クール系魔女っ娘師匠を愛でたり、愛でられたり (まさきたま(サンキューカッス))
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第一話「復讐ラプソディー」

「どうした。早くついてこい」

 

 小さな魔女は、呆れたように僕へ振り向き、ため息混じりに叱責した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────魔女っ娘と言えば、とんがり帽子である。

 

 黒いとんがり帽子を深く頭に被り、真っ黒な装飾の無いローブを羽織り、ローブの狭間からちょこんと出た手で古めかしい木の杖を握りしめている、ジト目の女の子。

 

 そんな彼女こそ、僕の保護者であり希代の大魔法使いである、「永明の魔女」ことオルメアだ。

 

 その髪は金色に輝き、ショートボブに小さく纏まっている。目は大海原のように蒼く、肌は人形のごとく白い。落ち着いた所作で杖を微かに揺らしながら、彼女は僕の一歩前をスタスタと歩いている。

 

 一見すると、オルメアは年端もいかぬあどけない少女である。もしオルメアが杖を手放し村娘の服を着てしまえば、彼女を怖がる人間などいなくなるだろう。少し眠たい顔をした、どこにでもいる少女にしか見えまい。

 

 だが。僕は、知っていた。彼女の恐ろしさをよくよく知っていた。

 

「何をのんびり歩いている。私は先を急いでるんだが」

「し、師匠……。無理です、ごめんなさい、ちょっとそろそろ休みを頂けないと僕は、」 

「……ふぅん?」

 

 そんな情けない泣き言を言う僕を、師匠(オルメア)は静かに見下ろす。

 

 僕の背には、自分の体重より重たい山積みの荷物。僕の両手には、腕が引きちぎれないのが不思議なくらい詰め込まれた貴金属入りの袋。

 

 師匠(オルメア)は自分の杖以外の全ての荷物を僕に押し付けて、悠々と歩いている。そんな彼女と同じペースで歩き続けるなんて、常識的に不可能だろう。

 

「そうか。残念だ」

「師匠、分かってくれましたか。ここらで一丁、小休止を────」

「君はもうバテてしまったんだな。なら、今日の稽古も中止にしようか」

「まさか僕がバテる訳無いじゃないですか馬鹿言わないでくださいよ師匠さぁ先を急ぎましょう」

「君のそう言う素直なところ、嫌いじゃないよ。じゃ、早く行こう」

 

 泣き言を言う僕を、師匠は小悪魔じみた笑顔で脅す。僕は、2秒でその脅しに屈する。これが、僕と師匠の力関係。

 

「そら、頑張れ。目的地まで後、たった50㎞程だ」

「……それ、夜までに着きますか?」

「今から走ればなんとかなるだろう」

「……お、鬼だ」

 

 そこまで言うと、師匠は足取り軽やかに駆け出した。僕は残った気力を振り絞り、路傍に汗を撒き散らしながら必死に逃げる師匠を追いすがった。

 

 やがて。身体が限界に達したのか僕の意識はブラックアウトし、バタリと倒れこんでしまう。だが、すぐさま僕は目を覚まし、笑顔のオルメアに尻を蹴飛ばされた。たとえ僕が道中気を失ったとして、即座に師匠の魔術で全快させられるのだ。

 

 精神拷問の様なしごきを耐え、僕は歩む。今日こそ、今日こそ師匠に思い知らせてやるために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────その日、少年は孤児となった。

 

 

 小さな村を領地として任されているそこそこ名門の貴族だった少年の父は、ある日賊が領地への襲撃を計画していると察知した。その対策として、少年の父は高名な魔術師を雇い、賊どもを殲滅するよう依頼する。だが、その魔術師は依頼者である父を含め、少年の家族を誰一人守りきることが出来なかった。

 

 それは、彼女の油断だったのだろうか。否、必然だった。

 

 その魔術師は迷ったのだ。悪政を敷くことで有名だったその貴族を、救うべきか否かを。食うに困り蜂起するに至った民衆を、依頼だからといって殺して良いかどうかを。

 

 結局、民の声を聴いたその魔術師は依頼を放棄した。重税を課し贈賄を受け取り民を苦しめたその悪徳貴族は、蜂起した民衆により処刑された。

 

 暴徒と化した民衆は怒りのまま彼の貴族屋敷へと殴り込み、その家族を殺して回る。民から搾り上げた税で贅沢三昧に暮らしていた彼の一家は、それはそれは残酷な方法で殺されたと言う。

 

 その怒りは、子供にも向いた。齢4つ、右も左も分からぬその貴族の嫡子は、暴徒に囲まれ煮えた油に放り込まれそうになり、魔術師に向けて叫んだ。

 

 

『お前は依頼を失敗した! お前のせいでこうなった!』

 

 

 魔術師は耳を塞ぐ。その幼い叫び声は、聞くに耐えなかった。例え親が悪人であったとして、その子供にまで罪はない。

 

 その少年の怒りはもっともだった。彼は社会の仕組みを知らぬ。彼にとって魔術師は、父親を見捨てた裏切り者なのだ。魔術師は、恨まれるのも仕方の無いことだと割り切って、その屋敷から出ていこうとして。

 

『悪いと思うなら! せめて、僕を助けろ!』

 

 そう、がむしゃらに泣き叫ぶ幼い男の子の声に、思わず振り向いてしまった。

 

『僕はまだ、死にたくない!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お疲れ様。うん、今日はここで野宿にしようか」

「い、いえっさー」

 

 師匠のその言葉を聞き、僕は荷物を全て地面に下ろし、グッタリと座り込んだ。彼女は愉快そうに満身創痍の僕を見つめ、そしてゴニョゴニョと怪しげな呪文を唱え始める。いつもの様に土が盛り上がり、やがて小さな小屋が出来上がった。

 

 この師匠は野宿をする際、毎回わざわざ呪文で小屋を作る。こんな使い道のない呪文を知っているのは、世界広しと言え師匠くらいだろう。雨に濡れるのが嫌で、小屋で寝たいというそれだけの為に、長い時間をかけ小屋を作る呪文を編み出したというのだから、やはり師匠はどこかおかしい。

 

「さて。じゃあ、もう寝ようか」

「何か忘れてないですか、師匠?」

「……はいはい。またやるんだね、懲りないな」

 

 そそくさと寝袋を広げ寝る準備を始めた師匠の肩を、僕はジト目で掴み寄せる。今日、僕が何のためにこれだけ頑張ったと思っているんだ。それは全て、寝る前のこの時間の為である。

 

 

「今日は、肉体強化の続きを教えてほしいです、師匠」

「ん、分かった。じゃあ講義を始めようか」

 

 

 そしていつもの様に、オルメアの魔術講義が始まった。

 

 稀代の天才魔女オルメアが、僕の為だけに時間を使い、その永い人生で培った魔術の秘奥を教えてくれる、純金にも代えがたいこの時間。僕は、この時のために生きているといっても過言ではない。

 

 一言一句聞き漏らさぬよう、僕は若干前のめりに師匠を見つめながら、彼女の指示した通りに魔術の行使を始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『何で、なんで死なないんだお前は!!』

 

 血に濡れた凶器(ナイフ)を握り締めた幼い子供は、空虚な目で魔術師を見つめる。

 

『何度も刺したのに。毒だって塗ったのに。なのに何でお前は生きてるんだ!』

『ふう。君は、私の事を何も知らないんだな。私は永明の魔女、永遠に明い女』

 

 一方で。血塗れにされたその魔女は、服の汚れを魔術で落としながら、呆れ声で少年に答えた。

 

『私は不死身なんだよ。永遠を生きる、人の域を超えた存在』

『ふざけるな、だったら僕はどうやってお前を殺せばいい! どうやって僕は、お前に復讐すればいい!!』

『さぁ? ……確かに私は依頼に失敗した、だからせめての贖罪をと思い、君の命を助けてやった。それどころか、君にナイフで滅多刺しにされてさえ、許してやる。これでもう、私は十分義理を果たしただろう』

 

 その魔女の言葉を聞き、少年は慟哭した。その慟哭を聞き、魔女は大きく嘆息した。

 

 そして魔女は、自己嫌悪に陥る。この童の命を助けたはいいが、彼はまだ4歳だ。この先一人で生き延びることなどできないだろう。

 

 このまま彼を待つ運命は、食料を見つけられず餓死するか、獣に襲われて食われるか、奴隷商に捕まり売られるか。あのまま、殺されていた方が彼にとって幸せだったかもしれない。この魔女は、自身の罪悪感を軽くするためだけに、少年の命を助けたのだと自覚していた。

 

 次は、割り切って見捨てよう。こんなに後味の悪い結末はもう御免だ。魔女は自省し、少年に背を向けて歩き出したその時。

 

『……待て。お前、僕と勝負しろ。正々堂々、1対1で決闘しろ!』

『決闘?』

 

 少年は慟哭を止め、再び魔女に言葉をかけた。

 

『もし僕が決闘に勝てば! お前は僕の言うとおりに死ね!』

『……はぁ』

『知らないがきっと、お前は自分の魔術で不死身になってるんだろ!? だったらお前と決闘して勝って、お前に自殺させれば良いんだ!』

『ああ、そう考えたのか』

 

 少年は魔女に追い縋り、そのローブの裾を掴んで喚き散らす。絶対に、親の敵を逃がさないように。

 

『正解だよ、私はその気になれば自殺できる。いや、というか自殺以外で私が死ぬことはないだろうな』

 

 幼い少年の、身勝手な挑戦状をたたきつけられた魔術師は、少し頬を緩めた。

 

 無茶苦茶な言い分だが、成程、彼のその言葉は紛れもなく正解なのだ。不死身である魔術師を殺す方法があるとすれば、魔術師自身に自殺させるしかない。負ければ自殺しろと約束させ、決闘を挑む彼の行動は正しい。幼い少年は、見事その魔術師を感服させた。

 

『……良いだろう。その勝負、受けてやる』 

『……っ! ならばよし、行くぞ!!』

 

 そして、その幼い少年はナイフを持って魔女に飛びかかり、そのまま魔法に迎撃され数メートルは吹っ飛ばされたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ほら、集中しろ。ん、そうだ、そのまま」

「……」

「良いぞ、サマになってきた。その状態を維持したまま、左右に飛んで動いてみろ」

 

 師匠の指示通り、僕は師匠に教わったばかりの肉体強化魔法を維持し、左右へと飛び回った。風を切る音が煩いくらいに耳に響く。気づけば僕は、尋常ではない距離を一息に飛び超えてしまっていた。慌てて元の師匠のいる場所まで戻るべく地面を蹴り、再び超長距離を跳躍する。

 

「……む、まぁよかろう。合格だ」

「よっしゃー!!」

 

 師匠の目の前に着地した僕を見て、師匠は手で丸を作って合格と言い渡した。どうやら、師匠のお眼鏡にかなう魔法の行使だったらしい。

 

 喜びで両手を突き上げた僕を、少し寂しそうな目で師匠は眺めていた。

 

「さて、じゃあ締めにいつものをやるかい?」

「勿論ですよ。何のために、ここまで自分を虐めてると思ってるんですか?」

 

 

 師匠に声を掛けられ、僕は喜びのポーズを終了する。これからの時間が、本番だ。

 

 ふ、と僕はわざと皮肉気な笑い声をあげて、師匠に向かいあい、体術の構えを取る。

 

 師匠は、いつも通りに平然と杖を掴み、眠そうな表情で僕と相対した。

 

 

「師匠。今日こそ両親の仇、取らせてもらう」

「ん。良いよ、来い」

 

 

 その言葉を皮切りに。僕は教わったばかりの身体強化魔法を身に纏い、師匠へと肉薄した。

 

 

 

 

 

 いつからだろう。

 

 何度も何度も僕はオルメアに挑み続け、その都度敗北した。やがて、オルメアは気まぐれに僕にアドバイスをするようになる。

 

 最初は『体捌きがなってない』程度の助言だったが、少しずつ彼女のアドバイスは具体的になっていき、それに伴って僕は彼女の助言通りに強くなっていった。不倶戴天の敵の助言ではあるが、その内容が的を射ていることを僕は本能的に察していた。

 

 彼女の教えを受ければ受けるほどに強くなっていく実感があった。そして意を決し、オルメアを殺すために彼女に魔法の教授を頼んだのが、今から2年前の事である。彼女は僕の頼みを愉快そうに了承し、彼女の教えを受け続けた結果、いつしか僕とオルメアの間には奇妙な師弟関係が構築された。

 

 親の仇であり、人生の半分以上を共に過ごした師匠でもある、オルメア。幼いころからずっと彼女との戦いに明け暮れていた僕は、いつしか親の敵討ちではなく、彼女を倒すこと自体が目標になっていた。

 

 

 

 

 

 

「イケる……?」

 

 そして、今日。僕はかつてないほどに、彼女に善戦していた。

 

 魔法の打ち合いでは絶対にオルメアに勝てない。だから僕の取った戦術は、接近戦で師匠の防御魔法を抜いて致命の一打を与えること。

 

 今までは、彼女に近づくことすらできなかった。だが今日は、信じられないほど容易に距離が詰められる。肉体強化呪文を完成させた成果だ。

 

 彼女の詠唱速度より、強化された僕の跳躍のほうが僅かに早い。そのままスピードを乗せて彼女に殴り掛かるだけで、それは必殺の一撃になる。

 

 オルメアは、肉体面では男である僕に遠く及ばない。不死身なだけで、彼女の筋力は常人のソレである。

 

 僕は、彼女に拳をふるった。遮二無二、自身の限界すら忘れ、無数に湧き出る防御魔法に妨げられながらも愚直に彼女を殴り続けた。

 

 オルメアの頬に、汗が伝う。まだ全て打撃を防がれてはいるが、明らかに詠唱速度が追い付いていない。途中から彼女は攻撃魔法を使わず、防御一辺倒になっている。

 

 魔力を行使し続ける彼女がへばるのが先か。息すら付かず我武者羅に拳を振るう僕の体力が尽きるのが先か。精根を使い果たした方が負けとなる。僕は初めて、師匠相手に勝機が見いだせている。

 

 永劫に続くかと思われたこの打ち合いは、この勝負の結末は、実にあっけないものだった。

 

 

 

 

「大地のみゃも、守りに────」

 

 師匠が、詠唱を噛んだのだ。 

 

「……あっ」

 

