしいが、それもまた一つの風情と言えるだろう。そんな喧騒の中で俺は榊原先生とのんびり食事を楽しんでいた。

 

「うーん。3、4組の演習では別に……。専用機持ってる子はそちらに集中してますし、そんな予想外の出来事なんかもありませんでしたから」

「ふぅん……ま、もしかしたらそっちから専用機持ちが出てくるかもしれませんからねえ。もし何かあったら教えてくださいよ」

 

 …………まぁ、知る限りではそれ程の素質があるような奴があっちに居た覚えは無えがなあ。そんな事を思いながら、俺はラーメンのチャーシューを齧る。

 

「とりあえず、夏休みを過ぎても皆変わった所も無くて安心しましたよ。つっても夏休み中熱心に訓練してたお陰で、わりと顔見てた奴らも多かったんですけど」

「1組の子達は熱心ですよね……夏休み中の1年生におけるアリーナ使用率も1組が断トツでしたし」

「訓練機から専用機に乗り換えた実例が居ますからねえ、良くも悪くも刺激になってるんでしょうな」

「篠ノ之さんですね。とても努力していたと聞いてます。石動先生も随分と親身になって指導されていたとか」

「その通り! 篠ノ之は俺が育てた……って言いたいトコですけどね。アイツは割とマジで天才ですよ。その内、世界中に名を轟かせるのは間違いない。あ、今の内にサインでも貰っとくかな……」

 

 言って俺はスープに浸してあった海苔を頬張って、その香りとスープの味を同時に楽しんだ。そうしていると榊原先生が通信端末を一度確認して、それからどこか名残惜しそうにして席を立った。

 

「……すみません、午後の授業の用意があるので私はここで失礼します。また明日もお昼は――」

「ええ、俺はまたこの辺で食ってるんで。良ければまた一緒に」

「は、はい! それでは失礼します!」

「アイ、アイ。そんじゃまた教員室で。Ciao(チャオ)~」

 

 スープに浮かぶ油を眺めながら小さく手を振ると、彼女も控えめに小さく手を振り返して、それから少し慌てた様子で食堂を去って行った。

 

 慌てるようならもっと早く切り上げりゃあいい物を。時間にルーズな女はもてねェぜ? ……ま、俺が言えた義理じゃあねえか。そう思って、俺は一人になったテーブルでくっくと笑う。さて、俺もさっさと飯を食って演習のデータでも確認するかね……。

 

 しかし、俺のそんな思惑はテーブルの向かいに滑り込んできた山田ちゃんの存在によってあっという間にご破算となった。

 

「どうも石動先生。いつもは購買なのに今日は珍しいですね」

「…………いや、俺も割と食堂で飯食ってますよ。単に山田ちゃんとは時間重なんないだけで」

「あ、そうなんですか……まあそれはいいんですけど、榊原先生は?」

「榊原先生なら授業の用意があるってもう帰っちゃったぜ」

「ふ~ん。そっか、じゃあ食事はご一緒だったんですね? ならいいです」

「何がいいんだ……?」

 

 独りで納得した山田ちゃんに俺は訝しむ視線を向けるも、彼女は何やら思案に入ったようでぶつぶつと何かを呟きながら自身の世界に入っている。

 

 それならそれでいいか。俺は残った麺を啜って早急にこの場を離れるのが最善手と判断する。だが、眼前の山田ちゃんは俺が予想していたよりもはるかに早く顔を上げ、決意したかのような深刻な顔で俺に問いをかけて来た。

 

「あの、石動先生。一つお聞きしたい事があるんですけど……」

「おお何だい? 答えられる事は誠実に答えるぜ俺は」

 

 内心とは裏腹に親身な顔で言う俺に、山田ちゃんはおずおずと話題を切り出す。

 

「先日皆でお酒飲みに行った後……榊原先生とはどうでした……?」

「……? どうって、何がだ?」

「ええと……その、何かがですね……あー、とりあえずどう帰ったんですか……?」

「別に、ふつうに駅まで歩いて電車乗って帰っただけだけどなぁ」

「あーもう……榊原先生はどうしてました?」

「俺の隣で寝てたよ」

「隣で寝てた!? 何処でですか!?」

「電車でだが」

「電車の中で!? そんな大胆な! えっいや確かにあんな時間にIS学園行きの車両に乗る人は少ないですけど幾らなんでも公共の場でそれはっ!?」

 

 何事かを捲し立てる山田ちゃん。だがその口は、ぱぁん、という音と共に後ろからの不意打ちによって見事に閉ざされた。

 

「真耶。公共の場で何を騒いでいるんだお前は」

 

 そこには呆れたような顔で佇む織斑千冬。片手には山田ちゃんを仕留めたと思しき新聞紙を丸めた筒を持ち、もう片方の手はうどんとなみなみと水の入ったコップを乗せたトレイを器用に支えている。奴はそのまま新聞を机の上に放ると山田ちゃんの隣の席に着いた。その横で机に突っ伏す山田ちゃんを見て、俺は思わず笑う。

 

「おいおい、大丈夫かよ山田ちゃん。あんまり机と抱き合ってるとあらぬ噂が立つぜ?」

「立ちません! 机となんて!!」

 

 俺の発言にがばっと机から身を起こして叫ぶ山田ちゃん。しかしその叫び声の音量はまたしても公共の場で放つべき物ではなく、今度は横薙ぎに振るわれた新聞紙によって椅子から突き落とされ、残念ながら山田ちゃんは俺の視界から消え去ってしまった。

 

「うっわ~容赦無え~……。織斑先生、流石に他人が酷い目に合うの見るのは心に来るのでその辺で勘弁してやってください」

「今の一撃で打ち止めだ。これ以上やると新聞の方が持たんからな」

「そっすか……」

 

 そのあんまりな物言いに俺が呆れて頬杖を突くと、山田ちゃんがまるで墓場から這い上がるゾンビめいた動きで机の上に復帰して来た。その様を一瞥した織斑千冬はしかしすぐさま興味を失ったようで、うどんの中に七味唐辛子を投入しながら事務的な声色で話し出す。

 

「ああそうだ……全校集会なんだが、ホームルームが終わったら石動、お前が生徒達を連れて講堂へ向かってくれ。私はその準備があって少し早抜けさせてもらうからな」

「全校集会ねェ。生徒会長の挨拶だって言うが、何事も起きないでくれってのは儚い願いかねぇ山田ちゃん」

「うう…………そんな事、私に聞かれましても…………」

「ははは、マジで大丈夫かよ山田ちゃん。早退でもする?」

「それほどではないですけど……」

 

 痛みに頭を抱える山田ちゃん。その姿に俺はごまかすように笑った。一方、織斑千冬は先ほどとは違い、山田ちゃんに視線をやりながらもほんの僅かにだが躊躇するような表情を見せる。何かあるのか? 俺が疑問を感じた直後、普段よりもほんのちょっと申し訳なさそうに織斑千冬は口を開いた。

 

「……それよりも真耶。想定以上の大ダメージを与えてしまった所申し訳ないが、お前、こんな所で油を売っている余裕があるのか? 午後の授業の用意は一任していたはずだが」

「あっ」

 

 それを聞いて、未だに先程の一撃から立ち直り切っていなかった山田ちゃんの顔からサッと血の気が引いた。まるでこの世の終わりみたいな顔してやがる。

 

「すみません失礼します!!!」

 

 言うが早いか山田ちゃんは脱兎の如くその場から駆け出して、次の瞬間勢い余ってすっ転んだ。期待を裏切らねえなあ本ッ当に……。半ば呆れた目でその様を見守る俺と、片手で目を覆って首を振る織斑千冬。そんな俺達の冷たい視線に気付く余裕も無く、山田ちゃんはまた慌てて立ち上がって食堂を後にして行った。

 

「…………山田ちゃんって、頭いいのに結構迂闊だったり調子乗ったりしますよねぇ。足元見ないし。ま、そう言う所も彼女の魅力だと思うんですけど」

「ああ言う所は直すよう昔から言ってはいるんだが……あそこまで来ると、もう生来の気質なんだろうな……」

 

 互いに彼女が後にした出入り口を眺めながら溜息を吐く。しかし、割と本気で呆れたような顔をしながらも、本当に飽きさせない女だなあと俺は山田ちゃんを改めて高く評価した。その時、織斑千冬が何かを思い出したような顔をして俺に会話を振ってくる。

 

「……ああ、そういえば石動。生徒会長からの伝言がある。『今日は放課後の予定を空けておくように』、だそうだ」

「放課後って、全校集会とぉ、学園祭での出し物決めですよねえ? その後更になんかあるって事です?」

「私はそこまで聞いてない。だがまぁ、生徒会の手伝いか何かじゃないか? 男手が必要な作業でもあるんだろう」

「うへぇ、めんどくせ……マンパワー(労働力)が必要ならマジ最強な織斑先生が行けば文字通りの百人力……って危ねっ!?」

 

 見え見えの不幸に対してぼやいた俺の眼前を、余りに鋭いチョップが通過した。

 

「女性に対して言うような言葉では無いな。修正してやろうか」

 

 眼前の織斑千冬が、耐え難いほどの圧力を放って俺の事を睨んでくる。手は未だに手刀の形に引き絞られたままだ。迂闊な事を口走れば強力なチョップ突きが俺の顔面に炸裂する事になるだろう。だが俺はその殺気に対して、いつも通りの誤魔化すような笑みを向けるばかりだ。

 

「許して下さいよぉ~ほんの出来心だったんですってばぁ」

「ふん。本当にデリカシーの無い男だ。榊原先生が泣くぞ」

「榊原先生が? なんで?」

 

 疑問を浮かべる俺に、奴は先ほどの山田ちゃんに対するような呆れた顔で溜息を吐く。

 

「ハァ……お前も一夏の同類か……いや、それだけ歳を食ってるのにそのザマとは……呆れて物も言えん」

「いやちょっと待ってくださいよ。何一人で納得して一人で失望してるんですか。流石に失礼ってヤツですぜそりゃあ!」

 

 一夏の同類だぁ? 頓珍漢(とんちんかん)な事言いやがって。そもそも俺は宇宙人なんだから同類も何も無いだろうが! ……そんな思いとは裏腹に、俺はまた曖昧な笑顔で笑って返す。しかし織斑千冬は呆れと嘲笑の混じった半笑いを此方に向けるばかりだ。

 

 ……何だかよく分からんが、馬鹿にされているのだけは十分に理解できるぜ。確かに俺が人間の感情について不勉強なのは事実だが、そんな態度を取られる謂れは無えだろう……いつか覚えてやがれ。

 

「……納得行かねえですけど、俺も行きますわ。午前中の篠ノ之の動き、あれをもう一度見直しておきたいんで」

「熱心なのはいいが、午後一番の授業は第四アリーナだ。遅れるなよ」

「りょーかい。そんじゃ一旦失礼しますわ。Ciao(チャオ)!」

 

 それだけ言い残して、俺はテーブルから立ち上がり織斑千冬に背を向ける。……確か、午後一の授業もISを使った演習だったか。第四アリーナ、教員室からはちと距離があるんだよなあ。それに学園祭の出し物決めだ。一夏の存在と今までのパターンから考えると、ロクな話し合いにはならないだろう。久々に耳栓の出番かもしれんね。

 

 ――――せめて何事も無けりゃあいいんだがなあ……このクラスに限ってそいつは叶わぬ願いか。もしこの世に神様ってのが居るなら、そいつは俺よりもいい趣味してやがるかもしれないぜ。そう今後の不透明さに俺は一度肩を落とした後、話の間に麺の伸びきっちまったラーメンの(どんぶり)を返却口に返し、そのまま教員室へと足を向けるのだった。

 

 

 

 

 

 

 ――――その後、午後の授業も基本的につつがなく進行し(昼の直後に一夏の奴が遅刻を決めて制裁を受けたくらいか)、おおむね予定通りに終了した。既にホームルームも終わり、今は俺が先頭に立ち生徒達を引き連れて全校集会へと向かっている。

 

 くそっ、面倒極まりねぇな……今日も早く篠ノ之達に稽古をつけてやりたいんだが。生徒会長が表舞台に出てくるってことは、俺が主導で奴らを教えられる期間もそう長く無い事を示している。完全に俺の手を離れる前に、教えられることは教えておきてえんだ。もう少し待ってはくれんかね。

 

 そんな風に足をホールへと向けつつ俺が唸っていれば、後ろの生徒達はそれぞれ雑談に興じている。まったく呑気な奴らだ。世情からしてもうちょっと緊張感を持ってもいいと俺は思うんだが、所詮学生気分じゃこんなもんか。そう思って溜息を吐いて、俺は生徒達の話に聞き耳を立てた。

 

「あー、集会めんどくさいねー。寝てていい? 答えは聞いてないけど」

「鏡ちゃん寝る気満々じゃん。アタシも眠りて~!」

「ダメよ、全校集会位しゃっきりして。この後の出し物決めも忙しくなりそうなんだから」

「えー、鷹月(たかつき)さんてばマジメ~。でもでも、結構お疲れっぽいよね? あっそうだ! じゃあ私、鷹月さんの分まで寝といてあげるから――――いてててて!」

「ダメに決まってるでしょう。さ、これで目が覚める?」

「いひゃいいひゃい! つねらないでつねらないで……!」

 

「……全く。早く切り上げてほしい物だ。私にはまだ訓練が足りんと言うのに……」

「まぁまぁ箒ちゃん。程々にしとかないと体壊しちゃうよ? ……そう言えば生徒会長って僕が来てからは一度も見てないけど、どんな人なのかな?」

「さあな、俺もよく知らねぇ。顔だって見た事無いし」

一夏()。お前は生徒会の会議にもクラス代表として出席してるんだろう? 顔くらい見た事無いのか?」

「いや……いつも『多忙により不在』って事でマジで見た事無いんだよな。変な人じゃ無きゃいいけど」

「それで良く学園行事などが回っていたものですわね。上位の者があまり名ばかりと言うのは同じく上に立つ者として感心しませんわ……」

 

「お前ら~、会場入ったら静かにしろよ~?」

 

 一度振り返って俺が咎めても、奴らの会話が尽きる事は無い。本当に騒がしい奴らだな……いや、この年頃の人間ってのはこう言うもんなのか? いつだか万丈(ばんじょう)と勝手に外に出た美空(みそら)も随分とはしゃいでいたと聞いた。こいつらとアイツでは事情が違うが、人間ってのはこの世界でも似たようなもんなんだろう。

 

 まあ、俺としては面白ければそれでいいんだが……それでも奴らの教師としては少々心配だぜ。もし戦兎の奴が俺の立場に居てもきっと頭を抱える事だろうよ。

 

 そんな下らん事を考えている内に俺達は大ホールへと到着した。そこには数え切れぬ程の椅子が並べられており、幾人かの教師が生徒達を誘導している。その中には織斑千冬の姿も見えた。……これだけの椅子を並べるなら、早抜けするのもわからんでも無いな。あとはクラス代表の一夏に任せて俺も席に座らせてもらうとしますか。

 

「さ、一夏ぁ。一年一組は一番端だ。きっちり席に着かせといてくれ。俺は教師の席行くから、後よろしく頼むぜ~」

「了解っす」

 

 俺は一夏にその場を任せて早々に教師陣の席に腰を下ろした。そのまま会場を見渡してあくびを一つ。瞬間後ろからの一閃を受け俺は前列の椅子の背もたれに思いっきり額を強打した。

 

 ……痛え。俺は痛む額をさすりながら首を巡らせ攻撃者を視界に捉える。こんな事をしでかす奴はこの学園には一人しかいない。織斑千冬。奴が俺の背後で腕を組み、仏頂面で仁王立ちしてやがった。

 

「少しは目が覚めたか、石動?」

「…………いや…………気配消して背後からいきなり攻撃してくるのやめてくれませんかね……おかしいでしょ…………どうしてそんな事するんですか?」

「教師が集会の場で堂々と大あくびをするなど言語道断。常々(つねづね)から思っていたが、お前には自覚というものがなさすぎる。しゃきっとしろ」

「アンタは俺の母親か……? 少しは大目に見てくださいって……」

「…………お前が私の家族など、怖気(おぞけ)がする。これは上司としての教育だ。懲りたなら、少しはこう言った雑事にも真面目に取り組む事だな」

「へいへい……了解でございますよ……」

 

 相変わらず上から目線の……いや、実際奴は俺の上司なんだがな。それはそれとしてぶっ叩くばかりが教育じゃあねえだろう。その内、部下へのパワハラで訴えるぞ……まあ、戸籍も何も無い俺に訴えるなんて選択肢はないんだがな。そう俺が少しうんざりしている内に、続々と集まった生徒達で会場は満員となった。俺の周囲にも続々と教師が着席してゆく。

 

「で、何で俺の隣に座るんすかね?」

「居眠りでもしたら叩き起こしてやろうと思ってな」

「永遠の眠りにつくんでダメです」

 

 俺の返答に織斑千冬はフンと鼻を鳴らして舞台へと視線を向けた。その様を見て俺は歯噛みする。織斑千冬め、俺をいじめるのがそんなに楽しいか? まさかこれほど陰湿な女だったとは思わなかったぜ……! ああ、一刻も早くこの場からおさらばしたい所だ。生徒会長殿もさっさと始めてくれねえもんかね……。

 

 織斑千冬同様舞台に視線を向け、俺は姿の見えぬ更識楯無に対して恨みの念をぶつける。すると、その思いが通じたのか舞台袖から姉の方の布仏(のほとけ)が現れ集まった俺達に向けて一礼した。

 

「静粛に。皆様、お集まり頂きありがとうございます。本日は学園祭に関しての連絡を幾つか生徒会長よりさせていただきます。しばらくの間ご清聴下さいませ」

 

 端的に言って奴はまた一礼した。そして、袖から現れた一人の女生徒の歩みを妨げぬよう脇に避ける。現れた女は知らぬ顔ではない。更識楯無。一夏の言っていた通りならこれが初公務って所か。だが奴はこれだけの生徒達の注目を浴びながらも動揺や緊張した様子は無い。寧ろ楽しんでいるようにすら見える。流石に最強を自称するだけはあるって事か? 随分場慣れしてやがるぜ。

 

 そう俺が分析していると、奴はマイクの前に立ち一礼。そしてスタンドからマイクを手に取って笑顔であいさつした。

 

「やあ皆、お疲れさま。今日は放課後の貴重な時間をありがとう。今年はいろいろと立て込んでいて、今まで挨拶できなくて悪かったね。私の名前は更識楯無。君たち生徒の長として、今学期から本格的に生徒会長としての責務を果たさせてもらうよ。以後、よろしくね」

 

 言い切った奴はにっこりと微笑みを生徒達に向けた。すると生徒達のあちらこちらからどこか熱っぽいため息が漏れる。単純な奴らだ。そんな思いを抱いて俺が目を細めると、更識楯無はそうとは知らず本題について語り始めた。

 

「さて、それじゃあ学園祭についてだけれど。皆は学園祭での各部活の催し物、それに対する投票の結果によって、上位の部活には生徒会から特別助成金が出る事は知っているね? それについて、今回はもう一つ特別な報酬を用意したから、今日はそれを発表させてもらうよ」

 

 言って奴は手に持っている閉じられた扇子をビッと、まるで指揮棒(タクト)めいて上に掲げた。その瞬間、ホールの照明が落ち何処からともなくドラムロールが鳴り始める。

 

 ほう、中々のエンターテイナーだな。悪くねえ、一体その特別報酬とやらは何だ? 奴の思惑通りと解ってはいるが、俺はその演出に大きな期待を持って身を乗り出し、織斑千冬に肘で小突かれて姿勢を直させられる。クソッ、白ける事するなよ。僅かな苛立ちと共に奴に恨み言を一つでも言ってやろうとした瞬間、更識楯無が今度は横に扇子を振り、それとともに巨大な空間投影ディスプレイが奴の頭上に展開される。

 

「名付けてぇ……『各部対抗、織斑一夏争奪戦』!!」

 

 奴が扇子を音を立てて開くと同時に、織斑一夏の写真がディスプレイに投影された。その瞬間、俺の手はポケットの中の耳栓に伸びる。だがそれよりも早く、生徒達からの大歓声が上がった。

 

「え、ええええええええええええ――――!?!?!?」

 

 鼓膜を(つんざ)く、割れんばかりの叫び声。音響兵器かと思えるほどの振動が耳を押さえた俺にも直撃した。おいおい、これマジでホールが揺れてねえか? 冗談じゃあねえぞ……。

 

 目を向けると、叫び終えた生徒達が皆一夏の方に視線を向けている。奴自身はぽかんとしていて、未だに状況を理解しきれていないようだ。いや、これは、多分今までで一番面倒くさい事になるな? ……ご愁傷様だぜ、一夏。せめてその末路で俺を楽しませてくれ……。

 

「今年はいろいろあって各部活の資金は潤沢だし、今まで通り助成金だけじゃ芸がないと思ってね。それに織斑君も部活を決めかねていた様だし……折角だから、一般のお客様からの人気投票によって頂点に輝いた部活に彼を入部させることに決定したの!」

 

 再度の雄叫び。その威力に俺の内臓までが震える。少しは加減しやがれ……! あまりの騒ぎに俺はどうしようも無くうんざりするが、行事に対する生徒達のこの熱自体は好ましく思う。

 

 また騒がしい日々が始まりそうだぜ……! 既に幾人かの生徒達が決意を新たにし一夏に鋭い視線を向けているのを見て俺は笑う。こりゃあ忙しくなるな! 俺も楽しく観戦させてもらうとするか!

 

「それともう一つ」

 

 ん?

 

「もう一人、教師にも未だにどこの部活にも一切参加していない人がいましたっけね」

 

 その言葉を聞いて俺は背筋に悪寒を感じた。いつの間にか奴の視線――――いや、何人もの視線が俺に向けられている。おい、オイオイオイ。待て、更識楯無、お前まさか――――!!

 

「と言う訳で、もう一つの特別報酬……!」

 

 奴が扇子を閉じる。その死刑宣告めいた音と共にディスプレイの画像が更新され、そこには楽しげにラーメンを啜る俺の姿が映し出された。

 

「来賓者からの投票による評価がもっとも高かった部活動には、石動先生を強制的に参加させましょう!」

 

 してやったり、と言った笑顔で宣言する更識楯無。それに対して、今度の生徒達からは先ほどの様な歓声は上がらない。だが俺は幾人かの生徒からの殺気の籠った視線を間違いなく感じていた。嘘だろ。俺はこれからさらに忙しくなる。小娘共のお遊びなんかに付き合ってる暇なんざ無えぞ!

 

「まあ、皆部活には顧問の先生が居るでしょうけれど、男手というか、労働力としてだけでも十二分に役立つはずよ。あ、当然だけど両方の投票で一位を取れば両者はその部活に送り込むわ。頂点目指しての、皆の頑張りを期待します」

「ちょっと待てえ!!!」

 

 ガタッと音を立てて俺は椅子から立ち上がった。次の瞬間織斑千冬に肩を掴まれ強制的に着席させられるが即座にまた立ち上がる。そのまま俺は更識楯無に対して鋭く人差し指を向けた。

 

「聞いてれば好き勝手に話進めやがって! 生徒の一夏はともかく俺は教師! いろいろやる事だってあって忙しいんだ!!」

「でも他の先生方もそれは同じですよね?」

 

 ぐっ。更識楯無の返しに俺は息を飲む。どう切り抜ける? 考えろ。この事態はイレギュラーだ、だがもし部活に入った所で俺自身の敗北に繋がるわけでは無い。だからと言って今は力を蓄える時、奴らの面倒を見ている時間は流石に惜しい。しかし話の流れは奴が握っている。それをどう覆すか……!

 

 だが俺が名案を思いつくより早く、奴はまるで皆を納得させるかの様にうんうんと首を縦に振り、したり顔で語り始めた。

 

「まあ、石動先生の物言いも一理ありますね。これで本当に忙しかったりして業務に支障が出ても困りますし、ご本人のご意向を無視するのも悪いし……もし今週中までに石動先生自身が身のふり方をお決めになられるのであれば、この件は帳消しにするわ」

 

 にっこりと笑って言う奴に俺は一瞬安堵した。そう、一瞬だけだ。今週中? 身の振り方? 不穏な単語に俺は冷や汗を流す。そいつはつまり――――

 

 

「だから皆、『勧誘』するなら今週中に頑張ってね♪」

 

 

 瞬間、先程より遥かに多くの生徒達からの視線が俺に浴びせかけられた。待て待て、『勧誘』だと? それはつまり、一夏争奪戦に先んじて俺に対する『勧誘合戦』の幕が上がる事を意味する。さらにこの方式だと通常の部活動だけではなく、正式な顧問を得て部活動への格上げを狙う各研究会からも強く狙われる事になるだろう。俺への視線が一気に増えたのがその証左だ。

 

 なんて事してくれやがったんだこの野郎! 俺が強い抗議の念を込めた視線を送るも、奴はそれに気づいた様子すら無い。

 

「あ、そうだ。言い忘れたけど『勧誘』するなら放課後だけにしてね。お昼休みとかに騒がれちゃあたまらないし、普段の学業を疎かにする様な人達は即失格にするからそのつもりで。……今日の所はそれくらいかな。じゃあ虚、あとはお願い」

「はい。以上、生徒会長からでした。以降は各クラス、教室に戻って学園祭での出し物決めを行ってください。それが終了した組からクラス担任の指示に従って今日の授業は終わりとします。以上です。本日はご清聴、ありがとうございました」

 

 万雷の拍手! 頭を下げる布仏と笑顔で手を振る更識楯無に対して生徒達はまるで何かを崇めるかのごとく歓声を上げる。凄まじい人心掌握だ。まあ、生徒達の誰も彼もが欲しがってた一夏をああやって手の届く所に置いて見せたんだ。その反応は尋常じゃあねえ。かなりのやり手だとは思っていたが、これほどとはな……。俺は奴に対しての警戒を新たにした。

 

 だがそれよりも、今はやる事がある! 俺は一年一組の生徒達の方へ向け振り返り、今の自身に可能な限りの声を振り絞って、叫んだ。

 

「篠ノ之ォ、ボーデヴィッヒィ!! 今日の訓練は中止!! お前ら各自で自主練してろ!! Ciao(チャオ)!!!」

「石動!?」

「石動先生!?」

 

 周囲に止められるよりも早く俺はその場を飛び出そうとした。ふざけるな。こんな騒動に巻き込まれちゃあたまらねえ! だが俺の逃走は五歩目にして手刀を脳天に喰らい床に叩きつけられた事で失敗に終わった。言うまでも無く、織斑千冬の仕業だ。俺を見下ろして奴は疲れたように溜息を吐く。

 

「全く……油断も隙もない奴だな。山田先生、生徒達を連れて戻っていてください。石動は後で私が引きずって行きますので」

「あ、はい……じゃあ皆さん、教室に戻りましょう! 慌てず、騒がず、押さないでくださいね!」

 

 織斑千冬の指示を受けた山田ちゃんによって生徒達が退出し、後には俺と織斑千冬を含めた幾人かの教師だけが残される。俺は眼前の織斑千冬を下から睨みつけた。だが、奴は呆れたような顔で変わらず俺を見下ろすばかり。

 

 クソッ……! 人間と言う奴はどいつもこいつも…………いや、違うか。更識楯無。この状況を生み出したのは奴に他ならん。面白い奴だと思えば、次の瞬間には俺にとって面倒極まりない手を撃ってくる。織斑千冬に並んで、現状この世界で一番面倒な相手かもしれねえ。しばらくは泳がせてやるが、奴にはいつか必ず地獄を味わわせてやる……!

 

 そう俺が己の内側で怒りを循環させていると、織斑千冬が俺の上着をむんずと掴んで立ち上がらせた。皺になるからやめろよ。そう言いたくもあったが、今の俺にそこまでの元気はない。そんな状態でも、俺は脳細胞をトップギアで回転させている。ひとまず、今後の傾向と対策――――まずは、今日の放課後をいかにして逃げ延びるか。今週中に部活を一体どうするかと言う二点をひたすらに考えていた。

 

 だがしかし、俺なんぞを本気で欲しがる奴らなんて居るのかねえ? 確かにさっきは視線を感じていたが、ただ物珍しさからじゃあなかろうか。それほど頼られるような人間を演じていたつもりも無えし…………ま、それも今日の放課後には明らかになる事か。

 

 しかし部活動か……時間を取られたくない以上関わらないのがベストで今までもそうしてきたが、ついにそううまくは行かなくなったか。更識楯無の奴は俺の自由時間を削りたいと見える。小賢しい奴だ。だが奴が俺の隙を突いて来ていて、それに対応する策が無いのも事実だ。

 

 結局のところ、勧誘された中から、ある程度マシな部活を選んで身を置くしかねえのかねえ……部活動と言う物に関しては全くのノータッチだったからな。知識も経験も足りん。

 

 とりあえずは今後あるだろう強烈な『勧誘』を上手い事切り抜ける事か…………はぁ。随分と忙しくなっちまいそうだ。それでも、『うまくやる』しかねえんだけどな。

 

 そこまで考えた俺は、これからの一週間ひどい逃走と闘争の日々を送る事を直感的に理解し、人間の感情を得て初めて、強く不安と言う物を噛みしめるのだった。




狙ってはいたけど当たると思ってなかった攻撃が当たって自分が一番びっくりするって事ありません? 自分はゲームとかしてると割とありますあります(自分語り)

久々にIS戦書いたりIS特有のトラブルに巻き込まれるエボルトが書けたりして楽しかったけど、本当に時間かかったなあ……。そろそろ亡国機業登場もあるし、ペースを上げて行きたい(書くのが早くなるとは言ってない)

ジオウ、本当に面白いですね……! 次は鎧武編、本当に鎧武だけかな……?
毎週楽しみです。平ジェネフォーエバーの予告編も公開されたし、随分濃厚な年末になりそうです。


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明日へのエスケープ

被勧誘パート、約16000字です。

ずいぶんお待たせしました。分割するんだったら待ってくれてる方もいるし前半部分だけでも投げた方がいい事に気が付いて初投稿です。分割についてのご意見くれた方、助かりました。

投稿前に確認したらお気に入り2000件こえてました、数字だけ見ると現実感ないけど、多分しばらくしたら喜びにのたうち回ると思います。
それを初めとして多くのご意見ご感想や評価、誤字報告、いつもありがとうございます。

相変わらずの気分屋な更新となると思いますが、これからも楽しんでいただければ幸いです。


 

「……と言う訳で、一組の出し物は喫茶店って事になりました」

 

 放課後、教員室。全校集会が終わり教室に戻った俺は、そこで行われたクラス会議を経て決定した事項を伝えるため、こうして千冬姉の元へとやってきていた。

 

「ふぅむ。まあ、妥当と言った所だな」

 

 言って、千冬姉は俺の差し出した書類を受け取りしばし眺めた後、さらさらとそこに自身のサインを加えてゆく。

 

「ここには『喫茶店』としか書かれていないが、本当にこれだけか? お前達の事だ、どうせただの喫茶店で終わらせる訳でもないだろう?」

「……あー、なんて言うか、コスプレ……とりあえず、なんか衣装を着てやるつもりみたいです、ハイ」

 

 書類に目を走らせた千冬姉の問いに、俺は言い淀みながら答えた。そもそもこの出し物に決まったのも、他の案が俺とツイスターゲームだとか何とかわけわかんないのばっか出た中で唯一真っ当な方向性を持っていたからだ。ラウラの奴には割とマジ感謝するしかねえ。結局俺もコスプレか何かやらされそうだが、一人で体張らされるよりずっとマシだろう。

 

 後、俺は厨房仕事も一通りできるしな。それにお客さんに料理を振る舞えるってんでちょっとうずうずしている自分が居るのも事実。そういう所を含めて、俺もこの案に賛成していたのだった。

 

「立案者は誰だ? 田島か、リアーデか、それとも岸原や鏡あたりか? 奴らにしては大人し気に思えるが」

「ラウラです」

 

 俺の返答に、千冬姉はちょっとだけきょとんとして呆けたような顔を見せた後、少し考え込むような、複雑な顔になった。

 

「ボーデヴィッヒが? ……そうか、誰か変な知識でも教え込んだな? 奴め、日本に来て随分変わった――――いや、染まったというべきか。喜ぶべきか複雑だな」

「俺的には助かりましたけどね。他にいい案が出なくて……」

「ふむ。まあ、クラスでそう決まったのなら構わんさ。草案としては割と現実的だしな。……とりあえず、この書類のコピーを取ってきてくれ。コピー機の使い方くらいわかるだろう?」

「了解」

 

 俺は返された書類を受け取り、教員室の中心にあるコピー機へと足を向ける。だがその前に聞いておきたい事を思い出した俺は、踵を返して千冬姉に声をかけた。

 

「あ、そう言えば一ついいっすか?」

「何だ?」

「あの……さっきの集会で生徒会長さんが『一般のお客様からの人気投票で一番の部活に俺を入部させる』とか言ってたじゃないすか。あれマジなんすか?」

「知らん」

 

 一言で俺の質問をバッサリ切り捨てる千冬姉に俺はがっくりと肩を落とした。その様子をちらりと横目で見て、千冬姉は淡々と説明を始める。

 

「生徒会長には我々教師とはまた別の権限が与えられている。だがまあ、その権限の中で言えば不可能な話では無いな。なんにせよ、今まで部活を決めるのを先延ばしにしていたお前が悪い。諦めて腹をくくる事だ…………だが一つだけ訂正させてもらうと、一般の客とアイツが言ったのは語弊がある。IS学園の学園祭にはそもそも一般人は参加できんからな。恐らく、生徒や職員に配布される参加チケットでの来訪者の事を指しているんだろう」

「へえ~……」

 

 千冬姉の説明を聞いて、俺は中途半端な相槌を返す事しか出来なかった。こりゃ事だ。今までのツケが回ってきたって事かよ……いや、でもずっと訓練とか自主練に忙しかったし、これからその時間が削られるのも嫌だしどうにか無しって事にしてもらえねえかなあ……。俺としては、そんな事より一刻も早く強くなりてえところなんだけど。近頃は石動先生に鍛えられた箒に置いてかれてる感がすげえしな……って。

 

「そう言えば、石動先生は? まだ戻って無いんですか?」

「奴なら逃げた。脱兎の如くな」

 

 姿の無い石動先生について尋ねると、途端に千冬姉は苦虫でも噛み潰したような表情になって忌々しそうに言った。その姿に俺はちょっと後ずさる。

 

「全く……普段は訓練やら終業の時間ギリギリまで怠けているくせに、こういう時だけ矢鱈(やたら)手が早い……奴の現金さにはほとほと呆れるよ」

「ハハハ……大変っすね……」

 

 明らかに機嫌を損ね始めた千冬姉を前に立ち続ける度胸も無く、俺はさっさとコピーを取ってその場を立ち去る事にした。

 

「はい、コピーっす」

「ああ。では、これが申請書だ。こちらが機材、こちらが食材。それと、喫茶と言う事は料理なども出すんだろう? こっちが部屋の申請書だ。調理に使う部屋は早めに確保しておけよ。他の組と使用予定が重なるといろいろと面倒だからな。ほれ」

「了解っす」

 

 俺は幾枚もの書類を受け取り、その記入事項の多さにぎょっとする。こりゃ、ちょっとのんびりしてる暇無えな? 訓練とかの兼ね合いもあるし、早く皆と話をすり合わせとかねえと……!

 

「提出期限は学園祭当日の一週間前だ。万が一にも遅れるなよ」

「……うっす。じゃあ、俺はこれで! 失礼します……」

「ちょっと待った」

「えっ?」

 

 一睨みして釘を刺した千冬姉に俺は思わず背筋を張って答え、出入り口のドアへと向かおうとした。しかしその背中を千冬姉が呼びとめる。振り向けば、割と真剣な顔をした千冬姉が腕を組んで溜息を吐いた。

 

「一つ言い忘れたが……石動の奴がやりたがるだろうが、奴を絶対厨房に入れるな。食中毒騒ぎにでもなったら学園祭どころでは無いからな……」

「……ずっと不思議に思ってたんすけど、そんなにヤバいんすか?」

「そんなにだ。特にコーヒー周りにだけは何があっても触らせるな。下手をすれば死人が出かねん」

「う、うっす。気を付けます。そんじゃあ俺はこの辺で……」

「ああ、引き留めて悪かったな」

 

 そう言って、千冬姉は視線を机に向けて仕事に戻る。一方俺は話している内にどんどん不機嫌になっていった千冬姉に恐れをなして、速足で出口へと向かった。

 

 ……相変わらず、すげえ威圧感だ。慣れっこっちゃ慣れっこなんだけど、それでも普通に怖い時がある事に変わりは無い。でも、抜き身のナイフみたいだった中学とかの頃と比べれば随分落ち着いたって感じだ。

 

 だけど最近はまた今までのそれとはちょっと違う。張りつめた威圧感を放っている。……やっぱ、今年はトラブル続きだったもんな。それに、無人ISの送り主やら<ブラッド>やら<スターク>と言った未だに解決していない問題もいくつかある。さっさと強くなんなきゃ、千冬姉も安心させてやれねえな。そう思いつつ、ドアを開けて外に出る。

 

「やあ」

 

 そこには、一人の女子生徒が――――今日の全校集会で、いきなり俺の事を景品に仕立て上げた、IS学園の生徒会長こと更識楯無(さらしきたてなし)が満面の笑みを浮かべて待ち構えていた。

 

 

 

 

 

 

「ハッ、ハァッ……! ここまで追いつめられるとは、俺も歳を取ったか……! 油断ならぬ強敵だった……!」

 

 俺は目の前に横たわる古代ローマ剣闘士の恰好をしたコスプレ研究会会長を見下ろしながら、満身創痍で悪態を着いた。

 

 先ほどの生徒会長の発表の(のち)織斑千冬に捕まった俺は、順当に教員室で書類整理をさせられる事になったがなりふり構わず最速でこれを処理。一刻も早く生徒達の目を盗んで自室へと戻ろうとしていた。

 

 だが俺を自身の部活や研究会に引き入れようと画策する一部の生徒達、その数はともかく、熱意を俺は随分と甘く見積もっていた様だぜ……。その結果、予想を遥かに上回る襲撃タイミングの早さに随分と体力を削られちまった。俺は重くのしかかる疲労を堪えながらも、特別消耗させてくれた下手人であるコスプレ研究会会長の持っていた小盾を奪い取ってすぐにこの場を離れる。

 

 さぁて……これからどうするかねえ。一刻も早く部屋に帰りてえ所だが、放課後に入ってそう経っていない今でも既に数組の襲撃者が来てるって事は…………恐らく、俺の部屋周辺はとっくに固められちまってるだろう。だったら、どこかで下校時刻まで凌ぎきるしかねえ。

 

 流石に下校時刻を過ぎてまで俺に襲い掛かるのは校則的に言ってルール違反だろ。だから、下校時刻を越えて校内に留まるなら俺は『教師』として然るべき対応を取る事が出来る。ったく、こうも不自由を強いられるのもルールによってなら、そこで武器になるのもやはりルールか。難しいもんだぜ。

 

「石動先生、覚悟ォ!」

「はいはい」

 

 いろいろと今後の立ち回りを思案しながら、俺は曲がり角から襲い掛かってきた生徒の薙刀を小盾で受け流(パリィ)して、その勢いで大きく体勢を崩した相手の薙刀に手を伸ばし引っ手繰る様に奪い取る。そしてそのままの勢いで足元を掬って転倒させると俺は尻餅を付いた生徒の眼前にその切っ先を突きつけ、半ば脅すように言った。

 

「俺の勝ちだな。また明日来いよ。もし今日また来たらこの薙刀ちゃんがえらい目見るからな?」

「くっ……!」

 

 自身の得物を突きつけられ、うめき声を漏らす生徒。タイの色からして二年生か。まあ名前も知らんが。そのまま特に興味も無く、薙刀と小盾を持ったままその場を去ろうと切っ先を引いた俺は、そこで一つ疑問を抱いて座り込む生徒の前にしゃがみこんだ。

 

「なあ、良ければ動機聞かせてくれねえ? そしたら薙刀返してやるからさ」

「…………剣道部に大型新人(篠ノ之箒)が入って、薙刀部にも話題が欲しかったんです……! ただでさえ剣道に比べて認知度低いのに……」

「あー、去年の全国優勝者なあ、そりゃ話題性がある…………まあ、何だ。頑張れよ……」

 

 悔しげに唇を噛む薙刀部の肩を軽く叩いて、俺は薙刀とついでに小盾をそいつに向けて放り出し足早にその場を後にした。

 

 ……誰も彼にも、いろいろ理由があるモンだなァ。そう言うのを知るのもなかなか面白いかもしれねえが……いや、今はそう欲張る時じゃあねえ。隠れる場所のアテはある、とりあえずそこにたどり着くのが先決だな。

 

 そう思って俺は階段を踊り場まで一気に跳躍して飛び降り、着地の衝撃で全身に割とダメージを受けてその場で一瞬(うずくま)るも、すぐさま復帰して今度は一段飛ばしで駆け降りてゆく。

 やっぱ体の性能は今まで使ったモノの中では一番低いな……ま、元宇宙飛行士の石動に正義のヒーローとして長らく実戦を経験した戦兎、俺の半身である万丈なんかと一般人の肉体を比べちゃいけねえか。

 

 実際の所、俺自身の、エボルトとしての力を使えばそれなりの身体能力は出せるんだが……それは非常時だけと決めている。流石に正体の隠匿(いんとく)が最大のアドバンテージとなっている今、万が一にも俺の正体に繋がる要素を見せる訳には行かねえからな……。

 

「いたぞ! ……生徒会長じゃない、石動先生だ! どちらにしろ、ここで仕留めるぞ!」

 

 溌剌(はつらつ)とした声を聞き首を向ければ、そこにはそれぞれの武装を固めた生徒達が幾人も待ち構えている。どうやら先回りされたか……それなりに騒いでたからな、仕方ねえ。俺は首を傾け、取り繕った笑顔で生徒達に向き直る。

 

「おっと皆さんお揃いで…………って、なんか皆殺気立ってねえか? そんな怖い顔せずにさ、どうだ? 穏便な話し合いで解決ってのは」

「……話し合い、ですか?」

 

 大真面目に、かつ気楽に提案した俺の言葉に奴らが訝し気に身構えるのを感じる。……そもそも、俺を勧誘するのにどいつもこいつもまず俺を打ち倒してから事に入ろうとするのは何故だ。アレか? これも女尊男卑の一側面ってヤツか? 男に頭を下げるのが気に入らないから、実力で物にしたって形を取りたいって感じの。

 

 そうだ、多分それだな。一年一組の奴らは割とそういう雰囲気が薄いからすっかり忘れちまいそうになるが、世の中の男性は一般的に女性の下に見られて、割と理不尽な行為もまかり通っているらしい。

 

 勘弁して欲しいモンだぜ! 他人がそうなるのを眺めるのは大歓迎だが、俺自身に害が及ぶのは看過できねえ。だからと言って実力で黙らせるのはこの場での最善手じゃあない。とにかく、穏便に、上手い感じに誤魔化して解決と行こう。幸いにも、奴ら皆俺の話を聞くくらいの理性はあるみたいだしな。

 

「……ああ、仲良くやろうぜ。あんまり暴力とか、俺そういうの好きじゃあないんだ。とりあえず……そうだな、カフェにでも行こうぜ。みーんなまとめて、じっくり話聞いてやるからさ」

 

 手を広げ笑顔で俺が提案すると、生徒達の幾人かが武器を下ろし思案する様子を見せる。いいぞ、この調子だな! さてさて、他の奴らも上手い事懐柔するのに何かいいアイデアはっと……ああ、丁度いい。あのボトルを試すにはもってこいのタイミングだな!

