突然ですがワンサマーになりまして (幻想交響曲)
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織斑一夏という少年

 二人の子供が剣を構えて向き合っていた。

 

 一人は少女。

 竹刀を中段に構え、向かい合う相手の一挙一動を見逃すまいとしている。小学生とは思えないほど洗練されたその構えは彼女の才能を思わせた。

 名を篠ノ之箒。この道場の主の娘である。

 

 一人は箒と同じぐらいの少年。

 箒とは違い、だらりと腕を下げている。構えを形式上ですら取らないその姿は完全に相手を舐めているように見える。

 箒を見据える眼には一切の光がなく、顔からはありとあらゆる表情が抜け落ちていた。

 名を織斑一夏。この道場の主を持って"鬼才"と言わしめた少年である。

 

 二人の間には小学生とは思えないほどの緊張感が走っていた。

 並の者ならばこの気だけで卒倒するだろう。

 現に箒の額には嫌な汗が滲んでいた。

 

 –––––やはり、強い………。

 

 幾度となく一夏に挑んだが、箒が勝てた試しはない。

 一見ふざけているようにしか見えない一夏だが、箒はそれが一夏にとって最適な"構え"なのだと認識している。

 予測不可能な軌道に、型にはまらない動き。

 対策のしようがない一夏に何度も敗北を喫してきた。

 

 –––––しかし、今日こそはっ!!

 

 先に仕掛けたのは箒だった。

 見た目に似合わない強力な踏み込みで、一夏に接近する。蹴られた床が大きな音を鳴らす。

 

 一夏は動かない。

 腕をだらりと下げ、光のない瞳だけが箒を捉えていた。

 その瞳に気圧されそうになるも、己を奮い立たせて竹刀を強く握る。

 

 ––––勝ちたい。負けたくない。

 

 そこに小難しい考えなど存在しない。

 ただただ目の前の相手に勝ちたいと願う。

 

 軽量化するために短くされた竹刀。箒が持つその竹刀の間合いに一夏が入る。

 互いに竹刀を振れば当たる位置だ。

 

 一夏の腰が沈む。

 

 瞬間、箒の眼前には竹刀の切っ先が迫っていた。

 ノーモーションから繰り出される最速の突き。無形の構えから放たれるそれは予測すらさせなかった。

 

 一夏の突きは的確に箒の面を捉え、その勢いで箒の体が後方へと軽く吹き飛ぶ。

 正に一瞬の出来事だった。

 目は晒さなかった。瞬きはしなかった。それでも一夏の動きを捉えることは出来なかった。

 

 –––––悔しい。

 

 箒は自分を見る冷めた少年を見てそう思う。

 不思議と怒りは湧かなかった。それほどまでに隔絶とした差があるのを幼いながらに理解していた。

 それでも小さな武人は悔しさを滲ませる。

 

 一方、一夏はというと

 

(箒ちゃんが小学生をやめている件について。篠ノ之家には化物しかいないのか……泣きそう)

 

 一人静かに涙を流していた。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 気が付いたら別人になっていた。

 

 縮んだ体、顔を初めて見た家族と思われる人たち、見知らぬ町。理解したくなくても世界が無理やり理解させようとしてくる。お前は転生したのだと。

 

 現実逃避すること先日100回を達成。

 

 涙を流すこと数知れず。

 

 何故か言うことを聞いてくれない表情筋に、前世から引き継いだコミュ障。

 なんてものを引き継いできてんだお前。それだけは置いていきなさいってお母さんに言われただろ? 言われてなかったか、そうか。

 

 "転生"はコンプレックスを克服するものだと思っていた俺には衝撃の事実だった。

 転生ってブスはイケメンへ、無能は天才へ、コミュ障はリア充へと変わるための儀式ではなかったのか。なんでマイナスを引き継いできてんだよ。

 あまりの衝撃に「なんでやねん……」と関西弁になるぐらいだ。

 

 だがしかし、別に悪いことばかりではない。

 このままだと俺はコミュ障糞童貞野郎というイメージが形成されてしまう。少し待ってほしい、これから、これからがアピールポイントだから。

 

 まず、顔は非常に整っている。

 表情を全く変えることができないという凄まじいハンデがあるものの、それでも手放しにイケメンだと言っていい。

 どれくらいかと言われると、前世の俺が出会ったならば出会い頭に顔面に一撃、気絶したところをゲイバーに叩き込み、その情報を写真とともに学校に流すほどだ。

 

 そしてやたらと器用なのだ。いや、才能に溢れていると言うべきか。

 器用貧乏ならぬ、器用万能。練習しなくともある程度形になり、努力すればおそらくほぼ完成すると言っていいだろう。

 とはいえ、やはり一流には劣ってしまうだろう。技術がそんなに安っぽいものだとは思っていない。

 今はその才能を剣道に注いでいるというわけだ。

 

 ………なんだこの主人公感。何故かイケメンで、何故かなんでも出来るご都合主義の塊のような存在になってしまった。

 くっ、これでコミュ障さえなければ完全体になれたものを。コミュ障さえなければ!!

 願わくはこのコミュ障をなんとかしてくださいご都合主義様。え、無理? 主人公補正がかかってできないならどうしようもないだろ、いい加減にしろ。

 

 ごほん、ともかくそれが俺『織斑一夏』という存在なのである。

 

「やはり一夏は強いな」

 

 ザ・大和撫子な少女が俺に声をかけてきた。

 見た目こそ大変可愛らしい彼女だが、中身はきっと鬼か何かだろう。

 毎日毎日俺に勝負を挑み、殺気にも似たものを纏って竹刀を振る。先ほども小学生の女の子とは思えない気迫だった。

 彼女の姉も化物だし、父親も化物、ついには箒ちゃんまでその片鱗を見せてくるとは。もはや篠ノ之家の癒しは篠ノ之マザーだけである。

 

 なぁ、俺は何か恨みをかうことでもしたのだろうか。誰か聞いておくれ。

 俺? 自分から声をかけるなんて無理無理。コミュ障舐めんな。

 

「もう私では相手にならないな」

「いや……」

 

 これ以上強くなる気ですか………。

 小学生であの気迫だぞ? これが高校生にでもなってみろ。竹刀ですら首を切れるようになっているかも知れない。

 篠ノ之家ならできそうなのが怖い。

 あの妹大好きっ子が手を出すだけでできそうなのが怖い。

 

「ふっ、慰めなんていらない。でも、いつかお前を超えてみせるからな!!」

 

 ビシィッと竹刀の切っ先を向けて高らかに宣言する箒ちゃん。

 あら、カッコいい……じゃなくて。

 慰めなんて俺がするわけないだろ。むしろ俺が慰めてほしいわ。この境遇を諸々。

 

「にしても、やはりあの構えだけはどうにも慣れないな。隙だらけに見えるのに隙がない。誰に教わったんだ?」

 

 アニメから………なんだよなぁ。

 ほら強キャラに構えないキャラっているやん。自然体こそ最強!! みたいなキャラが。

 単にそれを真似ただけなんだよなぁ。

 

「………誰とは言えない」

「………そうか」

「………ただ、俺とは次元の違う存在だ」

 

 文字通り次元が違う。

 二次元と三次元の話だからな。

 

「次元が………違う?」

 

 え、何深く考えてんの?