 師匠が間抜けな声をあげ。僕の拳を妨げていた防壁は、音もなく消え去って。無心に振りぬいた僕のその渾身の一撃は、師匠の胴体にクリーンヒットし、ボキリと嫌な音を立てて彼女の小さな体躯を小屋へと叩き付けたのだった。

 

 師匠は、その衝撃に耐え切れず気を失う。不死身である彼女は、即座に体が癒えはじめ、数秒もたてば元の状態へと戻るだろう。だが、彼女が気を失ってしまったからには、勝敗は決したはずだ。

 

 

「……勝った」

 

 

 荒い息を整え、土に埋もれ眠っている師匠を眺めながら、呆然と僕は呟いた。

 

「か、勝ったぞおおおおおおお!!」

 

 こうして、僕は10年に渡る長い長い因縁に、決着をつけた。僕はあの永明の魔女オルメアに、1対1で勝利を得たのだ。

 

 この時の僕の感情の高ぶりは、言葉で言い表せるようなものではない。文字通り、人生をかけて取り組んできた目標を、ようやく達成したのだから。

 

 僕は、泣いた。感極まった、その言葉が一番しっくりくる。ただ、無邪気に、僕は夜空の下で嗚咽をこぼし朝が来るまで泣き続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「とうとう、こうなったね。おめでとう」

 

 朝日が昇る頃には、師匠も目を覚ました。

 

 一晩中泣き続けたので、僕はようやく落ち着きを取り戻したころだ。僕はオルメアに祝福され、彼女に勝利したのだと再実感した。

 

「ありがとうございます、師匠。貴女のおかげです」

「ん、かなり複雑な気分だよ、その言葉」

 

 オルメアは僕の謝辞に、酷く複雑な顔をした。そりゃあ、そうか。

 

……さて。昨夜、1対1の決闘でオルメアは僕に敗れた。これで晴れて、僕は両親の仇を取ったことになる。最も、今となってはオルメアを恨んでなどいないのだが。

 

 けじめという奴だろうか。僕は前に進むために、いつか彼女を倒さなければならなかった。復讐などと言うつまらない生き方に終止符を打つためにも。

 

 これで僕は、やっと自分の人生を歩いていける。

 

「師匠、ありがとうございました。何年も何年も、僕の自己満足に付き合ってくださって」

「ああ、気にすることはない。君を弟子と認めたその日から、私には君を一人前にする責任がある」

 

 師匠は、そこまで言うと少し寂しげに微笑んだ。彼女は僕の右手を両腕に抱き、そして深く帽子を被り顔を隠してしまう。

 

「それじゃあね。君と過ごした10年間はとても楽しかったよ、馬鹿弟子」

「……師匠?」

 

 帽子しか見えない師匠の口から出てきた言葉。それは────

 

「君はもう一人前だ。昨日の君との決闘でそう実感したよ。これからは、君は一人でも生きていける」

 

 ────別れの言葉に他ならなかった。

 

 とんがり帽子を深くかぶり表情を隠したままオルメアは、今生の別れであるかのような語調で僕に語り掛ける。

 

 思い出すは、幼い日の約束。僕が師匠に勝ったあかつきには師匠に自殺して貰うという、身勝手な契約。まさか。師匠はまだ、僕に負けたら自殺しないといけないだとか、そんな馬鹿なことを考えているのだろうか?

 

 何年も前に交わした児戯の様なあの契約を、未だに履行するつもりなのだろうか?

 

「え、あ。いや、師匠、僕はもう────」

「知ってる。君は私に自殺させるつもりなんて無いんだろう? ……でも、実を言うとね。私はずっと死に場所を探していたんだよ」

 

 そこまで言うと、師匠はようやく顔を上げて。目に涙を浮かべながらも、決意に満ちた表情で僕へ微笑んでいた。

 

「私の齢は100をとっくに超えている。もう、十分過ぎるほど生きたんだ。魔術を突き詰めて不老不死なんてものに至ってしまったから、いつしか私は死ぬタイミングを見失っていた」

「……え、ちょっと待ってよ師匠」

「私の知り合いは、同郷の友人は、みな死んでしまった。私は一人だけ、時の流れに流され今に至っている。……それは、寂しくて、辛いことなんだよ」

 

 そう嘆く師匠の目は、本気だ。彼女はもう、自らの死を予定に組み込んでしまっている。

 

「幼い君に殺されてやってもよかったが、君を一人前にしてから死んだ方が有情だと考え直してね。ちょうど君の挑戦が私の命を奪うものだったから、いい機会だと思ったんだ」

 

 そしてオルメアはにこやかに、満面の笑みで僕を抱きしめた。

 

「今度こそ、義理は果たしたよ。私は、君を見捨てず、一人で生きていけるよう育て上げて見せた。これからは、君は自分の足で前へ進んでいきなさい」

「な、なに言ってるんですか。何言ってんだよ師匠!」

「……私は一度、君の父親との契約は放棄した。もう、2度と約束を違えるつもりはない。だから今、幼き日の君との約束を果たすんだ」

 

 彼女の細い腕が、僕の背中を覆う。

 

 その昔。僕が彼女に殺意を持って襲い掛かっていた頃、吹っ飛ばされていつもこの腕に抱かれて傷を癒してもらっていた記憶がある。

 

 あの時は、軽々彼女に抱き上げられて、口もきけないほど疲弊した僕をずっと温めてくれた。

 

 今は僕の背の方が高くなり、彼女の手は僕の背中を覆いきれなくなっている。こんなに大きく成長するまで、彼女は僕を育て上げてくれたのだ。

 

「最期に、私に言っておきたいことはあるかい?」

「……何だよ、それ」

 

 なんという、身勝手か。

 

 師匠は、この女は、最初から自殺するつもりだったんだ。

 

 僕を育て上げたその日に死ぬと、決意した上で今までずっと僕に付き合ってくれていたんだ。

 

「まだ、死なないでよ師匠」

「ダメだ。私のかつての友人たちの、その言葉に応えて私は悠久の時を生きた。その友人たちがみな死んだ後も、友人に託された友人の一族の為に生きて、働いた。流石にもうそろそろ、私を休ませてくれ」

「そんなに、嫌なのかよ。生きるのがそんなに苦痛なのかよ」

「ああ。苦痛さ」

 

 永明の魔女、オルメア。

 

 永遠の時を生きる、史上最高峰の魔法使い。

 

「私はもう、大事な人が死に続けるのを見るのは嫌なんだ。私は君が死ぬところを見たくないんだ」

「……」

「君はね。私にとって初めての息子だったんだよ。不老不死の魔術のせいで子供が出来ない私が、初めて育て上げた子供だったんだよ」

 

 僕を抱きしめるオルメアの声が、かすかに震えだす。

 

 彼女の顔に触れた僕の胸が、湿り気を帯びる。オルメアは、いつしか僕の胸の中で、泣いていた。

 

「君が死ぬところだけは、絶対に見たくないんだ。親が、子の死に際を見てどんな気持ちになると思う?」

「それは、でも」

「ごめんよ、甘えた親でゴメンね。君が一人前になったその日、私は君に看取られて逝こうとずっと決めていたんだ。それだけが、私の最期の望みなんだ」

 

 永遠を生きる最強の魔女、オルメアの本心。それは、酷く人間的なモノだった。

 

 不老不死に至った彼女が死を迎えるには、自ら死のタイミングを選ぶしかない。

 

 オルメアは親として、僕を育て上げた。そして僕が一人前になるその時を、彼女は死出の出立に選んだのだ。そんな彼女の望みを、子である僕は受け入れなければならないのだろうか。

 

 もう十分すぎるほどに生きたオルメアを、生から解放してあげないといけないのだろうか。

 

「……そんな訳、無いよな」

「どうした、弟子?」

 

 僕は、独り呟く。

 

 彼女は、オルメアは絶望しているだけだ。

 

 大事な人と死に別れ続けて、精神的に参ってしまっているだけだ。

 

 だったら僕が、彼女を救ってやればそれでいい。オルメアに、生きるってのは楽しいもんだと再認識させてやればそれでいい。

 

「師匠。決闘の勝者たる僕が、アンタに命令を出す。拒否は許さん」

「……はい?」

 

 僕に抱き付いて泣いている甘ったれたオルメアを引きはがし。敢えて強い表情を作って、僕はオルメアに怒鳴りつけた。

 

「一人ぼっちが寂しいなら!! 何で僕をそこに連れて行かないんだ師匠は!」

 

 その怒鳴り声に、師匠はぽかんと口を開け呆ける。

 

 だがさすがに、怒りが抑えきれない。

 

 オルメアは今まで、誰も誘わなかったのだろうか。永遠に続く孤独に耐え兼ねていたというのに、誰もオルメアについて行こうとする人間は現れなかったのだろうか。

 

「えと、君は何を言って……」

「教えろよ。僕にその、不老不死の魔法。それで、師匠は一人ぼっちじゃなくなるだろ」

 

 不老不死の人間が師匠一人だから、寂しい思いをするんだ。せっかく弟子が出来たんだから、その魔法を僕に教えてくれたらそれで済む話じゃないか。

 

 こんな簡単なことを、師匠は今の今まで実行に移していない。

 

「え、は? だ、ダメだ! こんな魔法覚えたら、君はとんでもなく辛い思いをする羽目になるし、そもそもこの魔法はそう簡単なものじゃ……」

「なぁ、師匠。言ったろ、アンタに拒否権はないって」

 

 まだ色々と勘違いしている師匠に向けて、僕は一喝した。

 

 こんなに師匠に強気に出たのはいつ以来だろうか。昔のピリピリしていた時代に戻ったみたいだ。

 

 そのあまりに普段とかけ離れた僕の剣幕に呆然としている師匠に向けて、僕はにやりと笑って諭す。

 

「師匠に助けられたあの日に、約束したでしょう。僕が決闘に勝った時、どうするんでしたっけ?」

 

 脳裏に浮かぶ、あの日の光景。

 

 

 

『もし僕が決闘に勝てば! お前は僕の言うとおりに死ね!』

 

 

 

 今でも頭に刻み込まれた、懐かしい記憶だ。

 

 僕の父親が悪人だと知らなかった幼い子供の、その殺意に満ちた約束。

 

 

「僕の言うとおりに死んでください、師匠。僕に魔法を教えるまでは、死ぬなんて許しません」

「あ、あ────」

「もう2度と約束を違えるつもりはない、先ほどそうおっしゃいましたね師匠は。まさか、まさか嘘をついたりなんかしませんよね?」

「……君は。君は何というか、屁理屈がうまいというか」

 

 そんな、僕のわりと必死な説得を受けた師匠は、呆れたような表情で笑い始めた。

 

 その眼には、先ほどまでの強い決意を感じない。いつも通りの、師匠の笑顔だった。

 

「言っとくけど、かなり先は長いからね。肉体強化呪文なんて、魔術の初歩の初歩なんだから。そこまで言い切ったからには、相応につらい修行を課すことになるよ」

「望むところです」

「うん。そっか、君が私と共に歩いてくれるのか。だったらもう少し、生きてみてもいいかもしれない」

 

 その言葉を聞いて。僕は安心しへなへなと力が抜け、その場に座り込んだ。

 

 どうやら僕は、思った以上に焦っていたらしい。まったく、何とんでもないことを言い出してるんだこの馬鹿師匠は。

 

 

「……で。師匠、初日から申し訳ないのですが、今日は休ませてくれませんか。ちょっと色々ありすぎて、今日は精神的にキャパオーバーです」

「えー? せっかく今から、本格的な修行を始めてあげようかと思ったのに……」

「いえ、その。僕、一晩泣いててロクに寝れてないんです」

「はー。そうだね、決闘勝利記念に今日だけは休んでいいことにしてあげようか。うん、小屋を立て直してあげるから君は寝てなさい。もう今後、不老不死を体得するまではゆっくり眠れる日なんてないと思うから、悔いの無いようにね」

「え、何ですかそれ。師匠、今めっちゃ不穏なこと言いませんでしたか? 師匠? 師匠!?」

 

 僕のそんな慌てた声に耳を貸さず、師匠は軽く杖を一振りして小屋を再建した。その表情から、僅かに僕への慈しみを感じる。

 

 嬉しいのだろうか、僕が師匠と共に歩むと決めたことが。だったら、誇らしい事この上ないのだが。

 

「じゃ、おやすみなさい。私はこの辺で狩りをしてくるから────」

「あ、師匠ストップです。狩りにいかないで、師匠はどっかで水浴びしてきてください」

 

 今日の師匠は優しい。どうやら、僕が寝ている間に食事を用意してくれる心算らしい。

 

 だが僕は、そそくさと食料調達へ出かけようとした師匠を呼び止めた。師匠には、まだ大事な用があるのだ。

 

 声を掛けられた師匠は意味が分からず、キョトンと小首をかしげている。うん、やはり師匠は愛くるしい。

 

「僕も近くの水場で体洗ってますので、師匠は先に寝袋広げて寝ててください」

「……」

「あ、下着は自分で脱がしたいので、つけたままの方が嬉しいです」

 

 理解が追い付いていないらしく呆然としている師匠に、僕は追い打ちをかけるかの如く指令を追加する。

 

 師匠が死ぬとか言ってすごく焦ったが、本来の僕の目的はコレなのだ。そう、僕は師匠に決闘で勝ったその日に、師匠を抱くと決めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「は、はあああああああああぁぁぁぁぁ!!?」

「師匠、うるさいです。野次馬が覗きに来たらどうするんですか」

 

 僕に誘われているという今の状況を理解したらしい師匠は、帽子を取り落とし目を丸く声を震わせて、大絶叫した。

 

 まぁ、そうなるか。だが、僕としても譲るつもりはない。さっきの話を聞いて、ますます彼女を抱かないわけにはいかなくなった。

 

 僕は彼女と共に歩むと決めたのだ。彼女に守ってもらう子供の期間は、昨日で終わったのだ。だから今日、僕は大人になる。

 

「いや、いやっ、君はなんてことを言い出してるの!? どこでそんな知識を身に着けた!?」

「前の街で滞在中、友達と集まった時いつ師匠に手を出すのかと聞かれましてね。決闘で師匠に勝ったその日に誘うと、前もって決めてました」

「うわ、そっか。そっかよく考えたら君もそういう年頃かぁ。うーん、感慨深い様なちょっと残念なような」

「良いから師匠も水浴びしてきてくださいよ」

「なんか今日は全体的に弟子が強気だ……」

 