 

「そうだ! 折角だし、お前らには俺がコーヒーとケーキを振る舞ってやるよ! 最近はコーヒーだけじゃなくケーキ作りにも嵌っててな……コーヒーと違って、割と普通に食えるもんが出来てると思うんで皆ちょっと試して…………んん?」

 

 そこまで言い終えて俺は気づく。武器を下ろし、穏健な雰囲気を見せていた幾人かが、明らかに剣呑な殺気を漂わせ、憤怒に満ち満ちた眼差しで俺の顔を見据えているのを。

 

「……あの、なあ、俺なんか悪い事言った?」

「石動先生、それマジで言ってますか? ……貴方は前もそう言って、無知な私達にクッソまずい新作コーヒーを飲ませやがったじゃあないですかっ!!!」

 

 最前列に居た生徒が俺を指差し、声を張り上げて叫ぶ。その言に俺は一瞬で事情を理解し、閃いた瞬間の勢いそのままに後先考えずに言った。

 

「ああ! お前らもしかして、俺が前いろんな所で振る舞ってた新ブレンドの試飲経験者かァ! つか直球にまずいっての傷つくからやめろ」

「知るか! 私達の心はもうとっくにメチャクチャですよ!!!」

 

 俺の言葉を半ば涙目になりながら生徒の一人が一蹴する。これはヤバイ。俺の一言が火をつけたか、先程まで穏健さを伺わせていた生徒の何人かも武器を構え臨戦態勢に突入してやがる! 最早言い訳も許されない状況だ。幸いなのは、ここに居る全員が俺の被害者ではないらしいって事か……何人か、この凄まじい怒りの渦を困惑しっぱなしの奴もいる。

 

「そっかー、そういう事だったかー……なあ、その点は悪かった! だから今日は見逃して? なっ?」

 

 無駄だと思いつつも、手を合わせて平謝りする俺。案の定彼女らの熱気は更にヒートアップし、ついに堪忍袋の緒が切れたか、一人の西洋甲冑を纏った生徒が怒り心頭と言った顔で歩みだして叫ぶ。

 

「ダメだこの男……やはり天誅を食らわせねば! 一番槍は頂く! ついでに、我らが西洋甲冑格闘研究会の部活動昇格の為にも…………覚悟しろ!!」

 

 宣言と共にガシャガシャと音を立て、甲冑を着込んでいるとは思えない速度でその生徒が突っ込んで来た。俺はそれを見て、まるで狼狽しているかの様に数歩跳び下がり距離を取って身構え、慌てたふりをして見せる。

 

「ちょっと待て! 俺は今回本当に悪かったと思ってる! それと歳が歳なんであんまり重い鎧着て動き回る部活はNGだ! 考え直せ!」

「問答無用!!」

 

 気合一閃、明らかに生身の人間に向けるものとは思えない両刃の長剣の横薙ぎ。それを冷静に滑り込むように回避してから、俺は爪先でその軸足を薙ぎ払った。

 

「きゃーっ!?」

 

 そのまま甲冑女は廊下を派手な音を立ててすっ転ぶ。だがしかし俺に挑むだけはあるか、すぐさまうつ伏せの状態から近くに転がった剣を握りしめ起き上がろうと試みた。だがそこまで。その背中を踏みつけた俺の重みに、そいつはジタバタと足掻くのが限界となった。

 

 ――――んー、やっぱ、人間を足蹴にするのは気分がいい。特にこう、必死に頑張ってる姿を見るのは最高だな!

 

 そんな思いはおくびにも出さず、俺は軽く甲冑女に体重をかけながら俺は皆に笑いかける。奴らも目の前で文字通り一蹴されたその姿に二の足を踏んで攻めあぐねているようだ。さて、どうしたもんだか……。

 

「くそっ、脚が長い……!」

「イケてるだろォ? ま、それはそうとあんまり刃物は人に向けんでくれ。下手したら取り返しのつかん事になってたからなあ~」

「ハリボテです! 我が研究会はすごい安全に考慮してます!」

「はっはっは、そうか、そりゃすまん」

 

 言いつつ、ぐりぐりとその背中を踏みにじって足元の女の体力を削って行く。その顔はやはり結構な無理をしていたと見え、残暑の熱も相まって汗がだらだらと滴り始めていた。

 

「よぉし、じゃあ次はどいつだァ? 俺、こう言う事するのは正直心苦しいんだが……逃がしてくれないとあっちゃあ、しょうがねえよなァ?」

 

 そう言ってにやりと笑うと、堰を切ったように何人もの生徒が一度に襲い掛かって来る。一人ずつじゃ無理と悟ったか! それは間違いなく正しい判断だが――――

 

「――――俺とやるには足らねえなァッ!」

 

 そう言って、俺は足元の甲冑女を後方に蹴り転がしつつ両手を広げて迎撃態勢を取った。もはや穏便な解決は不可能! ならば――――実力行使と行こうじゃあねえか!

 

「銃剣術研究会! 参る!」

 

 先頭の女によって気合と共に突き出された銃剣。それを俺は半身になって回避し、その先端と手元に手を添えて、一気に引っぱりながらかち上げた。

 

「うっそぉ!?」

 

 その勢いで銃剣を放り出され驚愕した生徒の手首を掴んでそのまま甲冑女の上に引き倒し、次の生徒に応じる。

 

「もらったァ!」

 

 次に迫るはヘッドギアとボクシンググローブを身に付けた女。ボクシング部か、悪く無いフットワークだ。しかし俺の反応速度には及ばない。拳を構え突進してくるボクサーに対して俺は容赦なくローキックを腿に叩き込み足を殺すと、痛みに力を失った手首をまた掴み取って銃剣女の上に放り投げた。

 

「うぎゃーっ!」

「次だァ! どんどん来な!」

「クソッ、覚悟ぉ!」

 

 破れかぶれと言った様子で突っ込んでくる竹刀を持った生徒……剣道部員かよ! 流石に部活でまで篠ノ之の面倒を見るのは御免だな。そんな事を考えつつも、振り下ろされた竹刀を合掌するように白刃取りしてあっさりと奪い取った俺はその額を小突いて尻餅を付かせ、それをちょっと見下ろしてから、竹刀を後ろに積み重なった生徒達の上に放り投げて無力化した。

 

「こんなもんか……さて、次はお前か?」

 

 一人だけ集団の前に踏みだしていた生徒。そいつは一瞬怯えたように後ずさったが、それも一瞬の事。キッと意を決した顔になって俺の前に立ち、凄まじい速度でのお辞儀を繰りだした。

 

「すみません美術部です! 部員達からの要望で高身長の男性モデルが欲しいのでお願いします! 毎回おやつも付けますので!」

「えっ? …………あー、週一なら良いぜ」

本当(マジ)ですか!?」

「あ、ああ。細かい条件は後でまた詳しくな。…………他の奴ら、来ないなら俺は行くぜ? Ciao(チャオ)!」

 

 最後の最後で穏便に事を済ませた俺は、折り重なった生徒達を尻目にその場から逃げ去る。――――どいつもこいつも、ハザードレベルは1.5以下。普通の人間だ。わざわざ相手する理由も薄かったな。……まあ、無事に切り抜けられたんだ、今回はそれで良しとしよう。

 

 だがしかし、こいつは難儀だな……これからしばらくの間、こんな日々を送るってのは絶対に御免だぜ。とりあえず余計な乱入の無え所で今後の事を思案するとするか……この辺に居たらまたいつ襲撃されるかもわからねえからな。

 

 そう俺は僅かな失望と確かな安心感を得て渡り廊下を駆け抜ける。向かうは整備棟。来訪者が少なく、かつある程度信頼が置け、何より部活動に殆ど関わっていない奴――――更識簪。奴の居るであろう第七整備室へと、俺は迷わず向かって行った。

 

 

 

 

 

 

「…………?」

 

 放課後の、第七整備室。そこで<打鉄弐式(うちがねにしき)>の開発を続けていた私は、なにやら騒がしい物音に気づいて顔を上げた。

 

 今日の作業の進み具合はそこそこ。全体的な重量バランスの計算がそこそこ上手く行って、フレームの調整がかなり進んだところだ。そんな事もあって大分機嫌が良かったのだが、外をドタドタと走り回る人々の足音に顔を顰める。

 

 こんな日に、何かあったのだろうか。いや、確かに姉さんが発表した学園祭での報酬で、他の生徒達が随分沸き立っていたのは知っているけれど。でも、そこまでうるさくなる程の事だろうか?

 

 確かに石動先生はフレンドリーで話の分かるいい人だし、勧誘したくなるのもわからないでも無い。でも…………いや、そもそもそれが理由でうるさくなっているとは限らない。どうにも気になって、真っ当な理由でなければ静かにしてもらおうと考えた私は、少し外の様子を伺おうと部屋のロックを解除して扉の前まで歩み寄る。その時だった。

 

「更識ィ! 俺だ! 匿ってくれ!」

「きゃあっ!?」

 

 勢い良く開かれたドアから飛び込んできた石動先生の迫力に驚いた私は、後ずさろうとして思いっきり尻餅を付いた。

 

「ああ。悪い。立てるか?」

「どうも……」

 

 その姿を見て、唐突にクールダウンして手を差し伸べる石動先生。その手を取った私を引っ張り上げると、今度は思い出したかのように慌てて扉を閉めて必死に机の影へと滑り込んだ。

 

「更識ぃ! 悪い鍵閉めてくれ! 俺追われてるんだよ! 皆に!」

「皆に?」

「いいから! 頼むから閉めてくれほんと!」

「はぁ……」

 

 一体何があったのだろう。困惑しながらも言われるがままにドアを閉じロックをかけて、そこでようやく私は気づく。

 

 ――――これ、巻き込まれてない?

 

「あの、石動先生……」

「いやー助かった! 更識! お前のお陰で何とか切り抜けられそうだ! ありがとうなァ! やっぱ持つべきものは友人とは、昔の人はいい事言うもんだぜ!」

「あっ……はい、どういたしまして……」

 

 抗議しようとした私の声も、嬉しそうに礼を言う石動先生の剣幕に押されて小さくなってしまった。……ダメだ、流石にあからさまに事情がある人を見捨てるのは、ヒーロー好きとしては選べない選択肢だ……! しかし、これからどうしよう。石動先生がここに居るのを受け入れる以上、そこから生まれる危険もどうにかしなきゃいけない。巻き込まれるのは、御免なんだけど……。

 

 その時、閉じられたドアをコン、コンと、誰かがノックする音が聞こえ、私と石動先生は揃って凍り付いた。

 

「すみませーん、整備課の沢神(さわがみ)です。点検なんですけど、入れてもらっていいですか~?」

 

 点検? そう言えば、もうそんな時間か。でも、普段より全然早いような……不審に思って石動先生に目を向ければ、必死に手を交差して×のマークをアピールしている。

 

「あの、えっと……すみません、まだ来ないかと思って……片づけるんで……少し、待っていただけますか……?」

「はーい、手早くお願いします~」

 

 ドアの向こうから聞こえる朗らかな声。それとは裏腹に、石動先生は音を立てぬよう、しかし慌てながらこちらに駆け寄って来た。その表情には窮地に立たされたことへの焦りがありありと現れている。

 

「更識……! この部屋、他に出口とかないのか……!? 追いつめられちまってるぞ……!」

「私に言われましても……と言うか、本当に点検の可能性も……」

「いやいや……! 明らかに五人ぐらいドアの前に居るぞ……! 気配感じるだろ……!」

 

 言われて意識を研ぎ澄ませてみれば、かすかな衣擦れの音や、何かを小声で話し合っている声が僅かに聞こえる。……姉さんなら、こんな事しなくてもすぐに人数まで把握してしまうのだろうけど、私には無理だ。更識の名を背負う姉との実力差をこんな所で痛感して、思わず私は歯噛みした。その時、再び外から声がかかる。

 

「更識さーん? ()()も忙しいのでー……もう開けちゃいますよ?」

 

 まずい! 慌てて振り向き、いっそ部屋の扉を塞いでしまうかと機材を手に持つ私。一方の石動先生は何故か机の影から立ち上がると、こちらに背を向け、何やら懐を漁り始めていた。

 

「くそっ、背に腹は代えられねェか……! 更識! ちょっと十秒くらい向こう向いて、耳塞いでてくれ! 絶対こっち見るなよ!」

 

 苦々しい石動先生の声に私が顔を背けると、カチャカチャと何かを振るような音が数秒続き、直後石動先生の気配が急に希薄になり静かになった。一体何をしたのか、気になった私が十秒を数え終え眼を開くと、そこには変わらぬ光景の整備室が広がっているだけで、何処にも石動先生の姿を見つける事は出来ない。

 

「……石動先生?」

 

 そう私が訝しんだ瞬間ドアのロックが外部から解除され、勢いよく扉が開け放たれた。そこから特殊部隊の如き姿をした完全武装の生徒が五人飛び込んでくる。その先頭の人物――――整備課の沢神さんが私の目の前に駆け寄り、手に持った物騒な銃を此方に向けて来た。

 

「動くな! サバイバルゲーム同好会だ! ……あれー? 石動先生は?」

「えっ、えっと……何の事やら……」

「そっかー。ごめんね、少し調べさせてもらうよ~…………皆、始めろ」

Yes,ma'am(了解)!」

 

 両手を上げ観念した私の目を暫く見つめた後、沢神さんはあっさり興味を失ったらしく、私を尻目に他の生徒と共に部屋の中の捜索を始めた。皆、統率された動きで機材の影や机の裏などをきっちり調べ上げてゆくが、唐突に消えた石動先生を見つける事は皆出来ず、そう時間も経たずに広くもない部屋の中を右往左往し始める。その重苦しい雰囲気に耐えかね、私は近くの生徒に向けて声を掛けた。

 

「あの、それ本物ですか……?」

「あ、いえいえ。エアガンですよ。ちゃんと弾速測定も通してあり、かなり安全です。弾も抜いてあるし……まあ、さっき隊長が銃口向けちゃってたんですけど、あの人ノリを重視するタイプなんで。ちょっと大目に……」

「おい、話してないで探せ。出口は無いし、どこかに居るはずだ」

「申し訳ありません!」

 

 咎められ、すぐさま捜索に戻る生徒。だが、いくら探しても石動先生の姿は無い。居たはずなのに、何処にも居ない。一体、何をどうしたのか。私が目を閉じている間に外へ? いや、入り口は固められていたはず。だったらこの部屋の中に居るはずなんだけれど………………。

 

 首を傾げても、石動先生がどこに行ったかなど皆目見当もつかない。虱潰しに捜索に当たっていた周囲の生徒達もそれは同様のようで、さっきから一度探したはずの場所をそれぞれが代わる代わる確認している有様だ。……その内、彼女達も居ないと諦めたのか、調べるのをやめ入り口に居た沢神さんの元へと集まって来る。

 

「隊長! くまなく調べましたが、石動先生どころかネズミ一匹発見できません!」

「……逃げられたか? もしそうなら、見事な引き際だな……」

「下校時刻も近いですし……隊長、追撃しますか?」

 

 その提案に沢神さんはほんの少し悩むように顎に手をやった後、ちらと私の方を一度見てから少し諦め気味に答えた。

 

「慌てるな……まだ逃げられたとも限らんだろう。この部屋では見つけられなかったが、そう遠くには行っていないはずだ。どうやって包囲から抜け出したかは些か疑問だが……インタビュー(尋問)している時間も無い。行くぞ」

Yes,ma'am(了解)!」

 

 隊長、もとい沢神さんの一声に素早く反応した生徒達が一斉に部屋から退出してゆく。

 

「……更識さん、ごめんなさい、お邪魔しました。点検は問題無しってことで。じゃあねー!」

 

 そうにこやかに言い残して、沢神さんもさっさと部屋から出て行ってしまった。この場に残されたのは、私だけ。どうやら嵐は過ぎ去ったようだ。その事実に安心して、私は一度気の抜けた溜息を吐く。

 

「行ったみてえだな」

「きゃあっ!?」

 

 突然背後からかけられた声に慌てて私が飛び退くと、そこには石動先生が訝しげな顔をして腕を組んで立っていた。

 

「い、石動先生、一体何処から」

「んんー? 秘密だよ秘密。とりあえず、奴らは行ったみたいだな。お陰様で助かったぜ~更識~!」

 

 至極当然な私の疑問をあっさりとはぐらかすと、ようやく安心したと言わんばかりに石動先生は空いていた椅子に腰掛ける。どうやら、何処に隠れていたのかを教えてくれるつもりは無いらしい。

 

 ――――騒動に巻き込んでくれたんだから、それくらい教えてくれてもいいのに。

 

 そんな私の不満に気づかなかったのか、無視しているのか、石動先生は興味深げにディスプレイを眺めるばかり。その態度に追及を諦めた私は、またディスプレイの前の椅子に座って作業の続き、今日の分の最後のまとめを始めるのだった。

 

「………………」

「………………なあ」

「……何ですか?」

「いや、結構作業進んだみたいだな、と思ってよ」

「解るんですか?」

 

 前後逆に椅子に座って背もたれの上に寝そべるようにこちらを見る石動先生は、私の問いに心外とばかりにムッとした顔をする。そしてやり場のない思いを発散するようにくるくると椅子を回転させると、その顔とは裏腹な気楽な口調で私の問いに答えた。

 

「まあ、俺もこの学園の教師だ。一通りの知識は入れてある。見たとこ、素体の重量バランス回りがかなり進展してるように見えるぜ」

「……ええ、その通りです。もっとも、武装を搭載した後のバランスがあるので……あとでまた同じような計算を繰り返すんですけど……」

「うえっ、やーな話だな」

 

 言われなくても、この作業の煩雑(はんざつ)さは良く分かっている。でも、やらなければならない作業だ。実際必要な作業であるし、何より、姉さんもこの作業を実際にこなしたはずなのだから。

 

「……まあ、仕方ないです。実際、それは必要不可欠な計算ですから……」

「最初っからその辺視野に入れて作れないのか?」

「武装だけを作る、と言うなら元からあるデータをやりくりして作れるんですけど……この機体は完全な新造機ですから……こっちも一から、新しく作らないと……」

「新しく作る、ねえ…………」

 

 私の言葉に何か思う所があるのか、ボソリと呟きまたくるくると椅子を使って回り始める石動先生。そう思って眺めていると、突然石動先生は回転を止めて勢い良く立ち上がった。

 

「その手があったか!」

 

 これだ、と言わんばかりの満面の笑みを浮かべ立ち上がった石動先生の姿に、私はまた何かに巻き込まれる予感――――否、確信を得て、思わずとても渋い顔になったのが自分でも良く分かった。

 

「……あの……石動先生?」

「更識、ちょっと教員室に付き合ってくれ!」

 

 有無を言わせぬ勢いで距離を詰めてくる石動先生に私は無意識に椅子を転がして距離を取るが、あっという間に壁際に追いつめられてしまった。明かりを背に受け陰になった石動先生の顔はとても邪悪に見える。その威圧感に、私はしどろもどろになりながら、何とか拒絶の意志を示そうとした。

 

「えっと、あの、私今日は帰ってレーザーXの続きをですね……」

「いやいや、この状況を打開するいい案思いついたんだよ! 悪いようにはしねえし、アニメ見る時間は確保してやるから! ハッハッハ……! なんか、これなら行ける気がするぜ!」

 

 そう言って邪悪に笑う石動先生に私は抗い続けることも出来ず、結局石動先生の言う通り教員室へと連れ出される事になり、部屋の掃除を終えた後心うきうきといった様子の石動先生の後を着いてゆく。一体、何をするつもりなのか……その不安にちょっとお腹の調子を悪くしながら、とぼとぼと着いてゆくのであった。

 

 

 

 

 

 

「あの、えっと。それで……これは何ですか、石動先生」

「部活動――――いや、研究会? 同好会か。その設立に関する書類ですよ!」

「ああ~、なるほど…………」

 

 生徒達の強烈な勧誘を切り抜け切った俺は、渋々と言った様子の更識を連れ、教員室の榊原先生の元を訪れていた。

 

 本当なら、織斑千冬に話を通すのが筋ってもんなんだろうが――――奴はどうやら用事があるとかで、仕事が終わった後さっさと学園を離れちまったらしい。……ま、奴がいない間に既成事実を作っちまうのも悪いプランじゃあねえか。後が怖いが、この現状を長々と続けるわけにもいかねえしな。善は急げなんて言うし、さっさと終わらせちまうのが一番得だろう。

 

「まあ、とにかくです。俺と更識の二人で『IS学園アニメ同好会』を設立させてもらいたいって事ですよ。会員は俺と更識。この人数なら教師が所属してても同好会のままで、複雑な手続きとか要りませんでしたよね?」

「ええっと、まあそうですけど……」

「やったぜ! そう言う訳で、外部の教師の承認が要るんで書類の確認お願いします!」

「あ、はい。ちょっと待っててくださいね」

 

 言って、書類のコピーを取るために一旦その場を後にする榊原先生。俺は割と肯定的なその反応に気を良くして、自身の椅子を引いて腰掛ける。そのまま更識にも空いている椅子に座るよう促すが、奴はそれを固辞して俺の横で立ったままだ。

 

 真面目だねェ。そんな感想を抱いた俺に、更識の奴が声をかけてくる。

 

「あの、石動先生。アニメ同好会って……」

 

 気まずそうに言う更識の口から出たのは、俺の想定通りの質問だ。……悪いなァ、お前が押しに弱いのはこの付き合いでもそこそこに解ってる。数少ない、同一の趣味の話が出来る俺に対してならなおさらだろう。だからここは強引に行かせてもらう。ちょっとだけ悪い気はするがなァ……これも俺の為だ、諦めてくれ。

 

「おう、好きだろ? アニメ。俺も好きだし、折角だし…………何より、これ以上あんな『勧誘』されるのは御免だし……まあ、凄ェ緩くやるつもりだから…………頼む! 人助けだと思って名前だけ貸してくれ! お前の開発の邪魔はしねえから!」

 

 そんな内心などおくびにも出さずに白々しく頭を下げる俺に、更識は諦めたように溜息を吐く。そうして、行き場の無い思いを飲みこむように沈黙した。

 

 …………流石に強引すぎたか? だがまあ、こいつもアニメは嫌いじゃねえんだ。困っている同好の士の頼みを断るような奴でも無い。そういう所は『ヒーロー』様様だな。ありがたい。

 

 そんな事を思いつつ時間を潰していれば、コピーを取り終えた榊原先生が戻ってきた。俺はにこやかな笑みで彼女を出迎える。

 

「どうすか、榊原先生。不備とか無かったです?」

「……………………あっ、ええはい無いです無いです! とりあえず今日はもう下校時刻前なので…………」

「りょーかい。明日って事ね。不備も無いし大丈夫だろ?」

「はい、判子も押しましたので、あとは提出だけです」

「よかったー! これであの勧誘ともおさらばだー! 更識、ありがとな。これで学園内でアニメ見れるぞ」

 

 そう言って更識の方を見れば、奴はちょっと真剣な顔で――――アニメの話をする時の様な、普段の彼女からは想像もつかぬ切れ味鋭い口調で言った。

 

「それ本当ですか? ありがとうございます」

「オイオイ感謝するのは俺の方さ。つーわけで、明日レーザーXの十二話一緒に見ようぜ! クリスマス回らしいからな、楽しみなんだよ」

「えっ…………すみません、クリスマス回はちょっと……」

「……? つれねえなあ……ま、いいや。後で感想聞かせてやるから、楽しみにしといてくれ」

「ええ、それはもう……!」

 

 ――――何だか、こいつ嫌な笑顔してやがるな。くしゃっとなる笑みとも違う、何かよからぬ喜びを感じている顔だ。……まあ良し! 細かい事はどうでもいい。これで当面の問題の一つは解決したし、更に意図していた形とは違うが更識を手元に置く事が出来た。これで随分とこいつへの干渉もやりやすくなる。残念だったなあ……これは俺が一歩リードじゃあねえの、生徒会長殿?

 

 俺はこの場に居ない更識楯無(さらしきたてなし)が不機嫌になる様を想像して、くっくとあくどい笑みを零した。その時教員室のドアが開き、誰かがこちらに迫ってくる。

 

「ああ、石動先生、こちらにいらっしゃいましたか」

「んん?」

 

 その声に反応して椅子を回転させて向き直ると、そこに居たのは生徒会長の側近。ええと、布仏(のほとけ)――――姉の方だ。こんな所に一体どうした? それに、口ぶりからして俺の事を探していたと見える。まさか、また何かろくでもないこと考えてやがるのかあの生徒会長は!

 

 俺がその可能性に懸念を感じていると、布仏姉はそれに気づく事も無く更識の方に向き直って形式ばった礼をした。

 

「お久しぶりです。本音(ほんね)がいつもお世話になっております」

「いえ……こちらこそ、姉がお世話になっております……」

「いえいえ、お嬢様が私の手を煩わせることなど滅多にありません。本音こそ、迷惑をかけてはいませんか?」

「いえ、本音は別にそういうのは……」

「そうですか、でしたらよかったです」

 

 何やらよく分からない会話を交わす二人。その中に幾つか気になる部分を見出して、俺はその意味を推理し始めた。

 

 お嬢様ってのは前にも聞いたな。やっぱ、生徒会長と布仏姉は何らかの主従関係にあるのか。そんで、会話の内容からするに更識にも布仏妹が(あて)がわれている――――って事だろう。それが何を意味するのかは、流石に今は分からん。情報不足だ。

 

 ま、大方家族ぐるみの付き合いがあるとか、そんな所だろう。主従関係まで出来るのがただの家族付き合いだとは到底思えないが、それは後で暴いていけばいい。俺はそこまで考え終えると、立ち上がって布仏姉に声を掛けた。

 

「……よぉ、布仏。俺に何か用かい?」

「ええ、会長がお呼びです。第二訓練場に来てほしい、と」

「訓練場?」

「はい。何でも訓練をするので、見に来てほしいと」

 

 ……訓練だと? 自分から手の内を明かそうってのか? 流石にそこまで迂闊な女には――――ああ、もしかして、俺が勧誘を捌いてる間に一夏とかに接触したのか? なるほど、それならこのタイミングでの呼び出しも頷ける。二学期から指導に入るって言ってたし…………それで俺の放課後を生徒達使って拘束してたんだな。くそっ、そもそもあの勧誘を受けてた時点で負けてたって事じゃあねえか! やってくれたなァ……!

 

「…………まあ、分かった。学園祭の賞品うんたらかんたらで文句も言ってやりたかったしな、すぐ行くって伝えといてくれ」

「はい、解りました。ではご案内します」

「必要ないって。あそこはいつも使ってたんだ。そいつは今更って奴だぜ」

「失礼致しました。それでは私はこれで……」

「ちょっと待った」

 

 俺は背を向け去ろうとする布仏姉を呼び止め、意趣返しだと言わんばかりに、にやりと悪どい笑みを浮かべながら言った。

 

「それとあいつに、もう一つ伝えといてくれ。『俺は部活決まったから、俺を賞品にする話は無しだ』ってな。頼んだぜ」

「……畏まりました。では」

 

 小さく一礼して、今度こそ立ち去る布仏姉。その姿を見送ってから、俺は腕を組んで小さく笑った。……あの生徒会長なら、その報告を受けて手を緩めるような事はしないだろう。俺の予想が正しければ、今後は一夏達の訓練にかこつけて俺の時間を拘束してくるはずだ。だが、それはそれで俺には大きいメリットがある。一夏達の成長を調整しつつ、生徒会長自身を逆に監視する事が可能だ。

 

 相互監視、と言えば聞こえはいいが、実際の所俺の隠蔽はかなりの精度、隙なんか殆ど無い。……だからこそ奴も、こうして綱渡りめいたギリギリの距離感で接して来ているんだろうが、今回は俺の方が一枚上手だな。だがしかし、中々楽しませてもらったぜ……! やっぱ、予想通りのいい対戦相手みたいだな、お前は。

 

「うし、じゃあな更識、俺は行くわ。気をつけて帰れよ」

「あ、はい。ではまた」

 

 此度の駆け引きに十分な手応えを得た俺は更識に一声かけると、そのまま教員室を後にしようとする。しかしその俺を、慌てたように追いかけて来た榊原先生が引き留めた。

 

「ちょっと待ってください石動先生、忘れ物です! ……篠ノ之さんから預かってたんですが、渡す機会が無くて……」

 

 そう言って彼女が渡してきたのは、何時だか篠ノ之達の訓練の時にアリーナに置いてきたマトリョーシカ人形だ。盗聴器があからさまに仕込んであったんで放置してきたんだが、奴めキッチリと届けてくれていたらしい。

 

「あ~……何処に行ったかと心配してたんですよ! こいつが無いせいで、いろいろ不運に襲われてたからなあ! 助かりましたぜ……!」

「いえ、お礼は篠ノ之さんに……」

「ああ、それもそうだ! すいませんお手数かけて! じゃあ俺は失礼します!」

 

 ……ま、流石にもう電池も切れてるだろ。俺は榊原先生からそれをひょいと受け取ると、雑にポケットにねじ込んでから、改めて教員室を後にするのだった。

 

 

 




後半部分もそう遠く無く投げるんで少しだけお待ちを。
最新映画のネタバレとかは……活動報告の方にでも投げていただければ助かります。


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トゥモローへの闘争

おまたせしました。後半部分22000字です。書いてる途中に新しい展開思いついて書きなおしたりして突貫なので、誤字が多かったら本当に申し訳ないです。

久々の投稿だと言うに感想お気に入り評価誤字報告してくれる皆さまには頭の上がらぬ思いです。
良ければ今話もお楽しみいただけると幸いです。


 訓練。訓練か。

 

 生徒会長に呼び出され、訓練場へと向かう道中で、俺は思う。生徒会長、奴の腕はどの程度の物なのか。その知性の高さはこれまでのやり取りで把握しているが、実力に関しては相当なものであるという事しかわかっていない。

 

 ……丁度いい機会だな。ここで奴の実力の片鱗を垣間見させてもらうとするか。それに訓練場を使ってるんだ。他にも誰かいるのだろう。多分一夏だな。俺も篠ノ之とボーデヴィッヒの相手ばっかで他の奴らには手を出せてなかったし、そっちの力も見せてもらうとしましょうかね。

 

「邪魔するぜ~」

 

 呑気な声と共に俺は訓練場の戸を(くぐ)った。そこには道着姿の生徒会長と、案の定それに向かい合う一夏が居る。その瞬間、突然の俺の入室に気を取られた一夏。直後その懐に生徒会長が滑り込んだと思えば、かち上げからの連撃を以って一夏を吹っ飛ばし、あっけなく戦いを終わらせてしまった。

 

 ――――おっと、少し遅かったか。畳に叩きつけられる一夏を見て俺は笑った。ったく、集中が足りねえなあ。いや、周囲の状況を把握しておくのは戦闘に必要な技能なんだが、それで眼前の相手への集中が切れちまっちゃあ意味が無い。その辺含め、こいつはまだまだだな。

 

「おっとォ、一夏~? いきなり偉い目に合ってんなあお前もな~」

「石動先生……いきなり入ってこないで下さいよ……」

 

 畳に突っ伏す一夏を見下して俺はまたまた笑った。意外と元気そうで安心したぜ。こんなので気絶でもしてるようじゃあ、篠ノ之と並ぶレベルになるのは夢のまた夢だからよ。

 

 そう、俺としては篠ノ之のライバルとして、一夏にもそれ相応の実力を身に付けてもらうつもりだ。何せ数少ない篠ノ之束謹製(きんせい)のIS所持者だからな。ISの特性的に見ても、この二人に余り大きすぎる実力差があるのは好ましいとは言えねえ。

 

 何より、篠ノ之がこいつを強く意識しているのは傍目(はため)にも明らかだからな。奴の強化のためにはお前が必要なんだ。頑張れよぉ、一夏ァ。

 

 そう暖かい視線を一夏に対して送っていると、パンパンと道着の埃を手で払い、少し息を整えた更識楯無が俺に話しかけてきた。

 

「いらっしゃいませ、石動先生。お待ちしてましたよ」

「おう。待たせちまったか? 布仏の奴、随分探してたみたいだからな」

「いえいえ、そんな事はないです。むしろ、丁度よかったって所ですかね」

 

 にこやかに応対する俺と生徒会長。だがその間には、探り合いとも言うべき小さな警戒が行き交っている。そんな俺達を見て最初に口を開いたのは、ようやく座り込むほどに回復した一夏だった。

 

「……あの、楯無先輩と石動先生って、仲悪いんすか?」

「「えっ?」」

 

 その言葉に、思わず一夏の顔を見てから顔を見合わせる俺と生徒会長。

 

「いや、なんかすげえ睨み合ってるから、仲良くないのかなあって……」

「そんな事無いぜ!? 無いっすよねえ生徒会長?!」

「ええ、私たち、ナカヨシ! ナカヨシ!」

「なー!? はっはっはっは!」

「あはははは!!」

 

 鋭い一夏の物言いに慌てて俺と生徒会長は肩を組んで仲の良さをアピールする。だが、一夏の目はそんな俺達を白々しく見つめていて、それに俺達は揃って引きつった笑みを浮かべるのだった。

 

絶対(ぜってぇ)嘘だ……」

「ま、まあそれは置いとこうぜ! それより生徒会長、俺を呼んだ訳を教えてくれ。多分例の話についてなんだろうが……」

「例の話?」

「そうそう! 一夏くん、私に負けたら鍛えられてくれるって言ったでしょ?」

「まぁ、そう言う話でしたけど……」

「それでね、アドバイザーとして石動先生にもあなたの訓練を見てもらおうと思ってお呼びしたの」

「マジですか!?」

 

 憮然とした表情で受け答えをしていた一夏は、俺の参戦を聞いた途端驚きと喜びが入り混じった顔になって立ち上がった。

 

「それなら早く言ってくださいよ……そうと知ってたら意地なんか張らないで、喜んで訓練付けてもらったのに!」

「……なんかそれ、私の方が軽んじられてる気がして、ちょっと傷つくね……」

「まあそう言うなって、お前と一夏は付き合い短いんだ。信頼ってのは、これから培ってきゃあいいだろう?」

 

 言いながら生徒会長の肩を自然に叩こうとするが、一歩身を離した奴に回避されてしまう。チッ。さっきの誤魔化しの時は計り損ねちまって、改めてハザードレベルを計っておこうと思ったんだがなァ。流石にそう容易くは無え――――いや、俺のミスだな。人間の『焦り』と言う奴を味わう機会はそうなかったが、アレがそうなんだろう……。ま、でもこうしてこの女の不機嫌そうな表情が見れたんだ。そこは一夏に感謝しねえとな。

 

 それに何より、俺の指導者としての腕をこいつが信頼しているのが分かったのはデカい。つっても篠ノ之をあれだけ鍛え上げたんだから、それも当然だろう。俺の努力が実を結んでる、と言った所か……嬉しいねェ。

 

「あはは……とりあえず、生身の腕は見せてもらったし次はISの方を見せてもらおうかな。石動先生もご一緒に」

「もちろん! 何の為に来たのか分からなくなっちまうからな。とりあえず外に居ますわ。……一夏ァ、生徒会長の着替えとか覗くんじゃあねえぜ?」

「覗かねえっす!」

 

 更識楯無に適当な受け答えをした後、ここぞとばかりに弄ってきた俺に顔を真っ赤にして答える一夏。その様が面白くて喉を鳴らして笑っていれば、更識楯無が一夏の前で姿勢をかがめ、下から覗きこむようにして言った。

 

「あら、覗いてくれないの? お姉さん、自信なくしちゃうわぁ」

「っ~! 覗きません! やっぱ先生と楯無先輩仲良いんじゃないですか!?」

「だってよ、どうだ?」

「さあ? まだ付き合い短いですし、これから仲良くなれたらとは思いますけど」

「おっと、俺も同意見だぜ。はっはっは」

「うふふ、これからよろしくお願いしますね」

「なんか……この二人の相手するのめっちゃ疲れる……」

 

 肩を落として疲れ果てた様子の一夏の肩をポンと叩いてから、俺は部屋の外に出て廊下の壁に寄り掛かる。さぁてこっからだ。折角来たんだし、一夏の力、そして国家代表操縦者の力、とくと俺に見せてもらおうじゃあねえか。

 

 そんな考えを巡らせながら、俺は先ほど生徒達を切り抜けるのに使った<消しゴムボトル>と試す機会を失った<ケーキボトル>を体内へと仕舞い込んで、二人が顔を出すのをのんびりと待つのだった。

 

 

 

 

 

 

 その後、俺達が更識楯無に連れられ向かったのは人も(まば)らな第三アリーナ。普段であれば訓練を行う生徒でにぎわうそこは、珍しく閑散としていて、それに俺はほんの少し驚いた。

 

 ふむ。流石に新学期の初めともなれば忙しい奴が多いって事か……? いや、違うな。大方、更識楯無による今日の発表、その影響で皆訓練どころじゃあねえってトコかも知れん。俺は二階のピットからアリーナを見渡して、傍に立つ更識楯無にお伺いを立てる。

 

「ふむ。何をするんだか知らねえが、事実上の貸し切り状態とは丁度いいな……生徒会長、すぐに訓練始めるのかい?」

「いえ、ちょっとまだ揃ってないようなので。すぐに集まると思うんですけどね」

「揃ってない……って、俺達以外にも誰か来るんですか?」

 

 腕を組んで問いかける俺に未だ準備が出来ていない旨を更識楯無が答えると、不思議そうな顔で一夏が首を傾げていた。だが俺はその言葉の正確な意図を読み取り、出入り口の方へと視線を向ける。それに釣られて一夏もそちらに視線を向ければ、丁度そこから幾人かの生徒――――篠ノ之、オルコット、ボーデヴィッヒ、デュノア、そして(ファン)が入ってくる所だった。

 

「あら……一夏さん? それに石動先生? 貴方がたも呼び出されたのでして?」

 

 入ってくるなり俺達を見つけて、不思議そうに声をかけてくるオルコット。その後ろからひょっこり顔を出した凰が、丁度俺達で陰になっていた更識楯無に気づいて、あーっ!? と大きな声を上げた。

 

「あ、アンタはいきなり変なお触れを出してくれちゃった生徒会長!? ちょっと一体何考えて……ってかなんでソイツと一緒に居るのよ一夏ぁ!?」

「えっ!? いや……あー、俺に聞かれてもな……」

 

 ズンズンと近づいてくる凰に恐れを成して、俺の体を盾にしながら弁明する一夏。おいおい、お前その言い方は不正解だろ。凰の性格からして、そういうハッキリしない言い方は感情を逆撫でするだけ……。そう呆れた視線を一夏に向けようとした瞬間、スッと更識楯無が凰の前に立ちはだかり、満面の笑みを浮かべて言った。

 

「まあまあ。そう怖い顔をしちゃ、折角の美人が台無しよ? ……あ、私は更識楯無。これから一夏くんの専属コーチをする事になったから、これからよろしく頼むわね」

「は?」

 

 その余計としか言いようのない一言に俺は冷や汗を垂らし、相対する凰の顔は余りにも純粋な敵意に研ぎ澄まされた。何言っちゃってくれやがるこの女!? いや、俺と最初会った時もそうだったが、初対面の相手をつい挑発する癖でもあるのかよ!?

