神秘学者は上位者と友達になりたい (ぐるぐるれ)
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先生

「ここにいたんですね、先生。」

 

「……ああ、ルメール君。何度も言うが先生はやめたまえ。私はただの、神秘を学ぶ一学徒だよ。」

 

先生はいつも謙遜ばかりだ。大図書館で一番卑屈とウワサのカナリエ教授だって、教卓に立てば教祖様のように振る舞うと言うのに。

先生はいつだって、君らよりほんの少し先を歩いているだけだなんて言う。先生のそういうところは美徳だとは思うが、石ころより劣る無能どもに無為に扱われるのは私の我慢ならないところだ。

 

「もう日が暮れます。あまり帰りが遅くなると、バーティ教授から大目玉をくらいますよ。」

 

「おお、それはおっかないことだ。さっさと帰ってご機嫌伺いをしないといかん。」

 

「……先生。今日もまた、会えなかったんですか?」

 

「ああ、どうやら僕はまだまだ啓蒙が足りないらしい。ここにたしかに居るはずなんだが。彼らとティーパーティを楽しむのは、随分先になりそうだ。」

 

先生は不思議な人だ。上位者と友達になりたいなんて言うのもそうだ。多くの学徒たちが自分たちの存在を上位者に近づけることを望んで居るのに、お喋りがしてみたいだけなんだ、なんて言う。

おかげで一部の学徒からは嫌がらせに近い妨害を受けている。バーティ教授の鶴の一声でそれも無くなったかのように見えたが、最近また影でコソコソやっているようだ。

先生も気づいてはいるようだし一度進言もしたが、気にすることはない、好きにさせておけば良いと躱されてしまった。先生は彼らのやっかみをむしろ楽しんでいるような節さえある。解決に奔走するのは貴方ではないのですよと言いたくなるというものだ。

 

「先生の言葉を疑うわけではありませんが、本当にここにいるのでしょうか。その……アメンドーズ、という上位者は。」

 

「ルメール君。シュレディンガーの猫という話は知っているかね?」

 

知らない話だ。私は首を横に振った。

 

「有名な思考実験でね。猫の入った箱に、二分の一の確率で確実に猫が死に至る毒ガスが発生する機械を入れておくんだ。外からは中の様子がわからない。その状態で機械のスイッチを押した時、箱を開けるまで猫が生きているか死んでいるかわからない。だから猫は、箱を開けるまでは生きているし死んでもいる、というものさ。」

 

知らない話だ。先生はたまに、誰も知らない有名な話とやらを持ち出すことがある。きっと今とっさに思いついたのを適当に喋っているだけだろう。こういうときはあまり真剣に聞かないのが長く付き合うコツだ。

 

「……つまり?」

 

「つまり、私が彼を認識するまでは、彼がたしかにそこにいるかを話し合うことに全く意味はないということさ。」

 

「……なるほど。」

 

やはりしょうもない話だった。こういうところもあって、馬鹿にされていると受け取る人は多い。

しかし、立場が上になるほどに彼をぞんざいに扱うものは少なくなる。なぜならば、彼には神秘が宿っているからだ。誰も疑うことのないような、明確な神秘が。

 

「どうした、ルメール君。私の魅力的な唇にキスでもしたくなったかね?君ならいつでも歓迎さ、ほら、恐れずに私の胸に飛び込んでくると良い。私の胸はいつでも空いているぞ?」

 

感心するほど良く回るその舌、忙しない唇は、どうみたって正しく動いているようには見えなかった。正確に言えば、言葉の音と口の動きが全くあっていないのだ。

彼は、どこの国の誰とだって会話ができる。その身に宿る神秘が、言葉の違うモノとモノを繋ぐのだ。

彼は『繋ぐ者』。次元の違う上位者と私たちを繋ぐだろう、我らの希望だ。

 

「それには及びません。先生のお相手は、大図書館のカーペットが務めてくれる筈ですから。」

 

そう言って踵を返した。時刻は午後5時、奇遇なことにバーティ教授の約束の時間とおんなじだ。

私は親愛なるルドルフ先生の間抜けな視線を感じながら、私はオドン教会を後にした。



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我らが大図書館

知識の価値というものは、決して情報量だけで決められるものではない。

役に立たない雑学ばかり溜め込んでいるよりも、自分のためになるだろう本を一冊読む方が有意義なのは言うまでもないだろう。

沢山のことを知っている人より、専門的な知識を蓄えた人の方が重宝される。

もちろん数に頼ることが悪いことではないが、一般的に優れていると考えられる記録というのは、少数精鋭ともいうべき研鑽された上澄みである筈だ。

 

「だから、埃をかぶったビルゲンワースよりも、我らが偉大なる小さき大図書館こそが優れているのは自明の理なのだ!」

 

「静かにしてください、先生。」

 

悲しきかな、振り上げた両手が天井に吊るされたシャンデリア擬きにあたる。擬きというのも、こいつにロウソクは付いていないからだ。

代わりにびかぴかと光る丸い球が付いている。

 

「我が友アーチボルトよ、貴公の光は大図書館の未来を輝かしく照らしているぞ……。どうぞ安らかに……。」

 

「アーチボルドさんです、先生。ついでにまだご存命です。」

 

読書家少女は頭が固くていけない。そもそも言語は情報の伝達を目的に作られたのだから、多少差異があっても伝わればそれでいいのだ。

トルニトスだってトニトルスだって大した違いはあるまい。

それより。

 

「なぜ僕だけ置いてけぼりなのだ。大図書館の主人はこの私なのに。薄情者どもはどうしてカビ臭いビルゲンワースなどに……!」

 

「バーティ教授の言いつけを破った先生が悪いです。というか昨日まではあんなに楽しみにしてたじゃないですか。なんで今更貶してるんですか?」

 

「カミュ君。人というものはね、手に入らないものの価値を低いと思い込むことで心の安寧を得る、悲しい生き物なのだよ。」

 

僕は友達がいなくて陰気でケチで万年寝不足で不健康で背がちっさい少女にありがたい言葉を掛ける。

せめてこっちを向きたまえ。質問しておいて知らんぷりはどうかと思うぞ。

 

「ああ愛弟子ルメール君。君がいないと私の心が砂漠のようだ。腐れワカメの下卑た視線に晒されていると思うと私はどうにかなってしまいそうだ……。」

 

僕の渾身のポエムに、読書家少女は冷たい視線を浴びせかける。

返答がないというのはこうも辛いものか。

僕もちょっとどうかと思ったが。

 

「ところでカミュ君。これから私は噴水広場にでも散歩に行こうと思うんだが、一緒にどうだね?」

 

「うんこくさいので嫌です。」

 

ばっさり切られた。確かにあそこはうんこ臭い。なんたって青空天井の下水が近くにあるのだ。

下水のすぐ真上に住んでいるヤツは自分の顔の中央に開いた二つの穴が何だったのか忘れているに違いない。

カミュ君の言い分もわかるが、この陰気な街を一人で歩くのもつまらない。それに。

 

「今日の今頃なら、ガスコイン少女が暇をしている頃だろう。偶には顔を出してやっても良いんじゃないか?」

 

そう言うと黙り込んでしまった。こいつは友達がいなくて陰気でケチで万年寝不足で不健康で背がちっさいが、面倒見は結構いい。

おそらく背がちっさいもの同士、通じ合うものがあるのだろう。

僕もガスコイン家、とくにガスコイン少女には少し思うところもあるので、彼女の遊び相手をしてくれるなら嬉しいものだ。

 

僕は絶望的に似合わないと薄情者どもに判を押されたトップハットを被り、黒いコートを羽織る。

特にコートについた口元を覆うフェイスカバーはこの街では必需品だ。

これがなければ今頃僕の鼻はもぎ取れていたことだろう。

 

「ほら、行くよ。早く靴を履いて。」

 

この大図書館では、僕の要望で靴を脱いで入るようにしている。

この街が特別汚いのもあるが、家というものは靴を脱いで入るもの、という故郷の習慣が大きいところだ。

靴を履いたまま、というのはやはり落ち着かない。

 

結局カミュは根負けした様子で、渋々コートを羽織り靴を履く。襟が顔の半分以上を覆うので、まるで新手の妖怪みたいだ。

 

「じゃあ行こうか。ガスコインも首を長くして待ってることだろう。……おっと、忘れていた。」

 

僕は玄関に立てかけてある杖を手に取る。この街で暮らす以上、ある程度体面を取り繕わなければ面倒ごとがある。

それに、獣狩りの夜でなくても、自衛の手段というのはいくらあっても足りないものだ。

 