 待って待って、「うわー、二次元のキャラが師匠とかないわー」とか思ってない?

 違うから、男なら誰でも通る道だから。

 お願い引かないでぇぇぇ………。

 

「一夏の師匠だからな……うん、私には想像もつかない」

 

 やめて、そんな遠い目をしないで。せめてなじって、馬鹿にして。

 その中途半端な優しさが一番効く。

 曖昧な答えってのは無責任なんだぞ! 聞かれたから答えただけなんだから、この始末は箒ちゃんがつけてくれよ!!

 

 まじでどうする? 無愛想なオタクなんて需要ないぞ。

 オタクってのは若干オープンぐらいがちょうどいいんだ。何より隠すよりも印象がいい。陰キャ臭が薄れるからな。

 

 ところが暗い奴がオタク趣味だったらどうだ?

 どう見ても完全にヤバイ奴です、本当にありがとうございます。

 経験上、暗いオタクは性癖が特殊な奴が多いと認識している。ロリコンだの、マゾだの、BL好きだの。もうお腹いっぱいですわ。

 

 あぁ、俺はこれからどんな顔をして会えばいいというんだ。

 箒ちゃんの性格上、言いふらすなんてことはないと思うが、付き合いの長い彼女に誤解されるのが一番辛い。

 

 ………もう、どうにでもなってしまえ。

 明日は明日の俺がなんとかするさ。な、明日の俺。

 明日の俺が今日の俺に対して暴言を放っている気がするが、気のせいだろう。多分、おそらく、メイビー。

 

 

 

 あ、目眩がしてきた。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

「にしても、やはりあの構えだけはどうにも慣れないな。隙だらけに見えるのに隙がない。誰に教わったんだ?」

 

 箒はほんの興味本位で一夏にそう問うた。

 一夏という少年は構えからも分かる通り異質な存在だった。

 型にはまった動きを嫌い、自由な動きを好む。基本の動きを投げ捨て、変態とも言える動きで戦うのだ。

 

 道場の主、篠ノ之柳韻が言うに"奇剣"。

 構えをとらず、時には竹刀を投げ、竹刀を蹴り飛ばし、曲芸じみた動きも見せる。

 剣道というより剣術。

 それも実戦よりの何でもありの戦い向けの。

 

 故に柳韻は一夏に己の流派を教えていない。というより教えられないのだ。

 基礎を重んずる堅実な篠ノ之流と、自由な一夏の剣は相容れない。

 柳韻は一夏の剣に不純物を加える気はなかった。一つ決まった型を加えてしまうと動きに変な癖がついてしまう。それでは一夏の強さが薄れてしまうと考えたのだ。

 

 現在、一夏に課せられているのは体力作りと実戦のみ。

 実質的には柳韻は師と言いづらい。

 

 しかし、箒が知る中で一夏より強いのは自身の父である柳韻と、一夏の姉織斑千冬しか知らない。

 柳韻はもちろん、千冬も篠ノ之流を学んだ者であるので、とうとう箒には思い当たる人物がいなかった。

 

「………誰とは言えない」

 

 一夏はしばしの間考え込んでそう答えた。

 一夏は自分のことをあまり語らない。

 それを箒は知っている。知っているが、

 

「………そうか」

 

 納得いかない。

 軽い気持ちで聞いたものだが、それなりに興味があったのだ。

 箒にとって一夏とは絶対的な壁である。そんな目標の師のことを知りたいと思うのは当然だった。

 

「………ただ」

 

 そんな箒の様子を見たからか、一夏は珍しく言を続けた。

 

「俺とは次元の違う存在だ」

「次元が……違う?」

 

 そして紡がれた言葉に箒は戦慄する。

 次元が違う。言葉の通り立っているステージが違うということだろう。

 一夏をしてそう言わしめる実力者。

 顔の見えない強者にぶるりと体を震わせる。

 

「一夏の師匠だからな……うん、私には想像もつかない」

 

 そして箒は考えるのをやめた。

 一夏と次元の違う存在。幼い彼女の小さな世界では、それは鬼とかいう化け物の類にしか思えなかった。

 

「………もうこんな時間か」

「ん、え、ああ、そうだな」

 

 壁に掛けられている時計を見れば、時刻は午後6時。

 外を見れば日は落ち始め、オレンジの空に夜の黒が滲み、綺麗なグラデーションを成していた。

 

 どこか大人びている一夏だが、その実まだ小学生だ。織斑家にはしっかりと門限が定められている。

 織斑家には親がいない。

 一夏と千冬の二人しか家族がいない。

 だからこそ、一夏は千冬との約束を違えることはほとんどない。

 

「じゃあ、着替えてくる」

「あ、ああ」

 

 先程までは気が付かなかったが、一夏の目がいつもより濁っているのに気付く。

 不気味、というよりも恐怖を煽ってくる瞳だ。

 基本このように濁りが増しているときは疲れている時だと箒は知っていた。

 あの構えもそれなりに神経を使うのだろうと一人納得する。

 

「おい、大丈夫か?」

 

 ふらふらと覚束ない足取りで歩く一夏に声をかける。

 今にも転びそうで安心して見ていられない。

 箒の心配げな声に、一夏は後ろ手に手を振るだけ。大丈夫だということだろう。

 

(私も少しは近付けているということか)

 

 これまではあそこまで疲労を表したことはなかった。

 そんな一夏に疲労させるほどのことが出来たのだと、自分が着実に強くなっているのだと満足げに笑う。

 

 ただ疑問に思うのは試合内容だ。

 いつも通り何もできずに勝負がついてしまった。一夏が疲れる要素など、どこにもなかったはずだが。

 

(まぁ、いいか)

 

 己の憧れの父は言っていた。強者には"気"というものが存在すると。

 実際、箒自身も柳韻と対面した時は、表現しづらい圧迫感のようなものを感じることがある。

 それが自分にも付いてきたということか。

 

 頰が緩む。

 満足げに笑う顔は先程までの鋭さのない、年相応の笑顔だった。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 疲れた………主に精神的に。

 早く帰りたい。帰って寝たい。明日になれば全部忘れて、またいつも通りになるはずだ。

 できるならば箒ちゃんにも今日のことは忘れてほしい。まぁ、無理なんだろうけど。

 あの子も大人びてるからなぁ。前世の俺なんかじゃ比べ物にならない。とっても賢い、優秀な子だ。

 

 だからこその心労なんだけども。

 

 やってしまったものは仕方ない。

 覆水盆に返らず。

 俺にできることは、箒ちゃんが奇跡的に忘れてくれることを祈るだけだ。

 

 とにかく着替えよう。

 早く帰らないと、姉上様に怒られるのは少々面倒だ。

 