 

「せ、専属コーチ?」

「あの、一夏さん、どういうことですの……?」

「おい嫁、説明を要求する」

「えっ、い、いやその……助けてくれ箒!」

 

 そんな俺の横で、一夏はデュノア、オルコット、そしてボーデヴィッヒに詰め寄られてたじたじとなっていた。お前、本当にそういう時の対応は下手だな。よりにもよって、篠ノ之に助けを求めるとは――――。呆れる俺を他所に当の篠ノ之はその顔に薄い笑みを張りつけ、一夏に対して凄まじい視線を送っている。

 

「一夏……今の私、怒っているように見えないか?」

「ごめんなさい。……つーか、これはその、勝負に負けた結果なんだよ! 俺は何もしてねぇ!!」

 

 一旦縮こまるように謝って、しかし言い訳めいた言葉を叫ぶ一夏に俺はもはや目頭を掌で覆い天を仰いだ。言ってる事は間違ってないし真実被害者なんだが、早くなんとかしてやらねェと話がいつまで経っても進まねえ……。俺は一方的に更識楯無を睨む凰の視線を遮る位置に滑り込んで、仕切り直すべく手をパンと鳴らした。

 

「おい、お前ら! ……あんまり俺を無視すんなよ~。意外と小心者な俺はスルーされるとすーぐウルっと来ちまうんだ! とりあえず、俺の話を聞いてくれ。一夏は後で好きにしていいからよ」

「ウェッ!?」

 

 驚愕する一夏を他所に、ようやく皆俺に顔を向けて話が通じる状態になってくれた。ったく、この調子で大丈夫なのかねェ……。

 

「とりあえずだ。生徒会長は一夏の専属なんて言ったが、本当の所、お前ら皆の事をコーチングしてくれるって事らしい。その挨拶も兼ねて、今日は皆をこの場に呼び出したんだ。……だよな? 生徒会長」

 

 まるで不安であるかの様に問いかける俺の言葉に、当の生徒会長殿はくすりと微笑んだ。

 

「端的なご説明、ありがとうございます。そこからは私が引き継ぎますね」

 

 そう返して、更識楯無は皆の前に一歩歩み出る。

 

「皆、忙しい所、今日はこうして集まってくれてありがとう。私は更識楯無――――って、皆今日の集会には出ていたよね? だったら挨拶は必要ないか…………石動先生が説明してくれたけど、私は学園の生徒会長として、貴方たち一年生の専用機持ちの実力向上のためコーチとして訓練を見させてもらう事になったわ。あ、先生方に許可は取ってあるから安心して。とにかく、これからしばらくはガッツリ鍛えさせてもらうから。皆よろしくね」

 

 言い切った更識は微笑み、その口元を扇子を開いて隠す。そこには『師範』と書かれた文字。それを見て皆は訝し気に眉を顰める。……当然だな。突然学園に騒動を撒き起こした張本人が直後に自分達の師匠に名乗りを上げるなんて、信用しろと言って出来る話じゃあないだろう。フォローのしどころと見た。俺は更識の前に立つ彼女達の後ろに回って、後ろから覗きこむよう視点の高さを合わせた。

 

「……ま、お前らの気持ちも分からんでもないぜ。だが、こいつの腕はこの学園でも間違いなく最強クラス……いや、事実上の最強と言っても過言じゃあねえだろうな。それは俺が保障するぜ」

 

 その言葉に皆――――特に、篠ノ之とボーデヴィッヒが目の色を変えて俺の顔を見る。そうだよなァ。石動惣一の実力を知るお前達としては、俺から『学園最強』なんて仰々しい太鼓判を押された奴の底知れ無さを警戒するよなァ? 同時に、そんな女が俺からの信頼を得ているのを見て、少しは試してみる価値有りだとは思ってくれるはずだ。

 

 ――――ま、俺はコイツの強さを実際目にしたことなんか無ェんだけど……構わんだろう。本人もそう言っているしな。俺はそう心底笑って、彼女らの間をかき分け今度は更識楯無の横に立つ。

 

「それにだ、俺もお前らの訓練に付き合うように言われててな……これからは生徒会長のサポートとして、俺もお前らにアドバイスしてく。ま、篠ノ之とボーデヴィッヒはこれからも変わらず、他の皆は改めてよろしく頼むぜ!」

 

 言い切った俺は親指を立て、白い歯を見せて笑って見せた。それに対して、一夏達はそれぞれの反応を見せる。まず最初に動いたのはオルコット。奴は心底喜ばしいと言った様子で俺に話しかけてきた。

 

「それって、石動先生が私達にアドバイスをして下さるという事でよろしいですの?」

「ああ。つっても、メインは生徒会長の方になるけどな。俺はあくまでサポートだよ」

「いえ……それでもとても心強いですわ。更識さん、石動先生、これからご教授よろしくお願いいたします」

「ふふっ、ありがとねセシリアちゃん」

「セ、セシリアちゃん……」

 

 更識楯無によるその呼び名はオルコットをちょっと唖然とさせた様で、気の抜けた顔になった奴はほんの少し肩を落とす。だがそこに、気遣いの出来るデュノアが歩み寄って、困ったような笑みを浮かべながら奴を励ました。

 

「だ、大丈夫だよセシリア。それより、石動先生と生徒会長が直々に訓練してくれるって言うんだし、そんな出鼻をくじかれたような顔しないで、ね?」

「ああ、デュノアさんの優しさが心に滲みますわ……」

 

 涙ぐみながら答えるオルコットにちょっと身を引くデュノア。その姿を楽しみながら、俺は他の奴らの会話へと耳を向ける。まず俺に聞こえてきたのは、篠ノ之とボーデヴィッヒの会話だった。

 

「……なるほど、石動先生が近頃私たちへの訓練を早めに切り上げていたのは、この下準備の為だったのか」

「納得だな。だが……石動先生がああまで高く評価する生徒会長の実力……お前はどう思う、嫁?」

「恐らくだが、何らかの武道は修めている筈だ……体幹がかなり鍛えられている。生身の実力だけなら、私やお前以上かもしれん」

「ほう……嫁がそこまで言うとは、あながち最強と言うのも嘘ではないらしい。手合わせするのが楽しみだ……!」

 

 ほう、どうやら奴らも更識楯無の実力を何となく嗅ぎ取ったらしい。流石に俺の弟子だ! 特に篠ノ之、奴は俺の動きから<スターク>との関連を疑っただけあってかなりの眼力を身に付けているらしい。これから生徒会長の目にも気を付けなきゃあいけねえが、奴への警戒も怠るわけにもいかねえな……!

 

 俺がそう笑っている一方、先程まで怒り心頭だった凰は少し不機嫌そうだったが、不思議と沈黙してアリーナの方へと目をやっている。

 

「どうした? 何だか思う所があるみたいだが?」

「……石動先生」

 

 俺が話しかけると視線を此方に向ける凰。だが俺の方を向くのは視線だけで、体はアリーナに向けたままだ。何か考えてるのか……ぜひ知っておきてえな。凰の身体能力……特にハザードレベルの高さは特筆に値する。今後何らかの使い道があるかもしれねえし信頼を築いておいて損は無い。クラスが違うお陰であまり関わる事も無かったからな。

 

「俺で良ければ相談に乗るぜ? 何せ、そう言う事の為にここに来てんだからな」

「……別に、それ程の事は。でもまあ、あれ程箒ちゃんの育成に集中してた先生が、こうして皆の事まで教えてくれるなんてどうしてかと思って」

「んー? そうだなぁ……」

 

 動機か……どのあたりの事を教えてやるかね……。少し悩んでから、俺は口を開いた。

 

「前、壮大な計画があるって言ったの覚えてるか?」

「忘れてませんよ。あの時の千冬さん、まだたまに夢に出るんですから」

「ハッハッハ。すげー勢いだったもんなあ、アレ」

「笑い事じゃあ無かったんですけど……」

 

 何時だかの織斑千冬による追跡劇を思い出して思わず笑う俺に、凰が嫌な事を思い出したように――――いや、文字通りトラウマを抉っちまったんだろうな――――更に苦い顔をする。俺はそれをまた小さく笑ってから、そんな凰を連れ少し騒がしさを増し始めた皆から離れ少しだけ真剣な声色で話し始めた。

 

「…………これ、他の奴には秘密にしといて欲しい話なんだが……俺、今ここに居るのは完全な偶然の産物でよ」

「……石動先生、自分からIS学園に保護されたんじゃあ無かったでしたっけ?」

「それ以前の話さ」

 

 俺はアリーナの手すりに寄りかかって、ポケットから取り出したマトリョーシカを弄りまわしながら空を見上げる。

 

「実はな……俺はIS学園に来る前はカフェのマスターをやってたんだが、その更に前は宇宙に関わる仕事をしてたんだよ」

「…………それ、ホントなんですか? いや、初めて知ったとかじゃ無くて真偽の事なんですけど」

「何で皆信じてくれねえのかねえ……」

 

 顔を下ろして苦笑いした俺はそこでサングラスの位置を直し、再び空へと視線を戻す。初秋(しょしゅう)の空に帯じみた雲が流れているが、俺の視線はその向こう、いずこかにある我が故郷へと向けられていた。

 

「ま、今はいい…………その時の俺はな、宇宙と言う無限(Infinite)のフロンティアを夢見てた――――<白騎士事件>が起きるまでは」

「…………あの事件の後、ウチの国もそうだったけど、各国の宇宙開発競争は急速に縮小していきました」

「ああ、『宇宙の話なんてしてる場合じゃあねえ!』ってな…………皮肉なもんだよ。宇宙に行くための翼が、この星の(そら)を覆って閉ざしちまったんだから」

「…………でも、それと私達を強くするのって関係なくないですか?」

 

 マトリョーシカを軽くお手玉めいて放り投げながら言う俺に、疑問を呈して凰が身を乗り出す。だがそれに俺はあくまで軽薄な装いのまま、マトリョーシカをキャッチしながら答えた。

 

「オイオイ、話は最後まで聞けって……いいか? 今の時代、ISは最強ではあるが、所詮数ある兵器の一つだ。本来あるべき姿には程遠い。当の開発者までもがISに強さを求めちまってる今、誰かがその悪い流れを断ち切らなきゃあならん。それに必要なのも、皮肉な事に強さって訳」

 

 俺はそこで一旦言葉を切り、凰が何か言ってこないかを待つ。だが奴は、俺の言葉に聞き入りその内容について少し考え込むような仕草を見せた。それを見て俺は(わら)った。

 

「それでだ! 俺が鍛え、強くなったお前らが『もう何作ってもこいつらには勝てねえ』ってくらいの力を示して、そう遠く無い未来にISの兵器としての競争を終わらせる。そうしたら、俺はお前らに頭を下げて、その力で宇宙への道を切り開いてもらうつもりだ。それには<最強の一人(ブリュンヒルデ)>だけじゃあどう考えても足りねえ。…………必要なのは一つの目的を共にする、固い絆で結ばれた強者たち。そうだな……ククッ、例えるならば――――『ベストマッチな奴ら』なのさ」

 

 俺はその余りにも思い入れのある言葉を、身振り手振りを交え大袈裟に、けれど大真面目に言い切った。その姿を見届けた凰はそこに込められた想いの重みにただ圧倒され、呆けたような、あるいは底知れ無い何かを直視してしまったかの如く、僅かな震えを必死に抑え込む。

 

「ま、難しい事を言ったが単純な話、俺はまた人類に宇宙を目指して欲しいだけなのさ。どうだ? 壮大だろ?」

「――――流石に、壮大過ぎませんか……?」

「そんな事は解ってるよ」

 

 引きつったような笑みにほんの一滴の汗を流しながら言う凰に、俺はダメ押しとばかりに即答した。

 

「だが、それでもお前らならやってくれそうな気がするんだ。この足踏みの時代を終わらせて明日の地球の為に<新世界>を作り出す。その為の道を生み出す可能性を、お前達に感じちまってるんだよ……」

 

 そこまで言い終えた俺は、またサングラスを少し下ろして直接凰の瞳を見つめた。その揺れる瞳は、その精神状態をまさしく示すようで、見ていて実に面白い。だが奴は次の瞬間、両の手で自身の頬を挟みこむように張って盛大に音を響かせた。そして次に奴が顔を上げた時瞳の揺らぎは影も形も無く、何時もの確固たる意志を持った凰鈴音(ファン・リンイン)がそこには居た。

 

「なんて言うかさ……あたし、くっだらねー事で悩んでたなぁ! って感じ!」

 

 驚く俺の前で肩をほぐすように回して。奴は神妙な顔で語り始める。

 

「そこまで言われちゃ、やる気だして成果見せてやるのが<(じん)>ってもんでしょ。……周りと同じ事してて目標に追いつけるか不安でさ。この訓練、あんまり乗り気じゃあ無かったんだけど……あんな事言われちゃあね。やってやろうじゃない……!」

 

 言い切って、自身に言い聞かせるように奮起する凰。それを見て俺は大いにほくそ笑んだ。そうだ、それでいい。お前達がそうやって強くなることこそが、俺にとって重要な事なのだから。

 

「ところで石動先生……石動先生は、誰が最強の一人(ブリュンヒルデ)になると思う?」

「さあな。流石の俺も、未来までは分からねえよ……」

 

 そう答えて笑った俺は、ひときわ高くマトリョーシカを放り投げた。その時。

 

「石動先生、キャッチ!」

「えっ?」

 

 横合いから呼びかけられた声に反応して振り向くとそこには眼前まで迫り来る飲料缶。俺は咄嗟にそれを叩き落とすかのように掴み取って、その痛みに顔を顰める。

 

「あっ」

「チッ……何だこりゃあ。オイ! 何処のどいつだこんな事しやがるのは!」

 

 凰が何か言っているのも無視して、俺は投げられた飲料の銘柄を確認しそれが炭酸飲料である事に舌打ち一つ。これじゃあ怖くて開けられやしねえ。それより突然何なんだ!? 怒りを込めて顔を上げると、歩いて近づいてくる二人の影が目に入った。

 

「よー石動先生。探したぜ」

「お世話になってまッス」

 

 そこに居たのは獰猛な笑顔のダリル・ケイシー。そして申し訳なさそうなフォルテ・サファイア。俺に何か用があるらしい。だが、俺は突然飲料缶を投げつけられた事にとても憤慨していた。

 

「ダリル……何の用だ? お前、今の俺がキャッチし損ねてたら顔面行ってたぞお前顔面だぞ!?」

「まぁまぁ、たらればの話は無しにしようぜ……んで、何の用かって? その問いに対して、オレの答えは一つ……!」

 

 人差し指を立てたダリルは、その獰猛な笑顔を一層強くして、俺に向けてその人差し指を突きつけた。

 

「勝負だ先生!! オレが勝ったら、<キャノンボール・ファスト>同好会の設立に協力――――」

「あ、悪い。俺もう部活決まったんで。その話時代遅れな」

「んなっ!?」

 

 勇ましく言い放った言葉をあっさりと拒否され、驚愕と共にひっくり返りそうになったダリルがあまりの衝撃に膝を突く。それを見て、傍らのフォルテが意地の悪い笑みを浮かべた。

 

「ダリルセンパイ~だから先生にケンカ吹っ掛けるなんてやめましょうって言ったじゃないッスか~。もう今日は諦めて、さっさと帰りましょうよ~」

「嘘だろ……オレの計画が……オレの世界最速の女への第一歩が……」

「うわ、なんか変な事言い出した……センパ~イ? ちょっと~? 生きてまス~?」

「ククッ、ハハハハ……! 何だあいつら、面白いな……」

 

 その姿に腹を抱えて俺は笑う。ざまあみろ! 礼儀って奴を知らねェからこうなるんだぜ? これに懲りたら、どいつもこいつも俺の事をもっと信頼してだな……。そう年寄りじみた思考を巡らせていた俺に、申し訳なさそうに凰が話しかけて来た。

 

「……あの、石動先生? 笑ってるところ一ついい?」

「どした凰? なんか複雑な顔して……」

「マトリョーシカ、下に落ちたんだけど」

「……えっ」

 

 言われて、俺は慌てて手すりから下を見下ろす。眼下には、見事に砕け散ったマトリョーシカの残骸が無惨にその(むくろ)を晒しているのだった。

 

「あっ……」

「うわ……ダメみたいね……完全に粉々じゃない……」

 

 愕然とする俺の横に身を乗り出して、凰も呆れたように呟いた。マズイ。何が不味いって、この後の展開だ。あのマトリョーシカの戦術的価値は、盗聴器の寿命――――後で詳しく確認するつもりだったが――――によってゼロとなったに等しかった。だがここでマトリョーシカを壊したのはまずい。そうなった時、更識楯無の取る次の手は容易に想像がついている! だから破壊って手を取らなかったってのに! 仕方ねえ、今の内に下に行って上手い事隠して――――

 

「石動先生♪」

「はいッ!?」

 

 焦りの余り冷や汗を垂らしながら俺は背後に迫っていた生徒会長に振り向いた。奴はただニコニコと笑顔を浮かべ、その感情を読む事は出来ない。俺はそれにただしまったと歯噛みしながら、何とかこの場を切り抜けるための方便を模索した。

 

「せ、生徒会長……。これは全てダリルの奴の仕業でだな……」

「あら、怒ってなんかいませんよ? ほら、これをどうぞ」

 

 そう言ってにこやかに奴が俺に手渡したのは、先ほどご臨終を迎えたそれとほぼ同じ細工のマトリョーシカだった。

 

「あの、生徒会長、こいつは……」

「いえ、石動先生が私の贈り物を幸運の女神なんて呼んでくれてると聞いて感動してしまいまして……もし壊れてしまった時のためにもう一つ用意しておいたんですよ♪ よろしければどうぞ」

「あっはい……受け取らせていただきます……」

 

 ――――やってくれたなァ!? 俺は手にしたマトリョーシカを割れんばかりに握りしめる。予想通りだ。こうして盗聴器の補充をされるのが明白だったから穏便な方法で破棄しようと思ってたのによォ!

 

 俺は怒りを込めた視線をダリルに向ける。だが、先程まで頭を垂れて打ちひしがれていたダリルは今や頭の後ろで手を組んで誤魔化すように口笛を吹いていた。いつか覚えてろよ……!

 

 俺はそう暫く思っていたが、ふと自身が凰に対して言葉を選ぶのに夢中過ぎたことが原因だという事に気づき、その時初めて駆け抜けた悔しさや無力感と言った人間の感情の直撃を受け、思わずその場に崩れ落ちるのだった。

 

 

 

 

 

 

 マトリョーシカを受け取って感動のあまり崩れ落ちる石動先生を見て、私は大笑いしたい衝動を堪えるのが精いっぱいだった。

 

 もう電池も切れてしまっていたようだったし、今度はセオリー通り電源の取れる家電かコンセントにでも仕込もうと思っていたのだけれど、まさかこんな形で時間が稼げるなんて! 今渡したマトリョーシカ(盗聴器)ちゃんの電池が切れる前に、早く次の手を打たなくっちゃね。

 

 とりあえず、それは後にして訓練の方を始めようかしら。私は先ほどの石動先生がやったようにぱんぱんと手を叩いて、皆の注目を集めた。

 

「はいはい、それじゃあ皆、そろそろ訓練を始めましょうか。と、言ってもまずは私に皆の実力を見せてもらいたいの。と、言う訳でまずはテストから始めましょうか」

 

 それを聞いて皆はテスト? とでも言いたげに首を傾げる。私はアリーナの端末に向かい、皆の前に空中投影ディスプレイを映し出した。

 

「やってもらうのはお馴染み<バルーン・ハント>! 一定時間内にアリーナに出現するバルーンを撃墜して、その個数を記録するやつ。やったことのある人は?」

 

 私が皆に視線を向ければ、シャルロットちゃんとセシリアちゃん、射撃をメインに戦う二人が手を上げた。やっぱりね。私はうんうんと頷いて二人に笑いかける。

 

「やっぱり射撃メインの人は経験あるみたいね。参考程度に、結果を聞いてもいいかしら?」

「狙撃コース、Bランクで全撃墜(フルスコア)、Aランクで撃墜率82%ですわ」

「最後にやったのは半年くらい前だけど……中距離コースで、Bランク全撃墜です」

「へえ、1年生とは思えないスコアね。流石は専用機持ちって所かしら!」

 

 私は彼女らの腕に表裏の無い賛辞を送った。実際彼女達のスコアは例年の代表候補生たちと比べても遥かに高い。それは確固たる事実だ。故に、私の言葉にも真実の重みが籠り、彼女達は照れくさそうに視線を逸らす。

 

 一方、他の皆は彼女らの得点を聞いて感嘆する人と対抗心を燃やす人に分かれた。悪くない。これはかなり期待できそうね……。

 

「じゃあ、これから皆に好きな距離のAランクを触ってもらおうと思うんだけど……未経験の子もいるみたいだし、お手本として石動先生! 中距離コースのAランク、ちょっとやって見せて貰えませんか?」

「……………………俺ェ? ナンデ? なんで俺……」

 

 私の呼びかけを受けた石動先生。しかし彼は意気消沈して、気の抜けたような返事を返すばかりだ。まったく、これじゃあ何のために呼んだのかわからないじゃない! 仕方ない、こう言う手段は本意じゃないんだけど……。私は彼の横にそっと近づいて、小さく耳打ちした。

 

「石動先生……ここで頑張ってくれたら、さっき私のお土産を壊しちゃったのを(まゆずみ)ちゃんには秘密にしといてあげますから……お願いします」

「…………頑張らなかったら?」

「悲しいですけど、明日には石動先生が生徒からのプレゼントを破壊する邪悪教師だと言う新聞が学園中にばらまかれてしまうかもしれません……」

「謹んでやらせていただきます」

 

 石動先生はすっくと立ちあがって、ISを装着するために奥の部屋へと消えて行った。話が早くて助かる。さて、彼の準備が終わる前に皆に聞くべき事を聞いておこうかな。

 

「さて、それじゃあ石動先生が出てくる前に皆に質問! ISの操縦を、マニュアルにしてる人はどれくらい居る?」

 

 この質問に、一夏くんと箒ちゃん以外の全員が手を上げた。一夏くんはともかく、箒ちゃんは意外だね。伝え聞く腕前から、とっくにマニュアルにしてると思ってたのに。私はその点を少し疑問に思いながら、まず一夏くんに話しかけた。

 

「一夏くん、君はオート操縦なんだ?」

「ええ、まぁ……<白式(びゃくしき)>には射撃兵装は無いし、斬る相手に集中するにはオートの方が楽なんすよね……」

「なるほど。それじゃあ箒ちゃんは?」

「私も機体の事情です。元来<紅椿(あかつばき)>に搭載されている<展開装甲>はオートでの稼働を前提にしています。そのあたりのシステムが操縦システムと結びついているようで、完全にオートを切る事が出来ないんです。ただ、私は<打鉄(うちがね)>で長らくマニュアル操縦をしてきたので…………一応、その点を改良してくれるよう製作者に相談しては居ます」

「なるほどねぇ……」

 

 ――――本来、ISの機体操縦に必須のPIC、その操作はオートでの制御となっている。しかしそうなると一定のパターンに沿った動作が組みこまれてしまい、完全に自身の思い通りの操作をする事は不可能だ。それは、ISの操縦における中級者と上級者の明確な壁の一つとされている。なにせ、PICをマニュアルにした上での操作には、攻撃と移動の両方により細やかな意識を向ける事が必要となってくるのだ。ISの操縦を経験したものならば、軽々しく言うことも出来ぬ程高度な技術。

 

 だが、それは上を目指す内必ず必要になる技術だ。特に、強敵と――――あの、<スターク>の様な恐るべき相手と――――やり合う時は絶対に。私はまず、それを皆に叩き込むつもりだ。一夏くんには、特にみっちりと。既に習得している皆には、より高いレベルを。箒ちゃんには……まずはISの改良が終わるまでは、余りオートの癖が付かないように軽いメニューで行かせてもらおうかな。

 

 今後の訓練方針についてそんな風に思案していると、アリーナにISのスラスター音が響く。その音の出所に目を向ければ、石動先生の打鉄がアリーナの中心にフラフラと憶測ない機動で向かって行くのが目に入った。

 

「……さて、じゃあ皆に次の質問。石動先生って、どれくらい操縦上手いのかしら? 私見た事無いのだけれど……誰か教えてくれる?」

 

 言って私は小首を傾げた。……正直、石動先生の操縦の評判は聞き及んでいる。基本的に皆『ホントに適正あるのか怪しい』とか『フラフラしている』との評価が殆どだったが、実際手合わせした生徒からは『適正詐欺』だとか『容赦無し男』と言う辛辣な、しかし高い評価を付けられていた。その裏付けを、これからの実際の機動と皆の意見から取るつもりだ。

 

 そして、その質問にまず手を上げたのは私が一番目を付けていた箒ちゃんだった。

 

「よろしいですか?」

「ええ、一番弟子の貴方に聞けて光栄よ。で、どうなのかな?」

「……一言で言えば、良く分かりません」

「ええ……?」

 

 その回答に私は思わず困惑する。だがその反応を見て慌てた様子で箒ちゃんは声を上げた。

 

「あ、申し訳ありません! そのような……混乱させるような意図ではなく、単純に『石動先生の本気は底が知れない』と言う事をお伝えしたかったんです」

「……つまり?」

「ええと、今現在私が模擬戦……シールドエネルギーが半分になった方が負けの<ハーフ>のルールで、あの人に対して4:6の成績を付けています」

「えっ? 箒は紅椿に乗ってて、石動先生打鉄だろ? 負け越してるのか?」

「余りハッキリと言うな! 私だって悔しいんだ! ……ともかく、あの人と戦っていると幾度と無く『死角』に回り込まれる。きっと、相手がどこを見ているかを判断するのが驚くほど上手いんだ。当然、操縦は完全にマニュアルをモノにしてるだろう」

「ちょっと待ってくださいまし、ISのハイパーセンサーに『死角』は存在しないはずですわ。それなのに死角とは一体……?」

「それはね、ISじゃなくて人間に死角が存在するからなんだよ。……当たり前の事だけどね」

 

 箒ちゃんの言葉に疑問を呈したセシリアちゃんに、私は当たり前だけど忘れがちな事をおだやかに伝える。

 

「確かにISのハイパーセンサーは全方位360度の視界を確保しているけれど、乗り手の人間は360度全部を見れる様には出来てない。人間の視野は左右で言うと約200度あるけれど、実際集中して見えているのは中心の僅かな範囲だとされているわ。だから、ハイパーセンサーを使う際にもどうしてもハッキリと見ていない場所が出来てしまう、って訳。とくに、近接戦をやる人はその実感――――相手を見失ってしまう事が少なからずあるはずよ。逆に遠距離戦タイプのセシリアちゃんはそう言う感覚が薄いかもしれないけどね」

 

 私の指摘に、皆顔を見合わせそれぞれの意見を出し合い始めた。特にハッキリと指摘されたセシリアちゃんは顎に手をやり深く考え込んでいる。……悪く無い。こうして忌憚(きたん)なく意見を出し合える関係って言うのはとてもとても重要だわ。その内、簪ちゃんもこの輪の中に入れてあげたいのだけれど……。

 

「成程……皆さんはそう言う経験ありますの?」

「ある。石動先生にやられた。いつだったか、足元すり抜けたと思ったらいつの間にか頭の上に居たんだよ。あれ、めっちゃ悔しかったな……」

「ふふ、理解してくれたようで何より。まあ、世界は広くて、その視野の問題を克服してる人も居るんだけどね。例えば織斑先生とか、イタリアの――――」

『おおい、もう準備出来たぜ~。そろそろ始めてもらっていいか~?』

「おっと。ふふ、この話はまた後でね」

 

 私はコンソールの前に立ち石動先生に目をやる。既にアサルトライフル<焔備(ほむらび)>を構え、準備万端と言った状態だ。さあて、お手並み拝見と行きますか!

 

「それじゃあ石動先生。あと1分後にスタートします。期待してますね♪」

『勘弁してくれよ~……俺はしがない一般的教師なんだから――――』

「321ゼロ! ポチっとな」

『ちょっ』

 

 石動先生が油断した隙を突いてボタンが押されると同時に、周囲にバルーンが出現。だがそれは打鉄がその場で一回転すると共に一気に9割が弾け飛んだ。

 

「あら」

「スゲェ!」

 

 驚く私や一夏くん達を他所に、その後も石動先生は淡々とバルーンを撃ち落として行く。最初の一回を除いて速さは無い。いや、無駄な動作が無さ過ぎて緩やかな動作に見えるだけだ。狙いを付ける際、腕の動きだけではなくそもそもの体の方向をスラスターで微調整する事で、必要最低限の動きで済むように常に調節を行っている。

 

 その上、後方の射撃不能角度のバルーンは判定が消える寸前になってから向き直って打ち抜いていた。それが一度なら消える前に何とか撃ち抜いたとも見て取れるが、それが幾度も、纏めてとなれば偶然ではない。明らかに、後方のバルーンが溜まるのを待っている。時折幾つかバルーンを見逃しはするが、それが逆に信じられないほどの視野の広さと精密さだ。初見であるはずなのに、スコアを調節している意図を感じてしまう。

 

 ――――これは、とんでもない相手かもしれないな。

 

 私が戦慄と共にその姿を見上げていれば、テストはあっという間に終了した。結果は撃破率89%。一見それは充分すぎるスコアだが、私からすればあえてその数字に留めたようにしか思えない。もし私の感じている通りの相手だとすれば、織斑先生を除いて、教師陣で渡り合えるのは山田先生くらいの物じゃあ無かろうか。少しプランの修正が要るかもね……。

 

 そんな私の思案を他所に石動先生はゆっくりと、あの気の抜けたフラフラとした機動でカタパルトへと戻って行った。……ひとまず、ここは皆の意見を聞いてみましょう。観察力を計るのも、石動先生に先に行かせた理由だからね。

 

「……さて、石動先生の動きを見て何か気づいた人は?」

「はい」

「ラウラちゃん、どうぞ!」

 

 最初に手を上げたラウラちゃんを私は扇子で指し示す。それに彼女は少し困惑しているような顔をちょっとだけ見せた。

 

「ラウラちゃ……ええと、今のテスト、石動先生はバルーンの位置を常に把握していました。とにかく、反応速度の高さは特筆すべきかと。それにバルーンの消滅タイミングを早くに把握していて、常に破壊順を考える余裕も持っていました。こればかりは、石動先生の経験の賜物だと思うのですが」

「実は内緒で訓練してるんじゃないの? あの人意外とそういう事やってたりして」

「あ、それ僕も思った。石動先生、ISの稼働時間に比べてすごい動きが堂に入ってるんだよね。秘密特訓とかしてるのかな……」

「はい、今はラウラちゃんの答える時間だからお静かにね~」

 

 そこで一度脇に逸れ始めた話を軌道修正して、私は彼女の意見をまとめてうんうんと頷いた。

 

「確かに反応速度の高さ、視野の広さ、とてもすごい物だったね。でももう一つ凄かった事があるよ。箒ちゃん、何か解るかな?」

「……えっと……無駄の無さ、でしょうか?」

「そう、何よりも動きの無駄の無さだね。石動先生の動きは一つ一つのアクションにかかる時間が短い。だから自然と余裕が生まれてくる。その余裕が無駄な気負いを無くして、さらに精密な射撃を生む。素晴らしい好循環を体現してるよ」

 

 言いながら、私は万一に石動惣一と相対した時どうやって打ち倒すか、その想定をせずにはいられなかった。あれで本気でないとなれば、一体どれほどの地力があるというのか。

 

 ――――面白い。その時私は相対するべき敵として以上に、一人の戦士として石動先生と戦ってみたいと考えていた。思いが逸り、乾いた唇をぺろりと舐めて湿らせる。その瞬間、ピットに石動先生が帰ってきた。私はすぐさま、緊張した顔を営業スマイルへと切り替える。

 

「おかえりなさい、先生、気分はどう?」

「………………疲れた!!」

 

 両手を広げ大げさに表現する石動先生に、皆がくすくすと笑いを零す。その間を縫う様に私の元へと歩み寄った石動先生は、皆に聞こえぬ様に小声で問いかけて来た。

 

「……これで、黛の奴には黙っといてくれるな? いや、他の奴にも伝えんでくれ。俺の生活の平穏にかかわる」

「ええ、素晴らしい成果でしたから……今回は合格ですよ♪」

「よかったァーッ……!」

 

 気の抜けたように言った石動先生は近くのベンチにどっかと座り、そこに置いてあった飲料缶を躊躇せず空ける。次の瞬間、炭酸の抜ける音と共に盛大に中身が零れだし、石動先生の上着に見事なシミを作った。

 

「……………………」

「「「……………………」」」

 

 その絶望した顔があまりにも不憫(ふびん)で、皆が一様に黙りこくった。流石に私も心が痛い。しばらくその場に炭酸飲料の(したた)る音だけが響き、重苦しい沈黙に皆が支配されていたが、その当事者である石動先生が瞳を潤ませながら立ち上がった事でその沈黙は破られた。

 

「スマン、帰る」

「「「ええっ!?」」」

 

 その宣言に皆が驚愕する。当然だ、中には石動先生のアドバイスを目的にここに居たものも居る。その人が悲しみを背負って帰ってしまうというのだから、それは困惑するだろう。その中でも、特に先生のアドバイスがもらえる事を喜んでいたセシリアちゃんが慌てて声を上げた。

 

「石動先生、お待ちください! アドバイスをくれるという約束では!?」

「済まねえオルコット。今俺はそう言う事言ってられる余裕がねえ。洗濯……まずは洗濯しなくちゃ…………」

「ですが石動先生! 訓練を途中で投げ出すなど――――」

「篠ノ之ォ!! Instruction Five(インストラクション・ファイブ)!!! 『ダメな時は何をやってもダメ』!!!! Repeat after me(復唱)!!!!!」

「だっ、『ダメな時は何をやってもダメ』!!」

「よぉし。……次からは真面目にやるから今日だけはマジで帰してくれ。恨みは、次回聴くよ…………」

 

 それだけ言い残して、石動先生はとぼとぼとアリーナを後にしてしまった。視界の隅で腹を抱えて笑うダリルさんとそれに白い目を向けるフォルテちゃんが映るも、とりあえず今はこの空気を何とかするのが先決だ。

 

「………………ま、まあこういう日もあるよね……とりあえず皆、テストの続きといこっか……?」

 

 恐る恐る伺うように尋ねる私に、皆、無言で首を縦に振るのだった。

 

 

 

 ――――その後、テストはつつがなく進行し、やはりと言うか何と言うか、他の皆がそれぞれのコースで十二分に高得点と言える数字を叩き出したのに対して、一夏くんだけは撃破率が50%を割っていた。やはりオート操縦では無理があるという事を本人も実感したらしく、早速マニュアル操縦の訓練を開始した。しかし、流石にまだまだぎこちない。

 

 ……ちょっと悪戯しすぎたかな? セシリアちゃんとシャルロットちゃんの<円形制御飛翔(サークル・ロンド)>を見学している時にくっついてみたりしたら、随分驚かれた上、周りにも怒られてしまった。次は二人きりの時にしよう。でも、物分かりは悪く無く素直で言う事を聞きやる気もある。これなら、学園祭辺りには多少物に出来るかもしれない。

 

 ひとまず、今日はその後皆に一人一人アドバイスをして解散の流れとなった。石動先生の不幸以外は、まあ悪く無い内容だったかな。

 

 遠距離戦に抜群の適性を見せるセシリアちゃん、器用さが群を抜くシャルロットちゃん。総合的に完成された実力を持ちながらまだ改善が出来そうなラウラちゃんに、抜群のフィジカルを持つ(リン)ちゃん。そして何より、オート操縦の枷がありながら他の皆と変わらないキレを見せる箒ちゃんに、未知数の成長性を持つ一夏くん。こりゃ、私もちょっと鍛え直しておくか……。

 

 とりあえず、もう少し一夏くんとの距離を縮めておこうかな。そう言えば、一夏くんは今一人部屋だったわね……決ーめた! ちょっとお部屋にお邪魔して、しっぽりと仲を深めさせていただくとしましょうか!

 

 ふふっと、どこかあくどい笑みを零しながら私は帰路に就く。学園祭までに、皆がどれほどの腕を身に付けるか。そして、一夏くんのどぎまぎする姿がどれほど見れるか。その両方を楽しみに、私は思いを馳せるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………そう、ご苦労様。お陰で十分情報は集まったわ。訓練とは言え彼の戦闘データまで用意するなんてね。…………ええ、皆で行くわ。出し物、楽しみにしておくわね。それじゃあ、また」

 

 宝石の如き夜景を見下ろす、高級マンションの最上階。上等なバスローブに身を包んだ女性は、それとは裏腹に飾りっ気の無い携帯端末を耳から離して通話を切断した。そのまま彼女は端末をソファに放ると、何やら考え事をする様に腕を組んで、極上の夜景を眺め始める。

 

 しばらく彼女がそうしていると、無造作に部屋のドアが開け放たれ、一人の女性が部屋へと上がり込んで来た。

 

「戻ったぜ、<スコール>」

「おかえりなさい、<オータム>。首尾はどう?」

「とりあえずは、ってトコだな。確認するか?」

 

 言って、オータムと呼ばれた何処か気の短そうな女は近くの机の上に幾枚かの封筒を並べた。スコールはそれに歩み寄って手に取ると、その中身を一つずつ改めてゆく。封筒の中にはIS学園の学園祭――――その招待チケットが一枚ずつ詰められていた。

 

「ええ、間違いないわね。これなら私たちだけじゃなく、他にも人手が用意できそうだわ。素晴らしい仕事よ、ありがとうオータム」

「……っ、止せよ、照れるじゃねえか」

「ふふ、そういう隠さないところ、好きよ」

 

 赤面するオータムに、美しい金髪を揺らしながら柔らかい笑みを向けるスコール。その姿に、オータムはますます気恥ずかし気に目を逸らす。その様に、スコールは変わらぬ楽し気な笑顔を浮かべていた。

 

 それから少しして、その雰囲気を楽しみ終えたスコールは三人分の紅茶を用意し、それをソファに囲まれた机の上に並べ、目を見張るような優雅な動作で腰を下ろした。対照的にどっかと粗暴な動作でオータムがソファに身を沈めるが、スコールがそれを咎める事は無い。そして互いに少し紅茶に口を付けた後、スコールは話を切り出した。

 

「さて……それじゃあ始めましょうか。今後の、我々の計画についての話し合いを」

「……おい、待てよスコール。<エム>はどうした? 今回の作戦、アイツも出るんなら話し合いにくらい――――」

「私はここだが?」

 

 疑問を呈したオータムの背後から、抜き身の刃物じみた鋭い声が発せられた。慌てて彼女が振り返ると、そこには一人の少女の姿。黒い長髪に、不機嫌な美貌を持つその顔は、織斑千冬――――<世界最強(ブリュンヒルデ)>と呼ばれた女の十年ほど前の姿と、不自然なまでに酷似していた。

 

「テメェ、いつから……!」

 

 粗暴さを隠そうともせず、エムに掴みかかろうとするオータム。だがスコールが視線だけでそれを咎めるとオータムはぴたりとその動きを止め、大人しくまたソファへと腰を下ろす。エムはその様を眺めて見下すように鼻を鳴らしてから、他の者達と同じようにソファへと座り込んだ。

 

「……これで揃ったわね。それじゃ、改めて始めましょうか。まずは――――」

「その前に一つ聞かせろ。私はアメリカへと飛び、<銀の福音(シルバリオ・ゴスペル)>に関するデータ、及び機体の強奪に向かう予定ではなかったのか? 下らない事で予定が変わるなら私は受け入れんぞ」

 

 そう、睨みつけながらもはや脅迫じみた声色で詰問(きつもん)するエム。だが、当のスコールはそれに対して顔色一つ変える事は無い。それどころか、心底疲れたように、同情を乞う様な声色で答えるのだった。

 

「そうね……束博士が随分と暴れてくれたから、かしらね……。お陰様で人手が足りなくって。嫌になっちゃうわ、まったく」

「下らん。そんな事で私は呼び戻されたのか?」

「あら、下らないかしら? IS学園にちょっかいをかけるのだから、むしろ貴方は呼んで然るべきだと思ったのだけれど……」

「…………」

 

 不機嫌さを隠さないエムに対して、スコールはこれ以上無く平然と、逆にエムに気を遣うような様さえ見せて返す。その言葉は彼女の目論見通りエムにとって痛いものだったか、それきりエムは黙り込み、そっぽを向いてしまうのだった。

 

「けっ、ざまあみろ…………それでスコール、どうすんだ? 予定通り、織斑一夏の<白式(びゃくしき)>を強奪する計画なんだろ? 何の変更があるんだ?」

 

 不機嫌さを増したエムを一度嗤ってから、オータムは話を軌道に戻してスコールに問いかけた。

 

「ええ、それは変わらないけれど……もう一つ、今回は同時にもう一つお仕事に励もうかと思って」

「ああ、それでこいつを呼んだのか。で、何すんだ?」

 

 納得したようにエムに目を向けてから、スコールにさらに問いを続けるオータム。その問いに彼女は少し子供っぽい笑みを見せてから、その反応を楽しみにしているようにもったいぶって言った。

 

「あの、IS学園に居る、もう一人のイレギュラー…………石動惣一。彼の身柄を預からせてもらおうと思って」

 

「……ああ、あの胡散くせえ、『もう一人の男性操縦者』か」

「ええ。その『胡散臭いおじさま』よ。話は単純。エムにはチケットを使ってIS学園に入ってもらって、石動惣一を拉致してもらう……まあ、方法は任せるわ。お膳立ては<レイン>がやるから、連絡だけちゃんと取れるようにしといてくれれば問題ないはずよ。入場の時怪しまれないよう、家族役として部下を何人かつけるわ。貴方の裁量で使ってちょうだい…………エム、聞いてる?」

「聞いている」

「ならいいわ」

 

 一通り説明を終えて確認を取るスコールに、エムはそっぽを向いたまま答えた。その姿を文字通り、聞き分けの無い子供を見るような瞳で笑うスコール。そんな彼女達の話が終わったと見て、待ちかねたかのようにオータムは身を乗り出した。

 

「そんでスコール、私はどうすんだ? 予定通りか?」

「ええ。貴方は私と一緒に来賓としてIS学園に……他の車で来る来賓と同様、資材搬送用のトンネルを使ってIS学園に向かうわ」

「警備とかは大丈夫なのか? そこ、普段は使われてないんだろ?」

「心配しないで。あのトンネルの警備員はほとんどが私たちの息が掛かった者達よ。ああ、逃げる時もそこを使うわ。狭い通路なら貴方の<アラクネ>の独壇場でしょ?」

「ああ、追っかけて来るような奴がいれば、私の糸で雁字搦(がんじがら)めにしてやるぜ」

「ふふ、頼もしいわね」

 

 勇ましく言うオータムに、優しく微笑みかけるスコール。しかしエムはその二人を見て下らないとばかりに鼻を鳴らして、紅茶を一息に飲み干すとすぐさま席を立ち、部屋を後にしようとした。

 

「あら、何処へ行くの、エム。話はまだ終わって無いのだけれど」

「……あの機体の調整だ。IS学園での戦いとなればそれなりの準備が居る。それに何より――――」

「織斑千冬との接触は禁止よ」

「何だと?」

 

 自身を呼び止めた上、その意見を真っ向から否定したスコールを、驚愕したように、怒りを堪えるように睨みつけるエム。だがその視線をそよ風程にも感じぬように受け流したスコールは紅茶に一度口を付け、ゆっくりと焦らすような動作でカップを戻した後。困ったように頬に手を添えながらに言った。

 