カミュも小振りの短刀を懐に忍ばせる。小振りといっても、刀身にはノコギリのような凹凸がある。

これを逆手で振られたら大の大人だってひとたまりもないだろう。

カミュは不健康だが筋力がないというわけではない。

 

「よし、それでは大図書館遠征隊第二弾、出発だ。」

 

僕は少し笑いながら、未だに不機嫌そうなカミュの頭を撫でてやった。

 



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綺麗なリボン

どうして先生は友達が欲しいのだろう、と思ったことがある。先生は確かに変だけど、友達が少ないわけじゃない。図書室(本人は大図書館だといって憚らない)のみんなはいい人だし、ビルゲンワースの人たちと仲良く話しているのを見た。

忌み嫌っている教会だって、一部の人とは交流があるみたいだし、街では除け者にされる狩人なんかは特に仲がいい。

 

そう、狩人だ。わたしはちらと噴水の向こうを見る。

ガスコイン神父と談笑している先生が見える。

 

彼も狩人だ。それも教会所属の。

教会は嫌いだ。街のみんなは教会を有難がっているけど、きっと心から教会が好きな人なんていないだろう。

みんな口だけだ。怖いから媚びを売っているのだ。

墓地街にだって大きな男を差し向けて、我が物顔で街を練り歩いては権威とやらを示すのだ。

そんな時はみんな家にこもってじっとしていた。

もし目をつけられでもしたら、ひどい目なんかじゃ済まないだろう。

 

墓地街はわたしの故郷だ。お年寄りばかりだが、いい街だ。

確かにちょっと寂れてるし、お墓ばっかりだけど、みんないっつも笑ってる。

どうしていつも笑顔なの、と聞いて見たら、生きてるのが嬉しいからさ、と揃って答えられた。

なのにいつくたばるんだ、とか、明日には土の下だよ、なんて冗談で笑うのもヘンな話だと思う。

きっとお墓が近くにあるから、死というものが身近なんだろう。

死を受け入れて、それでも楽しく過ごせるなんてすごいことだ。

わたしにはそういうのがよく分からなかったから、わたしはみんなを尊敬していたし、もちろん大好きだった。

 

教会さえなければ、とわたしは歯噛みした。難癖で連れていかれた人数は両手では足りないほどだ。

誰かが死んだってお酒を飲んで笑ってるみんなも、誰かが連れ去られた日はまるでお通夜みたいだった。

教会さえなければ、みんなずっと幸せなのに……。

 

「オネエちゃん?」

 

わたしはハッとした。

ベンチに座ったわたしの膝には、本を開いた小さい少女が座っている。

綺麗な白いリボンをつけた、わたしよりちょっとだけ小さい女の子だ。

 

「ううん、なんでもないよ。」

 

「ふうん。」

 

わたしは少し苦笑いしてから、墓地街のことを考えてたの、と言った。

 

「お婆ちゃんたち、元気かなって。もう全然帰ってないから。もしかしたら、もう顔を忘れられてるかも。」

 

あり得る話だ。なんたってあの街じゃ、痴呆なんてそう珍しいものじゃない。

近所のサニーさんなんて、毎日おんなじ話を繰り返してはみんなに軽くあしらわれていた。

 

「帰ればいいのに。そんなに遠いところじゃないんでしょう?」

 

「うん。遠くはないよ。だけど……。」

 

わたしは言葉に詰まった。確かに帰ろうと思えば帰れるのだ。でも、なんだか悪いことをしたみたいで、帰りたいと思えないのだ。

 

図書室は居心地がいい。貴重な本があるのもそうだが、みんなが暖かい。

自分の居るべき場所はココだって、自信を持って言える。

だからこそ、墓地街のみんなに顔をあわせにくい。

あんなに可愛がってもらったのに、自分だけ別の居場所を見つけてしまって。終わっていくだけの彼らを裏切ってしまった気がして。

 

だんまりを決め込むわたしを振り返った少女は、心底不思議そうな顔をしてから、本を読む作業に戻った。

 

きっと彼女はこういう感情とは無縁なのだろう。生まれたその時から暖かいお父さんとお母さんに囲まれて、不幸なんて知らないとばかりに笑うのだ。

わたしは孤児だったから、拾われた子だから、家族の暖かみを知らない。

墓地街のみんなはよくしてくれたし、図書室の彼らも暖かいけど、きっと家族のそれとは違うものだ。

 

もし、わたしに家族がいたら……。

この少女のように、お父さんとお母さんに囲まれて、無条件で愛されて、何にも知らない顔で笑っていて……。

 

少女の髪を手で梳きながら、綺麗な白いリボンを見つめる。

このリボンを少女はしきりに自慢してくる。普段無愛想なお父さんが、ずっと悩んで買ってくれたらしい。

直接渡すのがなんだか恥ずかしくて、お母さんからのプレゼントだということにして渡されたんだ、と。こっそりお母さんが教えてくれたの、と。

 

もしわたしがそこにいたら。リボンを貰ったわたしは飛び跳ねるように喜んだろう。それで父に何も言わずに、いきなり抱きついてみたり。

真っ白なリボンをつけて、会う人みんなに自慢して。羨望の眼差しを受けながら、風を切るように街を歩いたら。

 

もし、もしも……。

 

「カミュ君。」

 

肩が跳ねた。先生がじっとわたしを見ている。見透かされただろうか。こんなことを考えていると知られたら、きっと嫌われてしまう。

 

「もういいんですか、先生。」

 

「ああ。さ、行こう。あまり遅くなり過ぎたら、今度はルメール君が恐い。彼女の額にツノが生えたら、僕は死んでしまうかもしれない。」

 

「オネエちゃん、もう行っちゃうの?」

 

少女が物足りなさそうにわたしを見る。またくるよ、と笑って頭を撫でてやると、不満そうにしながらも膝から降りてくれた。

素直な子だ。少し前のわたしなら駄々を捏ねていただろう。何せ親代わりの周りは駄々甘のお年寄りだ。

彼女は叱られながらも、愛情たっぷりに育てられたのだろう。

わたしと、違って。

 

「ああ、そうだカミュ君。すこし寄り道をしよう。あまり早く着いても、僕が暇をしてしまうからね。」

 

心臓がキュッとした。

きっとバレてしまった。

先生はあまり寄り道をする人ではない。まして自分の図書室に帰るのに、わざわざ寄り道するだなんて思えなかった。

 

 

 

すこしうつむきながら隣を歩いた。

なんて言われるだろう。叱られるだろうか。嫌われるだろうか。

なんて悍ましい子だと、罵られてしまうかもしれない。

そうなったらおしまいだ。せっかく手に入れた暖かさを、失ってしまう。それに、先生からの罵倒なんて、図書室からの拒絶なんて、耐えられる気がしない。

 

「僕もね、ガスコインが羨ましくなる時が、時々あるんだ。」

 

「え?」

 

信じられなかった。

いつも奔放で、自分の好きなことだけやっているような先生が、図書館なんて居場所を自分で作り上げてしまった先生が。

生まれた時から特別で、すごい人にだって認められているあの先生が、誰かを羨むなんて思いもしなかった。

 

「……先生は、嫌いにならないんですか?」

 

それはわたし自身のこともそうだし、先生自身のこともそうだった。

汚い感情の芽生えた自分を、嫌悪しなかったのだろうか。

 

「なるさ。嫌いになるとも。でも、嫉妬だって自分だからね。切って離せないから、受け入れるしかないのさ。そうやって嫉妬と友達になれば、きっと自分を許せるようになる。僕が君を許せたようにね。」

 

大きなてのひらがわたしの頭を撫でる。視界が歪んで鼻水が出てくる。わたしも、こんな自分を許せるようになるだろうか。泥にまみれた汚い自分を。

 

「ぜんぜえ、わだじ、るゆぜるがだぁ。」

 

「許せるとも。きっとね。さ、早く帰ろう。はやくそのひどい顔をなんとかしないと、僕がルメール君に叱られてしまう。」

 

わたしが墓地街に帰るのが怖かったのは、許されないと思ったからなのだろう。

わたしだったら許せないから、みんなも許してくれないと思い込んでいたのだ。

でも、先生は許してくれた。だからきっと、帰ろうと思える日が来るだろう。全然帰らなくてごめんなさいと謝って、きっとみんなは許してくれて。

 

もし、はやめることにした。嫉妬と友達になるには、邪魔になってしまうだろうから。

わたしが嫉妬と友達になれたら、きっと。

 

 

 

あとで先生が何に嫉妬したのか聞いてみたら、帽子が似合うガスコインが羨ましい、なんて言った。

わたしはルメール先輩に、先輩のお気に入りのひざ掛けに醤油をこぼしたのは先生だとチクった。



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大図書館のモットー

「わざわざすまないね、ガスコイン。」

 