 半袖短パンという年相応の服を着る。

 普通の小学生なら活発な少年に見えるかもしれないが、俺は例外である。表情の抜け落ちた顔が違和感をこれでもかと主張してきている。

 

 まぁ、似合っていない。

 

 首から上と下の温度差が半端じゃない。

 下は夏をイメージさせるのに対し、上は真冬。それも吹雪の真っ只中だ。

 ギャップもここまでくると全く萌えない。むしろ摩擦を起こして大変なことになっている。

 

 そんなことを言っても、俺の表情筋はうんともすんとも言ってくれない。俺の体なのに俺の体じゃないみたいだ。

 仕方ない、服はそのうち新調するようにしよう。顔の方はどうしようもないのだから、服の方を合わせるしかない。

 暖色系はあまり似合わなそうだ。俺はクール系(笑)だからな。

 

 竹刀を入れたケースに道着を入れた袋をぶら下げて、それを肩にかける。

 ずしりとした重みが肩にのしかかる。

 こうやって武器を持っているアピールをする事で不審者から守る効果があるらしい。姉さんはそう言っていた。

 こんな無愛想なクソガキによくしてくれる姉の言いつけは守らねばなるまいと、重みに耐えながらもこの体勢をとっているわけだ。

 なお、気を抜くと肩に痣ができるので、そこだけは注意しなければならない。

 

「ありがとうございました」

 

 外に出た俺は振り返り、篠ノ之道場に向かって礼をする。

 武道とは礼に始まり、礼に終わる。

 部活で運動部に入っている人もわかると思うが、施設に入るときも退出するときも礼をしたはずだ。

 要はそれと同じ。使わせてもらったことへの感謝だ。

 形だけでもしておくのは礼儀というものだろう。

 

「いっくん、久しぶりだね」

 

 ………突如、背後から嫌な声が聞こえた。

 

 ここ最近聞いていない声。これを聞かなくなったからか、俺は安眠できるようになり、姉さんもストレスフリーな生活を送っている。

 今、体に拒否反応が起こっている。

 細胞単位で声の主を嫌っているのがわかる。

 

 表情筋は言うことを聞いてくれないが、やはり俺の体だったらしい。

 そうだよな、あの人が持ってくることって面倒ごとしかなかったもんな。そりゃ拒否反応も起こるよな。

 

「あれ、聞こえてないのかな? おーい、私だよー、束さんだよー」

 

 ええ、ええ、わかってましたとも。

 声が似ている別人という微粒子レベルの可能性を信じていたってのに、ことごとく希望を消してきやがって。

 また面倒ごとですかい、たまげたなぁ。

 

「………お久しぶりです、束さん」

 

 そこにいたのは紫の髪を揺らす美少女。

 箒ちゃんの姉であり、千冬姉さんの友であり、俺の胃痛の原因、それすなわち–––––

 

「うん! 久しぶり!」

 

 –––––篠ノ之束である。

 




織斑一夏

憑依系オリ主。
転生時の過度なストレスで表情筋が死滅。
前世からのコミュ障はかなり重度で、自分から声をかけられないのはもちろん、長い文章を喋ると自動的に声が出なくなる。

やりたいことがなんとなく出来てしまう天才肌。
なお、実用性からかけ離れれば離れるほど才能が発揮される残念系。

原作とは違い、正義感は人並み程度しかない。
困っている人がいれば助けようとはするが、割りに合わなければ切り捨てる。
良くも悪くも等身大の人間。


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篠ノ之束という天災

 白騎士事件というおそらく未来永劫語り継がれるであろう事件が四年前に起こった。

 

 各国の軍事基地が何者かに一斉にジャックされ、核弾頭を含む弾道ミサイルが一斉に日本に向けて放たれた。

 その数、計2341発。

 平和ボケしていた日本の国防では明らかに手に余っていた。

 

 が、日本人って生き物は意外と強かなもので、2ちゃんでは様々な憶測が飛び交い、『日本滅亡の危機ナウ』という呟きも多く見られた。

 まったくもって危機感が足りてない。

 俺はというとぐっすり寝ていた。そう、寝ていたのである。それはもう熟睡していたらしい。

 俺の体は危機感を持ってないどころか、危機すら感じなかったようだ。我ながら鈍いやつである。

 

 まぁ、結果的には俺たちは助かった。

 

 突如現れた白い機体、のちに"白騎士"とよばれるものである。

 それが全てのミサイルを叩き落とし、全くの被害を出さずに制圧してしまったのだ。

 おそらくガン○ムだろう。いや、そうに違いない。

 生中継を見れなかったのが残念でならない。今は情報規制で見ることができないからな。

 

 これを作った人とは話が合いそうだ!!

 そう一人で盛り上がっていたのも束の間。頭の片隅で嫌な予感がよぎる。

 一度気付いてしまえば止まらなかった。

 

『いっくん、見て見てすごいでしょ!!』

 

『白がいいかな? 黒がいいかな? いっくんはどう思う?』

 

『名前? そうだなぁ––––––

 

 

 

 –––––インフィニット・ストラトス………かな』

 

 歩く地雷原こと束さんが幼い俺に嬉々として語ってくれた夢の結晶。

 それは奇しくも"白騎士"の正式名称『インフィニット・ストラトス』と同名だった。

 

 –––––またお前かい。

 

 納得といえば納得だった。

 彼女以上の天才を見たことはなかったし、これからも見ることはないだろう。

 仕方ない、仕方ないが許せない。

 束さんじゃなくて、束さんと気が合いそうと一瞬でも思った俺を。自分で自分を人外認定してしまったようで、ショックで数日寝込んだ。

 

 しかも、そんな天才の束さんがらしくない欠陥品を作ったのも今は問題となっている。

 何故かインフィニット・ストラトス、通称ISには女性しか乗れない。

 つまり俺は乗れない。俺はガンダムには………なれない。

 

 いや、そんな小さな問題––−−俺にとっては大問題だが––−––ではない。

 世界が一変した。

 強大な力を持った女性は優遇され、いつしか男性を見下すようになる。

 物理的な力にも、法律にも守られた女性の態度が大きくなるのは自明の理だったのだろう。かつて男性がそうであったように、今度は女性の番だというだけだ。

 まぁ、男の俺としては生き辛い世の中であるが。

 

 かくして、武力・権力を手に入れた女性。

 彼女たちが舞台で放った一言は現状を人々に強く刻みつけた。

 

『女性こそが世界を引っ張っていくべきだ。文句があるなら無能な男どももISを使ってごらんなさい』

 

 女性は堂々と歩き、男性が肩身の狭い思いをする。

 世はまさに大女尊男卑世界。

 俺、織斑一夏はそんな世界の波に流されて生きていく………!!

