モルゲッソヨ (キルロイさん)
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(1)

 それを見た者は口を揃えて言った。「モルゲッソヨ」と。

 現地語で「分かりません」を意味するこの言葉は、その存在を指す言葉として定着した。

 全身銀色、二十代前半の成人男子を連想させニメートル以上の身長がある肉体、頭部だけではなく肩で支える程に大きく試験管の底部の様な形状をしたヘルメットを被り素顔はまったく見えない。

 これだけでも印象的な姿であるが、それ以外にも目を引く点は幾らでもある。

 隆々とした胸筋、女の子を肩車出来るくらいにがっしりとした肩、贅肉が削ぎ落された腹、引き締まった太股とふくらはぎ、そして健康的で逞しい肉体を持つ成人男子に相応しく、溢れんばかりの生命力が感じられる立派な男根、男の裸を見慣れていない女子でさえ「一晩だけならこの男と過ごしてもいい」と思ってしまうほど、どれも素晴らしい姿であった。

 瞬く間に世界中に拡散したその姿の画像と名前は興味本位で見た者たちの興味を引いたが、いずれ忘れ去られる運命でもあった。

 だが、誰もが誤解をしていた。それが人類にとって無害な存在であるという思い込みをしていたのだ。

 人類がその姿を忘れ掛けた頃、遂にモルゲッソヨは行動を起こした。人類を絶滅させるために。



 ティーガーⅡ重戦車の車長を務めつつ黒森峰女学院高等部戦車道の臨時中隊長も務める逸見エリカは、車長用キューポラから身を乗り出すと双眼鏡を覗き込んだ。

 

 彼女の指揮下にある一人の戦車長から挙がった報告を確認するためである。

 

 彼女の視界に広がる黒森峰女学院戦車道演習場は、場違いな印象を与える白銀色の異物たちがひしめいている。 そして、それらは陽光によって鈍く輝きながら彼女たちに接近していた。

 

 異物と表現したが、彼女たちには改造人間なのか、地球外生命体なのか、生命力溢れる銅像なのか断定出来ないからだ。

 

 何しろ、この異物の侵攻を受けている各国の政府や研究機関は、それを捕捉して調査しようとしている段階である。

 

 その正体を公式に発表していないので誰もが推測で話すことしか出来なかったが、名前だけは誰もが知っている。

 

 その名はモルゲッソヨ。

 

 偶然にもこの異物に遭遇した報道関係者の記事によって広まった名前だ。正式な名前が判明した後にもこの名前で呼ばれている。

 

 語呂の響きが良いからだけではなく、日本人にとって子供の名前以外の名づけ方にこだわりが無いからという理由だ。

 

 エリカはその異物を見つつ、先程受けた報告を復唱するかのように一人で呟いた。

 

「モルゲッソヨが約三〇人、いや約三〇機か。行進だけは上手だわ」

 

 報告どおり約三〇機のモルゲッソヨが横一列に並んだ横隊を組み、横隊陣形で待ち構える彼女たちの戦車隊に向けて綺麗な行進で接近している。

 

 エリカはそれを見ているうちに、とある冗談を思い出してしまい声を出して笑い始めた。彼女の隣にある装填手用ハッチから身を乗り出していた装填手は彼女を怪訝な表情で見たが、その視線に気づいたエリカはその理由を説明した。

 

「ある人が話した冗談を思い出したのよ」

「どんな話ですか?」

「帽子の鍔を大きくして脚のつま先まで揃えた綺麗な行進をすれば、世界最強になる思い込んでいる軍隊があるそうよ」

「初めて聞きました。そんな軍隊はどこを守っているのですか?」

「地上の楽園」

 

 面白いとは言えない冗談だが装填手は笑い、それに釣られてエリカの気分も晴れた。

 

 勝気な性格であるエリカを知る者にとっては意外に思えるが、彼女は不安に駆られていたからだ。

 

 何しろ、彼女たちが行おうとしていたのは試合ではなく実戦である。それだけでもエリカにとって十分な重荷なのだが、更に予想される戦闘が凄惨を極めたような状況になる事が予想出来たからだ。

 

 それは、十六世紀における歩兵同士の戦闘のように、まともな防御対策が欠落した状態で正面から撃ち合うだけの凄惨きまわりない戦闘を彷彿させた。

 

 彼女を取り巻く状況も悪化していた。西住まほ大隊長直率の戦車隊が音信不通になってから一時間以上経過している。

 

 ティーガーⅠに座乗した大隊長は、全国大会向けに編成した戦車隊でソルゲッソヨを撃破するために出撃していたが、「モルゲッソヨを捕捉した。これより攻撃に移る」という通信を最後に連絡が取れなくなっていたのだ。

 

 この戦車隊と通信不能になったのは作戦行動中による無線封止だと信じたかった。

 

 だが、交戦中も無線封止を継続する必要性と大隊長車以外の戦車からの通信さえ受信されない状況を考慮すると、大隊長が率いた全ての戦車が撃破されたとしか考えられなかった。

 

 彼女にとっては俄かに信じられない事態である。

 

 何しろ、この戦車隊にはパンターG型、ラング、ヤークトパンター、ヤークトティーガー、エレファントといった、高火力、重防御能力を持つ戦車が加わっており、全国大会で常勝を誇る黒森峰女学園高等部戦車道チームが自慢出来る戦車でもある。

 

 それらが全て撃破されたのだ……。

 

 この冷酷な現実は、二股を掛けた彼氏の胸元に突きつける鋭利な包丁のようにエリカに向けられた。

 

 そして、彼女は不退転の決意と最悪の事態を回避するための覚悟を固めさせた。

 

 彼女は様々な事情により大隊長直率の戦車隊に参加出来なかった初心者教習用の二線級戦車を掻き集め、全国大会に選抜されなかった補欠生徒たちを乗員とした寄せ集めの戦車隊を指揮しているのはそのような理由であった。

 

 そして、全国大会向けに編成した戦車隊が全車撃破された元凶であるモルゲッソヨと交戦して勝利しなければならないのである。

 

 不安に駆られないほうが異常ともいえる状況であった。

 

 彼女は口喉マイクのスイッチを入れると素早く簡潔に指示をする。

 

「エリカより全車、正面、砲戦距離八百、各車の判断で射撃開始、車体番号が奇数車は徹甲弾、偶数号車は榴弾、尚、一機でも撃破出来た際には使用した弾種も報告のこと。以上(エンデ)

 

 エリカの指示は指揮下にある全車に伝わった。大隊長である西住まほを始め各級指揮者と連絡が取れなくなった現在において、寄せ集めの戦車隊をまとめて指揮を執ることが出来るのは彼女以外にいなかった。

 

 彼女としても、気心が知れるまで長い付き合いがある生徒たちばかりではない集団を統制するため、簡潔で明瞭な指示を与えなければならなかったのだ。

 

 彼女たちが敵と認定したモルゲッソヨは正面から接近しているため、当然ながら砲戦方向は正面になる。

 

 砲戦距離は標準的交戦距離である八〇〇メートルを指示した。戦車に備えられた照準器と戦車砲の能力によって異なり、彼女が搭乗するティーガーⅡであれば二千メートル以上先にある標的へ命中させる能力がある。

 

 だが、前述のように寄せ集めの戦車隊なので各車の射撃能力や射手の練度まで把握しきれていないからだ。

 

 砲弾の種類についても彼女は悩んだ。常識的な戦術判断によれば榴弾を装填すべき状況であった。榴弾は着弾による弾片によって着弾点の周囲を制圧出来る砲弾であり、弾片によって異形な姿をしたモルゲッソヨを切り刻むことが出来る筈である。

 

 だが、その程度の損傷ではモルゲッソヨの進行を止められない様な気がしたのだ。だから、彼女は直撃させるのは難しいが貫通性能を持つ徹甲弾も装填させた。

 

 彼女は指示を終えると一息ついたが、指示が不足していたことに気づき再度口喉マイクのスイッチを入れた。

 

「敵は戦車より圧倒的に身軽よ。側面や後方に回り込まれる可能性があるので十分に注意しなさい。以上(エンデ)

 

 彼女が車内に身を隠し車長用キューポラの蓋を閉じた時、我被の距離は一〇〇〇メートルを切ろうとしていた。校庭のトラック一周分の距離が縮まれば彼女が指示した砲戦距離になる。

 

 エリカはそれまで待つつもりであったが、砲手は待てなかった。

 

「車長、榴弾装填済みです。ただちに射撃出来ます」

「もう少し待ちな」

「エリカ、あたしの腕とティーガーⅡの実力を信じなさい」

「……許可するわ。一撃で仕留めなさい」

「任せて。第一射を撃ちます、てっ!」

 

 燃焼された炸薬から生み出されたエネルギーによって戦車砲から発射された砲弾は、標的との距離を急速に詰めるとその前方一メートルに着弾した。

 

 砲手が描いた理想の位置に着弾したのだ。砲手は歓声を挙げたが車長用ペリスコープから覗いていたエリカは呻いた。

 

「ダメだわ。敵は無傷よ」

「何で?」

「榴弾の弾片では効果が無いわ」

「戦車並みに硬いのね。今度は徹甲弾で距離八〇〇にする?」

「弾種徹甲。八〇〇まで待たず、ただちに撃って」

 

 先程、八〇〇メートルまで射撃を控える指示を下していた彼女が、それまでとは異なる指示をしたので装填手と砲手は戸惑った。

 

 だが、己の役割を思い出した装填手は普段の訓練どおりに装填し、砲尾が完全閉鎖された信号を確認した砲手は直ちに第二射を射撃した。

 

 ティーガーⅡは常勝を期待されている黒森峰女学園にとって欠く事が出来ない高火力重装甲の戦車である。

 

 この戦車に搭載されたKwK43L/71戦車砲は直径八八ミリの砲弾を撃ち出し、一〇〇〇メートル先にある一九三ミリ厚の装甲板を貫通するほどの威力を持つ。

 

 そして、この砲を操る射手と装填手は黒森峰女学園高等部において全国大会出場資格と経験を持つ生徒たちなのだ。

 

 戦車に比べて非常に小さいモルゲッソヨに直撃させるのは至難であるが、エリカは射手の実力を信じて砲弾の行方を追った。

 

 だが、第二射は外してしまった。残念なことだがモルゲッソヨの頭上を通過してしまったのだ。

 

 素人目では砲手が目測を誤ってしまったとしか見えない。

 

 だが、砲身内で高速回転しながら撃ち出された砲弾による摩擦熱や炸薬の燃焼熱によって、砲身が変形してしまい砲弾の飛翔に影響を与えた可能性もある。

 

 解決策はただ一つ、直ちに第三射を撃つことだ。

 

「弾種徹甲、モルゲッソヨを撃破するまで撃て」

了解!(ヤヴォール)

 

 装填手が砲尾へ徹甲弾を押し込むと射手はただちに第三射を放った。

 射手も黒森峰女学園高等部で全国大会への出場資格を持つ程の技量を持っており、無能者の烙印を押される訳にはいかなかったからだ。

 

 発砲の衝撃によって砲塔内に後退した戦車砲は、駐退機によって速やかに元の位置に戻されると砲尾が開く。

 

 すぐに炸薬の燃焼によって高熱になった薬缶が砲尾から抜け落ち、燃焼ガスが砲室内に流れ込む。次第に鉄と油の匂いが占めていた車内に燃焼ガスの匂いも混ざっていく。

 

 燃焼ガスは毒性があり搭乗者が吸い続ければ一酸化炭素中毒を引き起こすが、砲塔天面にあるベンチレーターによって車外に排気されるので現時点では気にすべき問題ではなかった。

 

 むしろ、現時点で彼女たちにとって重要なのは燃焼ガスの行方ではなく射撃した砲弾の行方であった。

 

 その第三射は狙い通りモルゲッソヨの頭部に命中した。砲手は無能者では無いことを証明したのだ。

 

 普段のエリカなら思わず歓声を挙げたであろうが、砲弾の行方を目で追っていた彼女は歯ぎしりした。残念なことに射入角度が悪くて弾かれてしまい、モルゲッソヨの頭部に凹みを作っただけだったからだ。

 

 エリカはモルゲッソヨを睨みつけたが、同時に戦車隊中隊長のとしての役割を忘れる事はせずに周囲の状況を確認していた。

 

 既に砲戦距離は八〇〇を切っており他の戦車も次々に発砲していたが、その戦果は全く無かった。

 

 まるで、エリカの行動をなぞっているかのようであり、副隊長の補佐を務める実力を持つ彼女でさえ流石に焦り出した。

 

 そもそも、図体の大きい戦車に比べてモルゲッソヨは小さい。

 

 更に、彼女と共に戦っている仲間たちは全国大会出場選手として選抜されなかった生徒だから、エリカが車長を務めるティーガーⅡの乗員よりも技量未熟な者が多い。命中しないのは当然とも言えたのだが。

 

 このままでは負ける。そうなったら……。

 

 彼女の脳内に戦車格納庫の惨状が鮮明に再生されると、嘔吐感を覚えてしまい口元を手で押さえた。何しろ数時間前に見た光景であり記憶は鮮明である。

 

 モルゲッソヨの襲撃を受けた戦車道履修者たちが次々に汚されていく状況を為す術なく見ていた彼女は、徹甲弾の直撃に匹敵する程の精神的衝撃を受けていたからだ。

 

 喉が焼けるような違和感が消えて冷静さを取り戻した彼女は、標的への命中精度を向上させる一番簡単な方法を思いついた。単純に砲戦距離を縮めることである。

 

 だが、それをした場合は……。

 エリカは数秒で思案して方針を固めると、口喉マイクのスイッチを入れた。

 

「貴女たち、良く聞きなさい。貴女たちが乗っている戦車はⅢ号戦車以下の二線級戦車であり、貴女たちの殆どは全国大会への出場資格が無い補欠選手よ。それを自覚しなさい」

 

 彼女は一呼吸置くと話を続けた。

 

「だけど、私は貴女たちに秘めた実力があり、それを発揮する機会が無かっただけだと信じている。だから、貴女たちの目の前にある現実を直視しなさい。まほ大隊長率いる全国大会選抜隊と通信途絶してから一時間以上経過している。今の段階で無線封止は無意味だから、全戦車が被撃破としたとしか考えられない。常勝を誇る黒森峰女学園高等部戦車隊は書類上の存在になったのよ」

 

 車長の幾人かが悲鳴とも呻きとも取れる声を漏らしたが、エリカはそれに構わずに話を続けた。

 

「だからこそ、貴女たちの目の前にある機会を自らの手で掴み取りなさい。戦車隊は壊滅しても先輩たちは生きている。その先輩たちに見せつけてやりなさい。貴女たちが先輩たちと遜色ない実力を持っていることよ」

 

 先輩たちを始めモルゲッソヨの襲撃を受けた生徒たち全員は生きているから、エリカは嘘をついていない。社会復帰出来るかは不明だが。

 

 だからとはいえ、彼女は「人類の未来のため」とか「世界平和のため」と言った英雄名言語録さえ取り上げられないような綺麗事を言って士気を高めたくはなかった。

 

 その言葉を用いるのがふさわしい人物がいる事を忘れていないからだ。

 

 最後にエリカは仲間たちが理解出来るように話を結んだ。

 

「先程の指示は取り消す。戦車の全兵装使用自由、行動自由、モルゲッソヨに接近して一機でも多く撃破しなさい。躊躇わずに引き潰しなさい。そして、全機撃破して堂々と校門をくぐりなさい! 以上(エンデ)

 

 彼女の言葉によって指揮下の戦車が前進を始める。エリカの戦闘は始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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(2)

 エリカ座乗のティーガⅡ戦車の右隣に停止していたⅡ号戦車が加速し、モルゲッソヨとの距離を急速に詰める。

 

 ティーガーⅡに搭載されている八八ミリ砲と比較するのが悲しくなるくらい貧弱な二〇ミリ機銃が搭載されているこの戦車は、モルゲッソヨを撃破出来る距離まで一気に詰めて射撃する事を目論んでいた。

 

 距離を詰めればモルゲッソヨからの攻撃を受け易くなってしまうが、この戦車の乗員はそれを回避出来ると信じていた。モルゲッヨソは回避する素振りを見せず、銃弾や榴弾の断片を跳ね返しつつ前進し続けていたからだ。

 

 強固な装甲を持つ故の余裕なのか、俊敏な行動が出来ないのか定かではないが、モルゲッヨソの行進速度と比較して圧倒的優速である戦車ならば出来る筈である。

 

 Ⅱ号戦車は更に詰め寄り激しい射撃を継続する。そして、彼女たちの勇気と実力の結晶が生まれた。モルゲッソヨの脛を打ち砕いたのだ。

 

 脛を打ち砕かれ片足立ちになったモルゲッソヨはバランスを崩して前のめりに倒れる。そして、地面に衝突した瞬間に花壇に注がれた水のように液体化し、瞬時に大地に姿を消してしまった。

 

 実は行動不能になったモルゲッソヨは液体化してしまう特性があった。

 

 これがモルゲッソヨの正体が解明出来ない理由であり、各国の研究機関がモルゲッソヨを生かしたまま捕捉するのに躍起になっている段階から進展しない理由でもあったのだ。

 

 間も無く、モルゲッソヨを撃破した戦車から通信が届いた。

 

「バイロイト5からエリカちゃんへ、モルゲッソヨ一機撃破、徹甲弾を使用、二〇ミリ機銃で撃破出来たからこのまま攻撃続行するね、じゃあね」

 