 師匠の目がジトっと、僕の顔を睨みつける。

 

「まだ君にはそういうの早いよ。だからダメ────」

「師匠に拒否権はありませんよ。僕の言うとおりに死ねって約束ですから、裏を返せば師匠は死ぬまで僕の言いなりです」

「それは曲解が過ぎるんじゃないかな!!?」

 

 あーだこーだと、微妙に慌てながらも必死で僕に反論する師匠。だが、僕に退くつもりは毛頭ない。今日こそ、僕は一人前になる。

 

 僕は師匠を正面に見据え、そして深く頭を下げて頼み込んだ。

 

「師匠。初めては、貴女がいいんです」

「む……。いや、でも息子的なアレに手を出すのはどうなんだ私? でも、これからずっと一緒な訳で、んー」

「悩むくらいなら早く服脱いでください、師匠」

「本当に君、今日はガツガツ来るね!! あー分かった、良かろう良いだろう! 戦勝記念だ、今日だけ特別だからな」

 

 そんな、僕の熱意に根負けしたのだろうか。やや顔を赤くしながらも、師匠は肯定的な返事をしてくれた。

 

 良かった。なんだかんだ師匠は優しいから、強引に攻めたら断られないと踏んではいたのだ。

 

「つまり。明日以降も師匠に決闘で勝てさえすればエッチなことしていいんですね」

「本当に君は曲解しかしないな! ……まぁ、でもそれでいいよ」

 

 そして、師匠は僕を受け入れた。それはつまり、

 

「その代わり、君は私の恋人として扱うからな」

「勿論。光栄ですよ、師匠」

 

 今日からは僕と師匠の、新たな関係が始まる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ねぇ、師匠」

「何かな?」

 

 僕と師匠の関係が一変した、翌日。

 

 師匠による本格的な魔法講座が始まり、その初歩として教わったのは無言呪文だった。

 

「無言で呪文を出せるようになるには、すなわちその呪文の本質を理解しないといけない。本格的な魔法使いは皆、これから始めるのさ」

「……師匠も、当然使えるんですよね、これ」

「無論だ」

 

 微妙に目を泳がせながら、愛すべき師匠はそうのたまった。

 

 

 

 

「決闘の時、めっちゃ呪文詠唱してましたよね」

「……あの時はそういう気分だったというか」

「無言でやれば、呪文噛んで負けるなんて有り得なかったのに……。まさか、手加減してたのか師匠! 昨日決闘に勝ててすごく嬉しかったのに、これでやっと師匠と対等だと思ったのに、師匠は手加減してたのか!!?」

「あ、いやだってその、私一応この国最強の魔法使いだよ? 不老不死抜きでも私に勝てる人なんて世界中探しても一人いるかどうか、ってレベルな訳で。そうなると君は一生私に勝てない訳で」

「……見てろ。見てろよ師匠、すぐアンタなんか追いついて追い抜いてやるからな!! そんでもう一回抱く!!」

「素直だなぁ、君は。わかりやすいというか」

 

 昨日の決闘で、師匠はかなり手を抜いていたらしい。

 

 そこらのベテラン魔法使い程度の実力にセーブして戦ったそうな。ベテラン魔法使いを倒せるなら僕は一人前でいいだろうと、そういう事だとか。

 

 幼いころからの目標、師匠オルメアの壁は高く険しかった。悔しい気持ちもあるが、それを聞いて何処かで安心していた。

 

 師匠は強く有ってくれなきゃ困る。こんな、年端もいかないガキンチョに接近戦挑まれた程度で負けたりされた方が、期待外れで残念なのだ。

 

「あの、あの素晴らしい蜜月をもう一度! あの愛くるしい師匠をもう一度!!」

「お、弟子がかつてないくらいやる気出してる。何と言うか思春期だなぁ」

 

 だから、次こそ。僕は堂々と師匠の隣を歩くために。

 

 今日も僕は、彼女の課す拷問の様な修行に明け暮れるのであった。

 

「師匠のアレをもっかい舐めるんだぁっー!」

「そ、それ街中で言ったら絶対許さんからな!!」




本編の息抜きにラブコメ書きたくなった
不定期更新します


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第二話「ほろ苦い恋の歌」

 僕が、師匠と愛を交わしてから一年の月日が経った頃。

 

 僕と師匠の関係は激変し、今までとは全く違う日常が訪れるようになった。中でも、恋人になった前後で一番の変化は、魔法の修行時間が激増したことだろう。

 

 それ以前は、日中師匠の申し付ける雑用を全てこなした後、その報酬として稽古をつけて貰う形だった。それも、夜に1、2時間程の魔法学講義をするである。

 

 魔法のド素人だった僕にとっては、値千金の内容だったが。師匠の恋人として、魔法という技術を極めることが目標となった今、そんな短時間の修行で間に合うわけがない。

 

 僕は死ぬまでに、師匠の待つ魔道の頂に到達せねばならない。そして宣言通り不老不死となって、彼女と永遠の愛を交わすのだ。

 

 師匠は、四六時中僕に付き添って、あれやこれやと修行を課すようになった。無言での魔法行使から始まり、魔力を強める修行、術をコントロールする修行、自分で術を改造する技術、魔法陣の書き方などなど。

 

 この1年で、僕は魔法が随分と得意になっていた。生涯をかけて鍛えてきた体術よりも、ずっとずっと練度が高い自信がある。いつしか僕は、戦士から魔法使いにジョブチェンジを果たしていたらしい。

 

 師匠曰く、そこまで魔法の筋は悪くないとのこと。このままサボらなければ、いつかは不老不死に至れると断言してくれた。

 

 できれば師匠のように、若い間に不老不死に至りたいものだ。僕がヨボヨボのお爺ちゃんになってようやく不老不死に至ったとして、果たして師匠はそんな僕を恋人として見てくれるだろうか。若くて格好の良いうちに、師匠の隣に並び立ちたいものだ。

 

 ……そもそも現状、師匠は僕を恋人として扱ってくれてはいるが、何と言うか『形だけの恋人』に近い。そんなことはないと思いたいが、師匠は僕を『男』として見ていない節がある。

 

 キスをせがめば許してくれるし、ムラムラとして辛抱たまらず襲ってみれば笑ってベットに誘ってくれる。恋人だから遠慮する必要ないと、そう言ってくれる。

 

 

 

 

 

 

 

「それってさ!! なんか違うと思わないか!? なぁ、お前ら!!」

「……いや、スゲーよ。永明の魔女と恋人になった、その時点でスゲーよ」

「しかも恋人との仲も良好じゃないですか。何が不満なんですか?」

「あっはっはっは!! マジで魔女様と付き合うとか、コイツ頭おかしいんだけど!! ウケるし!!」

 

 ここは、郊外の酒場。僕は旧知の友人達と、共に酒の席を囲んでいた。

 

 幼い頃から師匠をつけ回し、転々と旅をしてきた僕にとって友人と呼べるのは彼等くらいだろう。

 

 ここは、師匠のアジトがある街なのだ。そして、とある魔法薬の材料の原産地でもある。師匠は、薬の材料補充を目的に定期的にこの街に立ち寄っていた。

 

 僕にとっては、この町はもはや故郷の一つだ。人生で一番長い時間を過ごした町なのである。僕は最低でも、年に1度はここにやってきて、この酒場に顔を出していた。

 

 ここの酒場の面々は、師匠に復讐する気満々だったころからのつきあいだ。元々このメンバーは、師匠を倒す為の同志として5歳頃に僕が組織した。当時僕と同い年だった彼らは、『魔女を倒すごっこ遊び』だと思って付き合ってくれていたらしいけれど。

 

 この集まりは、僕の師匠に対する憎悪が薄れていくにつれ、いつしか僕の師匠への恋愛相談室になった。去年『師匠に勝ったその日に、僕は師匠を抱く!』と酒の勢いで宣言して別れていたのは、ここのメンバーである。

 

 1年ぶりの再会、僕は彼らに師匠への恋愛事情の結果報告も兼ねて飲み会を開いた。

 

「お前、変なところでアクティブだよな……。いや、とりあえずおめでとう」

「ありがとう。だけどさ……」

「話聞いてると惚気にしか聞こえなかったんですが。何をそんなに悩んでるんです」

「さっき言った通りなんだよ。師匠が僕を男扱いしてくれない」

「じゃあ何、アンタ女と思われてんの!? それウケる!!」

 

 僕は本気の悩みを盛大に愚痴っているのだが、こいつらは誰も分かってくれない。実際に、僕と師匠の関係を知らないから分からないのだろう。

 

 分かりやすく、説明してみるとするか。

 

「……これは、たとえ話なんだが。僕が師匠以外の誰かにコロっと惚れて、浮気をしたとする」

「うわ、最低ですね」

「たとえ話だ。それでミカ。お前が師匠の立場だったらどうする?」

「え? そんなの最後の一本のケツ毛まで火で炙って殺しますけど」

「うわ、愛重たっ。ミカ、そういうキャラだっけ? 引くんだけど!!」

「いやいや、お願いだから生きてくれって言われて、それで恋人になって魔法教えてあげてるのに、浮気とかされたらそりゃ殺すでしょ」

「一理あるな。お前、死ぬより惨いことになるから浮気とかは絶対しちゃいかんぞ」

 

 ミカから返ってきたのは、少し過激だが常識的な解答だった。やはり、こいつらは僕と師匠の関係を何も理解していない。

 

「僕の師匠は、多分怒んないんだよ」

「……ほう?」

「悲しそうな顔をして、『私より好きな人が出来ちゃったんならしょうがないな』みたいなこと言って、その言葉を最後に僕の前から姿を消して、誰も知らないウチにひっそりと自殺する。きっと、そんな結末になる」

「それはそれで、キツイなぁ」

「僕の言いたいこと、分かってくれた? ……つまり、師匠にとって僕は、息子の領域を出てないんだよ」

「あー、なんとなく言いたいことが分かってきたような」

「師匠は僕のことを大事に思ってくれている、それは間違いない。でも、その愛情は恋人に向ける愛情じゃなくて、家族へ向ける愛情なの! 僕が師匠と対等になろうと分不相応な背伸びをしたら、可愛いものを見る目で付き合ってくれてる感じなの! チキショー!!」

「子ども扱いされてるだけじゃん!! ウケる!!」

 

 子ども扱い。

 

 その言葉が、グサリと僕のチッポケな尊厳に突き刺さった。

 

 まさに正鵠を射た言葉だ。師匠は、オルメアは僕を子ども扱いしている。建前上は恋人として扱ってくれているけれど、その実は僕の恋人ごっこに付き合ってくれているだけだ。

 

「なぁ。どうすれば師匠は僕を男として見てくれるかな」

「またいつもの相談が始まったぞ」

「年に一度、面倒な相談を持ち込みに来るのを恒例行事にしないでくれません?」

「あっはっはっはっはっは!! 今までで一番面白い相談だから、これはこれであり!! ウケる!!」

 

 あのオルメアと恋人になれたのだ。僕だって意気揚々と彼らに報告したかった。 

 

 だけど、こんなふがいない形だけの恋人では、格好がつかない。だから何とかして、師匠を意識させようと一年かけてあれやこれやとアピールしてきたが、彼女はニコニコとそんな僕を微笑ましく眺めるだけ。

 

「でもよ、解決策なんぞ一つしかないだろ。お前が強くなって、実力でオルメア様に勝てるようになれば、子ども扱いはされんと思うぞ」

「というか、オルメア様のご年齢を考えれば子ども扱いされて当然でしょう。高望みが過ぎますよ」

「ぐ、ぐぬぬ。それじゃあ、しばらく僕は子ども扱いされっぱなしという事に……」

「あきらめろ。というか、オルメア様を口説き落とした時点で望外の幸運だ。それ以上は欲張りすぎ」

「同意ですね。何もかも貴方が弱っちいのが悪いんです。オルメア様に認められるほど強くなるまでは、甘んじてその扱いを受け入れなさい」

 

 そう言って彼らは、僕を煽るかのように酒を飲み干した。

 

 彼らの言う通り、なのかもしれない。まだまだ修行不足で発展途上の僕が、オルメアと対等に接しようと考えること自体思い上がっていたのだろうか。

 

 意気消沈。どうしようもない虚しさがこみあげてきて、そして、

 

「あっはっはっはっはっは!! いや、それはチゲーし!!」

 

 一人のバカ女に、笑い飛ばされた。

 

「魔女様に勝てるようにとか、一生無理かもしれんじゃん? 勝たなくていいんだよ、支えればいいんだよ」

「……支える?」

「そ。アンタにしかできないことを出来るようになれば、オルメア様はアンタを子ども扱いしなくなる筈よん」

 

 ……僕にしかできない事? 彼女は、何を言いたいのだろうか。

 

「例えば、アンタが魔女様の見てないところで超旨い飯作れるようになってさ、それで魔女様の胃袋を掴んじゃえば? その超旨い飯を作れるアンタを、魔女様は尊敬するはずさ」

「え、僕は料理苦手で」

「例えば、つってんじゃん。料理じゃなくても、何かあんたが得意なことを一つ、魔女様に見せなよ。人間ってのは、自分に出来ないことが出来る奴をスゲーって尊敬する生き物なんだから」

「あ、ああ。成程」

「それが魔女様の役に立つことなら、なおよし。魔女様がアンタを頼りにし始めたら、しめたもんさ。戦って勝つ必要なんかない、何かで魔女様を感服させればソレで良いんだよ」

 

 僕の目の前の酔っぱらいは、そう言い切るとゲヘゲヘと笑ってジョッキを飲み干した。

 

「恋人の長所に追いつこうと必死な奴より、恋人の短所を補ってくれる奴の方がモテると思うよ? これ、マジで」

 

 僕を含め、残り三人はそんな彼女を呆然と見つめている。

 

「アンジェが、一番まともなこと言った……」

「納得した自分が悔しいです。ただの酔っぱらいのくせに……」

「酒が足りないし!! お前が奢れ、相談料だ!!」

「あ、ああ。店主、今日は僕がアンジェの分を支払うから、じゃんじゃん酒を持ってきてくれ」

「ヘイ毎度」

 

 そうか。僕は視野が狭くなっていた。

 