「変な事を言うのね。私たちの戦力じゃ、織斑千冬とやり合うのはまだ時期尚早よ。幾ら貴方が強くても、まだまだ彼女とやるには早い…………私たちが戦力の増強を続けているのは、最終的に彼女も打ち倒すためなのよ? それなのに、唯でさえ人が足りない今、貴方にまで居なくなられたら首が回らなくなっちゃうわ」

「……お前達の計画など知るか。織斑千冬は私が仕留める」

「そう、それじゃあ貴方が言う事を聞いてくれるまでしつこく『お願い』する事になるけれど……それは私も本意じゃないわ。ねえ、『お願い』。私がそう言っている間に、首を縦に振ってくれないかしら……? 他人を無理やり従えるのって、実は趣味じゃないのよね」

「…………白々しい事を………………!」

 

 もはや不機嫌を通り越して、スコールにあからさまな殺意を向けるエム。しかし、まさしく織斑千冬のそれにそっくりな威圧を受けてなお、彼女の美貌が揺らぐことは(つい)ぞなかった。その姿にエムは結局目を背け悔しそうに歯噛みし、怒りに身を震わせながら部屋を後にして行った。

 

「……いいのかよ、あのままほっといて。絶対トレーニング場で暴れるぞ、アイツ」

「……彼女は自分勝手で聞く耳持たずだけれど、その頑固さとは裏腹に馬鹿じゃあないわ。もっと自分を強くしてから挑むべきなのは分かっているだろうし、自身の命を握られている以上、最後はこっちの提案に折れるしかない。まあでも、しばらく彼女には近づかないように部下には伝えといた方が良さそうね……」

 

 困ったように首を傾げるスコール。その姿は彼女らの実際の関係とは裏腹に、まるで反抗期の娘への対応を決めかねた母親の様な、実に家族めいたものだった。それに肩を竦めたオータムは、自身の分の紅茶の残りを飲み干してから伸びをして立ち上がった。

 

「よいしょっと……じゃ、私も行くぜ。変装の最終確認をしとかねえとだからな……ったく、ガラじゃねえ役柄は何度やっても慣れねえよ」

「ふふ、でも貴方なら完璧にやってくれるんでしょ? 期待してるからね」

「へへ、任せといてくれよ。それじゃあ――」

「あ、オータム、ちょっといい?」

「ん……むっ!?」

 

 振り向いたオータムの唇に、スコールは流れるように自身のそれを重ねた。驚愕するオータムをスコールの腕が優しく、しかししっかりと抱き止める。そうして、しばらく二人の間から漏れる水音と息遣いだけが部屋に響いた後、スコールの方から身をもぎ離して、人差し指でキスの感触を確かめるように唇の唾液を拭った。その姿を、オータムは真っ赤な顔で見つめるばかり。

 

「ふふ……おやすみ、オータム。また明日」

「あ、ああ……また明日…………」

 

 艶然と微笑むスコールに対し、魂を抜かれたよう表情のオータムは部屋から出て行こうとしてテーブルに腰をぶつけ、割と痛がる姿を見せてからそそくさと部屋を後にした。その後姿をくすくすと笑って見送ってから、スコールは改めて窓際へと歩み寄り外の景色を眺める。そして、しばらくしてテーブルにある一枚の写真を手に取り、照明に透かすように掲げて、そこに写っている人物を眺めた。

 

「石動、惣一ね…………」

 

 呟いて、スコールはくすりと笑い、くしゃりと写真を握りつぶした。瞬間、瞬時にその腕にISの腕部が部分展開され紙屑となった写真を灰へと焼却し、そのまま彼女は手に残った燃え殻をゴミ箱へと放り込んだ。

 

「……さて、と。まずはエムに表に出しても恥ずかしくない服を買ってあげなくちゃ。楽しみだわ、ふふっ」

 

 誰にともなく小さく呟いて、スコールは――――世界の裏側に蠢く恐るべき<亡国機業(ファントム・タスク)>、その実働部隊<モノクローム・アバター>の頂点に立つ彼女は――――今後が楽しみで仕方ない、そういった風に笑って、上機嫌でその場を後にして行った。

 

 




エムって書いたところ全部一度永夢って変換してからエムに直してました。後日修正するところもあるかもしれません。

ここから訓練開始です。楯無とエボルトの手によって皆の戦闘力はアップする筈……一方亡国機業は、地球外生命体の魔の手から逃れる事は出来るのでしょうか……。

次回からは学園祭。いろいろなキャラが出て話を動かせそうです(新キャラが増えると一人一人のキャラが安定しなくなるんですけど……)。大筋は考えてあるけど細かいとこが割とポヤポヤなので、気長にお持ちください……。


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スクールフェス、開戦

お待たせしました。学園祭パートその一、22000字です。
ルパパトの終わりとかジオウⅡとかいろいろあったせいで長引いて遅くなりました。でも不定期更新だからゆるして……。

感想評価お気に入り誤字報告、いつもいつもありがとうございます。
今回も楽しんでいただければ幸いです。


『そこだァーッ!!』

『ナイスよ一夏くん! でもそこで止まらない! そのまま瞬時加速(イグニッション・ブースト)の用意をしたまま荷電粒子砲で9時方向のバルーンを撃ちつつシューター・フローの機動! そこから円状制御飛翔(サークル・ロンド)に繋げながら高度を50まで上昇!』

『こうすかァ!?』

『そうそう上出来! そのまま左回転して瞬時(イグニッ)……あっ』

『えっ何ギャーッ!?』

 

 悲鳴と共に、白式(びゃくしき)がハズレの青バルーンに接触してバルーンが破裂。その衝撃で盛大に一夏は吹き飛ばされ壁に叩きつけられた。その様を見て隣の石動が楽しげに笑い、私は額に手をやり溜息を吐く。

 

 時は次第に秋模様も深まって来た十月初頭。ついに眼前に迫った学園祭の開催を目の前にして、私は石動と共に一夏達の訓練を眺めていた。

 

「一夏の奴、盛大に吹っ飛ばされたなぁ~。途中まで上手く行ってただけに残念無念、って感じっすねえ」

「……お前、実は楽しんでるだけだろう?」

「そんな事ありませんよ~。俺は何時だってあいつらの訓練には真剣です!」

 

 笑いながら言う石動に疑惑の目を向けた後、私は空に視線を戻す。今行われているのは『高度マニュアル総合訓練』。俗にIS操縦者の中級者と上級者の壁とされている訓練の一つだ。

 

 目標である敵を示す赤いバルーンとハズレである味方判定の青いバルーン、ついでに障害物である黄色いバルーンが混在する中を飛行しつつ赤いバルーンを制限時間内にどれだけ破壊できるかを試すこの訓練は、飛行精度や射撃力、それ以上に認識力及び状況判断能力を強く要求される。本来であれば、IS学園の一年生が手を出すような物では無いのだが――――

 

「――――意外と、様になってきているな」

「おっ、織斑先生もそう思います?」

 

 私の独り言を聞いて、まるで自分の事のように笑顔を浮かべて石動がこちらを覗き込んできた。それに私は眉を顰め、距離を取るように体を仰け反らせる。

 

「顔が近い」

「そう邪険にしなさんなって~! ま、それは置いといて、あいつらの成長ぶりには目を見張るもんがありますよね! やっぱ教える奴の腕が違うって事っすかねえ~」

「それはお前ではなく、更識の手腕だろうに」

「う゛っ」

 

 自慢げに笑っていた石動の表情が、私の一言によって屈辱に歪められた。その様を見て私は呆れたようにまた溜息を吐く。

 

「お前が今までやって来た訓練はどれも実戦形式の物だったとラウラから聞いている。それだけでは確かに場数は踏めるだろうが、明確に技術を学べるわけじゃあない。その点、奴らにしっかりと段階を踏んで鍛える事の出来る更識は師として最適な人物だったと言う訳だな。当然それもお前と皆が基礎をしっかりと鍛えてきたからこそなのだろうが……」

「いやぁ……織斑先生には敵わねえですね……」

「事実を言ったまでだ」

 

 フン、と鼻を鳴らす私に、愛想笑いを浮かべた奴は姿勢を正してまた空を見上げる。だが、空中に先程落ちた一夏はまだ戻ってきておらず、無数のバルーンがふよふよと漂っているだけであった。

 

「……休憩すかね」

「そのようだな」

 

 それを見て一息つく石動に答えを返し、私も堅い椅子の背もたれに体を預け伸びをする。……しかし、一夏を初めとして皆私の知らぬ間にそこそこ腕を上げているようだ。この時期の一年生の授業では模擬戦を除いてあくまで基礎技術の習得がメインになるからな……ああ、丁度いい機会だし、こいつ(石動)の見解でも聞いてみるとしよう。今日は一夏以外の皆の動きを見れていない事だしな。

 

「……ところで石動。お前から見て、どうだ? 皆の成長具合は」

「んん? ああ、Very Good(メッチャ良い)! あいつらの成長力には流石の俺もビックリ仰天、って感じです!」

 

 拳銃めいて両手の人差し指を向ける石動、その笑顔に対して私は白い目を向け詳しい話を要求する。それを早くも察したのか、石動は苦笑いをしてから皆の成長具合について語り始めた。

 

「……一夏は見ての通りかなり頑張ってますけど、他の皆も相当なもんですよ。篠ノ之は紅椿(あかつばき)の改修が終わってマニュアル操作の訓練に入りましたし、ボーデヴィッヒはますます総合力を鍛えてます。オルコットは状況判断能力に磨きをかけて、デュノアは近接戦能力を集中して底上げしてますね。ああ、それに(ファン)はフィジカル面が既にタフ過ぎるんでちょっと別メニューっすわ。何でも戦術研究だとかで、生徒会のえーっと布仏(のほとけ)姉が付いてるみたいですぜ」

「ほう。皆、それぞれ良く考えてメニューを組んであるようだな……で、どこまでが更識の提案だ?」

「なんか勘違いしてるみたいですけど俺はあくまでアドバイザーでメインで教えるのはそもそも生徒会長ですからね? ……まぁ正直、凰にはフィジカル鍛えまくって行けるとこまで行ってほしかったんですけど……」

「優れた肉体も、それを使う頭有ってこそだからな」

「生徒会長と同じ事言いますね。ま、仰る通りと思いますがね」

 

 言い終えて、くくくと楽しげに笑う石動を見て私も合わせるように薄く笑った。奴も言っていた通り、随分と皆成長していると見える。それは全くもって喜ばしい事だ。

 特に篠ノ之とボーデヴィッヒは既に国家代表候補生の中でも上位陣と言えるレベルに手をかけていると考えざるを得ない。特に篠ノ之は、本当に私の後釜として国家代表の座に座るのもそう遠く無いかもしれんな……実際に口に出すと石動が調子に乗りそうなので思うだけに留めるのだが。

 

 そこで少し浮ついた自身を切り替えるように時計に目をやれば、既に17時を過ぎている。……今日の見学はここまでだな。そろそろここを発つとしよう。

 

「さてと……そろそろ時間だな。行くぞ石動」

「えっ? 何かありましたっけこの後? 俺訓練見ていたいんですけど……」

 

 呆けたように返すその顔に、先ほどの愉快な気分はどこへやら。私は思わず眉間に皺を寄せ石動を睨みつけた。

 

「オイ。学園祭に向けた最終の打ち合わせだぞ。昼も話しただろうが」

「あーはいはい! 当然覚えてました。会議室も距離あるし早く行きましょうぜ~」

 

 思い出したかのように言うと、さっさと立ち上がり駆け足でその場を後にする石動。少しは待つ気もないのか? そう思った私は小さく溜息を吐くと、資料の入ったカバンを手に取って、普段通りの足取りで奴を追ってアリーナを後にするのだった。

 

 

 

 

 

 

「では、各クラスの使用教室の一覧は以下の通りです。何か質問は?」

 

 理事長のその言葉に会議室は沈黙に包まれる。それを肯定と受け取った彼女は、一度居並ぶ教師達を見渡すと納得したようにその話題を終了させた。その様子を、俺はつまらなそうに机に片肘立て、拳に顔を乗せて聞いている。

 

 いや、つまらなそうじゃあねえな。本当につまらねえ。これだから会議って奴は嫌いなんだ。以前に確認した事の焼き直しばかりで、いつだったかファウストの会議に出席した時に幻徳(げんとく)が下らん事を隅々まで確認していたのを思い出す。

 

 幻徳はなんだかんだで真面目な男だったからな。パンドラボックスの光を浴びてもそれは何ら変わらなかった。俺もそれは人間としての美点なのだろうとは思うが、奴と俺の目的が根本的に異なっていた以上同じだけの熱量を持って会議に臨む事なんてできやしない。お陰で良くどやされてたよ。俺はそれにコーヒーを飲みながら応対してたっけなァ。どうにもそれが奴は気に入らなかったみたいだったがね。

 

 しかし、今日の会議はあれ以上に退屈だな。何か面白い話題でも無えものか…………ほれ見ろ、山田ちゃんなんか目がしょぼしょぼしてるぜ。放って置いたら船をこぎ出しちまうんじゃあねえのか?

 

 そう思って向けた視線の先で、山田ちゃんの脇腹を織斑千冬が小突いて一発で覚醒させるのを見て、俺はちょっと笑いを堪えた。それを誰も気に留めた様子も無く、会議はつつがなく進行してゆく。

 

「それでは明日の招待客について。榊原(さかきばら)先生、お願いします」

「はい」

 

 理事長先生の声に榊原先生が立ち上がって説明を引き継いだ。招待客ねえ。これについてはスケジュール調整やら何やらで正確な参加者が決まっていなかったか、結局今日まで発表される事は無かった。そう言う訳で、今日の議題の中で俺が楽しみにしていた数少ない議題だ。片肘立てていた腕を下ろし、榊原先生に視線を向ける。すると彼女と目が合った。

 

 次の瞬間には彼女は手元の資料へとさっと視線を落としてしまう。ちょっとつまらなそうにしすぎたかね。俺は人間とのコミュニケーションについてちょっと反省しつつ、真剣に話を聞く姿勢へと移った。

 

「で、では明日の招待客なのですが、政府関係者が5名、IS関連企業から15名、その他企業から5名、研究機関から15名、以上計40名の予定……でした」

「でした? 増えたんですか?」

 

 教師の一人が歯切れの悪い言葉尻に疑問の声を上げる。それに榊原先生は少し申し訳なさそうに返答に窮した。なんだ? ちょっと面白そうになってきたぜ?

 

 しかし、そこで俺が笑顔を浮かべるよりも早く織斑千冬が立ち上がる。それだけで少しざわついた会議室の喧騒がぴたりと止んだ。流石に一目置かれてやがるねえ。

 

「それについては私から説明させていただきます。よろしいですか?」

 

 それに反論する者など居るはずも無い。皆黙ってその続きを待っている。それを織斑千冬は確信して一度ペットボトルの水に口を付けると、どこか忌々しげに話し出した。

 

「先日、IS学園からの招待客……政府の関係者を除いた方々の元に脅迫状が届きました」

 

 奴が言い切ると同時に部屋の中央に空間投影ディスプレイが映し出される。そこにはどこにでもあるような紙に、学園祭に出席した場合害を及ぼす旨が普遍的なフォントで印刷されていた。

 

「これを受け、私を中心とした幾人かの教師が招待客の護衛を担当する事になりました。しかし人手も足りず、<S.Brain>社の社長殿を初めとした約半分の招待客に今回の参加を見送っていただく事となっています」

「じゃあ織斑先生とかは本来の業務からは離れるんすね? その穴埋めとかはどうすんすか?」

「少し待て石動、それについては最後に話す。それで、実際の参加者についてですが……」

 

 俺の質問を後回しにして織斑千冬は説明を続ける。相変わらずつれない奴だ…………だが、奴が抜けるって事は、とどのつまり他の教師にそのシワ寄せが来るって事だ。確か奴は1年生の出し物全般の監視役だったから……こっちに回ってこねェ事を祈るぜ。

 

 ちなみに、俺の業務は学園祭の会場の警備――――いや、見回りって事になってる。のんべんだらりと過ごすには丁度いいと思ってたが、なんだかトラブルの匂いがしてきちまったなァ……。ま、ウチのクラスなんか年中トラブル続きだ、今更あいつらが余計なトラブルに巻き込まれても、そっちの方がもはや日常って気もするがねえ。

 

 俺がそんな事を思って小さく笑っている間に、織斑千冬は次々と参加者の名前を述べてゆく。正直、興味も無い。むしろ俺が興味を持っているのはその脅迫した側の相手だ。正直、IS学園に対していい感情を持ってない奴なんて星の数ほどいるだろうしなあ…………世の男性諸君とかにとっちゃ女尊男卑の象徴みたいな見られ方をする事もあるし、逆に女尊男卑に肯定的な女性たちの中でも過激な一部からはそこに一夏が入った事で抗議って事が幾度かあった。

 

 割と生徒達は表向き友好的に接してくれるから忘れがちになるが、ここはむしろ女尊男卑が一般的な世界だ。外部から入ってきた人間にいちゃもん付けられる可能性もある。何たって俺は轡木(くつわぎ)の爺さんとかと違って教師としてこの場に居るからな。『男が女に物を教えるなんて何様のつもりだ!』なんて言われたりしたら面倒だ。あんまり一般客の多い所には行かねえようにするかねえ……。

 

「――――IS装備関連企業『みつるぎ』の渉外担当、巻上礼子(まきがみれいこ)氏。以上20名が今回の学園祭に参加頂ける方々となります。しかしこの人数に絞ってもそれぞれにマンツーマンで着くほどの余裕はありませんので、招待客自身で護衛を用意していただくか、あるいは我々と共に班行動での見学となるか……その条件を飲んで頂いております」

「会場の警備に関してはどうなるんですか?」

「予定していた人員に加え、警察等から警戒の為の人員が派遣される事になっています。彼らの配置、連絡手段については今書類を回します」

 

 ふぅん。まあ別に構わねえか。自分の身は自分で守ってもらうのが一番だ。それに、IS学園として脅迫に屈していない姿をアピールできれば十分だろう。つっても、招待客を減らしたなんてバレたらそれはそれでとやかく言われちまいそうだけどな……。だが実際に客に危害が加えられるよりはマシか。なんたって学園の招待客なんて文字通りのVIP揃いなんだからよ。民間人が傷つくよりももっと大事になっちまうからなぁ。

 

「他に質問は? ……無いようですね。では、榊原先生、当日の人員配置についてお願いします」

「あ、はい。ではまず見周り班からですが――――」

 

 ――――その後も会議は問題なく進行し、俺達は万全の準備をして学園祭当日に臨む事になった。結局、俺も見周りのまんまで助かったぜ。しかし、どの部活やクラスもいろいろ面白そうな事を考えてやがる。さてさてどうなることやら…………俺としては、いい感じにトラブルを見物できればいいんだがね……。

 

 

 

 

 

 

 窓の外、秋模様の深まってきた空に数機のISの編隊が飛行機雲を描く。IS学園、学園祭の盛況は中々の物で、俺は大いに喜びを露わにした。

 

 廊下を行き交うのはほとんどが生徒だ。だが時折、生徒に招待されたと思しき一般人の姿もちらほらと確認できる。一般的に開放されている催しじゃあねえからその数は決して多くは無いが、それでもその光景は少し新鮮だ。……当然、招待客には進入禁止の場所とかも設定されている。その辺に間違って踏み入ったりしないように誘導するのも俺らの仕事だ。

 

「あ、すみません。トイレってどちらにありますか?」

「トイレですか? それならここを真っ直ぐ行って二つ目の階段脇にありますよ。もしそこが混んでいたら階を一つ移動すれば同じ所にトイレがありますんでそちらをご利用ください」

「ありがとうございます……ほら、行くわよ。ちゃんとお礼して」

「ありがと、おじちゃん」

「いえいえ、ごゆっくりどうぞ~」

 

 女の子を連れた母親らしき女性にトイレの場所を案内して、俺はその姿を見送る。……やっぱ、男に対する当たりの強さは人次第って所か。今のは穏便に済んだから良かったが、聞く話じゃ使いっぱしりならまだいい方で、奴隷じみた扱いをされることもあるらしいからな。あんまり一般人の居る所に行くのはやめとくかね。どんな事言われるか分かったもんじゃあねえし。

 

 そう思った俺は、早速部活棟へと足を向けた。まだ学園祭が始まってから1時間足らず。昼の休憩まで2時間ほどもある。その時間内でいかに楽しむか……それも一つの課題だ。俺も自由に見て回れるよう客としてここに来たかったがなあ~。いや、それだと奴らの知り合いとしての立場で愉しめない。あちらを立てればこちらが立たず、か。ままならぬもんだぜ。そんな事を思いながら見かけた自販機で缶コーヒーを購入し、俺はそれを味わいながら部室棟へと足を踏み入れた。

 

「あっ、ウチの部活に入らなかった薄情者の石動先生だ! ……ぶっちゃけ、NGの理由聞かせてくれませんか?」

「んん? そりゃあお前、俺の意志じゃあ無かったしな……つまるところ、全ては生徒会長の責任だ。だから俺は謝らない」

「うへー、そんな薄情者が何やってんですかこんなとこで」

「誰が薄情者だ! 今から見回り行くから覚悟しとけよ!」

「うえっ!? ウチは後回しにして下さいね! それじゃ!」

 

 そう言うと、焦ったようにその生徒は踵を返して走り去ってしまった。ったく。まだ準備してるんなら俺と話してる場合じゃあねえだろうに。そう腕を組みながら呆れつつ、俺は周囲を見渡した。

 

 部室棟にはまだ人の波も押し寄せていないらしく、見かけるのは部活動の衣装を纏った生徒ばかりだ。中には俺に剣呑な視線を向けてくる奴もいる。そりゃそうだ。一瞬大きな盛り上がりを見せた石動惣一争奪戦は俺のアニメ同好会設立によって不完全燃焼のまま幕を閉じた。そのせいで予定の狂った部活もあったみたいで、参加した奴らにも参加しなかった奴らにもいい迷惑だったと我ながら思う。

 

 ま、本命の一夏争奪戦は終わってねェし全ての元凶は生徒会長なんだがな。なので俺は悪く無い。俺は余裕たっぷりに笑みを浮かべ、各部室を覗いてゆく。皆準備万端で客を待ち構えているもんだと思ってたが、中にはまだ大慌てで展示物の調整を行っている奴らも居た。何やってんだかな。そう少し呆れながら進むうちに、大勢の生徒で賑わう部室を俺は見出した。新聞部か……一体何を展示してやがるんだかな……。

 

「邪魔するぜ~」

「あっ、石動先生! ようこそおいでくださいました! 申し訳ありません、この様な部室で……」

「良く分かんねえけど、盛況でいいんじゃないか……? (まゆずみ)の奴は?」

「部長なら既に取材に出てますよ。呼び戻しましょうか?」

「いや、邪魔しちゃ悪い。とりあえず見回りとしてチェックさせてもらうぜ」

「ごゆっくり~」

 

 新聞部の部員と会話を交わして入室した俺は新聞部の展示を見渡した。ここ数年のIS競技会で学園生徒が入賞した際の写真や部員紹介、それぞれの会心の記事などが壁いっぱいに展示されている。だがしかし、客の生徒達が集まっているのはそれとは関係の無い一角だ。その一角に近づいて生徒達ごしに覗いてみれば、そこには声を張り上げる幾人かの新聞部員と大量に用意された写真が置かれていた。

 

「寄ってらっしゃい見てらっしゃい! さあさあ、マジパネェIS学園生徒や教師の生写真! 織斑先生のが売り切れ近いよ! 悩んでる暇無いよ! どんどん買ってってよ!」

「おいおい何やってんだ~? これ許可とってんのかよ~?」

「げっ石動先生じゃん、関わりたくないなあ……」

「おい」

 

 露天めいた売り文句を俺に見咎められたその部員が嫌そうな顔をするのを見て俺は口をとがらせる。その様を見て売り子の生徒は渋い顔をして身を引くが、そこに先程会話を交わした生徒が見かねたとばかりに滑り込んで来た。

 

「おや、石動先生も買っていきますか写真? 織斑先生や山田先生の写真もありますよ~」

「いや要らねえけど……」

「じゃあこれ、とっておきの榊原先生の写真なんですけど……安くしときますよ!」

「いやそれも別に」

「えっ要らないんですか!? うっそ!? なんで!?」

「何で驚くんだ……?」

 

 驚く部員に俺は疑いの目を向けるが、すぐに並べられた写真の方に目を向けた。そこにあるのは俗に人気がある生徒、教師とされる者達の写真だ。成程、取材したはいいけど結局使わなかった写真の処分……って事なのかね。俺には良く分からんが。

 

「しかし、割と色んな生徒の写真売ってんなァ。何に使うんだよ」

「何って……ねぇ? 黛先輩も言ってたけどやっぱデリカシーないですよ先生。そんなんだから先生の写真全然売れないんですよ」

「俺のまであるのかよ!」

 

 驚愕と共に良く見れば、俺の写真も積まれた写真たちの中に紛れていた。しかしどう見ても残り数枚しかない。俺はそれを見て優越感に浸って笑った。

 

「おい、良く見ろよ。俺の写真あとこれっぽっちしかないぜ? 意外と、大人のダンディズムって奴がわかる奴もいるんだな~」

「いや、石動先生の写真10枚しか焼いてないですから」

「おいィ?」

 

 俺の抗議の視線を受けても、そいつは困ったような笑みを崩す事は無い。それどころか肩を竦めて、呆れたような口調で話し始めた。

 

「だって、石動先生のファンクラブ、一応あるにはあるけど会員一ケタですよ? 需要がないんですよ需要が。もっと焼いてほしければ、せめて轡木さんくらいのファンを獲得してから言ってください」

「えっ、俺のファンクラブとかあるのか。って轡木の爺さんより俺のファン少ねえの?」

「そりゃあ轡木さんは癒し系ですから。石動先生は見た目はいいけど言動がね……ま、織斑先生や一夏くんに比べれば微々たる差ですけど」

「……参考までに聞くが、会員が多いファンクラブって、誰のファンクラブだ?」

 

 問う俺の声に、そいつは指を顎に当てて首を傾げる。

 

「えーっと、まず織斑先生のファンクラブが確か100人近かったかな? 次に多いのが篠ノ之さん。その次に多いのがデュノアさん……あ、いや。あそこはデュノアくん派とシャルロットちゃん派の抗争で分裂しちゃって混沌を極めてるからなあ……」

「えっなにそれ怖」

「まあ人気のある人はとことん人気ありますからね。後は一夏くんとか一年生の子の人気が高いですけど、ダリルお姉さまや更識会長も相当ですよ」

「お姉さま、ねぇ……」

 

 その呼び方に何となくこの女の趣味を垣間見た気がしたが、俺は途端にどうでもよくなった。よくよく考えたら、俺にここに留まる理由は無い。誰も彼も期待できるハザードレベルの奴は居ねえし……帰るか。

 

「じゃあ見回りも終わったし、俺はこの辺で帰らせてもらうとするか」

「ちょっと待ってくださいよ! 情報料!」

「えっ金取るのか!?」

「とーぜんじゃないですかァ! タダの売り物なんてこの部屋には一つもありません!」

「くそっ、黛の部下ってだけはある。殊勝さがねえ!」

「いーから、写真どれか買って行ってください!」

「へぇへぇ、分かりましたよお嬢様……」

 

 溜息を吐いた俺は、サッと並べられた写真を見渡してその中から榊原先生の写真を手に取った。

 

「おおっとお目が高い! やっぱり榊原先生なんですねぇ」

「何がだよ……安くしてくれるっつってたでしょうが。ほらさっさと会計頼むぜ」

「はいはい、350円になりま~す」

「もってけドロボー! Ciao(チャーオ)!」

 

 俺は財布を開いてなけなしの小銭を放り投げると、写真を受け取って踵を返した。その背にありがとうございます! と生徒の声がかけられる。しかし俺は振り向かずに手を振って、さっさと部室から撤退した。

 

 ったく。少しひもじくなっちまったなぁ。出店やら何やらで使えるよう少し金を溜めてきたんだが、全くもって余計な出費だぜ。そう独りごちた俺は手に持った写真をジャケットの内ポケットに納め、次の見回り場所へと向かうのだった。

 

 

 

 

 

 

「さて、と……」

 

 昼近くの時刻を指し示す時計を見上げて、俺はどこで食事を取るかを思案し始めた。既にいろいろな所を歩き回ったおかげで少しばかり人間の体が空腹を訴えてきている。

 

 朝食ってなかったからなあ、腹減っちまったよ。こう言う行事の日というのは生徒達に輪をかけて教師たちは忙しく、お陰でロクに飯を食う暇さえありゃしない。今回は織斑千冬らが要人の護衛で本来の職務を離れているせいで俺達のスケジュールも随分とタイトなもんになっちまったし、メシを食う時間自体がそう長くないんだ。そう言う訳で、今日の俺のメニューは購買で買っておいたタマゴサンドが一つ。侘しいもんだ。後はどこで食うかなんだが……。

 

 とりあえず、屋上やら校舎付近のベンチやらはほとんど埋まっちまってた。自室まで戻る事も考えたが、あそこは今日基本立ち入り禁止の学園祭には関係の無い区域だ。一応、休憩ってだけで仕事してないわけじゃあねえから、あんまり離れたりしたら何か言われるかもしれねえ。

 

 そう言う訳で、俺は一年一組の教室へと向かっていた。確か奴ら、部屋の隅をスタッフ用の休憩所にしてたからな。今日はそこを借りてメシを食わせてもらうつもりだ。……幾ら喫茶っつっても、そこまで混んでやしないだろう。そんな希望的観測を持ちつつ俺は渡り廊下に差し掛かった。すると、後ろから声をかけられる。

 

「失礼します。あの、IS学園の石動惣一先生とお見受けしたのですが」

「んん? どちら様で?」

 

 振り返った先に居たのは、長髪を流したスーツ姿の妙齢の女だった。そいつはニコニコとした営業スマイルで俺を見つめ、その胸元には来賓用の識別証が下げられている。

 

「申し遅れました。(わたくし)、IS装備関連企業『みつるぎ』の渉外担当、巻上礼子(まきがみれいこ)と申します。以後お見知りおきを」

「ご丁寧にどーも。IS学園の石動です。俺になんかご用ですか?」

 

 丁寧な一礼に対して小さく頭を下げた俺に巻上とやらは緩やかな足取りで歩み寄り、懐から一枚、名刺を取り出して此方へと差し出してきた。それを俺は受け取り、一瞥してからポケットにしまい込む。それを見届けてから、そいつは営業スマイルを維持したまま口を開いた。

 

「はい。<織斑千冬(世界最強)の再来>と今噂されている篠ノ之箒さん、彼女を鍛え上げたと言うその手腕は我々も聞き及んでおりますわ。その貴方と、ぜひ良き関係を築きたいと思いまして」

「いや~照れるなぁ~……あんたみたいな美人さんに褒められるのは悪い気がしない。で、良き関係って?」

 

 俺はその女に興味深そうに顔を近づける。しかしそいつは営業スマイルを崩す事無く、だが僅かに思案するように視線を逸らした。

 

「そうですね……立ち話も何ですし、ここは少し移動しませんか?」

「ああいや……申し訳ない。一応、今仕事中でして……もしお話が長くなりそうだったら、また今度正式にアポイントメントを取ってもらえると助かるんだが」

「でしたらここでも構いませんし、お時間は取らせません。少しだけ、付き合っていただけませんか?」

「……ま、五分くらいなら大丈夫ですぜ」

 

 その譲歩に、彼女は安堵したように胸を撫で下ろす。まぁそれくらいなら良いだろう。どうせ、今もってるメシもすぐ食い終えられる類のもんだしな。俺は壁際に寄りかかって腕を組み、彼女の話を促す姿勢を取った。

 

「ではその内容なのですが……石動さん、貴方は世界でただ二人の男性操縦者にも拘らず、織斑一夏くんと違い専用機を持っていらっしゃらないそうですね?」

「ああ、よく調べたっすね。事実ですよ、事実。まぁ、隠す程の事でもないんですけどね。何せ俺の適性は――――」

「今まで記録された中でも最低クラス。一夏くんとは違い、専用機を用意しようとする企業も現れなかった。そうですよね?」

「……本当に良く調べてらっしゃる。まあお陰様で、俺くらいの適性だったらどっかに居るんじゃないかって世界中で男性適性者探しが活発に行われてるらしいですけど」

「はい。そこでですね、今回は石動さんに我々から専用機の供与を行わせて頂けないかと思いまして」

 

 適性の低さを堂々指摘されてバツが悪くなった俺が話題を逸らそうとするも、巻紙はそれを意に介する事も無く本題を突きつけて来た。専用機か、俺にとっちゃあISコアを一つ合法的にいただけるし、悪い話じゃあねえ。だが俺はそもそもの前提に手持ちの情報との相違点を幾つか見つけ、まるで思いだすかのようにそれを問いかけてみた。

 

「……んん? 確か『みつるぎ』さんのトコはあくまで関連の装備だけであって、IS本体は開発してないんじゃあ無かったか?」

「ここだけの話なのですが、我々は幾つかの企業と合同で日本製の第三世代機の開発を進めています。そのテストパイロットとして、貴方の腕をお借りしたい……と言う訳です」

「ふうん…………でもいいのかよ俺なんかで? それこそ、一夏の奴に頼むべき話じゃあねえのか?」

「織斑くんの使っている白式(びゃくしき)を開発した倉持技研(くらもちぎけん)と我々はライバル関係にありまして。彼自身にも新装備の提供を何度か申し入れているのですが、ISの特性がどうとかで取り合って頂けないのです」

「ああ、そういう事ね……でもよお、白式がある以上、今から後追いで第三世代機を作っても意味ないんじゃあねえか? もう日本政府も倉持任せになってるんじゃ?」

「それがですね、倉持に任されていた打鉄の後継機としての新型機の開発がほぼ凍結されているとの情報が入りまして。彼女らは対外的には白式の成果をアピールしていますが、実際の所はどうなんだか。それに、あんなピーキーな機体を量産するなんて……ねえ?」

「それはわかる。……白式、じゃじゃ馬もいいとこだもんなぁ。量産して戦場に出てみんな揃ってエネルギー切れ(ロスト)なんて、笑い話にもなりゃしねえ…………つか待ってくれ、それ、俺に話しちゃっていい話なのか?」

「無論、口外禁止でお願いします」

「ですよね」

 

 そこで小さく互いに笑い合って、俺は腕を組みなおしまた思案する姿勢に入った。――――さて、どう断るかね。こりゃあ、どう考えても俺一人の権限じゃあ扱えん話だ。今の話が万一真実とすれば、織斑千冬どころか学園の上層部も通さなきゃあいけなくなるだろう。

 

 だが、それよりもいくつかこの話には怪しい所がある。まずわざわざ俺を新型ISのテストパイロットに仕立て上げようとする所。それはつまり、その新型とやらはまだ完成してないって事だ。だったら、余りにも未知の部分が多い男性操縦者であり、かつ適性の低さが目に見えてる俺なんかを使う道理はねえ筈だ。まずは基礎のデータがしっかりしている女性の操縦者を使って研究を進めるべきだろう。

 

 こいつが比較対象とした白式が新型として直接一夏に渡されたのは、何より篠ノ之束が関わってたからだ。奴の技術力は当然こいつらよりも遥かに上を行っているからな。何の不思議もねえ。

 

 次にこの女、敵対企業の情報に詳しすぎる。コイツの語った倉持の新型の開発が止まってるって話は、俺が更識から聞いた話とほとんど同じだ。情報ってのは多角的な裏付けが取れると信頼性が一気に増す。だが更識の場合はその完成機を扱うはずだった本人で開発にも携わっており、それと同等の情報を敵対企業の渉外担当が持っているなんざ考えにくい。

 

 国内で厳しい情報戦が繰り広げられてるって線はあるにはあるが、昨今の世界情勢から見ても今は国と国との開発競争の時代だ。同じ国の企業同士が足を引っ張り合うなんてのは得策じゃあねえ筈。それに競争相手がそこまで足止め食ってるのを知っているなら、それこそ不安要素のある俺を使うよりも充実したデータを取る方法はいくらでもあるはずだ。それになにより、こいつから感じ取れるこの匂い……。

 

(くせ)ェよなぁ……」

「はい?」

 

 小さく呟いた言葉に首を傾げた巻紙。意外と耳がいいな、やっぱ怪しいぜ。俺はそんな疑念をおくびにも出さず、白々しい態度に打って出た。

 

「ああいや、いい匂いするなあと思って。こいつはバラかな? 一体何処の香水ですか?」

「あ、はい。えっと、これは<S.Brain>社の社長が自ら作った<Rose of orphan(孤児のバラ)>という香水ですね。超高級品で滅多に手に入らないんですよ」

「へぇ~そりゃあすごい。やはりお目が高いかただ、貴方は。俺も知り合いのプレゼントに香水でも送ってみるかなあ、ははは」

「お褒めいただき光栄です……それで、石動さん。お返事をお聞かせ願いますか?」

 

 話題を逸らした時間稼ぎも虚しく、巻紙はずずいと俺に迫り問い詰めてくる。だがどうにも余裕があるな。やっぱ、こいつ自身もそこまでこの話題には拘ってねえのかもな。上の人間に振り回されでもしたか、あるいは何かの布石で、別に本命が居るのか。…………そこまでは流石にわからねえな。ま、俺が返すのは、当たり障りの無い答えと困ったような笑みと決めてるんだけどよ。

 

「ああ……悪いけどやっぱ、俺だけじゃ決められねえ話だわ! スマン! 後日、キッチリと上に話を通してくれ。その時は、良い返事が出来ると思うからよ」

「そうですか……分かりました。その時はまたよろしくお願いします」

「こっちこそ申し訳ない。またのお越しを期待してますぜ」

「ふふ、ありがとうございました。では私はここで。失礼します」

「ご苦労さまでさぁ。Ciao(チャオ)~」

 

 別れの挨拶を軽く済ませて、俺はその女から離れて行った。さて……どうなるんだかな。あの血の匂いを隠しきれていない女の言う事が事実だとすれば、この先ちょっとしたうねりが日本のIS業界を、ひいてはこの学園の日本製ISの乗り手を襲うはずだ。湧いて出てきて国籍の定まってない<紅椿(あかつばき)>はともかく、倉持技研が強い影響力を持っていた構図も少々変化が訪れるかもしれねえ。

 

 やっぱ情報源が少ないのは問題だな……さっさと亡国機業(ファントム・タスク)を初めとした情報力のある奴らとつながりを持ちたいぜ。ここに縛られたままじゃあ出来る事にも限りがあるからな。

 

 それに第三世代機の開発が別口で進んでいるとなれば、それこそ更識の<打鉄弐式(うちがねにしき)>をさっさと完成させてやらねえと。仕方ねえ、何処から齟齬(そご)が出るか知れねえからあんまり口出ししたくなかったが、ビルドの世界で得た科学知識を生かして、開発に一枚噛んでやるとするかね。

 

 それ以外にも懸念するべき事は確かにあるが、それはメシを食いながらでも構わないだろう。そう思って俺は足早に、一年一組の教室を目指すのだった。

 

 

 

 

 

 

「はい! メイドにご奉仕……いえ、ご褒美セット一つですね! ありがとうございます!」

「すみませーん! 注文お願いしまーす!」

「あ、すぐお伺いしますー! 一夏、3番テーブルお願い!」

「了解シャル! すぐ行く!」

 

 メイド服を着て朝からニコニコしていたシャルも、ここに来て汗を流して客の応対に当たっている。昼時を迎えた俺達一年一組の『ご奉仕喫茶』は、余りの客の多さに混沌を極めていた。

 

 良くわかんねえけど、どうにも俺目当ての客がこぞって訪れているみたいで、さっきから女性客の応対に俺はてんやわんやだ。最初こそ、未目麗しい皆がメイド服なんか着て働く姿に男として少なからず高揚感を覚えていたが、混み合い始めてからはそれどころじゃあない。ローテーションで休憩を回してきた接客班――――俺、箒、セシリア、シャル、ラウラの五人も、この昼の時間には皆揃って教室の中を右往左往している。

 

 だがしかし、一時になるまであと五分。そうすりゃ午後組と交代だ……! 俺は最後の力を振り絞り、接客に集中する。あんまり仕事を残したまま交代するのも男が(すた)るしな、ラストスパートだ! 

 

一夏()、3番テーブルには私が行く。そろそろ1番テーブルへの『執事にご褒美セット』が完成する頃合いだ。そちらの応対は私にはできんからな」

「あいよっ任せた!」

 

 発案者の癖して始まってから何やらずっと不機嫌そうだったラウラも、今や軍隊で培った(?)バランス感覚を武器にして両手一杯にケーキやらを運びながら注文を取りにテーブルを回っている。箒やセシリアも似たようなもんで、下手したら訓練の時より動いてんじゃあねえかってくらいだ。本当なら、俺の自炊で鍛えた料理の腕で皆においしいものを振る舞うつもりだったのに……!

 

 そんな事を思っていれば、またドアの開く音。休むどころか、気を抜く暇もありゃしない!