 報告を聞いたエリカは思わず苦笑した。小学生の頃から共に学んできた楼レイラからの通信だったからだ。大隊長である西住まほ先輩が聞いたら苦虫をすり潰したような顔になるのは間違いないチャラけた報告であったが、エリカにとって許容出来るものであった。

 

 何しろ、彼女が統率している戦車隊の乗員の殆どが全国大会に選抜されなかった生徒たちなのだ。技量が劣ると判定されてしまい腐っていた生徒たちにとって、唐突に全国大会選抜隊レベルの緊張感を与えると精神的に打ち負かされるのは目に見えていた。

 

 だから、エリカは通信規則ごときで注意するつもりは無かった。

 

 とはいえ、レイラの事が気になった彼女はⅡ号戦車を見ようとしてペリスコープを覗き込んだ。その途端に彼女には似つかわしくないが女学生らしい悲鳴を挙げた。

 

 見てしまったのだ。モルゲッソヨがⅡ号戦車を撃破された瞬間を。

 

 レイラは正面から接近するモルゲッソヨしか見ておらず、側面に回り込んだモルゲッソヨを見逃していたのだ。

 

 それまで規則正しい行進をしていたモルゲッソヨは、対戦車兵器であるパンツァーファウスト60の射程距離と同じ距離まで近づくと助走を始め、頭部を戦車に向けて大地を蹴りあげた。

 

 そして、自ら砲弾の様に空中を飛翔してⅡ号戦車の車体側面に激突したのだ。

 

 命中した瞬間、エリカは彼女たちの悲鳴が聞こえたような気がした。実際には戦車後部で駆動しているエンジンの音によってかき消されてしまうので、恐らく空耳だったのであろう。

 

 間も無くⅡ号戦車は減速し遂に停止した。砲塔は旋回せず二〇ミリ機銃も微動だにしていない。乗員は戦闘継続不能になったのは明確だった。

 

「ちくしょう……」

 

 エリカは思わず声を漏らしてしまう。彼女にとって数少ない友人の一人であるレイラが、銀色の粘液に塗れる姿を想像してしまったからだ。

 

 

 

     ◆◇◆◇◆

 

 

 

 モルゲッヨソとエリカたちが繰り広げている激戦は、彼女達が早朝練習のために出発準備をしていた時から始まった。

 

 各戦車のエンジン駆動音が隅々まで広がっている戦車格納庫に、突如十五機のモルゲッソヨが現れたのだ。

 

 被害に遭った一人目の女子生徒は戦車の足回りを点検中であり、モルゲッソヨに背中から抱きしめられて胸を掴まれるまで気づかなかった。驚いた彼女は悲鳴を上げたが戦車のエンジン音にかき消されしまい、誰も異変に気づかない。

 

 そして、モルゲッソヨは生徒を完全に拘束すると冷たい床に押し倒し一気に液体化した。生徒は為すすべなく粘り気がある銀色のペンキのような液体を浴びてしまい気を失ってしまったのだ。

 

 一人の女子生徒を行動不能にする代償として一機を失ったモルゲッソヨは、戦車格納庫の出入口に近い生徒へ手当たり次第抱き付き、次々に銀色の粘液を完全に生徒たちに撒き散らす。

 

 二人目、三人目と次々に被害者が生まれ、ようやく大多数の生徒が異変に気づいた頃、十人以上の生徒が銀色の粘液に塗れて横たわっていた。

 

 それを見た生徒たちは次々に悲鳴を上げモルゲッソヨに背を向けて走り出すが、勝気な性格であるエリカは工具箱からテストハンマーを取り出すとモルゲッソヨに立ち向かったが、あまりにも無謀な行動であった。

 

 彼女の前に二機のモルゲッソヨが現れたからだ。庫内に残っていた最後のモルゲッソヨだったが、彼女より大きな体であり大型のヘルメットを被るモルゲッソヨが相手では一機を倒すだけでも至難の業である。

 

 そして、彼女はモルゲッソヨが醸し出す威圧感に負けてしまい、モルゲッソヨが一歩踏み出す度に彼女は一歩後退し始めた。

 

 だが、彼女の遅滞行動は長く続けらなかった。冷たくて硬い戦車の質感を背中で受けたからだ。

 

 退路を失った彼女に向けて距離を詰める二機のモルゲッソヨ。

 

 彼女は恐怖によるものなのか涙を流し始めたが、覚悟を決めるとテストハンマーを強く握りしめモルゲッソヨへ殴りつけようとした。

 

 その時であった。

 

「エリカ、しゃがめ!」

 

 いつも、エリカに厳しい指導をしてきた先輩がエリカに駆け寄ってきたのだ。

 

 混乱したエリカは先輩に言われるまましゃがみ込むと、先輩はエリカを車体と床との隙間に押し込み彼女を守るように覆いかぶさった。目標をエリカではなく先輩に変更した二機のモルゲッソヨは、次々に先輩に抱き付いて目的を果たしていった。

 

 襲来したモルゲッソヨが全て液体となり、未だに駆動し続けるエンジン音だけしか聞こえない庫内において被害を免れたのはエリカだけであった。背中が痛むのだろうか先輩はしかめっ面をしていたが、引きつった笑顔になるとエリカへ手を差し伸べた。

 

「泣くな、エリカらしくないぞ」

「えっ、あっ、はい。先輩は大丈夫ですか」

「なんだか、傷口に消毒液を掛けられた様な痛みが背中全体に広がっている。でも、普通に歩けるから大丈夫さ。それより、早く出てこい」

 

 逃げた生徒たちも恐る恐るといった様子で戻り救護活動が本格的になったが、その頃になると被害生徒に異変が現れた。

 

 ある生徒は立ち上がると戦車道準備室に駆け込み、昼食用に買っていた総菜パンを自分のロッカーから取り出すと食べ始めた。そして、食べ終わると彼女は財布を掴み学園生協に駆け込んだ。

 

 彼女の行動に不安を感じた生徒が彼女を追うと、その生徒は惣菜パンを買い込み店の外で次々とパンを頬張っていた。

 その生徒は噛み切れないまま飲み込もうとするので喉を詰まらしてしまう。

 

 心配した生徒が背中を叩いて詰め込み過ぎた食料を吐き出させたが、その生徒は地面に落ちて原型を留めていないパンを再び口に入れようとした。彼女が持つ鮮やかな花のような女性的な知性は、食欲という欲望によって塗り替えられていたのだ。

 

 そして、エリカを庇った先輩にも異変が現れた。それまで他の生徒を救護するために後輩生徒たちへ次々に指示していたのだが、突然下腹部に手を当てると……。

 

 エリカはそれ以上回想するのを止めた。先輩はエリカに背を向けると戦車の物陰に隠れてしまう。

 

 心配になったエリカが先輩を追ったが、そこで見た光景はエリカの頭脳の奥深くに記憶されるほど衝撃的な光景であった。確実に言えるのは、先輩も女性としての尊厳を捨てて欲望を求める獣に変化してしまったという事だ。

 

 

 

     ◆◇◆◇◆

 

 

 

 戦闘開始から一〇分も経過していないが、既に平原は鋼鉄のオブジェと化した戦車と銀色の水溜りが点在している。既にモルゲッソヨ、エリカ隊共に残存数が僅かなため、隊列を組んだ戦闘から遭遇戦に移行している。

 

 エリカ座乗のティーガーⅡは、八八ミリ砲による射撃によって二機のモルゲッソヨを大地に還す戦果を挙げていたが、それでも戦況は劣勢であった。

 

 戦車一両につき二機以上のモルゲッソヨを撃破出来れば優勢になるが、戦車の損失数とモルゲッソヨの撃破数に差がつかないまま増加しているため、このままではモルゲッソヨの完全撃破は不可能になる。

 

 一機たりとも生き残らせてはいけない。

 

 完全撃破に失敗した場合、彼女たちの努力は水の泡になるだけではなく学園艦にいる全生徒を危険に晒してしまう。それだけは回避したいからだ。

 

 だが、増援は期待出来ない。

 

 西住まほ率いる戦車隊は通信途絶しているため全車撃破されたと考えるべきである。

 

 そうなると、残存戦力はエリカ率いる寄せ集めの戦車隊とへっぽこ副隊長(にしずみみほ)が指揮する小隊しか無い。

 

 へっぽこ副隊長や彼女と仲が良い小梅たちで編成した小隊はティーガーⅠ×一両、Ⅲ号×ニ両という戦力だ。

 

 だが、この小隊は被害を受けた生徒を車体に乗せて診療所に搬送し救護活動をしている最中であり、ここにはいない。では、どうすれば……。

 

 劣勢な戦況を打破すべく思案している彼女は、ふと戦車の車内を見渡す。

 

 車内で唯一身軽に動ける装填手は、重量ある砲弾を抱えつつ肩で息をついていた。

 

 短期間でこれ程までに連続して射撃した事が無く、普段から鍛えている彼女も身体の限界を迎えつつあったからだ。しかし、エリカが彼女と目を合わせた瞬間に彼女は微笑み、砲弾を抱えたまま手振りをした。

 

 私はまだ大丈夫。言葉にしなくても伝わる彼女の強い意思にエリカは頷く。

 

 次いで、照準器から顔を離さない砲手に声を掛ける。

 

「砲手、今、何射目?」

「第十七射目よ。てっ!」

 

 エリカの問いかけに砲手は発砲で答えた。

 

 第十七射は砲手の計算通りモルゲッソヨの下腹部に命中した。いや、正確に言えば掠め取ったというべきかも知れない。砲手はモルゲッソヨの下腹部で非常に目立つ臓器に狙いを定めていたのだ。

 

「砲手、良くやった」

「女の敵にはこうやって成敗するのよ。ばっちゃんが言ってた」

「まあ、それもアリかな。物凄く痛そうだし効き目十分のようね」

 

 件の臓器だけ失ったモルゲッソヨは前屈みになり両手で股間を隠した。

 

 大型のヘルメットに隠されているが、その表情は苦汁を味わった時のような表情をしているだろう。その姿勢のまま暫く立ち続けていたが、遂に力尽きたかのように崩れ大地にその姿を消していった。

 

 エリカたちは三機目を屠る事に成功したのだった。

 

 心に僅かながら余裕が生じたエリカは、戦況を確認するため車長用ペリスコープで周囲を捜索した。だが……。

 

「エリカ、指揮下の戦車は全車撃破されてしまったようね」

 

 通信手の報告を裏付けるとおり、残存戦車は見当たらない。その残存戦車を遮蔽物の代わりとしてモルゲッソヨが身を隠していた。彼女たちにとって幸いなのは、身長ニメートル以上の輝く銀色の身体が災いし潜伏位置を隠しきれていない事だ。

 

 だから、残りのモルゲッソを数えるのは容易かった。その数は一〇機以下、対して黒森峰臨時戦車隊の可動戦車はエリカ座乗のティーガーⅡのみ。

 

 この状況でモルゲッソヨの全数撃破は困難だ。だが、モルゲッソヨを跳躍跋扈(ちょうやくばっこ)させる訳にはいかない。

 

「ねえ、エリカ。楽しくなってきたじゃん」

 

 敢えて陽気に振る舞う操縦手に合わせてエリカも陽気に答える。

 

「私ね、一度は受けてみたかったのよ。絶対絶命を課題にした特別授業を」

「特別授業か。教科書に書いていない事をここで実践するなんて想像していなかった。私のクラスの担任は変に堅物だから、その話を聞いたら『学園の授業だけ学びなさい。それ以外は無駄よ』って言いそう」

「指導要領書の記述を黒板に書き写すのが先生の仕事よ。だから、チョークで書けない事は指導しようが無いのよ」

「先生が出来ないのなら、代わりにエリカが指導して。私たちの戦車はどこに向かえばいいの?」

「前進、中速まで速度を出して」

了解!(ヤヴォール)

 

 車体後部に装備されているエンジンの駆動音が高まり、七〇トン近い重量がある戦車は前進を再開する。戦闘の行方がどうなるか、彼女たちにも分からなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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(3)

 当時の最新技術による避弾経始形状が採用された車体と砲塔、その砲塔に装備されたKwK43L/71、七一口径八八ミリ戦車砲を搭載している故に整備重量が七〇トン近くある巨体は、マイバッハ製一二気筒ガソリンエンジンが生み出した最大出力七〇〇馬力のエネルギーを活用して前進している。

 

 モルゲッソヨを撃破しようと大地を履帯で掻きながら進む姿は獰猛な肉食獣である『虎』を連想させ、その名に相応しく欧州で幾つもの戦果を挙げていた。

 

 前循装甲は一八〇ミリ厚であり避弾経始構造を採用した砲塔は、如何なる戦車の砲弾を貫通させず敵戦車に何度も苦汁の涙を飲ませていた。そして、一〇〇〇メートル先で一九三ミリ、二〇〇〇メートル先で一五四ミリの装甲板を貫通する威力がある戦車砲は、技量十分な砲手が操れば遠距離で敵戦車を撃破していたのだった。

 

 とはいえこの戦車に弱点が無い訳ではない。

 

 敵戦車が前方から攻撃してきた場合、強固な砲塔前循のおかげで貫通される事は無い。問題は側面や後方に回られた時である。何しろ、この戦車は火力と防御力を特化したため機動力に難があるからだ。

 

 特に車体背面の鋼板は三〇ミリ厚しかなく、これは前述のⅡ号戦車の装甲板最大厚さ三五ミリに近似している。おまけに排気管やエンジンといった戦車にとっての急所が集中している。

 

 敵戦車がここを狙って接近してきたがティーガーⅡの方向転換が間に合わない場合、確実に撃破されてしまう。モルゲッソヨが同じような機動をしてきた場合には……。

 

 それを避けるためには少しでも早くモルゲッソヨを発見して次の一手を封じてしまう行動しなければならない。だから、エリカはペリスコープを覗き込み、撃破された戦車の陰に見え隠れしているモルゲッソヨの動きから目を離さないようにしていた。

 

 エリカが限られた時間の中でモルゲッソヨを観察すると、外見では判別し辛いが反射速度によって二機種の区別がある事に気づいた。

 

 一機種目は銃弾や榴弾の断片を跳ね返しつつ前進する機種である。これらによる被害を気にしていないのか、漫然と行進しているのか判断つかないが、エリカたちが屠ってきたのはこの機種であった。後述の二機種目より圧倒的多数であったという理由もある。

 

 二機種目は彼女たちにとって厄介な相手である。遮蔽物を利用して身体を隠したり戦車の砲撃を回避したりしながら攻撃距離まで詰めてくる機種である。他の戦車の砲撃を躱す事が出来るとは俄かに信じられなかったが、恐らくモルゲッソヨは戦車砲の砲口が真円になっているか注視しているのだろう。そうでなければ発砲直前に回避行動なんて取れない。

 

 人間並みの知能と瞬発力を持っているのは間違いない。そして、これから撃破しなければならないモルゲッソヨの半数以上がこの機種のようだ。そうであれば慎重に、だが大胆に攻撃しなければならない。

 

 エリカはその場で考えた計画を乗員に説明すると、戦車の進路指示を下した。

 

「二時方向へ変針。さあ、狩りを始めよう」

了解(ヤヴォール)

 

 

 

     ◆◇◆◇◆

 

 

 

 戦車内は炸薬の燃焼ガスが立ち込めているので、彼女の喉は痛くなり視界はぼやけている。短時間で連続射撃しているため砲塔天面にあるベンチレータの換気能力が不足してしまったからだ。だからといって、換気能力向上のためにハッチを開ける訳にはいかない。モルゲッソヨが容易に車内に侵入してしまう。

 

 更に、狭い車内の床には砲尾から落ちて転がる薬缶が散乱しており次第に足の踏み場が無くなっていく。車内の環境を改善するため薬缶を処分したいが、モルゲッソヨが何時攻撃を仕掛けて来るか分からない現状ではその余裕はない。

 

 通信手は付近の戦車に何度か呼び掛けると一両の戦車が応答した。通信手が更に何事か話すと、ティーガーⅡの前方で擱座しているⅢ号戦車の前照灯が一瞬だけ瞬いた。

 

「エリカ、ニ時方向にあるⅢ号戦車が確認出来る?」

「今、前照灯が点滅した戦車だね。確認した」

「転輪を吹き飛ばされて走行不能になっただけで射撃は可能だそうよ。どうする」

「作戦実行するわ。砲手、一時方向にある戦車の物陰にモルゲッソヨが隠れている。通信手、Ⅲ号から見て四時方向にモルゲッソヨが隠れている。タイミングは任せた」

「始めます。Ⅲ号、打ち方始め」

 

 通信手が発令すると瞬時に遠方から発砲音が轟く。()()()()()筈である戦車に残っている生徒による射撃に一機のモルゲッソヨが驚き、慌てふためくように戦車の物陰から現れた瞬間にエリカは発令した。

 

「てっ!」

 

 砲弾は物陰から現れたモルゲッソヨの胸部に命中し、その身体を上下に分断した。戦果を見届ける事なくエリカは指示を出す。

 

「全速前進」

 

 急加速し後頭部をキューポラ内部にある手摺にぶつける寸前まで体勢を崩した彼女の耳に、砲塔左側面から右側面に向けての飛翔音が通過していく。砲塔か車体の側面に狙いをつけて一機のモルゲッソヨが攻撃を仕掛けたのだ。

 

 ただちに彼女が外界を覗き込むと、ティーガーⅡの撃破に失敗したモルゲッソヨは他の戦車の砲身にぶつかり、頭頂部を下にして地面に突き刺さっていた。

 