 魔法とか強さとか、そんな一分野だけでオルメアに認めてもらう必要はない。オルメアは万能ではないんだ、できない事だっていくつかある。

 

 そんなオルメアが手が届かないところを、オルメアの隣に立って支えてあげられる人間。それが、僕の目指す先だ。

 

「アンジェ、ありがとう。僕は、自分が何を目指せばいいのかよくわかった」

「お礼は別にいいし、奢ってくれるなら。タダ酒より旨いモンはねぇ、吐くまで飲んでやるし」

「好きにしてくれ」

 

 ここのメンバーには、世話になりっぱなしだ。特に今日は、アンジェになら僕の全財産つかって奢ってやってもいい気分である。

 

 アンジェは基本バカなのだが、時折こういう鋭いことを言ってのけるのだ。

 

「ねぇ、因みにさ、アンタ何して魔女様の気を引くつもりなの」

「てか、貴方何が出来ましたっけ」

「……それは、これから考える。師匠、長い間生きてるだけあって出来ない事少ないしなぁ。料理も得意だし」

「んじゃあ、提案!! エロ関連でよくね?」

 

 エロ関連、というアンジェのいきなりな下ネタ発言にミカがゲフンとむせる。

 

 やっぱりアンジェはバカだった。

 

「エロ関連て」

「だって、魔女様って恋人とか作ったことないんじゃね? 男慣れしてなさそうな」

「……その辺は聞いてない。昔、師匠に恋人がいたとか聞いたら僕は吐くし」

「うわっ童貞くさっ……」

「とっくに卒業しとるわ!!」

 

 まぁ、こんなバカ話もアンジェの言葉なら乗ってやろう。今日はアンジェ感謝デーだ。

 

「でも、確かに魔女様の恋人の逸話とか聞いたことないよな」

「んでさ、ベット上で優位に立てれば間違いなく魔女様の目線も変わってくるって。今まではあれでしょ、どーせ魔女様の言いなりに動いてたんでしょ」

「うっ……、だって、やり方とか知らないし」

「はっははは、女の抱き方くらい知っとけし!! まぁ、気持ちよくする方法は色々あるんよ。教えよーか?」

「……むむむ。そっか、師匠に逆襲するのに、そんな手段があるのか。いや、バカにできないぞこの方法」

「乗り気になってるぞこのバカ」

「アンジェと同じレベルのバカですね」

 

 うるさい。ベット上で師匠を追いつめられるとか、想像するだけでワクワクするだろうが。今までは僕が弱すぎたのだ、ここは男の強さというものを見せつけてやるべきかもしれない。

 

「お願いだアンジェ! 僕に女の抱き方を教えてくれ!!」

「おーけー!! 貴様を最強のプレーボーイに育て上げてやんよ! あーはっはっはっは!!」

「恩に着る!! 一生、アンジェに酒を奢り続けるぜ!!」

「よっしゃー!! 今夜は寝かせねーからな、ヤってヤってヤりまくるぞぉ!」

「アンジェー!! お前は僕の第二の師匠だ!」

 

 それは、酒のテンションも入っていたのだろう。

 

 僕はその他二人に冷たい目で見られていることも気にせず、僕はアンジェと肩を組んで馬鹿笑いしながら、フラフラと酒場の主人に個室を借りれるか聞こうと立ち上がって、

 

「それは浮気だ、この馬鹿弟子……」

 

 直後頭部に、鋭い衝撃が下った。

 

 その聞き覚えのある不機嫌な声に、僕は頬を硬直させて振り返ると。

 

「修行の時間だから、迎えに来てやったぞ。馬鹿弟子」

 

 眠たい瞳がチャームポイント、とんがり帽子に黒いローブの我が最愛の師匠が、杖を手に頬を膨らませ立っていた。

 

 

 

 

 

 

「違うんです師匠、本当にアレはそういうのでなくて」

「つーん」

「うわ師匠、怒ってもかわいいヤバい」

「……いや、反省してよ」

 

 酔っていた。どう考えても僕は酔っぱらって正気を失っていた。

 

 いくら勢いとはいえ、アンジェ(このバカ)を抱きに行くとか何考えてるんだ。言い訳できない完璧な浮気じゃないか。

 

「あ、ヤバい立ったら気持ち悪くなってきた、おろろろろろ」

「あ、アンジェーーー!!」

 

 僕は、反省する。立ち上がった瞬間に口元を押さえて、四つん這いでゲロゲロしているアンジェから、何を教わるつもりだったのか。

 

 ベッドインしたとして、ゲロ掃除が待っていただけだろう。ミカの言う通り、僕はアンジェレベルのバカかもしれない。

 

「あまり弟子の交遊関係に口を出すつもりはないけれど、私は恋人としてこれだけは言わせてもらう。本気じゃないとはいえ、他の女と寝るな」

「はい、ごめんなさい」

「む、よろしい。今回は経緯を聞いてたから許してあげる。……なぁ弟子、たまには逆襲させてあげようか?」

「……聞かれてたんですか。えっと、それはその」

「盛り上がっていたし少し様子を見させてもらったよ。そうか、そんな不満があったとは気付かなかった。言われてみれば確かに、子供扱いしていたかもしれん」

 

 うんうん、と頷いて目を瞑る師匠。

 

 うわ、さっきのを聞かれてしまっていたか。凄い恥ずかしい、というか聞かないでいて欲しかった。もし聞いたとしても、聞いてない振りをしていて欲しかった。

 

「要するに、たまには優位にたってみたいと言う話だな? 構わんよ、遠慮することはない。男の子としては、それくらいの方が頼もしいもんさ」

「……」

「それで、私はどうすれば良いのかな?」

「……とこさ」

 

 師匠は笑顔で、優しく僕に微笑みかける。

 

 その顔には慈愛と親愛の情がはっきりと浮かんでいて。仮にもそれは、浮気しかけた恋人に対して向ける目ではない訳で。

 

「そう言うとこが子供扱いしてるって言ってるのさ!! 師匠の馬鹿ぁ!!」

「あ、あれっ?」

 

 悔しい、悔しい。

 

 恋人の浮気現場に居合わせたんだから、師匠はもっと怒って然るべきだ。

 

「そんな、優しくメッって怒るような感じじゃなくて、嫉妬心でメラメラして怒って欲しかったんだぁ!」

「……おおー。弟子の心は複雑だなぁ」

 

 涙目敗走、と言うやつだろうか。僕は、目を丸くしている師匠から、逃げるように涙を拭いって走り出した。

 

 どうせ、数秒で追い付かれるだろうけど。いつか、いつか本当に逆襲してやる。いつか、師匠をヒンヒン言わせてやる。

 

 そう、胸に誓って。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 会話は途絶え、四つん這いでうずくまるアンジェを男女が囲み、背をさすっていた。

 

「おい、アンジェ。行ったぞ、あの二人」

「……」

「おー、抜け殻のごとしですね」

 

 魔女の弟子となった少年は、涙を流し逃走して。

 

 そんな彼を見て苦笑した魔女は、懐から金貨を取り出して3人の座る机の上に置き、彼等に別れを告げ弟子を追った。

 

 酒場には、先ほどまで馬鹿騒ぎしていた3人が、一転して静かに席につく。

 

「マジで付き合っちゃった……」

「だから去年のうちに勝負掛けとけと言ったのに」

「傷心した奴を慰める作戦とか言ってましたけど、単にチキっただけですよねアンジェ」

「言うな。何も、言うな……」

「ベッドに誘う勇気が、去年に発揮されていればなぁ。今日誘って上手くいったとして、傷つくだけだろアンジェ」

「せめて思い出、欲しかったもん」

「うわ、乙女すぎて引きます」

 

 その3人の1人、一際大きく騒いでいたその少女は、少年が立ち去ったのを見てエグエグと嗚咽をこぼし始める。

 

「何年越しでしたっけ? 10年近いですよね」

「初恋はかなわないモンだって。俺も、ミカに手酷く振られたしな。悪魔かと思った」

「バッサリ振って脈がないと教えてあげるのがいい女なんですよ。……で、アンジェ、酒の追加は必要ですか?」

「うん、飲む……」

「潰れても今日は俺らが送っていくから、好きなだけ飲め。恋敵の置いてった金で傷心会だ」

 

 アンジェと呼ばれたその少女は、憎々しげにテーブルに置かれた金貨を見つめ。やがて、突っ伏して声をあげ泣き始めた。

 

 失恋である。

 

「アンジェは、やっぱり馬鹿ですねー。あんなマジのアドバイスなんかしちゃって」

「……だって。アイツには恩、あるし。それで、好きになったし」

「人は見かけによらんよなぁ。アンジェはこんなに一途で純情だし、ミカは悪魔だし」

「誰が悪魔ですか、私はこんなにも友達想いなのに。アンジェが口挟まなければ、私はあのまま思考誘導して破局に追い込むつもりだったんですよ?」

「やっぱり悪魔じゃねーか」

「それは可哀想だから、やめてあげて……。大丈夫、うん、失恋ぐらいのりごえるがらぁぁぁぁ」

「ガン泣きじゃないですか」

 

 こうして。仲良し3人組の、飲み直しが始まる。



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第三話「英雄の鎮魂歌」

「ふざけたことを言うな!」

 

 幼い少年の、罵声が轟き。傷だらけの少女は、びくんと肩を震わせる。

 

「もう死にたいだって? 死ぬってのは、辛いことだ! 二度と会えないのは悲しいことだ! そんな事も分からないのかお前は!」

 

 その少年の気迫に怯えた少女は、頭を庇ってしゃがみこんだ。

 

 幼い少女は、暴力の類いが苦手でしょうがなかった。

 

 少女にとって、死ぬことは恐怖ではない。苦しいこと、痛いこと、辛いこと、そう言った苦痛そのものが恐怖だった。

 

 何故なら、少女は自分の命に価値を見出だしていなかったのだ。この日、この時まで。

 

「お前に生きる価値がないなんて誰が言った!? そんな妄言、僕が否定してやる!」

 

「僕には仲間が必要だ! 魔女を殺すための同志が必要だ!」

 

 少年は叫んで、少女の手を取った。まっすぐに少女の目を見据え、震えるその体を抱き寄せた。

 

「アンジェ!! 僕には、お前が必要だ!!」

 

 少女は呆然と、なされるがまま抱き締められて。

 

 この日、貧民街で身寄りもなく、自身に紙屑程度の価値しか見いだせなかったアンジェは、誰かに必要とされる『人間』になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……はぁぁぁ」

 

 10年後。

 

 人間になった少女は成長して美女となり、1人川原で佇んでいた。

 

「釣れないなぁ。……魚すら、捕まえられないのか私は……」

 

 その手には、小さな釣竿が握られており。浮かない表情の女は静かに水面へ釣糸を垂らし、憂鬱げにため息をこぼした。

 

 ────傷心旅行。

 

 10年越しの初恋が無惨に散った彼女は、1人旅に出ていた。

 

 そして彼女は一人、傷ついた心を癒すためとある観光地の一角の川原で、釣りに勤しんでいる。

 

 誰にも関わられず、誰にも気を使われず。彼女は、一人きりになって気持ちを整理する時間が欲しかった。

 

 人間は誰しも、そんな時間が必要なのである。

 

「勇気かぁ。あと、もう一握りの勇気かぁ……」

 

 思い起こすのは、昨年の彼。

 

 女性経験がないと飲み会の場で宣言し、決闘で勝ったその日に永明の魔女を抱くと宣言したその瞬間。

 

 あの時、怖がらず一歩踏み出せていれば────

 

「はぁぁ…………」

 

 溜め息もこぼれよう。

 

 闘わずして負ける、そんな不完全燃焼な結末。そしてそれは、自分の選択の結果だ。今や彼女に出来るのは、臆病だった過去の自分を恨む事だけ。

 

「もう一生独身で良いかなぁ……」

 

 誰に聞いて欲しいでもなく、彼女は小さな愚痴をこぼした。その言霊は、吸い込まれるように川へ霧散する。

 

 相変わらずピクリとも揺れない釣竿を眺め、水流に波打つ枯れ葉を目で追う。

 

 やはり、釣れる気配はない。場所を変えようかと思い立ち釣竿以外に目をやって、彼女はふと人影が水面に映っているのに気付き────

 

 

 

「あ、やっぱりアンジェじゃないか。どうしてここに?」

 

 

 

 振り向けばそこには、無神経に笑いかけてくる最も会いたくなかった少年がそこにいた。

 

「…………」

「ん? どしたのアンジェ、僕だよ僕」

 

 にこやかに笑いかけてくる、失恋相手。今まで無神論者だった彼女は、この日初めて神を怨嗟した。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……いや、何であんたがここにいるし」

「僕のセリフだよ。アンジェ、森の一族に用でもあったのかい?」

 

 それは僕が師匠と別行動になった、その夕方の事である。

 

 この町の依頼人に会いに行くらしい師匠から「君にはこの依頼はまだ早い、私一人で対処しておく。私が居なくても修行、サボっちゃダメだよ」と微笑まれ宿に置き去りにされたのだ。

 

 そんな、師匠から子供扱いを受け不貞腐れていた僕の目の前に現れたのは、我が愛すべき友人(バカ)のアンジェだった。手持ち無沙汰だった折、丁度良い所に出会えたものだ。

 

「私は、あー、旅行的な? で、一人のんびり川釣りしてんだけど文句あんの?」

「ん、一人? あの二人は一緒じゃないのか?」

「一人旅だし」

 

 そう言って気だるげに釣糸を垂らす彼女は、どことなく不機嫌だった。そんなアンジェから、僕はいつもと違う険悪さを感じとった。

 

 もしかしたら何か、嫌なことがあったのかもしれない。もしかしてあの二人と、喧嘩でもしたのだろうか。

 

「アンジェ、何かあったの?」

「何もねーし」

「いや、何かあっただろ。これでも長い付き合いなんだ、アンジェの事は何でも分かるさ」

「……ほっとけし」

 

 その、アンジェの無愛想な返答で僕は確信した。きっと、彼女には何かがあったと。

 

 ならば、僕が話を聞いてあげよう。前回の相談の、恩返しもかねて。

 

 丁度、師匠は何処かで仕事をしていて不在だ。今日は、アンジェと1日遊ぶことにしよう。

 