 

「いらっしゃいませ! 今係の者が案内するのでしばらくお待ちを――――」

「なーに言ってんだ。客じゃねーよ俺は。良く見ろって」

「あ、石動先生」

 

 目の前に立っているのはいつも通りの石動先生。俺ににっこり笑いかけながら、どこか呆れたように肩を竦める。今日は先生方も忙しかったらしく、朝にホームルーム――――と言うか最終確認と諸注意をやった時に見かけたくらいで千冬姉も山田先生も目にしちゃ居なかった。石動先生も見周りとしていろんな所を回ってるって鈴が言ってたし、暇がないのはそっちも同じなのかもしれないな。

 

「急にどうしたんですか? なんかあったとか?」

「変な事じゃあねえ。見回りだよ、見回り(み・ま・わ・り)。ま、ちょっとばかし歩き疲れてな。少し休憩室借りるぜ~」

 

 茶目っ気たっぷりに言い残すと、購買のレジ袋をぶら下げた石動先生はそのままカーテンで仕切られた休憩室に向かって行った。やっぱ皆忙しいんだなあ。

 

 まあでも、俺はこの昼を乗り切れば今日はほぼ自由時間だ。いろんな所を皆と見に行くって約束してる。(だん)ともまた合流したいしな。とりあえず、このちょっとの時間でミスなんか起こさねえように気を付けなきゃ――――

 

「きゃーっ!?」

「んなっ!?」

 

 その時、突如として響く女子の悲鳴。石動先生の情けない声が休憩室からこだまする。思わず教室内の皆がそちらに振り返ると、中から何やら言い争う声が漏れ出てきた。

 

「ま、待て待て待て待て! 何でお前らここで着替えてるんだよ! ここは更衣室じゃ無くて休憩室だろ?!」

「何言ってんですか!? うちのクラスの男子は一夏くんだけですよ!? ほか皆女子なんですから、手近な場所で着替えて何の問題ですか!?」

「あ、ああ……いやその理屈はおかしい! せめて着替え中とかなんか書いとけよ! 一夏が入ってきたらどうするつもりだったんだ!?」

「それを狙ってたに決まってんでしょーが!!! 作戦台無しにしやがってこのセクハラ教師!!!」

「いやセクハラって不可抗力だろこれ!」

「さっきは私達の下着とかチラチラ見てたじゃあないですか!」

「そーだそーだ!!」

「いや、お前らの下着とか興味ないし……何で見る必要があるんだよ……」

「は?」

「それはそれでムカつく」

「怒りが収まらないわ……いっそこうしてやる!!」

「あいたたたた! おい待て腕が! 俺の腕が!」

「乙女心チョップ!!」

「アーッ! 俺のタマゴサンドが潰れて流れて溢れ出る! 土下座でも何でもするから許してくれ!」

「気持ち悪い媚を売らないで下さいよ!! そりゃーっ!!」

「グワーッ!?」

 

 悲鳴を上げて休憩室から放り出され、床を転がった石動先生。いつも通りのじゃれ合いだ。ああして石動先生は、ドジを踏んで皆に囲んで棒で叩かれるような目に合う事がままあった。けどしばらくしたら本人もケロッとしているし、別に皆も石動先生の事は嫌ってないのを俺は知っている。だがそんな事を知らないだろうお客さんたちはその様子を呆気に取られて見つめていた。

 

「どうして俺がこんな目に……」

 

 見た目以上に精神的にボロボロになった石動先生が小さく呻く。何か違えば、俺がああなってたかもしれないのか……。その想像にちょっと震えてから、俺は何となく周囲を見渡した。あの一連の流れを見て、俺や箒たちを含めて多くの人が同情の視線を送っている。

 

 だが、そうでは無い人達も居た。

 

 普段、石動先生と関わっていない、招待された人や別のクラスの人とか上の学年の先輩。その人達が、俺には向けなかった心底嫌そうな視線を石動先生に対して向けている事に俺は気づいた。

 

 その人達はひそひそと、場にそぐわぬ者が現れたと、迷惑しているのは自分達だとでも言うかのような目で石動先生を見つめている。

 

「あーあ。何よ、折角楽しんでたのに……これだから男はさ」

「だねぇ、ホントこのIS学園にあんなオッサンがいるなんて嫌んなっちゃうね~」

「ま、男が痛い目見るのは悪い気しないけど。一夏くんはともかく、石動なんてさっさとクビにしちゃえばいいのに」

 

 女尊男卑。皆が良くしてくれてたお陰で、俺は()()()()()を向けられたことは殆ど事は無かった。でも、今石動先生に向けられているそれが、その片鱗(へんりん)だってことは俺にだって簡単に予想が付いた。そして、俺は親しい人に対してそういう視線が向けられてめちゃくちゃに嫌な気分になっていたんだ。

 

「ちょっとあんたら……!」

 

 その人達に口を出そうとする俺。しかし、その眼前に制止するよう手が突き出される。いつの間にか箒が俺に背を向け、その人達への視線を遮るように立っていた。その(たしな)めるような視線に俺が渋々引き下がると、箒はセシリアに客対応を任せつつ俺の袖を引き石動先生の元へと歩み寄る。

 

「石動先生、ご無事ですか?」

「無事だけど、無事じゃあねえ。割とマジで泣きそうだ」

「ご傷心の所申し訳ありませんが、ご退出を。今ここに留まるのは善いとは言えません」

「…………そうだな、わかった。迷惑かける」

「申し訳ありません。一夏、そっちを」

「え? あ、ああ……」

 

 俺は箒に言われるがまま石動先生に肩を貸して、廊下へと抜け出した。その時、待機列で待っている人達から黄色い声が上がったけど、俺達が人を運んでいると分かると、皆声のトーンを落として、心配そうにこちらを見つめている。

 俺達はそんな周囲も意に介さず最寄りの曲がり角を曲がり階段の前に入って視線を切ると、さっと石動先生から離れて揃って溜息を吐いた。

 

「ったく…………あいつら、着替えは更衣室でやれよなぁ。百歩譲って休憩室で着替えるのはアリとして、先にそれくらい教えとけってんだ」

「すみません、石動先生。私が接客に集中しすぎていなければ……」

「いやいやそりゃまた別の話だ。そんだけ繁盛してる所に、水差すわけにもいかねえからな。助かったぜ」

 

 石動先生と箒が、先程の事について話し始めた。確かに石動先生にとっては降って湧いたトラブルだっただろう。でも、俺にとってはもっと大事な事があった。

 

「あの石動先生、それより……」

「さっき俺の事嫌そ~に見てた奴らの事か? 気にすんな。俺も気にしてねぇし」

 

 俺の言いたい事を先読みして、肩に手を回しながらにこやかに言う石動先生。その顔から所謂嫌な感じはこれっぽっちも見られない。本当に、石動先生は気にしちゃあいないんだろう。鈍感なのか、やっぱ器がデカいのか。でも俺は、そんな風に気軽にあれを流すなんてできなかった。

 

「ですけど」

「おい、一夏」

「箒、お前は何とも思わねえのかよ? 確かに騒ぎは起こしてたけど、だからって……」

「確かに大切な人をああいう風に嫌悪されるのが気に入らないのは分かる。私だってはらわたが煮えくり返る思いだ。だが、当の石動先生が割り切っているんだ。我々からそれを蒸し返していては(らち)が明かん」

「でも少しくらい言ってやったって!」

 

 感情のままに熱くなる俺。しかし、そんな俺を前にしても箒はただ首を左右に振って、諭す様に口を開いた。

 

「まったく、気持ちは分かるがいい加減にしろ。純粋に心配してくれていた人達も居た以上、その人達の為にも場の空気を更に悪くするのは得策ではない。お前だって、それは望む所じゃないだろう? 人の為に怒れるのは美徳だが、『忍耐しろ』、一夏」

「………………悪ぃ、そこまで気が回らなかった」

 

 いつか一緒にラウラを助けた時のアドバイスを思い出した俺は、申し訳ない気持ちになって思わず(うつむ)く。義憤のままに振る舞おうとして、結局周りに迷惑をかけそうになるなんて。そんな、意気消沈した俺を見かねた石動先生がガシガシと頭を強く撫でて来た。

 

「はっはっは、だから気にするなって! 俺にとっちゃあ名前も知らない女に差別されるより、お前達が気遣ってくれた事の方がよっぽど大事で嬉しいんだからよ!」

「いだだだ! 力強いっす先生! あっちょっあっ割とマジで痛え!」

 

 そんな俺達を見て、箒は堪え切れずにぷっと吹き出して顔を背けた。俺も同様に釣られて笑う。やっぱ、この人のこう言う所好きだな。ムードメーカーっつうか、本当に雰囲気を明るくするのが上手い。そうして三人で笑い合っている内に、俺も先程の嫌な気分が嘘みたいにいい気分になっていた。

 

「ありがとうございます、先生。……とりあえず私は教室に戻ります。一夏は……最後の接客が途中だったはずだ」

「ああ、謝りに行くよ。手間かける」

「いや、私も行こう。お前を連れ出したのは私の判断だからな」

「ああ、そうしとけ。結局の所大体俺のせいなんだが……任せる! 俺は改めてメシ探してくるわ。休憩時間も残り少ねえしな。Ciao(チャオ)!」

 

 俺から離れた石動先生はさっさと踵を返し、階段を駆け下りて行ってしまう。やっぱ忙しいんだな……俺もぼーっとしてらんねえ。最後のお客さんへの応対もちゃんと終わらせて、皆で祭りを楽しむとするか! そう気を取り直して、俺は箒の後を追って一緒に教室へと戻って行った。

 

 

 

 

 

 

「……食い損ねちまったなぁ」

 

 石動は人混みを通り抜けながら、小さくそう呟いた。既に15時前。結局休憩所にタマゴサンドを落としてしまっていた石動は、余りの客足の多さに結局何も口にする事が出来ず、フラフラと見周りを続けているのだった。

 

 仕方がねえ。そう石動は一人ごちる。彼は最初、昼食を食べながら一年一組の喧騒を楽しもうとして居ただけで、食事そのものを重要視しているわけでは無かった。なので特段昼を逃しても落胆する事は無い。だが、それでも腹は減るものだ。故に彼は手近な食事場所を探して首を巡らせる。

 しかしこの時間帯、そろそろ歩きつかれたと見える学生や来客たちが目ぼしい場所には腰を落ち着けており、残念ながら彼の目に映る範囲に食事がとれて、休めそうな場所は残されていなかった。その現状に、石動は困ったように頭をかいて溜息を吐く。

 

「おーい! 石動先生!」

「んん?」

 

 その時、人混みの中から声を掛けられ、それに反応して石動は首を巡らせた。向けた視線先に居たのはダリルとフォルテ。相変わらず、二人仲睦まじそうに連れ歩いているのを見て石動は陽気に返そうとしたが、止めた。彼女達はもう一人、パーカーのフードを目深に被った少女――――背丈だけを見れば、小学校高学年か中学生程に見える――――を連れていたからだ。石動はそれを何となく訝しんだ。

 

「ヤッホー先生。何か元気なさそうだけど大丈夫かよ?」

「ナンパでもしくじったんスか?」

「よぉダリル。あと適当な事言ってんじゃないぜサファイア。……ちょっと昼飯食い損ねちまっただけだよ」

「そりゃキツい」

「おなかぺこぺこって訳ッスね」

「そんなとこだ…………その子は?」

 

 軽く会話のキャッチボールを済ませてから、石動は少女を見て首を傾げた。それにダリルが困ったように笑う。

 

「そうそうこの子。実は迷子らしくてさ…………」

「珍しいッスよね~。普段なら見て見ぬ振りしそうなもんッスけど」

「うっせえな! ……そんでよ、連れて親探してあげたのはいいけど全然見つからねえし、流石にオレらもあんまりこの子に構ってるわけにはいかねえから……頼む! 親探し引き継いでくれ!」

「マジか」

 

 一旦フォルテと言い合っていながら、すぐさま態度を変え顔の前で両手を合わせて頭を下げるダリルに、石動は困惑した顔で答えた。

 

「大マジッス。もう時間、意外とやばいんスよ。生徒会の劇が――――」

「シーッ! 言うなって! ……つー訳なんだ! 頼む! オレらを救うと思って!」

 

 自分たちの都合を隠しきれず、しかし平謝りでもするかの如くに頭を下げ続けるダリルを見て、石動は何やら難しい顔で腕を組み――――しばらくして、諦めたかのように肩を落とした。

 

「まぁ、そりゃあ……それも俺の仕事の範疇だよなぁ~~……」

「そう嫌そうな顔しちゃあだめッスよ、この子困ってるんスから」

「うむ、わかる、わかる……。仕方ねえなぁ~、任された! この子は俺が何とかするから、お前らはデート楽しんで来い!」

「やった! 愛してるぜ先生!」

 

 諦めてそれを受け入れた石動にダリルが快哉の叫びを挙げた。だがそこで、『愛してる』という一言に反応したフォルテがダリルへと詰め寄った。

 

「ちょっと先輩! 愛してるってどう言う事スか!?」

「言葉の綾だよ! いいから行くぞ!」

「あっちょっ待ってくださいっス~!! 先生ありがとッした~!」

「おーう、Ciao(チャオ)~」

 

 そのまま背を向けて走り去る二人の背中に、石動は小さく手を振った。そのまま彼は二人の姿が人混みに隠れるまでそうしていたが、二人の姿が見えなくなると同時に、思いっきり肩を落として溜息を吐く。

 

「ったく、俺だって暇じゃあねえんだが……」

 

 そう呟いた石動は、横目に少女を捉える。やはりパーカーのフードを目深に被っていて顔は見えないが、フードから覗くその黒い髪と肌の色からアジア系――――恐らく日本人だと石動はアタリを付ける。そして、その少女と目線の高さを合わせるようにしゃがみこんで声を掛けた。

 

「悪いなお嬢ちゃん、日本語解るか? ……お姉ちゃんたちは忙しいんで、俺がこれからは付き合うぜ、よろしくな。そんでちょっと、パパとかママとか、誰と来たかだけでいいから教えてくんねえかな?」

「……………………」

 

 にこやかに問いかけたものの、少女は何も答えない。その様子に石動は一度立ち上がり、困ったように頭をかいてから学園の方を指し示した。

 

「とりあえず、校舎にある総合案内所に行くか。家族が探しに来てるかもしれねえし。奴らも俺の所に連れてこねえで、そっち行きゃよかったのにな…………よし、こっちだ。レッツゴーと行こうぜ!」

 

 そう言って満面の笑みを浮かべながら少女の手を取った石動。しかしその瞬間、少女は石動の手を強く握り返し、そのままその体に見合わぬ膂力で石動を引きずってゆく。

 

「ちょっちょっちょっと待て! どこ行くんだ!?」

「待ち合わせ場所。こっち」

「待ち合わせだって!?」

 

 慌てた石動に、少女は雑な返事を返してどんどん彼を引っ張ってゆく。その言葉を聞いて眉を顰める石動だったが、強い抵抗もせずそのまま少女に引きずられて行く。彼らの様子を、当人の慌てようとは裏腹に周囲の人々が微笑ましい目で見つめていた。

 

 そうしてしばらく引っ張り回されている内に、石動は自身達が学園祭で解放されているエリアの端、人気(ひとけ)も無くに資材が所々に積まれている場所にたどり着いた。そこで少女が突然立ち止まって彼の手を離すと、少女にペースを合わせていた石動は前のめりにつんのめって少女にぶつかりそうになる。しかし少女はそれを見もせずに躱して、転びかける石動を一瞥してからつまらなそうに口を開いた。

 

「ここ」

「ここ……? 待ち合わせ場所がか? 変な親だな……」

「来た」

 

 こちらに向き直って毒を吐く石動に取り合う事も無く、少女は石動の後ろを指し示した。それに反応して石動は上体を巡らせて振り返る。しかしそこには人はおらず、ただ設営に使われたと思しき道具があちらこちらに積まれているばかりだ。

 

「……どこ? 居なくねえか?」

「良く見て」

 

 自身の問いを否定する少女の言葉を聞いて、後ろを向いたまま面倒くさそうに眼を細める石動。しかし、どれほど目を凝らしてもそこには誰も現れる事は無い。それに、ついに石動がしびれを切らして少女に抗議しようと振り返る。

 

 その脇腹に、十二分な電力を溜め込んだスタンガンが押し当てられた。

 

「ギャッ!?」

 

 瞬間、嫌な音と共に走った激痛と共に石動は跳ね飛び、情けない悲鳴を上げつつ痛みにのたうち回って少女から離れるように転がってゆく。その姿を、当の少女は逆に驚いたように見つめるばかり。その内3メートルほど転がった石動は跳ねるように油断なく立ち上がって、痛みに顔を(しか)めながら少女と相対した。

 

「このヤロ……オエッ……いきなりスタンガンとはご挨拶じゃあねえか……! 俺に何の用だ……!?」

 

 脇腹から走る痛みと怒りに顔を歪めたまま、石動は少女にしかし、一方の少女はスタンガンを押し当てた時の姿勢のまま、困惑するように問いかけて来た。

 

「……貴様、何故気絶していない」

「………………あっ」

 

 その言葉に、今度は石動が呆気にとられる番だった。元々今回少女の使っていたスタンガンは大の成人男性を捕らえる為に用意された得物だ。その威力は実証済み、何をどう間違っても石動を気絶させる事は出来たはず。

 だがしかし、当の石動は苦悶こそしている物のまだ自分の足で立って、あまつさえ抵抗の構えまで見せている。尤もな、しかし普段の少女を知る者なら想像できないであろう当惑した顔でスタンガンを構え直す少女に、対して石動は何かを誤魔化すように笑い始めた。

 

「あー……はっはっはっは……ハン! 当て所が悪かったんじゃあねえの!? それより、何の真似だお嬢ちゃん? どっかのフィクションから飛び出たヒットマンか!? せめて所属を言いやがれ!」

「説明する必要があるか? 今から虜囚(りょしゅう)となる貴様に」

「……何だと?」

 

 まるで怒っているかのように少女に捲し立てる石動。しかしその長台詞の内にその当惑をひとまず脇に置いた少女は、普段通りの高圧的な様子で石動を見下(みくだ)した。その言葉に、石動は眉を顰める。

 

 瞬間、少女がスタンガンを石動の顔目掛け全力で投げつけた。彼はそれを身を逸らして回避する。だがその間にその外見年齢からは予想しえないような速度で石動の眼前に迫った少女はその脚力を生かして飛びあがり、石動のこめかみ目掛けて空中での回し蹴りを繰り出す。しかし石動は即座に少女の足と自身の頭の間に腕を差し入れその蹴りを防御した。

 

()っ――――そらァ!」

 

 予想よりもはるかに威力の籠った蹴りに顔を歪めながら、振り払う様にガードした腕を振るう石動。しかしそれよりも一拍早く蹴りの反動で身を翻した少女は宙返りの要領で地面に手を突いて石動から距離を取っていた。

 

 それを見て、石動は警戒しながら数歩後ろへと退く。時間は彼の味方だ。この少女が何者で、何の目的があって彼に襲い掛かったかは分からないが、元々あのスタンガンだけで終わらせるつもりだったのは間違いない。時間を稼がれるのは望んでいないだろう。故に石動はリーチ差を考慮してカウンターの構えを取った。このまま戦闘を長引かせて誰かに見咎められれば、それは石動の勝利を意味している。

 

 故に少女は止まらない。凄まじい脚力で地を蹴ると、一気に石動との距離を詰めに行く。相手を幻惑するかのごとき鋭い動きで駆ける少女。しかしカウンターの構えを取っていた石動はその体を狙い、射程に入った瞬間に渾身のミドルキックを繰り出した。

 

 瞬間、少女は前に倒れ込むようにして身を沈め、その蹴りを辛くも潜り抜ける。驚愕する石動。しかしそれは自身の渾身の蹴りを躱されたという事実からではなく、蹴りの風圧でめくれたフードに隠されていた少女の素顔に対しての物だった。

 

「お前、その顔――――」

「ハァッ!」

 

 驚愕する石動の前で、再び少女は飛びあがって頭部への回し蹴りを仕掛けた。咄嗟に石動は先ほどと同様、腕を差し入れて防御しようとする。しかしその瞬間、少女の蹴り脚に黒いISの脚部が部分展開された。

 

「がッ!?」

 

 そのまま、ISを纏った少女の脚が石動の腕をへし折り、その威力を以って彼自身を吹き飛ばして資材の山へと叩き込む。着地した少女が視線を上げて残心すれば、そこには頭から資材に突っ込んで身動き一つしない、石動惣一の姿があるのみだった。

 

 

 

 

 

 

「――――こちらエム。石動惣一(ターゲット)の確保に成功した。人を送れ」

『了解よ。……ターゲットは大丈夫なの? あんまりケガとかさせて無いでしょうね?』

「問題ない。情報通りなら、それほど軟な奴でも無いはずだ」

『そう……まあ、捕まえられたなら言う事は無いわ。手筈通り頼むわよ』

「フン」

 

 スコールとの通信を終えた少女――――織斑千冬の若かりし頃にそっくりな顔をしたエムは、一度通信端末を地面に叩きつけたい衝動に襲われる。しかし意思の力を総動員してその怒りを抑え込むと、油断なく石動の傍へと歩み寄りその様子を睨みつけるように観察し始めた。

 

 ISの部分展開を行った上での蹴りを防御した腕は見事に手首と肘の中間で折れ曲がっていた。それに加え資材に突っ込んだ時に切ったか頭からは血を流しており、ついでに片方の足首も明後日の方向を向いている。

 

 ……少しやりすぎたか?

 

 一瞬疑念を感じたエムだったが、すぐさまその疑念を脳内で殺す。この程度なら許容範囲内だろう。そもそも無傷で連れて来いなどとは一言も言われていない。適度に逃げれぬ程のケガもさせたし、もう私の知った事じゃあない。

 

 そう考えたあと、無様に気絶する石動を見下ろして鼻を鳴らすエム。そこに招待チケットを使って侵入していた亡国機業(ファントム・タスク)の構成員が救急隊に偽装して現れた。彼らはまるで本物の救急隊であるかのように手早く担架を展開して石動を乗せてシートで顔を隠し、それからエムへと指示を請う。

 

 それを見たエムが小さく首肯で答えると、その瞳に僅かに怯えの色を見せながら彼らは石動を担ぎ上げ、早々に来た方向へと移動していく。その姿を見てエムは苛立ちに一瞬顔を歪めるが、すぐに気を取り直してその後を追おうと踵を返した。

 

 だがその足元にごろりと転がってくるものがあった。エムはそれを苛立たし気に睨みつける。移送中の石動のポケットから零れ落ちた、ロシアの伝統工芸の人形。エムはそのマトリョーシカを見下ろして、自身の内の行き場の無い怒りをぶつけるかの如く思いっきり踏み砕いた。

 




学園祭、いろいろやらせたい事は有ったんですけど書かなきゃいけないシーンが多くて多少絶版しました。つかれた……。

ルパパトの凄まじい完成度に涙を流して崇拝の構えを取ってしんでいたんですけどVシネグリスの速報が来て蘇りました。
これが俺の求めてた祭りだァッ!(新変身アイテムを見て)

松坂さんもツイッターで呟いてらっしゃいましたがシンケンジャー10周年ですね! いやあおめでたいです。


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招かれざるゲスト

学園祭戦闘パート、29000字です。

序盤書き終えた地点で10000字超えてどうなるかと思いましたが30000字行く前に切れてよかったです。


感想評価お気に入り、誤字報告いつもありがとうございます。
クリエイションの助けになっております。


 人生って奴には、自分の力じゃどうにもならない状況ってのが一度か二度くらいはあるもんだ。でも、俺は割と波乱万丈な人生を送ってきてて、そういう目にあった事はこの歳で一度や二度ってレベルじゃあねえ。

 

 千冬姉のモンド・グロッソ優勝を妨害しようとする謎のテロリストに誘拐されかけたり、何でかISを動かせちまって、あれよあれよと言う間にIS学園に入れられちまったりな。

 

 でも、テロリスト云々はともかく、IS学園に入れたのは今となっちゃすげえいい事だと思ってる。箒や鈴とまた会えたし、セシリアやシャル、ラウラみたいな頼れる仲間達も出来た。それに学園の教師だった千冬姉を初めとして、石動先生や山田先生、それに楯無先輩とかのすごい人達にも沢山出会えた。

 

 そうだ。俺はなんだかんだでそれなりに強くなれた。皆と白式(びゃくしき)のお陰でな。皆が居たから、皆が助けてくれたから、きっと俺はこれからも皆と強くなっていけるはずだ。

 

 それに強さを求める理由だってある。俺の前に現れた恐るべき敵。

 

 ISを奪い取り、箒に銃を向けた<ブラッド>。圧倒的な実力で、俺達の前に立ちふさがった<スターク>。あいつらはきっとまた俺達の前に現れる。

 

 だから強くならなきゃならない。俺のせいで誰かが悲しむなんてもうごめんだし、俺の目の前で誰かが傷つけられるのだって我慢ならないからだ。

 

 皆を守るために。そう思って努力してるんだけど、悲しい事に今の俺は皆に守られてばっかりだ。けどなんだかんだで皆の事を助けられた時もあるし、持ちつ持たれつって感じで昔よりはうまくやれてる、と思う。

 

 そうとも! 皆と力を合わせれば、どんな相手が来たって怖くない。

 

 

 でもさ。

 

 

「ゲホッ、ゲホッ…………流石に、皆に襲われる羽目になるとは思ってなかったんだよなあ……」

 

 そう、今の今まで俺は仲間のはずの箒や鈴、セシリアにシャルにラウラ、全員に寄ってたかって襲い掛かられていたのだ。何故か。全ては生徒会――――って言うか絶対楯無先輩――――の企画した『観客参加型演劇・シンデレラ』のせいである。

 

 えらい目にあった。それが俺のぶっちゃけたとこの感想だ。つか、シンデレラが何人もいる地点でおかしいし、全員が戦闘のプロフェッショナルってなんだよ! それに揃って王子の王冠を狙ってるとかさあ! せめて事前に説明くれよ事前に! アドリブでこなすような内容じゃあねーっての!!

 

 皆も最初は乗り気じゃ無かったくせに楯無先輩に何か言われた途端やる気満々になっちまって…………結局は殺る気満々もいいとこだ。最終的にはそれに加えて観客の女子達の参戦も許可されてもはや暴動だぜ暴動!

 

 でもまあ、あの大混乱のお陰で抜け出して来れたんだけどな……。俺は辿り付いたアリーナの更衣室で、疲れ切った顔のまま目の前の相手を見やる。

 

「大分お疲れのようですね」

 

 そう言って俺に笑いかけるのは、ラウラの煙幕手榴弾に乗じて俺を阿鼻叫喚のステージから連れ出してくれた招待客の女性。確か休憩時間に名刺を貰ってて、名前はえーと……。

 

巻紙(まきがみ)さん……でしたよね。いや、ホントありがとうございます……助かりました……」

「いえいえ、礼にはおよびませんよ」

 

 そう言って巻紙さんは菩薩じみた優しい笑みを浮かべた。なんていい人なんだ……。彼女が居なければ俺は今頃、女子達の総攻撃によってなんかもう命がヤバくなっていたかもしれない。そう思うと心底ゾッとする。それを考えただけでちょっと疲れの増した俺は肩を落として、そのまま近くの椅子に腰掛けた。

 

 さて、どうすっかな……劇の途中で抜けてきたのはちょっと悪い気がするけど戻るわけにもいかねえし……ほとぼりが冷めるまでここに隠れてようかな。ここ生徒くらいしか入ってこれないし。……って、巻紙さんがここに居るのマズくないか? とりあえず出てってもらうよう言っておくか……。

 

「あ、そうだ。ここ、一応関係者以外立ち入り禁止で……俺、黙っとくんで、誰にも見られない内に出てった方がいいですよ。多分今は皆ステージの方に行ってて、周りに人いないと思いますし……」

「ええ、それがいいんですよ」

「……はい?」

 

 俺の提案に笑顔を崩さぬままに答えた巻紙さんの顔を見て、俺は何となく嫌な感覚が背筋を奔るのを感じた。何だ、これ。なんて言うんだろう。殺気……じゃあない。そういうのとはまた違う、悪意みたいな……。

 

「えっと、それがいいって、なんでです?」

「はい。白式をいただくには打ってつけのシチュエーションだと思いまして」

 

 瞬間、腰掛けた俺に向け繰り出された蹴りを何とか腕を盾にして防いで、俺は転げ落ちるように椅子から離れて距離を取る。当の巻紙さんは蹴り脚を戻して、先程同様ニコニコと微笑んでいるばかりだ。その姿に思わず俺は大声を上げて巻紙さんを問い詰める。

 

「なっ、何するんですか突然!」

「あん? 何だよ、生意気にも防ぎやがって。まぁいいや、ホラ、さっさと白式をよこしやがれ。私も暇じゃあねーんだよ」

 

 相変わらずの笑顔で全くの別人じみたセリフを吐き捨てる巻紙さんに呆気にとられそうになるが、俺は自分を強いて拳を構えた。正直、このどすの効いた声が目の前の人から出てるなんて考えたくなかったけど、今はそうも言ってられない。目の前にいるのは、多分敵。白式を狙って、ずっと俺の隙を伺っていたんだ。

 

「くそっ……何者(なにもん)だアンタ!? 少なくとも、企業の渉外担当なんて嘘っぱちだろ!」

「あぁ? 今更かよ。私は見ての通りの謎の美女だよ。泣いて喜んでもいいんだぜ?」

 

 言いながら一歩踏み込んだ彼女は踏みつけじみた前蹴りを繰り出すが、流石に直線的すぎる。俺は後ろに跳ねるようにしてそれを回避した。すると奴はそれに対して一瞬だけムッとしたが、すぐにその顔を笑顔に戻す。……完全に舐められてやがる。しかし俺は一瞬沸いた反抗心を鎮めて、努めて冷静に女と距離を取った。

 

「ケッ、ちまちま避けやがって……面倒くせえなァ!」

 

 思い通りに事が運ばなかったのが苛立ったか、ソイツはついに張りつけていた笑顔を凶暴に歪めて身構える。それと共にそのスーツの背が内側から引き裂かれ、機械で出来た何本もの爪先が飛び出した。その本数は実に四本。黄と赤黒で彩られたそれはまさに蜘蛛の足。人の手足と合わせてちょうど八本で、本当に蜘蛛をモチーフに作られているんだろう。

 

 だがその見た目よりも、目の前の敵がISを展開した事実の方が俺にとっては重要だった。

 

 ――――こいつは、完全に敵だ。しかも、操るのは量産された機体じゃあ無く、明らかにワンオフの専用機。それを見た俺は展開の隙に更に一歩距離を取って、最速で白式を呼び出(コール)した。

 

「――――白式(びゃくしき)ッ!!!」

 

 俺の声に応じて制服が量子分解され、ISスーツと共に白式が構築された。元からISスーツを着ていなかったせいで余計なエネルギーを食う羽目になったが、背に腹は代えられない。そのまま俺は更に雪片弐型(ゆきひらにがた)を片手に呼び出し、もう片方の手は雪羅(せつら)をクロウモードで起動させる。

 

 今までの訓練の甲斐あってか、敵と俺のIS展開の終了はほぼ同時だった。しかし、動き出しは奴の方が一手早い。向けられた蜘蛛脚の先端が開いたと思えばそこには銃口。俺はそれを見て全力で脇のロッカーに突撃した。

 

 ぶちまけられるロッカーの中身。それを奴の銃撃が一瞬の内にハチの巣にする。誰のロッカーだか分からないけど、本当にスマン! でもそんな事を考えちゃあいられない。俺は即座にその場から飛び退く。次の瞬間ロッカーの上を超えるように伸ばされた蜘蛛足が容赦ない銃撃を俺の居た地点に浴びせていた。

 

 くそっ! この狭いロッカールームじゃあ速度特化の白式は不利だ! それに奴の機体、今の動きからしてあれは閉所での戦闘を得意とするタイプだ。文字通り奴の巣に誘い込まれちまったって訳かよ!

 

 俺は奴がいると思しき地点から距離を取って壁へと向かった。この際四の五の言ってられ無え。ここに長居したってどんどん不利になるだけだ! 壁をぶち破って一旦部屋の外へ! 俺は雪片弐型を構えて壁を切り裂こうと思いっきり振りかぶる。だがそこまでだ。目を凝らせば、壁には奴が仕掛けたとしか思えない粘着ワイヤーがべっとりと貼り付いていた。

 

 危ねえッ! 俺は壁の目前まで迫った所で急制動をかけ何とかと言った(てい)で踏み止まった。もしこのまま壁を切り裂いて突っ込んでたら、瓦礫が全身にくっついて身動き取れなくなるとこだったぜ……。

 

「そこで立ち止まれるとは、意外と冷静じゃあねえか」

 

 かけられた声に俺は振り向く事も無く、ハイパーセンサーを使って状況判断しその場を飛び退く。その俺を掠めるようにして奴の爪が床に突き立てられ、盛大なひび割れを作って埃を撒き上げた。

 

 俺はそのまま急速転回(クイックターン)し、目の前のそいつを改めて視界に捉える。そいつは俺に顔を向け、切れ長の目を凶暴に歪めて長い舌で舌なめずりした。そのISはまさしく蜘蛛の如きフォルム。四本の副腕と操縦者自身の腕が蠢き、相手を蹂躙する喜びに満ち溢れている。そして機体は深い赤色とそこに差された黄色で彩られており、操縦者の危険な気性をアピールしているようだ。

 

「……何だよ、アンタ。一体何者だ」

「ハッ、だから言ってるだろうが!」

 

 その声と共に奴が飛び出す。速い。そのまま一瞬で俺との距離を詰めた奴は四本の副腕と本来の腕に持った刃物、そして強靭な脚で間断ない連続攻撃を仕掛けて来た。俺はそれを必死に捌く。だが、今まで戦った相手でもこれほどの手数を繰り出してきた奴は居ない。たちまち俺は防戦一方となり、奴はそれを見て実に楽しそうに笑った。

 

「私は、お前のISを狙う悪の組織の一員だよ!!!」

「ふざけんな!!」

「ハッ、ガキが! 相手がマジ(真剣)かどうかも分かんねえのか? じゃあこれならどうだ? 世界を相手取る<亡国機業(ファントム・タスク)>が一人、<オータム>様って言えばわかるか!?」

「知らねえよ!!!」

 

 一方的に捲し立てる女に苛立って、俺は雪片を思いっきり横薙ぎに振り抜いた。しかしその瞬間奴はその垣間見える粗暴さからは想像も出来ないほど細やかに副腕を操り、ロッカーを足掛かりにして滑らかに天井にとり付いた。

 

 ――――マジで蜘蛛かよっ!?

 

 驚愕しながら雪片を切り返そうとする俺を尻目に、奴はスラスターにエネルギーを充填する。

 

「踏まれんのは好きか?」

 

 その言葉と共に奴は天井から跳びつつ瞬時加速(イグニッションブースト)。それを俺は何とか切り返した雪片で受け止めた。だがその衝撃に床が蜘蛛の巣めいてひび割れて、周囲のロッカーが吹き飛ばされるかのように薙ぎ倒される。

 

「ぐっ……!!」

 

 その威力を全身で受け止めた俺はダメージに苦悶の声を漏らすが、目の前の奴はその隙を逃さない。奴は押しつけた六本の脚の内副腕の四本を使って俺を拘束し続けつつ、自分自身の脚で思いっきり俺を蹴り飛ばした。

 

「があっ!」

 

 その並のISを遥かに上回るパワーに、俺は呆気無く吹き飛ばされる。ならこれを利用して距離を――――そう思った瞬間、吹き飛ばされた先にエネルギーワイヤーで構成された文字通りの蜘蛛の巣が張られている事に気づいて、俺はロッカーに必死こいて雪羅の爪を突き立ててギリギリで何とか停止した。

 

「チッ、今のでカタが付くと思ったんだけどな……面倒くせえ」

 

 その姿にあからさまな舌打ちを一つして苛立ったように吐き捨てるオータム。俺は息を切らしながら、その余裕たっぷりな立ち姿を見る。確かに、強い。少なくとも俺よりは。でも純粋な操縦の腕前で言えば、多分千冬姉や<スターク>には遠く及ばない。

 

 ――――けど、状況が悪い。この場所でこいつに勝つのは相当うまくやらないと無理だ。

 

 だったら、俺に出来る事を考えろ。状況判断しろ。この状況、あいつが嫌がる事は何だ? 俺が勝つために必要な事…………いや、大局的に物を見るんだ。勝利条件を考え直せ。こいつはわざわざ人目に付かないところに俺を誘いだしたんだ。なら、誰かに見られるのは拙い筈……!!

 

「……へっ、面倒くさがってる場合かよ。こんな派手にブチかましたんだ、その内誰か到着するぜ。ISの稼働だって感知されてるだろうしな。もうすぐ皆が来てお前は御用になるぜ」

「いいのか? 私は来た奴から殺すぞ?」

「なっ!?」

 

 心理戦を仕掛けようとした俺をあっさりと一蹴してオータムはサディスティックに笑う。そして俺は逆に追いつめられた。こいつは見つかる事を恐れちゃあいない。むしろ、敵が増えるのを楽しむような余裕を見せている。それがハッタリなのかどうかは俺にはわからない。だが、俺を助けに来るものを殺すというその宣言を受けて、最早俺はこいつに挑むしかなくなってしまった。

 

 だったらどうする。ここでは白式の強みである機動力は生かせない。あのパワーからして真っ向から<零落白夜(れいらくびゃくや)>で挑んでも腕とかを止められかねないし、何処に人がいるかも分からないこの屋内で<月夜(げつや)>を撃っても、外した時のリスクがでかすぎる……! だからって普通の接近戦を挑もうにも、あの手数相手じゃあまりに不利だ……!

 

 名案が無いか頭をフル回転させる俺を楽し気にそれを眺めるオータム。そうしてしばらく睨み合っていると、オータムの方が先に名案を思いついたかのような稚気じみた顔をして、俺を嘲るかのように指差してきた。

 

「ハッ、やっぱガキだな。心理戦ってのは有利を確信してるやつには通じねえ。……ああそうだ。折角だから教えてやるよ。第二回<モンド・グロッソ>……お前の姉が優勝を逃したあの大会でテメエを拉致ったのは、何を隠そう私たちさ!」

「…………何だと」

 

 その言葉に、俺の内側が沸騰した。

 

 こいつが、いや、こいつらがあの事件を起こした張本人。こいつらのせいで、千冬姉が――――!!!