 溶解するのは時間の問題だったが、エリカは躊躇う事無く八八ミリ徹甲弾を撃ち込んだ。

 

 すぐに前方に向き直ると新たなモルゲッソヨが物陰から現れた。刺し違えてもティーガⅡを撃破する意気込みなのだろうか、右へ左へと蛇行しながら駆け足で接近してくる。このような機動をされると砲塔の旋回が追従出来ずと命中させるのは困難だ。

 

 とはいえ撃破が不可能では無い。エリカの目論みどおりにモルゲッソヨを機動させればいいのだ。

 

「操縦手、直進すると見せかけて左側に停まっている戦車の左に回って。砲手、二時に向けて」

 

 エリカの指示を操縦手は忠実に実行した。直進し続けるような素振りをしていた戦車は泥を盛大に跳ね飛ばしながら急変針し、撃破された戦車の左側に回った。そして、その戦車の脇を通過した瞬間に急制動を掛けた。その時、モルゲッソヨはティーガーⅡを追い掛けようとして別の戦車の物陰から現れた瞬間であり、待ち構えていた砲身の正面でもあった。

 

「てっ!」

 

 気合を入れたエリカの声で砲手は瞬時に引金を引き、車内に炸薬の燃焼音が聞こえると同時に徹甲弾が放たれる。

 

 エリカはまんまと策に嵌ったモルゲッソヨの末路を見届けようとぺリスコープを覗いていたが、彼女は命中する瞬間に彼女は悲鳴混じりの声を上げてしまった。

 

「しまった!」

 

 砲弾は砲手の計算通りに命中しモルゲッソヨを四散させた。だが、そのモルゲッソヨの後ろにもう一機のモルゲッソヨがいた。

 

 彼女は知らなかったが、このモルゲッソヨは始めから二機で行動しており、前方のモルゲッソヨがティーガーⅡの攻撃を引き付け、その隙に後方のモルゲッソヨがティーガーⅡを仕留めようとしていたのだ。

 

 モルゲッソヨは突撃しか出来ない愚か者では無かった。

 

 ただちに後方のモルゲッソヨをしなければならないが、最短六秒で砲弾を装填出来る装填手は疲労により装填速度が低下している。装填して射撃出来るまでの時間とモルゲッソヨの相対距離を考えると……。

 

「全速後進」

 

 ティーガーⅡが狩人から獲物に変わった瞬間だった。

 

 モルゲッソヨの速度は戦車より遅いので距離を離せば攻撃を躱せる。だから、彼女は間髪入れずに指示すると戦車は排気管から紫煙を盛大に吹き出しつつ後進を始めた。体勢を立て直せば再び狩人になる。彼女はそれを確信していた。だが……。

 

「嘘でしょ! モルゲッソヨが速過ぎる」

 

 モルゲッソヨは次第に速度を増していく戦車から引き離されず、むしろ次第に距離を詰めてきた。通信手が二挺の七.九二ミリ機銃で応戦するが、銃弾はモルゲッソヨの身体に命中し次々に跳ね返される。

 

 そして、我被の距離が一〇〇メートルまで縮まった時、遂に飛翔した。策に嵌ったのはエリカであったのだ。

 

「総員、衝撃防御」

 

 ぺリスコープに映し出されるモルゲッソヨは急激に大きくなり、エリカは反射的に身を屈めた。次の瞬間、砲塔前面から金属同士の衝突音が響き、エリカは振り回しているバケツで殴られたような衝撃を受けた。思わず車長用の椅子から転げ落ちてしまうが、砲塔前面に穴が空いていない事を確かめると安堵の息をつく。

 

 モルゲッソヨでも砲塔前循を貫通させられなかったのだ。

 

 だが、モルゲッソヨの攻撃はそれが最後では無かった。彼女は装填手に支えられて立ち上がると再び椅子に座ろうとしたが、その瞬間に砲塔天面から金属同士の衝突音が響いた。

 

 エリカは訝しみながら見上げたが、予想外の出来事に彼女は唖然とした。先程まで彼女の頭上にあったキューポラが無くなっていたのだ。新たなモルゲッソヨがティーガーⅡの車体と砲塔の隙間を狙って飛翔したが、方向を誤り砲塔天面にあるキューポラに命中してしていたからだ。

 

 砲塔天面に大きく空いた丸穴から炸薬の燃焼ガスが空に向かって流れていく。車内の環境は急速に改善するが、今は戦闘継続中である。モルゲッソヨがこの機会を見逃す筈が無かった。二機のモルゲッソヨが砲塔天面に駆け上り、その丸穴から車内を覗き込んだのだ。

 

 絶対絶命。

 

 この四文字熟語がエリカの脳内を駆け回り、藁にもすがる思いで指示を下す。

 

「操縦手、モルゲッソヨが上に乗った。左右に動いてモルゲッソヨを振り落として」

 

 操縦手は後進のまま右へ左へと変針を続けるとエリカの身体も遠心力で振られるが、モルゲッソヨは振り落とせない。大柄な身体と大型のヘルメットが災いして丸穴から狭い車内に入るのに難儀しているが、車内に侵入するのは時間の問題だった。

 

 エリカは熱が残る薬缶を掴みモルゲッソヨの侵入の備えるが、それで大柄の身体へ殴りつけても効果が無い事は薄々と気づいている。至近距離から発射された七.九二ミリ機銃で撃破出来ないのだから当然だ。だからといって、まざまざと抱き付かれる訳にはいかない。彼女にとって自ら選んだ男以外に抱き付かれるのは嫌悪すべき事だからだ。

 

 不意に通信手が何かを叫んだ。彼女はモルゲッソヨの動向に集中していたので通信手の言葉を聞き逃してしまい、再度報告するよう口を開きかけたその時であった。

 

 一瞬の出来事であった。彼女が睨みつけていたモルゲッソヨのうち、一機の大型ヘルメットが引き千切られたのだ。

 

 エリカたちの砲弾を跳ね返してしまう強靭なヘルメットは頭部で分断され、ヘルメットと身体が戦車から転がり落ちる。もう一機のモルゲッソヨは状況の急激な変化に追いつけず身体を強張らせたが、その原因を理解し対応策を練る時間的余裕は無かった。彼女の目の前で首が粉砕されたからだ。

 

 二機とも戦車から転落してしまうと、車内から見上げる丸穴には天空を流れる雲しか残っていない。エリカは未だに何が起きたのか理解出来ていなかったが、唐突に彼女の耳に音声が流れて来た。

 

 通信手が気を利かせて通信回路を切り替えたのだ。エリカにとってその音声は積極的に関わりたくないが、心の片隅で何か期待する微妙な関係である彼女の声であった。

 

「ボコモンからバイロイト1へ、戦闘加入。遅れてごめんなさい」

 

 エリカはすぐに車長席に戻り外界を見渡すと、五時方向に一両の大型戦車がいた。彼女は双眼鏡でその戦車を覗くと砲塔側面に大きな識別番号が書かれている。その番号は217、間違いなくへっぽこ副隊長(にしずみみほ)が搭乗しているティーガーⅠ重戦車だ。

 

 来てくれたんだ!

 

 エリカは思わず歓喜の声を挙げた。何だかんだ言っても一人で戦うのは心細い。

 

 だが、みほより自分が上に立ちたいというライバル心が邪魔をして素直に感謝の言葉が言えない。だから、彼女の言葉はいつもどおりの口調であった。

 

「アンタ、何を撃ったの。送れ(カウメン)

「APDS(装弾筒付徹甲弾)です。お姉ちゃんから教えてもらい倉庫で埃を被っていた砲弾を積んできました。送れ(カウメン)

「えっ? 大隊長は生きているの? 送れ(カウメン)

「無傷で帰ってきました。他の乗員がお姉ちゃんを守ってくれたそうです。それより、モルゲッソヨについて教えて下さい。 送れ(カウメン)

「残存数は四、五機だと思われる。奴らは撃破された戦車を盾にして潜伏中。モルゲッソヨの身体が銀色だから太陽の光で輝いて見つけ易い。通信は傍受されていない。他には? 送れ(カウメン)

「エリカさん側に異常はあるの? 送れ(カウメン)

「乗員の疲労以外に問題無し。戦闘継続可能よ 送れ(カウメン)

「戦闘指揮はエリカさんが執ってください。協力してモルゲッソヨを撃破しましょう」

了解(ヤー)。ああ、言い忘れた事があった。大事な事だからしっかりと聞きなさい。送れ(カウメン)

「何でしょうか。送れ(カウメン)

「救援に来てくれて本当にありがとう。以上(エンデ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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(4)

 間隔を開けて並走する()()()()が、モルゲッソヨの潜伏域まで徐々に接近していく。

 

 エリカはキューポラから胸まで出し、心地よい風で髪を揺らしながら前方を注視していた。

 

 彼女としては身体を外部に露呈させたくなかったが、キューポラが削ぎ取られてささくれ立ったように尖っている鋼板によって顔が傷付くのは避けたかったのだ。

 

 それに対し、彼女の右側を並走しているみほは車内に身を隠す気はさらさら無いようだ。西住流の血筋なのか、幼少期から厳しい訓練を受けているのか、非常に大胆である。

 

 彼女たちの前方には撃破された戦車が点々と停まっており、モルゲッソヨもいる。モルゲッソヨは銀色の身体だから隠れていても反射光でその位置がすぐに判明してしまうから、容易に残存数を数えられた。

 

「バイロイト1から副隊長、今後は符丁は省略する。モルゲッソヨ残存数を六機に訂正。撃破された戦車の裏側で所々光っている物があるでしょ。あれがモルゲッソヨよ。 送れ(カウメン)

了解(ヤー)。確認しました。モルゲッソヨの弱点は?  送れ(カウメン)

「弱点は決まっているでしょ。チ○コよ 送れ(カウメン)

「えっ、おち○○んを狙うの?」

「そうよ」

「当たったら痛いのよ」

「それが狙いなのよ。そもそも、なんで副隊長は痛いことを知っているの?」

「私が小さい頃にお父さんとお風呂に入ったことがあって、その時に知っちゃった」

「何をしたのよ。正直に言いなさい」

「お父さんのおち○○んをギュッて握っちゃった。あの時のお父さん、今までに聞いたことが無い悲鳴を上げちゃった」

「何でそんなことをしたのよ!」

「だって、だぁぁぁぁぁって、興味があったんだもん」

 

 彼女は幼少期のみほを知っている訳ではないが、小学校低学年から砲弾の装填訓練をさせられたと聞いた事がある。そんな事を続けていれば、腕力や握力は相当強い筈だ。彼女の握力で握られた父親はどんな顔をしていたのだろうか。赤の他人だからこそ想像するだけで大いに笑える。

 

 それより、みほをからかうのは終わりにしよう。エリカは真剣な表情に戻すとみほへの説明を再開した。

 

「話を戻すわ。八八ミリ(アハトアハト)なら首から下のどこでも撃破出来る。アンタが持ってきた砲弾なら大きなヘルメットでもぶち抜けるわ」

「モルゲッソヨを撃破する度に数は減るの? 分裂したり合体したりして数が増減しないの?」

「戦闘中ではそのような事象は確認出来なかったわ」

「分かった。それで、これからどうするの?」

「私が前へ出てモルゲッソヨを誘引するから、副隊長はのこのこの現れたモルゲッソヨを撃ちなさい」

「大丈夫?」

「防御力は私が上よ。短い時間だけど経験も積んだ。他に適任者がいる?」

了解(ヤー)。指示に従います」

「では、始めるわ。以上(エンデ)

 

 エリカは右側に並走するティーガーⅠより先行すると、撃破された戦車に隠れているモルゲッソヨのうち一番左に隠れている一機に狙いを定めた。この配置のまま彼女が囮になって誘引すれば、彼女の右側で待機するティーガーⅠが容易に射撃出来る筈だ。

 

 だが、何となくだが先程までモルゲッソヨを屠った戦闘が通用するのか不安に感じる。モルゲッソヨ同士の意思伝達はどのように行っているのか見当つかないが、次々に屠られる仲間たちを見て対策を立てているのであろうとは想像出来たからだ。

 

 それが杞憂なのか確認するには攻撃をするしかない。彼女はモルゲッソヨの射程外で戦車を停止させると指示を始めた。

 

「弾種、榴弾。破片を撒き散らせてモルゲッソヨを動揺させるわ」

「榴弾、装填完了」

「てっ」

「発射!」

 

 モルゲッソヨの近くに着弾した榴弾は破片を宙に撒き散らせ、モルゲッソヨや撃破された戦車に次々と降り掛けていく。モロゲッソヨが人間並みの知能を持っているならば標的にされている事を自覚したであろう。だから、何かしら行動を起こす事を期待していた。

 

 だが、モルゲッソヨは微動だにせず物陰に隠れたままだった。そうであれば、モルゲッヨソがしびれを切らすまで何度でも射撃すればいいだけだ。

 

「弾種、榴弾。指示あるまで射撃継続。戦車、微速前進」

了解(ヤヴォール)

 

 砲手は二射、三射とモルゲッソヨの至近距離に榴弾を撃ち込み、操縦手は微速で戦車を前進させる。だが、モルゲッソヨは相変わらず物陰に隠れたままだ。遂にモルゲッソヨの射程距離まで接近したが、それでも反応は無い。

 

 エリカはモルゲッソヨの意図が見抜けず首を捻るが、丁度その時にみほからの通信が届いた。

 

「ごめんなさい。履帯が切られました」

 

 戦闘に参加したばかりでモルゲッソヨの機動特性を理解していない彼女らしく、忍び寄るように接近したモルゲッソヨに履帯を切断されてしまったのだ。

 

 そして、これがモルゲッソヨによる攻撃の第一段階でもあった。みほの通信と同時にモルゲッソヨも動き出したのだ。

 

 先程から物陰に隠れたまま沈黙を続けていたモルゲッソヨは、エリカから見て右方向に走り出し擱座された戦車の間を縫うように走り去っていく。

 

 思わずエリカは声を出した。

 

「えっ、ちょ、ちょっと、待ちなさい」

 

 モルゲッソヨはティーガーⅡではなく彼女の弱点に気づいていた。()()()()()()()()()()事に。

 

 モルゲッソヨが物陰に隠れ続けるのを阻止するには簡単な方法があった。撃破した戦車へ射撃して遮蔽物として利用出来ないようにしてしまえばいいのだ。当然ながら、その戦車の車内にはモルゲッソヨの粘液を浴びて救護を待つ生徒がいるし、モルゲッソヨの被弾でカーボンが剥離している可能性もある。

 

 エリカにとってその戦術は論外である。だから、彼女を始めティーガーⅡの砲手は他の戦車に被弾しないように注意を払っていた。それを見抜かれたのだ。

 

 彼女は困惑するが、何時の間にか残存するモルゲッソヨの全機も走り出しており、一両の擱座した戦車を目指して走っていた。どうやら、そこが集結地点らしい。そして……。

 

 エリカはモルゲッソヨの企みに気づくと思わず呻き声を出した。

 

「マジ、ヤバイ」

 

 擱座した戦車から五〇〇メートル以上離れた所に、履帯が切れたティーガーⅠがいる。そのティーガーⅠにモルゲッソヨは残存機全てをぶつけようとしていたのだ。

 

 おまけに、ティーガーⅠの右側から、エリカから見てティーガーⅠの裏側から攻撃を仕掛けようとしている。エリカがティーガーⅠの防戦に参加し辛い位置関係だ。だから、彼女は即断した。

 

「進路三時、戦車、全速前進」

 

 排気管から紫煙を盛大に吹き出し泥を盛大に跳ね飛ばしつつ戦車は前進する。既に集結地点には五機のモルゲッソヨが集結していた。間違いなく残存機全てだ。

 

 鋼鉄製の虎は獲物を捕獲しようとするかの如く一気に接近する。それに気づいたモルゲッソヨは一斉に駆け出した。ティーガーⅡの進路を横切る方向へ。そして、その先にあるティーガーⅠへ。

 

「いい度胸ね、望むところよ」

 

 全速で疾走するティーガーⅡから七.九二ミリ機銃弾が発射され、モルゲッソヨが走る地面の草を次々と弾き飛ばしていく。モルゲッソヨを撃ち倒すには効果が無いが注意を引く効果はある。それに顔を向けたモルゲッソヨは、その威圧感に負けたのか標的をティーガーⅡに変更した。

 

 その数は二機、残り三機はティーガーⅠへ向かっている。そのうち一機は間も無く腹部が破裂した。ティーガーⅠによる射撃だった。ティーガーⅡも射撃するが、モルゲッソヨの足元にある地面を耕しただけである。

 

 二機では物足りないが誘引に成功したエリカは新たな指示を下す。

 

「停止、続いて後進」

了解(ヤヴォール)

 

 全速で疾走していたティーガーⅡがつんのめるように停止すると、好機と捉えたのかモルゲッソヨが速度を増して一気に駆け寄って来る。そして、後進し始めたティーガーⅡに向けてモルゲッソヨは地面を勢いよく蹴ると、飛翔し突撃を掛けた。

 

 咄嗟にエリカは指示を伝える。

 

「停止、前方を右に振って!」

 

 操縦手の回避操作は間に合った。昼飯の角度と呼ばれる一時方向への変針により、飛翔してきたモルゲッソヨは車体前面の貫通に失敗した。

 

 だが、ティーガーⅡを狙っていたもう一機は、エリカの誘いに乗らなかった。標的をティーガーⅡからティーガーⅠに再度変更していたのだ。

 

 そのモルゲッソヨはティーガーⅠの左側から接近している。エリカは同士撃ちを避けるため射撃出来ないし、みほはティーガーⅠの右側から接近するモルゲッソヨの迎撃に気を取られていた。