「なぁアンジェ、何処かに飲みに行かないか? 別に僕に話さなくてもいいけどさ、酒飲んで馬鹿騒ぎするだけで気は楽になるもんだぜ」

「……この野郎、いつもは糞がつくほど鈍感なくせに」

「ん? 何か言った?」

「そーそーこれこれ。いつもは何言っても聞き流すくせに何で今日に限って察しが良いのよ?」

「アンジェが怒っている理由はよく分からんけど、取り敢えず移動しようぜ。その川、みんなは上流で釣ってるからこんなところじゃ釣れないよ」

「上流は人一杯だったし……っておい、触んな!」

 

 そんな、いつもと違い元気のないアンジェの肩を抱き、僕は酒場へと彼女を誘った。こう言う時は、少し強引に誘ってやる方が良いのだ。

 

 僕が顔を寄せてやると、アンジェは動揺したかのごとく目を泳がせ、ごにょごにょと言いながらおとなしくなった。

 

 珍しい事もある。肩を抱かれ少し挙動不審となったアンジェは、無言のまま僕についてきた。

 

 いつもの騒がしさは鳴りを潜め、一転しおらしかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あー。それ、多分依頼の内容分かるし。宿にいる森の一族が言ってた、最近魔力脈が薄いから近々調査を依頼するんだって」

「ほーん、それで師匠に依頼が行ったのか」

 

 取り敢えず酒を奢って飲ましたら、アンジェは快活になった。やはり、彼女は酒を与えておけば元気になるらしい。

 

 だが残念ながら、彼女の悩みはとうとう聞けなかった。アンジェ曰く、自分で乗り越えないといけない試練らしい。ならば僕は、暖かくアンジェを見守るとしよう。

 

 話題を変えるべく、僕は師匠との今朝の一幕を彼女に話してみた。

 

 そのアンジェに聞くところによると、師匠が受けた依頼と言うのは「森の調査」らしい。

 

「魔力脈っての、私は詳しく知らないんだけど。何か森一族にとっては大事なモノなんだって」

「魔力脈ってのは、自然から涌き出る魔力の事だよ。森の一族は、自然に満ち溢れた魔力を使った文明を形成してるんだ」

「お、なんか物知りだな」

「師匠から教わったのさ」

 

 そう、これは師匠の受け売りだ。森の一族の里に向かうにあたり、事前に聞いておいたのだ。

 

 大気中に漂っている、自然の魔力が枯渇している。その原因の調査が、今回の依頼。

 

 …………師匠。今回のは危ない依頼どころか、戦闘依頼ですら無いじゃないか。何で僕を連れていってくれなかったんだ。

 

「で、アンジェ。その森ってどっちにあるか分かる?」

「んー? 確か北の方だし」

「──分かった」

 

 その森は、この集落の北を覆っているらしい。森の一族の住むこの集落において、観光客は立ち入り禁止となっている区画である。

 

 ただ、立ち入り禁止とは言われているが、見張りなどは特に居なかった。なので、

 

「なぁアンジェ、久しぶりに冒険しないか? こっそりと、集落の森を」

「……いや、バレたらめっちゃ怒られるし。この里から出禁くらうかもよ?」

「昔はよくやったじゃないか、そういう危険な事。オルメアを倒すためにさ」

「結局、あんたは魔女様に尻尾振ってなついちゃったけどね」

 

 これは、丁度良い。やや鬱屈としているアンジェの気晴らしにもなるし、何より、

 

「そして、僕達が先に依頼を達成しちゃうんだよ。そしたら、師匠も僕の事を見直してくれるかも!」

「……それが狙いなのね。分かりやすいし」

 

 師匠の言いなりじゃ、僕はいつまで経っても師匠に対等に見てもらえない。魔法の腕にも自信がついてきたし、アンジェが一緒に来てくれれば大抵の魔物には負けないだろう。

 

 こうして、久々の「魔女オルメア討伐隊」が出動することとなった。子供の頃からパーティを組んで何度も共に死線をくぐり抜けたアンジェさえいれば、怖いものは何もない。

 

「行こーぜ、アンジェ。前みたいにさ」

「はぁ」

 

 僕達は何とも言えぬ顔をしたアンジェの手を取って、北部の森を探検するべく酒場を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で? 二人は本当に、産業スパイじゃないんだな?」

「……はい、ただの観光客です」

「森の奥は立ち入り禁止、そう聞かなかったか?」

「き、聞かなかったような?」

 

 どうせ大した警備はないだろうとたかをくくって、僕たちは大した準備もせずに森へ侵入した。

 

 すると1kmも進まないうちに大きな施設が立ち並ぶ区域に到着し、運悪くそこを見回っていた警備に鉢合わせして御用となってしまった。

 

 僕は隠密行動のスキルを持っているわけではない。単に、戦闘能力が高いだけである。スニーキングミッションに関してはド素人も良いところだ。

 

 裏を返せば、ここで見張りと戦えば勝てるだろう。だが、それはあまりよろしくない。

 

 そこまで事を荒立てると師匠に迷惑がかかりそうだからだ。元々、酒の席の勢いで始めてしまった冒険である。こうなってしまったなら大人しくお縄につこう。

 

 僕は観念して、アンジェ共々降伏した。彼女からしたら、とんだ迷惑だっただろう。

 

「……やっぱ私らだけで侵入するのは無理があったし。いつもは、ミカが念入りに下準備して進入路とか確保してくれてたから上手く行ってたんだよ」

「そーだな、ここにミカなしで侵入は無理があったか……」

 

 こんな時に思い出すのは、頭の良く回る小狡いパーティメンバー。アイツはいつも、念に念を重ねた周到な計画を練ってくれていた。そのお陰で、何度かオルメアを追い詰めることに成功したくらいだ。

 

 んべー、と小憎らしげに舌を出す子供時代のミカを思い出して懐かしみながら、僕達は素直に留置所へ連行された。

 

 

 

 警備の人に聞くと、この区画はいわゆる工業区画らしい。この里の特産品や魔力脈を用いた特殊な品を加工する工場の並んだ、この里の技術の粋を集めた機密の塊のような場所だと言うのだ。

 

 そんな場所に観光客が紛れ込んだら、そりゃ拘束されるに決まっている。

 

 

 

 

 

 

「はいな、お前さんらはこの中で待機してくれ」

 

 そして僕たちは、鉄製の小さな檻に2人詰に放り込まれた。

 

 この程度の檻なら即座にぶっ壊せるなぁ、等と物騒なことを考えながら僕とアンジェは地べたに腰を落とす。因みに、二人共下着姿である。

 

 僕はともかく、アンジェには悪いことをした。いくらアンジェとはいえ、他人に下着姿を見られるのはあまり喜ばしくないだろう。

 

 その証拠に、脱衣を強要からは顔を強ばらせて僕の後ろに隠れて歩いてた。一丁前に羞恥心はあるようだ。

 

「なー、看守さん。ツレは女性なんだ、何でもいいから体を隠せる布を恵んでくれないか?」

「スマン、規則でソレ出来ないんだ。以前、賄賂をもらった看守が布の中に鍵をこっそり忍ばせて脱獄の手助けしたことがあってな」

「……んー、ならどうすっかなぁ」

 

 アンジェの為に布を乞うてみるも、返答はNO。せめてもの救いは、看守も女性だということくらいか。

 

 男性看守がジロジロとアンジェを眺めていたら、ちょっと僕も本気を出して脱走していたかもしれない。

 

「お前が布替わりになれ、お前が言いだしっぺだこの馬鹿」

「うおっ……」

「他意はないぞ、これは私の体を隠してるだけだから」

 

 そんなアンジェは、僕に恨みをぶつけているのか。ベッタリと背中から僕に抱きついて、微妙に首を絞めあげてきた。

 

 色々と背中に当たって、なんだか居心地が悪い。

 

「ひゅー、仲睦まじいね。ま、心配しなくても悪気がないならすぐに解放してもらえるさ。これも規則で、この区画に余所者が立ち入ったときは長老様の指示を仰ぐことになってる。多分お小言は言われるだろうけど、今日中には帰してもらえるよ」

「あ、そーなんですね」

「長老様は優しいけど、話は長いよ? 覚悟しときなさい」

 

 不安そうな顔の僕たちにそう言って笑いかけてきた看守は、カカ、と笑った。20歳くらいだろうか、若い女看守はなかなかに豪胆な性格をしているように見える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 数刻後。

 

「ほうら二人共、出てきな。長老様のもとに案内するよ」

 

 やがて小さな手紙を受け取った女看守は、立ち上がってガチャガチャと牢屋の鍵を開けてくれた。同時に小さく目配せして、アンジェに向かって自分のコートを差し出してくれる。

 

「下着はかわいそうじゃんね、私の上を羽織っていきなよ」

「お、いいのか?」

「規則でダメなのは、『牢屋の中にいる人への差し入れ』だからね。牢屋から外に連行する途中、看守が囚人に何渡しても罪には問われんのよ。ま、グレーゾーンなんだけど」

「……ありがと。一応、礼を言うし」

「おー感謝しな。その代わり、連行中に脱走とかそーいう面倒くさいことはやめてくれよ?」

 

 にしし、と笑う女看守。この人は結構良い人らしい。自分のコートを囚人に貸すなんて、なかなか出来る人はいないだろう。

 

「実は私も、嫁入り前でね。肌を晒す辛さってのはよく分かるさ」

「ほー。確かにお姉さん、美人だもんな。結婚すんのか」

「はっはっは、褒め言葉として受け取っておくが、そーいう世辞は自分の恋人にだけ言っておきな少年! ほらむくれた顔してるぞ、あんたのお連れ」

 

 そういって彼女は、大口を開けて爆笑した。

 

 不快感のない、気持ち良い笑い方をする女だ。きっと、根が善人なのだろう。

 

 そんな彼女の顔を潰すわけにも行かず。僕とアンジェは、静かに彼女の案内する長老のもとへと付き従った。

 

 さっさとお説教を受けて、街に帰ろう。長老様にはよく謝って、帰ってからはアンジェにも謝って、そんで酒でも奢ってやろう。

 

 今日、色々と調子に乗ってしまったことを反省した。僕は、少しでも早く師匠に認めてもらうことしか頭に無かった。その結果暴走して、いろんな人間に迷惑をかけてしまった。

 

 こういうところが、僕がまだ師匠に子供扱いされている所以なのだろう。

 

 

「この中に長老がいらっしゃいます。お前ら、きちんと挨拶しろよ?」

 

 

 看守は、そう言ってとある天幕の入口を開いた。中には数名の老人が座っており、そしてその中央には一人の人間が布団の上で横たわっている。

 

「真ん中で寝てるお方が長老な」

「分かりました」

 

 僕達は看守の言葉に頷いて、静かに長老の横たわる布団の傍らに腰を下ろし頭を下げた。

 

 長老の周囲を囲む老人たちは、そんな僕とアンジェの様子をジっと無言で見つめている。

 

「侵入者たちよ、名を名乗れ」

 

 頭を下げている僕たちは静かに、声をかけられた。長老本人の声ではない。長老のすぐそばに座っている老人の一人から、厳かに声をかけられた様だ。

 

 僕とアンジェは、それぞれ名を名乗る。

 

「お前達は、本当に我らの秘密を探るべく、この地へと忍び込んだわけではないのだな?」

「ええ」

「その言葉に偽りあれば、長老様はひと目で見抜くだろう。顔を上げろ、そして長老様の目を見るがよい」

 

 そばに控える老人は、そう言って僕らに頭を上げるよう促した。いよいよ、長老とやらにご対面である。

 

 この里で長老というのがどういう扱いかは知らないけれど、怒らせたらまずい相手だというのは雰囲気でわかる。ここは誠心誠意謝るとしよう。

 

 僕は、そんなことをぼんやりと考えながら、横たわる長老の顔を注視した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────世界が、歪む。

 

 

 

 

 

 

 

「……は?」

 

 ぐにゃりと、平衡感覚が狂い体がうねる。僕の口からは間抜けな声が漏れ、アンジェは恐怖で目を見開いていた。

 

 それも、そのはずである。何せ、顔を上げた僕たちが見たものは、

 

 

「貴様、何を阿呆面下げて黙り込んでいる? 長老様に向かってなんと無礼な態度とはと思わんのか?」

 

 

 そういって僕たちを叱責する老人のすぐ隣に横たわっていたものは。

 

 ────蛆虫が蠢く、どす黒い乾ききった老人の死体だった。

 

 思考が停止し、体は硬直する。

 

「おいこら、お前らちゃんと謝れって! 言ったろ、無礼な態度とっちゃだめだって……」

 

 後ろで様子を見守っていた女看守は、呆れ顔で僕たちの頭を叩いた。だが、僕はあまりの衝撃で硬直して動けない。

 

 何を、言っているんだこの連中は? 何を見ているんだ、僕とアンジェは? 腐った死体を、長老と呼び敬うこいつらは何がしたいんだ? 