「なに、気にすることじゃあない。お前には恩があるし、娘の面倒も見てもらっているからな。」

 

ガスコインとは、僕の交流関係の中でも付き合いの長い方だ。

初めて会ったのはオドン教会で、僕がまだ大図書館を手に入れていなかった頃だ。

 

いつもみたいにアメンドーズが見えないかとベンチでぼーっとしていたら、突然声をかけられたからびっくりした。

何か掛け合いでもしたような気がするけど、実はあんまり覚えていない。

ただ、初対面のくせにしょうもない冗談で笑いあっていたのは覚えている。それこそ記憶に残らないほどに。

それからしばしば、ベンチにいる僕に通りすがったガスコインが話し掛けてくれるようになった。

きっと同じ余所者同士、何か通じ合うものがあるのだろう。

 

ガスコインは教会が嫌いなようだった。

より厳密に言えば、医療とは名ばかりの実験を繰り返す白い教会の手足と、それを容認している上層の連中をだ。

 

僕も教会は嫌いだが、一部の人間はまとも、というより聖人みたいな人がいる。

教区長のエミーリアなんかがそうだ。

彼女は蝶よ花よと愛でられてきた箱入り娘だが、故ローレンスの思想に惹かれて教会に所属した。

その美貌と純粋なあり様から、教区長という立場に祭り上げられてしまっただけで、彼女自身は特別権威を持った存在ではないそうだ。

 

目の前のガスコインも似た様なものだ。

元々はこの街とは違う宗教の神父をやっていたが、妻のヴィオラが難病を患い、治療の手段を求めてここヤーナムまで来たらしい。

教会に所属しているのは、治療の代価として狩人になることを提案されたから。

ヴィオラの病の治療には長い期間が必要で、結局ガスコインが折れた。輸血を受け、無事狩人となったわけだ。

しかし、ガスコインはあくまで下級の聖職者であり、本来であれば白装束の所業を知る立場ではない。それでも知っているのは、僕が彼をある人との連絡手段として起用したからだ。

 

「それで、フォーマンはなんて?」

 

「どうやら、教会は下層の街で何か企んでいるらしい。詳しいことは分からないが、メンシス学派が一枚噛んでいるとも言っていたな。」

 

「そうか、あの陰気な腐れワカメめ、おとなしく引きこもってればいいのに……。」

 

旧市街と呼ばれる様になるヤーナムの下層街は、いまだ健在だ。

メンシス学派が絡んでいるとなると、いずれ起こるだろう灰血病は偶発的なものじゃあなさそうだ。

 

おそらく、メンシス学派のヤハグルを秘匿するための準備の一環。

今はまだヤハグルに出入りできるが、メルゴーの赤子、あるいは再誕者あたりを呼び出す算段がついたのだろう。

街全体を秘匿して、大々的な儀式をやる腹積もりに違いない。

 

実は我らが大図書館とビルゲンワースらの交流会も、メンシス学派に対する牽制の意味合いもあった。

信頼も実力もあるルメール君に、腐れワカメに対する伝言を預けてある。

 

『我らは白痴ではない。』

 

短いものだが、本来白痴のロマを儀式に使うことは我々が知るはずも無いので、言いたいことは伝わるだろう。それに短い方がなんだか格好いい。

 

「どうするんだ?まさかお前が、ただ見ているだけというのも無いだろう?」

 

「もちろん。大図書館のモットーは、みんな仲良くだ。人だって上位者だって、ね。」

 

いたずらに人命を消費する行為は、見ていて気持ちいいものじゃ無い。それがくだらない遊びに使われるとあれば尚更だ。

 

再誕者は、僕の知る中で最もくだらない『上位者』だ。

あんなものはほとんど人形遊びと変わらない。人の死体をかき集めて、原始的な思考をつなぎ合わせただけの、ただの元人間たちだ。

 

たしかにカテゴリーするなら上位者だが、あれはきっと言葉を持たない。そんなものとは、どう足掻いても友達にはなれなさそうだ。

 

正直、どこの誰とも知らん輩が死ぬのはどうでもいい。

僕にとってこの世界はやっぱり現実では無いし、元々正義感溢れる人間でも無い。

しかし、ヤーナムの街から人をさらっているのだから、僕の知り合いが犠牲になるかもしれない。

カミュの住んでいた墓地街の行方不明者も、実際はほとんどヤハグル連中の仕業だろう。

もし僕の知り合いが被害にあったら、僕はあいつを許せないだろう。僕は独占欲が存外強いのだ。

できる事ならば、檻をかぶるという凄まじいファッションセンスに目覚めることになるあいつとは、仲良くしたいものだ。

そういう未来がくれば、きっと楽しいに違いない。

 

下層の街には狩人のデュラがいるし、アーチボルドも工房を構えている。

とくにアーチボルドは色々手を貸してもらっている事もあるし、ここらで恩を返しておくのも悪く無いだろう。

 

「今頃はルメール君が釘を刺しているところだ。それでも止まらない様だったら、僕が直接話をつけてくる。あいつも僕の協力が得られなくなるのは避けたいだろうからね。」

 

「そいつはおっかない。いくらミコラーシュといえど、繋ぐ者直々の説教は堪えるだろうさ。」

 

僕の身に宿る神秘は、言葉の壁を越えることができる。もし僕を敵に回したら、人に協力的な上位者の庇護を失うことになるかもしれない。

ビルゲンワースの白痴の蜘蛛も、教会の星の娘も、僕の言葉ひとつで反旗をひるがえすかもしれない。それが怖くて、どの陣営も僕に手が出せないのだ。

なんたって目の前で都合の悪い話をされても、彼らには理解できない。

僕の神秘はある程度自由がきく。言葉を理解されたくなかったら、繋がりを切ることだってできるのだ。

 

以前一度だけ星の娘と会話したことがある。

彼女は祭壇を見つめてじっとしていた。話しかけたら、それはもうびっくりするくらいの勢いで振り返った。もうちょっと近寄っていたら、彼女の体に巻き込まれて吹っ飛んでいたことだろう。

 

どうして言葉がわかるのかとか、あなたは同郷なのかとか色々質問責めされていたら、教会の人が青ざめた顔で中止を求めてきた。

あんまり熱心に僕を構い倒すものだから、エーブリエタースが自分たちの庇護下から離れてしまうのではないかと危惧した様だった。

その時も彼女以外とは繋がりを絶っていたから、教会の不安は相当なものだったのだろう。

だからと言って、上位者との貴重な交信手段を潰すわけにはいかない。だから大図書館の存在が容認されているのだ。

 

今は、上位者と話すときは他の人との繋がりは保てない、ということにしてある。

手札は多いほうがいい。しかしそのせいで上位者と話す機会が減ってしまったのは残念極まりない。

僕はまだろくに自己紹介だって出来ていない有様だ。友達の道はまだまだ先が長そうだ。

 

「最近、ヴィオラさんの様子はどうだい?」

 

ガスコインは笑った。どうやら良い方向に向かっているらしい。友人として、素直に喜ばしいことだ。

 

「順調だよ。前より痩せたが、ずいぶんうるさくなったものだ。もう少ししたら、付き添いがいれば外を歩けると言われてな。娘がお出かけはいつ出来るのかと気を揉んでいるよ。」

 

ヴィオラさんのかかっている医者は、この街では珍しく真摯な人だ。ドクター・ドブ。あだ名ではなく本名らしい。

私も一度お世話になったことがあるが、名前に似合わず衛生観念のしっかりとした、綺麗な診療所だった。

私の故郷のドブの意味を教えたら、目の前で注射針を太いものに変えられた。

たしかにデリカシーがなかったかもしれない。それでも殆ど痛みを感じず終わったのが、彼の技量の高さを示していた。

 

「あの医者にはいくら感謝しても足りない。医療教会は彼を頭にすげ替えるべきだと、常々思うよ。」

 

僕は苦笑いで返した。医療教会の医療とは、ただのお題目に過ぎない。実際は探求のための手段に過ぎず、治療とは程遠いものだ。

教会が彼の様な人物を抱えていることは、そしてそれがヴィオラさんの担当になることは、それこそ奇跡みたいなものだった。

 

「とにかく、彼女が元気ならば安心だよ。あとはガスコイン、君がしっかりしていれば全部がうまくいくだろう。」

 

「任せておけ、まだまだ貫禄とは程遠いが、それなりの実力はあるつもりだ。獣狩りの夜だって、もう何度も経験している。」

 

僕はガスコインを見つめた。心からの言葉らしい。それでも心配になった僕は、彼にも釘を刺しておくことにした。

 

「何度も言う様だけれど。獣狩りとは──。」

 