 

 エリカの戦闘は終了した。

 

 モルゲッソヨはティーガⅠの砲塔天面に乗ると大型ヘルメットを脱ぎ、驚いた表情で振り向くみほの唇を奪った。そして、彼女を引きずり出し姫君のように抱きかかえると彼女と共に車内に姿を消した。

 

 車長を失ったティーガⅠは的確な防戦が出来なくなり、その隙を狙うかのように最後まで残ったモルゲッソヨが次々に飛翔していく。

 

「そんな……」

 

 茫然とするエリカは、モルゲッソヨが挙げた最後の戦果を見届ける事しか出来なかった。

 

 

 

     ◆◇◆◇◆

 

 

 

 戦闘は終結した。

 

 エリカ率いる黒森峰女学園臨時戦車隊が勝利したが、その代償は余りにも大きかった。

 

 残存戦車はティーガーⅡ×一両、それだけだ。

 

 そして、撃破された戦車の乗員ほどんどが銀色の粘液を浴びている。

 

 勝利したとはいえ彼女に高揚感は全く無かった。

 

 エリカは撃破されたティーガーⅠの左側にティーガーⅡを停止させるとそこから降りた。

 

 ティーガーⅠの乗員のうち被弾位置の関係により少量の粘液を浴びただけで済んだ操縦手が、転輪を背にしてもたれ掛っている。エリカはその操縦手に気づいたが、お互いに目を合わせただけだった。操縦手は脱力状態で立ち上がれず、エリカは銀色の粘液が付着するのを恐れて近寄れなかったからだ。

 

 エリカはその足でティーガーⅠの車体天面に上り、車長用のキューポラの前に立つ。車内の惨状を想像してしまい思わず身震いしてしまうが、意を決して車内を覗き込んだ。

 

 ペンキをぶちまけたかのように銀色になった車内、そして、同色になった一人の女子生徒が椅子に腰かけていた。ブーツ、スカート、ジャケットだけではなく、両足や両手も銀色の粘液に覆われている。

 

 エリカに気づいたのだろうか、彼女はゆっくりと顔を向けた。その顔は銀色の粘液で汚れていたが、間違いなくへっぽこ副隊長(にしずみみほ)だった。

 

 エリカは思わず胃液が逆流しそうになるが、それを必死に抑え込む。それを絶句による無言と捉えたのか、みほが口を開いた。

 

「私、汚れちゃった。えへへ……」

 

 力なく笑うみほの目には、今にも零れ落ちそうな涙が溢れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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(5)

 エリカが帰還した翌日の正午過ぎの事である。

 

 エリカとまほは先程まで居た生徒室の扉を閉めて廊下を歩き始めたが、遂に我慢の限界を超えたエリカが吼えた。

 

「生徒会役員たちは、全員頭がおかしいです!」

「落ち着けエリカ、生徒会役員に聞こえるぞ」

「落ちついています! そもそも、おかしな事を言い出したのは向こうです」

「エリカの主張も理解出来るが……」

「撃破された戦車をすぐに直せという指示には素直に従います。私たち機甲科の存在意義が問われているから当然です」

「では、何が気に入らないのだ」

「戦車道以外の武道を動員しようとしている事です」

 

 まほはエリカの話を聞き流しつつ、校舎の出口に続く廊下の天井を見上げた。

 

 人見知りで大人しい性格である妹とは対照的に、エリカは社交性があり積極的である。

 

まほ視点でこの二人が良好な関係を維持しているのは、武道の一つである戦車道という小さな世界で切磋琢磨する関係であり、二人とも一旦決めた事は頑として譲らない性格がお互いを引き寄せているのだと見ていた。友達と言えるかは微妙だが。

 

 だが、それだけの理由でまほは鬱憤を噴出し続けるエリカを多目に見ていたのではない。モルゲッソヨとの戦闘でエリカは勝利した。それが最大の理由であった。

 

まほの奮戦によってモルゲッソヨの機数を減らせたからこそエリカは勝利出来たのであり、技能面でまほがエリカに劣る訳ではない。そして、まほは自尊心によって勝者の発言を無視するほど器量が小さな女ではなかったからだ。

 

 だからとはいえ、吠え続けるエリカをそのままにしてはいけなかった。放っておけば、不審者を撃退するために駆け出す番犬の如く生徒会室に突進しかねない。

 

 そのため、まほはエリカの機嫌を戻すために生徒会室で受けた説明を確認するかのように話し掛けた。そもそも、エリカが生徒会の方針に対して不満を抱いているのは必然であり、まほも納得していなかったからだ。

 

「生徒会は武道の履修者全員を動員しようとしていたな。具体的にどの武道を充てるつもりだった?」

「剣道、なぎなた、合気道、柔道、弓道、仙道、忍道、極道、私の記憶ではこのくらいです」

「竹刀や薙刀では能力不足だし、柔道や合気道ではモルゲッソヨが積極的に寝技に持ち込もうとするからダメだ」

「他の武道はどうでしょうか」

「弓道の場合、ピンポイントに矢をモルゲッソヨの急所へ打ち込まなければならない。だが、静止した的に打つ訓練しかしていない弓道部員が、常に移動するモルゲッソヨを撃破するのは不可能に近い」

「仙道は履修者が少ないうえに仙人の資格試験が超難関ですので、この学校の生徒の実力は華道履修者と変わらないです」

「私も聞いた事がある。阿蘇大橋が掛かっている渓谷から飛び出して、身体一つで対岸まで辿りついたら試験合格だそうだ。空中浮揚の実技試験だと聞くが、命を掛けてまで取りにいく生徒がいないから過去数十年間試験が行なわれていらしい」

「進学や就職には何の役にも立たない資格ですから人気が無いのは当然とも言えます。それより、女の純潔を三十過ぎまで守って魔法使いになったほうが効率的です」

「それは童貞では?」

 

 真顔で突っ込むまほにエリカはたじろぐが、冗談を理解しない真面目な隊長であった事を思い出すと会話を続ける。

 

「そうかもしれません。話を戻しますが忍道も難しいです。この武道は偵察と後方攪乱と要人拉致に有効ですが正面戦闘には荷が重すぎます。そもそも、得体の知れないモルゲッソヨに対してそんな事をする意味があるのでしょうか?」

「もしかしたら、連中は人間と同じように休憩を取り仲間同士で輪になって食事する時があるかもしれない。連中の近くで気配を消しながら隠れ続ければ、特大ヘルメットを脱ぐ瞬間に立ち会えるかも」

「その瞬間を狙い、刃物でうなじを切りつけるのですね」

「……私はエリカのように勘のいい女は苦手だ」

「図星だったのですか!?」

 

 まほは再び廊下の天井を見上げた。僅かな時間で必死に練り上げたオチをエリカに言われるとは思っていなかったからだ。

 

だが、彼女はこの学校の戦車道チーム隊長であり西住流戦車道の次期家元であり、それなりにプライドもある。モルゲッソヨに敗れたがエリカに敗れる訳にはいかなかった。

 

「話を変えよう。戦車隊が再編成出来るまでどれくらいの時間が必要だ?」

「七十二時間以内に一個中隊規模の戦車隊が修理完了する予定です」

「意外に早いな」

「工学科の生徒たちが自主的に手伝ってくれたからです。彼女たちは学園艦にある工作機械で不足部品まで作ってくれます」

「不足する部品を外部から調達するより、自分たちで製作したほうが早いという訳か」

「はい。更にバウアーが指揮を執っているので、間違いなく予定時間内に完了します」

「『バウアー中尉』か。彼女の暗算能力は間違いないからな」

「数学は得意ですが、その能力を全教科に均等に振り分けられないのが彼女の残念な所です。歴史のテストで人物名を書く欄に『バウアー中尉』って書いたのは彼女だけです。そのおかげで補習と再テストを受ける羽目になりましだが、彼女はモルゲッソヨの襲撃を免れました」

 

 まほは再び天井を見上げた。戦車の修理は素材と図面さえあれば何とか出来る。もちろん、ベアリング、計器、戦車砲といった部品は、専門メーカーから調達しなければならないが予備部品として確保しているし、弾薬や燃料も十分に備蓄している。単純計算であと二回は防衛戦を行える。

 

 問題は戦車を操縦出来る機甲科の生徒が払拭している事だ。何しろ、先程の戦闘で大多数の生徒が被害を受けてしまい、臨時病室となった講堂に用意された寝床に横たわっている。

 

 治療したくても彼女たちに効く薬品がないので、早期に回復する見込みは立っていない。仮に、機甲科以外の生徒に対して訓練を始めた場合、まともに戦車を動かして砲撃出来るまでに一カ月単位の時間は必要だ。

 

 それ以前に、先程の戦闘でモルゲッソヨの粘液を浴びた搭乗生徒たちが次々と講堂に運び込まれる様子は他の生徒たちも目撃しており、噂話として学園艦中に広まっている。そんな状況で、戦車道に無縁な生徒たちが戦車に乗ってモルゲッソヨと戦う事を志願するとは思えない。

 

 だから、まほはエリカを連れて生徒会室に向かい、生徒会の権限で戦車道履修者を増員させる要望を挙げるべく生徒会役員たちに直談判した。だが、生徒会は彼女の期待にそぐわない解答しかせず、更に眼鏡を掛けた生徒会会長は、まほやエリカを不愉快にさせる言葉を言い放ち……。

 

「生徒会会長、何って言ったか思い出せるか?」

「『本校の歴史で生徒総動員なんて前例が無いし、私は戦車に詳しいのだ。だからお前たちは余計な事を言うな!』。そんな事を言っていました」

「あの女は『注視する』とだけ言い続け、悪化する経済に何の手も打てなかったポンコツ政治家集団並の知能しかない事を自ら証明した訳か」

「いずれ、我が校の年表に記録されるから大丈夫です。モルゲッソヨの襲来に何の手も打てなかった我が校屈指の無能な生徒会会長として」

「会長はともかく副会長は協力的だったが、戦車道履修者は志願者のみという方針は譲らなかったな」

「……僭越ながら申し上げますが、『履修生以外の生徒を()()しなければならない』という隊長の言葉が印象を悪くしたかと思われます」

「そうか……。今は戦車道履修者を一人でも確保しなければならない。一人でも志願者が現れたら無理をさせず大切に扱え」

「はい」

「もう一つ言いたい。エリカは私にとって特別な存在だ。この難局にも私を支えてくれ。頼む」

「はい……」

 

 まほからの思いがけない言葉によってエリカは奇襲を受け、試薬に浸けたリトマス紙のように一気に顔を火照らせた。こうなると黒森峰女学院機甲科の生徒としてあるべきプライドを保つ余裕が無くなり、本能的に意味深な言葉を放ってしまった。

 

「二人の時に、もう一回……」

「ん? ああ、モルゲッソヨが襲来したら共に戦おう」

「……はい」

 

 いかようにも受け取れる微妙な言葉に微妙な言葉が返ると二人の間に微妙な空気が流れだしたが、丁度その時に黒い油の染みを幾つか付けた作業着を着る女子生徒が現れた。

 

「……お二人の仲を邪魔しても宜しいでしょうか」

「何でも無い。それより、バウアーどうした?」

「隊長にお会いしたい方がお見えになりました。戦車格納庫でお待ちいただいております」

「学校新聞の記者なら何も話せる事が無いから帰ってもらえ。他校の生徒でも同じだ」

「この封書を読んでいただきたいそうです」

「ふむ、分かった。読もう」

 

 封書を受け取ったまほは封を破ると手紙を取りだし、軽く目を通すとバウアーに顔を向けた。

 

「私に会いたいという者がいる所まで私を案内してくれ。サンダース大付属高校の戦車道隊長による使者であれば無下に追い返す訳にはいかないからな」

 

 

 

     ◆◇◆◇◆

 

 

 

 サンダース大付属高校から来た使者はアリサと名乗り、エリカと同学年である事を明かした。彼女は油や鉄錆の匂いが染み付いて薄汚れた作業着を着た生徒たちが忙しなく作業する戦車格納庫において、場違いな印象を与える小奇麗な学生服姿でエリカたちが来るのを待っていたのだ。

 

 何しろ、戦車格納庫の内部にある天井クレーンは生徒の手信号によって忙しなく動き、重量あるエンジンや修繕した砲塔が行き交っていたからだ。庫外に目を移せば、工学科の生徒たちが不慣れな手付きで損傷した転輪や履帯の交換をしている。

 

 その隣では学園艦で商売を営んでいる自動車整備会社の従業員や学園艦の補修員が戦車にこびりついたモルゲッソヨの粘液を真鍮製の金属ブラシで削ぎ落している。彼らはいずれも男性だ。

 

 モルゲッソヨの粘液は女性に付着すると全く拭き取れないが、男性に付着すると湯水と工業用石鹸で洗い流せるという奇妙な性質がある。モルゲッソヨの粘液を除去出来るのは彼らしかいない。

 

 そのような喧噪が渦巻いている戦車格納庫に部外者が佇んでいるのははっきり言って邪魔である。

 

 当然ながら彼女と話すには別の場所に移るべきだが、そこまで考えたエリカは困惑してしまう。戦車道準備室には他校の生徒には見られたくない書類が保管されているので案内出来ないし、立ち話するのは気が進まない。

 

 取り敢えずここからアリサを遠ざけるためエリカはたちは戦車格納庫から外に出たが、大型輸送車に乗せられた一両の戦車がクレーン車によって下ろされる所に出くわした。

 

 エリカが乗るティーガーⅡと同じ重戦車だが、被弾経始が考慮されていない角型砲塔の側面に大きく書かれている車両番号は217、まぎれもなく黒森峰女学園高等部機甲科で副隊長を務めるみほが搭乗していた戦車だ。

 

 その戦車を見たアリサは感嘆の声を上げた。

 

「砲塔前盾は貫通されていないわね。流石、黒森峰が誇る重戦車だわ」

「偶然よ。モルゲッソヨが正面から攻撃していたら貫通していたかもしれない。砲塔側面を見てごらんなさい。見事に貫通されているわ」

 

 エリカの言うとおり、砲塔右側面と車体右側面には激突したモルゲッソヨによる貫通穴が一箇所ずつ空いている。ティーガーⅠの砲塔前盾は120mm厚、砲塔側面と後面は80mm厚もあるが、至近距離で側面装甲を貫かれている。モルゲッソヨの貫通を防ぐには何ミリまで厚くすればいいのか見当もつかない。

 

「サンダースがこの戦車を撃破するのに苦労する理由が分かるわ」

「当然よ。サンダースの凡作戦車では大太打ち出来ないわ」

「M4は全てのバランスが取れている戦車であり世界中で活躍しています。ウクライナやフランスで遅滞防御戦闘にしか活躍出来ず、おまけに戦闘中に足回りが故障して放棄せざるを得なかった戦車と一緒にしないで下さい」

「ほお、アンタ、よく言うわね。制空権を奪取すれば好き勝手出来ると思わないでよ」

「最初の一撃はそちらからです。今度はどんな理由で弱小学園艦を併合するのかしら?」

「その原因を作ったのはそっちでしょ。今度はどんな因縁をつけて土足で私たちの庭に乗り込んでくるつもり? 大型客船一隻では通用しないわよ」

「エリカ、アリサさん、もう止めなさい」

 

 二人の会話に呆れたまほが制止すると、眉間にしわを寄せたまほに気づき二人とも大人しくなる。その隙に彼女はこの学園艦の中で一番人気である喫茶店に連れて行ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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(6)

 黒森峰女学園一番人気の喫茶店が自信を持って薦める珈琲を一口啜ると、アリサは素直な感想を述べた。

 

「ここの珈琲は美味しいですね。てっきり代用珈琲を飲まされるのかと不安になり、移動中の機内で居眠り出来ませんでした」

「あーら、タンポポ珈琲も中々の味わいよ。もしかして、思いっきり薄めたアメリカン珈琲をお求めかしら」

「まあ、西瓜を割るくらい冷たい水のように、他人に対して冷たい態度をとるエリカさんらしい言葉だわ」

「私の事を良く知っているのね」

「当然です。中学時代に貴女たちのチームと対戦してコテンパンにやられたので嫌でも覚えます」

「そういえばそんな事があったわね。そう言えば、その試合では誰かさんが変装して私たちのチームに何食わぬ顔で作戦を盗み聞きしていたわね。どんな顔だったかな?」

「まあ、そんな話は水に流して本題に入りましょう。私がここに来たのはモルゲッソヨについてです」

 

 彼女はそばかすが残る顔をエリカとまほへ交互に向けながら、この学園艦に居るだけでは得られない情報を次々とエリカたちに披露した。

 

 サンダース大付属高校学園艦の母港がある長崎県は非常事態宣言を発令し、県都である長崎と軍港がある佐世保、そして空港がある大村を重点に防備体勢をとっている。

 

 他の市町村の防備が手薄なのは警察官の人員に余裕が無いためである。そのため、防備を整えた地方都市に避難民が続々と集結していた。

 

 長崎県以外にも各県の行政機関はモルゲッソヨの襲来に戦々恐々しながら防衛体制を整えつつあるが、それが襲来したとの情報が未だに無い。むしろ、洋上にある学園艦ばかり襲来しているのだ。

 

 サンダース大付属高校には二回も襲来していた。一回目は学園艦の内部まで侵入されたが、モルゲッソヨが侵入した区画を封鎖した後にセメントを注入して密封してしまったのだ。

 