 

 と、一人盛り上がってしまい申し訳ないが、まあ何が言いたいかというと、目の前の女性がISの生みの親であり、呼吸をするように面倒ごとを持ってくる災害のような人だということだ。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

「………それで何か?」

 

 束がニコニコと一夏を眺めていると、一夏は不機嫌そうにそう束に問いかけた。

 ただし、表情には出ていない。

 束は一夏の声色の微妙な違いから一夏の心情を察しているのだ。

 

 –––––あぁ、警戒されてるなぁ。

 

 束自身が一夏に直接何かをしたわけではない。むしろ、親友の弟として可愛がったつもりだ。

 しかし、一夏は束から何かを感じたのか、ある一定の警戒度で接しているようなのだ。

 

 その警戒は間違いじゃない。そう束は考えていた。

 束は己の狂気を認識している。そして隠し方もよく知っていた。

 それを幼い一夏に読み取られたのかもしれないと考えると、束は一夏に興味を持たざるを得なかった。

 

「いっくんと久々にお話したくてね。こうして飛んできたわけさ」

「………仕事は?」

「もちろん抜け出してきたよ。あ、位置は特定できないようにしてるから安心してね」

「あ、はい」

 

 束はISを発表して以来、軽い軟禁状態にあった。

 最重要人物が脱走している今、おそらくそこは大パニックに陥っていることだろう。

 

 束が他人を慮ることなどほとんどない。

 そもそも彼女が認識している人物など両の指で足りるだろう。それ以外の人間など彼女の世界にはなから存在しない。

 一夏もそれを知っているからだろう。納得したような、呆れたような返答をする。

 

「………門限がありますので」

「知ってるよ。いっくんの家に行きながら話そっか。久しぶりにちーちゃんにも会いたいし………あ、ついでに束さんの晩御飯も作ってくれると嬉しいな」

「構いませんよ」

「やったぁ!! ありがといっくん」

「二人も三人もさほど変わりませんので」

 

 飛び跳ねながら喜ぶ束に、一夏は平坦な声で了承の意を伝える。

 感情を全身で表す束と、全く表さない一夏。

 対極にある二人のコミュニケーションが成立しているのはひとえに束のおかげだろう。

 一夏の感情を大まかに察し、引き際を考えて話す。

 これがいかに難しいことか、一夏が相手ならば尚更だ。

 

「じゃ、行こっか」

「ええ」

 

 二人は並んで織斑家へと歩き始めた。

 

 

 

 

 

 日はもうすぐ完全に沈みきり、空は黒に覆われそうになっている。

 田舎とは言わないが、特別都会とも言えない場所であるので、空に浮かぶ星はそれなりに綺麗に見える。

 幸いなことに今日の昼間は雲ひとつない晴天だった。夜が更ければ星は夜の黒に映えることだろう。

 

「最近どう?」

「どう、とは?」

 

 束は唐突に一夏に問いかけた。

 怪訝そうにこちらを見てくる一夏。束から言わせれば別に深い意図はないのだが、一夏は何かを疑っているように見える。

 警戒されていることを再認識し、そんな態度に苦笑いを浮かべる。

 

「そんな深く考えなくてもいいよ。ほら、学校のこととか、箒ちゃんやちーちゃん関係とか」

「ふむ………」

 

 難しく考えなくていいと言ったはずなのに、考え込んでしまった。左手を顎に当てる姿は様になっているが、いかんせん小学生では違和感がある。

 そんな一夏を見て、根が真面目なのだろうと束は結論づけた。

 

「………面白いことは特にありませんね」

「そう?」

「束さんに言うほどのことではないかと」

 

「そっか」と笑いながらも、束は一夏の言うことをあまり信じていなかった。

 何故かはわからないが、一夏は会話が続かない答えをわざわざ選ぶ節がある。彼が言ったことが本当かどうかは実際に見てみないとわからないのだ。

 めんどくさい子だなぁ、なんて思いながらもどこか憎めない少年を見てくすりと笑う。

 

「どうかしました?」

「ううん、なんでもなーい」

 

 一夏の背後に回り、抱きついてみる。

 束の豊かな胸が押し付けられるが、一夏は相変わらず無表情だ。一度こちらを見たかと思えば、歩きづらそうに移動を再開する。

 

 –––––うーん、いっくんも男の子だねぇ。

 

 突如として上がった心拍数が一夏の隠された心の内を如実に表していた。

 内側がここまで乱れているのに外側には一切出てこないのだから大したものだと束は思うのであった。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 俺は今日という日を忘れることはないだろう。

 背中に当たる豊かな双丘に、女性特有の甘い香り。束さんは地雷原だが、その実黙っていれば絶世の美女なのだ。

 

 そんな彼女が抱きついてきたんだ。興奮せずにいられるだろうか、いやない。

 もしこれで興奮しない奴は枯れているか、特殊性癖を持ってる奴だ。

 今ほど俺の表情筋に感謝したことはない。表に出てこないおかげで俺が変態という烙印を押されるのを回避できた。

 

 途中、千冬姉さんと箒ちゃん関係を聞かれそうになった時は少々ひやりとしたが、深く突っ込まれなかったのでセーフということだろう。

 束さん、百合疑惑かかってるからなぁ。あの人千冬姉さん好きすぎだし。

 箒ちゃんが好きなのはシスコンでグレーゾーンだが、千冬姉さんはアウトだ。

 余計なことを言えば面倒なことになるのは確実だ。

 絡みが普段の倍になる。流石に理性も持たないので勘弁してほしい。

 

 千冬姉さんが結婚できるかと言われれば首を傾げざるを得ないが、流石に女同士はちょっと。

 

 ………いや、束さんなら性転換も簡単にできそうだな。

 よし、そのあかつきには千冬姉さんをプレゼントしよう。料理、掃除とは言わず、家事全般全てができない姉でいいならば喜んで差し上げよう。

 

「おぉー、久しぶりだなぁ」

 

 そんな束さんの声を聞いて、背中に向けられている全神経のうち、ちょこっとだけを周りを確認するために振り分ける。

 どうやらこの幸せな時間も終わりを迎えるらしい。

 

 ここからは束さんが持ってくる面倒ごとをいかに押し付けるかだ。なお、千冬姉さんも俺に押し付けようとするので、毎度のごとく冷戦が勃発する。

 が、基本的に俺が負けることになる。

 あんないい笑顔で拳を握る姉に刃向かうことができるほど、俺の心は強くない。

 

「ただいま」

 

 アパートの一室の扉を開け、中にいるであろう姉に声をかける。

 

「ああ、おかえり一………夏」

 

 中から出てきた千冬姉さんは微笑みを浮かべ、そしてその笑みは一瞬で固まった。

 まぁ、十中八九となりの人のせいだろう。

 

「ちーちゃぁぁぁぁぁん!!」

「ぐはぁっ!」

 

 は、早すぎて見えなかった。

 背後から一瞬だけ筋が見えたかと思えば、気付いた時には千冬姉さんに突っ込んでいた。

 なんだあの生物、こわ。

 

「ちーちゃん、ちーちゃんちーちゃん、すーはー」

「やめろ束、気持ち悪い」

「良いではないか良いではないかー」

 