「──葬いである。決して正義の代行ではない。忘れるな。……だったか?」

 

僕は笑った。どうやら本当に心配はなさそうだ。

 

「忘れたものは、みな人の道から外れる。僕はね、ガスコイン。君の変わり果てた姿は見たくないんだ。どんな時でも、人を偲ぶ心を忘れないでくれ。」

 

「当たり前だ。なんたって俺は神父だからな。……さて、そろそろ行ったらどうだ?もう日も暮れる。なんでも最近は遅刻ばかりらしいじゃないか。ミス・ルメールがひっそりと零していたよ。」

 

あいつめ。仮にも師匠の恥を外部に晒して、恥ずかしくないのだろうか。ないんだろうな。そもそも大図書館所属という時点で好奇の視線に晒されるわけだし。

 

「そうしよう。いまルメール君の機嫌を損ねたら面倒そうだ。あんまりカミュに君の娘を付き合わせるのも悪いしね。」

 

「ああ、図書館の連中にもよろしく言っといてくれ。それじゃあな。」

 

カミュはいま不安定だ。自分の中の悪い部分と、折り合いをつけるために苦労しているだろう。環境が少し特殊なのもあって、助け船を出してやらないといけない。

ガスコインも思うところがあるのか、何も追求しなかった。それでも黙って見守っているところ、彼もだいぶお人好しだ。

 

僕はカミュにどうやって説法をしてやるか、頭をひねりながら声をかけた。



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フィリップの憂鬱

「先生。俺は確かに言いましたよね?聖堂街にある門を勝手に開けちゃいけないって。俺は何度も言いましたよね?」

 

「仕方がないじゃないか、フィリップ君。だいたいあんなところに門を設置するやつが悪い。門があって誰が得するというんだ?わざわざ遠回りするより、門を開けた方が何倍も早いんだぞ?」

 

眉と眉の間に青筋が出来るのがわかる。

とぼけた顔の不健康そうな顔を殴ってやりたい気持ちを抑えつつ、冷静に言葉を選ぶ。

 

「彼らにもそれなりの事情があるのです。しかも夜中にがっしゃんがっしゃんされると、住民の皆さんからの文句が凄いんですよ!ただでさえこの図書室は肩身が狭いのに、ぺしゃんこになったらどうするんですか!」

 

「大図書館だ、フィリップ君。というか、あれ門の意味がないだろう。外から長い棒を引っかけるだけで開くざるだぞ?教会の程度も知れるというものだ。」

 

血管がはち切れそうだ。

俺はのんきに紅茶を楽しむルメール先輩を見やる。目があったが、すぐに逸らされてしまった。

どうやら彼女は先生の説得を早々に諦めたらしい。いや、俺が説得しているから自分はしなくてもいいと思っているのかもしれない。

 

「そもそも門がなんで作られてるか、わかってますか?勝手に入られたくないからですよ!立ち入り禁止なんです!ちゃんとそこを理解してますか!?」

 

「それで入られたんじゃあ世話がないね。」

 

絶対わざとだ。わざと俺を怒らせようとしているんだ。そうに違いない。

 

「こ、この野郎……!」

 

「……朝から何やってるんですか、フィリップ先輩。」

 

階段から現れたカミュが呆れた顔をしてこちらを見ている。

白い寝間着を纏ったままだから、つい先ほどまで寝ていたのかもしれない。また寝室に本を持ち込んで夜更かしでもしたのだろう。

彼女は自分の家がないから、先生の家で寝泊りをしているのだ。

 

「カミュ、貴女も何か言ってやってください!この阿呆がまた教会の門を勝手に開けたんです、しかも夜中に!おかげで俺は寝不足ですよ!」

 

「そう、大変ですね。頑張ってください。」

 

それだけ言うと、席について紅茶を淹れ始めてしまった。

どうやらここに味方はいないらしい。

図書室の評判なんてハナからないようなものだから、皆気にしていないのかも知れない。

しかし俺には、声を上げ続けなければいけない理由がある。

 

「なんで俺の家に苦情が来るんですか!先生の家に直接文句を言えばいいのに!おかげで俺は今月だけで三人のガールフレンドを失ったんですよ!」

 

「あ、そう。」

 

「お前のせいだろうがよおおお、もおおおおおお!!」

 

俺は頭をかきむしる。

先生は自由奔放だ。確かに神秘は凄いのかもしれないが、俺にはあんまり凄さがわからない。

俺は別に上位者と友達になろうなんて思っていないからだ。

そもそもその上位者とやらをこの目で見たことがない。姿が見えないものを信じるなんて、それこそ教会がやっていればいい。

俺にとって重要なのは、いかに可愛い女の子を捕まえて、楽しい時間を過ごすかなのだ。

 

しかし図書室を離れるわけにはいかない。俺は図書室で先生の雑務(おもに苦情の対応)を手伝うということで学び舎から卒業資格を約束してもらっている。

もし先生の機嫌を大きく損ねたら、俺は学び舎の卒業資格を失う。そうしたら、女の子と遊べなくなってしまう。

ヤーナムは貴族社会だ。大した家の出じゃない俺がモテるためには、学び舎卒業のキャリアが必要不可欠なのだ。

 

それをいいことに、この男は……!

 

「……先生。今日は釘を刺しにきたんです。せめて、夜中はやめてくれませんか?日中ならまだしも、夜中はさすがに顰蹙を買います。せめて教会以外の人に迷惑をかけないよう。お願いできませんか?」

 

「あー、うん。考えておくとも、フィリップ君。」

 

ダメだ。まったく反省していない。俺は心の中で泣いた。

いつ住民の苦情が来るかわからないため、碌に家に女の子を招待できないのだ。

 

「俺の彼女が、ついに四人になっちまった。ここ一年、五人以上をずっとキープしていたというのに……。」

 

ホロリと落ちる涙を、ルメール先輩は冷たい瞳で見ていた。他二名は本の世界に夢中のようだ。本の虫だから恋愛のれの字も知らないのだろう。

ルメール先輩ならわかってくれると思ったのに。

 

「不思議ですね、まったく同情できません。いったい何故でしょう、先生。」

 

「恐らく、根本から脳のつくりが違うのだろう、ルメール君。あれはいわゆる恋愛脳といってね、四六時中女の子とにゃんにゃんすることしか頭にないんだよ。」

 

「にゃんにゃん……?不思議な表現ですね、先生。いったいどういう意味を持っているんですか?」

 

「あー……。知らなくていいと思うよ。それか、僕が言い澱むような意味を持っていると考えてもらえればいい。」

 

ルメール先輩の冷たい視線が痛い。いや、むしろちょっと気持ちいいかも……?

俺が新しい扉を開きかけていると、ルメール先輩が疑問を口にした。

 

「それで、先生。昨日の夜にいったい何をしていたんですか?」

 

「ああ、古い工房をすこし掃除しに行っていたんだ。あそこは誰も手入れをしてくれないからね。せめて僕だけでも、と。定期的に様子を見に行っているんだ。」

 

おそらく、街の中央付近にある古工房のことだろう。たしかルメール先輩は何度か行ったことがあるはずだ。綺麗な人形が置いてあるとかで、俺も一度くらいは行って見たいと思っていた。

 

「苦労の甲斐もあって、だいぶ綺麗になってきたよ。あそこは行くのが大変だから、なかなか掃除の時間が取れなくてね。今じゃ見違えるほどさ。」

 

「へぇ、でしたら今度、俺も連れてってくださいよ。ウワサの綺麗なお人形さんに一度お目にかかりたいと思っていたんです。」

 

「フィリップ君は節操がないね。美しければ無機物だって見境なしとは。こうはなりたくないものだ。」

 

この若白髪め。言い返すと手玉にされるので、俺は反論しない事にした。

カミュがマジかよ、という顔で見てきているが今は知らんぷりだ。

後で誤解を解いておかないと。

 

「でも、その古工房って最初の狩人が使っていたものなんでしょう?勝手に入っていいものなんでしょうか。」

 

あの秘匿好きの教会が、先生とはいえ無条件に見せるようなものなのだろうか。

 

「勿論いけないとも。だからわざわざ夜中に忍び込んだんじゃないか。白装束に見つかりかけたときはひやっとしたよ。」

 

駄目だったらしい。疲れてしまったので、俺は図書室を出る事にした。今日だって予定が沢山あるのだ。

 

「なんだ、もう行くのかい。紅茶の一杯でも飲んでいけばいいのに。」

 

「生憎ですが、俺は忙しいんです。今日だってお茶会がふたつ、夜にはデートがあるんですから。……頼みますから、今日はもう騒ぎを起こさないでくださいね?うまく行ったら、デートの相手を家に招待するつもりなんですから。」