 

 怒りに燃えて、俺はオータムに突撃しようとした。その姿を見て奴は楽しげに笑いながら、何やら指先にエネルギーワイヤーを生み出してそれを複雑に編んでいく。蜘蛛の糸。そういえば、いつか似た技を見た事があった気が――――

 

 一瞬の既視感に囚われて、俺は足を止める。思い出すのは、学年別タッグマッチでのスタークとの戦い。そこで箒が蜘蛛網を刀を投げつけて止めた事があった。

 

 そして、その前に箒が言っていた事を想起する。

 

【怒りを堪え、自分が今本当にやるべき事が何なのか、それを良く考えるんだ! 怒りに任せ切って振るう力で、得られる物など何もない…………嘗ての私の様に】

 

 ――――ああ、そうだ、そうだった。かつて箒が教えてくれた耐え忍ぶ心。それが俺を救った。立ち止まった俺へとオータムが編み終えた網を撃ち出す。一瞬でそれは弾けるように広がり、俺を捕らえるべく迫って来た。もし怒りに任せて突撃していたら、あの網の餌食になっていただろう。

 

 だったら零落白夜――――いや、エネルギー兵器に対して絶対的な対抗策のある俺にあそこまでこれ見よがしにエネルギー兵器を使うかなんて甘すぎる。俺は奴の意図と目の前の網の危険性を瞬時に推理し、零落白夜での迎撃を却下した。だったらどうする……いや、俺は他の対処法を知ってるだろ! 俺は突き立てられていた雪羅の爪で即座にロッカーの扉を引き裂くと、それをそのまま迫る網目掛けて投げ飛ばす。

 

 回転しながら宙を舞うロッカーの扉。それはそのまま網を巻き込んでオータム目掛け飛翔するかに思えたが、タイミングが僅かに遅れたか広がり切った網に囚われ宙づりとなる。それでも網は途中で止まり俺自身が囚われる事は逃れられた。

 

「チッ!」

「うおおっ!」

 

 そしてオータムの舌打ちを耳で捉えつつ、俺は再び横のロッカーを薙ぎ倒してその場を離れた。直後即座に切り返し、オータムの居る位置へ向け障害物を無視して突撃する。肩からロッカーに激突しながらそれを押し出せば、それは質量兵器となってオータムへと襲い掛かった。

 

「クソがッ!」

 

 吹き飛ばされたロッカーがオータムを襲う、しかし奴はそれを副腕を総動員して防いだ。防がれたけど、隙は出来たぜ。その陰から飛び出した俺が時間差でオータムへと肉薄、雪片から零落白夜の光が迸り、奴の眼が見開かれた。

 

「はあっ!」

 

 火花が散って、金属の焼ける嫌な匂いが立ち込めた。俺の零落白夜によって奴の副腕は一本が完全に切り飛ばされ、天井に深々と突き刺さる。そのまま横をすれ違った俺は向かい側のロッカーをブチ抜きそこで反転。再びロッカーを盾兼質量兵器に使う突撃で奴に襲い掛かった。

 

「味なマネしてんじゃあねえぞガキがッ!」

 

 その二段構えの攻撃に対してオータムは叫び、ワイヤーの網を生み出しそれによってロッカーを受け止める。同じ手は二度も通じねえってか。だが、それこそが俺の狙いだった。網の手前で急制動をかけ停止した俺は雪片を収納して、今やチャージの完了を終えた荷電粒子砲の砲口を奴に向ける。

 

「テメェ――――」

「悪ぃな」

 

 オータムが何か呟くのも気にせず、俺はそのまま荷電粒子砲を思いっきり撃ち放った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ハアッ、ハァ……どうだ、この野郎……!」

 

 目の前を満たす煙に勝ち誇って、緊張の糸が切れた俺は近くの無事なロッカーに寄りかかる。……えらい派手にやっちまったなあ。こりゃ、後でとんでも無い事になるぞ……。

 

 俺は一度周囲を見回して、それから俯いて溜息を吐いた。ぶちまけられたロッカーに、戦いに巻き込まれた他の生徒の私物。極めつけは最後の荷電粒子砲で壁に見事な大穴が空いちまってる。こりゃ、流石にマジで退学か……? いや、いやいや。俺、正当防衛だし。俺は悪くねえ! 全部あのオータムとか言う奴のせいだ。あ、それをさっさと千冬姉に報告しないと……。

 

 言い聞かせて意識を切り替えた俺は、自身を立ち直らせるべく顔を上げる。

 

 

 

 そこには、怒りの形相を湛えた、蜘蛛。

 

 

 

「なっ――――」

「オラァ!!」

 

 驚愕する俺の顔面に蜘蛛の、オータムの拳が叩き込まれ、その威力に俺は背中からロッカーに突っ込み、勢いのままそれを押し倒しながら崩れ落ちた。

 

「がっ、ぐっ……」

「やってくれたじゃあねえか、ガキがッ……!」

 

 痛みに苦悶する俺に、凄まじい怒りに歯を剥き出しながらオータムが迫る。

 

 何でだ、あの距離での荷電粒子砲。割とオーバーキルな一撃だったはずなのに……! その思いと共に奴のISを見ると、確かにその全身が焼け焦げており、無傷と言う訳ではない様子だった。

 

 だったら何で――――!! 驚愕と困惑に混乱する俺は、そこで気づく。一本減った奴の残り三本の副腕の先端、そして両手にそれぞれエネルギーシールドの発生器が装備されていることに。

 

「レインからの情報が無けりゃあ……この<アラクネ>じゃあなけりゃ、さっきのはマジでヤバかったぜ…………」

 

 オータム自身も既に満身創痍、息も絶え絶えと言った様子で俺の前に立つ。そこで俺はようやく奴がどうあの荷電粒子砲を切り抜けたか理解した。

 

 そうか。こいつあの瞬間、副腕の先にエネルギーシールドを呼び出してそれで防御を――――

 

 俺の思考は、そこで中断された。ガギン、と言う金属音と共に何かが俺に掴みかかった。そいつは40センチほどの大きさの機械。獲物にとり付く蜘蛛じみて脚を閉じしっかりと俺を拘束したそれを見て、オータムはようやくと言う風に大笑いした。

 

「はっ、ハハハハ! やっとお楽しみの時間だ! お別れの挨拶はどうすんだ、オイ!」

「何意味わかんねえ事言ってやがる……!」

「あぁ? 何ってなぁ。決まってるだろ…………お前のその、白式とのだよ!!」

「何――――」

 

 瞬間、取りつけられた装置から凄まじい電撃が迸った。

 

「があああああああっっっ!!!!!!」

 

 全身を焼かれる激痛に俺はただ悲鳴を上げる。その姿を見て、眼前のオータムはにやにやと嫌らしい笑みを浮かべるばかりだ。まずい。この装置が何だか知らないが、このままじゃあ碌な事にならない! だけど電流に苛まれた上に拘束された俺に出来るのは奴をただ睨み続けることぐらいで、それはオータムをますます楽しげにさせるだけだった。

 

「ぐっ、ああっ…………」

 

 そうしてしばらくして、その装置からの電流が止み俺は拘束から解放された。だが、俺からは白式が失われ、元の制服姿に戻っている。

 

「白式が……何を、何しやがった……!!」

 

 自らの状態を理解して、俺は思わず困惑する。その俺を見下ろして、オータムは楽し気に手の上で輝く菱形の結晶体――――第二形態まで形態移行(フォームシフト)した白式のコアを弄びながら笑った。

 

「さっきからナニナニうるせえなァ! ……ま、いいぜ。教えてやるよ。さっきのは<剥離剤(リムーバー)>っつってなあ。相手のISを強制解除できる激レア兵器さ! 最期に拝めてツイてんなあ、オイ?」

 

 言い終えた奴は生身の俺に向けて軽い蹴り――――それでもISのパワーアシストで十分すぎる威力を持つ――――を放つ。満身創痍の俺はそれに反応することも出来ずに脇腹に蹴りを食らって無様に転がされた。

 

「さて、目標達成。後はオサラバするだけだが――――」

 

 もったいぶるように言ってオータムは俺に歩み寄り、床に転がる俺の首を掴んで一息に持ち上げた。その顔は歯を見せて笑っているが、目には並々ならぬ怒りが満ちている。

 

「私をここまでコケにしてくれたお前には、それ相応の罰を与えねえとなあ?」

「ぐあ……!」

 

 そのままオータムは腕に更に力を込める。ミシミシと、首の骨が嫌な音を立てて軋んだ。

 

 ダメだ、クソッ。ISが無い俺と目の前のアラクネじゃあ実力差は余りにも明白。このまま首を潰されて、死ぬのか、俺は……。他人どころか、自分の事さえ守れずに……! 悔しさと不甲斐なさに、軋む首の骨以上に、歯を強く食いしばる。そうだ、こんなとこで諦めてられっか。後悔なんて死んでからすりゃあいい! 情けないのを承知で俺は奴の手首を掴み、その腹に蹴りを入れて反動で奴の持つ白式のコアに手を伸ばす。

 

「おっとぉ、諦めが悪ぃな」

 

 しかし奴はまるで大人が子供のおもちゃを取り上げるかの様にコアを高く掲げて、俺の無様を嘲笑った。

 

「最後の抵抗にしちゃあ情けねえ。これだから男はよ……せめてあの世で、情けなく泣きわめく事だな。あばよ」

「っあ……!」

 

 そのまま奴は更に腕に力を込め、俺にトドメを刺そうとする。すぐに血が頭に回らなくなって視界が真っ暗になった。ちきしょう。俺は、俺はこんな所で――――

 

 ――――俺の意識が、そうして途絶えそうになった瞬間。突如飛来した人影が、オータムの持つISコアを弾き飛ばした。

 

 

 

 

 

 

「何ッ…………!!」

 

 突然の奇襲にISコアを弾き飛ばされたオータムは一夏を放り捨て、その襲撃者へと向き直る。そこに居たのは、透明なベールを纏った水色のIS。その装甲は全身装甲(フルスキン)の機体どころか通常のISよりも少なく、殆どISスーツが露出している。その右手には液体を纏った巨大なランス。そして何よりも特徴的なのは、左右一対で浮遊しているクリスタルめいたパーツ。そこからは彼女が纏う液体のヴェールと同じものが生まれており、少ない装甲の隙間をカバーするように機体を守っている。

 

何者(なにもん)だ、テメェ!」

 

 歯ぎしりしながら叫ぶオータム。それに対してそのISの操縦者は窘めるように小さく笑って、ランスを握っていない方の手に持った扇子を一振りして開き、『救援』と書かれたそれで口元を隠して自己紹介した。

 

「IS学園生徒会長、更識楯無。そしてIS<ミステリアス・レイディ>よ。よろしくね」

 

 その姿に、ゲホゲホと咳き込んでいた一夏が顔を上げ、驚愕の声を上げる。

 

「楯無先輩……!!」

「よく頑張ったわね、一夏くん。後はお姉さんにお任せあれ。あんな三下すぐに片づけて、ケガの手当てしてあげるからね」

「ガキが言うじゃあねえか! 望み通りぶっ殺してやるよ……!」

 

 言って微笑む楯無に、一夏は尻餅を付いたままどうしようもなく安堵した。一方、一夏にかけられた言葉に混ぜられた挑発を聞き逃さなかったオータムはさらに怒りを見せて身構える。だが、そのセリフを聞いた楯無はますます微笑みを深くして、呆れたように首を振った。

 

「あらあら。センスの無いセリフねえ、そんなだから初対面で三下扱いされちゃうのよ? <亡国機業(ファントム・タスク)>のオータムちゃん?」

「殺すッ!!」

 

 更なる挑発にオータムが動いた。瞬時加速に乗って楯無へと肉薄し、副腕を振り上げ格闘戦――――と見せかけ、その先端を開いて近距離からの掃射を行う。しかし、ミステリアス・レイディの纏っていた透明なヴェールが揺らぐとまるで彼女を庇うかのようにその間へと滑り込み銃弾を受け止めた。本来であれば、その薄い防御を容易く突破するはずの銃弾は、ヴェールの中に突入した瞬間勢いを失って無効化される。

 

「何だと!?」

「隙ありっ!」

 

 驚愕したオータムに対して楯無はそのランスを突き出して自らの盾であるヴェールを突破。その刺突で以ってオータムを大きく突き飛ばす。しかしオータムもさる者、自身の脚と副腕を床や壁に突き刺して態勢を制御し着地、油断なく楯無と向かい合った。

 

「野郎ッ……! ただの水じゃあねえなっ!?」

「あら、意外と鋭いじゃない。お察しの通り、この水はISのエネルギーを伝達するナノマシンを使って制御していてね。通すも通さないも自由自在よ。この防御を破りたかったら、せめて虚を突いて攻撃する事ね」

 

 吐き捨てるオータムに対して、余裕たっぷりにアドバイスまでして見せる楯無。しかしそれを見て、オータムは逆ににやりと笑みを見せた。

 

「だったらどこまで耐えられるのか、てめえが死ぬまで試してやるよ!!!」

 

 その言葉と共にオータムは両手と副腕にアサルトライフルを呼びだして一斉掃射。しかしランスを持った手を突き出して即座に水の盾を張ったミステリアス・レイディにそれが到達する事は無い。見る見るうちに水の中に留められた弾丸が数を増やし、それでもオータムは連射を止めずに攻撃を続けてゆく。

 

「何だ……?」

 

 その攻撃に作為的な物を感じた一夏が目を凝らす。良く見れば、その副腕の一本がリロードを装って僅かに不自然な動きを見せている。その先端からは一本のエネルギーワイヤー。更にその先は既に投擲されたナイフへと繋がっており、それは柱に引っかかって軌道を変え、楯無の首目掛け飛来する。

 

「楯無先ぱ――――」

 

 一夏が言い切る前にその切っ先が楯無に迫る。だが、そこまでだった。楯無は手に持った扇子を閉じ視線を向ける事も無く扇子でナイフを弾き飛ばす。完全に解り切っていたとしか思えない防御に、一夏とオータムは同時に驚愕した。

 

「馬鹿な……!」

「自分から隙を作っちゃ世話ないね」

 

 それを見てとった楯無は手に持ったランスを横薙ぎに大きく振るう。すると水のヴェールが盛大な音を立てて弾け飛び、内包していた弾丸が散弾銃じみてオータムのアラクネに襲い掛かった。

 

「ッ!」

 

 それをオータムは瞬時に呼び出したエネルギーシールドで防御。だがそれに続くランスによる突撃を受け、エネルギーシールドは容易く破られる。更にランスの切っ先が先程自ら破った盾に使われていた水を纏い、その表面を高速回転させてアラクネの強固な装甲を削り取るように破壊した。

 

「ガアアッ!?」

 

 今度こそ何も出来ずに吹き飛ばされ、壁に叩きつけられるオータム。その姿を見届けた楯無は一夏に向き直って呼びかけた。

 

「一夏くん、白式を!」

「……! はいっ!」

 

 一夏はその声に応じて右手を掴んで突き出し、その名を――――自身の愛機である白式の名を、高らかに叫んだ。

 

「――――来い、白式ッ!」

 

 その全身がISを展開するときと同様、白い光に包まれる。その手の中には先程床に転がったコアがいつの間にか浮遊しており、それが光の粒子へと分解され、再構築。そして光が収まった時、そこには白式を纏った一夏が立っていた。

 

「やった……! どうだこの野郎! もう負ける気がしねえぜ……!」

「遠隔での呼び出し(コール)だと……馬鹿な……そんな事が……!?」

 

 白式を纏ったまま自信を深め拳を握る一夏に対し、驚愕して動揺するオータム。その姿を見て楯無は『見事』と書かれた扇子を開き、それを見て一夏は大きくうなずく。そして二人はオータムに向かってそれぞれの剣と槍を構えた。

 

「さて、大人しくお縄について貰えるかしら、オータムさん。いくら貴方が強くてもここからの逆転は無理だと思うけど」

 

 優しく言いつつ、しかしそのランスの穂先はしっかりとオータムの心臓に向けて楯無は笑いかけた。それを見てオータムの顔がますます屈辱に歪む。

 

「ふざけるな……ふざけやがって……! この私がこんな……!」

「喚いたって状況は変わんないぜ? ま、俺が言えたことじゃない気がするけど……」

「いいのよ、それは勝者の特権。しゃんと胸を張りなさい」

「うっす!」

 

 その姿を見て一夏は少々バツの悪そうな顔をするが、楯無に制されて気を引き締める。一方のオータムは膝をついた状態から勢いよく立ち上がり、全ての腕にそれぞれ違う装備をコールして叫んだ。

 

「ブッ殺してやる……! 今ここで!」

 

 ショットガン、ブレード、マシンガン、カタール、そしてランチャー。三つの副腕と両の腕にそれぞれの装備を握らせたオータムはその銃口を二人に向けて身構える。一機のISが扱うべきではない程の重装備の数々に、思わず一夏が冷や汗をかいた。だがそれを見ても楯無は余裕の表情を崩さない。それどころか、まるで感心するかのような口調で言った。

 

「流石はアメリカで作られた機体ってだけはあるわね。何と言うか考え方がシンプルで、正直嫌いじゃないわ。でもここでそこまでやられるのは本意じゃないから、早々に倒させてもらおうかしら」

「その減らず口ごと、すぐにミンチにして――――何だと?」

 

 その挑発に反応して飛びだそうとしたオータムがまるで何かに呼び留められるように動きを止める。それを一夏と楯無は訝しみ、迎撃の態勢を取った。しかしオータムは何やら狼狽したように、虚空に向けて懇願するような声を上げた。

 

「待ってくれ! ここまでコケにされて…………ああくそっ、分かった了解だ! すぐ戻る!! ――――命拾いしやがったな、ガキども」

 

 うんざりとしたようなオータムに一夏が訝しむ。だがその時撤退の意図を見抜いた楯無は既にオータム目掛け突撃を敢行していた。そこへ向けオータムはランチャーから榴弾を一発撃ち放つ。楯無はそれを水のヴェールで捕らえようとしたが、それよりも一瞬早く榴弾が炸裂して更衣室に白煙を撒き散らした。

 

「スモーク!?」

「一夏くん、気を抜かないで!」

 

 楯無は一夏への注意と共に咄嗟にオータムへと飛びかかる。だがしかしその時既にオータムはその場を飛び退いて、一夏が荷電粒子砲で開けた大穴へと飛び込んでいた。それを楯無は追おうとして、しかし反転。波のように水のヴェールを動かしてその穴へと殺到させると、オータムが咄嗟に仕掛けていった蜘蛛の巣状のネットが水を捕らえてその姿を空中に浮かび上がらせる。

 

「……見事な引き際ね」

 

 その前に立ってようやくわずかに悔しさを滲ませる楯無。その横に、バシャバシャと水たまりを踏みながら一夏が駆け寄ってくる。

 

「楯無先輩! オータムの奴は!?」

「逃げられちゃったわ。でもまだそう遠くへは行ってない筈。……まだ動ける?」

「少しエネルギーだけ補給すれば、すぐにでも」

「分かったわ。とりあえず、まずは織斑先生に連絡を入れてもらっていいかな? 私は生徒会の子達に監視カメラやレーダーのデータを送ってもらう様頼むから」

「了解!」

 

 今後の動きを指示されて、一夏はISの通信機能を使って千冬へと連絡を取る、だがそれよりも早く、懐にしまわれたままの携帯端末が盛大に着信メロディーを鳴らした。

 

「うおっ、えっとポケットポケット……クソッ装甲が邪魔で取れねえ! 白式、解除だ!」

 

 音声認証を通して制服姿へと戻った一夏は端末を取り出してその画面を眺める。織斑千冬。そこに表示された今まさに連絡しようとした相手の名前に一夏は驚いて、慌てて通話の着信をオンにして耳へと押しつけた。

 

「もしもし!? 千冬姉!?」

『……一夏、無事か!? 一体何処に居る!? 今すぐ会議室Bに来い! 緊急事態だ!』

「ち、千冬姉? 俺今の今まで、楯無先輩と一緒に亡国機業とか言うテロリストと戦ってて……」

『何だと!? ……ああくそっ! とりあえずさっさと来い! 事は一刻を争うんだ!』

「だ、だからさ、一体何が起きたんだ! せめて説明してくれよォ!」

『ああもう! 緊急事態だと言ってるだろう! すぐに戻ってこい、いいか、石動が攫われた!!』

「………………何だって?」

 

 

 

 

 

 

「……くそっ!」

 

 一夏達もまた亡国機業とやり合っていたと聞き、私は思わず壁に向けて拳をぶつけようとして、止めた。とりあえず、一夏は更識と共に居て無事であるらしい。ならば、今目を向けるべきは其方じゃあない。私は端末に送られてきたデータに眼を細める。

 

 そこにあるのは無許可での稼働が確認されたISの反応のログ。見る限り多くが今し方一夏達が居たという第四アリーナ周辺に集中しているが、その前に一つ、ごく僅かな一瞬だけの反応が校舎の近くで観測されている。更識が確認に行かせた布仏虚(のほとけうつほ)からの報告によれば何者かが争った形跡と、石動の監視の為に更識が押しつけたマトリョーシカの残骸が発見されたらしい。

 

 次に私が目を向けるのは一つの動画ファイル。その観測地点周辺の監視カメラの映像だ。そこにはフードを被って顔の見えぬ少女に手を引かれる石動の姿と、数分後救急隊員に扮した一団によって運ばれる担架とそれに付き添う先程の少女の姿が映っている。

 

 そして最後に見たのは石動が身に付けている発信機の現在地点。それは、今や校舎を中心とした学園祭の会場からは少し離れ、車に乗っているらしき速度で学園と本土を繋ぐ資材搬入用のトンネルへと向かっていた。

 

 この要素から考えられる結論は一つ。石動は拉致され、直後一夏を狙った何者かが襲撃を行った、と言う事だ。恐らく、同一犯。いや、同一組織による仕業とみていいだろう。何よりも、一夏が私に伝えた一つの組織の名前。

 

「一夏だけでは飽き足らず、よもや石動にまで手を出すとは……! ふざけるなよ亡国機業(ファントム・タスク)!! 護衛の任さえなければ、すぐにでも出向いてなます切りにしてやる物を…………!!」

 

 思わず通信端末を握る手に力が籠る。ミシリ、と言う音に慌てて力を緩めた私は、どうやらまだ満足に動きそうな端末を見て小さく安堵の溜息を漏らした。

 

 私は今、応接室の前で一夏達に連絡を取っていた。応接室内には私が護衛に就いていた招待客達が集っており、学園長と轡木(くつわぎ)さんが彼らの相手をしてくれている。だが、自前の護衛を連れて学園祭に参加した招待客は散り散りな上、すぐに全員と連絡を取る余裕もない。

 

 連絡が取れたものから近くの教師と合流するように指示してはいるが、それも焼け石に水だ。本来であれば私自らが事態の収拾に動く所だが、その間に彼らの護衛を疎かにしてしまっては何の意味もない。そしてそれは当然、石動の救出にも私は向かう事が出来ないことを意味する。

 

 私はこの現状に歯噛みして、しかし状況を打開すべく一夏と共に居るはずの更識へと通信を送った。

 

「聞こえるか、更識」

『……織斑先生? 今、会議室へ向かってますけど……』

「先に言っておくが、私はそちらには行けない。そこで、お前に今回の指揮を頼みたいんだ」

 

 その言葉に、電話の向こうで更識が息を飲むのを感じる。だが、他に方法は無いし、個性に溢れるあいつらを統率できるのも更識くらいの物だ。幸い通信は通じるし、私は今回サポートに徹するのが最善だろう。だが――――

 

「突然の申し出だ、お前には拒否する権利が――――」

『いえいえ、やらないとは言ってないですよ? とりあえず、分かっている事を私にも伝えてくれますか?』

「……すまん」

『お気になさらず』

 

 私は通話と並行して先程見たものを含めた幾つかのデータを送信した。それから、他の参加生徒との合流手順を更識に伝えてゆく。

 

「まず会議室Bに……一夏と向かっているな?」

『はい。私と一夏くん以外には、誰が参加を?』

「まだ詳しい話は出来ていないが篠ノ之箒、凰鈴音(ファンリンイン)、セシリア・オルコット、シャルロット・デュノア、ラウラ・ボーデヴィッヒ。以上の五名だ」

『ダリルさんとフォルテちゃんは?』

「彼女達とは連絡が付かなかった。あの二人が居れば心強いのだが、あまりこだわっている時間も無い」

『仕方ありませんね……とりあえず、全員集合した地点で我々は石動先生の元へと向かいます。情報の統制とかについてはお任せしても?』

「構わん。むしろ、それこそ此方がやるべき仕事だろう」

 

 そこまで言い終えた私は、もっと何か伝えておくべき事がある気がして眉間にしわ寄せ思案する。このような状況で一番恐れるべきもの…………。そこで、私の脳裏に一人の敵が過ぎった。……いや、しかし幾ら()と言えど、それほどの情報収集力が――――

 

『…………何か、懸念があるんですか?』

 

 黙り込んだ私を案じてか、心配そうな声色で問いかけて来る更識。私はその声に対してどう答えるべきか一瞬判断に迷ったが、あらゆる可能性を提示しておくべきだと思考を切り替え、私はそれを更識に話し出す。

 

「一つだけある。この状況…………私の予感が正しければ、恐らく()がやってくる」

『奴? もしかして、篠ノ之――――』

「いや、束ではない。…………<スターク>。奴が、このようなおあつらえ向きの事件を見逃すとは思えん。出会ったら本格的な戦闘は避けろ。お前単独ならともかく、他の皆を守りながらやり合える相手ではない……!」

『でも、もし本当にスタークが現れるようならまずいですよ。まだ事件の発生を知るのは私達くらいです。それにIS学園は外部から軽々しく足を運べる場所に無い。だとしたら――――』

「生徒達――――いや。最悪、私達教師陣の中にスタークが居る可能性も考慮しなければならないだろうな……!」

 

 苦々しさに歯を食いしばって、私は更識の危惧を肯定した。そうだ、今までもそうだったが、スタークの神出鬼没ぶりは只事ではない。学年別タッグマッチの時も、臨海学校の時もそうだ。正にここしかないというタイミングで奴は現れ、多くの爪痕を残していった。

 

 だがそもそもそれがおかしい。ラウラの暴走も、福音(ゴスペル)の襲来も、どれもがイレギュラーなトラブルだった。それに対してああまで迅速に対応するには、あらかじめ事件が起きても即座に動ける程近くに居た事になる。福音の時は束のように外部から侵入するのも不可能ではないが、タッグマッチと今回は事実上孤立した空間であるIS学園内部での出来事だ。

 

 もし、今回本当に奴が現れでもしたら、今回の学園祭とタッグマッチの招待客を洗った後に、内側に疑惑の目を向けねばならぬ。それほど奴の危険性は高いのだ。くそっ、しかし今はそれ所では無い。スタークが現れようが現れまいが、私がやるべき事はそう多くないのだから。

 

「…………ひとまず、そちらは私が考える。お前はこのまま会議室へと向かい、皆を統率して石動の救助に向かってくれ」

了解(ラジャー)! では一旦切らせていただきます!』

「ああ、また出撃時に一度連絡をくれ…………頼んだぞ」

 

 言い終えて、私は通話を終了した端末をスーツのポケットへと仕舞い込む。くそっ、亡国企業の奴らだけでも手一杯だというのに、ここにスタークも加わるとなれば……。それは最悪の予想だと私の本能が訴えかける。だが、今護衛の任という重しを付けられた私に出来る事は無い。後はいかに奴らをサポートして、この作戦の成功率を上げられるかだ。

 

 そこで私はようやく先ほどの怒りに満ちた状態から一転。くたびれたかのように近くの壁に溜息を吐きつつ寄りかかると、迅速に今まで手に入れた情報の精査及び整理、そしてそれをまとめたデータの送信を始めるのだった。

 

 

 

 

 

 

「エム様、ドリンクです」

「寄越せ」

「はい」

 

 くだらない一日だ。車の助手席で腕を組み、後部座席の部下からスポーツドリンクの入ったペットボトルを差し出された私は、それを雑に奪い取ってから開けて一口飲みながらに思う。…………本当に、くだらない一日だ。

 

 今考えて見れば、作戦の開始前には私も多少なりとも期待と言える物を僅かにしていたように思う。世界各国から集った次代のトップ操縦者の卵たち。そこに侵入するというのだから、多少の危機くらいはあってもいいだろうと思っていた。だが蓋を開けて見ればどうだ? そこに居たのはぬるま湯に使って腑抜けた年相応の餓鬼ばかりで、祭りの裏で自身等の同輩が拉致されている事にさえ気づけない。こんな所でその腕を腐らせているとは、織斑千冬も落ちたものだ。

 

「チッ……」

 

 そしてその事を考えると、どうしようもなく私は苛立ちを覚えた。無能なIS学園の大人共もそうだが、無理矢理に参加させられたこの作戦で、私に得る物が何一つ無いと言うのが更にその怒りを助長する。

 

 せめて、代表候補生あたりとの戦闘許可でも出ればマシだったが…………あの女狐(スコール)め。私に対しては交戦許可の一つすら出さないとは。さらに苛立ちを募らせた私は用意されていたペットボトルの飲料を一口呷って、また外へと目を向ける。

 

「エム様。じき、合流地点に到着します」

「ああ」

 

 この救急車に偽装した車両を運転している男の報告にそっけなく返して、私は現状に思いを馳せた。

 

 今現在、我々は石動惣一を確保し、スコールの待つ資材搬入用トンネル近くの重機倉庫へと向かっている。そこでスコールとその部下、さらに白式の奪取に向かったオータムと合流し、その後可及的速やかにこの場を離脱する計画だ。余りにも単純な作戦ではあったが、そのシンプルさが苛立つ私にはむしろ好ましい。既にスコールの部下がトンネルの管理員たちを制圧し終えているとの事で、以降に懸念される要素はもはや殆ど無い。

 

 あるとすれば、オータムの奴がドジを踏むくらいか。

 

 その可能性に思い至った私は口元を歪め、奴が盛大にイレギュラーを起こす事をつい願う。私にこの亡国機業への忠誠心などまるでない。首輪を付けられ、下らん命令に従って無為に力を振るうここでの生活にどう喜べと言うのだろうか。

 

 私は強い。その力を戦場で振るい、敵対者を叩き潰すのは正直好きだ。だがしかし、奴らの命令に従ってその力を振るわされるなど業腹の極みだ。せめてもっとマシな指示は出来ないものか。例えば、当初の予定通りアメリカ軍の基地を襲撃して機密情報を強奪してくるとか、IS学園を襲撃して全世界に宣戦布告するとかな。まあ、常に及び腰で軟弱な奴らの頭では前者はともかく、後者の様な突飛な考えなど実行できるはずも無い。

 

 一刻も早く、自由が欲しい。この様な腐れどもの肥溜めから逃れて、私の力を世界に誇示したい。

 

 そう、これまで何度考えたか分からない現状への不満を私はまた繰り返す。それを実現する力自体は手元にある。だがその実行には、私の体内に注入されているナノマシンが邪魔だ。私が亡国企業を裏切らぬ様に、そしてその命令に従わせる為に注入された殺害装置(キルスイッチ)。例えば私が殺意を持ってスコールに襲い掛かればまずは激痛と共に体の自由を奪われ、そこからは奴らのさじ加減一つで脳を沸騰させられて私は死ぬ。実際そうなりかけたのは一度や二度ではない。

 

 忌々しい。この枷さえなければ、亡国企業の奴らなど纏めてなます切りにしてやると言うのに――――!!

 

 元々憮然としていた顔を更に歪めて、上空を流れる雲に向けて私は無為に殺気を向ける。その時、車がブレーキをかけて停車した。どうやら合流地点に着いたようだ。

 

「エム様、到着です」

 

 運転手の言葉に私は答える事無く車から降りて、後ろ手に思い切りドアを叩きつけて閉める。恐らく車内の他の奴らは大いに驚いただろうが、私を恐れてか抗議してくることもない。いいザマだ。

 

 その行為で僅かに苛立ちを解消した私は足早に倉庫の中へと足を踏み入れた。そこには、本来あるはずの重機があらかじめ撤去された広々とした空間が広がっている。そして資材と共に椅子や机、更にいくつかのコンピュータが並べられた一角で、驚くほど上等なスーツに身を包んだスコールが数人の部下と共に私達の到着を待ちわびていた。

 

「……あら。おかえりエム。思ったより早かったわね」

「フン。オータムはまだか?」

「彼女ならちょっと問題が発生したみたいでね。アラクネでこちらに向かってるから、じき到着するはずよ。それと、織斑千冬が緊急に専用機所持者を呼び出しているってレインから連絡があったわ。石動の拉致は発覚したかも知れないわね」

「…………ハッ。奴め、しくじったか」

 

 スコールの説明からオータムがドジを踏んだことを理解した私は大笑いしたい衝動を必死に抑え込んで、平静を装いつつスコールにそう返した。そう、亡国機業の人間などどいつもこいつも虫唾が走るが、弱いくせに普段からふんぞり返っているオータムが私は特に嫌いだ。その癖プライドが高く、事あるごとに私に突っかかってくるから煩いことこの上ない。少しはこの失敗で頭でも冷やして欲しい所だな。

 

「そういう言い方は……まあ、とりあえずはいいわ。それよりエム、石動惣一は?」

 

 オータムの失敗に思わず嘲笑を浮かべた私を、スコールは一瞬咎めようとしてすぐに諦めた。そして私の成果を見せるよう要求してくる。それに私は一度これ見よがしに鼻を鳴らして、偽救急車に同乗していた部下たちに首で合図を送った。すると、奴らはすぐさまそれに反応して気絶したままの石動惣一を乗せた担架を運んで来て我々の前に横たえる。

 

「…………思ったより派手にやったみたいね、エム」

「随分と場慣れしていた様だからな。それなりにやらせてもらっただけだ」

 

 石動惣一は折れた足首はそのままだが、念のため腕は後ろ手に結束バンドで固定されている。その有り様を見て眉を顰めたスコールの皮肉に、私は珍しく率直な感想を口にした。それを聞いて、スコールはそれこそ珍しい物を見たように目を丸くする。

 

「へえ……貴方がそんな事を言うなんて、意外と評価してるのね」

「仮にもIS操縦者養成機関の教師だ。最低限の抵抗位してもらわなければつまらん」

 

 私は意識して『学園』と言う言葉を避けて、スコールの冷やかしに小さく鼻を鳴らす。それに対して目の前の奴は実に興味深そうな目をしていて、私はそれが少しばかり癇に障った。

 

「まぁ、詳しい事は後で聞くわ……誰かMr.(ミスター)石動に気付けを。少しお話してみたいの」

「少々お待ちください」

 

 手を鳴らして部下を呼びつけたスコールの声に一人が応え、すぐに薬品の入った小さな注射器を用意する。そのまま、そいつは石動の折れていない方の腕の袖を捲ると手早くそれを注射した。

 

「……ぐっ…………」

 

 投薬を終えると、すぐに薬の効果が出たのか石動惣一がうめき声を漏らす。ここまで身じろぎ一つしなかったというのに、随分とあっさりとした物だ。まあ、気付け薬とはそう言う物ではあるのだが。

 

「…………お前らは」

 

 目を覚ました石動惣一は、顔を上げて周囲を見渡しすぐに自身の置かれた状況を理解したようだった。苦々しい、それでいて敵意に満ちた目で周囲を睨みつける。しかしその眉間には皺が寄り、骨折の痛みとこの状況の苦々しさに相当奴が堪えているのは私にもありありと見て取れた。

 

「初めまして、石動さん。お会いできて光栄よ」

「そりゃどうも。俺もアンタみたいな美人に会えて光栄だ。お近づきのしるしにコーヒーをご馳走したいんで、ちょっとこの縄を解いてくれねえかな?」

「口の減らん奴だ。腕の次は顎を砕いてやろうか」

 

 開口一番ぺらぺらと受け入れがたい要求を口にする石動惣一を脅すように私は凄んだ。それを聞いた奴は私の方に視線をやり、こちらの顔をじっと見つめて来る。その視線に何か探るような物を感じた私は奴の眼前に歩み寄り、容赦なく裏拳をその頬に浴びせてやった。

 

「がはあっ!? がっ、クソッ……!」

「…………エム。おいたはダメよ。それに彼は客人なのだから――――」

「嫌な視線を感じただけだ。それに手加減はした」

 

 あえなく横倒しになってその拍子に骨折が痛んだか、うめき声を上げる石動惣一。その様を見て咎めるスコールの言葉を私は苛立ちを持って切り捨てた。そうすると、スコールもこう言う時の私をあまり刺激しない方がいい事を良く知っているが故に、肩を一度竦めてそれで話を切り上げる。そして彼女はまた床に転がって呻く石動惣一に目を向けるのだった。

 

「ウチのエムがごめんなさい。立てるかしら?」

「無理言うんじゃねえぞ……! だからこの拘束を外せって……!」

「あら、じゃあそのままでも構わないわ」

 

 石動の要求をさらりと流してスコールはにっこりと微笑んだ。

 

「とりあえず石動先生。貴方には私達と来てもらいます。大丈夫。これ以上抵抗しなければ手荒い真似はしないと約束するわ」

「手荒い真似ねぇ。もう俺はこの通り全身ボロボロなんだが」

「それは貴方が抵抗したからでしょうに。ね、エム?」

「その通りだ」

 

 石動の愚痴に近い反論を受けてもスコールはその笑顔をこれっぽっちも崩せない。当然だ、この女の()()()()()鉄面皮は生半可な物では無い。それに幾度辛酸を舐められた事か。

 

 過去の屈辱を僅かに思い出して、私はまた苛立ちを燻らせ始める。いっそ、ここで石動の無事な方の脚も踏み折ってやるか。そうすればこの減らず口も少しは静かになるだろう。そんな事を考え始めたその時、一人の下っ端が私達の前に現れ、小さくお辞儀をした。

 

「失礼します。オータム様が到着されましたが、アラクネの損傷が激しく応急修理が必要です。いかがいたしますか?」

「すぐに始めて。ある程度アラクネが動くようになったらここを出るわ。オータム自身は無事なの?」

「作戦に支障のある怪我はありませんが、いくつか傷を。今は奥の事務所で休まれております」

 

 それを聞いて、スコールは一瞬本当に心配そうに顔を少し俯かせた。この二人の関係は私もよく知っている。もはや真っ当な人間とは言えなくなったスコールに、プライドばかりが肥大化した加虐趣味のオータム。全く、趣味の悪い奴は趣味の悪い奴を好きになるという事だな。そう心の中で二人を罵っていると、スコールはすぐさま顔を上げて部下に対して指示を出し始めた。

 

「分かった。私もオータムの様子を見に行く。心得のある者はアラクネの補修を手伝って。そこの三人はトンネルのゲートの解放をお願い。他の者は石動の監視を。エム、貴方も石動惣一の監視を――――」

「いや、私も行く。オータムが心配でな。逃走にも影響が出るかもしれんし、その怪我の程度を一目見ておきたい」

 

 その、私のあまりにあからさまな欺瞞に、当然気づいているであろうスコールは苦々しい顔をした。それを見た私は逆に満面の笑みを浮かべそうになったが、意志力を持ってそれを封殺、いつも通りの平静を装い、スコールの目を強く睨みつける。すると奴はここで言い争うのは無為だとでも感じたか、諦めたように溜息を一つ吐いて私の同行を了解した。

 

「………………分かったわ。ただし、余計な口出しはしない事。いいわね?」

「ああ」

 

 口を出す必要もない。奴は私の視線を見れば、そこに込められたものを容易く理解するはずだ。全く、無能の癖して嘲りを受ける事に関してだけはやたらと鋭いのがまた笑える。

 

 その時、笑いを堪えていた私とすぐにでもオータムの様子を見に行きたそうなスコールの足元で、無様に転がったままの男が突然大声を上げた。

 

「オイオイ、人質を放って仲間の心配か!? 優先順位がダメダメだな! それより自分の心配をした方がいいぜ! きっともう皆が俺を探してこっちに向かってるはずだ! 奴らが到着したら、お前らなんてズタズタのボロボロだぜ。覚悟しやがれ!」

 

 強く言い切ったはいい物の、拘束されて芋虫のようにコンクリートの床に這いつくばるその姿は滑稽そのものでしかない。故に、それを見ても私は珍しく不思議と怒りは感じず、逆に嘲笑いたくなるような嗜虐心(しぎゃくしん)が鎌首をもたげるのを感じた。だが、その啖呵はスコールにとってはどうにも苛立ちを煽る物だったようで、奴は私の部下の女を小さく手招きし、その耳元に口を寄せて囁いた。

 

「……どうやら、石動さんは私達に非協力的みたい。少し『おもてなし』してあげて、うまい事『説得』しておいてくれるかしら?」

 

 そこに込められた言外の意味を正しく受け取って、その女は喜悦に大きく口元を歪めた。

 

「はっ、了解しました……!」

「ふふ、よろしくね?」

 

 歳に似合わぬ茶目っ気たっぷりのウインクを部下に送って(この時私は顔を背けてえずきたくなった)、スコールは身を翻してオータムの元へと向かう。私はその背を少し距離を取って追った。そうして少し離れて、部下たちが資材の陰に隠れて見えなくなった頃。先程まで居た方角から、何発もの打擲音(ちょうちゃくおん)とくぐもった男の叫びが聞こえて来る。

 

 フン、どうやら大層な『おもてなし』を受けているようだ。

 

 正直、迂闊と言う他あるまい。ここで奴にとってああもあからさまな挑発をする意味など微塵も無かったはずだ。だが実際にそれを行ったという事は、奴に何らかの考えでもあったという事か……?

 

 ……無いな。少し考えて納得して、私は再び人が暴力を振るわれる苦い音と石動惣一の悲鳴の合唱に耳を澄ませる。後で奴らの元へと戻った時、石動惣一がどれほど無残な有り様になっているのか。それを期待しながら、私はスコールを追いオータムの元へと向かうのだった。

 

 

 

 

 

 

 さて、と。そろそろ始めるかァ。

 

 俺は思いっきり伸びをして、それから首に手をやりゴキゴキと鳴らす。随分とじっとしてたからな……こんなんじゃ、所謂エコノミークラス症候群になっちまうよ。ま、それは俺が人間なら、って言う前提の上での話なんだがな。

 

 しかし、今の俺は久方ぶりに自由だ。自由! なんと素晴らしい響きだろうか。監視者も誰も居ないし、それに何よりあのうっとおしい盗聴器も捨ててきたしな。踏み砕かれまでしたのは予想外だったが。お陰できっと学園の奴らはより緊急性の高い案件だと思っちまうだろうな…………そこは一つの懸念ではある。ま、それでも奴らがここに来るにはもうしばらくかかるだろう。あとは発信機は身に付けたままだが……これはIS学園の奴らに俺を助けさせるのに使うのだから、ノーカウントだ。

 

「クソッ……何なのよアンタは……!」

 

 そんな事を考えながら念入りにストレッチを繰り返していると、俺の尻の下から石動惣一の声。だが口調がおかしいよな、何故かって? それはスコールとか言う奴がここに残していった部下の女が上げた声だからだ。

 

「おう、悪い悪い。重かったか? ほれ」

 

 俺はそいつににっこりと笑顔を向けて、手首と肘の中間で綺麗にへし折られた腕を踏みにじって石動の声で悲鳴を上げさせる。俺程じゃあないが、石動の奴もいい声してやがるなあ。そう僅かな感慨を感じて俺は目を細めた。

 

 種明かしは単純だ。俺の顔や物質を変化させる能力を使って、こいつの喉を変化させた。それだけだ。俺が自分(石動)の悲鳴を聞くと言うのは中々に稀有な体験だが、今はそれを楽しんでいる時間は無い。何せ、今出てった奴らがいつ戻ってくるかなんて俺にも予想はつかないからな。

 

 周囲に目をやれば、まずは抜け殻となった満身創痍の俺の体。こりゃひどい。だがまあ、これくらいのケガをしとかなきゃ逆に怪しまれるだろう。寧ろこの後は被害者として振る舞って、本格的に織斑千冬からの信頼を勝ち取りに行くか。次に、周囲を取り囲んでいた誘拐犯ども。まあ、そいつらはもう消滅した後の僅かな残滓がちらつくだけで、俺が意識する価値は無い。

 

 そして最後に、この女。この女には生かしてある理由がある。一つは悲鳴を上げさせる事でのこの状況の偽装。そして、もう一つは情報収集だ。俺は女の背に座ったまま、頭を鷲掴みにして問いかけた。

 

「なあ、いくつかいいか? インタビュー(尋問)だよ。教えてくれれば、ん~……まぁそんな嫌な思いしないように殺してやるぜ」

「ふざけるな! 何者だ貴様! 皆に、私に一体何をした!」

「うおっ怖ぇ」

 

 俺はその剣幕にヘラヘラと笑いながら身を震わせる真似をして、この女が自主的に情報を吐き出す事は無いのだと結論付けた。ま、なんというか無知は罪だよなあ。情報が少ないと、おのずと選べる選択肢は狭まっちまう。だが、残念ながら知る事によって結末が確定しちまうこともこの世の中にはあるわけで。

 

 俺はそこでふっと笑みを消して、コンクリートの床に女の横顔を見つめる。そこで女は何かに気づいてしまったような顔をして、ほんの少しだけ、目を見開いた。

 

「俺が何者かって? …………そうか、いいぜ。教えてやるよ。この世界で初めて、お前は俺の正体を知る人間となる。おめでとう」

 

 その言葉に女がやめろ、と言いかける。だがその時、俺は既に石動惣一の姿から不定形のスライムじみた姿へと崩れ落ちていた。女が絶叫を上げる。驚愕と、恐怖と、絶望。その全てがないまぜになったその表情に俺は随分と愉悦を感じながら女の中へと入り込み、あっさりとその肉体を奪い取った。

 

 

 

 

 

 

「よいしょ……っと」

 

 女に憑依した俺は立ち上がり、まずは喉を元に戻して、それから体の調子を確かめるようにストレッチをする。その時へし折った腕を伸ばそうとして少し痛みを感じたが、それを無視してそっと自分の顔に触れてみた。

 

 ふむ。これが女の体か、興味深い。男の体とはかなり重量バランスが違うな。特に乳房のせいで少し前に引かれる感覚がある。だが、中々に鍛えられて居る体だ。悪く無い。ビルドの世界で憑依した万丈や戦兎とは比べ物にならないが、少なくとも俺が普段使いにしている石動のコピーよりはずっと身体能力は高いな。

 

 俺はちょっとだけ、どれほどこの体の能力を引き出せるか試したくなって、止めた。そんな事してる場合じゃあねえな。少しだけ浮かれた気持ちをクールダウンして、俺は無造作に額に指をやる。

 

 そして、この女の記憶を脳から読み取ってゆく。

 

 さてと、まず名前だが、コードネーム――――ああ、<スコール>やら<オータム>なんか本名なはず無いからな――――<ジュビア(lluvia)>。本名、アニタ・バレス。20歳。生まれた時は3193グラムの元気な赤ん坊で――――

 

 そこで俺は一度指を額から離して自分を戒める様に首を左右に振った。いけねえいけねえ、こう言うもんはつい覗きたくなっちまう。こればかりは性分だな。今必要なのは、こいつらの素性に関する情報、そしてこれから役に立つ事柄。

 

 そして何よりも――――あの、<エム>と呼ばれていた小娘についてだ。

 

 少々もったいないが、俺は女の記憶を雑に扱い、目的の記憶を捜索してゆく。その内、目当ての記憶は割とすぐに見つかった。そして俺はそこでようやく、この襲撃者達の正体を知る。

 

「<亡国企業(ファントム・タスク)>の実働部隊、<モノクローム・アバター>…………」

 

 それは、俺が求めてやまなかった情報だった。余りにも都合のいい展開に、俺は女の顔で歪んだ笑みを零す。

 

 ――――まさかとは思ったが、こいつら本当に亡国機業とは! 笑うなって方が無理だろう! 全員の殺害も視野に入れてたが、作戦変更だ。ここはどうにかして交渉に持ち込む。何せ奴らの持つであろう情報網は本当に俺が欲しかった物の一つだ。俺を誘拐した手際から見ても、この世界における<ファウスト>の役割を十分に担える!