 二回目は火炎放射器でモルゲッソヨの頭部を溶かしてから海面に落として撃退した。いずれも手荒な戦法だがアリサたち戦車道チームではなく学園艦に常駐する警備隊が主力であったからこそ可能であった戦法でもある。

 

 他の学園艦も被害に遭っている様子だが、東日本を母港とする学園艦には未だに侵入していない。現時点で国内の学園艦のうち一番襲撃を受けているのサンダース大付属高校らしい。

 

 ここまで話し続けたアリサは乾いた喉を潤すために冷めた珈琲を一気に飲むと、空になったカップを机に置きコーラを追加注文した。キンキンに冷えたコーラが運ばれてくる前に、黙って彼女の話を聞いていたまほが口を開いた。

 

「アリサさん。モルゲッソヨの正体と目的は何だと思うか?」

「正体は不明ですが目的はただ一つ、人類の殲滅です」

「その理由は?」

「モルゲッソヨは子供を産んで育てられる能力を持つ婦女子ばかり襲っています。襲われた婦女子たちは人間としての尊厳を失い、欲望と動物的本能だけで生きていく事になります。治療法が見つからずにこの状態が続けば、いずれ人類は子供を産んで育てられず自然に滅亡します」

「人類を滅亡させるなら手当たり次第に殺したほうが早いと思うが」

「それが出来ないのはモルゲッソヨの機数が足らないからだと思われます。予め人類一人を殺すためにモルゲッソヨを何機失うのか計算しているのでしょう。更に、殺害という手段を取ると人類が激怒してしまい、人類を滅亡させるために損失するモルゲッソヨが増加するのを避けようとしていると推測しています」

「それが本当であれば、意外に計算高い奴らだな」

 

 アリサの推測に対してエリカは疑問を抱いたが納得出来る点もあった。モルゲッソヨが人類を襲撃し始めてから現在までにSNSを通じて様々な情報が飛び交っていた。その情報を読んだエリカが真偽を区別して整理すると次のようになる。

 

 1)モルゲッソヨの正体は不明である。突然変異した人類なのか、機械化された人間なのか、地球外生命体なのか、それさえも不明である。軍と研究機関が協力してモルゲッソヨを丸ごと一機捕捉して解剖しようと試みているが成功していないらしい。

 

 その理由は、それらが目的を達したり行動不能になったりすると液体化してしまい、地中に染み込んでしまうからだ。大理石製の床や鋼板製の床にさえ染み込んでしまうため、捕捉されないために地中に逃げたのだろうと解釈出来た。

 

 2)被害を受けた女性からモルゲッソヨの粘液を回収して分析すると、銅85%、錫5%、亜鉛5%、その他金属という成分の分析結果が出た。これは銅像を製作するための合金の成分とほぼ同じである事が判明しているが、それ以外の事は全く分からないままだった。

 

 ある研究者はその粘液にナノマシンが含有されていると予想して粘液を様々な試験に掛けているが、未だに発見出来ていない。

 

 3)エリカが経験したように小銃による射撃や榴弾の弾片程度では撃ち倒せない。特に頭部は強固であるが、腹部や急所に二十ミリ径以上の砲弾が直撃すれば撃破出来た。命中箇所によってはモルゲッソヨを四散させる事も可能である。

 

 4)男性には一切見向きもせずに若年者の女性しか襲わない。結果として老婆に危害が加わることは無かった。不思議なことに幼女は相手にされておらず、初潮を経験した年代から生理が止まった年代に掛けて一様に襲われていた。

 

 5)モルゲッソヨは狙い定めた女性に覆いかぶさった瞬間に粘り気のある液体に変化し、その女性に纏わりつく。粘液が付着した女性はそれを何度も拭い去ろうとするが全く拭き取れず、熱い湯を張った浴槽に身を浸からせてから洗剤で洗っても同じ結果になった。

 

 強力な洗剤では肌を痛めてしまうし、粘液が付着した皮膚ごと除去しても再生した皮膚に粘液が転移してしまうので、事実上粘液を除去する方法が無かった。

 

 6)モルゲッソヨに襲われた婦女子に起こる症状は人それぞれであり食欲減退程度なら可愛いものである。太り気味な体型を気にしていた女子は食事を摂れなくなり、睡眠不足であった女子生徒は布団に潜り込むと数日経過しても眠り続けてしまう。水泳で全国大会優勝を狙う女子生徒は足をつって溺れる寸前まで泳ぎ続け、救護した先生の腕の中でも身動きを止めなかった。誰もが抱く願望や欲望を肥大化させ宿主が疲弊するまで強制的に行動させるのだ。

 

 頭の片隅に刻み込んだ知識を引っ張り出して分析していくと、人類の出産能力を奪うというアリサの推測は的中しているのかもしれない。その後も彼女たちによる意見交換は続いたが、モルゲッソヨの襲来を防ぐ以前に撃破出来る決定的手段が見出せなせない。

 

 嫌気が差したエリカは気分を変えるため、コップの底に残っていた珈琲を一気に飲み干すと彼女にしては珍しい冗談を話した。

 

「まだ、宇宙人やゴジラが来たならば良かったのに。幾つもの戦法が編み出されているから容易に迎撃出来た筈だわ」

 

 その話にアリサが乗った。

 

「宇宙人ならサンダースに任せてちょうだい。UFOの研究をしている先生がいるのよ」

「ゴジラならば知波単だわ。迎撃に失敗して何度も上陸されているのに責任者が処罰されない不思議な国のおかしな政府と役人、突喊ばかり続ける知波単と頭の構造が同じでしょ。だから、ゴジラが自滅するまで好き勝手にさせておけばいいのよ」

「では、黒森峰が自信を持って撃退出来るのは?」

「はて、何だろう?」

 

 アリサとエリカの会話が途絶えると、何か思いついたまほが割って入った。

 

「エリカ、黒森峰に相応しい強敵を思い出した」

「何でしょうか?」

「フン族だ」

「……誰も分かりません。恐らく、副隊長でも意味が分からないです」

「そうか? 有名な史実だぞ」

 

 会話が詰まってしまったため、エリカはまほの発言に悩みつつも新たな話を切り出した。

 

「ところで、アンタはここに来る前に他の学園艦に立ち寄ったの?」

「プラウダ、知波単、BCに立ち寄りました」

「つまり、アンタにとって本当の目的は全国大会のために他校からの情報収集している訳ね」

 

 エリカの言葉を聞いた途端、饒舌だったアリサはニヤリと笑いながら口を閉ざした。どうやら図星であったようだが、サンダース大から来た使者はすぐに立ち直りエリカに挑戦的な態度で答えた。

 

「良く見抜きました。流石、黒森峰における次世代のエース、エリカさんです」

「煽ててもアンタが望む情報は出さないわよ。それより、聖グロリアーナと継続は行かないの?」

「それは別の生徒が向かっています。私はニシンパイとサルミアッキが苦手なので」

「そう、では改めて歓迎するわ。ジャガイモとソーセージしか無い黒森峰にようこそ。本当は美味しい料理があるけれど、アンタには情報公開出来ないから我慢してね」

「あら、この学園艦には東京の神保町にある本店から暖簾分けした美味しいカレー屋さんがあるではありませんか。お二人に面会する前に揚げたてのポークカツが載ったカツカレーを食べてきました。美味しかったです」

「へえ、そんな店があるなんて知らなかったわ。どこにあるの?」

「情報を手に入れるには対価を用意するか、相手が求める情報を公開しないといけません。情報屋にとって当たり前のルールです」

「アンタが欲しい情報は全てこの場で披露したわ」

「モルゲッソヨとの戦闘で治療を受けている生徒との面会が残っています」

 

 モルゲッソヨとの激戦により銀色の粘液を浴びた生徒たちは、学園艦にある診療所に収容しきれないため学園の講堂に収容されている。

 

 彼女たちの寝姿をアリサに見せるのは構わないのだが、この場でエリカたちが説明した以上の事実を引き出せることは無い。何しろ、エリカたちは既に十分な説明をしている。

 

 更に、黒森峰女学園はモルゲッソヨを殲滅するか機甲科の生徒たちが回復しない限り全国大会に出場出来ないから、情報収集しようとして東奔西走するアリサがここに来るのが無意味なのだ。

 

 アリサは単純に興味本意で見たいのか、情報収集の一環なのか、エリカたちに隠している目的があるのか、彼女の真意は分からないが、エリカにとってアリサの要望を無下に断わるのは得策では無いと思えた。

 

「隊長、彼女を病室に案内しましょう」

「分かった。私も同行する」

「ありがとうございます」

 

 彼女たちが居る喫茶店の前を一両の重戦車が通り過ぎていく。最寄りのコンビニへ行くため、修理が完了した戦車が試運転調整を兼ねて走行していたのだ。彼女たちは戦車格納庫に戻る戦車を呼び止めるとそれに乗り込み、機甲科の生徒たちが収容された臨時病棟である講堂に向けて走らせたのだった。

 

 

 

     ◆◇◆◇◆

 

 

 

 エリカとアリサは走行風によって髪を揺らしつつ、戦車の走行による振動によって振り落とされないように突起を掴んで車体天面に座っていた。この戦車の車内は一人分の空席しか無く優先的にまほが車内に潜り込んだ。

 

 だから、エリカとアリサは車体後方の天面に座る事になったのだ。座っているだけでは面白くないので二人で雑談を始めてしまう。話題は両校の隊長や副隊長についてである。

 

 アリサが語るサンダース大の内情は複雑であり、出場する純粋に戦車道をスポーツとして楽しみたい考えを持つ生徒と試合で勝利しなければならないと考えている生徒のどちらが隊長になるかによって試合に望む姿勢が変わってくるという。

 

 戦車道強豪校だが毎年開催される戦車道全国大会で年度ごとに順位が大きく異なるのはそのような理由があるらしい。おまけに次期隊長を選出するには隊長の一存では決定出来ず、戦車道履修者全員から推薦された代表生徒による投票によって決定するという。

 

 今年度の隊長の方針に不満を持つ生徒が多ければ、次年度は別の方針で進めようとする隊長が選出される可能性が高い。おまけにその年の代表生徒の気質によるものもあり、代表生徒自身の考えが確固としているか友達の意見の左右されるかで異なる結果を生み出す。黒森峰とはまったく異なる思想を持つ集団なのだった。

 

 翻って黒森峰は勝利一辺倒の方針が揺らいだ事はなく、他の学校からは「戦車は硬くて頭も尻も固い」などと揶揄にされる始末である。エリカにとって両校の方針のどちらが正しいのか分からないが、黒森峰が常勝校として九連覇出来た理由が何となく理解出来たのだ。

 

 アリサが一通り話終えると、アリサは「次はアンタの番だ」と言うかのようにエリカを見つめた。正直に言って未だにどんな手札を隠し持っているのか分からないソバカス顔の女を相手にするのは気疲れするが、黙っているよりはマシである。

 

 だから、エリカはアリサに問いかけた。

 

「アンタは何を知りたいの?」

「西住姉妹、特に妹のことです」

「そうね……。気弱で人見知り、積極性に欠けているから主導権は相手に握られる、彼女を見ていると私が手を出したくなるくらい腹が立つ女の子よ。でも、試合では西住の血によるものなのか、ここぞという時に相手に挑み勝利を掴む実力は確かだわ」

「弱点は?」

「無い」

「弱点が無い完璧な人間なんてこの世に居ません」

「遠い昔だけど完璧な男が一人居たそうよ」

「誰ですか」

「その名はイエス・キリスト、聞いた事はあるでしょう」

「良く知っています。稀代の扇動家であり、彼の死後2000年経過した現在においても彼の思想に共感する者たちを生み出し、世界の政治経済が左右される恐るべき影響力を持つ集団の創始者です。つまり、今後の事を考えると西住姉妹の妹はゴルゴダの丘で処刑しなければならないという事ですね。良く分ります」

「アンタってホントにドSなのね」

「エリカさんには言われたくない科白です。でもね、今の話で一つだけですが分かった事があります」

 

 アリサはにんまりと笑うと、疑問を浮かべているエリカに向けて答えた。

 

「それは黒森峰の結束力。強固な結束力で結ばれた生徒が高火力の重戦車を操縦している。これを目の当たりに出来ただけでも十分です。これじゃあ、今年もサンダースが優勝するのは難しそうです」

「……どこまで本気で言っているのか分からないけれど、私たちの結束力がどんなものかアンタに見せてあげるわ」

 

 間も無く彼女たちは、荘厳な印象を与える古代ギリシャ様式の意匠が施された講堂にある正門に到着する。エリカは先頭を切って戦車から降り、彼女たちを室内に案内すべく重厚な扉を開けた。

 

 その途端に、アリサは手で口を押えてしまい呻き声を漏らした。彼女がそのような反応をするのは致し方がなかった。

 

 機甲科の全生徒が集合しても余裕がある程に広々とした講堂は、椅子の代わりに床へ隙間なく敷かれた布団とモルゲッソヨによる銀色の粘液が貼り付いた女子生徒が寝転がっていたからだ。

 

 修学旅行や合同合宿で大広間に布団を敷いて寝るのは楽しい思い出になるであろうが、寝ている生徒たちから和気あいあいとした雰囲気は感じ取れなかった。生徒たちは寝ているか、延々と独り言を言っているか、暴れるので拘束されているかのどれかである。

 

 その生徒たちが寝ている布団の間にある通路を女性医師や他の生徒が行き来して生徒たちの容態を確認していた。だが、本職の医師がいるからといって安心は出来ない。女医も困惑している様がありありと感じ取れるからだ。

 

 学園艦に備蓄している薬品では治癒出来ず、感染防止の防護服は取り寄せ中だった。おまけに、モルゲッソヨの粘液が掛かった生徒の身体に触れると二次感染する可能性もある。

 

 そのため、女医としては職業的使命を果たせずに不本意であったが、機甲科の生徒のうち症状の軽い者が女医の手先の代わりとなっている。

 

 エリカとしては目を背けたくなるような光景であり、視線を反らして隣にいるアリサを見た。すると、不思議な事に彼女は真剣な眼差しで安静にしている生徒たちを見ていたのだ。そんな彼女を見ているとエリカは益々疑念に襲われる。

 

 一体、アリサがここに来た真の目的は何だろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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(7)

 アリサの挙動の見るにつれ、エリカの内心では彼女への不信感が広がりつつあった。

 

 だが、ふと先程の彼女との会話を思い返せば、サンダース大はモルゲッソヨの襲来を受けて二度も撃破している。彼女を始めサンダース大の生徒たちは既にモルゲッソヨの特性や対処法を把握しているのかもしれない。

 

 だからといって、彼女の挙動は納得出来なかった。まるで地面に隠した餌を探し回るリスのように彼女は何かを探していたからだ。

 

 丁度その時に被害が軽傷で済んだ一人の生徒が通りかかった。『秒速で撃破される女』との異名を持つ彼女の姓は直下である。彼女はモルゲッソヨ戦で本格的戦闘に突入する前に、伏兵として潜んでいたモルゲッソヨに撃破されてしまったのだ。

 

 被撃破第一号の記録を更新しただけで戦闘終了した彼女にとって、この異名は不愉快きまわりないものである。だが、彼女が大学生になった時にその別名を決定的にする出来事を彼女自ら引き起こした。

 

 彼女は一人の男と初めて共に一夜を明かした。ただ、それだけだった。

 

 それだけだったにも関わらず彼女は妊娠、結婚、出産というライフイベントを次々に経験する事になる。一人の男に撃破された彼女は、その異名が伊達では無い事を自ら証明したのだ。

 

 話を戻すが、アリサは直下を呼び止めると何点か質問し、更にその生徒の案内で講堂の中央まで進んでいった、どうやら、直下と親しい戦車の乗員が寝ている布団に案内されたらしい。

 

 エカは即座に彼女の後を追うべきであったが、彼女が常に付き従うべきと考えているまほ隊長の元に留まるべきか悩んでしまう。まほはどんな時でも隊長の職務を果たそうしており、安静にしている生徒たち一人一人に声を掛けて励ましていたからだ。

 

 エリカにとっての優先順位はアリサよりまほが上であるが、アリサをこのまま放置しておくのは危険だ。だから、彼女は手持ち無沙汰な様子で立ち続けていた生徒に声を掛けた。

 

「ねえ、そこのあなた、何もやる事が無ければ私の代わりに手伝ってくれないかしら?」

「何をすれば?」

「講堂の中央にいるサンダース大の生徒を見張っていなさい。彼女が変な事を始めたら、すぐに私に報告しなさい」

「分かったわ。それにしても、お姉ちゃんたちも大変だね」

「あっ? アンタ、何の分際で隊長をお姉ちゃんと呼ぶ……えっ? みほ! 何でここに!?」

 

 モルゲッソヨによる被弾により顔まで粘液塗れになったみほは、安静にすべき生徒たちの一人に含まれる筈である。だが、あの粘液を綺麗に拭き取るのは至難の業であるにも関わらず、綺麗な肌をエリカに晒していた。

 

 それを見たエリカは彼女に様々な事を聞きたかったのだが、そのために脳裏に浮かび発した言葉は彼女らしい言葉であった。

 

「あなた、こんな所で何をしているのよ?」

「皆真剣に話していたから、声を掛けるタイミングを計っていました」

「そう、ならば話が早い。サンダース大の戦車道チームから来た使者が」

「こっちに戻って来ました」

 

 みほの言うとおり、講堂の中央にいたアリサはエリカたちにぐんぐん近づいて来た。そして、彼女はみほの前に立つと矢継ぎ早に質問を始めた。

 