 

「若いねぇ。まあいいさ、君に免じて今日は大人しくしていようじゃないか。ちょうど翻訳の依頼が溜まってたんだ、しばらくは机にかじりついているよ。」

 

そういって、本をめくる作業に戻ってしまった。

まったく、先生さえいなければこの図書館も天国だっていうのに。ルメール先輩はとても綺麗だし、プロポーションも中々だ。

カミュはまだ子供だが、将来有望だろうということは一目見ればみんなわかる。

それに、別に子供の相手をするのは嫌いじゃない。

変な意味ではまったくないが。

 

「それでは。ルメール先輩、カミュ。邪魔して悪かったね、御機嫌よう。」

 

「ええ、御機嫌よう。」

 

「さようなら。」

 

そうして俺は図書室を後にした。俺はカミュの誤解を解くのをすっかり忘れていて、後々名誉のために奔走する事になるのだが、それはまた別の話。



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古工房

「やぁ、また来たよ。」

 

僕はカンテラの明かりに照らされてもなお、物言わず佇む人形に言葉を掛けた。すこしだけ赤みがかった白い肌に白く長い髪、そして吸い込まれそうな白い瞳。絶世の美女という言葉がふさわしい、美しい顔立ちをしていた。

今にも動き出しそうだが、彼女は人形だから少なくとも現実では動くことはない。

それなりに長い付き合いだが、彼女の指が痙攣するのさえ一度も見たことはなかった。

 

ここ古工房は、大図書館よりも前の、この世界での最初の拠点だ。

右も左もわからず放り出された余所者には、まともな宿など望むべくもない。

オドン教会も候補にはあったが、あそこは香の匂いがきつい。獣狩りの夜でもないのに、獣除けの香を焚きっぱなしにしているようだ。

赤ローブは嫌いではないが、壺の中には人骨のようなものでいっぱいだし、精神衛生上よろしくなかった。

反面こちらはとても快適だ。ユリ科のような花が咲き乱れて眺めはいいし、下水のきつい臭いも届かない。暇を潰したければ本だって読める。

埃まみれな点を除けば、まさに御誂え向きだった。

 

僕は人形に薄くかぶった埃を払ってやった。最初にここに来たときは驚いたものだ。埃まみれの家の中、人形だけが汚れひとつない綺麗な状態で残っていた。

不思議な力でも働いているのかと思いきや、それ以降は普通に埃が積もるようになった。じゃあ以前に誰かが手入れをしていたかと聞かれれば、それもノーだ。埃まみれの家の中には僕以外の足跡なんてなかった。

この謎はいまでも古工房七不思議の一つだ。ちなみに不思議は8個ほどある。

 

ともかく僕は一時期この工房に住んでいたのだ。ゲーム内でも拠点だったから愛着がある。それに宿のお礼はするべきだと、僕はたまにこの古工房を掃除しにくるのだ。なかなかに紳士だろう?

 

「最近は物騒になったよ。ビルゲンワースもメンシス学派もやたらと活動的になってね。教会は表向き静かだけど、僕の予想ではまた何か企んでるね。まったく懲りない連中さ。」

 

メンシス学派は人攫いなどでかなり派手に動いているが、ビルゲンワースや教会だって負けていない。

前者は星の子の研究が行き詰まって鬱憤が溜まっているようだし、後者は……。まぁ特別なにかしているという訳ではないが、怪しいから何かしら企んでいるだろう。

ビルゲンワースらはあくまで学問の延長だが、教会は純粋な欲望の掃き溜めだ。人攫いだって全てメンシス学派の仕業かと聞かれれば、首をひねらざるを得ない。

 

「獣狩りの夜も、近いのかもしれない。僕や君に出来ることは少ないが、せいぜいハッピーエンドになるよう藻搔こうじゃあないか。……僕と君の考える幸せが、同一のものである確証はないがね。」

 

人形は人ではない。

人形の目的が人を愛する事である以上、悪いものではないだろうが、考え方が人とは根本的に違う可能性もある。

愛というのは、受け取る側にとって必ずしもいいものであるとは限らない。

 

「それにしても、ずいぶん綺麗になったもんだ。我ながらいい仕事をしている。君もそう思わないかね。」

 

なんという事でしょう、あんなに汚かったお屋敷が、匠の手により素敵なリラックス空間に早変わり。

姿見だって中の鏡を取っ替える徹底ぶりだ。これを割らずに運ぶのはなかなか難儀した。巨大な割れ物を背負ってショートカットを逆流してよじ登るのはかなりハードだった。

後からフィリップにでも上からロープで降ろしてもらえればよかったと気がついたが、まぁいいだろう。苦労があると感動もひとしおというものだ。

 

「お礼の言葉を貰ったって、バチは当たらないと思うんだが。君が口をきけたら良かったんだけどね。まったく儘ならないものだ。」

 

僕は狩人ではないから、狩人の夢を見ることはできない。実を言うと、僕は輸血というのを一度もしたことがないのだ。

ドクター・ドブにかかったときは、ヤーナムの外で出回っている抗生剤を入れて貰った。

教会の恩恵を受けるのが嫌だと言うのもあるが、もっと大きい理由がある。

 

僕は、輸血液の中には良くないものが入っていると考えている。

輸血液の起源は遺跡から出土した聖体にある。おそらく上位者のものだろう。

別の生命体の体液が人間に良い働きをする、というのは疑わしい話だ。

勝手な私見だが、おそらく輸血液の正体は、幻覚症状のある感染症あるいは寄生虫だ。

たとえばカマキリに寄生することで有名なハリガネムシは、産卵時期になるとカマキリに「熱い」という錯覚を起こさせることで水辺に誘導し、子孫を残す。

アフリカマイマイに寄生するロイコクロディウムは、カタツムリに上を目指させることで鳥に捕食され、鳥の胃の中で産卵する。

同じように輸血液に潜む寄生虫は自分たちの、あるいは自分たちの卵などが潜む血液を取り込むよう人の無意識に働きかけることで、自分たちの子孫を残そうとしている、という憶測だ。

ヤーナムの住民が狂いやすいのも、そこら辺が絡んでいるのだろう。

もちろんただの幻覚じゃない。上位者が夢に実体を与えているのだろう。でなければただの輸血で怪我が治ったりしない。

最初の輸血で拒絶反応が出るのも、説明がつく。

 

作中で謎の多い上位者オドンは、血こそがその本質だと描かれる。

もし輸血液の正体が寄生虫だとしたら、アリアンナや偽ヨセフカが人ならざる子を孕むのも理由がつく。教会の行なっている血の聖女の調整とは、つまり寄生虫に都合のいい体に作り変えるということなのだろう。

 

もちろん、寄生虫の全てが悪いというものではない。

たとえばサナダムシ。ご存知の方もいるかもしれないが、サナダムシダイエットというものがある。

体の中にサナダムシを飼って、余計な栄養を消費してもらうことでダイエットを試みるというものだ。

しかも、この方法は花粉症にまで効果があるという。イギリスのヴィクトリア女王もこれをやっていたらしいから、寄生虫との共存はあり得ない話ではない。

 

まぁ、現時点で住民が発狂したり化け物に変身したりと、悪いところだらけだ。そういうことを無くすための血の聖女なのだろうが……。

保証のないいま、それを体に入れるなんてぞっとしない話だ。

 

ちなみに我が図書館のみんなはというと、フィリップ君は血酒を嗜む血の常習者だし、ルメール君も何度か輸血を受けている。カミュは分からないが、教会の手の届く場所で生まれたのだ。おそらく一度は輸血しているだろう。

教会は輸血液のほかに、中毒性のある血の酒などで、積極的に血を摂取するよう誘導している。念のため大図書館のみんなや親しい連中には控えるよう忠告してはいるが……。

あまりいい結果は出ていない。

 

しかしもし予想通りなら、血を拒む僕は夢によって干渉してくる一部の上位者を見ることは出来ないということになる。

そこだけは悩ましいところだ。

 

「まぁ、いつか僕も血を受け入れて、狩人の夢を見るようになるかもしれない。それまでには是非とも、歓待の言葉を用意しておいてくれよ。」

 

届いているかは知らないけれど、と付け加える。

人形の正体というのもわからない。とても大切にされていたようだから、おそらく師であるゲールマンのものだと思うが。

人形いわく人によって作られたそうだから、月の魔物のものということはないだろう。

その辺りの秘密も、いつか解き明かしてみたいものだ。

 

なんたって、秘密は甘いものらしいからね。

 

 



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新しい住人

「……先生。その奇天烈な格好はなんなのでしょうか。」

 