 抱き合い、頰を擦り合わせている二人を見ると、こう、百合の花が見えるといいますかなんと言いますか。

 世界って思ったよりも狭いですね。

 同性愛者なんて早々いないだろうと思っていたのに、まさかすぐそばにいるなんて。

 きっと千冬姉さんもいずれ束さんに染められてしまうんだ。ああ、なんて罪深い。

 

「調子に乗るな………っ!!」

「痛い痛い!! いっくんヘルプ、ヘルプミー!!」

 

 はっ、意識を失っていた。

 俺の意識を戻したのはギチギチという締め付けるような音と、束さんの悲鳴だった。

 今、束さんの頭には千冬姉さんの手がめり込んでいる。いわゆるアイアンクローと呼ばれるものだ。

 

 めっちゃ痛そう(他人事)

 放っておこう、あれが自分へと向くのは流石に勘弁願いたい。

 ぺこりと一礼して、束さんに事実上の死刑宣告を与える。

 

「そんな!? 待っていっくん、お慈悲をー!!」

「ふん、少しは反省しろ」

「あぎゃっ!」

 

 ゴキィとおおよそ人の体から出てはいけない音が束さんの頭から発生した。

 煙が出てるんだけど、大丈夫か? まぁ、千冬姉さんも殺したいとは思っていても、流石に殺しはしないと思うけど。

 

 さーて、俺は晩飯を作りましょうかね。

 束さんにも喜んでもらえるといいんだけれども。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

「痛てて………もう、容赦なさすぎだよちーちゃん」

「ふん、当たり前だ。いくら言ってもわからん馬鹿にはこれぐらいがちょうどいい」

「優しさが……優しさが足りない」

 

 既に月と街灯の光しかなく、肌寒くなってきている。

 そんな夜の町を千冬と束は散歩と称して外に出ていた。

 まだ先ほどの痛みが抜けきっていないのか、しきりに頭を気にしている束と不機嫌そうに腕を組む千冬。

 小学校以来の腐れ縁の二人だ。

 

「お前にやる優しさなど犬にでも食わせてしまえ………それで?」

「ひどいなぁ………うん、ちーちゃんの頼みはバッチリと」

 

 二人の間の弛緩した空気が引き締まる。

 笑みを絶やさなかった束も今ばかりは真剣そのものの表情を浮かべている。

 

「やっぱり、いっくんのは過度なストレスが原因だね」

 

 織斑一夏という少年の異常性。

 感情の欠落。正確にいうと感情はあるが、それが表に出てこないのだ。

 無口な性格も相まって、人形のように見えてしまう。

 小学生という幼さであるにも関わらず、元気良さなんてものは一夏には存在しない。そこにあるのは老人のような、何もかもを見てきたかのような無だった。

 

 千冬はそんな一夏を放って置けなかった。

 なにせ唯一の家族なのだ。親に捨てられるという壮絶な過去を持つ千冬にとって、家族というものは何物にも変えがたい。

 

 千冬はすぐに束を頼った。

 正直言って彼女に借りを作るのは死んでも嫌だったが、背に腹は代えられなかった。

 弟を救うためだと自分に言い聞かせて、千冬は一夏の問題の原因の解明を依頼した。

 

「………ストレスか」

「間違いないね。何か強烈なストレスを与えたりした?」

 

 返ってきた答えはストレスだった。

 稀代の天才がそういうのだから間違いないのだろう。

 

 ストレスと聞いて千冬の頭に浮かんだのは、親に捨てられたことだ。これまでにあれ以上の辛さを味わったことはないだろう。

 そして一夏にとってもそのことが一番のショックだった筈だ。その筈なのだが………

 

「………違うな」

 

 おそらく、それではない。

 

「どうしたの?」

「ストレスの原因だよ。一夏にとって最も辛い経験は親に捨てられたことだろう」

「まぁ、そうだろうね」

「けど、違うんだ」

 

 かつて千冬は一夏に親に捨てられた事実を告げたことがある。

 幼い子どもに言うのも気が引けたが、捨てられた当時、一夏はまだ赤子だった。だからそのことなど覚えていないと思ったのだ。

 少し自分の重みを誰かに吐きたかった、それだけだった。

 なのに–––––

 

 –––––ふぅん、そっか。

 

 淡々と、何も感じさせない表情でそう答えた。

 本当に何も感じていなかったのだろう。千冬は一縷の乱れも感じることはできなかった。

 

 だから、きっとそれじゃない。

 その事実を知る前から一夏は今と変わらなかった。

 

「へぇ、やっぱりいっくんは面白いなぁ」

「束っ!!」

「嫌だなぁ、怒らないでよちーちゃん」

 

 へらへらと何でもないように笑う束だが、千冬は気が気でなかった。

 束が興味を持つということは危険なことなのだ。

 篠ノ之束は他人を全く認識しないが、逆に認識すると過度なまでに構うようになる。それはいずれその人物を壊すことになってしまう。

 厄介なことは、束はそれに気付きながらもやめないことだ。事実上、やめさせる手が存在しない。

 

「まぁ、ストレスの大元がわからないとどうにもって感じだね。後は記憶ごとストレスの大元を吹き飛ばすっていう案が」

「却下だ」

「だろうね。てわけで束さんも手詰まりなのさ」

 

 確かに記憶ごと消してしまえば、ストレスの大元であるものも消えるかもしれない。

 しかしそれでは織斑一夏が死んでしまう。

 千冬の弟である織斑一夏が死んでしまうのだ。

 それでは意味がない。

 

「取り敢えず礼は言っておく、ありがとう」

「あれれ、ちーちゃんが素直にお礼を言うなんて珍しこともあったもんだ」

「お前のように常識を捨てたわけではないからな。礼儀は守るさ」

「それもそうだね」

 

 やはりやり辛い、そう千冬は束に対して思う。

 いくら皮肉を言おうと、それを理解して受け入れた上で変えようとしないのだからどうしようもない。

 そしてそんなどうしようもない奴と一緒にいる千冬自身も、きっとどうしようもない。

 

「さて、そろそろ帰ろうか。一夏も待っているだろう」

「いっくんのご飯美味しいからなぁ。今日は何作ったんだろう」

「今日はシチューだったかな。昨日材料を買った筈だ」

「やっりぃ、今日脱走してきて正解だったよ」

 

 "脱走"というワードに千冬は眉をひそめる。

 

「お前、何も言わずに出てきたのか?」

「言っても出してもらえないんだから、言わずに出てくるしかないでしょ」

「はぁ、全くお前というやつは」

 

 再び弛緩する空気。

 楽しげに語り合う姿は先程までの鋭さを感じない、まさに友人同士の姿だった。

 

 

 




篠ノ之束

お馴染みのラスボス系ウサギ。
大まかに原作と変化はないが、自分の悪いところを認識しているので少し性格がマイルドに。

わからないことだらけの一夏くんに興味を持ったご様子。
プチっと潰してしまわないようにちょっかいをかけていくことだろう。
一夏くんの胃痛の種である。


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篠ノ之箒という負けず嫌い

 篠ノ之箒が織斑一夏という少年に出会ったのはそう昔の話ではない。

 