 

 そう確信して、俺は更に記憶の読み取りを進めてゆく。今回の奴らの目的は俺と白式。なるほど、確かに奴らとしては男性によるIS操縦技術や白式を欲しがるのは理解できる。その理由は――――別視点からのIS操縦者の確保。ああ、夏ごろからの篠ノ之束による襲撃で、IS操縦者を初めとした構成員を削られたのか。その穴埋めの為に、男もISに乗れるように出来る方法を探してるって訳だ。

 

 篠ノ之束にこいつらが襲われたのは<ブラッド>が所属しているのだと篠ノ之束が考えたからで…………しかしその嘘を篠ノ之束に吹き込んだのは他でもない俺自身なのだから…………ハッ! つまり、俺のせいか!

 

 おいおい、あまり笑わせるなよ! まさかあそこでこいつらに罪をなすりつけた事がこんな形で効いてくるとは! 因果応報……いや、この言葉は何かしっくりこない。人間の言語――――特に日本のそれはかなり研究したと思ったが、まだまだだな。帰ったら辞典でも読み漁るとするかね。

 

 そんな今後の余計な展望を脇に置いて、俺は更なる情報を記憶から引き出して行く。今回の作戦に参加した幹部は<スコール>、<オータム>、そして<エム>。それぞれが専用機を持ち、組織の中でも凄腕と認められた実力の持ち主らしい。まあ、そんな事はどうでもいいがな。

 

 俺の興味はエム、ただ一人。その情報を更に脳から引きずり出す。

 

 エム。本名、年齢、出身不明。何でも、突然スコールの推薦で幹部の座に収まったイレギュラー的な人物らしい。性格は苛烈そのもので、常に何かに抑圧されているかのようにイライラしている。それ以上にその実力は組織内でも恐れられており、スコールの機体が調整中の現在は、事実上の最強の座を欲しいままにしているとか。

 

 何よりもその容姿――――幼い頃の織斑千冬そっくりの容姿は、組織に入った直後は随分と噂になったようだ。尤も、そう言った事を言っていた奴らはエム自身の手によって黙らされる羽目になったようだが。

 

 まあ、ボーデヴィッヒみたいな人造人間も居る世の中だ。恐らくは織斑千冬のクローン体か何か、ってとこだろう。伝え聞く織斑千冬の実績や噂からしても、世界最強のIS乗りを量産して自分の手駒にする。そんな事を考える奴なんて、当然ゴマンといたはずさ。

 

 推測に過ぎないが、そんな事を考えた奴らによって生まれたのがあのエムなのかもしれない。ま、あの実力からして織斑千冬の完全なコピーではなくとも、かなり奴に近い能力の持ち主だというのは理解できる。……ならその遺伝子を調べて、場合によっては頂くとするか。あわよくば、それで俺のハザードレベルは5に到達するかもしれん。

 

 だが、焦るつもりは無い。この後、恐らく学園の救出部隊と亡国は恐らく戦闘に発展する。その事も考えて動かねえとな。そうなった場合、俺も是非一枚噛ませてもらいたいしよ。

 

 俺がそこまで考えた時。奴らが向かった方向から、何人かの人間が戻ってくる足音を俺の聴覚は感じ取った。こいつからはここまでか。ある程度の情報を抜き出した俺はその女の体から離脱し、遺伝子により形作った触手を突き刺して毒で女を消滅させると、音も立てずに手早く資材の影へと滑り込んだ。

 

 直後、床で気絶する石動のみを発見した奴らが慌ただしく周囲を警戒し始める。思ったより時間に余裕が無かったな。交渉の材料自体はあるが、一体どうやって話に持ち込むか……石動の顔のままじゃあまずいだろうし、誰かに擬態しておかねえと。

 

 その時、資材の陰に隠れていた俺の眼前の床に一発の銃弾が着弾した。

 

「そこに居るのは誰だ? 出て来なければ容赦なく撃ち殺すぞ」

 

 どうやらエムの奴が俺に気づいて発砲してくれやがったらしい。ったく、暴走してた頃の幻徳でももう少し真っ当な交渉をしたぜ?

 

 ……ま、仕方ねえ。どちらにせよここは出たとこ勝負だ。この交渉を何とか成功させつつ、時間を稼いで学園側の対応を期待する。そんな所だな。擬態は――――おあつらえ向きの顔がある。奴の顔なら、そういう役柄でも説得力があるだろう。

 

 俺は即座に脳裏に浮かんだ男の姿へと擬態し、資材の影からまるで余裕があるかのごとく悠々と歩み出るのだった。

 

 

 

 

 

 

「テメェ! あんなガラクタ掴ませやがって……どう言う了見だ、あァ!?」

 

 私の胸倉を掴み壁に押しつけたオータムは、まさしく(はらわた)が煮えくり返ったような顔で強く私を威圧してくる。だがそれに動じてやるほど私は優しい人間ではない。負け犬め。私はその侮蔑を隠す事も無くオータムを睨み上げる。

 

「やめなさい、オータム。今はそんな事をしている場合じゃあないわ」

「黙っててくれスコール! こいつには頭下げさせねえと気が済まねえ!」

 

 ほう。スコールの制止も振り切るとは今回は相当だな。私はその無様な姿に思わずほくそ笑む。

 

「ふむ、そうか。それは悪い事をしたな」

 

 そう、私はオータムを見下す笑みを浮かべながら形だけの謝罪をした。それを受けたオータムの顔は怪訝なものに変わり、より強く私の目を睨みつけて来る。

 

「…………あン? 何だテメェ、何のつもりだ」

「何だ? 頭を下げて欲しかったんだろう? 願いを叶えてやろうと思ってな」

「ナメやがって……!」

 

 私の尊大な物言いに奴が私を壁に押しつける力がますます強くなる。それを感じた私は、今膝を持ち上げてこの女の鳩尾(みぞおち)に突き込んでやったらどれほどスカッとするのだろうかなどとと、まるで他人事のように考えていた。

 

「大体、何なんだよあの<剥離剤(リムーバー)>とやらは! ISを解除できるのはいいが、その後遠隔で呼び出し(コール)出来るようになるってんじゃあ何の意味も無えじゃあねえか、クソが!」

 

 オータムは理不尽に耐えかねたかのような声を上げ、怒りに歯をギリギリと食いしばる。その様子があまりにも愚かしくてこれ以上は爆笑を堪え切れなくなると感じた私は、名残惜しいがここらでトドメを刺してやる事にした。

 

「ああ、その件だが。アレはもともとそういう目的で開発された物なんだよ。知らなかったか?」

「……はァ!?」

「操縦者とISのリンクを一度強制的に切り離す事で、逆に再接続の際のリンケージを強固なものにする。そして、遠隔での呼び出し(コール)能力を身に付けさせる…………それがあの剥離剤(リムーバー)と呼ばれる機密兵器の本来の使い道だ。計らずとも、お前はその本来の使い方をしてしまっていた様だな」

「ふざけんな!」

「ふざけているのは貴様だろう。我々の意図する『誤った使い方』は剥離剤(リムーバー)によって操縦者から切り離されたISコアが遠隔呼び出し(コール)機能を構築しきる前に物理的にそれが出来ないほどの距離を取り、それを以ってISコアの奪取とするものだ。そうすれば何の問題も無く『ISを強制解除して奪い取る』兵器としての運用が行える。…………大方、貴様はISコアを奪ってからもダラダラと長ったらしい講釈を垂れ流していたのだろう? あるいは、格下相手に善戦されたことで冷静さを失っていたとか」

「――――テメェッ!」

 

 私の完膚なきまでの正論にオータムはついに言葉をさえ忘れ去ったか、片手を振り上げ私の顔を殴り潰そうと試みる。私はそれを待っていたとばかりに腕に力を込めた。が、オータムの拳は後ろに控えていたスコールによって掴み止められ、私がカウンターを繰り出す事は出来なかった。

 

「やめなさいオータム。これ以上貴方の為に割いている時間は無いわ。とりあえず、部下たちの元へと戻るわよ」

「…………クソッ!」

 

 スコールに咎められたオータムは突き飛ばすように私から手を離すと、肩を怒らせて資材置き場へと歩いてゆく。私はそれを見送ってから自身の服のシワを少しだけ気にした後、歩き出したスコールの後を追う様にそれに続くのだった。

 

 

 

 

 

 私達が資材置き場へと戻ると、そこに呆然としたように佇むオータムの背中を見る。それを怪訝に思ったか、スコールがそれに声を掛けた。

 

「どうしたのオータム。そんなところで立ち止まって」

「……スコール。お前の部下、何処へ行った?」

 

 困惑したかのようにオータムの声に、私達はその横へと並び立つ。そこには拘束されたまま再び気絶でもしているのか身じろぎ一つしない石動惣一と、部下の誰かが持っていたと思われる消音機付きの拳銃が一丁転がっているだけだった。石動の監視を任せたはずのスコールの部下の姿は誰一人として確認できない。私達はそこで一気に警戒を引き上げ、特に私はいつでもISを纏えるように身構える。

 

「オイ、このオッサンが石動か? 部下共にこいつを見張らせてたんじゃあねえのかよ」

「……明らかにおかしいわね。二人とも気を付けて、襲撃者かも」

「学園の奴らなら石動を助けてるだろうから……別口かよ。イレギュラー続きとはついてねえ」

「イレギュラーに遭っているのは大概貴様の気がするがな」

「あァ!?」

 

 私は警戒しつつ落ちていた拳銃の前にしゃがみこみ、それを検めながらオータムを煽る。その言い草に鋭く反応したオータムは、しかしスコールの無言の圧力を受けて周囲の警戒に戻った。そうすると奴からの圧力が私の方にも向けられるが、意図的にそれを無視して拳銃へと手を伸ばした。

 

 (トラップ)は無し、か。そこを確認した後、私は銃を手に取った。その銃身は僅かに熱を持っている。発砲されたばかりか……だが弾はほとんど残っている。何かに対応しようとして銃を向けたが、成すすべもなくそれをやめさせられた……と言った所か?

 

「エム、その銃から解る事は有る?」

「発砲後特有の熱を持っている。さらに弾の消費は僅か。もし襲撃を受けて発砲した結果がこの状態なら、凄まじい手練れが相手だったか、余程石動を(なぶ)るのに夢中だったかのどちらかだな」

「とりあえず、ここから離れるか? アラクネの応急処置をしてる奴らや運転手までやられてたら目も当てられんねえぞ」

「いや……少し待て」

 

 私はオータムの提案を保留させると確認していた銃の弾倉を再装填し、おもむろに周囲の資材の一つ、その陰になる所から見えるように床に銃弾を撃ち込んだ。

 

「そこに居るのは誰だ? 出て来なければ容赦なく撃ち殺すぞ」

 

 何かが居る、その直感と確信に従って撃ち放った銃弾が抉った床のあたりに向け警告を一つ飛ばし、私は改めて銃口をそちらに向けて右腕を伸ばし逆に左肘を小さく曲げ構える。その時私の鼻は硝煙の匂いに混じって、そこから漂うおぞましいまでの血の匂いを感じ取っていた。

 

「スコール、<ゴールデン・ドーン>は?」

「今日は腕だけ。でもまあ、そこの陰に隠れている人をこのまま焼き殺すくらいならできるわよ」

 

 私の呼びかけにスコールは片腕に自身の専用機の装甲を出現させ、その手の上に小さな火球を作り出した。すると観念したか、物影に動く人の気配。と同時に、パチパチと乾いた拍手の音が響き、直後悠々と一人の男が私達の前に姿を現した。

 

 その身長は180cmほど。理知的な顔立ちで白いフレームのメガネをかけ、この埃臭い場に似合わぬ黒いスーツを身に付けている。私が想像していた手練れの刺客と言った要素はこれっぽっちも見られず、何と言うか、神経質な研究者と言った雰囲気だ。

 

「いやはや、流石は噂に聞くだけはありますね。こうも容易く見つかってしまうとは」

 

 その男はそう私を褒めながら、サイボーグじみて正確無比な歩みで私達の元へと進んでくる。咄嗟にその心臓へと銃の照準を向ける私を、歩み出たスコールが静止して銃を下ろさせた。

 

「何者かしら。私達の事を知っているみたいだけれど」

「それはもちろん。皆さまのご高名はかねがねよりお伺いしていますので」

「何者かって聞いてんだよ。せめて名前くらい名乗ったらどうだ? えぇ?」

 

 男に対してスコールとオータムが揃って問い詰めるように言うと、奴は諦めたかのように立ち止まってその眼鏡の真ん中を指で押しあげると芝居がかった礼をする。そして、まるで仮面でも被っているかの様な人間味の無い顔で笑った。

 

「では改めて…………お初にお目にかかります、<亡国機業(ファントム・タスク)>のお歴々。こうしてお会いできる日を心待ちにしておりました。私は<ブラッド>。貴方がたと同様、世界を敵に回して生きる者の一人です。以後、お見知りおきを」

 

 

 

 




亡国企業の面々もようやく本格的参戦です。今回遅れたのは大体オータム周りの描写のせい。
更に遂にブラッド登場です(大嘘)多分サイボーグだと思うんですけど(すっとぼけ)

ジオウの次回が何かいろんな要素満載でやばそうなので先に投稿したかったけど間に合ってよかったです。

登場人物が増えるとそのキャラの雰囲気をちゃんと再現できてるか怖い……。

活動報告で亡国機業構成員の名前案を出して下さったシャドーサン様、浅漬けの素様、ありがとうございました。この場を借りてお礼申し上げます。

あとルーブ劇場版見てきたけど面白かったです。エボルトと生徒達の絆を描くこのシリーズを今後ともよろしくお願いします。


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悪魔のコンスピラシー

謀略パート、27000字くらいです。お待たせしました。

感想お気に入り評価誤字報告してくれる皆さま、お陰様で何とか投稿にこぎつけました。ありがとうございます。

新元号に入りましても、星狩りのコンティニューをよろしくお願いいたします。


「私は<ブラッド>。貴方がたと同様、世界を敵に回して生きる者の一人です。以後、お見知りおきを」

 

 その言葉を聞いて、私の横に居るスコールとオータムがそれぞれ眉を顰める。目の前の男が名乗った名、<ブラッド>と言うそれには私も覚えがあった。レインからはIS学園を襲撃した無人ISのコントロールを奪って大暴れしたと、そしてスコールの持つアメリカへの情報網からは<銀の福音(シルバリオ・ゴスペル)>と言う軍用の新型ISを奪おうとしたと報告を受けている。

 

 その件以降、亡国機業でもブラッドの捜索は行われていた。ISを遠隔操作する技術は未だ机上の空論であり、なおかつそれを稼働中のISに対して行う事が出来る人材など、奴らが欲しがるに決まっている。しかしブラッドについての情報はそれ以降ぷつりと途切れ、結局篠ノ之束による襲撃からの立て直しも相まって一時的に中断されていたはずだ。

 

 故に、そんな相手がよりにもよって作戦行動中のこのタイミングで私達の前に現れるなど、オータムの失敗など比べ物にならぬ程の異常事態(イレギュラー)であった。

 

「……ええ、ご丁寧にどうも。それで、私達に何の御用かしら? こっちも今少し立て込んでいてね。あまりゆっくりお話している暇はないの」

 

 しかし、その異常事態の中にあってスコールの立ち直りは早かった。驚いた様子を一切見せずに、小首を傾げ微笑んでさえいる。相変わらずの面の皮の厚さだ。だがそれを目の前にして、ブラッドもまたにこやかに能面じみた笑顔を見せた。

 

「ご安心ください。それほど長ったらしい話にする気はありませんよ。私もそう時間があるわけでは無いので……お互い、率直に行きましょうか」

 

 スコールもスコールなら相手も相手か。私はブラッドの顔を見てこいつもスコールの同種なのだと理解し、嫌な気分になって眉間に皺を寄せる。そんな私を他所に、スコールとブラッドは互いに一歩前に出て駆け引きを繰り広げ始めた。

 

「本日この私、ブラッドがこうして皆様の前に姿を現したのは、皆様と協力関係を築くためです」

「協力関係だァ? テメェ、男の癖に生意気言ってんじゃあ……」

「黙れオータム。茶々を入れるな」

「あァ?! エムこの野郎――――」

「エムの言う通りよオータム。静かにしてて頂戴。今は大事なお話中なの」

「…………了解」

 

 ブラッドの言に憤慨したオータムを私との二人がかりで黙らせて、スコールは手ぶりであのバカを下がらせた。全く、コイツは本当に後先考えない無能だな。そんなんだからこのぬるま湯(IS学園)に浸かった学生如きにさえ返り討ちに合うんだ。

 

 そう私が奴に酷く蔑んだ視線を送っている内に、スコールはブラッドに向けて話にならないとばかりに溜息を吐いた。

 

「協力関係、ねぇ。貴方と協力関係……と言うのはちょっと厳しいと思うわ」

「ふむ。と言いますと?」

「あら、知らないの? 貴方、()()束博士に狙われてるのよ? そんな人と協力なんて、ねえ……?」

 

 にこやかに疑問を呈したブラッドに対して、同意を迫るようにこれまたにこやかに凄むスコール。そう言った類の(いくさ)は専門外の私は、その二人の様子をただ睨みつけるばかりだ。

 

 …………だがしかし、これはスコールの勝ちで決まりだろう。この男があの忌々しい天災に狙われているのは、我々の間では周知の事実である。実際夏から続く襲撃の生き残り(恐らく、メッセンジャーとして意図的に生かされたのだろう)からは『篠ノ之束がブラッドを出せ、と脅してきた』と言う証言を得ているのだ。

 

 どうやら篠ノ之束はこの男が亡国機業に所属していると勘違いしているらしい。何がどうなってそう思っているのかなど知る由もないが…………思いこみだけでこの有り様だというのに、実際に協力関係にある事など知れたら一体どうなるのか。

 

 …………と、言うか目の前のコイツのせいで我々がああも余計な被害をこうむったのだ。この場で撃ち殺しても筋が通るのではないか……? そう思った私だが、握りしめたままの拳銃を奴に向けたくなる衝動をどうにか堪える。とりあえず、この男がどう狼狽した答えを返すのかを眺めてからでもいいか。そんな思いと共にブラッドの顔をまた睨みつけると、奴は別段気にした風も無く、まるで困ったとアピールしているかのように笑って肩を竦めて見せた。

 

「ああ、それなら恐らく大丈夫ですよ。結局、アレに私を見つける事など不可能なので。事実、今まで私はアレに迫られてなどいませんし。それに、最近はあなた方に対する襲撃の頻度も落ちているのでは? でなければこの様な作戦を実行することも出来ないでしょうからね」

 

 その発言は私達を少なからず驚かせた。その推理の正確さもそうだが、それ以上に篠ノ之束を相手に優位に立っているという確固たる自信を奴が見せつけた事だ。

 

 もしそれが傲慢から来る軽視ならばそんな相手と組む事などまかり間違ってもあってはならない。だが、その自信にも根拠が無いわけではないのは分かる。奴が今生きているというのがその一つだ。

 

 篠ノ之束の性格に難がある事は亡国機業の人間であれば誰もが知っている。奴は絶対的な自身の能力に文字通り胡坐をかいており、自身と相対する者を徹底的に見下してその力で雑に叩き潰すのがそのやり方だ。故に、ブラッドも奴に居場所が露見すればすぐさま攻撃され、疾うに世を去っていることだろう。

 

 だがその言を信じれば、奴は現状篠ノ之束との接触さえも無いという。それはつまり篠ノ之束が真実ブラッドの尻尾さえも掴めていない、と言う事を意味していた。もしその状況が他の者によるものであれば『泳がせている』と言う事も疑う余地があるのだが……あのイカレた女にそれは無い。何よりも、亡国の拠点を襲撃する際欠かさずブラッドの居場所について尋問していくのが証拠だ。泳がせるつもりならそんな事は聞かないだろう。

 

 そこまで私が考えをまとめた所で、珍しく疑う様な表情をハッキリと顔に出したスコールが問い詰めるように声を掛けた。

 

「じゃあ、貴方は協力した際の我々の安全を保障してくれる……って解釈でいいのかしら?」

「いえ、そこまでは流石に。ですが、私の落ち度であなた方に危害が加わる事はまず無いでしょう。なのでご安心していただいて構いませんよ」

「信用できねえな……だがよ、そこまでしてテメェが私達に求めるもんは何だ? 篠ノ之束とやり合えるっつー癖に、わざわざ私達に協力してほしい理由ってのは?」

「それも説明させていだだきましょう…………<スターク>と言うIS乗りはご存知ですね?」

 

 オータムの疑念に答えるかの様に、奴はその名前を口にした。

 

 <スターク>。確か、IS学園の学年別タッグマッチでの『ドイツ製IS条約禁止兵器暴走事件』の際に当時アリーナで戦闘を行っていた生徒達の前に現れたという、謎のIS乗り。その後も<銀の福音(シルバリオ・ゴスペル)>が暴走した際にも姿を現して、かの機体を停止させようとしたIS学園側と激突したらしい。その一部始終は、密漁船に偽装した観測船で亡国企業としても観測していたが……。

 

「……随分派手にIS学園に喧嘩を売っている、そう聞いてるわ」

「なるほど」

 

 少し考えたうえで、スコールがその質問に答える。明らかに言葉を選んだ返しではあったが、ブラッドはそれを聞いてあっさりと納得したようにその眼鏡の位置を直した。

 

「ある程度知っておられるようですね。では、<銀の福音(シルバリオ・ゴスペル)>やIS学園との交戦の際にかなりの戦闘能力を見せた事についても?」

「まあ、ある程度は知っているわ。私たちの見立てでは少なくとも国家代表クラス……と言った所かしら……それで、奴とあなたの目的とやらにどういう関係があるの?」

「ええ。簡潔に言えばあの忌々しいスタークを抹殺するのが私の目的なのですよ」

 

 あっさりと、しかし苦々しさを持って呟いたブラッドに我々は揃って怪しむ視線を向ける。その苦々しい声色と能面めいた顔色があまりにも合致しなかったからだ。まるで、心の底では何とも思っていないのかと思わせるほどの無表情ぶりに、私はいつでも銃を向ける事が出来る様に腕に力を込め直す。その一方で、スコールは探るようにブラッドに対して声を掛けた。

 

「……どうやら、あのスタークに貴方は随分と恨みがあるようね」

「ええ、まさにその通りですよ。……全く、不要であるのに篠ノ之束を怒らせるような真似をしてくれるわ、その罪をすべて私に押しつけて逃げ出すわ、何よりも私の生み出した<ブラッドスターク>を持ち去り、あまつさえそれを自身の力であるかのように喧伝するあの傲慢さ! 更には私の作った機体の世話になっておきながら私の理論を間違っているなどと宣うあの無能さ!! 全くもって許しがたいばかりだ! 俺は、間違ってなどない!! 必ずや奴を縊り殺してあの研究成果を取り返し、それを以って――――」

 

 先程までの無表情ぶりが嘘のような狂気を浮かべたブラッドはそこまで叫んで、突如動きを止め一様に引きつる私たちの顔を一瞥した後、まるで仮面を被るかのように無表情に戻って眼鏡をくいと押し上げた。

 

「…………失礼、少々取り乱しました」

「構わないわ……何となく、貴方の熱意は分かったから」

 

 その様子を見て、対応に困ったようにスコールが愛想笑いを浮かべて答える。成程、スタークへの個人的な恨み辛みを持っていると言うのは何となく分かったが、それだけでは私たちと協力する理由の説明としては不十分だ。そう思っていれば、スコールにすげなくあしらわれて不貞腐れていたオータムが口を開いた。

 

「つーかよぉ、テメェと奴の間に何があったかは知らねえけど、そんなにムカつくならテメェでやった方が話が早いんじゃねえのか? 何でわざわざよぉー……」

「そうしたいのは山々なのですが、奴は文字通り神出鬼没。後ろ盾も無く一匹狼である私では到底その尻尾を掴むことも出来ません……そこで、あなた方の誇る情報網、諜報能力、人手……そう言った、私に足りない力。あの憎きスタークを追いつめる為に、それらをあなた方からお借りしたいのですよ」

 

 殆ど愚痴に近いオータムの言葉に、ブラッドは丁寧に自らの現状と思惑を(つまび)らかにした。その熱意は実際真に迫る物があった。だがしかし、それだけで信用するほど我々は甘っちょろい組織ではない。しかしIS学園からの救援も迫っている今、ここであまり時間をかけていることも出来ないだろう。そう、私と同様の考えに至ったのか……スコールはあからさまに溜息をついて、諦めたようにその主張を受け入れた。

 

「……貴方の動機は分かったわ、真偽は別にしてね」

「手厳しい。ですがまあ、理解を示していただき少々安心しました。では次は――――」

「貴方が私たちに対して何が出来るか、よ」

「ではまずはこれを」

 

 うんざりとした表情のスコールに向け、作り物めいた笑みを浮かべたブラッドは何やら懐から取り出すと、私の掌にも収まりそうなそれを手持ち無沙汰であったオータムに向けて軽く放り投げた。

 

「おっと……なんだこりゃ?」

 

 それをキャッチしたオータムはまるで灯りに透かすように右手を掲げて仰ぎ見る。その四角い物体は所謂USBメモリだ。一体その中に何が収められているのか……それを私とスコールが聞き出そうとするよりも早く、当のブラッドは自身の眼鏡をまたしても直してまるで何でもないように言った。

 

「それは<銀の福音(シルバリオ・ゴスペル)>の兵装データです。落としたりしないように」

「…………何ですって?」

 

 その言葉に、スコールは――――いや、私も同じ気持ちだが――――心底驚愕したように声を漏らした。それはまさしく、本来であれば私が出張って手に入れようとしていたものであり、今回の作戦に際して一旦保留となっていた目標物だ。それがまさかこんな所で…………!

 

 私が驚きの余り眼を見開いてブラッドを凝視していると、奴はその視線に気が付いたようで首を僅かに傾けて小さく口角を上げた。

 

「おっと、もちろん完全な物ではありません。流石に米国の最高機密だけあって少々プロテクトが厄介でして………………まずは腕部兵装の一部データだけですが、お近づきの印に。以降も私に協力していただけるのであれば解読出来たものからデータをお渡ししますよ」

「偽物じゃあないでしょうね」

「それは貴方がたでご確認ください」

 

 こちらの疑念を素気無くあしらって、ブラッドはアピールするかのように両手を広げた。……癪ではあるが、現状この男との条件提示の中でこちらの不利益が見えないのも事実。少しではあるが、私はこの場においては奴との話を好意的に進めても良いのではないかとの考えを持ち始めていた。そこに追い打ちをかけるかの様に、ブラッドは人差し指を自身の顔の前で立てて見せる。

 

「それともう一つ。貴方がたもIS学園に対して諜報活動を行っているようですが……私はあなた方のそれよりも上位の情報を有しています。IS学園の事柄に限れば、ですがね。その情報、貴方がたにも横流しして差し上げますよ。例えば……石動惣一が身に付けている腕のアクセサリが発信機であるとか、ね」

「……オータム!」

 

 スコールに言われるまでも無く、すぐさまオータムが石動の腕を確認する。

 

「…………マジで発信機だ、クソッ!」

 

 苦虫でも噛みしめたような形相になったオータムが叫び私に振り向いた。その意図を瞬時に察して私は其方へと駆け寄り、腕に部分展開したISの膂力を以って発信機を引き千切り放り捨てる。まさか、こんな備えまでしていたとは……IS学園め、味な真似を!

 

「成程、やはり貴方がたはその発信機の存在を知らなかったらしい」

 

 その様を見て、嘲笑うかのように口角を上げたブラッドがまたしても眼鏡を直す。その姿を見た私は先ほど一瞬でもこの男の提案を肯定しかけた自分を呪い、それ以上に今すぐこの男を殺害したい激情に駆られた。しかしそんな私の内心など素知らぬようにブラッドは朗々と自らの手札を開示し始める。

 

「お陰様で、貴方がたのIS学園に対する諜報活動があくまで生徒レベルの物だという事が理解できました。それに対して私は教師レベルの、それも非常に新鮮な情報を調達する事が出来ます。今後もIS学園とやり合うつもりがあるのでしたら、これは逃す手はないと思いますが……」

「…………分かったわ、いいでしょう。正直気に入りはしないけど、貴方との協力関係について前向きに検討させてもらうわ。……お陰様で発信機を付けたままの男を誘拐するなんて真似はせずに済んだしね」

 

 怒りに燃える私を他所に、スコールはあくまで冷静に結論を提示した。

 

 納得のいく答えではない。……しかし悔しいが、今この場で出せる答えとしてはそれが最大限の譲歩だろう。それをブラッド自身も理解しているのか、満足したように頷いた後、対面時に見せたような慇懃極まりない礼をして見せる。

 

「いえ、礼には及びません。では後程、私からの連絡手段をそちらへお送りします。良い返答を期待していますよ」

 

 そして奴は踵を返し――――返そうとして、突然何かを思い出したかのように立ち止まった。

 

「忘れていました。最後に、あなた方からも先払いを一つ頂きたい」

「あン?」

 

 振り向いたブラッドの言葉に、オータムが苛立った声を上げる。だがそれを気にした風も無く、奴は自らの要求をまるで友人に向けるかのように気軽に口にした。

 

「――――血を。皆様の血を、一滴ずつ頂きたいのです」

「ダメよ」

 

 その要求を、一瞬の猶予も無くスコールが切り捨てた。

 

「血の一滴って言うのは、今の時代情報の宝庫よ。使い道なんてそれこそ数え切れないほどあるわ。……貴方を信頼しきれていない今、そんなリスキーな事は出来ないの。それくらいわかるでしょう?」

 

 もはや敵意すら滲ませながら、スコールは強く強くブラッドを睨みつける。

 

 当然だ。スコールにとって私は――――『織斑千冬の遺伝子』はナノマシンを投入し選択の自由を奪ってでも手元に置いておきたい切札(ジョーカー)。知っていようがいるまいが、それを軽々しく寄越せと言われて『はい、そうですか』と言うほどこの女は甘くない。 

 もはやその剣幕は今までの協力関係に関する会話を白紙にすると言わんばかりの迫力だ。まぁ、その程度の判断も出来ないようなら疾うに私の手でこの女はバラバラに引き裂かれているだろうが。

 

 ……だがしかし、ブラッドはそんな我々の様子を見て――――そんな事は想定の範囲内でしかないとばかりに、にたりと微笑んで見せた。

 

「……ああ、もしや貴方がたの遺伝子を調べてクローンを作ろうとしているとでも? ご心配なく。この血は今この場で使わせていただきますのでご安心ください。…………それに、万一今から私が行う『使い道』に納得が行かなければ、貴方がたの持つISで私を煮るなり焼くなり好きにするといい。それだけの力の差が、今の私と貴方がたにはあるのですから」

 

 確信を持ってそう言い切った奴は、まるでその圧倒的劣勢を楽しんでいるかのように笑った。それは私達が、この男を見てきて初めて見た心からの笑みだった。恐らく、スコールもオータムもその笑顔の裏にあるものを探ろうとしただろう。だが、奴のその親しい友人に向ける様な笑みは、我々三人の突き刺すような視線を受けても一向に揺らぐことは無かった。

 

「…………一つ聞くわ」

 

 一分近く奴の顔を睨んでいただろうか。根負けしたような、うんざりしたかのような声色でスコールが口を開く。

 

「この場で使う、とは言っても……貴方は私達の血をどうするつもりなの? 貴方に誠意が一欠片でもあると言うのなら、それを(あらかじ)め教えてくれてもいいと思わない?」

「成程、百理ありますね」

 

 ブラッドはその質問に、当然の権利だという様に首を縦に振った。そして、あっさりとその理由を口にする。

 

「単純な話です。――――舐めたいのですよ、血を。個人的な嗜好と言いましょうか。どうしても、昔から血を経口摂取するのが好きでしてね…………それだけですよ」

 

 それを聞いて、私は全身の毛が総毛立つようなおぞましさを感じた。その感情に任せ、私は奴に感じたありのままを口にする。

 

「<ブラッド>の名は伊達ではないという事か。<スターク>が貴様と決別したというのも納得だよ、異常者め」

「人聞きの悪い。それは奴の人間性の問題なんです。勘違いしないでいただきたいですね」

 

 私の指摘に即座に反応し、スタークに対する悪感情を隠さずに吐き捨てるブラッド。それに対して私は嫌悪と拒絶の視線を向けるばかりだ。

 

 一方、スコールは諦めたように懐から小さなナイフを取り出し、自分の指先にその刃を軽く添わせてほんの僅かな血を付着させた。それを見たオータムが、心配そうな表情で声をかける。

 

「いいのかよ、スコール。私はともかく、お前とエムの血を渡しちまって」

「時間もないしね。舐めるくらいは大目に見てあげましょう。まあでも、もし血を回収しようとしたならすぐさま八つ裂きにしてあげて。エム、出来るわよね?」

「…………今すぐに殺させてほしいぐらいだ」

「私も、すぐに殺させてあげたいくらいよ」

 

 私は奴が何らかの不正を行わぬようハイパーセンサーを部分展開させ、更には腕部分の部分展開も追加で行い戦闘態勢を取る。しかしそんな私の本心からの言葉に軽口で答えて、スコールは私とオータムそれぞれに小さなナイフを手渡した。私とオータムはそこで一度顔を見合わせた。

 

 奴の要求を呑むというのか? 馬鹿な。このような奴の提案などロクな事があるはずが無い。だがオータムが不機嫌そうに自身の指先を傷つけ、スコールが私の事も視線で急かす。それに私は納得できぬと睨み返したが、奴が小さく溜息を吐くのを見て自身に選択の権利がない事を理解させられた。

 

 私は手渡されたナイフで指を軽く傷つけ、少量の血を付着させる。それをスコールが回収し、奴にそっと手渡した。

 

 そして三本のナイフをまるで特別なご馳走でも口にするかのようにそれを(うやうや)しく受け取り、ブラッドは刃先に付着した血をねろりと舐めあげる。

 

 次の瞬間奴は肩を震わせ、今までとは比べ物にならぬ大きな笑みを見せつけた。

 

「クッ、ククッ、フハハ、フッハッハッハッハッハッ!!!!」

 

 そのまま奴は口を大いに開き、腹を抱えて狂笑する。心の底から、面白いといった風なその笑いは、第一印象で奴に抱いた冷徹なサイボーグじみた男と言うにはあまりにもかけ離れた姿だ。まるで仮面でも被っていたかのごとき豹変ぶりに、改めて私達は戦慄する。

 

 そうしてその姿を眺めていれば、ふとスイッチが切り替わったかのように奴は笑うのをやめて、元々の能面の如き無表情に戻ってこちらを見据えるのだった。

 

「ありがとうございました。では、私はここで……素晴らしい血も頂けましたし……サービスとして、後程こちらから増援を差し向けます…………上手い事脱出に役立ててください。それでは、また後日」

「ちょっと待てよ」

 

 満足したかのように性急にこの場を去ろうとするブラッドをオータムが呼び留める。それに嫌々と言った具合で応じて振り向いたブラッドを、オータムはそれに勝るとも劣らぬ不機嫌さで睨みつけた。

 

「ここに居たウチの部下共…………お前がやったんだろ? 一体何処にしやがった」

「心外ですね。私は知りませんよ」

 

 オータムの視線にも動じず肩を竦め、知らぬ存ぜぬを通そうとするブラッド。それを見てオータムは更に奴へと喰らいつこうとするが、ブラッドは腕にした時計に向かってちらと目を向け、さっさとオータムに背を向けてしまった。

 

「おっと、余計な話をしている暇は無くなってしまいましたね……IS学園の方々がいらっしゃる前に失礼させていただきますよ……ではまた!」

 

 それだけ言い残して、ブラッドはこれ以上は聞く耳持たぬと言わんばかりに足早にその場を去って行った。

 

 

 

 

 

 …………奴が去った後も、私はしばらく体の緊張を納める事が出来なかった。今まで、出会ったことの無い類の男だった。私は頬を伝う汗を手の甲で拭う。あれ程までに底知れぬ、得体の知れぬ者など見た事は無かった。私が今居る亡国機業にも、スコールを始め怪物的な存在は在籍している。だがしかし、奴のそれはまさしく別物だ。

 

 幾つもの表情を見せながらも僅かにも揺れる事の無かったあの瞳。あの、全てを吸いこんでしまいそうな底の無い眼が、私の体を小さく震わせる。紛れもない恐怖。私にとって、本来であればそれは酷い屈辱のはずだった。だが、何故容易く殺せるはずの男にこのような感情を抱いているのか。その理由が理解できず、しかし本能的にその警戒が正しいのだと体が訴えて私は少し困惑する。

 

 それを見ていたスコールが、一度疲れたように目を伏せて忌々しげに口を開いた。

 

「もう奴の気配はないかしら、エム」

「………ああ。行ったようだ」

「なあ、良かったのかよスコール? あんな胡散くせえ野郎と協力なんざ、私は御免だぜ」

 

 うんざりと言った様子で溜息を吐くオータム。それに同調してか、スコールはこれ見よがしに肩を竦めた。

 

「そうね、同感よ。でも今は忙しいし、猫の手も借りたいような状況だものね。彼が私達を手伝ってくれると言うなら、甘んじて受けるしかないわ」

「罠の可能性は?」

「正直、罠にかけるのであればわざわざここまでちゃんと交渉事をする必要はないし、過剰に警戒する必要は無いと思うけれど…………それは後でもいいわ」

「どう言う事だよ?」

「前向きに検討するとは言ったけれど、OKするなんて私はこれっぽっちも言ってないもの」

「ヒュゥ、流石だな」

 

 スコールの言葉遊びを称賛するオータム。しかし、私にはどうにも拭えぬ不安があった。あの男が、そういった此方の思惑まで組み込んだうえで動いている可能性……奴にとって、あくまで我々との協力も手段に過ぎない。その真の目的まで明らかではない以上、そう簡単に奴に対して隙を見せるのはよろしくない。もしそれが私にとって不快なものであれば……。

 

 その疑念に苛まれる私は、それをどうにも我慢しきれずスコールへと苛立ちを抑えつつ声を掛けた。

 

「スコール」

「何かしら、エム」

「奴は客観的に見て信用して良いような存在では無い。一刻も早く殺しておくべきだ。それに奴が協力を申し出たのは我々の力が必要だからなのだろうが、我々の方が奴に協力を求める理由など無いだろう。奴との協力は止めておくべきだ」

「……そうね。けれど、それは今すぐ決めるべき事じゃあないわ。時間も無いし、少なくとも奴が持つという福音(ゴスペル)のデータ。それの真贋(しんがん)を確かめてからでも遅くはないでしょ? それに、まずはこの場を切り抜ける事の方が肝要だと思うけれど」

「確かに、そうだが」

 

 歯切れ悪く食い下がる私に、スコールはまるで、娘を咎める母親のように慈悲深い顔で笑いかけた。

 

「ふふ、らしくないわね、エム。心配でもしてくれてるのかしら? そこまで気にしなくていいわよ。もしも奴が私達を裏切ったり、その目的が私達にとって不都合な物であれば――――」

 

 スコールはその先を口にする事は無かった。言うまでも無いからだ。当然、私もその先を理解している。その瞬間は、出来れば一刻も早く来てほしい物だ。だが、ひとまずは目前の任務をこなす事……こんな所で挫けていられる余裕など亡国機業にも、当然私にも無いのだから。

 

 その時、オータムの通信端末が音を立て、奴はそれを耳に当てた。短く会話を交わしてすぐにそれを仕舞い込むと、スコールに向けて声をかける。

 

「アラクネの応急修理、終わったそうだぜ」

「そう、で、どのくらい使えるのかしら?」

「残念ながら、副腕が随分いかれちまってるらしい。真っ直ぐ飛ぶくらいしかできそうにねえとよ。……あのクソガキめ、次会ったら手足もぎ取ってやる」

「トンネルを抜けるだけなら、真っ直ぐ飛べれば十分だけれど……あなたには車に付いてもらうのが一番良さそうね……。とりあえず撤退の準備を始めましょう。時間は待ってはくれないから。行くわよ」

 

 言ってスコールはオータムを伴ってその場を立ち去った。私はそれを追おうとして、一度ブラッドの居た方を振り返る。そこには奴がいた痕跡など僅かにも残されておらず、その存在も夢か何かではなかったとかと思える。だが、奴から感じられたあの匂い……濃すぎるほどの血の匂いが、私の嗅覚にはまだ残されていた。そして、その匂いに感じた畏怖を振り払うように鼻を鳴らし、思う。

 

 ――――きっと今後、奴との関わりが私にとって、何らかの転換点となる。それが良い方向であれ悪い方向であれ。そして奴は間違いなく私達を利用する腹積もりのはずだ。ならば逆に利用してやろう。精々、このくだらない今を打破するための踏み台にしてやろうじゃないか。奴を恐れて怯えるよりも、その方がよほど私らしいだろう?