私の目の前には、黄色い潜水帽を被り、全身を黒い厚手のゴムでぴっちりと覆った……いわゆる全身タイツを纏った奇怪なモノがいた。

 

「おお、ルメール君。君も見たまえ!このキュートな生物を!頭でっかちで非常に愛らしい。しかもこの子は体液を飛ばして愛情表現までしてくるのだ!」

 

くぐもった声に従い視線を下にずらすと、そこには先生に負けず劣らずの奇妙なイキモノがいた。

全身が白く濁ったピンク色にぬらぬらしていて、小さい胴に短い手、飛行能力は持たないだろう短い羽に長いシッポ。特に特徴的なのは頭で、顔の表面には目にも見える吸盤のついた触手が4つ付いていた。

 

「なるほど、以前食卓に並んだタコという生き物ですね。生ということは、今回はサシミとやらにするのですね?奇妙な見た目ですがバター炒めは中々に美味だったので、楽しみです。」

 

「違うぞルメール君!この子は海産物のタコではないし、勿論食べもしない!この大図書館で飼育するのだ!」

 

どうやら違ったらしい。しかし生物を飼育したいなんて珍しいことだ。この大図書館で生き物を飼ったことなんて一度も……。

いや、待てよ。たしか昔カミュが猫を拾ってきて、先生は大図書館はペット不可だ!なんて言って喧嘩をしていた気がする。

 

「大図書館はペット不可、では無かったのですか?カミュが聞いたら怒りますよ。」

 

「ペットでも無いのだよ、ルメール君。何を隠そうこの子は、我らが大図書館の貴重な資料となるのだ!つまり、研究対象なのだよ!」

 

なんとこの生物は研究対象らしい。

たしかに見たことのない珍しい見た目ではあるが、果たしてこの生物は上位者と交友を築くための利益をもたらしてくれるのだろうか。

 

「それで、この生物はなんという名前なのですか?」

 

「聞いて驚け、星の子だ!あの星の娘エーブリエタースと関わりの深いイキモノなのだ!」

 

「入手経路は?」

 

「上層からパクってきた。」

 

私は先生の両肩を掴んだ。爪を立てないようにしながら、ゆっくりと力を込めていく。

 

「ルメール君?なんだい、マッサージなら後でいたたたたたただだだだだやめ痛ててでででで!」

 

「戻してきましょう、先生。窃盗は犯罪ですよ?」

 

「い、嫌だ!せっかくガスコインに頼んで取ってきてもらったのに!青い秘薬は非常に高価だったんだぞ!」

 

どうやらガスコインに青い秘薬を飲ませて透明化させ、こっそり盗んでもらったらしい。教会にバレたらどうするつもりなのだろうか。

ガスコインにも少しお話をせねばなるまい。

 

「肩が!肩がちぎれるよルメール君!」

 

「それは貴重な体験です。一度くらい経験しておいてもバチは当たりませんよ。」

 

「必要な事だったんだ!最近研究が行き詰まっているのは君が一番よく知っているだろう?この子は大図書館の新しい風、希望なのだ!」

 

肩を握る手の力を緩める。たしかに最近研究が滞っている自覚はあった。

高価で緻密な検査機械類の購入は、先生を警戒した輩どもが阻止してくるせいで難しい。といって本で知識を仕入れるのにも限界がある。

たしかに、必要なことなのかもしれない。私は星の子を見つめた。星の子もじっと見つめ返してきた……気がした。

目玉が見当たらないので、断言はできない。この吸盤がセンサーの役割でも果たしているのだろうか。

 

私は先生の肩から手を離した。

 

「なるほど、理解できました。いいでしょう、星の子の飼育に取り敢えずは納得しておきます。」

 

先生がほっと息をつく。この握力99め、という戯言を受け流し、先程から気になっていたことを聞いてみた。

 

「ところで先生。その格好は一体なんですか?」

 

「ああ、対星の子装備だよ。この子の吐き出す体液は危険だからね、触れると精神に異常をきたすかもしれない。そのために全身ゴムを纏って肌に体液がかかるのを防いでいるのさ。」

 

私は星の子から距離を取り、素早くレイテルパラッシュを構えた。

照準は先生の足元にいる星の子だ。そんな危険生物と屋根を一緒にするつもりはない。

 

「大丈夫だ、ちゃんとケージに入れて飼育するとも!鎮静剤も十分に用意してあるし、そもそも体液を吐き出すのは珍しい行為なんだ。新しい環境に慣れれば危険は無くなるだろう。あれは一種の威嚇行為だからね。」

 

「先程愛情表現と仰っていたようですが」

 

「いや、言葉の綾だよルメール君。いわゆる親バカというものだ。一部の親というのは子の為すこと総てが愛おしく映るものだろう。」

 

いつから先生は親になったのだろうか。というか、この子の親はなんなのだろう。関わりが深いと言っていたから、エーブリエタースなのだろうか。

 

「それで、この子の実際の親は誰なんですか?」

 

「ん?ああ、生みの親はおそらくエーブリエタースだよ。しかし安心したまえ、連れ去ったところで彼女の顰蹙を買うことはないだろう。彼女は自分の子供を疎ましく思っているようだしね。」

 

自分の子を疎ましく?それなら最初から産まなければいいのに。まさか地面から湧き出るわけでもないだろう。

 

「どういうことですか?」

 

「被造物は造物者を愛するが、その逆が必ず成り立つとは限らないのさ。つまり星の娘は懐郷の想いにだけ泣いていたわけではなく、自らの境遇にこそ涙を流していたというわけさ。」

 

なるほど、よくわからない。

星の娘はほとんど軟禁のような状態らしいし、もしかすると強制的に孕まされている、ということなのかもしれない。

 

「まあ、そこらへんの事情はもう良いです。とりあえず電極でも刺してみますか?筋肉の動きに興味があります。通常の動物と変わらないのでしょうか。」

 

「物騒だな、ルメール君!仮にも上位者の子供にそんなことするわけないだろう!まずは観察と相場は決まっている。食事の様子なんかは面白いと思うぞ。なんせ顔が縦に避けるなんて通常見られない特性だ。進化の過程で生まれたのか、あるいはただの突然変異が淘汰されないまま残っているのか……。おお、どうしたタコ助。お腹でも減ったのか?よしよし、まずは鳥のササミでも試してみようじゃあないか。」

 

「……先生。念押しをしておきますが、本当に研究目的なんですよね?名前なんてつけたら情が湧いてしまいそうなものですが。特にカミュとかが。」

 

「もちろんだともルメール君!タコ助は立派な被験体だとも!しかし種族名で呼ぶのもナンセンスだろう?一時とて、この大図書館がこの子の家になるのだから、名前は必要に決まっている!」

 

絶対にペットにする気だ。まぁいい。先生の奇行は今に始まったものではない。

きっと何か考えあってのことだろう。きっと。

 

「とりあえず、カミュとフィリップへの説明を考えておきましょう。カミュは私達を慕ってくれているので比較的楽に説得できますが、フィリップは面倒そうですよ。」

 

「なに、イイトコのお嬢さんとのお茶会でも取り持ってやればすぐ頷くだろう。知り合いにユリエールという女性がいてね。なかなかフィリップ君好みの性格なんだ。彼女も実家から色々言われているらしいし、カモフラージュにもってこいさ。」

 

タコ助を撫でながらそう言った。

新しい住人にはこれから苦労させられそうだ。しばらくは体液を吐き出さないよう監視せねばなるまい。大事な書物に当たりでもしたら大変だ。

私だって暇ではないというのに。

 

ため息をつきながら、不意にやってきた新しい刺激にほんの少しだけ胸を膨らませた。

 

 

 



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月夜の秘密会議

「ルドルフ。君は時計というものが何故作られたのか理解していないようだな。しかも謝罪のひとつもないとは、非常に稀有な脳をお持ちのようだ。」

 

もみあげの立派な大男が言った。

まるで処刑人のごとくな威圧感だが、これでも数多の学徒たちを率いるビルゲンワースの中枢人物だ。

 

「バーティ教授。これには深い理由があるのです。」

 

「ほう、言ってみろルドルフ。」

 

「美しい女性というのは、時として誰も気づかぬうちに時間を奪い去ってしまうことがあるのです。そう、我が大図書館の絶世の美女、ルメール君のような女性は特に!」

 

「つまり、君の時間管理能力のなさはミス・ルメールが原因である、と?」

 

「簡潔にいうとそうなりますね。」

 

鞭がしなる。風を切る鋭い音が響く。お気に入りのシルクハットが潰れた空き缶のようにくの字になって吹き飛んだ。

 

「ああっ!僕のシルクハットが!先週買ったばかりなのに!」

 