 初めて出会ったのは小学1年の時、一夏が姉に手を引かれるように道場を訪れた時だ。

 自分と変わらない背丈に、日本人らしい黒の髪。

 そして光の宿っていない瞳を見て、どうしようもない嫌悪感を覚えたのを覚えている。

 

 弱そうだとは思った。貧弱そうだと。

 変わらない表情と、言われたことを淡々とこなす姿は人形のように見えた。

 覇気なんて欠片もなく、武道を志す者にはどうしても見えなかった。

 

 認識が少し変わったのがそれから一ヶ月後。

 相変わらず黙々と竹刀を振る一夏に、父である柳韻が試合をしてみないかと提案した。

 

「………相手は?」

 

 手を止め、柳韻を見てそう問うた。

 試合ができるとはしゃぐこともなく、淡々と相変わらず無表情で。

 

「ほら、こちらを見ているあの娘だよ、私の娘なんだ。箒、こっちへ来なさい」

 

 その様子をぼーっと見ていると、柳韻から名を呼ばれた。

 

「ほら、挨拶をしなさい」

「篠ノ之箒だ。よろしく頼む」

 

 ぺこりと一礼。

 相手が誰であろうと礼儀を忘れてはいけない。父に幾度となく言われてきたことだ。

 箒は素直な子であったので、言いつけを守っている。

 

「………大丈夫ですか?」

 

 そんな箒を見て一言。

 箒にはそれが「お前で相手がつとまるのか」とそう言われているような気がした。

 当然箒は憤る。

 竹刀を握って一ヶ月。しかも型すらまだ学んでおらず、ひたすら素振りをしていただけの初心者。そんな少年に馬鹿にされたのだから。

 

「ああ、私の自慢の娘だ。女子だからと気を抜くんじゃないぞ」

「……………わかりました」

 

 たっぷりと間を空け、不満げに了承の意を伝えた。

 声を荒げなかった自分を褒めたいと後の箒は語る。試合で打ちのめせばいいかとなんとか気持ちを鎮めることができたのだ。

 

 

 

 

 

 あれだけ言うのだからと思っていたが、実際は予想通りの実力だった。

 初めこそ手を出してきたものの、中盤からは守るのに手一杯だ。

 表情からは何も読み取れないが、おそらく疲労がたまっているのだろう。現に竹刀を握る手は震え、足元もおぼつかなくなっている。

 期待外れも甚だしい。

 そんな中

 

 –––––は?

 

 不意に、一夏が構えを解いた。

 だらりと腕を下げ、光のない双眸だけを箒に向けている。

 勝負を諦めたのか。

 そう考えると箒はひどく落胆した。

 

 これ以上続けても仕方ない。

 そう思った箒は一気に踏み込んで距離を詰めようとした。

 

 –––––瞬間、眼前に迫る切っ先。

 

 斜め下からの突きではなく、真正面から真っ直ぐ一直線。

 一夏のリーチから考えるとまだ届く距離ではない。では、何故か。

 

(竹刀を投げた!?)

 

 気付いた時にはもう遅い。

 互いにスピードが出ていたので、箒にもそれなりに衝撃がくる。デコあたりに当たったので、頭がかちあげられたように天井を向く形となった。

 当然、一夏が視界から消える。

 

 パシンッ!!

 

 胴に一撃。

 与えた相手はもちろん一夏だ。手にはしっかりと竹刀が握られている。おそらくそこまでが計算だったのだろう。

 理解するまでに数秒。

 理解すると同時に怒りが湧き上がる。

 

「この…………っ!?」

 

 叫ぼうとして、止めた。

 手は震え、今にも倒れそうな一夏。全力を尽くした結果があれだったのだろう。

 確かに剣道としてはルール違反も甚だしいが、全力を出し切った結果に難癖をつけようとは思わなかった。

 

 この日から箒の挑戦の日々が始まった。

 この時、箒にとって一夏は友でも仲間でもなく、倒すべき敵であった。

 

 

 

 

 今のような関係になるきっかけとなったのは小学二年の時。

 当時、箒はいじめられていた。

 幼い頃から武道に身を置き、神社の神主の娘として生まれた箒は、子どもにしてはあまりにも堅い存在だった。

 言葉遣いも周りとは違うし、雰囲気も相まって彼女は周りから浮いてしまったのだ。

 

 小学生というのは往々にして幼稚だ。

『個性』というものを理解していない彼らは、少し自分たちと違えばそれをすぐに馬鹿にする。

 無邪気な悪意。

 彼ら自身はそれが悪いことだと認識していないのだがら、余計にたちが悪い。

 

「やーい、男女!」

 

 その日も箒はいじられていた。

 彼女を揶揄する言葉『男女(おとこおんな)』。

 クラスの中心、いわゆるガキ大将と呼ばれるようなものが言ったために、その言葉は瞬く間に広がった。

 

「おい、聞こえてんのかよ男女!」

「耳までおかしくなったのか?」

 

 耳障りな声が聞こえる。

 聞かないようにしても聞こえてしまう、悪意の塊。

 反応はしてはいけない。殴りかかってやろうかと思いながらも、箒はそれがいじめを助長するだけだということを理解していた。

 

「無視してんじゃねぇよ!!」

 

 しかし、どうやら彼らはそんな箒の態度が気に入らなかったらしい。

 気に入らないことは暴力で。

 これまでもそうしてきたのだろう。いじめの中心であった一人の男子生徒が拳を振り上げた。

 反射でぎゅっと目をつぶる。

 

 ドンッ!!

 

 教室の一角から大きな音がした。

 音の発生源を見てみればそこには一夏がいた。おそらく机を蹴ったのだろう。体と机の間に妙な空間がある。

 

 ゆっくりとした動作でいじめっ子たちへと顔を向ける。いつもより濁った瞳がいじめっ子たちを貫いた。

 

「………静かにしてくれないか」

 

 ぞっとした。

 底冷えするような声が地響きのように低く響いた。それほど大きな声でないにも関わらず、喧騒を突き破るようにしてしっかりと耳に届く。

 

 誰だお前は………?