「あなたが西住みほなの?」

「は、はい」

「覚えとくわ。それより、モルゲッソヨとの戦闘に勝ったのは間違いないの?」

「い、いえ、違います。戦車は被弾してしまうし、私にはモルゲッソヨのネバネバした液体が掛かってしまいました」

「その粘液について、他の生徒に掛かった粘液は拭き取れないのは知っているかしら?」

「はい」

「でも、何故かあなただけはそれが全部拭き取れてしまった」

「はい」

 

 みほの答えを聞くとアリサは首を捻った。

 

 モルゲッソヨの粘液は生徒の身体や衣服に付着すると、タオル等で擦っても除去出来ない。そして、彼女は身体に抱き付かれたモルゲッソヨ一機分以外に側面装甲を貫通して車内に侵入した二機分の粘液も浴びている。他の生徒より多量の粘液が付着したにも関わらず、彼女だけその粘液が拭き取れてしまった。

 

 アリサが知り得るモルゲッソヨの特性からは有り得ない現象であるからだ。だから、アリサはその理由を突き止めるべく、更に質問を続けた。

 

「どうやってあの粘液を拭い取ったの」

「初めは全く拭き取れませんでした。でも、『嫌だ、気持ち悪いよお』とか言いながらタオルで擦ると拭き取れちゃいました」

「どこに掛かったの」

「えっと、ほっぺ、首、胸、手、お腹、太腿、足だったかな」

「もしかして、殆どが服に掛かったので直接肌に掛かったのは僅かだったとか?」

「いえ、手にも足にもべったり付きました。時間が経つと下着の中にも入ってきました。ぬるっとした感触で、何か凄かったです」

「ふうん、モルゲッソヨの粘液を浴びてから身体に変化はあったのかしら」

「うーん、えっと……、特に変化は無いです」

「嘘は駄目よ。正確に答えて!」

「実は、あの時、何だかくすぐったいというか気持ちいいというか……。あ、あの、ちょっとだけですから、誤解しないで下さい!」

「痛みや痺れは無かったのね。それより、あれが拭き取れた理由は推測出来る?」

「全く分かりません」

 

 アリサは首を傾げ腕を組みながら、みほの容態が回復した理由を見つけようとした。だが、彼女が持つ知識からそれを見つけ出す事は出来ず、数分後に彼女は降参の印として両手を上げてしまう。

 

 当然ながら、アリサが答えを見つけ出せないならばエリカも答えられる訳が無い。エリカはアリサとみほと顔を交互に見つつ、全く展開が読めない状況に眩暈を覚えた。その時、機甲科の生徒へ激励をしていたまほが、それを中断して彼女たちの輪に加わった。

 

「みほ、大丈夫か?」

「お姉ちゃん、私は大丈夫だよ。だけど……」

「今は機甲科の生徒たちの回復よりモルゲッソヨの再襲来に備えなければならない時だ。彼女たちは大切だ。だが、それ以上に大切にしなければならない者がいる。くよくよするのはお終いにしよう」

「うん、分かった」

「それより、その恰好はどうしたんだ? いつ着替えたのだ?」

 

 確かにみほは、パンツァージャケットでも学生服でもなく入院患者が着用する浴衣姿になっている。正直に言ってその話はエリカにとって関係無い話であったが、アリサにとっては彼女の目的の一つを思い出すきっかけとなり彼女はポンと手を叩く。そして、怪訝な表情をしたみほに尋ねた。

 

「ねえ、あなたが脱いだ服はどこにあるの」

「医療ごみ専用の袋に入れて講堂の控え室に置いてあります。後で処分します」

「その服を見せてちょうだい」

「ふえぇぇぇぇぇ! ちょ、ちょと、それは……、」

「なぜダメなの?」

「だ、だって……」

 

 アリサにとってみほに配慮する理由が全くない。硬軟混ぜた言葉でみほへ何度も迫ると、遂にみほはその衣類を公開するに渋々ながら同意したのだった。

 

 

 

     ◆◇◆◇◆

 

 

 

 アリサは背中に背負った青色のリュックサックから手袋を取り出し、みほが着ていた黒色のパンツァージャケットを机に広げた。そして、同様に持ち込んだピンセットや薬さじを使って銀色の粘液に挿し込んだり掬い上げたりしていた。

 

 モルゲッソヨの粘液のうち、生徒の身体や衣服に付着しきれない余分な粘液は地面や床に流れ落ち、しばらくすると消えてしまう。しかし、みほの衣類に付着している粘液は如何なる理由からか流動性を失い、ジャケット全体にべっとりとこびり付いていた。

 

 アリサがその粘液にピンセットを突き刺すとプリンのように震え、薬さじで掬うと食べ頃まで柔らかくなったアイスクリームのように形を変えていく。だが、アリサはそれの粘度を調べている訳ではないのは明瞭だ。彼女はかなり緊張しており時折「ふうっ」と溜息をつくと再び作業に没頭する。

 

 彼女はその作業を繰り返し、正面側、背中側、襟や袖口、胸元にあるポケット、更にボタンを外して内側まで丹念に調べたが目的は果たせなかったようだ。だが、彼女は諦めずに今度は深紅色のプリーツスカートを広げた。みほが身に着けていた衣類を全て調査するつもりらしい。

 

 その作業をエリカは黙って見ていた。エリカにとってアリサの目的が分からないので手伝う事は出来なかったからだ。未だに彼女は真の目的を明らかにしていない。彼女自身の意図によるものなのか、彼女を送り出したサンダース大による口止めなのか判断つかないが。

 

 アリサは黙々と作業を続け、深紅色の襟付きシャツ、スポーツブラ、ハンカチ、彼女の身体を拭き取ったタオルの順で次々と調査したが成果は見出せない。彼女は最後の衣類を取り出そうとしてごみ袋を覗き込んだが、その時になって初めて気づき彼女へ問いかけた。

 

「ねえ、みほさん。あれは無いの?」

「あれって?」

「あなたが穿いていたショーツよ」

「それも調べるのですか?」

「そうよ。早く出してよ」

 

 みほは隣に立つまほの耳に小声な何かを話し出した。みほにとっては赤の他人に聞かれたくない内容であり、当然ながらまほも小声でみほに話し掛けるが、遠くまで良く通るまほの声はエリカやアリサに耳にしっかり届いてしまう。彼女はこう言ったのだ。「みほは小学五年生までおねしょしていたのだから、今更おもらししても恥ずかしくないぞ」と。

 

 つまり、彼女はモルゲッソヨとの戦闘で失禁してしまい、その時に汚した下着をどこかに隠したのだ。道理で身に着けていた衣類を公開するのを拒んでいたのだ。

 

 では、彼女はショーツをどこに隠したのだろうか。エリカの直感だが山のように積まれた医療ごみ袋の中では無いような気がした。エリカは何となく室内を見渡すと全身が映る大きな鏡に目を留めた。

 

 この部屋は外部から招いた講演者が講堂の演台に上がるまでに待機する部屋であり、殺風景な部屋に折り畳み出来る机や椅子、身繕いするために小さな四個の車輪と支柱で支えられた縦長の鏡が置かれている。だから、ここに鏡があるのは不思議な事では無いが何故かそれが気になる。エリカは鏡に近づいてそれを掴むと振り返り、みほの表情を伺った。

 

 みほは顔を強張らせながら視点を向けていた。鏡の下側にある小物入れの引き出しを。

 

 だから、当然のようにエリカはみほが視線で指し示す箇所だけ探し、厳重に封をされた袋を見つけた。それをアリサやまほが待つ机の前に置くと袋を慎重に開封し、ピンセットで摘まんでそれを取り出す。

 

 遂に、熟した苺のように真っ赤に染まり半泣きしような顔をしたみほの前に、室内灯の光を浴びて鈍く光る銀色の粘液が纏わりついたショーツがぶらりと吊らされた。純白の小さな布地から作られた彼女のショーツは、その布地面積に対して多量の粘液が付着している。彼女のショーツが清潔感溢れるものであった事を物語っているのは、外側にプリントされたボコのアップリケぐらいだ。

 

 それを見た者は三者三様の意見を述べた。

 

「うわっ、子供っぽいパンツね。クマのイラスト入りパンツを履くのは小学生までよ」

「クマじゃない。ボコっていうんだよ」

「みほ、クロッチが黄ばんでいるぞ。相当漏らしたな」

「そんなにジロジロ見ないで!」

「そのシミに変なエロイ液も混ざっていない?」

「はうっ!」

「図星なの!?」

 

 だが、彼女たちはみほのショーツについて批評するためにここに来たのでは無い。再び真剣な表情に戻ったアリサはみほのショーツを机に広げると、伸縮するゴムの縫い目にある糸のほつれを探すかのように丹念に調べていく。その努力は遂に実った。

 

「あった!」

 

 歓声を上げた彼女がピンセットで摘み上げた物は紙の切れ端であった。鋏で綺麗に切断したのではなく手で破いたような輪郭をした紙には何かが書かれている。それを机に置くと彼女は再びみほのショーツに向き直り、その後も紙片を探し当てた。そして、これ以上は見つからないと判断したアリサは漸く作業の手を止めた。

 

 その数は三枚、そのうち一枚は五線譜ではなく記号のようなものが書かれていた。その紙片に興味を持ったエリカがアリサに尋ねた。

 

「これって楽譜かしら」

「そのとおりよ。五線譜や音符が見えるでしょ」

「こっちの記号にようなものは何なの?」

「ハングル語よ」

 

 アリサは手袋を外すと青色のリュックサックからファイルを取り出し、何かが印刷された紙を取り出した。そして、それを机に置くと先程探し当てた紙片を置いていく。それが終わると、アリサは満足そうにそれを眺めていた。

 

「どうやら、私の仮説は正しかったようね。これが、モルゲッソヨが大量に出現出来ない理由よ」

 

 アリサがリュックサックから取り出した紙は、サンダース大に襲撃したモルゲッソヨから回収した紙片を並べて印刷したものである。みほのショーツから回収した紙片と切断面がピタリと合う紙片が合い、彼女の仮説は証明されたのだ。

 

 更にアリサは元の楽譜のコピーを取り出す。幾つかある五線譜や音符の並びを見比べれば、元の楽譜を破いた紙片である事は明確であった。これを見たまほは、アリサが隠していた真実のうち一つに辿り着いた。

 

「つまり、この紙片がモルゲッソヨの核であり、元の楽譜から破かれた紙片の数しかモルゲッソヨは出現出来ないという事だな」

「YES。サンダース大に襲来した機数と回収出来た紙片の枚数から推測すると、五機のうち一機にこの紙片が埋め込まれているようです。紙片が埋め込まれている一機が隊長機、それに四機が隷属していると思われます」

「成程。それで、この曲のタイトルは?」

「『鮮やかなる朝の歌』、今でも特定の地域で歌われている歌ですよ」

「もしかして、角刈りのボンボンがマウント取っている地域?」

「YES」

 

 だが、まほが理解出来るのはそれだけであった。音符以外はハングル語で書かれており、その言語を勉強していない彼女には理読不能だからである。だが、一箇所だけ楽譜の隅に水滴で滲んだ漢字が書かれている。

 

 その漢字と歴史に精通しているまほの知識によって、一人の人物の名が頭に浮かぶまでに要した時間はほんの僅かだった。

 

「成○琳?」

「YES。既婚者である彼女は彼の求愛を受け入れ、夫と子供を捨ててまで新たな夫と結婚しました。ですが、親族から敵国人扱いされた彼女は、新たな夫との間に出来た子供を奪われて平壌から追放されます。その前夜に彼女は涙を流しながら歌ったそうです。この楽譜を使ってね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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(8)

 エリカは聞き慣れない人物の名前に戸惑った。みほは汚れたショーツを前にして議論しているエリカたちを見てオロオロしているし、まほとアリサは何か理解したかのように納得した顔になっている。完全に彼女たちの話題から置いて行かれている。

 

 だから、エリカは思い切ってまほに尋ねた。

 

「隊長、成○琳とはどんな人ですか?」

「ああ、角刈りのボンボンがマウント取っている地域に関係する女性だ」

「具体的に名前を出したらいかがですか」

「今、読者が読んでいるこの小説投稿サイトで規約違反に引っかからないためだ。実在する登場人物は名前を伏せたつもりだが、何の判断で規約違反になるのか不明だからな」

「そうですか。それで、どのような関係なのですか」

「ボンボン君のお兄さんを生んだ母親だ。ボンボン君は別の母親から生まれている」

「つまり、ボンボン君のお兄さんは約七〇年続く伝統ある家業を継ぎ損なった訳ですね」

「国家にとって七〇年は短すぎるのか判断つかぬがな」

 

 エリカは涙による染みが出来た楽譜の切れ端を見下ろした。出身は敵国だが心はこの国と夫に預けた。なのに誰も認めてくれない。そんな彼女の無念と悲嘆が涙として染み込んでいる。たった数枚の楽譜だが、彼女が歩んだ人生が染み込んだ楽譜だと理解するにつれ歴史の重みを感じてくる。

 

 大小問わず誰もが持つ欲望、それを肥大化させて宿主が疲弊するまで強制的に行動させるモルゲッソヨ、その原動力は母親として息子や国を育てていく欲望を果たせずに無念の涙を流した女の怨念、これで全てが繋がった。

 

 それにしても、何故、この楽譜をアリサが持っているのだろうか。疑問を覚えたエリカはアリサに質問すると、彼女はすらすらと答えたが箇条書きで書くと以下のようになる。

 

 1)楽譜はモルゲッソヨの金型原型を製作した人物の自宅から発見された。

 

 2)その楽譜は用紙の四方のみ残り、五線譜や音符が書かれている範囲は手作業で綺麗に丁寧に切り取られていた。また、同じように破かれた楽譜の切れ端も残されていた。

 

 3)アリサが持っている楽譜はそのコピーであり、原本はサンダース大の研究室にある金庫に保管されている。

 

 4)モルゲッソヨの金型原型を製作した人物は行方不明である。現地警察が捜索しているが未だに見つかっていない。既に亡くなっているとの情報もある。

 

 5)モルゲッソヨの製作工房には金型が残っているが、亀裂が入っているため再製作は出来ない。また、原材料、製作者が残したノート、帳簿が一切無い。現地警察は親族が廃品回収業者に売り払ったのだろうと推測しているが、アリサはモルゲッソヨが持ち去ったと推測していた。

 

 エリカたちはモルゲッソヨについて一部の謎を解明出来たが、これを撃破する有効な手段は見当たらない。

 

 サンダース大が実施したように、広大な学園艦の艦内にある区画にモルゲッソヨを誘導して封じ込めるか、火炎放射器で焼いて溶かしてしまうか、当面はその戦法を取るしか無いのだろう。再び襲来するであろうモルゲッソヨとの戦闘を考えると、エリカは頭痛を覚える。

 

 ふとアリサを見ると彼女は帰り支度を始めていた。アリサにとってはこれ以上の長居は無用なのだが、エリカにとっては彼女を返す訳にはいかなかった。未だに彼女が隠している事実があるとしか思えなかったからだ。

 

「ねえ、アンタ。他に隠している事は無いの?」

「私がお昼を摂ったカレー屋のこと?」

「モルゲッソヨへの対処法や治療法よ」

「そんなのが有れば、私はここに来ていないわ」

「誤魔化そうとするのはいい加減にしなさい。ここから逃がさないわよ」

「ホントだって!」

 

 唐突に始まった二人の口喧嘩は、相手の肩や髪を掴む寸前まで次第にヒートアップしていく。そして、その行方をオロオロしながら見ていたみほが、遂に絶叫した。

 

「喧嘩はやめて!」

 

 みほの絶叫が室内の隅々まで響き渡ると我に返った二人は口喧嘩を止め、室内は一瞬で静寂を取り戻す。

 

 その時だった。彼女たちは異質な音を聞き取ったのだ。

 

 ボタッ

 ……

 ……

 ……

 ボタッボタッ

 ……

 ……

 ……

 ……

 ……

 ボタタタタタッ

 

 その音は彼女たちの足元から聞こえてくる。アリサはその音の発生源を見たが、その顔には間を開けずに驚愕が現れた。

 

「うそ、何で……」

 

 アリサが驚愕するのは当然であった。先程までみほのショーツにこびり付いていた粘液は、硬化する前の水糊のように流動性を失っていた。だが、それは何時の間にか流動性を取り戻し、そこから次々と滴り落ちては床に消えていったのだ。ショーツだけではない。ジャケット、スカート、その他の衣類からも滴り始めていたのだ。

 

 その事象を直視しているエリカは脳内でその原因を探し求めた。アリサが紙片を回収したので粘液が結着力を失い流れ出したのであろうか? そうであれば、講堂で安静にしている機甲科の生徒たちから粘液が流れ落ちない理由が説明出来ない。

 

 では、本当の理由は?