「己のファッションセンスと学習能力のなさを悔いるがいい、ルドルフ。君が会合に遅刻するのはこれで何度目だったかな?」

 

「まだ9回目だと存じております、バーティ教授。」

 

「この会議が催されるのは何度目だね、ルドルフ。」

 

「9回目だったと思いますが。」

 

再び鞭がしなる。今度は確実に頭を狙っている。僕はすかさず首を傾け、迫る危機をやり過ごした。

 

「毎回毎回、わざとなのかね?そんなに情報交換が嫌か?君だって

得るものは多いと思うんだがね。」

 

バーティ教授は極太の青筋を浮かべている。

そんなこと言ったって、遅れてしまうのだから仕方ない。もはや僕の時間管理能力のなさは遺伝子レベルに刻まれているに違いないのだ。

 

「まあまあ、いいじゃあないか。私は待つのは嫌いじゃないんだ。それに遅刻と言ってもたかだか10分程度だろう?その程度の誤差、ノーカウントというものだよ。」

 

痩せ身で猫背の、学徒の服を身にまとった男がそう言った。

彼もビルゲンワース所属だが、メンシス学派寄りの人物だ。腐れワカメに恭順の意を示しているが、実のところその研究成果を横取りして自分だけ上位者になろうとしている狡い奴だ。

 

「パッチ、貴様は黙っていろ。お前が許せるかどうかと俺が許せるかどうかは、全く別の話だ。」

 

「あら、私はパッチと同意見よ。大体貴方は厳格すぎるところがあるわ、バーティ。少しは妥協というものを覚えたら如何かしら。それに、いくら説教したってこの人の遅刻癖が治るとは思えないわ。」

 

白い髪に白い衣装を身にまとった、これまた白い顔の女性がバーティ教授の言葉を遮った。

彼女はこの会議で唯一の教会所属だ。

 

「ヨセフカ、君も医者の端くれだろう。こいつの脳みそほじくり返して矯正とかは出来ないのか?神秘を持つ男が被験者だなんて、胸が踊ると思うんだがな。」

 

「お生憎様、医療というのはそう都合のいいものではないのよ。少なくとも私には無理ね。」

 

なんて恐ろしい提案をするんだ、この男。ルールは知っていても常識は知らないらしい。この女は冗談を冗談と認識してくれないぞ。本当に被験者にされたらどうするんだ。

 

「……みなさん、よく飽きませんよね。僕の記憶が確かなら、このやり取りも9回目ですよ。」

 

恰幅のいい青年が呆れたように零す。サラサラパッツンヘアーが不思議と似合う、清潔感ある人物だ。

彼もまたビルゲンワースの学徒である。

 

「触れてやるな、カレル君。彼らも僕と同様に、脳に障害を抱えているんだろう。可哀想に、三歩も歩けば記憶が吹き飛んでしまうに違いない。」

 

「あなたもあなたですけどね、ルドルフさん。というか、遅刻癖を治せばそれで丸く解決するんですけど。」

 

「ううむ、どうやら聴覚障害まで併発してしまったらしい。カレル君、今なんと言ったかね?」

 

「……。」

 

カレル君の目が虚ろになった。可哀想に、彼も精神障害を抱えてしまったようだ。真面目なのが仇となったか。

ううむ、ここには障害持ちしかいないじゃないか。医者はいないのか。

もちろんヨセフカ女医は除外する。

彼女は医者によく似た何かだ、彼女にメスを取らせるくらいなら自決でもした方がマシだろう。

 

「まあ、お遊びもここまでにしましょう。今日の議題はおいたの過ぎたメンシス学派をどうするか、でしょう?」

 

「え、メンシス学派がなにかやらかしたんですか?僕、何にも聞いてないんですけど。」

 

カレルが疑問の声をあげる。知らないのも仕方もないことだ。彼は特別な技能がある以外は、いたってまともな人物だ。基本はビルゲンワースに缶詰にされて延々とカレル文字について研究している。

僕が能動的に誘わなければ、犇めく陰謀など何も知らずに研究だけしていたろう。

同じ言語を繋ぐものとして前々から勝手な共感を抱いていたのだ。さらに技能持ちとあらば、誘わない手はあるまい。

 

「ほら、最近行方不明事件が多発しているだろう。なんでもサンタクロースのような大男が裏路地を中心に現れるだとか。あれはまず間違いなくメンシス学派の仕業だよ。顔立ちこそ教会の徘徊者と同じだが、教会なら材料なんて自らやってくるだろうからね。」

 

「ああ、なるほど。以前ルドルフさんが言っていた、引きこもり計画がスタートしたんですか。でも、よく内容までわかりましたね。情報源は例のフォーマンとやらですか?」

 

「そうだ。そこのハゲパッチが間者でもやってくれれば楽だったのに。保身主義には辟易とさせられるよ、まったく。」

 

「何を言うか!私はまだフサフサのサラサラだぞ!髪の薄くなる気配なぞ微塵もありはしない!それに保身主義の何が悪い。命あってこその神秘だろうに。」

 

抗議の声をあげるパッツンサラサラヘアー2号。残念だが、君の未来はすでに決定しているのだ。

他の人面グモがサラサラヘアーなのに言葉を発しないと言うことは、もしかしたら上位者になるためには髪を諦めなければいけないのかもしれない。

残念なことだが、本人は上位者化したあと充実していたようなので、気にすることないだろう。

僕は若干の哀れみの視線でパッチを見つめた。

 

パッチはまだ物言いたげな顔をしていたが、バーティ教授が無視して語り出した。

 

「今回は、メンシス学派に対して我々がどんなスタンスで向かうべきか、と言うものだ。ルドルフが忠告をしたらしいが、どうやら強行を試みることにしたらしい。まったく救えない男だ。」

 

「仕方ないわ、彼は劣等感を持て余しているもの。自分の行いが他人によって妨げられるなんてこと、許せる性格ではないわ。」

 

酷い言われようだ。自分のいないところで性格分析されて貶されるなんて、可哀想に。

あとで僕の性格分析をひけらかさないよう釘を刺しておこう。

 

「今下層の街を荒らされると、僕が困るんだよ。アーチボルトにひとつ仕事を頼んでいるんだ。カミュがもうすぐ誕生日でね、手軽な武器の一つでもプレゼントしてやろうと思ってるんだ。」

 

「私はどうでもいいな。あんな貧民街もどきに用はない。さっさと廃棄されてしまえばいいものを。」

 

「バーティ教授、君も本当は困るだろう?火薬庫となにかやりとりをしていると小耳に挟んでいるよ。安易に下層を見捨てたらデュラの怒りでも買って、縁を切られちゃうんじゃないかな?」

 

大男は舌打ちをした。僕が困るということで、協力を頼まれれば恩が売れると思ったのだろう。

残念だが、そう簡単に弱みは握らせないぞ。

 

「か、下層ですか?困ります!彼処にはおばあちゃんが住んでいるんです、はやく避難させないと……!」

 

顔を青くして慌てる。そういやそんな話をしたような気がする。確か、彼の唯一の肉親だったか。結構なおばあちゃんっ子らしいし、心配するのも無理はない。

未来のハゲが安心されるように答えた。

 

「まあまあ落ち着きたまえ、親愛なるカレル君。擂り身のバーティと繋ぐ者が手を組んだなら、阻止できるできないは別にしてもすぐにどうという話では無くなったのさ。」

 

「そういう貴方はどうするの、パッチ?メンシス学派として振る舞うなら、ずっと引きこもっているわけにはいかないのではなくて?」

 

「安心したまえ。今回はいい隠れ蓑を見つけてね。そちらで研究の協力をする、ということになっているんだ。君こそどうだい。なにか惹かれるものはあったりするかね。」

 

「お生憎様、なーんにもないわ。下層でなにが起ころうとも、患者がここに押しかけてくるわけでもなし。悪いけど今回は傍観者に徹させてもらうわ。」

 

「ううむ、仕方なかろう。それでは、私とルドルフ、あとカレル君か。以上三名が今回の出来事に対抗する。次は手段だな。私としては覆面でも被ってかちこむのが一番手っ取り早いと思うのだが、どうかね?」

 

「無茶言わないでくださいよ!僕はただの筆記者ですよ、肉弾戦なんてもってのほかです!」

 

「ルドルフはどうだ。」

 

「私も遠慮したいところだね。血なまぐさいのは好きじゃないんだ。腐れワカメとも、一応仲良くしたいと思ってはいるからね。今の性格のままではもちろんごめんだが。」

 

「ふむ、しかし忠告は無駄に終わったろう。何か手でも有るのか?」

 

「いいことを思いついたんだ。叱ってダメなら、甘やかす。そのついでに幻想を打ち壊してやればいい。みんなで海水浴と洒落込もうじゃないか。きっとあいつも引きこもるどころじゃなくなるぞ。ああ、楽しみだなぁ。」

 

「なんでしょう、とても心配です。やっぱり僕、抜けていいですか?」

 

「旅は道連れだ。一人抜けは許さんぞ、カレル。」

 

「ヒイィィ……!」

 

僕は鼻歌を歌いながら帰宅準備を始めた。まずは服を揃えないといけない。

ただの水着は感染が怖いし、全身タイツでも買ってみるか。頭は……。潜水帽なんかが良いかもしれない。

みんなで黄色い潜水帽を被って、漁村と海を探索だ!あいつもきっと水を得たワカメのようにはしゃぎ回るだろう。

もしかしたらイザコザを投げ捨てて、流れで友達になれるかもしれない。

僕の夢は着実に進んでいる。

 

待っていろミコラーシュ、今遊びに行くぞ!