 

 改めて、その死体を見る。見たところ、死後数ヶ月は立っているだろうか。

 

 骨はところどころ露出しており、目玉は腐って窪み、腹の皮下はもぞもぞと大量の蛆虫が蠢いている。よく匂えば、腐乱臭が部屋に薄く充満していた。

 

 ────異常が、この部屋を支配している。

 

「……最後の警告だ、侵入者よ。頭を下げ、ウソをつかず誠心誠意謝罪せよ。さもなくば、貴様は敵とみなす」

 

 相変わらず静かな声で、死体の傍らに腰を落とした老人が俺達を睨みつけた。 

 

「すまんが、これ以上は庇えんぞ……、早く長老様に謝れってんだ、お前ら」

 

 女看守は呆れたような声をだし、やや険しい表情で僕達を見つめている。

 

 ……取り敢えず、話を合わせるべきか。ここにいる人間は、この腐った死体を長老と信じこんでいる。下手な事を言って、藪の蛇をつつく事はない。

 

 僕は老人の遺体に改めて向き合い、流し目でアンジェに合図を送った。この場は、彼等に話を合わせよう。

 

 そして老人を正面から見据え、謝罪の体勢をとろうとし───

 

 

 

 

 

 ────気付いて、しまった。

 

 

 

 

 

 腐乱した死体の周囲を、魔法陣が覆っていたことに。

 

 僕はその魔法陣の記述を読み進め、そして愕然とする。師匠に教わった魔法の知識が、この異常な状況を全て読みといていく。

 

「……そう、なのか」

 

 思考が凍りついていく。与えられた情報から、一つの真実が浮き彫りになっていく。

 

 

 

 ────魔力脈の、減衰。

 

 ────森の奥の、工芸施設。

 

 ────長老と呼ばれている、腐った死体。

 

 ────魔力脈を利用した、森の一族の魔術。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こんなところで、何をしている。馬鹿弟子」

 

 

 

 

 

 

 僕が、そんな残酷な現実に打ちのめされていると。敬愛すべき、優しくも厳しい師匠の声が頭上に響いた。

 

「師匠……」

「辿り着いてしまったか、ここに」

 

 突如現れた師匠は、僕を見つけとんがり帽子を深く被り。

 

「君には、まだ早いと言っただろう……」

 

 そう、悲しそうに呟いた。

 

 

 

 ────突然の師匠の乱入に。女看守は、死体を囲む老人達は、困惑しつつも戦闘体勢をとった。

 

「え、魔女様!? 何これ、どーなってるの!?」

 

 アンジェも、師匠の出現に混乱している。アンジェはこの魔法陣の意味を理解できないから、それも当然だろう。

 

「侵入者だ!! この場所まで誰にも気づかれず忍び込んでくるなんて!」

「曲者だ! 殺せ!!」

 

 俄然、色めきだった村人たちは武器を握り、師匠や僕たちをめがけ咆哮した。アンジェもとっさに応戦しようと立ち上がったが、僕は腰を下ろしたまま呆然と経緯を見守る。

 

 応戦する、必要はないのだ。何せ、

 

「説明するよ、弟子の友人。ここにいる人達は、ここにある施設は、みんな────」

 

 そして師匠は語りだした。この森の中の集落の、真実を。

 

 

 

 

 

「ここにあるものはみんな、幻なんだ」

 

 

 

 

 

 

 

 直後、座り込んでいた老人が立ち上がり、師匠を剣で斬りつける。 

 

 その剣は、すぅっと師匠の体をすり抜けていく。幻だから、実体など無いのだ。

 

「目の前に座っている、この老人も。お前達の後ろで立っている、そこの女も。みんな、幻なんだ」

 

 そして、師匠が杖を一振りすると。斬りかかってきた老人は、跡形もなく消え去った。師匠はただ、魔力をぶつけただけだ。

 

 魔法により姿を得ていた老人の幻影は、たったそれだけで消え去った。

 

 

 

 

 

「この場所はな。この死体の、楽園だったんだよ」

 

 

 

 

 

 それは、悲しい物語だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 森の一族は、古代より優れた技術を持った一族だった。魔力脈の濃い地域で育った彼らは、魔力脈を利用し高度な文明を形成した。

 

 そんな村に「ロッド」と言う男がいた。彼は、別段特別な存在ではなかった。

 

 平凡な能力の魔法使いで、普通に恋をして、ありふれた幸せを得た、普通の森の一族だった。

 

 だが、60年前。森の一族の技術を狙った魔族から襲撃を受けた時、不幸にも彼は婚約者を失った。

 

 親を殺され、婚約者は蹂躙され。そして彼は、復讐の鬼となった。

 

 魔族に対する怨念に取り憑かれた、鬼となった。

 

 

 

 

 ロッドは、里を飛び出した。時代は戦乱の真っ只中、傭兵としてそこら中の戦争に参加し、魔族を殺して回った。

 

 復讐だけが生き甲斐だった。魔族との戦争が終了した後も、魔族の残党を狩り続けた。誰よりも精力的に、誰よりも愚直に魔族を屠り続けた。

 

 そしてその果てに、いつしかロッドは「救国の英雄」と呼ばれるようになった。

 

 

 

 そして、戦い続けて更に数十年が経った。ロッドは、とある戦いの最中に仲間をかばって右腕を失った。その頃になると年老いたロッドの魔力は減衰しており、満足に魔術を振るえなくなった。

 

 潮時だと、男は感じた。若い頃のような燃え上がる怨嗟の炎は鎮んでおり、誰よりも魔族を殺し続けたロッドは、復讐に生きたその生涯に深い虚無感を抱いていた。

 

 そして年老いたロッドは、平穏を求めた。そして彼は自らの死に場所として、数十年ぶりに故郷の里を訪れた。

 

 

 

 ────その故郷で彼が見たものは、幸せな家庭を築いていたかつての彼の婚約者の姿だった。

 

 

 蹂躙された彼の婚約者は、死んでいなかったのだ。瀕死の重傷を負ったものの九死に一生を得た彼女は、旅に出たロッドの帰還を待ち続けた。だがいつまでもロッドが帰ってくる様子もなく、彼女はとうとう別の男と所帯を持つに至っていた。

 

 ロッドは、復讐の旅に出なければ良かったのだ。重傷を負った婚約者を諦めず励まし、気遣い、献身的に彼女の治療を手伝ってさえいれば、平穏で幸せな家庭を彼は築いていたのだ。

 

 復讐に取り憑かれ、魔族を殺すことだけに生き、英雄となったロッドが本当に欲しかったものは、彼の故郷でずっと待っていた。それに気付かなかったロッドは、自らその幸せを投げ捨てていた。

 

 その事実を知ったロッドは、絶望のあまり里から逃げ出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、数年間。ロッドは森の中に小さな小屋を建て、世捨て人として生活していた。

 

 幸せな顔をしているかつての婚約者の顔を思い出す度に、胸が締め付けられる思いだった。

 

 何もやる気が起きず、山の中でわずかな食料を自給自足し、ゆっくりと衰弱していった。

 

 年老いた彼は、里の近くに建てた小屋の中で考えた。自分の人生とは何だったのだろうと。

 

 ────答えは何もなかった。魔族を屠り、英雄と呼ばれたその男は、自分の人生の意味をまるで見いだせなかった。

 

 寂寥だけが、彼を包んだ。

 

 

 

 そして彼は、死の間際に望んだ。幸せだった筈の、己の本来の人生を。

 

 復讐に生きなかった自分の、幸せな人生を。

 

 

 

 そう。彼は死の直前、生涯をかけて研鑽した魔法の技術を使って再現したのだ。

 

 『自分のもしもの人生』を。

 

 

 

 

 

 

 

 周りの景色が、ガラリと変わる。そこにあったのは、ロッドが若い頃の森の一族の里そのものだった。

 

 ロッドが少年だった当時の長老様が、天幕には座して座り。ロッドの婚約者は若い姿のまま、自分との結婚を心待ちにしており。

 

 そんな、ロッドの心の奥底に根ざした幻影が、年老いて床に臥せったロッドの周囲を包み込んだ。

 

 ロッドは、それでよかった。長年培ってきた魔術の成果を、自らの無聊を慰めるために惜しみなく発揮した。

 

 

 

 

 そして彼は、救われた。

 

 その幻影の中では、魔物の襲撃は無かった。

 

 ロッドは恋人と仲睦まじく祝言を上げて、英雄と言われることもなく平凡な家庭を築き、何時までも幸せに暮らす、そんな幻影だった。

 

 老衰で満足に動くこともできなくなっていたロッドは、天幕の中で毎日報告に来る自分と婚約者の幻影と、穏やかに話し続けた。

 

 そして。ロッドは、自らの作り出した幻影に囲まれてあの世へと旅立った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それだけなら、ハッピーエンドと言って良かったんだがね。問題は、このロッドの造り出した魔法陣が魔力脈を使って維持されていることだ」

 

 師匠は悲しそうにロッドの死体を見たあと、目を伏せて続けた。

 

「彼の死後も、ロッドの魔法陣は魔力脈を消費して幻影の街を維持し続けてしまったんだよ」

 

 そう。

 

 僕達が警備捕まってしまったこの区画は、森の一族の隠していた機密の場所ではなく、単なる幻影の街だった。

 

 街も、警備も、そこにいる女看守も、全て幻だったのだ。

 

 そして、恐らく────

 

 

 

 

 

 

「何、ワケわかんないこと言ってるんだ? 英雄ロッドって、アイツが何で英雄なんだ? ロッドは今日も、私と────」

 

 

 困惑しきった目で師匠や僕を交互に見ている、女看守。彼女こそ、ロッドの婚約者だったのだろう。

 

 もうすぐ祝言を挙げると言っていた。長老と長い時間話す機会が多かった。そんな彼女が、英雄ロッドの恋人だった女性なのだろう。 

 

「何もかも幻とか意味がわからないよ。何だよ、ロッドが何をしたって言うんだよ!! おいそこの魔女、デタラメ言ってるんじゃないぞ!!」

 

 女看守は必死の形相で、師匠を殴り付けた。

 

 ……その拳は、空を切るばかりだった。

 

 

「こんな筈はない! なんで、どうして触れないんだお前に!」

「……悪いが、里の住人が迷惑しているんだ。この魔法陣は、破壊させてもらう」

「やめろ! そんな訳ない、私が幻影だなんてそんな訳ないだろ! だって、私はここにいるぞ!」

 

 

 混乱しきった女看守は、がむしゃらに師匠へモノを投げつけ、蹴り飛ばし、殴り付ける。

 

 そのどれ一つとして師匠を傷付けること叶わず、無意味に時間が過ぎていく。

 

 幻影がいかに師匠を攻撃しようとも、師匠に傷一つつくはずがないのだ。

 

 

「嘘だ、嘘だ、嘘だ! 私が幻だなんて、嘘だ……」

「……」

「やめてくれ、壊さないでくれよ、魔法陣……。それ、壊されたら私は死んじゃうんだろ? 私が本当に幻だとしたら、消えてなくなっちゃうんだろ?」

「……ちがう。元々、貴女は此処にいないんだ。貴女はもう何年も前に死んで、お墓に眠っていると聞いたよ」

「だって、明後日はロッドと結婚式で。その後はきっと、それはきっと幸せな未来が待ってて────」

「この幻は、一週間おきに祝言を上げては巻き戻ってる。祝言を上げた次の日には、貴女は結婚式の一週間前に戻るだけ。貴女には、幸せな未来なんて待っていない」

 

 師匠は、淡々と女看守へ告げる。

 

 女看守の、その全てを否定する言葉を。

 

「貴女は、ただの現象なんだよ。英雄ロッドが自らを慰めるために作り出した、玩具なんだよ」

「そんな筈は、ロッドがそんな残酷な事をする筈がない!!」

 

 そして、師匠は静かに杖を掲げた。前の時代の英雄ロッドの、その生涯をかけて作り上げた傑作とも言える魔法陣を破壊するため。

 

「やめろ! やめろ魔女、私は死にたくない! 明後日が祝言なんだ、やっとロッドと結婚式を挙げられるんだ! 私はモノじゃない、私は現象なんかじゃない!! 私は、私はここにいるぞ!!」

「……消滅反呪文(リセット)

 

 師匠は、小声で魔術を詠唱し。魔法陣の記載が壊れ、音もなく崩れ散って。

 

 そして、泣き叫んでいた女看守は、声も上げず消え去った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 全てが、終わって。師匠は目を伏せたまま、ゆっくりとぼくへ振り向いた。

 

 いつもとは違う、険しい表情で。

 

「弟子よ。……出過ぎたことをしたな」

 

 師匠は、冷たい声で僕にそう呼びかける。そこには、なんの感情も籠っていないように思えた。

 

「この依頼は弟子にはまだ早い、と言っただろう。その意味が、わかったか?」

 

 返答は、無言だった。

 

 僕もアンジェも、無言でその場にへたり込んでいる。

 

「綺麗事だけで、世界は回っていない。仕事であるからには、こう言うこともしないといけない。胸糞が悪い結末を許容しないといけない。……弟子よ、今の気分はどうだ?」

「……最悪、です」

「私もだよ」

 

 吐き捨てるように、師匠は呟いた。

 

「こんな思いは、もう沢山だろう? 次からはもう少し、私を信用してくれ。こんな後味の悪い結末は、弟子に味わってほしくない」

 

 その手は、震えていた。

 

 魔法陣を消し飛ばし、幻の街を終わらせた師匠のその手は、震えていた。

 

「もう二度と、依頼に関しては私に逆らわないように。流石にもう、懲りただろうけどね」

 

 

 だがしかし、師匠はまた僕を許そうとしていた。

 

 ついてくるなと言われた依頼に勝手に介入し、こんなに後味が悪い思いをしてなお、僕を許そうとしている。

 

 

 

 

 

 ────違うだろ。

 

 そうじゃ、ないだろ師匠。

 

 

 

 

 

 

 

「嫌だ。次からも、師匠がどんなに嫌がってもついていくからな師匠」

「……はい?」

 

 僕は立ち上がった。哀しそうに杖を握りしめる師匠へ向けて歩きだし、そして言葉を続ける。

 

 何故なら、師匠は。

 

「むしろ、今回は自分で自分を誉めてやりたいところです。よくぞ師匠の命令に逆らって、こっそりここまで来たもんだと」

「……おい馬鹿弟子、お前は何を言ってる」

「恋人でしょうがよ、僕達は」

 

 そして、僕は。

 

 力一杯に、師匠の体躯を抱き締めた。

 

「だって泣いてるじゃないか!! 師匠は!」

 

 ぽろぽろと、小粒の涙を流す小柄な師匠を抱き締めた。

 

「こんな、悲しい事ばっかやってきたんだな師匠は! そりゃ生きるのが嫌になるよ、だから僕が隣に歩むって決めたんだよ。だから、僕を連れていけよ!」

 

 その言葉は、何かを考えて言った訳ではない。それは純粋な、僕の本心だった。

 

 人が良く誰よりも優しい師匠が、こんな事をして傷付かないわけがないのだ。

 

 そんな、彼女の苦悩を分かち合える男に、僕はなりたかったんだ。

 

「背負うから。僕も、師匠と一緒に背負うから。僕を恋人だと言うなら、貴女の隣にいさせてくれ師匠」

 

 そう言って。

 

 僕は、静かに涙を溢している恋人と、無言で抱き合った。

 

 師匠の手の震えが止まるまで、静かに抱き合い続けた。

 

 




※カッコつけていますが、「僕」もアンジェも下着姿です


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第四話「腹黒輪唱曲」

「アンジェ、楽しくやってるかね」

「わざわざ旅費をカンパしてやったんです。この旅行でアイツの事はスッパリと吹っ切ってもらわないと」

「……ほとんど俺が稼いだ金だけどな、カンパ」

「貴方に割の良いバイト先を見つけ出してあげたのは私です、アレク」

 