 

「みほ、講堂に行こう」

「うん?」

 

 エリカの直感だが、この事象は紙片ではなくみほの声が原因だと思えたからだ。その直感が的中するか確認するため、彼女たちは講堂に戻りエリカを庇った先輩の元に向かった。

 

 先輩はモルゲッソヨに襲撃される直前まで見せた元気な姿とは異なり、床に敷かれた布団と一緒に胸元や手首を拘束されている。両手の指先だけは何かを弄ろうとして動き続けていたが、その表情は何かに怯えるかのように引きつっている。まるで、先輩の体に生じた変化に頭脳が混乱しているかのような雰囲気であった。

 

 そんな姿になった先輩の前に二人が立ち並んだのだ。

 

「みほ、大きな声で先輩を励まして」

 

 エリカはみほに頼むと彼女は深呼吸を始め、そして大声を出した。

 

「先輩、元気を出して下さい!」

 

 エリカの直感は的中した。驚くべき事に先輩の顔や身体に張り付いていた粘液が、彼女の大声によって剥離したり流れ落ちたりしていったのだ。信じられない事象にざわつく生徒たちを背にして、みほは何度か大声を掛けた。そして、遂に先輩の身体から粘液が取り除かれたのだ。

 

 たちまち歓声が上がり、まほやアリサを始め、被害が軽傷な生徒が安静にしている生徒に向けて次々と大声を出し始める。だが、声質と粘液との相性によるものなのか、粘液が多量に取り除けたのはみほによる大声だけであった。

 

 彼女の声だけに反応するメカニズムは不明だが、みほは喉を枯らしつつ最後の一人まで大声を掛け続けたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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(9)

 あれから数日後、モルゲッソヨ再襲来による警報により戦車道チームは直ちに出撃した。全ての戦車が出撃可能であり、搭乗する生徒達は全国大会出場資格を持つ生徒が復帰したため錬度も高い。それだけではない。彼女たちの士気は高揚しモルゲッソヨを殲滅してやると息巻く生徒まで現れている。

 

 

 

 彼女たちの反応は当然とも言える。こちらには「音響兵器みほ」という切り札があるのだ。

 

 

 

 彼女は兵器としてエリカに手荒く扱われる事を嬉々と受け入れた。そして、広大な戦車道演習の平原に置かれた号令台の上に一人で立ち、行進しながら接近してくる約一〇〇機のモルゲッソヨを待ち構えていたのだ。

 

 そして、みほの背中側にエリカが座乗するティーガーⅡが待機していた。そして、前回と同じようにエリカと装填手はそれぞれのハッチを開け、綺麗に足並みが揃った行進で接近してくるモルゲッソヨを双眼鏡で目視していたのだ。

 

「本当にみほさん一人で大丈夫?」

「誰もが経験を積んだから前回のような不手際や間違いはしないわ。大丈夫よ」

 

 エリカが主導で立案した作戦は、みほを囮にしてモルゲッソヨを誘引するところから始まる。

 

 猫には鰹節、二十二世紀型猫型無人機にドラ焼きをちらつかせると喜んで近づいてくるのと同じように、吸血鬼には処女、失恋による心痛を恐れて愛の告白をする勇気が欠けている童貞には二次元の嫁、モルゲッソヨには可愛らしくお淑やかな性格である女子高校生が必要だった。その対象としてみほが選ばれたの必然である。

 

 そして、モルゲッソヨがみほを取り囲んであんな事やこんな事をする前に、みほの背後で横隊陣形を組んだエリカ指揮の戦車隊がモルゲッソヨの接近を妨害する。その隙に隠匿しているまほ大隊長直率の戦車隊がモルゲッソヨを包囲してしまい、一気に殲滅する作戦なのだ。

 

 救援が待ち合わなければみほが凌辱されてしまう可能性があるのは重々承知していたが、これ以上被害者を発生させないためにはこの作戦しか考え付かなかった。

 

「つまり、大丈夫ではない場合は、みほさんの頭上を砲弾が飛び交うと」

「まあ、最悪そうなるかもね。そうならないために副隊長に頑張っていただかないと」

「モルゲッソヨを包囲するから、卵をひき肉で包んだ料理『スコッチエッグ』を作戦名にしたのはいいとして、こんな作戦を考えたエリカと率先して号令台に立ったみほさんが怖いわ」

「私や副隊長よりモルゲッソヨが怖いでしょ?」

「まあね。でも、敵に回したくないのはエリカやみほさんだわ」

「褒め言葉として受け取っておくわ」

 

 装填手は知らなかったが、作戦名を決める際にエリカと西住姉妹との間で熱い議論があった。西住姉妹は『第○○号作戦』というように数字とアルファベットを並べただけの無味乾燥な作戦名や『「ギュギュっと」作戦』というように擬音だけの作戦名を次々と提案したが、最終的にエリカが提案した『スコッチエッグ作戦』に決定したのだ。

 

 これはエリカの言葉が二人に響いたからである。彼女はこう言ったのだ。

 

「私、新しいカレー屋さんを見つけました。東京の神保町にあるカツカレー専門店と同じくらい美味しいと評判のお店です。これからそのお店に行きませんか?」

 

 エリカの言葉は西住姉妹の心ではなく腹に響き、途端に二人は腹の虫が鳴り始めた。時計は夕食の時間帯である事を表示していたからだ。

 

 アルデンヌの森を突破する作戦において戦車を走らせるための燃料枯渇により進撃を断念したドイツ国防軍のように、西住姉妹も作戦名の議論継続を断念した。その隙に主導権を握ったエリカによって作戦名を決定した。

 

 ちなみに、そのカレー屋はアリサから教えて貰った店である。彼女なりに手に入れた情報の対価としてエリカに教えたのだ。

 

 エリカと装填手の無駄話は延々と続いていたが、それは唐突に打ち切られる。その原因は親愛なる妹の身を案じつつも、エリカの作戦案を実行に移した大隊長からの通信であった。

 

「ドライカレー1からハンバーグ1、打ち合わせどおり戦闘の総指揮はエリカに任せる。エリカ、頼んだぞ。以上(エンデ)

 

 この通信によってティーガーⅡの車内は静まり返り、自らの役目を忘れた事が無いエリカは真剣な表情になり隊長の背中を見た。

 

 彼女が搭乗する戦車の正面で立ち構える副隊長の後ろ姿は、戦車の砲塔天蓋に立って敵情視察するかのように不安を微塵にも感じさせない堂々とした姿であった。そう、いつもの副隊長であった。

 

 エリカは気圧されていない副隊長の様子に安堵しつつ呟いた。

 

 まったく、アンタは大した女だわ。個人的な勇気を示す限り部下が普段の数倍の実力を発揮する事を良く理解している。流石、西住流だわと言いたいけれど、私はアンタの態度が気に食わないのよ。だから、私はアンタに一言だけ言わせて貰うわ。アンタのガラ空きの背中、私が守り切ってみせる。

 

 エリカの呟きは風に乗って流れ、広大な演習場に拡散していく。

 

 それから間も無くであった。エリカが率いる中隊に加わっているバウアーからの報告が届いた。

 

「ハンバーグ2より1、正面から接近中のモルゲッソヨ約一〇〇機と副隊長までの距離が五〇〇まで迫ります。以上(エンデ)

 

 バウアーにとって対モルゲッソヨ戦は初陣だが、彼女に届けられた冷静な状況報告はみほが振り撒く勇気によってバウアーが気圧されずにいる証拠であった。エリカやみほの狂気に感染したとも言えるが。

 

 作戦開始する時が来た事を悟ったエリカは口喉マイクのスイッチを入れ、演習場のどこかに潜伏しているまほ大隊長指揮下の本隊に報告する。

 

「ハンバーグ1よりドライカレー1、スコッチエッグ作戦を開始します。以上(エンデ)

 

 ハンバーグはエリカ隊、ドライカレーは大隊長であるまほ直率隊の無線符丁である。他の戦車隊の無線符丁もひき肉料理の名称で統一していたが、みほだけは異なる符丁にしている。エリカは無線周波数を切り替えてみほに指示する。

 

「ハンバーグ1よりボコモン、作戦を始めるわよ。送れ(カウメン)

「ボコモンよりハンバーグ1、スコッチエッグ作戦を始めます。以上(エンデ)

 

 誰が用意したのか、頭に輪っかが浮かんでいるような形状をしたカチューシャと天使の羽根が背中から生えている純白のワンピースで身を装ったみほは、マイクを握り第一声を発した。

 

「こ、こんにちは。モルゲッソヨの皆さん」

 

 彼女の挨拶を聞いたエリカを始め大多数の生徒は場違いな挨拶に呆れたが、家庭や学校で厳しい教育を受けてきた彼女にとって身体に染み付いた習慣を変えるのは困難だからだ。

 

 だが、これを聞いたモルゲッソヨに変化が現れた。

 

 先程まで足並み乱れる事無く行進を続けていたにも関わらずピタリと停止し、大型のヘルメットによって隠れている顔を彼女に向けたのだ。みほはその迫力に思わずのけぞったが間も無く姿勢を正し、観客に応える地方アイドルの未成年歌手のようにモロゲッソヨへ話し掛けた。

 

「私、西住みほの歌を聞いてください。一曲目は『イムジン河』です」

 

 懐かしさを感じさせるフォークソングをみほが歌い始めると、鋼が貫いているかのように一糸乱れず行進するモルゲッソヨは動揺し始めた。必死に歌っている当人には失礼ではあるが想像以上の破壊力があったのだ。当然ながら先日の戦闘で苦汁を味わった各戦車の車長が興奮を抑えきれずにエリカへ次々と報告を届けた。

 

「ハンバーグ6より1、一部のモルゲッソヨは帽子を被ったまま両手で顔を擦り始めました。どうやら涙を拭っている様子です。 以上(エンデ)

「ハンバーグ8より1、モルゲッソヨが泣き崩れました。副隊長の歌声はマジ半端なくヤバイです。 以上(エンデ)

「ハンバーグ11より1、幾つかのモルゲッソルが頭を地面に勢いよく叩きつけていますが、何故かヘルメットがもげません。チ○コのような形状をしたヘルメットはもの凄く硬くて太くて大きいです。 以上(エンデ)

「ハンバーグ1より全車、報告内容を吟味しなさい! 以上(エンデ)

「エリカちゃん、そうカリカリしちゃ駄目よ」

「ハンバーグ1より5、レイラ、私は落ち着いているわ。 以上(エンデ)

 

 エリカは自ら率いるハンバーグ中隊で交される無線の内容に困惑しつつも、モルゲッソヨから目を逸らす事はしなかった。万が一、みほがモルゲッソヨに捕まったら彼女は戦車から飛び降り彼女を連れて逃げるつもりだった。

 

 実際に出来るか分からないがエリカの覚悟は本気だった。

 

 既に演習場の彼方から砂塵を立てつつ次々と戦車が接近しており、モルゲッソヨの包囲網が構築しつつある。みほは二曲目である「鮮やかなる朝の歌」を歌い始めており、その後、「一夜で枯れるムクゲの花」「あゝ金剛山、とある工場勤務女子哀歌」「白頭山噴火音頭」を順々に歌ってモルゲッソヨが身動きしなくなるまで歌い続ける。

 

 だが、全てのモルゲッソヨがエリカの計算通りに行動する訳では無かった。

 

「ハンバーグ9より1、約半数のモルゲッソヨが前進を継続していますが、何故か股間を押さながらみほさんに接近しています。 以上(エンデ)

「ハンバーグ4より1、押さえているというより、アレを握っています。 以上(エンデ)

「ハンバーグ1より4、要旨不明、再送しなさい。 送れ(カウメン)

「……硬くて太くて大きくてギンギンしたオチン○ンを副隊長に向けながら接近しています。 以上(エンデ)

「あっ、ホントだ。凄く大きくなってる」

「奴ら、副隊長にぶっかける気です!」

「何でそんな事を……」

「あっ、誰かから聞いた事がある。人間って死ぬかもしれない予感に襲われると、子孫を残そうとしてエッチな事をしたい気分になるんだって。だから、モルゲッソヨはそんな気分になっているのじゃない?」

「あーそーゆーことね、完全に理解した」

「わかってないでしょ」

「ハンバーグ1より全車、私語を慎みなさい!!!」

「ハンバーグ2より1、モルゲッソヨと副隊長までの距離は間も無く二〇〇、モルゲッソヨは射撃、いえ射精体勢を取り始めています。 送れ(カウメン)

 

 予想していた展開ではあるが、みほの歌声だけでは全てのモルゲッソヨを行動停止に追い込むには力不足であったのだ。当然ながらこれを見ている生徒は焦り出し、次々とエリカへ射撃開始指示の催促をしたが、エリカはそれに応じなかった。

 

 今の時点で射撃したら砲声でみほの歌声がかき消されてしまい、行動不能になったモルゲッソヨが行動再開するような予感がしたからだ。それ以前の問題として、モルゲッソヨへの包囲網が完成しつつある状況で射撃したらモルゲッソヨの奥側に展開いる戦車隊に被弾してしまう。

 

 包囲中は射撃出来ず、包囲網が完成しないと新たな作戦が発動出来ない。ほんの数分であるがエリカはそれまで待つ事しか出来ない。奥歯を噛み砕いてしまうくらいに歯を食いしばり自分自身の焦りを打ち消そうとする彼女であったが、遂に待望の報告が届いた。

 

「ロールキャベツ1、所定の配置につきました。 送れ(カウメン)

「メンチカツ1、包囲完了。 送れ(カウメン)

「ドライカレー1、配置についた。 送れ(カウメン)

 

 食いしばり過ぎて下顎に痛みが残るが、彼女はそれを気にせずに喉頭マイクで指示を下した。

 

「ハンバーグ1より全戦車、これより『ミートボール作戦』を開始する。総員直ちに準備せよ、三十秒後に作戦発動する。 以上(エンデ)

 

 指示を終えると彼女は砲塔天蓋に立ち上がる。彼女以外にバウアー、レイラといった面々も立ち上がり、更にモルゲッソヨを包囲した全ての戦車から車長や手空きの乗員が天蓋に立ち上がった。次々と戦車から現れた彼女たちに驚いたのか、みほに接近していたモルゲッソヨはピタリと止まり次々に彼女たちを見上げた。

 

 モルゲッソヨは警戒しているのではなく標的の品定めをしている。間違いない。彼女は薄気味悪さを覚えたが、それを口にする事はせずに耐え続けた。そして、遂に時間が来た。

 

 彼女の可憐な唇から、大伴家持が作詞した曲が歌声として次々と空に放たれていった。

 

 歌っているのはエリカだけでは無い。砲塔天蓋にいる生徒たちもエリカの歌声に合わせて次々に歌い始めた。彼女たちの歌声は各戦車の砲塔天蓋に増設された拡声器によって増幅され、音響兵器としてモルゲッソヨに向けられる。もちろん、みほやまほの歌声も混ざっている。

 

 これが、エリカが立案した作戦の最終段階『ミートボール作戦』だった。

 

 間も無くモルゲッソヨに変化が現れた。全てのモルゲッソヨが溶け始めたのだ。彼女たちが歌っている曲は、小学生でも簡単に覚えられる程度に短いので何度も繰り返し歌われる。それは、モルゲッソヨが完全に溶解するまで繰り返されたのだった。

 

 

 

     ◆◇◆◇◆

 

 

 

 彼女たちの目の前に広がる大地には、熱いフライパンの上で溶けたバターのようにモルゲッソヨの残骸が点々と残っていた。

 

 遂に、彼女たちはモルゲッソヨに勝利したのだ。

 

 エリカが高らかに作戦終了を告げるとあちらこちらから歓声が挙がり、彼女の隣の戦車に立つバウアーがエリカに話し掛けた。

 

「やっと終わりましたね」

「そのようね。皆、よく頑張ったわね」

「皆でノンアルコールビールパーテーィーでもしたい気分です」

「そうね、後で隊長に相談してみようかしら」

「別件ですが、たった今気付いた事があります。私たちは強敵を作ってしまったかもしれません」

「えっ?」

「奴らは日本全国どこにでも出没します。この学園艦に攻め込むのは時間の問題です」

「ぼかさないで、正体をはっきり言いなさい」

「その名は、JASRAC(ジャスラック)

「あっ……。もしかして、使用料を取られるの?」

「学校教育以外の目的で楽曲を使用しているので回避出来ませんし、集金袋を携えて乗艦してくる奴らへ戦車砲を向けられません」

「今のうちに宣言するわ。私には撃退出来る自信がまったく無い」

「人類にとって最大の脅威は人類である。この言葉は不変ですね」

 

 彼女たちの目の前には、生徒たちからのアンコールに応えたみほが曲を熱唱していた。曲名は「おいらはボコだ」だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
最終話である第一〇話は7/7(土)〇時に投稿しますので、しばらくお待ち下さい。

本作は2018年冬季五輪で世界中の視線が釘付けになった彫刻「モルゲッソヨ」から発想を得て、ブーツでリズムを取りながら歌うパンツァーリートを組み合わせようと思い立ちました。

ですが、書くにつれ何故かパンツァーリートが君が代になってしまいました。ホント計画どおりに仕事を進められない作者らしい失敗です。

さて、本作を執筆するにあたり、作者の調査不足により何箇所か適当に書いた箇所があります。下記に記しますので、ご教示いただけると幸いです。
(1)ティーガーⅡの射撃装置について、戦車砲を発射する引金もしくはペダルはどこにあるのでしょうか。
(2)「前進」「後進」「停止」「発射(もしくは撃て)」をドイツ語で発音するとどんな呼び方になるのでしょうか。










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(10)

 今日もラジオから彼女の歌声が流れている。

 

 その彼女とは、私が暮らす女子寮の同居者である西住みほの事だ。

 

 私が暮らす部屋の入口にある名札指しには、私の名前である「逸見エリカ」と並んで「西住みほ」の名札が挿し込まれているから間違い無い。

 

 彼女はモルゲッソヨ戦後、熊本の片田舎で生きている素朴な女子高生から世界で有名な女子に飛躍した。

 

 何しろ、黒森峰女学園高等部機甲科によるモルゲッソヨ撃破成功の快挙は全世界の注目を集め、その原動力となった「音響兵器みほ」に誰もが興味を惹かれたからだ。

 