 

 

 



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ゴースとの邂逅

「アッハハハ! これがゴース、あるいはゴスム……! 素晴らしい、これは夢か? ルドルフ、見たまえ、これが神秘!我らに瞳を授けるゴース、あるいはゴスムなのだ! 宇宙よ! 今こそ我らに瞳を授けたまえ! 我らの脳に瞳を与え、獣の愚かを克させたまえ!」

 

とある漁村跡の、早朝の海岸。厚い雲のせいで空も海も青白い。砂浜に打ち上げられたこれまた青白い肉塊と、その前で狂喜乱舞する男。

 

「あー、盛り上がっているところ悪いが、ミコラーシュ。私にはそれが生物には見えない……。いや、生物だったのかもしれないが、もう死んでるような気がするんだが。ただの肉塊に、瞳を与えたりできるものなんだろうか?」

 

「やがてこそ、舌を噛み、語り明かそう。明かし語ろう……。新しい思索、超次元を!」

 

「ダメです先生、聞いてません。頭でも叩けば直るでしょうか?」

 

ナメクジの這い回る白いヌメヌメした巨大な肉塊に縋る丸い鉄の潜水帽を被って全身テカテカタイツを纏ったミコラーシュ。

流木を握りしめた、潜水帽とタイツを纏ったルメール君。

それらを見つめる、これまた同じ格好をした僕とバーティ教授とカレル君。

いやぁ、なんとも面白い構図だ。カメラ持って来ればよかった。

 

「あ、あれがゴース……ゴスム?なんですか?なんか、思ってたより、こう……。気色悪いですね。」

 

カレル君が辟易とした表情で言う。たしかに見ていて楽しくなるものでないことは確かだ。感覚麻痺の霧で満たされた潜水帽越しにも香る素晴らしい匂いにむせ返りそうだ。

 

「あれ自体は変哲も無い哺乳類の死骸に過ぎないんだ、カレル君。感覚麻痺の霧が無ければ、君たちもあれを文献のように美しい顔を持った軟体動物として認識していただろう。ゴースの本質は肉塊を這い回るナメクジのほうさ。」

 

まだ合点がいっていない様子のカレル君に、バーティ教授が補足する。

 

「つまり、過去の間抜けどもが見ていたゴースというのは、実際はただの腐った肉塊だったということだろう?幽霊の正体見たり枯れ尾花、だったか。しかし、当時の遺骸がこうして残っているのは驚きだ。精霊というのはずいぶん融通が利くものだな。」

 

首をかしげるバーティ教授。彼は上位者や神秘についてそこまで詳しくない。彼の専門は古代ヤーナムの体術や身体構造についてなのだ。

もっとも、古代ヤーナムの体術は神秘を扱うものも多い。僕がバーディ教授と知り合ったのも、彼が神秘や秘技についての専門家を必要としていたところにある。

専門といっても、この男は古代ヤーナムの体術を習得することが目的で、正直学者と呼んではいけないと思う。教授とは言うものの、実態はただの体術マニアだ。体得した後は神秘関係の理屈はころっと忘れてしまう。

 

「まだまだ不明なことが多いが、精霊には不思議な権能があるようでね。時間を巻き戻すなんて現象も確認されている。死骸の時間を戻したり留めたりすることで、ビルゲンワースたちの考える"あるべき現実"を、可能な限り再現しようとしているんだろう。僕らの現実が彼等の都合に引っ張られるように、彼等もまた僕らの思考に支配されている。素晴らしい共生関係だと思わないかね?」

 

「いや、思いませんよ。出来ることなら、いますぐ体の中の虫を一匹残らず追い出したい所です。」

 

カレル君がわざとらしくぶるぶる身震いする。まったく、ビルゲンワース所属のくせにいまさら何だっていうのだか。まあ、気持ちはわからんでもないが。

 

「ところでルドルフさん、この丸いのもう脱いでいいですか?すごく曇るし声も聞こえ難くて、鬱陶しいんですけど。」

 

カレル君がぼやく。鬱陶しいとはなんだ。この蠱惑的な黄色と滑らかな曲面の良さがわからないとは……。

 

「おすすめはしないね。霧で満たしているから虫の活動を抑えて正気になれているわけで、大量の精霊が近くにいるいま脱いだらたちまちミコラーシュのように……。いや、あいつ潜水帽脱いでないな。なんで正気を失っているんだ?」

 

「本質からしてあれなんだろう。まったく救えない野郎だ。」

 

バーティが吐き捨てるように言った。腐れワカメは陰湿だから、感情も暴力も真っ直ぐなバーティ教授とは馬が合わない。

昔は陰気ではあるがいい奴だったらしいが。未来では檻をトレードマークひする時点で相当『いい奴』になるのは間違いない。さっきの調子を見るに、既に『いい奴』になったかもしれないな。

 

ちらりとミコラーシュのほうを伺うと、ルメール君の振り上げた流木がミコラーシュの潜水帽にヒットして、ゴーンと景気のいい音が鳴るところだった。ナイススイングだ、ルメール君。

 

「ゴースのくだりは大体分かりましたけど、村人の惨状はどういう経緯を辿ったんでしょう。昔の連中は村人の頭に穴なんて開けて、何がしたかったんですかね?」

 

「この村にはトレパネーション(※頭蓋に穴を開ける民間療法)の習慣がもともとあったんじゃないかな。遺体を見て回ったが、殆どは額の部分に一等大きな穴が空いていたんだ。昔のビルゲンワースはそこに目をつけたんだろう。」

 

個人的には額に穴を開けるなんてぞっとしない話だが、変身願望を満たす要素もあるのだろう。鬼やら怪物やらに変装するお祭りの代わりに、この村ではトレパネーションが選択された。そう考えればおかしな話でもない。

もちろん精霊やら上位者やらが闊歩するこの世界では、実際有用な手段なのかもしれないが。

……やっぱり僕も額に穴を開けてみようか。額の皮膚が破けるなんてそうそうないし、普段は硬い鉢巻のようなもので覆っておけば脳液が漏れることもないだろう。

 

思考に耽っていると、ルメール君がミコラーシュを肩に担いでこちらへ向かってくるのが見えた。

少し早いが、そろそろ撤退するとしよう。感覚麻痺の霧はなかなかに貴重で、今回かなり借りを作ってしまった。ヨセフカは気にしなくていいのよ、なんて言っていたが、後から何を要求されるかわかったもんじゃあない。

 

「それじゃ、いくつか資料をいただいていこう。あまり長居は出来ない。肉片は既に回収してあるから、住民の遺体を3体、あの鼈甲色のツボを3個、海水を10リットルほどと……。いや、今回はそれくらいにしておこう。僕がミコラーシュを運ぶから、ルメール君。適当に頼むよ。」

 

「わかりました、先生。それではバーティ教授、協力をお願いします。」

 

「おう。死体は俺が運ぼう。荷台に容器があるから、ミス・ルメールは海水とツボを頼む。」

 

さて、あとは脳筋二人に任せてはやく帰ろう。留守番がいるとはいえ、タコ助を放っておくと寂しがるといけない。……ミコラーシュ、痩せてる割に重いな。潜水帽が重いってのもあるが。普通に背負うと潜水帽同士がぶつかり合ってごんごんとうるさい。

ちらとカレル君に視線をやると、ものすごい勢いでぶんぶんと首を振った。そこまで嫌がることないだろうに。

 

ああ、癒しのタコ助。待ってろ、いまお土産の海産物を持って帰るからな。

僕はワカメに勢いよく齧り付くタコ助を想像しながら、砂浜に足跡を残していった。

 

 

 

 

 

 




トレパネーションには科学的な根拠はありません。が、現代でも神秘的ななにかを信じて額の骨に穴を開けている人がいるらしいです。是非一度触ってみたい……。


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