 二人の男女が小さな町の酒場で向かい合い、しっとりと黄昏ていた。端から見ればずいぶんと親密な関係を想起するだろう。

 

 だが別に彼らは恋仲と言う訳ではない。

 

 幼馴染であり、腐れ縁であり、戦友である、そんな関係だ。その奇妙な関係の二人は、恋愛などを超越した深い信頼関係で結ばれていた。

 

「ミカ、ちょっと相談があるんだけどいいか? お前に人を愛する心とか理解できなそうだし、本当に相談していいか分からないんだけど」

「喧嘩売ってるのか相談事をしたいのかはっきりしてください。恋バナならおまかせあれ、私ほど愛深き女はいないと自負していますよ」

「……まぁ、良いか。アンジェが旅行から帰ってきたタイミングで、俺からアタックするのアリだと思う?」

「うわぁ……それは無いわぁ」

 

 その言葉を聞いたミカはドンヨリと目を濁らせ、目線で男を侮蔑する。二人が親密だからこそ、直球で見下すことが出来るのだろう。

 

「傷心に付け込んで……、純粋なアンジェを……? さすがに引くわぁ……」

「だ、ダメか!? 今まではアンジェの気持ち知ってたから我慢してたけど、こうなったら流石にもうモーションかけても良くないか?」 

「アンジェの友人的な意見として、『傷心につけこもう』的な下心がスケスケすぎてダメです。アレク、貴方の友人的な意見としては、下心見透かされてアンジェの心証が悪くなるだけだと思うのでやめといた方が良いです」

「……下心って、随分と失礼なこと言うな。俺は前から純粋に、」

「純粋にアンジェのオッパイをよく見てましたね」

「男に下心があって何が悪い」

「開き直りましたねこのクズが。アンジェ自身気付いてますよ、胸ばっか見てるの。この前サシで飲んだ時『アレクが胸見て話してくる』って愚痴ってましたし」

「……猛烈に死にたくなってきたから今の相談打ち切っていいか?」

「どうぞどうぞ」

 

 男はガックリと肩を落とし。女はそんな彼を、つまらなそうに眺める。

 

 これが、彼らにとっていつも通りの日常だ。小柄な毒舌少女が男を罵倒し、男は下種な本性をチラつかせながら項垂れて。最後にもう一人、それらすべてを笑い飛ばす快活な美女が加われば完璧である。

 

 年に1,2回ほどしか顔を見せない稀代の魔女にほれ込んで追っかけまわしているバカを含め、彼らは家族のように親密な関係を築き上げていた。それぞれ孤児で身寄りがなかった彼らにとって、お互いに家族の代わりになる存在と言える。

 

「……お。あれ、アンジェじゃないか?」

「あ、本当ですね。もう帰って来たんですね」

 

 そんな彼等は、愛すべき家族が街の入り口付近に出現したのを見咎めた。アンジェはもう傷心旅行から帰ってきたらしい。

 

 早速に二人はアンジェに近付いた。どんな旅だったのか、もう踏ん切りはついたのか。聞きたいことは山ほどあった。

 

 ────そして。

 

「…………おーい、アンジェ!」

「お帰りなさいアンジェ、旅はいかがでしたか?」

 

 二人が声をかけると、アンジェは二人へ振り向いて。

 

「う、うあああああああん……」

 

 

 

 そして、泣き崩れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「涙声で何言ってるか良く聞こえんけど……」

「話をまとめると、つまり。アンジェは傷心旅行の筈がアイツに死体蹴りされた上に、公然で下着姿にされて辱しめられたと」

「あうあうあー!! うぇぇぇぇん!!」

「一方でアイツは、アンジェの眼前でオルメア様と抱き合いイチャイチャと乳操りあって、声をかけられるまでアンジェの存在を忘れきっていたと」

「うああああああああああん!!!」

「そりゃ泣きますわ」

 

 二人が企画した傷心旅行は、結果として大裏目を引いたらしい。旅行先でバッタリ失恋相手に再会し、そこで想い人のラブシーンを見せつけられ、その想い人から存在すら忘れ去られる。

 

 今のアンジェに出来うる限り最悪の「傷口に塩を塗る」を、アイツはやってのけたそうだ。

 

「……な、なんとまぁ」

「辛かったですね、アンジェ。良ければ今日は、一緒にウチに泊まりますか?」

「うん、うん……」

「俺は一発、アイツを殴りに行ってくるわ。理由は言わず殴っとくから安心してくれアンジェ」

「許可しますアレク、派手にやりなさい。オルメア様に鍛えられてるというアイツの反撃で貴方がボロ雑巾になったら、特別に手当てをしてあげるかもしれません」

「あ、手当てをしてくれないケースもあるんだ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「全くあのバカは、いつも私達の人間関係を引っ掻き回す……」

 

 そして私はアホを殴りに行ったアレクを見送って、アンジェを自室へと案内し、たっぷり一刻は愚痴に付き合った。

 

 その後泣き疲れたらしいアンジェは、私の部屋のベッドのど真ん中を占領し寝息を立てていた。その脇には、楽しみにとっていたワインの空瓶が転がっている。

 

「確かに、孤児だった我々に居場所を作ってくれた事に恩は感じますけど。自分勝手なところとか、糞鈍感なところとか、今回のアンジェへの仕打ちとか鑑みると総合的にマイナスです、マイナス!」

 

 そして、私は残ったワインを片手に飲み直す。アンジェだけではない、私だってあのアホには散々に腹を立てているのだ。

 

「というかそもそも、アイツのお陰で私達の関係がこんなに複雑なことになってると言うのに。本人は本命のオルメア様を落としてのろけに来やがりますし」

 

 コトリ、と床に落ちた空瓶を拾い上げて。私は部屋の外へ、ゴミを纏めて置いておく。

 

「あの鈍感糞野郎に一度、天罰を下してやりましょう。私達の仕業だとばれないように、ね」

 

 私は、吐き捨てるように。魔女を追っかけて自分だけ幸せを掴みやがったにっくきアホの顔を思い浮かべ、路上に唾を吐き捨てた。

 

 

 

 

 ────私だって、被害者なのだ。間接的ではあるけれど。

 

 

 

 

 

 それは、5年前。私が、アレクから告白を受けた時だ。

 

 今までは家族の様に思っていたアレクから告げられた想いを聞いて、私は柄にもなく動揺した。その夜、私は無駄に意識し顔を真っ赤にしながら、悶々と夜通し悩んだっけ。

 

 アレクと付き合うべきかどうか。みんなとの関係が壊れるようなことはないか。……そして朝、アレクとの新たな関係も悪くないかもしれない、なんて考えたその時だった。

 

「ねぇ、ミカ。ごめん、相談したいことがあるんだけど」

 

 アンジェが柄にもなく真剣な表情で、朝一番に私の部屋に訪ねてきた。

 

「私、ミカと同じ人を好きになってるかもしれない───」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私があのアホを好きになる訳無いでしょーが!!」

 

 つまり、アンジェは勘違いしていた。

 

 アレクに告白された私の柄にもなく悶々と悩んでいる姿が、アンジェには「恋煩い」に見えたらしい。

 

 そこは合ってる。ただし、私が恋の相手として悩んでいたのは、アレクである。魔女を追っかけ回しては自滅していたあのバカではない。

 

 なのに、悶々とする私を見てアンジェはアホを取られるかもしれないと危惧し、わざわざ私の気持ちを確かめに来たのだ。

 

「……で、愚かな私は強がって『好きな人とかいない』と宣言してしまい」

 

 恥ずかしかったのもある。大事なアンジェと争いたくなかったのもある。

 

 アンジェの気持ち(勘違い)を聞いて、私はアレクから身を引いた。どうせなら後腐れを無くそうと思って、その日のうちにアレクをこっぴどく振ってやった。

 

 『一日悩み抜いたけど、どうしてもアレクを恋人として見るのは不可能だった』『ザリガニかアレクのどちらかを恋人にしろと命令されたら、アレクを選ぶかもしれない』『ザリガニよりは好きですよアレク』等と、暴走した私は散々にアレクを煽った。

 

 手酷く振られたアレクは、アンジェがうまく慰めるだろうと期待して。

 

「あんな事言った手前、今さら私から告白なんて出来る訳無いじゃないですかー……」

 

 その全てが勘違いだと知ったのは、あのアホがオルメア様を追っかけて遠い旅に出た日。そしてアンジェが自らの想いを、私達に相談した時である。

 

 軽く目眩がした。と、同時に『なら私とアレクが付き合っても問題ないのでは?』と思い至った。

 

 けれども。

 

「一回振られたくらいで、アレクも諦めないでくださいよぉ……」

 

 残念なことに、私にバッサリ振られたアレクは二度と私に告白してこなかった。それどころか、恋する乙女全開なアンジェを見て彼女に気持ちが移ってしまったらしい。

 

 確かに私も悪かった。あそこまでバッサリ振る必要はなかったと思う。さぞ、アレクを傷つけてしまったのだろう。

 

 だとしても、だ。

 

「何ですか……一度はわたしを好きになった癖に。事あるごとに人を『悪魔』呼ばわりして……、私は悪魔なんかじゃありませんー」

 

 仮にも乙女を『悪魔』扱いするのはいかがなものか。

 

 『小悪魔』呼ばわりとかならまだ許容しよう。そう言う扱いをされる女性も居るだろう。

 

 だがアレクは、こっぴどいフラれ方をしたせいか私を『血も涙もない冷血人間』と思い込んでいる節がある。

 

 私といえど、事あるごとに好きな人から悪魔扱いを受けるのは流石に傷付く。

 

「アンジェだけじゃありませんよ、私も一途ですよぅ。気づいてくださいよぉ」

 

 酔い潰れて寝静まったアンジェに聞こえぬよう。路上にゴミを纏め、小さく呟いた私の愚痴は闇夜に溶けていく。

 

 今日はもう、寝よう。明日になってから、これからの事を考えよう。

 

 アレクの恋を応援するべきか。アンジェの応援を続けるべきか。

 

 あの馬鹿を罠にかけて、オルメア様と破局させる策は幾つかある。それさえ上手くいけば、きっとアンジェはヤツとくっつくだろう。

 

 そしたら、アレクは私と────

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、良かった起きてた。おーい、ミカ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな腹黒い策謀に浸っている私を、現実に引き戻す不躾で空気の読めない男の声がした。

 

 振り向いた先にいたのは、間の抜けた胡散臭い笑顔の似合う私達のリーダー。魔女オルメアを憎みすぎて、感情が一周し惚れ込んだお馬鹿。

 

 今まさに文句を言いたくて仕方がなかったその男が、プスプスと焦げたアレクを担いで私の部屋に歩いてきていた。

 

「ふぅ、久し振り。と言っても、一月ぶりくらいかな?」

「……そうですね」

 

 ヤツを殴りに行ったアレクは、無事に返り討ちにされたらしい。アレクもそこそこ強い筈なのに、無傷で完封とは……。

 

「実はさっきアレクがふざけて殴りかかってきてさ、無意識に吹っ飛ばしちゃったんだ。ねぇミカ、悪いけどアレク泊めてあげてくれない?」

「いや、何で私のところに連れてきたんですか。路上に放置するか、アレクの部屋に放り投げたら良いではないですか」

「ミカの部屋が近かったし、それにミカは回復魔法使えるじゃん」

 

 しれっと胡散臭い笑顔を私に向けたソイツは、ボロキレの様になったアレクを私の借りてる部屋の玄関に捨てた。

 

 オルメア様から、ゴミはゴミ箱に捨てなさいと習わなかったのだろうか。

 

「回復魔法くらい、貴方も使えるでしょう。オルメア様の教えを受けてるんですよね?」

「……師匠、不死身だから回復魔法は得意じゃないみたいで。師匠は使えるんだけど、僕はまだ教わってないな」

 

 まだ使えないのか、回復魔法。

 

 しかもこのアホ、アレクを昏倒させておいて後始末を私に投げるつもりらしい。

 

「お詫びにお酒奢るから、ね?」 

「貴方、酒さえ奢れば何でも命令していいと勘違いしてませんか? アンジェと一緒にしないでください、そんな事で私の機嫌を取れる等と思わないことです」

「んー……。でもさミカ、今なんか悩んでるだろ? 顔にそう書いてあるし。これからその話聞くからさ、今夜だけアレクの面倒見てやってよ」

 

 彼はそう言うと、ニカリと何も考えてなさそうな顔で私に微笑んだ。

 

 ……アホにしては妙に勘が良い。今まさに、私はアンジェに対する貴様の所業を聞いて非常に腹を立てているのだ。つまり貴様のせいで私は悩んでいるのだ。

 

 まさか悩みの元凶が、直々に愚痴を聞いてくれるとは。これ以上に良い愚痴のぶつけ先はないだろう。

 

「そーですかそーですか。では、どっぷりと聞かせてあげますよ私の負の感情を。そこまで言うからには、覚悟はいいですね」

「ふふ、僕でよければ受け止めたげる。ミカは案外、溜め込むからね」

 

 これも良い機会だ、とヤツは微笑んだ。完全に他人事だと思っていやがる。誰のお陰で溜め込んでいるのか、思い知らせてやろう。

 

 私は手早くアレクを治療して、酔っ払ったアンジェに手を出さないよう簀巻きにして押し入れに突っ込んだ。

 

 その様子を、ヤツはチラチラとおかしそうに眺めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「つまり!! 何もかも、全部全部お前が悪いんですー!!」

 

 泥酔。

 

 世界が薄くぼやけて、頭の中がぐるぐる回り始める。

 

「聞いてますか!? こっちはこんなに苦労してると言うのに! 貴方1人だけ幸せ掴んで、のろけてきて! 私達は振り回されっぱなしなのですよ!?」

「……ミカ、どうどう。あんまり大声を出すと、他のお客さんに迷惑だよ」

「やかましい、です!! そもそもおかしいでしょう、オルメアをぶっ殺す為に私達を集めたくせに、いつの間にかオルメア様に惚れ込んだって! じゃあ、私達は今まで何をやってたんだって話でしょう!!」

「あーうん……。それは、ごめんね」

 

 会話が、脳みそを通っていない。

 

 ふわふわとした心地よい高揚が、冷や汗を垂らして困り顔をしているアホを罵倒しろと命じている。

 

「挙げ句、私達をほったらかして、一人で旅に出て!! あの後みんな、スッゴく寂しかったんですからね!」

「うひー……それは本当に悪かったってば」

「それに、その他諸々と詳しく言えませんけど! 大体貴方のせいでわたしは苦しんでいるんです!! これ、本気ですよ!」

「な、なんか知らないけど謝る、謝るから声を押さえて……」

 

 だから、私は散々に騒いだ。

 

 コイツには思い知らせてやらねばならない。アンジェが傷ついた分も含めて、きっちりと言い聞かせねばならない。

 

「聞いてるんですか!!」

「聞いてる聞いてる、聞いてますよー」

 

 こうして私は、目の前が真っ暗になるまで浴びるようにお酒を飲み続けた。

 

 

 

 

 

 

 ────そして、仄かな微睡みが私の意識を奪う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………うげー」

 

 そして目が覚めると、私はベッドに寝かされていた。どうやら飲みすぎて、酔い潰れてしまったらしい。

 

 頭をあげると、ズキンとした痛みが走る。寝ぼけた頭のまま、私はツラツラと解毒魔法を使って二日酔いを覚ました。

 

 ヤツが私を運んでくれたのだろうか。酒場からここに来るまでの、記憶が全くない。

 

 解毒により酔いが覚めるにつれ、吐き気や頭痛もマシになってくる。ボヤけていた視界も徐々にクリアになっていく。

 

 今は、何時だろう。窓の外を見ようと、ベッドの周囲を見渡して、私は気付いた。

 

 

 

 

 

 ────あれ? ここ、私の部屋じゃなくね?