 彼女の歌声による音声攻撃に懐疑的な反応をする者もいたが、それを信じた者は彼女の歌声を手に入れようと躍起になった。

 

 彼女の歌声データーが保存されているとのデマを信じた者が黒森峰女学園のサーバーにアクセスし、その過負荷によって何度もダウンした。そんな方法より彼女の歌声を録音しようとする者も現れ、こっそりと学園艦に乗り込んできた。

 

 だが、良からぬ意図を持つ不審者も次々に乗艦した。下校中の生徒に道を尋ねる程度なら可愛い物だが、嫌がる生徒を追いかけ回したり無理やり連れ去ろうとしたりする者まで現れた。私やみほも被害に遭った。この部屋に盗聴マイクが仕掛けられたり望遠カメラで四六時中撮影されたりしたのだ。

 

 そして、遂に恐ろしい事が起きた。まほ隊長とみほが道路を歩いていると、彼女たちの脇にハ○エースが停まり強引に車内に連れ込んでしまったのだ。一部終始見ていた私は、すぐに電話をした。119番へ。

 

 傷だらけになった男たちが救急車に乗せられたのは、私が通報してから一〇後の事だった。西住姉妹は可愛らしい顔に似合わず、武門の血筋を受け継いでいるのだと理解していない輩がいるから恐ろしい。

 

 このように生徒に危害が加えられる事態は黒森峰女学園学校だけで到底収束する事が出来ず、遂に日本政府が動き出した。政府が提供する映像広告や音声広告によって、みほの歌声を配信したのだ。更に日本政府は外国政府に無償で提供したのだ。

 

 その音声による攻撃によってモルゲッソヨが溶解する戦果を目の当たりにすると、今まで懐疑的だった者も超信地旋回する戦車の如く態度を変えた。こうして、一躍有名になった彼女の歌声は今日も世界のどこかで流れ、人類はモルゲッソヨの襲来に備えつつ平穏な日常を取り戻した。

 

 ちなみに、今流れている曲はみほとまほ大隊長が共に歌っている曲だ。その二人は街まで出かけて買い物をするという理由で学園艦から降りている。当然ながら、この部屋には私だけであり、一人で日課であるネットサーフィンをしている。

 

 私は自分の手と眼をせわしなく動かして情報収集をしていたが、同じ姿勢で見続けると疲れて来るので一休みしている。だから、先程まで通話していた相手との話を頭の中で思い返していた。その相手とはサンダース大のアリサだ。

 

 彼女はサンダース大に在籍している研究員で編成されたモルゲッソヨ研究チームが、モルゲッソヨから新元素を発見した事を私に教えてくれたのだ。ランダムに選択した機体から検出したらしく、サンダース大でコンクリート詰めにした機体や海外で採取した粘液にもその元素があるか調査するという。

 

 その話を聞いた私は、重要機密に値する情報を親しい関係では無い私に言うのはどうかしていると思った。だが、彼女と話をしながらサンダース大の公式ホームページに接続すると、数分前に報道各社向けに情報公開したばかりだったのだ。彼女がサンダース大に構築した情報網はかなり濃密らしい。

 

 さて、彼女の本題は新発見した元素の名前についてであった。何でも、研究者たちの間で新元素の名前が話題になっており、各自で案を持ち寄ろうという話になったそうだ。見事採用された場合には命名者にサンダース大のホテル最上階にあるスイートルームの宿泊券が与えられる。

 

 非常に気前のいい話なのだが、そのおかげで研究者たちは新元素の検出より名前を捻り出す事に熱を入れているという笑えない話にもなっている。

 

 この話はサンダース大でモルゲッソヨの研究に携わっている者だけに適用される。しかし、アリサは研究チームの許可を得た上で、私にだけ特別に命名案を提出する権利を与えるというのだ。もちろん、私が考えた名前が採用されたならばホテルの宿泊券は私のものになる。

 

 とはいえ、アリサからそんな話を突然言われても私は気の利いた名前を準備していない。だから、何となく頭に浮かんだ名前をアリサに伝えた。

 

「ミホニウム。この名前で申し込むわ」

「ミホニウム?」

「ミ・ホ・ニ・ウ・ム。ニホニウムという元素と紛らわしいけれど、ミホニウムなら相応しいじゃない」

「分かった。ミホニウムね。結果は楽しみに待っていてね」

 

 その後、幾つか情報交換をして電話を切ったのだった。

 

 私はアリサとの話を頭の片隅に追いやり、再びスマートフォンと睨めっこする。今日は『一流シェフがこっそり教える絶品ハンバーグの作り方』でも見るとしようか。

 

 奇妙な事にラジオから相変わらずみほの歌声が流れている。今日はリスナーによる選曲が集中しているのだろうか。そして、この曲を聞き続けると私の身体がおかしくなっていく。

 

 そう、おかしくなる。だるいでも痛いでもない。むずむずしてくるのだ。火照ってくるのだ。アノ部分が。

 

 そのようになったのは、みほの歌声を聞き始めてから数日後の事だ。R-18の動画を見ていた訳では無いのに身体が、特にアノ部分が火照ってくる。彼女の声質によるものなのだろうか、身体が本能的にエロくなり慰められる事を期待し始めたのだ。

 

 だから、私は無意識に手を延ばしていた。

 

 気付いた時には片手でスマートフォンを操作しながらもう一方の手でアノ部分を慰めていたのだ。もし、その時の私の無様な姿を同室者であるみほが見たならば、顔を真っ赤にして硬直したであろう。そして、次の日もみほの歌声を聴くと片手をアノ部分に伸ばし、いつしかみほの歌声ではなく声を聞いただけで変な気分になっていた。

 

 本当に私の身体がおかしくなったのか? ガールズトーク専用の掲示板を覗いてみると、私と同じように身体が変調した女子の書き込みが多数見つかった。ある女子は特定メーカーのスピーカーが原因だと思い、別メーカーのスピーカーに替えてみたそうだ。だが、何も変わらなかったそうだ。

 

 スピーカーの音質にこだわる人は、各電力会社から送られる電気が違うからだと言い出すだろう。だが、そのような変調を訴える女子は全国に散らばっている。こうなると、彼女の声質が原因だとしか考えられない。

 

 みほの歌声はまだ続く。私の身体は益々火照り、私の指はまだかと待っている。だから、私はスカートの中に手を入れ……。

 

「エリカさん、ただいま」

「ひっ! あっ……、お、おかえり」

 

 彼女の声を聴いた途端に、私の下腹部から脳に目掛けて微弱電流が流れ反射的に身体を震わせた。信じられなかった。私の指ではなく、みほのナマ声だけで軽く絶頂してしまったのだ。

 

「エリカさん、大丈夫?」

「な、何でも無いわよ」

「保健の先生に言って薬を貰ってきましょうか。頭の薬でいいかしら」

「だから大丈夫だって!」

 

 買い物に行ってきた筈なのに手ぶらで帰って来た彼女は、彼女専用の椅子に座って私の顔をじっくりと見ると少々過激な質問を始めた。

 

「ねえ。エリカさん。エリカさんにとって初恋の人ってどんな人?」

「な、何よ、あなたがそんな事を聞いてくるなんて。世界中の男女の貞操が逆転するくらい衝撃的よ」

「誰かが誰かを好きになる事はあります」

「そ、そりゃそうだけど」

 

 みほは私から何かを引き出そうとしているが、私は絶対に口を割るつもりは無い。初恋の相手はみほだって絶対に言わない! 一〇年以上前にみほと会った時に男の子だと勘違いした私が馬鹿だったのよ!

 

 私が頑として口を割らない事が理解出来たらしく、みほは一呼吸つくと自ら話し始めた。

 

「わたしね、恋をしちゃいました」

「どうした風の吹き回しかしら。あなたからそんな話をするとは思わなかったわ」

 

 人見知りで恥ずかし屋であるみほの性格を知る者ならば、このような話題を自ら進んで話すのは彼女にとって思い切った行動である。彼女は日常会話でも受け身な姿勢だが、今日は珍しく自ら進んで話を続けた。

 

「彼は寂しそうな顔をしていた。それで、何となく心が惹かれちゃった」

「その人と出会ったのは何時なの?」

「最近です。怖い顔をしているかと思っていたのに、ヘルメットを脱いだらそんな顔をしていたんだ」

「へええ、そんな仕草でキュンと来たんだ。それで、どこの誰よ」

「えへへ、話したくないよ」

「そこまでバラしたなら最後まで言いなさい。学園艦で働いている人なの?」

 

 みほはニコニコしながら私に近づく。どうやら私の耳元でその人物を教えるつもりらしい。私とみほの二人しかいないのにわざわざ手間を掛けるのは、恥ずかしがり屋である彼女らしいといえる。

 

 彼女が私の耳元に近づくと、私は彼女の言葉を聞き洩らさないように耳を澄まして構えた、だが、私はうっかりしていた。彼女がみほである事に。

 

「エリカさん、何回イッタの?」

 

 途端に私は大きく仰け反った。まるで、私の腰の奥深くから脳天目掛けて高圧電流が流れたような衝撃を受けたのだ。先程経験した微弱電流の比では無い。そして、私は雪原での戦闘で遭遇するホワイトアウトのように目の前が真っ白になる。みほの声が持つ破壊力を体験した瞬間だった。

 

 次第に視界が回復すると私の目の前にみほがいる。その顔はニンマリとしており彼女の思い通りに私が反応した事に満足している様子だった。何で私はこんな姿をみほに見せなければならないのだ。私は怒気を含んだ口調で文句を言った。

 

「あ、あなた。何を考えているのよ! モブキャラ顔のくせにキモイのよ」

「いつもツンツンしているエリカさんが、私の声をオカズにしているほうがもっとキモイよ。お姉ちゃんに言おうかな」

「ま、待って。それだけは止めて!」

 

 みほは私の言葉を聞き流すかのように顔色を変えず、ニンマリとした表情のまま私に詰め寄る。彼女が何をしようとしているのか理解した私は必死に懇願するが、彼女はそれを無視して再び私の耳元で囁く。

 

「エリカさん、凄く可愛いよ」

 

 再び高圧電流が駆け抜け反射的に身体を仰け反らせると、身体中の力が抜けてしまい机にうつぶせてしまう。みほはそんな私を見下ろしつつ口を開いた。

 

「彼の言うとおりだ。凄い力を秘めているんだ。私の声って凄い」

「彼って誰よ」

「エリカさんの目の前で私とキスをした人だよ」

「目の前? ちょ、まっ、ええっ! あなた、自分が何をしゃべっているのか分かっている!?」

「分かっているよ。彼はモルゲッソヨの一〇〇人隊長だよ」

 

 信じられない。みほがモルゲッソヨに恋をしたなんて信じられない。彼女が私より先に彼氏を作ったならば嫌味の一つでも言いたくなるが、よりによってその相手がモルゲッソヨだとは……。

 

 私は想定外の事実に困惑しつつ、更に彼女を問い詰めた。

 

「み、みほはモルゲッソヨに何をされたの?」

「戦車の車内に入った時、彼が私のショーツの中に手を入れた。私はびっくりしたけれど、彼の顔を見たら彼の行為を受け入れてもいいかなって思った」

「なっ……」

「彼は私の身体にある赤ちゃんが出来る所にカプセルを押し込んだ。今でもそれは私のお腹にある」

「アンタ、馬鹿ぁ? 何でそれを早く言わないのよ」

「彼と私だけの秘密にしておきたかった」

「ちょっと待て! もしかして、おもらしした理由は」

「お姉ちゃんなら私の変化に気づくと思い、おもらしして私から流れた血の跡を流そうとした」

 

 私は絶句した。まぎれもなく絶句した。

 

 モルゲッソヨの戦略の素晴らしさとみほの決意だ。世界人口が70億人突破しており出産可能な婦女子だけでも25億人程度いるだろう。その婦女子を殺害するために必要な機数を用意出来ないモルゲッソヨは、最初から人類を絶滅されるのは不可能だと悟っている。

 

 だから、モルゲッソヨは世界に影響を与える女子を一人作り上げた。それが西住みほである。

 

 どのような原理か分からないが、彼女の胎内にあるカプセルが彼女の声を催眠効果がある声に変化させているのだ。

 

 今後もモルゲッソヨは世界の各地に出現し、それに恐怖を感じた者はみほの歌声を音響兵器として用いてそれを撃破する。だが、彼女の歌声は催眠効果を持ち、それを聞いた女子に悪影響を与える。

 

 戦争や飢えの恐怖に怯えながら束の間の平和を楽しむ人類にとって、みほの歌声は甘美な毒なのだ。

 

 だから、すぐに止めなければならない。だが、どうやって止めればいいのだろうか。

 

 私は必死に考えようとしたが、みほは私の浅はかな発想に呆れたかのような口調で話す。

 

「止めようとしてももう手遅れよ。私の歌声は日本政府が発信している。今更、事実を説明しても一度決定した事は簡単には覆らないし、間違いに気づいても絶対認めないから私の歌は流れ続ける。もう、誰にも止める事は出来ない」

 

 その時、私のスマートフォンが鳴りだした。発信者はサンダース大のアリサだった。私はそれを掴み電話に出るとアリサの逼迫した声が流れて来る。

 

「いま、モルゲッソヨの襲撃を受けているわ。今度のモルゲッソヨには噴進弾発射機を背負った機体があって、それで大学の校舎を次々に破壊しているのよ。モルゲッソヨの狙いは研究施設らしく、標本やサンプルが次々に吹き飛んでいる。黒森峰にも」

 

 唐突に通話が途切れた。彼女が被害を受けたのではなく、電話交換施設が被弾したと信じたいが……。

 

 アリサの声はスマートフォンから漏れ聞こえ、みほの耳にも届いたようだ。彼女は戦果報告を受けても顔色一つ変えないまほ隊長のように、淡々と事実のみ話した。

 

「流石、お姉ちゃんだ。的確に攻撃している」

「まほ隊長も戦っているの!?」

「サンダース大にモルゲッソヨを五〇〇機投入した。噴進弾発射機搭載型五〇機と噴進弾型四五〇機だよ。お姉ちゃんが現地で指揮している」

「モルゲッソヨが増えてる……」

「鋳型が無くてもモルゲッソヨを量産出来る方法があるのよ」

「それより、どうしてまほ隊長が」

「私がお願いした。エリカさんにしたのと同じ方法で」

 

 みほの話が事実であれば、まほ隊長はみほの操り人形のようになっているのだろう。そうなると、私は彼女に反抗すべきか従順な忠犬になるべきか、どちらか選ばなければならない状況になっている。だから、私は彼女の真意を聞き出した。

 

「みほの目的は何?」

「人類から母性本能を消し去ること」

「母性本能?」

「女の母性本能が目覚めるのは男がいるからだよ。男の人と一緒に居てその人が困っていると無性に助けたくなる。それが母性本能。ダメンズだろうがジェントルマンだろうが同じだよ」

「その理屈は分かるけれど」

「だったら、男を必要としない世界にすればいい。社会的に女の地位は低いままなのは、男に頼る事で低い地位のままに甘んじているからだよ。でも、それは女の身体が男の身体を受け入れる構造になっているから仕方ないとも言える。それを覆すためには、母性本能を発揮させないようにすればいい」

「何て恐ろしい事を……。あなたの歌声を聞いた女は男が不要な身体になり、いずれ子供を産まなくなる」

「そうだよ」

「だけど、子供が生まれなければ人類は減っていく。男が居なくても自立出来る世界が出来る前に人類が絶滅するわ」

「そうなったら私が作るわ。成○琳さんが実現出来なかった地上の楽園だよ。彼が私に託したカプセルを使ってね」

「はあっ!?」

「エリカさん。この世界は反応弾一発で何万人が蒸発する事実を忘れ、掛け蕎麦と盛り蕎麦の議論を延々と続いている呑気な世界なんだよ。反応弾には関心を示さないのに私の計画だけ恐ろしいと捉えるのはおかしいよ」

 

 冗談じゃない! 女は胎内に子供を宿すと強くなると聞くが、その方向が間違っている。私にはみほが何を考えているのか全く理解出来ない。

 

 だから、私は彼女の眼を覚まさせようと強力なビンタを浴びせようとした。しかし、その手は彼女を頬を叩く前に止められた。

 

 床から現れた一機のモルゲッソヨが私の手首を掴んだのだ。モルゲッソヨが掴む力はあまりにも強く、私は思わず悲鳴を上げた。

 

「エリカさん、私は全てを話した。そして、モルゲッソヨを手中に収めているのは私だけ。エリカさんなら、この意味は分かるよね」

 

 抵抗したら殺される。間違いなく彼女は本気だ。私は純白のハンカチを掲げる代わりに両腕を力なく下げた。

 

 私には彼女の忠犬となる道しか残されていない。これから、私には首輪を括り付けられ精神的にも肉体的にもみほの思うが儘になるのは避けられない。

 

 これが、忠犬だ。忠犬たる資格を持ち彼女に選ばれた特別な忠犬なのだ。だから誓う。みほは私がいないと生きていけない女に変えてあげようではないか。

 

 私の決意に気づかないまま、みほは近づくと私の耳元で囁いた。

 

「エリカさん、キスをしよう。十年越しのキスだよ」

 

 念願のキスの味は分からなかった(モルゲッソヨ)

 

 そして、私の眼から零れ落ちる涙は恐怖と歓喜のどちらの成分が含まれているのか分からなかった(モルゲッソヨ)

 

 最後に、私には私の心に生えている尻尾が激しく振れている理由が全く分からなかった(モルゲッソヨ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

               (完)



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