 

 気温が急激に下がった錯覚すら覚える。

 いつもは覇気を一切感じさせない置物のような人物。

 そんな一夏がこの空間を作り上げたなど、どうしても受け入れることができなかった。

 

「お、おう、すまん」

 

 そんな一夏に気圧されて、拳を握っていた手を緩めて素直に謝る。

 否、それしか選択肢が残されていない。

 未だ発達しきっていない精神で、一夏の圧を真正面から受け止めるのは中々に難しいことだったのだろう。

 

「………頼むぞ」

 

 –––––手を煩わせないでくれ。

 

 そう言外に続けられているような気がした。

 いじめっ子たちもそれを感じ取ったのだろう。頭がとれるかというぐらいブンブンと振っていた。

 

 それ以来、一夏がいる前で騒ぎを起こさないというのが暗黙の了解となった。

 賑やかなのは構わないが、邪気が混じることは許されない。一夏も楽しげに話すものたちを害することはなかった。

 それに習うように、箒へのいじめもなりを潜めていくことになる。

 

 一夏が何を思っていたのかはわからない。今聞いたとしても、何の話だ? と誤魔化される。

 しかし一夏がどんな理由で行動を起こしたのであれ、箒は確かに救われた。そしてその強さに憧れた。

 

 あの試合以来、箒は一夏に勝ったことはない。

 いつのまにか正攻法でも自分より強くなり、今の箒ではおそらく勝つことはできないだろう。

 

 そんな彼が暴力に頼らずに場を収めてみせた。

 それは少なくとも彼女に衝撃を与えた。力の振るい方を学んできた少女はこの時、力の使い方を学ぶことになる。

 

 それから一夏と友好な関係を築くようになる。友として、そしていつか超えるべき目標として。

 雰囲気も柔らかくなり、逆上気質も抑えられるようになった。

 

 毎日が満ち足りた日々だった。

 

 –––––しかし、そんな日々は長くは続かない。

 

「篠ノ之さんが転校することになりました」

 

 運命とはいつもプラスに傾くとは限らない。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 俺が箒ちゃんと交流するようになったのは剣道を始めて一ヶ月くらいの頃、大悪魔柳韻さんに無茶振りをされたことがきっかけだった。

 

 

 

 

 

 

 剣道を始めて一ヶ月。

 俺はまだ素振りしかやっていない。

 俺はいつまでこの作業を繰り返さなければならないのだろう。もう飽きてきたんだけど。

 これが千冬姉さんの紹介じゃなかったら道場を燃やしてるところだ。命拾いしたなくそじじい。

 

「一夏くん、試合をやってみないか?」

 

 柳韻さんが思い出したかのように、そう提案してきた。

 何言ってんだこいつ、そう思った俺は正常なはずだ。

 

 もう一度言うが、この人が教えてくれたのは剣の振り方だけ。型すら一つも教えてもらっていない。

 初心者に毛が生えることすらこの人は阻止してきているわけだ。

 そんな俺に試合をさせるなんて、さてはてめー、俺を辱める気だな。

 

「………相手は?」

 

 まさかあんたじゃないだろな。俺と同じ初心者だよな。

 でなければ俺は本当にこの道場を燃やすぞこのやろー。

 

「ほら、こちらを見ているあの娘だよ、私の娘なんだ。箒、こっちへ来なさい」

 

 とことこと近付いてきたのはおそらく俺と同い年の少女。

 

「ほら、挨拶をしなさい」

「篠ノ之箒だ。よろしく頼む」

 

 oh………。

 その娘めちゃくちゃ強いじゃないか。誰かが天才だってはしゃいでたのを聞いたことがあるぞ。

 

「………大丈夫ですか?」

 

 俺の身体は大丈夫ですか? 無事に乗り切ることができますか? おそらく打ちのめされて終わることになると思うのですが。

 踏み込みの音が破裂音のような音だし、竹刀の風切り音も俺が振るよりも重たかったんだけど。

 貧弱な一夏くんボディが粉々になる未来が見える……。

 

「ああ、私の自慢の娘だ。女子だからと気を抜くんじゃないぞ」

 

 なるほど全力でやって負けて娘の糧となれと、そうおっしゃるのかな?

 やってられるかボケェ!!

 何であんたの娘のために俺が滅多打ちにされにゃならんのだ!!

 

「……………わかりました」

 

 そう、言えたらよかったんだけどなぁ。

 残念ながら、俺の体がそれを口にすることを許してはくれない。俺の口も滅多打ちにされることを望んでいるようだ。

 俺はマゾじゃないって言ってるだろいい加減にしろ。なんで俺の体は言うことを聞いてくれないんだ!!

 

 箒ちゃんは何故かめっちゃ睨んできてるし、柳韻さんはどこか満足げだ。

 この悪魔め、俺をいじめてそんなに楽しいか。弱いものいじめはいけないって学ばなかったのか。

 

 箒ちゃんがアップを始めました。

 俺を威圧するようにブンブンと竹刀を振っている。あれが俺に当たんの? ダメージが防具を貫通してきそうなんだけど。

 

 ところで、誰か俺の震えを止めてくれませんか?

 

 

 

 

 

 箒ちゃんの鬼、悪魔!! なんでそんなに強いんだ、ふざけんな!!

 

 初めこそ竹刀を振り回して押していた俺だが、中盤になって体力切れになると途端に攻めれなくなった。

 現在、予想通りの滅多打ち状態である。

 防御はなんとか間に合っているものの、竹刀を合わせた時の衝撃が半端じゃない。

 というより人、動くものに当てる練習なんてしてないんだから試合になんてなるはずがなかったのだ。むしろここまで頑張っている俺を褒めて欲しい。いや、褒めろ。

 

 あ゛あ゛、じん゛どい゛。

 度重なる衝撃で手は小刻みに震え、足元はおぼつかなくなってきた。最後の力を振り絞って箒ちゃんを押しのけて距離を取る。

 

 もう無理だ。

 腕がもう限界だ。これ以上構えを保っていられない。

 だらりと腕を下げ、でも悔しいので視線だけは箒ちゃんから逸らさないようにする。

 

 というか何で俺はこんなことをやってるんだっけ。

 師からは素振り以外させてもらえず、突然試合をやれと言われ、挙げ句の果てには自分の娘の糧となれと。

 

 ………やってられるかこんちくしょう!!

 怒りに身を任せ、竹刀を足元に思いっきり叩きつけようとして–––––

 

 ––––––すっぽ抜けた。

 

 箒ちゃんの方へと一直線。

 抜け方がよかったのか、ブレのない綺麗な直線軌道を描いている。

 それは吸い込まれるように箒ちゃんの面に当たり、弾かれた竹刀はくるくると俺の手元に戻ってきた。

 

 何という忠犬っぷり。

 投げ捨てられても俺の元に帰ってくるとは。

 これも一ヶ月間を共に過ごした成果というものか。はっ、まさか柳韻さんはこれを見越して………。

 さっすが柳韻さんやでぇ!!

 

 箒ちゃんは突然の出来事に驚いているのか、顔を天井に向けたまま戻ってこない。

 ここしかない!!

 震える足に力を込め、箒ちゃんの胴に一撃。強さも速さもない一振りだったが、呆然としている箒ちゃんに当てるには十分だった。

 

 フハハハハッ!!