 

 

 

 

 見覚えのない部屋の窓は、まだ暗く。どうやら時刻はまだ、夜明け前であるようだ。

 

 私が寝ていたベッドは、何やら派手な色彩が散りばめられていて。私が使っていた枕は、何だか異様に大きくて。

 

 そして、部屋の壁にはピンク色のハートマークが印字され────

 

 

「あ、ミカ。起きたのね」

「……」

 

 

 そして、その部屋の私が眠っていたベッドの隅には、忌々しいあの男が半笑いで私を見つめて腰かけていた。

 

 

 

「ここ、何処ですか?」

「ん? 逢い引き宿」

 

 

 

 どうやら酔い潰れた私は、このアホに逢い引き宿に連れ込まれたらしい。

 

 

 

 

 

 

 

「こんのド畜生がぁ!!」

 

 身の危険を感じ取った私は、即座に枕をアホに投げつけて警戒体制を取った。

 

 油断していた。この男、恋人もいるし今までそんな素振りを見せていなかったしで油断していた。

 

 まさか、この私の身体まで狙っていたとは。

 

「ちょ、ストップ、誤解────」 

「ヒトをこんな場所に連れ込んだ時点で誤解も糞もありませんよ!! よりによって私ですか、胸も貧相で身体もちっこい私を連れ込みますか!! そーかそうでしたね、オルメア様も小柄でしたねこのロリコン!!」

「ま、待って落ち着いてミカ!」

「これが落ち着いていられますか!! 私の身体に指一本でも触れてみなさい、貴様に生き地獄を味あわせてやりますよ!」

「いや、ホントにそう言うつもりじゃないから!」

 

 射殺さんばかりに私はヤツを睨み付け、せめて肌を隠そうとシーツで身体を覆い隠す。

 

 そう言えばこの男、この前もホイホイとアンジェの誘いに乗っていた。アレクに隠れていたが、コイツもかなり女好きの様だ。

 

「聞いてってばミカ!! そもそも、ミカはアレクが好きなんだろ!? 僕が手を出す訳ないって!!」

「貴方からしたらそんなの関係ないのでしょう!? 私を連れ込んで無理矢理関係迫って、それをネタにずっと私を脅し続けるのでしょう!?」

「ミカじゃないんだから! 僕はそんな腹黒い事、考えてすらなかったよ!」

「誰が腹黒ですか!! …………それに、私は……」

 

 目の前の男を威嚇しながら、私はふと考え込む。もし、オルメア様にこれがバレたらあの男は破滅しないか? そこまでリスクを背負って、私に手を出す意味はあるか?

 

 バレない自信があるのだろうか。でも、勇気を出して私が密告したらそれでおしまいである。

 

 

 

 

 と、言うかそもそも。

 

 

「あ、あれ? 私、アレクが好きだなんて一度も言った事……」

「いや、ミカを見てれば分かるし。アレク本人は鈍感で気付いてなさそうだけどねー」

 

 

 何で、この男に私の想い人が筒抜けになっているのか。

 

 

「えっいやっあれ!? そ、そんな筈は無いでしょう! 私、アレクとか別に何とも思ってませんし!?」

「はっはっは、気付かれないとでも思ってたの? これでも僕は、たった一人でオルメアを落とした恋愛マスターなよ。色恋沙汰には機敏なのさ!」

 

 どうだ、とヤツはどや顔で鼻息を吹き流す。この鈍感糞野郎は、なんと自分の事を察しが良いと思い込んでいるらしい。

 

 だったら早くアンジェの気持ちに気付いてあげてくださいよ!!

 

「しかも、かなり前からでしょ? 照れ隠しにアレクを振って、そのまま関係が硬直しちゃったと見た。どうだい?」

 

 本当に機敏に察してるし!! 私の事情だけ!

 

「わたっ……私は別にそんな……」

「泥酔して吐物だらけのミカを、アレクの待つ部屋に連れて帰るのがはばかられたからワザワザこの宿借りてあげたんだけど。余計なお世話だったかな?」

「いえ……。あ、私は吐物まみれだったんですか……」

「いくら何でも飲みすぎだよ、ミカ。よっぽど溜め込んでたんだね」

 

 カラカラと意味深な笑い顔で、私はアホに嘲笑を受けた。今まで生きてきた中で、これ以上のない屈辱である。

 

 とは言え、状況は飲み込んだ。

 

 そうか、ゲ◯まみれ泥酔状態だった私を介抱するためにこんな部屋を借りたのか。つまり、深夜に部屋を借りられる場所と言えば、逢い引き宿くらいしか無かったのだろう。

 

 取り敢えず、私の身は安全のようだ。

 

「なんだかすっごく色々と言いたいことがあるのですが、とりあえずはお礼を言っておきましょうか。運んでくれてありがとうございます」

「何、僕らの仲じゃないか。とはいえ、確かに逢引き宿に運び込むのは常識知らずだったかな。僕も謝るよ」

 

  相変わらず何を考えているのかよく分からない胡散臭い表情のアホは、頭を掻きながら謝ってきた。だが、本当に謝る気があるのだろうかは疑問である。

 

 何と言うか、コレでいったん場を収めようという魂胆がスケスケだ。私が文句を言いそうな空気を察したらしい。

 

 ……人の事を腹黒扱いしているが、コイツだってかなり腹黒い人間だと私は思うのだ。表立ってあれこれ行動しているから目立っていないだけで、この男はいつも腹に策謀を隠して行動している。

 

 少しは、素直で優しい私を見習ってほしい。

 

「ま、それじゃあミカも目が覚めたし、僕は師匠のところに帰らなきゃだからもう行くね。あんまり遅くなって浮気を疑われても困る」

「事実、貴方は今、女を逢引き宿に連れ込んでますもんね」

「絶対師匠に言わないでよ、それ。ヤキモチを焼いてくれるならともかく、単に悲しそうな顔するだけだからなあの人は……。あ、そうそうミカ」

「何です?」

 

 そして、彼は去り際に不快な笑顔を作って、私の耳もとに囁いた。

 

「君は素直になればいいと思うよ、それだけで全部上手くいく。これは師匠に内緒にしてほしいんだけど、僕の初恋はミカ、君さ」

「……うわ、それは」

「でも君、僕に興味なんかなかったでしょ。その上アレクと両想いっぽかったから、割かし早く諦めたんだ。だというのに、ミカは照れ隠しにアレクを振るわ、意地を張って未だにツンツンしてるわ。見ててこれ程ヤキモキする恋愛もそうそうない、僕を見習ってストレートに告白に返事すればよかったのに」

「……いや、貴方が直情的すぎるんですよ。決闘に勝ったから告白だ、なんて蛮族染みた恋愛はしたくありません。……というか、アンジェも大概ヤキモキ……おっと、何でもありません」

「ミカは頭が良いから、ゴチャゴチャ考えすぎて一周して馬鹿な事をしてると思う。お酒の力借りてでも良いからさ、自分の心に素直になってアレクに話してみたら?」

「べ、別に私はアレクの事とか」

「素直にならないと、アンジェあたりに攫われるよ? マジで」

「……む」

 

 そいつは実に楽しそうに、私に言いたい放題言ってきた。

 

 余計なお世話である。だが、さっきからコイツは無駄に的確に助言をかましている。

 

 その通りですよ、まさに失恋してフリーになったアンジェにもってかれそうで焦っているんですよ、今!!

 

「でも、以前にこっぴどく振ってしまいましたし。なんかアレクからは悪魔扱いされてますし。冗談とはいえこの間なんて、酒場にいた悪魔祓いをけしかけてきたんですよ? 浄化して貰え、だなんて言って」

「あっはっは、アレクはデリカシーがないからねぇ」

「ショックで目の前が真っ白になって、吐き気と頭痛が止まらなくなりましたよ。寒気すらしてきて、しばらく体調を崩しました」

「……悪魔祓い、効いてないかそれ」

 

 む、失礼な。ショックで寝込んだってだけなのに。

 

「ま、後はミカ次第だね。大丈夫、ミカは黙ってさえいればかわいいよ」

「それ、誉め言葉になってないって気づいていますか?」

「次にこの街に戻ってくる頃に、良い報告が聞けるのを期待してるよミカ。あ、そうそう、アレクからの告白を待つのは止めた方が良いよ? もう、向こうは完全に脈なしだと思ってるみたいだし」

「……」

「ミカから素直に一言、『好き』って言えたら上手くいくさ。頑張ってね!」

 

 そして。その男は上から目線に色々と助言を投げつけてきた挙句、颯爽と部屋から去っていった。

 

 ふざけるな、と言いたい。『好き』とそう簡単に言えないから、こんなにも私は苦しんでいるのだ。

 

 だいたい、アイツのせいで私たちの人間関係が複雑化しているのに、そこには一切気付いていない。本当に、勝手な男である。

 

 だけど。

 

「……言葉に出してみたら、少しは変わるのでしょうか」

 

 今までずっと、恋愛に関しては受け身に動いて来た。アレクから告白されるのを待って、アレクが他に靡かない様に邪魔をして。それで、何時まで経っても関係は進展しなかった。

 

 アイツの言う通り、そろそろ直情的に動いてみてもいいのかもしれない。いや、アンジェがフリーになってしまった今、私から行動していかないと間に合わないかもしれない。

 

「好き、か」

 

 いまさら、私がアレクにそんなことを言って笑われたりしないだろうか。また、悪魔呼ばわりされて冗談だろと流されたりしないだろうか。

 

 怖い。怖くて仕方がない。けれど、

 

「……勇気、出してみますか」

 

 見事、自分の恋を成就させた男の助言である。案外馬鹿にできないかもしれない。

 

 私はひそかに、一世一代人生初めての告白をする決意を固めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、おかえりミカ」

「おや、アンジェ。起きていたんですか」

 

 日の出前の道をのんびり歩き、自分の部屋に帰り着いた私は満面の笑顔のアンジェに出迎えられた。どうやら、既にお目覚めらしい。

 

「二日酔いは大丈夫ですか? 解毒をしましょうかアンジェ」

「いや大丈夫だし!! なんかもー、おめ目ぱっちり意識はっきり、みたいな!?」

「朝っぱらからテンション高いですね、アンジェ。まだお酒が残っているんですか?」

「そんなことないし!!」

 

 ニコニコと、アンジェは快活に笑っている。昨日までの凹みっぷりが嘘の様だ。

 

 一晩愚痴を吐いて、少しは心に折り合いがつけられたのだろうか。

 

「あ、そういえばアレクはどこですか? 押し入れに転がしておいたんですけど」

「アレクはね、しょんぼりして自分の部屋に帰っちゃったよ」

「しょんぼり? あー、あのアホにボコボコにされたのが悔しいんですかね」

「違う違う、あのね? アレクってば意識が戻ったら、すぐに部屋を飛び出してあの人を追いかけたんだよ。負けたのが悔しいらしくて、絶対リベンジするって」

「ですから、悔しかったのでしょう? あれで負けず嫌いですからね、アレクは」

「そーじゃなくてね。アレクが凹んでるのは、偶然見ちゃったんだって」

 

 アンジェは相変わらず快活に、朝日も昇らぬうちからハイテンションに笑い飛ばしている。だけど、私は少し気になる事があった。

 

 あれ? アンジェ、さっきから満面の笑顔だけど、目が一切笑ってなくないか?

 

「アレクってば、ミカとあの人が二人で逢引き宿に入ってくところを見たんだって!!」

「……」

「ミカ、随分甘えてたんだってね。体重を預け切って、しっかり抱き着いてたって聞いたよ」

 

 

 

 

 

 ……いやまぁ、意識がなかったわけで。そりゃあ、体重を預け切りますとも。

 

 

 

 

 

「気付かなかったなぁ! ねぇ、いつからミカはそういう関係になってたの!? オルメア様がいるから、ミカは二番目って事なのかな? そんなただれた関係で大丈夫!?」

「……いえ、あのですね?」

「びっくりだよ。本当にびっくりだよ。アレクの悪ふざけとか冗談とかだと最初は思ったんだけどね、アレクってばガチトーンで泣き出しちゃって、これはマジなんだなーって。アレク、そういう腹芸はできないしね。本当なんでしょ、ミカ?」

「ほ、本当か嘘かというと、高度な政治的判断を要するので返答は……」

「……本当なんだね? 信じてたのにな、ミカ」

「ちょっ……ストップ!! ストップですアンジェ!! 目が怖いです、いったん冷静になってください!!」

 

 こうして。私が目に光がなくなった笑顔のアンジェを説得するのに、半日以上の長い話し合いが必要になったのでした。

 

 ……本当に。

 

 本当にあのバカは、いつも私達の人間関係を引っ掻き回す!!



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