 

 そう自分に言い聞かせて、私は内に在った畏怖をねじ伏せて心の平衡を取り戻す。……さて。癪ではあるが、スコールの言う通りまずはここから無事に脱出する事だ。その途中、恐らく奴らと…………織斑一夏、そして篠ノ之箒と剣を交える事になるだろう。

 

 織斑一夏など、私にとってただの雑魚でしかない。だが重要なのは奴を含めた敵の裏に織斑千冬が居る事。そして奴を傷つければ、それだけ織斑千冬を苛む事が出来るであろうという事だ。それを考えれば、これから起こるであろう戦いにも少しモチベーションを持って臨める。

 

 …………そして、篠ノ之箒。同年代の操縦者の中でも急激に頭角を現し、最強の第四世代機までも手に入れ今や『世界最強(ブリュンヒルデ)の再来』と呼ばれている女。奴は気に入らない。世界最強(織斑千冬)に最も近いのは奴ではない、私だ。今日この日、それを証明するのもなかなか(おもむき)があるかもしれないな。

 

 そう少し私は気分を良くして、スコールたちの後を追った。如何にあの女に咎められぬよう奴らを傷つけるかについてを思案し、そして<ブラッド>が送り込んでくるという増援、それが邪魔にならぬ事を願いながら。

 

 

 

 

 

 

 亡国の奴らとの交渉を終え、倉庫から抜け出した俺は人目につかぬよう近くの木陰へと滑り込んだ。そして<ブラッド>のガワとして選んだ、俺がかつてビルドの世界で相対した本当にサイボーグになった男……<内海成彰(うつみなりあき)>の姿から慣れ親しんだ石動惣一の姿へと変化し、楽しげに笑って空を見上げた。

 

 成程、成程。どうやら奴らも一応、最低限世界を敵に回すだけの気概と能力を持ってるみたいじゃあねえか。安心したぜ。これならある程度、俺が使っていっても問題は無さそうだ。問題があるとすりゃあ、奴らが俺への協力を拒んだ場合だが…………その時はその時だ。何せ、俺は今回既に十分すぎる成果を手にしているのだから。

 

「ハザードレベル5.1…………ようやく戻ってきたぜ」

 

 俺は胸に当て、自身のハザードレベルを測定してつぶやく。……結論から言えば、エムの遺伝子は予想以上の強化につながる程の物だった。これが世界最強と謳われた女、それに類似した遺伝子の力か。これなら、織斑千冬本人の遺伝子を取り込めばさらなるレベルアップが見込めるかもなァ。ま、ここまで来ちまえばもう敵になるような奴なんざ殆ど居ねえんだけどよ。

 

 内海(うーつーみ)。お前のお陰で、俺はこの世界でも随分うまく立ち回れてるぜぇ? ありがとうよ。

 

 俺はあの世界での決戦の後どうなったかも知れぬ内海に対して感謝の笑みを浮かべると、立ち上がり体内に収納していた装備を取り出した。

 

 それは赤を基調とし、黄金と青の装飾のなされた俺専用のドライバー。かつて葛城先生によって<ビルドドライバー>を作るために参考にされたオリジナル。俺の真の力を――――<仮面ライダーエボル>の力を発揮させる、最強の兵器。

 

【エボルドライバー!!】

 

 俺が腰にそれを押しつけると、嘗てこの世界に転移した時に試した時と違い、俺自身の声による認証音声がドライバーから発せられる。ああ、やっぱこれでなくっちゃなァ! 久しく感じていなかったこの感触に、ビルドの世界でこいつを取り戻した時の様に俺は思い切り大笑いしたくなった。

 

 さて、と。俺は更に体内から二つのボトルを取り出す。その一つは黒いボトルの表面に銀色のピストン機構の装飾が施された、今まで使用していた地球の成分を内包したフルボトルとは別の代物だ。<エボルボトル>。地球上には存在しない、未知の成分(地球人にとっては、な)を内包した俺専用のボトル。

 

 こいつは通常のフルボトルと違い仮面ライダーエボルへの変身に必要なボトルで、その力はフルボトルの比じゃあない。まあ、かつて手にしていた四本のエボルボトルの内、俺の遺伝子を持った万丈に<ドラゴンエボルボトル>を持って行かれちまってるのと、戦兎から作り出した<ラビットエボルボトル>はこっちの世界に持ち込めてねえんだが。

 

 しかし俺の全力を出すのに必要な<コブラエボルボトル>と替えの効かない<ライダーエボルボトル>は今も俺の手の内にある。これだけでもこの星の奴らを相手取るには十分すぎる力だが……それだけじゃあ足りねえ。俺の目的は、もっと壮大なものなんだからな。

 

 そんな事を思いながら、俺はもう一つの、取り出したフルボトルに目を向ける。――――俺の<ライダーエボルボトル>には、エボルへの変身ともう一つ、特別な機能がある。それを今から、ちょっと試してやるつもりなのさ。

 

【インフィニット・ストラトス!】

【ライダーシステム!】

【クリエーション!!】

 

「やっぱ出来るよなァ……!?」

 

 認識音声を耳にして、歓喜と共に俺はエボルドライバーのレバーを回す。それに応じてエボルドライバーから幾つものパイプが出現、それが俺の前に3つの金色の環状の高速ファクトリー、<EV-BHライドビルダー>を作り出してボトル内の成分を材料に瞬時に素材を構築、そのいくつもの素材を挟み込むように3つの円環が合体して、俺の目前にいつかのクラス対抗戦の際に送り込まれた無人ISを作り出した。

 

 ……通常のクリエーションとは異なるプロセスだな。ライダーエボルボトルと共に装着したフルボトルに対応した装備を生み出すのがクリエーションなのだが、基本的に武器を生み出す際には<EV-BHライドビルダー>は生成されず直接装備を生み出していた。生み出す対象が大きく、複雑だったからか? そのあたりは後で検証の必要があるか……。

 

 俺は一つの課題を記憶に留めつつ、ISボトルを抜いたエボルドライバーを外して再び体内に仕舞い込んだ。そして次に自身の体の一部をアメーバ状に変化させ、それを切り離す。これも俺のハザードレベルが十分に回復した事で使えるようになった能力だ。所謂分身能力。本体程の能力を有してはいないが、他者への憑依、擬態程度は問題なく行える。ま、ノーリスクじゃあ無く、俺のハザードレベルの低下を招いちまうんだが……俺はまだしばらく<ブラッドスターク>を使ってくつもりだからな。特に問題は無え。

 

 折角使えるようになった事だし、エボルの力を見せてやるかとも思ったが…………流石にまだ早い。奴らにはもっともっと強くなって貰わねえといけねえのに、こんな所で心をへし折っちまう訳には行かねえからなァ。ったく、奴らにレベルを合わせてやらねえといけねえってのは、ちと難儀なもんだぜ……。

 

 俺は次に、微動だにせぬ無人ISにちらと目を向けた。エボルボトルの成分が混入しているとはいえ、こいつの性能は嘗て俺がコアを奪った無人ISとそう変わらんはずだ。それでは今の一夏達を敵に回すには少々心許ない。仕方無え。少しテコ入れをしてやるとするか。

 

 俺は体内から一本のフルボトルを取り出し、分身体の中へと放り込んだ。それを取り込んだ分身体は一瞬青い光を放つと俺の元から離れ、ISへと侵入。次の瞬間には俺の分身体に乗っ取られた無人ISが稼働し、いびつに備えられたカメラアイを赤く発光させた。

 

 これでよし。ボトルの能力を付与したIS……こいつは我ながらイカした発想だぜ。フルボトルを使うトランスチームシステムにISの力を適合させられるなら、逆もまた然りってな。ライダーエボルボトルの成分がある程度混じっている以上、親和性も十分。これなら奴らを敵に回してもやり合える。あっちからして見りゃ、一種の単一仕様能力(ワンオフ・アビリティー)に見えるかもしれんな。

 

 俺の自画自賛が終わるとともに、無人ISはその場を飛び立った。アイツは正しく俺と一心同体。心配の必要は無い。そこで俺は一度ISフルボトルを振った。

 

 なるほど、やはり中の成分はかなり減少しちまってるな……流石に1本のボトルで何機ものISを作れるほど都合よくは行かねえか。だが俺自身が使う程度の成分は残されている――――さて、俺も参戦の準備をするとしようか!

 

 俺は勢い良く体内から<トランスチームガン>を取り出し<コブラロストフルボトル>を装填。【コブラ】の認識音を聞き届け、待機音声を待たずにその引き金を引いた。

 

「<蒸血>!」

 

 次の瞬間トランスチームガンの銃口からボトルの成分を含む黒い変身用特殊蒸気<トランジェルスチーム>が噴射され俺の姿を覆い隠す。そしてさらに俺はコブラロストフルボトルをISフルボトルへと差し替え、【インフィニット・ストラトス】の認証音と共にもう一度引き金を引く。

 

「<凝血>!!」

【ミストマッチ……!!】

 

 銃口から追加で拭き出したISフルボトルの成分が既に形成されていたブラッドスタークの表面に固着、変化させてISとしての能力を付与。そのまま一気に黒煙を吹き飛ばし、変身が完了した。

 

【コッ・コブラ……コブラ……ファイヤー!】

 

 花火じみて散る火花を一瞥もせず、俺は肩を回してストレッチを行う。今からIS学園、亡国機業を相手に立ち回らなきゃあいかんとは…………想像しただけで笑える。まぁ正直ちと忙しいんだが、それくらいどうにかして見せなきゃあゲームメーカーの名が廃っちまうぜ。

 

『……さぁて、一夏達も頑張ってるし、俺も少しくらい無理してみるとするかねェ』

 

 俺はこれからの忙しさを思って一度嗤い、トランスチームガンから煙を噴出させその場から姿を消した。

 

 

 

 

 

 

 IS学園の空。地上のお祭り騒ぎとは対極的に静かな青空を俺達は駆けて行く。先頭を行く箒の<紅椿(あかつばき)>の背中に俺、ラウラ、シャル、鈴。そしてそのさらに後ろをセシリアと楯無先輩が続いていた。

 

 俺達は今、IS学園の外れにある学園の建造初期に本土からの資材を運ぶために使われていたトンネルに向け全速力で急いでいる。千冬姉から提供されたデータによれば、石動先生が携帯している発信機の信号がその近くの倉庫で確認されたって話だ。

 

 石動先生が発信機の所持を義務付けられてたってのは初耳だったけど、良く考えたら当然の事なのかもな。幾ら殆ど学園の中に居るからって、俺と同じ男性操縦者である石動先生が狙われるケースは十分に想定できる。現にその想定が大当たりしてたお陰で俺達はこうして救出に向かえるんだから千冬姉様様って所だな。

 

 だが、楽観視なんか出来ない。どうやらトンネルはとうに制圧されちまってるらしく、こちらからの呼びかけにうんともすんとも言わないって話だ。本土側の出口を塞いでもらえるように政府に話を通してる最中らしいけど、間に合うかは不透明。だからこそ、俺達は全力で急がなきゃいけない。

 

 しかし、それでも俺は全速力を出しちゃいない。何故なら、それぞれの機体の最高速度には差があるからだ。

 

 俺達の中での最高速は、別格の第四世代機である紅椿が群を抜く。ま、瞬間速度だけなら白式の方が上なんだが、常に全速力を出せばあっという間にエネルギー切れになっちまう。そんでそれにラウラのシュヴァルツェア・レーゲンが次ぎ、それを甲龍(シェンロン)とブルー・ティアーズが追う形だ。

 

 で、最後にシャルのラファール。これはどうしても第二世代機と第三世代機の基本速度の差があって仕方が無い事だ。後、楯無先輩の機体は良く分からないけど、どう見ても第三世代だし最高速はラファールよりは上だろう。なんで俺達は今、ラファールの最高速度に合わせて編隊を組んで飛んでいる。

 

 だから、シャル以外は意図的にブレーキをかけてる形になるんだが、これが正直心臓に悪い。そんな俺の焦りが伝わったのか、今回の作戦の為に用意された共用チャンネルを通して不安げなセシリアの声が俺達に届いた。

 

『……石動先生は無事でしょうか。(わたくし)、まだ先生から学びたいことが山ほどありますのに……』

『無事じゃ無いかもしれないけど、取り返しはしなきゃね。僕だってもっと強くなりたいし』

『私も嫁たちを守れるほどの力を手にしたとはまだ言い難い。皆の為にも、自分の為にも、石動先生の力ははまだ必要だ』

『……人の恋愛にとやかく言うべきじゃあないのかもしれないけどさ、その動機、ちょっと不純な気がするわ…………』

 

 皆、思い思いの形で石動先生の救出へと意志を固めている。だがその中で独り、箒だけは何も語らず、黙して先頭を駆け続けていた。だが、俺はそのちらと見える横顔からこれ以上無い焦りと苛立ちを感じ取っている。

 

『………………』

「箒」

 

 俺は少し速度を上げ、箒の横に並走する形を取った。そしてプライベートチャンネルを開き、自身の焦りを極力抑えて穏やかに話しかける。

 

「なあ。焦ってんのは分かるけどよ、今<福音(ゴスペル)>の時よりも怖い顔してるぜ?石動先生の事が心配なのは、皆同じさ。だからそんな一人で深刻そうにすんなよ。こうして皆、石動先生を助けるために力合わせようとしてるんだ。あんまり一人で焦っても――――」

「分かっている」

 

 前を向いたまま、緊張を顔に滲ませて箒がつぶやいた。

 

「……そんな事、死ぬほど分かってる。だが……」

「だが、じゃあねえって。焦りは禁物、忍耐大事。お前が教えてくれた事だぜ。それに、箒一人で先走っても良くねえのは分かってるだろ。そんなんじゃまた、石動先生に笑われっちまうぜ?」

「……すまん一夏。少し、頭を冷やすとしよう」

 

 俺の言葉に小さく微笑んだ箒は、それだけ言い残すと速度を落として最後尾のセシリアと並んだ。すると、後列に居た楯無先輩が入れ替わりに最前列へと上がってくる。

 

『皆。データの転送が完了したから、情報のすり合わせと作戦立案をしたいのだけれど構わないかな?』

 

 その提案に皆はすぐさま同意を示した。俺達が合流してからの出撃は余りに大急ぎで済ませたものだったので、千冬姉からのデータ転送が全ては間に合わなかったのだ。……俺や箒の感じていた焦りは、多分情報が無かった事からへの不安感もあったんだと思う。それもようやっと解決されるんだ。俺は少し安心してから、楯無先輩の言葉を一言一句聞き逃すまいと通信チャンネルの音声ボリュームを微調整した。

 

『作戦目標については語るべくもないわね。そうなるとまずは、敵の想定される戦力について。まずは私達が相手をした<アラクネ>……以前アメリカから奪われた特殊な第二世代機だよ。エネルギーワイヤーの生成能力と多数の脚部、そしてその足それぞれに武器を展開する事が可能な重武装機。性能的には第三世代機と遜色ないけれど、さっき一夏くんが大分いいのを食らわせたからね。戦力は大幅に低下してるはずだわ』

『……つまり、それほど脅威では無いという事でしょうか?』

 

 アラクネの損害状況を聞いたセシリアがその脅威度に疑問符を付ける。しかし、楯無先輩は困ったように笑うと首を横に振った。

 

『いいえ。それでも脅威、って話よ。トンネルに逃げ込まれてワイヤーなんか張られた日にはそれだけで決着が着きかねないわ。願わくば、ワイヤーの生成能力も失っているといいのだけれど』

『アイツは白式相手にもワイヤーで対処しようとしてたから、多分零落白夜でも斬れないような特殊なワイヤーって可能性が高いぜ。俺達の中じゃ……ラウラのプラズマ手刀がワンチャンあるくらいか』

『ふむ、確かに熱での切断ならばどうにかなるかもしれんが……正直触りたくはないな』

『じゃあどうしようもないじゃない! どうするの!?』

『マップデータを見てもらっていいかな?』

 

 アラクネのワイヤーへの対処法に難儀する俺達を他所に、データの一つを指してシャルが声を上げた。それに応じて俺達がトンネルの図面データを呼び出すと、シャルはその内の一つ、トンネルの断面図にマーカーを付けて指し示す。

 

『主トンネル、本坑の横に保守通路があるのが分かるよね? ある程度の大きさの車両が通れるサイズはあるみたいだから、万一アラクネに本坑を塞がれてもこっちから迂回が出来るよ!』

「その手があったか! ナイスだぜシャル!」

『あら、先に言われちゃった。なかなかやるわね』

『えへへ、ありがと!』

 

 シャルのその提案に俺が喜びシャルは照れを隠さずに笑う。すると、それを聞いた鈴が閃いたとばかりに手を打った。

 

『……じゃあ、トンネル内での追跡の時もしワイヤーで道を塞がれた場合はその保守通路を通って回避するって事かしら!』

『だからそう言っていましてよ……ですが、それなら問題はありませんわね』

『あはは……でも、それだけじゃあ無いよ。相手はIS以外にもいるの。監視カメラの映像によればIS操縦者以外にも何人か偽装してる人員がいて、石動先生の誘拐にも車が使われてた』

 

 シャルが説明した事を繰り返した鈴にセシリアがツッコむのを見て、楯無先輩は苦笑いしつつ補足の情報を出してくる。その情報の出し方に俺は試されている感じを覚えて少し悩んだ。敵にはIS以外の人員も居る……って事はIS操縦者以外とも戦う事になる……? だから……。すると、それを黙って聞いていた箒がぼそりと口を開いた。

 

『……つまり、もし石動先生の移送にまた車が使われるなら、ISの速度での逃走は不可能…………なら、迂回路を使えば回避以前に先回りが出来ますね』

『そう言う事! みんな優秀で助かるわ~』

 

 箒の推理に、ぐるりと態勢を変えてまで拍手を向ける楯無先輩。先程のシャルルと違って、箒は顔を赤くしてそっぽを向いてしまった。

 

『ふふっ……まあ、アラクネへの対応はそれくらいとして…………問題は最低でももう一機、敵にISが居るって事ね』

 

 その様子を見て一度小さく笑顔を零すも、すぐに表情を引き締めて真剣な顔を見せる楯無先輩。その情報は、先に千冬姉から皆に伝えられていた。監視カメラの映像、ISの稼働反応などを総合して、敵にはアラクネ以外に最低一機のISが居るという情報。恐らく、その持ち主こそが石動先生誘拐の実行犯であるという事も。

 

『そいつについての情報は今のところゼロ。専用機を投入して来てる事からして、こちらも相当な手練れの可能性が高いね。危険性大よ。でも、私達の目的はあくまで先生の救出。なら、どう対応するべきだと思う?』

 

 再びの、試すような問い。それに対して、今度はラウラの反応が早かった。

 

『一名、ないし二名による足止め、かと。ですが、相手の能力が未知数な上、三機目以降の敵ISが居る可能性もあります。故に適当な人員は我々の中で最も耐久に長ける……甲龍が良いかと思われます』

『あたし!?』

 

 軍人口調で答えるラウラに対して驚いたように鈴が叫ぶ。どこか、予想だにしなかったようなニュアンスを含んだその発言に、釣られてセシリアがぎょっとした。むしろ、俺からすれば鈴以外にこれをこなせる奴は居ないと思うんだけどな。俺は場を納めるべく、それを鈴に伝えようと口を開く。

 

「何だよ鈴、むしろお前こそ適役だと思うぜ? 俺達の中じゃぶっちぎりでタフだし」

『え? いやそう言うんじゃなくてさ、アタシも先生の救出に手を貸したいって言うか……』

『最近は引き際もよく心得てるし、僕も鈴が適役だと思うな。いざって時の判断力もすごいしね』

『うっ……』

『鈴さんのタフネスもさることながら、甲龍自身の信頼性、特に損傷時の安定性には目を見張る物がありますわ。いざとなれば単独での離脱も可能……これは決まりですわね』

『ううっ』

『それに甲龍の龍咆は他の機体の射撃武装に比べてどうしても範囲が大きいからな……救出対象が居る閉所にはあまり向いてない』

『あぁ~~~~~~~もう! 分かったわよ! 大船に乗ったつもりで足止めは私に任せなさい!』

「それでこそ鈴だぜ!」

 

 皆から集中的に賛同され、逃げ場を失った鈴はヤケクソ気味に無い胸を張る。

 

『ふふっ、今年の一年生は本当に面白いね! お姉さんも負けちゃいられないわ。後は――――』

『レーダーにIS反応! 正面から一機、ISが接近してきますわ!』

 

 楯無先輩が更にブリーフィングを進めようとしたその時、先程まで微笑んでいたセシリアが突如血相を変えて叫んだ。それを聞いた俺達の間に緊張が走る。

 

『皆気を付けて! 今言ってた【もう一機】かも!』

「向こうから足止めに来たのか!?」

『上等、やったろうじゃない! こちとらさっき腹は括ったのよ!!』

『違いますわ、この反応は――――』

 

 セシリアの言葉が終わる前に、数百メートル先の空中に突如として黒煙が沸き立ち、わだかまった。それを見た俺と箒、そしてシャルの間に今度は緊張ではなく、戦慄が走る。あの出現の仕方は間違いねえ。忘れるはずもあるかよ。今までの戦いでどれだけ皆を傷つけやがったか――――

 

「気をつけろッ! <スターク>だ!!」

 

 俺が叫ぶのと、奴が黒煙を吹き飛ばして白日の下にその赤い装甲を晒すのはほぼ同時だった。

 

『よぉ~! IS学園の諸君! 随分とお急ぎみてえだが、世界の終わりでも来たのかよ! どうせなら、少しばかり俺とお話して行かねえか?』

『…………ッ!』

 

 わざわざ外部出力のスピーカーまで使って無駄に大げさで余りに軽薄な挨拶を繰り出すスターク。その声を聞いて、箒が一気に飛び出した。

 

「箒!?」

 

 俺が呼び留める間もなく、凄まじい加速でスタークに箒が肉薄する。しかし、目前に迫る紅椿を見てもスタークはいつも通りの自然体で、背に手を回してあの蒸気を放出するブレードを取り出して逆手に持ち、悠々と迎撃の構えを見せた。

 

 まずい、さっきあれだけ言ったのに、箒の奴! 俺達も加速し、箒に加勢せんとそれぞれの武器を構える。

 

『話が早いな……良いぜ、かかってきな!』

 

 大喜びで手招きするスターク。その間合いに入った箒は次の瞬間、予想だにしない行動に出た。

 

 居合が如く刀に手をかけた箒。そのままスタークの眼前まで迫り、斬撃を繰り出すかに見えた。だがその姿勢のまま、紅椿は奴の横をすり抜ける。そのまま振り返る事も無く、アイツは当初のルートに沿って飛び去っていった。

 その背中を呆気にとられたように振り向いた姿勢のまま見送るスターク。その横を、後から追う俺達が慌てて通り過ぎていく。幾ら咄嗟の事だったとは言え、相談も無く独断で行われたスタークへの予想外の対処(無視)に、対応に困りながらも俺達もその背中に追いすがった。

 

「お、おい箒! スターク無視しちゃっていいのかよ!?」

『ッ……良い訳があるか! だが、今は奴とやり合っている暇もあるまい! 先生の救出を優先すべきだ!!』

『確かにそれはそうなんだけど……!』

『流石にスルーはヤバいんじゃあないの!? 追ってきてない!?』

『いえ、まだですわ……けれど……』

『仕方ない、もし追って来たら私が相手するわ! とりあえず急ぐよ!』

 

 当初の目標に注力するべきだという箒と、困惑し混乱する俺達。それを見かねて、足止めを買って出る楯無先輩。一方、後方のスタークはまるで呆然としたように振り返ったまま此方を眺めていたものの、しばらくして気を取り直したように手に拳銃を握るとそれから黒い煙を放って姿を消した。

 

『スタークが消えたわよ!?』

「ってことは……」

 

 俺が言い終わるよりも早く、ルート上に黒い煙が沸き上がる。それを見て咄嗟に迂回する俺達。その横で黒い煙の中からスタークが飛び出し、そのまま奴は俺達に追いついて並走し始めた。

 

『待て待て待て待て!! お前ら、人間助け合いだろうが! ちっとは俺の話聞いてくれてもいいんじゃねえかァ!?』

『黙れ! 貴様の話など聞く耳持たんわ! 消え失せろ! そして二度とその顔を見せるな!』

『オイオイ! この女どんだけ俺の事嫌いなんだよ!? 思わず……涙が出るぜ!』

『いや、自分の行いのせいでしょうよ……』

 

 必死に追いすがる奴を罵倒する箒、それに対して自身を棚に上げて嘆くスターク。その、まるで千冬姉と石動先生のコントじみた光景を見て、鈴が思わず小声でツッコミを入れた。だがそんな緊張感が薄れるような光景を前にしても、俺達は常に対処できるようそれぞれ戦闘態勢に入って奴の出方を待つ。しかし奴が攻撃を繰り出してくる気配は無く、むしろ友人に対するように気軽に声をかけて来た。

 

『しっかし、お前らこんな所で何してやがるんだ? 折角の学園祭だろ? 青春は一度きりだってのに、ご苦労様なこったなァ~』

『君に青春について語られる程の事はしてないと思うんだけどね……!』

『そう謙遜するなデュノア、純粋な善意だよ! 訓練に任務漬けの毎日じゃあ、軍隊と変わらん。恋愛の一つや二つくらい……おっと、IS学園には一夏くらいしかまともな男は居ねえんだったな、こりゃ失礼』

『貴様ごときが一夏()を語るな!』

『嫁!? マジかよ! 随分手が早いなぁドイツ人は! はっはっはっは!』

『貴様……!』

 

 シャルの手酷い蔑みを皮肉な形で返して笑うスタークに、怒りに歯を剥き出したラウラが吠えた。だがそれをふざけた態度で笑うスタークにラウラの逆鱗が刺激され、今にも飛びかからんとプラズマ手刀を構える。しかし次の瞬間、サッと楯無先輩が二人の間に割って入り手を叩いて場の空気を取り成した。

 

『はい、そこまで! ねえスターク、茶番はそろそろいいかしら?』

『んん……? おっとその顔、アンタが噂の生徒会長か? どーもどーも、一夏達が世話になってる。<スターク>だ。以後、お見知りおきを』

 

 俺達と並走しながら器用に態勢を変え、楯無先輩に向き直って小さく手を振るスターク。それに対して楯無先輩はいつもよりも冷たさ10割くらい増しの笑顔で笑って、ぞんざいに手を振り返した。

 

『ご丁寧にどうも、更識楯無よ。で、何か用かしら? 私達今忙しいのだけど』

『世間話に花を咲かせたかったのさ』

 

 スタークは楽しげに笑い、だがすぐに首を振って否定した。

 

『ハハ、冗談だよ……俺は今<ブラッド>を追っかけててなァ。そしたら今ブラッドの奴がここに居るっていうんで、慌てて飛んで来たんだよ』

『ブラッドですって……!?』

 

 あくまで楽しげに笑うスタークに鈴が驚いたような声を上げる。……なんだよそれ、俺だって呻きたいくらいだ。亡国機業に目の前のスターク、更にはブラッドまで近くに居るなんて!

 

 冗談じゃあねえ。そんな俺達を他所に、今度は箒がスタークに冷たい視線を向けた。

 

『ブラッドか。ならば我々とは無関係だ、失せろ。楯無先輩も言ったが、今別件で忙しい――――』

『ブラッドが亡国機業との接触を狙ってる、って話でもか?』

 

 スタークがつぶやいた言葉に、箒の顔が冷たいを通り越して凍り付いた。いや、むしろ楯無先輩以外の全員が表情をこわばらせている。

 

 ……そう。楯無先輩以外、だ。

 

『あら、ならいい機会じゃない。亡国機業とブラッド、まとめて一網打尽と行きましょう? 文字通り一石二鳥、って所ね』

 

 即座に返されたその不敵な発言に、俺達は今度は驚かされる番だった。さっきまであれだけ慎重に作戦組んでたのに、今度はスタークに協力するってマジかよ!? 驚愕に顎が落ちるほどに愕然としながら、涼しい顔の楯無先輩を見る俺達。しかし、スタークは不機嫌そうに首を傾けた。

 

『オイオイ……ブラッドは俺の獲物だって言ってるだろ? 余計な手出しするなら、お前らにも容赦しねえぜ?』

『あら、私達今緊急時なの。敵に手を出す出さないで選り好みしている余裕はないわ。貴方という問題も抱えちゃったのに、ねえ?』

『……まどろっこしい言葉遊びはやめろよ。何が言いたい?』

 

 クールダウンしたスタークは、現れた時の上機嫌さが嘘の様に冷徹に楯無先輩に殺気を向けた。だがそれに対して、楯無先輩は思わず見惚れてしまうような顔でにっこりと微笑んだ。

 

『いえいえ、ちょーっとお手伝いをね。貴方はブラッドが斃せればいいんでしょ? だったら力を貸してあげるわ。私達も目的が達成できればそれでいい……貴方のブラッド狩りに便乗させてもらって、亡国機業は私達がやる。これって、一種のウィン・ウィン関係じゃない?』

『オイオイ、本気か? 俺を前にそんな言葉を吐くとは…………今まで会った奴らの中でも二、三を争う狸だな』

『お褒め頂けて嬉しいわ♪ それじゃスタークさん、お先にどうぞ。ブラッド達が何処に居るか……場所の見当も、実はもうついているんでしょう?』

『フッハッハッハッ…………怖いねえ。嬉しいねえ! お前みたいな奴がいてくれると、俺も心の底からやりがいって奴を感じちまうぜ…………そんじゃあお望みどおりにしてやるよ。さあお前ら、着いてきな!』

 

 話し終えたスタークが急加速、一気に俺達の先頭へと躍り出る。その真後ろ――――いつでも奴に対して攻撃を加えられる位置――――に楯無先輩が滑り込み、肩越しにこちらを見て、小さく笑いかけた。

 

 彼女らの間で今回の作戦がトントン拍子に別物へと変化したのを目の当たりにして冷や汗を流していた俺達だが、それを見て気を取り直し慌てて速度を合わせ、スタークの後を追う。

 

 まさか、こちらから申し出る形になったとは言え、スタークの協力が得られるなんて俺は夢にも思わなかった。……当然、このまま素直に協力してくれるなんて、俺はこれっぽっちも思ってない。多分他の皆も同じだろう。奴の狡猾さはタッグマッチの時と福音の時で十分身に染みてるからな。

 

 ……でもそんな奴が今すぐに敵対する気が無いというのを示したのを見て、少し肩の荷が降りた気がするのも事実だ。これも楯無先輩のお陰か……つーかこの二人、ISの操縦技術とは全く関係ねえ所で俺達とはレベルが違う。年期って言うのか、経験っつーか……力だけじゃあなく、頭の使い方からして別格だ。楯無先輩は味方だからいいけど。

 

 けど、スタークがそれで終わるような奴じゃないと俺は知ってる……そうだ、多分こいつは、ブラッドを倒す事だけじゃなくて、この場でさらに何か別の目的を持ってるはずだ。それが何なのかなんて、俺にはさっぱりわからねえけど…………。

 

『皆』

 

 思案していた所に楯無先輩の声が聞こえ、俺は思考をスタークから彼女へ向ける。その顔は、いつもの不敵に微笑む先輩のそれでは無く、油断ならぬ緊張感を漲らせる、一人の戦士の顔だった。

 

『これから戦闘になるだろうけれど、私はスタークの方に意識を向けるから、全ての力を他の相手に向ける事が出来なくなると思う。その時は、皆に石動先生の救出を任せる事になる…………無理はしないでね』

 

 視線をスタークの背中に向けたまま心配そうに呟く楯無先輩。普段の俺達なら、胸を張ってそれに応えていただろう。けど、今回は状況が状況だ。そもそも敵は未知数。時間の制限だってあるし、目の前にはスタークが居る上、ブラッドの出現も示唆されてる。俺たち全員が全力を絞り出したところで、どうにもならないかもしれない。でも――――

 

「――――先生を助ける。全員無事に帰る。どうにかして、その両方を実現して見せますよ。な、箒?」

『ああ。無理とか無茶とかはともかく、私達は最善を尽くすだけだ。そうすれば、自ずと最高の結果が得られる』

『それだけの力が、僕達にはあると思いますよ。何せ、先生と先輩に鍛えられてますからね』

 

 俺の言葉に箒が真剣に笑って答え、それをシャルが可能だと肯定する。

 

『それにまぁ、スタークの言う事に乗っかるようで嫌ですけれど……今日は折角の学園祭です。それを邪魔してくださった亡国機業の方々には、少々お仕置きが必要ですわ』

『同感だな。『人の恋路を邪魔する者は馬に蹴らせる』のが日本のルールと聞く……ISで蹴り飛ばすのもそう変わらんだろう』

『いや全然違う……ラウラ、前から思ってたけど、アンタの日本理解ちょっと変よ? 中国にいたアタシが言うのも何だけど……』

 

 セシリアが決意を新たにし、ラウラが怒りの籠った笑顔を見せ、鈴がどこか呆れたようにそれを眺める。

 

『まぁいいわ……全部終わった後は打ち上げもあるし……。あっそうだ。打ち上げ、石動先生に奢ってもらわない? そんで皆で焼肉でしょ!』

「おお、いいなそれ! ナイスアイデアだぜ鈴!!」

『石動先生またウルっと来そうだね、それ……』

 

 そう戦いが終わった後の事を話している内に、俺達の間にあった緊張感は消え、皆普段と同じような雰囲気で笑い合っていた。だがやっぱり皆、表情がどこか堅い。俺だって、ちゃんと笑えているかどうかわからない。そんくらいの相手なんだ、今回は。

 

 ひとりでは敵わないどころか、ここに居る皆を同時に相手に出来かねないスターク。何度も取り逃し、また俺達の前に現れようとしているブラッド。そして、石動先生を連れ去ろうとする亡国機業。本当に、俺達だけでこいつらをどうにか出来るだろうか。そんな心配を隠すように自分を強いて皆に笑顔を向ける。こんなのは空元気さ。けど、空元気でもいい。始まる前から切羽詰まってちゃ、出来る事だって出来やしねえ。

 

 そんな風に不安を押し殺して笑う俺の事をちらと見て、楯無先輩の顔が(ほころ)んだ。

 

『…………ふふ、皆本当に面白いね! 終わった後の話をするのは個人的には良くないと思うんだけれど……まあ、今回は悪くないわ、きっと! それじゃあ力を合わせて、石動先生にいっぱい貸しを作っておきましょう!』

 

 楯無先輩が加速し、スタークに追いつき並んで飛び始める。俺たちはその後ろで編隊を組んだ。スタークの事を認めていないと主張するように。それを横目に見て、スタークは心の底から愉快そうに笑った。

 

『ハッハッハ、やっぱ俺の目は間違ってねえな……。さて、楽しいゲームの始まりと行こうぜ……!』

 

 

 

 

 

 

 倉庫から出た私は、傾き始めた日差しの眩しさに眼を細め、展開したハイパーセンサーで光量を調節する事でそれを克服し、何となく空を見上げた。

 

 空を流れていた雲は最早その影も形も無く、目に映るのは澄んだ青空ばかりだ。

 

 それが何となく癇に障って、私は装甲に包まれた掌を太陽に伸ばしその輝きを遮った。

 

 ――――私は、眩しいのは嫌いだ。何故だかは良く分からない。世界の頂点に立って、栄光に照らされ続ける(織斑千冬)への自分でも整理できない感情がそう感じさせるのか、或いは、その姉の生き写しである自身の顔が良く見えてしまうから嫌いなのか。それは、よく分からない。

 

 だが、それは今はどうでもいい事だ。潜入任務は終わり、戦闘の許可も出た。望んでいた戦いの機会が手に入ったのだ。さあ、慣れぬ潜入で背負ったストレスを、奴らをいたぶる事で解消しよう。

 

「それじゃあ、手筈通りに。頼んだわよ、エム」

「ああ」

 

 石動惣一を乗せた車にスコールが乗り込むと、その上にオータムのアラクネが飛び乗る。ロクに動けぬアラクネは、スコールたちを守るための砲台代わりにする腹積もりらしい。

 

 ――――いっそ見捨てて、全員死なせてしまおうか。一瞬そう考えてから、私はすぐさまそれを却下した。ぬるま湯に浸かったIS学園の奴らがすぐに人質を見捨てるとは思えん。情報を欲しているであろう事から考えても、我々の事は生け捕りにしたいだろう。そうなれば、スコールは私が自身を見捨てた事に気づき、ナノマシンを起動して私をすぐさま殺すはずだ。それでは意味が無い。自由は手に入らない。故に、今日はまだ、自分の為に奴らを生かし続けるしかないようだ。

 

 これからの私の立ち回りは至極単純だ。奴らが本土側へと辿り付くのには十五分とかからない。それまでの時間私がこのトンネルを死守し、折を見て離脱する。私はそのシンプル過ぎる作戦に、少し溜息を吐いた。

 

 敵は国家代表候補生の第三世代機を中心とした部隊。そして、オータムを圧倒したという更識楯無とやらがそれに加わっている。その実力は、私ほどではあるまい。だが数の不利は認めなければならん。

 

 一人でこの大型の建設重機さえも悠々と通せそうなほどの口を開けたトンネルに敵が入り込まぬよう手を尽くすと言うのは……少々難儀なハエ退治だな。私の<サイレント・ゼフィルス>が自立稼働可能なビットを備えた機体とは言え、一機でどこまで対応できるか……。

 

『そこにいらっしゃるのは<エム>とお見受けしますが』

 

 ――――近距離からの近接通信(ダイレクトチャンネル)

 

 私は瞬時にハイパーセンサーで背後のISを視認。振り向きざまに剣と銃、そしてエネルギーと実弾の発射機構を備えたマルチ・ライフル<スターブレイカー>をメッセージの送り主へと突きつける。そこに居たのは、かつてIS学園のクラス対抗戦とやらに乱入し<ブラッド>の手で乗っ取られたという異形のISであった。

 

「…………ブラッドか」

 

 その血のように染まった装甲を見て、私はスターブレイカーを引きつつ、忌々しさを隠しきれずに舌打ちする。それを見たブラッドは微塵も怯えを見せずに、むしろ堂々とした佇まいで姿を現した時同様に礼を取った。

 

『ええ、どうも、ブラッドです。ご無沙汰しております』

「何がご無沙汰だ、さっき別れたばかりだろう」

『貴女がISを展開している姿を見るのは初めてな物で。それにしても素晴らしい機体だ。貴女に良く似合っている』

「下らん世辞はやめろ。先にお前からなます切りにしてやってもいいんだぞ」

『それは困りますよ? ……多分、お互いに』

 

 その余裕たっぷりな口調に私は途方も無い苛立ちを覚え、盛大に舌打ちした。ブラッドはそれに対して特に反応もせず、興味深げに私の機体を眺めているばかり。それが更に癇に障って、私は奴に対して背を向けた。

 

「……御託はいい。手助けに来たなら、それなりに役に立て。でなければ私から、お前との協力を断るよう上に進言するぞ」

『それは困りますね。精々張り切って行くとしましょう』

 

 ブラッドは困ったように肩を――――そのISに肩は無かったが、そう見えた――――竦めると、明後日の方へと向きを変え立ち塞がるかのように両手を掲げる。

 

 直後、ハイパーセンサーが敵影を捉えた。八機。予想より多い。その先頭を走る機体を拡大し視認。半透明のヴェールを纏った青い機体と、ブラッドと同様の血の色に染め抜かれ、エメラルドじみた半透明のプロテクターとバイザーを持つ機体が目に映る。青い機体はデータに無いが、オータムの証言と一致する。恐らく奴が更識楯無。そしてもう一機の赤い機体は…………。

 

「<スターク>だと?」

 

 予想外の相手。しかもなぜ、奴がIS学園の連中と並んでこちらに向かっている? 奴らは敵同士では無かったのか?

 

 私は少々困惑し、最初の一手を打ちかねる。その横で、ブラッドが落ち着き払った声色で笑った。

 

『さて……役者も揃いましたし、始めましょうか』

 

 その言葉と共に、ブラッドの掲げた両の掌から前触れ無く二本のビームが放たれ空を裂いた。レインの報告にもあった高出力のビーム砲。それを受ける側となった敵はすぐさま散開し、開幕の花火で撃墜される者は居なかった。

 

 ――――まあいい。予定外の敵が居ようが、私がやる事に変わりは無い!

 

 私は戦いの火ぶたが切って落とされたことで平常心を取り戻し、殺意を全身に巡らせる。その意志に応えゼフィルスが駆動した。スターブレイカーを即座に構えてエネルギー弾を単発速射(ラピッドファイア)。散開した奴らの中でもひときわ大きく距離を取り、孤立気味になった更識楯無の青い機体を狙う。

 

 だが奴は手に長大なランスを呼び出すとその表面に水を奔らせ、高速で横に振り抜く事でエネルギー弾を四散させて見せた。それを見て、自身の顔に獰猛に笑みが浮かんだをの感じる。

 

 そうで無くては。その程度やって貰わなければ、面白みがない。

 

 その妙技に応え、サイレント・ゼフィルスに搭載された六機のビットが一斉に展開され攻撃態勢を取った。ブラッドが執拗にスタークに対し砲撃を加える横で私はスターブレイカーと合わせて他の七機を一斉に照準(ロック)。そして、全ての銃口にエネルギーを収束させた。

 

 さあ、お前たち如きがどこまで私に喰らいつけるのか……精々楽しませて見せるがいい!

 

 私は笑い、引き金を引く。花が咲くように放たれる七条の閃光。それを追う様にサイレント・ゼフィルスは瞬時加速(イグニッション・ブースト)で急加速。そして、七人の中でただ一人先制攻撃に対し防御では無く回避を選択し寸ででそれを成功させた紅椿――――篠ノ之箒へと、私は肉薄した。

 

 




ずいぶん時間がかかりましたが、全ては内海の(エミュレート精度がエボルトに比べ低くそれっぽく描くのに苦労した)せいです。

次回、亡国(エム&ブラッド)対IS学園の戦闘になると思います。ぼちぼち書いていきますが、またしばしお待ちいただく事になるかと思います。申し訳ないけど




(キバ編、当時名護さんの大ファンだった自分からすると狂喜乱舞だけど冷静に考えてすっげえ事になってんぞ……)


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