 やってやったぞこんちくしょう。

 ずるだと言うのなら好きなだけ罵るがいい。俺も狙ったわけじゃないから心が痛むだけだ。

 

 

 

 

 

 

 その日から箒ちゃんに追いかけられる日々が続く。

 試合をしろ、試合をしろって、俺はサンドバッグではないということをちゃんと教えてあげたかった。

 

 で、今みたいに常識的な頻度に収まるようになったのはいつかと言われると、それがよくわからない。

 強いて言うならば、二年生の頃のある事件辺りから箒ちゃんの雰囲気が柔らかくなった気がする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 眠たい。

 俺はここ最近で最大の睡魔に襲われていた。

 頭の中では天使と悪魔の戦いではなく、悪魔二匹がひたすらに誘惑してきている。しかも悪魔二匹は魔王並みの強さで、対する俺の精神力は農民レベルだ。

 

 原因は普通に寝不足。

 昨日は千冬姉さんの仕事が長引き、夜遅くに帰ってきた。

 そうなると千冬姉さんは何もせずに寝てしまう。服は脱ぎっぱなしにするわ、風呂にも入らないわで本当に年頃の女子なのかと疑うことはこれまでに多々あった。

 

 仕方なく俺はそんな千冬姉さんの世話をしているのだ。

 二人家族でお金のあては千冬姉さんに任せっきりになっているのだから、これくらいはしなくてはならないとは思っているが、この年齢では寝不足とは死活問題だ。疲労は溜まるし、成長もしない。

 ちびになるのは嫌なので、出来るだけ寝不足は回避したいところである。

 

 なんとか午前中を乗り切り、ついに昼休みに突入する。

 周りを見れば多くの者が遊びに行こうと教室から出て行くが、あいにく俺にそんな気にはならない。

 睡眠という大事の前に、遊ぶなどという行為に及べるわけがない。

 

「おーい、一夏、遊ぼうぜ」

 

 だからすまんな。我が友、五反田弾よ。

 私には為すべきことがあるのだ。

 

「無視すんなよー………て、あれ? 寝てんのか?」

 

 そうだ、だから静かにしてくれ。

 人が寝ているときに騒がしくしないというのは当然のマナーだろう?

 

「おーきーろーよー」

 

 バッカお前、揺らすんじゃねぇ!! 寝れないだろうが!!

 絶対起きてやらないからな。鋼の意思で断固として起きないからな。俺を起こしたければ相応の覚悟をしやがれってんだ、べらぼうめ。

 

「………ちぇっ、しゃあねぇ。グラウンドにでも行くかぁ」

 

 微動だにしない俺を見て流石に諦めたのか、弾は不満げな声を上げて去って行く。

 罪悪感に押しつぶされそうだが、睡眠と友を天秤にかけて睡眠が勝ったのだから仕方あるまい。友よりも自分の体の方が大事なのだ。

 

 最近では世界を救う勇者も自分の体を大切にしろと怒られる始末。だとすれば貧弱な俺は体をより大切にすべきではないだろうか。

 むしろ正しいことをしてるとも言える。うん、何も問題ない。オール・イズ・ジャスティス。

 

 そんなことを考えていると、再び心地よい眠気が帰ってきた。

 ああ、これだよ、これ。この心地よさね。何事にも代え難い素晴らしい時間だよね。

 ゆっくり、ゆっくりと意識が薄れていき、いざ夢の世界へ–––––

 

「やーい、男女!」

 

 –––––夢の世界が崩壊した。

 

 ここ最近よく聞くお調子者の声。名前は………何だっけ? よし、仮称大将くんだ。

 いつも子分のようなのを引き連れて、我が物顔をしながら学校生活を送るという、社会を知っているものからすれば滑稽なこと限りない少年だ。

 

 いつもならば「いつになったら現実見るのかなぁ」と微笑ましく見るのだが、今この時ばかりは勘弁してほしい。

 まじでその口を閉じてろ。閉じて自分の席に戻れ。ハウスだぞ大将くん。

 

「おい、聞こえてんのかよ男女!」

「耳までおかしくなったのか?」

 

 お前らは目が腐ってんのか!?

 よく周りを見てみろ。机に突っ伏して眠りたそうな少年がいるだろう? 少しは静かにするとかいう気配りをしろや。

 

 というかなんだよ男女(おとこおんな)って。

 それは男女(だんじょ)と読むんだよ。恥ずかしいから大声で叫ぶんじゃない。

 

「無視してんじゃねぇよ!!」

 

 ドンッ!

 

 び、びっくりさせるんじゃありません。

 突然大声を上げられると俺の心臓に悪い。

 驚きのあまり机を蹴ってしまった。突然声かけられた時のビクッてやつの強化版みたいな感じ。

 

 はっ、みんなが俺を見てる。

 めっちゃ恥ずかしいんだけど。すぐさま教室から逃げ出したい。

 

「………静かにしてくれないか」

 

 と、とりあえず伝えたいことだけを伝えておく。

 怒る必要はない。注意するだけで大丈夫だ。あんな子でもきっといい子なはずなのだ。

 大将くんのせいで羞恥プレイをさせられているが、寛大な心で許してやろう。うん、後で大将くんの上靴に画鋲を仕掛けるつもりだが、それでも許しているのだ。

 

「お、おう、すまん」

 

 ほら、怒らなくたって大丈夫。

 聞き分けのいい子は嫌いじゃない。

 ただ、俺の睡眠を邪魔しないこと。言葉遣いを正すこと。漢字は正しい読みをすること。

 とりあえずこれを守ってほしい。

 

「…………頼むぞ」

 

 ほんとお願い、寝させて。

 元気なのは構わないから。

 

 周りが何故か静まり返っているが、これはみんなが俺に配慮してくれたということだろう。

 何という一体感。

 ありがとう。君たちのおかげで俺はようやく眠ることができる。

 そして再び顔を伏せ、改めましていざ夢の世界へ–––––

 

 ––––––キーンコーンカーンコーン。

 

 …………控えめに言って死んでください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 こんな事件があったのだが、何故かこの日から箒ちゃんの態度が柔らかくなった。

 それからは魔王から鬼程度には厳しさがなくなったような気がする。

 まだ鬼だけど。

 

現在小学四年生。小学一年の初めからなので、かれこれ三年の付き合いになる。

 多分この先もずっと腐れ縁のように続いていくんだろうなぁ。

 なんて思っていたが、別れはいつも突然に訪れるもので。

 

「篠ノ之さんが転校することになりました」

 

 ………寂しくなるなぁ。




篠ノ之箒

一夏くんの幼馴染。
この作品では小学一年生の時に初めて会うことになった。
少々感情が表に出やすい。表の一夏くんとは逆に位置するので意外と良いコンビかもしれない。

原作では力に振り回されている感があったが、今作品では力の使い方を覚えた模様。
すぐに暴力には走らないし、慢心もしない。

一夏くんに恋愛感情はない。
良き友、良きライバルとして認識している。




五反田 弾

一夏と箒の友人。
原作では中学からの友人だが、箒以外にも話す人が欲しいという作者の勝手な都合により小学校からの参戦。
というより一夏と仲良くなれそうなのが弾ぐらいだった。

無愛想な一夏と直情タイプの箒の間を上手く取り持っている。
ムードメーカーの役割を果たしているので、周りから見ればおちゃらけた奴に見えるかもしれないが意外と苦労人。



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